中年期以降の同窓会幹事の心のゆらぎ

 

 4月の同窓会まで1ヶ月を切り、ほぼ連絡が行きわたったようなので、手伝ってくれてる二人にメールを送って情報をとりまとめる。

 直前まで出欠変更は可能だけど、とりあえず人数を店に知らせておく必要があるので。

 

 この仕事、20代の頃は単なる飲み会の連絡係・会計係に過ぎなかったのだが、齢を経ると様相が変わる。

 

 飛び級で早々に人生を卒業してしまったのも二人ほどいる。

 

 それぞれの生活環境などわからないし、家族のこと・仕事のこと・お金のこと・健康のこと、ぞれいろいろ問題抱えているだろうし、長く生きているといろんなことが起こる。

 

 40年前と寸分たがわぬキャラ丸出しのメールが来て笑っちゃうこともあれば、できれば聞きたくなかったこと(相手も話したくなかったこと)を聞くことにもなる。

 

 名簿を見ながら、だれだれ出席、だれだれ欠席と、漢字4~5文字の本名を書いていると、これ誰だっけ?と認識できなくなるケースもチラホラ出てくる。

 特に女子は名字が変わっていることが多いので、なおのこと。

 

 そこでそれぞれ当時の愛称・通称・あだ名などで書き換えてみると、たちまち顔が思い浮かび、声が聞こえてきて、キャラクターが立ち上がる。

 身振り。口振り・服装・背景・いろんなシチュエーションまで再現できたりする。

 

 そうやって名前を書き出すと、今回は欠席でも次回また声を掛けようという気になる。

 

 でも連絡先がわからない・つながらないのもいる。

 また、もう連絡なんかいらないと思っているのもいるだろう。

 しかたないことだけど、幹事なんかやっていると、ここまできちゃうと、そういう人たちとはもう完全に切れちゃうだろうなと思う。

 切っちゃう権限が自分にあるのかなとも考える。

 

 もしかしたら以前は同窓会なんてどうでもいいと思っていたけど、今になってみると行ってみたいな、連絡があればなぁ、声掛からないかなぁ・・・と待っていることだってあるかも知れない。

 

 「あいつがお願いって声掛けてきたから、しかたないので来てやったよ」

 ――今ならそういうやつがいてもOKと笑えるだろうなぁ。

 

 こんなよけいなこと考えずに、クールに事務的にさっさと進めればいいのに、なんかいろいろ引っ掛かっちゃうんだよなぁ。

 


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テープ起こしの日々

 

 取材が続いたので、今週はテープ起こしと原稿書きの日々。

 きょうは先日の里山農業プロジェクトの野田君の音声を起こしました。

 録音を聞いてみて、やっと彼のヴィジョンが理解できる。

 思った以上に深く、広がりがある。

 これを一旦メモ帳に書き記して、その後、あっちこっち編集したのにプラス、合間合間に自分の文章を書き入れていく、というのが取材をした記事のオーソドックス(僕にとっては、ということだけど)な書き方です。

 

 テープ起こし(機器はICレコーダーですが)は面倒な作業で時間もかかるし、重労働ですが、手ごわい内容は、これをやらないとどうにも頭にすんなり入ってきません。

 テープ起こしをアウトソーシングすればラクに早くできるのだろうけど、そんな経済的余裕などないし、それにそう横着しちゃうと、なんだか寂しい気持ちになる。

 頭の回転が鈍いので、何度も反芻しないとよくわからないんだよね。

 この後もまだいろいろ溜っているので、どんどんやらねば。

 間もなく3月も終わり。

 こうしているとあっという間にゴールデンウィークになってしまいそうです。

 


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鎌倉新書と新連載企画の話

 

 月に一度、鎌倉新書の打ち合わせで日本橋・八重洲方面に出向きます。

 鎌倉新書というのは葬儀供養業界のWebや雑誌を作っている会社。

 以前は仏教書を出版していたのですが、現会長が社長になった20年ほど前から、機械化とかITテクノロジーとか、非人間的なイメージを嫌うこの業界において、いち早くインターネットでの情報発信にシフトしました。

 

 「いい葬儀」という、消費者と葬儀社とを仲介するポータルサイトを開設したところ、業界内では当初、白い目で見られ、あの会社は代替わりしてダメになったと言われたらしいのですが、そこは時代の趨勢であれよあれよという間に市場に浸透。

 

 特に僕が本格的に関わり出した2年半ほど前から株はうなぎのぼりで、一昨年末にこの八重洲の一等地に引っ越したと思ったら、それから1年も経たないうちに東証一部上場を果たしました。

 

 とは言え、利益分はいろいろ始めた新事業のほうに回っているようで、外部ライターである僕のギャラが上がるわけではありません。

 

 正直、割に合わんなーと思うことが多いのですが、興味のある分野だし、ある意味、高齢化・多死化代社会に関する最先端情報(テクノロジーなどではなく、社会心理的流れとしての情報)にも触れられるので、引き続き、業界誌の月刊仏事で記事を書き、時々Webの方もやっています。

 

 その月刊仏事から新しい連載企画をやりたいけど何かない?と言われたので、以前、このブログで書き散らしたネタを思い出し、「世界の葬儀供養・終活・高齢者福祉」なんてどうですか?と提案したら、じゃあぜひ、とあっさり通って取り組むことに。

 

 国内の出張費も出ないのに「海外出張費出ますか?」なんて聞くこともできず、ネット頼りの仕事になるのは必至。

 でもイラストを描いてくれる人もいるらしいので、伝統文化と最新事情をごった煮にして分析を交えた読物風の話にしようと思っています。

 ごく個人的なことでもいいので、情報あったらお知らせくださいな。

 


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野生の本能の逆流に葛藤する都会暮らしのネコ

 

 散歩がてらサクラを見に近所の大宮八幡宮に行くとネコ発見。

 例によってナンパを試みたが、例によってシカトされた。

 

 彼女には事情があった。

 上の方でガサゴソ音がするので見ると、キジバトがいる。

 落ち葉の中をつついて虫をほじくり出して食べているらしい。

 ネコは野生の本能が刺激され、ねらっているのか?

 でも、その割にはハトに対して集中力が欠けている。

 自分の中でウズウズモゾモゾ本能がうずくのを気持ち悪がっているように見える。

 

 サクラ色の首輪をつけているので、どこかの飼いネコだろう。

 家に帰ればいつもの安全安心、おいしく食べやすく栄養バランスもとれてるキャットフードが待っている。

 なのになんで鳥なんか狩らなきゃならんのか、

 だいいち、あたしが口の周りを血だらけにして鳥やらネズミやら持って来たら、飼い主さんが卒倒しちゃう。

 でも狩ったら脳からアドレナリンがドバっと出て気持ちよくなりそうだ。

 ああ、でも、そんなのダメダメ・・・と、ひどく葛藤しているように見える。

 

 飼いネコでも本能のままに生きているやつもいれば、鶏のササミや魚の切り身をあげても見向きもしないやつもいる。

 イヌもそうだけど、多くの飼い主はペットに一生自分のかわいい子供であってほしいと願う。

 人間じゃないんだから、大人になんかなってほしくない。

 恋もしてほしくないから去勢や避妊手術を施す。

 生物学的なことはよくわからないけど、そうするとホルモンもあまり分泌しなくなるだろうから、ペット動物は「子供化」して野生の本能は眠ったままになるのだろう。

 

 一生人のそばにいて、一生キャットフードを食べて、一生本能なんぞに煩わされることなく、平和に暮らせるのがサイコーだと思っているネコもいるはずだ。

 人間と一緒に都市生活をしていくにはそのほうが幸せなんだろう。

 

 けれどもイヌと違って、ネコは本能に目覚めても人間に危害を及ぼす可能性は限りなく低い。なので「最も身近な野生」を感じさせてほしいという、人間の勝手な期待を背負わされた存在でもある。

 

 おそらくネズミや鳥を狩ってくる飼いネコは、飼い主のそうした潜在的な希望を感じとって、本能のうずきに素直に従うのだ。

 ただ、そうじゃない彼女のようなネコもいて、せっかくのんびり暮らせているのに、野生時代の先祖の血の逆流に悩まされることもあるんじゃないかと思う。

 

 こんど道端で会ったネコに、そこんとこつっこんでインタビューしてみようと思うけど、答えてくれるかニャ~。

 


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東京唯一のブランド和牛・秋川牛と、むかしみらいTOKYO

 

 連荘で農業取材。

 26日(月)は秋川渓谷と美しい山並みが望めるあきる野市に出向き、秋川牛とご対面。出荷前・生後30ヵ月の黒毛和牛の体重は800キロ。でかっ。

 

 東京で唯一の肉牛生産牧場・竹内牧場では約200頭の秋川牛を飼育しています。

 このあたりは、日本各地の有名なブランド牛の産地に負けず劣らず、水も空気もきれいで豊かな環境なので、牛をはじめ、豚・鶏などを育てるには持ってこいとのこと。

 

 秋川牛は希少価値のある高価なお肉ですが、都内のホテル・レストラン・料理店なので口にするチャンスがあるかも。

 

 一方、武蔵五日市駅にほど近い松村精肉店は、地元で生産されるこの秋川牛の認知度を上げたいと、手軽に味わえる加工品としてレトルトカレーなど製作しています。

 オリンピックもあることだし、東京の名産品をアピールしていこうとブランド力UPに奮闘中です。

 

 昨日ご紹介した磯沼牧場+多摩八王子江戸東京野菜研究会でも聞きましたが、これら多摩・八王子地域の環境はこの20年ほどで劇的に改善され、川には清流が戻り、アユなども戻ってきているとか。

 

 今や都心で働く人たちのベッドタウンというイメージから脱却し、豊かな自然が楽しめ、農業も盛んな地域としてのイメージが高まっています。

 

 いつまでも「東京は緑が少ないから云々」なんて、手垢のつきまくったステレオタイプのセリフをほざいていると時代に取り残されますよ。

 

 テクノロジーとパラレルで進行する昔ながらの環境とライフスタイルへの回帰。

 「むかしみらい東京」がもう始まっているのかも知れません。

 


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楽しさ・学び・癒し満載の八王子・磯沼牧場

 

 東京にこんな素晴らしい牧場があったのか!

 噂には聞いていたけど、なかなかタイミングが合わずに来そびれていた磯沼牧場(磯沼ミルクファーム)に25日・日曜日、初めて来場。

 

 多摩八王子江戸東京野菜研究会とのコラボイベントで、牧場特製のチーズとベーコン、ソーセージ、野菜てんこ盛りのピッツァ作りです。

 

 牧場主・磯沼さん手づくりの溶岩石窯で焼いたピッツァはおいしくてボリューム満点。

 

 ランチの後は乳しぼり体験、牧場ツアー(放牧場もある)、磯沼さん×福島さん(多摩八王子江戸東京野菜研究会代表)の都市農業トークと続き、あえて取材の必要なしというところまで堪能しました。

 

 場所は京王線・山田駅から徒歩10分弱。

 新宿から1時間足らずで来れるし、横浜からも近い。

 わざわざ北海道などへ行かなくても、たっぷり牧場体験ができます。

 それも観光牧場でなく、リアルな生活と結びついている生産牧場で。

 

 環境問題、動物福祉問題への取り組みなど、牧場経営のコンセプトを通じて、さりげにいろいろ勉強でき、新しいライフスタイル、これからの哲学を考えるきっかけにもなると思います。

 

 乳しぼりをはじめ、毎週のように何らかのイベントが開かれ、牛さんをはじめ動物たちに触れあえます。

 いつでもオープンなので、ぶらっと覗きに来るだけでもいい。

 

 子供たちには超おすすめ。お年寄りにも楽しい。

 ちょっと凹んでいる人、メンタルを病んでいる人も心のケアができるのではないかな。

 直売所もあって、おいしいアイスクリームやプリンやヨーグルトも食べられますよ。

 興味のある人はホームページやフェイスブックもあるので検索してみてください。

 


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ぼくらはにおいでできている(チワワのハナちゃんに教えてもらったこと)

 

 下の妹が飼っているチワワのハナちゃんとは、たぶん2年ぶりくらいのご対面。

 前に会ったのはチビ犬の頃だったけど、ちょっとの間、くんくん嗅ぎ回って「あ、知ってる知ってる」と思ったのか、尻尾をフリフリしてくれた。

 抱き上げても安心安心。僕のにおいを憶えていてくれてありがとう。

 

 人間の子どももいろいろ情報を詰め込まれる前は嗅覚がするどい。

 一度嗅いだにおいは絶対忘れない。

 自分自身のことを考えてみると、視覚や聴覚では憶えていなくても、においというか空気感で憶えていることがいっぱいある。

 親はもちろんだけど、周りにいる大人たちはそれぞれ独特のにおいを持っていたような気がする。

 

 におうと言うと何だか臭くて嫌われそうな気がするが、完全ににおいを消し去ると、その人は透明人間になって、見えていても誰にも気づかない存在になる。

 忍者やスパイになるならいいかも知れない。

 

 大人になると鼻が利かなくなって、というか、においを感じる脳の部分が鈍くなって、刺激の強いものしかキャッチできなくなるようだ。

 なので少しは意識してにおいを嗅ぐ練習をしたほうがいいのかもしれない。

 

 基本はやっぱり食事。

 テレビやスマホを見ながらめしを食わないこと。

 

 そして手料理を楽しむこと。

 最近はそんなものより出来合いの料理の方がよっぽどうまいと言う人も多いけど、手料理にはその家・その人独自のにおい・風味がついている。

 それを知っているのと知らないのとでは随分ちがうんじゃないかな。

 

 自分が自分である基礎とか土台みたいなものは、そういう些細な目に見えないもので出来ているのではないかと思う。

 そうだよね、ハナちゃん。

 


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かわいい叔母さん

 

 父も母も昭和ヒトケタ生まれ。貧乏人の子沢山でそれぞれ8人兄弟だ。

 ぼくが生まれる前に死んでしまった人を除き、そのきょうだい、および、その伴侶の全部はしっかり顔や言動を憶えている。

 僕が子供の頃は行き来が盛んだったので、みんなインプットしている。

 

 しかし、9年前に父が亡くなったのをきっかけに、毎年バタバタと後を追うように亡くなり、大半がいなくなった。

 今年もまたひとり、先日、ヨリコ叔母さんが亡くなったと聞いた。

 

 母方は女系家族で8人のうち、7番目までが女で末っ子だけが男。

 ヨリコ叔母さんは7番目。つまり7姉妹のいちばん下の妹だ。

 

 幼稚園の時だったと思うが、結婚式に出た記憶がある。

 きれいなお嫁さんで、チビだったぼくを可愛がってくれた。

 そのチビの目から見ても、なんだかとてもかわいい人だった。

 

 6人も姉がいて、4番目の母(母は双子の妹)とさえ12歳違う。

 いちばん上のお姉さんとは16歳以上違うはずだ。

 なのでほとんどは姉というよりチーママみたいなものだ。

 母もよく子守をしたというし、日替わりでみんなが面倒を見てくれていたようだ。

 

 母の家はお父さん(僕の母方の祖父)が早く亡くなったので、女が協力して貧乏暮らしからぬけ出そうとがんばってきた。

 でもヨリコ叔母さんは小さかったので、そうした苦労が身に沁みず、物心ついたのは、お母さんやお姉さんたちのがんばりのおかげで暮らし向きも上がってきた頃だった。

 そうした中で一家のアイドルとして可愛がられて育った。

 

 そうした成育歴はくっきり刻まれ、そのせいで彼女は、ほかの姉妹らの下町の母ちゃん風の雰囲気とは違う、お嬢さん風の雰囲気を持っていた。

 だから、おとなになってもどことなくかわいいし、ちょっと天然も入っていた。

 

 最後に会ったのは父の葬儀の時。

 さすがに外見はそろそろばあちゃんっぽくなっていたが、中身はほとんど変わっておらず、ぼくをつかまえて

 「せいちゃん、大きくなったねー」と言った。

 

 50間近の男に向かって大きくなったねーはないもんだけど、そう笑顔で屈託なく声を掛けられるとすごく和んでしまった。

 その時の会話が最後の印象として残ることになった。

 

 叔母とはいえ、中学生以降はめったに会うこともなかったので、彼女がどんな人生を送っていたのはわからない。

 

