●ディスカバー河童寺
今週は仕事の取材で、静岡県河津町にある
「河童寺」の通称で親しまれる栖足寺(せいそくじ)を
訪ねることになった。
JR伊豆急行線の河津駅から徒歩10分弱という好立地である。
駅を出ると、あの有名な河津桜の並木がある河津川が
目の前に広がる。
あいにくの小雨模様だったが、
河津川を渡ってすぐに栖足寺の境内に足を踏み入れると、
これが意外にもラッキーだったかもしれないと思えてきた。
ピーカンの青空だと、どうにも風情がない。
むしろこの雨模様のほうが、
なんとも言えない妖しい雰囲気を醸し出していて、
まさに河童が出てきそうな気配が漂っているのである。
●椅子まで河童という油断のならない境内
境内に入ってまず驚かされるのは、
とにかくあちこちが河童だらけということだ。
持参した飲み物を飲もうと思って何気なく腰を下ろした椅子も、
よく見ると河童の形をしていた。
思わず「おっと失礼」と河童に謝ってしまうほどである。
寺院としては日本的な古さを感じさせる、
いかにも由緒正しそうなお寺だ。
と同時に、どこか懐かしい感じもする。
よくよく観察すると、シンボルっぽい河童像を中心に
境内全体がレトロアートな感じにアレンジされているのが分かる。
これは後で知ったことだが、
ミュージシャンでありアーティストでもある現住職のセンスが
なせる業なのだ。
●鎌倉時代生まれの禅寺、河童と暮らして700年
「河童の寺」という通称が板についた栖足寺は、
実に700年の歴史を持つ古刹である。
その創建は元応元年(1319年)、鎌倉時代にまで遡る。
開山したのは下総総倉の城主千葉勝正の第三子である
徳瓊覚照禅師(とくけいかくしょうぜんじ)という、
なかなかに由緒正しい禅寺なのだ。
徳瓊覚照禅師は八歳で得度し、
二十歳にして大本山建長寺で建長寺開山の
大覚禅師(蘭渓道隆)の直系弟子として九年間、修行を積んだ。
その後、中国に渡って当時の禅の名僧たちに師事し、
帰国後は各地の名刹を歴任した。
そして元応元年、北条時宗の旗士であった北条政儀の招きにより、この河津の地にやってきたのである。
興味深いのは、もともとこの地には「政則寺」という
真言宗の寺があったということだ。
それを禅寺に改めて「栖足寺」としたのである。
「栖足」という寺号は、百丈禅師の「幽栖常ニ足ルコトヲ知ル」(静かな隠遁生活に常に満足することを知る)
という句から取られたと推測されている。なんとも禅寺らしい、
深い意味を込めた名前である。
●桜に負けた河童の末路と、寺が果たした避難所の役割
現在の住職にお話を伺うと、興味深い地域の歴史が見えてくる。
「大昔から栖足寺は河童寺として通っており、
河津桜で有名になる前--
昭和の時代までは、河津町は河童で町おこしをしていたんですよ」
今でこそ河津桜で全国的に有名になった河津町だが、
桜まつりが始まったのは今から34年前の
1991年(平成3年)のこと。
桜まつりは1999年(平成11年)には訪問客が100万人を超える
大イベントに成長したが、
それ以前は河童が町の看板だったのである。
「各旅館に河童のおちょこやとっくり、手ぬぐいなどがあったり、
商工会に飾られていたりしたんです。
でも桜が有名になって見向きもされなくなったので、
そういったものを寺で預かったんです」
なんとも皮肉な話である。
河童で町おこしをしていたのに、桜の方が大ブレイクしてしまい、
河童グッズは行き場を失ってしまったのだ。
そこで栖足寺が河童文化の避難所のような役割を
果たすことになったというわけである。
●「つくったが、作られていないように」のアート美学
現住職は過去10年あまりで、境内の大改修も手がけた。
「『つくったが、作られていないように』をテーマにしました」
ちょいダークで、幽玄なムードを醸し出す草木や苔。
人が一人、ゆうに入れそうな大瓶や、
まっ茶色に錆び付いた自転車のオブジェ。ユニークなアート哲学に基づいてアレンジされた境内は、
「雨が降ると河童寺っぽくなる」という演出も施され、
心憎いばかりだ。
書家の師範のスタッフもいるということで、
寺院としての格式を保ちながらも、
現代的なアート感覚を取り入れた斬新な取り組みである。
●先代住職の逝去と、一時休業中の河童ギャラリー
以前は客間で「河童ギャラリー」を開いて、
町から預かった河童グッズを展示していたそうだが、
昨年、先代住職が逝去され、いろいろな儀式があったため、
一旦片付けられ、まだ再開されていないとのことだった。
「河童ギャラリー、ぜひ見てみたかったのですが…」と言うと、
住職は苦笑いを浮かべながら、
「また準備が整い次第、再開する予定です」と答えてくれた。
●裏門の淵で暮らしていた、いたずら好きの住人
さて、そもそもなぜ栖足寺が河童寺と呼ばれるようになったのか。
それは江戸時代から語り継がれている河童伝説があるからだ。
昔、栖足寺の裏を流れる河津川の淵に、河童が住んでいた。
お寺の裏に位置するその場所は、
川が大きく蛇行して深い淵を作る「裏門」と呼ばれていた。
この河童、水浴びをしている子どもの足を引っ張るなど、
いろいろないたずらをして村人を困らせていた。
そのうち噂が一人歩きして、「河童が子どもの尻子玉を抜く」とか
「生き肝を食らう」などと大げさに伝えられるようになり、
村人たちは河童を恐がり、ついには憎むようになってしまった。
なんとも人間らしい話である。
最初は単なるいたずら者だった河童が、噂によってどんどん恐ろしい存在に仕立て上げられていく。現代でもよくある話だ。
●馬のしっぽにしがみついて御用となった河童
そして運命の日がやってきた。
ある夏の夕方、村人たちは寺の普請(建物の修理や建設)の手伝いをした後、裏の川で馬や道具を洗っていた。
そのとき一頭の馬が急にいななき、後ろ足を高く蹴り上げた。
そばにいた村人が驚いて見ると、馬のしっぽに何か黒いものがしがみついている。
よく見ると、それは噂に聞いていた河童だった。
「河童だ、河童がいるぞ!」
誰かが叫ぶと、近くにいた村人たちが一斉に集まってきた。
河童も捕まってしまったら大変と大慌てで逃げ出し、
裏門を抜けて寺の井戸に飛び込んだ。
ここでの河童の行動が実に人間臭い。
馬のしっぽにしがみつくという、
なんともマヌケな状況で発見され、
慌てふためいて逃げ出す様子が目に浮かぶようだ。
●井戸に逃げても逃げ切れず、袋叩きの刑
しかし村人たちは容赦しなかった。
井戸に逃げ込んだ河童に向かって、てんでに石を投げつけた。
河童はバラバラと落ちてくる石に我慢ができず、
井戸の中から這い出してきてしまった。これが失敗だった。
村人たちは河童を取り囲み、
「こやつはひどいやつだ。殺してしまえ」と叫びながら、
棒切れで叩き始めた。
ちょっとやりすぎな気もするが、
当時の人々にとって河童は子どもを攫う
恐ろしい妖怪だったのだから、無理もない話かもしれない。
●「殺生は禁物じゃ」-禅僧の慈悲が救った一命
ちょうどそこへ、栖足寺の和尚さんが帰ってきた。
村人たちが騒いでいるのを見て、何事かと近づいてみると、
河童が息も絶え絶えに倒れている。
それでもなお、村人たちは河童を叩き続けている。
和尚さんは大きな声で「皆の衆、やめられい」と叫んだ。
「今日は寺の普請の日じゃ。殺生は禁物じゃ。
寺の縁起にかかわる。この河童はわしが預かろう」
さすがは禅僧である。
暴力で問題を解決しようとする村人たちを諫め、
慈悲の心で河童を救おうとした。
村人たちも、寺の縁起にかかわるのでは仕方がないと、
和尚さんの言葉に従って河童を預けた。
●月夜に現れた河童からの、思いがけない恩返し
和尚さんは村人たちがいなくなると、
「これ河童、助けてやるからどこか遠くへ行きなさい」
と言って、河童を逃がしてやった。
この和尚さんの優しさが、後に奇跡を生むことになる。
その晩のこと、和尚さんは何者かが庫裏の戸を叩く音で
目を覚まし、縁側の雨戸を開けてみた。
すると、月明かりの中に昼間の河童が立っていたのである。
●河津川のせせらぎを封じ込めた、魔法の壺
河童は言った。
「昼間は助けていただき、ありがとうございました。おかげさまで命拾いをしました。このつぼはお礼のしるしです」
そう言って、丸い大きなつぼを縁側に置いた。
「このつぼに河津川のせせらぎを封じ込めました。
口に耳を当てると、水の流れる音がします。
水の音が聞こえたら、
わたしがどこかで生きていると思ってください。
和尚さまもどうぞお元気で」
そう言い残して、河童は立ち去ったのだ。
●令和の今も、壺に耳を当てれば
和尚さんは夢心地で聞いていたが、
我に返ると確かに縁側に大きなつぼが置いてあるので、
河童が本当に来たのだと確信した。
それからというもの、河津川に河童が姿を現すことはなくなり、
村人たちもいつしか河童のことは忘れていった。
けれども和尚さんは時折つぼの口に耳を当て、
底の方から聞こえる、かすかな水音を聞いて、
河童の無事を思った。
また、河津川に出水があった際、
このつぼがゴウゴウとうなりを上げて知らせ、
人々が助かったこともあり、
それから寺の宝として大切に奉られてきたという。
今でもつぼに耳を当てると、川のせせらぎが聞こえ、
河童が元気で生きていることを伺える。
そして人々は水の流れが心を洗うと言い、
ありがたく拝聴していくのである。
●果たして河童の声は聞こえるのか~後編への誘い~
さて、この河童の壺、実は現在も栖足寺に残されており、
実際に耳を当てて音を聞くことができるのだという。
果たして本当に河童の封じ込めた河津川のせせらぎが
聞こえるのだろうか。
後編では、この神秘的な河童の壺による
不思議体験をレポートする。
僕は雨に濡れた境内で河童たちに見守られながら、
数百年の時を超えた河童との不思議な邂逅を
体験することになるのだが、
その詳細は次回のお楽しみということにしておこう。
後編ではいよいよ河津桜で有名になる前の河津町の隠れた魅力、
そして現代まで語り継がれる河童伝説の真相に迫る。
(後編に続く)
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今年の干支は?
って聞かれて「えーと」なんてダジャレてる人、
けっこう多いのでは?
1年半分の6月ともなると、お正月の熱狂もどこへやら。
今年は何年だったか、みんな忘れてしまっている。
改めて、今年-2015年、令和7年はヘビ年。
そのせいか、この春からは初夏にかけて、
川沿いを散歩していると、やたらとヘビに出会う。
護岸の下のコンクリの岸の上に
何やら太いロープが落ちているなと思ったら、ヘビ。
散歩道の植え込みの中で何かにょーっと
動いているなと思ったら、ヘビ。
手すりに何か紐みたいなものが
ぶら下がってるなと思ったら、ヘビ。
そして昨日は、くねくねしながら悠々と川を泳いでいる
ヘビを目撃。
どれも長さ1メートルほどの青黒いアオダイショウだ。
周囲にはカルガモやコサギ、アオサギ、
カワウなどの水鳥が何羽もいるが、
さすがにこれらは体が大きいので襲ったりはしない。
うまいこと共存しているようだ。
そろそろカルガモの赤ちゃんが生まれる時期なのだが、
今からそれを狙っているのだろうか?
