なぜ日本ではカエルはかわいいキャラなのか?

 

 「かえるくん、東京を救う」というのは村上春樹の短編小説の中でもかなり人気の高い作品です。

 主人公がアパートの自分の部屋に帰ると、身の丈2メートルはあろうかというカエルが待っていた、というのだから、始まり方はほとんど恐怖小説。

 ですが、その巨大なカエルが「ぼくのことは“かえるくん”と呼んでください」と言うのだから、たちまちシュールなメルヘンみたいな世界に引き込まれてしまいます。

 

 この話は阪神大震災をモチーフにしていて、けっして甘いメルヘンでも、面白おかしいコメディでもないシリアスなストーリーなのですが、このかえるくんのセリフ回しや行動が、なんとも紳士的だったり、勇敢だったり、愛らしかったり、時折ヤクザだったりして独特の作品世界が出来上がっています。

 

 しかし、アメリカ人の翻訳者がこの作品を英訳するとき、この「かえるくん」という呼称のニュアンスを、どう英語で表現すればいいのか悩んだという話を聞いて、さもありなんと思いました。

 

 このカエルという生き物ほど、「かわいい」と「気持ち悪い」の振れ幅が大きい動物も珍しいのではないでしょうか。

でも、その振れ幅の大きさは日本人独自の感覚のような気もします。

 

 欧米人はカエルはみにくい、グロテスクなやつ、場合によっては悪魔の手先とか、魔女の使いとか、そういう役割を振られるケースが圧倒的に多い気がします。

 

 ところが、日本では、けろけろけろっぴぃとか、コルゲンコーワのマスコットとか、木馬座アワーのケロヨンとか、古くは「やせガエル 負けるな 一茶ここにあり」とか、かわいい系・愛すべき系の系譜がちゃんと続いていますね。

 

 僕が思うに、これはやっぱり稲作文化のおかげなのではないでしょうか。

 お米・田んぼと親しんできた日本人にとって、田んぼでゲコゲコ鳴いているカエルくんたちは、友だちみたいな親近感があるんでしょうね。

 そして、彼らの合唱が聞こえる夏の青々とした田んぼの風景は、今年もお米がいっぱい取れそう、という期待や幸福感とつながっていたのでしょう。

 カエル君に対するよいイメージはそういうところからきている気がします。

 

 ちなみに僕の携帯電話はきみどり色だけど、「カエル色」って呼ばれています。

 茶色いのも黄色っぽいもの黒いのもいるけど、カエルと言えばきれいなきみどり色。やっぱ、アマガエルじゃないとかわいくないからだろうね、きっと。

 雨の季節。そういえば、ここんとこ、カエルくんと会ってないなぁ。ケロケロ。


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家族ストーリーを書く仕事② 個の家族

 

  「これから生まれてくる子孫が見られるように」

 ――今回の家族ストーリー(ファミリーヒストリー)を作った動機について、3世代の真ん中の息子さん(団塊ジュニア世代)は作品の最後でこんなメッセージを残しています。

 彼の中にはあるべき家族の姿があった。しかし現実にはそれが叶わなかった。だからやっと安定し、幸福と言える現在の形を映像に残すことを思い立った――僕にはそう取れます。

 

 世間一般の基準に照らし合わせれば、彼は家庭に恵まれなかった人に属するでしょう。かつて日本でよく見られた大家族、そして戦後の主流となった夫婦と子供数人の核家族。彼の中にはそうした家族像への憧れがあったのだと思います。

 

 けれども大家族どころか、核家族さえもはや過去のものになっているのでないか。今回の映像を見ているとそう思えてきます。

 

 団塊の世代の親、その子、そして孫(ほぼ成人)。

 彼らは家族であり、互いに支え合い、励まし合いながら生きている。

 けれど、その前提はあくまで個人。それぞれ個別の歴史と文化を背負い、自分の信じる幸福を追求する人間として生きている。

 

 むかしのように、まず家があり、そこに血のつながりのある人間として生まれ、育つから家族になるのではなく、ひとりひとりの個人が「僕たちは家族だよ」という約束のもとに集まって愛情と信頼を持っていっしょに暮らす。あるいは、離れていても「家族だよ」と呼び合い、同様に愛情と信頼を寄せ合う。だから家族になる。

 

 これからの家族は、核家族からさらに小さな単位に進化した「ミニマム家族」――「個の家族」とでもいえばいいのでしょうか。

 比喩を用いれば、ひとりひとりがパソコンやスマホなどのデバイスであり、必要がある時、○○家にログインし、ネットワークし、そこで父・母・息子・娘などの役割を担って、相手の求めることに応じる。それによってそれぞれが幸福を感じる。そうした「さま」を家族と呼称する――なかなかスムーズに表現できませんが、これからはそういう家族の時代になるのではないでしょうか。

 

 なぜなら、そのほうが現代のような個人主義の世の中で生きていくのに何かと便利で快適だからです。人間は自身の利便性・快適性のためになら、いろいろなものを引き換えにできます。だから進化してこられたのです。

 

 引き換えに失ったものの中にももちろん価値があるし、往々にして失ってみて初めてその価値に気づくケースがあります。むかしの大家族しかり。核家族しかり。こうしてこれらの家族の形態は、今後、一種の文化遺産になっていくのでしょう。

 好きか嫌いかはともかく、そういう時代に入っていて、僕たちはもう後戻りできなくなっているのだと思います。

 

 将来生まれてくる子孫のために、自分の家族の記憶を本なり映像なりの形でまとめて遺す―― もしかしたらそういう人がこれから結構増えるのかもしれません。

 

 

2016・6・27 Mon


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家族ストーリーを書く仕事① 親子3世代の物語

 

 親子3世代の物語がやっと完成一歩手前まで来ました。

 昨年6月、ある家族のヒストリー映像を作るというお仕事を引き受けて、台本を担当。

足掛け1年掛かりでほぼ完成し、残るはクライアントさんに確認を頂いて、最後にナレーションを吹き込むのみ、という段階までこぎつけたのです。

 

 今回のこの仕事は、ディレクターが取材をし、僕はネット経由で送られてくるその音源や映像を見て物語の構成をしていきました。そのディレクターとも最初に1回お会いしただけでご信頼を頂いたので、そのあとはほとんどメールのやり取りのみで進行しました。インターネットがあると、本当に家で何でもできてしまいます。

 ですから時間がかかった割には、そんなに「たいへん感」はありませんでした。

 

 取材対象の人たちともリアルでお会いしたことはなく、インタビューの音声――話の内容はもとより、しゃべり方のくせ、間も含めて――からそれぞれのキャラクターと言葉の背景にある気持ちを想像しながらストーリーを組み立てていくのは、なかなかスリリングで面白い体験でした(最初の下取材の頃はディレクターがまだ映像を撮っていなかったので、レコーダーの音源だけを頼りにやっていました)。

 

 取材対象と直接会わない、会えないという制限は、今までネガティブに捉えていたのですが、現場(彼らの生活空間や仕事空間)の空気がわからない分、余分な情報に戸惑ったり、感情移入のし過ぎに悩まされたりすることがありません。

 適度な距離を置いてその人たちを見られるので、かえってインタビューの中では語られていない範囲まで自由に発想を膨らませられ、こうしたドキュメンタリーのストーリーづくりという面では良い効果もあるんだな、と感じました。

 

 後半(今年になってから)、全体のテーマが固まり、ストーリーの流れが固まってくると、今度は台本に基づいて取材がされるようになりました。

 戦後の昭和~平成の時代の流れを、団塊の世代の親、その息子、そして孫(ほぼ成人)という一つの家族を通して見ていくと、よく目にする、当時の出来事や風俗の記録映像も、魂が定着くした記憶映像に見えてきます。

 これにきちんとした、情感豊かなナレーターの声が入るのがとても楽しみです。

 

 

2016・6・26 Sun


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ゴマスリずんだ餅と正直ファンタじいさん

 

おもちペタペタ伊達男

 

  今週日曜(19日)の大河ドラマ「真田丸」で話題をさらったのは、長谷川朝晴演じる伊達政宗の餅つきパフォーマンスのシーン。「独眼竜」で戦国武将の中でも人気の高い伊達政宗ですが、一方で「伊達男」の語源にもなったように、パフォーマーというか、歌舞伎者というか、芝居っけも方もたっぷりの人だったようです。

 

 だから、餅つきくらいやってもおかしくないのでしょうが、権力者・秀吉に対してあからさまにこびへつらい、ペッタンコとついた餅にスリゴマを・・・じゃなかった、つぶした豆をのっけて「ずんだ餅でございます」と差し出す太鼓持ち野郎の姿に、独眼竜のカッコいいイメージもこっぱみじんでした。

 

 僕としては「歴人めし」の続編のネタ、一丁いただき、と思ってニヤニヤ笑って見ていましたが、ファンの人は複雑な心境だったのではないのでしょうか。(ネット上では「斬新な伊達政宗像」と、好意的な意見が多かったようですが)。

 

 しかし、この後、信繁(幸村=堺雅人)と二人で話すシーンがあり、じつは政宗、今はゴマスリ太鼓持ち野郎を演じているが、いずれ時が来れば秀吉なんぞ、つぶしてずんだ餅にしてやる・・・と、野心満々であることを主人公の前で吐露するのです。

 で、これがクライマックスの関ヶ原の伏線の一つとなっていくわけですね。

 

裏切りのドラマ

 

 この「真田丸」は見ていると、「裏切り」が一つのテーマとなっています。

 出てくるどの武将も、とにかくセコいのなんのttらありゃしない。立派なサムライなんて一人もいません。いろいろな仮面をかぶってお芝居しまくり、だましだまされ、裏切り裏切られ・・・の連続なのです。

 

 そりゃそうでしょう。乱世の中、まっすぐ正直なことばかりやっていては、とても生き延びられません。

 この伊達政宗のシーンの前に、北条氏政の最後が描かれていましたが、氏政がまっすぐな武将であったがために滅び、ゴマスリ政宗は生き延びて逆転のチャンスを掴もうとするのは、ドラマとして絶妙なコントラストになっていました。

 

 僕たちも生きるためには、多かれ少なかれ、このゴマスリずんだ餅に近いことを年中やっているのではないでしょうか。身過ぎ世過ぎというやつですね。

 けれどもご注意。

 人間の心とからだって、意外と正直にできています。ゴマスリずんだ餅をやり過ぎていると、いずれまとめてお返しがやってくるも知れません。

 

人間みんな、じつは正直者

 

 どうしてそんなことを考えたかと言うと、介護士の人と、お仕事でお世話しているおじいさんのことについて話したからです。

 そのおじいさんはいろんな妄想に取りつかれて、ファンタジーの世界へ行っちゃっているようなのですが、それは自分にウソをつき続けて生きてきたからではないか、と思うのです。

 

 これは別に倫理的にどうこうという話ではありません。

 ごく単純に、自分にウソをつくとそのたびにストレスが蓄積していきます。

 それが生活習慣になってしまうと、自分にウソをつくのが当たり前になるので、ストレスが溜まるのに気づかない。そういう体質になってしまうので、全然平気でいられる。

 けれども潜在意識は知っているのです。

 「これはおかしい。これは違う。これはわたしではな~い」

 

 そうした潜在意識の声を、これまた無視し続けると、齢を取ってから自分で自分を裏切り続けてきたツケが一挙に出て来て、思いっきり自分の願いや欲望に正直になるのではないでしょうか。

 だから脳がファンタジーの世界へ飛翔してしまう。それまでウソで歪めてきた自分の本体を取り戻すかのように。

 つまり人生は最後のほうまで行くとちゃんと平均化されるというか、全体で帳尻が合うようにできているのではないかな。

 

自分を大事にするということ

 

 というのは単なる僕の妄想・戯言かも知れないけど、自分に対する我慢とか裏切りとかストレスとかは、心や体にひどいダメージを与えたり、人生にかなりの影響を及ぼすのではないだろうかと思うのです。

 

 みなさん、人生は一度きり。身過ぎ世過ぎばっかりやってると、それだけであっという間に一生終わっちゃいます。何が自分にとっての幸せなのか?心の内からの声をよく聴いて、本当の意味で自分を大事にしましょう。

 介護士さんのお話を聞くといろんなことを考えさせられるので、また書きますね。

 

 

 

2016/6/23 Thu


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死者との対話:父の昭和物語

 

 すぐれた小説は時代を超えて読み継がれる価値がある。特に現代社会を形作った18世紀から20世紀前半にかけての時代、ヨーロッパ社会で生まれた文学には人間や社会について考えさせられる素材にあふれています。

 

その読書を「死者との対話」と呼んだ人がいます。うまい言い方をするものだと思いました。

 

僕たちは家で、街で、図書館で、本さえあれば簡単にゲーテやトルストイやドストエフスキーやブロンテなどと向かい合って話ができます。別にスピリチュアルなものに関心がなくても、書き残したものがあれば、私たちは死者と対話ができるのです。

 

 もちろん、それはごく限られた文学者や学者との間で可能なことで、そうでない一般大衆には縁のないことでしょう。これまではそうでした。しかし、これからの時代はそれも可能なことではないかと思います。ただし、不特定多数の人でなく、ある家族・ある仲間との間でなら、ということですが。

 

 僕は父の人生を書いてみました。

 父は2008年の12月に亡くなりました。家族や親しい者の死も1年ほどたつと悲しいだの寂しいだの、という気持ちは薄れ、彼らは自分の人生においてどんな存在だったのだろう?どんなメッセージを遺していったのだろう?といったことを考えます。

 

父のことを書いてみようと思い立ったのは、それだけがきっかけではありませんでした。

死後、間もない時に、社会保険事務所で遺族年金の手続きをする際に父の履歴書を書いて提出しました。その時に感じたのは、血を分けた家族のことでも知らないことがたくさんあるな、ということでした。

じつはそれは当り前のことなのだが、それまではっきりとは気が付いていませんでした。なんとなく父のことも母のこともよく知っていると思いすごしていたのです。

実際は私が知っているのは、私の父親としての部分、母親としての部分だけであり、両親が男としてどうだったか、女としてどうだったか、ひとりの人間としてどうだったのか、といったことなど、ほとんど知りませんでした。数十年も親子をやっていて、知るきっかけなどなかったのです。

 

父の仕事ひとつ取ってもそうでした。僕の知っている父の仕事は瓦の葺換え職人だが、それは30歳で独立してからのことで、その前――20代のときは工場に勤めたり、建築会社に勤めたりしていたのです。それらは亡くなってから初めて聞いた話です。

そうして知った事実を順番に並べて履歴書を作ったのですが、その時には強い違和感というか、抵抗感のようなものを感じました。それは父というひとりの人間の人生の軌跡が、こんな紙切れ一枚の中に納まってしまうということに対しての、寂しさというか、怒りというか、何とも納得できない気持ちでした。

 

父は不特定多数の人たちに興味を持ってもらえるような、波乱万丈な、生きる迫力に満ち溢れた人生を歩んだわけはありませんい。むしろそれらとは正反対の、よくありがちな、ごく平凡な庶民の人生を送ったのだと思います。

けれどもそうした平凡な人生の中にもそれなりのドラマがあります。そして、そのドラマには、その時代の社会環境の影響を受けた部分が少なくありません。たとえば父の場合は、昭和3(1928)に生まれ、平成元年(1989)に仕事を辞めて隠居していました。その人生は昭和の歴史とほぼ重なっています。

 

ちなみにこの昭和3年という年を調べてみると、アメリカでミッキーマウスの生まれた(ウォルト・ディズニーの映画が初めて上映された)年です。

父は周囲の人たちからは実直でまじめな仕事人間と見られていましたが、マンガや映画が好きで、「のらくろ」だの「冒険ダン吉」だのの話をよく聞かせてくれました。その時にそんなことも思い出したのです。

 

ひとりの人間の人生――この場合は父の人生を昭和という時代にダブらせて考えていくと、昭和の出来事を書き連ねた年表のようなものとは、ひと味違った、その時代の人間の意識の流れ、社会のうねりの様子みたいなものが見えてきて面白いのではないか・・・。そう考えて、僕は父に関するいくつかの個人的なエピソードと、昭和の歴史の断片を併せて書き、家族や親しい人たちが父のことを思い起こし、対話できるための一遍の物語を作ってみようと思い立ちました。

本当はその物語は父が亡くなる前に書くべきだったのではないかと、少し後悔の念が残っています。

生前にも話を聞いて本を書いてみようかなと、ちらりと思ったことはあるのですが、とうとう父自身に自分の人生を振り返って……といった話を聞く機会はつくれませんでした。たとえ親子の間柄でも、そうした機会を持つことは難しいのです。思い立ったら本気になって直談判しないと、そして双方互いに納得できないと永遠につくることはできません。あるいは、これもまた難しいけど、本人がその気になって自分で書くか・・・。それだけその人固有の人生は貴重なものであり、それを正確に、満足できるように表現することは至難の業なのだと思います。

 

実際に始めてから困ったのは、父の若い頃のことを詳しく知る人など、周囲にほとんどいないということ。また、私自身もそこまで綿密に調査・取材ができるほど、時間や労力をかけるわけにもいきませんでした。

だから母から聞いた話を中心に、叔父・叔母の話を少し加える程度にとどめ、その他、本やインターネットでその頃の時代背景などを調べながら文章を組み立てる材料を集めました。そして自分の記憶――心に残っている言葉・出来事・印象と重ね合わせて100枚程度の原稿を作ってみたのです。

 

自分で言うのもナンですが、情報不足は否めないものの、悪くない出来になっていて気に入っています。これがあるともうこの世にいない父と少しは対話できる気がするのです。自分の気持ちを落ち着かせ、互いの生の交流を確かめ、父が果たした役割、自分にとっての存在の意味を見出すためにも、こうした家族や親しい者の物語をつくることはとても有効なのではないかと思います。

 

 高齢化が進む最近は「エンディングノート」というものがよく話題に上っています。

「その日」が来た時、家族など周囲の者がどうすればいいか困らないように、いわゆる社会的な事務手続き、お金や相続のことなどを書き残すのが、今のところ、エンディングノートの最もポピュラーな使い方になっているようだ。

もちろん、それはそれで、逝く者にとっても、後に残る者にとっても大事なことです。しかし、そうすると結局、その人の人生は、いくらお金を遺したかとか、不動産やら建物を遺したのか、とか、そんな話ばかりで終わってしまう恐れもあります。その人の人生そのものが経済的なこと、物質的なものだけで多くの人に価値判断されてしまうような気がするのです。

 

けれども本当に大事なのは、その人の人生にどんな意味や価値があったのか、を家族や友人・知人たちが共有することが出来る、ということではないでしょうか。

そして、もしその人の生前にそうしたストーリーを書くことができれば、その人が人生の最期の季節に、自分自身を取り戻せる、あるいは、取り戻すきっかけになり得る、ということではないでしょうか。

 

 


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赤影メガネとセルフブランディング

 ♪赤い仮面は謎の人 どんな顔だか知らないが キラリと光る涼しい目 仮面の忍者だ

赤影だ~

 というのは、テレビの「仮面の忍者 赤影」の主題歌でしたが、涼しい目かどうかはともかく、僕のメガネは10数年前から「赤影メガネ」です。これにはちょっとした物語(というほどのものではないけど)があります。

 

 当時、小1だか2年の息子を連れてメガネを買いに行きました。

 それまでは確か茶色の細いフレームの丸いメガネだったのですが、今回は変えようかなぁ、どうしようかなぁ・・・とあれこれ見ていると、息子が赤フレームを見つけて「赤影!」と言って持ってきたのです。

 

 「こんなの似合うわけないじゃん」と思いましたが、せっかく選んでくれたのだから・・・と、かけてみたら似合った。子供の洞察力おそるべし。てか、単に赤影が好きだっただけ?

 とにかく、それ以来、赤いフレームのメガネが、いつの間にか自分のアイキャッチになっていました。自分の中にある自分のイメージと、人から見た自分とのギャップはとてつもなく大きいもの。

 独立・起業・フリーランス化ばやりということもあり、セルフブランディングがよく話題になりますが、自分をどう見せるかというのはとても難しい。自分の中にある自分のイメージと、人から見た自分とのギャップはとてつもなく大きいのです。

 とはいえ、自分で気に入らないものを身に着けてもやっぱり駄目。できたら安心して相談できる家族とか、親しい人の意見をしっかり聞いて(信頼感・安心感を持てない人、あんまり好きでない人の意見は素直に聞けない)、従来の考え方にとらわれない自分像を探していきましょう。

 


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ベビーカーを押す男

 

・・・って、なんだか歌か小説のタイトルみたいですね。そうでもない?

 ま、それはいいんですが、この間の朝、実際に会いました。ひとりでそそくさとベビーカーを押していた彼の姿が妙に心に焼き付き、いろいろなことがフラッシュバックしました。

 BACK in the NEW YORK CITY。

 僕が初めてニューヨークに行ったのは約30年前。今はどうだか知らないけど、1980年代のNYCときたらやっぱ世界最先端の大都会。しかし、ぼくがその先端性を感じたのは、ソーホーのクラブやディスコでもなでもなく、イーストビレッジのアートギャラリーでもなく、ブロードウェイのミュージカルでもなく、ストリートのブレイクダンスでもなく、セントラルパークで一人で子供と散歩しているパパさんたちでした。

 

 特におしゃれでも何でもない若いパパさんたちが、小さい子をベビーカーに乗せていたり、抱っこひもでくくってカンガルーみたいな格好で歩いていたり、芝生の上でご飯を食べさせたり、オムツを替えたりしていたのです。

 

 そういう人たちはだいたい一人。その時、たまたま奥さんがほっとその辺まで買い物に行っているのか、奥さんが働いて旦那がハウスハズバンドで子育て担当なのか、はたまた根っからシングルファーザーなのかわかりませんが、いずれにしてもその日その時、出会った彼らはしっかり子育てが板についている感じでした。

 

 衝撃!・・というほどでもなかったけど、なぜか僕は「うーん、さすがはニューヨークはイケてるぜ」と深く納得し、彼らが妙にカッコよく見えてしまったのです。

 

 

 そうなるのを念願していたわけではないけれど、それから約10年後。

 1990年代後半の練馬区の路上で、僕は1歳になるかならないかの息子をベビーカーに乗せて歩いていました。たしか「いわさきちひろ美術館」に行く途中だったと思います。

 向こう側からやってきたおばさんが、じっと僕のことを見ている。

 なんだろう?と気づくと、トコトコ近寄ってきて、何やら話しかけてくる。

 どこから来たのか?どこへ行くのか? この子はいくつか? 奥さんは何をやっているのいか?などなど・・・

 

 「カミさんはちょっと用事で、今日はいないんで」と言うと、ずいぶん大きなため息をつき、「そうなの。私はまた逃げられたと思って」と。

 おいおい、たとえそうだとしても、知らないあんたに心配されたり同情されたりするいわれはないんだけど。

 

 別に腹を立てたわけではありませんが、世間からはそういうふうにも見えるんだなぁと、これまた深く納得。

 あのおばさんは口に出して言ったけど、心の中でそう思ってて同情だか憐憫だかの目で観ている人は結構いるんだろうなぁ、と感じ入った次第です。

 

 というのが、今から約20年前のこと。

 その頃からすでに「子育てしない男を父とは呼ばない」なんてキャッチコピーが出ていましたが、男の子育て環境はずいぶん変化したのでしょうか?

