中年期以降の同窓会幹事の心のゆらぎ

 

 4月の同窓会まで1ヶ月を切り、ほぼ連絡が行きわたったようなので、手伝ってくれてる二人にメールを送って情報をとりまとめる。

 直前まで出欠変更は可能だけど、とりあえず人数を店に知らせておく必要があるので。

 

 この仕事、20代の頃は単なる飲み会の連絡係・会計係に過ぎなかったのだが、齢を経ると様相が変わる。

 

 飛び級で早々に人生を卒業してしまったのも二人ほどいる。

 

 それぞれの生活環境などわからないし、家族のこと・仕事のこと・お金のこと・健康のこと、ぞれいろいろ問題抱えているだろうし、長く生きているといろんなことが起こる。

 

 40年前と寸分たがわぬキャラ丸出しのメールが来て笑っちゃうこともあれば、できれば聞きたくなかったこと(相手も話したくなかったこと)を聞くことにもなる。

 

 名簿を見ながら、だれだれ出席、だれだれ欠席と、漢字4~5文字の本名を書いていると、これ誰だっけ?と認識できなくなるケースもチラホラ出てくる。

 特に女子は名字が変わっていることが多いので、なおのこと。

 

 そこでそれぞれ当時の愛称・通称・あだ名などで書き換えてみると、たちまち顔が思い浮かび、声が聞こえてきて、キャラクターが立ち上がる。

 身振り。口振り・服装・背景・いろんなシチュエーションまで再現できたりする。

 

 そうやって名前を書き出すと、今回は欠席でも次回また声を掛けようという気になる。

 

 でも連絡先がわからない・つながらないのもいる。

 また、もう連絡なんかいらないと思っているのもいるだろう。

 しかたないことだけど、幹事なんかやっていると、ここまできちゃうと、そういう人たちとはもう完全に切れちゃうだろうなと思う。

 切っちゃう権限が自分にあるのかなとも考える。

 

 もしかしたら以前は同窓会なんてどうでもいいと思っていたけど、今になってみると行ってみたいな、連絡があればなぁ、声掛からないかなぁ・・・と待っていることだってあるかも知れない。

 

 「あいつがお願いって声掛けてきたから、しかたないので来てやったよ」

 ――今ならそういうやつがいてもOKと笑えるだろうなぁ。

 

 こんなよけいなこと考えずに、クールに事務的にさっさと進めればいいのに、なんかいろいろ引っ掛かっちゃうんだよなぁ。

 


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テープ起こしの日々

 

 取材が続いたので、今週はテープ起こしと原稿書きの日々。

 きょうは先日の里山農業プロジェクトの野田君の音声を起こしました。

 録音を聞いてみて、やっと彼のヴィジョンが理解できる。

 思った以上に深く、広がりがある。

 これを一旦メモ帳に書き記して、その後、あっちこっち編集したのにプラス、合間合間に自分の文章を書き入れていく、というのが取材をした記事のオーソドックス(僕にとっては、ということだけど)な書き方です。

 

 テープ起こし(機器はICレコーダーですが)は面倒な作業で時間もかかるし、重労働ですが、手ごわい内容は、これをやらないとどうにも頭にすんなり入ってきません。

 テープ起こしをアウトソーシングすればラクに早くできるのだろうけど、そんな経済的余裕などないし、それにそう横着しちゃうと、なんだか寂しい気持ちになる。

 頭の回転が鈍いので、何度も反芻しないとよくわからないんだよね。

 この後もまだいろいろ溜っているので、どんどんやらねば。

 間もなく3月も終わり。

 こうしているとあっという間にゴールデンウィークになってしまいそうです。

 


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鎌倉新書と新連載企画の話

 

 月に一度、鎌倉新書の打ち合わせで日本橋・八重洲方面に出向きます。

 鎌倉新書というのは葬儀供養業界のWebや雑誌を作っている会社。

 以前は仏教書を出版していたのですが、現会長が社長になった20年ほど前から、機械化とかITテクノロジーとか、非人間的なイメージを嫌うこの業界において、いち早くインターネットでの情報発信にシフトしました。

 

 「いい葬儀」という、消費者と葬儀社とを仲介するポータルサイトを開設したところ、業界内では当初、白い目で見られ、あの会社は代替わりしてダメになったと言われたらしいのですが、そこは時代の趨勢であれよあれよという間に市場に浸透。

 

 特に僕が本格的に関わり出した2年半ほど前から株はうなぎのぼりで、一昨年末にこの八重洲の一等地に引っ越したと思ったら、それから1年も経たないうちに東証一部上場を果たしました。

 

 とは言え、利益分はいろいろ始めた新事業のほうに回っているようで、外部ライターである僕のギャラが上がるわけではありません。

 

 正直、割に合わんなーと思うことが多いのですが、興味のある分野だし、ある意味、高齢化・多死化代社会に関する最先端情報(テクノロジーなどではなく、社会心理的流れとしての情報)にも触れられるので、引き続き、業界誌の月刊仏事で記事を書き、時々Webの方もやっています。

 

 その月刊仏事から新しい連載企画をやりたいけど何かない?と言われたので、以前、このブログで書き散らしたネタを思い出し、「世界の葬儀供養・終活・高齢者福祉」なんてどうですか?と提案したら、じゃあぜひ、とあっさり通って取り組むことに。

 

 国内の出張費も出ないのに「海外出張費出ますか?」なんて聞くこともできず、ネット頼りの仕事になるのは必至。

 でもイラストを描いてくれる人もいるらしいので、伝統文化と最新事情をごった煮にして分析を交えた読物風の話にしようと思っています。

 ごく個人的なことでもいいので、情報あったらお知らせくださいな。

 


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野生の本能の逆流に葛藤する都会暮らしのネコ

 

 散歩がてらサクラを見に近所の大宮八幡宮に行くとネコ発見。

 例によってナンパを試みたが、例によってシカトされた。

 

 彼女には事情があった。

 上の方でガサゴソ音がするので見ると、キジバトがいる。

 落ち葉の中をつついて虫をほじくり出して食べているらしい。

 ネコは野生の本能が刺激され、ねらっているのか?

 でも、その割にはハトに対して集中力が欠けている。

 自分の中でウズウズモゾモゾ本能がうずくのを気持ち悪がっているように見える。

 

 サクラ色の首輪をつけているので、どこかの飼いネコだろう。

 家に帰ればいつもの安全安心、おいしく食べやすく栄養バランスもとれてるキャットフードが待っている。

 なのになんで鳥なんか狩らなきゃならんのか、

 だいいち、あたしが口の周りを血だらけにして鳥やらネズミやら持って来たら、飼い主さんが卒倒しちゃう。

 でも狩ったら脳からアドレナリンがドバっと出て気持ちよくなりそうだ。

 ああ、でも、そんなのダメダメ・・・と、ひどく葛藤しているように見える。

 

 飼いネコでも本能のままに生きているやつもいれば、鶏のササミや魚の切り身をあげても見向きもしないやつもいる。

 イヌもそうだけど、多くの飼い主はペットに一生自分のかわいい子供であってほしいと願う。

 人間じゃないんだから、大人になんかなってほしくない。

 恋もしてほしくないから去勢や避妊手術を施す。

 生物学的なことはよくわからないけど、そうするとホルモンもあまり分泌しなくなるだろうから、ペット動物は「子供化」して野生の本能は眠ったままになるのだろう。

 

 一生人のそばにいて、一生キャットフードを食べて、一生本能なんぞに煩わされることなく、平和に暮らせるのがサイコーだと思っているネコもいるはずだ。

 人間と一緒に都市生活をしていくにはそのほうが幸せなんだろう。

 

 けれどもイヌと違って、ネコは本能に目覚めても人間に危害を及ぼす可能性は限りなく低い。なので「最も身近な野生」を感じさせてほしいという、人間の勝手な期待を背負わされた存在でもある。

 

 おそらくネズミや鳥を狩ってくる飼いネコは、飼い主のそうした潜在的な希望を感じとって、本能のうずきに素直に従うのだ。

 ただ、そうじゃない彼女のようなネコもいて、せっかくのんびり暮らせているのに、野生時代の先祖の血の逆流に悩まされることもあるんじゃないかと思う。

 

 こんど道端で会ったネコに、そこんとこつっこんでインタビューしてみようと思うけど、答えてくれるかニャ~。

 


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東京唯一のブランド和牛・秋川牛と、むかしみらいTOKYO

 

 連荘で農業取材。

 26日(月)は秋川渓谷と美しい山並みが望めるあきる野市に出向き、秋川牛とご対面。出荷前・生後30ヵ月の黒毛和牛の体重は800キロ。でかっ。

 

 東京で唯一の肉牛生産牧場・竹内牧場では約200頭の秋川牛を飼育しています。

 このあたりは、日本各地の有名なブランド牛の産地に負けず劣らず、水も空気もきれいで豊かな環境なので、牛をはじめ、豚・鶏などを育てるには持ってこいとのこと。

 

 秋川牛は希少価値のある高価なお肉ですが、都内のホテル・レストラン・料理店なので口にするチャンスがあるかも。

 

 一方、武蔵五日市駅にほど近い松村精肉店は、地元で生産されるこの秋川牛の認知度を上げたいと、手軽に味わえる加工品としてレトルトカレーなど製作しています。

 オリンピックもあることだし、東京の名産品をアピールしていこうとブランド力UPに奮闘中です。

 

 昨日ご紹介した磯沼牧場+多摩八王子江戸東京野菜研究会でも聞きましたが、これら多摩・八王子地域の環境はこの20年ほどで劇的に改善され、川には清流が戻り、アユなども戻ってきているとか。

 

 今や都心で働く人たちのベッドタウンというイメージから脱却し、豊かな自然が楽しめ、農業も盛んな地域としてのイメージが高まっています。

 

 いつまでも「東京は緑が少ないから云々」なんて、手垢のつきまくったステレオタイプのセリフをほざいていると時代に取り残されますよ。

 

 テクノロジーとパラレルで進行する昔ながらの環境とライフスタイルへの回帰。

 「むかしみらい東京」がもう始まっているのかも知れません。

 


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楽しさ・学び・癒し満載の八王子・磯沼牧場

 

 東京にこんな素晴らしい牧場があったのか!

 噂には聞いていたけど、なかなかタイミングが合わずに来そびれていた磯沼牧場(磯沼ミルクファーム)に25日・日曜日、初めて来場。

 

 多摩八王子江戸東京野菜研究会とのコラボイベントで、牧場特製のチーズとベーコン、ソーセージ、野菜てんこ盛りのピッツァ作りです。

 

 牧場主・磯沼さん手づくりの溶岩石窯で焼いたピッツァはおいしくてボリューム満点。

 

 ランチの後は乳しぼり体験、牧場ツアー(放牧場もある)、磯沼さん×福島さん(多摩八王子江戸東京野菜研究会代表)の都市農業トークと続き、あえて取材の必要なしというところまで堪能しました。

 

 場所は京王線・山田駅から徒歩10分弱。

 新宿から1時間足らずで来れるし、横浜からも近い。

 わざわざ北海道などへ行かなくても、たっぷり牧場体験ができます。

 それも観光牧場でなく、リアルな生活と結びついている生産牧場で。

 

 環境問題、動物福祉問題への取り組みなど、牧場経営のコンセプトを通じて、さりげにいろいろ勉強でき、新しいライフスタイル、これからの哲学を考えるきっかけにもなると思います。

 

 乳しぼりをはじめ、毎週のように何らかのイベントが開かれ、牛さんをはじめ動物たちに触れあえます。

 いつでもオープンなので、ぶらっと覗きに来るだけでもいい。

 

 子供たちには超おすすめ。お年寄りにも楽しい。

 ちょっと凹んでいる人、メンタルを病んでいる人も心のケアができるのではないかな。

 直売所もあって、おいしいアイスクリームやプリンやヨーグルトも食べられますよ。

 興味のある人はホームページやフェイスブックもあるので検索してみてください。

 


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ぼくらはにおいでできている(チワワのハナちゃんに教えてもらったこと)

 

 下の妹が飼っているチワワのハナちゃんとは、たぶん2年ぶりくらいのご対面。

 前に会ったのはチビ犬の頃だったけど、ちょっとの間、くんくん嗅ぎ回って「あ、知ってる知ってる」と思ったのか、尻尾をフリフリしてくれた。

 抱き上げても安心安心。僕のにおいを憶えていてくれてありがとう。

 

 人間の子どももいろいろ情報を詰め込まれる前は嗅覚がするどい。

 一度嗅いだにおいは絶対忘れない。

 自分自身のことを考えてみると、視覚や聴覚では憶えていなくても、においというか空気感で憶えていることがいっぱいある。

 親はもちろんだけど、周りにいる大人たちはそれぞれ独特のにおいを持っていたような気がする。

 

 におうと言うと何だか臭くて嫌われそうな気がするが、完全ににおいを消し去ると、その人は透明人間になって、見えていても誰にも気づかない存在になる。

 忍者やスパイになるならいいかも知れない。

 

 大人になると鼻が利かなくなって、というか、においを感じる脳の部分が鈍くなって、刺激の強いものしかキャッチできなくなるようだ。

 なので少しは意識してにおいを嗅ぐ練習をしたほうがいいのかもしれない。

 

 基本はやっぱり食事。

 テレビやスマホを見ながらめしを食わないこと。

 

 そして手料理を楽しむこと。

 最近はそんなものより出来合いの料理の方がよっぽどうまいと言う人も多いけど、手料理にはその家・その人独自のにおい・風味がついている。

 それを知っているのと知らないのとでは随分ちがうんじゃないかな。

 