 もちろん少しは苦労もあったと思うけど、べつだんお金持ちではないにせよ旦那さんは真面目で優しくユーモアもある人だったし、特に悪い話も聞かなかった。

 嬉しそうに小さい孫娘の面倒を見ていたのも印象的だった。

 

 たぶん美化しているし、これは僕の勝手な想像であり願いだけど、おそらくそれなりに幸せに過ごしてきたのだろう。

 

 不幸な目に遭ったり、理不尽な苦労を強いられたり、他人にあくどく利用されたり、自分の欲に振り回されたり・・・

 人生の中のそんな巡りあわせで、人間は簡単に歪んでしまう。

 

 でも、できるだけそうしたものに心を損なわれないで、ヨリコ叔母さんのようにかわいい人にはいくつになっても、ずっと素直にかわいくいてほしいなぁと願ってやまない。

 


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里山を事業化するナチュラルボーン・サトヤマー

 

 今回の名古屋(愛知)ツアーでは、里山の概念を農業と組み合わせ、インターネットを利用して事業化するプロジェクトを掲げる人を取材しました。

 

 彼は2002年生まれ。16歳の高校生。

 田園地帯で植物や昆虫に親しみ、かたやインターネットに親しみながら育った彼は、資本主義発展拡大病の時代に育ったぼくたちの世代とはまったく違うセンスを生まれながらに持っているようです。

 

 「里山」という概念が今、世の中に浸透しつつあります。

 里山はごく簡単に言うと、自然環境と人間の生活圏の交流地帯。そのベストバランスを保つ、あるいは破壊したものを再生するという考え方を表現する言葉でもあります。

 

 人間が生活できなくてはならないので、当然そこには経済活動も含まれるし、伝統工芸・伝統芸能といった文化芸術や民俗学系の学問も含まれるのではないかと思います。

 「人間が手を入れた自然」と言い換えることもできるでしょう。

 

 また、それらを包括する懐かしいとか、愛おしいとかいった心象風景もその概念の中に入ってくるでしょう。

 人間のあり方・生き方を問い直す哲学も含まれているのかも知れません。

 

 日本独自のものかと思っていたら、他国にも通用し、国際的にも理解が進んでいる概念で、よく言われる「持続可能」な社会にSATOYAMAは不可欠とされているようです。

 

 そういう意味では、過去200年、世界を席巻し、地球を支配してきた工業化・資本主義化の流れに対するカウンターとも言えます。

 

 高校生の彼には野外でのインタビューを考えていましたが、あいにくの雨のためはやむを得ず、岡崎市内の「コメダ珈琲店」で敢行。コーヒーと、コメダ名物「シロノワール」を食べながらの取材になりました。

 

 彼は子供のころから自由研究などを通じて里山について学び、中学生のころから戦略的にプロジェクト化を画策。近所の農家の人たちなどはもとより、自分で電話やメールで東大・京大などの教授・学者に頼み込み、取材に出かけたといいます。

 

 現在はいわばサークル的なノリで同級生やネット上の仲間が集まり、大人の支援者もいますが、まだ実務のできるスタッフがいない状況。

 コンセプトは決まっているので、まずネットを通じての「ブランド化」に力を注いでいきたいとのことでした。

 

 僕としてはこうしたことを本気で考え、事業化に取り組んでいる若僧がいるというだけで十分心を動かされました。

 

 彼のことは来月、「マイナビ農業」でUPしますが、興味のある方は「里山農業プロジェクト」で検索してみてください。

 


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名古屋コーチンをめぐる冒険:ふしぎ・まったり小牧編

 「こんなやわらきゃー、水っぽい鶏はいかんわ。むかしのかしわはまっと歯ごたえがあってうまかったでよー」

 

 こんな軟らかい、水っぽい鶏はダメだ。昔のかしわ(鶏肉)はもっと歯ごたえがあっておいしかった、という声を受けて、一時期、市場から消滅した名古屋コーチンが、日本を代表する地鶏として見事復活を果たした物語を探るべく、今回は「マイナビ農業」で名古屋取材を敢行しました。

 

 市内にある「名古屋コーチン協会」で話を聞いた後、名古屋コーチン発祥の地である小牧市へ。

 明治の初め、この地に養鶏場を開いた元士族の海部兄弟が、地元の鶏と、中国(当時、清)から輸入したコーチンという鶏を掛け合わせてできたのが名古屋コーチンです。

 

 「だもんだで、まっとそのことを宣伝せんといかんわ。日本が誇れる名物だでよう」

 

 ということで昨年(2017年)、名鉄・小牧駅前にはコケー!と、おしどり夫婦(?)の名古屋コーチンのモニュメントが立ったと聞き、駅について改札を出たところ、出口が左右に分かれている。
 どっちだろう? と迷ったとき、すぐ目の前で駅員さんが掲示板を直す作業をしているので、尋ねてみました。

 

 「あのー、名古屋コーチンの像はどっちの出口にあるんでしょうか?」

 

 駅員さん、けだるそうに振り向き、ぼくの顔を一瞥。さらに一呼吸おいて

 「左の階段を下りてって、右に曲がってずっとまっすぐ行ったところに市の出張所がありますで、そこで聞いてちょーだゃー。それはうちの管轄でないもんで」

 

 ?????

 駅前って聞いたけど、そんな分かりづらいところにあるのかなぁ・・・と思いつつ、左の階段を降りると、なんと、その目の前にコーチン像があるではないか。

 

 ?????

 まさかあの駅員さんはこれを知らなかったのだろうか?
 それとも上司に、責任問題が発生するから、鉄道のこと以外は聞かれても答えるなと言われていたのだろうか?
 それとも奥さんと何かあったとか家庭の悩みでも抱えているからなのか?
 あるいはたんに鶏が嫌いで、コーチンお話なんかのしたくなかったのか? 

 

 たくさんの疑問に駆られながらも、前に進まなくてはなりません。
 海部養鶏場(跡地)にはどういけばいいのか。
 ちょうど目の前に観光案内所があったので入ってみました。

 

 平日ということもあってお客は皆無。
 ぱっと見た目、アラサーぐらいの女の子がひとりで机に向かって、わりとのんびりした感じで書類の整理みたいなことをやっています。
 そいえば時刻はちょうどランチタイムでした。

 「あのー、海部養鶏場跡地に行きたいんです」
 「え、何です?」
 「海部養鶏場です。カイフ兄弟。名古屋コーチンの」
 「あ、ああ、ああ、名古屋コーチンのね」
 「たしか池ノ内というところなんですが・・。歩きじゃちょっと無理ですよね」
 「ええと。そうだと思います。ちょっとお待ちくださいねー」

 

 と、アラサーの女性はあちこち地図やらパンフやらをひっくり返し始めました。
 市の観光スポットの一つに加えられたらしいと聞いていたので、即座に答えが返ってくるものと想定していた僕は思わぬ展開にちょっとびっくり。


 その女の子は一人じゃだめだと思ったのか、奥に入っておじさんを引っ張り出してきて、ふたりでああだこうだと大騒ぎで調べ始めたのです。

 お昼の平和でゆったりとした時間を邪魔してしまったようで申し訳ないなと恐縮しつつ、実はなんか面白いなと思いつつ待っていたら、もう一人、お昼を早めに済ませて戻ってきたおにいちゃんが加わって3人で合同会議。

 

 それで出てきた結論が「タクシーで行ったら?」というもの。
 べつにタクシーを使うお金がないわけじゃないけど、アポがあるわけじゃなし、急いでいるわけじゃないし、第一ここまで大騒ぎしたのに、それなら最初からタクシーに乗ってるよ、バスとかないんですか? 地元の人といっしょにバスに乗ると楽しいいんですよと言うと、バスルートと時刻表を調べて、やっと案内が完了しました。

 

 この間、約20分。効率主義、生産性アップが叫ばれる世の中で、このまったり感はどうだ。急いでいたら頭にきてたかもしれないけど、旅というのはこうやって余裕を持って楽しむものだ、と改めて教えてもらった気がしました。


 考えさせられる不思議な駅員さんといい、まったりした観光案内所といい、皮肉でなく、おかげで楽しい旅になりました。小牧の皆さん、ありがとう。


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リバーズ・エッジ:トラウマになった漫画を映画で観る

 

●リバーズ・エッジ:トラウマになった漫画を映画で観る

 

 岡崎京子の漫画「リバーズ・エッジ」は僕のトラウマになっている。

 この漫画に出会った1990年代前半、僕はとっくに30を超えていた。

 心のコアの部分を防御するシールドもしっかり出来上がっていたのにも関わらず、ティーンエイジャーを描いたこの漫画は、シールドに穴をあけて肌に食い込んできた。

 

 先日書いた大友克洋の「AKIRA」が世紀末時代の象徴なら、「リバーズ・エッジ」は、その the Day Afte rの象徴だ。

 

 リバーズ・エッジ(川の淵)は流れの淀みであり、尋常ではない閉塞感・荒涼感・空虚感に包まれた繁栄の廃墟だった。

 

 子供たちの残酷で不気味で鬱々としたストーリーと、ポップでシンプルな絵柄との組み合わせが劇的な効果を生み出し、ページをめくるごとにますます深くめり込んでくる。

 

 自分自身は仕事も順調で結婚もした頃。

 こんな胸が悪くなるようなものにそうそう関わり合っていられないと2~3度読んで古本屋に売ってしまった。

 けれども衝撃から受けた傷は深く心臓まで届いていた。

 

 映画化されたことは全然知らなかったのだが、先週、渋谷の公園通りを歩いていて、偶然、映画館の前の、二階堂ふみと吉沢亮の2ショットのポスターに出会ってしまった。ふみちゃんに「観ろ」と言われているようだった。

 原作に惚れた彼女自ら行定勲監督に頼んで映画化が実現したらしい。

 

 映画は原作をリスペクトし、ほぼ忠実に再現している。

 その姿勢も良いが、何よりもこの漫画が発表された四半世紀前は、まだこの世に生まれてもいなっかった俳優たちが、すごくみずみずしくて良かった。

 

 暴力でしか自己表現できない観音崎くん、

 セックスの相手としてしか自分の価値が認められないルミちゃん、

 食って食ってゲロ吐きまくりモデルとして活躍するこずえちゃん、

 嫉妬に狂って放火・焼身自殺を図るカンナちゃん、

 河原の死体を僕の宝物だと言う山田くん、

 そしてそれらを全部受け止める主人公のハルナちゃん。

 

 みんなその歪み具合をすごくリアルに演じ、存在感を放っている。

 最近の若い俳優さんは、漫画のキャラクターを演じることに長けているようだ。

 

 原作にない要素としては、この6人の登場人物のインタビューが随所に差しはさまれる。

 この演出もそれぞれのプロフィールと物語のテーマをより鮮明にしていてよかった。

 

 でも映画を観たからといって、何かカタルシスがあるわけでも、もちろん何か答が受け取れるわけではない。

 

 四半世紀経っても、僕たちはまだ河原の藪の中を歩いている。

 そして二階堂ふみが言うように、このリバーズ・エッジの感覚は彼女らの世代――僕たちの子どもの世代もシェアできるものになっている。

 

 そのうち僕は疲れ果ててこのリバーズ・エッジで倒れ、そのまま死体となって転がって、あとからやってきた子供たちに

 「おれは死んでいるけど、おまえたちは確かに生きている」と勇気づけたりするのかもしれない。

 そんなことを夢想させるトラウマ。やっぱり死ぬまで残りそうだ。

 


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ひるねして夢の記憶を情報発信

 

 齢を取ってくると昼寝が楽しみの一つになります。

 以前は時間がもったいないなぁと思っていましたが、たとえ僅かな時間でも体を横にして休むと、もう調子が段違い平行棒。

 その後の仕事の効率、クオリティを考えたら寝るに限る、休むに限る。

 

 しかし、会社のオフィスではなかなかこうはいかないでしょう。

 こういう時は自宅でやっているフリーランスで本当によかった~と思います。

 

 ただちょっと困るのが夢を見ちゃったとき。

 いや、夢を見るのはこれまた楽しいのですが、その夢の記憶が現実のものとごっちゃになることがあるのです。

 

 この間、通っていた学校を探そうと現地に行ってみると、迷宮に迷い込んだように、いくら歩き回っても見つからない。

 それで思い出したのが「移転した」という情報を耳にしたこと。

 それで、ああ、移転したんだっけと思い込んでしまったのです。

 

 ところが、あとでネットで調べてみると、改装はしているものの、ちゃんと同じ住所に存在しているではないか!

 確かに聞いていた移転情報。あれはいったい・・・

 と考えてみると、それはいつかの夢の記憶だったのです。

 

 あちゃ~、いよいよボケが始まったぁ。

 夢と現実がひとつながりになった次元へ、とうとう足を踏み入れてしまったのかも知れません。

 でもまぁいいや、気持ちよく昼寝できれば。

 

 というわけで、今後、僕の発信する情報が現実の出来事なのか、夢の中の記憶なのかは、読んでいるあなたの判断におまかせします。

 

 ではお休みなさい。ZZZ。

 


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永遠の現物支給

 

 きょうは確定申告の最終日でしたが、先週会ったお友だちの会計士さんは締切間近でストレス満載の様子でした。

 その彼がぼそっとつぶやいたセリフが

 「現物支給でも、永遠に続けばいいんだけど」

 

 え、まさか現物支給の報酬で会計を?

 そういえば、半年前に会った時は、つぶれそうな食品会社の経理を請負っているとか言ってたけど・・・。

 

 追及するのはやめときましたが、「永遠の現物支給」という言葉が頭に残ったので、それについて考えてみました。

 

 何でもお金の世の中で、ちょっとした贈り物も、冠婚葬祭の引き出物も、現金・カード・商品券などが喜ばれます。

 そうした風潮の中で現物支給――それも1回2回こっきりじゃなくて、毎月ずーっと支給が続くとしたら、何がもらえたら嬉しいだろうと考えると・・・

 

 やっぱり食べ物ですね。

 会計士さん、食品会社でよかった。

 なに、よくない?

 

 缶詰、レトルト、乾物、冷凍食品・・・

 そんなもの1か月分もらうと嵩張るし、置き場所に苦労する。

 それに毎日食べたくない。

 かといって生鮮食品は日持ちしないし・・・

 

 と考えていくと、ベストはお米だ!

 お米なら毎日食べられるい、真夏でも1カ月くらいなら保存も問題なし。

 うちはひと月10キロ食べるけど、それくらいなら置き場所にも困らない。

 

 ついこの間、イベントの仕事「五つ星お米マイスターのおいしいお米講座」でお米の食べ比べをやったけど、毎月ちがう品種のお米を支給してもらえれば、いろんなのが試食出来て、ますます楽しい。

 

 ――と話すと、そこは会計士さん、チャチャっと数字に置き換えて、

 「1カ月10キロ、平均5000円として1年で6万円。10年で60万円。17年しないと100万円超えませんよ。安すぎる~。お金でもらわなきゃだめだ~」

 

 なるほど。お金にすると確かに安い。

 でもね、お金がなくても、死ぬまでごはんだけは間違いなく食べられるという安心感は何物にも代えがたいのではないでしょうか。

 

 1カ月のギャラ・給料が5000円と考えると、わびしくみじめになるけど、今月も10キロのお米がいただけると考えると、なんだか豊かな気持ちになってくる。

 ましてやそれが永遠に続くとなると、穏やかな晴天が心の中に広がってくる。

 

 うんこれなら悪くないぞ、永遠の現物支給。

 農家さんとか、お米屋さんとか、JAさんとかの仕事なら、そんな契約を結んでもOKかも。

 会計士さんは嫌だというけど、あなたならどうですか?

