中年期以降の同窓会幹事の心のゆらぎ

 

 4月の同窓会まで1ヶ月を切り、ほぼ連絡が行きわたったようなので、手伝ってくれてる二人にメールを送って情報をとりまとめる。

 直前まで出欠変更は可能だけど、とりあえず人数を店に知らせておく必要があるので。

 

 この仕事、20代の頃は単なる飲み会の連絡係・会計係に過ぎなかったのだが、齢を経ると様相が変わる。

 

 飛び級で早々に人生を卒業してしまったのも二人ほどいる。

 

 それぞれの生活環境などわからないし、家族のこと・仕事のこと・お金のこと・健康のこと、ぞれいろいろ問題抱えているだろうし、長く生きているといろんなことが起こる。

 

 40年前と寸分たがわぬキャラ丸出しのメールが来て笑っちゃうこともあれば、できれば聞きたくなかったこと(相手も話したくなかったこと)を聞くことにもなる。

 

 名簿を見ながら、だれだれ出席、だれだれ欠席と、漢字4~5文字の本名を書いていると、これ誰だっけ?と認識できなくなるケースもチラホラ出てくる。

 特に女子は名字が変わっていることが多いので、なおのこと。

 

 そこでそれぞれ当時の愛称・通称・あだ名などで書き換えてみると、たちまち顔が思い浮かび、声が聞こえてきて、キャラクターが立ち上がる。

 身振り。口振り・服装・背景・いろんなシチュエーションまで再現できたりする。

 

 そうやって名前を書き出すと、今回は欠席でも次回また声を掛けようという気になる。

 

 でも連絡先がわからない・つながらないのもいる。

 また、もう連絡なんかいらないと思っているのもいるだろう。

 しかたないことだけど、幹事なんかやっていると、ここまできちゃうと、そういう人たちとはもう完全に切れちゃうだろうなと思う。

 切っちゃう権限が自分にあるのかなとも考える。

 

 もしかしたら以前は同窓会なんてどうでもいいと思っていたけど、今になってみると行ってみたいな、連絡があればなぁ、声掛からないかなぁ・・・と待っていることだってあるかも知れない。

 

 「あいつがお願いって声掛けてきたから、しかたないので来てやったよ」

 ――今ならそういうやつがいてもOKと笑えるだろうなぁ。

 

 こんなよけいなこと考えずに、クールに事務的にさっさと進めればいいのに、なんかいろいろ引っ掛かっちゃうんだよなぁ。

 


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テープ起こしの日々

 

 取材が続いたので、今週はテープ起こしと原稿書きの日々。

 きょうは先日の里山農業プロジェクトの野田君の音声を起こしました。

 録音を聞いてみて、やっと彼のヴィジョンが理解できる。

 思った以上に深く、広がりがある。

 これを一旦メモ帳に書き記して、その後、あっちこっち編集したのにプラス、合間合間に自分の文章を書き入れていく、というのが取材をした記事のオーソドックス(僕にとっては、ということだけど)な書き方です。

 

 テープ起こし(機器はICレコーダーですが)は面倒な作業で時間もかかるし、重労働ですが、手ごわい内容は、これをやらないとどうにも頭にすんなり入ってきません。

 テープ起こしをアウトソーシングすればラクに早くできるのだろうけど、そんな経済的余裕などないし、それにそう横着しちゃうと、なんだか寂しい気持ちになる。

 頭の回転が鈍いので、何度も反芻しないとよくわからないんだよね。

 この後もまだいろいろ溜っているので、どんどんやらねば。

 間もなく3月も終わり。

 こうしているとあっという間にゴールデンウィークになってしまいそうです。

 


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鎌倉新書と新連載企画の話

 

 月に一度、鎌倉新書の打ち合わせで日本橋・八重洲方面に出向きます。

 鎌倉新書というのは葬儀供養業界のWebや雑誌を作っている会社。

 以前は仏教書を出版していたのですが、現会長が社長になった20年ほど前から、機械化とかITテクノロジーとか、非人間的なイメージを嫌うこの業界において、いち早くインターネットでの情報発信にシフトしました。

 

 「いい葬儀」という、消費者と葬儀社とを仲介するポータルサイトを開設したところ、業界内では当初、白い目で見られ、あの会社は代替わりしてダメになったと言われたらしいのですが、そこは時代の趨勢であれよあれよという間に市場に浸透。

 

 特に僕が本格的に関わり出した2年半ほど前から株はうなぎのぼりで、一昨年末にこの八重洲の一等地に引っ越したと思ったら、それから1年も経たないうちに東証一部上場を果たしました。

 

 とは言え、利益分はいろいろ始めた新事業のほうに回っているようで、外部ライターである僕のギャラが上がるわけではありません。

 

 正直、割に合わんなーと思うことが多いのですが、興味のある分野だし、ある意味、高齢化・多死化代社会に関する最先端情報(テクノロジーなどではなく、社会心理的流れとしての情報)にも触れられるので、引き続き、業界誌の月刊仏事で記事を書き、時々Webの方もやっています。

 

 その月刊仏事から新しい連載企画をやりたいけど何かない?と言われたので、以前、このブログで書き散らしたネタを思い出し、「世界の葬儀供養・終活・高齢者福祉」なんてどうですか?と提案したら、じゃあぜひ、とあっさり通って取り組むことに。

 

 国内の出張費も出ないのに「海外出張費出ますか?」なんて聞くこともできず、ネット頼りの仕事になるのは必至。

 でもイラストを描いてくれる人もいるらしいので、伝統文化と最新事情をごった煮にして分析を交えた読物風の話にしようと思っています。

 ごく個人的なことでもいいので、情報あったらお知らせくださいな。

 


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野生の本能の逆流に葛藤する都会暮らしのネコ

 

 散歩がてらサクラを見に近所の大宮八幡宮に行くとネコ発見。

 例によってナンパを試みたが、例によってシカトされた。

 

 彼女には事情があった。

 上の方でガサゴソ音がするので見ると、キジバトがいる。

 落ち葉の中をつついて虫をほじくり出して食べているらしい。

 ネコは野生の本能が刺激され、ねらっているのか?

 でも、その割にはハトに対して集中力が欠けている。

 自分の中でウズウズモゾモゾ本能がうずくのを気持ち悪がっているように見える。

 

 サクラ色の首輪をつけているので、どこかの飼いネコだろう。

 家に帰ればいつもの安全安心、おいしく食べやすく栄養バランスもとれてるキャットフードが待っている。

 なのになんで鳥なんか狩らなきゃならんのか、

 だいいち、あたしが口の周りを血だらけにして鳥やらネズミやら持って来たら、飼い主さんが卒倒しちゃう。

 でも狩ったら脳からアドレナリンがドバっと出て気持ちよくなりそうだ。

 ああ、でも、そんなのダメダメ・・・と、ひどく葛藤しているように見える。

 

 飼いネコでも本能のままに生きているやつもいれば、鶏のササミや魚の切り身をあげても見向きもしないやつもいる。

 イヌもそうだけど、多くの飼い主はペットに一生自分のかわいい子供であってほしいと願う。

 人間じゃないんだから、大人になんかなってほしくない。

 恋もしてほしくないから去勢や避妊手術を施す。

 生物学的なことはよくわからないけど、そうするとホルモンもあまり分泌しなくなるだろうから、ペット動物は「子供化」して野生の本能は眠ったままになるのだろう。

 

 一生人のそばにいて、一生キャットフードを食べて、一生本能なんぞに煩わされることなく、平和に暮らせるのがサイコーだと思っているネコもいるはずだ。

 人間と一緒に都市生活をしていくにはそのほうが幸せなんだろう。

 

 けれどもイヌと違って、ネコは本能に目覚めても人間に危害を及ぼす可能性は限りなく低い。なので「最も身近な野生」を感じさせてほしいという、人間の勝手な期待を背負わされた存在でもある。

 

 おそらくネズミや鳥を狩ってくる飼いネコは、飼い主のそうした潜在的な希望を感じとって、本能のうずきに素直に従うのだ。

 ただ、そうじゃない彼女のようなネコもいて、せっかくのんびり暮らせているのに、野生時代の先祖の血の逆流に悩まされることもあるんじゃないかと思う。

 

 こんど道端で会ったネコに、そこんとこつっこんでインタビューしてみようと思うけど、答えてくれるかニャ~。

 


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東京唯一のブランド和牛・秋川牛と、むかしみらいTOKYO

 

 連荘で農業取材。

 26日(月)は秋川渓谷と美しい山並みが望めるあきる野市に出向き、秋川牛とご対面。出荷前・生後30ヵ月の黒毛和牛の体重は800キロ。でかっ。

 

 東京で唯一の肉牛生産牧場・竹内牧場では約200頭の秋川牛を飼育しています。

 このあたりは、日本各地の有名なブランド牛の産地に負けず劣らず、水も空気もきれいで豊かな環境なので、牛をはじめ、豚・鶏などを育てるには持ってこいとのこと。

 

 秋川牛は希少価値のある高価なお肉ですが、都内のホテル・レストラン・料理店なので口にするチャンスがあるかも。

 

 一方、武蔵五日市駅にほど近い松村精肉店は、地元で生産されるこの秋川牛の認知度を上げたいと、手軽に味わえる加工品としてレトルトカレーなど製作しています。

 オリンピックもあることだし、東京の名産品をアピールしていこうとブランド力UPに奮闘中です。

 

 昨日ご紹介した磯沼牧場+多摩八王子江戸東京野菜研究会でも聞きましたが、これら多摩・八王子地域の環境はこの20年ほどで劇的に改善され、川には清流が戻り、アユなども戻ってきているとか。

 

 今や都心で働く人たちのベッドタウンというイメージから脱却し、豊かな自然が楽しめ、農業も盛んな地域としてのイメージが高まっています。

 

 いつまでも「東京は緑が少ないから云々」なんて、手垢のつきまくったステレオタイプのセリフをほざいていると時代に取り残されますよ。

 

 テクノロジーとパラレルで進行する昔ながらの環境とライフスタイルへの回帰。

 「むかしみらい東京」がもう始まっているのかも知れません。

 


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楽しさ・学び・癒し満載の八王子・磯沼牧場

 

 東京にこんな素晴らしい牧場があったのか!

 噂には聞いていたけど、なかなかタイミングが合わずに来そびれていた磯沼牧場(磯沼ミルクファーム)に25日・日曜日、初めて来場。

 

 多摩八王子江戸東京野菜研究会とのコラボイベントで、牧場特製のチーズとベーコン、ソーセージ、野菜てんこ盛りのピッツァ作りです。

 

 牧場主・磯沼さん手づくりの溶岩石窯で焼いたピッツァはおいしくてボリューム満点。

 

 ランチの後は乳しぼり体験、牧場ツアー(放牧場もある)、磯沼さん×福島さん(多摩八王子江戸東京野菜研究会代表)の都市農業トークと続き、あえて取材の必要なしというところまで堪能しました。

 

 場所は京王線・山田駅から徒歩10分弱。

 新宿から1時間足らずで来れるし、横浜からも近い。

 わざわざ北海道などへ行かなくても、たっぷり牧場体験ができます。

 それも観光牧場でなく、リアルな生活と結びついている生産牧場で。

 

 環境問題、動物福祉問題への取り組みなど、牧場経営のコンセプトを通じて、さりげにいろいろ勉強でき、新しいライフスタイル、これからの哲学を考えるきっかけにもなると思います。

 

 乳しぼりをはじめ、毎週のように何らかのイベントが開かれ、牛さんをはじめ動物たちに触れあえます。

 いつでもオープンなので、ぶらっと覗きに来るだけでもいい。

 

 子供たちには超おすすめ。お年寄りにも楽しい。

 ちょっと凹んでいる人、メンタルを病んでいる人も心のケアができるのではないかな。

 直売所もあって、おいしいアイスクリームやプリンやヨーグルトも食べられますよ。

 興味のある人はホームページやフェイスブックもあるので検索してみてください。

 


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ぼくらはにおいでできている(チワワのハナちゃんに教えてもらったこと)

 

 下の妹が飼っているチワワのハナちゃんとは、たぶん2年ぶりくらいのご対面。

 前に会ったのはチビ犬の頃だったけど、ちょっとの間、くんくん嗅ぎ回って「あ、知ってる知ってる」と思ったのか、尻尾をフリフリしてくれた。

 抱き上げても安心安心。僕のにおいを憶えていてくれてありがとう。

 

 人間の子どももいろいろ情報を詰め込まれる前は嗅覚がするどい。

 一度嗅いだにおいは絶対忘れない。

 自分自身のことを考えてみると、視覚や聴覚では憶えていなくても、においというか空気感で憶えていることがいっぱいある。

 親はもちろんだけど、周りにいる大人たちはそれぞれ独特のにおいを持っていたような気がする。

 

 におうと言うと何だか臭くて嫌われそうな気がするが、完全ににおいを消し去ると、その人は透明人間になって、見えていても誰にも気づかない存在になる。

 忍者やスパイになるならいいかも知れない。

 

 大人になると鼻が利かなくなって、というか、においを感じる脳の部分が鈍くなって、刺激の強いものしかキャッチできなくなるようだ。

 なので少しは意識してにおいを嗅ぐ練習をしたほうがいいのかもしれない。

 

 基本はやっぱり食事。

 テレビやスマホを見ながらめしを食わないこと。

 

 そして手料理を楽しむこと。

 最近はそんなものより出来合いの料理の方がよっぽどうまいと言う人も多いけど、手料理にはその家・その人独自のにおい・風味がついている。

 それを知っているのと知らないのとでは随分ちがうんじゃないかな。

 

 自分が自分である基礎とか土台みたいなものは、そういう些細な目に見えないもので出来ているのではないかと思う。

 そうだよね、ハナちゃん。

 


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かわいい叔母さん

 

 父も母も昭和ヒトケタ生まれ。貧乏人の子沢山でそれぞれ8人兄弟だ。

 ぼくが生まれる前に死んでしまった人を除き、そのきょうだい、および、その伴侶の全部はしっかり顔や言動を憶えている。

 僕が子供の頃は行き来が盛んだったので、みんなインプットしている。

 

 しかし、9年前に父が亡くなったのをきっかけに、毎年バタバタと後を追うように亡くなり、大半がいなくなった。

 今年もまたひとり、先日、ヨリコ叔母さんが亡くなったと聞いた。

 

 母方は女系家族で8人のうち、7番目までが女で末っ子だけが男。

 ヨリコ叔母さんは7番目。つまり7姉妹のいちばん下の妹だ。

 

 幼稚園の時だったと思うが、結婚式に出た記憶がある。

 きれいなお嫁さんで、チビだったぼくを可愛がってくれた。

 そのチビの目から見ても、なんだかとてもかわいい人だった。

 

 6人も姉がいて、4番目の母(母は双子の妹)とさえ12歳違う。

 いちばん上のお姉さんとは16歳以上違うはずだ。

 なのでほとんどは姉というよりチーママみたいなものだ。

 母もよく子守をしたというし、日替わりでみんなが面倒を見てくれていたようだ。

 

 母の家はお父さん(僕の母方の祖父)が早く亡くなったので、女が協力して貧乏暮らしからぬけ出そうとがんばってきた。

 でもヨリコ叔母さんは小さかったので、そうした苦労が身に沁みず、物心ついたのは、お母さんやお姉さんたちのがんばりのおかげで暮らし向きも上がってきた頃だった。

 そうした中で一家のアイドルとして可愛がられて育った。

 

 そうした成育歴はくっきり刻まれ、そのせいで彼女は、ほかの姉妹らの下町の母ちゃん風の雰囲気とは違う、お嬢さん風の雰囲気を持っていた。

 だから、おとなになってもどことなくかわいいし、ちょっと天然も入っていた。

 

 最後に会ったのは父の葬儀の時。

 さすがに外見はそろそろばあちゃんっぽくなっていたが、中身はほとんど変わっておらず、ぼくをつかまえて

 「せいちゃん、大きくなったねー」と言った。

 

 50間近の男に向かって大きくなったねーはないもんだけど、そう笑顔で屈託なく声を掛けられるとすごく和んでしまった。

 その時の会話が最後の印象として残ることになった。

 

 叔母とはいえ、中学生以降はめったに会うこともなかったので、彼女がどんな人生を送っていたのはわからない。

 

 もちろん少しは苦労もあったと思うけど、べつだんお金持ちではないにせよ旦那さんは真面目で優しくユーモアもある人だったし、特に悪い話も聞かなかった。

 嬉しそうに小さい孫娘の面倒を見ていたのも印象的だった。

 

 たぶん美化しているし、これは僕の勝手な想像であり願いだけど、おそらくそれなりに幸せに過ごしてきたのだろう。

 

 不幸な目に遭ったり、理不尽な苦労を強いられたり、他人にあくどく利用されたり、自分の欲に振り回されたり・・・

 人生の中のそんな巡りあわせで、人間は簡単に歪んでしまう。

 

 でも、できるだけそうしたものに心を損なわれないで、ヨリコ叔母さんのようにかわいい人にはいくつになっても、ずっと素直にかわいくいてほしいなぁと願ってやまない。

 


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里山を事業化するナチュラルボーン・サトヤマー

 

 今回の名古屋(愛知)ツアーでは、里山の概念を農業と組み合わせ、インターネットを利用して事業化するプロジェクトを掲げる人を取材しました。

 

 彼は2002年生まれ。16歳の高校生。

 田園地帯で植物や昆虫に親しみ、かたやインターネットに親しみながら育った彼は、資本主義発展拡大病の時代に育ったぼくたちの世代とはまったく違うセンスを生まれながらに持っているようです。

 

 「里山」という概念が今、世の中に浸透しつつあります。

 里山はごく簡単に言うと、自然環境と人間の生活圏の交流地帯。そのベストバランスを保つ、あるいは破壊したものを再生するという考え方を表現する言葉でもあります。

 

 人間が生活できなくてはならないので、当然そこには経済活動も含まれるし、伝統工芸・伝統芸能といった文化芸術や民俗学系の学問も含まれるのではないかと思います。

 「人間が手を入れた自然」と言い換えることもできるでしょう。

 

 また、それらを包括する懐かしいとか、愛おしいとかいった心象風景もその概念の中に入ってくるでしょう。

 人間のあり方・生き方を問い直す哲学も含まれているのかも知れません。

 

 日本独自のものかと思っていたら、他国にも通用し、国際的にも理解が進んでいる概念で、よく言われる「持続可能」な社会にSATOYAMAは不可欠とされているようです。

 

 そういう意味では、過去200年、世界を席巻し、地球を支配してきた工業化・資本主義化の流れに対するカウンターとも言えます。

 

 高校生の彼には野外でのインタビューを考えていましたが、あいにくの雨のためはやむを得ず、岡崎市内の「コメダ珈琲店」で敢行。コーヒーと、コメダ名物「シロノワール」を食べながらの取材になりました。

 

 彼は子供のころから自由研究などを通じて里山について学び、中学生のころから戦略的にプロジェクト化を画策。近所の農家の人たちなどはもとより、自分で電話やメールで東大・京大などの教授・学者に頼み込み、取材に出かけたといいます。

 

 現在はいわばサークル的なノリで同級生やネット上の仲間が集まり、大人の支援者もいますが、まだ実務のできるスタッフがいない状況。

 コンセプトは決まっているので、まずネットを通じての「ブランド化」に力を注いでいきたいとのことでした。

 

 僕としてはこうしたことを本気で考え、事業化に取り組んでいる若僧がいるというだけで十分心を動かされました。

 

 彼のことは来月、「マイナビ農業」でUPしますが、興味のある方は「里山農業プロジェクト」で検索してみてください。

 


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名古屋コーチンをめぐる冒険:ふしぎ・まったり小牧編

 「こんなやわらきゃー、水っぽい鶏はいかんわ。むかしのかしわはまっと歯ごたえがあってうまかったでよー」

 

 こんな軟らかい、水っぽい鶏はダメだ。昔のかしわ(鶏肉)はもっと歯ごたえがあっておいしかった、という声を受けて、一時期、市場から消滅した名古屋コーチンが、日本を代表する地鶏として見事復活を果たした物語を探るべく、今回は「マイナビ農業」で名古屋取材を敢行しました。

 

 市内にある「名古屋コーチン協会」で話を聞いた後、名古屋コーチン発祥の地である小牧市へ。

 明治の初め、この地に養鶏場を開いた元士族の海部兄弟が、地元の鶏と、中国(当時、清)から輸入したコーチンという鶏を掛け合わせてできたのが名古屋コーチンです。

 

 「だもんだで、まっとそのことを宣伝せんといかんわ。日本が誇れる名物だでよう」

 

 ということで昨年(2017年)、名鉄・小牧駅前にはコケー!と、おしどり夫婦(?)の名古屋コーチンのモニュメントが立ったと聞き、駅について改札を出たところ、出口が左右に分かれている。
 どっちだろう? と迷ったとき、すぐ目の前で駅員さんが掲示板を直す作業をしているので、尋ねてみました。

 

 「あのー、名古屋コーチンの像はどっちの出口にあるんでしょうか?」

 

 駅員さん、けだるそうに振り向き、ぼくの顔を一瞥。さらに一呼吸おいて

 「左の階段を下りてって、右に曲がってずっとまっすぐ行ったところに市の出張所がありますで、そこで聞いてちょーだゃー。それはうちの管轄でないもんで」

 

 ?????

