母の葬式について

 

6月24日にお通夜、25日にお葬式をしました。

僕は長男なので喪主をしました。

 

14年前の父の時に続いて2回目ですが、

父の時は、僕が名古屋に到着した時は

母や妹がすでに段取りを決めていたので、

そこに乗ってやっていただけでした。

それと比べて今回はいろいろ意見を出しました。

 

ちょうど仕事がひと段落し、

入っていた予定がキャンセルされていたので、

巡り合わせがいいというか、

そんなところまで息子に配慮して

出立してくれたのかなぁと思います。

 

さらにタイミングについて言うと、

コロナが落ち着いてからだったので、

みんな気兼ねなく集まれたことも幸いでした。

たとえば去年の今ごろだったら、

とてもこうはいかなかったと思います。

 

名古屋には「ティア(TEAR)」という

割と新参者の葬儀社があり、その本社と葬儀場が、

実家から歩いて10~15分程度の場所にあります。

 

ここは業界で先駆けて明朗会計を打ち出し、

業績を伸ばしてきた会社で、

名古屋をはじめ、愛知県内では40以上の会館を運営。

近年は東京など、他の地域にも進出しています。

 

父の時は病院で亡くなったので、

そこに常駐している(?)葬儀社に頼んでしまいましたが、

今回はここでやろうと、予め妹と話して決めていました。

(特に事前相談などはしていませんでしたが)

 

家族葬で参列は10人。

うちが3人、上の妹の家3人、下の妹の家4人。

母のきょうだいはすでにほとんど亡くなっており、

末の弟さんが一人だけ残っていますが、

ご高齢のこともあって呼びませんでした。

 

また、特に親しくしていた友人や

近所の人もいなかったので呼びませんでした。

 

母はすでに社会的な存在力はないし、

僕も妹夫婦も自営業ということもあり、

いわゆる世間体や面倒な利害関係などは

全然考える必要はありませんでした。

 

うちのカミさんは義母の世話があるので、

名古屋まで来るのは無理だろうと当初、思っていました。

義母は認知症なので、

たとえ1日でも一人でほっとくわけにはいきません。

 

日程を伝えてすぐにケアマネさんに頼んで、

どこか泊まれるところはないか探してもらいましたが、

認知症患者を受け入れてくれるところは

急には見つかりません。

 

そこで普段通っているデイサービスに無理やり頼み込んで、

朝1時間早く、

夕方1時間遅く預かってもらうことにしました。

それでぎりぎり葬式の時間に間に合うことができました。

終了後はそのままタクシーと新幹線で

とんぼ返りになりましたが、

それでも本人は最後のお別れが出来てよかった、

と言っています。

 

近年、特にコロナ禍になってから東京などでは、

火葬場でお別れするケースも増えています。

3年前の義父の時もそうでした。

 

ただ義父は「お寺はいらない。葬式も特にしなくていい」

と明瞭に書き残していたので、

送る遺族もそれに従うことに心は痛みませんでした。

 

 

母は何も希望を遺してなかったので、

やはり遺族しては心情的に、

普通に葬式をやるべきだろうと思いました。

 

最近はお葬式不要論も唱えられており、

僕も自分自身の時はいらないと思っていますが、

やはり親の世代は別です。

 

いずれにしても何らかの形で

お別れの場は作った方がいいと思います。

 

もちろん、かなり非日常的な値段のお金がかかるし、

経済的にどうしても無理という人もいるでしょう。

また、悪感情しか持ってないが、

自分の肉親なので義務で葬らなくてはならない人、

身元引受人としてしなくてならない

という人もいるでしょう。

 

そうした人はのぞいて、

故人に少しでも愛情を抱いている人、

お世話になったと思える人は

お葬式、またはそれに準じるお別れは

きちんとした方がいいと思います。

 

やはり亡くなってすぐ、そうした場を設けないと

自分が後から寂しくなるし、

心に何らかの罪悪感が残ると思うのです。

 

葬式については予算オーバーでしたが、

大変満足出来ました。

費用のことについてはまた後日書きますが、

低価格を打ち出している葬儀社の

「○○円~」という表示には注意が必要です。

 

この提示された金額はベーシックプランの額なので、

そこに何が含まれているのかが問題です。

あれもオプション、これもオプションとなると、

安いと思っていた価格が2倍、3倍、4倍と

際限なく膨れ上がります。

 

うちの場合は全員身内だし、引き出物なども省いて

できるだけ簡素にしましたが、

それでも当初の予算の1・5倍くらいにはなりました。

 

両親のささやかな遺産があったので、

施設の入居費も含め、すべてそれで賄えたので

そこまでケチる必要はありません。

 

費用のことはひとます置いといて、

ひとことで言ってしまうと、

お葬式は、現場を仕切る担当者(葬祭ディレクター)が

どういう人かで決まります。

 

母のお葬式を担当してくれた方は

たいへんいい人でした。

説明も丁寧で、ビジネスっぽさを感じさせません。

過剰に感情を入れることもありませんでした。

(母が幸福な亡くなり方をしたので、

僕らが冷静だったこともあるかもしれません)

 

いずれにしてもいい人かどうか、

いい人と感じられるかどうかがすべてです。

 

技術や知識はあるに越したことはありませんが、

それよりも人柄の比重が大きいでしょう。

正直、相性もあるので、運・不運もあります。

なんとなく合わない人に当たったら、

うまく合わせるようにするしかありません。

 

そんなわけで身内だけで仏式の通夜と葬式をやり、

火葬場へ行って収骨をして戻ってきてから

初七日法要をやって、精進落としの料理を食べて

散会しました。

 

担当してくれた人には

「あなたがやってくれてよかった。ありがとう」と

素直にお礼を言いました。

 

プロなんだから当たり前だと思われるかもしれませんが、
あんまりプロっぽいと却って嫌な感じがするのが、
葬儀屋さんの難しいところ。
だから人として率直に感謝を伝えました。

葬式は本当に遺族の心の問題なので、

何が正解で、何が不正解かはありません。

お金をかければいいわけでも、

何が何でも安く済ませばいいというわけでもありません。

 

また、最近は時代が変わって

いろいろ新しいやり方も提案されていますが、

葬式はその地域ごとに、長年続いてきた

風習・文化に基づくものなので、

この10年やそこらの東京のトレンドで

変わったこと・新しいスタイルでやるのは、

結構難しいのではないかと感じます。

 

本当は普段からいろんなところに相談しに回って

「葬儀屋の文脈」みたいなものに親しんでおいたほうが

いいんだろうと思いますが、

なかなかそうはいかないのが現実ですね。

 

いずれにしても母の旅立ちは

無事、安心して見送れてよかったと思っています。

 


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93歳・母の老衰死について

 

6月23日に母が亡くなりました。

たくさんのお悔やみの言葉をいただき、

ありがとうございます。

 

今後、皆さんも高齢の親御さんなど、

親族の最期に立ち会う機会があるかと思います。

エンディングライターの仕事もやっているので、

3回ほどにわたって母の死の過程や、

自分が喪主を務めた葬式のことなどについて書きます。

もちろん、まったく同じケースなど

あるはずはありませんが、

何かの参考になれば幸いです。

 

母の死因は老衰。

93歳と5ヵ月でした。

 

名古屋の実家で妹の家族と一緒に暮らしていました。

6年ほど前からだいぶ老いてきたなと思っていましたが、

90歳を迎えた頃から衰えが顕著になり、

自宅で面倒を見るのが困難になってきました。

 

結局、2020年の2月に肺の機能が

一時的に落ちて入院したのをきっかけに、

同年3月末から特養老人ホームに入居して、

そこで2年3ヵ月暮らしていました。

 

僕はコロナでなかなか面会に行けず、

電話で話すばかりでしたが、

いつも「元気だよ、大丈夫だよ」と言っていました。

 

施設へは昨年10月にやっと行けたのですが、

一目会って見て

「ああ、この人はもうそんなに長くこの世にいない」

とわかりました。

ちょっと大げさに表現すると、

この世の煩悩が抜けた、半分観音様にみたいに見えました。

 

その後、何回か面会に行きましたが、

6月9日に息子(彼女の孫)といっしょに、

カミさんの手紙とプレゼントの花を持って行ったのが

最後になりました。

 

死の前日の午後、実家の妹から

「血圧が下がっている」と連絡がありました。

夕方、直接施設に電話したところ、

どうなるかわからないという話だったので、

とりあえず仕事を済ませ、

翌日朝から向かったのですが、

途中で妹から「亡くなった」とメールが来ました。

 

後から聞いたところ、前日から眠ったままの状態になり、

朝、職員が見た時は呼吸が極端に弱くなっており、

9時過ぎぐらいには止まってしまったようです。

その後、医師が来て10時過ぎくらいに

死亡を確認したとのことでした。

 