 


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現実世界が「AKIRA」の近未来世界を追い越すとき

 

 渋谷パルコの建て替え工事現場の囲いに大友克洋のマンガ「AKIRA」が描かれている。

 この大きさだとすごい迫力。そして、内側の解体されたビルの風景が、「AKIRA」の世界観と符合して、リアルで巨大なアートになっている。

 人通りの多い公園通りだけにアピール度は抜群だ。

 

 最近あまり渋谷に行かないので知らなかったけど、このアートワークが搭乗したのはすでに昨年(2017年)5月半ばのこと。ネットでいろいろ話題になっていたらしい。

 

 というのも「AKIRA」の舞台は2019年の「ネオ東京」。翌2020年にはそのものずばり「東京オリンピック」が開催される予定・・・という設定。

 その中で抑圧された若者たちをい中心に超能力バトルが繰り広げられ、ネオ東京が崩壊していくというストーリー展開なのだ。

 

 というわけで「AKIRA」をパネルにしたパルコはオリンピック開催に異議を申し立てているのではないかという憶測が飛び交ったが、当のパルコ側は、さすがにそれは否定したという。

 

 僕が思うに、おそらく渋谷の街の再生劇のメタファーとして、かのマンガを用いたのだろう。それも「西武・パルコの渋谷」の。

 

 「AKIRA」が連載され、映画化され、一種の社会現象にまでなったのは1980年代のバブル上り坂の頃で、パルコの黄金時代、西武・セゾングループカルチャーの最盛期とぴったり重なる。

 

 一時は東急グループと渋谷の覇権を二分していた西武・セゾンにとって、昨今の東急の圧倒的な大改造計画に一矢でも報いたいという思いで、「AKIRA」を持ち出してきたのではないかと思われる。

 

 あの頃は経済の繁栄と裏腹に「近未来」「世紀末」という言葉が跳梁跋扈した。

 「AKIRA」はその象徴と言える作品だった。

 

 この繁栄・この豊かさはインチキなのではないか、まがいものではないのか。

 そんな違和感が当時の若者たちの心の中にトゲのように突き刺さっていた。

 そんな違和感によって支えられ、膨れ上がった「AKIRA」のような作品世界が、好景気で沸き返る、どこかうそくさい日常世界とのバランスを取っていたのかも知れない。

 

 その状況は終わったわけでなく、実はもう30年以上も続いている。

 だからなのか、現代の渋谷に「AKIRA」が出現することに時代遅れ感どころか、ベストマッチ感さえ感じてしまう。

 

 「世紀末」が過ぎても、東京の街は崩壊していない。

 終わりのない日常がダラダラと続き、僕たちはズルズルと前の時代の太い尻尾を引きずりながら、時には波に呑まれて漂流しながら前に進もうとしている。

 もうすぐ現実世界が「AKIRA」の近未来世界を追い越していく。

 


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秋田からきりたんぽ鍋セット到着

 

 今日は何の予告もなく、クール宅急便で「きりたんぽ鍋セット」が送られてきてびっくり。

 仕事をいただいている秋田の方からサプライズの贈り物です。

 これまでメールでしかやりとりしていなかったんだけど、そういえばこの間、住所を聞かれたので、紙にした資料を送ってくるのかなと思ってたら・・・どうもごちそうさまです。

 

 ちょうど今夜は家族が揃っていたので、早速いただきました。

 肉も野菜も一式入っていて比内地鶏のスープ付き。あったまりました。

 

 秋田県は、かなり昔に大潟村(かつての大干拓地・八郎潟にある村)の干拓資料館の仕事をやりましたが、それ以来の仕事。

 来週は名古屋コーチンの取材で名古屋に行きますが、いずれ比内地鶏も取材したいです。

 


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五つ星お米マイスター・小池理雄のおいしいお米講座:絶品ごはんの食べくらべ

 

 10日(土)・11日(日)の二日間、渋谷のNHKの敷地で「にっぽんの食・ふるさとの食」のイベント開催。JA全中ブースで「五つ星お米マイスター・小池理雄のおいしいお米講座:絶品ごはんの食べくらべ」をやり、台本と演出を担当しました。

 

 原宿の米屋・小池さんの作った「お米の通知表」を参考に、岩手・宮城・福島・福岡、各地産の4種類のブランド米を食べ比べ、その品種を当てる、クイズ形式のワークショップです。

 

 五つ星お米マイスターとしてメディアから引っ張りだこ、講師としても大活躍の小池さんですが、この二日間の受講生(1ステージにつき35人ほど)は、ぜひ「参加したくて来ているというよりも、ここに一休みに来たり、冷やかしに来たり、ただ単にごはんが食べられるからという理由で入ってきたた一般大衆。ぶっちゃけ、まじめにお米のことが知りたいと思っている人は1割、2割しかいません。講師にとっては最も手ごわい相手です。

 

 二日間で4ステージにありましたが、1日目の参加者の反応を見て、その夜、台本を書き直し、2日目は大きく違う構成でやってみました。

 

 ちなみに30分の台本のセリフ部分はほとんどMC(司会)用で、それに応じながら小池さんが自由にトークを展開していくというつくりです。

 

 イベントはまさしく生ものなので、その時の参加者の発するSomethingによって1回目も2回目も3回目も4回目も、まったく違ったステージになります。

 これが正解、これが完成という形はなく、きっちりできたのに反響が薄い場合もあれば、グダグダになっても大ウケという場合もあります。

 もちろんグダグダでいいというわけにはいきませんが、面白いものです。

 

 それにしても、その場に応じて自由自在にセリフを変えられる小池さんのお米ボキャブラリー宇宙は素晴らしい。

 ますますこなれて星雲のように年々膨らんでいます。

 


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天国への階段の上まで冒険

 

おなじみ階段シリーズ。

 うちは1階が「野の花鍼灸院」という鍼灸院になっています。

 カミさんが小児鍼のエキスパートなので、女性と子供を診ています。

 

 で、毎日、いろんな子供が来るのだけど、玄関を入ってすぐある階段にどうしても目が行ってしまう。とって

 特に好奇心旺盛で冒険好きの幼児には、たまらない魅力なのでしょう。

 

 もちろん進入禁止で、連れてきたお母さんは「怖いおじさんがいるのよ」なんて脅すのだけど、ある年齢を過ぎると、そんな脅し文句などヘのカッパになる。

 好奇心が抑えられず、のこのこ上ってくる子もいるのです。

 

 今日来た4歳児のショウちゃんもその一人で、お母さんとカミさんの制止を振り切り、階段を登り切ってパソコンやってた僕の背中に話しかけてきたので、ニヤッと笑って振り返ったら、むこもニコッ。 下からは「ショウちゃん!降りてきなさい」と呼ぶ声が。

 なので、ぺちっとハイタッチをしたら満足したように引き上げていきました。

 本日の冒険、おわり。

 

 あとから聞いたら、怖いおじさんなんていないよ~。やさしいおじさんだよ~って言っていたようだ。

 

 うーん、これに味をしめてまた上がって来るかも。

 今度はオバケのお面でもつけてふり返ってやろうか。

 でも、あんまり怖がらせ過ぎてもなぁ~。

 好奇心・冒険心は子供の宝物ですから。

 侵入されてもいいように、ちょっとは二階をちゃんと片付けて掃除しておかないとね。

 


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ミケランジェロ的冒険:誰もが自分の中に人生でしたいこと・すべきことを持っている

 

 ミケランジェロは石の中にダビデの像を見出し、解放したと言われています。

 そのダビデ象という「ヴィジョン」は最初から彼の中に存在していた。

 そして石と向き合うことでそれを見ることが出来た。

 芸術家として自分が何をするべきか分かった。あとは手を動かすだけ。

 

 これは芸術家に限らず、誰にでも起こりうることなのだと思います。

 

 誰もが自分が人生の中でしたいこと・すべきことはちゃんと持っていて、本能的に認知している。それは人生のいたるところで、日常生活のあちこちで顔をのぞかせる。

 

 けれども僕らはそれを取るに足らないこと、おかしなエゴが作り出す妄想だとして処理してしまう。

 この忙しいのに、そんなことに関わっているヒマはない、と。

 だから何となく分かっているのにそれははっきり見えない。

 そして見えたとしてもそれを実行しようとはしない。

 

 なぜならほとんどの場合、それは社会的必要性が認められない、人々が求めていることに応えられない、早い話、そんなことをしたって「食えない」。

 そういう事情があるからでしょう。

 なので、ますますその内在するものを見ようとしない。

 見るのを怖れ、目をそらしてしまうし、もちろんやろうとしない。

 その結果、不満だらけの人生が世の中に蔓延することになります。

 

 これはきっと人生の途上で、立ち止まって考えてみるべき課題なのだと思います。

 ミケランジェロのダビデのように、芸術家じゃなくてもあなたにはあなたが創るべきもの、やるべきことがある。

 そう静かに思いを巡らせると、「あれがそうだ」と人生のどこかで見たサインを再発見できるかも知れない。

 深い海の底から、ぽっかりと浮かび上がってくるかも知れない。

 

  あなたの中に何があるのか、することは何か、まず見つけ出す冒険。

  そして、それをやり始める冒険。

 


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星のおじい様と孤独なエイリアン

 

 その少女は一人暮らしの老人と友達になった。

 老人は近隣から奇異な目で見られている。

 彼は特殊な能力を持っており、それで人助けをしたりもするのだが、普通の人たちにはそれが気味悪く映る。

 だから少女にも、あの老人の家へ行くな、近寄るなと言う。

 両親にとってもそれは家族の一大事と受け取られていた。

 

 少女はなぜその老人にひかれるのか?

 老人の語る宇宙の話、昔の話、妄想のような話が好きなのだ。

 彼女は老人がじつは宇宙人で、永年地球で過ごし、近いうちに故郷の星へ帰ろうとしているのではないかと思っている。

 

 老人には少女子以外にもう一人だけ訪ねてくる人がいる。

 それは彼の身元保証人だ。

 老人はちゃんとお金を払ってその会社と契約し、自分の死後の後始末をつけてくれるよう段取りしている。

 彼は宇宙人なんかではない、まっとうな人生を歩んで齢を取り、社会人として最期まで人に迷惑をかけずに人生を終えようと考えている、普通のおじいさんなのだ。

 

 そうした現実を知っても、少女は彼がやっぱり本当は宇宙人なのではないかと疑念をぬぐえない。

 彼女はしだいに何とか老人の秘密を探りたいと考えるようになる。

 

 しかし、そんな彼女の行動を心配した両親は、それ以上、老人に近づくことを許さず、彼女を学習塾のトレーニング合宿に送り込んでしまう。

 

 数日を経て帰ってきた少女は両親の目を盗み、再び老人に会いに行くが、彼は呼び鈴を押しても出てこない。と同時に何か気になる匂いがする。

 彼女は身元保証人を電話で呼び、家の中に入る。

 そこには布団の中で孤独死した老人の遺体が横たわっていた。

 

 少女には老人が物理的に死んだことは分かったが、地球から消滅したとは映らない。

 彼女は遺体を運ぶ人たちが到着するまでの間、その老人――「星のおじい様」の時間軸に入り込み、孤独なエイリアンとして、奇妙な冒険に出掛ける。

 


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孤独な老人は本当に可哀そうな存在か?

 

 一人暮らしの高齢者というと、最近はすぐに「孤独死」が連想され、何やらくら~いイメージがつきまとう。

 そうでなければ、家族がなく、身寄りがなく、孤独で可哀そうとか、同情される。

 いずれにしてもネガティブなイメージであることに変わりない。

 

 でも本当にそうなのだろうか?

 彼らはけっこう孤独を楽しんでいるのではないか。

 本当にいっしょにいたいと思う家族ならいいけど、ただ同じ屋根の下にいるだけ、同じ空気を吸っているだけの家族なんて鬱陶しいと思ったりしていないのだろうか?

 

 血が繋がっていたって形だけの家族はいっぱいいる。

 財産などをあてにしてすり寄ってくる家族や親族なんかに、あれこれ気を遣ってもらったって不愉快なだけ。

 

 メディアの「家族は素晴らしい」「家族がいないと気の毒だ」といった大合唱もなんだか胡散臭いね。

 

 それよりも最期まで一人でやっていく、という気概のある生き方をを見せるほうがいい。

 あるいは、血縁にこだわらない、常識にとらわれない、損得勘定抜きの、心の深いところで繋がり合える人たちとの暮らし。

 齢を取ったからこそ、そうした自由や愛情に満ちたものを優先できるという面もある。

 

 幸いにも、そうした人たちをサポートするセーフティネットはあちこちにでき始めているようだ。

 

 「家族の絆」という美名のもとに隠した損得勘定や惰性的な繋がりよりも、自分の意思に基づいて生き、死ぬ「個の尊厳」を優先する時代がすぐそこまで来ている。

 


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のりしろ時間

 

 元来、コアラとかナマケモノ体質で、自分のペースで動けないと調子悪くなっちゃうので、効率悪いことこの上なし。

 ヘタにビジネス書など読んで勉強して、時間を有効活用しようなんて意識すると、なんだかイライラしてきて、自分が今何をやっているんだか分からなくなってきます。

 

 とは言え、仕事をする以上、そんなこともいっていられない。

 相手のペースに合わせなきゃいけない場合もある。

 そんな時、最近、心がけているのが「時間ののりしろ」を作ることです。

 

 自分のペースでOKの時間帯と、相手に合わせる必要のある時間帯。

 この2種類のカテゴリーの時間帯が、ポンとカットで繋がると脳の切り替えがうまくできない場合があり、気持ちの負担も大きいので疲れます。

 やっぱリカットつなぎでなく、オーバーラップさせたほうがショックが和らげられる。

 

 なので、相手に合わせる時間帯に入るときは脳が自然に準備できるよう、「のりしろ時間」を作るようにしています。

 

 具体的に言うと、打ち合わせ、取材などの時は約束の時間より30分早く行って、その現場周辺の空気を吸っておくようにするのです。

 そうするとリラックスして、少しはその環境に入り込みやすくなります。

 つまり100%アウェイの空気でなく、10~20%くらいはホームの空気をまぜるようにする。

 するとある程度リラックスして、よりよいパフォーマンスが期待できます。

 

 昨日は思いのほか早く着いたので、待ち時間に近所の神社で、ぼやーっと木などを眺めて、ああ鳥の巣がある、何の鳥だろう。まだ作っている最中かなぁ・・・と思ったり、ネコの家族が来て日向で遊び出したりするのを見ていました。

 

 仕事の役に立つだけじゃなく、ちょっとおまけみたいなものを拾ってトクした気分になります。 もしかしたらそんなどうでもいいことが、あなたの人生を救ったりするかもしれません。

 スケジュールぱんぱんにして毎日アクセクしちゃうと、ほんと疲れますから。

 


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児童館でおチビらがビッグな牛さんの乳しぼりに初挑戦

 

 八王子市の児童館で、子供たちが乳しぼり体験。

 マイナビ農業の取材で、八王子界隈の酪農家の仲間たちがボランティアで提供しているイベントを見学してきました。

 

 でっかい開閉式トラックに牛を乗せて、そこに上って子供たちが搾乳するというやり方。総勢5人の酪農家さんたちがお世話をします。

 まったくこういうシステムを想像していなかったのでびっくりしました。

 このお乳パンパンの牛さんはマーガレットちゃん7歳。

 

 マーガレットちゃんの乳しぼりに挑戦するのは、幼稚園前の幼児クラス(+そのきょうだい)なので2歳児中心。たぶんその子たちの目から見たら、牛さんはゾウさん、いやもしかしたら怪獣並みの大きさだ。

 そりゃこわいに決まってる。

 

 勇気を出してぎゅっとつかめればいいのだけど、おそるおそるおっぱいに触るので、「なにやってんのよ、モ~」って、穏健温和なマーガレットちゃんもバフォンと荒っぽく鼻息をして体を揺する。

 すると、もうだめです。大半の子がこわがって泣き出す始末です。

 

 お父さん・お母さん、「うちの子は情けない」なんて言わないで。

 だいじょうぶ。 一度は失敗・撤退したほうがいい。

 また大きくなった時、トライしたら今度はできるから。

 

 最初からすんなりうまくできちゃうより、やったぜ感、リベンジできた感があって、自分は成長しているんだと実感できる。

 そのほうが却って自信になるんです。

 

 子供時代はまだ長い。

 人生はもっとずーっと長い。

 幼稚園・保育園で、小学校で、またトライして、こんどはマーガレットちゃんのおっぱい、いっぱい搾ってね~。


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ラストドライブ日本版 出発

 

 わたしを思い出の場所に連れてって――

 そんな末期患者の願いをかなえるのが「ラストドライブ」。

 この数年、ヨーロッパで静かに広がってきた、いわゆる終活支援です。

 

 昨年夏、ドイツでの事例を取材したドキュメンタリー番組がNHK-BSで放送されました。たまたまそれを見て感想をブログに書いたら、その時だけアクセス数が5倍くらいに跳ね上がってびっくりしました。けっこう関心の高い人が多いようです。

 

 じつは今年から日本でもこれと同様の終活支援サービスが始まりつつあります。

 さいたま市の「タウ」という会社がCSR(社会貢献事業)として始めた「願いの車」がそれ。余命少なく、一人では外出困難な患者を希望の場所に無料送迎するというものです。

