映画「サムライの子」:底辺を生きるしょーもない大人と賢い娘

 

アマプラでまた日本の古い映画を観ました。

1963年公開で、製作は日活。

これは今どきの映画・ドラマではお目に掛かれない傑作です。

 

「サムライの子」といっても時代劇ではありません。

バタ屋(今どきの言葉絵呼べば「廃品回収業」)の人々が

ゴミを拾うためのトングを腰に差して街を歩く姿が、

刀を差した侍(サムライ)のように見えたので、

そう呼ばれるようになったのだそうです。

 

戦後の貧しい時代の日本社会を必死で生きる人々の

生々しいエネルギーやたくましさ、そして愛情の深さを

ユーモアを交えて描いています。

 

主人公の少女ユミは、ボロは着てても心の錦。

凛としていて美しく、

大人・社会を見つめる透き通った目に魅了されます。

もし小学生のときにこんな女の子と出会っていたら、

ドギマギしていただろうな。

 

小沢昭一と南田洋子演じる父・母は、この賢明な娘から見て

「絶対こうなってはいけない、しょーもない大人」

として、かなり絶望的に描かれています。

 

ろくに働こうとしない。

競輪で儲けても酒を飲んで使ってしまう。

ろくに勘定・計算ができず、知能未発達。

そんな境遇を人のせい・社会のせいにして自分を甘やかす。

 

つまり、ユミの両親は大人でありながら

精神的に未熟で幼稚な生き方しかできないのです。

しかし、健気で賢い子どものユミは二人を

愚かな人」として見捨てることなく、

彼らのダメなところをそのまま受け入れ、

愛情を抱いて一緒に生きていこうとします。

 

あれ?これって親子としてまったくあべこべじゃないの?

そうなんです。

この「あべこべな人間関係」こそ、この映画の見どころなのです。

ちなみに、こういう親子って、

現代の家族の現実にもありそうですが。

 

人間のズルさと、底辺の生命力。

無垢ゆえの狂気と愛。

 

スラムのどん底の生活を単に悲惨なものとして描くのではなく、

人間の持つ生々しいエネルギーや

たくましさを引き出す脚本を書いた今村昌平の筆力。

そして、名優・小沢昭一と南田洋子の役者魂炸裂の演技は、

笑いとともに僕たちの心の奥底にある

根源的な悲しみにリーチします。

 

舞台の北海道小樽市は、

原作者である児童文学者・山中恒が少年時代に暮らした街で、

戦後期にはこうした「サムライ部落」が実在したそうです。

 

ちなみに小樽だけでなく、

北海道では明治後期から開拓民や流れ着いた

人々の貧民窟が各地に作られていました。

戦後は引き揚げ者や職を持たない人々もそこに住み着き、

こうしたバタ屋で生計を立てる人が多かったようです。

 

60年昔への時間旅行はカルチャーショック絶大で、

貴重な昭和体験にもなり得ます。

復興期・高度計経済成長期に興味のある人、

「日本にもこんな時代があったんだ」ということを

知りたい人にはぜひ見てほしい作品です。