 表面的には イクメンがもてはやされ、育児関係・家事関係の商品のコマーシャルにも、ずいぶん男が出ていますが、実際どうなのでしょうか?

 

 件のベビーカーにしても、今どき珍しくないだろう、と思いましたが、いや待てよ。妻(母)とカップルの時は街の中でも電車の中でもいる。それから父一人の時でも子供を自転車に乗せている男はよく見かける。だが、ベビーカーを“ひとりで”押している男はそう頻繁には見かけない。これって何を意味しているのだろう? と、考えてしまいました。

 

 ベビーカーに乗せている、ということは、子供はだいたい3歳未満。保育園や幼稚園に通うにはまだ小さい。普段は家で母親が面倒を見ているというパターンがやはりまだまだ多いのでしょう。

 

 そういえば、保育園の待機児童問題って、お母さんの声ばかりで、お父さんの声ってさっぱり聞こえてこない。そもそも関係あるのか?って感じに見えてしまうんだけど、イクメンの人たちの出番はないのでしょうか・・・。

 

2016年6月16日


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インターネットがつくるフォークロア

 

インターネットの出現は社会を変えた――ということは聞き飽きるほど、あちこちで言われています。けれどもインターネットが本格的に普及したのは、せいぜいここ10年くらいの話。全世代、全世界を見渡せば、まだ高齢者の中には使ったことがないという人も多いし、国や地域によって普及率の格差も大きい。だから、その変化の真価を国レベル・世界レベルで、僕たちが実感するのはまだこれからだと思います。

それは一般によくいわれる、情報収集がスピーディーになったとか、通信販売が便利になったとか、というカテゴリーの話とは次元が違うものです。もっと人間形成の根本的な部分に関わることであり、ホモサピエンスの文化の変革にまでつながること。それは新しい民間伝承――フォークロアの誕生です。

 

“成長過程で自然に知ってしまう”昔話・伝承

 

最初はどこでどのように聞いたのか覚えてないですが、僕たちは自分でも驚くほど、昔話・伝承をよく知っています。成長の過程のどこかで桃太郎や浦島太郎や因幡の白ウサギと出会い、彼らを古い友だちのように思っています。

 

家庭でそれらの話を大人に読んでもらったこともあれば、幼稚園・保育園・小学校で体験したり、最近ならメディアでお目にかかることも多い。それはまるで遺伝子に組み込まれているかのように、あまりに自然に身体の中に溶け込んでいるのです。

 

調べて確認したわけではないが、こうした感覚は日本に限らず、韓国でも中国でもアメリカでもヨーロッパでも、その地域に住んでいる人なら誰でも持ち得るのではないでしょうか。おそらく同じような現象があると思います。それぞれどんな話がスタンダードとなっているのかは分かりませんが、その国・その地域・その民族の間で“成長過程で自然に知ってしまう”昔話・伝承の類が一定量あるのです。

 

それらは長い時間を生きながらえるタフな生命エネルギーを持っています。それだけのエネルギーを湛えた伝承は、共通の文化の地層、つまり一種のデータベースとして、万人の脳の奥底に存在しています。その文化の地層の上に、その他すべての情報・知識が積み重なっている――僕はそんなイメージを持っています。

 

世界共通の、新しいカテゴリーの伝承

 

そして、昔からあるそれとは別に、これから世界共通の、新しいカテゴリーの伝承が生まれてくる。その新しい伝承は人々の間で共通の文化の地層として急速に育っていくのでないか。そうした伝承を拡散し、未来へ伝える役目を担っているのがインターネット、というわけです。

 

ところで新しい伝承とは何でしょう? その主要なものは20世紀に生まれ、花開いた大衆文化――ポップカルチャーではないでしょうか。具体的に挙げていけば、映画、演劇、小説、マンガ、音楽(ジャズ、ポップス、ロック)の類です。

 

21世紀になる頃から、こうしたポップカルチャーのリバイバルが盛んに行われるようになっていました。

人々になじみのあるストーリー、キャラクター。

ノスタルジーを刺激するリバイバル・コンテンツ。

こうしたものが流行るのは、情報発信する側が、商品価値の高い、新しいものを開発できないためだと思っていました。

そこで各種関連企業が物置に入っていたアンティーク商品を引っ張り出してきて、売上を確保しようとした――そんな事情があったのでしょう。実際、最初のうちはそうだったはずです。

だから僕は結構冷めた目でそうした現象を見ていました。そこには半ば絶望感も混じっていたと思います。前の世代を超える、真に新しい、刺激的なもの・感動的なものは、この先はもう現れないのかも知れない。出尽くしてしまったのかも知れない、と……。

 

しかし時間が経ち、リバイバル現象が恒常化し、それらの画像や物語が、各種のサイトやYouTubeの動画コンテンツとして、ネット上にあふれるようになってくると考え方は変わってきました。

 

それらのストーリー、キャラクターは、もはや単なるレトロやリバイバルでなく、世界中の人たちの共有財産となっています。いわば全世界共通の伝承なのです。

僕たちは欧米やアジアやアフリカの人たちと「ビートルズ」について、「手塚治虫」について、「ガンダム」について、「スターウォーズ」について語り合えるし、また、それらを共通言語にして、子や孫の世代とも同様に語り合えます。

そこにボーダーはないし、ジェネレーションギャップも存在しません。純粋にポップカルチャーを媒介にしてつながり合う、数限りない関係が生まれるのです。

 

また、これらの伝承のオリジナルの発信者――ミュージシャン、映画監督、漫画家、小説家などによって、あるいは彼ら・彼女らをリスペクトするクリエイターたちによって自由なアレンジが施され、驚くほど新鮮なコンテンツに生まれ変わる場合もあります。

 

インターネットの本当の役割

 

オリジナル曲をつくった、盛りを過ぎたアーティストたちが、子や孫たち世代の少年・少女と再び眩いステージに立ち、自分の資産である作品を披露。それをYouTubeなどを介して広めている様子なども頻繁に見かけるようになりました。

 

それが良いことなのか、悪いことなのか、評価はさておき、そうした状況がインタ―ネットによって現れています。これから10年たち、20年たち、コンテンツがさらに充実し、インターネット人口が現在よりさらに膨れ上がれば、どうなるでしょうか? 

 

おそらくその現象は空気のようなものとして世の中に存在するようになり、僕たちは新たな世界的伝承として、人類共通の文化遺産として、完成された古典として見なすようになるでしょう。人々は分かりやすく、楽しませてくれるものが大好きだからです。

 

そして、まるで「桃太郎」のお話を聞くように、まっさらな状態で、これらの伝承を受け取った子供たちが、そこからまた新しい、次の時代の物語を生みだしていきます。

 

この先、そうした現象が必ず起こると思う。インターネットという新参者のメディアはその段階になって、さらに大きな役割を担うのでしょう。それは文化の貯蔵庫としての価値であり、さらに広げて言えば、人類の文化の変革につながる価値になります。

 

 

2016年6月13日


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地方自治体のホームページって割と面白い

 

 

 ここのところ、雑誌の連載で地方のことを書いています。

書くときはまずベーシックな情報(最初のリード文として使うこともあるので)をインターネットで調べます。

 これはウィキペディアなどの第3者情報よりも、各県の公式ホームページの方が断然面白い。自分たちの県をどう見せ、何をアピールしたいかがよくわかるからです。

なんでも市場価値が問われる時代。「お役所仕事云々・・・」と言われることが多い自治体ですが、いろいろ努力して、ホームページも工夫しています。

 

 最近やった宮崎県のキャッチコピーは「日本のひなた」。

 日照時間の多さ、そのため農産物がよく獲れるということのアピール。

 そしてもちろん、人や土地のやさしさ、あったかさ、ポカポカ感を訴えています。

 いろいろな人たちがお日さまスマイルのフリスビーを飛ばして、次々と受け渡していくプロモーションビデオは、単純だけど、なかなか楽しかった。

 

 それから「ひなた度データ」というのがあって、全国比率のいろいろなデータが出ています。面白いのが、「餃子消費量3位」とか、「中学生の早寝早起き率 第3位」とか、「宿題実行率 第4位」とか、「保護者の学校行事参加率 第2位」とか・・・
 「なんでこれがひなた度なんじゃい!」とツッコミを入れたくなるのもいっぱい。だけど好きです、こういうの。 

 取材するにしても、いきなり用件をぶつけるより、「ホームページ面白いですね~」と切り出したほうが、ちょっとはお役所臭さが緩和される気がします。

 

 「あなたのひなた度は?」というテストもあって、やってみたら100パーセントでした。じつはまだ一度も行ったことないけれど、宮崎県を応援したくなるな。ポカポカ。

 

2016年6月12日


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タイムマシンにおねがい

 

 きのう6月10日は「時の記念日」でした。それに気がついたら頭の中で突然、サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにおねがい」が鳴り響いてきたので、YouTubeを見てみたら、1974年から2006年まで、30年以上にわたるいろいろなバージョンが上がっていました。本当にインターネットの世界でタイムマシン化しています。

 

 これだけ昔の映像・音源が見放題・聞き放題になるなんて10年前は考えられませんでした。こういう状況に触れると、改めてインターネットのパワーを感じると同時に、この時代になるまで生きててよかった~と、しみじみします。

 

 そしてまた、ネットの中でならおっさん・おばさんでもずっと青少年でいられる、ということを感じます。60~70年代のロックについて滔々と自分の思い入れを語っている人がいっぱいいますが、これはどう考えても50代・60代の人ですからね。

 でも、彼ら・彼女らの頭の中はロックに夢中になっていた若いころのまんま。脳内年齢は10代・20代。インターネットに没頭することは、まさしくタイムマシンンに乗っているようなものです。

 

 この「タイムマシンにおねがい」が入っているサディスティック・ミカ・バンドの「黒船」というアルバムは、1974年リリースで、いまだに日本のロックの最高峰に位置するアルバムです。若き加藤和彦が作った、世界に誇る傑作と言ってもいいのではないでしょうか。

 中でもこの曲は音も歌詞もゴキゲンです。いろいろ見た(聴いた)中でいちばんよかったのは、最新(かな?)の2006年・木村カエラ・ヴォーカルのバージョンです。おっさんロッカーたちをバックに「ティラノサウルスおさんぽ アハハハ-ン」とやってくれて、くらくらっときました。

 

 やたらと「オリジナルでなきゃ。あのヴォーカルとあのギターでなきゃ」とこだわる人がいますが、僕はそうは思わない。みんなに愛される歌、愛されるコンテンツ、愛される文化には、ちゃんと後継ぎがいて、表現技術はもちろんですが、それだけでなく、その歌・文化の持ち味を深く理解し、見事に自分のものとして再現します。中には「オリジナルよりいいじゃん!」と思えるものも少なくありません。(この木村カエラがよい例)。

 この歌を歌いたい、自分で表現したい!――若い世代にそれだけ強烈に思わせる、魅力あるコンテンツ・文化は生き残り、クラシックとして未来に継承されていくのだと思います。

 

 もう一つおまけに木村カエラのバックでは、晩年の加藤和彦さんが本当に楽しそうに演奏をしていました。こんなに楽しそうだったのに、どうして自殺してしまったのだろう・・・と、ちょっと哀しくもなったなぁ。

 

2016年6月11日


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「歴人めし」おかわり情報

 

 9日間にわたって放送してきた「歴人めし」は、昨日の「信長巻きの巻」をもっていったん終了。しかし、ご安心ください。7月は夜の時間帯に再放送があります。ぜひ見てくださいね。というか、You Tubeでソッコー見られるみたいですが。

 

 

https://www.ch-ginga.jp/movie-detail/series.php?series_cd=12041

 

 この仕事では歴人たちがいかに食い物に執念を燃やしていたかがわかりました。 もちろん、記録に残っているのはほんの少し。

 源内さんのように、自分がいかにうなぎが好きか、うなぎにこだわっているか、しつこく書いている人も例外としていますが、他の人たちは自分は天下国家のことをいつも考えていて、今日のめしのことなんかどうでもいい。カスミを食ってでの生きている・・・なんて言い出しそうな勢いです。

 

 しかし、そんなわけはない。偉人と言えども、飲み食いと無関係ではいられません。 ただ、それを口に出して言えるのは、平和な世の中あってこそなのでしょう。だから日本の食文化は江戸時代に発展し、今ある日本食が完成されたのです。

 

 そんなわけで、「おかわり」があるかもしれないよ、というお話を頂いているので、なんとなく続きを考えています。

 駿河の国(静岡)は食材豊富だし、来年の大河の井伊直虎がらみで何かできないかとか、 今回揚げ物がなかったから、何かできないかとか(信長に捧ぐ干し柿入りドーナツとかね)、

 柳原先生の得意な江戸料理を活かせる江戸の文人とか、明治の文人の話だとか、

 登場させ損ねてしまった豊臣秀吉、上杉謙信、伊達政宗、浅井三姉妹、新選組などの好物とか・・・

 食について面白い逸話がありそうな人たちはいっぱいいるのですが、柳原先生の納得する人物、食材、メニュー、ストーリーがそろって、初めて台本にできます。(じつは今回もプロット段階でアウトテイク多数)

 すぐにとはいきませんが、ぜひおかわりにトライしますよ。

 それまでおなかをすかせて待っててくださいね。ぐ~~。

2016年6月7日


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歴人めし♯9:スイーツ大好き織田信長の信長巻き

 

信長が甘いもの好きというのは、僕は今回のリサーチで初めて知りました。お砂糖を贈答したり、されたりして外交に利用していたこともあり、あちこちの和菓子屋さんが「信長ゆかりの銘菓」を開発して売り出しているようです。ストーリーをくっつけると、同じおまんじゅうやあんころもちでも何だか特別なもの、他とは違うまんじゅうやあんころもちに思えてくるから不思議なものです。

 

 今回、ゆかりの食材として採用したのは「干し柿」と「麦こがし(ふりもみこがし)」。柿は、武家伝統の本膳料理(会席料理のさらに豪華版!)の定番デザートでもあり、記録をめくっていると必ず出てきます。

 現代のようなスイーツパラダイスの時代と違って、昔の人は甘いものなどそう簡単に口にできませんでした。お砂糖なんて食品というよりは、宝石や黄金に近い超ぜいたく品だったようです。だから信長に限らず、果物に目のない人は大勢いたのでしょう。

 中でもは干し柿にすれば保存がきくし、渋柿もスイートに変身したりするので重宝されたのだと思います。

 

  「信長巻き」というのは柳原尚之先生のオリジナル。干し柿に白ワインを染み込ませるのと、大徳寺納豆という、濃厚でしょっぱい焼き味噌みたいな大豆食品をいっしょに巻き込むのがミソ。

 信長は塩辛い味も好きで、料理人が京風の上品な薄味料理を出したら「こんな水臭いものが食えるか!」と怒ったという逸話も。はまった人なら知っている、甘い味としょっぱい味の無限ループ。交互に食べるともうどうにも止まらない。信長もとりつかれていたのだろうか・・・。

 

 ちなみに最近の映画やドラマの中の信長と言えば、かっこよくマントを翻して南蛮渡来の洋装を着こなして登場したり、お城の中のインテリアをヨーロッパの宮殿風にしたり、といった演出が目につきます。

 スイーツ好きとともに、洋風好き・西洋かぶれも、今やすっかり信長像の定番になっていますが、じつはこうして西洋文化を積極的に採り入れたのも、もともとはカステラだの、金平糖だの、ボーロだの、ポルトガルやスペインの宣教師たちが持ち込んできた、砂糖をたっぷり使った甘いお菓子が目当てだったのです。(と、断言してしまう)

 

 「文化」なんていうと何やら高尚っぽいですが、要は生活習慣の集合体をそう呼ぶまでのこと。その中心にあるのは生活の基本である衣食住です。

 中でも「食」の威力はすさまじく、これに人間はめっぽう弱い。おいしいものの誘惑からは誰も逃れられない。そしてできることなら「豊かな食卓のある人生」を生きたいと願う。この「豊かな食卓」をどう捉えるかが、その人の価値観・生き方につながるのです。

 魔王と呼ばれながら、天下統一の一歩手前で倒れた信長も、突き詰めればその自分ならではの豊かさを目指していたのではないかと思うのです。

 

2016年6月6日


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歴人めし♯8 山内一豊の生食禁止令から生まれた?「カツオのたたき」

 

 「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だったころ、琵琶湖のほとりに金目教という怪しい宗教が流行っていた・・・」というナレーションで始まるのは「仮面の忍者・赤影」。子供の頃、夢中になってテレビにかじりついていました。

 時代劇(忍者もの)とSF活劇と怪獣物をごちゃ混ぜにして、なおかつチープな特撮のインチキスパイスをふりかけた独特のテイストは、後にも先にもこの番組だけ。僕の中ではもはや孤高の存在です。

 

 いきなり話が脱線していますが、赤影オープニングのナレーションで語られた「琵琶湖のほとり」とは滋賀県長浜あたりのことだったのだ、と気づいたのは、ちょうど10年前の今頃、イベントの仕事でその長浜に滞在していた時です。

 このときのイベント=期間限定のラジオ番組制作は、大河ドラマ「功名が辻」関連のもの。4月~6月まで断続的に数日ずつ訪れ、街中や郊外で番組用の取材をやっていました。春でもちょっと寒いことを我慢すれば、賑わいがあり、かつまた、自然や文化財にも恵まれている、とても暮らしやすそうな良いところです。

この長浜を開いたのは豊臣秀吉。そして秀吉の後を継いで城主になったのが山内一豊。「功名が辻」は、その一豊(上川隆也)と妻・千代(仲間由紀恵)の物語。そして本日の歴人めし♯9は、この一豊ゆかりの「カツオのたたき」でした。

 ところが一豊、城主にまでしてもらったのに秀吉の死後は、豊臣危うしと読んだのか、関が原では徳川方に寝返ってしまいます。つまり、うまいこと勝ち組にすべり込んだわけですね。

 これで一件落着、となるのが、一豊の描いたシナリオでした。

 なぜならこのとき、彼はもう50歳。人生50年と言われた時代ですから、その年齢から本格的な天下取りに向かった家康なんかは例外中の例外。そんな非凡な才能と強靭な精神を持ち合わせていない、言ってみればラッキーで何とかやってきた凡人・一豊は、もう疲れたし、このあたりで自分の武士人生も「あがり」としたかったのでしょう。

 できたら、ごほうびとして年金代わりに小さな領地でももらって、千代とのんびり老後を過ごしたかったのだと思います。あるいは武士なんかやめてしまって、お百姓でもやりながら余生を・・・とひそかに考えていた可能性もあります。

 

 ところが、ここでまた人生逆転。家康からとんでもないプレゼントが。

 「土佐一国をおまえに任せる」と言い渡されたのです。

 一国の領主にしてやる、と言われたのだから、めでたく大出世。一豊、飛び上がって喜んだ・・・というのが定説になっていますが、僕はまったくそうは思いません。

 なんせ土佐は前・領主の長曾我部氏のごっつい残党がぞろぞろいて、新しくやってくる領主をけんか腰で待ち構えている。徳川陣営の他の武将も「あそこに行くのだけは嫌だ」と言っていたところです。

 

 現代に置き換えてみると、後期高齢者あたりの年齢になった一豊が、縁もゆかりもない外国――それも南米とかのタフな土地へ派遣されるのようなもの。いくらそこの支店長のポストをくれてやる、と言われたって全然うれしくなんかなかったでしょう。

 

 けれども天下を収めた家康の命令は絶対です。断れるはずがありません。

 そしてまた、うまく治められなければ「能無し」というレッテルを貼られ、お家とりつぶしになってしまいます。

 これはすごいプレッシャーだったでしょう。「勝ち組になろう」なんて魂胆を起こすんじゃなかった、と後悔したに違いありません。

 

 こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

 恐怖にかられてしまった人間は、より以上の恐怖となる蛮行、残虐行為を行います。

 一豊は15代先の容堂の世代――つまり、250年後の坂本龍馬や武市半平太の時代まで続く、武士階級をさらに山内家の上士、長曾我部氏の下士に分けるという独特の差別システムまで発想します。

 そうして土佐にきてわずか5年で病に倒れ、亡くなってしまった一豊。寿命だったのかもしれませんが、僕には土佐統治によるストレスで命を縮めたとしか思えないのです。

 

 「カツオのたたき」は、食中毒になる危険を慮った一豊が「カツオ生食禁止令」を出したが、土佐の人々はなんとかおいしくカツオを食べたいと、表面だけ火であぶり、「これは生食じゃのうて焼き魚だぜよ」と抗弁したところから生まれた料理――という話が流布しています。

 しかし、そんな禁止令が記録として残っているわけではありません。やはりこれはどこからか生えてきた伝説なのでしょう。

 けれども僕はこの「カツオのたたき発祥物語」が好きです。それも一豊を“民の健康を気遣う良いお殿様”として解釈するお話でなく、「精神的プレッシャーで恐怖と幻想にとりつかれ、カツオの生食が、おそるべき野蛮人たちの悪食に見えてしまった男の物語」として解釈してストーリーにしました。

 

 随分と長くなってしまいましたが、ここまで書いてきたバックストーリーのニュアンスをイラストの方が、短いナレーションとト書きからじつにうまく掬い取ってくれて、なんとも情けない一豊が画面で活躍することになったのです。

