大島レトロ商店街の「なかたん」と「ちびまる子ちゃん」

 

「新プロジェクトを発動するから来て!」

と呼ばれて、江東区の大島へ。

昨年から月1ペースで通っているデイサービス&整体院だ。

亀戸と大島の間ぐらいのロケーションなので、

都営新宿線 大島駅からは10分くらい歩く。

 

通るのは中の橋商店街という

昭和レトロな雰囲気が漂う1km近い下町商店街。

この周辺には大きなスーパーがなく、

個人商店が立ち並ぶ聖域みたいになっている。

 

今年になって初めて行ったが、

新たに「なかたん」という

お買い物の女の子キャラクターが登場。

けっこうかわいくて好きだ。

 

地元の人御用達で、

観光客が集まるようなところではないが、

下町情緒があてほのぼのするので、

近くに来るようなことがあったら覗いてみて下さい。

 

「なかたん」を見ていたら、

なぜか「ちびまる子ちゃん」を思い出した。

中の橋商店街は、まる子のマンガに出てくる

清水の商店街にちょっと似ているのだ。

きっとこのあたりで生まれ育った子どもの目には、

とてつもなく長大な商店街に、

そしてふるさとのような風景に見えるだろう。

 

先週、まる子役のTARAKOさんが亡くなってしまったが、

みんな大好き昭和40年代の夢をなくすわけにはいかず、

アニメはまだまだ存続する模様だ。

けれども後を継ぐまる子役の声優さんは

大変な覚悟が必要。

誰がなってもネットで悪口を書くのはやめようね。

 

 

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認知症患者の純粋な「かわいい」の価値

 

認知症になったらもう社会の役に立たない。

そう思っている人は少なくないだろう。

中には仕事をしている人もいるようだが、

よほど長年の付き合いがある懇意の間柄か、

もしくは条件付きでなければ頼めない。

 

うちの義母は働くのが好きで、

気が乗っていると積極的に家事をやりたがるが、

正直、ありがた迷惑なことが多い。

社会の役に立つか?と問われれば、

常識の範疇では「NO」と言わざるを得ない。

しかし、彼女には彼女にしかない存在価値がある。

 

いつも散歩に行く公園・遊歩道は、

今日のような晴れて暖かい日曜日は

家族連れが大勢来ている。

 

彼女は小さい子供を見ると、のべつまくなしに

「かわいい」とか「いい子ちゃん」とか言ってほめ、

興が乗るとベタベタ触ろうとする。

 

コロナの時はヒヤヒヤしていたが、

自分の子を手放しでほめられて

親は悪い気がするはずがない。

ほとんどが受け入れてくれて

「ありがとうございます」と返す。

 

少し時間をかけてやり取りすると、

明らかにおかしな人だとわかるが、

ちょっとだけなら天真爛漫な気のいい

近所の普通のばあさんという印象になるようだ。

 

子どもも元気に笑顔で挨拶を返す子よりも

照れてモゾモゾしちゃう子のほうが多い。

もしかしたら内心怖がっている子もいるかもしれないが、

特に問題になったことは今までない。

 

だから言ってみれば、義母は出会う親子らを

ささやかながら幸福にしているのである。

 

一度、アトピーの赤ちゃんを抱いた

お母さんに会ったときがあり、

その時はちょっと驚いた。

 

義母は顔が赤くなってしまっているその赤ちゃんを見るや、

「わあ、かわいい」と、ぐいっとのぞき込み、

二言三言、あやすようなことを言って、

お母さんに「本当にかわいい子ですね」と言ったのである。

 

よほどうれしかったらしく、

お母さんは思わず泣いてお礼を言っていた。

おそらく義母のように純粋に「かわいい」と

言ってくれる人は周囲にいないのだろう。

 

普通なら口ではそう言っても、

内心では「かわいそう」とか

「お気の毒に」と思っている人がほとんど。

母親はそういう負の感情は鋭く読みとれるものだ。

 

しかし義母は何の屈託もなく、

心の底から「かわいい」と言っている。

それが伝わったので泣いたのだろう。

ささいなこと、一瞬のことだが、

あのお母さんは幸福な思いを抱き、

子育てをする勇気と元気を得られただろう。

 

考えてみたらすごいことだ。

普通の人ではなかなか真似できない。

少なくとも僕にはできない。

 

通常の社会人として何もできず生産性ゼロだとしても、

やっかいでめんどくさくて世話が焼けても、

義母は目に見えない部分で社会に役立っている。

たとえそれが仕事と呼べないものにせよ、

多くの人に幸福感を与えられることは、

大きな社会的価値と言ってもいいのではないだろうか。

 

今が何月なのか、春夏秋冬どの季節なのか、

さっぱり認知していない義母だが、

動物と同じく体感で季節が変ったことはわかるらしい。

どんどん外に出たがるので、

散歩のおともに費やす時間がまた増えそうだ。

 

 

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春休み、夏休み、冬休み。

子どもは長い休みに成長する。

宿題のない春休みは勉強なんか忘れて、

いっぱい遊んだり本を読んだりしよう。

 

というわけで、

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どうぞお楽しみに!