毎年1回か2回、
梅雨から梅雨明けの時期にお見掛けするヘビだが、
今年はすでに目撃4回。
ヘビ年大売り出しだ。
遭遇するとちょっとギョッとはするが、
ヘビに遭うとラッキーなのだそうな。
そういえば数年前だが、
住宅街の道路を白ヘビが
超高速で横切るのを見たことがある。
神の使いともいわれるヘビ。
今度会ったら手を合わせて願いを唱えよう。
人の気配が薄れる夜の時間は、
ネズミでも襲って腹を満たしているのだろうか。
杉並区も人間が知らないところで
ワイルドな世界が繰り広げられている。
「イタリアに行きたい」と、カミさんが言うので、
「んなら行くか」と、新宿の映画館に出かけた。
「岸辺露伴は動かない 懺悔室」。
人気ドラマ・岸辺露伴シリーズの映画版で、
オールヴェネチアロケ。
映画館のスクリーンで見るヴェネチアの風景は圧巻だ。
テレビでやっていたドラマは一度も見たことがなかったので、
ははぁ、こういうファンタジックな話か、と感心。
主人公は漫画家で、人の人生ストーリーが読め、
そこに書き込み・改ざんを加えられるという特殊能力の持ち主。
それによって事件を解決していくストーリーだ。
原作のマンガも全く知らないが、
高橋一生は超ハマり役だと思った。
舞台となるヴェネチアは、言わずと知れた世界遺産。
ルキノ・ヴィスコンティの「ベニスに死す」をはじめ、
幾多の映画・文学・芸術に描かれてきた。
年中、観光客が押し寄せていると思うが、
いったいどうやって撮影したのだろうと思うぐらい、
人気が少なく、その分、どこもため息が出るほど美しく、
歴史が醸し出す豊潤な空気に包まれている。
僕は40年弱前、ヨーロッパを放浪していて、
ヴェネチアにも訪れたが、
見た目はその頃とほとんど変わっていない気がする。
それは当たり前で、
この街は「変ってはいけない」ことを義務付けられている。
世界遺産になった宿命みたいなものである。
車はもちろん、自転車も街の中に入れない。
観光客がわんさか来るのだから、
スタバやマックなどの店もありそうだが、
少なくともその看板などが景観に入り込んではいけない。
そうした規制も多いはずだ。
オーバーツーリズムを避けるため、
街に入るための入場料徴収も検討されているという。
世界中の観光客が称賛する「水の都」だが、
僕には無性に物憂げで哀しみを帯びた場所に思える。
一見、ラテン気質で、明るいイメージのイタリアだが、
僕の体感では、どこの街もその明るさの裏に
奇妙な暗さ・屈折・残酷・哀愁があって、
どう対処していいのか、戸惑うことが多かった。
ヴェネチアはその最たる街だ。
さらに、そもそもヴェネチアは、ローマやミラノのような
スケールの都市ではなく、
せいぜい東京23区の1区くらいの規模の街。
そこに独自の文化が集約されている。
観光も急げば半日、1日あれば十分見て回れるので、
実際の観光収入はそんなにないのではないか。
ヴェネチアを舞台とした映画で、
ジョニー・ディップ主演の「ツーリスト」(2010年)
という作品があった。
そのなかで水路から直接入れる高級なホテルが出てくるが、
たぶん、ヴェネチアで宿泊できるのは、
ああしたセレブ御用達の超高級なところばかりで、
普通の観光客は半日、1日わさわさと歩いたり、
ゴンドラやボートに乗ったり、
写真を撮ったら、夜は郊外の安いホテルに行くのだろう。
僕もヴェネチアで泊まった覚えはないので、
多分そうしたのだと思う。
それとも今は、古いお屋敷を民泊にしているところなどが
あるのだろうか?
観光地の常で、遺産的な街並みばかりが目に入って、
この街の住人たちがどうやって暮らしているか、
庶民の生活・普通に働く労働者たちが見えてこないので、
ひどく気にかかる。
この岸辺露伴の映画も、
けっして明るく陽気なイタリアンのトーンではなく、
人生の運命や呪いを描いた、憂鬱で哀しく残酷なものだ。
それが美しい水の都の風景と奇妙にマッチしていているのが、
とても心に残った。
地球温暖化で水没の危険がささやかれるヴェネチア。
この風景はいったいいつまで見られるのだろう?
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もくじ
第1章 高塩さんと映像の仕事
映像調理師®高塩博幸
エンディング産業展2022
倫理法人会での人脈から映像制作を受注
おいしい料理は“下ごしらえ”から
その人のストーリーを見つける作業
運転士の教官として培ったインタビュー術
AIなど最新ツールの駆使
ユニークなサービスメニュー
★ 自分史・遺言ムービー「nokosu」
★ nokosu 周年映像制作
★ 家系史継承箱《メモリアルボックス》
★ 死後の自分史
★ 子ども史・子育て自分史
●講座開設
★ 講座「スマホで自分史動画を作ろう!」
★ 講座「AIを使ってコマーシャル動画をつくる」
なぜ人は自分史を作ろうとするのか?
第2章 高塩さんの起業家スピリット
誰もがアーティストになれる
人生百年時代のチャレンジャー
ケンタッキーおじさんでもよかった
芸術と起業の街・足立区北千住からの再出発
映像調理師®誕生の舞台裏
映画より映写室が好きな子ども
きみは「ポピュラーチューズデイ」を聴いたか?
コンサートで音響アルバイトを経験
あんた、学校行ってどうするの?
高塩家のファミリーヒストリー
日本電子工学院と国鉄のW受験
第3章 高塩さんのJR東海道中膝栗毛
クリスマスエクスプレスに涙ぐむおじさん
花形鉄道マン
昭和の「青春18きっぷ」
国鉄百年の盛衰
組合闘争に巻き込まれて
「会社のイヌ」と呼ばれて
出世の秘密
JR東海出世街道
人生の憂鬱な昼下がり
鉄道マン最後の日
第4章 高塩さんと終活映像市場
高齢化社会における終活市場の拡大
映像が紡ぐ、新たな人生のしまい方
終活映像市場に輝く、ブルーオーシャンスターズの価値
映像調理師®の理念
欲しいけど欲しくない:終活映像営業の難しさ
終活映像市場に咲く、高塩博幸の営業哲学
新しいアプローチ
第5章 ブルーオーシャンスターズの未来
AIの進化を追いかけて
高塩式AIディレクター構想
10年後・20年後の世界を見据えて
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ここのところ、急にまたSF映画が見たくなって、
ほとんど連日何かしら見ている。
今週はエイリアンシリーズを鑑賞。
シガニー・ウィーバーが主役のリプリー中尉を演じた1~4は、
SFホラーとして、単純に恐怖し、楽しめる部分と、
それだけで終わらない哲学的考察がミクスチャーされていて、
今、通して見ると当時とは違った印象・味わいがある。
●20世紀末20年の科学の進歩の集大成
この1~4は、1970年代の終わりから90年後半まで、
約20年の間に作られており、
この間の現実の人間社会の変化--
女性の権利の拡大と深化、ロボット・AI技術の発展、
クローン技術など、生命工学の進化などを積極的に取り入れ、
それらのエッセンスが絶妙な塩梅で織り込まれている。
また、初代監督リドリー・スコットの功績を引き継ぎ、
2でジェームズ・キャメロン、
3でデビッド・フィンチャー、
4でジャン・ポール・ジュネという
強烈な個性を持つ巨匠たちが、
それぞれ独自の美学と演出術を持って、
1本1本色合いの違う、独立した作品でありながら、
しっかりつながった物語を構成していることが、
このシリーズの成功要因になった。
●各物語のキーパーソンとなるアンドロイド
第1作における、ハンス・リューディ・ギーガーのデザインによる
最凶の宇宙生物エイリアンの登場は、
斬新でオリジナリティ豊か、
そして、怖さ・気持ち悪さの点で、衝撃度満点だった。
しかし、回数を重ね、見慣れてくると、
やはりその怖さ・気持ち悪さのインパクトは薄れてくる。
エイリアンシリーズの名作たる所以は、そこを補うために、
どんどんストーリーを拡大・深化させていったところにある。
そのキーとなるのが、ロボット(アンドロイド)の存在だ。
どの作品にも必ず人間そっくり(実際に俳優が演じている)の
アンドロイドが登場し、
その策略と行動が大きくドラマを動かしていく。
第1作のオリジナル脚本で、
どこまで設定が作られていたのか定かでないが、
宇宙開発事業を行う民間企業のシステムの一つとして、
彼らの頭脳(AI)は重要な役割を担い、
表向きの事業とは異なる、
隠された裏ミッションの担い手として暗躍するのである。
そして、これらのアンドロイドが、エイリアンに匹敵するほど、
怖くてグロテスクで気持ち悪い。
第1作の「アッシュ」も、第2・3作の「ビショップ」も
最後に人間やエイリアンに破壊されるのだが、
引き裂かれた体の内部は人間の内臓っぽかったり、
体液みたいなものが出てきたり、
半壊してボロボロの姿になっても機能できたりするシーンは、
なまじ人間そっくりなので、思わず目を背けたくなるぐらいだ。
第4作の「コール」は、
当時の人気若手女優ウィノナ・ライダー演じる女性型だったので、
さすがに他の二人みたいな凄惨な目に合わせるのは
スタッフも気がとがめたのか、
銃で撃たれるだけで済み、ラストまで原形をとどめて生き残る。
●仕事優先の機械人からヒューマンタッチな仲間への変遷
注目したいのは、シリーズにおける
これら「エイリアン・ロボット」の変遷だ。
第1作の「アッシュ」は宇宙船の科学担当者として、
割と単純に人間と敵対する(サンプル採取のため、
エイリアンの元を船内に招き入れる)、
割と単純な、お仕事最優先の機械的なロボットだ。
第2作の「ビショップ」はこれよりちょっと複雑化し、
最終的にリプリーたちをエイリアンから救う
「人間の味方」になる。
そして第3作では彼と同じ俳優が演じる、
「人間のビショップ」が、
企業のアンドロイド開発者=リプリーの敵対者として現れる。
