劇団ホシ灯りの朗読劇「マクベス」

 

めっちゃ美女なのに、めっちゃ邪悪。

どうせいつか死ぬのなら、

そういう女に溺れて死にたい。

――というのは男子なら一生に一度は見る夢。

(そんなことない?おれだけ?)

 

そんな妄想を広げていたら

頭のどこかから

「きれいはきたない、きたないはきれい」

というセリフが響いてきた。

 

ご存知、シェイクスピア劇「マクベス」の

オープニングに登場する魔女のセリフ。

久しぶりに「マクベス」を読みたくなったが、

手元にないので、YouTubeを覗いてみたら、

朗読劇がアップされていた。

 

「劇団ホシ灯り」という所はまったく知らなかったが、

聴いてみるとなかなか気持ちよく聴ける。

手だけ動かしていれば進められる

単純な仕事ならBGMとしても利用できる。

 

改めてシェイクスピアの劇は素晴らしいと思うとともに、

余計なビジュアルがない分、

ストレートにセリフが伝わってくるのもいい。

もちろん、マクベスのストーリーを知っているからだが、

脚色も朗読劇用にかなり圧縮して

上手く作っていると思う。

 

シェイクスピア劇の面白さを

従来とは違う角度から味わえる気がする。

 

気になって「劇団ホシ灯り」を調べてみたら、

どうもこの脚色・監督の女性がひとりで

やっているらしい。

劇団ひとり?

役者はそのプロジェクトごとに集めてくるのだろうか?

いずれにしてもなかなか面白いので、

他のも聴いてみようと思う。

 


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犬と息子(娘)との上下関係について

 

先日、川沿いの公園で体長1メートル強、

体重は20キロ弱ありそうな秋田犬を散歩させている

高校生か大学生と思しき男の子に遇った。

 

ところがその犬、疲れたのか、

その場所が気に入ったのか、

あるいはご機嫌を損ねたのか、

途中で道の真ん中に座り込んで動かなくなった。

 

「おい、どうした?行くぞ、行こうよ」と、

彼が何度もなだめすかそうとも、

ハーネスのリードを引っ張ろうとも、

泰然自若としていて、

とうとうその場で寝そべり始めた。

 

「某は動きたくないでござる」という感じ。

 

歩き方や全体の雰囲気からして、

シニアっぽい犬だったので、

ゆうに10歳は超えていると推察する。

 

ということは彼が子犬だったころ、

今連れて歩いている若僧はまだ小学校の低学年。

親からはもちろん子ども扱いだ。

 

犬は上下関係に厳しい。

家のなかで息子は最低の地位。

彼がまだチビの間に犬はおとなになり、

自分はこいつより地位が上だと思っている。

息子が大きくなって、だんだん両親と対等になっても、

犬の意識は「おれは上、あいつは下」のままだろう。

 

だから坐りこんで

「なんで某が下っぱの貴君の言うことを

聞かねばならぬのか」となる。

 

困った彼はしたかたなくその犬を抱きかかえて

歩き出した。

とはいえ、20キロ近くあろう大型犬なので

そのまま家に帰るのは大変だっただろう。

 

それにしても、もし何らかの事情で、

それまでの主人である父や母が家からいなくなり、

息子(あるいは娘)と犬だけの暮らしになったら、

二者の関係はどうなるのだろうか?

犬の意識は「これからはおれは下、あいつが上」

に変わったりするのだろうか?

あるいは若殿(姫君)と

年長の家来みたいになったりするのだろうか?

 

飼い主さんで、もし知っている人がいたら

教えてください。

 


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糸姫/状況劇場

 

YouTubeで状況劇場の音源が上がっていたので、

思わず聴いてしまった。

 

1975年秋の公演「糸姫」の千秋楽の舞台。

じつはこの「糸姫」は僕らが演劇学校で上演した

唐作品の一つ(1979年7月)である。

 

紡績工場の女工と、

労働の価値を考える

しがないサンドイッチマンの男を中心に、

怪しい整形外科病院、

アドルフ・ヒトラーを狂信する院長、

紡績会社の跡取りのバカ息子、

そして、整形手術に失敗した女たちが

リボンの騎士となって登場。

地獄の天使ヘルスエンジェルスの

バイクまでが舞台を走りまわる

恐るべき妄想コラージュ。

 

とは言え、ちゃんと筋の通った物語になっていて、

2時間観客をくぎ付けにするのが、

唐十郎作品のすごいところ。

 

脚本(戯曲)はもちろん読んでいるが、

こんなライブ音源を聴くのは初めて。

かなりぶった切られていて、

たぶん半分強の尺になっているが、

見せどころ(聴かせどころ)はちゃんと抑えている。

それに相当良い席で録音したらしく、

50年近く前の録音と思えないほど音質が良い。

 

主役の絵馬(エマ)は李麗仙。

相手役の価(アタイ)は根津甚八。

二人ともめっちゃカッコよくて

改めてしびれて聞き惚れてしまった。

あまりに生き生きしているので、

どちらもこの世を去って久しいなんて信じられない。

唐さんが作る独特のリズムのセリフの群れは

美しい音楽のようだ。

 

また、最後に挨拶する唐さんの声が若々しく、

いたって“まともな人”のように聞こえるのが

なんだか面白い。

そして当時の観客の熱狂的な雰囲気も

きちんと記録されている。

 

ポスターは“ゲージツ家”篠原勝之。

唐十郎ワールドはインスピレーションを

いたく刺激するらしく、

横尾忠則以降、多くの美術家がポスター、チラシの

デザインを担当し、

その魅力的な絵も状況劇場の人気の一要素だった。

どうやら最近、これらのポスターは美術品扱いで、

ネット上でかなり高値で取引されているらしい。

 

また、クマさんこと篠原勝之氏は、

この戯曲を原作として同名の漫画本を出している。

「糸姫」とまた出会えて、とても嬉しい。

 


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いま、だれが地球と人類を救うのか?

 

小惑星が地球に落ちてくる。

激突すれば人類滅亡は必至。

それを回避するには小惑星の真ん中に

核爆弾をぶちこみ、破壊するしかない。

そのミッションを担ったのは、

石油採掘会社の、ろくでなしだが愛すべき男たち。

地球を、人類を、愛する人たちを救うために

男たちは悲壮な覚悟を持って宇宙空間に旅立った・・・

 

1998年公開のアメリカ映画「アルマゲドン」は

20世紀カルチャーてんこ盛りの、

ハリウッド映画のお手本のような作品だ。

エアロスミスが歌うドラマチックな主題歌

「ミス・ユー・シンク」も泣かせる。

このPVを見れば5分で

2時間の映画を見た気分になれる。

 

この手の20世紀映画で人類の危機を救うのは

みんなアメリカ人だ。

アメリカで作っているのだから当たり前だが、

やはり日本人や他国の人たちでは、

なかなかこうした地球大・宇宙大のスケールで

愛と正義と救済の物語は描けないのではないかと思う。

 

なぜかといえば20世紀、

現実の世界でアメリカが

「世界の警察」の役割を担っていたからだ。

それはアメリカがイギリスと共に

19世紀・20世紀の世界を形づくった責任から――

と言えなくもないのではないかと思う。

 

その役割がおかしくなり、やがて放棄するに至ったのは、

2001年の9・11同時多発テロがきっかけだった。

あのあたりからだんだんアメリカの関心は内へ向かい、

自分たちさえよければ他はどうでもいいや、

というふうに変わってきたのではないか。

日本人をはじめ、どの国の人たちもみんなそうだが。

 

「世界の警察」という意識には独善的な面が多々あり、

困った問題もたくさん引き起こしたが、

それでもやはり広く見れば、

アメリカのが言う“正義”によって

世界はバランスを保ってこられた。

今起こっているロシアとウクライナとの戦争、

イスラエルとハマスとの戦争は、

やはりアメリカが警察の役目を放棄したことが

大きな要因の一つになっているような気がしてならない。

 

21世紀になって、地球を救う者・人類を救う者は

いなくなってしまった。

「アルマゲドン」が旧態然としたハリウッドの

おめでたい予定調和映画と批判するのは簡単だが、

もう一度、未来のために

誰がどうやって地球を・人類を救えるのか考えてみたい。

 

 


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唐十郎式創作術「分からないことに立ち向かう」

 

長年書き続けた理由を尋ねると

「分からないことに立ち向かうためです」と言い切った。

一昨日、亡くなった唐十郎さんが

記者に向かって言ったセリフ。

 

カッコいい。

わかっているから書く、のではなく、

わからないことを自分に問い、文字にする。

わからないから書き続ける、創作し続ける。

すると脳の奥深くにある泉から物語が湧き出てくる。

 

また、別の記事では、

「僕は書きながら考えていくんです。

テーマ、モチーフを決めないで、

1点だけ入り口を見つけて、あとはペンが走るまま」。

天才だからそうやってできたのだ、

と言えばそれまでだが、

作品のレベルは違えど、

僕にもそういうふうに書けることがある。

 

誰でも自分の中に表現するための水脈を持っている。

要は掘り進める勇気と技術があるかだ。

どこをどう掘れば水脈に当たるか。

唐さんは熟知していたのだろう。

 

その脳の奥にある泉は広く、深く、

自分を掘りまくって膨大な作品を残した。

芥川賞をはじめ、数々の文学賞を獲りまくったが、

小説もエッセイも映画もテレビも

唐さんにとってはオマケみたいなもの。

メインの仕事、主戦場は、

あくまで自分が主宰する紅テントの芝居—ー

状況劇場・唐組で上演する戯曲であり、

演出であり、出演で、

最後までいっさいブレることはなかった。

 

大学教授などもやったが、それも人生の付録みたなもの。

自分では教授役を演じている、

といった意識だったのではないだろうか。

華やかな場所や国際的な名声にも興味がなかったようで、

とにかく死ぬまで芝居をやり続けられられれば満足、

幸せだったのだと思う。

 

唐さんの訃報を聴いた後、

どうも落ち着かず、仕事も進まない。

きょうは少し昼寝をしたら、

状況劇場の芝居を観に行ったときの夢を見てしまった。

 

年内に唐作品のオマージュのようなものを書きたい。

 


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山田詠美 入門編 「タイニー・ストーリーズ」

 

山田詠美はよくも悪しくも

デビュー作「ベッドタイム・アイズ」や

直木賞受賞作「ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー」が鮮烈過ぎた。

そのせいで黒人との恋愛・セックスを描く

女性作家という、偏見に満ちた、

スキャンダラスなイメージがついてしまったようだ。

 

白人にぶら下がる女はいいが、

黒人に寄っていく女はふしだら――

彼女が若い世代の作家として活躍した

1980年代から90年代はまだまだ

そうした“名誉白人”的な偏見・差別が

日本人の心の奥でとぐろを巻いていた時代だ。

 

僕はその後に出された「風葬の教室」

「晩年の子ども」など、

子どもを主人公にした物語が好きで、

山田詠美に対してはその側面の評価もけっこう髙いはず。

けれども、世間的にはやはり

「ベッドタイム・アイズ」のイメージが

べったり貼りついたまま、

ここまで来てしまったのではないかと思う。

 

それでも山田詠美は偏見的なレッテルなど

自らはがせる優れた作家で、

とてもバラエティ豊かな物語を描ける人だ。

コミカルなものからメルヘン、家庭劇、恋愛劇、

ちょっとセクシーなもの、SFチックなものまで、

21の短編からなるこの本は

そんな彼女の魅力を詰めこんだ、

詠美ワールドの入門編としておすすめ。

 

その中の一編「GIと遊んだ話(2)」を読んだら、

デルフォニックスの

「ラ・ラ・ミーンズ・アイ・ラブ・ユー」が

聴きたくなった。

いろんなミュージシャンがカバーしているが、

これがオリジナル。

クールで短い物語の中から

音楽が流れ出してくる筆致の素晴らしさ。

ぜひ味わってみて下さい。

 


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あなたもわたしも呪い人? 「呪いを解く者」

 

フランシス・ハーディングという

イギリスのファンタジー作家の作品。

テーマはズバリ「呪い」。

 

舞台は架空の国で、イメージとしては中世ヨーロッパ。

主人公は呪いの「ほどき屋」の少年と、

呪いをかけられた少女。

この世界には呪いをかける「呪い人」がいて、

それを束ね、利用しようとする悪のボスが登場する。

 

呪いをかけられた人は動物などに変身したり、

この世界に生息する奇妙なクリーチャーが

いろいろ出てきたりして、

全体の印象は、そこはかとなく

「ハリーポッター」を想起させる。

 

僕が面白いなと思ったのは、

そうしたファンタジックなストーリー展開や

冒険劇、敵とのバトルよりも、

「呪い」というテーマそのもの。

 

中世風ファンタジーの衣をまとったこの物語で

扱われる「呪い」は古典的な感じではなく、

ひどく現代的で、僕たちが身に覚えのあるものだ。

 

家族間や仲間同士の支配・被支配、

夫婦間のDV、子どもへの虐待、親への憎しみ、

そして幸福な(と映る)人に対する妬み・嫉み。

 

もちろん古今東西、呪いというものは、

人間の性のようなものだが、

読みながらこれはほとんど

今の日本の状況ではないかと思えた。

 

もし、この物語の「呪い人」のような

力を持ってしまったら、

それを行使する人はきっと後を絶たないだろう。

そして、この呪いの力はある種、最強のサイコ兵器で、

悪意を持って利用しようとする輩が

大勢出てくるに違いない。

 

呪われる側はもちろん、呪わずにいられない人、

そしてこんな力を持ってしまった人たちの

悲しさが胸に残る。

 

文中に「呪いの卵」という表現があるが、

情報化・格差・競争・・・そんな社会で日々を送るうちに、

僕らは知らぬ間に自分の中に

「呪いの卵」を孕んでしまっている。

現代は誰もが表向き善良な市民である同時に、

怖ろしい「呪い人」の予備軍でもあるのだ。

 

陰惨で悲劇的な部分も多いが、

ファンタジー物語としてはけっこう華があるので、

映画化すると面白いのではないかと思う。

 

 

  再読・嵐が丘

おりべまこと 

 

エミリー・ブロンテ「嵐が丘」や

スティーブン・キング「スタンド・バイ・ミー」など、かつて読んだ名作を再読してみたら新たな発見が!

還暦ならではの物語エッセイ集。

AmazonKindleより発売中。¥300


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春休みは勝手にアート

 

東京では今年は桜が咲く中で

入社式・入学式を迎えられそうだ。

春は桜だけじゃなく、いろんな花が咲く。

春休みの子どもたちが勝手に作るアートも楽しめる。

 

●おりべまこと電子書籍 おとなも楽しい少年少女小説 

春休み無料キャンペーン いよいよ最終日へ。

3月31日(日)15:59まで!

この機会にぜひ読んでみてね。

 

★オナラよ永遠に

好きな女の子に恥をかかせたくない!

そう思ってオナラの罪をかぶり、

ヘーコキ野郎の汚名を着せられた救太郎が

未来から参上したヘーコキサイボーグとともに

人類を救うために活躍する愛と笑いのSF冒険劇

 

★ピノキオボーイのダンス

見た目は12歳だが、

淋しさとむなしさを抱えた人間たちの虐待を受けて限界に。

故障し廃棄されたレンタルロボットの少年を

拾ったのは年老いたダンサーだった。

二人の師弟愛を中心に、AI・ロボットが発達した

近未来の人間とマシンに宿った魂の行方を描くSFドラマ。

 


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AI・ロボットは人類の子ども

 

今月は2021年に携わったAI関連の仕事を手伝っている。

3年前はまだ異物感のあったAIだが、

ChatGPTの登場以来、急速に社会に馴染んできた感じ。

だからもう後戻りはできないと思う。

AI、そしてこの後に進化して

普及してくるであろうロボットは、

これまでの人類のさまざまな

ストーリーの情報を吸い込んだ、

いわば「人類の子ども」である。

 

優れた能力、そしてまた怖ろしい能力を持つ

子どもたちに対して

僕たちはいつまでもありがたがったり、

ビビッたりしてばかりはいられない。

 

これまでの対立的な態度を変えて

ともに生きることを考えていかなくてはいけないだろう。

AI・ロボットといっしょに

この先、僕たちは何をするのか、したいのか?

たぶん、まだ誰もわかっていない。

 

おりべまこと電子書籍 

おとなも楽しい少年少女小説 

続・春休み無料キャンペーン7Days パート2:

3月28日(木)16:00~31日(日)15:59

 

★ピノキオボーイのダンス

廃棄されたレンタルロボットの少年と

年老いたダンサーとの師弟愛を中心に

近未来の人間とロボットの魂の行方を描くSFドラマ

 

★オナラよ永遠に

好きな女の子のオナラの罪をかばった救太郎が

未来から参上したヘーコキサイボーグとともに

人類を救うために活躍する愛と笑いのSF冒険劇

 


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おりべまこと電子書籍 続・春休み無料キャンペーン7Days

 

子どもを主人公にした おとなも楽しい少年少女小説 

長編4作を本日3月25日(月)16:00から7日間にわたって

0円でご購入できます。

 

パート1:3月25日(月)16:00~28日(木)15:59

 

★いたちのいのち

カナコは10歳。小学4年生。

一人娘の子育てに悩まされながら、

生活を支えるのに忙しい母親マヨと二人暮らしをしている。しかしもう一人というか一匹、一緒に暮らす同居者がいる。その名は「イタチ」。ペットのフェレットだ。

学校でも家でも口をきかないカナコにとって、

イタチは唯一、心を開いて話ができる親友であり家族だ。

子どもからちょっとおとなに変わっていくカナコと、

天使の目を持ったまま生きるフェレットのイタチ。

それぞれの視点から代わる代わる、

日常生活とその中で起こる事件の数々、

そして、ふたりの別れまでのストーリーを描く。

表紙イラストは「ほっと・ペットクリニック」

「あしたはハッピードッグ」など、

動物もの作品を多数発表している漫画家・麻乃真純が制作。

 

★ちち、ちぢむ

ケントの11歳の誕生日、

プレゼントを持ってきてくれるはずだったお父さんは、

身長9センチの「ちっちゃいおじさん」になって現れた。

どうしてお父さんは小さくちぢんでしまったのか?

いや、じつはお父さんだけではない。

今、社会の役に立たなくなった男たちが、ある日突然、

カエルサイズにちぢんでしまう怪現象が多発している。

将来、生物学者をめざすケントは、

「ちぢむ男=ちっちゃいおじさん」は、

やりたい放題のホモサピエンスを

これ以上のさばらせないという地球の意志によって

生まれているのではないかと推理する。

アベコベ親子の奮闘を描く奇々怪々でユーモラスな物語。

 

パート2:3月28日(木)16:00~31日(日)15:59

 

★オナラよ永遠に

 

好きな女の子のオナラの罪をかぶった救太郎が

未来から参上したヘーコキサイボーグとともに

人類を救うために活躍する愛と笑いのSF冒険劇

 

★ピノキオボーイのダンス

棄てられたレンタルロボットの少年と

年老いたダンサーとの師弟愛を中心に

近未来の人間とロボットの魂の行方を描くSFドラマ。

 

もうすぐサクラの季節。春休みは遊び+読書でGO!

 


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おりべまこと春休み無料キャンペーン続行!4作品を7日間連続で

 

「今はまだ地球がふるさと」

無料キャンペーン終了しました。

ご購入ありがとうございます。

よろしければレビュー欄へ感想をお寄せください。

 

さて、好評につき、おりべまこと作品

春休み無料キャンペーン続行します。

子どもを主人公にした長編4作を

明日から7日間にわたってご購入できます。

 

パート1:3月25日(月)16:00~28日(木)15:59

★いたちのいのち

https://amazon.co.jp/dp/B08P8WSRVB

小4の少女カナコとペットの「イタチ」との

魂の交流を描く友情ファンタジー。

 

★ちち、ちぢむ

https://amazon.com/dp/B09WNC76JP

「ちっちゃいおじさん」になってしまったお父さんと

息子ケントとの親子愛を描く小人冒険劇

 

パート2:3月28日(木)16:00~31日(日)15:59

★オナラよ永遠に

https://www.amazon.co.jp/dp/B085BZF8VZ

好きな女の子のオナラの罪をかばった救太郎が

未来から参上したオナラ男とともに活躍するSF冒険劇

 

★ピノキオボーイのダンス

https://www.amazon.co.jp/dp/B08F1ZFLQ6

ロボットの少年と老ダンサーとの

師弟愛を中心に展開するSFストーリー。

 

もうすぐサクラの季節。

春休みは遊び+読書でGO!

 


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ジジババとUFOについて語り合おう

 

齢を取ってよかったなと思うのは、

子どもから年寄りまで全世代にわたって

特に抵抗なく登場人物を書けるようになったことだ。

 

この話に出てくる年寄りコンビは、

書いていくうちにどんどん生き生きしてきて、

われながら面白くて愛すべきジジババになった。

 

二人はお茶を飲んでせんべいをかじりながら、

なぜ現代人はUFOを見たがり、心惹かれ、

時には乗り込みたくなるのかについて

真剣に討論したりする。

 

そしてそれぞれ驚くべき顛末を迎える。

これなら齢を取るのも怖くない。

 

今はまだ地球がふるさと 

おりべまこと 

電子書籍 Amazon Kindle 長編小説

https://amazon.co.jp/dp/B0CW1FWZ59

14歳の女の子の

夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く

青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。

春休み無料キャンペーン

いよいよ明日3月24日(日)15:59まで。

この機会をぜひお見逃しなく。

 


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泣かない ハグしない 走らない

 

この話の主人公のリコは、やたら何度も泣き、

母親や友だちを抱きしめ、むやみに走ったりする。

ちょっと多過ぎるなぁと思って、

推敲しながら何度か、どこか削ろうとしたがだめだった。

彼女の自然な感情を潰すわけにはいかない。

 

きっとこの3つが僕が齢を取るうちに失ったものだ。

ま、女の子じゃないので、

もともと泣いたりハグしたりはできないが。

 

「走る」については、

ほぼ毎日、ちょこちょこ川沿いを走ってはいるが、

あくまで健康保持という

理性的な目的をもってやっていること。

 

内から湧きあがる何かに突き上げられてとか、

感情がさく裂するのに任せてとか、

ただ単に楽しくて走り出すなんてことは

とっくの昔に忘れてしまった。

 

べつに哀しくも寂しくもないが、

そういう幼さ・若さはちょっと羨ましく思うことはある。

 

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14歳の女の子の夢と想像と現実が入り混じった

日常生活を描く

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3月24日(日)15:59までやってます!

この機会にぜひ読んでみて下さい。

 


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人はいつだって14歳にもどれる

 

人はいつだって14歳にもどれる。

64歳の僕のなかにも、

何歳だかわからないあなたのなかにも、

14歳の自分が暮らしている。

 

14歳の女の子の

夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く

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3月24日(日)15:59までやってます!

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今はまだ地球がふるさと 春休みスペシャル6日間無料キャンペーン

 

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おとなも楽しい少年少女小説

今はまだ地球がふるさと

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本日より春休み無料キャンペーン スタート!

3月19日(火)16:00~24日(日)15:59まで。

 

春休み満喫の小中高大生さん、

おとなのあなたもぜひ読んでね。

がっちり長編9万1千字。

 

 自分は“宇宙人とのあいのこ”だというリコは、小学校時代からの親友サーヤとともにあちこちの葬式を巡り「故郷の星へ帰っていく人たち」を見て回っては聖女のごとく祈りを捧げている。

 そんなとき、偶然、終活サポートの仕事をしている中年男・中塚と出会い、彼を介して、ひとり暮らしでハーモニカ吹きの老人・小田部と知り合った。孤独死予備軍の小田部に興味を引かれたリコは彼に「星のおじいさま」というあだ名をつけ、食事や掃除の世話をするために家に出入りするようになり、次第に親しさを深めていく。

 そんなリコに恋したシンゴが彼女の気を引くために「きみのためにUFOを呼ぼう」と言ってアプローチすると、リコが生きる世界にさまざまな不思議な現象が起こり始める。

子ども時代を卒業し、人生の旅に出る支度を始めた少女の、夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。

 

もくじ

1 地球人の母になる

2 星のおじいさま

3 UFOに出逢ったお母さん

4 ラブリーな親友

5 恋文と宇宙の夢

6 令和終活コーポレーション

7 記念碑ツアー

8 レトロ喫茶と未来の記憶

9 取り調べ

10 里山の合宿でUFOと出逢う

11 UFO同窓会のレポート

12 奇妙な家族だんらん

13 競馬場でのドラマ

14 絶交

15 星のおじいさまの息子

16 いつか見た虹のこと

17 UFOからのメッセージ

18 天国への扉

19 魔法のアイドル誕生

20 ありがとう友だち

21 いつか家族に

 


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今はまだ地球がふるさと」 春休み無料キャンペーン予告

 

春休み、夏休み、冬休み。

子どもは長い休みに成長する。

宿題のない春休みは勉強なんか忘れて、

いっぱい遊んだり本を読んだりしよう。

 

というわけで、

おりべまこと電子書籍最新刊

長編小説「今はまだ地球がふるさと」

https://www.amazon.co.jp/dp/B0CW1FWZ59

6日間の春休み無料キャンペーンやります。

3月19日(火)16:00~24日(日)15:59

 

小学生、中学生、高校生のあなたに。

その頃の記憶と感性を持っているおとなのあなたにも。

新しい成長の旅に出かける支度を始めた少女の、

夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く

青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。

どうぞお楽しみに!

 


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アカデミーゴジラへの称賛と違和感

 

平成後半、何度もオワコンだと言われ、

アメリカに売り飛ばされていたゴジラがまさかの再生。

そして驚愕のアカデミー賞受賞。

その「ゴジラ-1.0」と、

作品賞をはじめ、各賞を総ナメにした

「オッペンハイマー」が同じ年に受賞したことには

何か因縁を感じるが、

あまりそんなことを考えている人はいないのかな?

 

以前も書いたが、昭和20年代を舞台にした

「ゴジラ-1.0」が

原爆投下や敗戦の傷跡をあまり感じさせなかったことに

けっこう違和感を覚えた。

もしやアメリカ市場に忖度してる?とも考えた。

今回の受賞で、ゴジラが水爆実験から生まれた怪物だという

オリジナル設定は忘却されてしまうのではないか?

そんな懸念もある。

 

もう一つ、今回称賛され、

たぶん受賞の一要因になったのは、

アメリカ・ハリウッドでは考えられない

低予算・少人数による制作体制。

どちらもケタ違いに安くて少ない。

 

これはもう日本映画のお家芸みたいなもので、

映画が量産されていた1950年代・60年代、

黒澤明や小津安二郎が活躍していた時代は、

コスパ、タイパに徹底的にこだわり、

1週間で1本とか、1か月で3本とかをあげるのは

ザラだったという。

巨大な予算と膨大な人数で映画作りを行い、

働く人たちの権利意識が強く、組合も強力で、

頻繁にデモやストライキなどをやる

ハリウッドでは到底考えられない作り方・働き方なのだ。

これもまた、資本・経営者に対する

日本の労働者の立場の弱さを表している。

と言ったら言い過ぎ?

もちろん、条件が悪い中で工夫して知恵を絞ることに

イノベーションが生まれるので、

いいことでもあるんだけど。

 

ただ、この働き方改革の時代に、

スタッフの健康やプライベートは大丈夫かとか、

それなりの額のギャラが

ちゃんと払われているだろうかとか、

会社の言いなりになっていないかとか、

ついついよけいなことを考えてしまう。

 

映画をはじめ、クリエイティブの現場は

労働基準法なんてあってなきもの、

みんな好きで、愛を込めて仕事やっているんだから、

夜中までかかろうが、休みがゼロだろうが文句なんかない。

といった世界だったはず。

気持ちがノッて、クリエイティブ魂が全開になって、

現場のテンションがグワーって盛り上がってきたところで、

「はい、6時になったんで今日はここでおしまい」

なんて言われたらドッチラケ。

昔の監督だったら「ふざけんな!」と怒鳴りまくるだろう。

と、僕は認識しているが、最近はそうした環境も

変わってきているのだろうか?

 

なんだかせっかくの受賞に

ケチをつけるようなことを書いたけど、

やっぱりこれは画期的な出来事。

ハリウッドの映画製作にも何か影響を与えるのだろうか?

ちょっと楽しみではある。

 


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ありがとうロボットリヤマ

 

最近はどうだか知らないが、

僕が子どもの頃、よく読んだマンガでは

作者自身がしばしば作品のなかに出てきた。

おそらく手塚治虫先生がその草分けだろう。

「バンパイヤ」では完全に登場人物のひとりとなって、

物語のなかで大活躍していた。

その他、石ノ森章太郎、永井豪などの

セルフキャラも印象的で、

土田よしこなどは、ほとんど自分を主人公にした

「よしこ先生」なんてマンガを描いていた。

 

鳥山明先生の自画像「ロボットリヤマ」も大好きだった。

僕は「ドラゴンボール」のことはあまり知らなくて、

好きだったのは「ドクタースランプ」の方だった。

ちなみに「ロボットリヤマ」とは

当時、僕とごく一部の友人がそう呼んでいただけで、

公式なキャラ名などではない。

 

デビュー当時、「ドクタースランプ」の絵は衝撃的で、

お洒落なのにめっちゃギャグ漫画しているところ、

そしてアラレちゃんをはじめとするキャラが

可愛くて弾けているところは、

それまでのマンガにない、新鮮な世界だった。

 

鳥山先生は名古屋出身、僕も名古屋なので、

ニコちゃん大王をはじめ、

ブロークンな名古屋弁をしゃべるキャラが

いろいろ出てくるのも面白くて親しみを覚えた。

 

ペンギン村には作者自身もやってきて、

しばしば登場していた。

最初の頃は人間の姿で出ていたが、

すぐに自己改造して「ロボットリヤマ」になり、

ペンギン村に移住した。

鉄を食べちゃうガッちゃんによく食われて、

半壊状態になっちゃうのには、いつも笑わせてもらった。

 

人気が爆発し、仕事が忙しくなり、

自分がマンガ生成マシーンのように思えて

ロボット化したのだろうか。

でも、みんなに喜んでもらうマンガを描き続ける

ロボットの自分をとても楽しみ、愛していたのだと思う。

どうかごゆっくりお休みください。

 


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64歳と14歳の「今はまだ地球がふるさと」

 

「僕が64歳になっても、きみは僕を愛してくれるかい?

