4月の同窓会まで1ヶ月を切り、ほぼ連絡が行きわたったようなので、手伝ってくれてる二人にメールを送って情報をとりまとめる。
直前まで出欠変更は可能だけど、とりあえず人数を店に知らせておく必要があるので。
この仕事、20代の頃は単なる飲み会の連絡係・会計係に過ぎなかったのだが、齢を経ると様相が変わる。
飛び級で早々に人生を卒業してしまったのも二人ほどいる。
それぞれの生活環境などわからないし、家族のこと・仕事のこと・お金のこと・健康のこと、ぞれいろいろ問題抱えているだろうし、長く生きているといろんなことが起こる。
40年前と寸分たがわぬキャラ丸出しのメールが来て笑っちゃうこともあれば、できれば聞きたくなかったこと(相手も話したくなかったこと)を聞くことにもなる。
名簿を見ながら、だれだれ出席、だれだれ欠席と、漢字4~5文字の本名を書いていると、これ誰だっけ?と認識できなくなるケースもチラホラ出てくる。
特に女子は名字が変わっていることが多いので、なおのこと。
そこでそれぞれ当時の愛称・通称・あだ名などで書き換えてみると、たちまち顔が思い浮かび、声が聞こえてきて、キャラクターが立ち上がる。
身振り。口振り・服装・背景・いろんなシチュエーションまで再現できたりする。
そうやって名前を書き出すと、今回は欠席でも次回また声を掛けようという気になる。
でも連絡先がわからない・つながらないのもいる。
また、もう連絡なんかいらないと思っているのもいるだろう。
しかたないことだけど、幹事なんかやっていると、ここまできちゃうと、そういう人たちとはもう完全に切れちゃうだろうなと思う。
切っちゃう権限が自分にあるのかなとも考える。
もしかしたら以前は同窓会なんてどうでもいいと思っていたけど、今になってみると行ってみたいな、連絡があればなぁ、声掛からないかなぁ・・・と待っていることだってあるかも知れない。
「あいつがお願いって声掛けてきたから、しかたないので来てやったよ」
――今ならそういうやつがいてもOKと笑えるだろうなぁ。
こんなよけいなこと考えずに、クールに事務的にさっさと進めればいいのに、なんかいろいろ引っ掛かっちゃうんだよなぁ。
取材が続いたので、今週はテープ起こしと原稿書きの日々。
きょうは先日の里山農業プロジェクトの野田君の音声を起こしました。
録音を聞いてみて、やっと彼のヴィジョンが理解できる。
思った以上に深く、広がりがある。
これを一旦メモ帳に書き記して、その後、あっちこっち編集したのにプラス、合間合間に自分の文章を書き入れていく、というのが取材をした記事のオーソドックス(僕にとっては、ということだけど)な書き方です。
テープ起こし(機器はICレコーダーですが)は面倒な作業で時間もかかるし、重労働ですが、手ごわい内容は、これをやらないとどうにも頭にすんなり入ってきません。
テープ起こしをアウトソーシングすればラクに早くできるのだろうけど、そんな経済的余裕などないし、それにそう横着しちゃうと、なんだか寂しい気持ちになる。
頭の回転が鈍いので、何度も反芻しないとよくわからないんだよね。
この後もまだいろいろ溜っているので、どんどんやらねば。
間もなく3月も終わり。
こうしているとあっという間にゴールデンウィークになってしまいそうです。
月に一度、鎌倉新書の打ち合わせで日本橋・八重洲方面に出向きます。
鎌倉新書というのは葬儀供養業界のWebや雑誌を作っている会社。
以前は仏教書を出版していたのですが、現会長が社長になった20年ほど前から、機械化とかITテクノロジーとか、非人間的なイメージを嫌うこの業界において、いち早くインターネットでの情報発信にシフトしました。
「いい葬儀」という、消費者と葬儀社とを仲介するポータルサイトを開設したところ、業界内では当初、白い目で見られ、あの会社は代替わりしてダメになったと言われたらしいのですが、そこは時代の趨勢であれよあれよという間に市場に浸透。
特に僕が本格的に関わり出した2年半ほど前から株はうなぎのぼりで、一昨年末にこの八重洲の一等地に引っ越したと思ったら、それから1年も経たないうちに東証一部上場を果たしました。
とは言え、利益分はいろいろ始めた新事業のほうに回っているようで、外部ライターである僕のギャラが上がるわけではありません。
正直、割に合わんなーと思うことが多いのですが、興味のある分野だし、ある意味、高齢化・多死化代社会に関する最先端情報(テクノロジーなどではなく、社会心理的流れとしての情報)にも触れられるので、引き続き、業界誌の月刊仏事で記事を書き、時々Webの方もやっています。
その月刊仏事から新しい連載企画をやりたいけど何かない?と言われたので、以前、このブログで書き散らしたネタを思い出し、「世界の葬儀供養・終活・高齢者福祉」なんてどうですか?と提案したら、じゃあぜひ、とあっさり通って取り組むことに。
国内の出張費も出ないのに「海外出張費出ますか?」なんて聞くこともできず、ネット頼りの仕事になるのは必至。
でもイラストを描いてくれる人もいるらしいので、伝統文化と最新事情をごった煮にして分析を交えた読物風の話にしようと思っています。
ごく個人的なことでもいいので、情報あったらお知らせくださいな。
散歩がてらサクラを見に近所の大宮八幡宮に行くとネコ発見。
例によってナンパを試みたが、例によってシカトされた。
彼女には事情があった。
上の方でガサゴソ音がするので見ると、キジバトがいる。
落ち葉の中をつついて虫をほじくり出して食べているらしい。
ネコは野生の本能が刺激され、ねらっているのか?
でも、その割にはハトに対して集中力が欠けている。
自分の中でウズウズモゾモゾ本能がうずくのを気持ち悪がっているように見える。
サクラ色の首輪をつけているので、どこかの飼いネコだろう。
家に帰ればいつもの安全安心、おいしく食べやすく栄養バランスもとれてるキャットフードが待っている。
なのになんで鳥なんか狩らなきゃならんのか、
だいいち、あたしが口の周りを血だらけにして鳥やらネズミやら持って来たら、飼い主さんが卒倒しちゃう。
でも狩ったら脳からアドレナリンがドバっと出て気持ちよくなりそうだ。
ああ、でも、そんなのダメダメ・・・と、ひどく葛藤しているように見える。
飼いネコでも本能のままに生きているやつもいれば、鶏のササミや魚の切り身をあげても見向きもしないやつもいる。
イヌもそうだけど、多くの飼い主はペットに一生自分のかわいい子供であってほしいと願う。
人間じゃないんだから、大人になんかなってほしくない。
恋もしてほしくないから去勢や避妊手術を施す。
生物学的なことはよくわからないけど、そうするとホルモンもあまり分泌しなくなるだろうから、ペット動物は「子供化」して野生の本能は眠ったままになるのだろう。
一生人のそばにいて、一生キャットフードを食べて、一生本能なんぞに煩わされることなく、平和に暮らせるのがサイコーだと思っているネコもいるはずだ。
人間と一緒に都市生活をしていくにはそのほうが幸せなんだろう。
けれどもイヌと違って、ネコは本能に目覚めても人間に危害を及ぼす可能性は限りなく低い。なので「最も身近な野生」を感じさせてほしいという、人間の勝手な期待を背負わされた存在でもある。
おそらくネズミや鳥を狩ってくる飼いネコは、飼い主のそうした潜在的な希望を感じとって、本能のうずきに素直に従うのだ。
ただ、そうじゃない彼女のようなネコもいて、せっかくのんびり暮らせているのに、野生時代の先祖の血の逆流に悩まされることもあるんじゃないかと思う。
こんど道端で会ったネコに、そこんとこつっこんでインタビューしてみようと思うけど、答えてくれるかニャ~。
連荘で農業取材。
26日(月)は秋川渓谷と美しい山並みが望めるあきる野市に出向き、秋川牛とご対面。出荷前・生後30ヵ月の黒毛和牛の体重は800キロ。でかっ。
東京で唯一の肉牛生産牧場・竹内牧場では約200頭の秋川牛を飼育しています。
このあたりは、日本各地の有名なブランド牛の産地に負けず劣らず、水も空気もきれいで豊かな環境なので、牛をはじめ、豚・鶏などを育てるには持ってこいとのこと。
秋川牛は希少価値のある高価なお肉ですが、都内のホテル・レストラン・料理店なので口にするチャンスがあるかも。
一方、武蔵五日市駅にほど近い松村精肉店は、地元で生産されるこの秋川牛の認知度を上げたいと、手軽に味わえる加工品としてレトルトカレーなど製作しています。
オリンピックもあることだし、東京の名産品をアピールしていこうとブランド力UPに奮闘中です。
昨日ご紹介した磯沼牧場+多摩八王子江戸東京野菜研究会でも聞きましたが、これら多摩・八王子地域の環境はこの20年ほどで劇的に改善され、川には清流が戻り、アユなども戻ってきているとか。
今や都心で働く人たちのベッドタウンというイメージから脱却し、豊かな自然が楽しめ、農業も盛んな地域としてのイメージが高まっています。
いつまでも「東京は緑が少ないから云々」なんて、手垢のつきまくったステレオタイプのセリフをほざいていると時代に取り残されますよ。
テクノロジーとパラレルで進行する昔ながらの環境とライフスタイルへの回帰。
「むかしみらい東京」がもう始まっているのかも知れません。
東京にこんな素晴らしい牧場があったのか!
噂には聞いていたけど、なかなかタイミングが合わずに来そびれていた磯沼牧場(磯沼ミルクファーム)に25日・日曜日、初めて来場。
多摩八王子江戸東京野菜研究会とのコラボイベントで、牧場特製のチーズとベーコン、ソーセージ、野菜てんこ盛りのピッツァ作りです。
牧場主・磯沼さん手づくりの溶岩石窯で焼いたピッツァはおいしくてボリューム満点。
ランチの後は乳しぼり体験、牧場ツアー(放牧場もある)、磯沼さん×福島さん(多摩八王子江戸東京野菜研究会代表)の都市農業トークと続き、あえて取材の必要なしというところまで堪能しました。
場所は京王線・山田駅から徒歩10分弱。
新宿から1時間足らずで来れるし、横浜からも近い。
わざわざ北海道などへ行かなくても、たっぷり牧場体験ができます。
それも観光牧場でなく、リアルな生活と結びついている生産牧場で。
環境問題、動物福祉問題への取り組みなど、牧場経営のコンセプトを通じて、さりげにいろいろ勉強でき、新しいライフスタイル、これからの哲学を考えるきっかけにもなると思います。
乳しぼりをはじめ、毎週のように何らかのイベントが開かれ、牛さんをはじめ動物たちに触れあえます。
いつでもオープンなので、ぶらっと覗きに来るだけでもいい。
子供たちには超おすすめ。お年寄りにも楽しい。
ちょっと凹んでいる人、メンタルを病んでいる人も心のケアができるのではないかな。
直売所もあって、おいしいアイスクリームやプリンやヨーグルトも食べられますよ。
興味のある人はホームページやフェイスブックもあるので検索してみてください。
下の妹が飼っているチワワのハナちゃんとは、たぶん2年ぶりくらいのご対面。
前に会ったのはチビ犬の頃だったけど、ちょっとの間、くんくん嗅ぎ回って「あ、知ってる知ってる」と思ったのか、尻尾をフリフリしてくれた。
抱き上げても安心安心。僕のにおいを憶えていてくれてありがとう。
人間の子どももいろいろ情報を詰め込まれる前は嗅覚がするどい。
一度嗅いだにおいは絶対忘れない。
自分自身のことを考えてみると、視覚や聴覚では憶えていなくても、においというか空気感で憶えていることがいっぱいある。
親はもちろんだけど、周りにいる大人たちはそれぞれ独特のにおいを持っていたような気がする。
におうと言うと何だか臭くて嫌われそうな気がするが、完全ににおいを消し去ると、その人は透明人間になって、見えていても誰にも気づかない存在になる。
忍者やスパイになるならいいかも知れない。
大人になると鼻が利かなくなって、というか、においを感じる脳の部分が鈍くなって、刺激の強いものしかキャッチできなくなるようだ。
なので少しは意識してにおいを嗅ぐ練習をしたほうがいいのかもしれない。
基本はやっぱり食事。
テレビやスマホを見ながらめしを食わないこと。
そして手料理を楽しむこと。
最近はそんなものより出来合いの料理の方がよっぽどうまいと言う人も多いけど、手料理にはその家・その人独自のにおい・風味がついている。
それを知っているのと知らないのとでは随分ちがうんじゃないかな。
自分が自分である基礎とか土台みたいなものは、そういう些細な目に見えないもので出来ているのではないかと思う。
そうだよね、ハナちゃん。
父も母も昭和ヒトケタ生まれ。貧乏人の子沢山でそれぞれ8人兄弟だ。
ぼくが生まれる前に死んでしまった人を除き、そのきょうだい、および、その伴侶の全部はしっかり顔や言動を憶えている。
僕が子供の頃は行き来が盛んだったので、みんなインプットしている。
しかし、9年前に父が亡くなったのをきっかけに、毎年バタバタと後を追うように亡くなり、大半がいなくなった。
今年もまたひとり、先日、ヨリコ叔母さんが亡くなったと聞いた。
母方は女系家族で8人のうち、7番目までが女で末っ子だけが男。
ヨリコ叔母さんは7番目。つまり7姉妹のいちばん下の妹だ。
幼稚園の時だったと思うが、結婚式に出た記憶がある。
きれいなお嫁さんで、チビだったぼくを可愛がってくれた。
そのチビの目から見ても、なんだかとてもかわいい人だった。
6人も姉がいて、4番目の母(母は双子の妹)とさえ12歳違う。
いちばん上のお姉さんとは16歳以上違うはずだ。
なのでほとんどは姉というよりチーママみたいなものだ。
母もよく子守をしたというし、日替わりでみんなが面倒を見てくれていたようだ。
母の家はお父さん(僕の母方の祖父)が早く亡くなったので、女が協力して貧乏暮らしからぬけ出そうとがんばってきた。
でもヨリコ叔母さんは小さかったので、そうした苦労が身に沁みず、物心ついたのは、お母さんやお姉さんたちのがんばりのおかげで暮らし向きも上がってきた頃だった。
そうした中で一家のアイドルとして可愛がられて育った。
そうした成育歴はくっきり刻まれ、そのせいで彼女は、ほかの姉妹らの下町の母ちゃん風の雰囲気とは違う、お嬢さん風の雰囲気を持っていた。
だから、おとなになってもどことなくかわいいし、ちょっと天然も入っていた。
最後に会ったのは父の葬儀の時。
さすがに外見はそろそろばあちゃんっぽくなっていたが、中身はほとんど変わっておらず、ぼくをつかまえて
「せいちゃん、大きくなったねー」と言った。
50間近の男に向かって大きくなったねーはないもんだけど、そう笑顔で屈託なく声を掛けられるとすごく和んでしまった。
その時の会話が最後の印象として残ることになった。
叔母とはいえ、中学生以降はめったに会うこともなかったので、彼女がどんな人生を送っていたのはわからない。
もちろん少しは苦労もあったと思うけど、べつだんお金持ちではないにせよ旦那さんは真面目で優しくユーモアもある人だったし、特に悪い話も聞かなかった。
嬉しそうに小さい孫娘の面倒を見ていたのも印象的だった。
たぶん美化しているし、これは僕の勝手な想像であり願いだけど、おそらくそれなりに幸せに過ごしてきたのだろう。
不幸な目に遭ったり、理不尽な苦労を強いられたり、他人にあくどく利用されたり、自分の欲に振り回されたり・・・
人生の中のそんな巡りあわせで、人間は簡単に歪んでしまう。
でも、できるだけそうしたものに心を損なわれないで、ヨリコ叔母さんのようにかわいい人にはいくつになっても、ずっと素直にかわいくいてほしいなぁと願ってやまない。
今回の名古屋(愛知)ツアーでは、里山の概念を農業と組み合わせ、インターネットを利用して事業化するプロジェクトを掲げる人を取材しました。
彼は2002年生まれ。16歳の高校生。
田園地帯で植物や昆虫に親しみ、かたやインターネットに親しみながら育った彼は、資本主義発展拡大病の時代に育ったぼくたちの世代とはまったく違うセンスを生まれながらに持っているようです。
「里山」という概念が今、世の中に浸透しつつあります。
里山はごく簡単に言うと、自然環境と人間の生活圏の交流地帯。そのベストバランスを保つ、あるいは破壊したものを再生するという考え方を表現する言葉でもあります。
人間が生活できなくてはならないので、当然そこには経済活動も含まれるし、伝統工芸・伝統芸能といった文化芸術や民俗学系の学問も含まれるのではないかと思います。
「人間が手を入れた自然」と言い換えることもできるでしょう。
また、それらを包括する懐かしいとか、愛おしいとかいった心象風景もその概念の中に入ってくるでしょう。
人間のあり方・生き方を問い直す哲学も含まれているのかも知れません。
日本独自のものかと思っていたら、他国にも通用し、国際的にも理解が進んでいる概念で、よく言われる「持続可能」な社会にSATOYAMAは不可欠とされているようです。
そういう意味では、過去200年、世界を席巻し、地球を支配してきた工業化・資本主義化の流れに対するカウンターとも言えます。
高校生の彼には野外でのインタビューを考えていましたが、あいにくの雨のためはやむを得ず、岡崎市内の「コメダ珈琲店」で敢行。コーヒーと、コメダ名物「シロノワール」を食べながらの取材になりました。
彼は子供のころから自由研究などを通じて里山について学び、中学生のころから戦略的にプロジェクト化を画策。近所の農家の人たちなどはもとより、自分で電話やメールで東大・京大などの教授・学者に頼み込み、取材に出かけたといいます。
現在はいわばサークル的なノリで同級生やネット上の仲間が集まり、大人の支援者もいますが、まだ実務のできるスタッフがいない状況。
コンセプトは決まっているので、まずネットを通じての「ブランド化」に力を注いでいきたいとのことでした。
僕としてはこうしたことを本気で考え、事業化に取り組んでいる若僧がいるというだけで十分心を動かされました。
彼のことは来月、「マイナビ農業」でUPしますが、興味のある方は「里山農業プロジェクト」で検索してみてください。
「こんなやわらきゃー、水っぽい鶏はいかんわ。むかしのかしわはまっと歯ごたえがあってうまかったでよー」
こんな軟らかい、水っぽい鶏はダメだ。昔のかしわ(鶏肉)はもっと歯ごたえがあっておいしかった、という声を受けて、一時期、市場から消滅した名古屋コーチンが、日本を代表する地鶏として見事復活を果たした物語を探るべく、今回は「マイナビ農業」で名古屋取材を敢行しました。
市内にある「名古屋コーチン協会」で話を聞いた後、名古屋コーチン発祥の地である小牧市へ。
明治の初め、この地に養鶏場を開いた元士族の海部兄弟が、地元の鶏と、中国(当時、清)から輸入したコーチンという鶏を掛け合わせてできたのが名古屋コーチンです。
「だもんだで、まっとそのことを宣伝せんといかんわ。日本が誇れる名物だでよう」
ということで昨年(2017年)、名鉄・小牧駅前にはコケー!と、おしどり夫婦(?)の名古屋コーチンのモニュメントが立ったと聞き、駅について改札を出たところ、出口が左右に分かれている。
どっちだろう? と迷ったとき、すぐ目の前で駅員さんが掲示板を直す作業をしているので、尋ねてみました。
「あのー、名古屋コーチンの像はどっちの出口にあるんでしょうか?」
駅員さん、けだるそうに振り向き、ぼくの顔を一瞥。さらに一呼吸おいて
「左の階段を下りてって、右に曲がってずっとまっすぐ行ったところに市の出張所がありますで、そこで聞いてちょーだゃー。それはうちの管轄でないもんで」
?????
