4月の同窓会まで1ヶ月を切り、ほぼ連絡が行きわたったようなので、手伝ってくれてる二人にメールを送って情報をとりまとめる。
直前まで出欠変更は可能だけど、とりあえず人数を店に知らせておく必要があるので。
この仕事、20代の頃は単なる飲み会の連絡係・会計係に過ぎなかったのだが、齢を経ると様相が変わる。
飛び級で早々に人生を卒業してしまったのも二人ほどいる。
それぞれの生活環境などわからないし、家族のこと・仕事のこと・お金のこと・健康のこと、ぞれいろいろ問題抱えているだろうし、長く生きているといろんなことが起こる。
40年前と寸分たがわぬキャラ丸出しのメールが来て笑っちゃうこともあれば、できれば聞きたくなかったこと(相手も話したくなかったこと)を聞くことにもなる。
名簿を見ながら、だれだれ出席、だれだれ欠席と、漢字4~5文字の本名を書いていると、これ誰だっけ?と認識できなくなるケースもチラホラ出てくる。
特に女子は名字が変わっていることが多いので、なおのこと。
そこでそれぞれ当時の愛称・通称・あだ名などで書き換えてみると、たちまち顔が思い浮かび、声が聞こえてきて、キャラクターが立ち上がる。
身振り。口振り・服装・背景・いろんなシチュエーションまで再現できたりする。
そうやって名前を書き出すと、今回は欠席でも次回また声を掛けようという気になる。
でも連絡先がわからない・つながらないのもいる。
また、もう連絡なんかいらないと思っているのもいるだろう。
しかたないことだけど、幹事なんかやっていると、ここまできちゃうと、そういう人たちとはもう完全に切れちゃうだろうなと思う。
切っちゃう権限が自分にあるのかなとも考える。
もしかしたら以前は同窓会なんてどうでもいいと思っていたけど、今になってみると行ってみたいな、連絡があればなぁ、声掛からないかなぁ・・・と待っていることだってあるかも知れない。
「あいつがお願いって声掛けてきたから、しかたないので来てやったよ」
――今ならそういうやつがいてもOKと笑えるだろうなぁ。
こんなよけいなこと考えずに、クールに事務的にさっさと進めればいいのに、なんかいろいろ引っ掛かっちゃうんだよなぁ。
取材が続いたので、今週はテープ起こしと原稿書きの日々。
きょうは先日の里山農業プロジェクトの野田君の音声を起こしました。
録音を聞いてみて、やっと彼のヴィジョンが理解できる。
思った以上に深く、広がりがある。
これを一旦メモ帳に書き記して、その後、あっちこっち編集したのにプラス、合間合間に自分の文章を書き入れていく、というのが取材をした記事のオーソドックス(僕にとっては、ということだけど)な書き方です。
テープ起こし(機器はICレコーダーですが)は面倒な作業で時間もかかるし、重労働ですが、手ごわい内容は、これをやらないとどうにも頭にすんなり入ってきません。
テープ起こしをアウトソーシングすればラクに早くできるのだろうけど、そんな経済的余裕などないし、それにそう横着しちゃうと、なんだか寂しい気持ちになる。
頭の回転が鈍いので、何度も反芻しないとよくわからないんだよね。
この後もまだいろいろ溜っているので、どんどんやらねば。
間もなく3月も終わり。
こうしているとあっという間にゴールデンウィークになってしまいそうです。
月に一度、鎌倉新書の打ち合わせで日本橋・八重洲方面に出向きます。
鎌倉新書というのは葬儀供養業界のWebや雑誌を作っている会社。
以前は仏教書を出版していたのですが、現会長が社長になった20年ほど前から、機械化とかITテクノロジーとか、非人間的なイメージを嫌うこの業界において、いち早くインターネットでの情報発信にシフトしました。
「いい葬儀」という、消費者と葬儀社とを仲介するポータルサイトを開設したところ、業界内では当初、白い目で見られ、あの会社は代替わりしてダメになったと言われたらしいのですが、そこは時代の趨勢であれよあれよという間に市場に浸透。
特に僕が本格的に関わり出した2年半ほど前から株はうなぎのぼりで、一昨年末にこの八重洲の一等地に引っ越したと思ったら、それから1年も経たないうちに東証一部上場を果たしました。
とは言え、利益分はいろいろ始めた新事業のほうに回っているようで、外部ライターである僕のギャラが上がるわけではありません。
正直、割に合わんなーと思うことが多いのですが、興味のある分野だし、ある意味、高齢化・多死化代社会に関する最先端情報(テクノロジーなどではなく、社会心理的流れとしての情報)にも触れられるので、引き続き、業界誌の月刊仏事で記事を書き、時々Webの方もやっています。
その月刊仏事から新しい連載企画をやりたいけど何かない?と言われたので、以前、このブログで書き散らしたネタを思い出し、「世界の葬儀供養・終活・高齢者福祉」なんてどうですか?と提案したら、じゃあぜひ、とあっさり通って取り組むことに。
国内の出張費も出ないのに「海外出張費出ますか?」なんて聞くこともできず、ネット頼りの仕事になるのは必至。
でもイラストを描いてくれる人もいるらしいので、伝統文化と最新事情をごった煮にして分析を交えた読物風の話にしようと思っています。
ごく個人的なことでもいいので、情報あったらお知らせくださいな。
散歩がてらサクラを見に近所の大宮八幡宮に行くとネコ発見。
例によってナンパを試みたが、例によってシカトされた。
彼女には事情があった。
上の方でガサゴソ音がするので見ると、キジバトがいる。
落ち葉の中をつついて虫をほじくり出して食べているらしい。
ネコは野生の本能が刺激され、ねらっているのか?
でも、その割にはハトに対して集中力が欠けている。
自分の中でウズウズモゾモゾ本能がうずくのを気持ち悪がっているように見える。
サクラ色の首輪をつけているので、どこかの飼いネコだろう。
家に帰ればいつもの安全安心、おいしく食べやすく栄養バランスもとれてるキャットフードが待っている。
なのになんで鳥なんか狩らなきゃならんのか、
だいいち、あたしが口の周りを血だらけにして鳥やらネズミやら持って来たら、飼い主さんが卒倒しちゃう。
でも狩ったら脳からアドレナリンがドバっと出て気持ちよくなりそうだ。
ああ、でも、そんなのダメダメ・・・と、ひどく葛藤しているように見える。
飼いネコでも本能のままに生きているやつもいれば、鶏のササミや魚の切り身をあげても見向きもしないやつもいる。
イヌもそうだけど、多くの飼い主はペットに一生自分のかわいい子供であってほしいと願う。
人間じゃないんだから、大人になんかなってほしくない。
恋もしてほしくないから去勢や避妊手術を施す。
生物学的なことはよくわからないけど、そうするとホルモンもあまり分泌しなくなるだろうから、ペット動物は「子供化」して野生の本能は眠ったままになるのだろう。
一生人のそばにいて、一生キャットフードを食べて、一生本能なんぞに煩わされることなく、平和に暮らせるのがサイコーだと思っているネコもいるはずだ。
人間と一緒に都市生活をしていくにはそのほうが幸せなんだろう。
けれどもイヌと違って、ネコは本能に目覚めても人間に危害を及ぼす可能性は限りなく低い。なので「最も身近な野生」を感じさせてほしいという、人間の勝手な期待を背負わされた存在でもある。
おそらくネズミや鳥を狩ってくる飼いネコは、飼い主のそうした潜在的な希望を感じとって、本能のうずきに素直に従うのだ。
ただ、そうじゃない彼女のようなネコもいて、せっかくのんびり暮らせているのに、野生時代の先祖の血の逆流に悩まされることもあるんじゃないかと思う。
こんど道端で会ったネコに、そこんとこつっこんでインタビューしてみようと思うけど、答えてくれるかニャ~。
連荘で農業取材。
26日(月)は秋川渓谷と美しい山並みが望めるあきる野市に出向き、秋川牛とご対面。出荷前・生後30ヵ月の黒毛和牛の体重は800キロ。でかっ。
東京で唯一の肉牛生産牧場・竹内牧場では約200頭の秋川牛を飼育しています。
このあたりは、日本各地の有名なブランド牛の産地に負けず劣らず、水も空気もきれいで豊かな環境なので、牛をはじめ、豚・鶏などを育てるには持ってこいとのこと。
秋川牛は希少価値のある高価なお肉ですが、都内のホテル・レストラン・料理店なので口にするチャンスがあるかも。
一方、武蔵五日市駅にほど近い松村精肉店は、地元で生産されるこの秋川牛の認知度を上げたいと、手軽に味わえる加工品としてレトルトカレーなど製作しています。
オリンピックもあることだし、東京の名産品をアピールしていこうとブランド力UPに奮闘中です。
昨日ご紹介した磯沼牧場+多摩八王子江戸東京野菜研究会でも聞きましたが、これら多摩・八王子地域の環境はこの20年ほどで劇的に改善され、川には清流が戻り、アユなども戻ってきているとか。
今や都心で働く人たちのベッドタウンというイメージから脱却し、豊かな自然が楽しめ、農業も盛んな地域としてのイメージが高まっています。
いつまでも「東京は緑が少ないから云々」なんて、手垢のつきまくったステレオタイプのセリフをほざいていると時代に取り残されますよ。
テクノロジーとパラレルで進行する昔ながらの環境とライフスタイルへの回帰。
「むかしみらい東京」がもう始まっているのかも知れません。
東京にこんな素晴らしい牧場があったのか!
噂には聞いていたけど、なかなかタイミングが合わずに来そびれていた磯沼牧場(磯沼ミルクファーム)に25日・日曜日、初めて来場。
多摩八王子江戸東京野菜研究会とのコラボイベントで、牧場特製のチーズとベーコン、ソーセージ、野菜てんこ盛りのピッツァ作りです。
牧場主・磯沼さん手づくりの溶岩石窯で焼いたピッツァはおいしくてボリューム満点。
ランチの後は乳しぼり体験、牧場ツアー(放牧場もある)、磯沼さん×福島さん(多摩八王子江戸東京野菜研究会代表)の都市農業トークと続き、あえて取材の必要なしというところまで堪能しました。
場所は京王線・山田駅から徒歩10分弱。
新宿から1時間足らずで来れるし、横浜からも近い。
わざわざ北海道などへ行かなくても、たっぷり牧場体験ができます。
それも観光牧場でなく、リアルな生活と結びついている生産牧場で。
環境問題、動物福祉問題への取り組みなど、牧場経営のコンセプトを通じて、さりげにいろいろ勉強でき、新しいライフスタイル、これからの哲学を考えるきっかけにもなると思います。
乳しぼりをはじめ、毎週のように何らかのイベントが開かれ、牛さんをはじめ動物たちに触れあえます。
いつでもオープンなので、ぶらっと覗きに来るだけでもいい。
子供たちには超おすすめ。お年寄りにも楽しい。
ちょっと凹んでいる人、メンタルを病んでいる人も心のケアができるのではないかな。
直売所もあって、おいしいアイスクリームやプリンやヨーグルトも食べられますよ。
興味のある人はホームページやフェイスブックもあるので検索してみてください。
下の妹が飼っているチワワのハナちゃんとは、たぶん2年ぶりくらいのご対面。
前に会ったのはチビ犬の頃だったけど、ちょっとの間、くんくん嗅ぎ回って「あ、知ってる知ってる」と思ったのか、尻尾をフリフリしてくれた。
抱き上げても安心安心。僕のにおいを憶えていてくれてありがとう。
人間の子どももいろいろ情報を詰め込まれる前は嗅覚がするどい。
一度嗅いだにおいは絶対忘れない。
自分自身のことを考えてみると、視覚や聴覚では憶えていなくても、においというか空気感で憶えていることがいっぱいある。
親はもちろんだけど、周りにいる大人たちはそれぞれ独特のにおいを持っていたような気がする。
におうと言うと何だか臭くて嫌われそうな気がするが、完全ににおいを消し去ると、その人は透明人間になって、見えていても誰にも気づかない存在になる。
忍者やスパイになるならいいかも知れない。
大人になると鼻が利かなくなって、というか、においを感じる脳の部分が鈍くなって、刺激の強いものしかキャッチできなくなるようだ。
なので少しは意識してにおいを嗅ぐ練習をしたほうがいいのかもしれない。
基本はやっぱり食事。
テレビやスマホを見ながらめしを食わないこと。
そして手料理を楽しむこと。
最近はそんなものより出来合いの料理の方がよっぽどうまいと言う人も多いけど、手料理にはその家・その人独自のにおい・風味がついている。
それを知っているのと知らないのとでは随分ちがうんじゃないかな。
自分が自分である基礎とか土台みたいなものは、そういう些細な目に見えないもので出来ているのではないかと思う。
そうだよね、ハナちゃん。
父も母も昭和ヒトケタ生まれ。貧乏人の子沢山でそれぞれ8人兄弟だ。
ぼくが生まれる前に死んでしまった人を除き、そのきょうだい、および、その伴侶の全部はしっかり顔や言動を憶えている。
僕が子供の頃は行き来が盛んだったので、みんなインプットしている。
しかし、9年前に父が亡くなったのをきっかけに、毎年バタバタと後を追うように亡くなり、大半がいなくなった。
今年もまたひとり、先日、ヨリコ叔母さんが亡くなったと聞いた。
母方は女系家族で8人のうち、7番目までが女で末っ子だけが男。
ヨリコ叔母さんは7番目。つまり7姉妹のいちばん下の妹だ。
