中学生時代の「エリナ・リグビー」の衝撃と 47年後の和訳演奏

 

●「エリナ・リグビー」の詩

中1の時、国語の時間で自分の好きな詩を選んで書き、

それに自作のイラストを添えて発表するという課題があった。

国語の先生はクラス担任の北原先生と言って、

僕にとっていちばん良い記憶に残っている先生だが、

今考えるとイキな課題を出したものだ。

授業参観の日に教室の後ろに貼り出していた。

 

僕は確か、高村光太郎の「無口な船長」という詩を書いたのだが、

昨日紹介したビートルズオタクのイナガキくんが選んだのは、

レノン・マッカートニーの「エリナ・リグビー」の詩だった。

 

イナガキくんは、すべてにおいて“そこそこ”の少年で、

勉強もスポーツも、とびきりできるわけでもなく、

さりとて明るい性格や芸人気質で教室を賑わすわけでもなく、

リーダーシップを発揮して人望を集めるわけでもない、

要するに僕と似たり寄ったりの目だたない生徒だった。

 

ビートルズオタクだったけど、

僕自身、ビートルズというバンドは知っていたが、

ほとんど意識していなかった。

 

そもそもその頃(1972年)、「ビートルズはもう古い」と言って

隣のロック好きな先輩はバカにして、ハードロックを聴いていた。

 

ところがその彼が書いた詩を見て、僕は仰天した。

「ああ、あんなにさみしい人たちは何処へ行くのでしょう?」

大人になりかけた子ども心に、その詩のインパクトはものすごかった。

その時からイナガキくんをちょっと尊敬するようになった。

 

●衝撃の弦楽四重奏

それから間もなくして、ビートルズを馬鹿にしていた先輩が

「兄貴の友だちから貰ったけど、俺はビートルズなんで聴かんから」

と言って、ビートルズの「オールディーズ」というLPをくれた。

 

「リボルバー」までのシングル曲を集めた、

いわゆるベストアルバムで、

「シーラブズユー」も「抱きしめたい」も「涙の乗車券」も

入っていたのだが、その頃はあんまりピンと来す、

最高に響いたのが「エリナ・リグビー」だった。

 

それまで抱いていた「なんだか歌謡曲っぽいロック」という

ビートルズのイメージが、

あの美しくて切ない弦楽四重奏で木端微塵に吹っ飛んだ。

生まれて初めての異次元の音楽体験だった。

そして、あのイナガキくんの詩のインパクト。

初めて「ビートルズってすごいバンドだ」と認識した瞬間だった。

 

・・・というのがマイビートルズ・ベスト10の

第7位「エリナ・リグビー」のマイストーリー。

 

●ああ、この孤独な人々

最近、YouTubeで和訳のカバーを聴いて驚いた。

ギター2本とアコーディオンの素朴な編成で

あの美しいメロディを奏でる。

これは素晴らしい!

イナガキくんも聴いていrるだろうか?

 

初めて聞いた頃、僕の中でエリナはまだ10代の少女で、

マッケンジー神父も「イマジン」を歌っていた頃の

ジョン・レノンに似た青年だったが、

年月を経た今は、二人とも齢を取った姿で現れる。

なんとなく孤独死や、無力な宗教者を連想させる。

 

もう半世紀以上も前からビートルズは

現代人の孤独と不安を歌っていた。

信じられるもの、心を寄せられるものが

どんどん消え失せていく時代において、

ますます多くの人の心をつかみ、深化し、

アレンジされて口ずさまれるだろう。

 


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勝手にビートルズ・ベスト10

 

中学1年生の同級生でイナガキくんというのがいて、

彼はビートルズマニアだった。

(ちなみにこれは1972年から73年の話。

ビートルズは僕が小学生の頃、とっくに解散していた)

 

イナガキくんは下敷きにびっちり

「自分の好きなビートルズナンバーベスト30」

というのを書いていた。

 

せっかく彼のことを思い出したので、46年後の今、

僕も自分のマイビートルズナンバーを書いてみた。

 

30書けるけど、ちょっと多すぎるかなと思うので、

とりあえずベスト10で。

 

1.レット・イット・ビー:

もともとのLPに入っている、間奏とエンディングでジョージ・ハリスンのリードギターが炸裂するバージョンが最高。中間部のリンゴ・スターのドラミングもさりげに印象的。最近はYouTubeでいろんなバージョンが聴けて嬉しい。永遠の名曲。

 

2.ヘイ・ジュード

定番中の定番だが、やっぱり良いものは良い。ジョン・レノンと最初の妻のシンシアさんが離婚して、残された息子のジュリアンに贈った曲だというバックストーリーを知ると、なおのこと胸に響く。僕の解釈ではこの曲はジョンとポールの訣別の歌であり、青春ビートルズのラストソングである。

 

3.涙の乗車券

ジョン・レノンの天才ぶりが凝縮された曲。甘く切なく、それでいてロックするヴォーカルが最高。

 

4.シー・ラブズ・ユー

初期の最高傑作。たった2分30秒にビートルズの魅力が濃縮。中学の頃、女の子がこの曲に合わせてお尻を振りながらジーンズを履く、EDWINのCMがあって、いつも鼻の下を伸ばして見ていた。

 

5.ア・デイ・イン・ザ・ライフ

アルバム「サージェントペラーズ」のラストを飾る、日常と幻想を往復する壮大な楽曲。現代人の孤独と不安を圧倒的な構成力で表現している。文学的なようでありながら、ただの遊び・ジョークとも思えるのがビートルズのすごさ。1967年の時点で、こんな音楽を作ったバンドはなかった。プログレッシブロックの元祖。

 

6.ストロベリー・フィールズ・フォーエバー

「ストロベリー・フィールド」はリバプールにある孤児院。ジョン・レノンは別に孤児ではなかったが、ちょっと家庭環境が複雑だったようで、ストロベリー・フィールドで遊ぶ自分の姿を夢想していたのだろう。そんな少年時代の心象を作品化したイマジネーティブな楽曲で、これまた後のプログレッシブロックに繋がる傑作。

 

7.エリナ・リグビー

僕が初めてビートルズにインパクトを受けた曲。その話長くなんるのでまた今度。

 

8.抱きしめたい

「涙の乗車券」と同じく、ジョン・レノンの魅力が炸裂する一曲。ノリが最高。

 

9.ドント・レット・ミー・ダウン

YouTubeで「LET IT BE」製作のために行われたゲットバックセッションが上っているが、その中でこの曲をやっている時のレノンのふざけぶりが最高に面白い。それ抜きでもすごく好きな曲。何度聴いても飽きない。

 

10.トゥモロー・ネバー・ノウズ

「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」「ストロベリー・フィールズ」と並ぶビートルズの3大プログレナンバー最初の曲。サウンドエフェクトを採り入れた実験的な曲で、その後のロックミュージックに与えた影響を考えて音楽史的価値が高いが、それ以上に、半世紀以上経った今Cでも、未だに新鮮さに溢れた曲であり続けているのはなぜだろう?

 


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さすらいのレコード・コレクター:男のバカバカしくて痛快な生きザマ

 

先日、レコード屋さんの仕事をやったこともあり、

たまたま近所の映画館でかかっていたので観に行った。

1時間強のドキュメンタリー映画。

 

ジョー・ハザードはクレイジーなレコードマニア。

先入観念で、いわゆるジャズマニアなのかと思ってたら、

それ以前のルーツ音楽――ブルース、カントリー、

ブルーグラスなどのレコードのコレクターなのだ。

 

製作年が2003年で、この頃、ジョーは見た感じ、

70歳前後。

今も存命中だとすれば、もう80代後半。

僕の父とそう変わらない齢だ。

ということは昭和ひとけた。

1930年代の生まれらしい。

 

彼が愛する音楽は、その自分が生まれる前と生まれた頃の

1920年代~30年代、今から1世紀近く前の、

主に黒人音楽だ。

 

音楽ソフトはもちろんアナログレコード。

それも78回転のSP盤。

僕もこんなの資料館みたいなところでしか見たことがない。

ハードは蓄音機である。

 

で、このおっさんはオンボロのアメ車を乗り回して、

要らないレコードをはるばる遠くまで出張買取に出かける。

今でいう中古レコード屋みたいなことを

1960年代頃からやっている。

 

すでにこの頃からSP盤や蓄音機は過去の遺物で、

売りたい人たちは、テレビを買うお金の足しにするために、

モノ好きなレコードコレクターに二束三文で

大量のレコードを売っていた。

取引額は$でなく、¢の世界。

10セントとか20セントだ。

 

そんなわけでジョーは、

長年溜めこんだ2万5千枚のレコードが棚に並ぶ

音楽のお城で、いつも葉巻を吹かしながら、

リズムに乗せて、5歳児みたいに

足をバタバタ鳴らし、

あげくに私設ラジオ局まで作って、

お気に入りの曲を放送する。

とんでもなお大人子どもだ。

 

当時の若者音楽であるロックが大嫌いで、

娘が親への反抗の意味もあって買ってきた

ビートルズのレコードも捨ててしまったと言う。

 

この映画は、そんなおっさんのクレイジーぶりを描くのだが、

なぜ彼がブルーグラスなどの音楽にそこまでハマったのか、

仕事は何をしている(してきた)人なのか、

音楽を聴く以外にどんな暮らしを送っているのかということなど

一切描かれない。

 

家族も、成人して中年に近くなった娘が

「こんなお父さんだった」ということをコメントするために

2,3ヵ所、短く登場するだけだ。

 

カメラは、ただひたすら楽しそうに音楽を聴き、

車に乗ってレコードを買い集めるジョーを追うだけで、

特にこれといったドラマも起こらない。

 

ジョー自身も特にこれといった

音楽に対する主義主張や評論家じみた批評や

マニア然としたうんちくをぶつわけじゃなく、

ひたすら「これがいい」「あれが最高」と言うだけ。

 

ちなみに彼はロック以前にジャズさえもいい作品は

戦前のもので、大恐慌・2次大戦以降の音楽は

とても聴けないと言う。

まさしく古き良きアメリカンフォークの偏愛者と呼ぶしかない。

 

結果的に、彼は100年後の現在のポップミュージックに繋がる

アメリカ音楽の歴史の貴重な生き証人であり、

この映画にはそういう価値があるのだが、

ジョーにとってはそんなこと、どうでもいいのだろう。

 

何も人間を深く描き、

ドラマチックで感動的な出来事を伝えるだけが

ドキュメンタリーではない。

 

「俺には生涯熱中できるものがある。

傍から見たら単なるバカに見えるかもしれないけど、

楽しい音楽を聴いてりゃ、そんなことどうでもいいんだ」

 

そんなジョーの声は聞こえてきそうだ。

 

人の役に立つわけでなく、社会に貢献するわけでもない。

感動的でもなければ、深い意味があるわけでもない。

しかし、彼の音楽に対する偏愛ぶりは痛快で、

どこか胸を打つものがある。

 

これもまた立派な男の生きザマである。

 


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若者がレコードを聴くのは、デジタル時代へのアンチテーゼなのか?

 

最近のレコード事情について勉強していて、

「デジタル化が進む現代に対するアンチテーゼとして」

という一文に出会った。

 

音楽産業マーケティング「MusicWatch」が調べたところ、アメリカにおけるアナログレコードの購入者は35歳以下が全体の7割を占め、学生時代からインターネットやパソコンのある環境で育ってきたデジタルネイティブ世代の需要が高いようです。

 

その理由は、デジタル化が進む現代に対するアンチテーゼ。楽に音楽を聞くのではなく、A面からB面へとひっくり返すような手間こそがライブやフェスに参加するような「非日常的な体験」として若者たちから支持されています。

 

また、レコードならではの「所有感」も若者は魅力に感じているようです。デジタルは簡単にコピーされてしまうのに対して、レコードは自分だけのもの。「個人の所有物」という感覚が持て、他の人とは違う満足感や達成感を味わえることが嬉しいようです。

 

「どうやって売る? どこに売る? レコード買取ナビ」

http://www.dokoniurou-record.net/market/youth.html より引用

 

 

一言で言ってしまうと、今の世の中で、

自己喪失の恐怖を

若い連中は肌でひしひしと感じているのだ。

 

ハロウィーンの子供じみたバカ騒ぎも、

そうした不安や恐怖から逃れる、一つの手段なのだろう。

 

大人は否定的に見るが、

僕も10代・20代だったら、

同じように渋谷に繰り出して騒いでいただろう。

今はそういう気分にならないことに、

ちょっぴり寂しさを覚えたりして。

 

いずれにせよ、今年は大した事件やトラブルが起こらなくてよかった。

 

話を戻すと、自己喪失の恐怖に襲われることは、

何も今に始まったことではない。

昭和だって、明治だって、江戸時代だってあっただろう。

むしろ、それは一生懸命生きている証拠なのではないか。

 

ただ、現代は情報化が進んでいるので、

誰もがより自覚的になっているのだと思う。

昔と比べて、みんな識字率が上り、

知識が豊富になったのだkら「しかたがない。

 

潰れないようにがんばれと言うしかない。

でも、レコードを発掘して、

デジタル化時代のサバイバル方法を工夫するなど、

彼らは彼らで、ちゃんと対策をしている。

 

子どもは放っておいても育つもの。

大人はそんなことに余計なおせっかいをする前に、

子どもらが呆れるような、自分たちの言動を見直した方がいい。

まだまだ先は長いんだから。

 


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見捨てられた恋人のようだったアナログレコードが、 なぜ絶滅の淵から回帰したのか?

 

●古き時代への浪漫、だけではない

長年、レコードコレクターがいるのは知っていたが、

それは考古学者が目を輝かせて

恐竜の化石を発掘する

―ーそうした喜びに似ているんだろうと思っていた。

 

ひとことで言えば、過去へのノスタルジー。

古き時代への浪漫、郷愁。

 

年輩のコレクターにはこれに当てはまる人が多いようだが、

最近のレコード事情を探ってみると、

どうもそれだけではない。

 

アナログレコード未体験の若い世代の中にも

結構レコードファンが増えているのだと言う。

 

どうやら彼らはレコードを、

CDやYouTubeやデジタル配信と競合するものでなく、

まったく別種のメディアとして捉えているようだ。

 

●アナログ未体験世代に非日常を提供する

それは形態の違いというよりも、

「聴くスタイル」の違いだ。

 

音楽を聴くのなら、レコードかラジオ、プラス、

ごく一部のテレビ音楽番組など、

非常に限られた選択肢しかなかった僕たちと比べ、

今の若い奴らは何でも選び放題だ。

それにお金もたいして掛らない。

 

その豊富な選択肢の中から、

他と比べて高価なアナログレコードを選ぶのは、

なぜなのか?

 

また、デジタル配信などで聴いている

同じアーティストの同じ曲を、

わざわざアナログレコードで聴くというのは、

どういう心理が働くからだろうか?

 

もちろん人それぞれ理由があると思うが、

あえて概論として考えてみると、

それは生活の中のいろいろなシーンに合わせて

「聴くスタイル」を変えるから、ではないだろうか。

 

デジタル系の音楽が、

掃除や洗濯の時のBGM、

仕事をするときのBGMなど、

日常に溶けこんだものだとすれば、

 

アナログレコードは同じアーティスト、同じアルバム、

同じ曲を聴いても、

それは「非日常体験」になるんだろうと思う。

 

プレイヤーの上に盤を置き、

アームを上げて、静かに針を落とし、

数秒間、演奏が始まるのを待つ。

 

そんな面倒な作業を通して得られる、

何ともいえない緊張感は、

演劇や映画を観る時の体感に似ている。

 

ライブコンサートも非日常体験だが、

それと異なる、自分だけの非日常の世界。

間断なく入り込んでくる情報という名のノイズに

侵されない聖なる時間。

 

そういう世界・時間を内に持つことは、

事あるごとに「社会の歯車」的な感覚を覚え、

アイデンティティを見失い、

日々、生きる意味を問われる今の時代にあって、

自分を育てるのに大切なことだ。

 

ジャケットなどのアートワーク、

歌詞カード、ライナーノーツ、

さらにさまざまな「おまけ」など、

その音楽にまつわるストーリーが

パッケージされたレコードは、楽しさとともに、

そうした自己育成のタネも与えてくれる。

 

●アナログレコードが真価を発揮する時代が来る

1980年代後半の軽薄短小の時代、、

重くて嵩張って、収録時間も短くて、

もはや無用の長物じゃないかと思ったレコード。

 

多くの人が、こんなもの、20世紀の化石じゃないかと審判し、廃棄・二束三文売却の対象となったレコード。

 

見捨てられた、かつての恋人のように、

ネグレストされた子どもか老人のようになってしまったレコード。

 

けれども、その命はレコードを愛する人たち、

レコードを生きる支えにする人たちの手によって守られ、

この30年余りの間、途絶えずに継がれてきた。

命は耐えていなかった。

 

絶滅の淵から回帰したアナログレコード。

一度廃れたからこそ、レコードの文化は

これから先、その奥底に眠っていた真価を発揮し、

人間の心を癒し、活性化させるメディアとして

再び成長するのかもしれない。

 

新しい仕事を戴いたことをきっかけに、

レコード文化復活にまつわる様々なストーリーを探り、

描いていけたら、と思う。

 


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アナログレコードとの再会

 

とあるレコード店のコピーライティングを

やることになった。

音楽、レコードは大好きなので、とても嬉しい。

 

が、待てよ。

じつはもう30年以上、まともにアナログレコードを聴いてない。

 

僕がアナログレコードを熱心に、

それこそ盤が擦り切れるほど聴いていたのは、

中学生から25歳まで。

 

ロンドンで働くために、それまで住んでいた

江古田(練馬区)のアパートを引き払った時、

ステレオセットを売り払ってしまい、それっきり。

今から思えば、わずか10年余りの期間だ。

 

でもその10年は今の10年と全然違っていた。

いわゆる日常生活やお金を稼ぐ仕事は適当にうっちゃいといて、

本と音楽と演劇・映画に浸っていた。

 

一枚のレコードはA面・B面合わせて

短いのだと30分少々、長くても50分くらい。

でも、その1時間に満たない時間が、

とてつもなく豊かだった。

 

仲間や友達、あるいは付き合ってた女の子と

いっしょに聴くことも、たまにはあったが、

基本的に一人で聴いていた。

 

酒を飲んだり煙草を吸いながら、

集中してひたすらその音楽世界と向き合っていた。

アナログレコードではそれができた。

 

それがCDになり、ネット配信になり、

ほとんどがもうBGMというリスニングスタイルだ。

 

好きな曲を2~3曲、手を止めて聴くこともあるが、

レコードを聞いていた頃の感覚とはほど遠い。

 

実はCDに移行した後も、

200枚くらいのレコードを引っ越しのたびに持ち歩いていた。

 

20年以上も聴いてないのにずっと持っているのはどうもなぁ、

部屋も手狭だしなぁと、、

7年ほど前に処分することを思い立った。

 

某レコード店に何度か通い、大半を売りさばいたが、

話によると、その頃は最もレコードが不人気だった時代に

合致するらしい。

 

次いで3年ほど前に、義弟がコレクターになり始めたので、

残りは彼に譲ることにした。

 

以前、父の職務室兼応接間だった実家の一室が、

今では彼のご自慢のオーディオルームに変貌し、

棚にどっさりアナログレコードが収まっている。

 

そのうちの百枚ほどが自分の人生の半分を

連れ添ってきたレコードだと思うと、なんだか不思議な気分になる。

 

しかし、それでもまだ最後の10枚ほどが手元にある。

思いがけず、仕事で再びレコードの世界に入れるとは・・・

人生、面白い。

割と自分思い通りになるものかも知れない。

 

というわけで、最近のアナログレコード事情を

勉強し始めたところです。

 


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よみがえる死者・よみがえる歌:AIの音楽

 

Nスペ「AIでよみがえる美空ひばり」を観た。

AIによってよみがえった美空ひばり(音声+映像)が

30年ぶりに新曲を披露する。

そのメイキングだ。

 

僕はべつに美空ひばりのファンではないが、

このAIの新曲「あれから」」には心を揺さぶられた。

若手作曲家のメロディに、「川の流れのように」を書いた

秋元康氏が詞を付けたものだ。

 

正直、今まで聴いた身空ひばりの歌の中で最高だと思った。

そして、AIはもう芸術の分野でもここまでできるのかと

驚愕した。

 

今、世界中でこうしたAIによるミュージシャンの再生の

試みがされているようだ。

この番組でもテレサ・テン、バディ・ホリー、

マリア・カラスなどの例が紹介されていた。

 

懐メロ趣味のおじさんみたいなセリフだけど、

やっぱり昭和の時代、海外なら1950年代半ばから

1990年代前半あたりまでの大衆音楽・

ポップミュージックは素晴らしい。

 

ものすご~く大ざっぱにいうと、

あの時代はあらゆる歌・音楽に

「もっと自由になっていいんだ」

「もっと自由に表現できるんだ」という

時代の空気がこめられていた。

 

もうああいう時代は帰らない。

ああいう楽曲群は生まれない。

 

今の若い連中もたぶん、それは認めている。

新しい曲は、必ずあの時代の音楽の影響下に作られる。

カバー曲も量産されている。

 

歌唱技術・演奏技術は進化しているので、

みんな、めちゃくちゃうまいし、感心するアレンジもたくさんあるが、

オリジナルはやっぱり30年から50年前のものがほとんどだ。

 

権利問題とかいろいろ障壁があるので、

そう簡単ではないと思うが、

こうしたAIによるミュージシャンの再生は

どんどん増えるだろう。

そしてビジネスにもなるだろう。

 

