松本隆+筒美京平の70年代の斬新な歌謡マジック。
太田裕美の代表曲と言えば「木綿のハンカチーフ」だが、
明るい爽やかさの裏に悲しみが潜むあちらの歌に比べ、
この「赤いハイヒール」は、
アンニュイでミステリアスな曲調。
ちょっと禍々しいブラックメルヘンの味付けもある。
僕はこっちの方が好きで、このレコードも持っていた。
1976年。高校2年の時である。
「木綿」と同様、男女のダイアローグで進むが、
冒頭、「ねえ、友だちなら聞いてくださる?」と
リスナーに語り掛けて歌の世界に誘い込むという、
のっけから松本隆のマジックが炸裂する。
今ならそう珍しくないかもしれないが、
当時、こんな曲はなかった。
白のイメージカラー、
都会に出た男の子×田舎にいる女の子。
赤のイメージカラー、
都会に出た女の子×田舎にいる男の子。
という設定の対比に留まらない。
「木綿」では人物やドラマの描写が
割とあいまいで抽象的だったのに対して、
こちらは、東京駅に着いた・
おさげでそばかすのある女の子・
ハイヒール買った・お国訛りを笑われた(らしい)・
タイプライター打つ仕事をやってるなど、
主人公の状況がかなり具体的に描かれている。
このあたり、ただのアンサーソング・二番煎じとは
絶対に言わせない。
「木綿」よりもいい曲にする・面白くするという、
松本+筒美の情熱とプライドを感じる。
そして何よりもその根底に太田裕美への愛情を感じる。
「松本隆のことばの力」(藤田久美子インタビュー・編/インターナショナル新書)によると、
当時、すでに大御所作曲家だった筒美京平は、
既にスターになった歌手にほとんど関心を示さず、
自分の曲で新人を育て上げたいという
強い思いを持っていたという。
太田裕美はその筒美が目を付けた宝石だった。
そこで売り出し中の作詞家だった松本隆に声をかけて、
太田裕美のためにコンビを組んだ。
その第1弾「木綿のハンカチーフ」が大ヒットしたのだが、
一発屋で終わらせない、
彼女を後世まで残る歌手にするのだ、
と気合を込めて作ったのが、この「赤いハイヒール」
だったのではないかと思う。
とにかく詞も曲も編曲も凝りまくっているが、
それをここまで可憐に、軽やかに、
それでいながら心に沁みるように歌えるのは、
昔も今もやっぱり太田裕美しかいない。
——聴く者にそう思わせるだけのものがある。
ちなみに「おとぎ話の人魚姫は死ぬまで踊る赤い靴」
という一節は、松本隆の創作である。
「赤い靴」は美しい少女が、美しさゆえに傲慢になり、
病気の親を見捨てて、強欲に快楽を求めたがために
呪いの赤い靴を履いて死ぬまで踊ることになる。
そして、その呪いを解くために
首切り役人に頼んで両足を切断するという、
子供に読んであげたらトラウマになること必至の
衝撃的な展開の物語だ。
同じアンデルセンの童話だが「人魚姫」とは
別々の話である。
それも含めて松本隆の数多い作品の中でも
「赤いハイヒール」は屈指のドラマ性と
独特のイメージを持った世界観を作っている。
もちろん、この令和の感覚からすれば、
ツッコミどころ満載の歌詞なのだが、
これぞ懐メロ、これぞレトロ昭和ワールド。
まだ1970年代(昭和50年代)は、
今では考えられないくらい
東京と地方とでは情報格差があった。
地方出身者にとって、
東京はほとんど異国と言ってもよいくらいだったのだ。
それもとっておきの、ピカピカの。
僕は名古屋の出身で、名古屋は当時、
日本で4番目に人口の多い都会なのだが、
それでも東京に行って暮らす、というと
ただそれだけで周囲から羨望の目で見られた。
ウソのようだが、ホントの話だ。
今でもこの季節になると、
東京に出てきて演劇学校に入った頃のことを思い出す。
そして、演劇や音楽にうつつを抜かした
東京暮らしを良い思い出にして、
田舎に帰って行った多くの仲間のことも。
元気にまだ生きているだろうか?と無責任に考えるが、
そんな自分は、結局、呪いの赤い靴を履いたまま、
どこにも帰らず、だらだら東京暮らしを続けている。
たぶん、死ぬまで呪いが解けることはない。
内田也哉子と中野信子の対談本。
カミさんが図書館で借りてきたのを
借りて読んだら、めっちゃ面白かった。
内田也哉子はご存じ、樹木希林と内田裕也の娘。
中野信子は頭脳キレまくりの脳科学者。
日本人の女として、かなりイレギュラーな
家庭・家族の間で育った二人のトークは軽妙で、
家族論を中心に、人生論・幸福論へ広がっていく。
要約すれば、日本の伝統的家族像は、
たかがこの150年余りで作られたもの。
それぞれ違ってていいんだ、
というダイバーシティな話をしているのだが、
二人の家族経験・キャラと相まって、
笑えて面白く、とても感動的だった。
この本では婚姻関係と生殖・子育て・家族の構築は別物
という大きなテーマが語られている。
中野信子が
「アホウドリの3分の1のカップルはレズビアン」
という話をするのだが、そういえば数年前に、
テレビのドキュメンタリーで、レズビアンのカップルが、
「精子バンクで精子を買って子供を産んで育てたい」と
話しているのを聞いて衝撃を受け、
「そうか・・・」と妙に感心した、というか、
男としてなかなか複雑な思いに駆られたのを思い出した。
また、読みながら、ふと樹木希林が晩年に出演した、
是枝裕和監督の映画「万引き家族」が頭に浮かんできた。
いま、フランスで生まれる子どもは
過半数が婚外子だという。
そんな国の映画祭(カンヌ国際映画祭)で「万引き家族」が
大きな共感を呼び、グランプリ(2018年)を受賞したのは
何だかと絵も納得できる。
僕も大好きな映画でもう3回見ているが、
また見たくなった。
少子化問題が大変だと言っている日本もこの際、
婚姻関係にこだわらず、
フランス式のライフスタイルを受け入れればいいのに、
と思うのだが、
歴史・文化・自然環境などの条件の中で培ってきた
感性・考え方は、
そう簡単に外国に合わせるわけにはいかないようだ。
そのあたりも中野信子は言及している。
それにしても、
いつまでも昭和スタイルにこだわっていては、
経済も産業も、家族も人々の幸福感も、
どんどん損なわれていくのは明白である。
そんな、この先のこともいろいろ考えられる本なので、
ぜひ一度、読んでみてください。
今年の大河ドラマ「どうする家康」はどうやら、
「家康はいい人だったから天下を取れた」
という物語になりそうな気配だ。
もともと家康役が松潤なので、
初回のヘタレぶりから、
どうもそういう話になるんじゃ・・・
という気配はしていたが、
昨日の「氏真」の回でそれを確信した。
どういう話だったかは、
ネットであらすじを読むか、
NHKプラスを見るか、
今度の土曜の再放送を見るかしてほしいが、
とにかく家康は、追い詰めた今川氏真(溝端淳平)を
殺せず、助けてしまう、情に厚い“いい人”。
しかも氏真の奥さんがこれまた、夫思いのとてもいい人。
さらに、とっくの昔に出番が終わってたはずの
今川義元が回想シーンでよみがえり、
感動的なお父さんぶりを見せる。
野村萬斎をキャスティングしておいて、
あれで終わりかいと思っていたが、
最後(死んだ後だけど)にちゃんと見せ場を残して、
スポットライトを浴びせてくれた。
そんなわけで、友愛、夫婦愛、親子愛の
人情ドラマ3連荘で、泣かせるわ、泣かせるわ。
この後、今川氏真は、
戦国武将としては表舞台から退場するが、
家康の手引きで北条氏の領土に逃げて生き延び、
文化人となって、のちに密かに家康に影響を及ぼす。
いちおうそうした史実も踏まえてドラマ化している。
これまで今川親子なんて、
信長や信玄の引き立て役・滅ぼされた負け組として
ずさんな扱われ方しかされなかったが、
ここまで丁寧に人間的に描いたのは良かったと思う。
それにしても、昨年の「鎌倉殿」が陰謀・裏切り満載で
思いっきりブラック、そしてリアルだったのに対して、
こちらはまるで戦国ファンタジーかと思えるほどの
ホワイトぶり。
なにせファンタジーなので、阿部寛の武田信玄も、
岡田准一の織田信長も、ムロツヨシの豊臣秀吉も
ほとんどマンガの世界の人。
そして家康との対比で、
みんなとんでもない悪人どもに見える。
おそらくそういうのも狙いなのだろう。
もちろん、「幼稚」だの「大甘」だの
「戦国時代にこんなのあり得ねーだろ」という
手厳しい批評も飛び交っているが、
僕はこういう見方をしているので、けっこう面白い。
ナレーションでも「神の君」なんて言ってるが、
江戸時代には徳川家康は神さま扱いだった。
それが、250年後に明治政府として
権力を取り返した長州組などが
「幕府の元祖の家康は大悪人だった」と言って
ブラックタヌキのイメージを人びとに植え付けた、
とう説がある。
正義も悪も、歴史も人物像も、その時代の風向きによって
くるくる変わってしまうものだ。
事実は一つだが、真実は人の数だけある。
いま、時代は「いい人」の味方である。
かつて蔑まれていた「いい人」が持て囃される。
最後にはいい人が勝つ・笑う。
「どうする家康」は、そんな時代の空気を吸っている。
ブラック鎌倉殿は完成度が高く、
ラストも衝撃的だったが、
あれはちと悲惨過ぎた。
やっぱり同じようなものを続けざまに見せてはいけない。
少なくとも今年のこのドラマでは
ハッピーエンドになってほしい。
たとえそれがリアリティに欠けた、
ホワイトファンタジーであっても。
これから戦国時代の大波が押し寄せ、
いろいろな修羅場を潜り抜けねばならないが、
松潤家康は間違ってもダークサイドに落ちて
キャラ変などせず、
いい人のまま、白うさぎ君のままでがんばってほしい。
昨日は久しぶりに義母を美容院に連れて行った。
いつもカミさんが連れていくという行きつけのところ。
ここのおばちゃん、腕は大したことないが、
高齢者の扱いはうまく、
髪もきれいになってすっかり気分がよくなった。
問題はその後。
お昼を外食にしたが、
たまにはいいかと洋食専門のカフェへ。
オムライスならよかろうと思って注文したところ、
上にのっていたデミグラソースがお気に召さず、
せっかくご機嫌だったのが、めっちゃ不機嫌に。
あんまり洋食は好きではないのだが、
家では素直に食べるのでつい油断してしまったのだ。
この人はへそを曲げるとけっこうガンコで、
いつもなら喜んで食べるデザートにも
「いらない!」と手をつけない。
しかたなく、そそくさとカネを払って外に。
二度と洋食屋には連れていくべからず。
痛い教訓を得た。
しかし出たとたん、デミグラオムライスの記憶を忘れ、
それまでの不機嫌だった記憶を忘れて、
なぜか美容院から出てきたときの笑顔に戻っている。
こういう時、認知症は便利でありがたい?