 自分が自分である基礎とか土台みたいなものは、そういう些細な目に見えないもので出来ているのではないかと思う。

 そうだよね、ハナちゃん。

 


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かわいい叔母さん

 

 父も母も昭和ヒトケタ生まれ。貧乏人の子沢山でそれぞれ8人兄弟だ。

 ぼくが生まれる前に死んでしまった人を除き、そのきょうだい、および、その伴侶の全部はしっかり顔や言動を憶えている。

 僕が子供の頃は行き来が盛んだったので、みんなインプットしている。

 

 しかし、9年前に父が亡くなったのをきっかけに、毎年バタバタと後を追うように亡くなり、大半がいなくなった。

 今年もまたひとり、先日、ヨリコ叔母さんが亡くなったと聞いた。

 

 母方は女系家族で8人のうち、7番目までが女で末っ子だけが男。

 ヨリコ叔母さんは7番目。つまり7姉妹のいちばん下の妹だ。

 

 幼稚園の時だったと思うが、結婚式に出た記憶がある。

 きれいなお嫁さんで、チビだったぼくを可愛がってくれた。

 そのチビの目から見ても、なんだかとてもかわいい人だった。

 

 6人も姉がいて、4番目の母(母は双子の妹)とさえ12歳違う。

 いちばん上のお姉さんとは16歳以上違うはずだ。

 なのでほとんどは姉というよりチーママみたいなものだ。

 母もよく子守をしたというし、日替わりでみんなが面倒を見てくれていたようだ。

 

 母の家はお父さん(僕の母方の祖父)が早く亡くなったので、女が協力して貧乏暮らしからぬけ出そうとがんばってきた。

 でもヨリコ叔母さんは小さかったので、そうした苦労が身に沁みず、物心ついたのは、お母さんやお姉さんたちのがんばりのおかげで暮らし向きも上がってきた頃だった。

 そうした中で一家のアイドルとして可愛がられて育った。

 

 そうした成育歴はくっきり刻まれ、そのせいで彼女は、ほかの姉妹らの下町の母ちゃん風の雰囲気とは違う、お嬢さん風の雰囲気を持っていた。

 だから、おとなになってもどことなくかわいいし、ちょっと天然も入っていた。

 

 最後に会ったのは父の葬儀の時。

 さすがに外見はそろそろばあちゃんっぽくなっていたが、中身はほとんど変わっておらず、ぼくをつかまえて

 「せいちゃん、大きくなったねー」と言った。

 

 50間近の男に向かって大きくなったねーはないもんだけど、そう笑顔で屈託なく声を掛けられるとすごく和んでしまった。

 その時の会話が最後の印象として残ることになった。

 

 叔母とはいえ、中学生以降はめったに会うこともなかったので、彼女がどんな人生を送っていたのはわからない。

 

 もちろん少しは苦労もあったと思うけど、べつだんお金持ちではないにせよ旦那さんは真面目で優しくユーモアもある人だったし、特に悪い話も聞かなかった。

 嬉しそうに小さい孫娘の面倒を見ていたのも印象的だった。

 

 たぶん美化しているし、これは僕の勝手な想像であり願いだけど、おそらくそれなりに幸せに過ごしてきたのだろう。

 

 不幸な目に遭ったり、理不尽な苦労を強いられたり、他人にあくどく利用されたり、自分の欲に振り回されたり・・・

 人生の中のそんな巡りあわせで、人間は簡単に歪んでしまう。

 

 でも、できるだけそうしたものに心を損なわれないで、ヨリコ叔母さんのようにかわいい人にはいくつになっても、ずっと素直にかわいくいてほしいなぁと願ってやまない。

 


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里山を事業化するナチュラルボーン・サトヤマー

 

 今回の名古屋(愛知)ツアーでは、里山の概念を農業と組み合わせ、インターネットを利用して事業化するプロジェクトを掲げる人を取材しました。

 

 彼は2002年生まれ。16歳の高校生。

 田園地帯で植物や昆虫に親しみ、かたやインターネットに親しみながら育った彼は、資本主義発展拡大病の時代に育ったぼくたちの世代とはまったく違うセンスを生まれながらに持っているようです。

 

 「里山」という概念が今、世の中に浸透しつつあります。

 里山はごく簡単に言うと、自然環境と人間の生活圏の交流地帯。そのベストバランスを保つ、あるいは破壊したものを再生するという考え方を表現する言葉でもあります。

 

 人間が生活できなくてはならないので、当然そこには経済活動も含まれるし、伝統工芸・伝統芸能といった文化芸術や民俗学系の学問も含まれるのではないかと思います。

 「人間が手を入れた自然」と言い換えることもできるでしょう。

 

 また、それらを包括する懐かしいとか、愛おしいとかいった心象風景もその概念の中に入ってくるでしょう。

 人間のあり方・生き方を問い直す哲学も含まれているのかも知れません。

 

 日本独自のものかと思っていたら、他国にも通用し、国際的にも理解が進んでいる概念で、よく言われる「持続可能」な社会にSATOYAMAは不可欠とされているようです。

 

 そういう意味では、過去200年、世界を席巻し、地球を支配してきた工業化・資本主義化の流れに対するカウンターとも言えます。

 

 高校生の彼には野外でのインタビューを考えていましたが、あいにくの雨のためはやむを得ず、岡崎市内の「コメダ珈琲店」で敢行。コーヒーと、コメダ名物「シロノワール」を食べながらの取材になりました。

 

 彼は子供のころから自由研究などを通じて里山について学び、中学生のころから戦略的にプロジェクト化を画策。近所の農家の人たちなどはもとより、自分で電話やメールで東大・京大などの教授・学者に頼み込み、取材に出かけたといいます。

 

 現在はいわばサークル的なノリで同級生やネット上の仲間が集まり、大人の支援者もいますが、まだ実務のできるスタッフがいない状況。

 コンセプトは決まっているので、まずネットを通じての「ブランド化」に力を注いでいきたいとのことでした。

 

 僕としてはこうしたことを本気で考え、事業化に取り組んでいる若僧がいるというだけで十分心を動かされました。

 

 彼のことは来月、「マイナビ農業」でUPしますが、興味のある方は「里山農業プロジェクト」で検索してみてください。

 


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名古屋コーチンをめぐる冒険:ふしぎ・まったり小牧編

 「こんなやわらきゃー、水っぽい鶏はいかんわ。むかしのかしわはまっと歯ごたえがあってうまかったでよー」

 

 こんな軟らかい、水っぽい鶏はダメだ。昔のかしわ(鶏肉)はもっと歯ごたえがあっておいしかった、という声を受けて、一時期、市場から消滅した名古屋コーチンが、日本を代表する地鶏として見事復活を果たした物語を探るべく、今回は「マイナビ農業」で名古屋取材を敢行しました。

 

 市内にある「名古屋コーチン協会」で話を聞いた後、名古屋コーチン発祥の地である小牧市へ。

 明治の初め、この地に養鶏場を開いた元士族の海部兄弟が、地元の鶏と、中国(当時、清)から輸入したコーチンという鶏を掛け合わせてできたのが名古屋コーチンです。

 

 「だもんだで、まっとそのことを宣伝せんといかんわ。日本が誇れる名物だでよう」

 

 ということで昨年(2017年)、名鉄・小牧駅前にはコケー!と、おしどり夫婦(?)の名古屋コーチンのモニュメントが立ったと聞き、駅について改札を出たところ、出口が左右に分かれている。
 どっちだろう? と迷ったとき、すぐ目の前で駅員さんが掲示板を直す作業をしているので、尋ねてみました。

 

 「あのー、名古屋コーチンの像はどっちの出口にあるんでしょうか?」

 

 駅員さん、けだるそうに振り向き、ぼくの顔を一瞥。さらに一呼吸おいて

 「左の階段を下りてって、右に曲がってずっとまっすぐ行ったところに市の出張所がありますで、そこで聞いてちょーだゃー。それはうちの管轄でないもんで」

 

 ?????

 駅前って聞いたけど、そんな分かりづらいところにあるのかなぁ・・・と思いつつ、左の階段を降りると、なんと、その目の前にコーチン像があるではないか。

 

 ?????

 まさかあの駅員さんはこれを知らなかったのだろうか?
 それとも上司に、責任問題が発生するから、鉄道のこと以外は聞かれても答えるなと言われていたのだろうか?
 それとも奥さんと何かあったとか家庭の悩みでも抱えているからなのか?
 あるいはたんに鶏が嫌いで、コーチンお話なんかのしたくなかったのか? 

 

 たくさんの疑問に駆られながらも、前に進まなくてはなりません。
 海部養鶏場(跡地)にはどういけばいいのか。
 ちょうど目の前に観光案内所があったので入ってみました。

 

 平日ということもあってお客は皆無。
 ぱっと見た目、アラサーぐらいの女の子がひとりで机に向かって、わりとのんびりした感じで書類の整理みたいなことをやっています。
 そいえば時刻はちょうどランチタイムでした。

 「あのー、海部養鶏場跡地に行きたいんです」
 「え、何です?」
 「海部養鶏場です。カイフ兄弟。名古屋コーチンの」
 「あ、ああ、ああ、名古屋コーチンのね」
 「たしか池ノ内というところなんですが・・。歩きじゃちょっと無理ですよね」
 「ええと。そうだと思います。ちょっとお待ちくださいねー」

 

 と、アラサーの女性はあちこち地図やらパンフやらをひっくり返し始めました。
 市の観光スポットの一つに加えられたらしいと聞いていたので、即座に答えが返ってくるものと想定していた僕は思わぬ展開にちょっとびっくり。


 その女の子は一人じゃだめだと思ったのか、奥に入っておじさんを引っ張り出してきて、ふたりでああだこうだと大騒ぎで調べ始めたのです。

 お昼の平和でゆったりとした時間を邪魔してしまったようで申し訳ないなと恐縮しつつ、実はなんか面白いなと思いつつ待っていたら、もう一人、お昼を早めに済ませて戻ってきたおにいちゃんが加わって3人で合同会議。

 

 それで出てきた結論が「タクシーで行ったら?」というもの。
 べつにタクシーを使うお金がないわけじゃないけど、アポがあるわけじゃなし、急いでいるわけじゃないし、第一ここまで大騒ぎしたのに、それなら最初からタクシーに乗ってるよ、バスとかないんですか? 地元の人といっしょにバスに乗ると楽しいいんですよと言うと、バスルートと時刻表を調べて、やっと案内が完了しました。

 

 この間、約20分。効率主義、生産性アップが叫ばれる世の中で、このまったり感はどうだ。急いでいたら頭にきてたかもしれないけど、旅というのはこうやって余裕を持って楽しむものだ、と改めて教えてもらった気がしました。


 考えさせられる不思議な駅員さんといい、まったりした観光案内所といい、皮肉でなく、おかげで楽しい旅になりました。小牧の皆さん、ありがとう。


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リバーズ・エッジ:トラウマになった漫画を映画で観る

 

●リバーズ・エッジ:トラウマになった漫画を映画で観る

 

 岡崎京子の漫画「リバーズ・エッジ」は僕のトラウマになっている。

 この漫画に出会った1990年代前半、僕はとっくに30を超えていた。

 心のコアの部分を防御するシールドもしっかり出来上がっていたのにも関わらず、ティーンエイジャーを描いたこの漫画は、シールドに穴をあけて肌に食い込んできた。

 

 先日書いた大友克洋の「AKIRA」が世紀末時代の象徴なら、「リバーズ・エッジ」は、その the Day Afte rの象徴だ。

 

 リバーズ・エッジ(川の淵)は流れの淀みであり、尋常ではない閉塞感・荒涼感・空虚感に包まれた繁栄の廃墟だった。

 

 子供たちの残酷で不気味で鬱々としたストーリーと、ポップでシンプルな絵柄との組み合わせが劇的な効果を生み出し、ページをめくるごとにますます深くめり込んでくる。

 

 自分自身は仕事も順調で結婚もした頃。

 こんな胸が悪くなるようなものにそうそう関わり合っていられないと2~3度読んで古本屋に売ってしまった。

 けれども衝撃から受けた傷は深く心臓まで届いていた。

 

 映画化されたことは全然知らなかったのだが、先週、渋谷の公園通りを歩いていて、偶然、映画館の前の、二階堂ふみと吉沢亮の2ショットのポスターに出会ってしまった。ふみちゃんに「観ろ」と言われているようだった。

 原作に惚れた彼女自ら行定勲監督に頼んで映画化が実現したらしい。

 

 映画は原作をリスペクトし、ほぼ忠実に再現している。

 その姿勢も良いが、何よりもこの漫画が発表された四半世紀前は、まだこの世に生まれてもいなっかった俳優たちが、すごくみずみずしくて良かった。

 

 暴力でしか自己表現できない観音崎くん、

 セックスの相手としてしか自分の価値が認められないルミちゃん、

 食って食ってゲロ吐きまくりモデルとして活躍するこずえちゃん、

 嫉妬に狂って放火・焼身自殺を図るカンナちゃん、

 河原の死体を僕の宝物だと言う山田くん、

 そしてそれらを全部受け止める主人公のハルナちゃん。

 

 みんなその歪み具合をすごくリアルに演じ、存在感を放っている。

 最近の若い俳優さんは、漫画のキャラクターを演じることに長けているようだ。

 

 原作にない要素としては、この6人の登場人物のインタビューが随所に差しはさまれる。

 この演出もそれぞれのプロフィールと物語のテーマをより鮮明にしていてよかった。

 

 でも映画を観たからといって、何かカタルシスがあるわけでも、もちろん何か答が受け取れるわけではない。

 

 四半世紀経っても、僕たちはまだ河原の藪の中を歩いている。

 そして二階堂ふみが言うように、このリバーズ・エッジの感覚は彼女らの世代――僕たちの子どもの世代もシェアできるものになっている。

 

 そのうち僕は疲れ果ててこのリバーズ・エッジで倒れ、そのまま死体となって転がって、あとからやってきた子供たちに

 「おれは死んでいるけど、おまえたちは確かに生きている」と勇気づけたりするのかもしれない。

 そんなことを夢想させるトラウマ。やっぱり死ぬまで残りそうだ。

 


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ひるねして夢の記憶を情報発信

 

 齢を取ってくると昼寝が楽しみの一つになります。

 以前は時間がもったいないなぁと思っていましたが、たとえ僅かな時間でも体を横にして休むと、もう調子が段違い平行棒。

 その後の仕事の効率、クオリティを考えたら寝るに限る、休むに限る。

 

 しかし、会社のオフィスではなかなかこうはいかないでしょう。

 こういう時は自宅でやっているフリーランスで本当によかった~と思います。

 

 ただちょっと困るのが夢を見ちゃったとき。

 いや、夢を見るのはこれまた楽しいのですが、その夢の記憶が現実のものとごっちゃになることがあるのです。

 

 この間、通っていた学校を探そうと現地に行ってみると、迷宮に迷い込んだように、いくら歩き回っても見つからない。

 それで思い出したのが「移転した」という情報を耳にしたこと。

 それで、ああ、移転したんだっけと思い込んでしまったのです。

 

 ところが、あとでネットで調べてみると、改装はしているものの、ちゃんと同じ住所に存在しているではないか!