幼稚園の時だったと思うが、結婚式に出た記憶がある。
きれいなお嫁さんで、チビだったぼくを可愛がってくれた。
そのチビの目から見ても、なんだかとてもかわいい人だった。
6人も姉がいて、4番目の母(母は双子の妹)とさえ12歳違う。
いちばん上のお姉さんとは16歳以上違うはずだ。
なのでほとんどは姉というよりチーママみたいなものだ。
母もよく子守をしたというし、日替わりでみんなが面倒を見てくれていたようだ。
母の家はお父さん(僕の母方の祖父)が早く亡くなったので、女が協力して貧乏暮らしからぬけ出そうとがんばってきた。
でもヨリコ叔母さんは小さかったので、そうした苦労が身に沁みず、物心ついたのは、お母さんやお姉さんたちのがんばりのおかげで暮らし向きも上がってきた頃だった。
そうした中で一家のアイドルとして可愛がられて育った。
そうした成育歴はくっきり刻まれ、そのせいで彼女は、ほかの姉妹らの下町の母ちゃん風の雰囲気とは違う、お嬢さん風の雰囲気を持っていた。
だから、おとなになってもどことなくかわいいし、ちょっと天然も入っていた。
最後に会ったのは父の葬儀の時。
さすがに外見はそろそろばあちゃんっぽくなっていたが、中身はほとんど変わっておらず、ぼくをつかまえて
「せいちゃん、大きくなったねー」と言った。
50間近の男に向かって大きくなったねーはないもんだけど、そう笑顔で屈託なく声を掛けられるとすごく和んでしまった。
その時の会話が最後の印象として残ることになった。
叔母とはいえ、中学生以降はめったに会うこともなかったので、彼女がどんな人生を送っていたのはわからない。
もちろん少しは苦労もあったと思うけど、べつだんお金持ちではないにせよ旦那さんは真面目で優しくユーモアもある人だったし、特に悪い話も聞かなかった。
嬉しそうに小さい孫娘の面倒を見ていたのも印象的だった。
たぶん美化しているし、これは僕の勝手な想像であり願いだけど、おそらくそれなりに幸せに過ごしてきたのだろう。
不幸な目に遭ったり、理不尽な苦労を強いられたり、他人にあくどく利用されたり、自分の欲に振り回されたり・・・
人生の中のそんな巡りあわせで、人間は簡単に歪んでしまう。
でも、できるだけそうしたものに心を損なわれないで、ヨリコ叔母さんのようにかわいい人にはいくつになっても、ずっと素直にかわいくいてほしいなぁと願ってやまない。
今回の名古屋(愛知)ツアーでは、里山の概念を農業と組み合わせ、インターネットを利用して事業化するプロジェクトを掲げる人を取材しました。
彼は2002年生まれ。16歳の高校生。
田園地帯で植物や昆虫に親しみ、かたやインターネットに親しみながら育った彼は、資本主義発展拡大病の時代に育ったぼくたちの世代とはまったく違うセンスを生まれながらに持っているようです。
「里山」という概念が今、世の中に浸透しつつあります。
里山はごく簡単に言うと、自然環境と人間の生活圏の交流地帯。そのベストバランスを保つ、あるいは破壊したものを再生するという考え方を表現する言葉でもあります。
人間が生活できなくてはならないので、当然そこには経済活動も含まれるし、伝統工芸・伝統芸能といった文化芸術や民俗学系の学問も含まれるのではないかと思います。
「人間が手を入れた自然」と言い換えることもできるでしょう。
また、それらを包括する懐かしいとか、愛おしいとかいった心象風景もその概念の中に入ってくるでしょう。
人間のあり方・生き方を問い直す哲学も含まれているのかも知れません。
日本独自のものかと思っていたら、他国にも通用し、国際的にも理解が進んでいる概念で、よく言われる「持続可能」な社会にSATOYAMAは不可欠とされているようです。
そういう意味では、過去200年、世界を席巻し、地球を支配してきた工業化・資本主義化の流れに対するカウンターとも言えます。
高校生の彼には野外でのインタビューを考えていましたが、あいにくの雨のためはやむを得ず、岡崎市内の「コメダ珈琲店」で敢行。コーヒーと、コメダ名物「シロノワール」を食べながらの取材になりました。
彼は子供のころから自由研究などを通じて里山について学び、中学生のころから戦略的にプロジェクト化を画策。近所の農家の人たちなどはもとより、自分で電話やメールで東大・京大などの教授・学者に頼み込み、取材に出かけたといいます。
現在はいわばサークル的なノリで同級生やネット上の仲間が集まり、大人の支援者もいますが、まだ実務のできるスタッフがいない状況。
コンセプトは決まっているので、まずネットを通じての「ブランド化」に力を注いでいきたいとのことでした。
僕としてはこうしたことを本気で考え、事業化に取り組んでいる若僧がいるというだけで十分心を動かされました。
彼のことは来月、「マイナビ農業」でUPしますが、興味のある方は「里山農業プロジェクト」で検索してみてください。
「こんなやわらきゃー、水っぽい鶏はいかんわ。むかしのかしわはまっと歯ごたえがあってうまかったでよー」
こんな軟らかい、水っぽい鶏はダメだ。昔のかしわ(鶏肉)はもっと歯ごたえがあっておいしかった、という声を受けて、一時期、市場から消滅した名古屋コーチンが、日本を代表する地鶏として見事復活を果たした物語を探るべく、今回は「マイナビ農業」で名古屋取材を敢行しました。
市内にある「名古屋コーチン協会」で話を聞いた後、名古屋コーチン発祥の地である小牧市へ。
明治の初め、この地に養鶏場を開いた元士族の海部兄弟が、地元の鶏と、中国(当時、清)から輸入したコーチンという鶏を掛け合わせてできたのが名古屋コーチンです。
「だもんだで、まっとそのことを宣伝せんといかんわ。日本が誇れる名物だでよう」
ということで昨年(2017年)、名鉄・小牧駅前にはコケー!と、おしどり夫婦(?)の名古屋コーチンのモニュメントが立ったと聞き、駅について改札を出たところ、出口が左右に分かれている。
どっちだろう? と迷ったとき、すぐ目の前で駅員さんが掲示板を直す作業をしているので、尋ねてみました。
「あのー、名古屋コーチンの像はどっちの出口にあるんでしょうか?」
駅員さん、けだるそうに振り向き、ぼくの顔を一瞥。さらに一呼吸おいて
「左の階段を下りてって、右に曲がってずっとまっすぐ行ったところに市の出張所がありますで、そこで聞いてちょーだゃー。それはうちの管轄でないもんで」
?????
駅前って聞いたけど、そんな分かりづらいところにあるのかなぁ・・・と思いつつ、左の階段を降りると、なんと、その目の前にコーチン像があるではないか。
?????
まさかあの駅員さんはこれを知らなかったのだろうか?
それとも上司に、責任問題が発生するから、鉄道のこと以外は聞かれても答えるなと言われていたのだろうか?
それとも奥さんと何かあったとか家庭の悩みでも抱えているからなのか?
あるいはたんに鶏が嫌いで、コーチンお話なんかのしたくなかったのか?
たくさんの疑問に駆られながらも、前に進まなくてはなりません。
海部養鶏場(跡地)にはどういけばいいのか。
ちょうど目の前に観光案内所があったので入ってみました。
平日ということもあってお客は皆無。
ぱっと見た目、アラサーぐらいの女の子がひとりで机に向かって、わりとのんびりした感じで書類の整理みたいなことをやっています。
そいえば時刻はちょうどランチタイムでした。
「あのー、海部養鶏場跡地に行きたいんです」
「え、何です?」
「海部養鶏場です。カイフ兄弟。名古屋コーチンの」
「あ、ああ、ああ、名古屋コーチンのね」
「たしか池ノ内というところなんですが・・。歩きじゃちょっと無理ですよね」
「ええと。そうだと思います。ちょっとお待ちくださいねー」
と、アラサーの女性はあちこち地図やらパンフやらをひっくり返し始めました。
市の観光スポットの一つに加えられたらしいと聞いていたので、即座に答えが返ってくるものと想定していた僕は思わぬ展開にちょっとびっくり。
その女の子は一人じゃだめだと思ったのか、奥に入っておじさんを引っ張り出してきて、ふたりでああだこうだと大騒ぎで調べ始めたのです。
お昼の平和でゆったりとした時間を邪魔してしまったようで申し訳ないなと恐縮しつつ、実はなんか面白いなと思いつつ待っていたら、もう一人、お昼を早めに済ませて戻ってきたおにいちゃんが加わって3人で合同会議。
それで出てきた結論が「タクシーで行ったら?」というもの。
べつにタクシーを使うお金がないわけじゃないけど、アポがあるわけじゃなし、急いでいるわけじゃないし、第一ここまで大騒ぎしたのに、それなら最初からタクシーに乗ってるよ、バスとかないんですか? 地元の人といっしょにバスに乗ると楽しいいんですよと言うと、バスルートと時刻表を調べて、やっと案内が完了しました。
この間、約20分。効率主義、生産性アップが叫ばれる世の中で、このまったり感はどうだ。急いでいたら頭にきてたかもしれないけど、旅というのはこうやって余裕を持って楽しむものだ、と改めて教えてもらった気がしました。
考えさせられる不思議な駅員さんといい、まったりした観光案内所といい、皮肉でなく、おかげで楽しい旅になりました。小牧の皆さん、ありがとう。
●リバーズ・エッジ:トラウマになった漫画を映画で観る
岡崎京子の漫画「リバーズ・エッジ」は僕のトラウマになっている。
この漫画に出会った1990年代前半、僕はとっくに30を超えていた。
心のコアの部分を防御するシールドもしっかり出来上がっていたのにも関わらず、ティーンエイジャーを描いたこの漫画は、シールドに穴をあけて肌に食い込んできた。
先日書いた大友克洋の「AKIRA」が世紀末時代の象徴なら、「リバーズ・エッジ」は、その the Day Afte rの象徴だ。
リバーズ・エッジ(川の淵)は流れの淀みであり、尋常ではない閉塞感・荒涼感・空虚感に包まれた繁栄の廃墟だった。
子供たちの残酷で不気味で鬱々としたストーリーと、ポップでシンプルな絵柄との組み合わせが劇的な効果を生み出し、ページをめくるごとにますます深くめり込んでくる。
自分自身は仕事も順調で結婚もした頃。
こんな胸が悪くなるようなものにそうそう関わり合っていられないと2~3度読んで古本屋に売ってしまった。
けれども衝撃から受けた傷は深く心臓まで届いていた。
映画化されたことは全然知らなかったのだが、先週、渋谷の公園通りを歩いていて、偶然、映画館の前の、二階堂ふみと吉沢亮の2ショットのポスターに出会ってしまった。ふみちゃんに「観ろ」と言われているようだった。
原作に惚れた彼女自ら行定勲監督に頼んで映画化が実現したらしい。
映画は原作をリスペクトし、ほぼ忠実に再現している。
その姿勢も良いが、何よりもこの漫画が発表された四半世紀前は、まだこの世に生まれてもいなっかった俳優たちが、すごくみずみずしくて良かった。
暴力でしか自己表現できない観音崎くん、
セックスの相手としてしか自分の価値が認められないルミちゃん、
食って食ってゲロ吐きまくりモデルとして活躍するこずえちゃん、
嫉妬に狂って放火・焼身自殺を図るカンナちゃん、
河原の死体を僕の宝物だと言う山田くん、
そしてそれらを全部受け止める主人公のハルナちゃん。
みんなその歪み具合をすごくリアルに演じ、存在感を放っている。
最近の若い俳優さんは、漫画のキャラクターを演じることに長けているようだ。
原作にない要素としては、この6人の登場人物のインタビューが随所に差しはさまれる。
この演出もそれぞれのプロフィールと物語のテーマをより鮮明にしていてよかった。
でも映画を観たからといって、何かカタルシスがあるわけでも、もちろん何か答が受け取れるわけではない。
四半世紀経っても、僕たちはまだ河原の藪の中を歩いている。
そして二階堂ふみが言うように、このリバーズ・エッジの感覚は彼女らの世代――僕たちの子どもの世代もシェアできるものになっている。
そのうち僕は疲れ果ててこのリバーズ・エッジで倒れ、そのまま死体となって転がって、あとからやってきた子供たちに
「おれは死んでいるけど、おまえたちは確かに生きている」と勇気づけたりするのかもしれない。
そんなことを夢想させるトラウマ。やっぱり死ぬまで残りそうだ。
齢を取ってくると昼寝が楽しみの一つになります。
以前は時間がもったいないなぁと思っていましたが、たとえ僅かな時間でも体を横にして休むと、もう調子が段違い平行棒。
その後の仕事の効率、クオリティを考えたら寝るに限る、休むに限る。
しかし、会社のオフィスではなかなかこうはいかないでしょう。
こういう時は自宅でやっているフリーランスで本当によかった~と思います。
ただちょっと困るのが夢を見ちゃったとき。
いや、夢を見るのはこれまた楽しいのですが、その夢の記憶が現実のものとごっちゃになることがあるのです。
この間、通っていた学校を探そうと現地に行ってみると、迷宮に迷い込んだように、いくら歩き回っても見つからない。
それで思い出したのが「移転した」という情報を耳にしたこと。
それで、ああ、移転したんだっけと思い込んでしまったのです。
ところが、あとでネットで調べてみると、改装はしているものの、ちゃんと同じ住所に存在しているではないか!