エルヴィス・プレスリー、ジョン・レノン、

デビッド・ボウイ、フレディ・マーキュリー

マイケル・ジャクソン・・・

 

AI・ロボット技術に対する

不安・猜疑はあるものの、

何よりも世界中の人々が死者たちの再来を待っている。

これからの時代、がんばっていく力を得るために

あの時代の歌・音楽を共有した人たちの心が

ミュージシャンをよみがえらせる。

 

身空ひばりの「あれから」、本当に良い曲ですよ。

 


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純情ストーカー男と純心DV願望女の昭和歌謡

 

昭和歌謡にはストーカーするする男と、

DVしてして女が登場する。

 

前者の代表は坂本九の「明日があるさ」、

後者の代表は奥村チヨの「恋の奴隷」か。

 

高井戸図書館にはCDも置いてあるので、

歌好きな義母のために2枚ほど借りてきた。

 

耳が悪いので、そのまま聴こうとすると、

近所迷惑な大音量にしなくてはいけないので、

ヘッドホンで聴いてもらう。

 

全30曲、義母はノリノリで声を出して歌いまくる。

同じ家にいる僕としては、ちとうるさいなと思うが、

これくらいなら近所迷惑にならないからいいかとガマン。

 

認知症なのだが、若い頃に聴いた歌は

脳のどこかにこびりついていて、

心地よい世界にトリップできるようだ。

 

それにしても、義母が歌うと歌詞が気になる。

「明日があるさ」も「恋の奴隷」も大ヒット曲だが、

現代なら発禁になりそうな内容だ。

 

しかし、明るいメロディーと

歌い手の九ちゃんのキャラクターも相まって、

「明日があるさ」の主人公のストーカーまがいの行為は、

愛すべき純情男の、片思いの表現とされていた。

 

そして、子犬のように膝に絡みついたり、

「悪い時はどうぞぶって」と言う「恋の奴隷」の女は、

男にとってはたまらなく可愛い純心女だった。

 

もちろん当時は、ストーカーや

ドメスティックバイオレンスなんて言葉自体、

存在してなかったし、

流行歌や作詞家が悪いわけでもない。

 

けど、子どもの虐待が頻発し、

その原因の一つに、男の女に対するDV、

支配構造があると聞くと、

やっぱり気分が落ち着かなくなる。

 

僕も子どもや若い時分には、人生の先輩たちに

「女ってのはちょっとくらい殴って、言うこと聞かせなきゃだめだ」

なんてことをよく言われた。

 

半ば冗談であったり、子ども・若造の前で

男気を見せようという意識がはたらいて、

そんなセリフになったんだろう。

ただ、やっぱり昭和はまだ男が威張れた時代、

言い換えれば甘やかさていれた時代だったんだなと思う。

 

人間は感情で動く生き物だ。

理屈は感情で行動した後の言い訳・後付けに過ぎない。

歌は感情に深く訴えかけるからこそ、

認知症になった義母も憶えている。

 

男尊女卑(とあえて言う)の時代の空気を取り込んだ

昭和歌謡に親しんできた世代の人たちが、

セクハラやパワハラという概念に理解を示し、

現代の考え方に順応していくのは、

それだけですごいことなんじゃないかな。

 

けど、その遺伝子を引き継いでしまった若い人たちが、

まだまだ大勢いるようだ。

 

余談だが、「恋の奴隷」を歌った奥村チヨさんは

昨年、71歳で引退したそうだ。

「恋の奴隷」(改めて見るとすごいタイトル!)が

リリースされたのは1969(昭和43)年。

彼女は22歳だったが、あの歌詞には抵抗があった、

とコメントしていた。

 

けど、「わたしを奴隷にして」と歌うことで、

当時の男の心を虜にしたんだよね~。

 


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魚のいない水族館:あとがき

 

「魚のいない水族館」をお読みいただき、ありがとうございます。

なんでこれを書いたかというと、夏の盛りのある昼下がり、

 

♪さかな~の「い~な~い、すいーぞっかん

 

という歌がヤグルマソウほども青い海の底から聴こえてきたのです。

 

むかし付き合っていた女の子が、よく口ずさんでいた歌です。

たしか、黒色テント(1970年代のアングラ演劇)の芝居の中で

歌われていた歌だと思います。

後からネットで調べてみたら、林光という人の作曲でした。

 

とても憶えやすいメロディだったので、彼女は気に入ったのでしょう。

僕はすっかり忘れてたけど、

猛暑の中、昼寝をしてたら、つい口ずさんでいました。

脳の深海から上がってきた泡が、ぽこっと出てきたみたいに。

40年ぶりのことです、たぶん。

 

それで何か書いてみようと、

ライティング・メディテーション(書く瞑想)をやってみたら、

なんだかお話のようなものができました。

 

そこでこのノート5ページ分に書き出したあらすじを、

何とか人様も読めるものにしようと、

ごりこりと書き足し、書き直しながら

ブログに載せていきました。

 

まるで夏休みの宿題みたいになってしまって、

最後までゴールできるかどうか不安になりましたが、

なんとか書ききれました。

 

当初は3回くらいで終わる予定だったのに、

やり出したら、どんどん展開して6回になりmした。

トータル13,000字超。

原稿用紙33枚という、ちょっとした物語になりました。

 

せっかくなので、ここからまた少し手を加えて、

とりあえず短編小説賞に出そうと思います。

2,019年、令和元年、夏の思い出です。

 


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般若心経(cho Ver)は21世紀のプログレ

 

エンディング産業展のイベント「次世代僧侶オブザイヤー」で知った。

坊主バンド、昨年末のアジアツアーライブ。

世界は宗教から離れつつある。

それを人々のもとに取り返そうという試み。

 

てか、そんなリクツはどうでもいい。

これはすごい。カッコいい。

僕に言わせれば、これぞ現代のプログレッシブロック。

若い坊さん、面白いじゃないか。

 


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生きててもだいじょうぶ、死んでもだいじょうぶ

 

年寄りのつぶやきとして「変わってしまった・・・」というのがある。

世の中変わってしまった。

人の心が変わってしまった。

みんな変わってしまった。

 

今年90になったうちの母親も、僕が実家に帰ると口癖のようにそう言う。

 

だいたいこの「変わってしまった・・・」というつぶやきの中には、

「もう私の居場所はない」という心の声が含まれている。

 

僕は母親に「だいじょうぶだよ」と声をかける。

そう言ってから「何が“だいじょうぶ”なのだろう?」と考える。

 

そして、ちょっと恥ずかしいが、

「お母さんがこの家にいるだけでありがたいんだよ」と言う。

 

「そうかい」と、母は一応、わかったように言うが、

心底納得しているとは言い難い。

 

そこでこちゃごちゃ説明しても仕方ないので、そのままにしているが、

ほんとうに何が“だいじょうぶ”なのだろう?

 

たぶん、そのまま生きていてもだいじょうぶだし、

死んでもだいじょうぶだ、ということなのだ。

 

もういあんまりやりたいこともないようだし、

欲しいものもないと言う。

母に「がんばって生きろ」とはもう言えない。

幸い健康で、食欲は旺盛なので、食事制限など受けることなく、

自分の好きなものを食って暮らしてほしいと願うだけだ。

 

「人間、どんな時もがんばって生きなきゃいけない」は正論だと思う。

けど、なんだか暑苦しし、息苦しい。

無責任に言われると、時にムカつくことさえある。

おまえに何がわかるんだ、と言いたくなる。

 

書いてきたのは年寄りの話だが、年寄りに限らず、

最近は世の中の変化についていくので

いっぱいいっぱいの人が大勢いるのではないか。

 

優秀さを求められ、効率を求められ、

AI・ロボットが普及したら、お払い箱になると脅されて、

余裕を失っているのに

「人間、どんな時もがんばって生きなきゃいけない」

なんて正義の味方から正義の言葉を聞かされても、

「うるせー!」とブチ切れるのがオチだ。

 

こういうときはやっぱり神様・仏様だな。

ポール・マッカートニーのような天才さえ、

ビートルズの終焉を悟った時は、

これが終わったらオレはどうなるんだろう?

レノン=マッカートニーを解消してやっていけるのか?

この先、音楽で生きていけるのだろうか?

と心配していたのだと思う。

 

「LET IT BE」はそこから生まれた。

神様・仏様に

「なすがままになさい。あなたはそのままでいい。

生きていても、死んでもだいじょうぶだ」

 

そう言われるだけで人間は元気を取り戻せる。

 


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ロンドンのストリートミュージック

 

ストリートミュージックが商品になった街・ロンドン。

 

1週間前にロンドンのセントパンクラス駅の駅ピアノの話を書いたが、

街頭の音楽は、今やすっかりこの街の観光資源の一つである。

 

歴史的な古い建造物の立ち並ぶ街の中で、ギターをはじめ、

アコーディオン、バイオリン、管楽器、キーボードなど、

思い思いの楽器を手に、名も知らぬ貸家演奏者が

得意のパフォーマンスを披露する。

その光景は確かに楽しく、絵になる。

さしずめ、どこかの物語世界の中に入ったような気にさせてくれる。

 

演奏する曲もロックからジャズ、クラシックまでさまざま。

けっしてみんながみんな、上手いわけではないが、

やる側も聴く側も、あまりそんなことは気にしていない。

 

残念ながら、日本の都市で同じことを、いくら上手いミュージシャンがやっても、

こんな魅力的なテイストにはならないだろう。

 

30数年前、ロンドンで暮らし始めたばかりの頃、

地下鉄の構内や町中で彼ら演奏しているのを聴いて、

「おお、俺はロンドンにいるんだ」と、胸を熱くしていたが、

当時、彼らは街の邪魔者で、何割かはホームレスだった。

 

1980年代半ばの英国は経済的落ち込みから復興する途上で、

鉄の女マギー・サッチャーがそれまでの福祉政策を全面的に見直して

大ナタを振るっている最中だった。

 

その頃まだニートという言葉は生まれていなかったが、

多くの若者は職もなく、路上に放り出され、途方に暮れ、

歌でも歌わずにはいらなかった。

 

警官や地下鉄の職員は、大目に見ていたものの、

やはり目立つことをすると追いはらっていた。

 

けれども追いはらっても追いはらっても、

虫のようにわいてきて、今度は隣の駅で、

一本向こうの通りで歌ったり、演奏したりしている。

 

それが30年たって、社会は彼ら(の「子どもたち)を

認めるだけでなく、

観光客用の売り物にしてしまった。

 

歴史を売り物にするこの国では、

わずか30年前の歴史もまた、

立派なメニューとして陳列され、

求めるお客様をおもてなしする。

 

生活事情は30数年前と大して違わないと思う。

物価の高いロンドンで、歌って暮らすのは楽じゃない。

EU離脱問題だって気が気じゃないだろう。

 

それでも歌うのをやめない。

誰かがいなくなっても、またべつの誰かが、

どっからかやってきて、

楽しそうに歌ったり踊ったりしている。

 

人生にはやっぱり音楽が必要だ。

ロンドンにはそう思わせてくれるろくでなしが大勢いる。

 


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いろいろな人が弾くから、心に響くロンドンのピアノ 

 

ピアノを演奏するのが好きな人、自信のある人は、

ロンドンに行って一曲弾いてみるといいと思う。

きっと貴重な体験・思い出ができる。

人生が変わることだってあり得るかもしれない。

 

ロンドンの都心にあるセントパンクラス駅構内に一台のピアノが置いてある。

通りすがりの人が、誰でも自由に弾けるようになっている。

 

今日、お昼を食べながら、そのテレビ番組

「駅ピアノ」(NHK-BS1)を見ていた。

いろんな国籍の人が足を止めて弾く。

 

旅行で来た人もいれば、在住の人もいる。

ロンドンは多国籍都市なので、イギリス人、ロンドン在住者でも人種はさまざま。

 

性別はもちろん、年齢もバラバラ、職業もいろいろ。

そして演奏する曲も、クラシック、ジャズ、ロック、ソウル、

ポップスなど、バラエティに富んでいる。

 

ポーランドから来た旅行者で、クイーンの大ファンだという男性は、「ボヘミアン・ラプソディ」を弾いた。

 

ミュージシャンを目指し、弾き語りを披露する若い男性。

 

地方から遊びに来た仲良しの女子高生のカップル。

 

同じく地方から来たが仕事が見つからず、

現在はホ―ムレスだと言う男性のピアノは

ちょっと物憂げだが、美しかった。

ここでピアノを弾くことが、

彼の心の支えになっているようだ。

 

ルーマニア人の奥さんとラブラブな

ナイジェリア人の男性が、ゴスペル風の讃美歌を轢く。

そういえばアフリカの国は半分くらいの人が

キリスト教らしい。

 

8歳のかわいい男の子が、即興でブギウギ(めちゃくちゃ上手い!)を弾いていると、

プロのミュージシャンの男性がジョイントして、

アドリブ合戦が繰り広げられる。

 

1ヵ月前、脳梗塞で倒れた男性は、無事、一曲弾き終えて

安堵した表情をしていた。

 

ドイツ人の音楽教師は替え歌で、EU離脱で混迷する

イギリスに向けて

「イギリスよ、離れるな。帰ってきてくれ」と歌った。

 

ブルーのおしゃれなネクタイを締めた90歳の男性は、

「音楽は生きがいだった。ピアノと出会い、

弾けることができて、私の人生は幸運だった」と

しみじみ語った。

 

どうもこのピアノは、2012年のオリンピックの時に、」

エルトン・ジョンが寄付したものらしい。

去年、ロンドンを旅したときは、

セントパンクラスにも行ったのに、

不覚にも見過ごしてしまった。

ちと残念、

 

テレビ番組なので、うまい人しか登場しないが、

たぶん誰でも触れると思う。

たくさんのオーディエンスが行き交っているので、

自信のある人はトライして楽しませてほしい。

 

この番組はロンドンに限らず、

各国の駅や空港に置いてあるピアノと、

それを演奏する人たちを映し出すドキュメンタリー。

 

登場する人たちのプロフィールを紹介するテロップが出て、

演奏後にそれぞれの人のコメントが入る。

 

途中で、その国や都市のインフォメーションが何度か入る。

 

たったそれだけだが、音楽が楽しめるとともに、

ピアノを愛する、それぞれの人の人生の背景を

垣間見ることができて、本当に面白い。

 

番組の最後には、黒人のミュージシャンが、

障がいのある女の子とのセッションを見せる。

さらに、周囲のオーディエンスに呼びかけて、

サッカーのイングランド応援歌を演奏して盛り上げた。

 

やっぱりそうだ。

音楽には人をつなぐ力がある。

そしてやっぱり、

世界はいろいろな人がいるから、生きてて面白い、

いろいろな人がいるから、世界は成り立っている。

いろいろな人が弾くから、心に響くロンドンのピアノ。

 

今度行ったときは、わが十八番「かえるの合唱」を弾こう。

 


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フリッパトロニクス 幻の起動音

 

 キング・クリムゾンのロバート・フリップが開発したフリッパトロニクスの音がWindowsの起動音に採用された――というニュースを、ラジオで、確かJ-WAVEのジョン・カビラがナビゲーターをやっていた朝の番組で聞いたことをふと思い出した。

 

 確か2000年をちょっと過ぎた頃だと思う。

 反響も大きく、僕も楽しみにしていた。

 

 しかし、それはガセネタだったのか、その後もフリッパトロニクスはWindowsで使われることはなかった。

 

 ブライアン・イーノやロバート・フリップが1980年代に始めた環境音楽 ambient musicは今でも仕事のBGMや、頭を休めたい時によく聴く。

 

 あの時代よりも、むしろ21世紀の今の時代に合っているのではないかと思う。

 かつては空間に溶け込むような感触だった環境音楽の音は、今だとそれに加えて、時間にも溶け込んでいるように聴こえる。

 

 ちょっと瞑想音楽めいたフリッパトロニクスの世界。

 20年近くの時を超えて、Windowsの起動音。

 今からでも遅くないのではないか。

 


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ガーナのお葬式は、泣き女、棺桶ダンス、ポップアート棺桶

 

 ガーナと言えば某菓子メーカーのチョコレート。おいしい。

 チョコレートの原料はカカオ豆。

 西アフリカのガーナ共和国は世界有数のカカオ産出国。

 意外だったが、ほかにGOLDや石油の産出量も有数だ。

 

 そしてサッカーファンはご存じ、アフリカのチームとしてはトップクラスの実力を持っている。だ。

 しかし、もう一つ、世界に冠たるすごいものがある。

 それはお葬式であり、棺桶だ。、

 

 ここのところ、アフリカ諸国の生活文化に興味を持って、仕事の合間にちょこちょこネットで調べている。

 

 「月刊仏事」でエンディング関係の記事を書いているので、どうしても葬式とか供養のことが気になるのっだが、どうもガーナのお葬式の派手さはアフリカだけでなく、世界でも断トツらしい。

 

 ガーナはかつてイギリスの植民地だったこともあり、約7割がクリスチャン。

 大都市に暮らす富裕層はもクリスチャンが大半のようで、彼らは一般人の平均年収の4倍から10倍にあたる費用を葬式に使うらしい。

 故人が亡くなってから遺体を冷凍保しておき、約3ヶ月後、満を持して週末3日間かけて盛大に、飲んで食って、歌って踊って、お祭り騒ぎをするというのだ。

 

 この国には葬式を盛り上げるために「泣き屋」、そして棺桶の「担ぎ屋」がいて、このプロフェッショナル達が、まさしくプロの技を見せる。

 

「泣き屋」は一般的には女の団体で、「泣き師協会」というものもあるらしい。

 静かな啜り泣きから、地面に転がっての号泣、謎の「シマリス泣き」というものまで豊富なmメニューを取り揃え、時間やシーン、人出などに合わせて会場を盛り上げるために変幻自在の泣きパフォーマンスを披露するという。

 

 「泣き屋」が女の仕事なら、「担ぎ屋」は男の仕事。

 スーツを着込んだダンディーな奴らがお神輿よろしく棺桶を担ぐ。

 と言ってもただ担いで練り歩くだけではない。

 陽気でリズミカルなハイライフミュージックに合わせて、棺桶を担ぎながら踊る、いや、踊りながら担ぐのか。

 とにかくこれがえらくカッコいい。

 

 周囲には演奏するバンドマンやダンサーたちもわんさかいて、いつ果てるともないビッグパーティーが続く。

 

 ガーナでは人は死後、異なる世界でふたたび新たな人生が始まると信じられており、「死」は「新たな始まり」と捉えられるのだそうだ。

 したがって葬式とは、故人の死は悲しむものでなく、新たに生き始める故人をみんなで祝福するための儀式なのだ。

 

 

 さらにもう一つすごいのが、その棺桶。

 ガーナの棺桶は世界一ユニークと言っても過言ではない。

 

 ガーナ人は、故人の人生にちなんだ棺桶をオーダーメイドする。

 たとえば、パイナップルの形をした棺桶は、パイナップル農家。

 魚の形をした棺桶は、漁師の棺、

 

 仕事だけでなく、自分の人生に幸をもたらしてくれたもの、叶わなかった夢や希望などを様々な形にして棺桶を作るというのだが、これがポップで可愛くてファンキーだ。

 

 

 いわゆるアート作品として海外からの評価も高く、プロのアート館桶屋が 何人もいるようで、希望があれば海外からの注文も受けるという。

 

 備えあれば憂いなし。ガーナのアート棺桶。終活している人はオーダーメイドを選択肢に入れておいてもいいのでは?

 


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ドラム少女の快演:もはや音楽やるのに子どもも大人も関係なし

 

 8歳のドラム女子(現在は9歳になってるらしい)・よよかちゃんの超絶パフォーマンス。
 曲目はなんと、Led Zeppelinの「Good Times Bad Times」だ。

 とてもこの小さな体が叩き出しているとは信じられない、ぶっといグルーヴ。
 ジョン・ボーナムが生きてたらぶっとびそうな演奏――いや、もしやボーナムの魂が乗り移っているのか?

 でも彼女はべつにZep専門じゃなくて、ロックやファンクのいろんなナンバーを叩きこなしてUPしている。
 そのどれもが完コピ。
 ちびっこががんばってるとか、上手にやってるといったレベルをはるかに超える、プロフェッショナルのパフォーマンスだ。
それに加えて、彼女の笑顔のかわいいこと。

 もはや音楽やるのに子どもも大人も関係なし!の時代に突入している?

 


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人間は幸せに慣れると、幸せであることを忘れてしまう

 

You Tubeで音楽を聴いている。

僕が聴くのは大半が60年代・70年代・80年代のロックやポップスだが、そこに付いているコメントを読むのが結構好きだ。

時々若い連中も書いているが、やはり僕と同じくらいの世代や、もっと上の世代が多いようだ。

本や映画のレビューと違って音楽は気軽にレビュー出来るので、いっぱい書き込まれている。

そこでちょくちょく目にするのが「この時代は良い時代だった」的コメント。

気持ちはわかる。

あなたも若かったしね。

確かにあの頃は良い時代だった。

 

でも、その良い時代の音楽を、当時はまったくの幻だった音源や映像、もしレコードやテープがあれば、何万円、何十万円出しても聴きたい・見たいと思っていたコンテンツを、これだけタタで見放題な今は、もっと良い時代ではないか?

