恐竜の唐揚げ

 

 映画「ジュラシックパーク」では人間が肉食恐竜のチラノサウルスやヴェロキラプトルに襲われ食われてしまうが、人間は日常的に恐竜を唐揚げや鍋物や焼き竜などにして食っている。

 そう、恐竜とはニワトリのことだ。

 

 近年はニワトリが恐竜の末裔だという説がメジャーとなり、実際にアメリカやチリの大学の研究者の間で「逆進化」の研究がされているらしい。

 

 これはニワトリを遺伝的に操作して、その遠い祖先の隔世遺伝的特徴を取り戻させて、恐竜に似た生物をつくり出そうとする研究で、すでにその気になれば実現できる段階まで来ているようだ。

 

 ちょっとにわかには信じがたい話だが、すでに最初の「ジュラシックパーク」が作られた頃からこの分野の研究は進められていたらしい。

 先日はのクローン犬ビジネスの話をしたが、遺伝子工学の進歩は、まさに「事実は小説より奇なり」の領域に達している。

 

 そういえばこの春、マイナビ農業の仕事で都内のある牧場に行ったとき、割とでかい雄鶏が放し飼いにされていて、そいつがしつこく嘴で攻撃を仕掛けてきた。

 ジーパンをはいていたので特にけがなどはしなかったが、半ズボンだったらふくらはぎのあたりをガシガシやられ血だらけになっていた可能性もある。

 

 後から思い返すと、前夜の夕食に鶏の唐揚げを食べていた。

 ぬぬ、もしや仲間の敵討ち?

 

 だったのかどうかはともかく、軍鶏みたいなケンカ屋じゃなくても、ニワトリのオスはなかなか凶暴で好戦的だ。

 そしてよく見ると、たしかに恐竜に似ている。

 脚がもう何倍か太かったらますます似ている。

 まさに「チキノザウルス」だ。

 

 僕を含め現代人は自分で鶏押さえつけてシメるという経験がないので、わりと怖い。

 あいつらが恐竜だと思うともっと怖い。

 もう怖くてチキンは食べられない。

 ――というのは大うそで、今日のお昼も恐竜の照り焼きを食べた。

 

 にしても何らかのインセンティブが働いて倫理的問題が氷解すれば、そう遠くない将来、チキノザウルスが歩き回るジュラシックパークが生まれるかもしれない。

 


永福町のジビエ料理

  

 灯台下暗し。

 近所の永福町北口商店街をゆっくり歩くと、いつの間にか新しいお店がいくつか出来ていた。

 

 その一つがジビエ料理のバー。

 小さなお店だが、イノシシ、シカ、ワニ、カンガルー、ダチョウなどの料理を食べさせてくれるという。

 

 試しにホームページを覗いてみたら、オープンしてもう1年以上経つ。

情報に疎いので全然知らんかった。

アップされている記事によると、あのでっかいダチョウの卵は白身の部分が多いそうで、オムレツが白く見える。

 

 じつは僕は上記動物の肉はダチョウを除いてどれも食べたことがある。

 で、正直、どれにもあまり良い印象は持っていない。

 その時の料理の問題かとも思うので、再チャレンジしてみたいが、何か強いインセンティブがないと行かないだろうなぁ。

 

 それにしても永福町にもどんどんユニークな店が増えてきて面白い。

 そのうちグルメの街と呼ばれるようになるかも。

 


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ちょっとイカれたサブカルチャーの聖域シモキタ

 

 とくに用事があったわけではないけど、お天気が良かったので午後から自転車でぶらっと下北沢へ。

 到着すると駅の方から何やら聴きなれたフレーズが生音で響いてくる。

 お、これはCreamの「Sunshine Of Your Love」ではないか!

 

 出所は駅前広場(しもきたスクエア)。

 英国フェスでLiveと食い物の出店が10軒ほど。

 ライブは複数のバンドが60'S~80'Sのブリティシュロックのカバーをやっ

ている。

 Creamのカバーバンドは上手い! ギターは本家エリック・クラプトン並みだ。

 この広場は再開発予定地で、いずれ駅ビルが建つらしい。

 

 下北沢には東京に来た40年前からずっと通っていて、昔は芝居やライブを見たり、飲んだり食ったり古着を買ったりよくしていたが、ここ10年くらいはカミさんと年に1~2度買い物に来る程度。

 

 一人で来たのは久しぶりだったので2時間ばかりブラブラ歩いて一回りした。

 程よい高揚感と安心感、不思議な居心地の良さは40年前から変わっておらず、狭い道をうじゃうじゃ歩いている人たちを見るだけで面白い。

 

 昔の自分と同じ若い衆の人口密度も高いし、僕と同じ旧・若い衆も負けず劣らず多い。そこに外国人も混じってブレンド具合が絶妙だ。

 

 学生時代よく行った店が立ち退きで閉店になっていたりして寂しい部分もあったが、その代り表通りにも裏通りにも、ポップだったりパンクだったりシブかったりする新しい店もたくさんできてにぎやかだ。

  

 裏通りの「こはぜ珈琲」という小さなカフェに入った。

 コーヒー何と200円。もちろんセルフだが小さな店内にはジャズが流れて

いて、入り切らないお客は表のイスでコーヒーを飲んでいる。

 寒い人用にブランケットも用意されていて、とてもあったかい空気だ。

 トイレも狭いが飾りつけがお洒落で楽しく、シモキタっぽい。

 トイレが楽しい店は良い店だ。

 

 ブラつくだけで面白いシモキタ。

 やっぱりいい。用事がなくてもまた来よう。

 

 再開発されるとキレイでオシャレになる代わりに、漂白剤と脱臭剤をふりかけられ、クセもアクも匂いも消えてつまんない街になるパターンが多いけど、シモキタにはずーっと、ちょっとイカれたサブカルチャーの聖域であってほしい。

 


キノコ愛

 

 山中に自生しているキノコにはどこか神秘的な雰囲気がある。

 「かわいい」とか「すてき」とか「妖精みたい」とか言って偏愛している人も少なくないようだ。

 

 僕は生まれてこの方、一度もキノコ狩りには出かけたことがないのだが、子どもの頃にはよく「キノコ狩りごっこ」というのをやった。

 

 これは家の中でも公園などの屋外でもできる。

 友達とみんなでキノコ狩り(というバーチャル)に行くのだが、そこで生え

ているキノコを採って食べのだが、その中には毒キノコが混じっている。いわばくじ引きなのだが、それにあたると笑いが止まらなくなったり、狂ってしまったり、怪物に変身してしまったりするのだ。

 

 その当時のマンガとか映画とかテレビの影響が大きかったと思うが、子ども心にキノコは危険でサイケな魅力に満ちていた。

 そのくせ実際に食べるのは嫌いだったけど。

 

 また、若い頃はドラッグカルチャーの影響の一環で、バリ島(だったかな

?)のマジックマッシュルームでトリップすることに憧れた。

 これも今のところ実現させていない。

 

 長じてそんなオカルティック、ファンタジック、サイケデリックな雰囲気をまとっていたキノコは今やわが家の常食になった。

 何と言っても養殖技術が進歩したせいで、年中、低価格で安定供給されるのもポイント高い。

 シイタケ、シメジ、エノキ、マイタケ、エリンギ、マッシュルーム・・

いつの間にかどれも好物になり、最近はほとんど切らしたことはなく、干しシイタケをはじめ、冷蔵庫の中には必ずどれかのキノコが入っている。

 

 スープ、シチュー、カレー、炒めもの、煮物、汁物・・・どんな料理にも合うので構わずぶち込む。

 すると味も風味もぐんと豊かになる。

 

 栄養面のことはよくわからないが、健康にいいと言うことで、定期的にテレビで紹介されたりすると、スーパーの店頭から消え失せることがある。

 

 静岡の天竜川界隈で3度、採れたてのシイタケを戴いたことがあるが、マツタケなど及びもつかないその感動的なおいしさが今でも記憶に蘇る。

 大人の休日にはキノコ狩りに行くべきかも知れないなぁ・・・と近頃よく思う。

 


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幻想やストーリーでおいしくなる日本食

 

★寿司職人いまむかし

 

 だいぶ前にホリエモンが「寿司職人が何年も修行するのはアホ」とSNS上で発言したことがあった。

 長大な時間を修行に費やす職人の世界の常識に大胆なメスを入れ、現代の若者はそんな旧弊に従って貴重な時間を無駄使いするべきでないという趣旨の意見だったが、当然のことながら大炎上した。

 

 僕も若い頃、これと通底する話を聞いたことがある。

 勤めていたロンドンの日本食レストランには寿司もメニューにあり、職人さんがカウンターで寿司を握っていた。

 ブームだったこともあり寿司をやってみたいと言う若い外国人(日本人以外という意)も訪ねてきたが、店はけっして門戸を開かなかった。

 「白人でも黒人でもアジア人でも、外国人が寿司を握るなんておかしい。ああいう人たちの手で出されたら食べる気しないでしょ。日本人が握るからおいしいんだよ」というのが店だか会社だかの論理だった。

 

 同じことは女性にも適用された。

 「寿司っていうのは繊細なものでね、ちょっとした指の熱の違いで魚の味が悪くなるんだよ。女は体温が高いからダメなんだ」という話をまことしやかに語って聞かせる人もいた。

 

 確かにその頃(30年以上前)は女の寿司職人も外国人の寿司職人も見たことなかったので「そうか、そういうことなんだ」と思った。

 

 現代ではもちろん「そんなもん」はまかり通らない。

 6月にロンドンに行ったときは、駅の構内をはじめ、街中のあちこちに「SUSHI SHOP」が溢れていてびっくりした。

 

 今やロンドンで寿司はサンドイッチやハンバーガーと同じファーストフード。しかもおいしくヘルシーだというので、他のものより高くても飛ぶように売れる。

 そこで働いているのは日本人以外の人たちであり、男女の区別もない。もちろん彼ら・彼女らがその場で握っているわけではないけど、そんな環境の中で「寿司職人は日本人の男でなきゃ」というかつての確固とした常識は微塵も感じられない。

 

★幻想・ストーリーは大いなる調味料

 

 日本国内でも冒頭のホリエモン発言を裏付けるかのように、専門学校で3か月ほど勉強しただけの職人さんが店を開き、1年たたないうちにミシュラン認定の一流店に選ばれた。

 「師匠のもとで10年修行しなくては一人前になれない」という常識は、情報伝達手段が限られていた時代の幻想だったことが判明した。

 

 僕もホリエモンの合理性に基づいた意見は正しいし、若者を閉じられた世界の旧弊から解放することは必要だと思う。

 しかし一方でそうした幻想なりストーリーなりが日本の食文化を育ててきたし、これからも育てていくのではないかとも思う。

 

 寿司に限らず、日本食は実際に説明できることだけでなく、何割か――もしかしたら半分近くは、作る側・食べる側、双方で共有する幻想・ストーリーに負っている。

 つまりその食材やら調理法やら調理者の経歴・人柄、あるいは人間関係などの情報が「調味料」となっているのである。

 

 食材や調理法について数多くの情報がオープンされている現代では、前もってその店や職人に関する知識がなければ、名店の職人の寿司も、無名の見習い職人の寿司が握る寿司も、味にそう変わりないのではないだろうか。

 

 そこに経済が絡むのなら、こっちの方が高いからこっちがおいしいとか(僕もこれだけお金を払ったのだから、おいしくないはずがないと思い込んで食べることがある)、逆に味が変わらなければ安い方がおいしく感じるといいったこともあるだろう。

 

 食について評価する人だって、そうした情報が重要だ。

 ただ「おいしい」というだけでは話にならないから、どうしてそう感じるのかを裏付けるための情報を得て理屈をひねり出さなくてはいけない。

 

 貧しさから脱するために子供の頃から丁稚奉公し、師匠や先輩に怒鳴られたり、時には殴られたりしながらも歯を食いしばって修行にはげみ技術を習得した――といったストーリーが作る人にあれば、その物語がこの一皿に凝縮されている、といった感じで美しく評論できる。

 

 外国の場合はどうか知らない。中国・フランス・イタリアなど、世界に冠たる食大国にはきっとそうした部分があると思う。

 でも日本ほどではない、たぶん。日本人とは食についてそうしたストーリー・幻想を求める人たちなのだ。

 

★脳で食を楽しむ以上、幻想はエネルギー

 

 そういえば以前、都内のある有名料理店の料理長に取材したときに印象深い話を聞いた。

 

 当時60代で、東北の田舎で育った彼は子供の頃、母がかまどを使って日々の食事を作ってくれたという思い出話を語ったあと、

 「僕たち料理人の料理は、いわば芸人の芸みたいなもの。みんな芸に拍手してお金を払ってくれる。でも本当の料理という点では母にはかなわない。一生修行しても追いつけない」

 

 これは功成り名を遂げ気持ちに余裕のできた人特有の感傷だな、と僕は思った。

 彼の語る話を幻想だと言って嗤うのは簡単だ。

 しかし食欲という原初的な欲望を、食という生きていくのに不可欠な営みを、文化の領域まで昇華させるということは結局こういうことではないか。

 人間が舌だけでなく脳で食を楽しむ生き物である以上、幻想はエネルギーになるのだ。

 


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なんで肉じゃがはお母さん食堂のメニューにないのか?についての探索と考察:あやうしおふくろの味編

 

 ファミマのサイトには「お母さん食堂」におふくろの味の定番・肉じゃがが載ってない。

 動揺した僕は別に肉じゃがのファンでもなく、急に食べたくなったわけでもないのに、どうしても気になって近所のファミマの実店舗に行ってみた。

 

 入口には母ちゃん姿の香取信吾。

 しんごママが流行っていたのはもうずいぶん昔の話。SMAPの絶頂期だったが、彼の残した実績は生き続け、今回見事こうした形で復活した。割烹着がまたよく似合っててすごくいい。

 

 中に入るとキャンペーン中だけあって売り場も目立つ。ファミマの力の入れようが伝わってくる。

 

 しかし、その棚を上から順番に見て行って、チーズインハンバーグやらビーフカレーやらサバの味噌煮やらボルシチやら筑前煮やら里芋の煮物やらポテトサラダやらきんぴらごぼうやら・・・実にいろいろ揃っているのにない。

 肉じゃがはやっぱりない。

 

 諦めきれずに向かいの棚でパンの品出しをしていた店員のおねーさん、というか香取信吾より齢いってるお母さん風情の女性に尋ねてみる。

 

 「あの~、お母さん食堂に肉じゃがないんですか?」

 「肉じゃが?どれどれ・・・ああほんとだ、いま品切れしてるみたいですね」

 「え? ということはたまたま現在売り切れてるだけで普段はあるってこと?」

 「ええ、すみません。夕方また品物が来ますから」

 「ちょっと待って。それ本当?サイトには載ってなかったんだけど」

 「へ? いや記憶にあるよ。確かあったと思ったんだけどなー。

 あ、あれはセブンイレブンだったっけかな?」

 

 と、ライバル店の名前をボロッと出して、かなりあやふやな返事。

 

 これ以上問答してても埒が明かないなーと思ってファミマを後にし、こんどはセブンイレブンへ。

 

 こちらはお母さん食堂の一歩先を行くご存じ「セブンプレミアム」でファンが倍増状況。

 で、そのセブンプレミアムの並びをざーっと見ていくと・・・あったあった、ありました。

 ファミマ店員のおねーさんが見た憶えていたのは、やっぱりこちら。セブンプレミアム北海道の男爵肉じゃがです。

 

 そうか、セブンイレブンはやっているのにファミマはやっていないんだ。「お母さん食堂」と銘打っているのになんでなんでなんで?

 

 疑問を拭い切れず、ついに思い余ってファミマのお客様相談室に電話をかけてしまった。3回呼び出した後に女性の声。

 

 「はい、お電話ありがとうございます。ファミリーマートお客様相談室の○○でございます」

 「もしもし、福嶋と申しますが、お母さん食堂のメニューについて伺いたいことがあってお電話したんですが」

 「はい、ありがとうございます。どんなご用件でしょうか?」

 

 ・・・てな具合でなんでメニューにおふくろの味の代表選手である肉じゃががないのかと聞くと、サイトには載ってませんねーとピンぼけたお返事。

 

 「サイトでもお店でも見当たらないから電話して聞いてるんです。いったいあのラインナップはどういう基準で決められているのか知りたいんですが」

 「わかりました~。では商品企画室に問い合わせてみます。お客様のお名前とご連絡先を教えていただけますか」

 

 てな具合で電話番号を教えていったん切って他のことをやってると8分後に電話が鳴った。

 

 「問い合わせたところ、肉じゃがは出してないし今後も出す予定はないそうです」

 

 思わずセブンイレブンにはあるぞと言いたくなったが、そこはぐっとこらえて

 「そうですか。お忙しいところお手間をかけてすみませんでした」

 「いえいえ、また何かござまいましたらお気軽にお問い合わせください」

 

 てなわけでラインナップはどういう基準で決められているのかという話は忘れ去られていた。

 これはお客様相談室ではダメだ。

 何とか本社の商品企画室にダイレクトに取材を申し込まねばと思ったが、「日本のおふくろの味の変遷」だとか「和食大研究」とか「コンビニ惣菜の栄枯盛衰」とか、本でもサイトでもいいので何かそういう企画をやっているという大義名分がなくては乗り込めない。

 

 今のところ、仕事で頼まれてもいないし、自主企画でさすがにそこまでやる時間も情熱も持ち合わせてないので、今回はここで打ち切りにした。

 

 しかし、僕はある大きな変化に気付いた。

 やはり「おふくろの味=肉じゃが」という概念は間違いなく大きく揺らいでいる。

 なんといっても.ボルシチやエビチリがお母さん食堂にラインアップされる時代だ。

 そういえば僕だっておふくろに作ってもらったのはハンバーグだとかカレーだとかトンカツだもんな。

 若い連中にとっては肉じゃがなんて限りなく存在感の薄い小鉢料理の認識しかないのかもしれない。

 もはや肉じゃがは「古き良き日本の郷愁を誘うファンタジー料理」としてすら生き残るのが難しい時代に入っているのかも知れない。

 

 平成の終焉に向けて日本の文化は地殻変動を起こしている。

 そう感じられたのが、今回の収穫と言えば収穫かなぁ。

 

 これについてはまたの機会に考察を重ねたいと思っている。

 


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肉じゃがは幻想のおふくろの味

 お読みの女性の方、ダンナやカレ氏に「肉じゃが作ってちゃぶだい」と頼まれたことがありますか?

 

 僕はおふくろもカミさんも肉じゃがが嫌いなので家で食べたことはほとんどありません。(おふくろの場合は子供の頃、作ったことがあるかもしれないけど思い出せない)

 

 カミさんの場合は自信を持って「一度もない」と言い切れます。

 聞いたら「ジャガイモが半分煮崩れて汁や他の具材と混ざっているのが嫌」なのだそうです。

 なかなか神経が細やかな女性です。

 いずれにしても、自分が嫌いなものだから作るはずがない。

 

 と言って別に文句を言っているわけではありません。

 僕もカレーのジャガイモやポテサラやフライドポテト、コロッケその他、ジャガイモ料理は大好きですが「おれは肉じゃがが食べた~い!と叫んだことはありません。

 

 サトイモの煮っ転がしは好きだけど、あの甘い醤油の汁はじゃがいもには合わないと思っています。

 

 思うに肉じゃがは日本が近代化して間もない貧しい時代、そして庶民も月に一度くらいは肉を食べられるようになった時代――明治とか大正に庶民の食卓で発展したおかずだろうと思われます。

 

 一家のお母ちゃんがかまどの前に立ち、家族みんなで食べるには少なすぎる肉をどうやって食べようと思案した挙句、そうだ、あのすき焼きのような(当時は肉を使ったごちそうといえばすき焼きをおいて右に出る料理はなかった)味のものにしよう、安い野菜と合わせて煮るんだ。そうだジャガイモがいい。ジャガイモを主役にすればお腹もいっぱいになるし、それにあまりものの玉ねぎやニンジンを入れて煮込めば・・・はい、出来上がり!

 という感じでお母ちゃんが工夫を凝らして生まれた料理が肉じゃがです。

 これがデン!と鉢に盛られて食卓の真ん中に置かれる。

 ほかほかと立つ湯気と匂いが食欲をそそる。

 「いただきまーす1」と10人もいるような大家族が一斉に競いあって食べる。

 「こらノブオ!肉ばっか選って食べるじゃない!」と、母ちゃんの優しく暖かい怒声が飛ぶ。

 他におかずと言えば漬物くらいしかないけど肉は食えるし、ジャガイモでお腹はいっぱいになるし、今夜の家族は幸せだ。

 

 そんな時代が長く続き、肉じゃがは不動の「おふくろの味」となったわけです。

 

 というわけですが、男性の方はカミさんやカノジョに「肉じゃが作ってちゃぶだい」と頼んだことがありますか?

 

 いまだに肉じゃがは「おふくろの味」の定冠詞を被っていますが、豊かになっちゃったこの時代、この料理をそんなに好きな人は大勢いるのだろうか?

 街の中の定食屋に入っても「肉じゃが定食」なんてお目にかかったことないもんなぁ。

 そもそももはやメインディッシュとなり得ない。食べるとしても副菜というか小鉢でつまむ程度。

 

 けれども副菜だろうが小鉢だろうが、ばあちゃんもおふくろもカミさんも誰も作らなくなっても、古き貧しき日本の郷愁を感じさせる肉じゃがは不滅なのだと思います。

 これから先は明治・大正・昭和のストーリーを背負ったファンタジー料理としてその命脈を保っていくでしょう。

 

 ・・・と思っていたけど、香取信吾がコマーシャルやってるファミマの「お母さん食堂」のメニューにはポテトサラダはあっても肉じゃがは入ってないぞ! 危うし肉じゃが。この続きはまた明日。

 


慢性硬膜下血腫 退院後の生活

 

 先週の退院以来、お盆を待たず、半ひきこもり状態で過ごしてます。

家事をやったり、パソコン内の整理をしたり、レギュラーワークをぼちぼちやっていますが、基本的にはクーラーの部屋でゴロゴロしてます。

 

 慢性的な睡眠不足と疲労が溜まっていて、どこかでしばらくゴロゴロするような休みを取りたいなぁ・・・という心の声を聴いて、脳が「よっしゃ、そしたら休ませたるわい」と疾患が出たのかなぁ・・・とも思ったりして。

 

 1週間、病院食(割とおいしかった)を食べていたせいか(割と好きだった)刺激物や油ものに食指が動かなくて、野菜と大豆ものを欲するとか、身体の変化も感じます。

 あんまり動いてないから当たりまえだけど、食べる量も減ってます。

これまではストレス食いしていた部分もあったのかも知れません。

 

 入院以来、毎日たっぷり寝て、身体にべちゃっとまつわりついていた疲労感が抜けたようです。

ただ、あんまりゴロゴロしていると現場復帰できなくなってしまうので、今週から少しずつ動き出しますよ。

 


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スーパーマーケット偏愛シンドローム

 

 時々、自分はスーパーフェチなのではないかと思うことがあります。

 スーパーマーケットが好き。というか、その空気の中にドブンと丸ごと漬かりたいという欲求に時々襲われるのです。

 

 今日も午前中仕事して、昼に出かけて5ヶ月ぶりに会った友だちと昼飯を食って、帰ってきて疲れて昼寝していたら早や夕暮れ時。

 ベランダの洗濯物を取り込んで、ちょっと涼しくなった外の風に触れたら、急にその欲求に襲われました。

 

 というわけで冷蔵庫の在庫を確認し、リュックを担いで近所のスーパーマーケットへ。

 近所と言っても3番目くらいに近い所で、5分ほど自転車に乗って出掛けます。

 この5分間、ちょっと涼しくなった空気と、ちょっと金色っぽい西日の光を全身に感じられれるのがいい。

 

 着いてみるとスーパーの中は赤ん坊からお年寄りまでいろんな人たちが、今晩は何を食べようか、明日の分も買っておこうか、予算はいくらだと、あれこれ考えながら、あるいは話し合いつつ買い物に興じています。

 

 普段は昼間に行くことが多いので空いていますが、今日は時刻も時刻で、ちょっと混雑していてレジにもカゴをぶら下がたり、カートを押す人たちの列が。

 この混み具体がまたなかなかいい味出しててて、胸をワクワクさせます。

 

 初夏の良く晴れた日曜日の夕方のスーパーです。

 家族そろってきている人たちもたくさんいます。

 

 こっちの子どもは何がうれしいのか声を上げてはしゃぎ回り、そっちの子どもは試食のハシゴで走り回り、あっちの子どもはなぜだか怒って大泣きしている。

 

 怒り出すお母さん、困った顔したお父さん、すましてマイペースでのんびり品定めをするお年寄り、値段を見て長考する人もいれば、あせあせと小走りでかごの中に品物を放り込んでいく人もいます。

 

 働いているスタッフもお店にいる時間はスーパーの人だけど、勤務時間以外はもちろん自分の生活を持っていて、家族のこと、子供のこと、お金のこと、自分がかつて持っていて諦めきれない夢のこと・・・いろんなことで悩んだり、失望したり、希望を持ち直したりしています。

 作業の合間やお客とのちょっとしたやりとりの中で、そうしたものが垣間見えたりするのも面白い。

 当たり前だけど、彼ら・彼女らはけっして働くだけの人ではなく、今日も一生懸命、この世の中の不条理と闘いながら(でもあんまり頑張ると疲れちゃうので時々は空気を抜きながら)生きている、すてきな人間です。

 

 なんといえばいいのか、たまにそんなことを考えつつスーパーをうろつき回っていると、とても人間が愛おしくなって、からだの芯があったまってきて、脳みそが妄想で膨れ上がって、お店ごと抱きしめたくなるのです。

 

 というわけで買ったレタス、トマトやキャベツ、タマネギ、ジャガイモ、サカナ、牛乳、ヨーグルト、パン、ドレッシング、ぶどうなどをリュックにぶち込んで家路に向かうと夕焼けがきれいでした。

 いつかスーパーマーケットを舞台にした面白くて泣ける話を書きたいなぁ。

 


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豊橋ウズラはキャラ弁の名優

 

 昨日は全国のウズラ生産量日本一(シェアの7割を占める)の豊橋で、ウズラ卵の流通出荷センターを取材しました。

 

 豊橋がどうしてそこまでの一大産地になったのかはさまざまな理由があります。

 表向きには気候が温暖で育てやすいとか、他の家畜や家禽の飼育に使う施設や、糞などの処理システムが昔からあった・・・というもっともらしい表向きの理由はあるのですが、やっぱり面白いのは裏事情。

 

 今を去る70年以上昔、戦後の混乱期、闇市に卵を売り出して大もうけした人たちが何人かいたようです。

 近隣の名古屋はもちろん、日本の真中という地の利を生かして、東京や大阪にも。

 その情報をGetした人たちが「よっしゃ、わしもウズラ屋になったるで」と、豊橋にやってきて、かの地はウズラの聖地となった・・・という、まことしやかな伝説が現地では語り継がれているようです。

 もちろん、そんなヤミヤミな話は、資料だの記録だのが残っているわけではないので、表には出てきませんが。

 

 というわけで、ここでは生卵とゆで卵をあわせて1日30万個出荷。

 ころころしたチビタマゴが次から次へところがってくる様子はめちゃくちゃかわいいです。

 が、単に鶏の卵のミニサイズ版でしかないウズラの卵に、本当にそんなに需要があるのだろうか?

 と疑問に思っていましたが、なんと最近はすごいニーズが。

 

 お料理作り・お弁当作りの得意な人はもうピーンときたでしょう。

 ネットで調べてみたら出るわ出るわ、いまやウズラ卵は、ヒヨコ、パンダ、ウサギ、カエル、オバケ、サンリオキャラクターなど、お弁当箱の中で変幻自在な姿で登場するキャラ弁の名俳優。

 また小さい割に栄養価も非常に高いということで 特に子供の遠足や運動会のシーズンは売り上げが跳ね上がるのだそうです。

 

 常食の食材とは言えないにせよ、そうしたいわゆる嗜好品食材としての価値はとても高いようで、近年は普通のゆで卵だと喉に詰まらせる恐れがある・・・という理由から高齢者用の食事やお弁当にも重宝されているようです。

 

 ちなみに卵だけでなく、肉はどうなのか?

 

 僕の場合、ウズラというと思い出すのが「ウズラは処女の味、鴨は熟女の味」という、美食アカデミー主宰・鹿賀丈史(テレビ番組・料理の鉄人)のセリフです。

 

 フランス料理では鴨と並んで、ウズラはジビエの定番ですが、日本のフランス料理店で出されるウズラ肉はほとんどがかの国からの輸入品。

 

 そこに目をつけ、国内産のフレッシュなウズラ肉を提供しようと、それまで卵ばかりだった豊橋のウズラ農家で「肉」に特化した大型のウズラを開発。

 

 そのブランド「三河山吹ウズラ」は大好評で、全国の飲食店から年2万羽を超す注文を受けていたのですが、今年1月、その社長がわずか40過ぎの若さで急逝。

 今後のウズラ肉はどうなるのか?

 現状はまだ不明のようです。

 

 いずれにしても、わが郷土・愛知のウズラ産業、ぜひとも応援したいものです。

 


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カフカのワイン

 本日は名古屋から滋賀の取材を3軒こなしました。

 東近江市にあるヒトミワイナリーは知る人ぞ知る「にごりワイン」の製造元。

 

 醸造家は皆、20代から30代の若者で、収穫したぶどうの個性をとにかく重視し、同じ銘柄で味にばらつきが出ても「自然のもだからしゃーない」と、かまわず作っちゃう。

 あまりにばらつきが過ぎるということなら、その場でプランを変更して新しい銘柄にしちゃうという、自由でおおらかな姿勢でワイン作りを楽しんでいます。

 

 ここの名前を一躍有名にした「にごりワイン」もそうした自由な精神の産物と言えるでしょう。

 ラベルデザインも醸造家が自分たちの手でやっちゃうし、ボトリングもスタッフが総がかりで手作りで行うそうです。

 

 そこで気になったのが虫のイラストが描かれた「カフカ」というワイン。

 ラベルの裏にある解説ストーリーを読むと

 

 自然なワイン造りは「可or不可」という問いかけと、その中で繰り広げられるワインの「変身=フランツ・カフカ」をコラージュさせています。

 

 こういう遊び心、大好きです。

 


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江戸東京野菜・川口エンドウ試食会

   

    マイナビ農業の取材。

 今が旬の川口エンドウの試食会で八王子へ。

 

 八王子特産で赤紫色の美しい花を咲かせる川口エンドウは、1年のうち、この初夏の季節の3週間ほどしか味わえないそうです。

 

 多摩八王子研究会の福島さんが、昭和30年代から40年代初めごろにかけて、地元の野菜として農協がものすごく力を入れ生産・出荷していた時代があったんだよ~っていうストーリーも発掘してきました。

 

 当時の八王子のライフスタイルが垣間見える「豌豆小唄」も作られていて、この川口エンドウを肴に一杯やりたくなる名調子です。

 

 僕が参加したのは昼の部でしたが、もしかして夜の部では歌ったのかな?

