子ガモとアニマルガモ

 

先週は取材で日中、出ずっぱりだったので、

ほぼ1週間ぶりに泡沿いを散歩する。

 

チビガモ8羽、いつものホームエリアで確認。

少し見ぬ間にまたもや大きくなった。

はじめて目撃してから1ヵ月経つ。

そろそろチビとは呼べなくなりそうだ。

 

ところで1週間前の夕方の散歩中、

ガーガーギャーギャー

すごいわめき声が聞こえるので

どうしたんだろう?と慌てて駆け寄ってみると

カルガモカップルが子作りに励んでいた。

 

またもう少しして今の子どもたちが

おとなになる頃。新しいチビガモが生まれるかもしれない。

 

それにしても、いくらカルガモとはいえ、

プライベートライフを盗撮するのは

失礼かなと思って

写真も動画も撮らなかったが、

かなりワイルドな世界。

(野生の鳥だから当たり前だけど)

 

オスはメスにのっかってバシバシたたくわ、

くちばしをくわえて引っ張るわで、

平和そうな顔つきに似ず、

なかなかエキサイティングな愛の営みを繰り広げていた。

 

もちろんカモだって個体差があるので、

そいつが特別暴力的だったとか、

メスもそういうのが大好きだったという可能性もあるが。

 

生まれた子どもはかわいいけど、

子孫繁栄のための行為は、

やっぱりけっこう

スケベでアニマルだよなと再認識。

 

 

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神ってるナマケモノ


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週末の懐メロ㉞:雨のクロール/森田童子

 

森田童子には春や夏を歌った曲が多い。

明るい光の向こう側にある影、孤独、別れ、哀しみ、死。

彼女はそうしたものを歌にしてきた。

1975年のデビューアルバムに収められた

「雨のクロール」はそれを象徴する佳曲である。

 

この音源はライブ

「東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤」から。

 

死去したことが公表されたのは3年前、

2018年のちょうど今頃だ。

それより35年以上も前に

もう森田童子であることをやめ、

一人の主婦として

都内のどこかで静かに暮らしていたらしい。

 

森田童子として遺した特異な歌の数々からは

どうもその暮らしぶりは想像しにくい。

でも、作品とその人の生き方・キャラクターに

整合性を求めるのは間違っていると思う。

 

1980年を過ぎて時代が変わり、

「学生運動をやっていた人たちのアイドル」

に対する関心は薄れ、

もう自分の役割は終わったと感じたのだろう。

 

どんな思いで歌うのをやめたのかわからないが、

もうしがみつくことはなかった。

 

キャリアの後半、

周囲がなんとか“延命”させようと

自分の曲に

当時の流行りだったニューウェーブやテクノポップ風の

アレンジをして売ろうとしたことにも、

すっかり嫌気がさしてしまったのだろう。

 

でもそれ以上に、普通の人になって

普通の幸せを手に入れたかった。

子ども時代に何か普通ではない、

過酷な体験があったのかも知れない。

 

本人はインタビューで

「病気のせいで孤独な生活を送っていた」

とだけ語っている。

 

そんなわけで1990年代になって

「ぼくたちの失敗」がドラマの主題歌となって

大ヒットしたのは、

本人がいちばんびっくりしたにちがいない。

 

けれども、それさえも遠い昔ばなしになってしまった。

 

森田童子はあまりにも学生運動とその時代と

セットで語られ過ぎてきた。

 

時代のベールを剥がして聴くと、彼女の歌の本質が見える。

春や夏の光の向こう側にある、人間の心の影や孤独。

 

時々、若い歌手がカヴァーを歌っているのを聴くが、

若者ほどその本質を理解している。

 

消費されることのない永続性と、

神聖と言ってもいい領域が、森田童子の歌の中にある。

 

 

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ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力


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世界へ羽ばたく鳥取・米子のどら焼き屋

 

エンディング業界の展示会

「セレモニーJAPAN2021」で

ひときわ異彩を放つどら焼きブース。

 

どら焼きの生産量日本一、

鳥取県米子市の丸京製菓が、

お葬式のおみやげや香典返しにどら焼き最適!

ということでブースを出展した。

 

4月4日を「どら焼きの日」に制定し、

地元では「どら焼き公園」まで作ったというこの会社、

日本全国のスーパーやデパートに供給。

そればかりか、

世界20か国にどら焼きを輸出しているという

知られざるどら焼き屋。

 

もともとは和菓子屋として饅頭、団子、大福など

いろんな和菓子を作っていたらしいが、

何を思ったのか、50年ほど前から

どら焼きに特化。

以降、どら焼きを信じ、

どら焼き一筋に邁進してきたという。

 

「社長がドラえもんを好きだったんですか?」

と聞いてみたが、よくわからないという。

 

「ドラえもんがどら焼きに及ぼした経済的効果について」

という一文を書いたことがある僕としては、

丸京食品がどら焼き専門店になった秘密が

知りたくてたまらない。

一度、米子を訪れなくてならない。

 

というわけで、どら焼きの地位向上の

おもての立役者がドラえもんだとすれば、

裏の?立役者は丸京製菓だと言わざるを得ない。

 

黄色いポロシャツを着た営業担当者の方から

いただいた名刺には

 

「常務執行役員CMO(最高マーケティング責任者)

営業部 兼 国際事業部 兼

マーケティングチーム責任者」

 

という、とてもどら焼き屋さんとは思えない

カッコいい肩書が。サイコーです。

 

ちなみに贈答の用途は、お葬式に限らず、

お祝い事でも何でもOK。

注文すればオリジナル焼き印も押してくれる。

「1個からでもオーケーです」とのこと。

 

取材したらおみやげももらったので、うちで食べた。

ふつうにおいしい。

 

感動的!というほどでなく、

ふつうに、ほどほどにおいしところが、

贈る側もいただく側も、重くなくていいのだ。

 

気軽においしくてユーモラスなどら焼きは

鳥取の誇り、日本の誇りです!

 

 

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エッセイ集:食べる

 

ロンドンのハムカツ


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セレモニーJAPAN2021取材: 大手企業の葬儀業界参入

 

昨日9日から青海(東京テレポート駅:

フジテレビのあるところ)の

ビッグサイト分館で、

「セレモニージャパン

(エンディング産業展)2021」という

葬儀供養業界の展示会が開かれている。

 

鎌倉新書・月刊仏事の仕事で、

ライターとして3日間通勤取材。

 

世は高齢化・多死時代。

数年前から、そのうち、この業界にも広告代理店が

進出してくるのではないかという噂が飛び交っていたが、

今年、ついにそれが現実となった。

 

この6月に博報堂が、

オンライン追悼サービス「しのぶば」の開始を発表。

一気に業界の多くの人たちが浮足立った感がある。

 

通りがよいので簡単に「博報堂」と言ってしまうが、

「しのぶば」は、正確には博報堂DYグループの

AD plus VENTURE(アドベンチャー)株式会社の

事業の一つである。

 

DYというのは、大広、読売広告社のイニシャルで、

これらの広告会社も傘下に入っており、

いまや博報堂はメガ高億代理店となっている。

 

AD plus VENTURE(アドベンチャー)は

そのグループ56社から広く新規ビジネスアイディアを

募集、審査、育成し、事業化する仕事を

2010年から行っている。

 

昨日はセミナーの一つで、「しのぶば」の代表と、

業界の革命児と呼ばれる二人の葬儀社社長の

パネルディスカッションが行われ、

10年後を見据えたとても濃い内容で面白かった。

 

「しのぶば」の代表は子育て中の30代の女性である。

 

「博報堂は生活者目線で事業を展開してきた。

今まではその明るい部分にばかり焦点を当ててきたが、

これからはそうではない(陰とされてきた)部分にも

焦点を当てたい」

 

と話したのが、ひどく印象的だった。

いずれにしてもこの業界を、

ひいてはライフスタイル全般を変える

きっかけの一つになるのは確かだと思う。

 

 

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AI・ロボット エッセイ

 

どうして僕は

ロボットじゃないんだろう?