 

今を生きる僕たちは幸せだ。恵まれている。満たされている。

でもそうした満足感や感謝の気持ちを持てるのは一瞬のこと。

一瞬ののちには、これはあたりまえのことになってしまって、僕たちは自分が実はとても幸せであることをすっかり忘れてる。

 

それを繰り返していると永遠に幸せにはなれない。

「青い鳥」じゃないけど、いまどきの幸福は、どっか家の中に転がっている。

ゴミゴミ散らかってるところを片づけて掘り出せば、たいてい出てくると思う。

 


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45周年ユーミン、40周年サザン&YMOの衝撃

 

 正月は家で執筆以外はテレビを見ていた。

 久しぶりにいっぱいテレビを見た。

 「もう見る気ねーよ」と言ってた紅白も見てしまった。

 

 サザンの桑田とユーミンの暴れっぷりにはホントびっくりした。

 還暦も軽々クリアして、もう怖いものなしという感じである。

 平成最後のどーのこーのと言ってたけど「勝手にシンドバッド」は昭和の曲だ。ま、お祭り騒ぎができれば、昭和だろうが平成だろうがどうでもいいか。

 

 昨年、ユーミンはデビュー45周年、サザンは結成40周年ということで紅白に出たが、同じく結成40周年だからか、YMOの特集番組も2日にNHK-BSでやっていた。

 

 「名盤ドキュメント」は、1979年発表の名作「SOLID STATE SURVIVOR」の解析。

 制作当時から厳重に保管されてきたマルチトラックテープの音源を再生し、当時の関係者や参加ミュージシャン、YMOチルドレン世代のアーティストたちの証言により、この大ヒットアルバムの謎と魅力に迫るという内容。

 

 「細野晴臣イエローマジックショー2」は、メンバー3人がジジイに扮装して(実際3人とももうジジイだけど)コントと演奏をやるという内容。昔から自分たちを茶化してお笑いに持っていくのが大好きな人たちだったけど、世界的ミュージシャンに上り詰めてベテランの域になってもやり続けるこの姿勢はリッパ。

 

 YMOは仕事のBGMでよく聴くが、ここのところ、1979年と1980年のワールドツアーのLIVE音源にはまってしまって、このあたりの音はエキサイティングでカッコ良すぎてとてもBGMとして聴いていられない。

 

 特にこの1980年10月のオランダ・ロッテルダムのライブは、自らテクノポップの概念をひっくり返すようなロックしまくりの演奏で観客のノリもすごい。

 

 サザンもユーミンもYMOも、やっぱりいいもんはいい。

 彼らの活躍後に生まれたチルドレンたちも素直にはまっちゃうようだ。

 


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クリスマスにちょっとだけ世界と自分を変える

 

 むかしむかし、愛と音楽があれば世界を変えられる、と多くの人が信じていた時代があった。

 若い連中はみんな、多かれ少なかれ頭がヒートアップして、かなりイカれていたので、そうした偽善者めいていてインチキ臭い話も平気で口走っていた。

 

 今はもうそれが空想か幻想か妄想だということが分かってしまっている。

 それでも年に1日くらいはそういうことを口走ってもいいのではないかと思う。

 

 バカバカしいし、何の得にもならない。それにいっぱいいっぱいで暮らしているので、そんなことに関わっている余裕なんてない。

 

 そうこうしているうちに、自分の半径50メートルが平和で穏やかであればOK、とりあえずオイラが死ぬまではとこのまんまで――と多くの人が考えるようになった。

 

 トランプ大統領の悪口を言う人は大勢いるが、あのビジネスファーストのボスはアメリカのみならず現代の先進国の、目先のことしか見ようとしない一般大衆の正直な心の写し絵ではないのか。

 

 人と人、文化と文化を遮断する壁はアメリカとメキシコの国境だけじゃなく、世界中のいたるところに建てられている。

 人種問題も階級格差も大きくなるばかり。

 

 なんだか宗教だかスピリチュアルめいた話になるけど、ひとりひとりの祈りだとか、

 

言霊だとかは結構、大切なんじゃないかと考えたりする。

 

 あなたや僕が祈ったり唱えたりすることで、ほんのちょっぴりでも世界は良い方向に変わるかも知れなない。

 みんなが12月24日と25日にそうした思念を集中させれば、その波動でかすかにでも地球の軸を動かせるかもしれない。

 

 そして、そうした言葉を口にしたり字にしたりすることによって、自分も本当にちょっとだけだけど、昨日よりはましな人間に変われるかも知れない。

 

 べつにその年一回はクリスマスじゃなくてもいいんだけど、ツリーやキャンドルやケーキやプレゼントのおかげで「LOVE」とか「PEACE」とか割と口にしやすい日なのであれば、やってみてはどうだろう。

 

 というわけで、Merry Christmas。

 素敵なクリスマスをお迎えください。

 


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12月のCanon

 

 クリスマスまでもうあと1週間、今年もあと半月しかない。

 クリスマスも年末年始もまだ全然準備してない。

 掃除もやってない。

 ので、まったくそういうモードに入れずにいた。

 

 なので例年ごとくGeorge Winstonの「DECEMBER」を聴く。

 頭の中に果てしない雪原が広がる。

 雪うさぎがピョンピョンと跳ねてゆく。

 

 「聖夜」「ジングルベル」「もろびとこぞりて」のような、子供の頃からおなじみのクラシックに加え、この40年余り、日本でも海外でもいろんなクリスマスソングが続々と出てヒットした。

 

 僕もさんざん聴いてきたが、なんだかもうお腹いっぱいになってしまって、ここ数年はおなじみのクラシックとこのアルバムしか聴かなくなった。

 

「Summer」や「Autumn」もいいけど、Winstonはやっぱりこの「DECEMBER」だ。

 

 集中してイメージを楽しみながら聴くこともあるし、仕事中のBGMとしても適しているし、もちろん季節の気分も堪能できる。一石三鳥。

 

 中でも「Canon」はほとんどループ状態で聴くことが多い。

 Winstonの演奏に初めて出会って、かれこれ35年たつが、いまだこのピアノ一台で紡ぎ出すCanonをしのぐCanonは聴いていない。

 

 なんとか来週には実生活も年末年始モードに入れたいのだけど。

 


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未来が来ても嬉しくないのさ、君と一緒でなけりゃ

 

 久しぶりに佐野元春を聴いてみたら、すごくよかった。
 「アンジェリーナ」や「SOMEDAY」や「約束の橋」などの懐メロもいいけど、最近のはもっといい。ルックスもグレイヘアが似合って若い頃よりかっこよくなった。
 何よりも歌詞が聴かせる。「人間なんてみんな馬鹿さ」「未来が来ても嬉しくないのさ、君と一緒でなけりゃ」・・・大人の想像力を刺激する歌だ。「SOMEDAY」からここまでたどり着いたのか、という感じがする。

 アルバムも聴いてみようかなと思う。

 


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みきなつみの「ボクらの叫び」がカッコいくてかわいい

 

こんなカッコいい歌を、こんな可愛い子が歌ってるなんて昨日まで知らなかった。

後半の歌詞の「空想、幻想、妄想」の3タテには涙がキレまくる。

いつまでもたってもこういう曲が好きだ。たぶん死ぬまで。

 


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Queenの思い出:1974~87年

 

 今日はQueenのフレディ・マーキュリーの命日だったらしい。

 そういえばこの間までYou Tubeにアクセスするたびに映画の予告編が出てきたが、この週末あたりから公開しているみたいですね。

 ファンは嬉しいでしょう。

 

 僕がロックを聴き始めた頃、ロック痛の先輩がいて、彼とその仲間がよく僕に向って「Queenみたいなのは女・子供が聴くバンドだ。あんなの聴いてちゃ男の名折れだぞ」とかなんとか言ってた(当時、その人たちは中学生です)。

 

 でも僕は初期の頃のQueenが割と好きだったで、そんな意見はシカトしてレコード買って、75年の来日公演の時も愛知県体育館まで観に行った(当時、名古屋在住)。

 

 初めて買った「MUSIC LIFE」(当時の音楽雑誌)の表紙がQueenだった。

 ちなみにこの少し後の号に載っていた1975年の人気バンド投票の結果は、1位がEmerson,Lake&Palmer、2位がLed Zeppelin、3位がQueen、4位がYes、5位がDeep Purpleだった。(たぶん15位くらいまで憶えている)

 

 僕がQueenを好きだったのは「ボヘミアン・ラプソディ」が入っている4枚目の「オペラ座の夜」までで、その後はだんだん聴く気がなくなった。

 世界的な人気が出たのはその後からだと思うが、人気の秘密はフレディ・マーキュリーのパフォーマンスがお笑いのネタになったのが大きいと思っている。

 

 マイケル・ジャクソンなどもそうだけど、音楽・アーティストとして素晴らしい一方で、モノマネができてお笑いネタにできるというのが、1980年代のスーパースターの条件だったような気がする。

 

 1985~87年、ロンドンの日本食レストランに勤めていた時、一度だけメンバーが揃ってきたことがある(たしか87年の春先)。

 ロジャー・テイラー、ブライアン・メイ、ジョン・ディーコンと来て、最後にフレディも来るのか?と思ってたら彼だけ来なかった。

 今思えば、当時、すでにAIDSとの闘病生活が始まっていたんですね。

 

 うーん、全然見る気なかったけど、映画観とこかと思い始めた。

 


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「ぼく」という一人称の女が気にニャってる  

 

 10代から20代の前半くらい、自分のことを「ぼく」という女がチラホラいた。

 べつに性同一障害とか、そういうことではない。

 「変身願望」とか「ほんとは男の子になりたかった」とか、心理学的にいろいろありそうだが、少なくとも表面的には皆、その一人称以外はいたってフツーで、見た目も可愛く、頭脳も明晰そうだったと記憶している。

 

 「リボンの騎士」や「ベルサイユのばら」など、宝塚歌劇系の影響が強かったからだろうか?

 

 そういえばあの時代(1970~80年代初めごろ)、一人称に「ぼく」を用いて男の立ち場に立って歌う女性歌手が多かったと思う。

 

 代表的なのはイルカの「なごり雪」か。

 あれはもともとかぐや姫の伊勢正三の曲だけど、後にイルカの旦那になるプロデューサーが彼女に歌わせてくれと直談判したらしい。

 それがイルカのキャラクターとマッチして大ヒットし、後世に残る名曲となった。

 今年亡くなった森田童子の歌もほとんどが「ぼく」の一人称だった。

 

 あの頃の流行だったかもしれないけど、少なくとも歌の政界では今でもAKBなどのアイドルが「ボク」「キミ」っていう呼称を使っている。

 

 そこで気になってネットで調べてみたら、「ボクっ娘」とか「ボク少女」とかのカテゴリーがあるという。

 

 これはマンガ・アニメ・ゲーム等のサブカルチャーの世界で、女の子キャラクターがそれぞれの個性を立たせるためにそういう、通常は男が使う一人称を用いることがままあるようだ。

 

 あくまでイメージだけど、確かに萌えキャラで「ぼく」と言っている娘はたくさんいそうな気がする。

 

 歌にしてもサブカルにしてもバーチャルな世界でそういうキャラが重宝され、活躍するのはわかるけど、現実的にはどうなのか?

 

 やっぱり気になって現役若者の息子に「おまえの中高あたりの同級生の女の子で自分のことをボクっていう子いた?」と聞いたら、全然いなかったという返事。

 

 バーチャルで増殖している分、リアルでは絶滅危惧種になっているのか?

 どうでもいいことなんだけど、気になり始めるととことん気になって、仕事にニャラならなくなってしまったので一筆。

 


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20世紀の愛と平和のロックなんて忘れてしまってた

  

 1960年代から80年代のロックやフォークやポップスをいつも聴いているので、YouTubeさんがよく僕のMy Mixというのを提供してくれる。その中には普段聴かないコンテンツも混じっている。

 「あんた、こういうのも好きしょ」と、オーダーしてないものでもおススメを蔵出ししてくれるというわけだ。

 

 昨日は久しく聴いていなかったNenaの「99 Luftballons (ロックバルーンは99)」が出てきた。

 世界を席巻したドイツ発のドイツ語ソング。

 YouTubeが出してくれたのはいつのライブかわからないけど、Nenaが貫禄ついているので割と最近のものではないかと思う。

 

 めっちゃ明るいノリだけど、これはけっこう強烈な風刺を含んだ反戦歌だ。

 ご機嫌なリズムとポップなメロディはもちろんイカしてるが、99個の赤い風船を兵器と間違えて攻撃し戦争に発展してしまうという寓意に富んだ歌詞が素晴らしい。

 

 当時の核廃絶のムーブメントと相まったのか、1983年の世界的大ヒットとなった。、

 そしてそれから5年後にベルリンの壁が崩壊した。

 

 そういえば最近、ある本でデヴィッド・ボウイが1987年にベルリンの壁の前で野外ライブをやったという話を読んだ。

 スピーカーを東ベルリン側に向け、壁で分断された双方のオーディエンスに音楽を送り届けたという。

 まさしくボウイHeroesだった。合掌。

 

 1960年代、当時の若者の多くは音楽で世界が変えられると信じ、ミュージシャンたちはそれに応え、愛と平和について語り歌った。

 その精神は20世紀の間中ずっと生き続けて、東西冷戦の終結や核廃絶運動、難民の救済などにも何らかの影響を与えたと思う。

 だが、いつの間にか、たぶん21世紀の始まりとともに消えてなくなっていた。

 

 世の中そう甘くない。単純ではない。

 あれは幸せな時代の、能天気な連中の、つかの間のたわごとだったのか?

 音楽ビジネスのための偽善だったのか?

 みんな夢でしたと、あとはYou Tubeで音楽を楽しんでりゃそれでいいのか?

 

 ロックが骨抜きにされ、反戦も反核も何もなかったのように、次々とまた世界中で壁が作られ、核が作られる時代になってしまっていることに、今さらながら愕然とする。

 

 「おまえごときに何ができる?」と問われたらグウの音も出ない。

 それでもまだ生きているので、自分の宿題として抱えて、たとえちょっとずつの時間でも向き合いたいと思う。

 


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創作と勝手にテーマ音楽

 

 新作ラジオドラマ脚本の初稿を書き上げた。

 自己満足度100%。「わーい!」って気分になっている。

 

 前作がコンペでファイナルまで残ったので、今回はぜひとも当選してほしい。

 まだ完成ではないが、とりあえず今年も連荘で参加できるという目途が立って一安心。

 とにかく作品を書いて参加しないことには話にならないので。

 

 創作に関してはいつも作品ごとにテーマ音楽を決める。

 言っても、べつにこれを使ってくれとかリクエストを書き込むわけじゃなく、自分がの頭の中で勝手に決めているだけ。

 

 でもテーマ曲があると不思議と全体の雰囲気がつかめ、リズムも出る。

 要は気持ちよく書けるのだ。

 

 選曲は頭の中の音楽ライブラリーから引っ張り出してくる。

 今回のはYesの「And You、And I」

 メンバーがシニア世代になってからのライブを見ると、間奏のあとの後半部分でベースのChris Squire (3年前に他界してしまった)がハーモニカを吹いている。

 それが原曲にない素晴らしい味付けになっていて、イメージの刺激剤となった。

 音楽の力はGreatだ。

 

 ちょっと休んで頭を冷やしてこれから1ヶ月かけてリライトする。

 じつはこれが肝心。

 結構余裕があるので、思い切ったリライトもできそうだ。

 


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ちょっとイカれたサブカルチャーの聖域シモキタ

 

 とくに用事があったわけではないけど、お天気が良かったので午後から自転車でぶらっと下北沢へ。

 到着すると駅の方から何やら聴きなれたフレーズが生音で響いてくる。

 お、これはCreamの「Sunshine Of Your Love」ではないか!

 

 出所は駅前広場(しもきたスクエア)。

 英国フェスでLiveと食い物の出店が10軒ほど。

 ライブは複数のバンドが60'S~80'Sのブリティシュロックのカバーをやっ

ている。

 Creamのカバーバンドは上手い! ギターは本家エリック・クラプトン並みだ。

 この広場は再開発予定地で、いずれ駅ビルが建つらしい。

 

 下北沢には東京に来た40年前からずっと通っていて、昔は芝居やライブを見たり、飲んだり食ったり古着を買ったりよくしていたが、ここ10年くらいはカミさんと年に1~2度買い物に来る程度。

 

 一人で来たのは久しぶりだったので2時間ばかりブラブラ歩いて一回りした。

 程よい高揚感と安心感、不思議な居心地の良さは40年前から変わっておらず、狭い道をうじゃうじゃ歩いている人たちを見るだけで面白い。

 

 昔の自分と同じ若い衆の人口密度も高いし、僕と同じ旧・若い衆も負けず劣らず多い。そこに外国人も混じってブレンド具合が絶妙だ。

 

 学生時代よく行った店が立ち退きで閉店になっていたりして寂しい部分もあったが、その代り表通りにも裏通りにも、ポップだったりパンクだったりシブかったりする新しい店もたくさんできてにぎやかだ。

  

 裏通りの「こはぜ珈琲」という小さなカフェに入った。

 コーヒー何と200円。もちろんセルフだが小さな店内にはジャズが流れて

いて、入り切らないお客は表のイスでコーヒーを飲んでいる。

 寒い人用にブランケットも用意されていて、とてもあったかい空気だ。

 トイレも狭いが飾りつけがお洒落で楽しく、シモキタっぽい。

 トイレが楽しい店は良い店だ。

 

 ブラつくだけで面白いシモキタ。

 やっぱりいい。用事がなくてもまた来よう。

 

 再開発されるとキレイでオシャレになる代わりに、漂白剤と脱臭剤をふりかけられ、クセもアクも匂いも消えてつまんない街になるパターンが多いけど、シモキタにはずーっと、ちょっとイカれたサブカルチャーの聖域であってほしい。

 


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森田童子の思い出:1970年代ぼくたちの子守唄

 

★訃報

 

 YouTubeで1960~80年代前半の音楽を聴いていると時々特定のミュージシャンの音源や映像が激増している現象に出くわす。

 で、よく見るとそのミュージシャンなり、そのバンドのメンバーなりが亡くなっていたことを知る。

 

 先月下旬もそれがあった。

 

 年に1度くらいの割合で発作的に聴きたくなる声がある。

 森田童子の声。

 検索したところ、6月に「いったい今までどこに眠っていたんだ?」と思える貴重な音源・映像が次々にUPされていた。

 もしやと思って添えられたコメントを読んで今年4月24日に亡くなっていたことを知った。

 世間に公表されたのはJASRACの会報で6月11日となっている。

 

 ぜんぜん知らなかった。

 死因は心不全。享年65歳。

 最近の基準に照らし合わせれば、早すぎるのかも知れないが、森田童子という虚像はすでに1983年――35年も前に消えていた。

 

 それなのに人々の心の中で強烈な存在感を放ち、生き続けていた。

 

★1978年

 

 僕が彼女の歌を初めて聴いたのは、東京に出てきて1年目の1978年のことだった。

 当時、演劇学校に通っていて明大前のアパートで友達と二人で暮らしていた。

 そこは双方の関係からいろんな連中が集まる溜まり場になっており、そのうちの一人がレコードを持ってきた。

 

 森田童子の名前と写真は知っていた。

 大きなサングラスとカーリーヘアの風貌から、てっきりブルースシンガーだと思っていた。それも男の。

 

 レコードは「マザースカイ」。

 A面1曲目「ぼくたちの失敗」。

 短いピアノのイントロに続いて聴こえてきたのは、ブルースシンガーの焼けた声でなく、甘く透き通った少女のような声だった。

 

 心臓を直撃された。

 

 その後40年、いろんな音楽を聴いたけど、これほど素朴で美しいメロディラインを持った楽曲は他にほとんど思い浮かばない。

 

 グッドバイ(75年)、マザースカイ(76年)、A BOY(77年)、東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤(78年)、そしてラストワルツ(80年)。

 

 遅れてきた僕がこれらのレコードをよく聴いていたのは3年ほどの間だった。

 今でも曲を聴くと、この頃の友達の顔や声、生活の断片、街の風景が妙にくっきりとした輪郭でよみがえる。

 毒が経験したのは最後の方だけだったが、森田童子の歌は1970年代という時代の象徴でもあった。

 

 

★1980年/1983年

 

 1970年代後半、森田童子はライブハウスで最も観客を集めるシンガーソングライターの一人だった。

 まさしくあの時代の空気を体現できるミュージシャンだった。

 

 僕は結局ライブハウスには行かなかったが、テント公演を体験した。

 

 80年11月、池袋の東口・三越裏の空地に黒テントを張って行われた「夜行」と題されたコンサート。

 森田童子を生で見たのはそれ一度きりだ。

 激しくギターを掻き鳴らす「春爛漫」で、漆黒のテントの中に桜吹雪が夥しく舞っていたのを思い出す。

 

 YouTubeに当時のドキュメンタリー映像(テレビ東京の番組だったらしい)が上がっていて、その中で彼女は語っている。

 

 「あと何年か後には東京でテントを建てるということは不可能になるでしょう。私たちのコンサートが不可能になっていく様を見てほしいと思います。そして、私たちの歌が消えていく様を見てほしいと思います・・・(中略)一つの終わりの時代へ向けて、私たちの最後の切ない夢を見てほしいと思います」

 

 80年代に入り、もう自分の歌が求められない時代になっていく。遠からず自分はこの世界(音楽シーン)から消え去るのだ、ということを予感していたのかも知れない。

 

 世間には明るく華やかなダンスミュージックが溢れ始めていた。

 孤独や悲しみ、絶望や死を歌う童子の歌を聴く人はどんどん減っていった。

 僕もその頃はもうほとんど聴かなくなっていた。

 「もう森田童子なんて聴かないよ」と誰かに言った覚えもある。

 それなのに、グッドバイとマザースカイの2枚のアナログレコードはいまだに手元にある。

 

