ロンドン旅行記⑤:「国家の英雄」が乗った海賊船

 

 「海の日」なので海賊の話。

 ロンドンブリッジの近くにあるテムズ川のドック。

 ビルとビルの谷間に、小さな海賊船がポヨヨンと浮かんでいます。

 

 ルフィの麦わら海賊団の船でももう少しはでかいだろうというくらいの可愛さですが、これが七つの海で金銀財宝など、略奪の限りを尽くし、スペインの無敵艦隊を撃破し、あげくの果てに世界一周まで成し遂げ、イギリスの英雄とまで謳われるようになった海賊王サー・フランシス・ドレークが自らの船団を率いる旗艦とした「GOLDEN HEIND号」です。

 

 初めて世界周航に成功したのはご存知の通り、ポルトガルのマゼラン(率いたのはスペインの船)ですが、実はマゼランは出発地に帰り着く前に死んでしまった(船団の部下が帰還した)ので、指揮官として世界周航をコンプリートに実現し、故国に生還したのは、ドレークが世界初と言えます。

 

 この船はもちろん実物大のレプリカなのですが、テーマパークで賑やかしのために展示している代物とは違って、本物感たっぷりです。

 最初は本当に500年前の船を修復したのかと思ったくらいです。

 

 乗船して甲板、船室、船底などに入ってみると、楽しさ・快適さとはほど遠く、こんなところにはとても数時間といられないという感じ。

 

 当時のイギリス人が今より体格が小さかったとしても、本当に小さすぎないか?

 もしや寸法を間違えて再現したのではないか?

 

 とにかく想像を絶する狭さ・暗さで、時々港で休むことはあったとしても、むさ苦しい男どもが何人も同乗して、波に揺られながら何ヶ月も旅をするのは大変だっただろうなと、ひしひしと感じます。

 

 1581年4月、船長のドレークはこの船の甲板上で、当時の国家元首エリザベス1世からナイトの爵位を授けられたと言います。

 

 海賊なのに、女王の治世を支えた「国家の英雄」。

 

 なんでかというと、ドレークは略奪した金銀財宝の半分を女王陛下に上納していたそうで、その額は当時の国家予算に相当したといいます。

 

 いわゆる国家公認、女王陛下お抱えの海賊。

 

 エリザベス1世はその金で莫大な借金を返した上に、まっとうな経済を作る貿易会社設立のために投資。それに付随して現代の金融・貿易システムにつながるさまざまな施策を打ち出しました。

 

 このあたりのことは国際政治学者で海賊研究者である竹田いさみ氏の「世界史をつくった海賊」(ちくま新書888)に詳しく、面白く書かれています。

 

 ちょっと弁護すると、この時代のイギリスは経済的にも軍事的にもヨーロッパの弱小国で、ちょうど明治期、欧米列強の侵略に怯えていた日本同様、スペイン、ポルトガル、フランスなどのカソリック系先進国から国をつぶされそうになっており「富国強兵」の必要に駆られていました。

 

 そこでこのドレークをはじめとする海賊たちの経済貢献活動が「富国」の部分――のちの大英帝国の経済基盤になり、航海術や戦闘術などが「強兵」の部分――世界最強海軍の編成になったのです。

 

 まさに「悪の大帝国誕生エピソード1」という感じ。

 

 ドレークもすごいけど、その黒幕として海賊を利用し、やることなすことしたたかで賢いエリザベスはもっとすごい。

 

 大英帝国時代のビクトリア女王しかり、現在のエリザベス2世しかり、80年代のマーガレット・サッチャーしかり、(メイ首相はまだどうか分かりませんが)この国は成長・変革のたびに女に救われてきたと言えるのかも知れません。

 

 実際に「GOLDEN HEIND号」船内を見て感じたのは、この海賊王のすごさは度胸とか勇敢さなどよりも、乗組員の健康管理とか、ストレス管理を繊細にやっていたところではないかと思います。

 また、それがあったからこそ部下の信頼も厚かったのでしょう。

 

 この時代、船団が航海に出かけると大半の乗組員は途中で死んでしまったようですが、その多くは戦闘や事故でなく、病気で命を落としていたようです。

 こんな狭い船内で閉じこもって仕事をしていればそれも当然です。

 

 そして病死したらそのまま海に投げ入れてサメの餌です。

 そんな仲間の末路を目の当たりにしたら、残りの連中も暗澹たる気持ちになったことでしょう。

 

 その中でドレーク海賊団の生還率は飛びぬけて高かったと言います。

 積める荷物は限られているので、食糧や飲料水の調達にも相当気を配っていただろうし、部下のストレスがなるべく溜まらないよう、休憩させたり、慰安を入れたり、いろいろ心を砕いていたのでしょう。

 

 そういう意味では英雄ドレークの真の強さの秘密は、ボスとしての思いやりとか、従業員の「働き方改革」だったのではないかと思います。

 

 そういえば我が国の「海の日」も、3連休づくりという政府の思し召しのために、毎年カレンダーに合わせて動かされるので、本当は何日で、どういう由来のある日だったのかすっかり忘れてしまいました。

 ま、誰にも文句言われず、大手を振って休めれば何でもいいのかな。

 


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ロンドン旅行記④:メモリアルベンチのある風景

 

 自分が愛した公園で人々と一緒に過ごしたいという故人の思い、あるいはその遺族の思いを表現し寄贈したメモリアルベンチ。

 この世を去った人たちと、その後も生き続ける人たち、新しく生まれてきた子や孫の世代の人たちが、ごく自然に同じ場所で憩い、語らい、ひとときを楽しむ。

 ロンドンではそんな風景を見ることができます。

 

●故人の名前とメッセージを刻んだベンチ

 

 イギリスの公園を歩くと、あちこちに座って休めるベンチが置いてあります。

 その背もたれの部分などをよく見ると名前と生没年、メッセージが彫り込まれていたり、それらを書いた金属プレートが埋め込まれていたりします。

 これは、その公園やガーデン、その場所に通っていた(あるいは縁のある)亡き人を想い、家族や友人たちが寄贈したもので「メモリアルベンチ」と呼ばれています。

 

●80以上のメモリアルベンチが置かれたHolland Park

 

 このメモリアルベンチが80以上も設置されているのが、ロンドン西部のケンジントン地区にあるHolland Park(ホーランドパーク)です。

 広さは日比谷公園ほど。四季の花が咲く庭園やバラ園が設けられ、雑木林ではリスが遊ぶ愛らしい公園で、カフェやギャラリー、子供のための遊び場・施設、ちょっとしたイベントステージなども設けられており、地域のコミュニティの中心として活用されています。

 

 公園の散歩道沿いに、あるいは花壇の周囲などに設置されてあるベンチのメッセージを読んでいくと、見も知らぬ故人の人柄・家族や友人との間柄を偲ぶことができます。

 

 おじいちゃん・おばあちゃんのために、孫を含めた家族が寄贈というケースが多いようですが、中には30代半ばで昨年亡くなった青年のために彼の婚約者らが贈ったもの、あるいはわずか1歳足らずで亡くなったわが子のことを忘れないために両親が贈ったものもあります。

 

●文字から滲み出す切実な思い

 

 老齢の人のものは「IN LOVONG MEMORY OF・・・」といった比較的穏やかな文章が綴られていますが、若い人や子供の場合は、「Funny、warm、loving、thoghful and uniqe」とか、「the most gorgeous baby in the world」など、かなり強い言葉が用いられています。

 

 自分たちが愛した彼もしくは彼女のことを、何とか表現して伝えなくては癒されない遺族の切実な思い、その裏にある無念さ、喪失感の大きさが文字から滲み出していて、ついその場で立ち止まってしまいます。

 

●メモリアルベンチの聖地

 

 このHolland Parkは、僕がむかし働いていた店のすぐそばにあり、休憩時間などに行ってよく散歩していました。

 今ほど数は多くありませんでしたが、当時からこうしたベンチが置かれており、その頃は「何だろう?」とよく意味がわからなかったのですが、そのうちガイドブック内の小さなコラムでメモリアルベンチの話を読んで、そうだったのかと認識した次第です。

 

 そんな思い出もあってロンドンに来るたびに、観光スポットでもないこの公園を訪れるのですが、なんだか毎回、このベンチが増えているような気がします。

 僕にとっては「メモリアルベンチの聖地」とも言えるところです。

 

 先々月から雑誌で「世界のEndong Watch」という連載コラムを書いており、今回はこのことをぜひ紹介したいと思い、泊ったところも歩いて15分くらいのところだったので、じっくり散策・取材出来ました。

