友の旅立ちに春の花を

 

昨日、64歳で友達が死んだ。

演劇学校の同期生で、

いっしょに劇団をつくって芝居をやった仲間だった。

 

ステージ4のガンだということを知ったのは

半年前、同窓会を開く連絡をした時だった。

その後、12月に6人で連れ立って福井まで会いに行った。

割と元気そうで、おもてなしまでしてくれて、

わざわざ来てくれたお礼にと、お土産までくれた。

 

ステージ4と聞くと絶望感が生じるが、

カミさんの患者には

「ステージ4でもう7年生きてます」という

ガンとの共存に成功している人もいるらしい。

だからというわけではないが、

今年になってから僕のFBの投稿に

何度かリアクションもしていたし、

その友だちも、

まだまだ意外と大丈夫なんじゃないかと

漠然と思っていた。

でも結局そう願っていただけなのだろう。

 

「楽しい時間を過ごさせていただき

ありがとうございました」

彼女の死を知らせてくれた友達は、

そんな家族の伝言を伝えてくれた。

 

どんな時間を過ごしたのだろうと考えた。

もう40年以上も前のことだが、

いっしょに何かを創った仲間というのは

特別な時間を共有したのだという思いがある。

なんであんなにエネルギーがあったんだろう?

芝居なんてくだらないことに一生懸命になれたんだろう?

と不思議な思いがする。

 

劇団を立ち上げたメンバーは3人だったが、

もう一人はすでに15年前、50歳で逝ってしまった。

その時に比べて、今回どこか自然に

仲間の死を受け入れられるのは

やはり年齢のせいだろうと思う。

人生100年時代とは言えど、

還暦を超えた60代は生と死の境にある年代。

今ここを丁寧に過ごさないと

その後生き延びたとしても、

ただ生活しているだけの人生になりそうな気がする。

 

悩み相談みたいなサイトや動画で、

いろんな意図をこめて

「人生に意味などないよ」と言うセリフをよく聞く。

けれども3人の生き残りになってしまって、

なんで俺だけまだ生きているんだろう?

と考えざるを得ない。

 

この世から去る日を選ぶことなどできないが、

花の季節に逝くのは、

残る者の気持ちをほんの少し和らげる。

友の冥福を祈る。