 駅前って聞いたけど、そんな分かりづらいところにあるのかなぁ・・・と思いつつ、左の階段を降りると、なんと、その目の前にコーチン像があるではないか。

 

 ?????

 まさかあの駅員さんはこれを知らなかったのだろうか?
 それとも上司に、責任問題が発生するから、鉄道のこと以外は聞かれても答えるなと言われていたのだろうか?
 それとも奥さんと何かあったとか家庭の悩みでも抱えているからなのか?
 あるいはたんに鶏が嫌いで、コーチンお話なんかのしたくなかったのか? 

 

 たくさんの疑問に駆られながらも、前に進まなくてはなりません。
 海部養鶏場(跡地)にはどういけばいいのか。
 ちょうど目の前に観光案内所があったので入ってみました。

 

 平日ということもあってお客は皆無。
 ぱっと見た目、アラサーぐらいの女の子がひとりで机に向かって、わりとのんびりした感じで書類の整理みたいなことをやっています。
 そいえば時刻はちょうどランチタイムでした。

 「あのー、海部養鶏場跡地に行きたいんです」
 「え、何です?」
 「海部養鶏場です。カイフ兄弟。名古屋コーチンの」
 「あ、ああ、ああ、名古屋コーチンのね」
 「たしか池ノ内というところなんですが・・。歩きじゃちょっと無理ですよね」
 「ええと。そうだと思います。ちょっとお待ちくださいねー」

 

 と、アラサーの女性はあちこち地図やらパンフやらをひっくり返し始めました。
 市の観光スポットの一つに加えられたらしいと聞いていたので、即座に答えが返ってくるものと想定していた僕は思わぬ展開にちょっとびっくり。


 その女の子は一人じゃだめだと思ったのか、奥に入っておじさんを引っ張り出してきて、ふたりでああだこうだと大騒ぎで調べ始めたのです。

 お昼の平和でゆったりとした時間を邪魔してしまったようで申し訳ないなと恐縮しつつ、実はなんか面白いなと思いつつ待っていたら、もう一人、お昼を早めに済ませて戻ってきたおにいちゃんが加わって3人で合同会議。

 

 それで出てきた結論が「タクシーで行ったら?」というもの。
 べつにタクシーを使うお金がないわけじゃないけど、アポがあるわけじゃなし、急いでいるわけじゃないし、第一ここまで大騒ぎしたのに、それなら最初からタクシーに乗ってるよ、バスとかないんですか? 地元の人といっしょにバスに乗ると楽しいいんですよと言うと、バスルートと時刻表を調べて、やっと案内が完了しました。

 

 この間、約20分。効率主義、生産性アップが叫ばれる世の中で、このまったり感はどうだ。急いでいたら頭にきてたかもしれないけど、旅というのはこうやって余裕を持って楽しむものだ、と改めて教えてもらった気がしました。


 考えさせられる不思議な駅員さんといい、まったりした観光案内所といい、皮肉でなく、おかげで楽しい旅になりました。小牧の皆さん、ありがとう。


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リバーズ・エッジ:トラウマになった漫画を映画で観る

 

●リバーズ・エッジ:トラウマになった漫画を映画で観る

 

 岡崎京子の漫画「リバーズ・エッジ」は僕のトラウマになっている。

 この漫画に出会った1990年代前半、僕はとっくに30を超えていた。

 心のコアの部分を防御するシールドもしっかり出来上がっていたのにも関わらず、ティーンエイジャーを描いたこの漫画は、シールドに穴をあけて肌に食い込んできた。

 

 先日書いた大友克洋の「AKIRA」が世紀末時代の象徴なら、「リバーズ・エッジ」は、その the Day Afte rの象徴だ。

 

 リバーズ・エッジ(川の淵)は流れの淀みであり、尋常ではない閉塞感・荒涼感・空虚感に包まれた繁栄の廃墟だった。

 

 子供たちの残酷で不気味で鬱々としたストーリーと、ポップでシンプルな絵柄との組み合わせが劇的な効果を生み出し、ページをめくるごとにますます深くめり込んでくる。

 

 自分自身は仕事も順調で結婚もした頃。

 こんな胸が悪くなるようなものにそうそう関わり合っていられないと2~3度読んで古本屋に売ってしまった。

 けれども衝撃から受けた傷は深く心臓まで届いていた。

 

 映画化されたことは全然知らなかったのだが、先週、渋谷の公園通りを歩いていて、偶然、映画館の前の、二階堂ふみと吉沢亮の2ショットのポスターに出会ってしまった。ふみちゃんに「観ろ」と言われているようだった。

 原作に惚れた彼女自ら行定勲監督に頼んで映画化が実現したらしい。

 

 映画は原作をリスペクトし、ほぼ忠実に再現している。

 その姿勢も良いが、何よりもこの漫画が発表された四半世紀前は、まだこの世に生まれてもいなっかった俳優たちが、すごくみずみずしくて良かった。

 

 暴力でしか自己表現できない観音崎くん、

 セックスの相手としてしか自分の価値が認められないルミちゃん、

 食って食ってゲロ吐きまくりモデルとして活躍するこずえちゃん、

 嫉妬に狂って放火・焼身自殺を図るカンナちゃん、

 河原の死体を僕の宝物だと言う山田くん、

 そしてそれらを全部受け止める主人公のハルナちゃん。

 

 みんなその歪み具合をすごくリアルに演じ、存在感を放っている。

 最近の若い俳優さんは、漫画のキャラクターを演じることに長けているようだ。

 

 原作にない要素としては、この6人の登場人物のインタビューが随所に差しはさまれる。

 この演出もそれぞれのプロフィールと物語のテーマをより鮮明にしていてよかった。

 

 でも映画を観たからといって、何かカタルシスがあるわけでも、もちろん何か答が受け取れるわけではない。

 

 四半世紀経っても、僕たちはまだ河原の藪の中を歩いている。

 そして二階堂ふみが言うように、このリバーズ・エッジの感覚は彼女らの世代――僕たちの子どもの世代もシェアできるものになっている。

 

 そのうち僕は疲れ果ててこのリバーズ・エッジで倒れ、そのまま死体となって転がって、あとからやってきた子供たちに

 「おれは死んでいるけど、おまえたちは確かに生きている」と勇気づけたりするのかもしれない。

 そんなことを夢想させるトラウマ。やっぱり死ぬまで残りそうだ。

 


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ひるねして夢の記憶を情報発信

 

 齢を取ってくると昼寝が楽しみの一つになります。

 以前は時間がもったいないなぁと思っていましたが、たとえ僅かな時間でも体を横にして休むと、もう調子が段違い平行棒。

 その後の仕事の効率、クオリティを考えたら寝るに限る、休むに限る。

 

 しかし、会社のオフィスではなかなかこうはいかないでしょう。

 こういう時は自宅でやっているフリーランスで本当によかった~と思います。

 

 ただちょっと困るのが夢を見ちゃったとき。

 いや、夢を見るのはこれまた楽しいのですが、その夢の記憶が現実のものとごっちゃになることがあるのです。

 

 この間、通っていた学校を探そうと現地に行ってみると、迷宮に迷い込んだように、いくら歩き回っても見つからない。

 それで思い出したのが「移転した」という情報を耳にしたこと。

 それで、ああ、移転したんだっけと思い込んでしまったのです。

 

 ところが、あとでネットで調べてみると、改装はしているものの、ちゃんと同じ住所に存在しているではないか!

 確かに聞いていた移転情報。あれはいったい・・・

 と考えてみると、それはいつかの夢の記憶だったのです。

 

 あちゃ~、いよいよボケが始まったぁ。

 夢と現実がひとつながりになった次元へ、とうとう足を踏み入れてしまったのかも知れません。

 でもまぁいいや、気持ちよく昼寝できれば。

 

 というわけで、今後、僕の発信する情報が現実の出来事なのか、夢の中の記憶なのかは、読んでいるあなたの判断におまかせします。

 

 ではお休みなさい。ZZZ。

 


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永遠の現物支給

 

 きょうは確定申告の最終日でしたが、先週会ったお友だちの会計士さんは締切間近でストレス満載の様子でした。

 その彼がぼそっとつぶやいたセリフが

 「現物支給でも、永遠に続けばいいんだけど」

 

 え、まさか現物支給の報酬で会計を?

 そういえば、半年前に会った時は、つぶれそうな食品会社の経理を請負っているとか言ってたけど・・・。

 

 追及するのはやめときましたが、「永遠の現物支給」という言葉が頭に残ったので、それについて考えてみました。

 

 何でもお金の世の中で、ちょっとした贈り物も、冠婚葬祭の引き出物も、現金・カード・商品券などが喜ばれます。

 そうした風潮の中で現物支給――それも1回2回こっきりじゃなくて、毎月ずーっと支給が続くとしたら、何がもらえたら嬉しいだろうと考えると・・・

 

 やっぱり食べ物ですね。

 会計士さん、食品会社でよかった。

 なに、よくない?

 

 缶詰、レトルト、乾物、冷凍食品・・・

 そんなもの1か月分もらうと嵩張るし、置き場所に苦労する。

 それに毎日食べたくない。

 かといって生鮮食品は日持ちしないし・・・

 

 と考えていくと、ベストはお米だ!

 お米なら毎日食べられるい、真夏でも1カ月くらいなら保存も問題なし。

 うちはひと月10キロ食べるけど、それくらいなら置き場所にも困らない。

 

 ついこの間、イベントの仕事「五つ星お米マイスターのおいしいお米講座」でお米の食べ比べをやったけど、毎月ちがう品種のお米を支給してもらえれば、いろんなのが試食出来て、ますます楽しい。

 

 ――と話すと、そこは会計士さん、チャチャっと数字に置き換えて、

 「1カ月10キロ、平均5000円として1年で6万円。10年で60万円。17年しないと100万円超えませんよ。安すぎる~。お金でもらわなきゃだめだ~」

 

 なるほど。お金にすると確かに安い。

 でもね、お金がなくても、死ぬまでごはんだけは間違いなく食べられるという安心感は何物にも代えがたいのではないでしょうか。

 

 1カ月のギャラ・給料が5000円と考えると、わびしくみじめになるけど、今月も10キロのお米がいただけると考えると、なんだか豊かな気持ちになってくる。

 ましてやそれが永遠に続くとなると、穏やかな晴天が心の中に広がってくる。

 

 うんこれなら悪くないぞ、永遠の現物支給。

 農家さんとか、お米屋さんとか、JAさんとかの仕事なら、そんな契約を結んでもOKかも。

 会計士さんは嫌だというけど、あなたならどうですか?

 


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現実世界が「AKIRA」の近未来世界を追い越すとき

 

 渋谷パルコの建て替え工事現場の囲いに大友克洋のマンガ「AKIRA」が描かれている。

 この大きさだとすごい迫力。そして、内側の解体されたビルの風景が、「AKIRA」の世界観と符合して、リアルで巨大なアートになっている。

 人通りの多い公園通りだけにアピール度は抜群だ。

 

 最近あまり渋谷に行かないので知らなかったけど、このアートワークが搭乗したのはすでに昨年(2017年)5月半ばのこと。ネットでいろいろ話題になっていたらしい。

 

 というのも「AKIRA」の舞台は2019年の「ネオ東京」。翌2020年にはそのものずばり「東京オリンピック」が開催される予定・・・という設定。

 その中で抑圧された若者たちをい中心に超能力バトルが繰り広げられ、ネオ東京が崩壊していくというストーリー展開なのだ。

 

 というわけで「AKIRA」をパネルにしたパルコはオリンピック開催に異議を申し立てているのではないかという憶測が飛び交ったが、当のパルコ側は、さすがにそれは否定したという。

 

 僕が思うに、おそらく渋谷の街の再生劇のメタファーとして、かのマンガを用いたのだろう。それも「西武・パルコの渋谷」の。

 

 「AKIRA」が連載され、映画化され、一種の社会現象にまでなったのは1980年代のバブル上り坂の頃で、パルコの黄金時代、西武・セゾングループカルチャーの最盛期とぴったり重なる。

 

 一時は東急グループと渋谷の覇権を二分していた西武・セゾンにとって、昨今の東急の圧倒的な大改造計画に一矢でも報いたいという思いで、「AKIRA」を持ち出してきたのではないかと思われる。

 

 あの頃は経済の繁栄と裏腹に「近未来」「世紀末」という言葉が跳梁跋扈した。

 「AKIRA」はその象徴と言える作品だった。

 

 この繁栄・この豊かさはインチキなのではないか、まがいものではないのか。

 そんな違和感が当時の若者たちの心の中にトゲのように突き刺さっていた。

 そんな違和感によって支えられ、膨れ上がった「AKIRA」のような作品世界が、好景気で沸き返る、どこかうそくさい日常世界とのバランスを取っていたのかも知れない。

 

 その状況は終わったわけでなく、実はもう30年以上も続いている。

 だからなのか、現代の渋谷に「AKIRA」が出現することに時代遅れ感どころか、ベストマッチ感さえ感じてしまう。

 

 「世紀末」が過ぎても、東京の街は崩壊していない。

 終わりのない日常がダラダラと続き、僕たちはズルズルと前の時代の太い尻尾を引きずりながら、時には波に呑まれて漂流しながら前に進もうとしている。

 もうすぐ現実世界が「AKIRA」の近未来世界を追い越していく。

 


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秋田からきりたんぽ鍋セット到着

 

 今日は何の予告もなく、クール宅急便で「きりたんぽ鍋セット」が送られてきてびっくり。

 仕事をいただいている秋田の方からサプライズの贈り物です。

 これまでメールでしかやりとりしていなかったんだけど、そういえばこの間、住所を聞かれたので、紙にした資料を送ってくるのかなと思ってたら・・・どうもごちそうさまです。

 

 ちょうど今夜は家族が揃っていたので、早速いただきました。

 肉も野菜も一式入っていて比内地鶏のスープ付き。あったまりました。

 

 秋田県は、かなり昔に大潟村(かつての大干拓地・八郎潟にある村)の干拓資料館の仕事をやりましたが、それ以来の仕事。

 来週は名古屋コーチンの取材で名古屋に行きますが、いずれ比内地鶏も取材したいです。

 


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五つ星お米マイスター・小池理雄のおいしいお米講座:絶品ごはんの食べくらべ

 

 10日(土)・11日(日)の二日間、渋谷のNHKの敷地で「にっぽんの食・ふるさとの食」のイベント開催。JA全中ブースで「五つ星お米マイスター・小池理雄のおいしいお米講座:絶品ごはんの食べくらべ」をやり、台本と演出を担当しました。

 

 原宿の米屋・小池さんの作った「お米の通知表」を参考に、岩手・宮城・福島・福岡、各地産の4種類のブランド米を食べ比べ、その品種を当てる、クイズ形式のワークショップです。

 

 五つ星お米マイスターとしてメディアから引っ張りだこ、講師としても大活躍の小池さんですが、この二日間の受講生(1ステージにつき35人ほど)は、ぜひ「参加したくて来ているというよりも、ここに一休みに来たり、冷やかしに来たり、ただ単にごはんが食べられるからという理由で入ってきたた一般大衆。ぶっちゃけ、まじめにお米のことが知りたいと思っている人は1割、2割しかいません。講師にとっては最も手ごわい相手です。

 

 二日間で4ステージにありましたが、1日目の参加者の反応を見て、その夜、台本を書き直し、2日目は大きく違う構成でやってみました。

 

 ちなみに30分の台本のセリフ部分はほとんどMC(司会)用で、それに応じながら小池さんが自由にトークを展開していくというつくりです。

 

 イベントはまさしく生ものなので、その時の参加者の発するSomethingによって1回目も2回目も3回目も4回目も、まったく違ったステージになります。

 これが正解、これが完成という形はなく、きっちりできたのに反響が薄い場合もあれば、グダグダになっても大ウケという場合もあります。

 もちろんグダグダでいいというわけにはいきませんが、面白いものです。

 

 それにしても、その場に応じて自由自在にセリフを変えられる小池さんのお米ボキャブラリー宇宙は素晴らしい。

 ますますこなれて星雲のように年々膨らんでいます。

 


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天国への階段の上まで冒険

 

おなじみ階段シリーズ。

 うちは1階が「野の花鍼灸院」という鍼灸院になっています。

 カミさんが小児鍼のエキスパートなので、女性と子供を診ています。

 

 で、毎日、いろんな子供が来るのだけど、玄関を入ってすぐある階段にどうしても目が行ってしまう。とって

 特に好奇心旺盛で冒険好きの幼児には、たまらない魅力なのでしょう。

 

 もちろん進入禁止で、連れてきたお母さんは「怖いおじさんがいるのよ」なんて脅すのだけど、ある年齢を過ぎると、そんな脅し文句などヘのカッパになる。

 好奇心が抑えられず、のこのこ上ってくる子もいるのです。

 

 今日来た4歳児のショウちゃんもその一人で、お母さんとカミさんの制止を振り切り、階段を登り切ってパソコンやってた僕の背中に話しかけてきたので、ニヤッと笑って振り返ったら、むこもニコッ。 下からは「ショウちゃん!降りてきなさい」と呼ぶ声が。

 なので、ぺちっとハイタッチをしたら満足したように引き上げていきました。

 本日の冒険、おわり。

 

 あとから聞いたら、怖いおじさんなんていないよ~。やさしいおじさんだよ~って言っていたようだ。

 

 うーん、これに味をしめてまた上がって来るかも。

 今度はオバケのお面でもつけてふり返ってやろうか。

 でも、あんまり怖がらせ過ぎてもなぁ~。

 好奇心・冒険心は子供の宝物ですから。

 侵入されてもいいように、ちょっとは二階をちゃんと片付けて掃除しておかないとね。

 


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ミケランジェロ的冒険:誰もが自分の中に人生でしたいこと・すべきことを持っている

 

 ミケランジェロは石の中にダビデの像を見出し、解放したと言われています。

 そのダビデ象という「ヴィジョン」は最初から彼の中に存在していた。

 そして石と向き合うことでそれを見ることが出来た。

 芸術家として自分が何をするべきか分かった。あとは手を動かすだけ。

 

 これは芸術家に限らず、誰にでも起こりうることなのだと思います。

 

 誰もが自分が人生の中でしたいこと・すべきことはちゃんと持っていて、本能的に認知している。それは人生のいたるところで、日常生活のあちこちで顔をのぞかせる。

 

 けれども僕らはそれを取るに足らないこと、おかしなエゴが作り出す妄想だとして処理してしまう。

 この忙しいのに、そんなことに関わっているヒマはない、と。

 だから何となく分かっているのにそれははっきり見えない。

 そして見えたとしてもそれを実行しようとはしない。

 

 なぜならほとんどの場合、それは社会的必要性が認められない、人々が求めていることに応えられない、早い話、そんなことをしたって「食えない」。

 そういう事情があるからでしょう。

 なので、ますますその内在するものを見ようとしない。

 見るのを怖れ、目をそらしてしまうし、もちろんやろうとしない。

 その結果、不満だらけの人生が世の中に蔓延することになります。

 

 これはきっと人生の途上で、立ち止まって考えてみるべき課題なのだと思います。

 ミケランジェロのダビデのように、芸術家じゃなくてもあなたにはあなたが創るべきもの、やるべきことがある。

 そう静かに思いを巡らせると、「あれがそうだ」と人生のどこかで見たサインを再発見できるかも知れない。

 深い海の底から、ぽっかりと浮かび上がってくるかも知れない。

 

  あなたの中に何があるのか、することは何か、まず見つけ出す冒険。

  そして、それをやり始める冒険。

 


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星のおじい様と孤独なエイリアン

 

 その少女は一人暮らしの老人と友達になった。

 老人は近隣から奇異な目で見られている。

 彼は特殊な能力を持っており、それで人助けをしたりもするのだが、普通の人たちにはそれが気味悪く映る。

 だから少女にも、あの老人の家へ行くな、近寄るなと言う。

 両親にとってもそれは家族の一大事と受け取られていた。

 

 少女はなぜその老人にひかれるのか?