同じ顔かたちでありながら、
ロボットよりも人間のほうが冷徹なのである。
第4作の「コール」は、前2体とは対照的に、
人間的な感情を持ち、
(エイリアンを宿した)リプリーを殺す使命を持って現れるが、
人間的な感情を持つ、いわゆる不良品のロボットで、
最後にリプリーと仲間になる。
日本では「アトム」や「エイトマン」のような
漫画で描かれたように、いくら強くて優秀でも、
自分が人間でないことに悩み苦しむロボット、
あるいは、「ドラえもん」のように、
もともと人間の仲間・友だちみたいなロボットが主流だが、
欧米では、70~90年代の20年あまりで
従来のロボット観がかなり変わってきたようである。
それは「ターミネーターシリーズ」や「ロボコップシリーズ」、
「ブレードランナー」「AI」など、
この頃、立て続けに作られた、
他のロボット映画の影響も大きいだろう。
●人間観・ジェンダー観の変化がロボットを魅力的にした
しかし、それよりも大きいのは人間観の変化、
特にジェンダー観の変化かもしれない。
昔、何かの本で「男がロボット好きなのは、
子供を産まない(産めない)からだ」
というフレーズを目にしたことがある。
つまり、子供を産める女性に対抗して、
命の創造に関わりたいという潜在的欲求が男の中にあり、
ロボットへの興味・研究に向かわせる、というのだ。
こうした出産機能を基点に考えるジェンダー観は面白い。
ハリウッド映画には、おそらく1970年代初め頃まで、
「女・子供を映画のなかで殺さない」という不文律があった。
アメリカ社会(及び、日本も含む、西洋型社会全般)には
女性や子供は「善なるもの」「聖なるもの」の象徴であり、
侵してはならないもの、男が命を賭けて守るべきもの
と考えられていたのだ。
もちろん、病気や事故、あるいは戦争に巻き込まれて
恋人や家族が死ぬなどのエピソードはあるが、
それらは情報として処理されるか、あくまで美しく描かれ、
けっして血まみれになるようなシーンはなかった。
そして女性や子供の死は、
男が奮い立って行動するためのモチベーションになっていた。
それらは言い換えれば、女性や子供を弱き者、
男の支配下に置かれる者、でなければ、
女神や女王のように崇め奉る者といった意味があった。
それが60年代の変革を経て、劇的に価値観が変わり、
女性も男性と対等の自立した人間として
描かれるようになっていく。
1979年に初登場した、シガニー・ウィーバー演じるリプリーは、
女神でも聖女でもなく、リアルな自立した人間として活躍する、
新しいタイプの女性ヒーローだったと思う。
彼女は自分のゆるぎない価値観と使命を持ち、
エイリアンと闘うヒーローとして描かれるが、
それゆえ、かつての映画の女性像からは想像もつかない、
相当ひどい目に遭わされる。
死んで生き返り、エイリアンとの「あいのこ」になり、
おぞましい姿をさらすことにもなる。
そうした惨劇のなかから
女性主人公ならではのテーマ「命の創造」をビビッドに提示する。
さすがにウィーバーの出演は4で終わるが、
最後の作品では、フランス人監督ジャン・ポール・ジュネが
グロテスク極まりない、リプリー最後の戦いを描きつつ、
「アメリ」「ロストチルドレン」のような寓話的な余韻を残し、
いったん、エイリアンシリーズの幕を下ろす。
そして、ジュネの残した余韻を受けて、
初代監督リドリー・スコットが再登板し、
「プロメテウス」「エイリアン・コヴェナント」
といった前日譚--21世紀の「エイリアン」を製作する。
エイリアンとジェンダー観の変化については、
また別の機会に詳しく書いてみたい。
●未来の記憶から生まれるコンテンツ
現実の科学技術の進歩を踏まえて作られた
20世紀末のSF映画だが、
昨今の技術の進捗状況は、これらエイリアン映画などの世界を、
そう遠くない未来に実現させてしまいそうな勢いがある。
もしかすると人類は未来の記憶を持っていて、
そのヴィジョンに向かって突き進んでいるのかもしれない。
SF映画はそれらの記憶を表現するコンテンツの一つなのだ。
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最近、墓じまいや相続問題など、
日本でも終活の話題が増えているが、
海外に目を向けると、世界の葬儀・終活の焦点は、
安楽死とエコ葬に傾いているようだ。
●英国で安楽死法案が成立目前
いま、英国では安楽死法案が下院での審議を通り、
6月には上院での審議に移るが、
この法案が成立するのは、ほぼ確実と言われている。
すでにスターマー首相も支持を表明しており、
BBCニュースなどで昨年末から
頻繁に審議の様子が報道されている。
日本では超高齢化社会・多死社会が
進展しているのにも関わらず、
長らく安楽死・尊厳死・自殺ほう助といった課題は、
ほとんど、まともに議論されてこなかった。
しかし、この英国の法案が成立したら、
何か大きな影響がおよぶかもしれない。
●この10年で安楽死が認められた国が・・・
少し前まで安楽死と言えば、
オランダとスイスしか思い浮かばなかったが、
現在はどうなのだろうと調べてみた。
2025年1月末時点でのデータだ。
・完全に合法化されている国・地域:
オランダ(2002年)
ベルギー(2002年)
ルクセンブルク(2009年)
カナダ(2016年)
コロンビア(2015年)
スペイン(2021年)
ポルトガル(2023年)
・部分的に合法化:
スイス(1942年から自殺幇助のみ合法)
ドイツ(2020年に憲法裁判所が自殺の権利を認定)
アメリカ(オレゴン州、ワシントン州など複数州で
医師幇助自殺が合法)
オーストラリア(複数州で合法化、
2019年ビクトリア州から開始)
・2023年(コロナ明け)以降の動き:
ポルトガルが2023年に完全施行。
英国は現在審議中(下院可決済み)
他に現在審議中・検討中の国を挙げると、
フランス(マクロン大統領が法案検討を表明)
イタリア(国民投票の動きあり)
アイルランド(市民議会で議論)
かなり衝撃的だった。
あくまで欧米に限っての話だが、
安楽死・尊厳死・自殺ほう助を認めた国は
この10年ほどで激増している。
●エコ葬も激増
一方、エコ葬も増加しているようで、
今世紀に入ってから、遺体をフリーズドライにしたり、
アルカリ溶液に浸して分解する水火葬、
土中の微生物を使って堆肥にする有機還元葬など、
さまざまな環境負荷の少ない葬法が考案されてきた。
どれも当初はキワモノ扱いだったが、
アメリカではすでに12州で有機還元葬も認められ、
水火葬も広がっている。
特にコロナ禍以降、この2,3年の変化は大きい。
安楽死とエコ葬は、まさに現代の葬儀・終活業界の
大きな潮流になっているのだ。
●何が人の心を、社会の常識を変えたのか
安楽死については、人権問題と深くかかわっているようだ。
「どう死ぬか」という個人の選択権の拡大、
医療技術の進歩で延命が可能になった一方での
「死の質」への関心、
超高齢化社会での終末期医療費の問題、
家族への負担軽減
といった視点が増加の要因になっていると思われる。
また、エコ葬については、
環境意識の高まりと持続可能性への関心
土地不足問題(特に都市部)
従来の墓地・埋葬への価値観の変化
樹木葬、海洋散骨、自然葬などの多様化
といった精神・ライフスタイルの変化が大きい。
両方とも、従来の「伝統的な死生観」から
「個人の価値観を重視する死生観」への転換を表している。
特にコロナ禍を経て、人々の死に対する考え方が
より現実的で個人的なものになったという面もあるだろう。
葬儀・終活業界としては、
これらの多様化するニーズにどう対応していくか、
また法制度の変化にどう準備するかが重要な課題になってくる。
あまり考えたくないという人が多いと思うが、
そう遠くない未来、日本でも今後、嫌でも
これらの議論をしなくてはならない時が来そうだ。
「千住宿」は日光街道の最初の宿場町。
現在の北千住界隈がそうだ。
宿場が開かれたのは3代将軍・家光の時代、
1625年だから、今年でちょうど400年。
それでお祭りをやっているというので、
18日の日曜日、北千住まで行ってきた。
北千住は、拙著「鉄道マン発 映像調理師®」で
取材させていただいた髙塩博幸さんの
「ブルーオーシャンスターズ」が会社を構える街。
生まれも育ちも起業も足立区の髙塩さんは、
ビジネスとともに地域貢献にも熱心で、
今回は、この千住宿400年に際して、
オリジナルソングとビジュアル(プロモV)を提供。
さらにこの日は、AI企業研修を行う会社
「TSUYOMIHO」の宮田剛志さんとタッグを組んで
街頭に「家康AI」のブースを出店した。
「家康AI」は、家康に向かって質問すると、
「拙者が家康じゃ」などと徳川家康が
ユーモラスに答えてくれる体験。
歴史を「教わる」のではなく「対話する」スタイルで、
子どもから大人まで楽しめるのがウリだ。
テレビ局の取材も来ていて、
面白がって問いかける子供たちにインタビューをしていた。
僕もあれこれ質問してみたが、
没後409年を経て、AIの力で現代によみがえったこの家康、時々、「拙者がこの千住宿を開いた」なんて
トンチンカンなことを言う。
いやいや、五街道を整備しようと努めたのはあなただけど、
宿を開いたのは孫の家光でしょ。
そもそも400年前の1625年って、あなた、もう死んでるし。
それで「あなたの後の14人の徳川将軍のうち、
最も評価できるのは誰ですか?」
と聞くと家光の名を挙げたりする。ほうほう。
トンチンカンな部分は差し引いて、答がいかにもAI的な、
優等生の模範解答みたいなのが気に入らない。
それでいろいろ変化球を投げてみる。
「来年の大河は『豊臣兄弟』なので、今度はあんた悪役だね?
