なぜ日本ではカエルはかわいいキャラなのか?

 

 「かえるくん、東京を救う」というのは村上春樹の短編小説の中でもかなり人気の高い作品です。

 主人公がアパートの自分の部屋に帰ると、身の丈2メートルはあろうかというカエルが待っていた、というのだから、始まり方はほとんど恐怖小説。

 ですが、その巨大なカエルが「ぼくのことは“かえるくん”と呼んでください」と言うのだから、たちまちシュールなメルヘンみたいな世界に引き込まれてしまいます。

 

 この話は阪神大震災をモチーフにしていて、けっして甘いメルヘンでも、面白おかしいコメディでもないシリアスなストーリーなのですが、このかえるくんのセリフ回しや行動が、なんとも紳士的だったり、勇敢だったり、愛らしかったり、時折ヤクザだったりして独特の作品世界が出来上がっています。

 

 しかし、アメリカ人の翻訳者がこの作品を英訳するとき、この「かえるくん」という呼称のニュアンスを、どう英語で表現すればいいのか悩んだという話を聞いて、さもありなんと思いました。

 

 このカエルという生き物ほど、「かわいい」と「気持ち悪い」の振れ幅が大きい動物も珍しいのではないでしょうか。

でも、その振れ幅の大きさは日本人独自の感覚のような気もします。

 

 欧米人はカエルはみにくい、グロテスクなやつ、場合によっては悪魔の手先とか、魔女の使いとか、そういう役割を振られるケースが圧倒的に多い気がします。

 

 ところが、日本では、けろけろけろっぴぃとか、コルゲンコーワのマスコットとか、木馬座アワーのケロヨンとか、古くは「やせガエル 負けるな 一茶ここにあり」とか、かわいい系・愛すべき系の系譜がちゃんと続いていますね。

 

 僕が思うに、これはやっぱり稲作文化のおかげなのではないでしょうか。

 お米・田んぼと親しんできた日本人にとって、田んぼでゲコゲコ鳴いているカエルくんたちは、友だちみたいな親近感があるんでしょうね。

 そして、彼らの合唱が聞こえる夏の青々とした田んぼの風景は、今年もお米がいっぱい取れそう、という期待や幸福感とつながっていたのでしょう。

 カエル君に対するよいイメージはそういうところからきている気がします。

 

 ちなみに僕の携帯電話はきみどり色だけど、「カエル色」って呼ばれています。

 茶色いのも黄色っぽいもの黒いのもいるけど、カエルと言えばきれいなきみどり色。やっぱ、アマガエルじゃないとかわいくないからだろうね、きっと。

 雨の季節。そういえば、ここんとこ、カエルくんと会ってないなぁ。ケロケロ。

 


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家族ストーリーを書く仕事② 個の家族

 

  「これから生まれてくる子孫が見られるように」

 ――今回の家族ストーリー(ファミリーヒストリー)を作った動機について、3世代の真ん中の息子さん(団塊ジュニア世代)は作品の最後でこんなメッセージを残しています。

 彼の中にはあるべき家族の姿があった。しかし現実にはそれが叶わなかった。だからやっと安定し、幸福と言える現在の形を映像に残すことを思い立った――僕にはそう取れます。

 

 世間一般の基準に照らし合わせれば、彼は家庭に恵まれなかった人に属するでしょう。かつて日本でよく見られた大家族、そして戦後の主流となった夫婦と子供数人の核家族。彼の中にはそうした家族像への憧れがあったのだと思います。

 

 けれども大家族どころか、核家族さえもはや過去のものになっているのでないか。今回の映像を見ているとそう思えてきます。

 

 団塊の世代の親、その子、そして孫(ほぼ成人)。

 彼らは家族であり、互いに支え合い、励まし合いながら生きている。

 けれど、その前提はあくまで個人。それぞれ個別の歴史と文化を背負い、自分の信じる幸福を追求する人間として生きている。

 

 むかしのように、まず家があり、そこに血のつながりのある人間として生まれ、育つから家族になるのではなく、ひとりひとりの個人が「僕たちは家族だよ」という約束のもとに集まって愛情と信頼を持っていっしょに暮らす。あるいは、離れていても「家族だよ」と呼び合い、同様に愛情と信頼を寄せ合う。だから家族になる。

 

 これからの家族は、核家族からさらに小さな単位に進化した「ミニマム家族」――「個の家族」とでもいえばいいのでしょうか。

 比喩を用いれば、ひとりひとりがパソコンやスマホなどのデバイスであり、必要がある時、○○家にログインし、ネットワークし、そこで父・母・息子・娘などの役割を担って、相手の求めることに応じる。それによってそれぞれが幸福を感じる。そうした「さま」を家族と呼称する――なかなかスムーズに表現できませんが、これからはそういう家族の時代になるのではないでしょうか。

 

 なぜなら、そのほうが現代のような個人主義の世の中で生きていくのに何かと便利で快適だからです。人間は自身の利便性・快適性のためになら、いろいろなものを引き換えにできます。だから進化してこられたのです。

 

 引き換えに失ったものの中にももちろん価値があるし、往々にして失ってみて初めてその価値に気づくケースがあります。むかしの大家族しかり。核家族しかり。こうしてこれらの家族の形態は、今後、一種の文化遺産になっていくのでしょう。

 好きか嫌いかはともかく、そういう時代に入っていて、僕たちはもう後戻りできなくなっているのだと思います。

 

 将来生まれてくる子孫のために、自分の家族の記憶を本なり映像なりの形でまとめて遺す―― もしかしたらそういう人がこれから結構増えるのかもしれません。

 

 

2016・6・27 Mon


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家族ストーリーを書く仕事① 親子3世代の物語

 

 親子3世代の物語がやっと完成一歩手前まで来ました。

 昨年6月、ある家族のヒストリー映像を作るというお仕事を引き受けて、台本を担当。

足掛け1年掛かりでほぼ完成し、残るはクライアントさんに確認を頂いて、最後にナレーションを吹き込むのみ、という段階までこぎつけたのです。

 

 今回のこの仕事は、ディレクターが取材をし、僕はネット経由で送られてくるその音源や映像を見て物語の構成をしていきました。そのディレクターとも最初に1回お会いしただけでご信頼を頂いたので、そのあとはほとんどメールのやり取りのみで進行しました。インターネットがあると、本当に家で何でもできてしまいます。

 ですから時間がかかった割には、そんなに「たいへん感」はありませんでした。

 

 取材対象の人たちともリアルでお会いしたことはなく、インタビューの音声――話の内容はもとより、しゃべり方のくせ、間も含めて――からそれぞれのキャラクターと言葉の背景にある気持ちを想像しながらストーリーを組み立てていくのは、なかなかスリリングで面白い体験でした(最初の下取材の頃はディレクターがまだ映像を撮っていなかったので、レコーダーの音源だけを頼りにやっていました)。

 

 取材対象と直接会わない、会えないという制限は、今までネガティブに捉えていたのですが、現場(彼らの生活空間や仕事空間)の空気がわからない分、余分な情報に戸惑ったり、感情移入のし過ぎに悩まされたりすることがありません。

 適度な距離を置いてその人たちを見られるので、かえってインタビューの中では語られていない範囲まで自由に発想を膨らませられ、こうしたドキュメンタリーのストーリーづくりという面では良い効果もあるんだな、と感じました。

 

 後半(今年になってから)、全体のテーマが固まり、ストーリーの流れが固まってくると、今度は台本に基づいて取材がされるようになりました。

 戦後の昭和~平成の時代の流れを、団塊の世代の親、その息子、そして孫(ほぼ成人)という一つの家族を通して見ていくと、よく目にする、当時の出来事や風俗の記録映像も、魂が定着くした記憶映像に見えてきます。

 これにきちんとした、情感豊かなナレーターの声が入るのがとても楽しみです。

 

 

2016・6・26 Sun


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ゴマスリずんだ餅と正直ファンタじいさん

 

おもちペタペタ伊達男

 

  今週日曜(19日)の大河ドラマ「真田丸」で話題をさらったのは、長谷川朝晴演じる伊達政宗の餅つきパフォーマンスのシーン。「独眼竜」で戦国武将の中でも人気の高い伊達政宗ですが、一方で「伊達男」の語源にもなったように、パフォーマーというか、歌舞伎者というか、芝居っけも方もたっぷりの人だったようです。

 

 だから、餅つきくらいやってもおかしくないのでしょうが、権力者・秀吉に対してあからさまにこびへつらい、ペッタンコとついた餅にスリゴマを・・・じゃなかった、つぶした豆をのっけて「ずんだ餅でございます」と差し出す太鼓持ち野郎の姿に、独眼竜のカッコいいイメージもこっぱみじんでした。

 

 僕としては「歴人めし」の続編のネタ、一丁いただき、と思ってニヤニヤ笑って見ていましたが、ファンの人は複雑な心境だったのではないのでしょうか。(ネット上では「斬新な伊達政宗像」と、好意的な意見が多かったようですが)。

 

 しかし、この後、信繁(幸村=堺雅人)と二人で話すシーンがあり、じつは政宗、今はゴマスリ太鼓持ち野郎を演じているが、いずれ時が来れば秀吉なんぞ、つぶしてずんだ餅にしてやる・・・と、野心満々であることを主人公の前で吐露するのです。

 で、これがクライマックスの関ヶ原の伏線の一つとなっていくわけですね。

 

裏切りのドラマ

 

 この「真田丸」は見ていると、「裏切り」が一つのテーマとなっています。

 出てくるどの武将も、とにかくセコいのなんのttらありゃしない。立派なサムライなんて一人もいません。いろいろな仮面をかぶってお芝居しまくり、だましだまされ、裏切り裏切られ・・・の連続なのです。

 

 そりゃそうでしょう。乱世の中、まっすぐ正直なことばかりやっていては、とても生き延びられません。

 この伊達政宗のシーンの前に、北条氏政の最後が描かれていましたが、氏政がまっすぐな武将であったがために滅び、ゴマスリ政宗は生き延びて逆転のチャンスを掴もうとするのは、ドラマとして絶妙なコントラストになっていました。

 

 僕たちも生きるためには、多かれ少なかれ、このゴマスリずんだ餅に近いことを年中やっているのではないでしょうか。身過ぎ世過ぎというやつですね。

 けれどもご注意。

 人間の心とからだって、意外と正直にできています。ゴマスリずんだ餅をやり過ぎていると、いずれまとめてお返しがやってくるも知れません。

 

人間みんな、じつは正直者

 

 どうしてそんなことを考えたかと言うと、介護士の人と、お仕事でお世話しているおじいさんのことについて話したからです。

 そのおじいさんはいろんな妄想に取りつかれて、ファンタジーの世界へ行っちゃっているようなのですが、それは自分にウソをつき続けて生きてきたからではないか、と思うのです。

 

 これは別に倫理的にどうこうという話ではありません。

 ごく単純に、自分にウソをつくとそのたびにストレスが蓄積していきます。

 それが生活習慣になってしまうと、自分にウソをつくのが当たり前になるので、ストレスが溜まるのに気づかない。そういう体質になってしまうので、全然平気でいられる。

 けれども潜在意識は知っているのです。

 「これはおかしい。これは違う。これはわたしではな~い」

 

 そうした潜在意識の声を、これまた無視し続けると、齢を取ってから自分で自分を裏切り続けてきたツケが一挙に出て来て、思いっきり自分の願いや欲望に正直になるのではないでしょうか。

 だから脳がファンタジーの世界へ飛翔してしまう。それまでウソで歪めてきた自分の本体を取り戻すかのように。

 つまり人生は最後のほうまで行くとちゃんと平均化されるというか、全体で帳尻が合うようにできているのではないかな。

 

自分を大事にするということ

 

 というのは単なる僕の妄想・戯言かも知れないけど、自分に対する我慢とか裏切りとかストレスとかは、心や体にひどいダメージを与えたり、人生にかなりの影響を及ぼすのではないだろうかと思うのです。

 

 みなさん、人生は一度きり。身過ぎ世過ぎばっかりやってると、それだけであっという間に一生終わっちゃいます。何が自分にとっての幸せなのか?心の内からの声をよく聴いて、本当の意味で自分を大事にしましょう。

 介護士さんのお話を聞くといろんなことを考えさせられるので、また書きますね。

 

 

 

2016/6/23 Thu


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死者との対話:父の昭和物語

 

 すぐれた小説は時代を超えて読み継がれる価値がある。特に現代社会を形作った18世紀から20世紀前半にかけての時代、ヨーロッパ社会で生まれた文学には人間や社会について考えさせられる素材にあふれています。

 

その読書を「死者との対話」と呼んだ人がいます。うまい言い方をするものだと思いました。

 

僕たちは家で、街で、図書館で、本さえあれば簡単にゲーテやトルストイやドストエフスキーやブロンテなどと向かい合って話ができます。別にスピリチュアルなものに関心がなくても、書き残したものがあれば、私たちは死者と対話ができるのです。

 

 もちろん、それはごく限られた文学者や学者との間で可能なことで、そうでない一般大衆には縁のないことでしょう。これまではそうでした。しかし、これからの時代はそれも可能なことではないかと思います。ただし、不特定多数の人でなく、ある家族・ある仲間との間でなら、ということですが。

 

 僕は父の人生を書いてみました。

 父は2008年の12月に亡くなりました。家族や親しい者の死も1年ほどたつと悲しいだの寂しいだの、という気持ちは薄れ、彼らは自分の人生においてどんな存在だったのだろう?どんなメッセージを遺していったのだろう?といったことを考えます。

 

父のことを書いてみようと思い立ったのは、それだけがきっかけではありませんでした。

死後、間もない時に、社会保険事務所で遺族年金の手続きをする際に父の履歴書を書いて提出しました。その時に感じたのは、血を分けた家族のことでも知らないことがたくさんあるな、ということでした。

じつはそれは当り前のことなのだが、それまではっきりとは気が付いていませんでした。なんとなく父のことも母のこともよく知っていると思いすごしていたのです。

実際は私が知っているのは、私の父親としての部分、母親としての部分だけであり、両親が男としてどうだったか、女としてどうだったか、ひとりの人間としてどうだったのか、といったことなど、ほとんど知りませんでした。数十年も親子をやっていて、知るきっかけなどなかったのです。

 

父の仕事ひとつ取ってもそうでした。僕の知っている父の仕事は瓦の葺換え職人だが、それは30歳で独立してからのことで、その前――20代のときは工場に勤めたり、建築会社に勤めたりしていたのです。それらは亡くなってから初めて聞いた話です。

そうして知った事実を順番に並べて履歴書を作ったのですが、その時には強い違和感というか、抵抗感のようなものを感じました。それは父というひとりの人間の人生の軌跡が、こんな紙切れ一枚の中に納まってしまうということに対しての、寂しさというか、怒りというか、何とも納得できない気持ちでした。

 

父は不特定多数の人たちに興味を持ってもらえるような、波乱万丈な、生きる迫力に満ち溢れた人生を歩んだわけはありませんい。むしろそれらとは正反対の、よくありがちな、ごく平凡な庶民の人生を送ったのだと思います。

けれどもそうした平凡な人生の中にもそれなりのドラマがあります。そして、そのドラマには、その時代の社会環境の影響を受けた部分が少なくありません。たとえば父の場合は、昭和3(1928)に生まれ、平成元年(1989)に仕事を辞めて隠居していました。その人生は昭和の歴史とほぼ重なっています。

 

ちなみにこの昭和3年という年を調べてみると、アメリカでミッキーマウスの生まれた(ウォルト・ディズニーの映画が初めて上映された)年です。

父は周囲の人たちからは実直でまじめな仕事人間と見られていましたが、マンガや映画が好きで、「のらくろ」だの「冒険ダン吉」だのの話をよく聞かせてくれました。その時にそんなことも思い出したのです。

 

ひとりの人間の人生――この場合は父の人生を昭和という時代にダブらせて考えていくと、昭和の出来事を書き連ねた年表のようなものとは、ひと味違った、その時代の人間の意識の流れ、社会のうねりの様子みたいなものが見えてきて面白いのではないか・・・。そう考えて、僕は父に関するいくつかの個人的なエピソードと、昭和の歴史の断片を併せて書き、家族や親しい人たちが父のことを思い起こし、対話できるための一遍の物語を作ってみようと思い立ちました。

本当はその物語は父が亡くなる前に書くべきだったのではないかと、少し後悔の念が残っています。

生前にも話を聞いて本を書いてみようかなと、ちらりと思ったことはあるのですが、とうとう父自身に自分の人生を振り返って……といった話を聞く機会はつくれませんでした。たとえ親子の間柄でも、そうした機会を持つことは難しいのです。思い立ったら本気になって直談判しないと、そして双方互いに納得できないと永遠につくることはできません。あるいは、これもまた難しいけど、本人がその気になって自分で書くか・・・。それだけその人固有の人生は貴重なものであり、それを正確に、満足できるように表現することは至難の業なのだと思います。

 

実際に始めてから困ったのは、父の若い頃のことを詳しく知る人など、周囲にほとんどいないということ。また、私自身もそこまで綿密に調査・取材ができるほど、時間や労力をかけるわけにもいきませんでした。

だから母から聞いた話を中心に、叔父・叔母の話を少し加える程度にとどめ、その他、本やインターネットでその頃の時代背景などを調べながら文章を組み立てる材料を集めました。そして自分の記憶――心に残っている言葉・出来事・印象と重ね合わせて100枚程度の原稿を作ってみたのです。

 

自分で言うのもナンですが、情報不足は否めないものの、悪くない出来になっていて気に入っています。これがあるともうこの世にいない父と少しは対話できる気がするのです。自分の気持ちを落ち着かせ、互いの生の交流を確かめ、父が果たした役割、自分にとっての存在の意味を見出すためにも、こうした家族や親しい者の物語をつくることはとても有効なのではないかと思います。

 

 高齢化が進む最近は「エンディングノート」というものがよく話題に上っています。

「その日」が来た時、家族など周囲の者がどうすればいいか困らないように、いわゆる社会的な事務手続き、お金や相続のことなどを書き残すのが、今のところ、エンディングノートの最もポピュラーな使い方になっているようだ。

もちろん、それはそれで、逝く者にとっても、後に残る者にとっても大事なことです。しかし、そうすると結局、その人の人生は、いくらお金を遺したかとか、不動産やら建物を遺したのか、とか、そんな話ばかりで終わってしまう恐れもあります。その人の人生そのものが経済的なこと、物質的なものだけで多くの人に価値判断されてしまうような気がするのです。

 

けれども本当に大事なのは、その人の人生にどんな意味や価値があったのか、を家族や友人・知人たちが共有することが出来る、ということではないでしょうか。

そして、もしその人の生前にそうしたストーリーを書くことができれば、その人が人生の最期の季節に、自分自身を取り戻せる、あるいは、取り戻すきっかけになり得る、ということではないでしょうか。

 

 


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赤影メガネとセルフブランディング

 ♪赤い仮面は謎の人 どんな顔だか知らないが キラリと光る涼しい目 仮面の忍者だ

赤影だ~

 というのは、テレビの「仮面の忍者 赤影」の主題歌でしたが、涼しい目かどうかはともかく、僕のメガネは10数年前から「赤影メガネ」です。これにはちょっとした物語(というほどのものではないけど)があります。

 

 当時、小1だか2年の息子を連れてメガネを買いに行きました。

 それまでは確か茶色の細いフレームの丸いメガネだったのですが、今回は変えようかなぁ、どうしようかなぁ・・・とあれこれ見ていると、息子が赤フレームを見つけて「赤影!」と言って持ってきたのです。

 

 「こんなの似合うわけないじゃん」と思いましたが、せっかく選んでくれたのだから・・・と、かけてみたら似合った。子供の洞察力おそるべし。てか、単に赤影が好きだっただけ?

 とにかく、それ以来、赤いフレームのメガネが、いつの間にか自分のアイキャッチになっていました。自分の中にある自分のイメージと、人から見た自分とのギャップはとてつもなく大きいもの。

 独立・起業・フリーランス化ばやりということもあり、セルフブランディングがよく話題になりますが、自分をどう見せるかというのはとても難しい。自分の中にある自分のイメージと、人から見た自分とのギャップはとてつもなく大きいのです。

 とはいえ、自分で気に入らないものを身に着けてもやっぱり駄目。できたら安心して相談できる家族とか、親しい人の意見をしっかり聞いて(信頼感・安心感を持てない人、あんまり好きでない人の意見は素直に聞けない)、従来の考え方にとらわれない自分像を探していきましょう。

 


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ベビーカーを押す男

 

・・・って、なんだか歌か小説のタイトルみたいですね。そうでもない?