 老人の語る宇宙の話、昔の話、妄想のような話が好きなのだ。

 彼女は老人がじつは宇宙人で、永年地球で過ごし、近いうちに故郷の星へ帰ろうとしているのではないかと思っている。

 

 老人には少女子以外にもう一人だけ訪ねてくる人がいる。

 それは彼の身元保証人だ。

 老人はちゃんとお金を払ってその会社と契約し、自分の死後の後始末をつけてくれるよう段取りしている。

 彼は宇宙人なんかではない、まっとうな人生を歩んで齢を取り、社会人として最期まで人に迷惑をかけずに人生を終えようと考えている、普通のおじいさんなのだ。

 

 そうした現実を知っても、少女は彼がやっぱり本当は宇宙人なのではないかと疑念をぬぐえない。

 彼女はしだいに何とか老人の秘密を探りたいと考えるようになる。

 

 しかし、そんな彼女の行動を心配した両親は、それ以上、老人に近づくことを許さず、彼女を学習塾のトレーニング合宿に送り込んでしまう。

 

 数日を経て帰ってきた少女は両親の目を盗み、再び老人に会いに行くが、彼は呼び鈴を押しても出てこない。と同時に何か気になる匂いがする。

 彼女は身元保証人を電話で呼び、家の中に入る。

 そこには布団の中で孤独死した老人の遺体が横たわっていた。

 

 少女には老人が物理的に死んだことは分かったが、地球から消滅したとは映らない。

 彼女は遺体を運ぶ人たちが到着するまでの間、その老人――「星のおじい様」の時間軸に入り込み、孤独なエイリアンとして、奇妙な冒険に出掛ける。

 


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孤独な老人は本当に可哀そうな存在か?

 

 一人暮らしの高齢者というと、最近はすぐに「孤独死」が連想され、何やらくら~いイメージがつきまとう。

 そうでなければ、家族がなく、身寄りがなく、孤独で可哀そうとか、同情される。

 いずれにしてもネガティブなイメージであることに変わりない。

 

 でも本当にそうなのだろうか?

 彼らはけっこう孤独を楽しんでいるのではないか。

 本当にいっしょにいたいと思う家族ならいいけど、ただ同じ屋根の下にいるだけ、同じ空気を吸っているだけの家族なんて鬱陶しいと思ったりしていないのだろうか?

 

 血が繋がっていたって形だけの家族はいっぱいいる。

 財産などをあてにしてすり寄ってくる家族や親族なんかに、あれこれ気を遣ってもらったって不愉快なだけ。

 

 メディアの「家族は素晴らしい」「家族がいないと気の毒だ」といった大合唱もなんだか胡散臭いね。

 

 それよりも最期まで一人でやっていく、という気概のある生き方をを見せるほうがいい。

 あるいは、血縁にこだわらない、常識にとらわれない、損得勘定抜きの、心の深いところで繋がり合える人たちとの暮らし。

 齢を取ったからこそ、そうした自由や愛情に満ちたものを優先できるという面もある。

 

 幸いにも、そうした人たちをサポートするセーフティネットはあちこちにでき始めているようだ。

 

 「家族の絆」という美名のもとに隠した損得勘定や惰性的な繋がりよりも、自分の意思に基づいて生き、死ぬ「個の尊厳」を優先する時代がすぐそこまで来ている。

 


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のりしろ時間

 

 元来、コアラとかナマケモノ体質で、自分のペースで動けないと調子悪くなっちゃうので、効率悪いことこの上なし。

 ヘタにビジネス書など読んで勉強して、時間を有効活用しようなんて意識すると、なんだかイライラしてきて、自分が今何をやっているんだか分からなくなってきます。

 

 とは言え、仕事をする以上、そんなこともいっていられない。

 相手のペースに合わせなきゃいけない場合もある。

 そんな時、最近、心がけているのが「時間ののりしろ」を作ることです。

 

 自分のペースでOKの時間帯と、相手に合わせる必要のある時間帯。

 この2種類のカテゴリーの時間帯が、ポンとカットで繋がると脳の切り替えがうまくできない場合があり、気持ちの負担も大きいので疲れます。

 やっぱリカットつなぎでなく、オーバーラップさせたほうがショックが和らげられる。

 

 なので、相手に合わせる時間帯に入るときは脳が自然に準備できるよう、「のりしろ時間」を作るようにしています。

 

 具体的に言うと、打ち合わせ、取材などの時は約束の時間より30分早く行って、その現場周辺の空気を吸っておくようにするのです。

 そうするとリラックスして、少しはその環境に入り込みやすくなります。

 つまり100%アウェイの空気でなく、10~20%くらいはホームの空気をまぜるようにする。

 するとある程度リラックスして、よりよいパフォーマンスが期待できます。

 

 昨日は思いのほか早く着いたので、待ち時間に近所の神社で、ぼやーっと木などを眺めて、ああ鳥の巣がある、何の鳥だろう。まだ作っている最中かなぁ・・・と思ったり、ネコの家族が来て日向で遊び出したりするのを見ていました。

 

 仕事の役に立つだけじゃなく、ちょっとおまけみたいなものを拾ってトクした気分になります。 もしかしたらそんなどうでもいいことが、あなたの人生を救ったりするかもしれません。

 スケジュールぱんぱんにして毎日アクセクしちゃうと、ほんと疲れますから。

 


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児童館でおチビらがビッグな牛さんの乳しぼりに初挑戦

 

 八王子市の児童館で、子供たちが乳しぼり体験。

 マイナビ農業の取材で、八王子界隈の酪農家の仲間たちがボランティアで提供しているイベントを見学してきました。

 

 でっかい開閉式トラックに牛を乗せて、そこに上って子供たちが搾乳するというやり方。総勢5人の酪農家さんたちがお世話をします。

 まったくこういうシステムを想像していなかったのでびっくりしました。

 このお乳パンパンの牛さんはマーガレットちゃん7歳。

 

 マーガレットちゃんの乳しぼりに挑戦するのは、幼稚園前の幼児クラス(+そのきょうだい)なので2歳児中心。たぶんその子たちの目から見たら、牛さんはゾウさん、いやもしかしたら怪獣並みの大きさだ。

 そりゃこわいに決まってる。

 

 勇気を出してぎゅっとつかめればいいのだけど、おそるおそるおっぱいに触るので、「なにやってんのよ、モ~」って、穏健温和なマーガレットちゃんもバフォンと荒っぽく鼻息をして体を揺する。

 すると、もうだめです。大半の子がこわがって泣き出す始末です。

 

 お父さん・お母さん、「うちの子は情けない」なんて言わないで。

 だいじょうぶ。 一度は失敗・撤退したほうがいい。

 また大きくなった時、トライしたら今度はできるから。

 

 最初からすんなりうまくできちゃうより、やったぜ感、リベンジできた感があって、自分は成長しているんだと実感できる。

 そのほうが却って自信になるんです。

 

 子供時代はまだ長い。

 人生はもっとずーっと長い。

 幼稚園・保育園で、小学校で、またトライして、こんどはマーガレットちゃんのおっぱい、いっぱい搾ってね~。


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ラストドライブ日本版 出発

 

 わたしを思い出の場所に連れてって――

 そんな末期患者の願いをかなえるのが「ラストドライブ」。

 この数年、ヨーロッパで静かに広がってきた、いわゆる終活支援です。

 

 昨年夏、ドイツでの事例を取材したドキュメンタリー番組がNHK-BSで放送されました。たまたまそれを見て感想をブログに書いたら、その時だけアクセス数が5倍くらいに跳ね上がってびっくりしました。けっこう関心の高い人が多いようです。

 

 じつは今年から日本でもこれと同様の終活支援サービスが始まりつつあります。

 さいたま市の「タウ」という会社がCSR(社会貢献事業)として始めた「願いの車」がそれ。余命少なく、一人では外出困難な患者を希望の場所に無料送迎するというものです。

 

 タウは事故車の買い取り・販売を手掛ける会社で、社長がかの番組に心を揺すられ、「自分たちも車を扱う仕事をしているので」と、立ち上げました。

 当面は近隣の病院やホスピスに声をかけて説明し、希望者を募るというやり方で進めていくそうです。

 

  あらかじめ民間救急会社と提携しており、車両は酸素ボンベ、吸引機、自動体外式

 除細動機(AED)などを装備した民間救急車を使用。外出には看護師やボランティ

アが同行。ただし外出は日帰りのみ。

 主治医の了承と、家族の同意を得た上で送迎です。

  

 僕は「月刊仏事」の記事を書くために電話で広報の方と話したのですが、この事業に誇りを持ち、かといって気負うこともなく、たいへん美しい応対だったことにも心惹かれました。

 

 今後、提携先を県内の病院などに広げ、将来的には、活動に理解を示す企業からの協賛も。2019年には公益社団法人にして全国的活動を目指すそうです。

 

 これも高齢化社会・多死化社会における一つの文化になり得るでしょう。 これからの展開が楽しみです。

 


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「スターウォーズ エピソード8 最後のジェダイ」は舞台劇にしてOK

 

 今さらながら「スターウォーズ エピソード8 最後のジェダイ」。

 2月のうちに書いてこうと思って、つい書きそびれていました。

 

 あちこちでもうすっかりレビューも出尽くしていると思います。

 まったく読んでいないので、世間的な評判はさっぱり分かりませんが、僕的にはかなり面白かった。

 (特にこのシリーズの熱心なファンでないけど)全部見た中では、これが一番入り込めたな~と思いました。

 

 率直な印象を言うと、かつてのスペースオペラ的な部分が薄まり、シェークスピア劇みたいに見えました。

 

 世界政治とか抗争を含めた宇宙スケールの活劇だったはずが、なんだか家族ドラマみたいなスケールになってきた(これは批判ではありません)。

 

 あくまで個人的な印象です。

 

 実際には戦闘シーンは相変わらず多いし、チャンバラもあるし、絵作りも凝っているし、迫力もある。

 そうしないと、スターウォーズブランドにならないからね。

 

 ただ以前はそっちの方がストーリーを完全に凌駕していたのだけど、今回はドラマのほうが引き付けられる、ということ。

 戦闘状況なんかを全部セリフで説明させてしまって、舞台劇にしたらいいんじゃないかと思ったくらい。

 

 これまでのスターウォーズであまり魅力ある登場人物ってお目にかからなかった(ダースベイダーが悪役としてどうしてあんなに人気があるのか、さっぱりわからない)けど、若い二人の主人公――レイとカイロ・レンがはいい。

 

 スターウォーズ過去40年の歴史というか、遺産というか、おっさんファンたちの降り積もった愛着やら怨念やらを背負わされても、最終的にそんなもの蹴っ飛ばして、カウンターのロングシュートでゴールを決めちゃいそうな「フォース」を感じます。

 古いキャラクターはすべてこの二人の引き立て役ね。

 

 いっそのことエピソード9は完全にオールドファンを裏切りまくって、戦闘シーンなしにしてしまったらどうだろう?

 登場するのはレイとレンとBB-9(ロボット)だけとか。

 ま、そんなのあり得ないはわかっているけど。

 

 勝手にエピソード9の予測をすると、前回の3部作(エピソード1~3)は、史実(?)を変えるわけにはいかないので、主人公のアナキンがダークサイドに落ちてベイダーになってしまうという悲劇的ラストで後味が悪かった。

 けど、今回の9は必ずやハッピーエンド、希望ある結末に持っていくでしょう。

 なんといっても制作の大元はディズニーだし。

 

 王道としてはレンの魂が救われ、レイと結ばれる・・・というのが落としどころだと思うけど、それだと単純すぎるかなぁ。

 


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大林宣彦監督の集大成「海辺の映画館―キネマの玉手箱―」

 

大林監督は「その日のまえに」(2008年)を作ったころから、
自分の映画人人生の終活を考えていたのかもしれない。

そうでなければ、ガンで「余命3か月」の告知を受けてから
これだけの大作はできないのではないか。


――というのはあくまで推測だが、
鑑賞してそんな感想を持った。

 

月刊仏事で数活映画特集をやっている関連で、
「海辺の映画館―キネマの玉手箱―」の
マスコミ試写会に行ってきた。
六本木にある、配給会社の試写室である。

 

すでに一度、昨年10月の東京国際映画祭で上映されているが、
4月上旬の公開に向けてマスコミ向けに数回試写会が行われる。
今回はその第1回だ。

 

渡された資料の中のコメントによると、
 幼いころ、“純真な軍国少年”だったという大林監督は、
「自由に生きよ、それが平和の証だ」と父に言われ、
形見代わりに8ミリ映写機を譲られ、
終戦から10年後の東京にやってきたという。
以来、60年以上にわたる映画作り――

 

と口で言ってしまうと簡単だが、
好きなこととはいえ、ビジネスでもある。
自分の中でさまざまな矛盾と
闘わなくてはならないこともあっただろう、

その思いは、この作品のはしばしから浮かび上がってくる。


この世の中と折り合いをつけながら、
自分のやりたいことをやり続ける、
この世界で自分をだまさずに生き続けるための矛盾。

 

3時間の長尺である。
ジャンル分けすると「戦争映画」「反戦映画」
ということになるのだろう。しかし、
一般的に思い浮かべるそれらとはだいぶ趣が異なる。

 

オープニングはほとんどSF映画。
宇宙船の中から観客に話し仕掛けるのは、
語り手のひとり、「爺ファンタ」こと、
かのYMOのドラマー・高橋幸宏氏である。

 

その宇宙から懐かしい日本の現風紀が残る広島・尾道の
海辺の映画館にシーンがぶっ飛ぶ。

そこでは映画への愛とともに、
幕末の動乱・明治維新から原爆投下で終わる太平洋戦争まで、
およそ1世紀にわたる日本の近代の歴史を軸にした、
すさまじいほどのイメージコラージュが展開する。

 

戦争とは何なのか?
僕たちが教わってきた歴史は何だったのか?
それらは歴代の権力者たちが作った、
映画のようなフィクションのようなものだったのか?
公になっている史実の裏には、本当は何があったのか?

 

嫌でもそんなことを考えざるを得ない。

 

おそらく批評としては、CGがマンガのようだとか、
合成がチャちいといった意見が出ると思うが、
むしろそれは全体のメッセージを伝え、
飲み下してもらうための
監督得意の「糖衣」のように思える。

 

実際、リアルな映像ではとても見られない残酷なシーンもある。
利己的な欲望を正義の美名に乗せて、
人を殺したり、人格を蹂躙する、
人間の卑劣さ・醜悪さが醸し出す“残酷”だ。

 

大林監督はメジャーデビュー作を製作した経験から
「ジャンルを選択すれば、如何なる純文学も
商業映画になり得ることを学んだ」
と言っているが、
この作品には、合成画面の稚拙さなどを補って余りある
真摯で深いメッセージがある。

 

これは大林監督の終活であり、集大成となる作品なのだと思う。
しかし、それでありながら、もっと前に進みたいんだという
溢れんばかりの意志を感じる。


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電子書籍第1号「魚のいない水族館」完成

 

おりべまこと というのは、
芝居をやっていたころのペンネームです。

今回、AmazonKindleで本を出すにあたり、
おりべを復活させることにしました。


戯曲や小説やドラマの脚本は、
どうも本名ではやりにくいので。

昔は漢字表記でしたが、
これ以降はかな表記です。

 

というわけで去年の夏に書いた
「魚のいない水族館」を電子書籍にしました。

現在レビュー(審査)中なので、
2~3日したら出ると思います。
出たらまたお知らせします。

 

ずっと紙の本じゃないと納得できない、
みたいな思いがあったのですが、
そうした思い込みというか、
こだわりもなくなりました。
還暦になったせいか?(笑)
いいか悪いか、面白いか面白くないかは
市場が判断してくれるでしょう。

 

本作は短編で30頁程度のボリュームだし、
すでに推敲済みで原稿をいじる必要はなかったので、
試しに作るにはやりやすかったです。

 

・・・というと軽く作れたようだけど、
以前のワード原稿は印刷用にレイアウトしていたので、
いろいろ不都合が出て、
結局、いったんメモ帳(シンプルテキスト)に落として、
それをまたコピペして白紙のワードに戻す、といった
ややこしいことをやったので、
結構時間がかかりました。

 

概念が紙の本と電子書籍ではだいぶ違うので
その混乱から抜け出すのに戸惑った感じ。

プレビューと原稿を見比べながら、
10回くらいアップロードしなおしを繰り返しました。


一応ちゃんと前付きと後付き、コピーライトも入れて
それらしく仕上がったので満足です。

表紙もアプリで、そこそこのものなら
簡単に自分でデザインできます。

 

今回のは短編小説なので、目次も画像も入れませんでしたが、
今後いろいろ創っていきたいと思っています。

次回は今月終わりから来月初め、
ブログに書いたエッセイを集めたものを出す予定です。


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還暦はおとなの成人式

 

誕生日のお祝いを下さった皆様、ありがとうございます。

先日、LutherさんというFBのお友達の誕生日の時、
お顔つきを見て、
60歳は「大人の成人式ですね」という言葉が出たのですが、
我ながら「なかなかいいな、これ」と思って、
自分にも使いました。
その割に結局、正装もせず、床屋へも行かずじまいです。

 

20歳から40年かけてもう一度、成人しましたということで、
電子本出版のために,あちこちの原稿をまとめたり、
リライトしたりしています。

そんなことをやっていると、
なんだか終活をやっているような錯覚に陥ります。
けど、無理に若ぶる必要もないので、
やっぱこれからは長い終活になるのかもしれません。
人生第3幕、始まり始まり~というところでしょうか。

 

どんどん面白いこと書いていきますので、
引き続きよろしく。ほな。

 


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「茶トラのネコマタと金の林檎」あとがき

 

これはもともと20代の終わりの頃に書いた
「林檎探偵談」という芝居のエピローグで、
3分くらいのコントみたいな場面でした。

実際に上演する芝居の台本を書いたのは、
この時が最後だったので、
電子書籍の最初はここから始めようと思ってました。

 

正月明けの仕事がひと段落したあと、
チョイチョイと3日くらいで書いて
25~30枚程度(10.000~12,000字)にする
つもりだったのが、思いのほか、躍起になってしまい、
結局、その倍くらいの長さに。
日にちも1週間かかりました。

特に後半は当初の予定とはだいぶちがう展開になり、
以前とはすっかり違う物語になりました。

 

すぐに出してもいいかと思いましたが、
やっぱり少し間をおいて養生して
再度推敲したほうがいいと思うので
電子書籍の第1号は別の作品にします。

それにしても30年前の作品をこうして深く掘っていくと、
いろいろ違うもの、新しいものが発掘されて、
どんどん以前とは違った話になっていくのは面白い。
書くことは、自分の正体を炙り出す作業なのかな、とも思います。

 


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短編小説「茶トラのネコマタと金の林檎」第5話(最終回)

 

 カッパを着ていたものの、家にたどり着いた頃には帰るころにはずいぶん濡れていた。出迎えた息子は母親を叱りながら、妻かきょうだいかわからないが中年の女性を呼んでバスタオルで体を拭かせた。しかめっ面をしながら健太と六郎にもタオルを用意し、シャワーを浴びるよう勧めたが、二人はお母さん優先で、と言った。