確かに聞いていた移転情報。あれはいったい・・・
と考えてみると、それはいつかの夢の記憶だったのです。
あちゃ~、いよいよボケが始まったぁ。
夢と現実がひとつながりになった次元へ、とうとう足を踏み入れてしまったのかも知れません。
でもまぁいいや、気持ちよく昼寝できれば。
というわけで、今後、僕の発信する情報が現実の出来事なのか、夢の中の記憶なのかは、読んでいるあなたの判断におまかせします。
ではお休みなさい。ZZZ。
きょうは確定申告の最終日でしたが、先週会ったお友だちの会計士さんは締切間近でストレス満載の様子でした。
その彼がぼそっとつぶやいたセリフが
「現物支給でも、永遠に続けばいいんだけど」
え、まさか現物支給の報酬で会計を?
そういえば、半年前に会った時は、つぶれそうな食品会社の経理を請負っているとか言ってたけど・・・。
追及するのはやめときましたが、「永遠の現物支給」という言葉が頭に残ったので、それについて考えてみました。
何でもお金の世の中で、ちょっとした贈り物も、冠婚葬祭の引き出物も、現金・カード・商品券などが喜ばれます。
そうした風潮の中で現物支給――それも1回2回こっきりじゃなくて、毎月ずーっと支給が続くとしたら、何がもらえたら嬉しいだろうと考えると・・・
やっぱり食べ物ですね。
会計士さん、食品会社でよかった。
なに、よくない?
缶詰、レトルト、乾物、冷凍食品・・・
そんなもの1か月分もらうと嵩張るし、置き場所に苦労する。
それに毎日食べたくない。
かといって生鮮食品は日持ちしないし・・・
と考えていくと、ベストはお米だ!
お米なら毎日食べられるい、真夏でも1カ月くらいなら保存も問題なし。
うちはひと月10キロ食べるけど、それくらいなら置き場所にも困らない。
ついこの間、イベントの仕事「五つ星お米マイスターのおいしいお米講座」でお米の食べ比べをやったけど、毎月ちがう品種のお米を支給してもらえれば、いろんなのが試食出来て、ますます楽しい。
――と話すと、そこは会計士さん、チャチャっと数字に置き換えて、
「1カ月10キロ、平均5000円として1年で6万円。10年で60万円。17年しないと100万円超えませんよ。安すぎる~。お金でもらわなきゃだめだ~」
なるほど。お金にすると確かに安い。
でもね、お金がなくても、死ぬまでごはんだけは間違いなく食べられるという安心感は何物にも代えがたいのではないでしょうか。
1カ月のギャラ・給料が5000円と考えると、わびしくみじめになるけど、今月も10キロのお米がいただけると考えると、なんだか豊かな気持ちになってくる。
ましてやそれが永遠に続くとなると、穏やかな晴天が心の中に広がってくる。
うんこれなら悪くないぞ、永遠の現物支給。
農家さんとか、お米屋さんとか、JAさんとかの仕事なら、そんな契約を結んでもOKかも。
会計士さんは嫌だというけど、あなたならどうですか?
渋谷パルコの建て替え工事現場の囲いに大友克洋のマンガ「AKIRA」が描かれている。
この大きさだとすごい迫力。そして、内側の解体されたビルの風景が、「AKIRA」の世界観と符合して、リアルで巨大なアートになっている。
人通りの多い公園通りだけにアピール度は抜群だ。
最近あまり渋谷に行かないので知らなかったけど、このアートワークが搭乗したのはすでに昨年(2017年)5月半ばのこと。ネットでいろいろ話題になっていたらしい。
というのも「AKIRA」の舞台は2019年の「ネオ東京」。翌2020年にはそのものずばり「東京オリンピック」が開催される予定・・・という設定。
その中で抑圧された若者たちをい中心に超能力バトルが繰り広げられ、ネオ東京が崩壊していくというストーリー展開なのだ。
というわけで「AKIRA」をパネルにしたパルコはオリンピック開催に異議を申し立てているのではないかという憶測が飛び交ったが、当のパルコ側は、さすがにそれは否定したという。
僕が思うに、おそらく渋谷の街の再生劇のメタファーとして、かのマンガを用いたのだろう。それも「西武・パルコの渋谷」の。
「AKIRA」が連載され、映画化され、一種の社会現象にまでなったのは1980年代のバブル上り坂の頃で、パルコの黄金時代、西武・セゾングループカルチャーの最盛期とぴったり重なる。
一時は東急グループと渋谷の覇権を二分していた西武・セゾンにとって、昨今の東急の圧倒的な大改造計画に一矢でも報いたいという思いで、「AKIRA」を持ち出してきたのではないかと思われる。
あの頃は経済の繁栄と裏腹に「近未来」「世紀末」という言葉が跳梁跋扈した。
「AKIRA」はその象徴と言える作品だった。
この繁栄・この豊かさはインチキなのではないか、まがいものではないのか。
そんな違和感が当時の若者たちの心の中にトゲのように突き刺さっていた。
そんな違和感によって支えられ、膨れ上がった「AKIRA」のような作品世界が、好景気で沸き返る、どこかうそくさい日常世界とのバランスを取っていたのかも知れない。
その状況は終わったわけでなく、実はもう30年以上も続いている。
だからなのか、現代の渋谷に「AKIRA」が出現することに時代遅れ感どころか、ベストマッチ感さえ感じてしまう。
「世紀末」が過ぎても、東京の街は崩壊していない。
終わりのない日常がダラダラと続き、僕たちはズルズルと前の時代の太い尻尾を引きずりながら、時には波に呑まれて漂流しながら前に進もうとしている。
もうすぐ現実世界が「AKIRA」の近未来世界を追い越していく。
今日は何の予告もなく、クール宅急便で「きりたんぽ鍋セット」が送られてきてびっくり。
仕事をいただいている秋田の方からサプライズの贈り物です。
これまでメールでしかやりとりしていなかったんだけど、そういえばこの間、住所を聞かれたので、紙にした資料を送ってくるのかなと思ってたら・・・どうもごちそうさまです。
ちょうど今夜は家族が揃っていたので、早速いただきました。
肉も野菜も一式入っていて比内地鶏のスープ付き。あったまりました。
秋田県は、かなり昔に大潟村(かつての大干拓地・八郎潟にある村)の干拓資料館の仕事をやりましたが、それ以来の仕事。
来週は名古屋コーチンの取材で名古屋に行きますが、いずれ比内地鶏も取材したいです。
10日(土)・11日(日)の二日間、渋谷のNHKの敷地で「にっぽんの食・ふるさとの食」のイベント開催。JA全中ブースで「五つ星お米マイスター・小池理雄のおいしいお米講座:絶品ごはんの食べくらべ」をやり、台本と演出を担当しました。
原宿の米屋・小池さんの作った「お米の通知表」を参考に、岩手・宮城・福島・福岡、各地産の4種類のブランド米を食べ比べ、その品種を当てる、クイズ形式のワークショップです。
五つ星お米マイスターとしてメディアから引っ張りだこ、講師としても大活躍の小池さんですが、この二日間の受講生(1ステージにつき35人ほど)は、ぜひ「参加したくて来ているというよりも、ここに一休みに来たり、冷やかしに来たり、ただ単にごはんが食べられるからという理由で入ってきたた一般大衆。ぶっちゃけ、まじめにお米のことが知りたいと思っている人は1割、2割しかいません。講師にとっては最も手ごわい相手です。
二日間で4ステージにありましたが、1日目の参加者の反応を見て、その夜、台本を書き直し、2日目は大きく違う構成でやってみました。
ちなみに30分の台本のセリフ部分はほとんどMC(司会)用で、それに応じながら小池さんが自由にトークを展開していくというつくりです。
イベントはまさしく生ものなので、その時の参加者の発するSomethingによって1回目も2回目も3回目も4回目も、まったく違ったステージになります。
これが正解、これが完成という形はなく、きっちりできたのに反響が薄い場合もあれば、グダグダになっても大ウケという場合もあります。
もちろんグダグダでいいというわけにはいきませんが、面白いものです。
それにしても、その場に応じて自由自在にセリフを変えられる小池さんのお米ボキャブラリー宇宙は素晴らしい。
ますますこなれて星雲のように年々膨らんでいます。
おなじみ階段シリーズ。
うちは1階が「野の花鍼灸院」という鍼灸院になっています。
カミさんが小児鍼のエキスパートなので、女性と子供を診ています。
で、毎日、いろんな子供が来るのだけど、玄関を入ってすぐある階段にどうしても目が行ってしまう。
特に好奇心旺盛で冒険好きの幼児には、たまらない魅力なのでしょう。
もちろん進入禁止で、連れてきたお母さんは「怖いおじさんがいるのよ」なんて脅すのだけど、ある年齢を過ぎると、そんな脅し文句などヘのカッパになる。
好奇心が抑えられず、のこのこ上ってくる子もいるのです。
今日来た4歳児のショウちゃんもその一人で、お母さんとカミさんの制止を振り切り、階段を登り切ってパソコンやってた僕の背中に話しかけてきたので、ニヤッと笑って振り返ったら、むこもニコッ。 下からは「ショウちゃん!降りてきなさい」と呼ぶ声が。
なので、ぺちっとハイタッチをしたら満足したように引き上げていきました。
本日の冒険、おわり。
あとから聞いたら、怖いおじさんなんていないよ~。やさしいおじさんだよ~って言っていたようだ。
うーん、これに味をしめてまた上がって来るかも。
今度はオバケのお面でもつけてふり返ってやろうか。
でも、あんまり怖がらせ過ぎてもなぁ~。
好奇心・冒険心は子供の宝物ですから。
侵入されてもいいように、ちょっとは二階をちゃんと片付けて掃除しておかないとね。
ミケランジェロは石の中にダビデの像を見出し、解放したと言われています。
そのダビデ象という「ヴィジョン」は最初から彼の中に存在していた。
そして石と向き合うことでそれを見ることが出来た。
芸術家として自分が何をするべきか分かった。あとは手を動かすだけ。
これは芸術家に限らず、誰にでも起こりうることなのだと思います。
誰もが自分が人生の中でしたいこと・すべきことはちゃんと持っていて、本能的に認知している。それは人生のいたるところで、日常生活のあちこちで顔をのぞかせる。
けれども僕らはそれを取るに足らないこと、おかしなエゴが作り出す妄想だとして処理してしまう。
この忙しいのに、そんなことに関わっているヒマはない、と。
だから何となく分かっているのにそれははっきり見えない。
そして見えたとしてもそれを実行しようとはしない。
なぜならほとんどの場合、それは社会的必要性が認められない、人々が求めていることに応えられない、早い話、そんなことをしたって「食えない」。
そういう事情があるからでしょう。
なので、ますますその内在するものを見ようとしない。
見るのを怖れ、目をそらしてしまうし、もちろんやろうとしない。
その結果、不満だらけの人生が世の中に蔓延することになります。
これはきっと人生の途上で、立ち止まって考えてみるべき課題なのだと思います。
ミケランジェロのダビデのように、芸術家じゃなくてもあなたにはあなたが創るべきもの、やるべきことがある。
そう静かに思いを巡らせると、「あれがそうだ」と人生のどこかで見たサインを再発見できるかも知れない。
深い海の底から、ぽっかりと浮かび上がってくるかも知れない。
あなたの中に何があるのか、することは何か、まず見つけ出す冒険。
そして、それをやり始める冒険。
その少女は一人暮らしの老人と友達になった。
老人は近隣から奇異な目で見られている。
彼は特殊な能力を持っており、それで人助けをしたりもするのだが、普通の人たちにはそれが気味悪く映る。
だから少女にも、あの老人の家へ行くな、近寄るなと言う。
両親にとってもそれは家族の一大事と受け取られていた。
少女はなぜその老人にひかれるのか?
老人の語る宇宙の話、昔の話、妄想のような話が好きなのだ。
彼女は老人がじつは宇宙人で、永年地球で過ごし、近いうちに故郷の星へ帰ろうとしているのではないかと思っている。
老人には少女以外にもう一人だけ訪ねてくる人がいる。
それは彼の身元保証人だ。
老人はちゃんとお金を払ってその会社と契約し、自分の死後の後始末をつけてくれるよう段取りしている。
彼は宇宙人なんかではない、まっとうな人生を歩んで齢を取り、社会人として最期まで人に迷惑をかけずに人生を終えようと考えている、普通のおじいさんなのだ。
そうした現実を知っても、少女は彼がやっぱり本当は宇宙人なのではないかと疑念をぬぐえない。
彼女はしだいに何とか老人の秘密を探りたいと考えるようになる。
しかし、そんな彼女の行動を心配した両親は、それ以上、老人に近づくことを許さず、彼女を学習塾のトレーニング合宿に送り込んでしまう。
数日を経て帰ってきた少女は両親の目を盗み、再び老人に会いに行くが、彼は呼び鈴を押しても出てこない。と同時に何か気になる匂いがする。
彼女は身元保証人を電話で呼び、家の中に入る。
そこには布団の中で孤独死した老人の遺体が横たわっていた。
少女には老人が物理的に死んだことは分かったが、地球から消滅したとは映らない。
彼女は遺体を運ぶ人たちが到着するまでの間、その老人――「星のおじい様」の時間軸に入り込み、孤独なエイリアンとして、奇妙な冒険に出掛ける。
一人暮らしの高齢者というと、最近はすぐに「孤独死」が連想され、何やらくら~いイメージがつきまとう。
そうでなければ、家族がなく、身寄りがなく、孤独で可哀そうとか、同情される。
いずれにしてもネガティブなイメージであることに変わりない。
でも本当にそうなのだろうか?
