市場の論理を学んだのは、とある年の大みそかの夜―元旦の朝でした。
その頃、僕は日本橋の喫茶店で毎日バイトをしていたのですが、その店の姉妹店(東京の周りに7店くらいあった)が原宿・表参道にありました。店長はスラッと背が高く、天然パーマの当時20代後半の、見た目、原宿にお似合いのあんちゃんなのだが、やたら愚痴っぽく、覇気に欠け、あんまり上司にはしたくないタイプの人。
その店長が大みそかの夜だけはやたら燃え上がる。
それもそのはず、この店の年間売り上げのおよそ半分は、この一晩で稼ぎ出すというのです。ターゲットはもちろん、明治神宮の初詣客です。
場所は表参道と明治通りとの交差点というグッドロケーション。
年恒例となっているらしく、50人くらいのキャパの店に各店から応援スタッフが馳せ参じ、総勢1ダースあまりで対処。
当時、普段の時給は600円ぐらいと記憶していますが、この日は1・5倍の900円。一晩やれば7000円以上になるので、こりゃ美味しいと僕も勇んで臨みました。
メニューは年末年始特別版で、コーヒー、紅茶、コーラなど、ありきたりのドリンクが10種類程度。どれも一杯1000円を下らない。
フードはピラフとサンドイッチがそれぞれ3種類くらい。こちらは一食2000円を下らない。最近あまり聞かなないけど、いわゆる「正月料金」というやつですね。
しかもピラフは原価100円程度のタカナシの業務用冷凍ピラフで、袋を破いてフライパンにバッとあけてジャジャジャジャっと火を通して1分少々で一丁上がり。サンドイッチも大量に仕込んであるのを切って盛り付けるだけ。
サエない原宿ボーイもどきの店長は、次々入るオーダーに、ヒャッホーと厨房で踊りながらフライパンを振っていました。
夜10時ごろからスタートでしたが、こんなバカ高い手抜きメニューにも関わらず、来るわ、来るわ。
周囲に他にあいている店がなかったのか、一晩中行列が切れず、僕らもずっと店中を駆けずり回っている始末でした。
「年間売り上げの半分を売り上げる」というのも、あながち大袈裟ではない。
空が白み始めるころ、さすがに潮が引くように一大イベントが終息したのですが、いったい何人客が来て、いくら売り上げたのだろう?
まさしくニーズとタイミングとロケーションが合えば、何を売っても錬金術が起こせるという世界でした。
閉店し、朝日が入ってくる店内で、ホクホク顔でレジを打つ店長のホクホク顔が忘れられません。
僕はと言えば、夜中の人波が収まり、静かで清々しい明治神宮で一緒に働いた友達と初詣をして帰りました。
2017年はあなたのところに、僕のところに、Goodなビジネスチャンスが巡ってきますように。
2016・12・30 FRI
クリスマスの夜に夢を見ました。
タイトルは「ばんめしできたよ」。
僕は台所でひたすら料理を作っている。
何の料理だかはよくわからない。
というか、いろんな料理を作っている。
そこには僕の生活史が現れている。
子供の頃、何か自分でめしを作りたいという衝動にかられ、寿がきやのインスタントラーメンを作っておいしかったこと。
母親が留守の時に友達と初めてカレー作りに挑戦し、肉を入れなかったのでカレー粉の味ばっかりしたり、ニンジンが生煮えで固かったこと。
東京に来て友達と一緒に暮らし始めたのだが、そこの部屋にはいろんな連中が入れ代わり立ち代わりやって来て、酒の肴など、代わる代わるいろんなものを作ったこと。
その頃、付き合っていた女の子を家に呼んで、一緒にめしを作りながら台所で抱き合ったこと。
その子に「ずいぶんいい加減に作っているのに、すごくおいしい」という、いたく愛のこもった台詞を言われ、以来、調子に乗ってめしを作り続けていること。
そのいい加減なめしをカミさんと子供は毎日、文句も言わず食っていて、割と楽しみにしていること。
そういえば後輩にカレーを作ってやったり、家に来た仕事の仲間に食わせたこともあって「フクシマさん、これはプロの味ですよ」とお世辞を言われたこともあった。
そんなこんながコラージュみたいにごっちゃになって夢の中で展開しました。
●イメージ・記憶・共有データ