 一豊ファンの人には申し訳ないけど、カツオのたたきに負けず劣らず、実にいい味出している。マイ・フェイバリットです。

 

2016年6月3日


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「歴人めし」徳川家康提唱、日本人の基本食

 

 

 歴人めし第7回は「徳川家康―八丁味噌の冷汁と麦飯」。

 「これが日本人の正しい食事なのじゃ」と家康が言ったかどうかは知りませんが、米・麦・味噌が長寿と健康の基本の3大食材と言えば、多くの日本人は納得するのではないでしょうか。エネルギー、たんぱく質、ビタミン、その他の栄養素のバランスも抜群の取り合わせです。

 ましてやその発言の主が、天下を統一して戦国の世を終わらせ、パックス・トクガワ―ナを作った家康ならなおのこと。実際、家康はこの3大食材を常食とし、かなり養生に努めていたことは定説になっています。

 

  昨年はその家康の没後400年ということで、彼が城を構えた岡崎・浜松・静岡の3都市で「家康公400年祭」というイベントが開催され、僕もその一部の仕事をしました。

そこでお会いしたのが、岡崎城から歩いて八丁(約780メートル)の八丁村で八丁味噌を作っていた味噌蔵の後継者。

 かのメーカー社長は現在「Mr.Haccho」と名乗り、毎年、海外に八丁味噌を売り込みに行っているそうで、日本を代表する調味料・八丁味噌がじわじわと世界に認められつつあるようです。

 

 ちなみに僕は名古屋の出身なので子供の頃から赤味噌に慣れ親しんできました。名古屋をはじめ、東海圏では味噌と言えば、赤味噌=豆味噌が主流。ですが、八丁味噌」という食品名を用いれるのは、その岡崎の元・八丁村にある二つの味噌蔵――現在の「まるや」と「カクキュー」で作っているものだけ、ということです。

 

 しかし、養生食の米・麦・味噌をがんばって食べ続け、健康に気を遣っていた家康も、平和な世の中になって緊張の糸がプツンと切れたのでしょう。

 がまんを重ねて押さえつけていた「ぜいたくの虫」がそっとささやいたのかもしれません。

 

 「もういいんじゃないの。ちょっとぐらいぜいたくしてもかまへんで~」

 

 ということで、その頃、京都でブームになっていたという「鯛の天ぷら」が食べた~い!と言い出し、念願かなってそれを口にしたら大当たり。おなかが油に慣れていなかったせいなのかなぁ。食中毒がもとで亡くなってしまった、と伝えられています。

 でも考えてみれば、自分の仕事をやり遂げて、最期に食べたいものをちゃんと食べられて旅立ったのだから、これ以上満足のいく人生はなかったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

2016年6月2日


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歴人めし「篤姫のお貝煮」と御殿女中

  絶好調「真田丸」に続く2017年大河は柴咲コウ主演「おんな城主 直虎」。今年は男だったから来年は女――というわけで、ここ10年あまり、大河は1年ごとに主人公が男女入れ替わるシフトになっています。
 だけど女のドラマは難しいんです。なかなか資料が見つけらない。というか、そもそも残っていな。やはり日本の歴史は(外国もそうですが)圧倒的に男の歴史なんですね。


 それでも近年、頻繁に女主人公の物語をやるようになったのは、もちろん女性の視聴者を取り込むためだけど、もう一つは史実としての正確さよりも、物語性、イベント性を重視するようになってきたからだと思います。

 

 テレビの人気凋落がよく話題になりますが、「腐っても鯛」と言っては失礼だけど、やっぱ日曜8時のゴールデンタイム、「お茶の間でテレビ」は日本人の定番ライフスタイルです。

 出演俳優は箔がつくし、ゆかりの地域は観光客でにぎわうって経済も潤うし、いろんなイベントもぶら下がってくるし、話題も提供される・・・ということでいいことづくめ。
 豪華絢爛絵巻物に歴史のお勉強がおまけについてくる・・・ぐらいでちょうどいいのです。(とはいっても、制作スタッフは必死に歴史考証をやっています。ただ、部分的に資料がなくても諦めずに面白くするぞ――という精神で作っているということです)

 

 と、すっかり前置きが長くなってしまいましたが、なんとか「歴人めし」にも一人、女性を入れたいということで、あれこれ調べた挙句、やっと好物に関する記録を見つけたのが、20082年大河のヒロイン「篤姫」。本日は天璋院篤姫の「お貝煮」でした。

 

 見てもらえればわかるけど、この「お貝煮」なる料理、要するにアワビ入りの茶碗蒸しです。その記述が載っていたのが「御殿女中」という本。この本は明治から戦前の昭和にかけて活躍した、江戸文化・風俗の研究家・三田村鳶魚の著作で。篤姫付きの女中をしていた“大岡ませ子”という女性を取材した、いわゆる聞き書きです。

 

 

 明治も30年余り経ち、世代交代が進み、新しい秩序・社会体制が定着してくると、以前の時代が懐かしくなるらしく、「江戸の記憶を遺そう」というムーブメントが文化人の間で起こったようです。
 そこでこの三田村鳶魚さんが、かなりのご高齢だったます子さんに目をつけ、あれこれ大奥の生活について聞き出した――その集成がこの本に収められているというわけです。これは現在、文庫本になっていて手軽に手に入ります。

 ナレーションにもしましたが、ヘアメイク法やら、ファッションやら、江戸城内のエンタメ情報やらも載っていて、なかなか楽しい本ですが、篤姫に関するエピソードで最も面白かったのが飼いネコの話。

 最初、彼女は狆(犬)が買いたかったようなのですが、夫の徳川家定(13代将軍)がイヌがダメなので、しかたなくネコにしたとか。

 


 ところが、このネコが良き相棒になってくれて、なんと16年もいっしょに暮らしたそうです。彼女もペットに心を癒された口なのでしょうか。

 

 そんなわけでこの回もいろんな発見がありました。

 続編では、もっと大勢の女性歴人を登場させ、その好物を紹介したいと思っています。

 

2016年6月1日


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AirBnB:旅行者もホストも面白い、新しい旅スタイル

 

 

 うちの近所で「This is not AirBnB」という貼り紙を玄関に出している家を発見しました。

 ということは、この永福町界隈に、そことよく似た門構えの家がAirBnBをやっているので、しばしば間違われて旅行者が訪ねてくるということ?

 

 AirBnBというのは要するに「民泊」のことです。

 自分の家やアパートに旅行者を泊めるところで、数年前、話題になった時は、そんなに利用者がいるのだろうか?と訝りました。

 

 が、スマホの普及と比例して、あっという間に世界各地で増殖したようです。

 もちろんホテル・旅館、あるいは民宿などと比べて安いのが魅力ですが、増殖したのはそういった経済面の理由だけではありません。

 

 ホテル・旅館に泊まるのとは違った旅、その現地に踏み込み、生活感のある旅を楽しめるという醍醐味があるのです。

 

 昨年秋に京都へ行ったとき、僕もはじめて利用したのだけど、そこは新選組のもと屯所して有名な壬生寺の近く。

 

 華やかな中心部の観光地とは趣が異なり、生活感あふれる下町で、昭和レトロな店もたくさん並ぶ商店街の路地裏にありました。

 

 ホテルや旅館が建つような立地じゃないので、迷子にでもならない限り、普通の観光客が入り込むところではありません。

しかし、宿があれば楽しめるし、親近感がわきます。

 本当に普通のアパートの一室を貸し出していました。

 

 オーナー(ホスト)は40代のDさん。男性。

 ホスト側も最初はお金目的にやり出すのですが、国内外からいろんな人がやってくるので、そういう人たちと交流するうちに面白くなってはまってしまい、本格的な経営者になってしまう。、

 人気のある観光都市だとプロのホストになって何軒も抱えて経営している人も珍しくありません。ベテランの「スーパーホスト」なる人も登場しています。

 

 そのDさんも1年ほど前にそれまで勤めていた会社を辞めてAirBnB業に乗り出し、京都・大阪に物件を持っていて、日夜往復しています

 掃除もしなきゃいけないので大変だと思いますが、本人はすごく楽しそう。

 オリンピック開催を狙って、この1年くらいのうちに東京でもやりたんだ、と話していました。

 

 泊った旅行者はその宿泊体験についてレビューを書く。

 そのレビューを参考に、次の旅行者がそこを利用するかどうか選択する。

 双方向でつくっていく新しい、個性的な旅のスタイル。

 インターネットの効用をフルに生かしています。

 

 もちろん、ホテル・旅館業界は大反対で、この流れに圧力をかけてきますが、Dさんはそれさえも楽しんでいる風情でした。

 

 AirBnBを利用した旅、きっと面白いので一度、体験してみてください。

 


哲学するネコと瞑想書き

 

   ちょっと春めいた日差しがやってきたので、中野の哲学堂公園までサイクリング。

 そこで哲学するネコと出会う。

 ベンチの背もたれにちょこんと乗っかって、ウトウト居眠りしているのかと思ったら、目は細めているものの、ちゃんと起きている。 

 

 こういうフリーのネコと出会うと、僕はいつも果敢に対話を試みるのだが、ニャーとかミャーとか語り掛けても、まったくリアクションしてくれない。

 

 けれども拒否されたわけではない。

 20㎝くらいのところまで近づいて写真を撮っても、背中を撫でても、逃げ出すどころか微動だにしない。

 その背もたれの上にさりげなく、かつ堂々と“存在”しているのだ。

 まるで瞑想中の老師のようだ。さすが哲学堂。こんな大したネコがいるなんて。

 

 僕も何度かトライしたことがあるが、瞑想というのはうまくできない。

 部屋を暗くし、ヒーリング系の音楽を流し、お香などを炊いてみても、その行為に集中できない。

 なんだかこんなことをやっている自分は、自分じゃなく思えてきてしまうのだ。

 

 そこで見つけたのが「瞑想書き」。

 なるべく考えようとせず、頭に思い浮かぶ言葉・イメージを手書きでノートに書き留める。ただそれだけ。

 

 ちゃんとした文章になってなくていい。単語の羅列でも構わない。

 愚痴や泣き言や頭にきたことを書き散らしてもいい。

 「おまえバカじゃないの」とか「あなた賢いわ」とか、自分を分裂させてAとBの会話にしてもいい。

 

 ただひたすら意識の流れを「見える化」する。

 紙とペン(鉛筆)を見ていればいいので、集中力も保てる。

 瞑想効果があるので、瞑想書き。

 

 最初はうまくできないかも知れないけど、続けてやっていると、そのうち自然にスラスラ言葉が出てくるようになってきて、これがけっこう面白い。

 手を動かすことによって脳が開き、意識の奥から情報が湧き上がる。

 心の声を聴くような感覚をつかめるのだ。

 

 自分のものにできてきたなと思ったら、テーマや目的に沿って、仕事のアイディア出しの下書きに使ったり、ブログやSNSのメッセージの下書きに利用してもいい。

 もちろん、創作活動のウォーミングアップとしてもOK。

 

 たまにやるのではなく、できれば毎日やる。

 朝起きたばかりの、脳も空気もきれいな時間帯、あるいは夜眠る前の、おしりに何もやることが残っていない時間帯がベストです。

 興味があったら試してみてください。

 ネコの手は借りられないので、自分の手で書いてニャ。

 


自伝を書いて脚色する

 

 

 文章を書くことに興味があって、自己表現でも、ビジネスに生かせるものでもいいから腰を入れてやりたい。

 もしあなたがそう考える人なら、まず自伝を書いてみるといいでしょう。

 

 最近は終活ばやりで、エンディングを意識した人が大勢、自伝に挑戦していますが、ここでいう自伝の執筆は、自分だけの言葉・文体・文章を養うためのものです。

 

 だからむしろ若い人にやってほしいと思っています。

 

 なぜかと言うと、これから先、「要点をうまくまとめた文章」「美しく整った文章」など、企業や役所などの仕事で求められる「正解」の文章は、AI・ロボットに委ねられるからです。

 

 自社・自分の組織に関するデータ、こんな目的で作う、こんな感じ(パターン)の文章、みたいな条件を入れてAI・ロボットに頼めば、オートマティックにお望みのものが出来上がってくる――そういう世界になっていくと思います。

 

 だから文章を書きたい、表現したいという若い人は、「おれの文」「わたしの文」を出来るだけ早くから磨いて使えるようになったほうがいいと思うのです。

 

 そのために有効なのが自伝の執筆です。

 自分のことならネタに困らないので、トレーニングには最適です。

 

 僕・わたしの短い人生なんて書いたって面白くないよという人、ほんとうにそうでしょうか?

 自分のことも面白く書けないのなら、人に読ませて少しでも心を動かす文章――そういした価値ある文章なんて書けるはずがありません。

 

 だから一度や二度はトライしてみましょう。

 目を凝らして自分の中を見つめれば、きっと面白い要素が見つかります。

 

 一口に自伝と言っても、ただ履歴書みたいなもの、「〇〇へ行って〇〇を食べた」みたいな単なる記録みたいなことを書いていてはダメです。

 

 あくまで人に見せることを意識して、面白く、わかりやすく読めるように書く。

 (ただし、書いても実際に人に見せる必要はありません)

 

 そして事実をそのまま書くのではなく、ポイントになる部分だけでもいいから脚色する。

 ドラマチックにしてもいいし、コミカルにしてもいいし、詩的にしてもいい。

 記憶の中の事実に、自分なりの構成・アレンジを入れてが面白いと思う脚色をする。

 自己満足でいいのです。

 

 さらにできれば、フィクションがまじってもいいので、その自伝を小説にしたり、エッセイにしたり、舞台の戯曲、映画の脚本にしてみる。

 そうすると自分の文章の世界が広がります。

 

 そのままの自分を書くのは恥ずかしいと言うのなら、自分とは別人の、架空の人物に置き換えてもいい。

 そうすると周囲の人たちのキャラクターも変わってきて、より生き生きと動き出します。

 

 過去のエピソードなんて面白くない。将来おれは宇宙へ行くから、その時の話を想像して書いてみようと思う。

 そんなアイデアが出てきたら、しめたもの。

 

 要は自分をネタにして、書く楽しさを体感してほしいのです。

 自分の脳を掘り返す楽しさ、記憶を引っ張り出し、自由に使う楽しさを。

 

 本当に自分の人生はつまらなさ過ぎて書くことない。

 トライしてみてあなたがそう絶望したら、文章を書くのには向いてないので、さっさとやめて、別のことに時間とエネルギーを使って人生を楽しみましょう。

 

 それでも何らかの事情で、どうしても何か書かなきゃいけないんだ、という人は、僕が代筆して差し上げますので、お便りください。

 


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世界を開くためのリライト

「Writing is Rewriting」と言ったのは、ブロードウェイの劇作家ニール・サイモンであり、ハリウッド映画のシナリオ教本を書いたシド・フィールド。

 最近になってやっとこの言葉が実感できるようになった。

 

 今日は「いたち」のリライトが進んだ。

 朝、「いけそうだ」と予感したので没頭すると、面白いようにスラスラ進んだ。

 途中、他の仕事の修正作業やメール対応を挟んだが、夕方までに5ページ分(約6000字)行けた。

 

 冒頭部分が物語のトーンを決める。

 自分自身の、作品に対するコミュニケ―ションのしかたも決める。

 

 「人間と動物の心の交流」といったフレーズから容易に連想される甘いトーンを崩したいとずっとグズっていたのだが、今日はみごとにブレイクスルー。

 もともとのプロットに沿って書き始めたが、思ってもみなかったシーンとなり、登場人物のキャラも鮮明になり、キレよく展開して上々だった。

 自分のコアにアクセスできているという感触が残った。

 

 原型を崩せば崩すほど面白くなる。それがリライトの醍醐味であり、その醍醐味が書き続けるエネルギーになる。

 今までのプロットで残す部分は一応決めてあるが、それもこのまま進んでいくとどうなるか分からない。

 

 既存の不十分な部分を補って完璧にするためのリライトではなく、まったく新しい物語を作り直し、その世界を開いていくためのリライト。

 

 創作は普段のライターの仕事とは別もので、成果(金銭的報酬・社会的評価・仕事の引き合いなど)が得られるのかどうかは、まったく未知数。

 でもその分、結果オンリーだけでなく、プロセスを楽しめる。

 書くことは、日常と非日常の双方に足を突っ込みながら生きることだ。

 


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自分をリライトする

今までやってきたことを書き直す。

 リライトは今後の自分のテーマである。

 

 と思って、久しぶりにアジアンカンフージェネレーションの「リライト」を聴いた。

 とんでもない重量感と疾走感。

 こんなカッコいいロックに出会ったのはどんだけぶりだ~と、ぶっとんだのが、はや15年ほど前。

 

 アニメ「鋼の錬金術師」のラストクールのオープニング曲だったので、ハガレンのクオリティが10倍UPした。

 

 いま聴いてもレジェンドでなく、なつメロでもなく、現在進行形のリアル感満点で、ザラザラの音の塊がより深く胸をえぐってくる。

 

 リライトは形を成した文脈をもう一度掘り進めて、新しい価値と意味を見つけ出す作業。書いて休んで書いて休んで、また書き直す。

 

 個人的なことだけど、今の時代はみんな同じようなことをして、自分の生きてきた中から何かを掘り出そうとしているのではないだろうか。

 

 あなたは何回自分を書き直しますか?

 


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なぜ日本ではカエルはかわいいキャラなのか?

 

 「かえるくん、東京を救う」というのは村上春樹の短編小説の中でもかなり人気の高い作品です。

 主人公がアパートの自分の部屋に帰ると、身の丈2メートルはあろうかというカエルが待っていた、というのだから、始まり方はほとんど恐怖小説。

 ですが、その巨大なカエルが「ぼくのことは“かえるくん”と呼んでください」と言うのだから、たちまちシュールなメルヘンみたいな世界に引き込まれてしまいます。

 

 この話は阪神大震災をモチーフにしていて、けっして甘いメルヘンでも、面白おかしいコメディでもないシリアスなストーリーなのですが、このかえるくんのセリフ回しや行動が、なんとも紳士的だったり、勇敢だったり、愛らしかったり、時折ヤクザだったりして独特の作品世界が出来上がっています。

 

 しかし、アメリカ人の翻訳者がこの作品を英訳するとき、この「かえるくん」という呼称のニュアンスを、どう英語で表現すればいいのか悩んだという話を聞いて、さもありなんと思いました。

 

 このカエルという生き物ほど、「かわいい」と「気持ち悪い」の振れ幅が大きい動物も珍しいのではないでしょうか。

でも、その振れ幅の大きさは日本人独自の感覚のような気もします。

 

 欧米人はカエルはみにくい、グロテスクなやつ、場合によっては悪魔の手先とか、魔女の使いとか、そういう役割を振られるケースが圧倒的に多い気がします。

 

 ところが、日本では、けろけろけろっぴぃとか、コルゲンコーワのマスコットとか、木馬座アワーのケロヨンとか、古くは「やせガエル 負けるな 一茶ここにあり」とか、かわいい系・愛すべき系の系譜がちゃんと続いていますね。

 

 僕が思うに、これはやっぱり稲作文化のおかげなのではないでしょうか。

 お米・田んぼと親しんできた日本人にとって、田んぼでゲコゲコ鳴いているカエルくんたちは、友だちみたいな親近感があるんでしょうね。

 そして、彼らの合唱が聞こえる夏の青々とした田んぼの風景は、今年もお米がいっぱい取れそう、という期待や幸福感とつながっていたのでしょう。

 カエル君に対するよいイメージはそういうところからきている気がします。

 

 ちなみに僕の携帯電話はきみどり色だけど、「カエル色」って呼ばれています。

 茶色いのも黄色っぽいもの黒いのもいるけど、カエルと言えばきれいなきみどり色。やっぱ、アマガエルじゃないとかわいくないからだろうね、きっと。

 雨の季節。そういえば、ここんとこ、カエルくんと会ってないなぁ。ケロケロ。


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家族ストーリーを書く仕事② 個の家族

 

  「これから生まれてくる子孫が見られるように」

 ――今回の家族ストーリー(ファミリーヒストリー)を作った動機について、3世代の真ん中の息子さん(団塊ジュニア世代)は作品の最後でこんなメッセージを残しています。

 彼の中にはあるべき家族の姿があった。しかし現実にはそれが叶わなかった。だからやっと安定し、幸福と言える現在の形を映像に残すことを思い立った――僕にはそう取れます。

 

 世間一般の基準に照らし合わせれば、彼は家庭に恵まれなかった人に属するでしょう。かつて日本でよく見られた大家族、そして戦後の主流となった夫婦と子供数人の核家族。彼の中にはそうした家族像への憧れがあったのだと思います。

 

 けれども大家族どころか、核家族さえもはや過去のものになっているのでないか。今回の映像を見ているとそう思えてきます。

 

 団塊の世代の親、その子、そして孫(ほぼ成人)。

 彼らは家族であり、互いに支え合い、励まし合いながら生きている。

 けれど、その前提はあくまで個人。それぞれ個別の歴史と文化を背負い、自分の信じる幸福を追求する人間として生きている。

 

 むかしのように、まず家があり、そこに血のつながりのある人間として生まれ、育つから家族になるのではなく、ひとりひとりの個人が「僕たちは家族だよ」という約束のもとに集まって愛情と信頼を持っていっしょに暮らす。あるいは、離れていても「家族だよ」と呼び合い、同様に愛情と信頼を寄せ合う。だから家族になる。

 

 これからの家族は、核家族からさらに小さな単位に進化した「ミニマム家族」――「個の家族」とでもいえばいいのでしょうか。

 比喩を用いれば、ひとりひとりがパソコンやスマホなどのデバイスであり、必要がある時、○○家にログインし、ネットワークし、そこで父・母・息子・娘などの役割を担って、相手の求めることに応じる。それによってそれぞれが幸福を感じる。そうした「さま」を家族と呼称する――なかなかスムーズに表現できませんが、これからはそういう家族の時代になるのではないでしょうか。

 

 なぜなら、そのほうが現代のような個人主義の世の中で生きていくのに何かと便利で快適だからです。人間は自身の利便性・快適性のためになら、いろいろなものを引き換えにできます。だから進化してこられたのです。

 

 引き換えに失ったものの中にももちろん価値があるし、往々にして失ってみて初めてその価値に気づくケースがあります。むかしの大家族しかり。核家族しかり。こうしてこれらの家族の形態は、今後、一種の文化遺産になっていくのでしょう。

