中年期以降の同窓会幹事の心のゆらぎ

 

 4月の同窓会まで1ヶ月を切り、ほぼ連絡が行きわたったようなので、手伝ってくれてる二人にメールを送って情報をとりまとめる。

 直前まで出欠変更は可能だけど、とりあえず人数を店に知らせておく必要があるので。

 

 この仕事、20代の頃は単なる飲み会の連絡係・会計係に過ぎなかったのだが、齢を経ると様相が変わる。

 

 飛び級で早々に人生を卒業してしまったのも二人ほどいる。

 

 それぞれの生活環境などわからないし、家族のこと・仕事のこと・お金のこと・健康のこと、ぞれいろいろ問題抱えているだろうし、長く生きているといろんなことが起こる。

 

 40年前と寸分たがわぬキャラ丸出しのメールが来て笑っちゃうこともあれば、できれば聞きたくなかったこと(相手も話したくなかったこと)を聞くことにもなる。

 

 名簿を見ながら、だれだれ出席、だれだれ欠席と、漢字4~5文字の本名を書いていると、これ誰だっけ?と認識できなくなるケースもチラホラ出てくる。

 特に女子は名字が変わっていることが多いので、なおのこと。

 

 そこでそれぞれ当時の愛称・通称・あだ名などで書き換えてみると、たちまち顔が思い浮かび、声が聞こえてきて、キャラクターが立ち上がる。

 身振り。口振り・服装・背景・いろんなシチュエーションまで再現できたりする。

 

 そうやって名前を書き出すと、今回は欠席でも次回また声を掛けようという気になる。

 

 でも連絡先がわからない・つながらないのもいる。

 また、もう連絡なんかいらないと思っているのもいるだろう。

 しかたないことだけど、幹事なんかやっていると、ここまできちゃうと、そういう人たちとはもう完全に切れちゃうだろうなと思う。

 切っちゃう権限が自分にあるのかなとも考える。

 

 もしかしたら以前は同窓会なんてどうでもいいと思っていたけど、今になってみると行ってみたいな、連絡があればなぁ、声掛からないかなぁ・・・と待っていることだってあるかも知れない。

 

 「あいつがお願いって声掛けてきたから、しかたないので来てやったよ」

 ――今ならそういうやつがいてもOKと笑えるだろうなぁ。

 

 こんなよけいなこと考えずに、クールに事務的にさっさと進めればいいのに、なんかいろいろ引っ掛かっちゃうんだよなぁ。

 


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テープ起こしの日々

 

 取材が続いたので、今週はテープ起こしと原稿書きの日々。

 きょうは先日の里山農業プロジェクトの野田君の音声を起こしました。

 録音を聞いてみて、やっと彼のヴィジョンが理解できる。

 思った以上に深く、広がりがある。

 これを一旦メモ帳に書き記して、その後、あっちこっち編集したのにプラス、合間合間に自分の文章を書き入れていく、というのが取材をした記事のオーソドックス(僕にとっては、ということだけど)な書き方です。

 

 テープ起こし(機器はICレコーダーですが)は面倒な作業で時間もかかるし、重労働ですが、手ごわい内容は、これをやらないとどうにも頭にすんなり入ってきません。

 テープ起こしをアウトソーシングすればラクに早くできるのだろうけど、そんな経済的余裕などないし、それにそう横着しちゃうと、なんだか寂しい気持ちになる。

 頭の回転が鈍いので、何度も反芻しないとよくわからないんだよね。

 この後もまだいろいろ溜っているので、どんどんやらねば。

 間もなく3月も終わり。

 こうしているとあっという間にゴールデンウィークになってしまいそうです。

 


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鎌倉新書と新連載企画の話

 

 月に一度、鎌倉新書の打ち合わせで日本橋・八重洲方面に出向きます。

 鎌倉新書というのは葬儀供養業界のWebや雑誌を作っている会社。

 以前は仏教書を出版していたのですが、現会長が社長になった20年ほど前から、機械化とかITテクノロジーとか、非人間的なイメージを嫌うこの業界において、いち早くインターネットでの情報発信にシフトしました。

 

 「いい葬儀」という、消費者と葬儀社とを仲介するポータルサイトを開設したところ、業界内では当初、白い目で見られ、あの会社は代替わりしてダメになったと言われたらしいのですが、そこは時代の趨勢であれよあれよという間に市場に浸透。

 

 特に僕が本格的に関わり出した2年半ほど前から株はうなぎのぼりで、一昨年末にこの八重洲の一等地に引っ越したと思ったら、それから1年も経たないうちに東証一部上場を果たしました。

 

 とは言え、利益分はいろいろ始めた新事業のほうに回っているようで、外部ライターである僕のギャラが上がるわけではありません。

 

 正直、割に合わんなーと思うことが多いのですが、興味のある分野だし、ある意味、高齢化・多死化代社会に関する最先端情報(テクノロジーなどではなく、社会心理的流れとしての情報)にも触れられるので、引き続き、業界誌の月刊仏事で記事を書き、時々Webの方もやっています。

 

 その月刊仏事から新しい連載企画をやりたいけど何かない?と言われたので、以前、このブログで書き散らしたネタを思い出し、「世界の葬儀供養・終活・高齢者福祉」なんてどうですか?と提案したら、じゃあぜひ、とあっさり通って取り組むことに。

 

 国内の出張費も出ないのに「海外出張費出ますか?」なんて聞くこともできず、ネット頼りの仕事になるのは必至。

 でもイラストを描いてくれる人もいるらしいので、伝統文化と最新事情をごった煮にして分析を交えた読物風の話にしようと思っています。

 ごく個人的なことでもいいので、情報あったらお知らせくださいな。

 


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野生の本能の逆流に葛藤する都会暮らしのネコ

 

 散歩がてらサクラを見に近所の大宮八幡宮に行くとネコ発見。

 例によってナンパを試みたが、例によってシカトされた。

 

 彼女には事情があった。

 上の方でガサゴソ音がするので見ると、キジバトがいる。

 落ち葉の中をつついて虫をほじくり出して食べているらしい。

 ネコは野生の本能が刺激され、ねらっているのか?

 でも、その割にはハトに対して集中力が欠けている。

 自分の中でウズウズモゾモゾ本能がうずくのを気持ち悪がっているように見える。

 

 サクラ色の首輪をつけているので、どこかの飼いネコだろう。

 家に帰ればいつもの安全安心、おいしく食べやすく栄養バランスもとれてるキャットフードが待っている。

 なのになんで鳥なんか狩らなきゃならんのか、

 だいいち、あたしが口の周りを血だらけにして鳥やらネズミやら持って来たら、飼い主さんが卒倒しちゃう。

 でも狩ったら脳からアドレナリンがドバっと出て気持ちよくなりそうだ。

 ああ、でも、そんなのダメダメ・・・と、ひどく葛藤しているように見える。

 

 飼いネコでも本能のままに生きているやつもいれば、鶏のササミや魚の切り身をあげても見向きもしないやつもいる。

 イヌもそうだけど、多くの飼い主はペットに一生自分のかわいい子供であってほしいと願う。

 人間じゃないんだから、大人になんかなってほしくない。

 恋もしてほしくないから去勢や避妊手術を施す。

 生物学的なことはよくわからないけど、そうするとホルモンもあまり分泌しなくなるだろうから、ペット動物は「子供化」して野生の本能は眠ったままになるのだろう。

 

 一生人のそばにいて、一生キャットフードを食べて、一生本能なんぞに煩わされることなく、平和に暮らせるのがサイコーだと思っているネコもいるはずだ。

 人間と一緒に都市生活をしていくにはそのほうが幸せなんだろう。

 

 けれどもイヌと違って、ネコは本能に目覚めても人間に危害を及ぼす可能性は限りなく低い。なので「最も身近な野生」を感じさせてほしいという、人間の勝手な期待を背負わされた存在でもある。

 

 おそらくネズミや鳥を狩ってくる飼いネコは、飼い主のそうした潜在的な希望を感じとって、本能のうずきに素直に従うのだ。

 ただ、そうじゃない彼女のようなネコもいて、せっかくのんびり暮らせているのに、野生時代の先祖の血の逆流に悩まされることもあるんじゃないかと思う。

 

 こんど道端で会ったネコに、そこんとこつっこんでインタビューしてみようと思うけど、答えてくれるかニャ~。

 


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東京唯一のブランド和牛・秋川牛と、むかしみらいTOKYO

 

 連荘で農業取材。

 26日(月)は秋川渓谷と美しい山並みが望めるあきる野市に出向き、秋川牛とご対面。出荷前・生後30ヵ月の黒毛和牛の体重は800キロ。でかっ。

 

 東京で唯一の肉牛生産牧場・竹内牧場では約200頭の秋川牛を飼育しています。

 このあたりは、日本各地の有名なブランド牛の産地に負けず劣らず、水も空気もきれいで豊かな環境なので、牛をはじめ、豚・鶏などを育てるには持ってこいとのこと。

 

 秋川牛は希少価値のある高価なお肉ですが、都内のホテル・レストラン・料理店なので口にするチャンスがあるかも。

 

 一方、武蔵五日市駅にほど近い松村精肉店は、地元で生産されるこの秋川牛の認知度を上げたいと、手軽に味わえる加工品としてレトルトカレーなど製作しています。

 オリンピックもあることだし、東京の名産品をアピールしていこうとブランド力UPに奮闘中です。

 

 昨日ご紹介した磯沼牧場+多摩八王子江戸東京野菜研究会でも聞きましたが、これら多摩・八王子地域の環境はこの20年ほどで劇的に改善され、川には清流が戻り、アユなども戻ってきているとか。

 

 今や都心で働く人たちのベッドタウンというイメージから脱却し、豊かな自然が楽しめ、農業も盛んな地域としてのイメージが高まっています。

 

 いつまでも「東京は緑が少ないから云々」なんて、手垢のつきまくったステレオタイプのセリフをほざいていると時代に取り残されますよ。

 

 テクノロジーとパラレルで進行する昔ながらの環境とライフスタイルへの回帰。

 「むかしみらい東京」がもう始まっているのかも知れません。

 


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楽しさ・学び・癒し満載の八王子・磯沼牧場

 

 東京にこんな素晴らしい牧場があったのか!

 噂には聞いていたけど、なかなかタイミングが合わずに来そびれていた磯沼牧場(磯沼ミルクファーム)に25日・日曜日、初めて来場。

 

 多摩八王子江戸東京野菜研究会とのコラボイベントで、牧場特製のチーズとベーコン、ソーセージ、野菜てんこ盛りのピッツァ作りです。

 

 牧場主・磯沼さん手づくりの溶岩石窯で焼いたピッツァはおいしくてボリューム満点。

 

 ランチの後は乳しぼり体験、牧場ツアー(放牧場もある)、磯沼さん×福島さん(多摩八王子江戸東京野菜研究会代表)の都市農業トークと続き、あえて取材の必要なしというところまで堪能しました。

 

 場所は京王線・山田駅から徒歩10分弱。

 新宿から1時間足らずで来れるし、横浜からも近い。

 わざわざ北海道などへ行かなくても、たっぷり牧場体験ができます。

 それも観光牧場でなく、リアルな生活と結びついている生産牧場で。

 

 環境問題、動物福祉問題への取り組みなど、牧場経営のコンセプトを通じて、さりげにいろいろ勉強でき、新しいライフスタイル、これからの哲学を考えるきっかけにもなると思います。

 

 乳しぼりをはじめ、毎週のように何らかのイベントが開かれ、牛さんをはじめ動物たちに触れあえます。

 いつでもオープンなので、ぶらっと覗きに来るだけでもいい。

 

 子供たちには超おすすめ。お年寄りにも楽しい。

 ちょっと凹んでいる人、メンタルを病んでいる人も心のケアができるのではないかな。

 直売所もあって、おいしいアイスクリームやプリンやヨーグルトも食べられますよ。

 興味のある人はホームページやフェイスブックもあるので検索してみてください。

 


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ぼくらはにおいでできている(チワワのハナちゃんに教えてもらったこと)

 

 下の妹が飼っているチワワのハナちゃんとは、たぶん2年ぶりくらいのご対面。

 前に会ったのはチビ犬の頃だったけど、ちょっとの間、くんくん嗅ぎ回って「あ、知ってる知ってる」と思ったのか、尻尾をフリフリしてくれた。

 抱き上げても安心安心。僕のにおいを憶えていてくれてありがとう。

 

 人間の子どももいろいろ情報を詰め込まれる前は嗅覚がするどい。

 一度嗅いだにおいは絶対忘れない。

 自分自身のことを考えてみると、視覚や聴覚では憶えていなくても、においというか空気感で憶えていることがいっぱいある。

 親はもちろんだけど、周りにいる大人たちはそれぞれ独特のにおいを持っていたような気がする。

 

 におうと言うと何だか臭くて嫌われそうな気がするが、完全ににおいを消し去ると、その人は透明人間になって、見えていても誰にも気づかない存在になる。

 忍者やスパイになるならいいかも知れない。

 

 大人になると鼻が利かなくなって、というか、においを感じる脳の部分が鈍くなって、刺激の強いものしかキャッチできなくなるようだ。

 なので少しは意識してにおいを嗅ぐ練習をしたほうがいいのかもしれない。

 

 基本はやっぱり食事。

 テレビやスマホを見ながらめしを食わないこと。

 

 そして手料理を楽しむこと。

 最近はそんなものより出来合いの料理の方がよっぽどうまいと言う人も多いけど、手料理にはその家・その人独自のにおい・風味がついている。

 それを知っているのと知らないのとでは随分ちがうんじゃないかな。

 

 自分が自分である基礎とか土台みたいなものは、そういう些細な目に見えないもので出来ているのではないかと思う。

 そうだよね、ハナちゃん。

 


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かわいい叔母さん

 

 父も母も昭和ヒトケタ生まれ。貧乏人の子沢山でそれぞれ8人兄弟だ。

 ぼくが生まれる前に死んでしまった人を除き、そのきょうだい、および、その伴侶の全部はしっかり顔や言動を憶えている。

 僕が子供の頃は行き来が盛んだったので、みんなインプットしている。

 

 しかし、9年前に父が亡くなったのをきっかけに、毎年バタバタと後を追うように亡くなり、大半がいなくなった。

 今年もまたひとり、先日、ヨリコ叔母さんが亡くなったと聞いた。

 

 母方は女系家族で8人のうち、7番目までが女で末っ子だけが男。

 ヨリコ叔母さんは7番目。つまり7姉妹のいちばん下の妹だ。

 

 幼稚園の時だったと思うが、結婚式に出た記憶がある。

 きれいなお嫁さんで、チビだったぼくを可愛がってくれた。

 そのチビの目から見ても、なんだかとてもかわいい人だった。

 

 6人も姉がいて、4番目の母(母は双子の妹)とさえ12歳違う。

 いちばん上のお姉さんとは16歳以上違うはずだ。

 なのでほとんどは姉というよりチーママみたいなものだ。

 母もよく子守をしたというし、日替わりでみんなが面倒を見てくれていたようだ。

 

 母の家はお父さん(僕の母方の祖父)が早く亡くなったので、女が協力して貧乏暮らしからぬけ出そうとがんばってきた。

 でもヨリコ叔母さんは小さかったので、そうした苦労が身に沁みず、物心ついたのは、お母さんやお姉さんたちのがんばりのおかげで暮らし向きも上がってきた頃だった。

 そうした中で一家のアイドルとして可愛がられて育った。

 

 そうした成育歴はくっきり刻まれ、そのせいで彼女は、ほかの姉妹らの下町の母ちゃん風の雰囲気とは違う、お嬢さん風の雰囲気を持っていた。

 だから、おとなになってもどことなくかわいいし、ちょっと天然も入っていた。

 

 最後に会ったのは父の葬儀の時。

 さすがに外見はそろそろばあちゃんっぽくなっていたが、中身はほとんど変わっておらず、ぼくをつかまえて

 「せいちゃん、大きくなったねー」と言った。

 

 50間近の男に向かって大きくなったねーはないもんだけど、そう笑顔で屈託なく声を掛けられるとすごく和んでしまった。

 その時の会話が最後の印象として残ることになった。

 

 叔母とはいえ、中学生以降はめったに会うこともなかったので、彼女がどんな人生を送っていたのはわからない。

 

 もちろん少しは苦労もあったと思うけど、べつだんお金持ちではないにせよ旦那さんは真面目で優しくユーモアもある人だったし、特に悪い話も聞かなかった。

 嬉しそうに小さい孫娘の面倒を見ていたのも印象的だった。

 

 たぶん美化しているし、これは僕の勝手な想像であり願いだけど、おそらくそれなりに幸せに過ごしてきたのだろう。

 

