東京ビッグサイトで12日から14日まで開催されている
「ギフトショー」に行ってきました。
太田区のブースの一角で「人生まるごと回想アルバム」を
紹介しているのは、株式会社テコデコドリーム研究所です。
アルバム本来の役割を見直す
アルバムに並んだ写真を見て、
過ぎ去りし日々を楽しむというのは、ごくありふれた行為で、
どこの誰でも実践していることのように思えます。
けれども、実はちゃんと写真を整理整頓し、
他者が見ても分かるよう管理できている高齢者はごく少数。
また、それが子供世代との間でコミュニケーションツールとして
活用されている例はさらに少ないようです。
「人生まるごと回想アルバム」は
そうしたアルバムが本来持つ役割を見直し、
可能性を伸ばすことによって生まれた商品です。
医療・介護の分野で注目の「回想法」
このアルバムは回想法で利用するシーンを
想定して作られています。
回想法とは1960年代初期に
アメリカの精神科医が開発したもので、
回想し過去の記憶をよみがえらせることで脳を活性化。
さらにその記憶を他者と共有し、
分かち合うことでより元気を出せるという精神療法です。
ご存じのようにこの10年ほどの間、
超高齢社会の進展に伴って認知症患者が激増。
それによってすでに相続などの分野で
様々な問題も起こっています。
そんな状況のなかで回想法は、認知症に対する予防効果、
あるいは症状の緩和・改善が期待できる非薬物療法として、
医療現場や介護施設、自治体の介護事業、
地域コミュニティーなどにも注目されています。
心療回想士のスタッフが開発
テコデコドリーム研究所ではスタッフ全員が
この回想法の基礎を学び、
心療回想士の資格を取得。
素材として写真を用い、
その写真を編集して作るアルバムに焦点を合わせました。
どうすれば親世代(高齢者)にとって、
より楽しく記憶をよみがえらせるものにできるか、
子供世代・孫世代とのコミュニケーションに
役立つツールにできるかを考えた上で設計し、
他にはないユニークな特徴と機能を持たました。
親子で楽しめるアルバムづくり
最も大きな特徴は、マグネット式アルバムを採用したこと。
家族みんなで閲覧しようという時、
アナログの分厚く重いアルバムを手に取るのは億劫で、
一人一人気軽に回して見るのに適していません。
また、スマホやタブレットのようなデジタル端末の画面上で
写真のデータを見るというスタイルだと、
みんなで見ている、家族で親の人生を共有している、
という感覚が持てません。
1ページずつ取り外しができるマグネット式アルバムは
そうした課題をクリアし、
家族で集まれば、自由に広げてみんなで見ることができ、
ページ追加も簡単にできるといいます。
また、記憶を呼び起こすためには“可視化”が重要。
家の中で目につく場所に写真があると、
ふとしたきっかけで大事なことを思い出したり、
家族への感情が深まることがあります。
通常、アルバムはしまっておくと中身が見えませんが、
ここでもマグネット式の利点を生かし、
お気に入りの写真があるページを
スチール製の壁や冷蔵庫に貼りつけて見ることができます。
また、アルバムそのものを360度開いて
そのままフォトスタンドとして使うこともできるといいます。
子供が親のためのアルバム編集者に
こうした特徴・機能を活かして同社では
「子供世代が高齢の親にためにアルバム編集者なること」
を推奨しています。
フィルムカメラの時代は、撮影後、
現像してプリントしなければ、写真を見られませんでした。
そのため、親世代が保存している写真の量・アルバムの量は
膨大であるケースが多く、
本人が亡くなった後は、(悲しいことではありますが)
そのほとんどを破棄しなくてはならないのが現実です。
それを踏まえて、テコデコのスタッフは、
子供世代が自分で見て貴重だと思える写真、
親のことを知らない子供や縁者の人たちが見ても
楽しめるような写真などを選び出し、
この「人生まるごと回想アルバム」を使って、
世代を超えて共有できるアルバム、
親孝行のツールとなるアルバムを作ってほしいと話していました。
施設のスタッフが心のケアにも手を伸ばせる
また、このアルバムは親が
介護施設で暮らすことになった場合にも
効果を発揮します。
介護施設のスタッフは、
親を「入居者=高齢の人」としか認知できないので、
毎日の食事や排泄の世話など、身体機能面でのケアはしますが、
感情面でのケアは天気のこと・庭の花のことなど
についてしか話せません。
生まれながらの高齢者など一人もおらず、
誰しも何十年という人生の道程、
無数の喜怒哀楽を経験してそこにたどり着くのですが、
スタッフはその一つとして想像するすべがないのです。
そんな時、このアルバムで子供時代や青春時代など、
親の人生のわずかな断片でも知ることができれば
「かわいいですね」「楽しそうですね」など、自然と会話が弾み、
心の介護・感情面のケアにも手を伸ばせるのではないか。
テコデコ研究所ではそうした期待も抱いています。
ちなみに、「回想法」の効果的な会話のポイントとして
「ほめ言葉は過去形にしないで現在形で話す」そうです。
還暦スタッフの第2のスタートアップ
テコデコドリーム研究所は、
もともとキャラクターと音楽コンテンツを
メイン事業とする会社で、
かつては各種アミューズメント施設やイベントなどで
若者や家族連れの人気を集めていましたが、
いずれも家庭の主婦を兼任していた3人のスタッフが
家族の介護に専念するために一時企業活動を休止していました。
その間、代表の池尾里香さんが施設に入居した
独身の叔母の家の整理をした際に、
それまで見たことのなかった若い叔母の
いきいきした姿の写真を大量に発見。
その中から自分の目で選んで一冊にまとめたアルバムを
本人に見せたところ、認知症気味だった叔母が大いに喜び、
互いに思い出を共有できたといいます。
同社の3人は、中小企業振興公社主催の
「事業家チャレンジ道場」で約2年間、
ものづくり・最新のマーケティング技術を勉強する中、
介護経験と回想法を活かした今回の事業を考案しました。
誕生日、母の日、父の日、施設の訪問時、
米寿や喜寿のお祝い事などに、
子から親への真心こもったプレゼントに使ってほしいというのが
彼女らの提案です。
永続的な親孝行の実現をサポート
「人生まるごと回想アルバム」は、
葬儀の遺影や式場の思い出コーナーの写真などに
使えることはもちろん、
その後の法事の場でも集まった人たちに
親の人生を偲んでもらうこと、
また、孫やその後の世代に伝えていく
「ファミリーヒストリー」としても
役立てることができるといいます。
池尾さんと、実の姉である綿井さんは、
両親の法事の席で親戚一堂にこのアルバムを見てもらったところ、
たいへん盛り上がり、皆、新鮮な感動を受けたといいます。
それがまた両親に対する供養に繋がるのでしょう。
これは単にアルバムを販売するビジネスでなく、
アルバムづくりを通して、
永続的な親孝行の実現をサポートする事業
といえるかもしれません。
もしギフトショーに行かれる方は、
ビッグサイト南館にある大田区のブースで、
ぜひ実物を手に取ってみてください。
また、このアルバムのサイトはこちらです。
https://tekodekorecollection.com/
「南総里見八犬伝」は
江戸時代の作家・滝沢馬琴が書いた長編小説。
1814年に始まって、
1842年の完結まで28年かかって世に出された、
世界に誇れる傑作エンタメファンタジーです。
運命に導かれて集まった仲間が
力を合わせて敵と戦うという勧善懲悪パターンは、
神秘的かつ痛快で、この活劇をモチーフにした
コンテンツが200年の間に続々と作られました。
今日の日本のマンガ・アニメ文化の基盤を築く
一要素になったことは、疑いようがありません。
僕の八犬伝との出会いは、
小学生の時に見たNHKの人形劇でしたが、
それ以後も「八犬伝」から
いくつもの映画やマンガが生まれるのを見てきました。
いちばん最近のものは、
昨年秋に劇場公開された映画「八犬伝」でしょう。
僕は見逃していたので、先日、アマプラの配信で視聴。
公開の時は評判はイマイチだったようですが、
とても楽しめました。
虚と実、二つの世界がパラレルで進む構成で、
虚はご存じ、八犬伝の活劇世界です。
原作に忠実なのはいいのですが、
ストーリーの上っ面をサーっと撫でているという感じで、
今一つ物足りないのですが、
それでもやっぱり面白いのは、さすが八犬伝。
名刀・村雨を持つ犬塚信乃、女装の犬坂毛野、
少年剣士の犬江親兵衛などはとてもイケメンで、
画面も派手で美しい。
それに対する実の世界では、
作者・滝沢馬琴と絵師・葛飾北斎、
二人のむさいジジイの対話で進みます。
これに「東海道四谷怪談」の戯作者・鶴屋南北が絡んだりして、
彼らの創作に対する考え方・思いが伝わってきて味わい深く、
このむさいじいさん・おっさんたちから
ああした華麗な物語や絵画が生まれたのが面白い。
まるで現代人のような、滝沢馬琴の家庭の事情
(一人息子がニート状態)も描かれていて、
これも考えさせられます。
いよいよ最終章、物語がクライマックスに差し掛かったところで
馬琴は失明。目が見えなくなり、執筆できなくなります。
「八犬伝」は未完の大作に終わるかと思われたときに、
代筆者として名乗りを上げたのが息子の嫁でした。
この嫁は無学で字もろくに書けない女性なのですが、
義父である馬琴が字を教えながら、二人三脚でがんばり、
わずか8か月で残りを仕上げ、物語を完成させます。
すごく感動的なエピソードですが、
この嫁がどうして馬琴に尽くし、代筆をやろうと思ったのか?
