電子書籍「認知症のおかあさんといっしょ」 無料キャンペーン実施中

 

1月31日(火)16:59まで実施中

 

義母の介護の日々を綴った面白エッセイ。

認知症を知り、認知症から人生を考え、人間を学ぶ。

日本認知症学会 認知症専門医・指導医である久米一誠氏の貴重な講演録を通して、日本における認知症全体のあらましについても解説しています。

 

 

厚生労働省の発表では、

2025年には65才以上の5人に1人、

予備軍もふくめれば3人に1人が

認知症になると言われています。

 

認知症の人は子どもではありませんが、

子どもに見られる人間の元の部分と、

数十年間、この社会で大人として生きて身に着けた習性と、

複雑怪奇な感情とが絡み合ったものを、

むき出しにして表現する人たちです。

 

僕たちはそんな人たちと向き合わなくてはなりません。

それはまた、これまではスルーしていた

人間の根源的な在り方と向き合うことを

意味しているのではないかと思います。

 

けれども、泣いたり、怒ったり、嘆いたり、

暗い深刻な顔をしたりじゃなくて、

できれば笑って楽しく向き合いたい。

家族でも自分でも、認知症を過度に恐れ、

人生に受け入れ難いと言う、

すべての人に読んでほしい本です。

 

無料アプリを入れればスマホでも読めますよ。

 


0 コメント

電子書籍「認知症のおかあさんといっしょ」無料キャンペーン 月末まで

 

義母上は本日はデイサービスの日。

土曜日は大のお気に入りの

昭和系2枚目のお兄さんがお迎えに来るので、

寒くても必ずパキッと目をさまし、したくもスムーズ。

ルンルン気分で出かけて行く。

こちらも夕方5時半まで羽を伸ばせてルンルン。

 

本日より「認知症のおかあさんといっしょ」

4日間無料キャンペーン実施。

1月28日(土)17:00~31日(火)16:59

ぜひご購入、読後のレビューをお願いします。

 

お求めはこちら:

https://www.amazon.co.jp/dp/B0BR8B8NXF

 

●PC・スマホ・タブレットで読める:Kindle無料アプリ

https://www.amazon.co.jp/gp/digital/fiona/kcp-landing-page

 

●Kindle unlimited 1ヶ月¥980で読み放題

https://www.amazon.co.jp/kindle-dbs/hz/subscribe/ku?shoppingPortalEnabled=true&shoppingPortalEnabled=true


0 コメント

週末の懐メロ119:氷の世界/井上陽水

 

中学生の頃、日本の若者の音楽と言えば

フォークソングだった。

井上陽水ももちろんフォークシンガーであり、

シンガーソングライター。

けれども彼の歌には、それまでのフォークにはない

一種の異様さが漂っていた。

 

爽やか系でも、夢・希望系でも、哀愁系でも、

コミカル系でも、バカヤロー系でもなく、

ロックともフォークともつかない陽水ワールド。

あえてカテゴリー名をつけるとすれば、

劇画・文学系フォークロック?

 

いずれにしても「傘がない」「断絶」

「人生が二度あれば」「心もよう」などの

ヘヴィな楽曲群に、

当時の中学生は、まだ体験していない

人生の現実の奈落に叩き込まれたような気になった。

 

とくに「人生が二度あれば」や「心もよう」の

エンディングにはもう絶句するしかなく、

とても軽口を叩けるような雰囲気ではなかった。

 

そして、その真打として1993年にリリースされたのが、

この「氷の世界」である。

大寒波で毎日吹雪が吹き荒れる中、

リンゴ売りが声を張り上げるわ、

テレビがぶっ壊れっるわ、

ノーベル賞を狙っている引きこもりは出て来るわ、

わけのわからないアヴァンギャルドな歌詞が

ファンキーなリズムに乗って荒れ狂う。

 

ファンクともプログレッシブロックとも取れる歌だが、

けっして難解でなく、どこかポップで陽気でユーモラスで、

心地よく聴けてしまうところが陽水のすごいところ。

 

思うにそのポップさ・陽気さのエッセンスが拡大して、

80年代以降に変貌した「ニューミュージック陽水」に

繋がっていったのだと思う。

 

ところで歌詞の冒頭に出てくる「リンゴ売り」って、

いったいいつの時代の話?と思う人は多いだろう。

陽水が子どもの頃(昭和20年代)には、

まだ街中にそうした行商がいたのかなとか、

それとも昭和歌謡の「りんごの唄」(並木路子)などを

意識したのかなと思っていたが、

べつに関係ないらしい。

 

ちなみにリンゴ売りは

絶滅した昭和レトロビジネスではなく、

デジタル令和の今でもちゃんとあって、

リンゴを売り歩いて一日ン10万稼ぐとか、

それで一家7人養っているという人も本当にいるようだ。

この事実にもまた絶句。

 


0 コメント

認知症のおかあさんといっしょ キャンペーン予告

 

お誕生日にプレゼントしたネコちゃんを

気に入ってくれた。

ここんところ、いつもニャーニャーお話している。

いつの間にか鏡台の上にはお友だちが増えた。

 

「認知症のおかあさんといっしょ」

4日間無料キャンペーンやります。

1月28日(土)17:00~31日(火)16:59

どうぞよろしく。

 


0 コメント

週末の懐メロ書籍化

 

ブログのネタがなかったり、あんまり気分がのらない時の

手抜きコンテンツとして始めた週末の懐メロ。

当初、YouTubeのリンク貼って、

2,3行ちょこちょこっと

コメント書いときゃOKと思っていたが、

案に諮らずや、今ではこれをやらないと

1週間過ごした気がしなくなってしまった。

 

というわけで連載2年超、100回超になったので、

電子書籍にまとめて出すことにしました。

YouTubeのリンクが貼れないので文章だけ。

今年1年かけて刊行していこうと思ってます。

 

第1巻は第1回:5年間/デビッド・ボウイから

第28回:残酷な天使のテーゼ/高橋洋子まで収録。

ただいまリライト・編集中。

今月末発売予定です。お楽しみに。

 


0 コメント

わたしの寿命はあと7年

 

誕生日が来て63になった。

あと7年したら70だが、

僕の寿命はそこらあたりまでかなと思っている。

 

いや、べつにどこか悪いところがあるわけではない。

いたって元気で健康だ。

でも、あと20年生きても30年生きても7年なのだ。

 

もうほとんど前世の記憶みたいだが、

18歳から25歳までの7年間、

演劇の学校に行って、

仲間と劇団を作って芝居をやっていた。

いま思い返すと若気の至りというか、

バカ気の至りみたいなことをやってて、

恥ずかしいぐらいだ。

 

でもバカはバカなりに面白くていつも弾けていた。

出逢うものすべてが新鮮で、

ポジティブにでも、ネガティブにでも、

いちいち鮮烈な感情が自分の内側から迸った。

どう生きてやろうかという気概に溢れていた。

 

あの頃に戻りたくはない。

はっきり言ってあんなふうに毎日を送っていたら

疲れてしかたがない。

齢を取るとは、こういうふうに思ってしまうことだ。

 

ただ、あの頃の時間の感じ方を取り戻せらたら、とは思う。

同じ24時間なのに、実にいろいろなことができた。

バイトをし、稽古をし、本を読み、本を書いた。

ほんとんど寝ない日もあれば、

疲れて一日中爆睡しているような日もあった。

実に贅沢に時間を使い捨てていた。

一つの季節が今の1年ぐらいに感じられた。

そもそも自分が齢を取るなんて思っていなかったのだ。

フォーエバーヤングだと本気で思っていたのだ。

 

しかし、明らかに体力は衰え、

目も悪いし、歯も悪いし、頭も悪い。

顔はちょっといいかも知れない。

 

若ぶって40年前と同じように…は無理だけど、

バカ気の至りを発揮して、

感性豊かに生きてきたいと願う。

最悪、本当にあと7年でもOKなように。

 


0 コメント

週末の懐メロ118:人は少しずつ変わる/中山ラビ

 

中学生の時、ラジオで初めてこの歌を聴いた。

中山ラビというシンガーソングライターがいるのを

知ったのもその時——1974年だ。

 

心変わりした男に対する女の恨み節。

それがその時の感想だった。

中学生の耳には単なる失恋ソングにしか聴こえず、

大して印象にも残らなかった。

 

けれども、あれから50年近く経ったいま、

まったく違った歌に聴こえる。

62歳最後の夜、「人は少しずつ変わる」は、

底なしの深さを感じさせて響いてくる。

 

本当だ。

若い頃には思ってもみなかったことだが、

人が劇的に変わることなど滅多にない。

人は少しずつ変わる。

これは確かだ。

そんな当たり前のことをこの齢になるまで

はっきりわからずにいた。

 

外身も、中身も、僕も少しずつ変わって来た。

そしていつの時代も、一夜の夢冷めやらず

うかつな10年ひと昔を、懲りずに繰り返してきた。

 