加えて、自分が体験したことのない昔のかまどでの煮炊きの光景や、どこかヨーロッパの中世の宮廷か何かの台所の中で料理人たちがドタドタやっているようなイメージが混じっていました。
また、ロボットが出てきて僕が料理しているところを手伝ってくれてくれているシーンなども。
僕が「おまえ、めし食えるの?」と訊くと、「ええ、まぁ、なんとか・・・」なんて、実に人間らしいファジーな受け答えをしたりしていました。
これらは映画の1シーンや、読んだ小説だかマンガだかの1シーンなどがビジュアル化したのかもしれません。
あるいは個人的な記憶の他に、国民、人種、あるいは人類全体の共有の記憶も僕たちの中に蓄積されているので、そうした大容量データバンク由来のものがイメージとして流れ込んで、混じり合ったのかも知れません。
僕は食べることも作ることも好きなので、「食」というキーワードがスイッチとなってそうした記憶=イメージが夢として表現されたのでしょうか。
●食うために生きる
「人は食うために生きている」とは、通常、単に何の目標もなく、生きがいもなく、ただ生活費を稼ぐために生きている――という意味で使われ、暗に「それでいいのか」という揶揄・批判を込めれあれることが多いと思います。
でも、これを肯定的に考えてみたい。
僕は人間にとっての「食」は、ダイレクトに生・生活と結びつくと同時に、あらゆる人間の思想や行動・社会の営みとリンクする豊饒な概念だと思うのです。
そう考えると、毎日、めったやたらと上がってくるフェイスブックのごはんの写真+記事の中にも、程度の差はあれど、言外にその人なりの自分の人生や生活に対するいろいろな思念・思惑などが込められていて面白くなります。
●サパーズレディ
朝飯も昼飯も作って食っているのだけれど、なぜ「ばんめしできたよ」というタイトルなのかと言えば、プログレバンドの「ジェネシス」の曲で一番好きなのが「Supper's Ready:サパーズ・レディ」――そのまんま「ばんごはんだよ」という曲なのです。
70年代のロッククラシックの名曲で、最近はかつてのライブ映像もYou Tubeに多数上っているので、しょっちゅう見ている。
ヴォーカルのピーター・ガブリエルが奇妙奇天烈なコスプレで変幻自在に歌いまくる20分の組曲で、まさしく夢のように多種多様なリズムとメロデイが展開します。
内容は、キリストの最期の晩餐をテーマに、現代社会への批判やパロディ、寓話、人間存在についての追究などの要素を散りばめたもので、それをエンタメ感たっぷりにやっているところが面白い。
というわけで、この夢は僕にとって、来年に向けての創作や仕事のヒントとなり得る素敵なクリスマスプレゼントでした。新しいネタで新作の脚本や小説も書いていこうと思います。
2016・12・26 Mon
その昔、息子が小1だか2年の時、保育園時代からいつもいっしょに遊んでいる三人組がわが家に集まり、お菓子をボリボリ食べながら歓談をしておりました。
クリスマス間近な時期だったので、話題は自然とサンタクロースに何のプレゼントをもらうかということに。
うちの息子とゆうきくんは、サンタクロースがイブの夜に必ずややってくると信じて疑わず、話に熱がこもります。
「今年もサンタさん来るかな?」
「うん来るよ。今年は何くれるかな?」
「おれはね、絶対〇〇もらう。ちゃんとお願いしてあるから」
「おれももらう。おれもチャンとやってるからね」
ちゃんとやってるって・・・何を? 勉強? いい子にしてるってこと? とツッコミたくなるような会話だが、そんなちゃちなつっこみよりもっとすごい爆弾が、もう一人のヒロくんの口から飛び出した。
「おまえらバっカじゃないの。サンタなんていないんだよ。あれはね、お父さんがやっているの」
あとの二人は呆然。
・・・というわけで、詳しい経緯は忘れたけれど、その年を境に息子たちはサンタクロースの存在を信じなくなったと思います。
情報化社会は、子供がいつまでも夢を抱くことを許さない。
哀しいね、寂しいね・・・なんて言いません。
本当の勝負はそうした夢が消え去ってからです。
「♪恋人はサンタクロース」じゃないけど、大人になるとわかるのです。
サンタクロースって何なのか?
