先日の西城秀樹さんのお葬式の記事を書くのに、現場の録音データを聞きながら、昨日1日ジタバタしていました。
これだとちょっと思い入れが強すぎてダメだし食らうかも、と思いつつ原稿提出。
それにしてもいろんな意味で感動的な体験でした。
喪服のマダムらがYMCAを踊ったり、おいおい泣いたり、「ヒデキー」と叫んでいるのを思い出すと、身体の底でずっと眠っていた女の子が40年ぶりくらいに起き出して、マダムの着ぐるみをかぶってあそこに集まっていたんじゃないか。そんな幻想にとりつかれます。
仲間もいっぱいいるし、あそこなら何の遠慮もなく泣けるもんね。
ファンは圧倒的に女性が多いんだけど、中には男性もチラホラいて、男同士というのはほとんど見当たらず、どうやら夫婦で来ているらしい。
それが奥さんは喪服、もしくはそれに準じるような服装をしているのに、ダンナの方はほぼ普段着というチグハグなカップルがほとんど。
取材したわけでなく、あくまでこれは僕の想像だけど、普段は従順な奥さんがこの日ばかりは「わたしは絶対に行く!」と主張し、その迫力にタジタジとなったダンナが「しゃーない、じゃあオレもついていくわ、東京見物・青山見物もしたいし・・・」ということで一緒に来たのではないか。
奥さんとしてはちょっとジャマだけど、交通費もメシ代も出してくれるというから、まぁいいや、と妥協した・・・とか、そんなバックストーリーがあったのではないだろうかと思います。
でもダンナづれで、ちゃんと女の子に戻ってヒデキに声を掛けられたのかなぁ。
そういえばネットに上っていた映像で、テレビのインタビューを受けたマダムが「夫が死んでもこんなに泣きません」と泣いていました。
それでいいと思います。
死んだからって、あんまり泣かれても困っちゃうしね。
女の涙は子どもと夢の人のために大事に使ってください。
ダンナはそのおこぼれを頂ければ十分です。
時々、自分はスーパーフェチなのではないかと思うことがあります。
スーパーマーケットが好き。というか、その空気の中にドブンと丸ごと漬かりたいという欲求に時々襲われるのです。
今日も午前中仕事して、昼に出かけて5ヶ月ぶりに会った友だちと昼飯を食って、帰ってきて疲れて昼寝していたら早や夕暮れ時。
ベランダの洗濯物を取り込んで、ちょっと涼しくなった外の風に触れたら、急にその欲求に襲われました。
というわけで冷蔵庫の在庫を確認し、リュックを担いで近所のスーパーマーケットへ。
近所と言っても3番目くらいに近い所で、5分ほど自転車に乗って出掛けます。
この5分間、ちょっと涼しくなった空気と、ちょっと金色っぽい西日の光を全身に感じられれるのがいい。
着いてみるとスーパーの中は赤ん坊からお年寄りまでいろんな人たちが、今晩は何を食べようか、明日の分も買っておこうか、予算はいくらだと、あれこれ考えながら、あるいは話し合いつつ買い物に興じています。
普段は昼間に行くことが多いので空いていますが、今日は時刻も時刻で、ちょっと混雑していてレジにもカゴをぶら下がたり、カートを押す人たちの列が。
この混み具体がまたなかなかいい味出しててて、胸をワクワクさせます。
初夏の良く晴れた日曜日の夕方のスーパーです。
家族そろってきている人たちもたくさんいます。
こっちの子どもは何がうれしいのか声を上げてはしゃぎ回り、そっちの子どもは試食のハシゴで走り回り、あっちの子どもはなぜだか怒って大泣きしている。
怒り出すお母さん、困った顔したお父さん、すましてマイペースでのんびり品定めをするお年寄り、値段を見て長考する人もいれば、あせあせと小走りでかごの中に品物を放り込んでいく人もいます。
働いているスタッフもお店にいる時間はスーパーの人だけど、勤務時間以外はもちろん自分の生活を持っていて、家族のこと、子供のこと、お金のこと、自分がかつて持っていて諦めきれない夢のこと・・・いろんなことで悩んだり、失望したり、希望を持ち直したりしています。
作業の合間やお客とのちょっとしたやりとりの中で、そうしたものが垣間見えたりするのも面白い。