駅前って聞いたけど、そんな分かりづらいところにあるのかなぁ・・・と思いつつ、左の階段を降りると、なんと、その目の前にコーチン像があるではないか。
?????
まさかあの駅員さんはこれを知らなかったのだろうか?
それとも上司に、責任問題が発生するから、鉄道のこと以外は聞かれても答えるなと言われていたのだろうか?
それとも奥さんと何かあったとか家庭の悩みでも抱えているからなのか?
あるいはたんに鶏が嫌いで、コーチンお話なんかのしたくなかったのか?
たくさんの疑問に駆られながらも、前に進まなくてはなりません。
海部養鶏場(跡地)にはどういけばいいのか。
ちょうど目の前に観光案内所があったので入ってみました。
平日ということもあってお客は皆無。
ぱっと見た目、アラサーぐらいの女の子がひとりで机に向かって、わりとのんびりした感じで書類の整理みたいなことをやっています。
そいえば時刻はちょうどランチタイムでした。
「あのー、海部養鶏場跡地に行きたいんです」
「え、何です?」
「海部養鶏場です。カイフ兄弟。名古屋コーチンの」
「あ、ああ、ああ、名古屋コーチンのね」
「たしか池ノ内というところなんですが・・。歩きじゃちょっと無理ですよね」
「ええと。そうだと思います。ちょっとお待ちくださいねー」
と、アラサーの女性はあちこち地図やらパンフやらをひっくり返し始めました。
市の観光スポットの一つに加えられたらしいと聞いていたので、即座に答えが返ってくるものと想定していた僕は思わぬ展開にちょっとびっくり。
その女の子は一人じゃだめだと思ったのか、奥に入っておじさんを引っ張り出してきて、ふたりでああだこうだと大騒ぎで調べ始めたのです。
お昼の平和でゆったりとした時間を邪魔してしまったようで申し訳ないなと恐縮しつつ、実はなんか面白いなと思いつつ待っていたら、もう一人、お昼を早めに済ませて戻ってきたおにいちゃんが加わって3人で合同会議。
それで出てきた結論が「タクシーで行ったら?」というもの。
べつにタクシーを使うお金がないわけじゃないけど、アポがあるわけじゃなし、急いでいるわけじゃないし、第一ここまで大騒ぎしたのに、それなら最初からタクシーに乗ってるよ、バスとかないんですか? 地元の人といっしょにバスに乗ると楽しいいんですよと言うと、バスルートと時刻表を調べて、やっと案内が完了しました。
この間、約20分。効率主義、生産性アップが叫ばれる世の中で、このまったり感はどうだ。急いでいたら頭にきてたかもしれないけど、旅というのはこうやって余裕を持って楽しむものだ、と改めて教えてもらった気がしました。
考えさせられる不思議な駅員さんといい、まったりした観光案内所といい、皮肉でなく、おかげで楽しい旅になりました。小牧の皆さん、ありがとう。
●リバーズ・エッジ:トラウマになった漫画を映画で観る
岡崎京子の漫画「リバーズ・エッジ」は僕のトラウマになっている。
この漫画に出会った1990年代前半、僕はとっくに30を超えていた。
心のコアの部分を防御するシールドもしっかり出来上がっていたのにも関わらず、ティーンエイジャーを描いたこの漫画は、シールドに穴をあけて肌に食い込んできた。
先日書いた大友克洋の「AKIRA」が世紀末時代の象徴なら、「リバーズ・エッジ」は、その the Day Afte rの象徴だ。
リバーズ・エッジ(川の淵)は流れの淀みであり、尋常ではない閉塞感・荒涼感・空虚感に包まれた繁栄の廃墟だった。
子供たちの残酷で不気味で鬱々としたストーリーと、ポップでシンプルな絵柄との組み合わせが劇的な効果を生み出し、ページをめくるごとにますます深くめり込んでくる。
自分自身は仕事も順調で結婚もした頃。
こんな胸が悪くなるようなものにそうそう関わり合っていられないと2~3度読んで古本屋に売ってしまった。
けれども衝撃から受けた傷は深く心臓まで届いていた。
映画化されたことは全然知らなかったのだが、先週、渋谷の公園通りを歩いていて、偶然、映画館の前の、二階堂ふみと吉沢亮の2ショットのポスターに出会ってしまった。ふみちゃんに「観ろ」と言われているようだった。
原作に惚れた彼女自ら行定勲監督に頼んで映画化が実現したらしい。
映画は原作をリスペクトし、ほぼ忠実に再現している。
その姿勢も良いが、何よりもこの漫画が発表された四半世紀前は、まだこの世に生まれてもいなっかった俳優たちが、すごくみずみずしくて良かった。
暴力でしか自己表現できない観音崎くん、
セックスの相手としてしか自分の価値が認められないルミちゃん、
食って食ってゲロ吐きまくりモデルとして活躍するこずえちゃん、
嫉妬に狂って放火・焼身自殺を図るカンナちゃん、
河原の死体を僕の宝物だと言う山田くん、
そしてそれらを全部受け止める主人公のハルナちゃん。
みんなその歪み具合をすごくリアルに演じ、存在感を放っている。
最近の若い俳優さんは、漫画のキャラクターを演じることに長けているようだ。
原作にない要素としては、この6人の登場人物のインタビューが随所に差しはさまれる。
この演出もそれぞれのプロフィールと物語のテーマをより鮮明にしていてよかった。
でも映画を観たからといって、何かカタルシスがあるわけでも、もちろん何か答が受け取れるわけではない。
四半世紀経っても、僕たちはまだ河原の藪の中を歩いている。
そして二階堂ふみが言うように、このリバーズ・エッジの感覚は彼女らの世代――僕たちの子どもの世代もシェアできるものになっている。
そのうち僕は疲れ果ててこのリバーズ・エッジで倒れ、そのまま死体となって転がって、あとからやってきた子供たちに
「おれは死んでいるけど、おまえたちは確かに生きている」と勇気づけたりするのかもしれない。
そんなことを夢想させるトラウマ。やっぱり死ぬまで残りそうだ。
齢を取ってくると昼寝が楽しみの一つになります。
以前は時間がもったいないなぁと思っていましたが、たとえ僅かな時間でも体を横にして休むと、もう調子が段違い平行棒。
その後の仕事の効率、クオリティを考えたら寝るに限る、休むに限る。
しかし、会社のオフィスではなかなかこうはいかないでしょう。
こういう時は自宅でやっているフリーランスで本当によかった~と思います。
ただちょっと困るのが夢を見ちゃったとき。
いや、夢を見るのはこれまた楽しいのですが、その夢の記憶が現実のものとごっちゃになることがあるのです。
この間、通っていた学校を探そうと現地に行ってみると、迷宮に迷い込んだように、いくら歩き回っても見つからない。
それで思い出したのが「移転した」という情報を耳にしたこと。
それで、ああ、移転したんだっけと思い込んでしまったのです。
ところが、あとでネットで調べてみると、改装はしているものの、ちゃんと同じ住所に存在しているではないか!
確かに聞いていた移転情報。あれはいったい・・・
と考えてみると、それはいつかの夢の記憶だったのです。
あちゃ~、いよいよボケが始まったぁ。
夢と現実がひとつながりになった次元へ、とうとう足を踏み入れてしまったのかも知れません。
でもまぁいいや、気持ちよく昼寝できれば。
というわけで、今後、僕の発信する情報が現実の出来事なのか、夢の中の記憶なのかは、読んでいるあなたの判断におまかせします。
ではお休みなさい。ZZZ。
きょうは確定申告の最終日でしたが、先週会ったお友だちの会計士さんは締切間近でストレス満載の様子でした。
その彼がぼそっとつぶやいたセリフが
「現物支給でも、永遠に続けばいいんだけど」
え、まさか現物支給の報酬で会計を?
そういえば、半年前に会った時は、つぶれそうな食品会社の経理を請負っているとか言ってたけど・・・。
追及するのはやめときましたが、「永遠の現物支給」という言葉が頭に残ったので、それについて考えてみました。
何でもお金の世の中で、ちょっとした贈り物も、冠婚葬祭の引き出物も、現金・カード・商品券などが喜ばれます。
そうした風潮の中で現物支給――それも1回2回こっきりじゃなくて、毎月ずーっと支給が続くとしたら、何がもらえたら嬉しいだろうと考えると・・・
やっぱり食べ物ですね。
会計士さん、食品会社でよかった。
なに、よくない?
缶詰、レトルト、乾物、冷凍食品・・・
そんなもの1か月分もらうと嵩張るし、置き場所に苦労する。
それに毎日食べたくない。
かといって生鮮食品は日持ちしないし・・・
と考えていくと、ベストはお米だ!
お米なら毎日食べられるい、真夏でも1カ月くらいなら保存も問題なし。
うちはひと月10キロ食べるけど、それくらいなら置き場所にも困らない。
ついこの間、イベントの仕事「五つ星お米マイスターのおいしいお米講座」でお米の食べ比べをやったけど、毎月ちがう品種のお米を支給してもらえれば、いろんなのが試食出来て、ますます楽しい。
――と話すと、そこは会計士さん、チャチャっと数字に置き換えて、
「1カ月10キロ、平均5000円として1年で6万円。10年で60万円。17年しないと100万円超えませんよ。安すぎる~。お金でもらわなきゃだめだ~」
なるほど。お金にすると確かに安い。
でもね、お金がなくても、死ぬまでごはんだけは間違いなく食べられるという安心感は何物にも代えがたいのではないでしょうか。
1カ月のギャラ・給料が5000円と考えると、わびしくみじめになるけど、今月も10キロのお米がいただけると考えると、なんだか豊かな気持ちになってくる。
ましてやそれが永遠に続くとなると、穏やかな晴天が心の中に広がってくる。
うんこれなら悪くないぞ、永遠の現物支給。
農家さんとか、お米屋さんとか、JAさんとかの仕事なら、そんな契約を結んでもOKかも。
会計士さんは嫌だというけど、あなたならどうですか?