誰にやってほしい?」とか、
「『どうする家康』では、あんた、北川景子の
お市に惚れてたみたいだけど、ホントに好きだったの?」とか。
このへんの質問はうまくかわされたけど、
「好みの女性のタイプは?」と聴くと、
「しっかりしてて優しい人」なんて、まともに答えてきた。
「じゃあ、たとえば現代の女優さんだったら誰?」
と聴いてみたら、「天海祐希と石田ゆり子」と、
照れもせずにペロッという。
どういうラーニングをしたのか、
髙塩さんと宮田さんに突っ込もうと思ったが、
ま、お祭りだし、やめておいた。
てなわけで、今年は北千住で
随時、400年のお祭りをやっているので、
機会があれば遊びに行ってみてください。
髙塩さんと僕の本もよろしくね。
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週末、息子の誕生日だったので、お祝いで
吉祥寺にある地中海料理の店「The MED」に行く。
店名は英語の「Mediterranean」の
頭の文字から取っているらしい。
これは「大地の真ん中」を意味する
ラテン語の「mediterraneus メディテッラーネウス」
medius 「真ん中」 + terra 「土、大地」に由来する語だ。
何だかカッコいい。
日本語の「地中海」もエキゾチズムの香りがする、
イメージ豊かな言葉。
明治時代に作られた可能性が強いが、当時の翻訳者は、
遠いヨーロッパのさらにそのまた向こう、
まるで世界の果てに広がる
天国のような優しい海を想像したのではないか。
さて、The MED。
外見はおしゃれだが、中は小さな居酒屋のような、
気さくな店で、キャパはせいぜい15人程度というところか。
店主らしき、料理を作るおっさんと、
注文をきく店員の若い女性でやっている。
(店員は日替わりかもしれない)
仕込む材料によって日替わりになるのか、
はたまた店主が毎日同じ料理ををつくると飽きちゃうからか、
決まったメニューブックがなく、
キッチンの前にその日出せる料理を紙に書いて貼りだしている。
さらにそれぞれの料理名の紙は
小さな国旗のマグネットで留められており、
どこの国の料理か、わかる仕組みになっている。
なにせ地中海はヨーロッパの南部、アジアの西部、
そしてアフリカの北部に囲まれた海で、
「地中海地域」に属する国は20以上もある。
よく知られているのは、ギリシャ、イタリア、スペインだが、
ヨーロッパではクロアチアやスロベニア、フランスも入る。
アジア~中近東方面は、
トルコ、レバノン、シリア、イスラエルなど。
アフリカだとエジプト、リビア、チュニジア、モロッコなど。
イタリア料理店やスペイン料理店は、
日本でもそれぞれ単独でたくさんできたので、
一般的にはギリシャ料理を中心に語られることが多く、
この日もムサカやグリークサラダを食べたが、
はじめて食べたモロッコの
「羊肉とプルーンの煮込み」がめちゃウメェ~。
甘いプルーンソースでトロトロに煮込まれた羊肉は、
まるで豚の角煮のごとしで、
これまで食べた羊料理の中でいちばん美味だった。
地中海料理は、健康長寿の食事法として、
日本でもよく知られるようになり、
「地中海ダイエット」なる言葉も生みだした。
その特徴は、野菜や果物、豆、ナッツ類、オリーブオイル、
全粒穀物、魚介類、乳製品がふんだんに使われていること。
さらにそれらを調理する際に使うスパイスの豊富さ。
スパイスと言っても、アジアンと違って、
辛い料理がほとんどないことも特徴かもしれない。
もう40年近く前だが、
当時のユーゴスラビアの首都ベオグラードから
殺人的な18時間すし詰め夜行列車に乗って、
ギリシャまで旅行したことがある。
おもにアテネとエーゲ海のロドス島を回ったが、
島で泊まった民宿の夫婦は、
なぜか「ギリシャのめしはうまくないだろ」と
僕に言ってた。
ギリシャ人は何でもかんでもオリーブオイルをかけるから
みんなオリーブ臭くなっちゃんだよ。
チーズだってヤギのミルクからつくるからおいしくないし、
パンもぱさぱさしているし。
と、妙に自虐的だったのを覚えている。
僕が日本人(当時は世界に冠たる経済大国)で、
イギリス(当時、ロンドンに住んでいた)から来たと
言ったので、そんな態度になったのだろうか。
今につながる西洋文明発祥の国の末裔なんだから、
もっと胸を張ってほしいなぁと内心思ったが。
しかし、彼らが「うまくない」と思っていた
オリーブ、ヤギのチーズ、全粒粉のパンなどが、
今や健康長寿食として重宝され、
ユネスコ無形文化遺産にも登録されている。
「The MED」ではギリシャワインも飲んだが、
それより感動的だったのは「地中海ビール」である。
普段、ワイン党でビールなどあまり飲まないのだが、
このビールは違っていた、
日本のキレ、ニガ一辺倒のビールとはまったく別物で、
ほのかにフルーティーで、まろやかな感じ。
それでいながら甘く、べったりした感じはない。
長く記憶に残る香りと風味がある。
これを少ししょっぱい「おつまみオリーブ」と
いっしょに味わうと、
世界の果てから海風がさやかに吹いてくるようで、
体は吉祥寺のまま、気分はもう地中海。
ちょっとクセになるかもしれない地中海料理。
各国の多国籍な料理を試したければ、
「The MED」は超おススメ。
ほかに麻布十番と新宿歌舞伎町には
ギリシャ料理専門の店があるので、
機会をつくって行ってみたい。
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(あとがきより)
彼の祖父の時代は、日本を欧米諸国に負けない、
近代的な文化国家にすることが、国民共通の目標でした。
また、父の時代は、敗戦によって物も心も貧しくなってしまった
日本を復興させ、豊かな社会を築くことが共通目標となりました。
しかし、高塩さんや僕の世代になると、
祖父や父の世代のような、誰もが共有できる目標は、
もはやありません。
それに代わって、僕たちひとりひとりが、
生きる目標や生きがいを設定しなければならない
状況が訪れているのです。
これは日本のみならず、経済的な成功を成し得た、
世界の先進国すべてに共通する課題でしょう。
「人生百年」と謳われる未知の世界は、
豊かでありながらも、未来に希望を見出しにくく、
不安があふれる世界です。
ここでは、60歳の還暦は、
かつてのように人生の終わりを意識し始めるのではなく、
新しく生き始める年代といえるかもしれません。
インターネットの普及、AIの進化によって、
僕たちの子供世代、孫世代も平等に知識や情報を共有しています。
子供や孫たちと、さらにそこに加わるであろう
AIやロボットたちと、
どんな人生を送り、どんな社会を築き、
どんな未来をめざせばいいのでしょうか。
そのために、あなたの生きた証、活動の足跡は、どう生かされ、
のちの時代にどんな響きを残すのでしょうか。
もし、あなたが、高塩さんに終活映像や人生ストーリーの
制作を依頼する機会があれば、
ぜひ、過去の記憶とともに未来へ向けても想像力を広げて、
想いを盛り込んでください。
●私が死んだら、お花たちよ
そのむかし、1970年代のこと。
イルカが「いつか冷たい雨が」という歌を歌っていた。
イルカとは「なごり雪」を歌う、
あのフォーク歌手のイルカのことだ。
「いつか冷たい雨が」の歌詞のなかには
「いつか私が死んだら、お花たちよ、そこから咲いてください」
といった一節があったことを覚えている。
自分が死んだら花になる・木になるという
夢想を抱く人は少なくない。
最近の樹木葬の流行は、そんな人々の願いを反映したものだろう。
この樹木葬、見た目は確かに美しく、
「自然に還った」感があるが、
粉砕した遺骨を樹木のあるエリアに撒く・埋めるだけなので、
実際に亡くなった人の遺体を栄養分にして
植物が育つわけではない。
ところが、これを実践する葬法が欧米で普及し始めている。
それが「有機還元葬」、別名「堆肥葬」である。
遺体を土の中に埋め、微生物を使って分解し堆肥に変える。
イルカの歌のとおり、あなたが死んだら、栄養のある土になり、
そこから花が咲き、木が育ち、森にもなりますよ、というわけだ。
●神仏の道理に悖る新葬法の開発者たち
環境問題の影響から、欧米では2000年代頃から
地球環境に負荷をかけない葬法=遺体の処理方法、
つまり従来の土葬や火葬以外の方法が
いろいろ考えられてきた。
考える人たちは真剣だが、
それを伝えるメディアの報道の多くはキワモノ扱いで、
「ほら、こんな面白い、でもちょっと怖い人や会社がありますよ」
といったニュアンスが強かったように思う。
はっきりと決めつけるわけではないが、
当時、葬儀に関してはまだ伝統的な宗教を尊ぶ傾向が強く、
新しい葬法の開発者たちは、神仏の道理に悖る者ども、
人間の尊厳をないがしろにする罰当たりな輩と見られていたのだ。
それがこの数年、潮流が変わってきた。
インターネットが浸透し、AIが広まり、
時代が変わり、世代も変わり、
「土に還る」「地球に還る」という思いを、
たんなる夢物語でなく、リアルなものとして、
肯定的に捉える人が世界各地で、
特に若い世代の間で増えているのではないかと思う。
●世界で普及の兆しを見せる有機還元葬
「有機還元葬」はそうした新葬法の代表格で、
呼び方や細かいシステムは違えど、
アメリカとドイツで幾つものスタートアップ企業が、
すでにビジネスとして営業を始めている。
営業しているということは、イコール、
法的に認められているということ。
実際、この先駆者たちは自治体に対して、
何度も粘り強くプレゼンを続け、ついに認可を勝ち取った。
ワシントンで、ニューヨークで、カリフォルニアで、
アメリカに限って言えば、2025年4月時点で
およそ4分の1の州、計12州で合法化されている。
メディアも、もはやキワモノ扱いできない状況だ。
ワシントン州 (2019年)
コロラド州 (2021年)
オレゴン州 (2021年)
バーモント州 (2022年)
カリフォルニア州 (2022年、施行は2027年)
ニューヨーク州 (2022年、施行は2024年8月7日)
ネバダ州 (2023年)
アリゾナ州 (2024年)
メリーランド州 (2024年10月1日施行)
デラウェア州 (2024年)
ミネソタ州 (2025年7月1日施行予定)
メイン州 (2024年)
僕はコロナ前から仕事で新葬法に関する記事を書いており、
冒頭のイルカの歌を思い出し、
有機還元葬はなかなかいいんでねーの、
土より生まれて土に還る。
僕も終わりが来たら、地球の一部になりたいと思っていた。
しかし同時に、これらは海の向こうの話で、
日本では到底無理だろうとも考えていた。
自分や家族をまんま土に埋めて、微生物に食わせるなんて、
考えただけでおぞましく、ほとんどの日本人は
拒否反応を示すに違いないと思いこんでいたのだ。
ところが、この有機還元葬を実現しようと
動いている人たちがいるのを知って仰天した。
それも「できればいいね」といったレベルでなく、
本気中の本気なのだ。
●nanowaプロジェクトの活動
このプロジェクト「nanowaプロジェクト」は、
年内にまず動物で、実際に国内で有機還元葬を行う予定で、
学者・研究者や、ある有名企業も支援に動いているという。
ちょうど1か月前、「4月14日は“よい死の日”」と謳って、
渋谷ヒカリエで6日間、Deathフェスという、
死をポジティブに考えようというイベントが開かれたが、
そこでもトークセッションの一つとして、
「有機還元葬」のコンセプト、
そして実現に向けた活動について語られた。
反響は大きく、
日本でも有機還元葬(堆肥葬)への潜在的なニーズは
決して低くないようだ。
実現にはもちろん法整備が必要で、
かなり厳しいのではないと推測するが、
この国は前例さえあれば、特にそれが欧米のものなら、
意外とあっさりクリアできてしまう可能性もある。
少なくとも安楽死・尊厳死よりもハードルは低そうだ。
まさか、自分が生きている間に、
この葬法がこの国で実現するとは(まだしてないが)
思いもしなかった。
「nanowaプロジェクト」のスリリングな展開は、
これから注目に値する。
母の日。
スーパーマーケットがいつも売っているデザートに
ポチっと赤いシールを貼り付けて、
「花より団子」の「母の日スペシャル」を
用意していたので、買ってきた。
「2個入りだけど、母の日だから、おかあさんは1個。
僕らは子供だから半分ずつね」と言っても、
何のことやらさっぱり認知しない様子。
だが、何か、普段あまりお目にかからないものが出てきた、
しかも自分の好物のカテゴリーに入るものだ、
ということは何となくわかるらしい。
けれどもやっぱり1個まるまる食べてしまっては悪いと思うのか、
半分残したので、僕とカミさんで半分ずつ食べる。
これは母の愛なのか?