帰った後、いつもの安い菓子パンをあげたら大喜び。
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エリック・クラプトンの代表曲になっている
「いとしのレイラ」。
じつは1970年に発表された
デレク&ザ・ドミノスのアルバムに収録されたものが
オリジナルバージョン。
ヤードバーズ、クリーム、ブラインド・フェイスなど、
60年代の歴史的バンドで活躍し、
この頃、すでに稀代の名ギタリストの地位を確立していた
クラプトンは、もちろんこの新しいバンドの
リードギタリストだった。
僕は中学生の時、ラジオでが初めてこの曲を聴いた。
その前に音楽雑誌で評判は聞いていた。
当時、これほどもてはやされていた曲も珍しい。
クラプトンと言えばレイラ。
とにかくレイラがすごい、レイラ大好き、レイラ最高!
彼はすでにソロ活動に入っていたが、
ライブをやってもみんながこれを聴きたがるものだから、
新しい曲がやりにくい、
といったエピソードがあふれていた。
で、そんなにすごい曲なのかと思って聴いたが、
正直なところ、「そんなかなぁ」と思ってしまった。
その頃はハードロックやプログレに狂っていたので、
この曲があんまりすごいとか、カッコいいとか、
面白いとか思わなかったんだよね。
その印象が一変したのが、高校生の時。
同じくラジオで流れてきたレイラに鳥肌が立ち、
しびれまくった。
いったい何が違っていたのか?
最初に聴いたのは前半3分のみ、
おなじみクラプトンのギターが炸裂する
シングルバージョン。
そして2回目はその続きがあるフルバージョンだったのだ。
聴けばわかるが、レイラは二つのパートで成り立っていて、
後半はピアノを中心とした
インストゥルメンタルパートになっている。
3分を過ぎてギターが鳴りやんだところに、
やさしくピアノが入ってきて、
そこにまたギターが絡み合って、
まるで違う曲のように美しく流れていく。
これぞ本物の「いとしのレイラ」だ。
いわば迸る恋の情熱・激情と、
それが成就したあとの愛が満ち溢れる世界。
この前半と後半の対比が
めっちゃドラマチックで素晴らしく、
両パート合わせてこその名曲なのである。
それから半世紀、この曲はクラプトンのライブで
欠かせないレパートリーとなり、
最近は彼の齢に合わせて
渋いアコースティックバージョンになっている。
が、演奏されるのはやっぱり前半部分ばかり。
だから「レイラ」と言っても、中学生時代の僕と同様、
曲の半分しか知らない人が多いのではないだろうか?
そんな人はぜひ、デレク&ザ・ドミノスの
フルバージョンを聴いて、イメージを一新してほしい。
ところでこのバンド名、
僕はずっとデレクさんとドミノスさんという人が
メンバーにいるのかなと思っていたが、そうではなく、
もともと「ダイナミックス」という名前だったのを
テレビ番組の司会者が紹介する時、
「デレク&ザ・ドミノス」と言い間違えたのだという。
メンバーの一人である
ボビー・ウィットロックの証言なので、
本当のことらしいが、え~、ホント? と思ってしまう。
ロックの世界は、ジョークやいい加減な話が
まことしやかに伝説化されてしまっていることが多い。
まぁ、今さらどうでもいいことだけど。
ちなみにこのアルバムジャッケットも
ロック史に残る名作で、
まさしくレイラが描かれていると思う。
泣いて歌って踊るガーナのエンタメ葬、
ハロウィーンの原型となり、
ディズニー映画のモチーフにもなったメキシコの死者の日、
チベット仏教に基づくブータンの鳥葬など、
世界の葬儀・供養を紹介・考察。
雑誌に連載し、電子書籍として発行している
「世界のEnding Watch」が、
このたび装いも新たに、某サイトの連載記事になります。
もちろん完全リニューアルの新作コラムとして、
前作とは違った構成・展開に。
公開の際にはまたお知らせします。
お彼岸の花という感じではないが、
行きつけの花屋でアネモネが目に留まり買った。
茎の歪み具合など、何となくサイケなイメージがあって、
クリムトかエゴンシーレの絵画に
あったような気がしていたが、
アネモネを好んで描いたのは、印象派のルノワールだった。
僕にとってアネモネというと思い起こすのが、
村上龍の小説「コインロッカーベイビーズ」だ。
この物語のヒロインの名がアネモネだった。
20歳の頃にのめり込むように読んだ。
その割に内容を覚えてないのだが、
文体と物語全体のロックなノリが斬新で、
当時、村上春樹と「新しい小説」の双璧を築いていた。
当然、影響力の大きな作品だったので、
ネット上にいくつも書評や紹介文も載っているが、
どれを読んでも何か違和感を感じる。
僕が読んだ「コインロッカーベイビーズ」は
こんな話だったっけか?
アネモネはこんな少女だったっけか? という感じ。
これだけ大量にいろいろなコンテンツが
あふれる世のなかではやむを得ないのだろうけど、
2,3分でわかった気になってしまう
こういうお手軽な解説は、
あんまり読んでは駄目だなと思ってしまう。
これはやはり再読するしかないだろう。
どんどん再読候補本が増える。
目が悪くなった60代としてはなかなか厳しい。
若者たちには、目のいいうちに
いっぱい本を読んでおくことをお薦めする。
外に出て人や自然と触れ合う方が薬を飲むより効果的。
というのは、べつに医学的根拠があるわけでなく、
僕の思い込みで、ほとんど宗教行為に近い。
実際、医者も最初の1年ほどを過ぎると、
薬はほとんど効果なく、単なる気休めだという。
子ども、犬、鳥、花・・・
いろいろリアルな情景がある。
ただ、たんに「この世界は美しい」
と感じてもらいたくて、
いつも義母を散歩に連れ出している。
今日はお花見日和。
川添いのソメイヨシノは三分咲きくらいのから
八分咲きくらいまで、木によってまちまちだが、
さすがに人出が多く賑やかだった。
心なしか、コロナ前よりお花見マナーが良くなった感じ。
みんなとても幸福そうだ。
桜はもちろんだが、他にも小さい目立たない草花から
大きな派手なのまでいろいろな花が咲いて、
まさしく春本番。
ピンクの椿の花も丸くてかわいい。
義母が落ちていたのをお持ち帰りするというので、
「それはここにあるからきれいなんだよ」というと、
橋のたもとにある少年像の掌の上に、
椿の花を持たせてあげた。
ちょっと感心して、
「どうして持たせてあげたの?」と訊くと、
「知らない。ただこうしたかったのよ」と、
大芸術家的リアクション。
理由などない。
ただ私の魂がこう動いたのだ、と言わんばかり。
でも後で写真を見せたら、
「なにこれ? 誰がこんなことしたの?」だと。
今日はいつになくいっぱい歩きました。
お疲れさま。
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1994年リリース。
クランベリーズは90年代に活躍した
アイルランドのバンド。
リードヴォーカルのドロレス・オリオーダンが
自分の子ども時代を振り返り、
家族への思いを歌い上げる。
家族への頌歌。
この美しい讃美歌について
オリオーダンは雑誌のインタビューで
いろいろ語っている。
彼女は僕より一回り年下の1972年生まれ。
10代の頃は反抗して両親を悲しませたが、
齢を取ると、いつか感謝する日がやってくるという。
自分の両親がいかに素晴らしく、自分の子ども時代が
いかに幸福だったかを知る時が来るとも。
彼女は7人きょうだいで育ったというが
7歳の時、家は火事で全焼。
ずいぶん辛い生活をしたのではないかと思うのだが、
記憶にあるのは美しい食卓、あたたかいベッド、
そして学校にきれいな服を来て行ったことだという。
また、こんなことも話している。
「私たちは物質主義がほとんどない状態で育った。
本当にスピリチュアルな子ども時代だったと思う」。
いつでも、どこでも、
子ども時代は多かれ少なかれスピリチュアルだと思うが、
もしかしたら現代ではそうとも言えないのかも。
美しい食卓、あたたかいベッド、きれいな服というのは、
けっして贅沢な衣食住に恵まれた
ということではないだろう。
価値の物差しはお金と物質ばかり。
心の隅々までそうしたものに
支配された環境の中で育つと、
どういう心情になるのか、ちょっと心配になる。
本当に大切なものは目に見えないので、
それが損なわれたこと・失われたことにさえ
気づかなくなってしまうのではないか。
けれども、そんな過去だって変えることはできる。
不幸な子ども時代を送ったという人もいるかと思うが、
それを乗り越えて、
今まで続いてきた自分に自信を持って、
幸福な未来を掴むために過去だって変えてやろう--
そんな心持ちで生きていこう。
週末の懐メロ 第1巻
デビッド・ボウイ/カーペンターズ/ビートルズ/ケイト・ブッシュ/ポリス/レッド・ツェッペリン/イエス/ミシェル・ポルナレフ/赤い鳥/イルカ/高橋洋子など、
#1~#28を収録。
21世紀ポップを語る珠玉の音楽エッセイ集。
「あなたのワンちゃんが今、ウンコしましたよ!」
とは言えなかった。
川沿いの遊歩道にワンちゃんをお散歩に連れて来た
おしゃれなヤングマダムは、
旦那か子どもかお友だちかわからないけど、
掛かってきた電話に夢中。
その足元でワンちゃん(小型犬)が
自分に注意が払われていないのを
これ幸いと思ったのかどうか、
よっしゃと言う感じで地面にお尻を落とした。
ときは春うらら。
舗装された遊歩道のわきの道には
みどりの草が萌え始めている。
その萌えた草の上にお尻を落として、
うーんとふんばってるのだ。
あの格好は、もしや!