 そんな中、1983年、新宿ロフトのライブを最後に森田童子は静かにギターを置いた。

 それを気に留めた人さえ、そんなにいなかったと思う。

 特に引退宣言なども残すこともなく、ひっそりと音楽の世界から身を引き、「みんな夢でありました」と普通の人の生活を送るようになった。 そこで森田童子は死んだのだ。

 

 

★1993年

 

 ところがそれから10年後、彼女は再び脚光を浴びた。

 バブル景気、ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代で浮き上がっていた人々が地上に足を下ろし、内省し始めた1993年、あの「ぼくたちの失敗」がテレビドラマ「高校教師」の主題歌に使われたのだ。

 ドラマを見た人たちが「あの歌手は誰だ?」ということで森田童子を再発見した。

 

 その当時、僕はドラマのイメージが貼り付いてしまうことをとても苦々しく感じていた。

 けれどもいま振り返れば、あの美しいメロディと彼女の声がより大勢の人の耳に届き、心に宿ったのは喜ぶべきことだと思う。

 

 「ぼくたちの失敗」が大ヒットになり森田童子にスポットライトが当っても、そこには誰もおらず、空っぽのままだった。

 

 現実の彼女は30歳で森田童子を辞めた後、結婚し、都内で主婦として暮らしてたようだ。

 一度、あるルポライターが居所を探り当て、取材を申し込んだことがあるが頑なに拒否されたと言う。

 

 その後、インターネットが発達しても、とうとう彼女の素顔も本名も公になることはなかった。

 これほどの知名度の人間がここまでプライバシーを守り続けられたのは奇跡的なことだ。

 

★病気

 

 「出たくないと」いう強い意志に加えて、僕は体調や精神状態があまり良くなかったのではないかと推測する。

 10代の頃、大きな病気を患っていたというから、それがずっと残っていたのではないだろうか。

 もし健康だったら、本人がいくら拒んでも周囲が何とか説得しようとあらゆる手段を講じて動くだろう。

 少なくとも取材の一つ、二つは受けさせただろうと思う。

 

 死因も心不全とのことだが、どこかでその病気が関係していたのではないだろうか。

 

 あるインタビューで、病気のせいでまともな生活が送れず、高校を中退してブラブラしている時に音楽を始めた」といったことを話していたが、そのブラブラの中身は苦しい闘病生活だったのかも知れない。

 

 そして死線を彷徨った経験と、学生運動をしていた友達との付き合いが曲作り、音楽活動に結びついた。

 

★子守唄

 

 森田童子の歌は一般に「暗い」と揶揄されることが多かった。

 けれども深刻度はさておき、孤独感や、悲しい・寂しいという感情を味わわない人間はいない。

 彼女の独特の「ゆらぎ」を持った声はそこに感応し癒しを与える。

 元気で明るい歌が心の傷を癒し、元気に、明るくしてくれるとは限らない。

 

 また、僕たちはいつもどこかで死に怯えながら暮らしている。

 いつか必ず訪れる自分の死、愛する人の死、大切な人の死――

 光の届かない奥底の暗闇に、僕たちの心の中の小さな子供はぶるぶる震えている。

 童子の歌はその子を優しく慰めてくれる母の子守唄だ。

 あの少女のような甘く透き通った声は、母の声でもあるのだ。

 

 時々発作的に聴きたくなるのはそのせいなのかもしれない。

 

★夜想と狼少年

 

 実は最後の2枚のアルバム「夜想」と「狼少年 WolfBoy」はかつては一度も聴いたことがなくてYou Tubeで初めて聴いた。

 時代に合わせようと彼女が(というよりスタッフが)苦労しているのが見て取れる。

 

 サウンド的にプログレっぽくしたり、テクノポップみたいな味を加えたり、ワルツのリズムを採り入れてダンスミュージックに近づけようとさえしている。

 

 歌の語り口の定型だった「ぼく、きみ」を辞めて「わたし、あなた」にした曲もあり、それまで隠されていた女の部分が見えてドキッとする瞬間もある。

 

 いま聴いてみて僕はけっこう好きになったが、「グッドバイ」や「マザースカイ」の童子節を愛するファンにとってはどうしても違和感を感じる作品だろう。

 彼女自身も違和感を覚え、納得できない部分が多くあったのではないだろうか。

 そして、ここまでして音楽の世界で生き残るつもりはない、と去ることを決意したのだろうと想像する。

 

★普遍

 

 訃報に出会って以来この10日ほど、夜な夜な彼女に関する音源、映像、ネット上の記事をあちこち見ていた。

 その中に5年ほど前に投稿されたものだが、12歳の女の子が「ぼくたちの失敗」を歌っている動画があった。

 

 おそらく自宅のリビングだろう、暖かい陽の当たる部屋で自分でギターを弾きながら、あどけない声で明るく軽やかに歌っている。

 過去の思い出を愛おしみながら別れを告げ、笑って旅立とうとしている少年少女の情景が浮ぶようだ。

 

 童子の歌がこんなふうに響いてくるなんて不思議で新鮮で、ちょっと感動した。

 

 森田童子という歌手の存在は1970年代の構成要素であり、あの時代の空気を知る者が共有できる世界であり、それ以外の聴き方は難しいのではないか。ずっと思っていた。

 が、どうもそうではない。

 

 彼女の孤独、悲しみ、寂しさ、絶望、死をテーマとした歌の数々は、その多くがかなり普遍的なものであり、貴重なものであり、むしろこれから大事にされていくのではないかと思うようになった。

 

 ぼくたちの時代の子守唄は未来へも繋がる。

 

 最後に、森田童子さんのご冥福をお祈りします。

 そして最期まで秘密にした素顔と本名、プライバシーが今後もけっして暴かれることのないよう祈るばかりです。

 


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抹消された20世紀パンクと想像力の中で生きる19世紀型スチームパンク

 

 6月にロンドンに行ったとき、ひとつ大きなことに気づいた。

 パンクが歴史から抹消されている。そう感じた。

 僕がロンドンで暮らしていた1980年代後半、パンクロックのムーブメントはもちろん、とっくの昔に消え失せていたが、街の中ではまだまだトサカ頭の若者たちが闊歩していた。そう、パンクはファッションとして生き延び、観光の目玉にもなっていた。

 

 王室やビッグベンやウェストミンスター寺院などとともにロンドンの代名詞となっていた。ダイアナ妃のロイヤルウェディングの絵はがきの隣には隣にパンクの兄ちゃん・姉ちゃんたちの絵はがきがあった。

 僕自身は経験ないが、観光客と一緒に写真に納まり、金をせびり取っていたという話もある。

 僕が働いていた日本食レストランでは、すぐ隣のテーブルにパンクの連中が来たので、日本人のおじさん・おばさんたちが怖いから席を替えてくれと言ってきた。

 そう考えると、セックスピストルズらのパンクバンドがリアルタイム活躍していていた時期よりも、有名度としてはあの頃が最高潮だったのかもしれない。

 

 しかしパンクは21世紀に生き残れなかった。

 ビートルズやローリングストーンズはもちろん、へヴィメタもプログレもグラムロックもバンドエイドもイギリスが産み落としたポップカルチャーとして、ロンドンの20世紀の歴史の中に燦然と輝いているのだが、パンクはその片鱗も見当たらなかった。当局から存在を抹消されてしまったという感じである。

 

 なぜだ? 反抗的だったり暴力的だったりしたからか? 音楽性が他のジャンルに比べてショボかったからか?

 でも僕がちょっと知っていたパンクの兄ちゃん・姉ちゃんたちは気が良くてかわいいやつらだった。

 

 20世紀のパンクは消えうせたけど、近年はそれに代わって19世紀のスチームパンクが人気みたいだ。僕も息子の影響で少々かじっているが、要はSFのジャンルの一つで、産業革命時の蒸気機関のテクノロジーが発達した世界観のもとに綴られた物語だ。

 

 現実の歴史の中では無視されても、パンクのスピリットは人々の想像力の中で生きていく時代になっている。

 そしてまた、僕たちは10年・20年単位でなく、200年・300年のスパンで自分の存在を位置づける時代になっているのではないかと思う。

 


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アナ雪短編 充実度1時間分

 

 大ぴらに言うのは初めてだけど、けっこうアナ雪が好きなんです。

 ストーリーもビジュアルも音楽も素晴らしい。

 最近、ミュージカル映画なんて全然見ない(そもそも作られているのだろうか?)けど、アナ雪だけは別格。何度聴いてもいい。

 この映画は本当にディズニー/ピクサーの力を思い知らされた。

 

 で、今日は「リメンバー・ミー」を見たんだけど、その前座がアナ雪。

 なんと贅沢な!

 20分そこそこのクリスマスをテーマにした短編だけど、ひとかけらの手抜きもなく充実度満点。

 「自分たちには伝統がないね」と、ちょっと悲しむアナとエルサのために、雪だるまのオラフが伝統を集めて回るが・・・という、いかにもアメリカらしい発想のストーリーで、これがまたとても面白く、かつ美しくまとまっている。

 もちろんアナとエルサの歌も最高で、1時間分くらい見た気になりました。

 

 けどあくまで前座なので、あまり胃にもたれず、ちゃんとメインを食べられるように軽くしてあるのがミソ。

 ちょっと完璧過ぎるバランスです。いずれにしてもこの2本立ては超お得です。

 

 メインの「リメンバー・ミー」については、いろいろ考えさせられたので、また後日。

 

 今日はほとんど映画会社の回し者になってしまいました。

 まぁ良いものは良い。好きなものは好きなので、ということで。

 


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自分をリライトする

今までやってきたことを書き直す。

 リライトは今後の自分のテーマである。

 

 と思って、久しぶりにアジアンカンフージェネレーションの「リライト」を聴いた。

 とんでもない重量感と疾走感。

 こんなカッコいいロックに出会ったのはどんだけぶりだ~と、ぶっとんだのが、はや15年ほど前。

 

 アニメ「鋼の錬金術師」のラストクールのオープニング曲だったので、ハガレンのクオリティが10倍UPした。

 

 いま聴いてもレジェンドでなく、なつメロでもなく、現在進行形のリアル感満点で、ザラザラの音の塊がより深く胸をえぐってくる。

 

 リライトは形を成した文脈をもう一度掘り進めて、新しい価値と意味を見つけ出す作業。書いて休んで書いて休んで、また書き直す。

 

 個人的なことだけど、今の時代はみんな同じようなことをして、自分の生きてきた中から何かを掘り出そうとしているのではないだろうか。

 

 あなたは何回自分を書き直しますか?

 


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雪と少女

 

雪どけの風景に出会うと、五輪真弓の「少女」という歌を思い出す。

 

 ♪あたたかい陽の当たる真冬の縁側で

 少女はひとりでぼんやりと座ってた

 積もった白い雪がだんだんとけていくのを

 悲しそうに見ていたの

 夢が大きな音を立てて崩れてしまったの

 

 透明感のある旋律と余白に満ちた詞。

 思い出すたびにとても清新な気持ちにさせられる。

 

 子供は雪どけの景色や子犬の遊ぶ姿を見るだけで、生きるってどういうことなのか感じとっている。

 夢がとけて消えても、また次の夢の芽を雪の下から見つけ出してくる。

 生きるってその繰り返しなんだということも。

 

 塾や習い事などいくら詰め込まれて忙しくても、

ちゃんとぼんやりして感じる時間を持っている。

 「なにぼんやりしているの!”」と大人に怒られたってへっちゃらで、

 自分の中にいる未来の自分と話している。

 


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八王子・冨士森公園のスローバラード駐車場で、ポップミュージックをこよなく愛した僕たちの時代の妄想力について考える

 

八王子緑化フェアのメイン会場である富士森公園の駐車場は、ある一部の人たちにとってスペシャルな駐車場である。

 

 ある一部の人たちというのは、僕を含むRCサクセション、あるいは忌野清志郎の音楽が好きな人たちだ。

 この駐車場は彼らの名曲「スローバラード」の舞台なのである。

 

 ♪昨日はクルマの中で寝た

  あの娘と手をつないで

  市営グランドの駐車場・・・

 

 ここはもともと運動公園で、陸上競技のグランドになっていた。

 おそらく清志郎がこの歌を作った若かりし頃は、こんなにきちんと整備・舗装されていない、土の駐車場だったのだと思う。

 

 そんなイメージを抱きながら、僕は仕事の合間にこの入口に立ち、頭の中にスローバラードの切ないメロディを響かせてみた。

 

 すると一瞬のち、この場所はもう何の変哲もないただの駐車場ではあり得ず、光り輝くロックの聖地に変貌を遂げたのだ。

 

 おそらく僕だけでなく、60~70年代のロック・ポップミュージックに浸っていた輩は、こうした想像力が旺盛だ。

 

 当時はインターネットはおろか、まだミュージックビデオさえもなかった。

 

 僕たちが得られる音楽周辺の情報は、一部の音楽雑誌に載る記事と、ごく限られた写真、ラジオ、ごくたまにテレビ、そしてレコードジャケットのアートワークとライナーノーツだけだった。

 

 現代と比べればごくわずかなそれらの情報をタネに、僕たちは想像力を駆使して、その音楽の中から迸る感情を受け止め、現出する世界に没頭し、ひとりひとりが自分の感性によりぴったりくるよう頭の中でアレンジを施し、「自分の歌・自分の音楽」に育てあげていた。

 

 こうなると想像というよりは妄想に近い。

 

 より情報の少ない海外のミュージシャンのもの、さらにより前衛的なプログレバンドの音楽世界などは、そうした妄想力をますますパワフルにかき立て、際限なくストーリーを膨らませることができた。

 

 だから情報過多な現代とは、まったく聴き方の作法が違っていたのだ。

 

 それは単にミュージシャンから提供してもらった音楽を聴くというより、脳内で彼らの歌や演奏とともに、めくるめくイメージの世界を築き上げる「共同作業」をしていたと言える。

 

 もちろん、はなはだしい勘違いもあっただだろう。

 でも僕たちはそこまで楽しませ、刺激し、生き方の指針を示してくれるミュージシャンたちを心からリスペクトしていた。

 

 そうした情報レスな妄想リスニングの時代は、ミュージシャンとリスナーのとても幸福な関係が結ばれていたのではないかと思う。

 

 ♪ぼくら夢を見たのさ

  とってもよく似た夢を

 

 そう歌った清志郎も、もうこの世にいない伝説の人になってしまっている。

 八王子緑化フェアで賑わう、10月の日曜日の富士森公園の、ただ車を停めておくだけの空間でその歌声が胸にしみこんだ。

 


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義弟のアナログレコードと、帰ってきたカレン・カーペンター

 

  30余年前、これからの音はデジタルですよ~!と刷り込まれて、世の中に一気にCDが普及しました。

 そうか、レコードの時代はもうおしまいなんだ~と思いつつ、中学生の頃から約10年余りにわたって集めてきた200枚のレコードを捨てるに捨てられず、段ボールに詰めて押し入れに封印。

 

 今の家に引っ越してから備え付けの棚があるので、それらを出して並べるだけは並べていたけど、結局、聴かないので5年程前に一念発起してだいふ売り払いました。

 

 それからほどなくして少数のマニアのみならず、若者の間でもアナログ人気が高まり、盤もプレイヤーも針も再生産され始めたといいます。

 もはや恐竜のごとく、絶滅の道をたどるのみ・・・と思い込んでいたのに、世の中、何が起きるか分かりません。

 

 それでこの夏、義弟がプレイヤーを買い込み、アナログレコードを聴けるシステムを設えたというので、手元に残っている50枚余りのレコードの何枚かを手土産に実家へ。

 

 アナログ音を愛する人たちのマニアックなうんちくはよく耳にしますが、「百聞は一聴にしかず」。

 義弟にCDとレコードの聴き比べをさせてもらいました。

 

 試聴したのはカーペンターズの「ナウ・アンド・ゼン」から、かの名曲「イエスタデイ・ワンスモア」。

 CDの音が締まってタイトな感じがするのに比べ、レコードの方は柔らかく、のびやかな感じ。

 この曲の持つ清々しさと甘い感傷を際立たせ、ラジオで初めて出会った時のカレン・カーペンターの声により近いのは、やっぱりアナログかなぁと思います。

 

 でも、それは音の問題だけだけじゃなくて、でっかいジャケットを見開きで楽しめたり、黒い円盤がクルクル回っているビジュアルも脳に影響しているせいかも知れません。

 

 ここ30年余りはCDで、最近はもっぱらパソコンで音楽を聴いていますが、若い頃、何千時間と聴いたアナログレコードを聴くスタイルは、身体の芯まで染みついているんだなぁと実感。

 まさにイエスタデイ・ワンスモア。


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オノ・ヨーコさん「NHKファミリー・ヒストリー」とジョン・レノン「Imagin」の秘密

●レノン=オノの衝撃度

 

 前回(22日)日の続き。

 あの番組で僕がちょっと驚いたのは、最後に「Imagine」がジョン・レノンのソロ作でなく、オノ・ヨーコさんとの共作であったことをアメリカの音楽出版社協会が公認した――ということをNHKが電波に乗せて堂々と言ってしまった、ということ。

 

 「それがどうした?」という声が聞こえてきそうだけど、ビートルズを愛し、よく知っている人達にとっては、これってけっこう大事件ではないだろうか?

 

 ビートルズ解散後のジョンの音楽活動は、「Imagine」という超名曲をで持っていたところがある。

 

 想像してごらん。「Imagine」を歌うことのなかったジョン・レノンを。

 

 ウィングスを作ってガンガンヒットを飛ばしていたポールや、ビートルズ終盤からがぜん注目を集めるようになったジョージに比べて、相当見劣りしていたはずだ。

 

 実際、低迷したり沈黙していた時代が長く続き、作品の量も少ないし、全体的に質もイマイチだ。

 それでもジョンが偉大でいられたのは、20世紀を代表する歌の一つ、と言っても過言でない「Imagin」を作ったからだ。

 

 でもそれが、オノ・ヨーコとの共作だったと言われたら、昔ながらのビートルズファンはかなり複雑な気持ちになるのではないかな。

、彼らはオノ・ヨーコをあまり好きでないから。

 

 かの有名なフレーズ「想像してごらん」は、以前にヨーコさんが自費出版で出した詩集に載っていたものである。

 言ってみればパクリだけど、夫婦間ならそれも許されるというわけで、番組内でも彼女は「あれはジョンへのプレゼント」と語っていた。

 

●ポールの申し出を断った話

 

 余談になるけど、今世紀になってから、ポールがヨーコのところにビートルズ時代のレノン=マッカートニー名義の曲のいくつかを、自分一人の名義に変えてほしい。もちろん、ジョンが一人で作った曲はジョンの名義にして・・・と言ってきたことがあったらしい。

 

 前回も書いたけど、ジョンとポールが作った楽曲は、表向きはすべてレノン=マッカトニー作品、すなわち共作ということになっている。

 ビートルズのスタート時、若き二人の天才は本当に一体化して音楽づくりに熱中していたので、そういう取り決めをしたわけだ。

 

 事実、どっちが歌詞と曲のベースを作って、二人でアイデアを出し合い、アレンジしてその作品を膨らませ、磨き上げるという形で共同作業をしていたらしい。

 

 でも、特に中期以降はほとんどそれぞれ別々に作ることが増え、もはや共作とは言えなくなっており、基本的にジョンのヴォーカル曲はジョン作品、ポールのヴォーカル曲はポール作品ということになっている。

 

 けれども、そのポールの申し出をヨーコははねつけ、認めなかった。

 もちろん、ジョン単独の曲もレノン=マッカトニーのままだ。

 

 最後にポールは「じゃあ、せめて『イエスタデイ』だけでいいから、僕の単独曲ということにしてくれないか」と折れたのだが、それにも彼女は肯かなかった。

 

 1966年の日本公演でも、この曲の時は他の3人は引っ込み、ポールが一人でギターで弾き語ったという、明らかにポール作品なのだが、それでもダメだというのである。

 

 僕も最初にその話を読んだ時は、どうしてそこまで頑ななのか、理解に苦しんだ。

 そこまでして著作権に固執するのか、財産なんか十分すぎるほどあるだろうに・・・と。

 

 でも違うのだ。

 権利とかカネの問題ではなく、彼女の中には彼女なりの仁義があり、いくら頼まれてもそれは曲げられないのだと思う。

 

 おそらくジョンが生きていれば、ポールの申し出に「OK」と言った可能性は高い。

 が、いかんせん、この世にいない以上、彼の気持ちはもう聞けない。

 いくら相続人とは言え、本人から気持ち・意見を聞けなければ、そのままにするしかない・・・というのが彼女の見解なのだろう。

 

●昔ながらのビートルズファン

 

 さて、ここでいう「昔ながらのビートルズファン」というのは、リアルタイムでビートルズを体験した人たち――僕より10~15歳くらい上の、ベビーブーマー世代、日本で言えば団塊の世代を中心にした人たちだ。

 

 このカテゴリーの人たちの中で、ヨーコさんに好意的な人は、少なくとも僕が直接知っている中にも、メディアを通して情報を発信する評論家・専門家・ラジオDJなどの中にも、ひとりもいなかった。

 

 彼らはヨーコさんを「ビートルズを崩壊させた魔女」といって憎むか、でなければ、その存在を無視し続けた。

 「あの人はミュージシャンでもアーティストでもない、たんなるイベント屋さんですよ」という人もいた。

 

 ジョンの死後も彼女の評判は相変わらず芳しくなく、権利金の問題にいろいろうるさいとか、前妻シンシアさんとの息子であるジュリアンに、つい最近までジョンの遺産を分配しようとしなかったことなどもバッシングの対象にされた。