 


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自己満足のために山に登る

 

その昔、僕がまだ若かった頃は「30過ぎは信じるな」とか、

29歳で雪山の中に埋もれて死ぬ

(そうすれば美しく死ねる)

とか言ってた人が結構あちこちにいた。

現実にも、ドラマの中でも。

 

そんな御伽噺をしていた人が高齢まで生き延び、

健康を気にして、さらに生き延びたいと願っている。

「あんなこと言ってたのは若い時分のたわごとですよ」

ちょっと照れた顔で、

あるいはちょっと怒った素振りで

そう言い訳するだろう。

そして、あんな言い分は自己満足にすぎないよ、

と、ちょっと歪んだ笑いを見せるだろう。

 

そして、夢から醒めたほとんどの人は、

30過ぎから新たな人生を歩み始める。

 

もう遠くは見ない。

足元だけを見て歩く。

けれどもだんだん、

どこまでも続くまっ平らな平地を

歩き続けることには耐えられなくなる。

 

30過ぎまで生きた人は、

自分が登りたい山を見つける。

がんばれば登れそうな山を懸命に探しだす。

 

私はここまで登って、こういう景色を見た。

人生の中でその自己満足を得るために。

 

中には思いがけず高いところまで登れてしまって

怖くなってしまう人もいる。

怖いからもう降りようと思っても

降りる勇気がない。

 

登る時よりも降りるときのほうが勇気がいる場合もある。

気が狂うほど怖くなることだてある。

 

高齢まで生き延びて、果たして何があるのか?

人は人間としてどこかに到達するのだろうか?

 

答を言ってしまうと、どこにも到達しない。

どこにもたどり着けない。

ただ、山に登り続け、どこかで行き倒れになる。

私は最期まで登り続けたという自己満足だけを残して。

 

その自己満足こそが生き延びてきた人の特権だと思う。

 

 

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魚のいない水族館

 


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認知症のおかあさんといっしょ

 

 

今日も認知症の義母は川沿いを散歩しながら、

通りすがりの人たちに愛想を振りまく。

子どもやイヌを見て可愛い、可愛いいと連呼する。

ネコはどっちかというと苦手なようである。

 

しかし、じつはイヌもちょっと苦手。

イヌは人間の言葉がわかるから、

きっと可愛がってくれるんだろうと思って

しっぽをフリフリ寄ってくる。

 

顔は笑っているが、

ちょっと大きいイヌだと内心ビビっているのがわかる。

しかたないので、僕が代わりに撫でたりしてあげる。

義母のそんなキャラも面白いと思う。

 

認知症の介護と言っても、

今のところはそれくらいで済んでいるが、

もちろん先のことはわからない。

 

2025年には5人に1人が認知症患者になるという。

わずか4年後のことだ、

本当にそうなるのか?

もちろん先のことはわからない。

 

でも、これからの社会が

認知症という現象と共存する社会になるのは、

ほぼ間違いないだろう。

 

認知症と認定されると、

どんなお金持ちでも

自分の財産を好きなようには使えなくなる。

 

記憶の中から、お金も社会的地位も、

家族も友だちもみんな消え去っていく。

 

それまで所有していた財力や権力に関わらず、

一気に社会の弱者に転落する。

 

その時に何かを愛することができるか、

そして、人から愛されることができるか、

それがその人の人生の価値になる。

 

あまり考えたくないが、

もし自分が認知症になったら・・・ということは

心のどこかにメモしておいたほうはいい気がする。

 


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週末の懐メロ㉝:ジョニー・B・グッド/チャック・ベリー

 

ビートルズも、ローリング・ストーンズも、

彼らに追随した世界中の数多の歌手も演奏者も、

チャック・ベリーがいなかったら生まれなかった。

ロックンロールのグランドファーザー、

1958年のバイブル。

 

このバイブルが発表された年は

僕はまだこの世に影も形もなかった。

 

初めて聴いたのは1974年。

近所のレコード屋が主催する

中高生らのコンサートが

区役所のちんまりしたホールで開かれた。

 

そこで中学の同級生のカドタくんが

「お子さまバンド」という3人組のバンドを結成して出演。

そこで演奏したのが「ジョニー・B・グッド」だったのだ。

(他にも2、3曲やったと思うが忘れてしまった)

 

当時、僕はハードロックやプログレッシブロックの

分厚くて起伏が激しく、

綿密に構成された楽曲が好きだったので、

初期のビートルズやストーンズがやっていたような

シンプルなロックンロールには

スカスカ感を感じて、正直、物足りなかった。

 

ところが、お子さまバンドがやった

「ジョニー・B・グッド」は

めちゃくちゃイカしてた。

 

中学生のバンドがそんなにうまかったわけではない。

しかし、とにかく楽しいノリと旋律が、

一発で体に刻み込まれた。

 

チャック・ベリーはその頃から

すでに伝説のロックンローラーとして、

ジョン・レノンやキス・リチャーズの口から

語り継がれていた。

 

その独特のパフォーマンスも、

「ロックなんてお笑いみたいなもん」とか、

「インチキだらけの世の中なんて笑い飛ばしたる」

みたいな気概を体現しているようで大好きだ。

 

2017年、グランパ・ベリーが

90歳でこの世を去った今も、

永遠のロックの北極星として、

ジョニーはグッドであり続ける。

 

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なぜ日本にカエル食が定着しなかったのか?

 

 

かわいいから食べられなかった?

そんなに殊勝な民族なのだろうか、日本人は。

 

というわけで昨日の続き。

 

どうして中華やフランスには

カエル料理があるのに、

世界に冠たる日本料理にはそれがないのか?

なぜ日本ではカエル食が定着しなかったのか?

 

そう考えて検索してたら、

素晴らしいものを見つけてしまった。

 

その秘密は横浜にあった、

横浜の、あまり実用的とは言えない

さまざまな面白情報を載っけている

「はまれぽ.com」というウェブマガジン。

「横浜には食用ガエルの養殖場があったって本当?」

という記事だ。

 

この記事によると、

 

日本の食用ガエルの歴史は、

1918(大正7)年4月に東京帝国大学(現:東京大学)

名誉教授・渡瀬庄三郎(わたせ・しょうざぶろう)

博士によって、

アメリカのルイジアナ州ニューオリンズより雄10匹、

雌4匹を輸入したことが始まりだ。とされている。

 

食用ガエルは当初、帝国大学伝染病研究所内(東京都文京区)の小規模な養蛙池で養殖され、食用蛙養殖が国内でも可能なことが立証された。(以上引用)

 

となっている。

当時、カエルは栄養素も高く貴重なタンパク源として、

食糧問題解決の一策として注目された事業だったらしい。

 

このアメリカからやって来た食用ガエルの正式名は

「ブル・フロッグ」。

まんまウシガエルだ。

そして昭和になってから、そのエサとすべく

今や親しみ深いアメリカザリガニも輸入された。

 

今や指定外来種として、

石もて追われるような存在になってしまった

ウシガエルとアメリカザリガニだが、

100年前は鳴り物入りで、

日本の新たな食の救世主として招かれたんだね。

 

で、どうやら今の新横浜駅の近くにある

スケートセンターのあたりに

1938(昭和13)年ごろまで

大規模な養蛙場があったらしい。

 

はっきりとはわからないが、

日本にあった養蛙場は1940年代、

つまり終戦の前後ですべてなくなり、

そこで日本におけるカエル食の歴史は

途絶えてしまったようだ。

 

横浜で養殖されたカエルたちは

中華料理店などに出荷されていたらしいが、

その頃は中華街でカエルを食べさせる店が

あっただろうか?