 

 タウは事故車の買い取り・販売を手掛ける会社で、社長がかの番組に心を揺すられ、「自分たちも車を扱う仕事をしているので」と、立ち上げました。

 当面は近隣の病院やホスピスに声をかけて説明し、希望者を募るというやり方で進めていくそうです。

 

  あらかじめ民間救急会社と提携しており、車両は酸素ボンベ、吸引機、自動体外式

 除細動機(AED)などを装備した民間救急車を使用。外出には看護師やボランティ

アが同行。ただし外出は日帰りのみ。

 主治医の了承と、家族の同意を得た上で送迎です。

  

 僕は「月刊仏事」の記事を書くために電話で広報の方と話したのですが、この事業に誇りを持ち、かといって気負うこともなく、たいへん美しい応対だったことにも心惹かれました。

 

 今後、提携先を県内の病院などに広げ、将来的には、活動に理解を示す企業からの協賛も。2019年には公益社団法人にして全国的活動を目指すそうです。

 

 これも高齢化社会・多死化社会における一つの文化になり得るでしょう。 これからの展開が楽しみです。

 


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「スターウォーズ エピソード8 最後のジェダイ」は舞台劇にしてOK

 

 今さらながら「スターウォーズ エピソード8 最後のジェダイ」。

 2月のうちに書いてこうと思って、つい書きそびれていました。

 

 あちこちでもうすっかりレビューも出尽くしていると思います。

 まったく読んでいないので、世間的な評判はさっぱり分かりませんが、僕的にはかなり面白かった。

 (特にこのシリーズの熱心なファンでないけど)全部見た中では、これが一番入り込めたな~と思いました。

 

 率直な印象を言うと、かつてのスペースオペラ的な部分が薄まり、シェークスピア劇みたいに見えました。

 

 世界政治とか抗争を含めた宇宙スケールの活劇だったはずが、なんだか家族ドラマみたいなスケールになってきた(これは批判ではありません)。

 

 あくまで個人的な印象です。

 

 実際には戦闘シーンは相変わらず多いし、チャンバラもあるし、絵作りも凝っているし、迫力もある。

 そうしないと、スターウォーズブランドにならないからね。

 

 ただ以前はそっちの方がストーリーを完全に凌駕していたのだけど、今回はドラマのほうが引き付けられる、ということ。

 戦闘状況なんかを全部セリフで説明させてしまって、舞台劇にしたらいいんじゃないかと思ったくらい。

 

 これまでのスターウォーズであまり魅力ある登場人物ってお目にかからなかった(ダースベイダーが悪役としてどうしてあんなに人気があるのか、さっぱりわからない)けど、若い二人の主人公――レイとカイロ・レンがはいい。

 

 スターウォーズ過去40年の歴史というか、遺産というか、おっさんファンたちの降り積もった愛着やら怨念やらを背負わされても、最終的にそんなもの蹴っ飛ばして、カウンターのロングシュートでゴールを決めちゃいそうな「フォース」を感じます。

 古いキャラクターはすべてこの二人の引き立て役ね。

 

 いっそのことエピソード9は完全にオールドファンを裏切りまくって、戦闘シーンなしにしてしまったらどうだろう?

 登場するのはレイとレンとBB-9(ロボット)だけとか。

 ま、そんなのあり得ないはわかっているけど。

 

 勝手にエピソード9の予測をすると、前回の3部作(エピソード1~3)は、史実(?)を変えるわけにはいかないので、主人公のアナキンがダークサイドに落ちてベイダーになってしまうという悲劇的ラストで後味が悪かった。

 けど、今回の9は必ずやハッピーエンド、希望ある結末に持っていくでしょう。

 なんといっても制作の大元はディズニーだし。

 

 王道としてはレンの魂が救われ、レイと結ばれる・・・というのが落としどころだと思うけど、それだと単純すぎるかなぁ。

 


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中学生時代の「エリナ・リグビー」の衝撃と 47年後の和訳演奏

 

●「エリナ・リグビー」の詩

中1の時、国語の時間で自分の好きな詩を選んで書き、

それに自作のイラストを添えて発表するという課題があった。

国語の先生はクラス担任の北原先生と言って、

僕にとっていちばん良い記憶に残っている先生だが、

今考えるとイキな課題を出したものだ。

授業参観の日に教室の後ろに貼り出していた。

 

僕は確か、高村光太郎の「無口な船長」という詩を書いたのだが、

昨日紹介したビートルズオタクのイナガキくんが選んだのは、

レノン・マッカートニーの「エリナ・リグビー」の詩だった。

 

イナガキくんは、すべてにおいて“そこそこ”の少年で、

勉強もスポーツも、とびきりできるわけでもなく、

さりとて明るい性格や芸人気質で教室を賑わすわけでもなく、

リーダーシップを発揮して人望を集めるわけでもない、

要するに僕と似たり寄ったりの目だたない生徒だった。

 

ビートルズオタクだったけど、

僕自身、ビートルズというバンドは知っていたが、

ほとんど意識していなかった。

 

そもそもその頃(1972年)、「ビートルズはもう古い」と言って

隣のロック好きな先輩はバカにして、ハードロックを聴いていた。

 

ところがその彼が書いた詩を見て、僕は仰天した。

「ああ、あんなにさみしい人たちは何処へ行くのでしょう?」

大人になりかけた子ども心に、その詩のインパクトはものすごかった。

その時からイナガキくんをちょっと尊敬するようになった。

 

●衝撃の弦楽四重奏

それから間もなくして、ビートルズを馬鹿にしていた先輩が

「兄貴の友だちから貰ったけど、俺はビートルズなんで聴かんから」

と言って、ビートルズの「オールディーズ」というLPをくれた。

 

「リボルバー」までのシングル曲を集めた、

いわゆるベストアルバムで、

「シーラブズユー」も「抱きしめたい」も「涙の乗車券」も

入っていたのだが、その頃はあんまりピンと来す、

最高に響いたのが「エリナ・リグビー」だった。

 

それまで抱いていた「なんだか歌謡曲っぽいロック」という

ビートルズのイメージが、

あの美しくて切ない弦楽四重奏で木端微塵に吹っ飛んだ。

生まれて初めての異次元の音楽体験だった。

そして、あのイナガキくんの詩のインパクト。

初めて「ビートルズってすごいバンドだ」と認識した瞬間だった。

 

・・・というのがマイビートルズ・ベスト10の

第7位「エリナ・リグビー」のマイストーリー。

 

●ああ、この孤独な人々

最近、YouTubeで和訳のカバーを聴いて驚いた。

ギター2本とアコーディオンの素朴な編成で

あの美しいメロディを奏でる。

これは素晴らしい!

イナガキくんも聴いていrるだろうか?

 

初めて聞いた頃、僕の中でエリナはまだ10代の少女で、

マッケンジー神父も「イマジン」を歌っていた頃の

ジョン・レノンに似た青年だったが、

年月を経た今は、二人とも齢を取った姿で現れる。

なんとなく孤独死や、無力な宗教者を連想させる。

 

もう半世紀以上も前からビートルズは

現代人の孤独と不安を歌っていた。

信じられるもの、心を寄せられるものが

どんどん消え失せていく時代において、

ますます多くの人の心をつかみ、深化し、

アレンジされて口ずさまれるだろう。

 


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勝手にビートルズ・ベスト10

 

中学1年生の同級生でイナガキくんというのがいて、

彼はビートルズマニアだった。

(ちなみにこれは1972年から73年の話。

ビートルズは僕が小学生の頃、とっくに解散していた)

 

イナガキくんは下敷きにびっちり

「自分の好きなビートルズナンバーベスト30」

というのを書いていた。

 

せっかく彼のことを思い出したので、46年後の今、

僕も自分のマイビートルズナンバーを書いてみた。

 

30書けるけど、ちょっと多すぎるかなと思うので、

とりあえずベスト10で。

 

1.レット・イット・ビー:

もともとのLPに入っている、間奏とエンディングでジョージ・ハリスンのリードギターが炸裂するバージョンが最高。中間部のリンゴ・スターのドラミングもさりげに印象的。最近はYouTubeでいろんなバージョンが聴けて嬉しい。永遠の名曲。

 

2.ヘイ・ジュード

定番中の定番だが、やっぱり良いものは良い。ジョン・レノンと最初の妻のシンシアさんが離婚して、残された息子のジュリアンに贈った曲だというバックストーリーを知ると、なおのこと胸に響く。僕の解釈ではこの曲はジョンとポールの訣別の歌であり、青春ビートルズのラストソングである。

 

3.涙の乗車券

ジョン・レノンの天才ぶりが凝縮された曲。甘く切なく、それでいてロックするヴォーカルが最高。

 

4.シー・ラブズ・ユー

初期の最高傑作。たった2分30秒にビートルズの魅力が濃縮。中学の頃、女の子がこの曲に合わせてお尻を振りながらジーンズを履く、EDWINのCMがあって、いつも鼻の下を伸ばして見ていた。

 

5.ア・デイ・イン・ザ・ライフ

アルバム「サージェントペラーズ」のラストを飾る、日常と幻想を往復する壮大な楽曲。現代人の孤独と不安を圧倒的な構成力で表現している。文学的なようでありながら、ただの遊び・ジョークとも思えるのがビートルズのすごさ。1967年の時点で、こんな音楽を作ったバンドはなかった。プログレッシブロックの元祖。

 

6.ストロベリー・フィールズ・フォーエバー

「ストロベリー・フィールド」はリバプールにある孤児院。ジョン・レノンは別に孤児ではなかったが、ちょっと家庭環境が複雑だったようで、ストロベリー・フィールドで遊ぶ自分の姿を夢想していたのだろう。そんな少年時代の心象を作品化したイマジネーティブな楽曲で、これまた後のプログレッシブロックに繋がる傑作。

 

7.エリナ・リグビー

僕が初めてビートルズにインパクトを受けた曲。その話長くなんるのでまた今度。

 

8.抱きしめたい

「涙の乗車券」と同じく、ジョン・レノンの魅力が炸裂する一曲。ノリが最高。

 

9.ドント・レット・ミー・ダウン

YouTubeで「LET IT BE」製作のために行われたゲットバックセッションが上っているが、その中でこの曲をやっている時のレノンのふざけぶりが最高に面白い。それ抜きでもすごく好きな曲。何度聴いても飽きない。

 

10.トゥモロー・ネバー・ノウズ

「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」「ストロベリー・フィールズ」と並ぶビートルズの3大プログレナンバー最初の曲。サウンドエフェクトを採り入れた実験的な曲で、その後のロックミュージックに与えた影響を考えて音楽史的価値が高いが、それ以上に、半世紀以上経った今Cでも、未だに新鮮さに溢れた曲であり続けているのはなぜだろう?

 


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夏狩の太郎・次郎滝  富士の水湧く瞑想空間

 

昨日訪れた、山梨県都留市の耕雲院は、

富士急行・大月と河口湖の間のちょうど真ん中にある

「東桂(ひがしかつら)」という駅にある。

 

寺の界隈は「夏狩(なつかり)」という地名で、

副住職の話によると、かつて源頼朝が

夏になるとこの辺りに狩りに来ていたので、

そうした地名が付いた――

という言い伝えがあるらしい。

 

この界隈一帯にはゴォゴォと水の流れる音がひびいている。

さらに、副住職が子供だった30年余り前

――昭和の終わり頃までは、

この辺りは織物産業が盛んだったそうで、

家のあちこちから織機のガタンガタンという音が聞こえ、

水の音と相まって「うるさい~」と思ってたと言う。

 

 

しかし東京の大学に行っていた彼が戻ってきた頃には

織機の音は途絶え、水の音だけが残っていた。

ゴォゴォゴォゴォ・・・

人の暮らしや仕事は変わっても、

自然はそれっぽっちの短い時間では変わらない。

ここは霊山・富士山からの湧水が流れる地域なのだ。

 

その中心になっているのが、

「太郎・次郎滝」という美しい二本の滝のある場所。、

ここは「平成の名水百選」に選ばれており、

隠れたパワースポットにもなっているらしい。

 

本当に気持ちの良い所で、

少年だった副住職も、

織機のノイズが溢れる町の中から逃げてきて、

夏はここでよく川遊びに興じたと言う。

 

 

「夏狩」が源頼朝ゆかりの名なので、

太郎・次郎というのは源氏の武士か、

何かこの辺りの村人を救った英雄の名かと思ったら、

なんとこの二人は兄弟の盗賊。

 

盗みに入ったところを村人に見つかり追い詰められて、

この滝から飛び降りて死んでしまったという。

兄の太郎が飛び降りたところが太郎滝。

弟の次郎が飛び降りたところが次郎滝。

 

しかしそんな賊でありながら、

死して滝として名を遺してもらい、

今や「平成の名水百選」になっているのだから、

果報者の兄弟と言わざるを得ない。

 

 

それにしても、周囲の紅葉も相まって

本当に美しく、聖性さえ感じさせる場所だ。

 

特に空気の澄んだ朝早い時間とか、

ここで耕雲院のお坊さんと瞑想などやったら

心が洗われ、脳もリフレッシュされるだろうと思った。

 

また、この近くにはワサビ園もあり、

良質な水を活かして、

大正時代から100年以上にわたり、ワサビを栽培している。

 

仕事の取材に来て、思いがけず

こうした美しい風景に出会えるのは幸運で嬉しい。

 


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映画「典座」の主役を訪ねて

 

ビデオクリップ➔短編➔長編➔カンヌ

「寺力本願」の取材で、映画「典座」に主演した
河口智賢さんの耕雲院(山梨県都留市)を訪ねた。
悩みつつ、いろんな社会活動に取り組む
若いお坊さんと話すのは楽しい。
 
この映画は、当時、河口さんが副会長を務めていた
曹洞宗青年会が製作したインディーズ映画だ。
 
当初はちょっとしたビデオクリップのようなものを・・・
という話だったのが、短編映画になり、長編映画になり、
カンヌ映画祭に招待される作品として仕上げられた。
●ロングバージョンを期待
「上映時間1時間というのはちょっと物足りないです」
と正直に言ったら、
「そういう反響は多くあります」とのこと。
 
明解な解決とか、感動的エンディングとか、
オチがなく、問題提起のみで終わっているのも
物足りなさの一因でもある。
 
それはいいのだが、せっかく映像が美しく、
僧侶らの心情も丁寧に描かれているので、
多少中だるみがあってもいいから、
もうちょっと映画の世界に浸っていたかった、という感じ。
監督が上手にまとめ過ぎたのかもしれない。
 
女性老師との対話のシーン
(この部分は完全なドキュメンタリー)などは
2時間以上カメラを回したというので、
機会があれば、この部分だけでドキュメンタリー作品にするとか、
90分くらいのロングバージョンを作ってもいいと思う。
●高齢僧は批判、若僧・坊守は絶賛
賛否両論いろんな反響があったようだが、
面白かったのは、同じお坊さんの反応。
 
若い人がおおむね好意的なのに対し、
年齢が上がるにつれて
「僧侶があんな悩んでる姿を見せては信頼を損ねる」
といった批判が出たと言う。
 
片や、住職の奥さん方を集めた上映会などでは、
河口さんが自分の奥さんをやや邪険に扱うシーンや、
別の坊さんがお酒を飲んで酔っ払うシーンなどを観て
「現実はあんなもんじゃないわよ」と言って
盛り上がるなどして、エールを戴いたと言う。
 
ちなみに住職の奥さんを「坊守(ぼうもり)さん」と
呼ぶらしいが、
これは坊主のお守と言う意味なのだろうか?
子どものお守みたいでもある。
 
いずれにしても。そうした話を聞いて、
さもありなんと思ってしまった。
とってもわかりやすい。
昭和・平成の日本は、そういう社会だったのだ。
 
これから原稿にするので、
ちょっとまだここでは書けないが、
映画製作の裏話などもいろいろ聞けて面白かった。
 
「うんうん、映画人だったら、ドラマ性を狙って
最初はそういう脚本でやりたがるよ」という感じ。
●世界での反響と宗教者の未来
「典座」はカンヌやマルセイユ(フランス)、
カルタゴ(チュニジア)の国際映画祭、
ロンドン(英国)やベルギーなどでも上映されており、
日本国内よりも海外での関心が高いようである。
 
「宗教」と「食」を一緒に描いているところが、
日本食に興味津々の外国人に響くのだろう。
 
テクノロジーの進化によって、
宗教は現実の世界と乖離し、
だんだん生活に必要とされなくなってきた。
 
そうした環境において宗教者は、
威厳を持って上から教え説く者でなく、
俗世間の人々に混じって、
苦悩しならも明るく生きる自分の姿をさらさないと、
人々の心を引き寄せ、信頼を得られないのではないか。
 
話を聞いて、そんなことを思った。
 
AI・ロボットによる新たな社会の仕組みづくりが進み、
「人間とは何か?」の時代が深まっていくにつれて、
彼らの活動は少しずつ社会にしみていくのかも知れない。
 
そして、従来のお坊さんとは違った存在感を示すことが
できるようになるのかも知れない。

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あなたや僕が死んだら、サイバー空間の存在証明と お金にならない自分の財産はどこへ行くのか?