 

 お金の問題が多いのは、人々の中に「なんであれだけカネがあるのに・・・どこまで強欲な女なんだ」といった、口には出しては言えない嫉みがあるからだと思う。

 

●憎まれる条件

 

 番組を見て思ったのは、このオノ・ヨーコさんは、人から憎まれたり、嫉まれたり、疎んじられる条件の揃った人だったんだなぁということ。

 

条件①:日本人(アジア人=有色人種)である

 1960年代の欧米社会では、まだまだカラードに対する差別意識が強かった。

 当の日本人の方も、お洒落でハイソな欧米ライフスタイルをめざしてがんばっていた時代だったので、欧米に対するコンプレックスが強かった。

 

条件②:女である

 女性蔑視もまだ強く、女はかなり見下されていた。

 才能がある上にでしゃばってくるような女は、男たちの嫉妬と陰湿ないじめを受けることが多かった。

 

条件③:主張する自己がある

 ①②でも、従順で可愛ければ許されたが、彼女は欧米人以上に積極的に自己表現し、社会 に相対していた。「東洋の神秘」でなく「ただ不気味」で、魔女呼ばわりもされた。

 

条件④:お金持ちのお嬢様である

 これにはむしろ同じ日本人のほうが反感を持った。みんな貧乏で「ブルジョア憎し」みた いな気分が蔓延していた。

 「めざせ憧れの欧米ライフスタイル」の人々を尻目に、生まれた時からお屋敷で欧米ライフスタイルを送っていた彼女が妬まれないはずがなく、「金持ちが道楽で芸術ごっこをやっているだけじゃん」と捉えられた。

 

 1960年代はやたらもてはやされることが多いけど、現代ではあからさまな差別と思われることが、欧米・日本、どちらの社会でも、まだまかり通っていたのである。

 いわばヨーコさんは当時の社会にあって、完全に異分子だった。

 

●女に弱いジョン・レノン

 

 じつはジョン自身は生前、「Imagine」がヨーコの影響が強く、共作のようなものだ・・・と発言している。

 けれどもマスコミはじめ、周囲がその発言を無視した・・・とは言わないまでも、あまり重要なことと捉えていなかったような気がする。

 でないと、われらがスーパースターであり、ワーキングクラスヒーローであるジョン・レノンの輝きが薄れる。

 そんな社会的心理が働いていた。

 

 つまり、バッシングや無視することで、彼女の存在を否定してきた人たちにとって、あの神がかり的名曲が、ジョン・レノン作でなく、レノン=オノ作として認められてしまったら、それまでの批判がただの悪口だったということになってしまい、かなり都合が悪いのだ。

 

 ソロになり、バンドのボスの座を失って、ひとりぼっちのガキ大将みたいになってしまったジョンには心の拠り所が必要だった。

 そういう意味では、パートナーであるオノ・ヨーコはプロデューサーでもあり、ソロのジョン・レノンは彼女の作品だった、と言えるかも知れない。

 

 いずれにしても彼のヨーコさんに対する精神的依存度はかなり大きかったと推察する。

 若い頃は社会に反逆し、挑戦的な態度を取り続けてきたジョンは、そういう女性に弱いところのある男だった。

 

 そのことは前妻のシンシアさんも著書「わたしが愛したジョン・レノン」の中でも指摘している。

 幼少の頃、母親がそばにいなかったために、厳しい叔母の世話を受けることが多かった彼は、自己のしっかりした強い女に惹かれる傾向があったのではないか・・・と述べている。

 

 なんだかオノ・ヨーコを一生懸命弁護して、ジョン・レノンを貶めるような文章になってしまったけれど、僕は相変わらずジョンのファンである。

 

 今回のテレビ番組を見て、いろいろ考えてみたら、ますますジョンのことが好きになってしまった。

 彼をヒーローだの、愛の使者だのと褒め讃え、信奉する人は多いけど、僕はその根底のところにある、彼の弱さ・情けなさ、さらにズルさ、あざとさなどの人間的なところが大好きだ。

 そして、そこから20世紀の大衆精神やマスメディアの功罪も見て取れる、彼はそんな稀有なスターなのだ。

 

●これも終活?

 

 というわけで今回、「Imagine」が発表後47年目に、レノン=オノ作として広く認められることになったのは、とてもめでたいと思います。

 

 でも、これってアメリカの音楽出版協会のいい人ぶりっこかもしれない。

 ヨーコさんももうご高齢だし、病気を患ったという話も聞くので、最期に花を持たせてやろうか・・・・ということで認めたのではないだろうか?

 

 想像してごらん。彼女が終生認められずに他界してしまったら・・・。

 

 長らく彼女を攻撃してきた人々が、彼女の最期を想像し、良心の呵責に耐えられなくなったということなのかもしれない。

 

 本当に人生、長く生きていると何が起こるかわからない。

 ヨーコさんもこのことは全然期待していなかっただろうし、彼女自身が働きかけたことではないけれど、これも一種の終活なのかな、と感じます。


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オノ・ヨーコさん「NHKファミリー・ヒストリー」とYesの3文字の秘密

 

●ジョンとヨーコの出会い

 

  昨日、未来食堂の「Yes」=相手を、自分を肯定し、受け入れる理念について書いたら、ジョン・レノンとオノ・ヨーコも「Yes」という言葉で出会ったことを思い出した。

 

 60年代半ば、ロンドンで開かれていたヨーコの個展にジョンがふらりと立ち寄る。

 自分ではしごを昇って行くと、天井に小さな文字が何か書いてある。

 そこに備え付けられていた虫眼鏡で見ると、その文字は「Yes」。

 

 このエピソードはよく知られているけど、どうしてそれでジョンがヨーコに強烈に引き付けられたのか、その3文字が、この時のジョン・レノンにどれだけ強烈に響いたのか、あまり語られることがないようだ。

 

●前妻の著書「わたしが愛したジョン・レノン」から推察するジョンの危機

 

 それについて考えるヒントは、皮肉にもジョンの前妻のシンシアさんが10年ほど前に出版した手記「John(邦題;わたしが愛したジョン・レノン)」に書かれている。

 

 60年代半ばはビートルズの絶頂期。

 アイドル時代を超えて、斬新な作品を次々と生み出し、ポップミュージックの概念を塗り替えていった時期だ。

 

 けれどもジョンは行き詰っていた。

 ビートルズは紛れもなくジョンのバンドであり、彼の才能が全開した初期のけん引力は凄まじかった。

 

 しかし、だからこそ彼はひしひしと感じ出していた。

 ポール。マッカートニーの脅威。

 

 ビートルズを作った時から彼はポールの才能をすごいと認め、自分と組めば素晴らしいことが起こると信じていた。

 そして、それは見事に実現した。

 

 けれども同時に怖れてもいた。

 いつかポールにビートルズの主役の座・ボスの座を奪われるのではないか、と。

 

 他の誰もそんなことは気づかなかったかも知れないが、唯一、ジョン自身だけはわかっていた。

 その時がすぐそこまで来ているということを。

 

 シンシアさんの本によれば、67年頃から次第にジョンは曲作りにおいてドラッグの助けを借りることが増えていたという。

 事実、この年の夏に出した「サージェント・ペパーズ」あたりから、徐々にビートルズの楽曲は、ジョンの作品よりもポールの作品の方が質・量ともに勝っていく。

 早熟の天才で、ずっと先を走っていたジョンを、追ってきたポールがとうとう捕らえたのである。

 

 (最初の取り決めで、ジョンとポールが作った楽曲は、表向きはすべてレノン=マッカトニー作品、すなわち共作ということになっているが、ごく初期の頃はともかく、中期以降はそれぞれ別々に作っていた)

 

●オノ・ヨーコの哲学・芸術の結晶

 

 あれだけ成功していたのに信じられないことだが、ジョンは非常に繊細な人なので、当時、自分の音楽家としての未来に非常な不安を抱えていたのではないか。

 

 ドラッグは当時、ロックミュージシャンの常識みたいなところがあって、みんなやっていたかも知れないけど、ジョンの場合、そのままだと溺れてしまうほど、急激にのめり込みつつあった。

 自分もいっしょにドラッグを勧められ、シンシアさんはかなり心配していたようだ。

 

 ちなみに彼女は、ジョンとの青春とビートルズ黄金時代のこと、その後の離婚の悲劇、彼の死後も続いたヨーコとの確執を綴ったこの本が。まるで遺書だったかのように、出版の数年後にガンで亡くなっている。

 

 話を戻して、

 そんなやばい状況で出会った、ヨーコの提示する「Yes」の3文字は、いえわるスピリチュアル系でよく出てくる「宇宙の引き寄せ」みたいなものだったのかも知れない。

 この「Yes」をどう解釈したのか分からないが、ジョンにとって、生まれ変るほどの響きがあったのに違いない。

 オノ・ヨーコの哲学と芸術は「ビートルズのジョン・レノン」を木っ端みじんにしてしまったのだ。

 

●オノ・ヨーコさんの「ファミリー・ヒストリー」

 

 ・・・というふうに考えたのは、録画してあったNHKのオノ・ヨーコさんの「ファミリー・ヒストリー」を見たからです。

 

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/1396/1804134/

 

オノ・ヨーコさん84歳。1969年にビートルズのジョン・レノンと結婚、数々の共作を残している。前衛芸術家、平和活動家としても活躍してきた。ヨーコさんは、息子ショーン・レノンさんに自らのルーツを伝えたいと、出演を決めた。祖父は日本興業銀行総裁、父は東京銀行の常務取締役を務めた。また、母は安田財閥・安田善次郎の孫にあたる。激動の時代を生き抜いた家族の歳月に迫る。収録はニューヨーク、73分特別編。

 

 ヨーコさんは息子のショーンさんが自分の家族のことを知ってもらえれば・・・ということでこの番組を承諾したと言います。

 

 

●家族の歴史から生まれた、半世紀進んでいた前衛芸術

 

 番組では幕末からのヨーコさんの家族の歴史が綴られており、とても興味深く観ました。

 それは日本が近代的文明国家になっていく歩みとシンクロしていました。

 いわば彼女の家系は、日本が世界と渡り合う歴史の最先端にいたのです。

 

 そしてまた、そんな歴史のもとに生まれ育ったから、ヨーコさんのあの前衛芸術が生まれたのだろうなぁとも感じました。

 

 彼女が表現する芸術、その奥にある哲学は進み過ぎていて、半世紀前は、日本の大衆も英米の大衆もついてこれなかった。

 

 現代なら多くの人が普通に受け入れられるだろうと思うけど、1960年代にはまだ、風変わりでエキセントリックな有色人種の女が、奇妙奇天烈な、これ見よがしのパフォーマンスとしか受け取られなかったのだ、と思います。

 

 「Yes」と言い続ける彼女に対して、大半の人が「NO」と言った。

 

 そんな時、自己喪失の苦境に喘いでいたジョン・レノンだけが、彼女の訴えるささやかな「Yes」をまともに受け止めることができた。

 

 ジョンがいなくても彼女の思想は変わらなかったかも知れないが、やはり彼と結びついたことで広く彼女の考え方が世界に知られるようになったのは確かです。

 ただし、それは誤解に満ち、彼女はその後の人生全般にわたって大きな代償を払うことになりますが・・・。

 

●なんで今、イマジンが・・・

 

 この番組は本当にいろいろなことを考えさせらました。

 

 どうしてヨーコさんがあれほど嫌われ、憎まれてきたのか。

 

 ジョンのソロになった後の代表曲「イマジン」が、ヨーコさんとの共作だったということを、どうして今ごろ(2017年6月)になって、アメリカの音楽出版社協会が公認したのか。

 

 かなりクリアに分かった気になりました。

 

 このあたりの話をやり出すと、どんどん長くなってしまうので、今日はこのへんで。

 この続きはまた明日。(書けるかな?)

 


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ローリング・ストーンズと新選組の相似点について

 

●夏はローリング・ストーンズ

 

  気温が上がってくるとローリングストーンズが聞きたくなる。

 夏はストーンズだ、ロックンロールだ!

 

 とはいえ、じつはそんなに熱心なストーンズファンというわけでもなく、曲もそんなに知りません。

 ざっと数え挙げても10曲くらいしか出てこない。

 

 ビートルズやレッド・ツェッペリンほど、音楽性が幅広いわけでなく、プログレ系ほど深い陰影があるわけでもない。

 僕にとってストーンズはあまりディープにはまりこむことなく、ほどほどのテンションを与えてくれる。

 だから仕事のBGMとして最適なのです。

 

 だけど、「アンダー・マイ・サム」と「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」はいつ聴いてもサイコーにカッコいいなぁ。

 

 1990年の待望の初来日公演の時も、友だちと大騒ぎしながら東京ドームへ行きました。

 もちろん、ミックやキースが目立つのだけど、僕にはドラムのチャーリー・ワッツが最も印象的でした。

 メンバーみんな、演奏中、リズムを外すまいとドラムの周りに集まってくる。チャーリーの刻むハートビートがこのバンドの音楽を支えている、と思いました。

 

 演出もド派手で大ロックンロール大会という感じでしたが、個人的には最近、YouTubeでお目にかかる60~70年代の少々ダークなムードがただようライブの方がそそられるものがあるなぁ。

 

●ブライアン・ジョーンズと芹沢鴨

 

 ストーンズ関連のストーリーはあまり読んだことがないのだけど、この間、ネットで「ストーンズの成功の理由」について書いた文章があって、何気に読んでいたら、その理由の一つにブライアン・ジョーンズをクビにしたことを挙げていました。

 

 ブライアン・ジョーンズは初期の中心メンバーで、もともとストーンズはミック・ジャガーやキース・リチャーズのバンドでなく、ジョーンズのバンドだった。

 60年代当時、ストーンズはビートルズと張り合っていたのだけど、リーダーのジョーンズがドラッグとアルコールに溺れて、このままではバンドが崩壊する危機に瀕し、ジャガーをはじめとする他のメンバーが結託し、ジョーンズにクビを言い渡しに行ったというのです。その数カ月のちにジョーンズは薬物中毒で他界しました。

 

 この話を読んでなんだか新選組に似ているなぁと思ってしまった。

 当初、新選組のボスは芹沢鴨という武士だったのですが、素行が悪く、このままでは世間に認められないと察知した近藤勇と土方歳三は、他の隊士と共謀してボスである芹沢を粛正するのです。

 

 どちらも反逆的な若者集団だけど、世間に自分たちの存在を認めさせ、上に這い上がるためめには、あまりに反社会的な面は矯正するバランス感覚と、自分たちを引っ張ってきたリーダーと言えど容赦しない非情さも必要なのだということですね。

 

●ミック・ジャガーと会った話

 

 ロンドンの「ひろこレストラン(日本食)」にと勤めていた時、一度だけミック・ジャガーが来店したことがあります。

 えらく若い恋人を連れてきたなぁと思ったら、娘さんでした。

 あの当時(1986~7年頃)、まだ高校生ぐらいの齢だったと思うけど、すごく大人っぽくて美人だった。

 そんな娘さんと一緒で気分が良かったせいもあり、終始にこやか・穏やかで、リラックスした様子でした。確かメインは焼き魚を食べていきました。支払いはアメックスのカードで。

 

 ミックはじめ、メンバー全員、美味しく楽しくヘルシーな日本食をたくさん食べて、健康を維持して、死ぬまでロックンロールしてほしいと思います。

 


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ビートルズ伝説×ロボティクス・エンターテインメント事業

 

 再生可能なデータがあれば、20世紀の伝説はロボティクスでよみがえり、後世に伝承される。たとえば、The Beatles。

 

●ビートルズ未来作戦

 ここのところ、ネット上でやたらビートルズ関係の広告を目にするなぁと思ったら、今年はポップミュージックの大革命と言われ、世界初のコンセプトアルバムである「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド」のリリース50周年ということ。

 

 ジョン・レノンとジョージ・ハリスンはとっくの昔にこの世を去っているし、ポール・マッカートニーもリンゴ・スターも、今さらビートルズをネタにビジネスをしようなんて考えないでしょう。

 

 「ビートルズ」は今や一種のブランドであり、レジェンドと化しています。

 そのビジネスはそもそも誰が動かしているのか知らないけど、どう今後の戦略を立てているのか、気になるところです。

 

 メンバーの使っていた楽器が新たに発見されたとか、ジョンがポールに宛てた手紙がオークションでン千万の値をつけたなんて話もいまだに聞きますが、そうした話に興味を示す熱心なファンは、すべからくリアルタイムで聴いていた人たちで、だいぶ高齢化してきています。

 

 そろそろこのあたりで決定的な手を打って若い世代を取り込み、ビートルズの功績を未来に伝えていきたい・・・と考えるのは自然なこと。

 

●ビートルズランド構想

 そこでビートルズくらい世界中で認知度の高いバンドなら、この際、ディズニーランドみたな体験型テーマパークを作ったらどうなんだ?と僕は考えるのです。

 

 ロンドンのアビーロードツアーとか、リバプールのペニーレーンやストロベリーフィールズ巡りは、昔からの定番だけど、バーチャルでそれができる。

 

 サージェントペパーズとか、マジカルミステリーツアーとか、イエローサブマリンとか、中期のビートルズの音楽は、サイケデリック、ファンタジックな世界観を持っているので、アミューズメントに展開しやすい。

 体験としても面白いでしょう。

 

 それこそディズニーレベルで資産をドカンと投資し、シナリオや演出についての優れた人材を集めて制作すれば、結構楽しい場所にできるのではないか。

 

 ロンドンかリバプールか、イギリスに本拠を置いて、日本にも「東京ビートルズランド」みたいなのをつくる。

 

 そこは単なるエンターテインメント施設ではなく、世界へ向けて愛と平和のメッセージを送る情報発信基地のような場所であったりする。

 

 そして、キャバーンクラブをイメージしたライブハウスがあり、4人が演奏します。

 コピーバンドじゃありません。本物です。

 

●ビートルズはロボットとして復活する

 本物のデータを採り込んだロボット――アンドロイド・ビートルズのライブパフォーマンス。

 山ほどあるレコーディングの際の音源、ステージ映像、膨大なインタビューなども含め、メンバーのデータをぜんぶロボットに記憶させ、学習させる。

 それをもとにしたパフォーマンスです。

 

 日本のロボット技術は、すでに演劇をやるロボットや、落語の名人芸を再現する、見た目も人間と変わらず、表情も作れるアンドロイドを開発しています。

 その技術をもってすれば、メンバーそっくりのロボット(アンドロイド)を創り出すのは、そう難しいとは思えません。

 

 若い世代にアピールするためには、音や映像だけでは迫力が足りない。

 「永久保存版」のロボットなら圧倒的に強く訴えられるでしょう。

 

 それに学習能力があるから、新しい曲を生み出すことも可能です。

 ナンセンス、ファンタジーが得意なジョン・レノンのアインドロイドなら、気の利いたゲームやアミューズメントの一つや二つ、プランニングできるかもしれない。

 

 もちろん今のところ、夢みたいな話ですが、ビートルズという、あの時代ならではの、世界の若者の精神が作った「文化」を後世に引き継いでいく文化事業(であるとともにビッグビジネス)は、きっと必要とされる日が来ると思います。

 それもそう遠い未来じゃなく。

 


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悲しいことなんてぶっとばすロックンロールバンドのモンキービジネス

 

6月9日はロックの日。

 かどうかは知らないけど、ロックについて考えてみました。

 ロックについて考えるなんで、あまりに漠然としているので、もう少し焦点を絞ろうと思ったら、聞えて来たのが、清志郎の歌声です。

 

 ♪子供だましのモンキービジ~ネ~ス

 

 自分がやっているロックのことをそう彼は歌っていました。

 「ドカドカうるさいロックンロールバンド」という歌。

 

 街中のガキどもにチケットがばらまかれ、バカでかいトラックに機材を積み込んで、ドカドカうるさいロックンロールバンドがやってくるぜ~ぃ!って曲だけど、忌野清志郎がヴォーカルをやっていたRCサクセションの曲の中で最高の一曲です。

 もちろん僕的に、ということですが。

 

 思うにこの曲、ローリングストーンズの「It's only Rock'n roll(イッツ・オンリー・ロックンロール)=たかがロックンロール」に触発されたと思われます。

 

 あの時代、やたらロックミュージシャンがカリスマ的に祭り上げられるのを、独特の皮肉とユーモアを込めて「ロックバンドのやっていることなんて、子供だましのインチキ金もうけじゃん」って批判しちゃっているところが、なんとも痛快でカッコいいのです。

 

 ミック・ジャガーもジョン・レノンも、きっとそういう思いを持って歌っていたと思うな。

 もともと支配者への反抗の音楽だからね。

 

 けれども世界中にロックが広まり、大成功して人気が高まり、大人もビジネスとして認めちゃうと、今度は自分たちの方が偉くなっちゃって神様・王様みたいに扱われてしまう。

 だから時々王様を降りて、道化をやって自己批判しないとアイデンティティが崩壊して、自分が何者なのかわからなくなっちゃうのだと思う。

 

 そういうことを知ってて、ロックミュージシャンであり続けるために、清志郎はこの歌を作り、歌う必要があったのだと思います。

 

 本当に笑えて愉快痛快な歌なんだけど、最後の1フレーズですべてが昇華する。

 

♪悲しいことなんてぶっとばそうぜ ベイビー

 

 ってやられると、カタルシスで思わず涙がどっとあふれ出します。

 ここに清志郎の熱いスピリット、ロックへの愛、聞く人へのメッセージ、

 全部がほとばしっている。

 

 ドカドカうるさいロックンロールバンドは最高だ。

 そしてやっぱり何度聴いても泣ける。

 そういえば、清志郎が亡くなって5月でもう8年が過ぎた。

 改めて合掌。

 


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「THE ALTERNATE LET IT BE…Naked」:ビートルズの終わらない物語

 

●行間のある音源

 

 昨年の秋ごろからか、YouTubeにやたらと60~70年代のロックバンドのデモ音源が上がるようになりました。

 スタジオ内やライブ会場のリハーサルの際の音や、収録したけどリリースをされなかったアウトテイク、さらにそれ以前の編曲前の原曲、完成される途上のものなどです。

 当然、未完成だったり、ノイズが入っていたり、音がひずんでいたりもするのだけど、完成品を聞きなれた耳に、半世紀近くも昔のパフォーマンス、曲作りのプロセスの様子が妙に新鮮に響きます。

 

 未完成な、いわば子供状態みたいな原曲や、それに近いものは、こういう過程を経てあの名曲に成長したんだなと思うと、なんだかとても感動的です。

 

 未完成作品には、リスナーが楽曲の世界にみずからの想像力を潜り込ませて楽しめる「行間」があるということでしょう。

 

 

●Let it Beが厚化粧した理由

 

 最近、気に入ってよく聴いているのは、ビートルズの「THE ALTERNATE LET IT BE…Naked」です。

 1970年発表のラストアルバム「LET IT BE」はプロデュ―サーのフィル・スペクターが原曲にオーケストラをコテコテにオーバーダビングしたことで、メンバー(特にポール・マッカートニー)の怒りを買い、長年ビートルズファンから大ブーイングされてきた、いわくつきの作品です。

  

 ただ、あえてスペクター氏の弁護をすれば、当時はスタジオ技術が急激に進歩し、ロックによる表現方法も格段に広がった時代で、とにかく高密度で、ぶ厚い音作りが求めれていました(その流れを作ったのが、当のビートルズの「リボルバー」や「サージェント・ペパーズ」なんだけどね)。

 

 2003年にポール・マッカートニーがリベンジを図って発表した「Let It Be... Naked」は、もともとビートルズが原点回帰(Get Back!)をめざしたオリジナルに近い作品に仕上がっています。

 

 いま聴くと渋くてカッコいいなぁと思うけど、当時の感覚では

「なにこれ?なんか音がスカスカじゃん。ビートルズ、スカじゃん」

 といった感想になったのでないでしょうか?

