4月の同窓会まで1ヶ月を切り、ほぼ連絡が行きわたったようなので、手伝ってくれてる二人にメールを送って情報をとりまとめる。
直前まで出欠変更は可能だけど、とりあえず人数を店に知らせておく必要があるので。
この仕事、20代の頃は単なる飲み会の連絡係・会計係に過ぎなかったのだが、齢を経ると様相が変わる。
飛び級で早々に人生を卒業してしまったのも二人ほどいる。
それぞれの生活環境などわからないし、家族のこと・仕事のこと・お金のこと・健康のこと、ぞれいろいろ問題抱えているだろうし、長く生きているといろんなことが起こる。
40年前と寸分たがわぬキャラ丸出しのメールが来て笑っちゃうこともあれば、できれば聞きたくなかったこと(相手も話したくなかったこと)を聞くことにもなる。
名簿を見ながら、だれだれ出席、だれだれ欠席と、漢字4~5文字の本名を書いていると、これ誰だっけ?と認識できなくなるケースもチラホラ出てくる。
特に女子は名字が変わっていることが多いので、なおのこと。
そこでそれぞれ当時の愛称・通称・あだ名などで書き換えてみると、たちまち顔が思い浮かび、声が聞こえてきて、キャラクターが立ち上がる。
身振り。口振り・服装・背景・いろんなシチュエーションまで再現できたりする。
そうやって名前を書き出すと、今回は欠席でも次回また声を掛けようという気になる。
でも連絡先がわからない・つながらないのもいる。
また、もう連絡なんかいらないと思っているのもいるだろう。
しかたないことだけど、幹事なんかやっていると、ここまできちゃうと、そういう人たちとはもう完全に切れちゃうだろうなと思う。
切っちゃう権限が自分にあるのかなとも考える。
もしかしたら以前は同窓会なんてどうでもいいと思っていたけど、今になってみると行ってみたいな、連絡があればなぁ、声掛からないかなぁ・・・と待っていることだってあるかも知れない。
「あいつがお願いって声掛けてきたから、しかたないので来てやったよ」
――今ならそういうやつがいてもOKと笑えるだろうなぁ。
こんなよけいなこと考えずに、クールに事務的にさっさと進めればいいのに、なんかいろいろ引っ掛かっちゃうんだよなぁ。
取材が続いたので、今週はテープ起こしと原稿書きの日々。
きょうは先日の里山農業プロジェクトの野田君の音声を起こしました。
録音を聞いてみて、やっと彼のヴィジョンが理解できる。
思った以上に深く、広がりがある。
これを一旦メモ帳に書き記して、その後、あっちこっち編集したのにプラス、合間合間に自分の文章を書き入れていく、というのが取材をした記事のオーソドックス(僕にとっては、ということだけど)な書き方です。
テープ起こし(機器はICレコーダーですが)は面倒な作業で時間もかかるし、重労働ですが、手ごわい内容は、これをやらないとどうにも頭にすんなり入ってきません。
テープ起こしをアウトソーシングすればラクに早くできるのだろうけど、そんな経済的余裕などないし、それにそう横着しちゃうと、なんだか寂しい気持ちになる。
頭の回転が鈍いので、何度も反芻しないとよくわからないんだよね。
この後もまだいろいろ溜っているので、どんどんやらねば。
間もなく3月も終わり。
こうしているとあっという間にゴールデンウィークになってしまいそうです。
月に一度、鎌倉新書の打ち合わせで日本橋・八重洲方面に出向きます。
鎌倉新書というのは葬儀供養業界のWebや雑誌を作っている会社。
以前は仏教書を出版していたのですが、現会長が社長になった20年ほど前から、機械化とかITテクノロジーとか、非人間的なイメージを嫌うこの業界において、いち早くインターネットでの情報発信にシフトしました。
「いい葬儀」という、消費者と葬儀社とを仲介するポータルサイトを開設したところ、業界内では当初、白い目で見られ、あの会社は代替わりしてダメになったと言われたらしいのですが、そこは時代の趨勢であれよあれよという間に市場に浸透。
特に僕が本格的に関わり出した2年半ほど前から株はうなぎのぼりで、一昨年末にこの八重洲の一等地に引っ越したと思ったら、それから1年も経たないうちに東証一部上場を果たしました。
とは言え、利益分はいろいろ始めた新事業のほうに回っているようで、外部ライターである僕のギャラが上がるわけではありません。
正直、割に合わんなーと思うことが多いのですが、興味のある分野だし、ある意味、高齢化・多死化代社会に関する最先端情報(テクノロジーなどではなく、社会心理的流れとしての情報)にも触れられるので、引き続き、業界誌の月刊仏事で記事を書き、時々Webの方もやっています。
その月刊仏事から新しい連載企画をやりたいけど何かない?と言われたので、以前、このブログで書き散らしたネタを思い出し、「世界の葬儀供養・終活・高齢者福祉」なんてどうですか?と提案したら、じゃあぜひ、とあっさり通って取り組むことに。
国内の出張費も出ないのに「海外出張費出ますか?」なんて聞くこともできず、ネット頼りの仕事になるのは必至。
でもイラストを描いてくれる人もいるらしいので、伝統文化と最新事情をごった煮にして分析を交えた読物風の話にしようと思っています。
ごく個人的なことでもいいので、情報あったらお知らせくださいな。
散歩がてらサクラを見に近所の大宮八幡宮に行くとネコ発見。
例によってナンパを試みたが、例によってシカトされた。
彼女には事情があった。
上の方でガサゴソ音がするので見ると、キジバトがいる。
落ち葉の中をつついて虫をほじくり出して食べているらしい。
ネコは野生の本能が刺激され、ねらっているのか?
でも、その割にはハトに対して集中力が欠けている。
自分の中でウズウズモゾモゾ本能がうずくのを気持ち悪がっているように見える。
サクラ色の首輪をつけているので、どこかの飼いネコだろう。
家に帰ればいつもの安全安心、おいしく食べやすく栄養バランスもとれてるキャットフードが待っている。
なのになんで鳥なんか狩らなきゃならんのか、
だいいち、あたしが口の周りを血だらけにして鳥やらネズミやら持って来たら、飼い主さんが卒倒しちゃう。
でも狩ったら脳からアドレナリンがドバっと出て気持ちよくなりそうだ。
ああ、でも、そんなのダメダメ・・・と、ひどく葛藤しているように見える。
飼いネコでも本能のままに生きているやつもいれば、鶏のササミや魚の切り身をあげても見向きもしないやつもいる。
イヌもそうだけど、多くの飼い主はペットに一生自分のかわいい子供であってほしいと願う。
人間じゃないんだから、大人になんかなってほしくない。
恋もしてほしくないから去勢や避妊手術を施す。
生物学的なことはよくわからないけど、そうするとホルモンもあまり分泌しなくなるだろうから、ペット動物は「子供化」して野生の本能は眠ったままになるのだろう。
一生人のそばにいて、一生キャットフードを食べて、一生本能なんぞに煩わされることなく、平和に暮らせるのがサイコーだと思っているネコもいるはずだ。
人間と一緒に都市生活をしていくにはそのほうが幸せなんだろう。
けれどもイヌと違って、ネコは本能に目覚めても人間に危害を及ぼす可能性は限りなく低い。なので「最も身近な野生」を感じさせてほしいという、人間の勝手な期待を背負わされた存在でもある。
おそらくネズミや鳥を狩ってくる飼いネコは、飼い主のそうした潜在的な希望を感じとって、本能のうずきに素直に従うのだ。
ただ、そうじゃない彼女のようなネコもいて、せっかくのんびり暮らせているのに、野生時代の先祖の血の逆流に悩まされることもあるんじゃないかと思う。
こんど道端で会ったネコに、そこんとこつっこんでインタビューしてみようと思うけど、答えてくれるかニャ~。
連荘で農業取材。
26日(月)は秋川渓谷と美しい山並みが望めるあきる野市に出向き、秋川牛とご対面。出荷前・生後30ヵ月の黒毛和牛の体重は800キロ。でかっ。
東京で唯一の肉牛生産牧場・竹内牧場では約200頭の秋川牛を飼育しています。
このあたりは、日本各地の有名なブランド牛の産地に負けず劣らず、水も空気もきれいで豊かな環境なので、牛をはじめ、豚・鶏などを育てるには持ってこいとのこと。
秋川牛は希少価値のある高価なお肉ですが、都内のホテル・レストラン・料理店なので口にするチャンスがあるかも。
一方、武蔵五日市駅にほど近い松村精肉店は、地元で生産されるこの秋川牛の認知度を上げたいと、手軽に味わえる加工品としてレトルトカレーなど製作しています。
オリンピックもあることだし、東京の名産品をアピールしていこうとブランド力UPに奮闘中です。
昨日ご紹介した磯沼牧場+多摩八王子江戸東京野菜研究会でも聞きましたが、これら多摩・八王子地域の環境はこの20年ほどで劇的に改善され、川には清流が戻り、アユなども戻ってきているとか。
今や都心で働く人たちのベッドタウンというイメージから脱却し、豊かな自然が楽しめ、農業も盛んな地域としてのイメージが高まっています。
いつまでも「東京は緑が少ないから云々」なんて、手垢のつきまくったステレオタイプのセリフをほざいていると時代に取り残されますよ。
テクノロジーとパラレルで進行する昔ながらの環境とライフスタイルへの回帰。
「むかしみらい東京」がもう始まっているのかも知れません。
東京にこんな素晴らしい牧場があったのか!
噂には聞いていたけど、なかなかタイミングが合わずに来そびれていた磯沼牧場(磯沼ミルクファーム)に25日・日曜日、初めて来場。
多摩八王子江戸東京野菜研究会とのコラボイベントで、牧場特製のチーズとベーコン、ソーセージ、野菜てんこ盛りのピッツァ作りです。
牧場主・磯沼さん手づくりの溶岩石窯で焼いたピッツァはおいしくてボリューム満点。
ランチの後は乳しぼり体験、牧場ツアー(放牧場もある)、磯沼さん×福島さん(多摩八王子江戸東京野菜研究会代表)の都市農業トークと続き、あえて取材の必要なしというところまで堪能しました。
場所は京王線・山田駅から徒歩10分弱。
新宿から1時間足らずで来れるし、横浜からも近い。
わざわざ北海道などへ行かなくても、たっぷり牧場体験ができます。
それも観光牧場でなく、リアルな生活と結びついている生産牧場で。
環境問題、動物福祉問題への取り組みなど、牧場経営のコンセプトを通じて、さりげにいろいろ勉強でき、新しいライフスタイル、これからの哲学を考えるきっかけにもなると思います。
乳しぼりをはじめ、毎週のように何らかのイベントが開かれ、牛さんをはじめ動物たちに触れあえます。
いつでもオープンなので、ぶらっと覗きに来るだけでもいい。
子供たちには超おすすめ。お年寄りにも楽しい。
ちょっと凹んでいる人、メンタルを病んでいる人も心のケアができるのではないかな。
直売所もあって、おいしいアイスクリームやプリンやヨーグルトも食べられますよ。
興味のある人はホームページやフェイスブックもあるので検索してみてください。
下の妹が飼っているチワワのハナちゃんとは、たぶん2年ぶりくらいのご対面。
前に会ったのはチビ犬の頃だったけど、ちょっとの間、くんくん嗅ぎ回って「あ、知ってる知ってる」と思ったのか、尻尾をフリフリしてくれた。
抱き上げても安心安心。僕のにおいを憶えていてくれてありがとう。
人間の子どももいろいろ情報を詰め込まれる前は嗅覚がするどい。
一度嗅いだにおいは絶対忘れない。
自分自身のことを考えてみると、視覚や聴覚では憶えていなくても、においというか空気感で憶えていることがいっぱいある。
親はもちろんだけど、周りにいる大人たちはそれぞれ独特のにおいを持っていたような気がする。
におうと言うと何だか臭くて嫌われそうな気がするが、完全ににおいを消し去ると、その人は透明人間になって、見えていても誰にも気づかない存在になる。
忍者やスパイになるならいいかも知れない。
大人になると鼻が利かなくなって、というか、においを感じる脳の部分が鈍くなって、刺激の強いものしかキャッチできなくなるようだ。
なので少しは意識してにおいを嗅ぐ練習をしたほうがいいのかもしれない。
基本はやっぱり食事。
テレビやスマホを見ながらめしを食わないこと。
そして手料理を楽しむこと。
最近はそんなものより出来合いの料理の方がよっぽどうまいと言う人も多いけど、手料理にはその家・その人独自のにおい・風味がついている。
それを知っているのと知らないのとでは随分ちがうんじゃないかな。
自分が自分である基礎とか土台みたいなものは、そういう些細な目に見えないもので出来ているのではないかと思う。
そうだよね、ハナちゃん。
父も母も昭和ヒトケタ生まれ。貧乏人の子沢山でそれぞれ8人兄弟だ。
ぼくが生まれる前に死んでしまった人を除き、そのきょうだい、および、その伴侶の全部はしっかり顔や言動を憶えている。
僕が子供の頃は行き来が盛んだったので、みんなインプットしている。
しかし、9年前に父が亡くなったのをきっかけに、毎年バタバタと後を追うように亡くなり、大半がいなくなった。
今年もまたひとり、先日、ヨリコ叔母さんが亡くなったと聞いた。
母方は女系家族で8人のうち、7番目までが女で末っ子だけが男。
ヨリコ叔母さんは7番目。つまり7姉妹のいちばん下の妹だ。
幼稚園の時だったと思うが、結婚式に出た記憶がある。
きれいなお嫁さんで、チビだったぼくを可愛がってくれた。
そのチビの目から見ても、なんだかとてもかわいい人だった。
6人も姉がいて、4番目の母(母は双子の妹)とさえ12歳違う。
いちばん上のお姉さんとは16歳以上違うはずだ。
なのでほとんどは姉というよりチーママみたいなものだ。
母もよく子守をしたというし、日替わりでみんなが面倒を見てくれていたようだ。
母の家はお父さん(僕の母方の祖父)が早く亡くなったので、女が協力して貧乏暮らしからぬけ出そうとがんばってきた。
でもヨリコ叔母さんは小さかったので、そうした苦労が身に沁みず、物心ついたのは、お母さんやお姉さんたちのがんばりのおかげで暮らし向きも上がってきた頃だった。
そうした中で一家のアイドルとして可愛がられて育った。
そうした成育歴はくっきり刻まれ、そのせいで彼女は、ほかの姉妹らの下町の母ちゃん風の雰囲気とは違う、お嬢さん風の雰囲気を持っていた。
だから、おとなになってもどことなくかわいいし、ちょっと天然も入っていた。
最後に会ったのは父の葬儀の時。
さすがに外見はそろそろばあちゃんっぽくなっていたが、中身はほとんど変わっておらず、ぼくをつかまえて
「せいちゃん、大きくなったねー」と言った。
50間近の男に向かって大きくなったねーはないもんだけど、そう笑顔で屈託なく声を掛けられるとすごく和んでしまった。
その時の会話が最後の印象として残ることになった。
叔母とはいえ、中学生以降はめったに会うこともなかったので、彼女がどんな人生を送っていたのはわからない。
もちろん少しは苦労もあったと思うけど、べつだんお金持ちではないにせよ旦那さんは真面目で優しくユーモアもある人だったし、特に悪い話も聞かなかった。
嬉しそうに小さい孫娘の面倒を見ていたのも印象的だった。
たぶん美化しているし、これは僕の勝手な想像であり願いだけど、おそらくそれなりに幸せに過ごしてきたのだろう。
不幸な目に遭ったり、理不尽な苦労を強いられたり、他人にあくどく利用されたり、自分の欲に振り回されたり・・・
人生の中のそんな巡りあわせで、人間は簡単に歪んでしまう。
でも、できるだけそうしたものに心を損なわれないで、ヨリコ叔母さんのようにかわいい人にはいくつになっても、ずっと素直にかわいくいてほしいなぁと願ってやまない。
今回の名古屋(愛知)ツアーでは、里山の概念を農業と組み合わせ、インターネットを利用して事業化するプロジェクトを掲げる人を取材しました。
彼は2002年生まれ。16歳の高校生。
田園地帯で植物や昆虫に親しみ、かたやインターネットに親しみながら育った彼は、資本主義発展拡大病の時代に育ったぼくたちの世代とはまったく違うセンスを生まれながらに持っているようです。
「里山」という概念が今、世の中に浸透しつつあります。
里山はごく簡単に言うと、自然環境と人間の生活圏の交流地帯。そのベストバランスを保つ、あるいは破壊したものを再生するという考え方を表現する言葉でもあります。
人間が生活できなくてはならないので、当然そこには経済活動も含まれるし、伝統工芸・伝統芸能といった文化芸術や民俗学系の学問も含まれるのではないかと思います。
「人間が手を入れた自然」と言い換えることもできるでしょう。
また、それらを包括する懐かしいとか、愛おしいとかいった心象風景もその概念の中に入ってくるでしょう。
人間のあり方・生き方を問い直す哲学も含まれているのかも知れません。
日本独自のものかと思っていたら、他国にも通用し、国際的にも理解が進んでいる概念で、よく言われる「持続可能」な社会にSATOYAMAは不可欠とされているようです。
そういう意味では、過去200年、世界を席巻し、地球を支配してきた工業化・資本主義化の流れに対するカウンターとも言えます。
高校生の彼には野外でのインタビューを考えていましたが、あいにくの雨のためはやむを得ず、岡崎市内の「コメダ珈琲店」で敢行。コーヒーと、コメダ名物「シロノワール」を食べながらの取材になりました。
彼は子供のころから自由研究などを通じて里山について学び、中学生のころから戦略的にプロジェクト化を画策。近所の農家の人たちなどはもとより、自分で電話やメールで東大・京大などの教授・学者に頼み込み、取材に出かけたといいます。
現在はいわばサークル的なノリで同級生やネット上の仲間が集まり、大人の支援者もいますが、まだ実務のできるスタッフがいない状況。
コンセプトは決まっているので、まずネットを通じての「ブランド化」に力を注いでいきたいとのことでした。
僕としてはこうしたことを本気で考え、事業化に取り組んでいる若僧がいるというだけで十分心を動かされました。
彼のことは来月、「マイナビ農業」でUPしますが、興味のある方は「里山農業プロジェクト」で検索してみてください。
「こんなやわらきゃー、水っぽい鶏はいかんわ。むかしのかしわはまっと歯ごたえがあってうまかったでよー」
こんな軟らかい、水っぽい鶏はダメだ。昔のかしわ(鶏肉)はもっと歯ごたえがあっておいしかった、という声を受けて、一時期、市場から消滅した名古屋コーチンが、日本を代表する地鶏として見事復活を果たした物語を探るべく、今回は「マイナビ農業」で名古屋取材を敢行しました。
市内にある「名古屋コーチン協会」で話を聞いた後、名古屋コーチン発祥の地である小牧市へ。
明治の初め、この地に養鶏場を開いた元士族の海部兄弟が、地元の鶏と、中国(当時、清)から輸入したコーチンという鶏を掛け合わせてできたのが名古屋コーチンです。
「だもんだで、まっとそのことを宣伝せんといかんわ。日本が誇れる名物だでよう」
ということで昨年(2017年)、名鉄・小牧駅前にはコケー!と、おしどり夫婦(?)の名古屋コーチンのモニュメントが立ったと聞き、駅について改札を出たところ、出口が左右に分かれている。
どっちだろう? と迷ったとき、すぐ目の前で駅員さんが掲示板を直す作業をしているので、尋ねてみました。
「あのー、名古屋コーチンの像はどっちの出口にあるんでしょうか?」
駅員さん、けだるそうに振り向き、ぼくの顔を一瞥。さらに一呼吸おいて
「左の階段を下りてって、右に曲がってずっとまっすぐ行ったところに市の出張所がありますで、そこで聞いてちょーだゃー。それはうちの管轄でないもんで」
?????