と歌うのは、ビートルズの

「ホウェン・アイム・シックスティー・フォー」。

この歌が出された1967年頃は

64歳がイギリス人の平均寿命だったらしい。

同じころの日本人の寿命はもっと短かったと思う。

自分もその齢になって、ちょっとドキドキしている。

 

齢を取っていいことは、経験したどの年齢にも

自由自在に往復できること。

なので還暦を超えると時おり中二病が再発する。

中二の時は「中二病」なんて言葉はなかったけど。

 

おとなみたいに適当にやり過ごすことができなくて、

「生きる」ことに対して一生懸命に考えている中学生

――にたまには戻ってみてもいい。

 

そうしてこの先のことを考えてみる。

わたしは、あなたはどう生きたいのか?

そんな思いがあって出来上がった話。

 

 

おりべまこと電子書籍最新刊 

今はまだ地球がふるさと

 

Amazon Kindleより¥600

 

 

自分は“宇宙人とのあいのこ”だというリコは、

小学校時代からの親友サーヤとともに

あちこちの葬式を巡り

「故郷の星へ帰っていく人たち」を見て回っては

聖女のごとく祈りを捧げている。

 

そんなとき、偶然、終活サポートの仕事をしている

中年男・中塚と出会い、彼を介して、

ひとり暮らしでハーモニカ吹きの老人・

小田部と知り合った。

孤独死予備軍の小田部に興味を引かれたリコは

彼に「星のおじいさま」というあだ名をつけ、

食事や掃除の世話をするために家に出入りするようになり、次第に親しさを深めていく。

 

そんなリコに恋したシンゴが彼女の気を引くために

「きみのためにUFOを呼ぼう」

と言ってアプローチすると、

リコが生きる世界にさまざまな

不思議な現象が起こり始める。

 

 

子ども時代を卒業し、

人生の旅に出る支度を始めた少女の、

夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く

青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。

 


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今はまだ地球がふるさと 本日発売!

 

おりべまこと電子書籍 最新刊 本日発売!

「今はまだ地球がふるさと」

 

レビューにいつもより時間がかかったので、

もしや中学生の女の子に

セクシーなセリフを言わせたのでNG?

と一瞬心配しましたが、無事出せました。

91,000字の長編小説。

Amazon Kindleより¥600で発売中!

 

あらすじ

 自分は“宇宙人とのあいのこ”だというリコは、

小学校時代からの親友サーヤとともに

あちこちの葬式を巡り

「故郷の星へ帰っていく人たち」を見て回っては

聖女のごとく祈りを捧げている。

 

 そんなとき、偶然、終活サポートの仕事をしている

中年男・中塚と出会い、彼を介して、

ひとり暮らしでハーモニカ吹きの老人・

小田部と知り合った。

孤独死予備軍の小田部に興味を引かれたリコは

彼に「星のおじいさま」というあだ名をつけ、

食事や掃除の世話をするために

家に出入りするようになり、

次第に親しさを深めていく。

 

そんなリコに恋したシンゴが

彼女の気を引くために

「きみのためにUFOを呼ぼう」

と言ってアプローチすると、

リコが生きる世界に

さまざまな不思議な現象が起こり始める。

 

子ども時代を卒業し、

人生の旅に出る支度を始めた少女の、

夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く

青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。

 

もくじ

1 地球人の母になる

2 星のおじいさま

3 UFOに出逢ったお母さん

4 ラブリーな親友

5 恋文と宇宙の夢

6 令和終活コーポレーション

7 記念碑ツアー

8 レトロ喫茶と未来の記憶

9 取り調べ

10 里山の合宿でUFOと出逢う

11 UFO同窓会のレポート

12 奇妙な家族だんらん

13 競馬場でのドラマ

14 絶交

15 星のおじいさまの息子

16 いつか見た虹のこと

17 UFOからのメッセージ

18 天国への扉

19 魔法のアイドル誕生

20 ありがとう友だち

21 いつか家族に

 


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残酷でカオスな傑作「進撃の巨人」

 

約1カ月半かけてAmazonPrimeで

アニメ「進撃の巨人」全94話を見た。

先月末の途中経過でも書いたが、人間が食われる話なので、

残酷描写がかなりのもので、見続けるのが精神的にきつい。

それに慣れてきた中盤で

かつて仲間と信じていた者同士が「共食い」になるので、

これまたきつくなる。

 

それでも3分の2くらいのところまでは、

自分たちがなぜ壁に閉じ込められているのか、

その謎を解こう。

そして、この壁の向こうにあるはずの

海を見に行こう、という少年の夢がある。

つまり、そこまではどんなに残酷であっても

希望に満ちた冒険物語になっていて、

夢を達成した少年たちが新たな世界に旅立つ――

といった美しい結末を予感させていた。

 

ところが話はそんな単純ではない。

問題はそのゴールに達したあとのこと。

人生と同じで当たり前だけど、

僕たちはいつまでも少年少女のままではいられない。

この作品は安易なハッピーエンドで

お茶を濁すようなことはしなかった。

 

カメラが180度切り替わり、新たな世界に視界が開けると、

そこにはさらに救いのない

残酷で恐ろしい世界が広がっていて、

そこでまた戦わなければいけなくなる。

 

後半の話はどんどん深く複雑になり、

それまでのいろいろな謎が解けていくのだが、

ますます見るのが辛くなっていった。

 

そして、そもそもいったい誰が主人公だったんだっけ?

と思わせるようなカオス的な展開になっていく。

それでも向き合わずにはいられない気持ちにさせるのが、

この作品のすごいところ。

 

壁とは何か?

巨人とは何か?

近代日本、戦後日本社会のメタファーであり、

風刺であるという説がよく聞かれるが、

帝国主義や数々の戦争、難民問題などから形づくられた

現代の人類の世界全体の暗喩であるとも受け取れる。

 

ラストも決してスカッと終わらず、あれでいいのかという、

気持ちの悪い違和感が腹の中に残った。

まるで「後味の良い感動を残す物語」なんてあざ笑い、

ぶった切るかのようだ。

最後の最後のあのシーン、あのセリフは、

希望や救いと言えるのだろうか?

 

「進撃の巨人」の世界には

随所にさまざまな意味が込められており、

それをどう読み解き、何を考えるかは

読者・視聴者の向き合い方次第と言えるだろう。

それだけの豊かなものがこの作品には詰まっている。

少し落ち着いたら、

今度は原作のマンガを通読してみようと思っている。

 

いずれにしてもこの時代に、マンガ・アニメという手法で

こんなすごいドラマを創り上げた作者を

リスペクトせずにはいられない。

 

おりべまこと Kindle新刊:長編小説

今はまだ地球がふるさと

 

本日2月25日発売予定でしたが、

残念ながら提出が遅れたため、

まだレビュー中。

楽しみにされていた方、

どうもごめんなさい。

明日までお待ちくださいね。


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今はまだ地球がふるさと

 

おりべまこと電子書籍新刊のご案内
おとなも楽しい少年少女長編小説(9万1千字)
「今はまだ地球がふるさと」
久しぶりに子ども(中学生)を主人公にした
青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。
長編小説(9万1千字)。
最初の予告よりちょっと遅れて、
2月25日(日)発売予定。
お楽しみに。

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郷竜小説「6万6千万年前の夢を見て死ね」 パート3.ジャパニーズネッシー捜索隊 その③

 

 

 一方、みずからジャパニーズネッシー捜索隊の総指揮官に就任した国会議員は、隊を北と南、二班に分けて、北海道の屈斜路湖、鹿児島県の池田湖から捜索をスタート。政府公認の研究施設や大学の生物学研究所などから選ばれたスタッフがそれぞれ8名ずつ派遣され、現地調査を行った。マスコミも大挙して押し寄せて大騒ぎをしていたが、こちらもナッシー捜索の子どもたち同様、待てど暮らせどクッシーもイッシ―も現れないので、数日するうちに飽きてきた。

 

 それからしばらく後、とある大臣のスキャンダルが発覚し、政府がマスコミの糾弾を受け、野党が色めき立つと、ジャパニーズネッシー捜索隊もそのとばっちりを受けて国会でやり玉に挙げられた。

 いったいあの予算はどこから出ているのか?

 国会議員がろくに仕事もしないで、あんなろくでもないことに現を向かしていいのか?

 そもそもあの活動が社会的・経済的にどんな意味・どんなメリットがあるのか? など云々。

 当の作家議員は抗弁するのに窮してトーンダウンし、何も見つからないまま捜索は打ち切られることになった。結局、ジャパニーズネッシー捜索隊は奈々湖には来ずじまいだったのだ。

 

 村長はマスコミの取材に応じてコメントを残した。

 「まことに残念です。ちゃんと捜索すれば、必ずや世紀の大発見になったのに。ナッシーは間違いなかったのですから」

 そのコメントはちゃんとそのまま新聞や雑誌に載ったが、それだけだった。そこから何か新しい活動が展開されることはまったくなかった。そして、そんな騒ぎがあったことも遠い昔ばなしになった。いまやこの湖にナッシーの伝説があったことを知っている人さえ少なくなっている。

 しかし、世の中には6600万年前に死に絶えた巨大な生き物が、今まだ、この地球上のどこかに生き続けているはずだと信じている人が驚くほど大勢いる。それはもはや願いのようなものだ。

 おれたちにはその願いをかなえるミッションがある。

 

 一彦はまじめな顔をして大善に訴えた。

 大善はうんうんと頷いたものの、いったい東京で何があったのだろう?と訝った。たしかにいっしょに古文書の捜索などもやったが、彼の記憶の中の一彦は頭の良い秀才タイプで、むしろ周囲の子どもたちよりも一般常識をわきまえている男だった。

 中学生になる頃には奈那湖の怪物のことなどすっかり忘れて、勉強と部活のバスケットボールに打ち込んでいた。時々、テレビや雑誌で見たオカルト話で盛り上がることはあったが、それはちょっとしたお楽しみの範疇だった。もうその頃にはみんな、おとなになって社会の常識の中で生きていかなくてはいけないことがわかっていたのだから。

 いったい何が一彦を、いわば逆行させてしまったのか、大善にはわからなかったが、人が大勢来て村が賑わうことはいいことだ。そして正直、大善も時おり湖畔を散歩しては、ああ、本当に怪物が出てきて、また大騒ぎが起こればいいのにと考え、朝夕のお務めで仏に向かって祈念していたのである。

 そしてもう一人、このナッシープロジェクトに参加したいという人物が現れた。その名も菜々子という。

 


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郷竜小説「6万6千万年前の夢を見て死ね」 パート3.ジャパニーズネッシー捜索隊 その②

 

子どもたちが探しまわった古文書は仏像や古地図が所蔵してある部屋にしまわれていた。住職――大善の父は村長からの連絡を受けてそれを取り出しておいた。

 翌日、村長以下、村のお偉方はがん首揃えて麟風寺を訪れ、住職――大善の父に古文書を見せてくれるよう願い入れた。

 住職は彼らを客間に通し、とっておきの黄金に輝く法服を着て出迎えた。そして訴えを聞くとまるで時代劇のように大仰な間を取り、両手を合わせて目をつむった。そして読経を始めた。村長らも慌てて手を合わせ、首を垂れる。

 一分ほどのち、住職は目を開き、傍に法具の上に用意してあった古文書をしずしずと村長らの前に取りだし、一枚ずつ広げて見せた。ミミズがのたくったような黒々とした文字が黄ばんだ和紙にえんえんと書き綴られている。村長らは食い入るような目つきでその文字の列を追っていたが、何が書いてあるのやら、さっぱり読めない。住職はいつにない厳かな口調でそこに書いてあることを解説した。

 そして絵を見せる。どれも子どもの落書きみたいな絵だが、たしかに怪物らしきものが描かれている。

全員が深いため息をつき、客間はしばし沈黙に包まれた。

「これは間違いありませんな」

最初にそう声を発したのは、観光課長の田中だった。

 「他の湖にはこれほどの資料はありますまい。動かぬ証拠です。ナッシーは間違いなく、日本のネッシーの一番手です」

 「けどなぁ」

 そう異議を唱えたのは副村長の山田だった。

 「他のところには写真があるんだよ、写真が。ナッシーにはあるのか?」

 「たしかありますよ、何枚か」

 「なんかコブが水から突き出していたりとか、ぼんやりしてて何だかわからない黒い影が映ってるのしかないだろ。おお、これは恐竜だっていう決定的なやつはないの?」

 「そんなの他のところにだってないですよ。みんな似たり寄ったりだ」

 そこでけんけんがくがくの議論になり、結局、決め手は写真で、古文書はその付属品に過ぎない、という話になった。住職は憤まんやるかたない思いを抱いたが、とにかく村をあげての大事業だから協力すると約束してその場は収まった。

 子どもたちは隣の部屋でふすま越しに耳を澄ませ、この会合の一部始終を聞いていた。胸が湧きたつのを感じた。そして、なんとか自分たちでナッシーの写真を撮ろうと画策し、プロジェクトチームを結成した。

 カメラを持っているのは、タカシとユキヒロだ。他には女子の中にもいるかもしれない。そんなわけでタカシがリーダーとなって学校で募集をかけると、全部で十二人が参加した。

プロジェクトはずんずん進んだ。カメラマンと見張り役二人、三人で一チームとし、学校が終わって夕暮れまでの間、交替で奈々湖を見張ることにした。

 彼らの空想は限りなく広がった。それまでのほほんとした長閑な佇まいだった奈々湖は、急にミステリアスでオカルト感に満ちた、底なしの不気味な湖に見え始めた。

 子どもたちは会議も開いた。たいてい「緊急会議」とか「重要会議」とか「特別会議」とか、ものものしい名前がついていた。そこでは一日二時間くらいでは時間が足りない、という意見が出たが、夏休みになったら一日中見張りをしよう、ということで解決策が決まった。

 しかし、そんな盛り上がりは長くは続かなかった。何日見張っても、奈々湖には何も現れない。ときどき水音がするので何かと思って見ると、水鳥が羽根をバタバタさせているだけだったりした。

 当初、メンバーは皆、「おれたち、すごいことやってる感」がしていたので、そんなちょっとした異変にも色めき立って面白かったがすぐに飽きた。何回か経つうちに退屈になってきて、だんだんサボるチームも出てきた。

 つづく

 

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郷竜小説「6万6千万年前の夢を見て死ね」 パート3.ジャパニーズネッシー捜索隊 その①

 

 ところがそれからしばらく後。村じゅうがひっくり返るような出来事が起こった。

 とある国会議員が「日本のネッシーを捜索する」と言い出し、日本各地のネッシー伝説がある湖に捜索隊を送り込んだからだ。

その国会議員はもともとSF作家で、数々のベストセラー作品を発表して世間を賑わせていた。それと同時に「日本は世界で最も地球の歴史を知っている国」とか、「国土には太古の記憶が幾重にも刻まれている」いう自説を展開し、テレビの討論会などにもちょくちょく出演していた。

 そして、その人気・知名度を使って参議院選挙に立候補したら、しっかり当選してしまったのだ。政治経験はもちろんゼロ。しかし、歯に衣を着せない物言いは庶民にとって痛快に映り、彼は喝采を浴びて政界に迎えられた。

 参議院で何らかの実績を上げたという話は聞かないが、その男がなぜだか恐竜探しをやるというのである。しかし、彼の中では決して荒唐無稽なパフォーマンスではなく、ちゃんと論理だった、国民感情を高揚させるためのストーリーがあった。

 「イギリスのごとき老大国の一地方であるスコットランドの田舎がネッシーだけで盛り上がり、年間で世界中から相当数の観光客が訪れるという。わが国にも列島各地の湖に恐竜が生息している可能性があるのだから発掘し、エコノミックアニマルではない、夢とロマンにあふれた日本国を世界にアピールすべきである」

 折も折、日本は高度経済成長によって世界有数の豊かな国になりつつあった。円は高騰し、他国の通貨を圧倒する勢いは当分衰えそうにない。カネのことしか考えない成金国家の台頭に、二〇世紀の世界をリードしてきた欧米諸国は苦々しい思いを抱いている。これらの国の各地では日本製品排斥のデモが起こるなど、貿易摩擦も深刻化しており、政府もほったらかしておくわけにはいかなくなった。

 そんな時に出された彼のアイデアは、そうした摩擦・軋轢を緩和する潤滑油のようなはたらきができるのではないかと期待されたらしい。それにもちろん観光客が増え、観光収入のアップも目論まれていたのだろう。

 あくまでも噂だが、裏では当時の首相も絡んでいたようで、排斥運動を受けた複数の企業がスポンサーとなってこのプロジェクトを動かすことになったという。

 その作家議員が公開したリストには、北海道・屈斜路湖のクッシー、山梨県・本栖湖のモッシー、鹿児島県・池田湖のイッシ―などの有名どころに連なって、最後に奈々湖のナッシーの名も挙がっていた。

 今まで日本中の誰も聞いたことがなかった村の名前は、この時から突然、全国区になった。このニュースに村人たちが沸き返ったのは言うまでもない。

 

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「進撃の巨人」の「食べる」

 

今さらだけど「進撃の巨人」のアニメを

アマプラで見ている。

評判は聞いていたが、巨人が人間を食うシーンが怖くて

気持ち悪くて、これまで見ていなかった。

しかし今年になって、意を決して(?)見出したら

めっちゃ面白くてドハマリ。

正月からこの1カ月ほどで、

ほぼ一気見ペースで見まくっている。

 

それにしても想像以上に残酷シーンが多い。

巨人が人間を食う、巨人が巨人を食う。

人食いシーンのてんこ盛りである。

感想的なものは全部見終わってから書こうと思うが、

一つだけ先に言うと、

この作品において「食べる」という行為は、

三つの意味を持っているように見受けられる。

 

一つは殺戮・戦争のオマージュ。

巨人は強大な力を持って襲ってくる。

心を持たない兵器・軍隊のように見える。

 

一つは本能だけで食欲の塊である赤ん坊や子供の暗喩。

知性を持たない、ただ人を食うだけの巨人は

「無垢の巨人」と呼ばれ、

姿形も動きも本能のまま、

無邪気に食物に向かう子供のように描かれる。

 

そしてもう一つは、

相手の能力を取り込む行為としての「食べる」。

 

最近は人種差別につながるからか、あまり聞かないが、

僕が子どもの頃には少年雑誌・マンガ誌などに

よく人食い人種の話が載っていた。

今でもそういう習慣を残している種族がいると思うが、

彼らが人を食うのは、

自分にはない敵の能力を取り入れるという意味があり、

一種の宗教的・呪術的な行為であったようだ。

 

この作品では能力にプラス相手の持つ記憶も

取り込めることになっており、

それがストーリーの大きな鍵になっている。

 

僕たちもしばしば

「食べたものが自分になる」ということを言う。

ふだんあまり意識しないが考えてみえば、

かなり恐ろしい思想・イメージだ。

 

太古の人類は地球上のどこでも、

それぞれの種族同士で殺し合い・食い合いをやっていた。

そして殺した敵の(時には仲間の)

人間を食うということは、他のどの動植物よりも優れた

最高の栄養を取り入れることだった。

と、科学的にどうかはともかく、そう信じられていた。

なので、少なくとも精神的には強力な栄養になった。

そうした栄養によって進化してきたのがホモサピエンスだ。

 

おそらく僕たちの脳のどこかには

そうした太古のホモサピの記憶が残っているのだと思う。

この先、より科学が発達し、社会が発展し、

ライフスタイルが洗練されても、

こうした原初の感覚は残り続けるのではないかと思う。

 

というわけで「進撃の巨人」は

すさまじいイメージが渦巻く物語であり、

とても優れた人間ドラマであり、

テーマもストーリー展開も素晴らしい作品である。

残酷シーンが大丈夫な人には、ぜひ見て欲しいと思う。

 

というわけでまだ最後まで辿り着いていないので、

この話はまたこんどするが、

日本のアニメのクオリティはやっぱりすごい。世界一。

 

 

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郷竜小説「6600万年前の夢を見て死ね」 ★パート2「麟風寺の遺産」②

パート2.麟風寺の遺産②

 

奈々湖に何か得体のしれない化け物が住んでいる——

少なくとも昭和のどこかまでは、

そんな伝説が村には流布していた。

 

その伝説の源は麟風寺だった。

660年の歴史がある寺だ。

所蔵されている古文書には、

室町時代から江戸時代にかけて、

どのようにこの村が出来上がったのかという記録とともに、

何年かに一度、奈々湖に現れるとされる怪物の目撃談が

いくつも残されていた。

 

その中にはその怪物の絵が添えられたものまであった。

巨大なワニとか、オドロドロしい魚とか、

エビの化け物のようなものまで、

いろいろバラエティに富んでいる。

 

とにかく何か得体の知れない生き物がいることは間違いない。

村の年寄りたちは一彦や大善の両親の世代に

そんな話をよく語り聴かせたようだ。

 

昭和の半ばあたりまで、

こんな山間の村にはろくに娯楽がなかった。

それは一種の夜伽話として代々、

村の子どもたちを楽しませていたのかもしれない。

 

「バカバカしい」

一彦はすでに亡くなった父の言葉を思い浮かべた。

「非科学的にもほどがある。

あの湖にそんな大きな生き物なんかいるわけねえ。

ちょっと考えればわかることだ。

ホントに田舎者はこれだから困る」

 

父はいつもそう言っていた。

近郊の少しばかり大きな街の、

世間に少しは名の知れた会社に勤める

サラリーマンだった父は、

自分はこの村のやつらとは違う、

という自負があったのだろう。

 

一彦らの世代になると、そんな話を信じるなんてバカだ、

という方が優勢だった。

けれどもその一方で、本当だったらいいけどな、

という気持ちもちょっぴりあった。

 

大善はビミョーな立場に立たされていた。

なんと言っても噂のもとであるお寺の跡取りである。

「あんなデタラメを広げやがって」と、

湖の怪物のせいでいじめられることも少なくなかった。

 

けれどもこちらもその一方で、

怪物の絵が描かれている古文書を見たい、

見せろと言ってくるやつらも多かった。

彼と仲の良かった一彦も、

もちろんその好奇心を強く抱えた一人だ。

 

しかし大善自身、父がどこに

その古文書をしまっているのか知らない。

一度、一彦を含め、四人の仲間で

〈捜索隊〉を作り、

大善の父――当時の住職が留守の時に

家のあちこちを探しまわったことがある。

 

ある日、それがバレて大善は父にこっぴどく叱られ、

それ以降、捜索活動は打ち切りになった。

みんな、ちょっとがっかりしたが

一日でそんなことは忘れてしまった。

 

しょせん子どもの遊びである。

いつまでも過去のことなどにこだわっちゃいられない。

奈々湖は相変わらず子どもたちの遊び場であり続けた。

ところがそれからしばらく後。

村じゅうがひっくり返るような出来事が起こった。

 


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●郷竜小説「6600万年前の夢を見て死ね」 パート2.麟風寺の遺産①

パート2.麟風寺の遺産①

 

「ガチか?イッピコ、おまえヤバイんでねぇの?」

川西大善の口からはおよそ僧侶とは思えない

俗っぽいセリフが飛び出す。

「なんで事前に相談しなかったのさ?」

「一度連絡しただろ。けどプーちゃん、忙しそうだったし」

大善は、はたと自らを振り返る。

「そういやそうだった。けっこうテンパってたかもね」

麟風寺の住職になって半年。

大善は先代住職の父から引継ぎで、

なんやかんやとバタバタしていたことを思い起こした。

 

愛称は「ダイちゃん」でなく「プーちゃん」。

麟風寺のプーから来ているのだが、

そこに彼の持ち味であるのんきな性格も加味されている。

大学を出た後はそれこそプータローとして、

2年ほど外国を放浪していた。

「坊主にはならねえ」が子どもの頃からの口癖だったが、

結局、頭を丸めて修行に出たあと、

実家に戻り、坊主稼業を継ぐことに決めた。

 

麟風寺は故郷にあるお寺で、

その若い住職は一彦の幼なじみであり親友だった。

「いや、そりゃ帰ってきてくれたのはうれしいけどさ、

せっかく東京でちゃんとした会社に就職したのに・・・」

「もったいないってこと?」

「そう思うでしょ、誰だって」

「おまえが人生相談で言ってることと違うな」

 

大善はインターネットの「お坊さんに相談しよう」

というサイトで人生相談に応じている。

「プー坊主」というのは彼の売りだ。

「悩んだら自分に正直になりましょう。

心の声を聞きなさい。

好きなことを優先しましょう、とか」

「まあ、そうだけど」

「先のことを考えすぎです。今を生きましょう、

とかなんとか」

「いや、それとこれとはべつで」

「そんなの無責任だろ」

「だってさ、おれはおまえが羨ましかったわけ」

そう言って大善は子ども時代と変わらないまなざしで

一彦を見た。

麟風寺の宗派では頭を剃る戒律はない。

修行を終えて戻ってきてからは普通に髪を伸ばし、

袈裟も着ていないので、大善はまったく僧侶には見えない。

 

二人は本堂に隣にある住居の一室で話をしている。

ここも二人が子どもだった頃のまま、

ほとんど変わっていない。

「おれは跡取りだからさ、

ここから離れられなかったんだ。

660年の歴史がこう、ずしっとのしかかってな」

大善は重い荷物を背負うようなお道化たしぐさを見せた。

 

「こう言っちゃなんだけど、

親父はいい時に仏様の世界へ行ったよ。

やれやれ、これからどうすりゃいいのやら」

 

「ひどい住職がいたもんだな。

そのセリフをお檀家さんたちに聞かせてあげたいよ」

 

「どうぞお好きに。お檀家さんもめっきり減っちゃってね、

もうお布施も集まらなくて」

 

二人の故郷はすごい勢いで過疎化が進んでいる。

自然の恵みに溢れた美しい村なのだが、

ここで生まれ育った多くの子どもたちにとっては

そうではない。

 

それぞれの家はきれいで新しい住宅に建て替えられ、

電化製品が行きわたり、豊かで便利な生活を送っている。

にも関わらず、いまだに昔ながらの差別意識と

おかしな因習が残る閉塞的な暗いムラなのである。

 

だからみんな成長し、

中学や高校を卒業するとさっさと都会へ出て行ってしまう。

大学に入れば、そのまま大都市圏の会社に就職だ。

そうでなければフリーターをやりながら

自分の好きなことをやったり起業をめざす。

 

一彦はそれなりの規模の旅行会社に就職したものの、

2年と経たないうちにもう退職と起業を考え出した。

起業して自分の会社を持つという漠然とした夢が

日に日に膨らみ、週末ごとに起業サークルに通い始めた。

 

最初はいろんな仲間がいて面白かった。

けれども何回か通ううち、じつはみんな、

大して本気じゃないことに気付いた。

 

口当たりのいい自己啓発書を読み漁ってヴィジョン、

言い換えれば自分に都合の良い“妄想”を膨らませ、

「起業家」「経営者」という名の職業に就こうとしている。

 

だから何か手っ取り早く稼げる仕事はないか。

あわよくばその稼ぎを投資に回して

資産を作って早期リタイアできないか――

そんなことばかり考えて、

いわゆるビジネスチャンスを探しまわっている。

 

何よりも彼らには、仕事に対する愛情が

決定的に欠落していた。

市場のニーズと言えば聞こえがいいが、

今、儲かりそうならどんな仕事でいい。

効率よくやって効率よく金を稼ぐ。

それで成功している人を見ると、

自分にもたやすくできそうな気がしてくる。

しかし、そうなるためにはやはり特別な才能がいるのだ

ということにも気がついた。

 

仕事に対する愛情の欠落――

つまり好きなこと、やりたいことがないことは

自分もまったく同じだった。

一彦は割と器用で、

何をやってもだいたいのことはうまくできた。

人間関係もどう立ち居ふるまえばいいか

頭が素早く回転した。

女にだってそこそこモテる。

傍目にはわりかし優秀な人間・スマートな男と

映っているはずだ。

 

しかしそれだけだ。

その分、がんばってやり抜きたいと思うことは何もない。

この女のためなら何でもすると思うこともない。

すべてそこそこで、ほどほどで、

このままいけば平均的な日本人はこうあるべき、

みたいな人生を歩めるだろう。

人は彼を見て、これこそ幸福と思い、

中には羨む人もいるかもしれない。

 

だけど、それが何なんだ?

うすっぺらいペラペラな人生。

彼の胸にはぽっかりと大きな穴が開いていた。

 

起業サークルに通って学べば学ぶほど、

その穴はどんどん大きくなっていった。

それは怖ろしいことだった。

この先、何十年も続く人生を

いったいどうやって生きていけばいいのか

見当がつかなかった。

 

マイケルのサイトに出会ったのはちょうどそんな時だった。

特に恐竜が大好きというわけでもなかったが、

彼のサイトを目にするうち、

からからに乾いた心が潤い、

みるみる小さなオアシスが育っていく。

 

しだいに心の中に夢が芽生えた。

自分の故郷で、現代の恐竜伝説を創る。

それによって旅行客を呼び寄せ、新たな観光名所にする。

 

おれみたいな人間が、どうしてそんな荒唐無稽な話、

幼稚な妄想をマジになって考えているんだ? 