当たり前だけど、彼ら・彼女らはけっして働くだけの人ではなく、今日も一生懸命、この世の中の不条理と闘いながら(でもあんまり頑張ると疲れちゃうので時々は空気を抜きながら)生きている、すてきな人間です。
なんといえばいいのか、たまにそんなことを考えつつスーパーをうろつき回っていると、とても人間が愛おしくなって、からだの芯があったまってきて、脳みそが妄想で膨れ上がって、お店ごと抱きしめたくなるのです。
というわけで買ったレタス、トマトやキャベツ、タマネギ、ジャガイモ、サカナ、牛乳、ヨーグルト、パン、ドレッシング、ぶどうなどをリュックにぶち込んで家路に向かうと夕焼けがきれいでした。
いつかスーパーマーケットを舞台にした面白くて泣ける話を書きたいなぁ。
「月刊仏事」の取材で西城秀樹さんの葬儀に行って来ました。
朝9時半、会場の青山葬儀場最寄りの乃木坂駅に着いたら、ホームに黒い服の人たちが溢れ返っています。
改札横の女子トイレには長蛇の列。
恐縮しながら喪服のマダムらの列を掻き分けて男子トイレまで辿り着き、あせって身支度を済ませました。
ちょっと話を聞いたところでは、地方から出てきて一泊し、通夜・葬儀と連荘で参加したという人も。
葬儀や出棺の様子はニュースやSNSでいっぱい上がっているので書きませんが、野口五郎・郷ひろみ両氏の弔辞や昭和のスーパースターならではの演出には心打たれるものがありました。
葬儀から出棺の間、葬儀場前を走る青山通りの向こう側までファンがびっしりで、向かいのデニーズの表階段にまで人が溢れているのにはガチびっくりでした。
こうなるとお葬式とは言っても一種のイベントで、同じ時代を生き、ヒデキに胸をときめかせて青春を送った50代や60代の人たちにとっては、ファン同士で顔を合わせる「同窓会」的なノリの人もたくさんいたようです。
ちょっと不謹慎にも聞こえますが、「ヒデキ」がみんなを結びつけるメディア、コミュニケーション媒体になっているのだなぁと思いました。
大勢の人を楽しませ、夢を与えるエンターテイナーとして生きてきたのですから、最期に身を挺してまでその仕事がまっとうでき、「ヒデキ、カンゲキ!」と言いつつ旅立っていけたのではないかと思います。
終わった後もしばらくの間、みんな名残惜しくて、なかなか立ち去れません。
本当の寂しさはきっとこの後、家に帰った頃にやってくるのでしょう。
おそらくこれから、どんどん昭和のアイドルやスターだった人たちが亡くなっていくわけですが、そのたびにこうしたイベントになるのだろうなと、ちょっとフクザツな気持ちになりました。
ちなみに葬儀参列者への返礼品の一部はハウス食品さんが提供。
西城さんのCMによる、家庭のカレー普及への貢献度は相当大きかったようです。
でも一緒だった若い女性スタッフは「ヒデキ、カンゲキ!」は知らないそうで「何ですか、それ?」と聞かれて説明しなくてはなりませんでした。
バーモントカレーは好きだそうですが。
「ふるさと」と聞いて、ほとんどの日本人が連想するのは、稲を実らせる田んぼや、野菜を育て、果実を育てる畑がのどかに広がり、魚が泳ぐ美しい川が流れ、背景に美しい山並みを望める、いわゆる里山の風景だと思います。
愛知・長久手市の愛・地球博記念公園(モリコロパーク)内にある「あいち・さとラボ」では8年前から「里山開拓団」なるボランティアグループが、ほとんど砂漠のようだった更地から美しい里山をーーふるさとの風景を創り出しました。
もちろん当初はアドバイザーがいたり、資金面では県のバックアップもあったわけですが、造園や農業などに素人同然の人たちが一つ一つ、作物の育て方のノウハウを学び、組織管理も行い、年間を通したイベント開催などで仲間を増やしていった開拓ストーリーの取材は、とても感動的でした。
開拓に携わってきた人たちにとって、まさしくここは「ふるさと」になり得るでしょう。
これからの課題は。この里山をどう維持していくか。