 

 夕食のころにはかなりの大雨になっていた。息子はこの雨ではもう明日は無理だ、たとえやんでも土がぬかるんで作業は出来ないだろう。依頼の仕事はこれで終わりにしてください、おカネは当初の約束通りお支払いします、と言った。
 それを聞いて健太が一瞬怪訝な顔をしたのを見て取り、六郎はすかさず「わかりました。心残りですが、そうさせていただきます」と言った。

 

 夜通しざあざあ降りだった雨は、朝になると小降りになっていた。ふたりは朝食をすますと帰り支度をした。

 「残りの半額は月末に振り込みます。交通費は前払い分と一緒にお渡ししましたが、ほかに何かご請求いただく経費はありますか?」

 息子がそう聞いてきたので、「いや、特に・・・」と答えかけた健太を制して、六郎が「はい、それでは帰ったらまとめますので」と代わって答える。その分は一緒に振り込むので――ということで話は収まった。これでこの仕事はもう終わりだ。それにしても息子の態度が必要以上に事務的なので、健太は少し引っ掛かりを感じた。

 

 ネコマタは二人の前に出てこなかった。それとなく健太は息子に聞いてみたが、まだ寝ていると言う。

 

 「あなたがたがいたこの二日間、興奮しっぱなしで疲れたんでしょう。本当にありがとうございました。わたしのほうからよろしく言っておきますので」

 

 時計はもう9時になろうとしている。健太は、急いで帰る必要もないし、せっかくなので最後にご挨拶だけでもしたい。少しくらい待っても構わないので、起こしてはもらえないか、と食い下がってみた。

 少し不穏な空気を感じたのか、六郎は「ま、いいじゃないか。お休みだっていうんなら。もう行こう」と促した。

 しかし健太は譲らなかった。なおも黙っている息子に対して、
「もしお体の具合が悪いのでなければ」と付け足した。

 

 息子は観念したように「じつは起きているんですが」と言った。そして「でも、あなたがたに会ってもわかないでしょう」と続けた。
 「わからないって?」
 「探偵さんが帰るよってさっき言ったんです。ところが、探偵ってなに?」って。 
 健太は黙っている。
 「金の林檎を探しに来た探偵さんだよって言うと、金の林檎って何のこと?」
 「そ、そうですか」
 六郎が笑いながら言った。
 「ま、しかたないですよね。わたしらなんてほんの二日間ご一緒しただけだし」

 

 息子はしばし躊躇っているようだったが、思い切ったように
 「あなたがただけではありません。わたしのこともわからないんです」
 二人は何も言えなくなった。彼の話はまだ続いた。


 「何もわからないんですよ。ここはどこなのか? 今はいつなのか? そして自分は誰なのか?」

 

 帰り道、雨はやんでいた。雲の切れ間から太陽も顔を出そうとしていた。
 しかし、ゆうべの雨でぬかるんだ道を歩いていったので、駅に着くころには二人の革靴は泥だらけになっていた。

 

 電車の中、二人は無口だった。
 健太は何か話す切り口を探していたが、自分の泥で汚れた靴に目を止めて 「これ、経費として請求する? ロクさんのパイプとか虫メガネとかも」
 「そのつもりだったけどね」その後は続けない。
 「ごめん」と健太は頭を下げた。
 「なんで謝ってるんだ?」
 「あの時、ロクさんの言う通り、さっさと帰るべきだった」
 「だよな。でも実をいうとさ、おれも何か釈然としなかったんだよ。たとえあのまま帰ったとしても、あの息子は後から訊いてきたさ。いったい何があったんだ?ってね」

 

 ネコマタは一晩ですべての記憶を消失してしまった。二人は彼女の息子から昨日の午後、何か原因になることがあったのか、追及された。


 あの缶ブタが見つかったあたりにまだ何か埋まっているんじゃないかということで、続けて掘り返した――それが二人の答だった。
 そこまでは話したが、健太も六郎も穴の中に揃って寝転がったことは黙っていた。どうしてそんなことをしたのか、問い詰められても説明できない。できたとしても、あの息子がそれを理解し、納得することは到底できないだろう。


 息子はそれ以上追及せずに了解したようだ。というよりも来るべき時が来てしまったと、母親の病気に対するあきらめの気持ちがあったのかもしれない。


 健太も六郎も日常の時間に戻ってくると、あの時、あの穴の中で自分たちが何をし、何を話したのか、よくわからなくなっていた。本当にあれは眠っているときに見る夢の出来事だったのではないかと思えた。

 

 結局、その後、健太も六郎も経費は請求せず、月末には約束通りの残金が振り込まれた。すべては元に戻った。健太は仕事に忙しく、まだハウスに行って金の林檎の話はしていない。六郎もコツコツと借金を返してはいるが、息子のところにはまだまだ行けそうもない。

 

 そうして年が明け、寒さが強まり、1月も終わりに近づいた頃、ネコマタの息子から健太のもとへ訃報が届いた。母親が亡くなったという。メールには5行でごく簡単に挨拶と経緯が書かれていた。

 

 昨年11月中旬から風邪をひいて体調を崩し、その後、肺炎を発症。入院生活を送ったのち、年が明け2週間たってから、眠るように穏やかに旅立った。葬儀は身近な家族だけで行った――それが要旨、というか、ほとんど全部だった。

 

 あの最後の朝の口調と同じ、事務的な物言いで、たぶん同じ文章をコピーペーストして宛名だけ変えて送っているのだろうと見て取れた。悪い感情は抱かない。むしろそのおかげでホッとできたくらいだ。しかし、文章の奥からは死へつながる行程のすべてが伝わってきた。

 

 11月中旬というのは、あの晴れのち雨の日、金の林檎のかけらを見つけ、穴の中に入った日だ。あの日、ネコマタは雨に濡れたのがきっかけでひどい風邪を引いたのだろう。夜には熱が出たのかも知れない。そして一晩ですべての記憶を失った。もしかしたらもうそこで彼女の命は終わっていたのかもしれない。

 

 健太はいてもたってもいられなくなり、電話で六郎を呼び出した。六郎はちゃんと話を聞いてくれた。その夜、二人は待ち合わせをして一緒に安い居酒屋に飲みに行った。

 

 「おい、まさか自分を責めてるわけじゃないだろうな。だったらやめとけ。雨に濡れたのは、俺たちのせいじゃない。運が悪かっただけだ。あの息子だって、何か非難がましいことを書いてきたわけじゃないだろ?」

 

 こういうところはやっぱり六郎はおとなだ。おれはまだガキだな、と健太は思った。
 「こんなこと言っちゃナンだけど、あいつだってホッとしてるかもしれないぞ。いくら母親だって妄想狂の相手をし続けるのは大変だからな」

 

 健太はどう返していいかわからず、思いついたことを漏らしてみた。
 「あれはあのばあさんの終活だったのかな?」
 「あの金の林檎の話が?」
 「うん」
 六郎は焼鳥を串からかじり取り、もぐもぐと頬張った。それをチューハイで飲み下し、ふうっと息を吐いてから、ぼそっと呟いた。

 

 「若い時分、女優だったって言ってたな。ああいう芝居をやったのかもな」
 「女スパイとギャングが出てくるような?」
 「うん。あのばあさんには結構似合ってたかも」
 
 健太は小さな芝居小屋の、黒い幕に覆われた舞台の上で、金の林檎を手にしてセリフを朗誦し、歌ったり踊ったりするネコマタを想像してみた。
 昔は音程もしっかりしていたんだろうか?

 

 そして次に、もう一度、あの山へ行って、スコップをふるって力いっぱい土を掘り返し、汗まみれ泥まみれになっている自分を想像した。

 

 どっちも悪くない。
 どっちもありもしない記憶だが、思い浮かべると、不思議と心が満たされる。

 

 いつもはきっちり割り勘なのに、その夜は六郎が奢ると言って聞かなかった。
 「またなんかあったら呼んでくれ。よろしくな」
 そう言って六郎は夜風に吹かれ、少し足元をふらつかせながら、寒そうに背中を丸めて帰っていった。
 空には月が輝いている。ほぼ満月に近い。

 

 12時を過ぎ、アパートにたどり着くと、階段のところに茶トラのネコが座っていた。まるで健太の帰りを待っていたようだ。丸い瞳が光っている。まだ若く、月の光を受けてオレンジ色の毛がつやめいている。

 

 「だいじょうぶ。おれは元気だよ。来週、ハウスにも行ってガキどもに金の林檎の話をするよ。えーと、出だしはこうだ。
 おれはおまえらと同じ、11だか12だかの頃、人間は齢を取ったらどうなるのかっていうことにすごく興味があった。おれたちはこの世にオギャーと生まれた時は何か大事なものを持っているらしいけど、大きくなるにつれ、いつの間にかそれをなくしてしまう。けど、どうやら年寄りになると、それをまた見つけられるようになるらしい。だったら齢を取るのもそう悪くないのかな、と思う。けど――」

 じっと健太の顔を見ていたネコは、そこでまばたきをした。
 
 「けど齢を取る前に、たとえば今のおまえらくらいで見つけられれば、もっといい。なに、早すぎることなんてないさ」

 

 そう言って健太がニヤッと微笑むと、ネコはニャーと鳴いて体を起こした。そして悠然とした仕草で地面に降り立ち、長い尻尾をしならせながら歩いていく。

 

 「おやすみ。よい夢を」

 

 一瞬、振り向きかけたが、そのままネコは夜の闇に消えていった。
 健太はそれを見届けると、白い息を吐きながらトントンとリズミカルに階段を昇って行った。

                                                        おわり
 


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短編小説「茶トラのネコマタと金の林檎」第4話

 

 小雨の中、二人が昼食をとりにネコマタの家に戻ると、4人組の謎の黒いスーツの男たちが消えていた。
 「そんな男たちのことなんて知らないと言い出したんですよ」
 息子は笑いながら言う。金の林檎を林の中に埋めた連中であり、またいつか帰ってきて掘り出そうとしていた窃盗団の一味だ。この1か月近くの間、ずっとネコマタの頭の中で跳梁跋扈してきたのに、今朝突然、記憶から消え去ってしまったのだという。

 「でもまた、そのうち戻ってくるんじゃありませんか?」
 健太は息子に訊いた。
 「かもしれませんがね。ただ、相変わらず林檎は埋まっているんですよ」

 

 すると金の林檎はどこからやってきたことになっているんだろう? 
 新たな疑問が生まれるが、やることは変わらない。それよりも問題は雨だ。まだ降ったりやんだりしている。昨日までの健太と六郎だったら、こんな天気だから穴掘りは中止にしましょうと言うところだが、今日はなぜか、ぎりぎりまで作業を続けたいという奇妙な熱にうかされていた。

 

 「本当に行くんですか? こんな天気だから無理しなくていいですよ」
 息子は二人にそう言ったが、横からネコマタが入ってきた。

 「いや、ダメだよ。行くよ。わたしも一緒に行くからね」
 「やめとけよ。雨が降ってくるよ」
 「だったら傘やカッパを持ってきゃいいさ」

 息子は肩をすくめ両手を広げて、お手上げのポーズを取った。
 彼女の言葉にはそれまでの妄想へのこだわりとは違った、ひとつのきっぱりした意志が込められていた。健太は妙な胸騒ぎを抑えつつ、三人分の雨具をリュクサックに詰めて背負った。

 

 降ってきたらすぐ戻るからと息子に約束して二人はネコマタをつれて出かけた。
 現場に着くと、彼女は少しも迷わず、もう宝のありかはわかっているとでもいう足取りで目的地へ直行した。
 それはあの五股に分かれた<星の形の木>だった。周囲には今朝、二人が掘り返した穴がいくつも空いている。

 「落っこちないよう気をつけてくださいよ」
 健太の注意が耳に入っているのか、いないのか、ネコマタは軽やかなステップを踏むように穴の間を歩き回る。そして、おそらくいちばん深いと思われる穴のところで足を止めた。六郎があの缶ブタを見つけた穴だ。

 

 「ここを掘って。もっと深く」
 その声には有無を言わせぬ力があった。もはやただの茶トラ髪のばあさんでなく、女王陛下のような威厳に満ちている。

 言われた通り、二人がかりで穴を掘り下げていく。ガツッと尖ったスコップの先端をガツッと地面に突き刺し、黒い土をすくう。そして穴の外に放り投げる。
 「土をかぶらないよう!」
 健太は表にいるネコマタに向かって声を張り上げた。
 「気をつけてください!」
 六郎もそれに合わせて叫ぶ。

 

 息はぴったり合っていた。二つのスコップがリズミカルに土を掻き出していく。何かが見つかるんじゃないか――口には出さないが、健太の胸にも、六郎の胸にもわくわく感が宿る。

 

 「♪ルロロロ、リラララ~ がんばって がんばって もっとがんばって
 ディギ ディギ ディギ ディギ ディギ ディギ」

 

 今度のはどうやら二人を応援する歌のようだ。
 健太も六郎も顔を上げ、互いに目と目を合わせると、なぜだか笑みがこぼれた。さらに二かき三かきスコップを動かすと、愉快になってどちらからともなく笑い出した。

 おれたちはただカネのために働いているんじゃない。彼女は本当に見たんだ。まばゆくキラキラ光る夜明けの金星のような林檎を――。


 その時、また雨が落ちてきた。そして遠雷。もしかして今度のは本降りになるかもしれない。

 穴はもう健太と六郎がすっぽり入れるくらいの深さになっていた。2メートル以上あるだろう。上からネコマタが顔をのぞかせる。

 「残念ながら、何も出て来ないよ。金の林檎のかけらさえも」
 健太はそう叫んだが、彼女の返事は意外なものだった。
 
 「わたしもそこへ降りていく」

 

 二人は驚いたが、ネコマタは何の躊躇もなく、果敢に穴の中に降りてきた。二人はあわててその細い体を支える。
 底に足を下すと、服についた土をぱんぱんと手で払いながら、澄ました顔でさらに驚くべきことを言った。

 

 「金の林檎はなくなった」

 健太も六郎も目が点になった。
「どういうことですか?」
 アッハッハと笑うネコマタ。

 

 二人は顔を見合わせたが、まともに相手をしてちゃいけないと、すぐ思い直し、
 「わかった。ゆうべ、UFOが来て宇宙人が回収していったとか」
 六郎が気をきかせたつもりで合いの手を入れた。
 しかし、これはあっさり否定された。

 

「ちがう」

 ひとこと厳かな口調でそう言うと、彼女はゆっくり腰を下ろし、深呼吸をひとつして土の上に仰向けに横たわった。そして胸の上で手を組む。まるでこれから埋葬される死体のように。

 

「な、なにやってるんですか?」
 健太が思わず声を上げる。
「あたしが金の林檎なのさ」
 そのセリフに、二人は沈黙した。穴の中もひんやりとした空気が、さらに一度、二度と下がっていく。

 

 「ここまで生きてきてやっと気が付いた。あたしのこの体が林檎さ。実の部分はずいぶん減っちゃったけど、まだ芯が残っている。それに種があるよ。あんたらもそうさ。ここにきて一生懸命穴を掘った。探偵としてできる限りのことをやった。金の林檎の話を信じた人は自分が金の林檎になる。嘘だと思うならそんなところに突っ立ってないで、あたしの隣に寝てごらん」

 

 言っていることは意味不明だが、健太には「あたしと一緒に寝てごらん」という最後のセリフが、一度も遭ったことのない、そしてこれからも一生遭うことなんてないであろう母親のセリフのように響いた。

 

「あのぅ、雨も降ってきたことですし・・・」
と、横で六郎が言いかけたが、健太はだまって彼女の隣に横たわった。まるで何かに操られているように。ネコマタと同じように仰向けに寝て、胸の前で手を組んだ。

 

 六郎はしばし唖然としていたが、やがて「どんな気分なんだ?」と問いかけた。
「悪くないよ」
健太は答えた。
「ヘンな気分だけど、そう悪いものじゃない」

 健太の視界には木々が無数にそびえ立ち、そこからさらに無数の枝が上へ、右へ、左へ、あらゆる方向に伸びていた。
 その木々のてっぺんの向こう、はるかかなたの空からこれまた星の数ほどの雨粒が顔をめがけてまっすぐに落ちてくる。それに交じって時折、色づいた木の葉もくるくると旋回しながら落ちてくる。
 
 こんな世界をこれまで見たことあったっけかな? 

 健太は記憶をたどってみたが、思い出せない。けれどもその情景になぜだか懐かしさも感じる。不思議だ。

 自分がこれまで生きてきた時間、それからネコマタぐらいまで生きると想定した場合の残り時間を計算してみた。おそらくまだ彼女の3分の1、六郎と比べても2分の1にもなっていない。あとどれくらいこの世で旅を続けるのか見当もつかないが、生きる時間の1割くらいは、こうした不思議な世界にいてもいいんじゃないかと思った。

 

 「うん、悪くないな」
 やや離れたところ――ネコマタの体の向こう側から六郎の声が聞こえた。いつの間にか、彼もまたネコマタと健太と同じ格好で横たわっていた。

 「なんで今までこういうことをしなかったんだろうって思うよ。いや、したことあるのかな、遠い昔に。子どものころとか・・・それとも息子のチビだったころはどうだったかなぁ・・・」

 

 「あんたはこれから何がしたい?」
 上を向いたままだったが、ネコマタの問いは六郎に向けてのものらしい。
 「それは、わたしの夢ってことですか?」
 「そう呼びたきゃ呼んでもいい」
 「ええと・・まず借金を返します。それから息子に会いに行こうかな。もうおとなになっちゃいましたけど。ちょっと勇気がいりますね・・・ハハハハ、こんなのが夢ですかね?」

 ネコマタはそれには答えず、今度は健太に訊いた。


 「お兄さんは?」
 「またハウスに行きます。俺が育った施設です。親がいないんで。そこでこの間、子どもらに探偵の仕事の話をしたんだけど、今度は金の林檎の話をしますよ。どう話していいか、まだわらないけど・・・」

 自分でも意外なほどスラスラと答えた。その後で思った。そうだ、これが今、俺が抱えている夢なんだ、と。あいつらに金の林檎には魔法があるんだ、って話したい。そしておまえらも、もともと金の林檎だって。

 

 ビチョっ。
 巨大な雨粒が健太の鼻を狙ったように落ちてきた。それを合図に雨の降る勢いが急に増してきた。ずいぶん長い時間、穴の底に横たわっていたと思ったが、実際にはほんの10分足らずだったようだ。

 健太は体を起こして右側で寝ているネコマタを見た。目を閉じている。眠ってしまったのか? ざらっとした嫌な感触が胸の右から左――心臓を通り過ぎた。まさか・・・思い過ごしだ。健太に「お兄さんは?」と問いかけたのは、まだ1分くらい前のことだ。一瞬、息を飲み込み、おそるおそる声をかけようとすると、ネコマタはカッと目を見開いた。

 

「帰る」

 

 立ち上がろうとするネコマタを六郎と二人で手助けし、苦労して穴から出した。2メートル程度でも よじ登るのは大変だ。三人とも穴の外に出たときはかなりの雨になっていた。とても冷たい雨だ。体がぐんぐん冷えてくる。
 急いでリュックに詰めてきたカッパを出してネコマタに着せ、自分たちも着た。


 手が自由にならないと歩きにくいので傘は差さなかった。今度は近くで雷が鳴った。日暮れまでにはまだ時間があったが、林の中は宵闇のような暗さに包まれていた。

 

                          つづく


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短編小説「茶トラのネコマタと金の林檎」第3話

 

 山間なので星空がきれいだ。健太は久しぶりに星を見た。前に見たのはいつ頃だったか思い出せない。流れ星が秒単位で流れていくのがはっきり見える。こんなにしょっちゅう流れていたら、そのうち空から星が全部なくなってしまうんじゃないかと心配した。たまにはそんなくだらないことに心を砕いてみるのもいい。

 