彼らはけっこう孤独を楽しんでいるのではないか。
本当にいっしょにいたいと思う家族ならいいけど、ただ同じ屋根の下にいるだけ、同じ空気を吸っているだけの家族なんて鬱陶しいと思ったりしていないのだろうか?
血が繋がっていたって形だけの家族はいっぱいいる。
財産などをあてにしてすり寄ってくる家族や親族なんかに、あれこれ気を遣ってもらったって不愉快なだけ。
メディアの「家族は素晴らしい」「家族がいないと気の毒だ」といった大合唱もなんだか胡散臭いね。
それよりも最期まで一人でやっていく、という気概のある生き方をを見せるほうがいい。
あるいは、血縁にこだわらない、常識にとらわれない、損得勘定抜きの、心の深いところで繋がり合える人たちとの暮らし。
齢を取ったからこそ、そうした自由や愛情に満ちたものを優先できるという面もある。
幸いにも、そうした人たちをサポートするセーフティネットはあちこちにでき始めているようだ。
「家族の絆」という美名のもとに隠した損得勘定や惰性的な繋がりよりも、自分の意思に基づいて生き、死ぬ「個の尊厳」を優先する時代がすぐそこまで来ている。
元来、コアラとかナマケモノ体質で、自分のペースで動けないと調子悪くなっちゃうので、効率悪いことこの上なし。
ヘタにビジネス書など読んで勉強して、時間を有効活用しようなんて意識すると、なんだかイライラしてきて、自分が今何をやっているんだか分からなくなってきます。
とは言え、仕事をする以上、そんなこともいっていられない。
相手のペースに合わせなきゃいけない場合もある。
そんな時、最近、心がけているのが「時間ののりしろ」を作ることです。
自分のペースでOKの時間帯と、相手に合わせる必要のある時間帯。
この2種類のカテゴリーの時間帯が、ポンとカットで繋がると脳の切り替えがうまくできない場合があり、気持ちの負担も大きいので疲れます。
やっぱリカットつなぎでなく、オーバーラップさせたほうがショックが和らげられる。
なので、相手に合わせる時間帯に入るときは脳が自然に準備できるよう、「のりしろ時間」を作るようにしています。
具体的に言うと、打ち合わせ、取材などの時は約束の時間より30分早く行って、その現場周辺の空気を吸っておくようにするのです。
そうするとリラックスして、少しはその環境に入り込みやすくなります。
つまり100%アウェイの空気でなく、10~20%くらいはホームの空気をまぜるようにする。
するとある程度リラックスして、よりよいパフォーマンスが期待できます。
昨日は思いのほか早く着いたので、待ち時間に近所の神社で、ぼやーっと木などを眺めて、ああ鳥の巣がある、何の鳥だろう。まだ作っている最中かなぁ・・・と思ったり、ネコの家族が来て日向で遊び出したりするのを見ていました。
仕事の役に立つだけじゃなく、ちょっとおまけみたいなものを拾ってトクした気分になります。 もしかしたらそんなどうでもいいことが、あなたの人生を救ったりするかもしれません。
スケジュールぱんぱんにして毎日アクセクしちゃうと、ほんと疲れますから。
八王子市の児童館で、子供たちが乳しぼり体験。
マイナビ農業の取材で、八王子界隈の酪農家の仲間たちがボランティアで提供しているイベントを見学してきました。
でっかい開閉式トラックに牛を乗せて、そこに上って子供たちが搾乳するというやり方。総勢5人の酪農家さんたちがお世話をします。
まったくこういうシステムを想像していなかったのでびっくりしました。
このお乳パンパンの牛さんはマーガレットちゃん7歳。
マーガレットちゃんの乳しぼりに挑戦するのは、幼稚園前の幼児クラス(+そのきょうだい)なので2歳児中心。たぶんその子たちの目から見たら、牛さんはゾウさん、いやもしかしたら怪獣並みの大きさだ。
そりゃこわいに決まってる。
勇気を出してぎゅっとつかめればいいのだけど、おそるおそるおっぱいに触るので、「なにやってんのよ、モ~」って、穏健温和なマーガレットちゃんもバフォンと荒っぽく鼻息をして体を揺する。
すると、もうだめです。大半の子がこわがって泣き出す始末です。
お父さん・お母さん、「うちの子は情けない」なんて言わないで。
だいじょうぶ。 一度は失敗・撤退したほうがいい。
また大きくなった時、トライしたら今度はできるから。
最初からすんなりうまくできちゃうより、やったぜ感、リベンジできた感があって、自分は成長しているんだと実感できる。
そのほうが却って自信になるんです。
子供時代はまだ長い。
人生はもっとずーっと長い。
幼稚園・保育園で、小学校で、またトライして、こんどはマーガレットちゃんのおっぱい、いっぱい搾ってね~。
わたしを思い出の場所に連れてって――
そんな末期患者の願いをかなえるのが「ラストドライブ」。
この数年、ヨーロッパで静かに広がってきた、いわゆる終活支援です。
昨年夏、ドイツでの事例を取材したドキュメンタリー番組がNHK-BSで放送されました。たまたまそれを見て感想をブログに書いたら、その時だけアクセス数が5倍くらいに跳ね上がってびっくりしました。けっこう関心の高い人が多いようです。
じつは今年から日本でもこれと同様の終活支援サービスが始まりつつあります。
さいたま市の「タウ」という会社がCSR(社会貢献事業)として始めた「願いの車」がそれ。余命少なく、一人では外出困難な患者を希望の場所に無料送迎するというものです。
タウは事故車の買い取り・販売を手掛ける会社で、社長がかの番組に心を揺すられ、「自分たちも車を扱う仕事をしているので」と、立ち上げました。
当面は近隣の病院やホスピスに声をかけて説明し、希望者を募るというやり方で進めていくそうです。
あらかじめ民間救急会社と提携しており、車両は酸素ボンベ、吸引機、自動体外式
除細動機(AED)などを装備した民間救急車を使用。外出には看護師やボランティアが同行。ただし外出は日帰りのみ。
主治医の了承と、家族の同意を得た上で送迎です。
僕は「月刊仏事」の記事を書くために電話で広報の方と話したのですが、この事業に誇りを持ち、かといって気負うこともなく、たいへん美しい応対だったことにも心惹かれました。
今後、提携先を県内の病院などに広げ、将来的には、活動に理解を示す企業からの協賛も。2019年には公益社団法人にして全国的活動を目指すそうです。
これも高齢化社会・多死化社会における一つの文化になり得るでしょう。 これからの展開が楽しみです。
今さらながら「スターウォーズ エピソード8 最後のジェダイ」。
2月のうちに書いてこうと思って、つい書きそびれていました。
あちこちでもうすっかりレビューも出尽くしていると思います。
まったく読んでいないので、世間的な評判はさっぱり分かりませんが、僕的にはかなり面白かった。
(特にこのシリーズの熱心なファンでないけど)全部見た中では、これが一番入り込めたな~と思いました。
率直な印象を言うと、かつてのスペースオペラ的な部分が薄まり、シェークスピア劇みたいに見えました。
世界政治とか抗争を含めた宇宙スケールの活劇だったはずが、なんだか家族ドラマみたいなスケールになってきた(これは批判ではありません)。
あくまで個人的な印象です。
実際には戦闘シーンは相変わらず多いし、チャンバラもあるし、絵作りも凝っているし、迫力もある。
そうしないと、スターウォーズブランドにならないからね。
ただ以前はそっちの方がストーリーを完全に凌駕していたのだけど、今回はドラマのほうが引き付けられる、ということ。
戦闘状況なんかを全部セリフで説明させてしまって、舞台劇にしたらいいんじゃないかと思ったくらい。
これまでのスターウォーズであまり魅力ある登場人物ってお目にかからなかった(ダースベイダーが悪役としてどうしてあんなに人気があるのか、さっぱりわからない)けど、若い二人の主人公――レイとカイロ・レンがはいい。
スターウォーズ過去40年の歴史というか、遺産というか、おっさんファンたちの降り積もった愛着やら怨念やらを背負わされても、最終的にそんなもの蹴っ飛ばして、カウンターのロングシュートでゴールを決めちゃいそうな「フォース」を感じます。
古いキャラクターはすべてこの二人の引き立て役ね。
いっそのことエピソード9は完全にオールドファンを裏切りまくって、戦闘シーンなしにしてしまったらどうだろう?
登場するのはレイとレンとBB-9(ロボット)だけとか。
ま、そんなのあり得ないはわかっているけど。
勝手にエピソード9の予測をすると、前回の3部作(エピソード1~3)は、史実(?)を変えるわけにはいかないので、主人公のアナキンがダークサイドに落ちてベイダーになってしまうという悲劇的ラストで後味が悪かった。
けど、今回の9は必ずやハッピーエンド、希望ある結末に持っていくでしょう。
なんといっても制作の大元はディズニーだし。
王道としてはレンの魂が救われ、レイと結ばれる・・・というのが落としどころだと思うけど、それだと単純すぎるかなぁ。
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自分は“宇宙人とのあいのこ”だというリコは、小学校時代からの親友サーヤとともにあちこちの葬式を巡り「故郷の星へ帰っていく人たち」を見て回っては聖女のごとく祈りを捧げている。
そんなとき、偶然、終活サポートの仕事をしている中年男・中塚と出会い、彼を介して、ひとり暮らしでハーモニカ吹きの老人・小田部と知り合った。孤独死予備軍の小田部に興味を引かれたリコは彼に「星のおじいさま」というあだ名をつけ、食事や掃除の世話をするために家に出入りするようになり、次第に親しさを深めていく。
そんなリコに恋したシンゴが彼女の気を引くために「きみのためにUFOを呼ぼう」と言ってアプローチすると、リコが生きる世界にさまざまな不思議な現象が起こり始める。
子ども時代を卒業し、人生の旅に出る支度を始めた少女の、夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。
もくじ
1 地球人の母になる
2 星のおじいさま
3 UFOに出逢ったお母さん
4 ラブリーな親友
5 恋文と宇宙の夢
6 令和終活コーポレーション
7 記念碑ツアー
8 レトロ喫茶と未来の記憶
9 取り調べ
10 里山の合宿でUFOと出逢う
11 UFO同窓会のレポート
12 奇妙な家族だんらん
13 競馬場でのドラマ
14 絶交
15 星のおじいさまの息子
16 いつか見た虹のこと
17 UFOからのメッセージ
18 天国への扉
19 魔法のアイドル誕生
20 ありがとう友だち
21 いつか家族に
「新プロジェクトを発動するから来て!」
と呼ばれて、江東区の大島へ。
昨年から月1ペースで通っているデイサービス&整体院だ。
亀戸と大島の間ぐらいのロケーションなので、
都営新宿線 大島駅からは10分くらい歩く。
通るのは中の橋商店街という
昭和レトロな雰囲気が漂う1km近い下町商店街。
この周辺には大きなスーパーがなく、
個人商店が立ち並ぶ聖域みたいになっている。
今年になって初めて行ったが、
新たに「なかたん」という
お買い物の女の子キャラクターが登場。
けっこうかわいくて好きだ。
地元の人御用達で、
観光客が集まるようなところではないが、
下町情緒があてほのぼのするので、
近くに来るようなことがあったら覗いてみて下さい。
「なかたん」を見ていたら、
なぜか「ちびまる子ちゃん」を思い出した。
中の橋商店街は、まる子のマンガに出てくる
清水の商店街にちょっと似ているのだ。
きっとこのあたりで生まれ育った子どもの目には、
とてつもなく長大な商店街に、
そしてふるさとのような風景に見えるだろう。
先週、まる子役のTARAKOさんが亡くなってしまったが、
みんな大好き昭和40年代の夢をなくすわけにはいかず、
アニメはまだまだ存続する模様だ。
けれども後を継ぐまる子役の声優さんは
大変な覚悟が必要。
誰がなってもネットで悪口を書くのはやめようね。
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認知症になったらもう社会の役に立たない。
そう思っている人は少なくないだろう。
中には仕事をしている人もいるようだが、
よほど長年の付き合いがある懇意の間柄か、
もしくは条件付きでなければ頼めない。
うちの義母は働くのが好きで、
気が乗っていると積極的に家事をやりたがるが、
正直、ありがた迷惑なことが多い。
社会の役に立つか?と問われれば、
常識の範疇では「NO」と言わざるを得ない。
しかし、彼女には彼女にしかない存在価値がある。
いつも散歩に行く公園・遊歩道は、
今日のような晴れて暖かい日曜日は
家族連れが大勢来ている。
彼女は小さい子供を見ると、のべつまくなしに
「かわいい」とか「いい子ちゃん」とか言ってほめ、
興が乗るとベタベタ触ろうとする。
コロナの時はヒヤヒヤしていたが、
自分の子を手放しでほめられて
親は悪い気がするはずがない。
ほとんどが受け入れてくれて
「ありがとうございます」と返す。
少し時間をかけてやり取りすると、
明らかにおかしな人だとわかるが、
ちょっとだけなら天真爛漫な気のいい
近所の普通のばあさんという印象になるようだ。
子どもも元気に笑顔で挨拶を返す子よりも
照れてモゾモゾしちゃう子のほうが多い。
もしかしたら内心怖がっている子もいるかもしれないが、
特に問題になったことは今までない。
だから言ってみれば、義母は出会う親子らを
ささやかながら幸福にしているのである。
一度、アトピーの赤ちゃんを抱いた
お母さんに会ったときがあり、
その時はちょっと驚いた。
義母は顔が赤くなってしまっているその赤ちゃんを見るや、
「わあ、かわいい」と、ぐいっとのぞき込み、
二言三言、あやすようなことを言って、
お母さんに「本当にかわいい子ですね」と言ったのである。