 ま、それはいいんですが、この間の朝、実際に会いました。ひとりでそそくさとベビーカーを押していた彼の姿が妙に心に焼き付き、いろいろなことがフラッシュバックしました。

 BACK in the NEW YORK CITY。

 僕が初めてニューヨークに行ったのは約30年前。今はどうだか知らないけど、1980年代のNYCときたらやっぱ世界最先端の大都会。しかし、ぼくがその先端性を感じたのは、ソーホーのクラブやディスコでもなでもなく、イーストビレッジのアートギャラリーでもなく、ブロードウェイのミュージカルでもなく、ストリートのブレイクダンスでもなく、セントラルパークで一人で子供と散歩しているパパさんたちでした。

 

 特におしゃれでも何でもない若いパパさんたちが、小さい子をベビーカーに乗せていたり、抱っこひもでくくってカンガルーみたいな格好で歩いていたり、芝生の上でご飯を食べさせたり、オムツを替えたりしていたのです。

 

 そういう人たちはだいたい一人。その時、たまたま奥さんがほっとその辺まで買い物に行っているのか、奥さんが働いて旦那がハウスハズバンドで子育て担当なのか、はたまた根っからシングルファーザーなのかわかりませんが、いずれにしてもその日その時、出会った彼らはしっかり子育てが板についている感じでした。

 

 衝撃!・・というほどでもなかったけど、なぜか僕は「うーん、さすがはニューヨークはイケてるぜ」と深く納得し、彼らが妙にカッコよく見えてしまったのです。

 

 

 そうなるのを念願していたわけではないけれど、それから約10年後。

 1990年代後半の練馬区の路上で、僕は1歳になるかならないかの息子をベビーカーに乗せて歩いていました。たしか「いわさきちひろ美術館」に行く途中だったと思います。

 向こう側からやってきたおばさんが、じっと僕のことを見ている。

 なんだろう?と気づくと、トコトコ近寄ってきて、何やら話しかけてくる。

 どこから来たのか?どこへ行くのか? この子はいくつか? 奥さんは何をやっているのいか?などなど・・・

 

 「カミさんはちょっと用事で、今日はいないんで」と言うと、ずいぶん大きなため息をつき、「そうなの。私はまた逃げられたと思って」と。

 おいおい、たとえそうだとしても、知らないあんたに心配されたり同情されたりするいわれはないんだけど。

 

 別に腹を立てたわけではありませんが、世間からはそういうふうにも見えるんだなぁと、これまた深く納得。

 あのおばさんは口に出して言ったけど、心の中でそう思ってて同情だか憐憫だかの目で観ている人は結構いるんだろうなぁ、と感じ入った次第です。

 

 というのが、今から約20年前のこと。

 その頃からすでに「子育てしない男を父とは呼ばない」なんてキャッチコピーが出ていましたが、男の子育て環境はずいぶん変化したのでしょうか?

 表面的には イクメンがもてはやされ、育児関係・家事関係の商品のコマーシャルにも、ずいぶん男が出ていますが、実際どうなのでしょうか?

 

 件のベビーカーにしても、今どき珍しくないだろう、と思いましたが、いや待てよ。妻(母)とカップルの時は街の中でも電車の中でもいる。それから父一人の時でも子供を自転車に乗せている男はよく見かける。だが、ベビーカーを“ひとりで”押している男はそう頻繁には見かけない。これって何を意味しているのだろう? と、考えてしまいました。

 

 ベビーカーに乗せている、ということは、子供はだいたい3歳未満。保育園や幼稚園に通うにはまだ小さい。普段は家で母親が面倒を見ているというパターンがやはりまだまだ多いのでしょう。

 

 そういえば、保育園の待機児童問題って、お母さんの声ばかりで、お父さんの声ってさっぱり聞こえてこない。そもそも関係あるのか?って感じに見えてしまうんだけど、イクメンの人たちの出番はないのでしょうか・・・。

 

2016年6月16日


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インターネットがつくるフォークロア

 

インターネットの出現は社会を変えた――ということは聞き飽きるほど、あちこちで言われています。けれどもインターネットが本格的に普及したのは、せいぜいここ10年くらいの話。全世代、全世界を見渡せば、まだ高齢者の中には使ったことがないという人も多いし、国や地域によって普及率の格差も大きい。だから、その変化の真価を国レベル・世界レベルで、僕たちが実感するのはまだこれからだと思います。

それは一般によくいわれる、情報収集がスピーディーになったとか、通信販売が便利になったとか、というカテゴリーの話とは次元が違うものです。もっと人間形成の根本的な部分に関わることであり、ホモサピエンスの文化の変革にまでつながること。それは新しい民間伝承――フォークロアの誕生です。

 

“成長過程で自然に知ってしまう”昔話・伝承

 

最初はどこでどのように聞いたのか覚えてないですが、僕たちは自分でも驚くほど、昔話・伝承をよく知っています。成長の過程のどこかで桃太郎や浦島太郎や因幡の白ウサギと出会い、彼らを古い友だちのように思っています。

 

家庭でそれらの話を大人に読んでもらったこともあれば、幼稚園・保育園・小学校で体験したり、最近ならメディアでお目にかかることも多い。それはまるで遺伝子に組み込まれているかのように、あまりに自然に身体の中に溶け込んでいるのです。

 

調べて確認したわけではないが、こうした感覚は日本に限らず、韓国でも中国でもアメリカでもヨーロッパでも、その地域に住んでいる人なら誰でも持ち得るのではないでしょうか。おそらく同じような現象があると思います。それぞれどんな話がスタンダードとなっているのかは分かりませんが、その国・その地域・その民族の間で“成長過程で自然に知ってしまう”昔話・伝承の類が一定量あるのです。

 

それらは長い時間を生きながらえるタフな生命エネルギーを持っています。それだけのエネルギーを湛えた伝承は、共通の文化の地層、つまり一種のデータベースとして、万人の脳の奥底に存在しています。その文化の地層の上に、その他すべての情報・知識が積み重なっている――僕はそんなイメージを持っています。

 

世界共通の、新しいカテゴリーの伝承

 

そして、昔からあるそれとは別に、これから世界共通の、新しいカテゴリーの伝承が生まれてくる。その新しい伝承は人々の間で共通の文化の地層として急速に育っていくのでないか。そうした伝承を拡散し、未来へ伝える役目を担っているのがインターネット、というわけです。

 

ところで新しい伝承とは何でしょう? その主要なものは20世紀に生まれ、花開いた大衆文化――ポップカルチャーではないでしょうか。具体的に挙げていけば、映画、演劇、小説、マンガ、音楽(ジャズ、ポップス、ロック)の類です。

 

21世紀になる頃から、こうしたポップカルチャーのリバイバルが盛んに行われるようになっていました。

人々になじみのあるストーリー、キャラクター。

ノスタルジーを刺激するリバイバル・コンテンツ。

こうしたものが流行るのは、情報発信する側が、商品価値の高い、新しいものを開発できないためだと思っていました。

そこで各種関連企業が物置に入っていたアンティーク商品を引っ張り出してきて、売上を確保しようとした――そんな事情があったのでしょう。実際、最初のうちはそうだったはずです。

だから僕は結構冷めた目でそうした現象を見ていました。そこには半ば絶望感も混じっていたと思います。前の世代を超える、真に新しい、刺激的なもの・感動的なものは、この先はもう現れないのかも知れない。出尽くしてしまったのかも知れない、と……。

 

しかし時間が経ち、リバイバル現象が恒常化し、それらの画像や物語が、各種のサイトやYouTubeの動画コンテンツとして、ネット上にあふれるようになってくると考え方は変わってきました。

 

それらのストーリー、キャラクターは、もはや単なるレトロやリバイバルでなく、世界中の人たちの共有財産となっています。いわば全世界共通の伝承なのです。

僕たちは欧米やアジアやアフリカの人たちと「ビートルズ」について、「手塚治虫」について、「ガンダム」について、「スターウォーズ」について語り合えるし、また、それらを共通言語にして、子や孫の世代とも同様に語り合えます。

そこにボーダーはないし、ジェネレーションギャップも存在しません。純粋にポップカルチャーを媒介にしてつながり合う、数限りない関係が生まれるのです。

 

また、これらの伝承のオリジナルの発信者――ミュージシャン、映画監督、漫画家、小説家などによって、あるいは彼ら・彼女らをリスペクトするクリエイターたちによって自由なアレンジが施され、驚くほど新鮮なコンテンツに生まれ変わる場合もあります。

 

インターネットの本当の役割

 

オリジナル曲をつくった、盛りを過ぎたアーティストたちが、子や孫たち世代の少年・少女と再び眩いステージに立ち、自分の資産である作品を披露。それをYouTubeなどを介して広めている様子なども頻繁に見かけるようになりました。

 

それが良いことなのか、悪いことなのか、評価はさておき、そうした状況がインタ―ネットによって現れています。これから10年たち、20年たち、コンテンツがさらに充実し、インターネット人口が現在よりさらに膨れ上がれば、どうなるでしょうか? 

 

おそらくその現象は空気のようなものとして世の中に存在するようになり、僕たちは新たな世界的伝承として、人類共通の文化遺産として、完成された古典として見なすようになるでしょう。人々は分かりやすく、楽しませてくれるものが大好きだからです。

 

そして、まるで「桃太郎」のお話を聞くように、まっさらな状態で、これらの伝承を受け取った子供たちが、そこからまた新しい、次の時代の物語を生みだしていきます。

 

この先、そうした現象が必ず起こると思う。インターネットという新参者のメディアはその段階になって、さらに大きな役割を担うのでしょう。それは文化の貯蔵庫としての価値であり、さらに広げて言えば、人類の文化の変革につながる価値になります。

 

 

2016年6月13日


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地方自治体のホームページって割と面白い

 

 

 ここのところ、雑誌の連載で地方のことを書いています。

書くときはまずベーシックな情報(最初のリード文として使うこともあるので)をインターネットで調べます。

 これはウィキペディアなどの第3者情報よりも、各県の公式ホームページの方が断然面白い。自分たちの県をどう見せ、何をアピールしたいかがよくわかるからです。

なんでも市場価値が問われる時代。「お役所仕事云々・・・」と言われることが多い自治体ですが、いろいろ努力して、ホームページも工夫しています。

 

 最近やった宮崎県のキャッチコピーは「日本のひなた」。

 日照時間の多さ、そのため農産物がよく獲れるということのアピール。

 そしてもちろん、人や土地のやさしさ、あったかさ、ポカポカ感を訴えています。

 いろいろな人たちがお日さまスマイルのフリスビーを飛ばして、次々と受け渡していくプロモーションビデオは、単純だけど、なかなか楽しかった。

 

 それから「ひなた度データ」というのがあって、全国比率のいろいろなデータが出ています。面白いのが、「餃子消費量3位」とか、「中学生の早寝早起き率 第3位」とか、「宿題実行率 第4位」とか、「保護者の学校行事参加率 第2位」とか・・・
 「なんでこれがひなた度なんじゃい!」とツッコミを入れたくなるのもいっぱい。だけど好きです、こういうの。 

 取材するにしても、いきなり用件をぶつけるより、「ホームページ面白いですね~」と切り出したほうが、ちょっとはお役所臭さが緩和される気がします。

 

 「あなたのひなた度は?」というテストもあって、やってみたら100パーセントでした。じつはまだ一度も行ったことないけれど、宮崎県を応援したくなるな。ポカポカ。

 

2016年6月12日


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タイムマシンにおねがい

 

 きのう6月10日は「時の記念日」でした。それに気がついたら頭の中で突然、サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにおねがい」が鳴り響いてきたので、YouTubeを見てみたら、1974年から2006年まで、30年以上にわたるいろいろなバージョンが上がっていました。本当にインターネットの世界でタイムマシン化しています。

 

 これだけ昔の映像・音源が見放題・聞き放題になるなんて10年前は考えられませんでした。こういう状況に触れると、改めてインターネットのパワーを感じると同時に、この時代になるまで生きててよかった~と、しみじみします。

 

 そしてまた、ネットの中でならおっさん・おばさんでもずっと青少年でいられる、ということを感じます。60~70年代のロックについて滔々と自分の思い入れを語っている人がいっぱいいますが、これはどう考えても50代・60代の人ですからね。

 でも、彼ら・彼女らの頭の中はロックに夢中になっていた若いころのまんま。脳内年齢は10代・20代。インターネットに没頭することは、まさしくタイムマシンンに乗っているようなものです。

 

 この「タイムマシンにおねがい」が入っているサディスティック・ミカ・バンドの「黒船」というアルバムは、1974年リリースで、いまだに日本のロックの最高峰に位置するアルバムです。若き加藤和彦が作った、世界に誇る傑作と言ってもいいのではないでしょうか。

 中でもこの曲は音も歌詞もゴキゲンです。いろいろ見た(聴いた)中でいちばんよかったのは、最新(かな?)の2006年・木村カエラ・ヴォーカルのバージョンです。おっさんロッカーたちをバックに「ティラノサウルスおさんぽ アハハハ-ン」とやってくれて、くらくらっときました。

 

 やたらと「オリジナルでなきゃ。あのヴォーカルとあのギターでなきゃ」とこだわる人がいますが、僕はそうは思わない。みんなに愛される歌、愛されるコンテンツ、愛される文化には、ちゃんと後継ぎがいて、表現技術はもちろんですが、それだけでなく、その歌・文化の持ち味を深く理解し、見事に自分のものとして再現します。中には「オリジナルよりいいじゃん!」と思えるものも少なくありません。(この木村カエラがよい例)。

 この歌を歌いたい、自分で表現したい!――若い世代にそれだけ強烈に思わせる、魅力あるコンテンツ・文化は生き残り、クラシックとして未来に継承されていくのだと思います。

 

 もう一つおまけに木村カエラのバックでは、晩年の加藤和彦さんが本当に楽しそうに演奏をしていました。こんなに楽しそうだったのに、どうして自殺してしまったのだろう・・・と、ちょっと哀しくもなったなぁ。

 

2016年6月11日


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「歴人めし」おかわり情報

 

 9日間にわたって放送してきた「歴人めし」は、昨日の「信長巻きの巻」をもっていったん終了。しかし、ご安心ください。7月は夜の時間帯に再放送があります。ぜひ見てくださいね。というか、You Tubeでソッコー見られるみたいですが。

 

 

https://www.ch-ginga.jp/movie-detail/series.php?series_cd=12041

 

 この仕事では歴人たちがいかに食い物に執念を燃やしていたかがわかりました。 もちろん、記録に残っているのはほんの少し。

 源内さんのように、自分がいかにうなぎが好きか、うなぎにこだわっているか、しつこく書いている人も例外としていますが、他の人たちは自分は天下国家のことをいつも考えていて、今日のめしのことなんかどうでもいい。カスミを食ってでの生きている・・・なんて言い出しそうな勢いです。

 

 しかし、そんなわけはない。偉人と言えども、飲み食いと無関係ではいられません。 ただ、それを口に出して言えるのは、平和な世の中あってこそなのでしょう。だから日本の食文化は江戸時代に発展し、今ある日本食が完成されたのです。

 

 そんなわけで、「おかわり」があるかもしれないよ、というお話を頂いているので、なんとなく続きを考えています。

 駿河の国(静岡)は食材豊富だし、来年の大河の井伊直虎がらみで何かできないかとか、 今回揚げ物がなかったから、何かできないかとか(信長に捧ぐ干し柿入りドーナツとかね)、

 柳原先生の得意な江戸料理を活かせる江戸の文人とか、明治の文人の話だとか、

 登場させ損ねてしまった豊臣秀吉、上杉謙信、伊達政宗、浅井三姉妹、新選組などの好物とか・・・

 食について面白い逸話がありそうな人たちはいっぱいいるのですが、柳原先生の納得する人物、食材、メニュー、ストーリーがそろって、初めて台本にできます。(じつは今回もプロット段階でアウトテイク多数)

 すぐにとはいきませんが、ぜひおかわりにトライしますよ。

 それまでおなかをすかせて待っててくださいね。ぐ~~。

2016年6月7日


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歴人めし♯9:スイーツ大好き織田信長の信長巻き

 

信長が甘いもの好きというのは、僕は今回のリサーチで初めて知りました。お砂糖を贈答したり、されたりして外交に利用していたこともあり、あちこちの和菓子屋さんが「信長ゆかりの銘菓」を開発して売り出しているようです。ストーリーをくっつけると、同じおまんじゅうやあんころもちでも何だか特別なもの、他とは違うまんじゅうやあんころもちに思えてくるから不思議なものです。

 

 今回、ゆかりの食材として採用したのは「干し柿」と「麦こがし(ふりもみこがし)」。柿は、武家伝統の本膳料理(会席料理のさらに豪華版!)の定番デザートでもあり、記録をめくっていると必ず出てきます。

 現代のようなスイーツパラダイスの時代と違って、昔の人は甘いものなどそう簡単に口にできませんでした。お砂糖なんて食品というよりは、宝石や黄金に近い超ぜいたく品だったようです。だから信長に限らず、果物に目のない人は大勢いたのでしょう。

 中でもは干し柿にすれば保存がきくし、渋柿もスイートに変身したりするので重宝されたのだと思います。

 

  「信長巻き」というのは柳原尚之先生のオリジナル。干し柿に白ワインを染み込ませるのと、大徳寺納豆という、濃厚でしょっぱい焼き味噌みたいな大豆食品をいっしょに巻き込むのがミソ。

 信長は塩辛い味も好きで、料理人が京風の上品な薄味料理を出したら「こんな水臭いものが食えるか!」と怒ったという逸話も。はまった人なら知っている、甘い味としょっぱい味の無限ループ。交互に食べるともうどうにも止まらない。信長もとりつかれていたのだろうか・・・。

 

 ちなみに最近の映画やドラマの中の信長と言えば、かっこよくマントを翻して南蛮渡来の洋装を着こなして登場したり、お城の中のインテリアをヨーロッパの宮殿風にしたり、といった演出が目につきます。

 スイーツ好きとともに、洋風好き・西洋かぶれも、今やすっかり信長像の定番になっていますが、じつはこうして西洋文化を積極的に採り入れたのも、もともとはカステラだの、金平糖だの、ボーロだの、ポルトガルやスペインの宣教師たちが持ち込んできた、砂糖をたっぷり使った甘いお菓子が目当てだったのです。(と、断言してしまう)

 

 「文化」なんていうと何やら高尚っぽいですが、要は生活習慣の集合体をそう呼ぶまでのこと。その中心にあるのは生活の基本である衣食住です。

 中でも「食」の威力はすさまじく、これに人間はめっぽう弱い。おいしいものの誘惑からは誰も逃れられない。そしてできることなら「豊かな食卓のある人生」を生きたいと願う。この「豊かな食卓」をどう捉えるかが、その人の価値観・生き方につながるのです。

 魔王と呼ばれながら、天下統一の一歩手前で倒れた信長も、突き詰めればその自分ならではの豊かさを目指していたのではないかと思うのです。

 

2016年6月6日


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歴人めし♯8 山内一豊の生食禁止令から生まれた?「カツオのたたき」

 

 「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だったころ、琵琶湖のほとりに金目教という怪しい宗教が流行っていた・・・」というナレーションで始まるのは「仮面の忍者・赤影」。子供の頃、夢中になってテレビにかじりついていました。

 時代劇(忍者もの)とSF活劇と怪獣物をごちゃ混ぜにして、なおかつチープな特撮のインチキスパイスをふりかけた独特のテイストは、後にも先にもこの番組だけ。僕の中ではもはや孤高の存在です。

 

 いきなり話が脱線していますが、赤影オープニングのナレーションで語られた「琵琶湖のほとり」とは滋賀県長浜あたりのことだったのだ、と気づいたのは、ちょうど10年前の今頃、イベントの仕事でその長浜に滞在していた時です。

 このときのイベント=期間限定のラジオ番組制作は、大河ドラマ「功名が辻」関連のもの。4月~6月まで断続的に数日ずつ訪れ、街中や郊外で番組用の取材をやっていました。春でもちょっと寒いことを我慢すれば、賑わいがあり、かつまた、自然や文化財にも恵まれている、とても暮らしやすそうな良いところです。

この長浜を開いたのは豊臣秀吉。そして秀吉の後を継いで城主になったのが山内一豊。「功名が辻」は、その一豊(上川隆也)と妻・千代(仲間由紀恵)の物語。そして本日の歴人めし♯9は、この一豊ゆかりの「カツオのたたき」でした。

 ところが一豊、城主にまでしてもらったのに秀吉の死後は、豊臣危うしと読んだのか、関が原では徳川方に寝返ってしまいます。つまり、うまいこと勝ち組にすべり込んだわけですね。

 これで一件落着、となるのが、一豊の描いたシナリオでした。

 なぜならこのとき、彼はもう50歳。人生50年と言われた時代ですから、その年齢から本格的な天下取りに向かった家康なんかは例外中の例外。そんな非凡な才能と強靭な精神を持ち合わせていない、言ってみればラッキーで何とかやってきた凡人・一豊は、もう疲れたし、このあたりで自分の武士人生も「あがり」としたかったのでしょう。

 できたら、ごほうびとして年金代わりに小さな領地でももらって、千代とのんびり老後を過ごしたかったのだと思います。あるいは武士なんかやめてしまって、お百姓でもやりながら余生を・・・とひそかに考えていた可能性もあります。

 

 ところが、ここでまた人生逆転。家康からとんでもないプレゼントが。

 「土佐一国をおまえに任せる」と言い渡されたのです。

 一国の領主にしてやる、と言われたのだから、めでたく大出世。一豊、飛び上がって喜んだ・・・というのが定説になっていますが、僕はまったくそうは思いません。

 なんせ土佐は前・領主の長曾我部氏のごっつい残党がぞろぞろいて、新しくやってくる領主をけんか腰で待ち構えている。徳川陣営の他の武将も「あそこに行くのだけは嫌だ」と言っていたところです。