 

●自然に風景の一部に

 

 僕がこのメモリアリベンチが好きなのは、飾られている感がまったくなく、ごく普通にベンチとして使われていることです。

 

 座って何か熱心に語り合っているグループもいれば、子どもたちが遊び回るのを眺めているお母さんもいる。

 

 一人で本を読む人、新聞を広げて読む老人もいれば、ジョギングの合間の休憩でドシャーッと寝そべっている若者もいる。

 いちゃついているラブラブカップルもいるし、一緒に座ってアイスクリームを食べているイヌと飼い主もいる。

 時々、リスもちょろちょろと空いているベンチの上で遊んでいる。

 

 毎日いろいろな人たちが(プラス動物も)この公園で楽しみ、何の気兼ねもなくベンチを利用する。

 

もしかしたらその中の何人かは、背もたれのメッセージに気づき、誰かに愛され、少し前に命を終えたその人の暮らしをぼんやりと想像してみたりするのかもしれません。

 

メモリアルベンチの存在はごく自然に風景の一部になっており、この愛らしい公園をより愛の溢れた場所にしているかのようです。

 

●設置の手続き

 

 このメモリアルベンチを設置する手続きは 、住んでいる地区のカウンシル(自治体)に申し込んで料金を支払えば、ベンチの購入からメッセージの彫り込み(あるいはプレートの制作)、設置まで手配してもらえるようです。

 

 費用はその地区によって異なりますが、ロンドンの公園ではだいたい1000ポンド(約15万円)前後であることが多く、ベンチが破損しても10年間は無料で修理してくれるといいます。

 

 ただし、お金さえ払えば作れるというわけではなく、その人(家族)が長年その地域に暮らし、しかも地域のためにどんな貢献をしたか(寄付やボランティア活動などの実績)が問われるようです。

 

●生き続ける人たち・生まれてくる人たちのために

 

 この習慣がいつ頃から始まったのはか定かではありませんが、Holland Parkで見つけたベンチの中で最も古いのは、1983年に亡くなった人のものでした。

 僕がここをウロついていたのは、1985~87年頃だったので、あの頃はまだ始まったばかりだったのかも知れません。

 

 散歩好き・公園好きなイギリス人らしい発想であり、この世から去った後も公共の場で、生き続ける人々・新しく生まれてくる人々の憩い・語らい・楽しみのためにさりげなく役立ちたい・・・。

 

 そんな心象が表現された、とてもチャーミングなエンディングワークが、自然な風景として溶け込んでいるのが、ロンドンの魅力の一つになっています。

 


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ロンドン旅行記③:ロンドンのリスとイヌとネコ

 

 ロンドンの公園では雑木林でリスがちょろちょろしているので対話を試みます。

 このリスたちはあまり物おじせず、中にはカメラを向けると「へへっ」とポーズを取ったりするやつもいます。なかなかキュートです。

 

 イギリス人はイヌ好きなので、公園や住宅街ではイヌもよく散歩しています。

 日本でドッグランを設けている公園もありますが、こちらはあまり関係なく、平気でリードを外して歩かせています。

 むしろリードをつけている犬の方が少ないくらいで、しかも多くはリトリバーやボーダーコリーみたいな大型犬です。

 

 滞在したHolland Park周辺では、以前は小型犬はほとんど見かけなかったのですが、住宅事情の影響か、高齢者世帯が増えて大型犬は手に負えなくなったのか、3~4割は小型犬になったような気がします。

 

 この周辺には立派なしっぽをピンと立てたネコが結構大勢うろうろしていました。

 

 僕が話しかけると、シャイな日本のネコみたいに逃げ出さず、リスと同じく堂々と対応してくれたものです。

 

 それでミャウミャウやっていると、どこからか飼主かご近所さんだか、マダムやおばあちゃんがやってきて「Lovely Catがああしたこうした」とか、「Beautiful Tailがどうのこうの」とか、うれしそうに話しかけてきました。

 

 70年代後半から21世紀になる頃まで、「CATS」というヒットミュージカルを長年にわたって上演されており、ロンドンは「ネコの街」というイメージすらあった(そういえばキティちゃんもたしかロンドン出身という設定でしたね)のですが、なぜか今回はどこへ行っても、ただの一匹もネコに会えませんでした。

 

 WHY?

 

 たんに僕にネコ運がなかったというだけならいいのですが、まさか何か規制がかけられてネコが飼えなくなったわけじゃないだろうな・・・・とちょっと心配になりました。

 それともみんな、小型犬に乗り替えてしまったのかなぁ。

 

 リスもイヌもネコもいるロンドンが好きなので、ちょっとこれは残念でした。

 


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熱中症でダウン

 

 今まで他人事と思っていた熱中症にやられ、ひどい頭痛と軽い吐きけ。

 月曜・火曜とアポイントのあった取材・打ち合わせ・取材を何とかこなした後、すっかりダウンしてしまいました。

 本日、やっと回復傾向。

 旅行記も止まってしまいましたが、まだ続くので、ロンドンのリスちゃんに免じて許してケロ。

 


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ロンドン旅行記②:21世紀の新名所は鉄道駅 Paddington➡パディントン/King's Cross➡ハリーポッター

 

★還暦を迎え大スターに昇進した「旅する子グマ」

 

 ヒースロー空港から中心部へは、以前は地下鉄のピカデリーラインで乗り込んでいたのですが、今回は新しくできた「ヒースロー・エクスプレス」を利用。これだとターミナル駅のPaddingtonまでたったの15分です(でも帰りは途中で停まってしまい、30分かかったぞ)。

 

 鉄道発祥の国だけあって、ロンドンのターミナル駅はどこもクラシックな趣があり、初めて目にする息子は、そこはかとなく感動していました(本当は2回目だけど、最初に来た時は5歳のチビだったので、ほとんど覚えてないとのこと)。

 

 パディントンの駅は「くまのパディントン」(マイケル・ボンド作)というお話の舞台としても有名です。

 僕も赤い帽子と青いコート、いつもトランクを持っているクマのキャラクターがいることは知っていましたが、「プーさんやテディベアとどこがどう違うんだ?」というレベルの認識でした。

 

 ところがこのクマ、生まれて60年、還暦を迎えてますます元気とのことで、世界的な人気を獲得し、映画もすでに2本作られ、パディントン駅にはかわいショップもでき、お客があふれています。

 

 どうも「旅する子グマ」(設定では南米ペルーの山奥からやってきたみなしごクマで、この駅のそばに住んでいる優しい家族に拾われ、いっしょに暮らしている)の視線でロンドンの街や人々を眺め、ユーモラスな騒動を起こすというところが面白いようです。

 

 そんなストーリーなど全く知らなかったので、帰りの飛行機の中で映画「パディントン2」を見ましたが、確かに英国風ユーモアにあふれ、ドタバタしながらも、おしゃれ感・ほのぼの感があって楽しめました。

 

 帰ってきて原作を読んでみようと近所の図書館に行ったところ、3冊あるのに残念ながらどれも貸し出し中(ということはやっぱり結構人気があるということでしょうか)。

 まだまだ知らないお話がたくさんあります。

 

★英国ファンタジー大復活の舞台

 

 さて、パディントンと同様のターミナル駅でKing's Cross(キングスクロス)という駅があり、こちらには“鉄道を利用しない観光客”が毎日大挙して押し寄せます。

 

 ここも古い駅で、よく言えば荘厳、悪く言えばとんでもないオンボロだったのですが、近年改築され、モダンなデザインの屋根がかけられて生まれ変わりました。

 

 これはこれで「クラシックとモダンの融合」として素敵なのですが、人気を集めているのはそんなアート的な駅の佇まいではありません。

 

 構内の端っこにある奇妙な壁のオブジェ――「9と4分の3」と番号が振られた壁の中に荷物を乗せたワゴンが半分入りこんでいます。

 そうです、かのハリーポッターが魔法学校ホグワースヘ向かう列車に乗り込んだ時の幻のプラットフォームです。

 

 そこでの写真撮影を目的に、連日、世界中から観光客がやってくるのです。

 

 僕たちはここを2回通り過ぎましたが、日中はいつも長蛇の列で、とても並ぶ気にならず、撮影はあきらめました。

 

 ちなみにこの撮影は朝8時から夜10時までOKで、自分のスマホやタブレット、デジカメなどで撮るのは基本的に無料。

 

 ちゃんと杖とかマフラーとか小道具も用意されており、大混乱にならないよう専任のスタッフがついて面倒見ています。

 

