小学校での朗読当番がやって来た。いつものように青いランドセルを背負って登校。今回のお相手は2年生の2クラス。前回からおよそ1ヶ月半ぶりの再会だが、2年生が板についてきたな、という感じ。朗読を聴く姿勢もしっかりしてきた印象がある。
今回の絵本は日本むかしばなし「かにむかし」。そんな話あったっけ?と思われるかも知れないが、要するにおなじみの「さるかに合戦」です。
ただ、この木下順二(「夕鶴」や「子午線の祀り」などで有名な劇作家)のバージョンでは、おにぎりと柿の種のとりかえっこがない。
カニが浜辺で柿の種を拾うところからお話が始まるのである。
そして、題名からも分かるとおり、完全にカニに焦点が当たっており、サルは脇役(やられ役)に徹していて影が薄いのだ。
考えてみれば、サルカニ合戦というのは、かなり変な話である。
人間に次ぐ高等生物であるサルのライバルとしては、どうしたってカニでは役者として下っ端すぎる。
イヌやウサギやキツネなどの哺乳類たち、あるいはタカ、ハト、カラスなどの鳥、ヘビ、カメ、トカゲといった爬虫類と比較して、力も知恵も互角どころか、ほとんど次元が違うほどの差があるではないか。
カニクイザルなんて種類のサルもいるくらいだから、カニはサルの餌……それも虫とか木の実みたいにつまみ食いされる類いの生き物と言っていいだろう。
そして、その差の通り、体力も知力も圧倒的に劣るカニは、サルにいとも簡単に(柿の実一発で)やられてしまう。ところが問題はそのあと。やられたカニの数百とも数えられる小さな子どもたちが、これまた普段は取るに足らない生活の道具とか、小さな虫とか、食べ物とか、おまけにウンコとかまでも従えて、なんとか力を互角レベルまで引き上げて、やがてはサルに打ち勝つのだ。
これはもしかしたら、凡百の民衆でも何世代にも渡って頑張り続ければ、強大な武将にも勝てる・・・といったメッセージを含んでいるだろうか?
これだけでなく、日本むかしばなしにはいろいろウラがありそうで、深読み・斜め読みをする価値がある。聞いている子どもたちも、何かそういうお話の奥にある「潜在的な何か」を感じることがあるのかなぁ。
とは言え、この「かにむかし」、木下順二節とも言える独特のリズムの語り口や、カニや家来たちがカチャガチャ、コロコロ、ゴロンゴロンと音を立てて行進していく様子など、いろんな擬音もあちこちに散りばめられていて、子どもたちはいっぱい笑ってくれました。
まずはしっかり面白がってもらうこと。これが肝心。
2011・6・30 THU
うちの小僧くんは運動会運がまったくない。どういうことかと言うと、小学校入学以来8年間、一度も勝ち組に入ったことがないのだ。
昨日14日(火)は中学最後の運動会(当初は先週土曜開催予定だったが雨のために順延した)。9回目の正直なるか!?と挑んだのだが、彼の所属する青組はTOPと僅差ではあったものの、結局最下位に沈んだ。ついに義務教育9年間全敗の記録を確立したのだ。
中学は学年4クラスの対抗戦で優勝確率は4分の1。小学校のときは紅白対抗だったので2分の1だった。これに9年間全敗するというのはどのくらいの確率になるのだろうか? おみくじの「凶」が出る確率ぐらいになるのだろうか?