川の向こうからその瞬間を目撃した僕は
思わず足をとめて見た。
遠目からも二本の後ろ足の筋肉に力が入り、
お尻の真ん中あたりが
小刻みにピクピク震えているがわかる。
出る。
僕がそう思ったとたん、
ワンちゃんのお尻から
むにゅっと茶色の物体が出てきたのが目に飛び込んだ。
しかし、飼い主さんは電話で喋っていて、
そんなことはつゆとも知らない。
ワンちゃんは「あー、すっきりした」と満足気。
からだが軽くなったのか、
気持ちよさそうにピョンピョン跳ね始める。
飼い主さんはちらりと
そんな彼(彼女かもしれない)に目をやったが、
その下にある落とし物には
まったく気が付かない。
電話はまだ終わらず、
何やら笑って喋りながら、
そのままハーネスのリードを引っ張って歩き出した。
僕の口からは思わず、タイトルのセリフが喉まで出かかった。
「あなたのワンちゃんが今・・・」
が、なにせ川を挟んだ向こう側で5,6mは離れている。
周りに聴こえるような大声で叫ばなくてはならない。
それを聞いた彼女の心に巻き起こる嵐のことをを想像すると、
とてもそんな勇気は出なかった。
そよ風が吹くおだやかな春の午後。
あの草の上の犬のウンコが、
お散歩やジョギング中の誰かに踏まれることなく、
無事、土に還ってくれるのを願うばかりである。
いたちのいのち
小学4年生の女の子カナコとペットのフェレット「イタチ」とのおかしてくちょっと切ない友情物語。フェレットの飼い主さんはもちろん、ワンちゃん・ネコちゃんの飼い主さんにも読んでほしい動物ファンタジー。
神ってるナマケモノ
イヌ、ネコ、カエル、ウーパールーパー、ナマケモノなど、楽しい動物、怖い動物、いろいろな動物と人間との関係について語る面白動物エッセイ集。
亀戸の住宅街のなかにできた不思議空間。
インテリアデザインは和モダンでありながら、
なにか未来空間・宇宙基地のようにも見える。
ここは昼間は運動特化型のデイサービス、
夜は整体院という二毛作。
5月のオープン目指して目下準備中で、
その過程をいろいろ取材させていただいている。
高齢者施設・街の整体院のイメージを打ち壊す
斬新でユニークなコンセプトに目を見張る。
しかも最後の仕上げとして、
これから某有名イラストレーターの
ファンタジックなイラストを壁に入れるという。
ラフ画を見せてもらったが、
そのイラストがはまった図を想像すると、
先日亡くなった松本零士さんの
「銀河鉄道999」か「宇宙戦艦ヤマト」みたいな
イメージを思い描いた。
ガラス張りで外から見えるので、
かなりのインパクトになるだろう。
現代日本のライフスタイル・消費社会の
基盤を作った団塊の世代が75歳を迎えている。
これからの高齢者は、今までの高齢者と違う。
そのニーズを踏まえてサービスの在り方を
考え抜いた社長のアイデアとセンスは、
ハードだけでなく、
様々な宣伝プラン・経営方針全体にまで反映されている。
地域おこしの役割も担う高齢者施設兼治療院。
とても面白いビジネスモデルになると思う。
僕は1980年代にロンドンの
ケンジントンヒルトンホテル内の
日本食のレストランで働いていた。
その頃はまだ日本食が「アドベンチャー」
と言われていた時代。
寿司とてんぷらとすき焼きを出しときゃ
OKみたいなところがあった。
が、もちろん現代はまったく状況が違う。
そこで今日はチャットGPTと
日本食文化の世界進出、および、
今、ロンドンに出店するなら・・
というテーマで対話した。
こういうテーマは、
チャットGPTの回答は相当レベルが高い。
長いけど、興味があったら読んでみてください。
ぼく:最近、日本の食文化は外国でどれくらい認知されているか教えてください。
AI:日本の食文化は、世界的に広く認知されており、多くの国で人気があります。 以下に、外国での日本食の認知度や人気の高い料理の例を挙げてみます。
1.寿司:寿司は、世界中で愛される日本の代表的な料理の一つです。 多くの国で、寿司レストランが存在し、日本の寿司がそのまま提供されたり、現地の食材を使用したバリエーションが提供されたりしています。
2.ラーメン:日本のラーメンは、アメリカやカナダ、ヨーロッパの大都市など、多くの海外の国で人気があります。では、現地の食材を使用して、日本の味に近づいたバージョンが提供されることもあります。
3.焼肉:日本の焼肉も、世界中で人気があります。
4.和食:日本の伝統的な和食も、世界中で注目を集めています。例えば、ミシュランガイドにも和食の店が掲載されていて、世界中から多くの人が訪れています。
5.抹茶:日本の抹茶は、健康に良いとされることから、世界中で人気があります。例えば、アメリカのスターバックスなどでも、抹茶ラテや抹茶フラペチーノが提供されています。
以上のように、日本の食文化は世界中で認知されており、多くの国で人気があります。 特に寿司やラーメンなどの人気が高い料理は、日本の味そのままを提供する店舗も多く、多く勝手が楽しんでいます。
ぼく:なぜ日本食は他国でもそんなに人気があるのでしょうか?
AI:日本食が他国でも人気がある理由には、いくつかの要因があります。
1.健康的でバランスの良い食事:日本食は、健康的で栄養バランスの良い食事として知られています。 日本食は、低脂肪で低カロリーなのに、タンパク質やビタミン、ミネラルが豊富に含まれているため、ダイエットや健康に気を遣う人々に人気があります。
2.繊細で美しい盛り付け:日本食は、繊細で美しい盛り付けが特徴的です。その美しさは、日本文化に根ざしたものであり、海外でも高い評価を受けています。
3.鮮度と質の高い食材:日本は、海に囲まれた島国であり、豊富な漁獲物や農産物があります。また、日本人は食材の鮮度にこだわる文化があるため、海外でも高品質な日本食材が求められています。
4.料理の多様性:日本食は、寿司やラーメンなど有名な料理だけでなく、和食やおばんざい、お好み焼きなど多様な料理があります。 そのため、さまざまな好みや食文化に合わせた料理が提供されることもあり、堅実な人々に愛されています。
以上のように、日本食が他国でも人気がある理由には、健康的でバランスの良い食事や美しい盛り付け、高品質な食材、多様な料理などが挙げられます。するために、日本食を求める外国人旅行者も多いため、その必要も日本食の人気につながっています。
ぼく:日本人はどうやってこの食文化を発展させたのでしょうか?
AI:日本の食文化が発展してきた背景には、以下のような要素があります。
1.地域の気候や風土に合わせた食材の利用:日本は四季がはっきりしており、各地域にそれぞれ異なる気候や風土があります。そのため、地域に応じた食材を活用した料理が発展しました。北海道では魚介類やジャガイモが豊富で、そばや餡かけご飯などの料理が根付いています。 一方、沖縄では熱帯性の果物や野菜が利用され、ゴーヤチャンプルーや沖縄そばなどの料理が発展しました。
2.季節感や美意識を取り入れた盛り付け:日本食の盛り付けは、季節感や美意識を取り入れた独特の美しさがあります。発展しました。
3.宗教や儒教などの思想的背景:日本には、仏教や神道、儒教などの宗教や思想が根付いており、その影響も日本食文化に大きく反映されています。が広まったり、儒教の影響を受けて食事の作法やマナーが重んじられるようになったりしました。
4.科学技術の発展による食品加工技術の進歩:以降、日本の食品加工技術は進歩し、多様な食品が肥大化しました。海産物などが代表的な例です。
以上のように、日本の食文化が発展してきた背景には、地域の気候や風土、季節感や美意識、宗教や思想的背景、科学技術の発展による食品加工技術の進歩などの要素が進んでいます。また、日本人が食文化を大切にし、受け継がれたことも発展御要因になっています。
ぼく:現在、海外市場において日本食の市場規模はいくらぐらいになるかわかりますか?
AI:2021年に発表された調査によると、海外市場における日本食の市場規模は約4,000億円程度と推定されています。この数字は、2020年に比べて約10%増加したとされています。特に、アメリカ、中国、東南アジアなどの地域で需要が拡大しています。
ぼく:これから海外の都市に日本食のお店を出すとしたら、どこにどんな種類のお店を出すとビジネス成功の可能性が大きいでしょうか?
