なぜ日本ではカエルはかわいいキャラなのか?

 

 「かえるくん、東京を救う」というのは村上春樹の短編小説の中でもかなり人気の高い作品です。

 主人公がアパートの自分の部屋に帰ると、身の丈2メートルはあろうかというカエルが待っていた、というのだから、始まり方はほとんど恐怖小説。

 ですが、その巨大なカエルが「ぼくのことは“かえるくん”と呼んでください」と言うのだから、たちまちシュールなメルヘンみたいな世界に引き込まれてしまいます。

 

 この話は阪神大震災をモチーフにしていて、けっして甘いメルヘンでも、面白おかしいコメディでもないシリアスなストーリーなのですが、このかえるくんのセリフ回しや行動が、なんとも紳士的だったり、勇敢だったり、愛らしかったり、時折ヤクザだったりして独特の作品世界が出来上がっています。

 

 しかし、アメリカ人の翻訳者がこの作品を英訳するとき、この「かえるくん」という呼称のニュアンスを、どう英語で表現すればいいのか悩んだという話を聞いて、さもありなんと思いました。

 

 このカエルという生き物ほど、「かわいい」と「気持ち悪い」の振れ幅が大きい動物も珍しいのではないでしょうか。

でも、その振れ幅の大きさは日本人独自の感覚のような気もします。

 

 欧米人はカエルはみにくい、グロテスクなやつ、場合によっては悪魔の手先とか、魔女の使いとか、そういう役割を振られるケースが圧倒的に多い気がします。

 

 ところが、日本では、けろけろけろっぴぃとか、コルゲンコーワのマスコットとか、木馬座アワーのケロヨンとか、古くは「やせガエル 負けるな 一茶ここにあり」とか、かわいい系・愛すべき系の系譜がちゃんと続いていますね。

 

 僕が思うに、これはやっぱり稲作文化のおかげなのではないでしょうか。

 お米・田んぼと親しんできた日本人にとって、田んぼでゲコゲコ鳴いているカエルくんたちは、友だちみたいな親近感があるんでしょうね。

 そして、彼らの合唱が聞こえる夏の青々とした田んぼの風景は、今年もお米がいっぱい取れそう、という期待や幸福感とつながっていたのでしょう。

 カエル君に対するよいイメージはそういうところからきている気がします。

 

 ちなみに僕の携帯電話はきみどり色だけど、「カエル色」って呼ばれています。

 茶色いのも黄色っぽいもの黒いのもいるけど、カエルと言えばきれいなきみどり色。やっぱ、アマガエルじゃないとかわいくないからだろうね、きっと。

 雨の季節。そういえば、ここんとこ、カエルくんと会ってないなぁ。ケロケロ。

 


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家族ストーリーを書く仕事② 個の家族

 

  「これから生まれてくる子孫が見られるように」

 ――今回の家族ストーリー(ファミリーヒストリー)を作った動機について、3世代の真ん中の息子さん(団塊ジュニア世代)は作品の最後でこんなメッセージを残しています。

 彼の中にはあるべき家族の姿があった。しかし現実にはそれが叶わなかった。だからやっと安定し、幸福と言える現在の形を映像に残すことを思い立った――僕にはそう取れます。

 

 世間一般の基準に照らし合わせれば、彼は家庭に恵まれなかった人に属するでしょう。かつて日本でよく見られた大家族、そして戦後の主流となった夫婦と子供数人の核家族。彼の中にはそうした家族像への憧れがあったのだと思います。

 

 けれども大家族どころか、核家族さえもはや過去のものになっているのでないか。今回の映像を見ているとそう思えてきます。

 

 団塊の世代の親、その子、そして孫(ほぼ成人)。

 彼らは家族であり、互いに支え合い、励まし合いながら生きている。

 けれど、その前提はあくまで個人。それぞれ個別の歴史と文化を背負い、自分の信じる幸福を追求する人間として生きている。

 

 むかしのように、まず家があり、そこに血のつながりのある人間として生まれ、育つから家族になるのではなく、ひとりひとりの個人が「僕たちは家族だよ」という約束のもとに集まって愛情と信頼を持っていっしょに暮らす。あるいは、離れていても「家族だよ」と呼び合い、同様に愛情と信頼を寄せ合う。だから家族になる。

 

 これからの家族は、核家族からさらに小さな単位に進化した「ミニマム家族」――「個の家族」とでもいえばいいのでしょうか。

 比喩を用いれば、ひとりひとりがパソコンやスマホなどのデバイスであり、必要がある時、○○家にログインし、ネットワークし、そこで父・母・息子・娘などの役割を担って、相手の求めることに応じる。それによってそれぞれが幸福を感じる。そうした「さま」を家族と呼称する――なかなかスムーズに表現できませんが、これからはそういう家族の時代になるのではないでしょうか。

 

 なぜなら、そのほうが現代のような個人主義の世の中で生きていくのに何かと便利で快適だからです。人間は自身の利便性・快適性のためになら、いろいろなものを引き換えにできます。だから進化してこられたのです。

 

 引き換えに失ったものの中にももちろん価値があるし、往々にして失ってみて初めてその価値に気づくケースがあります。むかしの大家族しかり。核家族しかり。こうしてこれらの家族の形態は、今後、一種の文化遺産になっていくのでしょう。

 好きか嫌いかはともかく、そういう時代に入っていて、僕たちはもう後戻りできなくなっているのだと思います。

 

 将来生まれてくる子孫のために、自分の家族の記憶を本なり映像なりの形でまとめて遺す―― もしかしたらそういう人がこれから結構増えるのかもしれません。

 

 

2016・6・27 Mon


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家族ストーリーを書く仕事① 親子3世代の物語

 

 親子3世代の物語がやっと完成一歩手前まで来ました。

 昨年6月、ある家族のヒストリー映像を作るというお仕事を引き受けて、台本を担当。

足掛け1年掛かりでほぼ完成し、残るはクライアントさんに確認を頂いて、最後にナレーションを吹き込むのみ、という段階までこぎつけたのです。

 

 今回のこの仕事は、ディレクターが取材をし、僕はネット経由で送られてくるその音源や映像を見て物語の構成をしていきました。そのディレクターとも最初に1回お会いしただけでご信頼を頂いたので、そのあとはほとんどメールのやり取りのみで進行しました。インターネットがあると、本当に家で何でもできてしまいます。

 ですから時間がかかった割には、そんなに「たいへん感」はありませんでした。

 

 取材対象の人たちともリアルでお会いしたことはなく、インタビューの音声――話の内容はもとより、しゃべり方のくせ、間も含めて――からそれぞれのキャラクターと言葉の背景にある気持ちを想像しながらストーリーを組み立てていくのは、なかなかスリリングで面白い体験でした(最初の下取材の頃はディレクターがまだ映像を撮っていなかったので、レコーダーの音源だけを頼りにやっていました)。

 

 取材対象と直接会わない、会えないという制限は、今までネガティブに捉えていたのですが、現場(彼らの生活空間や仕事空間)の空気がわからない分、余分な情報に戸惑ったり、感情移入のし過ぎに悩まされたりすることがありません。

 適度な距離を置いてその人たちを見られるので、かえってインタビューの中では語られていない範囲まで自由に発想を膨らませられ、こうしたドキュメンタリーのストーリーづくりという面では良い効果もあるんだな、と感じました。

 

 後半(今年になってから)、全体のテーマが固まり、ストーリーの流れが固まってくると、今度は台本に基づいて取材がされるようになりました。

 戦後の昭和~平成の時代の流れを、団塊の世代の親、その息子、そして孫(ほぼ成人)という一つの家族を通して見ていくと、よく目にする、当時の出来事や風俗の記録映像も、魂が定着くした記憶映像に見えてきます。

 これにきちんとした、情感豊かなナレーターの声が入るのがとても楽しみです。

 

 

2016・6・26 Sun


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ゴマスリずんだ餅と正直ファンタじいさん

 

おもちペタペタ伊達男

 

  今週日曜(19日)の大河ドラマ「真田丸」で話題をさらったのは、長谷川朝晴演じる伊達政宗の餅つきパフォーマンスのシーン。「独眼竜」で戦国武将の中でも人気の高い伊達政宗ですが、一方で「伊達男」の語源にもなったように、パフォーマーというか、歌舞伎者というか、芝居っけも方もたっぷりの人だったようです。

 

 だから、餅つきくらいやってもおかしくないのでしょうが、権力者・秀吉に対してあからさまにこびへつらい、ペッタンコとついた餅にスリゴマを・・・じゃなかった、つぶした豆をのっけて「ずんだ餅でございます」と差し出す太鼓持ち野郎の姿に、独眼竜のカッコいいイメージもこっぱみじんでした。

 

 僕としては「歴人めし」の続編のネタ、一丁いただき、と思ってニヤニヤ笑って見ていましたが、ファンの人は複雑な心境だったのではないのでしょうか。(ネット上では「斬新な伊達政宗像」と、好意的な意見が多かったようですが)。

 

 しかし、この後、信繁(幸村=堺雅人)と二人で話すシーンがあり、じつは政宗、今はゴマスリ太鼓持ち野郎を演じているが、いずれ時が来れば秀吉なんぞ、つぶしてずんだ餅にしてやる・・・と、野心満々であることを主人公の前で吐露するのです。

 で、これがクライマックスの関ヶ原の伏線の一つとなっていくわけですね。

 

裏切りのドラマ

 

 この「真田丸」は見ていると、「裏切り」が一つのテーマとなっています。

 出てくるどの武将も、とにかくセコいのなんのttらありゃしない。立派なサムライなんて一人もいません。いろいろな仮面をかぶってお芝居しまくり、だましだまされ、裏切り裏切られ・・・の連続なのです。

 

 そりゃそうでしょう。乱世の中、まっすぐ正直なことばかりやっていては、とても生き延びられません。

 この伊達政宗のシーンの前に、北条氏政の最後が描かれていましたが、氏政がまっすぐな武将であったがために滅び、ゴマスリ政宗は生き延びて逆転のチャンスを掴もうとするのは、ドラマとして絶妙なコントラストになっていました。

 

 僕たちも生きるためには、多かれ少なかれ、このゴマスリずんだ餅に近いことを年中やっているのではないでしょうか。身過ぎ世過ぎというやつですね。

 けれどもご注意。

 人間の心とからだって、意外と正直にできています。ゴマスリずんだ餅をやり過ぎていると、いずれまとめてお返しがやってくるも知れません。

 

人間みんな、じつは正直者

 

 どうしてそんなことを考えたかと言うと、介護士の人と、お仕事でお世話しているおじいさんのことについて話したからです。

 そのおじいさんはいろんな妄想に取りつかれて、ファンタジーの世界へ行っちゃっているようなのですが、それは自分にウソをつき続けて生きてきたからではないか、と思うのです。

 

 これは別に倫理的にどうこうという話ではありません。

 ごく単純に、自分にウソをつくとそのたびにストレスが蓄積していきます。

 それが生活習慣になってしまうと、自分にウソをつくのが当たり前になるので、ストレスが溜まるのに気づかない。そういう体質になってしまうので、全然平気でいられる。

 けれども潜在意識は知っているのです。

 「これはおかしい。これは違う。これはわたしではな~い」

 

 そうした潜在意識の声を、これまた無視し続けると、齢を取ってから自分で自分を裏切り続けてきたツケが一挙に出て来て、思いっきり自分の願いや欲望に正直になるのではないでしょうか。

 だから脳がファンタジーの世界へ飛翔してしまう。それまでウソで歪めてきた自分の本体を取り戻すかのように。

 つまり人生は最後のほうまで行くとちゃんと平均化されるというか、全体で帳尻が合うようにできているのではないかな。

 

自分を大事にするということ

 

 というのは単なる僕の妄想・戯言かも知れないけど、自分に対する我慢とか裏切りとかストレスとかは、心や体にひどいダメージを与えたり、人生にかなりの影響を及ぼすのではないだろうかと思うのです。

 

 みなさん、人生は一度きり。身過ぎ世過ぎばっかりやってると、それだけであっという間に一生終わっちゃいます。何が自分にとっての幸せなのか?心の内からの声をよく聴いて、本当の意味で自分を大事にしましょう。

 介護士さんのお話を聞くといろんなことを考えさせられるので、また書きますね。

 

 

 

2016/6/23 Thu


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死者との対話:父の昭和物語

 

 すぐれた小説は時代を超えて読み継がれる価値がある。特に現代社会を形作った18世紀から20世紀前半にかけての時代、ヨーロッパ社会で生まれた文学には人間や社会について考えさせられる素材にあふれています。

 

その読書を「死者との対話」と呼んだ人がいます。うまい言い方をするものだと思いました。

 

僕たちは家で、街で、図書館で、本さえあれば簡単にゲーテやトルストイやドストエフスキーやブロンテなどと向かい合って話ができます。別にスピリチュアルなものに関心がなくても、書き残したものがあれば、私たちは死者と対話ができるのです。

 

 もちろん、それはごく限られた文学者や学者との間で可能なことで、そうでない一般大衆には縁のないことでしょう。これまではそうでした。しかし、これからの時代はそれも可能なことではないかと思います。ただし、不特定多数の人でなく、ある家族・ある仲間との間でなら、ということですが。

 

 僕は父の人生を書いてみました。

 父は2008年の12月に亡くなりました。家族や親しい者の死も1年ほどたつと悲しいだの寂しいだの、という気持ちは薄れ、彼らは自分の人生においてどんな存在だったのだろう?どんなメッセージを遺していったのだろう?といったことを考えます。

 

父のことを書いてみようと思い立ったのは、それだけがきっかけではありませんでした。

死後、間もない時に、社会保険事務所で遺族年金の手続きをする際に父の履歴書を書いて提出しました。その時に感じたのは、血を分けた家族のことでも知らないことがたくさんあるな、ということでした。

じつはそれは当り前のことなのだが、それまではっきりとは気が付いていませんでした。なんとなく父のことも母のこともよく知っていると思いすごしていたのです。

実際は私が知っているのは、私の父親としての部分、母親としての部分だけであり、両親が男としてどうだったか、女としてどうだったか、ひとりの人間としてどうだったのか、といったことなど、ほとんど知りませんでした。数十年も親子をやっていて、知るきっかけなどなかったのです。

 

父の仕事ひとつ取ってもそうでした。僕の知っている父の仕事は瓦の葺換え職人だが、それは30歳で独立してからのことで、その前――20代のときは工場に勤めたり、建築会社に勤めたりしていたのです。それらは亡くなってから初めて聞いた話です。

そうして知った事実を順番に並べて履歴書を作ったのですが、その時には強い違和感というか、抵抗感のようなものを感じました。それは父というひとりの人間の人生の軌跡が、こんな紙切れ一枚の中に納まってしまうということに対しての、寂しさというか、怒りというか、何とも納得できない気持ちでした。

 

父は不特定多数の人たちに興味を持ってもらえるような、波乱万丈な、生きる迫力に満ち溢れた人生を歩んだわけはありませんい。むしろそれらとは正反対の、よくありがちな、ごく平凡な庶民の人生を送ったのだと思います。

けれどもそうした平凡な人生の中にもそれなりのドラマがあります。そして、そのドラマには、その時代の社会環境の影響を受けた部分が少なくありません。たとえば父の場合は、昭和3(1928)に生まれ、平成元年(1989)に仕事を辞めて隠居していました。その人生は昭和の歴史とほぼ重なっています。

 

ちなみにこの昭和3年という年を調べてみると、アメリカでミッキーマウスの生まれた(ウォルト・ディズニーの映画が初めて上映された)年です。

父は周囲の人たちからは実直でまじめな仕事人間と見られていましたが、マンガや映画が好きで、「のらくろ」だの「冒険ダン吉」だのの話をよく聞かせてくれました。その時にそんなことも思い出したのです。

 

ひとりの人間の人生――この場合は父の人生を昭和という時代にダブらせて考えていくと、昭和の出来事を書き連ねた年表のようなものとは、ひと味違った、その時代の人間の意識の流れ、社会のうねりの様子みたいなものが見えてきて面白いのではないか・・・。そう考えて、僕は父に関するいくつかの個人的なエピソードと、昭和の歴史の断片を併せて書き、家族や親しい人たちが父のことを思い起こし、対話できるための一遍の物語を作ってみようと思い立ちました。

本当はその物語は父が亡くなる前に書くべきだったのではないかと、少し後悔の念が残っています。

生前にも話を聞いて本を書いてみようかなと、ちらりと思ったことはあるのですが、とうとう父自身に自分の人生を振り返って……といった話を聞く機会はつくれませんでした。たとえ親子の間柄でも、そうした機会を持つことは難しいのです。思い立ったら本気になって直談判しないと、そして双方互いに納得できないと永遠につくることはできません。あるいは、これもまた難しいけど、本人がその気になって自分で書くか・・・。それだけその人固有の人生は貴重なものであり、それを正確に、満足できるように表現することは至難の業なのだと思います。

 

実際に始めてから困ったのは、父の若い頃のことを詳しく知る人など、周囲にほとんどいないということ。また、私自身もそこまで綿密に調査・取材ができるほど、時間や労力をかけるわけにもいきませんでした。

だから母から聞いた話を中心に、叔父・叔母の話を少し加える程度にとどめ、その他、本やインターネットでその頃の時代背景などを調べながら文章を組み立てる材料を集めました。そして自分の記憶――心に残っている言葉・出来事・印象と重ね合わせて100枚程度の原稿を作ってみたのです。

 

自分で言うのもナンですが、情報不足は否めないものの、悪くない出来になっていて気に入っています。これがあるともうこの世にいない父と少しは対話できる気がするのです。自分の気持ちを落ち着かせ、互いの生の交流を確かめ、父が果たした役割、自分にとっての存在の意味を見出すためにも、こうした家族や親しい者の物語をつくることはとても有効なのではないかと思います。

 

 高齢化が進む最近は「エンディングノート」というものがよく話題に上っています。

「その日」が来た時、家族など周囲の者がどうすればいいか困らないように、いわゆる社会的な事務手続き、お金や相続のことなどを書き残すのが、今のところ、エンディングノートの最もポピュラーな使い方になっているようだ。

もちろん、それはそれで、逝く者にとっても、後に残る者にとっても大事なことです。しかし、そうすると結局、その人の人生は、いくらお金を遺したかとか、不動産やら建物を遺したのか、とか、そんな話ばかりで終わってしまう恐れもあります。その人の人生そのものが経済的なこと、物質的なものだけで多くの人に価値判断されてしまうような気がするのです。

 

けれども本当に大事なのは、その人の人生にどんな意味や価値があったのか、を家族や友人・知人たちが共有することが出来る、ということではないでしょうか。

そして、もしその人の生前にそうしたストーリーを書くことができれば、その人が人生の最期の季節に、自分自身を取り戻せる、あるいは、取り戻すきっかけになり得る、ということではないでしょうか。

 

 


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赤影メガネとセルフブランディング

 ♪赤い仮面は謎の人 どんな顔だか知らないが キラリと光る涼しい目 仮面の忍者だ

赤影だ~

 というのは、テレビの「仮面の忍者 赤影」の主題歌でしたが、涼しい目かどうかはともかく、僕のメガネは10数年前から「赤影メガネ」です。これにはちょっとした物語(というほどのものではないけど)があります。

 

 当時、小1だか2年の息子を連れてメガネを買いに行きました。

 それまでは確か茶色の細いフレームの丸いメガネだったのですが、今回は変えようかなぁ、どうしようかなぁ・・・とあれこれ見ていると、息子が赤フレームを見つけて「赤影!」と言って持ってきたのです。

 

 「こんなの似合うわけないじゃん」と思いましたが、せっかく選んでくれたのだから・・・と、かけてみたら似合った。子供の洞察力おそるべし。てか、単に赤影が好きだっただけ?

 とにかく、それ以来、赤いフレームのメガネが、いつの間にか自分のアイキャッチになっていました。自分の中にある自分のイメージと、人から見た自分とのギャップはとてつもなく大きいもの。

 独立・起業・フリーランス化ばやりということもあり、セルフブランディングがよく話題になりますが、自分をどう見せるかというのはとても難しい。自分の中にある自分のイメージと、人から見た自分とのギャップはとてつもなく大きいのです。

 とはいえ、自分で気に入らないものを身に着けてもやっぱり駄目。できたら安心して相談できる家族とか、親しい人の意見をしっかり聞いて(信頼感・安心感を持てない人、あんまり好きでない人の意見は素直に聞けない)、従来の考え方にとらわれない自分像を探していきましょう。

 


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ベビーカーを押す男

 

・・・って、なんだか歌か小説のタイトルみたいですね。そうでもない?