何年も何十年も会っていない友だちや仲間が大勢いる。

変わってしまった姿を見たり、見られたり、

もう昔のように同じ夢を見て語り合えないだろうと思うと、

怖気づいて、このまま死ぬまで会わないで、

美しい昔の面影や、明るい声を

抱いたままでいた方がいいのではないかと、

正直、思うことがある。

齢を取るとはこういうことなのだ、と腑に落ちる。

 

中山ラビは、詩人の中山容が訳した

ボブ・ディランの曲を歌ってライブデビュー。

「女ボブ・ディラン」と呼ばれたこともあったようだ。

芸名も中山容にちなんでつけたという。

 

1972年にレコードデビュー。

レコードを買って聴いた記憶はないが、

「ひらひら」「もうすぐ」「女です」といった

タイトルやジャケットはよく憶えている。

 

その後、よくあるパターンで、

当初の素朴なフォーク風の曲は、

新味を取り入れたニューミュージックっぽい曲調に

少しずつ(?)変わっていったようだ。

 

80年代後半、音楽活動を停止し、10年後にカムバック。

以後、コロナ前の2019年までライブハウスなどで

活動を続け、一昨年7月に亡くなった。

 

最晩年、おそらく最後に近いステージだと思うが、

2019年12月に松本のライブハウスでの

演奏が上がっている。

70歳の中山ラビが、ギター1本でこの歌を歌っていた。

別に気負うことなく、20代の頃と同じように、

さして変わらぬ声で、ごく自然に。

とても美しいと思った。

 

人は少しずつ変わる。

だんだん変わってどこへたどり着くのか。

誰にも自分のことがわからない。

でもきっと、だから生きているのが面白いのだろう。

 


0 コメント

なぜ付け合わせのポテトサラダがおいしい店は信用できるのか?

 

♪サ、サ、サ、サラダ 

サラダの国から来たむすめ

 

という歌が、かつてあったが、

サラダの国のプリンセスと言えば、

何と言ってもポテトサラダである。

 

並みいるサラダの中で総選挙をやれば、

ぶっちぎりでトップ当選。

日本においては、まさにサラダ界のスーパーアイドル。

いまや多種多様な味・食感を揃えた

ダイバーシティなポテサラ専門店まで出現し、

繁盛する時代である。

 

まさかその事実を知らずして、

スーパーやコンビニの弁当と同じ、

業務用の在りもののポテサラを

袋から出してまんま盛り付けている飲食店はあるまい。

もしあったとすれば、その店は日々、

顧客からの信用を落としている、と認識した方がいい。

 

表題にある「ポテトサラダがおいしい店は信用できる」は、

かの「孤独のグルメ」の主人公・

井之頭五郎氏のセリフだが、

裏返せば、

「ポテトサラダに魂を入れられない店は信用できない」

ということになる。

 

ポテトサラダはいかようにでもオリジナリティが

発揮できるサラダである。

 

材料となるジャガイモも、

男爵、きたあかり、とうや、メークイン、

アンデスレッド、インカのめざめなど多種多様。

 

僕も好きなのでよく家で作る。

自分が好きなものを作る時は、

なんとかうまいものにしてやろうと手が動く。

ゆでるのではなく、圧力釜で蒸し、

うまみを凝縮して柔らかくしたやつを

つぶして湯気が出ているところに

バシャッとお酢をぶっかけ、ガバッと粉チーズをふる。

それに定番としてタマネギ、ゆで卵、

あとはキャベツ、キュウリ、ニンジン、

ブロッコリーの茎などを投入し、

マヨネーズをにゅるにゅるっと絞って混ぜ合わせる。

 

といったレシピを基本に、その日の気分と

ぶち込める材料、調味料によっていろいろアレンジする。

ポテサラはその人の個性・嗜好・工夫、

そして、その瞬間のフィーリングが如実に反映される。

 

「これがうちのポテサラじゃ!」

と、愛と自信と誇りを持って客に出せるか?

それとも、どうせ付け合わせなんだからと

適当に済ませるか?

 

自分で作ると分かるが、ポテサラを作るのは、

けっこう手間暇がかかる。

コロナでダメージを受けた飲食店としては、

経営立て直しの必要性から

付け合わせなんぞに手間暇かけず、

市販の出来合いでパッと済ませて、

その分、生産性を上げたいと考えるのが常道だ。

 

しかし、手を抜いていいものと駄目なものがある。

いくらメインのハンバーグがうまくても

ポテサラが駄目ならハンバーグも減点されてしまう。

 

しかし、しょせんは付け合わせである。

そんなことを口に出して言う人はほとんどいるまい。

皆、井之頭五郎のように

「ここのポテトサラダは間に合わせの業務用か。

これは残念だ」

と心の中で不満げに呟くばかりである。

彼がもう一度、あなたの店に戻ってくる確率は

限りなく低い。

 

僕たちは目の前にある問題を合理的・効率的に解決し、

生産性・経済性を上げようと躍起になる。

手っ取り早く稼いで、

あわよくばさっさとリタイアしちまおうと考える。

 

しかし、そんなことがうまくできるのは、

ごくわずかな幸運で、選ばれた人間だけだ。

あなたはおそらく違う。

僕も違う。

僕たちは残念ながら選ばれし人間などではない、

あまりにも平凡な、どこにでもいる、

いつでも取り換え可能な、十把一絡げの人材だ。

 

そんなしょーもない凡庸な輩が、

出来合いのポテサラを提供して

うまくしのいでいると思っているかも知れないが、

「あの店には二度と行かないよ」と

井之頭五郎らに心の中で言われ、

いつの間にか信用を失くしているのだ。

 

汝、付け合わせのポテトサラダに手を抜くな。

どうしようもなく平凡で、ありきたりでも、

愛と魂と情熱と己のグルーヴを込めて作った

ポテトサラダには自然と個性がにじみ出る。

あなただけのサラダプリンセス。

僕だけのポテポテアイドル。

 

食いに来た客の10人に一人は

「この店は信用できる」と言ってくれるかもしれない。

そして、100人に一人ぐらいは

「好きだ。愛してる」と言ってくれるかもしれない。

みんな、あなたや僕の店の工夫と頑張りを

ちょっとぐらいは期待してくれている。

 


0 コメント

ETV特集「弔いの時間(とき)」の衝撃

 

1月15日放送のNHKのETV特集

「弔いの時間(とき)」は、けっこう衝撃的だった。

葛飾区(青砥/立石)にある想送庵「カノン」における

ドキュメンタリー。

この施設は故人の安置施設で、

遺族が心行くまで故人と別れの時間を持てるように、

と作られた。

いわば最後のお別れのためのホテルである。

 

葬儀社の葬儀会館と違うのは、

家族や友人が亡くなった人と

最後の時を共有するのが目的の空間なので、

必ずしもここでお葬式をやる必要はないということ。

実際、ここから直接、火葬場へ行く人も少なくないらしい。

 

逆にここでお葬式をするときは、

葬儀社の葬儀会館ではできないような

自由なお葬式というか、お別れの会ができる。

 

番組で紹介されたのは、21歳で自殺してしまった女性と

70歳で亡くなったコピーライターの人のお葬式。

 

前者は3年前の出来事で、お母さんがとつとつと

その時の情景と心情を語る。

子供に先立たれたら、

哀しみで気が狂いそうになるだろうと想像するが、

何かがそのお母さんをそうさせなかった。

哀しみに沈むのとは逆に、

その子の友だちが大勢集まって、

わいわい笑い声が飛び交い、

施設が一種の祝祭空間のように変わってしまったとのこと。

もちろん、その映像はないが、

話と遺影や飾りつけだけで

その時の情景がありありと思う浮かべることができた。

 

後者はリアルタイムで

テレビカメラがお葬式を取材していた。

そのご家族はビデオでその人の亡くなる瞬間を撮影し、

その動画を参列者に見せた。

奥さんは哀しみの感情を隠すことなく、

参列者の前で歌を歌った。

 

どちらもけっして異常だとは思わない。

親しい人間の死は、

その周囲の人間にいろいろな感情を与え、

いろいろな行動を取らせる。

もしかしたら、このカノンという施設の空間には

一種のマジックが働いて、

悲しみに沈みこむという感情の定型パターンから

心が自由になれるのかもしれない。

 

30年ほど昔、「泣き女」を主人公にした

演劇的葬式が開かれる世界についての

ラジオドラマを書いたことがある。

脚本賞をいただいて放送してもらったが、

なんだかそれが時を超えて実現したのを

見たようが気がした。

 

普段から葬儀供養の雑誌の仕事をしているので、

変わった葬式の話は割と聞き慣れている方だが、

それでもやっぱりこれは衝撃。

いい・悪いではないが、何かものすごく心が揺れた。

しばらくはうまく言語化できない。

 

興味のある方は、今週いっぱいなら、

NHKプラスの「#ドキュメンタリー」のところで

見られます。

 


0 コメント

誕生日のドラえもんとウサギ

 