 確かに聞いていた移転情報。あれはいったい・・・

 と考えてみると、それはいつかの夢の記憶だったのです。

 

 あちゃ~、いよいよボケが始まったぁ。

 夢と現実がひとつながりになった次元へ、とうとう足を踏み入れてしまったのかも知れません。

 でもまぁいいや、気持ちよく昼寝できれば。

 

 というわけで、今後、僕の発信する情報が現実の出来事なのか、夢の中の記憶なのかは、読んでいるあなたの判断におまかせします。

 

 ではお休みなさい。ZZZ。

 


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永遠の現物支給

 

 きょうは確定申告の最終日でしたが、先週会ったお友だちの会計士さんは締切間近でストレス満載の様子でした。

 その彼がぼそっとつぶやいたセリフが

 「現物支給でも、永遠に続けばいいんだけど」

 

 え、まさか現物支給の報酬で会計を?

 そういえば、半年前に会った時は、つぶれそうな食品会社の経理を請負っているとか言ってたけど・・・。

 

 追及するのはやめときましたが、「永遠の現物支給」という言葉が頭に残ったので、それについて考えてみました。

 

 何でもお金の世の中で、ちょっとした贈り物も、冠婚葬祭の引き出物も、現金・カード・商品券などが喜ばれます。

 そうした風潮の中で現物支給――それも1回2回こっきりじゃなくて、毎月ずーっと支給が続くとしたら、何がもらえたら嬉しいだろうと考えると・・・

 

 やっぱり食べ物ですね。

 会計士さん、食品会社でよかった。

 なに、よくない?

 

 缶詰、レトルト、乾物、冷凍食品・・・

 そんなもの1か月分もらうと嵩張るし、置き場所に苦労する。

 それに毎日食べたくない。

 かといって生鮮食品は日持ちしないし・・・

 

 と考えていくと、ベストはお米だ!

 お米なら毎日食べられるい、真夏でも1カ月くらいなら保存も問題なし。

 うちはひと月10キロ食べるけど、それくらいなら置き場所にも困らない。

 

 ついこの間、イベントの仕事「五つ星お米マイスターのおいしいお米講座」でお米の食べ比べをやったけど、毎月ちがう品種のお米を支給してもらえれば、いろんなのが試食出来て、ますます楽しい。

 

 ――と話すと、そこは会計士さん、チャチャっと数字に置き換えて、

 「1カ月10キロ、平均5000円として1年で6万円。10年で60万円。17年しないと100万円超えませんよ。安すぎる~。お金でもらわなきゃだめだ~」

 

 なるほど。お金にすると確かに安い。

 でもね、お金がなくても、死ぬまでごはんだけは間違いなく食べられるという安心感は何物にも代えがたいのではないでしょうか。

 

 1カ月のギャラ・給料が5000円と考えると、わびしくみじめになるけど、今月も10キロのお米がいただけると考えると、なんだか豊かな気持ちになってくる。

 ましてやそれが永遠に続くとなると、穏やかな晴天が心の中に広がってくる。

 

 うんこれなら悪くないぞ、永遠の現物支給。

 農家さんとか、お米屋さんとか、JAさんとかの仕事なら、そんな契約を結んでもOKかも。

 会計士さんは嫌だというけど、あなたならどうですか?

 


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現実世界が「AKIRA」の近未来世界を追い越すとき

 

 渋谷パルコの建て替え工事現場の囲いに大友克洋のマンガ「AKIRA」が描かれている。

 この大きさだとすごい迫力。そして、内側の解体されたビルの風景が、「AKIRA」の世界観と符合して、リアルで巨大なアートになっている。

 人通りの多い公園通りだけにアピール度は抜群だ。

 

 最近あまり渋谷に行かないので知らなかったけど、このアートワークが搭乗したのはすでに昨年(2017年)5月半ばのこと。ネットでいろいろ話題になっていたらしい。

 

 というのも「AKIRA」の舞台は2019年の「ネオ東京」。翌2020年にはそのものずばり「東京オリンピック」が開催される予定・・・という設定。

 その中で抑圧された若者たちをい中心に超能力バトルが繰り広げられ、ネオ東京が崩壊していくというストーリー展開なのだ。

 

 というわけで「AKIRA」をパネルにしたパルコはオリンピック開催に異議を申し立てているのではないかという憶測が飛び交ったが、当のパルコ側は、さすがにそれは否定したという。

 

 僕が思うに、おそらく渋谷の街の再生劇のメタファーとして、かのマンガを用いたのだろう。それも「西武・パルコの渋谷」の。

 

 「AKIRA」が連載され、映画化され、一種の社会現象にまでなったのは1980年代のバブル上り坂の頃で、パルコの黄金時代、西武・セゾングループカルチャーの最盛期とぴったり重なる。

 

 一時は東急グループと渋谷の覇権を二分していた西武・セゾンにとって、昨今の東急の圧倒的な大改造計画に一矢でも報いたいという思いで、「AKIRA」を持ち出してきたのではないかと思われる。

 

 あの頃は経済の繁栄と裏腹に「近未来」「世紀末」という言葉が跳梁跋扈した。

 「AKIRA」はその象徴と言える作品だった。

 

 この繁栄・この豊かさはインチキなのではないか、まがいものではないのか。

 そんな違和感が当時の若者たちの心の中にトゲのように突き刺さっていた。

 そんな違和感によって支えられ、膨れ上がった「AKIRA」のような作品世界が、好景気で沸き返る、どこかうそくさい日常世界とのバランスを取っていたのかも知れない。

 

 その状況は終わったわけでなく、実はもう30年以上も続いている。

 だからなのか、現代の渋谷に「AKIRA」が出現することに時代遅れ感どころか、ベストマッチ感さえ感じてしまう。

 

 「世紀末」が過ぎても、東京の街は崩壊していない。

 終わりのない日常がダラダラと続き、僕たちはズルズルと前の時代の太い尻尾を引きずりながら、時には波に呑まれて漂流しながら前に進もうとしている。

 もうすぐ現実世界が「AKIRA」の近未来世界を追い越していく。

 


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秋田からきりたんぽ鍋セット到着

 

 今日は何の予告もなく、クール宅急便で「きりたんぽ鍋セット」が送られてきてびっくり。

 仕事をいただいている秋田の方からサプライズの贈り物です。

 これまでメールでしかやりとりしていなかったんだけど、そういえばこの間、住所を聞かれたので、紙にした資料を送ってくるのかなと思ってたら・・・どうもごちそうさまです。

 

 ちょうど今夜は家族が揃っていたので、早速いただきました。

 肉も野菜も一式入っていて比内地鶏のスープ付き。あったまりました。

 

 秋田県は、かなり昔に大潟村(かつての大干拓地・八郎潟にある村)の干拓資料館の仕事をやりましたが、それ以来の仕事。

 来週は名古屋コーチンの取材で名古屋に行きますが、いずれ比内地鶏も取材したいです。

 


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五つ星お米マイスター・小池理雄のおいしいお米講座:絶品ごはんの食べくらべ

 

 10日(土)・11日(日)の二日間、渋谷のNHKの敷地で「にっぽんの食・ふるさとの食」のイベント開催。JA全中ブースで「五つ星お米マイスター・小池理雄のおいしいお米講座:絶品ごはんの食べくらべ」をやり、台本と演出を担当しました。

 

 原宿の米屋・小池さんの作った「お米の通知表」を参考に、岩手・宮城・福島・福岡、各地産の4種類のブランド米を食べ比べ、その品種を当てる、クイズ形式のワークショップです。

 

 五つ星お米マイスターとしてメディアから引っ張りだこ、講師としても大活躍の小池さんですが、この二日間の受講生(1ステージにつき35人ほど)は、ぜひ「参加したくて来ているというよりも、ここに一休みに来たり、冷やかしに来たり、ただ単にごはんが食べられるからという理由で入ってきたた一般大衆。ぶっちゃけ、まじめにお米のことが知りたいと思っている人は1割、2割しかいません。講師にとっては最も手ごわい相手です。

 

 二日間で4ステージにありましたが、1日目の参加者の反応を見て、その夜、台本を書き直し、2日目は大きく違う構成でやってみました。

 

 ちなみに30分の台本のセリフ部分はほとんどMC(司会)用で、それに応じながら小池さんが自由にトークを展開していくというつくりです。

 

 イベントはまさしく生ものなので、その時の参加者の発するSomethingによって1回目も2回目も3回目も4回目も、まったく違ったステージになります。

 これが正解、これが完成という形はなく、きっちりできたのに反響が薄い場合もあれば、グダグダになっても大ウケという場合もあります。

 もちろんグダグダでいいというわけにはいきませんが、面白いものです。

 

 それにしても、その場に応じて自由自在にセリフを変えられる小池さんのお米ボキャブラリー宇宙は素晴らしい。

 ますますこなれて星雲のように年々膨らんでいます。

 


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天国への階段の上まで冒険

 

おなじみ階段シリーズ。

 うちは1階が「野の花鍼灸院」という鍼灸院になっています。

 カミさんが小児鍼のエキスパートなので、女性と子供を診ています。

 

 で、毎日、いろんな子供が来るのだけど、玄関を入ってすぐある階段にどうしても目が行ってしまう。

 特に好奇心旺盛で冒険好きの幼児には、たまらない魅力なのでしょう。

 

 もちろん進入禁止で、連れてきたお母さんは「怖いおじさんがいるのよ」なんて脅すのだけど、ある年齢を過ぎると、そんな脅し文句などヘのカッパになる。

 好奇心が抑えられず、のこのこ上ってくる子もいるのです。

 

 今日来た4歳児のショウちゃんもその一人で、お母さんとカミさんの制止を振り切り、階段を登り切ってパソコンやってた僕の背中に話しかけてきたので、ニヤッと笑って振り返ったら、むこもニコッ。 下からは「ショウちゃん!降りてきなさい」と呼ぶ声が。

 なので、ぺちっとハイタッチをしたら満足したように引き上げていきました。

 本日の冒険、おわり。

 

 あとから聞いたら、怖いおじさんなんていないよ~。やさしいおじさんだよ~って言っていたようだ。

 

 うーん、これに味をしめてまた上がって来るかも。

 今度はオバケのお面でもつけてふり返ってやろうか。

 でも、あんまり怖がらせ過ぎてもなぁ~。

 好奇心・冒険心は子供の宝物ですから。

 侵入されてもいいように、ちょっとは二階をちゃんと片付けて掃除しておかないとね。

 


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ミケランジェロ的冒険:誰もが自分の中に人生でしたいこと・すべきことを持っている

 

 ミケランジェロは石の中にダビデの像を見出し、解放したと言われています。

 そのダビデ象という「ヴィジョン」は最初から彼の中に存在していた。

 そして石と向き合うことでそれを見ることが出来た。

 芸術家として自分が何をするべきか分かった。あとは手を動かすだけ。

 

 これは芸術家に限らず、誰にでも起こりうることなのだと思います。

 

 誰もが自分が人生の中でしたいこと・すべきことはちゃんと持っていて、本能的に認知している。それは人生のいたるところで、日常生活のあちこちで顔をのぞかせる。

 

 けれども僕らはそれを取るに足らないこと、おかしなエゴが作り出す妄想だとして処理してしまう。

 この忙しいのに、そんなことに関わっているヒマはない、と。

 だから何となく分かっているのにそれははっきり見えない。

 そして見えたとしてもそれを実行しようとはしない。

 

 なぜならほとんどの場合、それは社会的必要性が認められない、人々が求めていることに応えられない、早い話、そんなことをしたって「食えない」。

 そういう事情があるからでしょう。

 なので、ますますその内在するものを見ようとしない。

 見るのを怖れ、目をそらしてしまうし、もちろんやろうとしない。

 その結果、不満だらけの人生が世の中に蔓延することになります。

 

 これはきっと人生の途上で、立ち止まって考えてみるべき課題なのだと思います。

 ミケランジェロのダビデのように、芸術家じゃなくてもあなたにはあなたが創るべきもの、やるべきことがある。

 そう静かに思いを巡らせると、「あれがそうだ」と人生のどこかで見たサインを再発見できるかも知れない。

 深い海の底から、ぽっかりと浮かび上がってくるかも知れない。

 

  あなたの中に何があるのか、することは何か、まず見つけ出す冒険。

  そして、それをやり始める冒険。

 


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星のおじい様と孤独なエイリアン

 

 その少女は一人暮らしの老人と友達になった。

 老人は近隣から奇異な目で見られている。

 彼は特殊な能力を持っており、それで人助けをしたりもするのだが、普通の人たちにはそれが気味悪く映る。

 だから少女にも、あの老人の家へ行くな、近寄るなと言う。

 両親にとってもそれは家族の一大事と受け取られていた。

 

 少女はなぜその老人にひかれるのか?

