ロンドンライフと労働・カネ・芸術の話

 

「洗たく女の空とぶサンダル」に出てくる

路上で靴を並べるアーティストは、

むかしロンドンで暮らしていた頃に遭遇した

ストリートアーティストをモデルにしている。

 

僕がロンドンの日本食レストランで働いていたのは、

1985年から87年にかけて。

 

当時、英国病・老大国化を克服し、

「ふたたび強大なイギリスを」と訴えた

マギー・サッチャーの新自由主義政策によって、

イギリスの公的福祉はバッサバッサと切り捨てられていた。

要するに国は自分で稼がない人・稼げない人の

面倒などこれ以上見ないということである。

 

その影響で街には失業者・ホームレースがあふれ、

ロンドンの中心部を歩いていると、

「10ペンスめぐんで下せえ」と、よく小銭をせびられた。

 

ストリートや地下鉄の構内にはそうした物乞い以外に、

「アート」を提供する芸術家もたくさんいた。

 

音楽家たちはその筆頭で、みんな、ギター、サックス、

バイオリンなどを持ち出し、街頭音楽を聴かせたり、

寸劇やダンス、パントマイムなどを見せていた。

 

また、路上で詩集のような本を売ったり、

奇妙なオブジェを並べて

人々の関心を引こうとする者もいた。

 

不思議なことに、その作品やパフォーマンスの

出来・不出来に関わらず、

彼ら・彼女らの顔はどこか自信にあふれていた、

という風に見えた。

 

たまに目を見張るような面白いもの・

芸術的な価値があるなと思えるものもあったが、

9割以上は投げ銭稼ぎのガラクタの類だ。

 

それでもロンドンには世界中から

観光客が集まってくるので、

ガラクタみたいな音楽やアートでも面白がられ、

投げ銭でいくらかは稼ぐことができたのかもしれない。

 

まともな頭で考えれば、そんなことをするより、

非正規だろうが何だろうが、

ちゃんと職に就いて安定的に稼げるのは明らか。

 

“選り好みさえしなければ”、

少なくとも食っていくのに何とかなる程度

稼げる仕事はあったと思う。

 

事実、僕の勤めていたレストラン経営の会社でも、

ロンドン出店の条件の一つとして雇用対策を打ち出し、

ほぼ年中、スタッフを募集していた。

 

それでも少なくとも僕がいた間、

イギリス人で応募してくる者は皆無で、

実際にスタッフになったのは、全員が外国人労働者だった。

 

みんな「イギリス人は怠け者だからダメだ」と言っていた。

当時のイギリス人の間では、

やっぱり東洋人に対する差別意識があったと思うので、

成りあがりの日本人の会社の支配下に置かれるのは、

プライドが許さなかったということもあるろう。

 

今、振り返ってみると、あの頃のイギリス人を

バカだ、怠け者だと非難する気にはなれない。

 

それは人間というのは、

一度、豊かな生活———まわりに文化的な環境があり、

なんとか食っていけるといった状況を体験してしまうと、

必死になってカネを稼ぐだけの生活には

もう二度と戻れないのではないか、と思うからだ。

 

言い換えると、肉体だけでなく、精神もメシを食いたがり、

その結果、自己表現の欲求が抑えられなくなる。

文化や芸術などなくても生活していけそうなものだが、

文明国で生まれ育った人間には、

それはどだい無理な話なのだ。

 

労働・カネ・芸術。

これからを生きる人間にとって、

この三つに折り合いをつけるのは

大きな課題であり、ある種の楽しみなのかもしれない。

 

日本の社会が40年近く前のイギリスと

似たような状況になった今、

しみじみとそうしたことを感じる。

 

 

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