そう言うと、カミさんは、
「わたしたちに恩を売っておいたほうが、
後から何かと有利だと算段しているんでしょ」
と、クールな分析をする。
親子ではあるが、この二人の相性はイマイチなようだ。
義母は時々、僕に対して「だーい好き!」と言って、
ベタベタ抱きついてくる。
たぶん、毎日、お菓子をあげて面倒を見るので
そうなるのかと思うが、相性はいいのかもしれない。
好きでいてもらったほうが、
ある程度、言うことを聞いてくれるので、
こっちとしては助かる。
デイサービスのスタッフに対しても、相性のいい・悪いはある。
以前、毎週土曜日の送迎に来ていた
Sさんという30前後の若い男性が、大のお気に入りだった。
その人はもう2年以上前に辞めてしまったのだが、
いまだにその記憶が残存しているのか、
土曜日の朝は概してご機嫌が良く、
なんとなくウキウキ感があるようだ。
待てど暮らせど、もうその人は来ないのだが・・・。
相性のいい人(波長が合う人)とは居心地の良さを感じる――
これも一種の愛情・愛着と呼べるものだろう。
時々、認知症になると人間が生きてきた中で
培った愛情なるものはどこへ行くのか?と考える。
親でも夫でも子供でも、
若い頃の恋愛の相手や友だちでもいいが、
人間、成長過程で誰かを愛し、愛されることで、
あるいは仕事や趣味などに愛を注ぐことで、
いろいろな関係を紡ぎ、人生を築いていく。
認知症になると、そうした愛の記憶は、ほぼすべて初期化され、
食欲などの本能的な部分と、
自分が安全に、有利に生活できるための打算が、
非言語されて内側に残る。
打算というと印象が悪いが、
これもまた生きていくための本能の一つなのだろう。
その一方で、幼い子供や動物を見て「かわいい」と感じたり、
花をきれいと感じたりする原始的な愛情は
ずっと消えるに持ち続けるようだ。
豊かな時代に生まれ育った僕たちは、
周囲にあふれかえる「愛」という言葉に洗脳され、
この得体のしれない概念に、過剰に期待する傾向がある。
人間には愛があって然るべき、
愛がなければだめ、人を愛せ、みたいな。
女と男の愛、家族の愛、至上の愛。
時はあまりにも早く過ぎ、喜びも悲しみもつかの間だが、
ただ一つ、愛の世界だけは変わらない――
昭和歌謡にそんな歌詞の歌があった。
でも、そんなことはないのだ。諸行無常だ。
愛の世界も変わっていくし、失われていく。
だがしかし、それはそう悪いことでも、
悲しいことでもないのかもしれない。
純粋でありながら、どこか邪で、ご都合主義的。
義母からは、人間のニュートラルな状態とは
「こんなもんよ」と教えてもらっているような気持ちになる。
ありがとう、おかあさん。
国鉄労組の闘争、職場ハラスメント、
そして新幹線運転士から映像クリエイターへ——。
一つの人生で二つの花を咲かせた男の物語がここにあります。
「会社のイヌ」と呼ばれながらも昇進を重ね、
還暦を過ぎて再び人生の岐路に立った時、
彼が選んだのは「映像調理師®」という前代未聞の職業でした。
人生の味わい深いエピソードを素材に、
心に残る映像作品を調理する高塩博幸さんの、
笑いあり涙ありの起業ストーリー!
かつて新幹線を走らせた男が、
今は人々の人生を映像に残す「調理師」として奮闘しています。
本書「鉄道マン発 映像調理師」は、
シニア起業家・高塩博幸さんの波乱万丈な人生を追った
ルポルタージュです。
高校生だった高塩少年は
祖父の「助役、駅長になるまで頑張りなさい」という助言を胸に
国鉄に入社。
その後、国鉄分割民営化という荒波を乗り越え、
JR東海で着実にキャリアを積み上げていきます。
しかし、組合闘争に巻き込まれ「会社のイヌ」と呼ばれる日々も。
それでも持ち前の向上心で課長(助役)まで昇り詰めた彼が、
還暦を迎えてなぜ映像の世界に飛び込んだのでしょうか?
映像クリエイターとしての第二の人生では、
自らを「映像調理師®」と名乗り、
終活映像市場という未開拓の分野に挑戦。
「自分史・遺言ムービー」「家系史継承箱」「死後の自分史」など、ユニークなサービスを展開しています。
運転士の教官として培ったインタビュー術を駆使し、
クライアントの人生ストーリーを掘り起こす手腕は、まさに「料理人」の腕前。AIなど最新ツールも取り入れた彼の仕事術には、
学ぶべきものがたくさんあります。
人生100年時代、60歳は終わりではなく新たな始まり。
足立区北千住を拠点に奮闘する高塩さんの姿は、
第二の人生を模索するすべての人の道標となるでしょう。
「映画より映写室が好きだった少年」が、なぜ映像の世界へ?
「停止位置不良」の夢に悩まされながらも前に進む姿に、あなたも勇気をもらえるはずです。
本書は単なる成功物語ではありません。
昭和から令和へ、激動の時代を生き抜いてきた一人の男が、
失敗や挫折を乗り越え、
常に前向きに人生を切り開く姿を描いた珠玉のドキュメントです。起業に関心のある方、自分史や社史作成を考えている方、
そして鉄道マンの皆さん必読の一冊です。
人生という料理の「下ごしらえ」から学ぶべき知恵が
ここにあります!
一昨年、としまえんの跡地にオープンした
「ハリーポッター スタジオツアー」に行ってきた。
正式名称は「ワーナー ブラザース スタジオツアー東京
‐メイキング・オブ・ハリー・ポッター」。
約3万平方メートルの敷地内を歩いて回る
ウォークスルー型のエンターテインメント施設だ。
●見どころ満載6時間ツアー
映画ハリー・ポッターシリーズや、
ファンタスティック・ビーストシリーズ制作の
舞台裏を体験できる。
映画に出てくるセット・小道具・クリーチャー・衣装や、
実際に撮影で使われた小道具などが展示され、
視覚効果を使った体験型展示もある。
初めてなのでフルパッケージのチケットを買い、
音声ガイドもつけて回ったので、ぜんぶ回るのに6時間かかった。
かなり見どころが多く、特に熱心なハリポタファンでもない僕でも
満足のいくツアー。
6時間は長すぎるかもしれないが、普通に3~4時間は楽しめる。
施設内にレストランやカフェもあるので、途中休憩もオーケー。
映画ハリー・ポッターシリーズは、
ほぼ2000年代に制作されており、
CGなどは現在の映像技術の1ランク下の技術が駆使されている。
その分、アナログ的というか、
昔ながらの手作りの部分も残っていて、
セットや小道具などの作りこみがすごい。
魔法学校の教科書など、映らないページまで
しっかり書き込まれており、
映画スタッフの間で受け継がれてきた
「魂は細部に宿る」の精神が生きており、
職人的な意気込みが伝わってくる。
でも、こういう部分は果たして、
今後の映画作りにおいてはどうなのだろう?
コスト削減のためにそぎ落とされているのではないか?
「ハリーポッター」は20世紀の映画文化の集大成。
映画が娯楽の王者だった最後の時代を飾る傑作シリーズ。
そんな言い方もできるのかもしれない。
●全8作再確認、そしてリメイク版ドラマも
というわけで、このツアー後、
アマプラで「賢者の石」から「死の秘宝」まで
全8作を一気見した。
(最後の「死の秘宝」は2パートに分かれている)
主役の3人が可愛い少年少女から青年に成長していくにつれ、
映画各話のトーンが変わっていく。
第1作・2作あたりはコミカルで明るい要素が多いが、
ヴォールデモートとの対決の構図が鮮明になる
中盤から後半にかけて、
ダークでハードな物語になっていく変化が面白い。
そして、やっぱり最終作における謎解き――
ハリーの運命をめぐる、
ダンブルドアとスネイプの人生をかけたドラマに感涙。
何でもテクノロジーでできてしまう昨今の映画製作だが、
演者の子供たちが青年に成長していく過程は、
さすがに機械では実現できない。
それをやってしまった「ハリー・ポッター」は、
やはり空前絶後の作品だろう。
こんな作品は二度と作れない――
と思っていたら、
何とアメリカで連続テレビドラマとしてリメイクされる。
キャストはもちろん全とっかえ。
(映画版の誰か生徒役が先生役として出れば面白いと思うが)
映画版では割愛された詳細な部分が描かれたり、
出番がなかった原作の脇役なども登場するらしい。
製作はすでにけっこう進行していて、
今年の夏には撮影開始予定とのこと。
製作総指揮は、原作者のJ・K・ローリング。
1作につき1シーズンで、最低7シーズン。
後半は内容が膨らむので、回数はさらに増えるかも。
いずれにしても10年スパンで、
映画同様、子役たちが大人になる過程を描き出す。
この時代にすごい構想だ。
「ハリー・ポッター」で一時代を築いたローリングももう還暦。
このドラマ化で、みずからの終活をしたいのかもしれない。
どうしても映画版と比較してしまうだろうが、
かなり楽しみにしている。
小説ももう一度、全巻ちゃんと読み直してみようと思う。
昨日、府中駅から東京競馬場に向かう途中、
出くわした、直径2メートルはあろうかという大太鼓。
バットみたいなバチで打つと、
すごい音が街中に響きわたる。
毎年4月30日〜5月6日の1週間、
大國魂神社を中心に府中市内で開催される
「くらやみ祭り」の一つ、「大太鼓送り込み」だ。
東京都の無形民俗文化財に指定しているらしい。
初めて見たが、間近で見るとすごい迫力。
偶然出会えてラッキーだ。
それにしても、この太鼓の皮は何だろう?