駅前って聞いたけど、そんな分かりづらいところにあるのかなぁ・・・と思いつつ、左の階段を降りると、なんと、その目の前にコーチン像があるではないか。
?????
まさかあの駅員さんはこれを知らなかったのだろうか?
それとも上司に、責任問題が発生するから、鉄道のこと以外は聞かれても答えるなと言われていたのだろうか?
それとも奥さんと何かあったとか家庭の悩みでも抱えているからなのか?
あるいはたんに鶏が嫌いで、コーチンお話なんかのしたくなかったのか?
たくさんの疑問に駆られながらも、前に進まなくてはなりません。
海部養鶏場(跡地)にはどういけばいいのか。
ちょうど目の前に観光案内所があったので入ってみました。
平日ということもあってお客は皆無。
ぱっと見た目、アラサーぐらいの女の子がひとりで机に向かって、わりとのんびりした感じで書類の整理みたいなことをやっています。
そいえば時刻はちょうどランチタイムでした。
「あのー、海部養鶏場跡地に行きたいんです」
「え、何です?」
「海部養鶏場です。カイフ兄弟。名古屋コーチンの」
「あ、ああ、ああ、名古屋コーチンのね」
「たしか池ノ内というところなんですが・・。歩きじゃちょっと無理ですよね」
「ええと。そうだと思います。ちょっとお待ちくださいねー」
と、アラサーの女性はあちこち地図やらパンフやらをひっくり返し始めました。
市の観光スポットの一つに加えられたらしいと聞いていたので、即座に答えが返ってくるものと想定していた僕は思わぬ展開にちょっとびっくり。
その女の子は一人じゃだめだと思ったのか、奥に入っておじさんを引っ張り出してきて、ふたりでああだこうだと大騒ぎで調べ始めたのです。
お昼の平和でゆったりとした時間を邪魔してしまったようで申し訳ないなと恐縮しつつ、実はなんか面白いなと思いつつ待っていたら、もう一人、お昼を早めに済ませて戻ってきたおにいちゃんが加わって3人で合同会議。
それで出てきた結論が「タクシーで行ったら?」というもの。
べつにタクシーを使うお金がないわけじゃないけど、アポがあるわけじゃなし、急いでいるわけじゃないし、第一ここまで大騒ぎしたのに、それなら最初からタクシーに乗ってるよ、バスとかないんですか? 地元の人といっしょにバスに乗ると楽しいいんですよと言うと、バスルートと時刻表を調べて、やっと案内が完了しました。
この間、約20分。効率主義、生産性アップが叫ばれる世の中で、このまったり感はどうだ。急いでいたら頭にきてたかもしれないけど、旅というのはこうやって余裕を持って楽しむものだ、と改めて教えてもらった気がしました。
考えさせられる不思議な駅員さんといい、まったりした観光案内所といい、皮肉でなく、おかげで楽しい旅になりました。小牧の皆さん、ありがとう。
●リバーズ・エッジ:トラウマになった漫画を映画で観る
岡崎京子の漫画「リバーズ・エッジ」は僕のトラウマになっている。
この漫画に出会った1990年代前半、僕はとっくに30を超えていた。
心のコアの部分を防御するシールドもしっかり出来上がっていたのにも関わらず、ティーンエイジャーを描いたこの漫画は、シールドに穴をあけて肌に食い込んできた。
先日書いた大友克洋の「AKIRA」が世紀末時代の象徴なら、「リバーズ・エッジ」は、その the Day Afte rの象徴だ。
リバーズ・エッジ(川の淵)は流れの淀みであり、尋常ではない閉塞感・荒涼感・空虚感に包まれた繁栄の廃墟だった。
子供たちの残酷で不気味で鬱々としたストーリーと、ポップでシンプルな絵柄との組み合わせが劇的な効果を生み出し、ページをめくるごとにますます深くめり込んでくる。
自分自身は仕事も順調で結婚もした頃。
こんな胸が悪くなるようなものにそうそう関わり合っていられないと2~3度読んで古本屋に売ってしまった。
けれども衝撃から受けた傷は深く心臓まで届いていた。
映画化されたことは全然知らなかったのだが、先週、渋谷の公園通りを歩いていて、偶然、映画館の前の、二階堂ふみと吉沢亮の2ショットのポスターに出会ってしまった。ふみちゃんに「観ろ」と言われているようだった。
原作に惚れた彼女自ら行定勲監督に頼んで映画化が実現したらしい。
映画は原作をリスペクトし、ほぼ忠実に再現している。
その姿勢も良いが、何よりもこの漫画が発表された四半世紀前は、まだこの世に生まれてもいなっかった俳優たちが、すごくみずみずしくて良かった。
暴力でしか自己表現できない観音崎くん、
セックスの相手としてしか自分の価値が認められないルミちゃん、
食って食ってゲロ吐きまくりモデルとして活躍するこずえちゃん、
嫉妬に狂って放火・焼身自殺を図るカンナちゃん、
河原の死体を僕の宝物だと言う山田くん、
そしてそれらを全部受け止める主人公のハルナちゃん。
みんなその歪み具合をすごくリアルに演じ、存在感を放っている。
最近の若い俳優さんは、漫画のキャラクターを演じることに長けているようだ。
原作にない要素としては、この6人の登場人物のインタビューが随所に差しはさまれる。
この演出もそれぞれのプロフィールと物語のテーマをより鮮明にしていてよかった。
でも映画を観たからといって、何かカタルシスがあるわけでも、もちろん何か答が受け取れるわけではない。
四半世紀経っても、僕たちはまだ河原の藪の中を歩いている。
そして二階堂ふみが言うように、このリバーズ・エッジの感覚は彼女らの世代――僕たちの子どもの世代もシェアできるものになっている。
そのうち僕は疲れ果ててこのリバーズ・エッジで倒れ、そのまま死体となって転がって、あとからやってきた子供たちに
「おれは死んでいるけど、おまえたちは確かに生きている」と勇気づけたりするのかもしれない。
そんなことを夢想させるトラウマ。やっぱり死ぬまで残りそうだ。
齢を取ってくると昼寝が楽しみの一つになります。
以前は時間がもったいないなぁと思っていましたが、たとえ僅かな時間でも体を横にして休むと、もう調子が段違い平行棒。
その後の仕事の効率、クオリティを考えたら寝るに限る、休むに限る。
しかし、会社のオフィスではなかなかこうはいかないでしょう。
こういう時は自宅でやっているフリーランスで本当によかった~と思います。
ただちょっと困るのが夢を見ちゃったとき。
いや、夢を見るのはこれまた楽しいのですが、その夢の記憶が現実のものとごっちゃになることがあるのです。
この間、通っていた学校を探そうと現地に行ってみると、迷宮に迷い込んだように、いくら歩き回っても見つからない。
それで思い出したのが「移転した」という情報を耳にしたこと。
それで、ああ、移転したんだっけと思い込んでしまったのです。
ところが、あとでネットで調べてみると、改装はしているものの、ちゃんと同じ住所に存在しているではないか!
確かに聞いていた移転情報。あれはいったい・・・
と考えてみると、それはいつかの夢の記憶だったのです。
あちゃ~、いよいよボケが始まったぁ。
夢と現実がひとつながりになった次元へ、とうとう足を踏み入れてしまったのかも知れません。
でもまぁいいや、気持ちよく昼寝できれば。
というわけで、今後、僕の発信する情報が現実の出来事なのか、夢の中の記憶なのかは、読んでいるあなたの判断におまかせします。
ではお休みなさい。ZZZ。
きょうは確定申告の最終日でしたが、先週会ったお友だちの会計士さんは締切間近でストレス満載の様子でした。
その彼がぼそっとつぶやいたセリフが
「現物支給でも、永遠に続けばいいんだけど」
え、まさか現物支給の報酬で会計を?
そういえば、半年前に会った時は、つぶれそうな食品会社の経理を請負っているとか言ってたけど・・・。
追及するのはやめときましたが、「永遠の現物支給」という言葉が頭に残ったので、それについて考えてみました。
何でもお金の世の中で、ちょっとした贈り物も、冠婚葬祭の引き出物も、現金・カード・商品券などが喜ばれます。
そうした風潮の中で現物支給――それも1回2回こっきりじゃなくて、毎月ずーっと支給が続くとしたら、何がもらえたら嬉しいだろうと考えると・・・
やっぱり食べ物ですね。
会計士さん、食品会社でよかった。
なに、よくない?
缶詰、レトルト、乾物、冷凍食品・・・
そんなもの1か月分もらうと嵩張るし、置き場所に苦労する。
それに毎日食べたくない。
かといって生鮮食品は日持ちしないし・・・
と考えていくと、ベストはお米だ!
お米なら毎日食べられるい、真夏でも1カ月くらいなら保存も問題なし。
うちはひと月10キロ食べるけど、それくらいなら置き場所にも困らない。
ついこの間、イベントの仕事「五つ星お米マイスターのおいしいお米講座」でお米の食べ比べをやったけど、毎月ちがう品種のお米を支給してもらえれば、いろんなのが試食出来て、ますます楽しい。
――と話すと、そこは会計士さん、チャチャっと数字に置き換えて、
「1カ月10キロ、平均5000円として1年で6万円。10年で60万円。17年しないと100万円超えませんよ。安すぎる~。お金でもらわなきゃだめだ~」
なるほど。お金にすると確かに安い。
でもね、お金がなくても、死ぬまでごはんだけは間違いなく食べられるという安心感は何物にも代えがたいのではないでしょうか。
1カ月のギャラ・給料が5000円と考えると、わびしくみじめになるけど、今月も10キロのお米がいただけると考えると、なんだか豊かな気持ちになってくる。
ましてやそれが永遠に続くとなると、穏やかな晴天が心の中に広がってくる。
うんこれなら悪くないぞ、永遠の現物支給。
農家さんとか、お米屋さんとか、JAさんとかの仕事なら、そんな契約を結んでもOKかも。
会計士さんは嫌だというけど、あなたならどうですか?