夫を先になくして寂しかったから?
義父のことを好きだったから?
「八犬伝」が好きだったから?
そのあたりがドラマとして描かれていないので、
どうも腑に落ちないのですが、それでも物語は最期を迎え、
馬琴の仕事は成就しました。
そして、まるで最近の
ファンタジー系アニメやマンガのお約束事のように、
戦いで命を落とした犬士たちも生き返るのです。
僕も小説などを書いているので、虚実が融合し、
馬琴と八犬士が遭遇するラストシーンには、
涙を抑えきれませんでした。
不平・不満はありますが、やっぱり八犬伝は面白いし、
創作の舞台裏も描かれたこの映画には、
単なるエンタメを超えた奥深さがあると思います。
思わず聞き返したくなるような、このタイトル。
いやいやいや、やっぱ死ぬのは怖いですよ。
そうなの? じゃあチョット江東区森下までいらっしゃいよ。
ママといっしょに、あなたらしい生と死について考えましょうよ。ってなことを言っちゃうのが、
この本の著者・村田ますみさんです。
森下にあるのは「めめんともり」という、
1年前にオープンした、たぶん日本初の終活スナック。
「カラオケないけどカンオケあります」をキャッチフレーズに、
夜な夜な大人が集まって、
一杯やりながら「生きるとは?」「死ぬとは?」と語り合い、
それぞれの死生観を養っているところです。
「メメント・モリ(Memento Mori)」
=ラテン語で「死を思え」。
年齢にかかわらず、君も僕も明日死んでしまうかもしれない。
その可能性を忘れずに、今を大事にして生きろ。
悔いがないよう、好きなことをやって生きろ。
そんなメッセージとともに、
最近、わりとよく耳にする言葉ではありませんか?
自分はどう生きるのか?=どう死ぬのか?
といった哲学的な思考を、世代を問わず、
みんながいっせいに始めたのかもしれません。
そうした時代の空気から
終活スナック「めめんともり」は生まれたわけですが、
なんと、今月には早くも2号店が沖縄・那覇にオープンしました。村田さんはこの2つの終活スナックのオーナーで、
夜ごとお客さんの話を聞き、
自分の考えをまとめながら、
この本を書いたようです。
内容概略(もくじ)は下記の通り。
第1章 なぜ終活スナック?めめんともり開業のルーツを辿る
第2章 あなたの理想の死は?
第3章 棺桶に入って生まれ変わる!?
第4章 自分らしい最期を大切に
第5章 多様な選択ができることで、死の捉え方がかわる
第6章 自分らしい最期を迎えるために必要なこと
とても楽しく読めるエッセイなので、
ぜひ手に取ってみてください。
2月27日発売予定です。
ちなみに村田ますみさんは、
日本における海洋散骨のパイオニアでもあります。
以前、僕がテレビの情報番組の仕事に携わっていたころ、
多くの女性が「夫の家のお墓に入りたくない」
という声を上げ始めていました。
それから30年あまりがたち、娘世代になると、
こうした従来の葬儀供養のあり方に異を唱える
女性がますます増えています。
そして、前の世代と違うのは、
彼女らは単に不平を言うだけでなく、
勇気をもって自ら行動し、
これまでの葬儀供養にまつわる
常識・社会通念を変えようとしています。
村田さんもその一人で、
彼女の言動に共感した多くのフォロワー事業者が現れ、
あれよあれよという間に、海洋散骨は、
すっかり葬送の選択肢の一つになった感があります。
時代が変われば、生き方も、死に方も、葬送も変わる。
終活スナック開業の背景から、
理想の最期について考えるヒント、
入棺体験を通じた「生まれ変わり」のプロセス、
そして、終活の実践的なアドバイスまで、
いつか死を迎えるあなたや僕に向けて語りかけてきます。
死は恐れるものではなく、生き方を見つめ直すもの。
でも、ホントに怖くないですか、村田さん?
自分の中で特にヒーロー視する人物はいませんが、
佐野元春さんだけには注目しています。
かつて「つまらない大人にはなりたくない」
と歌っていた佐野元春ももう70に近い齢。
口だけでなく、本当につまらない大人にならなかった。
齢をとれば取るほどカッコよくなっていることは、
コヨーテバンドを率いて演奏する
彼の姿を見れば、誰もが認めるところです。
現代を生きる人間として、ある種の理想的。
He has aged badly.
座標となる「ポーラスター」です。
その佐野元春が、昨年はコヨーテとともに
「ヤングブラッズ」を、
今年は「ガラスのジェネレーション」をリメイク。
どちらも元気の出るご機嫌なロックナンバーでしたが、
いまの彼が歌うと、少し切なさを帯びた、
とても深みのある歌に聴こえてきます。
ここでニューバージョンを作ったのは、
オールドファンへのサービスなのか?
若い世代へメッセージを送ろうとしているのか?
いや、もしかしたら同世代のシニアたちに、
もう一度、「荒ぶる胸の思いをよみがえらせろ」
「つまらない大人になるな」と
鼓舞しようとしているのかもしれません。
個人的には自身のニューヨーク体験を
サウンド化した「ヴィジターズ」(1984年)が好きなので、
あのアルバムの曲をリメイクしてほしいと思っています。
特に40年前、日本人として初めてヒップホップを導入した
「コンプリケーション・シェイクダウン」。
あのクールな傑作を、
新しい歌詞で再現してくれるとうれしい。
♪フィジカルなダンス メンタルなダンス
システムの中のディスコティック
というサビの歌詞は、40年前よりむしろ現代こそ響く言葉。
佐野元春の歌を聴くと、僕もまだまだこれからだ、
時代の流れに抗って生き続けるべきだと思うのです。
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昨夜よりもっといい夢を見る方法
「生きる」をテーマにしたエッセイ第6集。
人生の半分は夜。だったらもっといい夢みなきゃな。そう思ったら読んでみてほしい。
生きるのが楽しくなる36のエッセイ。
小さな劇場の何もない舞台は、想像力が刺激される、
自由で可能性に満ちた空間です。
今日はここで「星の王子さま」の舞台を見ました。
原作はもちろん、サン・テグジュペリの童話。
壁面全体にしわをつけたベージュの模造紙を張り付け、
あの物語の舞台になる砂漠のイメージを表現しています。
内容は原作をなぞるものではなく、
生演奏やダンスが随所に交じる、
音楽劇風・イメージコラージュ風の構成。
前半は、王様、実業家、のんべえ、点灯夫など、
へんな大人がいる星をめぐる旅など、
原作に出てくるエピソードを仮面劇で見せたり、
後半は王子様とキツネがともに
パリと東京を合わせたような、
きらびやかな都会の街を探索したり、
地下にある死の国をめぐり歩く
オリジナルのエピソードを取り入れたりと、
自由自在な展開で、不思議な世界に引き込まれました。
王子様役の女性はクラシックバレエの心得があるようで、
随所で王子の心情をダンスで表現します。
彼女のビジュアルは、絵本のイラストそっくりでありながら、
不思議なエロシティズムと、
物語全体を包む切なさ・寂しさが感じられて魅力的でした。
上演したのは、
カミさんの仕事仲間である鍼灸師の奥さんが主宰する
「クリスタルレイク」というグループ。
この奥さんというのは、もともと新劇俳優で、
劇団新人会のメンバーだった人だそうです。
大ベテランですが、キツネ役として登場した
彼女の動きはキレがよく、
せりふ回しもクリアで「生涯現役」を感じさせました。
僕たちはこうした小劇場演劇に感化された世代ですが、
昨今の舞台演劇は、
やる側も見る側もシニア世代のものになりつつあるようです。
これも時代の趨勢なのでしょうが、
若い人たちにも、こうした変幻自在の小さな空間で描かれる
リアルでアナログな演劇の空気を、
若い人たちにも、ぜひ体験してほしいと思います。
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昨夜よりもっといい夢を見る方法
「生きる」をテーマにしたエッセイ第6集。
人生の半分は夜。だったらもっといい夢みなきゃな。そう思ったら読んでみてほしい。
生きるのが楽しくなる36のエッセイ。
今日、1月31日は「愛妻の日」です。
「日本愛妻家協会」なる団体が
1(アイ)・31(サイ)という、
かなり苦しい語呂合わせから生み出した記念日です。
これをネタにした
「愛妻家・愛夫家は人生の成功者?」という
エッセイを2年前に書きました。