 

 現代に置き換えてみると、後期高齢者あたりの年齢になった一豊が、縁もゆかりもない外国――それも南米とかのタフな土地へ派遣されるのようなもの。いくらそこの支店長のポストをくれてやる、と言われたって全然うれしくなんかなかったでしょう。

 

 けれども天下を収めた家康の命令は絶対です。断れるはずがありません。

 そしてまた、うまく治められなければ「能無し」というレッテルを貼られ、お家とりつぶしになってしまいます。

 これはすごいプレッシャーだったでしょう。「勝ち組になろう」なんて魂胆を起こすんじゃなかった、と後悔したに違いありません。

 

 こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

 恐怖にかられてしまった人間は、より以上の恐怖となる蛮行、残虐行為を行います。

 一豊は15代先の容堂の世代――つまり、250年後の坂本龍馬や武市半平太の時代まで続く、武士階級をさらに山内家の上士、長曾我部氏の下士に分けるという独特の差別システムまで発想します。

 そうして土佐にきてわずか5年で病に倒れ、亡くなってしまった一豊。寿命だったのかもしれませんが、僕には土佐統治によるストレスで命を縮めたとしか思えないのです。

 

 「カツオのたたき」は、食中毒になる危険を慮った一豊が「カツオ生食禁止令」を出したが、土佐の人々はなんとかおいしくカツオを食べたいと、表面だけ火であぶり、「これは生食じゃのうて焼き魚だぜよ」と抗弁したところから生まれた料理――という話が流布しています。

 しかし、そんな禁止令が記録として残っているわけではありません。やはりこれはどこからか生えてきた伝説なのでしょう。

 けれども僕はこの「カツオのたたき発祥物語」が好きです。それも一豊を“民の健康を気遣う良いお殿様”として解釈するお話でなく、「精神的プレッシャーで恐怖と幻想にとりつかれ、カツオの生食が、おそるべき野蛮人たちの悪食に見えてしまった男の物語」として解釈してストーリーにしました。

 

 随分と長くなってしまいましたが、ここまで書いてきたバックストーリーのニュアンスをイラストの方が、短いナレーションとト書きからじつにうまく掬い取ってくれて、なんとも情けない一豊が画面で活躍することになったのです。

 一豊ファンの人には申し訳ないけど、カツオのたたきに負けず劣らず、実にいい味出している。マイ・フェイバリットです。

 

2016年6月3日


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「歴人めし」徳川家康提唱、日本人の基本食

 

 

 歴人めし第7回は「徳川家康―八丁味噌の冷汁と麦飯」。

 「これが日本人の正しい食事なのじゃ」と家康が言ったかどうかは知りませんが、米・麦・味噌が長寿と健康の基本の3大食材と言えば、多くの日本人は納得するのではないでしょうか。エネルギー、たんぱく質、ビタミン、その他の栄養素のバランスも抜群の取り合わせです。

 ましてやその発言の主が、天下を統一して戦国の世を終わらせ、パックス・トクガワ―ナを作った家康ならなおのこと。実際、家康はこの3大食材を常食とし、かなり養生に努めていたことは定説になっています。

 

  昨年はその家康の没後400年ということで、彼が城を構えた岡崎・浜松・静岡の3都市で「家康公400年祭」というイベントが開催され、僕もその一部の仕事をしました。

そこでお会いしたのが、岡崎城から歩いて八丁(約780メートル)の八丁村で八丁味噌を作っていた味噌蔵の後継者。

 かのメーカー社長は現在「Mr.Haccho」と名乗り、毎年、海外に八丁味噌を売り込みに行っているそうで、日本を代表する調味料・八丁味噌がじわじわと世界に認められつつあるようです。

 

 ちなみに僕は名古屋の出身なので子供の頃から赤味噌に慣れ親しんできました。名古屋をはじめ、東海圏では味噌と言えば、赤味噌=豆味噌が主流。ですが、八丁味噌」という食品名を用いれるのは、その岡崎の元・八丁村にある二つの味噌蔵――現在の「まるや」と「カクキュー」で作っているものだけ、ということです。

 

 しかし、養生食の米・麦・味噌をがんばって食べ続け、健康に気を遣っていた家康も、平和な世の中になって緊張の糸がプツンと切れたのでしょう。

 がまんを重ねて押さえつけていた「ぜいたくの虫」がそっとささやいたのかもしれません。

 

 「もういいんじゃないの。ちょっとぐらいぜいたくしてもかまへんで~」

 

 ということで、その頃、京都でブームになっていたという「鯛の天ぷら」が食べた~い!と言い出し、念願かなってそれを口にしたら大当たり。おなかが油に慣れていなかったせいなのかなぁ。食中毒がもとで亡くなってしまった、と伝えられています。

 でも考えてみれば、自分の仕事をやり遂げて、最期に食べたいものをちゃんと食べられて旅立ったのだから、これ以上満足のいく人生はなかったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

2016年6月2日


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歴人めし「篤姫のお貝煮」と御殿女中

  絶好調「真田丸」に続く2017年大河は柴咲コウ主演「おんな城主 直虎」。今年は男だったから来年は女――というわけで、ここ10年あまり、大河は1年ごとに主人公が男女入れ替わるシフトになっています。
 だけど女のドラマは難しいんです。なかなか資料が見つけらない。というか、そもそも残っていな。やはり日本の歴史は(外国もそうですが)圧倒的に男の歴史なんですね。


 それでも近年、頻繁に女主人公の物語をやるようになったのは、もちろん女性の視聴者を取り込むためだけど、もう一つは史実としての正確さよりも、物語性、イベント性を重視するようになってきたからだと思います。

 

 テレビの人気凋落がよく話題になりますが、「腐っても鯛」と言っては失礼だけど、やっぱ日曜8時のゴールデンタイム、「お茶の間でテレビ」は日本人の定番ライフスタイルです。

 出演俳優は箔がつくし、ゆかりの地域は観光客でにぎわうって経済も潤うし、いろんなイベントもぶら下がってくるし、話題も提供される・・・ということでいいことづくめ。
 豪華絢爛絵巻物に歴史のお勉強がおまけについてくる・・・ぐらいでちょうどいいのです。(とはいっても、制作スタッフは必死に歴史考証をやっています。ただ、部分的に資料がなくても諦めずに面白くするぞ――という精神で作っているということです)

 

 と、すっかり前置きが長くなってしまいましたが、なんとか「歴人めし」にも一人、女性を入れたいということで、あれこれ調べた挙句、やっと好物に関する記録を見つけたのが、20082年大河のヒロイン「篤姫」。本日は天璋院篤姫の「お貝煮」でした。

 

 見てもらえればわかるけど、この「お貝煮」なる料理、要するにアワビ入りの茶碗蒸しです。その記述が載っていたのが「御殿女中」という本。この本は明治から戦前の昭和にかけて活躍した、江戸文化・風俗の研究家・三田村鳶魚の著作で。篤姫付きの女中をしていた“大岡ませ子”という女性を取材した、いわゆる聞き書きです。

 

 

 明治も30年余り経ち、世代交代が進み、新しい秩序・社会体制が定着してくると、以前の時代が懐かしくなるらしく、「江戸の記憶を遺そう」というムーブメントが文化人の間で起こったようです。
 そこでこの三田村鳶魚さんが、かなりのご高齢だったます子さんに目をつけ、あれこれ大奥の生活について聞き出した――その集成がこの本に収められているというわけです。これは現在、文庫本になっていて手軽に手に入ります。

 ナレーションにもしましたが、ヘアメイク法やら、ファッションやら、江戸城内のエンタメ情報やらも載っていて、なかなか楽しい本ですが、篤姫に関するエピソードで最も面白かったのが飼いネコの話。

 最初、彼女は狆(犬)が買いたかったようなのですが、夫の徳川家定(13代将軍)がイヌがダメなので、しかたなくネコにしたとか。

 


 ところが、このネコが良き相棒になってくれて、なんと16年もいっしょに暮らしたそうです。彼女もペットに心を癒された口なのでしょうか。

 

 そんなわけでこの回もいろんな発見がありました。

 続編では、もっと大勢の女性歴人を登場させ、その好物を紹介したいと思っています。

 

2016年6月1日


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工事現場はもうアトムの世界

 

今朝、テレビのニュースを見てたら、ダム工事の現場で

ダンプやパワーショベルなど、自動運転の重機が

ガンガン働いているのでびっくり。

1ダース以上いたが、すべて無人。自動運転。

人間がいないので、燃料補給以外、休む時間もなく、

それこそ24時間はたらけまーす、である。

現場は秋田で、そこから数百キロ離れた会社から

遠隔操作しているそうだ。

 

それとは別のもう少し小規模な工事現場でも

無人重機が動いていて、

こっちは遠隔操作している操縦者が登場。

会社のオフィスの一角にシュミレーターを設置した

スペースを作って、モニターを見ながら動かしている。

 

さらに驚くのは、操作しているのが女性事務員。

彼女は1日のうち半分事務仕事をやって、

半分はこの工事をしているという。

しかも子育てママなので、子連れ出勤。

シュミレータースペースのわきには、

子どもを寝かせたり遊ばせたりする部屋がある。

作業中も、ヘルメットも作業着も安全靴もいらない。

足もとなんかキティちゃんの顔が付いたサンダル履きだ。

 

公道を走る車やバスの自動運転は、

安全性の問題があるのでまだまだ時間がかかるが、

逆にこうした作業現場はどんどん自動化されて、

逆に人間が危険地帯に入らなくていいので安全だ。

ロボットではないものの、

重労働はみんな機会にお任せという

アトムの世界がすでに実現している。

 

AIの普及といい、こうした無人重機といい、

コロナ後の世界はすごいスピードで様変わりしている。

むむ、目が回り、ちょっと息切れが・・・。

 

 おりべまこと電子書籍 最新刊 

「今はまだ地球がふるさと」

 

子ども時代を卒業し、

人生の旅に出る支度を始めた少女の、

夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。


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今はまだ地球がふるさと 本日発売!

 

おりべまこと電子書籍 最新刊 本日発売!

「今はまだ地球がふるさと」

 

レビューにいつもより時間がかかったので、

もしや中学生の女の子に

セクシーなセリフを言わせたのでNG?

と一瞬心配しましたが、無事出せました。

91,000字の長編小説。

Amazon Kindleより¥600で発売中!

 

あらすじ

 自分は“宇宙人とのあいのこ”だというリコは、

小学校時代からの親友サーヤとともに

あちこちの葬式を巡り

「故郷の星へ帰っていく人たち」を見て回っては

聖女のごとく祈りを捧げている。

 

 そんなとき、偶然、終活サポートの仕事をしている

中年男・中塚と出会い、彼を介して、

ひとり暮らしでハーモニカ吹きの老人・

小田部と知り合った。

孤独死予備軍の小田部に興味を引かれたリコは

彼に「星のおじいさま」というあだ名をつけ、

食事や掃除の世話をするために

家に出入りするようになり、

次第に親しさを深めていく。

 

そんなリコに恋したシンゴが

彼女の気を引くために

「きみのためにUFOを呼ぼう」

と言ってアプローチすると、

リコが生きる世界に

さまざまな不思議な現象が起こり始める。

 

子ども時代を卒業し、

人生の旅に出る支度を始めた少女の、

夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く

青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。

 

もくじ

1 地球人の母になる

2 星のおじいさま

3 UFOに出逢ったお母さん

4 ラブリーな親友

5 恋文と宇宙の夢

6 令和終活コーポレーション

7 記念碑ツアー

8 レトロ喫茶と未来の記憶

9 取り調べ

10 里山の合宿でUFOと出逢う

11 UFO同窓会のレポート

12 奇妙な家族だんらん

13 競馬場でのドラマ

14 絶交

15 星のおじいさまの息子

16 いつか見た虹のこと

17 UFOからのメッセージ

18 天国への扉

19 魔法のアイドル誕生

20 ありがとう友だち

21 いつか家族に

 


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残酷でカオスな傑作「進撃の巨人」

 

約1カ月半かけてAmazonPrimeで

アニメ「進撃の巨人」全94話を見た。

先月末の途中経過でも書いたが、人間が食われる話なので、

残酷描写がかなりのもので、見続けるのが精神的にきつい。

それに慣れてきた中盤で

かつて仲間と信じていた者同士が「共食い」になるので、

これまたきつくなる。

 

それでも3分の2くらいのところまでは、

自分たちがなぜ壁に閉じ込められているのか、

その謎を解こう。

そして、この壁の向こうにあるはずの

海を見に行こう、という少年の夢がある。

つまり、そこまではどんなに残酷であっても

希望に満ちた冒険物語になっていて、

夢を達成した少年たちが新たな世界に旅立つ――

といった美しい結末を予感させていた。

 

ところが話はそんな単純ではない。

問題はそのゴールに達したあとのこと。

人生と同じで当たり前だけど、

僕たちはいつまでも少年少女のままではいられない。

この作品は安易なハッピーエンドで

お茶を濁すようなことはしなかった。

 

カメラが180度切り替わり、新たな世界に視界が開けると、

そこにはさらに救いのない

残酷で恐ろしい世界が広がっていて、

そこでまた戦わなければいけなくなる。

 

後半の話はどんどん深く複雑になり、

それまでのいろいろな謎が解けていくのだが、

ますます見るのが辛くなっていった。

 

そして、そもそもいったい誰が主人公だったんだっけ?

と思わせるようなカオス的な展開になっていく。

それでも向き合わずにはいられない気持ちにさせるのが、

この作品のすごいところ。

 

壁とは何か?

巨人とは何か?

近代日本、戦後日本社会のメタファーであり、

風刺であるという説がよく聞かれるが、

帝国主義や数々の戦争、難民問題などから形づくられた

現代の人類の世界全体の暗喩であるとも受け取れる。

 

ラストも決してスカッと終わらず、あれでいいのかという、

気持ちの悪い違和感が腹の中に残った。

まるで「後味の良い感動を残す物語」なんてあざ笑い、

ぶった切るかのようだ。

最後の最後のあのシーン、あのセリフは、

希望や救いと言えるのだろうか?

 

「進撃の巨人」の世界には

随所にさまざまな意味が込められており、

それをどう読み解き、何を考えるかは

読者・視聴者の向き合い方次第と言えるだろう。

それだけの豊かなものがこの作品には詰まっている。

少し落ち着いたら、

今度は原作のマンガを通読してみようと思っている。

 

いずれにしてもこの時代に、マンガ・アニメという手法で

こんなすごいドラマを創り上げた作者を

リスペクトせずにはいられない。

 

おりべまこと Kindle新刊:長編小説

今はまだ地球がふるさと

 

本日2月25日発売予定でしたが、

残念ながら提出が遅れたため、

まだレビュー中。

楽しみにされていた方、

どうもごめんなさい。

明日までお待ちくださいね。


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週末の懐メロ175:ババ・オライリー/ザ・フー

 

1971年リリース。

最高傑作アルバム「フーズ・ネクスト」の挿入歌で、

ザ・フーのキャリア全体を通じても最高の一曲。

さらに言えば、60年代から70年代の

ポップロック、ハードロック、プログレッシブロックの

美味しい部分をすべて凝縮した、ロック史に残る名曲だ。

 

♪この荒野で俺は糧を得るために戦う

 生きるために全力を尽くす

 正しさを証明するために

 戦う必要はないし 許される必要だってない

 

そんな歌詞で始まるこの曲は、

スコットランドの農民が、

妻と子供を連れてロンドンへ脱出する

という物語を音楽で描く

「ライフハウス」というロックオペラの一曲だった。

ところが、この「ライフハウス」の構想がまとまらず、

通常のスタイルのアルバムに挿入された。

結果的には単独曲となったことで

ザ・フー随一のヒットナンバーになったのかもしれない。

 

タイトルも当初は歌詞に沿って

「Teenage Wasteland(10代の荒野)」と

つけられる予定だったが、

インドの神秘家メヘル・バーバー(Meher Baba) と、

アメリカの作曲家テリー・ライリー(Terry Riley)の

ファーストネームを合わせたものに変更された。

これは当時、作詞・作曲の

ピート・タウンゼント(ギタリスト)が

メヘル・バーバーの思想にいたく

傾倒していたことから来ているようだ。

 

ザ・フーはこの頃、スピリチュアルな物語を

ロックオペラというスタイルで

ドラマチックに表現することに取り組んでおり、

大成功をおさめた1967年の「トミー」は

ケン・ラッセル監督によって1975年に映画化、

その後、ミュージカルとして舞台化もされた。

 

戦争に行った夫が戦死したと思っていた

妻は新しい男と恋に落ちた。

けれどもその男との情事の最中、死んだはずの夫が帰還。

夫は怒りにまかせて情夫を殺してしまう。

ところが、その様子を幼い息子トミーが見てしまった。

あわてた父と母は息子に言い聞かせる。

「あなたは何も見なかったし、何も聞いていなかった」

「このことは誰にも話してはダメ」と。

両親から与えられたそのトラウマによって、

トミーは見ることも、聴くことも、

話すこともできないという三重苦を負ってしまう。

 

そんなストーリーのロックオペラ「トミー」は

トミーが三重苦を克服し、

自己を解放し、自由に羽ばたくという内容で、

僕は高校生の時にその映画を見たが、

カルチャーショックを受け、

自分の中の重要な音楽体験・映画体験として残っている。

 

「10代の荒野」だった「ババ・オライリー」では

最後にこう歌う。

 

♪10代は不毛な時代 たかが10代の荒野

  10代は不毛な時代 10代に実りはない 

  全てが無駄なんだ

 

「ライフハウス」がどんな物語だったのかわからないが、

10代に何を体験するか、

そしてその後、その体験をどう捉えるかで

人生は大きく変わるのだと思う。

 

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今はまだ地球がふるさと

 

おりべまこと電子書籍新刊のご案内
おとなも楽しい少年少女長編小説(9万1千字)
「今はまだ地球がふるさと」
久しぶりに子ども(中学生)を主人公にした
青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。
長編小説(9万1千字)。
最初の予告よりちょっと遅れて、
2月25日(日)発売予定。
お楽しみに。

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なぜ日本ではカエルはかわいいキャラなのか?