 老人の語る宇宙の話、昔の話、妄想のような話が好きなのだ。

 彼女は老人がじつは宇宙人で、永年地球で過ごし、近いうちに故郷の星へ帰ろうとしているのではないかと思っている。

 

 老人には少女以外にもう一人だけ訪ねてくる人がいる。

 それは彼の身元保証人だ。

 老人はちゃんとお金を払ってその会社と契約し、自分の死後の後始末をつけてくれるよう段取りしている。

 彼は宇宙人なんかではない、まっとうな人生を歩んで齢を取り、社会人として最期まで人に迷惑をかけずに人生を終えようと考えている、普通のおじいさんなのだ。

 

 そうした現実を知っても、少女は彼がやっぱり本当は宇宙人なのではないかと疑念をぬぐえない。

 彼女はしだいに何とか老人の秘密を探りたいと考えるようになる。

 

 しかし、そんな彼女の行動を心配した両親は、それ以上、老人に近づくことを許さず、彼女を学習塾のトレーニング合宿に送り込んでしまう。

 

 数日を経て帰ってきた少女は両親の目を盗み、再び老人に会いに行くが、彼は呼び鈴を押しても出てこない。と同時に何か気になる匂いがする。

 彼女は身元保証人を電話で呼び、家の中に入る。

 そこには布団の中で孤独死した老人の遺体が横たわっていた。

 

 少女には老人が物理的に死んだことは分かったが、地球から消滅したとは映らない。

 彼女は遺体を運ぶ人たちが到着するまでの間、その老人――「星のおじい様」の時間軸に入り込み、孤独なエイリアンとして、奇妙な冒険に出掛ける。

 


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孤独な老人は本当に可哀そうな存在か?

 

 一人暮らしの高齢者というと、最近はすぐに「孤独死」が連想され、何やらくら~いイメージがつきまとう。

 そうでなければ、家族がなく、身寄りがなく、孤独で可哀そうとか、同情される。

 いずれにしてもネガティブなイメージであることに変わりない。

 

 でも本当にそうなのだろうか?

 彼らはけっこう孤独を楽しんでいるのではないか。

 本当にいっしょにいたいと思う家族ならいいけど、ただ同じ屋根の下にいるだけ、同じ空気を吸っているだけの家族なんて鬱陶しいと思ったりしていないのだろうか?

 

 血が繋がっていたって形だけの家族はいっぱいいる。

 財産などをあてにしてすり寄ってくる家族や親族なんかに、あれこれ気を遣ってもらったって不愉快なだけ。

 

 メディアの「家族は素晴らしい」「家族がいないと気の毒だ」といった大合唱もなんだか胡散臭いね。

 

 それよりも最期まで一人でやっていく、という気概のある生き方をを見せるほうがいい。

 あるいは、血縁にこだわらない、常識にとらわれない、損得勘定抜きの、心の深いところで繋がり合える人たちとの暮らし。

 齢を取ったからこそ、そうした自由や愛情に満ちたものを優先できるという面もある。

 

 幸いにも、そうした人たちをサポートするセーフティネットはあちこちにでき始めているようだ。

 

 「家族の絆」という美名のもとに隠した損得勘定や惰性的な繋がりよりも、自分の意思に基づいて生き、死ぬ「個の尊厳」を優先する時代がすぐそこまで来ている。

 


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のりしろ時間

 

 元来、コアラとかナマケモノ体質で、自分のペースで動けないと調子悪くなっちゃうので、効率悪いことこの上なし。

 ヘタにビジネス書など読んで勉強して、時間を有効活用しようなんて意識すると、なんだかイライラしてきて、自分が今何をやっているんだか分からなくなってきます。

 

 とは言え、仕事をする以上、そんなこともいっていられない。

 相手のペースに合わせなきゃいけない場合もある。

 そんな時、最近、心がけているのが「時間ののりしろ」を作ることです。

 

 自分のペースでOKの時間帯と、相手に合わせる必要のある時間帯。

 この2種類のカテゴリーの時間帯が、ポンとカットで繋がると脳の切り替えがうまくできない場合があり、気持ちの負担も大きいので疲れます。

 やっぱリカットつなぎでなく、オーバーラップさせたほうがショックが和らげられる。

 

 なので、相手に合わせる時間帯に入るときは脳が自然に準備できるよう、「のりしろ時間」を作るようにしています。

 

 具体的に言うと、打ち合わせ、取材などの時は約束の時間より30分早く行って、その現場周辺の空気を吸っておくようにするのです。

 そうするとリラックスして、少しはその環境に入り込みやすくなります。

 つまり100%アウェイの空気でなく、10~20%くらいはホームの空気をまぜるようにする。

 するとある程度リラックスして、よりよいパフォーマンスが期待できます。

 

 昨日は思いのほか早く着いたので、待ち時間に近所の神社で、ぼやーっと木などを眺めて、ああ鳥の巣がある、何の鳥だろう。まだ作っている最中かなぁ・・・と思ったり、ネコの家族が来て日向で遊び出したりするのを見ていました。

 

 仕事の役に立つだけじゃなく、ちょっとおまけみたいなものを拾ってトクした気分になります。 もしかしたらそんなどうでもいいことが、あなたの人生を救ったりするかもしれません。

 スケジュールぱんぱんにして毎日アクセクしちゃうと、ほんと疲れますから。

 


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児童館でおチビらがビッグな牛さんの乳しぼりに初挑戦

 

 八王子市の児童館で、子供たちが乳しぼり体験。

 マイナビ農業の取材で、八王子界隈の酪農家の仲間たちがボランティアで提供しているイベントを見学してきました。

 

 でっかい開閉式トラックに牛を乗せて、そこに上って子供たちが搾乳するというやり方。総勢5人の酪農家さんたちがお世話をします。

 まったくこういうシステムを想像していなかったのでびっくりしました。

 このお乳パンパンの牛さんはマーガレットちゃん7歳。

 

 マーガレットちゃんの乳しぼりに挑戦するのは、幼稚園前の幼児クラス(+そのきょうだい)なので2歳児中心。たぶんその子たちの目から見たら、牛さんはゾウさん、いやもしかしたら怪獣並みの大きさだ。

 そりゃこわいに決まってる。

 

 勇気を出してぎゅっとつかめればいいのだけど、おそるおそるおっぱいに触るので、「なにやってんのよ、モ~」って、穏健温和なマーガレットちゃんもバフォンと荒っぽく鼻息をして体を揺する。

 すると、もうだめです。大半の子がこわがって泣き出す始末です。

 

 お父さん・お母さん、「うちの子は情けない」なんて言わないで。

 だいじょうぶ。 一度は失敗・撤退したほうがいい。

 また大きくなった時、トライしたら今度はできるから。

 

 最初からすんなりうまくできちゃうより、やったぜ感、リベンジできた感があって、自分は成長しているんだと実感できる。

 そのほうが却って自信になるんです。

 

 子供時代はまだ長い。

 人生はもっとずーっと長い。

 幼稚園・保育園で、小学校で、またトライして、こんどはマーガレットちゃんのおっぱい、いっぱい搾ってね~。


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ラストドライブ日本版 出発

 

 わたしを思い出の場所に連れてって――

 そんな末期患者の願いをかなえるのが「ラストドライブ」。

 この数年、ヨーロッパで静かに広がってきた、いわゆる終活支援です。

 

 昨年夏、ドイツでの事例を取材したドキュメンタリー番組がNHK-BSで放送されました。たまたまそれを見て感想をブログに書いたら、その時だけアクセス数が5倍くらいに跳ね上がってびっくりしました。けっこう関心の高い人が多いようです。

 

 じつは今年から日本でもこれと同様の終活支援サービスが始まりつつあります。

 さいたま市の「タウ」という会社がCSR(社会貢献事業)として始めた「願いの車」がそれ。余命少なく、一人では外出困難な患者を希望の場所に無料送迎するというものです。

 

 タウは事故車の買い取り・販売を手掛ける会社で、社長がかの番組に心を揺すられ、「自分たちも車を扱う仕事をしているので」と、立ち上げました。

 当面は近隣の病院やホスピスに声をかけて説明し、希望者を募るというやり方で進めていくそうです。

 

  あらかじめ民間救急会社と提携しており、車両は酸素ボンベ、吸引機、自動体外式

 除細動機(AED)などを装備した民間救急車を使用。外出には看護師やボランティアが同行。ただし外出は日帰りのみ。

 主治医の了承と、家族の同意を得た上で送迎です。

  

 僕は「月刊仏事」の記事を書くために電話で広報の方と話したのですが、この事業に誇りを持ち、かといって気負うこともなく、たいへん美しい応対だったことにも心惹かれました。

 

 今後、提携先を県内の病院などに広げ、将来的には、活動に理解を示す企業からの協賛も。2019年には公益社団法人にして全国的活動を目指すそうです。

 

 これも高齢化社会・多死化社会における一つの文化になり得るでしょう。 これからの展開が楽しみです。

 


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「スターウォーズ エピソード8 最後のジェダイ」は舞台劇にしてOK

 

 今さらながら「スターウォーズ エピソード8 最後のジェダイ」。

 2月のうちに書いてこうと思って、つい書きそびれていました。

 

 あちこちでもうすっかりレビューも出尽くしていると思います。

 まったく読んでいないので、世間的な評判はさっぱり分かりませんが、僕的にはかなり面白かった。

 (特にこのシリーズの熱心なファンでないけど)全部見た中では、これが一番入り込めたな~と思いました。

 

 率直な印象を言うと、かつてのスペースオペラ的な部分が薄まり、シェークスピア劇みたいに見えました。

 

 世界政治とか抗争を含めた宇宙スケールの活劇だったはずが、なんだか家族ドラマみたいなスケールになってきた(これは批判ではありません)。

 

 あくまで個人的な印象です。

 

 実際には戦闘シーンは相変わらず多いし、チャンバラもあるし、絵作りも凝っているし、迫力もある。

 そうしないと、スターウォーズブランドにならないからね。

 

 ただ以前はそっちの方がストーリーを完全に凌駕していたのだけど、今回はドラマのほうが引き付けられる、ということ。

 戦闘状況なんかを全部セリフで説明させてしまって、舞台劇にしたらいいんじゃないかと思ったくらい。

 

 これまでのスターウォーズであまり魅力ある登場人物ってお目にかからなかった(ダースベイダーが悪役としてどうしてあんなに人気があるのか、さっぱりわからない)けど、若い二人の主人公――レイとカイロ・レンがはいい。

 

 スターウォーズ過去40年の歴史というか、遺産というか、おっさんファンたちの降り積もった愛着やら怨念やらを背負わされても、最終的にそんなもの蹴っ飛ばして、カウンターのロングシュートでゴールを決めちゃいそうな「フォース」を感じます。

 古いキャラクターはすべてこの二人の引き立て役ね。

 

 いっそのことエピソード9は完全にオールドファンを裏切りまくって、戦闘シーンなしにしてしまったらどうだろう?

 登場するのはレイとレンとBB-9(ロボット)だけとか。

 ま、そんなのあり得ないはわかっているけど。

 

 勝手にエピソード9の予測をすると、前回の3部作(エピソード1~3)は、史実(?)を変えるわけにはいかないので、主人公のアナキンがダークサイドに落ちてベイダーになってしまうという悲劇的ラストで後味が悪かった。

 けど、今回の9は必ずやハッピーエンド、希望ある結末に持っていくでしょう。

 なんといっても制作の大元はディズニーだし。

 

 王道としてはレンの魂が救われ、レイと結ばれる・・・というのが落としどころだと思うけど、それだと単純すぎるかなぁ。

 


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目じるしはシェー!

 

おりべまこと昭和エッセイ本6日間無料キャンペーンは、 

「昭和の日」にちなんで今月いっぱい、

4月30日(月)15時59分まで。 

「99年」は最新刊、「96年」もサブスクで大人気。

 

★昭和99年の思い出ピクニック 

●シェー!と麻丘めぐみと昭和歌舞伎

●カネゴンは鳥を見た

●人生百年時代の浦島伝説

●成人ちびまる子ちゃんと還暦サザエさんの「昭和の日」

●労働者と風俗と大洋ホエールズの川崎伝説

 ほか31編

★昭和96年の思い出ピクニック 

●西城秀樹さんのお葬式:青春の同窓会

●ちびまる子ちゃんとサザエさんはいつまで続くのか?

●昭和オカルト大百科

●新聞少年絶滅?物語

●死者との対話:父の昭和物語 

ほか31編

 


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昭和エッセイ無料キャンペーン 本日より開催!

 

本日より昭和エッセイ本2冊同時に

6日間無料キャンペーン開始! 