拙著「昨夜よりもっといい夢を見る方法」の
最初に採録しています。
人生の成功と言えば、大金を稼いで大金持ちとか、
仕事で大活躍とか、有名になったとか、
たくさんの人に認められたとか、
社会的に高い地位に就いたとか、
通常語られるのはそうしたことです。
若い時代には、おそらくそこに
「恋愛の成就」「結婚」というものも
含まれると思います。
しかし、これはいったん手にして齢を取ると、
かつての輝きを失って色あせてしまうことが多いようです。
そして進行すると、妻ネグレスト、夫ネグレストになります。
それでも互いの利害のためにするずる関係を続けるのは、
人生全体から見ると、
離婚より始末が悪いことになりかねません。
最近は投資ばやりですが、
このエッセイで書いたのは、
いつまでも妻を愛せる、夫を愛せることは、
人生において、最大のリターンが見込める、
最高の投資ではないか―ーということです。
器用でどんな仕事も楽々こなせる人と、
不器用で何をやっても下手な人とがいるように、
モテモテなのに、誰ともうまく関係が結べない人と、
モテないけど、苦もなくよい恋愛・結婚関係を
結べる人とがいるようです。
異性としての魅力に加え、人間性、相性、
運・タイミングなど、多様な要素が絡むので難しいのですが、
最近の若い衆は自分のライフプランにこだわりすぎたり、
周囲の情報に振り回されすぎではないかと思います。
恋愛・結婚こそ、人生最大の勘どころ。
ひとの意見やアドバイスを取り入れるのが
全部ダメとは言いませんが、
あくまで自分の直観力を信じて、
相手とともに迎える未来を想像しながら
挑むべきではないでしょうか。
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昨夜よりもっといい夢を見る方法
「生きる」をテーマにしたエッセイ第6集。
人生の半分は夜。だったらもっといい夢みなきゃな。そう思ったら読んでみてほしい。
生きるのが楽しくなる36のエッセイ。
あなたの心にゆらぎを送り、
あなたの人生をほんのり照らす。
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人生の半分は夜。だったらもっといい夢みなきゃな。
そう思ったら読んでみてほしい。
生きるのが楽しくなる36のエッセイ。
ブログ「DAIHON屋のネタ帳」
2022年9月から23年末のなかから抜粋。
もくじ
・愛妻家・愛夫家は人生の成功者?
・「芝浜」と女落語家
・名古屋の母と母校の話
・入学祝いはやっぱり桜
・百年生きるホモサピの世界はこれから
・リンゼイ・ケンプのダンスの記憶
・これからどうやって旅に出るか?
・自分の未来、世界の未来、子どもの未来
・母の日・父の日に感謝のプレゼントなんかいらない
・ときにはダンゴより花
・4630万円の振り込み
・なぜ宝くじに当たるとほとんどの人が破産するのか?
・井上ひさしと笑いについて
・人生は長くて短い
・「南の島でのんびり」なんてFIREしなくてもすぐできる
・潮騒の音楽を楽しむための海
・アナログマジックの残暑お見舞いとデジタル発信の効用
・いい夢を見る方法
・なぜ30年前のトレンディードラマには お彼岸が出てこなかったのか?
・親より先に死んではいけません
・余命7年で行こう
・女じゃなくなる恐怖
・おとなの言うことなんか聞かなくても 人生、春は来る。
・おすすめ本「なんで家族を続けるの?」
・こっそりカメ走
・人生は地中に埋もれた化石のようなもの
・アーカイブ世代のクロニクル研究
・なぜ名古屋人は福井・鯖江産の純金製メガネを買うのか?
・ロンドンライフと労働・カネ・芸術の話
・9月15日はロージンの日?
・お祭リベンジ
・同窓会の話
・地球の重力に逆らうべからず
・地球家族の「争族」を辞めさせるための宇宙人待望論
・京都で考えた観光立国ニッポンの生き方
・美しきニューヨークのカレンダー
認知症の義母は、夫(義父)の遺影を見ると、
いつも「この人だれ?」ときいてきます。
何十年も夫婦としていっしょに暮らしてきたのに、
まったく覚えていないのです。
ある仕事で人生相談の相談文を頼まれたので、
このことをネタにして女性(娘)の悩みを書いてみました。
「あんなに仲の良い夫婦だったのに、
父のことをすっからかんに忘れてしまった母が
憎いやら、悲しいやら、やるせないやら・・・」
と、えんえん自分の心情を吐露し、
「結局、愛し合うってどういうことなのでしょう?
どうして人と人とは愛し合うのでしょうか?」
と、相談者に問いかける文章です。
20世紀・21世紀生きる僕たちは、
生まれてから、テレビ、映画、マンガ、小説、ゲームなど、
毎日いろいろなコンテンツに触れているので、
「永遠の愛」とか「不滅の絆」なんて
ドラマチックなものを信じてしまいがちです。
しかし、実はそれは作られたもので、
人間の真実の姿とは
かけ離れたものではないかと思うのです。
すっかり子供みたいになってしまった
義母の相手をしていると、つくづくそう感じます。
結局、寒くもなく暑くもない、
適度に衛生的で快適な環境に身を置いて、
毎日うまいものを食べて、
面倒を見てくれる誰かがそばにいれば、万事OK。
幸福に、満ち足りて眠りに落ちる。
それが人間の本質なのだと、
義母には教えてもらっているようです。
けれどもみんながそんな本質的な部分だけで生きていたら、
人間の社会生活はままなりません。
というか、そもそも人間社会というもの
が成り立たなくなります。
僕たちには、愛とか夢とか自由とか理想とか、
そういう美しい幻想が必要です。
それは個人的なものでなく、
むしろ社会的な要求です。
生きるとは、ひとりひとりが
死ぬまでそうした幻想を抱き続けること。
僕も願わくば、最期までそうありたいので、
そのために毎日、
こうしていろいろな
文章をこねくりまわしているような気がします。
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1月30日(木)17:00~2月3日(月)16:59
昨夜よりもっといい夢を見る方法
「生きる」をテーマにしたおりべまことエッセイ第6集。人生の半分は夜。だったらもっといい夢みなきゃな。そう思ったら読んでみてほしい。
生きるのが楽しくなる36のエッセイ。
ブログ「DAIHON屋のネタ帳」2022年9月から23年末のなかから抜粋。
10時間超のフジテレビの会見。
全部見ていたわけではありませんが、
僕にとっては遠藤副会長の
「間違った万能感を植え付けられた」
という言葉がとても印象に残りました。
昨日、壇上に上がって記者会見を行った役員は、
フジテレビ黄金時代をつくり上げた
ディレクター、プロデューサーの皆さんです。
35年ほど前、僕はADやリサーチャーをやっていて、
テレビ番組の制作現場にも少し携わっていましたが、
当時は「フジテレビの仕事に携わっている」というだけで
誇らしいこと、優越感を持てることでした。
彼らはいわば業界人のリスペクトを集める敏腕クリエイター、
まさに万能神だったのです。
それがあんなさらし者にされるとは・・・。
昨日の記者会見は、
輝いていたテレビ界の落日を見るかのようでした。
そして同時に、ひどい矛盾も感じました。
これだけみんながカネ、カネ、カネと言っている
世の中でありながら、
「カネもうけより人権が大事」??
どんな業界の会社にもそれが求められているというのです。
でも、本当にそれが実現されている日本の会社は、
フジテレビに限らず、まだほとんどないでしょう。
昭和末期から平成前期、
「カネもうけより人権が大事」なんて言おうものなら
笑いものにされました。
「大事にしてほしけりゃ、面白いもの、
ウケるものを作ってみろ」
そういうなかで勝ちあがってきたのが、あの役員さんたちです。
変わろうにも変われるはずがありません。
新刊の「昨夜よりもっといい夢を見る方法」には
「なぜ30年前のトレンディードラマには
お彼岸が出てこなかったのか?」
という一編があります。
まだあの時代を懐かしがっています。
残念ながら、僕もフジテレビの役員さんたち同様、
あの時代の残像に支配され、
まだ頭がちゃんとアップデートされていないようです。
過去を清算し、頭をクリーンアップするためにも、
この際、しばらくの間、
彼らが作ったフジテレビ黄金時代の番組を
地上波で一挙に放送してみてはどうでしょう?