義母の誕生日。

88歳の米寿である。

「おめでとう」の祝辞にも

「え、誰のお誕生日なの?」

認知症は、主観的には齢を取ることはない。

本人の意識の上では不老不死である。

 

さて、誕生日と言えばケーキ。

この人はジャムパン、クリームパン、

あるいは100円で買える甘食とかロールケーキとか、

普通、洋菓子とは呼べないお安い菓子パン系は大好物だが、

ちょっとハイクラスのケーキなどは

いまいちお好きではない。

 

最近、その傾向がますます強くなっており、

日本人として原点回帰しているのでは?と思わせる。

 

そんなわけで先日のパステルのプリンケーキは、

三日かけて、カミさんと僕とで食ってしまったのだが、

今日は、それならということで、

好物のどら焼きを食わしちゃろうということで、

阿佐ヶ谷の「うさぎや」へ行く。

 

阿佐ヶ谷北口の狭い路地にあるうさぎやは

古い木づくりの和菓子屋で、

レトロムードたっぷり。

阿佐ヶ谷にお店を開いたのは昭和32年というから、

僕が生まれる前のこと。

日本橋と上野にも同じ店があるが、

のれん分けというわけでなく、親族が経営しているらしい。

 

売っている和菓子はどら焼きをはじめとして、

すべて職人さんの手作り。

いつも行列ができているので、午前中に行ったが、

それでも十分待ち。

店内には大勢お客がいて、

反日の女性たちもちゃきちゃきしていて、

なんだか昭和に還ったような、あったかい気分になる。

味はもちろんだが、

こうした店の雰囲気も人気の秘密なのだろう。

 

浅草・亀十のどら焼きもそうだが、

いわゆる名物となるどら焼きの共通点として、

皮にもアンコにもくどさがまったくなく、

けっこう軽く食べられてしまうこと。

インタビュー記事を読むと、

食べ終わった時に

「もう1つ食べたいと思える余韻がある甘さ」

にしているそうで、そのレシピをずっと守っているという。

 

甘さを抑えている分、

日持ちしない(消費期限三日)のだが、

これならほとんどドラえもんのように

何個でもパクパク食べられてしまう。

もっとたくさん買っておいてもよかった。

 

ウサギまんじゅうが可愛くて、

ウサギ年なので縁起がいいかなと

これも買ってみた。

目と耳は寒天とあんこを混ぜた羊羹で書いており、

手作りなので1つ1つ顔が違う。

ついでに大きな小豆がたっぷり入ったお赤飯も買った。

 

プレゼントもあげて、好物のおでん、お赤飯、

そしてどら焼きでお祝い。

プレゼントには、ネコの小さなぬいぐるみと

ティッシュ入れをあげたのだが、

本人はさっぱりわかっていない。

 

ほとんどカミさんと僕の自己満足の世界になっているが、

まぁ、それでもよし。

明日もどら焼きとウサギまんじゅう食べるよ。

 

認知症のおかあさんといっしょおりべまこと ¥500

 

義母の介護の日々を綴った、面白エッセイ。認知症を知り、認知症から人生を考え、人間を学ぶ。

日本認知症学会 認知症専門医・指導医である久米一誠氏の貴重な講演録を通して、日本における認知症全体のあらましについても解説しています。

電子書籍AmazonKindleから発売中。


0 コメント

週末の懐メロ117:スタンド・バイ・ミー/プレイング・フォー・チェンジ

 

いまや誰もが知る名曲中の名曲、

スタンダードナンバー中のスタンダードナンバー。

オリジナルは1961年に黒人シンガーソングライター、

ベン・E・キングがリリースした。

 

その後、1975年にジョン・レノンが

アルバム「ロックンロール」の中でカバーして大ヒット。

 

さらに1986年に公開された、

スティーブン・キング原作、ロブ・ライナー監督の

同名映画(4人の少年が死体を見つけようと冒険する話)の

テーマ曲となり、誰もが知る名曲となった。

 

60年代、70年代、80年代と年月を重ねて

広まった名曲は、もちろん、90年代にも21世紀の今も

愛唱・愛聴されており、

カバー・バージョンは400を超えるという。

 

さて、ここで歌っているのは皆、

音楽ビジネスとは無縁な無名のミュージシャンたち。

ストリートで、スラムの片隅で、自宅で、

あるいはどこかの野っぱらで、

自由に、好きなように「スタンド・バイ・ミー」を歌う。

 

この音楽プロジェクト“PLAYING FOR CHANGE”は、

2004年の第47回グラミー賞において、

ベストコンテンポラリー・ブルースアルバム部門で受賞した

アメリカ人のプロデューサー/エンジニアである、

マーク・ジョンソン氏が立ち上げたもの。

 

彼はサンタモニカの街の路上で歌う

黒人のおっちゃん(冒頭から登場するメインシンガー)の

パフォーマンスに胸を射られ、

その演奏に世界中のミュージシャン達を加え、

音楽で世界をつなぎたいという思いが込み上げたという。

 

その後、数年をかけて世界のさまざまな国を旅して、

世代を超えた名曲やオリジナル楽曲の演奏を、

のべ100人以上のミュージシャン達から収録した。

 

そして、それを編集し、

あたかも世界中のミュージシャンが、

ひとつの楽曲を一緒に演奏しているように

仕上げた動画を発表。

世界規模で大きな話題となり、

多くの人々に感動を与える一大ムーヴメントとなった。

 

このプロジェクトの収益の一部は、

非営利団体である

「PLAYING FOR CHANGE基金」を通じて、

インドやネパールにおける難民への必要物資の提供など、

直接的な援助のほかに、

南アフリカでの音楽スクールやアートスクールの設立、

子どもたちへの恒常的な指導にも役立てられ、

音楽や芸術の輪を、世界に広げることに貢献している。

 

音楽は世界を救う、平和を実現する――

1960年代から80年代にかけて盛り上がった

ポップカルチャーのムーヴメントは色あせ、

夢と消えたかに見えたが、まだ生きている。

やっぱり音楽っていいものだ、夢を捨ててはいけない

と改めて思わせてくれるパフォーマンスだ。

 


0 コメント

がっちりアメリケンなハンバーガーとアップルパイ

 

吉祥寺の「バビーズ」という店で昼食を食べたが、

めっちゃうまかった。

 

思いっきりアメリケンなカフェ&レストランで、

古き良きアメリカ料理がコンセプト。

いろんなハリウッド映画によく出てくるような

田舎町のカフェに似ている。

 

大ぶりなテーブルの上には全席、

真っ赤なハインツのケチャップと、

まっ黄色なマスタードが、

なかよくドカッという感じで鎮座している。

 

カミさんはマカロニチーズ、

僕はハンバーガーを頼んだが、

これまた、ちんまりお洒落な感じでなく、

アメリケンなメジャーリーグ、

イッツ・ショータイムという感じで、

ドカドカッと運ばれてきた。

 

こんがり焼けたビーフハンバーガーは、

トマト、オニオン、レタスをのっけただけの

シンプルな代物で、

これにハインツのケチャップとマスタードを

ドバドバかけてかぶりつく。

 

おお、そうだった。

本来、ハンバーガーとはこういう食い物だ。

そして日本のケチャップとはやっぱり違う

アメリケンなハインツの甘さと酸っぱさ。

 

おお、愛しき憎きパックスアメリカーナ。

おれのからだの中では今、

日本人とアメリカ人の血がせめぎ合っている。

 

「孤独のグルメ」の井之頭五郎なら、

そうモノローグするところだ。

 

ちょっと重いかなと思って、付け合わせには

コールスロー(ビーツが入っていてピンク色)を選んだ。

これもおいしかったが、

これならフライドポテトも食べてみたい気がする。

 

そしてデザートに頼んだのが、この店の売りの

アップルパイ。

 

普通のアップルパイでもよかったが、

記事にくるみを入れ、シナモンを効かせた

「クランブルアップルパイ」というのを頼んでみたら、

これが感動的な味だった。

こんなサクサクなアップルパイ、

ちょっと他では食べられない。

 

ニューヨークに本店があって人気らしく、

日本では吉祥寺のほかには

赤坂・八重洲・汐留・二子玉などに店を出している。

「都会の中のカントリー」といったところで、

お洒落感もほどほど。

年齢に関係なく、年寄りでも子ども連れでも

気軽に入れるところがいい。

テーブルも広く、リラックスムードがあって居心地も良い。

 

二人で、メイン2+ドリンク2+デザート1で

4千円ちょい。

そう安くはないけど、内容と見合わせれば十分満足。

束の間、アメリカのどこかに旅した気分にも浸れます。

 


0 コメント

新宿にパステルが帰って来た

 

カミさんのお誕生日だったので、

パステルのプリンケーキを買いに新宿へ行く。

1か月前、新宿西口地下の小田急エースタウンに

パステルの新しい店舗ができたのだ!