年に一度の面白懐かし「昭和の日」にちなんで、

ぜひご購読ください。 

「昭和99年」は今月発売の新刊です。

「昭和96年」もサブスクで大人気。未読の方はぜひ。

 

4月25日(木)16時~30日(月)15時59分まで  

●昭和99年の思い出ピクニック 

●昭和96年の思い出ピクニック

 

2024年➡令和6年は昭和99年です。

マンガ・怪獣大好きで、戦争・貧乏大嫌い。

みんな集まれ、昭和っ子!

 

マンガ、テレビ、怪獣、アイドル、プロレス、家族、

仕事、戦争、暮らし・・・

昭和時代の数々の思い出を紐解き、

さまざまな角度から考察。いっしょに笑ったり、

しんみりしたり、懐かしがったり、

テンション上げたりしながら、

これからの日本の社会の在り方、

私たちの生き方を考察していきましょう。

 

昭和99年目次

●今、そこにゴジラが立っている

●神のモスラ、悪魔のギャオスが巣食った東京タワーと地方出身者の東京幻想

●昭和人のマネして逃げたらアカン

●池袋でふくろう時代を振り返る

●「鬼滅の刃」で辿る近代日本の家族主義と個人主義

●昭和プロレタリアートの「出会いそして旅立ち」

●シェー!と麻丘めぐみと昭和歌舞伎

●カネゴンは鳥を見た

●人生百年時代の浦島伝説

●成人ちびまる子ちゃんと還暦サザエさんの「昭和の日」

●昭和のバナナ預金

●昭和28年を精神分析する妖怪小説

●「生きていくなら仕事しなきゃあな」という本

●東京メトロ永田町駅のトイレの美しさとカミさまのいる幸福

●トノサマラーメンとお寺の讃岐うどんのおいしい記憶

●「あとしまつ」の時代を生きる

●死ぬまで戦争体験はしたくないけれど

●労働者と風俗と大洋ホエールズの川崎伝説

●暑くても働く人がいるから世の中は回る

●平和祈願・核廃絶祈願のエネルギーと新たな戦争の脅威

●戦後77年の認知症予防策

●生涯現役・ウルトラの女神

●追悼・アントニオ猪木さん:あなたほど無様さがサマになる男はいなかった

●シン・ウルトラマンとイデ隊員とウルトラマンの本質

●廃墟から再出発 アニメむすめの温泉ビレッジ鬼怒川温泉

●美輪明宏とヨイトマケと太宰治

●いつまでもあると思うな昭和の常識

●昭和98年8月と17歳の父

●豊臣秀吉とジャニーズ 英雄の凋落と昭和システムの崩壊

●距離のある家族のこと

●イマイチ昭和世界の「ゴジラ-1.0」 全31編載録

 

昭和96年目次

●西暦か元号か? 今年は昭和九三年?

●西城秀樹さんのお葬式:青春の同窓会

●西城秀樹さんのお葬式で感じたこと:

女の涙は子どもと夢の人のために

●ちびまる子ちゃんとサザエさんはいつまで続くのか?

●昭和の遺産はどこへ行き、どう使われるのか?

●昭和オカルト大百科

●新聞少年絶滅?物語

●新聞少年絶滅物語2:まかない付き・住み込みOK職場の光と闇

●生涯現役 還暦新聞少年

●死者との対話:父の昭和物語

●大空襲をすり抜けた父は「生きてるだけでOK」

●父の話:ラッパ要員を兼ねて軍需工場に就職

●名古屋大空襲:金のしゃちほこも燃えてまったがや

●父のメガネを借りて終戦を見る

●戦後百年はもうすぐ

●マンガの聖地・トキワ荘通りを散策する

●靴みがき少年と有楽町で逢いましょう

●かわいい叔母さん

●姉ヶ崎の遠い海

●先祖ストーリー①:バクチにハマって貧乏暮らし:

娘たちに疎んじられた母方のじいちゃん

●先祖ストーリー②:母方のばあちゃん:7人の娘たちとの結束

●先祖ストーリー③:

父方のばあちゃん:狭い家の中の女同士のバトル

●先祖ストーリー④:

父方のじいちゃん:明治・大正のフーテンの寅平

●葬儀・供養に関する「昭和システム」の呪縛

●社会全体の児童虐待と「晴れた空」

●東京ブラックホールⅡ 「老いた東京」は美しいか?

●さらばショーケン:

カッコ悪いカッコよさを体現した1970年代のヒーロー

●さらば平成――みんなが昭和に帰りたがった30年

●終戦記念日はいつから始まったのか?

●西城秀樹さん ラストステージの記憶

●永遠の昭和 明日のための1960年代・70年代  全31編載録

 


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雨の中、子どもたちはカエルを放つ

 

小雨の降る中、義母をつれて川沿いを散歩していたら、

小3くらいの子どもたちが4、5人、

自転車やキックスケーターで爆走していく。

雨ふりなんてへのカッパって感じ。

 

最後に走って来た、

ピカピカ光るキックスケーターの女の子に

「雨なのに平気なの?」と声をかけたら、

振り返って

「あのね、これからカエルを放しにいくんだ」と、

目をキラキラさせながら言う。

 

彼女らの行先には池がある。

捕まえたのか、それとも

飼ってたオタマジャクシが成長したのか、

わからないが、どうやらその池に

カエルを解き放ってあげるらしい。

 

いろいろ訊きたいことはあったが、

彼女はひとことだけ言い残すと、

ワクワクした気持ちが抑えらえないらしく、

またキックスケーターをかっ飛ばして

風のように去って行った。

 

なんだか春の雨が心地よく感じられる。

いいぞいいぞ、

カエルもきみたちも解き放たれて

自由に飛び跳ねてケロ。

 

 

あなたもお忘れの4月29日「昭和の日」にちなんで、明日から昭和エッセイ本2冊同時6日間無料キャンペーンやります!  この機会にぜひ。

4月25日(木)16時~30日(月)15時59分迄。

昭和99年の思い出ピクニック

昭和96年の思い出ピクニック

 


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若者が死について考えるのは健全である

 

先週まで渋谷ヒカリエでやってた「Deathフェア」は、

「よりよく生きるために死について考えよう」

という趣旨のイベントだった。

 

渋谷という場所がら、中高年だけでなく、

若い人も大勢集まってきた。

主催の人にインタビューしたところ、

(まだデータを集計していないが)

20代から90代までまんべんなく来場した、

という話だった。

たぶん中には10代も混じっていただろう。

 

若者が死について考えるのはおかしい、危険だ、

という人も少なくないが、

むしろ思春期のほうが成人してからより

死について思いを巡らすことが多いのではないかと思う。

それを単純に自殺願望などと結びつけ、

命の大切さを説きたいと思うおとながいて、

まわりであーだこーだ言うから

かえって生きることが息苦しくなってしまうのだ。

 

僕もよく死について考えた。

マンガも小説も映画も演劇も死に溢れていた。

逆に言えば、それは「生きるとは何か」

という問いかけに満ちていたということでもある。

 

いまの若者は・・・という言い方は好きでないが、

僕たちの時代以上に、

いい学校に行って、いい会社に就職して・・といった

王道的な考えかたに、みんが洗脳されている印象がある。

だから志望校に入れなかったら人生敗北、

志望した会社に入れなかったらもう負け組、

残った余生を負け犬としてどうやり過ごすか、

みたいな話になってしまう。

そうした展開の方が死に興味を持つより、

よっぽど危険思想ではないか。

 

人生計画を立てる、

キャリアデザインを構築するという考え方も

言葉にするときれいで正しいが、

若いうちからあまり綿密に

そういったデザインとかスケジュールにこだわると、

これまたしんどくなる。

人生、そんな思った通りになるわけがないし、

そのスケジュールの途中で、

AIやロボットが進化して仕事が消滅、

キャリアがおじゃんになることだってあり得る。

 

「Deathフェア」に来ていた若者は、

そうしたしんどさ・息苦しさ・

絶望感・不安感みたいなものを抱えて、

いっぱいいっぱいになってしまって、

「じゃあ、終わりから人生を考えてみようか」

と思って来てみた、という人が多いのではないか。

いわば発想の転換、

パラダイムシフトを試みているのだと思う。

それってものすごくポジティブな生きる意欲ではないか。

 

あなたが何歳だろうが死はすぐそこにある。

同時に「生きる」もそこにある。

社会の一構成員でありながら、

経済活動の、取り換え可能なちっぽけな歯車でありながら、

絶えず「自分は自分を生きているのか?」

と問い続けることは、とても大事なことだと思う。

たとえ答えが出せず、辿り着くところがわからなくても。

 

予告!おりべまこと昭和エッセイ集
2冊同時に6日間無料キャンペーン開催します。
お楽しみに!
4月25日(木)16時~30日(火)15:59
昭和99年の思い出ピクニック
昭和96年の思い出ピクニック h

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4月29日って何の日?

 

来週4月29日は昭和の日。
「ゴールデンウィークの日」じゃないですよ!
新しい時代を生きていくためにも
昭和の価値観を知ってほしい。
というわけで、
おりべまこと昭和エッセイ集
2冊同時に6日間無料キャンペーン開催します。
お楽しみに!
4月25日(木)16時~30日(火)15:59
昭和99年の思い出ピクニック
昭和96年の思い出ピクニック

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酒タバコ やめて100まで生きる日本人

 

NHKのショート番組で酒を飲む日本人は今、

二人に一人というデータが紹介されていた。

マジか?

 

思えば酒とたばこをヤルのはおとなになった証であり、

飲酒文化・喫煙文化に精通し、

上客や偉い人といっしょに

吞むとき・吸うときのマナーやルールを覚えることは

社会人として生き抜くための必須条件だった。

しかし、いまやそれらの文化は

昭和の伝説になりつつあるのだろうか?

 

そういう僕もタバコをやめてそろそろ四半世紀になるし、

酒も1年に10回も飲まないので、

「ほとんど飲まない」の部類に入るかもしれない。

最近はノンアルの酒もあるけど、

そういうのを飲んで付き合うという機会もほとんどなく、

いまだに呑んだことがない。

 

昭和の男たちは「酒タバコ やめて100まで生きたバカ」

と吹聴して、

刹那の人生を楽しもうという意気が旺盛だったが、

そういう人たちがどんどんこの世から去ってゆき、

酒とタバコのある、ある種の豊かな世界は

僕たちのそばから消えつつある。

 

昔は知られていなかった

(あるいは知らんぷりができた)

アルコールやニコチン・タールの

人類におよぼす害毒が明らかにされてきて、

おそらくこれまでの歴史のように、

飲酒文化・喫煙文化が栄えることはもうないだろう。

 

代わりに健康な世界がやってくるはずだけど、

100まで生きることにどれだけの意味があるのか、

考えている人はまだ少ないと思う。

 

健康づくりやお金を増やすことに一生懸命の人は多い。

でも「酒タバコ やめて100まで生きて何するか?」にも

みんなで一生懸命にならないと、

幸福も生きがいも育っていかないのではないだろうか。

 


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あなたはどんなおとなに憧れましたか?

 

「焼き芋屋のおっさんがカッコいいと思っていた」

「八百屋の親父にあこがれていた」

今日インタビューしたデイサービスの

マネージャーの若者は、

子どもの頃を振り返ってそう語った。

 

焼き芋屋とか八百屋とかの職業が

どうこうというのではなく、

地に足を付けて生身の人間とわたりあって商売する

その生きざまが子どもの目にまぶしく映ったのだろう。

そのまぶしさがその後の彼の道を決め、

人間同士が向き合う現場の仕事に向かわせた。

いまどき珍しい心根を持った青年と言えるかもしれない。

 

手っ取り早く楽してもうけるのがカッコいいとか、

いい生き方だとか、成功者だとか言われ、

みんなそうした考え方に洗脳されてしまっている。

 

けれども経済的に豊かになることと、

豊かな精神をもって生きることとは別の問題。

そして悲しいかな、

大多数の人はそのどちらも手に出来ずに行き詰ってしまう。

 

みんな自分の理想的な将来像を持っている。

こんな生き方をしている“はず”の自分が脳内にいる。

もし行き詰ったら、子どもの頃、何になりたかったか、

どんなおとながカッコいいと思っていたのか

じっくりと思い出してみよう。

 

あなたはどんなおとなに憧れましたか?

どう生きたいと思っていましたか?

いくつになっても問いかけていていいと思う。

若者にそう教えられた日。

 


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なぜ女は「死」に関心が深いのか?