冬場に肺の機能が落ちること以外、

特に目立った内蔵疾患などはなく、

自然に衰弱していったことなのだろうと思います。

 

認知症というよりボケが入っていて、

今年になってから時おり意識が飛ぶことがあったようで、

一度、施設の職員から

「病院に行ってCTなどで検査してもらいますか?」

と聞かれたことがありましたが、

苦痛・ストレスを与えるだけだと思い、

妹も僕も断固断りました。

延命措置も最初から断っていました。

 

ちなみに高齢社会を反映して

「死因:老衰」は最近増えているようで、

90歳を超えた人で特定の病気がわからない人には

老衰という診断を下すようです。

 

ネットである医師の記事を見ると、

老衰の定義というのはかなりあいまいで、

言ってみれば「非科学的な死因」らしいです。

 

それもあって高度成長期以降、

いわゆる「病院死」が多かった時代は、

ずっと老衰という死因は減り続けていたようです。

それがこの10年ほどでまた増えて来たようです。

 

ただ、遺族の中には「老衰」という診断を下すと

怒り出す人もいるようです。

なぜかは僕にはわかりませんが、

ちゃんとした科学的な死因(病名)がつかないと困る人

(お金がらみ?)もいるのでしょうか。

 

今年になってからすごく食が細くなってきて、

最期の数日はぜんぜん食べなかったようです。

母は僕の知らない若い頃は別にして、

ずっと太めのおばさんだったのですが、

亡くなった時はほぼ半分以下にスリムに、

小さくなっていて、顔も細長くなっており、

まるで別人のようでした。

 

と書くと、とても痛々しい印象を受けるかと思いますが、

人間、自然に死ぬときは

こういうものではないかと思います。

人生おしまいにするのだから、

もうエネルギーを補給する必要もない。

だから食べずに、小さく小さく縮んでいく。

比喩でなく、本当に肉体的にも子どもに還っていくのです。

 

ボケていましたが、電話の時も面会の時も

「おまえの声はすぐわかる」と言って、

僕の声や顔はクリアに認知していたようです。

そして、息子に対しては最後の最期まで

「元気だよ。大丈夫だよ」としか言いませんでした。

亡くなった今も僕はそのセリフを鵜呑みにしています。

 

本人ではないのでもちろん本当にところはわかりませんが、

特に苦しい思いをすることなく、

自然に安らかに旅立ちました。

 

おかしな言い方に聴こえると思いますが、

そんな亡くなり方をしてくれて嬉しい。

正直、自分の中では悲しさよりも

嬉しい、良かったという思いが勝っていました。

ありがとう。

あちらで先だって亡くなった父(夫)と逢うこと、

そして幸福であることを祈っています。

 


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週末の懐メロ88:恋はみずいろ/ヴィッキー・レアンドロス

 

1967年リリース。

誰もがおなじみ、

ポール・モーリア楽団のインストゥルメンタルで有名。

僕はてっきりポール・モーリアの曲だと思っていたのだが、

じつはカバー曲。

 

オリジナルはアンドレ・ポップという、

映画音楽を手掛けていたフランスの作曲家が作った歌。

発表されるや、あっという間に大人気となり、

1960年代から70年代にかけて、

めっちゃ大勢の歌手が競うようにこの曲を歌っている。

日本では森山良子、由紀さおり、あべ静江など。

(僕はつい最近まで、

この曲にちゃんと歌詞があることすら知らなかった)

 

そして最初に歌ったのは、

このヴィッキー・レアンドロスで、

この人のことも初めて知った。

ギリシャ出身でフランス語、英語、ドイツ語などの

マルチリンガル。

 

まだティーンエイジャーだった1967年、

ウィーンで開催された

「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」で、

ルクセンブルク代表として出場しフランス語で歌った。

 

もともとアップテンポの曲で、

このコンテストではメダルを逃す4位だったが、

その後、僕たちがよく知る

メロディアスな曲にアレンジされた

英語バージョンが登場し、

のちのロングセラーヒットに繋がった。

 

このビデオはドイツ語バージョンで、

美しいエーゲ海と故郷ギリシャの島をバックに

ヴィッキー・レアンドロスが

海風に髪をなびかせて歌っている姿が夏にぴったり。

 


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母、亡くなる

 

今朝、母が亡くなったので名古屋に来ている。

93歳。老衰。まさに眠るように終わった。

2週間前、息子と面会に行ったのが最後だった。

さようなら👋

 


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新刊予告:エッセイ集:エンディング2「死ぬまでジタバタ しようぜ」

 

エンディングライターとして雑誌・ウェブサイト

(葬儀・供養業界の専門誌)で2016年から記事を書いている。その取材の過程で拾った諸々のエピソード、

記事の中には出さなかった情報・感想などを

中心に綴ってきた、

人生のエンディングにまつわるエッセイを1冊にまとめた。(2020年以降のものは続刊に収録予定)

 

出来れば遠ざけたいもの、

ずっと知らないフリをしていたい「死」は、

すべての人がいつかは関わらなくてはならない事象。

どうせいつかは向き合わなくてはならないものなら、

少しずつでいいから心を慣らしておいた方がいいのでは――

ということでお役に立てるなら何よりです。

 

また、子どもや若者で、

じつはとっても死に興味があるという人。

あなたは別に異常でも何でもなく、

「死があるからこそ生が輝く」という

人生の本質を知る人です。

そんな人にとってもお役に立てる本・

心の糧にしていただきたい本です。

 

もくじ

・死ぬまでジタバタしようぜ:「老い」を楽しんだ蜷川幸雄さん

・エンディング時代の遺産相続を考える

・エンディングを意識して人生の台本を書く

・「老害人」の話と人生最後で最大の仕事

・高齢者ドライバーは、免許返すとおトクやでぇ~

・人形が幸せになれる国ニッポン

・茨城・葬式の撒き銭のルーツを探る

・映画やテレビドラマの世界では高齢犯罪者が増えている?

・マタギの里の大往生

ほか全39編

 


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夏至ケロ、運よ開ケロ

 

きょうは夏至。

いちばん日の長い日。

それに加えて、いろいろ縁起の良いことが重なってて、

スピリチュアル的にはめちゃくちゃな幸運日で、

この日に何もやらないのはおバカさん。

――くらいの素晴らしい開運日なんだって。

 

ということを日が暮れた、ついさっき知った。

あっちゃー!

今日はカミさんも義母もいないので、

ひとり悠々夏バテの先取りをして、

1日中、本を読みながら転がってた。

 

今年もぼちぼち半分終わり。

頭からっぽにしてキャパシティ作って

後半戦の運を呼び込みましたってことで。

 

名古屋名物・青柳ういろうの

「かえるまんじゅう」の空き箱で

開運ガエル作りました。

 

あなたの運が開ケロ。

世界に平和と笑顔がよみガエル。ますように。

 

 

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「南の島でのんびり」なんてFIREしなくてもすぐできる

 

1~2年ほど前からビジネスパーソンが

「FIRE」という言葉をよく口にするようになった。

「うぉぉぉぉ」と炎のように燃えて

仕事をすることなのかと思ったら、

ぜんぜん違っていて、

FIREとは「Financially Independence, Retire Early」の略。

若いうちに経済的に自立し、仕事を辞めることだという。

 

ネットや雑誌では、投資でもうけて

30代くらいでリタイアし、

「南の島でのんびり暮らしてます」

といった人が紹介されているそうな。

 

それなら僕はもう20代でそんな経験は済ませた。

1987年、ヨーロッパをバックパックで旅行していて、

エーゲ海に浮かぶギリシャのロードス島という島で

10日くらいのんびり過ごしていた。

 

気を入れていた仕事が

クライアントの事情でキャンセルになり、

いきなり蒸し暑くなったせいもあって

疲れがどっと出たので、

ここ2日ほど、

ネットもほとんど見ずにゴロゴロしていたら、

ふと、そのことを思い出したのだ。

 

いかにもエーゲ海風の白い家(民宿)に泊って、

そこにオランダ人の女の子やカナダ人の男も

出入りしていた。

 

持ち主のギリシャ人のご夫婦といっしょに食事をして

日本のことやイギリスのこと

(その頃はロンドンで暮らしていた)を聞いてきた。

 

「日本人は何を食べるんだ?」

「魚介類をよく食べるので、

この島と似てるかも知れません」

「イギリスのめしとギリシャのめしはどっちがうまい?」

「うーん。イギリスのほうがうまいものもあるし、

ギリシャのほうがうまいものもありますね」

とかなんとか。

 

そんなわけで美しい海を見ながら、

さらにネコと戯れながら

(ギリシャの島にはどこもやたらネコが多い)、

旅の疲れを癒したのだが、

あの10日ほどが自分の人生の中でどんな意義があったのか、

今もってわからない。

まあ単なる「休み」だったのだろう。

 

でも、今思うとちょと長すぎた。

なんで10日もいたのだろう?