4月にモリコロパーク内に2022年、「ジブリパーク」ができるというニュースが伝えらましたが、写真の山の左側の森の中にその一部である「もののけの里」ができるとのこと。
具体的な話し合いはまだこれからですが、今後の里山活動によい影響が出ればいいなぁと思います。
それにしてもこうした絵に描いたような里山の風景を、潜在的なイメージとしてではなく、実際の体験として、つまりリアルなふるさととして自分の中に持っている日本人は、僕も含め、もうそんなにいないのでは、と推察します。
昭和レトロが一種のファンタジックな異文化として人気を集める背景、また、「ふるさと創生」やら「ふるさと起こし」といった言葉が流布する背景には、そうした日本人の「ふるさと喪失物語」があると思っています。
かくいう僕もじつは今、「ふるさとについて考えよ」というお題を頂いているので、面倒だけどぼちぼちやっていこうと思います。
どんな事象があって、どんなストーリーがあって、そこに立って何を想起できれば、人はその場所を、
ありのままの私が帰ってこられるところ、
裸の、少なくともそれに近い私が、心を開いて受け入れてもらえるところとして心の深い部分に取り込めるのか?
これからの僕の人生は、ふるさとへたどり着くまでの長い巡礼の旅になるのかな。
と、そんな気がします。
昨日は全国のウズラ生産量日本一(シェアの7割を占める)の豊橋で、ウズラ卵の流通出荷センターを取材しました。
豊橋がどうしてそこまでの一大産地になったのかはさまざまな理由があります。
表向きには気候が温暖で育てやすいとか、他の家畜や家禽の飼育に使う施設や、糞などの処理システムが昔からあった・・・というもっともらしい表向きの理由はあるのですが、やっぱり面白いのは裏事情。
今を去る70年以上昔、戦後の混乱期、闇市に卵を売り出して大もうけした人たちが何人かいたようです。
近隣の名古屋はもちろん、日本の真中という地の利を生かして、東京や大阪にも。
その情報をGetした人たちが「よっしゃ、わしもウズラ屋になったるで」と、豊橋にやってきて、かの地はウズラの聖地となった・・・という、まことしやかな伝説が現地では語り継がれているようです。
もちろん、そんなヤミヤミな話は、資料だの記録だのが残っているわけではないので、表には出てきませんが。
というわけで、ここでは生卵とゆで卵をあわせて1日30万個出荷。
ころころしたチビタマゴが次から次へところがってくる様子はめちゃくちゃかわいいです。
が、単に鶏の卵のミニサイズ版でしかないウズラの卵に、本当にそんなに需要があるのだろうか?
と疑問に思っていましたが、なんと最近はすごいニーズが。
お料理作り・お弁当作りの得意な人はもうピーンときたでしょう。
ネットで調べてみたら出るわ出るわ、いまやウズラ卵は、ヒヨコ、パンダ、ウサギ、カエル、オバケ、サンリオキャラクターなど、お弁当箱の中で変幻自在な姿で登場するキャラ弁の名俳優。
また小さい割に栄養価も非常に高いということで 特に子供の遠足や運動会のシーズンは売り上げが跳ね上がるのだそうです。
常食の食材とは言えないにせよ、そうしたいわゆる嗜好品食材としての価値はとても高いようで、近年は普通のゆで卵だと喉に詰まらせる恐れがある・・・という理由から高齢者用の食事やお弁当にも重宝されているようです。
ちなみに卵だけでなく、肉はどうなのか?
僕の場合、ウズラというと思い出すのが「ウズラは処女の味、鴨は熟女の味」という、美食アカデミー主宰・鹿賀丈史(テレビ番組・料理の鉄人)のセリフです。
フランス料理では鴨と並んで、ウズラはジビエの定番ですが、日本のフランス料理店で出されるウズラ肉はほとんどがかの国からの輸入品。
そこに目をつけ、国内産のフレッシュなウズラ肉を提供しようと、それまで卵ばかりだった豊橋のウズラ農家で「肉」に特化した大型のウズラを開発。
そのブランド「三河山吹ウズラ」は大好評で、全国の飲食店から年2万羽を超す注文を受けていたのですが、今年1月、その社長がわずか40過ぎの若さで急逝。
今後のウズラ肉はどうなるのか?