 

渋谷のヒカリエで「Death Fes」が

明日18日まで開かれている。

「死のフェスティバル」という名からは

想像できないほどのポップさ・楽しさ。

こんなイベントを文化発信地・渋谷のど真ん中でやるのは

本当に画期的なことだ。

 

来場者も特に年代によって大きな偏りがあるわけでなく、

20代から90代までまんべんなく訪れ、

土日は大いに盛り上がったようだ。

 

「月刊終活」の記事にするので、

今日は主催者である一社「デスフェス」の

代表二人にインタビューした。

二人とも起業家の女性。

「月刊終活」の仕事をしていて思うのは、

エンディングに関わる仕事を始めるのは、

なぜか女性が多いということ。

 

もちろん、歴史のある葬儀社・お寺・石材店などの業界は

もろに男の世界だが、近年スタートアップしたところ、

イノベーティブな製品・サービスのプロデュース、

ユニークな活動をしている会社・団体は

圧倒的に女性が多く、活躍している印象が強い。

 

日本だけでなく、

アメリカ発の「堆肥葬(遺体を堆肥化して土に戻す)」や

スウェーデン発の「フリーズドライ葬

(こちらは遺体をフリースドライ化)」を開発し、

普及に努めているのも女性CEOである。

 

2022年5月、二子玉川で行われた「END展」でも

女性のキュレーターが主導し、

来場者の3分の2は女性だった。

 

もちろん、死は男女平等に訪れるものだが、

死に関心を持ち、深く追求するのは女性が多い。

「なぜだろう?」と主催者のお二人にも質問して、

思うところを答えて戴いた。

 

理由は複数ある。

一つは長らく続いた男性中心の家制度が終わりを迎え、

個人単位の社会に変わりつつあること。

そういえば30年ほど前に僕たちの母親世代が、

夫(の家)と同じ墓に入りたくないという議論が

マスメディアを通じて話題になった。

 

従来の社会制度に異を唱えるのは女性であり、

彼女らのほうが発想も自由で柔軟性・革新性がある。

母親世代でできなかったことを

娘世代が果たそうと今、がんばっているということか。

 

もう一つ、これは僕の見解だが、

命を産む性であることが関わっているように思う。

男はどう逆立ちしても子どもは産めないが、女は産める。

 

産めるがゆえに肉体の変化も大きく、

初潮・出産・閉経など、

いわば人生のなかで何度も「死」に近い経験をし、

その都度、少女から女へ、女から母へ、

母からまた新たな女へ生まれ変わる。

 

また、社会人として仕事をすれば、

妊娠・出産で仕事を辞める・辞めないの選択、

それ以前に子どもを産む・産まないの選択など、

ドラマチックな決断を迫られる。

 

だから死を最後のライフイベントと捉え、

最後まで人生を楽しみたい、

一生懸命生きたご褒美として

楽しく美しく弔ってほしいという気持ちが湧く。

そこからいろいろな想像力が働くのだろう。

言葉を変えると、

男より女のほうが生きることに貪欲なのかもしれない。

 

場内の展示の一つに、

ウエディングドレスをリメイクして

金婚式や銀婚式、還暦や古希のお祝いや、

最期の衣装として納棺時にも着用できる

「イルミネートドレス」なるものがあった。

 

これまで純白のドレスを着るには一生に一回、

結婚式の時だけのはずだったが、

これからはそうでなくなりそうだ。

試着した人たちは皆、幸福そうに笑っている。

 

死を変えることによって人生も変わる。

こんな喜びがあるのなら、病気も老いも死も怖くない?

そう考える女性が増えるかもしれない。

 


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「パーフェクト・デイ」そして「またあした」

 

結婚記念日。

気温が上がり、暑いくらいだったが、

29年前と同じように快晴。

彼女がマーガレット・ハウエルの

カフェに行きたいというので、

吉祥寺までいっしょにランチをしに行く。

 

目的のカフェは中道通りの商店街の奥にある。

土日などは賑わいのある通りだが、

週初めの月曜は休みの店も多く、比較的静か。

入口から結構奥まっていて、

当然、駅からも距離があるせいか、

他の街から遊びに来る人よりも地元の人が多いようだ。

 

最近知ったばかりだが、

マーガレット・ハウエルというのは英国の服デザイナーで、

モダンクラッシックを追究している人なのだそうだ。

高級ブランドらしいが、

いわゆる高級感や華々しさなどはなく、

一見フツーでシンプル。

しかし、よく見るとさりげなくカッコよくておしゃれ。

おとなのブランドというのだろうか。

 

そうしたテイストを反映して

カフェもごくシンプルなつくり。

ランチメニューはキッシュと

ローストビーフサンドの2種類。

デザートにキャロットケーキと

アーモンドオレンジケーキを食べた。

食事自体も見た目の派手さはないが、

中身がぎっしり詰まって美味しかった。

 

店のすぐ隣に公園がある。

何の変哲もない公園だが、

子どもが遊びまわる分にはじゅうぶん広い。

 

そして一本、シンボルツリーのように

高さ8メートルぐらいの木が立っている。

広げた枝の形がなんとも美しく、

その下ではこの近所の人らしい母子が

ピクニックシートを広げてお弁当を食べている。

 

少し離れたところではまた別の母子がいて、

女の子たちは地面に生えている小さな白い花を摘んで

お母さんにプレゼントしている。

 

窓越しにそんな光景を見ていたら、

ふと「パーフェクト・デイ」という言葉が頭に浮かんだ。

ヴィム・ベンダーズ監督、役所広司主演の

トイレ清掃員の日常を描いたあの映画に

なぜ「パーフェクト・デイズ(完璧な日々)」

というタイトルをつけただろう?

 

世界も人生も完璧どころか矛盾と不条理に満ちていて、

あまり環境に順応していない自分が

60年以上も存在し続けていられるのはなぜだろう?

 

つい1週間前に昔ながらの友人が死んだが、

そんなこともすっかり忘れてのほほんと生きている

自分とは何だろう?

 

戦争をしている国では、今この瞬間にも街が爆撃されて

大勢の人が死んでいるのにそんなことも知らん顔で

「完璧な日だ」なんて言っている

自分とは何者なのだろう?

 

じつは何の保証もないのに

明日もまだ生きているに違いないと信じ、

来年も結婚記念日にはお祝いをしようと思っている

自分とは・・。

 

答は出ないが、それでも気安く

「またあした」と言って眠れることは

おめでたいことなのだと思う。

 


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渋谷ヒカリエでDeathフェス

 

今日4月13日から18日(木)まで

渋谷ヒカリエ8階で「デスフェス」をやっている。

「死というテーマ」が

タブー視され過ぎている現状をなんとかしなければ、

と考えた女性二人組が主催。

 

葬儀供養業界のビジネスイベントではなく、

渋谷のど真ん中、年代関係なく、

すべての人に開かれたイベントである。

開催コンセプトをかいつまんで言うと、

 

「死というテーマ」には本来、愛や感謝、つながりなど、

生をポジティブに照らす側面があります。誰にでも「死」が訪れることを意識することで、「では、今をどう生きるか?」を考え、行動にうつすことができます。

「死」をタブー視せずに、

人生と地続きのものとして捉え直し、

年齢や個別の事情によらず、

多くの人が「死というテーマ」をきっかけに、

今をどう生きるかを考える。

Deathフェスは、そんな「生と死のウェルビーイング」

のためのイベントです。

 

というわけで、「お墓×死」「起業×死」

「家族×死」「循環×死」、

坊さんによる地獄VR、入棺体験、

その他、ユニークなイベントや展示が多数行われている。

 

土曜の渋谷ということもあって

今日の会場は賑やかで華やか。

若者が集う花の渋谷で、

なぜ死をテーマにしたフェスが開かれるのか?

・・・という違和感を含めて超面白い。

ついでにいうと、なんと渋谷区も後援しているのだ。

 

入場無料なので、もし興味を抱いたら

ぜひ行って見てください。

直接足を運べなければウェブで参加もできますよ。

ちなみに明日4月14日は「よい死の日」なのだそうな。

 


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あなたもわたしも呪い人? 「呪いを解く者」

 

フランシス・ハーディングという

イギリスのファンタジー作家の作品。

テーマはズバリ「呪い」。

 

舞台は架空の国で、イメージとしては中世ヨーロッパ。

主人公は呪いの「ほどき屋」の少年と、

呪いをかけられた少女。

この世界には呪いをかける「呪い人」がいて、

それを束ね、利用しようとする悪のボスが登場する。

 

呪いをかけられた人は動物などに変身したり、

この世界に生息する奇妙なクリーチャーが

いろいろ出てきたりして、

全体の印象は、そこはかとなく

「ハリーポッター」を想起させる。

 

僕が面白いなと思ったのは、

そうしたファンタジックなストーリー展開や

冒険劇、敵とのバトルよりも、

「呪い」というテーマそのもの。

 

中世風ファンタジーの衣をまとったこの物語で

扱われる「呪い」は古典的な感じではなく、

ひどく現代的で、僕たちが身に覚えのあるものだ。

 

家族間や仲間同士の支配・被支配、

夫婦間のDV、子どもへの虐待、親への憎しみ、

そして幸福な(と映る)人に対する妬み・嫉み。

 

もちろん古今東西、呪いというものは、

人間の性のようなものだが、

読みながらこれはほとんど

今の日本の状況ではないかと思えた。

 

もし、この物語の「呪い人」のような

力を持ってしまったら、

それを行使する人はきっと後を絶たないだろう。

そして、この呪いの力はある種、最強のサイコ兵器で、

悪意を持って利用しようとする輩が

大勢出てくるに違いない。

 

呪われる側はもちろん、呪わずにいられない人、

そしてこんな力を持ってしまった人たちの

悲しさが胸に残る。

 

文中に「呪いの卵」という表現があるが、

情報化・格差・競争・・・そんな社会で日々を送るうちに、

僕らは知らぬ間に自分の中に

「呪いの卵」を孕んでしまっている。

現代は誰もが表向き善良な市民である同時に、

怖ろしい「呪い人」の予備軍でもあるのだ。

 

陰惨で悲劇的な部分も多いが、

ファンタジー物語としてはけっこう華があるので、

映画化すると面白いのではないかと思う。

 

 

  再読・嵐が丘

おりべまこと 

 

エミリー・ブロンテ「嵐が丘」や

スティーブン・キング「スタンド・バイ・ミー」など、かつて読んだ名作を再読してみたら新たな発見が!

還暦ならではの物語エッセイ集。

AmazonKindleより発売中。¥300


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友の旅立ちに春の花を

 

昨日、64歳で友達が死んだ。

演劇学校の同期生で、

いっしょに劇団をつくって芝居をやった仲間だった。

 

ステージ4のガンだということを知ったのは

半年前、同窓会を開く連絡をした時だった。

その後、12月に6人で連れ立って福井まで会いに行った。

割と元気そうで、おもてなしまでしてくれて、

わざわざ来てくれたお礼にと、お土産までくれた。

 

ステージ4と聞くと絶望感が生じるが、

カミさんの患者には

「ステージ4でもう7年生きてます」という

ガンとの共存に成功している人もいるらしい。

だからというわけではないが、

今年になってから僕のFBの投稿に

何度かリアクションもしていたし、

その友だちも、

まだまだ意外と大丈夫なんじゃないかと

漠然と思っていた。

でも結局そう願っていただけなのだろう。

 

「楽しい時間を過ごさせていただき

ありがとうございました」

彼女の死を知らせてくれた友達は、

そんな家族の伝言を伝えてくれた。

 

どんな時間を過ごしたのだろうと考えた。

もう40年以上も前のことだが、

いっしょに何かを創った仲間というのは

特別な時間を共有したのだという思いがある。

なんであんなにエネルギーがあったんだろう?

芝居なんてくだらないことに一生懸命になれたんだろう?

と不思議な思いがする。

 

劇団を立ち上げたメンバーは3人だったが、

もう一人はすでに15年前、50歳で逝ってしまった。

その時に比べて、今回どこか自然に

仲間の死を受け入れられるのは

やはり年齢のせいだろうと思う。

人生100年時代とは言えど、

還暦を超えた60代は生と死の境にある年代。

今ここを丁寧に過ごさないと

その後生き延びたとしても、

ただ生活しているだけの人生になりそうな気がする。

 

悩み相談みたいなサイトや動画で、

いろんな意図をこめて

「人生に意味などないよ」と言うセリフをよく聞く。

けれども3人の生き残りになってしまって、

なんで俺だけまだ生きているんだろう?

と考えざるを得ない。

 

この世から去る日を選ぶことなどできないが、

花の季節に逝くのは、

残る者の気持ちをほんの少し和らげる。

友の冥福を祈る。

 


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ある4月の晴れた朝に100パーセントのお花見をすることについて

 

昨日は絶好のお花見日和だったが、実はそうでもない。

カミさんは「絶対混んでいるから嫌だ」と拒否するので、

義母だけ連れて出かけたが、やっぱりという感じ。

 

善福寺川沿いは余りお店もないので、

例年は他の名所みたいに混み合うことはないのだが、

それでもコロナ明け、しかも最近の天気の悪さで

昨日に人出が集中したせいで大混雑。

おかげで義母はストレスで機嫌が悪くなり、

桜にも大して関心が向かない。

彼女の心を打ったのは、

帰り際に寄った小公園に咲いていた

黄色いヤマブキの花だった。

 

そんなわけで今日の朝はリベンジ。

義母をデイサービスに送り出し、

カミさんと3時間近く川沿いを歩く。

 

天気予報が外れて日も差し、

人も少なく、うるさい酔っ払いもいなくていい気分。

 

いわゆる花見による経済効果とは無縁だが、

経済の活性化と、桜の花を見る幸福感との間に

相関性は見いだせない。

 

近辺のあちこちの保育園の子どもたちも大勢来ていた。

この辺の保育園は広大な園庭を持っているようなものだ。

それも季節によってダイナミックに表情が変化する

ワイルドガーデン。

子どもたちも豊かな時間のなかで成長できると思う。

 

今日は近所の小学校の入学式もあったので、

桜並木の下で記念撮影している親子が大勢いた。

あくまで東京での話だが、

令和になってから桜の中で入学式ができたのは、

今年が初めて?

 

平成の息子の入学式も、

昭和の自分の入学式も桜の中だった。

欧米に倣って秋に入学・新学期という声もあり、

そっちのほうが合理的かなとは思うけど、

 

やっぱりそんなの日本人のメンタリティが許さない?

