4年に一度の2月29日、東京は大雪。
今日は都立高校の入試結果発表日。朝8時半に、うちの小僧くんの友だちのKくんがピンポーンと迎えに訪れた。二人は3年生になってからいつもつるんでいて、今回も同じ高校を受験した。
というわけで今日も二人揃って雪の中、受験した高校へ。うちから受験校までは普段なら歩いて20分程度だが、この雪では30分以上はかかるだろう。
9時半頃になって、カミさんが「あ」と言った。
「なんじゃらほい?」と訊くと、
「なんだか頭の中のモヤが晴れたような感じがする。きっと受かったんだよ」だと。
この人は時々こういうスピリチュアルな発言をする。
霊感ゼロの僕にはなんだかわけがわからん。
何でも母親はヘソの緒で子どもと繋がっていたから、そういうことがピピピッと伝わるらしい。
確かにそれは古今東西の文学やら言い伝えやらでよく聞く話ではある。
そういう話は不思議で愉しいが、霊感ゼロの僕にとっては「ホンマかいな」というのが正直なところ。
でもまあ、、いいことを予感してくれるのは大歓迎。それにしても落ち着かなくて、ちっとも仕事に集中できない。
雪は相変らずどんどん降り積もり、空気はさらにしんしんと冷えてくる。
カミさんのスピリチュアル発言があって2時間程経ってからガチャガチャとドアノブを回す音。
小僧くんが帰ってきた。なんとなくテレながら「イェーイ」とやる。
合格! おめでとう!
僕は信じていた。入試が済んで一週間、いや、もっとその前から、志望校を決めてから確信は微動だにしなかった・・・と、表向きは言っていたが、内心は不安でしかたなかった。
なにせすべり止めなしの一発勝負。子どもに(ついでに担任の先生にも)プレッシャーを与えてしまったかな、と気にしていた。
歓喜「やった!」という安堵「ほっ。」というところだ。
「よくやった。ご苦労さん」と小僧くんを労った。
親バカは死ななきゃ治らない。
2012・2・29 WED
寒くて震え上がるような日々が続くこの冬。しかし、節分・立春がすぎる頃になると、春の訪れはすぐそこまで、と感じられる。
これはたんにカレンダーを見てそう思うだけでなく、確実に日が長くなっていることを実感するからだ。朝は6:30ごろには明けきっているし、夕方も5:30くらいならまだ日が残っている。冬至~クリスマス~正月の頃に比べると、それぞれ30分ずつは明るい時間が延びている感じだ。都合1時間分、一日が明るい。これは大きい。そしてウらしい。なぜなら僕は夜の闇がとても怖いからだ。
どうして夜の闇がこんなに怖くなったのか?
子どもの頃、闇の中はお化けがいる世界で、とにかく怖いものだった。夜中にトイレに行くときは親や大人についてきてもらっていた。とくに古い日本家屋の「便所」は、最近の住宅のそれとは比べ物にならないくらいこわ~い!そりゃ妖怪も出るはずである。つまり、夜の闇の世界は、こどもにとって異界なのである。
それが成長するにつれて、夜と昼間の日常的な世界は地続きになっていく。夜でも寝ないで遊んだり、勉強したり、仕事をするようになり、「夜はお友だち」になっていく。事実、ボクも20代~30代半ば頃までは完璧夜型人間だった。
子どもが出来て、子どものリズムに合わせて朝型に移行。オチビといっしょに夜10時に寝て、こっちだけ朝の3時に起き出してモソモソ仕事を始める・・・といった生活リズムになり、いわゆる朝型人間に変身したが、それでも夜が怖いと思うようなことは最近までなかった。考えてみると、やはり闇を怖れるようになったのは、父と親友の死に直面してからである。夜の闇が再び「異界」として感じられるようになったのだ。
●父の死のこと
夜の闇とは異界である。異界とは死の世界であり、また、生まれる前の世界でもある。夜が怖くなったと感じるのは、その世界に再びリアイティを感じるようになった、ということだろう。
3年前に父が亡くなった時のことを、僕は物語として書いた。その一部を引用する。