それにしても残念無念。親バカの僕は小僧くんたちの組の優勝を祈願して、保護者競技の綱引きに参加。見事勝利(3本勝負で2連勝!)したのだが……。おかげで今日は脇腹と腰がちょっと痛いのだ。
でも、メイン競技の一つである大ムカデ競争では青組が一番だったよ! チーム競技で勝つ感動はまた格別。みんなで喜び合う姿は見ていてジーンときた。勝っても負けても、やっぱり運動会っていいものだ。
●バス停のお見送り犬
「クゥーン、クゥーン」と、朝のバス停に“お見送り犬”の切ない鳴き声が響く。そのたびに僕は初恋をした少年のようにキュッと胸を締めつけられる。
うちの小僧くんはバス通学をしているので時々見送りにいくのだが、たいていいつもベージュ色のプードルちゃんが同じバスに乗って出発する飼い主の娘さん(高校生)を見送っている。
窓から手を振る娘さんを、お母さんにだっこされたプードルちゃんはドラマチックに涙して別れを惜しむ。ブォーンと音を立ててターミナルからバスが出発し、その後姿が小さくなっていく。
やっと鳴くのをやめ、それでも見えなくなるまでじーっと見送り続ける。
そして、お母さんに地面に下ろされ、やっと納得したように家路に向かう。
娘さんとは夜になればまた会えるはずなのだが、犬の寿命は人間のおよそ5~6分の1程度。会えない時間は犬にしてみれば一週間近くに相当するのかも知れない。
プードルは犬の中でも抜群に頭がいいとされている。
もともと狩猟犬なので、自立して行動する力が優れている。
獲物を取るために自分で行動をコントロールできるのだ、
そうした自立心と人間の主人に対する忠義心とのバランスがとてもよいのだという。
それが最近、とみに人気が高い秘密なのかも知れない。
ちなみに農林水産者が認定している法人組織ジャパンケンネルクラブに登録されている犬種(=実質的に日本で飼われている犬種)の人気ベスト3は、2010年2月の時点で、1位プードル、2位チワワ、3位ダックスフンド。
確か2年ほど前まではダックスが1位、プードルが3位だったので、人気が逆転したようだ。
僕は個人的にはダックスフンドが好きだ。あの胴長短足体系でチョコチョコ歩く姿は本当に可愛い。
ただ、あの体系ゆえ、腰などを悪くして健康障害に陥るパターンが多く、それがやや飼いにくい一因にもなっているらしい。
●ダックス×アナグマ
ダックスフンドと言えばアナグマである。何のことかと言うと、ダックスフンドはもともとアナグマ狩り用として開発された狩猟犬なのである。
昨日、テレビでたまたまアナグマが出ていたので、そのことについて小僧くんと話し合った。アナグマはその名の通り、地面に穴を掘って暮らす動物だ。ヨーロッパではそのモグラ攻撃で、農家の畑の作物を荒しまくり、しかもけっこう獰猛なので、とんでもない厄介者扱いされていた。
しかし、退治するためには奴らが潜り込む狭い穴に入らねばならないが……ということで研究開発されたのが、狭くて深い穴にも入っていける犬・ダックスフンドだったわけだ。あの可愛い胴長短足体型は、狭い地下の穴の中で、獰猛なアナグマと血みどろの戦闘をするために肉体改造されたものなのである。
●犬をめぐる不思議と人間の認識能力
この「アナグマの穴に入っていける犬を作っちゃえ!」という人間の発想、および、研究開発力って、よく考えたらものすごい。
いったい犬の交配の技術というのは、どのように編み出され、発展してきたのだろう? ちょっとだけ調べようとしたことがあるのだが、一般の書籍でもインターネットでも、そうした交配技術に関して書かれたものにはまだお目にかかっていない。
これは何か専門書とか、秘伝の書みたいなものがあるのだろうか?
ブリーダーになる人はそうした交配の歴史なども専門知識として学ぶのだろうか?
さらに考えていくと摩訶不思議なのが、僕たち人間の犬に対する認識だ。他の動物、身近なところで、たとえばネコなどは異なる種類でも、せいぜい大きさ・体毛や尻尾の長さなどが違うだけで、そんなに外見上の変わりはない。ところが、犬のバリエーションはとんでもなく幅広い。
いったい僕たちはどうして、プードルもチワワもダックスフンドも、ラブラドールレトリバーもブルドッグも秋田犬もセントバーナードも、みんな同じ“犬”であると認識できているのだろう?
どうしてキツネやタヌキやオオカミは、仲間ではあるけれども犬とは別の生き物だと分かっているのだろう?
いったい犬を犬たらしめているものは何なのだろう? みんな、もともとはオオカミなんですよ、と言われて納得できるだろうか?
こんなに身近にいるのに、いや、身近だからこそ、犬はミステリアスな存在である。
複雑怪奇な人間という生き物と同じ社会の中で長い間付き合っているので、彼らも複雑怪奇になってしまったのか?
単に可愛いとか役に立つだけではない。いまや犬の存在は、宇宙のように広くて深いものになっている。
2011・6・3 MON
今回は食育について家庭内の会話です。
小僧(息子): またハムカツの話?どんだけハムカツ好きなんだよ~!
