1987年リリース。
アルバム「タンゴ・イン・ザ・ナイト」に収録された
クリスティン・マクヴィー作曲のナンバー。
フリートウッド・マックは
1967年から続く息の長いバンドで、
いろいろな音楽性を持っているが、
やはり70年代中盤、
活動拠点をイギリスからアメリカに移した後に
発表した大ヒットアルバム
「ファンタスティック・マック」や
「噂(Rumours)」のイメージが強い。
このあたりから始まったポップロック路線は、
現代——特にこの数年、人気が高まり、
バンド自体も再評価され、
「噂(Rumours)」という
トリビュートバンドまで出てきて活躍している。
もう一つ、このバンドをユニークな存在にしているのは、
スティーヴィー・ニックスとクリスティン・マクヴィー、
二人の女性ヴォーカリストが
ほぼ均等に並び立っていたという点。
しかも二人とも才色兼備のソングライターである。
「ドリームス」などの大ヒットがあるので、
巷では「マックと言えばスティーヴィー・ニックス」
みたいな感じで語られることが多いようだが、
僕は断然クリスティン・マクヴィー派で、
彼女が書いて歌う歌こそが
フリートウッド・マックの真骨頂だと思っている。
特にこのライブの「エヴリウェア」は
ファンタジックなイントロと
オリジナルよりもテンポアップされた流れるような曲調、
軽やかに踊るように、
それでいて落ち着きのあるヴォーカルがとても心地よい。
昨年(2022年)にこの世を去った
クリスティン・マクヴィーの最高のパフォーマンスの一つ。
音楽エッセイ:
週末の懐メロ
第1巻~第3巻
AmazonKindleにて各300円で発売中
20世紀ポップミュージック
回想・妄想・新発見!
あなたの人生を変えた楽曲はここにありますか?
とある金融会社のカレンダーをもらった。
本社がニューヨークあるらしく、
NYCの写真の12枚つづり。
これでもか!と出てくる
ハイテンションな街の風景は圧巻だ。
マンハッタンの摩天楼も、5番街も、タイムズスクエアも、
ブルックリンブリッジも、自由の女神も、
映画、ネット動画や写真、
テレビなどで見慣れているはずだが、
こうしたアナログ印刷でドン!ドン!ドン!
と12連発で見せられると異様な迫力がある。
そして若き日にニューヨークに
憧れていたことを思い出した。
外国暮らしの夢を果たしたのはロンドンだったが、
その前はニューヨークに行きたいと思っていた。
映画や本などでニューヨークの街の風景を見ると
ざわざわと胸が騒いだ。
それはゴージャスな美女を抱きたいという
欲望にも似ていた。
実際、1986年と1990年の2回、
それぞれ1週間余り、ニューヨークへ行った。
「ああ、おれは今、ニューヨークにいる」と、
しみじみ感動したことを憶えている。
いずれもまだ世界貿易センターのツインタワーが
健在だった時代の話だ。
今のこのニューヨークの写真を見ていると、
9・11の惨劇のことなどみじんも感じない。
20世紀の頃より、さらに高く、空へ向かって
にょきにょき伸びたビル群は、
あのテロの悪夢から完全に立ち直った
世界最強の国の、世界最高の金ピカの都であることを
高らかに誇示しているかのようだ。
実際、いくらドバイのなんちゃらタワーがすごいとか、
上海のかんちゃらビルがすごいと言っても、
ニューヨークほどには絵にならない。
やはり近代資本主義帝国としての歴史が違うぜ、
と思わせる風格がある。
しかし、そんなにすごいニューヨークだって、
金融エリートやスター芸能人・スポーツ選手
ばかりが住んでいるわけではない。
人口の大半はこの街をえっちらおっちら回している
普通の労働者、普通の庶民である。
そしてまた、その大半は物価高に苦しむ貧乏人らしい。
ちょこちょこと調べてみたら、
マクドナルドのスタッフの時給が3700円とあった。
単純計算で1日8時間、月に20日働けば、
収入は60万円近くに上る。
大した金額だと思うが、
ここでは60万円では1DKの部屋代で終わりだという。
その他、コーヒー1000円、ラーメン3000円とか、
物価はとんでもなく高騰していて、
年収1千万でも貧乏暮らしを余儀なくされるらしい。
ちょっと足を踏み外せばホームレスに転落だ。
みんなどうやって生きているんだろうと心配になる。
自分のことに話を戻すと、
この写真を見て美しいとは思うが、
40年前のように胸はざわめかない。
正直言うと、見ているだけでお腹いっぱい、
胸やけがしてくる感じ。
もうこの街に行きたいと思わないし、
なんだかうんざりした気分になってくる。
都市開発は終わらない。
高いビルを建てるマウント合戦も終わらない。
金持ちの金儲けも終わらない。
戦争もテロも終わらない。
いつまでこんなことが続くんだろう?としか思えない。
ゴージャスな美女は遠くからポヤーンと
見ているだけで十分だ。
ま、簡単に言えば、齢を取ったってことだけど。
中編小説
洗たく女の空とぶサンダル Kindleより好評発売中。¥500 格差社会にもすっかり慣れた。労働者階級の誇りをもって働く洗たく女アカネの笑いと夢と希望の物語。読んでみてね。
認知症の人の頭のなかには
どんなファンタジーの世界が広がっているのか
興味が尽きない。
何度か、義母が夜中や早朝に起き出して、
食べ物などをガメていく話を書いたが、
きょうは部屋の中から「みかんせんべい」が発見された。
夜中にガメたみかんを布団の下に隠し、
そのまま寝たのでぺっちゃんこ。
当然、布団の下はみかんの汁でぐちゃぐちゃ。
発見者のカミさんはカンカンである。
俗にいう認知症の人の「問題行動」だが、
まぁこれくらいのことなら明日ふとんを干せば
いいだけの話だし、怒っても本人は憶えていない。
それよりもどうしてガメたものを食べずに、
こんなふうに隠したり、しまいこんだりしてしまうのか?