海は確かに美しかったが、それも3日も見てれば飽きる。

特にこれといった思い出もなく、

ただただ、何もすることがなくて

退屈だったという印象が強い。

 

最近言っている「FIREして南の島でのんびり」というのは、

もちろん僕のビンボー旅行の体験などとは

ニュアンスが違っていて、

億り人(資産1億円)の特権みたいなものだ。

 

でも、僕が言いたいのは

「南の島でのんびり」したいだけなら、

今の日本人なら、その気になればいつでもできるってこと。

 

知らないから憧れる人も多いのだろうけど、

そんなのちょっと本気で働いてお金を貯めれば、

あるいは、投資をする元手があるのなら

それを使ってすぐできる。

 

先に体験しておいて「ああ、こういうものなのか」と

わかったうえで、それでも

「永遠ののんびり」を手に入れたいというなら

がんばってFIREをめざしたら?と思う。

 

それにまたいつ何時、コロナが復活したり、

他の伝染病が起こらないとも限らない。

本気で南の島に憧れているのなら

FIREしてどーのこーのなんて言ってないで、

行けるときに行って、若いときに体験しておいた方が

おトクなのではないかと思う。

 

「おいしいものは楽しみに取っておいて、

後からゆっくりいただこう」なんて思っていると、

いただく機会を失っちゃうかもしれないよ。

人生は短いですよ。

 

 

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週末の懐メロ87:東風/YMO(イエローマジック・オーケストラ)

 

1979年リリース。

「テクノポリス」「ライディーン」と並ぶYMOの代表曲。

ファーストアルバムに収められており、

ライブでも中盤のハイライトやエンディングを飾っていた。

 

1979年と80年、2回のワールドツアーの演奏の数々は、

今でもオールドファン、そして新しいファンをうならせる

彼らのベストパフォーマンスだ。

 

YMOの正式メンバーは、

リーダーでベーシストの細野晴臣。

 

当時まだ、ほとんど無名のスタジオミューシャン、

ここから「世界のサカモト」に昇華した

キーボードの坂本龍一、

 

サディスティックミカバンドのドラマーで、

英国でのライブ、レコーディングも経験していた

高橋幸宏の3人。

高橋はリードヴォーカルも担当するほか、

衣裳デザインなど、

アートディレクター的な役割も担っていた。

 

この3人にサポートメンバーとして、

ギターに渡辺香津美、のちに大村憲司。

シーナ&ロケットの鮎川誠も入ったことがある。

 

キーボードとヴォーカルに矢野顕子。

このツアーの中盤には必ず彼女の歌う

「在広東少年」を演奏し、大人気だった。

 

さらにシンセサイザープログラマーの

松武秀樹。

 

まさに当時の最強の布陣で取り組んだ

このツアーの音源はたくさんあるが、

同じ曲でも一度として同じ演奏はなく、

バラエティ豊かな即興性を楽しめる。

「東風」はこのバージョンが、

最も疾走感・アグレッシブさを感じる。

 

YMOは1970年代に後の日本のポップス、

ニューミュージックの原型を創り上げた

「はっぴえんど」「ティン・パン・アレー」という

2大バンドの中心メンバーとして活躍した細野晴臣が創設。

 

細野は「エキゾチカ」と称されるジャンルの音楽

――西洋人が解釈する東洋の音楽――に影響を受けて、

これをシンセサイザーなどの電子楽器を駆使し

てやってみたらどうか?

という野心的な試みを抱いて

YMOのコンセプトを練り上げた。

 

ただし、たんなる実験で終わることなく、

インターナショナルな商業的成功を目指し、

坂本・高橋と共に独自のサウンドを追求した。

 

細野としては1970年代を通して、

日本のポップミュージックが

英米に劣らないレベルまでスキルアップしたことを確信し、

世界に打って出ようという強い意思があったのだろう。

 

彼の目論見は功を奏し、

YMOは日本のバンドとして

最も大きな世界的成功を収めた。

 

国内では社会現象を巻き起こし、

僕もこの頃、長髪をやめてテクノカットにしたり、

シャツのボタンを喉もとまできっちり締めたりしていた。

 

彼らの登場は新たに「テクノポップ」という、

それまでにない音楽ジャンルを産んだ。

近代ポピュラー音楽史のエポックメイキングになり、

当時はもちろんだが、

YMOはむしろ近年のほうが評価が上がっている感がする。

 

いま聴いても抜群に新鮮でキレのある演奏

(特に細野ベースと高橋ドラムの凄さ!)から、

あの時代の空気と共に、

若々しかったメンバーらの熱いエネルギーが伝わってくる。

 

 

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烏山寺町のネコ寺

 

世田谷区の千歳烏山に近い烏山寺町でお寺の取材。

この地域には大正末期の関東大震災のとき、

浅草や築地あたりで被災した26ヵ寺が

こぞって引っ越してきて集まっている。

東京西部でこれだけのお寺が集まっているところは、

ここだけ。

 

寺町ができる前はもちろん一面の農地で、

このあたりから1キロほど先の千歳烏山駅まで

ズドーンと見渡せたそうだ。

 

訪れたのはその中の一つ、

首都高速からすぐのところにある乗満寺。

 

このお寺の境内には20歳になるネコがいて、

めっちゃ人なつっこい。

スマホを向けたら嬉しがってニャーニャー寄ってくる。

近すぎてちゃんと撮れないだけどにゃあ。

 

奥さん(坊守さん)がネコ好きらしく、

この長老ネコの「みいちゃん♂」を筆頭に

5匹のネコが暮らしており、

時々、というか、けっこう頻繁に

ノラネコも何匹か遊びに来て、

勝手にめしを分捕っていくらしい。

 

月に1回「ねこ茶房」をやっていて、

住職の話とセットでお寺のネコと遊べる日を設けている。

 

普段の日でも、運が良ければ

境内でウロウロしているみいちゃんに出逢えるかもニャー。

 

 

 

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少子高齢化の先にある死亡者激増・労働人口激減社会

 

エンディングライターとしての仕事で、

昨日・今日とパシフィコ横浜で開かれた

「フューネラル・ビジネスフェア」を取材した。

葬儀・供養・終活。

エンディングに関わるビジネスの領域は年々広がっている。

 

統計によれば現在、年間140万人が死亡する。

ピークは2040年で、死亡者は167万人に上る予測。

あと18年だが、自分もこのあたりか?

 

少子高齢化社会の先には

「死亡者激増・労働人口激減社会」が待っている。

2065年には、日本の労働人口は現在の6割程度になるという。

 

こうした社会の到来に備えて政府では、

いろいろなデジタルデータを集めて、

人生を一気通貫する、

いわゆる「ゆりかごから墓場まで」の

支援プランを構築中とのこと。

 

よく言えば手厚いサポート。

悪く言えば強固な管理体制。

あまり愉快な話題ではないが、

これもまた「持続可能な社会」の

必然的要素なのだろう。

 

僕たちは短期的には個を主張するが、

長い目で見れば、やはり広大な社会の、

長大な人類史の一細胞として生きている。

 

 

エッセイ集:エンディング①

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世界の伝統的な葬儀・供養の風習、

現代の終活・エンディング事情を知る

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次回の新刊は、エッセイ集:エンディング

「死ぬまでジタバタしようぜ」(仮題)

どうぞお楽しみに!

 


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明日6月12日(日)16:59まで!

 

いつも天気のことを気にして生きてきた二人だが、

その時だけは違った。

若くて健康だったので直観が働いたのだ。

もしかしたら傷つくことになるかもしれないなんて露とも考えず、まっすぐに思いをぶつけ合った。

大きな街の中心にニョキニョキと立つ高いビル。その谷間にある丸い広場の片隅。

夕闇が辺りを包んでいた。

「好きだ」と男は言った。

「あたしも」と女は言った。

とても純粋な恋だった。

問題はただ一つ。

男は晴れ男で、女は雨女であること。

星のめぐりが最高な運命のデートの日は晴れるのか、どしゃ降りになるのか。

はたまた間を取ってくもりになるのか。

女は耐えきれない思いを抱いて、男に長い手紙を書いた。

 

恋と結婚と幸福と人生の行く末を描く、

おかしくてセンチメンタルな短編小説。

 

ご購入ありがとうございます。

面白かったらレビューをお願いします。

 


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週末の懐メロ86:リトル・グリーン/ジョニ・ミッチェル

 

1971年リリース。

米国ローリングストーン誌が2020年に選出した

「史上最高のアルバム500枚」で

堂々第3位に選出された名盤『Blue』の収録曲。

 

アメリカでは並みいるスターアーティストを差し置き、

ジョニ・ミッチェルの評価は断トツに高いようだ。

女性アーティストの中では、

アレサ・フランクリンと並んでトップと言っていいだろう。

 

確かに優れたシンガーソングライターだが、

最盛期ともいえる70年代、

彼女はここまで人気があっただろうか?