昔の人たちは凍えそうな冬の季節、どうしてそんな存在を考え出したのか?
いえいえ、ネットで検索しても答は載ってませんよ。
ひとりひとり、それを考えるのがクリスマスなんですから。
辞書の解説みたいなものを読んで「ふむふむ」と納得してちゃだめですよ。
それはあたたにとっての答でないし、僕にとっての答でもありません。
それにそれは毎年違っているので。
サンタクロースは人のその人生に合わせて、毎年変態しているんです。
今年のサンタはいったいどんな姿で、どんな中身で、どんな意味を持ってあなたの前に現れるのか?
素敵なプレゼントをもらえるのを願いましょう。
それでは楽しいクリスマスを。
2016・12・23 FRI
母が入院したとの知らせを受けて急遽帰省。
8年前、父が亡くなった時と同じ病院。ほぼ同じ時期。ロビーには8年前と同じ(たぶん)クリスマスツリーが飾ってありました。
けれども大したことなくて、溜まった肺の水が抜けて、血圧が下がって歩けるようになれば年内には退院できるとのこと。三日ほど見舞いに通いましたが、だんだん元気になって「病院の食事はうまくない」と文句言いつつ、パクパク食べています。
父の死後、話を聞くのが僕の仕事になっているので、今回もとにかくあれこれ話を聞きました。
内容はいつもほぼ同じで「わたしは幸せだった、恵まれていた」と訥々と話し、父(夫)のことをほめそやします。
どちらも昭和ヒトケタ生まれで、今の感覚で言う「仲睦まじい夫婦」という感じでは全然なかったのだけど、それなりに支え合って生きてきた、と実感できるのでしょう。
その反対に、僕の目から見て結構仲が良いと映っていたきょうだい(つまり僕の叔父や叔母)に対しては、割と冷淡になっています。
というのは、今年の夏、6歳違いの妹が亡くなったのだけど、結局、葬式にも行きませんでした。(と、今回、僕も初めてそのことは知りました)
齢を取るといろいろ面倒くさくなる、というのが母の言い分。
2年程前まではそれでもちゃんときょうだいや親戚の葬式には行って、あれこれ喋っていたのですが。
最近、母を見て僕が思うのは、人間、老いるに従い、だんだん子供に戻っていくのかな、ということです。
子供の世界・視野は狭い。それが成長につれてどんどん広がり、大きくなっていくわけだけど、老いるとその逆の現象が起き、だんだん世界が縮小していく。
言い換えると広がりをなくす代わりに、限りなく深化していくのかもしれない。
その分、この世とは異なる別の世界が広がって見えてきて、そちらのほうへ移行していくのかもしれません。
意識の中では身近にいる人間、自分の思い入れの深い人間だけが残り、そうでない人の存在は、血縁関係者でも、親友だった人でも遠のいていってしまうのでしょう。
その人の生活の核が残る。
そしてさらに進むと、さらにそれが絞り込まれ、その人の“生”の核が残る。
両親にはまだ教わることがあるようです。
2016・22・16 THU
そう言えば、永六輔さんも蜷川幸雄さんも大橋巨泉さんも今年死んじゃったな。
と、1年を振り返る。
昭和の巨人たちと現代の平成生まれの若者たちを重ね合わせる内容。
缶コーヒーの「宇宙人ジョーンズ」のコマーシャルを見ていると、ふとおかしな錯覚に囚われます。
昭和の影はあまりにも重く、あまりにもいろいろなものが詰め込まれていて、この10年来、みんなあれは何だったのだろうかと思い、あの頃はあれも食べなきゃ、これも食べなきゃと思って、ガツガツ食いまくって、そのほとんどは丸のみにしていたけど、今になってもう一度、味わいなおしたくて、胃から戻してきてクチャクチャ嚙んでいる。
噛むことは脳に良い。