秋口はお腹が減るせいか、たいてい食べていたが、
最近、寒くなってからは備蓄しようとする傾向がある。
冬眠する動物みたいに食糧を蓄えておこうという
本能が働くのも理由の一つだと思うが、
どうもそうした即物的な理由だけではないような気がする。
幻の家族やお友だちと会話していることを考え合わせると、
どうやら義母の4畳半の部屋には異次元ドアがあり、
その向こうには彼女にしかわからないストーリーが流れ、
そのストーリーを生きているのではないか。
そして、そう生きることが彼女の存在の芯にある
アイデンティティ、生きる意味と
つながっているのではないかと思える。
というわけで、汁が抜けてぺったんこに
みかんせんべいを見ているうちに
義母のストーリーを解き明かしてみたいという
妄想にかられた。
その前に、明日晴れたら洗濯と布団干しをやろう。
みかんせんべいは食べてみたが、
パサパサしててさすがにおいしくない。
短編小説
ざしきわらしに勇気の歌を
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気になったら、ぜひ読んでみてください。
先日、カミさんが義母を連れて買い物に出かけた。
途中、高校の前を通ったら、
二人連れの女子高生の前にいきなり飛び出していって、
「こんにちは!元気ぃ~!」と大声であいさつした。
もちろん、女子高生はびっくりしてドン引き。
カミさんがあわてて義母をたしなめ、
「ごめんなさい」とその子たちに謝った。
ひとりは「だいじょうぶです」と笑っていたが、
もう一人はずっと顔が引きつったままだっただったらしい。
いずれにしてもそれで無事に収まり、
そのまま立ち去ったが、
背中で「なにあれ!?キモっ!」とかなんとか、
引きつってたほうが叫んでいたという。
腹も立たないし、説教するつもりもない。
僕も高校生だったら似たような
リアクションを取っただろう。
ちょっとびっくりしたのは僕が知る限り、
通常、義母は女子高生なんかに挨拶しない。
カミさんの話によると、
一人が高校生の頃の妹(つまりもう一人の娘)に
ちょっと雰囲気が似ていたらしい。
イメージがダブったのか、
あるいは僕といる時と、カミさんといる時と、
気分の違いで、違ったイメージが湧きだすのかもしれない。
義母は愛想がよく、社交的な人と思われていて、
デイサービスなどでもムードメーカーになっているらしい。
実際、そういう一面があって、
僕と散歩するときもすれ違う人に
元気な声で「おはようございます」とか、あいさつする。
しかし誰彼かまわずというわけではない。
ちゃんと瞬時に相手が返してくれるかどうか読み取り、
返してくれそうな人にだけあいさつするのだ。
その打率はだいたい7~8割。
けっこう高い精度である。
認知症だからといってバカではない。
論理的思考が働かない分、直観力は優れているのだ。
観察していると、声をかけるのは大まかに言って、
子供、子供連れの母親・父親、犬連れの人、
工事の人、掃除の人、トラックの運ちゃん、
警備員、お巡りさん、鳥を撮っているカメラマンなど。
子連れや犬連れ以外は年齢高めの人が多い。
やっぱり齢の功というべきか、経験豊富というか、
単にヒマというか、高齢者はちょっと奇異に感じても、
ちゃんと余裕をもって挨拶を返してくれる。
その点、前述の女子高生のように
人生経験・社会経験の浅い若いもんは
見たこともない変化球を投げられるとビビってしまう。
義母もそのへんがわかっているのか、
子供でも小さい子はいいが、
小学校の高学年以上になるとあいさつしない。
10代から30代くらいまでの若輩者に
声をかけることは稀である。
特に女性には、若いママさんグループなども含め、
近づこうとしない。
それから肉体労働系の人には愛想がいいが、
スーツなどを着込んだインテリ系、
ちょっとスカしたアート系などにも声をかけない。
高齢者でも気難しそうな顔をした人にはあいさつしない。
僕といるときはしたことがないが、
肉体労働の人が休んでいるのを見ると寄っていき、
「あら、あなた、いい体してるわね」と、
ペシペシ背中を叩いたりすることもあるらしい。
こうして書き出してみると、
なンとなく彼女が交流したい
人間のカテゴリーが見えてくる。
べつにいいとか悪いとかの区別はないが、
やはり社会から離脱した人なので、
忙しい競争社会の真っただ中にいる人や、
そこに入ろう・順応しようとしている
おとなになりかけの子供たちは避ける傾向がある。
自分の相手をしてくれるのは、
まだ社会化されていない小さな子や、
逆に社会からリタイアした年寄り、
ちょっと社会から外れた人たちというところか。
そういう意味では、川沿いの散歩道は、
ちょっと日常の世界ら外れて
遊んだり休息できる雰囲気があるので、
あいさつを返してくれる人が多いのもしれない。
ビジネス街や繁華街でこんな変化球が飛んで来たら
気味悪がってよけるしかないが、
ここなら「まぁ、こんな人もいるよね」と
キャッチできる、
危害がなければ、多少おかしな人がいてもOK、
その方が面白いということだろうか。
自然がたくさんある環境なら良いというものでもない。
そこに暮らす人たちがどんな心境でいられるかが大事。
義母には教わることが多い。
認知症のおかあさんといっしょ
エッセイ集 認知症介護
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認知症を知り、認知症から人生を、人間を学ぶ。認知症専門医の講演録も収録
この間の土曜日のことだが、
カミさんが中学校の同窓会に出かけたので、
夜は義母と二人だった。
普段、食事は居間でしているが、
ここは食事の時間以外はカミさんがいろいろ使っている。
食後、義母はたいてい自分の部屋に引っ込むのだが、
居間の主であるカミさんがいないので、ずっと動かない。
カミさんは管理責任者でもあるので、
ああしろ、こうするなとガミガミいわれるが、
今日はその心配はないと察知して
居心地がよかったのだろう。
僕はなめられているということでもある。
特に何か話すこともなく、テレビを見ていた。
彼女はテレビで何をやっているのか、
内容を理解できない。
メシが出てくれば、おいしそうとかまずそうと言ったり、
イケメンや美女はいいねと言ったり、
激しいスポーツのシーンには「うわ、ひどいことする!」と
怒りのリアクションをするが、すぐに忘れている。
彼女にとってテレビは
「光と音の出る暖炉」のようなものなのかもしれない。
そう思って「ペチカ」と「たき火」を歌ったら喜ばれた。
僕のヘタな歌で喜んでくれるのは義母だけである。
そのうち、ああ、この人は何十年もの間、
夜はこのように居間で義父と過ごしていたのだなと
わかった。
認知症患者には過去の記憶も、未來の展望もなく、
今この時だけがあるが、生活習慣のイメージは残っている。
あたたかい光と音の暖炉に当たりながら
そのイメージに浸るのが、
ぬくぬくして気持ちよかったのかもしれない。
そうしているうちに9時を回ったので、
「お義母さん、そろそろおねんねしましょう」と、
みかんを1個持たせたら、喜んで部屋に帰るという。
だが、2時間以上も坐っていたのですぐに立てない。
腕を回して抱き起そうとしたら、
「手を持ってくれるだけでいいです」
こういうところはプライドが許さないようだ。
土曜日はデイサービスで筋トレをやる上に、
少々夜更かしをしたので
翌日は疲れて1日中寝ていた。
最近はデイサービスに行かない日は、
僕たちも放っておくので、少なくとも昼まで寝ている。
特に寒い季節になると、寝る時間が長くなる。
外に出かけるなど、騒ぎ出さないのでこっちは助かるが。
認知症を発症してから、
少なくとも15年は経っているのにもかかわらず、
まだまだ体は元気。
ただ、見ていると、昨年、今年と、
確実に体力は落ちている気がする。