最初のうち、自分が自分を信じられなかった。

しかし、これはただの夢物語ではない。

なぜなら根拠がゼロではないからだ。

                    つづく

 


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郷竜小説「6600万年前の夢を見て死ね」パート1-2

 

辰年ということで郷竜(きょうりゅう)小説スタート。

随時連載。

 

★パート1.マイケル・オーネストの遺言 その2

 

自称・スコットランド観光大使の還暦バックパッカー

マイケル・オーネストは、

スコッチウィスキーではなく、

日本のグレープフルーツサワーを飲みながら

椎名一彦相手に新宿の居酒屋でくだをまく。

 

「とにかくネス湖を世界遺産にしたいんだ」

彼は故郷に帰ったら、その運動に携わるという。

 

インヴァネスという

ネス湖観光の拠点として知られる街が彼の故郷だ。

街の中にはネス川という川が流れている。

彼はその流れを眺めて育ち、

夕日に照らし出された

川の景色の美しさを何度も語って聞かせた。

 

ついでにベッド・アンド・ブレックファーストを

経営していた家の娘との初恋のことも。

 

「アマンダは可愛かった。

白いエプロンがよく似合ってね。

ベーコンと目玉焼きを作るのが得意だったんだ。

 

そんなの、誰にだってできると思うだろ。

だけど、目玉焼きをきれいに

程よい加減で焼くのは思ったより難しい。

お皿に移す時に

黄身を崩さないようにするのにコツがいるんだ。

かといって黄身を固くしてしまったらおいしくない」

 

そんな話をしているときに、

つまみに頼んだベーコンポテトが出てきた。

マイケルは「オー!」と声を上げて

好物に飛びつき、初恋の話は

それであっけなくフェードアウトした。

 

一彦はインヴァネスの

ベッド・アンド・ブレックファーストで

白いエプロンを着た金髪の娘に給仕され、

ベーコンエッグの朝食を食べている自分の姿を想像した。

 

窓越しに鳥の声、そして川のせせらぎが聞こえてくる。

その川、ネス川はネス湖に流れ込んでいる。

それはまた、マイケルのイメージの中では

スコットランド独立というヴィジョンにも

繋がる流れでもあった。

 

「必ず実現してみせるよ」

彼の人生には二つの目標があるという。

ネス湖の世界遺産登録。

スコットランドの独立。

その二つがどこでどうつながるのか、よくわからない。

 

ところが彼はその疑問に対する答えも

ちゃんと用意しているのだ。

「ネス湖は有名ではあるが、どこの国にあるのか、

ちゃんと知らない人が世界には圧倒的に多い。

スコットランドは今、君たち日本人が言うイギリス、

すなわち、グレートブリテン、

またの名をユナイテッド・キングダム、

の一地域ということになっている。

けれどもネス湖はイギリスにある湖、

とは誰も言わないだろ?」

 

そう言われてみればそうかなと一彦は思った。

たしかにビッグベンやウェストミンスター寺院、

あるいはストーンヘンジやシェイクスピアの村、

ピーターラビットの村と同じように

ネス湖を「イギリスの名所」

だと思っている人は少ない気がする。

 

多くの日本人にとってスコットランドのイメージは

何といってもネス湖。

あとは古都エジンバラ(こちらの街並みは世界遺産)とか、

タータンチェックにバグパイプといったところか。

 

「だから僕はこの二つをできるだけ

同時期に実現することに意義があると思っている」

 

マイケル・オーネストは自分のサイト

「マイケルのローストネッシーがうまいケル」で

ネッシーの話題を提供している。

 

一彦はそれを見つけて彼と友だちになったのだ。

日本語版は奥さんが翻訳をやっていたが、

どうやらその表現のしかたを巡って

ケンカになったことが離婚の原因だったようだ。

男の夢は離婚も辞さない。

それくらいマイケルは

ネス湖とネッシーについて本気だった。

 

その熱意に一彦は心動かされた。

東京でサラリーマンをやっていた

彼の脳裏に故郷の奈々湖の景色、

そして幼い頃に一度だけ見た

あの怪物の姿がよみがえった。

 

ほんの一瞬だけ、目の当たりにした

天に向かって伸びる長い首。

あれはたしかに太古の恐竜だった。

6600万年前に絶滅した、

かつてこの地球を支配していた巨大生物。

 

妄想にかられた彼の耳にはその咆哮さえも轟いた。

何度かマイケルと会って話を聞くうち、

一彦の心はしだいに固まっていった。

 

いま務めている会社を辞め、

故郷に戻って観光事業をやる。

その夜――彼はその決意を

マイケルに打ち明けた。

 

彼は一瞬、大きく目を見開き、

「オー!」と声を上げて両手を広げ、

やたらと芝居掛かったリアクションをした。

そして一彦の肩をがっちりとつかみ、

「マイフレンド」と感嘆のセリフを漏らした。

目には涙さえあふれ、ツーと頬を伝った。

シェイクスピアの芝居でこういう人物がいたかもしれない。

 

「それならば君も言うべきだ。ナナコを見て死ね、と」

人生は短い。

僕たちはこの世界のほんのわずかな部分しか、

見ることも触れることもできない。

だから人々に問うべきなのだ。

あなたにとって大切なものは何か?

自分に正直になってそれを確かめなさい。

そして明日死ぬ前に

それをしっかり見ておきなさい、と。

 

そう言い残して、

マイケル・オーネストはイギリスに、

いや、スコットランドに旅立って行った。

 


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郷竜小説「6600万年前の夢を見て死ね」1-1

 

辰年ということで郷竜(きょうりゅう)小説スタート。

随時連載します。

 

★パート1.マイケル・オーネストの遺言

 

「ネス湖を見て死ね」

 

マイケル・オーネストはそう言った。

まだ見たことはないが、

椎名一彦は霧に包まれたネス湖を頭に思い浮かべた。

 

同時に頭の半分には明るい太陽の光に照らされた

奈々湖の風景が浮かび上がった。

神秘性、何か出そうな雰囲気という点では

まったく比較にならない。

奈々湖はあまりにも長閑で緊張感に欠けている。

 

けれども確信しなくてはならない。

ネス湖にネッシーがいるように、

おれの故郷の奈々湖にだって〈ナッシー〉がいるのだ、と。

 

マイケル・オーネストは

スコットランドの観光大使を自称している。

あくまで“自称”だ。

実際はただのバックパッカーに過ぎない。

 

若い頃からバックパックを背負って

世界をほっつき歩いてきたが、

60歳になった今、祖国に帰ると言う。

 

日本が気に入って住みつき、12年暮らした。

結婚もしていたが奥さんとは昨年離婚したという。

彼が言うには奥さんはかなりエキセントリックな性格で、

とてもいっしょに暮らしていけなかったと言っている。

 

そういう本人も相当エキセントリックだが。

いずれにしてもそんなわけで本人曰く、

「日本はの長い世界漫遊の最後の地になる“かもしれない”」

 

「“かもしれない”って、

また帰ってくるかもしれないってこと?」

そう一彦が聞くと、

「未来のことは誰にも分らないからね」

マイケルは答える。

「だけど自分自身のことでしょう」

 

二人が飲んでいる新宿三丁目の居酒屋〈下町伯爵〉には

1960年代から70年代のポップスや映画音楽が流れている。

 

「自分のことだってわからない。

今の自分と未来の自分は違うから」

 

そう言ってマイケルは自分の頭を指さした。

 

「この脳は三日後には違う脳になってるよ」

 

笑って大好物のグレープフルーツサワーを

グイッとあおった。

スコットランドの観光大使を名乗っている割に、

スコッチウィスキーを飲んでいるところは見たことがない。

 

つづく


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イマイチ昭和世界の「ゴジラ-1.0」

 

「シン・ゴジラを超えた」と評価の高い

「ゴジラ-1.0」を見た。

時代設定が太平洋戦争末期から戦後間もない、

80年近く前の日本。

ここまで時間を戻してしまうということは、

ゴジラ映画のリセットを意図しているのか?

前作 庵野監督の「シン・ゴジラ」もそうだったが、

それとは真逆のベクトルのリセットだ。

以下、ネタバレありで。

 

戦争直後の東京の再現ということで

昭和レトロ世界構築の実績を持つ

「ALWAYS 三丁目の夕日」の山崎監督が出陣。

街の風景・環境の作り込みなどはよくできているが、

ストーリーが「ALWAYS」と違って、

シリアスでスケールが大きいせいもあり、

この時代の雰囲気づくりにはイマイチ感が漂う。

 

僕が時おり、

古い日本映画を見ているせいもあるのだろうけど、

そもそも俳優さんの顔つき・体つきが、

あの時代を生きていた人と現代を生きる人とでは、

同じ日本人でもずいぶん違うと感じる。

これはもうどうしようもない。

食い物もライフスタイルも80年前とはまったく違うのだから。

そこに難癖をつけるつもりはない。

 

しかし、補完する工夫はもっと必要ではないかと思う。

東京のど真ん中にゴジラが上陸して、

死傷者3万人という大惨事が起こったのに、

日本政府も、当時統治していたGHQも

まったく対策に関与しないのは、

どう考えても解せない。

元軍人たちの民間組織に丸投げするっていう設定は

無理があり過ぎだ。

 

「シン・ゴジラ」では政府の対ゴジラを描いたので、

今回はそれを避けたというのはわかるし、

台詞の中でもなぜ日本政府も米軍も出てこないかの説明は

一応ある。

けれども少しは政府高官なり、GHQの将校なりとの

やりとりのシーンが出てこないと

リアリティ不足は否めない。

 

もう一つ、ストーリーで不服だったのが、

主人公・敷島(神木隆之介)の描き方。

彼はもともと特攻隊員だが、冒頭シーン、

その任務から逃げて修理班のいる島に不時着し、

そこでまだ水爆実験の影響を受ける前のゴジラに遭遇する。

飛行機の機銃でゴジラを撃とうとするができず、

結果、修理班の人たちを見殺しにしてしまう。

 

なぜ敷島は特攻隊の任務から逃げたのか?

なぜ危機的状況でも機銃を撃てなかったのか?

何か重要なトラウマがあるのだろうと思ってみていたが、

どれだけ話が進んでもその説明は一切ない。

なので戦後、典子(浜辺美波)と出逢って

いっしょに暮らし始めてからも

イマイチ彼に感情移入できず、ドラマに深みが出ないのだ。

 

典子は戦災のせいで

自分の子ではない子供を育てることになったという設定。

それ自体は戦後の混乱を表現する要素で良いと思うが、

それだけで深掘りしていないので、

イマイチ設定が生きていない。

現代の日本人への

大事なメッセージを含んでいる気もするだけに

非常にもったいないなと感じる。

 

映像技術だけでなく、人間ドラマの部分も

高く評価されていると聞いていたので

期待していただけに、

こうした人物造形の粗さ・ドラマ作りの甘さが

よけい気になってしまった。

もっと丁寧に描いていたら

すごくクオリティアップしたのになー

と思うと、残念でならない。

 

ただ、僕にとっては欠陥に思えるそうした部分が

この映画をシンプルでわかりやすいものにしているので

アメリカでも受けているのかな、とも思う。

確かにこの脚本は、主人公が

「自分にとっての戦争」を終わらせるという

ゴールに向かって

様々な困難を克服していくという、

ハリウッドの黄金律に忠実なヒーロー物語になっている。

 

それに水爆実験の影響でゴジラが強大化したとか、

放射能を武器とした怪獣である点も

申し訳程度に説明しているだけで、ひどく印象が薄い。

もしやこういうところもアメリカに贖罪意識を抱かせず、

売り込むための忖度?

 

熱線発射の際に背中のヒレが青光りして

順番に立っていくところは、

「シン・エヴァンゲリオン」の

エヴァ2号機ビーストモードだし、

ラストの海中の覚醒シーンは、

1990年の「ゴジラVSキングギドラ」のまんま焼き直し。

そうしたイメージが連なってきて、

どうも原点回帰とか昭和レトロ世界観が伝わってこない。

 

と、ずいぶん難癖をつけてしまったが、

新世代向け、世界向けにリセットしたと考えると、

そのへんのことも

みんな成功要因になっているようにも思える。

 

思えば東宝は10年おきくらいに

ゴジラ映画の製作を諦めたり、

再開させたりを繰り返しているが、

やっぱりやれば客が入り、

一定の興行収入が見込めることを考えると

ゴジラ様を完全に引退させるわけにはいかないらしい。

 

これまでも何度かゴジラ映画限界説がささやかれたが、

そのたびに復活し、

「もう限界だと感じた時点がスタートだ!」を

実践してきた。

次はどんな切り口でゴジラを再生させるのか、

楽しみではある。

 


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「どうする家康」最終回:北川茶々の鮮烈な女性ヒーロー像

 

世間的な評判はあまり芳しくなったようだが、

僕は面白く見れた。

何より歴史の常識に固執せず、

家康を偉人でなく普通の一個人として

描いたところが良かった。

 

天下人に上り詰められたのは、

いわゆる能力・実力以上に人が良かった、

たまたま運がよかった、といったことを

強調したことも面白い。

実力的にははるかに上回っていた

信長・秀吉・信玄などに取って代わることができたのも、

そうした要素が作用している。

だから人間は面白い。

 

松潤家康の老け演技も感心したが、

ドラマ終盤は何と言っても北川景子演じる茶々の独壇場。

前回で娘時代の心情と母親としての感情の間を

揺れ動いたので、

最期はてっきりそうした面を

強調して終わるのかと思ってたら、見事に裏切られた。

 

火の海となった大坂城内で、息子・秀頼をはじめ、

家臣の男たちが全員自害するのを冷静に見届けた後、

最後に言い放ったのは、

もはや女であること・母であることから脱した、

乱世の鬼神のごときセリフ。

まるで伯父の信長、夫の秀吉、父の浅井長政、

さらには武田親子、真田親子などが

すべて乗り移ったようだ。

そして、それはまた400年後の現代の日本人へ向けた

痛烈な批判でもあり、呪いの言葉でもあった。

けれどもそれでいながら最後の最後、

一人の少女に還ってつぶやく今際の一言には泣かされた。

 

脚本もよくできているが、前回と今回、

姫の顔、母の顔、武将の顔、鬼神の顔、

一人の女性の中で次々と変化する感情を演じた

北川景子の演技力・表現力は圧巻。

かつてなかった戦国の女ヒーロー像を見事に造形した。

 

大坂城落城後のエピローグ。

平和になった世の中を続かせるため、

小栗旬の天海と寺島しのぶの春日局が

家康を神格化しようと努めるシーンは面白かったが、

その後の長い回想シーン、

家康の夢みるシーンはひどく冗漫に感じた。

 

政権の周囲にいる人々からは神とあがめられ、

他方、豊臣を支持する民衆には、

天下をかすめ取った妖怪狸とさげすまれ、

深い孤独の中で臨終を迎えた家康は、

まだ最初の妻と息子と家臣たちが生きていた

若き日の夢を見る。

 

やさしい家族、あたたかい笑い、明日へ向かう活力に満ちた

平和な日は家康が望んだ幸福の在り方だ。

けれども風もなく波も立たず、

安心安全でピーカンの日々がえんえんと続いたら、

人はそのありがたみを感じなくなってくる。

当たり前のことだが、幸福の在り方は一概に論じられない。

 

その考えると、冗漫と感じたエピローグは、

茶々の鮮烈な死のシーンと

素晴らしいコントラストをなしており、

このドラマの終わり方としては良いのではないかと思った。

 

一個人としての家康の人生はどうだったのか?

男たちが戦いに明け暮れる中で女性はどう生きたのか?

世の中で成功するためには何が必要なのか?

自分の本当の心を知るすべはあるのか?

平和な環境のなかでより良く生きるためには

どうすればいのか?

 

エンターテインメントであることはもちろんだが、

いろいろな問いかけをしてくれたドラマだったので

1年間本当に楽しめた。

ドラマなので史実がどうこうとか難癖をつけるのでなく、

今を生きる視聴者の心にどれだけ響くかを最優先して

これからも作っていってほしいと思う。

 


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みかんせんべいに秘められた物語

 

認知症の人の頭のなかには

どんなファンタジーの世界が広がっているのか

興味が尽きない。

 

何度か、義母が夜中や早朝に起き出して、

食べ物などをガメていく話を書いたが、

きょうは部屋の中から「みかんせんべい」が発見された。

 

夜中にガメたみかんを布団の下に隠し、

そのまま寝たのでぺっちゃんこ。

当然、布団の下はみかんの汁でぐちゃぐちゃ。

発見者のカミさんはカンカンである。

 

俗にいう認知症の人の「問題行動」だが、

まぁこれくらいのことなら明日ふとんを干せば

いいだけの話だし、怒っても本人は憶えていない。

 

それよりもどうしてガメたものを食べずに、

こんなふうに隠したり、しまいこんだりしてしまうのか?

 

秋口はお腹が減るせいか、たいてい食べていたが、

最近、寒くなってからは備蓄しようとする傾向がある。

 

冬眠する動物みたいに食糧を蓄えておこうという

本能が働くのも理由の一つだと思うが、

どうもそうした即物的な理由だけではないような気がする。

 

幻の家族やお友だちと会話していることを考え合わせると、

どうやら義母の4畳半の部屋には異次元ドアがあり、

その向こうには彼女にしかわからないストーリーが流れ、

そのストーリーを生きているのではないか。

そして、そう生きることが彼女の存在の芯にある

アイデンティティ、生きる意味と

つながっているのではないかと思える。

 

というわけで、汁が抜けてぺったんこに

みかんせんべいを見ているうちに

義母のストーリーを解き明かしてみたいという

妄想にかられた。

 

その前に、明日晴れたら洗濯と布団干しをやろう。

みかんせんべいは食べてみたが、

パサパサしててさすがにおいしくない。

 

 

短編小説

ざしきわらしに勇気の歌を

https://www.amazon.com/dp/B08K9BRPY6

 

Kindleより発売中。¥300 認知症の寅平じいさんの頭のなかに広がるファンタジーの物語。認知症の人のアイデンティティはどうなるのか、追究したいテーマだ。

気になったら、ぜひ読んでみてください。


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京風お地蔵さん人形と義母のまぼろし家族

 

京都の百万遍にある知恩寺というお寺で

毎月15日に「てづくり市」という市が立つ。

その名の通り、結構広い境内いっぱい

関西・近畿一円から集まった業者が

露店を開き、衣料・アクセサリー・工芸品・アート・

玩具・生活雑貨など、手作り品を売っている。

関西弁があふれ、とても楽しくてにぎやかだ。

 

そのなかで布で作った人形を売っている店があり、

かわいいお地蔵さんが目に留まった。

10数個あったが、一つ一つ顔と着物が微妙に異なる。

売り子のおねえさんによると、

95歳のおばちゃんが作っているのだそうだ。

 

そんな話を聞いて、義母のお土産にと一つ買ってきた。

(旅行中はショートステイに預けていた)

鏡台の前にずらりと並んだお友だちの間に

さりげに置いておいたら、

新入りに気付かないのか、自然に受け入れているのか、

とくにリアクションもなく、この1週間過ごしている。

彼女にとってはお地蔵さんも、タコやネコやワンちゃんと

同列扱いのようだ。

それでもって昼となく夜となく

これらマスコット相手におしゃべりをしている。

 

それだけでなく最近は幻視なのか、

やたらとどこかの子どもや、もうこの世にいない

親やきょうだい、見知らぬ先生とかお兄さん・お姉さんまで

遊びにくるようで、いろいろ訊かれるのだが、

「こっちにはいないよ」とか

「さあ、どこに行ったんだろう?」とか、

「会えてよかったね。きっとまた来るよ」とか言ってかわすと、

納得したのかしないのかわからないが、一応ひっこむ。

それでまたちょっと経つと部屋で誰かと話している。

 

知らない人が見たらびっくりするかもしれないが、

すっかり慣れて日常の風景になってしまった。

一時期、「お母さんのところに帰る」と言って、

止めるのも聞かずに家を出ていくことが会って往生した。

数日前に見たNHKのクローズアップ現代で

「認知症行方不明者1万8千人の衝撃」

という特集をやっていたが、

これは本当に大問題である。

家族や子供が家の中にいて話ができるなら

いきなり「かえるかえるケロケロ」と騒ぎ出さずに済んで

こちは助かるというものだ。

 

考えてみれば、どこか違う世界の子供と会ったり、

もうこの世を去ってしまった家族がいたりするなんて

幸福なくらしである。

そういうふうに考えていかないと、

これからの「高齢者の5人にひとりが認知症」なんて時代を

到底乗り越えていけないのではないか。

お地蔵さん、義母が図と幸福でありますように。

 


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地球家族の「争族」を辞めさせるための宇宙人待望論

 

むかし書いたラジオドラマの脚本で

廃園になった遊園地に

宇宙から飛来した円盤が降り立つのを

高校生の女の子と男の子が見に行くという

シーンを書いたことがある。

 

特撮にしようか、CGにしようか、VFXにしようか

そんなこと考えもせず、予算なんかまったく気にかけず、

リスナーの想像力に丸投げできるのが

ラジオドラマのいいところ。

 

てなわけで書けてしまったわけだが、

「未知との遭遇」や「E.T.」みたいな

映画に影響されているので、

いつもそういうシーンが頭にある。

 

てか最近、ほんとに異星人が来てくれないかと考える。

ロシア×ウクライナ

イスラエル×パレスチナ

中国の動きも怪しいし、

北朝鮮は相も変わらずミサイル打ちまくって、

軍事パレードもやりまくっている。

ウクライナ、パレスチナでの

「やったもの勝ち」の現実を見て、

台湾や韓国は、中国や北朝鮮のことが

気が気じゃないだろう。

 

これら、いがみ合っている国はみな、

もとをただせばみんな近親者同士。

憎み合いって、実は赤の他人より

近しい家族同士のほうがヤバイ。

 

「人類一家みなきょうだい」という

キャッチフレーズがあったが、

親が亡くなって相続が“争族”になるように

その家族・きょうだいがヤバいんです。

 

今は過去200年の人類近代化の遺産を

未来へどう継承するか、相続の時代に突入している。

相続は争族になり、

もうほとんど第3次世界大戦が起こっても

おかしくない状態になっているのではないか。

 

この状況を変えられるのは

地球外生物=宇宙人しかないのではないかと思ってしまう。

いま、マジで世界各地の大都市にUFOが飛来すれば、

どの国もくだらない戦争をやめるのではないか。

宇宙人が「地球を征服しに来た」と宣言すれば、

世界は一致団結するだろう。

 

それで本当に宇宙人の攻撃が始まったらどうするのか?

そこまで考えてないけど、

今の状況を変えるには宇宙へ向かって

「彼ら」を呼ぶしかないのでは。

もうすでにウクライナで、パレスチナで、

恐ろしいことが起こりまくっているのだから。

地球の家族が仲良くできるチャンスはないのか?

 


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名作小説の"こんな読み方もできるんじゃね?"的読書ガイド

おりべまこと電子書籍 エッセイ集:物語

再読・嵐が丘

 

ブロンテ、カフカ、イシグロ、キングなど、

名作小説の読書ガイド。

スティーブン・キングは

ハリウッド映画の原作率ナンバーワンの作家だけど、

どれも長いし、ホラーは苦手、という人には

「スタンド・バイ・ミー」

「刑務所のリタ・ヘイワーズ」

「ゴールデンボーイ」など、

比較的短くて、読みごたえたっぷりの中編がおすすめ。

ホラーの根底にある人間心理のドラマが楽しめます。

そんな読み方の参考書としても。

 

10月31日(火)16:59 まで

新発売記念4日間無料キャンペーン実施中

 

もくじ

●再読「嵐が丘」:呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語

●続・再読「嵐が丘」: 呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語

●嵐が丘の旅の追憶

●カフカの寓話「ロビンソン・クルーソー」

●カフカの寓話②「小さな寓話」

●チェコのカッパ

●成長に希少価値がある時代の「三銃士」

●「忘れられた巨人」は、僕たちの未来を描いた物語なのかもしれない

●香水(パフューム):人間存在の深淵につながる「におい」の世界

●スタンド・バイ・ミー 死の淵を覗きに行く少年たちの冒険譚

●女目フィルターの少年像と少女版スタンドバイミーについて

●「刑務所のリタ・ヘイワーズ」:凡人の希望と絶望をめぐる物語

●「ゴールデンボーイ」:誰もが怪物になり得る恐怖の神話

●ゴーストの正体と人間のストーリーテリング

●どうして人は地球滅亡・人類滅亡の物語を創り続けるのか?

 

読書の秋は、世界名作を読みなおして人生を書きかえよう。

 

 

 


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「再読・嵐が丘」本日より4日間無料キャンペーン

 

おりべまこと電子書籍・新刊 

再読・嵐が丘

本日10月28日(土)17:00~31日(火)16:59

新発売記念4日間無料キャンペーン!

読書の秋は、世界名作を読みなおして人生を書きかえよう。

 

エミリー・ブロンテ「嵐が丘」は

世間で言われてきた恋愛小説などではなく、

毒親の虐待に打ち克ち、

新たな人生を切り拓くつ子どもたちの勇気の物語。

ブロンテ、カフカ、カズオ・イシグロ、

スティーブン・キングなど、世界名作、ベストセラー小説の

"こんな読み方もできるんじゃね?"的読書ガイド。

 

もくじ

●再読「嵐が丘」:呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語

●続・再読「嵐が丘」: 呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語

●嵐が丘の旅の追憶

●カフカの寓話「ロビンソン・クルーソー」

●カフカの寓話②「小さな寓話」

●チェコのカッパ

●成長に希少価値がある時代の「三銃士」

●「忘れられた巨人」は、僕たちの未来を描いた物語なのかもしれない

●香水(パフューム):人間存在の深淵につながる「におい」の世界

●スタンド・バイ・ミー 死の淵を覗きに行く少年たちの冒険譚

●女目フィルターの少年像と少女版スタンドバイミーについて

●「刑務所のリタ・ヘイワーズ」:凡人の希望と絶望をめぐる物語

●「ゴールデンボーイ」:誰もが怪物になり得る恐怖の神話

●ゴーストの正体と人間のストーリーテリング

●どうして人は地球滅亡・人類滅亡の物語を創り続けるのか?

 全15編

 


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新刊「再読・嵐が丘」本日発売

 

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世界名作を読みなおして、人生を書きかえよう。

エミリー・ブロンテ「嵐が丘」は恋愛小説ではなく、

毒親の虐待に打ち克ち、新たな人生を切り拓くつ子どもたちの勇気の物語。

ブロンテ、カフカ、カズオ・イシグロ、スティーブン・キングなど、世界名作、ベストセラー小説の

"こんな読み方もできるんじゃね?"的読書ガイド。

ブログ「DAIHON屋のネタ帳」から

15編のエッセイを編集・リライト。

 

もくじ

●再読「嵐が丘」:呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語

●続・再読「嵐が丘」: 呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語

●嵐が丘の旅の追憶

●カフカの寓話「ロビンソン・クルーソー」

●カフカの寓話②「小さな寓話」

●チェコのカッパ

●成長に希少価値がある時代の「三銃士」

●「忘れられた巨人」は、僕たちの未来を描いた物語なのかもしれない

●香水(パフューム):人間存在の深淵につながる「におい」の世界

●スタンド・バイ・ミー 死の淵を覗きに行く少年たちの冒険譚

●女目フィルターの少年像と少女版スタンドバイミーについて

●「刑務所のリタ・ヘイワーズ」:凡人の希望と絶望をめぐる物語

●「ゴールデンボーイ」:誰もが怪物になり得る恐怖の神話

●ゴーストの正体と人間のストーリーテリング

●どうして人は地球滅亡・人類滅亡の物語を創り続けるのか?

 

読書の秋は世界名作を読みなおして、人生を書きかえよう。

 


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「嵐が丘」への旅はいかが?