 健太と六郎はネコマタの家の空いている部屋に泊まった。この仕事の契約は3日間だ。「どうすりゃいいんだ?」
 ふとんの上に転がって健太はぼそっとつぶやいた。
「ずっと掘り続けてりゃいいんだ」
 ひとりごとのつもりだったが、横で同じように転がっている六郎が応答した。
「だって何も出てこないし」
「当たり前だろ。もともと何もないんだから」
「それだと事件の“解決”にならない」
「これは事件じゃないぞ。解決もくそもないよ」
健太が黙っていると、六郎は続けて言った。
「とにかく3日付き合えばカネは全額もらえるんだろ?」
 健太はまだ黙っている。
「おい、そういう約束だったよな?」
 六郎は上半身を起こして言った。
「そうだよ。けど納得できない」
「なあ、これは仕事だろ。ビジネスだろ」
「・・・」
「まさかボランティアをやるつもりじゃないだろうな?」
なおも健太が黙っているので、六郎は言い方を変えてみた。


 「ま、考え方としちゃケアということでもいい。おれたちゃ妄想癖のばあさんの介護ヘルパーだ。ヘルパーは病気を治すわけじゃない。いや、どんな医者だってあのばあさんの病気を治すのは無理だ。だから、おれたちがそこまでやる必要は・・・」
「おれはヘルパーじゃない、医者でもない。探偵だ」
「ああ、そういや、そうだったな」


 六郎はまだ何か言いたげだったが、そこでやめて、ふとんをかぶりなおした。それから1分もしないうちにいびきが聞こえ始めた。

 

 11月も中旬になると日が短くなり、朝の5時はまだ暗い。
 「星だよ、星の形をした木があるんだ。その近くだ。さあ行くよ」
 夢のお告げがあったという。
 茶トラの髪の毛を振り乱し、大騒ぎするネコマタにたたき起こされ、二人は水を一杯だけ飲んで、眠い目をこすりながら林へ向かう。


 空には明けの明星が輝いていたが、 <星の形をした木>というのは何のことだかさっぱりわからなかった。
 早朝のうす暗い林をうろうろしているうちに、幹が地面から30センチくらいのところで5つに枝分かれしている珍しい木が見つかった。確かに上から見おろすと、星の形に見えなくもない。

 

「そうだよ、これこれ。よかった~、ありがとう探偵さん」
と、ネコマタは健太に抱きついた。

 

 二人は朝日が昇る中、その木の周りを掘った。ネコマタは興奮してさっきからしゃべりっぱなしだ。

 

 「そうそうそう、夢のお告げのとおりにしてりゃ、絶対だいじょうぶだから。100パーセント間違いないよ。人生のだいじなことはみんな夢が教えてくれるんだ。これはあんたらも憶えといたほうがいいわよ。どうすればいいか迷ったら、とっとと寝て夢をみりゃいいの。翌朝にゃ万事OK、“じんかんばんじさいおうがうま”なの。知ってるかい? フランスのことわざだよ。ああ、パリが懐かしいわ。もう秋よね。枯葉がセーヌを流れるわ。人も時代も、あたしの恋も流れてゆくわ~ ♪ルロロロ、リラララ~」

 

 支離滅裂なその話の後はなぜか歌になった。一応フランス語のようだ。音程はだいぶ外れている。ちなみに「人間万事塞翁が馬」は中国の格言である。中国とフランスの共通項を見つけ出すのは、けっこう難しい。

 

 「シャンソンだよ。これ歌ってるの、エディット・ピアフだっけ? ジュリエット・グレコだっけ?」
 六郎のどうでもいい質問に健太が答える。
 「おれが好きなのはエビピラフとグリコのキャラメルだ」

 

 絶好調のネコマタのパフォーマンスをやり過ごしながら、二人は星の木の半径5メートル一円を手あたり次第、掘りまくった。夜明けは冷え込んでいたが、もう汗ぐっしょりだ。


 あれもフランスだった、と健太は思った。フランスの何とかという作家が神話を書いていた。神様をだました男が罰として、岩を山のてっぺんに運ぶ話だ。やっとたどり着いたと思ったら岩は下に転がり落ちて最初からやり直し。これはゴールなんてないことがわかりきっている永遠の苦行、無間地獄だ。

 

 ぞっとして、それとなく六郎にボヤいたら、
 「心配するな。俺たちのは明日の日暮れまで辛抱すりゃ終わる。それで残念、見つかりませんでしたチャンチャンで、カネをもらって帰る。それだけの話だ」

 

 ゆうべはこんなことをぬけぬけと言う六郎に対して「このサラリーマン野郎め」と内心ディスったが、今、このシチュエーションで聞くと、六郎のほうが圧倒的に正しいということがわかった。健太は朝の清涼な空気の中で、重く深いため息をついた。脳細胞が1万個くらい飛び散って空気中をふわふわと舞った。

 

 その時だった。
 「なんだ、こりゃあ?」
 六郎が大きな声を張り上げた。
 健太は急いで駆け寄った。六郎のスコップの先端の黒い土の中に朝日を反射して何か金色にキラキラと光っている。

 異変を察し、気持ちよくシャンソンを歌っていたネコマタもよたよた走ってきた。しかし気持ちばかり前に出て、足が追い付かない。木の根っこに躓いて転びそうになったところに、健太がすかさずスライディングした。

 

 「見せて」
 健太の背中に上で腹ばいになったまま、ネコマタは叫んだ。金色の光が彼女の目を射る。まぶしさに目をつむったまま、もう一度、叫んだ。「早く!」

 六郎はスコップの先端にある金色のかけらを指でつまみ上げ、確認してからネコマタに差し出した。
 「気を付けて触ってください。指を切るかもしれませんよ」

 ネコマタの指はわなわなと震えていた。そっとそのかけらを両手の親指と人差し指でつまみ上げる。ネイルの臙脂色とかけらの金色が美しいコントラストをつくる。
 「これはーー」


 ネコマタが体を浮き上がらせたので、健太も体を反転させてそのかけらが何かを確かめた。

 長さ10センチ、幅5センチくらいの、楕円がかった薄っぺらい金属の板。
 なんだっけ?と健太が考えていると、六郎が説明した。

 

 「缶詰の底ブタですね。ほら、スパムとかランチョンミートとか、お尻の近くのところをくるっと一回り切り取ってあける缶詰があるでしょう」

 

 説明を聞いても、ネコマタはただだまってしげしげとそのフタを見つめていた。間を持たせようとしたのか、六郎が続ける。

 

 「うちの息子が好きだったんですよ、そういうの。適当な厚さに切って玉ねぎとかピーマンとか、冷蔵庫の中に転がっている野菜といっしょにフライパンでチャチャっと炒めるんです。味つけは塩コショウだけでもいいし、ケチャップとかマスタードをつけてもいい。ご飯に合うし、パンに挟んでサンドイッチにしてもおいしい。パスタに入れてもグーです。簡単にできるからよく作ってました」

 

 「あなたが料理するの?」
 ネコマタが訊いた。

 「しますよ、料理くらい。適当でしたが。だって子どもにメシ食わせないわけにはいかないでしょ」
 健太も六郎のそんな話は初めて聞いた。

 「親バカと思われるでしょうけど、うちの子は優秀なんです。頭もいいし、スポーツもできる。親に似なくてよかった。ハハハハ」
 「カラスがワシを生んだってこと?」
 それを言うなら「トンビがタカを生んだ」だろ――健太は思ったが、

 「そうそう、それそれ。ま、ちょっと出来が良すぎてね、わたしの手には余るようになってきちゃったんですよ。こんな親父じゃだめだよな。せっかくの子ども才能をそてられないなって・・・・。でまぁ、いろいろ社会状況の変化、ビジネス環境の変化もありまして、勤めてた会社も経営が厳しくなってきましてね、ま、もともと弱小ですから。どうにもこうにも仕事がうまく回らなくなって・・・それでなんていうか、人員削減もあったんで、いわゆる転職をしようと思った矢先に、いわゆる離婚ということになりまして・・・」

 

 「息子さんはどうされたんですか?」
 そう訊いたネコマタの声と顔は、今までにないほど“まとも”だった。

 

 「息子はカミさんのほうが引き取ることになったんです。ま、あっちのほうが優秀ですし、シングルマザーでもない。要するにまぁなんていうか、若い優秀な男とできちゃいましてね。イケメンかというとそうでもなくて、ま、わたしとどっこいどっこいと言いますかーー」

 

 おいおい、ロクさん、どうしたんだ? なんでそんなみっともない身の上話を、しどろもどろになって話さなきゃいけないんだ?


 健太はもういい加減やめさせようと、口をはさむタイミングを計っていたが、なかなか見つからない。一方、ネコマタは缶詰の底ブタをつまんだまま、一心に六郎の話を聞いていたが、やがてポツリと言った。

 

「あなたとどっこいどっこいじゃ、たいしたことないわね」

六郎は一瞬、言葉を失ったが、何とか持ち直した。

「そ、そうですね。おっしゃる通りです」
「けど、あっちのほうが優秀」
「そ、そうです。アハハ、アハハハハ・・・」
「けど、わたしはあなたが好きだわ」
「あ、ありがとうございます。光栄です」
「けど、こっちのお兄さんのほうがもっと好き」

 ネコマタはまたもや健太に抱きついた。


 「これ危ないから僕が持っていましょうか?」
 健太は缶ブタを気にして言った。
 「ありがとう。やさしいのね」

 臙脂色のネイルの指から缶ブタを受け取ると、もう一度、朝日にキラッと光った。


 気が付くと林の中は明るい新鮮な光に満たされ、鳥のさえずりもうるさいほどあふれていた。

 

「♪ルロロロ、リラララ~」
 その鳥たちの声に対抗するかのように、声を張り上げ、ふたたびシャンソン(らしき歌)を歌いだしたネコマタは、そのまま家のほうに向かって歩き出す。茶トラの髪が艶めき、背筋もしゃきっと伸びている。だが、どこで転ぶかわからない。

 六郎が健太に手を差し出し、ネコマタの背中を見てあごをしゃくった。健太は缶ブタを六郎の右手に渡し、スコップを左手に渡すと、慌てて後を追った。

 

 

 朝7時のニュース。昨日は世界ではいろいろな出来事があった。今日もいろいろな出来事がありそうだ。

 

 二人は戻って自分たちの部屋で朝食を食べた。お互いしゃべる気にならず、食後もだまってコーヒーを飲みながら、テレビを見たり、スマホをいじったりしていた。健太のスマホには新しい仕事の依頼メールが入っていた。


 何時になったらまた出かけようかと思っていたら、ネコマタの息子が現れ、よもやま話を始めた。この家を民泊にすつつもりだと言う。

 

 「町でね、観光に力を入れようとしているんですよ。このあたりは街中からのアクセスも良くて、不便じゃない。そうは見えないでしょうが、割と外国人にも人気があるんですよ。あの林のもう少し奥に行くと滝がありましてね。知る人ぞ知る、隠れたパワースポットとも言われているらしいんですよ。そのへんをもっとアピールすれば、もっといろいろできるんですよ。特に欧米人は、有名観光地を回るより、ちょっと変わった体験を求めて日本に来る人が多いですからね。それで・・・」

 

 と、前置きを終えて、仕事のはかどり具合について聞くとともに、ネコマタの様子について報告した。どうもちょっと変化があったらしい。

 「今日これからまた林檎を探しに行くの?と聞くと、探偵さんにまかせるというんですよ。その言い方がこれまでと違うんです。こだわりが消えたというか、つきものが落ちたというか・・・なんだか穏やかになった感じで」

 

 さらに聞くと、ジュエリーボックスから例の缶ブタを出して見せて、こういうものがまた出てきたら知らせてほしいと言う。
 「何ですかあれ? スチール? でも、はっきり言ってただのゴミですよね?」


 わかりません、今朝、言われたところを掘っていたら出てきて、お気に召したようですと、健太は答えた。
 「金の林檎のかけらなんです、きっと」
 六郎が言った。「ただのゴミに見えると思いますが」

 

 それから二人は再び林に行って掘り続けた。
 不思議なことに、健太の中で今朝までの徒労感が消えていた。掘れば何かが出てきそうな気がする。それは六郎も同じようだった。適当に休みを入れつつも、何か明確な意志を持って作業しているように見える。しかし、その気持ちの変化の正体はつかめなかった。

 

 そんな二人のやる気とは裏腹に、時間がたつとともに、美しかった晴天は一転、どんよりと曇りだし、昼を過ぎるころにはポツポツと雨が落ちてきた。遠くでは雷の鳴る音までしている。
 天気のことなど、まったく意識していなかった健太は、急いでスマホの天気予報を見た。午後遅くなるにつれて、この地域は大雨になるという予報が出ていた。

 


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短編小説「茶トラのネコマタと金の林檎」 第2話

 

 「手紙に書いたことはほんとだよ。林檎はどこかへ寄付しようと思ってんの。恵まれない子どもの施設とかさ」

子どもの施設と聞いて、健太はちょっとどきっとした。が、そんなことはおかまいなしにネコマタは続ける。

 

「あたしはもう欲なんてないんよ。でもね、心配しなくたってだいじょうぶ。全部じゃないから。あんたらががんばって掘り出してくれたら、ちゃんと一個ごほうびとしてあげるから。ありったけの愛をこめて、あたしからのプ・レ・ゼ・ン・ト」


 最後の「プレゼント」を一音一音スタッカートで弾ませ、健太に向かってニタリと笑う。健太はぞっとして後ずさる。

 「つまり成功報酬ってわけだな」
 あとから六郎が耳元でささやいた。
 いや、違うだろ。健太は首を横に振った。
 「そもそも金の林檎はどこかから盗まれたもので、あのばあさんのものじゃないだろ」
 そう言ったが、それも違うと、また思った。


 そもそも俺は最初からこんな芝居めいた話を信じていない。

 健太は探偵になる前から高齢者相手の仕事をいくつかしてきたが、自分の妄想をもっともらしいストーリーにしてしまう年寄りは珍しくない。どこから湧いて出るのかわからないが、彼ら・彼女らはこうした妄想を実際に起こった出来事だと信じ込んでいるのだ。信じて疑わないということは、それはもう妄想でもまぼろしでもなく、事実そのものなのである。

 

 じつは今回の依頼の本当のクライアントは別にいる。ホームページ経由でメールを送ってきたのは、彼女の息子だ。齢は50代前半。ちょうど六郎と同じくらいだ。その息子の話では、母親、つまり、茶トラのネコマタは、半年くらい前からこの金の林檎の話をし出した。いったい何がきっかけだったのかはわからない。彼女のこうした妄想癖は数年前から徐々に悪化しており、周りを混乱させることがたびたびあったらしい。しかし、いつもなら次の日になれば昨日の妄想のことなどケロッと忘れていた。


 ところが今回のは違った。2日経っても3日経っても1週間経っても忘れるどころか、日に日に鮮烈に、詳細になっていった。その日の昼に何を食べたか、夜にはもう忘れてしまっているのに、この金の林檎のストーリーだけは彼女の脳のどこかにへばりついて取れなくなり、まるでおできのように大きく腫れ上がってしまったのだ。
 80年以上に及ぶ膨大な人生の記憶はどんどん失われていくのに、金の林檎と黒いスーツの男たちの記憶だけがぐんぐん成長する。そんなことありえないなんて言おうものなら、恐ろしい形相で怒り出し、ついには誰も自分のことをわかってくれないと、狂ったように泣き出す始末だ。


 息子いわく、「わたしの知るかぎり、若い頃だって、あそこまで何かにこだわり、強烈に主張を繰り返すことなどありませんでした」。
 それでほとほと困った末に口をついて、ぽろっと思わぬセリフがこぼれ落ちた。

 

 「探偵に頼んで、この事件を解決してもらおうか」

 

 それを聞いて母親は大きく目を見開いた。みるみる涙があふれ、口角が上がっていく。

 

 「それだよ、それ。どうして今まで気が付かなかったんだろう。探偵だ。探偵に頼めばいいんだ!」

 

 そう言って今度は突然、大声を上げて笑い出した。あげくにすっくと立ち上がって踊り出す。普段は腰が曲がって、猫背になっているのだが、腰も背中も、あるでプリマドンナのように、きれいにまっすぐ伸びていた。息子も後から知ったことだが、母はまだ結婚する前、小さな劇団で女優をやっており、ダンスも得意だったそうだ。

 

 こうした経緯があるので、とてもまともな探偵に依頼はできない。あちこちインターネットで探したあげく、彼もやはりご多分に漏れず、健太の実績とプロフィールに目を止めてで飛田探偵事務所を選んだ。


 いや、今回に限っては、最近載せるようになった六郎のプロフィールも決め手の一つになったようだ。同世代の男がいると安心するという。たいしたことはできなくても、おっさんというだけで結構、役に立つもんだなーー健太は改めて六郎の存在意義を認めた。

 

 何でも屋的な探偵の報酬はかなり曖昧だが、健太は一応、ホームページに基本料金表を載せており、それをもとにクライアントと交渉して決める。しかし今回の場合、報酬は相手から持ち出してきた。
 「こんな仕事なので、これでなんとか“解決”していただければ・・・」


 そう言って息子は気前よく前払いで報酬の半額を支払ってくれた。それだけでもこれまで受けた仕事の中で最高額だった。しかし喜んでばかりもいられない。確かにこれは“解決”すべき事件なのだ。

 

 「探偵と聞いてリアクションしたんだろ。まさかシャーロック・ホームズとか、明智小五郎とか、フィリップ・マーロウとか、名探偵コナンみたいなのが現れると思ってやしないだろうな」


 依頼の経緯を聞いて、六郎は不安を口にした。もっともだ。

 そこで、できるだけ探偵らしく見せたほうがいいということになり、二人とも英国製っぽいベストとジャケット、ハンチング帽といった、<なんちゃってホームズ>みたいなファッションをあつらえた。六郎にいたっては吸いもしないのにパイプや虫眼鏡まで取りそろえた。


 「こういうお年寄りには中身よりも、まず見た目が大事なんだよ」 と、六郎はやけに自信たっぷりに意見を述べる。

 健太はこんな恰好じゃ穴掘り作業がやりにくい、作業着か、ぼろいジーパンで行きたいと抗議したが、ゴム長やスコップなどの道具はあちらで貸してくれるというので、まぁいいかと素直に年長者の意見に従った。

 

 服装をそれっぽくして来たのは正解だった。茶トラのネコマタは一目見るなり、生まれて初めて探偵に遭ったと、感激して二人の手をぎゅっと握りしめた。握っている時間は六郎よりも健太のほうが倍以上長かった。同じ探偵でも息子と同年代のおっさんよりも孫みたいな若い男のほうがお好みのようである。

 

 これまで口にするクライアントはいなかったが、確かに普通の人にとって、探偵というのは推理小説やマンガや映画の中の登場人物であり、現実生活の中でお目にかかることはそう何度もないだろう。 ネコマタのようなばあさんにとっては、たぶん最初で最後の一大イベントだ。


 いずれにしても無条件に二人は問題の張本人に迎え入れられた。作業着や穴のあいたジーパンなんかで来ていたら、門前払いを食らっていた可能性だってある。なるほど。ここでも健太はちょっと六郎を見直した。

 

 息子から聞いて知っていたが、ひと通り、二人は本人の口から事情を聴き取った。同じことを何度も繰り返す上に、芝居のセリフみたいにして話すので3時間近くかかった。

 ネコマタは絶えず健太のほうを向いて話を進めたが、その横からパイプをくわえた六郎が、「時間は?」とか「場所は?」とか「その時、男たちはどんな様子でしたか?たとえば、そわそわして落ち着かない様子だったとか・・・」といった、いかにも探偵らしい質問を挟んでいった。

 

 その質問によって、ますます妄想は膨らみ、架空のストーリーが組み立てられていく。健太は相手に合わせた六郎の対応に感心しつつも、途中からイライラしてきて、2時間を超えるころには「いいかげんにしろ!」と怒鳴りたくなった。
 が、調子よく“聴き取り調査”が進んでいくのでぐっと堪え、適当に相槌を打っていた。その間にもネコマタはちらちらと色目を使い、時折、健太の手を握って涙ぐんだりする。そうなると、もう黙っていられなくなり、
「大丈夫です。名探偵にお任せください。この事件を必ず解決してみせます」などと言ってネコマタをはを元気づけた。
 いったい何を言ってるんだ、俺は? 自分のセリフにますます混乱する。