 撮影は無料だけど、その脇にはパディントンの場合と同じく専用のおみやげショップが設けられ、しっかりビジネスしています。

 豊富なグッズ類はどれも結構いいお値段がするにも関わらず、見ていると飛ぶように売れていきます。

 

 行かなかったけど、映画のスタジオツアーもあるし、ウェストエンドのど真ん中にあるパレスシアターでは舞台劇「ハリーポッターと呪いの子」(原作者のJ・K・ローリングも脚本に参加)もかかっています。

 どっちも相当前からネットで予約しておかないとチケットは取れないようです。

 

 それにしてもこうした現象を目の当たりにすると、この21世紀の世界的大ベストセラーがもたらした文化的影響力、この国に与えた経済効果は計り知れません。

 

 貧乏シングルマザーからペン1本で大作家に上り詰めたという、彼女自身のシンデレラストーリーも相まって、いまやローリングさんは20世紀のビートルズにも匹敵するスーパーポップスター、と言えるのかもしれません。

 


ロンドン旅行記①:観光都市は空港からエンターテインメント

 

 今回は韓国のアシアナ航空の、ひとり往復9万円弱なりのエアチケットで旅行。発着はヒースロー空港第2ターミナルでした。

 

 この第2ターミナルは2014年にリニューアルオープンしたばかりだそうで、またの名を「Queens Terminal」といいます。

 

 これまで成田もヒースローも、他国の空港でも、そこは単なる飛行機の発着所であり、通り過ぎる場所であり、お土産屋やカフェが並ぶ場所で、特にこれといった印象を受けたことは一度もありませんでした。

 

 しかしこの「Queens Terminal」は、なかなかモダンなつくりでメッセージ性も豊かな施設になっています。

 

 到着ロビーに行く途中、「Weklcome」というポスターが壁に貼ってあり、利用者を出迎えるのは万国共通ですが、ここではそのポスター1枚1枚にミュージシャンやら、ビーフイーター(ロンドン塔の番兵)やら、ポリスマンやら、エンジニアやら、ロンドンの街中で見かける人たちが映っています。

 

 人種・性別・年齢の区別なく10人ほどの人たちが自分のキャラクターを押し出し

、それぞれ満面の笑みでWeklcome!と語り掛けるポスターはなかなかの迫力で、広告効果抜群です。

 「これからロンドン劇場でお楽しみくださいな」と、演劇の登場人物らが言っているような、そんなイメージを抱かせます。

 

 人間の感情豊かな表情が発信するメッセージというのは、とても強烈で多弁なんだなと改めて感じました。

 

 アシアナ航空の発着ゲートは、空港の端っこにあって随分と歩かなくてはいけないのだけど、ここもただ単に移動するだけの空間にしていません。

 

 プロムナードの途中には、1946年に開港したヒースローの歴史(と同時にこの70年近くのイギリスの歴史)が写真で分かりやすく描かれていて、これもなかなか楽しめました。

 

 世界中の多くの人が知っている、エリザベス女王の戴冠式、ビートルズ、デビッド・ボウイ、LIVE AIDなどのUKロックのヒストリー、ロイヤルウェディング、さらに2012年のロンドン五輪まで。

 写真で誰にでもわかりやすく表現されており、来た人がヒースローに、ひいてはロンドン、英国にさりげなく親しみと関心を抱けるよう工夫しています。

 これにはちょっと感心しました。

 

 ロンドンには世界の首都としての歴史的建造物や物語の舞台がたくさんあるし、地方にもその地方独自の歴史・文化があり、美しい自然があり、観光資源は豊富に揃っています。

 

 けれども以前はその素材の持つ力自体に頼っていて、何も手を加えないのがいいのだ――といった方針があったのではないかと思います。

 

 なので、僕が住んでいた30数年前は「先祖の遺産で食っている」と揶揄されることもしばしばありました。

 

 で、このままじゃいかんと国の中枢の人が気付いたのでしょう。

 あるいは民間企業から働きかけがあったのかもしれません。

 

 いつ、どこで、どんな街づくりプロジェクトが発令されたのかは知りませんが、これらの遺産をどう有効活用し、次世代に繋げていくかが――といったことが割と真剣に検討されたのではないでしょうか。

 

 その結果、古いものを残しつつ、この第2ターミナル同様、街全体(特に観光エリア)にいろいろな種類の物語が編み込まれ、リニューアルデザインされたのだと思います。

 

 こうしたことは以前来た2001年にはかなり進んでいたと思いますが、僕の中ではまだ1980年代のイメージが残っていたせいか、そんなに強くは感じませんでした。

 しかし今回はさすがにブランクが大きかっただけあって、とても強く感じとることができました。

 

 もちろん、そのために失われた良いところ――無理やり化粧をしなくてもいいではないかと思えるところ――もいくつかあるわけですが。

 

 いずれにしてもこの国が、グローバル化の進展とネット社会の進展によってケタ違いに増えた観光客を、どんどん招き入れ、観光で収入倍増をもくろんでいることは明白です。

 

 なのであちこち楽しむにはお金がたくさんかかることは覚悟しなくてはなりませんが、飛行機代は昔より安く手に入るようになったので、そこはチャラになっていると考えた方がいいでしょう。

 

 一介の観光客としては高いアドミッションを払う分、たっぷり楽しんで元を取ってやろうという根性が大切です。

 

 旅も自分のテーマとか目的とか条件とか予算とかを統合し、できるだけ自分用にカスタマイズして楽しむ時代。

 ロンドンみたいな観光都市はそれにしっかり応えてくれると思います。

 


ロンドンの青空

 

 ロンドンから帰ってきました。

 お天気が悪いということで定評あるロンドンですが、僕が滞在した20日~27日の間、ご覧の通り晴れっぱなしです。

 

 1995年も、2001年も同じ6月に行ったので、この23年間、ロンドンのイメージは完全にピーカンから変わらず。

 雨が降ってたのっていつのことだっけ? という感じです。

 

 天気は良いのはいいのだけど、暑いの何の。

 これでは日本と変わらない。

 おまけにこの国は冷房というものを使わないので、かなりバテました。

 

 今回のロンドン行きはカミさんにカミつかれて、メンドくさいけど、しゃーない行くかと重い腰を上げて出かけたのですが、めちゃくちゃ楽しかった。

 

 もともと観光都市なのだけど、オリンピックもあったせいでしょう。

 すっかり洗練されてポップ度がUPして素敵な街に様変わりしていました。

 なんというか街全体がテーマパークみたいになってて、観光客には本当に楽しい街だと思います。

 

 最後に来た2001年からずっと進化していたし、ましてや僕が暮らしていた1980年代なかばとは全然ちがう街になっていました。

 

 いろいろ新発見・再発見もあって、またイギリスの近代史など勉強したいなと思うところもいっぱいで、なんだかすっかりリセットという感じです。

 

 何がどう変ったのか、そう短くは言えないので、リアルタイムで情報発信しなかった代わりに、「ちょっとビンボーな観光客」として、「昔の生活者」の視点をちょっと交えて、1ヵ月ほどの間、いくつかのコンテンツに分けて五月雨式に旅行記を書いていこうと思います。

 

 おヒマと興味があったら読んでください。

 おたのしみに~。

 


ロンドンに行くのになぜか1985年のソ連

 

 ドタバタと仕事を終わらせて旅支度も整いました。

 が、スーツケースを先に送って、いつも仕事で使っているスリーウェイのバッグ一つなので今ひとつ気分が盛り上がらない。

 

 というわけで、最初にロンドンに行った時のことを思い出してみました。

 1985年8月。あの日航ジャンボ機墜落事故の1週間前でした。

 なぜか友だちがわざわざ成田まで見送りに来てくれて、いま思えばドラマごっこをしていたような感じでした。

 

 乗り込んだのはアエロフロート・ソ連航空。

 サッカーワールドカップをやってるロシアじゃないですよ、ソ連です。

 まだペレストロイカ前夜で、ゴルバチョフが登場する前の話です。

 

 評判は最悪の航空会社でしたが、乗り心地も機内食もそうひどくはありませんでした。

 ただし、スッチーさんたち(今はキャビンアテンダントですが)は超不愛想。

 

 強烈だったのはトランジットでモスクワ空港に降りた時。

 節電しているのかなんだか、やたら暗くてがらんとしていて、まるで巨大な倉庫のようでした。

 

 そこでカチンコチンの無表情なソ連兵が銃を構えて乗客に「早く行け」とかなんとか指示していました。

 

 「やあ」と笑って挨拶したら、「バカヤロ、なに笑ってんだ」と女性兵士に叱られました。これホント。

 

 なんだか古い映画のようにあの時の映像がよみがえってきます。

 

 ロンドンに行くのになんでソ連の話なんかしているのか?

