長生きしたけりゃ自分の価値観を見直せ

 

先日、ネットのニュース記事で

「孫娘の結婚式に呼ばれなかったお祖母さん」の話を読みました。

そのお祖母さんは昭和型の

「女に教育はいらない」という考えの持ち主で、

女の子と男の子の孫(娘の子供)がいて、

そのうち、男の子のほうを徹底的に贔屓していたのだそうです。

 

決定打になったのは学費の支援。

男の子のほうには千万単位の援助をしたのに、

女の子にはお祝い金として2万円ぽっきり。

その孫娘の中で幼い頃からの積もり積もった

被差別感・嫉妬・屈辱といった感情が炸裂し、

以後、心の中で祖母の存在を完全に遮断してしまったようです。

 

それから(たぶん)10年後——

孫娘の感情など想像だにしなかった祖母は、

当然、肉親である自分も結婚式に呼ばれるだろうと

楽しみにして支度をしていたそうですが、

孫娘は「おばあちゃんは絶対に呼ばない」と頑なに言い張り、

とうとうその通りになってしまったとのこと。

 

この話を読んで「うーん」と考えてしまいした。

こうした「事件」が起きる背景には、

いろいろこの家族特有の問題があると思うし、

そもそもこの女性(祖母)が

こうした価値観を持続していたことにも、

彼女の生育歴に時代や周囲の人々の影響があったと思います。

 

そうした考察を書きだすと長くなるので、やめときますが、

ジジババになった人たち、ジジババ予備軍が

心しておかないといけないのは、

「長生きしたけりゃ自分の価値観を見直せ」

ということでしょうか。

 

最近、マスメディアやネットでは

尊敬される高齢者、愛される高齢者が登場し、

その多くでその人をめぐる美談、

家族との絆といったものが紹介されています。

 

そういうコンテンツでは大半の高齢者が、

頑固である、芯がある、骨がある、信念を持っている。

それで若い世代が尊敬し、憧れている——ー

という文脈で語られるのですが、

本当にそんな話を鵜呑みにしていいのでしょうか?

 

もちろん実際にそういう人もいますが、

頑固ジジババが若い人たちから愛されたり尊敬されたりするのは、

その人に人徳があるから、

そして、人格をよく理解されているからではないかと思います。

「自分もそうだ」と思いたい気持ちはわかりますが、

相手が家族、肉親と言えど、自然と愛や尊敬なんて芽生えません。

 

たとえば、普段は離れて暮らしていて、

時々会うと何か買ってくれたり、小遣いをくれるだけの祖父母は

孫たちの中で単に「利用価値のある人」

になっていくのではないでしょうか。

 

そんな人が頑固だったり、信念を持っていたりして、

たまに価値観を押し付けたり説教したりしてきたら、

拒絶されて当たり前です。

そうしたことが受け入れられるのは、

心が近くにある人に限ります。

 

上記のお祖母さんは、なまじお金があって援助などしたために、

却って孫との関係を悪くしてしまったのかもしれません。

そして、孫娘が「結婚式に呼ばない」というのを

周囲の誰も止められなかった、

他の家族が説得を諦めてしまったのは・・・

やはり何かこのお祖母さんの

生きる姿勢・態度に問題があったのでないか、

長い年月生きていて気付くことができなかったのかと、

考えざるを得ません。

 

若者に媚びたり、へつらったりする必要はありませんが、

この先、まだまだ生きるのなら、

価値観のアップデートは必要になると思います。