 

 日本絹サヤやスナックエンドウなど、他のエンドウとの食べ比べをやって、お料理もいただきました。

 エンドウを主役にした料理は、もしかして生まれて初めて。

 

 特にこの豚肉で巻いた揚げ物。

 口に入れると、エンドウの甘味がふわっと広がり絶品でした。

 


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長野・伊那谷で昆虫を食べる

 

 「大昆蟲食博」。

 長野県・伊那市の伊那市創造館で開かれている企画展をマイナビ農業で取材。

 日本でも、世界でも、こんなにいろんな虫を食べていたとは!

 世界観が変わりました。

 

 国連食糧農業機関(FAO)が2013年、「食用昆虫 食品と飼料の安全に関する将来展望」という報告書を発表して以来、全世界的に「昆虫を食べよう!」というムーブメントが広がっているそうです。

 

 世界各地の人口が増加する中、タンパク源としての家畜が足りなくなることから、代わりに栄養価の高い昆虫を食べることが推奨されているからです。

 

 というわけで、昔からイナゴ、ザザ虫、ハチの子、蚕のサナギと、昆虫食の伝統文化を持つ伊那市でも昨年12月2日からこの連休、5月7日まで企画展が開催されました。

 

 チラシの裏面に「オール昆虫食大進撃」という怪獣映画みたいなキャッチコピーが踊り、あたかも怪獣のごとく載っている虫たちのUP写真があまりに強烈(掲載しないので興味のある人は検索して見てください)なので、ちょっとビビっていましたが、いざ足を踏み入れれば大丈夫。

 

 伊那谷の昆虫食には、それぞれ食文化としての背景があり、ちゃんと経済・産業に繋がっていたから現代まで残っているのだそうです。

 

 特に蚕のサナギ食の話は驚愕と感動。

 かつて日本でも盛んだった養蚕業は、ただ生糸の生産だけだったんじゃないんですね。

サナギを絞って油を取ったり、殻を漢方薬にしたり、糞を歯磨き粉や食品添加物(天然色素)に使ったりと、まさに捨てるところなしの大循環産業だったんです。

 

 その他、館長自らタイやカンボジアのタランチュラ、サソリ、タガメ、コオロギなどの料理に挑戦した食レポも秀逸でした。

 

 この大昆蟲食博、創造館始まって以来の大人気企画となり、東京・名古屋・大阪などからも多数の来場者があったとのこと。

 

 じつは僕も昼に入った日本食店で、ザザ虫にトライ。

 郷に入っては郷に従えで、口に入れるのは抵抗なかったけど・・・・

 なんだかカタクチイワシの煮干しをそのまま食べている感じでビミョーなお味。

 酒の肴として食べれば美味しいのかも。

 


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フツーのおにぎりでも日本のコメなら800円!?

 

 外国人相手にお米のセミナーをやった時、おにぎりを作らせたら「わたしも日本食が作れた!」と大喜び。

 

 という話を、以前、原宿で米屋をやっている小池さんから聞きました。

 

 日本食と言えば、すき焼き、天ぷら、寿司、刺身しか出てこなかったのは、はるか昔の話で、いまやおにぎりだって日本食の代表選手。

 

 シンガポールあたりではお洒落な中食として、レギュラーサイズの2個セットが800円くらいの値段で売られているそうです。

 

 もちろん、これはお米も具材もメイドインジャパンに限ってのこと。

 

 昨日のマイナビ農業主催の「NEXT AGRI PROJECT2018」で講演したJTBの人の話では、それだけ日本食、日本の食材にはブランド価値があるのだそうです。

 

 それを捉えて、JTBでは海外に日本の農産物を紹介・提供するサポートをしたり、日本にvisitする外国人に農業体験をしてもらうツアーを企画するなど、「食農×観光」をテーマにした仕組みづくりに取り組んでいるそうです。

 

 アジア圏の人たちにとって桜アリ紅葉アリ雪景色アリの日本の四季は憧れの的であるとともに、シンガポールなどの、いわゆる田舎のない国では、田んぼや畑のある美しい里山の景色自体が十分観光価値のあるものだとか。

 

 ましてやそれが美味しい日本食と結ぶついているのなら、その価値は数倍に跳ね上がるのでしょう。

 

 僕たちにとっての当たり前の食、見慣れた景色は、じつは貴重な宝物なんですね。

 


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植物のいのちは人間・動物より高次元にある

 

 食育などでは肉も魚も野菜も、いのちをいただくのよと、子供に教えている。

 それは正論だけど、僕は動物のいのちと植物のいのちはちょっと違うものなのではないかと考える。

 

 僕は子供の頃、肉が食べられなかった。

 ハムやソーセージなどの加工肉はいいが、そのままの豚や牛や鶏の肉は全然ダメで口にできない。

 煮物や炒め物などに入っているといつも避けていた。

 

 当時の大人はまだ肉食文化のアメリカに負けたという敗戦コンプレックスが強烈に残っていて、こっちも肉を食ってリベンジしたいという思いが潜在的にあった。

 そこに肉を食べない豆腐小僧みたいな男児がいると、あからさまに腹を立てた。

 別居うなんかできなくたって、ガツガツ肉を食う元気な男児がよしとされたのだ。

 というわけで毎日、給食の時間は絶望的な気分になっていた。

 

 一方、家では母親が、僕が肉を食えないことに対して「連想するんでしょ」と言っていた。つまり肉片から牛や豚や鶏のまんまの姿を思い描いてしまい、それで食えないというのだ。

 

 その時はそんなことはないよと思っていたけど、今考えると母は正しかったのかも知れない。

 哺乳類でも鳥類でも、肉を食べるということは、同族とか仲間とは言わないまでも、かなり自分に近い存在を殺して食べるということ。

 人間のいのちと動物のいのちは、ほぼ同じレベルに属するのだ。

 なので食べるには抵抗感がある。

 もしかしたら抵抗感を感じるということが、人間と動物の違いであるとも言える。

 

 でも植物はちがう。

 人間や動物より下等なのではない。逆だ。

 植物のいのちはより上等、高次元にあるのではないか。

 

 天上と地上の間、神さま(的な存在)と動物の間にあると言えるかもしれない。

 あるいは地球という大地と、そこで活動するすべての動物との媒介者と言ってもいいかの知れない。

 

 植物は惜しげもなく「恵み」として自分の身を与え、生命活動の成果物を与える。

 だから人間も感謝しこそすれ、その恵みを受け取ることに抵抗は感じない。

 草食動物はもとより、それを食べる肉食動物も、そして人間も、食物連鎖の基盤であり、神さまにより近いいのちを持つ植物に生かされているのかも知れない。

 


東京唯一のブランド和牛・秋川牛と、むかしみらいTOKYO

 

 連荘で農業取材。

 26日(月)は秋川渓谷と美しい山並みが望めるあきる野市に出向き、秋川牛とご対面。出荷前・生後30ヵ月の黒毛和牛の体重は800キロ。でかっ。

 

 東京で唯一の肉牛生産牧場・竹内牧場では約200頭の秋川牛を飼育しています。

 このあたりは、日本各地の有名なブランド牛の産地に負けず劣らず、水も空気もきれいで豊かな環境なので、牛をはじめ、豚・鶏などを育てるには持ってこいとのこと。

 

 秋川牛は希少価値のある高価なお肉ですが、都内のホテル・レストラン・料理店なので口にするチャンスがあるかも。

 

 一方、武蔵五日市駅にほど近い松村精肉店は、地元で生産されるこの秋川牛の認知度を上げたいと、手軽に味わえる加工品としてレトルトカレーなど製作しています。

 オリンピックもあることだし、東京の名産品をアピールしていこうとブランド力UPに奮闘中です。

 

 昨日ご紹介した磯沼牧場+多摩八王子江戸東京野菜研究会でも聞きましたが、これら多摩・八王子地域の環境はこの20年ほどで劇的に改善され、川には清流が戻り、アユなども戻ってきているとか。

 

 今や都心で働く人たちのベッドタウンというイメージから脱却し、豊かな自然が楽しめ、農業も盛んな地域としてのイメージが高まっています。

 

 いつまでも「東京は緑が少ないから云々」なんて、手垢のつきまくったステレオタイプのセリフをほざいていると時代に取り残されますよ。

 

 テクノロジーとパラレルで進行する昔ながらの環境とライフスタイルへの回帰。

 「むかしみらい東京」がもう始まっているのかも知れません。

 


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楽しさ・学び・癒し満載の八王子・磯沼牧場

 

 東京にこんな素晴らしい牧場があったのか!

 噂には聞いていたけど、なかなかタイミングが合わずに来そびれていた磯沼牧場(磯沼ミルクファーム)に25日・日曜日、初めて来場。

 

 多摩八王子江戸東京野菜研究会とのコラボイベントで、牧場特製のチーズとベーコン、ソーセージ、野菜てんこ盛りのピッツァ作りです。

 

 牧場主・磯沼さん手づくりの溶岩石窯で焼いたピッツァはおいしくてボリューム満点。

 

 ランチの後は乳しぼり体験、牧場ツアー(放牧場もある)、磯沼さん×福島さん(多摩八王子江戸東京野菜研究会代表)の都市農業トークと続き、あえて取材の必要なしというところまで堪能しました。

 

 場所は京王線・山田駅から徒歩10分弱。

 新宿から1時間足らずで来れるし、横浜からも近い。

 わざわざ北海道などへ行かなくても、たっぷり牧場体験ができます。

 それも観光牧場でなく、リアルな生活と結びついている生産牧場で。

 

 環境問題、動物福祉問題への取り組みなど、牧場経営のコンセプトを通じて、さりげにいろいろ勉強でき、新しいライフスタイル、これからの哲学を考えるきっかけにもなると思います。

 

 乳しぼりをはじめ、毎週のように何らかのイベントが開かれ、牛さんをはじめ動物たちに触れあえます。

 いつでもオープンなので、ぶらっと覗きに来るだけでもいい。

 

 子供たちには超おすすめ。お年寄りにも楽しい。

 ちょっと凹んでいる人、メンタルを病んでいる人も心のケアができるのではないかな。

 直売所もあって、おいしいアイスクリームやプリンやヨーグルトも食べられますよ。

 興味のある人はホームページやフェイスブックもあるので検索してみてください。

 


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名古屋コーチンをめぐる冒険:ふしぎ・まったり小牧編

 「こんなやわらきゃー、水っぽい鶏はいかんわ。むかしのかしわはまっと歯ごたえがあってうまかったでよー」

 

 こんな軟らかい、水っぽい鶏はダメだ。昔のかしわ(鶏肉)はもっと歯ごたえがあっておいしかった、という声を受けて、一時期、市場から消滅した名古屋コーチンが、日本を代表する地鶏として見事復活を果たした物語を探るべく、今回は「マイナビ農業」で名古屋取材を敢行しました。

 

 市内にある「名古屋コーチン協会」で話を聞いた後、名古屋コーチン発祥の地である小牧市へ。

 明治の初め、この地に養鶏場を開いた元士族の海部兄弟が、地元の鶏と、中国(当時、清)から輸入したコーチンという鶏を掛け合わせてできたのが名古屋コーチンです。

 

 「だもんだで、まっとそのことを宣伝せんといかんわ。日本が誇れる名物だでよう」

 

 ということで昨年(2017年)、名鉄・小牧駅前にはコケー!と、おしどり夫婦(?)の名古屋コーチンのモニュメントが立ったと聞き、駅について改札を出たところ、出口が左右に分かれている。
 どっちだろう? と迷ったとき、すぐ目の前で駅員さんが掲示板を直す作業をしているので、尋ねてみました。

 

 「あのー、名古屋コーチンの像はどっちの出口にあるんでしょうか?」

 

 駅員さん、けだるそうに振り向き、ぼくの顔を一瞥。さらに一呼吸おいて

 「左の階段を下りてって、右に曲がってずっとまっすぐ行ったところに市の出張所がありますで、そこで聞いてちょーだゃー。それはうちの管轄でないもんで」

 

 ?????

 駅前って聞いたけど、そんな分かりづらいところにあるのかなぁ・・・と思いつつ、左の階段を降りると、なんと、その目の前にコーチン像があるではないか。

 

 ?????

 まさかあの駅員さんはこれを知らなかったのだろうか?
 それとも上司に、責任問題が発生するから、鉄道のこと以外は聞かれても答えるなと言われていたのだろうか?
 それとも奥さんと何かあったとか家庭の悩みでも抱えているからなのか?
 あるいはたんに鶏が嫌いで、コーチンお話なんかのしたくなかったのか? 

 

 たくさんの疑問に駆られながらも、前に進まなくてはなりません。
 海部養鶏場(跡地)にはどういけばいいのか。
 ちょうど目の前に観光案内所があったので入ってみました。

 

 平日ということもあってお客は皆無。
 ぱっと見た目、アラサーぐらいの女の子がひとりで机に向かって、わりとのんびりした感じで書類の整理みたいなことをやっています。
 そいえば時刻はちょうどランチタイムでした。

 「あのー、海部養鶏場跡地に行きたいんです」
 「え、何です?」
 「海部養鶏場です。カイフ兄弟。名古屋コーチンの」
 「あ、ああ、ああ、名古屋コーチンのね」
 「たしか池ノ内というところなんですが・・。歩きじゃちょっと無理ですよね」
 「ええと。そうだと思います。ちょっとお待ちくださいねー」

 

 と、アラサーの女性はあちこち地図やらパンフやらをひっくり返し始めました。
 市の観光スポットの一つに加えられたらしいと聞いていたので、即座に答えが返ってくるものと想定していた僕は思わぬ展開にちょっとびっくり。


 その女の子は一人じゃだめだと思ったのか、奥に入っておじさんを引っ張り出してきて、ふたりでああだこうだと大騒ぎで調べ始めたのです。

 お昼の平和でゆったりとした時間を邪魔してしまったようで申し訳ないなと恐縮しつつ、実はなんか面白いなと思いつつ待っていたら、もう一人、お昼を早めに済ませて戻ってきたおにいちゃんが加わって3人で合同会議。

 

 それで出てきた結論が「タクシーで行ったら?」というもの。
 べつにタクシーを使うお金がないわけじゃないけど、アポがあるわけじゃなし、急いでいるわけじゃないし、第一ここまで大騒ぎしたのに、それなら最初からタクシーに乗ってるよ、バスとかないんですか? 地元の人といっしょにバスに乗ると楽しいいんですよと言うと、バスルートと時刻表を調べて、やっと案内が完了しました。

 

 この間、約20分。効率主義、生産性アップが叫ばれる世の中で、このまったり感はどうだ。急いでいたら頭にきてたかもしれないけど、旅というのはこうやって余裕を持って楽しむものだ、と改めて教えてもらった気がしました。


 考えさせられる不思議な駅員さんといい、まったりした観光案内所といい、皮肉でなく、おかげで楽しい旅になりました。小牧の皆さん、ありがとう。


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永遠の現物支給

 

 きょうは確定申告の最終日でしたが、先週会ったお友だちの会計士さんは締切間近でストレス満載の様子でした。

 その彼がぼそっとつぶやいたセリフが

 「現物支給でも、永遠に続けばいいんだけど」

 

 え、まさか現物支給の報酬で会計を?

 そういえば、半年前に会った時は、つぶれそうな食品会社の経理を請負っているとか言ってたけど・・・。

 

 追及するのはやめときましたが、「永遠の現物支給」という言葉が頭に残ったので、それについて考えてみました。

 

 何でもお金の世の中で、ちょっとした贈り物も、冠婚葬祭の引き出物も、現金・カード・商品券などが喜ばれます。

 そうした風潮の中で現物支給――それも1回2回こっきりじゃなくて、毎月ずーっと支給が続くとしたら、何がもらえたら嬉しいだろうと考えると・・・

 

 やっぱり食べ物ですね。

 会計士さん、食品会社でよかった。

 なに、よくない?

 

 缶詰、レトルト、乾物、冷凍食品・・・

 そんなもの1か月分もらうと嵩張るし、置き場所に苦労する。

 それに毎日食べたくない。

 かといって生鮮食品は日持ちしないし・・・

 

 と考えていくと、ベストはお米だ!

 お米なら毎日食べられるい、真夏でも1カ月くらいなら保存も問題なし。

 うちはひと月10キロ食べるけど、それくらいなら置き場所にも困らない。

 

 ついこの間、イベントの仕事「五つ星お米マイスターのおいしいお米講座」でお米の食べ比べをやったけど、毎月ちがう品種のお米を支給してもらえれば、いろんなのが試食出来て、ますます楽しい。

 

 ――と話すと、そこは会計士さん、チャチャっと数字に置き換えて、

 「1カ月10キロ、平均5000円として1年で6万円。10年で60万円。17年しないと100万円超えませんよ。安すぎる~。お金でもらわなきゃだめだ~」

 

 なるほど。お金にすると確かに安い。

 でもね、お金がなくても、死ぬまでごはんだけは間違いなく食べられるという安心感は何物にも代えがたいのではないでしょうか。

 

 1カ月のギャラ・給料が5000円と考えると、わびしくみじめになるけど、今月も10キロのお米がいただけると考えると、なんだか豊かな気持ちになってくる。

 ましてやそれが永遠に続くとなると、穏やかな晴天が心の中に広がってくる。

 

 うんこれなら悪くないぞ、永遠の現物支給。

 農家さんとか、お米屋さんとか、JAさんとかの仕事なら、そんな契約を結んでもOKかも。

 会計士さんは嫌だというけど、あなたならどうですか?

 


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秋田からきりたんぽ鍋セット到着

 

 今日は何の予告もなく、クール宅急便で「きりたんぽ鍋セット」が送られてきてびっくり。

 仕事をいただいている秋田の方からサプライズの贈り物です。

 これまでメールでしかやりとりしていなかったんだけど、そういえばこの間、住所を聞かれたので、紙にした資料を送ってくるのかなと思ってたら・・・どうもごちそうさまです。

 

 ちょうど今夜は家族が揃っていたので、早速いただきました。

 肉も野菜も一式入っていて比内地鶏のスープ付き。あったまりました。

 

 秋田県は、かなり昔に大潟村(かつての大干拓地・八郎潟にある村)の干拓資料館の仕事をやりましたが、それ以来の仕事。

 来週は名古屋コーチンの取材で名古屋に行きますが、いずれ比内地鶏も取材したいです。

 


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リバプール出身のアーティストが作る「オレの胡椒」がうまいける!

 

 赤唐辛子、黒コショウ、塩にオレンジ・レモンの酸味をブレンドしたスパイス。

 オレンジとレモンで「オ」「レ」の胡椒。

 作っているのは、かのビートルズの聖地リバプールからやってきた英国人、マイケル・フォーリン氏。

 

 うまい!イケる!で、「うまいけるオレの胡椒」!

 

  このダジャレまみれのネーミングでやられた~、笑える~という感じですが・・

 ポテトサラダにつけて、ハムステーキにつけて、鶏団子スープの隠し味に入れてみたら、本当にうまいける~!

 

 早い話、柚子胡椒のアレンジ版なんだけど、より応用範囲が広いかも。

 食卓が新鮮で楽しくなって家族一同、大満足です。

 

 昨日の東京マラソンで、カミさんが鍼灸のボランティアをやりに行っていたのですが、そのブースで外国人選手の通訳をやっていたのが、このうまいけるさん(奥さんが鍼灸師らしい)。

 

 せっかく出向いてきたのに通訳だけじゃ足りないということで、ついでに鍼灸師相手にこの「オレの胡椒」の行商+販促活動を展開したらしい。

 

 このスパイス職人は、画家であり、グラフィックデザイナーであり、自分の畑で赤唐辛子作っているファーマーであり、おまけに通訳でもあるというマルチタレントぶり。

 

 節操なくいろんなことやっているように見えるけど、彼の中ではこれらの活動が一本の太いラインで繋がっているのでしょう。

 

 何はともあれ、商品が素晴らしいからOKだ、うまいける。

 化学調味料・保存料不使用。

 皮まで使う原料のオレンジ・レモンは、地元の神奈川でプロファーマーが無農薬栽培したものです。

 

 お値段は800円とちょっと高めだけど、エンターテイメンタブルなキャラクター、ストーリーもインクルーズされていて十分納得

 本当にいろんな料理に使えて、うまいけるな「オレの胡椒」です。

 


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人間の歴史はチョコレート前とチョコレート後とに分かれる(かも)

 

  バレンタインデーなので、カミさんから「プレミアム・チョコプリン」を頂きました。自分も食べたいのでこれにしたようです。

 何がプレミアムなのか食べてみると、プリンという呼び名は相応しくない。

 食感はレアチーズケーキに近い。味は濃厚、そしてビター。でもしっかりチョコレート感がある。これはおいしい。ありがとう。

 

 僕は、人間の歴史はチョコレートが開発される前と後とに分けて考えられるんじゃないか、と考えています。

 

 古代から疲れを癒し、魂を覚醒させる効果があると信じられてきたチョコレート(古代は飲み物で、チョコというよりココアでしたが)。

 それが近世の西洋社会で量産され、普及するようになって、人々の知覚は明らかに鋭敏になった。

 いわゆるドラッグのような効果があったのではないかと言われています。

 

 体に害はないんだけど、「やばい食べ物」と言われた時期もあったようです。

 庶民にあんまり頭良くなってもらいたくない人たち、知恵を付けてほしくない人たちは、すぐにこういうことを言い出しますね。

 

 明治時代、日本で作られ出回るようになった頃も「牛の血を混ぜて作っている」とか、いろいろデマが飛び交い、売るのに苦戦したようです。

 

 日本の庶民が本当にチョコレートの味を知るようになったのは、やっぱり戦後から。

 「ギブ・ミー・チョコレート!」と叫んで進駐軍のジープを追いかける、あの子供たちからでしょう。

 

 映画やドラマでしかあのシーンを見たことがないけど、何度見ても衝撃的。

 あんな体験をリアルにしてしまった子供の胸には、良いにつけ悪いにつけ、アメリカの存在の大きさが胸に刻み込まれたことでしょう。

 

 そういえば、あのあたりの世代はアメリカかぶれが多いような気がします。

 無理もありません。

 あの時代、将来の日本人の頭を洗脳するのにチョコレートはうってつけでした。

 まさしくドラッグとして機能していたとしても、おかしくありません。

 

 父や叔父・叔母はそうした経験をしていないと思うけど(齢が下の方の叔父・叔母はちょうど「ギブ・ミー」の世代だけど)、僕が子供の頃、パチンコで勝って景品のチョコレートをもらってくると、誇らしげに僕や妹にたちに手渡しました。

 

 多くは「森永ハイクラウン」など、子供にとってワンランク上のちょっと大人っぽい、高級っぽいやつです。

 

 子供にチョコレートを与えられる、まっとうな生活力にある大人。

 そういう大人であることに、深い満足感を覚えていたのだと思います。

 もちろん僕たちは大喜びで、家族は幸せでした。

 チョコレートをかじると、その時代のみんなの笑顔を思い出します。

 

 僕が子供の頃からずっとチョコレートを好きで、食べるといろんな思いにとらわれるのは、そんな理由からです。

 

 すっかり習慣化したバレンタインデーは、朝からあちこちでいろんなチョコ――もちろ義理チョコの類だけど――をもらって食べました。

 でも家庭によけいな波風を立てたくないので、毎年カミさんには黙っているようにしています。

 


中高年はめざせ!中川屋嘉兵衛

 

 「還暦から勝負です」と宣言した人がいるが、先パイ、その通りです。

 あなたも老後の心配で、使わないカネを貯め込んでいる場合じゃありません。

 「人生50年」と言われた時代でも、50歳から大活躍した人がいます。

 

 マイナビ農業の仕事で、日本における肉食の歴史を調べていると、幕末から明治にかけて活躍した「中川屋嘉兵衛(中川嘉兵衛)」という名に出会いました。

 この人は慶応3(1867)年、荏原郡白金村に東京初の屠畜場を開いた人です。

 

 三河(現在の愛知県岡崎市)出身で、京都で漢学を修めた後、江戸に出てきてイギリス公使の料理人見習いをしながら英語を勉強し、欧米人相手のビジネスを画策。

 

 そして慶応元(1865)年、開港間もない横浜に出て、アメリカ人医師のもとで牛乳販売業を、イギリス軍の食料用達商人としてパンやビスケットの製造販売、さらに牛肉の販売を手掛けるようになりました。

 

 しかし車も冷蔵庫もまだない時代。横浜から江戸まで肉を運ぶのは至難の業ということで、都内に屠畜場を作り、芝高輪の英国大使館に納品したのです。 

 

 それとほとんど並行する形で、肉を鮮度がいいまま保存管理するには氷が必要となって製氷業を、ついでにアイスクリーム屋も開業。お肉の方では牛鍋屋も開店。

 次から次へといろんな事業をやって、人からは「節操ない男」と映ったかもしれませんが、彼の中では「洋食事業」ということでつながっており、それぞれ牛乳部門、パン部門、肉部門、製氷部門・・・といったように部門別に分かれていたにすぎないのかもしれません。

 いわば日本における「洋食文化の父」と呼べる人でしょう。

 

 僕は最初、資料を読んでいて、彼のことを勝手に岩崎弥太郎みたいな青年実業家だと思っていたのですが、江戸に出てきたのは40歳、横浜に出た時はすでに50歳!

 

 これは江戸時代の社会常識で考えれば、人生晩年近く。

 すでにご隠居さんとなってもおかしくない齢でしょう。

 

 そこから欧米人に仕えて取り入って、車も鉄道も、電話もインターネットもない環境でこれだけの事業を成し遂げ、80歳まで仕事をやりぬいたというのだから、中川屋嘉兵衛あっぱれ。

 

 「もうトシですからムリですぅ~」とか、

 「もう今からでは遅すぎますぅ~」とか言ってる場合じゃないですよね。

 何かやってもやらなくても同じように齢は取る。

 何歳だって“今”より早いスタートはないわけですから。

 


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アグリパークのブルーベリージャム

 

 葛飾区産のブルーベリー100%ジャム。

 新宿南口にあるJA東京アグリパークで取材。

 今日は東京産農産物のイベントをやっていて、その中でて目にとまったのでスタッフの方に聞いてみると、葛飾にあるJA東京スマイルと、都立農産高校のコラボ商品だとか。中身も美味しそうだし、ラベルも可愛い。

 

 お値段はちょっとお高め(660円)なのだが、おじさんなので、高校生の女の子が一生懸命作っているところを想像すると、つい応援したくなって買ってしまった。

 もしかしたら男の子かも知れないけど、まぁ、それでもいいや。

 

 ここは甲州街道沿いにあって、毎日1000人の人が覗いていくそうです。

 毎週、いろんなイベントをやっていて、楽しくポップに農業をアピール。

 新鮮な野菜も売ってます。

  新宿で時間があったらブラっと寄ってみてください。

 


食べ物を作る仕事をしている人の話は一聴・一読に値する。

 

マイナビ農業で取材した「東京しゃも」の記事がUPされたので、先日、浅野養鶏場の浅野さんに報告したら丁寧なメールの返信が返ってきました。

 

 「自分のする話は難しいといつも言われるが、見事にまとめてくれました」と喜んでいただいたので、こちらも嬉しくまりました。

 

 開発技術者や、江戸時代からしゃも料理を扱ってきた人形町の名店とともに東京しゃも開発プロジェクトに携わったエピソードはめっぽう面白い。

 しかし、それ以上に、戦後の混乱期・食糧難の時代から身を起こして養鶏業を半世紀以上にわたって営んできた浅野さんの、食べ物に関する信念・哲学が魅力的なのです。

 

 また、昨日はある料理人の書いた本を読んで、けっこう心に染み入るものがありました。

 料理の話というよりも、自分の半生記みたいになっているエッセイで、さらっと口ごたえがいい割に、何というか、隠し味が効いていて面白いし、深味があるのです。

 料理の味やお店のコンセプト・ムードと、その人の人間性かどうかなんて関係ないように思えるけど、じつは深いところでつながっているんだろうなと思いました。

 

 総じて一流の料理人・生産者は、自分ならではの哲学を持っていると思います。

 哲学という言い方が難しければ、「生きる」ことについて感じること・考えることを何らかの形で表現を試みる――とでもいえばいいでしょうか。

 

 それが生産物・料理・お店全体の在り方に反映される。

 優れた技術に、その人ならではの魂が宿ることによって、人の心を打つ「食」が生まれます。

 

 浅野さんの「食べ物を扱うのは神聖な仕事なんだ」という言葉が耳に残ります。

 機械的に、早く、安く、美味しく、安全な食べ物がたくさん出回るようになった世の中だからこそ、時々はそうした生産者や料理人や作る人たちの人間性だとか、哲学だとかに目を向けて行こうと思います。

 


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新潟ラーメンと新潟名物タレカツと新潟米の話

 

  新潟のお土産に「にいがた4大ラーメン」というのを買ってきました(自家消費用)。

 「新潟濃厚味噌らーめん」「燕三条背脂らーめん」「新潟あっさりしょうゆらーめん」。

 僕はどれも初耳だけど、新潟の人はよく食べているのだろうか?

 あなた新潟の人? どう? 

 

 そして、いの一番に食べてみたのが「長岡しょうがラーメン」。

 しょうがラーメンというのは珍しい。

 スープにはしょうががたっぷりの醤油味。それが太麺とよく絡み合う。

 香り高くておいしい。でもまぁ、そこそこってところで、そんなにインパクトがあるわけではない。

 

 やっぱ新潟はラーメンよりもお米、ごはんなのではないでしょうか。

 

 そういえば写真を撮り損ねてしまったのだけど、新潟には「タレカツ」というのがあって、これが名物らしく、あちこちで看板を見かけました。

 残念ながらそのお店には時間がなくては入れなかったけど、到着した日の昼食に、このおみやげを売っているショップで「チキンタレカツ丼」というのを買って食べました。

 

 濃厚甘辛ダレがカツの衣がフニャフニャにならない程度にしみこんでいてイケます。

 ただ、東京その他の地域の大半の人は「甘すぎる」と言うでしょう。

 きっと僕も東京で食べたらそう文句をつけると思いますが、新潟で食べるとおいしい。

 その秘密はお米だと思います。

 新潟のおいしいお米と甘辛ダレの相性が良いのです。

 まさに新潟ならではの味ではないかと思いました。

 

 それでふと思い浮かんだのが、ブレンド米のマイスター、原宿のでお米屋をやっている小池さんの顔。

 彼なら新潟人と新潟にやってくる旅人たちのために「タレカツが10倍美味しく食べられるコシヒカリブレンド」なんてニッチなブレンド米を開発してくれるのではないだろうか?