 まあいいでしょう。

 ちなみに今回はアリアナ航空なのでソウルでトランジットです。

 


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17年ぶりのロンドン旅行

 

 じつは明後日から月末までロンドンへ行きます。

 20代の頃、2年半ほど暮らしていて、帰ってきてからも新婚旅行をはじめ、3~4年に1回くらいは言ってましたが、今回はなんと17年ぶり。

 海外旅行も17年ぶり。すごいブランクです。

 

 1週間前に顔面負傷はするわ、つい三日前に予約していたAirBBの家にキャンセルくらい、ドタバタしました。

 

 でも懐かしの町Shephers Bush(この近くのホテルの日本食屋で働いていた)に宿が取れてよかった。

 

 昨日スーツケースを宅配便で送ってひと段落。

 忙しくて準備はほとんどカミさんまかせで、いろいろIT化した現代旅行事情・ロンドン事情についていけてません。

 

 いやー、どうなることやら。楽しみです。

 


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LGBTの話題

 

 農業やエンディング関係の仕事をしていると、たびたびLGBTの話題に出会います。農業の方はライフスタイルとして相性がいい・・・といえばいいのでしょうか。デザインなどの仕事と並行してやっているという人もいて、ちゃんとブログやホームページでもカミングアウトしています。

 

 エンディングのほうは昨年あたりから急に増え始めたような気がします。

 やっぱり悩み相談ですね。お寺などで議論の場がちょくちょく設けられているのを耳にします。

 

 性転換したお坊さんもいて、性的マイノリティの人たちの駆け込み寺を作るっていることも話題になっています。

 

 寛容になったのかどうかわかりませんが、いずれにしても社会全体がそうしたマイノリティの人たちの声を聴こうと動いているようです。

 

 なんでも日本人も13人に一人がLGBTとかで・・・ホントなんだろうか?

 LGBTと言ってもいろいろなスタイルぎょうで、そこのところ、僕はまだちゃんと理解できていません。

 

 そういえばロンドンにいた時、ゲイのおじさんに誘惑されたことふがるけど、その人はちゃんと妻子もいたなぁ。

 

 それでふと思い出したのが、20代後半の頃、ふられた女の子のこと。

 半年ほどシナリオ講座に通ったことがあるのだけど、その時いっしょに受講していた子で、その時はボンクラで気が付かなかったけど、どうも彼女はレズビアンだったのではないかと。

 

 何か根拠があるわけではないのですが、たいして美人ではないけど不思議な魅力のあってすごくモテる子で、知っているだけでも僕以外に若い奴からおっさんまで3人の男が言いよっていましたが、みんなフラれていました。

 

 かといって彼氏がいる様子もなく、オトコそのものが嫌いのでは・・・という印象を受けました。

 

 僕はふられたけど、それでそんなに傷ついたわけでなく、なぜかその後も自然に20年以上も友だちづきあいしていました。

 息子がチビだったころ、一度会わせたことがあるのだけど、妙によくなついて「私、この子とは友達になれそう」とか言っていました。

 5~6年前から毎年来ていた年賀状が来なくなり、ぷっつり音沙汰が絶えてしまったのけど、どうしているのやら。

 恋人と外国へでも飛んだのか・・・。

 

 たぶん少し幻想が混じっていると思いますが、LGBTの人たちは(と一括りにできないと思いますが)僕たちには見えない何かが見えるのではないかと思います。

 また、人生のあちこちで生きづらさを感じている分、生きることについて、死後のことまで、僕たちなどよりも深くまじめに考えているのではないかと思います。

 


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顔出しNG

 

 お気にかけて頂き、ありがとうございます。

 本日、CT検査の結果が出て、顔も頭も骨に異常なしとのこと。

 大事に至らず、ほっと一安心しました。

 

 擦過傷もだいぶ回復してきたものの、右目の周りは真紫色。

 あちこち腫れたり、(比喩ではなく物理的に)歪んだりしていて、ちょっとまだ人前に出るのは憚られる顔になっています。

 

 好奇心旺盛な方のために顔出ししようかとも思いましたが、不快になる方のほうが多いだろうと思ってやめときます。

 見ても、生きる勇気が湧くとか、明日への希望につながるとか、そんなことないしね。

 

 今週はなるべく外出を控え、引きこもって原稿書きをしていたいと思います。

 

※画像と文章は特に関係ありません。タイトルの「顔出しNG」で画像を調べてみたら、こんなのが出てきたので使ってみました。ちょっとホラーテイストですが、なかなか可愛い子です。河村友歌ちゃんというモデルだそうです。

 


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ひつじの数など数えなくても死んだように眠った

 

 突然のアクシデントですっかりタガが崩壊。

 普段、ケガや病気に慣れていないのと慢性的睡眠不足が原因かと思います。

 今日は予定の仕事もキャンセルして1日中家で寝ていました。

 ひつじなんぞ数えなくても、寝られるわ寝られるわ。

 

 月並みな話で恐縮ですが、いてもは大して意識していないのですが、弱体化した状況に陥ると、いっしょに住まう家族のありがたみをひしひしと感じます。

 

 前も書いたけど、若い頃は孤独なんぞ気にならなかったけど、齢を取るとやっぱりそうな言えなくなります。

 ひとりだったらこれはきついだろうなと。

 そういう意味では気が弱くなっているのかと思います。

 

 今、独居老人と好奇心むき出しの子どもの話(設定としては湯本香樹実の「夏の庭」みたいな)を考えているんだけど、その登場人物の気持ちになれそうです。

 

 ま、命に別条があるわけでなし、とんでもない重症というわけでもないので、こういう経験も必要なのかも。

 


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顔面負傷

 

 今朝、自転車で走行中転倒し、顔面を強打。

 メガネが吹っ飛び、前歯が砕け、二目とみられぬ顔に・・・

 というのは冗談ですが、擦過傷の他、顔面骨折の疑いもあるとか(そんなに痛くないのだけど)で、近所の外科から渋谷の病院を紹介されて出向き、顔と頭のCTを撮りました。

 

CTは初体験。今はスキャニング専門の病院もあるんですね。

 

 というわけで数日安静を促されましたが、いずれにしても現在は人前に出られる顔じゃなくなっています。

 人生いろいろあるもんだ。

 と、のんきなこと言ってる場合じゃなく、交通事故には気をつけましょう。

 


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シェイプ・オブ・ウォーター:もし人魚姫が生き延びたら

 

 人魚姫は船から身を投げて海の泡となって消える運命だったのに、幸か不幸か、人間の姿のまま、声を失ったまま生き延びた。

 四半世紀が過ぎ、15歳だった少女は中年となり、1962年のアメリカ・ボルチモアの宇宙科学研究所で清掃員の職を得た。

 

 自宅のアパートと職場を往復する淡々とした毎日。

 風呂場で自慰に耽るときだけ、失われた人魚だった頃の記憶がかすかによみがえる。

 

 まだアメリカが「強いアメリカ」で、セクハラもパワハラも当たり前だったこの時代、障害を持ち、底辺の歯車として、しかも汚れ仕事で働く独身の中年女なんて社会は見向きもしない。

 

 彼女のことを気にかけてくれるのは、いつもしょーもない亭主の愚痴ばかり言っている同僚の黒人女と、アパートの隣の部屋に住んでいて、若い男に失恋する、年老いた絵描きのゲイだけだ。

 

 それでも彼女は自分がさして不幸だとも思わす、ささやかな日常を大事にして生きていた。

 

 そんなある日、研究所にある特異な生き物が運ばれてくる。

 その生き物――「アマゾンの半魚人」に出会ったことで、恋に焦がれる人魚姫の記憶がよみがえる――

 という、改めて辿ってみると、とんでもなく奇をてらったストーリー。

 

 ところが、これがいい。

 甘く切ないラブストーリーをベースに、古典SF、ホラー、ファンタジーの要素が絶妙にブレンドされて、ちょっとコミカルだったり、エロチックだったり、といったスパイスもまぶされている。

 すっかりツボにはまってしまった。

 

 ヒロインは若くも美人でもないし、子供時代のトラウマのせいで声が出せないということ以外、生い立ちも謎のまま。

 けれどもその感情表現は素晴らしく、ラストシーンは本当に人魚に帰っていくのではないかと思った。

 