現状はまだ不明のようです。
いずれにしても、わが郷土・愛知のウズラ産業、ぜひとも応援したいものです。
本日は名古屋から滋賀の取材を3軒こなしました。
東近江市にあるヒトミワイナリーは知る人ぞ知る「にごりワイン」の製造元。
醸造家は皆、20代から30代の若者で、収穫したぶどうの個性をとにかく重視し、同じ銘柄で味にばらつきが出ても「自然のもだからしゃーない」と、かまわず作っちゃう。
あまりにばらつきが過ぎるということなら、その場でプランを変更して新しい銘柄にしちゃうという、自由でおおらかな姿勢でワイン作りを楽しんでいます。
ここの名前を一躍有名にした「にごりワイン」もそうした自由な精神の産物と言えるでしょう。
ラベルデザインも醸造家が自分たちの手でやっちゃうし、ボトリングもスタッフが総がかりで手作りで行うそうです。
そこで気になったのが虫のイラストが描かれた「カフカ」というワイン。
ラベルの裏にある解説ストーリーを読むと
自然なワイン造りは「可or不可」という問いかけと、その中で繰り広げられるワインの「変身=フランツ・カフカ」をコラージュさせています。
こういう遊び心、大好きです。
子供が5月生まれだというと、よく羨ましがられました。
べつに何月生まれでも関係ないと思うのだけど、子供の日やら、こいのぼりやらで、明るいイメージがあるのだそうです。
男の子だけの話かと思ったら、女の子もだって。
「となりのトトロ」のさつきとメイがいるからだそうで。
あの姉妹は5月生まれって設定だったっけ?
いずれにしても、5月は春と初夏の間のとても美しい季節で、ぼくも大好きです。楽しい思い出もいっぱいあるし、バラの花もきれいだしね。
子供に関して言うと、夜中も泣き出して毎日起こされる生後3~4ヶ月の間がちょうど夏の時期にあたるので、そういう意味では5月生まれは比較的、子育てがラクといえるかもしれません。
僕なんか1月生まれなので、親は寒い夜中に起こされて大変だったそうで。
いまだに母親は「お前にはよくたたき起こされた」と言われています。
じつは現在名古屋。あさっては愛・地球博会記念公園(モリコロパーク)に取材に行きます。
最近は2022年にできるジブリパークの建設予定地といったほうが通りがいいかも。
時間があったら「さつきとメイの家」(これはすでに公園内にあるのです)も覗いて来ようかなと思っています。
まだしばらく爽やかで美しい5月を楽しみたいですね。
マイナビ農業の取材。
今が旬の川口エンドウの試食会で八王子へ。
八王子特産で赤紫色の美しい花を咲かせる川口エンドウは、1年のうち、この初夏の季節の3週間ほどしか味わえないそうです。
多摩八王子研究会の福島さんが、昭和30年代から40年代初めごろにかけて、地元の野菜として農協がものすごく力を入れ生産・出荷していた時代があったんだよ~っていうストーリーも発掘してきました。
当時の八王子のライフスタイルが垣間見える「豌豆小唄」も作られていて、この川口エンドウを肴に一杯やりたくなる名調子です。
僕が参加したのは昼の部でしたが、もしかして夜の部では歌ったのかな?