渋谷パルコの建て替え工事現場の囲いに大友克洋のマンガ「AKIRA」が描かれている。
この大きさだとすごい迫力。そして、内側の解体されたビルの風景が、「AKIRA」の世界観と符合して、リアルで巨大なアートになっている。
人通りの多い公園通りだけにアピール度は抜群だ。
最近あまり渋谷に行かないので知らなかったけど、このアートワークが搭乗したのはすでに昨年(2017年)5月半ばのこと。ネットでいろいろ話題になっていたらしい。
というのも「AKIRA」の舞台は2019年の「ネオ東京」。翌2020年にはそのものずばり「東京オリンピック」が開催される予定・・・という設定。
その中で抑圧された若者たちをい中心に超能力バトルが繰り広げられ、ネオ東京が崩壊していくというストーリー展開なのだ。
というわけで「AKIRA」をパネルにしたパルコはオリンピック開催に異議を申し立てているのではないかという憶測が飛び交ったが、当のパルコ側は、さすがにそれは否定したという。
僕が思うに、おそらく渋谷の街の再生劇のメタファーとして、かのマンガを用いたのだろう。それも「西武・パルコの渋谷」の。
「AKIRA」が連載され、映画化され、一種の社会現象にまでなったのは1980年代のバブル上り坂の頃で、パルコの黄金時代、西武・セゾングループカルチャーの最盛期とぴったり重なる。
一時は東急グループと渋谷の覇権を二分していた西武・セゾンにとって、昨今の東急の圧倒的な大改造計画に一矢でも報いたいという思いで、「AKIRA」を持ち出してきたのではないかと思われる。
あの頃は経済の繁栄と裏腹に「近未来」「世紀末」という言葉が跳梁跋扈した。
「AKIRA」はその象徴と言える作品だった。
この繁栄・この豊かさはインチキなのではないか、まがいものではないのか。
そんな違和感が当時の若者たちの心の中にトゲのように突き刺さっていた。
そんな違和感によって支えられ、膨れ上がった「AKIRA」のような作品世界が、好景気で沸き返る、どこかうそくさい日常世界とのバランスを取っていたのかも知れない。
その状況は終わったわけでなく、実はもう30年以上も続いている。
だからなのか、現代の渋谷に「AKIRA」が出現することに時代遅れ感どころか、ベストマッチ感さえ感じてしまう。
「世紀末」が過ぎても、東京の街は崩壊していない。
終わりのない日常がダラダラと続き、僕たちはズルズルと前の時代の太い尻尾を引きずりながら、時には波に呑まれて漂流しながら前に進もうとしている。
もうすぐ現実世界が「AKIRA」の近未来世界を追い越していく。
今日は何の予告もなく、クール宅急便で「きりたんぽ鍋セット」が送られてきてびっくり。
仕事をいただいている秋田の方からサプライズの贈り物です。
これまでメールでしかやりとりしていなかったんだけど、そういえばこの間、住所を聞かれたので、紙にした資料を送ってくるのかなと思ってたら・・・どうもごちそうさまです。
ちょうど今夜は家族が揃っていたので、早速いただきました。
肉も野菜も一式入っていて比内地鶏のスープ付き。あったまりました。
秋田県は、かなり昔に大潟村(かつての大干拓地・八郎潟にある村)の干拓資料館の仕事をやりましたが、それ以来の仕事。
来週は名古屋コーチンの取材で名古屋に行きますが、いずれ比内地鶏も取材したいです。
10日(土)・11日(日)の二日間、渋谷のNHKの敷地で「にっぽんの食・ふるさとの食」のイベント開催。JA全中ブースで「五つ星お米マイスター・小池理雄のおいしいお米講座:絶品ごはんの食べくらべ」をやり、台本と演出を担当しました。
原宿の米屋・小池さんの作った「お米の通知表」を参考に、岩手・宮城・福島・福岡、各地産の4種類のブランド米を食べ比べ、その品種を当てる、クイズ形式のワークショップです。
五つ星お米マイスターとしてメディアから引っ張りだこ、講師としても大活躍の小池さんですが、この二日間の受講生(1ステージにつき35人ほど)は、ぜひ「参加したくて来ているというよりも、ここに一休みに来たり、冷やかしに来たり、ただ単にごはんが食べられるからという理由で入ってきたた一般大衆。ぶっちゃけ、まじめにお米のことが知りたいと思っている人は1割、2割しかいません。講師にとっては最も手ごわい相手です。
二日間で4ステージにありましたが、1日目の参加者の反応を見て、その夜、台本を書き直し、2日目は大きく違う構成でやってみました。
ちなみに30分の台本のセリフ部分はほとんどMC(司会)用で、それに応じながら小池さんが自由にトークを展開していくというつくりです。
イベントはまさしく生ものなので、その時の参加者の発するSomethingによって1回目も2回目も3回目も4回目も、まったく違ったステージになります。
これが正解、これが完成という形はなく、きっちりできたのに反響が薄い場合もあれば、グダグダになっても大ウケという場合もあります。
もちろんグダグダでいいというわけにはいきませんが、面白いものです。
それにしても、その場に応じて自由自在にセリフを変えられる小池さんのお米ボキャブラリー宇宙は素晴らしい。
ますますこなれて星雲のように年々膨らんでいます。
おなじみ階段シリーズ。
うちは1階が「野の花鍼灸院」という鍼灸院になっています。
カミさんが小児鍼のエキスパートなので、女性と子供を診ています。
で、毎日、いろんな子供が来るのだけど、玄関を入ってすぐある階段にどうしても目が行ってしまう。
特に好奇心旺盛で冒険好きの幼児には、たまらない魅力なのでしょう。
もちろん進入禁止で、連れてきたお母さんは「怖いおじさんがいるのよ」なんて脅すのだけど、ある年齢を過ぎると、そんな脅し文句などヘのカッパになる。
好奇心が抑えられず、のこのこ上ってくる子もいるのです。
今日来た4歳児のショウちゃんもその一人で、お母さんとカミさんの制止を振り切り、階段を登り切ってパソコンやってた僕の背中に話しかけてきたので、ニヤッと笑って振り返ったら、むこもニコッ。 下からは「ショウちゃん!降りてきなさい」と呼ぶ声が。
なので、ぺちっとハイタッチをしたら満足したように引き上げていきました。
本日の冒険、おわり。
あとから聞いたら、怖いおじさんなんていないよ~。やさしいおじさんだよ~って言っていたようだ。
うーん、これに味をしめてまた上がって来るかも。
今度はオバケのお面でもつけてふり返ってやろうか。
でも、あんまり怖がらせ過ぎてもなぁ~。
好奇心・冒険心は子供の宝物ですから。
侵入されてもいいように、ちょっとは二階をちゃんと片付けて掃除しておかないとね。
ミケランジェロは石の中にダビデの像を見出し、解放したと言われています。
そのダビデ象という「ヴィジョン」は最初から彼の中に存在していた。
そして石と向き合うことでそれを見ることが出来た。
芸術家として自分が何をするべきか分かった。あとは手を動かすだけ。
これは芸術家に限らず、誰にでも起こりうることなのだと思います。
誰もが自分が人生の中でしたいこと・すべきことはちゃんと持っていて、本能的に認知している。それは人生のいたるところで、日常生活のあちこちで顔をのぞかせる。
けれども僕らはそれを取るに足らないこと、おかしなエゴが作り出す妄想だとして処理してしまう。
この忙しいのに、そんなことに関わっているヒマはない、と。
だから何となく分かっているのにそれははっきり見えない。
そして見えたとしてもそれを実行しようとはしない。
なぜならほとんどの場合、それは社会的必要性が認められない、人々が求めていることに応えられない、早い話、そんなことをしたって「食えない」。
そういう事情があるからでしょう。
なので、ますますその内在するものを見ようとしない。
見るのを怖れ、目をそらしてしまうし、もちろんやろうとしない。
その結果、不満だらけの人生が世の中に蔓延することになります。
これはきっと人生の途上で、立ち止まって考えてみるべき課題なのだと思います。
ミケランジェロのダビデのように、芸術家じゃなくてもあなたにはあなたが創るべきもの、やるべきことがある。
そう静かに思いを巡らせると、「あれがそうだ」と人生のどこかで見たサインを再発見できるかも知れない。
深い海の底から、ぽっかりと浮かび上がってくるかも知れない。
あなたの中に何があるのか、することは何か、まず見つけ出す冒険。
そして、それをやり始める冒険。
その少女は一人暮らしの老人と友達になった。
老人は近隣から奇異な目で見られている。
彼は特殊な能力を持っており、それで人助けをしたりもするのだが、普通の人たちにはそれが気味悪く映る。
だから少女にも、あの老人の家へ行くな、近寄るなと言う。
両親にとってもそれは家族の一大事と受け取られていた。
少女はなぜその老人にひかれるのか?
老人の語る宇宙の話、昔の話、妄想のような話が好きなのだ。
彼女は老人がじつは宇宙人で、永年地球で過ごし、近いうちに故郷の星へ帰ろうとしているのではないかと思っている。
老人には少女以外にもう一人だけ訪ねてくる人がいる。
それは彼の身元保証人だ。
老人はちゃんとお金を払ってその会社と契約し、自分の死後の後始末をつけてくれるよう段取りしている。
彼は宇宙人なんかではない、まっとうな人生を歩んで齢を取り、社会人として最期まで人に迷惑をかけずに人生を終えようと考えている、普通のおじいさんなのだ。
そうした現実を知っても、少女は彼がやっぱり本当は宇宙人なのではないかと疑念をぬぐえない。
彼女はしだいに何とか老人の秘密を探りたいと考えるようになる。
しかし、そんな彼女の行動を心配した両親は、それ以上、老人に近づくことを許さず、彼女を学習塾のトレーニング合宿に送り込んでしまう。
数日を経て帰ってきた少女は両親の目を盗み、再び老人に会いに行くが、彼は呼び鈴を押しても出てこない。と同時に何か気になる匂いがする。
彼女は身元保証人を電話で呼び、家の中に入る。
そこには布団の中で孤独死した老人の遺体が横たわっていた。
少女には老人が物理的に死んだことは分かったが、地球から消滅したとは映らない。
彼女は遺体を運ぶ人たちが到着するまでの間、その老人――「星のおじい様」の時間軸に入り込み、孤独なエイリアンとして、奇妙な冒険に出掛ける。
一人暮らしの高齢者というと、最近はすぐに「孤独死」が連想され、何やらくら~いイメージがつきまとう。
そうでなければ、家族がなく、身寄りがなく、孤独で可哀そうとか、同情される。
いずれにしてもネガティブなイメージであることに変わりない。
でも本当にそうなのだろうか?
彼らはけっこう孤独を楽しんでいるのではないか。
本当にいっしょにいたいと思う家族ならいいけど、ただ同じ屋根の下にいるだけ、同じ空気を吸っているだけの家族なんて鬱陶しいと思ったりしていないのだろうか?
血が繋がっていたって形だけの家族はいっぱいいる。
財産などをあてにしてすり寄ってくる家族や親族なんかに、あれこれ気を遣ってもらったって不愉快なだけ。
メディアの「家族は素晴らしい」「家族がいないと気の毒だ」といった大合唱もなんだか胡散臭いね。
それよりも最期まで一人でやっていく、という気概のある生き方をを見せるほうがいい。
あるいは、血縁にこだわらない、常識にとらわれない、損得勘定抜きの、心の深いところで繋がり合える人たちとの暮らし。
齢を取ったからこそ、そうした自由や愛情に満ちたものを優先できるという面もある。
幸いにも、そうした人たちをサポートするセーフティネットはあちこちにでき始めているようだ。
「家族の絆」という美名のもとに隠した損得勘定や惰性的な繋がりよりも、自分の意思に基づいて生き、死ぬ「個の尊厳」を優先する時代がすぐそこまで来ている。
元来、コアラとかナマケモノ体質で、自分のペースで動けないと調子悪くなっちゃうので、効率悪いことこの上なし。
ヘタにビジネス書など読んで勉強して、時間を有効活用しようなんて意識すると、なんだかイライラしてきて、自分が今何をやっているんだか分からなくなってきます。
とは言え、仕事をする以上、そんなこともいっていられない。
相手のペースに合わせなきゃいけない場合もある。
そんな時、最近、心がけているのが「時間ののりしろ」を作ることです。
自分のペースでOKの時間帯と、相手に合わせる必要のある時間帯。
この2種類のカテゴリーの時間帯が、ポンとカットで繋がると脳の切り替えがうまくできない場合があり、気持ちの負担も大きいので疲れます。
やっぱリカットつなぎでなく、オーバーラップさせたほうがショックが和らげられる。
なので、相手に合わせる時間帯に入るときは脳が自然に準備できるよう、「のりしろ時間」を作るようにしています。
具体的に言うと、打ち合わせ、取材などの時は約束の時間より30分早く行って、その現場周辺の空気を吸っておくようにするのです。
そうするとリラックスして、少しはその環境に入り込みやすくなります。
つまり100%アウェイの空気でなく、10~20%くらいはホームの空気をまぜるようにする。
するとある程度リラックスして、よりよいパフォーマンスが期待できます。
昨日は思いのほか早く着いたので、待ち時間に近所の神社で、ぼやーっと木などを眺めて、ああ鳥の巣がある、何の鳥だろう。まだ作っている最中かなぁ・・・と思ったり、ネコの家族が来て日向で遊び出したりするのを見ていました。
仕事の役に立つだけじゃなく、ちょっとおまけみたいなものを拾ってトクした気分になります。 もしかしたらそんなどうでもいいことが、あなたの人生を救ったりするかもしれません。
スケジュールぱんぱんにして毎日アクセクしちゃうと、ほんと疲れますから。
八王子市の児童館で、子供たちが乳しぼり体験。
マイナビ農業の取材で、八王子界隈の酪農家の仲間たちがボランティアで提供しているイベントを見学してきました。
でっかい開閉式トラックに牛を乗せて、そこに上って子供たちが搾乳するというやり方。総勢5人の酪農家さんたちがお世話をします。
まったくこういうシステムを想像していなかったのでびっくりしました。
このお乳パンパンの牛さんはマーガレットちゃん7歳。
マーガレットちゃんの乳しぼりに挑戦するのは、幼稚園前の幼児クラス(+そのきょうだい)なので2歳児中心。たぶんその子たちの目から見たら、牛さんはゾウさん、いやもしかしたら怪獣並みの大きさだ。
そりゃこわいに決まってる。
勇気を出してぎゅっとつかめればいいのだけど、おそるおそるおっぱいに触るので、「なにやってんのよ、モ~」って、穏健温和なマーガレットちゃんもバフォンと荒っぽく鼻息をして体を揺する。
すると、もうだめです。大半の子がこわがって泣き出す始末です。
お父さん・お母さん、「うちの子は情けない」なんて言わないで。
だいじょうぶ。 一度は失敗・撤退したほうがいい。
また大きくなった時、トライしたら今度はできるから。
最初からすんなりうまくできちゃうより、やったぜ感、リベンジできた感があって、自分は成長しているんだと実感できる。
そのほうが却って自信になるんです。
子供時代はまだ長い。
人生はもっとずーっと長い。
幼稚園・保育園で、小学校で、またトライして、こんどはマーガレットちゃんのおっぱい、いっぱい搾ってね~。
わたしを思い出の場所に連れてって――
そんな末期患者の願いをかなえるのが「ラストドライブ」。
この数年、ヨーロッパで静かに広がってきた、いわゆる終活支援です。
昨年夏、ドイツでの事例を取材したドキュメンタリー番組がNHK-BSで放送されました。たまたまそれを見て感想をブログに書いたら、その時だけアクセス数が5倍くらいに跳ね上がってびっくりしました。けっこう関心の高い人が多いようです。
じつは今年から日本でもこれと同様の終活支援サービスが始まりつつあります。
さいたま市の「タウ」という会社がCSR(社会貢献事業)として始めた「願いの車」がそれ。余命少なく、一人では外出困難な患者を希望の場所に無料送迎するというものです。
タウは事故車の買い取り・販売を手掛ける会社で、社長がかの番組に心を揺すられ、「自分たちも車を扱う仕事をしているので」と、立ち上げました。
当面は近隣の病院やホスピスに声をかけて説明し、希望者を募るというやり方で進めていくそうです。
あらかじめ民間救急会社と提携しており、車両は酸素ボンベ、吸引機、自動体外式
除細動機(AED)などを装備した民間救急車を使用。外出には看護師やボランティアが同行。ただし外出は日帰りのみ。
主治医の了承と、家族の同意を得た上で送迎です。
僕は「月刊仏事」の記事を書くために電話で広報の方と話したのですが、この事業に誇りを持ち、かといって気負うこともなく、たいへん美しい応対だったことにも心惹かれました。
今後、提携先を県内の病院などに広げ、将来的には、活動に理解を示す企業からの協賛も。2019年には公益社団法人にして全国的活動を目指すそうです。
これも高齢化社会・多死化社会における一つの文化になり得るでしょう。 これからの展開が楽しみです。
今さらながら「スターウォーズ エピソード8 最後のジェダイ」。
2月のうちに書いてこうと思って、つい書きそびれていました。
あちこちでもうすっかりレビューも出尽くしていると思います。
まったく読んでいないので、世間的な評判はさっぱり分かりませんが、僕的にはかなり面白かった。
(特にこのシリーズの熱心なファンでないけど)全部見た中では、これが一番入り込めたな~と思いました。
率直な印象を言うと、かつてのスペースオペラ的な部分が薄まり、シェークスピア劇みたいに見えました。
世界政治とか抗争を含めた宇宙スケールの活劇だったはずが、なんだか家族ドラマみたいなスケールになってきた(これは批判ではありません)。
あくまで個人的な印象です。
実際には戦闘シーンは相変わらず多いし、チャンバラもあるし、絵作りも凝っているし、迫力もある。
そうしないと、スターウォーズブランドにならないからね。
ただ以前はそっちの方がストーリーを完全に凌駕していたのだけど、今回はドラマのほうが引き付けられる、ということ。
戦闘状況なんかを全部セリフで説明させてしまって、舞台劇にしたらいいんじゃないかと思ったくらい。
これまでのスターウォーズであまり魅力ある登場人物ってお目にかからなかった(ダースベイダーが悪役としてどうしてあんなに人気があるのか、さっぱりわからない)けど、若い二人の主人公――レイとカイロ・レンがはいい。
スターウォーズ過去40年の歴史というか、遺産というか、おっさんファンたちの降り積もった愛着やら怨念やらを背負わされても、最終的にそんなもの蹴っ飛ばして、カウンターのロングシュートでゴールを決めちゃいそうな「フォース」を感じます。
古いキャラクターはすべてこの二人の引き立て役ね。
いっそのことエピソード9は完全にオールドファンを裏切りまくって、戦闘シーンなしにしてしまったらどうだろう?