 

 「かえるくん、東京を救う」というのは村上春樹の短編小説の中でもかなり人気の高い作品です。

 主人公がアパートの自分の部屋に帰ると、身の丈2メートルはあろうかというカエルが待っていた、というのだから、始まり方はほとんど恐怖小説。

 ですが、その巨大なカエルが「ぼくのことは“かえるくん”と呼んでください」と言うのだから、たちまちシュールなメルヘンみたいな世界に引き込まれてしまいます。

 

 この話は阪神大震災をモチーフにしていて、けっして甘いメルヘンでも、面白おかしいコメディでもないシリアスなストーリーなのですが、このかえるくんのセリフ回しや行動が、なんとも紳士的だったり、勇敢だったり、愛らしかったり、時折ヤクザだったりして独特の作品世界が出来上がっています。

 

 しかし、アメリカ人の翻訳者がこの作品を英訳するとき、この「かえるくん」という呼称のニュアンスを、どう英語で表現すればいいのか悩んだという話を聞いて、さもありなんと思いました。

 

 このカエルという生き物ほど、「かわいい」と「気持ち悪い」の振れ幅が大きい動物も珍しいのではないでしょうか。

でも、その振れ幅の大きさは日本人独自の感覚のような気もします。

 

 欧米人はカエルはみにくい、グロテスクなやつ、場合によっては悪魔の手先とか、魔女の使いとか、そういう役割を振られるケースが圧倒的に多い気がします。

 

 ところが、日本では、けろけろけろっぴぃとか、コルゲンコーワのマスコットとか、木馬座アワーのケロヨンとか、古くは「やせガエル 負けるな 一茶ここにあり」とか、かわいい系・愛すべき系の系譜がちゃんと続いていますね。

 

 僕が思うに、これはやっぱり稲作文化のおかげなのではないでしょうか。

 お米・田んぼと親しんできた日本人にとって、田んぼでゲコゲコ鳴いているカエルくんたちは、友だちみたいな親近感があるんでしょうね。

 そして、彼らの合唱が聞こえる夏の青々とした田んぼの風景は、今年もお米がいっぱい取れそう、という期待や幸福感とつながっていたのでしょう。

 カエル君に対するよいイメージはそういうところからきている気がします。

 

 ちなみに僕の携帯電話はきみどり色だけど、「カエル色」って呼ばれています。

 茶色いのも黄色っぽいもの黒いのもいるけど、カエルと言えばきれいなきみどり色。やっぱ、アマガエルじゃないとかわいくないからだろうね、きっと。

 雨の季節。そういえば、ここんとこ、カエルくんと会ってないなぁ。ケロケロ。

 


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家族ストーリーを書く仕事② 個の家族

 

  「これから生まれてくる子孫が見られるように」

 ――今回の家族ストーリー(ファミリーヒストリー)を作った動機について、3世代の真ん中の息子さん(団塊ジュニア世代)は作品の最後でこんなメッセージを残しています。

 彼の中にはあるべき家族の姿があった。しかし現実にはそれが叶わなかった。だからやっと安定し、幸福と言える現在の形を映像に残すことを思い立った――僕にはそう取れます。

 

 世間一般の基準に照らし合わせれば、彼は家庭に恵まれなかった人に属するでしょう。かつて日本でよく見られた大家族、そして戦後の主流となった夫婦と子供数人の核家族。彼の中にはそうした家族像への憧れがあったのだと思います。

 

 けれども大家族どころか、核家族さえもはや過去のものになっているのでないか。今回の映像を見ているとそう思えてきます。

 

 団塊の世代の親、その子、そして孫(ほぼ成人)。

 彼らは家族であり、互いに支え合い、励まし合いながら生きている。

 けれど、その前提はあくまで個人。それぞれ個別の歴史と文化を背負い、自分の信じる幸福を追求する人間として生きている。

 

 むかしのように、まず家があり、そこに血のつながりのある人間として生まれ、育つから家族になるのではなく、ひとりひとりの個人が「僕たちは家族だよ」という約束のもとに集まって愛情と信頼を持っていっしょに暮らす。あるいは、離れていても「家族だよ」と呼び合い、同様に愛情と信頼を寄せ合う。だから家族になる。

 

 これからの家族は、核家族からさらに小さな単位に進化した「ミニマム家族」――「個の家族」とでもいえばいいのでしょうか。

 比喩を用いれば、ひとりひとりがパソコンやスマホなどのデバイスであり、必要がある時、○○家にログインし、ネットワークし、そこで父・母・息子・娘などの役割を担って、相手の求めることに応じる。それによってそれぞれが幸福を感じる。そうした「さま」を家族と呼称する――なかなかスムーズに表現できませんが、これからはそういう家族の時代になるのではないでしょうか。

 

 なぜなら、そのほうが現代のような個人主義の世の中で生きていくのに何かと便利で快適だからです。人間は自身の利便性・快適性のためになら、いろいろなものを引き換えにできます。だから進化してこられたのです。

 

 引き換えに失ったものの中にももちろん価値があるし、往々にして失ってみて初めてその価値に気づくケースがあります。むかしの大家族しかり。核家族しかり。こうしてこれらの家族の形態は、今後、一種の文化遺産になっていくのでしょう。

 好きか嫌いかはともかく、そういう時代に入っていて、僕たちはもう後戻りできなくなっているのだと思います。

 

 将来生まれてくる子孫のために、自分の家族の記憶を本なり映像なりの形でまとめて遺す―― もしかしたらそういう人がこれから結構増えるのかもしれません。

 

 

2016・6・27 Mon


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家族ストーリーを書く仕事① 親子3世代の物語

 

 親子3世代の物語がやっと完成一歩手前まで来ました。

 昨年6月、ある家族のヒストリー映像を作るというお仕事を引き受けて、台本を担当。

足掛け1年掛かりでほぼ完成し、残るはクライアントさんに確認を頂いて、最後にナレーションを吹き込むのみ、という段階までこぎつけたのです。

 

 今回のこの仕事は、ディレクターが取材をし、僕はネット経由で送られてくるその音源や映像を見て物語の構成をしていきました。そのディレクターとも最初に1回お会いしただけでご信頼を頂いたので、そのあとはほとんどメールのやり取りのみで進行しました。インターネットがあると、本当に家で何でもできてしまいます。

 ですから時間がかかった割には、そんなに「たいへん感」はありませんでした。

 

 取材対象の人たちともリアルでお会いしたことはなく、インタビューの音声――話の内容はもとより、しゃべり方のくせ、間も含めて――からそれぞれのキャラクターと言葉の背景にある気持ちを想像しながらストーリーを組み立てていくのは、なかなかスリリングで面白い体験でした(最初の下取材の頃はディレクターがまだ映像を撮っていなかったので、レコーダーの音源だけを頼りにやっていました)。

 

 取材対象と直接会わない、会えないという制限は、今までネガティブに捉えていたのですが、現場(彼らの生活空間や仕事空間)の空気がわからない分、余分な情報に戸惑ったり、感情移入のし過ぎに悩まされたりすることがありません。

 適度な距離を置いてその人たちを見られるので、かえってインタビューの中では語られていない範囲まで自由に発想を膨らませられ、こうしたドキュメンタリーのストーリーづくりという面では良い効果もあるんだな、と感じました。

 

 後半(今年になってから)、全体のテーマが固まり、ストーリーの流れが固まってくると、今度は台本に基づいて取材がされるようになりました。

 戦後の昭和~平成の時代の流れを、団塊の世代の親、その息子、そして孫(ほぼ成人)という一つの家族を通して見ていくと、よく目にする、当時の出来事や風俗の記録映像も、魂が定着くした記憶映像に見えてきます。

 これにきちんとした、情感豊かなナレーターの声が入るのがとても楽しみです。

 

 

2016・6・26 Sun


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ゴマスリずんだ餅と正直ファンタじいさん

 

おもちペタペタ伊達男

 

  今週日曜(19日)の大河ドラマ「真田丸」で話題をさらったのは、長谷川朝晴演じる伊達政宗の餅つきパフォーマンスのシーン。「独眼竜」で戦国武将の中でも人気の高い伊達政宗ですが、一方で「伊達男」の語源にもなったように、パフォーマーというか、歌舞伎者というか、芝居っけも方もたっぷりの人だったようです。

 

 だから、餅つきくらいやってもおかしくないのでしょうが、権力者・秀吉に対してあからさまにこびへつらい、ペッタンコとついた餅にスリゴマを・・・じゃなかった、つぶした豆をのっけて「ずんだ餅でございます」と差し出す太鼓持ち野郎の姿に、独眼竜のカッコいいイメージもこっぱみじんでした。

 

 僕としては「歴人めし」の続編のネタ、一丁いただき、と思ってニヤニヤ笑って見ていましたが、ファンの人は複雑な心境だったのではないのでしょうか。(ネット上では「斬新な伊達政宗像」と、好意的な意見が多かったようですが)。

 

 しかし、この後、信繁(幸村=堺雅人)と二人で話すシーンがあり、じつは政宗、今はゴマスリ太鼓持ち野郎を演じているが、いずれ時が来れば秀吉なんぞ、つぶしてずんだ餅にしてやる・・・と、野心満々であることを主人公の前で吐露するのです。

 で、これがクライマックスの関ヶ原の伏線の一つとなっていくわけですね。

 

裏切りのドラマ

 

 この「真田丸」は見ていると、「裏切り」が一つのテーマとなっています。

 出てくるどの武将も、とにかくセコいのなんのttらありゃしない。立派なサムライなんて一人もいません。いろいろな仮面をかぶってお芝居しまくり、だましだまされ、裏切り裏切られ・・・の連続なのです。

 

 そりゃそうでしょう。乱世の中、まっすぐ正直なことばかりやっていては、とても生き延びられません。

 この伊達政宗のシーンの前に、北条氏政の最後が描かれていましたが、氏政がまっすぐな武将であったがために滅び、ゴマスリ政宗は生き延びて逆転のチャンスを掴もうとするのは、ドラマとして絶妙なコントラストになっていました。

 

 僕たちも生きるためには、多かれ少なかれ、このゴマスリずんだ餅に近いことを年中やっているのではないでしょうか。身過ぎ世過ぎというやつですね。

 けれどもご注意。

 人間の心とからだって、意外と正直にできています。ゴマスリずんだ餅をやり過ぎていると、いずれまとめてお返しがやってくるも知れません。

 

人間みんな、じつは正直者

 

 どうしてそんなことを考えたかと言うと、介護士の人と、お仕事でお世話しているおじいさんのことについて話したからです。

 そのおじいさんはいろんな妄想に取りつかれて、ファンタジーの世界へ行っちゃっているようなのですが、それは自分にウソをつき続けて生きてきたからではないか、と思うのです。

 

 これは別に倫理的にどうこうという話ではありません。

 ごく単純に、自分にウソをつくとそのたびにストレスが蓄積していきます。

 それが生活習慣になってしまうと、自分にウソをつくのが当たり前になるので、ストレスが溜まるのに気づかない。そういう体質になってしまうので、全然平気でいられる。

 けれども潜在意識は知っているのです。

 「これはおかしい。これは違う。これはわたしではな~い」

 

 そうした潜在意識の声を、これまた無視し続けると、齢を取ってから自分で自分を裏切り続けてきたツケが一挙に出て来て、思いっきり自分の願いや欲望に正直になるのではないでしょうか。

 だから脳がファンタジーの世界へ飛翔してしまう。それまでウソで歪めてきた自分の本体を取り戻すかのように。

 つまり人生は最後のほうまで行くとちゃんと平均化されるというか、全体で帳尻が合うようにできているのではないかな。

 

自分を大事にするということ

 

 というのは単なる僕の妄想・戯言かも知れないけど、自分に対する我慢とか裏切りとかストレスとかは、心や体にひどいダメージを与えたり、人生にかなりの影響を及ぼすのではないだろうかと思うのです。

 

 みなさん、人生は一度きり。身過ぎ世過ぎばっかりやってると、それだけであっという間に一生終わっちゃいます。何が自分にとっての幸せなのか?心の内からの声をよく聴いて、本当の意味で自分を大事にしましょう。

 介護士さんのお話を聞くといろんなことを考えさせられるので、また書きますね。

 

 

 

2016/6/23 Thu


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死者との対話:父の昭和物語

 

 すぐれた小説は時代を超えて読み継がれる価値がある。特に現代社会を形作った18世紀から20世紀前半にかけての時代、ヨーロッパ社会で生まれた文学には人間や社会について考えさせられる素材にあふれています。

 

その読書を「死者との対話」と呼んだ人がいます。うまい言い方をするものだと思いました。

 

僕たちは家で、街で、図書館で、本さえあれば簡単にゲーテやトルストイやドストエフスキーやブロンテなどと向かい合って話ができます。別にスピリチュアルなものに関心がなくても、書き残したものがあれば、私たちは死者と対話ができるのです。

 

 もちろん、それはごく限られた文学者や学者との間で可能なことで、そうでない一般大衆には縁のないことでしょう。これまではそうでした。しかし、これからの時代はそれも可能なことではないかと思います。ただし、不特定多数の人でなく、ある家族・ある仲間との間でなら、ということですが。

 

 僕は父の人生を書いてみました。

 父は2008年の12月に亡くなりました。家族や親しい者の死も1年ほどたつと悲しいだの寂しいだの、という気持ちは薄れ、彼らは自分の人生においてどんな存在だったのだろう?どんなメッセージを遺していったのだろう?といったことを考えます。

 

父のことを書いてみようと思い立ったのは、それだけがきっかけではありませんでした。

死後、間もない時に、社会保険事務所で遺族年金の手続きをする際に父の履歴書を書いて提出しました。その時に感じたのは、血を分けた家族のことでも知らないことがたくさんあるな、ということでした。

じつはそれは当り前のことなのだが、それまではっきりとは気が付いていませんでした。なんとなく父のことも母のこともよく知っていると思いすごしていたのです。

実際は私が知っているのは、私の父親としての部分、母親としての部分だけであり、両親が男としてどうだったか、女としてどうだったか、ひとりの人間としてどうだったのか、といったことなど、ほとんど知りませんでした。数十年も親子をやっていて、知るきっかけなどなかったのです。

 

父の仕事ひとつ取ってもそうでした。僕の知っている父の仕事は瓦の葺換え職人だが、それは30歳で独立してからのことで、その前――20代のときは工場に勤めたり、建築会社に勤めたりしていたのです。それらは亡くなってから初めて聞いた話です。

そうして知った事実を順番に並べて履歴書を作ったのですが、その時には強い違和感というか、抵抗感のようなものを感じました。それは父というひとりの人間の人生の軌跡が、こんな紙切れ一枚の中に納まってしまうということに対しての、寂しさというか、怒りというか、何とも納得できない気持ちでした。

 

父は不特定多数の人たちに興味を持ってもらえるような、波乱万丈な、生きる迫力に満ち溢れた人生を歩んだわけはありませんい。むしろそれらとは正反対の、よくありがちな、ごく平凡な庶民の人生を送ったのだと思います。

けれどもそうした平凡な人生の中にもそれなりのドラマがあります。そして、そのドラマには、その時代の社会環境の影響を受けた部分が少なくありません。たとえば父の場合は、昭和3(1928)に生まれ、平成元年(1989)に仕事を辞めて隠居していました。その人生は昭和の歴史とほぼ重なっています。

 

ちなみにこの昭和3年という年を調べてみると、アメリカでミッキーマウスの生まれた(ウォルト・ディズニーの映画が初めて上映された)年です。

父は周囲の人たちからは実直でまじめな仕事人間と見られていましたが、マンガや映画が好きで、「のらくろ」だの「冒険ダン吉」だのの話をよく聞かせてくれました。その時にそんなことも思い出したのです。

 

ひとりの人間の人生――この場合は父の人生を昭和という時代にダブらせて考えていくと、昭和の出来事を書き連ねた年表のようなものとは、ひと味違った、その時代の人間の意識の流れ、社会のうねりの様子みたいなものが見えてきて面白いのではないか・・・。そう考えて、僕は父に関するいくつかの個人的なエピソードと、昭和の歴史の断片を併せて書き、家族や親しい人たちが父のことを思い起こし、対話できるための一遍の物語を作ってみようと思い立ちました。

本当はその物語は父が亡くなる前に書くべきだったのではないかと、少し後悔の念が残っています。

生前にも話を聞いて本を書いてみようかなと、ちらりと思ったことはあるのですが、とうとう父自身に自分の人生を振り返って……といった話を聞く機会はつくれませんでした。たとえ親子の間柄でも、そうした機会を持つことは難しいのです。思い立ったら本気になって直談判しないと、そして双方互いに納得できないと永遠につくることはできません。あるいは、これもまた難しいけど、本人がその気になって自分で書くか・・・。それだけその人固有の人生は貴重なものであり、それを正確に、満足できるように表現することは至難の業なのだと思います。

 

実際に始めてから困ったのは、父の若い頃のことを詳しく知る人など、周囲にほとんどいないということ。また、私自身もそこまで綿密に調査・取材ができるほど、時間や労力をかけるわけにもいきませんでした。

だから母から聞いた話を中心に、叔父・叔母の話を少し加える程度にとどめ、その他、本やインターネットでその頃の時代背景などを調べながら文章を組み立てる材料を集めました。そして自分の記憶――心に残っている言葉・出来事・印象と重ね合わせて100枚程度の原稿を作ってみたのです。

 

自分で言うのもナンですが、情報不足は否めないものの、悪くない出来になっていて気に入っています。これがあるともうこの世にいない父と少しは対話できる気がするのです。自分の気持ちを落ち着かせ、互いの生の交流を確かめ、父が果たした役割、自分にとっての存在の意味を見出すためにも、こうした家族や親しい者の物語をつくることはとても有効なのではないかと思います。

 

 高齢化が進む最近は「エンディングノート」というものがよく話題に上っています。

「その日」が来た時、家族など周囲の者がどうすればいいか困らないように、いわゆる社会的な事務手続き、お金や相続のことなどを書き残すのが、今のところ、エンディングノートの最もポピュラーな使い方になっているようだ。

もちろん、それはそれで、逝く者にとっても、後に残る者にとっても大事なことです。しかし、そうすると結局、その人の人生は、いくらお金を遺したかとか、不動産やら建物を遺したのか、とか、そんな話ばかりで終わってしまう恐れもあります。その人の人生そのものが経済的なこと、物質的なものだけで多くの人に価値判断されてしまうような気がするのです。

 

けれども本当に大事なのは、その人の人生にどんな意味や価値があったのか、を家族や友人・知人たちが共有することが出来る、ということではないでしょうか。

そして、もしその人の生前にそうしたストーリーを書くことができれば、その人が人生の最期の季節に、自分自身を取り戻せる、あるいは、取り戻すきっかけになり得る、ということではないでしょうか。

 

 


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赤影メガネとセルフブランディング

 ♪赤い仮面は謎の人 どんな顔だか知らないが キラリと光る涼しい目 仮面の忍者だ

赤影だ~

 というのは、テレビの「仮面の忍者 赤影」の主題歌でしたが、涼しい目かどうかはともかく、僕のメガネは10数年前から「赤影メガネ」です。これにはちょっとした物語(というほどのものではないけど)があります。

 

 当時、小1だか2年の息子を連れてメガネを買いに行きました。

 それまでは確か茶色の細いフレームの丸いメガネだったのですが、今回は変えようかなぁ、どうしようかなぁ・・・とあれこれ見ていると、息子が赤フレームを見つけて「赤影!」と言って持ってきたのです。

 

 「こんなの似合うわけないじゃん」と思いましたが、せっかく選んでくれたのだから・・・と、かけてみたら似合った。子供の洞察力おそるべし。てか、単に赤影が好きだっただけ?

 とにかく、それ以来、赤いフレームのメガネが、いつの間にか自分のアイキャッチになっていました。自分の中にある自分のイメージと、人から見た自分とのギャップはとてつもなく大きいもの。

 独立・起業・フリーランス化ばやりということもあり、セルフブランディングがよく話題になりますが、自分をどう見せるかというのはとても難しい。自分の中にある自分のイメージと、人から見た自分とのギャップはとてつもなく大きいのです。

 とはいえ、自分で気に入らないものを身に着けてもやっぱり駄目。できたら安心して相談できる家族とか、親しい人の意見をしっかり聞いて(信頼感・安心感を持てない人、あんまり好きでない人の意見は素直に聞けない)、従来の考え方にとらわれない自分像を探していきましょう。

 


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ベビーカーを押す男

 

・・・って、なんだか歌か小説のタイトルみたいですね。そうでもない?

 ま、それはいいんですが、この間の朝、実際に会いました。ひとりでそそくさとベビーカーを押していた彼の姿が妙に心に焼き付き、いろいろなことがフラッシュバックしました。

 BACK in the NEW YORK CITY。

 僕が初めてニューヨークに行ったのは約30年前。今はどうだか知らないけど、1980年代のNYCときたらやっぱ世界最先端の大都会。しかし、ぼくがその先端性を感じたのは、ソーホーのクラブやディスコでもなでもなく、イーストビレッジのアートギャラリーでもなく、ブロードウェイのミュージカルでもなく、ストリートのブレイクダンスでもなく、セントラルパークで一人で子供と散歩しているパパさんたちでした。

 

 特におしゃれでも何でもない若いパパさんたちが、小さい子をベビーカーに乗せていたり、抱っこひもでくくってカンガルーみたいな格好で歩いていたり、芝生の上でご飯を食べさせたり、オムツを替えたりしていたのです。

 

 そういう人たちはだいたい一人。その時、たまたま奥さんがほっとその辺まで買い物に行っているのか、奥さんが働いて旦那がハウスハズバンドで子育て担当なのか、はたまた根っからシングルファーザーなのかわかりませんが、いずれにしてもその日その時、出会った彼らはしっかり子育てが板についている感じでした。

 

 衝撃!・・というほどでもなかったけど、なぜか僕は「うーん、さすがはニューヨークはイケてるぜ」と深く納得し、彼らが妙にカッコよく見えてしまったのです。

 

 

 そうなるのを念願していたわけではないけれど、それから約10年後。

 1990年代後半の練馬区の路上で、僕は1歳になるかならないかの息子をベビーカーに乗せて歩いていました。たしか「いわさきちひろ美術館」に行く途中だったと思います。

 向こう側からやってきたおばさんが、じっと僕のことを見ている。

 なんだろう?と気づくと、トコトコ近寄ってきて、何やら話しかけてくる。

 どこから来たのか?どこへ行くのか? この子はいくつか? 奥さんは何をやっているのいか?などなど・・・

 

 「カミさんはちょっと用事で、今日はいないんで」と言うと、ずいぶん大きなため息をつき、「そうなの。私はまた逃げられたと思って」と。

 おいおい、たとえそうだとしても、知らないあんたに心配されたり同情されたりするいわれはないんだけど。

 

 別に腹を立てたわけではありませんが、世間からはそういうふうにも見えるんだなぁと、これまた深く納得。

 あのおばさんは口に出して言ったけど、心の中でそう思ってて同情だか憐憫だかの目で観ている人は結構いるんだろうなぁ、と感じ入った次第です。

 

 というのが、今から約20年前のこと。

 その頃からすでに「子育てしない男を父とは呼ばない」なんてキャッチコピーが出ていましたが、男の子育て環境はずいぶん変化したのでしょうか?

 表面的には イクメンがもてはやされ、育児関係・家事関係の商品のコマーシャルにも、ずいぶん男が出ていますが、実際どうなのでしょうか?