渋谷パルコの建て替え工事現場の囲いに大友克洋のマンガ「AKIRA」が描かれている。
この大きさだとすごい迫力。そして、内側の解体されたビルの風景が、「AKIRA」の世界観と符合して、リアルで巨大なアートになっている。
人通りの多い公園通りだけにアピール度は抜群だ。
最近あまり渋谷に行かないので知らなかったけど、このアートワークが搭乗したのはすでに昨年(2017年)5月半ばのこと。ネットでいろいろ話題になっていたらしい。
というのも「AKIRA」の舞台は2019年の「ネオ東京」。翌2020年にはそのものずばり「東京オリンピック」が開催される予定・・・という設定。
その中で抑圧された若者たちをい中心に超能力バトルが繰り広げられ、ネオ東京が崩壊していくというストーリー展開なのだ。
というわけで「AKIRA」をパネルにしたパルコはオリンピック開催に異議を申し立てているのではないかという憶測が飛び交ったが、当のパルコ側は、さすがにそれは否定したという。
僕が思うに、おそらく渋谷の街の再生劇のメタファーとして、かのマンガを用いたのだろう。それも「西武・パルコの渋谷」の。
「AKIRA」が連載され、映画化され、一種の社会現象にまでなったのは1980年代のバブル上り坂の頃で、パルコの黄金時代、西武・セゾングループカルチャーの最盛期とぴったり重なる。
一時は東急グループと渋谷の覇権を二分していた西武・セゾンにとって、昨今の東急の圧倒的な大改造計画に一矢でも報いたいという思いで、「AKIRA」を持ち出してきたのではないかと思われる。
あの頃は経済の繁栄と裏腹に「近未来」「世紀末」という言葉が跳梁跋扈した。
「AKIRA」はその象徴と言える作品だった。
この繁栄・この豊かさはインチキなのではないか、まがいものではないのか。
そんな違和感が当時の若者たちの心の中にトゲのように突き刺さっていた。
そんな違和感によって支えられ、膨れ上がった「AKIRA」のような作品世界が、好景気で沸き返る、どこかうそくさい日常世界とのバランスを取っていたのかも知れない。
その状況は終わったわけでなく、実はもう30年以上も続いている。
だからなのか、現代の渋谷に「AKIRA」が出現することに時代遅れ感どころか、ベストマッチ感さえ感じてしまう。
「世紀末」が過ぎても、東京の街は崩壊していない。
終わりのない日常がダラダラと続き、僕たちはズルズルと前の時代の太い尻尾を引きずりながら、時には波に呑まれて漂流しながら前に進もうとしている。
もうすぐ現実世界が「AKIRA」の近未来世界を追い越していく。
今日は何の予告もなく、クール宅急便で「きりたんぽ鍋セット」が送られてきてびっくり。
仕事をいただいている秋田の方からサプライズの贈り物です。
これまでメールでしかやりとりしていなかったんだけど、そういえばこの間、住所を聞かれたので、紙にした資料を送ってくるのかなと思ってたら・・・どうもごちそうさまです。
ちょうど今夜は家族が揃っていたので、早速いただきました。
肉も野菜も一式入っていて比内地鶏のスープ付き。あったまりました。
秋田県は、かなり昔に大潟村(かつての大干拓地・八郎潟にある村)の干拓資料館の仕事をやりましたが、それ以来の仕事。
来週は名古屋コーチンの取材で名古屋に行きますが、いずれ比内地鶏も取材したいです。
10日(土)・11日(日)の二日間、渋谷のNHKの敷地で「にっぽんの食・ふるさとの食」のイベント開催。JA全中ブースで「五つ星お米マイスター・小池理雄のおいしいお米講座:絶品ごはんの食べくらべ」をやり、台本と演出を担当しました。
原宿の米屋・小池さんの作った「お米の通知表」を参考に、岩手・宮城・福島・福岡、各地産の4種類のブランド米を食べ比べ、その品種を当てる、クイズ形式のワークショップです。
五つ星お米マイスターとしてメディアから引っ張りだこ、講師としても大活躍の小池さんですが、この二日間の受講生(1ステージにつき35人ほど)は、ぜひ「参加したくて来ているというよりも、ここに一休みに来たり、冷やかしに来たり、ただ単にごはんが食べられるからという理由で入ってきたた一般大衆。ぶっちゃけ、まじめにお米のことが知りたいと思っている人は1割、2割しかいません。講師にとっては最も手ごわい相手です。
二日間で4ステージにありましたが、1日目の参加者の反応を見て、その夜、台本を書き直し、2日目は大きく違う構成でやってみました。
ちなみに30分の台本のセリフ部分はほとんどMC(司会)用で、それに応じながら小池さんが自由にトークを展開していくというつくりです。
イベントはまさしく生ものなので、その時の参加者の発するSomethingによって1回目も2回目も3回目も4回目も、まったく違ったステージになります。
これが正解、これが完成という形はなく、きっちりできたのに反響が薄い場合もあれば、グダグダになっても大ウケという場合もあります。
もちろんグダグダでいいというわけにはいきませんが、面白いものです。
それにしても、その場に応じて自由自在にセリフを変えられる小池さんのお米ボキャブラリー宇宙は素晴らしい。
ますますこなれて星雲のように年々膨らんでいます。
おなじみ階段シリーズ。
うちは1階が「野の花鍼灸院」という鍼灸院になっています。
カミさんが小児鍼のエキスパートなので、女性と子供を診ています。
で、毎日、いろんな子供が来るのだけど、玄関を入ってすぐある階段にどうしても目が行ってしまう。
特に好奇心旺盛で冒険好きの幼児には、たまらない魅力なのでしょう。
もちろん進入禁止で、連れてきたお母さんは「怖いおじさんがいるのよ」なんて脅すのだけど、ある年齢を過ぎると、そんな脅し文句などヘのカッパになる。
好奇心が抑えられず、のこのこ上ってくる子もいるのです。
今日来た4歳児のショウちゃんもその一人で、お母さんとカミさんの制止を振り切り、階段を登り切ってパソコンやってた僕の背中に話しかけてきたので、ニヤッと笑って振り返ったら、むこもニコッ。 下からは「ショウちゃん!降りてきなさい」と呼ぶ声が。
なので、ぺちっとハイタッチをしたら満足したように引き上げていきました。
本日の冒険、おわり。
あとから聞いたら、怖いおじさんなんていないよ~。やさしいおじさんだよ~って言っていたようだ。
うーん、これに味をしめてまた上がって来るかも。
今度はオバケのお面でもつけてふり返ってやろうか。
でも、あんまり怖がらせ過ぎてもなぁ~。
好奇心・冒険心は子供の宝物ですから。
侵入されてもいいように、ちょっとは二階をちゃんと片付けて掃除しておかないとね。
ミケランジェロは石の中にダビデの像を見出し、解放したと言われています。
そのダビデ象という「ヴィジョン」は最初から彼の中に存在していた。
そして石と向き合うことでそれを見ることが出来た。
芸術家として自分が何をするべきか分かった。あとは手を動かすだけ。
これは芸術家に限らず、誰にでも起こりうることなのだと思います。
誰もが自分が人生の中でしたいこと・すべきことはちゃんと持っていて、本能的に認知している。それは人生のいたるところで、日常生活のあちこちで顔をのぞかせる。
けれども僕らはそれを取るに足らないこと、おかしなエゴが作り出す妄想だとして処理してしまう。
この忙しいのに、そんなことに関わっているヒマはない、と。
だから何となく分かっているのにそれははっきり見えない。
そして見えたとしてもそれを実行しようとはしない。
なぜならほとんどの場合、それは社会的必要性が認められない、人々が求めていることに応えられない、早い話、そんなことをしたって「食えない」。
そういう事情があるからでしょう。
なので、ますますその内在するものを見ようとしない。
見るのを怖れ、目をそらしてしまうし、もちろんやろうとしない。
その結果、不満だらけの人生が世の中に蔓延することになります。
これはきっと人生の途上で、立ち止まって考えてみるべき課題なのだと思います。
ミケランジェロのダビデのように、芸術家じゃなくてもあなたにはあなたが創るべきもの、やるべきことがある。
そう静かに思いを巡らせると、「あれがそうだ」と人生のどこかで見たサインを再発見できるかも知れない。
深い海の底から、ぽっかりと浮かび上がってくるかも知れない。
あなたの中に何があるのか、することは何か、まず見つけ出す冒険。
そして、それをやり始める冒険。
その少女は一人暮らしの老人と友達になった。
老人は近隣から奇異な目で見られている。
彼は特殊な能力を持っており、それで人助けをしたりもするのだが、普通の人たちにはそれが気味悪く映る。
だから少女にも、あの老人の家へ行くな、近寄るなと言う。
両親にとってもそれは家族の一大事と受け取られていた。
少女はなぜその老人にひかれるのか?
老人の語る宇宙の話、昔の話、妄想のような話が好きなのだ。
彼女は老人がじつは宇宙人で、永年地球で過ごし、近いうちに故郷の星へ帰ろうとしているのではないかと思っている。
老人には少女以外にもう一人だけ訪ねてくる人がいる。
それは彼の身元保証人だ。
老人はちゃんとお金を払ってその会社と契約し、自分の死後の後始末をつけてくれるよう段取りしている。
彼は宇宙人なんかではない、まっとうな人生を歩んで齢を取り、社会人として最期まで人に迷惑をかけずに人生を終えようと考えている、普通のおじいさんなのだ。
そうした現実を知っても、少女は彼がやっぱり本当は宇宙人なのではないかと疑念をぬぐえない。
彼女はしだいに何とか老人の秘密を探りたいと考えるようになる。
しかし、そんな彼女の行動を心配した両親は、それ以上、老人に近づくことを許さず、彼女を学習塾のトレーニング合宿に送り込んでしまう。
数日を経て帰ってきた少女は両親の目を盗み、再び老人に会いに行くが、彼は呼び鈴を押しても出てこない。と同時に何か気になる匂いがする。
彼女は身元保証人を電話で呼び、家の中に入る。
そこには布団の中で孤独死した老人の遺体が横たわっていた。
少女には老人が物理的に死んだことは分かったが、地球から消滅したとは映らない。
彼女は遺体を運ぶ人たちが到着するまでの間、その老人――「星のおじい様」の時間軸に入り込み、孤独なエイリアンとして、奇妙な冒険に出掛ける。
一人暮らしの高齢者というと、最近はすぐに「孤独死」が連想され、何やらくら~いイメージがつきまとう。
そうでなければ、家族がなく、身寄りがなく、孤独で可哀そうとか、同情される。
いずれにしてもネガティブなイメージであることに変わりない。
でも本当にそうなのだろうか?
彼らはけっこう孤独を楽しんでいるのではないか。
本当にいっしょにいたいと思う家族ならいいけど、ただ同じ屋根の下にいるだけ、同じ空気を吸っているだけの家族なんて鬱陶しいと思ったりしていないのだろうか?
血が繋がっていたって形だけの家族はいっぱいいる。
財産などをあてにしてすり寄ってくる家族や親族なんかに、あれこれ気を遣ってもらったって不愉快なだけ。
メディアの「家族は素晴らしい」「家族がいないと気の毒だ」といった大合唱もなんだか胡散臭いね。
それよりも最期まで一人でやっていく、という気概のある生き方をを見せるほうがいい。
あるいは、血縁にこだわらない、常識にとらわれない、損得勘定抜きの、心の深いところで繋がり合える人たちとの暮らし。
齢を取ったからこそ、そうした自由や愛情に満ちたものを優先できるという面もある。
幸いにも、そうした人たちをサポートするセーフティネットはあちこちにでき始めているようだ。
「家族の絆」という美名のもとに隠した損得勘定や惰性的な繋がりよりも、自分の意思に基づいて生き、死ぬ「個の尊厳」を優先する時代がすぐそこまで来ている。
元来、コアラとかナマケモノ体質で、自分のペースで動けないと調子悪くなっちゃうので、効率悪いことこの上なし。
ヘタにビジネス書など読んで勉強して、時間を有効活用しようなんて意識すると、なんだかイライラしてきて、自分が今何をやっているんだか分からなくなってきます。
とは言え、仕事をする以上、そんなこともいっていられない。
相手のペースに合わせなきゃいけない場合もある。
そんな時、最近、心がけているのが「時間ののりしろ」を作ることです。
自分のペースでOKの時間帯と、相手に合わせる必要のある時間帯。
この2種類のカテゴリーの時間帯が、ポンとカットで繋がると脳の切り替えがうまくできない場合があり、気持ちの負担も大きいので疲れます。
やっぱリカットつなぎでなく、オーバーラップさせたほうがショックが和らげられる。
なので、相手に合わせる時間帯に入るときは脳が自然に準備できるよう、「のりしろ時間」を作るようにしています。
具体的に言うと、打ち合わせ、取材などの時は約束の時間より30分早く行って、その現場周辺の空気を吸っておくようにするのです。
そうするとリラックスして、少しはその環境に入り込みやすくなります。
つまり100%アウェイの空気でなく、10~20%くらいはホームの空気をまぜるようにする。
するとある程度リラックスして、よりよいパフォーマンスが期待できます。
昨日は思いのほか早く着いたので、待ち時間に近所の神社で、ぼやーっと木などを眺めて、ああ鳥の巣がある、何の鳥だろう。まだ作っている最中かなぁ・・・と思ったり、ネコの家族が来て日向で遊び出したりするのを見ていました。
仕事の役に立つだけじゃなく、ちょっとおまけみたいなものを拾ってトクした気分になります。 もしかしたらそんなどうでもいいことが、あなたの人生を救ったりするかもしれません。
スケジュールぱんぱんにして毎日アクセクしちゃうと、ほんと疲れますから。
八王子市の児童館で、子供たちが乳しぼり体験。
マイナビ農業の取材で、八王子界隈の酪農家の仲間たちがボランティアで提供しているイベントを見学してきました。
でっかい開閉式トラックに牛を乗せて、そこに上って子供たちが搾乳するというやり方。総勢5人の酪農家さんたちがお世話をします。
まったくこういうシステムを想像していなかったのでびっくりしました。
このお乳パンパンの牛さんはマーガレットちゃん7歳。
マーガレットちゃんの乳しぼりに挑戦するのは、幼稚園前の幼児クラス(+そのきょうだい)なので2歳児中心。たぶんその子たちの目から見たら、牛さんはゾウさん、いやもしかしたら怪獣並みの大きさだ。
そりゃこわいに決まってる。
勇気を出してぎゅっとつかめればいいのだけど、おそるおそるおっぱいに触るので、「なにやってんのよ、モ~」って、穏健温和なマーガレットちゃんもバフォンと荒っぽく鼻息をして体を揺する。
すると、もうだめです。大半の子がこわがって泣き出す始末です。
お父さん・お母さん、「うちの子は情けない」なんて言わないで。
だいじょうぶ。 一度は失敗・撤退したほうがいい。
また大きくなった時、トライしたら今度はできるから。
最初からすんなりうまくできちゃうより、やったぜ感、リベンジできた感があって、自分は成長しているんだと実感できる。
そのほうが却って自信になるんです。
子供時代はまだ長い。
人生はもっとずーっと長い。
幼稚園・保育園で、小学校で、またトライして、こんどはマーガレットちゃんのおっぱい、いっぱい搾ってね~。
わたしを思い出の場所に連れてって――
そんな末期患者の願いをかなえるのが「ラストドライブ」。
この数年、ヨーロッパで静かに広がってきた、いわゆる終活支援です。
昨年夏、ドイツでの事例を取材したドキュメンタリー番組がNHK-BSで放送されました。たまたまそれを見て感想をブログに書いたら、その時だけアクセス数が5倍くらいに跳ね上がってびっくりしました。けっこう関心の高い人が多いようです。
じつは今年から日本でもこれと同様の終活支援サービスが始まりつつあります。
さいたま市の「タウ」という会社がCSR(社会貢献事業)として始めた「願いの車」がそれ。余命少なく、一人では外出困難な患者を希望の場所に無料送迎するというものです。
タウは事故車の買い取り・販売を手掛ける会社で、社長がかの番組に心を揺すられ、「自分たちも車を扱う仕事をしているので」と、立ち上げました。
当面は近隣の病院やホスピスに声をかけて説明し、希望者を募るというやり方で進めていくそうです。
あらかじめ民間救急会社と提携しており、車両は酸素ボンベ、吸引機、自動体外式
除細動機(AED)などを装備した民間救急車を使用。外出には看護師やボランティアが同行。ただし外出は日帰りのみ。
主治医の了承と、家族の同意を得た上で送迎です。
僕は「月刊仏事」の記事を書くために電話で広報の方と話したのですが、この事業に誇りを持ち、かといって気負うこともなく、たいへん美しい応対だったことにも心惹かれました。
今後、提携先を県内の病院などに広げ、将来的には、活動に理解を示す企業からの協賛も。2019年には公益社団法人にして全国的活動を目指すそうです。
これも高齢化社会・多死化社会における一つの文化になり得るでしょう。 これからの展開が楽しみです。
今さらながら「スターウォーズ エピソード8 最後のジェダイ」。
2月のうちに書いてこうと思って、つい書きそびれていました。
あちこちでもうすっかりレビューも出尽くしていると思います。
まったく読んでいないので、世間的な評判はさっぱり分かりませんが、僕的にはかなり面白かった。
(特にこのシリーズの熱心なファンでないけど)全部見た中では、これが一番入り込めたな~と思いました。
率直な印象を言うと、かつてのスペースオペラ的な部分が薄まり、シェークスピア劇みたいに見えました。
世界政治とか抗争を含めた宇宙スケールの活劇だったはずが、なんだか家族ドラマみたいなスケールになってきた(これは批判ではありません)。
あくまで個人的な印象です。
実際には戦闘シーンは相変わらず多いし、チャンバラもあるし、絵作りも凝っているし、迫力もある。
そうしないと、スターウォーズブランドにならないからね。
ただ以前はそっちの方がストーリーを完全に凌駕していたのだけど、今回はドラマのほうが引き付けられる、ということ。
戦闘状況なんかを全部セリフで説明させてしまって、舞台劇にしたらいいんじゃないかと思ったくらい。
これまでのスターウォーズであまり魅力ある登場人物ってお目にかからなかった(ダースベイダーが悪役としてどうしてあんなに人気があるのか、さっぱりわからない)けど、若い二人の主人公――レイとカイロ・レンがはいい。
スターウォーズ過去40年の歴史というか、遺産というか、おっさんファンたちの降り積もった愛着やら怨念やらを背負わされても、最終的にそんなもの蹴っ飛ばして、カウンターのロングシュートでゴールを決めちゃいそうな「フォース」を感じます。
古いキャラクターはすべてこの二人の引き立て役ね。
いっそのことエピソード9は完全にオールドファンを裏切りまくって、戦闘シーンなしにしてしまったらどうだろう?