 

おりべまこと電子書籍 新刊予告

「再読・嵐が丘」 10月26日(木)発行予定

 

秋の読書シリーズ第1集。

エミリー・ブロンテ「嵐が丘」は恋愛小説ではなく、

毒親に打ち克つ子供たちの勇気の物語。

 

コロナが終わったからって

わざわざ人ごみの観光地に出かけなくても

本の中で素晴らしい旅が体験できます。

 

ブロンテ、カフカ、キングなどの

"こんな読み方もできるんじゃね?"的名作読書ガイド。

ブログ「DAIHON屋のネタ帳」から

15編のエッセイを編集・リライト。

 

第2集「再読・坊ちゃん」

第3集「再読・村上春樹」も準備中。

どうぞお楽しみに。

 


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「叔母Q」 発売記念4日間無料キャンペーン

 

新刊「叔母Q」発売記念4日間無料キャンペーン

本日10月14日(土)17:00~10月17日(火)16:59

AmasonPrimeキャンペーンのついでにぜひどうぞ。

 

叔母の温子(ながこ)は

ロサンゼルスの下町のアパートで孤独のうちに死んだ。

リトルトーキョーの小さな葬儀屋の一室で

彼女の遺骨を受け取った甥の「わたし」は供養のために、

可愛がってくれた叔母と

昭和の家族についての話を葬儀屋に語る。

子供だった「わたし」と、

戦後の時代を生きた叔母との記憶の断片を

つなぎ合わせた物語。

短編。2万3千字。

 


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叔母Q 

 

おりべまこと電子書籍新刊「叔母Q」 本日発売

 

叔母の温子(ながこ)は

ロサンゼルスの下町のアパートで孤独のうちに死んだ。

リトルトーキョーの小さな葬儀屋の一室で

彼女の遺骨を受け取った甥の「わたし」は供養のために、

可愛がってくれた叔母と昭和の家族についての話を

葬儀屋に語る。

 

「わたしも叔母のことが好きでした」

そう口にするとあの口もとのホクロを思い出した。

家族だった彼女は恋人でもあった。

生まれて初めて意識した大人の女だった。

子供だった「わたし」と、

戦後の時代を生きた叔母との記憶の断片を

つなぎ合わせた物語。短編小説。2万3千字。¥500

 

もくじ

1 パンパン 1960年

2 リトルトーキョー 2023年

3 結婚式 1988年

4 昭和家族 1960年代

5 チューベー 1968年

6 ナンシー 2023年

7 母と叔母 1968年

8 GHQ 1945年

9 ロサンゼルス 2023年

10 姪と叔母 2023年

 


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おりべまこと電子書籍新刊  おとなも楽しい少年少女小説「叔母Q」

 

叔母の温子はロサンゼルスの下町のアパートで孤独死した。

リトルトーキョーの小さな葬儀屋の一室で

彼女の遺骨を受け取った甥の「わたし」は供養のために、

可愛がってくれた叔母と昭和の家族についての話を

葬儀屋に語る。

「わたしも叔母のことが好きでした」

そう口にすると彼女の口もとのホクロを思い出し、

閉じられていた記憶の扉が次々と開いていった。

短編(2万字) 10月12日(木)発売予定。

 


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豊臣秀吉とジャニーズ 英雄の凋落と昭和システムの崩壊

 

大河ドラマ「どうする家康」では

ムロツヨシ演じる豊臣秀吉の最期が近づいている。

 

次回予告を見る限り、

秀吉は側室である茶々(淀の方)に復讐され、

(心理的に)殺されるという展開らしい。

北川景子が市と茶々(淀の方)の母娘二役なので、

予想はしていたが、やはりショッキングだ。

 

太閤・秀吉の死因は病死だが、

天下人としてはあまりに寂しいものだったことは

長年の謎とされている。

 

それをここまであからさまに

愛人の憎しみによってとどめを刺される

というストーリーは前代未聞であり、

衝撃を受ける人は多いのではないだろうか。

 

茶々は家康が思いを寄せた市の娘であり、

乱世のなかで非業の死を遂げた

信長と市というカリスマ兄妹が

転生した存在とも言える。

 

父(浅井長政)と母(市)を殺し、

自分を凌辱した男に対する凄まじい復讐。

彼女が一種のモンスターとなって

最後に家康の前に立ちはだかるというのは

ドラマとしてすごいダイナミズム。

市と淀を見事に演じ分ける北川景子の演技は

(あざとさも含めて)ヤバすぎる。

 

秀吉は昭和の成長時代、

庶民にとって英雄以外の何者でもなかった。

戦国武将の中でも人気抜群であり、

百姓の子せがれから天下人に成りあがった

サクセスストーリーは、誰もが見習うべきものであり、

みんなが尊敬すべき人物だった。

 

それが平成時代を通して、

徐々にそのヒーローの皮がはがされていき、

負の部分も含めて人間くさい側面に

光が当てられるようになっていった。

 

そして令和の今、このドラマでは

かつての英雄像の「凋落」ともいえる扱い。

その伏線は昨日の放送回における

高畑淳子演じる大政所(秀吉の母・仲)の

臨終のセリフに現われている。

 

「あの息子は自分が本当は何を欲しかったのか、

自分でわからなくなってしまった」

 

このドラマは家康が主役なので、

秀吉がなぜあれほど民衆に慕われ、

人を惹きつけたのかといった

ポジティブな面はほとんど描かれない。

 

逆にその俗物的な部分や、

自分の欲望を満たすためには手段を選ばない

あくどさばかりが強調されていることに

秀吉ファンは怒りさえ覚えるだろう。

 

僕はべつに秀吉ファンではないが、

地元の名古屋で育ったので、

やはり秀吉は尊敬すべき英雄であり、

いわば正義の基準だった。

 

ちなみに名古屋駅には太閤口という玄関があり、

太閤通りという道路が走っている。

名古屋の人たちは、まさかわれらが太閤様が

テレビドラマでこんなふうに描かれる時代が来るとは

夢にも思っていなかっただろう。

 

ドラマは時代の変化・価値観の変化を

如実に表すメタファーである。

こうした秀吉像の変化は、

リアル世界では芸能界の英雄として亡くなった

ジャニー喜多川氏と重なる。

 

製作者側はもちろん、そんなことは意図していない。

これは僕の個人的な見解だが、

まんざら見当違いでもないと思う。

 

今年のはじめ頃、ジャニー氏がここまで国内で糾弾され、

彼の犯罪を隠蔽し、王国を守ってきた

ジャニーズ事務所がこんな惨状になろうとは、

少なくとも一般人は誰も予想していなかった。

 

長らく日本を支え、生き延びてきた昭和システムが

音を立てて崩壊したのだ。

この事実は芸能やマスコミの世界のみならず、

いろいろな所に波及していくだろう。

 

日本の社会を覆っていた昭和の幻影が拭い去られた———

まだ1年を振り返るのには早すぎるが、

この先、令和5年、2023年は

そういう年として記憶されるかもしれない。

 


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母校 池袋の舞台芸術学院を訪ねる

 

昨日ふたたび池袋へ行く。

10日あまり前とは別の仕事の取材だが、

たまたま同じ池袋。

先月は雨天であまり街の写真が撮れなかったので、

少し早めに行ってスマホでウロウロ撮影作業。

 

劇場の話に合わせる写真がいるので、

西口にあるわが母校 舞台芸術学院にも足を運んでみた。

卒業したのはもう43年も前のことだ。

 

当然、校舎は改築されているが、

場所も道路を通し、区画整理した関係で

僕たちの通っていた頃より20mほど移動している。

 

創立されたのは1948(昭和23)年。

終戦からまだ3年目のことで、

このあたり一帯は焼け野原だったらしい。

 

ホームページを見て見たら、

こんな創立の物語があった。

https://www.bugei.ac.jp/about/school/

 

演劇を志したひとりの青年、野尻徹。

彼は幸運にも復員し、池袋で演劇活動の拠点、

「スタジオ・デ・ザール」を開設しました。

しかしその志半ば、彼は27歳でこの世を去ります。

彼の演劇への「思い」はここで潰えたようにみえました。

しかし、彼のあまりにも早い死を悲しんだ父、

与顕は息子の遺志継承を願います。

 

「地に落ちた一粒の麦、徹死して幾百幾千の

舞台人となって実るであろう事を」

 

1948年9月13日、与顕は焼け跡の残る

東京・池袋に演劇を渇望した息子、

徹の遺志を継ぐべく、私財を投じ、

若者が演劇に打ち込むための場

「舞台芸術学院」を創立しました。

 

(※以上、ホームページより抜粋)

 

初代学長である秋田雨雀、副学長である土方与志は、

日本の近代演劇史・文化史に名を遺す人なので

いちおう知っていたのだが、

真の創設者である野尻さん親子のことは

恥ずかしながらまったく知らなかった。

 

これは75年前、西口公園に闇市が群れをなし、

池袋全体がダークでカオスな街だった時代の話である。

(池袋のヤバさ加減は、小説・ドラマになった

「池袋ウェストゲートパーク」あたりまで引き継がれてた)

 

75年の歴史のなかで有名・無名かかわらず、

多くの演劇人、そして、そこに連なるハンパ者たちを

輩出している舞台芸術学院。

 

60年代の舞芸の学生が、南池袋の仙行寺と関わったことから

小劇場「シアターグリーン」が生まれ、

その活動が波及し、西口公園の

「東京芸術劇場」につながり、

その他、東口の「サンシャイン劇場」「あうるすぽっと」、

野外劇場「グローバルリングシアター」、

最近ではシネマコンプレックス、商業施設と一体化した

文化施設「HAREZA(ハレザ)」の一角を占める

「東京建物ブリリアホール」という劇場もできた。

 

百貨店・家電量販店・アニメショップなどの

印象が強い池袋だが、

いまや新宿・渋谷をしのぐ劇場が花咲く街である。

その最初の一粒がわが母校だったことに

改めて驚きと感動を覚えた。

 

在籍時を含めて45年間、創立の話を知らなかったのは、

ハンパ者卒業生の一人として、ほんとに恥ずかしい限り。

長い時間を要しないと、僕のようなボンクラには

世界が見えない、意味が分からない。

 

しかし、とりあえずこの母校と池袋の劇場の件については

死ぬ前に気付いてよかった。

自分の新しい歴史がまた新しく始まった気がする。

 


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映画「ロスト・キング」ーーリチャードⅢ世遺骨発掘の物語

 

何かを達成するのはクレイジーなエネルギーである。

フリッパ(離婚したシングルマザーの中年女性)は、

たまたま子どもの付きそいで

シェイクスピア作の「リチャードⅢ世」の舞台を見る。

それが彼女の人生を変えた。

 

リチャードⅢ世の霊が彼女にとりついた。

あの世からやってきたリチャードとの対話から

彼の遺骨が墓にも納められず埋もれ、

名誉を棄損されていることを知る。

そして8割方インスピレーションによって、

その遺骨の眠る場所を探り当てる。

 

こう書くと、荒唐無稽なオカルト映画、

あるいはインディー・ジョーンズのような

考古学者の冒険譚なのかと思うかもしれないが、

これは事実をもとに作られた映画である。

 

英国レスターにおいて

リチャードⅢ世の遺骨発掘が行われたのは、

わずか5年前。2,018年のこと。

 

国営放送BBCは、そのドキュメンタリーを作ったが、

それを劇映画化したもの。

脚色・演出はされているが、

ストーリー自体は事実そのもである。

 

主人公のフリッパは、

もともと考古学に縁もゆかりもないもない。

「リチャードⅢ世」は、知る人ぞ知る、

シェイクスピア劇の中でも屈指の人気を誇る作品だ。

 

リチャードがこの世を去って1世紀後、

シェイクスピアがその伝説をもとに造形したのが

せむしで醜く、心も歪み荒んだ極悪の王。

その残虐非道さ故、

英国歴代の正当な王とは認められていなかった。

 

しかし、リチャードの人柄と行為は、

彼のあとに政権を握った王朝が、

自らの正義を民衆に示すために捏造したものだった。

ちょうど明治政府が徳川幕府の政治を貶めたように。

江戸幕府の開幕時、

徳川家が豊臣家の影を消し去ったように。

 

フリッパはリチャード(の幻影)との対話と、

あくなき調査によってそのことを確信し、

遺棄された彼の遺骨のありかも突き止め、

孝行学者と大学を動かして発掘調査を行う。

 

あくまでドキュメンタリー風の作品なので、

ドキドキハラハラみたいなエンタメ感は乏しいが、

面白く、妙に感動的な映画だ。

 

フリッパの行動の動機は、

世紀の発見をして歴史を覆してやろうといった

崇高な目的や野心のためでもなく、

もちろん一発当ててやろうという金儲けや

損得勘定のためでもない。

 

本当に霊に取りつかれてしまったか、

リチャードに恋をしてしまったか、

要ははた目から見たらめっちゃクレイジーな熱意なのだ。

それでも元夫や子供たちは彼女を応援し支える。

 

あくまでドキュメンタリー風の作品なので、

ドキドキハラハラみたいなエンタメ感は乏しいが、

そうした家族愛もあり、面白く、妙に感動的な映画だ。

 

そしてもう一つ。

彼女が自分の発想で、単独で始めたことを、

世紀の大発見という成果が得られると、

ちゃっかりその手柄を横取りし、

自分たちの栄誉にしてしまおうとする

大学や学者の在り方も、

リチャードを貶めた次期王朝権力と重なって面白い。

 

歴史は常にその時々の勝者・成功者・権力者が

つくってきたものである。

僕たちが英雄と信じている人が、

とんでもない悪人や詐欺師だったり、

悪漢や愚者だと思っていた人が、

実は英雄だったりすることもある。

インターネットが発達した世の中では

そうした驚くべきどんでん返しも起こり得る。

世界はまだまだ神秘にあふれ、

変化していく可能性を孕んでいる。

 

歴史が深く、多彩な物語が眠る英国だから作り得た

と思われるこの映画は、

そんなことまで考えさせてくれる。

 


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アメリカンドリーマーだった叔母の話

 

仕事が一段落し、しばし猛暑から解放されたので、

義母を連れて阿佐ヶ谷をぶらぶらしに行く。

 

アンティーク雑貨店のショーウィンドウに

全身アメリカンファッションのマネキンを見て、

義母と同い年(昭和10年=1935年生まれ)の

叔母のことを思い出した。

 

小学校の低学年の頃まで数年間、一緒に住んでいて、

甥である僕をずいぶん可愛がってくれた。

アメリカ大好きな人で、

結構ハイカラな考え方・ライフスタイルを持っている

叔母だった。

 

彼女がティーンエージャーだった時代、

日本はGHQ=ほぼアメリカの占領下だった。

ただし彼女が若い頃は、まともな日本人の女は、

もちろんこんな格好はできなかった。

 

GHQが去り、高度経済成長が始まって、

彼女は新しく生まれた自由な戦後世代を

羨望の目を持って見ていたイメージがある。

ガキだった僕を相手に

「わたしももう10年遅く生まれていれば・・・」と

呟いていたことをいまだに憶えている。

 

小学校の高学年になる頃には、

もう離れて住むようになっていたし、

両親もあまり彼女のことを話さなかったので、

その後の叔母の人生はよく知らない。

 

僕は漠然と、

いずれ彼女はアメリカに移住するのだろうと思っていたが、

まだ一般庶民がそう簡単に海外に行ける時代ではなかった。

その代り、というわけではないが、

中年になってちょっとお金持ちのおっさんの後妻になった。

 

その叔母は兄である父より先、15年ほど前に亡くなった。

亡くなった時は独身だった。

結婚はあまりうまくいかなかったのか?

 

その辺の事情は結局わかかずじまいだ。

わかっているのは彼女にとって、

憧れていたアメリカは最期まで遠い地だった、

ということだけだ。

 

自分も大人になってわかったが、

まだチビの甥や姪というのは、自分の息子・娘と違って、

割と無責任に甘やかし、可愛がれる、

オモチャやペットのような存在だ。

 

たぶん僕の中にはあの叔母に甘やかされたことが、

のちの女性観にも影響しているのではないかな、

と思うことがある。

思いがけず面影がよみがえったこの叔母の供養のために、

何か彼女をモデルにした話を書こうと思っている。

 


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坊ちゃんとマドンナと清さん

 

夏目漱石の「坊ちゃん」を初めて読んだのは

小4か小5のときだった。

以来、何度か読んで、

最後はいつだったのか思い出せないが、

多分、高校生の時以来だろう。

 

ご存じ、江戸っ子口調の名調子。

これほど痛快で印象的な一人称の語り口は、

この作品とサリンジャーの

「ライ麦畑でつかまえて」ぐらいだ。

 

図書館のヤングアダルト文庫の棚で

ふと目にすると、あのべらんめえ文体が脳裏によみがえり、

手に取って読みたくなったのだ。

 

★なぜマドンナが表紙を飾るのか?

 

表紙にはマンガっぽいイラストで

主人公の坊ちゃんとマドンナが描かれている。

近年、なぜか「坊ちゃん」というと

表紙にマドンナが登場するパターンが多い。

 

内容を知らない人、

あるいは昔読んだがよく憶えていないという人は、

赴任先の松山で、名家のお嬢さんであるマドンナと

坊ちゃんが出会い、憧れ、恋をする、

というストーリーを思い描くかと思う。

 

ところがこれはまったくの誤解で、

主人公はマドンナに何の感情も持たない。

むしろ「うらなりから赤シャツに寝返った女」として

あまり良い感情を抱かないと言ってもいいぐらいだ。

 

出版社は「明治の青春小説」と銘打っているし、

明治ファッションの女性は飾りになるので、

ほとんど活躍の場がないマドンナを

表紙に載せたがるのだろう。

誤解するのは読者の勝手というわけだ。

 

昭和以降、特に戦後の青春小説・青春マンガには

この「マドンナ」という、男の女性幻想をかたちにした

偶像が頻繁に登場するようになった。

 

果ては歌謡曲のタイトルになったり、

アメリカの歌手が自分でそう名乗ったりしたので、

一般的にすっかり定着したが、

明治の頃は西洋画に精通した人以外、

マドンナなんて初めて聴く言葉で、

意味など知らないという人が大半だったと思われる。

 

だから日本人にマドンナの

「聖母・聖女=清く、美しく、愛し尊敬すべき女性」という

イメージを植え付けたのは、

漱石作品の中でも最も人気が高い

この小説だと言っても過言ではないだろう。

 

★マドンナは清さん

 

しかし、この定義からすれば、

坊ちゃんから見るマドンナは、

子供の頃から可愛がってくれ、

惜しみない愛情で支えてくれた清さんの方である。

 

そう言えば、僕が小学生の時に初めて読んだ本の表紙には、

坊ちゃんが見上げる空の向こうには、

ちょっとだけ微笑む和服姿の清さんが描かれていた。

 

しかし、清さんは若くてきれいなお嬢様ではなく、

坊ちゃんの家の下女、住み込みのお手伝いさんで、

しかもけっこう年寄りである。

 

この小説の登場人物は、主人公をはじめ、

一人も年齢が特定されていないが、

物語の舞台が発表時の

明治39年(1906年)あたりだとすると、

ほとんどは明治生まれ・明治育ちの人たちである。

 

ただ一人、清さんは明治維新を体験した人だ。

武士の名家の出身らしいが、

「瓦解(明治維新)の時に零落して、

ついに奉公までするようになった」というから、

おそらく50代後半~60代前半である。

いまと違ってもう立派なお婆さんだ。

しかも人生の辛酸をなめた元・お嬢さまの。

 

子ども頃から可愛がってもらっているのだから、

母や祖母のように慕うのはわかるが、

坊ちゃんの清さんへの感情は、

そうした家族に対するものとはまたちょっと違う。

 

さりとて恋愛でもない。

もっと齢が近ければ、そうなり得たかもしれないが、

あまり生々しさを伴わない、尊敬の念を交えた、

女性という偶像に対する愛情が混じっている。

 

子供の頃は母以上に彼を可愛がった清さんは

坊ちゃんの将来に夢を託し、

おとなになったら面倒を見てもらおうと思っている。

 

そういう意味では彼女の愛もけっして純粋なものではなく、

ギブアンドテイクの関係と言えなくもない。

ただし、成長した坊ちゃんは、

自分に期待を託す彼女の言うことは、かなりおかしく、

贔屓の引き倒しで、現実離れしていることに気付く。

 

「こんな婆さんに逢ってはかなわない。

自分の好きな者は必ずえらい人物になって、

嫌いな人はきっと落ちぶれるものと信じていた」

 

「婆さんは何も知らないから、年さえとれば

兄の家がもらえると信じている」

 

「(学校を)卒業すれば金が自然とポケットの中に

湧いてくると思っている」

 

などと冷静に分析し、

“もとは身分のある者でも、

教育のない婆さんだから仕方がない”清さんの

無知ぶり・夢みる少女ぶりにあきれ果てている。

 

それでも坊ちゃんは清さんを嗤ったりは絶対しない。

彼にとって、知識量・情報量は、

人間的な価値とは決して比例しないのだ。

 

子供の頃、読んだときは気が付かなったが、

この二人のやりとりは本当に面白く、笑えて哀しく、

清さんはめっちゃ可愛い。

 

松山で教職に就き、不快な目に会うたびに坊ちゃんは、

そんな清さんの人間的な気品・尊さに思いを巡らせるが、

痛快なストーリーの裏側で、

こうした女性への愛とリスペクトの念があるからこそ、

この小説を単なる面白ばなしでなく、

奥行きと味わいの深いものにしている。

 

★時代に取り残される坊ちゃん

 

「坊ちゃん」の読み方の一つとして、

「時代に適応できる者とできない者の物語」

という視点がある。

前者は、話の中で悪人とされる赤シャツや野だいこであり、

後者はとっちめる側の正義の坊ちゃんや山嵐だ。

 

マドンナも、坊ちゃんからは

うらなりから赤シャツに寝返った、

およそマドンナらしくない女と見做されるが、

彼女は若かりし頃の清さんと同じ立場にある。

 

この時代の女性の社会低地位は低く、

生き方は今と比較にならないほど制限されていた。

 

没落寸前の名家の娘として、

いくら身分があるとはいえ、

世渡り下手・自己主張ベタ・まじめなだけで面白くない

許嫁のうらなりよりも、

既に教頭職を得て、将来有望、しかも話術に長けていて

楽しませてくれそうな赤シャツのほうになびくのも

しかたがないところだろう。

 

下手をすれば清さんと同じく、

零落の道に転がり落ちることになるので必死なのだ。

マドンナとあだ名をつけられて、

男性の夢を壊さないよう、ホホホとおとなしく

笑っているわけにはいかない。

 

マドンナファンには申し訳ないが、

もしかしたら、彼女の方が赤シャツに目を付け、

誘ったのではにかとさえ思える。

 

楽しくて痛快な「坊ちゃん」だが、

この明治後期、時代は変わり、

価値観も急速に変わっていた。

よく読むと、それを表現するかのように、

この物語は別れの連続だ。

 

母が死に、父が死に、生れ育った家は人手にわたり、

兄とも別れ、いわば天涯孤独の身の上になる。

 

松山ではうらなり(坊ちゃんは彼を人間的に

上等と評価している)を見送り、

赤シャツ・野だいこを叩きのめして訣別するが、

相棒で親友になった山嵐とは新橋で別れる。

 

ちなみに幕府軍として

明治政府と最後まで戦った会津出身の山嵐は、

江戸時代のサムライ精神の象徴とも取れる。

 

そして帰って来た彼を涙ながらに出迎えてくれた

マドンナ清さんも、

それからいくらも経たないうちに肺炎で死んでしまう、

坊ちゃんは本当にひとりぼっちになってしまうのだ。

 

★坊ちゃんは何歳なのか?

 

今回、読み返してみて、最大の疑問として残ったのは、

この物語を語っている時の坊ちゃんは、

いったい幾つなのだろうということ。

 

東京に帰って来た彼は街鉄(電車)の技手になり、

清さんと一緒に暮らし始めたもののが、

最後に清さんは「今年の2月に死んでしまった」とある。

 

ニュアンス的に、仕事に慣れ、生活も落ち着いてきた矢先に

亡くなってしまったと読めるから、

新しい仕事に就いてから1,2年後くらいだろうか。

 

そしてそれから半年ほど経ってから、

自分の人生を振り返った時、

松山での経験と、清さんという存在の大きさを

語ってみたくなったということだろう。

 

だとしても、坊ちゃんはまだ20代の溌剌とした若者だ。

その後、彼がどうしたのか、

兄や山嵐と再会する機会はあったのか、

結婚して家庭を持ったのか、興味津々である。

でもきっと、どれだけ年をとっても

この物語のような名調子は消えなかっただろう。

 

坊ちゃんという人物は、時代に適応できない者の代表格で、

自分の価値観に固執するあまり、教職を失ったが、

それでも新しい職を得て、一人でも生きる道を見出した。

 

★死ぬまで続く名調子

 

この頃と同じく、

最近も時代に合わせる

必要性・適応する柔軟性が強調されるが、

人間だれしも、

生まれながらの「自分のリズム」を持っている。

それをないがしろにして、周囲に合わせようとすると、

やっぱりろくなことにならないのではないか。

 

たとえ得になる生き方だとしても、

損をしない人生だとしても、

それが自分のリズム・語り口・文体と相いれないものなら

気持ち悪くて、長続きなどしない。

 

世間に通用してもしなくても、

坊ちゃんのように自分のべらんめえを並べ立てて

生き抜いた方がうんと気持ちいいのではないだろうか。

 

気分が凹んだときの活力剤として、

「坊ちゃん」は、はるか1世紀を超えた過去から

今でも僕たちにいろんなことを教えてくれていると思う。

 


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週末の懐メロ148:ウェルカム上海/吉田日出子

 

1979年、オンシアター自由劇場が上演した音楽劇

「上海バンスキング」のテーマ曲。

昭和10年代(1930年代後半から40年代前半)の

上海租界を舞台に、

享楽的に生きるジャズマンをめぐる物語で、

劇中演奏されるのはジャズのオールドナンバーだが、

オープニングとクロージングを飾るこの曲はオリジナル。

 

主人公のまどか役で歌手の吉田日出子は

小劇場界では名の知れた魅力的な女優だったが、

この芝居まで歌手としての経験はほとんどなかった。

 

また、ジャズマンたちも串田和美(シロー)や

笹野高史(バクマツ)をはじめ、楽器は素人同然。

 

にもかかわらず、演奏はノリにノってて素晴らしかった。

それはもちろん、この物語がとてつもなく面白く、

感動的だったからである。

 

僕は「上海バンスキング」の初演を見た。

当時、オンシアター自由劇場の拠点劇場は、

外苑東通りと六本木通り(首都高3号)とが交わる

六本木交差点からすぐ近くの雑居ビルの地下にあった。

 

キャパ100人の小さな劇場(というよりも芝居小屋)には

観客が溢れかえり、

広さ8畳程度の狭い舞台には、

主演級の他、楽器を携えた楽団員役を含め

20人を超えるキャストが出入りして熱演した。

あんな狭いところでいったいどうやっていたのか、

思い出すと不思議で仕方がない。

 

舞台となるのは、まどかとシロー夫妻の家の広間だが、

舞台セットなどは椅子とテーブルがあるだけ。

そこが突如ジャズクラブに変貌したりするシーン構成、

いろいろな登場人物が錯綜するストーリー展開、

そして時代が日中戦争、さらに太平洋戦争へ続いていく

ドラマの流れは、リアリズムをベースに、

時にファンタジーが入り混じり、

さらに歴史の残酷さを描き出す叙事詩にもなるという、

舞台劇の醍醐味に満ちていた。

 

ジャズと笑い・ユーモアに彩られながらも、

「上海バンスキング」はけっしてハッピーな物語ではない。

後半は戦争の暗雲が登場人物たちの人生を狂わせていき、

終盤、自由を、仲間を、そして音楽を失ったシローは、

アヘンに溺れ、やがて廃人になってしまう。

変わり果てた夫を抱きしめて、まどかは最後に

「この街には人を不幸にする夢が多過ぎた」と呟く。

 

ひどく苦い結末を迎える悲劇なのだが、

追憶の中、二人の心によみがえる「ウェルカム上海」は、

思わず踊りだしたくなるほど陽気で軽やか。

その楽しいスウィングは、

同時に哀しく美しい抒情に包まれる。

 

劇作家・斎藤憐はこの作品で

演劇界の芥川賞とされる岸田國士戯曲賞を受賞。

オンシアター自由劇場は

1979年の紀伊国屋演劇賞団体賞を受賞。

 

再演するごとに人気は高まり、

キャパ100人の劇場は連日満員で客が入りきらなくなり、

やがて大きな劇場で何度も再演されることになる。

 

それまで演劇など見たことのなかった人たちでさえも

虜にし、1984年には、深作欣二監督、

松坂慶子・風間杜夫の主演で映画化。

20世紀の終わりまで上演され続ける

日本の演劇史に残る名作になった。

 

オールドファンとしては、

吉田日出子をはじめとするオリジナルキャストの

歌・演奏・演技はあまりにも印象的で忘れ難いが、

新しい若いキャストで今の時代に再演しても

ヒットするだろうと思う。

 

不幸のリスクを背負っても夢を求めるのか、

夢など見ずに幸福(というより不幸ではない状態)を

求めるのか、

いつの時代も、いくつになっても、

人生の悩みと迷いは変わらないのだ。

もう一度、舞台で「ウェルカム上海」を聴いてみたい。

 

夏休み無料キャンペーン第5弾

「ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力」

8月20日(日)16時59分まで

 ポップミュージックが世界を覆った時代、ホームビデオもインターネットもなくたって、僕らはひたすら妄想力を駆使して音楽と向き合っていた。

 心の財産となったあの時代の夢と歌を考察する音楽エッセイ集。


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映画「ザリガニの鳴くところ」  陸と海との境界の物語

 

事件の真相は、初恋の中に沈んでいる――。

 

宣伝コピーがカッコいい「ザリガニの鳴くところ」は、

全世界で累計1500万部を売り上げた

ディーリア・オーエンズの同名小説の映画化。 

 

1969年、ノースカロライナ州の湿地帯で、

将来有望な金持ちの青年が変死体で見つかる。

殺人事件の容疑者として逮捕されたのは、

「湿地の少女」と呼ばれる孤児の女の子。

 

彼女を裁く陪審員裁判で事件の真相が明かされていく。

しかし、本当の真実が明かされるのは

それから半世紀のちの現代(映画のエピローグ)。

人生の結論はすぐには現れず、

目に見えないところに深く沈み、

思いがけない時に浮かび上がってくる。

 

原作小説は一昨年、読んでいた。

作者のオーエンズは動物学者で、

その知見をふんだんに活かし、

湿地の生態系について詳しく描写しており、

それと人間ドラマとがブレンドされて、

詩的でスケールの大きな物語になっている。

 

湿地という土地自体がミステリアスで、

様々な暗喩に満ちており、

人間の心のなかの世界を表現しているかのようだ。

 

ただ、ミステリー映画という頭で見ると、

正直、論理的に甘い部分が気になるかもしれない。

冒頭の宣伝コピーも

実際の内容とはちょっとズレてる感じが否めない。

 

映画化に際してストーリーは単純化され、

殺人事件の真相解明に焦点が絞られているが、

アメリカ社会に深く根を張った

児童虐待・家庭崩壊の問題も

もっと突っ込んで描いてよかった気がする。

 

アマプラで見た(今でも見られる)が、

陸と海との境界となっている雄大な湿地帯の風景と、

そこで暮らす人々のライフスタイルは、

映画館のスクリーンサイズで見たかった、という印象。

 

その映像をバックにしたプロローグとエピローグの

ナレーションもしびれるほど詩的でイマジネーティブ。

「ザリガニの鳴くところ」というタイトルの意味も分かる。

 

そして、ラブシーンがいい。

ドラマの文脈、映像の美しさ。

若い俳優さんがあまり美男美女過ぎないのもいい。

こんなきれいなラブシーンは久しぶりに見た気がして、

年甲斐もなく、ムズムズソワソワしてしまった。

 

夏休み無料キャンペーン 第4弾

ちち、ちぢむ 

8月18日(金)15時59分まで

 

 ろくでなしだけど大好きなお父さんが

「ちっちゃいおじさん」に!