 

少なくとも僕の印象は割と地味で玄人好み、

日本人の女性フォーク歌手にちょっと影響を与えた人、

ぐらいだった。

 

どうして近年、すでに現役とは言えないミッチェルが

これほどまでに評価されるようになったのか?

その秘密を解くカギが、

この「リトル・グリーン」という曲の中に潜んでいる。

 

歌詞は大まかにこんな感じ。

 

かに座に生まれた女の子

この子に似合う名前を選んだ

グリーンと呼ぶわ 冬の寒さに負けないように

グリーンと呼ぶわ 彼女を産んだ子どもたちもね

リトル・グリーン、ジプシーの踊り子になって

 

子どもを持った子どもの偽り

家に嘘をつくのはもう嫌なの

あなたは書類にファミリーネームでサインする

悲しいの、ごめんなさい、でも恥ずかしいとは思わないで

リトル・グリーン、ハッピー・エンドになって

 

「リトル・グリーン」は実体験に基づく歌である。

ここでいう「グリーン」は、

ミッチェルが実の娘に付けた名前であり、

その親になった女と男を「青二才」と揶揄する呼び名でもある。

 

歌詞の中の「彼女を産んだ子どもたち」とは

母親である自分自身、そして恋人だった実の父親のこと。

 

この歌を歌う6年前の1965年、

まだカナダの無名の貧乏アーティストだったミッチェルは、

トロントの慈善病院で女の子を産んだ。

 

避妊の知識も乏しかった時代の、

望まない妊娠・出産。

当時、カナダでは中絶は法で禁じられていた一方、

未婚の女性が母親になることは罪を背負うことだった。

 

父親である前の恋人も、

新しく現れ結婚を申し込んだ男も、

赤ん坊に対してはひどく臆病で責任を逃れようとした。

 

まだ子どもだった若い彼らにとって、

赤ん坊を抱え込むことは、

アーティストになる希望の道が閉ざされることと

イコールに思えたのだろう。

 

結局、ミッチェルは生後6か月の娘を養子に出し、

アメリカにわたる。

「リトル・グリーン」を書くのは、その1年後の1966年のこと。

そして、その頃からシンガーソングライターとしての

天才を開花させる。

 

1968年のデビューアルバム発表後、

彼女は目を見張る勢いで、

世界のポピュラーミュージックの

メインステージに駆け上がる。

 

そして長い年月が流れたあと、運命は劇的な変転を迎える。

1997年、53歳になっていたミッチェルは、

当時32歳、すでに1児の母になっていた娘と再会する。

1971年、アルバム「BLUE」に

「リトル・グリーン」を収めて26年後、

養子に出して32年後のことだ。

 

親子は心から再会を喜び合った。

しかしその後、マスメディアの報道の嵐によって、

歌の通りに「ハッピーエンド」とはいかない事態と

なっていったようだ。

 

人の感情は大海に浮かぶ小舟のように、

ちょっとした波に簡単に揺らぎ、時には転覆してしまう。

 

いずれにしても、このストーリーを知る前と知った後では

「BLUE」の、そして「リトル・グリーン」の印象は

大きく変わってくる。

 

近年、ジョニ・ミッチェルの評価が高まっているのは、

楽曲そのものだけでなく、

こうした彼女の人生にまつわる劇的なドキュメンタリーが

大きく作用しているような気がしてならない。

 

「女性と子どもを大切にする」という

社会意識を深めるためにも、

ジョニ・ミッチェルをもっと評価しようという声が

強まっているのだ。

 

音楽ビジネスの世界に発言力のある女性が増えたことも

その一因だろう。

自由で開放的で先進的に見える映画や音楽の世界も、

つい最近まで男性権力者による支配が横行し、

パワハラ、セクハラの温床であったことが暴露された。

 

すでに60年近くに及ぶミッチェルの音楽キャリアと

優れた楽曲群は、

女性と子どもの未来に光を投げかけるものとして、

これからも評価はますます高まるものと考えられる。

 

 

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人生は長くて短い

 

 

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晴れ男と雨女が恋をした。

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「てるてる男とふれふれ女」では、

天気と人の運命について書いてみた。

人生は長くて短い。

還暦を超えて、やっとそうした言葉を実感できるようになった。

そして昨日、ちょっとそれにリンクするような出来事があった。

 

本を出したい、ということで代筆の依頼を受け、

2回ほど取材も行っていたが、

昨日、その人のご家族の重病が発覚。

今後の取材の予定がいったんキャンセルされた。

おそらくこのまま継続するのは難しく、

この案件自体がキャンセルになるか、

長期凍結ということになるだろう。

 

人生にはいろいろなタイミングというものがある。

運・不運の波は定期的にやってくるが、

それはなかなか予知できない。

(占いに頼る人が多いのも頷ける)

 

災害や疫病、金融恐慌だってある。

それを完璧に免れるのは不可能だ。

 

人生設計とか、あれこれ長期計画を立てるのもいいが、

今やりたいこと、できることを先延ばしにしていると、

天気が荒れて実現困難になるかも知れない。

一度時機を逃すと、

そのチャンスは永遠にめぐってこないかもしれない。

 

漠然とした不安に煽られて、お金をため込んで、

結局、節約生活だけが生きがいになって

人生終わってしまう人もいるという。

 

やりたいことがある人、

ずっと心にため込んでいる人は、

我慢と解放のタイミングをちゃんと考えた方がいいと思う。

 

 


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いつも天気のことを気にして生きてきた二人だが、

その時だけは違った。

若くて健康だったので直観が働いたのだ。

もしかしたら傷つくことになるかもしれないなんて露とも考えず、まっすぐに思いをぶつけ合った。

大きな街の中心にニョキニョキと立つ高いビル。その谷間にある丸い広場の片隅。

夕闇が辺りを包んでいた。

「好きだ」と男は言った。

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とても純粋な恋だった。

問題はただ一つ。

男は晴れ男で、女は雨女であること。

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若者だらけのEND展

 

「お、おれがいちばん年上じゃん!」

END展、先日行ったのは関係者向けの内覧会だったので、

昨日、一般公開の様子を探りに行ってみた(本日で終了)。

 

油断してたら事前予約の枠がいっぱいになってしまってて、

「当日券あるかも」とサイトに書いてあったのを信じて

ヒヤヒヤしながら行ったら、入れてもらえてホッ。

僕と同様、「事前予約が取れなかったので」という人も

けっこう大勢、受付に集まっていた。

 

主催者は「50代~60代はがメインの対象」と言っていたが、

入ってみたら、僕より若い人ばっか。

見た目、20代の人が一番多かったような気がする。

 

若くてカッコいい女の子ばっか見てたからだろ、

と突っ込まれたら「はい、そうです」

と言わざるを得ないが。

 

たまたまだったのかもしれないけれども、

マジで多かったのは20代・30代。

10代のおぼしき子も少なからずいたと思う。

僕はほとんど最年長の部類だった。

 

しかし、よく考えれば当然かもしれない。

おそらくリアルにENDに近い高齢者とか、

その一歩手前の人たちの多くは、

死がどうのこうのなんて

考えたくないし、向き合いたくない。

 

若ければ、それはまだ遠い先にある、

一種のファンタジーとして受け止められる。

 

実は「死」というコンテンツは、

年寄りのものでなく、若者のものではないか。

 

生とは?愛とは?自由とは?人間とは・・・

 

子どもからおとなになる頃、そういったことを考えながら、

いろいろな芸術・文化に触れて

自分ならではの世界観を作っていくのは、ごく自然なこと。

 

むしろ最近のように、社会に要請に応じて、

若い頃から仕事一辺倒、金儲けオンリー、

生産活動ばっかりみたいな人生のほうがおかしいと思う。

 

10代や20代が死について、

そしてそれと同時に「どう生きるかということ」に

考えをめぐらすのは全然おかしくない。

 

オーバー還暦もまた、

そうした10代・20代の心情に還っていくといいと思う。

 

展示の最後に

「死ぬまでにやりたいことは?」

「印象的な死のエピソードは?」

という問いがあって、ボードに自分の回答を書いた紙を

貼り付けられるコーナーがあるのだが、

あふれんばかりの回答でボードが真っ白になっていた。

 

それぞれ10個ずつくらい読んでみたが、

ジョークっぽいのからシリアスなのまで

いろいろあって面白かった。

とても全部読み切れなかったので、

ぜひ主催者さんにサイトに上げてほしい。

 

 

電子書籍

「てるてる男とふれふれ女」

梅雨入り記念無料キャンペーン

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てるてる男とふれふれ女 2022梅雨入り無料キャンペーン

 

 

♪6月6日に雨ざあざあ降ってきて

カエルかな?カエルじゃないよ、アヒルだよ~、ガァ。

 

というわけで、昨日から関東甲信地方は梅雨入り。

というわけで、

 

梅雨入り記念無料キャンペーン5日間実施!