 

 件のベビーカーにしても、今どき珍しくないだろう、と思いましたが、いや待てよ。妻(母)とカップルの時は街の中でも電車の中でもいる。それから父一人の時でも子供を自転車に乗せている男はよく見かける。だが、ベビーカーを“ひとりで”押している男はそう頻繁には見かけない。これって何を意味しているのだろう? と、考えてしまいました。

 

 ベビーカーに乗せている、ということは、子供はだいたい3歳未満。保育園や幼稚園に通うにはまだ小さい。普段は家で母親が面倒を見ているというパターンがやはりまだまだ多いのでしょう。

 

 そういえば、保育園の待機児童問題って、お母さんの声ばかりで、お父さんの声ってさっぱり聞こえてこない。そもそも関係あるのか?って感じに見えてしまうんだけど、イクメンの人たちの出番はないのでしょうか・・・。

 

2016年6月16日


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インターネットがつくるフォークロア

 

インターネットの出現は社会を変えた――ということは聞き飽きるほど、あちこちで言われています。けれどもインターネットが本格的に普及したのは、せいぜいここ10年くらいの話。全世代、全世界を見渡せば、まだ高齢者の中には使ったことがないという人も多いし、国や地域によって普及率の格差も大きい。だから、その変化の真価を国レベル・世界レベルで、僕たちが実感するのはまだこれからだと思います。

それは一般によくいわれる、情報収集がスピーディーになったとか、通信販売が便利になったとか、というカテゴリーの話とは次元が違うものです。もっと人間形成の根本的な部分に関わることであり、ホモサピエンスの文化の変革にまでつながること。それは新しい民間伝承――フォークロアの誕生です。

 

“成長過程で自然に知ってしまう”昔話・伝承

 

最初はどこでどのように聞いたのか覚えてないですが、僕たちは自分でも驚くほど、昔話・伝承をよく知っています。成長の過程のどこかで桃太郎や浦島太郎や因幡の白ウサギと出会い、彼らを古い友だちのように思っています。

 

家庭でそれらの話を大人に読んでもらったこともあれば、幼稚園・保育園・小学校で体験したり、最近ならメディアでお目にかかることも多い。それはまるで遺伝子に組み込まれているかのように、あまりに自然に身体の中に溶け込んでいるのです。

 

調べて確認したわけではないが、こうした感覚は日本に限らず、韓国でも中国でもアメリカでもヨーロッパでも、その地域に住んでいる人なら誰でも持ち得るのではないでしょうか。おそらく同じような現象があると思います。それぞれどんな話がスタンダードとなっているのかは分かりませんが、その国・その地域・その民族の間で“成長過程で自然に知ってしまう”昔話・伝承の類が一定量あるのです。

 

それらは長い時間を生きながらえるタフな生命エネルギーを持っています。それだけのエネルギーを湛えた伝承は、共通の文化の地層、つまり一種のデータベースとして、万人の脳の奥底に存在しています。その文化の地層の上に、その他すべての情報・知識が積み重なっている――僕はそんなイメージを持っています。

 

世界共通の、新しいカテゴリーの伝承

 

そして、昔からあるそれとは別に、これから世界共通の、新しいカテゴリーの伝承が生まれてくる。その新しい伝承は人々の間で共通の文化の地層として急速に育っていくのでないか。そうした伝承を拡散し、未来へ伝える役目を担っているのがインターネット、というわけです。

 

ところで新しい伝承とは何でしょう? その主要なものは20世紀に生まれ、花開いた大衆文化――ポップカルチャーではないでしょうか。具体的に挙げていけば、映画、演劇、小説、マンガ、音楽(ジャズ、ポップス、ロック)の類です。

 

21世紀になる頃から、こうしたポップカルチャーのリバイバルが盛んに行われるようになっていました。

人々になじみのあるストーリー、キャラクター。

ノスタルジーを刺激するリバイバル・コンテンツ。

こうしたものが流行るのは、情報発信する側が、商品価値の高い、新しいものを開発できないためだと思っていました。

そこで各種関連企業が物置に入っていたアンティーク商品を引っ張り出してきて、売上を確保しようとした――そんな事情があったのでしょう。実際、最初のうちはそうだったはずです。

だから僕は結構冷めた目でそうした現象を見ていました。そこには半ば絶望感も混じっていたと思います。前の世代を超える、真に新しい、刺激的なもの・感動的なものは、この先はもう現れないのかも知れない。出尽くしてしまったのかも知れない、と……。

 

しかし時間が経ち、リバイバル現象が恒常化し、それらの画像や物語が、各種のサイトやYouTubeの動画コンテンツとして、ネット上にあふれるようになってくると考え方は変わってきました。

 

それらのストーリー、キャラクターは、もはや単なるレトロやリバイバルでなく、世界中の人たちの共有財産となっています。いわば全世界共通の伝承なのです。

僕たちは欧米やアジアやアフリカの人たちと「ビートルズ」について、「手塚治虫」について、「ガンダム」について、「スターウォーズ」について語り合えるし、また、それらを共通言語にして、子や孫の世代とも同様に語り合えます。

そこにボーダーはないし、ジェネレーションギャップも存在しません。純粋にポップカルチャーを媒介にしてつながり合う、数限りない関係が生まれるのです。

 

また、これらの伝承のオリジナルの発信者――ミュージシャン、映画監督、漫画家、小説家などによって、あるいは彼ら・彼女らをリスペクトするクリエイターたちによって自由なアレンジが施され、驚くほど新鮮なコンテンツに生まれ変わる場合もあります。

 

インターネットの本当の役割

 

オリジナル曲をつくった、盛りを過ぎたアーティストたちが、子や孫たち世代の少年・少女と再び眩いステージに立ち、自分の資産である作品を披露。それをYouTubeなどを介して広めている様子なども頻繁に見かけるようになりました。

 

それが良いことなのか、悪いことなのか、評価はさておき、そうした状況がインタ―ネットによって現れています。これから10年たち、20年たち、コンテンツがさらに充実し、インターネット人口が現在よりさらに膨れ上がれば、どうなるでしょうか? 

 

おそらくその現象は空気のようなものとして世の中に存在するようになり、僕たちは新たな世界的伝承として、人類共通の文化遺産として、完成された古典として見なすようになるでしょう。人々は分かりやすく、楽しませてくれるものが大好きだからです。

 

そして、まるで「桃太郎」のお話を聞くように、まっさらな状態で、これらの伝承を受け取った子供たちが、そこからまた新しい、次の時代の物語を生みだしていきます。

 

この先、そうした現象が必ず起こると思う。インターネットという新参者のメディアはその段階になって、さらに大きな役割を担うのでしょう。それは文化の貯蔵庫としての価値であり、さらに広げて言えば、人類の文化の変革につながる価値になります。

 

 

2016年6月13日


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地方自治体のホームページって割と面白い

 

 

 ここのところ、雑誌の連載で地方のことを書いています。

書くときはまずベーシックな情報(最初のリード文として使うこともあるので)をインターネットで調べます。

 これはウィキペディアなどの第3者情報よりも、各県の公式ホームページの方が断然面白い。自分たちの県をどう見せ、何をアピールしたいかがよくわかるからです。

なんでも市場価値が問われる時代。「お役所仕事云々・・・」と言われることが多い自治体ですが、いろいろ努力して、ホームページも工夫しています。

 

 最近やった宮崎県のキャッチコピーは「日本のひなた」。

 日照時間の多さ、そのため農産物がよく獲れるということのアピール。

 そしてもちろん、人や土地のやさしさ、あったかさ、ポカポカ感を訴えています。

 いろいろな人たちがお日さまスマイルのフリスビーを飛ばして、次々と受け渡していくプロモーションビデオは、単純だけど、なかなか楽しかった。

 

 それから「ひなた度データ」というのがあって、全国比率のいろいろなデータが出ています。面白いのが、「餃子消費量3位」とか、「中学生の早寝早起き率 第3位」とか、「宿題実行率 第4位」とか、「保護者の学校行事参加率 第2位」とか・・・
 「なんでこれがひなた度なんじゃい!」とツッコミを入れたくなるのもいっぱい。だけど好きです、こういうの。 

 取材するにしても、いきなり用件をぶつけるより、「ホームページ面白いですね~」と切り出したほうが、ちょっとはお役所臭さが緩和される気がします。

 

 「あなたのひなた度は?」というテストもあって、やってみたら100パーセントでした。じつはまだ一度も行ったことないけれど、宮崎県を応援したくなるな。ポカポカ。

 

2016年6月12日


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タイムマシンにおねがい

 

 きのう6月10日は「時の記念日」でした。それに気がついたら頭の中で突然、サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにおねがい」が鳴り響いてきたので、YouTubeを見てみたら、1974年から2006年まで、30年以上にわたるいろいろなバージョンが上がっていました。本当にインターネットの世界でタイムマシン化しています。

 

 これだけ昔の映像・音源が見放題・聞き放題になるなんて10年前は考えられませんでした。こういう状況に触れると、改めてインターネットのパワーを感じると同時に、この時代になるまで生きててよかった~と、しみじみします。

 

 そしてまた、ネットの中でならおっさん・おばさんでもずっと青少年でいられる、ということを感じます。60~70年代のロックについて滔々と自分の思い入れを語っている人がいっぱいいますが、これはどう考えても50代・60代の人ですからね。

 でも、彼ら・彼女らの頭の中はロックに夢中になっていた若いころのまんま。脳内年齢は10代・20代。インターネットに没頭することは、まさしくタイムマシンンに乗っているようなものです。

 

 この「タイムマシンにおねがい」が入っているサディスティック・ミカ・バンドの「黒船」というアルバムは、1974年リリースで、いまだに日本のロックの最高峰に位置するアルバムです。若き加藤和彦が作った、世界に誇る傑作と言ってもいいのではないでしょうか。

 中でもこの曲は音も歌詞もゴキゲンです。いろいろ見た(聴いた)中でいちばんよかったのは、最新(かな?)の2006年・木村カエラ・ヴォーカルのバージョンです。おっさんロッカーたちをバックに「ティラノサウルスおさんぽ アハハハ-ン」とやってくれて、くらくらっときました。

 

 やたらと「オリジナルでなきゃ。あのヴォーカルとあのギターでなきゃ」とこだわる人がいますが、僕はそうは思わない。みんなに愛される歌、愛されるコンテンツ、愛される文化には、ちゃんと後継ぎがいて、表現技術はもちろんですが、それだけでなく、その歌・文化の持ち味を深く理解し、見事に自分のものとして再現します。中には「オリジナルよりいいじゃん!」と思えるものも少なくありません。(この木村カエラがよい例)。

 この歌を歌いたい、自分で表現したい!――若い世代にそれだけ強烈に思わせる、魅力あるコンテンツ・文化は生き残り、クラシックとして未来に継承されていくのだと思います。

 

 もう一つおまけに木村カエラのバックでは、晩年の加藤和彦さんが本当に楽しそうに演奏をしていました。こんなに楽しそうだったのに、どうして自殺してしまったのだろう・・・と、ちょっと哀しくもなったなぁ。

 

2016年6月11日


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「歴人めし」おかわり情報

 

 9日間にわたって放送してきた「歴人めし」は、昨日の「信長巻きの巻」をもっていったん終了。しかし、ご安心ください。7月は夜の時間帯に再放送があります。ぜひ見てくださいね。というか、You Tubeでソッコー見られるみたいですが。

 

 

https://www.ch-ginga.jp/movie-detail/series.php?series_cd=12041

 

 この仕事では歴人たちがいかに食い物に執念を燃やしていたかがわかりました。 もちろん、記録に残っているのはほんの少し。

 源内さんのように、自分がいかにうなぎが好きか、うなぎにこだわっているか、しつこく書いている人も例外としていますが、他の人たちは自分は天下国家のことをいつも考えていて、今日のめしのことなんかどうでもいい。カスミを食ってでの生きている・・・なんて言い出しそうな勢いです。

 

 しかし、そんなわけはない。偉人と言えども、飲み食いと無関係ではいられません。 ただ、それを口に出して言えるのは、平和な世の中あってこそなのでしょう。だから日本の食文化は江戸時代に発展し、今ある日本食が完成されたのです。

 

 そんなわけで、「おかわり」があるかもしれないよ、というお話を頂いているので、なんとなく続きを考えています。

 駿河の国(静岡)は食材豊富だし、来年の大河の井伊直虎がらみで何かできないかとか、 今回揚げ物がなかったから、何かできないかとか(信長に捧ぐ干し柿入りドーナツとかね)、

 柳原先生の得意な江戸料理を活かせる江戸の文人とか、明治の文人の話だとか、

 登場させ損ねてしまった豊臣秀吉、上杉謙信、伊達政宗、浅井三姉妹、新選組などの好物とか・・・

 食について面白い逸話がありそうな人たちはいっぱいいるのですが、柳原先生の納得する人物、食材、メニュー、ストーリーがそろって、初めて台本にできます。(じつは今回もプロット段階でアウトテイク多数)

 すぐにとはいきませんが、ぜひおかわりにトライしますよ。

 それまでおなかをすかせて待っててくださいね。ぐ~~。

2016年6月7日


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歴人めし♯9:スイーツ大好き織田信長の信長巻き

 

信長が甘いもの好きというのは、僕は今回のリサーチで初めて知りました。お砂糖を贈答したり、されたりして外交に利用していたこともあり、あちこちの和菓子屋さんが「信長ゆかりの銘菓」を開発して売り出しているようです。ストーリーをくっつけると、同じおまんじゅうやあんころもちでも何だか特別なもの、他とは違うまんじゅうやあんころもちに思えてくるから不思議なものです。

 

 今回、ゆかりの食材として採用したのは「干し柿」と「麦こがし(ふりもみこがし)」。柿は、武家伝統の本膳料理(会席料理のさらに豪華版!)の定番デザートでもあり、記録をめくっていると必ず出てきます。

 現代のようなスイーツパラダイスの時代と違って、昔の人は甘いものなどそう簡単に口にできませんでした。お砂糖なんて食品というよりは、宝石や黄金に近い超ぜいたく品だったようです。だから信長に限らず、果物に目のない人は大勢いたのでしょう。

 中でもは干し柿にすれば保存がきくし、渋柿もスイートに変身したりするので重宝されたのだと思います。

 

  「信長巻き」というのは柳原尚之先生のオリジナル。干し柿に白ワインを染み込ませるのと、大徳寺納豆という、濃厚でしょっぱい焼き味噌みたいな大豆食品をいっしょに巻き込むのがミソ。

 信長は塩辛い味も好きで、料理人が京風の上品な薄味料理を出したら「こんな水臭いものが食えるか!」と怒ったという逸話も。はまった人なら知っている、甘い味としょっぱい味の無限ループ。交互に食べるともうどうにも止まらない。信長もとりつかれていたのだろうか・・・。

 

 ちなみに最近の映画やドラマの中の信長と言えば、かっこよくマントを翻して南蛮渡来の洋装を着こなして登場したり、お城の中のインテリアをヨーロッパの宮殿風にしたり、といった演出が目につきます。

 スイーツ好きとともに、洋風好き・西洋かぶれも、今やすっかり信長像の定番になっていますが、じつはこうして西洋文化を積極的に採り入れたのも、もともとはカステラだの、金平糖だの、ボーロだの、ポルトガルやスペインの宣教師たちが持ち込んできた、砂糖をたっぷり使った甘いお菓子が目当てだったのです。(と、断言してしまう)

 

 「文化」なんていうと何やら高尚っぽいですが、要は生活習慣の集合体をそう呼ぶまでのこと。その中心にあるのは生活の基本である衣食住です。

 中でも「食」の威力はすさまじく、これに人間はめっぽう弱い。おいしいものの誘惑からは誰も逃れられない。そしてできることなら「豊かな食卓のある人生」を生きたいと願う。この「豊かな食卓」をどう捉えるかが、その人の価値観・生き方につながるのです。

 魔王と呼ばれながら、天下統一の一歩手前で倒れた信長も、突き詰めればその自分ならではの豊かさを目指していたのではないかと思うのです。

 

2016年6月6日


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歴人めし♯8 山内一豊の生食禁止令から生まれた?「カツオのたたき」

 

 「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だったころ、琵琶湖のほとりに金目教という怪しい宗教が流行っていた・・・」というナレーションで始まるのは「仮面の忍者・赤影」。子供の頃、夢中になってテレビにかじりついていました。

 時代劇(忍者もの)とSF活劇と怪獣物をごちゃ混ぜにして、なおかつチープな特撮のインチキスパイスをふりかけた独特のテイストは、後にも先にもこの番組だけ。僕の中ではもはや孤高の存在です。

 

 いきなり話が脱線していますが、赤影オープニングのナレーションで語られた「琵琶湖のほとり」とは滋賀県長浜あたりのことだったのだ、と気づいたのは、ちょうど10年前の今頃、イベントの仕事でその長浜に滞在していた時です。

 このときのイベント=期間限定のラジオ番組制作は、大河ドラマ「功名が辻」関連のもの。4月~6月まで断続的に数日ずつ訪れ、街中や郊外で番組用の取材をやっていました。春でもちょっと寒いことを我慢すれば、賑わいがあり、かつまた、自然や文化財にも恵まれている、とても暮らしやすそうな良いところです。

この長浜を開いたのは豊臣秀吉。そして秀吉の後を継いで城主になったのが山内一豊。「功名が辻」は、その一豊(上川隆也)と妻・千代(仲間由紀恵)の物語。そして本日の歴人めし♯9は、この一豊ゆかりの「カツオのたたき」でした。

 ところが一豊、城主にまでしてもらったのに秀吉の死後は、豊臣危うしと読んだのか、関が原では徳川方に寝返ってしまいます。つまり、うまいこと勝ち組にすべり込んだわけですね。

 これで一件落着、となるのが、一豊の描いたシナリオでした。

 なぜならこのとき、彼はもう50歳。人生50年と言われた時代ですから、その年齢から本格的な天下取りに向かった家康なんかは例外中の例外。そんな非凡な才能と強靭な精神を持ち合わせていない、言ってみればラッキーで何とかやってきた凡人・一豊は、もう疲れたし、このあたりで自分の武士人生も「あがり」としたかったのでしょう。

 できたら、ごほうびとして年金代わりに小さな領地でももらって、千代とのんびり老後を過ごしたかったのだと思います。あるいは武士なんかやめてしまって、お百姓でもやりながら余生を・・・とひそかに考えていた可能性もあります。

 

 ところが、ここでまた人生逆転。家康からとんでもないプレゼントが。

 「土佐一国をおまえに任せる」と言い渡されたのです。

 一国の領主にしてやる、と言われたのだから、めでたく大出世。一豊、飛び上がって喜んだ・・・というのが定説になっていますが、僕はまったくそうは思いません。

 なんせ土佐は前・領主の長曾我部氏のごっつい残党がぞろぞろいて、新しくやってくる領主をけんか腰で待ち構えている。徳川陣営の他の武将も「あそこに行くのだけは嫌だ」と言っていたところです。

 

 現代に置き換えてみると、後期高齢者あたりの年齢になった一豊が、縁もゆかりもない外国――それも南米とかのタフな土地へ派遣されるのようなもの。いくらそこの支店長のポストをくれてやる、と言われたって全然うれしくなんかなかったでしょう。

 

 けれども天下を収めた家康の命令は絶対です。断れるはずがありません。

 そしてまた、うまく治められなければ「能無し」というレッテルを貼られ、お家とりつぶしになってしまいます。

 これはすごいプレッシャーだったでしょう。「勝ち組になろう」なんて魂胆を起こすんじゃなかった、と後悔したに違いありません。

 

 こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

 恐怖にかられてしまった人間は、より以上の恐怖となる蛮行、残虐行為を行います。

 一豊は15代先の容堂の世代――つまり、250年後の坂本龍馬や武市半平太の時代まで続く、武士階級をさらに山内家の上士、長曾我部氏の下士に分けるという独特の差別システムまで発想します。

 そうして土佐にきてわずか5年で病に倒れ、亡くなってしまった一豊。寿命だったのかもしれませんが、僕には土佐統治によるストレスで命を縮めたとしか思えないのです。

 

 「カツオのたたき」は、食中毒になる危険を慮った一豊が「カツオ生食禁止令」を出したが、土佐の人々はなんとかおいしくカツオを食べたいと、表面だけ火であぶり、「これは生食じゃのうて焼き魚だぜよ」と抗弁したところから生まれた料理――という話が流布しています。

 しかし、そんな禁止令が記録として残っているわけではありません。やはりこれはどこからか生えてきた伝説なのでしょう。

 けれども僕はこの「カツオのたたき発祥物語」が好きです。それも一豊を“民の健康を気遣う良いお殿様”として解釈するお話でなく、「精神的プレッシャーで恐怖と幻想にとりつかれ、カツオの生食が、おそるべき野蛮人たちの悪食に見えてしまった男の物語」として解釈してストーリーにしました。

 

 随分と長くなってしまいましたが、ここまで書いてきたバックストーリーのニュアンスをイラストの方が、短いナレーションとト書きからじつにうまく掬い取ってくれて、なんとも情けない一豊が画面で活躍することになったのです。

 一豊ファンの人には申し訳ないけど、カツオのたたきに負けず劣らず、実にいい味出している。マイ・フェイバリットです。

 

2016年6月3日


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「歴人めし」徳川家康提唱、日本人の基本食

 

 