 また、1962年という「近過去」の設定もいい。

 リアリズムとファンタジーのハーフ&ハーフが、ギリギリのバランスで成り立つ美味しい時代だ。

 そしてまた、トランプ政権下の現代のアメリカを風刺しているかのような映画でもある。

 

 こうした寓話性の高い物語は、よく「大人のおとぎ話」と呼ばれるけど、それで片付けるのはつまらないし、何だかもったいない気がする。

 人間が生きる本質は思わぬところに隠れている。

 それを見つけるためにも、こういう映画は役に立つのではないかと思う。

 


オタマジャクシとカエルの間の自意識

 

 昆虫は子供(幼虫)から大人(成虫)になる途中の段階に「さなぎ」という形態がある。

 なのに同じように変態するカエルにはそれがない。

 

 手足のはえたオタマジャクシを、人は「オタマジャクシ」と呼ぶが、当のオタマジャクシは「おれもうカエルだい」と思っているかも知れない。

 なんとなく思春期の人間に似ている。

 

 人はいったいどうやって子供から大人に移行するのか、移行できたのか。すっかり忘れてしまったし、自分の子供に対してもほとんど気にかけなかったけど、今になると、もう一度探ってみたい気がする。

 


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早稲田のドーナツ田んぼで田植え

 

 早稲田大学内に田んぼがあって生徒らが田植えすると聞いて、マイナビ農業の取材でやってきました。その名も「わせでん」。

 大隈講堂の隣、大隈庭園の奥にあります。

 

 どんな田んぼなのかと思ったら、直径5メートルくらいのかわいい「ドーナツ型」田んぼ。

 

 ドーナツ型と言うのは、真ん中にポチッとサルスベリの島があるのです。

 このサルスベリが由緒ある木だそうで、切るに切れなくてドーナツ型にせざるを得なかったということ。

 

 

 2004年に開田した時はハート型に近かったそうで、それがだんだん凹みがなくなってきて、まぁるくなったとのこと。

 毎年ここで苗を植えて、秋には約5キロのお米が収穫できるそうです。

 

 田植えをするのは学生NPO「農楽塾」というサークルの子たちで総勢30名ほど。

 今年は例年になく新入会員が多いそうで、女の子も男の子も泥んこの中に足を突っ込み、ワーワーキャーキャー。

 見ていると可愛くて、こっちの心も💛、目も💕になってきます。

 

 取材という大義名分のもと、こういうところにズケズケと入り込めるのは、ライターの特権と言えるでしょう。

 

 大隈庭園に遊びに来ている一般の人たち――家族連れやお年寄りのグループもちょこちょこ覗きに来ていました。

 

 地域に開かれたオープンキャンパスになっているので、基本的に誰でも庭園内は自由に出入りできます。

 そのため土曜の午後は大学と言えどもまるで現代社会の縮図のように、若者(学生)一人に対して、年寄り5人と言う感じです。

 

 おそらく新宿区で唯一の田んぼである「わせでん」。

 来週は近所の幼稚園の子供たちがここで田植え体験をしに来るそうなので、少しだけそのスペースを残して1時間ちょっとで無事終了しました。

 

 それにしてもホントに若さは財産です。

 でも若い頃はそんなことには気が付かなくて、ザクザク無駄遣いしちゃうんだよね。

 でもでもそれがいいんだよ。

 若さを貯金や利殖のためにこせこせしたって面白くない。

 「もっと有効に使えたかな」と後悔するくらいでちょうどいい。

 そうした思いがあるからこそ人間の味が出ます。

 農業もサークルもバイトも恋もいっぱいしてほしいと思います。

 ついでに勉強も。

 


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6月に「結婚の日」はいかが?

 

 海の日だの、山の日だの、いろいろできて、とうとう6月だけ取り残されて「国民の祝日」のない月になってしまった。

 この際、「雨降り記念日」とか「田圃の日」とか「カエルの日」とか、6月にも祝日を入れたらどうなのだろう?

 

 そこで思い出したけど、皇太子が結婚したのは確か6月じゃなかったっけ?

 雅子さんはジューンブライドだった気がする。

 元号が変わったら6月に「結婚の日」を作ったらどうだろう?

 少しは少子化対策に役立つかも知れないし。

 

 それにしてもこの国にやたら祝日が多いのは、公に認められた日じゃないと休めないから・・・ってことなのだろうか。

 べつに祝日じゃなくてもいいいから、テキトーに休みましょう。

 

 というわけで、僕はフリーランスの特権で、今月の後半は久しぶりに大型連休させて頂きます。と言っても10日程度ですが。

 


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代筆業の進め方

 

 久しぶりに代筆の仕事をしました。

 守秘義務があるので、具体的なことは書けませんが、とある地方新聞の連載コラムの仕事で、依頼して頂いた方は、いわゆるコンサルティング業です。

 遠方の方なので面識はなく、メールのやりとりだけで進めました。

 

 最初にどんなネタがあるのか、どんな話を書きたいのか、単なるメモでも何でもいいから送ってもらい、じゃあ第1回はこの話で、第2回はこれで・・・・という感じで整理し、各回のテーマを決めます。

 それを決めたら、その回ごとに、こんな話で・・・と、また大雑把なメモを送って頂き、それについて突っ込んで取材します。

 

 たとえば、相談にみえたそのお客さんはどんな様子だったか、背格好は?服装は?

 傷心していたのか、イライラしていたのか。

 家族構成はどうなっているのか?

 どんな仕事をしているのか? 

 子供はいるのか? 独身なのか? 

 離婚経験があるのか?  などなど。

 一見構どうでもよさそうなことを具体的に聞いていきます。

 魂は細部に宿っています。

 ちゃんと聞いたことに答えて頂ければ、書くのは別に難しくもなんともありません。

 

 困っちゃうのは抽象的なことばかり言って、意味を汲み取ってほしいとか言う人。

 

 もっとひどいのは「忙しいから頼んでいるのに、取材なんかに時間は取れない。とにかく書いて見せてくれればチェックする」とか言っちゃう人。

 

 こういう人たちは、人に頼まず自分で書いてほしいです。

 へたでも苦手でも、毎日ブログなど書いていれば、自然と書き方のコツが身につきます。

 

 以前はどんな仕事も断っちゃいかんと思って、こういう横着な人たちの言い分も聞き、がんばって書いていました。

 

 しかし、最近はメールを見ればどんなクライアントかわかっちゃうので、いやだなと思う人はお断りしています。

 だいたい自分のカンは当たります。

 

 今回の方はとても良い人柄の方で、仕事の様子を聞かせてもらって、ぜひお力になりたいなと自然に思いました。

 

 いろいろ貴重なお話も伺い、人間の面白さを知ることもできました。

 これなら代筆も悪くない。そう感じさせてもらいました。

 


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西城秀樹さんのお葬式で感じたこと:女の涙は子どもと夢の人のために

 

 先日の西城秀樹さんのお葬式の記事を書くのに、現場の録音データを聞きながら、昨日1日ジタバタしていました。

 これだとちょっと思い入れが強すぎてダメだし食らうかも、と思いつつ原稿提出。

 

 それにしてもいろんな意味で感動的な体験でした。

 

 喪服のマダムらがYMCAを踊ったり、おいおい泣いたり、「ヒデキー」と叫んでいるのを思い出すと、身体の底でずっと眠っていた女の子が40年ぶりくらいに起き出して、マダムの着ぐるみをかぶってあそこに集まっていたんじゃないか。そんな幻想にとりつかれます。

 

 仲間もいっぱいいるし、あそこなら何の遠慮もなく泣けるもんね。

 

 ファンは圧倒的に女性が多いんだけど、中には男性もチラホラいて、男同士というのはほとんど見当たらず、どうやら夫婦で来ているらしい。

 それが奥さんは喪服、もしくはそれに準じるような服装をしているのに、ダンナの方はほぼ普段着というチグハグなカップルがほとんど。

 

 取材したわけでなく、あくまでこれは僕の想像だけど、普段は従順な奥さんがこの日ばかりは「わたしは絶対に行く!」と主張し、その迫力にタジタジとなったダンナが「しゃーない、じゃあオレもついていくわ、東京見物・青山見物もしたいし・・・」ということで一緒に来たのではないか。

 

 奥さんとしてはちょっとジャマだけど、交通費もメシ代も出してくれるというから、まぁいいや、と妥協した・・・とか、そんなバックストーリーがあったのではないだろうかと思います。

 