 ま、それはいいんですが、この間の朝、実際に会いました。ひとりでそそくさとベビーカーを押していた彼の姿が妙に心に焼き付き、いろいろなことがフラッシュバックしました。

 BACK in the NEW YORK CITY。

 僕が初めてニューヨークに行ったのは約30年前。今はどうだか知らないけど、1980年代のNYCときたらやっぱ世界最先端の大都会。しかし、ぼくがその先端性を感じたのは、ソーホーのクラブやディスコでもなでもなく、イーストビレッジのアートギャラリーでもなく、ブロードウェイのミュージカルでもなく、ストリートのブレイクダンスでもなく、セントラルパークで一人で子供と散歩しているパパさんたちでした。

 

 特におしゃれでも何でもない若いパパさんたちが、小さい子をベビーカーに乗せていたり、抱っこひもでくくってカンガルーみたいな格好で歩いていたり、芝生の上でご飯を食べさせたり、オムツを替えたりしていたのです。

 

 そういう人たちはだいたい一人。その時、たまたま奥さんがほっとその辺まで買い物に行っているのか、奥さんが働いて旦那がハウスハズバンドで子育て担当なのか、はたまた根っからシングルファーザーなのかわかりませんが、いずれにしてもその日その時、出会った彼らはしっかり子育てが板についている感じでした。

 

 衝撃!・・というほどでもなかったけど、なぜか僕は「うーん、さすがはニューヨークはイケてるぜ」と深く納得し、彼らが妙にカッコよく見えてしまったのです。

 

 

 そうなるのを念願していたわけではないけれど、それから約10年後。

 1990年代後半の練馬区の路上で、僕は1歳になるかならないかの息子をベビーカーに乗せて歩いていました。たしか「いわさきちひろ美術館」に行く途中だったと思います。

 向こう側からやってきたおばさんが、じっと僕のことを見ている。

 なんだろう?と気づくと、トコトコ近寄ってきて、何やら話しかけてくる。

 どこから来たのか?どこへ行くのか? この子はいくつか? 奥さんは何をやっているのいか?などなど・・・

 

 「カミさんはちょっと用事で、今日はいないんで」と言うと、ずいぶん大きなため息をつき、「そうなの。私はまた逃げられたと思って」と。

 おいおい、たとえそうだとしても、知らないあんたに心配されたり同情されたりするいわれはないんだけど。

 

 別に腹を立てたわけではありませんが、世間からはそういうふうにも見えるんだなぁと、これまた深く納得。

 あのおばさんは口に出して言ったけど、心の中でそう思ってて同情だか憐憫だかの目で観ている人は結構いるんだろうなぁ、と感じ入った次第です。

 

 というのが、今から約20年前のこと。

 その頃からすでに「子育てしない男を父とは呼ばない」なんてキャッチコピーが出ていましたが、男の子育て環境はずいぶん変化したのでしょうか?

 表面的には イクメンがもてはやされ、育児関係・家事関係の商品のコマーシャルにも、ずいぶん男が出ていますが、実際どうなのでしょうか?

 

 件のベビーカーにしても、今どき珍しくないだろう、と思いましたが、いや待てよ。妻(母)とカップルの時は街の中でも電車の中でもいる。それから父一人の時でも子供を自転車に乗せている男はよく見かける。だが、ベビーカーを“ひとりで”押している男はそう頻繁には見かけない。これって何を意味しているのだろう? と、考えてしまいました。

 

 ベビーカーに乗せている、ということは、子供はだいたい3歳未満。保育園や幼稚園に通うにはまだ小さい。普段は家で母親が面倒を見ているというパターンがやはりまだまだ多いのでしょう。

 

 そういえば、保育園の待機児童問題って、お母さんの声ばかりで、お父さんの声ってさっぱり聞こえてこない。そもそも関係あるのか?って感じに見えてしまうんだけど、イクメンの人たちの出番はないのでしょうか・・・。

 

2016年6月16日


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インターネットがつくるフォークロア

 

インターネットの出現は社会を変えた――ということは聞き飽きるほど、あちこちで言われています。けれどもインターネットが本格的に普及したのは、せいぜいここ10年くらいの話。全世代、全世界を見渡せば、まだ高齢者の中には使ったことがないという人も多いし、国や地域によって普及率の格差も大きい。だから、その変化の真価を国レベル・世界レベルで、僕たちが実感するのはまだこれからだと思います。

それは一般によくいわれる、情報収集がスピーディーになったとか、通信販売が便利になったとか、というカテゴリーの話とは次元が違うものです。もっと人間形成の根本的な部分に関わることであり、ホモサピエンスの文化の変革にまでつながること。それは新しい民間伝承――フォークロアの誕生です。

 

“成長過程で自然に知ってしまう”昔話・伝承

 

最初はどこでどのように聞いたのか覚えてないですが、僕たちは自分でも驚くほど、昔話・伝承をよく知っています。成長の過程のどこかで桃太郎や浦島太郎や因幡の白ウサギと出会い、彼らを古い友だちのように思っています。

 

家庭でそれらの話を大人に読んでもらったこともあれば、幼稚園・保育園・小学校で体験したり、最近ならメディアでお目にかかることも多い。それはまるで遺伝子に組み込まれているかのように、あまりに自然に身体の中に溶け込んでいるのです。

 

調べて確認したわけではないが、こうした感覚は日本に限らず、韓国でも中国でもアメリカでもヨーロッパでも、その地域に住んでいる人なら誰でも持ち得るのではないでしょうか。おそらく同じような現象があると思います。それぞれどんな話がスタンダードとなっているのかは分かりませんが、その国・その地域・その民族の間で“成長過程で自然に知ってしまう”昔話・伝承の類が一定量あるのです。

 

それらは長い時間を生きながらえるタフな生命エネルギーを持っています。それだけのエネルギーを湛えた伝承は、共通の文化の地層、つまり一種のデータベースとして、万人の脳の奥底に存在しています。その文化の地層の上に、その他すべての情報・知識が積み重なっている――僕はそんなイメージを持っています。

 

世界共通の、新しいカテゴリーの伝承

 

そして、昔からあるそれとは別に、これから世界共通の、新しいカテゴリーの伝承が生まれてくる。その新しい伝承は人々の間で共通の文化の地層として急速に育っていくのでないか。そうした伝承を拡散し、未来へ伝える役目を担っているのがインターネット、というわけです。

 

ところで新しい伝承とは何でしょう? その主要なものは20世紀に生まれ、花開いた大衆文化――ポップカルチャーではないでしょうか。具体的に挙げていけば、映画、演劇、小説、マンガ、音楽(ジャズ、ポップス、ロック)の類です。

 

21世紀になる頃から、こうしたポップカルチャーのリバイバルが盛んに行われるようになっていました。

人々になじみのあるストーリー、キャラクター。

ノスタルジーを刺激するリバイバル・コンテンツ。

こうしたものが流行るのは、情報発信する側が、商品価値の高い、新しいものを開発できないためだと思っていました。

そこで各種関連企業が物置に入っていたアンティーク商品を引っ張り出してきて、売上を確保しようとした――そんな事情があったのでしょう。実際、最初のうちはそうだったはずです。

だから僕は結構冷めた目でそうした現象を見ていました。そこには半ば絶望感も混じっていたと思います。前の世代を超える、真に新しい、刺激的なもの・感動的なものは、この先はもう現れないのかも知れない。出尽くしてしまったのかも知れない、と……。

 

しかし時間が経ち、リバイバル現象が恒常化し、それらの画像や物語が、各種のサイトやYouTubeの動画コンテンツとして、ネット上にあふれるようになってくると考え方は変わってきました。

 

それらのストーリー、キャラクターは、もはや単なるレトロやリバイバルでなく、世界中の人たちの共有財産となっています。いわば全世界共通の伝承なのです。

僕たちは欧米やアジアやアフリカの人たちと「ビートルズ」について、「手塚治虫」について、「ガンダム」について、「スターウォーズ」について語り合えるし、また、それらを共通言語にして、子や孫の世代とも同様に語り合えます。

そこにボーダーはないし、ジェネレーションギャップも存在しません。純粋にポップカルチャーを媒介にしてつながり合う、数限りない関係が生まれるのです。

 

また、これらの伝承のオリジナルの発信者――ミュージシャン、映画監督、漫画家、小説家などによって、あるいは彼ら・彼女らをリスペクトするクリエイターたちによって自由なアレンジが施され、驚くほど新鮮なコンテンツに生まれ変わる場合もあります。

 

インターネットの本当の役割

 

オリジナル曲をつくった、盛りを過ぎたアーティストたちが、子や孫たち世代の少年・少女と再び眩いステージに立ち、自分の資産である作品を披露。それをYouTubeなどを介して広めている様子なども頻繁に見かけるようになりました。

 

それが良いことなのか、悪いことなのか、評価はさておき、そうした状況がインタ―ネットによって現れています。これから10年たち、20年たち、コンテンツがさらに充実し、インターネット人口が現在よりさらに膨れ上がれば、どうなるでしょうか? 

 

おそらくその現象は空気のようなものとして世の中に存在するようになり、僕たちは新たな世界的伝承として、人類共通の文化遺産として、完成された古典として見なすようになるでしょう。人々は分かりやすく、楽しませてくれるものが大好きだからです。

 

そして、まるで「桃太郎」のお話を聞くように、まっさらな状態で、これらの伝承を受け取った子供たちが、そこからまた新しい、次の時代の物語を生みだしていきます。

 

この先、そうした現象が必ず起こると思う。インターネットという新参者のメディアはその段階になって、さらに大きな役割を担うのでしょう。それは文化の貯蔵庫としての価値であり、さらに広げて言えば、人類の文化の変革につながる価値になります。

 

 

2016年6月13日


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地方自治体のホームページって割と面白い

 

 

 ここのところ、雑誌の連載で地方のことを書いています。

書くときはまずベーシックな情報(最初のリード文として使うこともあるので)をインターネットで調べます。

 これはウィキペディアなどの第3者情報よりも、各県の公式ホームページの方が断然面白い。自分たちの県をどう見せ、何をアピールしたいかがよくわかるからです。

なんでも市場価値が問われる時代。「お役所仕事云々・・・」と言われることが多い自治体ですが、いろいろ努力して、ホームページも工夫しています。

 

 最近やった宮崎県のキャッチコピーは「日本のひなた」。

 日照時間の多さ、そのため農産物がよく獲れるということのアピール。

 そしてもちろん、人や土地のやさしさ、あったかさ、ポカポカ感を訴えています。

 いろいろな人たちがお日さまスマイルのフリスビーを飛ばして、次々と受け渡していくプロモーションビデオは、単純だけど、なかなか楽しかった。

 

 それから「ひなた度データ」というのがあって、全国比率のいろいろなデータが出ています。面白いのが、「餃子消費量3位」とか、「中学生の早寝早起き率 第3位」とか、「宿題実行率 第4位」とか、「保護者の学校行事参加率 第2位」とか・・・
 「なんでこれがひなた度なんじゃい!」とツッコミを入れたくなるのもいっぱい。だけど好きです、こういうの。 

 取材するにしても、いきなり用件をぶつけるより、「ホームページ面白いですね~」と切り出したほうが、ちょっとはお役所臭さが緩和される気がします。

 

 「あなたのひなた度は?」というテストもあって、やってみたら100パーセントでした。じつはまだ一度も行ったことないけれど、宮崎県を応援したくなるな。ポカポカ。

 

2016年6月12日


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タイムマシンにおねがい

 

 きのう6月10日は「時の記念日」でした。それに気がついたら頭の中で突然、サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにおねがい」が鳴り響いてきたので、YouTubeを見てみたら、1974年から2006年まで、30年以上にわたるいろいろなバージョンが上がっていました。本当にインターネットの世界でタイムマシン化しています。

 

 これだけ昔の映像・音源が見放題・聞き放題になるなんて10年前は考えられませんでした。こういう状況に触れると、改めてインターネットのパワーを感じると同時に、この時代になるまで生きててよかった~と、しみじみします。

 

 そしてまた、ネットの中でならおっさん・おばさんでもずっと青少年でいられる、ということを感じます。60~70年代のロックについて滔々と自分の思い入れを語っている人がいっぱいいますが、これはどう考えても50代・60代の人ですからね。

 でも、彼ら・彼女らの頭の中はロックに夢中になっていた若いころのまんま。脳内年齢は10代・20代。インターネットに没頭することは、まさしくタイムマシンンに乗っているようなものです。

 

 この「タイムマシンにおねがい」が入っているサディスティック・ミカ・バンドの「黒船」というアルバムは、1974年リリースで、いまだに日本のロックの最高峰に位置するアルバムです。若き加藤和彦が作った、世界に誇る傑作と言ってもいいのではないでしょうか。

 中でもこの曲は音も歌詞もゴキゲンです。いろいろ見た(聴いた)中でいちばんよかったのは、最新(かな?)の2006年・木村カエラ・ヴォーカルのバージョンです。おっさんロッカーたちをバックに「ティラノサウルスおさんぽ アハハハ-ン」とやってくれて、くらくらっときました。

 

 やたらと「オリジナルでなきゃ。あのヴォーカルとあのギターでなきゃ」とこだわる人がいますが、僕はそうは思わない。みんなに愛される歌、愛されるコンテンツ、愛される文化には、ちゃんと後継ぎがいて、表現技術はもちろんですが、それだけでなく、その歌・文化の持ち味を深く理解し、見事に自分のものとして再現します。中には「オリジナルよりいいじゃん!」と思えるものも少なくありません。(この木村カエラがよい例)。

 この歌を歌いたい、自分で表現したい!――若い世代にそれだけ強烈に思わせる、魅力あるコンテンツ・文化は生き残り、クラシックとして未来に継承されていくのだと思います。

 

 もう一つおまけに木村カエラのバックでは、晩年の加藤和彦さんが本当に楽しそうに演奏をしていました。こんなに楽しそうだったのに、どうして自殺してしまったのだろう・・・と、ちょっと哀しくもなったなぁ。

 

2016年6月11日


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「歴人めし」おかわり情報

 

 9日間にわたって放送してきた「歴人めし」は、昨日の「信長巻きの巻」をもっていったん終了。しかし、ご安心ください。7月は夜の時間帯に再放送があります。ぜひ見てくださいね。というか、You Tubeでソッコー見られるみたいですが。

 

 

https://www.ch-ginga.jp/movie-detail/series.php?series_cd=12041

 

 この仕事では歴人たちがいかに食い物に執念を燃やしていたかがわかりました。 もちろん、記録に残っているのはほんの少し。

 源内さんのように、自分がいかにうなぎが好きか、うなぎにこだわっているか、しつこく書いている人も例外としていますが、他の人たちは自分は天下国家のことをいつも考えていて、今日のめしのことなんかどうでもいい。カスミを食ってでの生きている・・・なんて言い出しそうな勢いです。

 

 しかし、そんなわけはない。偉人と言えども、飲み食いと無関係ではいられません。 ただ、それを口に出して言えるのは、平和な世の中あってこそなのでしょう。だから日本の食文化は江戸時代に発展し、今ある日本食が完成されたのです。

 

 そんなわけで、「おかわり」があるかもしれないよ、というお話を頂いているので、なんとなく続きを考えています。

 駿河の国(静岡)は食材豊富だし、来年の大河の井伊直虎がらみで何かできないかとか、 今回揚げ物がなかったから、何かできないかとか(信長に捧ぐ干し柿入りドーナツとかね)、

 柳原先生の得意な江戸料理を活かせる江戸の文人とか、明治の文人の話だとか、

 登場させ損ねてしまった豊臣秀吉、上杉謙信、伊達政宗、浅井三姉妹、新選組などの好物とか・・・

 食について面白い逸話がありそうな人たちはいっぱいいるのですが、柳原先生の納得する人物、食材、メニュー、ストーリーがそろって、初めて台本にできます。(じつは今回もプロット段階でアウトテイク多数)

 すぐにとはいきませんが、ぜひおかわりにトライしますよ。

 それまでおなかをすかせて待っててくださいね。ぐ~~。

2016年6月7日


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歴人めし♯9:スイーツ大好き織田信長の信長巻き

 

信長が甘いもの好きというのは、僕は今回のリサーチで初めて知りました。お砂糖を贈答したり、されたりして外交に利用していたこともあり、あちこちの和菓子屋さんが「信長ゆかりの銘菓」を開発して売り出しているようです。ストーリーをくっつけると、同じおまんじゅうやあんころもちでも何だか特別なもの、他とは違うまんじゅうやあんころもちに思えてくるから不思議なものです。

 

 今回、ゆかりの食材として採用したのは「干し柿」と「麦こがし(ふりもみこがし)」。柿は、武家伝統の本膳料理(会席料理のさらに豪華版!)の定番デザートでもあり、記録をめくっていると必ず出てきます。

 現代のようなスイーツパラダイスの時代と違って、昔の人は甘いものなどそう簡単に口にできませんでした。お砂糖なんて食品というよりは、宝石や黄金に近い超ぜいたく品だったようです。だから信長に限らず、果物に目のない人は大勢いたのでしょう。

 中でもは干し柿にすれば保存がきくし、渋柿もスイートに変身したりするので重宝されたのだと思います。

 

  「信長巻き」というのは柳原尚之先生のオリジナル。干し柿に白ワインを染み込ませるのと、大徳寺納豆という、濃厚でしょっぱい焼き味噌みたいな大豆食品をいっしょに巻き込むのがミソ。

 信長は塩辛い味も好きで、料理人が京風の上品な薄味料理を出したら「こんな水臭いものが食えるか!」と怒ったという逸話も。はまった人なら知っている、甘い味としょっぱい味の無限ループ。交互に食べるともうどうにも止まらない。信長もとりつかれていたのだろうか・・・。

 

 ちなみに最近の映画やドラマの中の信長と言えば、かっこよくマントを翻して南蛮渡来の洋装を着こなして登場したり、お城の中のインテリアをヨーロッパの宮殿風にしたり、といった演出が目につきます。

 スイーツ好きとともに、洋風好き・西洋かぶれも、今やすっかり信長像の定番になっていますが、じつはこうして西洋文化を積極的に採り入れたのも、もともとはカステラだの、金平糖だの、ボーロだの、ポルトガルやスペインの宣教師たちが持ち込んできた、砂糖をたっぷり使った甘いお菓子が目当てだったのです。(と、断言してしまう)

 

 「文化」なんていうと何やら高尚っぽいですが、要は生活習慣の集合体をそう呼ぶまでのこと。その中心にあるのは生活の基本である衣食住です。

 中でも「食」の威力はすさまじく、これに人間はめっぽう弱い。おいしいものの誘惑からは誰も逃れられない。そしてできることなら「豊かな食卓のある人生」を生きたいと願う。この「豊かな食卓」をどう捉えるかが、その人の価値観・生き方につながるのです。

 魔王と呼ばれながら、天下統一の一歩手前で倒れた信長も、突き詰めればその自分ならではの豊かさを目指していたのではないかと思うのです。

 

2016年6月6日


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歴人めし♯8 山内一豊の生食禁止令から生まれた?「カツオのたたき」

 

 「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だったころ、琵琶湖のほとりに金目教という怪しい宗教が流行っていた・・・」というナレーションで始まるのは「仮面の忍者・赤影」。子供の頃、夢中になってテレビにかじりついていました。

 時代劇(忍者もの)とSF活劇と怪獣物をごちゃ混ぜにして、なおかつチープな特撮のインチキスパイスをふりかけた独特のテイストは、後にも先にもこの番組だけ。僕の中ではもはや孤高の存在です。

 

 いきなり話が脱線していますが、赤影オープニングのナレーションで語られた「琵琶湖のほとり」とは滋賀県長浜あたりのことだったのだ、と気づいたのは、ちょうど10年前の今頃、イベントの仕事でその長浜に滞在していた時です。

 このときのイベント=期間限定のラジオ番組制作は、大河ドラマ「功名が辻」関連のもの。4月~6月まで断続的に数日ずつ訪れ、街中や郊外で番組用の取材をやっていました。春でもちょっと寒いことを我慢すれば、賑わいがあり、かつまた、自然や文化財にも恵まれている、とても暮らしやすそうな良いところです。

この長浜を開いたのは豊臣秀吉。そして秀吉の後を継いで城主になったのが山内一豊。「功名が辻」は、その一豊(上川隆也)と妻・千代(仲間由紀恵)の物語。そして本日の歴人めし♯9は、この一豊ゆかりの「カツオのたたき」でした。

 ところが一豊、城主にまでしてもらったのに秀吉の死後は、豊臣危うしと読んだのか、関が原では徳川方に寝返ってしまいます。つまり、うまいこと勝ち組にすべり込んだわけですね。

 これで一件落着、となるのが、一豊の描いたシナリオでした。

 なぜならこのとき、彼はもう50歳。人生50年と言われた時代ですから、その年齢から本格的な天下取りに向かった家康なんかは例外中の例外。そんな非凡な才能と強靭な精神を持ち合わせていない、言ってみればラッキーで何とかやってきた凡人・一豊は、もう疲れたし、このあたりで自分の武士人生も「あがり」としたかったのでしょう。

 できたら、ごほうびとして年金代わりに小さな領地でももらって、千代とのんびり老後を過ごしたかったのだと思います。あるいは武士なんかやめてしまって、お百姓でもやりながら余生を・・・とひそかに考えていた可能性もあります。

 

 ところが、ここでまた人生逆転。家康からとんでもないプレゼントが。

 「土佐一国をおまえに任せる」と言い渡されたのです。

 一国の領主にしてやる、と言われたのだから、めでたく大出世。一豊、飛び上がって喜んだ・・・というのが定説になっていますが、僕はまったくそうは思いません。

 なんせ土佐は前・領主の長曾我部氏のごっつい残党がぞろぞろいて、新しくやってくる領主をけんか腰で待ち構えている。徳川陣営の他の武将も「あそこに行くのだけは嫌だ」と言っていたところです。