出演者の権利問題もあるので、可能な分だけですが。
人が変わるのは、とても難しい。
人が集まって作る組織が変わるのは、さらに難しい。
フジテレビだけじゃありません。
どこの会社も明日は我が身です。
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昨夜よりもっといい夢を見る方法
「生きる」をテーマにしたおりべまことエッセイ第6集。人生の半分は夜。だったらもっといい夢みなきゃな。そう思ったら読んでみてほしい。
生きるのが楽しくなる36のエッセイ。
ブログ「DAIHON屋のネタ帳」2022年9月から23年末のなかから抜粋。
是枝裕和監督の映画「怪物」を見た。
息子を愛するシングルマザー、
生徒思いのまじめな小学校教師、
そして無邪気な子どもたちが送る平穏な日常。
それがある小さな事件がきっかけでガラガラと崩れる。
その背後にいるのは、正体不明の怪物。
ひとことで言えば、
タイトルの「怪物」とは誰か?何か?を追究する物語だ。
それは親なのか? 教師なのか?
学校という組織なのか?
それとも子供たちなのか?
いったい何なのか?
前半は学校と家、地域を舞台とした、
リアルでドキドキするサスペンス。
そして後半からクライマックスは、
それが一種のファンタジーにまで昇華する。
還暦を超えても全く衰えを感じさせない
是枝監督のクリエイティビティに舌を巻く。
音楽は最晩年の坂本龍一。
坂本龍一と言われなければ、
わからないくらい主張は少ないが、
随所でとてもいい味を出している。
そして脚本は坂元裕二。
いまや日本を代表する脚本家だが、
彼は1987年に初めて行われた
「フジテレビヤングシナリオ大賞」の受賞者。
つまり、フジテレビが発掘した才能だ。
1991年の、あのフジ・トレンディドラマの代表作
「東京ラブストーリー」の脚本を手掛けた人でもある。
坂元氏はその後、テレビ業界が嫌になり、
一時的にテレビドラマの脚本を書かなかったこともあり、
最近はもうプロフィールにも
「東京ラブストーリー」については触れられていない。
そんな大昔のことなど持ち出す必要もなく、
クオリティの高い作品をコンスタントに手がけ、
充実した活動を展開しているからだろう。
この作品は、第76回カンヌ国際映画祭の
コンペティション部門で脚本賞も受賞している。
そんな坂元氏を輩出した1990年代のフジテレビは、
恋愛を中心としたトレンディから
先鋭的なサイコサスペンスまで、
ドラマの制作能力がとても高く、
TBSと競い合うように傑作・問題作を次々と放送していた。
それはもうすっかり過去の話だが、
そうしたコンテンツ制作の資産は残っているはずだ。
サザエさんや、ちびまる子ちゃんや、
ガチャピン&ムックもいる。
このままダメになるのは、あまりに惜しい。
けれども再出発のためには今いる、
過去の栄光に浴した経営陣営陣ではダメなことは明らか。
なんとか改革して、また優れたコンテンツ、
動画配信をしてほしいと願う。
フジテレビの話に傾いてしまったが、
是枝映画「怪物」はほんとに傑作。
カンヌで認められた、なんて話はどうでもいいので、
ぜひ、このドラマの奥に潜む怪物を
自分の目で発見してほしい。
中居問題・フジテレビ問題がこんなことになって、
なんだか嫌な気持ちになっています。
芸能界とかテレビって、もともと一般社会とは隔絶した、
理不尽だったり、いい加減だったりする世界だったはず。
そして、そうした世界で成功し、活躍できる、
エンターテインメントの才に長けた人たちは、
常人離れしたエネルギーを持っている人たちです。
普通の人たちは、毎日お祭りやっているような
「ハレ」の日ばかりだと疲れちゃって、
とても持たないけど、
あの世界の人たちは、それができちゃうわけです。
で、一般ピープルもそういう「ハレ」の部分を楽しんだり、息抜きとして利用していたと思うのですが・・。
ということをいうと、
中居君がやったことやフジテレビの疑惑を
肯定しているかのように思われるかもしれません。
そうではないのですが、
かつての「面白くなければテレビじゃない」
「きっかけはフジテレビ」みたいなノリは、
一般社会とは異なる、理不尽だったり、
いい加減だったりすることころから
出てきたのだと思います。
あの時代のフジのドラマやバラエティも、
つくる側のそうしたエネルギーと、
視聴者側の「ハレ」を楽しみたい気分が合致して
質の高いものになっていたのではないでしょうか。
あれから30年~40年あまり。
社会が成熟し、そんな面白ノリよりもっと大事な
人権やモラルが優先される世のなかになった
ということでしょう。
それはきっといいことなのだと思います。
ただ、僕は正直言って、
そういう空気に何とも言えない息苦しさも
感じてしまうのです。
少なくとも、詳しい事実関係もわからずに
「中居は、フジは」と、声高に糾弾する気にはなれません。
話はちょっと飛ぶけど、
今年初めのNHKスペシャル「ネオ・ジャポニズム」で
マンガの特集をやっていました。
今、日本のマンガは欧米の先進国だけでなく、
アジアやアフリカなどの新興国、
また、戦場になっているウクライナなどでも
読まれているといいます。
番組ではその理由について、
日本のマンガの世界の中に「心の解放区」が
あるからでないか、と表現していました。
かつてのフジのドラマやバラエティ番組に代表される
「テレビ的なるもの」は、
まさにその「心の解放区」だったのでしょう。
今、その役を担うのは、テレビではなく、
マンガやアニメ、ネットの世界なのかもしれません。
中居君と被害女性の間で、本
当は何があったのかは、本人同士でないと分からないし
、互いの心情を客観的に判断するのは難しいと思います。
ただ言えるのは、芸能がらみの世界でずっと続いてきた、
そして、当たり前と思われてきた、
(実力・才能がある)男がおいしい思いをできるという
習慣というか、文化は、
今後、わりと速い速度で廃れていくのは確かでしょう。
その先にやってくる新しい常識の世界がどんなもなのか、
まだちょっとクリアには想像できませんが。
1月21日は誕生日なので、
何人かの方からメッセージをいただきました。
ありがとうございます。
ただ、これからの方のために言っておくと、
65歳の誕生日は、
本人にとってそんなにおめでたいものではありません。
単純に1つ齢を取った、ではなく、
「さあ、あんたも高齢者の仲間入りだよ」ということを
嫌でも思い知らされるからです。
具体的に言うと、役所から介護保険証が送られてきます。
年金のナンタラ通知も到着します。
その他、体力測定を受けたり、
健康診断の通知も次から次へときそうです。
会社員の場合は、当然、定年退職の手続きもあるでしょう。
ありがたいやら、鬱陶しいやらですが、
これら一つ一つの事象が、
ボディーブローのように効いてくる感じがします。
ちょっと気にし過ぎなのかもしれません。
「へっ、そんなもの気にしちゃいねえぜ。
おれは今まで通り、おれだぜ」
と、ロックンロールなセリフが吐ければいいのですが、
そんなに強くもカッコよくもないので、
ちょっとため息を漏らしています。
これをお読みのあなたは、
もっとしっかりしていると思いますが、
自分の時のために
「あいつ、65の誕生日の時に
こんなこと言ってビビってたな」
と、心に留めておいてください。
ちょっとは心構えが違ってくると思うので。
というわけで、あまりおめでたくもない誕生日ですが、
数日前、カミさんに新しいコートを買ってもらったので、
ごきげんで生きてます。
あなたにとっても、
これを読んだ日が、良い日になりますように。
おりべまこと電子書籍新刊
昨夜よりもっと
いい夢を見る方法
「生きる」をテーマにしたおりべまことエッセイ第6集。
人生の半分は夜。だったらもっといい夢みなきゃな。
そう思ったら読んでみてほしい。
生きるのが楽しくなる36のエッセイ。
AmazonKindleから発売中。¥360
受験シーズン。
かつては受験について「四当五落」
という言葉がありました。
これは「4時間睡眠なら合格・5時間だと落ちる」
つまり、合格したけりゃ寝る時間を削って勉強しろ!
根性出してぶっ倒れるまでガンバレ! という意味です。
さすがに今どき、こんなことを言ったら、
ひんしゅくを買ったり、笑われたりしますが、
昭和世代の人たちは、受験でも仕事でも、
「ねたら負け」神話に洗脳されていました。
僕も21世紀のはじめ頃までは、夜中、
いつもふらふらになりながら仕事をやっていました。
「俺は徹夜でやっている!」
「みんな、徹夜でがんばろう!」
テレビ・イベント・映像制作などの職場だったので、
そんな空気が社内に充満し、
おかしな自己満足と、一種のイベント感がありました。
若かったので、それなりに楽しかったのですが、
もちろん、今はもう無理です。
マインドセットが「ねないでガンバレ」から
「ねなきゃダメダメ」に変わったのは、割と最近。
ここ10年ほどか、
せいぜい平成後半からではないでしょうか?