1970年代から80年代にかけて、
ロックミュージックと一線を画する
シンセサイザーミュージックが流行したことがある。
火付け役は映画「エクソシスト」のテーマ曲
「チューブラーベルズ」を世に送り出した
マイク・オールドフィールドだったかもしれない。
日本でも冨田勲の「惑星」や喜多朗の「シルクロード」に
心酔した人も少なくないだろう。
「アメリカのマイク・オールドフィールド」と言われた
ラリー・ファーストもその一人。
リック・ウェイクマンやピーター・ガブリエルなど、
プログレッシブロックの雄たちの活動をサポートしてきた
シンセサイザー奏者だが、そのラリー・ファーストが
1975年、「シナジー」というプロジェクト名で
アルバム「10番街の殺人」を発表。
そのなかに収められた楽曲「戦士」は、
鮮烈なイメージの音楽世界を創り出した。
美しく抒情的なメロディとスリリングな曲展開、
そして幾重にも重なってハーモニーとなる電子音。
そのサウンドの奥に広がるのは
ファンタジックなSF映画を思わせる異世界。
いま聴いても初めて出会った当時の感動は、
何ら色あせることなくよみがえる。
ロックミュージックと一線を画すると言ったが、
ある面、これが究極のブログレッシヴロックとも思える。
今ではせいぜい仕事中のBGMとしてしか
聴かなくなってしまったシンセミュージックだが、
やはりシナジーは別格で、
クライマックスからエンディングに至る深遠な余韻は
脳の隅々にまで染みわたっていく。
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そしてまた納得がいくまで書きなおし、
これでいいかと思ったら読んでもらって
指摘を受けたらそこをまた書き直す。
齢を取ってから村上春樹のそうした書き方・生き方を
いいなと思うようになった。
もっと前からできていたらよかったのだろうが、
若い頃はそんなふうに考えられなかった。
そんな話を聞いただけでうんざりした。
いま若い人も恐らくそう思う人が大半だと思うが、
もしできれば気が付くといい。
平凡な日々、平凡な作業の積み重ねが、
非凡な結果を生み出すことがある。
そうして生まれた村上春樹の小説には
いろんな哲学が秘められている。
それを読み解くのが楽しい。
今は間違っていたことを素直にを認めて
気力・体力が続くまでコツコツやりなおすだけである。
もくじ
●村上春樹の初期作品を再読する「風の歌を聴け」
●村上春樹の初期作品を再読する「1973年のピンボール」
●村上春樹の初期作品を再読する「羊をめぐる冒険」
●村上春樹の初期作品を再読する
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」
●少したってまた村上春樹の初期作品を再読する
「ノルウェイの森」
●「海辺のカフカ」迷子の猫とネコ探し名人ナカタさん
●「アフターダーク」生きていく燃料としての記憶
●「1Q84」のタマルとミケランジェロ
●「騎士団長殺し」の免色渉と子ども
●2018年の4月に「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を読んだ
●結婚記念日と「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」
●2020年の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」と新型コロナウィルスに犯された後の世界
●40年目の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」について
●4月のある雨の朝に100パーセントの川岸から 小舟を漕ぎ出すことについて
●早春に目覚めたカエルと「かえるくん」について
●小説を読むように楽しむ映画「ドライブ・マイ・カー」
●村上春樹のエッセイ「猫を棄てる」と父親史について
●村上春樹はみんなに「読書は創造活動」と気づかせた作家
●「街とその不確かな壁」:そこは現代人の魂の拠りどころ
全21編採録
「なんでこんなわけのわからない話を
読みたくなるんだろう?」
と、いつもいつも不思議に思いつつ、
44年にわたって村上春樹の小説と付かず離れずで
生きて来たが、
アラカンになってその謎に挑戦すべく初期作品を再読。
そして近年の作品も読んでいろんなことを考えた。
1978年のデビュー作「風の歌を聴け」から
2023年発表の最新作「街とその不確かな壁」まで。
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もくじ
●村上春樹の初期作品を再読する「風の歌を聴け」
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●少したってまた村上春樹の初期作品を再読する
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●「海辺のカフカ」迷子の猫とネコ探し名人ナカタさん
●「アフターダーク」生きていく燃料としての記憶
●「1Q84」のタマルとミケランジェロ
●「騎士団長殺し」の免色渉と子ども
●2018年の4月に「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を読んだ
●結婚記念日と「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」
●2020年の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」と新型コロナウィルスに犯された後の世界
●40年目の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」について
●4月のある雨の朝に100パーセントの川岸から 小舟を漕ぎ出すことについて
●早春に目覚めたカエルと「かえるくん」について
●小説を読むように楽しむ映画「ドライブ・マイ・カー」
●村上春樹のエッセイ「猫を棄てる」と父親史について
●村上春樹はみんなに「読書は創造活動」と気づかせた作家
●「街とその不確かな壁」:そこは現代人の魂の拠りどころ
全21編採録
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1973年リリース。
ボブ・ディラン屈指の名曲を
サンディ・デニーとフェアポート・コンベンションが
カヴァー。
60年代後半から70年代前半にかけて活躍した
イギリスのフォーク/ロックバンド
フェアポート・コンベンションは
民謡・古謡を現代風にアレンジした楽曲で、
その後の多くのロック/ポップバンドに影響を与えた。
また、ジュディ・ダイブル、サンディ・デニーという
二人の伝説的女性シンガーを輩出したことでも知られる。
ジュディ・ダイブルは、
グレッグ・レイク加入前の
最初期キング・クリムゾンに参加し、
「風に語りて」のアーリーバージョンでヴォーカルを担当。
長いブランクを経てカムバックした2000年には
ソロアルバムで新アレンジによる
21世紀版「風に語りて」もリリースしている。
サンディ・デニーは、レッド・ツェッペリンⅣの
「限りなき戦い」にゲストヴォーカリストとして参加。
ロバート・プラントとのデュエットで、
神話的な楽曲の創造に貢献した。
その残響は次曲「天国への階段」の
イントロにも繋がっている。
31歳で夭折したこともあって、
その歌声は伝説として語り継がれ、
死後半世紀近く経った今でも、
多くのミュージシャンのリスペクトを集めている。
「天国への扉」は、もともとボブ・ディランが
映画「ビリー・ザ・キッド」のテーマ曲として
書いたものだが、