 歴人めし第7回は「徳川家康―八丁味噌の冷汁と麦飯」。

 「これが日本人の正しい食事なのじゃ」と家康が言ったかどうかは知りませんが、米・麦・味噌が長寿と健康の基本の3大食材と言えば、多くの日本人は納得するのではないでしょうか。エネルギー、たんぱく質、ビタミン、その他の栄養素のバランスも抜群の取り合わせです。

 ましてやその発言の主が、天下を統一して戦国の世を終わらせ、パックス・トクガワ―ナを作った家康ならなおのこと。実際、家康はこの3大食材を常食とし、かなり養生に努めていたことは定説になっています。

 

  昨年はその家康の没後400年ということで、彼が城を構えた岡崎・浜松・静岡の3都市で「家康公400年祭」というイベントが開催され、僕もその一部の仕事をしました。

そこでお会いしたのが、岡崎城から歩いて八丁(約780メートル)の八丁村で八丁味噌を作っていた味噌蔵の後継者。

 かのメーカー社長は現在「Mr.Haccho」と名乗り、毎年、海外に八丁味噌を売り込みに行っているそうで、日本を代表する調味料・八丁味噌がじわじわと世界に認められつつあるようです。

 

 ちなみに僕は名古屋の出身なので子供の頃から赤味噌に慣れ親しんできました。名古屋をはじめ、東海圏では味噌と言えば、赤味噌=豆味噌が主流。ですが、八丁味噌」という食品名を用いれるのは、その岡崎の元・八丁村にある二つの味噌蔵――現在の「まるや」と「カクキュー」で作っているものだけ、ということです。

 

 しかし、養生食の米・麦・味噌をがんばって食べ続け、健康に気を遣っていた家康も、平和な世の中になって緊張の糸がプツンと切れたのでしょう。

 がまんを重ねて押さえつけていた「ぜいたくの虫」がそっとささやいたのかもしれません。

 

 「もういいんじゃないの。ちょっとぐらいぜいたくしてもかまへんで~」

 

 ということで、その頃、京都でブームになっていたという「鯛の天ぷら」が食べた~い!と言い出し、念願かなってそれを口にしたら大当たり。おなかが油に慣れていなかったせいなのかなぁ。食中毒がもとで亡くなってしまった、と伝えられています。

 でも考えてみれば、自分の仕事をやり遂げて、最期に食べたいものをちゃんと食べられて旅立ったのだから、これ以上満足のいく人生はなかったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

2016年6月2日


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歴人めし「篤姫のお貝煮」と御殿女中

  絶好調「真田丸」に続く2017年大河は柴咲コウ主演「おんな城主 直虎」。今年は男だったから来年は女――というわけで、ここ10年あまり、大河は1年ごとに主人公が男女入れ替わるシフトになっています。
 だけど女のドラマは難しいんです。なかなか資料が見つけらない。というか、そもそも残っていな。やはり日本の歴史は(外国もそうですが)圧倒的に男の歴史なんですね。


 それでも近年、頻繁に女主人公の物語をやるようになったのは、もちろん女性の視聴者を取り込むためだけど、もう一つは史実としての正確さよりも、物語性、イベント性を重視するようになってきたからだと思います。

 

 テレビの人気凋落がよく話題になりますが、「腐っても鯛」と言っては失礼だけど、やっぱ日曜8時のゴールデンタイム、「お茶の間でテレビ」は日本人の定番ライフスタイルです。

 出演俳優は箔がつくし、ゆかりの地域は観光客でにぎわうって経済も潤うし、いろんなイベントもぶら下がってくるし、話題も提供される・・・ということでいいことづくめ。
 豪華絢爛絵巻物に歴史のお勉強がおまけについてくる・・・ぐらいでちょうどいいのです。(とはいっても、制作スタッフは必死に歴史考証をやっています。ただ、部分的に資料がなくても諦めずに面白くするぞ――という精神で作っているということです)

 

 と、すっかり前置きが長くなってしまいましたが、なんとか「歴人めし」にも一人、女性を入れたいということで、あれこれ調べた挙句、やっと好物に関する記録を見つけたのが、20082年大河のヒロイン「篤姫」。本日は天璋院篤姫の「お貝煮」でした。

 

 見てもらえればわかるけど、この「お貝煮」なる料理、要するにアワビ入りの茶碗蒸しです。その記述が載っていたのが「御殿女中」という本。この本は明治から戦前の昭和にかけて活躍した、江戸文化・風俗の研究家・三田村鳶魚の著作で。篤姫付きの女中をしていた“大岡ませ子”という女性を取材した、いわゆる聞き書きです。

 

 

 明治も30年余り経ち、世代交代が進み、新しい秩序・社会体制が定着してくると、以前の時代が懐かしくなるらしく、「江戸の記憶を遺そう」というムーブメントが文化人の間で起こったようです。
 そこでこの三田村鳶魚さんが、かなりのご高齢だったます子さんに目をつけ、あれこれ大奥の生活について聞き出した――その集成がこの本に収められているというわけです。これは現在、文庫本になっていて手軽に手に入ります。

 ナレーションにもしましたが、ヘアメイク法やら、ファッションやら、江戸城内のエンタメ情報やらも載っていて、なかなか楽しい本ですが、篤姫に関するエピソードで最も面白かったのが飼いネコの話。

 最初、彼女は狆(犬)が買いたかったようなのですが、夫の徳川家定(13代将軍)がイヌがダメなので、しかたなくネコにしたとか。

 


 ところが、このネコが良き相棒になってくれて、なんと16年もいっしょに暮らしたそうです。彼女もペットに心を癒された口なのでしょうか。

 

 そんなわけでこの回もいろんな発見がありました。

 続編では、もっと大勢の女性歴人を登場させ、その好物を紹介したいと思っています。

 

2016年6月1日


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工事現場はもうアトムの世界

 

今朝、テレビのニュースを見てたら、ダム工事の現場で

ダンプやパワーショベルなど、自動運転の重機が

ガンガン働いているのでびっくり。

1ダース以上いたが、すべて無人。自動運転。

人間がいないので、燃料補給以外、休む時間もなく、

それこそ24時間はたらけまーす、である。

現場は秋田で、そこから数百キロ離れた会社から

遠隔操作しているそうだ。

 

それとは別のもう少し小規模な工事現場でも

無人重機が動いていて、

こっちは遠隔操作している操縦者が登場。

会社のオフィスの一角にシュミレーターを設置した

スペースを作って、モニターを見ながら動かしている。

 

さらに驚くのは、操作しているのが女性事務員。

彼女は1日のうち半分事務仕事をやって、

半分はこの工事をしているという。

しかも子育てママなので、子連れ出勤。

シュミレータースペースのわきには、

子どもを寝かせたり遊ばせたりする部屋がある。

作業中も、ヘルメットも作業着も安全靴もいらない。

足もとなんかキティちゃんの顔が付いたサンダル履きだ。

 

公道を走る車やバスの自動運転は、

安全性の問題があるのでまだまだ時間がかかるが、

逆にこうした作業現場はどんどん自動化されて、

逆に人間が危険地帯に入らなくていいので安全だ。

ロボットではないものの、

重労働はみんな機会にお任せという

アトムの世界がすでに実現している。

 

AIの普及といい、こうした無人重機といい、

コロナ後の世界はすごいスピードで様変わりしている。

むむ、目が回り、ちょっと息切れが・・・。

 

 おりべまこと電子書籍 最新刊 

「今はまだ地球がふるさと」

 

子ども時代を卒業し、

人生の旅に出る支度を始めた少女の、

夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。


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今はまだ地球がふるさと 本日発売!

 

おりべまこと電子書籍 最新刊 本日発売!

「今はまだ地球がふるさと」

 

レビューにいつもより時間がかかったので、

もしや中学生の女の子に

セクシーなセリフを言わせたのでNG?

と一瞬心配しましたが、無事出せました。

91,000字の長編小説。

Amazon Kindleより¥600で発売中!

 

あらすじ

 自分は“宇宙人とのあいのこ”だというリコは、

小学校時代からの親友サーヤとともに

あちこちの葬式を巡り

「故郷の星へ帰っていく人たち」を見て回っては

聖女のごとく祈りを捧げている。

 

 そんなとき、偶然、終活サポートの仕事をしている

中年男・中塚と出会い、彼を介して、

ひとり暮らしでハーモニカ吹きの老人・

小田部と知り合った。

孤独死予備軍の小田部に興味を引かれたリコは

彼に「星のおじいさま」というあだ名をつけ、

食事や掃除の世話をするために

家に出入りするようになり、

次第に親しさを深めていく。

 

そんなリコに恋したシンゴが

彼女の気を引くために

「きみのためにUFOを呼ぼう」

と言ってアプローチすると、

リコが生きる世界に

さまざまな不思議な現象が起こり始める。

 

子ども時代を卒業し、

人生の旅に出る支度を始めた少女の、

夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く

青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。

 

もくじ

1 地球人の母になる

2 星のおじいさま

3 UFOに出逢ったお母さん

4 ラブリーな親友

5 恋文と宇宙の夢

6 令和終活コーポレーション

7 記念碑ツアー

8 レトロ喫茶と未来の記憶

9 取り調べ

10 里山の合宿でUFOと出逢う

11 UFO同窓会のレポート

12 奇妙な家族だんらん

13 競馬場でのドラマ

14 絶交

15 星のおじいさまの息子

16 いつか見た虹のこと

17 UFOからのメッセージ

18 天国への扉

19 魔法のアイドル誕生

20 ありがとう友だち

21 いつか家族に

 


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残酷でカオスな傑作「進撃の巨人」

 

約1カ月半かけてAmazonPrimeで

アニメ「進撃の巨人」全94話を見た。

先月末の途中経過でも書いたが、人間が食われる話なので、

残酷描写がかなりのもので、見続けるのが精神的にきつい。

それに慣れてきた中盤で

かつて仲間と信じていた者同士が「共食い」になるので、

これまたきつくなる。

 

それでも3分の2くらいのところまでは、

自分たちがなぜ壁に閉じ込められているのか、

その謎を解こう。

そして、この壁の向こうにあるはずの

海を見に行こう、という少年の夢がある。

つまり、そこまではどんなに残酷であっても

希望に満ちた冒険物語になっていて、

夢を達成した少年たちが新たな世界に旅立つ――

といった美しい結末を予感させていた。

 

ところが話はそんな単純ではない。

問題はそのゴールに達したあとのこと。

人生と同じで当たり前だけど、

僕たちはいつまでも少年少女のままではいられない。

この作品は安易なハッピーエンドで

お茶を濁すようなことはしなかった。

 

カメラが180度切り替わり、新たな世界に視界が開けると、

そこにはさらに救いのない

残酷で恐ろしい世界が広がっていて、

そこでまた戦わなければいけなくなる。

 

後半の話はどんどん深く複雑になり、

それまでのいろいろな謎が解けていくのだが、

ますます見るのが辛くなっていった。

 

そして、そもそもいったい誰が主人公だったんだっけ?

と思わせるようなカオス的な展開になっていく。

それでも向き合わずにはいられない気持ちにさせるのが、

この作品のすごいところ。

 

壁とは何か?

巨人とは何か?

近代日本、戦後日本社会のメタファーであり、

風刺であるという説がよく聞かれるが、

帝国主義や数々の戦争、難民問題などから形づくられた

現代の人類の世界全体の暗喩であるとも受け取れる。

 

ラストも決してスカッと終わらず、あれでいいのかという、

気持ちの悪い違和感が腹の中に残った。

まるで「後味の良い感動を残す物語」なんてあざ笑い、

ぶった切るかのようだ。

最後の最後のあのシーン、あのセリフは、

希望や救いと言えるのだろうか?

 

「進撃の巨人」の世界には

随所にさまざまな意味が込められており、

それをどう読み解き、何を考えるかは

読者・視聴者の向き合い方次第と言えるだろう。

それだけの豊かなものがこの作品には詰まっている。

少し落ち着いたら、

今度は原作のマンガを通読してみようと思っている。

 

いずれにしてもこの時代に、マンガ・アニメという手法で

こんなすごいドラマを創り上げた作者を

リスペクトせずにはいられない。

 

おりべまこと Kindle新刊:長編小説

今はまだ地球がふるさと

 

本日2月25日発売予定でしたが、

残念ながら提出が遅れたため、

まだレビュー中。

楽しみにされていた方、

どうもごめんなさい。

明日までお待ちくださいね。


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週末の懐メロ175:ババ・オライリー/ザ・フー

 

1971年リリース。

最高傑作アルバム「フーズ・ネクスト」の挿入歌で、

ザ・フーのキャリア全体を通じても最高の一曲。

さらに言えば、60年代から70年代の

ポップロック、ハードロック、プログレッシブロックの

美味しい部分をすべて凝縮した、ロック史に残る名曲だ。

 

♪この荒野で俺は糧を得るために戦う

 生きるために全力を尽くす

 正しさを証明するために

 戦う必要はないし 許される必要だってない

 

そんな歌詞で始まるこの曲は、

スコットランドの農民が、

妻と子供を連れてロンドンへ脱出する

という物語を音楽で描く

「ライフハウス」というロックオペラの一曲だった。

ところが、この「ライフハウス」の構想がまとまらず、

通常のスタイルのアルバムに挿入された。

結果的には単独曲となったことで

ザ・フー随一のヒットナンバーになったのかもしれない。

 

タイトルも当初は歌詞に沿って

「Teenage Wasteland(10代の荒野)」と

つけられる予定だったが、

インドの神秘家メヘル・バーバー(Meher Baba) と、

アメリカの作曲家テリー・ライリー(Terry Riley)の

ファーストネームを合わせたものに変更された。

これは当時、作詞・作曲の

ピート・タウンゼント(ギタリスト)が

メヘル・バーバーの思想にいたく

傾倒していたことから来ているようだ。

 

ザ・フーはこの頃、スピリチュアルな物語を

ロックオペラというスタイルで

ドラマチックに表現することに取り組んでおり、

大成功をおさめた1967年の「トミー」は

ケン・ラッセル監督によって1975年に映画化、

その後、ミュージカルとして舞台化もされた。

 

戦争に行った夫が戦死したと思っていた

妻は新しい男と恋に落ちた。

けれどもその男との情事の最中、死んだはずの夫が帰還。

夫は怒りにまかせて情夫を殺してしまう。

ところが、その様子を幼い息子トミーが見てしまった。

あわてた父と母は息子に言い聞かせる。

「あなたは何も見なかったし、何も聞いていなかった」

「このことは誰にも話してはダメ」と。

両親から与えられたそのトラウマによって、

トミーは見ることも、聴くことも、

話すこともできないという三重苦を負ってしまう。

 

そんなストーリーのロックオペラ「トミー」は

トミーが三重苦を克服し、

自己を解放し、自由に羽ばたくという内容で、

僕は高校生の時にその映画を見たが、

カルチャーショックを受け、

自分の中の重要な音楽体験・映画体験として残っている。

 

「10代の荒野」だった「ババ・オライリー」では

最後にこう歌う。

 

♪10代は不毛な時代 たかが10代の荒野

  10代は不毛な時代 10代に実りはない 

  全てが無駄なんだ

 

「ライフハウス」がどんな物語だったのかわからないが、

10代に何を体験するか、

そしてその後、その体験をどう捉えるかで

人生は大きく変わるのだと思う。

 

おりべまこと電子書籍「週末の懐メロ」AmazonKindleにて好評発売中! 各300円


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今はまだ地球がふるさと

 

おりべまこと電子書籍新刊のご案内
おとなも楽しい少年少女長編小説(9万1千字)
「今はまだ地球がふるさと」
久しぶりに子ども(中学生)を主人公にした
青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。
長編小説(9万1千字)。
最初の予告よりちょっと遅れて、
2月25日(日)発売予定。
お楽しみに。

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となりのレトロより:あんたも閻魔様に舌抜かれるよ

 

インターネット社会になって女性不信になった。

というのは冗談だが、

おかしなネット発信は女が多い。

SNSは本当にひどい。

 

FBでは国内外を問わず、会ったこともない女から

ガンガン友だち申請が来る。

もろエロ系もあるが、それとなくまともを装った

表向き若い女が多い。

どんなやつか発信履歴を見ると、まったく中身がなくて、

写真だけいろいろ投稿している。

 

たまに「あなたの発信に感動しました」という

ほめ殺しコメントを書いてくるのもいる。

あと、もしかたら油断させようというつもりか、

落ち着いた高齢女性から来ることもある。

海外に移住して悠々自適にやってます的マダムとか。

 

X(ツイッター)のほうは、

やたらとドラマチックな女が多くて、

親の虐待とか、夫のDVなどでかわいそうな目に会って、

ン千万という借金地獄に落ちたが、

奮起しただの、すごいメンターに出会っただのの

ミラクルな大転換があって、すべて一気に返済・完済。

今では副業で月にン百万稼いでます。

あなたもおひとつどうですか?っていうやつ。

 

いやいや、世の中にはすごい女性がわんさかいるもんだ。

そんなお金持ちなら、

僕みたいな者にからむのは時間と労力の無駄遣い。

アメリカでもシンガポールでもドバイでも行って

よろしくやってくださいな。

 

それにしても僕などの世代の人間は子どもの頃、

嘘つくとバチがあたるとか、

地獄に落ちて閻魔様に舌を抜かれるとか、

おとなによく言われたものだが、

今の人間はまったく意に介さないらしい。

なんだか閻魔様が懐かしく、可愛く思えてくる。

 

となりのレトロの僕から言わしてもらうと、

ウソメールとか、サギ発信とかに

大事な人生の何割も使っていると、

やっぱりそのうち相応の罰が当たると思うよ。

 

 


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週末の懐メロ174:世界の重みを手に持つ少女/エディ・リーダー

 

80年代後半に活躍したフェアーグランド・アトラクション。

そのリードシンガーだったエディ・リーダーが、

グループ解散後、1992年に初めて出した

ソロアルバムの中の一曲。

カヴァー曲で、

オリジナルは「インディゴガールズ」というデュオが

1990年にリリースしている。

 

日本で最初にCDで出た時は最後に入っていたせいもあり、

アルバム全体の余韻とともにとても深く心に染みた。

 

子どもから大人になる過程で

誰もが世界の重みを感じるようになるが、

別の命を体内に宿すことができる女性は、

その感覚がひとしお強いのかもしれない。

 

婚活や妊活に熱心になり、

人生のスケジューリングに躍起になる女性が増えているが、

子どもを産める期間が25年から長くて30年

(たぶん現実的にはもっと短くてその3分の2程度)と、

限られていることを考えると

男がとやかく言ってはいけない気がする。

 

でもやはり人生の楽しみはスケジュールから

外れたところにある。

女でも男でもいいから、

手にしてしまった世界の重さを分かち合える人と

出逢えたらいいね。

 


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なぜ昭和の“すごい”人たちは本を出せなかったのか?

 

昭和は今と比べて野蛮な時代だったと思うが、

面白い人生を送ってきた人たちがたくさんいた、と思う。

今より貧しく、生活が不便で洗練されておらず、

管理も緩かった分、

生きるエネルギーに溢れていた。

逆に言えばエネルギーがないと生きられなかった。

 

なので若僧の頃はエネルギッシュな人たち、

劇的な人生を送って来た人たち、

すごい人だなと感心するような人たちに何人も出会った。

それもみんなけっこう若い、30代・40代の人たちが多かった。

彼らのドラマチックな話を聞いていると、

自分はなんて臆病で凡庸な人間だろうと

劣等感を抱いたくらいだ。

 

そうした人たちの冒険譚・英雄譚・武勇伝などは

自伝にしたら面白いし、

それらの体験をもとに小説も書けるのではないかと思った。

 

事実、自分はこんなに面白いことをしてきたから

そのうち本にして出すよとか、

ネタにして小説を書くよとか、映画や芝居にしてやるよと

僕に話していた人は一人や二人ではなかった。

 

けれども憶えている限り、実現した人は一人もいない。

ノンフィクションであれ、フィクションであれ、

そうした(世間的には無名だが)すごい人たちの話が

物語になり本になることはなかった。

 

なぜか?

そういう人たちは字を書かなかったからである。

当たり前のことだが、

机に向かって字を綴るという地道な「作業」をしない限り、

永遠に本も物語も生まれないのだ。

そうしたものを作るためには本人とは別に

字を書く「作業員」が必要になる。

 

自分のなかにもう一人、

そういう作業員を持っている人はいいが、

大方の人は「文才があればやるけど」

「時間があればできるけど」と言って逃げていく。

 

いつかあの人のあの話を本で読んだり、

映画やテレビで見られるだろうと思っていた人たちは、

(現時点では)誰もそうならなかった。

齢のことを考えると、

結局そのまま人生が終わってしまった人も

少なくないのではないだろうか。

なんだかもったいない気がする。

 

昭和と違って今ではSNSやブログもあるし、

動画配信もあって、いろいろ発信の手段はある。

けれどもやっぱりそれらと

本を刊行することは別の作業が必要なのだと思う。

 

「文才があれば」「時間があれば」というのは言い訳だが、

現実的には確かにそれも分かる。

毎日、いろいろ忙しいことばっかだからね。

でも時は止まってはくれない。

そう考えると人生は短い。

「いつかやろう」が永遠に来ない可能性は高い。

 

もし、そうした本を書くための「作業員」が必要なら

ご相談に乗ります。

 


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キャンペーン終了と新刊発売のお知らせ

 

おりべまこと電子書籍「おふくろの味はハンバーグ」

https://amazon.com/dp/B0CTG3XP3B

無料キャンペーン終了しました。

ご購入ありがとうございました。よろしければレビューをお寄せください。

引き続き発売中です。

読み放題でも読めるので、どうぞご利用ください。

 

次の新刊は長編小説「今はまだ地球がふるさと」

自分は異星人とのあいのこだと言い張る女の子と

彼女が「星のおじいさま」と呼ぶ終活老人とのお話。

2月22日(木)発売予定。お楽しみに!