睡眠の重要さは、さかんに唱えられるようになりましたが、それに付随して、
夢の重要さが語られることはあまりありません。
夜でも明るくなった現代、とくに都市部では、
世界の半分、人生の半分が夜であること、
さらにその大半である睡眠時間は、
自分の意識を離れた夢の世界であることは
忘れられがちです。
夢から文学や芸術を生み出す人がいます。
夢から仕事のヒントを得るひとがいます。
夢から自分の運命を考え、人生を変える人もいます。
昔の人はかなり「夢のお告げ」
みたいなものを重要視しました。
そう考えると、
昼間の仕事や生活に閉塞感を感じている人は、
もっと夢みることを大切にしていいのではないかと
思います。
それにいい夢を見ると、
単純に幸福で元気な気持ちになれますよ。
そんな思いから書いた「いい夢を見る方法」をはじめ、
何をすれば人生楽しくなるか、
世の中がちょっとは面白くなるかについて、
自身のブログで綴った36のエッセイを電子書籍にしました。「生きる」をテーマにしたシリーズの第6弾です。
読めば、人生がちょっと元気に、楽
しくなるかもしれません。
本日1月20日から発売。
おりべ まこと 電子書籍新刊
「昨夜よりもっといい夢を見る方法」
AmazonKindleから発売中。¥360
「生きる」をテーマにしたエッセイ第6集。
人生の半分は夜。だったらもっといい夢みなきゃな。
そう思ったら読んでみてほしい。
生きるのが楽しくなる36のエッセイ。
ブログ「DAIHON屋のネタ帳」
2022年9月から23年末のなかから抜粋。
●もくじ
・愛妻家・愛夫家は人生の成功者?
・「芝浜」と女落語家
・名古屋の母と母校の話
・入学祝いはやっぱり桜
・百年生きるホモサピの世界はこれから
・リンゼイ・ケンプのダンスの記憶
・これからどうやって旅に出るか?
・自分の未来、世界の未来、子どもの未来
・母の日・父の日に感謝のプレゼントなんかいらない
・ときにはダンゴより花
・4630万円の振り込み
・なぜ宝くじに当たるとほとんどの人が破産するのか?
・井上ひさしと笑いについて
・人生は長くて短い
・「南の島でのんびり」なんてFIREしなくてもすぐできる
・潮騒の音楽を楽しむための海
・アナログマジックの残暑お見舞いとデジタル発信の効用
・いい夢を見る方法
・なぜ30年前のトレンディードラマには
お彼岸が出てこなかったのか?
・親より先に死んではいけません
・余命7年で行こう
・女じゃなくなる恐怖
・おとなの言うことなんか聞かなくても 人生、春は来る。
・おすすめ本「なんで家族を続けるの?」
・こっそりカメ走
・人生は地中に埋もれた化石のようなもの
・アーカイブ世代のクロニクル研究
・なぜ名古屋人は福井・鯖江産の純金製メガネを買うのか?
・ロンドンライフと労働・カネ・芸術の話
・9月15日はロージンの日?
・お祭リベンジ
・同窓会の話
・地球の重力に逆らうべからず
・地球家族の「争族」を辞めさせるための宇宙人待望論
・京都で考えた観光立国ニッポンの生き方
・美しきニューヨークのカレンダー 全36篇
おりべ まこと 電子書籍新刊
「昨夜よりもっといい夢を見る方法」
1月20日、AmazonKindleから発売予定。¥360
「生きる」をテーマにしたおりべまことエッセイ第6集。
人生の半分は夜。だったらもっといい夢みなきゃな。
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・地球家族の「争族」を辞めさせるための宇宙人待望論
・京都で考えた観光立国ニッポンの生き方
・美しきニューヨークのカレンダー
今朝はとても美しい夢を見てめざめた。
最近、何かいいことあったっけ?
と振り返ってみたが、特に思いつないので、
未来方面に目を向け、近々いいことがあるのかな?
と期待してしまう。
たかが夢でこんなに良い気分になるなんて、
ほとんど記憶がない。
もしかしたら人生を変える夢になるかもしれないと、
ちょっと大げさなことまで考えた。
そして「良い夢を見る方法」
なんてものがあるのだろうかと思って、
学者・研究者のサイトを検索してみたが、
とくにそういうものはないようだ。
強いていれば悩みごとを抱え込まないとか、
良い睡眠をとるとか、
その程度のごくごく当たり前のことしか書かれていない。
「良い睡眠をとる方法」と
[良い夢を見る方法」とは別だと思う。
記憶がどうこう、潜在意識がどうこうなど、
いろいろ説明はできるようだが、
結局、科学的に解明できないし、
メソッドなんて誰も編み出せない。
だから夢は面白い。
そこで今朝の夢を参考に、
自分で「良い夢を見る方法」を考えてみた。
・自分にウソをつかないこと。
・ある程度、人を慮って丁寧に接すること。
・好きなものは好き、面白いものは面白いと、
声に出したり、紙に書き出したりすること。
・自分を見失わないよう、
いつも、できるだけ心の中を整理整頓しておくこと。
要は本来の自分を大切にして、自分らしく生きるという、
ごくありきたりのことばっかりだけど、
夢が人生を映し出すとすれば、こうなるのだと思う。
夢は潜在意識からの贈り物だ。
潜在意識は、無意識の領域の一部であり、
無意識は個人的なもののほかに「集合的無意識」がある。
個人の経験による無意識よりも深く、
太古の時代からの無数の人々の
体験や記憶などが含まれており、
夢や神話の起源とも考えられている。
そして、過去ばかりでなく、
未来の誰かが体験する記憶であるとも考えられる。
僕たちは、人類、さらには地球の、
何百年か何千年か何万年か続く、
ストーリーの一部になっているのかもしれない。
眠りの中でそうしたストーリーの断片を時々、
見ているとしたら、
夢の世界にはもっと可能性が見いだせるだろう。
もうすこし経って、また科学が進歩し、AIが進化したら、
そうした夢の研究が進み、解析が行われるかもしれない。
そして、国家とか、企業とか、財閥とかの支配層が、
最後に残されたフロンティアを開拓するために、
「ためになる夢、役に立つ夢、利用しがいのある夢」
を見るメソッドを開発し、
ドリームマシンみたいなものを作り出して、
夢を征服しよう・管理しよう・搾取しようと
するかもしれない。
——という夢の話、というかSF的妄想もふくらんでくる。
でも願わくば夢は夢として、
「ああ、良い夢みたな」と楽しくなって、
後は忘れてしまいたい。
いずれにしても良い夢、
美しい夢を見られることは幸福なこと。
あなたも初夢だけでなく、
年中たくさん良い夢を見られますように。
おりべまこと電子書籍新刊
エッセイ集「生きる」シリーズ6
「良い夢を見る方法」
1月20日(月)AmazonKindleより発売予定。¥300
今日は義母の90歳の誕生日でした。
90歳の長寿祝いは「卒寿(そつじゅ)」です。
由来を調べてみると、
卒の字の略字「卆」が九十と読めるからと、
ダジャレみたいなことをもっともらしく書いてありますが、
いやいや、やっぱり「そろそろ人生卒業ですよ」
という意味だとしか思えません。
だって、そもそも「卒」という字を使っているんですから。
「卒」とは終わるっていう意味ですよ。
60歳の還暦で赤いちゃんちゃんこを着るのは、
もう一度、赤ちゃんに返って
人生やり直すというという意味が
含まれているとのこと。
そこから30年経って再び成人し、
卒業して今度はどこに行くのでしょうか?
ちなみにこの後の長寿祝いは、
99歳の「白寿(はくじゅ)」。
百から一を引くと「白」になることに由来。
なんて、これまた、ほとんどダジャレ。
白紙に戻るということでしょうか?