 

 やっと話が終わり、外に出て穴掘り作業に取り掛かることになった。健太は内心ほっとした。林に分け入り、ネコマタが指示した場所にスコップを突き立て、えっちらおっちら土を掘り返す。もちろん、いくらほじくり返したところで何も出てこない。

 

「おかしいねえ。もうちょっとあっちの方だったかも知れない」
「あの木の根もとあたりだったような気がするね」
「もっと深く掘らなきゃだめだよ」

 

 途中、六郎がへたばり、後半は健太がひとりで作業するはめになった。ある程度は覚悟していたものの、さすがにきつくなり、体力の限界が近づいたころ、「精が出るねぇ」と言って息子が姿を現した。気が付いて西の空を見ると、山波の間に日が沈んでいく。

 

「もう暗くなっちゃうから、続きは明日にしたら?」
 盗子の提案にネコマタはすぐには承服せず、口の中でぶつぶつ言っている。

 

「晩ご飯の時間になっちゃうよ。おなかすいたでしょ?」と重ねられると、「そうだね・・・」と軟化しかけた。

健太はやむを得ず、
「僕たち、明日も来ますよ」
すると木の根元に座って休んでいた六郎も立ち上がって
「明日も探偵におまかせください」と、とどめのセリフを放った。

 

茶トラのネコマタの顔はぱっと明るくなった。
「うん、わかった!」
子どものように元気よく返事した。
そして西の空に向かって手を合わせ、ブツブツとお祈りを唱え始める。健太は耳を澄まして聴いた。明日こそは林檎が見つかりますように。心を込めてお日様に向かって祈っている。

 

 そのお祈りを聞いているうちに、健太はふと、先日、<ピースフルハウス>に立ち寄って子どもたちに話したことを思い出した。

 

 施設長はOBの健太が自分で開業してがんばっていることを知り、ときどき励ましのメールを送ってくる。一度、講演でもやってくれないかとまで言ってきた。そんな大それたことはできないと断ったが、頼まれて悪い気はしない。そこで仕事のない日曜日にぶらっと寄ってみたのだ。

 

 ハウスには健太同様、親に捨てられたり、虐待などの疑いで保護された子どもたちが大勢暮らしている。施設長は食堂兼集会ホールに健太を連れて行って、子どもたちもの前で紹介した。
照れながら「OBです」とあいさつする。
「探偵をやっているんだ」と施設長が言う。
子どもたちは興味しんしんの視線を健太に集める。
「いや、マンガみたいな、そんなカッコいいもんじゃないから」と言って、うやむやに笑ってごまかして適当にやり過ごそうと思ったが、そこにいる、かつての自分にそっくりの子どもたちの顔がいくつも並んでいるのを見ると、そのまま何も言わないわけにはいかなくなった。

 

 「世の中には“ちゃんとしたおとな”には解決できない仕事がいっぱいあるんだ。つまり学校とか市役所とか警察とか、誰でも知っている大きな会社みたいに“ちゃんとしたところ”と、そうではないところがあって、俺が活躍できるのは、そっちのほうだ。けど、ただのデクノボーじゃ仕事は来ない。仕事をするヒケツは“ちゃんと人の話を聞く”ということだ。
 夢だろうが、モウソウだろうが、どんなとんでもない話でも、困っている人、何か手助けを必要としている人の話はきちんと聴く。その人の周りにいる、いわゆる“ちゃんとしたおとな”が耳を貸さないような話でもな。いや、そういう話だからこそ、よけいにきちんと聴く。そしてどうすれば希望をかなえてあげられか考えて、自分ができる限りのことをする。だから俺はプロの探偵をやっていられる。マンガみたいにカッコよく悪人に立ち向かうわけじゃないけど、それもまた探偵の仕事だ」

 

 緊張のあまり、ひどくぞんざいな言葉づかいで支離滅裂な話になってしまったが、なんとか言いたいことが言えた。
 子どもたちはみんな静かに健太の話を聞いていた。小さい子はポカンとしててわけがわからなかったようだが、小学校の高学年以上の子には伝わったようだ。顔を紅潮させながらまぶしそうに健太を見つめている。

 そこで急にまた恥ずかしさがこみ上げてきた。穴があったら入りたい気持ちになって、健太は食堂を飛び出した。
 おれってやつは・・・おれってやつは・・・子ども相手にエラそうなことぬかしやがって。まったく・・・。
 
 「おい、とりあえず今日は引き上げよう」
 六郎がポンと肩に手をやった。永遠に続くんじゃないかと思えたネコマタのお祈りは、いつの間にか終わっていた。

 健太は穴掘り道具を片付けながら、ハウスの食堂で自分が話したことと、子どもたちの視線の感触を反芻していた。

                           つづく

 


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短編小説「茶トラのネコマタと金の林檎」第1話

 

 6畳一間のアパートで探偵事務所を開いている健太は、クライアントにひそかにあだ名をつけて楽しんでいる。


 最初、そのばあさんのあだ名は<魔女>だった。よれよれのブラウスにほこり臭いカーディガンを羽織り、くるぶし近くまである、しわのよった長いスカートをはいている。ブラウスには安っぽいスパンコールがちりばめられ、カーディガンには薄紫の細いライン。スカートには全体に妙なひらひらが付いている。どれもカラスみたいに真っ黒だ。どうやら黒は高貴な色、お洒落でかっこいい色という思い込みがあるらしい。


 黒の上下で身を包んでいると、髪の毛の色がよけいに引き立つ。茶トラ。オレンジ色の縞模様のネコがよくいるが、ちょうどあんな感じの色だ。齢の割に毛量が多く、しかもパーマでふくらませているので、やせて木の枝みたいな胴体とのコントラストで頭でっかちに見える。 


 頭は茶トラ。首から下は黒ネコ。全体から醸し出す雰囲気もなんだかネコっぽい。むかしは小悪魔的魅力であまたの男をメロメロにしてたのよーーそう自慢されたら、なるへそと思うかもしれない。

 

 「知ってるか?長く生きたメスネコは<猫又>になるんだ」
 そう言ったのは相棒の六郎だ。相棒と言っても、健太の親父くらいの齢のおじさんだ。
 「それって化け猫のこと?」
 「まあ、そんなところだ」
 たんなる〈魔女〉よりもそっちのほうが面白い。ほどなくしてばあさんのあだ名は<茶トラのネコマタ>にアップデートされた。

 

 健太と六郎が訪れた<茶トラのネコマタ>の家は、その山間にある小さな町ーーというか集落の中で飛びぬけて大きかった。先祖代々の地主ファミリーなのだという。
 山間と言っても、すぐ近くに都心部に乗り入れる鉄道の駅もあり、そんなに不便な地域ではない。周囲には鳥の声と川のせせらぎの音がこだまする。季節がら紅葉が進み、自然を楽しむにはもってこいのスポットだ。

 

 彼女が犯行現場を目撃したのは、今から10日前。10月の第3日曜日の夕方5時ごろだという。黒いスーツを着て黒メガネをかけた謎の男たちが雑木林のなかに分け入って、金の林檎を埋めたのだと言う。男たちは4人組で、3人がそれぞれスコップやシャベルを手に、上着を脱ぐこともなく、もくもくと作業に没頭していたらしい。
 
 林檎はちょうど八百屋やスーパーで売っている「ふじ」とか「ジョナゴール」くらいの大きさで、段ボールに4箱分あったという。ひと箱につき20個くらい入っていたのなら、80個あったという計算になる。


 山の向こうに沈んでいく金色の夕日を反射して、その林檎たちはキラキラと光っていた。まるで魔法の国から盗み出してきた、不思議な力を持った果実のように。

 

 健太は頭の中にそんな情景を思い浮かべつつ、推理を働かせた。
 魔法の国かどうかはともかく、その男たちがどこかからその林檎を盗み出してきたのは間違いないようだ。つまりやつらは窃盗犯だ。四人のうち、残りの一人は、携帯電話でどこかの誰かと喋りながら三人の作業を監視していたというから、そいつが現場の作業リーダー。そしてその上には指図を下す上司がいる。どの程度の規模かはさておき、つまりやつらは窃盗組織というわけだ。それにしても金の林檎というのはいったい何だろう? 金塊か、もしくは美術品か? 

 

 「埋めて隠しといて、事件のほとぼりが冷めたころ、夜中にこっそりやってきて、ヒヒヒヒって笑いながら掘り起こすつもりなんだ」
 ネコマタは「ヒヒヒヒ」という気味の悪い笑い声のところをやたらと強調した。
 その笑い声にハモるのは、ホーホーというフクロウの鳴き声。そしてガサガサと木の葉を揺らし、ムササビやモモンガが樹上を滑空する。夜の生き物だけが跋扈する暗黒の世界。さらに上空から月がミステリアスな輝きを放ちながら、男たちの作業を凝視する。地中の暗闇から掘り出されたリンゴは、今度はその月光を浴びて、ひときわ美しく、人を狂わせるほど怪しく輝く・・・。

 

 「一個何百万とか、何千万とか・・・それくらいの価値があるんでしょうか?」

 健太の推理とイメージに水を差すように、ひょこっと六郎がぶっちゃけた質問をした。すかさずネコマタは、ふん、と鼻で笑った。


 「そうだね。あいつらはそろいもそろってボンクラだから、カネに換えることしか考えつかないだろうね」


 「エヘヘ、僕もそうですけど・・・」


 ネコマタはへつらったような六郎のセリフなど無視して話を続けた。

 「あの金の林檎は魔力を持っているのさ。カネになんか換えられない力だ」
 「たとえばどんな?」

 

 ネコマタはだまって六郎をにらみつけ、次に健太を見やった。その目はさっきまでとは別人のようにらんらんと光り、妖気を帯びた迫力に満ちている。

 

 「それに触るとどんな病気でも治ってしまう。永遠の命が得られる。どんな悩みもたちどころに消えてしまう」

 と、そこまで言って、深くため息をついた。そして沈黙すること5秒。まるで舞台の上でシェイクスピア劇を演じる俳優が“間を取る”ように。


 健太は思い出した。そう言えばこのばあさん、昔は女優をしてたことがあるって聞いた・・・。これはその名残なのか? かつてスターとしてスポットライトを浴びたことが忘れられない、そう言いたげな間だ。


 ちょうどいいタイミングなので、話を聞きながら自分なりに推理を展開していた健太は、いったんそこで頭をリセットした。さて、この話をどう受け止めればいいのか?
 これは彼女の空想なのか? 幻想なのか? 妄想なのか?
 まぎれもない事実であるという可能性は、はたして一パーセントでもあるんだろうか?

 

 私立探偵・飛田健太。地元の高校を中退した後、しばらくあちこちでフリーターをしていた。居酒屋の店員、建設現場の手伝い、運送屋の助手、清掃員、介護ヘルパー、テレビ番組のAD、IT企業の雑用係・・いろいろな職業を渡り歩く中でたどり着いたのが、とある小さな人材派遣会社だった。


 <ミラクル・マイティ・ソリューション>。なにやら胡散臭いカタカナ社名だが、漂白・消臭されたクリーンな職場よりも、そういう臭いのする環境を好む性癖が健太にはある。ブラック企業かもな・・・という疑惑は頭をかすめていたが。


 業務内容は「一般家庭における、人には頼みにくい家事・雑事のお手伝い・問題解決」というもの。そうしたニーズのあるいろいろな現場にスタッフを送り込んでいる。具体的には一人暮らしの高齢者の家の掃除・修理・雑用などの仕事が多いが、中には家族にまつわる素性調査・素行調査・浮気調査、さらにはペットの探索など、探偵もどきの仕事も結構あった。


 入って間もなく、健太はそうした類の現場に派遣された。案件は行方不明になってしまった子猫を探してくれというもの。ほとんどノウハウらしいノウハウはなかったが、こうしたことにカンが働き、なぜだか動物に好かれる健太は、たった一日でその子猫を探し出し、クライアントの家族に涙ながらに感謝された。それがこの仕事にハマるきっかけになった。ちなみにこの時の子猫が<茶トラ>だった。

 

 健太は一生懸命働いた。家庭に恵まれず、それまで何かと世間から疎んじられることの多かった彼は、毎日いろいろな家族に「ありがとう」と言われるのがうれしくてしかたがなかった。こんなに生き生きと、充実感を抱いて働いたのは生まれて初めてだった。


 しかし、当初疑ったとおり、<ミラクル・マイティ・ソリューション>はやっぱりブラックだった。仕事はやりがいがあるものの、いつもサービス残業が山積み状態で給料は安く、生活はかつかつだった。結局、半年あまりで社長とケンカして辞職した。辞めることにためらいも後悔も何もなかった。自分でこの仕事をやろうと、もう決心していたからだ。


 25歳の誕生日に独立起業。胸の高鳴りを抑えられない。健太は踊り出したい気分になった。事務所を借りる資金などないので、一人暮らしの自分の部屋を事務所にすることにした。6畳一間のマイワールド。職住一体、家内制手工業というやつだ。パソコンでホームページを作り、<飛田探偵事務所>という屋号と、メールアドレス、スマートフォンの電話番号を明記し、ホームプリンタを使って名刺を作った。表のポストには自分の名前と並べて<飛田探偵事務所>と書き入れた。依頼はメールで受け、細かい事情は電話か、テレビ電話アプリで話す。面談が必要なら近所の喫茶店に行けばいい。
 こうして私立探偵・飛田健太は誕生した。先のことなんてたいして考えもせず、さっさと行動に移すことが、この若者の強みである。

 

 家事・雑事を含むなんでも屋的な探偵は、意外と世間のニーズが高い。<探偵>とか<調査>とか、堂々と本格的な看板を掲げているところには頼みにくく、話しづらい事情が一般家庭にはたくさんあるのだ。そういう人たちにとって飛田探偵事務所のような存在は気軽に頼めてありがたい。


 健太は個人情報の漏洩に注意しながら、ホームページに<ミラクル・マイティ>での実績を丁寧に書きつづった。開業して1週間は何の音さたもなく、少し不安になったが、8日目に一通の依頼メールが入った。そのあとは割と順調に仕事が入り、ひとりで暮らしていく分くらいは軽く稼げるようになった。


 行動力にプラス、人の話をちゃんと聞くこと、悩みや心配事を抱えて強張ってしまったクライアントの緊張感を和らげる愛嬌とユーモア。それがこの私立探偵・飛田健太の強みだ。


 そしてもう一つ、健太はホームページのプロフィール欄に自分が孤児だということを明かした。彼はネグレストされた子どもだった。両親はまだ物心つかない頃に育児放棄の罪で逮捕され、顔を見たこともない。<ピースフルハウス>という施設で育ち、施設長からその話を聞いたのは中学卒業のころだ。それから彼はグレて高校を途中でやめてしまった。

 

 そうした生い立ちを明るくあけっぴろげに書いたことが、同情を呼び、かえって信頼感を生んだようだ。孤独な高齢者の中には、彼を離れて暮らす、自分の息子のように思う人さえいた。「がんばってね」と、ギャラとは別に、両手で抱えきれないほどのお土産をもらうこともたびたびあった。

 

 そんな健太にとって、六郎はちょっと困った存在だ。脱サラして、なんでも屋になったこのおじさんは、ちょうど健太が<ミラクル・マイティ>に入ったころに入れ替わりでやめていき、独立起業した。
 そういうとカッコいい先輩になるわけだが、実際は仕事で失敗してクビになったのだ。その前に30年間勤めていたという、聞いたことのない広告代理店も、自分からやめたわけでなく、おそらくリストラされたんだろうと健太は踏んでいた。


 以前はほとんど顔を合わせたこともなかったが、どこで健太のことを知ったのか、頻繁に連絡してくるので会うようになり、いつの間にか、お互いに受けた仕事をシェアしたり、ひとりでやり切れない仕事にはコンビで取り組んだりする仲になっていた。


 不器用というか要領が悪く、お世辞にも仕事ができるとは言えない。しかしどんな人の話でもしっかり聞くところなど、この仕事をやる上で欠かせない長所も持っている。それに表面上、年配者と一緒に行動していると、健太のような若造にとっては社会的信用度の面で何かと有利だ。いずれにしてもいい人であることは確かなので、頼りないけど良き相棒として付き合っている。ホームページにも協力者として載せてみた。なんとなく彼がメンターで、自分がその弟子みたいに見えるのは気になるが。

 

 そんなこんなで独立して約1年。探偵として健太は自信を持ち始めていた。貯金も増えてきた。もう少し金が貯まったらここを引っ越して、ちゃんとしたオフィスを構えたい。そうすると、もしかして六郎がくっついてくるかもしれない・・・そんなことを考えていた矢先に一通、新しい仕事の依頼のメールが入ってきた。
 
 「人さまの物を盗むなんて、しちゃいけないことだもんね。あの悪党どもにちゃんとそれを教えてやりたいの。自分たちの物にしたはずの林檎が知らない間に消えていたらびっくりするでしょうね。それでね、代わりに手紙を入れとくの。
『林檎は困っている人たちのところに分け与えました』
誰も知らないと思ってもお日さまが見てる。お月さまが見てる。神さまはちゃんと罰をくだすんだ」


 茶トラのネコマタは感情を込め、芝居がかった口調でそうまくしたてると、最後にホホホホホと、しわがれ気味の声で笑った。


 健太と六郎はそれぞれゴム長を履き、軍手をはめた手でスコップを握って、山並みにこだまする、その魔女のような笑い声を聞いていた。黒いスーツの男たちが埋めた場所を掘り返し、金の林檎を見つけ出すことーーそれが今回のミッションだ。問題はほぼ間違いなく、それがまぼろしに過ぎないということ。

 さて、どうすればこのまぼろしのストーリーに決着をつけ、クライアントに満足・納得してもらえるか。二人は顔を見合わせた。どちらの顔にも「まだノーアイデア」と書いてある。

 


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人生最後の厄年が終わったら、人間はどうなるのか?

 

今年は僕にとって人生最後の厄年です。
ちょっとでも気になるのならクリアにしといたほうが
いいと思って、近所の大宮八幡宮へ厄払いに出かけました。

 

喪中だったので初詣は控えて今日(1月12日)にしたのですが、
成人の日の前ということもあり、
まだまだお宮は新春モード。
お祓いを受ける人たちもいっぱい来ていました。

 

「人生最後の厄年」とはどう解釈すればいいのか?
厄はもう終わりなので喜べばいいのか?
厄が終わった後の人生はどうなるのか?
人間としての務めはもう終わりで、
あとは仙人の領域に入るのか?
それともあとはもう死ぬだけです、ということなのか?
死は自然なもので、厄ではないのか?
人生100年時代のアフター厄年はどう生きればいいのか?
限りなく頭の中に???が渦巻きます。

 

これでは不惑の40はおろか、当惑・困惑の60。
せめて迷惑の60にならないようにしなくては・・・
と思いつつ、おみくじを引いたら「大吉」でした。
単純なので大喜び。


一緒に入っている縁起物は一粒万倍の籾でした。
一粒の種も蒔けば万倍の粒に。
一日一日を、一つ一つの言動を大切にして、
胸わくわくの60になろうと思います。

 


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何のために僕たちは豊かになろうとしているのか?

 

バブル経済の崩壊後、物質的な豊かさは手に入れたので、
次は精神的豊かさを勝ち取ろう、
といった掛け声がよく聞かれました。
では「精神的豊かさ」とは何なのか?
コマーシャルで流れるような、

もっと自分たちの衣食住の質を上げたり、

高尚な趣味を持つことなのか?
 
それらも含まれると思いますが、一番の本質は、弱者といわれる人たちの存在価値を認め、彼らといっしょに生き、暮らせる社会を実現することなのだと思います。
逆にいえば、それ以外に豊かになる意味、豊かな社会を作る意味などあるのでしょうか?


2017年7月に起こった相模原事件の裁判が始まりました。
その27日に僕はブログに
「僕たちの豊かさと貧しさと相模原事件」と題して、
上記のような文章を書いていたので、
改めて読み返してみました。
この時の気持ちと全く変わっていません。

 

ビジネスやテクノロジーは3年半もあれば
劇的に進化しますが、
人間にとって本質的なこと、
社会にとって最も大事なことは遅々として変わらない。

 

「生産性」とか「効率化」といったことが
声高に言われるけど、
何のために効率化し、
生産性を上げなくてはならないのか?