登場するのはレイとレンとBB-9(ロボット)だけとか。
ま、そんなのあり得ないはわかっているけど。
勝手にエピソード9の予測をすると、前回の3部作(エピソード1~3)は、史実(?)を変えるわけにはいかないので、主人公のアナキンがダークサイドに落ちてベイダーになってしまうという悲劇的ラストで後味が悪かった。
けど、今回の9は必ずやハッピーエンド、希望ある結末に持っていくでしょう。
なんといっても制作の大元はディズニーだし。
王道としてはレンの魂が救われ、レイと結ばれる・・・というのが落としどころだと思うけど、それだと単純すぎるかなぁ。
一昨年、としまえんの跡地にオープンした
「ハリーポッター スタジオツアー」に行ってきた。
正式名称は「ワーナー ブラザース スタジオツアー東京
‐メイキング・オブ・ハリー・ポッター」。
約3万平方メートルの敷地内を歩いて回る
ウォークスルー型のエンターテインメント施設だ。
●見どころ満載6時間ツアー
映画ハリー・ポッターシリーズや、
ファンタスティック・ビーストシリーズ制作の
舞台裏を体験できる。
映画に出てくるセット・小道具・クリーチャー・衣装や、
実際に撮影で使われた小道具などが展示され、
視覚効果を使った体験型展示もある。
初めてなのでフルパッケージのチケットを買い、
音声ガイドもつけて回ったので、ぜんぶ回るのに6時間かかった。
かなり見どころが多く、特に熱心なハリポタファンでもない僕でも
満足のいくツアー。
6時間は長すぎるかもしれないが、普通に3~4時間は楽しめる。
施設内にレストランやカフェもあるので、途中休憩もオーケー。
映画ハリー・ポッターシリーズは、
ほぼ2000年代に制作されており、
CGなどは現在の映像技術の1ランク下の技術が駆使されている。
その分、アナログ的というか、
昔ながらの手作りの部分も残っていて、
セットや小道具などの作りこみがすごい。
魔法学校の教科書など、映らないページまで
しっかり書き込まれており、
映画スタッフの間で受け継がれてきた
「魂は細部に宿る」の精神が生きており、
職人的な意気込みが伝わってくる。
でも、こういう部分は果たして、
今後の映画作りにおいてはどうなのだろう?
コスト削減のためにそぎ落とされているのではないか?
「ハリーポッター」は20世紀の映画文化の集大成。
映画が娯楽の王者だった最後の時代を飾る傑作シリーズ。
そんな言い方もできるのかもしれない。
●全8作再確認、そしてリメイク版ドラマも
というわけで、このツアー後、
アマプラで「賢者の石」から「死の秘宝」まで
全8作を一気見した。
(最後の「死の秘宝」は2パートに分かれている)
主役の3人が可愛い少年少女から青年に成長していくにつれ、
映画各話のトーンが変わっていく。
第1作・2作あたりはコミカルで明るい要素が多いが、
ヴォールデモートとの対決の構図が鮮明になる
中盤から後半にかけて、
ダークでハードな物語になっていく変化が面白い。
そして、やっぱり最終作における謎解き――
ハリーの運命をめぐる、
ダンブルドアとスネイプの人生をかけたドラマに感涙。
何でもテクノロジーでできてしまう昨今の映画製作だが、
演者の子供たちが青年に成長していく過程は、
さすがに機械では実現できない。
それをやってしまった「ハリー・ポッター」は、
やはり空前絶後の作品だろう。
こんな作品は二度と作れない――
と思っていたら、
何とアメリカで連続テレビドラマとしてリメイクされる。
キャストはもちろん全とっかえ。
(映画版の誰か生徒役が先生役として出れば面白いと思うが)
映画版では割愛された詳細な部分が描かれたり、
出番がなかった原作の脇役なども登場するらしい。
製作はすでにけっこう進行していて、
今年の夏には撮影開始予定とのこと。
製作総指揮は、原作者のJ・K・ローリング。
1作につき1シーズンで、最低7シーズン。
後半は内容が膨らむので、回数はさらに増えるかも。
いずれにしても10年スパンで、
映画同様、子役たちが大人になる過程を描き出す。
この時代にすごい構想だ。
「ハリー・ポッター」で一時代を築いたローリングももう還暦。
このドラマ化で、みずからの終活をしたいのかもしれない。
どうしても映画版と比較してしまうだろうが、
かなり楽しみにしている。
小説ももう一度、全巻ちゃんと読み直してみようと思う。
昨日、府中駅から東京競馬場に向かう途中、
出くわした、直径2メートルはあろうかという大太鼓。
バットみたいなバチで打つと、
すごい音が街中に響きわたる。
毎年4月30日〜5月6日の1週間、
大國魂神社を中心に府中市内で開催される
「くらやみ祭り」の一つ、「大太鼓送り込み」だ。
東京都の無形民俗文化財に指定しているらしい。
初めて見たが、間近で見るとすごい迫力。
偶然出会えてラッキーだ。
それにしても、この太鼓の皮は何だろう?
大きさからして牛以外に考えられないが、
どうやって作っているのか気になった。
ぜひ職人さんの仕事を取材してみたい。
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穴場はないかと、大穴狙って府中にある東京競馬場へ行く。
大あたり!ガラガラだ。
土日は競馬はやっていない。
お目当てはバラである。
東京競馬場にはバラ園――ローズガーデンがあって、
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6月1日の日本ダービーに合わせて調整しているので、
見頃としてはまだ少し早いが、十分に美しく、見ごたえがある。
全体が7つのエリアで構成されており、
300品種を超えるバラと脇役の小さな花・葉・草も充実している。
歩いているとロンドンの公園にいるようだ。
歴代のダービー馬の記念碑と、騎手の人形がかわいい
ダービーホースアベニューもいい感じだ。
そして何より有名な庭園と違って、
あまり知られていないので来園者が少なく、すいていて、
ストレスフリー。ついでに入園料もフリー。
人の映り込みなども気にせず、写真も好きなだけとれる。
テーブルやベンチもたくさんあるので飲食も自由だ。
だだし、自販機も含めて飲食関係の販売施設はないので、
府中駅周辺でドリンクとかサンドイッチとか
お弁当とか持っていくといい。
連休はもう終わりだが、5月・6月の平日はおすすめ。
正門前に電車の駅があるが、
競馬が開催される土日しか運行していないので、
アクセスは府中駅から。ぷらぷら歩いても15分程度です。
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「お母さんのところに帰る」と言って家を出ようとする義母。
「こんにちは!元気ぃ~!」と女子高生に突然声をかける義母。
幻の家族と会話する義母。
笑いあり、涙あり、驚きありの認知症介護エッセイ。
認知症になっても人生は続く。
むしろ、新たな人生の幕開けかもしれない。
この異色のエッセイ集は、社会が抱える高齢化問題の一面を、
ユーモアとリアリティで描き出しています。
忌避されがちな認知症を、新たな視点で捉え直す試みです。
もくじ
(全36編採録)
かつてのアングラ演劇シーンのヒーロー 唐十郎の一周忌。
昨年11月に出された追悼本
「唐十郎 襲来!」(河出書房新社)を読んだ。
現代演劇を研究し、過去、唐十郎界隈の評論も出している
評論家・編集者の樋口良澄氏がまとめたものだ。
同氏を含め、30人以上の人が、
それぞれの「唐十郎体験」を、
証言・エッセイ・読解・インタビュー・短歌・俳句など、
様々な形の文章で語っている。
中には寺山修司、蜷川幸雄のものも。
もちろん、過去の原稿を転載したものだが。
あの演劇界の巨人たちがみんなそろって、
あちらの世界に行ってしまったんだなぁと改めて実感。
蜷川幸雄のパートは、2011年の唐さんとの対談になっており、
二人の対談は、これが最初で最後だったようだ。
唐さんが「蜷川くん」と呼んでいるのが面白い。
●不破万作のインタビュー:伝説の舞台裏
特に心に残ったのは、状況劇場の初期から劇団員として
長年、活躍し、名脇役として名を馳せた不破万作のインタビュー。状況劇場が活動した1960~80年代は、
まだインターネットがなかったので、
この劇団にまつわる話題、唐十郎にまつわる逸話は、
良きにつけ、悪しきにつけ、いろいろな尾ひれがつき、
事実を大いに誇張した伝説として語られていた。
1969年、新宿西口公園で芝居を強行上演して逮捕された事件、
寺山修司の天井桟敷との乱闘事件、
そして、何度も行われた海外ゲリラ公演――
しかも当時まだ治安も環境も劣悪だった
アジアから中近東地域の旅公演などの話を本や雑誌などで読み、
当時学生だった僕たちは、唐十郎と状況劇場に対して、
途方もないスケールとエネルギーを持った、
天才、怪物演劇集団のイメージを抱いたものである。
不破万作はその舞台裏を明かし、いろいろ事件を起こしたものの、唐十郎も普通の人間だったのだなぁと、
ほほえましい思いになった。
特に妻だった李麗仙の前では小さくなっていた――
という話には笑ってしまった。
昨年も書いたが、僕も状況劇場の入団試験を受けに行って、
一度だけ、じかにこの夫婦に会ったことがある。
李麗仙は攻撃的でちょっと怖かったが、
唐さんは抱いていたイメージとのギャップもあって、
ずいぶん優しい人だなぁという印象が残っている。
そして唐さんに「きみの作文は面白かった」と言われたことが、
今の自分を支える柱の一つになっている。
●久保井研のインタビュー:
後半の創作活動を継続可能にした作劇スタイル
現在、座長代行・演出として唐組をまとめる
久保井研のインタビューもよかった。
彼と編集者・樋口との対話で、
状況劇場時代、「戦後復興した街に対する違和感」を
創作活動の根源にしていた唐十郎が、
唐組として再出発するにあたり、
「新しいメディアによる新しい現実を描き、
豊かさの中で右往左往する人間を描く」という
手法に切り替えたという話は、とても興味深い。
過去の実績・作劇法にこだわらず、自分の演劇を続けるために、
テーマとなる現場に出かけ、独自の取材をして戯曲を書くという、状況劇場の頃とは違う作劇スタイルは、
唐十郎の後半の創作活動を継続可能にした。
どんな天才でも、何十年にもわたって、クオリティが高く、
パターンに頼らない創作を続けるのは至難の業だ。
唐十郎が偉大なのは、なりふり構わず変えるべきところは変えて、好きな演劇を、けっしてブレることなく、
半世紀以上、死ぬまでやり続けたことである。
●永堀徹のエッセイ:唐十郎の原点
そして、もう一つ感動的だったのが
「唐十郎の原点」という唐十郎=大鶴義英の、
明治大学時代の一つ年上の先輩である永堀徹のエッセイだ。
1960年の安保闘争の挫折によって、活動継続の危機に瀕した、
彼らの明治大学実験劇場は、
都市の中での演劇に距離を置こうと、
茨城県の農村に地方公演に出かける。
都会と田舎との情報格差・ライフスタイルの違いが大きな時代に、若者たちが見知らぬ土地で、
どのように芝居をやり、何を得たのか?
タイトル通り、「唐十郎の原点」が、
まるで昨日のことのように鮮やかに、
朴訥な文章でつづられている。
最後のほうは読みながら涙してしまった。
本当に唐十郎はこの若き日の体験を基点に、
生涯、紅テントを持続し続け、それは今また、
後進に受け継がれた。
1960年代の日本の演劇ルネサンスが生んだ奇跡である。
あれから1年。
永遠の演劇少年・唐十郎に改めて合掌。
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認知症のおかあさんといっしょ2
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もくじ:
・京風お地蔵さん人形と義母のまぼろし家族
・認知症の義母がぬくぬくする光と音の暖炉
・認知症患者のごあいさつを受け止められますか?
(ほか 全36編採録)
先月、義母をショートステイに預けたら、
ちょっとしたトラブルがあった。
他の利用者が持っていたぬいぐるみを
「これは自分のものだ」と言い張り、
ガメてしまったのである。
どうやらその持ち主さんは安心のために、
いつもそのぬいぐるみを持ち歩いているらしいが、
義母に取られて、かなりパニクったようだ。
怒り心頭だったのか、泣き喚いたのか、わからないが、
とにかく大げんか。
スタッフの人は双方をなだめるのに苦労したらしい。
とはいえ、そこは認知症のありがたいところで
執着はいつまでも続かず、5分か10分、
気をそらすと忘れてしまう。
そして、それ以降は義母の目に触れさせない
という措置を取って、一件落着したらしい。
まるで保育園や幼稚園の幼児みたいで、
やれやれという感じだが、ここのところ、
こうしたトラブルが増えてきた。
家のなかでも、自分の食べ残したお菓子や食器、
家族共用のタオルや、使用済みの包み紙などに対して
「わたしのものだ」と異様な執着心を見せ、
それを取り上げようとしたカミさんとケンカになることが多い。
こうした「物に対するむき出しの欲」は
認知症患者特有のものというわけでなく、
今どきの年寄りの「あるある現象」だと思う。
人間らしいと言えば人間らしいし、
子供の場合は可愛さにもつながるが、
おとなの場合は、そうではない。
齢を取ったら聖人のように悟るべきだとは言わないが、
欲に取りつかれた老齢の人間の姿は、
やっぱり醜いなと思うし、哀れさを感じてしまう。
3年前に亡くなった実母(義母より6歳上)には、
こうした傾向はほとんどみられなかった。
いっしょに暮らしていなかったので確かなことは言えないが、
帰省で何泊かした時見ていても、
娘である妹とケンカすることはなかったし、
妹からそれで困ったという話も聞かなかった。
そして施設に入ってからは、
神様の領域に入ったような、穏やかな顔をしていた。
二人の違いは、人生全体の幸福度の違いなのかなと思う。
やはり幸福度が低く、
不満やストレスが多い生き方をしていると、
あるところまでは我慢が効いて体裁を保っていても、
高齢化して社会人としての枷が外れてしまうと、
抑えつけていた欲がむき出しになってしまう。
さらに言うと、母世代(戦前生まれ)の女性は、
やはり伴侶との結婚生活の影響が大きいのだと思う。
僕の両親は、適当に仲良く暮らしていて、
父は一切家事をしない人だったが、
あまり母にやかましいことは言わなかった。
7回忌なので悪いことは言いたくないが、
義父は亭主関白で、かなり義母の「しつけ」にうるさく、
彼女の希望を抑えつけ、
単独で外出することをめったに許さず、
家に縛りつけていたらしい。
いっしょにあちこち旅行に出かけるなど、
表面的には仲良し夫婦と見られていたようだが、
その見た目は、義母が我慢することで
成り立っていたのかもしれない。
もちろん、幸福度はそれだけで決まるものではないだろうが、
いっしょに暮らす人間との相性はかなりウェイトが高い。
今、女性の生き方は昔と比べて多様化して、
もう「すべては男次第、亭主次第」というわけではない。
結婚式のころはテンションが上がっているので、
互いに「幸福にします・なります」と、
ペロッと言えちゃうが、
数年たって、こりゃだめだなと思ったら、
迷わずさっさと離婚したほうが人生を汚さずに済む。
今の日本で「我慢が美徳」と思って生きていると、
欲望むき出しの醜い高齢者になるリスクが高まるのだ。
義母には申し訳ないが、つくづくそう思う。
彼女の名誉のために言っておくと、
欲にかられるのは、あくまで部分的であり、
四六時中そうなっているわけではない。
むしろ普段とのギャップが大きいので、
悲しい気分になり、考えさせられるのだ。
いずれにしても、愛されるジジババにならなくてもいいが、
ある程度きれいで、
子供たちから多少はリスペクトされる人間にりたい。
★おりべまこと電子書籍
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認知症のおかあさんと
いっしょ2(に)
本日5月1日(木)16:00~
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笑いあり、涙あり、驚きあり。認知症になっても人生は続く。
社会が抱える高齢化問題の一面を、
ユーモアとリアリティで描き出し、新たな視点で捉え直す試み。
福祉関係者や医療従事者には現場の生の声として、
一般読者には自分や家族の将来の姿として、
多くの示唆を与えてくれるでしょう。
ユーモアを失わない文体と鋭い観察眼が、
重いテーマを読者に負担なく伝える稀有なエッセイ集です。
昨日は、昭和100年の「昭和の日」だった。
最近は、なんでもデオドラントしないと気が済まない
ホワイト社会が進行中で、
昭和の価値観が次々とバッシングされている。
中居正広の性暴力問題から発展したフジテレビの問題しかり。
八代亜紀のヌード写真入りCDの問題しかり。
●性暴力を受けた女性がセクシー写真集を出すふしぎ
中居くんを擁護するわけではないが、性被害を受け、
PTSDになったという元フジテレビの女性アナが、
自身でカミングアウトした本や
セクシーな写真集を出しているのは、僕には理解しがたいし、
同性の間でも首をかしげている人は多いのではないか。
いろいろ理屈や事情があるのだろうけど、
いちいちそれに耳を傾ける人はそんなにいないだろう。
そしてまた、不思議なことに、彼女のこうした奇異な行動には、
僕が知る限り、あまり批判的な意見を聞かない。
被害者なのだから、
ということで優しくしなくてはいけないからか?