僕: おれはもともとハムカツ大好き。ロンドン行ってますます好きになった。
が、母は中学の修学旅行に行ってハムが嫌いになった。
息子: あ、知ってる、その話。毎年一ぺんかニへんは聞かされている。
もう40年くらい前の話だよね。
僕: そうだ。もう40年もトラウマとして持ち続けている。
おれなんか結婚する前からその話を繰り返し聞かされ続けているんだ。
妻(母): だって……。
僕: ここで読者のために解説する。
わが妻は中学の修学旅行で奈良京都へ行ったが、
その旅館のメシのおかずがハムだったのだそうだ。
朝飯にハム、それもペラペラの半分乾燥したヤツ。
夕飯はその同じハムを揚げたハムカツ。
息子: ショボ~。
ボクなんて新潟・南魚沼でコシヒカリのごはんに、いろんなおかず満載。
最後の日なんてお赤飯出たもんね。これがまた美味かった!
(※詳しくは当ブログ過去記事「お米と田んぼとお母ちゃんのニッポン!」参照)
妻(母): いいなぁ、今の子どもは、。
40年前は「子どもなんてハムでも食わしときゃ喜ぶだろう」
って感覚だったからね。
大勢いたからひとりひとりのことなんてどうでもよかったのよ。
今のイヌネコより粗末に扱われてたと思うよ、昔の子どもは。
僕: まさしく。われわれの親世代は戦後の食糧難を経験しているから、
子どもに対しては「食えるだけでも有り難く思え」ってのが根本姿勢だったからな。
ちょっとでもワガママ言おうものならこっぴどく叱られた。
おれは偏食大魔王の子どもだったから、給食の時間は地獄の苦しみだった。
それに引き換え、今の子は確かに恵まれているね。
妻(母): アレルギーのこととかあるから無理に食べさせられることもないしね。
僕: うちの小僧君は幸い何でもだいじょうぶだからいいね。
妻(母): 離乳食を早くあげすぎたり、急いで進め過ぎると、トラブルが多くなるらしい。
出来るだけ遅く始めて、ゆっくり進めるのがいいみたい。
今は仕事に早く復帰したいお母さんにはそれが難しいみたいだけど。
僕: でも、あとあとのことを考えると少しの間、辛抱して「スロー離乳食」にした方が、
親子ともにHAPPYになる確率が高いよね。
それからオチビのうちは出来るだけレトルトや冷凍食品を避ける。
さらにテレビを観ながら食事しない。
やっぱこれをやると神経が分散されてしまって味覚が発達しなくなる。
妻(母): 赤ちゃんから食育?
僕: そうだな。オチビの時ほど 食育が大事。
妻(母): そうするとこういうグルメな子どもになるってことね?
息子: ボク、ハムの呪いがかからなくてよかった。コシヒカリのスシ食いてぇ~。
僕: 来年の誕生日にな。
と、語らいつつハムカツで夕食を食べる我が家でした。
2111・6・8 WED
●「イギリスの食い物はまずい」という常識に物申す
ハムカツはロンドン名物?
なわけはない。ロンドン名物(英国名物)はフィッシュ・アンド・チップス、ベーコンエッグ、シェーファーズ・パイ、スコーン……といったところか。
パブにカレーを置いてあるところもあって、これが意外とイケたりする。
だって、日本のカレーはもとを正せば、明治期に輸入された英国式カレー。
インドのカレーをイギリス人が自分たちの口に合うようにアレンジしたものだった。
とにかく、「若い時分、3年ほどロンドンに住んでいた」と言うと、まるでパブロフの犬のように決まって「食べる物、まずかったでしょう?」と聞かれる。
確かにおかしな味のもの(スーパーで売っている缶詰のシチューとか、マヨネーズもまずい)も多いが、日本人の味覚基準に合わせたら、それはどこの国でも大して変わらないのじゃないかと思う。
ヨーロッパは一通り回ったが、それと比べて英国の食い物がとびきりまずいとは思わなかった。かのフランスだってイタリアだってトントン。
うちのカミさんは5~6年前に北京と上海に行ったが、本場の中華料理はまずかったそうである。
ちなみにロンドンの中華街の中華はとびきりうまい!
インドレストランのカレーもうまい!