 

その昔は渋谷・恵比寿・新宿に数店舗、

数年前は吉祥寺のアトレにも入っていたが、

撤退に次ぐ撤退で、

一番近いのは池袋東武の1階になってしまったのだが、

新宿にできてうれしい。

行ってみるとチョコレートケーキのTOPSも入っている!

 

しかし、ここに入ってる店はどこもそうだが。

かつての店舗と比べると極めて小さく、

ぎりぎりの省スペースで、

スタッフもぎりぎりに削ってやっているように見える。

(基本、おねーさん一人で販売しているように

見受けられた)

 

何となく栄枯盛衰。

パステルもTOPSもかつては

デパ地下の花形というイメージがあったのだが、

あれは愛するが故の幻想だったのか?

なんだかデパ地下・駅ビルの晴れ舞台から陥落して、

ひっそりやっていますという感じがしなくもない。

 

でも、いいのだ。おいしければ。

味は決して落ちてない。

古い奴だと思われても、

僕らはプリンケーキを食べ続けるだろう。

(と言っても年に1回か2回だけど)

 

パステルのプリンケーキと

TOPSのチョコレートケーキは日本の宝です。

 


0 コメント

サスペンスフルな認知症映画「ファーザー」

 

一昨年公開されたアンソニー・ホプキンス主演の

映画「ファーザー」は、認知症患者の視点で描かれている。

観客を混乱に陥れるような

ミステリアスでサスペンスフルな展開。

しかしその実、認知症患者と介護の現実を突きつける

ドキュメンタリータッチの映画でもある。

 

もともとは舞台劇で、舞台はロンドン。

派手なシーン展開は一切なく、

ドラマはほとんど家の中で進む。

それでも1時間半、画面から目が離せない。

目の前で何が起っていくのか、

ひとつひとつを固唾を飲んで見守らざるを得なくなる。

 

無駄なものを一切そぎ落としたシャープな演出と構成。

そして何よりもアンソニー・ホプキンスの圧倒的な演技力。

嘘っぽさがみじんもないリアルの極致。

こんなふうに認知症患者を演じられる役者が他にいるのか。

 

そして、その行く先は、やはり辛くて悲しい。

広告では「感動」と謳っているが、

いや、多くの人はそれよりも

言いようのない不安と怖さに晒されるのではないか。

そういう映画だと思う。

 

けれども認知症が蔓延していくこれからの社会、

現実と向き合いたくない人、逃げ出したい人も、

せめてこの映画で認知症のことを知ってほしい。

 

2021年アカデミー賞・主演男優賞と脚本賞。

現在、アマゾンプライム見放題で視聴可能。

 

 

認知症について学ぶ。

認知症から学ぶ。

認知症介護の日々を綴った

おりべまことの面白エッセイ集。

専門医の解説も併載。

「認知症のおかあさんといっしょ」

https://www.amazon.co.jp/dp/B0BR8B8NXF ¥500

 


0 コメント

年寄り大河ファンを切り捨て御免の「どうする家康」

 

年末年始にかけて、NHKの画面は松本潤だらけ。

「どうする家康」の大量の番宣を投下し続けた。

それで第1回を見たが、松本潤の家康のヘタレぶりと

家臣らのキャラ(特に松重豊とイッセー尾形)が

面白かった。

 

それにしてもオープニングタイトルは、

まるで朝ドラみたいな軽やかな映像と音楽。

これだけでこのドラマは、

これまでの大河のような重厚な時代劇ではなく、

弱小企業の若いヘタレ後継ぎ

(あるいは窮地に追い込まれたスタートアップ)が奮闘して

業界を牛耳るヒーローに成りあがる物語であることが

わかる。

だから松潤(39)と似た世代(あるいはそれより若いの)が

自己投影しやすいように作られている。

 

大河ドラマとしては相当な違和感。

従来の大河ファンには到底受け入れられないだろう。

けれどもたぶん、それでいいのだと制作陣は思っている。

言い換えると、これまでの大河ファンは切り捨ててもいい、

とさえ割り切っているのではないかと想像する。

 

テレビがこれだけ若い世代に見られなくなっている現状

(にしても数百万、数千万人規模が見ているけど)

を考えると、

彼ら・彼女らに大河ドラマを見てもらうためには

これくらい思いきったことが必要なのだ、きっと。

 

大河の視聴者というのはどうもかなり保守的なようで、

「大河ドラマとはこうでなくては」みたいな

思い入れが強い。

あれだけ革新的で大好評であることが伝えられた

「鎌倉殿の13人」も視聴率は12%台で振るわなかった。

2019年の「いだてん」などは1ケタ。

三谷幸喜も宮藤官九郎も人気が高く、

腕も確かな素晴らしい脚本家だが、

大河ドラマの作者としてはあまり評価されないようだ。

 

何度もいろいろな変革を試みてきた大河ドラマだが、

数字を見る限りはうまくいっていない。

ということで、マスメディアでは、

かつて最高視聴率39.7%を記録した

「独眼竜正宗(1987年)」以下、

歴代の高視聴率作品(30%以上はすべて60年代~80年代)

と比べて、

最近の大河の視聴率の低さばかりをあげつらうが、

そんな懐メロ作品と今を比べてどうするのか?

 

幸い、NHKは民放ほど視聴率を気にせずに済むので、

大河の制作陣は余計なことを気にせず、

どんどん自分たちの信じるところを追究して、

良いドラマを作ってほしい。

 

これだけテレビで手間暇かけて丁寧なドラマ作り、

そして役者をやる気にさせる仕事ができるのは

大河ドラマを置いて他にないのではないかと思う。

 

経済が好調だった30年前の時代の幻想から

一歩も抜けだせない頭の固まった年寄りたちの

幻想の弊害はこんなところにも現れている。

 

こうした年寄りは皆切り捨てて、

若い者に照準を絞ったやり方は正解である。

しかも家康は歴史上の人物として、

数少ないハッピーエンドが可能な人物でもある。

若者――といってもベビーフェースの松潤ももう40、

ほとんど中年だ――にやる気・勇気を少しでも与え、

楽しめるドラマになればいいと思う。

 


0 コメント

週末の懐メロ116:カラーフィルムを忘れたのね/ニナ・ハーゲン

 

年末の30日にNHKで放送された

「映像の世紀バタフライエフェクト:

ロックが壊した東西冷戦の壁」が

とても見ごたえがあって面白かった。

 

東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」を崩壊に導いた、

ニナ・ハーゲン、ルー・リード、デビッド・ボウイ。

3人のロックシンガーの物語。

自由を叫ぶ3人の音楽は、

冷戦の壁を越えて人々の心を揺さぶった。

その番組の中で紹介された曲の一つが

ニナ・ハーゲンの「カラーフィルムを忘れたのね」である。

 

ニナ・ハーゲンは1980年頃、

パンククイーンとして世界的な人気を博した。

僕もファーストアルバムを持っていたが、

パンクというよりニューウェーブという印象が強かった。

 

彼女は旧・東ドイツ出身で、世界的ロックスターになる前、

10代の頃から東ドイツで音楽活動をやっていた。

しかし1976年、音楽家で作家でもあった養父が

政府から市民権を剥奪されたことをきっかけに、

東ドイツでの活動の場を奪われ、イギリスに亡命。

翌年に西ドイツに移って新たなキャリアを始め、

あっという間にスターダムにのし上がった。

 

この曲は彼女が東ドイツで活動していた時代の

大ヒット曲で、1974年のリリース。

同年、東ドイツの音楽チャートでトップになった。

 

一緒に旅行した彼氏がカラーフィルムを忘れたために、

記念写真がみんなて白黒になってしまったことに

怒る女の子の歌だ(当然、この時代はフィルムカメラ)。

 

第2次世界大戦の敗戦国となったドイツは

東西に分断され、西は資本主義国である

アメリカやイギリス・フランスなどの勢力下に、

東は社会主義国のソ連(現ロシア)の勢力下に

置かれていた。

 

コミカルな味わいのこの曲は、当時の若者の、

単調で色のない社会主義国の生活・文化に対する鋭い批判、

痛烈な風刺として受け止められていた。

 

当時の東ドイツの若者の多くが

この曲に刺激されてロックを聴き始め、

ロックカルチャーの影響を受け、

やがて1987年のデビッド・ボウイの伝説のベルリンライブ、

そして、1989年のベルリンの壁崩壊に繋がっていく。

 

ニナ・ハーゲンを聴く若者の一人に、

当時、大学で物理学を勉強していた

アンゲラ・メルケル元首相がいた。

ただ、彼女はロックカルチャーに浸ることなく、

反体制的な政治思想を持つこともなく、

むしろ社会主義国家に忠実な科学者として

生きていたという。

 

それがベルリンの壁崩壊で劇的に人生が変わり、

科学者から政治家に転身。

最後には統一ドイツの第8代連邦首相

(最年少で初の女性首相)となり、

4期16年間、トップを務めて2021年に引退した。

 

彼女が2021年12月に国防省で行われた退任式典で

演奏する曲として選んだのが

「カラーフィルムを忘れたのね」だった。

記者会見で選んだ理由を問われると

「この曲は私の青春時代のハイライトだった」

と答えたという。

 

メルケル元首相は国際政治の場でも

大きな存在感を持っていたが、

東ドイツ出身ということもあってか、

対ロシア外交にも辣腕を振るった。

プーチン大統領も彼女に対しては、

つねに一目置いていたという。

 

2022年、ロシアがウクライナに侵攻したのは、

メルケルが政治の世界から身を引いたために重しがなくり、

プーチンが自分の願望に

ブレーキを踏めなくなったことが一因、

と見る専門家もいる。

 

それがどこまで真実かわからないが、

国のトップを担う人たちの心理的なバランスが

どこかで崩れてしまったことは確かだろう。

 

それにしてもとっくに過去のものになったと思っていた

東西冷戦(のようなもの)がまた復活するとは

予想だにしなかった。

 

報道慣れしてしまって、

昨年のように大変だと思わなくなってしまったが、

世界の情勢はどんどん悪化しているのではないか?