 

このはまれぽの記事は、

女性ライターが、実に丹念に現地取材と文献調査を行い、

写真も豊富に載せていて、

日本の食用ガエルの歴史がわかる仕組みに

なっているので、

興味のある人はぜひ読んでみてください。

(カエルが苦手は人はやめたほうがいいです)

 

https://hamarepo.com/story.php?page_no=1&story_id=4457

 

カエルのから揚げを食べた経験上、

カエルの肉は結構おいしい。

味や食感としては、

鶏のささみと魚の中間みたいな感じだ。

 

いいお値段がするけど、ネットで買うこともできる。

話のネタに一度食べてみてケロ。

 

しかし、はまれぽの記事にも

「なぜカエル食が日本に根付かなかったのか?」

の考察はなかった。

やっぱり見た目の問題なのか?

 

と、今日もYouTubeのカエルの合唱をBGMにして

夜な夜なかんガエル。

 


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6月にカエルを愛でる日本人と 「みんなが作ってる カエルのから揚げレシピ」の衝撃

 

6月と言えばジューンブライド。

というのはヨーロッパの話で、

日本は6月と言えばカエルである。

 

お米の国・日本では田んぼの妖精みたいなカエルは

人気者だ。

ケロケロ鳴いて

恵の雨を降らせてくれると信じられていた。

人気者どころか豊作の神様みたいなものである。

 

食糧が豊富になった現代はそんなありがたみも薄れ、

雨もカエルが呼んでくるような情緒あるものでなく、

災害の恐怖を伴う集中豪雨。

 

しかし、時代は変わってもカエルはかわいがられる。

幼稚園とか学校とか、子どもびいるところは

かわいいイラストとか折り紙のカエルだらけ。

 

昨日、スーパーに行ったら季節感を出すために

ここにも蓮の葉の傘を差したカエルがいっぱいいた。

 

そこでつい売り場のお姉さんに

「こちらのお店ではカエルの肉は売ってないですか?」

と聞こうとしたが、抑えた。

嫌がらせに来たのかと思われても嫌なので。

 

なんでそんなことを聞こうと思ったのかと言うと、

だいぶ昔のことだが、

名古屋にある浜木綿(はまゆう)という

中華料理のチェーン店のメニューに

カエルのから揚げがあって、

それがけっこうおいしかったことを

思い出したからだ。

 

帰省するたびに家族で食べに行っていた。

まだ父が生きていた頃だから

もう12年以上前のことである。

 

今はもうメニューにないが、

中華料理では普通にカエルを食べる。

タイとかベトナムなどの東南アジアでもあるし、

ヨーロッパではフランス料理の

重要な素材になっている。

 

今の日本ではどうなのだろうと

ネット検索してみたら、

「みんなが作ってる カエルのから揚げレシピ」

というタイトルを見つけた。

なんとクックパッドに載っている。

 

レシピの生い立ちには

「田んぼ道でふと見かけて、

捕まえられたので作りました」とあり、

ちゃんと写真付きで作り方が書いてある。

脚だけかと思ったら、

なんと丸ごと姿揚げなので、

ちょっとびっくりした。

 

ただ、当然というか、

他に作って食べてみましたという

「たべレポ」は見当たらなかった。

 

そこでまた考えた。

 

どうして中華やフランスには

カエル料理があるのに、

日本料理にはないのだろう?

どうしてゲテモノ扱いなのだろう? と。

 

実は明治期から昭和の戦時期にかけて

日本でもカエルを食べようという施策が

国家プロジェクト波のスケールで進んでいた。

東京都文京区の実験田をはじめ、

鎌倉や横浜に大規模な養蛙(ようあ)場も

儲けられていたのである。

 

というわけでこの話の続きはまた明日。

 


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猿姫様

 

なんでこんなおサルみたいな娘たちが

年頃になると色気づいて綺麗になって

母親にまでなれるのか、はなはだ不思議である。

 

ジャングルジムやブランコや砂場など

公園の広場でおサルたいんのがキャッキャと

遊び回っている。

 

大の男がひとりでじっと見ているとしたら・・・

そんなつもりはなくても変質者と疑われる。

 

その点、義母といっしょだと

「お年寄りの面倒を見ている人」と

認識してしてもらえる(実際そうだし)ので安心だ。

ありがたい。

 

おサルたちはかわいくて、

彼ら・彼女らを見ていると

エネルギーが注入されるような気持ちになれる。

 

男の子は、そのまま大きくなれば

おとなの男になるのに何の違和感もない。

自分がそうだし、息子もそうだった。

 

しかし女の子はやっぱり不思議である。

たとえは悪いが、

女の子の成長は昆虫とか両棲類の変態に似ている。

 

戸川純が「玉姫様」で歌っていたが、

まさしく神秘、神秘、神秘の現象である。

 

そういう神秘がクリエイターを刺激するのだろう。

物語の世界では「ナウシカ」以降、

やたらと女の子の主人公が増えた。

 

ジブリ映画の主人公は大半が女の子である。

 

長らく物語の基本形は「少年の成長」だったが、

それを少女に変えた方が新しいものを

作りやすいという事情があった。

 

それに加えて女は体の変化という

内面的なドラマがある。

男が外的な条件・周囲の事情によって動くのに

比べて、体の奥底から上ってくる何かに

突き動かされる部分も多いのだろう。

 

いずれにしても僕にはそんなこと一生分からない。

でも分からないから想像力を刺激される。

 

作家にしても漫画家にしても映画監督にしても、

男が少女の物語を創りたがるのは、

そういうダイナミックな変化の可能性に魅力を

感じるからなんだろうと思う。

 


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1年前はみんなコロナが終われば すべてが元に戻ると思っていた

 

今日もリモート打ち合わせ2本。

打ち合わせ・取材はすっかり

在宅リモートが中心になった。

たぶん8割から9割。

 

現場の写真が必要とかいった

付加価値がない限り、

30分や1時間の打ち合わせ・取材には

わざわざ出向かない。

はっきり言って億劫だ。

以前ほぼ毎日、電車通勤していたのが

前世の記憶のように思える。

そういうマインドに変わってしまった。

 

1年前はみんなコロナが終われば

すべてが元に戻ると思っていたが、

そうはならないだろう。

変わるときはがガツンと変わる。

「今」は間もなく「過去」になる。

それでも時間は連続している。

1年後はどんなマインドになっているだろう?