日本絹サヤやスナックエンドウなど、他のエンドウとの食べ比べをやって、お料理もいただきました。
エンドウを主役にした料理は、もしかして生まれて初めて。
特にこの豚肉で巻いた揚げ物。
口に入れると、エンドウの甘味がふわっと広がり絶品でした。
今日は息子の誕生日だった。
当初の予定ではとっくの昔に自立・自活しているはずだったが、現実はそうなってない。
親がアホなせいかも知れない。
アホでもしゃーないなと思ってマッシモ・タヴィオでささやかなお祝いをやった。
子供の自立を望んでいながら、かたやこっちが子離れしていない。
じつは最近の映画や本やコンテンツもろもろに関する情報の7~8割は息子に頼っている。
彼が推薦するものはだいたい外れがなくて信頼できる。
その代わりにこっちはレトロ情報(60年代~90年代カルチャー)を提供する。
物々交換みたいだ。
でも最近はやたら勉強していて、そのあたりのことも親よりよく知っていたりする。
そう考えていくと、むしろ自分の方が子供に頼って生きている部分がある。
それどころかずっと子供の可愛さ・面白さに支えられて生きてきた。
そういう意味ではもう十分に親孝行は果たされている。
さらに考えてくと自分は自立していると言えるのか、とも思う。
何とかここまでもっているのは、若い頃から友達におだて上げられたり、仲間に励まされたり、女の子たちに甘えさせてもらったりしたおかげである。
もちろんカミさんにも甘えっぱなしである。
昔は自分の食い扶持は自分で稼ぐ――そうなれば自立したと言った。
今はどうか?
金さえ稼いでりゃ自立していると言えるのか?
ネットの株取引きで稼いでりゃ、他の人間と接触しなくても、他に何やってても、誰も文句が言えないのか?。
人の助けを必要としなければ、それが自立なのか?
基本はそうなんだろうけど、そう単純なのだろうか?
他人の支えや助けを拒み無視して生きようとするのは立派なことなのか?
少しでも早く自立して欲しいと願う気持ちに変わりはないが、そうなるまでのプロセスでいろんな経験を積んで成長してくれればいいなと思う。
昨年11月、拙作「ばんめしできたよ」をNHK名古屋の創作ラジオドラマ脚本コンクールに送ったところ、最終審査まで残ったものの、受賞までは至りませんでした。
過去2回経験がありますが、受賞すると制作されるのが何よりうれしい。
小説と違って脚本は制作されてナンボですから。
僕としては主人公の料理人を素敵な女優さんが演じてくれるのを夢見ていましたが、残念でした。
ちなみにNHK名古屋はこのように審査経過や、最終審査に残った作品の講評や、受賞作をまとめたものをきちんと本にして応募者全員に送ってくれます。
3月に結果は出ていたようですが、うちに届いたのは先週末でした。
というわけで、いろいろ講評をもらえました。
魅力的な作品だと推薦してくれた審査員が多くいて、なかには一押ししてくれた人もいたようなのですが、「描写が雑」やら「物語の展開が物足りない」やら「終わり方が尻切れトンボ」やら、なかなか厳しい意見もいただきました。
クライマックスからラストは自分で書きながら泣いちゃったんだけどな。わはは。
ちょっと承服しかねる批評もあったけど、内心、自分でもここはちょっと拙いかなぁ、強引かなぁ・・・と思っていたところを突かれていて、おおむね納得出来ました。
思い切り頭を発熱させて書いて、その後はキンキンに冷やして書き直ししなくてはならないのだけど、愛しすぎて粗熱が取り切れなかったのかも。
でも出した時点ではこれがベストだったんだよね。
もちろん悔しいのですが、反面、まだ可愛いこの子を手放さずに済んだ~、嫁に出さずに済んだ~という安堵の思いもあります。
ここで落選したのは、まだまだこの子は自分の手で育てる余地があるぞ、未来があるぞ、もっと面白くできるはずだぞ、ということなので、また書き直して新バージョンを作っていきます。