 好きか嫌いかはともかく、そういう時代に入っていて、僕たちはもう後戻りできなくなっているのだと思います。

 

 将来生まれてくる子孫のために、自分の家族の記憶を本なり映像なりの形でまとめて遺す―― もしかしたらそういう人がこれから結構増えるのかもしれません。

 

 

2016・6・27 Mon


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家族ストーリーを書く仕事① 親子3世代の物語

 

 親子3世代の物語がやっと完成一歩手前まで来ました。

 昨年6月、ある家族のヒストリー映像を作るというお仕事を引き受けて、台本を担当。

足掛け1年掛かりでほぼ完成し、残るはクライアントさんに確認を頂いて、最後にナレーションを吹き込むのみ、という段階までこぎつけたのです。

 

 今回のこの仕事は、ディレクターが取材をし、僕はネット経由で送られてくるその音源や映像を見て物語の構成をしていきました。そのディレクターとも最初に1回お会いしただけでご信頼を頂いたので、そのあとはほとんどメールのやり取りのみで進行しました。インターネットがあると、本当に家で何でもできてしまいます。

 ですから時間がかかった割には、そんなに「たいへん感」はありませんでした。

 

 取材対象の人たちともリアルでお会いしたことはなく、インタビューの音声――話の内容はもとより、しゃべり方のくせ、間も含めて――からそれぞれのキャラクターと言葉の背景にある気持ちを想像しながらストーリーを組み立てていくのは、なかなかスリリングで面白い体験でした(最初の下取材の頃はディレクターがまだ映像を撮っていなかったので、レコーダーの音源だけを頼りにやっていました)。

 

 取材対象と直接会わない、会えないという制限は、今までネガティブに捉えていたのですが、現場(彼らの生活空間や仕事空間)の空気がわからない分、余分な情報に戸惑ったり、感情移入のし過ぎに悩まされたりすることがありません。

 適度な距離を置いてその人たちを見られるので、かえってインタビューの中では語られていない範囲まで自由に発想を膨らませられ、こうしたドキュメンタリーのストーリーづくりという面では良い効果もあるんだな、と感じました。

 

 後半(今年になってから)、全体のテーマが固まり、ストーリーの流れが固まってくると、今度は台本に基づいて取材がされるようになりました。

 戦後の昭和~平成の時代の流れを、団塊の世代の親、その息子、そして孫(ほぼ成人)という一つの家族を通して見ていくと、よく目にする、当時の出来事や風俗の記録映像も、魂が定着くした記憶映像に見えてきます。

 これにきちんとした、情感豊かなナレーターの声が入るのがとても楽しみです。

 

 

2016・6・26 Sun


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ゴマスリずんだ餅と正直ファンタじいさん

 

おもちペタペタ伊達男

 

  今週日曜(19日)の大河ドラマ「真田丸」で話題をさらったのは、長谷川朝晴演じる伊達政宗の餅つきパフォーマンスのシーン。「独眼竜」で戦国武将の中でも人気の高い伊達政宗ですが、一方で「伊達男」の語源にもなったように、パフォーマーというか、歌舞伎者というか、芝居っけも方もたっぷりの人だったようです。

 

 だから、餅つきくらいやってもおかしくないのでしょうが、権力者・秀吉に対してあからさまにこびへつらい、ペッタンコとついた餅にスリゴマを・・・じゃなかった、つぶした豆をのっけて「ずんだ餅でございます」と差し出す太鼓持ち野郎の姿に、独眼竜のカッコいいイメージもこっぱみじんでした。

 

 僕としては「歴人めし」の続編のネタ、一丁いただき、と思ってニヤニヤ笑って見ていましたが、ファンの人は複雑な心境だったのではないのでしょうか。(ネット上では「斬新な伊達政宗像」と、好意的な意見が多かったようですが)。

 

 しかし、この後、信繁(幸村=堺雅人)と二人で話すシーンがあり、じつは政宗、今はゴマスリ太鼓持ち野郎を演じているが、いずれ時が来れば秀吉なんぞ、つぶしてずんだ餅にしてやる・・・と、野心満々であることを主人公の前で吐露するのです。

 で、これがクライマックスの関ヶ原の伏線の一つとなっていくわけですね。

 

裏切りのドラマ

 

 この「真田丸」は見ていると、「裏切り」が一つのテーマとなっています。

 出てくるどの武将も、とにかくセコいのなんのttらありゃしない。立派なサムライなんて一人もいません。いろいろな仮面をかぶってお芝居しまくり、だましだまされ、裏切り裏切られ・・・の連続なのです。

 

 そりゃそうでしょう。乱世の中、まっすぐ正直なことばかりやっていては、とても生き延びられません。

 この伊達政宗のシーンの前に、北条氏政の最後が描かれていましたが、氏政がまっすぐな武将であったがために滅び、ゴマスリ政宗は生き延びて逆転のチャンスを掴もうとするのは、ドラマとして絶妙なコントラストになっていました。

 

 僕たちも生きるためには、多かれ少なかれ、このゴマスリずんだ餅に近いことを年中やっているのではないでしょうか。身過ぎ世過ぎというやつですね。

 けれどもご注意。

 人間の心とからだって、意外と正直にできています。ゴマスリずんだ餅をやり過ぎていると、いずれまとめてお返しがやってくるも知れません。

 

人間みんな、じつは正直者

 

 どうしてそんなことを考えたかと言うと、介護士の人と、お仕事でお世話しているおじいさんのことについて話したからです。

 そのおじいさんはいろんな妄想に取りつかれて、ファンタジーの世界へ行っちゃっているようなのですが、それは自分にウソをつき続けて生きてきたからではないか、と思うのです。

 

 これは別に倫理的にどうこうという話ではありません。

 ごく単純に、自分にウソをつくとそのたびにストレスが蓄積していきます。

 それが生活習慣になってしまうと、自分にウソをつくのが当たり前になるので、ストレスが溜まるのに気づかない。そういう体質になってしまうので、全然平気でいられる。

 けれども潜在意識は知っているのです。

 「これはおかしい。これは違う。これはわたしではな~い」

 

 そうした潜在意識の声を、これまた無視し続けると、齢を取ってから自分で自分を裏切り続けてきたツケが一挙に出て来て、思いっきり自分の願いや欲望に正直になるのではないでしょうか。

 だから脳がファンタジーの世界へ飛翔してしまう。それまでウソで歪めてきた自分の本体を取り戻すかのように。

 つまり人生は最後のほうまで行くとちゃんと平均化されるというか、全体で帳尻が合うようにできているのではないかな。

 

自分を大事にするということ

 

 というのは単なる僕の妄想・戯言かも知れないけど、自分に対する我慢とか裏切りとかストレスとかは、心や体にひどいダメージを与えたり、人生にかなりの影響を及ぼすのではないだろうかと思うのです。

 

 みなさん、人生は一度きり。身過ぎ世過ぎばっかりやってると、それだけであっという間に一生終わっちゃいます。何が自分にとっての幸せなのか?心の内からの声をよく聴いて、本当の意味で自分を大事にしましょう。

 介護士さんのお話を聞くといろんなことを考えさせられるので、また書きますね。

 

 

 

2016/6/23 Thu


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死者との対話:父の昭和物語

 

 すぐれた小説は時代を超えて読み継がれる価値がある。特に現代社会を形作った18世紀から20世紀前半にかけての時代、ヨーロッパ社会で生まれた文学には人間や社会について考えさせられる素材にあふれています。

 

その読書を「死者との対話」と呼んだ人がいます。うまい言い方をするものだと思いました。

 

僕たちは家で、街で、図書館で、本さえあれば簡単にゲーテやトルストイやドストエフスキーやブロンテなどと向かい合って話ができます。別にスピリチュアルなものに関心がなくても、書き残したものがあれば、私たちは死者と対話ができるのです。

 

 もちろん、それはごく限られた文学者や学者との間で可能なことで、そうでない一般大衆には縁のないことでしょう。これまではそうでした。しかし、これからの時代はそれも可能なことではないかと思います。ただし、不特定多数の人でなく、ある家族・ある仲間との間でなら、ということですが。

 

 僕は父の人生を書いてみました。

 父は2008年の12月に亡くなりました。家族や親しい者の死も1年ほどたつと悲しいだの寂しいだの、という気持ちは薄れ、彼らは自分の人生においてどんな存在だったのだろう?どんなメッセージを遺していったのだろう?といったことを考えます。

 

父のことを書いてみようと思い立ったのは、それだけがきっかけではありませんでした。

死後、間もない時に、社会保険事務所で遺族年金の手続きをする際に父の履歴書を書いて提出しました。その時に感じたのは、血を分けた家族のことでも知らないことがたくさんあるな、ということでした。

じつはそれは当り前のことなのだが、それまではっきりとは気が付いていませんでした。なんとなく父のことも母のこともよく知っていると思いすごしていたのです。

実際は私が知っているのは、私の父親としての部分、母親としての部分だけであり、両親が男としてどうだったか、女としてどうだったか、ひとりの人間としてどうだったのか、といったことなど、ほとんど知りませんでした。数十年も親子をやっていて、知るきっかけなどなかったのです。

 

父の仕事ひとつ取ってもそうでした。僕の知っている父の仕事は瓦の葺換え職人だが、それは30歳で独立してからのことで、その前――20代のときは工場に勤めたり、建築会社に勤めたりしていたのです。それらは亡くなってから初めて聞いた話です。

そうして知った事実を順番に並べて履歴書を作ったのですが、その時には強い違和感というか、抵抗感のようなものを感じました。それは父というひとりの人間の人生の軌跡が、こんな紙切れ一枚の中に納まってしまうということに対しての、寂しさというか、怒りというか、何とも納得できない気持ちでした。

 

父は不特定多数の人たちに興味を持ってもらえるような、波乱万丈な、生きる迫力に満ち溢れた人生を歩んだわけはありませんい。むしろそれらとは正反対の、よくありがちな、ごく平凡な庶民の人生を送ったのだと思います。

けれどもそうした平凡な人生の中にもそれなりのドラマがあります。そして、そのドラマには、その時代の社会環境の影響を受けた部分が少なくありません。たとえば父の場合は、昭和3(1928)に生まれ、平成元年(1989)に仕事を辞めて隠居していました。その人生は昭和の歴史とほぼ重なっています。

 

ちなみにこの昭和3年という年を調べてみると、アメリカでミッキーマウスの生まれた(ウォルト・ディズニーの映画が初めて上映された)年です。

父は周囲の人たちからは実直でまじめな仕事人間と見られていましたが、マンガや映画が好きで、「のらくろ」だの「冒険ダン吉」だのの話をよく聞かせてくれました。その時にそんなことも思い出したのです。

 

ひとりの人間の人生――この場合は父の人生を昭和という時代にダブらせて考えていくと、昭和の出来事を書き連ねた年表のようなものとは、ひと味違った、その時代の人間の意識の流れ、社会のうねりの様子みたいなものが見えてきて面白いのではないか・・・。そう考えて、僕は父に関するいくつかの個人的なエピソードと、昭和の歴史の断片を併せて書き、家族や親しい人たちが父のことを思い起こし、対話できるための一遍の物語を作ってみようと思い立ちました。

本当はその物語は父が亡くなる前に書くべきだったのではないかと、少し後悔の念が残っています。

生前にも話を聞いて本を書いてみようかなと、ちらりと思ったことはあるのですが、とうとう父自身に自分の人生を振り返って……といった話を聞く機会はつくれませんでした。たとえ親子の間柄でも、そうした機会を持つことは難しいのです。思い立ったら本気になって直談判しないと、そして双方互いに納得できないと永遠につくることはできません。あるいは、これもまた難しいけど、本人がその気になって自分で書くか・・・。それだけその人固有の人生は貴重なものであり、それを正確に、満足できるように表現することは至難の業なのだと思います。

 

実際に始めてから困ったのは、父の若い頃のことを詳しく知る人など、周囲にほとんどいないということ。また、私自身もそこまで綿密に調査・取材ができるほど、時間や労力をかけるわけにもいきませんでした。

だから母から聞いた話を中心に、叔父・叔母の話を少し加える程度にとどめ、その他、本やインターネットでその頃の時代背景などを調べながら文章を組み立てる材料を集めました。そして自分の記憶――心に残っている言葉・出来事・印象と重ね合わせて100枚程度の原稿を作ってみたのです。

 

自分で言うのもナンですが、情報不足は否めないものの、悪くない出来になっていて気に入っています。これがあるともうこの世にいない父と少しは対話できる気がするのです。自分の気持ちを落ち着かせ、互いの生の交流を確かめ、父が果たした役割、自分にとっての存在の意味を見出すためにも、こうした家族や親しい者の物語をつくることはとても有効なのではないかと思います。

 

 高齢化が進む最近は「エンディングノート」というものがよく話題に上っています。

「その日」が来た時、家族など周囲の者がどうすればいいか困らないように、いわゆる社会的な事務手続き、お金や相続のことなどを書き残すのが、今のところ、エンディングノートの最もポピュラーな使い方になっているようだ。

もちろん、それはそれで、逝く者にとっても、後に残る者にとっても大事なことです。しかし、そうすると結局、その人の人生は、いくらお金を遺したかとか、不動産やら建物を遺したのか、とか、そんな話ばかりで終わってしまう恐れもあります。その人の人生そのものが経済的なこと、物質的なものだけで多くの人に価値判断されてしまうような気がするのです。

 

けれども本当に大事なのは、その人の人生にどんな意味や価値があったのか、を家族や友人・知人たちが共有することが出来る、ということではないでしょうか。

そして、もしその人の生前にそうしたストーリーを書くことができれば、その人が人生の最期の季節に、自分自身を取り戻せる、あるいは、取り戻すきっかけになり得る、ということではないでしょうか。

 

 


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赤影メガネとセルフブランディング

 ♪赤い仮面は謎の人 どんな顔だか知らないが キラリと光る涼しい目 仮面の忍者だ

赤影だ~

 というのは、テレビの「仮面の忍者 赤影」の主題歌でしたが、涼しい目かどうかはともかく、僕のメガネは10数年前から「赤影メガネ」です。これにはちょっとした物語(というほどのものではないけど)があります。

 

 当時、小1だか2年の息子を連れてメガネを買いに行きました。

 それまでは確か茶色の細いフレームの丸いメガネだったのですが、今回は変えようかなぁ、どうしようかなぁ・・・とあれこれ見ていると、息子が赤フレームを見つけて「赤影!」と言って持ってきたのです。

 

 「こんなの似合うわけないじゃん」と思いましたが、せっかく選んでくれたのだから・・・と、かけてみたら似合った。子供の洞察力おそるべし。てか、単に赤影が好きだっただけ?

 とにかく、それ以来、赤いフレームのメガネが、いつの間にか自分のアイキャッチになっていました。自分の中にある自分のイメージと、人から見た自分とのギャップはとてつもなく大きいもの。

 独立・起業・フリーランス化ばやりということもあり、セルフブランディングがよく話題になりますが、自分をどう見せるかというのはとても難しい。自分の中にある自分のイメージと、人から見た自分とのギャップはとてつもなく大きいのです。

 とはいえ、自分で気に入らないものを身に着けてもやっぱり駄目。できたら安心して相談できる家族とか、親しい人の意見をしっかり聞いて(信頼感・安心感を持てない人、あんまり好きでない人の意見は素直に聞けない)、従来の考え方にとらわれない自分像を探していきましょう。

 


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ベビーカーを押す男

 

・・・って、なんだか歌か小説のタイトルみたいですね。そうでもない?

 ま、それはいいんですが、この間の朝、実際に会いました。ひとりでそそくさとベビーカーを押していた彼の姿が妙に心に焼き付き、いろいろなことがフラッシュバックしました。

 BACK in the NEW YORK CITY。

 僕が初めてニューヨークに行ったのは約30年前。今はどうだか知らないけど、1980年代のNYCときたらやっぱ世界最先端の大都会。しかし、ぼくがその先端性を感じたのは、ソーホーのクラブやディスコでもなでもなく、イーストビレッジのアートギャラリーでもなく、ブロードウェイのミュージカルでもなく、ストリートのブレイクダンスでもなく、セントラルパークで一人で子供と散歩しているパパさんたちでした。

 

 特におしゃれでも何でもない若いパパさんたちが、小さい子をベビーカーに乗せていたり、抱っこひもでくくってカンガルーみたいな格好で歩いていたり、芝生の上でご飯を食べさせたり、オムツを替えたりしていたのです。

 

 そういう人たちはだいたい一人。その時、たまたま奥さんがほっとその辺まで買い物に行っているのか、奥さんが働いて旦那がハウスハズバンドで子育て担当なのか、はたまた根っからシングルファーザーなのかわかりませんが、いずれにしてもその日その時、出会った彼らはしっかり子育てが板についている感じでした。

 

 衝撃!・・というほどでもなかったけど、なぜか僕は「うーん、さすがはニューヨークはイケてるぜ」と深く納得し、彼らが妙にカッコよく見えてしまったのです。

 

 

 そうなるのを念願していたわけではないけれど、それから約10年後。

 1990年代後半の練馬区の路上で、僕は1歳になるかならないかの息子をベビーカーに乗せて歩いていました。たしか「いわさきちひろ美術館」に行く途中だったと思います。

 向こう側からやってきたおばさんが、じっと僕のことを見ている。

 なんだろう?と気づくと、トコトコ近寄ってきて、何やら話しかけてくる。

 どこから来たのか?どこへ行くのか? この子はいくつか? 奥さんは何をやっているのいか?などなど・・・

 

 「カミさんはちょっと用事で、今日はいないんで」と言うと、ずいぶん大きなため息をつき、「そうなの。私はまた逃げられたと思って」と。

 おいおい、たとえそうだとしても、知らないあんたに心配されたり同情されたりするいわれはないんだけど。

 

 別に腹を立てたわけではありませんが、世間からはそういうふうにも見えるんだなぁと、これまた深く納得。

 あのおばさんは口に出して言ったけど、心の中でそう思ってて同情だか憐憫だかの目で観ている人は結構いるんだろうなぁ、と感じ入った次第です。

 

 というのが、今から約20年前のこと。

 その頃からすでに「子育てしない男を父とは呼ばない」なんてキャッチコピーが出ていましたが、男の子育て環境はずいぶん変化したのでしょうか?

 表面的には イクメンがもてはやされ、育児関係・家事関係の商品のコマーシャルにも、ずいぶん男が出ていますが、実際どうなのでしょうか?

 

 件のベビーカーにしても、今どき珍しくないだろう、と思いましたが、いや待てよ。妻(母)とカップルの時は街の中でも電車の中でもいる。それから父一人の時でも子供を自転車に乗せている男はよく見かける。だが、ベビーカーを“ひとりで”押している男はそう頻繁には見かけない。これって何を意味しているのだろう? と、考えてしまいました。

 

 ベビーカーに乗せている、ということは、子供はだいたい3歳未満。保育園や幼稚園に通うにはまだ小さい。普段は家で母親が面倒を見ているというパターンがやはりまだまだ多いのでしょう。

 

 そういえば、保育園の待機児童問題って、お母さんの声ばかりで、お父さんの声ってさっぱり聞こえてこない。そもそも関係あるのか?って感じに見えてしまうんだけど、イクメンの人たちの出番はないのでしょうか・・・。

 

2016年6月16日


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インターネットがつくるフォークロア

 

インターネットの出現は社会を変えた――ということは聞き飽きるほど、あちこちで言われています。けれどもインターネットが本格的に普及したのは、せいぜいここ10年くらいの話。全世代、全世界を見渡せば、まだ高齢者の中には使ったことがないという人も多いし、国や地域によって普及率の格差も大きい。だから、その変化の真価を国レベル・世界レベルで、僕たちが実感するのはまだこれからだと思います。

それは一般によくいわれる、情報収集がスピーディーになったとか、通信販売が便利になったとか、というカテゴリーの話とは次元が違うものです。もっと人間形成の根本的な部分に関わることであり、ホモサピエンスの文化の変革にまでつながること。それは新しい民間伝承――フォークロアの誕生です。

 

“成長過程で自然に知ってしまう”昔話・伝承

 

最初はどこでどのように聞いたのか覚えてないですが、僕たちは自分でも驚くほど、昔話・伝承をよく知っています。成長の過程のどこかで桃太郎や浦島太郎や因幡の白ウサギと出会い、彼らを古い友だちのように思っています。

 

家庭でそれらの話を大人に読んでもらったこともあれば、幼稚園・保育園・小学校で体験したり、最近ならメディアでお目にかかることも多い。それはまるで遺伝子に組み込まれているかのように、あまりに自然に身体の中に溶け込んでいるのです。

 

調べて確認したわけではないが、こうした感覚は日本に限らず、韓国でも中国でもアメリカでもヨーロッパでも、その地域に住んでいる人なら誰でも持ち得るのではないでしょうか。おそらく同じような現象があると思います。それぞれどんな話がスタンダードとなっているのかは分かりませんが、その国・その地域・その民族の間で“成長過程で自然に知ってしまう”昔話・伝承の類が一定量あるのです。

 

それらは長い時間を生きながらえるタフな生命エネルギーを持っています。それだけのエネルギーを湛えた伝承は、共通の文化の地層、つまり一種のデータベースとして、万人の脳の奥底に存在しています。その文化の地層の上に、その他すべての情報・知識が積み重なっている――僕はそんなイメージを持っています。

 

世界共通の、新しいカテゴリーの伝承

 

そして、昔からあるそれとは別に、これから世界共通の、新しいカテゴリーの伝承が生まれてくる。その新しい伝承は人々の間で共通の文化の地層として急速に育っていくのでないか。そうした伝承を拡散し、未来へ伝える役目を担っているのがインターネット、というわけです。

 

ところで新しい伝承とは何でしょう? その主要なものは20世紀に生まれ、花開いた大衆文化――ポップカルチャーではないでしょうか。具体的に挙げていけば、映画、演劇、小説、マンガ、音楽(ジャズ、ポップス、ロック)の類です。

 

21世紀になる頃から、こうしたポップカルチャーのリバイバルが盛んに行われるようになっていました。

人々になじみのあるストーリー、キャラクター。

ノスタルジーを刺激するリバイバル・コンテンツ。

こうしたものが流行るのは、情報発信する側が、商品価値の高い、新しいものを開発できないためだと思っていました。

そこで各種関連企業が物置に入っていたアンティーク商品を引っ張り出してきて、売上を確保しようとした――そんな事情があったのでしょう。実際、最初のうちはそうだったはずです。

だから僕は結構冷めた目でそうした現象を見ていました。そこには半ば絶望感も混じっていたと思います。前の世代を超える、真に新しい、刺激的なもの・感動的なものは、この先はもう現れないのかも知れない。出尽くしてしまったのかも知れない、と……。

 

しかし時間が経ち、リバイバル現象が恒常化し、それらの画像や物語が、各種のサイトやYouTubeの動画コンテンツとして、ネット上にあふれるようになってくると考え方は変わってきました。

 

それらのストーリー、キャラクターは、もはや単なるレトロやリバイバルでなく、世界中の人たちの共有財産となっています。いわば全世界共通の伝承なのです。

僕たちは欧米やアジアやアフリカの人たちと「ビートルズ」について、「手塚治虫」について、「ガンダム」について、「スターウォーズ」について語り合えるし、また、それらを共通言語にして、子や孫の世代とも同様に語り合えます。

そこにボーダーはないし、ジェネレーションギャップも存在しません。純粋にポップカルチャーを媒介にしてつながり合う、数限りない関係が生まれるのです。

 

また、これらの伝承のオリジナルの発信者――ミュージシャン、映画監督、漫画家、小説家などによって、あるいは彼ら・彼女らをリスペクトするクリエイターたちによって自由なアレンジが施され、驚くほど新鮮なコンテンツに生まれ変わる場合もあります。

 

インターネットの本当の役割

 

オリジナル曲をつくった、盛りを過ぎたアーティストたちが、子や孫たち世代の少年・少女と再び眩いステージに立ち、自分の資産である作品を披露。それをYouTubeなどを介して広めている様子なども頻繁に見かけるようになりました。

 

それが良いことなのか、悪いことなのか、評価はさておき、そうした状況がインタ―ネットによって現れています。これから10年たち、20年たち、コンテンツがさらに充実し、インターネット人口が現在よりさらに膨れ上がれば、どうなるでしょうか? 