 


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死ぬ前にもう一度ワールドツアーで歌いたい・演奏したい

 

1960~70年代に活躍したミュージシャンで

そう漏らす人は少なくないようだ。

 

ワールドかどうか知らないが、

今夜(2024・4・6)は

有明の東京ガーデンシアターで

ジェームス・テイラーが一夜限りの来日公演をやっている。

 

そのことを教えてくれたのは、

ついこの間まで大学院生で、

来週から東京都の小学校の非常勤講師として

勤め始めるK君だ。

 

水道代を払い忘れて

水を止められたことがあるというK君は、

「たまたま耳にした『マイ・ブルーヘブン』が

心に刺さったんすよ」

と、ジェームス・テイラーは2020年にリリースした

「アメリカン・スタンダード」というアルバムを聴いて

ファンに。

今日はなんと!

S席2万円のチケットを買って今晩のライブ見に行った。

水道代払えないのに、チケット代は払うんかい!

でも、若いってそういうこと。

水より音楽のほうが大事なんだ。

 

ジェームス・テイラーといえば、

僕が中高生の頃、活躍したシンガーソングライターで、

確か、カーリー・サイモンのもと旦那。

キャロル・キングとのデュエットも印象深い。

 

「アメリカン・スタンダード」は

タイトル通り、

アメリカンポップの定番となった楽曲を集めたもので、

テイラーが独自の歌唱とアレンジで

渋みをきかせて料理している。

 

この投稿もBGMとして聴きながら書いている。

確かに心地よくリラックスできる。

そんなテイラーが20代前半の若者の心をつかむとは

面白い時代になったものだ。

 

1960~70年代に活躍したミュージシャンは、

すでに70代後半。

同世代ですでにこの世から去った人も少なくないので、

冒頭の「死ぬ前に・・・」というセリフが

漏れ出てもおかしくない。

 

意地悪くつっこめば、

「そんなに過去の栄光が恋しいのか」とも言えるが、

音楽を愛し、その世界で成功して生きて来たのなら、

やっぱり最後にまた夢を見て、

悔いなく人生を締めくくりたいと思うのが人情だ。

 

20世紀のポップミュージックも

ネット動画の発達、さらにAIの発達で

皆がお金を使わずシェアできるようになり、

もうかつてのようなビッグビジネスは望めない。

 

これから先の音楽産業がどうなるかはわからないが、

良い曲はやっぱり世代を超えて聴き継がれ、

様々な形で歌い継がれるのは間違いない。

 

おりべまことの音楽エッセイ集 Kindleより発売中

20世紀ロック・ポップ・歌謡曲は未来への資産


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AI「IKIRU」とプレスリリースの執筆代行

 

今週月曜、株式会社ビアンフェ.の

プレスリリースが出ました。

 

AI葬儀ナレーションシステム「IKIRU」。

オリジナルは3年前に出たけど、

今回は生成AI(ChatGPT)の機能を取り入れた

新バージョン。

ヒアリングシートに入力してスタートすると、

まさしくあのChatGPTと同様のリズムで

文章がタカタカタカっと生成され、

ナレーション原稿と会葬礼状を書き上げます。

 

まさしく誕生から逝去まで、

人がAIと生きる時代になった――

そう感じさせる画期的なシステムです。

 

じつはこのリリースの

執筆・発行・管理は私が担当しています。

プレスリリースはいつもリサーチする側にいましたが、

今回はビアンフェ.さんから

依頼を受けて執筆代行しました。

 

PRTIMESはTV・ネット・雑誌・新聞など、

多様なメディアにニュースソースを提供するとともに、

一般の人にも会社や個人、

商品やサービスを広く確実にアピールできます。

販促手段としてはかなり使えるツールです。

 

もし出したい、書きたいけど自分じゃ書けない、

面倒くさいので頼みたいといったご要望があれば

相談に乗りますのでご連絡ください。

 

また、リリースをお読みいただき興味があれば、

毎週やっているビアンフェ.のウェブセミナーで

AI「IKIRU」を試用してみてくださいね。

 


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桜よりだんご?のお子様アート

 

いよいよというか、やっとというか、桜満開ニュース。

わが家の庭である善福寺川沿いの遊歩道・公園でも

ソメイヨシノはだいたい朝は5分咲き、

夕方見たら8分咲きくらいになていた。

でも、桜よりもまたもやお子様アートに心奪われる。

髪の毛だんご?サザエさん?

笑えて可愛くて楽しい。

 

 

昭和99年の思い出ピクニック

マンガ・怪獣大好きで、戦争・貧乏大嫌い。みんな集まれ、昭和っ子!

「昭和96年の思い出ピクニック」に続く昭和エッセイ第2集。

 

全31編載録。

昭和の文化を未来への「資産」に。

 


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昭和の文化を未来への資産に

 

4月。新年度が始まって昭和気分も平成気分もぶっ飛んだ。

変わる、変わると言われつつ、

失われた20年だか30年だか、

ぐずぐずしていた日本も

やっと新しい時代へ動き始めたようだ。

いつまでもあると思うな昭和の常識。

それでも昭和が愛しいお年寄り、

昭和時代に憧れる子ども・若者に向けて、

昭和ルネッサンスの記憶を発信し続けます。

 

マンガ・怪獣大好きで、戦争・貧乏大嫌い。

みんな集まれ、昭和っ子!

「昭和96年の思い出ピクニック」

に続く、おりべまことの昭和エッセイ第2集 発売!

「昭和99年の思い出ピクニック」

96、99あわせて読んでね。

AmazonKindkeより発売中。

 


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本日発売! 昭和99年の思い出ピクニック

 

2024年➡令和6年は昭和99年です。

マンガ・怪獣大好きで、戦争・貧乏大嫌い。

みんな集まれ、昭和っ子!

 

「昭和96年の思い出ピクニック」に続く

昭和エッセイ第2集。

マンガ、テレビ、怪獣、アイドル、プロレス家族、仕事、戦争、暮らし・・・

昭和時代の数々の思い出を紐解き、

さまざまな角度から考察。いっしょに笑ったり、

しんみりしたり、懐かしがったり、

テンション上げたりしながら、

これからの日本の社会の在り方、

私たちの生き方を考察していきましょう。

 

もくじ

●今、そこにゴジラが立っている

●神のモスラ、悪魔のギャオスが巣食った東京タワーと地方出身者の東京幻想

●昭和人のマネして逃げたらアカン

●池袋でふくろう時代を振り返る

●「鬼滅の刃」で辿る近代日本の家族主義と個人主義

●昭和プロレタリアートの「出会いそして旅立ち」

●シェー!と麻丘めぐみと昭和歌舞伎

●カネゴンは鳥を見た

●人生百年時代の浦島伝説

●成人ちびまる子ちゃんと還暦サザエさんの「昭和の日」

●昭和のバナナ預金

●昭和28年を精神分析する妖怪小説

●「生きていくなら仕事しなきゃあな」という本

●東京メトロ永田町駅のトイレの美しさとカミさまのいる幸福

●トノサマラーメンとお寺の讃岐うどんのおいしい記憶

●「あとしまつ」の時代を生きる

●死ぬまで戦争体験はしたくないけれど

●労働者と風俗と大洋ホエールズの川崎伝説

●暑くても働く人がいるから世の中は回る

●平和祈願・核廃絶祈願のエネルギーと新たな戦争の脅威

●戦後77年の認知症予防策

●生涯現役・ウルトラの女神

●追悼・アントニオ猪木さん:あなたほど無様さがサマになる男はいなかった

●シン・ウルトラマンとイデ隊員とウルトラマンの本質

●廃墟から再出発 アニメむすめの温泉ビレッジ鬼怒川温泉

●美輪明宏とヨイトマケと太宰治

●いつまでもあると思うな昭和の常識

●昭和98年8月と17歳の父

●豊臣秀吉とジャニーズ 英雄の凋落と昭和システムの崩壊

●距離のある家族のこと

●イマイチ昭和世界の「ゴジラ-1.0」

 

全31編載録。昭和の文化を未来への「資産」に。

 


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4月だ、新年度・新学期だ、おりべの新刊だ

 

春休み無料キャンペーン、すべて終了しました。

ご購入いただいた方、ありがとうございます。

よろしければ感想をお寄せください。

 

さて、いよいよ新年度、新学期。

明日4月1日(月)は電子書籍最新刊

「昭和99年の思い出ピクニック」を発売します。

「昭和96年の思い出ピクニック」に続く

昭和エッセイ第2集。

こちらもどうぞよろしくお願いします。

Amazon Kindleより¥500

 

もくじ

●今、そこにゴジラが立っている

●シェー!と麻丘めぐみと昭和歌舞伎

●カネゴンは鳥を見た

●人生百年時代の浦島伝説

●成人ちびまる子ちゃんと還暦サザエさんの「昭和の日」

●美輪明宏とヨイトマケと太宰治

●いつまでもあると思うな昭和の常識

 

ほか全31編載録。昭和の文化を未来への「資産」に。

 


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春休みは勝手にアート

 

東京では今年は桜が咲く中で

入社式・入学式を迎えられそうだ。

春は桜だけじゃなく、いろんな花が咲く。

春休みの子どもたちが勝手に作るアートも楽しめる。

 

●おりべまこと電子書籍 おとなも楽しい少年少女小説 

春休み無料キャンペーン いよいよ最終日へ。

3月31日(日)15:59まで!

この機会にぜひ読んでみてね。

 

★オナラよ永遠に

好きな女の子に恥をかかせたくない!

そう思ってオナラの罪をかぶり、

ヘーコキ野郎の汚名を着せられた救太郎が

未来から参上したヘーコキサイボーグとともに

人類を救うために活躍する愛と笑いのSF冒険劇

 

★ピノキオボーイのダンス

見た目は12歳だが、

淋しさとむなしさを抱えた人間たちの虐待を受けて限界に。

故障し廃棄されたレンタルロボットの少年を

拾ったのは年老いたダンサーだった。

二人の師弟愛を中心に、AI・ロボットが発達した

近未来の人間とマシンに宿った魂の行方を描くSFドラマ。

 


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週末の懐メロ180:オールウェイズ・リターニング/ブライアン・イーノ

 

アンビエントミュージック(環境音楽)の創始者

 ブライアン・イーノが1983年にリリースした

名盤『アポロ』の一曲。

 

『アポロ』の収録曲はもともと

劇場用ドキュメンタリー映画『宇宙へのフロンティア』の

サウンドトラックとして制作された。

まさしく宇宙を感じさせる楽曲の数々は、

発表当時より21世紀になってからのほうが

よく聴かれているようで、

アルバム収録曲のストリーミング再生回数は

3億回を超えるという。

 

そのなかでも「オールウェイズ・リターニング」は

最も美しく、優しく、イマジネイティブな楽曲で、

昔やった演劇のBGMとして使ったし、

つい最近も拙作「今はまだ地球がふるさと」の

テーマ曲として割と頻繁に聴いていた。

 

もともとは4分ほどの曲だが、

これは1時間のループバージョン。

以前紹介した「ビッグシップ」もそうだが、

イーノの曲はずっと聴いていても飽きない、疲れない。

作業用のBGMとしてもいいし、

ただ単に1時間ボーっと聴き続けてもいいじゃないか。

 

というわけで2020年10月、

手抜きコンテンツとして始めた「週末の懐メロ」だが、

思いがけず約3年半、180回も毎週続けてしまった。

 

単に懐かしむだけでなく、新しい発見もいっぱいあって

本当に楽しかった。

また、音楽をネタに新しい企画をやるかもしれないけど、

とりあえず、これでさようなら。

 

ブログに過去の投稿も載っているし、

エッセイ集として電子書籍でも読めるので、

好きな曲・好きなミュージシャンがいたら

何を書いているのか覗いてみて下さい。

いつも、あるいは時々、もしくは1回だけでも

読んでいただき、どうもありがとうございました。

 

おりべまこと電子書籍 おとなも楽しい少年少女小説 

続・春休み無料キャンペーン7Days

パート2:3月31日(日)15:59まで!

 

★オナラよ永遠に

好きな女の子のオナラの罪をかばった救太郎が

未来から参上したヘーコキサイボーグとともに

人類を救うために活躍するSF冒険劇

 

★ピノキオボーイのダンス

廃棄されたレンタルロボットの少年と

年老いたダンサーとの師弟愛を中心に

近未来の人間とロボットの魂の行方を描くSFドラマ。

 


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AI・ロボットは人類の子ども

 

今月は2021年に携わったAI関連の仕事を手伝っている。

3年前はまだ異物感のあったAIだが、

ChatGPTの登場以来、急速に社会に馴染んできた感じ。

だからもう後戻りはできないと思う。

AI、そしてこの後に進化して

普及してくるであろうロボットは、

これまでの人類のさまざまな

ストーリーの情報を吸い込んだ、

いわば「人類の子ども」である。

 

優れた能力、そしてまた怖ろしい能力を持つ

子どもたちに対して

僕たちはいつまでもありがたがったり、

ビビッたりしてばかりはいられない。

 

これまでの対立的な態度を変えて

ともに生きることを考えていかなくてはいけないだろう。

AI・ロボットといっしょに

この先、僕たちは何をするのか、したいのか?

たぶん、まだ誰もわかっていない。

 

おりべまこと電子書籍 

おとなも楽しい少年少女小説 

続・春休み無料キャンペーン7Days パート2:

3月28日(木)16:00~31日(日)15:59

 

★ピノキオボーイのダンス

廃棄されたレンタルロボットの少年と

年老いたダンサーとの師弟愛を中心に

近未来の人間とロボットの魂の行方を描くSFドラマ

 

★オナラよ永遠に

好きな女の子のオナラの罪をかばった救太郎が

未来から参上したヘーコキサイボーグとともに

人類を救うために活躍する愛と笑いのSF冒険劇

 


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いたちのいのち、ちちちぢむ、いまのうち

 

おりべまこと電子書籍

おとなも楽しい少年少女小説

ただいま続・春休み無料キャンペーン実施中!

