昭和98年8月と17歳の父

 

子供の頃、戦後復興世代の両親に

よく話を聞かされたせいか、

僕にとって8月は戦争・戦後のイメージに包まれている。

 

終戦はこの世に生まれる15年も前

(でもたった15年前!)のことで、

まったく未経験だが、

わりと鮮明に過去のビジョン(とでもいうべきもの)が

脳裏に刻まれている。

 

復興期が自分の青春期ともろに重なっていた父親は、

事業で成功して家を建てた後は、

あちこち旅行に行ったり、

美術品や骨董品を集めていたが、

仕事を辞めるとそれにも飽きて、

晩年はしきりに昭和20年代から30年代前半のことを

回想していたフシがある。

 

そういえば8月は父の誕生日もある。

焼け野原の中で軍需工場での仕事も失い、

17歳の誕生日を迎えた少年は

何を考えていたのだろう?

今ならそこをピンポイントで聴いてみたいところだが、

もう遅すぎる。

 

めっちゃ大変だったが、めっちゃ面白かった時代。

戦争・戦後を語る際、

悲劇・惨劇・怒りばかりが強調されて伝えられるのは

しかたないことだ。

「面白かった」なんて言おうものなら、

つるし上げを食らいそうだが、

大半の日本人は、実はそう思っていたのではないだろうか。

 

それくらいの元気がなければ、

ここまで経済成長はできなかっただろうし、

これほど百花繚乱の昭和文化は生まれなかっただろう。

平成・令和と時代が進むにつれて

そうした印象を強くする人は

むしろ増えているのではないだろうか。

たんなる懐メロでなく、ノスタルジーでもなく、

昭和は未来まで、ルネッサンスのような

面白い時代として記憶されるに違いない。

そんな思いもあって

気まぐれで昭和シリーズのエッセイを書いている。

第2弾は「昭和99年」、

3弾は「昭和100年」の出版を予定しているが、

考えてみたらもうすぐそこだ。