 人新世(アンドロポセン)の時代を生きるアベコベ親子の奇々怪々でユーモラスな冒険と再起の物語


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手鎖心中/江戸の夕立

 

井上ひさしの「手鎖心中」は

歌舞伎にもなった直木賞受賞作。

 

この作品も面白いのだが、

併載されている「江戸の夕立」が

表題作に輪をかけてめっちゃ面白い。

長めの中編というか、短めの長編というか、

そこそこボリュームもあるので、

読みごたえもたっぷり。

 

主人公は大商店の放蕩息子の若旦那と

そのご祝儀目当てでベタベタお世辞を連発しながら

くっついて歩く太鼓持ち。

 

平和な江戸の街で、ぬくぬくした環境で生まれて育って、

軽薄短小な人生を謳歌する二人組の軽妙なやりとりで、

ハリウッド映画ばりの波乱万丈の物語が綴られていく。

 

はでに買い物したり、花魁遊びが出来たのも序盤まで。

その後は江戸を離れ、東北地方を放浪するはめに。

 

しかもそれは暴力、漂流、バクチ、友情、裏切り、

奴隷労働、疫病、借金、旅芸、女狂い、家庭崩壊など、

現代の、僕らの人生でも起こり得る、

あらゆる災厄のてんこ盛り。

笑いとユーモアの味付けで救われているが、

まさに地獄めぐりの旅である。

 

そんなひどい目に遭いながらも

人間的に成長するわけでなく、

放蕩していた頃のろくでなしのまま、

9年をかけてやっと江戸の街に帰ってきた二人。

ところがその故郷はなんと・・・という展開で、

けっしてハッピーエンドとはいえない、

かなり苦み走ったラストを迎える。

 

ただ、このラストが僕は好きである。

すべてを失った代わりに、

彼らは生きるための何かを得た、

その思わせてくれる、心に響く結末だ。

 

井上ひさしはお芝居もたくさん書いていて、

ユーモア・人情を描く作家だと思われている。

しかしその実、彼が人生・人間社会を見る目は

かなりシニカルで、だからこそユーモア・人情が映え、

胸に深く沁み込んでくる。

 

地獄の奴隷労働の仲間が死の間際、

「女の裸が見てえ」という願いをかなえるために

キリシタンの娘が一肌脱ぐシーンなどは

涙が止まらんかった。

 

いくら齢を取ったって人間、

大して成長するわけではない。

バカはバカのまま、ろくでなしはろくでなしのまま。

だから笑えて泣ける。だからいいのだ。

 

最近やたらと多い感動の美談、

人間ってすばらしい!と讃えるストーリーに

食傷気味の方におすすめです。

 


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幸福を追求して人間を改造する「シン・仮面ライダー」

 

アマプラで「シン・仮面ライダー」を見た。

すごいなと思ったのは、敵であるショッカーの設定。

悪の組織であるはずのショッカーは、

なんとこの作品では「人間の幸福を追求する組織」である。

 

フルネームだと「Sustainable Happiness Organization with Computational Knowledge Embedded Remodeling」。

「計画的知識を埋め込んで改造した持続可能な幸福の組織」

とでも訳せばいいのか。

 

それぞれの頭文字をつなげて「SHOCKER」。

もちろん、これは庵野監督の創作である。

怪人(改造人間)のモチーフが昆虫であるところを

考え合わせると、地球環境との調和も追求しているようだ。

 

当然、この幸福の追求は、

一般社会で生活する人間にとっては

歪んだおぞましいものだが、

主人公の仮面ライダー・本郷猛も、

ラスボスであるショッカーの首領も、

不条理な無差別殺人事件によって父や母を奪われた遺族である。

 

彼らの立場になって考えていくと、

つまり見方を変えると、ショッカーが目指すものこそ

正義と捉えてみてもおかしくない。

 

もちろん、本当のご遺族の方が

こうした考えを持つようになるということではないが、

原典の「仮面ライダー」が持つテーマ性を深堀りして、

現代に新たな世界観を築き上げた

庵野秀明監督の想像力・創造力はやはり尊敬に値する。

 

ゴジラやウルトラマンと違って、

仮面ライダーは等身大のヒーローであり、

この話は、僕たちの人生とごく身近な、

家族・友人・その周りの社会をめぐる物語とも言える。

1号・本郷猛と2号・一文字隼人との

人間関係・信頼関係の成り立ちも良い。

 

登場人物の中ではヒロインのルリ子がとてもよかった。

演じているのは、今やっている朝ドラのヒロイン役

(牧野博士の妻)の浜辺美波。

狂言回しのような役柄で、

彼女のセリフと行動によって

この話の世界観・構造が語られていくのだが、

彼女と彼女に対する本郷の愛あっての

「シン・仮面ライダー」という感じがする。

 

僕はテレビの「仮面ライダー」が始まった頃、

すでに小学校の高学年だったので、

やや冷めた目で見ていて、

初期シリーズ(1号・本郷猛のシリーズ)を

半分ほど見ただけだ。

ウルトラシリーズと違ってほとんど思い入れがないので、

今回も期待せず、事前情報もほとんど仕入れていなかった。

結局、劇場に行かず、アマプラで見てしまったのだが、

すばらしかった。

「幸福のために人間を改造する」というテーマのもとで

これだけの物語を作り得るのはすごいことだ。

 

「仮面ライダー」なんて知らない・興味ないという人も

ぜひ観て見るといいのでは、と思う。

 


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本所七不思議のお化け喫煙場

 

夏と言えば妖怪・怪談。

江戸時代はいたるところで多様な怪談が生まれ、

妖怪が発明され、

それが落語や歌舞伎になって庶民の娯楽になった。

まさに火事とけんかと妖怪・怪談は江戸の華。

特に現在の墨田区界隈の下町は、

お化け文化のメッカになった。

 

最近、仕事で錦糸町に行ったが、

駅前にある喫煙所は、

「おいてけ堀」などでおなじみの

本所七不思議のマンガが描かれたパネルに囲われている。

いまや江戸の怪談は観光資源。

タバコ吸う人、この喫煙所で一服すれば、

あなたもお化けに会えるかも。

錦糸町に行くことがあれば、ぜひ訪ねてみてください。

 


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カッパの正体を解明(?)した本

 

頭にお皿、背中に甲羅、口はくちばし状、手足に水かき、

からだは人間の子ども(幼児~小学校低学年)

くらいの大きさで、

皮膚がヌメヌメしていて体色は緑系。

いたずら好きで、キュウリが大好物。

過去100年くらいで、

日本人の間にそんなカッパのイメージが定着した。

 

地域によってまちまちだった呼び名も、

かの芥川龍之介が、死の間際、

そのものズバリ「河童」という小説を書いてから

統一された感じがする。

 

そのカッパは実在するのか否か?

その他、柳田国男の「遠野物語」をとっかかりに

東北の民話の世界を探検し、

登場する怪異・妖怪の類の秘密を解き明かそう

というのがこの本「荒俣宏妖怪探偵団 ニッポン見聞録」

の趣旨である。

 

おなじみ、この手の妖怪学・博物学の大家・

荒俣宏先生を中心に、

小説家・理学博士がチームを組んで、

東北各地の大学教授・学者、博物館などの研究員、

郷土研究家、お寺の住職などを訪ねて回る。

 

面白いのは、たとえばカッパに話を絞れば、

みんな、カッパの実在を肯定していること。

ただ、そのカッパとされる妖怪は、

“現代人の視点で見ると”、

どれも別の様々な生き物であるという点だ。

 

あるところではそれはウミガメだったり、

あるところではイモリ、あるところではカワウソ、

あるところではネコだったりする。

それら爬虫類・両棲類・鳥類・哺乳類にまでまたがる

多種多様な生き物が、

「カッパ」という妖怪・生き物に

ひとくくりにカテゴライズされていたのだ。

 

どういうことかというと、

人間は自分(あるいは自分を取り巻く社会)が持っている

知識・情報の埒外にあるものと遭遇したとき、

「わけのわからないもの」としておくことができず、

それを分類するために

特定のファイルみたいなものを必要とする。

 

その一つに「カッパ(地域によって呼び名は異なる)」と

題されたファイルがあり、

「これは何だ?わからん」と思ったものをみんな、

とりあえずそのカッパファイルの中に突っ込んでいたのだ。

 

だからそれぞれの動物の特徴・生態・イメージが、

そのファイルのなかで混ざり合い、繋がり合い、

時には化学変化を起こして、

カッパという妖怪の形になって

多くの人々の頭のなかに生息するようになり、

民間伝承として伝えられるようになった。

 

そしてまたその伝承・民話をもとにして

時代ごとに絵師などがカッパの姿を絵として描き上げた、

ということらしい。

 

僕たち現代社会で生きる人間は、

科学的に解明された知識・情報を

すでに頭のなかに仕入れてあるので、

これは犬とか、カエルとか、ウサギであると知っている。

 

だから、なんでカメやイモリやカワウソやネコを

カッパだなんて思ったんだろう、と不思議がるが、

それは逆で、カッパというファイルの中から

Aタイプが実はカメで、Bタイプがカワウソで、

Cタイプがネコだった・・と、

後で(だいたい明治以降~昭和初期の間に)

分類・整理されたのである。

 

言い換えれば、江戸時代以前の日本人にとって、

奇妙な野生動物は皆、UMA(未確認動物)であり、

ほんの150年ほど前まで日本の海も山も里もUMAで

溢れかえっていたのである。

 

この本ではカッパ以外にも

いろいろな妖怪・民俗学的伝承が紹介されているが、

そうした昔と今の人間の心の地図の違いについて

気付かせてくれることに重要な価値があると思う。

 

荒俣宏妖怪探偵団 ニッポン見聞録 東北編

著者:荒俣宏/荻野慎諧・峰守ひろかず

発行:学研プラス 2017年

 


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空を見る洗たく女

 

「洗たく女の空とぶサンダル」では

主人公のアカネに教わったことがある。

それはいつでも、どんな時でも空を見ること。

 

僕たちは空を飛べないけど、見続けることはできる。

この星で暮らす限り、みんな、この空の下で生きている。

空には未来があり、ビジョンがある。

そしてまた空は僕たちの心の中を映し出している。

うまく行かないときは空を見るといい。

雲がどう動いていくのか見るといい。

 

朝と昼間と夕方は違った顔をしているし、

星が広がる夜空はまた別の世界だ。

 

潜在意識がどうとか、瞑想術がこうとか、

そんものを学ばなくても、ただ空を見上げるだけで、

これまで見えていなかったものが見えてくる。

 

できたら毎日。

今日もひどく暑そうだが、

ちょっとの間なら外に出てもいいだろう。

あれば木陰に入って晴れた空を眺める。

空は世界であり、自分自身でもある。

 

 

洗たく女の空とぶサンダル

 

無料キャンペーンは昨日終了しました。

ご購入いただいた方、ありがとうございました。もしよければレビューをよろしくお願いします。

引き続きAmazonKindleで販売しています。他の本も読み放題サブスクもあります。今後も洗たく女を応援してください。

 


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男をいやす はたらく女

 

先日、若い女の子がゴミ回収の仕事を

やっているところに出くわし、びっくりした。

女子がそうした仕事に就くことに何の異論もないが、

彼女はびしっとメイクしていて、

帽子からはみ出た髪はきれいにサラサラしていて、

ほとんどアイドルみたい。

朝、この仕事でバイトして、作業着から普段着に着替えて

芸能事務所なりロケ現場に行くのだろうか・・・

と勝手に想像した。

本当のところはもちろん知らないが、

その労働する姿とルックスとのギャップに

いたく心癒された。

ご本人はそんなつもりはカケラもないと思うが。

 

3K的な肉体労働の現場でも、

昔と違って女性がバリバリ働いている。

経済が成長していく時代は、

女はどんな職業・職場でも、

女は日々働く男たちを慰労する役割が中心で、

実際の労働の価値はその副産物でしかなかった。

 

時は流れ、経済が落ち込み、

男だけじゃダメだということで社会進出が当たり前になり、

今では経済・産業の世界において

女性が主役を務めることも少なくない。

 

しかし誤解を恐れず言えば、

それでも職場で女は男を癒し、

多かれ少なかれ夢を施している。

これは人間社会が女と男で成り立っている以上、

仕方ないことだと思うし、

それで職場のテンションが上がればいいことだと思う。

 

ただ、その現実と夢のバランスが崩れると、

世の中ではいろいろ事件が起きる。

 

「洗たく女と空とぶサンダル」は当初、

足の大きい女性を主人公にして話にしようと

思っていたのが、

いつの間にか、この資本主義社会において

そうした労働に勤しむ女についての幻想が入り込み、

奇妙なファンタジー物に化けた。

 

はたらく女性と

はたらく女性を愛する男性に読んでもらいたい一冊です。

 

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洗たく女の七夕無料キャンペーン本日スタート!

 

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おりべまことKindle電子書籍

おとなも楽しい少年少女小説 最新刊

洗たく女の 空とぶサンダル

 

まるで足だけガリバー旅行記。

人並外れて足が大きいアカネは、その大足のせいでかわいい靴が履けないし、

人生何をやってもうまくいかないと思いこんでいた。

 

けれども、そんなコンプレックスのタネだった

大足のおかげで彼女は救われる。

DV夫の顔面にガリバーキックをかましてKO。

離婚して自由になると、足で洗たくをする、

富裕層御用達の洗たく屋に就職し、

ずんずん人生を切り開く。

 

洗たく女として日々働くようになったアカネは、

ある日、街中で足の向くまま歩いていくと

名誉に迷い込み、靴アートの芸術家に遭遇。

その芸術家が、自分の作品に興味を抱いてくれたお礼に、と贈ってくれた一足のサンダルは、魔法の空飛ぶサンダルで、そこから人々の命の“洗たく”をする

アカネの新しい仕事が始まる。

はたらく女の夢と希望、そして歪んだ現実との格闘・逃走を描く労働ファンタジー。3万2千字。中編小説。

 


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洗たく女の七夕キャンペーン情報

 

 

予告!七夕キャンペーンやります。

 

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洗たく女の空とぶサンダル

 

明日7月5日(水)16時から10日(月)15時59分まで

6日間無料キャンペーン

 

はらたく女の夢と希望、

そして歪んだ現実との格闘・逃走を描く労働ファンタジー。

3万2千字中編小説。この機会にぜひ読んでみてくださいね。

 


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魔法のサンダルを履いた はたらく女のものがたり

 

おりべまことKindle新刊

おとなも楽しい少年少女小説

「洗たく女の空とぶサンダル」

~魔法のサンダルを履いた はたらく女のものがたり~

 

1日延びて明後日7月1日(土)発売予定になりました。

当初、1万5千~2万字程度の短編にするつもりだったけど、

やっているうちに3万字超えの中編に育ってしまった。

小説はまとまった時間が必要で大変だけど、

書いているうちに生き物のように踊り出して楽しい。

主人公のアカネちゃん、どうもありがとう。

 


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「街とその不確かな壁」:そこは現代人の魂の拠り所

 

読み終わってまず思ったのが、

40年前の

「世界の終わりとハードボールドワンダーランド」は、

本当に本当に、すごい作品だったな、

また読み直さねば、ということ。

いちばん好きな作品なので、完全に主観、

贔屓の引き倒しだけど。

 

著者本人があとがきで割とそっけなく

あの作品を書いた時のことを回想しているが、

本当に2本立てなんて手法をよくぞ思いついたものだ。

 

「ハードボールドワンダーランド」は、

レイモンド・チャンドラーもどきの

スリリングでミステリアスな探偵もので、

あの時代に脳科学を探究した、

めっちゃSFでプログレなエンタメ小説だった。

それが「世界の終わり(=今回の作品のセカンドバージョン)」と共鳴し合うことで、プログレ感二乗。

インスピレーションの大渦巻きが起こった。

 

結局、村上春樹の小説って

「風の歌」「ピンボール」を序章として、

「羊をめぐる冒険」

「世界の終わりとハードボールドワンダーランド」

「ノルウェイの森」という、

彼の表現スタイルを確立した初期3作で

オールドファンの心は支配されている。

10代・20代であの3作に出逢ってしまった人たちは、

もうそこから離れられないのだ。

 

本人も言っているように、クオリティ・完成度は

後年の作品の方が高いし、

文章の濃密度は相当増していると思う。

けど、それが作品の魅力と比例するかというと、

どうもそうではない。

 

何というか、村上さんはさっぱり成長しない

僕のような読者を置き去りにし、

どんどんキャリアを積み上げ、進化したんだろうなと思う。

僕は40年前からカタツムリ程度にしか進んでいないのだ。

 

そんなわけでこの作品の第1部における

少年と少女のシーンには、

懐かしさとみずみずしさがないまぜになって

思わず涙が出た。

少女はどこか「ノルウェイの森」の直子を想起させた。

 

けれども「ノルウェイ」のような恋愛ものや、

「羊」や「ハードボイルド」のようなエンタメ感を

この作品に求めるのは間違っている。

 

そして第1部を読み終えた時に、

前々から思っていた疑問が氷解した。

なぜこんなに村上春樹の小説が売れるのか?

自分も含めてなぜみんな、恋愛でもエンタメでもない、

こんなわけのわからない話を毎度読みたがるのか?

それも日本だけでなく、全世界的傾向だ。

 

その疑問が第1部を読み終えた時に、

するっとわかった。

村上春樹が書く物語の中には、魂の拠り所があるのだ。

 

自然から離反し、伝統的な民俗からも離反した、

この200年あまりで形成された、欧米由来の現代文明。

そのなかで人生を送る人間は、

現実的な社会生活を送る心身と、

より深いところで息づく魂とが明らかに分離している。

魂は行き場を失っていつもどこかをウロウロしているのだ。

 

しかし、村上春樹の物語の中には、

その行き場、魂が落ち着く環境が整っている。

著者自身はそんなこと意識していないと思うが、

僕たちの世代の大勢の読者が、そのことを発見したのだ。

なので、村上小説を読むことは

どこか宗教の信仰に近いものがあるのかもしれない。

 

それから40年あまり。

日々、とほうもない量のコンテンツが

出されるようになったが、

現代人の魂の拠り所になり得るものは依然として少ない。

需要と供給のバランスは大きく崩れたままだ。

数年に一度刊行される村上春樹の長編は、

その需要に応えられる、

数少ないブランドものコンテンツなのだ。

 

という視点で読み進めていくと、

第2部は、まさしく魂の拠り所を失った

現代人の放浪の物語になっている。

魂の拠り所を求めて中年になった人と老年になった人、

そしてその下の若い世代の人のことが描かれ、

第3部では中年は再び魂の故郷へ帰っていく。

 

ただしそこは「故郷」という言葉からイメージされるような

やさしい場所でも、暖かい場所でもない。

「不確かな壁がある街」は、

安全で便利な環境のなかで生活する

現代人の心の中にある街なのだ。

 

村上春樹はこの20年余りのインタビューやエッセイで、

「世界の終わりとハードボールドワンダーランド」を

書き直したいと、つねづね言っていた。

「街とその不確かな壁」のファーストバージョンは、

それ以前に雑誌に発表したものなので、

今回の執筆は彼にとって、

まさに「3度目の正直」と言えるのだろう。

 

正直、面白かったとか、感動したとかという感想はない。

ただ、近年の作品にはない、独特の色合いを持った

「純・村上春樹作品」といった印象を受けた。

 

「海辺のカフカ」も「1Q84」も「騎士団長殺し」も

最初読んだときは違和感だらけだったが、

時間が経ち、何度か読み返すうちに面白くなった。

 

この作品を通して、村上春樹は、なぜ自分は物語を

紡いできたのかを探究・確認したかったのだと思う。

次に行くために踏まなくてはならないステップ、

超えなくてはならない

「40年間の壁」だったのだろうと思う。

それを果たした今、これから先は

集大成に匹敵する作品に取り組むのだろうか。

 

というわけでこの本がいいのかどうかの結論は先送り。

正直、面白かったとか、感動したとかという感想はない。

不満を言えば、読んでいて笑える、

ユーモラスな部分がないのが、ちとさびしい。

 

それから周囲から女の描き方について言われたせいか、

珍しく濡れ場がない。

それとは逆に、近年の作品にはない、独特の色合いを持った

「純・村上春樹作品」といった印象がある。

 

「海辺のカフカ」も「1Q84」も「騎士団長殺し」も

最初読んだときは違和感だらけだったが、

時間が経ち、何度か読み返すうちに面白くなった。

「街とその不確かな壁」も読み手の変化に応じて

これから先、全然違う作品になり得るだろう。

 

そして、いつものことだが、村上小説は

「まだおまえの人生には秘められた可能性があるよ」

と感じさせてくれる不思議な力がある。

それこそが単なるエンタメを超えた文学の力だと思う。

 


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週末の懐メロ140:クラウドバスティング/ケイト・ブッシュ

 

今年、ロック殿堂入りを果たしたケイト・ブッシュ。

彼女のようなタイプの音楽は、

あまりこうした権威にウケが悪いし、

ファンも殿堂入りがどうこうなんて気にしていない。

しかし昨年(2022年)、

1985年に発表した「神秘の丘」が、

ドラマ「ストレンジャーシングス」の挿入歌に使われ、

世界中で前代未聞のリバイバル大ヒット。

ロック殿堂側もこれ以上、

彼女を無視していられなくなったというのが

正直なところなのだろう。

 

「クラウドバスティング」は「神秘の丘」と同じく

5枚目のアルバム「愛のかたち(Hounds of Love)」の

挿入歌。

楽曲としては言うまでもなく、

80年代のミュージックビデオとして、

さらにその後、40年弱のポップミュージック史を見ても、

最高レベルの作品である。

 

「クラウドバスティング」 は本屋で見かけた

ピーター・ライヒという人が書いた本

「ブック・オブ・ドリームス」に

インスパイアされて作りました。

とても変わった美しい本で、

子供のころの父親を見る視線で、

親子の特別な関係について書かれていました。 

お父さんは本当にかけがえのない人だったのです。

 

ケイト・ブッシュがそう語るピーター・ライヒとは、

オーストリア出身で、

精神分析学の権威フロイトの弟子だった

ヴィルヘルム・ライヒの息子である。

 

この楽曲が描くのは、父ヴィルヘルムと息子ピーターが、

オカルティックな生命エネルギーを駆使して

「クラウドバスター」というマシンを動かす物語。

ミュージックビデオは、

レトロっぽいSF短編映画のようなつくりになっている。

 

ヴィルヘルムを演じるのは、ハリウッドの名優

ドナルド・サザーランド。

そして息子ピーターはケイト・ブッシュ自身。

この頃、彼女は他の楽曲では成熟した女性の魅力を放ち、

かなり色っぽかったのだが、ここでは髪を切って

一転、男の子に。

 

父の意志を成し遂げようとする少年に扮し、

美しい丘を駆け上がっていくシーンには

完全にしびれてしまった。

「嵐が丘」「神秘の丘」――

彼女の音楽の世界で、丘は魔法の舞台である。

 

ヴィルヘルム・ライヒは精神分析家・精神科医というより、

人間の心のありかの研究者・思想家として

20世紀前半に活躍した人。

社会運動にも関わり、

『ファシズムの大衆心理』(1933年)などの著作で

後世にも影響を与えている。

 

第2次世界大戦が勃発する前にアメリカに移住したが、

その頃からかなりオカルトめいた思想を抱くようになり、

「生命体(organism)」と「オーガズム(orgasm)」を

組み合わせた「オルゴンエネルギー」という

生命エネルギーの概念を打ち出した。

 

そして1940年、

そのオルゴンを集めるというオルゴン集積器を作り、

ガン患者に効果があると主張し。

これが原因でアメリカ食品医薬品局から

弾圧を受けることになる。

秘密組織の黒服の男たちに拘束される下りは、

そのあたりのドキュメントをドラマ化したものだ。

 

ここで登場する「クラウドバスター」という

サイケでスチームパンクっぽい怪物マシンは、

オルゴンエネルギーによって雲を創り出し、

大地に雨を降らせるという代物。

連れ去られた父に代わって、

息子がその目的を実現するというストーリーになっている。

 

雲を作り出すのにクラウドバスター(雲を蹴散らす)

という名は矛盾しているのだが、

これはオルゴンエネルギー(生命エネルギー)が

心の暗雲を払って生命体に潤いをもたらすといった思想の

暗喩になっているのかもしれない。

 

いずれにしてもこんな虚実ないまぜのSFじみた話から

途方もなくパワフルで美しい楽曲を編み出した

ケイト・ブッシュの才能はすごいの一言。

 

そしてこのビデオのラストシーンーー

丘の頂上で怪物マシンを稼働させた少年のシルエットは、

ケイト・ブッシュの音楽を表すアイコンとしても

長らく愛されてきた。

2015年にピーター・ライヒの

「ブック・オブ・ドリームス」が

再発売されたが、その表紙にはなんと

このビデオのラストシーンがデザインとして使われている。

 

さらに2010年からはケイト・ブッシュの

トリビュートバンドが活動。

そのバンド名が「クラウドバスティング」だ。

どうやら本人公認らしく、演奏もパフォーマンスも

単なるカバーをはるかに超えて、

「こんにちは地球」など、

彼女がライブでやったことのない楽曲も見事に再現。

21世紀にケイト・ブッシュの

新しい音楽世界を創り出している。

 

●こんにちは地球/クラウドバスティング


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仮面の女と母の愛

 

ちょっと前に息子から新しいガンダムが

面白いと薦められたので、

「機動戦士ガンダム 水星の魔女」を見てみた。

 

去年の秋に1クールやっていて、

今年の春から2クール目をやっている。

現在は2クール目の途中だが、

かなりハマってこの3日ほどで21話をイッキ見。

 

ガンダム伝統のSF戦争ものに、

少女マンガ(学校・恋愛・仲間・LGBT)と

ビジネスドラマ(企業の宇宙経済圏・M&A・ベンチャー起業)を掛け合わせたつくりになっていて、

ちょっと「エヴァンゲリオン」を匂わせる要素も

入っており、とても見ごたえがある。

 

ガンダムは息子がチビの頃、「ガンダムSEED」など、

3作ほどいっしょに見ていただけで、

その歴史についてはよく知らないが、

今回のは新機軸らしく、主人公が女の子だ。

 

この主人公のスレッダというのが、

昔ながらの少女マンガのヒロインを彷彿とさせる、

純情で、ちょっとドジでヘタレな田舎娘というキャラで、

かわいい。

 

最初の方はガンダムで学園少女マンガをやるのか?

魔女だの魔法使いだのって、ハリーポッターの路線なのか?

というノリで始まったが、

さすがに世界観とキャラクター紹介を済ませた

1クール目の終盤から

ハードでシリアスなガンダムらしい展開になってきて、

オールドファンはほっとしただろう。

 

スレッダちゃんも話が進むにつれ、

単なる純情娘でなく、

過酷な運命を背負っていることがわかってきて、

ガンダムの主人公らしくなっていく。

 

「水星の魔女」というメインタイトルが示す通り、

ほかの登場人物も、圧倒的に女が多く、

キャラクターも女のほうが魅力的だ。

 

特にすごいのが、レディ・プロスペラという

スレッダちゃんの母親で、

新興のモビルスーツ企業の経営者。

しかもこの女性は、

ガンダムシリーズの名物の仮面キャラである。

彼女の復讐劇が、この物語の重要な軸になっているようだ。

 

シャア・アズラブル由来の仮面キャラは、

仮面をつけているというだけで、

相当ガンダムファンが期待し、

作る側のプレッシャーも大きいと思うが、

脚本のセリフも声優さんの演技も素晴らしく、

見事にそれに応えている。

 

序盤のビジネスシーンで、

「水星の地場に顔と腕を持っていかれた」と言って、

仮面(実際には目元まで隠すヘッドギア)と

義手を付けている理由を説明するが、

娘と会話する時は普通に外して素顔を晒している。

べつに顔面が崩れて醜くなっているとか、

外見上の異常は見られない。

 

なので、どうもこの仮面(ヘッドギア)を

装着すること自体になにか秘密があって、

ふつうに「働いているお母さん」

というわけではなさそうだ。

そのあたりは後半でどんでん返しをやるのだろう。

最後はやはり母と娘の対決になるのか?