 

かつては音楽が人の心を変えるだけの力を発揮したが、

今また、それは有効に働くのだろうか?

僕たちは心を揺さぶられることがあるのだろうか?

 

「映像の世紀バタフライエフェクト:

ロックが壊した東西冷戦の壁」は

近代の世界史・ロックカルチャーの一端を知るうえで、

とても充実した内容なので超おすすめです。

再放送があれば、ぜひ見てください。

 


0 コメント

正月明けて今日は義母から解放日

 

年末年始、デイサービスが休みだったので

義母に付きまとわれて往生こいた。

今日は1週間ぶりにあちらへおでかけ。

デイサービスのヘルパーさんが本当にありがたい。

おかげでやっといつものペースに戻れた。

頭はボケてるけど、風邪一つ引かない

元気な(もうすぐ)88歳。

健康なのはありがたいけど、

1週間ベタはつらいよ。

でも、コロナが始まった時は

1カ月ずっと家にいたはず。

どうやってしのいでいたんだろう?

今となってはさっぱり思い出せない。

自分の本を読んで思い出す。あ~、なるへそ。

 

認知症介護エッセイ集「認知症のおかあさんといっしょ」

https://www.amazon.co.jp/dp/B0BR8B8NXF ¥500

 


0 コメント

「鎌倉殿」完結:どうして僕たちは歪んでしまうのか?

 

年末に「鎌倉殿の13人」の総集編をやっていたのだが、

前半のほうを見逃してしまったので、

NHKプラスで見ている。

 

後半、あまりにダークな展開で、

北条義時の若い時代って、どうだったっけ?

と忘れてしまっていたので見てみたら、

そのあまりの明るさ・純朴さ・清々しさに再会して

びっくり。

そしてラストとの対比で、思わず涙してしまった。

 

こんな気のいい青年が、あんな陰惨な男になり、

あれほど無残な最期を迎えるとは。

諸行無常と言えばそれまでだけど、ひどすぎる。

 

裏返して言うと、小栗旬の演技力の素晴らしさ!

あの希望にあふれた若者の明るい笑顔と

陰惨な政治家になった男の暗い澱んだ表情との落差。

力は掴んだが、ひとりの人間としての

夢だの愛だの幸福だのは、

はるかかなたに遠ざかってしまった人生。

 

大河ドラマ初(だと思う)の

恐るべきダークヒーローは、

小栗旬でなければできなかっただろうし、

視聴者も小栗旬だから見続け、

義時を愛せたのだろう。

 

若くて明るい少年・青年。

同じく陽気で気の良い家族や仲間たち。

みんな夢と理想を描き、

目標を定めて人生の旅に出るが、

齢を重ね、おのおのの道を歩むうちに

その関係はゆがみ、

ぽっかりあいた暗い淵に落ちていく。

そして気付いた時には、

もうあと戻り出来なくなっている。

 

そんなドラマはこれまで何度か見て来た。

てか、ドラマほどではないかもしれないが

現実にも起こっている。

それが大人になることなのだ、

といえばそうなのかもしれない。

 

こんな陰惨でバッドエンドなストーリーに

ハマった人たちは深い共感を覚えたのだろう。

大人として生き続けることは、

多かれ少なかれ、汚れ、傷つき、

苦さと哀しみを舐めなくてはならないということを。

 

認めたくないが、認めざるを得ない。

でもやっぱりすべては認めたくない。

僕たちはいくつになっても、

その諦めと抗いの間を右往左往しながら生きている。

このドラマが胸に刺さるのはそうした理由からで、

 

義時や政子を自分に引き寄せられるからだと思う。

 

それにしても、この枠でこんなダークヒーロー、

そしてあんな最終回を描くことが許されたのは、

三谷幸喜にこれまでの実績と

スタッフ・キャストの信頼があったからに違いない。

 

舞台出身の人だけあって、三谷脚本で面白いのは、

随所で舞台劇のようなシーンが見られることだ。

義時(小栗旬)と政子(小池栄子)のラストシーンは、

その真骨頂だった。

 

思わず僕は夢想した。

スポットライトだけが当たる何もない舞台の上で、

政子がゆっくりと毒消しの薬を床にこぼし、

義時が這いながらそれを舐めようとする。

政子は彼を現世の闇から救い出すかのように、

 

それを振り払う。

あの壮絶なシーンと、そこに至るまでのこのドラマを

生の舞台で、生の舞台で見られたら、と妄想を抱いた。

 

さて、僕は今、どれくらい歪んでしまったのだろう?

 


0 コメント

社会を回す人たちの働く意欲・生きる元気

 

年末年始はデイサービスがお休みなので、

義母が毎日家にいる。

それでカミさんがカリカリしてくるので、

僕が義母を外に連れ出すことになる。

午前も午後も普段より長めの散歩をする。

正直、けっこう疲れる。

本や映画をゆっくり見ようと思っていたが、

考えが甘かったようだ。

 

お正月スペシャル散歩ということで、

帰りけに茶店に寄る。

飲食店、特にチェーン店は

コロナで落ちた売り上げを取り戻す狙いもあるのか、

けっこう元旦から開いている。

 

昨日は浜田山付近・井の頭通り沿いにある

「むさしの森珈琲」でコーヒーといっしょに

この店の名物だという

「ふわとろパンケーキ」を食べた。

 

名前の通り、ふわっとしてて

トロっと口の中で溶けるパンケーキで、

見た目はけっこうボリューミーだが、

風船みたいなので軽く食べられてしまう。

おやつにちょうどいい感じだ。

 

なかなかおいしかったので、支払いの時に

「あのパンケーキはおいしいねぇ」と言ったら、

レジを打っていたマージャーらしき人の指が一時停止して

「そう言っていただけて、本当にありがたいです」と、

えらく恐縮して言われたので、

こっちが恐縮してしまった。

でも、自分の一言で喜んでくれたようなので

悪い気はしない。

 

見た感じ、40過ぎたあたりの人だったので、

奥さんや子供といっしょにお正月を

ゆっくり過ごしたかっただろうに、

出勤せざるを得なくなったのだろうか?

そうした重荷を少しでも軽くできたのだろうか。

 

思えば、0年代の「勝ち組・負け組」あたりから、

もともとおかしかった日本社会は

ますます歪んできた。

 

マネーゲームの勝者を目指す競争社会。

儲けたもん勝ちという風潮になって、

こうして地道に働いて、現場を回している人たちを

使用人みたいに見る傾向がはびこってしまった。

それは人の心を蝕み、現場仕事の価値を認めず、

従事する人たちの自尊心を奪ってきたのではないかと思う。

 

近年、あちこちでおぞましい事件が

頻発するような社会になってしまった背景には、

こうした自尊心を奪われた人たちの、

表出されない怒りや悲しみのようなものが

マグマみたいに地下で流れているような気がしてならない。

 

社会をよくするというと、あまりに大げさだけど、

お客として良い品物や良いサービスを提供されて、

少しでも心を動かされるようなことがあれば、

「おいしかった」「助かった」「ありがとう」と

声に出してお礼を言った方が、

彼ら・彼女らの心の報酬になるのではないかと思う。

 

また、配達員とか工事員とか警備員とか、

機会があれば「お疲れさま」とか、

ねぎらいの声をかけてもいいのではないか。

 

仕事だから当たりまえだろ。

カネもらってるんだらちゃんとやるべきだろ。

 

もちろんそうだけど、やっているのは人間である。

お礼やねぎらいの言葉を報酬として求めるのは

けっして甘えでも、間違った心の在り方ではない。

人間の気持ちとして

「カネを稼ぐために働いている」だけでは

とても長くもたない。

そこに何か喜びなり、充実感がなくては働けない。

 

ほんの一言で、彼ら・彼女らの働く意欲が上がったり、

今日は良い日だと思えたり、心が軽くなったり、

元気や幸福感につながることだってあるだろう。

 

そして、それは経済にだってプラスに働くだろう。

「新しい資本主義」って、

システムがどうのこうのではなく、

働く側と生活する側・双方の関係を

良くするところか始まるのではないだろうか。

 


0 コメント

2023年 兎と走る!