大きさからして牛以外に考えられないが、
どうやって作っているのか気になった。
ぜひ職人さんの仕事を取材してみたい。
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どこに行っても混雑しているゴールデンウイーク。
穴場はないかと、大穴狙って府中にある東京競馬場へ行く。
大あたり!ガラガラだ。
土日は競馬はやっていない。
お目当てはバラである。
東京競馬場にはバラ園――ローズガーデンがあって、
無料開放しているのだ。
6月1日の日本ダービーに合わせて調整しているので、
見頃としてはまだ少し早いが、十分に美しく、見ごたえがある。
全体が7つのエリアで構成されており、
300品種を超えるバラと脇役の小さな花・葉・草も充実している。
歩いているとロンドンの公園にいるようだ。
歴代のダービー馬の記念碑と、騎手の人形がかわいい
ダービーホースアベニューもいい感じだ。
そして何より有名な庭園と違って、
あまり知られていないので来園者が少なく、すいていて、
ストレスフリー。ついでに入園料もフリー。
人の映り込みなども気にせず、写真も好きなだけとれる。
テーブルやベンチもたくさんあるので飲食も自由だ。
だだし、自販機も含めて飲食関係の販売施設はないので、
府中駅周辺でドリンクとかサンドイッチとか
お弁当とか持っていくといい。
連休はもう終わりだが、5月・6月の平日はおすすめ。
正門前に電車の駅があるが、
競馬が開催される土日しか運行していないので、
アクセスは府中駅から。ぷらぷら歩いても15分程度です。
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「お母さんのところに帰る」と言って家を出ようとする義母。
「こんにちは!元気ぃ~!」と女子高生に突然声をかける義母。
幻の家族と会話する義母。
笑いあり、涙あり、驚きありの認知症介護エッセイ。
認知症になっても人生は続く。
むしろ、新たな人生の幕開けかもしれない。
この異色のエッセイ集は、社会が抱える高齢化問題の一面を、
ユーモアとリアリティで描き出しています。
忌避されがちな認知症を、新たな視点で捉え直す試みです。
もくじ
(全36編採録)
かつてのアングラ演劇シーンのヒーロー 唐十郎の一周忌。
昨年11月に出された追悼本
「唐十郎 襲来!」(河出書房新社)を読んだ。
現代演劇を研究し、過去、唐十郎界隈の評論も出している
評論家・編集者の樋口良澄氏がまとめたものだ。
同氏を含め、30人以上の人が、
それぞれの「唐十郎体験」を、
証言・エッセイ・読解・インタビュー・短歌・俳句など、
様々な形の文章で語っている。
中には寺山修司、蜷川幸雄のものも。
もちろん、過去の原稿を転載したものだが。
あの演劇界の巨人たちがみんなそろって、
あちらの世界に行ってしまったんだなぁと改めて実感。
蜷川幸雄のパートは、2011年の唐さんとの対談になっており、
二人の対談は、これが最初で最後だったようだ。
唐さんが「蜷川くん」と呼んでいるのが面白い。
●不破万作のインタビュー:伝説の舞台裏
特に心に残ったのは、状況劇場の初期から劇団員として
長年、活躍し、名脇役として名を馳せた不破万作のインタビュー。状況劇場が活動した1960~80年代は、
まだインターネットがなかったので、
この劇団にまつわる話題、唐十郎にまつわる逸話は、
良きにつけ、悪しきにつけ、いろいろな尾ひれがつき、
事実を大いに誇張した伝説として語られていた。
1969年、新宿西口公園で芝居を強行上演して逮捕された事件、
寺山修司の天井桟敷との乱闘事件、
そして、何度も行われた海外ゲリラ公演――
しかも当時まだ治安も環境も劣悪だった
アジアから中近東地域の旅公演などの話を本や雑誌などで読み、
当時学生だった僕たちは、唐十郎と状況劇場に対して、
途方もないスケールとエネルギーを持った、
天才、怪物演劇集団のイメージを抱いたものである。
不破万作はその舞台裏を明かし、いろいろ事件を起こしたものの、唐十郎も普通の人間だったのだなぁと、
ほほえましい思いになった。
特に妻だった李麗仙の前では小さくなっていた――
という話には笑ってしまった。
昨年も書いたが、僕も状況劇場の入団試験を受けに行って、
一度だけ、じかにこの夫婦に会ったことがある。
李麗仙は攻撃的でちょっと怖かったが、
唐さんは抱いていたイメージとのギャップもあって、
ずいぶん優しい人だなぁという印象が残っている。
そして唐さんに「きみの作文は面白かった」と言われたことが、
今の自分を支える柱の一つになっている。
●久保井研のインタビュー:
後半の創作活動を継続可能にした作劇スタイル
現在、座長代行・演出として唐組をまとめる
久保井研のインタビューもよかった。
彼と編集者・樋口との対話で、
状況劇場時代、「戦後復興した街に対する違和感」を
創作活動の根源にしていた唐十郎が、
唐組として再出発するにあたり、
「新しいメディアによる新しい現実を描き、
豊かさの中で右往左往する人間を描く」という
手法に切り替えたという話は、とても興味深い。
過去の実績・作劇法にこだわらず、自分の演劇を続けるために、
テーマとなる現場に出かけ、独自の取材をして戯曲を書くという、状況劇場の頃とは違う作劇スタイルは、
唐十郎の後半の創作活動を継続可能にした。
どんな天才でも、何十年にもわたって、クオリティが高く、
パターンに頼らない創作を続けるのは至難の業だ。
唐十郎が偉大なのは、なりふり構わず変えるべきところは変えて、好きな演劇を、けっしてブレることなく、
半世紀以上、死ぬまでやり続けたことである。
●永堀徹のエッセイ:唐十郎の原点
そして、もう一つ感動的だったのが
「唐十郎の原点」という唐十郎=大鶴義英の、
明治大学時代の一つ年上の先輩である永堀徹のエッセイだ。
1960年の安保闘争の挫折によって、活動継続の危機に瀕した、
彼らの明治大学実験劇場は、
都市の中での演劇に距離を置こうと、
茨城県の農村に地方公演に出かける。
都会と田舎との情報格差・ライフスタイルの違いが大きな時代に、若者たちが見知らぬ土地で、
どのように芝居をやり、何を得たのか?
タイトル通り、「唐十郎の原点」が、
まるで昨日のことのように鮮やかに、
朴訥な文章でつづられている。
最後のほうは読みながら涙してしまった。
本当に唐十郎はこの若き日の体験を基点に、
生涯、紅テントを持続し続け、それは今また、
後進に受け継がれた。
1960年代の日本の演劇ルネサンスが生んだ奇跡である。
あれから1年。
永遠の演劇少年・唐十郎に改めて合掌。
電子書籍
認知症のおかあさんといっしょ2
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もくじ:
・京風お地蔵さん人形と義母のまぼろし家族
・認知症の義母がぬくぬくする光と音の暖炉
・認知症患者のごあいさつを受け止められますか?
(ほか 全36編採録)
先月、義母をショートステイに預けたら、
ちょっとしたトラブルがあった。
他の利用者が持っていたぬいぐるみを
「これは自分のものだ」と言い張り、
ガメてしまったのである。
どうやらその持ち主さんは安心のために、
いつもそのぬいぐるみを持ち歩いているらしいが、
義母に取られて、かなりパニクったようだ。
怒り心頭だったのか、泣き喚いたのか、わからないが、
とにかく大げんか。
スタッフの人は双方をなだめるのに苦労したらしい。
とはいえ、そこは認知症のありがたいところで
執着はいつまでも続かず、5分か10分、
気をそらすと忘れてしまう。
そして、それ以降は義母の目に触れさせない
という措置を取って、一件落着したらしい。
まるで保育園や幼稚園の幼児みたいで、
やれやれという感じだが、ここのところ、
こうしたトラブルが増えてきた。
家のなかでも、自分の食べ残したお菓子や食器、
家族共用のタオルや、使用済みの包み紙などに対して
「わたしのものだ」と異様な執着心を見せ、
それを取り上げようとしたカミさんとケンカになることが多い。
こうした「物に対するむき出しの欲」は
認知症患者特有のものというわけでなく、
今どきの年寄りの「あるある現象」だと思う。
人間らしいと言えば人間らしいし、
子供の場合は可愛さにもつながるが、
おとなの場合は、そうではない。
齢を取ったら聖人のように悟るべきだとは言わないが、
欲に取りつかれた老齢の人間の姿は、
やっぱり醜いなと思うし、哀れさを感じてしまう。
3年前に亡くなった実母(義母より6歳上)には、
こうした傾向はほとんどみられなかった。
いっしょに暮らしていなかったので確かなことは言えないが、
帰省で何泊かした時見ていても、
娘である妹とケンカすることはなかったし、
妹からそれで困ったという話も聞かなかった。
そして施設に入ってからは、
神様の領域に入ったような、穏やかな顔をしていた。
二人の違いは、人生全体の幸福度の違いなのかなと思う。
やはり幸福度が低く、
不満やストレスが多い生き方をしていると、
あるところまでは我慢が効いて体裁を保っていても、
高齢化して社会人としての枷が外れてしまうと、
抑えつけていた欲がむき出しになってしまう。
さらに言うと、母世代(戦前生まれ)の女性は、
やはり伴侶との結婚生活の影響が大きいのだと思う。
僕の両親は、適当に仲良く暮らしていて、
父は一切家事をしない人だったが、
あまり母にやかましいことは言わなかった。
7回忌なので悪いことは言いたくないが、
義父は亭主関白で、かなり義母の「しつけ」にうるさく、
彼女の希望を抑えつけ、
単独で外出することをめったに許さず、
家に縛りつけていたらしい。
いっしょにあちこち旅行に出かけるなど、
表面的には仲良し夫婦と見られていたようだが、
その見た目は、義母が我慢することで
成り立っていたのかもしれない。
もちろん、幸福度はそれだけで決まるものではないだろうが、
いっしょに暮らす人間との相性はかなりウェイトが高い。
今、女性の生き方は昔と比べて多様化して、
もう「すべては男次第、亭主次第」というわけではない。
結婚式のころはテンションが上がっているので、
互いに「幸福にします・なります」と、
ペロッと言えちゃうが、
数年たって、こりゃだめだなと思ったら、
迷わずさっさと離婚したほうが人生を汚さずに済む。
今の日本で「我慢が美徳」と思って生きていると、
欲望むき出しの醜い高齢者になるリスクが高まるのだ。
義母には申し訳ないが、つくづくそう思う。
彼女の名誉のために言っておくと、
欲にかられるのは、あくまで部分的であり、
四六時中そうなっているわけではない。
むしろ普段とのギャップが大きいので、
悲しい気分になり、考えさせられるのだ。
いずれにしても、愛されるジジババにならなくてもいいが、
ある程度きれいで、
子供たちから多少はリスペクトされる人間にりたい。
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笑いあり、涙あり、驚きあり。認知症になっても人生は続く。
社会が抱える高齢化問題の一面を、
ユーモアとリアリティで描き出し、新たな視点で捉え直す試み。
福祉関係者や医療従事者には現場の生の声として、
一般読者には自分や家族の将来の姿として、
多くの示唆を与えてくれるでしょう。
ユーモアを失わない文体と鋭い観察眼が、
重いテーマを読者に負担なく伝える稀有なエッセイ集です。
昨日は、昭和100年の「昭和の日」だった。
最近は、なんでもデオドラントしないと気が済まない
ホワイト社会が進行中で、
昭和の価値観が次々とバッシングされている。
中居正広の性暴力問題から発展したフジテレビの問題しかり。
八代亜紀のヌード写真入りCDの問題しかり。
●性暴力を受けた女性がセクシー写真集を出すふしぎ
中居くんを擁護するわけではないが、性被害を受け、
PTSDになったという元フジテレビの女性アナが、
自身でカミングアウトした本や
セクシーな写真集を出しているのは、僕には理解しがたいし、
同性の間でも首をかしげている人は多いのではないか。
いろいろ理屈や事情があるのだろうけど、
いちいちそれに耳を傾ける人はそんなにいないだろう。
そしてまた、不思議なことに、彼女のこうした奇異な行動には、
僕が知る限り、あまり批判的な意見を聞かない。
被害者なのだから、
ということで優しくしなくてはいけないからか?
下着や水着の写真集を買うことで彼女を応援しようということか?それとも中居くんの擁護者・性暴力の容認者と思われるのが
嫌だから?