 

 現代に置き換えてみると、後期高齢者あたりの年齢になった一豊が、縁もゆかりもない外国――それも南米とかのタフな土地へ派遣されるのようなもの。いくらそこの支店長のポストをくれてやる、と言われたって全然うれしくなんかなかったでしょう。

 

 けれども天下を収めた家康の命令は絶対です。断れるはずがありません。

 そしてまた、うまく治められなければ「能無し」というレッテルを貼られ、お家とりつぶしになってしまいます。

 これはすごいプレッシャーだったでしょう。「勝ち組になろう」なんて魂胆を起こすんじゃなかった、と後悔したに違いありません。

 

 こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

 恐怖にかられてしまった人間は、より以上の恐怖となる蛮行、残虐行為を行います。

 一豊は15代先の容堂の世代――つまり、250年後の坂本龍馬や武市半平太の時代まで続く、武士階級をさらに山内家の上士、長曾我部氏の下士に分けるという独特の差別システムまで発想します。

 そうして土佐にきてわずか5年で病に倒れ、亡くなってしまった一豊。寿命だったのかもしれませんが、僕には土佐統治によるストレスで命を縮めたとしか思えないのです。

 

 「カツオのたたき」は、食中毒になる危険を慮った一豊が「カツオ生食禁止令」を出したが、土佐の人々はなんとかおいしくカツオを食べたいと、表面だけ火であぶり、「これは生食じゃのうて焼き魚だぜよ」と抗弁したところから生まれた料理――という話が流布しています。

 しかし、そんな禁止令が記録として残っているわけではありません。やはりこれはどこからか生えてきた伝説なのでしょう。

 けれども僕はこの「カツオのたたき発祥物語」が好きです。それも一豊を“民の健康を気遣う良いお殿様”として解釈するお話でなく、「精神的プレッシャーで恐怖と幻想にとりつかれ、カツオの生食が、おそるべき野蛮人たちの悪食に見えてしまった男の物語」として解釈してストーリーにしました。

 

 随分と長くなってしまいましたが、ここまで書いてきたバックストーリーのニュアンスをイラストの方が、短いナレーションとト書きからじつにうまく掬い取ってくれて、なんとも情けない一豊が画面で活躍することになったのです。

 一豊ファンの人には申し訳ないけど、カツオのたたきに負けず劣らず、実にいい味出している。マイ・フェイバリットです。

 

2016年6月3日


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「歴人めし」徳川家康提唱、日本人の基本食

 

 

 歴人めし第7回は「徳川家康―八丁味噌の冷汁と麦飯」。

 「これが日本人の正しい食事なのじゃ」と家康が言ったかどうかは知りませんが、米・麦・味噌が長寿と健康の基本の3大食材と言えば、多くの日本人は納得するのではないでしょうか。エネルギー、たんぱく質、ビタミン、その他の栄養素のバランスも抜群の取り合わせです。

 ましてやその発言の主が、天下を統一して戦国の世を終わらせ、パックス・トクガワ―ナを作った家康ならなおのこと。実際、家康はこの3大食材を常食とし、かなり養生に努めていたことは定説になっています。

 

  昨年はその家康の没後400年ということで、彼が城を構えた岡崎・浜松・静岡の3都市で「家康公400年祭」というイベントが開催され、僕もその一部の仕事をしました。

そこでお会いしたのが、岡崎城から歩いて八丁(約780メートル)の八丁村で八丁味噌を作っていた味噌蔵の後継者。

 かのメーカー社長は現在「Mr.Haccho」と名乗り、毎年、海外に八丁味噌を売り込みに行っているそうで、日本を代表する調味料・八丁味噌がじわじわと世界に認められつつあるようです。

 

 ちなみに僕は名古屋の出身なので子供の頃から赤味噌に慣れ親しんできました。名古屋をはじめ、東海圏では味噌と言えば、赤味噌=豆味噌が主流。ですが、八丁味噌」という食品名を用いれるのは、その岡崎の元・八丁村にある二つの味噌蔵――現在の「まるや」と「カクキュー」で作っているものだけ、ということです。

 

 しかし、養生食の米・麦・味噌をがんばって食べ続け、健康に気を遣っていた家康も、平和な世の中になって緊張の糸がプツンと切れたのでしょう。

 がまんを重ねて押さえつけていた「ぜいたくの虫」がそっとささやいたのかもしれません。

 

 「もういいんじゃないの。ちょっとぐらいぜいたくしてもかまへんで~」

 

 ということで、その頃、京都でブームになっていたという「鯛の天ぷら」が食べた~い!と言い出し、念願かなってそれを口にしたら大当たり。おなかが油に慣れていなかったせいなのかなぁ。食中毒がもとで亡くなってしまった、と伝えられています。

 でも考えてみれば、自分の仕事をやり遂げて、最期に食べたいものをちゃんと食べられて旅立ったのだから、これ以上満足のいく人生はなかったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

2016年6月2日


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歴人めし「篤姫のお貝煮」と御殿女中

  絶好調「真田丸」に続く2017年大河は柴咲コウ主演「おんな城主 直虎」。今年は男だったから来年は女――というわけで、ここ10年あまり、大河は1年ごとに主人公が男女入れ替わるシフトになっています。
 だけど女のドラマは難しいんです。なかなか資料が見つけらない。というか、そもそも残っていな。やはり日本の歴史は(外国もそうですが)圧倒的に男の歴史なんですね。


 それでも近年、頻繁に女主人公の物語をやるようになったのは、もちろん女性の視聴者を取り込むためだけど、もう一つは史実としての正確さよりも、物語性、イベント性を重視するようになってきたからだと思います。

 

 テレビの人気凋落がよく話題になりますが、「腐っても鯛」と言っては失礼だけど、やっぱ日曜8時のゴールデンタイム、「お茶の間でテレビ」は日本人の定番ライフスタイルです。

 出演俳優は箔がつくし、ゆかりの地域は観光客でにぎわうって経済も潤うし、いろんなイベントもぶら下がってくるし、話題も提供される・・・ということでいいことづくめ。
 豪華絢爛絵巻物に歴史のお勉強がおまけについてくる・・・ぐらいでちょうどいいのです。(とはいっても、制作スタッフは必死に歴史考証をやっています。ただ、部分的に資料がなくても諦めずに面白くするぞ――という精神で作っているということです)

 

 と、すっかり前置きが長くなってしまいましたが、なんとか「歴人めし」にも一人、女性を入れたいということで、あれこれ調べた挙句、やっと好物に関する記録を見つけたのが、20082年大河のヒロイン「篤姫」。本日は天璋院篤姫の「お貝煮」でした。

 

 見てもらえればわかるけど、この「お貝煮」なる料理、要するにアワビ入りの茶碗蒸しです。その記述が載っていたのが「御殿女中」という本。この本は明治から戦前の昭和にかけて活躍した、江戸文化・風俗の研究家・三田村鳶魚の著作で。篤姫付きの女中をしていた“大岡ませ子”という女性を取材した、いわゆる聞き書きです。

 

 

 明治も30年余り経ち、世代交代が進み、新しい秩序・社会体制が定着してくると、以前の時代が懐かしくなるらしく、「江戸の記憶を遺そう」というムーブメントが文化人の間で起こったようです。
 そこでこの三田村鳶魚さんが、かなりのご高齢だったます子さんに目をつけ、あれこれ大奥の生活について聞き出した――その集成がこの本に収められているというわけです。これは現在、文庫本になっていて手軽に手に入ります。

 ナレーションにもしましたが、ヘアメイク法やら、ファッションやら、江戸城内のエンタメ情報やらも載っていて、なかなか楽しい本ですが、篤姫に関するエピソードで最も面白かったのが飼いネコの話。

 最初、彼女は狆(犬)が買いたかったようなのですが、夫の徳川家定(13代将軍)がイヌがダメなので、しかたなくネコにしたとか。

 


 ところが、このネコが良き相棒になってくれて、なんと16年もいっしょに暮らしたそうです。彼女もペットに心を癒された口なのでしょうか。

 

 そんなわけでこの回もいろんな発見がありました。

 続編では、もっと大勢の女性歴人を登場させ、その好物を紹介したいと思っています。

 

2016年6月1日


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週末の懐メロ88:恋はみずいろ/ヴィッキー・レアンドロス

 

1967年リリース。

誰もがおなじみ、

ポール・モーリア楽団のインストゥルメンタルで有名。

僕はてっきりポール・モーリアの曲だと思っていたのだが、

じつはカバー曲。

 

オリジナルはアンドレ・ポップという、

映画音楽を手掛けていたフランスの作曲家が作った歌。

発表されるや、あっという間に大人気となり、

1960年代から70年代にかけて、

めっちゃ大勢の歌手が競うようにこの曲を歌っている。

日本では森山良子、由紀さおり、あべ静江など。

(僕はつい最近まで、

この曲にちゃんと歌詞があることすら知らなかった)

 

そして最初に歌ったのは、

このヴィッキー・レアンドロスで、

この人のことも初めて知った。

ギリシャ出身でフランス語、英語、ドイツ語などの

マルチリンガル。

 

まだティーンエイジャーだった1967年、

ウィーンで開催された

「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」で、

ルクセンブルク代表として出場しフランス語で歌った。

 

もともとアップテンポの曲で、

このコンテストではメダルを逃す4位だったが、

その後、僕たちがよく知る

メロディアスな曲にアレンジされた

英語バージョンが登場し、

のちのロングセラーヒットに繋がった。

 

このビデオはドイツ語バージョンで、

美しいエーゲ海と故郷ギリシャの島をバックに

ヴィッキー・レアンドロスが

海風に髪をなびかせて歌っている姿が夏にぴったり。

 


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母、亡くなる

 

今朝、母が亡くなったので名古屋に来ている。

93歳。老衰。まさに眠るように終わった。

2週間前、息子と面会に行ったのが最後だった。

さようなら👋

 


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新刊予告:エッセイ集:エンディング2「死ぬまでジタバタ しようぜ」

 

エンディングライターとして雑誌・ウェブサイト

(葬儀・供養業界の専門誌)で2016年から記事を書いている。その取材の過程で拾った諸々のエピソード、

記事の中には出さなかった情報・感想などを

中心に綴ってきた、

人生のエンディングにまつわるエッセイを1冊にまとめた。(2020年以降のものは続刊に収録予定)

 

出来れば遠ざけたいもの、

ずっと知らないフリをしていたい「死」は、

すべての人がいつかは関わらなくてはならない事象。

どうせいつかは向き合わなくてはならないものなら、

少しずつでいいから心を慣らしておいた方がいいのでは――

ということでお役に立てるなら何よりです。

 

また、子どもや若者で、

じつはとっても死に興味があるという人。

あなたは別に異常でも何でもなく、

「死があるからこそ生が輝く」という

人生の本質を知る人です。

そんな人にとってもお役に立てる本・

心の糧にしていただきたい本です。

 

もくじ

・死ぬまでジタバタしようぜ:「老い」を楽しんだ蜷川幸雄さん

・エンディング時代の遺産相続を考える

・エンディングを意識して人生の台本を書く

・「老害人」の話と人生最後で最大の仕事

・高齢者ドライバーは、免許返すとおトクやでぇ~

・人形が幸せになれる国ニッポン

・茨城・葬式の撒き銭のルーツを探る

・映画やテレビドラマの世界では高齢犯罪者が増えている?

・マタギの里の大往生

ほか全39編

 


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夏至ケロ、運よ開ケロ

 

きょうは夏至。

いちばん日の長い日。

それに加えて、いろいろ縁起の良いことが重なってて、

スピリチュアル的にはめちゃくちゃな幸運日で、

この日に何もやらないのはおバカさん。

――くらいの素晴らしい開運日なんだって。

 

ということを日が暮れた、ついさっき知った。

あっちゃー!

今日はカミさんも義母もいないので、

ひとり悠々夏バテの先取りをして、

1日中、本を読みながら転がってた。

 

今年もぼちぼち半分終わり。

頭からっぽにしてキャパシティ作って

後半戦の運を呼び込みましたってことで。

 

名古屋名物・青柳ういろうの

「かえるまんじゅう」の空き箱で

開運ガエル作りました。

 

あなたの運が開ケロ。

世界に平和と笑顔がよみガエル。ますように。

 

 

おとなも楽しい少年少女小説

 

てるてる男とふれふれ女

 

http://www.amazon.com/dp/B0B2W7M47L

 


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「南の島でのんびり」なんてFIREしなくてもすぐできる

 

1~2年ほど前からビジネスパーソンが

「FIRE」という言葉をよく口にするようになった。

「うぉぉぉぉ」と炎のように燃えて

仕事をすることなのかと思ったら、

ぜんぜん違っていて、

FIREとは「Financially Independence, Retire Early」の略。

若いうちに経済的に自立し、仕事を辞めることだという。

 

ネットや雑誌では、投資でもうけて

30代くらいでリタイアし、

「南の島でのんびり暮らしてます」

といった人が紹介されているそうな。

 

それなら僕はもう20代でそんな経験は済ませた。

1987年、ヨーロッパをバックパックで旅行していて、

エーゲ海に浮かぶギリシャのロードス島という島で

10日くらいのんびり過ごしていた。

 

気を入れていた仕事が

クライアントの事情でキャンセルになり、

いきなり蒸し暑くなったせいもあって

疲れがどっと出たので、

ここ2日ほど、

ネットもほとんど見ずにゴロゴロしていたら、

ふと、そのことを思い出したのだ。

 

いかにもエーゲ海風の白い家(民宿)に泊って、

そこにオランダ人の女の子やカナダ人の男も

出入りしていた。

 

持ち主のギリシャ人のご夫婦といっしょに食事をして

日本のことやイギリスのこと

(その頃はロンドンで暮らしていた)を聞いてきた。

 

「日本人は何を食べるんだ?」

「魚介類をよく食べるので、

この島と似てるかも知れません」

「イギリスのめしとギリシャのめしはどっちがうまい?」

「うーん。イギリスのほうがうまいものもあるし、

ギリシャのほうがうまいものもありますね」

とかなんとか。

 

そんなわけで美しい海を見ながら、

さらにネコと戯れながら

(ギリシャの島にはどこもやたらネコが多い)、

旅の疲れを癒したのだが、

あの10日ほどが自分の人生の中でどんな意義があったのか、

今もってわからない。

まあ単なる「休み」だったのだろう。

 

でも、今思うとちょと長すぎた。

なんで10日もいたのだろう?

海は確かに美しかったが、それも3日も見てれば飽きる。

特にこれといった思い出もなく、

ただただ、何もすることがなくて

退屈だったという印象が強い。

 

最近言っている「FIREして南の島でのんびり」というのは、

もちろん僕のビンボー旅行の体験などとは

ニュアンスが違っていて、

億り人(資産1億円)の特権みたいなものだ。

 

でも、僕が言いたいのは

「南の島でのんびり」したいだけなら、

今の日本人なら、その気になればいつでもできるってこと。

 

知らないから憧れる人も多いのだろうけど、

そんなのちょっと本気で働いてお金を貯めれば、

あるいは、投資をする元手があるのなら

それを使ってすぐできる。

 

先に体験しておいて「ああ、こういうものなのか」と

わかったうえで、それでも

「永遠ののんびり」を手に入れたいというなら

がんばってFIREをめざしたら?と思う。

 

それにまたいつ何時、コロナが復活したり、

他の伝染病が起こらないとも限らない。

本気で南の島に憧れているのなら

FIREしてどーのこーのなんて言ってないで、

行けるときに行って、若いときに体験しておいた方が

おトクなのではないかと思う。

 

「おいしいものは楽しみに取っておいて、

後からゆっくりいただこう」なんて思っていると、

いただく機会を失っちゃうかもしれないよ。

人生は短いですよ。

 

 

おりべまことエッセイ集:世界

1日3分の地球人

http://www.amazon.co.jp/dp/B09DF7VHPZ

 


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なぜ日本ではカエルはかわいいキャラなのか?

 

 「かえるくん、東京を救う」というのは村上春樹の短編小説の中でもかなり人気の高い作品です。

 主人公がアパートの自分の部屋に帰ると、身の丈2メートルはあろうかというカエルが待っていた、というのだから、始まり方はほとんど恐怖小説。

 ですが、その巨大なカエルが「ぼくのことは“かえるくん”と呼んでください」と言うのだから、たちまちシュールなメルヘンみたいな世界に引き込まれてしまいます。

 

 この話は阪神大震災をモチーフにしていて、けっして甘いメルヘンでも、面白おかしいコメディでもないシリアスなストーリーなのですが、このかえるくんのセリフ回しや行動が、なんとも紳士的だったり、勇敢だったり、愛らしかったり、時折ヤクザだったりして独特の作品世界が出来上がっています。

 

 しかし、アメリカ人の翻訳者がこの作品を英訳するとき、この「かえるくん」という呼称のニュアンスを、どう英語で表現すればいいのか悩んだという話を聞いて、さもありなんと思いました。

 

 このカエルという生き物ほど、「かわいい」と「気持ち悪い」の振れ幅が大きい動物も珍しいのではないでしょうか。

でも、その振れ幅の大きさは日本人独自の感覚のような気もします。

 

 欧米人はカエルはみにくい、グロテスクなやつ、場合によっては悪魔の手先とか、魔女の使いとか、そういう役割を振られるケースが圧倒的に多い気がします。

 

 ところが、日本では、けろけろけろっぴぃとか、コルゲンコーワのマスコットとか、木馬座アワーのケロヨンとか、古くは「やせガエル 負けるな 一茶ここにあり」とか、かわいい系・愛すべき系の系譜がちゃんと続いていますね。

 

 僕が思うに、これはやっぱり稲作文化のおかげなのではないでしょうか。

 お米・田んぼと親しんできた日本人にとって、田んぼでゲコゲコ鳴いているカエルくんたちは、友だちみたいな親近感があるんでしょうね。

 そして、彼らの合唱が聞こえる夏の青々とした田んぼの風景は、今年もお米がいっぱい取れそう、という期待や幸福感とつながっていたのでしょう。

 カエル君に対するよいイメージはそういうところからきている気がします。

 

 ちなみに僕の携帯電話はきみどり色だけど、「カエル色」って呼ばれています。

 茶色いのも黄色っぽいもの黒いのもいるけど、カエルと言えばきれいなきみどり色。やっぱ、アマガエルじゃないとかわいくないからだろうね、きっと。

 雨の季節。そういえば、ここんとこ、カエルくんと会ってないなぁ。ケロケロ。

 


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家族ストーリーを書く仕事② 個の家族

 

  「これから生まれてくる子孫が見られるように」

 ――今回の家族ストーリー(ファミリーヒストリー)を作った動機について、3世代の真ん中の息子さん(団塊ジュニア世代)は作品の最後でこんなメッセージを残しています。

 彼の中にはあるべき家族の姿があった。しかし現実にはそれが叶わなかった。だからやっと安定し、幸福と言える現在の形を映像に残すことを思い立った――僕にはそう取れます。

 

 世間一般の基準に照らし合わせれば、彼は家庭に恵まれなかった人に属するでしょう。かつて日本でよく見られた大家族、そして戦後の主流となった夫婦と子供数人の核家族。彼の中にはそうした家族像への憧れがあったのだと思います。

 

 けれども大家族どころか、核家族さえもはや過去のものになっているのでないか。今回の映像を見ているとそう思えてきます。

 

 団塊の世代の親、その子、そして孫(ほぼ成人)。

 彼らは家族であり、互いに支え合い、励まし合いながら生きている。

 けれど、その前提はあくまで個人。それぞれ個別の歴史と文化を背負い、自分の信じる幸福を追求する人間として生きている。

 

 むかしのように、まず家があり、そこに血のつながりのある人間として生まれ、育つから家族になるのではなく、ひとりひとりの個人が「僕たちは家族だよ」という約束のもとに集まって愛情と信頼を持っていっしょに暮らす。あるいは、離れていても「家族だよ」と呼び合い、同様に愛情と信頼を寄せ合う。だから家族になる。

 

 これからの家族は、核家族からさらに小さな単位に進化した「ミニマム家族」――「個の家族」とでもいえばいいのでしょうか。

 比喩を用いれば、ひとりひとりがパソコンやスマホなどのデバイスであり、必要がある時、○○家にログインし、ネットワークし、そこで父・母・息子・娘などの役割を担って、相手の求めることに応じる。それによってそれぞれが幸福を感じる。そうした「さま」を家族と呼称する――なかなかスムーズに表現できませんが、これからはそういう家族の時代になるのではないでしょうか。

 

 なぜなら、そのほうが現代のような個人主義の世の中で生きていくのに何かと便利で快適だからです。人間は自身の利便性・快適性のためになら、いろいろなものを引き換えにできます。だから進化してこられたのです。

 

 引き換えに失ったものの中にももちろん価値があるし、往々にして失ってみて初めてその価値に気づくケースがあります。むかしの大家族しかり。核家族しかり。こうしてこれらの家族の形態は、今後、一種の文化遺産になっていくのでしょう。

 好きか嫌いかはともかく、そういう時代に入っていて、僕たちはもう後戻りできなくなっているのだと思います。

 

 将来生まれてくる子孫のために、自分の家族の記憶を本なり映像なりの形でまとめて遺す―― もしかしたらそういう人がこれから結構増えるのかもしれません。

 