よほどうれしかったらしく、
お母さんは思わず泣いてお礼を言っていた。
おそらく義母のように純粋に「かわいい」と
言ってくれる人は周囲にいないのだろう。
普通なら口ではそう言っても、
内心では「かわいそう」とか
「お気の毒に」と思っている人がほとんど。
母親はそういう負の感情は鋭く読みとれるものだ。
しかし義母は何の屈託もなく、
心の底から「かわいい」と言っている。
それが伝わったので泣いたのだろう。
ささいなこと、一瞬のことだが、
あのお母さんは幸福な思いを抱き、
子育てをする勇気と元気を得られただろう。
考えてみたらすごいことだ。
普通の人ではなかなか真似できない。
少なくとも僕にはできない。
通常の社会人として何もできず生産性ゼロだとしても、
やっかいでめんどくさくて世話が焼けても、
義母は目に見えない部分で社会に役立っている。
たとえそれが仕事と呼べないものにせよ、
多くの人に幸福感を与えられることは、
大きな社会的価値と言ってもいいのではないだろうか。
今が何月なのか、春夏秋冬どの季節なのか、
さっぱり認知していない義母だが、
動物と同じく体感で季節が変ったことはわかるらしい。
どんどん外に出たがるので、
散歩のおともに費やす時間がまた増えそうだ。
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春休み、夏休み、冬休み。
子どもは長い休みに成長する。
宿題のない春休みは勉強なんか忘れて、
いっぱい遊んだり本を読んだりしよう。
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小学生、中学生、高校生のあなたに。
その頃の記憶と感性を持っているおとなのあなたにも。
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蛇身の魔女ラミアの伝説は、
ギリシャ神話にルーツを持つらしい。
上半身が美女、下半身が蛇の吸血鬼というのは、
エロチック感MAXで、
想像しただけでクラクラしてしまう。
その蛇魔女の誘惑について歌った「ラミア」は、
「サパーズ・レディ」「怪奇のオルゴール」などと並んで
ジェネシスのレパートリーの中でも人気抜群の曲だ。
それだけでなく、プログレッシブロック全般、
ポップミュージック、ロックミュージックの歴史の中でも
飛び抜けてユニークでイマジネイティブ。
こんな音楽を創れたのは、
70年代前半のピーターガブリエル在籍時の
ジェネシスだけである。
僕にとってこの曲は10代・20代の頃の思い出とともに、
とても懐かしく響くのだが、
若い世代も男女問わず
ラミアの虜になってしまう人が続出するようで、
YouTubeでもやたらとカバーが多い。
1974年リリースの2枚組アルバム
「幻惑のブロードウェイ」の挿入歌だが、
このアルバムは、ニューヨークに暮らす移民の少年が
ブロードウェイの路上に
子羊が横たわっている情景に出くわし、
それを追いかけて地下の迷宮に迷い込むという
「不思議の国のアリス」みたいなストーリーを
構成したもの。
全23曲・約90分にわたって
ジェネシス流のロックオペラが展開する。
それまでの3枚の傑作アルバム「怪奇骨董音楽箱」
「フォックストロット」「月影の騎士」で、
音楽による怪奇メルヘン、
ダークファンタジーを綴ってきたジェネシスの、
いわば集大成とも言える作品だ。
ストーリーはよくある夢オチだが、
一つ一つの楽曲の完成度、演奏表現の素晴らしさは圧倒的。
特に変幻自在なピーター・ガブリエルのヴォーカルは、
この時代のジェネシスミュージックの核をなしていた。
「ラミア」では水の中で絡みつく蛇身の魔女のイメージ、
耽美的な悪夢のイメージを繊細に歌っている。
ガブリエルはこのアルバムのツアー後、ジェネシスを脱退。
彼を失ったバンドは解散するのかと思いきや、
ドラムを叩いていたフィル・コリンズががんばって再生。
そしてダークファンタジーから
ポップ路線に変更したのが成功し、
アメリカで大ブレイクした。
一方、ガブリエルもソロになって
ワールドミュージックを取り入れた
独自の音楽世界を構築し、大きな成功を納めた。
昨年、73歳にして出したニューアルバム「I/O」は、
なんと全英売上1位を獲得している。
彼らの後年の音楽シーンでの出世を考えると、
50年前、若きガブリエルのヴォーカルを中心に織り上げた
ダークでプログレッシブなジェネスの音楽は、
まさしく彼らにとっての「創世記」だった。
そして、それは輝かしい成功とはまた別の、
不滅の価値がリスペクトされ、聴き歌い継がれている。
女性ヴォーカルの「ラミア」もまたいい!
先日、ある年上の知人と会ってがく然とした。
前に会って半年も経っていないのに
ずいぶん老け込んでしまったと感じた。
もう70を超えて高齢者の域に入っているので
けっして不思議ではないが、それにしても・・・。
病気になったとか、怪我をしたわけでもない。
話を聴く限り、何かショッキングな出来事や
センセーショナルな出来事があったわけでもなさそうだ。
でも目が死んでいて覇気がない。
何か自分の人生を放棄してしまったような感じを受ける。
彼は若い頃、けっこう自信家で常識を疑い、
人間と社会に対する鋭い批評眼を持っていたので
内心、一目置いていた。
そしていずれ中年になる頃には
何かデカいことをやるだろうと思っていた。
ところがさにあらず、
人生は思うようにいかなかったようだ。
プライドが高く、自己主張が強いことも裏目に出た。
独身であり続け、
ここに至るまで自分の家族を持たなかったことも
不運だった気がする。
彼のことを批判的には考えたくない。
昔はむしろ、ちょっとアアウトローっぽい
個性的な生き方がカッコいいと思っていたくらいだ。
けれどもいつの間にかダメになったのは、
世の中を批評的に見過ぎて、
自分がやりたいことをまじめに考え、
それに向けて何も行動していなかったことだ。
いつかはそういうチャンスが
巡って来るだろうと思っていて、
若くて元気な時代、体力がある時代を
その時々の欲望や生活のための仕事で
消耗してしまい、何も育んでこなかった。
悲しいことだが、今となってはその時間は取り戻せない。
こういうことは誰にも起こる。
会社員でもフリーランスでも関係ない。
うかうかしていると時間はすぐに過ぎ去る。
人生100年時代になったが、
それでも自分が何者であるか知り、
自分の中に埋蔵しているものを掘り出すには、
人生はあまりに短い。
今日いっぱいやりたいことがあったのに、
いろんな雑用が入ってきたり、
突然、頼まれごとをしたり、
家族の面倒を見なきゃならなかったりで、
それらをこなしているうちに夜中になって、
なにもできずじまいだった――というのと同じだ。
若い人は心して聴いてほしい。
40歳を過ぎたら、
その後の10年、20年はあっという間に過ぎ去る。
そうならないようにするには
30代までのいろいろな経験を活かし、
後年のエネルギーに変えていくといった工夫がいる。
「老後の蓄え」というのはカネだけの話ではない。
いや、むしろカネを蓄えるのに人生を消耗して、
カラッポになってしまう人の方が
もっとヤバいのではないかと思う。
若くて元気なうち、体力があるうちに
いろんな冒険をし、心を解放する。
そして自分が本当は何をやりたいのか、
自分の人生にとって大切なものは何なのか考えながら、
それに向かって少しずつでも行動していく。
そうすると違った世界が開けてくると思う。
平成後半、何度もオワコンだと言われ、
アメリカに売り飛ばされていたゴジラがまさかの再生。
そして驚愕のアカデミー賞受賞。
その「ゴジラ-1.0」と、
作品賞をはじめ、各賞を総ナメにした
「オッペンハイマー」が同じ年に受賞したことには
何か因縁を感じるが、
あまりそんなことを考えている人はいないのかな?
以前も書いたが、昭和20年代を舞台にした
「ゴジラ-1.0」が
原爆投下や敗戦の傷跡をあまり感じさせなかったことに
けっこう違和感を覚えた。
もしやアメリカ市場に忖度してる?とも考えた。
今回の受賞で、ゴジラが水爆実験から生まれた怪物だという
オリジナル設定は忘却されてしまうのではないか?
そんな懸念もある。
もう一つ、今回称賛され、
たぶん受賞の一要因になったのは、
アメリカ・ハリウッドでは考えられない
低予算・少人数による制作体制。
どちらもケタ違いに安くて少ない。
これはもう日本映画のお家芸みたいなもので、
映画が量産されていた1950年代・60年代、
黒澤明や小津安二郎が活躍していた時代は、
コスパ、タイパに徹底的にこだわり、
1週間で1本とか、1か月で3本とかをあげるのは
ザラだったという。
巨大な予算と膨大な人数で映画作りを行い、
働く人たちの権利意識が強く、組合も強力で、
頻繁にデモやストライキなどをやる
ハリウッドでは到底考えられない作り方・働き方なのだ。
これもまた、資本・経営者に対する
日本の労働者の立場の弱さを表している。
と言ったら言い過ぎ?
もちろん、条件が悪い中で工夫して知恵を絞ることに
イノベーションが生まれるので、
いいことでもあるんだけど。
ただ、この働き方改革の時代に、
スタッフの健康やプライベートは大丈夫かとか、
それなりの額のギャラが
ちゃんと払われているだろうかとか、
会社の言いなりになっていないかとか、
ついついよけいなことを考えてしまう。
映画をはじめ、クリエイティブの現場は
労働基準法なんてあってなきもの、
みんな好きで、愛を込めて仕事やっているんだから、
夜中までかかろうが、休みがゼロだろうが文句なんかない。
といった世界だったはず。
気持ちがノッて、クリエイティブ魂が全開になって、
現場のテンションがグワーって盛り上がってきたところで、
「はい、6時になったんで今日はここでおしまい」
なんて言われたらドッチラケ。
昔の監督だったら「ふざけんな!」と怒鳴りまくるだろう。
と、僕は認識しているが、最近はそうした環境も
変わってきているのだろうか?
なんだかせっかくの受賞に
ケチをつけるようなことを書いたけど、
やっぱりこれは画期的な出来事。
ハリウッドの映画製作にも何か影響を与えるのだろうか?
ちょっと楽しみではある。
最近はどうだか知らないが、
僕が子どもの頃、よく読んだマンガでは
作者自身がしばしば作品のなかに出てきた。
おそらく手塚治虫先生がその草分けだろう。
「バンパイヤ」では完全に登場人物のひとりとなって、
物語のなかで大活躍していた。
その他、石ノ森章太郎、永井豪などの
セルフキャラも印象的で、
土田よしこなどは、ほとんど自分を主人公にした
「よしこ先生」なんてマンガを描いていた。
鳥山明先生の自画像「ロボットリヤマ」も大好きだった。
僕は「ドラゴンボール」のことはあまり知らなくて、
好きだったのは「ドクタースランプ」の方だった。
ちなみに「ロボットリヤマ」とは
当時、僕とごく一部の友人がそう呼んでいただけで、
公式なキャラ名などではない。
デビュー当時、「ドクタースランプ」の絵は衝撃的で、
お洒落なのにめっちゃギャグ漫画しているところ、
そしてアラレちゃんをはじめとするキャラが
可愛くて弾けているところは、
それまでのマンガにない、新鮮な世界だった。
鳥山先生は名古屋出身、僕も名古屋なので、
ニコちゃん大王をはじめ、
ブロークンな名古屋弁をしゃべるキャラが
いろいろ出てくるのも面白くて親しみを覚えた。
ペンギン村には作者自身もやってきて、
しばしば登場していた。
最初の頃は人間の姿で出ていたが、
すぐに自己改造して「ロボットリヤマ」になり、
ペンギン村に移住した。
鉄を食べちゃうガッちゃんによく食われて、
半壊状態になっちゃうのには、いつも笑わせてもらった。
人気が爆発し、仕事が忙しくなり、
自分がマンガ生成マシーンのように思えて
ロボット化したのだろうか。
でも、みんなに喜んでもらうマンガを描き続ける
ロボットの自分をとても楽しみ、愛していたのだと思う。
どうかごゆっくりお休みください。
認知症の義母を連れて日曜日の公園に行くと、
雑多な子どもたちがウジャウジャ走り回ったり、
飛んだり跳ねたり、わめいたりしている。
ここは自然豊かで、川が流れ、広場があり、
木もいっぱい生えていて生き物もたくさんいる。
季節ごとに表情が変わって面白いので楽しくなる。
そんななかで遊ぶ子どもたちは幸福だし、
それを見ては喜んだり、ハラハラしている義母も
幸福なはずだ。
当たり前のようにある風景なので、
そう感じる人は少ないのかもしれないが。
この少子化社会にあって、
普通に大勢の子どもといっしょにいられるなんて、
とても恵まれた環境のなかにいるんだなと思う。
子どもを育てるのは本当に面倒くさい。
面倒を見る保護者にとって手間暇かかるし、消耗するし、
邪魔に思えることもあるし、むかつくことは数えきれない。
けれども子どもは社会に絶対必要な存在である。
必要というのは将来の労働力になるとか、
おとなになった時に僕たちの生活を支えてくれるとか、
そんな理由から言っているのではない。
優秀かどうか、勉強やスポーツができるかどうか
なんてことも、はっきり言ってどうでもいい。
本当にどうでもいいことなのだ。
どんな子どもも地域にエネルギーをもたらしてくれる。
僕たちおとなを元気にしてくれる。
「世界は美しい」と実感させてくれる。
それで十分だ。
人間にはみんな、目に見えない才能がある。
子どもはそのことを思い知らせてくれる。
それをきちんと認識できないのが、
今の社会の未熟さであり、問題点だと思う。
僕はもう子どもにはなれないし、子どもの真似もできない。
ならばこの先、違うベクトルでいいから、
地域なり、どこかのコミュニティに
エネルギーをもたらす年寄り、
社会に必要とされる年寄りになりたいと考える。
なれるだろうか?