6月7日(火)17:00~12日(日)16:59

おはなし

 

いつも天気のことを気にして生きてきた二人だが、

その時だけは違った。

若くて健康だったので直観が働いたのだ。

もしかしたら傷つくことになるかもしれないなんて

露とも考えず、まっすぐに思いをぶつけ合った。

大きな街の中心にニョキニョキと立つ高いビル。

その谷間にある丸い広場の片隅。

夕闇が辺りを包んでいた。

「好きだ」と男は言った。

「あたしも」と女は言った。

とても純粋な恋だった。

問題はただ一つ。

男は晴れ男で、女は雨女であること。

星のめぐりが最高な運命のデートの日は晴れるのか、

どしゃ降りになるのか。

はたまた間を取ってくもりになるのか。

女は耐えきれない思いを抱いて、男に長い手紙を書いた。

 

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ゴールデンカムイ:明治時代は文化のゴールドラッシュ

 

今さらと言われそうだが、ここのところ、

「ゴールデンカムイ」にはまって

毎晩、Amazonでアニメを一気見している。

ちょっと前に連載が完結したところだが、

マンガはまだ読んでない。

 

「鬼滅の刃」は大正、こちらは明治。

さすがジャンプの目の付けどころは鋭い。

幕末、明治、大正、昭和。

現代にいたるまでの日本の150年ほどの時間は、

現代ではありえないリアルなドラマにあふれている。

ここに埋まっている資産を掘り起こすのは、

いわば文化のゴールドラッシュ。

 

日露戦争終結後の明治終盤、

1900年代後半の北海道を舞台にした

「ゴールデンカムイ」。

その面白さの要素はたくさんあって、

とんでもなくバラエティ豊かで充実した内容。

そして現代風の味付けもおいしい。

 

もうすでにいろいろな人が、

いろいろなところでこの作品を語っているが、

僕にとって最もインパクティブなのは、

明治という時代とそこで生きる

兵士・軍人が実にリアルに、

そして面白く描かれているところである。

 

さすが青年誌に連載されたマンガだけに

ここに出てくる兵士たちは、

べつにサイコナントカの超能力を使ったり、

必殺のカントカビームなどを発射するわけではない。

それぞれ現実的な範囲内で、

超人的な戦闘能力を発揮する。

 

こんなこと人間ができるのかと思う部分もしばしばで、

「マンガだから」と言ってしまえばそれまでだが、

僕はそれだけではないと思う。

これは現代とは異なる次元、

つまり過酷な自然、

まだ科学や医学や各種のテクノロジーが発展途上の環境、

さらに、戦場という命のやり取りをする極限状況、

といった中で生き、活動しているので、

脳のリミッターがはずれ、

それぞれが持っている潜在能力が発動するのだろう。

みんな天才戦闘家になるわけだ。

 

明治の男たちの強さ・凄まじさ、

それと裏腹な優しさ・愉快さについては、

昭和時代からいろいろな伝説があり、

中にはかなり誇張されているものもあると思うが、

基本的に僕はそうした伝説を信じている。

信じた方が面白い。

 

同時にこのマンガを読んで感じるのは、

おそらく命のやり取りをしなくては生きている

実感が得られない人間、

つまり戦争という状況がなくては生きられない人間

(たぶん、ほとんど男)が

必ず社会に存在するのだろうなということ。

 

特に幕末から明治、大正、昭和初期は、

そうした男たちにとっては生きやすい時代、

居場所のある時代だったのだと思う。

 

やっかいだが平和な現代でも

そういう男たちは一定数はいる。

遺伝子のなせるわざなのか、

いつの時代でも数パーセントはいるのだ。

今回のロシア・ウクライナ戦争でも、

日本から数十人が兵士に志願したという。

彼らは戦争という極限環境を求めていて、

自衛隊の演習などでは満足できないのだろう。

 

このマンガの作者の野田サトル氏の曽祖父は、

日露戦争の兵士だったと言うが、

そうした日本人の血のなかの遺伝子とか、

霊魂といったものも、100年以上の時を超えて、

現代人に何か刺激を与え、

行動を起こさせようとしているのかもしれない。

そんなことを考えると、

単純に戦争=悪とはいえなくなる。

自分だってこういうマンガを読んで楽しんでいるわけだし。

 

本当に面白い「ゴールデンカムイ」。

実写映画化も決まったようで、

興味はあるが、心配でもある。

 

最近はこういうダイナミックな物語は、

マンガやアニメのほうが感情移入できるし、

想像力を広げて楽しめる。

 

よほど自分が好きな俳優が出ているならいいが、

そうでないと実写にはがっかりさせられるケースが多い。

実写映画・ドラマよりもマンガ・アニメ。

それもまた時代のせいだろうか。

 


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END展と「RE-END 死から問うテクノロジーと社会」

 

 

スマホ頭の骸骨に「かごめかごめ」をされている、

花束を持った子ども。

その子を鳥や動物たちが見つめている。

 

漫画家・五十嵐大介が描いた

奇怪でありながらユーモラスなイラストの表紙は、

現在の僕たちの姿であるように思える。

 

「死から問うテクノロジーと社会」という

ものものしいサブタイトルがついているが、

中身はとてもポップでバラエティ豊かな内容で、

けっして難解な研究書の類ではない。

 

今月8日まで二子玉川で開かれているEND展は、

昨年11月に六本木のアートスペースで行われた、

このサブタイトルと同名の展覧会をベースに、

少しアレンジを加えたものだ。

 

キュレーターの塚田有那さんの話によると、

私たちが今見ている世界・社会とはどういうものなのか、

誰にもいつか必ず訪れる「死」から

問いかけていくことはできないか?

という発想から展示のアイデアが生まれたという。

END展とこの本の内容は密接にリンクしており、

フクロウみたいな不思議な鳥のポスターも、

この本の冒頭に入っている五十嵐大介・作の

「遠野物語より」を転用している。

 

「遠野物語」は民俗学者・柳田国男の作品で、

民俗学、さらに広く言えば文化人類学を

日本に根付かせた名著だが、

これを現代風の漫画にアレンジして

トップにに持ってきたことが

この本の性格(=END展の性格)を表している。

 

塚田さんは責任編集者でもあり、

まえがきの最後にこう書いている。

 

本書では、民俗学や人類学、

情報社会学や人工知能研究まで、

さまざまな識者の方々に寄稿や対談、

インタビューにご協力いただき、死をテーマに

それぞれの視点から論じていただいた。

テクノロジーがいやでも絡み合う現代において、

いま一度、生と死という永遠の連鎖に思考を委ねるとき、

これからの社会を見据える

新たな視座が見つかれば幸いである。

 

冒頭だけでなく、章の合間合間に

短編マンガが入っていることも特徴で、

これもEND展で活かされている。

その一つ、「うめ」というユニットによる

「ようこそ!わたしの葬儀へ!」は、

8頁ほどの話だが、某世界的IT企業のCEO

(GAFAのカリスマ経営者みたいなイメージ)の

葬儀を描いたものだが、

現代的・近未来的な死と葬儀の

エッセンスを詰め込んだ傑作で、

 

「死後、個人データを合成してバーチャル上に

復活できるとしたらしたいですか?」とか、

 

「もし死者とVR上で会えるとしたら会いたいですか?」

とか、

 

「過去の偉人の知性や人格をAIで復活させて

国を統治できるとしたら賛成ですか?」とか、

 

けっこうラディカルな質問に対する

回答データも盛り込まれている。

(この本の制作集団 HITE-Mediaの

独自に行ったアンケート調査にもとづくもの)

 

このまま何となく齢を取って、

漫然とくたばるのは嫌だと思っている人、

また、未来はどうなるのだろう、

子どもたちはどんな社会を生きるのだろうと

考えている人は、

「END展」を観たり、

「RE-END」を読むことは

自分の思考や行動を変える

大きなきっかけになるかもしれない。

 

電子書籍「世界のEnding Watch」

人間はいつの時代も死がもたらす恐怖や悲しみ・寂しさを様々なやり方で克服しようとしてきた。

世界中にある葬儀供養の文化・風習はその集積だ。しかし近年、先進国ではそれが急激に変化している。世界の死の昔と今を俯瞰しながら楽しむエッセイ集。


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週末の懐メロ85:ラジオスターの悲劇/バグルス

 