先日の専門学校の同窓会でクラスに在籍していた同級生を暗唱してみたら全員言えた。
(確認してないけど全員だと思う、たぶん。)
試しに他はどうかと思ってこそっとやってみた。
高校のクラスは3年間いっしょだったので、これも中途退学した連中を含め、全員出てきた(たぶん)。
中学がビミョーで、1・2・3年それぞれのクラスのやつがごった煮になって出てくる。
でも好きな女の子が2年生のクラスに二人いたので、やっぱり2年生がいちばん思い出深い。
ちなみにその時はYさんが一番好きだったのだが、いま思い返すとKさんの方が可愛くて好きだ。
うーん、なんでKさんの方に行かなかったんだろう・・・。
小学校5・6年のクラスは大好きなクラスだったので、35人以上出てきた。
男子は全員思い出せるが、あと5人くらいいたはずの女子がどうしても思い出せない。
ごめんなさい。
ちなみにこのクラスは、運動会やら遠足やらのイベント的なことはほとんど思い出せないのだが、日常的なシーンをやたらよく覚えている。
大人になってから出会った人は結構忘れてしまうが、子供時代に出会った連中、付き合った連中の顔や声は鮮明によみがえる。
本当にどうでもいい、くだらないことをいっぱい憶えている。
子供はまだ自分を装うことに長けていないので、持ち前の個性を隠したくても隠せない。
だからひとりひとり、面白いのだ。
でも成長する中であっちこっちぶつけて痛い目に遭って、どの個性は人にウケ、どれはウケないか学び、調整しつつ自分を作る。
多くの場合、スマートになっていくんだけど、同時につまんなくもなっていく。
それにしてもそんな何の得にもならないことをやっていて、よほどヒマなんだねと思われるだろうけど、割と忙しい。
忙しい時にかぎってこういうことをしたくなるのだ。
本当に何の得にもならないけど、わりと楽しい。
それに記憶にある子供たちのほとんどは、おそらく人生の中でもう二度と会わない人たちである。
ここらでちょっと、ひとりひとりに僕に楽しい思いをさせてくれてありがとう、と言っておいてもいいのではないかと思った。
子供のころ持っていた(今でも実家にあると思う、きっと)百科事典の動物の巻のグラビアTOPに「トウキョウサンショウウオ」が載っていました。
ゾウとかライオンとかオオカミとか、巻頭グラビアを飾るべきスター動物はいっぱいいるはずなのに、そいつらをさしおいて両生類の、しかもローカルなサンショウウオがトップとはどういうことだ?と子供心に不思議でしたが、最近、その理由に思い至りました。
オリンピックだ!
その百科事典(手元にないので確認できないが、たぶん学研)が発行されたのは、ちょうど前回の東京オリンピック(1964年)の時期と合致すると思うのです。
だから東京特産の生き物としてトウキョウサンショウウオが選ばれた!
とまぁ、そんなどうでもいいことを思い出したのは、先月、仕事で秋川や武蔵五日市に行った時に「森っこサンちゃん」と出会ったからです。
森っこサンちゃんは秋川市のキャラクターで、もちろんトウキョウサンショウウオ。
駅の観光コーナーや商店街のサインで愛嬌を振りまいてます。
今度の東京オリンピックでも活躍するか?
大型連休は1日ヒマを作って、サンちゃんのいる秋川渓谷にでも行こうかなと思っていたのですが、あまり強く念じていたわけでもなかったので、仕事にかこつけて結局行かずじまい。
でもまたヒマを見つけて渓谷歩きに出掛けたいと思ってます。
トウキョウサンショウウオに会えるかなぁ。
それにしてもカエルもそうだけど、両生類のキャラクターは、ケロヨンとか、けろけろけろっぴぃとか、村上春樹の「かえるくん」とか、かわいい・オモロいって人気があるのに、実物はイヤだダメだという人が多いのはなんでー?