 

今年は喪中で初詣にも行かない。

なので祈願もしないし、おみくじも引かない。

だから今年の運勢はああだこうだとか、

縁起がいいとか悪いとか、

年の初めにあれしなきゃとか、

これしなきゃとか一切考えることもない。

弱冠寂しくはあるのだが、

これはこれで浮き立つことなく、

すっきりしていていいものだ。

 

最近お気に入りのオーロラの歌

「ランニング・ウィズ・ウルブズ」をもじって

ランニング・ウィズ・ラビッツー-兎と走る!

 

今年の目標は昨日書いたとおり、

書きかけ・企画どまりの小説を

何とか1作でも多く書き上げることと、

新しいコンテンツをスタートアップすることだが、

これらは10年後もフリーランスで

バリバリ頑張って仕事ができる自分の

(何度目かの)下地作りである。

そのためなら、年頭の目標に縛られなくても

思いついたことはどんどんやっていく。

 

いくら人生100年時代だとは言っても、

自分の残り時間が少ないことはわかっている。

ウルトラマンで言えばカラータイマーが

ピコピコ点滅し始めている。

自分にとって何がエネルギーになるのか、

何がテンションを上げてくれるの、

どんなことなら冒険のしがいがあるかも

だいたいわかってきた。

これからはそういうところに

リソースを集中させて生きていく必要があるだろう。

 

ろくに才能もないのに、幸運に恵まれて、

行き当たりばったりで、

フリーランスを貫いてここまで生きてこられた。

今さら安定や保証を求めるわけにもいかないし、

そんなものに頼っても落ちるときは落ちる。

 

不安をエネルギーに生きるしかない。

 

なので今年も良い意味で流れに身を任せ、

あんまりがんばらないように、

ゆるくがんばっていきたいと思っている。

皆さん、今年もよろしくお願いします。

 


0 コメント

2022年から2023年へ行きます

 

2022年は電子出版で9冊の本を出した。

小説3冊(長編1刷・短編2冊)、エッセイ集6冊。

紙の本(ビジネス本)のほうは

けっこう時間が掛かってなんとか原稿は年内に上げたが、

出版は1月か2月になりそうだ。

レギュラーワークと義母の介護をしながら、

また、母の死などもあって

思うようにいかなかったところもあるが、

そもそも思うようにいくことのほうがレアケース。

生きてりゃいろんなことがあるわけだから、

そのなかでベストを尽くすしかない。

 

2023年の電子出版は書きかけの小説が3本。

「河童の水を飲んだ話」:

若返る女と彼女と関係を持った3人の男の物語。

 

「星の王女さま、地球の仲間と旅に出る」:

女の子の夏休みの冒険を描く童話。

 

「6,600万年前の夢を見て死ね」:

故郷の湖の恐竜伝説で地元起こしをしようと動き出した

若者たちのプロジェクトの話。

 

それと数年企画を練っているフードミステリー1本

「ばんめしできたよ」

 

いずれもすぐ書けそうだが、なかなか書けなくて

あっという間に1年が過ぎてしまった。

2023年は何とかこれらを完成させ、

かつまた、良い出会いもあったので、

新しいコンテンツ企画にも取り組もうと思う。

 

というわけで2020年の反省と、

ちょっと欲張りな2023年の目標。

心身の充実に努めて新しいスタートを切りたい。

喪中なので新年のごあいさつは控えておきます。

 


0 コメント

週末の懐メロ115:ザ・ウェイト/ザ・バンド

 

2022年最後の懐メロは、1968年リリース、

「ザ・バンド」の永遠の輝きを放つ最高傑作。

ボブ・ディランをはじめ、1960年代から活躍する

様々な超一流ミュージシャンたちと共演。

かのウッドストックフェスティバルでも歌われ、

映画「イージーライダー」の挿入歌にも使われた。

 

そして、この曲が入った彼らのデビューアルバムは、

かのエリック・クラプトンに

「俺の音楽人生を変えた」と言わしめた。

 

聖書の言葉を下敷きに

この世で生きる切なさ・苦さに

ユーモアやジョークを入り混ぜた、

不思議に明るい抜けるような旋律。

「重荷」という名の希望と自由を求める歌が、

明日へのテンションを上げる。

では皆さん、良い新年をお迎えください。

 


0 コメント

本日発売「認知症のおかあさんといっしょ」

おりべまこと電子書籍・新刊

「認知症のおかあさんといっしょ」

https://www.amazon.co.jp/dp/B0BR8B8NXF ¥500

 

「いいの、手なんか握って?」

「だって手をつながないと危ないよ」

「いいの本当に? 奥さんはいらっしゃるの?」

「はい、いますけど(あなたの娘ですよ)」

「わあ、どうしよう? 奥さん、怒らないかしら?」

「だいじょうぶです。公認ですから」

「わあ、うれしい。こうしたこと一生忘れないわ」

「喜んでもらえて何よりです」

そんな対話から始まった義母の介護の日々を綴った

面白エッセイ。

認知症を知り、認知症から人生を考え、人間を学ぶ。

日本認知症学会 認知症専門医・指導医である久米一誠氏の貴重な講演録を通して、日本における認知症全体のあらましについても解説しています。

 

厚生労働省の発表では、

2025年には65才以上の5人に1人、

予備軍もふくめれば3人に1人が認知症になる

と言われています。

親が子どもである自分の顔を忘れてしまったとか、

まともに生活できなくなってしまったとか、

そんなことを悩み悲しんでいるヒマはありません。

また、世間体を慮って隠しているわけにもいきません。これからはwith認知症の時代。

こんな言い方はよくありませんが、

ヘンな人たち、困った人たち、

ちょっと頭のおかしな人たちが

巷にあふれる時代になるのです。

 

ただし、それは

「一般の社会人の基準から見れば」ということ。

まだ一般の社会人の基準に達していなかった

子どもの頃、僕たちもこうしたヘンな人、

困った人、ちょっと頭のおかしな人たちでした。

ただ、子供だから許されていただけなのです。

 

認知症の人は子どもではありませんが、

子どもに見られる人間の元の部分と、

数十年間、この社会で大人として生きて

身に着けた習性と、

複雑怪奇な感情とが絡み合ったものを、

むき出しにして表現する人たちです。

僕たちはそんな人たちと向き合わなくてはなりません。

 

それはまた、これまではスルーしていた

人間の根源的な在り方と向き合うことを

意味しているのではないかと思います。

けれども、泣いたり、怒ったり、嘆いたり、

暗い深刻な顔をしたりじゃなくて、

できれば笑って楽しく向き合いたい。

家族でも自分でも、認知症を過度に恐れ、

人生に受け入れ難いと言う、

すべての人に読んでほしい本です。

 

もくじ

●おててつないで神だのみのお散歩

●未知のスポーツに対するリアクション

●いちばん自分らしく生きていた時間の記憶が残る

●認知症の人の価値はどうやって見つけるか?

●オバQそっくり

●ボロ市と天使

●義母のカエルコール

●認知症に学ぶ変化への対応と人間の根っこ

●人間の魂の純粋性の回復について

●コロナにも怯えず“いま”だけで生きる

●リスクもマスクもなき高齢者

●社会的弱者はステイホーム週間をサバイバルできるのか?

●夏休みバンスキング

●夏の魔法のネコ時間

●義母とざしきわらし

●女のダークサイド

●幸せの歌と認知症の女

●ハロウィーンプレゼントのぬいぐるみだワン

●ばんめし時間と秋の夜長

●認知症と終活の時代がすぐそこに

●認知症専門医と終末期医療を語る。~終活×終末期医療~

●エイジトラベルと幻の息子

●「恐怖!かえる女」はプリンセス

●春だけど自分にいいこと何かやってる?

●昭和のバナナ預金

●無敵の認知症:ワクチン接種のことなんてもう忘れた

●認知症のおかあさんといっしょ

●まぼろしの家へカエル病

●認知症の症状は命の芸術表現

●散歩中の犬と演じるシュールな野外劇についての断章

●義母とざしきわらしとちっちゃいおじさん

●新春特別カエルトリップ:椎名町・金剛院

●義母の復活と蛭子能収さんの本のこと

●おたく、家族を虐待していませんか?

●女の諍いにピースサイン

●腹がへった義母のパン侵略

●親より先に死んではいけません

●笑って認知症と向き合いたい

全38編収録

 


0 コメント

大にぎわいの浅草と憧れの亀十のどら焼き

 

取材で浅草に行ったら、外国人だらけでびっくり。

インバウンド完全復活!なのか?