 不幸な目に遭ったり、理不尽な苦労を強いられたり、他人にあくどく利用されたり、自分の欲に振り回されたり・・・

 人生の中のそんな巡りあわせで、人間は簡単に歪んでしまう。

 

 でも、できるだけそうしたものに心を損なわれないで、ヨリコ叔母さんのようにかわいい人にはいくつになっても、ずっと素直にかわいくいてほしいなぁと願ってやまない。

 


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里山を事業化するナチュラルボーン・サトヤマー

 

 今回の名古屋(愛知)ツアーでは、里山の概念を農業と組み合わせ、インターネットを利用して事業化するプロジェクトを掲げる人を取材しました。

 

 彼は2002年生まれ。16歳の高校生。

 田園地帯で植物や昆虫に親しみ、かたやインターネットに親しみながら育った彼は、資本主義発展拡大病の時代に育ったぼくたちの世代とはまったく違うセンスを生まれながらに持っているようです。

 

 「里山」という概念が今、世の中に浸透しつつあります。

 里山はごく簡単に言うと、自然環境と人間の生活圏の交流地帯。そのベストバランスを保つ、あるいは破壊したものを再生するという考え方を表現する言葉でもあります。

 

 人間が生活できなくてはならないので、当然そこには経済活動も含まれるし、伝統工芸・伝統芸能といった文化芸術や民俗学系の学問も含まれるのではないかと思います。

 「人間が手を入れた自然」と言い換えることもできるでしょう。

 

 また、それらを包括する懐かしいとか、愛おしいとかいった心象風景もその概念の中に入ってくるでしょう。

 人間のあり方・生き方を問い直す哲学も含まれているのかも知れません。

 

 日本独自のものかと思っていたら、他国にも通用し、国際的にも理解が進んでいる概念で、よく言われる「持続可能」な社会にSATOYAMAは不可欠とされているようです。

 

 そういう意味では、過去200年、世界を席巻し、地球を支配してきた工業化・資本主義化の流れに対するカウンターとも言えます。

 

 高校生の彼には野外でのインタビューを考えていましたが、あいにくの雨のためはやむを得ず、岡崎市内の「コメダ珈琲店」で敢行。コーヒーと、コメダ名物「シロノワール」を食べながらの取材になりました。

 

 彼は子供のころから自由研究などを通じて里山について学び、中学生のころから戦略的にプロジェクト化を画策。近所の農家の人たちなどはもとより、自分で電話やメールで東大・京大などの教授・学者に頼み込み、取材に出かけたといいます。

 

 現在はいわばサークル的なノリで同級生やネット上の仲間が集まり、大人の支援者もいますが、まだ実務のできるスタッフがいない状況。

 コンセプトは決まっているので、まずネットを通じての「ブランド化」に力を注いでいきたいとのことでした。

 

 僕としてはこうしたことを本気で考え、事業化に取り組んでいる若僧がいるというだけで十分心を動かされました。

 

 彼のことは来月、「マイナビ農業」でUPしますが、興味のある方は「里山農業プロジェクト」で検索してみてください。

 


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名古屋コーチンをめぐる冒険:ふしぎ・まったり小牧編

 「こんなやわらきゃー、水っぽい鶏はいかんわ。むかしのかしわはまっと歯ごたえがあってうまかったでよー」

 

 こんな軟らかい、水っぽい鶏はダメだ。昔のかしわ(鶏肉)はもっと歯ごたえがあっておいしかった、という声を受けて、一時期、市場から消滅した名古屋コーチンが、日本を代表する地鶏として見事復活を果たした物語を探るべく、今回は「マイナビ農業」で名古屋取材を敢行しました。

 

 市内にある「名古屋コーチン協会」で話を聞いた後、名古屋コーチン発祥の地である小牧市へ。

 明治の初め、この地に養鶏場を開いた元士族の海部兄弟が、地元の鶏と、中国(当時、清)から輸入したコーチンという鶏を掛け合わせてできたのが名古屋コーチンです。

 

 「だもんだで、まっとそのことを宣伝せんといかんわ。日本が誇れる名物だでよう」

 

 ということで昨年(2017年)、名鉄・小牧駅前にはコケー!と、おしどり夫婦(?)の名古屋コーチンのモニュメントが立ったと聞き、駅について改札を出たところ、出口が左右に分かれている。
 どっちだろう? と迷ったとき、すぐ目の前で駅員さんが掲示板を直す作業をしているので、尋ねてみました。

 

 「あのー、名古屋コーチンの像はどっちの出口にあるんでしょうか?」

 

 駅員さん、けだるそうに振り向き、ぼくの顔を一瞥。さらに一呼吸おいて

 「左の階段を下りてって、右に曲がってずっとまっすぐ行ったところに市の出張所がありますで、そこで聞いてちょーだゃー。それはうちの管轄でないもんで」

 

 ?????

 駅前って聞いたけど、そんな分かりづらいところにあるのかなぁ・・・と思いつつ、左の階段を降りると、なんと、その目の前にコーチン像があるではないか。

 

 ?????

 まさかあの駅員さんはこれを知らなかったのだろうか?
 それとも上司に、責任問題が発生するから、鉄道のこと以外は聞かれても答えるなと言われていたのだろうか?
 それとも奥さんと何かあったとか家庭の悩みでも抱えているからなのか?
 あるいはたんに鶏が嫌いで、コーチンお話なんかのしたくなかったのか? 

 

 たくさんの疑問に駆られながらも、前に進まなくてはなりません。
 海部養鶏場(跡地)にはどういけばいいのか。
 ちょうど目の前に観光案内所があったので入ってみました。

 

 平日ということもあってお客は皆無。
 ぱっと見た目、アラサーぐらいの女の子がひとりで机に向かって、わりとのんびりした感じで書類の整理みたいなことをやっています。
 そいえば時刻はちょうどランチタイムでした。

 「あのー、海部養鶏場跡地に行きたいんです」
 「え、何です?」
 「海部養鶏場です。カイフ兄弟。名古屋コーチンの」
 「あ、ああ、ああ、名古屋コーチンのね」
 「たしか池ノ内というところなんですが・・。歩きじゃちょっと無理ですよね」
 「ええと。そうだと思います。ちょっとお待ちくださいねー」

 

 と、アラサーの女性はあちこち地図やらパンフやらをひっくり返し始めました。
 市の観光スポットの一つに加えられたらしいと聞いていたので、即座に答えが返ってくるものと想定していた僕は思わぬ展開にちょっとびっくり。


 その女の子は一人じゃだめだと思ったのか、奥に入っておじさんを引っ張り出してきて、ふたりでああだこうだと大騒ぎで調べ始めたのです。

 お昼の平和でゆったりとした時間を邪魔してしまったようで申し訳ないなと恐縮しつつ、実はなんか面白いなと思いつつ待っていたら、もう一人、お昼を早めに済ませて戻ってきたおにいちゃんが加わって3人で合同会議。

 

 それで出てきた結論が「タクシーで行ったら?」というもの。
 べつにタクシーを使うお金がないわけじゃないけど、アポがあるわけじゃなし、急いでいるわけじゃないし、第一ここまで大騒ぎしたのに、それなら最初からタクシーに乗ってるよ、バスとかないんですか? 地元の人といっしょにバスに乗ると楽しいいんですよと言うと、バスルートと時刻表を調べて、やっと案内が完了しました。

 

 この間、約20分。効率主義、生産性アップが叫ばれる世の中で、このまったり感はどうだ。急いでいたら頭にきてたかもしれないけど、旅というのはこうやって余裕を持って楽しむものだ、と改めて教えてもらった気がしました。


 考えさせられる不思議な駅員さんといい、まったりした観光案内所といい、皮肉でなく、おかげで楽しい旅になりました。小牧の皆さん、ありがとう。


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リバーズ・エッジ:トラウマになった漫画を映画で観る

 

●リバーズ・エッジ:トラウマになった漫画を映画で観る

 

 岡崎京子の漫画「リバーズ・エッジ」は僕のトラウマになっている。

 この漫画に出会った1990年代前半、僕はとっくに30を超えていた。

 心のコアの部分を防御するシールドもしっかり出来上がっていたのにも関わらず、ティーンエイジャーを描いたこの漫画は、シールドに穴をあけて肌に食い込んできた。

 

 先日書いた大友克洋の「AKIRA」が世紀末時代の象徴なら、「リバーズ・エッジ」は、その the Day Afte rの象徴だ。

 

 リバーズ・エッジ(川の淵)は流れの淀みであり、尋常ではない閉塞感・荒涼感・空虚感に包まれた繁栄の廃墟だった。

 

 子供たちの残酷で不気味で鬱々としたストーリーと、ポップでシンプルな絵柄との組み合わせが劇的な効果を生み出し、ページをめくるごとにますます深くめり込んでくる。

 

 自分自身は仕事も順調で結婚もした頃。

 こんな胸が悪くなるようなものにそうそう関わり合っていられないと2~3度読んで古本屋に売ってしまった。

 けれども衝撃から受けた傷は深く心臓まで届いていた。

 

 映画化されたことは全然知らなかったのだが、先週、渋谷の公園通りを歩いていて、偶然、映画館の前の、二階堂ふみと吉沢亮の2ショットのポスターに出会ってしまった。ふみちゃんに「観ろ」と言われているようだった。

 原作に惚れた彼女自ら行定勲監督に頼んで映画化が実現したらしい。

 

 映画は原作をリスペクトし、ほぼ忠実に再現している。

 その姿勢も良いが、何よりもこの漫画が発表された四半世紀前は、まだこの世に生まれてもいなっかった俳優たちが、すごくみずみずしくて良かった。

 

 暴力でしか自己表現できない観音崎くん、

 セックスの相手としてしか自分の価値が認められないルミちゃん、

 食って食ってゲロ吐きまくりモデルとして活躍するこずえちゃん、

 嫉妬に狂って放火・焼身自殺を図るカンナちゃん、

 河原の死体を僕の宝物だと言う山田くん、

 そしてそれらを全部受け止める主人公のハルナちゃん。

 

 みんなその歪み具合をすごくリアルに演じ、存在感を放っている。

 最近の若い俳優さんは、漫画のキャラクターを演じることに長けているようだ。

 

 原作にない要素としては、この6人の登場人物のインタビューが随所に差しはさまれる。

 この演出もそれぞれのプロフィールと物語のテーマをより鮮明にしていてよかった。

 

 でも映画を観たからといって、何かカタルシスがあるわけでも、もちろん何か答が受け取れるわけではない。

 

 四半世紀経っても、僕たちはまだ河原の藪の中を歩いている。

 そして二階堂ふみが言うように、このリバーズ・エッジの感覚は彼女らの世代――僕たちの子どもの世代もシェアできるものになっている。

 

 そのうち僕は疲れ果ててこのリバーズ・エッジで倒れ、そのまま死体となって転がって、あとからやってきた子供たちに

 「おれは死んでいるけど、おまえたちは確かに生きている」と勇気づけたりするのかもしれない。

 そんなことを夢想させるトラウマ。やっぱり死ぬまで残りそうだ。

 


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ひるねして夢の記憶を情報発信

 

 齢を取ってくると昼寝が楽しみの一つになります。

 以前は時間がもったいないなぁと思っていましたが、たとえ僅かな時間でも体を横にして休むと、もう調子が段違い平行棒。

 その後の仕事の効率、クオリティを考えたら寝るに限る、休むに限る。

 

 しかし、会社のオフィスではなかなかこうはいかないでしょう。

 こういう時は自宅でやっているフリーランスで本当によかった~と思います。

 

 ただちょっと困るのが夢を見ちゃったとき。

 いや、夢を見るのはこれまた楽しいのですが、その夢の記憶が現実のものとごっちゃになることがあるのです。

 

 この間、通っていた学校を探そうと現地に行ってみると、迷宮に迷い込んだように、いくら歩き回っても見つからない。

 それで思い出したのが「移転した」という情報を耳にしたこと。

 それで、ああ、移転したんだっけと思い込んでしまったのです。

 

 ところが、あとでネットで調べてみると、改装はしているものの、ちゃんと同じ住所に存在しているではないか!

 確かに聞いていた移転情報。あれはいったい・・・

 と考えてみると、それはいつかの夢の記憶だったのです。

 

 あちゃ~、いよいよボケが始まったぁ。

 夢と現実がひとつながりになった次元へ、とうとう足を踏み入れてしまったのかも知れません。

 でもまぁいいや、気持ちよく昼寝できれば。

 

 というわけで、今後、僕の発信する情報が現実の出来事なのか、夢の中の記憶なのかは、読んでいるあなたの判断におまかせします。

 

 ではお休みなさい。ZZZ。

 


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永遠の現物支給

 

 きょうは確定申告の最終日でしたが、先週会ったお友だちの会計士さんは締切間近でストレス満載の様子でした。

 その彼がぼそっとつぶやいたセリフが

 「現物支給でも、永遠に続けばいいんだけど」

 

 え、まさか現物支給の報酬で会計を?

 そういえば、半年前に会った時は、つぶれそうな食品会社の経理を請負っているとか言ってたけど・・・。

 

 追及するのはやめときましたが、「永遠の現物支給」という言葉が頭に残ったので、それについて考えてみました。

 

 何でもお金の世の中で、ちょっとした贈り物も、冠婚葬祭の引き出物も、現金・カード・商品券などが喜ばれます。

 そうした風潮の中で現物支給――それも1回2回こっきりじゃなくて、毎月ずーっと支給が続くとしたら、何がもらえたら嬉しいだろうと考えると・・・

 

 やっぱり食べ物ですね。

 会計士さん、食品会社でよかった。

 なに、よくない?

 

 缶詰、レトルト、乾物、冷凍食品・・・

 そんなもの1か月分もらうと嵩張るし、置き場所に苦労する。

 それに毎日食べたくない。

 かといって生鮮食品は日持ちしないし・・・

 

 と考えていくと、ベストはお米だ!

 お米なら毎日食べられるい、真夏でも1カ月くらいなら保存も問題なし。

 うちはひと月10キロ食べるけど、それくらいなら置き場所にも困らない。

 

 ついこの間、イベントの仕事「五つ星お米マイスターのおいしいお米講座」でお米の食べ比べをやったけど、毎月ちがう品種のお米を支給してもらえれば、いろんなのが試食出来て、ますます楽しい。

 

 ――と話すと、そこは会計士さん、チャチャっと数字に置き換えて、

 「1カ月10キロ、平均5000円として1年で6万円。10年で60万円。17年しないと100万円超えませんよ。安すぎる~。お金でもらわなきゃだめだ~」

 

 なるほど。お金にすると確かに安い。

 でもね、お金がなくても、死ぬまでごはんだけは間違いなく食べられるという安心感は何物にも代えがたいのではないでしょうか。

 

 1カ月のギャラ・給料が5000円と考えると、わびしくみじめになるけど、今月も10キロのお米がいただけると考えると、なんだか豊かな気持ちになってくる。

 ましてやそれが永遠に続くとなると、穏やかな晴天が心の中に広がってくる。

 

 うんこれなら悪くないぞ、永遠の現物支給。

 農家さんとか、お米屋さんとか、JAさんとかの仕事なら、そんな契約を結んでもOKかも。

 会計士さんは嫌だというけど、あなたならどうですか?