 

2016・6・27 Mon


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家族ストーリーを書く仕事① 親子3世代の物語

 

 親子3世代の物語がやっと完成一歩手前まで来ました。

 昨年6月、ある家族のヒストリー映像を作るというお仕事を引き受けて、台本を担当。

足掛け1年掛かりでほぼ完成し、残るはクライアントさんに確認を頂いて、最後にナレーションを吹き込むのみ、という段階までこぎつけたのです。

 

 今回のこの仕事は、ディレクターが取材をし、僕はネット経由で送られてくるその音源や映像を見て物語の構成をしていきました。そのディレクターとも最初に1回お会いしただけでご信頼を頂いたので、そのあとはほとんどメールのやり取りのみで進行しました。インターネットがあると、本当に家で何でもできてしまいます。

 ですから時間がかかった割には、そんなに「たいへん感」はありませんでした。

 

 取材対象の人たちともリアルでお会いしたことはなく、インタビューの音声――話の内容はもとより、しゃべり方のくせ、間も含めて――からそれぞれのキャラクターと言葉の背景にある気持ちを想像しながらストーリーを組み立てていくのは、なかなかスリリングで面白い体験でした(最初の下取材の頃はディレクターがまだ映像を撮っていなかったので、レコーダーの音源だけを頼りにやっていました)。

 

 取材対象と直接会わない、会えないという制限は、今までネガティブに捉えていたのですが、現場(彼らの生活空間や仕事空間)の空気がわからない分、余分な情報に戸惑ったり、感情移入のし過ぎに悩まされたりすることがありません。

 適度な距離を置いてその人たちを見られるので、かえってインタビューの中では語られていない範囲まで自由に発想を膨らませられ、こうしたドキュメンタリーのストーリーづくりという面では良い効果もあるんだな、と感じました。

 

 後半(今年になってから)、全体のテーマが固まり、ストーリーの流れが固まってくると、今度は台本に基づいて取材がされるようになりました。

 戦後の昭和~平成の時代の流れを、団塊の世代の親、その息子、そして孫(ほぼ成人)という一つの家族を通して見ていくと、よく目にする、当時の出来事や風俗の記録映像も、魂が定着くした記憶映像に見えてきます。

 これにきちんとした、情感豊かなナレーターの声が入るのがとても楽しみです。

 

 

2016・6・26 Sun


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ゴマスリずんだ餅と正直ファンタじいさん

 

おもちペタペタ伊達男

 

  今週日曜(19日)の大河ドラマ「真田丸」で話題をさらったのは、長谷川朝晴演じる伊達政宗の餅つきパフォーマンスのシーン。「独眼竜」で戦国武将の中でも人気の高い伊達政宗ですが、一方で「伊達男」の語源にもなったように、パフォーマーというか、歌舞伎者というか、芝居っけも方もたっぷりの人だったようです。

 

 だから、餅つきくらいやってもおかしくないのでしょうが、権力者・秀吉に対してあからさまにこびへつらい、ペッタンコとついた餅にスリゴマを・・・じゃなかった、つぶした豆をのっけて「ずんだ餅でございます」と差し出す太鼓持ち野郎の姿に、独眼竜のカッコいいイメージもこっぱみじんでした。

 

 僕としては「歴人めし」の続編のネタ、一丁いただき、と思ってニヤニヤ笑って見ていましたが、ファンの人は複雑な心境だったのではないのでしょうか。(ネット上では「斬新な伊達政宗像」と、好意的な意見が多かったようですが)。

 

 しかし、この後、信繁(幸村=堺雅人)と二人で話すシーンがあり、じつは政宗、今はゴマスリ太鼓持ち野郎を演じているが、いずれ時が来れば秀吉なんぞ、つぶしてずんだ餅にしてやる・・・と、野心満々であることを主人公の前で吐露するのです。

 で、これがクライマックスの関ヶ原の伏線の一つとなっていくわけですね。

 

裏切りのドラマ

 

 この「真田丸」は見ていると、「裏切り」が一つのテーマとなっています。

 出てくるどの武将も、とにかくセコいのなんのttらありゃしない。立派なサムライなんて一人もいません。いろいろな仮面をかぶってお芝居しまくり、だましだまされ、裏切り裏切られ・・・の連続なのです。

 

 そりゃそうでしょう。乱世の中、まっすぐ正直なことばかりやっていては、とても生き延びられません。

 この伊達政宗のシーンの前に、北条氏政の最後が描かれていましたが、氏政がまっすぐな武将であったがために滅び、ゴマスリ政宗は生き延びて逆転のチャンスを掴もうとするのは、ドラマとして絶妙なコントラストになっていました。

 

 僕たちも生きるためには、多かれ少なかれ、このゴマスリずんだ餅に近いことを年中やっているのではないでしょうか。身過ぎ世過ぎというやつですね。

 けれどもご注意。

 人間の心とからだって、意外と正直にできています。ゴマスリずんだ餅をやり過ぎていると、いずれまとめてお返しがやってくるも知れません。

 

人間みんな、じつは正直者

 

 どうしてそんなことを考えたかと言うと、介護士の人と、お仕事でお世話しているおじいさんのことについて話したからです。

 そのおじいさんはいろんな妄想に取りつかれて、ファンタジーの世界へ行っちゃっているようなのですが、それは自分にウソをつき続けて生きてきたからではないか、と思うのです。

 

 これは別に倫理的にどうこうという話ではありません。

 ごく単純に、自分にウソをつくとそのたびにストレスが蓄積していきます。

 それが生活習慣になってしまうと、自分にウソをつくのが当たり前になるので、ストレスが溜まるのに気づかない。そういう体質になってしまうので、全然平気でいられる。

 けれども潜在意識は知っているのです。

 「これはおかしい。これは違う。これはわたしではな~い」

 

 そうした潜在意識の声を、これまた無視し続けると、齢を取ってから自分で自分を裏切り続けてきたツケが一挙に出て来て、思いっきり自分の願いや欲望に正直になるのではないでしょうか。

 だから脳がファンタジーの世界へ飛翔してしまう。それまでウソで歪めてきた自分の本体を取り戻すかのように。

 つまり人生は最後のほうまで行くとちゃんと平均化されるというか、全体で帳尻が合うようにできているのではないかな。

 

自分を大事にするということ

 

 というのは単なる僕の妄想・戯言かも知れないけど、自分に対する我慢とか裏切りとかストレスとかは、心や体にひどいダメージを与えたり、人生にかなりの影響を及ぼすのではないだろうかと思うのです。

 

 みなさん、人生は一度きり。身過ぎ世過ぎばっかりやってると、それだけであっという間に一生終わっちゃいます。何が自分にとっての幸せなのか?心の内からの声をよく聴いて、本当の意味で自分を大事にしましょう。

 介護士さんのお話を聞くといろんなことを考えさせられるので、また書きますね。

 

 

 

2016/6/23 Thu


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死者との対話:父の昭和物語

 

 すぐれた小説は時代を超えて読み継がれる価値がある。特に現代社会を形作った18世紀から20世紀前半にかけての時代、ヨーロッパ社会で生まれた文学には人間や社会について考えさせられる素材にあふれています。

 

その読書を「死者との対話」と呼んだ人がいます。うまい言い方をするものだと思いました。

 

僕たちは家で、街で、図書館で、本さえあれば簡単にゲーテやトルストイやドストエフスキーやブロンテなどと向かい合って話ができます。別にスピリチュアルなものに関心がなくても、書き残したものがあれば、私たちは死者と対話ができるのです。

 

 もちろん、それはごく限られた文学者や学者との間で可能なことで、そうでない一般大衆には縁のないことでしょう。これまではそうでした。しかし、これからの時代はそれも可能なことではないかと思います。ただし、不特定多数の人でなく、ある家族・ある仲間との間でなら、ということですが。

 

 僕は父の人生を書いてみました。

 父は2008年の12月に亡くなりました。家族や親しい者の死も1年ほどたつと悲しいだの寂しいだの、という気持ちは薄れ、彼らは自分の人生においてどんな存在だったのだろう?どんなメッセージを遺していったのだろう?といったことを考えます。

 

父のことを書いてみようと思い立ったのは、それだけがきっかけではありませんでした。

死後、間もない時に、社会保険事務所で遺族年金の手続きをする際に父の履歴書を書いて提出しました。その時に感じたのは、血を分けた家族のことでも知らないことがたくさんあるな、ということでした。

じつはそれは当り前のことなのだが、それまではっきりとは気が付いていませんでした。なんとなく父のことも母のこともよく知っていると思いすごしていたのです。

実際は私が知っているのは、私の父親としての部分、母親としての部分だけであり、両親が男としてどうだったか、女としてどうだったか、ひとりの人間としてどうだったのか、といったことなど、ほとんど知りませんでした。数十年も親子をやっていて、知るきっかけなどなかったのです。

 

父の仕事ひとつ取ってもそうでした。僕の知っている父の仕事は瓦の葺換え職人だが、それは30歳で独立してからのことで、その前――20代のときは工場に勤めたり、建築会社に勤めたりしていたのです。それらは亡くなってから初めて聞いた話です。

そうして知った事実を順番に並べて履歴書を作ったのですが、その時には強い違和感というか、抵抗感のようなものを感じました。それは父というひとりの人間の人生の軌跡が、こんな紙切れ一枚の中に納まってしまうということに対しての、寂しさというか、怒りというか、何とも納得できない気持ちでした。

 

父は不特定多数の人たちに興味を持ってもらえるような、波乱万丈な、生きる迫力に満ち溢れた人生を歩んだわけはありませんい。むしろそれらとは正反対の、よくありがちな、ごく平凡な庶民の人生を送ったのだと思います。

けれどもそうした平凡な人生の中にもそれなりのドラマがあります。そして、そのドラマには、その時代の社会環境の影響を受けた部分が少なくありません。たとえば父の場合は、昭和3(1928)に生まれ、平成元年(1989)に仕事を辞めて隠居していました。その人生は昭和の歴史とほぼ重なっています。

 

ちなみにこの昭和3年という年を調べてみると、アメリカでミッキーマウスの生まれた(ウォルト・ディズニーの映画が初めて上映された)年です。

父は周囲の人たちからは実直でまじめな仕事人間と見られていましたが、マンガや映画が好きで、「のらくろ」だの「冒険ダン吉」だのの話をよく聞かせてくれました。その時にそんなことも思い出したのです。

 

ひとりの人間の人生――この場合は父の人生を昭和という時代にダブらせて考えていくと、昭和の出来事を書き連ねた年表のようなものとは、ひと味違った、その時代の人間の意識の流れ、社会のうねりの様子みたいなものが見えてきて面白いのではないか・・・。そう考えて、僕は父に関するいくつかの個人的なエピソードと、昭和の歴史の断片を併せて書き、家族や親しい人たちが父のことを思い起こし、対話できるための一遍の物語を作ってみようと思い立ちました。

本当はその物語は父が亡くなる前に書くべきだったのではないかと、少し後悔の念が残っています。

生前にも話を聞いて本を書いてみようかなと、ちらりと思ったことはあるのですが、とうとう父自身に自分の人生を振り返って……といった話を聞く機会はつくれませんでした。たとえ親子の間柄でも、そうした機会を持つことは難しいのです。思い立ったら本気になって直談判しないと、そして双方互いに納得できないと永遠につくることはできません。あるいは、これもまた難しいけど、本人がその気になって自分で書くか・・・。それだけその人固有の人生は貴重なものであり、それを正確に、満足できるように表現することは至難の業なのだと思います。

 

実際に始めてから困ったのは、父の若い頃のことを詳しく知る人など、周囲にほとんどいないということ。また、私自身もそこまで綿密に調査・取材ができるほど、時間や労力をかけるわけにもいきませんでした。

だから母から聞いた話を中心に、叔父・叔母の話を少し加える程度にとどめ、その他、本やインターネットでその頃の時代背景などを調べながら文章を組み立てる材料を集めました。そして自分の記憶――心に残っている言葉・出来事・印象と重ね合わせて100枚程度の原稿を作ってみたのです。

 

自分で言うのもナンですが、情報不足は否めないものの、悪くない出来になっていて気に入っています。これがあるともうこの世にいない父と少しは対話できる気がするのです。自分の気持ちを落ち着かせ、互いの生の交流を確かめ、父が果たした役割、自分にとっての存在の意味を見出すためにも、こうした家族や親しい者の物語をつくることはとても有効なのではないかと思います。

 

 高齢化が進む最近は「エンディングノート」というものがよく話題に上っています。

「その日」が来た時、家族など周囲の者がどうすればいいか困らないように、いわゆる社会的な事務手続き、お金や相続のことなどを書き残すのが、今のところ、エンディングノートの最もポピュラーな使い方になっているようだ。

もちろん、それはそれで、逝く者にとっても、後に残る者にとっても大事なことです。しかし、そうすると結局、その人の人生は、いくらお金を遺したかとか、不動産やら建物を遺したのか、とか、そんな話ばかりで終わってしまう恐れもあります。その人の人生そのものが経済的なこと、物質的なものだけで多くの人に価値判断されてしまうような気がするのです。

 

けれども本当に大事なのは、その人の人生にどんな意味や価値があったのか、を家族や友人・知人たちが共有することが出来る、ということではないでしょうか。

そして、もしその人の生前にそうしたストーリーを書くことができれば、その人が人生の最期の季節に、自分自身を取り戻せる、あるいは、取り戻すきっかけになり得る、ということではないでしょうか。

 

 


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赤影メガネとセルフブランディング

 ♪赤い仮面は謎の人 どんな顔だか知らないが キラリと光る涼しい目 仮面の忍者だ

赤影だ~

 というのは、テレビの「仮面の忍者 赤影」の主題歌でしたが、涼しい目かどうかはともかく、僕のメガネは10数年前から「赤影メガネ」です。これにはちょっとした物語(というほどのものではないけど)があります。

 

 当時、小1だか2年の息子を連れてメガネを買いに行きました。

 それまでは確か茶色の細いフレームの丸いメガネだったのですが、今回は変えようかなぁ、どうしようかなぁ・・・とあれこれ見ていると、息子が赤フレームを見つけて「赤影!」と言って持ってきたのです。

 

 「こんなの似合うわけないじゃん」と思いましたが、せっかく選んでくれたのだから・・・と、かけてみたら似合った。子供の洞察力おそるべし。てか、単に赤影が好きだっただけ?

 とにかく、それ以来、赤いフレームのメガネが、いつの間にか自分のアイキャッチになっていました。自分の中にある自分のイメージと、人から見た自分とのギャップはとてつもなく大きいもの。

 独立・起業・フリーランス化ばやりということもあり、セルフブランディングがよく話題になりますが、自分をどう見せるかというのはとても難しい。自分の中にある自分のイメージと、人から見た自分とのギャップはとてつもなく大きいのです。

 とはいえ、自分で気に入らないものを身に着けてもやっぱり駄目。できたら安心して相談できる家族とか、親しい人の意見をしっかり聞いて(信頼感・安心感を持てない人、あんまり好きでない人の意見は素直に聞けない)、従来の考え方にとらわれない自分像を探していきましょう。

 


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ベビーカーを押す男

 

・・・って、なんだか歌か小説のタイトルみたいですね。そうでもない?

 ま、それはいいんですが、この間の朝、実際に会いました。ひとりでそそくさとベビーカーを押していた彼の姿が妙に心に焼き付き、いろいろなことがフラッシュバックしました。

 BACK in the NEW YORK CITY。

 僕が初めてニューヨークに行ったのは約30年前。今はどうだか知らないけど、1980年代のNYCときたらやっぱ世界最先端の大都会。しかし、ぼくがその先端性を感じたのは、ソーホーのクラブやディスコでもなでもなく、イーストビレッジのアートギャラリーでもなく、ブロードウェイのミュージカルでもなく、ストリートのブレイクダンスでもなく、セントラルパークで一人で子供と散歩しているパパさんたちでした。

 

 特におしゃれでも何でもない若いパパさんたちが、小さい子をベビーカーに乗せていたり、抱っこひもでくくってカンガルーみたいな格好で歩いていたり、芝生の上でご飯を食べさせたり、オムツを替えたりしていたのです。

 

 そういう人たちはだいたい一人。その時、たまたま奥さんがほっとその辺まで買い物に行っているのか、奥さんが働いて旦那がハウスハズバンドで子育て担当なのか、はたまた根っからシングルファーザーなのかわかりませんが、いずれにしてもその日その時、出会った彼らはしっかり子育てが板についている感じでした。

 

 衝撃!・・というほどでもなかったけど、なぜか僕は「うーん、さすがはニューヨークはイケてるぜ」と深く納得し、彼らが妙にカッコよく見えてしまったのです。

 

 

 そうなるのを念願していたわけではないけれど、それから約10年後。

 1990年代後半の練馬区の路上で、僕は1歳になるかならないかの息子をベビーカーに乗せて歩いていました。たしか「いわさきちひろ美術館」に行く途中だったと思います。

 向こう側からやってきたおばさんが、じっと僕のことを見ている。

 なんだろう?と気づくと、トコトコ近寄ってきて、何やら話しかけてくる。

 どこから来たのか?どこへ行くのか? この子はいくつか? 奥さんは何をやっているのいか?などなど・・・

 

 「カミさんはちょっと用事で、今日はいないんで」と言うと、ずいぶん大きなため息をつき、「そうなの。私はまた逃げられたと思って」と。

 おいおい、たとえそうだとしても、知らないあんたに心配されたり同情されたりするいわれはないんだけど。

 

 別に腹を立てたわけではありませんが、世間からはそういうふうにも見えるんだなぁと、これまた深く納得。

 あのおばさんは口に出して言ったけど、心の中でそう思ってて同情だか憐憫だかの目で観ている人は結構いるんだろうなぁ、と感じ入った次第です。

 

 というのが、今から約20年前のこと。

 その頃からすでに「子育てしない男を父とは呼ばない」なんてキャッチコピーが出ていましたが、男の子育て環境はずいぶん変化したのでしょうか?

 表面的には イクメンがもてはやされ、育児関係・家事関係の商品のコマーシャルにも、ずいぶん男が出ていますが、実際どうなのでしょうか?

 

 件のベビーカーにしても、今どき珍しくないだろう、と思いましたが、いや待てよ。妻(母)とカップルの時は街の中でも電車の中でもいる。それから父一人の時でも子供を自転車に乗せている男はよく見かける。だが、ベビーカーを“ひとりで”押している男はそう頻繁には見かけない。これって何を意味しているのだろう? と、考えてしまいました。

 

 ベビーカーに乗せている、ということは、子供はだいたい3歳未満。保育園や幼稚園に通うにはまだ小さい。普段は家で母親が面倒を見ているというパターンがやはりまだまだ多いのでしょう。

 

 そういえば、保育園の待機児童問題って、お母さんの声ばかりで、お父さんの声ってさっぱり聞こえてこない。そもそも関係あるのか?って感じに見えてしまうんだけど、イクメンの人たちの出番はないのでしょうか・・・。

 

2016年6月16日


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インターネットがつくるフォークロア

 

インターネットの出現は社会を変えた――ということは聞き飽きるほど、あちこちで言われています。けれどもインターネットが本格的に普及したのは、せいぜいここ10年くらいの話。全世代、全世界を見渡せば、まだ高齢者の中には使ったことがないという人も多いし、国や地域によって普及率の格差も大きい。だから、その変化の真価を国レベル・世界レベルで、僕たちが実感するのはまだこれからだと思います。

それは一般によくいわれる、情報収集がスピーディーになったとか、通信販売が便利になったとか、というカテゴリーの話とは次元が違うものです。もっと人間形成の根本的な部分に関わることであり、ホモサピエンスの文化の変革にまでつながること。それは新しい民間伝承――フォークロアの誕生です。

 

“成長過程で自然に知ってしまう”昔話・伝承

 

最初はどこでどのように聞いたのか覚えてないですが、僕たちは自分でも驚くほど、昔話・伝承をよく知っています。成長の過程のどこかで桃太郎や浦島太郎や因幡の白ウサギと出会い、彼らを古い友だちのように思っています。

 

家庭でそれらの話を大人に読んでもらったこともあれば、幼稚園・保育園・小学校で体験したり、最近ならメディアでお目にかかることも多い。それはまるで遺伝子に組み込まれているかのように、あまりに自然に身体の中に溶け込んでいるのです。

 

調べて確認したわけではないが、こうした感覚は日本に限らず、韓国でも中国でもアメリカでもヨーロッパでも、その地域に住んでいる人なら誰でも持ち得るのではないでしょうか。おそらく同じような現象があると思います。それぞれどんな話がスタンダードとなっているのかは分かりませんが、その国・その地域・その民族の間で“成長過程で自然に知ってしまう”昔話・伝承の類が一定量あるのです。

 

それらは長い時間を生きながらえるタフな生命エネルギーを持っています。それだけのエネルギーを湛えた伝承は、共通の文化の地層、つまり一種のデータベースとして、万人の脳の奥底に存在しています。その文化の地層の上に、その他すべての情報・知識が積み重なっている――僕はそんなイメージを持っています。

 

世界共通の、新しいカテゴリーの伝承

 

そして、昔からあるそれとは別に、これから世界共通の、新しいカテゴリーの伝承が生まれてくる。その新しい伝承は人々の間で共通の文化の地層として急速に育っていくのでないか。そうした伝承を拡散し、未来へ伝える役目を担っているのがインターネット、というわけです。

 

ところで新しい伝承とは何でしょう? その主要なものは20世紀に生まれ、花開いた大衆文化――ポップカルチャーではないでしょうか。具体的に挙げていけば、映画、演劇、小説、マンガ、音楽(ジャズ、ポップス、ロック)の類です。

 

21世紀になる頃から、こうしたポップカルチャーのリバイバルが盛んに行われるようになっていました。

人々になじみのあるストーリー、キャラクター。

ノスタルジーを刺激するリバイバル・コンテンツ。

こうしたものが流行るのは、情報発信する側が、商品価値の高い、新しいものを開発できないためだと思っていました。

そこで各種関連企業が物置に入っていたアンティーク商品を引っ張り出してきて、売上を確保しようとした――そんな事情があったのでしょう。実際、最初のうちはそうだったはずです。

だから僕は結構冷めた目でそうした現象を見ていました。そこには半ば絶望感も混じっていたと思います。前の世代を超える、真に新しい、刺激的なもの・感動的なものは、この先はもう現れないのかも知れない。出尽くしてしまったのかも知れない、と……。

 

しかし時間が経ち、リバイバル現象が恒常化し、それらの画像や物語が、各種のサイトやYouTubeの動画コンテンツとして、ネット上にあふれるようになってくると考え方は変わってきました。

 

それらのストーリー、キャラクターは、もはや単なるレトロやリバイバルでなく、世界中の人たちの共有財産となっています。いわば全世界共通の伝承なのです。

僕たちは欧米やアジアやアフリカの人たちと「ビートルズ」について、「手塚治虫」について、「ガンダム」について、「スターウォーズ」について語り合えるし、また、それらを共通言語にして、子や孫の世代とも同様に語り合えます。

そこにボーダーはないし、ジェネレーションギャップも存在しません。純粋にポップカルチャーを媒介にしてつながり合う、数限りない関係が生まれるのです。

 

また、これらの伝承のオリジナルの発信者――ミュージシャン、映画監督、漫画家、小説家などによって、あるいは彼ら・彼女らをリスペクトするクリエイターたちによって自由なアレンジが施され、驚くほど新鮮なコンテンツに生まれ変わる場合もあります。

 

インターネットの本当の役割

 

オリジナル曲をつくった、盛りを過ぎたアーティストたちが、子や孫たち世代の少年・少女と再び眩いステージに立ち、自分の資産である作品を披露。それをYouTubeなどを介して広めている様子なども頻繁に見かけるようになりました。

 

それが良いことなのか、悪いことなのか、評価はさておき、そうした状況がインタ―ネットによって現れています。これから10年たち、20年たち、コンテンツがさらに充実し、インターネット人口が現在よりさらに膨れ上がれば、どうなるでしょうか? 

