世界は代筆でできている

 

僕たちが生きているこの世界――

人間が社会を作り、

国家を作り、

文化を作ってきたほとんどの部分は

代筆でできている。

 

今日のようなメディアができる以前から、

歴史上の有名な人物が何をした、何を言った、

ということの99パーセントは、

無名の、どこかの誰かが、

その有名人に代って代筆し、

後世に残したものだ。

 

というわけで、

代筆業をやっていると言うと、

どうやったら始められるのか?

と聞かれることがある。

 

これについては何とも言いようがない。

ホームページでも、ブログでも、SNSでも

なんでもいいから、公開された場で

「私、代筆やります」と書いて宣伝するだけだ。

 

もちろん、会った人に直接言えるのなら、

それに越したことはない。

 

あとは待ち。

かなり運が良ければ、

これだけで何か仕事が来るかも知れない。

 

が、普通はダメだろうから、

自分がどれだけの文章が書けるのか、

あれこれアピールする。

 

そういう意味では、今は昔と違い、

インターネットを使えば

自由にいくらでもアピールできるから

いい時代になった。

 

でもやっぱり一本釣りは難しいから、

現実的には、どこかのメディアに入って

取材記事を書いてみて実績を作るのが早道だ。

 

 

代筆業と聞くと多くの人は、

芸能人や経営者などの本の、

いわゆるゴーストライターを想起する。

 

でも僕が思うに、インタビュー取材などをして

ウェブサイトや雑誌などの記事を

書くのも、みんな代筆だ。

 

自分が思っていること・

考えていることを

自分で、人に伝わる文章に書き表す。

 

みんな、それをやろうとするが、

これがそう簡単ではない。

 

自分では、自分の顔も体全体も

見ることができない。

鏡がないとどうにもならない。

 

そういう意味では代筆ライターは、

クライアントにとって一種の鏡である。

 

僕も取材して記事を書くと、

 

「私はこういう人間だったんだ」

「うちはこういう会社だったのか」

「わたしたちは、こういう仕事をしているんですね」

などと言われることが多々ある。

 

文章が読みやすくなるよう前後を整えたり、

専門用語がわかりやすくなるよう

解説を加えることもあるが、

基本的にはその人が話したことを

そのまま書くだけなのだが。

 

ただ、そう単純でないのは、、

その相手との信頼関係が、

インタビュー中のやりとりに、

そして出来上がった原稿の文章に

如実に反映されてしまうということ。

 

だから代筆業で最も大事な点は、

文章力とか理解力とか、そういうことではなく、

いかに相手と短時間で良い関係が築けるかだ。

 

リアルな取材なら、

インタビュー現場の雰囲気を

できるだけ楽しく盛り上げ、

インタビューそのものを

エキサイティングなイベントにする。

 

電話取材やメール取材の場合は、

事前に話の流れを作って、

できたら台本を準備しておいて、

その上で進めるなどの工夫をする。

 

こうした下ごしらえが、

代筆業の仕事の

8割以上を占める。

 

てなわけで、今日は野菜栽培を研究している

ご高齢の先生の農園を訪ねて取材した。

 

楽しかったが、なかなか大変だった。

 

どれだけ経験を積んでも、

以前やったことと同じパターンを使って

うまくいくことは一度もない。

 

さすがにこの分野にはAIライターは

まだ進出してこれそうにない。

めんどくさいけど、人間にしかできない仕事。

志のある人はどうぞ、

世界を作る仕事においでください。

 


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金魚の集中力は人間以上

 

「金魚の集中力は人間以上なのだ」

と言うと、「アホぬかせ、んなわけねーだろ!」

と思うだろうか?

 

2015年の時点で、

人間が集中力を持続できる時間は8秒、

対して金魚の集中時間は9秒。

 

僕はこの話を聞いて、さっそく金魚を観察しようとした。

しかし、残念ながら、

今、うちには金魚はいない。

 

そこでかつて自分が飼っていた

歴代の金魚たちを記憶の底から釣り上げてきた。

 

彼らは9秒間、集中できていたのだろうか?

金魚の目が何秒間か、じっと何かを見つめている。

そして目を動かし、体の向きを変える。

そこまでは思い出せるが・・・

 

でも、金魚が集中するのって何に?

 

あ、向こうから仲間が来る。

このまままっすぐ泳いでいくとぶつかるかも。

でも、可愛い女の子だから、

わざと気づかなかったふりをして

さりげに正面衝突して、キスできたらラッキー・・・

とかなんとか、集中して思考するのだろうか?