 

おそらくその現象は空気のようなものとして世の中に存在するようになり、僕たちは新たな世界的伝承として、人類共通の文化遺産として、完成された古典として見なすようになるでしょう。人々は分かりやすく、楽しませてくれるものが大好きだからです。

 

そして、まるで「桃太郎」のお話を聞くように、まっさらな状態で、これらの伝承を受け取った子供たちが、そこからまた新しい、次の時代の物語を生みだしていきます。

 

この先、そうした現象が必ず起こると思う。インターネットという新参者のメディアはその段階になって、さらに大きな役割を担うのでしょう。それは文化の貯蔵庫としての価値であり、さらに広げて言えば、人類の文化の変革につながる価値になります。

 

 

2016年6月13日


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地方自治体のホームページって割と面白い

 

 

 ここのところ、雑誌の連載で地方のことを書いています。

書くときはまずベーシックな情報(最初のリード文として使うこともあるので)をインターネットで調べます。

 これはウィキペディアなどの第3者情報よりも、各県の公式ホームページの方が断然面白い。自分たちの県をどう見せ、何をアピールしたいかがよくわかるからです。

なんでも市場価値が問われる時代。「お役所仕事云々・・・」と言われることが多い自治体ですが、いろいろ努力して、ホームページも工夫しています。

 

 最近やった宮崎県のキャッチコピーは「日本のひなた」。

 日照時間の多さ、そのため農産物がよく獲れるということのアピール。

 そしてもちろん、人や土地のやさしさ、あったかさ、ポカポカ感を訴えています。

 いろいろな人たちがお日さまスマイルのフリスビーを飛ばして、次々と受け渡していくプロモーションビデオは、単純だけど、なかなか楽しかった。

 

 それから「ひなた度データ」というのがあって、全国比率のいろいろなデータが出ています。面白いのが、「餃子消費量3位」とか、「中学生の早寝早起き率 第3位」とか、「宿題実行率 第4位」とか、「保護者の学校行事参加率 第2位」とか・・・
 「なんでこれがひなた度なんじゃい!」とツッコミを入れたくなるのもいっぱい。だけど好きです、こういうの。 

 取材するにしても、いきなり用件をぶつけるより、「ホームページ面白いですね~」と切り出したほうが、ちょっとはお役所臭さが緩和される気がします。

 

 「あなたのひなた度は?」というテストもあって、やってみたら100パーセントでした。じつはまだ一度も行ったことないけれど、宮崎県を応援したくなるな。ポカポカ。

 

2016年6月12日


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タイムマシンにおねがい

 

 きのう6月10日は「時の記念日」でした。それに気がついたら頭の中で突然、サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにおねがい」が鳴り響いてきたので、YouTubeを見てみたら、1974年から2006年まで、30年以上にわたるいろいろなバージョンが上がっていました。本当にインターネットの世界でタイムマシン化しています。

 

 これだけ昔の映像・音源が見放題・聞き放題になるなんて10年前は考えられませんでした。こういう状況に触れると、改めてインターネットのパワーを感じると同時に、この時代になるまで生きててよかった~と、しみじみします。

 

 そしてまた、ネットの中でならおっさん・おばさんでもずっと青少年でいられる、ということを感じます。60~70年代のロックについて滔々と自分の思い入れを語っている人がいっぱいいますが、これはどう考えても50代・60代の人ですからね。

 でも、彼ら・彼女らの頭の中はロックに夢中になっていた若いころのまんま。脳内年齢は10代・20代。インターネットに没頭することは、まさしくタイムマシンンに乗っているようなものです。

 

 この「タイムマシンにおねがい」が入っているサディスティック・ミカ・バンドの「黒船」というアルバムは、1974年リリースで、いまだに日本のロックの最高峰に位置するアルバムです。若き加藤和彦が作った、世界に誇る傑作と言ってもいいのではないでしょうか。

 中でもこの曲は音も歌詞もゴキゲンです。いろいろ見た(聴いた)中でいちばんよかったのは、最新(かな?)の2006年・木村カエラ・ヴォーカルのバージョンです。おっさんロッカーたちをバックに「ティラノサウルスおさんぽ アハハハ-ン」とやってくれて、くらくらっときました。

 

 やたらと「オリジナルでなきゃ。あのヴォーカルとあのギターでなきゃ」とこだわる人がいますが、僕はそうは思わない。みんなに愛される歌、愛されるコンテンツ、愛される文化には、ちゃんと後継ぎがいて、表現技術はもちろんですが、それだけでなく、その歌・文化の持ち味を深く理解し、見事に自分のものとして再現します。中には「オリジナルよりいいじゃん!」と思えるものも少なくありません。(この木村カエラがよい例)。

 この歌を歌いたい、自分で表現したい!――若い世代にそれだけ強烈に思わせる、魅力あるコンテンツ・文化は生き残り、クラシックとして未来に継承されていくのだと思います。

 

 もう一つおまけに木村カエラのバックでは、晩年の加藤和彦さんが本当に楽しそうに演奏をしていました。こんなに楽しそうだったのに、どうして自殺してしまったのだろう・・・と、ちょっと哀しくもなったなぁ。

 

2016年6月11日


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「歴人めし」おかわり情報

 

 9日間にわたって放送してきた「歴人めし」は、昨日の「信長巻きの巻」をもっていったん終了。しかし、ご安心ください。7月は夜の時間帯に再放送があります。ぜひ見てくださいね。というか、You Tubeでソッコー見られるみたいですが。

 

 

https://www.ch-ginga.jp/movie-detail/series.php?series_cd=12041

 

 この仕事では歴人たちがいかに食い物に執念を燃やしていたかがわかりました。 もちろん、記録に残っているのはほんの少し。

 源内さんのように、自分がいかにうなぎが好きか、うなぎにこだわっているか、しつこく書いている人も例外としていますが、他の人たちは自分は天下国家のことをいつも考えていて、今日のめしのことなんかどうでもいい。カスミを食ってでの生きている・・・なんて言い出しそうな勢いです。

 

 しかし、そんなわけはない。偉人と言えども、飲み食いと無関係ではいられません。 ただ、それを口に出して言えるのは、平和な世の中あってこそなのでしょう。だから日本の食文化は江戸時代に発展し、今ある日本食が完成されたのです。

 

 そんなわけで、「おかわり」があるかもしれないよ、というお話を頂いているので、なんとなく続きを考えています。

 駿河の国(静岡)は食材豊富だし、来年の大河の井伊直虎がらみで何かできないかとか、 今回揚げ物がなかったから、何かできないかとか(信長に捧ぐ干し柿入りドーナツとかね)、

 柳原先生の得意な江戸料理を活かせる江戸の文人とか、明治の文人の話だとか、

 登場させ損ねてしまった豊臣秀吉、上杉謙信、伊達政宗、浅井三姉妹、新選組などの好物とか・・・

 食について面白い逸話がありそうな人たちはいっぱいいるのですが、柳原先生の納得する人物、食材、メニュー、ストーリーがそろって、初めて台本にできます。(じつは今回もプロット段階でアウトテイク多数)

 すぐにとはいきませんが、ぜひおかわりにトライしますよ。

 それまでおなかをすかせて待っててくださいね。ぐ~~。

2016年6月7日


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歴人めし♯9:スイーツ大好き織田信長の信長巻き

 

信長が甘いもの好きというのは、僕は今回のリサーチで初めて知りました。お砂糖を贈答したり、されたりして外交に利用していたこともあり、あちこちの和菓子屋さんが「信長ゆかりの銘菓」を開発して売り出しているようです。ストーリーをくっつけると、同じおまんじゅうやあんころもちでも何だか特別なもの、他とは違うまんじゅうやあんころもちに思えてくるから不思議なものです。

 

 今回、ゆかりの食材として採用したのは「干し柿」と「麦こがし(ふりもみこがし)」。柿は、武家伝統の本膳料理(会席料理のさらに豪華版!)の定番デザートでもあり、記録をめくっていると必ず出てきます。

 現代のようなスイーツパラダイスの時代と違って、昔の人は甘いものなどそう簡単に口にできませんでした。お砂糖なんて食品というよりは、宝石や黄金に近い超ぜいたく品だったようです。だから信長に限らず、果物に目のない人は大勢いたのでしょう。

 中でもは干し柿にすれば保存がきくし、渋柿もスイートに変身したりするので重宝されたのだと思います。

 

  「信長巻き」というのは柳原尚之先生のオリジナル。干し柿に白ワインを染み込ませるのと、大徳寺納豆という、濃厚でしょっぱい焼き味噌みたいな大豆食品をいっしょに巻き込むのがミソ。

 信長は塩辛い味も好きで、料理人が京風の上品な薄味料理を出したら「こんな水臭いものが食えるか!」と怒ったという逸話も。はまった人なら知っている、甘い味としょっぱい味の無限ループ。交互に食べるともうどうにも止まらない。信長もとりつかれていたのだろうか・・・。

 

 ちなみに最近の映画やドラマの中の信長と言えば、かっこよくマントを翻して南蛮渡来の洋装を着こなして登場したり、お城の中のインテリアをヨーロッパの宮殿風にしたり、といった演出が目につきます。

 スイーツ好きとともに、洋風好き・西洋かぶれも、今やすっかり信長像の定番になっていますが、じつはこうして西洋文化を積極的に採り入れたのも、もともとはカステラだの、金平糖だの、ボーロだの、ポルトガルやスペインの宣教師たちが持ち込んできた、砂糖をたっぷり使った甘いお菓子が目当てだったのです。(と、断言してしまう)

 

 「文化」なんていうと何やら高尚っぽいですが、要は生活習慣の集合体をそう呼ぶまでのこと。その中心にあるのは生活の基本である衣食住です。

 中でも「食」の威力はすさまじく、これに人間はめっぽう弱い。おいしいものの誘惑からは誰も逃れられない。そしてできることなら「豊かな食卓のある人生」を生きたいと願う。この「豊かな食卓」をどう捉えるかが、その人の価値観・生き方につながるのです。

 魔王と呼ばれながら、天下統一の一歩手前で倒れた信長も、突き詰めればその自分ならではの豊かさを目指していたのではないかと思うのです。

 

2016年6月6日


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歴人めし♯8 山内一豊の生食禁止令から生まれた?「カツオのたたき」

 

 「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だったころ、琵琶湖のほとりに金目教という怪しい宗教が流行っていた・・・」というナレーションで始まるのは「仮面の忍者・赤影」。子供の頃、夢中になってテレビにかじりついていました。

 時代劇(忍者もの)とSF活劇と怪獣物をごちゃ混ぜにして、なおかつチープな特撮のインチキスパイスをふりかけた独特のテイストは、後にも先にもこの番組だけ。僕の中ではもはや孤高の存在です。

 

 いきなり話が脱線していますが、赤影オープニングのナレーションで語られた「琵琶湖のほとり」とは滋賀県長浜あたりのことだったのだ、と気づいたのは、ちょうど10年前の今頃、イベントの仕事でその長浜に滞在していた時です。

 このときのイベント=期間限定のラジオ番組制作は、大河ドラマ「功名が辻」関連のもの。4月~6月まで断続的に数日ずつ訪れ、街中や郊外で番組用の取材をやっていました。春でもちょっと寒いことを我慢すれば、賑わいがあり、かつまた、自然や文化財にも恵まれている、とても暮らしやすそうな良いところです。

この長浜を開いたのは豊臣秀吉。そして秀吉の後を継いで城主になったのが山内一豊。「功名が辻」は、その一豊(上川隆也)と妻・千代(仲間由紀恵)の物語。そして本日の歴人めし♯9は、この一豊ゆかりの「カツオのたたき」でした。

 ところが一豊、城主にまでしてもらったのに秀吉の死後は、豊臣危うしと読んだのか、関が原では徳川方に寝返ってしまいます。つまり、うまいこと勝ち組にすべり込んだわけですね。

 これで一件落着、となるのが、一豊の描いたシナリオでした。

 なぜならこのとき、彼はもう50歳。人生50年と言われた時代ですから、その年齢から本格的な天下取りに向かった家康なんかは例外中の例外。そんな非凡な才能と強靭な精神を持ち合わせていない、言ってみればラッキーで何とかやってきた凡人・一豊は、もう疲れたし、このあたりで自分の武士人生も「あがり」としたかったのでしょう。

 できたら、ごほうびとして年金代わりに小さな領地でももらって、千代とのんびり老後を過ごしたかったのだと思います。あるいは武士なんかやめてしまって、お百姓でもやりながら余生を・・・とひそかに考えていた可能性もあります。

 

 ところが、ここでまた人生逆転。家康からとんでもないプレゼントが。

 「土佐一国をおまえに任せる」と言い渡されたのです。

 一国の領主にしてやる、と言われたのだから、めでたく大出世。一豊、飛び上がって喜んだ・・・というのが定説になっていますが、僕はまったくそうは思いません。

 なんせ土佐は前・領主の長曾我部氏のごっつい残党がぞろぞろいて、新しくやってくる領主をけんか腰で待ち構えている。徳川陣営の他の武将も「あそこに行くのだけは嫌だ」と言っていたところです。

 

 現代に置き換えてみると、後期高齢者あたりの年齢になった一豊が、縁もゆかりもない外国――それも南米とかのタフな土地へ派遣されるのようなもの。いくらそこの支店長のポストをくれてやる、と言われたって全然うれしくなんかなかったでしょう。

 

 けれども天下を収めた家康の命令は絶対です。断れるはずがありません。

 そしてまた、うまく治められなければ「能無し」というレッテルを貼られ、お家とりつぶしになってしまいます。

 これはすごいプレッシャーだったでしょう。「勝ち組になろう」なんて魂胆を起こすんじゃなかった、と後悔したに違いありません。

 

 こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

 恐怖にかられてしまった人間は、より以上の恐怖となる蛮行、残虐行為を行います。

 一豊は15代先の容堂の世代――つまり、250年後の坂本龍馬や武市半平太の時代まで続く、武士階級をさらに山内家の上士、長曾我部氏の下士に分けるという独特の差別システムまで発想します。

 そうして土佐にきてわずか5年で病に倒れ、亡くなってしまった一豊。寿命だったのかもしれませんが、僕には土佐統治によるストレスで命を縮めたとしか思えないのです。

 

 「カツオのたたき」は、食中毒になる危険を慮った一豊が「カツオ生食禁止令」を出したが、土佐の人々はなんとかおいしくカツオを食べたいと、表面だけ火であぶり、「これは生食じゃのうて焼き魚だぜよ」と抗弁したところから生まれた料理――という話が流布しています。

 しかし、そんな禁止令が記録として残っているわけではありません。やはりこれはどこからか生えてきた伝説なのでしょう。

 けれども僕はこの「カツオのたたき発祥物語」が好きです。それも一豊を“民の健康を気遣う良いお殿様”として解釈するお話でなく、「精神的プレッシャーで恐怖と幻想にとりつかれ、カツオの生食が、おそるべき野蛮人たちの悪食に見えてしまった男の物語」として解釈してストーリーにしました。

 

 随分と長くなってしまいましたが、ここまで書いてきたバックストーリーのニュアンスをイラストの方が、短いナレーションとト書きからじつにうまく掬い取ってくれて、なんとも情けない一豊が画面で活躍することになったのです。

 一豊ファンの人には申し訳ないけど、カツオのたたきに負けず劣らず、実にいい味出している。マイ・フェイバリットです。

 

2016年6月3日


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「歴人めし」徳川家康提唱、日本人の基本食

 

 

 歴人めし第7回は「徳川家康―八丁味噌の冷汁と麦飯」。

 「これが日本人の正しい食事なのじゃ」と家康が言ったかどうかは知りませんが、米・麦・味噌が長寿と健康の基本の3大食材と言えば、多くの日本人は納得するのではないでしょうか。エネルギー、たんぱく質、ビタミン、その他の栄養素のバランスも抜群の取り合わせです。

 ましてやその発言の主が、天下を統一して戦国の世を終わらせ、パックス・トクガワ―ナを作った家康ならなおのこと。実際、家康はこの3大食材を常食とし、かなり養生に努めていたことは定説になっています。

 

  昨年はその家康の没後400年ということで、彼が城を構えた岡崎・浜松・静岡の3都市で「家康公400年祭」というイベントが開催され、僕もその一部の仕事をしました。

そこでお会いしたのが、岡崎城から歩いて八丁(約780メートル)の八丁村で八丁味噌を作っていた味噌蔵の後継者。

 かのメーカー社長は現在「Mr.Haccho」と名乗り、毎年、海外に八丁味噌を売り込みに行っているそうで、日本を代表する調味料・八丁味噌がじわじわと世界に認められつつあるようです。

 

 ちなみに僕は名古屋の出身なので子供の頃から赤味噌に慣れ親しんできました。名古屋をはじめ、東海圏では味噌と言えば、赤味噌=豆味噌が主流。ですが、八丁味噌」という食品名を用いれるのは、その岡崎の元・八丁村にある二つの味噌蔵――現在の「まるや」と「カクキュー」で作っているものだけ、ということです。

 

 しかし、養生食の米・麦・味噌をがんばって食べ続け、健康に気を遣っていた家康も、平和な世の中になって緊張の糸がプツンと切れたのでしょう。

 がまんを重ねて押さえつけていた「ぜいたくの虫」がそっとささやいたのかもしれません。

 

 「もういいんじゃないの。ちょっとぐらいぜいたくしてもかまへんで~」

 

 ということで、その頃、京都でブームになっていたという「鯛の天ぷら」が食べた~い!と言い出し、念願かなってそれを口にしたら大当たり。おなかが油に慣れていなかったせいなのかなぁ。食中毒がもとで亡くなってしまった、と伝えられています。

 でも考えてみれば、自分の仕事をやり遂げて、最期に食べたいものをちゃんと食べられて旅立ったのだから、これ以上満足のいく人生はなかったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

2016年6月2日


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歴人めし「篤姫のお貝煮」と御殿女中

  絶好調「真田丸」に続く2017年大河は柴咲コウ主演「おんな城主 直虎」。今年は男だったから来年は女――というわけで、ここ10年あまり、大河は1年ごとに主人公が男女入れ替わるシフトになっています。
 だけど女のドラマは難しいんです。なかなか資料が見つけらない。というか、そもそも残っていな。やはり日本の歴史は(外国もそうですが)圧倒的に男の歴史なんですね。


 それでも近年、頻繁に女主人公の物語をやるようになったのは、もちろん女性の視聴者を取り込むためだけど、もう一つは史実としての正確さよりも、物語性、イベント性を重視するようになってきたからだと思います。

 

 テレビの人気凋落がよく話題になりますが、「腐っても鯛」と言っては失礼だけど、やっぱ日曜8時のゴールデンタイム、「お茶の間でテレビ」は日本人の定番ライフスタイルです。

 出演俳優は箔がつくし、ゆかりの地域は観光客でにぎわうって経済も潤うし、いろんなイベントもぶら下がってくるし、話題も提供される・・・ということでいいことづくめ。
 豪華絢爛絵巻物に歴史のお勉強がおまけについてくる・・・ぐらいでちょうどいいのです。(とはいっても、制作スタッフは必死に歴史考証をやっています。ただ、部分的に資料がなくても諦めずに面白くするぞ――という精神で作っているということです)

 

 と、すっかり前置きが長くなってしまいましたが、なんとか「歴人めし」にも一人、女性を入れたいということで、あれこれ調べた挙句、やっと好物に関する記録を見つけたのが、20082年大河のヒロイン「篤姫」。本日は天璋院篤姫の「お貝煮」でした。

 

 見てもらえればわかるけど、この「お貝煮」なる料理、要するにアワビ入りの茶碗蒸しです。その記述が載っていたのが「御殿女中」という本。この本は明治から戦前の昭和にかけて活躍した、江戸文化・風俗の研究家・三田村鳶魚の著作で。篤姫付きの女中をしていた“大岡ませ子”という女性を取材した、いわゆる聞き書きです。

 

 

 明治も30年余り経ち、世代交代が進み、新しい秩序・社会体制が定着してくると、以前の時代が懐かしくなるらしく、「江戸の記憶を遺そう」というムーブメントが文化人の間で起こったようです。
 そこでこの三田村鳶魚さんが、かなりのご高齢だったます子さんに目をつけ、あれこれ大奥の生活について聞き出した――その集成がこの本に収められているというわけです。これは現在、文庫本になっていて手軽に手に入ります。

 ナレーションにもしましたが、ヘアメイク法やら、ファッションやら、江戸城内のエンタメ情報やらも載っていて、なかなか楽しい本ですが、篤姫に関するエピソードで最も面白かったのが飼いネコの話。

 最初、彼女は狆(犬)が買いたかったようなのですが、夫の徳川家定(13代将軍)がイヌがダメなので、しかたなくネコにしたとか。

 


 ところが、このネコが良き相棒になってくれて、なんと16年もいっしょに暮らしたそうです。彼女もペットに心を癒された口なのでしょうか。

 

 そんなわけでこの回もいろんな発見がありました。

 続編では、もっと大勢の女性歴人を登場させ、その好物を紹介したいと思っています。

 

2016年6月1日


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AirBnB:旅行者もホストも面白い、新しい旅スタイル

 

 

 うちの近所で「This is not AirBnB」という貼り紙を玄関に出している家を発見しました。

 ということは、この永福町界隈に、そことよく似た門構えの家がAirBnBをやっているので、しばしば間違われて旅行者が訪ねてくるということ?