登場するのはレイとレンとBB-9(ロボット)だけとか。
ま、そんなのあり得ないはわかっているけど。
勝手にエピソード9の予測をすると、前回の3部作(エピソード1~3)は、史実(?)を変えるわけにはいかないので、主人公のアナキンがダークサイドに落ちてベイダーになってしまうという悲劇的ラストで後味が悪かった。
けど、今回の9は必ずやハッピーエンド、希望ある結末に持っていくでしょう。
なんといっても制作の大元はディズニーだし。
王道としてはレンの魂が救われ、レイと結ばれる・・・というのが落としどころだと思うけど、それだと単純すぎるかなぁ。
夏の食べ物と言えばスイカ。
他にもいろいろあるが、やはり圧倒的に迫力がちがう。
でかくて丸くて重い。
もしこれで大谷選手が時速160キロの剛速球を投げたら、
バットは確実にへし折られるだろう。
デッドボールを食らったら死ぬかもしれない。
それでいながら、丸くて色鮮やかでかわいい。
これほど夏に似合う食べ物もないだろう。
昭和の時代、スイカは子どものものだった。
大人は子どものおこぼれを預かっていた。
そうなのだ、スイカ食いの主役は子どもだ。
子どもが食べるから、スイカは楽しくて面白かった。
あのでかいやつをかち割って、
いとこたちと、近所のガキどもと、町内のクソガキどもと、
学校のバカどもと、みんなで分けて食った。
もちろん、家でも家族みんなで食った。
じいちゃんの記憶はほとんどないが、
なぜか真夏にいっしょにスイカを食っていたことは覚えている。
おじさんも、おばさんも、みんないてスイカを食った。
僕が生まれたのは、ひどくボロい借家だったが、
小さな内庭があって縁側があった。
その縁側から家族や友だちとタネ飛ばし競争をやった。
じいちゃんがタネを飛ばしていた映像が頭の片隅に残っている。
「スイカは英語で『タネプップー』にしましょう」
明日アメリカに行くというのに、
頭をぶつけて英語を忘れてしまった友人に
そう提案したのは、バカボンのパパである。
「天才バカボン」のマンガ家・赤塚不二夫は、
スイカに思い出やこだわりがあったらしく、
夏になるとマンガの中に必ずスイカが登場した。
その中で面白かったのが、「おそ松くん」などで
スイカの皮が紙のようにペラペラに薄くなるまで
食べるというやつである。
スイカをペラペラになるまで食う、というのは貧乏人の証だった。
「ほら、これ、あそこの家のスイカ」
「うわぁ、ぺっらぺら」
「ギャハハハ」
という会話で貧乏人を笑ってギャグが成立した。
その頃はみんな貧乏だったので、それでよかったのだ。
昭和の貧乏はあたたかくて楽しくて、
今となってはノスタルジーだ。
というわけで、僕はその赤塚ギャグが大好きで、
いとこや友達と「スイカペラペラ競争」をよくやった。
どっちがより薄くスイカを食べられるか競うのだ。
昔のスイカは、今のより皮が厚く、
白い皮の部分はぜんぜん味がない。
それでもひたすらかじりまくった。
そして笑った。
そういうばかばかしさがスイカにはよく似合った。
夏は子どものものだった。
まだ暑いことが、元気で楽しかった時代。
今、夏休みでも、昼間の公園に子供の姿は
ほとんど見当たらない。
これほどの猛暑、熱中症の危険があるからしかたがないが、
日本の夏もサマーがわりしてしまった。
でも、スイカは暑ければ暑いほど、甘くなるらしい。
明日から8月。スイカをいっぱい食べよう。
「旦那はお安く直葬でいいけど、
うちのわんちゃんのお葬式は
何百万円かけてもいいから盛大にやりたいわ」
そういう奥さんが増えているらしい。
半分冗談だと思うが、本音度はそう低くない。
家族だろうが恩師だろうが、知人友人だろうが、
とかく人間同士の関係は、
愛情以外のいろんな感情・打算・損得勘定、
その他、いろんなしがらみがまとわりつく。
それに比べてワンちゃん・ネコちゃん(その他ペット)
との関係は愛情100パーセント。
そして通常は、親である飼い主が、
子供である犬・猫の旅立ちを見送ることになるので、
そのお葬式は人間のものよりも相当感情的になるらしい。
府中にある慈恵院の「多摩犬猫霊園」は
100年の歴史を持つ霊園。
最近でこそ、多くの飼い主が
ちゃんとペットを弔うようになったが、
大正や昭和の貧しい時代にそんな需要があったのだろうか?
と訝っていたが、取材でお話を聴くと、
その頃からセレブな方はちゃんと
犬猫を手厚く弔っていたようだ。
皇族をはじめ、大企業経営者、政治家、芸能人・・・
知っている有名人の愛犬・愛猫のお墓も多い。
本堂、納骨堂、霊園、色々見せてもらったが圧巻のひとこと。
広大な境内に火葬場もちゃんと設備されている。
100年の歴史はだてじゃない。
最近はどこのお寺・葬儀社なども
ペット葬を手掛けるようになっているが、
その多くはこちらをお手本にしたいと、
見学や相談に訪れるという。
少なくとも東京で唯一、東日本で断トツの
ペット葬・ペット供養のメッカである。
しかし、セレブ御用達だから、めっちゃ高いかというと、
そうでもないので、わが子を手厚く弔いたいという人は、
知っておくといいかもしれない。
ペットが家族化し、人間より大事に弔われる風潮を
嘆く人、怒る人もいるかと思うが、
そういう人は、自分が周囲の人たちをどんな目で見て、
どう付き合っているのかを、もう一度、考え直し、
犬・猫みたいに愛情をもって接してもらいたければ、
振る舞いや考え方を変えたほうがいいかもしれない。
現代人は、人間同士の愛情に希望をなくしている。
でも愛情・人情べったりより、
ほどほどの距離感があったほうがいい場合もあるので、
何とも言えない。
とあるグループ企業のトップの方からご指名を受けて、
自叙伝を代筆することになった。
初対面でいろんな話を聴かせていただいたが、
昭和の起業家の話はやっぱり面白い。
僕の父もそうだったが、
戦後の復興期から高度経済成長の時代、
志を立て、ハングリー精神を持って
荒れ地を開拓するかの如く、突き進めたのは、
ある意味、幸福な時代だった。
昭和の社会は野蛮で闇も多かったは、その分、
シンプルに成功を、幸福を追求できたのだと思う。
そんな歴史をとどめて後進に伝えたいという思いを
抑えることができないというのだ。
高齢とは言え、聡明でダンディな方なので、
自己満足であることは、
おそらくご本人もわかっているのだろうと思う。
でも、人に迷惑をかけるものでない限り、
自己満足は徹底的に追求してほしい。
またまた仕事として、
昭和立志伝を書くチャンスをもらって、
暑さも吹っ飛ぶほど光栄だ。
音楽評論家の渋谷陽一さんが亡くなった。
雑誌「ロッキンオン」の編集長で、
ロックフェスのプロデューサーだったが、
僕の中では、若かりし頃の音楽ライター&DJの印象がほとんど。
僕がロックにハマったのは、
彼の文章やDJトークの影響が大きかったと思う。
1970年代の半ばから80年代初めごろまで、
彼の書く文章をむさぼるように読んでいた。
その頃はネットなど影も形もなく、
音楽を聴くうえで信頼できる情報は、
雑誌であり、レコードに入っているライナーノーツだった。
レッド・ツェッペリンのライナーノーツの文章は
今でも忘れられない。
なかでも印象的だったのが7枚目のアルバム「
プレゼンス」のライナーノーツ。
「ロックってやっぱりカッコいい。
レッド・ツェッペリンを聴くといつもそう思う」
と、何のてらいもなく書き放ち、
なぜ、ツェッペリンがそれほどカッコいいのか、
数あるバンドの中で特別なのかを、
アルバムタイトル「プレゼンス(存在)」と絡めて、
さらりと、しかし、力強く言語化していた。
わずか800字程度だったと思うが、
その文章がとんでもなくカッコよかった。
「プレゼンス」はツェッペリンの作品の中でも、
全体的にやや地味な印象のアルバムだが、
その渋谷さんのライナーノーツのおかげで、
ひときわ輝く存在になった。
キング・クリムゾンの「エピタフ」を社会批評の歌、
そして「レッド」をプログレでなくハードロック、
と最初に評したのも渋谷さん、
エマーソン・レイク&パーマーを
「70年代ロックの巨大な打ち上げ花火」
と言い表したのも渋谷さんだった。
渋谷さんひとりではないが、
当時の音楽ライターたちの文章は、ロックをただの音楽ではなく、
僕たちに必要なカルチャーに昇華させていた。
それらは間違いなく、僕らの精神を豊かにし、
現実と未来を生きていく糧になった。
彼が敬愛していたジミー・ペイジも、
ポール・マッカートニーも、
ミック・ジャガーも、まだ生きている。
彼が励まし続けた佐野元春もバリバリの新作を作っている。
ロックはまだ終わっていない、と信じたい。
渋谷陽一さんのご冥福をお祈りします。
昨日の夕方、参院選の期日前投票に行ったら大混雑。
連休なので前日のうちに投票を済ませて、
日・月はお出かけしようという人が多いのかも。
選挙があるたびに「変わる」「変える」「変えよう」と、
捕手も革新もそろって連呼するが、
この30年、本質的なところは何も変わらなかった。
そしてちよっと変えてみたけど、全然うまくいかなかった。
(30年前の社会党、15年前の民主党)
さすがにそろそろ本気で変える・変わる潮目が来たのかな、
といった期待感だけはある。
消費税とともに外国人問題が争点となっているが、
僕は外国人も、AIも、ロボットも、
この先の日本には必要だと思う。
豊かになって精神的貴族が増えたこの国で、
昭和と変わらない考え方・やり方がまかり通るわけがない。
世界はこの先、あらゆるものがフラット化する。
どの国にいても同じ質の商品やサービスが手にでき、
ある程度のレベルの生活が保てるようになる。
そうなるには日本人だけではやっていけないし、
AIやロボットの助けがいる。
そんなわけで、変革のために
ちゃんと伝わる政策を掲げているれいわ新選組、
そして長期的には、
AIを駆使してやっていこうという可能性を秘めた
チームみらいに票を入れた。
新しい未来を感じられる結果が出ることを期待している。
6月からのひどい暑さにKOされてしまったが、
子どもたちはこれからやっと夏休みに入るところ。
なんだか夏休みパート1が終わって,
パート2の始まりという感じ。
もしかしたら9月以降にパート3もあるかもしれない。
大人になって久しいので、
もはや夏休みという言葉には郷愁しかない。
会社員になったことがないので、
お盆休みには無縁だし、
わざわざ混雑する時期に出かけることもなかった。
だから、自分の中で夏休みとは、子どもの夏休みのことである。
そんなわけで一度、夏休みをテーマにした話を書こうと思って、
何年も前から取り組んでいるのだが、なかなかできない。
去年の夏はザクザク進めて、こいつは行けそう
と思ったのだが、途中で止まってしまい、
そのまま、また長らくお休みしてしまった。
今年の夏、突破口を見つけてまた書き始めている。
この話のベースにしているのは、
小学校5年生の時に友だちと一緒に書いた
小説(のようなもの)である。
内容も登場人物もまったく違えているが、
自分の中ではあの小説を再現する感覚で書いている。
もちろん、そのノートは残っていない。
紙面が真っ黒に見えるほど、びっしり字で埋め尽くし、
あちこちにマンガみたいな挿絵を入れていたのは、
今でも目に浮かぶ。
大体のストーリーをはじめ、
キャラ設定や何がどうしたという展開も
けっこう記憶に残っており、
書いていくと、どんどんいろいろなことを思い出す。
ついでに小学校5・6年生の時の
クラスメートの顔や声も思い出す。
最近は小学校も高学年になると、
スクールカースト化が始まって、
子どもたちが階級で分断されていく、という。
そんな話を聴くと、いい気持ちはしない。
昔がよかったわけではないが、
少なくとも、そうした不幸な分断・選別が
当たり前みたいに語られることはなかった。
僕が子供の頃の学校では、
なんとなく仲がいい同士のグループはあったが、
みんな、グループ間を自由に行き来していた。
とくに5・6年生の時のクラスは
小中高のなかで最も好きなクラスで、
いろいろなやつがいて、毎日いろいろなことが起きて、
本当に面白かった。
それにしても10歳の頃に書いたものを
60歳を過ぎてまた書く気になるなんて
夢にも思っていなかった、
なんだか55年がかりで夏休みの宿題を
やっているような気がする。
秋風が吹いて涼しくなるころには完成させたい。
今年こそ。
参院選が近づいてきて、
「期日前投票行ってきました」
という投稿をチラホラ見かけるようになった。
消費税・給付金・社会保障・外国人問題・・・
争点はいろいろあるが、
一般の有権者にとっては、どうも各党の主張がわかりにくい。
これは今に始まったことでなく、
選挙があるたびに感じることだ。
選挙公報がある。
政見放送がある。
各党のホームページがある。
それはそうだろうし、そういうものちゃんと見て、
誰に、どの政党に投票するか、しっかり検討するのが、
まっとうな有権者だ。
という意見は、ごもっともだが、
現実問題、忙しい現代人がそこまでちゃんとやれるのか疑問だ。
もちろん、僕もちゃんとやれてない人の一人である。
それで面倒になって、SNSで流れてくる、
あそこがいい、あそこはだめといった情報、
それも感情的男・煽情的な情報を鵜呑みにしてしまう。
デマ情報にも簡単に踊らされてしまう。
そこでもっと活用すべきなのではないかと思うのが、
プロモーション動画である。
それも街頭演説を切り取ったようなものや、
ほんわかイメージだけのもの、
ただひたすら熱く語るだけのものではだめ。
その点、今回、感心したのは、
山本太郎率いる「れいわ新選組」のプロモ動画である。
データを明示して「だからこういう政策を取る」
ということを、テンポよく5分足らずで
論理的に、エンタメ的要素も入れて、しっかり見せている。
彼らの主張・政策がいいのかどうかは別の問題だが、
すごくわかりやすい。
今まで見た政治関係のプロモ動画のなかで
最もクオリティが高い。
どの党もこれくらいのクオリティの動画を作って
理念・政策を訴えるべきだ。
それで興味を覚えた人は、
選挙公報・政見放送・ホームページを当たれば良い。
動画の時代になっているのに、党の顔になるプロモ動画が、
わけのわからないへぼなものではお話にならない。
もう今回は間に合わないが、
今回のれいわのプロモ動画をお手本に、
どの党も、有権者の投票行動に結びつく、
ちゃんとしたプロモ動画を作ってほしい。
※気になる人は「政党プロモ動画」で検索すれば、
上位にれいわのが出てくるので見てみてください。
かつてはギリシャ劇にも、シェイクスピア劇にも、
中国の京劇にも、能・狂言にも、女優は存在せず、
男の俳優だけで芝居は上演されてきた。
いろいろな事情があったと思うが、女が舞台に立つと、
多くの男がそれに現を抜かして働かなくなり、
社会が立ちいかなくなったので、為政者が禁じたのだろう。
しかし、社会の発展とともに演劇の世界は広く開放され、
女優もだんだん舞台に立つようになった。
21世紀の今日、世界でいまだに女優が舞台に立てない演劇は、
日本の歌舞伎だけである。
江戸幕府によって女優が禁じられてから400年。
女を演じる男優--女形は
何代にもわたってその技芸が伝承されてきた。
今や一種の世界遺産ともいえる独特のスタイルだ。
その女形に人生を賭け、紆余曲折を経ながら
ついに人間国宝にまでたどり着く男の物語。
吉田修一の同名小説を映画化した「国宝」。
1964年から2014年までの50年間を描いた一代記は、
歌舞伎の世界の裏側を見事に描き出している。
歌舞伎は一見、華やかでセレブな世界だが、
よく考えたら、何でいまだにこんな慣習・ルールが成り立つの?
と思えるような魔訶不思議な世界であり、
畸形の演劇ともいえる。
いまだに女が舞台に立つのが許されないことに加え、
伝統芸能でありながら、国家に守られているわけでなく、
純然たる商業演劇として運営されていること。
家・家族で伝承する技芸であるからこそ、
「血」を守っていくためのこだわりが強いこと。
みんな、小さな世界で生きているので、
身内・味方に対する愛情・友情・敬愛心は強いが、
一旦事情が変わると、
たとえば、父親・師匠などの後ろ盾を亡くしてしまうと、
たちまち冷淡に扱われ、干されるようになる。
要するに、この物語の主人公・喜久雄のように、
才能があれば、芸が優れていれば出世できるという
フェアな世界ではないのだ。
とはいえ、商業演劇なので、
客を集め、興行を打っていくため、
常に客の期待・時代のニーズに応え、
新しいスターをプロデュースする必要がある。
その微妙なバランスのなかで歌舞伎は生き延びてきた。
そのあたり、原作(まだ読んでないが)は
かなり詳細に買いているようだが、
この映画でも十分描き出している。
重厚なドラマは、昭和・平成の時代背景も相まって、
素晴らしく見ごたえがあって、
3時間以上の長丁場でもまったく飽きさせない。
吉沢亮と横浜流星の熱演が話題になっていて、
もちろん、彼らの感情表現や演技・踊りは素晴らしいのだが、
僕としては、この2人に影響を与え、
無言のうちに「女形の生き方」を示唆する
人間国宝・小野川万菊の存在が、とりわけ胸に刺さった。
演じるのは、長らく孤高のダンサーとして活躍してきた田中泯。
その妖怪じみた女形ぶりはすさまじく、登場シーンになると、
まるでそこだけアングラ演劇の世界みたいになる。
そして、人間国宝という栄誉ある称号にあるまじき
最後の登場シーンは、戦慄を覚えるほど印象的で、
そこに「国宝」というタイトルの意味が
込められているように思えた。
昭和の時代まで、歌舞伎役者は江戸時代の身分制度を引きづった
「河原乞食」だった。
今でこそセレブ扱いされるが、一般的なセレブイメージと、」
彼らの生きる世界・人生には大きなギャップがある。
映画「国宝」は、そんな歌舞伎という畸形の演劇の歴史・文化、
そしてこの特殊な世界を成立させている人間模様を感じ取ることができる奇跡的なコンテンツだ。
舞台のシーンの迫力、女形を演じる喜久雄(吉沢亮)と
俊介(横浜流星)の美しさ。
この映画の魅力・価値を堪能するには、
テレビやパソコンサイズではだめで、
絶対に映画館の大スクリーンで見るべきだと思う。
素数である7は神秘のムードをまとい、
マジックナンバーとして古今東西、一目置かれてきた。
その7が3つ並ぶ(3ももちろん素数でマジックナンバー)
令和7年7月7日は大ラッキーデイ!