 


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週末の懐メロ178:ラミア/ジェネシス

 

蛇身の魔女ラミアの伝説は、

ギリシャ神話にルーツを持つらしい。

上半身が美女、下半身が蛇の吸血鬼というのは、

エロチック感MAXで、

想像しただけでクラクラしてしまう。

 

その蛇魔女の誘惑について歌った「ラミア」は、

「サパーズ・レディ」「怪奇のオルゴール」などと並んで

ジェネシスのレパートリーの中でも人気抜群の曲だ。

 

それだけでなく、プログレッシブロック全般、

ポップミュージック、ロックミュージックの歴史の中でも

飛び抜けてユニークでイマジネイティブ。

こんな音楽を創れたのは、

70年代前半のピーターガブリエル在籍時の

ジェネシスだけである。

 

僕にとってこの曲は10代・20代の頃の思い出とともに、

とても懐かしく響くのだが、

若い世代も男女問わず

ラミアの虜になってしまう人が続出するようで、

YouTubeでもやたらとカバーが多い。

 

1974年リリースの2枚組アルバム

「幻惑のブロードウェイ」の挿入歌だが、

このアルバムは、ニューヨークに暮らす移民の少年が

ブロードウェイの路上に

子羊が横たわっている情景に出くわし、

それを追いかけて地下の迷宮に迷い込むという

「不思議の国のアリス」みたいなストーリーを

構成したもの。

全23曲・約90分にわたって

ジェネシス流のロックオペラが展開する。

 

それまでの3枚の傑作アルバム「怪奇骨董音楽箱」

「フォックストロット」「月影の騎士」で、

音楽による怪奇メルヘン、

ダークファンタジーを綴ってきたジェネシスの、

いわば集大成とも言える作品だ。

 

ストーリーはよくある夢オチだが、

一つ一つの楽曲の完成度、演奏表現の素晴らしさは圧倒的。

特に変幻自在なピーター・ガブリエルのヴォーカルは、

この時代のジェネシスミュージックの核をなしていた。

「ラミア」では水の中で絡みつく蛇身の魔女のイメージ、

耽美的な悪夢のイメージを繊細に歌っている。

 

ガブリエルはこのアルバムのツアー後、ジェネシスを脱退。

彼を失ったバンドは解散するのかと思いきや、

ドラムを叩いていたフィル・コリンズががんばって再生。

そしてダークファンタジーから

ポップ路線に変更したのが成功し、

アメリカで大ブレイクした。

 

一方、ガブリエルもソロになって

ワールドミュージックを取り入れた

独自の音楽世界を構築し、大きな成功を納めた。

昨年、73歳にして出したニューアルバム「I/O」は、

なんと全英売上1位を獲得している。

 

彼らの後年の音楽シーンでの出世を考えると、

50年前、若きガブリエルのヴォーカルを中心に織り上げた

ダークでプログレッシブなジェネスの音楽は、

まさしく彼らにとっての「創世記」だった。

そして、それは輝かしい成功とはまた別の、

不滅の価値がリスペクトされ、聴き歌い継がれている。

 

女性ヴォーカルの「ラミア」もまたいい!

 


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人生は思ったよりもずっと短い

 

先日、ある年上の知人と会ってがく然とした。

前に会って半年も経っていないのに

ずいぶん老け込んでしまったと感じた。

もう70を超えて高齢者の域に入っているので

けっして不思議ではないが、それにしても・・・。

 

病気になったとか、怪我をしたわけでもない。

話を聴く限り、何かショッキングな出来事や

センセーショナルな出来事があったわけでもなさそうだ。

でも目が死んでいて覇気がない。

何か自分の人生を放棄してしまったような感じを受ける。

 

彼は若い頃、けっこう自信家で常識を疑い、

人間と社会に対する鋭い批評眼を持っていたので

内心、一目置いていた。

そしていずれ中年になる頃には

何かデカいことをやるだろうと思っていた。

ところがさにあらず、

人生は思うようにいかなかったようだ。

プライドが高く、自己主張が強いことも裏目に出た。

独身であり続け、

ここに至るまで自分の家族を持たなかったことも

不運だった気がする。

 

彼のことを批判的には考えたくない。

昔はむしろ、ちょっとアアウトローっぽい

個性的な生き方がカッコいいと思っていたくらいだ。

 

けれどもいつの間にかダメになったのは、

世の中を批評的に見過ぎて、

自分がやりたいことをまじめに考え、

それに向けて何も行動していなかったことだ。

 

いつかはそういうチャンスが

巡って来るだろうと思っていて、

若くて元気な時代、体力がある時代を

その時々の欲望や生活のための仕事で

消耗してしまい、何も育んでこなかった。

悲しいことだが、今となってはその時間は取り戻せない。

 

こういうことは誰にも起こる。

会社員でもフリーランスでも関係ない。

うかうかしていると時間はすぐに過ぎ去る。

人生100年時代になったが、

それでも自分が何者であるか知り、

自分の中に埋蔵しているものを掘り出すには、

人生はあまりに短い。

 

今日いっぱいやりたいことがあったのに、

いろんな雑用が入ってきたり、

突然、頼まれごとをしたり、

家族の面倒を見なきゃならなかったりで、

それらをこなしているうちに夜中になって、

なにもできずじまいだった――というのと同じだ。

 

若い人は心して聴いてほしい。

40歳を過ぎたら、

その後の10年、20年はあっという間に過ぎ去る。

そうならないようにするには

30代までのいろいろな経験を活かし、

後年のエネルギーに変えていくといった工夫がいる。

 

「老後の蓄え」というのはカネだけの話ではない。

いや、むしろカネを蓄えるのに人生を消耗して、

カラッポになってしまう人の方が

もっとヤバいのではないかと思う。

 

若くて元気なうち、体力があるうちに

いろんな冒険をし、心を解放する。

そして自分が本当は何をやりたいのか、

自分の人生にとって大切なものは何なのか考えながら、

それに向かって少しずつでも行動していく。

そうすると違った世界が開けてくると思う。

 


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