僕は「あしたのジョー」の
「まっ白な灰になっちまったよ」
というセリフを連想しました。
正式には白と紫の帽子とちゃんちゃんこを着るようです。
天台宗の坊さんは、いちばん下っ端は赤い袈裟で、
位が上がるにつれて、色が変わっていくのですが、
白とか紫の袈裟は、たしか、かなりの高僧です。
あの衣装の習わしはそこから来ているのでしょうか。
本人は認知症で何もわかっていないので、
さすがにそんな儀式などやらず、
お昼に助六寿司をごちそうしてお祝いしました。
生の魚が嫌いなので、お寿司は安上がりな
いなり・巻きずし・玉子しか食べません。
お誕生ケーキは成城石井のチーズケーキ。
これはどっちかというと、僕とカミさんが好物なので。
食べたらいつものように公園を散歩。
認知症でもまだまだ食べるし、歩けるし、
道行く人・犬・子どもに笑顔をふりまくことができる。
今日も「パーフェクト・デイ」。
人生卒業はもうちょっと先だと思います。
青く晴れわたった空を見ていると、
なぜか胸が切なくなり、涙が出てくる。
歌だったか、小説だったか、忘れてしまったが、
誰かがそんなことを書いていた。
ヴィム・ヴェンダーズ監督、役所広司主演の映画
「パーフェクトデイズ」の感想を一口で言うなら、
そんな映画だ。
たんにエンタメとして楽しませてくれるよりも、
いろいろなことを考えさせてくれるのがいい映画、
あるいは、きょうはそういう気分になっている
人にとっては、これほどいい映画はない。
役所広司演じる主人公は、トイレの清掃員・平山。
朝、夜明け前に起き出し、支度して仕事に出かけ、
終わると安い飲み屋で一杯ひっかけ、
夜はふとんで本を読んで寝る。
その単調な生活、同じような毎日の繰り返しを淡々と描く。
周囲の人たちとの、小さなエピソードはいくつかある。
そして、彼が毎朝、若木に水をやったり、
公園の木々の写真をフィルムカメラで撮ったりする描写も、
そうした命を愛する人だということを伝える。
しかし、それだけだ。
平山の生き方を変えてしまうような劇的な展開、
物語らしい物語はいっさいない。
テーマらしいテーマもないように見える。
でも、僕はこの映画の秘密めいたテーマを見つけた。
まだ序盤のあたり、同じ清掃員仲間の若い男が
平山の丁寧な仕事ぶりをちょっとくさすように、
「どうせ汚れるんですから」という。
トイレだから当然だ。
どうせ汚れるのに、汚されてしまうのに、
どうしてそんなに一生懸命になって掃除するんだ。
僕もそう思う。
きっと誰もが、若い男のセリフを借りれば、
「10人のうち9人は」、いや、もしかしたら10人が
そう思うと思う。
誰もが豊かで便利で平和に生活できる、この社会では。
「どうせ汚れるのに、どうして一生懸命掃除するのか」
これは言い換えれば、
「どうせ死ぬのに、どうして一生懸命生きるのか」
につながる。
平山はきっとそうしたことを考えながら、
毎日のトイレ清掃に励んでいる。
それがどんな仕事でも、
ていねいに仕事をすることは、
ていねいに生きることにながる。
ていねいに生きれば、一日一日がきれいに輝く。
そんなメッセージが流れている。
平山は現代社会に取り残されてしまったような人だ。
孤独だし、もう若くないし、カネも持っていなさそうだ。
スマホもパソコンも使わなければ、
ボロアパートの部屋にはテレビさえ置いていない。
車は持っているので、ラジオは聴くかもしれないが、
彼がラジオを聴くシーンは出てこない。
車内で聴くのはもっぱら古いカセットテープ。
1960年代から70年代の音楽だ。
彼の年齢は60歳前後と察せられる。
要は、学生だった40年ほど前の時代と
ほとんど変わらない生活を送っているのだ。
そんな取り残され、落ちこぼれた、
高齢者に近い孤独な男だが、
なぜか周囲の人たちを励まし、
元気づける存在になっている。
先述の若い男もそうだし、
その男が好きになった女も平山にキスをする。
極めつけは、中盤で彼のアパートにやってくる姪だ。
高校生らしき彼女は、伯父である平山を慕って、
仕事についてきたり、いっしょに銭湯に行ったりする。
この姪との会話のなかで、平山は、
「みんな一緒の世界に住んでいるようで、
じつは別々の世界に住んでいるんだ」
といった意味のことをいう。
彼のバックストーリーは一切語られないが、
この姪を連れ戻しに来た母親=彼の妹との短い会話は、
平山の人生を想像させる。
妹は高級そうな車に乗っており、
彼とは段違いの裕福風な暮らしを送っていることが
見て取れる。
また、彼の父親は高齢で認知症らしく、
施設に入っているようだ。
実家はかなりの資産家で、
長男である平山は、父の生き方に反発し、
家を出たまま、齢を重ねてしまったのかもしれない。
妹とは同じ家庭で育ちながら、
互いにまったく違う価値観を持った人間になってしまった。
けれども、きょうだい仲は悪くない。
姪の家出もそんなに深刻なものではなく、
母親に素直に従って帰っていく。
けれども彼女にとって、伯父の持っている世界は、
一種の憧れに満ちた世界として映っている。
この姪や、仕事仲間の男、そのガールフレンドらは、
みんな若く、軽やかに、
面白おかしく生きているように見える。
けれどもその裏側に漂う切なさは何だろう?
彼女らは、平山の存在に何を感じていたのだろう?
それはきっとこういう予見だ。
わたしも、おれも、いずれ齢を取り、死ぬ。
それまでどう生きればいいのか?
そうした思いにあまり齢は関係ないのかもしれない。
映画の終盤、彼が最後に励ますのは、
行きつけの飲み屋のママのもとを訪れた男である。
平山と同年代らしいこの男は、ママの元夫で、
ガンでもう寿命があまりない。
それで別れた妻に最後に会いに来たという経緯だ。
「結局、何もわからないまま終わっていく」
という男のセリフは胸に刺さる。
そんな男をやさしく励ます平山のふるまいは、
ひどく感動的だ。
平山の人生はこの先、劇的に展開する気配はなく、
きっと彼はこのアパートの一室の片隅で、
野良猫のように一生を閉じるのだろう。
社会に置き去りにされた、底辺のエッセンシャルワーカー。
高齢者に近い孤独で無口な男。
そんな彼の存在にも価値がある。
1本1万円で売れる、
聴きつぶした中古のカセットテープのように。
彼の人生は輝いている。
一日一日がパーフェクト・デイ=完璧な日だ。
このタイトルは、ルー・リードが、
1972年に発表した同名曲から取ったものだろう。
晴れわたった青空を想起させるような、
美しいが、ひどく物悲しい旋律に乗せて、
意味深な歌詞が繰り返される。
Just a perfect day
ただただ完璧な一日
You just keep me hanging on
君は僕をかろうじて生かしてくれている
You're going to reap just what you sow
自分の蒔いた種は、すべて刈り取らなくてはいけない
2023年のカンヌ映画祭など、
世界的に評価された作品であることは
あまり意識せず、
素直にありのままの気持ちで見た方がいい。
そうでないと、この映画の真価は見えてこない。
ヴェンダースの作品はむかし何本か見たが、
若い頃の自分にとっては退屈だった。
たぶんヴェンダース映画を見るのがイケてる、
カッコいいといった意識が入っていたからだろう。
これはシニアの自分には面白く見られたが、
若い人には退屈かもしれない。
でも、自分の目で見てほしいと思う。
「ベルリン天使の詩」「パリ、テキサス」など、
かつてはつまらないと思ったヴェンダース作品も
齢を取った目でもう一度、見てみたいと思う。
新しい何かを発見できるかもしれない。
年明け間もなく話題を提供してくれた中居正広君の
9千万円示談金問題。
事実関係がよくわからず、
例によって憶測ばかりが飛び交って、
たぶん2月になる頃には、
みんな忘れてしまうだろうから一切触れませんが、
それよりちょっと気になったのが、
彼が所属してたSMAPの歌のこと。
年末のテレビにおいて恒例のように、
あちこちのチャンネルで懐メロ特集をやっていましたが、
ゼロ年代、国民的流行歌と言われた、
SMAPの「夜空ノムコウ」や
「世界に一つだけの花」がまったく出てこない。
なんだかあのグループ、あのヒット曲の数々が
エアポケットに落っこちて、
この世から消え去ってしまった感じでした。
いや、いろいろ権利の問題があるのは知っています。
そして、天下御免だったジャニーズ事務所が
あんなことになってしまった今となっては、
とてもテレビでは放送できないのでしょう、きっと。
けれども僕たちのようないい齢をしたおとなはともかく、
当時、SMAPの歌(或いは嵐など、
他のジャニーズグループの歌)を
聴きながら育った世代の子どもたち・若者たちの心情は
どうなるのでしょうか?
とくに「世界に一つだけの花」などは、
学校をはじめ、全国さまざまな地域イベントなどで使われ、語られ、彼らの子ども時代・青春時代の記憶とも
強く結びついているはず。
それが一切なかったことにされてしまうのは、
なんとも寂しいこと・悲しいことだと言わざるを得ません。
テレビや芸能界のルールとやらは、
そうした人びとの思い出や、
あの時、音楽がもたらした感動をチャラにしてしまうほど、ご大層なものなのか?
これでは若者はテレビにそっぽを向くわけだ、
と思わざるを得ず、考えれば考えるほど、
腹立たしくなりました。
「おとなの事情」なんてくそくらえ!