 

おそらくその現象は空気のようなものとして世の中に存在するようになり、僕たちは新たな世界的伝承として、人類共通の文化遺産として、完成された古典として見なすようになるでしょう。人々は分かりやすく、楽しませてくれるものが大好きだからです。

 

そして、まるで「桃太郎」のお話を聞くように、まっさらな状態で、これらの伝承を受け取った子供たちが、そこからまた新しい、次の時代の物語を生みだしていきます。

 

この先、そうした現象が必ず起こると思う。インターネットという新参者のメディアはその段階になって、さらに大きな役割を担うのでしょう。それは文化の貯蔵庫としての価値であり、さらに広げて言えば、人類の文化の変革につながる価値になります。

 

 

2016年6月13日


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地方自治体のホームページって割と面白い

 

 

 ここのところ、雑誌の連載で地方のことを書いています。

書くときはまずベーシックな情報(最初のリード文として使うこともあるので)をインターネットで調べます。

 これはウィキペディアなどの第3者情報よりも、各県の公式ホームページの方が断然面白い。自分たちの県をどう見せ、何をアピールしたいかがよくわかるからです。

なんでも市場価値が問われる時代。「お役所仕事云々・・・」と言われることが多い自治体ですが、いろいろ努力して、ホームページも工夫しています。

 

 最近やった宮崎県のキャッチコピーは「日本のひなた」。

 日照時間の多さ、そのため農産物がよく獲れるということのアピール。

 そしてもちろん、人や土地のやさしさ、あったかさ、ポカポカ感を訴えています。

 いろいろな人たちがお日さまスマイルのフリスビーを飛ばして、次々と受け渡していくプロモーションビデオは、単純だけど、なかなか楽しかった。

 

 それから「ひなた度データ」というのがあって、全国比率のいろいろなデータが出ています。面白いのが、「餃子消費量3位」とか、「中学生の早寝早起き率 第3位」とか、「宿題実行率 第4位」とか、「保護者の学校行事参加率 第2位」とか・・・
 「なんでこれがひなた度なんじゃい!」とツッコミを入れたくなるのもいっぱい。だけど好きです、こういうの。 

 取材するにしても、いきなり用件をぶつけるより、「ホームページ面白いですね~」と切り出したほうが、ちょっとはお役所臭さが緩和される気がします。

 

 「あなたのひなた度は?」というテストもあって、やってみたら100パーセントでした。じつはまだ一度も行ったことないけれど、宮崎県を応援したくなるな。ポカポカ。

 

2016年6月12日


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タイムマシンにおねがい

 

 きのう6月10日は「時の記念日」でした。それに気がついたら頭の中で突然、サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにおねがい」が鳴り響いてきたので、YouTubeを見てみたら、1974年から2006年まで、30年以上にわたるいろいろなバージョンが上がっていました。本当にインターネットの世界でタイムマシン化しています。

 

 これだけ昔の映像・音源が見放題・聞き放題になるなんて10年前は考えられませんでした。こういう状況に触れると、改めてインターネットのパワーを感じると同時に、この時代になるまで生きててよかった~と、しみじみします。

 

 そしてまた、ネットの中でならおっさん・おばさんでもずっと青少年でいられる、ということを感じます。60~70年代のロックについて滔々と自分の思い入れを語っている人がいっぱいいますが、これはどう考えても50代・60代の人ですからね。

 でも、彼ら・彼女らの頭の中はロックに夢中になっていた若いころのまんま。脳内年齢は10代・20代。インターネットに没頭することは、まさしくタイムマシンンに乗っているようなものです。

 

 この「タイムマシンにおねがい」が入っているサディスティック・ミカ・バンドの「黒船」というアルバムは、1974年リリースで、いまだに日本のロックの最高峰に位置するアルバムです。若き加藤和彦が作った、世界に誇る傑作と言ってもいいのではないでしょうか。

 中でもこの曲は音も歌詞もゴキゲンです。いろいろ見た(聴いた)中でいちばんよかったのは、最新(かな?)の2006年・木村カエラ・ヴォーカルのバージョンです。おっさんロッカーたちをバックに「ティラノサウルスおさんぽ アハハハ-ン」とやってくれて、くらくらっときました。

 

 やたらと「オリジナルでなきゃ。あのヴォーカルとあのギターでなきゃ」とこだわる人がいますが、僕はそうは思わない。みんなに愛される歌、愛されるコンテンツ、愛される文化には、ちゃんと後継ぎがいて、表現技術はもちろんですが、それだけでなく、その歌・文化の持ち味を深く理解し、見事に自分のものとして再現します。中には「オリジナルよりいいじゃん!」と思えるものも少なくありません。(この木村カエラがよい例)。

 この歌を歌いたい、自分で表現したい!――若い世代にそれだけ強烈に思わせる、魅力あるコンテンツ・文化は生き残り、クラシックとして未来に継承されていくのだと思います。

 

 もう一つおまけに木村カエラのバックでは、晩年の加藤和彦さんが本当に楽しそうに演奏をしていました。こんなに楽しそうだったのに、どうして自殺してしまったのだろう・・・と、ちょっと哀しくもなったなぁ。

 

2016年6月11日


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「歴人めし」おかわり情報

 

 9日間にわたって放送してきた「歴人めし」は、昨日の「信長巻きの巻」をもっていったん終了。しかし、ご安心ください。7月は夜の時間帯に再放送があります。ぜひ見てくださいね。というか、You Tubeでソッコー見られるみたいですが。

 

 

https://www.ch-ginga.jp/movie-detail/series.php?series_cd=12041

 

 この仕事では歴人たちがいかに食い物に執念を燃やしていたかがわかりました。 もちろん、記録に残っているのはほんの少し。

 源内さんのように、自分がいかにうなぎが好きか、うなぎにこだわっているか、しつこく書いている人も例外としていますが、他の人たちは自分は天下国家のことをいつも考えていて、今日のめしのことなんかどうでもいい。カスミを食ってでの生きている・・・なんて言い出しそうな勢いです。

 

 しかし、そんなわけはない。偉人と言えども、飲み食いと無関係ではいられません。 ただ、それを口に出して言えるのは、平和な世の中あってこそなのでしょう。だから日本の食文化は江戸時代に発展し、今ある日本食が完成されたのです。

 

 そんなわけで、「おかわり」があるかもしれないよ、というお話を頂いているので、なんとなく続きを考えています。

 駿河の国(静岡)は食材豊富だし、来年の大河の井伊直虎がらみで何かできないかとか、 今回揚げ物がなかったから、何かできないかとか(信長に捧ぐ干し柿入りドーナツとかね)、

 柳原先生の得意な江戸料理を活かせる江戸の文人とか、明治の文人の話だとか、

 登場させ損ねてしまった豊臣秀吉、上杉謙信、伊達政宗、浅井三姉妹、新選組などの好物とか・・・

 食について面白い逸話がありそうな人たちはいっぱいいるのですが、柳原先生の納得する人物、食材、メニュー、ストーリーがそろって、初めて台本にできます。(じつは今回もプロット段階でアウトテイク多数)

 すぐにとはいきませんが、ぜひおかわりにトライしますよ。

 それまでおなかをすかせて待っててくださいね。ぐ~~。

2016年6月7日


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歴人めし♯9:スイーツ大好き織田信長の信長巻き

 

信長が甘いもの好きというのは、僕は今回のリサーチで初めて知りました。お砂糖を贈答したり、されたりして外交に利用していたこともあり、あちこちの和菓子屋さんが「信長ゆかりの銘菓」を開発して売り出しているようです。ストーリーをくっつけると、同じおまんじゅうやあんころもちでも何だか特別なもの、他とは違うまんじゅうやあんころもちに思えてくるから不思議なものです。

 

 今回、ゆかりの食材として採用したのは「干し柿」と「麦こがし(ふりもみこがし)」。柿は、武家伝統の本膳料理(会席料理のさらに豪華版!)の定番デザートでもあり、記録をめくっていると必ず出てきます。

 現代のようなスイーツパラダイスの時代と違って、昔の人は甘いものなどそう簡単に口にできませんでした。お砂糖なんて食品というよりは、宝石や黄金に近い超ぜいたく品だったようです。だから信長に限らず、果物に目のない人は大勢いたのでしょう。

 中でもは干し柿にすれば保存がきくし、渋柿もスイートに変身したりするので重宝されたのだと思います。

 

  「信長巻き」というのは柳原尚之先生のオリジナル。干し柿に白ワインを染み込ませるのと、大徳寺納豆という、濃厚でしょっぱい焼き味噌みたいな大豆食品をいっしょに巻き込むのがミソ。

 信長は塩辛い味も好きで、料理人が京風の上品な薄味料理を出したら「こんな水臭いものが食えるか!」と怒ったという逸話も。はまった人なら知っている、甘い味としょっぱい味の無限ループ。交互に食べるともうどうにも止まらない。信長もとりつかれていたのだろうか・・・。

 

 ちなみに最近の映画やドラマの中の信長と言えば、かっこよくマントを翻して南蛮渡来の洋装を着こなして登場したり、お城の中のインテリアをヨーロッパの宮殿風にしたり、といった演出が目につきます。

 スイーツ好きとともに、洋風好き・西洋かぶれも、今やすっかり信長像の定番になっていますが、じつはこうして西洋文化を積極的に採り入れたのも、もともとはカステラだの、金平糖だの、ボーロだの、ポルトガルやスペインの宣教師たちが持ち込んできた、砂糖をたっぷり使った甘いお菓子が目当てだったのです。(と、断言してしまう)

 

 「文化」なんていうと何やら高尚っぽいですが、要は生活習慣の集合体をそう呼ぶまでのこと。その中心にあるのは生活の基本である衣食住です。

 中でも「食」の威力はすさまじく、これに人間はめっぽう弱い。おいしいものの誘惑からは誰も逃れられない。そしてできることなら「豊かな食卓のある人生」を生きたいと願う。この「豊かな食卓」をどう捉えるかが、その人の価値観・生き方につながるのです。

 魔王と呼ばれながら、天下統一の一歩手前で倒れた信長も、突き詰めればその自分ならではの豊かさを目指していたのではないかと思うのです。

 

2016年6月6日


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歴人めし♯8 山内一豊の生食禁止令から生まれた?「カツオのたたき」

 

 「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だったころ、琵琶湖のほとりに金目教という怪しい宗教が流行っていた・・・」というナレーションで始まるのは「仮面の忍者・赤影」。子供の頃、夢中になってテレビにかじりついていました。

 時代劇(忍者もの)とSF活劇と怪獣物をごちゃ混ぜにして、なおかつチープな特撮のインチキスパイスをふりかけた独特のテイストは、後にも先にもこの番組だけ。僕の中ではもはや孤高の存在です。

 

 いきなり話が脱線していますが、赤影オープニングのナレーションで語られた「琵琶湖のほとり」とは滋賀県長浜あたりのことだったのだ、と気づいたのは、ちょうど10年前の今頃、イベントの仕事でその長浜に滞在していた時です。

 このときのイベント=期間限定のラジオ番組制作は、大河ドラマ「功名が辻」関連のもの。4月~6月まで断続的に数日ずつ訪れ、街中や郊外で番組用の取材をやっていました。春でもちょっと寒いことを我慢すれば、賑わいがあり、かつまた、自然や文化財にも恵まれている、とても暮らしやすそうな良いところです。

この長浜を開いたのは豊臣秀吉。そして秀吉の後を継いで城主になったのが山内一豊。「功名が辻」は、その一豊(上川隆也)と妻・千代(仲間由紀恵)の物語。そして本日の歴人めし♯9は、この一豊ゆかりの「カツオのたたき」でした。

 ところが一豊、城主にまでしてもらったのに秀吉の死後は、豊臣危うしと読んだのか、関が原では徳川方に寝返ってしまいます。つまり、うまいこと勝ち組にすべり込んだわけですね。

 これで一件落着、となるのが、一豊の描いたシナリオでした。

 なぜならこのとき、彼はもう50歳。人生50年と言われた時代ですから、その年齢から本格的な天下取りに向かった家康なんかは例外中の例外。そんな非凡な才能と強靭な精神を持ち合わせていない、言ってみればラッキーで何とかやってきた凡人・一豊は、もう疲れたし、このあたりで自分の武士人生も「あがり」としたかったのでしょう。

 できたら、ごほうびとして年金代わりに小さな領地でももらって、千代とのんびり老後を過ごしたかったのだと思います。あるいは武士なんかやめてしまって、お百姓でもやりながら余生を・・・とひそかに考えていた可能性もあります。

 

 ところが、ここでまた人生逆転。家康からとんでもないプレゼントが。

 「土佐一国をおまえに任せる」と言い渡されたのです。

 一国の領主にしてやる、と言われたのだから、めでたく大出世。一豊、飛び上がって喜んだ・・・というのが定説になっていますが、僕はまったくそうは思いません。

 なんせ土佐は前・領主の長曾我部氏のごっつい残党がぞろぞろいて、新しくやってくる領主をけんか腰で待ち構えている。徳川陣営の他の武将も「あそこに行くのだけは嫌だ」と言っていたところです。

 

 現代に置き換えてみると、後期高齢者あたりの年齢になった一豊が、縁もゆかりもない外国――それも南米とかのタフな土地へ派遣されるのようなもの。いくらそこの支店長のポストをくれてやる、と言われたって全然うれしくなんかなかったでしょう。

 

 けれども天下を収めた家康の命令は絶対です。断れるはずがありません。

 そしてまた、うまく治められなければ「能無し」というレッテルを貼られ、お家とりつぶしになってしまいます。

 これはすごいプレッシャーだったでしょう。「勝ち組になろう」なんて魂胆を起こすんじゃなかった、と後悔したに違いありません。

 

 こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

 恐怖にかられてしまった人間は、より以上の恐怖となる蛮行、残虐行為を行います。

 一豊は15代先の容堂の世代――つまり、250年後の坂本龍馬や武市半平太の時代まで続く、武士階級をさらに山内家の上士、長曾我部氏の下士に分けるという独特の差別システムまで発想します。

 そうして土佐にきてわずか5年で病に倒れ、亡くなってしまった一豊。寿命だったのかもしれませんが、僕には土佐統治によるストレスで命を縮めたとしか思えないのです。

 

 「カツオのたたき」は、食中毒になる危険を慮った一豊が「カツオ生食禁止令」を出したが、土佐の人々はなんとかおいしくカツオを食べたいと、表面だけ火であぶり、「これは生食じゃのうて焼き魚だぜよ」と抗弁したところから生まれた料理――という話が流布しています。

 しかし、そんな禁止令が記録として残っているわけではありません。やはりこれはどこからか生えてきた伝説なのでしょう。

 けれども僕はこの「カツオのたたき発祥物語」が好きです。それも一豊を“民の健康を気遣う良いお殿様”として解釈するお話でなく、「精神的プレッシャーで恐怖と幻想にとりつかれ、カツオの生食が、おそるべき野蛮人たちの悪食に見えてしまった男の物語」として解釈してストーリーにしました。

 

 随分と長くなってしまいましたが、ここまで書いてきたバックストーリーのニュアンスをイラストの方が、短いナレーションとト書きからじつにうまく掬い取ってくれて、なんとも情けない一豊が画面で活躍することになったのです。

 一豊ファンの人には申し訳ないけど、カツオのたたきに負けず劣らず、実にいい味出している。マイ・フェイバリットです。

 

2016年6月3日


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「歴人めし」徳川家康提唱、日本人の基本食

 

 

 歴人めし第7回は「徳川家康―八丁味噌の冷汁と麦飯」。

 「これが日本人の正しい食事なのじゃ」と家康が言ったかどうかは知りませんが、米・麦・味噌が長寿と健康の基本の3大食材と言えば、多くの日本人は納得するのではないでしょうか。エネルギー、たんぱく質、ビタミン、その他の栄養素のバランスも抜群の取り合わせです。

 ましてやその発言の主が、天下を統一して戦国の世を終わらせ、パックス・トクガワ―ナを作った家康ならなおのこと。実際、家康はこの3大食材を常食とし、かなり養生に努めていたことは定説になっています。

 

  昨年はその家康の没後400年ということで、彼が城を構えた岡崎・浜松・静岡の3都市で「家康公400年祭」というイベントが開催され、僕もその一部の仕事をしました。

そこでお会いしたのが、岡崎城から歩いて八丁(約780メートル)の八丁村で八丁味噌を作っていた味噌蔵の後継者。

 かのメーカー社長は現在「Mr.Haccho」と名乗り、毎年、海外に八丁味噌を売り込みに行っているそうで、日本を代表する調味料・八丁味噌がじわじわと世界に認められつつあるようです。

 

 ちなみに僕は名古屋の出身なので子供の頃から赤味噌に慣れ親しんできました。名古屋をはじめ、東海圏では味噌と言えば、赤味噌=豆味噌が主流。ですが、八丁味噌」という食品名を用いれるのは、その岡崎の元・八丁村にある二つの味噌蔵――現在の「まるや」と「カクキュー」で作っているものだけ、ということです。

 

 しかし、養生食の米・麦・味噌をがんばって食べ続け、健康に気を遣っていた家康も、平和な世の中になって緊張の糸がプツンと切れたのでしょう。

 がまんを重ねて押さえつけていた「ぜいたくの虫」がそっとささやいたのかもしれません。

 

 「もういいんじゃないの。ちょっとぐらいぜいたくしてもかまへんで~」

 

 ということで、その頃、京都でブームになっていたという「鯛の天ぷら」が食べた~い!と言い出し、念願かなってそれを口にしたら大当たり。おなかが油に慣れていなかったせいなのかなぁ。食中毒がもとで亡くなってしまった、と伝えられています。

 でも考えてみれば、自分の仕事をやり遂げて、最期に食べたいものをちゃんと食べられて旅立ったのだから、これ以上満足のいく人生はなかったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

2016年6月2日


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歴人めし「篤姫のお貝煮」と御殿女中

  絶好調「真田丸」に続く2017年大河は柴咲コウ主演「おんな城主 直虎」。今年は男だったから来年は女――というわけで、ここ10年あまり、大河は1年ごとに主人公が男女入れ替わるシフトになっています。
 だけど女のドラマは難しいんです。なかなか資料が見つけらない。というか、そもそも残っていな。やはり日本の歴史は(外国もそうですが)圧倒的に男の歴史なんですね。