レースみたいな奇妙なフリフリのついた着物を着た

アジア系の娘がゾロゾロいるし、

彼女らを乗せて人力車の兄ちゃんも走っている。

年末から正月にかけて浅草はお祭り気分だ。

歩いているだけで楽しくなるし、元気になる。

やっぱりいいいね。

みなさん、思う存分、日本を楽しんでください!

 

と、満たされた気持ちになって、

よし、今日は亀十のどら焼きを買って帰るろう!

と思ったが、長蛇の列ができていて、

とても待てないので諦めた。

亀十のどら焼きはおいしいが、なかなか買えない。

 


0 コメント

ありがとう&ごめんなさい

 

「ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力1・2」無料キャンペーン、
好評のうちに終了しました。
ご購入いただいた皆さん、ありがとうございます。
ぜひレビューをお寄せください。
新刊エッセイ集「認知症のおかあさんといっしょ」
本日発売の予定でしたが、最終調整中につき、
29日(木)に延期しました。
もうちょっとだけ待っててね。

0 コメント

週末の懐メロ番外編:イマジン/プレイング・フォー・チェンジ

 

ジョン・レノンは「ハッピークリスマス」のなかで

「戦争は終わった もし君が望むなら」と歌った。

でも、そう望まない人が世界にはたくさんいる。

彼の子供や孫の時代になっても

それはほとんど変わる気配はない。

 

日本も防衛費を増やそうとしている。

ロシア、中国、北朝鮮などの恐るべき動きを見れば

護身のためにやむなしと思う。

 

さらには日本も核を持つべきではないか、

という意見も耳にする。

今年は、世界は核の恐怖の均衡で成り立っている

という現実を、今さらのように思い知らされた。

そうだ、その通りかもしれないと思う。

 

けれども想像してみる。

もしも被爆国の日本が核を保有したと明言したら・・。

世界はそこで終わるかもしれない。

いろいろやっている持続可能な社会への取り組みも

すべてが水の泡になるだろう。

 

日本は核兵器の被害者であるが、

人類の歴史のストーリーの中で、

核を持たずに、

核の脅し合いを諫める役割を背負っている

(背負わされてた?)のではないかと思う。

 

まるでシェイクスピアの悲劇の主人公のようだが、

世界のために、人類のために、

その役割をこれからもと背負い続ける覚悟が

必要なのではないか。

 

そして今また「イマジン」を聴く。

当然ながら、いくら想像してみたって

現実はこの歌の通りにはならない。

けれどもこの曲を愛し続けるしかない。

なんだか時間が半世紀前に逆流している。

この曲が本当の懐メロになるのはまだ遠い先の話だ。

 

今年最後の無料キャンペーン実施

12月22日(木)17:00~26日(月)16:59

おりべまこと電子書籍:音楽エッセイをダブルで。

ポップミュージックをこよなく愛した

僕らの時代の妄想力

ロックが劇的に進化し、ポップミュージックが世界を覆った60~70年代、僕たちのイマジネーションは音楽からどんな影響を受け変態したのか。心の財産となったあの時代の夢と歌を考察する。

忌野清志郎、ビートルズ、藤圭子と宇多田ヒカル、阿久悠など。

ポップミュージックをこよなく愛した

僕らの時代の妄想力2

ロックカルチャーが開花して僕たちの世界はどのように作られ、社会はどう変わっていったのか? いっしょに聴いて、歌って、踊って、妄想しながら考えましょう。

西城秀樹、キング・クリムゾン、ローリング・ストーンズ、ザ・ピーナッツなど。


0 コメント

週末の懐メロ114:ラスト・クリスマス/ベス

 

クリスマスには失恋がよく似合う?

僕もあなたもみんなも大好き、

山下達郎の「クリスマス・イブ」といい、

この「ラスト・クリスマス」といい、

クリスマスの定番ソングになるのは失恋の歌ばっか。

 

イギリスの男性デュオ・ワムがこの曲を歌ったのは1984年。

(ちなみに録音したのは

ジョージ・マイケルだけだったらしい)

悲しい歌詞なのに、やけに明るいメロディ。

だけど当時はそんなことも気にならず、

この曲が大好きで、この季節になるとよく聴いて

失恋しているのに浮かれた気分になっていた。

思い返せば1980年代はそんな矛盾に満ちた時代だったのだ。

 

そんな若かったバカかった頃も過ぎて、

もうここ30年近く、BGMで聴こえてくるのは別にして、

ほとんど聴く気がしなかったのだが、

ふとまた聴いてみた。

 

やっぱり若い頃は妄想が張り付いていたのか、

魔法が切れてて、ワムのオリジナル版を聴いても、

全然ピンとこない。

 

カバーはどうなのか?

名曲なのでやたらいろんな人、それも女性ばっかり、

しかも世界に名を馳せるビッグネームらが

「“わたしの”ラスト・クリスマス」をご披露しているが、

全然いいと思わない。

 

そうして辿り着いたのが、ベスという無名の歌手。

ピアノだけを強調したシンプルな演奏をバックに、

甘くかわいく歌う。

はっきり言ってワムのオリジナルより数倍いい。

これぞ魔法がよみがえる、

僕の妄想の中の「ラスト・クリスマス」だ。

 

彼女はいろいろなカバー曲で歌い、

自分でネットで歌を売っているらしい。

プライベートな写真・家族の写真(だと思う)を

入れ込んだ、妙に素人っぽい映像づくりにも好感が持てる。

きっとパパ・ママが大好きで、

「ジングルベル」や「赤鼻のトナカイ」などと

いっしょに聴いて歌って大人になったんだろう。

 

懐メロとネットを媒介にビッグネームも素人さんも

分け隔てなく音楽を提供する時代になった。

・・・というわけで、

楽しいクリスマスをお過ごしください。

 

 

今年最後の無料キャンペーン実施

12月22日(木)17:00~26日(月)16:59

おりべまこと電子書籍:音楽エッセイをダブルで。

 

ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力

ロックが劇的に進化し、ポップミュージックが世界を覆った60~70年代、僕たちのイマジネーションは音楽からどんな影響を受け変態したのか。心の財産となったあの時代の夢と歌を考察する。

忌野清志郎、ビートルズ、藤圭子と宇多田ヒカル、阿久悠など。

ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力2

ロックカルチャーが開花して僕たちの世界はどのように作られ、社会はどう変わっていったのか? いっしょに聴いて、歌って、踊って、妄想しながら考えましょう。

西城秀樹、キング・クリムゾン、ローリング・ストーンズ、ザ・ピーナッツなど。


0 コメント

おりべまこと2022最後の無料キャンペーン

 

本日から5日間、今年最後の無料キャンペーン実施

12月22日(木)17:00~26日(月)16:59

おりべまこと電子書籍:音楽エッセイをダブルでお届け。

 

ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力

https://www.amazon.co.jp/dp/B08SKGH8BV

ロックが劇的に進化し、ポップミュージックが世界を覆った60~70年代、僕たちのイマジネーションは音楽からどんな影響を受け変態したのか。心の財産となったあの時代の夢と歌を考察する。

忌野清志郎、ビートルズ、藤圭子と宇多田ヒカル、阿久悠など。

 

ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力2

https://www.amazon.co.jp/dp/B0BPS1Q15P

ロックカルチャーが開花して僕たちの世界はどのように作られ、社会はどう変わっていったのか? いっしょに聴いて、歌って、踊って、妄想しながら考えましょう。

西城秀樹、キング・クリムゾン、ローリング・ストーンズ、ザ・ピーナッツなど。

 

ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力

 もくじ

●八王子・冨士森公園のスローバラード駐車場で、ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力について考える

●アーティストたちの前に扉が開いていた

●21世紀のビートルズ伝説

●藤圭子と宇多田ヒカルの歌う力の遺伝子について

●ヘイ・ジュード:ジョンとポールの別れの歌

●阿久悠の作詞入門

●余命9ヵ月のピアニスト

●ローリング・ストーンズと新選組の相似点について

●キング・クリムゾンの伝説と21世紀版「風に語りて」

●プログレッシヴ・ロックスターの死①:ジョン・ウエットンの訃報、そしてロンドンの寿司

●プログレッシヴ・ロックスターの死②:キース・エマーソンの尊厳死(1周忌に捧ぐ) 

●勝手にビートルズ・ベストテン

●中学生時代の「エリナ・リグビー」の衝撃と和訳演奏

●純情ストーカー男と純心DV願望女の昭和歌謡

●人間は幸せに慣れると、幸せであることを忘れてしまう

●義弟のアナログレコードと帰ってきたカレン・カーペンター

●いちご畑で抱きしめて

●ダイヤモンドをつけたルーシーとの別れとジュリアンの心の修復作業

●抹消された20世紀パンクと想像力の中で生きる19世紀型スチームパンク

●悲しいことなんてぶっとばすロックンロールバンドのモンキービジネス

●オノ・ヨーコさん「NHKファミリー・ヒストリー」とYESの3文字の秘密

●オノ・ヨーコさん「NHKファミリー・ヒストリー」と「イマジン」の秘密

●いろいろな人が弾くから、心に響くロンドンのピアノ

●ストリートミュージックが商品になった街ロンドン

●アナログレコードとの再会

●見捨てられた恋人のようだったアナログレコードが、 なぜ絶滅の淵から回帰したのか?