1979年の世界的大ヒット曲。

「Video Killed Radio Star」

(ビデオがラジオスターを殺っちまった)

というリフレインが耳に残り、

邦題も一度聞いたら忘れられない秀逸さ。

 

ビデオという新しいメディアが世の中に現れ、

ラジオスターの仕事がなくなってしまったという、

ちょっとシニカルな内容だが、とてもポップで楽しい曲だ。

 

トレバー・ホーンとジェフ・ダウンズのバグルスは、

それまでのプログレと、

新興のニューウェーブの間を行くような

とてもユニークなバンドだった。

 

今ではYouTubeなどで、かつて幻のライブとか、

伝説のコンサートとか言われた映像も

見放題・聴き放題になっているが、

従来、音楽は基本的には音だけ。

ヒットソングはいつもラジオから生まれていたのだ。

 

そうした環境が激変したのがこの頃から。

ホームビデオが一般に普及し始めたのはもう少し後だが、

アーティスト(とレコード会社)は

ミュージックビデオを頻繁に作るようになり、

それがテレビでバンバン流れるようになった。

音楽の「聴く」と「観る」の比重はほぼ半々になった。

 

「ラジオスターの悲劇」も皮肉にも、というか、

なかば戦略的にビデオ化された。

いかにもミュージックビデオ初期の映像でござるという

チープさが目立つが、それが今となっては

却って味になっていて、とても楽しめる。

レトロでコミカルなSF仕立てになっていて、

曲の内容と雰囲気をうまくビジュアル化していると思う。

 

バグルスの活動期間は短かったが、

この曲が入っている1980年発売のアルバム

「The Age of Plastic」

(邦題はこの曲と同じ「ラジオスターの悲劇」)は

プログレポップな曲がいっぱい入っていて、

現代よりもなんだか未来っぽくて面白い。

 

日本ではYMOに代表されるように、

1980年代の始まりは、

明るてちょっとオモチャっぽい未来と

ダークな世紀末がいっしょにやって来たような時代だった。

「21世紀」という言葉にも

まだワクワクするような熱い思いが感じられた。

 

でもラジオがビデオに殺されてしまうようなことは

なかった。

ラジオスターも生き残り、また僕たちに語りかけ、

素敵な音楽を届けてくれる。

 


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井上ひさしと笑いについて

 

図書館でふと井上ひさしさんと目が合ったので、

久しぶりに読んでみた。

 

最も大作家らしくない大作家・井上ひさし。

中高生の頃に最もよく読んだ作家である。

小説も戯曲も面白かった。

「青葉繁れる」「モッキンポット師の後始末」などで笑い、

「四十一番の少年」で泣いた。

 

高校演劇で「11匹のねこ」をやったが、

ラストは本当に衝撃的で、

1970代後半の演劇をやっていた高校生らに

甚大なトラウマを残した。

 

僕がやったのは、出世した仲間たちにうとまれ、

最期まで変わらずノラネコであり続ける

のんだくれのネコの役だった。

 

あの人生観はその後、45年ほど生きてみて

現実のものとして味わっている。

 

この「ふかいことをおもしろく」は、

NHKがやった「100年インタビュー」を

本にしたものだが、薄いし字も大きいのですぐに読める。

けれども中身は濃厚だ。

 

ひどく心に刺さったのが、15番目の章の「笑いとは何か」。

三谷幸喜が台頭する前、

井上ひさしは喜劇作家の第一人者だった。

 

以下、一部抜粋。

 

苦しみや悲しみ、恐怖や不安というのは、

人間がそもそも生まれ持っているものです。

人間は、生まれてから死へ向かって進んでいきます。

それが生きるということです。

途中に別れがあり、ささやかな喜びもありますが、

結局は病気で死ぬか、

長生きしても結局は老衰で死んでいくことが決まっています。

この「生きていく」そのものの中に、

苦しみや悲しみなどがぜんぶ詰まっているのですが、

「笑い」は入っていないのです。

なぜなら、笑いとは、人間が作るしかないものだからです。

それは、一人ではできません。

そして、人と関わってお互いに共有しないと

意味がないものでもあります。

 

久しぶりに笑いについて考えさせられた。

 

世の中も全体に笑いは低調なように感じる。

正直、いま、テレビやインターネットで

笑いを売り物にしているものは

本当に笑えて、面白くて、感心できるものはごく少ない。

なんだかとても底が浅いのだ。

浅瀬でチャプチャプ

お笑いごっこをやっているような印象がある。

 

むしろいっしょにいるカミさんや義母のほうが

笑わせてくれる。

 

僕もできるだけ自分が書くものは、

どこかでちょっとは笑えるように、

と思って工夫しているつもりだが、

どうもここのところ、あんまりうまくいってない。

また井上さんの小説や芝居を読もうと思う。

 


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新刊本日発売「てるてる男とふれふれ女」

 

いつも天気のことを気にして生きてきた二人だが、

その時だけは違った。

若くて健康だったので直観が働いたのだ。

もしかしたら傷つくことになるかもしれないなんて

露とも考えず、まっすぐに思いをぶつけ合った。

大きな街の中心にニョキニョキと立つ高いビル。

その谷間にある丸い広場の片隅。

夕闇が辺りを包んでいた。

「好きだ」と男は言った。

「あたしも」と女は言った。

とても純粋な恋だった。

問題はただ一つ。

男は晴れ男で、女は雨女であること。

星のめぐりが最高な運命のデートの日は晴れるのか、

どしゃ降りになるのか。

はたまた間を取ってくもりになるのか。

女は耐えきれない思いを抱いて、男に長い手紙を書いた。

恋と結婚と幸福と人生の行く末を描く、

おかしくてセンチメンタルな短編小説。

 


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安西水丸「青の時代」のシュールな詩情

 

僕にとって安西水丸といえば、

1980年代の村上春樹のエッセイ集

「村上朝日堂」などのイラストでなじみがある。

 

いわゆるヘタウマっぽい、とてもシンプルで

ちょっとトボけた味のある絵で好きだった。

2014年に亡くなったのを聞いた時は、

もうあの絵が見られないことにけっこうがっかりした。

 

じつは安西水丸氏はイラストだけでなく、

小説やエッセイストを書いたり、

デザイナーであり、絵本作家でもあった才人である。

 

これは彼が30代の時に

1970年代の伝説の漫画雑誌『ガロ』で発表したマンガ。

というか、絵物語とかアートに近い。

 

舞台はおもに彼が少年時代を過ごした

千葉県房総半島の海辺の町。

 

時代はもちろん昭和なのだが、

どこか時間を超越した異郷のような風景が、

独特のシンプルな線の絵で描かれており、

どこか寺山修司の世界と共通するシュールさがある。

 

奇妙な顔をした、

おそらく作者自身をモチーフにした少年と、

それを取り巻くエロチックで、

陰と哀しみをたたえた女たち。

怖ろしいほどの引力を持った詩情あふれる世界。

 

改めて安西水丸の才能に圧倒され、

何度も読み返してしまう。

 

最後に収録されている「二十面相の墓」は

作家・嵐山光三郎の小説を漫画化したもの。

 

発行はCrevisという会社で、

1980年に青林堂から出された同タイトルの復刻版である。

 

娘である安西カオリ氏が序文を、

嵐山光三郎氏が解説。

同作に関する水丸氏の1994年の

インタビューも収録されている。

 


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おとなも楽しい少年少女小説新刊 「てるてる男とふれふれ女」

 

晴れ男と雨女がちょっと不安定な恋をした。

だいじょうぶ、人生に完璧はあり得ない。

結婚するかどうかを決める運命のデートの日は

曇でオッケーという男。

そして女は男に長い手紙を書いた。

お天気を左右する二人の運命の軌跡を描く短編小説。

6月1日発売予定。

 


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週末の懐メロ84:さよならレイニーステーション/上田知華+KARYOBIN

 

1980年リリース。

昭和の時代、列車は人生の旅路を表すモチーフであり、

駅はそれぞれのドラマが交錯する舞台だった。

だから駅を題材に別れや旅立ちを描いた歌が

たくさんあった。

この曲もその一つで、いわば「なごり雪」の雨バージョン。

 

けれども素晴らしく新鮮だった。

 

フォークでも歌謡曲でもない、

クラシックを基調としたポップス。

いや、ポップスの姿をしたクラシック。

 

こんなユニークな音楽を創っていたのは、

昔も今も、そして世界中を見渡しても、

上田知華+KARYOBIN(カリョービン)だけだ。

 

グループの中心・上田知華は、東京音楽大学在学中に、

みずからのピアノとヴォーカルに

弦楽四重奏(ヴァイオリン×2、チェロ、ビオラ)を

組み合わせた

ピアノクインテットを結成し、1978年デビュー。

 