 

 その土地ならではのうまいものと、その土地ならではの米。

 日本人は世界一ぜいたくしています。

 


新潟のビジネスホテルで魚沼コシヒカリを食べて幸福について考える

 

 土日の新潟遠征で泊ったのは、駅から歩いて5分の、新潟なのに「京浜ホテル」という、どこにでもあるようなフツーのビジネスホテルでした。

 フツーと言っても、21世紀型のモダンなフツーではなく、建設された昭和の後半には、新潟へきてバリバリ働くビジネスマンが明日への英気を養う、最新の「東京に負けないくらいナウい」ホテルだったのかもね~といった匂いが漂う、本当によくある、シングルベッド、ユニットバス、テレビ付きのホテル。

 

 のはずだったのですが、日曜日の朝食でその印象がガラッと変わりました。

 

 う、うまい!

 魚沼産コシヒカリの和朝食だ。

 

 炊き立てではないが、降り積もった雪のよう白くピカピカ光っている。

 久しぶりに「銀シャリ」という言葉を思い出しました。

 

 生卵をかけて一杯、納豆かけて一杯、あちこちおかずと一緒に一杯。

 まだいけそうだったけど、これから仕事があるのにあまり腹いっぱいになってはいかんぞ、と抑えました。

 

 恐るべし、魚沼コシヒカリの魔力。

 

 すっかりご機嫌になって、食堂のおっちゃん・おばちゃん(たぶん夫婦だと思う)に、フロントのお兄さん・お姉さんに「おいしかった。ありがとう」と愛想を振りまいてしまいました。

 

 「ああ、そうだったのか」と、写真のポスターを見たのはその後。

 

 ごはんがおいしいとホテルの印象も変わります。

 何の変哲もない古ぼけたビジネスホテルが、新潟のオンリーワンホテルに見えてきた。

 

 当初の印象とのギャップ効果もあって、古ぼけ感も、おしゃレトロとまでは言わないけど、何やら味わい深く感じ、永く思い出に残るだろうなという気持ちになるのです。

 

 そこでハタと考えた。

 

 しかし、僕が普段から魚沼コシヒカリを食べなれている人間だったら、ここまでの強い印象を抱くだろうか。

 

 ヘン、魚沼コシヒカリなんて、わしゃ毎日くっとるでよう、別段、感動なんかせーへんがや。

 

 とクールに流し、おっちゃん・おばちゃんや、兄ちゃん・姉ちゃんに愛想を振りまくこともなかったでしょう。

 京浜ホテルが味わい深いホテルだと感じることもなく、永く思い出に残ることもなかったに違いない。

 

 そう考えると、人生と言うのはちょっとした条件の違い、ささいな感じ方の違いでまったく違ったものになってしまう。

 いつでも(俗にいう)美味いものを食っている人が幸福だとは限らない。

 もちろん、そうした人にとって、京浜ホテルに人生の醍醐味を感じるかどうかなんて、とんでもない低次元の問題で、はるかな高次元の幸福を追求しているのでしょうが。人類全体のとか、地球全体のとか、ね。

 

 いずれにしても、今や海外のセレブも認める最高級ジャパニーズライスブランド、魚沼コシヒカリは美味しかった。そして京浜ホテルとのギャップもよかった。

 

 どうもごちそうさま。

 


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マイナビ農業の「お肉」の記事が同サイトの人気上位に

 

 昨年11月に「マイナビ農業」に上げた東京食肉市場の記事が人気で、同サイト内のアクセスランキング第11位になっていると聞きました。

 上位10位はほとんど連載マンガなので、通常の記事としては第2位だそうで、たいへん光栄なことです。

 

 編集長からは「サブカル的な匂いに読者が反応したのかも」との分析コメントがあったのですが、サブカルって・・・そんなの意識したことないんだけどなぁ。

 

 読者の側に立って考えると、おそらく野菜や穀物などの植物系と違って、牛や豚など動物系は他のメディアであまり目にする機会がないし、半ば怖いもの見たさ、野次馬的な興味もあるのでしょう。

 

 「興味本位はよくない」みたいな言い方がされるけど、何事もまず興味を持ってもらわないと始まりません。

 

 僕らが毎日口にしているお肉――ハンバーグもハムもソーセージもです――が、どのようにしてできるのか、食べるのなら知っておいたほうがいい。

 

 という思いで、ごく普通にまじめに書いています。

 

 東京にいる人は品川に行くことがあれば、ぜひ一度、食肉市場の「お肉の情報館」に足を運んでみてください。1時間あれば十分に見られますよ。


「美味しいケーキは年一度」の誓いと、追憶のバタークリームデコレーションケーキ

 

 カミさんと誕生日が10日しか違っていないのです(11日と21日)。

 双方の都合が合わなので、じゃあ真ん中の日の夜は空いているので、そこでやるかということで、昨日の晩は二人合わせてお誕生会。

 と言ってもお寿司を食べて、ワインを飲んで、定番のパステルのプリンケーキを食べただけですが。

 

 パステルの回し者ではないけど、やっぱりここのプリンケーキはおいしい。これと対抗できるのは(べクトルは違うが)、赤坂TOPSのチョコレートケーキだけです。

 

 ケーキはいろいろ食べましたが、この2つの頂点に行き着いてしまったと感じ、ここ数年、たまに贈り物としていただく以外は、他のケーキ屋のケーキにあまり食指が動きません。

 

 以前はクリスマスやら誕生日やらの「ハレの日」に燦然と輝いていたケーキ類ですが、最近はスーパーやコンビニでも手軽に安く、いろんなスイーツが手に入ります。

 それもレベルが激アップして、どれを食べてもかなり美味しいんだよね。

 なので、ケーキに対するスペシャル感がなくなってしまいました。

 

 こうなると逆説的に、僕らが子供の頃に食べた、バタークリームを使ったデコレーションケーキが懐かしくなる。

 デコレーションされてて、「うわぁ、美味しそう!」とハイテンションになるんだけど、あのバタークリームって脂をそのまま食べているみたいで、まずいのなんの。

 三口も食べるとうんざりする。

 でも、お父ちゃんがわざわざ子供のために、と買ってきてくれたので、そう嫌な顔もできず、食っていました。

 涙ぐましい子供の気遣い。

 

 それにしても、当時、舌のまったく肥えていなかった僕でも、あれほどまずいと思ったのだから、 今の子供・若者たちは、あのバタークリームは絶対食べられないだろうなと想像します。

 

 そういえば中学生の時、友達と集まってクリスマスパーティーをやって、あのバタークリームのケーキと、こっちも今思えば激マズの「赤玉ハニーワイン」を飲んで酔っぱらって、翌日まで気持ち悪く、胃がムカムカしていたことまで思い出しました。

 人生初にして最悪の二日酔い。

 

 さて。

 日常的においしいものがいっぱいあるということは幸福である一方で、どうも生活にメリハリがなくなってしまう。

 なので、パステルのプリンケーキと、TOPSのチョコレートケーキは、それぞれ年に1~2度の楽しみと決めています。

 

 久しぶりに一度、昭和のバタークリームのデコケーキ、食べてみたいなぁと思うこともありますが、やっぱりまずいだろうなぁ。

 


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原宿のお米屋さん

 

 マイナビ農業の記事UP。原宿にもちゃんとお米屋さんがある。その名は小池精米店。
 原宿・渋谷・青山・麻布界隈のちょっとおしゃれな飲食店でごはん料理を食べたら、そこはこちらで仕入れたお米を使っている可能性大です。
 日本全国、さらには海外の米農家が頼りにする店主の五つ星お米マイスターは、日本食文化、お米文化を普及させるために日夜、大活躍しています。


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江戸東京野菜たっぷり取材

 

約2ヵ月ぶりに八王子へ出向。

「マイナビ農業の取材」で、江戸東京野菜を生産・広報している小城プロデュース・福島秀史さんのところへ。

2時間余りにわたってたっぷりお話を伺いました。

 

2020年・東京オリンピックに向けて、地場野菜である江戸東京野菜の存在がぐーんとクローズアップ。

 

実際にその野菜を生産しながら、広報・普及活動を手掛け、江戸東京野菜の情報・ストーリーを発信している同社の活動は注目に値します。

 

けれども、これはけっしてオリンピック景気的な一過性のブームに終わらせない、と熱く語る福島さん。

江戸・明治・大正・昭和と続いてきた時代の食のストーリーが、この伝統野菜には詰まっています。

 

今日はその一つ、「伝統大蔵ダイコン」のB級品(ちょっと傷物)を購入。

 

畑では、希少な品種「高倉ダイコン」も収穫シーズンを迎えています。

 

来月は、失われた日本の原風景の一つ、高倉ダイコンの干し風景を見られる食べつくしツアーにも参加・取材予定です。

 


勤労感謝の日は農業感謝の日に

 

●昭和の勤労感謝はシンプルだった

 

僕が子供の頃、勤労感謝の日とは、働いていない人が、働いている人に感謝する日でした。

「今でもおんなじでしょ?」という声が聞こえてきそうですが、ちょっとニュアンスが違っていて、もっと具体的にその時代のイメージを話すと、

 

働いていない人とは子供や家庭の主婦であり、働いている人とはお父さん。

 

さらにそのお父さんの中でもサラリーマンなどの営利追求型イメ―ジの人たちよりも、消防士とか救急隊員とかおまわりさんとか、社会全体のための奉仕型職業の人たちのほうが感謝の対象の番付で言うと一枚上。

 

さらにちょっと年輩の大工さんとか植木屋さんのような職人も一枚上でした。

 

歌手やら俳優やら芸人やら作家やらは「勤労者」のカテゴリーには入っていませんでした。

 

子供雑誌などには、子供たちが感謝の心を表すために街に出掛けて、おまわりさんや大工さんにちょっとしたプレゼントをしていました。

 

そして家に帰ると、そういえば(サラリーマンの)お父さんも一応勤労者だね、といったオマケ扱いで、特別にお酒を飲ませてもらうという、そんなシーンが描かれていました。

 

●現代の勤労の観念と定義

 

そうした牧歌的な、わかりやすい構図の世界は、今は昔。

 

現代では「家庭の主婦は、働いていない人」なんて言ったら、毎日ごはん作って、掃除して洗濯しているのは労働じゃないのか!」と怒鳴られそうです。

 

いや、家族のためにごはんを炊いて洗濯するのは労働じゃなくて愛情だ、と返すことは出来そうですが・・・。

 

ほとんど身体を動かさずに一日中パソコンやスマホをいじくっている人たちも「働いている人」とは認識されにくいでしょう。

 

金融業でお金を動かしている人たちも、ビジネスをしているとは言えるけど、勤労しているとはあんまり思われないでしょう。

 

歌手やら俳優やら芸人やらも「僕たちは皆さんを楽しませるために働いているんです」と言えば勤労者だし、子供だって、おとなを幸せにするために働いているとも言えるし、そういう理屈だとペットの犬猫だって、ただゴロゴロしているだけでもちゃんと人を癒すために働いている、とも言えます。

 

そう考えると、現代では「働いていない人が、働いている人に感謝する勤労感謝の日」というのは成り立たなくなりそうです。

 

そのうち、社会のためにあれこれ身体を動かして働いてくれるのはAIやロボットだから、1年に1度の勤労感謝の日は、人間がメカに感謝する日にしよう――となりそうです。

 

●行為そのものへの感謝?

 

いや、そうじゃない。

そもそも勤労感謝の日は、働いていない人が、働いている人に感謝する日ではない。「様々な労働・勤労という行為そのもの」に感謝する日なんだ、という意見もあるでしょう。

 

こうなると、では労働・勤労の定義とは何か? といった哲学的命題に関わり、ドツボにはまりそうですね。

 

●11月23日の歴史

 

実は、11月23日は、もともとは飛鳥時代からあったといわれる「新嘗祭(にいなめさい)」というお祭りの日でした。

 

新嘗祭とは、その年に収穫された新米や新酒を天地の神様に捧げ、天皇と国民が一体となって、天地自然の神々に感謝し、収穫を喜び合う国民的な祭典。

 

ところが1945年の敗戦後、GHQによる政策で、国家神道の色が強い新嘗祭を排除し、違う名前の祝日にする、ということで制定されたのが現在の勤労感謝の日でした。

 

なお、新嘗祭は、今でも大切な宮中行事のとして執り行われています。

 

●いっそ農業感謝祭に

 

最近、マイナビ農業の仕事をしているのに加えて、そんな歴史的経緯を知ると、勤労感謝の日は、やたら風呂敷を広げて「働く人に感謝しよう」というよりも、農産物、それを収穫する農業従事者の人たちに感謝する日と、限定したらどうでしょう。

 

僕たちの大切な食糧を作っているわけだからね。

食べ物に、地球環境に感謝する意味合いも含められる。

時代が変わり、ライフスタイルが変化しているのだから、祝日も変えていったらどうなのかな?

 

 


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「ばんめしできたよ」ができたよ

 

 新しいラジオドラマ脚本「ばんめしできたよ」ができました。

 主役のヒロコちゃん、お疲れ様。最初は男だったけど、途中で性転換しました。

 おかげでちょっと色っぽい話も盛り込めた。

 予定よりずいぶん延びてしまったけど、出来てしまうと何だか寂しい。

 コンペに出したので、とりあえず結果待ちします。

 

 あらすじはこんな感じです。

 

 「あなたは人生最後の食事に何を食べますか?」

 ホスピス「虹の彼方」に入居した余命わずかの人たちに、若き女性天才料理人と中年紳士の給仕人はそう問いかける。

 

 食事は人生で最も大きな喜びの一つ。ここでは最期にその喜びを味わってもらうために「最後の晩餐」を用意する。

 料理人ヒロコが入居者からそれぞれの人生の物語を聞いてメニューを考え、最後にふさわしい料理を作るのだ。

 そして給仕人のモリヤは、その料理に仕上げのスパイスをかけて提供する。

 

 「ただ食うために生きてきた」

 今回、「虹の彼方」に入居してきたのはフジムラという末期がんの患者。

 真面目に会社勤めをして定年を迎えた孤独な彼は、恋も夢も家族を持つことも諦め、ただ働いて生き長らえてきたことを後悔している。

何も欲せず、人を傷つけないようにしてきたのに、どうしてこんな病気になったのかと取り乱す。

 そしてまた、自分は食べたい物など何もないと、メニュー作りに協力しようとしない。

 

 そんなフジムラに対し、ヒロコはホスピスへの思いや将来の展望など、自分自身をさらけ出して奮闘。

 彼の恋の記憶を引っ張り出し、実は彼も料理人になる夢を持っていたことを思い出させ、やっとメニューを作り上げる。

 

 その日。食卓に並んだヒロコ渾身の作品。

 しかしそこでフジムラは、これを最後の晩餐にしたくない、なぜならヒロコに恋してしまったからだと、胸の内を打ち明ける。

 モリヤは土壇場で生への執着を持ってしまった彼を諭し、何とか食事をさせようとする。

 

 そこでヒロコは気づく。以前から心の片隅に抱いていた疑念が解け、確信に変わり、彼女はモリヤと対峙する。

 そしてこのホスピスの成り立ち、最後の晩餐の奥にある秘密、それを取り仕切る給仕人モリヤが本当は何者なのかを問いただす。

 


秋晴れお米日和 駒場・原宿農業取材

 秋晴れの農作業日和。

 今日は先月、稲刈りを取材した筑波大附属駒場中学の脱穀作業の取材です。

 一昨日の雨のせいで一日延期で行われました。

 昔ながらの脱穀機で、生徒たちが干した稲を脱穀してお米にします。

 

 と、自分で取材したように書いていますが、実はまたもや腰痛に襲われ、急遽、編集者M氏に代理を頼みました。

 自分で行けなかったのは残念無念。

 

 それから先日は原宿・隠田商店街(キャットストリート)の5つ星お米マイスター・小池精米店の取材も行いました。

 メディアで引っ張りだこ。お米ブレンダーの小池さん、原宿・青山界隈のお米の消費事情を語ってくれました。

 

 詳しくはマイナビ農業に記事を書きます。

 

 先月取材の記事もUPされているので、ご覧ください。

 


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ぐゎぐゎタオルと世界共通言語

 「うわっ、ここでもチュパチュパやってる!」

 

 最近、スーパーでも電車の中でも、やたら指をしゃぶっている子供が目につきます。

 それもだいたいは親指。訊いてみたことはありませんが、おそらくいちばんしゃぶりがいがあるからでしょう。

 もちろん、何らかの理由があって子供の間で指しゃぶりが流行っているわけではありません。 なんというか普遍的な習癖です。

 

 うちの息子も一時期、これが大好きで、眠くなるとしゃぶり始めます。

 「うわっ、始まった」

 と思ったら、ものの1分もしないうちに寝息を立てはじめるのです。

 

 指しゃぶりの前は「ぐゎぐゎタオル」でした。

 お気に入りのクマの絵柄のバスタオルがあって、洗濯を重ねてかなりくたびれてきて物ですが、そのくたびれ具合が手でつかんで、しゃぶるのにちょうどよかったのでしょう。

 まだ喋れない1歳前後の頃、いつも「ぐゎぐゎ」とそのタオルを求めて端っこの方をしゃぶっていました。

 

 それでいつも不思議に思ったのが、そのタオルを指す「ぐゎぐゎ」という言葉。

 「ぐゎぐゎ」って何だろう?

 「くまクマ」って言ってるのかな?

 夫婦で考えてみましたが、謎は解明されませんでした。

 

 それが最近、妻が外国人から英語圏でも同じようなシチュエーションで[Gua Gua」という言葉を発すると聞いたのです。

 

 どうもこの「ぐゎぐゎ」いうのは食べ物につながる言葉で、世界中の子供が使うらしく、世界共通言語のようです。

 

 幼い頃は国や民族の区別なく、みんな共通の言葉を持っていたのでしょう。

 とくに食べるというのは生存の基本条件なので、それに関する伝達表現はいち早くマスターするのだと思います。

 

 というのはあくまで仮説ですが、けっこう信ぴょう性の高い話。

 幼い頃の息子の友達だった、日本とオランダのハーフの女の子は、話す相手と状況によって、日本語・英語・オランダ語を縦横無尽に使い分けていました。

 プリミティブな脳は、本当にすごいなと思った。

 

  いろんな国の人・いろんな人種の人と言葉が共有でき、対話できる。

 ――そんなオープンでプリミティブな脳の機能が、いつでも取りもどせるといいのになぁ。

 


かわいく楽しく、ずしっとさわやか、瑞高祭

 ピキー、キキキキ、ピー!

 と、バタバタする生後3週間の子豚ちゃん。

 

 べつにいじめているわけじゃないけど、元気良すぎて、だっこされて子供たちが触ると大騒ぎしちゃうのです。

 ちなみに体重は3~4キロくらい。

 小型犬くらいの大きさで、かわいいったらありゃしない。

 

 今日は西多摩郡の瑞穂町にある都立瑞穂農芸高校の学園祭(瑞高祭)。

 例によって「マイナビ農業」の取材に行ってきました。

 

 この学校は都内で唯一、畜産科学科のある高校で、広大な敷地の校内には畑などの農地とともに、豚や牛をはじめとする動物がいっぱいいます。

 

 ちょっと学園祭の様子を覗いてレポートさせていただくだけで・・・と軽い気持ちで出かけたのですが、思いがけず、良い意味でヘヴィな取材になって大充実。

 

 酪農、養豚、それぞれのリーダーの生徒(3年生)、校長先生、社会科の先生にインタビューしたり、牛舎ツアーに参加したりしました。

 

 生徒の皆さんの話はとてもしっかりしていて、ツアーのガイダンスも素晴らしい。

 この学校では動物や植物の世話なども学業の一環となっていて、話を聞くと毎日めちゃくちゃ忙しそうだけど、とても軽やかに楽しくやっているのが印象的です。

 

 この瑞穂祭、人出もものすごく、毎年2日で4千人も訪れるとか。

 畜産科学科のこうした動物ふれあいコーナーの他、手づくりのミルクやキャラメル、トン汁などの販売、園芸科の野菜やじゃがバタの販売、食品加工科の手作りみそやジャム、肉まん・あんまんなどの販売と、美味しいものも盛りだくさん。

 この地域の人たちにとっては秋の大きな楽しみの一つになっているようです。

 

 しかし、ただ楽しく――だけじゃなく、テーマは「生命に学ぶ」。

人間の食糧となる豚や牛を育て、親しんでいる高校の学園祭だけに、言葉だけでなく、お腹にずしっとくるものがあります。

 

 晴れた秋空同様、すごく爽やかな一日でした。

 良い記事にしますぞ!

 


人生の果てに辿りつきたい場所

 

 「自分の夢を話してほしい。いや、夢というより目標かな・・・人生の果てまで行って辿り着きたい自分の場所。」

 

 ラジオドラマを書いていて、こんなセリフを主人公の女が吐いた。

 最初は「自分の夢を話してほしい」だけだった。

 

 意味としてはそうなんだけど、どうも「夢」という言葉がぬるくて気持ち悪い。

 彼女は28歳の料理人で、人生の最期を迎えた男に最後の食事を作ろうとしている。

 それで彼に何が食べたいのか訊いているうちに話が展開し、自分の将来の話をする。

 

 彼女の出したい店は、自分の夢を語ってくれれば、一飯の恩義を施すという店だ。

 それでその夢の話。

 

 子どもなら良い。

 子どもには夢が似合う。

 でも、大人には似合わない。

 

 最近は大人も夢を語っていい――という風潮になっているが、自分も含めて、いいおっさん、おばさんに

「わたしの夢は・・・」

 なんて言われると、子供や若い連中に対するみたいに「そうか、がんばって!」とは素直に言えない。

 

 言い換えるなら、やっぱり「目標」なのではないか。

 けど、この言葉も何だかカッコよすぎるし、きっぱりし過ぎているし、四角四面なニュアンスがある。

 で、出てきたのが「辿り着きたい場所」。

 

 「辿り着く」という言葉には積極的なニュアンスと消極的なニュアンスが両方ある。

 夢を持って進むのだけど、半ばで崩れて、立ち直り、何とか目標を立てて進んでいくのだが、いろんな波風に遭遇して、寄り道したり、ちょっと休んだりしているうちに、いつの間にか潮に流され、漂流してしまった。

 それでも彼方に見え隠れする目標に向かって泳ぐなり、歩くなりしていく。

 

 世の中の大人って言うのは、だいたいそうなのでななのだろうか?

 完全に周囲に流されちゃったり、完全に目標を見失って漂流民になってしまっては困るけど、なんとか自分の場所に辿り着きたい・・・。

 

 人生の最期を迎えた男も、それだったら何か語れるのではないか。

 そう考えた。

 

 そう考えているうちに、ふと中島みゆきの「店の名はライフ」という曲を思い出した。

 

 ♪店の名はライフ おかみさんと娘 

  どんなに酔っても 辿り着ける

 

 中島みゆきがデビューして間もない頃、確か2枚目くらいのアルバムに入っていた。

 ドラマチックな人気曲と違って、ほぼ同じメロディー、同じリズムが淡々と繰り返され、彼女がかったるそうにズラズラと上記のような歌詞を歌っていく。

 

 劇的な世界とコントラストをなす日常的な世界――けれども、とてもタフな心とやさしさと希望を秘めた世界が広がっていた。

 

 なんとか自分が望んだところの少しでも近くに辿り着きたい。

 僕はそう思うし、人生の最期を迎えた男もそう思うだろう。

 28歳の料理人の女にはまだ夢という言葉が似合う。

 

 けれども彼女はこの話の最後に、思ってもみなかったところに「辿り着く」ことになっている。

 一応、そうなる設定:目標を立てて書いている。

 

 


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カカシも応援する中学生の稲刈り実習@駒場野公園・ケルネル田圃

 田圃に入って泥だらけになりながら稲刈り実習に勤しむ中学生たち。

 農作業というよりも子供のドロンコ遊びに限りなく近い。

 すごく楽しい。

 見ているこっちも楽しくなります。

 ずらりと並んだカカシたちも笑ってます。

 

 土曜(14日)の「マイナビ農業」の取材は、じつはダブルヘッダー。

 午前中は、こちら駒場野公園にある「ケルネル田圃」と筑波大学付属駒場中・高校にお邪魔して、中学生らの稲刈り実習の現場を見学してきました。

 

 ケルネル田圃とは、明治10(1877)年に明治政府の肝いりで開校した駒場農学校の広大な試験田の一部で、いわば明治時代の遺産。

 

 水田土壤の研究と稲作肥料の研究によって、日本の近代農学に大きな影響を与えたと言われるドイツ人講師・オスカー・ケルネルの名が冠された田圃です。

 

 ここで駒場農学校の140年後の後輩たちが、毎年、種もみから苗を育て、春に田おこし・田植えを死、秋に収穫・脱穀・もみすりをして玄米にする一連の農業実習を行っています。

 

 駒場中・高校は、農業学校ではありませんが、この田圃の仕事をとても大事にしていて、教育活動全体の柱にしています。

 

 この話もマイナビ農業 https://agri.mynavi.jp/ で今月中に記事UPします。

 

 この田圃がある駒場野公園は、井の頭線・駒場東大前下車徒歩2分。

 

 この季節、駅前ではカカシコンクール(目黒区主催)優秀作品賞の不動明王とスーパーマリオブラザーズもお出迎えしてくれます。

 

 渋谷からわずか2駅、時間にして5分のところにこんな素敵なスポットがあるのはワンダフル!

 


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ニクいぜ品川:東京食肉市場まつり2017

 

 品川駅港南口・超近代的インターシティの裏手に広がる巨大市場。

 日本最大級の食肉の加工・流通拠点が東京食肉市場です。

 別名は「芝浦と場」。

 全国から運ばれてきた牛やブタがここで解体・加工されてお肉になり、僕たちの街のお店にやってきます。

 

 昨日・今日(14・15日)は年に一度の食肉まつり。

 今月から始めた新しい仕事「マイナビ農業」の取材でやってきました。

 

 普段は一般人は入場も見学もできませんが、この2日間だけは大開放。

 悪天候にも関わらず、お肉を求めてあちこちから人、人、人で大賑わい。

 

 普段、いろいろ作業している場内にはお店が立ち並び、牛肉・豚肉・加工肉などを大売り出し。

 肉料理の屋台やイベントステージも盛りだくさんです。

 

 牛のモウ汰と豚のトン吉もお出迎えしてくれました。

 が、ブタのほうがでかいのはなぜだブー?

 モウ太は子牛ということか?

 

 市場内センタービルの6階には「お肉の情報館」があり、

 食肉の製造工程や市場の歴史をパネル、ビデオ、模型などで分かりやすく展示していて、面白かった。

 

 この内容は今月中にマイナビ農業(https://agri.mynavi.jp/)の記事としてUPする予定です。

 


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●八王子緑化フェア―「趣味の園芸・やさいの時間フェア」

 

 1日の日曜日は八王子フェア第3弾でした。

 「趣味の園芸・やさいの時間フェア」。

 ガーデンデザイナー・吉田祐治さんのデザインによるカルチャーステージは八王子の里山を表現したものです。

 

 出演の杉浦太陽くんを見て、幼稚園生くらいの子に「ほら、コスモスだよ」と言っているのを見てびっくり。

 うちの息子が保育園生の時に見ていたので、彼がウルトラマンコスモスをやっていたのってかれこれ15年以上前の話。

 いまはいつだ?っていきなり頭の中がタイムスリップです。いつもビデオでみているのかなぁ?

 

 第2部のトークショーは講師の藤田智さんと地元の「江戸東京野菜」の生産者のお話。八王子は都心に近い農産物の拠点。「江戸東京野菜」という東京ならではの伝統野菜がたくさんあり、最近、都内の一流シェフの間でも人気を集めています。

 「八王子ショウガ」など、八王子独自のストーリーを持つ野菜も人気です。

 この江戸東京野菜や、近郊農業の話は今後もちょくちょく書いていこうと思っています。

 


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八王子「きょうの料理フェア」

 

  昨日24日は八王子フェアシリーズ第2弾、「きょうの料理フェア」をやりました。

 第1部は番組の公開収録。写真はリハーサル中

 大人気企画の「20分で晩ごはん」に料理研究家のきじまりょうたさんが挑戦し、後藤繁榮アナウンサーが得意のダジャレを交えて、丁々発止の冷やかしを入れる。

 きじまさん、負けずに大汗かきつつも20分で4品の料理を見事作り上げました。

 放送はEテレで27日・水曜日・午後9時から。

 

 第2部はトークショー。

 東京唯一の道の駅「八王子滝山」の惣菜店「はちまきや」のメンバーが来て、後藤アナ・きじまさんと郷土料理の話に花を咲かせました。

 客席の参加者にお惣菜の試食もふるまいました。

 

 ちょっと暑かったけど、おいしい2時間ごちそうさま。

 


八王子の惣菜店「はちまきや」と織田信長とTOKYO-Xの豚バラ大根

 

●はちまきや 

 今日も八王子フェアの取材

 4日開催の「きょうの料理フェアin八王子」に出演する「はちまきや」のメンバーにお話を伺いました。

 

 「はちまきや」は、都内唯一の道の駅である八王子滝山に入っているお惣菜屋さんで、

地元の人たちに大人気のお店。

 メンバーは農家のおかみさんたちで、毎日朝の7時前から入り、地元産の農産物などを使って、いろんなお惣菜やお菓子を作るそうです。

 

 あんころもちの餡なども、毎朝、小豆から煮るそうで、作っている最中からお客さんがやってきて注文し、出来上がりの時間を聞いて戻ってくるそうな。

 

 皆さん、もともと家では手料理を作っていたのだけど、この店を開店するにあたって、プロの料理研究家を招いて、メニュー作りなど、協力してもらったそうですが、その人の作るものは、ちょっとおしゃれ過ぎて味が薄い。

 八王子のお客さんの口にどうも合わまくて、昔から自分たちがやっていた味付けにしたら、そっちのほうがウケて大評判になったということ。

 

●織田信長

 その話を聞いて思い出したのが、織田信長のエピソード。

 尾張名古屋のキングから、日本のグランドキングに上り詰めようとしていた信長が、京の都から一流料理人を呼んで、料理を作らせた。

 ところが信長、2、3品つついたところで、

 

 「こんな水くさゃーもの食えんわ、このくそたーけ!」と

ちゃぶ台――じゃなくて、お膳をひっくり返して大激怒。

 

 なにせ「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」の人なので、

 料理人、真っ青になり、京の料理人のプライドなんかかなぐり捨てて、自分の基準ではありえないくらい味付けを濃くして出し直したそうな。

 

 そしたら信長、

 「めっちゃんこうみゃー。やればできるがや、おみゃーさん」

 と、褒めたたえ、金銀ジャラジャラ褒美をとらせたとか。

 

 あのお方はな、上品な京都の薄味が分からない田舎侍やさかいな――と、

 信長を揶揄した京都人の作り話のようですが、食べ物の好みにまつわる、こうした歴人のエピソードは大好きです。

 

●TOKYO-Xの豚バラ大根

 ちなみにいくつか、このはちまきやの惣菜を買って帰って食べました。

 すっかり有名になったブランド豚「TOKYO-X」も、じつは大半が八王子産。

 このバラ肉(脂身がほんのり甘い!)と大根を煮つけが、めっちゃんこうみゃー。

 信長にも食べさせてあげたかった。

 

 


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英国名物フィッシュ&チップスの材料にイカが選ばれるようになったグローバル化現象に関する私的考察

●大好物のフィッシュ&チップス

 

 イギリスの「フィッシュ&チップス」が大好きで、昔、かの地で暮らしていた時はよく食べました。

 いわゆるファーストフードで、要は魚の天ぷらとフライドポテトなのですが、これに盛大に塩とビネガーを振ってかぶりつく。

 

 日本でもたまに見かけるので食べたことがありますが、全然ダメ。

 なんというかお上品すぎる。カッコよく英国風に・・・をコンセプトにするせいかもしれませんが、スカしたラーメン屋がうまくないのと同じで、労働者階級の食物は、あんまり洗練されたアレンジメントでは味が出ません。

 世界一の食大国・日本のセンス・技術が裏目に出てしまうのです。

 

 フィッシュ&チップスの材料は主に白身魚で、タラを中心に、ヒラメやスズキなどが多かったように思いますが、なんでも最近、英国近海ではこれらの魚――特にタラが不漁で、安く提供できなくなっているとのこと。

 

 そこで代わりにメインになりつつあるのが、イカ!