これもやっぱり僕には理解できない。
まだまだ昭和の価値観に染まっている人たちは、日本人の大半を占めていると思うが、みんな、このホワイト社会化についていっているのだろうか?正直、僕は息切れしている。
●昭和歌謡の女性歌手は花魁である
八代亜紀さんのCDの件は、裁判沙汰に発展する気配だが、
当のレコード会社は、そうなる前に発売してしまった。
転売目的で買った人も大勢いるようで
早くも高値を付けて売られている。
これは裁判になる前に商売完了という筋書きだ。
裁判に持ち込まれたとして、どんな裁きになるかはわからないが、倫理的にはともかく、
このレコード会社の社長が法律的に重罪になるとは思えない。
今でこそ「昭和歌謡」は、音楽通からもリスペクトされているが、昭和の時代、歌謡曲の歌手、
特に女性はクラブのホステスとほぼ同様の扱いだった。
という言い方に語弊があれば、江戸時代の遊郭の女郎、
あるいはもう少し上の花魁という扱いである。
今年のNHKの大河ドラマ「べらぼう」の主な舞台・吉原は、
江戸最大の遊郭があった街。
とびきり歌のうまい花魁は大人気で、
彼女のためなら大金を貢ぐという旦那は大勢いただろう。
ただし、社会的には身分制度の埒外で、
身請け制度があったことからも、
人間ではあるが「商品」としてのニュアンスが
強かったと思われる。
昭和はまだこうした江戸時代の芸能文化の流れを引きづっていて、歌ったり踊ったり芝居をしたりする人たちは、
一種の「商品」として見られていたと思われる。
たとえ八代さんほどの大歌手だとしてもだ。
だから「権利を買い取って所有している」という、
かの社長の主張は、
(下品だが)昭和の価値観からすれば正当なものだし、
その権利を使って商売するのが、どうして悪いのだ?となる。
亡くなって自分の意思を示せない八代さんの写真を出すことには
僕も反対だ。
だが、かといって
「八代さんが生きていたら絶対に認めないはずだ」という意見は
勝手な決めつけだろう。
僕は「多くの人に自分が若い頃の美しい姿を見てほしい」と
希望することも十分あり得ると思う。
女性の方々はどう思うだろうか?
●人間臭さ・エロ臭さにおう昭和の価値観はいずこへ
エロい方向の話に偏ってしまったが、
今後、AIが浸透し、様々な情報が整理され、
管理社会・デオドラント社会が進展してくると、
その一方で、ある意味野蛮で、汚く、
下品でいい加減な昭和の価値観は
ますます重要性を増してくるだろう。
なぜなら昭和が(もしくは20世紀が)人間による、
最後の、人間臭い時代、
最後のエロ臭い時代として認識されるようになるからだ。
その後、人間臭さ・エロ臭さを脱臭された人間はどこへ行くのか?昭和の価値観はどこまで生き延びるのか?
とても楽しみである。
それにしても、こんなことを考えている時点で、
僕はもう、時代に取り残された昭和人なのだろうと思う。
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この異色のエッセイ集は、社会が抱える高齢化問題の一面を、ユーモアとリアリティで描き出しています。忌避されがちな認知症を、新たな視点で捉え直す試みです。
先日、義母を美容院に連れて行った。
前にも書いたが、お抱え美容師(?)のTさんは、
腕はそこそこだが、接客の達人である。
義母は普段ニコニコしているが、
自分の体をいじくられるのが大嫌いで、
医者などでも随分と手こずる。
なので、正直、なるべく連れていきたくない。
美容院も何かされる、どこかいじくられるに違いないと、
カンがはたらくのだろう。
カミさんと二人がかりで、
できるだけご機嫌のいい状態で連れていくのだが、
店のドアの前まで来るとさっと顔色が変わり、足が止まる。
断固として入ろうとしないこともあり、
そういう時はやむを得ず、そのまま近所を
一回りして戻ってきたりする。
しかし今回はちょうどいいタイミングで、
Tさんがドアを開けてくれて、目が合うと
義母の表情がふわっと崩れた。
Tさんは、認知症患者の扱いに慣れているのか、
それとも単純に相性がいいのかわからないが、
一旦店に入ってしまえば安心してまかせられる。
すごく丁寧な接客というわけでなく、
適度にフレンドリーなところがいいのだ。
何かあったときのために、
一応、僕たちは店内の待合スペースにいるのだが、
これまでトラブルが起こったためしはない。
今回はピンクっぽい金髪にして
「ほぉら、かわいくなりましたよ」と言われ、
義母はご満悦である。
家からすぐ近くというわけでなく、
徒歩15分程度(義母を連れていると20分程度)。
あちこちいろんな店を試したが、
もうここしかないと、この2,3年は完全に御用達である。
もしこれから認知症患者が増えるとしたら、
そういうお客に対しても、柔軟に対応してくれる店は重宝され、
繁盛するだろう。
どのジャンルにも「認知症患者専門店」
なんてものができるかもしれない。
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「傷だらけの天使―魔都に天使のハンマーを―」は、
作家・矢作俊彦が2008年に出した小説(講談社文庫)である。
題名で察しがつくように、これは「傷だらけの天使」の小説。
30年後の後日談だ。
今年になってからAmazpn Primeで
「傷だらけの天使」全26話を見た僕は、
頭の中で、かつての傷天熱が再燃。
いろいろネットで情報をあさり、書籍として出版されている
解説本「永遠なる『傷だらけの天使』
(山本俊輔・佐藤洋笑/集英社新書)」を、
そして、この小説を読んでみた。
●1か月近く書けなかった感想
あの衝撃の最終回でラスト、
いずこともなく去った小暮修(萩原健一)は、
30年後、どうなったのか?
それを描いた物語となれば、
傷天ファン、ショーケンファンなら、
興味を持たずにはいられないし、ぜひ読むべき作品である。
……と言いたいところだが、
同時に「読まないほうがいいよ」とも言いたくなる内容である。
思い出は思い出のまま、大事に取っておいたほうがいい。
昔の恋人にはもう一度会おうなんて思わず、
かつての美しい面影だけを抱きしめていたほうがいい。
正直、そんな心境になってしまった。
これを読み終えたのは3月末だったが、
どんな感想を書けばいいのか、うまく整理がつかず、
かれこれ1か月近く経ってしまったのは、そのせいだ。
●トリビュート小説の傑作だが
誤解がないように言っておくと、
「傷だらけの天使―魔都に天使のハンマーを―」が、
読むに堪えない駄作というわけではない。
むしろその逆で、これは傑作だと思う。
探偵小説、ハードボイルド小説、エンタメ小説、
どの呼び方が一番いいのかわからないが、
とにかく、こうしたジャンルにおいて、
構成、文体、表現、リズムなど、
相当質の高い作品であることは確かだ。
作者自身が傷天ファンであり、
読者も完全に傷天ファンを対象としているので、
原作ドラマに対するリスペクトも十分すぎるくらい十分。
たとえば冒頭部分は、僕たちがこぞってマネをした、
あの伝説的なオープニング朝食シーンの
完全なオマージュになっている。
同時に、30年後、55歳になったオサムの現状を
ビビッドな表現で読者に伝える始まり方になっており、見事だ。
この冒頭部分が象徴するように、
トリビュート小説として非常によくできており、
いちいち納得できる。
しかし、だからこそ、この物語が、
多くの傷天ファンに与えるダメージ(?)も
大きいのでないかと思う。
少なくとも僕にとってはそうだった。
●萩原健一と市川森一の置き土産
1974年秋から1975年春にかけて日本テレビ系で放送された
「傷だらけの天使」は、
当時、その圧倒的存在感で人気を誇った俳優・
萩原健一を主役にした、
コミカルさとハードボイルドテイストと
人情味を併せ持つ探偵ドラマで、
斬新な内容・演出と、日本映画界を代表する監督らが参加した
「テレビ映画」として話題になった作品だ。
視聴率は振るわなかったが、
その「カッコ悪いカッコよさ」「ろくでなしの生き様」は、
当時の若者たちの心にずっぽり突き刺さり、
大量のファンを生み出し、半世紀を超えて続く伝説となった。
そうしたファンの一人である作者の矢作俊彦は1950年生まれ。
まさしくショーケンと同級生である。
彼はこの作品の執筆に際して、
主演の萩原健一と、脚本家の市川森一から承諾を得ている。
市川は登場人物やドラマの世界観の設定をつくり、
26話中、8つのエピソードの脚本を書いた、
脚本陣のメインライター。
いずれも「傷天」を代表する傑作で、
第1話(制作側の都合で放送時は第7話になった)と最終話も
彼のペンによるものだ。
市川は2011年、萩原は2019年に他界しているので、
「魔都に天使のハンマーを」は、傷天の核ともいえる二人が、
矢作に託して残した、置き土産ともいえるかもしれない。
市川は1983年に同名の脚本集を大和書房から出しているが、
その後、何度も傷天復活の話があったらしい。
しかし、幸いなことに(?)、それらは実現しなかった。
制作上の都合もあったかと思うが、
ファンも齢を取った萩原がオサムを演じる姿は
見たくなかっただろう。
そして、萩原以外の俳優がオサムを演じることも
許せなかっただろう。
●小説の世界だから許される30年後の傷天
しかし、小説の世界――僕たちの想像力の範囲でなら、
それは許される。
キャラクターの描写は的確で、
修が話すセリフの文字からショーケンの声が聴こえてくる。
僕たちは、この物語の中で「55歳の小暮修」と出会えるのだ。
それは他のキャラも同じ。
ここには、オサムがヤバい仕事を請け負っていた、
探偵事務所のボス・綾部貴子も、
その右腕として活躍していた辰巳五郎も出てくる。
最終回で横浜港から外国へ逃亡した貴子は、
もはや探偵事務所の経営者などではなく、
六本木ヒルズを根城とする組織のトップとして、
2000年代半ばの日本の政治・経済・産業界を牛耳る
フィクサーとなっている。
同じく横浜港で逮捕された辰巳は、
あの時、貴子に裏切られたのにも関わらず、
相変わらず手下として、舞台裏を跳梁跋扈している。
どちらも年齢設定は還暦をとっくに超えて
70代ということになるが、
超高齢化社会で、
いまだに昭和のジジババが幅を利かす日本においては、
何ら違和感がない。
それぞれの役を演じた岸田今日子・岸田森も、
すでにこの世を去っているが、
ここも想像力を駆使して、加齢し、より妖怪化した
二人の声を被せて読むといいだろう。
●アキラへの想い
そして、物語の中で絶大な存在感を感じさせるのが、
オサムの弟分の乾亨である。
しかし、アキラはドラマの最終回、つまり30年前に死んでいる。
もちろん生き返って登場するわけではないが、
彼はオサムの中でずっと生き続けており、
ことあるごとに心の底からよみがえってくるのだ。
文字通り、天使になったアキラへの追憶。
若かりし時代の、宝のような思い出と、
あの時、彼を見捨て、死なせてしまったという罪悪感。
それがこの物語の軸の一つになっており、
随所に現れる、ドラマから引用したアキラのセリフを読むと、
若き水谷豊のあの声と独特の言い回しが響いてくる。
(断じて、現在の、杉下右京の水谷ではない)
● 在りし日のエンジェルビルも
それぞれのキャラクターとともに、
世界観もきちんと踏襲しており、
オサムが住処としていたペントハウスも、
舞台の一つとして出てくる。
やはり傷天にはペントハウスが欠かせない。
このペントハウスのロケ地として使われた、