義廣が倒れ、意識を失ったという報せを妹から聞いたのは、その年が押し詰まった十二月十日のことだった。僕は夕方名古屋に到着し、そのまま入院している名城病院に行った。
最初は集中治療室に入っていたが、翌日個室に移された。意識は失ったままだった。その時、家族の間には諦めの気持ちが漂っていた。それでもまだ心臓は動いている。面倒は看護士さんたちが看てくれるが、そのまま置き去りにしておくことは忍びない。さりとて、母は高齢で体力が続かない。というわけで、僕がそのまま病屋に泊り込むことにした。
(中略)
夜。僕は病院から折りたたみ式の簡易ベッドと毛布を借りて毎晩、病室に泊まった。昼間はそれなりに賑やかなものの、日が暮れて夜の帳が落ち、夕食の時間のざわめきが納まると、院内は廊下の灯も落ち、急に静けさに包まれる。冷たい寂寞とした世界がやって来る。意識はすでに失くしていても、そこに父をひとりぼっちにしておくことは出来なかったのだ。もし万が一、すでにあの世に行きかけた魂が何かの弾みで舞い戻り、夜中にふと目覚めた時に誰もいなかったら、ただ暗く冷たい世界がそこに広がっていたら……この世の最期にそんな怖ろしさを味あわせたくはなかった。
「おれ、ここにいるよ」
そう惚けて声をかけたかった。
結局、そんな瞬間は一度も訪れなかったのだが……。
それにしても人生の最期を迎えるのは、何かとてつもなくドラマチックなことと思っていたが(もちろん実際、そういう場合も多々あるとは思うが)、義廣の場合はとても平穏で、その死はそれまでの日常と地続きになっているかのようだった。この病院にいた時間は、この世とあの世を繋ぐための“のりしろ”のようなものだったのかも知れない。
僕はつごう五日間寝泊りし、その“のりしろ”の時間をいっしょに過ごした。何か父のためになることをしたわけでも、特別な体験をしたわけでもない。ただ本を読んだり、ぼんやり窓の外を見たり、時々ベッドに横たわる父の顔を覗いていただけだ。でも、そこにいられて本当によかったと思う。たとえ話はできなくても、親子で最期の時間をともに過ごせたことは、とても幸せなことだと思うのだ。
父の死に寄り添った体験は、確実に自分の中の何かを変えた。もう一つ、この一年後の親友の死もそうだった。
●親友の死のこと
同い年の親友は2年前にガンで亡くなった。彼は宣告され、入院して意識を失う(亡くなる1ヶ月前)まで約9ヵ月の間、その闘病記をブログに綴り続けた。その投稿記事は、写メにひとことコメントしただけのものも合わせれば、1900記事にもおよぶ。1日10回も投稿していたこともあった。
その中で最も僕の心に刺さったのは、夜、トイレの鏡で自分の顔を見たときの印象を綴った文だ。
「死相が出ている・・・」
彼はそう書いた。いわゆる霊感が強いやつだった。筆致から本当にそう感じたのだと思う。それから彼は「暗い穴見える・・・」とも書いた。別に小説家のように描写が達者だったわけではない。むしろすごく拙く、たどたどしかった。しかし、そのたどたどし感が却ってリアルで、その告白文を読んだ僕は身体の芯から戦慄した。
そういえば天童荒多の直木賞受賞作「悼む人」でも、ゴシップ週間誌のライターがゴーストタウン化した住宅地で生き埋めにされるシーンがあり、ドラマ性とあいまって、その描写が妙に生々しく心に残っている。
父の死に寄り添った話とともに、これらの記憶が心の底に貼り付いて離れず、夜の闇のこわさとつながっているのだろう。そう考えると文章の力は侮れない。
けれども、夜の闇がこわい、と感じるのは、悪いことだとは思わない。むしろ生き物として自然な感覚だと思う。
闇の中には、昼間の生活時間からは感じ取ることの出来ない、太古の先祖の声なども混じっている。時には神と呼んだり、時には「もののけ」と呼んだりする、そういした畏怖すべきものの存在を感じ、メッセージを受け取ることには、生きる上でのヒントが多々隠されているような気がするのだ。
2012・2・8
台本ライター・福嶋誠一郎のホームページです。アクセスありがとうございます。
お仕事のご相談・ご依頼は「お問い合わせ」からお願いいたします。