下着や水着の写真集を買うことで彼女を応援しようということか?それとも中居くんの擁護者・性暴力の容認者と思われるのが
嫌だから?
これもやっぱり僕には理解できない。
まだまだ昭和の価値観に染まっている人たちは、日本人の大半を占めていると思うが、みんな、このホワイト社会化についていっているのだろうか?正直、僕は息切れしている。
●昭和歌謡の女性歌手は花魁である
八代亜紀さんのCDの件は、裁判沙汰に発展する気配だが、
当のレコード会社は、そうなる前に発売してしまった。
転売目的で買った人も大勢いるようで
早くも高値を付けて売られている。
これは裁判になる前に商売完了という筋書きだ。
裁判に持ち込まれたとして、どんな裁きになるかはわからないが、倫理的にはともかく、
このレコード会社の社長が法律的に重罪になるとは思えない。
今でこそ「昭和歌謡」は、音楽通からもリスペクトされているが、昭和の時代、歌謡曲の歌手、
特に女性はクラブのホステスとほぼ同様の扱いだった。
という言い方に語弊があれば、江戸時代の遊郭の女郎、
あるいはもう少し上の花魁という扱いである。
今年のNHKの大河ドラマ「べらぼう」の主な舞台・吉原は、
江戸最大の遊郭があった街。
とびきり歌のうまい花魁は大人気で、
彼女のためなら大金を貢ぐという旦那は大勢いただろう。
ただし、社会的には身分制度の埒外で、
身請け制度があったことからも、
人間ではあるが「商品」としてのニュアンスが
強かったと思われる。
昭和はまだこうした江戸時代の芸能文化の流れを引きづっていて、歌ったり踊ったり芝居をしたりする人たちは、
一種の「商品」として見られていたと思われる。
たとえ八代さんほどの大歌手だとしてもだ。
だから「権利を買い取って所有している」という、
かの社長の主張は、
(下品だが)昭和の価値観からすれば正当なものだし、
その権利を使って商売するのが、どうして悪いのだ?となる。
亡くなって自分の意思を示せない八代さんの写真を出すことには
僕も反対だ。
だが、かといって
「八代さんが生きていたら絶対に認めないはずだ」という意見は
勝手な決めつけだろう。
僕は「多くの人に自分が若い頃の美しい姿を見てほしい」と
希望することも十分あり得ると思う。
女性の方々はどう思うだろうか?
●人間臭さ・エロ臭さにおう昭和の価値観はいずこへ
エロい方向の話に偏ってしまったが、
今後、AIが浸透し、様々な情報が整理され、
管理社会・デオドラント社会が進展してくると、
その一方で、ある意味野蛮で、汚く、
下品でいい加減な昭和の価値観は
ますます重要性を増してくるだろう。
なぜなら昭和が(もしくは20世紀が)人間による、
最後の、人間臭い時代、
最後のエロ臭い時代として認識されるようになるからだ。
その後、人間臭さ・エロ臭さを脱臭された人間はどこへ行くのか?昭和の価値観はどこまで生き延びるのか?
とても楽しみである。
それにしても、こんなことを考えている時点で、
僕はもう、時代に取り残された昭和人なのだろうと思う。
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この異色のエッセイ集は、社会が抱える高齢化問題の一面を、ユーモアとリアリティで描き出しています。忌避されがちな認知症を、新たな視点で捉え直す試みです。
先日、義母を美容院に連れて行った。
前にも書いたが、お抱え美容師(?)のTさんは、
腕はそこそこだが、接客の達人である。
義母は普段ニコニコしているが、
自分の体をいじくられるのが大嫌いで、
医者などでも随分と手こずる。
なので、正直、なるべく連れていきたくない。
美容院も何かされる、どこかいじくられるに違いないと、
カンがはたらくのだろう。
カミさんと二人がかりで、
できるだけご機嫌のいい状態で連れていくのだが、
店のドアの前まで来るとさっと顔色が変わり、足が止まる。
断固として入ろうとしないこともあり、
そういう時はやむを得ず、そのまま近所を
一回りして戻ってきたりする。
しかし今回はちょうどいいタイミングで、
Tさんがドアを開けてくれて、目が合うと
義母の表情がふわっと崩れた。
Tさんは、認知症患者の扱いに慣れているのか、
それとも単純に相性がいいのかわからないが、
一旦店に入ってしまえば安心してまかせられる。
すごく丁寧な接客というわけでなく、
適度にフレンドリーなところがいいのだ。
何かあったときのために、
一応、僕たちは店内の待合スペースにいるのだが、
これまでトラブルが起こったためしはない。
今回はピンクっぽい金髪にして
「ほぉら、かわいくなりましたよ」と言われ、
義母はご満悦である。
家からすぐ近くというわけでなく、
徒歩15分程度(義母を連れていると20分程度)。
あちこちいろんな店を試したが、
もうここしかないと、この2,3年は完全に御用達である。
もしこれから認知症患者が増えるとしたら、
そういうお客に対しても、柔軟に対応してくれる店は重宝され、
繁盛するだろう。
どのジャンルにも「認知症患者専門店」
なんてものができるかもしれない。
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「お母さんのところに帰る」と言って家を出ようとする義母。「こんにちは!元気ぃ~!」と女子高生に突然声をかける義母。幻の家族と会話する義母。笑いあり、涙あり、驚きありの認知症介護エッセイ。認知症になっても人生は続く。むしろ、新たな人生の幕開けかもしれない。この異色のエッセイ集は、社会が抱える高齢化問題の一面を、ユーモアとリアリティで描き出しています。忌避されがちな認知症を、新たな視点で捉え直す試みです。
「傷だらけの天使―魔都に天使のハンマーを―」は、
作家・矢作俊彦が2008年に出した小説(講談社文庫)である。
題名で察しがつくように、これは「傷だらけの天使」の小説。
30年後の後日談だ。
今年になってからAmazpn Primeで
「傷だらけの天使」全26話を見た僕は、
頭の中で、かつての傷天熱が再燃。
いろいろネットで情報をあさり、書籍として出版されている
解説本「永遠なる『傷だらけの天使』
(山本俊輔・佐藤洋笑/集英社新書)」を、
そして、この小説を読んでみた。
●1か月近く書けなかった感想
あの衝撃の最終回でラスト、
いずこともなく去った小暮修(萩原健一)は、
30年後、どうなったのか?
それを描いた物語となれば、
傷天ファン、ショーケンファンなら、
興味を持たずにはいられないし、ぜひ読むべき作品である。
……と言いたいところだが、
同時に「読まないほうがいいよ」とも言いたくなる内容である。
思い出は思い出のまま、大事に取っておいたほうがいい。
昔の恋人にはもう一度会おうなんて思わず、
かつての美しい面影だけを抱きしめていたほうがいい。
正直、そんな心境になってしまった。
これを読み終えたのは3月末だったが、
どんな感想を書けばいいのか、うまく整理がつかず、
かれこれ1か月近く経ってしまったのは、そのせいだ。
●トリビュート小説の傑作だが
誤解がないように言っておくと、
「傷だらけの天使―魔都に天使のハンマーを―」が、
読むに堪えない駄作というわけではない。
むしろその逆で、これは傑作だと思う。
探偵小説、ハードボイルド小説、エンタメ小説、
どの呼び方が一番いいのかわからないが、
とにかく、こうしたジャンルにおいて、
構成、文体、表現、リズムなど、
相当質の高い作品であることは確かだ。
作者自身が傷天ファンであり、
読者も完全に傷天ファンを対象としているので、
原作ドラマに対するリスペクトも十分すぎるくらい十分。
たとえば冒頭部分は、僕たちがこぞってマネをした、
あの伝説的なオープニング朝食シーンの
完全なオマージュになっている。
同時に、30年後、55歳になったオサムの現状を
ビビッドな表現で読者に伝える始まり方になっており、見事だ。
この冒頭部分が象徴するように、
トリビュート小説として非常によくできており、
いちいち納得できる。
しかし、だからこそ、この物語が、
多くの傷天ファンに与えるダメージ(?)も
大きいのでないかと思う。
少なくとも僕にとってはそうだった。
●萩原健一と市川森一の置き土産
1974年秋から1975年春にかけて日本テレビ系で放送された
「傷だらけの天使」は、
当時、その圧倒的存在感で人気を誇った俳優・
萩原健一を主役にした、
コミカルさとハードボイルドテイストと
人情味を併せ持つ探偵ドラマで、
斬新な内容・演出と、日本映画界を代表する監督らが参加した
「テレビ映画」として話題になった作品だ。
視聴率は振るわなかったが、
その「カッコ悪いカッコよさ」「ろくでなしの生き様」は、
当時の若者たちの心にずっぽり突き刺さり、
大量のファンを生み出し、半世紀を超えて続く伝説となった。
そうしたファンの一人である作者の矢作俊彦は1950年生まれ。
まさしくショーケンと同級生である。
彼はこの作品の執筆に際して、
主演の萩原健一と、脚本家の市川森一から承諾を得ている。
市川は登場人物やドラマの世界観の設定をつくり、
26話中、8つのエピソードの脚本を書いた、
脚本陣のメインライター。
いずれも「傷天」を代表する傑作で、
第1話(制作側の都合で放送時は第7話になった)と最終話も
彼のペンによるものだ。
市川は2011年、萩原は2019年に他界しているので、
「魔都に天使のハンマーを」は、傷天の核ともいえる二人が、
矢作に託して残した、置き土産ともいえるかもしれない。
市川は1983年に同名の脚本集を大和書房から出しているが、
その後、何度も傷天復活の話があったらしい。
しかし、幸いなことに(?)、それらは実現しなかった。
制作上の都合もあったかと思うが、
ファンも齢を取った萩原がオサムを演じる姿は
見たくなかっただろう。
そして、萩原以外の俳優がオサムを演じることも
許せなかっただろう。
●小説の世界だから許される30年後の傷天
しかし、小説の世界――僕たちの想像力の範囲でなら、
それは許される。
キャラクターの描写は的確で、
修が話すセリフの文字からショーケンの声が聴こえてくる。
僕たちは、この物語の中で「55歳の小暮修」と出会えるのだ。
それは他のキャラも同じ。
ここには、オサムがヤバい仕事を請け負っていた、
探偵事務所のボス・綾部貴子も、
その右腕として活躍していた辰巳五郎も出てくる。
最終回で横浜港から外国へ逃亡した貴子は、
もはや探偵事務所の経営者などではなく、
六本木ヒルズを根城とする組織のトップとして、
2000年代半ばの日本の政治・経済・産業界を牛耳る
フィクサーとなっている。
同じく横浜港で逮捕された辰巳は、
あの時、貴子に裏切られたのにも関わらず、
相変わらず手下として、舞台裏を跳梁跋扈している。
どちらも年齢設定は還暦をとっくに超えて
70代ということになるが、
超高齢化社会で、
いまだに昭和のジジババが幅を利かす日本においては、
何ら違和感がない。
それぞれの役を演じた岸田今日子・岸田森も、
すでにこの世を去っているが、
ここも想像力を駆使して、加齢し、より妖怪化した
二人の声を被せて読むといいだろう。
●アキラへの想い
そして、物語の中で絶大な存在感を感じさせるのが、
オサムの弟分の乾亨である。
しかし、アキラはドラマの最終回、つまり30年前に死んでいる。
もちろん生き返って登場するわけではないが、
彼はオサムの中でずっと生き続けており、
ことあるごとに心の底からよみがえってくるのだ。
文字通り、天使になったアキラへの追憶。
若かりし時代の、宝のような思い出と、
あの時、彼を見捨て、死なせてしまったという罪悪感。
それがこの物語の軸の一つになっており、
随所に現れる、ドラマから引用したアキラのセリフを読むと、
若き水谷豊のあの声と独特の言い回しが響いてくる。
(断じて、現在の、杉下右京の水谷ではない)
● 在りし日のエンジェルビルも
それぞれのキャラクターとともに、
世界観もきちんと踏襲しており、
オサムが住処としていたペントハウスも、
舞台の一つとして出てくる。
やはり傷天にはペントハウスが欠かせない。
このペントハウスのロケ地として使われた、
代々木駅近くの代々木会館ビルは、
傷天ファンの間で「エンジェルビル」と呼ばれ、
この小説が出版された当時は「不滅の廃虚」として、
まだ健在だった。
オサムだった萩原が亡くなったのが、
令和が始まった2019年3月。
このエンジェルビルが解体されたのが、同じ年の8月。
単なる偶然だろうが、ファンとしては
何らかのつながりを感じたくなる。
●1970年代と21世紀ビギニングとの融合
そんなわけで原作の世界観に忠実に……と言いたいところだが、
あくまでこちらの時代設定は、ゼロ年代半ば。21世紀の物語だ。
30年が過ぎ、もう世界は変わっているのに、
1970年代と同じ世界観で描くのは、逆にウソになる。
作者はそのあたりも心得ていて、
バーチャルワールドや生殖医療などの要素も入れ込んでいる。
1970年代には、ほとんどSF小説・SF映画に出てくるものが、
ここでは現実として違和感なく描かれており、
かつての傷天を、21世紀の物語としてシフトさせているところは
心憎い。
しかも、ゼロ年代半ばといえば、
まだデジタル社会への移行の途上で、
インターネットが今ほど社会に普及しているとは言い難く、
スマホも世のなかに登場していない。
そうしたなかで、こうした要素を駆使して描いたのは、
かなり先進的だ。
●残酷な結末
僕が最初に「読まないほうがいいよ」と言ったのは、
この「21世紀の傷天」の物語世界を形作る
キーマンが存在するからである。
それは貴子でもなければ、辰巳でもない。
他の新たな登場人物でもない。
それは原作ドラマを知る者なら、誰でも知っている人物だ。
物語の終盤、その人物とオサムとの、
二人きりの対決のシーンが描かれる。
まるで目の前で、
あの傷天のアクションが展開されているような見事な筆致。
しかし、そのシーンで、それまでのすべての謎が解け、
物語の文脈が明らかになると、
そのあまりの運命の残酷さに慄然とする。
原作のメインライター市川森一が、ドラマ作りの信条としていた、
とびきり賑やかで楽しい夢と、
奈落の底に落ちるような現実とのコントラスト。
矢作俊彦は、この後日談でも、それをしっかり踏襲した。
55歳になったオサムが、
最後に何と向き合わなくてはならなかったのか。
誰と闘わなくてはならなかったのか。
当たり前のことだが、30年もの月日が経てば、子供は大人になる。
これだけ言えば、原作を知る人は、もうピンと来るだろう。
粗野で風来坊のように生きてきたオサムだが、
彼は家族を大事にする男でもあった。
しかし、彼はそのかけがえのない家族に裏切られてしまう。
「魔都に天使のハンマーを」は、家族の物語でもあるのだ。
読み終えた後、僕は原作の様々なシーンを思い出して、
思わずため息をついてしまった。
そして、やるせない気分に覆われた。
すべて辻褄が合い、すべてが納得できる内容である。
この後日談を、一級のエンタメ小説として構築するためには、
こうするのが最高の手立てだったのだろうと思う。
でもなぁ、こうなるなら、
もう少しダメダメな話でもよかったよなぁと思ってしまった。
最後の最後に、ほんのちょっとした救いはあるんだけど。
●ショーケン死すとも傷天死なず
というわけで、長々と書いてしまった末にもう一つ気付いたのは、
傷天の30年後を描いたこの作品は、
もう20年も前に書かれたものだということ。
この20年の間にまた時代は変わった。
萩原や市川をはじめ、傷天関係者は相次いでこの世を去った。
エンジェルビルも代々木から姿を消した。
でも、その代わりに、U-NEXTやAmazon Primeなどの動画配信で、
多くの世代が、半世紀前の、
若かりしオサムとアキラの活躍を見られるようになった。
物語のなかで55歳になっていたオサムは、
もう後期高齢者の仲間入りをしている。
貴子や辰巳は90代になるだろう。
それでも超高齢化社会では、
この物語はまだ続くのではないかと思わせる。
傷天伝説の一部となった「魔都に天使のハンマーを」。
最初に「読まないほうがいいよ」と言っておきながら、
今さらだが、勇気を出して読んでみることをおすすめする。
青春の思い出の湯に浸るのは気持ちいいが、
やっぱりそれだけだと、今を生きることにはつながらない。
今を生きて、傷天を未来に伝えていきたい。
ショーケンが死んでも、「傷だらけの天使」は死なない、きっと。
エリック・クラプトンの来日公演に行ってきた
K君(24歳)の報告を聴く。
「レイラ」はやらなかったが、
いきなり「ホワイトルーム」や「サンシャイン・ラブ」の
クリームナンバー。
80歳で武道館ライブを行ったクラプトンは、
2年前、自ら作った同会場の最年長記録を更新したという。
クラプトンとほぼ同年代と思しき、隣の席のじいさんが彼に向って、まるで孫に語るように
「クラプトンが日本に来るのもこれが最後じゃろう」と語った。
その目は涙ぐんでいたという。
80で1時間半のライブをやっちゃうクラプトンも偉いが、
武道館まで足を運んでくるあんたも偉いよ。
そこで僕も思わずK君に語ってしまった。
いや、おまえ、クリームって、俺が中高生のころは、
すでに伝説のバンドだったんだよとか、
俺の友達が高校の文化祭でクリームのコピーやって
鼻高々だったんだよとか、
ベース、ドラムと3人のバンドで、
協調性やバンドとしてのまとまりとか、曲の完成度とか、
そんなのどうでもいいと思ってる連中で、
いつも崩壊ぎりぎりのところで演奏していたんだぜとか、
「ホワイトルーム」や「サンシャイン・ラブ」は、
1960年代後半の時代精神を描いたの歌詞だけど
、一回りして、今の時代に合ってるかもなとか、
ベースのジャック・ブルースも、
ドラムのジンジャー・ベイカーもとっくの昔に死んじゃったけど、クラプトンはヤクまみれになっても、
女でひどい目にあったり、ひどい目に合わせたりしても、
息子が死んだりしても、
この齢になるまで生きてきた。生き残ってきた。
もうカネも名声も十分すぎるほど手にしているのに、
それでもライブをやるっていうのは、
根っから音楽が好きなんだろう。この際、
死ぬまで日本に来続けてほしいよなとか、
そんなどうでもいいことをえんえん語ってしまったが、
K君は好青年なので、
しっかり相槌を打ちながら、僕の話に耳を傾けてくれた。
正直、僕はそれほどクラプトンファンではないので、
演奏を聴くのはYouTubeで十分と思っているのだが、
わざわざ来日公演に行った、
アート、カルチャー大好きのK君の話は面白かった。
それにしても、80代も20代も音楽が共有できる時代が来るなんて、まったく想像できなかった。
こうして20世紀のポップ&ロックカルチャーは
未来に引き継がれていく。
のだろうか?