特にとりえも専門技術も持ち合わせていないけれど。
いい具合に齢を取るのは、なかなか難しそうだ。
1972年にリリースされたイエスのアルバム
「危機」を初めて聴いたのは1975年。
高校に入って間もない春のことだった。
「危機 Close to the Edge」
「同志 And you And I」
「シベリアン・カートゥル Siberian Khatru」
収録曲はわずか3曲。
いずれも18分、11分、10分という
今では考えられない超大曲だが、
その充実度と緊張感、そしてスケールの大きさにのけぞり、
鳥肌が立ちまくった。
中学生の時にプログレにハマって、
ELP、ピンク・フロイド、キング・クリムゾンと聴いてきて、
真打はイエス。
あの時はついに頂点にたどり着いたと思った。
率直に言って、これはELPの「頭脳改革」も、
フロイドの「狂気」も、クリムゾンの「宮殿」も超えていた。
最高のプログレ、いや、最高のロック、世界最高の音楽!
生涯でこれ以上の楽曲には出会えない、とさえ思ったことは
鳥肌のブツブツとともにずっと体内に残っている。
若さゆえの興奮と感動だったが、
じつはその思いは50年近く経った今でも
そんなに変わっていない。
その後、15歳の頃とは比べ物にならないほど
たくさんの、いろんな音楽を聴いてきて、
好きな曲もいっぱいできて、ランク付けなどできないが、
いまだに「危機」が最高峰にあることは確か。
いつ聴いても心動かされ、
精神的なエネルギーをもらっている。
川の流れや鳥の声など、自然音のミックスに続いて
不協和音が嵐のようにうねるイントロ、
そしてメインテーマに流れ込んでいく下りは、
カオスから宇宙が生成され、
地球が生まれてくるドラマを表しているようだ。
東洋哲学が反映された歌詞は抽象度が高く、
和訳を読んでみても、意味がよくわからない。
ただ、70年代のイエスは、
人間の友愛、世界の調和をテーマとして音楽を作っており、
その基本姿勢は美しいメロディラインからも感じとれる。
僕の耳には世界の生成と、人間はいかに生きるか、
人生という旅路のイメージを思い描く曲として響いてくる。
スタジオ盤は非常に繊細なつくりだが、
この1975年のライブではそれと対照的な、
あえて荒れた感じのアグレッシブな演奏になっており、
ライブならではの臨場感が楽しい。
メンバーのラインナップは、
スタジオ盤制作時からビル・ブラッフォードが抜け、
ドラムはアラン・ホワイト。
キーボードはリック・ウェイクマンから
パトリック・モラーツに交代した時期。
モラーツはごくわずかな期間しかイエスに在籍しておらず、
その後の度重なる再結成時にも参加していないので、
このパフォーマンス映像は貴重だ。
この頃、メンバーはまだ20代半ばの若者たち
ということにも驚く。
超絶テクでギターを弾きまくるステーヴ・ハウ、
ヴォーカル ジョン・アンダーソンの美声、
そして、それをサポートするクリス・スクワイアの
バックヴォーカルと、
こ曲のエネルギッシュな“うねり”を創り出す
躍動的なベースプレイ。
今は亡きスクワイアのカッコいい雄姿に、
彼こそがイエスのリーダーだったことが
如実にわかるライブとしても価値がある。
1960年代から70年代、
音楽の神がこの星に降りていた。
この時代にイエスの創造した楽曲は、
やはり地球上に起こった一つの奇跡だったことを
改めて実感する。
そして、中高生という、まだ子どもの時代に
胸に響いたもの、強く感じとったものこそ、
自分の人生にとって本当に価値あるもの・
大切なものなのだ、ということも。
そろそろ受験シーズンも終わりと思っていたら、
電車内にぶわーっと有名学習塾の広告。
ライバルに負けじと複数の塾が一斉に広告を出している。
もちろん、いち早く次年度の塾生を獲得するためだ。
テレビCMもしかり。
戦略とか、マーケティングとかあるんだろうけど、
当事者でない者としては本当にげんなりする。
おまえに見せてるんじゃねーよ。
嫌なら文句言わすに無視しろ。
広告主はそういうだろう。
テレビは消せばいいが、
電車内では目をつむったり、逃げ出すわけにはいかない。
広告によってそういう環境を作り出すことが問題だ。
子供も親も「教育」とか「受験」に
脳が毒されてしまうからだ。
少子化の時代、僕は教育産業も成長を諦め、
縮小していくべきだと思っている。
大学もどんどん減らしていったほうがいい。
受験戦争に巻き込まれることにって、
さらに大学に進学することによって、
いったいどれくらいの子供や親が幸福になるのか?
もちろん、そんな数字は出ない。
学習塾は塾生の○パーセントが合格した、
志望校に入れた、一流校に入れた、
という結果が出ればそれでいい。
それが学習塾にとってのゴールだ。
けれども子供や親にとってはそれはゴールでも何でもない。
人によってはさらなる無間地獄への入口になる。
そんなことをもう半世紀以上も繰り返している。
僕が子どもの頃、楳図かずおのマンガの中に
「秀才」という作品があった。
(「おろち」というオムニバスシリーズの一編)
折しも受験戦争、受験地獄とい言葉が
生まれた時代のもので、
大学受験に向き合う親と子がいかに狂っているか、
いかに不幸なものか、その真髄を描き出した作品だ。
この頃はまだ大学への進学率も低く、
ある意味、ここまで狂ってしまうのは
ある特殊な層の、特別な家庭というイメージがあった。
けれども日本全体が豊かになり、情報化が進んだせいで、
この「秀才」の世界がどこの家庭にも浸透して
すっかり日本社会のデフォルトになってしまった。
そして大学に入ったら入ったで、
その後はベルトコンベア式に
就活、就職というイベントに巻き込まれる。
そんな子供たちにおとなは
「がんばれ受験生」「がんばれ就活生」などと
無責任なエールを送る。
ほとんど季節の風物詩というか、
子どもをネタにしたお祭りみたいな気分になっている。
これでは死にたくなる子供が増えてもおかしくない。
僕にはやっぱりこういう状況は
狂っているとしか思えないのだ。
受験勉強に情熱を傾け、
ある意味、生きがいに出来る子供はいいが、
そんな子は少数派のはずである。
それが当たり前のようになって
しまっているところがおかしい。
親も子も目を覚まして
こんなおかしなシステムに安易に巻き込まれず、
自分の心の声に耳を澄まして、
冷静に人生について考える勇気をもって生きてほしい。
今日はとげぬき地蔵でおなじみの巣鴨へ。
べつに仕事で出かけたわけではないが、
月刊終活なんて仕事をやっているので、
巣鴨の実態くらい見ておこうかと思い、
カミさんといっしょにぶらっと出かけたのだ。
通称・とげぬき地蔵尊は、この商店街の真ん中あたりにある
曹洞宗のお寺「高岩寺」のこと。
このとげぬき地蔵尊商店街では
毎月4のつく日にたくさん露店が出てジジババで大賑わい。
僕らが若い頃、「おばあちゃんの原宿」として
マスコミが取り上げてよく話題になった。
その頃以来のキャッチフレーズはもちろん健在だが、
ただ違うのは、自分自身がここを歩いていても
全く違和感を感じないこと。
むかし感じた一種のカルチャーショックのようなものなど
微塵もなく、街全体に昭和の香りが充満していて、
そこらへんでたこ焼きは食えるわ、大判焼きは食えるわ、
玉こんやくは食えるわ、塩大福は食えるわで、
居心地いいったらありゃしない。
お店の看板も「ズボン屋」とか「バッグハウス」とか
「もんぺ・はんてんの店」とか、レトロ感ハンパなし。
なかでも巣鴨の代名詞とも言える赤いパンツが、
強烈な存在感をアピール。
でも、「年寄に赤」にはちゃんと科学的根拠があって、
赤い色を身に着けると血流がよくなり、
気分も上がって元気になれるのだ。
年齢・性別に関係なく、冷え性の人は
健康維持・向上のために、
ショボくれてる人・メンタルやられちゃってる人は
元気回復・テンションアップのために、
赤パンは超おすすめ。
しかも最近は、こじゃれた年寄り用なのか、
それとも上記の理由で若い人たちも買い求めに来るのか、
レースのついたお洒落でセクシーな赤パンも売られていて、
ドッキリ!
見ると某有名下着メーカーの製品である。
それ以外にもいろんなレッドなお召し物が
ずらりと並び圧巻。
見ているだけで元気が出てくる。
気楽で面白いので、
老いも若きもぜひ巣鴨をぶらついてみよう。
おりべまことはジジババが登場・活躍する小説も
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という方はぜひご連絡ください。
歌で映画でドラマで、様々なコンテンツで
「ヒーローズ」というタイトルを見かけるが、
僕にとっての「ヒーローズ」は
デヴィッド・ボウイの歌しかない。
1977年リリースのアルバムのタイトル曲。
アナログ盤では「英雄夢語り」という邦題がついていた。
ボウイがドイツに住んでいた時に作った歌で、
ブライアン・イーノ、トニー・ヴィスコンティらと組んだ
プロジェクトから生まれた。
「ジギースターダスト」や「ヤングアメリカン」を経て、
シンセサイザーを強調した、
プログレ&ニューウェーブ系の音楽に
傾倒していた時代の歌だ。
単調なメロディのくり返しのなかで
「僕らは人生で一日だけならヒーローになれる」
と唱えるこの歌は、
ベルリンの壁の傍で落ち合う恋人たちの姿を見て
着想されたという。
ここでは「ヒーローズ」という言葉が、
閉塞的な状況における人の儚い夢
という意味で使われており、
他のコンテンツにあるような
英雄崇拝・英雄賛歌などではない。
だからいい。
この歌がリリースされて数年間——
70年後半から80年代前半頃は、
この曲・アルバムの評価はさして高くなく、
成功作とは見做されていなかった。
ボウイのキャリアの中でもランク付けは低かった。
けれども1989年6月、
ボウイが当時の西ベルリンの壁際で行ったコンサートから
「ヒーローズ」の評価は劇的に変わった。
まさに壁崩壊(ドイツの東西統一)の5カ月前。
ボウイの歌が、観衆の熱狂が、壁の向こう側にいた
東ベルリンの人々の心を強く動かしたのは間違いない。
以来、そのベルリンコンサートのシンボルとして
「ヒーローズ」は傑作と言われるようになり、
時を経るとともに名曲度を増していった。
そしていまや、ボウイの全キャリアを通して、
一番にその名が挙がる代表曲、
さらに数ある20世紀ロックのなかでも
最高峰の名曲として多くの人が認めている。
リリース以来、実に多くの時代・場所で歌われ、
幾多のミュージシャンにカバーされてきたが、
いま聴いてみて、ボウイ自身の
ミレニアム前後のパフォーマンスが
最も素晴らしいのではないかと思う。
この頃のバックバンドは強力で、
それまでのボウイにはなかった独特のグルーブを創り出し、
21世紀の新しい「ヒーローズ」を生み出した。
シンプルなメロディの繰り返しから
観衆を巻き込んでぐんぐん盛り上がり、
ポジティブなエネルギーを創出していくさまは圧巻の一言。
ふたたび社会の閉塞感が強まり、
壁の内側に人生が閉じ込められ、
精神を苛まれる人がますます増える時代。
何があっても生きろ、生き続けろ
誰もがなれる おまえも人生のヒーローになれ
自分自身のヒーローになれ
ボウイのそんなメッセージが聴こえてくる。
本当に感動的だ。
このバンドの黒人女性ベーシスト
ゲイル・アン・ドーシーは今、
ボウイミュージックを継承する音楽家として活躍している。
彼女が歌う「スペース・オディティ」は美しく、
まるで亡きボウイへの鎮魂歌のようにひびく。
2020年10月にデヴィッド・ボウイの
「5年間 Five Years」で始まった
この「週末の懐メロ」は、
3月いっぱいでいったん終了します。
今回を含め、最後の5回はアンコールシリーズ。
どうぞ最後までお付き合いください。
昨日はネット界で活躍している
カメライター・かさこさんの交流会に参加した。
自分でいろんな仕事をして、
人生を開拓しようとしている人たちが集まっていて、
いろいろ話が出来てとても面白かった。
僕が最高齢かと思っていたら70代の人も参加。
年齢とか全然関係ない世界。
かさこさんは最初、どうやって知ったのか憶えてないが、
6,7年前ぐらいから、
たまにちょこちょこブログを読んでいるうちに
ヘビーユーザーになった。
ビジネス関係・自己啓発関係で
ウソクソな情報があふれ、ぼったくりセミナーが横行し、
まともな人でも
単なる批評家みたいな人ばかりのネット界で、
信頼に足る数少ないリーダー。
良心的でナチュラルで具体的な行動に繋がる発信&
コミュニティづくりをやっている。
巷にあふれるウソクソ儲け話、
マルチまがいセミナー、
虚飾にまみれた起業成功ストーリーなど、
コロナ禍をしのぐインチキウィルス情報で
脳をやられちゃっている人は、
かさこさんの発信を読んだり、
セミナーや交流会などに出て
自分の仕事・人生の療養・自然治癒に取り組もう。
まさにネット界の漢方薬・鍼灸師。
仕事と家庭だけで行き詰まっちゃっている人にもおすすめ。
「僕が64歳になっても、きみは僕を愛してくれるかい?