 

だけど、金魚だって個性があるだろうから、

10秒以上集中できるやつもいれば、

5秒しかできないやつだっているだろう。

 

あるいは、出目金とか、和金とか、

リュウキンとか、ランチュウとか、

オランダシシガシラとか、

種類によって集中力は違ってくるかもしれない。

 

 

じつは正確にはこれ、

「金魚の集中力は人間以上」ではなく、

通常は「人間の集中力は金魚以下」

と言い表されている。

 

ここのところ、マーケティングの勉強をしていて、

巡り合った文言だ。

 

情報源は、あなたも僕も使っているWindowsの

マイクロソフト・カナダ研究チームが、

2015年5月に発表したデータ。

 

情報があふれかえる時代に生き、

わずか数秒でも空白ができれば、

スマホを手に取り、

タップし始める現代人。

 

その現代人が集中できる時間は8秒、

対して金魚の集中できる時間は9秒。

というわけ。

 

デジタル情報中毒の人間が

どんだけ集中時間を持続できないかを

如実に表すデータとして

2017年頃、ビジネス関連の雑誌やサイトで

センセーショナルに採り上げられまくった。

 

まさしく、ここまで来たか人類!

金魚にも劣る集中力とは・・・

 

なにしろ、かのブランド企業のお墨付きで、

こんなキャッチ―な面白ネタが

飛び出したのだから、

ビジネスコンサルタント系の人たちも

こぞってこの話題を

講座などで使っていたらしい。

 

けど、僕がこの話に会って

最初に思ったのは、タイトルに書いた通り

「金魚の集中力は人間以上なのか?」という疑問。

 

および、誰がどうやって

金魚の集中力を計測したのかというものだった。

 

当然、多くの人が同じ疑問を抱くものと思って検索すると、

そんな人はほとんどいない。、

 

疑問を持ったとしても、

忙しいのにわざわざ時間をかけて、

調べたりしないんだろうな~と諦めかけた。

 

が、何ページ目かに

高橋美佐さんというパーソナルコーチをやっている人が

「わたしも自分の講座で、この金魚の話しました。

ごめんなさい」と謝りつつ、

この情報について徹底リサーチしていた。

 

マイクロソフトも金魚の集中時間については、

自前で調査したわけでなく、その元ネタがあったわけで

それを辿っていくと、金魚の集中力について

正確に科学的に計測した人、

その数値を発表した人もいないことが判明。

 

だから金魚の集中力が9秒というのは根拠のない話なのだ。

つまり、「人間の集中力は金魚以下」

=「金魚の集中力は人間以上」はガセネタ

――というのが言い過ぎなら、

一種の都市伝説にすぎないという

結論にたどり着いたと言う。

 

やれやれという感じだ。

がんばって追求した高橋美佐さんはえらい。

 

この話、たとえば僕――福嶋誠一郎が

「金魚の集中力は人間以上なんやでぇ」

と言っても「アホか!」と一蹴されるだけ。

 

ところが、かの世界に冠たるブランド企業が

言うことなので、

みんな、ろくに検証することもなく信じた。

そして、おそらくは今後も信じられ続けていく。

だって面白いし、間違っていたところで

大問題になるわけでもないしね。

 

それに、いちいち検証していたら、

人生それだけで終わっちゃうので。

 

というわけで、

僕たちはそういう世界に生きている。

 

夏はお祭りなどで金魚に出会う機会も

増えるかも知れない。

今度、じっくり観察してみよう。

 

しかし、僕の観察力は、

はたして9秒間持続しているだろうか?

8秒過ぎたところでスマホを始めたりして。

 

 


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認知症の義母と神頼みの散歩

 

「いいの、手なんか握って?」

「だって手をつながないと危ないよ」

「いいの本当に? 奥さんはいらっしゃるの?」

「はい、いますけど」

「わあ、どうしよう? 奥さん、怒らないかしら?」

「だいじょうぶです。公認ですから」

「わあ、うれしい。こうしたこと一生忘れないわ」

「喜んでもらえて何よりです」

 

認知症の義母と散歩に行くと、こういう会話になる。

言ってもわからないので、

「奥さんはあなたの娘ですよ」

なんて説明はわざわざしない。

 

僕のことは「お兄さん」と呼ぶ。

まぁ確かに義母より25も若いけど、

お兄さんというほど、若い男に見えているのだろうか?