 

●遺された文章

フェイスブックから送られてくる、

友達のお誕生日のお知らせ。

昨日来たお知らせはスルーせざるを得なかった。

なぜなら、その人はもうこの世にいないから。

 

そっと覗いてみたら、今年も何人かのおめでとうメッセージが

入っていて、何とも奇妙な気持ちになった。

 

ついでに、と言っては何だが、

10年前に亡くなった友達のアメブロも覗いてみた。

最後の更新からすでに3700日近く経っているが、

こちらも依然として存在している。

 

●きっとそれは遺産

フェイスブックは、生前に追悼アカウント管理人を

指定しておけば、後始末を任せられる。

ただ、他の財産管理と同様、条件は厳しく、

本人が確かに認めたという証明も必要とされるので、

かなり面倒だし、責任も重い。

たかがSNS、たかがブログと侮れない。

 

そう考えると、いま書いているこのサイバー空間の文章も、

あなたや僕のアイデンティティの証であり、

世界の一つだけの存在証明であり、

お金にはならないけど貴重な遺産・財産なのだ。

 

●だけど運営会社が潰れたら・・・

ただし、それも運営会社次第と言えるのかもしれない。

もしフェイスブックやアメブロが倒産したり、

「もう仕事辞めます」と言って閉鎖したら、

いったいどうなるのだろう?

 

煙のように消えてしまうのだろうか?

 

最近、「デジタル終活」という言葉をよく聞くようになり、

故人が持っていた仕事上のデータ、

金銭がらみのアカウントなどどう処理すればいいのか、

大きな問題になっている。

 

SNSやブログの文字や映像がお金になることは

滅多にないと思うが、

その人の生きた証をどうと扱うか、

これもまたデジタル社会が進むにつれて

大きなテーマになっていくだろう。

 

●そして文は永遠に残る

こう書いてみて思うのは、

いまや人生の半分はパソコンやスマホの中の

サイバー空間に入っているんだなぁということ。

 

そして、それが残っている限り、

肉体は滅んでも、

僕たちは永遠に生き続けるのではないかということ。

 

レッド・ツェッペリンの歌に

「The Song Remains the Same(永遠の詩)」

というのがあったが、まさしくそれだ。

 

自分を取り巻く世界が、

ますます奇妙で不思議なものに見えてくる。

 


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「忘れられた巨人」は、僕たちの未来を描いた物語なのかもしれない

 

カズオ・イシグロの「忘れられた巨人」は5世紀の

ブリテン島、つまり、今の英国を舞台にした物語。

かのアーサー王亡き後の時代という設定だ。、

 

英国の歴史には詳しくないが、

魔法使いや円卓の騎士らが登場する

「アーサー王伝説」は英国のみならず、

世界中で知られている。

 

アーサー王自身が現実に存在したのかどうか曖昧な

ファンタジー的な人物だが、

この物語は、そのアーサー王亡き後の、

ブリトン人とサクソン人が対立する世界を描く。

テーマは「失われた記憶」だ。

 

離れた土地に暮らす息子を訪ねて行く

老夫婦の旅を軸にして、

戦士や、戦士候補の少年、そして、

アーサー王の騎士だったという老人などが絡んで

繰り広げられるドラマは、けっして波乱万丈とか、

大ドンデン返しみたいな派手なプロットではない。

 

けれども1行1行読み進めていくうちに、

じわじわと見たことのない、

はるか昔のブリテン島の世界のイメージが、

リアルな肌触りとともに広がっていくような

不思議な感触を覚える。

そして、そのいたるところに現代世界のメタファーが溢れている。

 

これは現代の寓話である。

その寓話の向こうには、これから始まる

僕たちの未来の世界が広がっているようにも感じる。

 

原文で読んでいるわけではないが、

イシグロの文章には何ともいえない香りと気品を感じる。

その静謐な筆致からこれほどダイナミックな物語を

紡ぎ出せるところは素晴らしい。

 

老夫婦は息子を訪ねて旅をするのだが、その息子のことは

「息子」としか呼ばず、名前は呼ばない。

 

また、夫は妻のことを常に「お姫様」と呼ぶ。

もうこうした仕掛けだけでも想像力をそそられる。

 

かと言って、けっして小難しい文学ではなく、

エンターテインメント性豊かな冒険ファンタジーなのだ。

 

これは絶対、映画化されるのではないかなと思って調べてみたら、

案の定、「ソーシャルネットワーク」などを手掛けた

大物プロデューサーが、すでに2015年に映画化権を獲得しているようだ。

製作は進んでいるのだろうか?

 

いずもにしても、何回も繰り返し読みたい傑作だ。

 


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さすらいのレコード・コレクター:男のバカバカしくて痛快な生きザマ

 

先日、レコード屋さんの仕事をやったこともあり、

たまたま近所の映画館でかかっていたので観に行った。

1時間強のドキュメンタリー映画。

 

ジョー・ハザードはクレイジーなレコードマニア。

先入観念で、いわゆるジャズマニアなのかと思ってたら、

それ以前のルーツ音楽――ブルース、カントリー、

ブルーグラスなどのレコードのコレクターなのだ。

 

製作年が2003年で、この頃、ジョーは見た感じ、

70歳前後。

今も存命中だとすれば、もう80代後半。

僕の父とそう変わらない齢だ。

ということは昭和ひとけた。

1930年代の生まれらしい。

 

彼が愛する音楽は、その自分が生まれる前と生まれた頃の

1920年代~30年代、今から1世紀近く前の、

主に黒人音楽だ。

 

音楽ソフトはもちろんアナログレコード。

それも78回転のSP盤。

僕もこんなの資料館みたいなところでしか見たことがない。

ハードは蓄音機である。

 

で、このおっさんはオンボロのアメ車を乗り回して、

要らないレコードをはるばる遠くまで出張買取に出かける。

今でいう中古レコード屋みたいなことを

1960年代頃からやっている。

 

すでにこの頃からSP盤や蓄音機は過去の遺物で、

売りたい人たちは、テレビを買うお金の足しにするために、

モノ好きなレコードコレクターに二束三文で

大量のレコードを売っていた。

取引額は$でなく、¢の世界。

10セントとか20セントだ。

 

そんなわけでジョーは、

長年溜めこんだ2万5千枚のレコードが棚に並ぶ

音楽のお城で、いつも葉巻を吹かしながら、

リズムに乗せて、5歳児みたいに

足をバタバタ鳴らし、

あげくに私設ラジオ局まで作って、

お気に入りの曲を放送する。

とんでもなお大人子どもだ。

 

当時の若者音楽であるロックが大嫌いで、

娘が親への反抗の意味もあって買ってきた

ビートルズのレコードも捨ててしまったと言う。

 

この映画は、そんなおっさんのクレイジーぶりを描くのだが、

なぜ彼がブルーグラスなどの音楽にそこまでハマったのか、

仕事は何をしている(してきた)人なのか、

音楽を聴く以外にどんな暮らしを送っているのかということなど

一切描かれない。

 

家族も、成人して中年に近くなった娘が

「こんなお父さんだった」ということをコメントするために

2,3ヵ所、短く登場するだけだ。

 

カメラは、ただひたすら楽しそうに音楽を聴き、

車に乗ってレコードを買い集めるジョーを追うだけで、

特にこれといったドラマも起こらない。

 

ジョー自身も特にこれといった

音楽に対する主義主張や評論家じみた批評や

マニア然としたうんちくをぶつわけじゃなく、

ひたすら「これがいい」「あれが最高」と言うだけ。

 

ちなみに彼はロック以前にジャズさえもいい作品は

戦前のもので、大恐慌・2次大戦以降の音楽は

とても聴けないと言う。

まさしく古き良きアメリカンフォークの偏愛者と呼ぶしかない。

 

結果的に、彼は100年後の現在のポップミュージックに繋がる

アメリカ音楽の歴史の貴重な生き証人であり、

この映画にはそういう価値があるのだが、

ジョーにとってはそんなこと、どうでもいいのだろう。

 

何も人間を深く描き、

ドラマチックで感動的な出来事を伝えるだけが

ドキュメンタリーではない。

 

「俺には生涯熱中できるものがある。

傍から見たら単なるバカに見えるかもしれないけど、

楽しい音楽を聴いてりゃ、そんなことどうでもいいんだ」

 

そんなジョーの声は聞こえてきそうだ。

 

人の役に立つわけでなく、社会に貢献するわけでもない。

感動的でもなければ、深い意味があるわけでもない。

しかし、彼の音楽に対する偏愛ぶりは痛快で、

どこか胸を打つものがある。

 

これもまた立派な男の生きザマである。

 


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ガンで死ななきゃカネが入らん

 

知らなかった!

ガンを患っていた人が死んでも、

その死因がガンだとは限らない。

 

限らないどころか、その確率はせいぜい4割。

つまり、ガンで亡くなったと思っても、

半数以上の人の直接の死因は、

肺炎だとか心不全といった

他の病気になってしまうのだ。

 

それで何が問題になるかと言うと「保険」。

ガン保険は、死亡診断書に「ガンが死因」と

書かれないと、保険金が下りないらしい。

 

いや、とんだ落とし穴があるもんだ。

 

他にも「四大疾病ナントカ」とか、

的を絞った保険がいろいろあるけど、

すでに入っている人、

これから入ろうと考えている人は、

説明書きをよく読んで、

くどいほどその会社に訊きまくって、

よーく考えてから入ったほうがいいと思います。

 

くれぐれも「せっかくガン保険に入ったんだから、

ガンにならなきゃ損だ」と考えたり、

医者に「センセイ、お願いですから死因は

ガンと書いてください」

と、頼みこんだりしないように。

 

ちなみに、長崎で小さな葬儀屋さんをやっている

このチヨさんのブログは面白い。

日々死者と向き合っている彼女は、

さまざまな現実を目にしている。

 

彼女の前歴はCA。かつての呼び名ならスチュワーデス。

かの1985年の日航ジャンボ墜落事故で、

遺族対応をされれていた人だ。

 

そんなキャリアも影響してか、

彼女の死を巡る状況を見つめる目は鋭く、ユニーク。

そして人間への愛とユーモアが溢れている。

 


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年寄りには薬を飲ますな、こき使え

 

84歳の義母と暮らし始めて、間もなく5カ月になる。

すぐ近くが巨大な公園なので、

家にいる時はほぼ毎日つれ出すのだが、

最初は10分も歩くとへばっていた。

 

しかし連日連れ回しているうちに、

どんどん足腰がシャキッとしてきて、

今では途中休憩を入れれば、

1時間から1時間半くらいは平気で歩ける。

 

駅近くのスーパーまで15分程度の道のりも

最初の頃こそバスを使っていたが、

今では平気で買い物して往復できる。

帰りなんて、荷物まで持ってくれる。

 

カミさんは鍼灸院をやっていた時、

「年寄りは甘やかすと駄目になる」という話を聞いて、

家事などを手伝わせている。

 

家事と言っても、火や刃物を使うなど、

危険なことはさせられないので、

もっぱら洗い物と掃除だ。

特に雑巾がけは運動になっていいらしい。

 

おかげで義母はどんどん元気になる。

認知症で介護レベル3だが、

それ以外は健康園ものだ。

 

もう一つ、ポイントは薬。

以前は4種類飲んでいたが、

アルツハイマーの薬以外――血圧や動脈硬化症の薬などは

みんなやめてしまった。

やめてからすこぶる調子がいい。

 

日本の年寄りで病気っぽい人が多いのは、

薬の飲み過ぎ――という説もある。

 

年寄りに限らず、中年以上の人も、

薬をたくさん飲んでいる人は、

本当に必要なものを、必要な分量だけ飲んでいるのか、

一度、見のしてみた方がいいと思う。

 

不健康だから薬を飲むのか?

薬を飲むから不健康になるのか?

よーく考えてみよう。

 


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酒・タバコ、やめて100まで生きたバカ:2019シガーバー&愛煙家通信編

 

★JOKERはチェーンスモーカー

先日、「JOKER」について書いたが、

あの映画の舞台・ゴッサムシティは

明らかに1970年代のニューヨークをモデルにしている。

 

世界一繁栄を誇る、と同時に、

世界一荒廃したこの都市の

底辺生活者の代表でもある、

主人公アーサー、のちのJOKERは、

ひっきりなしにタバコを吸い続ける

チェーンスモーカーだ。

 

アメリカで猛烈な禁煙運動が起こるのは、

その後、80年代に入り、

レーガノミクスという経済政策

(アベノミクスのお手本)が始まってから。

 

1970年代までの喫煙習慣は、

世界中の近代国家で、

明らかに一つの屹立した文化を形作っていた。

昭和までの日本も、もちろんその例外ではない。

 

僕より上の年代の人たちの中には、

ごくまともでも、

アーサーみたいなチェーンスモーカーが

今でも大勢いるのではないかと思われる。

 

★2020世界の模範都市・東京のシガーバー

20世紀、近代国家が成長する過程で

創り上げられた、一つの喫煙文化は、

今、絶滅の危機に瀕している。

 

2020に向けて世界の模範都市になるために、

東京都はますます喫煙に厳しくなった。

弱小の飲食店にも圧力がかけられ、

2020年4月1日から従業員を雇っている店は原則禁煙となる。

都内の少なくとも約84%の店が禁煙になる見込みだと言う。

 

僕の友人がやっている神楽坂の店は、

1950~70年代の雰囲気を売りにしていて、

常連客の大半はスモーカー。

そしてご年輩の人も多い。

 

現在、昼間カフェ、夜はバーだが、

来年4月からは「シガーバー」として営業するようだ。

そうでなければ営業できなくなるのである。

 

完全分煙のために店を改装する費用が出せないのが理由だが、

もはや店内にはタバコの匂いが深く染み付いてしまっているので、

建て替えでもしなければ、煙草嫌いは寄ってこないだろうと言う。

 

「シガーバーも受動喫煙防止法の対象で禁煙になりますか?」

なんて笑い話みたいな質問がウェブ上に載ってたりして、

これはこれで混乱が起こりそうな気がする。

 

★愛煙家通信

 

“あるホテルのシガーバーで、おばさんに「タバコやめてくれませんか」と言われて大喧嘩になったことがある”

 

そう語るのは作家の北方謙三氏だ。

 

これは「愛煙家通信」というウェブサイトに載せられた

北方氏の投稿文の一部。、

 

この文章がめっぽう面白く、こんな一節もある。

 

“男というのはね、女が価値を認めないようなものを

大事にするものなんですよ。

煙になって消えて行くようなものの価値なんて、女にはわかりませんよ。

男なんて人生そのものが煙みたいなものだから、自分と重ね合わせて、

そういう消えて行くものの価値を大切にする。

ほとんどの女は絶対、煙になって消えようなんて思ってないですからね”

 

さすがハードボイルド作家。

人生における喫煙の意味、そして女には理解困難な、

喫煙に対する男の心情を見事に言い表した

含蓄のある言葉である。

 

こじつけ?