 

デジタル化・ロボット化はどんどん進む。

この社会で安心して安全に暮らすことと引き換えに

僕たちは管理を受け入れなくてはならない。

 


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善福寺川のチビガモ成長中

 

善福寺川のカルガモの子がすくすく育っている。

先々週初めて見た時から比べると、

3~4倍くらいの大きさに成長。

確認できたのは9羽。

 

最初に見た時はたしか1ダースいたので、

ちょっと減ってしまった。

 

しかし、生存率はかなり高い方だと思う。

もうちょっと大きくなれば、

そう簡単には他の生き物に食われなくなる。

 

一緒に見ていたバードウォッチャーのおじさんによると、

 

川の上流のほう(阿佐ヶ谷・荻窪方面)の岸辺には

アオダイショウがいるが、

このあたりは生息していない。

この家族は良い場所にホームを取った。

 

向かって左がお母さんで、右がおやじだ。

夫婦で協力して子育てしているから、

これだけたくさん生き残っているんだ。

 

と話していた。

美しい物語だが、ほんとかどうかはよくわからない。

おじさんの願いが混じっているような気もする。

 

でもまぁ、そういうことにしておいていいだろう。

チビガモたちにがんばて生きて大きくなれと、

ガァガァ声援を飛ばした。

 

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神ってるナマケモノ

僕たちはこの星の上で137万種類を超す動物たちといっしょに暮らしている。

イマジネーションを掻き立て、人間の世界観の大きな領域をつくってきた仲間たちについてのエピソードや、あれこれ考えたことを編み上げた、おりべまことの面白エッセイ集。

 


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週末の懐メロ㉜:パンク蛹化の女/戸川純とヤプーズ

 

月光の白き林で

木のの根掘れば蝉の蛹の幾つも出てきし

嗚呼 嗚呼

それは貴方を思い過ぎて変り果てた私の姿

月光も凍てつく森で

樹液啜る 私は蛹化(むし)の女

 

何時の間にか貴方が

私に気づくころ

飴色の腹持つ

虫と化した娘は

不思議な草に寄生されて

飴色の背中に悲しみの茎が伸びる

 

カノンの旋律に

昭和のアングラ演劇を思わせる

女の情念のような詩を乗せ、

少女のように歌う戸川純。

 

「蛹化(むし)の女」を初めて聴いたのは

1984年のことだった。

ソロデビューアルバム「玉姫様」の

最後を飾るその歌声に戦慄が走ったことを憶えている。

 

蜷川幸雄も蜷川実花も

あまりに切なく美しい

この奇怪で文学的な純愛歌を愛し、

舞台や映画の劇中歌として使った。

 

それを自らの手で叩き潰したパンクバージョンは、

ライブのラストナンバーとして歌い続けられた。

 

昔はその狂いっぷりにドン引きして

まともに聴けなかったが、

還暦を過ぎて再び巡り会った今、

一気に脳髄に食い込んできて、血を逆流させる。

 

戸川の絶唱とヤプーズの壮絶な演奏に

ただただ感涙するのみ。

 

そして最後の投げキッスが可愛い。

 

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ポップミュージックをこよなく愛した

僕らの時代の妄想力

 

ビートルズをきっかけにロックが劇的に進化し、ポップミュージックが世界を覆った時代.僕たちのイマジネーションは 音楽からどれだけの影響を受け、どんな変態遂げたのか考察する、おりべまことの音楽エッセイ集。

 


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エリック・カールさん追悼

 

はらぺこあおむし

お星さま かいて

パパ、お月さまとって!

 

どれもボロボロになるまで息子に読んだ。

学校や児童館でも読み聞かせをやった。

エリック・カールさんの絵本は人類の宝です。

 

そして、彼の3次元的仕掛けが満載された

独創的な絵本の企画を初めて実現したのは

日本の出版社だった。

誇るべきことだ。

 

エリック・カールさんのご冥福をお祈りします。

 

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子ども時間の深呼吸

 

〈少年時代の思い出〉×〈子育て体験〉×〈内なる子どもの物語〉で

モチモチこね上げた おりべまことの面白エッセイ集。

自身のブログ「DAIHON屋のネタ帳」から40編を厳選・リライト。

 


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無敵の認知症:ワクチン接種のことなんてもう忘れた

 

昨日は義母の付き添いでワクチン接種へ。

会場のセシオン杉並というのは、

東高円寺や堀之内斎場の近所(環七沿い)にある

多目的ホール兼集会所兼杉並区役所の出張所。

 

テレビのニュースを見てて、

「きゃー、怖い怖い」とか、

「うわー、やだやだ」とか

子どもみたいに騒いでいたので

ちょっと心配していたが、

説明してもどうせ憶えてないので、

だまし討ち同然で連れて行ったが、

すんなり済ませた。

 

雰囲気的にスマホを見るのが憚られたので、

何経過観察待機の15分は退屈のきわみ。

本でも持ってくりゃよかったと後悔。

 

バスに乗って帰宅したら、

腕のばんそうこうを見て、

「どうしたの、これ?」とか言ってて

もう忘れていた。

 

さすがに散歩に連れ出すのはやめたけど、

特に具合が悪くなることもなく

今日もデーサービスへ行って

いつもと変わることなく帰って来た。

認知症以外はすこぶる健康で

コロナのこともさっぱりわかってない。

ある意味、心の平和を保っている。

 


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スーパースター西城秀樹メモリアル

 

2018年の今日、青山葬儀所で

昭和のスーパースターの葬儀が行われた。

僕はたまたま仕事で取材したので、

その時の思いを綴った3つのエッセイを電子書籍

「昭和96年の思い出ピクニック」に収録しています。

(ブログの記事をリライト・再構成)

 

・西城秀樹さんのお葬式:青春の同窓会

・西城秀樹さんのお葬式:女の涙は子どもと夢の人のために

・西城秀樹さん ラストステージの記憶

 

素晴らしいお葬式・・・と言うと、

語弊があるけど、最近の傾向を見ていると、

この先、大スターや著名人が亡くなっても

あんなに心に残るセレモニーは、

もう行われないかも知れない。

 

そういう意味ではとても貴重な体験をしたと思う。

 


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オリンピックは20世紀のレガシーシステム

 

3年ほど前に「オリンピックはオワコン」と書いた記事に、

ここのところ毎日のようにアクセスがたくさん来る。

 

あの頃は日本の関係者の利権がらみのゴタゴタに

腹を立てて書いたのだが、

ここ数日のIOCの発言は、

そのオワコンぶりを十二分に印象付けている。

 

1年前、延期を決めた時は

「人類がコロナウィルスを克服した証として開催したい」

なんてカッコイイこと言ってた。

 

それなのに、

「緊急事態宣言が出ていても開催する」とか、

「犠牲を払え(日本人を対象に言ったのではないらしいが)」

とか、とうとうなりふり構わぬホンネ丸出しになってしまった。

 

結局、IOCは会社であり、事業体であり、

自分たちのビジネスを遂行することが最優先なのだ。

 

普通の会社や事業体と確実に違うのは、

開催によって感染が広まるなど、

何か非常事態が起きても、

その責任・後始末は開催国なり、

開催都市にあることにして

自分たちは責任取らないこと。

 

ビジネス優先はいいとしても、

今どき、生活者(消費者)がどうなろうが

知ったこっちゃないです、

なんて言っている企業は

10年後には確実に滅びている。

 

IOCもこのままなら同じ運命をたどるだろう。

そもそも日本は大騒ぎしているけど、

他の国はオリンピックに対して至ってクールらしい。

 

「アメリカのテレビの放送権がIOCの収入の大半」と

聞いてたので、アメリカ人も楽しみに空いているのかと

思ってたら、9割くらいの人はてんで興味なくて、

ロクに話題にも上らないらしい。

 

オワコンが言いすぎなら、

IT用語でいう「レガシーシステム」

(アップデート不可な古いコンピューターシステム)か?