 

亡夫(つまり僕の義父)は、

「女は三歩下がって」という考え方の

関白亭主だったらしいので、

男と手をつないで

公道を歩くのに慣れていないらしく、

ちょっと恥ずかしそうにする。

 

義母には昨日も明日もない。

小さな子どもと同じで、

「いま、この瞬間」があるだけだ。

 

「いま、この瞬間」がずうっと繋がって、

僕たちの人生があり、この世界があるわけだが、

そんなこと、ふだん僕たちはまったく考えない。

 

僕たちはいつも、これまで何をしてきたか、

少しでも多くの記憶をキープし、

自分のビッグデータを作って、

何があるかわからない明日に備え、

サバイバルしようとする。

 

ところが義母は昨日なにがあったかも忘れているし、

明日どうなるのか不安に脅えることもない。

もうボケちゃってるわけだから、

齢を取ってボケたらどうしようと怖がることもない。

 

でも時々、時計を見て

「もう家に帰らなきゃ」とか言い出す。

「ここがあなたの家だよ。

あそこにあなたの部屋があるでしょ」

と言うと、「ああ、「そうか」と

一応、納得するのだが、

数分後にはまた「帰らなきゃ」と言い出す。

 

まだ一緒に暮らし始めて1週間たたないから

しかたないのだろうが、

彼女はいったいどこに帰りたいのだろう?

 

僕は認知症についてはまったく不勉強だ。

てか、あんまり余計な先入観を持って関わるのは

よくないんじゃないかと思って、

あえて最小限の知識・情報しか入れてない。

 

人それぞれいろんなパターンがあると思うが、

認知症になると、

その人本来のキャラクターや

人生の中で培ったストーリーが

集約されて表現されるようで、

義母を見ている限り、

不謹慎な言い方かもしれないけど、

とてもとても興味深い。

 

それにしても、

いったいこれからどうなるのか?

 

同じ「いま、この瞬間」を生きる人間でも

小さい子どもはこれから成長が見込める、

いわば、のびしろのある存在だが、

認知症の高齢者はそうではない。

 

「お兄さん」としては、

とにかく少しでも、

その瞬間瞬間の積み重ねを、

幸福感・安心感を持って

過ごしてもらいたいだけだ。

 

ふだんは宗教心なんて欠片もないが、

義母に関してはもう神さまに祈るばかり。

 

大宮八幡は立派な神宮で、

初詣やお花見や秋祭りで毎年来ている。

この季節は七夕飾りが美しい。

 

すっかり通い慣れたお宮だが、

義母と一緒にいると、

不思議と素直で新鮮な気持ちでお参りできる。

やっぱ人間、最後の最後は神頼みやで。

 


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オリジナルひらがな教育ツール

 

引っ越しの荷物の中から出てきた

数十枚の自筆の絵。

 

息子がチビの頃、字を教えるのに

めったやたらとそこらへんの紙に

絵を描いていた思い出した。

 

いま見ると、この絵が結構面白い。

こんなのが何十枚も描くなんて、

われながらよくやってたもんだ。

ちょっと感心。

 

じいさんの左にはガイコツを

描くべきだったかな。

 


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息子は強制退去で独立

 

元来、劇画メンタルなので、

出会いや別れを過度にドラマチックなものとして

考える性癖がある。

けど、現実はそんなものじゃない。

大体のことは必要に追われているうちに、

いつの間にか始まって、なんとなく終わっている。

 

この1週間もあれこれバタバタしていた。

金曜はカミさんの実家から義母の荷物を運び出して

新しい住まいに入れ、

土曜はショートステイに行っていた義母が来た。

 

そして今日は入れ替わりに息子が家を出て行った。

ほとんど強制退去のようなものだ。

 

スーツケースとリュックサックに荷物を詰め込んで、

タクシーに乗っての引っ越しだった。

 

引っ越しと言っても同じ区内。

自転車で30分と掛からない距離なので、

大したことではないのだが、それでも独立は独立。

 

20数年の思い出が走馬灯のようによみがえり、

泣いてしまったらヤバいなと危惧していた。

 

ところが、バタバタやってたせいで、

そんな余裕もなく、じゃああばよ、達者でやれな、と別れた。

 

(と言っても、自転車やら本やら家にいっぱい荷物が

残っているので、またすぐ戻ってくるのだろうけど)

 

強制退去みたいな形でしか子供を独立させられなかったのは、

親としてちと情ないが、これもまた非ドラマなドラマ。

餞別に同封した一筆書きに「7月7日」と入れられたのが、

ちょっと華になった。

 

人生は劇的に、カッコよく、

理想通りにいかないから面白いのかも知れない。

 

家の冷蔵庫の側面には、僕が一番好きな、

彼の小学生の時の作品の「招き猫」が貼ってある。

夢を招いてほしい。

 


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