●さすらいのレコード・コレクター:男のバカバカしくて痛快な生きザマ

●クリスマスにちょっとだけ世界と自分を変える

●森田童子の思い出:僕らの時代の子守唄

●自分をリライトする

●よみがえる死者・よみがえる歌:AIの音楽

●20世紀の愛と平和のロックなんて忘れてしまっていた

●だいじょうぶです、なすがままになさい

 

ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力2

  もくじ

●神さまのカケラを拾い集めて生きる僕たちの妄想力

●45周年ユーミン、40周年サザン&YMOの衝撃

●七月の朝とユーライア・ヒープと西城秀樹

●エピタフとキング・クリムゾンと西城秀樹

●西城秀樹さん ラストステージの記憶

●「THE ALTERNATE LET IT BE…Naked」:ビートルズの終わらない物語

●ビートルズのセッション音源からジョン・レノンの伝説について考察する

●天国への階段 アウトテイク

●ロックの名盤「対自核」の邦題マジック

●ロックの邦題マジック「ハートに火をつけて」/ドアーズ

●欲望がかなう街「マホガニー市」のアラバマソング

●義母が歌う自分への子守歌とザ・ピーナッツの「村祭り」

●「サルビアの花」を聴いた

●ストーブとライター代わりの電熱器

●ルカ Lukaと子どもの虐待

●アメリカの物語を体現するロックスターは大統領選に勝つのか?

●独断と偏見のマイ・クリスマスソング・ベスト5

●音楽から生まれる妄想力とライティング

●ガーナのお葬式は、泣き女、棺桶ダンス、ポップアート棺桶

●メモリアルギター 燃えるギター愛

●日本の夏 幻想漬けのサウンドスケープ

●芸術的才能と人間性

●さらばチャーリー・ワッツ、ブラウンシュガー、そしてローリング・ストーンズ

●世界最高峰の音楽と文学と侵略戦争

●親子で卒業ソング

●銀狼・佐野元春「銀の月」

●「ラブ&ピース」の歌は無力ではない

●死ぬまで戦争体験はしたくないけれど

●メタバースで永遠に生きる

●欲望いう名の電車に乗ったロンリーハーツ・クラブバンド

●フリッパトロニクス 幻の起動音


0 コメント

ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力ダブル無料キャンペーン

 

明日から5日間、今年最後の無料キャンペーン実施

12月22日(木)17:00~26日(月)16:59

おりべまこと電子書籍:音楽エッセイ

「ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力」1・2 ダブルでお届けします!読んでね。

ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力

 

●八王子・冨士森公園のスローバラード駐車場で、ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力について考える

●アーティストたちの前に扉が開いていた

●21世紀のビートルズ伝説

●藤圭子と宇多田ヒカルの歌う力の遺伝子について

●ヘイ・ジュード:ジョンとポールの別れの歌

●阿久悠の作詞入門

●余命9ヵ月のピアニスト

●ローリング・ストーンズと新選組の相似点について

●キング・クリムゾンの伝説と21世紀版「風に語りて」

●プログレッシヴ・ロックスターの死①:ジョン・ウエットンの訃報、そしてロンドンの寿司

●プログレッシヴ・ロックスターの死②:キース・エマーソンの尊厳死(1周忌に捧ぐ) 

●勝手にビートルズ・ベストテン

●中学生時代の「エリナ・リグビー」の衝撃と和訳演奏

●純情ストーカー男と純心DV願望女の昭和歌謡

●人間は幸せに慣れると、幸せであることを忘れてしまう

●義弟のアナログレコードと帰ってきたカレン・カーペンター

●いちご畑で抱きしめて

●ダイヤモンドをつけたルーシーとの別れとジュリアンの心の修復作業

●抹消された20世紀パンクと想像力の中で生きる19世紀型スチームパンク

●悲しいことなんてぶっとばすロックンロールバンドのモンキービジネス

●オノ・ヨーコさん「NHKファミリー・ヒストリー」とYESの3文字の秘密

●オノ・ヨーコさん「NHKファミリー・ヒストリー」と「イマジン」の秘密

●いろいろな人が弾くから、心に響くロンドンのピアノ

●ストリートミュージックが商品になった街ロンドン

●アナログレコードとの再会

●見捨てられた恋人のようだったアナログレコードが、 なぜ絶滅の淵から回帰したのか?

●さすらいのレコード・コレクター:男のバカバカしくて痛快な生きザマ

●クリスマスにちょっとだけ世界と自分を変える

●森田童子の思い出:僕らの時代の子守唄

●自分をリライトする

●よみがえる死者・よみがえる歌:AIの音楽

●20世紀の愛と平和のロックなんて忘れてしまっていた

●だいじょうぶです、なすがままになさい

 

ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力2

 

 

●神さまのカケラを拾い集めて生きる僕たちの妄想力

●45周年ユーミン、40周年サザン&YMOの衝撃

●七月の朝とユーライア・ヒープと西城秀樹

●エピタフとキング・クリムゾンと西城秀樹

●西城秀樹さん ラストステージの記憶

●「THE ALTERNATE LET IT BE…Naked」:ビートルズの終わらない物語

●ビートルズのセッション音源からジョン・レノンの伝説について考察する

●天国への階段 アウトテイク

●ロックの名盤「対自核」の邦題マジック

●ロックの邦題マジック「ハートに火をつけて」/ドアーズ

●欲望がかなう街「マホガニー市」のアラバマソング

●義母が歌う自分への子守歌とザ・ピーナッツの「村祭り」

●「サルビアの花」を聴いた

●ストーブとライター代わりの電熱器

●ルカ Lukaと子どもの虐待

●アメリカの物語を体現するロックスターは大統領選に勝つのか?

●独断と偏見のマイ・クリスマスソング・ベスト5

●音楽から生まれる妄想力とライティング

●ガーナのお葬式は、泣き女、棺桶ダンス、ポップアート棺桶

●メモリアルギター 燃えるギター愛

●日本の夏 幻想漬けのサウンドスケープ

●芸術的才能と人間性

●さらばチャーリー・ワッツ、ブラウンシュガー、そしてローリング・ストーンズ

●世界最高峰の音楽と文学と侵略戦争

●親子で卒業ソング

●銀狼・佐野元春「銀の月」

●「ラブ&ピース」の歌は無力ではない

●死ぬまで戦争体験はしたくないけれど

●メタバースで永遠に生きる

●欲望いう名の電車に乗ったロンリーハーツ・クラブバンド

●フリッパトロニクス 幻の起動音

 


0 コメント

最新刊「認知症のおかあさんといっしょ」発売告知

 

おりべまこと電子書籍新刊

「認知症のおかあさんといっしょ」

義母の介護の日々を楽しく綴った面白エッセイ。

認知症を知り、認知症から人生を、人間を学ぶ。

認知症とはどんな病気なのか、

その概要がわかる専門医の講演録も同時収録。

12月26日(月)発売予定。お楽しみに。

 


0 コメント

親より先に死んではいけません

 

昨日は父の命日だった。

もう14年になる。

今年は母が逝ったので14年ぶりにいっしょになれた。

良かったと思う。

おとぎ話っぽいが、死後のことは誰にも分らないので、

天国でまた仲良くやっていることを想像する。

 

僕にとって、父、母と呼べる人は、

認知症の義母一人になった。

彼女の方は実の娘であるカミさんのことも

娘と認知してないので、当然、僕が義理の息子だとも

思っていない。

 

「おかあさん」という呼び方にも反応しないので、

半分以上は名前で呼んでいる。

その方が本人も居心地いいようだ。

しかし、客観的には母親に違いない。

最後の親なので、彼女より先には死ねない。

と、最近よく思う。

 

僕は昭和の人間なので、上の世代から

「親より先に死んではいけない。それは最大の親不孝」

と割ときつく教えられてきた。

 

10代の頃から同世代で事故や病気や自殺で死ぬ

人間を見て来た。

逆に子供に死なれた友人・知人も見て来た。

やはりどっちも見るに堪えないものがある。

 

若い頃は、いつ死ぬかなんてわからないから

しょーがないだろと思っていたが、

齢を取ると、やはり親より長く生きるのが

最低限の親孝行というふうに思える。

 

いくらいい子でも、親孝行を重ねてきた子でも、

親より先に死んだら元も子もない。

 

「親より先に死んではいけません」という戒めは、

今の時代、割と薄れてきたように感じるのだが、

どうなのだろうか?

 

もちろん、寿命がどこまでかは

神のみぞ知る運命なのでどうにもならないが、

「親より先に死んではいけない」は、

いつもおまじないの言葉として唱えていた方がいい。

人生は自由に生きればいいが、

どこかでそれくらいの重しは必要だと思う。

 


0 コメント