いずれにしても

20世紀の華やかなオリンピックはもう期待できない。

 

東京2020の開催が決まった時、

「1964年の夢よもう一度」というムードが広がったことに

イヤ~な気がしていたが、

まさかこんなことにんるとは・・・。

国民全体が昭和の夢の再現を求めたことが、

そもそも間違いだったと思わざるを得ない。

 

開催されたら、選手の皆さんには頑張ってほしいと思う。

だけどこの先は、もうオリンピックは夢の舞台、

人生のすべてをかけて取り組むものではなくなる。

そんなことを強制する大人の言うことなど

聴かないほうがいいよ。

申しわけないけど、そう思っておくべきだ。

 

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週末の懐メロ㉛:シュガー・ベイビー・ラブ/ザ・ルベッツ

 

1974年。当時日本で大人気だった

カーペンターズやミッシェル・ポルナレフを押しのけ、

ラジオの洋楽ヒットチャートで1位に駆け上った

「シュガー・ベイビー・ラブ」。

 

中学生だった僕も、一発で大好きになり、

毎日のように聴いていた。

 

ルーベッツ(正式にはルベッツらしい)

のデビュー曲だが、おそらく日本人の大半は

この曲以外、まったく知らず、

このグループのことなんて

とっくの昔に忘れていたのでないだろうか。

僕もすっかり忘却の彼方だった。

 

しかし、ある時、あの甘くて、

ちょっと切ないメロディが

脳の奥からよみがえってきたのだ。

 

で、探してみたら、あった!

曲はやっぱり素晴らしい。

 

そして動画までああった。

もちろん初見。

こんなちゃんときれいな画像が残っていたとは驚きだ。

70年代臭さがプンプンするところも感動的だ。

 

メンバー全員お揃いの

白い帽子、ジャケット、ズボン。

背中にはグループ名のロゴまで入っている。

 

そして、振り付けや決めポーズも

おもしろレトロ。

 

極めつけは、途中に入る

ドラマーのキザなセリフ。

当時の女子はこれでメロメロっとなったのか?

 

ラブ&ピースなザ・70年代ポップスを楽しむのに最適。

コロナの梅雨の清涼剤に、ぜひどうぞ。

 

 

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「美しい人」は今でも幸せに暮らしているのだろうか?

 

俳優・田村正和さんの訃報が報じられた。

特に熱心なファンではないが、

1990年代に作られた

彼が主演した二つのドラマは好きだった。

 

一つはフジテレビの「古畑任三郎」。

たぶん今でもファンの多い、

「刑事コロンボ」をオマージュとした推理ドラマ。

60分1話完結、

古畑が対決する犯人役を

当時の人気俳優らが演じて話題を呼んだ。

 

脚本家・三谷幸喜の名を

世間に知らしめた作品でもある。

 

田村正和はそれまでの2枚目俳優とは

ひと味違う、コミカルさを併せ持った

絶妙の味付けで、主役の古畑を演じて

ファンを増やした。

 

「美しい人」は1999年の最後に放送された

TBSの恋愛ドラマ。

 

田村正和演じる凄腕の整形外科医が、

DV夫から逃げてきて「顔を変えてほしい」

と言う女(常盤貴子)の頼みを聞く。

 

そして、彼女の顔を自分の

愛する亡き妻の顔にしてしまう。

 

しかし、彼女のDV夫は刑事(大沢たかお)で、

その正体を見破り、執拗に追跡を続け、対決を迫る。

 

最終回はこのすごい設定を上回る

衝撃的なラストで、

今も胸に食い込んで離れない。

 

脚本が野島伸司。

当時、彼の作品はエッジが立ちまくり、

それでいて高視聴率を稼ぎ出すという

離れ技をやってのけていた。

 

昨日。昼飯時に「徹子の部屋」を見ていたら

追悼特集で田村さんのインタビューを流していた。

1993年と2011年の2回出演したという。

 

その間18年。

確かに二人とも齢を取っているのはわかるが、

それだけ時間が経っていることが

なんだかとても不思議に感じられた。

 

昭和後半から平成前半にかけて活躍した人たちが

次々とこの世を去る一方、

テレビでもネットでもどんどんアーカイブ映像が増える。

 

そうすると、そのうち誰がまだ生きていて、

誰がもう亡くなってしまったのか、

だんだんわからなくなってきそうだ。

 

人々の脳の中で時が止まる。

メディアに出ていた人たちは、

アーカイブの中で永遠に生き続ける。

 

そして現実と虚構の境界線も薄れてくる。

 

ふと、「美しい人」で

田村正和が演じた彼と、

常盤貴子が演じた彼女は、

今どうしているのだろうかと考えた。

年老いても元気に仲良く一緒に、

しあわせに暮らしているのだろうか、と・・・。

 

田村正和さんのご冥福をお祈りします。

 

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カモの子を散らすように

 

雨上がりの夕方、散歩に出たら、

善福寺川にカルガモの赤ちゃん発見!

“カモの子を散らすように”

10羽のチビガモがあっちゃこっちゃ

ピーピー言いながら

泳ぎまくる。

かわいい。

そして泳ぐのはやっ!

 

でも、こいつらをごはんにしようと

狙っている奴らがウヨウヨいる。

自然の摂理だかた

しかたないが、

みんな、がんばって生き延びてくれ!

 


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メイキング・オブ・メモリアルギター

 

楽器や音楽を愛した人たちへの御見送りオブジェ

として開発された「メモリアルギター」。

 

納棺の際、故人の遺族・友人は、旅立ちの品として愛用してい

たものを棺に入れてあげたいと願う。

しかし、火葬の際に遺骨を傷つけてしまう不燃物は

入れることが出来ず、諦めなければならない。

 

楽器の演奏を趣味とする人、生きがいにしてきた人は大勢いるのに、

ギターをお棺に入れることはできない。

メモリアルギターは、このような遺族・友人の気

持ちに応えるために生まれた“燃えるギター”である

 

火葬炉で燃えるギター にするためには、

すべて可燃性の素材で作る必要がある。

全国の木工品メーカーに打診を繰り返し、

ようやく愛知県の木製玩具を製造する工房の協力を得られた。

 

木材をギター形状に手加工で切り出し、弦はタコ糸で細工。

ペグやジャックなど、表面の金具などの装飾

はレーザーカットした部品を貼り付けて表現した。

 

材料はパイン集成材(松)、本体厚みは3㎝、部品

はベニヤ材をレーザーでカット、木工用ボンドで接着。

全体の面取りなどの仕上げは手作業で行っている。

見た目だけでなく、持った時の感覚、手触りの

優しさ・心地よさまで徹底的にこだわった。

 

三木楽器は1825年、大阪の船場地域で貸本屋として創業。

明治時代にオルガンを皮切りに西洋楽器を取り扱うようになった。

昭和初期の著名な作曲家、山田耕筰らとの交流も深かった。

現在も楽器、楽譜の販売のほか、

音楽イベント開催など文化事業にも力を入れている。

 