KARYOBIN(カリョービン)は「迦陵頻伽」。

仏典における上半身が人で下半身が鳥、

美しい声で歌うとされる想像上の生物。

西洋のセイレーンや人魚に似ている。

 

4年間に通算6枚のアルバムをリリースし、

クラシックの技術・表現力を基盤にした、

数多の優れた楽曲(すべて上田のオリジナル)

を生み出した。

 

特に当時の人気イラストレーター・山口はるみが

ジャケットデザインを担当した

3~5枚目のアルバムの充実度は抜群で、

「パープルモンスーン」や「秋色化粧」は

コマーシャルソングとして使われ、ヒットした。

 

「さよならレイニーステーション」は、

3枚目のアルバムのラストナンバーで、

ライブのラスト、アンコールとしても

よく演奏されたようだ。

 

数秒で涙腺が緩むようなイントロのストリングス。

美しく品格があり、

それでいて親しみやすいメロディライン。

のびやかで繊細な歌唱、

胸の奥深くに余韻を残す五重奏の劇的なエンディング。

このグループの魅力を凝縮した代表曲である。

 

KARYOBINでの活動と作曲力が高く評価された上田知華は、

この頃から松田聖子らアイドル歌手に

数多くの楽曲を提供していた。

 

この曲も当時のアイドル・倉田まり子が歌っていたが、

表現力と音楽の品格の面で

オリジナルははるかに上回っている。

 

上田はグループ解散後、

ソロアーティスト・作曲家として活動。

テレビドラマの主題歌になった今井美樹の

「PIECE OF MY WISH」がミリオンセラーになった。

 

ひとり暮らしを始めた頃、

プログレやテクノやニューウェーブを聴く一方で、

清涼な湧き水のような潤いを与えてくれた

KARYOBINのレコードは、

不安定な心を癒し、

人生の一時期を支えてくれた。

 

あれから40年あまりの月日が流れた。

 

知らなかったが、コロナ前の2018年、

KARYOBIN40周年の復刻盤CDBOXが発売され、

記念のコンサートも開かれたという。

 

しかしその後、上田知華さんは病に倒れた。

ちょうど1ヵ月前の4月27日、訃報が公にされ、

半年前、昨年(2021年)の9月に

亡くなっていたことが伝えられた。

 

音楽人生をやり遂げたのだろうか。

才能をすべて出しきっての終わりだったのだろうか。

そう信じたい。

 

たくさんの美しい曲をありがとう。

心からご冥福をお祈りします。

 

さよならレイニーステーション

きみを忘れはしない。

 


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ポップにアートに生と死を考える「END展」

 

話題にするには気が重い。

出来れば避けて通りたい。

先送りしてしまいたい。

けれども誰ひとり逃れることのできない「死」。

 

そのドーンと暗いテーマと、

芸術的・学術的かつポップなノリで

向き合ってみようという「END展」。

 

今日は会場である二子玉川ライズのスタジオまで

メディア向けの内覧会に行ってきた。

 

率直な感想は、めっちゃ面白い!

 

エンタメでありながらアート。

気軽でありながら、深淵。

老若男女問わず、すべての世代が親しめる

偉大な日本のマンガ文化を活かし、

見る者の思考とイメージを刺激する、斬新な企画だ。

 

会場は「魂のゆくえ」「終わりの選び方」

「死者とわたし」「老いること生きること」

といったパートにわかれ、

それぞれ天才バカボン、怪獣の子供、コジコジ、

ゴールデンカムイ、トーマの心臓、リバーズエッジ、

AKIRA、寄生獣など、

名作マンガの名場面・名ゼリフなどが各テーマを表現する。

 

その他、

「あなたはもう一度、自分に生まれ変わりたいですか?」

「あなたはご遺体を食べられますか?」など、

刺激的な問いかけに思わず引き込まれてしまう。

 

ただ見て回るだけでなく、積極的に自分で入り込み、

人生を考える、参加・体験型の展示会である。

 

事前予約制なのでどういった人たちが

来場予定なのか聞いてみたら、

シニア層だけでなく、まだ死から遠いはずの

10代・20代も多いという。

 

日本人の死・老後に対する概念、

人生全体のイメージが大きく変わろうとしている。

 

予約は必要だが無料。

自分の人生を見つめ直したいという人にも、

単位に野次馬精神旺盛な人にも超おすすめ。

 

6月8日(水)まで開催中。

 


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インタビューの音声起こしはいつもしっちゃかめっちゃか

 

仕事でインタビューの音声起こしをよくする。

 

短い記事だと、取材時の印象・記憶をメインにして、

録音は適当にざっと聞き飛ばして書いてしまえるのだが、

ある程度のボリュームがあるとそういうわけにもいかず、

まず基本的に話している内容を

そのままタイプして文字に、文章にしていく。

 

特に本を作る時は必須作業になる。

時間が掛かり、骨が折れる、かなりしんどい作業である。

 

最近は自動音声起こしのアプリ・ソフトが出回っていて、

ざっとした内容を自動で文字にしてくれるのだが、

それですごく楽になるかというと、

正直、そうでもない。

かえって自分で手作業でやったほうが

捗る場合が往々にある。

 

もちろん、一つにはそのアプリ・ソフトの性能がある。

有料のものは精度が高く、無料は低い。

でも有料だって完璧ではないので、

結局、五十歩百歩だったりする。

 

たぶん、みんながアナウンサーみたいな喋り方で

ゆっくりめに話してくれれば、

かなり精度の高い起こし文になるんだろうが、

そんなふうに話せ、と相手に要求できるわけがない。

 

何と言っても話しているのは人間なので、

声の大きさも高さも違うし、

喋り方のクセも千差万別。

言い間違いも起こる。

やたらと倒置法を多用する人もいる。

感情が乗ってくれば早口にもなるし、

活舌の良しあしだってある。

 

結果、自動音声起こし機が打ち出す文章は

かなりしっちゃかめっちゃかになる。

 

読んでも、ここは何て言ってるんだろう?

本当にこんなこと言ってたっけ?

ということだらけで、

結局、自分で聴き直して書き直さないとわからない。

 

また、僕のやるインタビューの音声起こしは、

かなり相手の内面に入っていくことを必要とされるので、

ちゃんと録音を聴き直しながら手入力することで

言外の意図・感情が読み取れ、

どんな狙いで彼・彼女がこういうことを話しているのか、

発見できることもあって面白い。

 

ただ、淡々とした会議の議事録とか報告会みたいなものなら

自動音声起こしは機は効力を発揮すると思う。

あとは分量の問題。

この分野の機械化は結構難しい。

 


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メタバースで永遠に生きる

 

コロナ禍の今では考えられないほど、

華やかで感動的だった西城秀樹さんの葬儀から4年が経つ。

 

僕は特別な思いなどなく、

たまたま仕事で青山葬儀所へ出向いたのだが、

全国から集まった1万人を超える

ファンの思念みたいなものが

広い葬儀場に渦巻いていて、本当に圧倒された。

 

葬儀も最初から最後まで素晴らしいものだった。

ご家族の協力と関係者の努力の賜物だろう。

 

最近、好きだったミュージシャンの訃報を知り、

数日、気分がすぐれなかった。

もちろん友人・知人でもなく、

ただ昔、よくレコードを聴いていただけなのだが、

けっこうな喪失感に襲われた。

 

あの時、わざわざ地方から電車に乗って、

自分のダンナまで付き合わせて

集まって来た人たちの気持ちがよくわかる。

 

ちょっと前に「ヴィーズ・プリズマ」という

メタバースのお墓の開発を行っている会社を取材したが、

数年前からインターネット上では

亡くなったスター、アイドル、ミュージシャンなどを偲ぶ

コミュニュティをよく見かけるようになった。

 

西城さんについてのコミュニュティも複数あるようで、

生前の映像を見たり、音源を聴いたりして

ファンになったいう人も珍しくない。

 

メタバースに何らかの墓碑があって

想いを共有する人たちが

いつでもそこにアクセスできるのであれば、

亡きスターは永遠に生きることになるのだろう。

もうそういう時代になっている。

 


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「世界カメの日」に考える  なぜ浦島太郎はリスクを負ってカメを助けたのか?