もっと懐メロを大事にしろ!
そんなわけで、AmazonKidleから
電子書籍「週末の懐メロ」全6巻を出版しています。
これは、2000年10月からブログ「DAIHON屋のネタ帳」で
3年半にわたって連載した文章をまとめたエッセイ集。
20世紀の、自分の好きなミュージシャン・楽曲について、
個人的な思いや体験、
あるいはその曲を聴いていた時代の状況、
当時のロック・ポップミュージック、
日本の歌謡曲やニューミュージックを取り巻く状況などを好きなように書き綴ったもので、1960~90年代の音楽を体験した人にとっては面白く読めるのではないかと思います。2000年リリースの「夜空ノムコウ」についてもスガシカオの楽曲として、第5巻に載録しています。
また、旧世代にだけでなく、
20世紀当時を知らない若い世代にとっても
きっと面白いに違いないと自負しています。
いまや 年代関係なく、インターネットを通して、
20世紀のポップ・ロック・歌謡曲などを
みんなが楽しめる時代になりました。
僕の20代の息子もキング・クリムゾンや
ブラック・サバスを聴いています。
僕よりよほど精通した、ロック博士みたいな若者もいます。若い人たちもネットでいろいろ調べて、
聴いて、懐メロを楽しむ時代。
その参考書、ガイドブックとしても、
役に立ててほしいと思っています。
ペットロスによって人生観が変わった
という人の話を聞いた。
飼っていた柴犬が目の前で車に跳ねられたという。
話によると、散歩中、首輪がすっぽ抜けてしまい、
その犬が走り出した。
彼は追いかけたが、犬は面白がってグングン走り、
大量の車が行き交う大通りの交差点に飛び出した。
信号は赤。車が停まれるはずがない。
衝突した瞬間、犬は空中に高くはね上げられた。
歩道にいた彼の視界からは、交差点の風景は消え、
空の青をバックに、スローモーションで踊るように3回、
からだが回転する犬の姿だけが見えていたという。
「僕、赤信号渡ってましたね。
よく自分も跳ねられなかったと思います。
道路に落ちた犬を抱き上げました。
病院に連れて行こうと思って、
まず家に帰ったんですけど、
ちょうど玄関までたどり着いた時に、かくって死んだ。
よくドラマなんかで「かくっ」って死ぬでしょ。
あれだったよ。かくっとなってね。
口からすんごい色の血が出てきて」
この飼い主というのは、坊さんだ。
お寺の坊さんなので、それまで葬式や法事でお経を唱え、
何百回とご供養のお勤めをしている。
しかしというか、だからというか、
死は坊さんにとっては日常的なことであり、
他人事でもある。
ビジネスライクになっていたところは否めない。
けれども、犬の死はこの坊さんに大きな衝撃を与えた。
彼は精神的におかしくなって仕事が出来なくなり、
本山に行って一週間、
引きこもり状態で法話を聴き続けたという。
「あんなに真剣に、
仏様についての話を聞くことはなかったです。
そのきっかけを犬がくれましたね。
だから僕は仏様が犬の姿となって現れて
僕をまとも坊主に導いてくれたんだと今でも思ってます」
彼は今、自分の寺を持ち、
そこにはペットロスの人たちが自然と集まってくる。
ペットが死んだからと言って、
誰もが彼のような経験をすることはないと思うが、
それでもペットロスがきっかけとなって、
人生観・死生観が変わるといった話は時々聞く。
いっしょに暮らす、命ある生き物は、
僕たちが通常送っている
人間の社会生活とは違った角度から、
生きること・死ぬことについて、
考えさせてくれるのは確かなようだ。
死について考えることは、
よりよい生について考えること。
Deathフェス|2025.4.12-17 渋谷ヒカリエで開催
「死」をタブー視せずに人生と地続きのものとして捉え、
そこから「今」をどう生きるかを考える 。
新たに死と出会い直し、
生と死のウェルビーイングを考える「Deathフェス」を、
毎年4月14日(よい死の日)を中心に開催。
1月4日:篠山紀信(83)写真家
1月16日:庄司歌江(94)漫才師
2月6日:小澤征爾(88)指揮者
2月20日:山本陽子(81)俳優
3月1日:鳥山明(68)漫画家
3月4日:TARAKO(63)声優
3月14日:寺田農(81)俳優
4月8日:宗田理(95)作家
4月10日:曙太郎(54)力士
4月21日:フジ子・ヘミング(92)ピアニスト
4月26日:桂由美(94)デザイナー
5月2日:小山内美江子(94)脚本家
5月4日:唐十郎(84)劇作家
5月16日:中尾彬(81)俳優
5月27日:今くるよ(76)漫才師
6月9日:久我美子(93)俳優
7月4日:赤塚真人(73)俳優
7月26日:園まり(80)歌手
8月1日:桂米丸(99)落語家
8月28日:宇能鴻一郎(90)作家
9月3日:ピーコ(79)タレント
9月29日:大山のぶ代(90)声優
9月30日:山藤章二(87)イラストレーター
10月4日:服部幸應(78)料理評論家
10月17日:西田敏行(76)俳優
10月23日:せなけいこ(91)絵本作家
10月25日:楳図かずお(88)漫画家
11月12日:北の富士勝昭(82)力士
11月13日:谷川俊太郎(92)詩人
11月14日:火野正平(75)俳優
11月15日:崇仁親王百合子(101)皇族
12月6日:中山美穂(54)俳優
12月9日:小倉智昭(77)フリーアナウンサー
12月19日:渡辺恒雄(98)実業家
昨年(2024年)亡くなった著名人を書き出してみた。
上記は僕が知っている人たちだが、
どの世代の人も、このうち半分くらいは
ご存知なのではないだろうか。
彼ら・彼女らの活動・作品・発言・パフォーマンスの数々は、
僕たちの心の形成に何かかしらの影響を及ぼしてきた。
少なくとも何十年も会っていない親戚よりは、
かなり身近に感じるはずだ。
テレビなどで、このように
身近に感じて来た人たちが亡くなるたびに、
僕たちは、日本が超高齢化社会であるとともに、
超多死社会であることを思い知る。
死について考えることは、
よりよい生について考えること。
Deathフェス|2025.4.12-17 渋谷ヒカリエで開催
「死」をタブー視せずに人生と地続きのものとして捉え、
そこから「今」をどう生きるかを考える 。
新たに死と出会い直し、
生と死のウェルビーイングを考える「Deathフェス」を、
毎年4月14日(よい死の日)を中心に開催。
暮れから正月にかけて、足掛け1週間、
息子が泊まっていった。
別々に暮らすようになって以来、
こんなに長くいたのは初めてだ。
元旦が映画の日だから、ということで、
一人で池袋に「マッドマックス怒りのデスロード」と
「地獄の黙示録」を観に行ったのと、
昨日(4日)にいっしょに初詣に行った以外は、
家でゴロゴロしていた。
うちをリゾート施設扱いしているのかもしれない。
ずいぶん安上がりなリゾートだ。
その代金というわけではないが、
自分ではなかなかアプローチしない
マンガのこと、小説のこと、映画のことなど、
若い世代のトレンド的なものについて、
いろいろ教えてもらった。
会うたびにそういう話をして、
彼のおすすめをあれこれ見たり読んだりするのだが、
いつもなかなか消化しきれない。
今年こそはと思い、
本はいくつか手配したが、
どこまで読めるか。
今日の昼飯を食って帰ったが、
しばらくいっしょにいたので、
なんだかちょっと寂しくなった。
かといって、すっかり大人になった息子に
帰ってきてほしいとは思わない。
子供に戻ってもらっても困るし。
ただ、齢を重ねた親というのは、
こういう微妙な気分も味わうのだぁなと、
しみじみした。
というところで今年の正月はお終い。
「勝手ながら今年で年賀状を卒業させていただきます」
今年も何枚か、年賀状でこうした文面を見かけた。
ふだん、オンライン上でやりとりはしていないが、
連絡を取ろうと思えば、いつでも取れる人なので
いいと言えばいい。
べつに腹を立てるとか、いやな気持になるとか、
そういうことではないのだが、
それでも正直、ちょっと胸の中がモヤっとする。
どんな心境の変化だろう?
何か彼・彼女の身に何かあったのだろうか?