女同士で戦うのを見るのはちょっと怖いので、

あまり凄惨なシーンにはしてほしくないけど。

 

この物語ではまた、社会格差や世代格差、

毒親など、親子間の問題なども

巧みに取り入れていているが、

究極のテーマは、

おそらく「母の愛」ということになるのだと思う。

それもかなり怖くて、狂気を秘めた愛。

 

従来のこうしたロボットもの・戦闘ものでは、

女性は、かわいかったり、お姫様だったり、

女神様だったり、色っぽい悪魔だったり、

やさしいお母さんだったり、

いわゆる「男が求める女性」として、

あまく描かれることが多かったが、

エヴァンゲリオン以来、だいぶ変わってきたようだ。

それにしても今さらながら、

最近のアニメは作劇術も画像表現も質が高い。

いろんな意味で楽しめ、

今の世の中の在り方・若い世代の思考タイプも学べる。

 


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週末の懐メロ137:ハリケーン/ボブ・ディラン

 

現代アメリカ社会の欺瞞・腐敗・不条理をえぐる

吟遊詩人ボブ・ディランが1976年発表した

アルバム「欲望」のトップナンバー。

ギターに合わせてフィドル(バイオリン)がうねり、

ベースとドラムがロックなリズムを刻む中、

無実の罪を着せられた60年代の黒人ボクサー 

ルービン“ハリケーン”カーターの物語を歌い綴る。

紛れもない、ディランの最高傑作だ。

 

惨劇を告げるオープニングから見事に構成された長編詩は、

8分以上にわたって聴く者の胸にひたすら

熱情溢れた言葉の直球を投げ続け、

“ハリケーン”の世界に引きずり込む。

 

殺人罪で投獄されたカーターは

獄中で自伝「第16ラウンド」を書いて出版し、

冤罪を世に訴えた。

その本を読んだディランは自らルービンに取材して、

この曲を書き上げたという。

 

その冤罪がいかにひどいものであったかは

曲を聴いての通りで、

人種差別がまだ正々堂々とまかり通っていた時代とはいえ、

こんなでっち上げがまかり通っていたことに驚くばかり。

 

けれども半世紀以上たった今も

実情は大して変わっていないのかもしれない。

そしてまた、昔々のアメリカの人種差別、

黒人差別の話だから僕たちには関係ないとは

言っていられないのかもしれない。

 

冤罪はどこの国でも起こり得る。

もちろん日本でも。

かの「袴田事件」が今年3月、

ようやく無罪決着になったのは、

事件から57年もたってからのこと。

失われた時間は二度と戻らない。

 

僕の子ども時代、日本の警察は

「刑事事件の検挙率世界一」

「世界で最も優秀な警察組織」と喧伝されていたが、

その検挙率を高く維持するために

相当数のでっち上げがあったのではないかと推察する。

 

権力者やその親族などが、

裏工作で罪を免れられるというのは、

昭和の時代では、広く認識されていたのでないか思う。

当然、その犠牲となった人も少なくないだろう。

 

人間の世界では表通りを見ているだけでは計り知れない

さまざまな事情・感情・思惑が絡み合って冤罪が生まれる。

人の一生を台無しにするほどの年月を費やした

「袴田事件」はそれでも無実が明らかにされた分、

まだマシと言えるのか?

泣き寝入りするしかなかった人たち、

最悪、闇に葬られた人たちは

いったいどれくらいいるのだろう?

 

どの国でも無実の罪を着せられるのは、

社会的に弱い立場にある人たちであることに変わりない。

「忖度」が大切にされるこの国では、令和の世になっても、

権力者やその親族などが罪を犯した場合、

たとえ裏からの命令や強制力が働かなくても、

周囲の「空気」によって冤罪を被ることもあり得そうだ。

 

ディランは痛烈に歌う。

「こんな国に暮らしていて恥ずかしい」と。

カーターは黒人であることに加え、

よくある話として、11歳の時に窃盗で捕まり、

少年院に入っていた履歴などが偏見として働き、

冤罪を生んだ。

ただ、幸運?(皮肉な言い方)なことに

社会の流れを変えた公民権運動と結びついて、

また、彼が名を知られたボクサーだったこともあって、

社会から注目されたのだ。

 

その後、支援者たちの尽力で、

彼に有利な証拠が隠蔽されていたこと、

彼に不利な証言をした証人が

偽証していたことなどがわかり、

1988年、20年間の獄中生活を経て、

ついにカーターの無実は認められ自由の身になった。

 

世界チャンピオンにもなれた男の夢は

とうの昔に潰えていたけれども、

1993年、世界ボクシング評議会(WBC)は、

彼に世界ミドル級名誉チャンピオンの称号と

チャンピオンベルトを授与した。

 

1999年、彼の半生とこの事件のドキュメントは

デンゼル・ワシントンが主演する

映画『ザ・ハリケーン』となった。

主題歌にこの曲が選ばれたことは言うまでもない。

 

 

その後、冤罪救済活動団体の責任者となった

“ハリケーン”は、最期まで冤罪と闘い続けた。

2014年、カナダ・トロントで死去。享年77歳。

 


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今日もまたざしきわらしがやって来た

 

ここのところ、一緒に暮らしている認知症の義母のもとに、

ざしきわらしが頻繁に出没しているようだ。

ほぼ毎日、朝昼晩問わず

「あのちっちゃい子どこ行った?」とか

「こっちの部屋に来てない?」とか言ってくる。

 

「いないね~」と言いつつ、

いっしょに探したりもするのだが、

いないんだとわかるとすぐ忘れてしまう。

ところがまた、しばらくすると

バタバタバタと同じことを言いにやって来るのである。

 

この間、ある本を読んでいたら、

マンガ家の水木しげるさんの話が出ていて、

彼は睡眠至上主義を謳い、

長年、1日10時間睡眠を実践していたという。

 

晩年はともかく、

何本も雑誌の連載を抱えていた時代なんか

ほんとうにそんな時間が確保できたのかと疑問だが、

よく寝て休息することで集中力が増し、

却って仕事が速くできたのかもしれない。

奥さんにも子供が寝ている時は無理に起こすなと

厳しく言っていたようだから、筋金入りだ。

 

水木さんの場合、睡眠を多くとるのは休息とともに、

異世界との交信という重要な意味合いが

あったのではないかと思う。

睡眠至上主義が、世界に冠たる、

あの妖怪マンガを産み出したのだと思うと、かなり面白い。

 

そう言えば義母も1日10時間くらいは寝ている。

異世界との交信によって、

自由自在にざしきわらしを呼びよせられるのか?

だとすれば認知症、おそるべし。

またネタをいただいて、なんかお話書こうかな。

 


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村上春樹はみんなに「読書は創造活動」と気づかせた作家

 

昨日、久しぶりに新宿方面に出たので

紀伊国屋書店に寄ったら、

1階にはものすごい村上春樹の新作のレイアウト。

まさしく書店の、文学界の、出版業界の救世主。

ハルキさまさまである。

 

まだ読んでないので1冊買ってきた。

最近、本は10冊中、8冊は電子で読むか、

図書館で借りて読むかだが、

ハルキ本はやっぱり紙本を買いたくなる。

分厚いし、重いし、お値段もけっこう高いけど、

数年に一度のことだし、

重みを感じていいのではないかと思っている。

 

「街とその不確かな壁」。

今、ネット検索で「街」と入れただけで、

すぐにこのタイトルが出てくる。

おそるべき人気。

 

なぜ、村上春樹のわけのわからない話を、

僕を含め、こんなに大勢の人が読みたがるのか?

 

現代人の不安心理とか、喪失感の現れとか、

いろんなことが言われているけど、

単純にみんな、彼の書く物語を読むことで、

一緒に自分の創作活動を行えるからなのだと思う。

 

ノウハウ本はべつにして、特に小説など、文学系の読書は

すべからく創作活動だ。

 

みんな、本を読むことで頭のなかで

自分の物語を創り上げていく。

そこに書いてある小説なり、詩なり、エッセイなり、

あるいは自己啓発本や人生相談さえも創作活動になり得る。

 

そこが本と映画やテレビなどの

ビジュアルコンテンツとの大きな違いで、

映像という視覚情報がついてくると、

どうしても作り手側から「与えられる」部分が大きい

(すべてとは言わないけど)。

 

本の場合は人物も情景も、言葉の連なりを手掛かりに、

読者が想像力で創造していかないと、

頭のなかに立体的に現れてこないし、

生きて動き出さない。

 

村上春樹は数多の文章の中にかなりの部分、

そうした読者の想像力・創造力が入り込む

手掛かりと余白を絶妙な塩梅で用意している。

 

人間は誰もが、自分の心の奥に自分の物語を持っている。

しかし、多くの人はまったくそれに気付くことすらなく、

この世で生きて死んでいく。

 

そんなのは嫌だ。

私は自分の中にある物語を知りたい、と言う人が、

何か書いたり、歌ったり、表現活動・創作活動を始める。

文学などの読書もその一環と考えるとわかりやすい。

 

誰にとっても最も入りやすい、

始めやすい創作活動なのだと思う。

そして、村上春樹は日本だけでなく、世界中の多くの人に

そのことを気づかせた作家なのだと思う。

たぶん、ご本人はそんなこと、思ってもみないだろうけど。

 

みんな、わけのわからない自分を生きている。

僕もたぶん、最期までわけのわからない自分を生きる。

だから、村上春樹が提供する物語が

わかる・わからないなんて二の次の問題だ。

大事なのはどこに行きつくかではなく、

どんな旅を体験するかなのだ。

 

読む本がたまっているので、

気が向いた時にぼちぼちじっくり読もうと思う。

 


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週末の懐メロ128:赤いハイヒール/太田裕美

 

松本隆+筒美京平の70年代の斬新な歌謡マジック。

太田裕美の代表曲と言えば「木綿のハンカチーフ」だが、

明るい爽やかさの裏に悲しみが潜むあちらの歌に比べ、

この「赤いハイヒール」は、

アンニュイでミステリアスな曲調。

ちょっと禍々しいブラックメルヘンの味付けもある。

僕はこっちの方が好きで、このレコードも持っていた。

1976年。高校2年の時である。

 

「木綿」と同様、男女のダイアローグで進むが、

冒頭、「ねえ、友だちなら聞いてくださる?」と

リスナーに語り掛けて歌の世界に誘い込むという、

のっけから松本隆のマジックが炸裂する。

今ならそう珍しくないかもしれないが、

当時、こんな曲はなかった。

 

白のイメージカラー、

都会に出た男の子×田舎にいる女の子。

赤のイメージカラー、

都会に出た女の子×田舎にいる男の子。

という設定の対比に留まらない。

 

「木綿」では人物やドラマの描写が

割とあいまいで抽象的だったのに対して、

こちらは、東京駅に着いた・

おさげでそばかすのある女の子・

ハイヒール買った・お国訛りを笑われた(らしい)・

タイプライター打つ仕事をやってるなど、

主人公の状況がかなり具体的に描かれている。

 

このあたり、ただのアンサーソング・二番煎じとは

絶対に言わせない。

「木綿」よりもいい曲にする・面白くするという、

松本+筒美の情熱とプライドを感じる。

そして何よりもその根底に太田裕美への愛情を感じる。

 

「松本隆のことばの力」(藤田久美子インタビュー・編/インターナショナル新書)によると、

当時、すでに大御所作曲家だった筒美京平は、

既にスターになった歌手にほとんど関心を示さず、

自分の曲で新人を育て上げたいという

強い思いを持っていたという。

 

太田裕美はその筒美が目を付けた宝石だった。

そこで売り出し中の作詞家だった松本隆に声をかけて、

太田裕美のためにコンビを組んだ。

 

その第1弾「木綿のハンカチーフ」が大ヒットしたのだが、

一発屋で終わらせない、

彼女を後世まで残る歌手にするのだ、

と気合を込めて作ったのが、この「赤いハイヒール」

だったのではないかと思う。

 

とにかく詞も曲も編曲も凝りまくっているが、

それをここまで可憐に、軽やかに、

それでいながら心に沁みるように歌えるのは、

昔も今もやっぱり太田裕美しかいない。

——聴く者にそう思わせるだけのものがある。

 

ちなみに「おとぎ話の人魚姫は死ぬまで踊る赤い靴」

という一節は、松本隆の創作である。

 

「赤い靴」は美しい少女が、美しさゆえに傲慢になり、

病気の親を見捨てて、強欲に快楽を求めたがために

呪いの赤い靴を履いて死ぬまで踊ることになる。

そして、その呪いを解くために

首切り役人に頼んで両足を切断するという、

子供に読んであげたらトラウマになること必至の

衝撃的な展開の物語だ。

同じアンデルセンの童話だが「人魚姫」とは

別々の話である。

 

それも含めて松本隆の数多い作品の中でも

「赤いハイヒール」は屈指のドラマ性と

独特のイメージを持った世界観を作っている。

 

もちろん、この令和の感覚からすれば、

ツッコミどころ満載の歌詞なのだが、

これぞ懐メロ、これぞレトロ昭和ワールド。

 

まだ1970年代(昭和50年代)は、

今では考えられないくらい

東京と地方とでは情報格差があった。

地方出身者にとって、

東京はほとんど異国と言ってもよいくらいだったのだ。

それもとっておきの、ピカピカの。

 

僕は名古屋の出身で、名古屋は当時、

日本で4番目に人口の多い都会なのだが、

それでも東京に行って暮らす、というと

ただそれだけで周囲から羨望の目で見られた。

ウソのようだが、ホントの話だ。

 

今でもこの季節になると、

東京に出てきて演劇学校に入った頃のことを思い出す。

そして、演劇や音楽にうつつを抜かした

東京暮らしを良い思い出にして、

田舎に帰って行った多くの仲間のことも。

 

元気にまだ生きているだろうか?と無責任に考えるが、

そんな自分は、結局、呪いの赤い靴を履いたまま、

どこにも帰らず、だらだら東京暮らしを続けている。

たぶん、死ぬまで呪いが解けることはない。

 


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ホワイトファンタジー家康:いい人だから天下を取った

 

今年の大河ドラマ「どうする家康」はどうやら、

「家康はいい人だったから天下を取れた」

という物語になりそうな気配だ。

 

もともと家康役が松潤なので、

初回のヘタレぶりから、

どうもそういう話になるんじゃ・・・

という気配はしていたが、

昨日の「氏真」の回でそれを確信した。

 

どういう話だったかは、

ネットであらすじを読むか、

NHKプラスを見るか、

今度の土曜の再放送を見るかしてほしいが、

とにかく家康は、追い詰めた今川氏真(溝端淳平)を

殺せず、助けてしまう、情に厚い“いい人”。

 

しかも氏真の奥さんがこれまた、夫思いのとてもいい人。

 

さらに、とっくの昔に出番が終わってたはずの

今川義元が回想シーンでよみがえり、

感動的なお父さんぶりを見せる。

 

野村萬斎をキャスティングしておいて、

あれで終わりかいと思っていたが、

最後(死んだ後だけど)にちゃんと見せ場を残して、

スポットライトを浴びせてくれた。

そんなわけで、友愛、夫婦愛、親子愛の

人情ドラマ3連荘で、泣かせるわ、泣かせるわ。

 

この後、今川氏真は、

戦国武将としては表舞台から退場するが、

家康の手引きで北条氏の領土に逃げて生き延び、

文化人となって、のちに密かに家康に影響を及ぼす。

いちおうそうした史実も踏まえてドラマ化している。

 

これまで今川親子なんて、

信長や信玄の引き立て役・滅ぼされた負け組として

ずさんな扱われ方しかされなかったが、

ここまで丁寧に人間的に描いたのは良かったと思う。

 

それにしても、昨年の「鎌倉殿」が陰謀・裏切り満載で

思いっきりブラック、そしてリアルだったのに対して、

こちらはまるで戦国ファンタジーかと思えるほどの

ホワイトぶり。

 

なにせファンタジーなので、阿部寛の武田信玄も、

岡田准一の織田信長も、ムロツヨシの豊臣秀吉も

ほとんどマンガの世界の人。

そして家康との対比で、

みんなとんでもない悪人どもに見える。

おそらくそういうのも狙いなのだろう。

 

もちろん、「幼稚」だの「大甘」だの

「戦国時代にこんなのあり得ねーだろ」という

手厳しい批評も飛び交っているが、

僕はこういう見方をしているので、けっこう面白い。

 

ナレーションでも「神の君」なんて言ってるが、

江戸時代には徳川家康は神さま扱いだった。

それが、250年後に明治政府として

権力を取り返した長州組などが

「幕府の元祖の家康は大悪人だった」と言って

ブラックタヌキのイメージを人びとに植え付けた、

とう説がある。

 

正義も悪も、歴史も人物像も、その時代の風向きによって

くるくる変わってしまうものだ。

事実は一つだが、真実は人の数だけある。

 

いま、時代は「いい人」の味方である。

かつて蔑まれていた「いい人」が持て囃される。

最後にはいい人が勝つ・笑う。

「どうする家康」は、そんな時代の空気を吸っている。

 

ブラック鎌倉殿は完成度が高く、

ラストも衝撃的だったが、

あれはちと悲惨過ぎた。

やっぱり同じようなものを続けざまに見せてはいけない。

 

少なくとも今年のこのドラマでは

ハッピーエンドになってほしい。

たとえそれがリアリティに欠けた、

ホワイトファンタジーであっても。

 

これから戦国時代の大波が押し寄せ、

いろいろな修羅場を潜り抜けねばならないが、

松潤家康は間違ってもダークサイドに落ちて

キャラ変などせず、

いい人のまま、白うさぎ君のままでがんばってほしい。

 


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あなたのワンちゃんが今、ウンコしましたよ!

 

「あなたのワンちゃんが今、ウンコしましたよ!」

 

とは言えなかった。

川沿いの遊歩道にワンちゃんをお散歩に連れて来た

おしゃれなヤングマダムは、

旦那か子どもかお友だちかわからないけど、

掛かってきた電話に夢中。

 

その足元でワンちゃん(小型犬)が

自分に注意が払われていないのを

これ幸いと思ったのかどうか、

よっしゃと言う感じで地面にお尻を落とした。

 

ときは春うらら。

舗装された遊歩道のわきの道には

みどりの草が萌え始めている。

その萌えた草の上にお尻を落として、

うーんとふんばってるのだ。

 

あの格好は、もしや!

川の向こうからその瞬間を目撃した僕は

思わず足をとめて見た。

遠目からも二本の後ろ足の筋肉に力が入り、

お尻の真ん中あたりが

小刻みにピクピク震えているがわかる。

 

出る。

僕がそう思ったとたん、

ワンちゃんのお尻から

むにゅっと茶色の物体が出てきたのが目に飛び込んだ。

 

しかし、飼い主さんは電話で喋っていて、

そんなことはつゆとも知らない。

 

ワンちゃんは「あー、すっきりした」と満足気。

からだが軽くなったのか、

気持ちよさそうにピョンピョン跳ね始める。

飼い主さんはちらりと

そんな彼(彼女かもしれない)に目をやったが、

その下にある落とし物には

まったく気が付かない。

電話はまだ終わらず、

何やら笑って喋りながら、

そのままハーネスのリードを引っ張って歩き出した。

 

僕の口からは思わず、タイトルのセリフが喉まで出かかった。

「あなたのワンちゃんが今・・・」

が、なにせ川を挟んだ向こう側で5,6mは離れている。

周りに聴こえるような大声で叫ばなくてはならない。

それを聞いた彼女の心に巻き起こる嵐のことをを想像すると、

とてもそんな勇気は出なかった。

 

そよ風が吹くおだやかな春の午後。

あの草の上の犬のウンコが、

お散歩やジョギング中の誰かに踏まれることなく、

無事、土に還ってくれるのを願うばかりである。

 

おりべまこと動物小説+エッセイ

いたちのいのち

小学4年生の女の子カナコとペットのフェレット「イタチ」とのおかしてくちょっと切ない友情物語。フェレットの飼い主さんはもちろん、ワンちゃん・ネコちゃんの飼い主さんにも読んでほしい動物ファンタジー。

 

神ってるナマケモノ

イヌ、ネコ、カエル、ウーパールーパー、ナマケモノなど、楽しい動物、怖い動物、いろいろな動物と人間との関係について語る面白動物エッセイ集。


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過去と未来のマンガ文法・映画文法

 

子どもの頃、マンガが好きで、

小学生まで暇があればマンガを描いていた。

しかしどうしてだか、

登場人物の顔がことごとく左向きになってしまっていた。

左向きの顔はすらすら描けるのだが、

右向きの顔がうまく描けないのである。

 

あとから知ったことだが、マンガにおいて

左向きは未来を見る顔、

先に進もうとする気持ちが現れた顔。

 

右向きは過去に向かう顔、

止まったり振り返ったりするサインだという。

 

「さあ行こうぜ」と言う時は左向き。

「ちょっと待てよ」と言う時は右向きというわけ。

 

これは日本のマンガが右から左へとページを

めくっていくことと関連している。

マンガ家自身にそういう生理感が身についており、

この右向き・左向きの心のベクトルが

一種の「マンガ文法」になっている。

 

これは映画も同じで、画面で左を向いたら未来を見ている、

右を向いたら過去を見ている表現だという。

 

欧米には日本のようなマンガ文化はないが、

映画の場合は、演劇の生理に基づいていると思われる。

登場人物が上手(観客から向かって右)から

下手(同・左)へ動く時は未来へ向かう、

逆の場合は過去に向かうというのが基本形。

これは人間の脳のメカニズムと関連しているのだと思う。

 

自分の話に戻すと、

子どもの頃は過去時間の分量が少なかったから

右向きの顔が描けなかったのだろうか?

 

けれども今でもちょっと落書きで人間を書くと、

手が覚えているのか、正面でないときは、

無意識に左向きの顔を描いている。

いずれにしてもこのマンガ文法・映画文法を意識して

マンガや映画を観ると面白い。

 


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村上春樹のエッセイ「猫を棄てる」と父親史について

 

3年前に出された村上春樹のエッセイを読んでいかなった。

図書館で文庫本があった(文庫化されたのは昨年)ので、

借りて読んでみたらとてもよかった。

最近ちょっとご無沙汰していたが、

やはりこの人の文章は心の深いところに響いてくるのだ。

 

副題に「父親について語るとき」とあるが、

その通り、大正生まれで戦争の体験を持つ

父について書いたものである。

割とゆとりある行間で100頁ちょっとの短い本なので、

2,3時間あれば読み切れてしまうが、

内容はとても充実していて深い。

また、よく調べたなと感心する。

 

村上春樹は1979年にデビュー。

現代的・都会的な雰囲気のストーリーと

アメリカ文学仕込みの乾いた文体で人気作家になったが、

初期の作品「風の歌「ピンボール」「羊」などでは

そこかしこに戦争の影がにじんでいる。

1980年代の前半あたりまでは

豊かになったとはいえ、まだ終戦・戦後の残滓が

日本社会に残っていたのだ。

 

そして、1990年の「ねじまき鳥クロニクル」では

まともに戦争のシーンが出てくる。

この物語の第1巻には捕虜になった兵士の皮をはぐという

恐るべき残酷描写がある。

いったいなんでこんな描写が出来たのか、

つくづく感心する。

僕はそこがあまりにこわくて未だに再読できない。

 

村上春樹のような団塊の世代の人には多いと思うが、

成人後は父親とはほとんど断絶状態だったらしい。

大正・昭和ひとケタ生まれの親と、

戦後生まれの子供の親子関係は、

今の親子関係とはずいぶん違ったものだと思う。

 

そもそも親は、特に父親は、

自分のことを語ろうとしなかった。

なぜかはちょっと長くなるので、

また近いうちに別の文で書こうと思う。

 

いずれにしても戦争はこの世代の、

特に男たちの心に深い闇をもたらしている。

そんな思いを抱いてこのエッセイを読んだが、

村上作品に頻繁に登場する「闇」は、

どこかでこのお父さんの心にできた闇と

繋がっているのではないかという気がしてくる。

 

亡くなって10年以上経った頃に

父のことを書こうと思い立ったという。

有名作家だからこうして本にして

多くの人に読まれるわけだが、そうでなくても、

男はいつか自分の父について語りたくなったり、

書きたくなったりするのではないだろうか。

 

親密でも疎遠でも、愛していても憎んでいても、

尊敬していても馬鹿にしていても、

自分のなかに父親像を再構築し、再確認することは

生きる中で意外と大切なことではないかと思う。

男は自分史の前にまず、

自分の父親史を書くべきなのかもしれない。

もちろん娘がそうしてもいいのだけど、

同じ男同士だから感じられる何かがそこにあると思う。

 


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週末の懐メロ124:オ―、シャンゼリゼ/ダニエル・ビダル

  

パリの街といえば、

ついシャンゼリゼ通りを連想する日本人。

そのイメージの源は、1970年代の初めに活躍した

フランス人アイドル歌手 ダニエル・ビダルだった。

小学生の頃、雑誌などでよく見かけたかわいこちゃんだ。

 

「オー、シャンゼリゼ(O, Champs-Élysées)」は、

もともとフランスの歌手ジョー・ダッサン(Joe Dassin)が

1970年に発表した楽曲だが、

日本人には強烈にビダルのイメージがくっついて、

「パリの街を行く、おしゃれで可愛いマドモアゼルの歌」

ということになった。

 

ダニエル・ビダルは日本語でも歌っていて、

ほとんどネイティブみたいに達者。

しかもめっちゃキュートな歌声で、

年甲斐もなく胸がキュンとなる。のである。

 

ところで、チャットGPTに

女性を主人公に「オー、シャンゼリゼ」という

ミュージカルを作りたいのですが、

どんなストーリーがいいでしょう?と聞いてみた。

そしたらこんなお話を考えてくれた。

例によって日本語のおかしなところ、

文章がうまくつながらないところがあるので、

僕がちょっとだけ手を加えています。

 

主人公は、シャンゼリゼ通りに面した喫茶店で働く

若い女性、エミリーです。 

彼女は、自分の音楽の夢を諦められず、

夜な夜な弾き語りをすることで、

自分の才能を磨いていました。

 

ある日、彼女は喫茶店の客の一人が

置き忘れた手帳を拾います。

手帳の中には、

シャンゼリゼ通りの美しい風景を眺めながら書かれた、

ある曲の歌詞がありました。

エミリーはその詞に心打たれ、

自分でこの曲を作ることを決意します。

 

エミリーは、偶然出会った

駆け出しの音楽プロデューサーのジャックと共に、

自分自身の音楽を創造するために努力し、

その曲を完成させます。

 

そして、彼女の歌う「オー、シャンゼリゼ」は、

多くの人に愛される楽曲となり、

彼女の音楽キャリアにおいても大きな転機となりました。

葛藤や孤独などの壁があり、

それを乗り越えていくことが物語のテーマとなります。

 

このミュージカルでは、

エミリーの成長や彼女自身が持つ内面的な葛藤、

音楽創造のプロセス、

そして「オー、シャンゼリゼ」が世に出た後の反響などが

描かれることになります。

美しい風景や、フランス文化の魅力なども、

ストーリーに取り入れることで、

物語の世界観をより深く描くことになります。

 

いかがでしょう?

いや、いいですね。

ちょっとレトロなハリウッド映画っぽいところがいい。

エミリーはやっぱり50年前のダニエル・ビダルだろうか?

ジャックはミッシェル・ポルナレフみたいなやつだろうか?