 

●愛するイカ

 

 昔、読んだ本の中に「ヨーロッパ人はイカやタコを『悪魔の魚』として怖れ、嫌うので、食べることはない」と書かれていました。

 

 その頃(30年ほど前?)はまだあんまりイタリアンも広まっておらず、僕は、ふーん、そうなんだ、あんなうまいものを食わないのかと思っていました。

 

 ちなみに僕はイカ・タコが大好物で、名古屋人なので、よく「えびふりゃー好きでしょ」と言われるのですが、えびふりゃーより、イカふりゃーやカキふりゃーの方が断然好きです。

 イカは刺身も寿司も天ぷらも、イカスミスパゲティも大好きです。

 

●イカ・タコを食べるヨーロッパと食べないヨーロッパ

 

 ところが、さにあらず、イタリアをはじめ、スペイン、ポルトガル、ギリシャなどの南欧諸国ではかなり日常的にイカ・タコを食べていることが判明。

 これらの国々を旅していた時は、毎日のようにイカ・タコを食べて命をつないでいました。

 

 なので、その本の中で書かれていたヨーロッパ人とは、イギリスとかオランダとか北欧とか、北ヨーロッパ系の人のことらしい。

 

 確かにイギリス人とイカ・タコはミスマッチという気がするし、ドイツ人やフランス人もあんまりイカ・タコを食べているイメージがない。

 

 イカを食べるヒトラーとか、

 タコを食べるマリーアントワネットとか・・・

 想像すると面白いけど。

 

●地球環境の変化と市場の変化

 

 つまり昔は、北の方の海ではイカ・タコがあまり生息しておらず、漁獲量もわずかだったので市場に出回らなかった。

 見慣れない物は食えるかどうか、うまいかどうかわからない。

 

 皮をむいたウサギや、にっこり笑ったブタの頭が、肉屋の店先にぶら下がっているのは「おいしそー」と思うけど、イカやタコが魚屋にあのままの姿形で並んだりすると、なんだか見た目気持ちわるーい・・・と、かの国の人たちは感じるわけです。

 

 けれども地球の海が暖かくなり、それまで北にいた魚がさらに北へ、そして南にいた魚が北に上ってくる。

 

 すると、英国近海でタラの代わりにイカが大量に採れるようになり、せっかくいっぱい採れるから売ってみるか、ということで市場に出回るようになり、じゃあこれを材料にするか・・・ということでお店で使ってみたら、お客にも好評。安いし、結構デリシャスじゃん、ということで、イカのフィッシュ&チップス(正確にはスクイド&チップス?)がポピュラーになりつつある・・・ということらしい。

 

●日本食やイタリア料理でイカ好き増加?

 

 というわけで、昔ながらの食習慣も環境の変化があれば、割と簡単に変ってしまう。

 フィッシュ&チップスが変わったのも、昔と比べて、日本食やイタリア料理・南欧料理が社会に浸透し、グルメ情報が大量に流通するようになって、イギリスの人たちの間でイカ・タコに抵抗感がなくなったからではないでしょうか。

 

 これもまたグローバル化現象?

 

 いずれにしても皆さん、脂肪たっぷりのお肉の食事は少々控えて、タウリンたっぷりのイカ・タコ食べて、健康になってくださーい!

 

 というわけでイカ大歓迎。やっぱり本場で食べたいフィッシュ&チップス。

 来年あたり、久しぶりに行こうかな。

 

 


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未来食堂から学ぶ、「Yes」から始まる未来

 

「未来食堂」の小林さんがまたテレビに出ていた。

 自分のブログをふり返ったら、この前、未来食堂のことを書いてからもう4ヵ月が経っている。 光陰矢の如し。

 

●未来のストーリー

 

 で、やっぱり話を聞いて、やっぱり感心してしまった。

 お店の理念がとにかく素晴らしい。

 ごはんを食べる場所は、誰もがそこ安心していられる場所。誰もに相応しい場所。

 

 AIやロボットが台頭して、それまで有能と言われ、自信にあふれていたビジネスマンが失職し、失意の中で食堂にめしを食いにやってくる。

 

 ある人は表に貼ってある「ただめし券」を使って、泣きながらガツガツ食べたりもする。

 

 そして、お腹が満たされたて、ふと店内の他のお客を見わたす。

 泣いているやる、笑っているやつ、怒っているやつ、まったりしているやつ、生まれてきたばかりのやつ、もうすぐあっちへ行っちゃいそうなつ・・・

 いろんなやつがいいて、そいつらみんな、たくさんの人間の未来に思いを馳せる。

 これからの人間には何が求められるのだろう?と。

 

 話を聞きながらなんだか、ふと、そんなストーリーとシーンが思い浮かんだ。

 

●しょうゆを使わないきんぴらの話

 

 今回、印象に残ったのは、お客さんの申し出を否定しない、ということ。

 

 一例として挙げたのは、「あつらえ」――この店ではその日の定食のほかに、冷蔵庫にある材料を見せて、お客がほしい一品料理を作ってくれる――に、「塩気のない金平」を作ってくれ、という人がいたという話。

 

 きんぴらには塩分のある醤油を使うので、通常、この注文はアウトだが、小林さんは醤油の代わりにお酢と砂糖を使って、なんとかきんぴらに近いものを作る、という。 (お酢を熱すると、しょうゆに近い風味が出せるらしい。今度実験してみよう)

 

●まず肯定し、受け入れて、考えて、工夫する

 

 お客を否定しないなんて、そんなの商売なら当たり前だろ、という意見もあるだろ、

 また、表向きはどんな会社もお店もそう言ってるだろう。

 

 でも、いざ実行しているところはどれだけあるだろう?

 小林さんのように考えて、こんな工夫をするだろうか?

 

 実際、ノーといった方が面倒はないし、カッコもつけやすい。

 自信があるように見える。

 

 ノー、うちはそんなものは作りません。

 ノー、それは僕の仕事じゃありません。

 

 もちろん、理不尽な要求にはノーと言わなくてはいけないけど、すぐに否定する前に少しは相手を受け入れられるか、考えてみていいのかも。

 

 イエス、やってみましょう。

 イエス、できるかもしれません。

 

 そして、人に対してだけじゃなく、自分に対しても。

 

 イエス、やったことないけど、やってみよう。

 イエス、自分のこういうところ、いいんじゃない?

 (そいういえば「Yes、We can!」とういうのがあったなぁ。懐かしい)

 

 人との関係も、自分の可能性らも、ます肯定して受け入れるところからしか始まらない。

 未来はイエスと言った時点からスタートする。

 もう一度、小さなところから「Yes、We can!」を実行したらどうだろう?

 

 そんなわけで未来食堂、

 4ヵ月前は「これから産休に入ります」とのことだったが、いつの間にか産休も終えて復帰していたようなので、しばらく神保町界隈に用はないけど、行ってみるか

 ・・・と思ってホームページを見たら、29日まで夏休みになっていた!

 

 う~ん、未来はまだ遠い。

 


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夏の冷たいお飲み物の話

 

 「ペリエ」なる飲み物に初めて出会ったのは、やはり80年代にロンドンのレストランで働いていた時でした。

 

 早い話が単なる炭酸水なんだけど、独特の瓶に入っていて、なんだかすごくおしゃれ。

 アルコールを飲めない人が食事の席でこれを飲んでいると、一緒にいる人がワインやビールを飲んでいても、全然違和感がない。

 その頃の日本ではまだペリエを飲んでいる人なんていなかったので、さすがヨーロッパだな~と妙に感心したものです。

 

 当時、日本人の感覚だと炭酸水って、ウィスキーや焼酎を割るためのもので、それだけゴクゴク飲むかなんて考えられなかった。

 けど、僕は近年の夏はもっぱら、ふつーの、何も入っていない炭酸水を愛好。

 「脱水症状にはソーダっすい」というわけで、気分によってそのまま氷を入れて飲んだり、レモンを絞って入れたり、果汁で割ったり。

 喉に刺激があって、これが最高です。

 

 逆にこの頃、市販の清涼飲料水ーーコーラ、サイダーなど、暑い時にガバガバっと飲みたくなるソフトドリンク一般――が飲めなくなってきた。

 

 毎夏、購買意欲をそそるような目新しい製品が次々出るので、喉が渇いた時、ガツンと飲んでやろうと思って自販機などで買うですが、トライしてたいてい後悔する。

 どれを飲んでも、後味がなんだか気持ち悪いのです。

 百数十円無駄遣いしたという思いも手伝って、気分が爽快にならない。

 

 ビールも飲めなくなった。

 ここのところ、どうもあの匂いが鼻について、さらに飲んだ後の息が自分で気持ち悪くて、2~3年前からすっかりビール離れ。

 付き合いの席で1~2杯飲む以外は、全然飲まなくなりました。

 

 最近、大人気のノンアルコールビールも一度口にしてみましたが、全然ダメ。

 でもやっぱり飲み会の席では、ああいうものを飲んで同化しないと違和感を醸し出しちゃうのでしょうか?

 もちろん、車を運転しなきゃならない人、これからまだ仕事があるので・・・と言う人には最適だと思いますが。

 

 ちなみにネットで「禁酒しました」と言いつつ、「だからノンアルコールビールを飲んでいます」という人がいるけど、それって・・・。

 自分の意志で酒をやめておきながら、ビールの味と香りを求めるなんて、なんだか潔くないなぁと思ってしまいます。

 ビールメーカーやその関連企業、あるいはそれ関係のお仕事をやっているとか、やむを得ない事情・しがらみみたいなものがあるんでしょうか?

 

 酒やタバコって個人の嗜好・趣味の問題。

 つまり、自分の生き方・メンタル・自分の中の文化の問題。

 

 周りの人に迷惑かけないよう禁酒・禁煙するんだ、という理屈なのかも知れないけど、どうせやめるなら疑似的なものでごまかしたりせずに、ちゃんと自分の嗜好を変えたほうがいい。

 よけいなお世話だとは思うけどね。

 


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●フランス革命とマクロン大統領と「パンがなければお菓子を食べろ」発言の真相

 

 3日ほど過ぎてしまいましたが、7月14日はフランスの革命記念日でした。

 ニュースでマクロン大統領と、訪問したトランプ大統領が並んでいるのを見て、なんだか親父と息子みたいなだな、顔もちょっと似てるなーと思いつつ、初めてパリに行った1986年のことを思い出しました。

 

 当時はロンドンに住んでいたので、朝、家を出て、ドーバー海峡を渡ってフランス北端のカレーにわたり、夕方パリに到着しました。

 泊ったのは都心にある小さなホテルの、ちょっとポエミーな屋根裏部屋。

 

 その旅行は一人ではなく、同じ職場のウェイトレスさん二人が一緒だったのですが、この二人が漫才コンビみたいな調子で、

「朝食食べたらギロチン見に行くわよ~」

「正月の朝からギロチンとは縁起がいいなぁ」と、やりとりしていたのが面白かった。

 

 記憶がいまいち曖昧だけど、この時出掛けたのは、革命関係の絵や資料が見られるカルナヴァレ美術館だと思います。

 さすがにギロチンの実物は展示されていません。

 

 今から228年前に起こったあの出来事が、世界史の1ページを飾る大事件であることは今も昔も変わりませんが、世の中の評価はだいぶ変ったように思います。

 

 かつては革命の理想に邁進する民衆が、力を合わせて古い体制を叩き潰し、自由と平等の社会を創り上げるという物語が強調されており、もの革命=善という見方が強かったように思います。

 

 しかし近年は、革命時の発狂したとも言える民衆のヒステリックな状況、血に飢えた人々の非道な残虐行為にスポットが当たることが増え、あそこまでやる必要があったのか?

 そうそう胸を張って誇れるようなものだったのか?――という疑問が多く聞かれるようになりました。

 

 

 情報化が進んで、以前のように「民衆・革命=善」「王政・古い体制=悪」といったように単純には捉えられなくなった、また、世の中の保守化の表れでもあるのでしょうか。

 

 そういえば、革命劇の主役のひとり、最大の仇役であったマリー・アントワネットの人気は死後2世紀を経て、年々上がっているように思えます。

 かつては民衆の女性に徹底的に妬まれ、憎まれた、あのお姫様ぶり、セレブぶりが、逆に現代の女の人達の、大きな関心と共感、憧れを呼んでいるのも面白いところ。

 悲劇のヒロインでもあるし、みんな、アントワンネットのこと大好きだもんね。

 

 ところでトランプ似の若き大統領・マクロンさんだけど、僕はつい「マカロン大統領」と言い間違えてしまう。

 

 マカロンはおフランスのお菓子ざんす。

 「パンが食べられないなら、お菓子を食べればいいじゃな~い」――

 っていう歴史的名言(?)も、じつはアントワンネットは言ってないそうざんす。

  けど、今や彼女のキャラに欠かせないキメ台詞。

 どんどんキメて、どんどん美味しいお菓子の宣伝に使ってほしいザンスね。

 


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ばんめしの支度できたよ

 

 「ばんめし できたよ」のプロットが出来たので、とりあえずラジオドラマとして執筆開始。

 

 病に倒れ、死に瀕した男がホスピス「虹の彼方」に送られてくる。

 彼を迎えたのは、温厚温和な給仕人と、愛と情熱にあふれた女性料理人。

 給仕と料理人は、夢を失った自分の人生と運命を呪い、嘆く男の記憶を引き出し、彼を幸福にする「最後の晩餐」を作ろうとするが・・・。

 

第1幕:虹の彼方

第2幕:メニュー作り

第3幕:最後の晩餐

 

 新しい作品に取り組み始める時は、期待感と同時に、本当に仕上がるのか?とすごく不安になりますが、登場人物の3人が約束してくれたので、このひと夏で完成するでしょう。

 


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ばんめしできたよ プロット

著作者: VinothChandar ライセンス:クリエイティブ・コモンズ
著作者: VinothChandar ライセンス:クリエイティブ・コモンズ

写真著作者: VinothChandar ライセンス:クリエイティブ・コモンズ

 

おもな登場人物

★ヒロコ:料理人。28歳

★モリヤ:給仕人。52歳

★ウノ:ホスピス入居者。67歳

 

第1幕:ホスピス「虹の彼方」

 

ホスピス「虹の彼方」に新しい入居者・ウノさんが来た。

ヒロコとモリヤは部屋に行き、自己紹介するとともにホスピスのコンセプト――緩和ケアと食事サービスのあらましを紹介。人生を幸福に締め括るために「最後の晩餐」を提供していることを伝える。

ヒロコは何が食べたいか、ウノさんに話を聞きに行く。

「ただ食うために生きてきた」――ウノさんは語り始める。

何も欲せず、人を傷つけたりしないようにひっそりと生きてきて、やっと自由になったと思ったら、こんな病気になるなんてあんまりだと、彼は人生を呪い、死の恐怖におびえ、混乱する。

そんなウノさんにモリヤが飲み物を出す。飲み物を飲んだウノは、落ち着きを取り戻していく。彼は次第に現実を受け入れていく。そしてこのホスピスに入れてもらえたことは自分の人生の中で最高に幸福な出来事かも知れないと思い始め、記憶をよみがえらせていく。メニュー作りの準備はできた。

 

 

第2幕:メニューづくり

 

 厨房でヒロコが料理を仕込み、デザートを作っている。突然、手が引きつり、作業の手が止まる。ほどなくして回復し、作業に戻りつつ、彼女はウノさんが語ったことを回想していた。

ヒロコはあの手この手でウノの記憶を呼び覚まし、いろいろなシーンをイメージさせ、それに基づいてメニュー作りを行った。

 

 ウノさんは学生時代、好きだった女の子にプレゼントしようとお菓子を作ったことがある。でも、これじゃ男と女があべこべだと思って手渡せなかった。その子は結局、他の男とくっついてしまった。

 ウノさんは夢を抱いた。自分は結構うまく料理ができる。料理人になりたいと思った。けれども両親は大反対し、ちゃんと勉強して大学に入って会社に勤めろと言った。

 ウノさんは親の言われるままにしてしまった。大学は志望したところに入れず、親はがっかりした。就職もままならず、志望した会社には入れなかった。

 その後、社会人になっても彼の人生は鳴かず飛ばず。思い切って会社を辞めて、キッチン付きのキャラバンカーで日本独自の料理を作りながら世界中を旅して回る夢を抱いたこともあった。しかし、これも自分では無理だと結論して諦めてしまった。

 

 ウノさんに話を聞くうちにヒロコの記憶も入り混じっていく。

彼女も親に反対されたが、家を飛び出し、修行をして回って各地でプロの料理を学んだ。ある夜、彼女は真夜中の店の厨房で、同じスタッフだったかつての恋人と抱き合い、歌を歌い、想像の中でいっしょに料理の歴史の旅に出かけたことを思い出した。恋人は痩せた彼女の身体をなでながら「この骨で美味しいスープが取れそうだ」と言って笑った。おいしい料理は素敵な恋に、素敵なセックスに似ている・・・。

 

 そんな彼女の瞳をウノさんはじっと見つめ、入り込んでいた。彼女の恋の思い出もウノさんにとっては羨ましいものだった。

 自分の話に戻り、結局、ウノさんは真面目に会社勤めを続けて無事定年を迎えてすぐに病に倒れた。夢は何一つかなわず、ただロボットのように感情もなく働いて生き長らえてきた。そんな人生に何の価値があるのか・・・。

 

 回想が終り、ヒロコはウノさんの「最後の晩餐」のメニューを完成させた。そしてモリヤと話し合い、サーブする日時を決める。けれどもヒロコはこれを本当に彼の最後の晩餐ということにしてしまっていいのか、疑問に捕らわれる。そのことをモリヤは察し、よけいなことを考えずにあの人が幸せになれるようにこの料理を作ってください、と穏やかに命じる。

 

第3幕:最後の晩餐

 

 ウノの前に出される完璧な最後の晩餐。けれども彼は口を付けようとせず、料理の中に毒が入っていると言う。自分はそんなことをした覚えはないとヒロコは驚き、うろたえる。

 ウノはヒロコの語った話を聞いて、彼女のことが好きになってしまったと告白する。最後に自分を幸せな気持ちにしてくれた料理人への感謝を込めて毒でも頂きましょう、と言って食べようとする。その瞬間、ヒロコの中で雷光のようなものが閃き、ウノの動きを阻止して自分の作った料理を床にぶちまける。

 彼女は気が付いたのだ。モリヤがサーブの時に最後の仕上げとしてふりかける「魔法のスパイス」が、入居者の息の根を止める毒であることを。

 

 ヒロコの糾弾を受けて、モリヤは語り出す。「虹の彼方」は、最後の晩餐によって人を安楽死させるための施設だった。給仕人のモリヤは影の院長であり、ホスピスを管理統括していた。そして、これは老い、病んだ人々が無事幸せに人生を締めくくれるよう、国家と資本家が秘密裏に考案し、実践している合法的な医療行為だったのだ。

 モリヤはヒロコに告げる。「このことを人に言いたければ言ってもいい。でも誰も信じないだろうし、信じようとしないだろう。私たちは何も悪いことをしていないし、罪悪感を抱く必要もない」。

 

 ヒロコはモリヤの言うことに抗えないが、受け入れることもできない。帽子とエプロンを外し、辞任すると告げたのち、ウノを叱咤激励し、彼のために、かつて恋人のために歌った歌を歌う。それに元気づけられ、よろよろとベッドから起き上がるウノ。一歩二歩と歩き出した彼を支えながら、ヒロコは本当にやり残したことはないのか?と問う。こんな体で何ができるのか、と自嘲して笑うウノ。しかし、じっと彼女の瞳を覗き込むと、お腹の奥底から一つの抑えがたい思いがこみあげてきた。

 「おかゆと味噌汁でいい。自分で最後の晩餐を作って、あなたと食べる。それをやり遂げるまで僕は生きる」と言う。家に帰ろうとするウノにヒロコはついていく。彼の本当の最後の晩餐を手伝うために。

 

END

 


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ローリング・ストーンズと新選組の相似点について

 

●夏はローリング・ストーンズ

 

  気温が上がってくるとローリングストーンズが聞きたくなる。

 夏はストーンズだ、ロックンロールだ!

 

 とはいえ、じつはそんなに熱心なストーンズファンというわけでもなく、曲もそんなに知りません。

 ざっと数え挙げても10曲くらいしか出てこない。

 

 ビートルズやレッド・ツェッペリンほど、音楽性が幅広いわけでなく、プログレ系ほど深い陰影があるわけでもない。

 僕にとってストーンズはあまりディープにはまりこむことなく、ほどほどのテンションを与えてくれる。

 だから仕事のBGMとして最適なのです。

 

 だけど、「アンダー・マイ・サム」と「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」はいつ聴いてもサイコーにカッコいいなぁ。

 

 1990年の待望の初来日公演の時も、友だちと大騒ぎしながら東京ドームへ行きました。

 もちろん、ミックやキースが目立つのだけど、僕にはドラムのチャーリー・ワッツが最も印象的でした。

 メンバーみんな、演奏中、リズムを外すまいとドラムの周りに集まってくる。チャーリーの刻むハートビートがこのバンドの音楽を支えている、と思いました。

 

 演出もド派手で大ロックンロール大会という感じでしたが、個人的には最近、YouTubeでお目にかかる60~70年代の少々ダークなムードがただようライブの方がそそられるものがあるなぁ。

 

●ブライアン・ジョーンズと芹沢鴨

 

 ストーンズ関連のストーリーはあまり読んだことがないのだけど、この間、ネットで「ストーンズの成功の理由」について書いた文章があって、何気に読んでいたら、その理由の一つにブライアン・ジョーンズをクビにしたことを挙げていました。

 

 ブライアン・ジョーンズは初期の中心メンバーで、もともとストーンズはミック・ジャガーやキース・リチャーズのバンドでなく、ジョーンズのバンドだった。

 60年代当時、ストーンズはビートルズと張り合っていたのだけど、リーダーのジョーンズがドラッグとアルコールに溺れて、このままではバンドが崩壊する危機に瀕し、ジャガーをはじめとする他のメンバーが結託し、ジョーンズにクビを言い渡しに行ったというのです。その数カ月のちにジョーンズは薬物中毒で他界しました。

 

 この話を読んでなんだか新選組に似ているなぁと思ってしまった。

 当初、新選組のボスは芹沢鴨という武士だったのですが、素行が悪く、このままでは世間に認められないと察知した近藤勇と土方歳三は、他の隊士と共謀してボスである芹沢を粛正するのです。

 

 どちらも反逆的な若者集団だけど、世間に自分たちの存在を認めさせ、上に這い上がるためめには、あまりに反社会的な面は矯正するバランス感覚と、自分たちを引っ張ってきたリーダーと言えど容赦しない非情さも必要なのだということですね。

 

●ミック・ジャガーと会った話

 

 ロンドンの「ひろこレストラン(日本食)」にと勤めていた時、一度だけミック・ジャガーが来店したことがあります。

 えらく若い恋人を連れてきたなぁと思ったら、娘さんでした。

 あの当時(1986~7年頃)、まだ高校生ぐらいの齢だったと思うけど、すごく大人っぽくて美人だった。

 そんな娘さんと一緒で気分が良かったせいもあり、終始にこやか・穏やかで、リラックスした様子でした。確かメインは焼き魚を食べていきました。支払いはアメックスのカードで。

 

 ミックはじめ、メンバー全員、美味しく楽しくヘルシーな日本食をたくさん食べて、健康を維持して、死ぬまでロックンロールしてほしいと思います。

 


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人生最後の食事

 

 一流レストランの料理人だった男が、ホスピスのシェフになり、入居者ひとり一人のために食事を作るという物語。

 

 ホスピスはご存知の通り、病気などで医師からいわば「死刑宣告」をされた人、生きるのを諦め、人生の最期を受け入れつつある人たちの「終の棲家」になる場所。棲み処と言ってもそこにいるのはほんの半月程度の間です。

 

 この物語はその入居者、および付き添うパートナーや子供たち数組と、彼らの話を聞き、食事を提供するシェフとの交流やそれぞれの人生のドラマ、そして食事をめぐる心の葛藤を描いています。

 

 もともとドイツのテレビのドキュメンタリー番組だったようで、著者はその番組の制作者の一人でもあるジャーナリスト。

 あまりドラマ性を強調せず、感動を押し付けない素直な語り口と乾いた文体で淡々と文章を綴っています。

 

 いちばん興味をひかれるのは、やはりシェフの男。

 年齢は明確にされていませんが、大学を中退してあちこちの一流店で料理人の修業を積み、このホスピスに来て11年、というのだから、若くても30代半ば。父親以外、家族について語ることなく、まだ独身のようです。

 

 多少脚色がされているのか「人生の旅人」といったニュアンスのキャラクターになっています。

 

 このホスピスがあるのが閑静な郊外ではなく、世界に名だたる夜の歓楽街レイパーバーン(ハンブルグ)の程近くというところも、なんだかちょっとフィクションめいているのだけど、それもまた面白い。

 

 人生にとって大事なものは何か?を考えさせられる一冊です。

 


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「世界屠畜紀行」の「屠る」と「食べる」

 

 「人を食った話」にはいろいろコメントを頂きました。

 やっぱり食人に関しては、単に「飢餓状態における野生の本能の発動」というわけでなく、脳のロックを解除するために宗教的・道徳的操作が必要になるようです。

 

 「この(食人という)行為を行うのは、神の御心なのだ。

 神が食べて生き延びよと導かれている」

 といったセリフを作って、自分で自分に納得させるのでしょう。

 そうでなくては鍵は開けられないのだと思います。

 

 そして食べる前には「屠る」――殺した上に切り捌く、という行為をしなくてはなりません。

 あんまり想像したくはありませんが・・・。

 

 しかし、この「屠る」=屠畜ということに関心を向けて、世界中を取材して回り、本を書いた人がいます。

 

 内澤旬子さんというライターで、「世界屠畜紀行」というのがその本で、2006年に「解放出版社」という大阪の出版社から出された本です。

 

 

 著者本人曰く「普段食べている肉をどうやって捌いているのか、単純に知りたかった」というのが、この企画の動機だったとのこと。

 

 そうした好奇心を持つ人は結構いると思いますが、実行に移す人はなかなかいない。

 尊敬に値します。

 

 ちなみに 彼女は「殺す」という言葉にまつわるネガティブなイメージが嫌だということで、「屠殺」ではなく「屠畜」を使っています。

 

 韓国、バリ島、エジプト、モンゴル、ヨーロッパ、そして沖縄、東京と回ってその屠畜の現場を精力的に取材しています。

 

 さすがに写真を載せるわけにはいかないので、イラストレーターでもある彼女は自分のスケッチ(妹尾河童画伯の細密画を想起させる画風)を載せています。

 

 ただ、これは「人間社会の内奥をえぐる迫真のルポルタージュ!」といった類のものではなく、目の前で起こっている事実をつぶさに観察し、それに対する自分の感情と考察を軽いタッチで、ちょっと面白おかしく描いており、「面白ノンフィクション」とでもいう感じの内容になっています。

 

 でもやっぱり描かれる場面は凄惨なことに変わりなく、実際に豚や牛や羊を屠畜する人たちとうまくコミュニケーションし、取材を成功させているのはすごいなぁと思います。

 

 また、命を奪う行為なので、どうしてもその国その社会の文化・道徳・宗教、社会のありよう、さらに職業に対する差別問題など、いろいろ複雑なものがそこから炙り出されてくるのです。

 

 いま僕たちは、幸福なことに、そのへんのスーパーやお肉屋さんで買って、あるいはレストランに行って、毎日、ごく日常的に、何も考えずに動物の肉を食べている。

 

 でもそこに来るには、自分でやるわけではないけど、「屠る」という行為が必ずあるわけで、そこにはすべからく文化・道徳・宗教・社会の問題が絡み合っている。

 

 平和な日常によけいなイメージを紛れ込ませて、めしが食えなくなるといけないので、考えたくない人は考えなくていいと思いますが、「食」に興味のあって平気そうな方は、ぜひ一読してみてください。

 

 


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人を食った話

 

  人間は餓死しそうなほど飢えていればなんでも食べるのだろうか?

 生まれて一度も口にしたことのないものでも、口に入れられるのだろうか?

 敬虔なイスラム教徒は不浄な豚の肉でも食べられるのだろうか?

 ヒンドゥー教徒は神聖な牛の肉でも食べられるのだろうか?

 他の動物は、飢えれば共食いも辞さない。

 でも人間はどうなのか?

 僕もあなたも人の肉は食べられるのだろうか?

 

 すべての人間の脳には「飢える恐怖」がプリインストールされている。

 食に関する禁忌は、そうではなく生後、育つ過程で、その環境の生活・文化・宗教などによってインストールされる。

 脳に厳重なロックが掛けられる。

 その鍵は生命に危険がおよぶ極限状況に遭遇すると解除される。

 でも本当にそうなのだろうか?

 

 俗にいう「アンデスの聖餐」では、アンデス山脈の雪山で遭難した人々が、死んだ仲間の肉を食べて生き延びた。

 しかし、何人かは最後まで頑なにその「贈り物」を拒み、餓死した。

 

 どっちがいい・悪いの問題ではない。

 でもどっちか選ばなくてはならなくなったら、僕はどっちなのだろうか?と考えるのです。

 

 もちろん生きたい。

 ただ、生き延びた人のその後の人生はどうだったのか?