多くのミュージシャンがこの曲の虜となり、
カヴァーにチャレンジ。
そのなかでも
サンディ・デニー&フェアポート・コンベンションの
原曲と対照的な、聖なる雰囲気を漂わせるパフォーマンスは
とりわけユニークで聴きごたえがある。
もちろんワイルドでたっぷりエモーショナルな
本家ディランのハーモニカもしびれる。
京都の百万遍にある知恩寺というお寺で
毎月15日に「てづくり市」という市が立つ。
その名の通り、結構広い境内いっぱい
関西・近畿一円から集まった業者が
露店を開き、衣料・アクセサリー・工芸品・アート・
玩具・生活雑貨など、手作り品を売っている。
関西弁があふれ、とても楽しくてにぎやかだ。
そのなかで布で作った人形を売っている店があり、
かわいいお地蔵さんが目に留まった。
10数個あったが、一つ一つ顔と着物が微妙に異なる。
売り子のおねえさんによると、
95歳のおばちゃんが作っているのだそうだ。
そんな話を聞いて、義母のお土産にと一つ買ってきた。
(旅行中はショートステイに預けていた)
鏡台の前にずらりと並んだお友だちの間に
さりげに置いておいたら、
新入りに気付かないのか、自然に受け入れているのか、
とくにリアクションもなく、この1週間過ごしている。
彼女にとってはお地蔵さんも、タコやネコやワンちゃんと
同列扱いのようだ。
それでもって昼となく夜となく
これらマスコット相手におしゃべりをしている。
それだけでなく最近は幻視なのか、
やたらとどこかの子どもや、もうこの世にいない
親やきょうだい、見知らぬ先生とかお兄さん・お姉さんまで
遊びにくるようで、いろいろ訊かれるのだが、
「こっちにはいないよ」とか
「さあ、どこに行ったんだろう?」とか、
「会えてよかったね。きっとまた来るよ」とか言ってかわすと、
納得したのかしないのかわからないが、一応ひっこむ。
それでまたちょっと経つと部屋で誰かと話している。
知らない人が見たらびっくりするかもしれないが、
すっかり慣れて日常の風景になってしまった。
一時期、「お母さんのところに帰る」と言って、
止めるのも聞かずに家を出ていくことが会って往生した。
数日前に見たNHKのクローズアップ現代で
「認知症行方不明者1万8千人の衝撃」
という特集をやっていたが、
これは本当に大問題である。
家族や子供が家の中にいて話ができるなら
いきなり「かえるかえるケロケロ」と騒ぎ出さずに済んで
こちは助かるというものだ。
考えてみれば、どこか違う世界の子供と会ったり、
もうこの世を去ってしまった家族がいたりするなんて
幸福なくらしである。
そういうふうに考えていかないと、
これからの「高齢者の5人にひとりが認知症」なんて時代を
到底乗り越えていけないのではないか。
お地蔵さん、義母が図と幸福でありますように。
どこに行っても観光客だらけの京都だが、
不思議と東寺はいつ行っても空いている感じがする。
空海ゆかりの東寺は、京都駅から徒歩15~20分。
(中途半端なロケーションなので
歩ける人は歩いた方がいい。
足が悪ければタクシーで1~2メーター。)
平安京の遺構であり、日本最古の密教寺であり、
もちろん世界遺産の一つ。
800円で巨大な薬師如来が鎮座する金堂(こんどう)、
立体曼陀羅のある講堂(こうどう)、
そして五重の塔を見て回れる。
どれも圧巻。
こういう寺が1200年も存続しつづけていることが、
月並みだけど日本の素晴らしいところ。
空いている感がするのは、
単にタイミングがいいだけなのか。
境内がだだっ広いので人口密度が低いからか。
けどそれよりも、
他の観光地から離れ小島のような場所にあり、
周囲に食べ歩き用の飲食店や
土産物屋がないおかげで俗化されず、
観光公害を免れているのが大きいのだろう。
今回も修学旅行生はあちこちから来ていたが、
うるさい外国人は少なく、快適に見て回れた。
今回、3つの建物のほかに、食堂(じきどう)で
観瀾斎(かんらんさい)という画家の展覧会をやっていた。
こちらは入場無料なので、さりげに覗いてみると
「棟方志功?」
「ピカソ?」
「マティス?」
「シャガール?」
といった作品がずらり。
それらの巨匠のタッチで仏様の世界を描いている。
悪く言えばパクリなのだが、
この人の描くテーマ「祈り、癒し」――
人間と仏様の世界が、
それらの巨匠に近いタッチで描かれているを見るのは
とても楽しいし、こころ動かされる。
そしてどれもアート一直線でなく、
少しずつポップでマンガっぽくて、庶民的なのもいい。
デジタルテクノロジーが広がり、
人間の社会・感情生活が大きく変わる一方で、
100年前と何ら変わることなく
各地の戦争で不安に脅かされる現代の世界。
こうした状況に触れて、
もし、かの20世紀アートの巨匠たちが生きていたら
どんな絵を描くのだろうと思わず考えてしまった。
観瀾斎氏には今は亡き志功やピカソに替わって、
「祈り、癒し」の絵を描いてほしいと思った。
この展覧会では来年の干支である
龍の作品も多数展示されており、
ポップでユーモラスな龍の絵は縁起がよさそうだ。
小さなパネルの絵なら2000円~3000円で買える。
12月24日まで。
あとひと月間、開催されているので、
これから京都に行く人はぜひ東寺に立ち寄り、
仏像と観瀾斎の絵を見るのがおすすめ。
京都で印象深かった食と言えば、
南禅寺の参道沿いにあった湯豆腐のお店「五右衛門」。
それから道路を挟んで東寺の入口の向いにある
カモ料理の「空(くう)」。
南禅寺は臨済宗のお寺。
禅宗の一つである臨済宗は、坐禅・宿坊・精進料理で、
外国人に大人気。
それにこの辺は水がいいので豆腐がうまく、
いつの頃からか、ここの参道沿いには
いくつも湯豆腐の店ができ、名物になった。
もともと質素なはずの精進料理だが、
観光客相手だと高級料理に変わってしまい、
この周辺の湯豆腐屋もめっちゃ敷居が高い。
その中でも「五右衛門茶屋」は
比較的リーズナブルなお値段で、
店の雰囲気も素朴であったか。
湯豆腐を食べるのにぴったりだ。
お昼の定食は湯豆腐をメインに突き出し、
野菜天ぷら、ごはんがついて2500円也。
ちなみに南禅寺のもう一つの名物は、石川五右衛門。
もちろんルパン3世の仲間でなく、
安土桃山時代に生きた大盗賊で、
最期は豊臣秀吉によって、
三条河原で、手下や家族もろとも釜茹での刑に処された。
「五右衛門ぶろ」はそこから生まれた
蓋を底に沈めて入る釜茹で風呂である。
それにしても権力を握った後の秀吉はほとんど狂人で、
その残虐さは信長以上である。
五右衛門は権力者ばかり狙う盗賊だったので、
庶民に人気が高く、さまざまな伝説が生まれ、
江渡時代になると歌舞伎のネタにもなった。
巨大な南禅寺の三門は高さが22メートルあり、
日本三大門の1つに数えられるほどの名門だが、
歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」の中で
石川五右衛門が満開の桜を眺め
「絶景かな、絶景かな」と見得を切る場面としても有名だ。
建てられたのは江戸時代初期なので、
五右衛門の「絶景かな」はお芝居での話。
東寺は空海を宗祖とする真言宗のお寺。
その向かいの「空」は当然、空海の空と
めしを「食う」を掛け合わせたもの。
(と断定したけど、お店の人に聞いたわけではない)
ちょっと古風な門構えで、しかも鴨料理というので
一瞬、高いかな?と思わせるが、
少なくともランチはいたってリーズナブル。
ほとんどのメニューが1000円台で食べられる。
お店のなかは外観とちょっとギャップのあるモダンな造り。
いわゆる「町屋カフェ」として売り出しているようだ。
お昼の限定メニューとして、
鴨カツ丼と鴨カレー(鴨しゃぶのだしのカレー)が
あったので、迷ったあげく、鴨カツ丼を選択。
チキンとはまた違う、ちょっと珍しいおいしさだった。
カレーの方も食いたかったとちょっと未練を残しつつ