と歌うのは、ビートルズの
「ホウェン・アイム・シックスティー・フォー」。
この歌が出された1967年頃は
64歳がイギリス人の平均寿命だったらしい。
同じころの日本人の寿命はもっと短かったと思う。
自分もその齢になって、ちょっとドキドキしている。
齢を取っていいことは、経験したどの年齢にも
自由自在に往復できること。
なので還暦を超えると時おり中二病が再発する。
中二の時は「中二病」なんて言葉はなかったけど。
おとなみたいに適当にやり過ごすことができなくて、
「生きる」ことに対して一生懸命に考えている中学生
――にたまには戻ってみてもいい。
そうしてこの先のことを考えてみる。
わたしは、あなたはどう生きたいのか?
そんな思いがあって出来上がった話。
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中年男・中塚と出会い、彼を介して、
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孤独死予備軍の小田部に興味を引かれたリコは
彼に「星のおじいさま」というあだ名をつけ、
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今朝、テレビのニュースを見てたら、ダム工事の現場で
ダンプやパワーショベルなど、自動運転の重機が
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1ダース以上いたが、すべて無人。自動運転。
人間がいないので、燃料補給以外、休む時間もなく、
それこそ24時間はたらけまーす、である。
現場は秋田で、そこから数百キロ離れた会社から
遠隔操作しているそうだ。
それとは別のもう少し小規模な工事現場でも
無人重機が動いていて、
こっちは遠隔操作している操縦者が登場。
会社のオフィスの一角にシュミレーターを設置した
スペースを作って、モニターを見ながら動かしている。
さらに驚くのは、操作しているのが女性事務員。
彼女は1日のうち半分事務仕事をやって、
半分はこの工事をしているという。
しかも子育てママなので、子連れ出勤。
シュミレータースペースのわきには、
子どもを寝かせたり遊ばせたりする部屋がある。
作業中も、ヘルメットも作業着も安全靴もいらない。
足もとなんかキティちゃんの顔が付いたサンダル履きだ。
公道を走る車やバスの自動運転は、
安全性の問題があるのでまだまだ時間がかかるが、
逆にこうした作業現場はどんどん自動化されて、
逆に人間が危険地帯に入らなくていいので安全だ。
ロボットではないものの、
重労働はみんな機会にお任せという
アトムの世界がすでに実現している。
AIの普及といい、こうした無人重機といい、
コロナ後の世界はすごいスピードで様変わりしている。
むむ、目が回り、ちょっと息切れが・・・。
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あらすじ
自分は“宇宙人とのあいのこ”だというリコは、
小学校時代からの親友サーヤとともに
あちこちの葬式を巡り
「故郷の星へ帰っていく人たち」を見て回っては
聖女のごとく祈りを捧げている。
そんなとき、偶然、終活サポートの仕事をしている
中年男・中塚と出会い、彼を介して、
ひとり暮らしでハーモニカ吹きの老人・
小田部と知り合った。
孤独死予備軍の小田部に興味を引かれたリコは
彼に「星のおじいさま」というあだ名をつけ、
食事や掃除の世話をするために
家に出入りするようになり、
次第に親しさを深めていく。
そんなリコに恋したシンゴが
彼女の気を引くために
「きみのためにUFOを呼ぼう」
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子ども時代を卒業し、
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もくじ
1 地球人の母になる
2 星のおじいさま
3 UFOに出逢ったお母さん
4 ラブリーな親友
5 恋文と宇宙の夢
6 令和終活コーポレーション
7 記念碑ツアー
8 レトロ喫茶と未来の記憶
9 取り調べ
10 里山の合宿でUFOと出逢う
11 UFO同窓会のレポート
12 奇妙な家族だんらん
13 競馬場でのドラマ
14 絶交
15 星のおじいさまの息子
16 いつか見た虹のこと
17 UFOからのメッセージ
18 天国への扉
19 魔法のアイドル誕生
20 ありがとう友だち
21 いつか家族に
約1カ月半かけてAmazonPrimeで
アニメ「進撃の巨人」全94話を見た。
先月末の途中経過でも書いたが、人間が食われる話なので、
残酷描写がかなりのもので、見続けるのが精神的にきつい。
それに慣れてきた中盤で
かつて仲間と信じていた者同士が「共食い」になるので、
これまたきつくなる。
それでも3分の2くらいのところまでは、
自分たちがなぜ壁に閉じ込められているのか、
その謎を解こう。
そして、この壁の向こうにあるはずの
海を見に行こう、という少年の夢がある。
つまり、そこまではどんなに残酷であっても
希望に満ちた冒険物語になっていて、
夢を達成した少年たちが新たな世界に旅立つ――
といった美しい結末を予感させていた。
ところが話はそんな単純ではない。
問題はそのゴールに達したあとのこと。
人生と同じで当たり前だけど、
僕たちはいつまでも少年少女のままではいられない。
この作品は安易なハッピーエンドで
お茶を濁すようなことはしなかった。
カメラが180度切り替わり、新たな世界に視界が開けると、
そこにはさらに救いのない
残酷で恐ろしい世界が広がっていて、
そこでまた戦わなければいけなくなる。
後半の話はどんどん深く複雑になり、
それまでのいろいろな謎が解けていくのだが、
ますます見るのが辛くなっていった。
そして、そもそもいったい誰が主人公だったんだっけ?
と思わせるようなカオス的な展開になっていく。
それでも向き合わずにはいられない気持ちにさせるのが、
この作品のすごいところ。
壁とは何か?
巨人とは何か?
近代日本、戦後日本社会のメタファーであり、
風刺であるという説がよく聞かれるが、
帝国主義や数々の戦争、難民問題などから形づくられた
現代の人類の世界全体の暗喩であるとも受け取れる。
ラストも決してスカッと終わらず、あれでいいのかという、
気持ちの悪い違和感が腹の中に残った。
まるで「後味の良い感動を残す物語」なんてあざ笑い、
ぶった切るかのようだ。
最後の最後のあのシーン、あのセリフは、
希望や救いと言えるのだろうか?
「進撃の巨人」の世界には
随所にさまざまな意味が込められており、
それをどう読み解き、何を考えるかは
読者・視聴者の向き合い方次第と言えるだろう。
それだけの豊かなものがこの作品には詰まっている。
少し落ち着いたら、
今度は原作のマンガを通読してみようと思っている。
いずれにしてもこの時代に、マンガ・アニメという手法で
こんなすごいドラマを創り上げた作者を
リスペクトせずにはいられない。
おりべまこと Kindle新刊:長編小説
今はまだ地球がふるさと
本日2月25日発売予定でしたが、
残念ながら提出が遅れたため、
まだレビュー中。
楽しみにされていた方、
どうもごめんなさい。
明日までお待ちくださいね。
1971年リリース。
最高傑作アルバム「フーズ・ネクスト」の挿入歌で、
ザ・フーのキャリア全体を通じても最高の一曲。
さらに言えば、60年代から70年代の
ポップロック、ハードロック、プログレッシブロックの
美味しい部分をすべて凝縮した、ロック史に残る名曲だ。
♪この荒野で俺は糧を得るために戦う
生きるために全力を尽くす
正しさを証明するために
戦う必要はないし 許される必要だってない
そんな歌詞で始まるこの曲は、
スコットランドの農民が、
妻と子供を連れてロンドンへ脱出する
という物語を音楽で描く
「ライフハウス」というロックオペラの一曲だった。
ところが、この「ライフハウス」の構想がまとまらず、
通常のスタイルのアルバムに挿入された。
結果的には単独曲となったことで
ザ・フー随一のヒットナンバーになったのかもしれない。
タイトルも当初は歌詞に沿って
「Teenage Wasteland(10代の荒野)」と
つけられる予定だったが、
インドの神秘家メヘル・バーバー(Meher Baba) と、
アメリカの作曲家テリー・ライリー(Terry Riley)の
ファーストネームを合わせたものに変更された。
これは当時、作詞・作曲の
ピート・タウンゼント(ギタリスト)が
メヘル・バーバーの思想にいたく
傾倒していたことから来ているようだ。
ザ・フーはこの頃、スピリチュアルな物語を
ロックオペラというスタイルで
ドラマチックに表現することに取り組んでおり、
大成功をおさめた1967年の「トミー」は
ケン・ラッセル監督によって1975年に映画化、
その後、ミュージカルとして舞台化もされた。
戦争に行った夫が戦死したと思っていた
妻は新しい男と恋に落ちた。
けれどもその男との情事の最中、死んだはずの夫が帰還。
夫は怒りにまかせて情夫を殺してしまう。
ところが、その様子を幼い息子トミーが見てしまった。
あわてた父と母は息子に言い聞かせる。
「あなたは何も見なかったし、何も聞いていなかった」
「このことは誰にも話してはダメ」と。
両親から与えられたそのトラウマによって、
トミーは見ることも、聴くことも、
話すこともできないという三重苦を負ってしまう。
そんなストーリーのロックオペラ「トミー」は
トミーが三重苦を克服し、
自己を解放し、自由に羽ばたくという内容で、
僕は高校生の時にその映画を見たが、
カルチャーショックを受け、
自分の中の重要な音楽体験・映画体験として残っている。
「10代の荒野」だった「ババ・オライリー」では
最後にこう歌う。
♪10代は不毛な時代 たかが10代の荒野
10代は不毛な時代 10代に実りはない
全てが無駄なんだ
「ライフハウス」がどんな物語だったのかわからないが、
10代に何を体験するか、
そしてその後、その体験をどう捉えるかで
人生は大きく変わるのだと思う。
おりべまこと電子書籍「週末の懐メロ」AmazonKindleにて好評発売中! 各300円
インターネット社会になって女性不信になった。
というのは冗談だが、
おかしなネット発信は女が多い。
SNSは本当にひどい。
FBでは国内外を問わず、会ったこともない女から
ガンガン友だち申請が来る。
もろエロ系もあるが、それとなくまともを装った
表向き若い女が多い。
どんなやつか発信履歴を見ると、まったく中身がなくて、
写真だけいろいろ投稿している。
たまに「あなたの発信に感動しました」という
ほめ殺しコメントを書いてくるのもいる。
あと、もしかたら油断させようというつもりか、
落ち着いた高齢女性から来ることもある。
海外に移住して悠々自適にやってます的マダムとか。
X(ツイッター)のほうは、
やたらとドラマチックな女が多くて、
親の虐待とか、夫のDVなどでかわいそうな目に会って、
ン千万という借金地獄に落ちたが、
奮起しただの、すごいメンターに出会っただのの
ミラクルな大転換があって、すべて一気に返済・完済。
今では副業で月にン百万稼いでます。
あなたもおひとつどうですか?っていうやつ。
いやいや、世の中にはすごい女性がわんさかいるもんだ。
そんなお金持ちなら、
僕みたいな者にからむのは時間と労力の無駄遣い。
アメリカでもシンガポールでもドバイでも行って
よろしくやってくださいな。
それにしても僕などの世代の人間は子どもの頃、
嘘つくとバチがあたるとか、
地獄に落ちて閻魔様に舌を抜かれるとか、
おとなによく言われたものだが、
今の人間はまったく意に介さないらしい。
なんだか閻魔様が懐かしく、可愛く思えてくる。
となりのレトロの僕から言わしてもらうと、
ウソメールとか、サギ発信とかに
大事な人生の何割も使っていると、
やっぱりそのうち相応の罰が当たると思うよ。
80年代後半に活躍したフェアーグランド・アトラクション。
そのリードシンガーだったエディ・リーダーが、
グループ解散後、1992年に初めて出した
ソロアルバムの中の一曲。
カヴァー曲で、
オリジナルは「インディゴガールズ」というデュオが
1990年にリリースしている。
日本で最初にCDで出た時は最後に入っていたせいもあり、
アルバム全体の余韻とともにとても深く心に染みた。
子どもから大人になる過程で
誰もが世界の重みを感じるようになるが、
別の命を体内に宿すことができる女性は、
その感覚がひとしお強いのかもしれない。
婚活や妊活に熱心になり、
人生のスケジューリングに躍起になる女性が増えているが、
子どもを産める期間が25年から長くて30年
(たぶん現実的にはもっと短くてその3分の2程度)と、
限られていることを考えると
男がとやかく言ってはいけない気がする。
でもやはり人生の楽しみはスケジュールから
外れたところにある。
女でも男でもいいから、
手にしてしまった世界の重さを分かち合える人と
出逢えたらいいね。
昭和は今と比べて野蛮な時代だったと思うが、
面白い人生を送ってきた人たちがたくさんいた、と思う。
今より貧しく、生活が不便で洗練されておらず、
管理も緩かった分、
生きるエネルギーに溢れていた。
逆に言えばエネルギーがないと生きられなかった。
なので若僧の頃はエネルギッシュな人たち、
劇的な人生を送って来た人たち、
すごい人だなと感心するような人たちに何人も出会った。
それもみんなけっこう若い、30代・40代の人たちが多かった。
彼らのドラマチックな話を聞いていると、
自分はなんて臆病で凡庸な人間だろうと
劣等感を抱いたくらいだ。
そうした人たちの冒険譚・英雄譚・武勇伝などは
自伝にしたら面白いし、
それらの体験をもとに小説も書けるのではないかと思った。
事実、自分はこんなに面白いことをしてきたから
そのうち本にして出すよとか、
ネタにして小説を書くよとか、映画や芝居にしてやるよと
僕に話していた人は一人や二人ではなかった。
けれども憶えている限り、実現した人は一人もいない。
ノンフィクションであれ、フィクションであれ、
そうした(世間的には無名だが)すごい人たちの話が
物語になり本になることはなかった。
なぜか?