「全国初摘発“生成AI”で作成した裸女性の
わいせつ画像をポスターにし販売か 男女4人逮捕」のNEWS。
僕をはじめ、多くの人は、驚きでもなんでもなく、
「やっぱり出たか」
「このタイミングで出たか」といった、
冷静な(?)感想を抱いたと思う。
これはマーケティング的必然。
いくらで売ってたのか知らないが、
リアルな写真集やアダルトビデオと違って、
モデルや女優さんも、カメラマンも、
ディレクターも、ロケ費用もいらない。
コストがかからないので、
売り上げのほとんどは利益になる。
人間、エロいカネもうけ、ボロい金儲けには、
惜しみなくエネルギーを注げるようにできている。
試しに「AI エロ 画像」で検索してみたら、
出るわ、出るわ。
そのほとんどはボカシが掛かって見えないが、
水着や下着付きならOK。
いかに日々、AIエロクリエイターたちが
創造力を発揮しているか、
そのエネルギーたるや、大したものだ。
「わいせつ」と言っても、
アダルトビデオサイトよりだいぶマシなのでは?
と思うが、今回の摘発は今後、
AIを使ってエロコンテンツでビジネス考えてる人たちへの
牽制・見せしめなのだろう。
でもこの先、テクノロジーが
人間の慰安に使われるのは必至だと思う。
ロボットもある程度のレベルに達した後は、
この方面から開発技術が進むのではないか。
今のところ、AI・ロボット相手に性欲をたぎらせるのは、
気持ち悪いし、人間として異常ではないか、
という見方が強いと思うが、
いずれみんな慣れてしまって、
いつの間にか社会的にも認められていくだろう。
むしろバーチャルエロが、
現実世界の性犯罪の抑止力になるのではないか?
そして、肉体を慰めてもらった後は、
心も慰めてもらう、といった形で、
AI・ロボットは恋人や友達や家族に
進化していくのかもしれない。
こんな妄想が、妄想でなくなる日が来るのも、
そう遠い先の話ではなさそうだ。
義母を花見に連れて行ったのだが、
地面に落ちているゴミばかり気にしているので
「おかあさん、ちゃんと桜を見な。
あと何回見られるかわかんないんだよ」と言ったら、
「あ、そうか、そうだよね。わー、きれい」と、
妙に素直に納得。
「これが最後かもしれない」と思って花見をする人は、
あまりいないと思うが、
もちろん、そうなる可能性はゼロではない。
めめんと・もり。
と考えたところで、今日(正確には昨日だったか?)が、
昨年死んだ友達の一周忌だということを思い出した。
なので、桜の花に、心の中で彼女の遺影を被せて黙とうする。
用意した遺影は劇団時代の、とびきりかわいい(?)やつだ。
彼女は演劇学校の同級生で、いしょに劇団をやった仲間だった。
この先、桜の季節になると、
いつも彼女のことを思い出すのだろうか?
わからない。
演劇学校や劇団時代やロンドン時代の仲間、
小中高の同級生・友達、
このあたり、たぶん200人ぐらいは、
わりと正確に顔と名前を記憶している。
やっぱり、それぞれ何かしらの良い思い出を共有しているのだ。
もうほとんどの人と会うことはないだろうし、
相手はとっくの昔に忘れているだろうけど。
だから、死んだことを知ったら、
いちいち葬式や墓参りにはいかないが、
心の中で遺影にして弔ってやることはできると思う。
何の意味もないし、何の役にも立たない。
でも、そういうことが自分にとって大事なことだと思える。
生きてる証拠でもあるしね。
おりべまこと電子書籍新刊 本日発売!
エッセイ集:認知症介護2
「認知症のおかあさんといっしょ2(に)」
AmzonKindleより500円で発売中。
(本書紹介文より)
「お母さんのところに帰る」と言って家を出ようとする義母。
「こんにちは!元気ぃ~!」と女子高生に突然声をかける義母。
幻の家族と会話する義母。笑いあり、涙あり、驚きありの
認知症介護エッセイ。
認知症になっても人生は続く。
むしろ、新たな人生の幕開けかもしれない。
この異色のエッセイ集は、社会が抱える高齢化問題の一面を、
ユーモアとリアリティで描き出しています。
忌避されがちな認知症を、新たな視点で捉え直す試みです。
本書は単なる介護記録ではありません。認知症という鏡を通して、
現代日本社会の価値観や人間関係を問い直す社会批評でもあるのです。「認知症になったら人生終わり」という社会通念に、
著者は半ば同意しながらも、
そこに新たな人生の可能性を見出そうとしています。
福祉関係者や医療従事者には現場の生の声として、
一般読者には自分や家族の将来の姿として、
多くの示唆を与えてくれるでしょう。
ユーモアを失わない文体と鋭い観察眼が、
重いテーマを読者に負担なく伝える稀有なエッセイ集です。
もくじ
(全36編採録)
本放送から50年を経たショーケン(萩原健一)主演の
探偵ドラマ「傷だらけの天使」。
僕らのように、リアルタイムで出会った世代にとって、
このドラマは、いわばビートルズのような、
シンボルカルチャー的存在だが、
新たな世代のファンもけっこういるらしい。
その「傷だらけの天使」について解説した本が1年前、
2024年1月に出版されていた。
●貴重な資料集
制作の舞台裏、さまざまなエピソードについて書かれており、
関係者の貴重な証言が盛りだくさん――
と言いたいところだが、もう50年も前のドラマなので、
関係者の多くはもうこの世にいない。
それでも、主演の萩原健一の自伝「ショーケン」のなかで、
彼が「傷天」について語ったコメントを取り上げ、
その裏を取る形で、当時、制作現場に携わったスタッフ
(のなかでまだ健在な人たち)に取材。
どのようにこの名作ドラマが作られたのか、
丹念に探究しており、当時の現場の記憶の証言集・
貴重な資料集として読める。
●当時の名監督らが参戦
1970年代半ばは、まだテレビドラマは
映画より格下と見られていた時代だが、
「傷天」には、深作欣二や恩地日出夫など、
映画の世界で名をはせていた名監督らが参戦。
テレビドラマでありながら、
映画としてのヤバさを前面に打ち出した、
「テレビ映画」という新しいジャンルを開拓した。
そうした挑戦的で、冒険心に富んだ企画ゆえに、
テレビをばかにしていた映画通からも
リスペクトされていた作品なのである。
主演のショーケン自身も企画段階から携わっており、
ここでは、そのあたりの開発ストーリーと、
監督、脚本家、プロデューサーらが、
この企画にいかに情熱を注いでいたかなど、
スタッフにまつわるエピソードが詳しく書かれており、
とても読みごたえがある。
そうしたスタッフの意気込みをフルに反映した、
スタート時の数本には、カオスのような熱気が込められており、
コミカルでありながら、戦後の影を引きづった、
ダークで意味深な社会背景、
若者の夢を描く反面、現実の残酷さを刃物のようにつきつける、
独特のトーンがあって、すごく面白い。
また、同じく開始初期はやたらとセクシーシーンが多いのだが、
監督らがいかにゲスト女優をあおって脱がせたかなど、
今なら完全にセクハラ・パワハラで、
レッドカードとなるエピソードもいろいろ書かれている。
とはいえ、テレビに似つかしくない、
先進的すぎるつくりが災いして、
また、セクシーシーン、暴力シーンが
テレビサイズではヤバすぎて、
視聴者からひんしゅくを買ったため、
ショーケン人気に乗じた割には視聴率は伸びず、
本放送時の評判はさんざんだったようだ。
さらに深作監督らが撮った最初の7本くらいで
予算をかなり使ってしまい、
途中から路線を変更せざるを得なくなってしまった。
しかし、それが弟分アキラ(水谷豊)の存在感を
クローズアップすることにつながり、
このドラマの最大の魅力となる、
オサムとアキラのコンビネーションによる
独特のノリが生まれたのだと思う。
伝説の最終回・衝撃のラストはどう生まれたのか?
ただ、残念なのは、
あの伝説の最終回に関する記述が少ないことだ。
最終回「祭りのあとにさすらいの日々を」の脚本を書いたのは、
メインライターだった市川森一。
市川はオサムとアキラのキャラクターや、
物語の設定を作り、全26話のうち、7話を手掛けた。
(この本の中では、そのあたりの経緯もちゃんと紹介している)
僕は手元にその市川が1983年に出した
脚本集「傷だらけの天使」(大和書房刊)を持っているが、
最終回のラストシーンは、どしゃ降りの雨の中、
死んだアキラを背負って、
ペントハウスの階段を下りてきたオサムが、
「まだ墓場にゃいかねえぞ!」と叫ぶところで終わっている。
それがどこでどうやって、アキラの遺体をリヤカーに乗せて夢の島
(当時は、現在の整備された街からは想像もできない、
大都会・東京の巨大なゴミ捨て場)に棄てて、
いずこともなく去ってゆく――という、
僕らの胸に一生のトラウマを残す、あの、苦く切ない、
衝撃的な幕切れに変ったのか、
そこを丹念に掘り返してほしかった。
最終回の撮影現場を語れる萩原健一も、
工藤栄一監督も鬼籍に入ってしまったが、
まだ一人、重要人物が現役バリバリで活躍している。
アキラ役の水谷豊だ。
アキラ:水谷豊の不在
この本には水谷豊の証言がないのも、大きな穴に思える。
著者もメインキャストのなかで唯一健在の彼に対して、
当然、アプローチはしたと思うが、
取材を拒まれたのかもしれない。
聞くところによると、水谷は「傷天」については
ほとんど語りたがらないという。
アキラ役が嫌いだったとも聞く。
しかし、それは嘘だろう。
彼はクレバーな人なので、いまだに多くの人が「傷天」を、
アキラを愛していることを知っている。
いまだにアキラこそ、
水谷のベストパフォーマンスという人も少なくない。
彼としてはその後、役者として生きていくために
アキラの幻影を振り払う必要があり、
あえて「傷天」について語ることを封印したのだと思う。
けれども、あの野良犬のような惨めなアキラの死から、
その後、半世紀にわたって、ドラマ・映画で大活躍する名優・
水谷豊が誕生したのは間違いない事実。
彼があの役を愛していないわけはない。
改めて「傷天」を通して見ると、
アキラという一見とぼけた少年のようなキャラクターの奥深さ、
それを見事に表現し、独自のものにした
水谷豊の芸達者ぶりに舌を巻く。
それについてはまた、別の機会に書いていきたいと思う。
なぜ今、まだ「傷天」なのか?
もう一つだけ不満を言わせてもらうと、本の紹介文のなかで、
「なぜ『傷だらけの天使』は、
いまだわたしたちの心に残り続けるのか、
その理由と価値を問う。」
とあるのだが、これに匹敵する著者の考察は、
まとまった形で綴られておらず、
肩透かしされた思い、物足りなさを感じる。
それとも、今回はあくまで資料集・証言集の域でとどめて、
考察はまた別の機会で、ということなのだろうか?