 


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現実世界が「AKIRA」の近未来世界を追い越すとき

 

 渋谷パルコの建て替え工事現場の囲いに大友克洋のマンガ「AKIRA」が描かれている。

 この大きさだとすごい迫力。そして、内側の解体されたビルの風景が、「AKIRA」の世界観と符合して、リアルで巨大なアートになっている。

 人通りの多い公園通りだけにアピール度は抜群だ。

 

 最近あまり渋谷に行かないので知らなかったけど、このアートワークが搭乗したのはすでに昨年(2017年)5月半ばのこと。ネットでいろいろ話題になっていたらしい。

 

 というのも「AKIRA」の舞台は2019年の「ネオ東京」。翌2020年にはそのものずばり「東京オリンピック」が開催される予定・・・という設定。

 その中で抑圧された若者たちをい中心に超能力バトルが繰り広げられ、ネオ東京が崩壊していくというストーリー展開なのだ。

 

 というわけで「AKIRA」をパネルにしたパルコはオリンピック開催に異議を申し立てているのではないかという憶測が飛び交ったが、当のパルコ側は、さすがにそれは否定したという。

 

 僕が思うに、おそらく渋谷の街の再生劇のメタファーとして、かのマンガを用いたのだろう。それも「西武・パルコの渋谷」の。

 

 「AKIRA」が連載され、映画化され、一種の社会現象にまでなったのは1980年代のバブル上り坂の頃で、パルコの黄金時代、西武・セゾングループカルチャーの最盛期とぴったり重なる。

 

 一時は東急グループと渋谷の覇権を二分していた西武・セゾンにとって、昨今の東急の圧倒的な大改造計画に一矢でも報いたいという思いで、「AKIRA」を持ち出してきたのではないかと思われる。

 

 あの頃は経済の繁栄と裏腹に「近未来」「世紀末」という言葉が跳梁跋扈した。

 「AKIRA」はその象徴と言える作品だった。

 

 この繁栄・この豊かさはインチキなのではないか、まがいものではないのか。

 そんな違和感が当時の若者たちの心の中にトゲのように突き刺さっていた。

 そんな違和感によって支えられ、膨れ上がった「AKIRA」のような作品世界が、好景気で沸き返る、どこかうそくさい日常世界とのバランスを取っていたのかも知れない。

 

 その状況は終わったわけでなく、実はもう30年以上も続いている。

 だからなのか、現代の渋谷に「AKIRA」が出現することに時代遅れ感どころか、ベストマッチ感さえ感じてしまう。

 

 「世紀末」が過ぎても、東京の街は崩壊していない。

 終わりのない日常がダラダラと続き、僕たちはズルズルと前の時代の太い尻尾を引きずりながら、時には波に呑まれて漂流しながら前に進もうとしている。

 もうすぐ現実世界が「AKIRA」の近未来世界を追い越していく。

 


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秋田からきりたんぽ鍋セット到着

 

 今日は何の予告もなく、クール宅急便で「きりたんぽ鍋セット」が送られてきてびっくり。

 仕事をいただいている秋田の方からサプライズの贈り物です。

 これまでメールでしかやりとりしていなかったんだけど、そういえばこの間、住所を聞かれたので、紙にした資料を送ってくるのかなと思ってたら・・・どうもごちそうさまです。

 

 ちょうど今夜は家族が揃っていたので、早速いただきました。

 肉も野菜も一式入っていて比内地鶏のスープ付き。あったまりました。

 

 秋田県は、かなり昔に大潟村(かつての大干拓地・八郎潟にある村)の干拓資料館の仕事をやりましたが、それ以来の仕事。

 来週は名古屋コーチンの取材で名古屋に行きますが、いずれ比内地鶏も取材したいです。

 


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五つ星お米マイスター・小池理雄のおいしいお米講座:絶品ごはんの食べくらべ

 

 10日(土)・11日(日)の二日間、渋谷のNHKの敷地で「にっぽんの食・ふるさとの食」のイベント開催。JA全中ブースで「五つ星お米マイスター・小池理雄のおいしいお米講座:絶品ごはんの食べくらべ」をやり、台本と演出を担当しました。

 

 原宿の米屋・小池さんの作った「お米の通知表」を参考に、岩手・宮城・福島・福岡、各地産の4種類のブランド米を食べ比べ、その品種を当てる、クイズ形式のワークショップです。

 

 五つ星お米マイスターとしてメディアから引っ張りだこ、講師としても大活躍の小池さんですが、この二日間の受講生(1ステージにつき35人ほど)は、ぜひ「参加したくて来ているというよりも、ここに一休みに来たり、冷やかしに来たり、ただ単にごはんが食べられるからという理由で入ってきたた一般大衆。ぶっちゃけ、まじめにお米のことが知りたいと思っている人は1割、2割しかいません。講師にとっては最も手ごわい相手です。

 

 二日間で4ステージにありましたが、1日目の参加者の反応を見て、その夜、台本を書き直し、2日目は大きく違う構成でやってみました。

 

 ちなみに30分の台本のセリフ部分はほとんどMC(司会)用で、それに応じながら小池さんが自由にトークを展開していくというつくりです。

 

 イベントはまさしく生ものなので、その時の参加者の発するSomethingによって1回目も2回目も3回目も4回目も、まったく違ったステージになります。

 これが正解、これが完成という形はなく、きっちりできたのに反響が薄い場合もあれば、グダグダになっても大ウケという場合もあります。

 もちろんグダグダでいいというわけにはいきませんが、面白いものです。

 

 それにしても、その場に応じて自由自在にセリフを変えられる小池さんのお米ボキャブラリー宇宙は素晴らしい。

 ますますこなれて星雲のように年々膨らんでいます。

 


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天国への階段の上まで冒険

 

おなじみ階段シリーズ。

 うちは1階が「野の花鍼灸院」という鍼灸院になっています。

 カミさんが小児鍼のエキスパートなので、女性と子供を診ています。

 

 で、毎日、いろんな子供が来るのだけど、玄関を入ってすぐある階段にどうしても目が行ってしまう。

 特に好奇心旺盛で冒険好きの幼児には、たまらない魅力なのでしょう。

 

 もちろん進入禁止で、連れてきたお母さんは「怖いおじさんがいるのよ」なんて脅すのだけど、ある年齢を過ぎると、そんな脅し文句などヘのカッパになる。

 好奇心が抑えられず、のこのこ上ってくる子もいるのです。

 

 今日来た4歳児のショウちゃんもその一人で、お母さんとカミさんの制止を振り切り、階段を登り切ってパソコンやってた僕の背中に話しかけてきたので、ニヤッと笑って振り返ったら、むこもニコッ。 下からは「ショウちゃん!降りてきなさい」と呼ぶ声が。

 なので、ぺちっとハイタッチをしたら満足したように引き上げていきました。

 本日の冒険、おわり。

 

 あとから聞いたら、怖いおじさんなんていないよ~。やさしいおじさんだよ~って言っていたようだ。

 

 うーん、これに味をしめてまた上がって来るかも。

 今度はオバケのお面でもつけてふり返ってやろうか。

 でも、あんまり怖がらせ過ぎてもなぁ~。

 好奇心・冒険心は子供の宝物ですから。

 侵入されてもいいように、ちょっとは二階をちゃんと片付けて掃除しておかないとね。

 


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ミケランジェロ的冒険:誰もが自分の中に人生でしたいこと・すべきことを持っている

 

 ミケランジェロは石の中にダビデの像を見出し、解放したと言われています。

 そのダビデ象という「ヴィジョン」は最初から彼の中に存在していた。

 そして石と向き合うことでそれを見ることが出来た。

 芸術家として自分が何をするべきか分かった。あとは手を動かすだけ。

 

 これは芸術家に限らず、誰にでも起こりうることなのだと思います。

 

 誰もが自分が人生の中でしたいこと・すべきことはちゃんと持っていて、本能的に認知している。それは人生のいたるところで、日常生活のあちこちで顔をのぞかせる。

 

 けれども僕らはそれを取るに足らないこと、おかしなエゴが作り出す妄想だとして処理してしまう。

 この忙しいのに、そんなことに関わっているヒマはない、と。

 だから何となく分かっているのにそれははっきり見えない。

 そして見えたとしてもそれを実行しようとはしない。

 

 なぜならほとんどの場合、それは社会的必要性が認められない、人々が求めていることに応えられない、早い話、そんなことをしたって「食えない」。

 そういう事情があるからでしょう。

 なので、ますますその内在するものを見ようとしない。

 見るのを怖れ、目をそらしてしまうし、もちろんやろうとしない。

 その結果、不満だらけの人生が世の中に蔓延することになります。

 

 これはきっと人生の途上で、立ち止まって考えてみるべき課題なのだと思います。

 ミケランジェロのダビデのように、芸術家じゃなくてもあなたにはあなたが創るべきもの、やるべきことがある。

 そう静かに思いを巡らせると、「あれがそうだ」と人生のどこかで見たサインを再発見できるかも知れない。

 深い海の底から、ぽっかりと浮かび上がってくるかも知れない。

 

  あなたの中に何があるのか、することは何か、まず見つけ出す冒険。

  そして、それをやり始める冒険。

 


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星のおじい様と孤独なエイリアン

 

 その少女は一人暮らしの老人と友達になった。

 老人は近隣から奇異な目で見られている。

 彼は特殊な能力を持っており、それで人助けをしたりもするのだが、普通の人たちにはそれが気味悪く映る。

 だから少女にも、あの老人の家へ行くな、近寄るなと言う。

 両親にとってもそれは家族の一大事と受け取られていた。

 

 少女はなぜその老人にひかれるのか?

 老人の語る宇宙の話、昔の話、妄想のような話が好きなのだ。

 彼女は老人がじつは宇宙人で、永年地球で過ごし、近いうちに故郷の星へ帰ろうとしているのではないかと思っている。

 

 老人には少女以外にもう一人だけ訪ねてくる人がいる。

 それは彼の身元保証人だ。

 老人はちゃんとお金を払ってその会社と契約し、自分の死後の後始末をつけてくれるよう段取りしている。

 彼は宇宙人なんかではない、まっとうな人生を歩んで齢を取り、社会人として最期まで人に迷惑をかけずに人生を終えようと考えている、普通のおじいさんなのだ。

 

 そうした現実を知っても、少女は彼がやっぱり本当は宇宙人なのではないかと疑念をぬぐえない。

 彼女はしだいに何とか老人の秘密を探りたいと考えるようになる。

 

 しかし、そんな彼女の行動を心配した両親は、それ以上、老人に近づくことを許さず、彼女を学習塾のトレーニング合宿に送り込んでしまう。

 

 数日を経て帰ってきた少女は両親の目を盗み、再び老人に会いに行くが、彼は呼び鈴を押しても出てこない。と同時に何か気になる匂いがする。

 彼女は身元保証人を電話で呼び、家の中に入る。

 そこには布団の中で孤独死した老人の遺体が横たわっていた。

 

 少女には老人が物理的に死んだことは分かったが、地球から消滅したとは映らない。

 彼女は遺体を運ぶ人たちが到着するまでの間、その老人――「星のおじい様」の時間軸に入り込み、孤独なエイリアンとして、奇妙な冒険に出掛ける。

 


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孤独な老人は本当に可哀そうな存在か?

 

 一人暮らしの高齢者というと、最近はすぐに「孤独死」が連想され、何やらくら~いイメージがつきまとう。

 そうでなければ、家族がなく、身寄りがなく、孤独で可哀そうとか、同情される。

 いずれにしてもネガティブなイメージであることに変わりない。

 

 でも本当にそうなのだろうか?

 彼らはけっこう孤独を楽しんでいるのではないか。

 本当にいっしょにいたいと思う家族ならいいけど、ただ同じ屋根の下にいるだけ、同じ空気を吸っているだけの家族なんて鬱陶しいと思ったりしていないのだろうか?

 

 血が繋がっていたって形だけの家族はいっぱいいる。

 財産などをあてにしてすり寄ってくる家族や親族なんかに、あれこれ気を遣ってもらったって不愉快なだけ。

 

 メディアの「家族は素晴らしい」「家族がいないと気の毒だ」といった大合唱もなんだか胡散臭いね。

 

 それよりも最期まで一人でやっていく、という気概のある生き方をを見せるほうがいい。

 あるいは、血縁にこだわらない、常識にとらわれない、損得勘定抜きの、心の深いところで繋がり合える人たちとの暮らし。

 齢を取ったからこそ、そうした自由や愛情に満ちたものを優先できるという面もある。

 

 幸いにも、そうした人たちをサポートするセーフティネットはあちこちにでき始めているようだ。

 

 「家族の絆」という美名のもとに隠した損得勘定や惰性的な繋がりよりも、自分の意思に基づいて生き、死ぬ「個の尊厳」を優先する時代がすぐそこまで来ている。

 


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のりしろ時間

 

 元来、コアラとかナマケモノ体質で、自分のペースで動けないと調子悪くなっちゃうので、効率悪いことこの上なし。

 ヘタにビジネス書など読んで勉強して、時間を有効活用しようなんて意識すると、なんだかイライラしてきて、自分が今何をやっているんだか分からなくなってきます。

 

 とは言え、仕事をする以上、そんなこともいっていられない。

 相手のペースに合わせなきゃいけない場合もある。

 そんな時、最近、心がけているのが「時間ののりしろ」を作ることです。

 

 自分のペースでOKの時間帯と、相手に合わせる必要のある時間帯。

 この2種類のカテゴリーの時間帯が、ポンとカットで繋がると脳の切り替えがうまくできない場合があり、気持ちの負担も大きいので疲れます。

 やっぱリカットつなぎでなく、オーバーラップさせたほうがショックが和らげられる。

 

 なので、相手に合わせる時間帯に入るときは脳が自然に準備できるよう、「のりしろ時間」を作るようにしています。

 

 具体的に言うと、打ち合わせ、取材などの時は約束の時間より30分早く行って、その現場周辺の空気を吸っておくようにするのです。

 そうするとリラックスして、少しはその環境に入り込みやすくなります。

 つまり100%アウェイの空気でなく、10~20%くらいはホームの空気をまぜるようにする。

 するとある程度リラックスして、よりよいパフォーマンスが期待できます。

 

 昨日は思いのほか早く着いたので、待ち時間に近所の神社で、ぼやーっと木などを眺めて、ああ鳥の巣がある、何の鳥だろう。まだ作っている最中かなぁ・・・と思ったり、ネコの家族が来て日向で遊び出したりするのを見ていました。

 

 仕事の役に立つだけじゃなく、ちょっとおまけみたいなものを拾ってトクした気分になります。 もしかしたらそんなどうでもいいことが、あなたの人生を救ったりするかもしれません。

 スケジュールぱんぱんにして毎日アクセクしちゃうと、ほんと疲れますから。

 


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児童館でおチビらがビッグな牛さんの乳しぼりに初挑戦

 

 八王子市の児童館で、子供たちが乳しぼり体験。

 マイナビ農業の取材で、八王子界隈の酪農家の仲間たちがボランティアで提供しているイベントを見学してきました。

 

 でっかい開閉式トラックに牛を乗せて、そこに上って子供たちが搾乳するというやり方。総勢5人の酪農家さんたちがお世話をします。

 まったくこういうシステムを想像していなかったのでびっくりしました。

 このお乳パンパンの牛さんはマーガレットちゃん7歳。

 

 マーガレットちゃんの乳しぼりに挑戦するのは、幼稚園前の幼児クラス(+そのきょうだい)なので2歳児中心。たぶんその子たちの目から見たら、牛さんはゾウさん、いやもしかしたら怪獣並みの大きさだ。

 そりゃこわいに決まってる。

 

 勇気を出してぎゅっとつかめればいいのだけど、おそるおそるおっぱいに触るので、「なにやってんのよ、モ~」って、穏健温和なマーガレットちゃんもバフォンと荒っぽく鼻息をして体を揺する。

 すると、もうだめです。大半の子がこわがって泣き出す始末です。

 

 お父さん・お母さん、「うちの子は情けない」なんて言わないで。

 だいじょうぶ。 一度は失敗・撤退したほうがいい。

 また大きくなった時、トライしたら今度はできるから。

 

 最初からすんなりうまくできちゃうより、やったぜ感、リベンジできた感があって、自分は成長しているんだと実感できる。

 そのほうが却って自信になるんです。

 

 子供時代はまだ長い。

 人生はもっとずーっと長い。

 幼稚園・保育園で、小学校で、またトライして、こんどはマーガレットちゃんのおっぱい、いっぱい搾ってね~。


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ラストドライブ日本版 出発

 

 わたしを思い出の場所に連れてって――

 そんな末期患者の願いをかなえるのが「ラストドライブ」。

 この数年、ヨーロッパで静かに広がってきた、いわゆる終活支援です。

 

 昨年夏、ドイツでの事例を取材したドキュメンタリー番組がNHK-BSで放送されました。たまたまそれを見て感想をブログに書いたら、その時だけアクセス数が5倍くらいに跳ね上がってびっくりしました。けっこう関心の高い人が多いようです。

 

 じつは今年から日本でもこれと同様の終活支援サービスが始まりつつあります。

 さいたま市の「タウ」という会社がCSR(社会貢献事業)として始めた「願いの車」がそれ。余命少なく、一人では外出困難な患者を希望の場所に無料送迎するというものです。

 

 タウは事故車の買い取り・販売を手掛ける会社で、社長がかの番組に心を揺すられ、「自分たちも車を扱う仕事をしているので」と、立ち上げました。

 当面は近隣の病院やホスピスに声をかけて説明し、希望者を募るというやり方で進めていくそうです。

 

  あらかじめ民間救急会社と提携しており、車両は酸素ボンベ、吸引機、自動体外式

 除細動機(AED)などを装備した民間救急車を使用。外出には看護師やボランティアが同行。ただし外出は日帰りのみ。

 主治医の了承と、家族の同意を得た上で送迎です。

  

 僕は「月刊仏事」の記事を書くために電話で広報の方と話したのですが、この事業に誇りを持ち、かといって気負うこともなく、たいへん美しい応対だったことにも心惹かれました。

 

 今後、提携先を県内の病院などに広げ、将来的には、活動に理解を示す企業からの協賛も。2019年には公益社団法人にして全国的活動を目指すそうです。

 

 これも高齢化社会・多死化社会における一つの文化になり得るでしょう。 これからの展開が楽しみです。

 


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「スターウォーズ エピソード8 最後のジェダイ」は舞台劇にしてOK

 

 今さらながら「スターウォーズ エピソード8 最後のジェダイ」。

 2月のうちに書いてこうと思って、つい書きそびれていました。

 

 あちこちでもうすっかりレビューも出尽くしていると思います。

 まったく読んでいないので、世間的な評判はさっぱり分かりませんが、僕的にはかなり面白かった。

 (特にこのシリーズの熱心なファンでないけど)全部見た中では、これが一番入り込めたな~と思いました。

 

 率直な印象を言うと、かつてのスペースオペラ的な部分が薄まり、シェークスピア劇みたいに見えました。

 

 世界政治とか抗争を含めた宇宙スケールの活劇だったはずが、なんだか家族ドラマみたいなスケールになってきた(これは批判ではありません)。

 

 あくまで個人的な印象です。

 

 実際には戦闘シーンは相変わらず多いし、チャンバラもあるし、絵作りも凝っているし、迫力もある。

 そうしないと、スターウォーズブランドにならないからね。

 

 ただ以前はそっちの方がストーリーを完全に凌駕していたのだけど、今回はドラマのほうが引き付けられる、ということ。

 戦闘状況なんかを全部セリフで説明させてしまって、舞台劇にしたらいいんじゃないかと思ったくらい。

 

 これまでのスターウォーズであまり魅力ある登場人物ってお目にかからなかった(ダースベイダーが悪役としてどうしてあんなに人気があるのか、さっぱりわからない)けど、若い二人の主人公――レイとカイロ・レンがはいい。

 

 スターウォーズ過去40年の歴史というか、遺産というか、おっさんファンたちの降り積もった愛着やら怨念やらを背負わされても、最終的にそんなもの蹴っ飛ばして、カウンターのロングシュートでゴールを決めちゃいそうな「フォース」を感じます。

 古いキャラクターはすべてこの二人の引き立て役ね。

 

 いっそのことエピソード9は完全にオールドファンを裏切りまくって、戦闘シーンなしにしてしまったらどうだろう?