 食事はちゃんとできたのだろうか?

 生きたことを後悔しなかったのか?

 罪の意識に苛まれるることはなかったのか?

 

 いろんな疑問が渦巻きます。

 一度、脳のロックを解除してしまったらどうなるのだろう?

 僕は四六時中、自分で自分が怖くてたまらなくなるのではないか・・・と、想像してしまいます。

 

 人間の場合、動物とちがって、食べることは単なる栄養補給・肉体を維持するためだけの行為ではありません。

 そこにはその人が生まれてから体験してきた文化やアイデンティティの問題が、深く、複雑に絡み合っています。

 

 脳のロックは、その文化やアイデンティティに基づいて掛けられたもの。

 いわば自分がその文化圏の人間であること、自分が自分であることの証明でもあるのです。

 

 世界各地で人食い人種やカニバリズムの話が広められ、実際にそういう記録も残っているようなので、いざとなれば容易に解除されそうだけど、実際はどうなのか?

 

 たとえ死に瀕したとしても、僕はおそらくそう簡単には外せないと思うのです。

 もちろん人それぞれで判断は違うだろうけど、人間はギリギリのところまで人間であり続けようと考えるのではないか。

 他の動物に堕して生きるより、人間として死ぬほうを選ぶのではないか。

 

 だから、禁忌に対するタブーは侵さない――僕はそう思う。

 希望する、といった方がいいかも知れません。 

 

 あなたはどうですか?

 餓死の危機に陥ったら、普段はけっして口にしないもののうち、何と何なら食べられると思いますか?

 

 


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カエルの歌が聞こえてくるよ

 

 6月と言えばカエルです。

 いや、断然カタツムリだ!と言う人もいるかも知れない。

 紫陽花の葉っぱの上をもそもそやっているカタツムリもきらいではないけど、なんといってもサイレントです。

 だけど、カエルはトーキーだ。

 ケロケロ、ゲロゲロ、美しいとまでは言わないまでも、ユーモラスに鳴いてくれます。

 カエルの歌は雨を呼ぶ歌。雨がしとしと降ると、田んぼが潤い、稲が育ち盛りの子供のようにすくすく伸びる。

 これが正しい日本の梅雨の季節なのです。

 最近は昨日みたいなゲリラ豪雨が多くて、そんな情緒もどこかへ吹っ飛んでしまっているけど。

 

 だから日本人はけっこうカエルが好きです。

 西洋では化け物や悪魔扱いされることが多いけど、日本ではベビーフェイスで、健気ないいやつらということになっています。

 ガマガエルは悪役俳優だけど、人間や農業に危害を及ぼすわけではないし、心底嫌われているわけではない。

 彼らはお百姓さんたちにとって、田んぼや小川や池で遊ぶ、お百姓さんのかわいいペットだったのです。

 

 西洋人の耳には秋の虫の声はノイズにしか聞こえないと言うけれど、カエルの声もそうなのでしょうか?

 ただのうるさいゲロゲロ声なのだろうか?

 

 従来の日本人には心地よい音楽に聞こえていたはず。

 だから「カエルの歌」なんて輪唱曲もでき、小学校唱歌になったのだけど、まだ愛されているのだろうか?

 

 調べてみたら、なんとあの曲、もともとはドイツ民謡でした。

 ドイツではどんな時に歌われていたのかわからないけど、日本の作詞家はきっと里山でカエルの歌がどんどん広がり、いつまでも響いているような、そして、それが来る秋には黄金色の稲穂が実り、美味しいお米がどっさり収穫されるというところまでイメージして、輪唱の歌にしたのでしょう。

 

 今年は水害が起こらない程度にやさしく雨が降って、たくさんお米ができてほしい。

 カエルはそれを祈願する歌い手なのだ。ケロケロ。

 


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脳が構築する「風味」:人間の食と世界観

 

●「風味」という名のイメージ調味料

  昨年の「ふるさとの食・にっぽんの食」のイベントで、出演者の講師(料理人)が話していたフレーズが印象に残っています。

 

 「料理の風味というものは家庭の食卓で作られる」

 

 最近、「食」に関する研究書を読んでいて知ったことですが、本当の意味での「風味」というのは実在しない。

 風味とは物理的なものでなく、脳の中で作られるイメージだというのです。

 

 僕たちが食べ物を味わう時、その食べ物が実際に持つ味・においの信号が、舌・鼻から神経を通って脳に伝えられます。

 そこで脳が信号を処理して、その食べ物の味・においを認識させるわけですが、この処理の段階でかなり複雑な操作が行われます。

 そこに絡んでくるのが「記憶」です。

 

 その食べ物があった食卓の情景――食事をした時間・空間、誰がいっしょだったのか、その人たちとどんな関係で結ばれ、どんなコミュニケーションがあったのか・・・

 

 といった環境すべてを含んだ要素で形成される、いわば、その食べ物を取り巻く「世界観」が入り混じって、ある種のストーリーを創り上げます。、

 そして、そのストーリーに対する感情・イメージが形成され、それが「風味」となるのです。

 

 僕たちは毎日・毎食、そうした「風味」という名のイメージ調味料をふりかけて食事をしているわけです。

 

 そうすると、巷で売られている食品に付される「風味」「風味豊か」といった言葉は、実際には「軽いにおい」と言い表すのが正解なのでしょうね。

 

●人間を人間たらしめる風味・におい

 この風味がないと食事はどうなるのか?

 それは単なる栄養補給行為になって、動物がエサを食べるのと変わりなくなってしまう。

 動物にはその味やにおいは感じられても、風味を感じられるわけではない。

 風味があるからこそ、人間は食を楽しめ、人間としての食事をできる。

 そしてまた、そこには自分の記憶・自分が存在する理由も含まれている。

 

 この風味を形成するために重要なウェイトを占めるのが「におい」ですが、事故などで嗅覚を失ったりする(においを感じる神経が損傷する)と、脳の中で「風味」を構築することができなくなり、食事を楽しめなくなります。

 

 そればかりか、自分の記憶・アイデンティティを失う危機に陥ると言います。

 

 イヌなど(および野生動物全般)は、嗅覚によって、自分がいる世界を認識すると言いますが、文明社会に生きる人間の場合も、それと同じことが言えそうです。

 

 ちなみに人間の嗅覚はイヌや、その他の野生動物より数段劣るというのが従来の説でしたが、最近の研究ではそんなことはなく、人間は一兆種類以上のにおいを識別できると言います。

 

 しかも脳内で記憶と結びつけ、「風味」に変換できるという、他の動物には逆立ちしても真似できない特殊能力も兼ね備えている。

 

●母の料理は超えられない

 そう考えていくと、単なる栄養学を超えて、幼少期の食育というのがいかに大事か、が分ってきます。

 ただ食わしておけばいいわけではないし、毎食ぜいたくなものを食べればいいというわけでもありません。

 

 そういえば、冒頭にご紹介した料理人の方は、戦前のお生まれで、子供の頃、家の台所ではまだかまどを使っていたとか。

 

 「長年プロとしてやっているけど、私の料理は、永遠に母の手料理を超えられない」とも言っていました。

 

 におい・風味・記憶――人間の食にまつわる世界は、底なしに深く、面白い。

 


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近所の評判店がクローズしちゃったのでイヤミを言わせてもらうざんす

 

 近所にあったお菓子のシャトレーゼ、神戸屋キッチンと、結構人気が高いと思っていた飲食店が相次いでクローズしたざんす。

 シェーッ!

 

 あくまで印象だけど、どちらも結構お客が入っていたし、活気もあった。

 スタッフがやる気ないとか、サービスがずさんだとか、いわゆる「凋落する店」の傾向はなかった(そんなにしょっちゅうは行ってなかったけど)ようだけど、それでもだめだったんだと、ちょっと愕然としています。

 

 今のご時世、飲食店を維持していくのはそんなに難しいのだろうか?

 

 おそらく両店ともチェーン店なので、本部が決めた一定以上の売り上げをあげられない店は割と簡単に閉鎖できちゃうんでしょうね。

 でも、僕の周囲ではがっかりしている人たち――ファンと言ってもいいお客さんが多いのです。

 

 経営上しかたないんですよ、といえばそれまでだけど、メニューも充実していた、サービスも工夫していた、接客もそれなりにちゃんとやっていた・・・けど、成果(=売上)が出ないから、もうやめます、ってことでいいのかなぁ。

 

 結局、地域のお客さんや働く人たちのことを大事にする会社じゃない、地域に貢献しようなんて思っている会社じゃない、単なる飲食ビジネスの会社なんだねぇ・・・って印象を残さないのだろうか?

 そういう会社が「みなさんの美味しい笑顔、美味しい幸せをつくります」みたいな広告打って、支持されるのだろうか?

 

 全国展開している大きな会社だからこそ、小さな地域・少数のファンの存在を重要視する視点があってもいいと思うなぁ。

 

 まぁ、おいしいもの提供している自信があるから、1店舗や2店舗閉めたって大した影響はないと思っているんだろうけど。

 

 5年くらい前には「成功店」「成功者」と、マスコミにもてはやされていたお店とか、カリスマなんたらという経営者がすでに過去の店・過去の人となっている例も多々あるざんす。

 どちらもそうならないよう、気を付けて頑張ってちょうね。


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最後の晩餐の演出

 

●再確認のための晩餐

 

 ネット上に数多見かける「人生の最期に何を食べたいか?」という質問。

 それに対する答を見てみると、自分の好物や、食べたくても普段なかなか食べられないもの(高価なもの、贅沢なもの、あるいは太るのを怖れていつも我慢している・・・といった理由で)がほとんどを占めています。

 

 一度も味わったことがないもの――たとえば「チベットの秘境に伝わる伝説の○○料理」――を、この世の食い納めに味わいたい、という人はほとんどいません。

 一度味わったあの味を、あるいはそのワンランク上のレベルもの(同じマグロのお寿司でも○○産のクロマグロの・・・)を欲しがる人が、ほぼすべてです。

 

 つまり最期に所望するのは、脳の奥深くに刻み込まれている、あの美味しさをワンスモア。

 再確認するためというわけ。

 

●人生の美味しいところが凝縮された晩餐

 

 それでアンケートでは、好きな食べ物・料理やお菓子そのものを挙げるのですが、実際にはそう単純ではありません。

 その食べ物・料理・お菓子の背景には、ひとりひとり独自の膨大な思いがあります。

 逆に言えば、その思いをギュッと凝縮し、具象化したのが、その食べ物・料理・お菓子なのです。

 

 いくら寿司や刺身やステーキや焼肉といった好物・贅沢品の皿がずらりと並んだとしても、そこがひとりぼっちでカラッポの病室だったら、「ああ、これが最後の晩餐だ」と感動して迎え入れ、美味しく食べられるでしょうか?

 

 おそらくはその食べ物に、その人の人生における体験や人間関係にまつわるシーン、シチュエーション、ストーリーが伴っていないと、最後の晩餐たる食卓にはなり得ません。

 

 それは子供の頃、おふくろが作ってくれた○○であったり、

 かつて旅の途中で入った異国の片田舎のレストランの○○であったり、

 友だちとみんなでわいわい言いながら突き合った○○であったり、

 貧乏な時代、家族や仲間と分け合って食べた○○であったり。

 栄光を勝ち取り、人生が輝いていた席での○○であったり。

 

 でも、そんなシーン、シチュエーション、ストーリーを再現するのはまず不可能です。

 希望に叶った「あの味」を口にしても「あんなに食べたかったのに……こんなもんだっけ?」という結果になってしまうでしょう。

 

 失望に終わる最後の晩餐ほど悲しく残酷なものはない。

 

●最期の想像力で創り上げる晩餐

 

 でもその時、人間は失望で終わらせないために、人生最後で最大の想像力を発揮して、その食べ物をコアとした、記憶の中のあの空間・あの時代・あの世界を創り上げるのではないだろうか。

 その食卓には、失われた家族や友だち、仲間、自分自身さえ集ってくるかもしれない。

 

 その好物の味と匂い、そして、何かのきっかけがあれば、たとえ認知症だとしても、人間の脳はそれくらいの幻想を構築できるのではないかと思います。

 

 問題は食事を作る者・出す者が、どうやってそのきっかけを作れるか。

 それが最後の晩餐を提供する者の腕前なのでしょう。

 

 (たとえ幻想だとしても)本当に望んだとおりの最後の晩餐が出来れば、たとえ実際にはとてもつまらない、スカスカの人生を送ってきたとしても、その人は幸福だった、充実していたと締め括れるのではないか。

 

 そんなブラックな妄想から「ばんめし できたよ」を構想しています。

 


ジャイアント馬場と大福とが創り出すアッポーな化学反応

 

●人生の最期に食べたいものは?

 新作「ばんめしできたよ」に向けて始動。

 その一環で「最後の晩餐」について調べてみました。

 

 「人生の最期に何を食べたいか?」というのは人気アンケートの一つらしく、サイト上にはいっぱい記事が載っています。

 ちなみにどこを見てもトップは「お寿司」。

 ま、わかりますが、わかりやすすぎてつまらない。

 

 僕もお寿司はフツーに好きだけど、そこまで特別なものか、執着するものかと言われると、そうでもない。

 

●父との最後の晩餐

 うちの父親は八年前に亡くなったけど、亡くなる1ヵ月ほど前(最後の2週間は意識がなかったので、2週間前と言えるかもしれない)、僕がいっしょに食べた最後の食事は「うどん」でした。

 

 うまく食べられないので、子供に食べさせるみたいに手伝ってあげたのですが、口からはみ出たうどんを、がんばってチュルチュルっと吸い込んだ時の映像が、いまだに頭の中に残っています。

 なんだかトンマで笑える光景でした。

 

 三島由紀夫は割腹自殺する前の晩に、取り巻きである楯の会のメンバーと、行きつけの料亭へ行って本当に「最後の晩餐」をやったらしいけど、覚悟を持ってそんなことが出来る人はそうはいません。

 多くはうちの父親と大同小異なのでは。

 

●馬場さんと大福

 もう一人、「最後の晩餐」と言えば、プロレスラーのジャイアント馬場さんです。

 馬場さんはテレビ番組で「人生の最期に食べたいものは何ですか?」と聞かれて「大福です」と答えました。

 

 ジャイアント馬場と大福という組み合わせは、「格闘家でありながら、人情味・ユーモア満載」というキャラクターとマッチして、忘れがたい印象を残しました。

 

 そう感じたのは僕だけでなかったようで、「ジャイアント馬場+大福」でネット検索すると、思いがけずたくさんの記事がヒットします。

 

 単なる思い出話だけでなく、なんと3年ほど前には、NHK Eテレの「グレーテルのかまど」というお菓子作りの番組で「馬場さんの大福」をやっていました。知らなかった!

 

 こういう話を聞くと、16文キックや椰子の実割りなど往年の格闘シーンや、芸人たちが物まねしたユーモラスなキャラクターと、ふくふくした大福のイメージが溶けあって、思わず「アッポ―」と叫びだしたくなるような、おいしい化学反応を起こします。

 


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「ありがとう」の思いを込めた動物供養は、世界オンリーワンの日本の文化

 

★ペット葬・ペット供養

 

 葬儀・供養業界の雑誌の仕事をしているのいで、その方面の話を聞くと、反応するようになっています。べつに信心深いわけではないのですが。

 

 最近、興味を抱いたのが、動物慰霊の話。

 人間の方は、お葬式をしないでそのまま焼場に送ってしまう直葬が激増。

 お葬式なんて形式的なものにお金をかけられない、という傾向が全国的に広がっていますが、その反面、ペット葬儀・ペット供養の件数は年々増え、手厚く弔うようになっています。

 

 これだけ聞くと、「人間より動物の方が大事なのか!」

 と怒り出す人もいそうですが、

 「その通り」とまでは言わないけど、

 日本のように動物の霊魂を認め、ちゃんと供養する文化を持つ国は稀少――というか、ほとんど唯一と言っていいようです。

 

★肉になる動物の供養:畜霊祭

 

 ペットの場合は心の癒し――いわば、精神の栄養になってくれるけど、肉体の栄養になってくれるのが、僕たちが毎日食べているお肉です。

 

 僕のロンドン時代の職場(日本食レストラン)の仲間にダテ君というのがいて、彼は高校卒業後、しばらくの間、食肉関係の会社に勤めていたそうです。

 

 そこでは必ず年に一度、「畜霊祭」というのを行い、自分たちが屠った牛や豚や鶏などを供養していたとのこと。

 

 もちろん、お坊さんが来てお経を唱えるし、参列者も喪服かそれに準じる服装をし、人間の法要と変わることなく、ちゃんとした儀式として行なうそうです。

 そして、社長など代表の人が祭詞を読み上げます。

 

 「人間のために貴重な命を捧げてくれて感謝の念に堪えません云々・・・」

 

 ダテ君の話を聞いたのはずいぶん昔のことなので、すっかり忘れていましたが、最近、この畜霊祭のことが書かれてある本を読んで思い出しました。

 

 さらにインターネットで調べてみると、びっくり。

 

 実際に屠畜に関わる食肉会社はもとより、家畜の飼料を作る会社とか、直接屠畜に関わるけではないところも、とにかく家畜関係のビジネスをやっているところは、みんな、こうした畜霊祭、牛供養、豚供養、鶏供養などを行っているんです。

 家畜のおかげで収入を得て暮らしていける。感謝してしかるべき。

 そういう考えかたなのです。

 その本の著者によれば、こんなことをやっているのは世界中で日本だけ。まさしく日本独自の文化。

 

★イルカもクジラも魚も、動物園も水族館も、実験動物も

 

 この話をすると、欧米人は信じられないとか、奇異な目で見て、嗤う輩もいるらしい。

 バカヤロ。

 彼らがよくやり玉に上げるクジラやイルカはもちろんのこと、「魚魂祭」といって魚の供養をするところだって全国津々浦々にあるのです。

 

 さらに言えば、9月の動物愛護週間には、全国各地の動物園で「動物慰霊祭」が行われるし、水族館ではやはり魚魂祭が行われます。

 

 そして実験動物も。

 マウスやモルモットをはじめ、動物実験を行っている研究所・医療機関も動物供養を行っています。

 

 僕たちは割と当たり前だと思っているけど、こうした施設においてちゃんとした動物供養をする国も、どうやら世界で日本だけのようです。

 

★敬虔な気持ち、感謝の心に基づく文化

 

 だから日本人は立派だ、という気はありません。

 ナナメから見れば、いくらでも批判できます。

 

 ペット業者も食肉業者も動物園も、みんな商売の一環でそうしているんだ。

 他のところがやっているから右へ倣えでやってるだけだ。

 実験動物だって、一部の動物愛護家がうるさいからだろ。

 カタチだけで魂なんかこもっちゃいない・・。

 とも言えるかもしれません。

 

 でも、そうした命や自然に対する敬虔な気持ち、哀れに思う気持ちと感謝の心に基づく文化があることは確かだし、知っておいたほうがいい。

 そして機会があれば、外国の人にも伝えられればいいと思うのです。

 

 少なくとも、畜霊祭や魚魂祭のこをおかしがって嗤う輩に

 「クジラやイルカを殺して食うとは、かわいそう。日本人はザンコクだ」

 なんて言われたくないよね。

 

 


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脳が知っている、豆腐小僧の食歴と健康食

●肉食卒業?

 

 最近、あまり肉を食べなくなってきました。

 特に健康を気にしているわけでもなく、ましてやベジタリアンになろうとしているわけではないけど、「肉が食いたい!」と、ムラムラっと湧き起っていた、あの欲求が起こらない。

 たとえば、街中で肉料理のアップの写真の宣伝物に出くわしても、なんとも思わない。

 もし仮に明日から肉食禁止と命じられても。「はい了解」と、すんなり受け入れられそうです。

 

 その代わりというわけではないのだけど、豆類や海藻類が妙に好きになってきた。

 豆類は食べ出すと脳内ブレーキがゆるみっぱなしになり、おかずだけでは飽き足らずに、おやつにもバクバク食べて、あとからお腹がいっぱいになり、プープーおならが出て困ったことになってしまう。

 

 トンカツなども、ヒレカツは食べるけど、脂身の多いロースかつは最近食べていません。

 牛丼は割と頻繁に食べていたのだけど、だいぶ前――40歳の手前もある時期、急に食べられなくなりました。

 匂いにつられてお店に入って注文し、2~3口食べると、急に胸やけと吐き気に襲われたのです。べつに体調が悪かったわけではないのに。

 そんなことが2~3度あって、いっさい食べられなくなりました。

 なぜだろう? あれは今でも不思議だなぁ。

 自分の脳から「もう食うな」と命令が下りたのではないかという気がします。

 

●食歴をふりかえって

 

 自分の「食歴」をふり返ってみると、子供の頃は肉がダメだったんですね。

 豆腐が大好きで「豆腐小僧」と呼ばれていたこともありました。

 

 学校給食に入っている肉が最悪で、しかも僕の子供時代は「勉強できなくても、給食をいっぱい食べる元気な子がいい子」という価値観の時代。

 だから先生もかなり脅迫的で、食べられるまで残されました。

 あの取り残された時のみじめさといったらありません。

 学校でどの授業よりも、給食の時間がいちばん嫌いで、本当にあのひどい「食育」には苦しめられました。

 そういうのもトラウマになっているのかもしれませんね。

 

 でもまぁ、子供時代に肉食がダメだったということは、もともと肉があまり体質にあってないのかも。

 なので、体力のピーク時を過ぎて、だんだん本来(?)の自分の食の趣向に戻っていっているのかも知れません。

 

●何が健康食かは、ひとりひとり違っている

 

 ちなみに何を食べれば健康になるか、維持できるかというのは人ひとりひとり全く違うと思います。

 極端な偏食は問題あるかも知れないけど、肉をバクバク食って長生きしている人もいるし、朝食を食べたほうが調子いいか・悪いかというのも、その人次第。

 

 いろんな人が「私のこの食事法がいいんだ」と、いろんな健康法を提言し、あれ食うな、これ食え、などと言っていますが、気にして惑わされないほうがいいと思います。

 

 それよりも自分の子供時代をはじめ、食の嗜好の歴史を振りかえって、本来自分に合っているのはどういう食なのかを、自分の脳に教えてもらったほうがいいのではないでしょうか。

 

 

 

 


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気になる。あったかくて、クールで、おいしそうな「未来食堂」

 

●これが未来の定食屋?の画期的システム

 

 神保町に「未来食堂」というところがあって、革新的な定食屋として話題を集めています。

 

 メニューは日替わり定食1種類だけ。

 しかし、それにプラス400円で、お客が自分の好きなものをオーダーし、いわばカスタムメイドの定食にできる「あつらえ」というシステムがあります。

 

 また、お店のお手伝いをすると一食ただで食べられるという「まかない」のシステム、さらにその「まかない」をチケットにしてお店の外に貼っておき、お腹をすかせた通りすがりの旅人が、自由にそれを使えるというシステムもあるとか。

 

 画期的というか、面白いというか、まさしく飲食業界の常識をひっくり返している。

 もちろん慈善事業でも何でもなく、ちゃんとビジネスとして成立し、黒字経営ができているとのこと。

 

 なんか独特のストーリーがある定食屋さんだなと感じます。

 

 オーナーで店主の女性は、もとITエンジニアで、以前はクックパッドで仕事をしていたそうです。

 なんか納得してしまう。

 そして、そうか、これが「未来」か、と大きくうなずいてしまう。

 

●接客はコンビニのように

 

 こうしたお店なので、さぞやお客さんと和気あいあいという感じでやっているのだろうと思いきや、彼女は接客に関して、「コンビニのような接客をしています」とテレビ番組のインタビューで応えていました。

 

 じつはこれが僕が最も興味をひかれたところ。

 

 家族のような、ヒューマンタッチの人情にあふれた食の風景ではなく、そこにあるのはクールで、半ばマニュアル的とも言えるコンビニ風の接客。

 そうしたベタつかない、さっぱりした関係が彼女の理想たと言います。

 

 それにはちゃんと理由があって、

 

 常連客と店のスタッフの距離があまりに近く親密だと、初めて来た人や、たまにしか来ない人たちは気後れしてしまう。

 足しげく通っていた時期もあったが、たまたましばらく来られない時期が続くと、なんだかバツが悪くて、来たくても以前と同じように顔が出せなくなってします。

 好きなお店に対するお客の心理って、けっこうビミョーです。

 

 そうしたよけいな気遣いをしなくて済むよう、どんなお客でも、ほとんど差がないよう、コンビニのように接するのが基本だと考えている。

 

 ・・・という趣旨の話を彼女がしていて、とても感心しました。

 

 そういえば、マンガ「孤独のグルメ」でも井の頭五郎(主人公)が、初めて入った店(このマンガに出てくる店は、だいたいどれも井の頭五郎が初めて入る店)で、やたら店主と常連客がなれ合っていて、裏メニューを出したり、わがままを聞いてやったりするのを不快がっていたのを思い出しました。

 

 僕たちはヒューマンタッチの店が、あったかくて人間らしくて良い店だ、と勝手に思い込んでいますが、そうとは限らない。

 たしかに親密さ、距離の近さが、べたつき感につながったり、うざく思える時がある。

 もちろん、そういう世界を求める人は求めていいのだけど。

 おみせの立場に立った場合、ビジネスでやる以上、自分の姿勢ははっきり打ち出さないとね。

 特に飲食の世界では、自分は顔が効くということを自慢し、店側に甘えたがる人も少なくないので。

 

●ただいま産休中

 

 「あつらえ」「まかない」といった画期的システムに、ベタベタしたなれ合にならない、クールで確かなお店の姿勢。

 「未来食堂」というネーミングがお腹の底にストンと自然に落ちます。、

 

 

 最近、神保町界隈には出向いていないので、こんど千代田区方面に行くときは、ぜひ寄ってみよう・・・と思っていたら、なんと、きょうから店主産休のためしばらくの間、お休みとのこと。

 がつがつ仕事するだけが人生じゃない。

 これもまた新しい「未来」!

 

 


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「ポッカサッポロ商品成長記」完成


 TOKYO PLANNINGさんから頂いた仕事で、ここ半年あまり取り組んできた飲料メーカー「ポッカサッポロ」の商品成長記が完成。無事納品しました。

 

 ポッカコーポレーションとサッポロ飲料は4年前に統合。

 社内でプロジェクトチームができ、互いの前身のことをよりよく知ろうということで、この本を制作しました。

 基本的には社内報のBOOK版ですが、トータル160頁で、かなりのボリュームになりました。

 僕はポッカレモンなどのレモン製品、缶コーヒー、スープ、バラエティ商品、製造技術、海外事業、業界人座談会など、約90ページ分を担当しました。

 

 ポッカは1950年代から80年代にかけて、日本の飲料業界をリードしてきたメーカーで、画期的なこと、クリエイティブなことをたくさんやってきました。

 

 かのポッカレモンは昭和20年代の名古屋・栄広小路で小さなバーを経営していた創業者が発案し、町工場で試作を重ねて作ったもの。

 日本初(ということは世界初)の缶コーヒーを作ったり、それを売るためのホット&コールド自販機も開発しています。

 また、缶コーヒー用の焙煎技術や、スープの造粒化(粉末でなく、顆粒の微細なツブツブにする)技術などに関してもパイオニアでした。

 

 片や、おみくじソーダや占いコーヒー、プリンシェイク、ふってゼリーにする飲料など、遊び心あふれる面白ドリンク商品もここがオリジナル。

 輸入事業や海外事業にも早くから積極的に取り組んでいました。

  

 じつはポッカが名古屋の会社だったということは、この仕事で初めて知りました。

 名古屋近辺には面白い会社、ユニークな会社がたくさんあるようです。

 名古屋出身者として、ぜひ、他のところでもこうしたものを作って、その会社ならではの「しごとストーリー」を書いて発信してきたいと思っています。

 

 このポッカサッポロの本は社内用ですが、面白い話・役に立つ話は、また折にふれ、ご紹介していきますね。

 


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放浪のブタ、ほじくり返すブタ

 

 ここのところ、頭の中を一匹のブタがピイピイ、ブーブー言いながら徘徊している。

 彼(彼女かも知れない)は、まだ子供のブタ。

 仕事場を求めてさすらう、中世のイングランドの石工の家族が、いざという時のための財産として連れ歩いていたブタか、

 あるいは戦国時代の薩摩軍が兵糧のために戦場で放牧していたブタか。

 

 まだ子供なので、毎日ごはんを食べさせてくれる人間が大好き。

 たらふく食べてどんどん大きくなると、みんながほめてくれてうれしくなる。それでまた食べる。

 

 でもある日、彼(彼女)は自分の運命に気づく。

 なぜ人間が自分を可愛がり、太るままにしてくれるのか。

 

 逃亡を画策するが、生まれながらの食いしん坊のブタは、自由の身になるには食えなくなるかも知れないというリスクを負うことも悟る。

 

 思春期のブタは思い悩みながら、自分の命運を握る人間たちを鋭い目で観察する。

 「食べられる者の目」で、人間がどんな暮らしをしながら何を、どうやって、どんな気持ちで食べるのか、見る。

 

 という具合で、次作は「食」をテーマにした作品。

 でも、このブタがどういう役回りになるのかはまだわかりません。

 とりあえずファーストストローク(初稿)は3ヵ月でやってみようと思っていますが、どれくらいの旅になるのやら。

 

 脳の奥にあることはブタに訊く。

 きっとブタがほじくり返してくれる。ここ掘れブヒブヒ。

 


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お米を研ぐ理由と人間の味と匂いの話

 

●通常のお米と無洗米の違いとは?