 でもダンナづれで、ちゃんと女の子に戻ってヒデキに声を掛けられたのかなぁ。

 

 そういえばネットに上っていた映像で、テレビのインタビューを受けたマダムが「夫が死んでもこんなに泣きません」と泣いていました。

 それでいいと思います。

 

 死んだからって、あんまり泣かれても困っちゃうしね。

 女の涙は子どもと夢の人のために大事に使ってください。

 ダンナはそのおこぼれを頂ければ十分です。

 


スーパーマーケット偏愛シンドローム

 

 時々、自分はスーパーフェチなのではないかと思うことがあります。

 スーパーマーケットが好き。というか、その空気の中にドブンと丸ごと漬かりたいという欲求に時々襲われるのです。

 

 今日も午前中仕事して、昼に出かけて5ヶ月ぶりに会った友だちと昼飯を食って、帰ってきて疲れて昼寝していたら早や夕暮れ時。

 ベランダの洗濯物を取り込んで、ちょっと涼しくなった外の風に触れたら、急にその欲求に襲われました。

 

 というわけで冷蔵庫の在庫を確認し、リュックを担いで近所のスーパーマーケットへ。

 近所と言っても3番目くらいに近い所で、5分ほど自転車に乗って出掛けます。

 この5分間、ちょっと涼しくなった空気と、ちょっと金色っぽい西日の光を全身に感じられれるのがいい。

 

 着いてみるとスーパーの中は赤ん坊からお年寄りまでいろんな人たちが、今晩は何を食べようか、明日の分も買っておこうか、予算はいくらだと、あれこれ考えながら、あるいは話し合いつつ買い物に興じています。

 

 普段は昼間に行くことが多いので空いていますが、今日は時刻も時刻で、ちょっと混雑していてレジにもカゴをぶら下がたり、カートを押す人たちの列が。

 この混み具体がまたなかなかいい味出しててて、胸をワクワクさせます。

 

 初夏の良く晴れた日曜日の夕方のスーパーです。

 家族そろってきている人たちもたくさんいます。

 

 こっちの子どもは何がうれしいのか声を上げてはしゃぎ回り、そっちの子どもは試食のハシゴで走り回り、あっちの子どもはなぜだか怒って大泣きしている。

 

 怒り出すお母さん、困った顔したお父さん、すましてマイペースでのんびり品定めをするお年寄り、値段を見て長考する人もいれば、あせあせと小走りでかごの中に品物を放り込んでいく人もいます。

 

 働いているスタッフもお店にいる時間はスーパーの人だけど、勤務時間以外はもちろん自分の生活を持っていて、家族のこと、子供のこと、お金のこと、自分がかつて持っていて諦めきれない夢のこと・・・いろんなことで悩んだり、失望したり、希望を持ち直したりしています。

 作業の合間やお客とのちょっとしたやりとりの中で、そうしたものが垣間見えたりするのも面白い。

 当たり前だけど、彼ら・彼女らはけっして働くだけの人ではなく、今日も一生懸命、この世の中の不条理と闘いながら(でもあんまり頑張ると疲れちゃうので時々は空気を抜きながら)生きている、すてきな人間です。

 

 なんといえばいいのか、たまにそんなことを考えつつスーパーをうろつき回っていると、とても人間が愛おしくなって、からだの芯があったまってきて、脳みそが妄想で膨れ上がって、お店ごと抱きしめたくなるのです。

 

 というわけで買ったレタス、トマトやキャベツ、タマネギ、ジャガイモ、サカナ、牛乳、ヨーグルト、パン、ドレッシング、ぶどうなどをリュックにぶち込んで家路に向かうと夕焼けがきれいでした。

 いつかスーパーマーケットを舞台にした面白くて泣ける話を書きたいなぁ。

 


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西城秀樹さん葬儀:青春の同窓会

 

 「月刊仏事」の取材で西城秀樹さんの葬儀に行って来ました。

 朝9時半、会場の青山葬儀場最寄りの乃木坂駅に着いたら、ホームに黒い服の人たちが溢れ返っています。

 改札横の女子トイレには長蛇の列。

 恐縮しながら喪服のマダムらの列を掻き分けて男子トイレまで辿り着き、あせって身支度を済ませました。

 

 ちょっと話を聞いたところでは、地方から出てきて一泊し、通夜・葬儀と連荘で参加したという人も。

 

 葬儀や出棺の様子はニュースやSNSでいっぱい上がっているので書きませんが、野口五郎・郷ひろみ両氏の弔辞や昭和のスーパースターならではの演出には心打たれるものがありました。

 

 葬儀から出棺の間、葬儀場前を走る青山通りの向こう側までファンがびっしりで、向かいのデニーズの表階段にまで人が溢れているのにはガチびっくりでした。

 

 こうなるとお葬式とは言っても一種のイベントで、同じ時代を生き、ヒデキに胸をときめかせて青春を送った50代や60代の人たちにとっては、ファン同士で顔を合わせる「同窓会」的なノリの人もたくさんいたようです。

 

 ちょっと不謹慎にも聞こえますが、「ヒデキ」がみんなを結びつけるメディア、コミュニケーション媒体になっているのだなぁと思いました。

 

 大勢の人を楽しませ、夢を与えるエンターテイナーとして生きてきたのですから、最期に身を挺してまでその仕事がまっとうでき、「ヒデキ、カンゲキ!」と言いつつ旅立っていけたのではないかと思います。

 

 終わった後もしばらくの間、みんな名残惜しくて、なかなか立ち去れません。

 本当の寂しさはきっとこの後、家に帰った頃にやってくるのでしょう。

 

 おそらくこれから、どんどん昭和のアイドルやスターだった人たちが亡くなっていくわけですが、そのたびにこうしたイベントになるのだろうなと、ちょっとフクザツな気持ちになりました。

 

 ちなみに葬儀参列者への返礼品の一部はハウス食品さんが提供。

 西城さんのCMによる、家庭のカレー普及への貢献度は相当大きかったようです。

 

 でも一緒だった若い女性スタッフは「ヒデキ、カンゲキ!」は知らないそうで「何ですか、それ?」と聞かれて説明しなくてはなりませんでした。

 バーモントカレーは好きだそうですが。

 


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ありのままの私が帰ってこられる「ふるさと」

 

 「ふるさと」と聞いて、ほとんどの日本人が連想するのは、稲を実らせる田んぼや、野菜を育て、果実を育てる畑がのどかに広がり、魚が泳ぐ美しい川が流れ、背景に美しい山並みを望める、いわゆる里山の風景だと思います。

 

 愛知・長久手市の愛・地球博記念公園(モリコロパーク)内にある「あいち・さとラボ」では8年前から「里山開拓団」なるボランティアグループが、ほとんど砂漠のようだった更地から美しい里山をーーふるさとの風景を創り出しました。

 

 もちろん当初はアドバイザーがいたり、資金面では県のバックアップもあったわけですが、造園や農業などに素人同然の人たちが一つ一つ、作物の育て方のノウハウを学び、組織管理も行い、年間を通したイベント開催などで仲間を増やしていった開拓ストーリーの取材は、とても感動的でした。

 

 開拓に携わってきた人たちにとって、まさしくここは「ふるさと」になり得るでしょう。

 

 これからの課題は。この里山をどう維持していくか。

 

 4月にモリコロパーク内に2022年、「ジブリパーク」ができるというニュースが伝えらましたが、写真の山の左側の森の中にその一部である「もののけの里」ができるとのこと。

 具体的な話し合いはまだこれからですが、今後の里山活動によい影響が出ればいいなぁと思います。

 

 それにしてもこうした絵に描いたような里山の風景を、潜在的なイメージとしてではなく、実際の体験として、つまりリアルなふるさととして自分の中に持っている日本人は、僕も含め、もうそんなにいないのでは、と推察します。

 

 昭和レトロが一種のファンタジックな異文化として人気を集める背景、また、「ふるさと創生」やら「ふるさと起こし」といった言葉が流布する背景には、そうした日本人の「ふるさと喪失物語」があると思っています。

 

 かくいう僕もじつは今、「ふるさとについて考えよ」というお題を頂いているので、面倒だけどぼちぼちやっていこうと思います。

 

 どんな事象があって、どんなストーリーがあって、そこに立って何を想起できれば、人はその場所を、

 ありのままの私が帰ってこられるところ、

 裸の、少なくともそれに近い私が、心を開いて受け入れてもらえるところとして心の深い部分に取り込めるのか?