 

 まだロックが音楽として発展途上だった1960年代の終わりから70年代は、ロックは刺激を求める若者が聞く音楽であり、今でいう「行間」「ゆとり」は、「スカスカの音」と否定的にしか認識されなかったのです。

 

 スペクター氏は、スカスカは許されないと思った。

 これはこのままでは商品にならない、なんとかせねば、と思った。

 何よりもビートルズブランドを守らなくては、と思った。

 

 とにかく高密度に、とにかく音を分厚く・・・ということで、オーケストラを大導入し、タイトル曲の「レット・イット・ビー」には荘厳なパイプオルガンを響かせたり、間奏にはハデでカッコいいギターソロをフィーチャーしたわけです。

 

 ちなみに僕は今でもこの間奏のギターソロが大好きです。

 一応、リードギターのジョージ・ハリスンが弾いていることになっていますが、あれはスタジオミュージシャンだという説もあります。

 カッコよければ、どっちでもいいのだけど。

 

●永遠に続くストーリーを聞く

 

 この「ALTERNATE」は、「Naked」の別バージョンとも言うべき音源で、歌い方や演奏内容が「Naked」と微妙に違っていて、スタジオ内の話し声とともに、ノイズやひずみ、バランスが悪かったりするけど、とても楽しめます。

 

 むしろ、そうした声やノイズやひずみがあることで、この頃の空気が伝わりやすくなっている。

 バンドとしてのビートルズはすでに瀕死の白鳥になっており、バラバラになってしまったメンバーの心を、なんとかつなぎとめよう、まだビートルズでいようと、ひとりひとりが必死で頑張っている様子がリアルに伝わってくる。

 

 でもその一方で、オレたち、やっぱもうダメかな~と諦めかけている。

 やることやったし、カネも十分稼いだし、もうこれ以上ムリして続けなくてもいいんでね?

 そろそろ自分の好き勝手にやりたいよ、と投げやりになり始めている。

 

 そんな最後のあがきやら、利己心やら、それぞれの心のゆらぎが音と音との「行間」から一つのストーリーのように見えてくるのです。

 

 しかし、そんな末期的状態なのに(だから、なのか)、これだけの名曲群が生れ落ちるのだから、やはりすごいと言わざるを得ない。 

 

 ジョン・レノンもジョージ・ハリスンもこの世を去ってもうずいぶん経つのに、このアルバムの歌を聴いていると、まだまだ彼らのストーリーが続いているような気がして、不思議な気持ちになるのです。

 


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プログレッシヴ・ロックスターの死②:キース・エマーソンの誇り高き自殺(1周忌に捧ぐ)

●既成概念を打ち破るキーボードプレイヤー

 

 報道された記事によると、キース・エマーソンは昨年、アメリカ・サンタモニカの自宅でピストル自殺をしたそうです。

 動機は病気のせいで指が思うように動かなくなり、自分が理想とする演奏ができないと悩んだ末・・・とありました。

 

 そこで僕は1970年代、ELPにおける若きエマーソンの雄姿を想起します。

 

 ELP時代のエマーソンはロック界最高のキーボードプレイヤーとして知られ、超絶的なテクニックを駆使して、ピアノ、オルガンなどのキーボード群を縦横無尽に弾きまくっていました。

 

 それまでロックバンドにおけるキーボードプレイヤーは、たとえばギターやヴォーカルに比べて、楽器の特質上、ステージ上であまり動かず、したがって自己主張が少ない存在でした。

 しかし、エマーソンはその概念を打ち破り、とにかく派手なアクションで大暴れ。ELPはベース、ドラムとのトリオ編成で、他に動き回れるメンバーがいないという事情もあったせいだと思いますが。

 

 

●巨大な機械獣と闘う戦士のエマーソン

 

 当時は当然のことながら、You Tubeどころか、ホームビデオもない時代でロックアーティストの動画を見る機会は、ほとんどNHKの番組「ヤングミュージックショー」に限られていました。

 中高生時代の僕はそのオンエアがある日時は何よりもそれを優先しました。

 ELPのステージを見たのも、その番組でです。

 

 そこではエマーソンがオルガンを揺するわ、蹴とばすわ、あげくの果てにナイフを突き立てて、ギュインギュインとノイズを発生させて、観客は大喝采の大盛り上がりという、いま見ると完全にギャグとしか思えないシーンが展開していました。

 

 そういえば当時のロックバンドは、ステージ上でよくギターをぶっ壊したり火を点けて燃やしたり、ドラムセットをぶっ倒したりと、めちゃくちゃなパフォーマンスをやっていました。

 いまでは本当にお笑い沙汰ですが、それを僕たちは「すげええええ」「カッケえええええ」と、思っていたんです。

 とんでもなくアホな時代です。だけど面白かったし、みんな興奮して血がたぎっていました。

 

 それはさておき、通常のキーボード群の他、当時の「ムーグ・シンセサイザー」というバカでかいアナログシンセを弾きこなすエマーソンの姿は、まるで迫りくる21世紀の機械文明の脅威――巨大な機械獣に立ち向かう人類代表の戦士に見えたほどです。

 

●音楽に殉じた尊厳死

 

 2016年3月――70歳を超した彼の中には、その20代の頃の、まるでキーボード群を思う存分、手足のように動かし、ハイテンションで演奏していた頃の自分の残像がくっきりと残っていたのでしょう。

 

 でもけっして過去の栄光・過去の名声を捨てきれず、追い求めていたというわけではない。

 彼の中にはいつも自分が理想とする音楽の王国があり、それに命を捧げる覚悟があった。

 だから、それが実現できなくなった――ファン・観客の前で理想の、あるいはそれに準ずるパフォーマンスができなくなった時、死を選ばざるをなかったのではないかと思うのです。

 

 おそらくはお金ならいくらでもあるだろうから、生活のために稼ぐ必要はない。ならば生きる意義をどう見い出すのか?

 

 演奏できなくても、曲は作れるのでは? 今後は作曲家オンリーとして生きる道があったのでは・・・とも思います。

 が、エマーソンの場合、演奏活動と作曲活動というのは彼の肉体の内部で完全にリンクしており、どっちか片方だけやる、ということはできなかったのではないかと想像します。

 からだが動かないと脳も働かない、それまでの特別な才能を発揮することができない、という人はけっこういるのではないでしょうか。

 

 また、音楽の世界から引退して安穏と――たとえば家族や親しん人たちとのんびり余生を過ごす、ということも彼の頭の中にはなかった。

 そうしなかったのではなく、そうできなかった。

 

 エマーソンのような天才で、ハイテンションで生きてきた人間にとっては、そんな凡人のような発想は不可能だったし、死ぬより退屈な時間を過ごすくらいなら・・・という結論に達してしまったのでしょう。

 

 だから音楽ができなくなり、自己の存在価値を失ったキース・エマーソンの自殺は、本人にとっては「尊厳死」だったのではないかと思うのです。

 

 もちろん70年生きた人間である以上、プライベートや周囲の人々に対する存在価値、責任、社会的影響もあるので、自殺という行為を単純に肯定することはできません。

 

 けれども、プログレッシヴ・ロックのファンであり、彼らの音楽に育ててもらい、遠いところへ旅させてもらい、世界を開かせてもらった僕としては、願わずにはいられない。

  エマーソンの死は尊厳死だった。

 彼は誇り高き音楽の王国に殉じたのだ、と。

 

 Mrエマーソン、Mrレイク、Mrウエットン、

 素晴らしい楽曲の数々と、いつまでも遺る異次元への旅の記憶をどうもありがとう。

 

 


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プログレッシヴ・ロックスターの死①:ジョン・ウエットンの訃報、そしてロンドンの寿司

●ジョン・ウエットンの訃報

 

  つい先日、You Tubeを見ていたら「John Wetton Died」という文字が目に留まり、調べてみたら、1972~74年にキング・クリムゾンのメンバーだったジョン・ウェットンが今年1月に亡くなっていたことを知りました。

 

 クリムゾンは英国のプログレッシヴ・ロックバンドで、1969年発表のデビューアルバム「クリムゾンキングの宮殿」がロックの名盤として最も有名ですが、僕はウエットンがベーシスト&ヴォーカリストとして在籍していた頃のクリムゾンサウンドがいちばん好きです。

 

 「太陽と戦慄」「暗黒の世界」「レッド」「USAライブ」という当時リリースされた4枚のアルバム。中でもウエットンが歌う「放浪者」「夜を支配する人」「堕落天使」「スターレス(暗黒)」といったメロディラインの美しい楽曲を愛聴していました。もちろん今でも。

 

 ウエットンはクリムゾン解散後、同じメンバーだったドラムのビル・ブラッフォード、キーボード&バイオリニストのエディ・ジョブソンなどと「U.K.」というバンドを組んで活躍。1981年の来日時には中野サンプラザにライブを見に行きました。

 「闇の住人」「光の住人」「闇と光」という3部構成の組曲は最高にカッコよかった。

 U.K.のあとは70年代のプログレスターたちを集めた「ASIA」というバンドを作りました。デビュー曲の「ヒート・オブ・ザ・モーメント」は良かったけど、時代に合わせたせいなのか、ポップで軟弱な音作りになってしまい、関心は薄れました。

 

●キース・エマーソン、グレッグ・レイクの訃報

 

 ウエットンは癌で亡くなったそうですが、その関連で調べていったら、同じくプログレッシヴロックのバンド・ELP(エマーソン・レイク&パーマー)のキース・エマーソン、グレッグ・レイクも昨年亡くなっていました。

 

 ELPは、僕が中高生時代読んでいた「ミュージックライフ」という、当時、日本で最も売れていた(と思われる)ロック音楽雑誌で、1975年の人気投票ナンバー1だったバンドです。

 

 ムソルグスキーの「展覧会の絵」やチャイコフスキーの「くるみ割り人形」といったクラシック曲をロックに大胆アレンジしたアルバムや、ギリシア神話のメドゥサをモチーフにした強烈なジャケット(デザインは「エイリアン」を造形したギーガー)の「恐怖の頭脳改革」といったアルバムが大評判でした。

 

 キース・エマーソンがキーボード、グレッグ・レイクがベース&ヴォーカル、カール・パーマーがドラムスというトリオ編成。

 当時のロックファンの間では(僕の周囲だけだったかもしれませんが)「ELPを聴かなければ若者じゃない」とまで言われていたくらいです。

 

 さらに言うと、グレッグ・レイクはウエットンの前にキング・クリムゾンでベース&ヴォーカルを担当していたアーティスト。

 クリムゾンのオリジナルメンバーです。

 

 先述したかの名盤「クリムゾンキングの宮殿」では、「21世紀の精神異常者」「エピタフ」などの名曲で、詩人ピート・シンフィールドの鮮烈な歌詞を神秘的な声で歌い上げていました。

 まさしくレジェンドなアーティストでした。

 

●日本食レストランの常連客で、お寿司が好物のレイクさん

 

 僕は1985年から87年までロンドンの日本食レストランに勤めていましたが、そこはBBC(英国の国営放送局)に近かったこともあり、スタジオ収録を終えた俳優やミュージシャンがしばしばお客さんとして来店していました。

 

 その中でもグレッグ・レイクは常連客の一人で、たいていいつも寿司カウンターに陣取ってお寿司を食べていました。

 

 クリムゾン在籍時やELPスタートの頃はカッコよく、長髪の似合う若者だったレイクさんは、僕が会った頃はまだ30代でしたが、随分とメタボ体型になっていました。

 

 その巨体で寿司カウンターに座り、まるまると膨らんだ指でお寿司をつまみ、次々と平らげる姿にはかなりの違和感を覚えました。

 中高生時代の僕にとっては神話の中の英雄みたいな人だったので・・・。

 

 まあ、どんなにすごいアーティストだろうが、女神のごとき美女だろうが、みんな生きている以上めしを食うし、めしを食っている時は「ただの人」になるんだなぁということをしみじみ悟った体験でした。

 

●キース・エマーソンの悲劇

 

 レイクのように常連ではなかったけれど、キース・エマーソンも彼と一緒に2~3度来店したことがあります。

 

 ELPは一度、1970年代の終わりに解散していましたが、確か当時は、残る一人のカール・パーマーが、ジョン・ウェットンのASIAのメンバーになっていたため、ドラマーにコージー・パウエルを入れ、新ELPとして活動し始めた時期だったと思います。

 それで時々、一緒に来て話をしていたのでしょう。

 

 その頃のキース・エマーソンはレイクさんのように中年太りしておらず、まだ70年代のカッコいいイメージをそのまま保っていました。

 

 でも今回、いちばん衝撃的だったのは、そのエマーソンの死についてでした。彼の死因はピストル自殺だったのです。

 

②へつづく

 


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余命9ヵ月のピアニスト

 

 ずっとしがみついていたいほど愛しているものがあるのは、幸せなことなのか?

不幸なことなのか?

 

 火曜日(17日)から始まったTBSの連ドラ「カルテット」を観ました。

 脚本が良い。役者が良い。文句なく面白い。

 

 主人公は30代の4人の音楽家たち。でも、音楽では食えていない。

 で、もうみんな30代。どうすればいいのか?

 という同じ悩みを持った4人がたまたま出会ってカルテットを作って演奏活動をしていくが・・・というお話。

 

 日本の社会は20代まではなんでも大目に見てくれるけど、三十路を超えたら急にきびしくなる。もう子どもであることは許されません。

 

 クリスマスまではキラキラ夢見ていていい。どんどん夢見よう。

 けど、その辺過ぎたら、大みそかまでにちゃんと大掃除済ませて、お正月様をお迎えせえよ、それ以降はしきたり守ってちゃんとせなあかんでぇ。

 という感じです。

 

 初回、この4人に絡むのが、イッセー尾形演じるベンジャミン瀧という、「余命9ヵ月」がキャッチフレーズのピアニスト。

 

 ドラマの中で明かされるますが、彼は5年以上前から「余命9ヵ月」で、あちこちのクラブやレストランを回ってピアノを弾いて生活している。

 余命9ヵ月どころか、酒を飲んで陽気になっている様子を見る限り、健康上の問題は何もなさそうです。

 

 つまりこれは彼の営業ツールで真っ赤なウソ。

 早い話がサギ師・ペテン師なわけです。

 

 けれどもそこが泣かせるのです。

 彼はそこまでして音楽で生活したい、音楽の世界にしがみついていたい。

 すでに還暦を過ぎた彼の過去は一切明かされませんが、家族の写真を飾って一人暮らし。いったいどんな人生ドラマがあったのか。

 

 音楽の世界は、神様が放っておかないほどの才能を持った人は別格として、その下では、生きられる・生きられないのボーダーライン上を大勢の音楽家たちがしのぎを削っています。

 

 そのためには音楽の能力以外に、というか、能力以上に、運やらコネやら人間関係やら愛嬌やらハッタリやらが重要になってきます。

 

 明らかに技術も高く、表現も優れているのに食えない人がいる一方で、この程度で・・・と思える人が食えちゃったりもしています。

 これは音楽に限らず、その他の芸術・芸能分野でもいっしょだけど。

 

 だからどんな手を使ってでも、と考える人が出てくるのはごく自然です。

 

 かの佐村河内氏もその一人だったのでしょう。

 彼のしたことはサギだし、障害のある人に対する侮辱なので断罪されて当たり前だと思いますが、ほんのわずかながら、僕は彼に同情していまう。

 そこまでして音楽の世界で生きたかったのだな、と。

 

 余命9ヵ月のピアニスト・ベンジャミン瀧もそうなのです。

 サギをしてでも音楽人生、音楽で生活するということにしがみつく、あるいは、しがみつかざるを得ない。

 そんな彼の生きざまは、本当に滑稽で、哀しくて、苦い。

 けれども、どこかでひどく愛おしさを感じてしまう。

 

 このドラマの主人公たちも、そうです。

 そして、彼の姿を透して自分たちの20年先・30年先の未来を見てしまうのです。

 その滑稽さ。哀しさ。人生の苦さ。

 

 このピアニストの出番はおそらくこの第1回こっきりだと思いますが、単なる1エピソードでなく、この物語を貫く主旋律を奏でているように感じました。

 

 ずっとしがみついていたいほど愛しているものがあるのは、幸せなことなのか?

不幸なことなのか?

 

 きっと、どっちも、ですねぇ。

 


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藤圭子と宇多田ヒカルの歌う力の遺伝子について

 

 家中に歌声があふれている。

 というと楽しそうですが、実際にそういう世界にいると、なんだか変な感じです。

 僕の家の者は毎日しじゅう歌っているのです。

 それも鼻歌程度のボリュームでなく。

 まぁ、近所迷惑にはなっていないようだし、そこそこ気分良く暮らしている、ということだと思うので黙認していますが。

 

 というわけでここ数日、カミさんはテレビで放送された「宇多田ヒカル特集」を録画してヒマがあれば見て歌っています。

 それで僕もその番組を観るのですが、やっぱり宇多田ヒカルはすごい。

 あの「ファーストラブ」を初めて聴いたときの衝撃はいまだに忘れられません。

 

 歌い始めたばかりの少女のような初々しさと・清新さと、もう何十年も歌い込んだような円熟味が同居するような歌声。15歳という年齢が信じられませんでした。

 

 あとから藤圭子の娘だと知って、なるほど。

 彼女の歌にある円熟味は、母親の分が含まれているからなのかなと思いました。

 

 藤圭子も確か18歳くらいでデビュー。

 僕は子供だったので、あの演歌っぽい歌にはとてもついていけませんでしたが、それでも「圭子の夢は夜ひらく」の歌唱は強烈で、一度聴いたらあの声・あの歌世界が耳に貼りついて離れませんでした。

 

 歌唱の中にこもる濃密なエモーション。

 色艶。

 切なさ。

 哀しさ。

 そして可愛らしさ。

 

 この母娘の歌の力の遺伝子はいったいどこから来て、どんな時代を経て、どのように伝承されてきたのだろう?