 

 先週やった「ふるさとの食 にっぽんの食」のイベントの一部「おいしいお米講座」の中で、五つ星お米マイスターの小池さん(彼は原宿唯一のお米屋の店主)が、参加者の質問に応え、通常のお米と無洗米の違いについて話していました。

 

 米を研ぐのは、表面についているぬかや細かいカスを取るため。

 昔はけっこう付着率が高かったので、ゴシゴシ念入りに研ぐべし、とされていましたが、最近は精米技術の進歩で、無洗米でないお米でもそんなにぬかやカスは残っていません。研ぐというより、さっと洗う程度の感じでOKだとのこと。

 

 マイスター自身も本当にささっと1分ほどしか研がないそうです。

 プロの和食の料理人の中には「炊いた時にほんのりぬかが香るぐらいの方がよい」と言って、1回だけさっと水をくぐらせるだけの人もいるとか。

 

 無洗米は手間を省くため、ぬか・カスを完全に洗い落とすという処理をした米です。

 しかし、じつは米の表面とぬかの間には極薄の層があり、その層がコメの旨みのもとになっているそうです。

 だから無洗米にすると、お米の貴重な旨みが消え、味気なくなってしまうです、というのがマイスターの意見でした。

 もちろん、忙しい人にとっては手間暇省けて重宝なのですが。

 

 僕も以前は、便利なので無洗米をよく使っていましたが、ある時期からなんだか吸水率が悪くて、炊き上がりがイマイチふっくらしないなぁと感じ、いつの間にか使わなくなりました。

 

 思い返すと、確かにマイスターの言う通り、ちょっと味気ない、炊き上がった時の香りも少ないという感じもしてたなぁ。

 うちはけっして高級なブランド米を食べているわけではありませんが、普通のお米と比べて、同じ量を食べても満足感が落ちるんですよね。

 

●日本人の無洗米化

 

 さて、デオドラント志向の強い日本人は、気をつけないと、そんな無洗米みたいになってしまうのではないかと危惧しています。

 

 まじめで勤勉な国民性は長所でもあるけど、努力してゴシゴシ自分を洗練し過ぎると、どんどん旨味もアクも抜け落ちて、持ち味も素っ気もない、ただ働いて税金を納めるだけの人になりかねないのではないだろうか、ということです。

 

 清潔になり、衛生状態が良くなるのは、もちろん賛成だけど、行き過ぎると雑菌に対する免疫が減り、抵抗力がなくなってしまう―ーということは専門家も指摘しています。

 

 泥とか、汚い物にまみれることが少なくなった、中にはまったくなくなった子供たちに関しては特に心配です。

 

 また、匂いに敏感で、それをとことん嫌う習慣についても、それでいいのだろうか、と感じます。

 

 香水をにおわせている人にはあまり会わないけど、お部屋用や洗濯用の洗剤に入っている消臭剤や芳香剤の匂いが服に移ってプンプンしている人ってけっこう多いんですよね。

 

 一生懸命マーケティングして、研究開発しているメーカーさんや、手軽に匂いが消せて助かるわ、というユーザーさんには申し訳ないけど、あの人工的な「良い匂い」はどうも苦手だなぁ。

 

 「これからは個人の時代だ」と言われて久しく、僕もその通りだと思うけど、自分の味や匂いをとことん隠したがる個人が集まる、個人主義の社会ってどんな世界なのか?

 言葉にするとすごい矛盾があって、なんだか興味を引かれるテーマです。

 


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アムステルダムのナシゴレンとコロッケとチーズとアンネ・フランク

 

●アムステルダム1987

 

 オランダの下院選のニュースを見ていて、アムステルダムへ旅した時のことを思い出しました。もう30年前の話です。

 ロンドンやパリほど華やかではないけれど、運河の街は独特の雰囲気を持っていて、歩いていてとても気持ちよかった。

 

 泊ったのは船を改造したボートハウスのユースホステルでした。

 狭い船内にいろんな国の若者がひしめき合っていて(その頃は僕も若者でした)、面白かった。

 

 食べるものも美味しかった。

 インドネシアを植民地化していた歴史があるせいか、インドネシア料理の店が多く、ナシゴレンなどは絶品でした。

 

 また、街中にコロッケの自動販売機があって、そのコロッケが安くてうまいのです。

 自動販売機というのは、日本では屋内によくある、パンやおにぎりが円柱形のケース内の棚に入っていて、欲しいものを選んでコインを入れると、くるっと回転して指定の棚からポトンと下に落ちてくる形式のやつです。

 

 郊外にあるチーズ工場にもレンタルサイクルで行きました。

 どでかいチーズの塊がずらっと並んでいて壮観でした。

 オランダの国土はほとんど平地なので、国中自転車で回れるという話を聞きました。

 今度ヨーロッパを旅するときは自転車で回りたい、というのが目下の夢です。

 

 一つ失敗したのがトイレ。

 かの国では男用を「HEREN(ヘレン)」というのです。

 ヘレンというから女用だと思って、もう一つの「DAMES(ダムズ)に入ったらそっちが女用でした。

 

●戦争と人種差別の記憶が自由の街を作った

 

 そんなアムスで最も印象的だったのは、やはりアンネ・フランクの隠れ家でした。

 観光客向けに必要以上に消臭されることもなく、当時の面影そのままに戦争の記憶・ナチスの支配の記憶をしっかり抱き込んだ空間。一種異様な空気感が漂っていたのを憶えています。

 

 当時のアムスが持っていた、ロンドンやパリ以上にコスモポリタンな気風、自由を尊び、異質なものを快く受け入れる精神は、は、この1軒の文化遺産――人種差別の暴走という負のドラマの記憶――を核として作られていたのではないかと思うのです。

 

●ヨーロッパのアイデンティティ

 

 そんなオランダでも、今回は惜敗したものの、移民排斥・イスラム排斥を謳う極右政党の勢力が伸びている。

 

 僕は「なんで?」と思う。

 おそらく日本人の多くもそう思っている。

 極右派にあまり良い感情は持たない。

 

 でも同時に、心の底では、ヨーロッパの国はヨーロッパらしくあってほしい、とも思っている。

 もう少し具体的に言えば、白人の、キリスト教徒の国であってほしい。

 アメリカみたいに移民でごった煮の国にならないでほしい。

 アラブ人やアラブ資本の会社はあまり増えてほしくない。

 

 少なくとも僕は、海の向こうから、とても無責任にそう思っている。

 

 日本人もそう思うのだから、当事者であるオランダ人やその他のヨーロッパ人なら、なおさらそう思う人が大勢いて何の不思議もありません。

 

 みんな、揺れ動く世界の中で、歴史や文化を含めたそれぞれのアイデンティティを、いま一度、確かめたがっているのだろうか、取りもどしたがっているのだろうか・・・という気がするのです。

 けっして極右派に共感するわけではないのだけれど。


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おいしいお米ができましたイベント

 

 この週末はイベントの仕事3連荘。

 土・日はNHK敷地の「ふるさとの食 にっぽんの食フェア」の現場に出向き、「おいしいお米ができました」と題したJAブースで、お米マイスターの「おいしいお米の食べ比べ講座」や、トーク&クッキングショーの進行・演出を担当しました。

 

 演出と言っても、台本を書いてしまった後は、基本的に出演者にお任せで、あとはスタートの時間や試食の料理を出すタイミングの合図を出しているだけです。

 

 「おいしいお米の食べ比べ講座」は昨年に引き続き、原宿の隠田商店街でお米屋さんをやっている五つ星マイスターの小池理雄さんが出演。4種類の米を食べ比べるなんて、ふつう家ではできないので、参加した人にとっては貴重で贅沢な体験になりました。

 

 トーク&クッキングショーはE-テレ「きょうの料理」の講師をやっている料理研究家の枝元なほみさんと、司会の後藤繁榮アナの「ゆるゆるコンビ」が出演。ほとんど漫才みたいな掛け合いで笑いを取っていました。

 

 後藤さんはダジャレでこれだけ笑いを取れるのだからすごい。

 

 枝元さんの大根を油で揚げる料理はぜひ作ってみたい。

 

 司会者の中には台本どおり・原稿どおりにしかできない人もいれば、ほとんど無視して自分流にやってしまう人もいるけど、後藤さんはそのあたりのバランスが最高です。

 

 オンエアに関係ないイベントの時は、かなり崩してしまうのだけど、実はちゃんと流れを抑えていて、肝心なところは台本から離れないでやってくれる、気持ちのいい司会者です。そのあたりはさすがNHKアナ(ちなみにもう退職されたので立場はフリーです)。

 

 このイベントはただ飲み食いするだけでなく、地震や台風による自然災害などの被災地農家の応援という趣旨があり、メッセージボードにはたくさんのメッセージが貼りつけられました。

 

 「そういえば3・11忘れてた」という人たちも、「忘れたフリをしていたい」という人たちも、何か刺激されるところがあったようです。

 


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プログレッシヴ・ロックスターの死①:ジョン・ウエットンの訃報、そしてロンドンの寿司

●ジョン・ウエットンの訃報

 

  つい先日、You Tubeを見ていたら「John Wetton Died」という文字が目に留まり、調べてみたら、1972~74年にキング・クリムゾンのメンバーだったジョン・ウェットンが今年1月に亡くなっていたことを知りました。

 

 クリムゾンは英国のプログレッシヴ・ロックバンドで、1969年発表のデビューアルバム「クリムゾンキングの宮殿」がロックの名盤として最も有名ですが、僕はウエットンがベーシスト&ヴォーカリストとして在籍していた頃のクリムゾンサウンドがいちばん好きです。

 

 「太陽と戦慄」「暗黒の世界」「レッド」「USAライブ」という当時リリースされた4枚のアルバム。中でもウエットンが歌う「放浪者」「夜を支配する人」「堕落天使」「スターレス(暗黒)」といったメロディラインの美しい楽曲を愛聴していました。もちろん今でも。

 

 ウエットンはクリムゾン解散後、同じメンバーだったドラムのビル・ブラッフォード、キーボード&バイオリニストのエディ・ジョブソンなどと「U.K.」というバンドを組んで活躍。1981年の来日時には中野サンプラザにライブを見に行きました。

 「闇の住人」「光の住人」「闇と光」という3部構成の組曲は最高にカッコよかった。

 U.K.のあとは70年代のプログレスターたちを集めた「ASIA」というバンドを作りました。デビュー曲の「ヒート・オブ・ザ・モーメント」は良かったけど、時代に合わせたせいなのか、ポップで軟弱な音作りになってしまい、関心は薄れました。

 

●キース・エマーソン、グレッグ・レイクの訃報

 

 ウエットンは癌で亡くなったそうですが、その関連で調べていったら、同じくプログレッシヴロックのバンド・ELP(エマーソン・レイク&パーマー)のキース・エマーソン、グレッグ・レイクも昨年亡くなっていました。

 

 ELPは、僕が中高生時代読んでいた「ミュージックライフ」という、当時、日本で最も売れていた(と思われる)ロック音楽雑誌で、1975年の人気投票ナンバー1だったバンドです。

 

 ムソルグスキーの「展覧会の絵」やチャイコフスキーの「くるみ割り人形」といったクラシック曲をロックに大胆アレンジしたアルバムや、ギリシア神話のメドゥサをモチーフにした強烈なジャケット(デザインは「エイリアン」を造形したギーガー)の「恐怖の頭脳改革」といったアルバムが大評判でした。

 

 キース・エマーソンがキーボード、グレッグ・レイクがベース&ヴォーカル、カール・パーマーがドラムスというトリオ編成。

 当時のロックファンの間では(僕の周囲だけだったかもしれませんが)「ELPを聴かなければ若者じゃない」とまで言われていたくらいです。

 

 さらに言うと、グレッグ・レイクはウエットンの前にキング・クリムゾンでベース&ヴォーカルを担当していたアーティスト。

 クリムゾンのオリジナルメンバーです。

 

 先述したかの名盤「クリムゾンキングの宮殿」では、「21世紀の精神異常者」「エピタフ」などの名曲で、詩人ピート・シンフィールドの鮮烈な歌詞を神秘的な声で歌い上げていました。

 まさしくレジェンドなアーティストでした。

 

●日本食レストランの常連客で、お寿司が好物のレイクさん

 

 僕は1985年から87年までロンドンの日本食レストランに勤めていましたが、そこはBBC(英国の国営放送局)に近かったこともあり、スタジオ収録を終えた俳優やミュージシャンがしばしばお客さんとして来店していました。

 

 その中でもグレッグ・レイクは常連客の一人で、たいていいつも寿司カウンターに陣取ってお寿司を食べていました。

 

 クリムゾン在籍時やELPスタートの頃はカッコよく、長髪の似合う若者だったレイクさんは、僕が会った頃はまだ30代でしたが、随分とメタボ体型になっていました。

 

 その巨体で寿司カウンターに座り、まるまると膨らんだ指でお寿司をつまみ、次々と平らげる姿にはかなりの違和感を覚えました。

 中高生時代の僕にとっては神話の中の英雄みたいな人だったので・・・。

 

 まあ、どんなにすごいアーティストだろうが、女神のごとき美女だろうが、みんな生きている以上めしを食うし、めしを食っている時は「ただの人」になるんだなぁということをしみじみ悟った体験でした。

 

●キース・エマーソンの悲劇

 

 レイクのように常連ではなかったけれど、キース・エマーソンも彼と一緒に2~3度来店したことがあります。

 

 ELPは一度、1970年代の終わりに解散していましたが、確か当時は、残る一人のカール・パーマーが、ジョン・ウェットンのASIAのメンバーになっていたため、ドラマーにコージー・パウエルを入れ、新ELPとして活動し始めた時期だったと思います。

 それで時々、一緒に来て話をしていたのでしょう。

 

 その頃のキース・エマーソンはレイクさんのように中年太りしておらず、まだ70年代のカッコいいイメージをそのまま保っていました。

 

 でも今回、いちばん衝撃的だったのは、そのエマーソンの死についてでした。彼の死因はピストル自殺だったのです。

 

②へつづく

 


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スーパーマーケットをめぐる冒険旅行

 

●スーパーよりどりみどり

 

 主夫なのでスーパーへ頻繁に行きます。

 うちの周囲――自転車で10分程度の圏内に10軒以上のスーパーがひしめいており、どこをご利用するかはその日の気分次第、という恵まれた環境なので、いつもとっかえひっかえ、あっちゃこっちゃに出没しています。

 

 ちゃんとデータを取っているわけではありませんが、だいたいどこがどんな品揃えになっていて、何が安いのかは頭にインプットされています。

 

 規模の違いもありますが、それぞれ個性があって、ダントツにここの品物・品揃えがいいとか、ダントツにここが安いとかはありません。

 それぞれ長所・短所があり、乳製品が安いなと思うところは、生鮮食品が少々高めだったり、全体的にお値段リーズナブルだけど、肉の品揃えが気に食わねえとか、何曜日は〇〇スーパーは魚が安いが、▽▽スーパーは野菜が安いとか、バラエティに富んでいます。

 

 おそらく各店、スパイを送りこんで他店の状況をリサーチしているのでしょうね。舞台裏の情報戦争は熾烈を極めていそうです。

そうでもないかなぁ( ´艸`)

 

 例外は三浦屋と成城石井。まぁ、どちらももともと高級志向なので。

 僕にとってこの2店は「ハレの日御用達」というところでしょうか。

 ちなみに成城石井のプレミアムチーズケーキの美味しさは絶品です。

 最近はクルミ入りとか、ブルーベリー入りとか、いろんなシリーズが出ていて嬉しい限り。ハレの日しか買いませんが。

 

●その日の店を選ぶ条件

 

 共通点もあって、だいたいどこも午前中に行くと、割引品がたくさん出ています。

 もちろん、賞味期限が迫っているものとか、節分やバレンタインなどイベントデーの売れ残り、季節的に市う品入れ替えのため・・・といった品々ですが、廃棄される運命から救うべく、積極的に購入しています。

 

 今日どこへ行くかは、

・時間的な余裕(歩いて3分と自転車10分では、やはりだいぶ違う)

・その日の体調(米、ダイコンやキャベツなどは重くてかさばるので、それなりの準備・心構えが必要)

・何を買うか

・どっかに行ったついでに寄れるか

 

 などの条件と、その日の気分を考え合わせて決めます。

 

●スーパーは社会科の学校

 

 スーパーは社会の縮図のようなところがあります。

 

 店内に並ぶ生鮮食品、アメリカ、中国、ベトナム、インドネシア、ブラジル、ロシア、ヨーロッパ各国・・・世界中から集まっている。

 国産でも、沖縄から北海道まで日本全国から。

 「国産」の表示もくせ者で、どういう経緯で「国産」になったかも単純ではない。

 また、なんでも国産が好まれるかというと、全然そんなことはなく、中にはイタリア産やスペイン産のうほうが好まれることも。

 で、なぜかイタリアやスペインなんかだと食品の安全性云々の話題は聞かれない。それだけ信頼が厚いということ?

 

 食品メーカーもスーパーの棚をめぐるライバル社との競争は熾烈。

 あ、あのメーカーのが消えて、代わりにこっちのが入ったとか、あの商品そろそろ飽きたなと思っていたら、パッケージが代わった、リニューアルした、とか、売れ行きや状況を見計らって、新商品投入のタイミングを決めたりとか、涙ぐましい企業努力が感じられます。

 

 値段の付け方もいろいろ気になるところです。

 

●スーパーに来ている人たちは面白い

 

 商品以上に面白いのが、それぞれのお店にいる人たちです。

 お客は当然、生活者。生活のために(食材などを求めて)スーパーにやってくる。でも来た以上は少しでも楽しみたいと、みんな考えています。

 そんな人たちが子供から年寄りまでウロウロしています。

 

 子供はスーパーが大好き。だいたいルンルンはしゃいでイキイキしています。

 ダダこねられて頭にきているお母さんもよくいますが、よほど迷惑かけてない限り、大目に見てやってほしいと思います。

 とくに赤ちゃんみたいな小さい子は泣いてもしかたないよね。

 あんまり申し訳なさそうに周囲に気を遣っているのを見ると、かえって気の毒になります。

 

 ここ数年でぐんと増えたのが、高齢の男性。

 「なんでおれはこんなところにいるんだ?」とでも言いたげな雰囲気の人から、十分買い物慣れした人まで、ちょっと見ただけでランキングできちゃいます。 やっぱり、スーパー通いにもスキルが必要です。

 

 車いすの人も増えました。介護ヘルパーの人が陳列された商品についてあれこれ説明したり、尋ねたりしているシーンにもよく出くわします。

 

 お年寄りや障害のある人たちはやっぱりお店が混まない午前中が多いです。

 

 お昼時にはスーツをかっこよくキメたお兄さんたちも、遠足に来た小学生のようにワイワイ弁当やパンを選りすぐっていて、これもまた笑えます。

 

●働く人たちの事情

 

 働く人たちの側も興味深い。

 昨今の労働事情・格差社会の現状が如実に反映されているようです。

 じつは妹が(離れて暮らしているので近所ではありませんが)スーパーのおばさんをやっていて、実家に帰るたびに裏事情をいろいろ話してくれます。

 その多くはグチですが・・・。

 この方面の話は長くなりそうなのでまた別の機会に。

 ちなみに最近はパートだの、バイトだのという呼び名はあまる使わず、パートナーとかクルーとかいうところが多いようであす。

 おばさん・おじさんのプライドを傷つけず、いかに気分よく働いてもらえるかが、店長・マネージャーの力量・才覚と言えるでしょう。

 

●いやしとエンターテインメントのスーパー

 

 ちなみに、あるお店でやたら男の客がよく並ぶレジがあって、見るとそこでは美人の若いお母さん(だと思う、たぶん)がレジ打ちをやっている。

 もちろん、ぼくも並びます。声も可愛らしく、接客も上手。思わず「おつりはいりませんから」と言いたくなります。

 いろいろよけいなものまで買ったりして。

 

 彼女がいるうちは、その店ばかりに通っていました。

 ところが、ある時からいなくなってしまい、心にドーナツのような穴がぽっかりとあいてしましました。

 そして、その後しばらくしてから、その店の店長が替わったという話を聞きました。

 もしや、これは店長との不倫? それが発覚して飛ばされたのか?

 人生、どこで何が起きるかわからんなぁ。

 ・・・といったスキャンダラスな妄想も含めて、スーパーは楽しい。

 

 一度、一日かけて各店をじっくり観察して回るスーパーツアーをしようと企画を練っています。

 みなさんも仕事に疲れたり、人生に退屈したりしたら、ぜひ近所のスーパーへ行って、買い物する振りをしてブラブラ店内を旅してT歩いてみてください。

 

 ただ、時々、思いがけず顔見知りと会って「あら、フクシマさん」と声を掛けられると、ドキッ!としちゃいますけどね。

 「あ、いや、なんか、ここで売っている油揚げが好きなもんで」とか言って、テキトーに笑ってごまかします。

 

 あるいは「きのうのお昼頃、〇〇にいたでしょ」とか言われて、見られていたか~! やばいです~となったり。

 別に何かやましいことしているわけじゃないんだけどね。

 

 


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むかしのコロッケ、みらいのコロッケ、まあるいコロッケ

 

★コロッケはやっぱり「むかし」だ

 

 むかしむかし、「むかしのコロッケ」がありました。

 と言ってもそんなに大昔のことではなく、つい1年くらい前までです。

 うちの近所のスーパーマーケットで、それは毎週月曜日と火曜日に「広告の品」として1パック2個入り100円で売っていたのです。

 

 かなり大きなコロッケでした。

 そして大きいだけじゃなく、本当にむかし、僕が子供の頃、近所の肉屋で買ってきて食べていたコロッケのように、素朴で懐かしくて、おいしいコロッケでした。

 それを1パック2個食べたらおなかいっぱいになって、とても幸せな気持ちになりました。

 つまり、僕はその「むかしのコロッケ」が大好きだったのです。

 

 それになんと言っても、ネーミングがすてきです。

 「むかしのコロッケ」。

 ほのかな郷愁とともに食欲がそそられます。

 それに健康的で安心して食べられるイメージがあります。

 

★みらいのコロッケ、食べたい?

 

 これが「みらいのコロッケ」だったらどうでしょう?

 みんなが大好きな「みらい」ですが、食べ物に使うと、なんだか新種の添加物が入っていないかな?とか、

 もしや最先端バイオテクノロジーを駆使した“絶対に遺伝子組み換えだとはバレない”遺伝子組み換え技術を使って育てたジャガイモを原料にしているのではないかな、とか、

いろいろな疑惑を生み出しそうです。

 

 こと、食べ物のネーミングに関しては、安心、安全、健康、おいしい、やさしい、家族団らん・・・と、圧倒的に「むかし」の方が圧勝。「みらい」は完敗です。

 

★むかしのコロッケはこうして生まれた

 

 それにしてもこのネーミングはそれだけの理由なのだろうか?

 もっと何か深いドラマが「むかし」の裏にあるのではないだろうかと、僕は想像を巡らせました。

 

 こんなにおいしいコロッケなのだから、作っている人が気になります。

 僕の推理では、その人はやはりお肉屋さんなのではないかと思います。

 

 むかしむかし、明治時代から続く東京の下町の老舗お肉屋さんのおやじです。

 昔馴染みのお客さんたちに支持されて何とかやってきたものの、時代の激変を受けて商店街自体が傾斜し、さらに不運なことに病気でしばらくお店を休業したのがきっかけで、経営が行き詰まってしまいました。

 そして、ついにおじいさんの代から続いてきた由緒ある店を閉めることになってしまったのです。

 

 意気消沈するおやじに、うちの近所のスーパーチェーンの幹部になっていた友人が声をかけました。

 「あの味をうちの店の総菜として売り出さないか。

 いいギャラ出すぜ」

 

 こうしておやじは高額年俸で契約し、スーパーの厨房に入り、自慢のコロッケを揚げるようになり、たちまちそのおいしさがわが町の近所で評判になり、僕たちの心をがっちりつかんだのです。

 

★むかしのコロッケ消滅の真相

 

 ところが、この「むかしのコロッケ」は昨年3月末を最後に、もう月曜・火曜の「広告の品」として出てこなくなりました。

 なぜか?

 

 僕にはその理由に心当たりがあります。

 このスーパーの、道路を挟んだ斜め向かいに八百屋に毛のはえたようなミニスーパーがあったのですが、そこがちょうど昨年3月末に閉店してしまったのです。

 八百屋に毛のはえたような・・・と表現しましたが、品揃えは少ないものの、一応、肉も野菜も生鮮食品は一通り売っていて、どれも安くて品もそんなに悪いわけじゃない・・・ということで、じつは僕もどっちかというとそっちのミニスーパーでよく買い物をしていました。

 

 けれども月曜と火曜は「むかしのコロッケ」100円セールがあるので、大きいスーパーの方へ行く。行ったら、コロッケだけでなく、つい、ついでに何か買ってしまう。

 じつはスーパーにとって、このコロッケを2個100円、つまり1個50円で売るなんて、おやじの年俸を含むコストを考えたらとんでもない話なのです。本当はその倍の値段をつけたいのに。

 

 つまり、「むかしのコロッケ」は、ライバルのミニスーパーに対抗するための赤字覚悟の商戦ツールだったのです。

 しかしライバルが去れば、大きいスーパーはもう安心。もう無理して100円セールをやる必要もない。

 おやじは自由契約になり、どこかよその町へ行ってしまった。

 しかし、お客から「あのコロッケはどうしたんだ?」という声が届きます。

 

★まあるいコロッケ登場。だが・・・

 

 そこでスーパーは「むかし」に代わる新製品として「まあるいポテトコロッケ」というのを売り出しました。

 名前の通り、まんまるのコロッケ。そういえば、小学校の頃にこんなまんまるコロッケを食べたような記憶が・・・。

 かわいいネーミング、そして大人のノスタルジーをくすぐるような売り方ですが、「むかしのコロッケ」と比べると、味もボリュームもインパクトが数段劣り、よく言えばかわいい感、悪く言えば子供だまし感は否めません。

 

 というわけで、「むかしのコロッケ」は僕たちの記憶の中で生きる伝説となってしまった。

 ああ、また、食べたい。むかしのコロッケ。

END

 


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マッシモ・タヴィオ、月9で商売大繁盛

 

「マッシモ、月9デビュー」と店の前に堂々とポスターが。

 ご近所のマッシモさんでロケがあってから1ヵ月余り。

 今週17日から始まったフジTVの月9ドラマ「カインとアベル」の第1回でお店が登場しました。

 

 登場人物がめしを食いに来る1シーンくらいの出番かと思っていたら大間違い。

 不動産会社が新しい商業施設の入札コンペに勝つため、人気店舗の支店誘致に挑む、その社員(社長の息子でもある)HeySayJUMP!の山田涼介クンが説得のために足しげく通う、おまけにピッツァも食べる・・・という流れで、この回のメインストーリーにグイッと食い込んでいて、出番もてんこ盛りでした。

 しかもドラマでありながら、店名は実名。「マッシモ・タヴィオ」と連呼され、十分視聴者に伝わったと思います。

 

 ドラマ内のオーナーシェフは、ピッツァに対して愛情のかけらも感じられない、「こんな奴においしいピッツアが作れるの?」とツッコミを入れたくなるような嫌なやつだった。

 そのくせ、最後には山田クンの情熱にほだされ、彼の誘致の要請に応じ、山田クンの会社はコンペに勝つという予定調和の結末。どうも気に食わなかったなぁ。

 

 本物の大将のマッシモさんは、行列をさばく整理係のおっさん役でチラリと映った程度。ちょっとがっかりです。まぁ、ドラマだからしゃーないけど。

 

 いずれにしても、ずいぶん名前を売ったマッシモさん。

 今時は名前さえ憶えてもらえば、どこにあるとか、どんな店とか、よけいなことは言わなくても、勝手にみんながパパッと検索してホームページを見て、ご来店してくれます。

 ホームページちゃんと作っておかないとね。

 

 というわけで、月9効果・山田クン効果でお店はますます繁盛。これぞマーケティングの王道というべきでしょうか。

 でもまぁ、もともと繁盛店だし、品質がいいからこういう流れが引き寄せられるわけですが。

 

 商売上手と言いたいところだけど、当のマッシモさんは儲けようというより、こうした状況を余裕で楽しんでいるように見受けられます。

 いずれにせよ、おいしくてお店の雰囲気が良ければ、言うことなし。

 

 

 

2016・10・22 SAT


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ホントは新商品じゃないけど、新商品に見せる編集・編曲の能力

 

ロッテの仕事

 

 先週、井の頭線の渋谷駅はガーナチョコレートの真っ赤なポスターだらけでした。

 だいぶ昔の話になるけど、僕は7~8年にわたってロッテの仕事――

スーパーやコンビニなどのバイヤーに見せるプロモーションビデオの台本書き

をやっていたので、なんとなく愛着があるのです。

(ロッテの場合、ガムが強いので、ガムは別にやってて、チョコレート類、キャンディ類、ケーキ・ビスケット類が守備範囲でした)

 

●ガーナはスイスの味?ガーナの味?

 

 ロッテの回し者じゃなのだけど、ガーナはおいしい。

 100円(スーパーだともっと安い)であれだけの味を提供するのは、すごいコストパフォーマンスだと思います。

 明治・森永を追いかける後発メーカーなので頑張ったのです。

 明治・森永がハーシーなどのアメリカ産チョコの味を追求したのに対して、ロッテはヨーロッパのチョコの味を追求し、スイスから職人さんを呼んできて研究開発し、あの味を実現しました。

 確か昔は「スイスの味」とか言ってコマーシャルしていた記憶があるけど、それでなんでアフリカのガーナ? 

 原料のカカオの産地だからですが、子供の頃はその矛盾に悩みました。

 

●新商品は売れない

 

 話を戻すと、僕が関わっていた頃は、まだどの菓子メーカーもどんどん新商品を出していました。

 けれどもどんどん淘汰されて、今、生き残っているのは、昔からあるおなじみの品ばかり。

 最近出る新商品というのは、ほとんどが既存ブランドのシリーズものになってしまい、

ガーナブラックだの、ガーナなんとかだの、ガーナだらけになってしまっています。

 

 なんというか、ウルトラマンなんとか、仮面ライダーなんとか、ガンダムなんとかといっしょのような・・・。

 

 市場も少子高齢化の影響で、対象が若い子から、中高年層に移行してきたので、「まいどおなじみの~」という物じゃないと買ってもらえない。

 

 要するに全くのゼロから立ち上げた新商品は売れない時代――特に板チョコの市場はそうなってしまったようです。

 

●従来とは違う意味・違う価値に光を当てる

 

 今、飲料・食品メーカーの仕事をしていて、先日、業界紙を作っている人たちの座談会に参加したんだけど、そこでもやっぱり同じような話が出ていました。

 

 新しいもの、ユニークなものは作っても売れない。

 ただ、毎度おなじみ~だけでは飽きられるので、既存ブランドをいかに時代に合わせてユニークにアレンジできるか、オリジナル作品を生み出す能力よりも、編集・編曲の能力が問われる時代になっているようです。

 

 さらに言っちゃうと、いかにうまくパクるかの能力、あるいは、中身は変えずにラベルだけ変えて新しく見せる能力も重要。

 

 というと聞こえが悪いけど、これも位置づけを変える、従来とは違う意味・違う価値に光を当てて、人々に気づかせるということにつながるのでしょう。

 

 というわけで、ガーナ、まだまだがんばってほしい。

 そろそろチョコレートやココアが恋しくなる季節だなぁ。

 

 

 

2016・9・29


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永福町の名店マッシモ・タヴィオ、10月スタートの連ドラに登場!