そういう人たちは字を書かなかったからである。
当たり前のことだが、
机に向かって字を綴るという地道な「作業」をしない限り、
永遠に本も物語も生まれないのだ。
そうしたものを作るためには本人とは別に
字を書く「作業員」が必要になる。
自分のなかにもう一人、
そういう作業員を持っている人はいいが、
大方の人は「文才があればやるけど」
「時間があればできるけど」と言って逃げていく。
いつかあの人のあの話を本で読んだり、
映画やテレビで見られるだろうと思っていた人たちは、
(現時点では)誰もそうならなかった。
齢のことを考えると、
結局そのまま人生が終わってしまった人も
少なくないのではないだろうか。
なんだかもったいない気がする。
昭和と違って今ではSNSやブログもあるし、
動画配信もあって、いろいろ発信の手段はある。
けれどもやっぱりそれらと
本を刊行することは別の作業が必要なのだと思う。
「文才があれば」「時間があれば」というのは言い訳だが、
現実的には確かにそれも分かる。
毎日、いろいろ忙しいことばっかだからね。
でも時は止まってはくれない。
そう考えると人生は短い。
「いつかやろう」が永遠に来ない可能性は高い。
もし、そうした本を書くための「作業員」が必要なら
ご相談に乗ります。
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昨日は埼玉の桶川を旅して、お昼にうどんを2杯食べた。
埼玉県は香川県に次いでうどんの生産量全国第2位。
そばを合せてめんの生産量としては堂々1位となる。
ついでにうどんの原料となる小麦の生産高も第9位で、
関東では群馬に次ぐ「麦どころ」だ。
土地や気象条件が麦づくりに適しているらしい。
ただ、讃岐うどんと違って、
「埼玉うどん」というのは存在しない。
定型がなく、これぞ!という特徴に欠けている。
要はブランディングできていないのだ。
香川=讃岐とちがって、
江戸時代から今日まで、首都圏の台所として
いろんな農産物の需要があったので、
がんばってうどんを売り込む必要性がなかったからか。
その中でも江戸時代の中山道の宿場町
「桶川宿」があったことで
桶川のうどんはその名を広く知られるようになり、
ある程度、ブランド化しているといえるだろう。
これも決まったスタイルがなく、
スタイルは店によってまちまち。
共通する特徴としては、
讃岐うどんに勝るとも劣らないコシの強さだ。
まさにコシコシで、シコシコ感ハンパなく、
噛むのにあごが疲れるくらいだ。
今回は2軒ともかけうどんを食べたが、
1軒目は鶏もも肉と昆布をコテコテに煮込んだ
関東系の濃い出し汁。
2軒目は讃岐に近い薄めのあっさりした
関西系の出汁で、これも店によっていろいろらしい。
また、冷たいうどんを熱いつけ汁につけて食べるのが
桶川流らしく、
2軒目の店ではそのバリエーションが豊富だった。
テーブルに岩塩と黒コショウのミルが置いてあり、
肉系のつけ汁にはこれらを入れて食べるらしい。
うどん屋に塩・胡椒が常備してあるなんて
初めてお目にかかった。
いずれの店も中山道沿いにあるが、
片や地元の人のごひいき、
片や外からも食べに来るお客が多いようで、
店の前には行列ができていた。
なぜ2杯食べたのか、長くなるので事情の説明は省くが、
結果的に2軒入れてとてもよかった。
桶川には他にもうどんの名店が20店くらいあるというので、
機会があれば食べ比べをしてみても面白い。
さて、今日はあなたは何を食べますか?
おりべまこと電子書籍
おふくろの味はハンバーグ
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元気が出る面白エッセイ集。
この機会にぜひご賞味ください。
1986年リリース。
お気楽ポップ、エンタメロックが多数輩出され、
音楽産業が肥大化した80年代。
そのなかで異彩を放つ、
人種差別問題と真正面から向かい合った
シリアスなテーマの楽曲が
全米ナンバーワンヒットになった。
♪1964年、ある法律が成立した
これまで恵まれなかった人々を救うためだ
けれども、ただそれだけのこと
法律は人の心までは変えられない
重い歌詞を変幻自在のピアノプレイに乗せて、
歌うホーンズビーは独自の輝きを放っていた。
この頃、僕はロンドンで暮らしていたが、
イギリスでも大ヒットしており、
今でも最も印象深い曲の一つになってる。
そしてこの歌で描かれた社会状況も
40年近く経っても変わらない。
いや、階級社会の進行でますます悪くなっている。
90年代以降、数々のヒップホップアーティストに
カバーされ、サンプリングされ続けており、
最近では2020年、ポロGが2020年の
「Wishing for a Hero」で使っている。
それとともにこの曲とホーンズビーの活動にも
新たなスポットが当たっている。
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2月9日(金)17時~12日(月・祝)16時59分
4日間限定
読めば食欲がわき、元気が出る面白エッセイ集。
いっぺん食ってみたってちょ。
もくじ
・トノサマラーメンと名古屋インスタントラーメン戦国史
・オバマのタカハシさんちの娘は人魚の肉を喰った
・「みんなが作ってる カエルのから揚げレシピ」の衝撃
・なぜ日本にカエル食が定着しなかったのか?
・昭和最強のおやつ ベビーラーメン
・さらば、おれの牛丼
・どうだ、銅だ、ブドウだ
・ヒトとブタは神目線ではブラザーなのか?
・マイナビ農業 ハラール認証
・飲食業の現場で働く人たちの意欲・生きる元気
・新宿にパステルが帰って来た
・がっちりアメリケンなハンバーガーとアップルパイ
・誕生日のドラえもんとウサギ
・なぜ付け合わせのポテトサラダがおいしい店は
信用できるのか?
・チャットGPTに訊く:ロンドンに日本食の店を出すなら
・美野原御膳と日本の里山
・吉祥寺にやってきたクレヨンハウス
・カエルの幸福サラダ
・一汁三菜はより良き食卓・家庭・人生の秘訣
・五右衛門の湯豆腐と空海の鴨カツ丼
・おふくろの味はハンバーグ
・みんなのハンバーグ
全22編載録
能登地震の報道がひと段落すると、
テレビもネットもまた毎日のように
芸能人やスポーツ選手の女性問題報道。
僕はそういうことに関心が薄く、
首を突っ込んであれこれ調べている時間はないので
詳しいことはわからない。
ただ、こんな僕でも言えることは、
訴えられた彼らが女を舐めていたことは確か。
本当に性加害者なのかどうかはともかく、
むしろ被害者だとしても、
いわば昭和までの男尊女卑思想や
女性に対する甘えがあったからこそ、
罠に掛かってしまったのではないか。
令和の世の中、女が以前とは比べ物にならないくらい
社会的な力を持ち、賢くなっていることは、
すべての男が肝に銘じておいたほうがいい。
訴える女も、協力する週刊誌も、どう転んだって
得するように損得勘定を立てている。
そういうビジネスモデルが出来上がっているのだ。
YouTuberやネット上で発信している人たちも
その問題を取り上げればアクセス数がバク上がりするので
正義面・評論家面して言いたい放題、やりたい本題。
カモにされる男の芸能人やスポーツ選手は
これからも続々と現れそうだ。
「女遊びは芸の肥やし」という言葉が
まだ生きているのかどうかは知らないが、
芸能人やミュージシャンなどはまだいい。
たとえ活動休止に追い込まれても
いずれプラスに働く場合もあるし、復活の目もある。
けれどもスポーツ選手はダメだ。
裁判の期間が長いのに対し、アスリートの寿命は短い。
たとえ無罪が証明できたとしても、
訴訟を起こされスキャンダルの嵐が吹き荒れた
数か月・数年の間に
最も活躍できる旬の時期が過ぎてしまう。
「あいつを潰してやろう」という陰謀が企てられ、
ハニートラップを仕掛けてくる奴らがいないとも限らない。
トップアスリートを目指す選手は
恋愛など望まず、そこらの女に目をくれず、
商売と割りきっている女(でも絶対安全とは言い切れない)
とだけ付き合った方がいい。
言ってみれば一流スポーツ選手は恋愛御法度。
するなら選手生命と引き換えにするぐらいの覚悟がないと。
平成生まれの若い連中がそうなってしまうのは、
やはり男尊女卑や女性に甘えていた
先輩や父親・家族の影響だろう。
その辺は指導者もフォローしたほうがいい。
僕も東京に出てくるときに父に言われた。
「女にはよくよく気を付けろ」と。
若い時にそういうことがあったのだろうか?
亡くなっているのでもう確認できないが、
彼の忠告が効いて、
ここまでそうひどい目にはあっていない。
たんにモテないし、女が怖いだけだけど。
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こんどの連休にご賞味あれ。
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2月9日(金)17:00~2月12日(月・祝)16:59
読めば食欲がわき元気が出る面白エッセイ。
ブログでトノサマラーメン、カエルのから揚げ、
ChatGPTに訊いたロンドンの日本食なども載録。
もくじ
・トノサマラーメンと名古屋インスタントラーメン戦国史
・オバマのタカハシさんちの娘は人魚の肉を喰った
・「みんなが作ってる カエルのから揚げレシピ」の衝撃
・なぜ日本にカエル食が定着しなかったのか?
・昭和最強のおやつ ベビーラーメン
・さらば、おれの牛丼
・どうだ、銅だ、ブドウだ
・ヒトとブタは神目線ではブラザーなのか?
・マイナビ農業 ハラール認証
・飲食業の現場で働く人たちの意欲・生きる元気
・新宿にパステルが帰って来た
・がっちりアメリケンなハンバーガーとアップルパイ
・誕生日のドラえもんとウサギ
・なぜ付け合わせのポテトサラダがおいしい店は信用できるのか?
・チャットGPTに訊く:ロンドンに日本食の店を出すなら
・美野原御膳と日本の里山
・吉祥寺にやってきたクレヨンハウス
・カエルの幸福サラダ
・一汁三菜はより良き食卓・家庭・人生の秘訣
・五右衛門の湯豆腐と空海の鴨カツ丼
・おふくろの味はハンバーグ
・みんなのハンバーグ
一方、みずからジャパニーズネッシー捜索隊の総指揮官に就任した国会議員は、隊を北と南、二班に分けて、北海道の屈斜路湖、鹿児島県の池田湖から捜索をスタート。政府公認の研究施設や大学の生物学研究所などから選ばれたスタッフがそれぞれ8名ずつ派遣され、現地調査を行った。マスコミも大挙して押し寄せて大騒ぎをしていたが、こちらもナッシー捜索の子どもたち同様、待てど暮らせどクッシーもイッシ―も現れないので、数日するうちに飽きてきた。
それからしばらく後、とある大臣のスキャンダルが発覚し、政府がマスコミの糾弾を受け、野党が色めき立つと、ジャパニーズネッシー捜索隊もそのとばっちりを受けて国会でやり玉に挙げられた。
いったいあの予算はどこから出ているのか?
国会議員がろくに仕事もしないで、あんなろくでもないことに現を向かしていいのか?
そもそもあの活動が社会的・経済的にどんな意味・どんなメリットがあるのか? など云々。
当の作家議員は抗弁するのに窮してトーンダウンし、何も見つからないまま捜索は打ち切られることになった。結局、ジャパニーズネッシー捜索隊は奈々湖には来ずじまいだったのだ。
村長はマスコミの取材に応じてコメントを残した。
「まことに残念です。ちゃんと捜索すれば、必ずや世紀の大発見になったのに。ナッシーは間違いなかったのですから」
そのコメントはちゃんとそのまま新聞や雑誌に載ったが、それだけだった。そこから何か新しい活動が展開されることはまったくなかった。そして、そんな騒ぎがあったことも遠い昔ばなしになった。いまやこの湖にナッシーの伝説があったことを知っている人さえ少なくなっている。
しかし、世の中には6600万年前に死に絶えた巨大な生き物が、今まだ、この地球上のどこかに生き続けているはずだと信じている人が驚くほど大勢いる。それはもはや願いのようなものだ。
おれたちにはその願いをかなえるミッションがある。
一彦はまじめな顔をして大善に訴えた。
大善はうんうんと頷いたものの、いったい東京で何があったのだろう?と訝った。たしかにいっしょに古文書の捜索などもやったが、彼の記憶の中の一彦は頭の良い秀才タイプで、むしろ周囲の子どもたちよりも一般常識をわきまえている男だった。
中学生になる頃には奈那湖の怪物のことなどすっかり忘れて、勉強と部活のバスケットボールに打ち込んでいた。時々、テレビや雑誌で見たオカルト話で盛り上がることはあったが、それはちょっとしたお楽しみの範疇だった。もうその頃にはみんな、おとなになって社会の常識の中で生きていかなくてはいけないことがわかっていたのだから。
いったい何が一彦を、いわば逆行させてしまったのか、大善にはわからなかったが、人が大勢来て村が賑わうことはいいことだ。そして正直、大善も時おり湖畔を散歩しては、ああ、本当に怪物が出てきて、また大騒ぎが起こればいいのにと考え、朝夕のお務めで仏に向かって祈念していたのである。
そしてもう一人、このナッシープロジェクトに参加したいという人物が現れた。その名も菜々子という。
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