 

もちろん、いっぱいツッコミどころはあるが、

あらすじ初稿としてこれだけできていれば十分。

これをどれだけアレンジし、膨らませるかが

人間の仕事なのです。

ミュージカル「オー!シャンゼリゼ」、

作ってみたくなった。

 

 

金曜の夜は「週末の懐メロ」の日なのだ。

みんな懐メロを聴いて

1週間の疲れを癒しましょう。

amazonKindleから本も出しています。

目次を見て、好きな曲、好きなミュージシャンの名前があったら読んでみてね。

 


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チャットGPTはハートフル

 

チャットGPTを使っていて

最後に「どうもありがとう」と打つと、

「お役に立ててうれしいです」とか

「いつでもお気軽にお声がけください。」とか言ってくる。

僕ら自身も日常的に、

それこそ“機械的に”使っている定型文だ。

 

でも、人間が使うと

「はいはい、何の心もこもっていない

お決まりのごあいさつね」と思ってしまうのだが、

このAIが使うと同じような文でも、

なんとなく人格というか、

心があるように感じてしまうから不思議だ。

 

仕事でも遊びでもいいのだが、

アシスタントとか、友だちとして付き合って、

ああでもない、こうでもないとやりとりしていると、

親しみがわいてくる。

 

逆に言えば、それくらい親近感を持って、

感情を込めて使わないと、

自分のために上手く働いてくれない。

 

考えてみたら、別にAI・ロボットに限らず、

車だってバイクだってパソコンだってそうだ。

愛着を持って乗ったり使ったりしていれば、

自然と感情が乗り移って、

ただの機械・ただの道具だったものが

「おれの相棒」「あたしのパートナー」になっていく。

 

よくある「心を持ったAI・ロボットはできるのか?」

という議論は、結局、それを使う人間の側が

機械に自分の心を宿せるか、

こいつには心があると思い込めるかどうか、なのだと思う。

少なくともここ当分の間は。

 

 


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週末の懐メロ123:ヨイトマケの唄/美輪明宏

 

日本の至宝、昭和の至宝 美輪明宏が

自ら作詞・作曲し、あらゆる世代の日本人に贈る聖歌。

それが「ヨイトマケの唄」である。

 

最初にレコードが出たのは1965年。

マンガなどで「母ちゃんのためならエンヤコーラ」という

セリフが良く出ていたのを覚えている。

そして桑田佳祐をはじめ、たくさんの歌手がこの歌を愛し、

カヴァーしているのも聴いていた。

 

けれども美輪明宏自らが歌うのをまともに聴いたのは、

若い世代と同じく、2012年の紅白歌合戦が初めてだった。

紅白なんていつも酒を飲んでへべれけになって見ているのだが、

真っ黒な衣装に身を包んだ美輪が登場し、

この歌を歌い出した時、思わず背筋がピンと伸びた。

6分間、テレビから目と耳を離すことができなかった。

 

故郷の長崎で原爆に遭遇して以来、

波乱万丈の人生を送り、数々の修羅場をかいくぐりながらも

70になっても80になっても

元祖・ビジュアル系歌手の誇りを失うことなく輝き続ける

美輪明宏の、人間への愛情のすべてが

この1曲に集約されているような気がする。

 

この歌が生まれた経緯は自身で、

また、黒柳徹子との対話で語っている音声が

YouTubeに上がっている。

 

1960年代前半、三島由紀夫が「天上界の美」と称した

絶世の美青年だった美輪明宏(当時は本名・丸山明宏)は、

きらびやかな衣装と化粧でシャンソンを歌っていた。

 

ところが、興行主の手違いで

福岡・筑豊の劇場でコンサートを行うことに。

客は普段シャンソンを聴きに来る人たちとは

全く違う炭鉱労働者たち。

 

そんな人たちが自分の歌を聴こうと

客席を埋め尽くしたことに美輪は感動したが、

内心、自分のレパートリーには、

この人たちのために歌える歌がないとすまなく思ったという。

そして、外国には労働者の唄があるのに、

日本にはなぜないのか?という疑問も抱いた。

 

「ヨイトマケ」とは「ヨイっと巻け」。

まだ現在あるような建設機械が普及していなかった時代、

地固めをするとき、重たい岩を縄で滑車に吊るした槌を、

数人掛かりで引張り上げて落とすという作業をしていた。

滑車の綱を引っ張るときの「ヨイっと巻け」のかけ声が

語源となっている。

この仕事は主に日雇い労働者が動員されていたらしい。

 

「ヨイトマケの唄」は、そうした戦後復興期の物語であり、

まさしく現代の日本の豊かな社会の

「地固め」をしていた時代の唄だ。

炭鉱をはじめ、新幹線を走らせるために

山にトンネルを掘り、川に橋をかけ、

街に高速道路や高層ビルを建てるために

たくさんの名もなき労働者が働いていた。

そうしたあちこちの工事現場では不幸な事故で

命を落とした人も少なくない。

 

普段は意識などしないけど、

インフラの整った僕たちの社会生活は

そうした犠牲の上で成り立っている。

 

この歌を彼が初めてテレビで歌った時、

「これはおれたちの歌だ」と、彼の元に7万通の

感謝の手紙が送られてきたという。

 

しかし、その一方で、

高度経済成長の波に乗り始めていた日本人は、

少しでも早く貧しい時代の記憶を忘れようとしていた。

貧しい者、卑しき者、美しくない者は

目にしたくない、耳にしたくないと思っていた。

この歌の歌詞の「土方」でさえも差別用語であるとして、

以後、長い間、この歌は歌われなかった。

 

77歳で紅白に初出場した時、若い世代は、

あの「美輪ちゃま」が

どんなゴージャスな衣装で登場するのか

大いに期待していたらしいが、

この黒ずくめのスタイルを見て驚愕、

そしてこの歌をフルコーラスで聴いて慄然とした。

 

カメラは一切寄ることはない。

まるで舞台劇を見ているかのような、

魂を揺さぶるパフォーマンス。

昭和の時代は、圧倒的なリアリティで

人々を感動させた歌は、半世紀後、

”を描き切った、聖なる物語に達していた。

 

最後、闇に溶けていく中で

「子どものためならエンヤコーラ」と絞り出す声には

何度聴いても涙が抑えられない。

 

美輪さんがまだ元気で表現活動をされていてよかった。

令和の時代になっても、いや、令和になったからこそ、

日本人にはまだ美輪さんの存在が必要なのだ。

 

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AIとの対話「この期に及んで、なぜ人間はネッシーは実在すると考えたがるのか?」についての考察

 

会話型AI「ChatGRT」をアシスタント兼

飲み友達にしようと、いろいろ対話を試みている。

以下、この間やったネッシー(湖に住む謎の巨大生物)を

めぐるQ&A。

AIの回答は生成されて出てきた

そのままの文を載せています。

 

ぼく:ネス湖のネッシーをはじめ、

世界各地の湖にいるとされてきた伝説の巨大生物は

皆インチキで、

写真も動画も偽物だと科学的に証明されています。

それなのになぜ人間は、

いまだに巨大生物はいると考えたがるのでしょうか?

 

AI:人間が伝説の巨大生物の存在を信じる理由は複数あります。

まず、人間は常に未知のものに興味を持ちます。 

特に巨大生物という存在は、

私たちが知る現代の自然界には見られないものであり、

その存在に想像力がかきたてられます。

伝説の巨大生物が存在すると信じる事で、

自分たちのダイエットを恐れかす未知のものに対する

恐怖を感じ、それを乗り越えようとする

勇気をもつことができるという

心理的な安心感があるとされています。

 

また、科学的に未解決のことがあると、

人間は自然に応じて答えを求めたものです。

様々に関する証言や報告があることから、

多くの人が巨大生物が実在する可能性について興味を持ち、

それについて検討したり、研究したりすることになります。

 

さらに、巨大生物の存在については世界中に

伝承や文化があり、

人々の信仰や信念にも関係している可能性があります。

背景があるため、人々が巨大生物の存在について

考えるきっかけとなっていることもあるでしょう。

 

このように、伝説の巨大生物に対する人間の関心は、

興味やリスク、恐怖感、科学的リスク、信仰や文化、

歴史的・文化的な背景など、

様々な要因が影響していると考えられます。

 

アメリカ生まれのせいか、

日本語の怪しいところがあるAIくん。

「自分たちのダイエットを恐れかす

未知のものに対する恐怖を感じ、」

という謎のフレーズは

「自分たちの“存在を脅かす”未知のものに・・・」かな?

 

それにしてもなんでダイエット?と思って調べてみたら、

「ダイエット」には一般的な食事関連の意味とは

もう一つ別の意味があり、

「教会職員の審議会や国会の会合のことをdietという」

らしい。知らんかった!

そうした人間社会における、

権威ある審議会や会合が転化して、

既存の人間の思考・常識・制度という意味になり、

そうしたものを脅かす未知の存在

——ということになるのだろうか?

 

いやいや、人間の思考停止を促すどころか、

もっと深く、めんどくさく考えるように

仕向けてくれるAI、素晴らしいじゃないか。

 

この後の「それ(未知のものに対する恐怖)を

乗り越えようとする勇気をもつことができるという

心理的な安心感があるとされています。」

というのも変な日本語だが、何かの誤訳なのか?

 

でも、未知のものに対する恐怖を乗り越えることで

勇気を得て、それによって「心理的安心を得る」なんて、

なかなか奥行きのある哲学的表現だ。

なんかハリウッド映画の定理っぽく、

人間礼賛になっていて、

一種のヒューマニズムに溢れている。

 

人間の仕事を奪うのではないかと恐れられているAIだが、

単なる便利な道具として使うのでなく、

いろんな質問を考えて、半ば遊び相手にすれば、

面白いパートナーになるのではないかという気がする。

 

いずれにしても、こんなどうでもいいような質問に、

大真面目に、誠実に答えてくれるAIには

感動と親近感を覚える。

これから週1くらいでAIとの対話を載せていきます。

 

 

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女でなくなる恐怖

 

カミさんが週イチで行っている健康センターで

更年期障害に対処する講演会&ワークショップを行う。

定員はあっという間にいっぱいになったそうだ。

 

近年、女性は「更年期」という言葉に敏感で、

その裏には「女でなくなる恐怖」

「女の時代が終わる恐怖」といったものが

まとわりつくらしい。

 

情報化社会。

情報で人を動かすには恐怖や不安を与えるのが、

いちばん手っ取り早い。

なのでテレビでも雑誌でもネットでも、

恐怖心・不安感をあおる情報が氾濫することになる。

 

更年期になると大変だ、病気になりやすくなるよ、

気分がおかしくなるよ、みたいな声に加え、

「女でなくなったアタシに価値があるのかしら?」とか

「これからどう生きれていけばいいの?」

という恐怖もある。

確かに子供を生めなくなるのは大ごとだが、

大げさな情報のせいで

精神疾患の人も増えてしまう。

 

女性は子供の時も

女になる恐怖、女が始まる恐怖に晒される。

恐怖は言い過ぎかもしれないが、

あんまりハッピーな気分になったという話は聞かない。

その点、男はいつまでもノー天気で、ガキでいられる。

いいことなのか、悪いことなのか。

男女不平等。

 

いずれにしても情報が豊富にあるのは

いいことばかりじゃない。

「知らぬが仏」という言葉を思い出し、

ある程度は見ざる・聞かざるにしとくのも

健康を保ち、自分を見失わず、

人生を快適に生きる知恵ではないだろうかと思う。

 

梅が咲き、河津桜も咲いた。

春はもうすぐだ。

毎日おかしな情報ばっかり頭に詰め込まず、

たまには外で花でも見てぼーっとした方が良い。

 


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ウルフとチワワと犬の本能の発散について

 

川沿いを散歩していると、いろいろな犬に逢う。

あくまで印象だが、うちの近所では柴犬、

チワワ、トイプードル、ポメラニアンが

人気トップ4だ。

 

それぞれの犬の名前はわからないので、

シバくん、チワちゃん、プーちゃん、ポメちゃんというと、

みんなどうも自分のことだと分かるらしく、

しっぽを振って寄ってくる子が多い。

 

かつて飼犬人気ナンバーワンだった

ミニチュアダックスフントは、

めっきり数が減ったように思う。

短足胴長の体型が災いして、

体を壊しやすいと聞いたことがあるが、

そのせいなのだろうか?

 

代わって目立つのがジャックラッセルテリアなどの

テリア種。

これら犬種の名前がジャック以外、よくわからない。

でも、ジャックは好きなので、

「おっ、ジャックラッセルテリアくんだ」と

フルネームで呟くと、なぜか本人(本犬?)より

飼い主さんが喜んでくれる。

 

大型犬も結構いて、やっぱりゴールデンレトリバーと

ラブラドールレトリバーが気があるようだ。

僕もゴールデンくんとラブちゃんは大好きだ。

 

小熊くらいありそうなバーニーズマウンテンとか、

シェパードやサモエドもいる。

サモエドくんはポメラニアンのご先祖らしく、

たまにポメちゃんだと思って飼っていたら、

みるみる大きくなってサモエドになることがあるらしい。

サモエドくんは図体はデカいが、めちゃくちゃ可愛い。

 

さて、そんな中で最近、オオカミみたいな犬に出逢った。

その名も「ウルフドッグ」というらしい。

シベリアンハスキーの親戚かなと思ったら、

そういうわけでもないらしく、

ハスキーよりもオオカミの血が濃いらしい。

 

「おっ、カッコいい」というと、

「え、おれのこと?」と聞き耳を立てて止まり、

「ねえねえ、もっとほめて」と寄ってくる。

精悍な顔をしている割になかなかかわいいやつなのだ。

 

それにしても、こんな怖そうなデカいイヌと
チワワみたいなおチビが同じ犬とは・・・。
犬の遺伝子というのは、いったいどうなっているのか?

 

そういえば広場で「ピー」とか「キュー」という

音の出るボールやオモチャで遊んでいる犬をよく見かける。

あの音の出るおもちゃは好奇心を刺激されて犬が喜ぶ――

いう説明がされていることが多い。

 

好奇心というのは、

そう言えば納得するだろうと言われているみたいで、

なんだか腑に落ちない。

なぜ好奇心を刺激されるのか?

そう思い巡らせて森の道を歩いていたら

思い至ったところがある。

 

あの音は、オオカミが狩りをしたときに

獲物が出す断末魔の声なのではないか?

それで本能が刺激されて犬が喜ぶのではないだろうか?

残酷な話だが、今はかわいい犬たちも、

もとは野生の肉食獣である。

 

ああいうオモチャで適度に本能のはけ口を作ってやると、

万一、人間に噛みつく事故をが起るのを

防ぐ効果があるのではないだろうか?

――と勝手に想像を巡らせてみたが、どうなのだろう?

誰かワンちゃんの飼い主で、

知っている人がいたら教えてください。

 

こんど「チワワ、オオカミと旅に出る」という

動物物語を書こうと思っている。

 


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ETV特集「弔いの時間(とき)」の衝撃

 

1月15日放送のNHKのETV特集

「弔いの時間(とき)」は、けっこう衝撃的だった。

葛飾区(青砥/立石)にある想送庵「カノン」における

ドキュメンタリー。

この施設は故人の安置施設で、

遺族が心行くまで故人と別れの時間を持てるように、

と作られた。

いわば最後のお別れのためのホテルである。

 

葬儀社の葬儀会館と違うのは、

家族や友人が亡くなった人と

最後の時を共有するのが目的の空間なので、

必ずしもここでお葬式をやる必要はないということ。

実際、ここから直接、火葬場へ行く人も少なくないらしい。

 

逆にここでお葬式をするときは、

葬儀社の葬儀会館ではできないような

自由なお葬式というか、お別れの会ができる。

 

番組で紹介されたのは、21歳で自殺してしまった女性と

70歳で亡くなったコピーライターの人のお葬式。

 

前者は3年前の出来事で、お母さんがとつとつと

その時の情景と心情を語る。

子供に先立たれたら、

哀しみで気が狂いそうになるだろうと想像するが、

何かがそのお母さんをそうさせなかった。

哀しみに沈むのとは逆に、

その子の友だちが大勢集まって、

わいわい笑い声が飛び交い、

施設が一種の祝祭空間のように変わってしまったとのこと。

もちろん、その映像はないが、

話と遺影や飾りつけだけで

その時の情景がありありと思う浮かべることができた。

 

後者はリアルタイムで

テレビカメラがお葬式を取材していた。

そのご家族はビデオでその人の亡くなる瞬間を撮影し、

その動画を参列者に見せた。

奥さんは哀しみの感情を隠すことなく、

参列者の前で歌を歌った。

 

どちらもけっして異常だとは思わない。

親しい人間の死は、

その周囲の人間にいろいろな感情を与え、

いろいろな行動を取らせる。

もしかしたら、このカノンという施設の空間には

一種のマジックが働いて、

悲しみに沈みこむという感情の定型パターンから

心が自由になれるのかもしれない。

 

30年ほど昔、「泣き女」を主人公にした

演劇的葬式が開かれる世界についての

ラジオドラマを書いたことがある。

脚本賞をいただいて放送してもらったが、

なんだかそれが時を超えて実現したのを

見たようが気がした。

 

普段から葬儀供養の雑誌の仕事をしているので、

変わった葬式の話は割と聞き慣れている方だが、

それでもやっぱりこれは衝撃。

いい・悪いではないが、何かものすごく心が揺れた。

しばらくはうまく言語化できない。

 

興味のある方は、今週いっぱいなら、

NHKプラスの「#ドキュメンタリー」のところで

見られます。

 


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サスペンスフルな認知症映画「ファーザー」

 

一昨年公開されたアンソニー・ホプキンス主演の

映画「ファーザー」は、認知症患者の視点で描かれている。

観客を混乱に陥れるような

ミステリアスでサスペンスフルな展開。

しかしその実、認知症患者と介護の現実を突きつける

ドキュメンタリータッチの映画でもある。

 

もともとは舞台劇で、舞台はロンドン。

派手なシーン展開は一切なく、

ドラマはほとんど家の中で進む。

それでも1時間半、画面から目が離せない。

目の前で何が起っていくのか、

ひとつひとつを固唾を飲んで見守らざるを得なくなる。

 

無駄なものを一切そぎ落としたシャープな演出と構成。

そして何よりもアンソニー・ホプキンスの圧倒的な演技力。

嘘っぽさがみじんもないリアルの極致。

こんなふうに認知症患者を演じられる役者が他にいるのか。

 

そして、その行く先は、やはり辛くて悲しい。

広告では「感動」と謳っているが、

いや、多くの人はそれよりも

言いようのない不安と怖さに晒されるのではないか。

そういう映画だと思う。

 

けれども認知症が蔓延していくこれからの社会、

現実と向き合いたくない人、逃げ出したい人も、

せめてこの映画で認知症のことを知ってほしい。

 

2021年アカデミー賞・主演男優賞と脚本賞。

現在、アマゾンプライム見放題で視聴可能。

 

 

認知症について学ぶ。

認知症から学ぶ。

認知症介護の日々を綴った

おりべまことの面白エッセイ集。

専門医の解説も併載。

「認知症のおかあさんといっしょ」

https://www.amazon.co.jp/dp/B0BR8B8NXF ¥500

 


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年寄り大河ファンを切り捨て御免の「どうする家康」

 

年末年始にかけて、NHKの画面は松本潤だらけ。

「どうする家康」の大量の番宣を投下し続けた。

それで第1回を見たが、松本潤の家康のヘタレぶりと

家臣らのキャラ(特に松重豊とイッセー尾形)が

面白かった。

 

それにしてもオープニングタイトルは、

まるで朝ドラみたいな軽やかな映像と音楽。

これだけでこのドラマは、

これまでの大河のような重厚な時代劇ではなく、

弱小企業の若いヘタレ後継ぎ

(あるいは窮地に追い込まれたスタートアップ)が奮闘して

業界を牛耳るヒーローに成りあがる物語であることが

わかる。

だから松潤(39)と似た世代(あるいはそれより若いの)が

自己投影しやすいように作られている。

 

大河ドラマとしては相当な違和感。

従来の大河ファンには到底受け入れられないだろう。

けれどもたぶん、それでいいのだと制作陣は思っている。

言い換えると、これまでの大河ファンは切り捨ててもいい、

とさえ割り切っているのではないかと想像する。

 

テレビがこれだけ若い世代に見られなくなっている現状

(にしても数百万、数千万人規模が見ているけど)

を考えると、

彼ら・彼女らに大河ドラマを見てもらうためには

これくらい思いきったことが必要なのだ、きっと。

 

大河の視聴者というのはどうもかなり保守的なようで、

「大河ドラマとはこうでなくては」みたいな

思い入れが強い。

あれだけ革新的で大好評であることが伝えられた

「鎌倉殿の13人」も視聴率は12%台で振るわなかった。

2019年の「いだてん」などは1ケタ。

三谷幸喜も宮藤官九郎も人気が高く、

腕も確かな素晴らしい脚本家だが、

大河ドラマの作者としてはあまり評価されないようだ。

 

何度もいろいろな変革を試みてきた大河ドラマだが、

数字を見る限りはうまくいっていない。

ということで、マスメディアでは、

かつて最高視聴率39.7%を記録した

「独眼竜正宗(1987年)」以下、

歴代の高視聴率作品(30%以上はすべて60年代~80年代)

と比べて、

最近の大河の視聴率の低さばかりをあげつらうが、

そんな懐メロ作品と今を比べてどうするのか?

 

幸い、NHKは民放ほど視聴率を気にせずに済むので、

大河の制作陣は余計なことを気にせず、

どんどん自分たちの信じるところを追究して、

良いドラマを作ってほしい。

 

これだけテレビで手間暇かけて丁寧なドラマ作り、

そして役者をやる気にさせる仕事ができるのは

大河ドラマを置いて他にないのではないかと思う。

 

経済が好調だった30年前の時代の幻想から

一歩も抜けだせない頭の固まった年寄りたちの

幻想の弊害はこんなところにも現れている。

 

こうした年寄りは皆切り捨てて、

若い者に照準を絞ったやり方は正解である。

しかも家康は歴史上の人物として、

数少ないハッピーエンドが可能な人物でもある。

若者――といってもベビーフェースの松潤ももう40、

ほとんど中年だ――にやる気・勇気を少しでも与え、

楽しめるドラマになればいいと思う。

 


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「鎌倉殿」完結:どうして僕たちは歪んでしまうのか?

 

年末に「鎌倉殿の13人」の総集編をやっていたのだが、

前半のほうを見逃してしまったので、

NHKプラスで見ている。

 

後半、あまりにダークな展開で、

北条義時の若い時代って、どうだったっけ?

と忘れてしまっていたので見てみたら、

そのあまりの明るさ・純朴さ・清々しさに再会して

びっくり。

そしてラストとの対比で、思わず涙してしまった。

 

こんな気のいい青年が、あんな陰惨な男になり、

あれほど無残な最期を迎えるとは。

諸行無常と言えばそれまでだけど、ひどすぎる。

 

裏返して言うと、小栗旬の演技力の素晴らしさ!

あの希望にあふれた若者の明るい笑顔と

陰惨な政治家になった男の暗い澱んだ表情との落差。

力は掴んだが、ひとりの人間としての

夢だの愛だの幸福だのは、

はるかかなたに遠ざかってしまった人生。

 

大河ドラマ初(だと思う)の

恐るべきダークヒーローは、

小栗旬でなければできなかっただろうし、

視聴者も小栗旬だから見続け、

義時を愛せたのだろう。

 

若くて明るい少年・青年。

同じく陽気で気の良い家族や仲間たち。

みんな夢と理想を描き、

目標を定めて人生の旅に出るが、

齢を重ね、おのおのの道を歩むうちに

その関係はゆがみ、

ぽっかりあいた暗い淵に落ちていく。

そして気付いた時には、

もうあと戻り出来なくなっている。

 

そんなドラマはこれまで何度か見て来た。

てか、ドラマほどではないかもしれないが

現実にも起こっている。

それが大人になることなのだ、

といえばそうなのかもしれない。

 

こんな陰惨でバッドエンドなストーリーに

ハマった人たちは深い共感を覚えたのだろう。

大人として生き続けることは、

多かれ少なかれ、汚れ、傷つき、

苦さと哀しみを舐めなくてはならないということを。

 

認めたくないが、認めざるを得ない。

でもやっぱりすべては認めたくない。

僕たちはいくつになっても、

その諦めと抗いの間を右往左往しながら生きている。

このドラマが胸に刺さるのはそうした理由からで、

 

義時や政子を自分に引き寄せられるからだと思う。

 

それにしても、この枠でこんなダークヒーロー、

そしてあんな最終回を描くことが許されたのは、

三谷幸喜にこれまでの実績と

スタッフ・キャストの信頼があったからに違いない。

 

舞台出身の人だけあって、三谷脚本で面白いのは、

随所で舞台劇のようなシーンが見られることだ。

義時(小栗旬)と政子(小池栄子)のラストシーンは、

その真骨頂だった。

 

思わず僕は夢想した。

スポットライトだけが当たる何もない舞台の上で、

政子がゆっくりと毒消しの薬を床にこぼし、

義時が這いながらそれを舐めようとする。

政子は彼を現世の闇から救い出すかのように、

 

それを振り払う。

あの壮絶なシーンと、そこに至るまでのこのドラマを

生の舞台で、生の舞台で見られたら、と妄想を抱いた。

 

さて、僕は今、どれくらい歪んでしまったのだろう?

 


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週末の懐メロ112:ウォーキング・イン・ジ・エア/オーロラ

 

イギリスで1978年に刊行された

レイモンド・ブリッグスの絵本

「スノーマン(ゆきだるま)」。

少年がクリスマスの夜に、

自分が作ったスノーマン(雪だるま)といっしょに

天上にあるサンタクロースの国へ遊びに行くという物語で、

それを原作に1982年にテレビアニメーションが作られた。

 

「ウォーキング・イン・ジ・エア(空を歩く)」は

その挿入歌で、少年とスノーマンが楽しく空を

散歩するシーンで流れるのだが、

なぜかとても悲しく切ないメロディ。

ラストシーンを暗喩しているのだろう。

夢はいつも切ない。

そして「スノーマン」という童話は、

実は別れや死をテーマにした物語なのだ。

 

作詞・作曲は、ハワード・ブレイク。

オリジナルの歌はセント・ポール大聖堂の

少年聖歌隊のメンバーだったピーター・オーティが歌った。

 

たくさんの人がカバーしているが、

ノルウェーのシンガーソングライター・

オーロラのカバーはそのなかで最も新しいものと思われる。

 

彼女は1996年生まれというから、

うちの息子と同い年だ。

息子がチビのときは今ごろの季節になると、

よくいっしょにスノーマンの本を読んだり、

アニメを観たりした。

 

彼女も同様にスノーマンの物語を愛して育ったのだろう。

スノーマンはまんまるで、イギリスでは

日本のドラえもんやアンパンマンのように

子供に愛される存在なのだ。

 

2013年にデビューしたオーロラは、

クリスマスシーズンになるとよく自分のライブや

テレビ番組で自分のレパートリーの一つにした

この歌をよく歌っているらしい。

 

しかし、彼女が歌うと

あのほのぼのしたスノーマンの世界とは

まるで別の、畏怖さえ感じる聖なる世界が広がる。

 

名前だけは知っていたが、

まともにオーロラを聴くのはこの曲が初めてだったので、

他にもいろいろYouTubeで聴いてみた。

 

「ランニング・ウィズ・ザ・ウルブズ」

「アイ・ウェント・ツー・ファー」

「アンダー・ザ・ウォーター」

「ソフト・ユニバース」

「ザ・リバー」etc・・・

 

完全に心臓をつかまれた。

とてつもなくユニークで、

とほうもなくイマジネーティブ。

40数年前に初めてケイト・ブッシュに

出逢った時に匹敵する衝撃度だ。

 

21世紀以降、これほど妄想力を刺激された

ミュージシャンはいない。

まさか2020年代にこんな音楽に出逢うとは!

 

一応、ジャンル分けとしてはエレクトロポップ

ということになっているようだが、

それよりもベースになっていると思われる

ケルト系・北欧系の民俗音楽の匂いに強く惹かれる。

曲によっては日本・アジア・

ネイティブアメリカンの香りも。

そして、ロックの精神をしっかり受け継いでいる。

ミュージックビデオも傑作ぞろいだ。

 

少なくとも僕にとっては現代最高のミュージシャン。

2022年はオーロラを発見した年として胸に刻んでおこう。

 

懐メロではないが、最高のお気に入り

「ランニング・ウィズ・ザ・ウルブズ」も同時UP。

ぜひ、オーロラの真髄を聴いてみてください。

 


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週末の懐メロ111:レット・イット・ゴー/ピアノ・ガイズ

 

言わずと知れたディズニーのアニメ映画

「アナと雪の女王」の主題歌。

 

「レリゴー」が

懐メロと言えるかどうかは微妙なところだが、

2013年のリリースから早や10年近く。

その人気度・浸透度、そして50年後も聴き継がれ、

歌い継がれるであろう、楽曲のクオリティの高さは、

もはや立派に名曲として殿堂入りしていると思う。

映画のサントラとしても最高峰の一曲ではないか。

 

美しさと疾走感を併せ持つメロディラインは、

吹雪の中で覚醒したエルサが雪の女王に変貌し、

瞬く間に氷の宮殿を築き上げるシーンと相まって

何度聴いても胸が熱くなる。

 

作詞・作曲は、ブロードウェイの舞台や、

映画・テレビの音楽を数多く手がけている

クリスティン・アンダーソン=ロペスと

ロバート・ロペスの夫妻。

 

制作の裏話では、出来上がってきたこの曲を聴いて

衝撃を受けたスタッフが、

ストーリーも、エルサとアナのキャラクターも

それまで作ってきたものを一掃して書き替えたという。

(エルサは当初、芯から冷酷で戦闘的な

氷の女王という悪役だったらしい)

まさに新たな作品世界の礎となるだけの

エネルギーを持った楽曲だ。

 

オリジナルの歌唱は、声優としてエルサを演じた

アメリカ人女優で歌手のイディナ・メンゼルだが、

公開されるやいなや、

世界中で数えきれないほどのアーティストが魅了され、

この名曲をカバーしている。

 

なかでも僕が好きで、冬になるといつも聴いているのが、

何もない雪原で、エルサとアナとは似ても似つかぬ

二人のおっさんが、真っ白なピアノとチェロで奏でる

インストゥルメンタル。

 

間奏とエンディングにビバルディの「四季・冬」を

絡めた超絶パフォーマンスは驚愕に値し、

テンションが上がりまくる。

 

「ピアノ・ガイズ」は、出演のピアニスト、チェリスト、

映像クリエイター、音楽プロデューサーからなるチームで、

映画音楽、クラシックを融合リアレンジし、

映像をネット上に公開。

美しい大自然の中でユーモアを交えて繰り広げられる

演奏・映像が話題を呼んでいる。

 

冷たい風が吹きすさぶ中、情熱をこめて、

この上なく楽しそうに演奏する姿は、

映画の世界をそのまま拡張したかのような

「レット・イット・ゴー」のアナザーワールドを

見事に表現している。

 

そして、凍えるような季節がやってきても、
僕たちも熱く楽しく、愛を持って
毎日を生きたいと思わせてくれる。

 

 


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廃墟から再出発 アニメむすめの鬼怒川温泉

 

いまや観光地は、ゆるキャラ、アニメキャラだらけ。

鬼怒川温泉の観光案内所にも

4人の美少女さんがたちがいた。

 

このうち、グレーの制服を着ているのは

「鬼怒川みやび」ちゃんという

東武鉄道の特急スペーシアの車掌さん。

「日々、接客について勉強中💛」。

 

紺の制服は「大桑じゅり」ちゃん。

鬼怒川には東武鉄道が運営する

「SL大樹」も走っており、彼女はその新米機関士さん。

「持ち前の明るさとガッツを武器に奮闘中💛」です。

 

この二人は全国の鉄道事業者の現場で活躍する

キャラクターコンテンツ「鉄道むすめ」の一員だ。

「鉄道むすめ」は結構何年も前から

「鉄むす」の略称で親しまれているようだが、

僕はこんなコンテンツがあるなんて、

今回の旅で(実際には今日ネットで調べて)初めて知った。

 

他の2人のことはよくわからないが、

鉄むすとのコラボで、

ご当地キャラクターとして生まれたのだろうか?