 ファミリーヒストリーが知りたくなります。

 

 年末の紅白で、宇多田ヒカルは初出場で、トリの一つ前という重要なポジションでしたが、イベント最終章で大盛り上がりの会場のことなど、どこ吹く風。

 ルーティンワークをこなしてます、といった感じで、ロンドンのスタジオで「花束を君に」を歌っていました。

 その様子は宇宙の彼方からメッセージソングを送信する異星のプリンセスのように見えました。

 


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天国への階段 アウトテイク

 

 僕の11月のテーマ曲は、Led Zeppelinの「Stairway to Heaven」と決まっています。

 この曲を聴いていると、本当に生きててよかったなぁと思います。

 

 最近、セッションやリハーサル音源を収めたZepのアウトテイク集が出たので、「天国~」をはじめ、ずっとZepばかり聞いています。仕事するときのBGMにちょうどいいんだよね。

 

 レッド・ツェッペリンは世間的にはヘビメタバンドってことになっているけど、僕のイメージは全然違っていて、彼らはイギリスの民謡やアイルランド民謡、その他、世界各地の民俗音楽をベースとしたワールドミュ―ジックバンド。

 

 キャリアのスタートとなったスブルースだって、もとを辿れば黒人の民俗音楽だし、レゲエやヒップホップだって世界的に流行る前からやっている(あまりに彼らのサウンドの個性が強すぎてそう聞こえないけど)。

 

 丁寧に自分たちのリスペクトする音楽、面白いと思った音楽を何度も何度も繰り返し演奏し、深掘りし、アレンジして自分たちのオリジナルに変えていったんだな、ということがセッションの音源を聞いているとよくわかります。

 

 そのせいか黒人音楽通から「ブルースを金もうけに使った」とか「パクリの天才」とか揶揄されることもあるみたいだけど、それを言いだしたら、ビートルズやストーンズだってみんなパクリをやっていることになる。

 

 音楽に限らず、絵だって物語だって「まったく見たことも聞いたこともない」というのはほぼあり得ないし、あっても人々に受け入れられない。

 人々が受け入れることができるもの、いいなぁ、これと思えるものって、どこか先人の業績をリスペクトし、踏襲しているものなんじゃないかなと思います。

 

 というわけでジミー・ペイジもロバート・プラントも相当じいさんになちゃったけど、何十年聴いていてもツェッペリンは飽きません。

 

 

2016・11・22 TUE


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ジョンとジュリアンとルーシーと心を癒す歌と仕事について

 

●Lucy In The Sky With Diamonds

 

 ある日、3歳の男の子が保育園で絵を描いた。

 その子の解説によれば、それは彼の好きな女の子がピカピカのダイヤモンドをいっぱいつけてマーマーレード色の空に浮かんでいる絵だった。

 

 音楽家だったその子の父親はその絵をヒントに一曲、歌を作った。それが「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ」。

 女の子の名はルーシー。男の子の名はジュリアン。そして父親はジョン・レノン。

 これはジョンとジュリアン父子の最も有名で、そして唯一ともいえる幸福なエピソードです。

 

 「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ」はとても幻想的な、当時のサイケデリックロック、のちのプログレッシブロックの源流にもなった曲で、「不思議の国のアリス」みたいなファンタジックなシーンを、ジョン・レノンが、のちの「イマジン」にも通じる、あの透明感あるちょっと中性的な声で歌っています。

 

●Lucy

 

 この曲が収められた名盤「サージェントペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド」は1967年のリリースですが、それから40年以上たった2009年、父と同じくミュージシャンになったジュリアンは「ルーシー」という曲をリリースしました。

 彼が絵に描いたルーシーさんが病気で亡くなってしまったのです。

 

 彼にとっては幼なじみのルーシーさんに捧げる曲を作って歌ったのと同時に、父・ジョンへの想いを託したのでしょう。

 

●スター2世の受難

 

 ジョン・レノンは大好きだけど、ある雑誌で彼のインタビュー記事を読んでから、長男のジュリアン・レノンの言葉がとても胸に響くようになってきました。

 もうずいぶん前――彼がデビューして間もない頃、ジョンが死んでから10年後くらいでしょうか。

 彼はそのインタビューの中で「父はミュージシャンとして偉大ではなかった」と、暗にジョンを批判するようなことを語っていました。

 どうしてそんなことを言ったのだろう?

 その言葉が頭の奥にへばりついて離れませんでした。

 

 僕は当初、単純に父親への対抗意識からそんなセリフが出るのだろうと思っていましたが、どうもそうではなく、ジュリアンは「ジョン・レノンの息子」という宿命を背負ったことで、ほとんど「呪われた」と言ってもいいくらい、ひどく困難な人生を歩まざるを得なくなった、と思うのです。

 

●「愛し合おう」の矛盾 

 

 「パパはみんな愛し合わなくてはいけないと言っているのに、どうして僕には会ってくれないんだろう?」

 

 ビートルズ解散後、ジョンはオノ・ヨーコとともに世界へ向けて愛と平和のメッセージを発信し続けていましたが、その一方で前の奥さんとその子供であるジュリアンには一切会おうとせず、冷酷な態度を取り続けていました。

 

 その頃、6~7歳だったジュリアンが素直に口にしていたその矛盾は、彼の心の奥深くに根を張り、成長しても消えるどころか、ますます大きく膨らんでいったようです。

 

 その後、ジョンは義務感からか、ニューヨークの自宅に何度かジュリアンを招いていますが、そこでもあまり和やかに接することはありませんでした。

 天才・カリスマと呼ばれる人によくある話ですが、ジョン・レノンも「子供の部分」が非常に大きく、感情にまかせて人を容赦なく傷つけることがよくあったようです。

 特に自分とそっくりな上に、母親(離縁した前妻)の影――彼女を捨てたことにおそらく罪の意識を持っていた――を宿している息子に対しては、特にいらだちと怖れを覚え、つい当たってしまうことがしばしばあったのでしょう。

 

●曲作り・歌うことがセラピー

 

 それでもジュリアンの方はいつか父親との関係を回復できるだろうと希望を抱いていましたが、その前に父は銃弾に倒れ、この世を去ってしまいました。

 彼は永遠に、父から受け取ったひどい矛盾――心の捻じれを修復するチャンスを永遠に失ってしまったのです。

 

 それから長い時間が経ち、父がこの世を去った年齢も超え、幼なじみの死との遭遇した彼は、ルーシーの歌を作ることで自分自身を取り戻し、父親を許せるようになった、過去の痛みや怒りを解放できるようになったとインタビューで語っています。

 

 「曲を書くことは、僕にとってセラピーだ。人生で初めて、それを感じると同時に信じることができた。そして、父やビートルズを受け入れることもできた」

 

 

●癒しとしての仕事

 

 こうした思いを抱くことできたのは、彼が音楽を作る人だからだろうか。

 僕は思うのだけど、本来、人間にとって仕事というものは自分を癒すものではないのだろうか。

 

 たとえば、母親にとって子供を育てるのは「仕事」だけど、その仕事によって自分の生が癒されているのではないだろうか。

 

 歌手は歌うことで、ダンサーは踊ることで、俳優は演じることで、絵描きは絵を描くことで、ライターは文章を書くことで、料理人は料理を作ることで、大工は家を建てることで、自分を癒している。

 

 もちろん、歌を聴いたり、絵を見たり、話を聞いてもらったりして癒されることはあります。

 セラピストのお世話になることもあるかもしれない。

 だけど、この社会で生きる中で損なわれた気力・体力の根本的な回復を図れるのは、自分自身が心から打ちこむ行為からでしかあり得ないのではないかと思うのです。

 

 あなたにとっては何が自分の本当のセラピーになるのでしょうか?

 好きな音楽を聴きながら考えてみるといいかも知れない。

 

 

2016・10・9 SUN


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命あるものは樹から落ちた

 

命あるものは樹から落ちた 命あるものは樹から落ちた

人だけは落ちてしまえないので 繰り返し また 繰り返し

眠ったり起きたりしている

 

(岡本おさみ:作詞、岩沢弓矢:作・編曲)

 

これだけの歌詞をひたすら繰り返す2分30秒の歌。

歌詞も曲も、なんとも言えない不思議でのびやかな雰囲気に満ちていました。

アナログレコードは持っていますが、プレイヤーがないので長らく耳にしていなかった

(探したけどCDは出ていなかった)のですが、

最近、You Tubeにアップされていたので愛聴しています。

 

ヴォーカルは東京キッドブラザーズの女優だった坪田直子。

「ピーターソンの鳥」という、60~70年代のレクイエムみたいな映画のサントラです。

 

頭の中の空気を入れ替えて、深呼吸する時に聴きたい曲です。

 

2016・9・19


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ぼくはセイウチロウ

 

氷の世界の恐怖のセイウチ

 子供の頃、動物図鑑で初めてセイウチの写真(イラストだったかも知れない)を見た時は、そのモンスターのような姿・形に心の底から驚愕しました。

その時の僕のセイウチのイメージは、世界の果ての暗くて冷たい氷の世界で巨大な牙をむき出しにして世にも恐ろしい咆哮を轟かせる孤独な怪物。

こわかったなぁ。

 人生の中でもしこんな怪物に出会うことがなあったら、僕は一瞬のうちにカチンコチンに凍り付いて、冷凍食食品になってこいつに食べられてしまうだろうと思い、どうぞそんなことになりませんように、と、何度もお祈りを唱えました。

 

夢の世界でセイウチロウと邂逅

 という衝撃が消えたのはいつのことだろう?

いろいろ本を読んだりテレビを見たりするうちに、セイウチは割とおとなしくて温かい生き物。孤独ではなく、群れをつくってのんびり暮らしていることなどを知りました。

それどころか、近年は日本水族館にも住んでいて愛嬌を振りまいてくれています。

 

 そのセイウチ君に僕もお世話になっています。

 夏、お昼寝するときは涼しい水族館のイメージを抱いて横になり、水中を魚がうようよ泳いでいる中をうつらうつらしつつ彷徨っているのですが、15分ないし30分ほどすると、コツコツと頭を何かがつつく。

「おい、起きろよ、セイイチロウ」

と目を覚ますと目の前には強大なセイウチが。やつはその牙の先で僕の頭をつついいたのです。

 こいつはセイウチロウといってクールな夢のアラーム係として30分経ったから起こしにくるのです。それ以上寝ちゃうと夕方まで頭が働かなってしまうので。起きない時は歌を歌って起こします。

 もちろん、歌はビートルズの「I am the Walrus」。

 

●ビートルズフェスでセイウチ登場

 そういえば昨夜、録画しておいてずっと見ていなかったNHK-BSの「BEATLESフェス」なる3時間番組を見ました。

  ビートルズ来日50周年ということで、当時の逸話――ビートルズにはっぴを着せた日航のスチュワーデスさんの話やら、独占取材に成功した星加ルミコさんやら湯川レイコさんの話――昔、音楽雑誌でよく記事を読んでいましたが、音楽ジャーナリズムのリーダーだった彼女らはまだ20代の女の子だったんですね――やら、を中心に、年寄りから若者まで入り混じったスタジオトークや、ビートルズ番組お約束のリバプール―ロンドン紀行(森高千里がキャバーンクラブに行ってドラムを叩いてた)などがてんこ盛りのバラエティ。

 しかし、目玉は何といっても、新旧いろいろな日本のミュージシャンたちがやるビートルズナンバーのトリビュートライブでした。

 

 財津和夫「Yesterday」や平原綾香「Hey Jude」などは、ま、定番の、という感じ。仲井戸麗市(チャボ)の「The Long and Winding Road」はほとんど自分で歌詞を書き換えた替え歌で、清志郎へのレクイエムにしか聞こえない。歌い方もそっくりだ。やっぱ寂しいんだろうね。

 

 その中で一番面白かったのがラブ・サイケデリコの「I am the Walrus」。

 ぐにゃぐにゃしたサウンドとともに、「おまえはあいつ、あいつはおいら、おいらタマゴ男、おいらセイウチ」なんていう、ジョンのナンセンスでファンタジックでグロテスクな詩の世界がぐりぐり脳天にねじ込まれてきて、めっちゃカッコいい!  こんな新鮮なアレンジでこの曲を聞けるとは思ってもいなかった。まったく感動モノでした。

 

 オリジナルを聞いて育ったおっさん・おばさんたちは、どうしてもリスペクトが先に立ってしまってアレンジも表面的で徹底しない。けど、「むかし、ビートルズっていうバンドがいたらしいね」と言っているような若い連中は、遠慮なくぶっ壊して、さらにおいしく料理していけると思います。

 ジョンやジョージがあの世から「おいおい」と言って止めに来るくらい、ガンガンすごいアレンジをしてほしい。

 

セイウチロウよ永遠に

 おまえはあいつ、おまえはおれ、だからあいつはおれ、おまえはセイウチロウ、ぼくはセイイチロウ、おまえはセイイチロウ? ぼくはセイウチロウ?

 まだまだ暑い。北極の氷の上でごろごろ寝そべる夢を見て毎日過ごすことにいたします。またセイウチロウと会うのを楽しみにして。

 

 

 

 

2016・8・11 THU


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いちご畑で抱きしめて

 

Strawberry Fields Forever

 

 いちご畑と言えばジョン・レノン。

 かの名曲「ストロベリーフィールズ・フォーエバー(いちご畑よ永遠に)」からの連想。

 Strawberry Fieldsっていうのは、もともとリバプールにあった救世軍の孤児院の名前で、僕も参拝したことがあるけど、門柱は世界中のビートルズファンの落書きでいっぱいでした。

 救世軍の孤児院というイメージもあいまって、もちろん曲も素晴らしいのだけど、それ以上にタイトルが秀逸。この名前を使ったお店やら商品やら本やら昔から結構あって、最近はウェブサイトにもたくさんいちご畑が広がっています。

 可愛いし、いろいろ想像力が広がる言葉だもんね。

 現代では割とありきたりなネーミングかも知れないけど、1960年代当時、楽曲にこういうタイトルをひねり出して付けたジョン・レノンのセンスはやっぱり一味違うと思います。

 

 僕もその一人で、ちょうど35年前の今頃、新宿のゴールデン街の一角にあった芝居小屋で「いちご畑で抱きしめて」という芝居をやりました。

 「いちご畑」と「抱きしめたい(I Want to Hold Your Hand)」を足したタイトルだけど、話の内容はジョンにもビートルズにも救世軍にもまったく関係なく、不思議の国のアリスと核戦争をモチーフにした支離滅裂な話で、なんであんな芝居を書いたのか、逆にいえば「書けた」のか、今考えると不思議なのですが、最近、頭の底から何かが浮かび上がってきて、同じタイトルでまったく違う話を書こうと考えています。

 

★稀代のペテン師

 

 そのモチーフはやっぱりジョンの生きざまです。

 僕のジョンに対する基本的なイメージは「ペテン師」。

 もちろん若くから音楽的才能を開花させ、声もルックスも魅力的だったことは認めるけど、それ以上に彼は天才的なペテン師だった。みんな、彼の醸し出す言葉やパフォーマンスに翻弄され、その結果として現在の世界のある部分(多くは現代人の精神構造に関わる部分)が形成された・・・というところに、すごく興味があるのです。

 

 リバプールの悪ガキから音楽家へ、世界最高峰のスーパースターへのぼりつめ、やがて世界平和を訴え、愛の使者になり、イエス・キリストみたいになったかと思ったら、いきなり家庭の世界に入り(今ではすっかりポピュラーになった「主夫」――ハウスハズバンドという言葉と概念は、ジョンが創ったか広めた、というのが僕の印象)、そしてミュージシャンに復帰したとたん、この世を去った彼の40年の人生は、いまだに、というか、今だからこそ僕たちに、文化・芸術、お金・ビジネス、社会・時代、家族・子供、愛、そして「生きるとは?」とういう哲学的考察に至るまで、いろいろなことを考えるヒントを与えてくれている気がします。

 

★人間ジョン・レノンの魅力

 

 こんなことを言うとジョンやビートルズファンの人は怒るかもしれないけど、その基本が胡散臭いサギ師・ペテン師のキャラクター。

 僕はそこにとても人間的なもの、それこそ人工知能が、アンドロイドがひっっくりかえっても叶わない人間ならではの魅力を感じるのです。

 

 そう考えるきっかけになったのが、ジョンの最初の妻であるシンシア・レノンが書いた「わたしが愛したジョン・レノン」という本でした。

 いわゆるビートルズ本の一つに数えられますが、これは家族論・幸福論・人生論としても読める優れた本です。

 たぶん長くなるので、この続きはまた後日。

 

 ちなみにリバプールのStrawberry Fieldsは、現在は修道施設となっているようです。いろいろなストーリーを詰め込んで祈祷と瞑想の施設に変ったことを思うと、なんだか胸にじんとくるものがあります。

 

 

 

 

2016・7・20 WED


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タイムマシンにおねがい

 

 きのう6月10日は「時の記念日」でした。それに気がついたら頭の中で突然、サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにおねがい」が鳴り響いてきたので、YouTubeを見てみたら、1974年から2006年まで、30年以上にわたるいろいろなバージョンが上がっていました。本当にインターネットの世界でタイムマシン化しています。

 

 これだけ昔の映像・音源が見放題・聞き放題になるなんて10年前は考えられませんでした。こういう状況に触れると、改めてインターネットのパワーを感じると同時に、この時代になるまで生きててよかった~と、しみじみします。

 

 そしてまた、ネットの中でならおっさん・おばさんでもずっと青少年でいられる、ということを感じます。60~70年代のロックについて滔々と自分の思い入れを語っている人がいっぱいいますが、これはどう考えても50代・60代の人ですからね。

 でも、彼ら・彼女らの頭の中はロックに夢中になっていた若いころのまんま。脳内年齢は10代・20代。インターネットに没頭することは、まさしくタイムマシンンに乗っているようなものです。

 

 この「タイムマシンにおねがい」が入っているサディスティック・ミカ・バンドの「黒船」というアルバムは、1974年リリースで、いまだに日本のロックの最高峰に位置するアルバムです。若き加藤和彦が作った、世界に誇る傑作と言ってもいいのではないでしょうか。

 中でもこの曲は音も歌詞もゴキゲンです。いろいろ見た(聴いた)中でいちばんよかったのは、最新(かな?)の2006年・木村カエラ・ヴォーカルのバージョンです。おっさんロッカーたちをバックに「ティラノサウルスおさんぽ アハハハ-ン」とやってくれて、くらくらっときました。

 

 やたらと「オリジナルでなきゃ。あのヴォーカルとあのギターでなきゃ」とこだわる人がいますが、僕はそうは思わない。みんなに愛される歌、愛されるコンテンツ、愛される文化には、ちゃんと後継ぎがいて、表現技術はもちろんですが、それだけでなく、その歌・文化の持ち味を深く理解し、見事に自分のものとして再現します。中には「オリジナルよりいいじゃん!」と思えるものも少なくありません。(この木村カエラがよい例)。

 この歌を歌いたい、自分で表現したい!――若い世代にそれだけ強烈に思わせる、魅力あるコンテンツ・文化は生き残り、クラシックとして未来に継承されていくのだと思います。

 

 もう一つおまけに木村カエラのバックでは、晩年の加藤和彦さんが本当に楽しそうに演奏をしていました。こんなに楽しそうだったのに、どうして自殺してしまったのだろう・・・と、ちょっと哀しくもなったなぁ。

 

2016年6月11日


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初音ミクの「イエローサブマリン音頭」

 

 8月になったので海の話。

 

 昔、地下室と潜水艦の内部をダブらせ、その中で登場人物たちが幻想の冒険をする、という支離滅裂な芝居をやったことがあります。

 

 その時のオープニングに使った曲が、金沢明子の「イエローサブマリン音頭」。

 冒頭、バカバカしく盛り上げておいて、一気に深海の暗黒世界へ突き落とす、という趣向でした。

 

 この「イエローサブマリン音頭」を初めて聞いた時は衝撃と感動が身体を駆け抜けました。

 松本隆の訳詞が秀逸だし、金沢明子のこぶしもコロコロ回りまくっているし、何より海水浴気分と盆踊り気分とビートルズ気分が三位一体で楽しめるところが素晴らしい!

 

 というわけで検索してみたら、なんとこれをヴォーカロイドの初音ミクが歌ってる!