AI:海外において、どの都市や地域でどのような日本食のお店を出すとビジネス成功の可能性が高いかは、その地域の市場調査や構成人口、食文化などによって異なります。以下の点に注意することで、ビジネスの成功の可能性を高めることができます。
1.現地の必要に合わせたメニュー構成:日本食は多種多様な料理がありますが、海外で出店する場合は、現地の必要に合わせたメニュー構成を考える必要があります。いる食材を取り入れたメニューや、現地の味覚に合わせたアレンジを加えた料理などが好まれる傾向があります。
2.地域に合わせた店舗の設計:出店する地域の文化や風土に合わせた店舗の設計を行うことで、地元の人に親しみやすく、愛される店舗となる可能性が計算されます。
3.価格設定:現地の経済状況や消費者の結果水準に合わせた価格設定を行うことが重要です。ができます。
4.店舗の立地:交通の便が良くなり、多くの人が利用する場所に出店することが、ビジネスの成功のために重要です。欲求が高まる可能性があります。
5.品質・サービスの向上:品質の高い食材や調理技術を活かし、高品質な料理を提供することが大切です。また、現地の消費者に親切で丁寧なサービスを提供することで、リピート率を高めますことができます。
以上のように、出店する地域に合わせたメニュー構成や店舗の設計、価格設定、店舗の状況、品質・サービスの向上などがビジネスの成功にとって重要な要素となります。
ぼく:ロンドンのケンジントン地区に日本食の店を出店すとしたらどんな店がいいでしょうか?
AI:ロンドンのケンジントン地区は、高級住宅街やショッピングエリアが集まる地域であり、日本文化や日本食に対する需要が高い地域の一つです。 そこで、ケンジントン地区に日本食の店を出店する場合、以下のような店が良いでしょう。
1.高級感のある寿司店:ケンジントン地区は、高級住宅街やショッピングエリアが集まる地域であり、富裕層の方々が多く暮らしています。でしょう。
2.テイクアウト対応の日本食店:ケンジントン地区には、多くの観光客やビジネスマンがアクセスするため、テイクアウト対応の日本食店を出店することで、必要を拡大することができます。
3.カフェスタイルの日本食店:ロンドンには多くのカフェがあり、その中には日本のカフェ文化を取り入れた店舗もあります。ケンジントン地区には、このカフェが多いため、ようなカフェスタイルの日本食店を出店することで、必要を拡大することができます。
4.和食居酒屋:日本食に興味がある地元の方々や、ビジネスマン、観光客などが多く集まる地域に出店する場合、和食居酒屋を出店することができます。一緒に食事を楽しむことができるため、必要が見込めます。
5.ラーメン店:ロンドンには、多くのラーメン店があります。その中でも、日本のラーメン文化を取り入れた店舗が人気を集めています。ケンジントン地区にも、このようなラーメン店を出店することで、需要を拡大することができます。
以上のように、ケンジントン地区に日本食の店を出店する場合、地域の要望や傾向に合わせた店舗の種類を選ぶことが重要です。また、店舗の設計や価格設定、品質・サービスの向上などにも品質・サービスの向上などにも力を入れることが重要です。
例えば、ロンドンでは食材の調達が難しいため、輸入品を使う場合が多いです。 しかし、より新鮮な食材を使うことで、品質を高めるまた、日本食に興味がある地元の人にも申し込むために、英語メニューや英語対応のスタッフを揃えることも大切です。さらに、SNSや口コミなどを活用して、店舗の情報発信や顧客とのコミュニケーションを取ることも重要です。 これらの取り組みによって、より多くの顧客に愛される日本食店を作ることができます。
ぼく:回答ありがとうございます。
AI: よろしくお願いします。 何か他に質問がありましたら、遠慮なくお聞きください。
子どもの頃、マンガが好きで、
小学生まで暇があればマンガを描いていた。
しかしどうしてだか、
登場人物の顔がことごとく左向きになってしまっていた。
左向きの顔はすらすら描けるのだが、
右向きの顔がうまく描けないのである。
あとから知ったことだが、マンガにおいて
左向きは未来を見る顔、
先に進もうとする気持ちが現れた顔。
右向きは過去に向かう顔、
止まったり振り返ったりするサインだという。
「さあ行こうぜ」と言う時は左向き。
「ちょっと待てよ」と言う時は右向きというわけ。
これは日本のマンガが右から左へとページを
めくっていくことと関連している。
マンガ家自身にそういう生理感が身についており、
この右向き・左向きの心のベクトルが
一種の「マンガ文法」になっている。
これは映画も同じで、画面で左を向いたら未来を見ている、
右を向いたら過去を見ている表現だという。
欧米には日本のようなマンガ文化はないが、
映画の場合は、演劇の生理に基づいていると思われる。
登場人物が上手(観客から向かって右)から
下手(同・左)へ動く時は未来へ向かう、
逆の場合は過去に向かうというのが基本形。
これは人間の脳のメカニズムと関連しているのだと思う。
自分の話に戻すと、
子どもの頃は過去時間の分量が少なかったから
右向きの顔が描けなかったのだろうか?
けれども今でもちょっと落書きで人間を書くと、
手が覚えているのか、正面でないときは、
無意識に左向きの顔を描いている。
いずれにしてもこのマンガ文法・映画文法を意識して
マンガや映画を観ると面白い。
この100年~150年の間に、人間はずいぶんといろいろなものを手に入れ、生活を変えてきましたが、いちばん大きいのは、夜の世界を手に入れたということではないかと思います。
文明開化まで夜の世界の9割方は、江戸のような大都市と言えど、死と隣り合わせの妖怪・魑魅魍魎の世界。神様と妖怪が混在する日本では、人間がおいそれと足を踏み入れられない神々の世界だったとも言えます。
それをすっかり塗り替えた文明の光。いまや人間の活動時間は昼夜問いませんが、やはり夜の半分程度は未知と神秘の世界です。
そんな思いに駆られたのは、先日、雨上がりの夕方にお目にかかったヘビ。近所を自転車で走っていると、3メートルほど前の道路(裏道なので幅4~5メートル程度)をスルスルスルと横切ったのです。
その間、わずか1~2秒。向かって左側の家のどこかかから出てきて、右側の家のガレージのシャッターの隙間(たぶん)に入っていきました。もちろん、写真など撮っているスキはありません。
美しい蛇でした。ちょっと緑っぽい色をしていたので、たぶんアオダイショウでしょう。まだヤングな若青大将といったところでしょうか。近くに水(川)があることも関係しているのか、杉並区の住宅街もなかなかワイルドです。
ヘビが生息しているということは、当然、そのエサになるカエルやらネズミやらの小動物もいろいろこのあたりにいるということ。たまたま日の光のもとに現れましたが、普段は夜の世界で動物たちのいろいろなドラマが繰り広げられているのでしょう。
そうした別の世界がごく身近に人間の目に触れないところにある、人間が9割以上、跳梁跋扈している昼間世界と空間をシェアしている――そんなふうに想像すると、ちょっと怖いのと同時に、自然なもの、神秘的なものがちゃんと保たれているといった、なんだか妙な安心感を覚えるのです。
たぶん人間はそうしたアナザーワールドと完全に切り離されたら、生きていけないというか、頭がおかしくなってしまうのかもしれません。
それにしてもあの家の人はヘビが入ってきたことなんて、とんと気が付かないだろうな。「神様の使い」が来てくれた・・・と思ってくれればいいけど、やっぱり知らぬが仏でしょう。
2016・8・21 SUN
3・10 東京大空襲
3・11東日本大震災
いや、少し調べれば、365日、世界中で
何かしらの悲劇が刻まれている。
べつに今日・明日だけが特別なわけではないが、
日本人にとって意識せざるをない日になっていることは確か。
しかし、あんな悲劇があっても、
地球はずっと回り続けるし、
世の中は止まることなく進んでいく。
当たり前のことだが、
これは多くの人にとっては救いとなり、
あの時点に取り残されてしまった人にとっては
残酷な事実となる。
そんなことをぼんやり考えていたら、
「夜空ノムコウ」を口ずさんでいた。
特にエンディング近く。
あのころの未来に 僕らは立っているのかなぁ…
全てが思うほど うまくはいかないみたいだ
このままどこまでも 日々は続いていくのかなぁ…
雲のない星空が マドの向こうに続いている
あれからぼくたちは 何かを信じてこれたかなぁ…
夜空のむこうには もう明日が待っている
この曲は1998年にSMAPが歌って大ヒットした。
僕もSMAPの歌のなかでいちばん好きだ。
それにしても、つい最近の歌だと思っていたら、
リリースはなんと1998年!