たしかにハガキ代は値上がったが、
そこまで節約しなくてはならないほど、
経済が困窮しているのか、
いやいや、まさか・・と、
あれこれ、どうでもいいことを考えてしまう。
「虚礼廃止」ということか。
僕は最初から義理立てするために
年賀状なんか出していないので、
「虚礼」をしているつもりはない。
仕事上の交流がなくなった人とは、
自然にやりとりもやめたし、
いまだ出しているのは、
やっぱり年一度は挨拶しておきたいなと
思う人ばかりである。
なので、ノリとしては中学生や高校生の時と変わらない。
あの頃の年賀状はすごく楽しくて、ワクワクした。
いかにもガキっぽい、面白い絵柄と文面は
50年以上経った今でもはっきり覚えている。
好きな女の子から来た年賀状はずっと大事に取っていた。
「お正月は○○神社で巫女さんのバイトやってます」と、
可愛いイラストを付けて書いてあった。
(家が遠かったのでその神社には行かなかったが)
そう考えていくと、
卒業宣言した人たちは、
僕とのやりとりも「虚礼」と捉えていたのかなと思う。
たぶん、それが「モヤっと」の正体だろう。
確かに、10年どころか、20年、30年、
一度も会っていない人もいた。
別に彼らを責める気はない。
僕の方が勝手にモヤっとしているだけだ。
それによくよく考えると、20代の頃は
ほとんど自分から出していなかった。
ちゃんと毎年出すようになったのは30代からだ。
いや、もしかしたら結婚してから、
子供が出来てからかもしれない。
よく憶えていない。
一時期は可愛い子供の写真、
幸せそうな家族の写真の年賀状がいっぱい来ていたし、
僕も息子が中学のころまでは
カミさんと息子と3人で撮った写真を
年賀状にして出していた。
あれっていま思えば、同じ立場の人たちはともかく、
そうでない人たちにとっては
かなり鬱陶しかったのかもしれない。
それに最近は個人情報開示のリスクが大きいので、
ああいうファミリー年賀状はヤバイのではないかと思うが、
小さい、可愛いお子さんをお持ちの方は
どうしているのだろう?
そして、もうこの世にいない人の年賀状も、
彼らの顔つきで何枚か思い出した。
去年が最後になってしまった友だちもいる。
長く生きていると、年賀状ひとつをめぐって、
あれこれ考えることがたくさんある。
年賀状文化の終わりということなのだろうか?
だからと言って寂しがっているわけではないが、
時代の移り変わりの一つの表れであることは確か。
LINEやメールなどで送られて来る
デジタルなご挨拶でも、
何十年か後、こんなふうに、
あれこれ思い出すことがあるだろうか?
と、ふと考え込んでしまった。
義母を初詣に連れていく。
出かける前、靴下がはけないと言って騒いでいるので、
見に行ったら、なんと、手袋を履こうとしている。
そりゃ履けるわけないよ!
新年初笑い劇場か。
と、お正月スペシャルボケをかましてくれた。
都内有数、皇室御用達でもある大宮八幡宮が近いので、
義母もいっしょに行っていたのだが、
この数年、とくに昨年夏、肺炎ぽくなって
1週間入院してからは、さすがに以前ほど歩けなくない。
近いと言っても、年寄の足だと30分近くかかるので、
代わりに半分程度の距離の尾崎熊野神社に詣でる。
こちらは大賑わいの大宮八幡宮と比べると、
規模も人出も1割、2割程度。
僕ったちが行った10時過ぎは
ほかにほとんど人がおらず、
お参りの後、二人でベンチに座って日向ぼっこをしていた。
今日は日中はぽかぽか陽気で、
帰りもあちこちで坐って日向ぼっこしていたので、
結局2時間も散歩していた。
これもまたお正月スペシャルということで。
あけましておめでとうございます
年初の目標は「18歳になって生きる」。
どれだけジタバタしたところで、
今年から「高齢者」と呼ばれる齢になってしまう。
なのでこの際、自分を洗脳することにした。
ただし、体力も感受性も半減どころか、8割減。
そして、カネもうけ主義と
魑魅魍魎渦巻くネット情報に
すっかり脳をやられてポンコツになっている。
そんなありさまなので、
言い換えれば、きょう「18歳でいよう」
と決めたことを
どこまで維持できるかが今年の目標になる。
具体的には、小説4作を含め、
月1で電子書籍を出して行く。
さらに小説については、
声優さんと組んでオーディオブックを出したい。
あとは昨年、100冊本を読んだ息子を先生にして、
19世紀文学の探究と、
最近のマンガの探究をしていきたい。
いつまでも昭和や懐メロで心を癒していられない。
新しい世界の探究も今年のテーマだ。
そして昨年の政治情勢、国際情勢、
名のある文化人・芸能人・芸術家らの多くが
他界したことを考えると、
今年はまた、時代の大きな変化があるだろう。
さすがに「老害」が退潮の兆しを見せている。
なんとなく18歳の時のわくわくした気持ちが
お腹の奥でうずくのを感じる。
いろいろ面白くなりそうだ。
ということで、とりあえずは
来週までに年末に取材した会社の
ホームページのテキストを仕上げる予定。
18歳でも生活は着実に。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年は長編・中編、1作ずつの小説を出版。
2025年は書きかけの長編、
プロットを用意してある長編のなかから2作、
新しいアイディアの中短編を2作リリース予定。
エッセイ集は「週末の懐メロ」全6巻完結。
昭和99年は「昭和99年の思い出ピクニック」刊行。
その他、「食べる」「生きる」「動物」シリーズも。
2025年は「AI」「認知症」「エンディング」など
リリース予定。
そして締めくくりは「昭和100年の思い出ピクニック」。
新設ノンフィクションシリーズ
「市井の賢者(仮題)」を1月か2月にリリース予定。
2025年も書いていきます。
また読んでくださいね。
●今はまだ地球がふるさと
https://amazon.co.jp/dp/B0CW1FWZ59
●花屋のネコの大いなる任務
https://amazon.co.jp/dp/B0DPCN144Z
●週末の懐メロ第6巻
https://www.amazon.com/dp/B0CW1KKHXL
●昭和99年の思い出ピクニック
https://www.amazon.co.jp/dp/B0CWG58MCQ
クリスマス前から年内UPの仕事に追われ、
なんとか完了。
年賀状も書き終え、大掃除も本日昼過ぎに終えた。
豆を煮て、花を飾ったところへ、
夕方、息子がお年賀を持ってやってきた。
やれやれ、やっと落ち着いて正月を迎えられる・・・
と思って義母の帰りを待っていた矢先、
デイサービスのスタッフがひとりで来て、
「すみません。車から降りないんです」。
驚いて見に行くと、
がんとして後部座席に座ったままの義母。
「さあ、いっしょに晩ごはん食べよう」
と言っても、心を開かない。
仕方なく、スタッフがひと回りして戻ってくると、
やっと応じて車を降りた。
その後はいつもと変わることなく、
いっしょにご飯を食べて床に就く。
食欲に支配されているので、
ふだんは家にいない息子(彼女には孫)が
来ていることにも頓着しない。
というか、そもそも気付いていない。
じつは2日前、別のデイサービスの帰りでも
同じことがあった。
これまでいっしょに暮らして5年半、
こんな振る舞いは一度もなかったのだが。
どういう心の動きがあるのだろうか?
1年が終わることをどこかで察知して、
無意識のうちに不安になっているのだろうか?
認知症の不思議な現象は、どこからともなく降ってくる。
今年も天才クラフトワーカーから
クリスマスカードが届いた。
今回のは一段と手が込んでいて、
かわいい靴下は本物の手編み。
いつも数十通、こんなのを送っているという。
彼女にはお返事として、毎年必ず年賀状を送る。
今年は郵便料金が値上がったこともあって、
「年賀状じまい」が加速しているらしい。
まさか、まさかの事態。
年賀状文化の崩壊が始まっている。
でも、SNSやLINEを使った年賀の挨拶と
年賀状とは、ずいぶんニュアンスが違う。
しばらく会ってない人、
ふだんは頭の中に存在していない人から
いきなりスマホに届く「おめでとう」には
戸惑いや怪訝な感じ(勧誘・商売の伏線?とか・・・)
を覚える。
仕事でデジタルはいいが、
正月の挨拶はやっぱりアナログであってほしい。
その点、年賀状だと違和感がない。
ああ、まだ生きてるな、
まだ彼(彼女)と繋がっているんだな、
という安堵感・安心感を覚える。
たしかに形式だけのやりとりならいらないと思うが、
SNSで連絡を取り合うほど
密な交流はしたくないけど、
なんとなく自分の人生のどこかにいて欲しい人とは
正月だけでも「おめでとう」と紙面で挨拶したい。
というわけで、クリスマスが済んだら、
あっという間にお正月。
これから年賀状書きます。
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さあ、急がニャいと。
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夢をかなえたあとも、
成功を果たしたあとも、
欲しい物をすべて手に入れたあとも、
まだまだ人生は続く。
夢に届かない人も、
失敗して転んだ人も、
何も手に入れられない人も、
まだまだ人生は続く。
あなたがどっちか知らないけど、
いっしょに旅をするおともがいれば、
まだまだ人生続けられる。
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