 

 AirBnBというのは要するに「民泊」のことです。

 自分の家やアパートに旅行者を泊めるところで、数年前、話題になった時は、そんなに利用者がいるのだろうか?と訝りました。

 

 が、スマホの普及と比例して、あっという間に世界各地で増殖したようです。

 もちろんホテル・旅館、あるいは民宿などと比べて安いのが魅力ですが、増殖したのはそういった経済面の理由だけではありません。

 

 ホテル・旅館に泊まるのとは違った旅、その現地に踏み込み、生活感のある旅を楽しめるという醍醐味があるのです。

 

 昨年秋に京都へ行ったとき、僕もはじめて利用したのだけど、そこは新選組のもと屯所して有名な壬生寺の近く。

 

 華やかな中心部の観光地とは趣が異なり、生活感あふれる下町で、昭和レトロな店もたくさん並ぶ商店街の路地裏にありました。

 

 ホテルや旅館が建つような立地じゃないので、迷子にでもならない限り、普通の観光客が入り込むところではありません。

しかし、宿があれば楽しめるし、親近感がわきます。

 本当に普通のアパートの一室を貸し出していました。

 

 オーナー(ホスト)は40代のDさん。男性。

 ホスト側も最初はお金目的にやり出すのですが、国内外からいろんな人がやってくるので、そういう人たちと交流するうちに面白くなってはまってしまい、本格的な経営者になってしまう。、

 人気のある観光都市だとプロのホストになって何軒も抱えて経営している人も珍しくありません。ベテランの「スーパーホスト」なる人も登場しています。

 

 そのDさんも1年ほど前にそれまで勤めていた会社を辞めてAirBnB業に乗り出し、京都・大阪に物件を持っていて、日夜往復しています

 掃除もしなきゃいけないので大変だと思いますが、本人はすごく楽しそう。

 オリンピック開催を狙って、この1年くらいのうちに東京でもやりたんだ、と話していました。

 

 泊った旅行者はその宿泊体験についてレビューを書く。

 そのレビューを参考に、次の旅行者がそこを利用するかどうか選択する。

 双方向でつくっていく新しい、個性的な旅のスタイル。

 インターネットの効用をフルに生かしています。

 

 もちろん、ホテル・旅館業界は大反対で、この流れに圧力をかけてきますが、Dさんはそれさえも楽しんでいる風情でした。

 

 AirBnBを利用した旅、きっと面白いので一度、体験してみてください。

 


哲学するネコと瞑想書き

 

   ちょっと春めいた日差しがやってきたので、中野の哲学堂公園までサイクリング。

 そこで哲学するネコと出会う。

 ベンチの背もたれにちょこんと乗っかって、ウトウト居眠りしているのかと思ったら、目は細めているものの、ちゃんと起きている。 

 

 こういうフリーのネコと出会うと、僕はいつも果敢に対話を試みるのだが、ニャーとかミャーとか語り掛けても、まったくリアクションしてくれない。

 

 けれども拒否されたわけではない。

 20㎝くらいのところまで近づいて写真を撮っても、背中を撫でても、逃げ出すどころか微動だにしない。

 その背もたれの上にさりげなく、かつ堂々と“存在”しているのだ。

 まるで瞑想中の老師のようだ。さすが哲学堂。こんな大したネコがいるなんて。

 

 僕も何度かトライしたことがあるが、瞑想というのはうまくできない。

 部屋を暗くし、ヒーリング系の音楽を流し、お香などを炊いてみても、その行為に集中できない。

 なんだかこんなことをやっている自分は、自分じゃなく思えてきてしまうのだ。

 

 そこで見つけたのが「瞑想書き」。

 なるべく考えようとせず、頭に思い浮かぶ言葉・イメージを手書きでノートに書き留める。ただそれだけ。

 

 ちゃんとした文章になってなくていい。単語の羅列でも構わない。

 愚痴や泣き言や頭にきたことを書き散らしてもいい。

 「おまえバカじゃないの」とか「あなた賢いわ」とか、自分を分裂させてAとBの会話にしてもいい。

 

 ただひたすら意識の流れを「見える化」する。

 紙とペン(鉛筆)を見ていればいいので、集中力も保てる。

 瞑想効果があるので、瞑想書き。

 

 最初はうまくできないかも知れないけど、続けてやっていると、そのうち自然にスラスラ言葉が出てくるようになってきて、これがけっこう面白い。

 手を動かすことによって脳が開き、意識の奥から情報が湧き上がる。

 心の声を聴くような感覚をつかめるのだ。

 

 自分のものにできてきたなと思ったら、テーマや目的に沿って、仕事のアイディア出しの下書きに使ったり、ブログやSNSのメッセージの下書きに利用してもいい。

 もちろん、創作活動のウォーミングアップとしてもOK。

 

 たまにやるのではなく、できれば毎日やる。

 朝起きたばかりの、脳も空気もきれいな時間帯、あるいは夜眠る前の、おしりに何もやることが残っていない時間帯がベストです。

 興味があったら試してみてください。

 ネコの手は借りられないので、自分の手で書いてニャ。

 


自伝を書いて脚色する

 

 

 文章を書くことに興味があって、自己表現でも、ビジネスに生かせるものでもいいから腰を入れてやりたい。

 もしあなたがそう考える人なら、まず自伝を書いてみるといいでしょう。

 

 最近は終活ばやりで、エンディングを意識した人が大勢、自伝に挑戦していますが、ここでいう自伝の執筆は、自分だけの言葉・文体・文章を養うためのものです。

 

 だからむしろ若い人にやってほしいと思っています。

 

 なぜかと言うと、これから先、「要点をうまくまとめた文章」「美しく整った文章」など、企業や役所などの仕事で求められる「正解」の文章は、AI・ロボットに委ねられるからです。

 

 自社・自分の組織に関するデータ、こんな目的で作う、こんな感じ(パターン)の文章、みたいな条件を入れてAI・ロボットに頼めば、オートマティックにお望みのものが出来上がってくる――そういう世界になっていくと思います。

 

 だから文章を書きたい、表現したいという若い人は、「おれの文」「わたしの文」を出来るだけ早くから磨いて使えるようになったほうがいいと思うのです。

 

 そのために有効なのが自伝の執筆です。

 自分のことならネタに困らないので、トレーニングには最適です。

 

 僕・わたしの短い人生なんて書いたって面白くないよという人、ほんとうにそうでしょうか?

 自分のことも面白く書けないのなら、人に読ませて少しでも心を動かす文章――そういした価値ある文章なんて書けるはずがありません。

 

 だから一度や二度はトライしてみましょう。

 目を凝らして自分の中を見つめれば、きっと面白い要素が見つかります。

 

 一口に自伝と言っても、ただ履歴書みたいなもの、「〇〇へ行って〇〇を食べた」みたいな単なる記録みたいなことを書いていてはダメです。

 

 あくまで人に見せることを意識して、面白く、わかりやすく読めるように書く。

 (ただし、書いても実際に人に見せる必要はありません)

 

 そして事実をそのまま書くのではなく、ポイントになる部分だけでもいいから脚色する。

 ドラマチックにしてもいいし、コミカルにしてもいいし、詩的にしてもいい。

 記憶の中の事実に、自分なりの構成・アレンジを入れてが面白いと思う脚色をする。

 自己満足でいいのです。

 

 さらにできれば、フィクションがまじってもいいので、その自伝を小説にしたり、エッセイにしたり、舞台の戯曲、映画の脚本にしてみる。

 そうすると自分の文章の世界が広がります。

 

 そのままの自分を書くのは恥ずかしいと言うのなら、自分とは別人の、架空の人物に置き換えてもいい。

 そうすると周囲の人たちのキャラクターも変わってきて、より生き生きと動き出します。

 

 過去のエピソードなんて面白くない。将来おれは宇宙へ行くから、その時の話を想像して書いてみようと思う。

 そんなアイデアが出てきたら、しめたもの。

 

 要は自分をネタにして、書く楽しさを体感してほしいのです。

 自分の脳を掘り返す楽しさ、記憶を引っ張り出し、自由に使う楽しさを。

 

 本当に自分の人生はつまらなさ過ぎて書くことない。

 トライしてみてあなたがそう絶望したら、文章を書くのには向いてないので、さっさとやめて、別のことに時間とエネルギーを使って人生を楽しみましょう。

 

 それでも何らかの事情で、どうしても何か書かなきゃいけないんだ、という人は、僕が代筆して差し上げますので、お便りください。

 


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世界を開くためのリライト

「Writing is Rewriting」と言ったのは、ブロードウェイの劇作家ニール・サイモンであり、ハリウッド映画のシナリオ教本を書いたシド・フィールド。

 最近になってやっとこの言葉が実感できるようになった。

 

 今日は「いたち」のリライトが進んだ。

 朝、「いけそうだ」と予感したので没頭すると、面白いようにスラスラ進んだ。

 途中、他の仕事の修正作業やメール対応を挟んだが、夕方までに5ページ分(約6000字)行けた。

 

 冒頭部分が物語のトーンを決める。

 自分自身の、作品に対するコミュニケ―ションのしかたも決める。

 

 「人間と動物の心の交流」といったフレーズから容易に連想される甘いトーンを崩したいとずっとグズっていたのだが、今日はみごとにブレイクスルー。

 もともとのプロットに沿って書き始めたが、思ってもみなかったシーンとなり、登場人物のキャラも鮮明になり、キレよく展開して上々だった。

 自分のコアにアクセスできているという感触が残った。

 

 原型を崩せば崩すほど面白くなる。それがリライトの醍醐味であり、その醍醐味が書き続けるエネルギーになる。

 今までのプロットで残す部分は一応決めてあるが、それもこのまま進んでいくとどうなるか分からない。

 

 既存の不十分な部分を補って完璧にするためのリライトではなく、まったく新しい物語を作り直し、その世界を開いていくためのリライト。

 

 創作は普段のライターの仕事とは別もので、成果(金銭的報酬・社会的評価・仕事の引き合いなど)が得られるのかどうかは、まったく未知数。

 でもその分、結果オンリーだけでなく、プロセスを楽しめる。

 書くことは、日常と非日常の双方に足を突っ込みながら生きることだ。

 


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自分をリライトする

今までやってきたことを書き直す。

 リライトは今後の自分のテーマである。

 

 と思って、久しぶりにアジアンカンフージェネレーションの「リライト」を聴いた。

 とんでもない重量感と疾走感。

 こんなカッコいいロックに出会ったのはどんだけぶりだ~と、ぶっとんだのが、はや15年ほど前。

 

 アニメ「鋼の錬金術師」のラストクールのオープニング曲だったので、ハガレンのクオリティが10倍UPした。

 

 いま聴いてもレジェンドでなく、なつメロでもなく、現在進行形のリアル感満点で、ザラザラの音の塊がより深く胸をえぐってくる。

 

 リライトは形を成した文脈をもう一度掘り進めて、新しい価値と意味を見つけ出す作業。書いて休んで書いて休んで、また書き直す。

 

 個人的なことだけど、今の時代はみんな同じようなことをして、自分の生きてきた中から何かを掘り出そうとしているのではないだろうか。

 

 あなたは何回自分を書き直しますか?

 


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宴会予約物語

 

●池袋西口探検

 

 4月の同窓会の幹事をやることになって、先日、今やすっかりアウェイになってしまった池袋西口を現地視察してきました。

 その昔(かなり大昔)、西池袋に学校があったので、毎日通っていたところです。

 

 ここ数年(というか数十年)、同窓会は皆が集まりやすいから、ということで、ほとんど新宿でやっていたのですが、今回はせっかくなので思い出深い池袋で、ということになったのです。

 

 6~7年前、立派になった東武デパートで、着ぐるみショーのスタッフをやりましたが、まともに街中を歩いたのはそれ以来かなぁ。

 そもそも最近は用事がないので、まったく足を踏み入れていませんでした。

 

 かつては「雑多」を絵にかいたような街でしたが、ずいぶんと洗練されました。

 

 でも西口公園=ピカピカの東京芸術劇場の前には、ちょっと胡散臭そうな、あまり身なりの良くないおっさんたちがたむろしており、伝統的な「ブクロ臭」をぷんぷん漂わせています。

 うん、いいぞ、いいぞ。

 

 というわけで、やたら道路が広くなったんぁとか、ゴミゴミ家が密集していたところがすっきりしちゃったなぁとか、ありゃ学校ない。そういや何年か前に移転したって聞いたなぁとか、あちこち探索・発見して、何軒か候補のお店に目星をつけて、チラシを持って帰って比較検討すること2日。

 

 そんな手間暇かけず、ネットで調べりゃいいじゃんと思うでしょうが、こういうプロセスを踏まないと納得できない性分なので。

 それに現地へ行って自分がどう感じたか分かっていないと、どうも気が落ち着かない。ほんとにめんどくさいアナログ体質です。

 

●第1志望:イタリアンレストラン貸し切り

 

 参加するのは女性が多い(予定)なので、第1志望、貸し切り歓迎(とチラシに書いてあった)のイタリアンレストランへ。

 小ぶりな地下のお店で、なんとなく良い雰囲気だし、僕もワインが好きなので、たまにはこういうところも、と思って電話をします。

 

 ちなみに時刻は4時ちょっと前。

 ランチが終わり、休憩してそろそろ夕方の準備に入ろうかという時刻。

 中年くらいの店長らしき人が出た。

 ちなみにネットで調べると「ぐるなび」などには情報載せているけど、独自のホームページは持っていない。

 

 「ハーイ、チャオ!」とお茶目に出るとは思わなかったけど、小規模な店なので、フレンドリーな温かみを期待したのですが、第一声は割と固い感じ。

 「これはちょっと・・・」とその瞬間ひるんだが、構わずそのまま切り込む。

 

 「貸し切り、本当に何人でも歓迎なんですか?」

 「ああ、えーと・・・土曜日ですよね? 土曜はちょっと・・・」

 「(なんだ、ここに書いてあることと違うじゃねえかよ)え、じゃあ何人ならいいんですか?」

 「そうですね、それは一人当たりのお値段によって代わってきますが・・・」

 「ひとり5000円。最低10人くらいは来ると思うけど、それじゃダメ? ま、もっと増えると思うけど」

 「それはちょっと・・・5000円なら20人くらいからじゃないと」

 

 「20人集まるかも知れないけど、ちょっとまだわからないので検討します」

 

 残念ですが、最初の3秒で感じたNG予感は当たってしまいました。

 

●第2志望:個室居酒屋

 

 第2志望。居酒屋でも個室があることころがいいな。

 最近流行っているらしいチェーン店。

 ここもネットで一応確認して電話すると男性が出るが、第一声の印象は芳しくない。

 休憩時間を邪魔された感がちょっと声に混じっている。

 ごめんね。でも営業している時間に掛けちゃ迷惑でしょ。

 と思いつつ、切り出す。

 

 「人数まだわからないんですが」

 

 「10~20人? うーん、するとお部屋違ってきちゃうんですよね。一応とっときますけど」

 

 「チラシに載っているこの〇コースがいいなと思っているんですが、これ2時間飲みホを3時間にはできんですか? 追加料金払いますよ」

 

 「はぁ、でも土曜ですよね?土曜は2時間オンリーでお願いしているんですよ」

 

 「わかりました。じゃあ検討します」

 

 こちらも残念ですが、最初の3秒でNGかな感が伝わりました。

 ていうか、どうしてもここにしたい!という気にならなかった。

 

●第3志望:フツーの老舗チェーン居酒屋(思い出付き)

 

 第3志望。フツーの昔からあるチェーン店の居酒屋。

 ただし、じつはここで何度も飲んだことがある。

 もちろん当時からたぶん何度も改装していて、とてもきれいな店になっています。

 

 電話すると、今度はお姉さん。

 

 「はい、ありがとうございます。あ、ご宴会ですね? はい、かしこまりました。2時間半のコースを。10~20名くらい。あ、大丈夫ですよ。3日前にわかれば。お料理、AとBはCとDに差し替えられますが・・・AとBですね。同窓会ですか、じゃあ学校の名前でお取りしますか・・・はい、ありがとうございます。お待ちしています」

 

 流れるような美しく、きびきびした応対。

 そもそも最初の第一声が、先の2店はボールから入ったが、こちらはズバッとストライク。こうこられるとありがたい。

 結局、ここで決まり。

 フツーのフツーだけど、安いし、思い出もあるし、OK。

 

 いや、マニュアル対応なのはわかります。

 老舗なのでデータも豊富だからね、こういうお客はこう応じればOKっていうのが出来上がっていると思います。

 でもたとえマニュアルでも、その場でちゃんとこなせるパフォーマンスは素晴らしい。

 僕のような単細胞な客はそれだけで気分が良くなってしまうのです。

 

 出たスタッフの声を聴くと何となくその店全体像が伝わってくる(と僕は信じています)。

 

 電話対応が良いからと言って、必ずしもその店のサービスが良いとは限らないけど、電話対応が悪かったところが、それを覆すほどサービスが良かったということはないんだよね。

 

●まとめ

 

 といういわけで、たかが宴会の店決めをするのに何をそんなに時間かけているんだと思われるでしょうけど、これも遊びみたいなもので、これくらいプロセスつけて自分の中でストーリー作らないと、生きてて面白くないんだよね。

 

 最初はほんの5~6行の日記で済ますつもりだったんだけど・・・

 与太話を長々とすみません。

 でもここまで読んでくれたということは、面白かったということかな?

 別にためになる教訓みたいなものはないけど、あなたも宴会幹事をすることがあったら参考にしてください(なればね)。

 


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記憶のダストを書き集めると星が生まれる

 

 続けて思い出話を書いたので、ズシ、と心に重みを感じている。

 とらやの羊羹か、名古屋名物ういろうを手渡された時のような重さ。

 寂しさと、悲しみと、楽しさと、懐かしさが熟して詰まった重さだ。

 

 宇宙に浮遊していた記憶のダストを書き集めて塊にすると、自分の中の宇宙にポコッと小さな星が生まれたよう。

 

 フェレットを飼っていたAさんも、

 亡くなった白滝さんも、

 そんなに長く付き合ったわけでなく、とても親しかったわけでもないけど、

 「同じ時間を生きた」と実感した人。

 だから思い出して書いてみると、一つの「過去」が出来上がり、一つの「物語」になる。

 

 書くという行為はとても面白い。

 

 あなたも心のどこかに引っ掛かっているダストがあれば、書き集めてみるといい。

 その人の目、話し方、歩き方。

 その時の聞こえてきた声、音楽。

 その場所に流れていた風。

 それを塊にすれば、あなたの宇宙に星が生まれる。

 誰にも見せなくていい。

 その星はただあなたのために静かに輝く。

 


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白滝さんと校庭芝生の本

 

 8年前の今頃、息子が通っていた小学校の校長室に毎週土曜日、10人以上のメンバーが集まり、原稿を手にえんえん編集会議をやっていた。

 校庭の芝生の本を出版するためだ。

 僕はライターの一人だったので、当然、毎回出席。

 一行一行、ああでもない、こうでもないと、時に大激論になる。

 

 基本的に午前中から昼過ぎまで3時間くらいが定時だが、ランチが運び込まれ、日が暮れる時間まで「残業」したこともしばしば。

 いつも芝生の面倒を見ていた、そのメンバーらの本への思い入れはハンパない。

 取りまとめ役の若き編集者Mくんは、おっさん・おばさんたちの執念にヒーコラ音を上げていた。

 

 3月になって本は無事完成し「悠雲舎」という小さな出版社から出版。

 わずかながら書店にも並んだ。

 その悠雲舎の社長が白滝一紀さんだった。

 白滝さんはもともと銀行マンだったが教育方面にも熱心で、出版社も経営し、学校支援本部の本部長も引き受け、当時の校長も頼りにしていた。

 この本の企画にも無償で、全面的に協力してくれた。(発行人は白滝さんの名前がクレジットされている)

 

 その白滝さんが5日前の2月13日、82歳で亡くなったのを聞き、今日はご葬儀に出席した。

 

 永福町駅近辺を歩いている姿が目に浮かぶ。

 ちょっとガニ股の、特徴的な歩き方は遠目でもすぐにわかる。

 僕と会うと、いつも「ヨッ!」と手を挙げて笑って話しかけてきた。

 

 「気のいい近所のおっちゃん」を絵に描いたような人だったが、秋田から上京し、早稲田を出て、有名銀行・有名保険会社の要職を次々と務めた、そうそうたる履歴の持ち主である。

 

 葬儀は神式で行われ(神式に出席するのは確か2回目。焼香でなく、玉串を祭壇に供える)、宮司が祝詞でその履歴を唱えるのだが、あの独特の雅やかな節回しにかの大学・銀行・企業の名前が乗っかると、白滝さんのキャラと相まって、面白かわいく感じ、不謹慎ながら、つい下を向いて笑ってしまった。

 

 校庭芝生の小学校はその後、隣の中学、他の小学校と統合され、杉並和泉学園に。そこでも白滝さんは引き続き、最期まで学校支援本部長を務められた。

 

 当時、音を上げていたM君=エディター三坂氏は、今、僕の仕事のパートナーになっている。

 彼も語るように、あれは本当に貴重な経験だった。

 そして何より、とびきり楽しい思い出――まさか子供の学校であんなことが起こるなんて思ってもみなかった。

 