もう四半世紀もむかし。20世紀のヒット曲。
この頃、僕はまだ30代だったのだ。
もともと恋の終わり、青春の終わりについて
歌ったものだと解釈されている。
SMAPの口あたりの良い甘い味付けだとそう聴こえるが、
詞を書いたスガ シカオのこのバージョンは、
思い切りビター、苦味を効かせた味付けで、
歌詞さえもまったく違うものに聴こえてくる。
そしてバックに響く打ち込み音と奇妙な電子ノイズ。
90年代風、世紀末風とでもいえばいいのか、
ひどく不気味で荒涼とした響きがある。
なんだか焼け野原になった東京の街や、
地震・津波・原発事故で失われた
あの被災地の風景を想起させる。
それでも日々は続いていく。
夜空のむこうには明日が待っているのだ。
スガ シカオがどんな意図でこの歌詞を書いたのか、
25年後の今となってはどうでもいい気がする。
「夜空ノムコウ」は、もうみんなの歌であり、
聴く人ひとりひとりが自分に寄せて
自由に解釈し、自由にイメージを広げて良い。
正しい意味・正しい聴き方など必要ない。
名曲とはそういうものではないか。
良いこと、嫌なこと、いろんな経験をしてきたし、
これからもしていくだろう。
これはその先の未来を生きていく僕たちが
自分自身の物語を紡ぐために口ずさむ歌なのだと思う。
3年前に出された村上春樹のエッセイを読んでいかなった。
図書館で文庫本があった(文庫化されたのは昨年)ので、
借りて読んでみたらとてもよかった。
最近ちょっとご無沙汰していたが、
やはりこの人の文章は心の深いところに響いてくるのだ。
副題に「父親について語るとき」とあるが、
その通り、大正生まれで戦争の体験を持つ
父について書いたものである。
割とゆとりある行間で100頁ちょっとの短い本なので、
2,3時間あれば読み切れてしまうが、
内容はとても充実していて深い。
また、よく調べたなと感心する。
村上春樹は1979年にデビュー。
現代的・都会的な雰囲気のストーリーと
アメリカ文学仕込みの乾いた文体で人気作家になったが、
初期の作品「風の歌「ピンボール」「羊」などでは
そこかしこに戦争の影がにじんでいる。
1980年代の前半あたりまでは
豊かになったとはいえ、まだ終戦・戦後の残滓が
日本社会に残っていたのだ。
そして、1990年の「ねじまき鳥クロニクル」では
まともに戦争のシーンが出てくる。
この物語の第1巻には捕虜になった兵士の皮をはぐという
恐るべき残酷描写がある。
いったいなんでこんな描写が出来たのか、
つくづく感心する。
僕はそこがあまりにこわくて未だに再読できない。
村上春樹のような団塊の世代の人には多いと思うが、
成人後は父親とはほとんど断絶状態だったらしい。
大正・昭和ひとケタ生まれの親と、
戦後生まれの子供の親子関係は、
今の親子関係とはずいぶん違ったものだと思う。
そもそも親は、特に父親は、
自分のことを語ろうとしなかった。
なぜかはちょっと長くなるので、
また近いうちに別の文で書こうと思う。
いずれにしても戦争はこの世代の、
特に男たちの心に深い闇をもたらしている。
そんな思いを抱いてこのエッセイを読んだが、
村上作品に頻繁に登場する「闇」は、
どこかでこのお父さんの心にできた闇と
繋がっているのではないかという気がしてくる。
亡くなって10年以上経った頃に
父のことを書こうと思い立ったという。
有名作家だからこうして本にして
多くの人に読まれるわけだが、そうでなくても、
男はいつか自分の父について語りたくなったり、
書きたくなったりするのではないだろうか。
親密でも疎遠でも、愛していても憎んでいても、
尊敬していても馬鹿にしていても、
自分のなかに父親像を再構築し、再確認することは
生きる中で意外と大切なことではないかと思う。
男は自分史の前にまず、
自分の父親史を書くべきなのかもしれない。
もちろん娘がそうしてもいいのだけど、
同じ男同士だから感じられる何かがそこにあると思う。
コロナ禍で失った損失を取り戻したい
という気運が強いせいか、
最近、仕事の効率化ということに拍車が掛かり、
やたらとコスパだ、タイパ(時短)だという
話題が多くなった。
僕はそれと逆行するようにロングタームの仕事が多い。
先月から江東区に出向いて、月1~2回の取材をしている。
その社長さんは夏から新しい事業をスタートさせるのだが、
その準備の様子を取材してほしいというのだ。
準備はそうそうスムーズには進まない。
いろんなトラブルに見舞われたり、
ヘマをしたり、ずっこけたりする。
しかし、開業した後は
そんなあれこれを忘れてしまうかもしれないし、
憶えていいてもカッコ悪いことなんか
話したくなくなると思う・・・
ということで僕がその準備段階の記録を頼まれたのである。
話をするのはその社長と若いパートナー。
実際、話をきくと確かに面白いエピソードがあふれており、
こんなことがあったんだと、
事業所を貸すオーナー・不動産屋との諍いや
人材集めをしたらこんな人が来たとか、
喜怒哀楽いっぱいに話してくれる。
自分で記録しておけばいいと思うかもしれないが、
じつはこういうことは自分や身内の人間ではできない。
外部からやって来た取材者・インタビュアーがいるから、
あけすけに胸を開いて、
こんな失敗をしてしまった、と話せるのだ。
ぼくはそれを録音して、
とりあえず文字起こしをしてストックしておく。
いわゆるライブ録音だ。
その時にしか生まれない問いと答、
ノリ・勢いを言葉にする。
面白いコンテンツは対話から生まれる。
ビジネスに関連する文章は、
どうしても皆、カッコいいもの、
きれいごとを書きたくなるが、
そういうのはどうも面白くないと、その社長は言う。
なかなかユニークな試みを考えるだけあって、
とてもユニークなセンスを持った人だ。
失礼な言い方だが、見かけによらず頭が切れる。
ストックした文章の使い道としては、
ちゃんと成形してホームページの一部にしたり、
ブログにする、紙か電子かの本にするなど、
自在に料理できる。
新鮮なまま冷凍保存した良い材料があるから
いろいろ良い料理ができるのである。
これはいわば会社にとっては将来の資産作りである。
お金でない資産、数字に出来ない資産は
とかく軽く扱われがちだが、
じつはスタートアップの場合、
けっこう大切なのではないかと思う。
こういうことが会社にとって、事業にとって、
信頼の土台になる。
僕としてはひどく時間のかかる仕事で、タイパは悪い。
ギャランティはとりあえず開業の時点で締めてもらって、
その後も1年間つきあう予定でいる。
効率が悪くてもこういう仕事は好きだ。
何か新しい事業を起こす際、
自分もぜひやってみたいと思うか方がいたら、
ぜひお声がけください。
パリの街といえば、
ついシャンゼリゼ通りを連想する日本人。
そのイメージの源は、1970年代の初めに活躍した
フランス人アイドル歌手 ダニエル・ビダルだった。
小学生の頃、雑誌などでよく見かけたかわいこちゃんだ。
「オー、シャンゼリゼ(O, Champs-Élysées)」は、
もともとフランスの歌手ジョー・ダッサン(Joe Dassin)が
1970年に発表した楽曲だが、
日本人には強烈にビダルのイメージがくっついて、
「パリの街を行く、おしゃれで可愛いマドモアゼルの歌」
ということになった。
ダニエル・ビダルは日本語でも歌っていて、
ほとんどネイティブみたいに達者。
しかもめっちゃキュートな歌声で、
年甲斐もなく胸がキュンとなる。のである。
ところで、チャットGPTに
女性を主人公に「オー、シャンゼリゼ」という
ミュージカルを作りたいのですが、
どんなストーリーがいいでしょう?と聞いてみた。
そしたらこんなお話を考えてくれた。
例によって日本語のおかしなところ、
文章がうまくつながらないところがあるので、
僕がちょっとだけ手を加えています。
主人公は、シャンゼリゼ通りに面した喫茶店で働く
若い女性、エミリーです。
彼女は、自分の音楽の夢を諦められず、
夜な夜な弾き語りをすることで、
自分の才能を磨いていました。
ある日、彼女は喫茶店の客の一人が
置き忘れた手帳を拾います。
手帳の中には、
シャンゼリゼ通りの美しい風景を眺めながら書かれた、
ある曲の歌詞がありました。
エミリーはその詞に心打たれ、
自分でこの曲を作ることを決意します。
エミリーは、偶然出会った
駆け出しの音楽プロデューサーのジャックと共に、
自分自身の音楽を創造するために努力し、
その曲を完成させます。
そして、彼女の歌う「オー、シャンゼリゼ」は、
多くの人に愛される楽曲となり、
彼女の音楽キャリアにおいても大きな転機となりました。
葛藤や孤独などの壁があり、
それを乗り越えていくことが物語のテーマとなります。
このミュージカルでは、
エミリーの成長や彼女自身が持つ内面的な葛藤、
音楽創造のプロセス、
そして「オー、シャンゼリゼ」が世に出た後の反響などが
描かれることになります。
美しい風景や、フランス文化の魅力なども、
ストーリーに取り入れることで、
物語の世界観をより深く描くことになります。
いかがでしょう?
いや、いいですね。
ちょっとレトロなハリウッド映画っぽいところがいい。
エミリーはやっぱり50年前のダニエル・ビダルだろうか?
ジャックはミッシェル・ポルナレフみたいなやつだろうか?
もちろん、いっぱいツッコミどころはあるが、
あらすじ初稿としてこれだけできていれば十分。
これをどれだけアレンジし、膨らませるかが
人間の仕事なのです。
ミュージカル「オー!シャンゼリゼ」、
作ってみたくなった。
金曜の夜は「週末の懐メロ」の日なのだ。
みんな懐メロを聴いて
1週間の疲れを癒しましょう。
amazonKindleから本も出しています。
目次を見て、好きな曲、好きなミュージシャンの名前があったら読んでみてね。
「ガンバレ受験生!」って、無責任にエールを送っていいのか?
毎年、受験シーズンになるとそう思う。
電車に乗ると予備校のポスターがべたべた貼ってあって、
夢だの勝利だのヒーローだのって、
カッコいいコピーと共に
モデルの小中高校生の男の子・女の子が、
きりっとした顔を見せている。
あれを見ると、なんだかとても痛々しい気持ちになるんだ。
大人の一人として、こうした子供たちを当たりまえのように
受験なんぞに駆り立てていのかってね。
「受験シーズンだよねー」って、
なんだか大人たちがこぞって
年中行事でも楽しんでいるかのようだ。
そもそもこれだけインターネットやAIが発達してきた社会で、
この先、大学に行くことにどれだけの意味があるのか?