京都を去ることになった。
★おりべまこと新刊
再読・風の歌を聴け
Kindleより発売。¥300
1979年のデビュー作「風の歌を聴け」から2023年発表の最新作「街とその不確かな壁」まで。ふたたび旅したハルキワールドの思い出・感想・評論をミックスアップしたエッセイ集。
はじめての人も、リピーターの人も、ハルキワールドを旅する時のガイドブックとしてご活用ください。
コロナ禍の頃、観光業やお寺関係の仕事で、
政府が日本の観光立国化を目指し、
観光収益を上げるために、
インバウンド客の単価UPを
図っているという話をよく聞いた。
金のない旅行者から
無理やりふんだくるわけにはいかないので、
ターゲットは当然、世界の富裕層。
高額な料金に見合うだけの
日本文化の体験・最上級のおもてなしを
たっぷり盛り合わせて…という戦略を
いろいろなコンサルタント会社が入って企て、
かなり懸命にテコ入れしていたようだ。
その努力は報われた。
2泊3日の京都旅行に行って、
観光業者はその要請にしっかり応えたことが見えた。
本当に人気観光地の周辺の飲食店に入るには
富裕層クラスのお金が必要。
一般ピープルは食べ歩き用の屋台食やスイーツなどで
楽しんでね、という感じ。
宿代もコロナ前の2019年に比べ、
平均で3~4割値上がっているらしい。
(僕たちは山科駅近くのAirBnBに泊った)
実際、どの程度、単価UPを達成したかは
いずれ観光庁が成果のデータを上げるだろうが、
観光にも昨今の格差社会の在り方が
十二分に反映されているような気がする。
京都の秋の観光はまだまだこれからが本番。
自社と紅葉のライトアップが12月まで続いて、
大賑わいになりそうだ。
ちなみに観光立国になるということは
国家が成熟した証拠。
今あるもの・持っているものを見せればいい。
もちろん、その見せ方が問題で、
そこにいろいろ工夫は必要だけど、
観光業は莫大な資本や人材を投入して
新しく何かイノベーションを起こす産業ではない。
おとなになったニッポン。
リッチなニッポン。
けれども老化するニッポン。
個人と同じで、国家もこれからの生き方を問われる。
「まだまだ若くて元気ハツラツだ~」
なんて張り切ってると、ぎっくり腰にいなるのがオチだ。
何もかも下り坂の国が、
政治も社会機構も、上り坂の時と同じ運転していたら
おかしなことになるのに決まっている。
ネガティブに考えなくてもいいけど
早く昭和アタマの価値観から抜け出さねば。
でないと、ギックリ腰どころか、
脳や心臓にきて倒れちゃうよ。
★おりべまこと新刊
再読・風の歌を聴け
Kindleより発売。¥300
1979年のデビュー作「風の歌を聴け」から2023年発表の最新作「街とその不確かな壁」まで。ふたたび旅したハルキワールドの思い出・感想・評論をミックスアップしたエッセイ集。
はじめての人も、リピーターの人も、ハルキワールドを旅する時のガイドブックとしてご活用ください。
「なんでこんなわけのわからない話を
読みたくなるんだろう?」
と、いつもいつも不思議に思いつつ、
44年にわたって村上春樹の小説と
付かず離れずで生きて来たが
アラカンになってその謎に挑戦すべく初期作品を再読。
そして近年の作品も読んでいろんなことを考えた。
1979年のデビュー作「風の歌を聴け」から
2023年発表の最新作「街とその不確かな壁」まで。
ふたたび旅したハルキワールドの
思い出・感想・評論をミックスアップしたエッセイ集。
村上春樹を読み直して自分の世界を書き換える。
はじめての人も、リピーターの人も、
ハルキワールドを旅するための
ガイドブックとしてご活用ください。
もくじ
●村上春樹の初期作品を再読する 「風の歌を聴け」
●村上春樹の初期作品を再読する 「1973年のピンボール」
●村上春樹の初期作品を再読する 「羊をめぐる冒険」
●村上春樹の初期作品を再読する 「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」
●少したってまた村上春樹の初期作品を再読する
「ノルウェイの森」
●「海辺のカフカ」迷子の猫とネコ探し名人ナカタさんのこと
●「アフターダーク」生きていく燃料としての記憶
●「1Q84」のタマルとミケランジェロ
●「騎士団長殺し」の免色渉と子ども
●2018年の4月に「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を読んだ
●結婚記念日と「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」
●2020年の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」と新型コロナウィルスに犯された後の世界
●40年目の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」について
●4月のある雨の朝に100パーセントの川岸から 小舟を漕ぎ出すことについて
●早春に目覚めたカエルと村上春樹の「かえるくん」について
●小説を読むように楽しむ映画「ドライブ・マイ・カー」
●村上春樹のエッセイ「猫を棄てる」と父親史について
●村上春樹はみんなに「読書は創造活動」と気づかせた作家
●「街とその不確かな壁」:そこは現代人の魂の拠りどころ
全21編載録
Amazon Kindleより本日発売! ¥300
英国のファンタジー作家・トールキンの
「指輪物語~王の帰還~」から
材を取ったと言われるこの曲は、
レッド・ツェッペリン1971年リリースの
「Ⅳ(フォアシンボルス)」の収録曲。
20世紀ロックの必聴版として名高い
「レッド・ツェッペリンⅣ」の
アナログ盤A面は、ブラックドッグ、ロックンロールと、
ZEP史上最強のロックナンバー2曲を
立て続けにかました後、一転して、
アコースティックなこの曲をブリッジにして
史上最高のバラードとロックの融合曲
「天国への階段」へつながるという完璧な構成だった。
そんなわけで何となく「天国への階段」へのつなぎ、
前座と見なされることが多かった「限りなき戦い」だが、
エスニックで印象的なメロディラインは
ヘヴィメタバンドとして分類されていた
ZEPのイメージを大きく変えた。
世界中のさまざまな伝統音楽のエキスを
ロックの文脈に取り入れた
ワールドミュージックバンドのZEPが
このあたりで開花したと言ってもいだろう。
ZEP時代、この曲をライブで演奏することは
ほとんどなかったようだが、
解散から10年あまりの月日を経て、
ギターのジミー・ペイジと
ヴォーカルのロバート・プラントが
再びタッグを組んで発表したアルバム
『ノー・クォーター』(1994年)では
民俗音楽色が3倍濃厚になった
リメイク版「限りなき戦い」が登場。
ZEPとは一味ちがうペイジ&プラントがめざす
音楽の方向性を示した。
また、この曲はレッド・ツェッペリンの楽曲の中でも唯一、
女性のゲストヴォーカリストが登場することでも
知られている。
オリジナルは60年代から活躍していた
イギリスのフォークバンド
「フェアポート・コンベンション」のサンディ・デニー。
神秘性を帯びた声で
プラントとの素晴らしいハモリを聴かせていたが、
このペイジ&プラントでは
インド系イギリス人のナジマ・アフタールが参加。
ペイジの弦楽器とエジプト人の
ジミューシャンたちをバックに、
エスニック感満点のデュエットで
古代の叙事詩のような世界を描き出す。
おりべまこと電子書籍 新刊予告
秋の読書シリーズ第2弾「再読・風の歌を聴け」
1978年のデビュー作から今年発表の最新作まで
ハルキワールドの思い出・感想・評論を
ミックスアップしたエッセイ集。
「再読・村上春樹」を改題し、11月19日(日)発売予定!