 それでも近年、頻繁に女主人公の物語をやるようになったのは、もちろん女性の視聴者を取り込むためだけど、もう一つは史実としての正確さよりも、物語性、イベント性を重視するようになってきたからだと思います。

 

 テレビの人気凋落がよく話題になりますが、「腐っても鯛」と言っては失礼だけど、やっぱ日曜8時のゴールデンタイム、「お茶の間でテレビ」は日本人の定番ライフスタイルです。

 出演俳優は箔がつくし、ゆかりの地域は観光客でにぎわうって経済も潤うし、いろんなイベントもぶら下がってくるし、話題も提供される・・・ということでいいことづくめ。
 豪華絢爛絵巻物に歴史のお勉強がおまけについてくる・・・ぐらいでちょうどいいのです。(とはいっても、制作スタッフは必死に歴史考証をやっています。ただ、部分的に資料がなくても諦めずに面白くするぞ――という精神で作っているということです)

 

 と、すっかり前置きが長くなってしまいましたが、なんとか「歴人めし」にも一人、女性を入れたいということで、あれこれ調べた挙句、やっと好物に関する記録を見つけたのが、20082年大河のヒロイン「篤姫」。本日は天璋院篤姫の「お貝煮」でした。

 

 見てもらえればわかるけど、この「お貝煮」なる料理、要するにアワビ入りの茶碗蒸しです。その記述が載っていたのが「御殿女中」という本。この本は明治から戦前の昭和にかけて活躍した、江戸文化・風俗の研究家・三田村鳶魚の著作で。篤姫付きの女中をしていた“大岡ませ子”という女性を取材した、いわゆる聞き書きです。

 

 

 明治も30年余り経ち、世代交代が進み、新しい秩序・社会体制が定着してくると、以前の時代が懐かしくなるらしく、「江戸の記憶を遺そう」というムーブメントが文化人の間で起こったようです。
 そこでこの三田村鳶魚さんが、かなりのご高齢だったます子さんに目をつけ、あれこれ大奥の生活について聞き出した――その集成がこの本に収められているというわけです。これは現在、文庫本になっていて手軽に手に入ります。

 ナレーションにもしましたが、ヘアメイク法やら、ファッションやら、江戸城内のエンタメ情報やらも載っていて、なかなか楽しい本ですが、篤姫に関するエピソードで最も面白かったのが飼いネコの話。

 最初、彼女は狆(犬)が買いたかったようなのですが、夫の徳川家定(13代将軍)がイヌがダメなので、しかたなくネコにしたとか。

 


 ところが、このネコが良き相棒になってくれて、なんと16年もいっしょに暮らしたそうです。彼女もペットに心を癒された口なのでしょうか。

 

 そんなわけでこの回もいろんな発見がありました。

 続編では、もっと大勢の女性歴人を登場させ、その好物を紹介したいと思っています。

 

2016年6月1日


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週末の懐メロ88:恋はみずいろ/ヴィッキー・レアンドロス

 

1967年リリース。

誰もがおなじみ、

ポール・モーリア楽団のインストゥルメンタルで有名。

僕はてっきりポール・モーリアの曲だと思っていたのだが、

じつはカバー曲。

 

オリジナルはアンドレ・ポップという、

映画音楽を手掛けていたフランスの作曲家が作った歌。

発表されるや、あっという間に大人気となり、

1960年代から70年代にかけて、

めっちゃ大勢の歌手が競うようにこの曲を歌っている。

日本では森山良子、由紀さおり、あべ静江など。

(僕はつい最近まで、

この曲にちゃんと歌詞があることすら知らなかった)

 

そして最初に歌ったのは、

このヴィッキー・レアンドロスで、

この人のことも初めて知った。

ギリシャ出身でフランス語、英語、ドイツ語などの

マルチリンガル。

 

まだティーンエイジャーだった1967年、

ウィーンで開催された

「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」で、

ルクセンブルク代表として出場しフランス語で歌った。

 

もともとアップテンポの曲で、

このコンテストではメダルを逃す4位だったが、

その後、僕たちがよく知る

メロディアスな曲にアレンジされた

英語バージョンが登場し、

のちのロングセラーヒットに繋がった。

 

このビデオはドイツ語バージョンで、

美しいエーゲ海と故郷ギリシャの島をバックに

ヴィッキー・レアンドロスが

海風に髪をなびかせて歌っている姿が夏にぴったり。

 


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母、亡くなる

 

今朝、母が亡くなったので名古屋に来ている。

93歳。老衰。まさに眠るように終わった。

2週間前、息子と面会に行ったのが最後だった。

さようなら👋

 


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新刊予告:エッセイ集:エンディング2「死ぬまでジタバタ しようぜ」

 

エンディングライターとして雑誌・ウェブサイト

(葬儀・供養業界の専門誌)で2016年から記事を書いている。その取材の過程で拾った諸々のエピソード、

記事の中には出さなかった情報・感想などを

中心に綴ってきた、

人生のエンディングにまつわるエッセイを1冊にまとめた。(2020年以降のものは続刊に収録予定)

 

出来れば遠ざけたいもの、

ずっと知らないフリをしていたい「死」は、

すべての人がいつかは関わらなくてはならない事象。

どうせいつかは向き合わなくてはならないものなら、

少しずつでいいから心を慣らしておいた方がいいのでは――

ということでお役に立てるなら何よりです。

 

また、子どもや若者で、

じつはとっても死に興味があるという人。

あなたは別に異常でも何でもなく、

「死があるからこそ生が輝く」という

人生の本質を知る人です。

そんな人にとってもお役に立てる本・

心の糧にしていただきたい本です。

 

もくじ

・死ぬまでジタバタしようぜ:「老い」を楽しんだ蜷川幸雄さん

・エンディング時代の遺産相続を考える

・エンディングを意識して人生の台本を書く

・「老害人」の話と人生最後で最大の仕事

・高齢者ドライバーは、免許返すとおトクやでぇ~

・人形が幸せになれる国ニッポン

・茨城・葬式の撒き銭のルーツを探る

・映画やテレビドラマの世界では高齢犯罪者が増えている?

・マタギの里の大往生

ほか全39編

 


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夏至ケロ、運よ開ケロ

 

きょうは夏至。

いちばん日の長い日。

それに加えて、いろいろ縁起の良いことが重なってて、

スピリチュアル的にはめちゃくちゃな幸運日で、

この日に何もやらないのはおバカさん。

――くらいの素晴らしい開運日なんだって。

 

ということを日が暮れた、ついさっき知った。

あっちゃー!

今日はカミさんも義母もいないので、

ひとり悠々夏バテの先取りをして、

1日中、本を読みながら転がってた。

 

今年もぼちぼち半分終わり。

頭からっぽにしてキャパシティ作って

後半戦の運を呼び込みましたってことで。

 

名古屋名物・青柳ういろうの

「かえるまんじゅう」の空き箱で

開運ガエル作りました。

 

あなたの運が開ケロ。

世界に平和と笑顔がよみガエル。ますように。

 

 

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「南の島でのんびり」なんてFIREしなくてもすぐできる

 

1~2年ほど前からビジネスパーソンが

「FIRE」という言葉をよく口にするようになった。

「うぉぉぉぉ」と炎のように燃えて

仕事をすることなのかと思ったら、

ぜんぜん違っていて、

FIREとは「Financially Independence, Retire Early」の略。

若いうちに経済的に自立し、仕事を辞めることだという。

 

ネットや雑誌では、投資でもうけて

30代くらいでリタイアし、

「南の島でのんびり暮らしてます」

といった人が紹介されているそうな。

 

それなら僕はもう20代でそんな経験は済ませた。

1987年、ヨーロッパをバックパックで旅行していて、

エーゲ海に浮かぶギリシャのロードス島という島で

10日くらいのんびり過ごしていた。

 

気を入れていた仕事が

クライアントの事情でキャンセルになり、

いきなり蒸し暑くなったせいもあって

疲れがどっと出たので、

ここ2日ほど、

ネットもほとんど見ずにゴロゴロしていたら、

ふと、そのことを思い出したのだ。

 

いかにもエーゲ海風の白い家(民宿)に泊って、

そこにオランダ人の女の子やカナダ人の男も

出入りしていた。

 

持ち主のギリシャ人のご夫婦といっしょに食事をして

日本のことやイギリスのこと

(その頃はロンドンで暮らしていた)を聞いてきた。

 

「日本人は何を食べるんだ?」

「魚介類をよく食べるので、

この島と似てるかも知れません」

「イギリスのめしとギリシャのめしはどっちがうまい?」

「うーん。イギリスのほうがうまいものもあるし、

ギリシャのほうがうまいものもありますね」

とかなんとか。

 

そんなわけで美しい海を見ながら、

さらにネコと戯れながら

(ギリシャの島にはどこもやたらネコが多い)、

旅の疲れを癒したのだが、

あの10日ほどが自分の人生の中でどんな意義があったのか、

今もってわからない。

まあ単なる「休み」だったのだろう。

 

でも、今思うとちょと長すぎた。

なんで10日もいたのだろう?

海は確かに美しかったが、それも3日も見てれば飽きる。

特にこれといった思い出もなく、

ただただ、何もすることがなくて

退屈だったという印象が強い。

 

最近言っている「FIREして南の島でのんびり」というのは、

もちろん僕のビンボー旅行の体験などとは

ニュアンスが違っていて、

億り人(資産1億円)の特権みたいなものだ。

 

でも、僕が言いたいのは

「南の島でのんびり」したいだけなら、

今の日本人なら、その気になればいつでもできるってこと。

 

知らないから憧れる人も多いのだろうけど、

そんなのちょっと本気で働いてお金を貯めれば、

あるいは、投資をする元手があるのなら

それを使ってすぐできる。

 

先に体験しておいて「ああ、こういうものなのか」と

わかったうえで、それでも

「永遠ののんびり」を手に入れたいというなら

がんばってFIREをめざしたら?と思う。

 

それにまたいつ何時、コロナが復活したり、

他の伝染病が起こらないとも限らない。

本気で南の島に憧れているのなら

FIREしてどーのこーのなんて言ってないで、

行けるときに行って、若いときに体験しておいた方が

おトクなのではないかと思う。

 

「おいしいものは楽しみに取っておいて、

後からゆっくりいただこう」なんて思っていると、

いただく機会を失っちゃうかもしれないよ。

人生は短いですよ。

 

 

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週末の懐メロ87:東風/YMO(イエローマジック・オーケストラ)

 

1979年リリース。

「テクノポリス」「ライディーン」と並ぶYMOの代表曲。

ファーストアルバムに収められており、

ライブでも中盤のハイライトやエンディングを飾っていた。

 

1979年と80年、2回のワールドツアーの演奏の数々は、

今でもオールドファン、そして新しいファンをうならせる

彼らのベストパフォーマンスだ。

 

YMOの正式メンバーは、

リーダーでベーシストの細野晴臣。

 

当時まだ、ほとんど無名のスタジオミューシャン、

ここから「世界のサカモト」に昇華した

キーボードの坂本龍一、

 

サディスティックミカバンドのドラマーで、

英国でのライブ、レコーディングも経験していた

高橋幸宏の3人。

高橋はリードヴォーカルも担当するほか、

衣裳デザインなど、

アートディレクター的な役割も担っていた。

 

この3人にサポートメンバーとして、

ギターに渡辺香津美、のちに大村憲司。

シーナ&ロケットの鮎川誠も入ったことがある。

 

キーボードとヴォーカルに矢野顕子。

このツアーの中盤には必ず彼女の歌う

「在広東少年」を演奏し、大人気だった。

 

さらにシンセサイザープログラマーの

松武秀樹。

 

まさに当時の最強の布陣で取り組んだ

このツアーの音源はたくさんあるが、

同じ曲でも一度として同じ演奏はなく、

バラエティ豊かな即興性を楽しめる。

「東風」はこのバージョンが、

最も疾走感・アグレッシブさを感じる。

 

YMOは1970年代に後の日本のポップス、

ニューミュージックの原型を創り上げた

「はっぴえんど」「ティン・パン・アレー」という

2大バンドの中心メンバーとして活躍した細野晴臣が創設。

 

細野は「エキゾチカ」と称されるジャンルの音楽

――西洋人が解釈する東洋の音楽――に影響を受けて、

これをシンセサイザーなどの電子楽器を駆使し

てやってみたらどうか?

という野心的な試みを抱いて

YMOのコンセプトを練り上げた。

 

ただし、たんなる実験で終わることなく、

インターナショナルな商業的成功を目指し、

坂本・高橋と共に独自のサウンドを追求した。

 

細野としては1970年代を通して、

日本のポップミュージックが

英米に劣らないレベルまでスキルアップしたことを確信し、

世界に打って出ようという強い意思があったのだろう。

 

彼の目論見は功を奏し、

YMOは日本のバンドとして

最も大きな世界的成功を収めた。

 

国内では社会現象を巻き起こし、

僕もこの頃、長髪をやめてテクノカットにしたり、

シャツのボタンを喉もとまできっちり締めたりしていた。

 

彼らの登場は新たに「テクノポップ」という、

それまでにない音楽ジャンルを産んだ。

近代ポピュラー音楽史のエポックメイキングになり、

当時はもちろんだが、

YMOはむしろ近年のほうが評価が上がっている感がする。

 

いま聴いても抜群に新鮮でキレのある演奏

(特に細野ベースと高橋ドラムの凄さ!)から、

あの時代の空気と共に、

若々しかったメンバーらの熱いエネルギーが伝わってくる。

 

 

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烏山寺町のネコ寺

 

世田谷区の千歳烏山に近い烏山寺町でお寺の取材。

この地域には大正末期の関東大震災のとき、

浅草や築地あたりで被災した26ヵ寺が

こぞって引っ越してきて集まっている。

東京西部でこれだけのお寺が集まっているところは、

ここだけ。

 

寺町ができる前はもちろん一面の農地で、

このあたりから1キロほど先の千歳烏山駅まで

ズドーンと見渡せたそうだ。

 

訪れたのはその中の一つ、

首都高速からすぐのところにある乗満寺。

 

このお寺の境内には20歳になるネコがいて、

めっちゃ人なつっこい。

スマホを向けたら嬉しがってニャーニャー寄ってくる。

近すぎてちゃんと撮れないだけどにゃあ。

 

奥さん(坊守さん)がネコ好きらしく、

この長老ネコの「みいちゃん♂」を筆頭に

5匹のネコが暮らしており、

時々、というか、けっこう頻繁に

ノラネコも何匹か遊びに来て、

勝手にめしを分捕っていくらしい。

 

月に1回「ねこ茶房」をやっていて、

住職の話とセットでお寺のネコと遊べる日を設けている。

 

普段の日でも、運が良ければ

境内でウロウロしているみいちゃんに出逢えるかもニャー。

 

 

 

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少子高齢化の先にある死亡者激増・労働人口激減社会

 

エンディングライターとしての仕事で、

昨日・今日とパシフィコ横浜で開かれた

「フューネラル・ビジネスフェア」を取材した。

葬儀・供養・終活。

エンディングに関わるビジネスの領域は年々広がっている。

 

統計によれば現在、年間140万人が死亡する。

ピークは2040年で、死亡者は167万人に上る予測。

あと18年だが、自分もこのあたりか?

 

少子高齢化社会の先には

「死亡者激増・労働人口激減社会」が待っている。

2065年には、日本の労働人口は現在の6割程度になるという。

 

こうした社会の到来に備えて政府では、

いろいろなデジタルデータを集めて、

人生を一気通貫する、

いわゆる「ゆりかごから墓場まで」の

支援プランを構築中とのこと。

 

よく言えば手厚いサポート。

悪く言えば強固な管理体制。

あまり愉快な話題ではないが、

これもまた「持続可能な社会」の

必然的要素なのだろう。

 

僕たちは短期的には個を主張するが、

長い目で見れば、やはり広大な社会の、

長大な人類史の一細胞として生きている。

 

 

エッセイ集:エンディング①

世界のENding Watch

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世界の伝統的な葬儀・供養の風習、

現代の終活・エンディング事情を知る

エッセイ集。

 


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「てるてる男とふれふれ女」キャンペーン終了

 

無料キャンペーンは本日16:59で終了しました。

ご購入ありがとうございました。

面白かったらAmazon Kindleのサイトにレビューをお寄せください。

 

今後もおりべまことの作品をよろしくお願いいたします。

 

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★新刊予告:7月上旬発売予定

次回の新刊は、エッセイ集:エンディング

「死ぬまでジタバタしようぜ」(仮題)

どうぞお楽しみに!

 


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「てるてる男とふれふれ女」無料キャンペーン 明日限り

 

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明日6月12日(日)16:59まで!

 

いつも天気のことを気にして生きてきた二人だが、

その時だけは違った。

若くて健康だったので直観が働いたのだ。

もしかしたら傷つくことになるかもしれないなんて露とも考えず、まっすぐに思いをぶつけ合った。

大きな街の中心にニョキニョキと立つ高いビル。その谷間にある丸い広場の片隅。

夕闇が辺りを包んでいた。

「好きだ」と男は言った。

「あたしも」と女は言った。

とても純粋な恋だった。

問題はただ一つ。

男は晴れ男で、女は雨女であること。

星のめぐりが最高な運命のデートの日は晴れるのか、どしゃ降りになるのか。

はたまた間を取ってくもりになるのか。

女は耐えきれない思いを抱いて、男に長い手紙を書いた。

 

恋と結婚と幸福と人生の行く末を描く、

おかしくてセンチメンタルな短編小説。

 

ご購入ありがとうございます。

面白かったらレビューをお願いします。

 


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週末の懐メロ86:リトル・グリーン/ジョニ・ミッチェル

 

1971年リリース。

米国ローリングストーン誌が2020年に選出した

「史上最高のアルバム500枚」で

堂々第3位に選出された名盤『Blue』の収録曲。

 

アメリカでは並みいるスターアーティストを差し置き、

ジョニ・ミッチェルの評価は断トツに高いようだ。

女性アーティストの中では、

アレサ・フランクリンと並んでトップと言っていいだろう。

 

確かに優れたシンガーソングライターだが、

最盛期ともいえる70年代、

彼女はここまで人気があっただろうか?

 

少なくとも僕の印象は割と地味で玄人好み、

日本人の女性フォーク歌手にちょっと影響を与えた人、

ぐらいだった。

 

どうして近年、すでに現役とは言えないミッチェルが

これほどまでに評価されるようになったのか?