そう、タフガイらしい、そのこじつけ力が素晴らしい。

 

この「愛煙家通信」の投稿コーナーは、

「禁煙ファシズムにもの申す」と題され、

さまざまな著名人の意見やエッセイが載っている。

 

ちなみに杉浦日向子氏や上坂冬子氏など、

女性作家や学者なども寄稿している。

 

「たばこはわたしの6本目の指」なんて、

そそられるタイトルで書いているのは女優の淡路恵子氏。

こんな色っぽいことを囁かれたら、

夜のブラックホールに吸い込まれそうだ。

 

好き嫌い、良い悪いはともかく、

なぜ、20世紀の近代国家の成長段階で、

あれほど喫煙が持てはやされ、

一つの文化を7築いたのか、

歴史を知る意味でも

「愛煙家通信」は一読の価値があると思う。

 

★かつては愛煙家、じつは今も

僕はかれこれ20年近く前に25年間の喫煙習慣を捨てた人間だ。

心情的には喫煙者・禁煙者、双方の間を、

コウモリみたいに、どっちつかずで行ったり来たりしている。

 

だから性懲りもなく、毎年思いついたように

この「酒、タバコ、やめて100まで生きたバカ」という

シリーズを書き続けている。

 

それはやっぱり体はタバコを受け付けなくなったが、

心のどこかで、過去の自分を含め、

タバコを吸っていた人たちを愛していたいからだと思う。

早い話、ノスタルジーや思い出の世界。

変わりゆく世界への抵抗、なのかもしれない。

 

時々、あのまま吸い続けていたら、

今ごろどうなっていたか?と考える時もある。

 

もしかしたら今と変わらず元気でいるかもしれなし、

重大な健康障害に陥っていたかも知れない。

中年以降の人生は今とは違ったものになっていたかもしれない。

 

そんなこと、誰にもわからない。

自分にもわからない。

ただ、やめてしまったからこそ、

一つの世界、一つの文化として

却って興味をそそられる部分がある。

 

酒もタバコも人間の愚かしい習慣だと思う。

でも、その愚かしいストーリーがある世界から

たぶん一生離れられない。

  


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インタビュー術「あなたの健康の秘訣は?」

 

インタビューをする人は、

相手にこの質問を投げてみるといいと思います。

 

仕事柄、インタビュー取材が多いのですが、

ビジネス関係だと、通常は仕事の話、商品の話、

サービスの話ばかりになります。

当たり前だけど。

 

それだけで面白く、興味を持てる記事になる場合も、

もちろんありますが、

それだけだとどうも味が薄いなと思うことの方が多いのです。

 

“会社を代表して”応じる社員の方は、

選ばれて出てくるだけあって優等生がメイン。

なので、受け答えも無難な模範解答になりがちです。

 

今時のインタビュー記事に求められるのは、

実はその話している人の人柄です。

どんな人がその仕事について、商品について、サービスについて

語っているのかが結構重要。

読者はその人となりを読み取ろうとします。

 

もちろん仕事の話のインタビューで、

それがメインになることはあり得ませんが、

この「人間味」という隠し味が効いているのと、いないのとでは

かなり出来上がりの文章のクオリティが違ってきます。

 

ただし通常のクライアントさんは、

あんまりそんなの気にしません。

 

それどころか、余計なこと訊いてくれるなという場合が多く、

間に入っているメディアや広告代理店の担当者は、

かなりドキドキハラハラするようです。

でも僕は時間とチャンスがあればやってしまいます。

 

ただし、プライベートなことに関わってくるので、

「あなたの趣味は?」みたいな質問は良くありません。

 

親しい友人同士の間がらならともかく、

初対面のインタビュアー、ライターに

こういうことを訊かれたら、

ほとんどの人は反射的に身構えます。

 

べつにやましいこと、恥ずかしいことをやっているわけじゃなくても、

趣味について語ることは、イコール、人間味をさらけ出すこと。

脳の防御本能が働いてしまう人が大半で、

適当な、当たり障りのない答で逃げられてしまいます。

 

そこで便利なのがこの「健康の秘訣」というキラークエッション。

一通り要件を訊き終わった後で、

「お元気そうですが、○○さんの7健康の秘訣は何ですか?」

と訊いてみる。

 

これだけストレスという概念が普及した世の中で

仕事をしていて何のストレスも感じてないと言う人は

ほぼ皆無と言っていいでしょう。

 

なので質問自体は自然だし、

相手も安心して答えてくれる人、

割とノッて答えてくれる人が多い。

 

そして、その答はたいていスポーツとか、

音楽がやる・聴くとか、趣味の分野と繋がってきます。

すると抵抗なく、趣味や生活習慣、家族などの話に広がっていく。

 

大病や手術をしたなんて、

ちょっとシリアスな話になる場合もありますが、

そういう告白をする人に対しては、

ちゃんと聞いてあげると、むしろたいへん満足します。

 

中には「仕事が楽しくてストレスなんてたまらない」とか、

「健康のケの字も考えてない」とか、

「俺の健康の秘訣はタバコをバカバカ吸うことだよ」

なんて返してくる豪傑もいますが、

それはそれで「じゃ、仕事の時以外では

どんなところで活躍しているんですか?」とか、

「じゃ、タバコとかお酒とか詳しいんじゃないですか」とか、

いろいろ展開でき、相手もたいがいそうした話題には

気分を良くしてくれます。

 

もちろん、このへんの話を全部記事にできるわけではないけど、

相手の人柄がにじみ出してきて、とても面白いです。

 

機会があればぜひ試してみてください。

 


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ネコとロンリーハートと正義のロンリー

 

最近、うちの近所はネコ通りが少ない。

イヌ通りはワンさかあるのだが、

ネコはいったいどこにいるんニャ?

と思ってたら、今日は雨上がりの

公園の散歩道で遭遇。

 

木の上の獲物か何かをにらんで

野性味たっぷり。

と思いきや、おニャカがポヨヨン、

タポタポ状態。

 

赤ちゃんをはらんでいるのか、

それともメタボなのか。

いずれにしてもお腹が重そうで、

ついに木の上には跳び上がれずじまいだった。

 

頻繁にエサを上げに来る人がいるらしく、

むかしこの辺にいたネコは糖尿病になって

死んでしまったらしい。

 

もちろん、エサをあげるのはよくないこと、

人の迷惑にもなるし、

結果的にネコを不幸にするのかも知れない。

 

けど、ネコに癒しを求める

ひとり暮らしのお年寄りとかに、

そういう正義の味方の論理が通じるのか、と思う。

 

ひとり暮らしの年寄りでなくても、

寂しい心を抱えた人は増えている。

そんな現代人を救うのに

ネコほど適した動物はいない。

 

人とネコとの関係は、割とDEEPに考えるべき問題だ。

 


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子どもの中にどんな花を咲かせる種が眠っているのか、誰も知らない

 

●無職・プータローという未来

子どもが自分たちの未来を見つけに行く物語を書こうと思っている。

子どもはどうやって自分の未来を見つけるのだろう? 

 

ここでいう未来とはおもに職業ということになるのだろう。

だとすれば「無職」「プータロー」という未来だって

あり得るのではないか。

今の時代はそれでもOKなのではないか。

それに代わる生きる理由があるのなら。

 

前の時代だったら許されないことだったと思うが、

今は許される。

職業=プロ=お金を稼ぐ、だとすれば。

 

●大人の期待に応えるストーリーにjはもうアキアキ

不登校、引きこもりの子どもは無意識のうちに

「無職」という自分の未来に気付き、

それを選び取っている可能性もある。

 

そんな子どもたちが何かのきっかけで仕事を見つけ、

職業に就く。

めでたし、めでたし――

というストーリーがテレビなどで紹介されることがあるが、

視聴者の大人としてはそうなってほしい、

そういうオチがついていてほしいと期待して見ているから、

製作者もその期待に応えるように作るのだ。

 

でも何か違うような気がする。

学校でだって「将来の夢」に

無職だのプータローだのって書けないから、

そんな子はいないように思えるが、

それはみんな親とか先生とか、

大人の顔色を窺ったり、

慮ってそう言っているような気もする。

 

●子どもの中から未知のエナジーが湧き出ている

現代は親が未来=職業を指し示すパターンが

多いのかも知れない。

しかし、親が子供の未来を決めてしまうのはよくない。

 

昔の身分制社会だったら、

それは当たり前だったのだろうが、

今のような自由社会はそうではない。

 

自由な環境に置かれると人間の中には、

それまでの時代と全く違ったものが

湧き出てくるのではないかと思う。

 

公に差別のあった身分制社会では、

財力も何らかのステータスもない民衆はきつい枠――

たとえとしては不適切かもしれないが、

イヌをつなぐリードとかハーネス、

首輪みたいなものを付けられて、

勝手なふるまいを抑えられていた。

 

今はそれらが解けて放牧状態だ。

僕らの時代でさえも、

「役者になる、歌手なる、漫画家になる」

なんて言おうものなら、

大半の親はだ大反対したと思う。

だが今はそんな頑なに

昔ながらの伝統を守っているような親は少なくなった。

 

基本的に放牧なのに、

親や大人に未来を決められてしまうのは、

自分だけが鎖に繋がれているような思いに

駆られてしまうのではないか? 

 

今、子どもや若者の中からは、

従来の人類にはなかった、何か未知のエナジーのようなものが

内側から湧き出ているのではないかと感じることがある。

 

●人間とは何か?自分とは何か?

ひとりの人間の中に、どんな花を咲かせ、

どんな実を実らせる種が眠っているのかは、

親も誰も知らない。

そして、その本人にさえ分かっていない。

 

揶揄されることの多い「自分探し」だが、

これからは誰もが、何歳からでも、

自分探しをしなくてはならない時代になる。

僕もあなたも日々、そのヒントを探し回っていると思う。

 

もう豊かさを追求する時代は終わった。

人間とは何か?

自分とは何か?

自分という人間は何をするために、

ここにいるのか?

誰もlがそれを追究せざるを得ない時代になった。

 

 

 


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オス犬は令和の時代も片足を上げてオシッコをするのか?

 

今日、久しぶりに片足を上げて

電柱におしっこしている犬を見た。

何か心を打たれるものがあった。

なぜ心打たれたのか?

 

おお、ここにまだオスがいる。

ああ、ここにまだ昭和が残っている。

そう思ったからだ。

 

片足を上げておしっこするのは、

オス犬の所業である。

彼らはオシッコの匂いによって

「われ、ここにあり」と、

自分の存在の証を立てる。

 

それを近所の仲間らに知らしめるわけだ。

「ああ、今日ここを山田さんちの

ごっつい秋田犬のケンさんが訪れたのだ。

ケンさんは強くてかっこいいからな」と、

近所の仲間らは認識し、

ケンさんのところからなるべく離れたところで

「ここなら怒られないかな」と、

シャーっとするわけだ。

 

・・・というのはもはや昭和時代の話なのではないか?

いま、果たしてオス犬たちの間で

街中でこうした仁義を切る習慣は残っているのだろうか?

 

以前は飼犬の多くは番犬、もしくは猟犬の役割を担っていた。

なので野性の本能が残っており、

ゆえにおしっこマーキングの習慣も

当たり前のように続けられていたわけだ。

 

しかし時代は流れ、少なくとも街中にいる犬は、

ほとんどが愛玩犬になり、家の中で人間と一緒に

暮らすようになった。

 

よその犬と争うこともなく、

飼い主さんの言うことを聞いていれば

平和に穏やかに腹を減らせることもないオス犬が

片足を上げておしっこするのだろうか?

 

街中でそんなことをしたら、、

下品な犬、しつけがなってない犬と見られて、、

飼い主が恥ずかしい思いをするので、

子犬の頃からきちんとしつけられ、

おしっこも管理されるのではないだろうか?

 

そう言えば昔ロンドンで暮らしていた頃、

公園などを犬が散歩しているのをよく見たが、

片足上げておしっこしている犬は見たことなかった。

 

そもそも今の生活環境で、

わざわざマーキングして自分の存在を他の奴らに

誇示しなくてはいけない必然性などないように思える。

 

また、老犬になり、自分の体力の衰えを感じても

オスは頑張って片足おしっこするのだろうか?

 

さらにまた、イヌの仲間であるキツネやタヌキ、

先祖と言われるオオカミなども、

オスは片足上げておしっこして存在を誇示するのだろうか?

 

いろいろ疑問が広がるオス犬のおしっこ。

現在の新常識はどうなっているのk?

イヌの飼い主さんがいたら教えて下さい。

 


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なぜ人はJOKERに魅了されるのか?

 

●JOKER誕生の物語?

これは、バットマンのライバルとなる

あの究極の愉快犯「Joker」が

どのように生まれたのか?

 

ひとりの平凡な男が、

なぜ稀代の大悪党になったのか?

 

それを解き明かす物語だと思っていた。

 

観たいなと思った映画は、

いつもなるべく事前に情報を入れないようにしているけど、

どうしてもチラホラと小耳に挟んでしまう。

 

だから、子どもの頃、

親に虐待されたトラウマがどうだとか、

 

分断された格差社会の犠牲者だとか、

 

自分を貶めた偽善者たちへの復讐だとか、

 

いろんな悲劇の上に、

あの残虐な笑いを湛えたサイコパスが生まれた

――という説明がなされるのだと思っていた。

 

それをすごいクオリティでやってのけたから、

ハリウッド製のメジャーな映画は賞が獲れないとされる

ヴェネチア国際映画祭で最高賞を獲ったのだろう。

そう思ってた。

 

そうした先入観はぶち破られた。

 

●原因と結果はそう簡単に結びつかない

悲劇であることは間違いないのだ。

 

ジョーカーになってしまう主人公アーサーの

家庭環境は酷すぎる。

父親も母親もめちゃくちゃだ。

 

それが原因となって、

彼は精神障害を抱えて生きざるを得ない。

 

あのジョーカーキャラの最大の特徴となっている、

誤ってキノコのワライタケを食べてしまったような、

マッドで素っ頓狂な笑いは、その症状であり、

重い十字架になって、差別や誤解のもとになっている。

 

そして当然のように極貧の生活を送り、

社会の底辺から這い上がれない。

それでも彼は年老いた母親のために尽くす良い息子なのだ。

 

そんな彼を社会は蔑み、嗤い、潰そうとする。

その中にはバットマンも含まれている。

 

そりゃ可哀そうだ。

そりゃ恨んだり憎んだりもするわな。

そりゃ悪党・犯罪者になってしまってもしかたない。

 

・・・というふうに、

主人公に同情し、部分的に共感し、理解を示し、

この物語を解釈してしまうことも可能だ。

 

でもそんなにクリアに「わかった、理解した」とは

とても言えない。

そう言ってしまうと、とてもつまらない。

何か違う。

原因と結果がそう簡単に結びつくわけではないのだ。

 

●道化の仕事

主人公のアーサーには一つだけ希望の灯がある。

それは仕事だ。

道化の仕事。

もちろん底辺の仕事だが、

少なくともそれは奴隷労働ではない。

 

彼はいやいやそれをやっているわけではない。

人を笑わせることが好きなのだ。

それで自分もハッピーになれると信じている。

生きがいなのだ。

 

そしてそれは彼の夢である

スターコメディアンの道に繋がっている。

 

ロジカルに説明するなら、

アクシデントによってその仕事を失った時から、

彼が自分の中に潜む悪魔に気付き、

Jokerへの変貌が始まる。

 

けれどもやっぱりそう単純ではない。

 

●現実か妄想か

1970年代の最も治安が悪かった頃のNYC。

その負の部分を凝縮したかのような

ゴッサムシティを舞台にした

このドラマの中にはもっと不条理な何かが渦巻いている。

 

そこには機械化による人間性の喪失を描いた初めての映画、

チャップリンの「モダンタイムス」や、

主人公が破滅していく「タクシードライバー」や

「カッコーの巣の上で」などの

1970年代のアメリカンニューシネマの

オマージュも溶け込んでいる。

 

途中挟まれる、

隣人の女への愛が成就したかのようなシーン。

少し後にそれは彼の頭の中の

妄想だったことがわかるのだが、

その他も全て――殺人をはじめ、

この中で起こるドラマチックな出来事すべてが

アーサーの妄想に過ぎなかったのではないか、

という疑惑さえ抱かせる。

 

●「笑う」という行為の奥底に広がる宇宙

これは1週間以上前に観たのだが、

いったい何をどう書いていいのか、わからなかった。

 

そろそろ書けるかなと思って書いてみたけど、

やっぱりダメだった。

 

ただただ、圧倒的なクオリティ。

娯楽映画のはずなのに、その行間にある深淵がすごい。

 

悲劇も喜劇も、悪も正義も、

愛も憎悪も哀しみも、すべてを包みこんだ「笑い」。

 

人間の「笑う」という行為の奥底に

天使と悪魔がせめぎ合う宇宙が広がっている。

 

遥か昔から数多の作家や芸術家たちが、

その宇宙の秘密をつかもうとしてきた。

この映画は漆黒の宇宙に浮かぶ

星のカケラを見せてくれる。

 

僕はフェニックスのJokerに魅了されている。

 


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ラジオドラマ脚本「ちぢむ男」完成

 

毎度のことながら、創作部の仕事は、

出来上がるとすごくうれしい。

 

「ちぢむ男」は

最初のアイデアから約1年。

 

アイデアが熟してきたら

何となくのあらすじを書く。

 

今回は5パターンくらい書いた。

 

実際の執筆は2か月程度。

たいてい初稿から半分以上は書き直す。

 

今回は最初の10枚くらいがなかなか決まらず、

かなり大胆に手術した。

 

コテコテ書き直しを繰り返した。

結果、当初考えていたのと全然ちがう話になった。

たぶん、最終稿は第7稿。

やってる間、ずっと面白かったけど、

ずっと抱えているわけにはいかない。

ので本日、コンペに投稿。

 

一昨年の「ばんめしできたよ」は

書き直しを繰り返して、しつこく3回出したが、

結局、うち2回は最終選考まで残った。

 

昨年の「星のおじいさま」は

一次予選敗退。

 

「ちぢむ男」はどこまでいくか?