村上春樹を読み直して自分の世界を書き換える。
むかし書いたラジオドラマの脚本で
廃園になった遊園地に
宇宙から飛来した円盤が降り立つのを
高校生の女の子と男の子が見に行くという
シーンを書いたことがある。
特撮にしようか、CGにしようか、VFXにしようか
そんなこと考えもせず、予算なんかまったく気にかけず、
リスナーの想像力に丸投げできるのが
ラジオドラマのいいところ。
てなわけで書けてしまったわけだが、
「未知との遭遇」や「E.T.」みたいな
映画に影響されているので、
いつもそういうシーンが頭にある。
てか最近、ほんとに異星人が来てくれないかと考える。
ロシア×ウクライナ
イスラエル×パレスチナ
中国の動きも怪しいし、
北朝鮮は相も変わらずミサイル打ちまくって、
軍事パレードもやりまくっている。
ウクライナ、パレスチナでの
「やったもの勝ち」の現実を見て、
台湾や韓国は、中国や北朝鮮のことが
気が気じゃないだろう。
これら、いがみ合っている国はみな、
もとをただせばみんな近親者同士。
憎み合いって、実は赤の他人より
近しい家族同士のほうがヤバイ。
「人類一家みなきょうだい」という
キャッチフレーズがあったが、
親が亡くなって相続が“争族”になるように
その家族・きょうだいがヤバいんです。
今は過去200年の人類近代化の遺産を
未来へどう継承するか、相続の時代に突入している。
相続は争族になり、
もうほとんど第3次世界大戦が起こっても
おかしくない状態になっているのではないか。
この状況を変えられるのは
地球外生物=宇宙人しかないのではないかと思ってしまう。
いま、マジで世界各地の大都市にUFOが飛来すれば、
どの国もくだらない戦争をやめるのではないか。
宇宙人が「地球を征服しに来た」と宣言すれば、
世界は一致団結するだろう。
それで本当に宇宙人の攻撃が始まったらどうするのか?
そこまで考えてないけど、
今の状況を変えるには宇宙へ向かって
「彼ら」を呼ぶしかないのでは。
もうすでにウクライナで、パレスチナで、
恐ろしいことが起こりまくっているのだから。
地球の家族が仲良くできるチャンスはないのか?
読書の秋。再読シリーズ第2弾
「再読・村上春樹」11月19日発売予定。
「風の歌を聴け」から「ノルウェイの森」まで
初期作品の再読や
「4月のある晴れた日に100%の女の子に
出会うことについて」の毎年4月の連作、
そして今年発表された最新作
「街とその不確かな壁」のレビューを含む、
エッセイをまとめました。
現在、リライト・編集中。
エミリー・ブロンテや
スティーブン・キングなどを読み直した第1弾「再読・嵐が丘」好評発売中!
¥300
もともとはプリンスの曲だが、
完全にオリジナルを食いつくし、
シネイド・オコーナーが自分のものにしてしまった。
「これは彼女の歌だ」とプリンス本人も認めている。
1992年リリース。
めっちゃ美人なのに、なぜか頭を丸めてパフォーマンスする
アイリッシュガールの歌唱と存在感は圧倒的だった。
今年7月、彼女は享年56歳で亡くなった。
死因は明らかにされていないが、
ずっとメンタルヘルスで苦闘していた人なので、
その問題なのかもしれない。
1990年代あたりから日本も含め、世界の先進国では
精神疾患・神経疾患が医療における
最大の損失コストになり、
その深刻度は従来の肉体疾患を上回るという。
どうやら彼女は子供の頃の母親の虐待と
宗教(カトリック)的な締め付けに悩まされたらしい。
持って生まれた魂と生育環境との相性が悪かったようだ。
貧しさから抜け出し、
豊かな社会になっても生きやすくなるとは限らない。
以前、芸術系の表現活動に走る人は、
必ず何か生きる上での葛藤・問題を抱えていると
よく言われていた。
仕事でも趣味でも、大半の人が
何らかの芸術系活動に携わるようになった現代は、
誰もがそうした問題に悩まされているのかも知れない。
自己の本質と取り巻く環境とのギャップが
大きければ大きいほど、
表現活動への情熱は強烈で、咲く花は美しい。
ただ、才能に恵まれ、運よく社会的成功を収めても、
それで本人が幸福になるとは限らない。
むしろ逆に自分を追い詰めてしまうことにもなりかねない。
もちろん彼女の歌が世界中の人々の胸を振るわせた事実は
いつまでも忘れられず、歴史に刻まれるのだけれど。
齢をとっても元気な老人が
やたらとテレビなどで紹介されているので、
つい錯覚しがちだが、齢をとれば必ず体力は落ちる。
もちろん鍛えていればそれなりに維持できるけど、
「若いもんには負けんわい」
と頑張り過ぎるのは禁物である。
経験的に言うと、40代でガクン、
60代でガクガクガクンといった感じ。
その顕著な例が、長時間、地球の重力に逆えなくなること。
要するに1日の真ん中、昼寝をしたくなることだ。
これについては本当にフリーランスでよかった、
ホームワークでよかったと、つうづく思う。
最近は昼寝ルームのある会社も増えているらしいが、
それでも昔の雑居ビルに入っているような会社には
そんなものは設けられないだろう。
でも、もし可能なら若い人にも実践してほしい。
昼食後、午後の仕事に入る前にゴロンと横になる。
机に伏せて寝るのはだめ。
べつに眠たくなければ、眠らなくてもいい。
5分10分でも体を横たえること、
地球の重力に逆らわず、二足歩行の動物であることを
忘れることが大事である。
再び体を縦にしたときは、朝起きたほどではないが、
頭がすっきりしている。
重力に逆らわない時間をつくると、
脳のなかの小人さんがちょこちょこっと
お片付けをしてくれて、
「はい、お仕事の続きをどーぞ」と言ってくれるのだ。
運がよければ、15分くらい睡眠して夢を見ることもできる。
今日の昼寝の夢は海にいるのか、空にいるのか、
何だか青いところにいる夢だった。
重力に逆らわないと、
地球が味方になってくれるのかもしれない。
考えてみれば肉体労働をやっている人たちは
よく昼寝している。
ちょっと横になることは健康にも、
よりよい仕事のためにも必要なことなのだ。
それにしても本当に毎日、夜になるとくたびれちゃて
仕事用の頭は回らなくなる。
でもこうしてブログなど書いていると、
不思議と疲れが取れて元気になる。
「人生、還暦から」なんて言って発信しているので、
落ちた体力でも走れるところまで走ります。
若いあなたも無理せずにお昼寝すると、
きっといいことありますよ。
先週の3連休の真ん中、4日の土曜日に池袋で