と大騒ぎになることもなく過ぎ去ろうとしている。
思い返すと、7はやはりミステリアスな数字。
かの「ノストラダムスの大予言」も、
空から大魔王が降ってくるのは「7の月」だった。
他の数字だったら、あそこまで話題にならなかったのではないか。
おとといの予言だか予知夢だかの「7月5日」も、
本当は7月7日にしたかったのだと思う。
でも、777だと、さすがに出来過ぎ感がするので、
少しずらして5日にしたのだろう。
「セブンイレブン」が成功したのは、
もちろんコンビニエンスストアという
新しい商形態を生み出したからだが、
「7(セブン)」のマジックも侮れない。
11も素数。素数を二つ並べ、韻を踏み、語感も抜群。
もともと午前7時開店、午後11時閉店という営業だったので、
理屈も整い、説得感も抜群。
誰でも一発で覚えられる最強のネーミングだ。
もし店名が「セブンイレブン」でなかったら、
コンビニエンスストアはこれほど普及しなかっただろう。
というのは言い過ぎ?
世の中のことはともかく、
自分の人生で7がつく日に何か大きな出来事があっただろうか、
と思い返してみた。
2つ思い当たった。
息子の誕生日が5月17日。
父の命日が12月17日。
ついでに言うと、祖父の享年が77歳だった。
こうなると、自分の命日や享年が気になるが、
それは考えずにおこう。
雨が降らなかったので、織姫と彦星は無事に会えただろう。
7は星や宇宙とも相性抜群。
ウルトラセブンもシックスやエイトじゃサマにならない。
やっぱりセブンはミステリアスでファンタジックで大好きだ。
NHK朝イチ・プレミアムトークに佐野元春がゲスト出演。
僕は見ていないが、カミさんが見て「カッコイイ」と感激。
いろいろ内容についても教えてくれた。
ネットでも盛り上がり、ひと騒動だったようである。
佐野元春は若い頃よりカッコよく、
全世代にメッセージを伝えられる数少ない「ポオラ・スター」だ。
いま還暦を超えて活躍するミュージシャン・
アーティストは珍しくない。
いったん消えたが、高齢化する世の中の様子を見て
「まだできそう」と思って戻ってきた人もいるだろう。
あるいは、視聴率を取れるネタに困った
テレビなどのメディアに呼ばれるのかもしれない。
ただ、多くはどうしても「あの頃はよかったワールド」になり、
かつて青春を共有したファンたちが、彼・彼女らを囲んで
懐メロという暖炉であったまる――
という同窓会みたいな図式になっている気がする。
いわば懐メロ専門スターが増えているのだ。
それが悪いことだとは言わない。
懐メロで心を癒し、過去を振り返ることも大切だと思う。
でも終始それでいいのか?面白いのか?
全部でなくていいが、できれば半分、
せめて2,3割くらいは現役感・未来感があってほしい。
それに齢を取ると、その人の生き方が自然と佇まいに現れる。
どんなに着飾ろうが、若づくりしようが、
カッコよくはならない。
若い頃なら許された、だらしない言動、
人を不愉快にさせるような言動は、
無意識のうちに、かなり醜い形で表に出てしまう。
逆に誠実に、自分らしく生きてきた人はカッコよくなっていく。
これはミュージシャンや芸能人に限った話ではないと思う。
佐野元春が歳を取れば取るほどカッコよくなっていくのは、
おそらくそうした原理が働いているからだろう。
バックバンドやスタッフに恵まれているのかもしれない。
しかし、それは彼の才能と人柄、
もっと具体的に言えば、時代に応じて表現を変えつつも、
一貫して自分の思いや意見を、
誠実に音楽にし続けてきたからこそ、
強い味方となる周囲の人々を引き寄せるのだ。
むかし、「つまらない大人にはならない」と吠えていた
ミュージシャン、アーティストは大勢いた。
そのうち、何人がそれを実践できただろう?
いま、実践しているだろう?
佐野元春はつまらない大人にならなかった。
70歳に近くなった今、自信を持って
「ガラスのジェネレーション」をリメイクし、
魂を込めて歌える彼を、リスペクトせずにはいられない。
7月の声を聴くと、すぐに近所の公園でセミが鳴きだした。
やつらはカレンダーがわかっているらしい。
というわけで、いよいよ夏本番。
といいたいところだが、もうとっくに夏は真っ盛り。
関東はまだ梅雨明けしていないが、連日の暑さでうだっている。
そういえば雨が少なくて暑すぎるせいか、
近年、カタツムリをあまり見かけない。
息子がチビだったころには、
いっしょにでかいカタツムリを見つけて喜んでいた。
前の家の庭にもガクアジサイの葉の上を
よくノロノロ歩いていた。
今は家を出てすぐに大きな公園と川があり、
草木も豊富、アジサイの花も咲いているのだが、
カタツムリをまったく目にしない。
まさか知らぬ間に絶滅したのではないかと、
ちょっと心配になる。
夏になると、生き物たちの活動は活発になる。
昨日は廊下の窓にぺったりとヤモリが貼りついていた。
ガラスにへばりついていると、
ひんやりして気持ちいのかもしれない。
ちょっと窓をズラしてやると、
驚いてペタペタ動きまわる。
ヤモリは可愛いし、家を守ってくれる「家守」なので愛している。
トカゲもちょろちょろしていて可愛い。
このあたりの輩は高速移動できるからいいが、
悲惨だなと思うのはミミズである。
ここのところ毎日、
道路のアスファルトの上でひからびているミミズに出会う。
それも一匹や二匹ではない。
赤黒くなったゴム紐状のミミズの乾燥した死体が
数メートルおきに道路の上に貼りついているのだ。
まさしく死屍累々という言葉がぴったりである。
それにしても、なぜだ?
果てしない砂漠の真ん中で息絶えてしまった、
無数のミミズたちに僕は問いかける。
おまえたちは土の中で生まれたのだろうに、
なぜこんな真夏の日にアスファルトの上にはい出てきて
熱線で焼かれて死ななくてはならなかったのか?
なぜ故郷をあとにしたのか?
なぜ命がけの旅に出なくてはならなかったのか?
この道路の向こう、この地獄を超えた先に、
おまえたちの目指す楽園があったというのか?
それはあの植え込みか、草むらか?
もちろん、誰も答えてはくれない。
ヤモリやトカゲのように高速移動できれば。
セミやハチやチョウのように空を飛べれば。
せめてバッタのようにピョンピョン跳ねることができれば。
しかし、ミミズはミミズ。
地を這い、土に潜る。
それが宿命づけられた生き方だ。
その生き方を目指して、ここでお天道様に焼かれて死ぬのなら、
それは本望だと、ミミズ生をまっとうできたのだろうか?
というわけで死屍累々の写真も撮ってみたが、
ちょっと悲惨過ぎて載せられない。
ま、元気溌剌のヌルヌルしたミミズくんの写真を見るのも
いやだという人が多いだろうが。
なので本日は、クールビズしている
元気なヤモリくんの写真だけにしておきます。
NHK・綾瀬はるか主演の終活ドラマ
「ひとりでしにたい」が大人気で、大河・朝ドラを凌駕する勢い。
カレー沢薫の同名マンガをドラマ化した作品で、
僕も土曜日に見たが、確かに面白い。
それにしても僕の中では、
綾瀬はるかはまだ若手女優だったのに、
そんな、終活なんて…と思って調べたら、彼女ももう40。
役柄はもっと年上の設定らしいが、
もはや40から終活を考えるのが当たり前になってきたようだ。
そういわれてみると、4月に参加したデスフェスの
スタッフも多くは40代
(はっきりとは知らないが、平均とったら多分)。
来場者もそのあたりの人が多かったような気がする。
今や60・70代よりも40・50代のほうが
しっかり死生観を持っており、終活に熱心なのではないか?
それどころか、20・30代も
「今から終活だ!悔いなく生ききるぜ!」と言っている。
どうやらがんばって終活するためには、
若いエネルギーが必要なのだ。
60・70代からじゃ遅すぎる?
いったいどうなっちょるんじゃ?
あっという間に1億総終活時代に突入だ。
「ひとりでしにたい」本当に面白いので、
観てない人は、NHKプラスで観てみてください。
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もくじ
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ヒューマンエラーまみれのパリ五輪についてAIと語る
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終活・終末期医療における差別・偏見なきAIの目
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なぞの演出満載の山口百恵版「伊豆の踊子」
小説(原作)と映画は別物。
それはそれでいいのだが、
そのギャップが大きければ大きいほど。
ツッコミがいがあって面白い。
「伊豆の踊子(1974年:三浦友和・山口百恵版)」は
その最たる例と言えるかもしれない。
川端康成の原作は、割と淡々とした小品だが、
映画にするなら、
全体をもっとドラマチックにしなくてはいけない。
それも当時のスーパーアイドルが初めての主役とあれば、
その見せ場もいろいろ作る必要がある。
というわけで、この作品の場合は、
そうした娯楽映画・アイドル映画のセオリーを踏まえながら、
社会問題を盛り込んでやろうという野心が込められていて、
謎めいた演出が随所に散見される。
日本人の差別問題が裏テーマ
社会問題とは差別問題だ。
1960年代のアメリカの公民権運動や女性解放運動などの余波は
ちょっと遅れて日本にも及んだ。
70年代前半は、学生運動の挫折があり、
昭和の高度経済成長という繁栄の陰にあった、
ダークなるもの・ダストなるものが見えてきた時代。
当時の先鋭的な文化人や屈折した若者たちが、
当時、まだあまり表沙汰になっていなかった、
日本社会における差別問題を掘り起こし始めていたのだ。
川端康成はそんなに意識していなかったと思うが、
大正末期に書かれた「伊豆の踊子」には、
そうした日本人の差別意識が、
いかんともしがたい悪しき現実として、
随所にちりばめられている。
映画はそれらの材料をかき集め、
大きく増幅して裏テーマみたいな形で描きだしている。
「あんな連中とは関りにならないほうがいい」という呪文
三浦演じる旧一高の学生は超エリートのボンボンで、
彼が旅路で出会う商人や旅館の人たちは皆、彼にやさしい。
旅芸人たちは、そうした商人たちの下の階層に置かれていて、
下賤な職業の人間として蔑視されている。
物語冒頭、学生と踊子たち旅芸人一座が出会った
休憩所(だんご屋)の婆さんは、
旅芸人たちと親しげに話していたが、
学生に対しては
「あんな連中とは関りにならないほうがいいですよ」と、
親切な(?)アドバイスのような呪文をささやく。
実はこれはこの映画のオリジナルのセリフで、原作では
「あの人たちは今日の宿も決まっていない
(放浪者みたいなものだ)」と言っている。
映画ではこの婆さんの差別意識を、
いっそうあからさまに表現しているのだ。
セクシー少女・百恵の魅力の開花
なおかつ、同じ旅館に泊まった客(商人)などは、
「あの子(踊子かおる)を一晩世話しろ」と
一座をまとめるおふくろに迫ったりもする。
彼女らのような芸人の女は、売春対象とみなされていたのだ。
これらは原作にはなく、この映画における演出である。
山口百恵は昭和のレジェンドアイドルだが、
彼女の人気に火が付いたきっかけは、
シングル2枚目「青い果実」3枚目「ひと夏の経験」と、
当時ローティーンながら、
セックスをイメージさせるきわどい路線の歌が
大ヒットしたからだ。
男はもちろん、当時の女もその歌にハートを貫かれた。
他の可愛い路線の甘ったるいアイドルにはまねできない、
子供が禁断の領域に踏み込むような、大胆で刺激的な表現は、
多くの人に圧倒的に刺激と感動を受けて支持され、
アイドル百恵の誕生につながった。
この伊豆の踊子もそうしたセクシー路線の成功を
踏まえたものであり、
観客の期待に応える娯楽映画であるとともに、
山口百恵の独特の、青い性的魅力を
うまく引き出したアート風味の映画とも言えるだろう。
ラスト1分 衝撃の不協和音
そして見せ場は最後の最後にやってくる。
学生は東京に帰るため、一座と別れ、波止場から船に乗る。
見送りに来たのは、
かおるの兄(中山仁)だけで彼は内心がっかりするのだが、
船が出た後、埠頭で手を振るかおるの姿を見つけ、
大喜ぶで叫び、手を振り返す。
離れ離れになってはじめて
「ああ、この感情は恋だったのだ」と気づく青春純情ドラマ。
その切なくて、あたたかな余韻を残しつつ、
きらきら輝く海をバックにエンドマークが出て終わり、
というのが、この手の青春映画・ロマンス映画の常道だと思うが、最後の1分で、またもや謎の演出が施される。
叫んだ学生の頭の中に、あのだんご屋の婆さんに聞かされたセリフ「あんな連中とは関りにならないほうがいいですよ」が
唐突によみがえり、まさに呪文のようにこだまするのである。
え、なんで?と思った瞬間、旅館のお座敷のシーンに転換。
かおるが酔客相手に笑顔で踊っている。
ところが彼女に酔っぱらったおやじが絡みついてくる。
しかも、そのおやじの背中にはからくり紋々の刺青が。
ひきつりながらも笑顔を保ち、
懸命にそのおやじを振りほどこうとする踊子かおる。
最後は顔をそむける彼女と、おやじの刺青がアップになり、
ストップモーションになってエンドマークが出るのである。
なんとも奇妙で、
まるで二人の恋心を容赦なく切り裂くようなラスト。
なぜラストショットが、
若い二人の清純な心を映し出す伊豆の海でなく、
汗臭く、いやらしい酔っ払いおやじの刺青なのか?
夢は終わりだ、これがわれわれの現実だよ。
ととでもメッセージしたいのか?