 

もっと豊かになるために?
でも、何のために豊かになるのか?

 

セレブになってぜいたくな暮らしをするためか?
人々に、社会に影響力を持つためか?
では、それは何のために、そうしたことをしたいのか?

エゴが、自己顕示欲が満たされればOKなのか?

 

その「何のために」が決定的に抜け落ちているから、
精神を病む人たちが増えているのではないか?
生きてて空しくなってしまうのでがないか?

 

ただ、そういう自分も病人や障がい者を
厄介者として感じることもあります。

認知症の義母の面倒を見なきゃいけないと思うと、
あ~ と思う時があるし、
正直、仕事のペースを乱され、集中力が上がらず、
イライラすることもある。

なので、あの容疑者の言い分の何割かは
聞けてしまう。

 

でもやっぱり彼のような考え方は
否定しなくてはならない。
そうでないと自分が成長しないし、社会が進化しない。

 

いろんな個性を持つ人間がいることを認め、
こうした貧しき心を克服していくのが、
これからの僕たちの生きていく上での
優先的な課題ではないかと思います。

 

それにしても、こうした障がい者に対する差別意識って
いわゆる世界基準で世界的に見たらどうなんだろう?
日本独特のことなんだろうか?

もしそうであれば、
日本は「いつまでたっても下流国」
と言わざるを得ません。

 

裁判では容疑者の量刑がどうこうというよりも、
こうした僕たちの意識、
日本人の社会の意識が少しでも動かされるほどの
何かが生まれるのか? ということに注目しています。

 


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大林宣彦監督の終活映画

 

新年早々、「終活映画」の話です。

縁起が悪いから嫌だと言う人はスルーしてください。

 

昨年末で「月刊仏事」でページ埋める企画、なんかない?

と言われて「終活映画特集」をたりましょうと提案したら、

すんなりOKが出て進行中。

 

「人間の生と死を見つめる終活映画」と題して、

黒澤明監督の「生きる」をはじめ、

先日も紹介した、現在公開中の「私のちいさなお葬式」、

そして今年公開の新作まで、1ダースほどの終活映画を

紹介する予定です。

 

その中に大林宣彦監督の

「その日のまえに」(2008年公開)という、

重松清氏の短編小説を原作に作った作品を入れました。

 

これは死という重いテーマを扱いながら、

同監督独特の笑いとファンタジーの味付けがされていて

とても楽しく、ジンと来る映画です。

 

その大林監督、ガンに侵されている事が判明。

「まだやり残していることがある」と、

闘病しながら、まさしく命がけで

新作「海辺の映画館 キネマの玉手箱」を完成させました。

 

これは昨年10月の「東京国際映画祭」で上映され、

NHKの番組(たしか「クローズアップ現代」)でも

そのメイキングが紹介されたので、

知っている人も多いかもしれません。

 

この新作自体は終活映画のカテゴリーには

入らないと思うけど、

大林監督の映画製作に取り組む姿勢が

クリエイターの終活そのもの。

 

「その日のまえに」と合わせて、ぜひ紹介させてほしいと、

配給会社と制作会社に頼んだところ、

マスコミ用試写会のご案内を戴きました。

 

これは楽しみです。

何回かありますが、

さっそく今月下旬の第1回試写会に行ってきます。

 

なお、この「海辺の映画館 キネマの玉手箱」は

今年4月に公開予定。

 

「尾道三部作」以来、

ユーモアとファンタジーの入り混じった作風で

僕たちを楽しませてきてくれた大林監督の

集大成となる戦争映画です。

 


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義母のカエルコール

 

「帰ります」

「どこへ?」

「わたしの家。お母さんのいるところ。

あにき(亡くなった義父)もいるし」

 

夕方、久しぶりに義母の「カエルコール」が飛び出した。

帰るっていったって一人じゃなんか分からない。

たぶん、いったん表に出たら

迷子になって二度とここに帰ってこられません。

 

夕焼けを見て帰りたくなったのでしょうか。

小さい子は「黄昏泣き」というのをしますが、

おそらくあれと同じ情動が働くのでしょう。

 

ここが今、あなたの家なんですよ。

そもそも帰るところなんて、他にどこにもないんですよ。

 

そう言いたくなるけど、

これは認知症の義母にとって、

ひどく残酷なセリフとして響くでしょう。

 

お父さんも、お母さんも、きょうだいも、

そして長年連れ添ってきた伴侶も、

もうこの世界をあとにして、

向こうの世界に行ってしまった。

ひとりぼっちで取り残されて、

帰るところなんか、どこにもない。

それって・・・。

 

あくまで僕たちが一緒に住んでいる今の家は、

母にとって仮の宿でしかありません。

いつかは自分の本当の家に帰るのだ。

心の片隅で絶えず「カエルコール」が

鳴っているのかもしれません。

 

そんなふうに考えると、人間って、

いったん世の中に出てしまった後は、

自分の帰るべきところをずっと探して旅している――

結局それが人生なんだろうか・・・

という思いに囚われます。

 

そういえば同じ認知症だった知人のお母さんが、

入っていた東京郊外の施設から脱走し、

どうやってたどり着いたのか、

家族も誰も知らない北陸の山に入って

凍死しているのが発見された

――という話を聞いたことがあります。

 

その人はどこを目指していたのだろう?

どこへたどり着きたかったのだろう?

すべてはミステリー――とのことでした。

 

今日、「カエルコール」が出たのは、

お天気いいのに僕が仕事をしていて

昼間、放っておいたせいかも知れません。

せめて30分くらいでも散歩に外へ連れ出せば、

黄昏時に切なくなってしまうこともなかったかもな・・・

ごめん。

と、ちょっと後悔・反省。

 

晩ごはんを食べるころには

カエルといったことも忘れて

ケロケロっとしていましたが。

 


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図書館福袋

 

近所の高井戸図書館のお正月企画「図書館福袋」。

スタッフが様々なテーマで本を選び、

中身が分からない「福袋」として貸出します。

毎年やっているようだが、初めて知りました。

なかなかユニークな企画だと思います。

 

どんな本に当たるかは運しだい。

かなりの確率で、

ふつうなら自分では選ばない本を手にすることになります。

 

といっても袋にはキーワードが貼ってあって

それは自分で選ぶので、

すごく当たり外れのリスクがあるということもない。

 

ま、リスクと言っても、図書館で借りるだけなので、

懐が痛むわけではありませんが。

 

毎年やっているようだが、初めて知りました。

ユニークな企画で、こういうの大好きです。

 

「作家の旅」というタグの袋を取って

家であけて見たら、出てきたのがこの3冊。

 

白洲信哉(かの白洲次郎・正子氏のお孫さんらしい)の

「旅する舌ごころ」と

角田信代(児童文学作家)の

「世界中で迷子になって」というエッセイは

なかなか面白そうです。ふくふく。

 


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人生再読計画2020

 

この2~3年、村上春樹の著作や、

スティーブン・キングの著作など、

以前読んだことのある本を再読しています。

 

そもそもあんまり頭脳明晰でないので、

1回読んだくらいではよく頭に入らない。

 

若い時分は体力と勢いに任せて随分乱読しましたが、

30年くらい経つとすっぽり抜け落ちてしまって、

「あれ、こんなシーンあったっけ?」と思うこともしばしばです。

 

そもそもあんまり頭脳明晰じゃないので、

1回読んだくらいでは表面をなぞるだけで、

ちゃんと頭に入らない。

 

それに若い頃読んだのと、

いま読むのとでは、だいぶ受け取る感じが違います。

そのあたりはやっぱり齢を取っただけ

咀嚼力はアップしていると感じます。

 

というわけで、もう一度、今年読み直し、

読み込んでみたいなと思うのを

とりあえず5冊に絞って挙げてみました。

 

★わたしを離さないで/カズオ・イシグロ

★嵐が丘/エミリー・ブロンテ

★百年の孤独/ガルシア・マルケス

★アンネの日記/アンネ・フランク

★グレート・ギャツビー/スコット・フィッツジェラルド

 

どれも結構なボリュームなんです。

最初は10冊挙げようと思ったけど、

あんまり欲張ると絶対挫折するので、

これくらいにしておこうかと思います。

 

咀嚼力はUPしていると思いますが、

体力落ちて目も悪くなっているし、

時間を取るのも難しいので、

1冊読むのに何日もかかってしまうのです。

 

でもきっと、いろいろ新しい体験・発見があると思います。

 


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2020初夢の記録:お寺の食堂でパンケーキをテレビ中継

 

大きなお寺の中に食堂がある。

僕はそこでギャルソンみたいな恰好で働いている。

新手の精進料理レストランかと思いきや、

そういうわけでもなくて、普通の社員食堂とか

学食みたいなところだ。

喫茶メニューも充実している。

 

そしてなぜかテレビカメラが入って

一生懸命中の様子を取材している。

たぶんNHKだ。

もしや生中継なのだろうか?

 

あちこち旅して歩いている貧乏旅行の

バックパッカーみたいな客がいて、

そいつがパンケーキを注文する。

アイスクリームや生クリームたっぷりの

ボリューミーなやつだ。

 

しかもそのパンケーキを何度もおかわりする。

よけいなお節介だと思いつつ、

「大丈夫ですか? 食べ過ぎじゃないですか?」

と進言すると、そいつは

「だいじょうぶ、だいじょうぶ。いいから持ってきて」

などとのたまう。

 

そこで厨房に行ってオーダーを通す。

何人かシェフがいるのだけど、ヘッドシェフは

なぜかラグビー日本代表の

リーチ・マイケル主将に似ている。

 

彼は陽気に「OK、OK」と言って、

ドカッと山盛りのパンケーキを出す。

 

そこへテレビカメラがズズズっと寄ってくる。

どう終わったかは記憶にない。

とんころり。

 

――というのが今年の初夢でした。

 

夢なのでナンセンスな世界ですが、

あえて分析を試みると、

自分の過去から現在の仕事や人生が凝縮されて出てきたかのようです。

 

お寺は現在やっている情報誌の「寺力本願」の仕事。

 

飲食店は20代の大半、働いていました。

 

客も自分だとすると、バックパッカーで

ヨーロッパのあちこちを回っていた頃の姿。

 

NHK関係の仕事も長らくやっていました。

 

リーチ・マイケル似のヘッドシェフと

山盛りパンケーキは謎だなぁ。

 

いずれにしても面白い初夢でした。

あなたはどんな夢を見ましたか?

 

――というわけでお正月くらい顔出しします。

本年もどうぞよろしく。

 


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子どもはネズミ好きなのに、 おとなはどうしてネズミが怖いのか?

 

大みそかに今年の干支に会いました。

真昼間、道路わきの排水溝に

チョロチョロ入って行ったドブネズミ。

危うく自転車でひきそうになってドッキリ。

 

「縁起がいいからぜひお目にかかりたい」

そう思う人はあんまり多くないと思います。

僕もそうだし、たぶん、あなたも。

 

しかし、やつらは間違いなく僕たちのそばにいます。

嫌でも付き合わなきゃならない友達みたいなもの。

クマネズミやドブネズミが、

ミッキーやジェリーやピカチュウみたいに

かわいいといいんだけどねぇ。

 

そういうキャラがいっぱいいるせいか、

イヌやネコを怖がっても、、

ネズミを怖がる子どもは少ないようです。

 

しかし、なぜかおとなになると

ネズミを怖がるようになる。

家の中にでも出てきた日にゃ大騒ぎだ。

なんでだろう?

 

悪い病気をまき散らす悪党かと思えば、

日本昔話では金銀財宝をくれたりする

善玉妖精みたいになったりする。

 

人間とネズミの関係って、

けっこう複雑怪奇で面白い。

 

ネズミ年(じつは僕の干支でもある)ので、

少しは愛の混じった目で見てあげたいと思いますが・・・。

うーん、難しいな。

 


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2020年からの旅

 

2020年から、再び世界を広げるための

新しい旅に出ます。

 

よ朝いちばんでやったのは

ライティング・メディテーション(書く瞑想)。

手を動かしてひたすらノートに脳の中に入っているものを

引っぱり出してきます。

ペンは地球色の青いボールペンです。

外に出てみれば雲一つない青空。

 

今年は喪中なので、毎年通う大宮八幡宮の初詣もスルーしました。

初詣をしないのは若干寂しいのですが、

「年のはじめだから~」という余計な力みが

入らなくていいような気がします。

 

なんか毎年、願いをかけて目標を挙げて

それで満足しちゃってる自分がいるような気がして。

 

代りに、と言ってはナンだけど、

義母を連れて朝の散歩に出ました。

子連れやワンちゃんもいっぱい出てきていて

穏かで平和な年明けです。

相変らず、義母は会う子ども、会うワンちゃんに

かわいい、かわいいと言いまくって、

親や飼い主をハッピーにしています。

 

初詣をしないのは若干寂しいのですが、

「年のはじめだから~」という余計な力みが

入らなくていいような気がします。

 

これまた代りに、と言ってはナンだけど、

実家の母に電話して5分ほど話しました。

明日91歳になる母は今や「神さん」です。

 

僕のラッキーカラーはオレンジだというので、

みかんを食べてのスタートです。

今年はあなたにマインドな旅先から

いろいろお便りします。

 



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おとなも楽しめる少年少女小説

 

「星の皇女さま、カッパを探しに旅に出る」

という小説を書き始めた。

殆んどタイトルそのままのお話です。

 

昨年、スティーブン・キングの

「スタンド・バイ・ミー」を

読み返してから、

こういう物語を書きたいとモヤモヤ考えていた。、

年が押し迫るとともに、イメージの原型ができてきて、

クリスマスの日に出だしの何行かを殴り書きしてみたら、

ノート3頁分になった。

というわけで、旅に出る準備がでした。

やっと始める気になった。

 

目指すのは「少女版スタンドバイミー(The Body)」であり、

おとなも楽しめる少年少女小説である。

 

とりあえず3か月ほど、彼女らと一緒に旅をしてみたいと思う。

 

2020年はこれまでに書いたタイトル――

「オナラよ永遠に」「いたちのいのち」「ばんめしできたよ」など、

小説や脚本や随筆を電子出版で出していきます。

 

それでは良いお年を。

 


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死もそう悪いことではないと考えると、元気に生きられる

 

年末のお休みが始まって義妹夫婦が来たので、

昨日は義父の墓参りに行った。

 

亡くなって半年余りがあっという間に過ぎ去った。

まだ今年のことなのに随分昔に起こったことのように思える。

 

親しみ深い人たちがこの世を去っていくのを

何度も目の当たりにしていると、

死に対する恐怖がだんだん薄らいでいくような気がする。

 

地球の細胞の一つに還っていくのだとすれば、

死もそう悪いことではない。

オーガニックな現象だ。

そう考えると、少し気持ちが軽くなる。

 

余計な不安や心配に惑わされたり、

見栄や他人との比較に神経を遣っているのは

人生の無駄づかい。

 

自分のやりたいこと、やるべきことを

純粋にやって元気に生きましょう。

 


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わたしも「コンビニ人間」:自分の世界≒世界とつながる

●世界の一部になる

「コンビニで仕事をすることは、

私にとって世界の一部になること」

そんな主人公のセリフが印象的。

 

秀逸なタイトルの持つ、

面白おかしく、超現実的で、

ちょっと不穏な雰囲気そのままの物語だ。

 

そして読み終えた後、切ないような哀しいような、

地下へ降りる巨大なトンネルに一歩二歩、

足を踏み入れたまま、フリーズしてしまったような、

奇妙な気持ちになる物語である。

 

村田沙耶香の2016年芥川賞作品で、

読もうと思って頭の片隅にメモしておいたが、

あっという間に3年経過していた。

そこでやっと先日、大掃除の合間に読み始めた。

 

ここのところ目が悪くなり、

すっかり読書スピードが落ちてしまっているが、

これは面白くて、掃除は適当に済ませて、

ほぼ1日で読み切った。

文章のリズムが良く、読みやすい。

 

●就職・結婚・出産・子育てをスルー

コンビニに勤め続け、

就職も結婚もしていない30代半ばの女性が主人公。

彼女のキャラクター設定が最高だ。

僕も彼女と同じ部分を持っており、

おそらくあなたも持っている。

 

通常、社会の歯車の一つになる――

という言説は、

ネガティブな意味で使われることがほとんど。

 

主人公の表現は「世界の一部分になる」と、

やや異なるが、意味としては同じ。

でもその使い方はポジティブで、

世界の一部分になったことに喜びを感じている。

 

それほど彼女は、周りから浮き上がった

個性的な人間である。

その個性ゆえに生き辛く、

就職・結婚・出産・子育てなど、

この社会で生きる人間のミッションとされることを

スルーしてきてしまった。。

 

そんな彼女にとって

唯一、心の拠り所なのが、

18歳からアルバイトを始めた

コンビニエンスストアだったのだ。

 

コンビニの店員として働くことによって、

言い換えると、

コンビニというシステムの一部になることによって、

彼女は自分の存在が世の中から認められていると

実感できるのだ。

 

●個性的であること、歯車になること、どちらを選ぶか?

いわば、世界は大きなコンビニである。

僕もあなたも誰もかも、その歯車の一つとして、

誰かの生活をより便利に、

より豊かにする機械の部品として日夜働いている。

そう見立てることも可能だろう。

 

個性的であることが、

やたらと持てはやされる時代、

「歯車なんてやってられるかよ!」

と啖呵を切るのはカッコいいが、

いざ歯車をやめてしまったら、

果たして僕らはまともに生きていけるのだろうか?

 

世界の一部になる自分と、自分の世界まるごとの自分。

双方を両立させ、」スイッチングができるかどうかが、

幸福な人生の鍵になるのではないか。

そう思わせてくれる小説だ。

 

●2019コンビニ問題

そういえば、この30年ほどの間、

コンビニは休むことなく働き続けてきたが、

今年は本部の搾取醸造に対するフランチャイズ店=歯車たちの反乱、

慢性的な人員不足など、様々な問題が吹き出した。

 

あなたの近所のコンビニも、

もしかしたらお正月はお休みかもしれない。

 

そういえば僕が東京で暮らし始めた頃、

セブンイレブンは自宅から歩いて10分くらいの所にしかなかった上に、

営業時間も文字通り、午前7時から午後11時だった。

 

それでも深夜や早朝、CM通り「あいててよかった」と、

しみじみ思えた。

そんな時代に戻ってもぃい。

いや、戻らないか。

人間はいなくてもAI・ロボットが相手してくれるから。

 


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2020年の挑戦:ヴェジ中心食研究

 

来年は本格的に菜食料理の研究に取り組もうと思っている。

これまでも何度か自分の嗜好の変化を感じていたが、

食べ盛りの息子が一緒に暮らしていたこともあり、

食生活を大きく変化させるのには躊躇いがあった。

 

しかし、今年後半から同居者が義母になった。

義母はアルツハイマーの認知症で、

通常、治癒することはないと言われている。

 

しかし、うちに来てから少し良くなったのでは?

とも思える。

 

その一つに食生活の改善がある。

以前はスーパーやコンビニの惣菜や弁当が多かったようだが、

今は僕たちと一緒に家で作ったものを食べる。

自分で言うのもなんだが、割と栄養バランスもいいと思う。

 

研究者の本によると、

アルツハイマーには食の影響が大きいらしいく、

ごく大雑把にいうと、肉や穀類、糖分などを控えめにして、

野菜と魚中心の食がいいようだ。

 

さすがに治るとは思わないが、

自分たちの予防にもなるので、

まずはあんまりストイックにならず、

やるだけやってみようかと思う。

 

咲年、ロンドンへ行ったとき、

フリーマーケットの屋台で

ヴィーガン料理を食べたが、

これが滅法うまかったこと、

 

最近、典座のお坊さんに取材して、

精進料理の話を聞いたことなども

イメージの刺激になった。

 

同時に自分の中の菜食に対する

無用な思い込みなども発見した。

 

何でもデータに置き換えられ、

バーチャル体験できてしまう今日、

食だけはリアルでしか体験し得ない

最強・最後の砦である。

 

とりあえずはキノコや海藻、大豆を中心に、

自分なりのヴェジ中心食メニュー

(肉などを一切やめるというわけではない)を

開発・構築していきたいと思っている。

 


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「メリークリスマス!」は 時代遅れの宗教ハラスメントなのか?