それならそれで楽しみだが、
いい機会なので、僕も自分でも一丁考察して、
自分なりの「傷だらけの天使」の本を
書いてみようかと思っている。
一昨日、横浜・鶴見で開かれた
かさこさん主催の交流会に行きました。
カメラマン・ライター・Kindle作家のかさこさんは、
ネット発信のエキスパートであり、
ネット集客などの課題に悩む
個人事業主のアドバイザーでもあります。
世の中にはたくさんのフォロワーを集める、
インフルエンサーと呼ばれる発信者がいますが、
そのなかでもかさこさんは、
最も信頼できる発信者の一人だと思っています。
交流会に集まったなかでは、自分を含め、
人生後半を奮闘する人たち、
アラカンや還暦超えてがんばる人たちがたくさんいました。
もちろん、みんな、いろいろトライして結果を出したい、
好きなことをやって稼ぎたい、食っていきたいわけだけど、
こうして自分で仕事を始めて、
ジタバタやっていること自体が、
いいね、すごいなと思うのです。
僕の両親や、認知症になってしまった義母(90)の世代は、
敗戦によってペッシャンコになってしまった日本を復興させ、
豊かな社会を築くことを共通目標としていました。
しかし、僕の世代になると、両親らのような
誰もが共有できる目標は、もはやありません。
それに代わって、僕たちひとりひとりが、
生きる目標や生きがいを
設定しなければならない状況が訪れています。
何らかの形でその設定ができないと、
人生において幸福感を得るのは難しい。
経済的に食えないと生きていけないし、
経済や仕事や情報の奴隷になって、
精神が壊れても生きられない。
「人生百年」と謳われる未知の世界は、
豊かで便利で情報がいっぱいあるにも関わらず、
どうにも未来に希望を見出しにくく、不安があふれる世界です。
ここでは還暦は、
かつてのような定年退職後の余生ではなく、
新しく生き始める年代、と同時に、
人生の終わりも考えなきゃいけない、
かなり複雑な年代といえるかもしれません。
そう簡単に「逃げ切り」はできません。
いろんな面白い人と会って、そんなことを考えました。
みんな、今までも十分がんばってきたかもしれないが、
まだまだがんばろう。
AIと認知症を結び付けて考えたことがある。
正確にはAIでなくてロボットだ。
施設で暮らす老人の気持ちを、ロボットの介護士が汲み取り、
ルールを破って、彼の脱走を幇助してしまう。
若い頃にそんなストーリーを思いつき、
ドラマのシナリオや小説に書いた。
どれだけAIやロボットが社会に普及しても、
介護の分野はあくまで人間にしかできない仕事。
そう考える人、そう願う人、
そうでなくてはいけないと考える人は多いと思うが、
昨今のAIの進化状況を見ていると、
あながちそうでないかもと思えてくる。
もしかしたらAIやロボットに任せてしまったほうが、
いろいろな面でうまくいくのではないか。
認知症の義母は、ふだんは穏やかでにこやか。
人当たりもよく、ぜんぜん知らない人でも、
道ですれ違うとあいさつを交わす。
ある意味、社交性に富んでいるのだが、
最近、僕たちやデイサービスのスタッフなど、
ケアする相手を手こずらせる問題行動が、だんだん増えてきた。
もともとへそを曲げると頑固になるところがあるのだが、
特に昨年夏に肺炎っぽくなって1週間あまり入院した後は、
子供の「いやいや」みたいなことを頻繁に起こすようになった。
歯を磨かない、爪を切らせない、お風呂に入らない、
薬を飲まない、検温させない、送迎の車から降りない・・・
そういう時にふと考えるのは、
これがケアする相手が、僕たち人間でなくロボットだったら、
こんなに強く拒否するだろうか?
諦めてもっと素直に従うのではないかと思うのだ。
その人の個人データを取り込んで、パーソナリティを把握すれば、
ロボットのほうがもっと優しく、
うまく対処できるのではないかという気がしている。
(もちろんセキュリティ上の問題、倫理上の問題はあるが)
なぜなら比較した場合、機械より人間のほうがリスクが大きい。
少なくとも機械は、人間のように、
互いに嫌悪や憎悪を抱いたり、
ケアする相手に虐待や差別をすることがあったり、
暴言を吐き、暴力をふるったりして、
肉体・精神を痛めつけるようなことはしないだろう。
患者のほうも慣れてしまえば、
むしろ機械のほうがいいと思うかもしれない。
人間のケアラーだったら拒絶する夢想・妄想にも、
機械はうまく合わせて対応してくれる可能性が高い。
また、いっしょに暮らす家族も
苦しい思い・悲しい思いをせず、ストレスを減らせる。
実際、アメリカでは終活相談を、
人間ではなくAIとしたいという人が増えているらしい。
なぜなら、AIは人種や社会的身分、
経済状態などで相手を差別することなく、
平等に扱ってくれるからだという。
「AIのほうが人間よりも人間的
」という逆転現象も起こりうるのだ。
というか、部分的にはもう起こっているといえそうだ。
ちょっと前なら「おまえはSFの見過ぎ・読み過ぎ」と
鼻で笑われていたことが、
この数年のうちに実現するのかもしれない。
AI・ロボット関連の技術にまつわる常識も、
人間の寿命やライフスタイルに関する常識も、
毎日、劇的に変わり続けている。
義母の場合、前兆として、
ちょっと高齢者うつっぽい時期があったようで、
そこから数えると、認知症歴はかれこれ20年。
世の中の標準値では、今のところ、
認知症患者の余命は発症後5~12年となっているので、
それはもうはるかに超えている。
今後、義母のように認知症を患いながら、
長く生きる人は、ますます増えてくるだろう。
認知症の人たちと一緒に生きる社会、
それなりに寄り添える社会をつくっていくためには、
AI・ロボット関連の技術はきっと必要不可欠になるだろう。
彼らのサポートを借りずに、
人間らしさも保てないし、
人間の尊厳は成り立たない。
そんな時代がもう来ているのではないか。
人間と機械が競い合ったり、対抗したりする時代は、
じつはもう終わっているのかもしれない。
3月24日(月)16:59まで無料キャンペーン実施中。
残り1日。まだ間に合います。
ぜひ、この機会にお手持ちのデバイスに入れてください。
読むのはあとからでもOKですよ。
本日3月19日(水)17:00~24日(月)16:59 6日間
2019年6月に義母を引き取り、いっしょに暮らすようになった。
以来、認知症が僕のライフワーク(?)になった。
彼女は少なくとも認知症15年選手。
彼女に寄り添おうとすると、
日常生活が容易に非日常の世界にすり替わる。
こうしたケアも一つの人生経験。
ということで日々の格闘の様子を時折ブログに書いている。
エッセイ集はそれをまとめたもの。
それと同時に認知症をネタにした小説も書くようになった。
こんな風に言うと怒られるかもしれないが、
認知症は面白い。
失礼があってはいけないが、
もっと面白がって、いっしょに泣いたり、笑ったり、
怒ったりしていい。
どちらも第2弾を準備中ですが、
ぜひ、あなたもこの2冊で認知症の世界を冒険してください。
認知症のおかあさんといっしょ
認知症の義母との暮らしを楽しくつづる介護エッセイ
認知症を知り、認知症から人生を考え、人間を学ぶ。
ざしきわらしに勇気の歌を
ロボット介護士に支えられて余生を送っている
認知症の寅平じいさん。
彼がある日、林の中を散歩していると不思議な子どもに出逢う。
その子を追って木の穴に潜り込むと、
奥には妖怪の国が広がっていた。
認知症×ロボット介護士×妖怪戦争の近未来ファンタジー小説。
明日3月19日(水)17:00~24日(月)16:59 6日間
認知症のおかあさんといっしょ
認知症の義母との暮らしを楽しくつづる介護エッセイ
「いいの、手なんか握って?」
「だって手をつながないと危ないよ」
「いいの本当に? 奥さんはいらっしゃるの?」
「はい、いますけど(あなたの娘ですよ)」
「わあ、どうしよう? 奥さん、怒らないかしら?」
「だいじょうぶです。公認ですから」
「わあ、うれしい。こうしたこと一生忘れないわ」
「喜んでもらえて何よりです」
そんな対話から始まった義母の介護の日々を綴った面白エッセイ。
認知症を知り、認知症から人生を考え、人間を学ぶ。
ざしきわらしに勇気の歌を
認知症×ロボット介護士×妖怪の近未来ファンタジー小説
ロボット介護士に支えられて余生を送っている
認知症の寅平じいさん。
彼がある日、林の中を散歩していると不思議な子どもに出逢う。 その子を追って木の穴に潜り込むと、
奥には妖怪の国が広がっていた。
子どもの正体はざしきわらし。
ざしきわらしは最強の妖怪“むりかべ”の脅威から
人間を守るために闘うので、応援してほしいと寅平に頼む。
寅平はこれぞ自分のミッションと思い、
闘うざしきわらしのために勇気の出る歌を歌う。
AIは無料バージョンで十分。
もちろん、AIを使って何をするかによって違いますが、
文章生成の分野に限っては、どれも無料版でいいと思います。
現在、仕事で使うためにGemini、Claude、ChatGPTと、
アシスタントを3人雇用。
これがその日によって、かなりコンディションが違っていて、
どれが一番いいとは言えません。
あえて言うと、割とまじめな事務系文章はChatGPT。
そつがないけど、いかにもAIです、という感じの文章。
ちょっとユニークで面白い文章を出してくるのはClaude。
Claudeが出してくる文章は、ちょっと人間っぱい匂いというか、
ぬくもりがあります。
もちろん、プロンプト次第ですが。
「もっとくだけて、柔らかくして」と指示すると、
かなりズッコケながらも、
ちゃんと使えるようにそれなりにまとめてくるところが偉い。
Geminiは特徴が言いづらいけど、
前者二つの中間みたいな感じ。
こちらは柔らかい文章を要求すると、
本当にグダグダのを出してきて使い物になりません。
ただ、いちばんタフなのはGeminiで、
取材のメモ・音声起こしなどを資料としてぶちこむ際、
他の2種だと多すぎて受け付けてくれないことがあるけど、
Geminiはかなりの分量でもOK。
それになんといっても付き合いの長いGoogle製なので、
使う頻度はいちばん多いかも。
適材適所で、こういう仕事はChatGPTで、
こういうのはClaudeで・・・と決めようかと思ったけど、
あえてはっきり区分けせず、その時のカンを働かせて、
これはClaude、これはChatGPT、これはGeminiと、
とっかえひっかえ使っています。
もしかしたら、どれかメインを決めて
有料版を使ったほうが捗るのかもしれないけど、
僕はそれぞれに個性があって面白いと思っているので、
あえて絞らず、3人のアシスタントとのコラボを楽しんでいます。
それともう一人、第4のアシスタントが、
GensPark(ジェンスパーク)。
これはリサーチ専用のスペシャリスト。
もうググるのは古い。
検索テーマが決まっていれば、GensParkが次から次へと
めっちゃ効率的に、目的に到達するための情報を出してくれます。
しかも、その情報がどこのサイトにあるのかも
一緒に出してくれるので、ありがたい。
しかもしかも、最近は出した情報を一つにまとめて
レポートにして提示するという芸当をはじめたので、
ただの便利な検索エンジンの枠を超えようとしています。
てなわけで楽しいAIとのコラボだけど、
あくまでみんなアシスタントさんなので、
出されたものは参考文献。
それをちょこっとリライトしてOKのこともあれば、
ほとんど無視して自分で書いてしまうこともあります。
いずれにしてもAIをどう運用していくのかは、
これから仕事を続けていく上での避けられない課題です。
給料は出せないけど、仕事をしてくれたら、
ちゃんと「ありがとう」とお礼をします。
すると皆、ちゃんと誠実に返してくれるのです。
たとえ相手が機械でも結構うれしいし、
疲れが取れる感じがします。
これ、メンタル的にけっこう重要ですよ。
AI、侮るなかれ、粗末に扱うなかれ。
3月は卒業シーズン。別れの季節。
おとなはやたらと別れを美化し、
その意義を「人間の成長」と結び付けて語りたがる。
でも、子供にとってはちんぷんかんぷんだ。
昭和のころ。
少なくとも僕は小中の卒業式ではそうだった。
ちょっとしみじみしたのは、その少し前の2月ごろ、
卒業文集を作っていた時だ。
クラスのみんなの作文を読むのは好きで、
あいつ、こんなこと書いたのかと、
面白がったり、じんとしたりしていた。
しかし、そのあとがいけなかった。
卒業式の「練習」をやたらとやらされて、
ほとほと嫌になり、早く卒業したいと思ってた。
そんなわけで、晴れのその日のお式が終わって校門を出たら、
「ヤッホー!」と叫び出したいくらい
うれしかったことを覚えている。
(実際には叫ばなかったが)
男子で泣いてる奴なんて一人もいなかった。
女子はもしかしたらいたかもしれないが、記憶にない。
あなたはどうでしたか?
卒業式が終わった後は友達の家に集まって遊んでいたと思う。
なにせ、そこからは宿題も何もない春休みだ。
公立の小中だったので、小6から中1になるといっても、
クラスの大半の連中は同じ学校だった。
私立の学校に行くやつが、クラスで数人いたと思うが、
そいつらはちょっと寂しそうな顔をしていた。
そんなわけで、春休み中、
それまでと全然変わりなくグダグダ遊んでいて、
夕方帰る時は「じゃあな」「またな」と言って別れた。
だけど、それでも、これから自分たちは変わるんだろうな、
今までとは違っちゃうんだろうな、
もう子供ではいられないんだろうな
――という漠然とした予感だけは、みんな持っていた気がする。
僕に残されている「卒業」は、もう人生からの卒業だけだ。
仕事で葬儀屋などの取材をするので、
「永遠のお別れ」とか「さようならがあったかい」とか、
やたらと美しいフレーズを耳にする。
もちろん、それにケチをつけるつもりはないが、
そこはかとなく、
小学校の卒業式の堅苦しさを思い出してげんなりする。
おおげさなのは嫌だ。
あの解放感あふれる春休みの時のように、
「じゃあな」「またな」と言ってお別れするのが希望だが、
そううまくはいかないのかもしれない。
かつて化粧品のコマーシャルで
「美しい50歳が増えると、日本は変わる」
というキャッチコピーがあった。
(正確かどうか自信ないが、そういった趣旨のフレーズです)
確か、もう30年近く前だ。
そんな時代はとっくに過ぎ去り、
今やこれを60歳・70歳と言い換えても、なんら違和感がない。
「美しい60歳(70歳)が増えると、日本は変わる」
なんでそんなことを思いついたかというと、
先日、知り合いの女性と話す機会があって、
彼女が去年から年金をもらっていると聞いて驚いたからである。
えー、あの人、僕より年上だったの!?
彼女はさっぱりした性格で、はっきりものをいうが、
おばさんにありがちな、ずけずけという感じではない。
失礼ながら特に美人というわけではないのだが、
何よりもスタイルがいい。
まじまじ観察したことはないが、
ぱっと見た目、スラリと背が高く、脚も長く、適度にスリム。
そして、いつもスポーティーな服装(ときに革ジャン)で、
カッコよく中型のバイクをかっ飛ばしている。
意識しているのかどうかわからないが、
降りてヘルメットを外すときに長い髪がバサッとこぼれる。
映画でマンガで、女性ライダーのこのしぐさに
心臓ズキュンされた男は少なくないはずだ。
うわさによると、もとレディース(暴走族)。
だったかどうかは定かでないが、
ライダースタイルはあまりにもサマになっている。
そんな人が「高齢者」と呼ばれ、年金をもらう。
自分もそうなのに「こんな世界に足を踏み入れているのか」と、
動揺を隠せない。
そりゃ日本も変わるぞ。
よく変わるのか、悪く変わるのかはわからんが。
ただ、60代・70代になると周囲で亡くなったり、
体が効かなくなったりする同世代が増えるのも事実。
あくまで主観だが、元気を保ち続ける人と、
急速に衰える人とのギャップが大きくなる。
ちなみにライダーの彼女は、
エッセンシャルワーカーとして働いていて、
当分、辞めるつもりはないようだ。
何度かケガもしているはずだが、
やっぱり体を動かしているのがいいのだろうか?