奨学金という名の学生ローンで
何百万も借金背負った子を卒業させて、
何十年も支払い続けていたら、
そりゃ結婚も子どもも無理だなって思うよね。
少子化対策って、
こういう所をどうにか手当てしなきゃいけなんじゃないの?
一昨日のニュースで、昨年(2022)に自殺した
小中高校の児童・生徒は512人で、
過去最多だったことが文部科学省のまとめで分かったって。
内訳は小学生が17人(前年比6人増)、
中学生が143人(同5人減)、
高校生が352人(同38人増)。
自殺の理由(複数の場合あり)は
「学業不振」が104人で最も多く、
「進路に関する悩み(入試以外)」が84人、
「入試に関する悩み」が40人。
受験システムがすべて悪いわけではないだろうけど、
大人も子供も、
やっぱりいつかどっかで考えなきゃいけない問題。
それはいつ? 今でしょ。
川沿いの河津桜が咲いた。
いい学校なんかいかなくても、
「ガンバレ受験生!」って、スポーツ観戦みたいに騒いでる
大人の言うことなんか聞かなくても、
人生、春は来る。
死ぬな、子ども。
チャットGPTを使っていて
最後に「どうもありがとう」と打つと、
「お役に立ててうれしいです」とか
「いつでもお気軽にお声がけください。」とか言ってくる。
僕ら自身も日常的に、
それこそ“機械的に”使っている定型文だ。
でも、人間が使うと
「はいはい、何の心もこもっていない
お決まりのごあいさつね」と思ってしまうのだが、
このAIが使うと同じような文でも、
なんとなく人格というか、
心があるように感じてしまうから不思議だ。
仕事でも遊びでもいいのだが、
アシスタントとか、友だちとして付き合って、
ああでもない、こうでもないとやりとりしていると、
親しみがわいてくる。
逆に言えば、それくらい親近感を持って、
感情を込めて使わないと、
自分のために上手く働いてくれない。
考えてみたら、別にAI・ロボットに限らず、
車だってバイクだってパソコンだってそうだ。
愛着を持って乗ったり使ったりしていれば、
自然と感情が乗り移って、
ただの機械・ただの道具だったものが
「おれの相棒」「あたしのパートナー」になっていく。
よくある「心を持ったAI・ロボットはできるのか?」
という議論は、結局、それを使う人間の側が
機械に自分の心を宿せるか、
こいつには心があると思い込めるかどうか、なのだと思う。
少なくともここ当分の間は。
昨日は杉並区にある「堀之内斎場」で
イベントがあったので取材。
東京23区内に6カ所ある民営火葬場の一つである。
運営会社の東京博善は、10年代後半から毎年この時期、
各斎場(火葬場)持ち回りで
地域住民のためのイベントを開いていたが、
コロナで3年間中断。
昨日は4年ぶりの開催だった。
火葬場でイベントって・・・と訝る人もいるだろう。
迷惑施設なのではないか?
しかし、この高齢社会でそんなことは言っていられない。
今やこのイベントは自治体が後援し、町会も協力している。
だから今回の場合は、
杉並区区内の小学校でチラシが配られ、
家族連れでにぎわっていた。
至って明るく楽しく、和気あいあいである。
堀之内斎場は100年超の歴史を持つが、
当然、改築もされていて、建物は明るくおしゃれで美しい。
それに昔の火葬場と違って煙突から
火葬の煙がモクモク・・・ということもなく、
きわめてクリーンである。
1階では飲食などのお店が出店したり、
こどもが遊べるスペースが設けられ、
2階の控室では落語、自分史セミナー、
相続相談セミナーなどをやっていた。
火葬炉の説明コースもあったが、
さすがにこっちには人が寄って来ない。
僕はほぼ貸し切り状態で、
スタッフのお話を聞かせてもらった。
とても丁寧なガイダンスで感心した。
東京は人口が多い。
それだけ死ぬ人も多い。
なので強力な火葬炉で、短時間に火葬するという。
火葬率世界トップの日本の火葬炉の性能は優秀だ。
それにしても、こうして自治体が後援して
火葬場で地域イベントが開かれ、
それに反対したり、抵抗感を持つ人もあまりいない
――そんな時代になったことには、
昭和の頃、20世紀の頃から隔世の感がある。
一昨日、「週末の懐メロ」で
美輪明宏の「ヨイトマケの唄」を紹介した。
白状すると、その際にいろいろ調べて
やっと「ヨイトマケ」って何のことだか知った。
じつは僕は一昨日までヨイトマケとは、
何かの種まきのことだと思っていて、
農作業の一種だと思っていたのである。
この齢になるまで知らなかったなんて、
お恥ずかしい限りだが、
どんなに遅くても知ってよかった。
まさしく懐メロさまさま・美輪様さまさまである。
じつはこのヨイトマケという言葉は、
美輪明宏の歌以外にも有名な文学作品に使われている。
それが太宰治の「斜陽」である。
筋肉労働、というのかしら。このような力仕事は、私にとっていまがはじめてではない。私は戦争の時に徴用されて、ヨイトマケまでさせられた。いま畑にはいて出ている地下足袋も、その時、軍のほうから配給になったものである。地下足袋というものを、その時、それこそ生れてはじめてはいてみたのであるが、びっくりするほど、はき心地がよく、それをはいてお庭を歩いてみたら、鳥やけものが、はだしで地べたを歩いている気軽さが、自分にもよくわかったような気がして、とても、胸がうずくほど、うれしかった。戦争中の、たのしい記憶は、たったそれ一つきり。思えば、戦争なんて、つまらないものだった。
上流階級のお嬢様だった主人公が、
戦後、没落して肉体労働をしているとき、
ふとヨイトマケのことを思い出し、
ヨイトマケのおかげで体も丈夫になったし、
生活に困ったらヨイトマケをして生きていこう、
と呟くのである。
20歳ごろ、三島由紀夫と太宰治を乱読しており、
「斜陽」も読んだ記憶があるが、
そんなことすっかり忘れていた。
この出だしの部分の文章は、
たまたまネット上でお目にかかったのだが、
美輪さんの歌を聴いた後、今こうして読んでみると、
この主人公に温かさ・健気さ・可愛さみたいなものを感じる。
ヨイトマケとは「よいっと巻け」という
掛け声から来た呼び名。
まだ建設機械が普及していなかった時代、
建築現場で地固めを行う時に、
縄で滑車に吊るした重い槌を、
数人がかりで引っ張り上げて落とす作業、
あるいはその作業を行う日雇い労働者のことを指している。
作業の時の掛け声が「よいっと巻け」で
「ヨイトマケ」というわけ。
昭和の半ばごろまで使われていたようだが、
僕も実際にこんな作業しているところは見たことがない。
厳しい肉体労働だったと思うが、皆でやれば大丈夫、
みたいな労働者同士の連帯感的な気持ちもあっただろう。
この主人公の場合は、生きる自信の根っこというか、
精神的な「地固め」にもなっていたようだ。
もしかしたら、年がら年中、
アラウンドうつ病だった太宰治自身も
こうしたヨイトマケなどの肉体労働に
憧れを抱いていた部分もあったのではないか、と思う。
昔はよかったとは言わないし、
貧しくても幸せだったとも言わない。
辛くて危険な肉体労働を礼賛するつもりはまったくない。
ただ、最近のように、精神がおかしくなるほど、
みんなが情報過多で混乱したり、
ネット世界、バーチャル世界に
はまり込んだりするのを見ていると、
いつも何かしら身体を動かして働いていたほうが
いいのではないかと思う時があるのだ。
もちろん、スポーツやトレーニングもいいが、
自分の身体を動かすことで
人の役に立つ、社会の役に立つ、
そして金を稼いで生きるのだという
リアルな実感を得ることが、
いくつになっても、どんな時代になっても、
必要なのではないだろうか?