 

クリスマスの挨拶と言えば

「メリークリスマス」に決まってる。

「メリークリスマス」と言わなきゃ

クリスマスの気分になれない。

 

そう思っていたが、

どうもこれは時代遅れの化石野郎的思考らしい。

 

そもそもなんでニューイヤーやバースデーの挨拶は

「ハッピー」が付くのに、

クリスマスだけ「メリー」なんだろうと思ってたけど、

これはアメリカと日本だけで、

他のキリスト教国ではあんまり使わないらしい。

 

そういえば、イギリスにいた時、

「メリークリスマス」なんて

あんまり聞かなかったような気がする。

 

Merryには陽気なとか、明るいとかいう意味があって、

「メリークリスマス」というと、大勢集まって

わーっと盛り上がり、どんちゃん騒ぎをする・・・・

そんなイメージなのだそうだ。

 

大昔、うちのおじいちゃんが

「なんで日本人が西洋の正月を祝わなきゃいかんのだ!」

と怒っていたが、

確かに本来はキリスト教の人たちのお祭り。

欧米の人たちにとっては大切な宗教行事だった。

 

が、いまや欧米先進諸国は

どんどん多宗教・多民族化している。

そこへ「メリークリスマス」の挨拶は、

キリスト教以外の人たちにとって

押し付けに聞こえるというのだ。

 

いわば「宗教ハラスメント」――

世界を制覇した欧米キリスト教のパワハラ

とも言える。

 

なので近年、アメリカなどでも

「メリークリスマス」を避けて、

代りに「ハッピーホリデー」と言うことが

多くなっていると言う。

 

もう一つ、インターネットの普及による

若者の宗教離れが顕著で、

大半の欧米の若者は、

もはや熱心なキリスト教信者でなくなっている。

 

つまり、みんな日本人のようにクリスマスを

聖なる宗教行事じゃなく、

もっと気軽な文化・習慣と見做しているのだ。

 

そんなわけで「メリークリスマス」の挨拶は

世界的には、どんどん時代遅れになっている。

 

もしかしたら、未だにみんなこぞって

「メリークリスマス!」と言っているのは日本くらい?

日本のクリスマスは、世界の進化から取り残された

ガラパゴスクリスマスなのだろうか?

 

というわけで、あなたもよいクリスマスを―ー

と言いたいところだけど、

この国ではイブを過ぎると、

ガラッと年末・お正月モードに変わっちゃって、

クリスマスのことなんてもう忘れちゃってますね。

 


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ミラクルクリスマス

 

最近、クリスマスなのに奇跡が起きなくなった。

 

昔、シナリオ教室に通っていた頃、

習作で1時間もののドラマのプロット(あらすじ)を書いて

提出するのだが、

 

「秋口になると、やたらクリスマスの話が増えるんだよね。

それもほとんどミラクルやマジックやらが起こる話なんだ」

 

と、講師のライターが呟いていたのを覚えている。

 

人のことは言えない。

僕もそういう話――

たしか「傷天」のショーケンみたいなチンピラが

奇跡のような幸運に遭遇するのだが、

愛すべきバカさ加減でチャンスを取り逃がす――

といった話だった。

 

もちろん、本当に昔はクリスマスに

奇跡が起きていたわけではない。

ただ「起きるかもしれない」

「奥たらいいな」「起きそうだ」

「いや、絶対起きる。起こしてみせる!」

といった気概が人々の心の中にあった。

 

早い話、ネッシーはいるとか、UFOがやってくるとか、

ノストラダムスの予言は当たるとか、

そういうのと同じ類の、

アナログな世界ならではの、発熱系の幻想である。

 

デジタルな世界になり、

何でも数値化されるようになるにつれ、

熱を帯びた幻想は冷え切り、

クリスマスの奇跡は人々の心の中から消滅していった。

 

今、シナリオ教室に行っても、

クリスマスの奇跡なんて話を書くやつは

ほとんどいないだろう。

 

けど、もうしばらくしたらまた復活しそうな気がする。

「やっぱりクリスマスなんだから、

奇跡ぐらい起こってもらわなきゃ困る」

と、みんなが言い出して、

あちこちでどんどん奇跡が起きるようになるだろう。

そんな日がきっと来ると僕は思う。

 

というわけで、

今晩は夢の中で素敵なプレゼントを戴くことにしmます。

メリークリスマス。

きよし夜を。

 


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モスラが繭を作り、ギャオスが巣を張った東京タワーは、地方出身者にとって 愛すべき&憎むべき東京のシンボルなのだろうか?

 

●東京タワーの誕生日

12月23日は今年から天応誕生日ではなくなったが、

依然として「東京タワーの日」であり続けている。

 

昨日、年に一度の東京タワー詣でに行った。

この足もとのお寺に、

10年前に亡くなった友達のお墓があるので、

毎年、12月の命日あたりに墓参りに来るのだ。

 

その友だちは50で死んだが、

東京タワーはもう還暦を過ぎた。

昭和33年(1958年)12月23日竣工。

61歳におなりだ。

 

後輩の東京スカイツリーに高さも人気も

追い越された感が強いが、

まだまだ引退というわけにはいかない。

 

●金の卵と東京タワー

前回の東京オリンピックの頃、

地方から集団就職で上京してきた「金の卵」たちにとって、

東京タワーは、いまだにかけがえのない

東京のシンボルであり続けているはずだ。

 

僕はさすがにその時代のことは知らないが、

バーチャルの世界で、東京タワーが多くの人にとって

いかに巨大な存在かを思い知らされた。

 

●神のモスラ、悪魔のギャオス

昭和の時代、映画の中でこの塔はモスラに繭を作られた。

平成の時代になると、今度はギャオスに巣を張られた。

 

いずれのシーンも、そのあまりの美しさが、

特撮映画ファン、怪獣映画ファンの間で、

令和になった今も語り草になっている。

 

他にも映画だかテレビの中で、

いろいろな怪獣の攻撃目標になっていた。

 

それら、人間社会にとっての破壊と

神とも悪魔ともつかない

モンスターにとっての誕生のシーンは、

この都市に限りない愛着と、果てしない憎悪という

二律背反の思いを抱く、

地方出身者たちの心の中を映し出しているように思う。

だから東京タワーは、

彼らが、僕らが生き続ける限り、

シンボルであり続けるのだ。

 

●東京タワーが抱かせてくれる幻想

少なくとも新参者で、まだ7歳のの東京スカイツリーに

そんな幻想を被せる人はあまりいないだろう。

積み上げられた時間の差、刻み込まれた歴史の差は

いかんとも埋めようがない。

 

僕も地方出身者なのでそう感じるのだろうか?

東京タワーに特に愛着があるわけではないけれど、

年に一度、ここを訪れるたびに、

そんな妄想に取りつかれてしまう。

 


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私のちいさなお葬式(解凍された鯉) 終活と成功と幸福を考える、現代のロシア民話

 

●マトリューシュカみたいな現代のロシア民話

「終活映画」という振れこみで公開された

「私のちいさなお葬式」。

銀座の映画館に観に行ったが、チラシやサイトを見て

想像していた作品とは少し印象が違った。

 

終活映画というより、

現代のロシア民話みたいな印象を受ける。

 

映画館の販売店でお土産に

マトリューシュカを売っていたが、

マトリューシュカみたいな感じの映画――

というと雰囲気が伝わるかな。

 

●ユーモラスだけどシュール

主人公のおばあちゃん先生エレーナは、

可愛くてユーモラスなんだけど、

どこかシュールな不気味さも持っている。

 

だいたい、まだ死んでもいないのに

検死医のところへ死亡診断書を書かせたり、

自分で役所に行って埋葬許可証を出させたり、

棺桶を買い込んで、自分で自分の葬式の準備をする。

めちゃくちゃシュールなキャラである。

 

いわゆる終活映画の半分くらいはコメディだ。

その理由は、やっぱり人間、

行き着く所までたどり着くと、

社会人として活動していた頃には陰に隠れていた、

どうしようもなく滑稽な部分が現れるからだと思う。

 

それに加えて、わけのわからない

シュールでアバンギャルドな部分も

むき出しになってくる。

 

年寄りは敬うべきだけど、

それと同時に僕はいつも笑っている。

うちの90歳の母も、84歳の義母も、

オーガニックなボケをかまして、

僕を面白がらせてくれる。

 

●鯉は秘密の隠し味

もう一つ、この映画の民話っぽさというか、

シュールなおとぎ話感を演出しているのが、

余命宣告を受けたエレーナが、

その帰り道で出会う「鯉」である。

 

この鯉は、これも彼女の教え子だった、

偏屈そうなおっさんが、

湖で釣り上げ、頭をボコボコに打ち付け、

気絶させたのをあげると言って、

ほとんど無理やり押し付けるのだ。

 

彼女はしかたなく受け取って家に帰り、

そのまま冷蔵庫の冷凍室に押し込める。

 

ロシア料理については、

ボルシチ以外よく知らなかっので調べてみたら、

「ウハー(Уха)」という魚のスープがあって、

これによく鯉が使われるという。

あんまりおいしそうではないが・・・。

 

最初はなんでこんな鯉のエピソードを引っ張るのだろう?

と思って見ていたが、

この鯉が、実はこの映画の大きなキーポイントなのだ。

 

後から気が付いたのだが、

「私のちいさなお葬式」というのは邦題で、

原題は「Thawed Carp」――「解凍された鯉」。

メタファー感、寓話感たっぷりのタイトルである。

 

●成功=幸福なのか?

エミーナとともにもうひとりの主人公とも言えるのが、

息子のオレクである。

僕もそうだが、まだ終活するには早い男は、

たぶん彼の立場から、彼の視線で、この映画を観ると思う。

これはこの息子が再生する物語で阿もある

 

彼は故郷を後にし、母親から離れ、

都会で暮らすビジネスマン。

それも成功して、お金持ちになっている風の男で、

自己啓発セミナーを主催し、

講師として、成功したい人々を導く―

そんな役割を担っている。

言ってみれば、お母さんと同じ「先生」なのだ。

 

ところがこの成功者であるはずの彼が、

あんまり、というか全然、幸福そうに見えない。

 

「居心地のいいところに安住していてはいけない。

目標をしっかり掲げて前を向いて進まなくてはいけません」

と彼はセミナーで集まった受講生らに説く。

僕もビジネス書・啓発本の類で聞き覚えのある言葉だ。

 

ところが、受講生の一人の女性から

「わたしの目標は幸福になることです」

と返されると、なぜかしどろもどろになってしまう。

講義の内容とは裏腹に、

彼自身がもう目標を見失ってしまっているかのようだ。

 

成功と幸福はちょっと違うものなのだろう、たぶん。

いや、まったく違うのだ、きっと。

 

日本でこういう成功セミナーをやったり、

本を書いたりしている人はどうなんだろうな?

と、ふと思いがよぎった。

 

これはこの息子が再生する物語でもある。

「解凍された鯉」とは、彼のことなのかもしれない。

 

●若くても観たら面白い

観に行ったのは、平日の昼間だったこともあり、

お客は年輩の、それも女性ばっかりだったが、

ちらほら若い人も見かけた。

 

「終活映画」という触れ込みだからしかたないと思うが、

自分には関係ないと思って無視するには、ちょっともったいない。

 

それほど、いろんな示唆と寓意に溢れた、

笑って深く考えられる、

大人のおとぎ話のような映画である。

若い人も観たらいいのではないかと思う。

 


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独断と偏見のマイ・クリスマスソング・ベスト5

 

第1位 パッフェルベルのカノン/ジョージ・ウィンストン

「パフェルベルのカノン」は僕にとってクリスマスソングである。

ジョージ・ウィンストンの「December」に収録されたピアノ1本の演奏。

これまでいろんなカノンを聴いたが、これに勝るカノンはない。

どこまでも白い雪原の彼方に真っ直ぐに屹立するモミの木を思わせる。

まさに天使が降りてきてピアニストに憑依したかのような名演。

 

 

第2位 ハッピークリスマス/ジョン・レノン

1970年代の息吹が吹きこまれた曲。ジョンは「戦争は終わった」と歌う。でもその後に「IF YOU WANT」と続く。もし、あなたが望むなら、それは終わるのだ、というメッセージ。あれからずいぶん時代は変わったけど、世界の本質的な所は何も変わっていない。

 

 

第3位 戦場のメリークリスマス/坂本龍一

人界の歴史をすべて溶かし込んだかのような「サピエンス全史」的名曲。

人間とは何か? 幸福とは何か? をクリスマスに考えてみてもいい。

 

 

第4位 恋人がサンタクローズ/松任谷由美

バブル期は日本で最もクリスマスが盛り上がった時代だったのではないだろうか? これはその頃の代表曲。歌詞の面白さと高中正義のギターがお気に入り。山下達郎の「クリスマスイブ」もいいよ。

それにしてもあの頃、恋人だったサンタクロースを旦那さんにしたお姫様たちは今も幸せでい続けているのだろうか?

 

 

第5位 Silent Night/ロバート・フリップ

先日も紹介した、キング・クリムゾンの総帥ロバート・フリップ独自のギター奏法「フリッパトロニクス」による「きよしこの夜」。

今年は1人で過ごす「ソロクリ」が流行だとか。この曲をループさせて、年に一度くらい頭をリセットするために瞑想するといいかもしれない。

 


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しゃべりインコのAI翻訳機「Perico(ペリコ)」 期間限定別割引クーポンコードで、購入の大チャンス

 

2019年12月21日0時〜2020年2月20日0時まで

ユニオン電子工業(株)のAI翻訳機「Perico(ペリコ)」の

期間限定のA8メディア専用の特別割引クーポンコードが発行される。

年末年始、「Perico(ペリコ)」を手に入れる大チャンス到来だ。

 

ペリコってスペイン語でインコのこと。

オウム、インコ、九官鳥の類は

人間の言葉をモノマネできる。

おしゃべりできる鳥って、かわい~じゃん。

AI翻訳機に「ペリコ(インコ)」というネーミングは、

なかなかイカしてる。

 

Perico(ペリコ)がいれば英語、スペイン語、フランス語、中国語、韓国語・・・

いろんな国の外国人と相対しても困らない。

 

間もなく東京2020。

オリンピック/パラリンピックイヤー。

首都圏の人たちは、街中で外国人と出くわす機会も増える。

インバウンドの需要も高まっている。

 

38か国語を瞬時に翻訳できるので、

ちょっとしたコミュニケーション、

日常会話レベルのやりとりなら、

このPerico(ペリコ)があればOKだ。

 

外国人観観光客がよく来るお店、

また慣れていないお店など、

Perico(ペリコ)があると何かと便利で心強い。

 

日本の文化や生活慣習から、

お店のシステムや会計方法まで、

ちゃんと言葉で説明できし、会話を楽しめる。

 

Perico(ペリコ)を活用すれば、東京2020は38倍楽しめる。

ビジネスの成果も38倍になるかも。

もちろん、自分が海外に行く場合は、

いっしょに連れていけるし、

語学練習にも大いに役立つ。

 

AI翻訳機は今やスマホと同じで、

いつでもどこでもいっしょに連れ歩くもの。

Perico(ペリコ)なら、きっとあなたの素敵なペット、

楽しい相棒になる。

 

2019年12月21日0時〜2020年2月20日0時まで期間限定で

発行されるA8メディア専用の特別割引クーポンコード。

利用方法は、購入時にクーポンコード入力欄に

「PERICO」と入力するだけ。

 

定価26,800円(税抜)が特別価格の20,000円(税抜)。

6,800円引きで買えるのは大チャンスだ。

ぜひこの下のリンクをクリックしてください。

 

おしゃべりインコの力を借りて、言葉の壁を低くして、

自分の世界を広げられるといいね。

 


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AI・ロボットが働き出して、人類の長い労働の旅が終わる

 

●いつのまにかAIの時代になってしまった

AIの進化はかなり凄まじいようだ。

おそらくこの5年くらいで、

いわゆる中間管理職は皆、淘汰されてしまう。

 

機械に管理されていると思うと、嫌がる人も多そうだから、

何となくナントカ部長、カントカ課長は

名目上は残るかも知れないけど、

世の中をリードしていくような会社の現場を管理するのは

実質的にはAIに替わるだろう。

 

AI部長、AI課長、AI支局長、AIデスク。

ごく単純化して言うと、

ホワイトカラーはAI、ブルーカラーは人間。

 

●ちょっと遅れてロボットも

現場・職人の仕事は、まだ人間の範疇。

ロボットには身体性・身体能力が必要だ。

 

手や顔の筋肉の動きは複雑で繊細。

そうしたものをロボットが獲得するには、

まだしばらく時間が掛かりそうだ。

 

だから、いきなりSF小説やアニメの世界には飛ばないけど、

生産工場や農作業など、

複雑性さが求められない、

決まった動きだけの仕事なら、

どんどんロボットが開発され、

人間に代って働くだろう。

 

ちょっと前に書いたけど、

トイレ掃除がちゃんとできるロボットが開発されたら、

いよいよロボットの世界がやってくる。

 

●会社にも役所にも、もう人間は要らない

就活生は正社員や公務員にこだわって一生懸命だが、

会社という所には

もうほとんど人間が要らなくなるのではないか?

役所も銀行も、べつに職員がいなくてもいいのではないか?

葬いう世界はもう目の前だ。

 

いずれ生産現場はAIとロボットにお任せ状態になる。

それこそ人間は、みんな派遣・パート・アルバイトでOKだ。

 

仕事しなくていい。

労働しなくていい。

経済活動しなくていい。

 

●人間のいくところ

そうすると人間は何処へ行くのか?

家に帰るんだ、きっと。

 

人類は長くて苦しかった労働の旅を終えて、

帰るべき場所に帰っていく。

 

そこで本当の人生を送る。

本当の自分の仕事をする。

 

問題はそれが見つかるかどうかだ。

その前に、見つける気があるかどうかだ。

 

人間のやることは何か、

自分がやることは何か、

考える気があるかどうかだ。

 


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どうして「オレオレ詐欺」はニセ息子ばかりで、 ニセ娘の「アタシアタシ詐欺」は現れないのか?

 

いわゆる一連の「振り込め詐欺」で子どもにないすますのは、

いずれも息子、あるいは男の孫ばかり。

 

どうして娘、孫娘を演じる奴はいないのか?

 

一つには詐欺一味に女がいないことが考えられる。

たしかに悪だくみとというのは

男だけの方がやりやすい気がする。

 

女が混じると、誰かひとり、色仕掛けでやられちゃうとか、

ねんごろになって裏切るとか、

いろいろ面倒なことや内部分裂が起こりそうだ。

チームワークが乱れるんだろうな、多分。

 

もう一つは、今の高齢者世代は息子にめっぽう甘い。

ということが考えられる。

 

ばあちゃんは少しませてくると

小憎らしくなる同性の娘や孫娘より、

やっぱ、大人になっても

「母の愛」「祖母の愛」で守ってあげたい

息子や男の子の孫の方が可愛いのだろう。

 

じいちゃんはどうか?

こっちは伝統的な「家」という概念に囚われており、

やっぱり「おのこ」というのは大事な跡取りなのだ。

 

社会に出て戦う戦士なので、

トラブルに巻き込まれることも納得しやすい。

頼らtれ、助けてとと訴えてくると、

黙っちゃいられなくなる。

 

要はこれだけ時代が変わっても、

まだ人々の頭の中では

息子、男の孫は、親にとってはずっと自分の所有物であり、

娘、孫娘というのは嫁ぐ者、家の外に出て行く者、

出て行った者なのだろう。

 

僕らより下の世代は家制度意識も希薄になって、

娘や孫娘にアマアマの親がいっぱいいるから、

これから女ばかりの詐欺一味による

「アタシアタシ詐欺」が現れる可能性はある。

 

とくに娘ベロベロの親父はあぶない。かも・・・

いずれにしても騙されないようにしましょう。

 


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