何が元気の維持と衰退との分かれ目になるのかはわからない。
とりあえず、いま現在、健康で頭も体も働くことに感謝しつつ、
日々を生きる。
1975年のドラマ「傷だらけの天使」の最終回では、
修(萩原健一)が、姿をくらましたボス・
綾部貴子(岸田今日子)を探しに
横浜・中華街を訪れるシーンがある。
映像に映し出された、当時の中華街は、
いかにもヤバそうな街で、あちこちに密航の手続きを請け負う、
中国人のアンダーグランドビジネスの巣窟がありそうな、
魔都のにおいがプンプンしていた。
50年後の今、中華街はきれいに整備された観光地となり、
子供も大人も、日本人も外国人もみんな、
豚まんやら、月餅やら、チキンを平たく伸ばした台湾から上げやら、
イチゴとマスカットのミックス飴やらを食べ歩きして、
わいわい楽しさと賑わいにあふれている。
50年前のドラマの世界と現実とのギャップは大きい。
洗練された街、そして、
それを作り守っている地元の人たちに
ケチをつけようなんて気はさらさらない。
けれども、やっぱり、こうした見かけの繁栄と、
幸福感が希薄な日本人の内なる現実との
ギャップを考えると、もやもやした疑念が胸に湧き上がってくる。
「50年前よりほんとにこの国はよくなったのか?」と。
人も街も、化粧することが上手になった。
汚いものを包み隠すのがうまくなった。
それがいいこと何か悪いことなのか、わからないが、
食べ歩きをしている人の中にも、
いろいろ問題を抱えている人、
それだけでなく、精神にダメージを負い、
本当に「傷だらけの天使」になっている人がたくさんいるはずだ。
この国では20人に一人が心を病んでいると伝えられている。
観光地を行く外国人旅行者のほとんどは、
そんな話は信じられないだろう。
外からやってきた彼らから見れば、
日本は、平和で安全で、食い物も、おもちゃも、
いろいろな楽しみも豊富な、21世紀の世界における、
一種の理想郷に見えるのではないだろうか。
僕たちが到達したユートピアでは、
「私たちは見かけほど、豊かでも幸福でもないんだよ」
という顔をして街を歩いてはいけない。
楽しさ・賑やかさの裏から、
そんな無言の圧がかけられているような気もしてくる。
最終回「祭りの後にさすらいの日々を」で、やっぱり号泣。
AmazonPrimeで「傷だらけの天使」を全26話見た。
大好きなドラマだったが、実はちゃんと見たのは3分の1くらい。
3分の1は断片的に覚えているシーンもあるが、
3分の1は全く見てなかった。
だから今回、50年の年月を経て、初めて完食。
長生きしてよかった!と思ってしまった。
この時代まで生き延びて幸福だ。
その「傷天」、この間も書いたけど、
今の基準で見ると、かなりひどい出来。
最近の映画やドラマの悪口を言う人は多いが、
30年前にラジオドラマの脚本賞を
取らせていただいた人間の目から見ると、
今の脚本・演出・演技、
すべて30年前よりはるかに高いレベルにあると思う。
少なくともテクニック的には。
だから50年前のこの作品が、
稚拙で雑なつくりに見えるのは当然かもしれない。
でもね。
面白いかどうかとなると話は別。
うまけりゃいいってものじゃない。
ちゃんと伏線があって、きれいにストーリーがつながって、
オチがついてりゃいいってもんじゃない。
本当にめちゃくちゃだけど、
このノリはどうだ。この勢いはどうだ。
ショーケンと水谷豊はもちろんいいのだが、
両岸田をはじめとする脇役のすばらしさ。
脚本家、監督をはじめ、製作スタッフの息遣いが伝わってくる。
喫煙シーン、暴力シーン、セックスシーン満載で、
コンプラなんてくそくらえ。
何よりも、あの70年代の東京の空気が
あまりにも鮮やかに封じ込められている。
戦後まだ29年、30年の世界。
ここで描かれているのは、29歳・30歳の若い日本。
新宿も渋谷も横浜も、かなりヤバい街に見える。
今の日本は、いいにつけ悪いにつけ、
おとなになって老成した80歳なのだと痛感する。
キャストもスタッフも大部分がこの世を去り、
もはやリメイクは不可能だが、
なんと作家の矢作俊彦が、
ショーケンとメインライターだった市川森一に許可を取って、
2008年にリメイク小説を書いていたと知って、びっくり。
きょうはとても冷静に書けないが、
これからまた、この昭和の名作「傷だらけの天使」について
いろいろ書いていきたいと思います。
生まれてこの方、
つねにアメリカがトップリーダーを務める世界で生きてきた。
けれども、その世界が終わってしまったことを
先日のトランプ×ゼレンスキー会談で痛感。
「今さら何ねぼけたこと言ってるの?
そんなの、とっくの昔に終わってたじゃん、ばーか!」
と言われそうだが、どんなに横暴でも、パワハラ的でも、
やっぱりアメリカは民主主義の総本山であり、
文化的価値観の中心地だという思いは変わらなかった。
おかしな言動も目立つけど、
いい映画、いい音楽をいっぱい作っているし、
コンピューター、インターネット利用でも
ずいぶんお世話になっているし、
最後には世界をまとめ、
人類を望ましい方向に持っていってくれるのだろう。
そうした尊敬すべき面を持った国のはず。
だからというわけじゃないけど、
属国扱いも我慢する必要があるんじゃないか。
CとかRとかNKとか、
ヤクザな国が暴れ出したら止めてくれそうだし・・・
と、心の中でなかば願いのようなものを抱いていた。
だけど、もうおしまいDeath。
あの大統領には、国づくりの理念も哲学もなく、
他の国と協調しようとか、世界の秩序を保とうとか、
そんな考えはまったくない。
あるのはビジネスのノウハウと
「おれたちゃ偉いんだ」というプライドのみ。
カードがどうのこうのって、
まるでゲームやギャンブルをやっているかのようだ。
自分の国がどうすりゃもうかるか、得するか、
ってことしか頭にない。
でも、これは大統領とその取り巻き連中だけの指向性ではない。
少なくともアメリカ人の過半数が同じように考えているのだ。
こっちだって生活きびしいんだから、
民主党みたいなきれいごと並べて、
ほかの国の面倒見てる余裕なんてないんだよ。
こっちが得しなきゃ、もうやめやめ。
というわけで、もはや尊敬されよう、
気高くあろうなんて気もさらさらなく、
ぶっちゃけカネかねカネ。
まぁ、日本人も五十歩百歩かもしれないが。
いずれにしても、これまでの世界地図はビリビリになった。
80年前、アメリカに負け、アメリカに救ってもらった、
われらが日本。
その思いが強すぎて、僕たちは、
世界がこのまま何世紀も続くんだろうという、
長い長い夢を見ていたのかもしれない。
じゃあいったいどうすりゃいいかなんて、わからない。
とりあえず、グルメとアニメと平和ボケを売りにして、
ニッポン良いとこ、一度はおいで~
と、独自の文化の発信に励み、
ジャパンファンを世界中に広げておく、
といったことをやっていくしかなさそうだ。
3月3日。昨日までのうららかな春の到来から一転、
真冬に逆戻りになったひな祭りの日。
「この時期から5月の子どもの日を過ぎるころまでが、
一番たくさん、お人形さんがいらしゃいます」
そう話すのは、都内でも人形供養で有名なお寺のご住職です。
やはり、お節句になると、子どもが巣立った家では、
ひな人形や五月人形が押し入れで
冬眠していることを思い出すのでしょう。
思い出深い人形だけど、
もう出番がないのにいつまでもしまっておくわけにはいかない。
ぼちぼち終活で、生前整理もしなきゃいけなし・・・
と、そんな気持ちが働きますが、
そのままゴミとして捨てるのは胸が痛みます。
いや、そんな生易しいものじゃなく、
張り裂けそうになるかもしれません。
それで信頼できるお寺、魂を静めてくれる、
人形供養のお寺に駆け込むのです。
べつに極度にセンチメンタルな人の話ではありません。
それが通常の日本人ならではのマインドというものですよね。
これをお読みのあなたも納得できるのではないでしょうか。
同じ日本人としては、ごく自然な心の働きなのですが、
海外の人には、こうした人形供養、
ひいては針供養とか、道具の供養とか、
モノに対する供養の習慣が、ものすごく奇異に映るそうです。
きょう取材したご住職のもとにも、
海外メディアの取材がちょくちょくあるらしく、
「どうして日本人は人形供養をするのか?
他の国では、テディベアが壊れたり汚れたりしても、
教会に持ち込むことなんてしない。
バザー用に売りに出したりはするけど」
てなことを言われるそうです。
生き物でないモノに魂が宿るという感性、
その宿った魂と別れるとき、
きちんとお別れをしたいという気持ちは、
日本民族特有のものなのかもしれません。
そしてまた、宗教者がその気持ちを受けて、
きちんと儀式を行うという文化を持っているのは、
これまた、世界広しといえども、日本だけなのでしょう。
モノをモノとしか見ない外国人から見れば、
おかしな文化・習慣でしょうが、
こうしたことが、彼らを魅了する
日本のグルメ、アニメ、キャラクターなど、
ユニークなジャパニーズカルチャーに
つながっているのではないか、と思います。
動物にしても、精魂込めて牛や豚を育てて、
おいしい肉にして、亡くなった後はちゃんと動物供養をする。
といったストーリーは、
やっぱり外国の人は素直に納得できないでしょう。
「だって食べるために育ててるんじゃん」って。
人間の世界に違和感なく入り込み、
平等な友達になるアトムやドラえもんのようなロボットも、
「人形供養・モノ供養がある国」だから生まれた
ファンタジーです。
ただ、意外だったのは、
人形供養を行うお寺は全国でも数少ないということ。
僕はけっこうあちこちのお寺で
やっているものだと思っていました。
檀家さんに頼まれて、あるいは桃の節句や端午の節句の時だけ
行うところはあるかもしれませんが、
そのお寺ではほぼ毎日、全国から受け付けており、
受け取ったら翌朝には供養しているといいます。
ただ受け取って、お経を上げて終わりでなく、
あちらへ旅立たせるためには、
かなり手間も暇も費用も掛かるようです。
ゴミの分別を思い出してもらえればわかりますが、
中には、素材ごとにばらばらにしなくてはならないものもあり、
最近は環境問題で厳しい規制があるので、
専門の産廃業者とコラボして事に当たっているそうです。
この話を聴いて、
かわいい人形が「産業廃棄物」になるなんて――
と、内心、行き場のない悲しみやら、憤りやら、
切なさ、やるせなさを覚えたあなたは、
とてもまっとうな日本人マインドを持った人だと思います。
そうした和のマインドは、料理、ファッション、家屋、
各種のコンテンツなど、
生活のいたるところに溶け込んでいる気がします。
やはり現代の、有形無形の「クールジャパン」の数々は、
長らく培った日本の歴史・文化の土壌があるからこそ
咲ける花々なのでしょう。
先日、ある介護士の方のSNS投稿で、
喫茶店で高齢者たちが
「認知症になったら人生終わりだよね」と
会話しているのを聞いて、
心穏やかではいられなくなった、というものがありました。
彼は施設で認知症患者の人たちの面倒を見ています。
他の投稿でその奮闘ぶりをレポートしていますが、
これがまた凄まじい。
読むと、うちの義母の奇行・妄想・へそまげ・おもらしなんて、
まだまだかわいいものだなと思ってしまいます。
この介護士の方は、ひどい目に遭いつつも、
患者さんたちの純真な人間性に触れることで、
教えられたり救われたりするというのです。
ちょっときれいごとっぽいけど、
僕も義母と一緒に暮らしていて、
彼と同じようなことを感じるときがあります。
それは幼い子供と接しているような感覚です。
彼ら・彼女らは社会人という枠組みから抜け落ち、
子供に還っています。
いろいろおかしな言動は、
ストレスなく日常生活を送りたい僕たちにとっては
困りものですが、
子供と同じと解釈すれば、ある程度は大目に見れます。
でも、自分が認知症になったら・・・と考えると、
「人生終わりだよね」には、半分は同意せざるを得ません。
僕も息子を育てましたが、はじめは何もできなかった赤ん坊が、
だんだん自分でなんでもできるようになっていくのを見るのは
感動的でした。
本人も、あれもできる、これもできると、
日々実感していくのは、大きな喜びだったでしょう。
しかし、老いることはその逆の道をたどることです。
だんだん自分一人では何もできなくなっていく。
これは怖い。
僕は死ぬことにも、老いることにも
そんなに恐怖心を持っていませんが、
自分一人で何もできなくなるということには
大きな恐怖を感じます。
喫茶店のおばあさんたちも、
きっと僕と近い気持ちを持っているのでしょう。
「認知症になったら人生終わり」
それは自分のプライド・アイデンティティを失う恐怖であり、
社会から見捨てられる恐怖を表す言葉とも受け取れます。
でも、件の介護士さんのように
「そうじゃない」という人の意見が共感を得て、
認知症の人は日常生活はうまくできないけど、
あの人たちがいるとうれしい、楽しいという人、
だから助けになろうという人が増えれば、
この社会はまた変わってくるかもしれません。
これから先、認知症の人も障害を持った人も
豊かに楽しく暮らせる社会になるのか、
欲とエゴと嫉妬心むき出しの、
ラットレース社会がますます進展するのか、
その端境期が来ているのかもしれません。
認知症になって過去のことなど忘れても、
毎日生まれ変わったような気持ちで人生を続けられる。
とりあえず1日3分、そういう世界を想像してみようと思います。
「おとなも楽しい少年小説」はライフワーク。
書くべき物語がたくさん自分のなかに眠っているのは、
幸福なことだと思います。
あなたも僕も、どこまで人生が続くか、わからないけど、
一度、探偵になって自分の内側を掘り起こしてみましょう。
金の林檎みたいな、思わぬ宝物が出てくるかも。
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私立探偵の健太は、山荘に住む富豪のネコマタマダムの依頼で、黄金の林檎の探索に。
そこで見つけたものは?人生で大切なものは何か、
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叔母の温子はロサンゼルスの下町のアパートで
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僕の叔母は生きていれば90歳を出たところ。いま、社会で活躍している30代・40代の女性の祖母にあたる年代です。
多感な少女期に終戦を迎え、日本が戦後、
アメリカの擁護を受けながら、
新たな国家として復興するのと同じ歩みで大人になりました。
その時代、さしたる家柄にも才能にも美貌にも
恵まれていない女性の生き方は、かなり制限されていました。
20代半ばまでに結婚できた人は幸福とされましたが、
その後、自分を殺し、家族に尽くす長い人生が待っています。
一方、かわいいお嫁さんになれなかった人は、
世間から冷遇されるか、憐みや蔑みの目で見られるなかで
生きる道を選ばなくてはなりませんでした。
もちろん、例外はたくさんあって、
注目すべきイケてる女性の活躍は、
マスメディアで紹介されたり、
小説・映画・ドラマなどのモデルにもなったりしています。
しかし、叔母はそんな華やかな舞台に立つこともなく、
ありのまま自由に生きることもなく、
それでも喜びに満ちた人生への憧れ・欲求は人一倍あって、
それを抱えたまま、一生を過ごしたのではないかと思います。
本人の本当の気持ちはわかりませんが、
傍目には残念無念な女の一生。
けれども彼女のような、無数の昭和庶民の女性の、
満たされることのなかった憧れや欲求が、
現代の孫世代の女性らに受け継がれ、
活動力のエネルギーになっているような気がします。
亡くなって早や20年近く経ちますが、
なぜだか彼女は僕の心のどこかに棲み続け、
両親とは違った形で僕の人生を支え続けています。
生きている間に話を聴けなかったので、この作品における事実(と自分で思っている箇所)はせいぜい2~3割。
だから小説として、大部分は想像して書いたのですが、
フィクションの中にも、確かにこの世で生きた、
叔母の記憶を刻み込めたことに満足感を覚えています。
昭和の名もなき女性がどう生きたかの物語をお楽しみください。
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都会の片隅でかろうじて生きている、しがない探偵は、
いつも仕事に、カネに飢えている。
けれどもカネのためだけで働くには、
やつも、やつの相棒もお人好し過ぎた。
夢見る女のために奮闘する心やさしき男たちの物語。
あなたの連休のおともに。
若き私立探偵の健太のもとにホームページ経由で、開業以来、最高のギャラが発生する難事件の依頼が飛び込んだ。
山中に埋められた、時価数億円に上る金の林檎の捜索だ。
健太は相棒である便利屋の中年男・六郎を連れて現場に飛ぶ。
そこに現れたのは茶トラのネコみたいなオレンジ色の髪をし、
魔女のような真っ黒な服に身を包んだミステリアスな高齢女性。
健太はその依頼人に“茶トラのネコマタ”というあだ名をつける。
ネコマタの目撃談によれば、10月の第3日曜日の夕暮れ時、
黒い服の4人組の男たちがこの山にやってきて、
どこかから盗み出してきた大量の金の林檎を埋めていったという。
しかし明らかに彼女の話はおかしい。
これはかつて女優だったという女の空想か?幻想か?妄想か?
健太と六郎は、その話を信じたふりをして、
山中の雑木林に入ってスコップを振るい、
肉体労働に精を出すことになった。
はたしてこの難事件はどんな“解決”に至るのか?
それぞれ心に傷を負った若者、中年、年寄りが織りなす、
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