 

今週月曜日、うちのポストになんか紙ぺらが入っていました。

またなんか「工事します。ご迷惑かけてごめんちゃい」ってやつかな?と思ったら、

テレビドラマ撮影のごあいさつでありました。

 

ロケ場所はわが町・永福町の大人気イタリア食堂、マッシモ・タヴィオ。

うちから徒歩1分弱です。

水曜日は資源ゴミ回収の日なので、朝8時前、段ボールとペットボトルの袋を抱えて表に出たら、駅の方からわさわさ人がやってくる。

立ち止まって見ていると並ぶわ並ぶわ。もちろんエキストラのお客さん役の皆さんです。

 

というわけで、夜明けから日がとっぷり暮れたディナータイムの頃まで、昨日(14日)1日、マッシモさんのお店は撮影スタッフのきびきびした声が行きかい、いつもと違う活気がありました

 

気になるのは何のドラマかということだけど、今朝、お店のスタッフの人に聞いたら、10月スタートのフジの月9で、Hey!Say!JUMPの山田涼介くんが主演――ということが判明。(今、けっこう人気があるんだとか)

さらにネットで調べたらタイトルは「カインとアベル」で、旧約聖書のアダムとイブの息子である兄弟をモチーフにしたラブストーリーということ。

 

共演者とか、それ以上のことはよくわからんけど、昨日撮影したシーンは第1回で放映されるよか。で、オーナーシェフのマッシモさんも出演するらしい。

ピッツアを焼くだけでも絵になるイタリア男だけど、せっかくだから、ついでにカンツォーネを歌って聞かせるとか、山田涼介くんに恋の指南をするとか、それくらいの芝居をしてほしいのですが・・・どうだったのか?

会ったらちょっと聞いてみよう。

 

第1回は10月10日でしょうか。

永福町の皆さんも、イタリアのも皆さんも、

マッシモのピッツアが大好きな皆さんも、まだ食べたことのない皆さんも、

そしてこのブログをお読みの皆さんも、ぜひともフジの月9ドラマ(第1回だけでいいけど)を見よう!

 

 

 

 

2016・9・15 THU


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名古屋でレスカ・ストロング

 

 ポッカ・サッポロのお仕事で、8月になったらアンテナショップ「ヘルシーレモンスタンド」がオープンするよ、というお話を聞き、早速参上。

 場所は名古屋・栄のラシックという商業ビル(名古屋三越の南隣)の1階。レモンスカッシュの「すっぱ度」=レモンの濃さがライト、レギュラー、ストロングの3段階あり、好きなのを選べます。もちろん、ストロングをチョイスしたら、スッパアアアアアアア~くて、うまい!

 

 ところで、ポッカレモン、ポッカコーヒーでおなじみポッカが、わがふるさと名古屋産の飲料メーカーというのは初めて知りました。きしめん、手羽先、味噌カツのみならず、いまや名古屋めしが大人気だけど、むかしっからカゴメとかパステルとか、結構うみゃーもん作っとる会社がいっぴゃーあるんだわな。

 おまけにトヨタもあるでよ。

 

 おっと、これは失言。尾張名古屋は城で持つわけじゃなくて、実はいまや世界のトヨタで持っている。水素ステーションもいっぴゃーあるでよ。(でもないけど、ぼちぼちでき始めているようです)

 


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ゴマスリずんだ餅と正直ファンタじいさん

 

おもちペタペタ伊達男

 

  今週日曜(19日)の大河ドラマ「真田丸」で話題をさらったのは、長谷川朝晴演じる伊達政宗の餅つきパフォーマンスのシーン。「独眼竜」で戦国武将の中でも人気の高い伊達政宗ですが、一方で「伊達男」の語源にもなったように、パフォーマーというか、歌舞伎者というか、芝居っけも方もたっぷりの人だったようです。

 

 だから、餅つきくらいやってもおかしくないのでしょうが、権力者・秀吉に対してあからさまにこびへつらい、ペッタンコとついた餅にスリゴマを・・・じゃなかった、つぶした豆をのっけて「ずんだ餅でございます」と差し出す太鼓持ち野郎の姿に、独眼竜のカッコいいイメージもこっぱみじんでした。

 

 僕としては「歴人めし」の続編のネタ、一丁いただき、と思ってニヤニヤ笑って見ていましたが、ファンの人は複雑な心境だったのではないのでしょうか。(ネット上では「斬新な伊達政宗像」と、好意的な意見が多かったようですが)。

 

 しかし、この後、信繁(幸村=堺雅人)と二人で話すシーンがあり、じつは政宗、今はゴマスリ太鼓持ち野郎を演じているが、いずれ時が来れば秀吉なんぞ、つぶしてずんだ餅にしてやる・・・と、野心満々であることを主人公の前で吐露するのです。

 で、これがクライマックスの関ヶ原の伏線の一つとなっていくわけですね。

 

裏切りのドラマ

 

 この「真田丸」は見ていると、「裏切り」が一つのテーマとなっています。

 出てくるどの武将も、とにかくセコいのなんのttらありゃしない。立派なサムライなんて一人もいません。いろいろな仮面をかぶってお芝居しまくり、だましだまされ、裏切り裏切られ・・・の連続なのです。

 

 そりゃそうでしょう。乱世の中、まっすぐ正直なことばかりやっていては、とても生き延びられません。

 この伊達政宗のシーンの前に、北条氏政の最後が描かれていましたが、氏政がまっすぐな武将であったがために滅び、ゴマスリ政宗は生き延びて逆転のチャンスを掴もうとするのは、ドラマとして絶妙なコントラストになっていました。

 

 僕たちも生きるためには、多かれ少なかれ、このゴマスリずんだ餅に近いことを年中やっているのではないでしょうか。身過ぎ世過ぎというやつですね。

 けれどもご注意。

 人間の心とからだって、意外と正直にできています。ゴマスリずんだ餅をやり過ぎていると、いずれまとめてお返しがやってくるも知れません。

 

人間みんな、じつは正直者

 

 どうしてそんなことを考えたかと言うと、介護士の人と、お仕事でお世話しているおじいさんのことについて話したからです。

 そのおじいさんはいろんな妄想に取りつかれて、ファンタジーの世界へ行っちゃっているようなのですが、それは自分にウソをつき続けて生きてきたからではないか、と思うのです。

 

 これは別に倫理的にどうこうという話ではありません。

 ごく単純に、自分にウソをつくとそのたびにストレスが蓄積していきます。

 それが生活習慣になってしまうと、自分にウソをつくのが当たり前になるので、ストレスが溜まるのに気づかない。そういう体質になってしまうので、全然平気でいられる。

 けれども潜在意識は知っているのです。

 「これはおかしい。これは違う。これはわたしではな~い」

 

 そうした潜在意識の声を、これまた無視し続けると、齢を取ってから自分で自分を裏切り続けてきたツケが一挙に出て来て、思いっきり自分の願いや欲望に正直になるのではないでしょうか。

 だから脳がファンタジーの世界へ飛翔してしまう。それまでウソで歪めてきた自分の本体を取り戻すかのように。

 つまり人生は最後のほうまで行くとちゃんと平均化されるというか、全体で帳尻が合うようにできているのではないかな。

 

自分を大事にするということ

 

 というのは単なる僕の妄想・戯言かも知れないけど、自分に対する我慢とか裏切りとかストレスとかは、心や体にひどいダメージを与えたり、人生にかなりの影響を及ぼすのではないだろうかと思うのです。

 

 みなさん、人生は一度きり。身過ぎ世過ぎばっかりやってると、それだけであっという間に一生終わっちゃいます。何が自分にとっての幸せなのか?心の内からの声をよく聴いて、本当の意味で自分を大事にしましょう。

 介護士さんのお話を聞くといろんなことを考えさせられるので、また書きますね。

 

 

 

2016/6/23 Thu


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「歴人めし」おかわり情報

 

 9日間にわたって放送してきた「歴人めし」は、昨日の「信長巻きの巻」をもっていったん終了。しかし、ご安心ください。7月は夜の時間帯に再放送があります。ぜひ見てくださいね。というか、You Tubeでソッコー見られるみたいですが。

 

 

https://www.ch-ginga.jp/movie-detail/series.php?series_cd=12041

 

 この仕事では歴人たちがいかに食い物に執念を燃やしていたかがわかりました。 もちろん、記録に残っているのはほんの少し。

 源内さんのように、自分がいかにうなぎが好きか、うなぎにこだわっているか、しつこく書いている人も例外としていますが、他の人たちは自分は天下国家のことをいつも考えていて、今日のめしのことなんかどうでもいい。カスミを食ってでの生きている・・・なんて言い出しそうな勢いです。

 

 しかし、そんなわけはない。偉人と言えども、飲み食いと無関係ではいられません。 ただ、それを口に出して言えるのは、平和な世の中あってこそなのでしょう。だから日本の食文化は江戸時代に発展し、今ある日本食が完成されたのです。

 

 そんなわけで、「おかわり」があるかもしれないよ、というお話を頂いているので、なんとなく続きを考えています。

 駿河の国(静岡)は食材豊富だし、来年の大河の井伊直虎がらみで何かできないかとか、 今回揚げ物がなかったから、何かできないかとか(信長に捧ぐ干し柿入りドーナツとかね)、

 柳原先生の得意な江戸料理を活かせる江戸の文人とか、明治の文人の話だとか、

 登場させ損ねてしまった豊臣秀吉、上杉謙信、伊達政宗、浅井三姉妹、新選組などの好物とか・・・

 食について面白い逸話がありそうな人たちはいっぱいいるのですが、柳原先生の納得する人物、食材、メニュー、ストーリーがそろって、初めて台本にできます。(じつは今回もプロット段階でアウトテイク多数)

 すぐにとはいきませんが、ぜひおかわりにトライしますよ。

 それまでおなかをすかせて待っててくださいね。ぐ~~。

2016年6月7日


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歴人めし♯9:スイーツ大好き織田信長の信長巻き

 

信長が甘いもの好きというのは、僕は今回のリサーチで初めて知りました。お砂糖を贈答したり、されたりして外交に利用していたこともあり、あちこちの和菓子屋さんが「信長ゆかりの銘菓」を開発して売り出しているようです。ストーリーをくっつけると、同じおまんじゅうやあんころもちでも何だか特別なもの、他とは違うまんじゅうやあんころもちに思えてくるから不思議なものです。

 

 今回、ゆかりの食材として採用したのは「干し柿」と「麦こがし(ふりもみこがし)」。柿は、武家伝統の本膳料理(会席料理のさらに豪華版!)の定番デザートでもあり、記録をめくっていると必ず出てきます。

 現代のようなスイーツパラダイスの時代と違って、昔の人は甘いものなどそう簡単に口にできませんでした。お砂糖なんて食品というよりは、宝石や黄金に近い超ぜいたく品だったようです。だから信長に限らず、果物に目のない人は大勢いたのでしょう。

 中でもは干し柿にすれば保存がきくし、渋柿もスイートに変身したりするので重宝されたのだと思います。

 

  「信長巻き」というのは柳原尚之先生のオリジナル。干し柿に白ワインを染み込ませるのと、大徳寺納豆という、濃厚でしょっぱい焼き味噌みたいな大豆食品をいっしょに巻き込むのがミソ。

 信長は塩辛い味も好きで、料理人が京風の上品な薄味料理を出したら「こんな水臭いものが食えるか!」と怒ったという逸話も。はまった人なら知っている、甘い味としょっぱい味の無限ループ。交互に食べるともうどうにも止まらない。信長もとりつかれていたのだろうか・・・。

 

 ちなみに最近の映画やドラマの中の信長と言えば、かっこよくマントを翻して南蛮渡来の洋装を着こなして登場したり、お城の中のインテリアをヨーロッパの宮殿風にしたり、といった演出が目につきます。

 スイーツ好きとともに、洋風好き・西洋かぶれも、今やすっかり信長像の定番になっていますが、じつはこうして西洋文化を積極的に採り入れたのも、もともとはカステラだの、金平糖だの、ボーロだの、ポルトガルやスペインの宣教師たちが持ち込んできた、砂糖をたっぷり使った甘いお菓子が目当てだったのです。(と、断言してしまう)

 

 「文化」なんていうと何やら高尚っぽいですが、要は生活習慣の集合体をそう呼ぶまでのこと。その中心にあるのは生活の基本である衣食住です。

 中でも「食」の威力はすさまじく、これに人間はめっぽう弱い。おいしいものの誘惑からは誰も逃れられない。そしてできることなら「豊かな食卓のある人生」を生きたいと願う。この「豊かな食卓」をどう捉えるかが、その人の価値観・生き方につながるのです。

 魔王と呼ばれながら、天下統一の一歩手前で倒れた信長も、突き詰めればその自分ならではの豊かさを目指していたのではないかと思うのです。

 

2016年6月6日


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歴人めし♯8 山内一豊の生食禁止令から生まれた?「カツオのたたき」

 

 「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だったころ、琵琶湖のほとりに金目教という怪しい宗教が流行っていた・・・」というナレーションで始まるのは「仮面の忍者・赤影」。子供の頃、夢中になってテレビにかじりついていました。

 時代劇(忍者もの)とSF活劇と怪獣物をごちゃ混ぜにして、なおかつチープな特撮のインチキスパイスをふりかけた独特のテイストは、後にも先にもこの番組だけ。僕の中ではもはや孤高の存在です。

 

 いきなり話が脱線していますが、赤影オープニングのナレーションで語られた「琵琶湖のほとり」とは滋賀県長浜あたりのことだったのだ、と気づいたのは、ちょうど10年前の今頃、イベントの仕事でその長浜に滞在していた時です。

 このときのイベント=期間限定のラジオ番組制作は、大河ドラマ「功名が辻」関連のもの。4月~6月まで断続的に数日ずつ訪れ、街中や郊外で番組用の取材をやっていました。春でもちょっと寒いことを我慢すれば、賑わいがあり、かつまた、自然や文化財にも恵まれている、とても暮らしやすそうな良いところです。

この長浜を開いたのは豊臣秀吉。そして秀吉の後を継いで城主になったのが山内一豊。「功名が辻」は、その一豊(上川隆也)と妻・千代(仲間由紀恵)の物語。そして本日の歴人めし♯9は、この一豊ゆかりの「カツオのたたき」でした。

 ところが一豊、城主にまでしてもらったのに秀吉の死後は、豊臣危うしと読んだのか、関が原では徳川方に寝返ってしまいます。つまり、うまいこと勝ち組にすべり込んだわけですね。

 これで一件落着、となるのが、一豊の描いたシナリオでした。

 なぜならこのとき、彼はもう50歳。人生50年と言われた時代ですから、その年齢から本格的な天下取りに向かった家康なんかは例外中の例外。そんな非凡な才能と強靭な精神を持ち合わせていない、言ってみればラッキーで何とかやってきた凡人・一豊は、もう疲れたし、このあたりで自分の武士人生も「あがり」としたかったのでしょう。

 できたら、ごほうびとして年金代わりに小さな領地でももらって、千代とのんびり老後を過ごしたかったのだと思います。あるいは武士なんかやめてしまって、お百姓でもやりながら余生を・・・とひそかに考えていた可能性もあります。

 

 ところが、ここでまた人生逆転。家康からとんでもないプレゼントが。

 「土佐一国をおまえに任せる」と言い渡されたのです。

 一国の領主にしてやる、と言われたのだから、めでたく大出世。一豊、飛び上がって喜んだ・・・というのが定説になっていますが、僕はまったくそうは思いません。

 なんせ土佐は前・領主の長曾我部氏のごっつい残党がぞろぞろいて、新しくやってくる領主をけんか腰で待ち構えている。徳川陣営の他の武将も「あそこに行くのだけは嫌だ」と言っていたところです。

 

 現代に置き換えてみると、後期高齢者あたりの年齢になった一豊が、縁もゆかりもない外国――それも南米とかのタフな土地へ派遣されるのようなもの。いくらそこの支店長のポストをくれてやる、と言われたって全然うれしくなんかなかったでしょう。

 

 けれども天下を収めた家康の命令は絶対です。断れるはずがありません。

 そしてまた、うまく治められなければ「能無し」というレッテルを貼られ、お家とりつぶしになってしまいます。

 これはすごいプレッシャーだったでしょう。「勝ち組になろう」なんて魂胆を起こすんじゃなかった、と後悔したに違いありません。

 

 こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

 恐怖にかられてしまった人間は、より以上の恐怖となる蛮行、残虐行為を行います。

 一豊は15代先の容堂の世代――つまり、250年後の坂本龍馬や武市半平太の時代まで続く、武士階級をさらに山内家の上士、長曾我部氏の下士に分けるという独特の差別システムまで発想します。

 そうして土佐にきてわずか5年で病に倒れ、亡くなってしまった一豊。寿命だったのかもしれませんが、僕には土佐統治によるストレスで命を縮めたとしか思えないのです。

 

 「カツオのたたき」は、食中毒になる危険を慮った一豊が「カツオ生食禁止令」を出したが、土佐の人々はなんとかおいしくカツオを食べたいと、表面だけ火であぶり、「これは生食じゃのうて焼き魚だぜよ」と抗弁したところから生まれた料理――という話が流布しています。

 しかし、そんな禁止令が記録として残っているわけではありません。やはりこれはどこからか生えてきた伝説なのでしょう。

 けれども僕はこの「カツオのたたき発祥物語」が好きです。それも一豊を“民の健康を気遣う良いお殿様”として解釈するお話でなく、「精神的プレッシャーで恐怖と幻想にとりつかれ、カツオの生食が、おそるべき野蛮人たちの悪食に見えてしまった男の物語」として解釈してストーリーにしました。

 

 随分と長くなってしまいましたが、ここまで書いてきたバックストーリーのニュアンスをイラストの方が、短いナレーションとト書きからじつにうまく掬い取ってくれて、なんとも情けない一豊が画面で活躍することになったのです。

 一豊ファンの人には申し訳ないけど、カツオのたたきに負けず劣らず、実にいい味出している。マイ・フェイバリットです。

 

2016年6月3日


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「歴人めし」徳川家康提唱、日本人の基本食

 

 

 歴人めし第7回は「徳川家康―八丁味噌の冷汁と麦飯」。

 「これが日本人の正しい食事なのじゃ」と家康が言ったかどうかは知りませんが、米・麦・味噌が長寿と健康の基本の3大食材と言えば、多くの日本人は納得するのではないでしょうか。エネルギー、たんぱく質、ビタミン、その他の栄養素のバランスも抜群の取り合わせです。

 ましてやその発言の主が、天下を統一して戦国の世を終わらせ、パックス・トクガワ―ナを作った家康ならなおのこと。実際、家康はこの3大食材を常食とし、かなり養生に努めていたことは定説になっています。

 

  昨年はその家康の没後400年ということで、彼が城を構えた岡崎・浜松・静岡の3都市で「家康公400年祭」というイベントが開催され、僕もその一部の仕事をしました。

そこでお会いしたのが、岡崎城から歩いて八丁(約780メートル)の八丁村で八丁味噌を作っていた味噌蔵の後継者。

 かのメーカー社長は現在「Mr.Haccho」と名乗り、毎年、海外に八丁味噌を売り込みに行っているそうで、日本を代表する調味料・八丁味噌がじわじわと世界に認められつつあるようです。

 

 ちなみに僕は名古屋の出身なので子供の頃から赤味噌に慣れ親しんできました。名古屋をはじめ、東海圏では味噌と言えば、赤味噌=豆味噌が主流。ですが、八丁味噌」という食品名を用いれるのは、その岡崎の元・八丁村にある二つの味噌蔵――現在の「まるや」と「カクキュー」で作っているものだけ、ということです。

 

 しかし、養生食の米・麦・味噌をがんばって食べ続け、健康に気を遣っていた家康も、平和な世の中になって緊張の糸がプツンと切れたのでしょう。

 がまんを重ねて押さえつけていた「ぜいたくの虫」がそっとささやいたのかもしれません。

 

 「もういいんじゃないの。ちょっとぐらいぜいたくしてもかまへんで~」

 

 ということで、その頃、京都でブームになっていたという「鯛の天ぷら」が食べた~い!と言い出し、念願かなってそれを口にしたら大当たり。おなかが油に慣れていなかったせいなのかなぁ。食中毒がもとで亡くなってしまった、と伝えられています。

 でも考えてみれば、自分の仕事をやり遂げて、最期に食べたいものをちゃんと食べられて旅立ったのだから、これ以上満足のいく人生はなかったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

2016年6月2日


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歴人めし「篤姫のお貝煮」と御殿女中

  絶好調「真田丸」に続く2017年大河は柴咲コウ主演「おんな城主 直虎」。今年は男だったから来年は女――というわけで、ここ10年あまり、大河は1年ごとに主人公が男女入れ替わるシフトになっています。
 だけど女のドラマは難しいんです。なかなか資料が見つけらない。というか、そもそも残っていな。やはり日本の歴史は(外国もそうですが)圧倒的に男の歴史なんですね。


 それでも近年、頻繁に女主人公の物語をやるようになったのは、もちろん女性の視聴者を取り込むためだけど、もう一つは史実としての正確さよりも、物語性、イベント性を重視するようになってきたからだと思います。

 

 テレビの人気凋落がよく話題になりますが、「腐っても鯛」と言っては失礼だけど、やっぱ日曜8時のゴールデンタイム、「お茶の間でテレビ」は日本人の定番ライフスタイルです。

 出演俳優は箔がつくし、ゆかりの地域は観光客でにぎわうって経済も潤うし、いろんなイベントもぶら下がってくるし、話題も提供される・・・ということでいいことづくめ。
 豪華絢爛絵巻物に歴史のお勉強がおまけについてくる・・・ぐらいでちょうどいいのです。(とはいっても、制作スタッフは必死に歴史考証をやっています。ただ、部分的に資料がなくても諦めずに面白くするぞ――という精神で作っているということです)

 

 と、すっかり前置きが長くなってしまいましたが、なんとか「歴人めし」にも一人、女性を入れたいということで、あれこれ調べた挙句、やっと好物に関する記録を見つけたのが、20082年大河のヒロイン「篤姫」。本日は天璋院篤姫の「お貝煮」でした。

 

 見てもらえればわかるけど、この「お貝煮」なる料理、要するにアワビ入りの茶碗蒸しです。その記述が載っていたのが「御殿女中」という本。この本は明治から戦前の昭和にかけて活躍した、江戸文化・風俗の研究家・三田村鳶魚の著作で。篤姫付きの女中をしていた“大岡ませ子”という女性を取材した、いわゆる聞き書きです。

 

 

 明治も30年余り経ち、世代交代が進み、新しい秩序・社会体制が定着してくると、以前の時代が懐かしくなるらしく、「江戸の記憶を遺そう」というムーブメントが文化人の間で起こったようです。
 そこでこの三田村鳶魚さんが、かなりのご高齢だったます子さんに目をつけ、あれこれ大奥の生活について聞き出した――その集成がこの本に収められているというわけです。これは現在、文庫本になっていて手軽に手に入ります。

 ナレーションにもしましたが、ヘアメイク法やら、ファッションやら、江戸城内のエンタメ情報やらも載っていて、なかなか楽しい本ですが、篤姫に関するエピソードで最も面白かったのが飼いネコの話。

 最初、彼女は狆(犬)が買いたかったようなのですが、夫の徳川家定(13代将軍)がイヌがダメなので、しかたなくネコにしたとか。

 


 ところが、このネコが良き相棒になってくれて、なんと16年もいっしょに暮らしたそうです。彼女もペットに心を癒された口なのでしょうか。

 

 そんなわけでこの回もいろんな発見がありました。

 続編では、もっと大勢の女性歴人を登場させ、その好物を紹介したいと思っています。

 

2016年6月1日


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本日の「歴人めし」は、平賀源内の「うざく」

 

 コピーライターの元祖ともいわれる源内が、うなぎ屋(魚屋)に依頼されて「土用丑の日はうなぎを食う日だ!」と言い出したのは、およそ250年前のこと。それが江戸中に、ひいては日本全国に広まったのは今では子供も知っている有名な話です。

 けれども、いくら源内が機知に富んだ天才でも、火種のないところに火はつきません。

 

 うなぎは古くから精のつく「薬」と認識されていたようです。人々の意識の底にはそれが連綿とあって、「なるほど、そうか。暑さでへばらいようにうなぎを食うといいのか!」ということになったのでしょう。

 

 けれでも、それだけでは火はつきません。話はそう単純ではない。なぜなら良薬、口に苦し。元来、薬はまずいもの。よほど具合が悪くなければ口にしたくない。だから江戸時代以前は、体に良いということはわかっていても、重病人でなければ、あんなニョロニョロ、ヌルヌルした気味の悪い魚をわざわざ捌いて食べようなんて思いませんでした。

 

 その常識を覆したのが、タレの発明です。江戸時代には調味料革命が起こり、それまで人々があまり口にできなかった醤油や砂糖が流通。生活の中で普通に食されるようになったのは、やっと江戸中期ごろから。

 そしてあの甘辛いタレが発明され、「かば焼き」という料理として食べられるようになったところで初めて「うなぎはうまいぞ!」ということになったわけです。

 

 さらにまた、源内自身がそのうなぎが大好きなロイヤルカスタマーでした。

当時は江戸前、すなわち今の東京湾で大漁だったので、価格も安く、魚屋としてはたくさん売りさばく必要があったのかもしれません。日持ちのしない真夏ならなおのこと、じゃんじゃん売って、ガンガン儲けたい。

 

 自分が愛するうなぎのためならば――と、ボランティアでやったのか、それともやっぱりビジネスとしてガッポリいただいたのか? はたまた永久にただ食いOKという現物支給だった可能性も――まあ、どんな報酬だったのかはわかりませんが、とにかくここで源内の才気が爆発。人々も「あの天才クリエイター・平賀源内のいうことなら納得でぃ!」ということで、250年経っても生き残る1行千両の大ヒットコピーが生まれたという次第です。

 

 たった1フレーズの言葉の中にも、深い歴史と文化、そしてまた、食い物に対する愛着やビジネスマインドがあふれているというお話です。

 

 

 

2016年5月27日 Fri


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本日の「歴人めし」は坂本龍馬の軍鶏鍋でした。

 

 龍馬が暗殺された夜、軍鶏鍋を食べようとしていたことは割と有名な話だけど、じつはそんな記録はどこにもありません。

 

 では、どうして有名になったかというと、かの司馬遼太郎先生の功績です。僕も若かりし頃、夢中になって読みました。「龍馬が行く」。今、多くの日本人の中にある龍馬像はこの小説からできているんですね。歴史というのは半分は文学です。

 

 京都・近江屋で暗殺された、という史実を変えるわけにはいかないので、この物語をどう終わらせようか悩んだ司馬先生、悩んだ挙句、この軍鶏鍋をでっち上げたというわけです。

 (龍馬の故郷・土佐は闘鶏が盛んだったし、幕末の京都には鶏肉を食べさせる店が結構あったので、まったく根拠がないわけではありません)

 

 しかし、悲劇的なラストの一歩手前にこの軍鶏鍋を食べようとしていた、という設定を持ってきたのは、さすが!というか、もうこれしかない、龍馬のキャラとばっちりマッチ!という感じで、このエピソードは日本人の幕末物語の1ページに印刷されたのです。

 今回、この仕事であれこれリサーチして思いましたが、僕たちが知っている歴史というのはいろんなところで脚色されて伝わってきています。

 

 それを「事実と違うのは許さない」と怒る人たちもいますが、僕は歴史・伝記というのは、まず物語になっていないと、文字通り、お話にならないと思います。

物語になっているからこそ、映画やドラマになって人々が興味を持てるし、またその郷土やゆかりの地などが観光名所になって潤うのです。いまや歴史はまたとない観光資源です。

 

 それで多くの子孫たちがハッピーになれば、歴人たちもうれしいのではないでしょうか。

 ・・・とういわけで僕もこの番組では史実は踏まえながらも、戦場に弁当屋のデリバリ―がやってきたり、ネコを密偵にしたり、お城に宅配便がお届け物に上がったり、いろいろ遊ばせてもらいました。

ちょっとでも笑ってもらえればハッピー。

 

https://www.ch-ginga.jp/movie-detail/index.php?film_id=13338

 

2016年5月26日 THU


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歴人めしのキャラクター

 

「歴人めし」はコミカルでロックンロール。
こんなキャラクターが登場します。
ストーリー部分は絵本のように展開しますが、イラストは超シンプル&お笑い路線でありながら、歴人たちのドラマをみごとに表現してくれました。

ディレクターは「MTVセンスで料理番組をやる!」というヘビメタな野心の持ち主。そして、メインの料理部分――主役を張る料理人は、江戸近茶流の伝道師・柳原尚之さん。ホームページにレシピも載っていますよ。


http://www.ch-ginga.jp/movie-detail/series.php…

 

さまざまなカルチャーがブレンドされ、独特のグルーブ(ノリ)が生まれました。スタッフや出演者が楽しんでくれて、台本ライターとしてはこんなうれしいことはありません。
ぜひ見る人にも楽しんでほしいと思います。

 

2016年5月20日 FRI


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チャンネル銀河「歴人めし」

どんな夢も、どんな未来も、めしを食わなきゃ始まらない。

時代を動かし、歴史を作ってきたあの人たちが、「これがうまい!」と食べためし、「これが好き!」と愛しためしが、今、この人の手で生まれ変わります~

・・・てな講談調のナレーション全9本を、声優さんが熱演してくれました。

本日は広尾のスタジオでナレ撮り&MA。

2月からとっかかかっていた番組「歴人めし」がついに完成しました!

歴史ストーリーを掛け合わせた、他に類を見ない料理番組です。

ネタだし、構成、台本をやりました。

来週25日よりチャンネル銀河で9本一挙放送予定。

 

http://www.ch-ginga.jp/movie-detail/series.php…

 

見てくだされ。

 

2016年5月19日 THU


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インヴァネスのベーコンエッグ

 

Good Morning。GWスペシャル。
以前、「ロンドンのハムカツ」という話を書いたので、今度はその姉妹編を書きました。

ブログにしてはちょっと長い、小説のような、エッセイのようなお話です。

 

 真っ白なブラウスに真っ白なエプロン。

 金色の髪に琥珀色の瞳。齢はおそらく15か16。中学生か高校生ぐらいだろう。

 けっして美人ではないけれど、愛嬌のあるファニーフェイス。

 何よりも白い肌に映えるリンゴのような真っ赤なほっぺが可愛らしい。


 彼女は「わたし、アマンダと言います」と自己紹介してくれた。

 そして、ダイニングのテーブルに着いたぼくの前に、湯気の立つ焼きたてのベーコンエッグの皿を運んできた。

 香ばしいにおいが鼻をくすぐる。

 そのにおいとともに、彼女が少し緊張気味であることも伝わってきた。

 あまり接客に慣れていないようだ。

 なんとなく動きがぎこちない。

 もしかしたら泊り客に食事をサーブするのは初めてなのかもしれない。

 口元に湛えた微笑みも心なしかこわばっている。

 

 ぼくは自分が池袋の喫茶店で初めてアルバイトをした時のことを思い出した。

 黒い蝶タイで首が締めつけられていたせいか、ひどく息苦しかった。

 コーヒーカップがソーサーの上で小刻みに震え、カチカチ音を立てているのがやたらと大きく耳に響いた。

 客は男だったか女だったか、若かったか齢を取っていたのか、まったく憶えていない。

 そんな顔のわからない客が、じっとぼくの動きをいぶかしげに観察していた。その視線だけがよみがえってくる。

 

 彼女も同じことを感じているのだろうか?