もう田植えの季節だなぁってネットを調べてたら「カエルうるさい」とか「カエル駆除」とか「カエル殺せ」みたいな話がうじゃうじゃ出てきた。
カエルもイモリもサンショウウオも、両生類は水のきれいな里山日本を象徴するような存在で、生態系の保全にも欠かせないのに、これはちょっとさびしいです。
やっぱり都市化とともに失ったものは、物理的にも精神的にも大きいと思わざるを得ません。
サンちゃんのいる森は守りたいなぁ。
解散後のビートルズは、あるいはとっくの昔に衰退したパンクロックは、今もなお物語を紡ぎ続け、英国の文化の一つとして血肉化している。
それと同様、テント芝居はビートルズであり、パンクであり、現代の日本においての一つの異文化として脈動している。
日本一の大都市・繁華街と言える新宿の真ん中。
黄昏時の光と闇が入り混じる、ぽっかりと空いた異空間に朱色の鳥居と、みずみずしい緑が浮かび上がる。
そしてその向こう側。まるで僕たちの心の故郷のように、昔ながらの紅いテントが建っている。
開場を待ってその周辺でうろついている観客は、もちろん懐かしさに駆られた年寄りが多いが、若い観客も少なくない。
じいちゃん・ばあちゃんに話を聞かされた子供や孫たちなのかなぁと想像する。
天井も側面も血肉色に包まれた紅テント内は胎内であり、繰り広げられる芝居は子宮の中の旅である。
飛び交うセリフと役者の動きは、日常のリアル感とはまったく趣の違う、本質的なリアル感にあふれており、一緒に見に行った21歳の息子が目を白黒させていた。
わけがわからないけど面白い。
それでいいのだと思う。
人間が生きることは、わけがわからない神秘にあふれている。
それがなくて、ただ仕事をして生活しているだけなら、ロボットと変わらない。
飯を食ったり休んだりする分、非効率でロボット以下だ。
唐十郎の芝居にはそうしたことを再認識させてくれる価値がある。
そして何よりも圧倒的なセリフの面白さ・美しさ。
その一つ一つは詩であり、感情の表出であり、社会批評であり、精神分析であり、哲学であり、そうしたものすべてをひっくるめて物語全体を形作るピース(断片)になっている。
物語はタイトルが示すように「吸血鬼」という存在を最初に思い浮かべると読み解きやすい(というか正解があるわけでなく、自分のものとして解釈できる)。
吸血鬼はすでに遠い昔に死んでいるとも、永遠の命を持っている存在とも捉えられる。
そんな幻想にとりつかれた主人公が、初演時の1971年を起点に、東京が焦土と化した戦後、大正末期の関東大震災、それに続く、アジア大陸における満州国建国と、幾つもの積み重なった時間と空間の中を旅する。
インターネットが進んだ現在、僕らはこれと似たようなことができるようになっている。
僕らは今という時間だけを生きるわけではない。
リアル世界では若さを失っても、ネットにアクセスすれば脳内はたちまち時間を遡れる。
情報は誰でもいつでもどこでも手に入れられ、知識としてだけならいくらでも異文化を吸収し、深入りすればバーチャル体験も可能だ。
たとえば何の知識もなしにこの芝居を見ても、「愛染かつら」とはどういう話なのか、高石かつえ、川島浪速、川島芳子(東洋のマタ・ハリ)ってどんな人物なのか、関東大震災や満州建国で何が起こったのかなど、帰り道にスマホで調べれば家に帰る頃、そうした歴史的事象はわかっているのである。
そう考えると、すでは僕らは半ば吸血鬼のような生き方をしているのかも知れない。
それにしても唐さんが倒れてから、もう6年も経つとは知らなかった。
病状のことはわからない。
でももしかしたら自分が創った文化の後継者たちを育てるために、あえて病気になってみたのかも知れない。
いや、もしかしたら病気というのは唐流の芝居で、じつは世界旅行にでも出掛けているのかもしれない。
そして後継者らの成長を確信したらまさかの復活を遂げ、みずから「帰ってきた唐十郎」を舞台で演じるのかもしれない。
その時、唐芝居は幕末~明治期に書かれた歌舞伎の名作同様、後世までずっと引き継がれる伝統芸能になるのではないかと思う。
劇団唐組が伝説の名作「吸血姫(きゅうけつき)」を上演すると聞いて、日曜日に新宿・花園神社まで出かけることになりました。
状況劇場で初演されたのは1971年。
その後、紫テントの新宿梁山泊が2000年と2002年にやったらしいが、大御所の紅テントでやるのは47年ぶりとのこと。