豊かな社会になって以降、
肉体労働とか労働者という言葉は、
ネガティブなオーラをまとうことが多くなった。
しかし今後、AIの発達で
確実にホワイトカラーの仕事は減っていき、
肉体労働が人間に残る。
ロボットが活躍できるのはまだもう少し先だろう。
「ヨイトマケの唄」や「斜陽」の世界と同様、
肉体労働・労働者というものは、
人間らしさと同義で語られるようになるかもしれない。
音楽エッセイ
「週末の懐メロ 第1巻」
2月27日(月)16:59まで
無料キャンペーン実施中
日本の至宝、昭和の至宝 美輪明宏が
自ら作詞・作曲し、あらゆる世代の日本人に贈る聖歌。
それが「ヨイトマケの唄」である。
最初にレコードが出たのは1965年。
マンガなどで「母ちゃんのためならエンヤコーラ」という
セリフが良く出ていたのを覚えている。
そして桑田佳祐をはじめ、たくさんの歌手がこの歌を愛し、
カヴァーしているのも聴いていた。
けれども美輪明宏自らが歌うのをまともに聴いたのは、
若い世代と同じく、2012年の紅白歌合戦が初めてだった。
紅白なんていつも酒を飲んでへべれけになって見ているのだが、
真っ黒な衣装に身を包んだ美輪が登場し、
この歌を歌い出した時、思わず背筋がピンと伸びた。
6分間、テレビから目と耳を離すことができなかった。
故郷の長崎で原爆に遭遇して以来、
波乱万丈の人生を送り、数々の修羅場をかいくぐりながらも
70になっても80になっても
元祖・ビジュアル系歌手の誇りを失うことなく輝き続ける
美輪明宏の、人間への愛情のすべてが
この1曲に集約されているような気がする。
この歌が生まれた経緯は自身で、
また、黒柳徹子との対話で語っている音声が
YouTubeに上がっている。
1960年代前半、三島由紀夫が「天上界の美」と称した
絶世の美青年だった美輪明宏(当時は本名・丸山明宏)は、
きらびやかな衣装と化粧でシャンソンを歌っていた。
ところが、興行主の手違いで
福岡・筑豊の劇場でコンサートを行うことに。
客は普段シャンソンを聴きに来る人たちとは
全く違う炭鉱労働者たち。
そんな人たちが自分の歌を聴こうと
客席を埋め尽くしたことに美輪は感動したが、
内心、自分のレパートリーには、
この人たちのために歌える歌がないとすまなく思ったという。
そして、外国には労働者の唄があるのに、
日本にはなぜないのか?という疑問も抱いた。
「ヨイトマケ」とは「ヨイっと巻け」。
まだ現在あるような建設機械が普及していなかった時代、
地固めをするとき、重たい岩を縄で滑車に吊るした槌を、
数人掛かりで引張り上げて落とすという作業をしていた。
滑車の綱を引っ張るときの「ヨイっと巻け」のかけ声が
語源となっている。
この仕事は主に日雇い労働者が動員されていたらしい。
「ヨイトマケの唄」は、そうした戦後復興期の物語であり、
まさしく現代の日本の豊かな社会の
「地固め」をしていた時代の唄だ。
炭鉱をはじめ、新幹線を走らせるために
山にトンネルを掘り、川に橋をかけ、
街に高速道路や高層ビルを建てるために
たくさんの名もなき労働者が働いていた。
そうしたあちこちの工事現場では不幸な事故で
命を落とした人も少なくない。
普段は意識などしないけど、
インフラの整った僕たちの社会生活は
そうした犠牲の上で成り立っている。
この歌を彼が初めてテレビで歌った時、
「これはおれたちの歌だ」と、彼の元に7万通の
感謝の手紙が送られてきたという。
しかし、その一方で、
高度経済成長の波に乗り始めていた日本人は、
少しでも早く貧しい時代の記憶を忘れようとしていた。
貧しい者、卑しき者、美しくない者は
目にしたくない、耳にしたくないと思っていた。
この歌の歌詞の「土方」でさえも差別用語であるとして、
以後、長い間、この歌は歌われなかった。
77歳で紅白に初出場した時、若い世代は、
あの「美輪ちゃま」が
どんなゴージャスな衣装で登場するのか
大いに期待していたらしいが、
この黒ずくめのスタイルを見て驚愕、
そしてこの歌をフルコーラスで聴いて慄然とした。
カメラは一切寄ることはない。
まるで舞台劇を見ているかのような、
魂を揺さぶるパフォーマンス。
昭和の時代は、圧倒的なリアリティで
人々を感動させた歌は、半世紀後、
“俗”を描き切った、聖なる物語に達していた。
最後、闇に溶けていく中で
「子どものためならエンヤコーラ」と絞り出す声には
何度聴いても涙が抑えられない。
美輪さんがまだ元気で表現活動をされていてよかった。
令和の時代になっても、いや、令和になったからこそ、
日本人にはまだ美輪さんの存在が必要なのだ。
音楽エッセイ「週末の懐メロ 第1巻」
http://www.amazon.com/dp/B0BTWMZBVT
2月22日(水)17:00~27日(月)16:59まで
6日間連続無料キャンペーン
20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!
2月27日(月)16:59まで6日間連続無料キャンペーン実施。オールド世代もヤングな世代も懐メロ話で精神の栄養補給を。
この機会に、ぜひお手元のPC・スマホ・タブレットに
インストール。
会話型AI「ChatGRT」をアシスタント兼
飲み友達にしようと、いろいろ対話を試みている。
以下、この間やったネッシー(湖に住む謎の巨大生物)を
めぐるQ&A。
AIの回答は生成されて出てきた
そのままの文を載せています。
ぼく:ネス湖のネッシーをはじめ、
世界各地の湖にいるとされてきた伝説の巨大生物は
皆インチキで、
写真も動画も偽物だと科学的に証明されています。
それなのになぜ人間は、
いまだに巨大生物はいると考えたがるのでしょうか?
AI:人間が伝説の巨大生物の存在を信じる理由は複数あります。
まず、人間は常に未知のものに興味を持ちます。
特に巨大生物という存在は、
私たちが知る現代の自然界には見られないものであり、
その存在に想像力がかきたてられます。
伝説の巨大生物が存在すると信じる事で、
自分たちのダイエットを恐れかす未知のものに対する
恐怖を感じ、それを乗り越えようとする
勇気をもつことができるという
心理的な安心感があるとされています。
また、科学的に未解決のことがあると、
人間は自然に応じて答えを求めたものです。
様々に関する証言や報告があることから、
多くの人が巨大生物が実在する可能性について興味を持ち、
それについて検討したり、研究したりすることになります。
さらに、巨大生物の存在については世界中に
伝承や文化があり、
人々の信仰や信念にも関係している可能性があります。
背景があるため、人々が巨大生物の存在について
考えるきっかけとなっていることもあるでしょう。
このように、伝説の巨大生物に対する人間の関心は、
興味やリスク、恐怖感、科学的リスク、信仰や文化、
歴史的・文化的な背景など、
様々な要因が影響していると考えられます。
アメリカ生まれのせいか、
日本語の怪しいところがあるAIくん。
「自分たちのダイエットを恐れかす
未知のものに対する恐怖を感じ、」
という謎のフレーズは
「自分たちの“存在を脅かす”未知のものに・・・」かな?
それにしてもなんでダイエット?と思って調べてみたら、
「ダイエット」には一般的な食事関連の意味とは
もう一つ別の意味があり、
「教会職員の審議会や国会の会合のことをdietという」
らしい。知らんかった!
そうした人間社会における、
権威ある審議会や会合が転化して、
既存の人間の思考・常識・制度という意味になり、
そうしたものを脅かす未知の存在
——ということになるのだろうか?
いやいや、人間の思考停止を促すどころか、
もっと深く、めんどくさく考えるように
仕向けてくれるAI、素晴らしいじゃないか。
この後の「それ(未知のものに対する恐怖)を
乗り越えようとする勇気をもつことができるという
心理的な安心感があるとされています。」
というのも変な日本語だが、何かの誤訳なのか?
でも、未知のものに対する恐怖を乗り越えることで
勇気を得て、それによって「心理的安心を得る」なんて、
なかなか奥行きのある哲学的表現だ。
なんかハリウッド映画の定理っぽく、
人間礼賛になっていて、
一種のヒューマニズムに溢れている。
人間の仕事を奪うのではないかと恐れられているAIだが、
単なる便利な道具として使うのでなく、
いろんな質問を考えて、半ば遊び相手にすれば、
面白いパートナーになるのではないかという気がする。
いずれにしても、こんなどうでもいいような質問に、
大真面目に、誠実に答えてくれるAIには
感動と親近感を覚える。
これから週1くらいでAIとの対話を載せていきます。
音楽エッセイ「週末の懐メロ 第1巻」
http://www.amazon.com/dp/B0BTWMZBVT
本日2月22日(水)17:00~27日(月)16:59まで
6日間連続無料キャンペーン
20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!
ブログ「DAIHON屋のネタ帳」で2020年10月から毎週連載している「週末の懐メロ」を本にしました。
オールド世代もヤングな世代も
楽しい懐メロ話で精神の栄養補給を。
音楽エッセイ「週末の懐メロ 第1巻」
http://www.amazon.com/dp/B0BTWMZBVT
本日2月22日(水)17:00~27日(月)16:59まで
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20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!