噛みなおすことでまた新たなイメージが生まれ、新しいものを創り出す。
ライティング・イズ・リライティング
クリエイション・イズ・リクリエイション。
で、考える。昭和と平成はいっしょに終わるのかな、と。
平成は約30年にわたる、昭和の長い長い余韻の時代だったのではないかと。
ビジネスの世界は、そして、世の中の大きな意思は、もう2020年の先に行っている。
その期待度(および不安感)は、ミレニアムの時をはるかに超えている。
そうそう簡単に世の中は変わらないけど、でもやっぱり今度来る変化は大きい。
で、考える。昭和と平成はいっしょに終わるのかな、と。
平成は約30年にわたる、昭和の長い長い余韻の時代だったのではないか、と。
2016・12・15 THU
たぶんマンガの影響だと思うけど、子供の頃、外国(欧米)で最高のごちそうと言えば、七面鳥の丸焼きでした。家庭で、レストランで、パーティーで、ホカホカ湯気を上げる七面鳥の丸焼きは、とにかくデカくて絵になる。
そのごちそうを実際に食べたのは、ロンドンの日本食レストランで働きながら、クリスマスを過ごした時でした。
クリスマスの2~3日前だったと思いますが、その店のヘッドシェフがスタッフミール(まかない)として企画してくれたのです。
営業が終わった夜10時過ぎ、でかでかとした丸焼きがキッチンからお目見えした時は、一同、おおっ!と歓喜の声。
日本人だけじゃなく、いろんな国籍の連中がいたけれど、七面鳥の放つ「ごちそう感」のオーラは強烈で、万国共通でした。
うかれてジングル・ベルなど歌いだす奴(僕ですが)までいて盛り上がり、一人一人に切り分けられ、特製ソースをかけて食べたのだけど・・・・
うーん、ま、こんなもんかな。
いつものまかないのほうがおいしいかな・・・・。
どうせなら、お寿司でメリークリスマスでもよかったんじゃ・・・・。
ちなみにちょうど30年前――1986年のロンドンのクリスマスは、事前はすごく盛り上がっていたけど、当日は日本の元旦状態よりさらにひどく、交通機関もろくに走っていない状態で、お店もお休み。
僕らは二駅ほど離れた仕事仲間のフラットに集まって、今度はワイルドターキーを飲みながら酔っ払っていました。
せっかくロンドンにいるのに、なんだか冴えないな~という感じでした。
クリスマスのごちそうがおいしくなかったって話だけけど、30年経って思い返すと、あの食事のシーンはなんだかすごくよかった。
あの時の仲間たちの何とも言えない、神妙な顔つきでモグモグしている姿がとてもリアルに浮かんできます。
30年経ってあの七面鳥の美味しさがじわじわきた~って感じ。
これから七面鳥の丸焼きを食べる機会があるかどうかはわからないけど、あの味は一生に一ぺんのものだと思います。
チャンスというのは一生にそう何べんもあるものじゃありません。
希少な体験のチャンスがあったら、躊躇わず、ぜひ飛び込みましょう。
たとえその時はがっかりしても、後からおいしい味に変わることもあります。
2016・12・13 TUE
うちはカミさんが女性と子供用の鍼灸院をやっているので、週に半分以上は小さな子供らが来ています。
で、その子供たちの興味は階段の上に注がれます。
「あの2階はどうなっているの? 誰かいるの?」と質問するものだから、カミさんが「おじさんとお兄ちゃんがいるんだよ」と答えると、彼ら・彼女らの興味は「おじさん=僕のこと」は完全にスルーして、「お兄ちゃん」の方に集中し、目をキラキラさせながら言うのです。
「ほんと? お兄ちゃんがいるんだ!」
幼稚園や保育園、あるいは小1・2くらいまでの子供の想像する「お兄ちゃん」あるいは「お姉ちゃん」というのは、だいたい上限どれくらいの齢なのか?