 

ま、宝くじみたいなものなんで、

当分の間、夢を抱えて生きられる。

 


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認知症の義母は、オバケのQ太郎だった

 

●ばなな氏の「私のQちゃん」

オバケのQ太郎全集の2巻の最後に、

作家のよしもとばなな氏の解説が載っている。

 

彼女は大のQちゃんファンで、

藤子・F・不二雄先生が亡くなった時、

肩にQちゃんの入れ墨を入れたそうである。

 

彼女がこの解説で書いていることは、

いちいち自分にも当てはまる。

 

思えば、ラーメンという食べ物を初めて知ったのも、

オバQの小池さんに出会ったからだ。

小池さんが食べるラーメンの美味しそうなことと言ったら!

 

というわけで、マンガとともに

よしもとばなな氏の話にすっかり共感し、

より深いオバQワールドに入り込みつつある。

 

ばなな氏は、ドラえもんよりもQちゃんに肩入れしているが、

その理由は、ドラえもんが役立ちすぎるのに対して、

Qちゃんはほとんど何の役にもたたないからだと言う。

 

まさしくまさしく。

 

僕も役に立って頼りになるドラえもんより、

役立たずで全然頼りにならないQちゃんが大好きだ。

 

さらにばなな氏は、Qちゃんのキャラクターを評して、

“涙もろいし人情家ではあるけれど、わがままだしマイペースだし、

怒りっぽいし、案外なんでもすぐ割り切るし、けっこうクールなのだ”

と言う。

 

●オバQ要素てんこ盛りの認知症

これを読んで気づいたことがある。

 

義母そっくり。

 

もちろん、人によって違うだろうが、

認知症の人の多くは、こうしたちょっと

マンガチックなオバQ要素を

いくつか持っているのではないかと思う。

 

そうか、義母はオバQになったのだ。

僕は相棒の正ちゃんである。

そう考えると、一緒に過ごす日々が

楽しいし、愛おしくなる。

 

この2巻と3巻の表紙のQちゃんの表情は

本当にそっくりだ。

(ラジカセで昭和歌謡を聴いて歌うのが日課になっている)

 

第3巻ではQちゃんの家族がやってきたり、

正ちゃんを連れてオバケの国へ行ったりする。

 

●人間族はオバケ族に還る?

そこで妹のP子ちゃんがオバケの国のことを物語る。

 

「ずーっとむかし、地球にはオバケ族と人間族がいたんですって。

ところが世の中が進歩するにつれて、

ノンビリ屋のオバケは人間にかなわなくなくなったの。

 

多い詰められたオバケは、人間をおどかしたこともありました。

このころの言い伝えが、いろんなバケモノを想像させたのよ。

 

しかし、けっきょくオバケは雲の上に逃げ出しちゃったの。

オバケはうそをついたり、人をきずつけたりできなかったからよ」

 

子どもの頃は、ただ面白がって笑っていたけど、

大人になってオバQを読んで、

これほど考えさせられるとは思わなかった。

 

社会で役に立たなくなった認知症の人は、

人間の悪い部分が抜けて、

オバケみたいなところだけが残るのかも知れない。

 

オバケの国に帰る日まで良い友達でいたいと思う。

 


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認知症の義母の価値はどうやって見つけるか?

 

認知症の義母とこの4ヶ月一緒に暮らしているが、

昨日と今日はいない。

施設のショートステイに預けたのだ。

特に理由はないのだが、いわゆる「ならし」で

一度、利用してみようと思った。

 

将来的に、もし自分たちで面倒を見られなくなったら、

施設に預ける―ーその伏線でもある。

 

認知症患者専用のフロアには

魂の抜けたようなばあちゃんたちが大勢いた。

(なぜだか圧倒的に女性が多い)

比べるのは悪いが、義母は比較すると相当元気だ。

 

残していく時にはちょっと胸が痛く、

逃げるように出てきた。

 

久しぶりにカミさんと二人だったので、

新宿に行って映画を見てきた。

 

義母がいないと気楽だし、仕事もはかどるが、

ちょっと寂しい。

 

これはどういうわけだろう?

 

義母はもう社会の役には立たない人だ。

それでも一生懸命、僕らの役にたとうと

料理や掃除を手伝いたがり、洗い物や片づけを手伝う。

 

効率性を考えると、少々邪魔なこともあるが、

「手伝わなくいいよ」とは言えない。

 

役にたちたいというのは、

人間の本能の次に来るものだ。

自分の存在の証明でもある。

 

小さい子どもも役に立たないが、

子どもは「可愛さ」それ以上に「未来」という

大人にとって圧倒的にありがたいプレゼントをくれる。

 

残念ながら、老人にはそれがない。

子どものようになってしまっても、子どもではなく、

子どもと同じ価値もない。

 

ほとんど役に立たず、わがまま、マイペース。

おまけに認知症だとトンチンカン。

明日迎えに行ったとき、

はたして僕やカミさんのことを憶えているかも怪しい。

しかし、言葉にできないが、価値はあるのだ。

 

彼女といかに楽しく暮らし、

そのまたとない価値を見出せるかが、

僕の生きるテーマとなりつつある。

 


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葬儀屋さんの黒にんにく

 

黒にんにくって初めて食べたけど、うまい!

これは隠し味的調味料として最高です。

チャーハン、野菜炒め、トマトスープ、ミートソースなどに

入れてみたが、いずれもGood。

甘みと酸味と、ちょっと苦味があって、料理にコクが出る。

 

黒にんにくは、生のにんにくを高温高湿の環境で

2~3週間、熟成発酵させて作る。

アミノ酸が凝縮され、老化の原因となる活性酸素を

除去する力があると言う。

 

実はこの黒にんにくを作っているのは葬儀屋さん。

先週、取材に行った山梨の葬儀社「コーリング」では、

後継者不足で休耕地になった畑で

黒ニンニクのもとになる

ジャンボにんにくを生産している。

 

このニンニクを賞品かしたら大いに当たって、

「じゃん丸くん」としてブランド化。

地域の名産品になり、

ファーム事業部も社内に設けた。

 

葬儀社のファーム事業部って、

ちょっと妙な感じもするが、

真っ当なビジネスになるのであればOK。

地域貢献にもなるし、

ニンニク商売が媒体となって

本業にも良い影響を及ぼしていると言う。

葬儀屋だから、農家だからと専門にこだわらす、

チャンスが出来れば、いろんな分野の仕事を

柔らかくやっていけるといい。

 


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人間とロボットの未来は、トイレ掃除がカギを握っている

 

●トイレ掃除はサービス業の大問題

お店のトイレに入って清掃表を見たことはあるだろうか?

「決められた通り、○時○分にお掃除しました」という証明に、

それぞれのスタッフがハンコを押すアレ。

 

あれを見るたびに、

「ああ、もっとスタッフが楽できる方法はないのかなぁ」と

思ってしまう。

 

そして、このAI・ロボット社会の黎明期にあって、

このトイレ掃除こそ、

いの一番にロボットの力を借りるべき部分ではないかと思う。

 

大勢のお客さんが出入りするお店は、

とにかく掃除が大変だ。

やってもやってもすぐに汚れてしまう。

そのため、30分おきとか1時間おきとか、

かなりの頻度で掃除しなくてはならない。

 

けっして生産的な仕事ではない。

にもかかわらず、重要度は相当高い。

トイレがきれいか汚いかというのは、

その店の印象を大きく左右するからだ。

 

特に飲食店などではイメージを決定づける一大要素になる。

どんな高級レストランや、お洒落で美味しいお店でも、

トイレが汚かったりすると、どっちらけ。

食事の満足感がご和算になったりもする。

 

男の僕がそう思うくらいだから、

女性はもっと敏感だろう。

 

●トイレこそ機械不可侵の、人類の聖域

もちろん、ちゃんとした経営者は

そういうところがよくわかってて、

スタッフに指示してまめに掃除を行う。

 

しかし、ヒマな時間ならいいけど、

多忙な時間にそれを実行するのは、たいへんな負担だ。

少し大げさかもしれないが、

サービスの質を落とすことにもなりかねない。

 

それで僕はロボットに掃除を任せよう

――と提案するのだが、

これは意外とハードルが高いようだ。

 

床掃除のロボットはすでに出ているが、

トイレ掃除のロボットというのはまだ聞かない。

 

ロボットにとってトイレという場所は難易度が高い。

何といっても水を使う場所は、機械に不向きだ。

 

自分でやってみるとわかるが、トイレ掃除は

床掃除などと比べて、ずっと複雑で細かい動作を必要とされる。

それも割と小さなスペースの中で動かなくてはならないので

けっこう大変だ。

 

そしてまた、排せつはロボットが体験できない行為。

ウンコやオシッコの構成物質については

科学的に分析出来るのだろうが、

人間があの空間に求めるデリカシーを

はたしてどこまで理解し、配慮し、実現できるのか。

 

ある意味、トイレこそ最も人間らしいスペースであり、

機械が入り込めない最後の聖域なのかもしれない。

 

●ロボットカフェがオープンしても、

トイレ掃除は人間の仕事

ところで今度、12月5日に渋谷の東急プラザに

「Peppar PARLOR」なるカフェがオープンする。

「ロボットと過ごす未来を体感できるカフェ」が

キャッチフレーズで、

店名の通り、かのPepparくんをはじめとする

ロボットたちがおもてなししてくれるようだ。

当然、話題になるだろうし、

僕もぜひ行ってみたいと思う。

 

https://robotstart.info/…/…/06/pepper-parlor-menu-robot.html

 

だけど、Pepparくんは看板スターだ。

トイレ掃除なんかしないだろう。

 

床掃除をするロボットはいるらしいが、

こいつもトイレは無理だと思う。

 

今日までマイナビでアルバイトの募集をしていたので、

トイレ掃除は彼ら・彼女ら人間の仕事になるに違いない。

 

(トイレはお店専用でなく、そのフロアの共用トイレを使う

可能性があるので、Peppar PARLORのアルバイトさんたちは

掃除はせずに済むかもしれない)

 

要するに、AI・ロボット社会は始まったばかり、

まだそういう段階だということ。

 

●トイレ掃除ロボットは今後最大のビジネス

しかし、こうした問題のあるところにこそ

ビッグなビジネスチャンスがある。

 

ロボットメーカーか、トイレメーカーか、清掃会社か

いずれか、あるいは共同で、

高性能(と言っても人間お清掃員ができるレベル)の

トイレ掃除ロボットを開発したら、

とんでもなく儲かるのではないだろうか。

 

店でも駅でも公共施設でも、

入口の隅でちょこんと坐って待っているロボットが、

トイレの汚れを感知して、いそいそと入っていって

キュキュキュと素早くきれいにしてくれる――

そんなトイレ掃除ロボットが活躍じ始める時こそ、

本格的なAI・ロボット社会が来るのではないかと思う。

 


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人間味豊かな会社だね、と思われたい

 

先日、とあるIT企業に取材に行って感じたことがある。

彼らは自社が提供する製品――システムの優秀さよりも、

そのシステムの運用をサポートし、、

お客さんと心を砕いたコミュニケーションを取っている社員が、

いかに人間味があって優しいかをアピールしていた。

 

それが何だかすごく面白くて、

もしかしたら、これから先はこういう会社が

増えるかも知れないなと思った。

 

システムエンジニアなどの仕事をしていると、、

毎日、年中、コンピュータに向き合わなくてはならない。

 

AIの保守管理についてはよく知らないが、

その担当者もやはり機械と向き合う日々なのだろう。、

 

そうした人たちはたぶん、

パソコン漬けの生活を続けることに対して

そこはかとない危機感を持っている。

 

そして、同じ社内の人たちも、

どこかでそういう人たちの生活状況を慮っている。

 

あまりクールで機械的なイメージが鼻についてしまうと、

お客さんから嫌われたり、

社会に対する企業イメージが低下すると思っているのだ。

 

カッコいい車やマシンやロボットを作っている会社なら、

クールでカッコいいイメージの方がウケるだろう。

 

しかし、システム開発といった“普通の”IT企業だと、

あんまりクールでスマートな自己イメージには

抵抗があるのではないだろうか。

 

それよりもちょっとくだけたところ、抜けたところ、

笑えちゃうところ、人間として可愛いところをアピールしたい――

あたたかい人肌のある会社だと思われたい。

そう考える。

 

AI・ロボット時代において、

優秀である、役に立つ、機能的である――

といったエリート人間の

価値は下がるかもしれない。

 

それよりも「人間味」がより高い価値をもち、

重要なキーワードになる。

そんな気がする。

 


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なぜキャンデーズが三体のコケシのように見えたのか?

 

●その日の衝撃ビジュアル

先日、たまたまテレビで

キャンデーズが歌っているのを目にした。

懐メロ歌番組をやっていたのだろう。

 

その時、反射的に「頭でかっ!」と思った。

まるで三体のコケシが並んで踊っている

――というより体を動かしているように見えてしまった。

 

結構な衝撃ビジュアルだった。

キャンディーズファンの人が読んでいたら、ごめんなさい。

 

キャンディーズは確か僕より少々年上だから、

もうオーバー還暦だ。

少年の頃、テレビで見ていた時は、

それなりにスタイルの良いアイドルに見えたが、

なんだだろう?

 

答はカンタンだ。

現代の小顔でスラッとスタイルもよく、

ダンスもうまい若いアイドルを

いっぱい見慣れているからである。

 

キャンディーズと現代の何チャラ48とか46を

比べたことはなかったけど、

その日改めてその大いなるギャップに気付いた。

 

●若い世代は進化している

やはりこれは「進化」なのだろう。

他の国の人のことはよく知らないが、

日本人は明らかに進化している。

 

世代が進むごとに、外見もスタイルもよくなり、

歌やダンスやスポーツのパフォーマンスも上がり、

頭もよくなり、いろんな能力も上がっていると思う。

 

そんなことを言うと、メイン視聴者である

おっさんやおばさんの機嫌が悪くなるので、

テレビなどは

「今時の若いもんはこんなアホでダメダメですよ~」

みたいなことをよく言うが、

総合的能力としては

明らかに若い世代の方が勝っている気がする。

 

社会が豊かになり、余裕ができたおかげなのか。

まずベーシックな衣食住が整い、インフラも整った世界に変わった。

 

その中で、巷にあふれるいろんなメディアから

音楽を、アートを、アスリートの活躍を、

そして夥しい量の情報を日々、

シャワーのように浴び、空気のように吸い、

目から、耳から、鼻から、お尻の穴から採り入れていると、

知らず知らずのうちに人間の心身は化学変化を起こす。

若い世代にはそれが顕著だ。

 

●DNAが弾けて未来は天才だらけ?

思うに、人間はもともと環境に合わせて

とても柔軟に対応し、進化できる生き物なのだと思う。

 

生物学的なDNAとはべつに、

社会的・環境的DNAと呼べるものも

備わっていて、それが働くのかもしれない。

だからこれだけ地球上で繁栄しているのだろう。

 

AI・ロボットが面倒な労働を引き受け、

人々が普通に宇宙に行く時代になれば、

ますますそうした社会的・環境的DNAが弾けて、

もっともっと非常識な才能を持った、

現代なら「天才」と呼ぶべき人間が

普通に街にあふれるようになるだろう。

 

そういえば最近、いろんな天才キッズが

メディアで紹介されるが、彼らはその先駆けなのだろうか?