ブログ「DAIHON屋のネタ帳」で2020年10月から
毎週連載している「週末の懐メロ」を本にしました。
オールド世代もヤングな世代も
楽しい懐メロ話で精神の栄養補給を。
曲やアーティストを解説する、
あるいはロック史・音楽史を研究するといった
大それたものでは全然ありません。
懐かしさと個人的な思い出に
駆られて書いたエッセイです。
タイムマシンに乗ってはるかな時間を遡ると、
ノスタルジーだけでなく、新しい発見があったり、
改めて感動してみたり、泣いたり笑ったり、
リアライズやサプライズもいっぱい。
僕と同じ昭和世代・20世紀世代にはもちろん、
21世紀を生きる若い世代のお宝発掘のための
ガイドブックとしてもお楽しみください。
文章を読んで興味を持ったら、
ぜひお聴きになって&ご覧になってください。
良い音楽、好きな音楽をあなたの心の友に。
第1巻として♯1~♯28を収録。
もくじ
1 5年間/デビッド・ボウイ 【1972】
2 愛にさよならを /カーペンターズ 【1973】
3 ドント・レット・ミー・ダウン/ザ・ビートルズ 【1968】
4 嘆きの天使/ケイト・ブッシュ 【1978】
5 ソー・ロンリー/ザ・ポリス 【1978】
6 スワロウテイル ~あいのうた~ /イェンタウン・バンド 【1996】
7 青春の影/財津和夫(チューリップ) 【1974】
8 ボール&チェーン/ジャニス・ジョプリン 【1967】
9 ハッピークリスマス/ジョン・レノン&ヨーコ・オノ 【1971】
10 翼をください/山本潤子(赤い鳥) 【1971】
11 スキャットマンズ・ワールド/スキャットマン・ジョン 【1995】
12 クレア/フェアーグランド・アトラクション 【1988】
13 デジャ・メイク・ハー/レッド・ツェッペリン 【1973】
14 タイムマシンにおねがい/サディスティック・ミカバンド 【1974】
15 キエフの大門/エマーソン・レイク&パーマー 【1972】
16 少女/五輪真弓 【1972】
17 ジュニアズ・ファーム/ ポール・マッカートニー&ウイングス 【1974】
18 トムズ・ダイナー/スザンヌ・ヴェガ 【1984】
19 マーチ・オブ・ザ・ブラッククイーン/クイーン 【1973】
20 なごり雪/イルカ 【1975】
21 忘れじのグローリア/ミッシェル・ポルナレフ 【1973】
22 夢見るシャンソン人形/フランス・ギャル 【1965】
23 同志/イエス 【1972】
24 悲しき鉄道員/ショッキング・ブルー 【1970】
25 タワー/エンジェル 【1975】
26 ロッホ・セヌ―/ランパ 【1990】
27 レディ・ラック/ロッド・スチュワート 【1995】
28 残酷な天使のテーゼ/高橋洋子 【1995】
おりべまこと電子書籍
音楽エッセイ「週末の懐メロ 第1巻」
明日2月22日(水)17:00~27日(月)16:59まで
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ブログ「DAIHON屋のネタ帳」で
2020年10月から毎週連載している
「週末の懐メロ」を本にしました。
オールド世代もヤングな世代も
懐メロ話で精神の栄養補給を。
曲やアーティストを解説する、
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大それたものでは全然ありません。
懐かしさと個人的な思い出に駆られて書いたエッセイです。
タイムマシンに乗ってはるかな時間を遡ると、
ノスタルジーだけでなく、新しい発見があったり、
改めて感動してみたり、泣いたり笑ったり、
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僕と同じ昭和世代・20世紀世代にはもちろん、
21世紀を生きる若い世代のお宝発掘のための
ガイドブックとしてもお楽しみください。
文章を読んで興味を持ったら、
ぜひお聴きになって&ご覧になってください。
良い音楽、好きな音楽をあなたの心の友に。
第1巻として♯1~♯28を収録。
もくじ
1 5年間/デビッド・ボウイ 【1972】
2 愛にさよならを /カーペンターズ 【1973】
3 ドント・レット・ミー・ダウン/ザ・ビートルズ 【1968】
4 嘆きの天使/ケイト・ブッシュ 【1978】
5 ソー・ロンリー/ザ・ポリス 【1978】
6 スワロウテイル ~あいのうた~ /イェンタウン・バンド 【1996】
7 青春の影/財津和夫(チューリップ) 【1974】
8 ボール&チェーン/ジャニス・ジョプリン 【1967】
9 ハッピークリスマス/ジョン・レノン&ヨーコ・オノ 【1971】
10 翼をください/山本潤子(赤い鳥) 【1971】
11 スキャットマンズ・ワールド/スキャットマン・ジョン 【1995】
12 クレア/フェアーグランド・アトラクション 【1988】
13 デジャ・メイク・ハー/レッド・ツェッペリン 【1973】
14 タイムマシンにおねがい/サディスティック・ミカバンド 【1974】
15 キエフの大門/エマーソン・レイク&パーマー 【1972】
16 少女/五輪真弓 【1972】
17 ジュニアズ・ファーム/ ポール・マッカートニー&ウイングス 【1974】
18 トムズ・ダイナー/スザンヌ・ヴェガ 【1984】
19 マーチ・オブ・ザ・ブラッククイーン/クイーン 【1973】
20 なごり雪/イルカ 【1975】
21 忘れじのグローリア/ミッシェル・ポルナレフ 【1973】
22 夢見るシャンソン人形/フランス・ギャル 【1965】
23 同志/イエス 【1972】
24 悲しき鉄道員/ショッキング・ブルー 【1970】
25 タワー/エンジェル 【1975】
26 ロッホ・セヌ―/ランパ 【1990】
27 レディ・ラック/ロッド・スチュワート 【1995】
28 残酷な天使のテーゼ/高橋洋子 【1995】
執筆協力させていただいたビジネス書が完成。
出版元から見本が届きました。
とても読みやすく仕上がっています。
本日20日から全国の書店で発売。
amazonでもご注文できます。
日本の経済産業状況について、
経営者にとっての労働力の問題について、
労働者にとっての労働環境の問題について、
リモートワークについて、
そして海外進出について、
いまどうなっているのかわかる、お得な本です。
海外進出と言えば、法務・労務・税務の手続きやルール体系が日本と異なることから臆する企業も多いかもしれません。
そんななか、海外雇用代行
(EOR。Employer of Record = 記録上の雇用主)
と呼ばれる仕組みにより、海外に拠点を置いて、
リモートワーク中心に業務を進めることで
成長していく秘訣を解き明かします。
本書は、事例としてGoGlobal、NRIアメリカ、
メロディインターナショナル、Paidyの4社を採り上げ、
具体的に海外とのリモートワークの仕組みや
工夫について紹介する実践的な内容となっています。
ぜひ、お手元でご覧ください。
とてもシンプルでありながら、
あまりにも切なく美しいメロデイライン。
初めて聴いた時は本当に鮮烈だった。
1988年のヒット曲だが、
どこか1970年代の日本のフォークソングを彷彿とさせた。
正直、最初、歌だけ聴いたので
トレイシー・チャップマンが黒人女性だとは思わなかった。
黒人歌手はみんな歌い方がブルースっぽかったり、
ソウルフルだったり、ファンキーだったり、
ダンスフルだったりする。
そんな思い込みというか、偏見があった。
そして僕が知っている限り、ギター1本で歌う
プロの黒人シンガーソングライターは
1988年まで存在しなかった。
そういう意味で、トレイシー・チャップマンは
今でも特別なミュージシャンである。
しかし、この曲の内容はまさしくブルース。
アメリカ社会の底辺で働く、黒人女性の労働者の歌だ。
厳しくリアルなストーリーを歌っているのだが、
なぜか一編の寓話を語っているようにも聴こえる。
そして自然と浮かび上がる映画のようなシーン、
ストーリーは、ひどく胸に迫ってくる。
主人公の女は学校を辞めて、
スーパーやコンビニのレジ打ちをしながら、
貧困の中で飲んだくれの父親を支えている。
母親は、もうこんな生活は嫌だと言って
出て行ってしまったからだ。
そんな境遇の彼女が車を持っている男と出逢う。
高速道路を走ったらバラバラになってしまいそうなほどの
ポンコツだが、彼と一緒にドライブした彼女は狂喜する。
まるで空を飛ぶほどのスピードで走っているような
錯覚にとらわれる。
笑って運転する彼と一緒にいると、
それまでのみじめな自分を忘れることができる。
そう呟くのだ。
二人は一緒に暮らし始める。
いつかこの町の、この貧しい暮らしから
抜け出せることを夢見て。
子どもも生まれた。
幸せになりたいのだが、
いつの間にか彼は彼女の父親と同じように
無職の飲んだくれになっていってしまう。
けれども彼女はまだ夢を捨てていない。
貧しい生活の中で彼女は一縷の望みを抱えて
彼に問い続けるのだ。
ここで死ぬか、今夜飛び立つか・・・
あなたのあの速い車で。
★週末の懐メロ 第1巻
http://www.amazon.com/dp/B0BTWMZBVT
20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!
ブログ「DAIHON屋のネタ帳」で2020年10月から毎週連載している「週末の懐メロ」を本にしました.
カミさんが週イチで行っている健康センターで
更年期障害に対処する講演会&ワークショップを行う。
定員はあっという間にいっぱいになったそうだ。
近年、女性は「更年期」という言葉に敏感で、
その裏には「女でなくなる恐怖」
「女の時代が終わる恐怖」といったものが
まとわりつくらしい。
情報化社会。
情報で人を動かすには恐怖や不安を与えるのが、
いちばん手っ取り早い。
なのでテレビでも雑誌でもネットでも、
恐怖心・不安感をあおる情報が氾濫することになる。
更年期になると大変だ、病気になりやすくなるよ、
気分がおかしくなるよ、みたいな声に加え、
「女でなくなったアタシに価値があるのかしら?」とか
「これからどう生きれていけばいいの?」
という恐怖もある。
確かに子供を生めなくなるのは大ごとだが、
大げさな情報のせいで
精神疾患の人も増えてしまう。
女性は子供の時も
女になる恐怖、女が始まる恐怖に晒される。
恐怖は言い過ぎかもしれないが、
あんまりハッピーな気分になったという話は聞かない。
その点、男はいつまでもノー天気で、ガキでいられる。
いいことなのか、悪いことなのか。
男女不平等。
いずれにしても情報が豊富にあるのは
いいことばかりじゃない。
「知らぬが仏」という言葉を思い出し、
ある程度は見ざる・聞かざるにしとくのも
健康を保ち、自分を見失わず、
人生を快適に生きる知恵ではないだろうかと思う。
梅が咲き、河津桜も咲いた。
春はもうすぐだ。
毎日おかしな情報ばっかり頭に詰め込まず、
たまには外で花でも見てぼーっとした方が良い。
執筆協力させていただいたビジネス書が完成。
20日から書店で発売。amazonでもご注文できます。
日本の経済産業状況について、
経営者にとっての労働力の問題について、
労働者にとっての労働環境の問題について、
リモートワークについて、
そして海外進出について、
いまどうなっているのかわかる、お得な本です。
海外進出と言えば、法務・労務・税務の手続きやルール体系が日本と異なることから臆する企業も多いかもしれません。
そんななか、海外雇用代行 (EOR。Employer of Record = 記録上の雇用主) と呼ばれる仕組みにより、海外に拠点を置いて、リモートワーク中心に業務を進めることで成長していく秘訣を解き明かします。
本書は、事例としてGoGlobal、NRIアメリカ、メロディインターナショナル、Paidyの4社を採り上げ、具体的に海外とのリモートワークの仕組みや工夫について紹介する実践的な内容となっています。
ぜひ、お手元でご覧ください。
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