 


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コシコシ・シコシコ桶川うどんを食べる旅

 

昨日は埼玉の桶川を旅して、お昼にうどんを2杯食べた。

埼玉県は香川県に次いでうどんの生産量全国第2位。

そばを合せてめんの生産量としては堂々1位となる。

ついでにうどんの原料となる小麦の生産高も第9位で、

関東では群馬に次ぐ「麦どころ」だ。

土地や気象条件が麦づくりに適しているらしい。

 

ただ、讃岐うどんと違って、

「埼玉うどん」というのは存在しない。

定型がなく、これぞ!という特徴に欠けている。

要はブランディングできていないのだ。

香川=讃岐とちがって、

江戸時代から今日まで、首都圏の台所として

いろんな農産物の需要があったので、

がんばってうどんを売り込む必要性がなかったからか。

 

その中でも江戸時代の中山道の宿場町

「桶川宿」があったことで

桶川のうどんはその名を広く知られるようになり、

ある程度、ブランド化しているといえるだろう。

 

これも決まったスタイルがなく、

スタイルは店によってまちまち。

共通する特徴としては、

讃岐うどんに勝るとも劣らないコシの強さだ。

まさにコシコシで、シコシコ感ハンパなく、

噛むのにあごが疲れるくらいだ。

 

今回は2軒ともかけうどんを食べたが、

1軒目は鶏もも肉と昆布をコテコテに煮込んだ

関東系の濃い出し汁。

 

2軒目は讃岐に近い薄めのあっさりした

関西系の出汁で、これも店によっていろいろらしい。

 

また、冷たいうどんを熱いつけ汁につけて食べるのが

桶川流らしく、

2軒目の店ではそのバリエーションが豊富だった。

テーブルに岩塩と黒コショウのミルが置いてあり、

肉系のつけ汁にはこれらを入れて食べるらしい。

うどん屋に塩・胡椒が常備してあるなんて

初めてお目にかかった。

 

いずれの店も中山道沿いにあるが、

片や地元の人のごひいき、

片や外からも食べに来るお客が多いようで、

店の前には行列ができていた。

 

なぜ2杯食べたのか、長くなるので事情の説明は省くが、

結果的に2軒入れてとてもよかった。

桶川には他にもうどんの名店が20店くらいあるというので、

機会があれば食べ比べをしてみても面白い。

 

さて、今日はあなたは何を食べますか?

 

 

 

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週末の懐メロ173:ザ・ウェイ・イット・イズ/ブルース・ホーズビー&ザ・レンジ

 

1986年リリース。

お気楽ポップ、エンタメロックが多数輩出され、

音楽産業が肥大化した80年代。

そのなかで異彩を放つ、

人種差別問題と真正面から向かい合った

シリアスなテーマの楽曲が

全米ナンバーワンヒットになった。

 

♪1964年、ある法律が成立した

これまで恵まれなかった人々を救うためだ

けれども、ただそれだけのこと

法律は人の心までは変えられない

 

重い歌詞を変幻自在のピアノプレイに乗せて、

歌うホーンズビーは独自の輝きを放っていた。

 

この頃、僕はロンドンで暮らしていたが、

イギリスでも大ヒットしており、

今でも最も印象深い曲の一つになってる。

そしてこの歌で描かれた社会状況も

40年近く経っても変わらない。

いや、階級社会の進行でますます悪くなっている。

 

90年代以降、数々のヒップホップアーティストに

カバーされ、サンプリングされ続けており、

最近では2020年、ポロGが2020年の

「Wishing for a Hero」で使っている。

 

それとともにこの曲とホーンズビーの活動にも

新たなスポットが当たっている。

 

https://www.youtube.com/watch?v=14AYq_rBJUg

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無料キャンペーン 本日よりスタート!

2月9日(金)17時~12日(月・祝)16時59分 

4日間限定

読めば食欲がわき、元気が出る面白エッセイ集。

いっぺん食ってみたってちょ。

 

もくじ

・トノサマラーメンと名古屋インスタントラーメン戦国史

・オバマのタカハシさんちの娘は人魚の肉を喰った

・「みんなが作ってる カエルのから揚げレシピ」の衝撃

・なぜ日本にカエル食が定着しなかったのか?

・昭和最強のおやつ ベビーラーメン

・さらば、おれの牛丼

・どうだ、銅だ、ブドウだ

・ヒトとブタは神目線ではブラザーなのか?

・マイナビ農業 ハラール認証

・飲食業の現場で働く人たちの意欲・生きる元気

・新宿にパステルが帰って来た

・がっちりアメリケンなハンバーガーとアップルパイ

・誕生日のドラえもんとウサギ

・なぜ付け合わせのポテトサラダがおいしい店は

   信用できるのか?

・チャットGPTに訊く:ロンドンに日本食の店を出すなら

・美野原御膳と日本の里山

・吉祥寺にやってきたクレヨンハウス

・カエルの幸福サラダ

・一汁三菜はより良き食卓・家庭・人生の秘訣

・五右衛門の湯豆腐と空海の鴨カツ丼

・おふくろの味はハンバーグ

・みんなのハンバーグ  

全22編載録

 


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女を舐めるべからず

 

能登地震の報道がひと段落すると、

テレビもネットもまた毎日のように

芸能人やスポーツ選手の女性問題報道。

僕はそういうことに関心が薄く、

首を突っ込んであれこれ調べている時間はないので

詳しいことはわからない。

 

ただ、こんな僕でも言えることは、

訴えられた彼らが女を舐めていたことは確か。

本当に性加害者なのかどうかはともかく、

むしろ被害者だとしても、

いわば昭和までの男尊女卑思想や

女性に対する甘えがあったからこそ、

罠に掛かってしまったのではないか。

 

令和の世の中、女が以前とは比べ物にならないくらい

社会的な力を持ち、賢くなっていることは、

すべての男が肝に銘じておいたほうがいい。

訴える女も、協力する週刊誌も、どう転んだって

得するように損得勘定を立てている。

そういうビジネスモデルが出来上がっているのだ。

 

YouTuberやネット上で発信している人たちも

その問題を取り上げればアクセス数がバク上がりするので

正義面・評論家面して言いたい放題、やりたい本題。

カモにされる男の芸能人やスポーツ選手は

これからも続々と現れそうだ。

 

「女遊びは芸の肥やし」という言葉が

まだ生きているのかどうかは知らないが、

芸能人やミュージシャンなどはまだいい。

たとえ活動休止に追い込まれても

いずれプラスに働く場合もあるし、復活の目もある。

 

けれどもスポーツ選手はダメだ。

裁判の期間が長いのに対し、アスリートの寿命は短い。

たとえ無罪が証明できたとしても、

訴訟を起こされスキャンダルの嵐が吹き荒れた

数か月・数年の間に

最も活躍できる旬の時期が過ぎてしまう。

 

「あいつを潰してやろう」という陰謀が企てられ、

ハニートラップを仕掛けてくる奴らがいないとも限らない。

トップアスリートを目指す選手は

恋愛など望まず、そこらの女に目をくれず、

商売と割りきっている女(でも絶対安全とは言い切れない)

とだけ付き合った方がいい。

言ってみれば一流スポーツ選手は恋愛御法度。

するなら選手生命と引き換えにするぐらいの覚悟がないと。

 

平成生まれの若い連中がそうなってしまうのは、

やはり男尊女卑や女性に甘えていた

先輩や父親・家族の影響だろう。

その辺は指導者もフォローしたほうがいい。

 

僕も東京に出てくるときに父に言われた。

「女にはよくよく気を付けろ」と。

若い時にそういうことがあったのだろうか?

亡くなっているのでもう確認できないが、

彼の忠告が効いて、

ここまでそうひどい目にはあっていない。

たんにモテないし、女が怖いだけだけど。

 

 

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ブログでトノサマラーメン、カエルのから揚げ、

ChatGPTに訊いたロンドンの日本食なども載録。

 

もくじ

・トノサマラーメンと名古屋インスタントラーメン戦国史

・オバマのタカハシさんちの娘は人魚の肉を喰った

・「みんなが作ってる カエルのから揚げレシピ」の衝撃

・なぜ日本にカエル食が定着しなかったのか?

・昭和最強のおやつ ベビーラーメン

・さらば、おれの牛丼

・どうだ、銅だ、ブドウだ

・ヒトとブタは神目線ではブラザーなのか?

・マイナビ農業 ハラール認証

・飲食業の現場で働く人たちの意欲・生きる元気

・新宿にパステルが帰って来た

・がっちりアメリケンなハンバーガーとアップルパイ

・誕生日のドラえもんとウサギ

・なぜ付け合わせのポテトサラダがおいしい店は信用できるのか?

・チャットGPTに訊く:ロンドンに日本食の店を出すなら

・美野原御膳と日本の里山

・吉祥寺にやってきたクレヨンハウス

・カエルの幸福サラダ

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・みんなのハンバーグ

 

 


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郷竜小説「6万6千万年前の夢を見て死ね」 パート3.ジャパニーズネッシー捜索隊 その③

 

 

 一方、みずからジャパニーズネッシー捜索隊の総指揮官に就任した国会議員は、隊を北と南、二班に分けて、北海道の屈斜路湖、鹿児島県の池田湖から捜索をスタート。政府公認の研究施設や大学の生物学研究所などから選ばれたスタッフがそれぞれ8名ずつ派遣され、現地調査を行った。マスコミも大挙して押し寄せて大騒ぎをしていたが、こちらもナッシー捜索の子どもたち同様、待てど暮らせどクッシーもイッシ―も現れないので、数日するうちに飽きてきた。

 

 それからしばらく後、とある大臣のスキャンダルが発覚し、政府がマスコミの糾弾を受け、野党が色めき立つと、ジャパニーズネッシー捜索隊もそのとばっちりを受けて国会でやり玉に挙げられた。

 いったいあの予算はどこから出ているのか?

 国会議員がろくに仕事もしないで、あんなろくでもないことに現を向かしていいのか?

 そもそもあの活動が社会的・経済的にどんな意味・どんなメリットがあるのか? など云々。

 当の作家議員は抗弁するのに窮してトーンダウンし、何も見つからないまま捜索は打ち切られることになった。結局、ジャパニーズネッシー捜索隊は奈々湖には来ずじまいだったのだ。

 

 村長はマスコミの取材に応じてコメントを残した。

 「まことに残念です。ちゃんと捜索すれば、必ずや世紀の大発見になったのに。ナッシーは間違いなかったのですから」

 そのコメントはちゃんとそのまま新聞や雑誌に載ったが、それだけだった。そこから何か新しい活動が展開されることはまったくなかった。そして、そんな騒ぎがあったことも遠い昔ばなしになった。いまやこの湖にナッシーの伝説があったことを知っている人さえ少なくなっている。

 しかし、世の中には6600万年前に死に絶えた巨大な生き物が、今まだ、この地球上のどこかに生き続けているはずだと信じている人が驚くほど大勢いる。それはもはや願いのようなものだ。

 おれたちにはその願いをかなえるミッションがある。

 

 一彦はまじめな顔をして大善に訴えた。

 大善はうんうんと頷いたものの、いったい東京で何があったのだろう?と訝った。たしかにいっしょに古文書の捜索などもやったが、彼の記憶の中の一彦は頭の良い秀才タイプで、むしろ周囲の子どもたちよりも一般常識をわきまえている男だった。

 中学生になる頃には奈那湖の怪物のことなどすっかり忘れて、勉強と部活のバスケットボールに打ち込んでいた。時々、テレビや雑誌で見たオカルト話で盛り上がることはあったが、それはちょっとしたお楽しみの範疇だった。もうその頃にはみんな、おとなになって社会の常識の中で生きていかなくてはいけないことがわかっていたのだから。

 いったい何が一彦を、いわば逆行させてしまったのか、大善にはわからなかったが、人が大勢来て村が賑わうことはいいことだ。そして正直、大善も時おり湖畔を散歩しては、ああ、本当に怪物が出てきて、また大騒ぎが起こればいいのにと考え、朝夕のお務めで仏に向かって祈念していたのである。

 そしてもう一人、このナッシープロジェクトに参加したいという人物が現れた。その名も菜々子という。

 


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郷竜小説「6万6千万年前の夢を見て死ね」 パート3.ジャパニーズネッシー捜索隊 その②

 

子どもたちが探しまわった古文書は仏像や古地図が所蔵してある部屋にしまわれていた。住職――大善の父は村長からの連絡を受けてそれを取り出しておいた。

 翌日、村長以下、村のお偉方はがん首揃えて麟風寺を訪れ、住職――大善の父に古文書を見せてくれるよう願い入れた。

 住職は彼らを客間に通し、とっておきの黄金に輝く法服を着て出迎えた。そして訴えを聞くとまるで時代劇のように大仰な間を取り、両手を合わせて目をつむった。そして読経を始めた。村長らも慌てて手を合わせ、首を垂れる。

 一分ほどのち、住職は目を開き、傍に法具の上に用意してあった古文書をしずしずと村長らの前に取りだし、一枚ずつ広げて見せた。ミミズがのたくったような黒々とした文字が黄ばんだ和紙にえんえんと書き綴られている。村長らは食い入るような目つきでその文字の列を追っていたが、何が書いてあるのやら、さっぱり読めない。住職はいつにない厳かな口調でそこに書いてあることを解説した。

 そして絵を見せる。どれも子どもの落書きみたいな絵だが、たしかに怪物らしきものが描かれている。

全員が深いため息をつき、客間はしばし沈黙に包まれた。

「これは間違いありませんな」

最初にそう声を発したのは、観光課長の田中だった。

 「他の湖にはこれほどの資料はありますまい。動かぬ証拠です。ナッシーは間違いなく、日本のネッシーの一番手です」

 「けどなぁ」

 そう異議を唱えたのは副村長の山田だった。

 「他のところには写真があるんだよ、写真が。ナッシーにはあるのか?」

 「たしかありますよ、何枚か」

 「なんかコブが水から突き出していたりとか、ぼんやりしてて何だかわからない黒い影が映ってるのしかないだろ。おお、これは恐竜だっていう決定的なやつはないの?」

 「そんなの他のところにだってないですよ。みんな似たり寄ったりだ」

 そこでけんけんがくがくの議論になり、結局、決め手は写真で、古文書はその付属品に過ぎない、という話になった。住職は憤まんやるかたない思いを抱いたが、とにかく村をあげての大事業だから協力すると約束してその場は収まった。

 子どもたちは隣の部屋でふすま越しに耳を澄ませ、この会合の一部始終を聞いていた。胸が湧きたつのを感じた。そして、なんとか自分たちでナッシーの写真を撮ろうと画策し、プロジェクトチームを結成した。

 カメラを持っているのは、タカシとユキヒロだ。他には女子の中にもいるかもしれない。そんなわけでタカシがリーダーとなって学校で募集をかけると、全部で十二人が参加した。

プロジェクトはずんずん進んだ。カメラマンと見張り役二人、三人で一チームとし、学校が終わって夕暮れまでの間、交替で奈々湖を見張ることにした。

 彼らの空想は限りなく広がった。それまでのほほんとした長閑な佇まいだった奈々湖は、急にミステリアスでオカルト感に満ちた、底なしの不気味な湖に見え始めた。

 子どもたちは会議も開いた。たいてい「緊急会議」とか「重要会議」とか「特別会議」とか、ものものしい名前がついていた。そこでは一日二時間くらいでは時間が足りない、という意見が出たが、夏休みになったら一日中見張りをしよう、ということで解決策が決まった。

 しかし、そんな盛り上がりは長くは続かなかった。何日見張っても、奈々湖には何も現れない。ときどき水音がするので何かと思って見ると、水鳥が羽根をバタバタさせているだけだったりした。

 当初、メンバーは皆、「おれたち、すごいことやってる感」がしていたので、そんなちょっとした異変にも色めき立って面白かったがすぐに飽きた。何回か経つうちに退屈になってきて、だんだんサボるチームも出てきた。

 つづく

 

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郷竜小説「6万6千万年前の夢を見て死ね」 パート3.ジャパニーズネッシー捜索隊 その①

 

 ところがそれからしばらく後。村じゅうがひっくり返るような出来事が起こった。

 とある国会議員が「日本のネッシーを捜索する」と言い出し、日本各地のネッシー伝説がある湖に捜索隊を送り込んだからだ。

その国会議員はもともとSF作家で、数々のベストセラー作品を発表して世間を賑わせていた。それと同時に「日本は世界で最も地球の歴史を知っている国」とか、「国土には太古の記憶が幾重にも刻まれている」いう自説を展開し、テレビの討論会などにもちょくちょく出演していた。

 そして、その人気・知名度を使って参議院選挙に立候補したら、しっかり当選してしまったのだ。政治経験はもちろんゼロ。しかし、歯に衣を着せない物言いは庶民にとって痛快に映り、彼は喝采を浴びて政界に迎えられた。

 参議院で何らかの実績を上げたという話は聞かないが、その男がなぜだか恐竜探しをやるというのである。しかし、彼の中では決して荒唐無稽なパフォーマンスではなく、ちゃんと論理だった、国民感情を高揚させるためのストーリーがあった。

 「イギリスのごとき老大国の一地方であるスコットランドの田舎がネッシーだけで盛り上がり、年間で世界中から相当数の観光客が訪れるという。わが国にも列島各地の湖に恐竜が生息している可能性があるのだから発掘し、エコノミックアニマルではない、夢とロマンにあふれた日本国を世界にアピールすべきである」

 折も折、日本は高度経済成長によって世界有数の豊かな国になりつつあった。円は高騰し、他国の通貨を圧倒する勢いは当分衰えそうにない。カネのことしか考えない成金国家の台頭に、二〇世紀の世界をリードしてきた欧米諸国は苦々しい思いを抱いている。これらの国の各地では日本製品排斥のデモが起こるなど、貿易摩擦も深刻化しており、政府もほったらかしておくわけにはいかなくなった。

 そんな時に出された彼のアイデアは、そうした摩擦・軋轢を緩和する潤滑油のようなはたらきができるのではないかと期待されたらしい。それにもちろん観光客が増え、観光収入のアップも目論まれていたのだろう。

 あくまでも噂だが、裏では当時の首相も絡んでいたようで、排斥運動を受けた複数の企業がスポンサーとなってこのプロジェクトを動かすことになったという。

 その作家議員が公開したリストには、北海道・屈斜路湖のクッシー、山梨県・本栖湖のモッシー、鹿児島県・池田湖のイッシ―などの有名どころに連なって、最後に奈々湖のナッシーの名も挙がっていた。

 今まで日本中の誰も聞いたことがなかった村の名前は、この時から突然、全国区になった。このニュースに村人たちが沸き返ったのは言うまでもない。

 

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週末の懐メロ172:追憶/バーブラ・ストライサンド

 

1973年、ロバート・レッドフォードと

バーブラ・ストライサンド主演の

恋愛映画「追憶」のテーマ。

 

ラストシーン、ニューヨークの街角で偶然出会った

元恋人の二人がちょっとした言葉を交わし、

互いに背を向けてそのままさらっと別れていく。

しかし、バックにこの歌が流れ、

心のなかに切ない思いがあふれ出す。

 

初めて観た時、まだ子どもだったので、

その切なさ・悲しみを抑えたさらっと感が

ものすごく大人びていてカッコよくて憧れた。

自分もいつかこんな恋愛をするのだろうと思っていた。

しかしまぁ、もちろん現実は映画のようにいかない。

何ともお恥ずかしい限りだが、

この齢になるとそれも笑い話。

 

映画の内容についてはラストシーン以外、

さっぱり覚えていないが、

この歌は一生心の中に残ると思う。

 

ものすごく久しぶりに聴いたが、

イントロのピアノとハミング、

そしてハミングから歌に移っていくところは心底しびれる。

 

女優としてもそうだが、1970年代の終わりごろ、

歌手としてのストライサンドは絶頂に達した。

アメリカにおける彼女のレコードセールスは

プレスリー、ビートルズに次ぐほどだったという。

女性歌手としてはもちろんナンバー1である。

 

そういえばビー・ジーズのバリー・ギブがプロデュースした

「ギルティ」(1980年)を僕も持っていた。

これは彼女の最大のヒットアルバムだったらしい。

 

長らく名前を聞かなかったので、

僕にとっては過去形の名女優・歌手だったが、

調べてみると、アメリカではその後も

ずっと変わらずに活躍していて、

レジェンドとして君臨しているようだ。

ただ、来日公演は一度も行っていない。

 

80歳を超えるバーブラ・ストライサンドは

この「追憶」の頃、31歳。

「30以上は信じるな」とみんなで叫んでいた時代、

僕をはじめとして、その頃の若者の多くは

30前後で人生はいったん終わるのだと

信じていたような気がする。

 

けれども僕はその30歳をもう2回やってしまった。

その上でこの曲を聴くと、

記憶がいろいろな時代をさまよって

あの頃が遠い昔のことなのか、

つい昨日のことなのか、わからなくなってくる。

どちらでもいい。今、こうして生きて歌を聴けるなら。

 

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逃亡者の死の価値

 

50年間逃亡生活を送った桐島聡容疑者

(正確には同容疑者とみられる男)が

死亡したというニュースに

ネット上では大勢の人たちが感想・コメントを寄せている。

 

人生とは何か、よりよい生き方とは何か、

取り返しのつかない失敗をしでかしてしまった時、

人はどうすればいいのか?