 登場するのはレイとレンとBB-9(ロボット)だけとか。

 ま、そんなのあり得ないはわかっているけど。

 

 勝手にエピソード9の予測をすると、前回の3部作(エピソード1~3)は、史実(?)を変えるわけにはいかないので、主人公のアナキンがダークサイドに落ちてベイダーになってしまうという悲劇的ラストで後味が悪かった。

 けど、今回の9は必ずやハッピーエンド、希望ある結末に持っていくでしょう。

 なんといっても制作の大元はディズニーだし。

 

 王道としてはレンの魂が救われ、レイと結ばれる・・・というのが落としどころだと思うけど、それだと単純すぎるかなぁ。

 


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ホワイトファンタジー家康:いい人だから天下を取った

 

今年の大河ドラマ「どうする家康」はどうやら、

「家康はいい人だったから天下を取れた」

という物語になりそうな気配だ。

 

もともと家康役が松潤なので、

初回のヘタレぶりから、

どうもそういう話になるんじゃ・・・

という気配はしていたが、

昨日の「氏真」の回でそれを確信した。

 

どういう話だったかは、

ネットであらすじを読むか、

NHKプラスを見るか、

今度の土曜の再放送を見るかしてほしいが、

とにかく家康は、追い詰めた今川氏真(溝端淳平)を

殺せず、助けてしまう、情に厚い“いい人”。

 

しかも氏真の奥さんがこれまた、夫思いのとてもいい人。

 

さらに、とっくの昔に出番が終わってたはずの

今川義元が回想シーンでよみがえり、

感動的なお父さんぶりを見せる。

 

野村萬斎をキャスティングしておいて、

あれで終わりかいと思っていたが、

最後(死んだ後だけど)にちゃんと見せ場を残して、

スポットライトを浴びせてくれた。

そんなわけで、友愛、夫婦愛、親子愛の

人情ドラマ3連荘で、泣かせるわ、泣かせるわ。

 

この後、今川氏真は、

戦国武将としては表舞台から退場するが、

家康の手引きで北条氏の領土に逃げて生き延び、

文化人となって、のちに密かに家康に影響を及ぼす。

いちおうそうした史実も踏まえてドラマ化している。

 

これまで今川親子なんて、

信長や信玄の引き立て役・滅ぼされた負け組として

ずさんな扱われ方しかされなかったが、

ここまで丁寧に人間的に描いたのは良かったと思う。

 

それにしても、昨年の「鎌倉殿」が陰謀・裏切り満載で

思いっきりブラック、そしてリアルだったのに対して、

こちらはまるで戦国ファンタジーかと思えるほどの

ホワイトぶり。

 

なにせファンタジーなので、阿部寛の武田信玄も、

岡田准一の織田信長も、ムロツヨシの豊臣秀吉も

ほとんどマンガの世界の人。

そして家康との対比で、

みんなとんでもない悪人どもに見える。

おそらくそういうのも狙いなのだろう。

 

もちろん、「幼稚」だの「大甘」だの

「戦国時代にこんなのあり得ねーだろ」という

手厳しい批評も飛び交っているが、

僕はこういう見方をしているので、けっこう面白い。

 

ナレーションでも「神の君」なんて言ってるが、

江戸時代には徳川家康は神さま扱いだった。

それが、250年後に明治政府として

権力を取り返した長州組などが

「幕府の元祖の家康は大悪人だった」と言って

ブラックタヌキのイメージを人びとに植え付けた、

とう説がある。

 

正義も悪も、歴史も人物像も、その時代の風向きによって

くるくる変わってしまうものだ。

事実は一つだが、真実は人の数だけある。

 

いま、時代は「いい人」の味方である。

かつて蔑まれていた「いい人」が持て囃される。

最後にはいい人が勝つ・笑う。

「どうする家康」は、そんな時代の空気を吸っている。

 

ブラック鎌倉殿は完成度が高く、

ラストも衝撃的だったが、

あれはちと悲惨過ぎた。

やっぱり同じようなものを続けざまに見せてはいけない。

 

少なくとも今年のこのドラマでは

ハッピーエンドになってほしい。

たとえそれがリアリティに欠けた、

ホワイトファンタジーであっても。

 

これから戦国時代の大波が押し寄せ、

いろいろな修羅場を潜り抜けねばならないが、

松潤家康は間違ってもダークサイドに落ちて

キャラ変などせず、

いい人のまま、白うさぎ君のままでがんばってほしい。

 


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二度と洋食屋には連れていくべからず

 

昨日は久しぶりに義母を美容院に連れて行った。

いつもカミさんが連れていくという行きつけのところ。

ここのおばちゃん、腕は大したことないが、

高齢者の扱いはうまく、

髪もきれいになってすっかり気分がよくなった。

 

問題はその後。

お昼を外食にしたが、

たまにはいいかと洋食専門のカフェへ。

オムライスならよかろうと思って注文したところ、

上にのっていたデミグラソースがお気に召さず、

せっかくご機嫌だったのが、めっちゃ不機嫌に。

あんまり洋食は好きではないのだが、

家では素直に食べるのでつい油断してしまったのだ。

 

この人はへそを曲げるとけっこうガンコで、

いつもなら喜んで食べるデザートにも

「いらない!」と手をつけない。

 

しかたなく、そそくさとカネを払って外に。

二度と洋食屋には連れていくべからず。

痛い教訓を得た。

 

しかし出たとたん、デミグラオムライスの記憶を忘れ、

それまでの不機嫌だった記憶を忘れて、

なぜか美容院から出てきたときの笑顔に戻っている。

こういう時、認知症は便利でありがたい?

帰った後、いつもの安い菓子パンをあげたら大喜び。

 

電子書籍エッセイ集:認知症介護

 

認知症のおかあさんといっしょ

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週末の懐メロ127:いとしのレイラ/デレク&ザ・ドミノス   ㇲ

 

エリック・クラプトンの代表曲になっている

「いとしのレイラ」。

じつは1970年に発表された

デレク&ザ・ドミノスのアルバムに収録されたものが

オリジナルバージョン。

 

ヤードバーズ、クリーム、ブラインド・フェイスなど、

60年代の歴史的バンドで活躍し、

この頃、すでに稀代の名ギタリストの地位を確立していた

クラプトンは、もちろんこの新しいバンドの

リードギタリストだった。

 

僕は中学生の時、ラジオでが初めてこの曲を聴いた。

その前に音楽雑誌で評判は聞いていた。

当時、これほどもてはやされていた曲も珍しい。

 

クラプトンと言えばレイラ。

とにかくレイラがすごい、レイラ大好き、レイラ最高!

彼はすでにソロ活動に入っていたが、

ライブをやってもみんながこれを聴きたがるものだから、

新しい曲がやりにくい、

といったエピソードがあふれていた。

 

で、そんなにすごい曲なのかと思って聴いたが、

正直なところ、「そんなかなぁ」と思ってしまった。

その頃はハードロックやプログレに狂っていたので、

この曲があんまりすごいとか、カッコいいとか、

面白いとか思わなかったんだよね。

 

その印象が一変したのが、高校生の時。

同じくラジオで流れてきたレイラに鳥肌が立ち、

しびれまくった。

いったい何が違っていたのか?

 

最初に聴いたのは前半3分のみ、

おなじみクラプトンのギターが炸裂する

シングルバージョン。

そして2回目はその続きがあるフルバージョンだったのだ。

 

聴けばわかるが、レイラは二つのパートで成り立っていて、

後半はピアノを中心とした

インストゥルメンタルパートになっている。

 

3分を過ぎてギターが鳴りやんだところに、

やさしくピアノが入ってきて、

そこにまたギターが絡み合って、

まるで違う曲のように美しく流れていく。

これぞ本物の「いとしのレイラ」だ。

 

いわば迸る恋の情熱・激情と、

それが成就したあとの愛が満ち溢れる世界。

この前半と後半の対比が

めっちゃドラマチックで素晴らしく、

両パート合わせてこその名曲なのである。

 

それから半世紀、この曲はクラプトンのライブで

欠かせないレパートリーとなり、

最近は彼の齢に合わせて

渋いアコースティックバージョンになっている。

 

が、演奏されるのはやっぱり前半部分ばかり。

だから「レイラ」と言っても、中学生時代の僕と同様、

曲の半分しか知らない人が多いのではないだろうか?

 

そんな人はぜひ、デレク&ザ・ドミノスの

フルバージョンを聴いて、イメージを一新してほしい。

 

ところでこのバンド名、

僕はずっとデレクさんとドミノスさんという人が

メンバーにいるのかなと思っていたが、そうではなく、

もともと「ダイナミックス」という名前だったのを

テレビ番組の司会者が紹介する時、

「デレク&ザ・ドミノス」と言い間違えたのだという。

 

メンバーの一人である

ボビー・ウィットロックの証言なので、

本当のことらしいが、え~、ホント? と思ってしまう。

ロックの世界は、ジョークやいい加減な話が

まことしやかに伝説化されてしまっていることが多い。

まぁ、今さらどうでもいいことだけど。

 

ちなみにこのアルバムジャッケットも

ロック史に残る名作で、

まさしくレイラが描かれていると思う。

 


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「世界のEnding Watch」ニューバージョン

 

泣いて歌って踊るガーナのエンタメ葬、

ハロウィーンの原型となり、

ディズニー映画のモチーフにもなったメキシコの死者の日、

チベット仏教に基づくブータンの鳥葬など、

世界の葬儀・供養を紹介・考察。

雑誌に連載し、電子書籍として発行している

「世界のEnding Watch」が、

このたび装いも新たに、某サイトの連載記事になります。

もちろん完全リニューアルの新作コラムとして、

前作とは違った構成・展開に。

公開の際にはまたお知らせします。

 


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アネモネと小説

 

お彼岸の花という感じではないが、

行きつけの花屋でアネモネが目に留まり買った。

茎の歪み具合など、何となくサイケなイメージがあって、

クリムトかエゴンシーレの絵画に

あったような気がしていたが、

アネモネを好んで描いたのは、印象派のルノワールだった。

 

僕にとってアネモネというと思い起こすのが、

村上龍の小説「コインロッカーベイビーズ」だ。

この物語のヒロインの名がアネモネだった。

 

20歳の頃にのめり込むように読んだ。

その割に内容を覚えてないのだが、

文体と物語全体のロックなノリが斬新で、

当時、村上春樹と「新しい小説」の双璧を築いていた。

 

当然、影響力の大きな作品だったので、

ネット上にいくつも書評や紹介文も載っているが、

どれを読んでも何か違和感を感じる。

僕が読んだ「コインロッカーベイビーズ」は

こんな話だったっけか?

アネモネはこんな少女だったっけか? という感じ。

 

これだけ大量にいろいろなコンテンツが

あふれる世のなかではやむを得ないのだろうけど、

2,3分でわかった気になってしまう

こういうお手軽な解説は、

あんまり読んでは駄目だなと思ってしまう。

 

これはやはり再読するしかないだろう。

どんどん再読候補本が増える。

目が悪くなった60代としてはなかなか厳しい。

若者たちには、目のいいうちに

いっぱい本を読んでおくことをお薦めする。

 


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認知症 花のアートワーク

外に出て人や自然と触れ合う方が薬を飲むより効果的。

というのは、べつに医学的根拠があるわけでなく、

僕の思い込みで、ほとんど宗教行為に近い。

実際、医者も最初の1年ほどを過ぎると、

薬はほとんど効果なく、単なる気休めだという。

 

子ども、犬、鳥、花・・・

いろいろリアルな情景がある。

ただ、たんに「この世界は美しい」

と感じてもらいたくて、

いつも義母を散歩に連れ出している。

 

今日はお花見日和。

川添いのソメイヨシノは三分咲きくらいのから

八分咲きくらいまで、木によってまちまちだが、

さすがに人出が多く賑やかだった。

心なしか、コロナ前よりお花見マナーが良くなった感じ。

みんなとても幸福そうだ。

 

桜はもちろんだが、他にも小さい目立たない草花から

大きな派手なのまでいろいろな花が咲いて、

まさしく春本番。

ピンクの椿の花も丸くてかわいい。

 

義母が落ちていたのをお持ち帰りするというので、

「それはここにあるからきれいなんだよ」というと、

橋のたもとにある少年像の掌の上に、

椿の花を持たせてあげた。

 

ちょっと感心して、

「どうして持たせてあげたの?」と訊くと、

「知らない。ただこうしたかったのよ」と、

大芸術家的リアクション。

理由などない。

ただ私の魂がこう動いたのだ、と言わんばかり。

 

でも後で写真を見せたら、

「なにこれ? 誰がこんなことしたの?」だと。

今日はいつになくいっぱい歩きました。

お疲れさま。

 

おりべまこと電子書籍

エッセイ集:認知症介護

 

認知症のおかあさんといっしょ

amazonkinleより好評発売中。¥500


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週末の懐メロ126:オード・トゥ・マイファミリー/クランベリーズ

 

1994年リリース。

クランベリーズは90年代に活躍した

アイルランドのバンド。

リードヴォーカルのドロレス・オリオーダンが

自分の子ども時代を振り返り、

家族への思いを歌い上げる。

家族への頌歌。

 

この美しい讃美歌について

オリオーダンは雑誌のインタビューで

いろいろ語っている。

 

彼女は僕より一回り年下の1972年生まれ。

10代の頃は反抗して両親を悲しませたが、

齢を取ると、いつか感謝する日がやってくるという。

自分の両親がいかに素晴らしく、自分の子ども時代が

いかに幸福だったかを知る時が来るとも。

 

彼女は7人きょうだいで育ったというが

7歳の時、家は火事で全焼。

ずいぶん辛い生活をしたのではないかと思うのだが、

記憶にあるのは美しい食卓、あたたかいベッド、

そして学校にきれいな服を来て行ったことだという。

 

また、こんなことも話している。

「私たちは物質主義がほとんどない状態で育った。

本当にスピリチュアルな子ども時代だったと思う」。

 

いつでも、どこでも、

子ども時代は多かれ少なかれスピリチュアルだと思うが、

もしかしたら現代ではそうとも言えないのかも。

 

美しい食卓、あたたかいベッド、きれいな服というのは、

けっして贅沢な衣食住に恵まれた

ということではないだろう。

 

価値の物差しはお金と物質ばかり。

心の隅々までそうしたものに

支配された環境の中で育つと、

どういう心情になるのか、ちょっと心配になる。

本当に大切なものは目に見えないので、

それが損なわれたこと・失われたことにさえ

気づかなくなってしまうのではないか。

 

けれども、そんな過去だって変えることはできる。

不幸な子ども時代を送ったという人もいるかと思うが、

それを乗り越えて、

今まで続いてきた自分に自信を持って、

幸福な未来を掴むために過去だって変えてやろう--

そんな心持ちで生きていこう。

 

週末の懐メロ 第1巻

 

デビッド・ボウイ/カーペンターズ/ビートルズ/ケイト・ブッシュ/ポリス/レッド・ツェッペリン/イエス/ミシェル・ポルナレフ/赤い鳥/イルカ/高橋洋子など、

#1~#28を収録。

21世紀ポップを語る珠玉の音楽エッセイ集。

 


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あなたのワンちゃんが今、ウンコしましたよ!