 いろいろなご縁を作ってくれた白滝さんに感謝。

 どうぞゆっくりお休みください。

 


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「いたちのいのち」の書き直し

 

  5年ほど前に「いたちのいのち」という話を書いたことがあります。

 これはフェレットとその飼い主の話。

 フェレットと言うのはイタチ科の動物で、イヌより手間がかからず、ネコより愛嬌があって、ネズミよりも撫でがい、可愛がりがある――要するにとても飼いやすく、よくなついて面白いというやつです。

 

 体型が面白くて、ダックスフントみたいにビロロロンと胴体が長く、なんだかニョロニョロしている。そのまま首に巻いて襟巻にできそうな感じ。

 先祖はダックスと同じように穴に潜って野ネズミを捕まえていたらしい。

 英国のエリザベス1世やビクトリア女王にも飼われていて、ハリーポッターにも「ヨーロッパケナガイタチ」として登場。ドラコ・マルフォイが魔法でこのイタチに変えられてしまう、というシーンがあります。

 

 人間と代謝機能の何らかの数値が同じだとかで、実験動物として使われてきたという履歴(今でも使われている)を持っています。

 

 一時期、ペットとしてブームになったようですが、 今はどうだかわかりません。少なくとも最近は連れて歩いているのを見たことがない。

 

 なんでそんな話を書いたのかというと、純粋に個人用。

 フェレットを飼っている女性がいて、彼女の「イタチくん」との生活を話すからそれをまとめて話を作ってほしいというオーダーでした。

 

 彼女との関係やプロフィールを説明するのは面倒ですが、簡単に言うと、当時ちょっとバイトしていたところの職場の同僚。色恋とはまったく関係ないけど割と仲が良かったので、そのフェレットの話をよく聞かされました。

 あるとき、しばらく(1週間くらい)来なくなり復帰したので聞いてみると、いちばんお気に入りのフェレットが死んだとのこと。

 

 それで話を聞いているうちに、僕がライターだということも知っていたので、流れでそんなことになってしまったのです。

 

 仕事ではないのでギャラも発生せず、一銭ももらいませんが(コーヒーは一杯おごってもらった)、こういうのもけっこう面白いなと思って1カ月くらいかけて書き上げたのが「いたちのいのち」です。

 

 フェレットの歴史や習性の話、彼女とフェレットたちとの出会い(多頭飼いしていた)と生活、彼女の動物に対する思いをおもに書いたつもりだった。

 けど、できてみるとそのストーリーの裏に見え隠れする彼女の孤独感とか、家族との不和、人間関係のうまくいかなさ加減がにじみ出てしまっていて、ちょっといたたまれない気持ちになりました。

 

 それで原稿を見てもらおうとメールで送ったのですが、それからすぐに音信不通になり、職場にも無断で顔を出さなくなりました。

 

 結局その後、何度かメールをしても返事はなく、二度と顔を合わせることはなくなりました。

 僕もそこまで深追いはしなかった。

 

 この話を読んだせいかな、それとも最後の一匹(一番のお気に入りが死んで、その時点で一匹だけ残っていると話していた。)も死んでしまっておっち込んでいるのかな、といろいろ考えましたが、どうにもならない。

 

 その後、一度、少し書き直して置いてあったのですが、もう時効だと思うので、まるっきり書き直してみようと1カ月ほど前から、あれこれやっています。

 

 動物は純粋。というか、人間が「こいつは、この子は純粋」と信じられる。

 信じても差し支えない。損得勘定とも無縁の世界。

 だから心を素直に胸を開いて、自分の心を映し出せるのだろうなと思います。

 


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子供の大学受験は「良い親検定」

 

私立大学の受験も終盤を迎えたようです。

今日もうちの近くのM大の正門前には、夕方、試験を終えて出てくるわが子を待つ親たちがたむろしていました。

 

子供のことを心配している。

なのだろうけど、じつは自分の心配。

子供の受験を自分の検定試験のように考えているはようで。

「親として私は合格なのだろうか?」と、気が気でない。

不安な気持ちはわかります。

 

でも、その合否を子供が受ける大学に決めてもらうのか?

子供がM大に合格すれば、自分も親として合格なのか?

それで「上がり」で、子育て卒業というわけか?

 

でも現代子育てすごろくには続編がある。

4年後には今度は就職(就社)がやってくる。

これまた一大イベントで、再び親としての検定試験が行われる。

今度は子供が入社試験を受ける〇〇社に

「私は親として合格でしょうか?」と問いかける。

 

「いやぁ、もちろんです。こんな立派な息子さん(娘さん)を育てたあなた、合格!」

とポン!とハンコを押してもらえば満足なのか?

 

ゾロゾロ門から出てくる受験生たち。

その中からわが子の姿を必死に探し出し、駆け寄る親たち。

 

中には子供に「来てほしくない」とはねつけられたけど、やっぱり来てしまって、

遠目からわが子の姿を追う人もいるようだ。

 

なんだか年々その数が増えている気がします。

よけいなお世話だろうけど、ちょっと考えさせられる風景なのです。

 


ピーターラビットの農的世界への回帰現象

 

●ピーターラビットの農的世界への回帰現象

 

イギリスの田舎、農村地帯、田園地帯は日本人にやたらと人気があります。

確かにとても美しいのだけど、外国の、西洋の田舎ならフランスでもドイツでもイタリアでもスペインでもいいではないか。

なぜイギリスなのか?と考えると・・・今年のうちのカレンダーを見てハッとした。

 

ピーターラビットだ!

 

ピーターラビットこそ、イギリスの、洋風田舎の代表的イメージを形作っているのではないか。

さらには近代社会において農業・農村をポジティブなイメージに価値転換したのもピーターラビットなのではないか、と。

 

子供向けの絵本でありながら、大人にも、というか、むしろ大人に、特に女性に大人気のピーターラビット。

人気の秘密はあまりメルヘン過ぎない上品な絵と、よく読むと割ときわどいストーリーにあります。

 

なにせピーターラビットのお父さんは農夫マクレガーさんの畑を荒らして捕まり、パイだかシチューだかにされて食べられてしまったのですから。

ピーターも危うく同じ目にあいそうになります。

 

かと言って、作者はマクレガーさんを残酷な悪者扱いにすることなく、子供向けによけいな甘味料を加えることなく、それがごく自然な人間と動物の関係として、さらりと描いています。

 

子供だましでない、そのストーリーテリングの見事さと、リアリズムからちょっとだけズラした絵柄とのマッチングが、唯一無二の世界観を醸し出している。

 

そして、その世界観が、この物語の舞台である湖水地方、さらにその向こうにあるイギリスの田舎を一種の理想郷のイメージに繋がっているのではないかと思います。

 

僕はこの物語の舞台であり、作者のビアトリクス・ポターが暮らしたイギリスの湖水地方には何度も行きました。

 

最後に行ったのは20年ほど前ですが、その時すでに地元の英国人は日本人観光客の多さに驚き、「ポターはそんなに日本で人気があるのか?」と聞かれたことがあります。

その頃からピーター=ポターの人気は不動のようですね。

 

19世紀の産業革命の時代、ロンドンなどの都会に住んでいた富裕層が、工業化と人口の増加で環境が悪化した都会を離れ、別荘を構えたり移住したことで湖水地方は発展した・・・という趣旨の話を最近、聞きました。

 

それまでの田舎・農村は貧しさや汚さ、そしてその土地に人生が縛り付けられる、といった暗いイメージと結びついており、けっして好ましい場所ではなかった。

 

しかし、急速な工業化・非人間的で気ぜわしい労働・環境に嫌気のさした人々が、都市・工場とは対極にある農村・田園・農業に、自然とともに生きる人間らしさ、長閑さ、幸福感とぴった高い価値を見い出したのです。

 

ポターの描いたピーターラビットの世界はその象徴と言えるのかもしれません。

 

そして産業革命から200年余りを経た今日、一種の回帰現象が起こり、再び農業に人気が集まりつつあります。

 

これからのライフスタイルは、工業化の時代を超えて、土に触れ、植物や動物の世話をする超リアルな農的ライフと、ネット・AI・ロボットのバーチャルな脳的ライフとに二極化し、僕たちはその間を行ったり来たりするのかなぁと、ピーターラビットのカレンダーを見ながら考えています。

 


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人間の歴史はチョコレート前とチョコレート後とに分かれる(かも)

 

  バレンタインデーなので、カミさんから「プレミアム・チョコプリン」を頂きました。自分も食べたいのでこれにしたようです。

 何がプレミアムなのか食べてみると、プリンという呼び名は相応しくない。

 食感はレアチーズケーキに近い。味は濃厚、そしてビター。でもしっかりチョコレート感がある。これはおいしい。ありがとう。

 

 僕は、人間の歴史はチョコレートが開発される前と後とに分けて考えられるんじゃないか、と考えています。

 

 古代から疲れを癒し、魂を覚醒させる効果があると信じられてきたチョコレート(古代は飲み物で、チョコというよりココアでしたが)。

 それが近世の西洋社会で量産され、普及するようになって、人々の知覚は明らかに鋭敏になった。

 いわゆるドラッグのような効果があったのではないかと言われています。

 

 体に害はないんだけど、「やばい食べ物」と言われた時期もあったようです。

 庶民にあんまり頭良くなってもらいたくない人たち、知恵を付けてほしくない人たちは、すぐにこういうことを言い出しますね。

 

 明治時代、日本で作られ出回るようになった頃も「牛の血を混ぜて作っている」とか、いろいろデマが飛び交い、売るのに苦戦したようです。

 

 日本の庶民が本当にチョコレートの味を知るようになったのは、やっぱり戦後から。

 「ギブ・ミー・チョコレート!」と叫んで進駐軍のジープを追いかける、あの子供たちからでしょう。

 

 映画やドラマでしかあのシーンを見たことがないけど、何度見ても衝撃的。

 あんな体験をリアルにしてしまった子供の胸には、良いにつけ悪いにつけ、アメリカの存在の大きさが胸に刻み込まれたことでしょう。

 

 そういえば、あのあたりの世代はアメリカかぶれが多いような気がします。

 無理もありません。

 あの時代、将来の日本人の頭を洗脳するのにチョコレートはうってつけでした。

 まさしくドラッグとして機能していたとしても、おかしくありません。

 

 父や叔父・叔母はそうした経験をしていないと思うけど(齢が下の方の叔父・叔母はちょうど「ギブ・ミー」の世代だけど)、僕が子供の頃、パチンコで勝って景品のチョコレートをもらってくると、誇らしげに僕や妹にたちに手渡しました。

 

 多くは「森永ハイクラウン」など、子供にとってワンランク上のちょっと大人っぽい、高級っぽいやつです。

 

 子供にチョコレートを与えられる、まっとうな生活力にある大人。

 そういう大人であることに、深い満足感を覚えていたのだと思います。

 もちろん僕たちは大喜びで、家族は幸せでした。

 チョコレートをかじると、その時代のみんなの笑顔を思い出します。

 

 僕が子供の頃からずっとチョコレートを好きで、食べるといろんな思いにとらわれるのは、そんな理由からです。

 

 すっかり習慣化したバレンタインデーは、朝からあちこちでいろんなチョコ――もちろ義理チョコの類だけど――をもらって食べました。

 でも家庭によけいな波風を立てたくないので、毎年カミさんには黙っているようにしています。

 


慣習的自己と本質的自己

 

人間の中には「慣習的自己」と「本質的自己」という二つの自己が宿っている。

と看破したのは精神科医の神谷美恵子さんという人。

 

人間は社会生活が長くなるにつれ、つまり、おとなになるにつれ、慣習的自己が肥え太り、本質的自己がやせ細っていく。

 

現実の社会生活に対応するのが慣習的自己。

何につけても、これをするのは得か損かと考える。

そして他者が自分をどう認識するのかに気を張り詰める。

 

本質的自己は子供の頃は元気いっぱい。

けれども齢とともにだんだん隅に追いやられ、息を潜めて暮らすようになる。

けっして死んではいないけれど、ネグレストされた子供のように引きこもる。

 

「自分を見失う」とは慣習的自己に支配され、本質的自己を見失うこと。

いっそのこと、慣習的自己オンリーで生きればいい、と思うが、どこか心のすき間に

 

「本当は自分は何がしたいのか、何ができるのか?」

 

そう本質的自己が囁くのが聴こえてしまう。

 

またネグレストするか?

それとも耳を傾けるか?

それとも、とりあえずネットに何か書き込んでみるか?

「これが本当の自分です」というようなものを。

 


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中高年はめざせ!中川屋嘉兵衛

 

 「還暦から勝負です」と宣言した人がいるが、先パイ、その通りです。

 あなたも老後の心配で、使わないカネを貯め込んでいる場合じゃありません。

 「人生50年」と言われた時代でも、50歳から大活躍した人がいます。

 

 マイナビ農業の仕事で、日本における肉食の歴史を調べていると、幕末から明治にかけて活躍した「中川屋嘉兵衛(中川嘉兵衛)」という名に出会いました。

 この人は慶応3(1867)年、荏原郡白金村に東京初の屠畜場を開いた人です。

 

 三河(現在の愛知県岡崎市)出身で、京都で漢学を修めた後、江戸に出てきてイギリス公使の料理人見習いをしながら英語を勉強し、欧米人相手のビジネスを画策。

 

 そして慶応元(1865)年、開港間もない横浜に出て、アメリカ人医師のもとで牛乳販売業を、イギリス軍の食料用達商人としてパンやビスケットの製造販売、さらに牛肉の販売を手掛けるようになりました。

 

 しかし車も冷蔵庫もまだない時代。横浜から江戸まで肉を運ぶのは至難の業ということで、都内に屠畜場を作り、芝高輪の英国大使館に納品したのです。 

 

 それとほとんど並行する形で、肉を鮮度がいいまま保存管理するには氷が必要となって製氷業を、ついでにアイスクリーム屋も開業。お肉の方では牛鍋屋も開店。

 次から次へといろんな事業をやって、人からは「節操ない男」と映ったかもしれませんが、彼の中では「洋食事業」ということでつながっており、それぞれ牛乳部門、パン部門、肉部門、製氷部門・・・といったように部門別に分かれていたにすぎないのかもしれません。

 いわば日本における「洋食文化の父」と呼べる人でしょう。

 

 僕は最初、資料を読んでいて、彼のことを勝手に岩崎弥太郎みたいな青年実業家だと思っていたのですが、江戸に出てきたのは40歳、横浜に出た時はすでに50歳!

 

 これは江戸時代の社会常識で考えれば、人生晩年近く。

 すでにご隠居さんとなってもおかしくない齢でしょう。

 

 そこから欧米人に仕えて取り入って、車も鉄道も、電話もインターネットもない環境でこれだけの事業を成し遂げ、80歳まで仕事をやりぬいたというのだから、中川屋嘉兵衛あっぱれ。

 

 「もうトシですからムリですぅ~」とか、

 「もう今からでは遅すぎますぅ~」とか言ってる場合じゃないですよね。

 何かやってもやらなくても同じように齢は取る。

 何歳だって“今”より早いスタートはないわけですから。

 


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香水(パフューム):人間存在の深淵につながる「におい」の世界

「香水(パフューム)」という小説がすごい。

自分でもオナラ小説を書いているので、においの話には心ひかれます。

 

★鼻焼きの話

まだ寒いのにもう花粉が飛んでいるらしく、それで「鼻を焼きに行くんんだ。ふふふふ~ん💛」というFBの記事を読んで仰天しました。

鼻を焼く???

そうすると鼻水がジュルジュル出なくて具合がいいらしい。

 

「鼻を焼く」と聞いて、まさか鼻の頭に火をつけることはあるまい、鼻の穴に何か突っ込んでシュボッ、ジリジリジリ・・・とやるんだろうな、ということは察しました。

 

そこですぐさま思い浮かんだのはチリチリにカールした鼻毛。

新しいトレンドかと思ったけど、レーザーで焼くから、そうはならないんだって。

 

★嗅覚障害は大丈夫か?

そして次に湧き起った疑念は当然、嗅覚に問題は起きないのか、ということ。

あるサイトを調べてみると、においを感じる組織に焼きを入れるわけではないので大丈夫らしい。

でもやっぱり、ちょっと心配してしまいます。

手元が狂ってオペ失敗というこっとなないのか?

永遠ににおいが失われて、嗅覚障害者になってしまうことはないのか?

 

最も原始的な感覚である嗅覚は、現代人が未開拓のフロンティア。

鼻に障害がある、匂いがわかならないと言っても、目や耳の障害のようには深刻に受け止められない人が多いのではないか、という気がします。

 

しかし、それは大まちがい。

比べるものではないけど、目や耳よりも問題はシリアスかも知れません。

においの世界は潜在意識の世界とつながっているからです。

 

★天才香水調合師

それを見事に一つの物語として表現したのが「香水(パフューム)」という小説。

舞台は大革命が起こる少し前(らしい)の18世紀フランス・パリ。

主人公はグルネイユという天才香水調合師。

 

彼は無垢な魂の持ち主であると同時に、匂いによってこの世界の在り方を認識する超絶的な嗅覚の持ち主。

 

人生の目標は究極の香水を創り上げること。

それは彼にとって完璧な世界――天国のような世界を建設することに値する。

その研究の果てに見つけた手段は・・・副題の「ある人殺しの話」がすべてを物語る。

 

ケレン味たっぷりのストーリーなのだがリアル感がすごく、最初読んだ時など、これは実在の人物の、本当にあった話なのではないかと疑ったぐらいです。

 

★18世紀パリの裏通り

彼を産み落としてすぐさま死刑にされる生みの母。

カネのためにクールに孤児の彼を育てる養母。

彼をこき使う皮なめし職人の親方、

そして、むかし一発当てて、今は落ち目の、それでもプライドだけは人一倍高い老香水調合師。

など、脇役もみんなキャラが立っているととともに、当時の社会構造が垣間見えて、300年前のリアルに溢れています。

 

フランスで香水が発達したのは、パリがひどい悪臭の充満した街で、それを回避する手段が必要だったから――という話は以前から耳にしていました。

 

けれど、この小説の冒頭10ページ――グルネイユの生い立ちとともに描写される、貧民・労働者階級が蠢くパリの下町は、想像を絶する、魔女のスープのような地獄絵図。

それを描き出す筆致は、300年前にタイムスリップして見てきたのかと思えるほどです。

 

★人間存在の深淵に触れる

いったいこの作者はいかなる人物なのか?

何があって、どんな発想でこんな物語が生まれたのか?

ドイツ人だが、ナポレオン時代からヒトラー時代まで対立し続けた、隣のフランスに何か恨みつらみでもあるのか?

ちょっと名前が売れれば、たちまちインターネットで丸裸にされてしまう時代なのに、なぜか神秘のベールに包まれている。それもまたよし。

 

10年ほど前に映画化されたのをきっかけに、この原作を読んだのですが、勝手に想像を膨らませられる分、文章の方が10倍エロくて、グロくて、感動的で、人間存在の深淵を覗き見る思いがします。

 

パリの人々の凄惨な人生と風景(でも、たかだか300年前の話)に吐き気をもよおさず、拒絶反応を起こさず、最初の10ページを突破できる人なら、絶対面白い小説です。

 


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北千住の葬儀相談サロンと帰りそびれたウルトラマン

 

 近年は「葬儀相談所」とか「終活相談所」が増えています。

 本日オープンの「葬儀相談サロン ティア北千住」もその一つ。

 ティアというのは名古屋発祥の葬儀社(本社はうちの実家のすぐ近く)で、昔ながらの葬儀屋とは一線を画す、イマ風の垢ぬけた葬儀屋さんです。

 

 オープン記念でこの3連休、一般向け見学会を実施――というので覗いてみると、まだ午前中にも関わらず、結構お年寄りが遊びに来ている。

 中は小ぶりのカフェくらいの広さで、確かに相談サロンとしては狭すぎず、広すぎず、ちょうどいいスペース感。仏壇だの線香だの、いろいろ物販もやっています。

 

 ひと昔前は「縁起が悪い」と敬遠されたこうした葬儀関連の施設も、高齢化社会が進むにつれて抵抗がなくなり、街にもなじんできた感じがします。

 

 そんな感想を抱きつつ、取材を終えた帰り道で会ったのは、オヤジ化したウルトラマン。首から金モールをかけて、昼間っからそば屋でビールを飲んでいます。

 

 もうヒーローとして戦えなくなって、現役を引退して久しいけれど、過去の栄光が忘れられなくて、飲んだくれているうちに光の国に帰りそびれてしまったという感じ。なんだかこれからティアへ自分の葬式の相談にでも行きそうな風情です。

 

 でも、この帰りそびれたオヤジウルトラマンも不思議とこの街になじんでいるのです。

 めっちゃ久しぶりに来たけど、北千住、なかなか味わい深い、探検し甲斐がある街ではないかと思いました。

 


アグリパークのブルーベリージャム

 

 葛飾区産のブルーベリー100%ジャム。

 新宿南口にあるJA東京アグリパークで取材。

 今日は東京産農産物のイベントをやっていて、その中でて目にとまったのでスタッフの方に聞いてみると、葛飾にあるJA東京スマイルと、都立農産高校のコラボ商品だとか。中身も美味しそうだし、ラベルも可愛い。

 

 お値段はちょっとお高め(660円)なのだが、おじさんなので、高校生の女の子が一生懸命作っているところを想像すると、つい応援したくなって買ってしまった。

 もしかしたら男の子かも知れないけど、まぁ、それでもいいや。

 

 ここは甲州街道沿いにあって、毎日1000人の人が覗いていくそうです。

 毎週、いろんなイベントをやっていて、楽しくポップに農業をアピール。

 新鮮な野菜も売ってます。

  新宿で時間があったらブラっと寄ってみてください。

 


たまには禁テレ

 

じつはこの2週間ほど、テレビを全く見ていません。

 でもべつに困らない。

 デメリットよりメリットが大きい。

 食事の時に家族同士で会話が弾む。

 それになんだか時間が豊富になったような気がする。

 普段はいかにテレビに時間を奪われているか、がわかります。

 いや、テレビが奪っているわけじゃない。

 こちらの方がテレビに魂を売っているんです。

 

