コロナ禍の冬をどう乗り切るか、自分自身で考えなくてはならない

 

ついこの間、東京の感染者数が

とうとう1000人を超えたと思ったら、

あっと言う間に2000人超。

そして2度目の首都圏緊急事態宣言。

 

これはイギリスで発見された変異型が侵入したせいなのか、

詳しいことは分からないが、

ちょっと今までとは違う空気を感じる。

倍々で増えていく可能性もある。

これから冬真っ盛り。

大騒ぎするのはよくないけど、楽観視もできなさそうだ。

 

政策を批判する声も大きいけど、

僕は日本はそれなりに頑張っていると思う。

拙いところ・何やってるんだと腹立たしいところも

多々あるけど、

命も経済も守りたい、という気持ちは伝わる。

 

医療がこれだけひっ迫してしまっているのも、

できる限り、多くの人を助けようとしている結果、

こうなっているのではないか。

 

僕たちは全員が平等に医療を受けられるのは

当たり前だと思っているけど、

世界基準はそうではないと思う。

 

アメリカをはじめ、インドでもブラジルでもヨーロッパ各国でも

日本と比較にならないほど死亡者が出ている。

 

これらの国でコロナ患者が日本のようにちゃんと

治療を受けられているかといえば、そうではない。

アメリカでは貧乏人は病院なんかに入院できない。

 

中国は抑え込んでうまくやっているように見える。

ただ、あれは中国政府が感染予防の大義名分で、

徹底した管理体制を強めているからではないか。

「管理されようが何だろうが、ないより命が大事」とするなら

中国みたいな道も取れるかもしれないが、

あなたはそれを日本の政府に望むのだろうか?

 

もちろん医局の問題とか、日本にも医療の闇の部分は大きい。

しかし、その点を差し引いても、

国民皆保険制度という建前がある限り、

日本の医療は、治してほしいと訴える人を放置はしないし、

できない。

 

外国の例だけでなく、

日本全国を襲った100年前のスペイン風邪だって、

多くの患者は放置されてそのまま。

助かる・助からないは、ほとんど運次第だった。

 

べつに政府や知事の弁護も味方もするつもりはないけど、

僕たちは豊かで恵まれているということを踏まえて、

モノを言ったり、行動した方がいいと思う。

 

政府や知事に批判・意見をぶつけるのは結構だけど、

ダダをこねているだけでは状況はまったく好転しない。

 

自然災害と同じなのだから、ある面、諦めも必要である。

この冬をどう乗り切るか、どうすれば心身の健康を保てるか、

自分自身で考えなくては。

 

1月11日(月) 発売予定

AmazonKindle電子書籍・おりべまことエッセイ集

「ポップミュージックをこよなく愛した

僕らの時代の妄想力」

ビートルズをきっかけにロックが劇的に進化し、ポップミュージックが世界を覆った時代.

僕たちのイマジネーションは 音楽からどれだけの影響を受け、どんな変態を遂げたのか。

心の財産となったあの時代の夢と歌を考察する、おりべまことの音楽エッセイ集。

ブログ「DAIHON屋のネタ帳」より33編を厳選・リライト。

 

●八王子・冨士森公園のスローバラード駐車場で、ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力について考える

●アーティストたちの前に扉が開いていた

●21世紀のビートルズ伝説

●藤圭子と宇多田ヒカルの歌う力の遺伝子について

●ヘイ・ジュード:ジョンとポールの別れの歌 ほか

 


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2012年のビートルズ伝説

 

 「ビートルズがお好きなんですね?」 
 先日、初めてお会いした方から、このブログについてそう言われた。 
 そういわれてみれば何度もビートルズについて書いているなと、自分で気が付いた。 
 そして、なぜビートルズが好きなんだろう・・・というか、正確には、なぜ気になるんだろう?と考えてみた。 
  
 僕はいわゆるビートルズ世代ではない。中学生になってロックを聴き始めた時には、とっくに解散していた。 
 しかし、その人気は依然として続いており、僕も名古屋の汚い映画館でビートルズ映画3本立て(「ヤァヤァヤァ!」「HELP!」「レット・イット・ビー」)も見ていた。前2本とレット・イット・ビーとのギャップに愕然としたことをよく憶えている。 


 ただ、その頃はビートルズは好きではなかった。

 なぜかと言うと近所に住んでいた兄ちゃんから「中学生になったらロックを聴け!」と、半ば強制的に聴かされたのが、Deep PurpleだのGrand Funk Railroadなどのハードロックばかりだったのだ。 
 最初は「うるせー!」と思ったが、すぐに慣れ、夢中になった。

