阿佐ヶ谷の駅北口を出てすぐ
「スターロード」という飲み屋街があり、
その路地をちょこっと入ったところに
「ラピュタ阿佐谷」という文化施設があります。
その名の通り、ジブリ映画「天空の城ラピュタ」を模した建物で、
2階が映画館、地下が小劇場、1階が受付・ロビーという構成。
映画館は50席に満たないミニミニシアターですが、
昭和期の日本映画の掘り出し物を中心に、
午前・午後・夜と、それぞれ特集を組んで上映しています。
この夏の午前(モーニング)の部は、アングラ映画特集なのか、
7月は寺山修司の映画、8月・9月は唐十郎の映画を上映。
今日は寺山修司監督作品「さらば箱舟」(1984年)を観ました。
歌人・詩人、劇作家、エッセイストととして、
1960年代~80年代前半まで日本のサブカルチャーに
絶大な影響力を及ぼした寺山修司。
僕も高校時代にその寺山ワールドに感化された一人です。
「さらば箱舟」は寺山の遺作となった映画で、
彼の死後、カンヌ映画祭のコンペティションに出品。
原作は、1982年にノーベル文学賞を受賞した
コロンビアの作家ガルシア・マルケスの「百年の孤独」です。
これは「20世紀最高峰の文学」と呼ばれ、
「マジックリアリズム」なる表現方法を
世に広めた傑作とのことですが、僕はまだ読んでいません。
なので原作と言ってもどの程度踏襲しているのか不明ですが、
映画を観る限り、
「架空の村を開墾した一族の、栄枯盛衰と宿命的な孤独を描く」
というコンセプトだけを借りて、
あとは相当アレンジ―ーというか、
ほとんど寺山自身が自作にしてしまったと思われる、
独特の世界が展開します。
ロケ地は沖縄で、方言は九州地方。
件の村は海の近くにあり、
時は今から150年ほど前の明治時代前期。
つまり近代の始まりの時代です。
冒頭、老人と子供が村中の柱時計をリヤカーに積んで現れ、
海岸に穴を掘ってそれらを棄て「これで時計は本家だけ」
—―つまり一族の長の家が時間を独り占めする、
という暗喩があまりにも寺山幻想ワールドらしくて
思いきり引き込まれます。
おそらく日本に限らず、20世紀の半ばまで
どこの国でもムラというのは似たり寄ったりだと思いますが、
むかしの農村は、共同体を守るために、
現代の目から見ると、おぞましいばかりの因習や
意味不明な迷信にとらわれていました。
特に男と女の交わりに関しては、そうした因習や迷信がべったりと
まとわりついていたわけですが、
そうしたシーンをこれでもかとばかりに
執拗に気持ち悪く描いています。
100年の時の流れを描く物語なので、
そんな村にも近代化の波が押し寄せてきて、
因習と迷信を洗い流し、最後には海沿いの村が、
いつの間にか現代の都会(昭和の東京)に変貌。
一族の者たちが市民となって
全員集合して記念写真を撮るという、
これまた寺山ワールドらしいエンディングが訪れます。
正直、僕はこの映画の内容を十分理解できないので、
紹介できるのはこの程度ですが、わけがわからなくても、
アングラ時代から遠く離れたこの2026年に、
2時間、寺山幻想の中に浸れただけで貴重な体験でした。
ちなみに観客の半分は僕と同じかそれ以上の高齢世代でしたが、
男女問わず若い世代、外国人も混じっており、
時代を超えて寺山スピリットが継承されていることも
実感できました。
ラピュタ阿佐谷ではこのほか、
森繁久彌(社長シリーズなどでおなじみの昭和の名優)特集、
山本晋也(エロ映画専門監督)特集などをやっていて、
普通の映画館では味わえないお楽しみを提供しています。
そして、こうしたディープな昭和映画は、
パソコンよりもやっぱり映画館がお似合いです。





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