 ワロた。それになかなかかわいい。

 

 暑い日が続きそうなので、一曲聞いて一息ついてください。

 


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阿久悠の作詞入門

 

 「いい文章・面白い文章」を書くにはどうすればいいか?を探し求めて、幾多の文章読本を読みましたが、これはその中で間違いなく3本の指に入ります。

 

 5000曲の歌を作った阿久悠さんは、日本の歌謡曲の世界を構築した伝説の作詞家。

 その阿久さんが書いた「作詞入門」は表向き、歌詞の書き方のハウツー本ですが、内容の奥には、昭和の時代を駆け抜けた独自の生き様・人生哲学が、

 そして歌詞や文章にとどまらず、あらゆるクリエイティブのエッセンスが詰まっています。

 

 岩波現代文庫で出されたのは2009年ですが、初版は1970年代半ば。

 今から40年前のものですが、近年、巷にあふれているクリエイティブやマーケティング系のハウツー本が100冊束になってもかなわない。

 そんな濃厚な内容です。

 

 そのすごさ・阿久さん独自のユニークさは、最後の方にある「書き終わってチェックする10ポイント」を読むだけで分かります。

 

 ①言いたいことが言えているか

 ②不快感はないか

 ③アイデアはあるか

 ④泣かせどころはあるか

 ⑤替え歌はできそうか

 ⑥耳で聞いて意味が通じるか

 ⑦リズムはあるか

 ⑧覚えやすい言葉か

 ⑨いい歌か、面白い歌か

 ⑩自分はそこに存在しているか

 

 これらのポイント、特に④⑤⑨⑩などをどう解釈し、どう応用して自分の中に採り入れるかは読む人次第。だから面白い。

 

 今や誰もがクリエイティブやマーケティングに取り組む時代です。

 もし、ここで採り上げたポイントを読んでビビッと脳に響いたら、一読してみてください。

 きっと参考になりますよ。

 ついでに歌もできちゃったらいいですね。

 


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キング・クリムゾンの伝説と21世紀版「風に語りて」

 

 高校演劇をやっていた時、1年上の先輩が自分で戯曲を書いて上演したことがあります。

 その主人公のセリフで

「風が吹いている。ゴゥゴゥ……僕は風と話すことができる。風だけが僕の友達だから……」

 というのがありました。

 

 最初はカッコいいセリフを書くもんだなぁと感心したが、あとからほとんどKing Crimson キング・クリムゾンの「Ⅰ Talk to the Wind(風に語りて)」の歌詞のパクリであることがわかりました。

 

 でも、その頃はそれで糾弾されるどころか、

 「あのクリムゾンの詩の世界を自分の戯曲に採り入れるなんてすごい!」

 と、周囲はむしろ尊敬の眼差しを送りました。

 

 

 1969年にスタートしたキング・クリムゾンは、メンバーの中に「作詞家」がいました。

 楽器は演奏しない。歌も歌わない。

 だからライブをやってもステージに立たない。

 そんな人がバンドの正式なメンバーとしてクレジットされている。

 曲自体もすごかったが、そうした事実からも、僕の中でキング・クリムゾンは特別な存在になりました。

 

 その作詞家―ーPete Shinfield ピート・シンフィールドは、おそらくキング・クリムゾンのコンセプトメーカーという位置づけだったのでしょう。

 当初のクリムゾンはバンドと言うよりも、一種の音楽プロジェクトのような集団だったのだと思います。

 だからアルバム1枚ごとにメンバーチェンジを繰り返していました。

 

 「風に語りて」はかの名盤「クリムゾンキングの宮殿」で2曲目に収められており、「21世紀の精神異常者」の荒々しい、狂気の世界から一転、イアン・マクドナルドが奏でるフルートの音色が印象的な、平和でやさしい世界を醸し出していました。

 

 じつはこの曲、クリムゾンの前身のバンド時代の原曲があり、ヴォーカルをグレッグ・レイクではなく、Judy Dybleジュディ・ダイブルというフォーク系の女性歌手が歌っていたのです。

 

 彼女は1960年代にわずかな作品を残して、70年代・80年代の英国音楽シーンで華々しい活躍することもなく消えていった・・・

 と思っていたのですが、なんと、21世紀になってから復活していたことを最近知りました。

 

 どういう事情があってのことかはわかりません。

 おそらく結婚・出産・育児が終わって・・・ということなのでしょうが、30年以上の年月を経ての復活です。

 

 ミュージシャンの中には若い時代の栄光にしがみついて沈んでいく人もいるが、こんな人もいるんですね。

 人生何があるかわかりません。

 

 とゆーわけでニューヴォーカル、ニューアレンジで歌う

 21世紀版「風に語りて」。

 

 


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教会の子供クリスマス会とジョージ・ウィンストンの「December」

 

 もうすぐクリスマス。

 今年は10日あまり前に、近所の教会の子供クリスマス会に出演しました。

 サンタさんの相棒のやんちゃなトナカイとなって司会をさせて頂き、とても楽しかったです。

 今年のクリスマスはもうこれでOKって感じでしょうか。

 

 昔から日本の、情緒に乏しいバカ騒ぎのクリスマスが大嫌いなので、今年のようなイベントに呼んで頂けると、本当に心がホカホカします。

 K先生、サンタ役のSさん、子供たち、ポール&ピーター、どうもありがとう。

 あとは家族とゆっくり過ごす、というところでしょうか。

 

 

 この季節になると、毎日聴いているのがGeorge Winstonの「December」です。

 いわゆるヒーリングミュージックで、ピアノ一つで雪原や星空や、人々の吐息やクリスマスへの想いを表現しています。

 

 その白眉が「パッフェルベルのカノン」。

 カノンは演奏者側にも聴く側にも大人気の曲なので、いろんなバージョンが巷に溢れていますが、僕の中ではいまだにこれを超えるカノンはありません。

 

 どうしてこんなに美しく、こんなに深遠な演奏ができたのか、不思議な気持ちになります。

 そして、この音楽の他には何もいらないという、満たされた気持ちになるのです。

 

 皆さんのクリスマスのハッピーポイントは何でしょう? いずれにしても良いクリスマス・新年を。(まだ早いかな?)

 


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ポール・マッカートニー来日公演とヘイ・ジュードのこと

 

 ポール・マッカートニーが来日公演するって、今日知りました。

 38曲中、26曲がビートルズナンバー。ほんま?

 

 10代・20代の頃は「ビートルズ?しかもポール?だせー!」と言っていました。

 1990年の初来日公演は見に行ったけど、ちょうどローリング・ストーンズ(こっちも初来日)の公演と時期が近く、「ストーンズの方が全然イカしてる!」となってしまいました。

 

 11年前の公演は「60になってなんでまだやってるの?」といった思いが強く、興味がわきませんでした。

 

 でも今回は違う。

 71歳で世界ツアーを敢行するとは、いったいどこにそんなパワーがあるのか。「高齢者」の概念をすっかり覆しています。

 

 本当にこの人は天才であると同時に、音楽を媒介にして様々なものを背負っているんだ、と感慨せざるを得ません。

 

 ポールの音楽の才能は誰も疑う余地がないのですが、あまりに劇的に夭折し、早くから伝説化し、カリスマとしてもてはやされてきたジョン・レノンと比べられ、その人間的な部分が語られることは少なかったように思います。

 

 そんなポールに対する見方が変ったのは、今回の公演でもラストナンバーになるらしい「ヘイ・ジュード」作曲のエピソードを知ってから。

 

 あの曲がジョンの一人目の息子・ジュリアンに贈るために書かれたことは以前から有名ですが、その背景にあったドラマについてはあまり知られていないと思います。

 

 それはシンシア・レノン(ジョンの前妻)が書いた「わたしの愛したジョン」に詳しく書かれているのですが、「ヘイ・ジュード」は単に、父親を失ったジュリアンを励ますというだけでなく、家族のこと、友だちのこと、青春のこと、人生のこと・・いろいろ複雑な思いを盛り込んだ歌なのです。

 

 僕は「ヘイ・ジュード」はポールにとって、真の意味でのビートルズのラストナンバーだったのではないかと思います。

 

 彼にとっての真の意味での「ビートルズ」とは、ジョンとの友情や青春時代の熱、サクセスへのストーリーを含む総称です。

 そうしたものへの決別の思いを込めて作ったのが「ヘイ・ジュード」んあおではないでしょうか。

 ラストのえんえんとしたリフレインが、そうしたポールの気持ちを表しているようでなりません。

 

 彼にとってその後の4人での活動は、ビートルズという名の音楽実験。

 ビートルという名のビジネス、
 あるいはビートルズの名を借りた自己表現の場だった。

 そんな気がするのです。(もちろん、それぞれすごいことなんだけど……)

 

 昨年のロンドン五輪でも歌われましたが、国や世代の区別なく「ヘイ・ジュード」が歌われるのは、その生い立ちから大きな意味があったのです。

 

 ・・・というのはこじつけすぎかもしれません。

 でもやはりあの永遠不滅のメロディラインには、普遍的な人間の感情の多くが盛り込まれていると思います。

 

 


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尾飛良幸バースデーLIVE

 

 昨日はミュージシャンの尾飛良幸さんのお誕生パーティーで歌舞伎町のライブハウスに行きました。

 尾飛さんには僕の書いた保険会社のキャンペーンソングや、「こぐま座」の子どもミュージカルの歌詞に曲をつけてもらっています。

 メルヘン調からバリバリのロックやラップまで、何でも作っちゃうマルチプレイヤーです。

 

 この5~6年ちょこちょここいっしょに歌を作っていたのですが、オフラインで会うのは昨日が初めてでした。

 

 彼はヴォイストレーナーや歌の教室もやっていて、生徒さんたちがこの会を企画されたそうです。

 尾飛さんのミニライブをはじめ、生徒の皆さんが人生を謳歌するような歌の数々、スペシャルゲストも登場して大変楽しかったです。

 

 驚いたのは、彼の小学校時代の落語や高校時代にやった区民会館会議室でのライブ(しかもギンギンのヘビメタ!)の音源。

 この日のためにちゃんとテープをとってあったのか!ワロた。

 音楽の才能もさることながら、お人柄が偲ばれて心ポカポカになりました。

 


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2012年のビートルズ伝説

 

 「ビートルズがお好きなんですね?」 
 先日、初めてお会いした方から、このブログについてそう言われた。 
 そういわれてみれば何度もビートルズについて書いているなと、自分で気が付いた。 
 そして、なぜビートルズが好きなんだろう・・・というか、正確には、なぜ気になるんだろう?と考えてみた。 
  
 僕はいわゆるビートルズ世代ではない。中学生になってロックを聴き始めた時には、とっくに解散していた。 
 しかし、その人気は依然として続いており、僕も名古屋の汚い映画館でビートルズ映画3本立て(「ヤァヤァヤァ!」「HELP!」「レット・イット・ビー」)も見ていた。前2本とレット・イット・ビーとのギャップに愕然としたことをよく憶えている。 


 ただ、その頃はビートルズは好きではなかった。

 なぜかと言うと近所に住んでいた兄ちゃんから「中学生になったらロックを聴け!」と、半ば強制的に聴かされたのが、Deep PurpleだのGrand Funk Railroadなどのハードロックばかりだったのだ。 
 最初は「うるせー!」と思ったが、すぐに慣れ、夢中になった。

 のちにELPだのKing Crimsonだののプログレ系に感化され、そんなやたらとんがったのばかり聴いていたので、ビートルズははっきり言って、タルかったのである。 

 そんなビートルズだが、齢を取るごとにそのすごさがリアライズされた。 
 その楽曲のバラエティの豊かさ! 
 メロディーラインの美しさ! 
 これだけ世界中で数十年にもわたって聴き倒されているのに、色あせるどころか、歌われれば歌われるほど、聴かれれば聴かれるほど磨かれ、輝きが増していく。 


 そして、同じ曲でも真剣に耳を傾け、人生を自問自答するように聴くこともできれば、BGMとして気軽に楽しむことも出来る。 
 こんな聴き方が出来る音楽はビートルズをおいて他にないだろう。 

 

 

 けれども僕がビートルズを好きなのは、そういった音楽の部分だけではない。 


 ビートルズには巨大な「物語」がある。 
 反抗的な高校生達の青春。
 それがわずか数年の間に頂点をきわめるサクセスストーリー。
 そこから起こるプレッシャーやストレスとの戦い。
 アイドルとしての演劇的パフォーマンス。
 音楽を愛するがゆえの創造的格闘。
 友情の亀裂、家庭の崩壊、愛と平和、結婚と離婚、子ども、ビジネス、金、死・・・・・
 


 喜劇的なもの、悲劇的なもの、すべて含め、およそ現代を生きる先進国の人間なら、誰もが一度は夢想する物語がすべて、ビートルズのドキュメントの中に詰まっているのだ。 


 好む好まざるに関わらず、1960年以降に大人の世界に足を踏み入れた人間の多くは、どこかでビートルズの影響を受けているだろう。その物語の巨大さは21世紀も12年目を迎えた今も膨らむばかりだ。 

 この正月にジョン・レノンの最初の妻であるシンシアの手記「ジョン・レノンを愛して」を読んだ。とても心動かさせること、また、知らなかった事実も書かれているので、また今度紹介したいと思う。 
 ビートルズの音楽と物語に耳を傾ければ、僕たちはまだまだこの世界の奥深いところまでいけるのではないかと思うのだ。 

 

 

2012.01.18( Wed


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アーティストたちの前に扉が開いていた

 

 60~70年代のロックのライブをYouTubeなどで楽しんでいる人はいっぱいいると思うが、やはり昔のものは画質・音質が悪い。それに比べて最近のものはとてもクリアだ。 

 

 もちろん、古いものは古いことで価値があるし、好きなミュージシャンの若かりし頃の雄姿を見られるのは嬉しいが、新しいの(90年代から00年代)はさらに味わい深い。

 もちろん演奏内容がいいのが前提だが、老いぼれてきたかつてのスターが若い連中と一緒にがんばっているのはカッコイイのだ。

 

 一時期は「昔のヒット曲はもうやらない。今のオレを見てくれ」なんて言っていた連中も、本当に楽しそうにかのヒット曲をやっている。何十年も人々の記憶に止まり、いまなおそれを聞きたいという人が大勢いるのは、とても幸福なことだ。

 

 2000年になる頃だったかと思うが、キング・クリムゾンのロバート・フリップが当時を回想したインタビューでこんなことを語っていたことがある。

 

 「60年代~70年代半ば頃までは、多くの若い音楽家・アーティストやたちの前にたくさんの扉が開いていた。少しでもその扉を開ける力や才能、勇気を持った者は、難なくドアの向こうに行くことが出来たのだ。けれども、そういう時代は過ぎ去り、扉は容易に開けられなくなってしまった。今では固く閉じられている……」

  

 あの時代……音楽産業がしっかりと確立されるまでの過渡期は、確かにロック音楽やポップアートのルネサンスだったのかも知れないと思う。これもYouTubeでの話だが、これらのロック音楽に合わせて自分のイメージ絵画・イラスト・写真などを構成し、クリエイティヴな表現を試みている人たちがいる。

 

 もちろん玉石混交だが、なかなか心に響くものもある。そういえば、かつてレコードジャケットは貴重なアートの実験場だった。もちろん、同じ形ではありえないものの、これからいつかまた扉が開く時代は来るのだろうか?

 

 

2011・9・27 TUE


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ロックも、アニメも、ドラマも・・・夢が叶った!

★Yesterday Oncemore

 

 「何を今さら」と言われるかも知れないが、インターネットは万能だ。万能というくらいだから萬曼荼羅の機能を持ち得ているわけで、一つ一つ褒め称えていたらキリがない。

 

 であるからに、今日ここで言う万能ぶりは“過去をいつでもどでも即座に再現してしまう”というすごさに限定させてもらう。つまり、インターネットは僕たちがもう一度見たかった「アレ」をいとも簡単に再現してくれてしまうのだ。  

 

 具体的に言うと(これも「何を今さら」と言われそうだが)、YouTubeなどでは60~70年代のロックのライブがガンガン出ている。

 「おお、これはかつてNHKヤングミュージックショーで見た○○のLIVE!」とか、

 「ああ、これはもしやその昔、NHK-FMの渋谷陽一さんの番組で聞いた音源ではないか……」

 というのがゾロゾロ出てくる。

 

★Dream come True

 

当時はインターネットはおろか、ホームビデオさえなかった時代。中高生だった僕たちはなけなしの小遣いをはたいて買ったレコードを丁寧に聞いたり、テレビやラジオの音楽番組から懸命に録音したひどい音質のカセットテープをありがたく、繰り返し繰り返し聞いていた。 

 

 月日が経ち、レコードやカセットテープはCDやDVDになり、それらはネット配信に。

 うちの小僧くんはウォークマンならぬi-podで聞き歩いているし、僕もパソコンにインストールしたi-tunesで聞いている。 

 

 YouTubeをはじめとするここ数年のネット動画は本当に驚異的で

  「え!あの時代(繰り返し言うがホームビデオもなかった1960~70年代)にこんな映像撮っていたんだ!」

 「どこにこんな音源が眠っていたんだ!」

 と驚くようなものがゾロゾロ出てくる。

 

 また、こういった音楽モノだけでなく、昔のアニメだとかドラマもまたしかり。僕たちの世代にとっては子供時代・青春時代に大好きだった世界とまた出会えて(それも殆ど無料で!簡単に!)、まさしく夢が叶った……という感じだ。 

 

★IN MY LIFE

 

 「でも」と思う。「だからなんだ?」と思う。夢が叶ったと言っても、自分で努力して何かを成し遂げたわけではないので達成感みたいなものもない。

 感激は一瞬のうちに過ぎ去って、それらは日常の一つに組み込まれてしまう。

 大好きであることに変わりはないのだが……いわば、ずっと恋愛していてやっと結婚できたら、えんえんと続く、余りエキサイティングとはいえない日常が待っていた……という感じだろうか。

 

 それも悪くない。

 

 365日ExaitingでSomething Newを求めていた時代とは違うのだ。

 僕はインターネットを通じて、自分を育ててくれた過去のお宝と一生付き合っていく。

 

  そう決めると何か新鮮な気持ちになった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011・9・25 SUN


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欲望いう名の電車に乗ったロンリー・ハーツ・クラブ・バンド

 

●テネシー・ウィリアムズとビートルズ

 

  「欲望という名の電車」。

 一度聞いたら忘れられない、強力なインパクトのタイトル。

 アメリカの 劇作家、テネシー・ウィリアムズの戯曲です。

 

 初演は1947年・ニューヨーク。

 第2次世界大戦が終って間もなくのこと。先週、この芝居を、かの大人計画の松尾スズキが演出した舞台を渋谷のパルコ劇場で見ました。

 ここのところ、割と口当たりのいい芝居や映画を観ることが多かったせいか、とてつもなく刺激的。劇薬と言ってもいい。

 一週間たった今日もまだ、口の中にたっぷりとその苦味が残っています。

 

 「欲望という名の電車」は名作として名高く「近代演劇の金字塔」と呼ばれていますが、僕がこの「金字塔」という言葉に初めて出会ったのは中学生の頃。

 ビートルズの 「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」というアルバムのジャケットに掛かっている帯に書かれてありました。

 

 

 「音楽世界から脱却したビートルズの金字塔。

 現実と幻想、主知と主情を見極めたポップ史上最大のトータルアート!」 

  

 このアルバムは、一般にビートルズの最高傑作とされています。

 僕はビートルズは基本的にいろんな寄せ集めアルバムばかり聞いているので、あまりピンと来ないのだけど、確かに「アルバム」としては演劇的で最も面白い。

 

●バーチャルワールドとしてのサージェント・ペパーズ

 

 このアルバム自体が架空のバンドであるサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドのショーになっています。

 つまり、今で言うバーチャルワールド。

 ここで展開される凝りに凝った音作りに対しては批判もあるが、こうした世界を1967年の時点で発想し、構築していたという事実こそ、一ロックバンドを超越し、世界史に永遠に名を残すであろうビートルズの偉大さだと思います。

 現在のロック・ポップミュージックの可能性はここから一気に広がりました。

 まさしく金字塔なのです。 

 

 一曲一曲ピックアップしていくと、そんなにピン立ちする曲はありません。

 しかし、最後に架空のバンドのアンコール曲として現われる「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」だけは別格。

 その前の12曲はすべて前座。

 アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」=ラストナンバー「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」なのです。

 

 この曲の衝撃度は未だ色あせないどころか、21世紀に入ってますます凄みを増しています。

 なぜか。それは僕たちがいま生きているこの社会が、どんどん、この「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」のイメージ世界に近づいてきた、いや、ほとん どそのものになっている、と感じるからです。 

 

 このレコードのライナーノーツ(解説:立川直樹)にはこんな文章があるので抜粋してみます。 

 

 ……“SGT PEPPER'S”は単に音楽界の大事件には終らなかった。

“SGT PEPPER'S”を、現代の孤独感とその恐怖をあらわしたものと感じ、来るべき新入生の説教のテーマにしようと考えた、スタンフォード大学の司祭長デイビー・ナビエ神父。

 ある精神学者は「ビートルズは実存主義的な方法で現実の不条理性を語っている」と解説し、別の精神医学者は「ビートルズの強烈なビートは、我々が子宮の静寂の中にいた時、母親の鼓動のたびに伝わってきたこだまを思い出させる」と分析した……。 

  

 まだロック、ポップミュージックが社会に十分浸透しておらず、ましてや一つの文化として見なされていなかった時代に、このように論評されています。

 いかのこのアルバムが、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」という曲の登場が社会的な大事件だったのか、ひしひしと伝わってきます。

 

●バブル時代の女

 

 ここで語られる「現代(1967年)の孤独感とその恐怖」は半世紀近くの時を経て、そのまま現代=2011年に繋がっています。

 「豊かさ」を獲得した先進国の人間。

 その豊かさの裏で肥大する孤独感・不安・恐怖。

 「欲望という名の電車」から「サージェント・ペパーズ」を想起したのは、それをありありと感じてしまったからです。 

 

 パルコ劇場で観た舞台は、原作の1940年代のニューオリンズからはるか遠くの、2011年の日本。

 秋山菜津子演じる主人公のブランチは、アメリカの没落貴族などではなく、高度経済成長やバブル経済時代を謳歌した世代の女(そして、きっと象徴的な意味では男も含まれる)。

 その妹夫婦であるスタンリーとステラは、その尻拭いをさせられている若い、子ども世代。

 彼らは徹底的にブランチの身にまとった虚飾を剥ぎ取り、丸裸にされたブランチは孤独と恐怖の中で凌辱され、無残に精神崩壊していく……

 こんな風に書くと、まったく救いがないのだけれど、実際、救いがない舞台なので、演劇に夢や希望などを求める人にはとてもオススメできません。

 秋山菜津子の演技は「素晴らしい」を通り越して「凄まじい」の一言。

 こんな演技を何週間にもわたってやっていて、本当に頭がおかしくなったりしないのだろうか、 と、マジ心配になりました。

 

●豊かさと引き換えの孤独感・不安・恐怖

 

 テネシー・ウィリアムズの原作では、スタンリーとステラ(妹夫婦)は、破滅の美学を表現するブランチと対照させた「粗野だが逞しい生云々…」と、割と肯定的に捉えられています。

 

 日本でもきっと文学座で杉村春子先生がブランチを演じていた時代には、こうした解釈は当てはまっていたのでしょう。

 しかし、時代のせいなのか、松尾スズキの演出のせいか、観ている自分の考え方のせいなのか、定かでないが、僕にはこの夫婦には、現代の暴力と退廃と閉塞感しか感じられませんでした。

 劇中で生まれた赤ん坊は、そのうちこの夫婦に虐待されて死んでしまうのではないか、と想像させられました。

 本当に救いがない。

 これ以上先、どこへも行けない。 

 

 誰もが「豊かさ」「快適さ」と引き換えに、孤独感と恐怖を抱えて生きてきた現代。

 大震災をきっかけに広がった「つながろう」の空気は、欲望という名の電車に乗って街から街を巡った末に、救いや希望を失ったロンリー・ハーツ・クラブ・バンドの人々の、変化を求める気持ちの表れなのかも知れません。

 

 


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