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小説を書いたり、時にはビジネスのサイトや書籍の文章を書く時にも、頭の中の記憶バンクから好きな曲を引っ張りだしてきて、勝手にテーマ曲にして書く。リズムやメロディでイメージが膨らみ、文章が呼吸をして動き出す。音楽リスニングで妄想力を養ってきたおかげで今の自分がいる。


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週末の懐メロ㉚:ララ・ミーンズ・アイ・ラブ・ユー/スウィング・アウト・シスター

 

「ララは愛の言葉」はフィラデルフィアソウル最高の一曲。

オリジナルは1968年のデルフォニクス。

 

以来、70年代・80年代・90年代と、

ジャズ系・ソウル系ポップスのシンガーたちが

こぞって歌いたがる超人気曲となり、

ジャクソン5時代のマイケル・ジャクソンや

プリンスなどもカヴァーしている。

 

僕が初めて聴いたのは阿川泰子の

ちょっと夜っぽくて艶っぽいヴァージョン。

日本人では山下達郎が圧倒的な人気だ。

 

山下達郎ヴァージョンはカッコいいし、

プリンスのちょっと変態チックな歌い方も好きだけど、

やっぱりこの歌は女性の声で聴きたいなということで、

1994年リリースのスウィング・アウト・シスターを選択。

 

この頃、よくJ-WAVEを聴いていたが、

ほとんど局のテーマソングみたいに1日何回も流れていた。

 

爽やかで華やかな、このバンド独特のサウンド、

親しみやすく覚えやすく、それでいて味わい深いメロディは、

コリーン・ドリュリーが歌うと、

ますます愛らしく聴こえる。

 

いつ聴いても耳に心地よくて、

今日も思わず「ララララ・・・」と口ずさんでいる。

 

「メモリアルギター」というものにハートを射られた。

これは大阪で195年の歴史を持つという超老舗楽器店「三木楽器」が

開発した「燃えるギター」である。

いわゆるビートルズ世代も70 代に入り、エンディングについて考えるようになっている。

「三木楽器」はそんな世代の、楽器や音楽を愛した人たちへのお見送りオブジェとしてこの「燃えるギター」をプロデュースした。

どうせあの世に行くなら、大好きな音楽・愛する楽器とともに――とお考えの皆さんは、ぜひ三木楽器のサイトを覗いてみてください。

 

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メモリアルギター 燃えるギター愛

 

「週末の懐メロ」を書くようになってから音楽熱が再燃した。

と言っても、音楽的才能はゼロなので、

もっぱら聴く方専門。

だけど本当に音楽には恵まれた時代に育ったんだなぁと

最近しみじみ思っている。

 

そんな中、「メモリアルギター」というものにハートを射られた。

これは大阪で195年の歴史(なんと江戸時代から!)

を持つという超老舗楽器店「三木楽器」が

開発した「燃えるギター」である。

 

いわゆるビートルズ世代も70 代に入り、

エンディングについて考えるようになっている。

「三木楽器」はそんな世代の、

楽器や音楽を愛した人たちへのお見送りオブジェとして

この「燃えるギター」をプロデュースした。

 

「燃えるギター」と言えばジミヘンだが、

これはレッド・ツェッペリン(ジミー・ペイジ)の

「天国への階段」が似合う。

弾くのではなく、棺に入れ、

天国へ持っていくためのギターなのである。

 

本物の楽器は金属を使っているので納棺できない。

火葬炉で燃えるギター にするためには、

すべて可燃性の素材で作る必要がある。

そこで企画・開発担当の櫻井裕子さんは、

全国の木工品メーカーに打診を繰り返した。

 

徹底的なこだわりがあったので、

何となくギターの形をしてりゃいいや、では納得できない。

 

形状の複雑さやコスト面でなかなか話が

折り合わず難航したが、

ようやく愛知県の木製玩具を製造する工房の協力を得られた。

 

その一方で斎場なに聞き取り調査を行い、

ご遺体とともに確実に燃え尽きることが前提であること

を確認し、小型化を検討した。

 

葬儀で祭壇に飾ったときに玩具っぽく映らないよう

見た目とのバランスをとりつつ完成させた。

まさしく職人技。

櫻井さんもついに思い描いた商品の形に

たどり着いた時は涙した。

もちろん、量産などできないので、一つ一つ手作りだ。

 

すべて木材で出来ているため、

セレモニーの際に納棺する楽器の副葬品としても、

また祭壇やお仏壇へのお供え物としても贈れる。

大きさは本物ギターの約 1/2 スケールで、

納棺に適したサイズに設計されている。

 

タイプはアコギと、エレキギターのレスポール型、

ストラトキャスター型の計3種類。

演奏用ではないものの、本物感を重視し、

細部まで丁寧に再現されているところは泣かせる。

 

開発コンセプト、そして

商品化するまでのこだわり・執念にも胸を打たれ、

レギュラーワークの月刊仏事

(葬儀供養業界の業界誌)で紹介した。

 

今日のブログはその記事をアレンジしたものである。

 

どうせあの世に行くなら、大好きな音楽・愛する楽器とともに――

とお考えの皆さんは、ぜひ三木楽器のサイトを覗いてみてください。

 

メモリアルギターの開発ストーリー

https://youtu.be/gh08NdcJ1sE

 

販売サイト

https://mikiwood.base.ec/

 

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ドイツ人女性が見るエヴァの女性キャラ造型、 および、男の一生モノ幻想と第18以降の使徒発掘について

 

●ドイツ人はエヴァを見てどう思うのか

エヴァンゲリオンシリーズは、

アクション満載のロボットアニメである一方、

宗教的なモチーフをちりばめながら展開される

壮大な哲学心理ドラマの側面がある。

 

そこにはネルフ(NERV:生命)、ゼーレ(SEELE:魂)、

ヴィレ(VILLE:意思)、ヴンダー(VENDER:奇跡)など、

やたらとドイツ語が使われている。

 

ドイツと言えば、デカルト、カント、ニーチェなど、

今後の人類共有のデータベースになり得る

多数の哲学者輩出国。

 

ドイツ人はエヴァを見てどう思うのかと聞かれ、

こなふうに答えた人がいた。

 

「キャラクター自体が哲学的モチーフとして

妙な力を放っていたので、

私や周囲のドイツ学生たち

(のうちオタク適性がある者たち)は

議論の深みにハマりながら萌えまくっておりました」

 

●ドイツ人が見た『エヴァンゲリオン』のヒロイン像

そう言うマライ・メントラインさんは、

日本語ペラペラ、ちょっと若い時分のメルケル首相?