「いたちのいのち」と「ちち、ちぢむ」

3月28日(木)15:59まで。今のうちだよ。

 

★いたちのいのち

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夏目漱石「吾輩は猫である」をはじめ、

わが国にはネコ目線・イヌ目線で書かれた

文学作品は数あるが、フェレット目線の小説は

これが日本初!(たぶん)

 

★ちち、ちぢむ

https://amazon.com/dp/B09WNC76JP

南米産パラドクスフロッグ

(アベコベガエル)の生態と、

わが街の神社に出没する

「ちっちゃいおじさん」の都市伝説と、

SDG'Sの思想とを掛け合わせて考えたストーリー。

 

3月28日(木)16:00からは

第2弾として「オナラよ永遠に」と

「ピノキオボーイのダンス」を0円で。

 

 

★オナラよ永遠に

https://www.amazon.co.jp/dp/B085BZF8VZ

好きな女の子のオナラの罪をかばった救太郎が

未来から参上したヘーコキサイボーグとともに

人類を救うために活躍するSF冒険劇

 

★ピノキオボーイのダンス

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棄てられたレンタルロボットの少年と

年老いたダンサーとの師弟愛を中心に

近未来の人間とロボットの魂の行方を描くSFドラマ

 


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春休みは人生の踊り場

 

いろいろあるけど春休み。

子ども時代・学生時代を振り返ると、

長期休暇のうち、春休みがいちばん思い出深い。

夏休みは冗長で中だるみがあるし

(今は40日くらいすぐに過ぎちゃうけど)、

冬休みは年末年始で家で過ごす機会が多い。

それに対して春休みは進級・進学を控えているせいか、

それまで同じクラス・同じ学校だった仲間と

離れてしまうみたいなこともあって、

楽しくのびのびできるんだけど、

そこはかとない切なさがそよぐ春風に混じっていた。

春休みは、いわば人生の階段をのぼる途中の

小さな踊り場なのだろう。

 

なぜ階段の途中に「踊り場」があるかというと、

方向転換や、小休止、転落の危険を緩和するためだ。

そうなのだ。

子どもでも大人でもこういう場所は必要だ。

そしてせっかく踊り場に来たのなら、

階段を上ったり下りたりすることはちょっと忘れて、

踊っちゃおう。

からだもこころもちょっと踊ってリフレッシュ。

 

 おりべまこと電子書籍 続・春休み無料キャンペーン7Days

おとなも楽しい少年少女小説 長編4作を0円で。

 

パート1:3月25日(月)16:00~28日(木)15:59

 

★いたちのいのち

カナコは10歳。小学4年生。

一人娘の子育てに悩まされながら、

生活を支えるのに忙しい母親のマヨと

二人暮らしをしている。

しかしもう一人というか一匹、

いっしょに暮らす同居者がいる。

その名は「イタチ」。ペットのフェレットだ。

学校でも家でも口をきかないカナコにとって、

イタチは唯一、心を開いて話ができる親友であり家族だ。

子どもからちょっとおとなに変わっていくカナコと、

そのそばで天使の目を持ったまま生きる

フェレットのイタチ。

それぞれの視点から代わる代わる、

日常生活とその中で起こる事件の数々、

そして、ふたりの別れまでのストーリーを描く。

表紙イラストは「ほっと・ペットクリニック」

「あしたはハッピードッグ」など、

動物もの作品を多数発表している漫画家・麻乃真純が制作。

 

★ちち、ちぢむ

ケントの11歳の誕生日、

プレゼントを持ってきてくれるはずだったお父さんは、

身長9センチの「ちっちゃいおじさん」になって現れた。

どうしてお父さんは小さくちぢんでしまったのか?

いや、じつはお父さんだけではない。

今、社会の役に立たなくなった男たちが、

ある日突然、カエルサイズにちぢんでしまう

怪現象が多発している。

将来、生物学者をめざすケントは、

「ちぢむ男=ちっちゃいおじさん」は、

やりたい放題のホモサピエンスを

これ以上のさばらせないという

地球の意志によって生まれているのではないかと推理する。

アベコベ親子の奮闘を描く奇々怪々でユーモラスな物語。

 

この機会にぜひ手に取ってみてね。

 


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おりべまこと電子書籍 続・春休み無料キャンペーン7Days

 

子どもを主人公にした おとなも楽しい少年少女小説 

長編4作を本日3月25日(月)16:00から7日間にわたって

0円でご購入できます。

 

パート1:3月25日(月)16:00~28日(木)15:59

 

★いたちのいのち

カナコは10歳。小学4年生。

一人娘の子育てに悩まされながら、

生活を支えるのに忙しい母親マヨと二人暮らしをしている。しかしもう一人というか一匹、一緒に暮らす同居者がいる。その名は「イタチ」。ペットのフェレットだ。

学校でも家でも口をきかないカナコにとって、

イタチは唯一、心を開いて話ができる親友であり家族だ。

子どもからちょっとおとなに変わっていくカナコと、

天使の目を持ったまま生きるフェレットのイタチ。

それぞれの視点から代わる代わる、

日常生活とその中で起こる事件の数々、

そして、ふたりの別れまでのストーリーを描く。

表紙イラストは「ほっと・ペットクリニック」

「あしたはハッピードッグ」など、

動物もの作品を多数発表している漫画家・麻乃真純が制作。

 

★ちち、ちぢむ

ケントの11歳の誕生日、

プレゼントを持ってきてくれるはずだったお父さんは、

身長9センチの「ちっちゃいおじさん」になって現れた。

どうしてお父さんは小さくちぢんでしまったのか?

いや、じつはお父さんだけではない。

今、社会の役に立たなくなった男たちが、ある日突然、

カエルサイズにちぢんでしまう怪現象が多発している。

将来、生物学者をめざすケントは、

「ちぢむ男=ちっちゃいおじさん」は、

やりたい放題のホモサピエンスを

これ以上のさばらせないという地球の意志によって

生まれているのではないかと推理する。

アベコベ親子の奮闘を描く奇々怪々でユーモラスな物語。

 

パート2:3月28日(木)16:00~31日(日)15:59

 

★オナラよ永遠に

 

好きな女の子のオナラの罪をかぶった救太郎が

未来から参上したヘーコキサイボーグとともに

人類を救うために活躍する愛と笑いのSF冒険劇

 

★ピノキオボーイのダンス

棄てられたレンタルロボットの少年と

年老いたダンサーとの師弟愛を中心に

近未来の人間とロボットの魂の行方を描くSFドラマ。

 

もうすぐサクラの季節。春休みは遊び+読書でGO!

 


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おりべまこと春休み無料キャンペーン続行!4作品を7日間連続で

 

「今はまだ地球がふるさと」

無料キャンペーン終了しました。

ご購入ありがとうございます。

よろしければレビュー欄へ感想をお寄せください。

 

さて、好評につき、おりべまこと作品

春休み無料キャンペーン続行します。

子どもを主人公にした長編4作を

明日から7日間にわたってご購入できます。

 

パート1:3月25日(月)16:00~28日(木)15:59

★いたちのいのち

https://amazon.co.jp/dp/B08P8WSRVB

小4の少女カナコとペットの「イタチ」との

魂の交流を描く友情ファンタジー。

 

★ちち、ちぢむ

https://amazon.com/dp/B09WNC76JP

「ちっちゃいおじさん」になってしまったお父さんと

息子ケントとの親子愛を描く小人冒険劇

 

パート2:3月28日(木)16:00~31日(日)15:59

★オナラよ永遠に

https://www.amazon.co.jp/dp/B085BZF8VZ

好きな女の子のオナラの罪をかばった救太郎が

未来から参上したオナラ男とともに活躍するSF冒険劇

 

★ピノキオボーイのダンス

https://www.amazon.co.jp/dp/B08F1ZFLQ6

ロボットの少年と老ダンサーとの

師弟愛を中心に展開するSFストーリー。

 

もうすぐサクラの季節。

春休みは遊び+読書でGO!

 


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ジジババとUFOについて語り合おう

 

齢を取ってよかったなと思うのは、

子どもから年寄りまで全世代にわたって

特に抵抗なく登場人物を書けるようになったことだ。

 

この話に出てくる年寄りコンビは、

書いていくうちにどんどん生き生きしてきて、

われながら面白くて愛すべきジジババになった。

 

二人はお茶を飲んでせんべいをかじりながら、

なぜ現代人はUFOを見たがり、心惹かれ、

時には乗り込みたくなるのかについて

真剣に討論したりする。

 

そしてそれぞれ驚くべき顛末を迎える。

これなら齢を取るのも怖くない。

 

今はまだ地球がふるさと 

おりべまこと 

電子書籍 Amazon Kindle 長編小説

https://amazon.co.jp/dp/B0CW1FWZ59

14歳の女の子の

夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く

青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。

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いよいよ明日3月24日(日)15:59まで。

この機会をぜひお見逃しなく。

 


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週末の懐メロ179:放浪者(エグザイルス)/キング・クリムゾン

 

1973年リリース。名盤「太陽と戦慄」の挿入歌。

原曲は詩情あふれる佳曲だが、

それをパワフルな演奏に置き換えた、

想像を絶するアレンジのライブバージョンが

1975年発表のライブアルバム「USA」に収められた。

 

44年前の今ごろ、僕は演劇学校の卒業公演で

唐十郎の「蛇姫様」という芝居をやったが、

そのBGMとしてこの曲を使った。

 

「蛇姫様」は、第2次世界大戦直後、

朝鮮半島から日本へ渡ってきた

密航者のドキュメントをベースにしている。

 

追われるように故郷をあとにした女が

密航船の暗闇中で犯され、娘を産み落とす。

戦後の日本(九州・小倉)で育ったその娘が、

幻想や悪夢と闘いながら

自分のアイデンティティを探す旅をする物語だった。

 

じつは数年前、

高齢の在日韓国人2世の男性に話を聴く機会があり、

南北が動乱のさなかにあった1948年に

母・兄とともに密航船に乗って命がけで日本に来た、

というエピソードを聴いた。

 

当時まだ幼かった彼の記憶は曖昧だが、

密航船は船底に水が溜まっているようなボロい漁船で、

暗く狭い船内に20人ほどの密航者が詰め込まれ、

しける海を3日かけて航海したという。

 

夜中に日本にたどり着いて

(博多だったか下関だったか覚えていないという)、

密航者のほとんどは捕まって強制送還されたが、

彼らは靴をなくして探しているうち、

集団から外れたおかげで捕縛を免れ、

やがて大阪に行って暮らし始めたという。

 

この曲も「放浪者」という邦題がついていたが、

歌詞は異国で暮らす亡命者がふるさとの情景を追憶する

という内容なので、「亡命者」と訳す方が的確だろう。

当時はそんなこと何も考えていなかったが、

この曲は「蛇姫様」の物語に

ぴったりマッチしていたのだ。

 

1973~74年のキング・クリムゾンは、

ヨーロッパ・アメリカツアーを敢行し、

連日連夜、ステージに立っていた。

このライブ音源も1974年6月28日、

アメリカのアズベリー・パーク公演での収録を

編集したもの。

 

この時代のクリムゾンの大量のライブ音源は、

過去、CDとして様々な形でリリースされ、

YouTubeにも数多のバージョンが上がっている。

毎日、その日のノリでアレンジを変えていたので、

同じ曲なのに別の曲に聴こえることもあり、

めちゃくちゃバリエーション豊富なのだ。

 

ただ、「エグザイルズ」に限って言えば、

やはりこの「USA」における演奏が

最もアグレッシブでドラマチックで、いちばん好きだ。

 

特に今は亡きジョン・ウェットンのベースは圧倒的。

ヴォーカルも素晴らしく、

ウェットンの名声を高めた一曲と言っていいだろう。

 

もちろん「太陽と戦慄」収録の原曲も

美しくてミステリアスで好きだ。

 

キング・クリムゾンと言えば、

即興演奏や暴力的な音楽の凄みばかりが取りざたされるが、

中学生の頃の僕が虜になったのは、

彼らが醸し出すメロディの美しさに他ならない。

クリムゾンの音楽は僕の心のなかに輝きを産み出し続ける

永遠の錬金術なのである。

 

 

今はまだ地球がふるさと

おりべまこと

14歳の女の子の夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。

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3月24日(日)15:59までやってます!

 


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泣かない ハグしない 走らない

 

この話の主人公のリコは、やたら何度も泣き、

母親や友だちを抱きしめ、むやみに走ったりする。

ちょっと多過ぎるなぁと思って、

推敲しながら何度か、どこか削ろうとしたがだめだった。

彼女の自然な感情を潰すわけにはいかない。

 

きっとこの3つが僕が齢を取るうちに失ったものだ。

ま、女の子じゃないので、

もともと泣いたりハグしたりはできないが。

 

「走る」については、

ほぼ毎日、ちょこちょこ川沿いを走ってはいるが、

あくまで健康保持という

理性的な目的をもってやっていること。

 

内から湧きあがる何かに突き上げられてとか、

感情がさく裂するのに任せてとか、

ただ単に楽しくて走り出すなんてことは

とっくの昔に忘れてしまった。

 

べつに哀しくも寂しくもないが、

そういう幼さ・若さはちょっと羨ましく思うことはある。

 

「今はまだ地球がふるさと」/おりべまこと

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人はいつだって14歳にもどれる

 

人はいつだって14歳にもどれる。

64歳の僕のなかにも、

何歳だかわからないあなたのなかにも、

14歳の自分が暮らしている。

 

14歳の女の子の

夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く

青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。

 

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