 

 これからの僕の人生は、ふるさとへたどり着くまでの長い巡礼の旅になるのかな。

 と、そんな気がします。

 


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豊橋ウズラはキャラ弁の名優

 

 昨日は全国のウズラ生産量日本一(シェアの7割を占める)の豊橋で、ウズラ卵の流通出荷センターを取材しました。

 

 豊橋がどうしてそこまでの一大産地になったのかはさまざまな理由があります。

 表向きには気候が温暖で育てやすいとか、他の家畜や家禽の飼育に使う施設や、糞などの処理システムが昔からあった・・・というもっともらしい表向きの理由はあるのですが、やっぱり面白いのは裏事情。

 

 今を去る70年以上昔、戦後の混乱期、闇市に卵を売り出して大もうけした人たちが何人かいたようです。

 近隣の名古屋はもちろん、日本の真中という地の利を生かして、東京や大阪にも。

 その情報をGetした人たちが「よっしゃ、わしもウズラ屋になったるで」と、豊橋にやってきて、かの地はウズラの聖地となった・・・という、まことしやかな伝説が現地では語り継がれているようです。

 もちろん、そんなヤミヤミな話は、資料だの記録だのが残っているわけではないので、表には出てきませんが。

 

 というわけで、ここでは生卵とゆで卵をあわせて1日30万個出荷。

 ころころしたチビタマゴが次から次へところがってくる様子はめちゃくちゃかわいいです。

 が、単に鶏の卵のミニサイズ版でしかないウズラの卵に、本当にそんなに需要があるのだろうか?

 と疑問に思っていましたが、なんと最近はすごいニーズが。

 

 お料理作り・お弁当作りの得意な人はもうピーンときたでしょう。

 ネットで調べてみたら出るわ出るわ、いまやウズラ卵は、ヒヨコ、パンダ、ウサギ、カエル、オバケ、サンリオキャラクターなど、お弁当箱の中で変幻自在な姿で登場するキャラ弁の名俳優。

 また小さい割に栄養価も非常に高いということで 特に子供の遠足や運動会のシーズンは売り上げが跳ね上がるのだそうです。

 

 常食の食材とは言えないにせよ、そうしたいわゆる嗜好品食材としての価値はとても高いようで、近年は普通のゆで卵だと喉に詰まらせる恐れがある・・・という理由から高齢者用の食事やお弁当にも重宝されているようです。

 

 ちなみに卵だけでなく、肉はどうなのか?

 

 僕の場合、ウズラというと思い出すのが「ウズラは処女の味、鴨は熟女の味」という、美食アカデミー主宰・鹿賀丈史(テレビ番組・料理の鉄人)のセリフです。

 

 フランス料理では鴨と並んで、ウズラはジビエの定番ですが、日本のフランス料理店で出されるウズラ肉はほとんどがかの国からの輸入品。

 

 そこに目をつけ、国内産のフレッシュなウズラ肉を提供しようと、それまで卵ばかりだった豊橋のウズラ農家で「肉」に特化した大型のウズラを開発。

 

 そのブランド「三河山吹ウズラ」は大好評で、全国の飲食店から年2万羽を超す注文を受けていたのですが、今年1月、その社長がわずか40過ぎの若さで急逝。

 今後のウズラ肉はどうなるのか?

 現状はまだ不明のようです。

 

 いずれにしても、わが郷土・愛知のウズラ産業、ぜひとも応援したいものです。

 


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カフカのワイン

 本日は名古屋から滋賀の取材を3軒こなしました。

 東近江市にあるヒトミワイナリーは知る人ぞ知る「にごりワイン」の製造元。

 

 醸造家は皆、20代から30代の若者で、収穫したぶどうの個性をとにかく重視し、同じ銘柄で味にばらつきが出ても「自然のもだからしゃーない」と、かまわず作っちゃう。

 あまりにばらつきが過ぎるということなら、その場でプランを変更して新しい銘柄にしちゃうという、自由でおおらかな姿勢でワイン作りを楽しんでいます。

 

 ここの名前を一躍有名にした「にごりワイン」もそうした自由な精神の産物と言えるでしょう。

 ラベルデザインも醸造家が自分たちの手でやっちゃうし、ボトリングもスタッフが総がかりで手作りで行うそうです。

 

 そこで気になったのが虫のイラストが描かれた「カフカ」というワイン。

 ラベルの裏にある解説ストーリーを読むと

 

 自然なワイン造りは「可or不可」という問いかけと、その中で繰り広げられるワインの「変身=フランツ・カフカ」をコラージュさせています。

 

 こういう遊び心、大好きです。

 


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さつきとメイと5月生まれ

子供が5月生まれだというと、よく羨ましがられました。

べつに何月生まれでも関係ないと思うのだけど、子供の日やら、こいのぼりやらで、明るいイメージがあるのだそうです。

 

男の子だけの話かと思ったら、女の子もだって。

「となりのトトロ」のさつきとメイがいるからだそうで。

あの姉妹は5月生まれって設定だったっけ?

 

いずれにしても、5月は春と初夏の間のとても美しい季節で、ぼくも大好きです。楽しい思い出もいっぱいあるし、バラの花もきれいだしね。 

 

子供に関して言うと、夜中も泣き出して毎日起こされる生後3~4ヶ月の間がちょうど夏の時期にあたるので、そういう意味では5月生まれは比較的、子育てがラクといえるかもしれません。

 

僕なんか1月生まれなので、親は寒い夜中に起こされて大変だったそうで。

いまだに母親は「お前にはよくたたき起こされた」と言われています。

 

じつは現在名古屋。あさっては愛・地球博会記念公園(モリコロパーク)に取材に行きます。

最近は2022年にできるジブリパークの建設予定地といったほうが通りがいいかも。

時間があったら「さつきとメイの家」(これはすでに公園内にあるのです)も覗いて来ようかなと思っています。

 

まだしばらく爽やかで美しい5月を楽しみたいですね。

 


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江戸東京野菜・川口エンドウ試食会

   

    マイナビ農業の取材。

 今が旬の川口エンドウの試食会で八王子へ。

 

 八王子特産で赤紫色の美しい花を咲かせる川口エンドウは、1年のうち、この初夏の季節の3週間ほどしか味わえないそうです。

 

 多摩八王子研究会の福島さんが、昭和30年代から40年代初めごろにかけて、地元の野菜として農協がものすごく力を入れ生産・出荷していた時代があったんだよ~っていうストーリーも発掘してきました。

 

 当時の八王子のライフスタイルが垣間見える「豌豆小唄」も作られていて、この川口エンドウを肴に一杯やりたくなる名調子です。

 

 僕が参加したのは昼の部でしたが、もしかして夜の部では歌ったのかな?

 

 日本絹サヤやスナックエンドウなど、他のエンドウとの食べ比べをやって、お料理もいただきました。

 エンドウを主役にした料理は、もしかして生まれて初めて。

 

 特にこの豚肉で巻いた揚げ物。

 口に入れると、エンドウの甘味がふわっと広がり絶品でした。

 


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子供の自立について

 

 今日は息子の誕生日だった。
 当初の予定ではとっくの昔に自立・自活しているはずだったが、現実はそうなってない。
 親がアホなせいかも知れない。
 アホでもしゃーないなと思ってマッシモ・タヴィオでささやかなお祝いをやった。

 子供の自立を望んでいながら、かたやこっちが子離れしていない。
 じつは最近の映画や本やコンテンツもろもろにに関する情報の7~8割は息子に頼っている。
 彼が推薦するものはだいたい外れがなくて信頼できる。

 その代わりにこっちはレトロ情報(60年代~90年代カルチャー)を提供する。
 物々交換みたいだ。
 でも最近はやたら勉強していて、そのあたりのことも親よりよく知っていたりする。

 そう考えていくと、むしろ自分の方が子供に頼って生きている部分がある。
 それどころかずっと子供の可愛さ・面白さに支えられて生きてきた。
 そういう意味ではもう十分に親孝行は果たされている。
 
 さらに考えてくと自分は自立していると言えるのか、とも思う。
 何とかここまでもっているのは、若い頃から友達におだて上げられたり、仲間に励まされたり、女の子たちに甘えさせてもらったりしたおかげである。
 もちろんカミさんにも甘えっぱなしである。

 昔は自分の食い扶持は自分で稼ぐ――そうなれば自立したと言った。
 今はどうか?
 金さえ稼いでりゃ自立していると言えるのか?
 ネットの株取引きで稼いでりゃ、他の人間と接触しなくても、他に何やってても、誰も文句が言えないのか?。
 人の助けを必要としなければ、それが自立なのか?