やっぱり小学校5~6年くらいまででしょうか。
と、自分の子供の頃を振り返ってみると、やっぱりもう中高生くらいのお兄ちゃん・お姉ちゃんだと距離感を感じていました。
当時は制服を着ている姿を見ることが多かったせいもあると思うけど、やっぱり子供の直観というのは素晴らしく、思春期になった人間には自分と違うフィールドに属する「におい」を感じてしまうのかもしれません。
で、先週、夕方に来た、幼稚園年長の女の子はけっこう粘っていて(2階の部屋で仕事をしていると声が聞こえる),「今日はお兄ちゃんは? ねえ、いるの? ねえ、せんせい・・・」と食い下がっている。
カミさんが「今日はお仕事に行っていてお留守だよ」(実際いなかった)とたしなめて、やっと帰っていきましたが、彼女の中ではどんなお兄ちゃんの姿が輝いていたのか?
残念ながら、うちのお兄ちゃんはもう来年成人式なんだよね~。
彼女にとっては、お兄ちゃんだか、おっさんだかわかんないくらいだろうね~。
きっと見たらびっくりしちゃうでしょ。
「子どもの夢を壊すから出てこないように」と息子に言っておきました。
で、またその後、インターネットを見ていたら、昨年、「お兄ちゃん、ガチャ」というテレビドラマを放映していたことを発見。知らんかった~、不覚。
どうも忙しい日々を送る小学生の女の子が、ガチャポンで理想のお兄ちゃんを次々にゲットするというお話らしい、ガチャポンなので、当然、当たりもあればハズレもあって・・・ということでドラマが展開するようです。
「彼氏も結婚相手も所詮は他人だけど、お兄ちゃんは永遠不変」というのが、このドラマのキャッチフレーズ。
女性の方々、そうなのですか?
実際にお兄ちゃんのいる方々、どうなのでしょう?
どうもきっとここでいうおにいちゃん・おねんちゃんは、リアルな兄・姉とはまた別物のファンタジーの世界なのだろうな。なんと豊饒な日本語のイメージ。うーん、すごく興味を持ちました。おにいちゃん・おねえちゃんの世界、探究したい。
2016・12・12 Mon
彼女の名前はタマというらしいけど、ねこネタでもアザラシネタでも、ましてや下ネタでもありません。
人生、なんでもたまたま当たったもので変わってしうなぁーというお話。
●赤い服の少女
子供の頃、楳図かずおの短編で「赤い服の少女」という作品を読みました。
なにせ怖いマンガを描かせたら右に出る者なし。そこに本が転がっているだけで、中からにょろにょろっとヘビ女が出てくるんじゃないかと想像して、震え上がってしまう楳図先生の作品です。
ドキドキしながら読んでいくと・・・
主人公の少女は女優だかダンサーだかの志望で、ライバルと競い合っていました。
実力もルックスもほぼ互角のこの二人が、映画だかミュージカルだかの主役のオーディションを受けることに。
その運命の日が迫ってきたある日、主人公は街のブティックのショーウィンドウに飾ってある赤い服を目撃し、直観がピーン!
「あの服よ。あの赤い服を着ていけば、私はオーディションに勝てる!」
しかし、彼女の家はそう裕福ではなかったので、お母さんに頼んでもすぐに買えない。どうやってかき集めたんだか、なんとかお金を作ってそのブティックに駆け込むと、タッチの差でその服は売れてしまっていた。しょぼーん。
そして後日、オーディション会場に行くと、なんと!ライバルがあの赤い服を着ているではありませんか。SHOCK!