 のちにELPだのKing Crimsonだののプログレ系に感化され、そんなやたらとんがったのばかり聴いていたので、ビートルズははっきり言って、タルかったのである。 

 そんなビートルズだが、齢を取るごとにそのすごさがリアライズされた。 
 その楽曲のバラエティの豊かさ! 
 メロディーラインの美しさ! 
 これだけ世界中で数十年にもわたって聴き倒されているのに、色あせるどころか、歌われれば歌われるほど、聴かれれば聴かれるほど磨かれ、輝きが増していく。 


 そして、同じ曲でも真剣に耳を傾け、人生を自問自答するように聴くこともできれば、BGMとして気軽に楽しむことも出来る。 
 こんな聴き方が出来る音楽はビートルズをおいて他にないだろう。 

 

 

 けれども僕がビートルズを好きなのは、そういった音楽の部分だけではない。 


 ビートルズには巨大な「物語」がある。 
 反抗的な高校生達の青春。
 それがわずか数年の間に頂点をきわめるサクセスストーリー。
 そこから起こるプレッシャーやストレスとの戦い。
 アイドルとしての演劇的パフォーマンス。
 音楽を愛するがゆえの創造的格闘。
 友情の亀裂、家庭の崩壊、愛と平和、結婚と離婚、子ども、ビジネス、金、死・・・・・
 


 喜劇的なもの、悲劇的なもの、すべて含め、およそ現代を生きる先進国の人間なら、誰もが一度は夢想する物語がすべて、ビートルズのドキュメントの中に詰まっているのだ。 


 好む好まざるに関わらず、1960年以降に大人の世界に足を踏み入れた人間の多くは、どこかでビートルズの影響を受けているだろう。その物語の巨大さは21世紀も12年目を迎えた今も膨らむばかりだ。 

 この正月にジョン・レノンの最初の妻であるシンシアの手記「ジョン・レノンを愛して」を読んだ。とても心動かさせること、また、知らなかった事実も書かれているので、また今度紹介したいと思う。 
 ビートルズの音楽と物語に耳を傾ければ、僕たちはまだまだこの世界の奥深いところまでいけるのではないかと思うのだ。 

 

 

2012.01.18( Wed


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立ちション教育

 

 お正月も明けて落ち着くと、ぼちぼち世間ではランドセルや学用品などの広告が目に付くようになる。うちの小僧君も高校入試だが、子どもを持つ家庭では、これから春になるまで入試・卒業卒園・入学進級のサイクルに突入するのだ。 
  
 で、先日、近隣のとある幼稚園が「男の子を持つお母さん方」に人気だという話を聞いた。どういうことかと聞いてみると、その幼稚園には男性の先生が数人いて、男の子のいい遊び相手になてくれるというのだ。 
 キャッチフレーズは「立ちションも教えます」。 

 広告文句としてはユーモアもあってなかなかふるっているが「え!?」と思ったのも事実。 
 「それって、お父さんのやるべきことじゃないの?」 
 お母さん方も、そうは思わないですか? 

 立ちションのしかたまで、幼稚園とか学校にお世話になる必要があるのか? 
 そしたら、男の子を持つお父さんは息子にいったい何を教えるというのか? 
 勉強? 仕事? スポーツ? 


 家事や育児に参加するお父さんは増えているようだが、それでも「おっぱいとオムツの取替えだけは妻まかせ」という人はまだ多いと聞く。
 おっぱいだけいはどうしようもないが、オムツだの立ちションだの、いわゆる「下半身の営み」は、人間の生きる根本に関わることだ。 
 その根本部分の面倒を見たり、感情を共有したりすることって、何よりも子育てにおいて何よりも重要なことなのではないか、と思う。

 いくらサッカーや野球が上手く、勉強や仕事が教えられるリッパなお父さんでも (もちろん、これらが教えられればカッコイイけど、より上手いおじさん・お兄さんや、プロのコーチがもいっぱいいる) 人間同士が繋がるための本質的な部分を素通りしていたら、本当の父子の絆というのは育まれないのではないだろうか?  それなくして「親子のコミュニケーション云々」と言ったって、うわべだけの、それこそきれいごとに過ぎないのではないだろうか。
 
 幼稚園児の息子を持つお父さん、オムツを素通りしてきてもまだ遅くない。

  一緒に立ちション・ツレションしよう。

 これぞ男同士の付き合いの基本。

 子どもの心の奥深くにお父さんのやさしさ・あったかさ・頼もしさがオシッコのようにじんわり染み渡ります。

 

 

 

2012・1・14 SAT


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