せっかくモモエちゃんの映画を観に行った当時の観客が、
このラストシーンに遭遇してどう感じたのか、
怒り出す人はいなかったのか、知る由もないが、
50年後の今見た僕としては、美しい予定調和でなく、違和感むんむんのこうした不協和音的エンディングが、けっこう好きである。
あなたも日本人なら「伊豆の踊子」体験を
ちなみに川端康成の原作も、二人の別れでは終わっていない。
船が出る前、学生は地元の土方風の男に、
3人の幼子を連れた婆さんを
上野駅(その婆さんの田舎が水戸)まで送っていってやってくれ、と頼まれるのである。
現代ならとんでもない無茶ぶりだが、
大正時代、エリートたるもの、
こうした貧しい人たちの力になってあげるのが当然、
みたいな空気があったようで、
彼は快く、この無茶ぶりを引き受ける。
そして踊子との別れを終えた後、
伊豆の旅で下層の人たちと心を通わせた、
東京では味わえない体験が、旅情とともによみがえってきて
彼は涙を流すという、なかなか清々しい終わり方をしている。
当時の読者はきっと、この学生は一高(東大)を出たら、
庶民の気持ち、さらにその下の被差別者の心情もわかる、
立派な官僚か何かになって、日本の未来を担うんだな――と、
そんな前向きな感想を持っただろう。
ちょっと悪口も書いたが、世界の文豪にして、
少女大好きロリコンじいさん 川端康成先生の、
古き良き日本人の旅情・人情に満ちた「伊豆の踊子」。
本当に30分から小一時間で読めちゃう小説なので、
まだ読んだことがない人はぜひ。
そしてその50年後、戦争と復興、高度経済成長を経て、
豊かになった昭和日本で、
この物語がどう解釈され、リメイクされたのか、
令和の世からタイムトラベルして、
若き山口百恵・三浦友和の映画で確かめください。
むかし、女ともだちから
「あんたは釣った魚に餌をやらないタイプだね」
と言われて、割とショックを覚えた。
でも、なかなか彼女は鋭かった。
確かに思い返すと、若い頃はつき合った女の子に
いろいろ申し訳ないことをしたような気がする。
女は好きだし、愛すべき存在だと思うが、
同時にめんどくさかったり、怖かったり、
時々いやになったりもする。
それが態度や行動に出ていたかも。
その感情の遠因には、子供の頃、
母と叔母と祖母と、同じ家で三人の女と
一緒に暮らしていたことがあるのかもしれない。
その頃は母のことがあまり好きではなかった。
よく怒られたからである。
叔母と祖母はそれを見ていたせいか、
僕にやさしく、猫かわいがりした。
それを見た母の心中が穏やかであるはずがない。
だから、母と叔母・祖母は仲が悪かった。
一触即発みたいなこともしばしばあったような気がする。
母は母親であるがゆえに、叔母や祖母のように
むやみに僕を可愛がれない悔しさがあって、
よけいにイライラを募らせたのだろう。
なんだかみんな自分のせいみたいに思えて、気が重たくなった。
父や叔父と、男同士でいるほうがよっぽど気楽だった。
べつにモテたわけではないが、それでも思い返すと、
女運はよかったのかもなと思う。
思い出の中の女は、みんな可愛い。
この齢になると出会いも限られてくるので、
あとは身近に残っている身内--カミさん、義母、妹たちが
できるだけ穏やかに暮らせるよう努めるだけだ。
みんな齢を食ってしまったが、
女はいつまでも女であり、大半は娘時代と変わらない。
こんな言い方は何だけど、ちゃんと釣った魚にごはんあげてます。
今日は母の命日だった。
天国では僕に免じて、叔母や祖母と仲良くやってほしい。
●50年目の百恵踊子
伊豆・河津町で「伊豆の踊子体験」をした
(駅の川端康成文庫と銅像を見ただけだが)ので、
ちゃんと小説を読んで、映画を観ようと思った。
アマプラで1974(昭和49)年公開の
山口百恵・三浦友和主演版が見放題になっていたので鑑賞。
僕が中学生の時に公開された映画で、
当時大きな話題になっていた。
しかし当時、中二病にかかっていた僕は
「そんなアイドル映画なんか観てられるかよ」
と言って無視していた。
しかし、その割に天地真理の「虹をわたって」
なんて映画は観に行った覚えがある。
山口百恵のファンだった試しはない。
「昭和の菩薩」とか「時代と寝た女」とまで言われた山口百恵は、
少し年上の男やおじさん世代には男には大人気だったが、
僕たち同年代の男子にはイマイチだったように思う。
中高生がアイドルに求める
可愛らしさ・少女っぽさに欠けていたのが
大きな要因だったのではないだろうか。
同世代なら「ああいう女性に憧れる」ということで、
むしろ女子の方に人気があった。
しかし今、この齢になって観ると、
唯一無二の百恵の魅力が伝わってくる。
この映画は女優として初出演作でもあるので、
演技力としては大したことないが、少女っぽさと大人っぽさ、
明るさと陰とのバランスが素晴らしく、
この踊子・かおるの人間像に不思議な立体感を与えている。
●「え、はだか?」ではありませんでした
物語中、温泉に入っていたかおるが
学生(三浦友和)と兄(中山仁)に向かって
裸で手を振るシーンがあるが、
そこもちゃんと描いていて、ちょっとびっくり。
最初ロングショットだが、観客へのサービスのつもりか、
いきなりグイっとカメラが寄る。
そして「え!?」と思う間もなく、
1秒かそこらでまた引きに戻るという謎の演出。
「まさか」と思って一時停止し、2度見、3度見してしまったが、
やっぱ肌色のパットみたいなものを着けていた。
そりゃ当然だよね。
●「旅情」「異文化体験」を描いた原作
そんなわけで原作と並行して観たので、
小説との違いに目が行った。
俗に大正期の青春恋愛小説っぽく語られることが多い
「伊豆の踊子」だが、原作はもともと川端自身の伊豆旅行記を
リライトしたものだけあって、あくまで「旅情」を描いたもの。
もちろん、主人公の学生が旅先で出会った
芸人一座との交流、そして踊子・かおるへの淡い思慕が
メインのエピソードになっているが、それだけの話ではない。
少女を描くことに固執し、
ロリコンじいさんと揶揄されることも多い川端先生だが、
この作品ではそこまで踊子に対して執着心たいなものはなく、
恋愛的感情の表現はごく薄味だ。
そうした初々しさ・青春っぽさ・ロマンチックさこそ
「伊豆の踊子」が、
老若男女問わず親しまれるようになったゆえんだろう。
人物描写や風景描写などがイマイチで、
文学作品として未熟な部分も、
却って一般の人たちにとっては受け入れやすく、
つまりあまり深く考えずに「お話」として楽しめる。
そうしたところが何度も映画化された要因なのだろう。
今では伊豆や信州などは、東京から日帰りコースで、
旅行といっても、ほとんど日常と地続きだが、
この物語の舞台である100年前は、
東京から伊豆や信州というと、ほぼ1日がかり。
作家が日常と離れた時間・空気の中で作品を書くには
うってつけの場所だったのだと思われる。
そうしたなかで旧制一高の学生(現代のエリート東大生)が出会う
旅芸人一座・踊子は、異界・異文化の人たちだ。
「伊豆の踊子」は、まだ貧しい人たち・下層の人たちが
圧倒的多数を占めていた、大正日本における
エリートボンボンの異文化体験の記録とも読めるのだ。
●河原乞食という現実
先日も書いたが、この物語に登場する旅芸人は被差別民である。
明治維新以降の近代日本では、
こうした旧時代的差別はご法度とされていたが、
それはあくまで建前上、表面上のもので、
庶民がしっかり理解していたとは言い難い。
人々の心情に根付いた差別意識は、
まだ江戸時代のままだったのだ。
芸能人はどんな大スターだろうが、
すべからく「河原乞食」である。
原作の中で「物乞い旅芸人 村に入るべからず」(岩波文庫P95)
という立札が出てくる。
この立札が、彼らの旅路の途中の村々の入り口に立ち、
旅芸人の一行は遠回りせざるを得なくなる。
川端はこの作品を単に旅情を綴っただけのものにしないよう、
ストーリー面でしっかりスパイスを効かせている。
踊子への恋愛感情が甘いスパイスなら、
こうしたあからさまな差別の証は、かなり辛口のスパイスだ。
とはいえ、川端は差別を告発しようと、
この作品を書いたわけではない。
あくまで旅で出会った現実の一つとして、
さらっと流している感じである。
クリエイティビティを刺激した山口百恵
この立札は原作では後半、終わりに近いところで
「おまけ」みたいに出てくるのだが、1974年版の映画では、
この辛口スパイスをめっちゃきかせてアレンジしており、
立札も物語が始まって間もないところで現れ、
かなり強い印象を残す。
まるでこれが裏テーマですよ、と観客に示唆しているようだ。
かなり意図的なものと思われるが、
その背景として、おそらく当時、
社会改革の余波で部落問題などに焦点が
当たっていたことがあるのだろう。
また、ヌーベルバーグやアメリカンニューシネマの影響で、
日本の映画人も多かれ少なかれ、
社会派・アート派でありたいと意識していたはずだ。
それで監督や製作陣が、
単なる娯楽・アイドル映画で終わらせたくない、
と考えたのかもしれない。
山口百恵という稀有な素材は、
そうしたスタッフの創作欲をかき立てた。
吉永小百合や田中絹代が主演の作品がどうだったは知らないが、
百恵の持つ「薄倖の少女」の雰囲気は、
昭和の高度経済成長期以降の
「伊豆の踊子」のイメージを大きく変え、
現代にまで残る傑作にしたのだ。
映画の話、さらに次回に続く。
名作「伊豆の踊子」の舞台
伊豆の河津に行ったのは先週だが、
駅には伊豆の踊子像と川端康成文庫コーナーがある。
それで初めて河津が、かの日本文学の名作
「伊豆の踊子」の舞台なのだということを認識した。
主人公の学生と踊子を含む旅芸人一座が超える天城峠は、
今の伊豆市と(賀茂郡)河津町との間にある。
ゆかりの宿として知られる「湯ケ野温泉 福田屋旅館」も
河津町だ。
いずれも山のほうなので、仕事のついでにちょっと寄っていこう、みたいな場所ではないので、
そのまま帰ってきてしまったが、せっかくなので・・・と、
生まれて初めて、まともに「伊豆の踊子」を読んでみた。
おどろきの踊子
いわゆる名作は、ストーリーのあらましやダイジェスト版が
なんとなくどこかから耳に入ってきて、
知ってるつもり・読んだつもりになっている。
僕もこれまで「伊豆の踊子」にも川端康成にも関心がなく、
スルーしてきたが、65歳でやっとまともに読んだ。
そして正直、びっくりした。
え、これだけ?って感じ。
文庫本でわずか40ページ。
字数にして2万字あまりの短編で、
30分ちょっとあれば読めてしまう。
旅の話、途中で出会う踊子に恋して云々ということで
けっこうな長編の、抒情的ドラマをイメージしていたのだが、
ひどくあっさりした短い話なのでびっくり。
どうしてこんなすぐ読める物語なのに、
俺は50年あまりもの間、読まずにいたのだろうと、
自分の人生を後悔してしまった。
でもまあ、ここでちゃんと知ることができてよかった。
100年前の変態ロリコンじいさん
ついでに川端康成先生についても、いろいろ調べてみた。
なんといっても「世界のカワバタ」。
ノーベル文学賞を受賞した、
敷居の高い大作家・大文豪というイメージだったが、
その幻想もガラガラと崩れ去った。
今の世の中だったら、まず間違いなく、ロリコン少女漫画家とか、美少女アニメを作っていたオタク作家である。
「100年前の変態ロリコンじいさん」というのが、
最近の川端康成の定番像のようだ。
踊子へのエロい思慕
そういうイメージをインプットして読み始めてしまったので、
この「伊豆の踊子」の物語も、
なんとなくエロっぽく読めてしまう。
主人公の男は旧制一高(今の東大)の学生で20歳。
いわば川端の分身みたいな人物だが、
それが旅の一座の踊子(14歳)に淡い恋心を抱く。
大学生が中学生に――ということなので、
今どきの倫理観で言うと、セーフかアウトか、
ちょっと微妙なところ。(やっぱアウト?)
全体的にはあくまで「淡い恋」「ささやかな慕情」が
メインのトーンだが、川端先生、途中で欲求が抑えきれず、
いきなり踊子が素っ裸で出てくるシーンもあり、
頭がくらくらしてくる。
わずか40ページの短編のなかに、
こうしたスパイシーなアクセントが施されているところが、
日本文学の名作、それどころか世界名作としても
親しまれているゆえんなのかもしれない。
そう考えると、100年前の日本の文学界、および、
世界の文学界に君臨していた作家・識者・学者の類は、
みんな少女幻想を抱いたロリコンおやじたちばかりだった
のではないか?という疑念にとらわれる。
いい加減だから名作になった?
正直な感想を言うと、ボリュームもさることながら、
そんなに中身のある話ではない。
話の設定も人物の造形も割といい加減で、なりゆきまかせ。
物語としてはかなり薄味である。
川端自身が文庫本のあとがきで書いているが、
もともとこのあたりを旅したときの旅行記から、
旅芸人の一座との交流の部分を、
何年後かに抜き書きしたものらしい。
いわば自分が実際に体験したドキュメンタリーの
ノベライズなのである。
また、川端は、この作品では
「修善寺から下田までの沿道の風景がほとんど描けていない」とし、後でリライトしようとしたが、できなかったとも言っている。要は自作としてそんなに満足できるものではなかったのだろう。
でも、この作品の場合、その「さらっと感」
「割といい加減な、力が抜けてる感」がいいのかもしれない。
発表されたのは大正最後の年、15年、1926年。
まさしく100年前、「伊豆の踊子」は、
日本人のハートをわしづかみにした。
川端初期の代表作、日本文学の代表作とまで言われ、
6度にわたって映画化された。
映画は1974年の山口百恵版が最後かと思っていたが、
その後もテレビドラマ、アニメ、歌舞伎、ミュージカル(?)でもやっているらしい。
「女が箸を入れて汚いけど」
なんだか川端先生の悪口を並べ立てたみたいだが、
かなり深く心に刺さった部分もある。
それは主人公の男と、踊子たち旅芸人との「社会的格差」である。
100年前、旧制一高の学生と言えば、
日本の未来を背負って立つエリート中のエリート。
対して、旅芸人たちは最下層の被差別民。
さらにその中でも女は一段身分が低く、
一座のリーダー役の「おふくろ」は、
(泉の水を飲むとき)「女のあとは汚いだろうと思って」とか、
(鳥鍋をすすめて)「女が箸を入れて汚いけど」とか、
二度も卑下して、自ら「女は汚い」と言っている。
(川端が言わせている)
現代よりも江戸時代に近い「踊子」の世界
江戸時代、歌手でも役者でも、いわゆる芸能人は
どんなに人気があろうとも被差別民であり、
身分制度の埒外の存在、
つまり、まともな社会人として扱ってもらえなかった。
それは徳川幕府が、町人や農民に
「自分たちより下の、卑しい身分の人間がいる」と思わせ、
できるだけ不満を抱かせないようにするための、
狡猾な支配構造をつくったからだ。
その意識は明治になって近代化された以降も、
えんえんと人々の意識に残った。
そういう意味では100年前、
大正から昭和になったころの日本はまだ、
現代よりも、江戸時代に近かったのかも知れない。
モモエ踊子は差別問題を強調?
小説を読んだ後は、映画も見た。
1974年、昭和49年に公開された、
三浦友和・山口百恵初共演の作品だ。
これも今に至るまで気が付かなかったが、
このモモエ踊子は、恋愛劇の裏で
「伊豆の踊子」で描かれた差別問題をかなり強調している。
今、そういう意識で見ると、単なるアイドル映画・旅情映画ではなく、ちょっと深い作品に見えてくる。
その話はまた次回に。
うちのカミさんは鍼灸治療をやっているが、
話を聴いていると、患者さんの半分くらいは
精神疾患のせいで体もおかしくなっているようだ。
今日も不登校の高校生が
いきなり予約の合間を縫って昼食の時間に来たり、
「30年以上、一人で外出できなかった」という
60代の女性が診療を受けに来たと言う。
後者は、旦那の精神的支配を受けていて、
結婚して30年余りの間、
友だちとの付き合いはおろか、
買物も外食も、ひとりでは出してもらえなかったそうだ。
本当か? と耳を疑ったが、
いまだに一人で店に入れないという症状があるところを見ると、
どうも9割がたは本当のことらしい。
村上春樹の小説の中で、
金持ちではあるけれど、そういう恐ろしい価値観の男と
結婚してしまった女性の悲劇が
書かれてあったことを思い出した。
これは立派な精神的虐待だと思うが、
ひと昔前までは、
そんなに表立った問題にはならなかったのだろう。
もしかしたら今の50代以上--
昭和に生まれ育った女性では
そんなにレアなケースでもないのかもしれない。
その女性の場合は、子供がいないのも悲劇だった。
子供がいれば若い世代に救い出されたかもしれないし、
旦那の意識も変わっていた可能性もある。
結局、その旦那は3年前に借金を残して突然死んでしまった。
経済的には親戚のお金かなんかで助かったようだが、
彼女の病気はそのまま残った。
もう支配者がいないので自由なはずなのだが、
長年しみついた習性で一人で外出するのが難しい。
おそらく夫婦間で共依存の関係が出来上がっていたので、
自分で考え、行動することができなくなってしまったのだろう。
その女性がどういうきっかけで
来院することになったのか聴いてないが、
カミさんのところに来られるようになっただけ
治癒に向かっているのではないかと思う。
どうも買い物や食事に出かけるのは
「娯楽」として植えつけたらしく、
それを30年以上も禁じられていたので、
自分でも「娯楽=贅沢、無駄、悪」
みたいな意識が貼りついているらしい。
カミさんは、ひとりで喫茶店やレストランに入ることを
一つの目標にしなさいと言っているらしいが、
まだ実現できず、なかなか難しいようだ。
こういう話を聴くと、結婚とか、夫婦とか、
家族といったもののネガティブな面について考えてしまう。
よけいなことかもしれないが、
結婚ハッピー、夫婦なかよし、家族バンザイといった
画一的な価値観は怖い。
もちろん、明るく考えたほうがいいが、
そうしたダークな面があることも
常に心の片隅に置いておいたほうがいい。
そして、自分の間違いに気づいたら、
たとえ年寄りになっていても、
人生やり直す勇気を持つべきだと思う。
●伝説の茶壺、ついにご対面
前編では栖足寺の由緒正しい歴史と、
河童伝説の顛末を紹介したが、
いよいよ後編では本丸である。
住職に「河童の壺を拝見したい」と申し出ると、
快く承諾してくれた。
住職が大切そうに持参したのは、
見た感じ直径30センチほどの茶色い壺である。
よく見ると表面がややぼこぼこしており、
いかにも古い時代の手作り感が漂っている。
蓋は何度か作り変えられているそうだが、
壺本体は実に700年以上前のものだという。
「実は、これはお茶の葉を入れる茶壺なんです」
住職がひっくり返すと、
底には「祖母懐」という文字が刻まれている。
●国宝級の陶工が作った、河童の置き土産
「祖母懐」と書いて「そぼかい」と読む。
これは両側が山に囲まれて南側に向かって開けている、
温暖で良質な土が採れる土地のことを指すのだそうだ。
愛知県瀬戸市にこう呼ばれる場所があり、
そこが陶器の別名「瀬戸物」の発祥地なのである。
さらに驚くべきことに、この壺には作者のサインまで入っている。
「加藤四郎左衛門景正」
これは瀬戸焼の開祖として知られる伝説的な陶工の名前である。
加藤景正は鎌倉時代前期の陶工で、
一般的には貞応2年(1223年)に道元とともに南宋に渡り、
帰国後に尾張国瀬戸で窯を開いたとされている人物だ。
現在も愛知県瀬戸市の深川神社境内には、
景正を祀った「陶彦社」が存在する。
「本物なら国宝級の品物です。
ただし、河童にもらった後は門外不出ということで、
鑑定などしてもらったことはありません」
住職は笑いながら説明してくれた。
「河童からもらいました」と言えば、
鑑定士はどんな顔をするだろう?