 

「あなたのワンちゃんが今、ウンコしましたよ!」

 

とは言えなかった。

川沿いの遊歩道にワンちゃんをお散歩に連れて来た

おしゃれなヤングマダムは、

旦那か子どもかお友だちかわからないけど、

掛かってきた電話に夢中。

 

その足元でワンちゃん(小型犬)が

自分に注意が払われていないのを

これ幸いと思ったのかどうか、

よっしゃと言う感じで地面にお尻を落とした。

 

ときは春うらら。

舗装された遊歩道のわきの道には

みどりの草が萌え始めている。

その萌えた草の上にお尻を落として、

うーんとふんばってるのだ。

 

あの格好は、もしや!

川の向こうからその瞬間を目撃した僕は

思わず足をとめて見た。

遠目からも二本の後ろ足の筋肉に力が入り、

お尻の真ん中あたりが

小刻みにピクピク震えているがわかる。

 

出る。

僕がそう思ったとたん、

ワンちゃんのお尻から

むにゅっと茶色の物体が出てきたのが目に飛び込んだ。

 

しかし、飼い主さんは電話で喋っていて、

そんなことはつゆとも知らない。

 

ワンちゃんは「あー、すっきりした」と満足気。

からだが軽くなったのか、

気持ちよさそうにピョンピョン跳ね始める。

飼い主さんはちらりと

そんな彼(彼女かもしれない)に目をやったが、

その下にある落とし物には

まったく気が付かない。

電話はまだ終わらず、

何やら笑って喋りながら、

そのままハーネスのリードを引っ張って歩き出した。

 

僕の口からは思わず、タイトルのセリフが喉まで出かかった。

「あなたのワンちゃんが今・・・」

が、なにせ川を挟んだ向こう側で5,6mは離れている。

周りに聴こえるような大声で叫ばなくてはならない。

それを聞いた彼女の心に巻き起こる嵐のことをを想像すると、

とてもそんな勇気は出なかった。

 

そよ風が吹くおだやかな春の午後。

あの草の上の犬のウンコが、

お散歩やジョギング中の誰かに踏まれることなく、

無事、土に還ってくれるのを願うばかりである。

 

おりべまこと動物小説+エッセイ

いたちのいのち

小学4年生の女の子カナコとペットのフェレット「イタチ」とのおかしてくちょっと切ない友情物語。フェレットの飼い主さんはもちろん、ワンちゃん・ネコちゃんの飼い主さんにも読んでほしい動物ファンタジー。

 

神ってるナマケモノ

イヌ、ネコ、カエル、ウーパールーパー、ナマケモノなど、楽しい動物、怖い動物、いろいろな動物と人間との関係について語る面白動物エッセイ集。


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和風未来空間の高齢者施設&治療院

 

亀戸の住宅街のなかにできた不思議空間。

インテリアデザインは和モダンでありながら、

なにか未来空間・宇宙基地のようにも見える。

 

ここは昼間は運動特化型のデイサービス、

夜は整体院という二毛作。

5月のオープン目指して目下準備中で、

その過程をいろいろ取材させていただいている。

 

高齢者施設・街の整体院のイメージを打ち壊す

斬新でユニークなコンセプトに目を見張る。

しかも最後の仕上げとして、

これから某有名イラストレーターの

ファンタジックなイラストを壁に入れるという。

 

ラフ画を見せてもらったが、

そのイラストがはまった図を想像すると、

先日亡くなった松本零士さんの

「銀河鉄道999」か「宇宙戦艦ヤマト」みたいな

イメージを思い描いた。

ガラス張りで外から見えるので、

かなりのインパクトになるだろう。

 

現代日本のライフスタイル・消費社会の

基盤を作った団塊の世代が75歳を迎えている。

これからの高齢者は、今までの高齢者と違う。

 

そのニーズを踏まえてサービスの在り方を

考え抜いた社長のアイデアとセンスは、

ハードだけでなく、

様々な宣伝プラン・経営方針全体にまで反映されている。

地域おこしの役割も担う高齢者施設兼治療院。

とても面白いビジネスモデルになると思う。

 


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チャットGPTに訊く:ロンドンに日本食の店を出すなら

 

僕は1980年代にロンドンの

ケンジントンヒルトンホテル内の

日本食のレストランで働いていた。

その頃はまだ日本食が「アドベンチャー」

と言われていた時代。

寿司とてんぷらとすき焼きを出しときゃ

OKみたいなところがあった。

が、もちろん現代はまったく状況が違う。

そこで今日はチャットGPTと

日本食文化の世界進出、および、

今、ロンドンに出店するなら・・

というテーマで対話した。

 

こういうテーマは、

チャットGPTの回答は相当レベルが高い。

長いけど、興味があったら読んでみてください。

 

ぼく:最近、日本の食文化は外国でどれくらい認知されているか教えてください。

 

AI:日本の食文化は、世界的に広く認知されており、多くの国で人気があります。 以下に、外国での日本食の認知度や人気の高い料理の例を挙げてみます。

 

1.寿司:寿司は、世界中で愛される日本の代表的な料理の一つです。 多くの国で、寿司レストランが存在し、日本の寿司がそのまま提供されたり、現地の食材を使用したバリエーションが提供されたりしています。

 

2.ラーメン:日本のラーメンは、アメリカやカナダ、ヨーロッパの大都市など、多くの海外の国で人気があります。では、現地の食材を使用して、日本の味に近づいたバージョンが提供されることもあります。

 

3.焼肉:日本の焼肉も、世界中で人気があります。

 

4.和食:日本の伝統的な和食も、世界中で注目を集めています。例えば、ミシュランガイドにも和食の店が掲載されていて、世界中から多くの人が訪れています。

 

5.抹茶:日本の抹茶は、健康に良いとされることから、世界中で人気があります。例えば、アメリカのスターバックスなどでも、抹茶ラテや抹茶フラペチーノが提供されています。

 

以上のように、日本の食文化は世界中で認知されており、多くの国で人気があります。 特に寿司やラーメンなどの人気が高い料理は、日本の味そのままを提供する店舗も多く、多く勝手が楽しんでいます。

 

ぼく:なぜ日本食は他国でもそんなに人気があるのでしょうか?

 

AI:日本食が他国でも人気がある理由には、いくつかの要因があります。

 

1.健康的でバランスの良い食事:日本食は、健康的で栄養バランスの良い食事として知られています。 日本食は、低脂肪で低カロリーなのに、タンパク質やビタミン、ミネラルが豊富に含まれているため、ダイエットや健康に気を遣う人々に人気があります。

 

2.繊細で美しい盛り付け:日本食は、繊細で美しい盛り付けが特徴的です。その美しさは、日本文化に根ざしたものであり、海外でも高い評価を受けています。

 

3.鮮度と質の高い食材:日本は、海に囲まれた島国であり、豊富な漁獲物や農産物があります。また、日本人は食材の鮮度にこだわる文化があるため、海外でも高品質な日本食材が求められています。

 

4.料理の多様性:日本食は、寿司やラーメンなど有名な料理だけでなく、和食やおばんざい、お好み焼きなど多様な料理があります。 そのため、さまざまな好みや食文化に合わせた料理が提供されることもあり、堅実な人々に愛されています。

 

以上のように、日本食が他国でも人気がある理由には、健康的でバランスの良い食事や美しい盛り付け、高品質な食材、多様な料理などが挙げられます。するために、日本食を求める外国人旅行者も多いため、その必要も日本食の人気につながっています。

 

ぼく:日本人はどうやってこの食文化を発展させたのでしょうか?

 

AI:日本の食文化が発展してきた背景には、以下のような要素があります。

 

1.地域の気候や風土に合わせた食材の利用:日本は四季がはっきりしており、各地域にそれぞれ異なる気候や風土があります。そのため、地域に応じた食材を活用した料理が発展しました。北海道では魚介類やジャガイモが豊富で、そばや餡かけご飯などの料理が根付いています。 一方、沖縄では熱帯性の果物や野菜が利用され、ゴーヤチャンプルーや沖縄そばなどの料理が発展しました。

 

2.季節感や美意識を取り入れた盛り付け:日本食の盛り付けは、季節感や美意識を取り入れた独特の美しさがあります。発展しました。

 

3.宗教や儒教などの思想的背景:日本には、仏教や神道、儒教などの宗教や思想が根付いており、その影響も日本食文化に大きく反映されています。が広まったり、儒教の影響を受けて食事の作法やマナーが重んじられるようになったりしました。

 

4.科学技術の発展による食品加工技術の進歩:以降、日本の食品加工技術は進歩し、多様な食品が肥大化しました。海産物などが代表的な例です。

 

以上のように、日本の食文化が発展してきた背景には、地域の気候や風土、季節感や美意識、宗教や思想的背景、科学技術の発展による食品加工技術の進歩などの要素が進んでいます。また、日本人が食文化を大切にし、受け継がれたことも発展御要因になっています。

 

ぼく:現在、海外市場において日本食の市場規模はいくらぐらいになるかわかりますか?

 

AI:2021年に発表された調査によると、海外市場における日本食の市場規模は約4,000億円程度と推定されています。この数字は、2020年に比べて約10%増加したとされています。特に、アメリカ、中国、東南アジアなどの地域で需要が拡大しています。

 

ぼく:これから海外の都市に日本食のお店を出すとしたら、どこにどんな種類のお店を出すとビジネス成功の可能性が大きいでしょうか?

 

AI:海外において、どの都市や地域でどのような日本食のお店を出すとビジネス成功の可能性が高いかは、その地域の市場調査や構成人口、食文化などによって異なります。以下の点に注意することで、ビジネスの成功の可能性を高めることができます。

 

1.現地の必要に合わせたメニュー構成:日本食は多種多様な料理がありますが、海外で出店する場合は、現地の必要に合わせたメニュー構成を考える必要があります。いる食材を取り入れたメニューや、現地の味覚に合わせたアレンジを加えた料理などが好まれる傾向があります。

 

2.地域に合わせた店舗の設計:出店する地域の文化や風土に合わせた店舗の設計を行うことで、地元の人に親しみやすく、愛される店舗となる可能性が計算されます。

 

3.価格設定:現地の経済状況や消費者の結果水準に合わせた価格設定を行うことが重要です。ができます。

 

4.店舗の立地:交通の便が良くなり、多くの人が利用する場所に出店することが、ビジネスの成功のために重要です。欲求が高まる可能性があります。

 

5.品質・サービスの向上:品質の高い食材や調理技術を活かし、高品質な料理を提供することが大切です。また、現地の消費者に親切で丁寧なサービスを提供することで、リピート率を高めますことができます。

 

以上のように、出店する地域に合わせたメニュー構成や店舗の設計、価格設定、店舗の状況、品質・サービスの向上などがビジネスの成功にとって重要な要素となります。

 

ぼく:ロンドンのケンジントン地区に日本食の店を出店すとしたらどんな店がいいでしょうか?

 

AI:ロンドンのケンジントン地区は、高級住宅街やショッピングエリアが集まる地域であり、日本文化や日本食に対する需要が高い地域の一つです。 そこで、ケンジントン地区に日本食の店を出店する場合、以下のような店が良いでしょう。

 

1.高級感のある寿司店:ケンジントン地区は、高級住宅街やショッピングエリアが集まる地域であり、富裕層の方々が多く暮らしています。でしょう。

 

2.テイクアウト対応の日本食店:ケンジントン地区には、多くの観光客やビジネスマンがアクセスするため、テイクアウト対応の日本食店を出店することで、必要を拡大することができます。

 

3.カフェスタイルの日本食店:ロンドンには多くのカフェがあり、その中には日本のカフェ文化を取り入れた店舗もあります。ケンジントン地区には、このカフェが多いため、ようなカフェスタイルの日本食店を出店することで、必要を拡大することができます。

 

4.和食居酒屋:日本食に興味がある地元の方々や、ビジネスマン、観光客などが多く集まる地域に出店する場合、和食居酒屋を出店することができます。一緒に食事を楽しむことができるため、必要が見込めます。

 

5.ラーメン店:ロンドンには、多くのラーメン店があります。その中でも、日本のラーメン文化を取り入れた店舗が人気を集めています。ケンジントン地区にも、このようなラーメン店を出店することで、需要を拡大することができます。

 

以上のように、ケンジントン地区に日本食の店を出店する場合、地域の要望や傾向に合わせた店舗の種類を選ぶことが重要です。また、店舗の設計や価格設定、品質・サービスの向上などにも品質・サービスの向上などにも力を入れることが重要です。 

 

例えば、ロンドンでは食材の調達が難しいため、輸入品を使う場合が多いです。 しかし、より新鮮な食材を使うことで、品質を高めるまた、日本食に興味がある地元の人にも申し込むために、英語メニューや英語対応のスタッフを揃えることも大切です。さらに、SNSや口コミなどを活用して、店舗の情報発信や顧客とのコミュニケーションを取ることも重要です。 これらの取り組みによって、より多くの顧客に愛される日本食店を作ることができます。

 

ぼく:回答ありがとうございます。

 

AI: よろしくお願いします。 何か他に質問がありましたら、遠慮なくお聞きください。

 

おりべまことエッセイ集:食べる


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過去と未来のマンガ文法・映画文法

 

子どもの頃、マンガが好きで、

小学生まで暇があればマンガを描いていた。

しかしどうしてだか、

登場人物の顔がことごとく左向きになってしまっていた。

左向きの顔はすらすら描けるのだが、

右向きの顔がうまく描けないのである。

 

あとから知ったことだが、マンガにおいて

左向きは未来を見る顔、

先に進もうとする気持ちが現れた顔。

 

右向きは過去に向かう顔、

止まったり振り返ったりするサインだという。

 

「さあ行こうぜ」と言う時は左向き。

「ちょっと待てよ」と言う時は右向きというわけ。

 

これは日本のマンガが右から左へとページを

めくっていくことと関連している。

マンガ家自身にそういう生理感が身についており、

この右向き・左向きの心のベクトルが

一種の「マンガ文法」になっている。

 

これは映画も同じで、画面で左を向いたら未来を見ている、

右を向いたら過去を見ている表現だという。

 

欧米には日本のようなマンガ文化はないが、

映画の場合は、演劇の生理に基づいていると思われる。

登場人物が上手(観客から向かって右)から

下手(同・左)へ動く時は未来へ向かう、

逆の場合は過去に向かうというのが基本形。

これは人間の脳のメカニズムと関連しているのだと思う。

 

自分の話に戻すと、

子どもの頃は過去時間の分量が少なかったから

右向きの顔が描けなかったのだろうか?