僕は赤鬼ちゃんと機関士さんがお気に入りである。

 

鬼怒川温泉は10年ほど前に放送されたアニメ

「未来日記」の1エピソードで描かれていて、

「アニメ聖地巡礼地」の一つになっている。

(これも今日初めて知った)

 

このアニメも見たことないので内容はわからないが、

ネットで調べると、廃墟の描写がすごくて、

鬼怒川温泉は完全に

「凋落して廃墟と化した昭和時代の大温泉街」の

イメージになっている。

 

実際、昭和の後半、鬼怒川は箱根や熱海と肩を並べる

大温泉街、娯楽の殿堂だった。

東京から近いというロケーションも幸いして

毎日、観光バスに乗った団体客や

東武鉄道に乘った家族連れなどがわんさか押し寄せて、

週末ともなれば、ホテルや旅館が並ぶメインストリ-トは、

都心の繁華街のように人がごった返していたらしい。

 

栄枯盛衰。諸行無常。

栄光の頂点から落ちぶれてから何年経つというのか。

殿様商売を改められなかったところは

もう滅びるしかない。

 

そんなわけで廃墟ホテル、廃墟施設が

わんさか出来上がってしまったのだろう。

 

僕は廃墟は見なかったが、

日暮れとともに外は閑散となって、

かつて賑わったメインストリートは

確かにわびしげな風が吹いていた。

 

こうした観光地はもう開き直って、

前世の記憶みたいな大廃墟を売り物にするぐらいの

ことをやったほうがいい。

(てか、勝手に見物客は集まってくるみたいだけど)

 

廃墟から再出発した鬼怒川温泉。

もう昭和の賑わいを取り戻すのは無理だ。

そんな夢は追わないほうがいい。

 

それで人が来るのなら、アニメ娘に頼ってもいい。

鬼怒川みやびちゃん、大桑じゅりちゃん、

いいではないか。

萌える、癒される、かわいい温泉ビレッジを

再構築してほしい。

 


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シン・ウルトラマンとイデ隊員とウルトラマンの本質

 

「僕が作った武器なんて何の役にも立たないんだ。

怪獣はみんなウルトラマンが倒してくれるんだから」

 

無力感に苛まれたイデ隊員は、戦うことを放棄して

空に向かって声を振り絞ってウルトラマンを呼んだ。

 

「ウルトラマーン、早く来てくれ。

ウルトラマーン!」

 

ウルトラマンであるハヤタ隊員はその姿を見て、

変身するのを躊躇ってしまう。

 

初代ウルトラマンの第37話「小さな英雄」は、

子ども心に全エピソード中、最も感動的な話だった。

じつはこの回の主役は怪獣ピグモンなのだが、

僕の中では完全にイデ隊員が主役だった。

 

イデ隊員は第23話「故郷は地球」でも主役だった。

辺境の惑星で怪獣になってしまった宇宙飛行士ジャミラは

人間に復讐するために地球に帰って来た。

科学特捜隊は、彼の正体を隠したまま、

抹殺しろと命令を受ける。

破壊を繰り返すジャミラにイデ隊員は悲痛な叫びをあげる。

「ジャミラ、おまえは人間の心さえ失くしてしまったのか!」

 

昨年亡くなった二瓶正也さん演じるイデ隊員は、

科学特捜隊の兵器やマシンを開発する天才科学者でもある。

しかし、○○博士といった威厳ある趣はみじんもなく、

ヒラ隊員に甘んじており、

普段はひょうひょうとした3枚目キャラだ。

 

けれども彼のシリアスでヒューマンな面を印象づけた

この2つのエピソードが

「ウルトラマン」のトーンを決めた。

イデ隊員が表現する人間性こそが

「ウルトラマン」の本質なのである。

当時、僕は6歳だったが、

子どもの胸に入り込んだものは、

とてもとても信じるに値する。

 

「シン・ウルトラマン」は劇場で一度見たが、

配信が始まったので昨日、家でもう一度見た。

ここには、かつてのウルトラマンという物語の

エッセンスが凝縮されている。

 

細部にわたる庵野監督の仕掛けはさすがだと思う。

旧作へのオマージュもふんだんに盛り込まれている。

さらに現代社会への風刺も。

 

世界は核兵器による脅し合いで成立している。

核に代わるパワー、核を凌駕するパワーを

どの国も求めていることが、

登場人物のセリフから伝わってくる。

 

ウルトラマンの軍事利用。

ベータシステムの政治利用。

メフィラスとの交渉シーンでは、

そのあたりが実にうまく表現されている。

メフィラスを演じる山本耕史は最高だ。

 

そうした現代ならではの要素

(実は55年前と大して変わっていないけど)を

盛り込みつつ、ちゃんと本質を抑えている。

 

「シン・ウルトラマン」を観ていて

僕にイデ隊員を想起させたのは、

有岡大貴が演じる禍特対(禍威獣特設対策室専従班)の

滝明久である。

滝は粒子物理学者で、かなりの天才らしいが、

メンバー中最年少の若僧。

 

劇中、けっこう生意気な口を叩くが、

最後のゼットン登場によって、

「小さな英雄」のイデと同じく、

深い無力感と絶望感に苛まれる。

 

「ウルトラマンも勝てない相手だ。

もう人間はおしまいなんだ」

彼には少しエヴァのシンジくんも入っているようだ。

 

けれども滝もまた、あの時のイデ隊員と同じく、

奮起し、自分のできることをする

(それがすごいんだけど)。

 

人間がアホで能なしで臆病で、

しょーもないゼツボー的生き物であることは

わかっているけど、そんな現実に

めげてないで一生懸命やるしかないのである。

一生懸命やってれば、いつかどこかで

ウルトラマンも助けてくれるかもしれない。

一口で言えば、

それがウルトラマンという物語のメッセージだ。

 

ウルトラシリーズで最も評価されているのは

「ウルトラセブン」だと思う。

確かにセブンは引き締まったシリアスな展開で、

おとなっぽくてドラマとしての質も高い。

 

それに対して「ウルトラマン」は

メルヘンあり、コメディあり、ホラーあり、

ファンタジーありの子どもっぽいバラエティだ。

(前作の「ウルトラQ」の世界を引き継いでいる)

 

おそらく初めて観た時の年齢が関係していると思うが、

僕は子どもこ心に訴える、

柔らかで広がりのあるコンテンツとして、

戦闘的なウルトラセブン

(およびその後のシリーズの各作)よりも

ウルトラマンのやさしいヒューマンな物語が

好きなのである。

 

ただ、おとなになった今、原本のウルトラマンは、

さすがに稚拙さ・子どもっぽさが目立って

まともには見られない。

 

今回の「シン・ウルトラマン」は、

2時間の重厚でリズム感あふれるドラマに仕立て上げて

その真髄を見せてくれた。

ラストもキレがあり、シャレが効いている。

 

願わくば「故郷は地球」のエピソードを活かしてもう1作。

最終兵器のゼットンを出しちゃったから無理かと思うけど。

 


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鬼怒川温泉・日光江戸村の旅

 

久しぶりの完オフで鬼怒川温泉・日光江戸村に

カミさんと一泊二日の旅。

鬼怒川温鬼のアニメ少女キャラ、鬼めぐりキャラ、

江戸村の江戸キャラ、どれもエンジョイラブル。

旅エッセイをお楽しみに。

 


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ちっちゃいおじさんは、なぜ七五三の時に 杉並のパワースポットに出没するのか?

 

うちの近所にある杉並のパワースポット・大宮八幡宮で、

ちっちゃいおじさんの出没情報が

多数報告されるようになったのは、

10年ちょっと前、2010年あたりからだ。

 

ちょうどリーマンショックの後遺症の時期だったので、

失業し失踪したお父さんたちの魂が

神宮の杜を彷徨っているのでばないか――

と、まことしやかな噂を耳にした。

 

仮説として面白い。

僕もリーマンショックの打撃を負った一人だったので、

その仮説をもとにラジオドラマのシナリオを書いた。

その話をノベライズしたのが、

現在、電子書籍kindleで出している

「ちち、ちぢむ」という少年少女小説である。

 

http://www.amazon.com/dp/B09WNC76JP

 

今日、義母を連れて久しぶりに大宮八幡まで散歩に行ったら、

初詣に備えてなのか、賽銭箱が新調されていた。

それに七五三の季節なので、

ちびっ子がうじゃうじゃいる。

 

そんな状況のなかで、

なんだかちっちゃいおじさんの匂いがプンプンしてきた。

 

そうなのだ。ちっちゃいおじさんは七五三が好きなのだ。

目撃情報も七五三の頃になると跳ね上がる。

 

理由は二つあって、

一つは綺麗な着物を着た子供たちがたくさん来るので、

ちっちゃいおじさんの魂が萌えて、つい人前に現れるから。。

もう一つは、おとなはそんなものいないと思っているから

見えることはないが、

無垢な心の子どもの目には見えてしまうから。

 

奇しくも同神宮のティーサロン

「清涼殿」に入ってお茶したら、

殿内にあるPR映像用の画面に

「いきなり都市伝説」の関暁夫氏が出ていて、

ちっちゃいおじさんについて、例の調子で語っていた。

大宮八幡宮、このタイミングでこんなビデオを流すとは、

なかなか抜け目ない。

寺社にもマーケティング能力が

必要とされる時代であることを実感する。

 

心が世俗の手垢にまみれている僕は、

当然のごとく、ちっちゃいおじさんには会えなかったが、

帰り道、義母に問われた。

 

「あれ、いっしょにいた、あのちっちゃい子たち、

どうしちゃったの?」

 

認知症で聖なる子どもに還っている義母には、

七五三の子どもらに混じって、

彼らの姿が見えていたのだろうか?

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

この話、信じるか信じないかは、あなた次第です。

 


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週末の懐メロ106:悲しき天使/メリー・ホプキン

 

1968年リリース。

イギリスのシンガーソングライター、

メリー・ホプキンが歌ってグローバルヒット。

とても印象的なメロディーラインなので、

若い世代でも聴いたことがある人が多いだろう。

 

僕はフランスのシャンソンの何かの曲を

モチーフにしているかと思っていたが、

原曲はロシアの歌謡曲で、

それをアレンジしたのだという。

 

さらに驚きなのが、当時、ビートルズが作った

アップルレコードからの初のシングルであり、

ポール・マッカートニーが

プロデュースしたのだとか。

 

そんな意外な事実に衝撃を受けた

「悲しき天使」だが、

僕にとってこの曲は唐十郎の戯曲「少女仮面」の

テーマ曲である。

 

唐十郎は1960年代から70年代にかけて

世の中を席巻したアングラ演劇の

劇作家であり、大スターであり、

彼の率いる劇団状況劇場は、

恐るべきスター俳優が勢ぞろいする

超パワー劇団だった。

 

その唐十郎が1969年に書き下ろし、

1970年の第15回岸田戯曲賞

(演劇界の芥川賞と言われる)の受賞作が

「少女仮面」だった。

 

この戯曲には冒頭部分のト書きで、

「メリー・ホプキンの『悲しき天使』が流れる」と

堂々と書かれている。

 

物語はさすがアングラ芝居らしく、

いろいろな幻想的なシーンがコラージュされていて、

単純なつくりではないが、

最も主軸となるテーマは「老い」、

それも女の老いである。

 

「時はゆくゆく、乙女は婆に、

婆は乙女になるかしら?」

なんて歌も挿入されるが、

おそらく「悲しき天使」が、

この物語の重要なモチーフになったのだろう。

 

この頃の邦題は、歌にしても映画にしても、

女が主役・歌い手だったりすると、

やたら「悲しき○○」「天使の○○」「○○の天使」

というのが多いが、原題はまったくこれと関係ない。

 

原題「Those were the days」は、

「あの頃はよかった・あの頃がなつかしい」

という意味で、歌詞の内容は、

まさしくな懐メロ大好きな中高年が、

青春時代の思い出に耽っている、という内容。

歌うメリー・ホプキンは当時、

まだ少女と言ってもいい18歳の女の子だった。

 

天才的物語作家で、次々と戯曲を書きまくり、

芝居を打ちまくっていた唐十郎の頭の中には、

この歌詞とメロディを聴いただけで、

「少女仮面」の構想が、

ダダダダと出来上がったのだと思う。

(確か何かの本で「三日で書き上げた」

と言っていたような記憶がある)

 

ちなみに「少女仮面」は、

僕が演劇学校に入った年、

学内の1年上の先輩方が上演して

「すげー」と衝撃を受けた思い出がある。

こんな芝居をやるなんて、

先輩方がみんな天才俳優に見えた。

今でもその時の、

ひとりひとりのキャラクターを鮮烈に憶えている。

 

また、この作品は「老い」という普遍的なテーマ、

そして役者の人数も適度で、

大掛かりなセットもいらない、

時間的にも割と短く、

上演しやすいといった要素から、

唐十郎の芝居の中で最も人気があるようで、

最近でもどこかしらの劇場でやっているようだ。

 

そして「悲しき天使」も時を超えて流れている。

18歳だったメリー・ホプキンも、

もう70歳を過ぎている。

婆は乙女になるかしら?

 

おりべまことハロウィンスペシャル

4日間4タイトル無料キャンペーン予告

10月29日(土)17:00~11月1日(月)16:59 

 

ざしきわらしに勇気の歌を:短編小説

http://amazon.com/dp/B08K9BRPY6

ハンザキを喰った話:長篇小説

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世界のEndligWatch:エンディングエッセイ①

http://amazon.com/dp/B09HQT42JR

死ぬまでジタバタしようぜ:エンディングエッセイ⓶

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おりべまことハロウィーン・スペシャル:4タイトル無料キャンペーン!

 

10月29日(土)17:00~11月1日(月)16:59 

 

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週末の懐メロ105:剣を棄てろ/ウィッシュボーン・アッシュ

 

1972年リリース。

1970年代に人気を誇ったウィッシュボーン・アッシュは、

最近、あまり語られることが少ない。

しかし、この曲がラストを飾る「百眼の巨人アーガス」は

必聴の名盤である。

逆に言えば、他は聴かなくていいので、

「アーガス」だけは聴いてほしい。

 

内容はレコードジャケットに表現された世界そのまま。

中世の戦士が彼方の空を見つめる。

その視線の先、霧に霞む山の向こうに

かすかに見え隠れするUFO。

過去と未来を繋ぐ、恐ろしくイマジネーティブな音楽が、

1曲目「時は昔」のギターのイントロから展開する。

 

ウイッシュボーン・アッシュは

一般的にはハードロックに分類されることが多いが、

彼らが最も輝いた、この「アーガス」の世界は、

プログレッシブ・ロックのノリである。

 

それもシンセサイザーなどのキーボードを使わず、

ツインリードギターとベース・ドラムの編成で

繰り出すサウンドは、シンプルで味わい深く、

他のプログレバンドにはない独特の美学がある。

 

このアルバムは、いわゆるコンセプトアルバムとは異なり、

特に一貫したストーリーや

明確なテーマがあるわけではない。

しかし、美しくユニークなジャケットにも表現された

統一された世界観は、

却って聴く者の心に、さまざまなストーリーを湧かせる。

 

そして、そのエンディング曲、

ツインギターの独特の哀愁を帯びた「剣を棄てろ」は、

当時の東西冷戦に対する反戦歌とも解釈できる。

 

剣を棄てろ

戦いは終わった

勝者も敗者もない。

闘争の怒りはただ漂流するだけ・・・・

 

50年の年月が経ち、

今また世界は同じ時・同じ道を巡っている。

いつか「剣を棄てる」時代は来るのだろうか。

 


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小説を読むように楽しむ映画「ドライブ・マイ・カー」

 

脚本もセリフも素晴らしい。

それを3日かけて観た。

1日1幕ずつの3幕劇。

村上春樹の小説を濱口竜介監督が映画化した。

昨年のカンヌ国際映画祭脚本賞、

今年のアカデミー賞国際長編映画賞など、

世界的に評価された作品。

 

第1幕、序盤のハイライトは濡れ場。

こちらの世界とあちらの世界へ、

ファンタジー要素のない、リアルベースの物語なら、

日常のマテリアルな世界から、

内面のマインドな世界へぬけるために、

セックスをトンネルとかブリッジに使うのは、

村上春樹の常套手段だが、

それを映像化すると、こんなにエロくなるのかと

ちょっと驚いた。女優さんが上手だ。

 

第2幕は演劇の世界。

主人公が演出家なので、演劇のシーンが多いのだが、

その空気感もビンビン伝わって来た。

すごく久しぶりにチェーホフの戯曲に触れた。

若い頃はチェーホフなんて退屈で嫌いだったのだが、

いま観ると面白そうだ。

 

韓国の俳優さんたちがいい味を出している。

舞台が広島というのもいい。

そういえば、瀬戸内にはもう何十年も行ってない。

 

第3幕はロードムービー。

広島から北海道へ、タイトル通りドライブ・マイ・カー。

クライマックス。

主人公とドライバーの女の子のセリフが胸を打つ。

 

でも、すごく感動!という映画ではない。

てか、やたら淡々とした地味な映画だ。

しかもその割に長い。

なんと3時間近くもある。

それもあって1日では見られず、3日かけて観たのだ。

でも、そのおかげですごく心に染みる映画として見られた。

 

べつにこれは皮肉ではない。

本を読むように、ページを見返しながら、

ちょっと戻し戻し見ながら、

1シーン、1シーンを噛み締めながら楽しむ。

 

正直、映画館で見たら途中で寝てしまって、

「なんだか地味で、よくわからなくて退屈だった」

あるいは

「序盤の濡れ場だけがやたら印象に残った」

という感想しか抱かなかっただろう。

 

今はネット配信で、何日でもかけて、

いくらでも止めながら観られる。

今までの映画の見方からすれば、

そんなの邪道なのかもしれないけど、

そのほうがいい作品もあると思う。

 

今だとAmazonPrimeの見放題で見られます。

良い映画なんでおすすめです。

もちろんイッキに見てもいいし、

1週間かけてちびちび見るのも良し。

 


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ヒトとブタは神目線ではブラザーなのか?

 

マイナビ農業の仕事で、

ハラールに関する8千字の記事を書いた。

「ハラール」とは、ムスリム(イスラム教徒)にとって

「許されたもの」。

これに対して禁じられているものは「ハラム」という。

これらは彼らの聖典であるコーランに記されている。

 

このハラムで有名なのが、豚肉とアルコールだ。

ロンドンのレストランで働いていたとき、

職場の仲間にエジプト人のムスリムがいて、

彼は酒が好きだった。

さすがにそんなにガバガバとは飲まなかったが、

チビっと飲んでは酔っぱらっていた。

 

地元の国ではどうだか知らないが、

外国に在住しているムスリムの間では、

アルコールの禁忌については割と甘いようである。

 

けれども豚はダメだ。

彼もけっして豚肉は食べず、

賄いでトンカツやハムカツが出てくると、

オー!と、天を仰いで嘆いていた。

 

それにしても疑問はやはり、

なぜイスラム教は豚を禁忌としたかである。

「豚は不浄の動物だから」というのは

どうも説得力がない。

 

豚は本来、きれい好きな動物で、

豚小屋が汚いというイメージは、

むしろ飼う人間の側の問題・責任である。

 

それよりも有力な説は、イスラム教の創始者とされる

預言者ムハンマドが生きていた時代(7世紀はじめ)、

中東地域(現在のサウジアラビアあたり)で

豚肉が原因となって疫病が流行したということ。

 

豚は雑食性なので、ヒツジや牛などの草食動物より

肉が腐りやすい。

衛生管理がなっていなかった当時としては、

十分あり得る話である。

 

もちろんヒツジだって牛だって鶏だって

冷蔵しとかなきゃ腐るのだが、

たまたまムハンマドが豚肉由来の疫病に

出逢ってしまったのだろう。

歴史は僕たちが思っている以上に、

必然よりも偶然の力が大きい。

 

なんとなく納得してしまう説だが、それでも釈然としない。

仏教やキリスト教の地域だって同様のことはあったはず。

これだけ世界に広がった宗教の創始者だから、

ムハンマドの信念はもっと複雑で深いはずだ。

彼は直観で知っていたからではないかという気がする。

 

「豚は人間に酷似してる」

 

つまり豚を食べることは、人肉食に通じる。

そうイメージして恐怖し、ブタにフタをしたのである。

 

実際、豚の皮膚や臓器は、類似猿よりも人間に近く、

代替が可能だという。

皮膚や臓器の移植手術は

190年代から試行検討されており、

つい最近、ついに実際に行われた。

 

今年2月には

「世界初、ブタからヒトへの心臓移植の注目点は」

という医学記事も発表されている。

(以下抜粋)

2021年1月7日、米メリーランド大学の医療チームにより、

世界で初めてヒトへの遺伝子改変ブタの心臓を用いた

異種移植が実施された。同大学の公式サイトによると、

2月9日現在、レシピエントの57歳男性に移植されたブタの心臓は

問題なく機能しており、

24時間体制のケアを受けている様子が伝えられている。

 

https://www.m3.com/clinical/open/news/1018905

 

預言者ムハンマドは、イエス・キリストと違って

神の子として生まれてきたわけではない。

彼は商人として暮らしていた40歳のときに突然、

天使ガブリエルによる啓示を受け、

預言者として神からのメッセージを

人々へ伝えていくことを決意したという。

 

彼はその中で人間と豚の近親関係を感知し、

それを人々に「豚肉食禁止」と言う形で説いた。

それが人々の心の奥底にあった、

豚に対する近親相関的感情に響いたのではないだろうか?

 

上記のような移植の話は、

到底、ムスリムの人々は受け入れられないだろうが、

医学的・科学的に興味を抱く人は少なくないはずだ。

 

あなたは自分が、あるいは家族が、

命を救うためにこの臓器移植の提案をされたら、

どうしますか?

 

今回の仕事は、ハラールについて、イスラム教について、

豚についての神秘を感じた面白い仕事だった。

この件についてはまたおいおい。

 


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お待ちかね。 マイ・ギターズメモリアル 無料キャンペーン

 

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10月7日(金)17:00~10日(月)16:59

おとなも楽しい少年少女小説 第10作。

Kindleでしか読めない

おりべまことの物語世界をお楽しみください。

面白かったらレビュー書いてね。

 

人気ポップスターだった父は、

意識不明の状態で病院のベッドに横たわっていた。

音楽で生きる父と子の、死を前にした対話の物語。

短編。1万9千字。

 

★あらすじ

 

デビュー間もない若いシンガーソングライターは

時おり、広い畑の夢を見る。

そこでは幼い頃に死別した妹が畑仕事をしている。

夢の中でいっしょに成長してきた彼女は

「お父さんがもうすぐここに来るよ」と彼に告げた。

 

それが予知夢であるかのように、

ほどなくして父が脳出血で倒れた、

という報せが入る。

 

彼の父もまたミュージシャン。

それも世界的に有名なポップクスターであり、

愛のメッセンジャーとしても知られる人物だ。

 

けれどもそうした世間のイメージとかけ離れた、

プライベートな顔を知る息子は、

自分と母親と妹を捨てて生きてきた

父をひどく憎んでいた。

 

一本のギターを抱えて、

病院に瀕死の父の面会に訪れた息子。

閉じられた病室の中で、

意識を失ったままベッドに横たわる父に向き合い、

胸の奥から湧いて出る思いをつぶやく。

そしてギターを媒介として、

意識のないはずの父と「イエス・ノー」の問答形式で

会話を交わすようになる。

 

次第に息子は、もう表に現れない父の奥の意識と

一つになっていき、

それまで知らなかった父の人生の一面を垣間見る。

栄光の中の孤独。

自分が信じていた音楽の才能が枯渇していく恐怖。

安息の場のはずだった家庭も重圧となり、

精神的混乱は家族愛さえも悪夢に変えてしまう。

迷走した父は家族を捨てて

一人の女(後妻)との愛に生きるようになる。

 

息子はそんな不完全な人間だった父を

少しだけ赦せる気持ちになり、

彼が旅立つ前に最初で最後のデュエットを

しようと試みる。

 

面会時間が終わる頃、

病室に父の心を奪った女――後妻が現れる。

憎しみのため、それまで顔をそむけ続けてきた相手。

そんな相手と言葉を交わし、思いを交流させるうち、

息子の中には新しい自分の音楽を作り、

歌い始める準備が進んでいった。

 


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父をひどく憎んでいた。

 

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最期のバグパイプ

 

ツイッターに「女王に捧げた最期のバグパイプ」

がアップされていた。

テレビ中継では見なかったが、

ウィンザー城のセントジョージ礼拝堂で

女王の棺が地下に降ろされ埋葬される時に

奏でられたものらしい。

 

まるで美しい映画や演劇のラストシーンのようだ。

とても感動的なのと同時に、エリザベス女王の

「スコットランドよ、行かないで」という

願いも込められているかのようだ。

 

ちょっと前から「6600万年前の夢を見て死ね」

という小説を書いていて、

これにマイケル・オーネストという人物が登場する。

マイケルはスコットランド人のバックパッカーで、

日本人女性と結婚し、東京で25年暮らしていたが、

還暦になり、スコットランド独立運動と

ネス湖の観光事業に取り組むため、

故郷スコットランドに帰ろうとしている。

彼はバグパイプ奏者でもあり、

楽器を教わりに来た主人公の男を相手に居酒屋で

スコットランドの自慢をして

「ネス湖を見て死ね」と、くだを巻く。

 

そんな設定なのだが、僕はスコットランドには、

1986年の春にネス湖観光、

1987年の夏にエジンバラ演劇祭を見に行ったきりだ。

特に強烈な印象はないが、

ロンドンなどより物価が安く、

のんびりした田舎というイメージが残っている。

インヴァネスの宿に泊まった時に給仕してくれた

当時高校生くらいの女の子が

真っ赤なほっぺをしていて可愛かった。

 

イングランドとスコットランドはここ数百年、

何とか折り合いをつけて仲良くしてきたが、

いつまでも過去を懐かしんではいられない。

何よりも民族としての

アイデンティティが大事なのだ。

 

亡き女王の願いむなしく、

近いうちにスコットランドは独立するだろう。

それが歴史の必然のような気がする。

そう思ってこのバグパイプを聴くと、

よけいに切なく美しく響く。

そしてエリザべㇲ2世の生きた時代は、

次世代へ語り継がれる物語としてパッケージされる。

 


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エリザベス2世国葬:20世紀の真の終幕

 

昨夜はエリザベス女王の国葬を、BBCの生中継で見た。

こんなに絢爛豪華で美しい式典を見ることは

もう生涯ないだろうと思った。

 

内容の重厚さあってこその華やかさ。

あれだけ世界の要人が一堂に集まることも

もうこの先ないのではないか、と思える。

 

そいて、こんなすごいことをする国、できる国は、

もう地球上にイギリスしかない。

 

BBCの気合の入れ方もハンパなかった。

イントロダクションの編集もめっちゃカッコいいし、

ウェストミンスター寺院の天井にカメラつけて

神さま目線の大俯瞰映像を撮るなんて本当にびっくりした。

 

おそらくBBCは昨日の中継映像を、

後世に残す、人類共有の遺産とすることを意識して

撮ったのではないだろうか。

 

21世紀になってから22年目にして、

とうとう20世紀の真の終幕を見た感じがする。

 

国葬のパレードは軍隊に支えられていた。

王制と軍制は一体のものであり、

あの祭典は、大英帝国の祭典である。

僕たちが暮らすこの世界は、

いまだ大英帝国の影響下にあったのだ。

 

その礎を築いたのは、16世紀のエリザベス1世。

海軍と海賊を使って世界の覇権を握り、

イギリスに富と繁栄をもたらした。

 

19世紀。ヴィクトリア女王の治世と産業革命。

日本も初めてグローバル化し、文明開化を迎え、

資本主義・覇権主義の時代が始まった。

 

世界を制覇し、栄光に包まれた大英帝国の歴史は、

富を求め、権力と暴力で人を抑えつける

搾取・略奪・虐殺・支配・蹂躙の歴史でもある。

 

エリザベス2世はそうした前世代の恩恵と、

犯した罪悪の双方を熟知して

この70年間、必死で世界のバランスを保つのに

努めてきたのだと思う。

 

そして自分の葬儀さえも過去と未来との懸け橋にした。

英王室内の知恵の蓄積もあったのだろうが、

 

すごい女王、すごい物語の作り手だ。

 

 

彼女がいなくなった今、

大航海時代から20世紀、そして今日まで

続いてきた一連の流れはゆるやかに止まっていくだろう。

 

英連邦国家の独立や、王制廃止の動きも

雪崩を打って襲ってくるだろう。

ユニオンジャックの国旗を見るのも、

もうそんなに長くないかもしれない。

 

世界のかたちは変わり、資本主義社会の在り方も

変質していくだろう。

 

もしかしたらそれらは僕がまだ生きている間、

向こう10年、20年のうちに実現してしまうかもしれない。

 

僕たちの子孫は、昨日の国葬を

20世紀文化のアーカイブとして鑑賞するのだろう。

そして、王様・女王様のいる世界を

バーチャルとして楽しむようになるのかもしれない。

 

リアルにこんなことをやって、無駄ガネを使いまくって、

なんてクレイジーな時代だったんだ!

ということになるんだろう、きっと。

 

僕らはそれを寂しいと思ってこう言う。

 

「いや、民主主義・合理主義には賛成だけど、

人間というものはどこかでこういう物語を

求めているんじゃないか?

それが心を豊かにするんじゃないか?」

 

だが結局、新しい時代のことは、

新しい世代が決めることになる。

 

いずれにしてもロンドンとウィンザーで

エリザベス女王を見送った僕たちは、

一つの歴史と始まりを見届けた。

とても幸運なことだし、貴重な体験をしたと思う。

 


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生涯現役・ウルトラの女神

過去にブログやSNSで書いたエッセイを

編集・リライトして電子書籍にしている。

 

今度の新刊「赤ちゃんはなぜかわいいのだ?」は、

子どもがテーマ。

その編集をしていたら

子ども時代に見た「ウルトラQ」がらみのネタが

3本もあった。

 

そう言えば、この間も5年くらい前に書いた

「2020年の挑戦への挑戦」を引用されてくれと

リクエストが来たのでOKした。

(この記事はエッセイ