そうしたテレビ番組もあるが、そうしたところに出したら
どんな結果になるか、正直、見てみたいものだ。
さて、話を戻すと、この時代はまだ轆轤がなかったため、
粘土を丸くして重ねて成型していく手法で作られたという。
そのため表面に痘痕のようなぼこぼこした跡が残り、
焼き上げた後に石が出てくるような荒々しさが
四郎左衛門の作風だったそうだ。
確かに、目の前の壺も実に味わい深い、
野趣に富んだ風合いを見せている。
●いよいよ河童のせせらぎ体験
「河童はこれを置いていくときに、
『この中に河津川のせせらぎを封じ込めました。
これを聴いて私を思い出してください。
この川の音が聴こえる限りは、
私はどこかで元気に暮らしていますから、
和尚さん、安心してください』と言い残して去っていったんです」
住職の説明を聞いているうちに、だんだんと期待が高まってくる。
果たして本当に河童の封じ込めたせせらぎが聴こえるのだろうか?
「どんな壺でも、こうやって耳を近づけて聴くと、
ぼーっという音は聞こえるものなんです。
それは容器の中で風が流れる音で、
貝を耳に当てたときにも同様の音が聞こえるので、
お分かりかと思います。
しかし、この壺の場合はそれだけでなく、ぼーっという音の中、
下の方からぴしゃぴしゃっという感じの、
小さな水が流れる音がします」
住職に促され、恐る恐る壺の口に耳を近づけてみた。
最初は確かにぼーっという、よくある空洞音が聞こえる。
しかし、じっと耳を澄ませていると……あった!
確かに奥の方から、ぴちゃぴちゃという水の音らしきものが
聞こえてくるではないか。
まさに小川のせせらぎのような、
優しい水の流れる音が壺の奥底から響いてくる。
思わず身を乗り出して、もう一度しっかりと耳を当て直してみた。
やはり聞こえる。確実に水の音である。
正直、最近なかった、一種の感動に背筋がゾクゾクした。
●プロの最新機材で録れなかった音が、
子供のラジカセで録音成功
住職によると、この不思議な音を録音しようと、
NHKが高性能のマイクを持ち込んで挑戦したことがあるという。
しかし、どんなに頑張っても音を捉えることができなかった。
「ところが、近所の子どもがこの音を録りたいといって、
ラジカセみたいなもので録ったら録れたんです」
なんとも不思議な話である。
最新の録音機材では録音できないのに、
子どものラジカセでは録音できる。
まるで河童が、純真な心を持つ者だけに
水音を聴かせてくれるかのようだ。
試しに僕も自分のICレコーダーを取り出して録音を試みてみた。
すると、どうだろう。確かに音が録れているではないか。
後で家に帰って聞き返してみると、
確実にせせらぎの音が記録されている。
超うれしい!
これは一体どういう現象なのだろうか。
科学的に説明のつく現象なのか、
それとも本当に河童の仕業なのか。
真相は定かではないが、確実に言えるのは、
この壺から不思議な音が聞こえるというのは、
真実であるということだ。
●豪雨の前兆を知らせる、河童からの警告
住職の話では、この壺にはさらに不思議な力があるという。
豪雨などで河津川が氾濫しそうになった時、
壺の中でゴウゴウと唸りが聞こえ、
洪水を予告してくれるのだそうだ。
「今でも川の音が聞こえるのですが、
河津川の水位が上がりそうな時など、
壺がいつもと違う音を立てて知らせてくれることがあります」
これは確かめようがなかったが、
もし本当だとすれば、
河童は命の恩人である和尚への恩返しとして、
災害から人々を守り続けてくれているということになる。
●禅の教え「不立文字」と河童の壺が奏でるハーモニー
ここで住職は、この河童伝説に込められた深い意味について語ってくれた。
「お寺にこの昔話が伝わっているのは意味があると思うんです。河童は『これを聴いて私を思い出してください』と言っています。
ですから、この音を聴くと、今でも河童はこのあたりに暮らしているのだ、
と思いを巡らせることができます」
その上で住職は、禅宗の根本的な教えである
「不立文字」(ふりゅうもんじ)について説明してくれた。
「達磨大師の教えに『不立文字』というものがあります。
これは、人は書かれている文字を真実と思い込み、
それに惑わされてしまうという教えです。
実は文字では真実は伝わらない、ということなんですが、
例えば、こういう音を聴いたり、においを感じたり、
肌で感じたりすることで、
現実には目に見えないものに思いを馳せたり、
いろいろな想像・連想ができたりする。
そうしたものも『不立文字』の教えに入るんです」
なるほど、これは深い話である。
現代社会では膨大な量の文字情報に囲まれ、
さらにAIが生成する映像や音声なども加わって、
僕たちはそれらに振り回されがちだ。
しかし禅の教えによれば、真実は文字や人工的な情報では伝えられない。
むしろ五感を通じて感じ取るものの中にこそ、
真実が隠されているというのだ。
「人間が本来持っている『仏性』を大切にして、
自分で感じなさいという教えです。
現代社会では、テレビやインターネットを通じて
文字・映像・音声などになった膨大な情報が入ってきて、
皆さん惑わされますから。
こういうものを聴いて『あ、河童生きてるかも』と
想像力を膨らませるのも、不立文字の実践なんだよ、
という教えが、
この伝説に詰まっているんじゃないかと思うのです」
●「衆生本来仏なり」-河童が教えてくれる仏の心
住職はさらに続けた。
「人間は『衆生本来仏なり』という言葉にあるように、
もともと仏の心を持っています。
ところが、現実の社会で生きるうちに、
心にたくさんの垢がこびりついてしまう。
真実を見るのは、それを落としていくことが必要なんです」
これも禅宗の重要な教えの一つである。
すべての人間は本来、仏と同じ清らかな心を持って生まれてくる。
しかし生きていくうちに、さまざまな欲望や偏見、
先入観といった「垢」が心に付着してしまう。
その垢を落とせば、本来の仏性が現れるという考え方だ。
河童の壺から聞こえるせせらぎの音は、
その心の垢を洗い流してくれる効果があるのかもしれない。
現実の利害関係や損得勘定を離れ、純粋に音に耳を傾ける時、
僕たちは本来の清らかな心を取り戻すことができるのだろう。
「うちのお寺はこうした佇まいなので、訪れた方は皆さん、
実家とか故郷に帰ってきたようで落ち着くとおっしゃいます。
昔ながらの趣を残した、癒しの空間だと評価されるんです。
ですから、そんな中で、こうした体験をすると、
より心に響くのかなと思います」
確かに、栖足寺の境内は不思議と心が落ち着く場所である。
現代的な装飾や人工的な美しさとは対極にある、
素朴で自然な美しさがそこにはある。
そんな環境の中で河童の壺の音に耳を傾けると、
日頃の雑念が自然と消えていくような感覚を覚えるのだ。
●現代人に必要な、河童からのメッセージ
河童の壺から聞こえるせせらぎの音を体験して、
僕は深く心を動かされた。
これは単なる音響現象以上の何かがある。
人はみな心に仏性を持っており、
それによって、せせらぎの音を聴くことができる。
虚実入り混じったネット情報に翻弄される現代人にとって、
こてはとても大切な体験であるように思える。
SNSで飛び交う断片的な情報、
ニュースサイトに踊る刺激的な見出し、
AI生成による真偽不明の映像や音声、
誰かの偏った意見が拡散される炎上騒ぎ--
僕たちは日々、膨大な「情報」に囲まれて生きている。
そして知らず知らずのうちに、それらの情報に振り回され、
本来の自分を見失ってしまっているのかもしれない。
そんな時、河童の壺から聞こえるせせらぎの音は、
僕たちに大切なことを思い出させてくれる。
文字や人工的な情報で表現できない真実が、
この世界にはあるということ。
そして、その真実は五感を通じて、
心で感じ取るしかないということを。
●科学では説明できない不思議と、それを受け入れる心
この河童の壺の音について、
科学的な説明を求めたくなる気持ちもある。
壺の形状による音響効果なのか、
それとも何らかの物理的現象なのか。
しかし、そうした科学的説明を求めること自体が、
実は「情報に惑わされる」ことの一例なのかもしれない。
大切なのは理屈ではなく、
その音を聴いて何を感じるかということなのだろう。
最新の科学技術よりも、
純真な心の方が真実に近づけるということなのかもしれない。
河童が和尚に「私を思い出してください」と言い残したように、
この音を聴く時、
僕たちは「河童とは何か?」について思いを馳せることになる。
河童が実在するのかどうかは問題ではない。
大切なのは、その存在を通じて、
自然との調和や他者への慈悲といった
大切な価値を思い出すことなのだ。
●あなたの心の中の河童に出会うために
700年という長い年月を経ても、
河童の壺は今なおせせらぎの音を響かせ続けている。
伊豆に来たら、河津に来たら、
ぜひ河童寺・栖足寺を訪れてみることをお勧めしたい。
ただし、河童の壺を体験したい場合は、
この壺が寺宝中の寺宝であるため、
必ず事前に連絡を入れて準備をしてもらう必要がある。
そこで、あなたも河童の封じ込めた
せせらぎの音を聴いてみてほしい。
音が聞こえるかどうかは、あなたの心の状態次第かもしれない。
日頃の雑念を捨て、素直な気持ちで耳を傾けてみよう。
もし音が聞こえたなら、
それはあなたの心の中に仏性が息づいている証拠だ。
そして、河童という架空の存在を通じて、
自然への畏敬の念や他者への慈悲の心を
思い出すことができるだろう。
あなたの心の中の河童に出会えるかもしれない栖足寺。
そして河童が、
人生で本当に大切なものを教えてくれるかもしれない。
文字や人工的な情報に疲れた、僕たち現代人にこそ、
河童の壺が奏でるせせらぎの音は、
きっと新鮮な感動を与えてくれるはずである。
(おわり)
●ディスカバー河童寺
今週は仕事の取材で、静岡県河津町にある
「河童寺」の通称で親しまれる栖足寺(せいそくじ)を
訪ねることになった。
JR伊豆急行線の河津駅から徒歩10分弱という好立地である。
駅を出ると、あの有名な河津桜の並木がある河津川が
目の前に広がる。
あいにくの小雨模様だったが、
河津川を渡ってすぐに栖足寺の境内に足を踏み入れると、
これが意外にもラッキーだったかもしれないと思えてきた。
ピーカンの青空だと、どうにも風情がない。
むしろこの雨模様のほうが、
なんとも言えない妖しい雰囲気を醸し出していて、
まさに河童が出てきそうな気配が漂っているのである。
●椅子まで河童という油断のならない境内
境内に入ってまず驚かされるのは、
とにかくあちこちが河童だらけということだ。
持参した飲み物を飲もうと思って何気なく腰を下ろした椅子も、
よく見ると河童の形をしていた。
思わず「おっと失礼」と河童に謝ってしまうほどである。
寺院としては日本的な古さを感じさせる、
いかにも由緒正しそうなお寺だ。
と同時に、どこか懐かしい感じもする。
よくよく観察すると、シンボルっぽい河童像を中心に
境内全体がレトロアートな感じにアレンジされているのが分かる。
これは後で知ったことだが、
ミュージシャンでありアーティストでもある現住職のセンスが
なせる業なのだ。
●鎌倉時代生まれの禅寺、河童と暮らして700年
「河童の寺」という通称が板についた栖足寺は、
実に700年の歴史を持つ古刹である。
その創建は元応元年(1319年)、鎌倉時代にまで遡る。
開山したのは下総総倉の城主千葉勝正の第三子である
徳瓊覚照禅師(とくけいかくしょうぜんじ)という、
なかなかに由緒正しい禅寺なのだ。
徳瓊覚照禅師は八歳で得度し、
二十歳にして大本山建長寺で建長寺開山の
大覚禅師(蘭渓道隆)の直系弟子として九年間、修行を積んだ。
その後、中国に渡って当時の禅の名僧たちに師事し、
帰国後は各地の名刹を歴任した。
そして元応元年、北条時宗の旗士であった北条政儀の招きにより、この河津の地にやってきたのである。
興味深いのは、もともとこの地には「政則寺」という
真言宗の寺があったということだ。
それを禅寺に改めて「栖足寺」としたのである。
「栖足」という寺号は、百丈禅師の「幽栖常ニ足ルコトヲ知ル」(静かな隠遁生活に常に満足することを知る)
という句から取られたと推測されている。なんとも禅寺らしい、
深い意味を込めた名前である。
●桜に負けた河童の末路と、寺が果たした避難所の役割
現在の住職にお話を伺うと、興味深い地域の歴史が見えてくる。
「大昔から栖足寺は河童寺として通っており、
河津桜で有名になる前--
昭和の時代までは、河津町は河童で町おこしをしていたんですよ」
今でこそ河津桜で全国的に有名になった河津町だが、
桜まつりが始まったのは今から34年前の
1991年(平成3年)のこと。
桜まつりは1999年(平成11年)には訪問客が100万人を超える
大イベントに成長したが、
それ以前は河童が町の看板だったのである。
「各旅館に河童のおちょこやとっくり、手ぬぐいなどがあったり、
商工会に飾られていたりしたんです。
でも桜が有名になって見向きもされなくなったので、
そういったものを寺で預かったんです」
なんとも皮肉な話である。
河童で町おこしをしていたのに、桜の方が大ブレイクしてしまい、
河童グッズは行き場を失ってしまったのだ。
そこで栖足寺が河童文化の避難所のような役割を
果たすことになったというわけである。
●「つくったが、作られていないように」のアート美学
現住職は過去10年あまりで、境内の大改修も手がけた。
「『つくったが、作られていないように』をテーマにしました」
ちょいダークで、幽玄なムードを醸し出す草木や苔。
人が一人、ゆうに入れそうな大瓶や、
まっ茶色に錆び付いた自転車のオブジェ。ユニークなアート哲学に基づいてアレンジされた境内は、
「雨が降ると河童寺っぽくなる」という演出も施され、
心憎いばかりだ。
書家の師範のスタッフもいるということで、
寺院としての格式を保ちながらも、
現代的なアート感覚を取り入れた斬新な取り組みである。
●先代住職の逝去と、一時休業中の河童ギャラリー
以前は客間で「河童ギャラリー」を開いて、
町から預かった河童グッズを展示していたそうだが、
昨年、先代住職が逝去され、いろいろな儀式があったため、
一旦片付けられ、まだ再開されていないとのことだった。
「河童ギャラリー、ぜひ見てみたかったのですが…」と言うと、
住職は苦笑いを浮かべながら、
「また準備が整い次第、再開する予定です」と答えてくれた。
●裏門の淵で暮らしていた、いたずら好きの住人
さて、そもそもなぜ栖足寺が河童寺と呼ばれるようになったのか。
それは江戸時代から語り継がれている河童伝説があるからだ。
昔、栖足寺の裏を流れる河津川の淵に、河童が住んでいた。
お寺の裏に位置するその場所は、
川が大きく蛇行して深い淵を作る「裏門」と呼ばれていた。
この河童、水浴びをしている子どもの足を引っ張るなど、
いろいろないたずらをして村人を困らせていた。
そのうち噂が一人歩きして、「河童が子どもの尻子玉を抜く」とか
「生き肝を食らう」などと大げさに伝えられるようになり、
村人たちは河童を恐がり、ついには憎むようになってしまった。
なんとも人間らしい話である。
最初は単なるいたずら者だった河童が、噂によってどんどん恐ろしい存在に仕立て上げられていく。現代でもよくある話だ。
●馬のしっぽにしがみついて御用となった河童
そして運命の日がやってきた。
ある夏の夕方、村人たちは寺の普請(建物の修理や建設)の手伝いをした後、裏の川で馬や道具を洗っていた。
そのとき一頭の馬が急にいななき、後ろ足を高く蹴り上げた。