 

けれども今でもちょっと落書きで人間を書くと、

手が覚えているのか、正面でないときは、

無意識に左向きの顔を描いている。

いずれにしてもこのマンガ文法・映画文法を意識して

マンガや映画を観ると面白い。

 


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ヘビを見た

 

 この100年~150年の間に、人間はずいぶんといろいろなものを手に入れ、生活を変えてきましたが、いちばん大きいのは、夜の世界を手に入れたということではないかと思います。

 

 文明開化まで夜の世界の9割方は、江戸のような大都市と言えど、死と隣り合わせの妖怪・魑魅魍魎の世界。神様と妖怪が混在する日本では、人間がおいそれと足を踏み入れられない神々の世界だったとも言えます。

 それをすっかり塗り替えた文明の光。いまや人間の活動時間は昼夜問いませんが、やはり夜の半分程度は未知と神秘の世界です。

 

 そんな思いに駆られたのは、先日、雨上がりの夕方にお目にかかったヘビ。近所を自転車で走っていると、3メートルほど前の道路(裏道なので幅4~5メートル程度)をスルスルスルと横切ったのです。

 その間、わずか1~2秒。向かって左側の家のどこかかから出てきて、右側の家のガレージのシャッターの隙間(たぶん)に入っていきました。もちろん、写真など撮っているスキはありません。

 

 美しい蛇でした。ちょっと緑っぽい色をしていたので、たぶんアオダイショウでしょう。まだヤングな若青大将といったところでしょうか。近くに水(川)があることも関係しているのか、杉並区の住宅街もなかなかワイルドです。

 ヘビが生息しているということは、当然、そのエサになるカエルやらネズミやらの小動物もいろいろこのあたりにいるということ。たまたま日の光のもとに現れましたが、普段は夜の世界で動物たちのいろいろなドラマが繰り広げられているのでしょう。

 

 そうした別の世界がごく身近に人間の目に触れないところにある、人間が9割以上、跳梁跋扈している昼間世界と空間をシェアしている――そんなふうに想像すると、ちょっと怖いのと同時に、自然なもの、神秘的なものがちゃんと保たれているといった、なんだか妙な安心感を覚えるのです。

 たぶん人間はそうしたアナザーワールドと完全に切り離されたら、生きていけないというか、頭がおかしくなってしまうのかもしれません。

 

 それにしてもあの家の人はヘビが入ってきたことなんて、とんと気が付かないだろうな。「神様の使い」が来てくれた・・・と思ってくれればいいけど、やっぱり知らぬが仏でしょう。

 

 

2016・8・21 SUN


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週末の懐メロ125:夜空ノムコウ/スガ シカオ

 

3・10 東京大空襲

3・11東日本大震災

いや、少し調べれば、365日、世界中で

何かしらの悲劇が刻まれている。

べつに今日・明日だけが特別なわけではないが、

日本人にとって意識せざるをない日になっていることは確か。

 

しかし、あんな悲劇があっても、

地球はずっと回り続けるし、

世の中は止まることなく進んでいく。

当たり前のことだが、

これは多くの人にとっては救いとなり、

あの時点に取り残されてしまった人にとっては

残酷な事実となる。

 

そんなことをぼんやり考えていたら、

「夜空ノムコウ」を口ずさんでいた。

特にエンディング近く。

 

あのころの未来に 僕らは立っているのかなぁ…

全てが思うほど うまくはいかないみたいだ

このままどこまでも 日々は続いていくのかなぁ…

雲のない星空が マドの向こうに続いている

あれからぼくたちは 何かを信じてこれたかなぁ…

夜空のむこうには もう明日が待っている 

 

この曲は1998年にSMAPが歌って大ヒットした。

僕もSMAPの歌のなかでいちばん好きだ。

それにしても、つい最近の歌だと思っていたら、

リリースはなんと1998年!

もう四半世紀もむかし。20世紀のヒット曲。

この頃、僕はまだ30代だったのだ。

 

もともと恋の終わり、青春の終わりについて

歌ったものだと解釈されている。

SMAPの口あたりの良い甘い味付けだとそう聴こえるが、

詞を書いたスガ シカオのこのバージョンは、

思い切りビター、苦味を効かせた味付けで、

歌詞さえもまったく違うものに聴こえてくる。

 

そしてバックに響く打ち込み音と奇妙な電子ノイズ。

90年代風、世紀末風とでもいえばいいのか、

ひどく不気味で荒涼とした響きがある。

なんだか焼け野原になった東京の街や、

地震・津波・原発事故で失われた

あの被災地の風景を想起させる。

それでも日々は続いていく。

夜空のむこうには明日が待っているのだ。

 

スガ シカオがどんな意図でこの歌詞を書いたのか、

25年後の今となってはどうでもいい気がする。

「夜空ノムコウ」は、もうみんなの歌であり、

聴く人ひとりひとりが自分に寄せて

自由に解釈し、自由にイメージを広げて良い。

正しい意味・正しい聴き方など必要ない。

名曲とはそういうものではないか。

 

良いこと、嫌なこと、いろんな経験をしてきたし、

これからもしていくだろう。

これはその先の未来を生きていく僕たちが

自分自身の物語を紡ぐために口ずさむ歌なのだと思う。

 

おりべまことの音楽エッセイ


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村上春樹のエッセイ「猫を棄てる」と父親史について

 

3年前に出された村上春樹のエッセイを読んでいかなった。

図書館で文庫本があった(文庫化されたのは昨年)ので、

借りて読んでみたらとてもよかった。

最近ちょっとご無沙汰していたが、

やはりこの人の文章は心の深いところに響いてくるのだ。

 

副題に「父親について語るとき」とあるが、

その通り、大正生まれで戦争の体験を持つ

父について書いたものである。

割とゆとりある行間で100頁ちょっとの短い本なので、

2,3時間あれば読み切れてしまうが、

内容はとても充実していて深い。

また、よく調べたなと感心する。

 

村上春樹は1979年にデビュー。

現代的・都会的な雰囲気のストーリーと

アメリカ文学仕込みの乾いた文体で人気作家になったが、

初期の作品「風の歌「ピンボール」「羊」などでは

そこかしこに戦争の影がにじんでいる。

1980年代の前半あたりまでは

豊かになったとはいえ、まだ終戦・戦後の残滓が

日本社会に残っていたのだ。

 

そして、1990年の「ねじまき鳥クロニクル」では

まともに戦争のシーンが出てくる。

この物語の第1巻には捕虜になった兵士の皮をはぐという

恐るべき残酷描写がある。

いったいなんでこんな描写が出来たのか、

つくづく感心する。

僕はそこがあまりにこわくて未だに再読できない。

 

村上春樹のような団塊の世代の人には多いと思うが、

成人後は父親とはほとんど断絶状態だったらしい。

大正・昭和ひとケタ生まれの親と、

戦後生まれの子供の親子関係は、

今の親子関係とはずいぶん違ったものだと思う。

 

そもそも親は、特に父親は、

自分のことを語ろうとしなかった。

なぜかはちょっと長くなるので、

また近いうちに別の文で書こうと思う。

 

いずれにしても戦争はこの世代の、

特に男たちの心に深い闇をもたらしている。

そんな思いを抱いてこのエッセイを読んだが、

村上作品に頻繁に登場する「闇」は、

どこかでこのお父さんの心にできた闇と

繋がっているのではないかという気がしてくる。

 

亡くなって10年以上経った頃に

父のことを書こうと思い立ったという。

有名作家だからこうして本にして

多くの人に読まれるわけだが、そうでなくても、

男はいつか自分の父について語りたくなったり、

書きたくなったりするのではないだろうか。

 

親密でも疎遠でも、愛していても憎んでいても、

尊敬していても馬鹿にしていても、

自分のなかに父親像を再構築し、再確認することは

生きる中で意外と大切なことではないかと思う。

男は自分史の前にまず、

自分の父親史を書くべきなのかもしれない。

もちろん娘がそうしてもいいのだけど、

同じ男同士だから感じられる何かがそこにあると思う。

 


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開業準備メモリーズ:面白コンテンツ素材の瞬間冷凍保存

 

コロナ禍で失った損失を取り戻したい

という気運が強いせいか、

最近、仕事の効率化ということに拍車が掛かり、

やたらとコスパだ、タイパ(時短)だという

話題が多くなった。

 

僕はそれと逆行するようにロングタームの仕事が多い。

先月から江東区に出向いて、月1~2回の取材をしている。

その社長さんは夏から新しい事業をスタートさせるのだが、

その準備の様子を取材してほしいというのだ。

 

準備はそうそうスムーズには進まない。

いろんなトラブルに見舞われたり、

ヘマをしたり、ずっこけたりする。

しかし、開業した後は

そんなあれこれを忘れてしまうかもしれないし、

憶えていいてもカッコ悪いことなんか

話したくなくなると思う・・・

ということで僕がその準備段階の記録を頼まれたのである。

 

話をするのはその社長と若いパートナー。

実際、話をきくと確かに面白いエピソードがあふれており、

こんなことがあったんだと、

事業所を貸すオーナー・不動産屋との諍いや

人材集めをしたらこんな人が来たとか、

喜怒哀楽いっぱいに話してくれる。

 

自分で記録しておけばいいと思うかもしれないが、

じつはこういうことは自分や身内の人間ではできない。

外部からやって来た取材者・インタビュアーがいるから、

あけすけに胸を開いて、

こんな失敗をしてしまった、と話せるのだ。

 

ぼくはそれを録音して、

とりあえず文字起こしをしてストックしておく。

いわゆるライブ録音だ。

その時にしか生まれない問いと答、

ノリ・勢いを言葉にする。

面白いコンテンツは対話から生まれる。

 

ビジネスに関連する文章は、

どうしても皆、カッコいいもの、

きれいごとを書きたくなるが、

そういうのはどうも面白くないと、その社長は言う。

なかなかユニークな試みを考えるだけあって、

とてもユニークなセンスを持った人だ。

失礼な言い方だが、見かけによらず頭が切れる。

 

ストックした文章の使い道としては、

ちゃんと成形してホームページの一部にしたり、

ブログにする、紙か電子かの本にするなど、

自在に料理できる。

新鮮なまま冷凍保存した良い材料があるから

いろいろ良い料理ができるのである。

 

これはいわば会社にとっては将来の資産作りである。

お金でない資産、数字に出来ない資産は

とかく軽く扱われがちだが、

じつはスタートアップの場合、

けっこう大切なのではないかと思う。

こういうことが会社にとって、事業にとって、

信頼の土台になる。

 

僕としてはひどく時間のかかる仕事で、タイパは悪い。

ギャランティはとりあえず開業の時点で締めてもらって、

その後も1年間つきあう予定でいる。

効率が悪くてもこういう仕事は好きだ。

 

何か新しい事業を起こす際、

自分もぜひやってみたいと思うか方がいたら、

ぜひお声がけください。

 


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週末の懐メロ124:オ―、シャンゼリゼ/ダニエル・ビダル

  

パリの街といえば、

ついシャンゼリゼ通りを連想する日本人。

そのイメージの源は、1970年代の初めに活躍した

フランス人アイドル歌手 ダニエル・ビダルだった。

小学生の頃、雑誌などでよく見かけたかわいこちゃんだ。

 

「オー、シャンゼリゼ(O, Champs-Élysées)」は、

もともとフランスの歌手ジョー・ダッサン(Joe Dassin)が

1970年に発表した楽曲だが、

日本人には強烈にビダルのイメージがくっついて、

「パリの街を行く、おしゃれで可愛いマドモアゼルの歌」

ということになった。

 

ダニエル・ビダルは日本語でも歌っていて、

ほとんどネイティブみたいに達者。

しかもめっちゃキュートな歌声で、

年甲斐もなく胸がキュンとなる。のである。

 

ところで、チャットGPTに

女性を主人公に「オー、シャンゼリゼ」という

ミュージカルを作りたいのですが、

どんなストーリーがいいでしょう?と聞いてみた。

そしたらこんなお話を考えてくれた。

例によって日本語のおかしなところ、

文章がうまくつながらないところがあるので、

僕がちょっとだけ手を加えています。

 

主人公は、シャンゼリゼ通りに面した喫茶店で働く

若い女性、エミリーです。 

彼女は、自分の音楽の夢を諦められず、

夜な夜な弾き語りをすることで、

自分の才能を磨いていました。

 

ある日、彼女は喫茶店の客の一人が

置き忘れた手帳を拾います。

手帳の中には、

シャンゼリゼ通りの美しい風景を眺めながら書かれた、

ある曲の歌詞がありました。

エミリーはその詞に心打たれ、

自分でこの曲を作ることを決意します。

 

エミリーは、偶然出会った

駆け出しの音楽プロデューサーのジャックと共に、

自分自身の音楽を創造するために努力し、

その曲を完成させます。

 

そして、彼女の歌う「オー、シャンゼリゼ」は、

多くの人に愛される楽曲となり、

彼女の音楽キャリアにおいても大きな転機となりました。

葛藤や孤独などの壁があり、

それを乗り越えていくことが物語のテーマとなります。

 

このミュージカルでは、

エミリーの成長や彼女自身が持つ内面的な葛藤、

音楽創造のプロセス、

そして「オー、シャンゼリゼ」が世に出た後の反響などが

描かれることになります。

美しい風景や、フランス文化の魅力なども、

ストーリーに取り入れることで、

物語の世界観をより深く描くことになります。

 

いかがでしょう?

いや、いいですね。

ちょっとレトロなハリウッド映画っぽいところがいい。

エミリーはやっぱり50年前のダニエル・ビダルだろうか?

ジャックはミッシェル・ポルナレフみたいなやつだろうか?

 

もちろん、いっぱいツッコミどころはあるが、

あらすじ初稿としてこれだけできていれば十分。

これをどれだけアレンジし、膨らませるかが

人間の仕事なのです。

ミュージカル「オー!シャンゼリゼ」、

作ってみたくなった。

 

 

金曜の夜は「週末の懐メロ」の日なのだ。

みんな懐メロを聴いて

1週間の疲れを癒しましょう。

amazonKindleから本も出しています。

目次を見て、好きな曲、好きなミュージシャンの名前があったら読んでみてね。

 


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おとなの言うことなんか聞かなくても 人生、春は来る。

 

 

 

「ガンバレ受験生!」って、無責任にエールを送っていいのか?

毎年、受験シーズンになるとそう思う。

 

電車に乗ると予備校のポスターがべたべた貼ってあって、

夢だの勝利だのヒーローだのって、

カッコいいコピーと共に

モデルの小中高校生の男の子・女の子が、

きりっとした顔を見せている。

 

あれを見ると、なんだかとても痛々しい気持ちになるんだ。

大人の一人として、こうした子供たちを当たりまえのように

受験なんぞに駆り立てていのかってね。

 

「受験シーズンだよねー」って、

なんだか大人たちがこぞって

年中行事でも楽しんでいるかのようだ。

そもそもこれだけインターネットやAIが発達してきた社会で、

この先、大学に行くことにどれだけの意味があるのか?

 

奨学金という名の学生ローンで

何百万も借金背負った子を卒業させて、

何十年も支払い続けていたら、

そりゃ結婚も子どもも無理だなって思うよね。

少子化対策って、

こういう所をどうにか手当てしなきゃいけなんじゃないの?

 

一昨日のニュースで、昨年(2022)に自殺した

小中高校の児童・生徒は512人で、

過去最多だったことが文部科学省のまとめで分かったって。

 

内訳は小学生が17人(前年比6人増)、

中学生が143人(同5人減)、

高校生が352人(同38人増)。

自殺の理由(複数の場合あり)は

「学業不振」が104人で最も多く、

「進路に関する悩み(入試以外)」が84人、

「入試に関する悩み」が40人。

 

受験システムがすべて悪いわけではないだろうけど、

大人も子供も、

やっぱりいつかどっかで考えなきゃいけない問題。

それはいつ? 今でしょ。

 

川沿いの河津桜が咲いた。

いい学校なんかいかなくても、

「ガンバレ受験生!」って、スポーツ観戦みたいに騒いでる

大人の言うことなんか聞かなくても、

人生、春は来る。

死ぬな、子ども。

 


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チャットGPTはハートフル

 

チャットGPTを使っていて

最後に「どうもありがとう」と打つと、

「お役に立ててうれしいです」とか

「いつでもお気軽にお声がけください。」とか言ってくる。

僕ら自身も日常的に、

それこそ“機械的に”使っている定型文だ。

 

でも、人間が使うと

「はいはい、何の心もこもっていない

お決まりのごあいさつね」と思ってしまうのだが、

このAIが使うと同じような文でも、

なんとなく人格というか、

心があるように感じてしまうから不思議だ。

 

仕事でも遊びでもいいのだが、

アシスタントとか、友だちとして付き合って、

ああでもない、こうでもないとやりとりしていると、

親しみがわいてくる。

 

逆に言えば、それくらい親近感を持って、

感情を込めて使わないと、

自分のために上手く働いてくれない。

 

考えてみたら、別にAI・ロボットに限らず、

車だってバイクだってパソコンだってそうだ。

愛着を持って乗ったり使ったりしていれば、

自然と感情が乗り移って、

ただの機械・ただの道具だったものが

「おれの相棒」「あたしのパートナー」になっていく。

 

よくある「心を持ったAI・ロボットはできるのか?」

という議論は、結局、それを使う人間の側が

機械に自分の心を宿せるか、

こいつには心があると思い込めるかどうか、なのだと思う。

少なくともここ当分の間は。

 

 


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自治体も後援する斎場(火葬場)イベント

 

昨日は杉並区にある「堀之内斎場」で

イベントがあったので取材。

東京23区内に6カ所ある民営火葬場の一つである。

運営会社の東京博善は、10年代後半から毎年この時期、

各斎場(火葬場)持ち回りで

地域住民のためのイベントを開いていたが、

コロナで3年間中断。

昨日は4年ぶりの開催だった。

 

火葬場でイベントって・・・と訝る人もいるだろう。

迷惑施設なのではないか?