舞台芸術学院(演劇学校)の同窓会をやった。
うっかり全員写真を撮り忘れたので、
今回の写真は会場すぐそばの
西口公園にあるグローバルリングシアター。
卒業して43年。
何回やったか忘れてしまったが、
5年に一度くらいはやってる気がする。
前回は2018年の5月にやったので、
今回は5年半ぶり。
もうみんなアラカンだから
あんまり間を開けないでやろうと言って、
次は2年後、東京オリパラが終わった
2020年の秋に予定していたのだが、
コロナで3年も延びてしまった。
前回は18人、今回は12人。
集まった連中はみんな元気そうで
20歳ごろとほとんど変わっていないように見える。
もちろん、そんなわけはなく、
客観的には相応の、高年に近い中年だが、
一緒に齢を取っているという妙な温かさ・安心感を感じる。
昔の仲間がいるということはいいことだ。
本やネットなど読んでいると、
同窓会・クラス会を否定する人は大勢いるが、
よほど嫌な関係・忘れてしまいたい関係ならともかく、
「なんとなく出る気しない」とか、
自分のポリシーで出ないとか言ってるなら、
一度、変えてみてもいいかもしれない。
人の心は齢を取ると変わる。変わっていい。
それが自然だ。
それに声がかかるうちが花だ。
いつか「あいつらに会いたいな」と思うようになっても、
声がかからないときが来てしまうのだから。
「ナウ・アンド・ゼン」のリリースで
ビートルズの話題が再燃しているが、
こちらは1970年リリース。
ビートルズ解散後、ソロ活動を始めた頃の
ジョージ・ハリスンの代表作。
先日、現代の若者はビートルズのどの曲を
よく聴いているかという調査データを
ネットで発見し、見てみた。
それによると第1位は
レノン=マッカートニーの曲ではなく、
ハリスンの「ヒア・カムズ・ザ・サン」だという。
確かにビートルズ終盤からソロになった
70年代はじめの時代の
ハリスンのソングライティングは充実している。
特にこの曲や「ヒア・カムズ・ザ・サン」のような
ウォーム系の曲はいま聴いてもとても心地良い。
中学生時代、女の子みたいな男の子で、
気まぐれなネコみたいな、みんなに可愛がられていた
「ネコ」というあだ名の友だちがいた。
僕は一時期、ネコとずいぶん仲が良く、
中1のクリスマスは彼の家で5人くらいで
パーティーをやり、「赤玉ハニーワイン」という
安いワインを飲んで酔っ払ってしまった
(生まれて初めて酔っぱらいを体験した)
ことを覚えている。
このネコがジョージ・ハリスンが好きで、
「オールシングス・マストパス」という
3枚組のアルバムを持っていた。
彼の家に行くと、ほぼいつも
ハリスンの歌が流れていたことを思い出す。
「マイ・スウィート・ロード」は
この3枚組アルバムからのシングルカットで、
シングル、アルバムとも英米で売上第1位を獲得。
3枚組なんて当時、
日本では5千円はくだらなかったと思う。
そんなアルバムがチャートのナンバー1になるとは、
ちょっと驚きだ。
当時の人気ぶりがうかがい知れる。
それまでレノン=マッカートニーの陰に隠れていた
「サイレント・ビートル」の面目躍如といったところだ。
当時の彼はソロになったメンバーの中で
最も成功した、と音楽雑誌で持て囃されていた。
ネコもそれを自慢していた。
昨日出たビートルズの新曲にしてラストナンバーとなる
「ナウ・アンド・ゼン」は、
ジョン・レノンが作詞作曲した遺品のデモテープを
もとに作られた。
これまで不可能だったヴォーカルとピアノの音の分離を
AIを使って可能にしたために実現できたという。
しかし、それだけではない。
ジョージ・ハリスンがそのギターパートを
録音して遺していたからこそ
「ビートルズの曲」となり得、リリースもできたのだ。
そういう意味ではまさに奇跡の楽曲。
40年あまりの年月をかけて掘り出され、
磨き上げられた宝石なのだから、
この際、作品としての出来不出来はとやかく言うまい。
リアルタイムでビートルズを聴いていたファンは、
今、ほとんどが70代になっている。
彼ら・彼女らにとっては、
青春時代の最後の贈り物と言えるだろう。
「生きててよかった」と心から思う人もいるかもしれない。
おめでとう、皆さん。
ありがとうビートルズ。
そして安らかに、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン。
ナウ・アンド・ゼン。
ビートルズの新曲、そしてラストナンバーが
今日リリースされた。
21世紀もビートルズはブランドとして生き続けているが、
この悲しげなメロディは・・・。
まるで20世紀のポップミュージック全盛の時代を
懐かしみ慈しむような鎮魂歌に聴こえる。
人間が生きる限り、音楽がこの世から
なくなることはないが、
今後、音楽づくり——
少なくともビジネスのための音楽づくりの主導権は、
20世紀のビッグデータをもとに
AIに委ねられるだろう。
「再読・嵐が丘」
無料キャンペーンは終了しましたが、
引き続きKindleで発売中。
ご購入いただいた方、ありがとうございます。
気に入っていただけたらレビューをお願いします。
秋の読書シリーズ、11月は「再読・坊ちゃん」
「再読・村上春樹」を順次発売します。
お楽しみに。
再読・嵐が丘
ブロンテ、カフカ、イシグロ、キングなど、名作小説の"こんな読み方もできるんじゃね?"的読書ガイド。
世界名作を読みなおして
人生を書きかえよう。
おりべまこと電子書籍
再読・嵐が丘
10月31日(火)16:59 まで
新発売記念4日間無料キャンペーン実施中
前世紀まで人々は社会的地位や家制度などに縛られて
自由な恋愛をするのが難しかった。
女も男も「道ならぬ恋」に恋焦がれつつも
ほとんどは予定調和の結婚・家庭人になって
不完全燃焼のまま人生を終えていた。
エミリー・ブロンテの「嵐が丘」は
そんな人々の潜在的な渇望を見事な形で描き出した
大恋愛ドラマだった。
しかし、社会が変化し、
社会的地位や家制度などへのこだわりが失われ、
自由恋愛が認められる時代になると、
この小説の価値は大きく変わる。
それまで軽く扱われてきた後半の子供たちの物語は、
一般に評価されているキャサリンとヒースクリフの
恋愛物語とは趣を異にするものだ。
しかし、現代の視点から見れば、
この後半にこそ「嵐が丘」を読む価値価がある。
これは父と母の狂気とも言える大恋愛の
“犠牲”となった惨めな子どもたちが
勇気を奮い起こして呪縛を解き、
新たな人生を切り拓く物語なのだ。