 基本はそうなんだろうけど、そう単純なのだろうか?
 他人の支えや助けを拒み無視して生きようとするのは立派なことなのか?

 少しでも早く自立して欲しいと願う気持ちに変わりはないが、そうなるまでのプロセスでいろんな経験を積んで成長してくれればいいなと思う。


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まだまだ育つ「ばんめしできたよ」

 

 

  昨年11月、拙作「ばんめしできたよ」をNHK名古屋の創作ラジオドラマ脚本コンクールに送ったところ、最終審査まで残ったものの、受賞までは至りませんでした。

 

 過去2回経験がありますが、受賞すると制作されるのが何よりうれしい。

 小説と違って脚本は制作されてナンボですから。

 僕としては主人公の料理人を素敵な女優さんが演じてくれるのを夢見ていましたが、残念でした。

 

 ちなみにNHK名古屋はこのように審査経過や、最終審査に残った作品の講評や、受賞作をまとめたものをきちんと本にして応募者全員に送ってくれます。

 3月に結果は出ていたようですが、うちに届いたのは先週末でした。

 

 というわけで、いろいろ講評をもらえました。

 魅力的な作品だと推薦してくれた審査員が多くいて、なかには一押ししてくれた人もいたようなのですが、「描写が雑」やら「物語の展開が物足りない」やら「終わり方が尻切れトンボ」やら、なかなか厳しい意見もいただきました。

 クライマックスからラストは自分で書きながら泣いちゃったんだけどな。わはは。

 

 ちょっと承服しかねる批評もあったけど、内心、自分でもここはちょっと拙いかなぁ、強引かなぁ・・・と思っていたところを突かれていて、おおむね納得出来ました。

 

 思い切り頭を発熱させて書いて、その後はキンキンに冷やして書き直ししなくてはならないのだけど、愛しすぎて粗熱が取り切れなかったのかも。

 でも出した時点ではこれがベストだったんだよね。

 

 もちろん悔しいのですが、反面、まだ可愛いこの子を手放さずに済んだ~、嫁に出さずに済んだ~という安堵の思いもあります。

 

 ここで落選したのは、まだまだこの子は自分の手で育てる余地があるぞ、未来があるぞ、もっと面白くできるはずだぞ、ということなので、また書き直して新バージョンを作っていきます。

 


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孤独死に備えて

   

 シナリオにするか小説にするか、まだわからないけど、ちょっと新作の卵が育ってきた。

 「孤独死に備えて」。

 

 真面目に人生考えすぎてだんだんおかしくなっちゃう年寄りと、ちょっとイカれた子供と、その間にいるまともな社会人(だけどブレちゃう)大人――との間の愛をめぐる物語。

 実際はこんな堅苦しいタイトルじゃなく、どっちかちゅうとコメディっぽくしたいと思っています。

 

 で、それについて考えていたら、あらぬ妄想にとりつかれ、ここ1週間ほど頭がイカれてしまったというか、タマシイが放浪の旅に出ちゃっていました。

 

 一応なんとか仕事はこなしていましたが、こんな時間が長く続くと、社会生活も日常生活もまともに送れなくなるなという不安感に苛まれ、ブログも手につかないありさまでした。

 

 でも考えてみると20代の頃、一人暮らししていた時代は、時々こんな状態に陥ることがあったと思います。

 その頃の記憶と言うか、生活習慣みたいなものがよみがえって、久しぶりに妄想のるつぼにハマってしまった感じ。

 

 カミさんと暮らし始めてから(結婚するちょっと前から一緒に住んでいるので)そろそろ四半世紀。いい悪いの問題じゃないけど、いわゆる「孤独」を忘れてしまっているのだなぁと感じました。

 

 物語の世界にアクセスしようとすると、自分の中にあるいろいろな感覚が復元出来て面白い。と同時に、ちょっとずつ狂っていきそうで、おっかないのです。

 


僕に楽しい思いをさせてくれた子供たち

 

 先日の専門学校の同窓会でクラスに在籍していた同級生を暗唱してみたら全員言えた。

 (確認してないけど全員だと思う、たぶん。)

 

 試しに他はどうかと思ってこそっとやってみた。

 

 高校のクラスは3年間いっしょだったので、これも中途退学した連中を含め、全員出てきた(たぶん)。

 

 中学がビミョーで、1・2・3年それぞれのクラスのやつがごった煮になって出てくる。

 でも好きな女の子が2年生のクラスに二人いたので、やっぱり2年生がいちばん思い出深い。

 ちなみにその時はYさんが一番好きだったのだが、いま思い返すとKさんの方が可愛くて好きだ。

 うーん、なんでKさんの方に行かなかったんだろう・・・。

 

 小学校5・6年のクラスは大好きなクラスだったので、35人以上出てきた。

 男子は全員思い出せるが、あと5人くらいいたはずの女子がどうしても思い出せない。

 ごめんなさい。

 ちなみにこのクラスは、運動会やら遠足やらのイベント的なことはほとんど思い出せないのだが、日常的なシーンをやたらよく覚えている。

 

 大人になってから出会った人は結構忘れてしまうが、子供時代に出会った連中、付き合った連中の顔や声は鮮明によみがえる。

 本当にどうでもいい、くだらないことをいっぱい憶えている。

 子供はまだ自分を装うことに長けていないので、持ち前の個性を隠したくても隠せない。

 だからひとりひとり、面白いのだ。

 

 でも成長する中であっちこっちぶつけて痛い目に遭って、どの個性は人にウケ、どれはウケないか学び、調整しつつ自分を作る。

 多くの場合、スマートになっていくんだけど、同時につまんなくもなっていく。

 

 それにしてもそんな何の得にもならないことをやっていて、よほどヒマなんだねと思われるだろうけど、割と忙しい。

 忙しい時にかぎってこういうことをしたくなるのだ。

 本当に何の得にもならないけど、わりと楽しい。

 

 それに記憶にある子供たちのほとんどは、おそらく人生の中でもう二度と会わない人たちである。

 ここらでちょっと、ひとりひとりに僕に楽しい思いをさせてくれてありがとう、と言っておいてもいいのではないかと思った。

 


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幼なじみのトウキョウサンショウウオ

 

 子供のころ持っていた(今でも実家にあると思う、きっと)百科事典の動物の巻のグラビアTOPに「トウキョウサンショウウオ」が載っていました。

 

 ゾウとかライオンとかオオカミとか、巻頭グラビアを飾るべきスター動物はいっぱいいるはずなのに、そいつらをさしおいて両生類の、しかもローカルなサンショウウオがトップとはどういうことだ?と子供心に不思議でしたが、最近、その理由に思い至りました。

 

 オリンピックだ!

 

 その百科事典(手元にないので確認できないが、たぶん学研)が発行されたのは、ちょうど前回の東京オリンピック(1964年)の時期と合致すると思うのです。

 だから東京特産の生き物としてトウキョウサンショウウオが選ばれた!

 

 とまぁ、そんなどうでもいいことを思い出したのは、先月、仕事で秋川や武蔵五日市に行った時に「森っこサンちゃん」と出会ったからです。

 

 森っこサンちゃんは秋川市のキャラクターで、もちろんトウキョウサンショウウオ。

 駅の観光コーナーや商店街のサインで愛嬌を振りまいてます。

 今度の東京オリンピックでも活躍するか?

 

 大型連休は1日ヒマを作って、サンちゃんのいる秋川渓谷にでも行こうかなと思っていたのですが、あまり強く念じていたわけでもなかったので、仕事にかこつけて結局行かずじまい。

 でもまたヒマを見つけて渓谷歩きに出掛けたいと思ってます。

 トウキョウサンショウウオに会えるかなぁ。

 

 それにしてもカエルもそうだけど、両生類のキャラクターは、ケロヨンとか、けろけろけろっぴぃとか、村上春樹の「かえるくん」とか、かわいい・オモロいって人気があるのに、実物はイヤだダメだという人が多いのはなんでー?

 

 もう田植えの季節だなぁってネットを調べてたら「カエルうるさい」とか「カエル駆除」とか「カエル殺せ」みたいな話がうじゃうじゃ出てきた。

 

 カエルもイモリもサンショウウオも、両生類は水のきれいな里山日本を象徴するような存在で、生態系の保全にも欠かせないのに、これはちょっとさびしいです。

 

 やっぱり都市化とともに失ったものは、物理的にも精神的にも大きいと思わざるを得ません。

 サンちゃんのいる森は守りたいなぁ。