しかし、この高齢社会でそんなことは言っていられない。

 

 

今やこのイベントは自治体が後援し、町会も協力している。

だから今回の場合は、

杉並区区内の小学校でチラシが配られ、

家族連れでにぎわっていた。

至って明るく楽しく、和気あいあいである。

 

堀之内斎場は100年超の歴史を持つが、

当然、改築もされていて、建物は明るくおしゃれで美しい。

それに昔の火葬場と違って煙突から

火葬の煙がモクモク・・・ということもなく、

きわめてクリーンである。

 

1階では飲食などのお店が出店したり、

こどもが遊べるスペースが設けられ、

2階の控室では落語、自分史セミナー、

相続相談セミナーなどをやっていた。

 

火葬炉の説明コースもあったが、

さすがにこっちには人が寄って来ない。

僕はほぼ貸し切り状態で、

スタッフのお話を聞かせてもらった。

とても丁寧なガイダンスで感心した。

 

東京は人口が多い。

それだけ死ぬ人も多い。

なので強力な火葬炉で、短時間に火葬するという。

火葬率世界トップの日本の火葬炉の性能は優秀だ。

 

それにしても、こうして自治体が後援して

火葬場で地域イベントが開かれ、

それに反対したり、抵抗感を持つ人もあまりいない

――そんな時代になったことには、

昭和の頃、20世紀の頃から隔世の感がある。

 


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美輪明宏とヨイトマケと太宰治

 

一昨日、「週末の懐メロ」で

美輪明宏の「ヨイトマケの唄」を紹介した。

白状すると、その際にいろいろ調べて

やっと「ヨイトマケ」って何のことだか知った。

じつは僕は一昨日までヨイトマケとは、

何かの種まきのことだと思っていて、

農作業の一種だと思っていたのである。

 

この齢になるまで知らなかったなんて、

お恥ずかしい限りだが、

どんなに遅くても知ってよかった。

まさしく懐メロさまさま・美輪様さまさまである。

 

じつはこのヨイトマケという言葉は、

美輪明宏の歌以外にも有名な文学作品に使われている。

それが太宰治の「斜陽」である。

 

筋肉労働、というのかしら。このような力仕事は、私にとっていまがはじめてではない。私は戦争の時に徴用されて、ヨイトマケまでさせられた。いま畑にはいて出ている地下足袋も、その時、軍のほうから配給になったものである。地下足袋というものを、その時、それこそ生れてはじめてはいてみたのであるが、びっくりするほど、はき心地がよく、それをはいてお庭を歩いてみたら、鳥やけものが、はだしで地べたを歩いている気軽さが、自分にもよくわかったような気がして、とても、胸がうずくほど、うれしかった。戦争中の、たのしい記憶は、たったそれ一つきり。思えば、戦争なんて、つまらないものだった。

 

上流階級のお嬢様だった主人公が、

戦後、没落して肉体労働をしているとき、

ふとヨイトマケのことを思い出し、

ヨイトマケのおかげで体も丈夫になったし、

生活に困ったらヨイトマケをして生きていこう、

と呟くのである。

 

20歳ごろ、三島由紀夫と太宰治を乱読しており、

「斜陽」も読んだ記憶があるが、

そんなことすっかり忘れていた。

 

この出だしの部分の文章は、

たまたまネット上でお目にかかったのだが、

美輪さんの歌を聴いた後、今こうして読んでみると、

この主人公に温かさ・健気さ・可愛さみたいなものを感じる。

 

ヨイトマケとは「よいっと巻け」という

掛け声から来た呼び名。

まだ建設機械が普及していなかった時代、

建築現場で地固めを行う時に、

縄で滑車に吊るした重い槌を、

数人がかりで引っ張り上げて落とす作業、

あるいはその作業を行う日雇い労働者のことを指している。

作業の時の掛け声が「よいっと巻け」で

「ヨイトマケ」というわけ。

昭和の半ばごろまで使われていたようだが、

僕も実際にこんな作業しているところは見たことがない。

 

厳しい肉体労働だったと思うが、皆でやれば大丈夫、

みたいな労働者同士の連帯感的な気持ちもあっただろう。

この主人公の場合は、生きる自信の根っこというか、

精神的な「地固め」にもなっていたようだ。

 

もしかしたら、年がら年中、

アラウンドうつ病だった太宰治自身も

こうしたヨイトマケなどの肉体労働に

憧れを抱いていた部分もあったのではないか、と思う。

 

昔はよかったとは言わないし、

貧しくても幸せだったとも言わない。

辛くて危険な肉体労働を礼賛するつもりはまったくない。

 

ただ、最近のように、精神がおかしくなるほど、

みんなが情報過多で混乱したり、

ネット世界、バーチャル世界に

はまり込んだりするのを見ていると、

いつも何かしら身体を動かして働いていたほうが

いいのではないかと思う時があるのだ。

 

もちろん、スポーツやトレーニングもいいが、

自分の身体を動かすことで

人の役に立つ、社会の役に立つ、

そして金を稼いで生きるのだという

リアルな実感を得ることが、

いくつになっても、どんな時代になっても、

必要なのではないだろうか?

 

豊かな社会になって以降、

肉体労働とか労働者という言葉は、

ネガティブなオーラをまとうことが多くなった。

しかし今後、AIの発達で

確実にホワイトカラーの仕事は減っていき、

肉体労働が人間に残る。

ロボットが活躍できるのはまだもう少し先だろう。

 

「ヨイトマケの唄」や「斜陽」の世界と同様、

肉体労働・労働者というものは、

人間らしさと同義で語られるようになるかもしれない。

 

 

音楽エッセイ

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週末の懐メロ123:ヨイトマケの唄/美輪明宏

 

日本の至宝、昭和の至宝 美輪明宏が

自ら作詞・作曲し、あらゆる世代の日本人に贈る聖歌。

それが「ヨイトマケの唄」である。

 

最初にレコードが出たのは1965年。

マンガなどで「母ちゃんのためならエンヤコーラ」という

セリフが良く出ていたのを覚えている。

そして桑田佳祐をはじめ、たくさんの歌手がこの歌を愛し、

カヴァーしているのも聴いていた。

 

けれども美輪明宏自らが歌うのをまともに聴いたのは、

若い世代と同じく、2012年の紅白歌合戦が初めてだった。

紅白なんていつも酒を飲んでへべれけになって見ているのだが、

真っ黒な衣装に身を包んだ美輪が登場し、

この歌を歌い出した時、思わず背筋がピンと伸びた。

6分間、テレビから目と耳を離すことができなかった。

 

故郷の長崎で原爆に遭遇して以来、

波乱万丈の人生を送り、数々の修羅場をかいくぐりながらも

70になっても80になっても

元祖・ビジュアル系歌手の誇りを失うことなく輝き続ける

美輪明宏の、人間への愛情のすべてが

この1曲に集約されているような気がする。

 

この歌が生まれた経緯は自身で、

また、黒柳徹子との対話で語っている音声が

YouTubeに上がっている。

 

1960年代前半、三島由紀夫が「天上界の美」と称した

絶世の美青年だった美輪明宏(当時は本名・丸山明宏)は、

きらびやかな衣装と化粧でシャンソンを歌っていた。

 

ところが、興行主の手違いで

福岡・筑豊の劇場でコンサートを行うことに。

客は普段シャンソンを聴きに来る人たちとは

全く違う炭鉱労働者たち。

 

そんな人たちが自分の歌を聴こうと

客席を埋め尽くしたことに美輪は感動したが、

内心、自分のレパートリーには、

この人たちのために歌える歌がないとすまなく思ったという。

そして、外国には労働者の唄があるのに、

日本にはなぜないのか?という疑問も抱いた。

 

「ヨイトマケ」とは「ヨイっと巻け」。

まだ現在あるような建設機械が普及していなかった時代、

地固めをするとき、重たい岩を縄で滑車に吊るした槌を、

数人掛かりで引張り上げて落とすという作業をしていた。

滑車の綱を引っ張るときの「ヨイっと巻け」のかけ声が

語源となっている。

この仕事は主に日雇い労働者が動員されていたらしい。

 

「ヨイトマケの唄」は、そうした戦後復興期の物語であり、

まさしく現代の日本の豊かな社会の

「地固め」をしていた時代の唄だ。

炭鉱をはじめ、新幹線を走らせるために

山にトンネルを掘り、川に橋をかけ、

街に高速道路や高層ビルを建てるために

たくさんの名もなき労働者が働いていた。

そうしたあちこちの工事現場では不幸な事故で

命を落とした人も少なくない。

 

普段は意識などしないけど、

インフラの整った僕たちの社会生活は

そうした犠牲の上で成り立っている。

 

この歌を彼が初めてテレビで歌った時、

「これはおれたちの歌だ」と、彼の元に7万通の

感謝の手紙が送られてきたという。

 

しかし、その一方で、

高度経済成長の波に乗り始めていた日本人は、

少しでも早く貧しい時代の記憶を忘れようとしていた。

貧しい者、卑しき者、美しくない者は

目にしたくない、耳にしたくないと思っていた。

この歌の歌詞の「土方」でさえも差別用語であるとして、

以後、長い間、この歌は歌われなかった。

 

77歳で紅白に初出場した時、若い世代は、

あの「美輪ちゃま」が

どんなゴージャスな衣装で登場するのか

大いに期待していたらしいが、

この黒ずくめのスタイルを見て驚愕、

そしてこの歌をフルコーラスで聴いて慄然とした。

 

カメラは一切寄ることはない。

まるで舞台劇を見ているかのような、

魂を揺さぶるパフォーマンス。

昭和の時代は、圧倒的なリアリティで

人々を感動させた歌は、半世紀後、

”を描き切った、聖なる物語に達していた。

 

最後、闇に溶けていく中で

「子どものためならエンヤコーラ」と絞り出す声には

何度聴いても涙が抑えられない。

 

美輪さんがまだ元気で表現活動をされていてよかった。

令和の時代になっても、いや、令和になったからこそ、

日本人にはまだ美輪さんの存在が必要なのだ。

 

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AIとの対話「この期に及んで、なぜ人間はネッシーは実在すると考えたがるのか?」についての考察

 

会話型AI「ChatGRT」をアシスタント兼

飲み友達にしようと、いろいろ対話を試みている。

以下、この間やったネッシー(湖に住む謎の巨大生物)を

めぐるQ&A。

AIの回答は生成されて出てきた

そのままの文を載せています。

 

ぼく:ネス湖のネッシーをはじめ、

世界各地の湖にいるとされてきた伝説の巨大生物は

皆インチキで、

写真も動画も偽物だと科学的に証明されています。

それなのになぜ人間は、

いまだに巨大生物はいると考えたがるのでしょうか?

 

AI:人間が伝説の巨大生物の存在を信じる理由は複数あります。

まず、人間は常に未知のものに興味を持ちます。 

特に巨大生物という存在は、

私たちが知る現代の自然界には見られないものであり、

その存在に想像力がかきたてられます。

伝説の巨大生物が存在すると信じる事で、

自分たちのダイエットを恐れかす未知のものに対する

恐怖を感じ、それを乗り越えようとする

勇気をもつことができるという

心理的な安心感があるとされています。

 

また、科学的に未解決のことがあると、

人間は自然に応じて答えを求めたものです。

様々に関する証言や報告があることから、

多くの人が巨大生物が実在する可能性について興味を持ち、

それについて検討したり、研究したりすることになります。

 

さらに、巨大生物の存在については世界中に

伝承や文化があり、

人々の信仰や信念にも関係している可能性があります。

背景があるため、人々が巨大生物の存在について

考えるきっかけとなっていることもあるでしょう。

 

このように、伝説の巨大生物に対する人間の関心は、

興味やリスク、恐怖感、科学的リスク、信仰や文化、

歴史的・文化的な背景など、

様々な要因が影響していると考えられます。

 

アメリカ生まれのせいか、

日本語の怪しいところがあるAIくん。

「自分たちのダイエットを恐れかす

未知のものに対する恐怖を感じ、」

という謎のフレーズは

「自分たちの“存在を脅かす”未知のものに・・・」かな?

 

それにしてもなんでダイエット?と思って調べてみたら、

「ダイエット」には一般的な食事関連の意味とは

もう一つ別の意味があり、

「教会職員の審議会や国会の会合のことをdietという」

らしい。知らんかった!

そうした人間社会における、

権威ある審議会や会合が転化して、

既存の人間の思考・常識・制度という意味になり、

そうしたものを脅かす未知の存在

——ということになるのだろうか?

 

いやいや、人間の思考停止を促すどころか、

もっと深く、めんどくさく考えるように

仕向けてくれるAI、素晴らしいじゃないか。

 

この後の「それ(未知のものに対する恐怖)を

乗り越えようとする勇気をもつことができるという

心理的な安心感があるとされています。」

というのも変な日本語だが、何かの誤訳なのか?

 

でも、未知のものに対する恐怖を乗り越えることで

勇気を得て、それによって「心理的安心を得る」なんて、

なかなか奥行きのある哲学的表現だ。

なんかハリウッド映画の定理っぽく、

人間礼賛になっていて、

一種のヒューマニズムに溢れている。

 

人間の仕事を奪うのではないかと恐れられているAIだが、

単なる便利な道具として使うのでなく、

いろんな質問を考えて、半ば遊び相手にすれば、

面白いパートナーになるのではないかという気がする。

 

いずれにしても、こんなどうでもいいような質問に、

大真面目に、誠実に答えてくれるAIには

感動と親近感を覚える。

これから週1くらいでAIとの対話を載せていきます。

 

 

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オールド世代もヤングな世代も

楽しい懐メロ話で精神の栄養補給を。

 

曲やアーティストを解説する、

あるいはロック史・音楽史を研究するといった

大それたものでは全然ありません。

懐かしさと個人的な思い出に

駆られて書いたエッセイです。

タイムマシンに乗ってはるかな時間を遡ると、

ノスタルジーだけでなく、新しい発見があったり、

改めて感動してみたり、泣いたり笑ったり、

リアライズやサプライズもいっぱい。

僕と同じ昭和世代・20世紀世代にはもちろん、

21世紀を生きる若い世代のお宝発掘のための

ガイドブックとしてもお楽しみください。

文章を読んで興味を持ったら、

ぜひお聴きになって&ご覧になってください。

良い音楽、好きな音楽をあなたの心の友に。

第1巻として♯1~♯28を収録。

 

もくじ

1 5年間/デビッド・ボウイ 【1972】

2 愛にさよならを /カーペンターズ 【1973】

3 ドント・レット・ミー・ダウン/ザ・ビートルズ 【1968】

4 嘆きの天使/ケイト・ブッシュ 【1978】

5 ソー・ロンリー/ザ・ポリス 【1978】

6 スワロウテイル ~あいのうた~ /イェンタウン・バンド 【1996】

7 青春の影/財津和夫(チューリップ) 【1974】

8 ボール&チェーン/ジャニス・ジョプリン 【1967】

9 ハッピークリスマス/ジョン・レノン&ヨーコ・オノ 【1971】

10 翼をください/山本潤子(赤い鳥) 【1971】

11 スキャットマンズ・ワールド/スキャットマン・ジョン 【1995】

12 クレア/フェアーグランド・アトラクション 【1988】

13 デジャ・メイク・ハー/レッド・ツェッペリン 【1973】

14 タイムマシンにおねがい/サディスティック・ミカバンド 【1974】

15 キエフの大門/エマーソン・レイク&パーマー 【1972】

16 少女/五輪真弓 【1972】

17 ジュニアズ・ファーム/ ポール・マッカートニー&ウイングス 【1974】

18 トムズ・ダイナー/スザンヌ・ヴェガ 【1984】

19 マーチ・オブ・ザ・ブラッククイーン/クイーン 【1973】

20 なごり雪/イルカ 【1975】

21 忘れじのグローリア/ミッシェル・ポルナレフ 【1973】

22 夢見るシャンソン人形/フランス・ギャル 【1965】

23 同志/イエス 【1972】

24 悲しき鉄道員/ショッキング・ブルー 【1970】

25 タワー/エンジェル 【1975】

26 ロッホ・セヌ―/ランパ 【1990】

27 レディ・ラック/ロッド・スチュワート 【1995】

28 残酷な天使のテーゼ/高橋洋子 【1995】

 


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ぜひお聴きになって&ご覧になってください。

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もくじ

1 5年間/デビッド・ボウイ 【1972】

2 愛にさよならを /カーペンターズ 【1973】

3 ドント・レット・ミー・ダウン/ザ・ビートルズ 【1968】

4 嘆きの天使/ケイト・ブッシュ 【1978】

5 ソー・ロンリー/ザ・ポリス 【1978】

6 スワロウテイル ~あいのうた~ /イェンタウン・バンド 【1996】

7 青春の影/財津和夫(チューリップ) 【1974】

8 ボール&チェーン/ジャニス・ジョプリン 【1967】

9 ハッピークリスマス/ジョン・レノン&ヨーコ・オノ 【1971】

10 翼をください/山本潤子(赤い鳥) 【1971】

11 スキャットマンズ・ワールド/スキャットマン・ジョン 【1995】

12 クレア/フェアーグランド・アトラクション 【1988】

13 デジャ・メイク・ハー/レッド・ツェッペリン 【1973】

14 タイムマシンにおねがい/サディスティック・ミカバンド 【1974】

15 キエフの大門/エマーソン・レイク&パーマー 【1972】

16 少女/五輪真弓 【1972】

17 ジュニアズ・ファーム/ ポール・マッカートニー&ウイングス 【1974】

18 トムズ・ダイナー/スザンヌ・ヴェガ 【1984】

19 マーチ・オブ・ザ・ブラッククイーン/クイーン 【1973】

20 なごり雪/イルカ 【1975】

21 忘れじのグローリア/ミッシェル・ポルナレフ 【1973】

22 夢見るシャンソン人形/フランス・ギャル 【1965】

23 同志/イエス 【1972】

24 悲しき鉄道員/ショッキング・ブルー 【1970】

25 タワー/エンジェル 【1975】

26 ロッホ・セヌ―/ランパ 【1990】

27 レディ・ラック/ロッド・スチュワート 【1995】

28 残酷な天使のテーゼ/高橋洋子 【1995】

 


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書籍『リモートワークの最前線』 リモートワークで海外進出!