で、監督だか演出家だかの心に刺さり、ライバルはみごと合格。主人公は落選し、みるも無残に落ち込んでしまった。
ところがまた後日、驚愕の知らせが。
その仕事で海外へ旅立ったライバルは、なんと飛行機事故で落命してしまう・・・という結末。主人公の少女は「もし私があの服を先に買っていたら・・・」と思いをめっぐらせて終わるのです。
細かいところがあやふやですが、だいたいこんなお話です。
なんやこれ? ヘビ女も猫目小僧もミイラ先生も出てこんがな、つまらんな・・・と思ったことが妙に記憶に残っていました。
実は怖い思いをせずに済んでホッとしていたのですがね。
子供の僕には分からなかった。おとなになってやっとその奥深さが味わえるようになった作品なのでした。
●人生も世界もタマタマでできている
じつは最近これとよく似た話を最近聞きました。
その人の人生もその日、たまたま着ていた服の色で人生が変わってしまいました。
この漫画に引っ掛けていえば、もし、その人が31年前のその日、赤い服を着ていたら、今の仕事に就いていなかったかも知れない。したがって僕とも会っていなかったかも知れない。
そう考えていくと、現在のあなたも僕も、星の数ほどの「タマタマ」の積み重ねで今、こうして出会い、お話を読んでもらっているわけです。面白いね。
「運も実力のうち」というけれど、迷い込んできたネコを手なづけるみたいに、タマタマ出会ったものをいかに活かし、うまく自分の中に取り込むか(あるいは嫌なタマなら、いかにうまく断ち切るか)が人生の操作術であり、醍醐味と言えます。
あと20日あるので今年もまだ、よいタマに出会えますように。にゃ~。
2016・12・9 FRI
12月の声を聞くと、お歳暮に始まり、クリスマスプレゼント、お正月のご進物。
さらにお餅、おせち、ふるさとからの贈り物など、たくさんの品々が行き交います。
相手を思いやり、気遣う気持ち。よろしく頼んます、これだけのもの贈ったんだから当然、何かお返しくれるよね、口に出しては言わないけど、わかってるよね・・・などなど、品々の中に万華鏡のごとくこれだけさまざまな気持ちが込められるさまは、伝統的慣習からくる日本独自の現象と言えるでしょう。
そんなわけでこの季節になると、物流の現場は大わらわのてんてこ舞いになります。
その物量たるやすごいのなんの。
僕は物書きと同時に、こうした現場でも働いているので、ここ数日はその嵐に圧倒されています。
そこで思うのは、ニーズがあればそれを満たそうと技術が進む。
こういう贈り物文化があるせいで、日本の物流システムは世界一になった、ということ。ちゃんと比較したデータがあるのかどうかは知らないけど、少なくとも宅配便がこれだけ見事に発達している国は他にちょっと考えられません。
近年はネット通販が発達して、なんでもクリック一つで買えちゃって便利だけど、当然のことながら、アマゾンみたいな会社の倉庫から物が自動転送されてくるわけではない。
それがその通販やってるお店や会社の地域にある運送会社の拠点に送られ、トラックで注文した人の地域の近くにある拠点に送られ、そこからさらに近所の支店に送られ、そこから宅配車で家まで届けられます。
そこには車や設備などの膨大なエネルギー、そして大勢の人間の労力が費やされています。そこには莫大なコストがかかるから、何とかこれを節減できないかと機械化が進む。来るべきロボット社会はこのあたりから発展するような気がします。
それぞれの拠点ではロボットたちが「オセーボ、オーライ。プレゼント、ウェルカム。」と言いながら24時間フル稼働し、自動運転の車で疲れ知らずのロボットサービスドライバーが「オトドケモノデース」とやってくるのは10年後?20年後?30年後?
2050年、僕たちはどんな年末・お正月を過ごしているのだろう?
2016・12・4 SUN
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