そうそう、かの状況劇場は、常に唐十郎の新作を上演していて、一切再演なんてやらなかったんです(僕の記憶の限りでは)。
1971年の初演時、小学生だった僕は当然、紅テント・アングラ演劇のアの字も知らなかった。
10代後半で演劇を始めた頃、「吸血姫」は状況劇場の歴史の第1幕(60~70年代初頭)のクライマックスを飾る集大成・最高傑作と評され、すでに伝説化していました。
家にはなんと、ちゃんとこの戯曲があります。
「唐十郎全作品集・第2巻」。
若かりし頃の唐十郎が、演劇界の芥川賞と言われる岸田戯曲賞を受賞した当時の作品がずらり収録されています。
初演時の上演記録も入っていて、唐十郎・李礼仙をはじめ、当時の主力役者の麿赤児、四谷シモン、大久保鷹といった名怪優たち、そして今は亡き根津甚八がやっと頭角を現してきた時代だったことがわかります。
というわけで、ちゃんと読んだかどうか覚えもないこの作品集を、たぶん30年ぶりにくらいに開いて「吸血姫」を読んでみました。
愛染かつら。
看護婦と献血車。
関東大震災。
満州。
わ、わけがわからん。
そ、それなのにめちゃくちゃ面白い。
この作品に限らず、唐作品は誇大妄想で練り上げられたセリフが繋がって、あっという間に化け物のように巨大化して暴走するのだが、それが物語としてちゃんと成立してしまうという摩訶不思議な世界。
ということは分かっていたけど、やっぱりすごい。
でも随分久しぶりに接した割に、とてもすんなり妄想世界に入っていけました。
なんか若い頃読んだ時よりもイメージが広がりやすかった。
今回の公演では、初演時、四谷シモンが演じた「狂える看護婦・高石かつえ(愛染かつらの主題歌を歌っていた歌手をもじった役)」を最後のアングラ女優・銀粉蝶が、
麿赤児が演じた「袋小路浩三(愛染病院の院長)」を唐さんの長男・大鶴佐助が、
李礼仙が演じた「海之ほおずき」を長女の大鶴美仁音が演じる。
もうこれだけでストーリーができあがっちゃってるね。
と、こんなに詳しくじゃないけど、メシ食ってるときにちょっとカミさんと息子に話したら、「わたしも行く」「僕も見たい」と言い出して、前売り券も取れたので、結局、連休の締め括りに3人で出かけることになってしまった。
この時代にまさか家族そろって花園神社にアングラ・テント芝居を見に行くことになるとは夢にも思わなかった。
久しぶりのテント芝居、2~3時間座って見るにも体力が要るので、観客として最後まで持つかどうか、いささか心配ですが。
上野の国立科学博物館でやっている「人体」展。
僕のボディもかなり古びてきましたが、まだまだ使わせてもらう予定でいます。
それで展示を見て、すごく当たり前のことに気が付きました。
大きく言うと、人間の身体は生まれてから死ぬまで3つの期間に分けられる。
①子供(生殖機能が起動する前)
②生殖機能活動期
③生殖機能終了後
めちゃくちゃ単純です。
確かにすべての生物は子孫を残すのを最大の仕事としているので、身体は生殖機能のあるなしで変化し、時代区分できます。
他の動物(植物)は子孫を残す仕事を終えたら、ほどなくしてこの世とさようならになるのだけど、人間の最も大きな特徴は、生殖機能をなくしてからの生存期間がすごく長いということ。
もちろん個人差があるけど、最近の寿命で言えば、人生の半分以上の時間が「生殖機能終了後」です。
これは特に女の人が実感しているでしょう。
男の場合は、その気があれば、生涯現役も可能なわけですが。
「生殖機能をなくす」と言葉にすると、かなり悲しい響きがあるのだけど、考えようによってはオンナであること・オトコであることから自由になったとも言えます。
僕も10代・20代の頃はホルモンの分泌に支配されて、よく頭がイカレていました。
性欲をほどよくコントロールするのはなかなか大変で、今思うと冷や汗かいたことも何度かあります。
いやいや、さすがにそういうものにはあまり悩まされなくなりました。
(ちょっとはあるけど)
かと言って、女も男もみんなが坊さんみたいになっちゃたり、悟りを開いたりしちゃったらつまらない。
生殖機能なくても恋愛もSEXも楽しめるわけだし、今の時代、この人生第3期をどう生きるかは本当に考えどころです。
できれば子孫を残すことの何千分の一でもいいから、のちの人類のためになることができればいいなぁと思います。
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