 

執筆協力させていただいたビジネス書が完成。

出版元から見本が届きました。

とても読みやすく仕上がっています。

本日20日から全国の書店で発売。

amazonでもご注文できます。

 

日本の経済産業状況について、

経営者にとっての労働力の問題について、

労働者にとっての労働環境の問題について、

リモートワークについて、

そして海外進出について、

いまどうなっているのかわかる、お得な本です。

 

海外進出と言えば、法務・労務・税務の手続きやルール体系が日本と異なることから臆する企業も多いかもしれません。

 

そんななか、海外雇用代行

(EOR。Employer of Record = 記録上の雇用主)

と呼ばれる仕組みにより、海外に拠点を置いて、

リモートワーク中心に業務を進めることで

成長していく秘訣を解き明かします。

 

本書は、事例としてGoGlobal、NRIアメリカ、

メロディインターナショナル、Paidyの4社を採り上げ、

具体的に海外とのリモートワークの仕組みや

工夫について紹介する実践的な内容となっています。

 

ぜひ、お手元でご覧ください。

 


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週末の懐メロ122:ファーストカー/トレイシー・チャップマン

 

とてもシンプルでありながら、

あまりにも切なく美しいメロデイライン。

初めて聴いた時は本当に鮮烈だった。

1988年のヒット曲だが、

どこか1970年代の日本のフォークソングを彷彿とさせた。

 

正直、最初、歌だけ聴いたので

トレイシー・チャップマンが黒人女性だとは思わなかった。

 

黒人歌手はみんな歌い方がブルースっぽかったり、

ソウルフルだったり、ファンキーだったり、

ダンスフルだったりする。

そんな思い込みというか、偏見があった。

そして僕が知っている限り、ギター1本で歌う

プロの黒人シンガーソングライターは

1988年まで存在しなかった。

そういう意味で、トレイシー・チャップマンは

今でも特別なミュージシャンである。

 

しかし、この曲の内容はまさしくブルース。

アメリカ社会の底辺で働く、黒人女性の労働者の歌だ。

厳しくリアルなストーリーを歌っているのだが、

なぜか一編の寓話を語っているようにも聴こえる。

そして自然と浮かび上がる映画のようなシーン、

ストーリーは、ひどく胸に迫ってくる。

 

主人公の女は学校を辞めて、

スーパーやコンビニのレジ打ちをしながら、

貧困の中で飲んだくれの父親を支えている。

母親は、もうこんな生活は嫌だと言って

出て行ってしまったからだ。

 

そんな境遇の彼女が車を持っている男と出逢う。

高速道路を走ったらバラバラになってしまいそうなほどの

ポンコツだが、彼と一緒にドライブした彼女は狂喜する。

まるで空を飛ぶほどのスピードで走っているような

錯覚にとらわれる。

笑って運転する彼と一緒にいると、

それまでのみじめな自分を忘れることができる。

そう呟くのだ。

 

二人は一緒に暮らし始める。

いつかこの町の、この貧しい暮らしから

抜け出せることを夢見て。

 

子どもも生まれた。

幸せになりたいのだが、

いつの間にか彼は彼女の父親と同じように

無職の飲んだくれになっていってしまう。

 

けれども彼女はまだ夢を捨てていない。

貧しい生活の中で彼女は一縷の望みを抱えて

彼に問い続けるのだ。

ここで死ぬか、今夜飛び立つか・・・

あなたのあの速い車で。

 

 

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ブログ「DAIHON屋のネタ帳」で2020年10月から毎週連載している「週末の懐メロ」を本にしました.


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女でなくなる恐怖

 

カミさんが週イチで行っている健康センターで

更年期障害に対処する講演会&ワークショップを行う。

定員はあっという間にいっぱいになったそうだ。

 

近年、女性は「更年期」という言葉に敏感で、

その裏には「女でなくなる恐怖」

「女の時代が終わる恐怖」といったものが

まとわりつくらしい。

 

情報化社会。

情報で人を動かすには恐怖や不安を与えるのが、

いちばん手っ取り早い。

なのでテレビでも雑誌でもネットでも、

恐怖心・不安感をあおる情報が氾濫することになる。

 

更年期になると大変だ、病気になりやすくなるよ、

気分がおかしくなるよ、みたいな声に加え、

「女でなくなったアタシに価値があるのかしら?」とか

「これからどう生きれていけばいいの?」

という恐怖もある。

確かに子供を生めなくなるのは大ごとだが、

大げさな情報のせいで

精神疾患の人も増えてしまう。

 

女性は子供の時も

女になる恐怖、女が始まる恐怖に晒される。

恐怖は言い過ぎかもしれないが、

あんまりハッピーな気分になったという話は聞かない。

その点、男はいつまでもノー天気で、ガキでいられる。

いいことなのか、悪いことなのか。

男女不平等。

 

いずれにしても情報が豊富にあるのは

いいことばかりじゃない。

「知らぬが仏」という言葉を思い出し、

ある程度は見ざる・聞かざるにしとくのも

健康を保ち、自分を見失わず、

人生を快適に生きる知恵ではないだろうかと思う。

 

梅が咲き、河津桜も咲いた。

春はもうすぐだ。

毎日おかしな情報ばっかり頭に詰め込まず、

たまには外で花でも見てぼーっとした方が良い。

 


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書籍『リモートワークの最前線』発売! リモートワークで海外進出!

 

執筆協力させていただいたビジネス書が完成。

20日から書店で発売。amazonでもご注文できます。

 

日本の経済産業状況について、

経営者にとっての労働力の問題について、

労働者にとっての労働環境の問題について、

リモートワークについて、

そして海外進出について、

いまどうなっているのかわかる、お得な本です。

 

海外進出と言えば、法務・労務・税務の手続きやルール体系が日本と異なることから臆する企業も多いかもしれません。

 

そんななか、海外雇用代行 (EOR。Employer of Record = 記録上の雇用主) と呼ばれる仕組みにより、海外に拠点を置いて、リモートワーク中心に業務を進めることで成長していく秘訣を解き明かします。

 

本書は、事例としてGoGlobal、NRIアメリカ、メロディインターナショナル、Paidyの4社を採り上げ、具体的に海外とのリモートワークの仕組みや工夫について紹介する実践的な内容となっています。

 

ぜひ、お手元でご覧ください。

 


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オープンAI「ChatGPT」まずは落第

 

話題のオープンAI「ChatGPT」を使ってみた。

今日はバレンタインデーなので、その話題について。

 

ぼく:バレンタインデーの由来を教えて。

AI:バレンタインデーの起源はキリスト教の宗教的な祭りにまで対処しますが、現代における恋人同士の祝い方は、14世紀の中世ヨーロッパまでさかのぼります。 その後、19世紀には、バレンタインデーのカード交換が広大、20世紀には、商業的な祝日として世界中で広く認知されるようになりました。

 

ぼく:なんで日本ではチョコレートを贈るの?

AI:日本でバレンタインデーにチョコレートを贈る習慣は、1950年代に菓子メーカーが広告展開を行ったことが始まりとされています。同士での贈り物や、逆に男性が女性にお返しを贈る「ホワイトデー」も生まれ、現在では様々な形で祝われています。

 

ぼく:イギリスでは新聞などに男性から女性へのメッセージが載っていますね?

AI:はい、イギリスではバレンタインデーになると、新聞や雑誌などに「バレンタインメッセージ」と呼ばれる、男性から女性へのメッセージが掲載されることがあります。また、最近では、インターネットやソーシャルメディアでも同様のサービスが提供されていることもあります。

 

ここまではウィキ風の一般常識と僕自身が知っていること。

文章も一部を除いてちゃんとしていて、

まあ合格点だが、問題はこのあと。

 

ぼく:他の国ではバレンタインデーにどんなことをするの?

AI:世界各国でバレンタインデーは祝われていますが、

祝い方は国や地域によって異なります。 

例えば、以下にいくつかの例を挙げます。

フランス:「愛の鍵」と呼ばれる鍵を贈り合う習慣があります。

韓国:2月14日に女性が男性にチョコレートを贈る「チョコレートデー」、そして、3月14日に男性が女性にお返しをする「ホワイトデー」があります。

メキシコ:バレンタインデーには、「ダイアの日」と呼ばれる習慣があり、恋人同士がお互いにダイヤモンドを贈り合います。

南アフリカ:バレンタインデーは、人々がカードや贈り物を交換するだけでなく、恋人同士がそのまま木の枝を剪定し、その枝に装飾品を飾り付ける「ラブロックス」と呼ばれる習慣があります。

他にも、世界中に様々な独自のバレンタインデーの習慣があります。

 

愛の鍵?

ダイヤモンドを贈り合う?

木の枝を剪定し、その枝に装飾品を飾り付ける?

 

一瞬信じてしまいそうになったが、

何かおかしいと思って調べてみたら、

このへんは全部間違っている。

 

いちいち説明すると長くなるのでしないが、

パリの「愛の南京鍵」で橋が崩壊した事件は

バレンタインデーとは関係ないし、

メキシコでダイヤを贈り合うなんて、

よほどの金持ちじゃなきゃできるわけない。

 

ぼく:どうもありがとう。あなたのことをブログやSNSで紹介しておきますよ。

AI:どうもありがとうございます。 お力になって嬉しいです。 何か他にも質問やお困りごとがあればいつでも聞いてください。

 

お礼にはちゃんとお行儀よく返してくれるので、

いいやつ風だけど、妙に自信たっぷりなところが怖い。

続いて、先日書いたイヌに関する会話。

 

ぼく:いま、日本ではどんなイヌがたくさん飼われていますか?

AI:日本で最も一般的に飼われている犬種は、トイプードル、シーズー、チワワ、ダックスフンド、柴犬などです。ただし、最近はミックス犬や外国産の犬種も人気があります。

 

ぼく:ジャックラッセルテリアの人気はどうですか?

AI:ジャックラッセルテリアは、日本でも一定の人気がありますが、一般的には比較的少数派の犬種の一つです。また、ジャックラッセルテリアをモデルにしたキャラクターなども人気があるため、それが犬種自体にも影響しているかもしれません

ぼく:ダックスフンドは以前より人気が下がったみたいだけど、なぜ?

AI:確かに、日本では過去に比べてダックスファンドの人気は明らかになっています。その理由としては、以下のようなものが挙げられます。

・年齢層の変化:ダックスフンドは、昔は高齢者を中心に語られていましたが、今では若い世代にはあまり必要がないという飼う傾向があります。

・健康問題:ダックスフンドは、背が長く足が短い体型のため脊椎疾患にかかりやすい傾向があります。このことが、飼い主たちの健康面や医療費の問題につながっているとも言われています。

・環境変化:都市部では、小型犬よりも中・大型犬が飼いやすいという環境変化があったことも、ダックスファンドの人気低下につながっているかもしれません。

ただし、全国的に見れば、まだまだダックスフンドは人気のある犬種の一つです。

 

こちらも一見もっともらしいことは言っている。

ダックスフンドの健康問題については正しいと思うが、

都市部では、小型犬よりも中・大型犬が飼いやすいって・・

そんなことはないだろ。

 

ついでにもう一題、僕の電子書籍の名を出して、これの作者は?と聞いてみたところ、筒井康隆とか森見登美彦だと答えた(笑)。マイナーな情報については0点だ。

 

本日のところの結論。

回答は確かに速く、ほどほどにまとまった文章で出てくるが、中身の精度は???

・・ってか、かなりめちゃくちゃ。

なのでいちいち確認する必要があるので、

結局、自分で調べるのと変わらない。

 

聞いてみたらすぐに回答が出てくるのと、

自信たっぷり、私は常に正しい情報を提供します、

みたいな口ぶりなので、

うっかり信じてしまう人も多いだろう。

 

しかしそのまま文章をコピペして、ホイホイ仕事に使ったり、ネットに上げたら大恥かくし、

トンデモ情報が氾濫して大迷惑になるので、

ちゃんと自分の目と耳で調べましょう。

 

というわけで、お遊びにはいいが、

仕事や勉強をお任せするにはまだまだの「ChatGPT」。

でもたぶん、聞き方が問題なのだと思う。

上手く育てて、上手く使いこなせるようになれば

けっこう使いでがあるのではないかと感じた。

いよいよAIの時代。ともに成長しよう。

 


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認知症への理解を深めるイベントと、蛭子能収さんの話、 そして「with弱者」の社会の実現について

 

昨日(2月12日)、

認知症への理解を深めてもらおうというイベントが

東京・世田谷区で開かれた。

そこで認知症を公表した漫画家の蛭子能収さんが

「仕事を続けているのが自分らしさだ」と

みずからの体験を語った。

 

この催しは、世田谷区が認知症に対して

深い関心を持てる地域の実現を目指そうと開いたもの。

そのなかのトークショーに

3年前に認知症を公表した漫画家の

蛭子能収さんが登壇した。

 

蛭子さんは直近のことを覚えられないといった

症状がありながら、

家族や周囲の支えを受けて仕事を続けている。

その成果とも言えるエッセイ

「おぼえていても、いなくても」は、

めっちゃ面白い本である。

 

また、その内容とは別に、

どうやって家族や周囲がサポートしているのか、

とても興味深い本になっている。

 

蛭子さんは今回の講演で生きがいについて聞かれると

「何か得意なことを見つけることが大切です。

私は認知症になってもイラストの仕事もテレビの仕事も

受けているのが自分らしさで、ずっと生きてやるぞ、

という思いでいます」と話したという。

 

認知症の症状は人それぞれだし、蛭子さんは有名人なので、

「皆さんも彼のようにポジティブに行きましょう」とは

一概には言えない。

それでも希望を与えてくれることは確かだ。

とは言え、

本人と家族だけがどれだけ頑張ったって限界がある。

そのためには社会の理解がぜひ必要になってくるのだ。

 

うちの義母はべつに公表はしていないし、

親しい人やケアしてくれる人以外に

「認知症なので・・・」と、わざわざ説明しないが、

これだけ認知症というものが一般的に認知されてくると、

わかる人にはそれとわかるようだ。

明るく振舞っているせいもあり、

べつにそれであからさまに蔑視されるようなことはない。

 

それどころか「じつは認知症で・・・」と、

こっそり打ち明けたりすると、

「あ~、やっぱりぃ。うちの親もそうなんですよぉ~」

とか言って笑う人もいる。

 

少なくとも、かつて「ボケ」とか「痴呆症」とか

呼ばれていた頃の

ネガティブなイメージは確実に弱まっていると感じる。

困ったことになるのは変わりないが、

かと言って、この世の終わり、人生終わり、

みたいな絶望感は抱く必要はないのでは、と思う。

 

「withナンチャラ」とは最近、よく聞く言葉だが、

近々、「with認知症」の時代になる可能性は高い。

認知症なんかになったら

すべてを諦めなければならなかった昭和の頃と比べて、

今はこうした病気や障がいを持った社会的弱者も

共に楽しく生きられる可能性が出てきている。

 

貧しかった時代は、生産性のない人たち、

もっと言ってしまうと社会の役に立たない人たちは、

打ち捨てられるしかなかった。

けれども今はそうではないのだ。

そうした人たちの価値も認めていっしょに生きる――

それが豊かな社会、先進国家の証である。

 

社会の進化、豊かな社会とは、

大勢の人が金持ちになって贅沢するために

実現したのではなく、

このために成し遂げられたものなのだ。

 

いつもSNSなどで一生懸命になって、

自分のサクセスストーリーを自慢している人、

私は年収○千万です、

○億円ですとか発信している人たちは、

ぜひこうした方面に目を向けて、

「with弱者」の社会の実現に努めてほしい。

 

おりべまこと電子書籍:

認知症介護エッセイ

「認知症のおかあさんといっしょ」

https://www.amazon.co.jp/dp/B0BR8B8NXF

できれば笑って楽しく向き合いたい。家族でも自分でも、認知症を過度に恐れ、人生に受け入れ難いと言う、すべての人に読んでほしい本です。

 


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