 

僕らのひ孫くらいの時代になると、

とんでもない才能にあふれた子どもらに

囲まれて暮らすことになるんじゃないだろうか。

 

ちょっと怖いけど、怖いくらいのほうが面白い。

 


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若者がレコードを聴くのは、デジタル時代へのアンチテーゼなのか?

 

最近のレコード事情について勉強していて、

「デジタル化が進む現代に対するアンチテーゼとして」

という一文に出会った。

 

音楽産業マーケティング「MusicWatch」が調べたところ、アメリカにおけるアナログレコードの購入者は35歳以下が全体の7割を占め、学生時代からインターネットやパソコンのある環境で育ってきたデジタルネイティブ世代の需要が高いようです。

 

その理由は、デジタル化が進む現代に対するアンチテーゼ。楽に音楽を聞くのではなく、A面からB面へとひっくり返すような手間こそがライブやフェスに参加するような「非日常的な体験」として若者たちから支持されています。

 

また、レコードならではの「所有感」も若者は魅力に感じているようです。デジタルは簡単にコピーされてしまうのに対して、レコードは自分だけのもの。「個人の所有物」という感覚が持て、他の人とは違う満足感や達成感を味わえることが嬉しいようです。

 

「どうやって売る? どこに売る? レコード買取ナビ」

http://www.dokoniurou-record.net/market/youth.html より引用

 

 

一言で言ってしまうと、今の世の中で、

自己喪失の恐怖を

若い連中は肌でひしひしと感じているのだ。

 

ハロウィーンの子供じみたバカ騒ぎも、

そうした不安や恐怖から逃れる、一つの手段なのだろう。

 

大人は否定的に見るが、

僕も10代・20代だったら、

同じように渋谷に繰り出して騒いでいただろう。

今はそういう気分にならないことに、

ちょっぴり寂しさを覚えたりして。

 

いずれにせよ、今年は大した事件やトラブルが起こらなくてよかった。

 

話を戻すと、自己喪失の恐怖に襲われることは、

何も今に始まったことではない。

昭和だって、明治だって、江戸時代だってあっただろう。

むしろ、それは一生懸命生きている証拠なのではないか。

 

ただ、現代は情報化が進んでいるので、

誰もがより自覚的になっているのだと思う。

昔と比べて、みんな識字率が上り、

知識が豊富になったのだkら「しかたがない。

 

潰れないようにがんばれと言うしかない。

でも、レコードを発掘して、

デジタル化時代のサバイバル方法を工夫するなど、

彼らは彼らで、ちゃんと対策をしている。

 

子どもは放っておいても育つもの。

大人はそんなことに余計なおせっかいをする前に、

子どもらが呆れるような、自分たちの言動を見直した方がいい。

まだまだ先は長いんだから。

 


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見捨てられた恋人のようだったアナログレコードが、 なぜ絶滅の淵から回帰したのか?

 

●古き時代への浪漫、だけではない

長年、レコードコレクターがいるのは知っていたが、

それは考古学者が目を輝かせて

恐竜の化石を発掘する

―ーそうした喜びに似ているんだろうと思っていた。

 

ひとことで言えば、過去へのノスタルジー。

古き時代への浪漫、郷愁。

 

年輩のコレクターにはこれに当てはまる人が多いようだが、

最近のレコード事情を探ってみると、

どうもそれだけではない。

 

アナログレコード未体験の若い世代の中にも

結構レコードファンが増えているのだと言う。

 

どうやら彼らはレコードを、

CDやYouTubeやデジタル配信と競合するものでなく、

まったく別種のメディアとして捉えているようだ。

 

●アナログ未体験世代に非日常を提供する

それは形態の違いというよりも、

「聴くスタイル」の違いだ。

 

音楽を聴くのなら、レコードかラジオ、プラス、

ごく一部のテレビ音楽番組など、

非常に限られた選択肢しかなかった僕たちと比べ、

今の若い奴らは何でも選び放題だ。

それにお金もたいして掛らない。

 

その豊富な選択肢の中から、

他と比べて高価なアナログレコードを選ぶのは、

なぜなのか?

 

また、デジタル配信などで聴いている

同じアーティストの同じ曲を、

わざわざアナログレコードで聴くというのは、

どういう心理が働くからだろうか?

 

もちろん人それぞれ理由があると思うが、

あえて概論として考えてみると、

それは生活の中のいろいろなシーンに合わせて

「聴くスタイル」を変えるから、ではないだろうか。

 

デジタル系の音楽が、

掃除や洗濯の時のBGM、

仕事をするときのBGMなど、

日常に溶けこんだものだとすれば、

 

アナログレコードは同じアーティスト、同じアルバム、

同じ曲を聴いても、

それは「非日常体験」になるんだろうと思う。

 

プレイヤーの上に盤を置き、

アームを上げて、静かに針を落とし、

数秒間、演奏が始まるのを待つ。

 

そんな面倒な作業を通して得られる、

何ともいえない緊張感は、

演劇や映画を観る時の体感に似ている。

 

ライブコンサートも非日常体験だが、

それと異なる、自分だけの非日常の世界。

間断なく入り込んでくる情報という名のノイズに

侵されない聖なる時間。

 

そういう世界・時間を内に持つことは、

事あるごとに「社会の歯車」的な感覚を覚え、

アイデンティティを見失い、

日々、生きる意味を問われる今の時代にあって、

自分を育てるのに大切なことだ。

 

ジャケットなどのアートワーク、

歌詞カード、ライナーノーツ、

さらにさまざまな「おまけ」など、

その音楽にまつわるストーリーが

パッケージされたレコードは、楽しさとともに、

そうした自己育成のタネも与えてくれる。

 

●アナログレコードが真価を発揮する時代が来る

1980年代後半の軽薄短小の時代、、

重くて嵩張って、収録時間も短くて、

もはや無用の長物じゃないかと思ったレコード。

 

多くの人が、こんなもの、20世紀の化石じゃないかと審判し、廃棄・二束三文売却の対象となったレコード。

 

見捨てられた、かつての恋人のように、

ネグレストされた子どもか老人のようになってしまったレコード。

 

けれども、その命はレコードを愛する人たち、

レコードを生きる支えにする人たちの手によって守られ、

この30年余りの間、途絶えずに継がれてきた。

命は耐えていなかった。

 

絶滅の淵から回帰したアナログレコード。

一度廃れたからこそ、レコードの文化は

これから先、その奥底に眠っていた真価を発揮し、

人間の心を癒し、活性化させるメディアとして

再び成長するのかもしれない。

 

新しい仕事を戴いたことをきっかけに、

レコード文化復活にまつわる様々なストーリーを探り、

描いていけたら、と思う。

 


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アナログレコードとの再会

 

とあるレコード店のコピーライティングを

やることになった。

音楽、レコードは大好きなので、とても嬉しい。

 

が、待てよ。

じつはもう30年以上、まともにアナログレコードを聴いてない。

 

僕がアナログレコードを熱心に、

それこそ盤が擦り切れるほど聴いていたのは、

中学生から25歳まで。

 

ロンドンで働くために、それまで住んでいた

江古田(練馬区)のアパートを引き払った時、

ステレオセットを売り払ってしまい、それっきり。

今から思えば、わずか10年余りの期間だ。

 

でもその10年は今の10年と全然違っていた。

いわゆる日常生活やお金を稼ぐ仕事は適当にうっちゃいといて、

本と音楽と演劇・映画に浸っていた。

 

一枚のレコードはA面・B面合わせて

短いのだと30分少々、長くても50分くらい。

でも、その1時間に満たない時間が、

とてつもなく豊かだった。

 

仲間や友達、あるいは付き合ってた女の子と

いっしょに聴くことも、たまにはあったが、

基本的に一人で聴いていた。

 

酒を飲んだり煙草を吸いながら、

集中してひたすらその音楽世界と向き合っていた。

アナログレコードではそれができた。

 

それがCDになり、ネット配信になり、

ほとんどがもうBGMというリスニングスタイルだ。

 

好きな曲を2~3曲、手を止めて聴くこともあるが、

レコードを聞いていた頃の感覚とはほど遠い。

 

実はCDに移行した後も、

200枚くらいのレコードを引っ越しのたびに持ち歩いていた。

 

20年以上も聴いてないのにずっと持っているのはどうもなぁ、

部屋も手狭だしなぁと、、

7年ほど前に処分することを思い立った。

 

某レコード店に何度か通い、大半を売りさばいたが、

話によると、その頃は最もレコードが不人気だった時代に

合致するらしい。

 

次いで3年ほど前に、義弟がコレクターになり始めたので、

残りは彼に譲ることにした。

 

以前、父の職務室兼応接間だった実家の一室が、

今では彼のご自慢のオーディオルームに変貌し、

棚にどっさりアナログレコードが収まっている。

 

そのうちの百枚ほどが自分の人生の半分を

連れ添ってきたレコードだと思うと、なんだか不思議な気分になる。

 

しかし、それでもまだ最後の10枚ほどが手元にある。

思いがけず、仕事で再びレコードの世界に入れるとは・・・

人生、面白い。

割と自分思い通りになるものかも知れない。

 

というわけで、最近のアナログレコード事情を

勉強し始めたところです。

 


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映画「典座―TENZO―」はおいしい精進料理映画

 

全国曹洞宗青年会が映画を製作した。

今年のカンヌ映画祭・特別招待部門に出品された作品だ。

 

タイトルの「典座(てんぞ)」とは、

禅宗の寺院で僧侶や参拝者の食事を司る役職。

平たく言うと「調理師」「料理番」だ。

 

曹洞宗では日常におけるすべての行いが修行の一環であり、

修行堂において、典座職は特に重んじられている。

そしって典座の教え(典座訓)は調理のみならず、

仏道を歩むうえで非常に大切な教えをたくさん含んでいるという。

 

主人公は修行時代、その典座職を経験した二人。

3・11で寺も檀家も家族も失い、

今は瓦礫撤去の土木作業に携わる僧侶と、

その弟弟子で、

ひどい食物アレルギーの息子を抱えて暮らす僧侶。

 

とても人間臭い若僧らが日々の生活に苦闘しながら、

一般人からの電話での「人生相談」に応じる姿には、

とても美しいものを見た気がした。

 

宗教臭い、小難しい映画ではない。

映像はあくまで美しく、今を生きる人間の呼吸を感じられる。

 

もちろん、いわゆるエンターテインメントではないが、

「おいしい精進料理映画」といった趣だ。

 

同青年会が映画製作を思い立った理由として、

3・11以降、自分たちが「求められる」と感じており、

世に活動を見せたい、奮闘する姿を知らせたいという思い、

また、自分たちを鼓舞したいという思いががあるようだ。

 

彼らの思いとは違って、

僕には世界の宗教離れはますます進んでいると感じている。

江戸の昔、地域のお寺には人生のすべてが詰まっていたが、

今は子育ても、教育も、医療も、人生相談も、冠婚葬祭も、

すべてが産業化されてしまった。

 

その中で僧侶は、、お寺は、いかにして生きていくのか?

社会のために働けるのか?

大きな課題となっている。

 

実は月刊仏事の連載企画「寺力本願(じりきほんがん)」で

この映画の主人公を演じた、

山梨のお寺の僧侶を取材することになっている。

 

この映画を体験した意義、

日本の、世界の観客の反応について訊いてみたい。

 


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サンマの未来はどうなるのか?

 

●今秋の初サンマ

今年のサンマ、高っ!

スーパーに行くと、いつもチラ見していたが、

たまに「おお安っ!」と思ったのは、例外なく冷凍モノ。

生サンマは一尾300円前後のお値段で推移している。

しかもなんだかダイエットしてきたような

スマートな奴、ヒョロヒョロの奴ばっかりだ。

 

以前はこの季節、週に一度はサンマを食べてたが、

年々その頻度は減り、

今年は何度か不漁のニュースを聞き、

半ば諦めかけていた。

 

しかし、昨日はついに一尾100円を切り、96円!

もちろん生、しかもプリプリと太り、脂肪たっぷりだ。

 

ジュージュー焼いた。

七輪はないので、ガスレンジだが、

それでも十分ジュージュー言って、

きれいに焼けた。

 

今年の初サンマは美味かった。

遅ればせながら、わが家の食卓にも

日本の秋がやってきた。

 

●遠ざかるサンマ

サンマの不漁は2つの要因があるらしい。

 

地球温暖化による海洋環境の変化。

温暖化によって海水温がどんどん上がり、

魚が生息する場所が変わってきた。

 

ちょっと前までは、「ふーん、そうなんだ」

と聞いていた情報が、

だんだんボディーブローのように効いてきた。

 

そしてもう一つは社会環境の変化。

中国や台湾など、ひと昔前までは

サンマが商売になるなんて思ってもいなかった国々が、

日本文化に触れて「サンマって美味しい」

ということを学んだがために起こった

グロ―バリズム問題の一つともいえる。

 

地球は変わる。

世界は変わる。

 

いずれにしてもこのままでは、

サンマを安く気楽に食べられた時代は

だんだん遠ざかっていく気がする。

 

●サンマの養殖?

で、あなたや僕が考えるのは、

養殖はできないのか? ということ。

 

これまでの常識として、

うじゃうじゃ獲れるサンマの養殖なんて

誰も考えなかったし、

そもそもそんなの無理と言われてきた。

 

しかし今や、マグロやサーモンの養殖だって可能な時代。

サンマだってけっして不可能とは思えない。

 

ただ、寿司ネタとしても重宝される

マグロやサーモンと違って、

サンマは一尾100円――という安さが魅力の大衆魚。

 

いちばんのネックは、そこまで研究開発コストをかけても

そうそう高く売ることはできないってこと。

回収できるのか? 採算が合うのか? 

 

秋深まり、サンマの未来、食の未来、

日本の、世界の、地球の、お天気の未来が

どんどん気になってくる。

 


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津島市・観音寺の仏画アート

 

月刊仏事の取材で愛知県津島市へ出張。

名古屋から電車で30分ほど。

 

駅からほど近い観音寺は小さなお寺だが、

ここの若き副住職は以前、

マンガ家のアシスタントをやっていて

ご覧のような仏画を描き始めた。

 

ガレージを改造したギャラリーで公開中。

 

 

 

この仏画を入れた御朱印をネットで公開したら

大評判となり、

全国から、海外からも御朱印目当てで人が来る。

 

彼自身はまだまだ僧侶として修行中の身で、

アートはあくまでお寺・仏教に

興味を持ってもらう入口と話す。

 

この画力を法力にして、若い仲間と

新しいお寺づくり・地域づくりに取り組む。

応援してます。

 


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時が止まった部屋レビュー 「現代の聖職者による現代人必読の書」

 

先日、出版社の編集者から「Amazonレビュー、トップです」とお礼メールを戴いた。

 

遺品クリーンサービスの小島美羽さんが書いた

「時が止まった部屋 ~遺品整理人がミニチュアで伝える孤独死のはなし~」のレビューである。

 

じつはあんまりAmazonで本を買わないので、

レビューを書く資格がない。

というわけで、その編集者さんにメールで送ったら、

ご家族の名前で載せて戴いた。

 

べつに提灯記事ではなく、本当に良い本だな、みんなに読んでほしいなと思ったので、割と熱を込めて書いた。

 

ちょっと照れるけど、おおぜいの人に

「役に立った」と言われると、単純に気分がいいものです。

 

著者であり、ミニチュア作家の小島さんの人柄も素晴らしい。

僕のレビューを読んで(読まなくてもいいけど)

興味を持ったら、ぜひ読んでみてください。

 


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スマホ充電と健康ダイエット

 

「つねに腹八分目は健康の秘訣なり」

というのは、人間だけでなくスマホにも通じる法則だ。

 

いつもほとんど空っぽになるまで使い切り、

そのたびにフル充電する――

 

こうした充電方法は、極限まで腹ペコになったところで、

「うおおおおおおおおおお!」と、

ドカ食いするのと同じ。

 

こうした生活習慣(使用習慣)をつけてしまうと、

バッテリーに大きな負担がかかり、

寿命が短くなってしまうのだそうだ。

 

長持ちさせる秘訣は30%くらいになったら充電。

できればフルにせず、80~90㌫に止めておくことが

長持ちさせる秘訣とか。

 

電気の過食・虚飾は厳禁です。

 

ロクに使わないアプリをどっさり搭載するのも

皮下脂肪を貯め込むのに似てる。

 

年一度くらいは、

生活習慣(使用習慣)をチェックして

メタボなスマホのダイエットを実践しよう。

パソコンもね。

 


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