●ロンドンの日本食レストランのまかない
ただし、僕の場合は日本食レストランで働いていた、という特殊事情がある。
フルタイムで飲食店で働いたことのある人はわかると思うのが、従業員には“まかない”が出るのだ。
つまり、ロンドンにいたとは言え、日常的にはまかないの日本食を食べていた。
外食でも自炊でも、自分ひとりで食べるのは週に1日半のオフ(1日休みと1日半ドン)だけ。
「たまに食べるだけだからイギリスのめしも美味いと思っていたんだろう」と言われれば、それまでだが…。
そのまかないだが、基本的には店で出したものの余り物・ハンパ物を材料にしたメニューだ。
忙しい店だったので、シェフの皆さんもスタッフのためにそうそう手間ヒマかけていられない。
なので、こうした肉や野菜のハンパ物をデン!と大皿に持って、それをすき焼きにしたり、しゃぶしゃぶにしたり、鉄板焼にしたりして食べた。
また、ドカッ!と作れるカレー、そば、うどんなども定番メニューであった。
当時、僕のいた店ではランチタイム・ディナータイム、あわせて延べ30人くらいのスタッフが働いていた。
日本人の他にフランス人、デンマーク人、ポーランド人、タイ人、フィリピン人、韓国人、中国人、スリランカ人、エジプト人などがいて、まさに多国籍軍団。
中には肉・魚類を一切口にしないベジタリアンや、イスラム教徒のために豚肉が食べられないヤツもいた。
それ用に特別メニューが作られることもあるのだが、基本的にはみんないっしょに、午後3時の昼飯・午後11時の晩飯に上記のような“日本食”をワイワイ食べるのだ。いま思い返すと、なんとも愛おしい風景である。
●特製ハムカツの思い出
さて、上記のように基本、余り物で作るスタッフミール=まかないだが、時々、まかない専用のメニュー(店では使わない材料をわざわざ取り寄せて作る献立)も食卓に上った。その中の一つがハムカツだ。これが美味かった!
エジプト人でいつもまかないを楽しみにしていたモハメッドというやつは、これが出ると「オー、ヘム!」といって嘆いていた(イスラム教徒なのでポークが食えない)が、こんなに美味いハムカツはその後、味わったことがない。
自分でも作ってみたが、単に材料がよくてもダメだ。お歳暮などでいただく高級ハムより普通の安いハムで作った方がうまかったりもする。
本当にあのまかないの味は、記憶の中枢と結びついていて、ロンドン時代の思い出が次から次へと湧き出してくる。
当時の街の匂いや光や空気感までよみがえってくるのである。もっといろいろ書きたいけど、キリがなくなるのでまた次回。
当時、かのHIROKOレストランで厨房を仕切っていたヘッドシェフの岡山さん、〈おいしいロンドン〉をどうもありがとう!
2011・6・6 MON
心霊写真を信じますか?
……と、ついオカルト的な書き出しになってしまったが、僕はいわゆる霊感とはまったく無縁な男である。
能天気な性格に加え、ぼんやり者として生きているので、スピリチュアルな世界に触れられない。霊感ビンビンの人は1ランク上の人間に思えるくらい、ちょっとコンプレックスを抱えている。
一昨年末に亡くなった親友は、そういう意味では憧れの(?)霊感ビンビン人間だった。2月に彼の追悼会を開いた折(と言っても単なる飲み会を居酒屋でやっただけだが)、一緒に集まったJちゃんが最後に記念写真を撮ってくれた。ところが、そこに写っていたのだ、ヤツの顔が!
…と、思ったのだが、この写真、ピンボケではっきりしない。多分、お店のスタッフがたまたまそこにいて首から上の部分だけ写ってしまったのだろう。
しかし、心霊写真だと思った方が楽しい。プリントを見て、友人と「ヤツも来ていた!」といっしょにひとしきり盛り上がった。ほんのひと時だったが、妙にシアワセな気分になってしまった。
本当かどうかも分からない心霊写真でシアワセな気分になるなんて、何ともおめでたいものだ。
けれども、人生の最後、ひとりぼっちで生き残ったら……と考えたとき、あなただったらどうするだろう?
僕は親しい家族や仲間たちの幽霊に囲まれて死ぬまで暮らしたい、と心から切望すると思う。
これからだんだん年を追うごとに、こっちの世界とあっちの世界とのつながりを見つけていくのだろうと思う。
2011・6・5 SUN
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