みたいな雰囲気を漂わせるドイツ人のお姉さんである。

 

昔、NHKのドイツ語講座に出ていたらしく、

いまもテレビのコメンテーターとして時々見かける。

本業は翻訳・物書き・テレビプロデューサーも

やっているらしい。

 

彼女は旧TVシリーズ版以来のエヴァファンだというが、

先日読んだ彼女の考察コラム

「ドイツ人が見た『エヴァンゲリオン』のヒロイン像。

アスカがしんどい」(女子SPA!)

https://joshi-spa.jp/1075690 は、

これまで読んだエヴァ関係の言説の中で

最もインパクトがあった。

 

“エヴァに登場する女性キャラクター造型の

何が凄いかといえば、

男性のエゴの中に存在する女性像を、

あきれるほど的確に描き抜いているという点です。

ゆえに男性視点とは何か、というテーマが

逆照射で奥底まで浮き彫りにもなる。

このへんは好き嫌い分かれるところかもしれませんが、

筆者は大好きです。”

 

●ドイツ的に真面目で真摯な変態性

続いて「綾波レイと碇ゲンドウの変態性」という一文では、

 

“で、いま改めて振り返ってみるに、

その中でも綾波レイというメインヒロインの独自性と

インパクトは空前絶後で、

時代性を超えて今後もいろんな

考察のコアになるだろうと思います。

 

彼女は「自立性のある良妻賢母」の権化たる

碇ユイ(故人)の

再来となるべく製造された存在で、

女性性というものを濃縮して体現するいっぽう、

「男性を安心させる」要素を決定的に欠くのが

大きなポイントでしょう。

 

俗世感覚では男性からも女性からも扱いに困る存在であり、

しばしば現世的に理想化されながら語られる古代宗教の

「大地母神」なるものの核心って

実はこんな感じなのではないか? 

と思わせぬでもないあたりが素晴らしい。

 

また、亡き妻である碇ユイを復活させようとしながら

綾波レイをひたすら磨き上げ、

しかも大量に培養してしまう碇ゲンドウの

ある意味ドイツ的に真面目で真摯な変態性も素敵です。

まさに男性性と女性性の高次元での葛藤と融合。

 

綾波は神性と何かしら関係がありながら

クローン量産可能で、

個体ごとに多少の性格差があったりするらしいあたりも

生々しくまた切なくて良い。

 

疑似キリスト教的な小道具抜きに、

原始女神信仰的な何かを多角的にシミュレートできるのも

本作の大きな見どころといえるでしょう。”

 

この後もえんえんと続くのだが、

引用だらけになってしまうので、

全部読みたい人はリンクへどうぞ。

https://joshi-spa.jp/1075690

 

●男は女に対する幻想から一生卒業できない

女性だけあって、主人公のシンジではなく、

レイやアスカなどのヒロインたちに焦点を当てた論考は、

ひどく新鮮で刺激的だった。

 

確かに自分の中にも、現実の女性とか母親とは別に、

イメージとしての女というものがあり、

その幻想に支えられて生きているところがあるなと思う。

 

てか、そうした幻想があるから現実の女子の

しょーもない部分も許せたり、

可愛いと思えたりするのかも知れない。

 

女は人生のどこかで男に対する幻想から卒業するが、

男は女に対する幻想から一生卒業できない、たぶん。

 

ゲンドウはそうした男の弱くてしょーもない部分を

とことん突き詰めたキャラクターなんだろう。

最後まで見て、もう一度テレビ版を思い返すと、

彼のシンジに対する冷厳な態度に説得力が出てより面白い。

 

いろいろほじくり返すと

エヴァンゲリオンからは思ってもみなかった

第18以降の使徒が発掘できそうだ。

 

電子書籍(おりべまこと:小説・エッセイ)


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日本人はデジタルに心を求める

 

昨日は新しいDX本のミーティングをやっていて、

「日本人はデジタルに心を求めている」という話が出た。

 

どういうことかと言うと、

海外製のデジタルツールは数字でバサッと切るという

思想をもとに作られている。

 

すごく大雑把に言うと、

売上に繋がらない顧客・取引先はいらない。

関係を断ってしまえというクールなメッセージが

機械から投げかけられてくるわけである。

 

日本人はお客様とのやり取りを共有しましょうとか、

より暖かくサービスをするために活用したいとか、

めんどくさいことを言い出すので、

そのまま海外製品・システムを仕入れてくると、

日本の文化に合わないことがままあるという。

 

どっちがいいのか悪いのか、よくわからない。

ビジネスなんだから、お金を稼いでいるんだから、

情的な部分は他のところで補完すればいい。

というのが欧米式なのだろう。

それはそれで正論だと思う。

 

なんで機械に心だの感情だのの類を持たせなくてはならないのか。

そんなことをやっているからガラパゴス化し、

世界の潮流から取り残されていくのだ。

 

でもね、これからのデジタル時代、

そうした日本人の感性は大事な付加価値に

なり得る可能性もある。

 

「ヒューマンなAIです」

「愛のある機械です」

「ぬくもりのあるロボットです」

そんなキャッチコピーは日本製デジタルによく似合う。

そういった日本人的感性さえも数値化。データ化出来たら

それはそれで面白い気がする。

 

ちなみにDX(デジタルトランスフォーメーション)とは、

単にITツールを取り入れるとか、

仕事で使うシステムをデジタル化するということではない。

 

仕事に関わるあらゆるデータを活用し、

企業文化を変えて、それぞれの会社ならではの

新しいビジネスの形を想像することである。

 

世界中がデジタル化される時代に向けて、

日本ならではの独自のユニークなDXが発展するといい。

 

電子書籍(おりべまこと:小説・エッセイ)


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週末の懐メロ㉙:サパーズレディ/ジェネシス

 

Supper's Ready「晩餐の支度」。

1972年リリース。

 

ディナーを前に恋人と抱き合った男が

瞬間的に見る幻想の数々。

オカルティックであり、ユーモラスでもある

その幻想の旅をストーリー仕立てで綴った楽曲は、

半世紀後の今も燦然と輝く

1970年代プログレッシブロックの最高傑作である。

 

彼女の体を抱きしめたとたん、

男の心の奥底にある不安や恐怖や邪な思いがあふれ出し、

様々なシーンやキャラクターとなって一種の悪夢を作り出す。

 

その素材となっているのはイギリスの歴史、

御伽噺や寓話、幻想文学、

そしてキリスト教文化の世界観。

 

それぞれのシーンに深い意味や思想性があるわけではないが、

それらを一つの楽曲として織り上げたセンスと技術がすごい。

 

バックの演奏も素晴らしいが、

特にこの曲を名曲の極みに持って行ったのは、

この時のヴォーカリスト、

ピーター・ガブリエルの独特の歌唱スタイルだ。

 

ガブリエルがジェエシス時代に築き上げたスタイルは、

自ら物語の主人公となって、その心情のみならず、

情景描写、他の人物のセリフ的な部分まで歌い分けること。

 

分かりやすく言うと、ミュージカルっぽい表現手法だが、

こんな奇抜な表現力をロック音楽の中で発揮できたのは、

先にも後にもガブリエルしかいない。

 

彼は後年、バンドを脱退し、

このスタイルを捨てて、本格的な歌手への道を歩むが、

ジェネシスのヴォーカリストとして遺したものは

他では聴くことのできない秘宝となっている。

 

ちなみにジェネシスは、最もビートルズに近い

プログレバンドである。

 

「サージェントペパーズ」などで

ビートルズが行なった実験音楽を発展させたのが

プログレッシブロックだとすれば、

それを一番忠実にエッセンスとして取り入れていたのが、

ジェネシスだ。

 

リアルなラブソングと

幻想・非日常の世界・ドラマを絶妙なブレンドで表現する。

 

この曲の中でも端々に、また、構成全体からも

「サージェントペパーズ」や「アビーロード」の影響、

ナンセンスファンタジーみたいな歌詞には

ジョン・レノンの影響が感じ取れる。

 

1975年にガブリエルが脱退した後、

ドラムのフィル・コリンズがヴォーカルとなり、

プログレを捨てて、ポップロックに転向して大成功を収めたのも

そんなバンドの成り立ちと歴史が要因ではないかと思う。

 