 

「浦島太郎」のお話の始まりは、

太郎が浜辺でカメが子どもたちに

いじめられているのを助けるところから始まる。

 

勝手に解釈すると、イジメてたわけではなくて

捕まえて殺して食おうとしていたのだと思う。

昔はウミガメを捕まえて食うことなんて

海辺の村では日常茶飯事で、

この子どもたちも親たちから

「今夜のめしはカメ鍋にするから捕まえてこい」と

指図されたのだろう。

ひと家庭では食べきれないので、

村でパーティでもやる予定だったのかも知れない。

 

このカメは産卵するため浜辺に上がってきたところを

狙われたのだ。

これでは逃げようがない。

海辺の村人にとっては年に数少ない、

栄養満点のごちそうにありつく

絶好のチャンスだったのに違いない。

 

それを邪魔した浦島太郎は、子どもらのみならず、

ほとんど村全体を敵に回したと言っていいだろう。

そもそも彼はこの村の人間ではないのではないかと思える。

 

カメを助けるから動物愛護の精神に富んだ

いい人に思えるが、それは現代人の感覚で、

こんなことをしたら、子どもたちが親に言いつけて、

あとから村じゅうの人間から

袋叩きに逢うことは目に見えている。

 

結果的に彼はカメに竜宮城に連れて行ってもらい、

乙姫様と結婚して夢のような暮らしを送るので、

これだけの危険を冒したかいがあったということになる。

まさしくハイリスク・ハイリターン。

投資は大成功だ。

 

助けられるカメは、

現在では竜宮の使者ということになっているが、

一説では乙姫様が化けていたというものもある。

 

産卵しに上がってきたわけだからメス。

辻褄があっている。

ちなみにオスのウミガメが陸上に上がってくることは

ほとんどないようだ。

 

よく考えると、浦島太郎と乙姫様は

かなりミステリアスなキャラクターである。

夫婦だったのか?

愛人関係だったのか?

どうしてあっさり別れたのか?

玉手箱を持たせたのは乙姫の復讐だったのか?

太郎はじいさんになってどこへ行ったのか?

海が舞台ということもあり、

この物語には想像力を刺激される。

 

もしかしたら浦島太郎は

ちょっと過剰な動物愛護の精神を持った

現代のアメリカ人がタイムスリップしてきた

お話なのかもしれない。

 

今日、5月23日は「世界カメの日」。

カメに対する知識と敬意を高め、

カメの生存と繁栄のための

人類の行動を促すことを目的として、

2000年に米国カメ保護会によって制定された

記念日とのこと。

 

人新世(アントロポセン)という新たな地質学的時代、

カレンダーにはいつの間にか、

いろいろな動物の記念日が増えている。

「ナマケモノの日」とか

「ヤマアラシの日」なんてのもある。

 

急激に地球環境を変化さえてきた人類が、

単に保護するだけでなく、動物の声を聞き、

そこから新たな生き方を学ぼうとしているようにも思える。

 


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キラキラネームが踊る未来

 

昨夜、テレビのニュースを見ていたら

子どものキラキラネームについての話題をやっていた。

 

当て字にもほどがある。

個性的というより奇妙奇天烈。

マンガじゃないんだから。

宝塚じゃないんだから。

暴走族じゃないんだから。

なんて読めばいいのか、全然わからない。

今どきの若い親はアホやないか。

あんな名前を付けられた子供がかわいそう。etc・・・

 

非難ごうごうとまでは言わないけど、

上の世代からはネガティブに

とらえられがちなキラキラネーム。

 

でも親たちの話を聞くと、

そう悪くもない、アホでもない、

それなりに子どものことをあれこれ慮って

一見奇天烈な名前を考え出しているようだ。

 

いちばん感心したのは

「将来、セイが変わっても自分に違和感を持たないように」

という意見。

僕は最初、「姓」と勘違いしていて、

「ふーん、親が離婚して今の姓が変わっても

良い響きになるように、ということか」と思った。

じつは自分の息子にも、カミさんの姓になったとしても、

読んでも書いても問題ないように、ということは考えた。

 

しかし、僕は間違っていた。

そんなことは軽い問題だ。

そのお母さんの意図はもっとシリアスな、

その子の人生すべてに関わること。

 

彼女が言ったのは「姓」ではなく「性」。

つまりジェンダーの問題。

男の子として生まれてきたが女性になるかも。

女の子として生まれてきたが男性になるかも。

もし、その子が自分の意思でそう生きると決めたら——

ということまで想定して名前を付けたという。

 

目からウロコがペロッと落ちた。

子どもの名前を考えることは、

この先の時代、その子たちがいおとなになる社会の環境に

思いを巡らせること。

いまどきの若い親は、

劇的に変貌するかもしれない未来を見つめて、

これまでの常識や慣習にとらわれることなく、

思考のネットワークを広げているのだ。

 

当のキラキラネームの子どもたちも、

「お父さんやお母さんが一生懸命に

考えてつけてくれた名前だから好き」

と屈託ない。

 

なんていい子たち、なんてよい親子なんだ!

今までキラキラネームを

ちょっと馬鹿にしていたことを猛烈に反省した。

そして、上の世代は過去のことに拘泥していてはいけない

と改めて思い知らされた。

未来はどうなっていくのか、ちょっとまた楽しみになった。

 


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週末の懐メロ83:チャイルド・イン・タイム/ディープ・パープル

 

1970年リリース。

アルバム「ディープ・パープル・イン・ロック」の挿入歌。

今年発売50周年を迎えた名盤

「ライブ・イン・ジャパン」(1972年)においても

ハイライトナンバーだった。

 

ディープ・パープルは僕にとって、

ほぼ初めてのロック体験だった。

もちろん、その前にもビートルズの曲などは

聴いていたのだが、

当時のロック小僧たちの感覚では

ビートルズはロックではなく、ポップスの範疇であり、

女・子供が聴くものとされていた。

 

酒やタバコをやらないのは男じゃない。

それと同じでロックを聴かなきゃ男じゃない。

1970年代前半、まだ昭和40年代の

日本の地方都市の中学生の間では、

そんなめちゃくちゃな理屈がまかり取っていた。

 

そんなわけで僕は先輩の家で

神聖なる教示を受けるかのように

ディープ・パープルのレコードを何枚も聴かされた。

 

正直、最初は「なんじゃこのうるさい音楽は!」と思った。

しかし、まさしく酒やタバコと同じで

何度か聴くうちに大好きになった。

見事な洗脳である。

 

1枚目のアルバム「ハッシュ」から

ギターのリッチー・ブラックモアが抜けて

トミー・ボーリンに替わった

11枚目の「カム・テイスト・ザ・バンド」まで全部聴いた。

 

それほど好きだったディープ・パープル、

そして日本のロックファンの間でも

圧倒的な人気を誇ったディープ・パープルだが、

20歳を超える頃にはもうあまり聴かなくなり、

その後も最近までほとんど聴いてなかった。

 

同じ60~70年代のハードロック(ヘヴィメタ)でも、

レッド・ツェッペリンが若い世代にも聴き継がれて、

ますます名声を高めているのとは対照的に、

ここ10年ほどの間に、

ディープ・パープルの影は

ずいぶん薄くなったように感じる。

 

ロック史に残る大名盤、ライブアルバムの金字塔

とまで言われてきた「ライブ・イン・ジャパン」さえ、

その地位を落としつつあるのではないだろうか。

 

「ハイウェイスター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」

「ブラックナイト」などは、相変わらず名曲として

若いロッカーたちに演奏されているのだろうが、

今聴いて面白いかと言えば、そうでもない。

 

ただ、「チャイルド・イン・タイム」は別格だ。

第2期-ディープ・パープル黄金時代とされる

5人による演奏。

 

この時期のパープルナンバーの多くは、

ジョン・ロードのキーボードと

リッチー・ブラックモアのギターのせめぎ合いが

メインの聴きどころだが、

この曲では、イアン・ギランのヴォーカルのすごさが

際立っている。

 

ディープ・パープルの歌は

あまり中身のない歌詞が多く、

それが飽きられたり、

後年の評価がイマイチな要因になっているが、

この曲だけはやたら文学的だ。

 

♪愛しい子よ いつかお前にも見えてくるはずだ

何がよくて何が悪いのかの境界線が

見ろ 盲人の男が世界に向けて発砲する

銃弾が飛び交い 犠牲者が続出する

 

まるで現在のロシア・ウクライナ戦争を重ね合わせても

何ら違和感のない内容だ。

 

ここで歌われる「スイート・チャイルド」は、

兵士として戦場に立つ少年・若者を表している。

時代的に背景にベトナム戦争や

東西冷戦構造があったからだろう。

 

この時代のロックは、表立った反戦歌でなくても、

こうした戦争に抗う精神、世界の危機を憂える気持ち、

怒りや悲しみがモチーフになっているものが少なくない。

 

イアン・ギランもバンドを抜け、ソロになってからも

ずっとこの歌を大事に歌ってきた。

おそらく彼にとってはシンガーとして

最も誇りに出来る曲の一つだったのだろう。

 

終わったと思っていた冷戦・核戦争の危機は、

ただちょっとお休みしていただけで

ふたたびその姿を露わにした。

時代は巡るということか。

ディープ・パープルの黄金時代は懐かしいけど、

もうあの時代に戻りたいとは思わない。

 


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