これまでの評論などに囚われる必要はない。
小説は映像作品と違って、
読者が好きなように読んで、自由に想像して、
自分にカスタマイズした物語にして良いのだ。
名作小説の"こんな読み方もできるんじゃね?"的
読書ガイドで
自分の世界を書き換えてみよう。
もくじ
●再読「嵐が丘」:呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語
●続・再読「嵐が丘」: 呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語
●嵐が丘の旅の追憶
●カフカの寓話「ロビンソン・クルーソー」
●カフカの寓話②「小さな寓話」
●チェコのカッパ
●成長に希少価値がある時代の「三銃士」
●「忘れられた巨人」は、僕たちの未来を描いた物語なのかもしれない
●香水(パフューム):人間存在の深淵につながる「におい」の世界
●スタンド・バイ・ミー 死の淵を覗きに行く少年たちの冒険譚
●女目フィルターの少年像と少女版スタンドバイミーについて
●「刑務所のリタ・ヘイワーズ」:凡人の希望と絶望をめぐる物語
●「ゴールデンボーイ」:誰もが怪物になり得る恐怖の神話
●ゴーストの正体と人間のストーリーテリング
●どうして人は地球滅亡・人類滅亡の物語を創り続けるのか?
おりべまこと電子書籍 エッセイ集:物語
再読・嵐が丘
ブロンテ、カフカ、イシグロ、キングなど、
名作小説の読書ガイド。
スティーブン・キングは
ハリウッド映画の原作率ナンバーワンの作家だけど、
どれも長いし、ホラーは苦手、という人には
「スタンド・バイ・ミー」
「刑務所のリタ・ヘイワーズ」
「ゴールデンボーイ」など、
比較的短くて、読みごたえたっぷりの中編がおすすめ。
ホラーの根底にある人間心理のドラマが楽しめます。
そんな読み方の参考書としても。
10月31日(火)16:59 まで
新発売記念4日間無料キャンペーン実施中
もくじ
●再読「嵐が丘」:呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語
●続・再読「嵐が丘」: 呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語
●嵐が丘の旅の追憶
●カフカの寓話「ロビンソン・クルーソー」
●カフカの寓話②「小さな寓話」
●チェコのカッパ
●成長に希少価値がある時代の「三銃士」
●「忘れられた巨人」は、僕たちの未来を描いた物語なのかもしれない
●香水(パフューム):人間存在の深淵につながる「におい」の世界
●スタンド・バイ・ミー 死の淵を覗きに行く少年たちの冒険譚
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ブロンテ、カフカ、カズオ・イシグロ、
スティーブン・キングなど、世界名作、ベストセラー小説の
"こんな読み方もできるんじゃね?"的読書ガイド。
もくじ
●再読「嵐が丘」:呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語
●続・再読「嵐が丘」: 呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語
●嵐が丘の旅の追憶
●カフカの寓話「ロビンソン・クルーソー」
●カフカの寓話②「小さな寓話」
●チェコのカッパ
●成長に希少価値がある時代の「三銃士」
●「忘れられた巨人」は、僕たちの未来を描いた物語なのかもしれない
●香水(パフューム):人間存在の深淵につながる「におい」の世界
●スタンド・バイ・ミー 死の淵を覗きに行く少年たちの冒険譚
●女目フィルターの少年像と少女版スタンドバイミーについて
●「刑務所のリタ・ヘイワーズ」:凡人の希望と絶望をめぐる物語
●「ゴールデンボーイ」:誰もが怪物になり得る恐怖の神話
●ゴーストの正体と人間のストーリーテリング
●どうして人は地球滅亡・人類滅亡の物語を創り続けるのか?
全15編
1978年、ケイト・ブッシュのデビュー作に
出逢った時の衝撃は人生を支配した。
14歳の少女がエミリー・ブロンテの小説から
インスピレーションを受けて作り上げた楽曲は
紛れもなく20世紀ポップミュージックの最高峰。
何十年経ってもその地位は1ミリも揺らぐことはない。
ちなみに日本ではアイドルとして売り出そうと
デビューアルバムのジャケットを
グラビアアイドルみたいなポートレート写真にしていたが、
(それはそれで良いのだが)
僕はこのイギリスのオリジナル版のジャケットが好きだ。
その後も音楽界で神がかった活躍を続け、
孤高のミュージシャンに昇華した彼女の軌跡の
スタートに相応しいアートデザイン。
ケイト・ブッシュは新たなキャリアを築くために
みずから産み出したこの超傑作の呪縛を解こうと
1986年のベスト盤「Whole Story」に
ニューヴォーカル・バージョンを吹き込み、
自分のなかで「嵐が丘」を封印した。
それでもこの曲のファンは世界中に、
そして次世代以降にも広がり続け、
YouTubeにはライブバージョンやカヴァーはもちろん、
様々なリミックスバージョンやビジュアルがあふれている。
そのなかでも最もユニークでクオリティの高いのが
このダンスリミックスバージョン。
まさか「嵐が丘」がディスコダンスがになるとは
思ってもみなかった。
良い曲はどう料理しても素晴らしい。
また最近、毎年7月30日には、
ケイト・ブッシュの誕生日を祝って
世界中のケイトファンが集まってダンスする
「The Most Wuthering Heights Day Ever(嵐が丘の日)」
というイベントが開かれているらしい。
子どもから婆さん・爺さんまで
大勢のファンが真っ赤なドレス
(ケイトがミュージックビデオで着ていたもの)
をまとって、パントマイムを交えた
あの独特のダンスを踊る姿は
思わず笑えると同時に感動的。
時代を超え、世代を超え、
世界中の人々の胸を震わせる「嵐が丘」に
還暦を超えた今も涙を抑えきれない。
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再読・嵐が丘
世界名作を読みなおして人生を書きかえる
あす10月28日(土)17:00~
10月31日(火)16:59
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