 そんなにすごいテレビ好きというわけじゃない。

 見たい番組だけ見て、あとはパッと消してしまえばいいのだけど、なんだかそれで消してしまうと寂しくなるのでダラダラつけっぱなしにする。

 そして、ダラダラと見ている。時間がなくなる。

 という負のスパイラルが起きてしまうのです。

 

 僕たちは情報洪水の時代に生きている。

 一日生きると、自分では気が付かないうちに、脳の中にゴミのような情報が鬱積する。チリも積もれば山となるで、だんだんそれが脳に、身体にダメージを及ぼしていく・・・ような気になるのです。

 

 だからこそ、あえて情報をシャットアウトしてみる。

 脳のデトックスです。

 でもたいして困らない。

 ほんとはインターネットも活字も見ないのが本式だけど、そうすると仕事にならないので、そこまではできません。

 なのでとりあえずテレビだけ。

 

 でも明日からはオリンピックを見たいので、とりあえず今日までにしようかな。

 


メモ帳活用ライティング

 僕のデスクトップに並ぶアイコンで最も多いのはメモ帳です。

 パソコンのメモ帳を使うと、楽しく、ラクに文章が書けるからです。

 

 仕事術というほどのものではないけど、2~3年くらい前から原稿を書くときにパソコンに入っている「メモ帳」を多用するようになりました。

 なんら特別な機能がない、ただ字を書くだけの、おそらくパソコンの中でも最もシンプルなアプリです。

 

 以前はワードやエクセル、あるいはパワポなどに直接入力していたのですが、毎日いろいろ書いているうちに、いったんメモ帳に書いたものをワードなどにコピペするのが習慣になりました。

 この原稿もそうで、メモ帳に書いたのをブログとFBにコピペしています。

 いわば下書きして清書するというパターンですね。

 ただし、(特に仕事の場合は)ワード原稿にしてからもあちこち書き直したりするのですが。

 

 なんでこんな書き方をするようになったかというと、資料にある文章をコピペして、それをあちこち加工するからです。

 ネット上の資料だと、ワードなどにコピーしてしまうと、文字の大きさやフォントなどもそのままになってしまう。

 実際にそれを使うにしても使わないにしても面倒くさいことになります。

 メモ帳ならみんな同じ文字になるので便利だし、加工もしやすい。

 

 そしてゼロから文章を起こす場合も、メモ帳のほうが断然書きやすい。

 ワードにしても、ブログやFBにしても、直にその画面に向かうと、脳が緊張するのか、思ったことがうまく文章化できない。

 

 ところがメモ帳なら自然にスルスルっと出てくる。

 余計な力が抜けるというか、書くときに気持ちの余裕ができるというか、文章もぱっとひらめきやすいし、遊べてしまう。

 

 わざわざ原稿を2段階に分けるなんて効率悪いのかも知れないけど、ホンチャンの用紙(ワードやブログ)にコピペするときに文章を整えることもできます。

 その時にうまく書けていなかったところが、「こうすればいいのか」と、ぱっと気が付いたりもします。

 メモ帳の時はいったい何を言いたいのか、ぐちゃぐちゃな文章でも、このステップを経ると、不思議にしっかりまとまることはしょっちゅうです。

 

 なぜかは分からないけど、メモ帳を味方につけるとなんだか快適な気分で書けるのです。

 

 「よい文章を書かなくては」と気合を入れると、よくフンづまり状態になってしまう人は、一度、この「字を書く以外機能なし」のメモ帳を活用してみてください。

 脳がリラックスして力を発揮できるかも。

 


聞きかじり原宿むかし話:リーゼント床屋伝説

 

 昨日のことになってしまったが、3月のイベントの件で“原宿のお米屋さん”小池さんとの打ち合わせがあって原宿まで行きました。

 天気が良かったのでチャリンコで。

 

 小池精米店はいわゆる裏原宿――江戸時代、水車小屋もある田園地帯だった隠田商店街にあります。

 この辺りには隠田地域会館というのがあって、原宿にチャリで来るときは、いつもそこの駐輪場(サイカパークになっていて誰でも利用できる)に停めるのですが、この地域会館がなんと、D昨年末で閉鎖になっていた!

 

 地域の人たちが出入りするのを結構見ていたので、ちょっと寂しい気がしましたが、さすがにこの建物、筑何十年かわからないけど、老朽化が激しくて限界気味。やむを得ず建て直すことにしたようです。

 

 築何十年わからないけど、たぶん小池さんと同年代くらい。

 彼の少年時代は原宿カルチャーの絶頂期で、ホコ天で竹の子族が踊っていた時代とシンクロしていますが、台風の目の下にいると暴風雨に巻き込まれないのと同様、原宿に住む彼らはそうしたカルチャーやファッションにほとんど影響受けることなく、フツーの子供をしていたそうで。

 

 ホコ天も竹の子もツッパリも、ワンス・アポン・ア・タイムになってしまったけど、流行らない床屋さんはいっちょオヤジ相手にリーゼント専門店になってみてはどうだろうか。

 

 キャロルカットとか、永ちゃんレジェンドヘア、やりますとかね。

 さらにカッコいい無精ひげなんかも調整して、チョイ悪おやじ御用達になれば商売繁盛。

 

 オヤジも大人ぶって老朽化していないで、バリバリにキメてまた原宿を闊歩すれば、元気になって病気なんかもふっとばせるぜ。

 


食べ物を作る仕事をしている人の話は一聴・一読に値する。

 

マイナビ農業で取材した「東京しゃも」の記事がUPされたので、先日、浅野養鶏場の浅野さんに報告したら丁寧なメールの返信が返ってきました。

 

 「自分のする話は難しいといつも言われるが、見事にまとめてくれました」と喜んでいただいたので、こちらも嬉しくまりました。

 

 開発技術者や、江戸時代からしゃも料理を扱ってきた人形町の名店とともに東京しゃも開発プロジェクトに携わったエピソードはめっぽう面白い。

 しかし、それ以上に、戦後の混乱期・食糧難の時代から身を起こして養鶏業を半世紀以上にわたって営んできた浅野さんの、食べ物に関する信念・哲学が魅力的なのです。

 

 また、昨日はある料理人の書いた本を読んで、けっこう心に染み入るものがありました。

 料理の話というよりも、自分の半生記みたいになっているエッセイで、さらっと口ごたえがいい割に、何というか、隠し味が効いていて面白いし、深味があるのです。

 料理の味やお店のコンセプト・ムードと、その人の人間性かどうかなんて関係ないように思えるけど、じつは深いところでつながっているんだろうなと思いました。

 

 総じて一流の料理人・生産者は、自分ならではの哲学を持っていると思います。

 哲学という言い方が難しければ、「生きる」ことについて感じること・考えることを何らかの形で表現を試みる――とでもいえばいいでしょうか。

 

 それが生産物・料理・お店全体の在り方に反映される。

 優れた技術に、その人ならではの魂が宿ることによって、人の心を打つ「食」が生まれます。

 

 浅野さんの「食べ物を扱うのは神聖な仕事なんだ」という言葉が耳に残ります。

 機械的に、早く、安く、美味しく、安全な食べ物がたくさん出回るようになった世の中だからこそ、時々はそうした生産者や料理人や作る人たちの人間性だとか、哲学だとかに目を向けて行こうと思います。

 


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雪トトロ、春を呼びに行く

 

 先月の大雪の日に地上に降り立って以来、思いがけないほど長い間、うちにやってくる子供たちを楽しませてくれた雪トトロは、いつの間にか旅立っていました。

 

 前日の雪でまたもや復活かと思いきや、あまり降ってくれなかったので、そろそろ見切りをつけて「じゃーねー」と夜の闇に紛れて行ってしまったようです。

 

 おりしも節分の日。

 たぶん春を呼びに行ったのだと思います。

 

 明日は立春。

 なので、すぐ連れてきてくれることを期待してしまいますが、なにせトトロは3000年も生きているので、毎日忙しい忙しい、急げ急げと言っている僕たちとは時間の感覚が違います。

 

 ちょっと30分昼寝のつもりが3日間寝ちゃったなんてことも起こります。

 それにあちこち道草して遊んでいるでしょう。

 

 なのでまだしばらくかかると思いますが、気長に待ちましょう。

 頼んだぞトトロ。

 春を連れてもいどってきておくれ。

 


新潟ラーメンと新潟名物タレカツと新潟米の話

 

  新潟のお土産に「にいがた4大ラーメン」というのを買ってきました(自家消費用)。

 「新潟濃厚味噌らーめん」「燕三条背脂らーめん」「新潟あっさりしょうゆらーめん」。

 僕はどれも初耳だけど、新潟の人はよく食べているのだろうか?

 あなた新潟の人? どう? 

 

 そして、いの一番に食べてみたのが「長岡しょうがラーメン」。

 しょうがラーメンというのは珍しい。

 スープにはしょうががたっぷりの醤油味。それが太麺とよく絡み合う。

 香り高くておいしい。でもまぁ、そこそこってところで、そんなにインパクトがあるわけではない。

 

 やっぱ新潟はラーメンよりもお米、ごはんなのではないでしょうか。

 

 そういえば写真を撮り損ねてしまったのだけど、新潟には「タレカツ」というのがあって、これが名物らしく、あちこちで看板を見かけました。

 残念ながらそのお店には時間がなくては入れなかったけど、到着した日の昼食に、このおみやげを売っているショップで「チキンタレカツ丼」というのを買って食べました。

 

 濃厚甘辛ダレがカツの衣がフニャフニャにならない程度にしみこんでいてイケます。

 ただ、東京その他の地域の大半の人は「甘すぎる」と言うでしょう。

 きっと僕も東京で食べたらそう文句をつけると思いますが、新潟で食べるとおいしい。

 その秘密はお米だと思います。

 新潟のおいしいお米と甘辛ダレの相性が良いのです。

 まさに新潟ならではの味ではないかと思いました。

 

 それでふと思い浮かんだのが、ブレンド米のマイスター、原宿のでお米屋をやっている小池さんの顔。

 彼なら新潟人と新潟にやってくる旅人たちのために「タレカツが10倍美味しく食べられるコシヒカリブレンド」なんてニッチなブレンド米を開発してくれるのではないだろうか?

 

 その土地ならではのうまいものと、その土地ならではの米。

 日本人は世界一ぜいたくしています。

 


藤原カムイのウルトラQ

 

 息子から誕生日のプレゼントに貰ったのが、コミック版の「ウルトラQ」。 原作はおなじみ(かどうかは世代によるか・・・)の1960年代の特撮テレビ番組。

 1月の締めはオタクな話です。

 

 ウルトラQは初めて遭遇したのがチビッ子の時だったので、その衝撃はすさまじく、精神に完璧にインストールされました。

 

 ドロドロドロと溶けていた文字がギュルギュルっと回ってタイトル文字になって決まるギミック、そしてあのヒュルルというノコギリを震えさせて音を出していたというテーマ曲が流れるだけで怖くてドキドキしていました。

 

 ウルトラマンをはじめとする、のちのヒーローものにはストーリーの流れに一定のパターンがありますが、この作品にはそれがなく、ただ「アンバランスゾーン」というコンセプトに沿って、SF、ファンタジー、怪奇、ミステリーといった類のエピソードが1話完結方式で毎週放送されていました。

 

 マンガとして再現されているのは僕にとって、そしておそらく多くのファンにとっても傑作の誉れ高い6作品。

 

 迫りくる巨大怪獣の恐怖を描いた「ぺギラが来た」

 SFとサスペンスと寓話を融合させた「地底特急西へ」

 詩情と哲学的とさえ言える余韻の残る「バルンガ」

 宇宙人による地球侵略モノの元祖「ガラダマ」

 ミステリアスSFの原点かつ頂点。映像をネガ反転させる異常な演出と、驚愕のラストシーンがトラウマになった「2020年の挑戦」。

 幽体離脱シーンに震え上がってオシッコちびったオカルトもの「悪魔っ子」

 

 惜しむらくは、密室スリラーの「クモ男爵」とシュールコメディの「カネゴンの繭」は入れられなかったのか? 描けなかったのか?

 この2本が加われば完ぺきだったのに、と思わざるを得ません。

 

 ちなみに僕はこうした子供時代に見た映像は、初恋の思い出などと同じく、自分の記憶に刻み込まれているものがベストだと思っているので、デジタライズされてDVDが発売されたよ~ん、白黒じゃなくてカラーにされているんだよ~んと言われても、何か特別な事情・必要性がない限り、一切見ないことにしています。

 

 でもこちらはマンガ。藤原カムイの瀟洒な絵が、記憶の中の1960年代の映像と妙にミスマッチ――アンバランスゾーンになっていて、素直に読めます。

 番組を見たのはまだ5歳の頃ですが、このマンガを読むとその時の感覚がそのまま蘇ってくるのです。

 頭の中身は5歳児からほとんど進化していないのかも知れません。

 

 なにせわずか30分の番組(コマーシャルなどを抜いたら25分程度)。

 深い人間ドラマなど描いているヒマなんぞなく、ひたすら怖くて、世界観とプロットの面白さ、演出のアイデアを見せまくる作品だったはずですが、今こうしてマンガでストーリーをつぶさに追っていくと、その時代の雰囲気や、それぞれのキャラクターの秘めている物語が読み解けてきて、とても興味深いのです。

 

 そして、まだ幼稚園生だった時分に見ていた作品を、自分の息子から贈られるなんて、なんだか変な感じです。まさにこの作品のコンセプト「アンバランスゾーン」。

 

 今思えば「ウルトラQ」が放送されたのは前回の東京オリンピック終了直後のことでした。

 その時代、日本人のライフスタイルは大きく変わろうとしていたのだけど、その時代と時代のすき間に微妙なアンバランスゾーンが生まれていたのかも知れません。

 

 とすると、今回のオリンピックの後にも・・・。

 しかも「2020年の挑戦」だし。

 あなたの精神はあなたの肉体を離れ・・ヒュルルルル。

 


新潟のビジネスホテルで魚沼コシヒカリを食べて幸福について考える

 

 土日の新潟遠征で泊ったのは、駅から歩いて5分の、新潟なのに「京浜ホテル」という、どこにでもあるようなフツーのビジネスホテルでした。

 フツーと言っても、21世紀型のモダンなフツーではなく、建設された昭和の後半には、新潟へきてバリバリ働くビジネスマンが明日への英気を養う、最新の「東京に負けないくらいナウい」ホテルだったのかもね~といった匂いが漂う、本当によくある、シングルベッド、ユニットバス、テレビ付きのホテル。

 

 のはずだったのですが、日曜日の朝食でその印象がガラッと変わりました。

 

 う、うまい!

 魚沼産コシヒカリの和朝食だ。

 

 炊き立てではないが、降り積もった雪のよう白くピカピカ光っている。

 久しぶりに「銀シャリ」という言葉を思い出しました。

 

 生卵をかけて一杯、納豆かけて一杯、あちこちおかずと一緒に一杯。

 まだいけそうだったけど、これから仕事があるのにあまり腹いっぱいになってはいかんぞ、と抑えました。

 

 恐るべし、魚沼コシヒカリの魔力。

 

 すっかりご機嫌になって、食堂のおっちゃん・おばちゃん(たぶん夫婦だと思う)に、フロントのお兄さん・お姉さんに「おいしかった。ありがとう」と愛想を振りまいてしまいました。

 

 「ああ、そうだったのか」と、写真のポスターを見たのはその後。

 

 ごはんがおいしいとホテルの印象も変わります。

 何の変哲もない古ぼけたビジネスホテルが、新潟のオンリーワンホテルに見えてきた。

 

 当初の印象とのギャップ効果もあって、古ぼけ感も、おしゃレトロとまでは言わないけど、何やら味わい深く感じ、永く思い出に残るだろうなという気持ちになるのです。

 

 そこでハタと考えた。

 

 しかし、僕が普段から魚沼コシヒカリを食べなれている人間だったら、ここまでの強い印象を抱くだろうか。

 

 ヘン、魚沼コシヒカリなんて、わしゃ毎日くっとるでよう、別段、感動なんかせーへんがや。

 

 とクールに流し、おっちゃん・おばちゃんや、兄ちゃん・姉ちゃんに愛想を振りまくこともなかったでしょう。

 京浜ホテルが味わい深いホテルだと感じることもなく、永く思い出に残ることもなかったに違いない。

 

 そう考えると、人生と言うのはちょっとした条件の違い、ささいな感じ方の違いでまったく違ったものになってしまう。

 いつでも(俗にいう)美味いものを食っている人が幸福だとは限らない。

 もちろん、そうした人にとって、京浜ホテルに人生の醍醐味を感じるかどうかなんて、とんでもない低次元の問題で、はるかな高次元の幸福を追求しているのでしょうが。人類全体のとか、地球全体のとか、ね。

 

 いずれにしても、今や海外のセレブも認める最高級ジャパニーズライスブランド、魚沼コシヒカリは美味しかった。そして京浜ホテルとのギャップもよかった。

 

 どうもごちそうさま。

 


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雪トトロ、しぶとく生きる

 

 新潟から帰ってきたら、近所で先週の大雪の日に誕生した雪トトロがお出迎えしてくれました。

 それもかなり化粧直しして。

 

 先週末はかなりメルティになって風前の灯かと思われたのですが、制作者のおねえさん(幼稚園の先生)にメンテナンスしてもらったようです。

 

 長寿の秘密はこの場所がいい具合に日陰になっていること。

 日陰者には日陰者の生き方があるんだぜ、とでも言いたげです。

 

 うちの野の花鍼灸院に来る子供たちも、このトトロに会えるのを楽しみにしています。

 しぶとく生き残れ、トトロ。

 節分の日くらいまで。

 


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雪とアザレア:趣味の園芸フェア・イン新潟

 

 Eテレ「趣味の園芸」公開収録&トークイベントの仕事で新潟に行くんですよ、と書いたら、「寒いのに大変だね」との反響をいただきましたが、行ってみると体感温度としては東京とそう変わりない。

 寒波が来ているんだから、こんなもんだろ、という感じ。

 

 新潟と言うと、ついテレビのニュースで採り上げられるような豪雪地帯をイメージしちゃうけど、別に県全体が雪に埋まっているわけではない。

 当たり前の話、新潟県は細長くて海岸線は300キロくらいあるし、海側と山側ではかなり気候も変わります。

 仕事も現場は新潟市内で、今年に限らず例年、寒さはせいぜい東京の郊外(八王子あたり)と同じ程度ということです。

 

 番組のテーマは「アザレア」だったので、ステージは真冬でも華やかなアザレアでいっぱい。

 アザレアはもともと日本のツツジを江戸時代に来日したヨーロッパ人が持ち帰って、鉢花用のハイカラな花に改良したものを明治になって逆輸入。

 どういうわけか新潟がその一大生産地となり、花づくり職人らが冬でも楽しめる花に、これまた改良したのだとか。

 したがって現在、日本の花市場に流通しているアザレアは9割以上が新潟産なのだそうです。

 

 番組ナビゲーターの三上真史くんとナレーター(公開収録では全体MC)の笠原留美さんがともに新潟県人ということもあって、お客さんも満杯で大喜びでした。

 

 この公開収録番組は2月25日(日)朝8:30から放送です。

 


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米どころ・酒どころ・花どころ・雪どころの新潟へ

 

 この週末に新潟に行くことになりました。

 今年も「趣味の園芸フェア」(番組の公開収録+トークイベント)の仕事があり、その第一弾が真冬の新潟です。

 うわ~、また雪だ。

 

 新潟と言えば、もちろんコシヒカリ。そして日本酒(ほとんど飲まないので銘柄は知りませんが、やっぱお米がいいので美味しいのがいっぱいありそう)ですが、なんと花の出荷量もトップクラス。これは知りませんでした。

 

 特にアザレアとボケは市場の9割以上を新潟産が占めているそうで、品種改良もほとんど新潟で行われているとか。昭和初期以来の伝統農芸なのだそうです。

 今回の番組・トークもそのお話。

 

 ナビゲーターの園芸王子・三上真史君と、ナレーター(このフェアではMC)の笠原留美さんも新潟産だそうで。故郷に錦を飾るべく張り切っています。

 

 ちなみにこのチラシのデザインはAshデザインの岸部さん。

 さりげになんでもカッコよくデザインしてくれちゃいます。

 


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雪と少女

 

雪どけの風景に出会うと、五輪真弓の「少女」という歌を思い出す。

 

 ♪あたたかい陽の当たる真冬の縁側で

 少女はひとりでぼんやりと座ってた

 積もった白い雪がだんだんとけていくのを

 悲しそうに見ていたの

 夢が大きな音を立てて崩れてしまったの

 

 透明感のある旋律と余白に満ちた詞。

 思い出すたびにとても清新な気持ちにさせられる。

 

 子供は雪どけの景色や子犬の遊ぶ姿を見るだけで、生きるってどういうことなのか感じとっている。

 夢がとけて消えても、また次の夢の芽を雪の下から見つけ出してくる。

 生きるってその繰り返しなんだということも。

 

 塾や習い事などいくら詰め込まれて忙しくても、

ちゃんとぼんやりして感じる時間を持っている。

 「なにぼんやりしているの!”」と大人に怒られたってへっちゃらで、

 自分の中にいる未来の自分と話している。

 


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マイナビ農業の「お肉」の記事が同サイトの人気上位に

 

 昨年11月に「マイナビ農業」に上げた東京食肉市場の記事が人気で、同サイト内のアクセスランキング第11位になっていると聞きました。

 上位10位はほとんど連載マンガなので、通常の記事としては第2位だそうで、たいへん光栄なことです。

 

 編集長からは「サブカル的な匂いに読者が反応したのかも」との分析コメントがあったのですが、サブカルって・・・そんなの意識したことないんだけどなぁ。

 

 読者の側に立って考えると、おそらく野菜や穀物などの植物系と違って、牛や豚など動物系は他のメディアであまり目にする機会がないし、半ば怖いもの見たさ、野次馬的な興味もあるのでしょう。

 

 「興味本位はよくない」みたいな言い方がされるけど、何事もまず興味を持ってもらわないと始まりません。

 

 僕らが毎日口にしているお肉――ハンバーグもハムもソーセージもです――が、どのようにしてできるのか、食べるのなら知っておいたほうがいい。

 

 という思いで、ごく普通にまじめに書いています。

 

 東京にいる人は品川に行くことがあれば、ぜひ一度、食肉市場の「お肉の情報館」に足を運んでみてください。1時間あれば十分に見られますよ。