この時期のジェネシスは

「シアトリカル・ロックバンド」の異名を取り、

ピーター・ガブリエルが奇妙奇天烈な扮装で歌い踊るという

すごいパフォーマンスを見せていた。

 

そのライブ映像も楽しくて見ものだが、

今回は曲の全体像がわかるので、

あえてイラストで疑似アニメーションにした映像を選んだ。

 

20分超の大曲をイラスト化した労作で、

作者のジェネシス愛、ガブリエル愛が伝わってくる。

 

僕はELPを聴いて以来、

中学生の頃からプログレマニアだったが、

ジェネシスはそんなに聴かなかった。

その楽曲の持つ魅力と真価と普遍性に気づいたのは

割と最近のことである。

 

ピンク・フロイドもキング・クリムゾンも

今となっては懐メロ感が拭い去れないが、

ジェネシスはいまだ僕の中で進化を続け、

刺激的なイメージを送ってくる。

 


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富山の薬草の霊獣クタベのお札

 

クタベは、江戸末期に立山に現れた霊獣。

薬種を採取していた者の前に現れ、

「我が似姿を家々に配布して張り出せば、

流行り病を退けるであろう」と言い残し

立ち去ったといわれる。

中国の「白澤」と類似している。

 

富山県高岡市の国宝・高岡山瑞龍寺のお札である。

 

連休中、義父の命日があったので、

神戸から来た義妹夫婦と墓参りに。

その帰り、昼食に立ち寄ったレストラン「藍屋」で

富山特集をやっていた。

 

富山は義父の故郷である。

ご供養の意味を込めて富山天丼を食べたら、

このお札がおまけについてきた。

 

奇しくも同日、義母のワクチン接種の予約が取れた。

 

変異種が蔓延し始め、

人の心も自律性を失っているように見える。

オリパラに向けての政治的な不気味な動きも感じる。

 

日本においてコロナとの闘いが、

いまどのあたりに来ているのか?

終わりが近づいているのか?

それともまだこれからが本番なのか?

 

クタベ様に守ってもらって、

慌てず騒がず淡々と日常を続けるだけである。

 


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昭和28年を精神分析する妖怪小説

 

久しぶりに京極夏彦の妖怪小説を読んでいる。

古本屋であり、神道の祭司でもある京極堂と

薔薇十字探偵社の面々が活躍する、

このサイコミステリーは、

昭和28~29(1953~54)年あたりの時代を舞台に展開する。

 

その前年の昭和27(1952)年の

サンフランシスコ講和条約によって、

戦後7年間、日本を占領していたGHQは去り

(米軍基地は全国各地に残されたが)、

日本は国家としての主権を取り戻した。

 

しかし、まだその直後は、国全体が

独立した喜びよりも、頼ってた保護者をなくした

子どものような不安な心理状態のほうが勝っていた。

 

その不安心理が、妖怪という幻視となり、

恐ろしい殺人事件につながる。

京極堂妖怪小説シリーズは、

かの時代の精神分析を試みた作品だともいえる。

 

それは京極氏がデビューした、

平成が始まって間もない1990年代の平成初期、

そしてコロナ禍に見舞われた令和初期の現代と

共通する何かを持っているようだ。

 

作品の中には、昭和28年にはタブーだったと思われる

家族同士の相克・殺し合いの問題や、

ジェンダー問題などに切り込んだものもある。

 

今回のは京極堂の妹・敦子(雑誌記者)を主役に据え、

のっけから女学生らの河童をめぐる

可愛くてリズミカルなやりとりから始まる。

 

殺人事件の謎・人の心の暗闇を解き明かす

ミステリーであることに変わりはないが、

以前のヘヴィでダークななイメージと異なる

マイルド&ライトな感覚。

 

辞書みたいなぶ厚さだった旧シリーズと比べて

ボリュームも軽いので気楽に読める。

 

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5月6日(木)16:59まで。

 

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昭和のバナナ預金

 

バナナを預金する。

そんな発想は現代人にはない。

昭和を語る僕にもない。

しかし、認知症患者の義母にはある。

 

昨日、近所の八百屋に一緒にいったら、

店頭にどっさりバナナが一山280円で売っていた。

Lサイズのでかいのが10本くらい。

よくスーパーで売っている「甘熟」系の

おいしそうなやつだ。

値段的にも量を考えたら大安売りである。

 

義母はそれを見て目をキラキラさせ、

「バナナたべたーい💛」と口走る。

記憶が刺激されるのだ。

彼女の目には安っぽい、

緑色のプラスチックのざるに盛られたバナナの山が

キラキラ輝く黄色いお宝の山に見える。

 

なぜかと言えば―ー

 

かつて、昭和40年代頃まで

バナナは高級フルーツで、

庶民にとっては高根の花だった。

現代の感覚で言えば、マスクメロンであり、

高級イチゴやシャインマスカットなどに匹敵するのだろう。

入院患者へのお見舞いのフルーツバスケットには

威風堂々、ど真ん中にありがたくドカッと鎮座していた、

らしい。

 

昭和40年代の子どもである僕にも今一つ、

「バナナ=高級品」という実感がないのだが、

まぁ今ほど頻繁に食べられなかったのは事実だ。

 

で、バナナLOVEの義母が

お喜びで食べるのかと思いきや、

いざ食卓に出すと手をつけない。

必ず「今は食べない」という。

 

ではいつ食べるのかというと、

永遠に食べない。

だって食べたらなくなってしまう。

そんなもったいないことはできない。

なので、紙にくるんで懐に入れ、

大事にタンスの奥にしまっておく。

言ってみれば「タンス預金」である。

 

しかし、そんな行動をとられてはたまらない。

2~3日後にはバナナはタンスの奥で

ドロドロに溶けている。

今の季節なら、あっという間に虫がわんさか湧いて

部屋がとんでもないことになってしまう。

 

お持ち帰りしようとするのを慌てて阻止し、

「これはちゃんとお義母さんのためにとっておきます」

と言って取り上げる。

ちょっと胸が痛むが、しばらく他のことをやっていると、

もうバナナのことなど忘れている。

視覚情報がなくなると、自然に記憶から抜け落ちるのだ。

執着心はないので助かる。

 

あとからカミさんに

バナナは薄くスライスしてヨーグルトなどに入れて

「加工」して出さないとだめだと言われた。

子ども時代から若い頃まで

滅多に食べられなかったバナナ。

甘くて栄養もあって、お腹も膨れるバナナを

昔の分までいっぱい食べてほしいと思うのだが、

どうもそんな僕の願いは、

義母の昭和精神にはそぐわないらしい。

 

一生消えないトラウマのような、

燦然と輝く高級フルーツ像を刻みつけたバナナ。

義母にはいつも昭和の心を学ばせてもらっている。

感謝を込めて、お残しした分は、僕がいただきます。

 

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音楽から生まれる妄想力とライティング

 

今でも小説を書く時はもちろん、

ビジネスのサイトや書籍の文章を書く時にも、

頭の中の記憶バンクから好きな曲を引っ張りだしてきて、

勝手にテーマ曲にして書くことがある。

リズムやメロディを与えると、イメージが膨らみ、

文章が呼吸をしてするすると動き出す。

音楽リスニングで妄想力を養ってきたおかげで今の自分がいる。

 

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