その秘密を解くカギが、

この「リトル・グリーン」という曲の中に潜んでいる。

 

歌詞は大まかにこんな感じ。

 

かに座に生まれた女の子

この子に似合う名前を選んだ

グリーンと呼ぶわ 冬の寒さに負けないように

グリーンと呼ぶわ 彼女を産んだ子どもたちもね

リトル・グリーン、ジプシーの踊り子になって

 

子どもを持った子どもの偽り

家に嘘をつくのはもう嫌なの

あなたは書類にファミリーネームでサインする

悲しいの、ごめんなさい、でも恥ずかしいとは思わないで

リトル・グリーン、ハッピー・エンドになって

 

「リトル・グリーン」は実体験に基づく歌である。

ここでいう「グリーン」は、

ミッチェルが実の娘に付けた名前であり、

その親になった女と男を「青二才」と揶揄する呼び名でもある。

 

歌詞の中の「彼女を産んだ子どもたち」とは

母親である自分自身、そして恋人だった実の父親のこと。

 

この歌を歌う6年前の1965年、

まだカナダの無名の貧乏アーティストだったミッチェルは、

トロントの慈善病院で女の子を産んだ。

 

避妊の知識も乏しかった時代の、

望まない妊娠・出産。

当時、カナダでは中絶は法で禁じられていた一方、

未婚の女性が母親になることは罪を背負うことだった。

 

父親である前の恋人も、

新しく現れ結婚を申し込んだ男も、

赤ん坊に対してはひどく臆病で責任を逃れようとした。

 

まだ子どもだった若い彼らにとって、

赤ん坊を抱え込むことは、

アーティストになる希望の道が閉ざされることと

イコールに思えたのだろう。

 

結局、ミッチェルは生後6か月の娘を養子に出し、

アメリカにわたる。

「リトル・グリーン」を書くのは、その1年後の1966年のこと。

そして、その頃からシンガーソングライターとしての

天才を開花させる。

 

1968年のデビューアルバム発表後、

彼女は目を見張る勢いで、

世界のポピュラーミュージックの

メインステージに駆け上がる。

 

そして長い年月が流れたあと、運命は劇的な変転を迎える。

1997年、53歳になっていたミッチェルは、

当時32歳、すでに1児の母になっていた娘と再会する。

1971年、アルバム「BLUE」に

「リトル・グリーン」を収めて26年後、

養子に出して32年後のことだ。

 

親子は心から再会を喜び合った。

しかしその後、マスメディアの報道の嵐によって、

歌の通りに「ハッピーエンド」とはいかない事態と

なっていったようだ。

 

人の感情は大海に浮かぶ小舟のように、

ちょっとした波に簡単に揺らぎ、時には転覆してしまう。

 

いずれにしても、このストーリーを知る前と知った後では

「BLUE」の、そして「リトル・グリーン」の印象は

大きく変わってくる。

 

近年、ジョニ・ミッチェルの評価が高まっているのは、

楽曲そのものだけでなく、

こうした彼女の人生にまつわる劇的なドキュメンタリーが

大きく作用しているような気がしてならない。

 

「女性と子どもを大切にする」という

社会意識を深めるためにも、

ジョニ・ミッチェルをもっと評価しようという声が

強まっているのだ。

 

音楽ビジネスの世界に発言力のある女性が増えたことも

その一因だろう。

自由で開放的で先進的に見える映画や音楽の世界も、

つい最近まで男性権力者による支配が横行し、

パワハラ、セクハラの温床であったことが暴露された。

 

すでに60年近くに及ぶミッチェルの音楽キャリアと

優れた楽曲群は、

女性と子どもの未来に光を投げかけるものとして、

これからも評価はますます高まるものと考えられる。

 

 

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人生は長くて短い

 

 

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「てるてる男とふれふれ女」では、

天気と人の運命について書いてみた。

人生は長くて短い。

還暦を超えて、やっとそうした言葉を実感できるようになった。

そして昨日、ちょっとそれにリンクするような出来事があった。

 

本を出したい、ということで代筆の依頼を受け、

2回ほど取材も行っていたが、

昨日、その人のご家族の重病が発覚。

今後の取材の予定がいったんキャンセルされた。

おそらくこのまま継続するのは難しく、

この案件自体がキャンセルになるか、

長期凍結ということになるだろう。

 

人生にはいろいろなタイミングというものがある。

運・不運の波は定期的にやってくるが、

それはなかなか予知できない。

(占いに頼る人が多いのも頷ける)

 

災害や疫病、金融恐慌だってある。

それを完璧に免れるのは不可能だ。

 

人生設計とか、あれこれ長期計画を立てるのもいいが、

今やりたいこと、できることを先延ばしにしていると、

天気が荒れて実現困難になるかも知れない。

一度時機を逃すと、

そのチャンスは永遠にめぐってこないかもしれない。

 

漠然とした不安に煽られて、お金をため込んで、

結局、節約生活だけが生きがいになって

人生終わってしまう人もいるという。

 

やりたいことがある人、

ずっと心にため込んでいる人は、

我慢と解放のタイミングをちゃんと考えた方がいいと思う。

 

 


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いつも天気のことを気にして生きてきた二人だが、

その時だけは違った。

若くて健康だったので直観が働いたのだ。

もしかしたら傷つくことになるかもしれないなんて露とも考えず、まっすぐに思いをぶつけ合った。

大きな街の中心にニョキニョキと立つ高いビル。その谷間にある丸い広場の片隅。

夕闇が辺りを包んでいた。

「好きだ」と男は言った。

「あたしも」と女は言った。

とても純粋な恋だった。

問題はただ一つ。

男は晴れ男で、女は雨女であること。

星のめぐりが最高な運命のデートの日は晴れるのか、

どしゃ降りになるのか。

はたまた間を取ってくもりになるのか。

女は耐えきれない思いを抱いて、男に長い手紙を書いた。

 

恋と結婚と幸福と人生の行く末を描く、

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若者だらけのEND展

 

「お、おれがいちばん年上じゃん!」

END展、先日行ったのは関係者向けの内覧会だったので、

昨日、一般公開の様子を探りに行ってみた(本日で終了)。

 

油断してたら事前予約の枠がいっぱいになってしまってて、

「当日券あるかも」とサイトに書いてあったのを信じて

ヒヤヒヤしながら行ったら、入れてもらえてホッ。

僕と同様、「事前予約が取れなかったので」という人も

けっこう大勢、受付に集まっていた。

 

主催者は「50代~60代はがメインの対象」と言っていたが、

入ってみたら、僕より若い人ばっか。

見た目、20代の人が一番多かったような気がする。

 

若くてカッコいい女の子ばっか見てたからだろ、

と突っ込まれたら「はい、そうです」

と言わざるを得ないが。

 

たまたまだったのかもしれないけれども、

マジで多かったのは20代・30代。

10代のおぼしき子も少なからずいたと思う。

僕はほとんど最年長の部類だった。

 

しかし、よく考えれば当然かもしれない。

おそらくリアルにENDに近い高齢者とか、

その一歩手前の人たちの多くは、

死がどうのこうのなんて

考えたくないし、向き合いたくない。

 

若ければ、それはまだ遠い先にある、

一種のファンタジーとして受け止められる。

 

実は「死」というコンテンツは、

年寄りのものでなく、若者のものではないか。

 

生とは?愛とは?自由とは?人間とは・・・

 

子どもからおとなになる頃、そういったことを考えながら、

いろいろな芸術・文化に触れて

自分ならではの世界観を作っていくのは、ごく自然なこと。

 

むしろ最近のように、社会に要請に応じて、

若い頃から仕事一辺倒、金儲けオンリー、

生産活動ばっかりみたいな人生のほうがおかしいと思う。

 

10代や20代が死について、

そしてそれと同時に「どう生きるかということ」に

考えをめぐらすのは全然おかしくない。

 

オーバー還暦もまた、

そうした10代・20代の心情に還っていくといいと思う。

 

展示の最後に

「死ぬまでにやりたいことは?」

「印象的な死のエピソードは?」

という問いがあって、ボードに自分の回答を書いた紙を

貼り付けられるコーナーがあるのだが、

あふれんばかりの回答でボードが真っ白になっていた。

 

それぞれ10個ずつくらい読んでみたが、

ジョークっぽいのからシリアスなのまで

いろいろあって面白かった。

とても全部読み切れなかったので、

ぜひ主催者さんにサイトに上げてほしい。

 

 

電子書籍

「てるてる男とふれふれ女」

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てるてる男とふれふれ女 2022梅雨入り無料キャンペーン

 

 

♪6月6日に雨ざあざあ降ってきて

カエルかな?カエルじゃないよ、アヒルだよ~、ガァ。

 

というわけで、昨日から関東甲信地方は梅雨入り。

というわけで、

 

梅雨入り記念無料キャンペーン5日間実施!

6月7日(火)17:00~12日(日)16:59

おはなし

 

いつも天気のことを気にして生きてきた二人だが、

その時だけは違った。

若くて健康だったので直観が働いたのだ。

もしかしたら傷つくことになるかもしれないなんて

露とも考えず、まっすぐに思いをぶつけ合った。

大きな街の中心にニョキニョキと立つ高いビル。

その谷間にある丸い広場の片隅。

夕闇が辺りを包んでいた。

「好きだ」と男は言った。

「あたしも」と女は言った。

とても純粋な恋だった。

問題はただ一つ。

男は晴れ男で、女は雨女であること。

星のめぐりが最高な運命のデートの日は晴れるのか、

どしゃ降りになるのか。

はたまた間を取ってくもりになるのか。

女は耐えきれない思いを抱いて、男に長い手紙を書いた。

 

恋と結婚と幸福と人生の行く末を描く、おかしくてセンチメンタルな短編小説。

 


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ゴールデンカムイ:明治時代は文化のゴールドラッシュ

 

今さらと言われそうだが、ここのところ、

「ゴールデンカムイ」にはまって

毎晩、Amazonでアニメを一気見している。

ちょっと前に連載が完結したところだが、

マンガはまだ読んでない。

 

「鬼滅の刃」は大正、こちらは明治。

さすがジャンプの目の付けどころは鋭い。

幕末、明治、大正、昭和。

現代にいたるまでの日本の150年ほどの時間は、

現代ではありえないリアルなドラマにあふれている。

ここに埋まっている資産を掘り起こすのは、

いわば文化のゴールドラッシュ。

 

日露戦争終結後の明治終盤、

1900年代後半の北海道を舞台にした

「ゴールデンカムイ」。

その面白さの要素はたくさんあって、

とんでもなくバラエティ豊かで充実した内容。

そして現代風の味付けもおいしい。

 

もうすでにいろいろな人が、

いろいろなところでこの作品を語っているが、

僕にとって最もインパクティブなのは、

明治という時代とそこで生きる

兵士・軍人が実にリアルに、

そして面白く描かれているところである。

 

さすが青年誌に連載されたマンガだけに

ここに出てくる兵士たちは、

べつにサイコナントカの超能力を使ったり、

必殺のカントカビームなどを発射するわけではない。

それぞれ現実的な範囲内で、

超人的な戦闘能力を発揮する。

 

こんなこと人間ができるのかと思う部分もしばしばで、

「マンガだから」と言ってしまえばそれまでだが、

僕はそれだけではないと思う。

これは現代とは異なる次元、

つまり過酷な自然、

まだ科学や医学や各種のテクノロジーが発展途上の環境、

さらに、戦場という命のやり取りをする極限状況、

といった中で生き、活動しているので、

脳のリミッターがはずれ、

それぞれが持っている潜在能力が発動するのだろう。

みんな天才戦闘家になるわけだ。

 

明治の男たちの強さ・凄まじさ、

それと裏腹な優しさ・愉快さについては、

昭和時代からいろいろな伝説があり、

中にはかなり誇張されているものもあると思うが、

基本的に僕はそうした伝説を信じている。

信じた方が面白い。

 

同時にこのマンガを読んで感じるのは、

おそらく命のやり取りをしなくては生きている

実感が得られない人間、

つまり戦争という状況がなくては生きられない人間

(たぶん、ほとんど男)が

必ず社会に存在するのだろうなということ。

 

特に幕末から明治、大正、昭和初期は、

そうした男たちにとっては生きやすい時代、

居場所のある時代だったのだと思う。

 

やっかいだが平和な現代でも

そういう男たちは一定数はいる。

遺伝子のなせるわざなのか、

いつの時代でも数パーセントはいるのだ。

今回のロシア・ウクライナ戦争でも、

日本から数十人が兵士に志願したという。

彼らは戦争という極限環境を求めていて、

自衛隊の演習などでは満足できないのだろう。

 

このマンガの作者の野田サトル氏の曽祖父は、

日露戦争の兵士だったと言うが、

そうした日本人の血のなかの遺伝子とか、

霊魂といったものも、100年以上の時を超えて、

現代人に何か刺激を与え、

行動を起こさせようとしているのかもしれない。

そんなことを考えると、

単純に戦争=悪とはいえなくなる。

自分だってこういうマンガを読んで楽しんでいるわけだし。

 

本当に面白い「ゴールデンカムイ」。

実写映画化も決まったようで、

興味はあるが、心配でもある。

 

最近はこういうダイナミックな物語は、

マンガやアニメのほうが感情移入できるし、

想像力を広げて楽しめる。

 

よほど自分が好きな俳優が出ているならいいが、

そうでないと実写にはがっかりさせられるケースが多い。

実写映画・ドラマよりもマンガ・アニメ。

それもまた時代のせいだろうか。

 


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END展と「RE-END 死から問うテクノロジーと社会」

 

 

スマホ頭の骸骨に「かごめかごめ」をされている、

花束を持った子ども。

その子を鳥や動物たちが見つめている。

 

漫画家・五十嵐大介が描いた

奇怪でありながらユーモラスなイラストの表紙は、

現在の僕たちの姿であるように思える。

 

「死から問うテクノロジーと社会」という

ものものしいサブタイトルがついているが、

中身はとてもポップでバラエティ豊かな内容で、

けっして難解な研究書の類ではない。

 

今月8日まで二子玉川で開かれているEND展は、

昨年11月に六本木のアートスペースで行われた、

このサブタイトルと同名の展覧会をベースに、

少しアレンジを加えたものだ。

 

キュレーターの塚田有那さんの話によると、

私たちが今見ている世界・社会とはどういうものなのか、

誰にもいつか必ず訪れる「死」から

問いかけていくことはできないか?

という発想から展示のアイデアが生まれたという。

END展とこの本の内容は密接にリンクしており、

フクロウみたいな不思議な鳥のポスターも、

この本の冒頭に入っている五十嵐大介・作の

「遠野物語より」を転用している。

 

「遠野物語」は民俗学者・柳田国男の作品で、

民俗学、さらに広く言えば文化人類学を

日本に根付かせた名著だが、

これを現代風の漫画にアレンジして

トップにに持ってきたことが

この本の性格(=END展の性格)を表している。

 

塚田さんは責任編集者でもあり、

まえがきの最後にこう書いている。

 

本書では、民俗学や人類学、

情報社会学や人工知能研究まで、

さまざまな識者の方々に寄稿や対談、

インタビューにご協力いただき、死をテーマに

それぞれの視点から論じていただいた。

テクノロジーがいやでも絡み合う現代において、

いま一度、生と死という永遠の連鎖に思考を委ねるとき、

これからの社会を見据える

新たな視座が見つかれば幸いである。

 

冒頭だけでなく、章の合間合間に

短編マンガが入っていることも特徴で、

これもEND展で活かされている。

その一つ、「うめ」というユニットによる

「ようこそ!わたしの葬儀へ!」は、

8頁ほどの話だが、某世界的IT企業のCEO

(GAFAのカリスマ経営者みたいなイメージ)の

葬儀を描いたものだが、

現代的・近未来的な死と葬儀の

エッセンスを詰め込んだ傑作で、

 

「死後、個人データを合成してバーチャル上に

復活できるとしたらしたいですか?」とか、

 

「もし死者とVR上で会えるとしたら会いたいですか?」

とか、

 

「過去の偉人の知性や人格をAIで復活させて

国を統治できるとしたら賛成ですか?」とか、

 

けっこうラディカルな質問に対する

回答データも盛り込まれている。

(この本の制作集団 HITE-Mediaの

独自に行ったアンケート調査にもとづくもの)

 

このまま何となく齢を取って、

漫然とくたばるのは嫌だと思っている人、

また、未来はどうなるのだろう、

子どもたちはどんな社会を生きるのだろうと

考えている人は、

「END展」を観たり、

「RE-END」を読むことは

自分の思考や行動を変える

大きなきっかけになるかもしれない。

 

電子書籍「世界のEnding Watch」

人間はいつの時代も死がもたらす恐怖や悲しみ・寂しさを様々なやり方で克服しようとしてきた。

世界中にある葬儀供養の文化・風習はその集積だ。しかし近年、先進国ではそれが急激に変化している。世界の死の昔と今を俯瞰しながら楽しむエッセイ集。


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週末の懐メロ85:ラジオスターの悲劇/バグルス

 

1979年の世界的大ヒット曲。

「Video Killed Radio Star」

(ビデオがラジオスターを殺っちまった)

というリフレインが耳に残り、

邦題も一度聞いたら忘れられない秀逸さ。

 

ビデオという新しいメディアが世の中に現れ、

ラジオスターの仕事がなくなってしまったという、

ちょっとシニカルな内容だが、とてもポップで楽しい曲だ。

 

トレバー・ホーンとジェフ・ダウンズのバグルスは、

それまでのプログレと、

新興のニューウェーブの間を行くような

とてもユニークなバンドだった。

 

今ではYouTubeなどで、かつて幻のライブとか、

伝説のコンサートとか言われた映像も

見放題・聴き放題になっているが、

従来、音楽は基本的には音だけ。

ヒットソングはいつもラジオから生まれていたのだ。

 

そうした環境が激変したのがこの頃から。

ホームビデオが一般に普及し始めたのはもう少し後だが、

アーティスト(とレコード会社)は

ミュージックビデオを頻繁に作るようになり、

それがテレビでバンバン流れるようになった。

音楽の「聴く」と「観る」の比重はほぼ半々になった。

 

「ラジオスターの悲劇」も皮肉にも、というか、

なかば戦略的にビデオ化された。

いかにもミュージックビデオ初期の映像でござるという

チープさが目立つが、それが今となっては

却って味になっていて、とても楽しめる。

レトロでコミカルなSF仕立てになっていて、

曲の内容と雰囲気をうまくビジュアル化していると思う。

 

バグルスの活動期間は短かったが、

この曲が入っている1980年発売のアルバム

「The Age of Plastic」

(邦題はこの曲と同じ「ラジオスターの悲劇」)は

プログレポップな曲がいっぱい入っていて、

現代よりもなんだか未来っぽくて面白い。

 

日本ではYMOに代表されるように、

1980年代の始まりは、

明るてちょっとオモチャっぽい未来と

ダークな世紀末がいっしょにやって来たような時代だった。

「21世紀」という言葉にも

まだワクワクするような熱い思いが感じられた。

 

でもラジオがビデオに殺されてしまうようなことは

なかった。

ラジオスターも生き残り、また僕たちに語りかけ、

素敵な音楽を届けてくれる。

 


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井上ひさしと笑いについて

 

図書館でふと井上ひさしさんと目が合ったので、

久しぶりに読んでみた。

 

最も大作家らしくない大作家・井上ひさし。

中高生の頃に最もよく読んだ作家である。

小説も戯曲も面白かった。

「青葉繁れる」「モッキンポット師の後始末」などで笑い、

「四十一番の少年」で泣いた。

 

高校演劇で「11匹のねこ」をやったが、

ラストは本当に衝撃的で、

1970代後半の演劇をやっていた高校生らに

甚大なトラウマを残した。

 

僕がやったのは、出世した仲間たちにうとまれ、

最期まで変わらずノラネコであり続ける

のんだくれのネコの役だった。

 

あの人生観はその後、45年ほど生きてみて

現実のものとして味わっている。

 

この「ふかいことをおもしろく」は、

NHKがやった「100年インタビュー」を

本にしたものだが、薄いし字も大きいのですぐに読める。

けれども中身は濃厚だ。

 

ひどく心に刺さったのが、15番目の章の「笑いとは何か」。

三谷幸喜が台頭する前、

井上ひさしは喜劇作家の第一人者だった。

 

以下、一部抜粋。

 

苦しみや悲しみ、恐怖や不安というのは、

人間がそもそも生まれ持っているものです。

人間は、生まれてから死へ向かって進んでいきます。

それが生きるということです。

途中に別れがあり、ささやかな喜びもありますが、

結局は病気で死ぬか、

長生きしても結局は老衰で死んでいくことが決まっています。

この「生きていく」そのものの中に、

苦しみや悲しみなどがぜんぶ詰まっているのですが、

「笑い」は入っていないのです。

なぜなら、笑いとは、人間が作るしかないものだからです。

それは、一人ではできません。

そして、人と関わってお互いに共有しないと

意味がないものでもあります。

 

久しぶりに笑いについて考えさせられた。

 

世の中も全体に笑いは低調なように感じる。

正直、いま、テレビやインターネットで

笑いを売り物にしているものは

本当に笑えて、面白くて、感心できるものはごく少ない。

なんだかとても底が浅いのだ。

浅瀬でチャプチャプ

お笑いごっこをやっているような印象がある。

 

むしろいっしょにいるカミさんや義母のほうが

笑わせてくれる。

 

僕もできるだけ自分が書くものは、

どこかでちょっとは笑えるように、

と思って工夫しているつもりだが、

どうもここのところ、あんまりうまくいってない。

また井上さんの小説や芝居を読もうと思う。

 


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新刊本日発売「てるてる男とふれふれ女」

 

いつも天気のことを気にして生きてきた二人だが、

その時だけは違った。

若くて健康だったので直観が働いたのだ。

もしかしたら傷つくことになるかもしれないなんて

露とも考えず、まっすぐに思いをぶつけ合った。

大きな街の中心にニョキニョキと立つ高いビル。

その谷間にある丸い広場の片隅。

夕闇が辺りを包んでいた。

「好きだ」と男は言った。

「あたしも」と女は言った。

とても純粋な恋だった。

問題はただ一つ。

男は晴れ男で、女は雨女であること。

星のめぐりが最高な運命のデートの日は晴れるのか、

どしゃ降りになるのか。

はたまた間を取ってくもりになるのか。

女は耐えきれない思いを抱いて、男に長い手紙を書いた。

恋と結婚と幸福と人生の行く末を描く、

おかしくてセンチメンタルな短編小説。

 


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安西水丸「青の時代」のシュールな詩情

 

僕にとって安西水丸といえば、

1980年代の村上春樹のエッセイ集

「村上朝日堂」などのイラストでなじみがある。

 

いわゆるヘタウマっぽい、とてもシンプルで

ちょっとトボけた味のある絵で好きだった。

2014年に亡くなったのを聞いた時は、

もうあの絵が見られないことにけっこうがっかりした。

 

じつは安西水丸氏はイラストだけでなく、

小説やエッセイストを書いたり、

デザイナーであり、絵本作家でもあった才人である。

 

これは彼が30代の時に

1970年代の伝説の漫画雑誌『ガロ』で発表したマンガ。

というか、絵物語とかアートに近い。

 

舞台はおもに彼が少年時代を過ごした

千葉県房総半島の海辺の町。

 

時代はもちろん昭和なのだが、

どこか時間を超越した異郷のような風景が、

独特のシンプルな線の絵で描かれており、

どこか寺山修司の世界と共通するシュールさがある。

 

奇妙な顔をした、

おそらく作者自身をモチーフにした少年と、

それを取り巻くエロチックで、

陰と哀しみをたたえた女たち。

怖ろしいほどの引力を持った詩情あふれる世界。

 

改めて安西水丸の才能に圧倒され、

何度も読み返してしまう。

 

最後に収録されている「二十面相の墓」は

作家・嵐山光三郎の小説を漫画化したもの。

 

発行はCrevisという会社で、

1980年に青林堂から出された同タイトルの復刻版である。

 

娘である安西カオリ氏が序文を、

嵐山光三郎氏が解説。

同作に関する水丸氏の1994年の

インタビューも収録されている。

 