代々木駅近くの代々木会館ビルは、
傷天ファンの間で「エンジェルビル」と呼ばれ、
この小説が出版された当時は「不滅の廃虚」として、
まだ健在だった。
オサムだった萩原が亡くなったのが、
令和が始まった2019年3月。
このエンジェルビルが解体されたのが、同じ年の8月。
単なる偶然だろうが、ファンとしては
何らかのつながりを感じたくなる。
●1970年代と21世紀ビギニングとの融合
そんなわけで原作の世界観に忠実に……と言いたいところだが、
あくまでこちらの時代設定は、ゼロ年代半ば。21世紀の物語だ。
30年が過ぎ、もう世界は変わっているのに、
1970年代と同じ世界観で描くのは、逆にウソになる。
作者はそのあたりも心得ていて、
バーチャルワールドや生殖医療などの要素も入れ込んでいる。
1970年代には、ほとんどSF小説・SF映画に出てくるものが、
ここでは現実として違和感なく描かれており、
かつての傷天を、21世紀の物語としてシフトさせているところは
心憎い。
しかも、ゼロ年代半ばといえば、
まだデジタル社会への移行の途上で、
インターネットが今ほど社会に普及しているとは言い難く、
スマホも世のなかに登場していない。
そうしたなかで、こうした要素を駆使して描いたのは、
かなり先進的だ。
●残酷な結末
僕が最初に「読まないほうがいいよ」と言ったのは、
この「21世紀の傷天」の物語世界を形作る
キーマンが存在するからである。
それは貴子でもなければ、辰巳でもない。
他の新たな登場人物でもない。
それは原作ドラマを知る者なら、誰でも知っている人物だ。
物語の終盤、その人物とオサムとの、
二人きりの対決のシーンが描かれる。
まるで目の前で、
あの傷天のアクションが展開されているような見事な筆致。
しかし、そのシーンで、それまでのすべての謎が解け、
物語の文脈が明らかになると、
そのあまりの運命の残酷さに慄然とする。
原作のメインライター市川森一が、ドラマ作りの信条としていた、
とびきり賑やかで楽しい夢と、
奈落の底に落ちるような現実とのコントラスト。
矢作俊彦は、この後日談でも、それをしっかり踏襲した。
55歳になったオサムが、
最後に何と向き合わなくてはならなかったのか。
誰と闘わなくてはならなかったのか。
当たり前のことだが、30年もの月日が経てば、子供は大人になる。
これだけ言えば、原作を知る人は、もうピンと来るだろう。
粗野で風来坊のように生きてきたオサムだが、
彼は家族を大事にする男でもあった。
しかし、彼はそのかけがえのない家族に裏切られてしまう。
「魔都に天使のハンマーを」は、家族の物語でもあるのだ。
読み終えた後、僕は原作の様々なシーンを思い出して、
思わずため息をついてしまった。
そして、やるせない気分に覆われた。
すべて辻褄が合い、すべてが納得できる内容である。
この後日談を、一級のエンタメ小説として構築するためには、
こうするのが最高の手立てだったのだろうと思う。
でもなぁ、こうなるなら、
もう少しダメダメな話でもよかったよなぁと思ってしまった。
最後の最後に、ほんのちょっとした救いはあるんだけど。
●ショーケン死すとも傷天死なず
というわけで、長々と書いてしまった末にもう一つ気付いたのは、
傷天の30年後を描いたこの作品は、
もう20年も前に書かれたものだということ。
この20年の間にまた時代は変わった。
萩原や市川をはじめ、傷天関係者は相次いでこの世を去った。
エンジェルビルも代々木から姿を消した。
でも、その代わりに、U-NEXTやAmazon Primeなどの動画配信で、
多くの世代が、半世紀前の、
若かりしオサムとアキラの活躍を見られるようになった。
物語のなかで55歳になっていたオサムは、
もう後期高齢者の仲間入りをしている。
貴子や辰巳は90代になるだろう。
それでも超高齢化社会では、
この物語はまだ続くのではないかと思わせる。
傷天伝説の一部となった「魔都に天使のハンマーを」。
最初に「読まないほうがいいよ」と言っておきながら、
今さらだが、勇気を出して読んでみることをおすすめする。
青春の思い出の湯に浸るのは気持ちいいが、
やっぱりそれだけだと、今を生きることにはつながらない。
今を生きて、傷天を未来に伝えていきたい。
ショーケンが死んでも、「傷だらけの天使」は死なない、きっと。
エリック・クラプトンの来日公演に行ってきた
K君(24歳)の報告を聴く。
「レイラ」はやらなかったが、
いきなり「ホワイトルーム」や「サンシャイン・ラブ」の
クリームナンバー。
80歳で武道館ライブを行ったクラプトンは、
2年前、自ら作った同会場の最年長記録を更新したという。
クラプトンとほぼ同年代と思しき、隣の席のじいさんが彼に向って、まるで孫に語るように
「クラプトンが日本に来るのもこれが最後じゃろう」と語った。
その目は涙ぐんでいたという。
80で1時間半のライブをやっちゃうクラプトンも偉いが、
武道館まで足を運んでくるあんたも偉いよ。
そこで僕も思わずK君に語ってしまった。
いや、おまえ、クリームって、俺が中高生のころは、
すでに伝説のバンドだったんだよとか、
俺の友達が高校の文化祭でクリームのコピーやって
鼻高々だったんだよとか、
ベース、ドラムと3人のバンドで、
協調性やバンドとしてのまとまりとか、曲の完成度とか、
そんなのどうでもいいと思ってる連中で、
いつも崩壊ぎりぎりのところで演奏していたんだぜとか、
「ホワイトルーム」や「サンシャイン・ラブ」は、
1960年代後半の時代精神を描いたの歌詞だけど
、一回りして、今の時代に合ってるかもなとか、
ベースのジャック・ブルースも、
ドラムのジンジャー・ベイカーもとっくの昔に死んじゃったけど、クラプトンはヤクまみれになっても、
女でひどい目にあったり、ひどい目に合わせたりしても、
息子が死んだりしても、
この齢になるまで生きてきた。生き残ってきた。
もうカネも名声も十分すぎるほど手にしているのに、
それでもライブをやるっていうのは、
根っから音楽が好きなんだろう。この際、
死ぬまで日本に来続けてほしいよなとか、
そんなどうでもいいことをえんえん語ってしまったが、
K君は好青年なので、
しっかり相槌を打ちながら、僕の話に耳を傾けてくれた。
正直、僕はそれほどクラプトンファンではないので、
演奏を聴くのはYouTubeで十分と思っているのだが、
わざわざ来日公演に行った、
アート、カルチャー大好きのK君の話は面白かった。
それにしても、80代も20代も音楽が共有できる時代が来るなんて、まったく想像できなかった。
こうして20世紀のポップ&ロックカルチャーは
未来に引き継がれていく。
のだろうか?
「全国初摘発“生成AI”で作成した裸女性の
わいせつ画像をポスターにし販売か 男女4人逮捕」のNEWS。
僕をはじめ、多くの人は、驚きでもなんでもなく、
「やっぱり出たか」
「このタイミングで出たか」といった、
冷静な(?)感想を抱いたと思う。
これはマーケティング的必然。
いくらで売ってたのか知らないが、
リアルな写真集やアダルトビデオと違って、
モデルや女優さんも、カメラマンも、
ディレクターも、ロケ費用もいらない。
コストがかからないので、
売り上げのほとんどは利益になる。
人間、エロいカネもうけ、ボロい金儲けには、
惜しみなくエネルギーを注げるようにできている。
試しに「AI エロ 画像」で検索してみたら、
出るわ、出るわ。
そのほとんどはボカシが掛かって見えないが、
水着や下着付きならOK。
いかに日々、AIエロクリエイターたちが
創造力を発揮しているか、
そのエネルギーたるや、大したものだ。
「わいせつ」と言っても、
アダルトビデオサイトよりだいぶマシなのでは?
と思うが、今回の摘発は今後、
AIを使ってエロコンテンツでビジネス考えてる人たちへの
牽制・見せしめなのだろう。
でもこの先、テクノロジーが
人間の慰安に使われるのは必至だと思う。
ロボットもある程度のレベルに達した後は、
この方面から開発技術が進むのではないか。
今のところ、AI・ロボット相手に性欲をたぎらせるのは、
気持ち悪いし、人間として異常ではないか、
という見方が強いと思うが、
いずれみんな慣れてしまって、
いつの間にか社会的にも認められていくだろう。
むしろバーチャルエロが、
現実世界の性犯罪の抑止力になるのではないか?
そして、肉体を慰めてもらった後は、
心も慰めてもらう、といった形で、
AI・ロボットは恋人や友達や家族に
進化していくのかもしれない。
こんな妄想が、妄想でなくなる日が来るのも、
そう遠い先の話ではなさそうだ。
義母を花見に連れて行ったのだが、
地面に落ちているゴミばかり気にしているので
「おかあさん、ちゃんと桜を見な。
あと何回見られるかわかんないんだよ」と言ったら、
「あ、そうか、そうだよね。わー、きれい」と、
妙に素直に納得。
「これが最後かもしれない」と思って花見をする人は、
あまりいないと思うが、
もちろん、そうなる可能性はゼロではない。
めめんと・もり。
と考えたところで、今日(正確には昨日だったか?)が、
昨年死んだ友達の一周忌だということを思い出した。
なので、桜の花に、心の中で彼女の遺影を被せて黙とうする。
用意した遺影は劇団時代の、とびきりかわいい(?)やつだ。
彼女は演劇学校の同級生で、いしょに劇団をやった仲間だった。
この先、桜の季節になると、
いつも彼女のことを思い出すのだろうか?
わからない。
演劇学校や劇団時代やロンドン時代の仲間、
小中高の同級生・友達、
このあたり、たぶん200人ぐらいは、
わりと正確に顔と名前を記憶している。
やっぱり、それぞれ何かしらの良い思い出を共有しているのだ。
もうほとんどの人と会うことはないだろうし、
相手はとっくの昔に忘れているだろうけど。
だから、死んだことを知ったら、
いちいち葬式や墓参りにはいかないが、
心の中で遺影にして弔ってやることはできると思う。
何の意味もないし、何の役にも立たない。
でも、そういうことが自分にとって大事なことだと思える。
生きてる証拠でもあるしね。
おりべまこと電子書籍新刊 本日発売!
エッセイ集:認知症介護2
「認知症のおかあさんといっしょ2(に)」
AmzonKindleより500円で発売中。
(本書紹介文より)
「お母さんのところに帰る」と言って家を出ようとする義母。
「こんにちは!元気ぃ~!」と女子高生に突然声をかける義母。
幻の家族と会話する義母。笑いあり、涙あり、驚きありの
認知症介護エッセイ。
認知症になっても人生は続く。
むしろ、新たな人生の幕開けかもしれない。
この異色のエッセイ集は、社会が抱える高齢化問題の一面を、
ユーモアとリアリティで描き出しています。
忌避されがちな認知症を、新たな視点で捉え直す試みです。
本書は単なる介護記録ではありません。認知症という鏡を通して、
現代日本社会の価値観や人間関係を問い直す社会批評でもあるのです。「認知症になったら人生終わり」という社会通念に、
著者は半ば同意しながらも、
そこに新たな人生の可能性を見出そうとしています。
福祉関係者や医療従事者には現場の生の声として、
一般読者には自分や家族の将来の姿として、
多くの示唆を与えてくれるでしょう。
ユーモアを失わない文体と鋭い観察眼が、
重いテーマを読者に負担なく伝える稀有なエッセイ集です。
もくじ
(全36編採録)
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