 せっかく一生懸命やっているのに、それではちょっと気の毒だなと思い、とりあえず「ありがとう、アマンダ」と、お礼を言った。

 きっと彼女は「どういたしまして」と返そうとしたのだろう。

 しかし、微笑みを湛えたたまま唇がうまく動かせない。

 そこまで余裕がないようだ。

 そこでぼくはもうひとこと付け加えた。


 「きょう、ぼくはネッシーに会いにここまで来たんだ」

 

 その時代、ネッシーは人々の心の中に実在していた。

 子供の頃、「世界のふしぎなんとか」という本を読んでから、ぼくの中でもその影が消えたことはない。

 イギリスに来て、秋が過ぎ、冬が過ぎ、春がめぐってきた。北にあるスコットランドも5月の声を聞いて、やっと春めいてきたという。

 だからぼくはレストランの仕事を3日間休み、ロンドンからこのインヴァネスを訪れたのだ。


 インヴァネスはネス湖のすぐ近くにある町で、ぼくが宿にしたこのB&B(ベッド&ブレックファースト=イギリスの民宿)は、町の中心からちょっとだけ外れた、ネス川のほとりに佇んでいた。

 周囲の緑に溶け込んだ、田舎風だが、おしゃれな家だ。

 

 夜、シャワーを浴びたあと、ベッドの上にごろんと横になると、しじまの中から水の流れる音がさやさやと聞こえてきた。

 ネス湖に注ぎ込む水がささやきかけている――そんなふうに感じた。

 するとぼくの頭に、明日、実際に起こるかもしれないネッシーとの遭遇シーンが浮かび上がった。

 

 どんよりと重く垂れこめた雲の下、濃い霧が出て、湖はミステリアスな雰囲気に包まれている。

 湖畔を歩いていると、湖の真ん中でにわかに水面がざわざわと波立った。

 あっと思ってその場所を見る。

 水中からなにか黒い大きなものが現れたかと思うと、するするとそれが灰色の中空に伸びていき、弧を描いた。


 その長い首の持ち主はそこでひとつ、咆哮を轟かせた。

 自分ははるか昔の地球の子供であることを、ぼくたち人間に知らしめるように。

 そして、この惑星の何億年という時の堆積の上に、今の人間の暮らしがあることを訴えるかのように。


 その映像と音声は、目を覚ましたまま想像を巡らせているのか、それとも眠りに落ちて夢を見ているのか、自分でも判然としなかった。

 ぼくはそんなふうにインヴァネスでの最初の一夜を過ごしたのだ。

 

 「そうですか。ネッシーに会えるといいですね」


 アマンダはそう言って、ひと息ついた。

 そしてまた、にっこりと微笑みなおした。

 少しはにかみ気味ではあるものの、今度のはこわばりが溶けた自然な微笑みだった。

 心からそう願っている、ぼくの幸運を――

 それがひしひしと伝わってくる。

 そして、「トーストやコーヒー、紅茶は何杯でもお代わりできますよ」と言った。

 

 

 食事がまずいと言われるイギリスだが、朝食は別だ。

 アマンダにサービスされたボリュームたっぷりのベーコンエッグ。

 それにはソーセージもついているし、焼いたトマトやマッシュルームも添えられている。

 それにもちろん、トーストにはバターとマーマレードをたっぷり塗ることができる。

 あまりにおいしく、また、ボリューム満点で、ぼくは朝からおなかを満たし、心の底から満足した。

 

 美しい朝の光がダイニングルームの窓から注いでいる。

 ネス川のせせらぎに混じって、小鳥のさえずる声が聞こえてくる。

 やわらかなそよ風が吹き、庭の花も一段と鮮やかに色づく。

 地面から、空中から、春の暖かさがあふれ出してくるようだ。


 その日のインヴァネスは昨夜の夢想、そして、ぼくが子供の頃から胸に抱き続けていたミステリアスなネス湖のイメージとは、あまいにもかけ離れたものだった。

 

 「ぜひ、ネッシーに会ってくださいね」

 出かけるとき、アマンダは玄関でぼくを見送りながら、もう一度、そう言ってくれた。
 「うん、期待してるよ」


 彼女にはそう言いながらも、ぼくにはわかっていた。

 ぼくはきっとネッシーに遭遇することはないだろう。

 なぜなら、ぼくのインヴァネスとネス湖に対する印象は、その時すでにまったく変わってしまっていたから。

 

 こんがり焼けたベーコンエッグ。
 それを運んできてくれた女の子。
 そのリンゴのような赤いほっぺと、ちょっとはにかんだような愛らしい微笑み。

 

 

 長い首を持った、太古の地球の子供は、昨夜の夢想を最期に、もう過去のものになりかけていた。
 空は青く澄みわたり、遅れてやってきた春があたりにさざめいている。 

 その後ろから夏もくっついてやってくる。

 そんな気持ちにもさせられる5月の朝。

 ぼくは麦わら帽子をかぶり、ゴールデンピクニックにでも出かけるような気分で、ネス川に沿って湖に向かって歩いて行った。

 今でも鮮やかによみがえる小さな旅。
 アマンダ、おいしいベーコンエッグとインヴァネスをどうもありがとう。

 

 


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日本人の基本はお米

 

 日本人の食の基本はやはりお米です。

 

 今月半ば、久しぶりにおなかをこわしました。

 寝込むまでにはいたらなかったものの、かなりきびしく、頻繁にトイレに駆け込む状態。

 ごはんもおかゆの日々が数日間続きました。

 

 しかし、そこで感じたのはお米のおいしさ。

 塩を入れただけの白かゆですが、毎日毎食食べても飽きない。

 つくづくお米文化の人間なんだな、と実感しました。

 これにプラス味噌汁を飲んでいればOKです。

 

 そこで思ったのは、日本人の基本は米、味噌、それにちきょっとの麦など雑穀、野菜。これで十分からだの健康は保って生きていけるのだということ。

 

 とは言っても、健康を取り戻せば、肉・魚の動物性たんぱくも、甘いものも食べたい。

 成長期はともかく、大人になってからは、こちらはおもに精神の栄養になっていくのだろうな、と思います。

 

 いずれにしても、お米という基本があるからこそ、日本の食文化はここまで豊かなになったのでしょう。

 なんでも基本が大事ですね。

 

 


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白兎珈琲店で羊羹と黑兎ブレンドをたしなむ

 

 珈琲と羊羹。この意外なマッチングにぴょん!と跳びはねました。

 

 本日は、個人の飲食店を応援する新しいメディアを作ろう!ということで、エディターのM氏と企画打ち合わせ。

 

 今、個人店が復活の兆しを見せています。自分らしい生き方を表現する場。

 文化的情報を発信するコミュニティ基地。

 それでいながらちゃんと商売としてやっていける・・・

 

 そんなお店をやる人を応援し、そこのお客さんに「いいね」と思ってもらえる仕掛けを作っていきます。

 

 この企画の打ち合わせなのに、チェーン店やフランチャイズ店はないだろうと、やってきたのが井の頭線・高井戸駅から歩いて2~3分。新緑のきれいな神田川沿いにたたずむ「白兎珈琲店」です。

 

 うさぎと言ってもメルヘンなかわいいうさちゃんでなく、神話や昔話で活躍しそうな、賢くて凛々しいうさぎくんのイメージ。

 店内も昔の喫茶店のにおいがする、おとなのムードが漂います。

 

 けっして個性を押し付けるような店づくりではありませんが、メニューのお菓子のページに定番のケーキなど並んで「ようかん」が。

 珈琲店で羊羹を食べたという記憶がなかったので、これは面白いと思って頼んでみました。

 

 おいしい。

 

 眠気が吹っ飛ぶような、ビターな「黒兎ブレンド」(ちなみに基本はマイルドな「白兎ブレンド」)に、羊羹のさっぱりした甘さがグットマッチング。

 苦味と甘味が口の中で心地よいハーモニーを奏でます。

 

 さりげに個性をアピールするメニューのおかげで話が弾み、打ち合わせも快調でした。

 帰りに領収書をもらったら、ハンコもうさぎさんのかたち。LIKE!

 


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ドラえもんがどら焼きの売上に及ぼした経済効果について

 

 今日は久しぶりに番組ロケに同行しました。

 現場はとある料理人の方のご自宅のスタジオ。

 いろいろお気遣いいただき、お茶菓子もたくさんごちそうになりました。

 これ、知らなかったけど、浅草の老舗店の有名などら焼きだそうです。

 

 夜、帰宅したら家でも生クリーム入りのどら焼きが登場。

 1日2回もどら焼きを食べると、なんだかドラえもんになった気分です。

 

 そういえば、どら焼きの売り上げに対するドラえもんの貢献度(経済効果)はどれくらいあるんだろう?

 けっして小さくない気がするのですが・・・。

 

 もしもドラえもんがいなかったら、今頃、どら焼きはこんな人気のあるお菓子でなく、もっと衰退していたのではないだろうか?

 


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原宿・穏田のお米マイスター

  1. 「(おんでん)」というのは原宿界隈の旧地名。

 表参道の裏側――明治通りをはさんだ渋谷側一帯が「穏田商店街」になっています。まるで今日(3日)の昼間みないなポカポカする名前ですね。

 

 実際、その昔・・・といっても何百年も昔でなく、昭和の前期ごろまで、このあたりは田んぼの広がる穏やかな田園地帯だったので、その名がついたとか。

 

 そう言えば、原宿っておしゃれな街だけど、クールでとんがっているわけでなく、そこはかとなくほのぼのした、田舎者でも安心して歩けて遊べる、温かい空気が流れています。

 

 ぼくも30数年前、東京に住み始めた翌日に表参道を闊歩し、「これでおいらも東京人」と悦にいって以来、原宿が一大好きです。

 

 その空気は、穏やかな田んぼだった頃の土地の記憶が醸し出しているんですね。地名には必ずと言っていいほど、そんな物語が秘めれています。

 

 田んぼがあれば当然、お米も獲れていたわけで、昭和まではこの界隈にけっこうお米屋さんもあったとか。

 しかし現在残るは1軒だけ。

 その原宿唯一のお米屋さんに本日は打ち合わせに行きました。

 

 店主は「お米マイスター」で来週末にNHKで行われるイベントの出演者。

 脳内に300種類以上のお米の味・食感のデータをインプットしており、利き酒ならぬ「利き米」をやってしまうお米のスペシャリストです。

 

 イベントではお米の試食ワークショップを開き、東北産のお米の解説や「自分にとっていちばんおいしいお米はどんな米か」といった分析も行います。

 


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歌うピザ屋とイタリアへの船旅

 

 歌うピザ屋「マッシモ・タヴィオ」が店頭をリニューアル。最近は永福町の名店、ひいては東京でも屈指のピザレストランとして人気店になっています。

 ちなみに「歌うピザ屋」とは僕が勝手につけてるキャッチフレーズ。

 

 先週の水曜の朝、うちの前をオーナーシェフのマッシモさんが自転車に乗って♪タラッタラッタラ~と通ったので、随分早い出勤だなと思って見に行ったら工事していました。

 

 以前はインテリアと比べて、表の看板がイマイチお洒落じゃないな、と思っていましたが、ロゴ入りの地中海ブルーのアーケードとなり、イタリアの食堂らしくカッコよく変身しましたよ。

 

 僕のイタリアに対する第一印象はアドリア海です。20代の頃、ギリシャのパトラスという町からブリンディシ(あのブーツ型の踵のあたり)という町まで船旅をしました。

 

 船旅と言ってももちろん豪華客船などではなく、日常的に運航しているフェリーです。

 ユーレイルパスでタダで乗れたのだけど、タダ乗りの連中には客室など与えられず、吹きっ晒しの甲板の上にそのまんま転がされていました。

 

 その時、たまたまいっしょだった日本人の女の子グループはたまらずお金を払って客席を取ったのですが、僕はまんま寝袋に入って(夜行便でした)甲板の上。

 しかも結構海が時化ていて右から左へ、左から右へ一晩中、ゴロゴロ転がっていました。

 

 これだけ聞くと相当ひどい目にあったと思われるでしょうが、多国籍のバックパッカーの連中と大勢でゴロゴロして、奇声は上がるし、歌は歌い出すし、めったやたらと盛り上がっていました。

 若いって素晴らしい。青春\(^o^)/

 

 もちろん全然眠れませんでしたが。イタリアと言うと、ローマだのベネチアだの街でも、遺跡でも劇場でも美術館でも、ピッツアやパスタでもなく、まず真っ先にあの海の上のバカバカしくも楽しかった一夜を思い出してしまうのです。

 

 それにしても精神年齢20代を標榜していても、体力的なことを考えると、さすがにこれからあんな旅をできる自信はないなぁ。やはり若い時にしかできないことがある。

 その体験は自分の宝にしたいものです。

 

 


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失われた喫茶店・珈琲の味を求めて

 

 失われた10年とか20年とか、よく言われます。失われたものは確かにあるけど、その代わりに等価交換で得たものも結構あるのではないでしょうか。

 そのへんの話はまたそのうちしたいのですが、この10年~20年で何が確実に失われたかと言うと、僕はまず街の喫茶店を挙げたいと思います。

 

 若い時分は喫茶店の多い街を移り住み、しゅっちゅう喫茶店に籠って、ときには日に何軒もハシゴして、原稿を書いたり本を読んだりしていたのですが、齢を取るとともにそういう習慣が失われていきました。

 

 もちろん自分の生活の変化、筆記用具の変化(手書き⇒ワープロ⇒パソコン)もあるのですが、だんだん個性的な喫茶店が減っていったのもその一因です。

 代わりにいろんなチェーン店が幅を利かすようになり、安いのは有難いけど、店独自の個性的な雰囲気・珈琲の味は画一化されていったような気がします。

 

 その遠因は経済の落ち込みで個人経営の店が減ってしまったこと、そして、ひいて言うと管理社会が進行した一つの現れであるような気がします。

 

 なんでこんなことを考えたかと言うと、昨日、仕事のヒアリング&打ち合わせで赤坂見附に出向き、久しぶりに某大手外資系チェーンのコーヒーショップに入ったのですが、「あれ?ここの珈琲、こんな味だたっけ?」と思ってしまったので。

 

 クオリティが落ちたのか、以前は確実に某大手国内チェーンのコーヒーショップより美味しいと思っていたのだが、それ並みかそれ以下・・・。

 

 それと同時に思い出したのが、先月、笹塚で入った某珈琲専門店の美味しさ! べつに「昔は良かった」なんていうつもりはありませんが、珈琲好きなおやじの個人経営(だと思う)の、昔よくあったような雰囲気の店で、おそらくホームページもないでしょうが、ここの珈琲がめっちゃとうまかったのです!  

 さりとて、値段がベラボーに高いわけでもない(ブレンド系ならほとんど500円前後)。さすが専門店!と胸にしみいった次第です。

 

また行こう!

 

 


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歌うPIZZA屋・マッシモタヴィオと食べ物をめぐる人・文化・歴史の考察

 

★歌うピザ屋のマッシモさん

 

 息子のお誕生日祝いで、いまや永福町の名物となったMASSIOTTAVIO(マッシモタヴィオ)へ行きました。

 

 オペラ歌手みたいな風貌のオーナーシェフのマッシモさんが歌を歌いながら石窯でPIZZAを焼いています。

 

 日本人が歌いながら仕事してると「まじめにやれ!」とか怒られそうだけど、イタリア人が楽しそうに作っていると、お店の雰囲気も盛り上がってPIZZAもおいしくなるから不思議です(実際おいしい)。

 

 結構広い店だけどいつも満員です。

 デザートは誕生日スペシャルでした。

 

★代々木公園で出くわしたNYのホットドッグ屋?

 

 そういえば昨日の夕方、代々木公園界隈を通ったら、黒人のあんちゃんが露店でホットドッグ屋をやっていました。

 

 ホットドッグなんて特に好きでもないので、最近ほとんど口にしていませんでしたが、なんかニューヨークっぽくて、めっちゃおいしそうだったので、おなががすいていたわけでもないのに買って食べてしまいました。

 

 うまい!

 

 ニューヨークがホットドッグの本場かどうかは分からないけど、なんかその佇まいがいいんだよなぁ。

 

★食べ物と人種・国籍

 

 これはややもすると人種差別発言(+性別差別)になってしまうのかも知れないけど、食べ物とそれを作ったり売ったりしている人の人種・国籍って、やはり綿密な関係があるのだと思います。

 

 お寿司だって寿司カウンターの中で握って出してくれるのは、やっぱ日本人のおっちゃんであって欲しいし、その方がおいしく感じられると思うのです。

 そう考えると食べ物って、誰にでも最も分かりやすい「その国・その地域の文化・歴史の集約」なのでしょう。

 

 マッシモさんのところも製品(ピザなどのメニュー)と、彼のイタリア人・ナポリ人としての精神とかアイデンティティ(もちろん彼の個性も含めて!)が分かちがたく結びついて、おいしい味・たのしい雰囲気になるのでしょう。

 

 ちなみに彼はいつも歌っているわけではありません(別に歌を売りにしているのではないので誤解なきよう)。

 たまたまご機嫌がよかったのでつい歌ってしまったのだと思います。

 

 でも、柄のついた長いヘラを操って石がまの中でPIZZAを焼いている姿はほれぼれしてしまいます~。

 

 もし永福町に来たらぜひ体験してみてください。

 


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やきそば10人前プロジェクト

 

 きょうは高校生の息子(1年生)が早朝からやきそば10人前プロジェクトを敢行しました。


 なんでも部活(バドミントン部)の3年生追い出しパーティーがあるとかで、やきそば担当に任命されたそうです。他にもサンドイッチだのおにぎりだのからあげなど、いろいろ集まるようですが、何と言っても高校生が何十人もいるわけだから、あっという間にペロリでしょうね。


 それにしてもキャンプなどならとにかく、家で10人前作のは大変であります。肉、野菜、そばと、何回かに分けて作成。お味もそこそこ良好。容器のバカデカタッパー(4.3ℓ)は昨夜急きょ購入。ドタバタしましたが、今頃盛り上がっているといいですが。


 さすがに大変そうだったので、少しHELPしましたが、こういうプロジェクトがあるとダンドリ力がつきます。

 次回はコストもちゃんと考えて取り組んでほしいものです。

 


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ハムカツの呪い

   今回は食育について家庭内の会話です。

 

 小僧(息子): またハムカツの話?どんだけハムカツ好きなんだよ~! 

 

 僕: おれはもともとハムカツ大好き。ロンドン行ってますます好きになった。
   が、母は中学の修学旅行に行ってハムが嫌いになった。 

 

息子: あ、知ってる、その話。毎年一ぺんかニへんは聞かされている。
     もう40年くらい前の話だよね。 

 

僕: そうだ。もう40年もトラウマとして持ち続けている。

   おれなんか結婚する前からその話を繰り返し聞かされ続けているんだ。 

 

 妻(母): だって……。 

 

僕: ここで読者のために解説する。
   わが妻は中学の修学旅行で奈良京都へ行ったが、
   その旅館のメシのおかずがハムだったのだそうだ。
   朝飯にハム、それもペラペラの半分乾燥したヤツ。
   夕飯はその同じハムを揚げたハムカツ。 

 

息子: ショボ~。
    ボクなんて新潟・南魚沼でコシヒカリのごはんに、いろんなおかず満載。
    最後の日なんてお赤飯出たもんね。これがまた美味かった!
  (※詳しくは当ブログ過去記事「お米と田んぼとお母ちゃんのニッポン!」参照)

 

妻(母): いいなぁ、今の子どもは、。
      40年前は「子どもなんてハムでも食わしときゃ喜ぶだろう」

      って感覚だったからね。
      大勢いたからひとりひとりのことなんてどうでもよかったのよ。
      今のイヌネコより粗末に扱われてたと思うよ、昔の子どもは。 

 

僕:  まさしく。われわれの親世代は戦後の食糧難を経験しているから、

   子どもに対しては「食えるだけでも有り難く思え」ってのが根本姿勢だったからな。
   ちょっとでもワガママ言おうものならこっぴどく叱られた。
   おれは偏食大魔王の子どもだったから、給食の時間は地獄の苦しみだった。

   それに引き換え、今の子は確かに恵まれているね。

 

妻(母): アレルギーのこととかあるから無理に食べさせられることもないしね。

 

僕: うちの小僧君は幸い何でもだいじょうぶだからいいね。

 

妻(母): 離乳食を早くあげすぎたり、急いで進め過ぎると、トラブルが多くなるらしい。
      出来るだけ遅く始めて、ゆっくり進めるのがいいみたい。
      今は仕事に早く復帰したいお母さんにはそれが難しいみたいだけど。

 

僕: でも、あとあとのことを考えると少しの間、辛抱して「スロー離乳食」にした方が、
   親子ともにHAPPYになる確率が高いよね。
   それからオチビのうちは出来るだけレトルトや冷凍食品を避ける。
   さらにテレビを観ながら食事しない。
   やっぱこれをやると神経が分散されてしまって味覚が発達しなくなる。

 

妻(母): 赤ちゃんから食育?

 

僕:  そうだな。オチビの時ほど 食育が大事。

 

妻(母): そうするとこういうグルメな子どもになるってことね?

 

息子:  ボク、ハムの呪いがかからなくてよかった。コシヒカリのスシ食いてぇ~。

 

僕:  来年の誕生日にな。

 

  と、語らいつつハムカツで夕食を食べる我が家でした。

 

 

2111・6・8 WED


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ロンドンのハムカツ

 

●「イギリスの食い物はまずい」という常識に物申す

 

 ハムカツはロンドン名物? 

 なわけはない。ロンドン名物(英国名物)はフィッシュ・アンド・チップス、ベーコンエッグ、シェーファーズ・パイ、スコーン……といったところか。

 パブにカレーを置いてあるところもあって、これが意外とイケたりする。

 だって、日本のカレーはもとを正せば、明治期に輸入された英国式カレー。

 インドのカレーをイギリス人が自分たちの口に合うようにアレンジしたものだった。 

 

 とにかく、「若い時分、3年ほどロンドンに住んでいた」と言うと、まるでパブロフの犬のように決まって「食べる物、まずかったでしょう?」と聞かれる。

 確かにおかしな味のもの(スーパーで売っている缶詰のシチューとか、マヨネーズもまずい)も多いが、日本人の味覚基準に合わせたら、それはどこの国でも大して変わらないのじゃないかと思う。 

 

  ヨーロッパは一通り回ったが、それと比べて英国の食い物がとびきりまずいとは思わなかった。かのフランスだってイタリアだってトントン。

 うちのカミさんは5~6年前に北京と上海に行ったが、本場の中華料理はまずかったそうである。

 ちなみにロンドンの中華街の中華はとびきりうまい!

 インドレストランのカレーもうまい!

 

●ロンドンの日本食レストランのまかない

 

 ただし、僕の場合は日本食レストランで働いていた、という特殊事情がある。

 フルタイムで飲食店で働いたことのある人はわかると思うのが、従業員には“まかない”が出るのだ。

 つまり、ロンドンにいたとは言え、日常的にはまかないの日本食を食べていた。

 外食でも自炊でも、自分ひとりで食べるのは週に1日半のオフ(1日休みと1日半ドン)だけ。

 「たまに食べるだけだからイギリスのめしも美味いと思っていたんだろう」と言われれば、それまでだが…。 

    

  そのまかないだが、基本的には店で出したものの余り物・ハンパ物を材料にしたメニューだ。

 忙しい店だったので、シェフの皆さんもスタッフのためにそうそう手間ヒマかけていられない。

 なので、こうした肉や野菜のハンパ物をデン!と大皿に持って、それをすき焼きにしたり、しゃぶしゃぶにしたり、鉄板焼にしたりして食べた。

 また、ドカッ!と作れるカレー、そば、うどんなども定番メニューであった。 

 

 当時、僕のいた店ではランチタイム・ディナータイム、あわせて延べ30人くらいのスタッフが働いていた。

 日本人の他にフランス人、デンマーク人、ポーランド人、タイ人、フィリピン人、韓国人、中国人、スリランカ人、エジプト人などがいて、まさに多国籍軍団。

 中には肉・魚類を一切口にしないベジタリアンや、イスラム教徒のために豚肉が食べられないヤツもいた。

 

 それ用に特別メニューが作られることもあるのだが、基本的にはみんないっしょに、午後3時の昼飯・午後11時の晩飯に上記のような“日本食”をワイワイ食べるのだ。いま思い返すと、なんとも愛おしい風景である。 

 

●特製ハムカツの思い出

 

  さて、上記のように基本、余り物で作るスタッフミール=まかないだが、時々、まかない専用のメニュー(店では使わない材料をわざわざ取り寄せて作る献立)も食卓に上った。その中の一つがハムカツだ。これが美味かった!

 

 エジプト人でいつもまかないを楽しみにしていたモハメッドというやつは、これが出ると「オー、ヘム!」といって嘆いていた(イスラム教徒なのでポークが食えない)が、こんなに美味いハムカツはその後、味わったことがない。

 自分でも作ってみたが、単に材料がよくてもダメだ。お歳暮などでいただく高級ハムより普通の安いハムで作った方がうまかったりもする。  

  

 本当にあのまかないの味は、記憶の中枢と結びついていて、ロンドン時代の思い出が次から次へと湧き出してくる。

 当時の街の匂いや光や空気感までよみがえってくるのである。もっといろいろ書きたいけど、キリがなくなるのでまた次回。

 

 当時、かのHIROKOレストランで厨房を仕切っていたヘッドシェフの岡山さん、〈おいしいロンドン〉をどうもありがとう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2011・6・6 MON


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お米と田んぼとお母ちゃんのニッポン!

 

●修学旅行のお土産はコシヒカリ

 

  コシヒカリだ!南魚沼産だ!うまいに違いない! 

 それってホントか?そう思い込まされているからそう思っているだけなんじゃないか? 

 これからの時代、固定観念に囚われていてはいかん!……

 ということで食べてみたら、やっぱり最上級にうまかった! 

  

    うちの小僧さんの修学旅行のお土産である。

 彼の通う中学では校外学習で継続的に食育を実践し、環境についても学ぶ。

 3年生はその総集編として、修学旅行で米作りの農家に泊り込み、田植え体験をするのだ。  

 

●農業体験旅行

 

  ちなみにこうして農家に宿泊していろいろな農業体験をする旅行を「グリーンツーリズム」という。

 発祥はヨーロッパで、日本では大体20年ほど前から行われているようだ。

 

 実は僕はその黎明期に、仕事としてこのグリーンツーリズムのプロモーションビデオの制作に携わったことがある。北海道の酪農家から鹿児島の農家まで巡り歩き、いろいろ貴重な体験や美味しいものを食べさせてもらうなど、楽しく取材した。

 農家の人たちにとって当たり前の日常は、都会人にとっては刺激的な非日常のワンダーランドなのである。   

 

    というわけで、小僧さんも泊めて頂いた農家でがっつり3日間食ってきたコシヒカリ。

 わが家の常食はお値段第一のブレンド米なので、その味の格差はくっきり鮮明だ。

 炊き上がりのツヤツヤ感が違う。湯気と共に漂う香りが違う。

 ふんわり感・もっちり感が違う。ちなみに水は近所の湧き水を使用。

 そこらの市販のミネラルウォーターとまったく遜色ない、美味しい水で炊いたら、まさしく「銀シャリ」になったのだ。 

 

●ふるさとは田んぼのある風景

 

  米の味は日本人のDNAにしっかりと組み込まれている感じがする。

 それとともに「ふるさと」という言葉を聞いて思い浮かぶのは、やはり田んぼのある風景なのではないだろうか。

 僕は田んぼのある所で生まれ育ったわけではない。

 けれども「ふるさと」「日本」「自然」といったキーワードを並べられてイメージする風景は、やはりカエルが大合唱する夏の田んぼ、黄色い稲穂がたわわに実り、トンボが行き交う秋の田んぼの風景だ。 

 

   よく考えると田んぼは純粋な意味での自然の風景とは言い難い。

 だって田んぼ自体、ほったらかしの野生のものではなく、人間が手をかけたものなのだから。 

 

 人間が水を引き、丁寧に作りあげた田んぼにいろいろな生き物が住みつき、生命が循環する……そういう「手をかけて作りあげた自然」が、米の味とともに日本人の遺伝子の一部に焼きついているのだ。 

 

 そして、それはとても優しい、女性的・母親的な雰囲気を持った風景だ。日本の国土そのものがお母ちゃんの胎内、そこから生まれる文化もまたお母ちゃん的なのだと思う。 

 

 最近は海外生活にも順応できる日本人が増えたが、それでもある程度の年月、この国で過ごし、成長した人間にとって、田んぼの風景から派生する母親的優しさは、潜在意識に強烈に刷り込まれる。

 

 言ってみればマザコン状態になる。

 日本が恋しくなる。離れられなくなる。

 海外生活の長い人も「やっぱり死ぬときは畳の上がいい」なんて言う。

 定年後に外国暮らしを始めた人たちも寂しくなって舞い戻ってくる。

 それが日本という国なのだ。 

 

●日本は女神に守られた国

 

 今回の大震災。被災地の人たちの礼儀正しさ・我慢強さに対する世界の評価は最上級と言ってもいい。

 “Respectable”。

 「日本人という国民性の素晴らしさが集約されている」といった賛辞まである。どうして礼儀正しく、我慢強くいられるのか……その裏には母親を信頼する子どもの心理に通じるものがあるのではないかと思う。

 

 僕たちは皆、心の奥底で自分を守ってくれる、この国土の母親的な精霊みたいなもの、女神様みたいなものを全面的に信じているのだ。

 これはもちろん僕の妄想なのだが、こうしたネイティブな愛と信頼の心を抱けなければ、とても現在の政治の頼りなさ・体たらくに黙っていられないと思うのだ。 

 

 南魚沼をはじめとして、早や田植えの季節が終ろうとしている。

 東日本大震災の悲惨な爪あとと向き合わなくてはいけない今年の日本人にとって、美しい緑の田んぼの風景は心の傷を癒し、潤してくれるものになるだろう。 

 

 じつはこの修学旅行には秋に続編が用意されている。南魚沼から生徒たちが植えた苗から出来た米が学校に送られてくるのだ。そこで収穫祭としてコシヒカリのおにぎりをみんなで食べるのだそうだ。

 垂涎。 

 

 

2011・5・23 MON


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