そばにいた村人が驚いて見ると、馬のしっぽに何か黒いものがしがみついている。
よく見ると、それは噂に聞いていた河童だった。
「河童だ、河童がいるぞ!」
誰かが叫ぶと、近くにいた村人たちが一斉に集まってきた。
河童も捕まってしまったら大変と大慌てで逃げ出し、
裏門を抜けて寺の井戸に飛び込んだ。
ここでの河童の行動が実に人間臭い。
馬のしっぽにしがみつくという、
なんともマヌケな状況で発見され、
慌てふためいて逃げ出す様子が目に浮かぶようだ。
●井戸に逃げても逃げ切れず、袋叩きの刑
しかし村人たちは容赦しなかった。
井戸に逃げ込んだ河童に向かって、てんでに石を投げつけた。
河童はバラバラと落ちてくる石に我慢ができず、
井戸の中から這い出してきてしまった。これが失敗だった。
村人たちは河童を取り囲み、
「こやつはひどいやつだ。殺してしまえ」と叫びながら、
棒切れで叩き始めた。
ちょっとやりすぎな気もするが、
当時の人々にとって河童は子どもを攫う
恐ろしい妖怪だったのだから、無理もない話かもしれない。
●「殺生は禁物じゃ」-禅僧の慈悲が救った一命
ちょうどそこへ、栖足寺の和尚さんが帰ってきた。
村人たちが騒いでいるのを見て、何事かと近づいてみると、
河童が息も絶え絶えに倒れている。
それでもなお、村人たちは河童を叩き続けている。
和尚さんは大きな声で「皆の衆、やめられい」と叫んだ。
「今日は寺の普請の日じゃ。殺生は禁物じゃ。
寺の縁起にかかわる。この河童はわしが預かろう」
さすがは禅僧である。
暴力で問題を解決しようとする村人たちを諫め、
慈悲の心で河童を救おうとした。
村人たちも、寺の縁起にかかわるのでは仕方がないと、
和尚さんの言葉に従って河童を預けた。
●月夜に現れた河童からの、思いがけない恩返し
和尚さんは村人たちがいなくなると、
「これ河童、助けてやるからどこか遠くへ行きなさい」
と言って、河童を逃がしてやった。
この和尚さんの優しさが、後に奇跡を生むことになる。
その晩のこと、和尚さんは何者かが庫裏の戸を叩く音で
目を覚まし、縁側の雨戸を開けてみた。
すると、月明かりの中に昼間の河童が立っていたのである。
●河津川のせせらぎを封じ込めた、魔法の壺
河童は言った。
「昼間は助けていただき、ありがとうございました。おかげさまで命拾いをしました。このつぼはお礼のしるしです」
そう言って、丸い大きなつぼを縁側に置いた。
「このつぼに河津川のせせらぎを封じ込めました。
口に耳を当てると、水の流れる音がします。
水の音が聞こえたら、
わたしがどこかで生きていると思ってください。
和尚さまもどうぞお元気で」
そう言い残して、河童は立ち去ったのだ。
●令和の今も、壺に耳を当てれば
和尚さんは夢心地で聞いていたが、
我に返ると確かに縁側に大きなつぼが置いてあるので、
河童が本当に来たのだと確信した。
それからというもの、河津川に河童が姿を現すことはなくなり、
村人たちもいつしか河童のことは忘れていった。
けれども和尚さんは時折つぼの口に耳を当て、
底の方から聞こえる、かすかな水音を聞いて、
河童の無事を思った。
また、河津川に出水があった際、
このつぼがゴウゴウとうなりを上げて知らせ、
人々が助かったこともあり、
それから寺の宝として大切に奉られてきたという。
今でもつぼに耳を当てると、川のせせらぎが聞こえ、
河童が元気で生きていることを伺える。
そして人々は水の流れが心を洗うと言い、
ありがたく拝聴していくのである。
●果たして河童の声は聞こえるのか~後編への誘い~
さて、この河童の壺、実は現在も栖足寺に残されており、
実際に耳を当てて音を聞くことができるのだという。
果たして本当に河童の封じ込めた河津川のせせらぎが
聞こえるのだろうか。
後編では、この神秘的な河童の壺による
不思議体験をレポートする。
僕は雨に濡れた境内で河童たちに見守られながら、
数百年の時を超えた河童との不思議な邂逅を
体験することになるのだが、
その詳細は次回のお楽しみということにしておこう。
後編ではいよいよ河津桜で有名になる前の河津町の隠れた魅力、
そして現代まで語り継がれる河童伝説の真相に迫る。
(後編に続く)
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国鉄労組の闘争、職場ハラスメント、そして新幹線運転士から映像クリエイターへ——。
一つの人生で二つの花を咲かせた男の物語がここにあります。
「会社のイヌ」と呼ばれながらも昇進を重ね、還暦を過ぎて再び人生の岐路に立った時、彼が選んだのは「映像調理師®」という前代未聞の職業でした。
人生の味わい深いエピソードを素材に、心に残る映像作品を調理する高塩博幸さんの、笑いあり涙ありの起業ストーリー!
かつて新幹線を走らせた男が、今は人々の人生を映像に残す「調理師」として奮闘しています。本書「鉄道マン発 映像調理師」は、シニア起業家・高塩博幸さんの波乱万丈な人生を追ったルポルタージュです。
高校生だった高塩少年は祖父の「助役、駅長になるまで頑張りなさい」という助言を胸に国鉄に入社。その後、国鉄分割民営化という荒波を乗り越え、JR東海で着実にキャリアを積み上げていきます。
しかし、組合闘争に巻き込まれ「会社のイヌ」と呼ばれる日々も。それでも持ち前の向上心で課長(助役)まで昇り詰めた彼が、還暦を迎えてなぜ映像の世界に飛び込んだのでしょうか?
映像クリエイターとしての第二の人生では、自らを「映像調理師®」と名乗り、終活映像市場という未開拓の分野に挑戦。
「自分史・遺言ムービー」「家系史継承箱」「死後の自分史」など、ユニークなサービスを展開しています。
運転士の教官として培ったインタビュー術を駆使し、クライアントの人生ストーリーを掘り起こす手腕は、まさに「料理人」の腕前。AIなど最新ツールも取り入れた彼の仕事術には、学ぶべきものがたくさんあります。
人生100年時代、60歳は終わりではなく新たな始まり。
足立区北千住を拠点に奮闘する高塩さんの姿は、
第二の人生を模索するすべての人の道標となるでしょう。
「映画より映写室が好きだった少年」が、なぜ映像の世界へ?
「停止位置不良」の夢に悩まされながらも前に進む姿に、
あなたも勇気をもらえるはずです。
本書は単なる成功物語ではありません。
昭和から令和へ、激動の時代を生き抜いてきた一人の男が、
失敗や挫折を乗り越え、常に前向きに人生を切り開く姿を描いた珠玉のドキュメントです。
起業に関心のある方、自分史や社史作成を考えている方、
そして鉄道マンの皆さん必読の一冊です。
人生という料理の「下ごしらえ」から学ぶべき知恵がここにあります!
今年の干支は?
って聞かれて「えーと」なんてダジャレてる人、
けっこう多いのでは?
1年半分の6月ともなると、お正月の熱狂もどこへやら。
今年は何年だったか、みんな忘れてしまっている。
改めて、今年-2015年、令和7年はヘビ年。
そのせいか、この春からは初夏にかけて、
川沿いを散歩していると、やたらとヘビに出会う。
護岸の下のコンクリの岸の上に
何やら太いロープが落ちているなと思ったら、ヘビ。
散歩道の植え込みの中で何かにょーっと
動いているなと思ったら、ヘビ。
手すりに何か紐みたいなものが
ぶら下がってるなと思ったら、ヘビ。
そして昨日は、くねくねしながら悠々と川を泳いでいる
ヘビを目撃。
どれも長さ1メートルほどの青黒いアオダイショウだ。
周囲にはカルガモやコサギ、アオサギ、
カワウなどの水鳥が何羽もいるが、
さすがにこれらは体が大きいので襲ったりはしない。
うまいこと共存しているようだ。
そろそろカルガモの赤ちゃんが生まれる時期なのだが、
今からそれを狙っているのだろうか?
毎年1回か2回、
梅雨から梅雨明けの時期にお見掛けするヘビだが、
今年はすでに目撃4回。
ヘビ年大売り出しだ。
遭遇するとちょっとギョッとはするが、
ヘビに遭うとラッキーなのだそうな。
そういえば数年前だが、
住宅街の道路を白ヘビが
超高速で横切るのを見たことがある。
神の使いともいわれるヘビ。
今度会ったら手を合わせて願いを唱えよう。
人の気配が薄れる夜の時間は、
ネズミでも襲って腹を満たしているのだろうか。
杉並区も人間が知らないところで
ワイルドな世界が繰り広げられている。
「イタリアに行きたい」と、カミさんが言うので、
「んなら行くか」と、新宿の映画館に出かけた。
「岸辺露伴は動かない 懺悔室」。
人気ドラマ・岸辺露伴シリーズの映画版で、
オールヴェネチアロケ。
映画館のスクリーンで見るヴェネチアの風景は圧巻だ。
テレビでやっていたドラマは一度も見たことがなかったので、
ははぁ、こういうファンタジックな話か、と感心。
主人公は漫画家で、人の人生ストーリーが読め、
そこに書き込み・改ざんを加えられるという特殊能力の持ち主。
それによって事件を解決していくストーリーだ。
原作のマンガも全く知らないが、
高橋一生は超ハマり役だと思った。
舞台となるヴェネチアは、言わずと知れた世界遺産。
ルキノ・ヴィスコンティの「ベニスに死す」をはじめ、
幾多の映画・文学・芸術に描かれてきた。
年中、観光客が押し寄せていると思うが、
いったいどうやって撮影したのだろうと思うぐらい、
人気が少なく、その分、どこもため息が出るほど美しく、
歴史が醸し出す豊潤な空気に包まれている。
僕は40年弱前、ヨーロッパを放浪していて、
ヴェネチアにも訪れたが、
見た目はその頃とほとんど変わっていない気がする。
それは当たり前で、
この街は「変ってはいけない」ことを義務付けられている。
世界遺産になった宿命みたいなものである。
車はもちろん、自転車も街の中に入れない。
観光客がわんさか来るのだから、
スタバやマックなどの店もありそうだが、
少なくともその看板などが景観に入り込んではいけない。
そうした規制も多いはずだ。
オーバーツーリズムを避けるため、
街に入るための入場料徴収も検討されているという。
世界中の観光客が称賛する「水の都」だが、
僕には無性に物憂げで哀しみを帯びた場所に思える。
一見、ラテン気質で、明るいイメージのイタリアだが、
僕の体感では、どこの街もその明るさの裏に
奇妙な暗さ・屈折・残酷・哀愁があって、
どう対処していいのか、戸惑うことが多かった。
ヴェネチアはその最たる街だ。
さらに、そもそもヴェネチアは、ローマやミラノのような
スケールの都市ではなく、
せいぜい東京23区の1区くらいの規模の街。
そこに独自の文化が集約されている。
観光も急げば半日、1日あれば十分見て回れるので、
実際の観光収入はそんなにないのではないか。
ヴェネチアを舞台とした映画で、
ジョニー・ディップ主演の「ツーリスト」(2010年)
という作品があった。
そのなかで水路から直接入れる高級なホテルが出てくるが、
たぶん、ヴェネチアで宿泊できるのは、
ああしたセレブ御用達の超高級なところばかりで、
普通の観光客は半日、1日わさわさと歩いたり、
ゴンドラやボートに乗ったり、
写真を撮ったら、夜は郊外の安いホテルに行くのだろう。
僕もヴェネチアで泊まった覚えはないので、
多分そうしたのだと思う。
それとも今は、古いお屋敷を民泊にしているところなどが
あるのだろうか?
観光地の常で、遺産的な街並みばかりが目に入って、
この街の住人たちがどうやって暮らしているか、
庶民の生活・普通に働く労働者たちが見えてこないので、
ひどく気にかかる。
この岸辺露伴の映画も、
けっして明るく陽気なイタリアンのトーンではなく、
人生の運命や呪いを描いた、憂鬱で哀しく残酷なものだ。
それが美しい水の都の風景と奇妙にマッチしていているのが、
とても心に残った。
地球温暖化で水没の危険がささやかれるヴェネチア。
この風景はいったいいつまで見られるのだろう?
国鉄労組の闘争、職場ハラスメント、
そして新幹線運転士から映像クリエイターへ——。
一つの人生で二つの花を咲かせた男の物語がここにあります。
「会社のイヌ」と呼ばれながらも昇進を重ね、
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笑いあり涙ありの起業ストーリー!
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もくじ
第1章 高塩さんと映像の仕事
映像調理師®高塩博幸
エンディング産業展2022
倫理法人会での人脈から映像制作を受注
おいしい料理は“下ごしらえ”から
その人のストーリーを見つける作業
運転士の教官として培ったインタビュー術
AIなど最新ツールの駆使
ユニークなサービスメニュー
★ 自分史・遺言ムービー「nokosu」
★ nokosu 周年映像制作
★ 家系史継承箱《メモリアルボックス》
★ 死後の自分史
★ 子ども史・子育て自分史
●講座開設
★ 講座「スマホで自分史動画を作ろう!」
★ 講座「AIを使ってコマーシャル動画をつくる」
なぜ人は自分史を作ろうとするのか?
第2章 高塩さんの起業家スピリット
誰もがアーティストになれる
人生百年時代のチャレンジャー
ケンタッキーおじさんでもよかった
芸術と起業の街・足立区北千住からの再出発
映像調理師®誕生の舞台裏
映画より映写室が好きな子ども
きみは「ポピュラーチューズデイ」を聴いたか?
コンサートで音響アルバイトを経験
あんた、学校行ってどうするの?
高塩家のファミリーヒストリー
日本電子工学院と国鉄のW受験
第3章 高塩さんのJR東海道中膝栗毛
クリスマスエクスプレスに涙ぐむおじさん
花形鉄道マン
昭和の「青春18きっぷ」
国鉄百年の盛衰
組合闘争に巻き込まれて
「会社のイヌ」と呼ばれて
出世の秘密
JR東海出世街道
人生の憂鬱な昼下がり
鉄道マン最後の日
第4章 高塩さんと終活映像市場
高齢化社会における終活市場の拡大
映像が紡ぐ、新たな人生のしまい方
終活映像市場に輝く、ブルーオーシャンスターズの価値
映像調理師®の理念
欲しいけど欲しくない:終活映像営業の難しさ
終活映像市場に咲く、高塩博幸の営業哲学
新しいアプローチ
第5章 ブルーオーシャンスターズの未来
AIの進化を追いかけて
高塩式AIディレクター構想
10年後・20年後の世界を見据えて
「停止位置不良」の夢を見た人、来たれ!
今、60歳が人生の新たなスタート地点
シニアも若者も必読!生き方に悩む人のためのリアルな参考書
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高塩博幸の人生甘辛レシピ
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★本日6月2日(月)発売!
エッセイ集:AI・ロボット2
僕たちはすでにセンチメンタルなサイボーグである
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スマホを握りしめ、メガネをかけ、工場製の服を着て生きている僕たち。実はもう「純粋な人間」なんてどこにもいません。世界的ロボット工学者が断言するように、現代人はすでに「動物と技術を合わせたもの」なのです。AIにパワハラプロンプトを仕掛け、アンドロイド観音に手を合わせ、エロコンテンツで技術革新を推し進める——抗えないテクノロジーの波に翻弄されながらも、どこか愛おしいAI・ロボットたちとの共存を模索する現代人の心境を、ユーモアと哲学的洞察で描いたエッセイ集です。
★6月4日(水)16:00~9日(月)15:59 無料キャンペーン!
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