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おとなも楽しい少年少女小説新刊 「てるてる男とふれふれ女」

 

晴れ男と雨女がちょっと不安定な恋をした。

だいじょうぶ、人生に完璧はあり得ない。

結婚するかどうかを決める運命のデートの日は

曇でオッケーという男。

そして女は男に長い手紙を書いた。

お天気を左右する二人の運命の軌跡を描く短編小説。

6月1日発売予定。

 


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週末の懐メロ84:さよならレイニーステーション/上田知華+KARYOBIN

 

1980年リリース。

昭和の時代、列車は人生の旅路を表すモチーフであり、

駅はそれぞれのドラマが交錯する舞台だった。

だから駅を題材に別れや旅立ちを描いた歌が

たくさんあった。

この曲もその一つで、いわば「なごり雪」の雨バージョン。

 

けれども素晴らしく新鮮だった。

 

フォークでも歌謡曲でもない、

クラシックを基調としたポップス。

いや、ポップスの姿をしたクラシック。

 

こんなユニークな音楽を創っていたのは、

昔も今も、そして世界中を見渡しても、

上田知華+KARYOBIN(カリョービン)だけだ。

 

グループの中心・上田知華は、東京音楽大学在学中に、

みずからのピアノとヴォーカルに

弦楽四重奏(ヴァイオリン×2、チェロ、ビオラ)を

組み合わせた

ピアノクインテットを結成し、1978年デビュー。

 

KARYOBIN(カリョービン)は「迦陵頻伽」。

仏典における上半身が人で下半身が鳥、

美しい声で歌うとされる想像上の生物。

西洋のセイレーンや人魚に似ている。

 

4年間に通算6枚のアルバムをリリースし、

クラシックの技術・表現力を基盤にした、

数多の優れた楽曲(すべて上田のオリジナル)

を生み出した。

 

特に当時の人気イラストレーター・山口はるみが

ジャケットデザインを担当した

3~5枚目のアルバムの充実度は抜群で、

「パープルモンスーン」や「秋色化粧」は

コマーシャルソングとして使われ、ヒットした。

 

「さよならレイニーステーション」は、

3枚目のアルバムのラストナンバーで、

ライブのラスト、アンコールとしても

よく演奏されたようだ。

 

数秒で涙腺が緩むようなイントロのストリングス。

美しく品格があり、

それでいて親しみやすいメロディライン。

のびやかで繊細な歌唱、

胸の奥深くに余韻を残す五重奏の劇的なエンディング。

このグループの魅力を凝縮した代表曲である。

 

KARYOBINでの活動と作曲力が高く評価された上田知華は、

この頃から松田聖子らアイドル歌手に

数多くの楽曲を提供していた。

 

この曲も当時のアイドル・倉田まり子が歌っていたが、

表現力と音楽の品格の面で

オリジナルははるかに上回っている。

 

上田はグループ解散後、

ソロアーティスト・作曲家として活動。

テレビドラマの主題歌になった今井美樹の

「PIECE OF MY WISH」がミリオンセラーになった。

 

ひとり暮らしを始めた頃、

プログレやテクノやニューウェーブを聴く一方で、

清涼な湧き水のような潤いを与えてくれた

KARYOBINのレコードは、

不安定な心を癒し、

人生の一時期を支えてくれた。

 

あれから40年あまりの月日が流れた。

 

知らなかったが、コロナ前の2018年、

KARYOBIN40周年の復刻盤CDBOXが発売され、

記念のコンサートも開かれたという。

 

しかしその後、上田知華さんは病に倒れた。

ちょうど1ヵ月前の4月27日、訃報が公にされ、

半年前、昨年(2021年)の9月に

亡くなっていたことが伝えられた。

 

音楽人生をやり遂げたのだろうか。

才能をすべて出しきっての終わりだったのだろうか。

そう信じたい。

 

たくさんの美しい曲をありがとう。

心からご冥福をお祈りします。

 

さよならレイニーステーション

きみを忘れはしない。

 


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ポップにアートに生と死を考える「END展」

 

話題にするには気が重い。

出来れば避けて通りたい。

先送りしてしまいたい。

けれども誰ひとり逃れることのできない「死」。

 

そのドーンと暗いテーマと、

芸術的・学術的かつポップなノリで

向き合ってみようという「END展」。

 

今日は会場である二子玉川ライズのスタジオまで

メディア向けの内覧会に行ってきた。

 

率直な感想は、めっちゃ面白い!

 

エンタメでありながらアート。

気軽でありながら、深淵。

老若男女問わず、すべての世代が親しめる

偉大な日本のマンガ文化を活かし、

見る者の思考とイメージを刺激する、斬新な企画だ。

 

会場は「魂のゆくえ」「終わりの選び方」

「死者とわたし」「老いること生きること」

といったパートにわかれ、

それぞれ天才バカボン、怪獣の子供、コジコジ、

ゴールデンカムイ、トーマの心臓、リバーズエッジ、

AKIRA、寄生獣など、

名作マンガの名場面・名ゼリフなどが各テーマを表現する。

 

その他、

「あなたはもう一度、自分に生まれ変わりたいですか?」

「あなたはご遺体を食べられますか?」など、

刺激的な問いかけに思わず引き込まれてしまう。

 

ただ見て回るだけでなく、積極的に自分で入り込み、

人生を考える、参加・体験型の展示会である。

 

事前予約制なのでどういった人たちが

来場予定なのか聞いてみたら、

シニア層だけでなく、まだ死から遠いはずの

10代・20代も多いという。

 

日本人の死・老後に対する概念、

人生全体のイメージが大きく変わろうとしている。

 

予約は必要だが無料。

自分の人生を見つめ直したいという人にも、

単位に野次馬精神旺盛な人にも超おすすめ。

 

6月8日(水)まで開催中。

 


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インタビューの音声起こしはいつもしっちゃかめっちゃか

 

仕事でインタビューの音声起こしをよくする。

 

短い記事だと、取材時の印象・記憶をメインにして、

録音は適当にざっと聞き飛ばして書いてしまえるのだが、

ある程度のボリュームがあるとそういうわけにもいかず、

まず基本的に話している内容を

そのままタイプして文字に、文章にしていく。

 

特に本を作る時は必須作業になる。

時間が掛かり、骨が折れる、かなりしんどい作業である。

 

最近は自動音声起こしのアプリ・ソフトが出回っていて、

ざっとした内容を自動で文字にしてくれるのだが、

それですごく楽になるかというと、

正直、そうでもない。

かえって自分で手作業でやったほうが

捗る場合が往々にある。

 

もちろん、一つにはそのアプリ・ソフトの性能がある。

有料のものは精度が高く、無料は低い。

でも有料だって完璧ではないので、

結局、五十歩百歩だったりする。

 

たぶん、みんながアナウンサーみたいな喋り方で

ゆっくりめに話してくれれば、

かなり精度の高い起こし文になるんだろうが、

そんなふうに話せ、と相手に要求できるわけがない。

 

何と言っても話しているのは人間なので、

声の大きさも高さも違うし、

喋り方のクセも千差万別。

言い間違いも起こる。

やたらと倒置法を多用する人もいる。

感情が乗ってくれば早口にもなるし、

活舌の良しあしだってある。

 

結果、自動音声起こし機が打ち出す文章は

かなりしっちゃかめっちゃかになる。

 

読んでも、ここは何て言ってるんだろう?

本当にこんなこと言ってたっけ?

ということだらけで、

結局、自分で聴き直して書き直さないとわからない。

 

また、僕のやるインタビューの音声起こしは、

かなり相手の内面に入っていくことを必要とされるので、

ちゃんと録音を聴き直しながら手入力することで

言外の意図・感情が読み取れ、

どんな狙いで彼・彼女がこういうことを話しているのか、

発見できることもあって面白い。

 

ただ、淡々とした会議の議事録とか報告会みたいなものなら

自動音声起こしは機は効力を発揮すると思う。

あとは分量の問題。

この分野の機械化は結構難しい。

 


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メタバースで永遠に生きる

 

コロナ禍の今では考えられないほど、

華やかで感動的だった西城秀樹さんの葬儀から4年が経つ。

 

僕は特別な思いなどなく、

たまたま仕事で青山葬儀所へ出向いたのだが、

全国から集まった1万人を超える

ファンの思念みたいなものが

広い葬儀場に渦巻いていて、本当に圧倒された。

 

葬儀も最初から最後まで素晴らしいものだった。

ご家族の協力と関係者の努力の賜物だろう。

 

最近、好きだったミュージシャンの訃報を知り、

数日、気分がすぐれなかった。

もちろん友人・知人でもなく、

ただ昔、よくレコードを聴いていただけなのだが、

けっこうな喪失感に襲われた。

 

あの時、わざわざ地方から電車に乗って、

自分のダンナまで付き合わせて

集まって来た人たちの気持ちがよくわかる。

 

ちょっと前に「ヴィーズ・プリズマ」という

メタバースのお墓の開発を行っている会社を取材したが、

数年前からインターネット上では

亡くなったスター、アイドル、ミュージシャンなどを偲ぶ

コミュニュティをよく見かけるようになった。

 

西城さんについてのコミュニュティも複数あるようで、

生前の映像を見たり、音源を聴いたりして

ファンになったいう人も珍しくない。

 

メタバースに何らかの墓碑があって

想いを共有する人たちが

いつでもそこにアクセスできるのであれば、

亡きスターは永遠に生きることになるのだろう。

もうそういう時代になっている。

 


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「世界カメの日」に考える  なぜ浦島太郎はリスクを負ってカメを助けたのか?

 

「浦島太郎」のお話の始まりは、

太郎が浜辺でカメが子どもたちに

いじめられているのを助けるところから始まる。

 

勝手に解釈すると、イジメてたわけではなくて

捕まえて殺して食おうとしていたのだと思う。

昔はウミガメを捕まえて食うことなんて

海辺の村では日常茶飯事で、

この子どもたちも親たちから

「今夜のめしはカメ鍋にするから捕まえてこい」と

指図されたのだろう。

ひと家庭では食べきれないので、

村でパーティでもやる予定だったのかも知れない。

 

このカメは産卵するため浜辺に上がってきたところを

狙われたのだ。

これでは逃げようがない。

海辺の村人にとっては年に数少ない、

栄養満点のごちそうにありつく

絶好のチャンスだったのに違いない。

 

それを邪魔した浦島太郎は、子どもらのみならず、

ほとんど村全体を敵に回したと言っていいだろう。

そもそも彼はこの村の人間ではないのではないかと思える。

 

カメを助けるから動物愛護の精神に富んだ

いい人に思えるが、それは現代人の感覚で、

こんなことをしたら、子どもたちが親に言いつけて、

あとから村じゅうの人間から

袋叩きに逢うことは目に見えている。

 

結果的に彼はカメに竜宮城に連れて行ってもらい、

乙姫様と結婚して夢のような暮らしを送るので、

これだけの危険を冒したかいがあったということになる。

まさしくハイリスク・ハイリターン。

投資は大成功だ。

 

助けられるカメは、

現在では竜宮の使者ということになっているが、

一説では乙姫様が化けていたというものもある。

 

産卵しに上がってきたわけだからメス。

辻褄があっている。

ちなみにオスのウミガメが陸上に上がってくることは

ほとんどないようだ。

 

よく考えると、浦島太郎と乙姫様は

かなりミステリアスなキャラクターである。

夫婦だったのか?

愛人関係だったのか?

どうしてあっさり別れたのか?

玉手箱を持たせたのは乙姫の復讐だったのか?

太郎はじいさんになってどこへ行ったのか?

海が舞台ということもあり、

この物語には想像力を刺激される。

 

もしかしたら浦島太郎は

ちょっと過剰な動物愛護の精神を持った

現代のアメリカ人がタイムスリップしてきた

お話なのかもしれない。

 

今日、5月23日は「世界カメの日」。

カメに対する知識と敬意を高め、

カメの生存と繁栄のための

人類の行動を促すことを目的として、

2000年に米国カメ保護会によって制定された

記念日とのこと。

 

人新世(アントロポセン)という新たな地質学的時代、

カレンダーにはいつの間にか、

いろいろな動物の記念日が増えている。

「ナマケモノの日」とか

「ヤマアラシの日」なんてのもある。

 

急激に地球環境を変化さえてきた人類が、

単に保護するだけでなく、動物の声を聞き、

そこから新たな生き方を学ぼうとしているようにも思える。

 


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キラキラネームが踊る未来

 

昨夜、テレビのニュースを見ていたら

子どものキラキラネームについての話題をやっていた。

 

当て字にもほどがある。

個性的というより奇妙奇天烈。

マンガじゃないんだから。

宝塚じゃないんだから。

暴走族じゃないんだから。

なんて読めばいいのか、全然わからない。

今どきの若い親はアホやないか。

あんな名前を付けられた子供がかわいそう。etc・・・

 

非難ごうごうとまでは言わないけど、

上の世代からはネガティブに

とらえられがちなキラキラネーム。

 

でも親たちの話を聞くと、

そう悪くもない、アホでもない、

それなりに子どものことをあれこれ慮って

一見奇天烈な名前を考え出しているようだ。

 

いちばん感心したのは

「将来、セイが変わっても自分に違和感を持たないように」

という意見。

僕は最初、「姓」と勘違いしていて、

「ふーん、親が離婚して今の姓が変わっても

良い響きになるように、ということか」と思った。

じつは自分の息子にも、カミさんの姓になったとしても、

読んでも書いても問題ないように、ということは考えた。

 

しかし、僕は間違っていた。

そんなことは軽い問題だ。

そのお母さんの意図はもっとシリアスな、

その子の人生すべてに関わること。

 

彼女が言ったのは「姓」ではなく「性」。

つまりジェンダーの問題。

男の子として生まれてきたが女性になるかも。

女の子として生まれてきたが男性になるかも。

もし、その子が自分の意思でそう生きると決めたら——

ということまで想定して名前を付けたという。

 

目からウロコがペロッと落ちた。

子どもの名前を考えることは、

この先の時代、その子たちがいおとなになる社会の環境に

思いを巡らせること。

いまどきの若い親は、

劇的に変貌するかもしれない未来を見つめて、

これまでの常識や慣習にとらわれることなく、

思考のネットワークを広げているのだ。

 

当のキラキラネームの子どもたちも、

「お父さんやお母さんが一生懸命に

考えてつけてくれた名前だから好き」

と屈託ない。

 

なんていい子たち、なんてよい親子なんだ!

今までキラキラネームを

ちょっと馬鹿にしていたことを猛烈に反省した。

そして、上の世代は過去のことに拘泥していてはいけない

と改めて思い知らされた。

未来はどうなっていくのか、ちょっとまた楽しみになった。

 


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週末の懐メロ83:チャイルド・イン・タイム/ディープ・パープル

 

1970年リリース。

アルバム「ディープ・パープル・イン・ロック」の挿入歌。

今年発売50周年を迎えた名盤

「ライブ・イン・ジャパン」(1972年)においても

ハイライトナンバーだった。

 

ディープ・パープルは僕にとって、

ほぼ初めてのロック体験だった。

もちろん、その前にもビートルズの曲などは

聴いていたのだが、

当時のロック小僧たちの感覚では

ビートルズはロックではなく、ポップスの範疇であり、

女・子供が聴くものとされていた。

 

酒やタバコをやらないのは男じゃない。

それと同じでロックを聴かなきゃ男じゃない。

1970年代前半、まだ昭和40年代の

日本の地方都市の中学生の間では、

そんなめちゃくちゃな理屈がまかり取っていた。

 

そんなわけで僕は先輩の家で

神聖なる教示を受けるかのように

ディープ・パープルのレコードを何枚も聴かされた。

 

正直、最初は「なんじゃこのうるさい音楽は!」と思った。

しかし、まさしく酒やタバコと同じで

何度か聴くうちに大好きになった。

見事な洗脳である。

 

1枚目のアルバム「ハッシュ」から

ギターのリッチー・ブラックモアが抜けて

トミー・ボーリンに替わった

11枚目の「カム・テイスト・ザ・バンド」まで全部聴いた。

 

それほど好きだったディープ・パープル、

そして日本のロックファンの間でも

圧倒的な人気を誇ったディープ・パープルだが、

20歳を超える頃にはもうあまり聴かなくなり、

その後も最近までほとんど聴いてなかった。

 

同じ60~70年代のハードロック(ヘヴィメタ)でも、

レッド・ツェッペリンが若い世代にも聴き継がれて、

ますます名声を高めているのとは対照的に、

ここ10年ほどの間に、

ディープ・パープルの影は

ずいぶん薄くなったように感じる。

 

ロック史に残る大名盤、ライブアルバムの金字塔

とまで言われてきた「ライブ・イン・ジャパン」さえ、

その地位を落としつつあるのではないだろうか。

 

「ハイウェイスター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」

「ブラックナイト」などは、相変わらず名曲として

若いロッカーたちに演奏されているのだろうが、

今聴いて面白いかと言えば、そうでもない。

 

ただ、「チャイルド・イン・タイム」は別格だ。

第2期-ディープ・パープル黄金時代とされる

5人による演奏。

 

この時期のパープルナンバーの多くは、

ジョン・ロードのキーボードと

リッチー・ブラックモアのギターのせめぎ合いが

メインの聴きどころだが、

この曲では、イアン・ギランのヴォーカルのすごさが

際立っている。

 

ディープ・パープルの歌は

あまり中身のない歌詞が多く、

それが飽きられたり、

後年の評価がイマイチな要因になっているが、

この曲だけはやたら文学的だ。

 

♪愛しい子よ いつかお前にも見えてくるはずだ

何がよくて何が悪いのかの境界線が

見ろ 盲人の男が世界に向けて発砲する

銃弾が飛び交い 犠牲者が続出する

 

まるで現在のロシア・ウクライナ戦争を重ね合わせても

何ら違和感のない内容だ。

 

ここで歌われる「スイート・チャイルド」は、

兵士として戦場に立つ少年・若者を表している。

時代的に背景にベトナム戦争や

東西冷戦構造があったからだろう。

 

この時代のロックは、表立った反戦歌でなくても、

こうした戦争に抗う精神、世界の危機を憂える気持ち、

怒りや悲しみがモチーフになっているものが少なくない。

 

イアン・ギランもバンドを抜け、ソロになってからも

ずっとこの歌を大事に歌ってきた。

おそらく彼にとってはシンガーとして

最も誇りに出来る曲の一つだったのだろう。

 

終わったと思っていた冷戦・核戦争の危機は、

ただちょっとお休みしていただけで

ふたたびその姿を露わにした。

時代は巡るということか。

ディープ・パープルの黄金時代は懐かしいけど、

もうあの時代に戻りたいとは思わない。

 


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なぜ宝くじに当たるとほとんどの人が破産するのか?

 

先週に引き続き、司法書士の方の本を書くので取材。

その中の項目の一つに

「なぜ宝くじに当たるとほとんどの人が破産するのか?

わたしが絶対破産しない方法を教えます」

というのがあった。

 

彼は宝くじを取り扱うみずほ銀行の仕事もしている。

どういう必要性があるのか、よくわからないが、

みずほ銀行は高額当選者のその後を調べているらしい。

 

「宝くじに当たる」というのは、

もちろん1万円、10万円レベルでなく、億単位の話である。

 

そりゃ前提がレアケース過ぎますよと笑ったが、

話はなかなか面白かったし、感心した。

 

内容はもちろん出版してからしか話せないが、

宝くじで大金が当たった人が取る行動の特徴が

二つあるらしい。

 

人にそのことを話す。

仕事を辞める。

 

黙ってりゃいいのに人に話しちゃうのは、

SNSで「いいね!」が欲しいといった

承認欲求にもとづくものだという。

 

そんなことでしか承認欲求を満たせないのか?

と思うが、どうやら人間心理はそうなっているらしい。

 

万一、僕は当たっても続けると思うが、

ほとんどの人が仕事を辞めてしまうという。

要するに、仕事をカネを稼ぐ手段としか考えていない、

ということだろう。

カネさえあれば働かない。

遊んで暮らしたいというわけだ。

 

なんだかずいぶんと心が貧しい気がする。

承認欲求ってそんなことで得るもの?

あなたのやってる仕事ってその程度のもの?と思う。

何だかこれではお金の従僕である。

でもそれが平均的日本人の本質なんだろう。

 

阿武町の間違い振り込み事件の彼は、

とうとう逮捕されてしまった。

ぼくに言わせれば彼は被害者に近い。

 

とんでもないボンクラミスを犯した町の職員らは

まともな謝罪もなければ、何の責任も取らないようだ。

 

お金で簡単に人生が狂わされること、

 

公務員・議員・官僚・政治家などの

おいしいポジションにつけば、

無責任にのうのうと暮らせること、

 

そして、やっぱりマスコミは

貧乏人の嫉妬心を煽り立てる報道をしちゃうこと。

まぁ、世間の方々が求めているのだからしゃーないよ、

ということだろうか。

そして、そこから透かして見えるのは、

日本人の心の貧しさとムラ社会の現実。

 

そうしたものをこの騒ぎでは、

またもやまざまざ見せつけられた。

 

思わぬ大金が転がり込む幸運(=不運)に出逢ったら、

ぜひかの司法書士の本を手に取ってください。

完成・発行は8月くらいかな?

 


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