そうしたことを大勢の人に考えさせた、

語らせたという点については

桐島容疑者の50年間にも価値があったのでは、

と思わせるほどだ。

 

半世紀の間、街の交番の前で晒され続けたのだから、

彼の顔を知っている人は世代を超えて多岐にわたる。

おそらく現在の成人の8割以上は

あの顔を知っているだろう。

 

数ある指名手配犯のなかでも

桐島容疑者の写真は異質だった。

他の容疑者がいかにも悪党面で写っているのに比べて、

彼だけがいい人っぽく笑っている。

20歳前後の若者で長髪で黒ぶちメガネ。

60~70年代、フォークやロックのコンサートに

必ずこういうタイプの若者がいたなかと、

なんだか青春を感じさせる。

親近感とまではいかないが悪い奴には見えない。

 

50年前は学生運動が終焉した後の火の粉が

当時の若者たちの頭上にまだ少しは舞っていた時代だった。

彼はかの組織の思想に

深く染まっていたわけではないだろう。

 

活動に参加して事件に関わってしまったのは、

今で言えば、オタクの若者がマンガやアニメやアイドルに

のめり込んだのとさして変わらない気がする。

要するにノリである。

たんに青臭い正義感にかぶれ、妄想を見ていただけなのだ。

 

しかし、彼は活動に参加して一線を越え、

大事件に関わってしまった。

ちょっとオウム真理教の信者に似ている。

 

逃亡生活を始めた時はまだ若かったから

「逃げ切ってやる」と野心を燃やしていたに違いない。

リアルゲームのプレイヤーになったような

高揚感・緊張感もあったのだろう。

 

しかし、時間の流れは容赦なく、

逃亡生活自体が彼の心も体も蝕んでいった。

彼は捕まらず、牢獄に入れられることもなかったが、

その代り、身分証も住民票もなく、

保険も入れず銀行口座も作れず、

ろくに人と関われず、その日暮らしの連続で、

いつか発見されるのではないかと絶えず怯え、

年齢と共に当初の野心も夢も希望もボロボロになっていく。

 

その心の有様は、娑婆にいても

終身刑を受けていたのと変わりなかったのではないか。

なぜどこかで考えを変えて、自首できなかったのか?

40になり、50になり、

もう今からでは遅すぎると思ったのか?

 

少なくとも1年前、ガンが発覚した時に出ていこう

という気にならなかったのか?

逃げ続けた意地があったのか、

それとも病身で治療も受けられない状態になって、

自業自得だからこの懲罰を引き受けようと考えたのか?

 

結局、彼は若い頃に心に決めたことをやり遂げた。

死ぬまで逃げきったのだ。

けれどもそれは勝利だろうか? 成功だろうか?

警察を相手に、社会を相手に

「どうだ、ざまあみろ」と笑えただろうか?

 

本当のことは本人にしかわからないが、

勝利と思うには、あまりに哀れで寂しい最期に見える。

死ぬ前に「本名に戻りたかった」

「自分に還りたかった」と素性を明かしたのは、

心の底からの本音に違いない。

自分を偽り続けることこそ最も不幸な生き方。

きっと多くの人がそう思ったのではないかと思う。

 

あの事件で被害を受けた人にはとても申しわけないが、

僕は少し桐島容疑者に同情し、

彼の心の変遷を考えずにはいられなくなっている。

 

 

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「進撃の巨人」の「食べる」

 

今さらだけど「進撃の巨人」のアニメを

アマプラで見ている。

評判は聞いていたが、巨人が人間を食うシーンが怖くて

気持ち悪くて、これまで見ていなかった。

しかし今年になって、意を決して(?)見出したら

めっちゃ面白くてドハマリ。

正月からこの1カ月ほどで、

ほぼ一気見ペースで見まくっている。

 

それにしても想像以上に残酷シーンが多い。

巨人が人間を食う、巨人が巨人を食う。

人食いシーンのてんこ盛りである。

感想的なものは全部見終わってから書こうと思うが、

一つだけ先に言うと、

この作品において「食べる」という行為は、

三つの意味を持っているように見受けられる。

 

一つは殺戮・戦争のオマージュ。

巨人は強大な力を持って襲ってくる。

心を持たない兵器・軍隊のように見える。

 

一つは本能だけで食欲の塊である赤ん坊や子供の暗喩。

知性を持たない、ただ人を食うだけの巨人は

「無垢の巨人」と呼ばれ、

姿形も動きも本能のまま、

無邪気に食物に向かう子供のように描かれる。

 

そしてもう一つは、

相手の能力を取り込む行為としての「食べる」。

 

最近は人種差別につながるからか、あまり聞かないが、

僕が子どもの頃には少年雑誌・マンガ誌などに

よく人食い人種の話が載っていた。

今でもそういう習慣を残している種族がいると思うが、

彼らが人を食うのは、

自分にはない敵の能力を取り入れるという意味があり、

一種の宗教的・呪術的な行為であったようだ。

 

この作品では能力にプラス相手の持つ記憶も

取り込めることになっており、

それがストーリーの大きな鍵になっている。

 

僕たちもしばしば

「食べたものが自分になる」ということを言う。

ふだんあまり意識しないが考えてみえば、

かなり恐ろしい思想・イメージだ。

 

太古の人類は地球上のどこでも、

それぞれの種族同士で殺し合い・食い合いをやっていた。

そして殺した敵の(時には仲間の)

人間を食うということは、他のどの動植物よりも優れた

最高の栄養を取り入れることだった。

と、科学的にどうかはともかく、そう信じられていた。

なので、少なくとも精神的には強力な栄養になった。

そうした栄養によって進化してきたのがホモサピエンスだ。

 

おそらく僕たちの脳のどこかには

そうした太古のホモサピの記憶が残っているのだと思う。

この先、より科学が発達し、社会が発展し、

ライフスタイルが洗練されても、

こうした原初の感覚は残り続けるのではないかと思う。

 

というわけで「進撃の巨人」は

すさまじいイメージが渦巻く物語であり、

とても優れた人間ドラマであり、

テーマもストーリー展開も素晴らしい作品である。

残酷シーンが大丈夫な人には、ぜひ見て欲しいと思う。

 

というわけでまだ最後まで辿り着いていないので、

この話はまたこんどするが、

日本のアニメのクオリティはやっぱりすごい。世界一。

 

 

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おふくろの味はハンバーグ  本日発売!

 

どんな夢も、どんな未来も、めしを食わなきゃ始まらない。

食べることは明日へ向かって生きること。

どんなに悲しんだり、落ち込んだり、深刻に悩んだり、

もう死にたいと思っていても、人は腹が減ればめしを食う。

めしを食えるうちは絶対に死にません。

食べていると、生きる意欲がモリモリ湧き出します。

「明日もがんばるぞ。さあ、今日は何を食おう?」 

そうして食っためしが、あなたの、私の、

血となり肉となり心になっていく。

読めば食欲がわき、元気が出る面白エッセイ。

どうぞご賞味あれ。

 

もくじ

・トノサマラーメンと名古屋インスタントラーメン戦国史

・オバマのタカハシさんちの娘は人魚の肉を喰った

・「みんなが作ってる カエルのから揚げレシピ」の衝撃

・なぜ日本にカエル食が定着しなかったのか?

・昭和最強のおやつ ベビーラーメン

・さらば、おれの牛丼

・どうだ、銅だ、ブドウだ

・ヒトとブタは神目線ではブラザーなのか?

・マイナビ農業 ハラール認証

・飲食業の現場で働く人たちの意欲・生きる元気

・新宿にパステルが帰って来た

・がっちりアメリケンなハンバーガーとアップルパイ

・誕生日のドラえもんとウサギ

・なぜ付け合わせのポテトサラダがおいしい店は信用できるのか?

・チャットGPTに訊く:ロンドンに日本食の店を出すなら

・美野原御膳と日本の里山

・吉祥寺にやってきたクレヨンハウス

・カエルの幸福サラダ

・一汁三菜はより良き食卓・家庭・人生の秘訣

・五右衛門の湯豆腐と空海の鴨カツ丼

・おふくろの味はハンバーグ

 

・みんなのハンバーグ

全22編 載録

 


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新刊「おふくろの味はハンバーグ」明日発売

 

どんな夢も、どんな未来も、めしを食わなきゃ始まらない。

食べることは明日へ向かって生きること。

 

「明日もがんばるぞ。さあ、今日は何を食おう?」 

そうして食っためしが、あなたの、私の、

血となり肉となり心になっていく。

読めば食欲がわき、元気が出る面白エッセイ。

どうぞご賞味ください。

もくじ

・トノサマラーメンと名古屋インスタントラーメン戦国史

・オバマのタカハシさんちの娘は人魚の肉を喰った

・「みんなが作ってる カエルのから揚げレシピ」の衝撃

・なぜ日本にカエル食が定着しなかったのか?

・昭和最強のおやつ ベビーラーメン

・さらば、おれの牛丼

・チャットGPTに訊く:ロンドンに日本食の店を出すなら

・おふくろの味はハンバーグ

ほか22編載録

 

エッセイ集:食べる3

おりべまこと電子書籍新刊

おふくろの味はハンバーグ

 

AmazonKindleより明日1/29(月)発売。

 


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おりべまことKindle本新刊予告「おふくろの味はハンバーグ」

 

おりべまことKindle本新刊予告

エッセイ集:食べる3

「おふくろの味はハンバーグ」

ブログで話題の名古屋地域・昭和時代特化の即席ラーメン「トノサマラーメン」、カエルのから揚げ、

ChatGPTに訊くロンドン日本食なども載録。全22編。

1月29日(月)発売予定です。

 


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週末の懐メロ171:僕たちの家/クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング

 

僕は暖炉に火をくべ、きみは花瓶に花を挿す———

と歌う「僕たちの家」は1970年リリース、

CSNY(クロスビー・スティルㇲ・ナッシュ&ヤング)の

名盤「デジャ・ヴュ」からシングルカットされたヒット曲。

 

歌っているのは何気ない日常のひと時。

好きな人と同じ家でいっしょに暮らしている喜び・幸福。

 

名盤とか名曲とか音楽史的価値とか、

どれだけ売れたとか、

CSNYがいかに偉大なバンドだったか、

そんなことはどうでもよくて、

いま聴いても思わず口ずさみたくなる

楽しくて、やさしい歌だ。

 

むかしは恋人でも、夫婦でも、友だちでも、親子でも、

好きな人といっしょにいれば、

ただそれだけで楽しかったのに。

そう思うことはありませんか?

 

人間、齢を取るごとに、

好きな人といっしょにいるだけでは足らなくなり、

いろいろなものが欲しくなり、

約束された未来を手に入れたくなる。

そして、欲しいものが手に入らないと、

好きだったはずの人も好きでなくなってしまう。

 

欲しいものを手に入れようとがんばるから

人間は成長・進化するのだ。

そう言うかもしれないが、

それは実は成長でも進化でもなく、

人間がねじ曲がる変化・変貌ではないか。

 

人生はメルヘンではないけど、

たまにはこんな懐メロを口ずさみ、

単純に幸福だった時代、

楽しく暮らしていた時代を思い出してもいいかもね。

 

おりべまこと電子書籍

音楽エッセイ集「週末の懐メロ」第1~4巻

Amazon Kindleより発売中。各300円。

 


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今夜もニャゾのねこちゃーはん

 

ネットで「ねこちゃーはん」と入れて検索すると、

なぜかチャーハンが好きそうなネコがいっぱい出てくる。

これは僕の知らなかった世界だ。

 

ネコってチャーハン好きなの?

食えるの?

食わせていいの?

疑問が頭のなかをぐるぐる渦を巻いたが、

ひと昔前、「ねこまんま」がネコの定番食(?)だったので、

チャーハンもありかもしれない。

 

さらに驚いたことには、

アマプラに「ネコチャーハン」という映画が入っていた。

下町の中華料理の名店を舞台にした

ファンタジー&ヒューマンドラマ(?)。

 

この映画でもネコが中華料理屋のおやじに

毎日チャーハンをもらって食っている。

そのネコがこの店の後継ぎの息子のために

美女に変身(ネコ娘か?)となって現れ、

ベッドも共にして彼を献身的に応援するという、

いわば「ネコの恩返し」みたいな話。

レビューめいたことは書かないので、

興味があったらご覧ください。1時間ちょっとです。

 

おかげですっかりネコは、チャオちゅーるとおなじくらい

チャーハンが好きなのではないかと思い込んでしまったが、

「いやいや、かつおぶし入りじゃないんです」と、

「ねこちゃーはん はじめました」の店から顔を出した

お兄ちゃんからは真っ向から否定した。

え???

あんまり料理人らしくなく、

ノマドワーカーか、クリエイターといった風情だ。

 

彼は言うには

「ネコの顔をデコったチャーハンのことなんです」

つまり、映えを狙って作ったチャーハンらしい。

最初、「ねこちゃーはん」で検索しても出てこなかったが、

あわせて「浜田山」と入れるとやっと出てきた。

 

この店、昨年6月にオープンしたとのことで、

店主はかつて下北沢で雑貨店をやっていたらしい。

それで今回はお酒やコーヒー等を飲みながら、

お腹も満たせるようにと飲食店を始めたという。

 

名刺をもらったが、もしや1枚1枚手書き?という感じ。

あんまり商売っ気もなさそうだし、ヒマそうだが、

夜のお酒が飲める時間などは繁盛しているのだろうか?

 

ニャゾがニャゾを呼ぶねこちゃーはん。

来週あたり、ちょっと食べに行ってみたくなった。

しばらく間をおくが、次なる第3回をお楽しみに。

 

 

こちらもお楽しみに!

おりべまことKindle本新刊予告

エッセイ集:食べる3

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1月29日(月)発売予定です。


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ニャゾのねこちゃーはん

 

昨年のいつ頃だったか、浜田山駅近くの店で

「ねこちゃーはん はじめました」

という謎の看板を見掛け、

「ねこちゃーはん」ってニャンだろう?

と思っていた。

 

ネコカフェ?

それともネコを連れて入れるお店?

それにしては飲食店らしくないニャー。

 

まさかペットのネコに

チャーハンを喰わせるわけでもあるミャーと思って、

勝手にかつおぶしを入れたチャーハンのことニャのだと断定。

 

ニャらばわざわざ食いに行くこともあるまいと、

家で作ってみたニャン。

以下、レシピ。

 

★材料:昨日の残りの冷ご飯、卵、ねぎ、にんじん、レタス、しいたけ、ちくわ、かつおぶし

 

★調味料:しお、こしょう、しょうゆ、ナンプラー、ごま油、酒

 

(量は人数とみんなの腹の減り具合に合わせて適当に。

それぞれ多くても少なくても大失敗することはありません)

 

作り方:

熱した鉄鍋もしくはフライパンにごま油を入れ、溶き卵をいれてゆるめに焼く。

20~30秒で十分。とろっと状態になったら即取り出す。

ご飯をガバッと鉄鍋もしくはフライパンに入れて、

お酒をちょっとかけつつ、ほぐしながら炒める。

 

適当に切った野菜をガバッと入れる。

ネギは必須。後は好みで適当にだが、

しいたけはあると味がよくなる。

レタスは以前よく行ってた中華に

「レタスチャーハン」というメニューがあり、

割と合うので、冷蔵庫にあればいつも入れる。

 

タンパク系の具を入れる。

焼き豚でもベーコンでもいいが「ねこちゃーはん」なので

魚系にしてみた。これも好みで。

あとは適当に火が通るまでごはんと具を炒める。

 

だいたい火が通ったら、取り出しておいた卵を入れて

ぐちゃぐちゃ混ぜる。

そして、調味料を適当にぶち込む。

ナンプラーはお好みで。

仕上げにかつおぶしを入れてまぜまぜする。

 

盛り付けて紅ショーガを添え、

ねこちゃーはんらしく、

上からかつおぶしをパラパラかけて出来上がりダニャ。

 

「これぞねこちゃーはん」と、おいしく食べた。

ところが!

この後、たまたま駅の方に用事があったので

あの店の前を通ったら、衝撃の事実が判明。

僕が作ったねこちゃーはんは、

あの店のねこちゃーはんとは違っていた。

はたして、浜田山のねこちゃーはんの正体とは?

 

明日へつづくニャンコロリン

 

おりべまこと「食べる」エッセイ集

Kindleより発売中。各¥500

あなたもごはんでできている

 

ロンドンのハムカツ

 

第3集「殿様ラーメンと母ハンバーグ」近日発売予定

 


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親の介護は5年で卒業(というマイルール)

 

子育てには卒業があるが、親の介護に卒業はない。

強いていえば、親が亡くなり看取ることか。

 

でも、あえて卒業を設けるべきではないかという気がする。

今の生活を始めて今年6月で5年になるが、

5年やったら、卒業資格を得てももいい。

誰もそんなことは言ってないし、認めてもくれないが、

これは自分(とカミさん)で決めた。

 

義母は先週、89歳になった。

90歳まであと1年。

体はまだまだ元気なので時々忘れてしまうが、

彼女は認知症という病気持ちである。

 

気になることはいくつかある。

まず、幻視・幻聴が増えていること。

今年になってから、

昨年の誕生日プレゼントにあげたネコちゃんと、

京都のお土産のお地蔵さん人形を返しに来た。

「話が合わない」とか

「部屋のなかにいてほしくない」といった理由を言う。

 

「どうせ次の日には忘れているよ」と

カミさんと示し合わせ、散歩に出ている時とか、

デイサービスに行って留守の時などに

部屋に戻しておくのだが、やっぱり何度も持ってくる。

 

そんなことが3回ほどあったので、

これは本気(?)だと思い、

しかたなく引き取ることにした。

 

そういえば、現実の世界でも

ネコやお地蔵さんは避けていたことを思い出した。

ちょっと怖いのかもしれない。

 

前にも書いたが、

義母は母譲りの霊能力らしきものを持っており、

それをずっと封印して生きてきた人である。

認知症になったことでその能力が徐々に解放され、

見えない世界と交流ができるようになり始めているらしい。

 

ちょっと冗談めかしてい書いているが、

認知症の症例を見ると、

幻視・幻聴で錯乱状態に陥ることが結構あるという。

 

今はまだ笑って受け止めらるレベルだが、

この1年くらいでこうしたことがかなり増えたので

エスカレートしないとも限らない。

 

そのほか、月に一度くらいの割でブラック化し、

普段とはまったく違うダークサイドを

垣間見せることもある。

老人はか弱き者というイメージがあるが、

認知症患者は脳のリミッターが働かず、

すごい力を出すこともあるらしい。

 

僕たちに肉体的・精神的なダメージを与えることがあれば、

即刻離れるべきだとも思っている。

 

多くの場合、施設に入れるのは別れを意味している。

僕が知る限り、住み慣れた家から施設に移った

老親の寿命はけっして長くない。

 

理由はたぶん二つ。

環境が変わって心も体も拒否反応を起こす。

そして面倒を見るのに限界があり、自由が奪われる。

 

ただ20年・30年前より、高齢者施設は各段に

良い環境になっており、面倒見もよくなっている。

けれどもスタッフは家族でも親友でもない。

(ごくまれに親友になるケースもあるかもしれない)

それほど献身的なケアをお願いするわけにはいかない。

 

そんなわけで親を施設などに移すのは罪悪感が伴う。

無責任に非難する人もいるだろう。

いま、二人でがんばっているのは、

「ここまでよくやった」という自己満足を得るためだ。

そして罪悪感を抱くことなく、

後悔を残すことなく、介護から卒業して、

新しい人生を歩みたいからだ。

 

だから5年で卒業資格。

その家族によって事情が違うので、

どのケースにも当てはめられるわけではないが、

限界ぎりぎりまで頑張って

自分の人生をつぶしてしまうべきではない。

もちろん、うちも義母が現状を維持でき、

変わらず楽しく暮らしていけるなら、

1年ずつ更新していく。

そうしたルールでやっていきたいと思っている。

 

 

 

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誕生日は誰にでも平等にある祝福の日

 

今日は誕生日だったが、

カミさんも義母もこの10日内が誕生日なので

今年は合同でパステルプリンケーキ。

年齢は3人合わせると軽く200を超えてしまうので、

ローソクはひとり1本で3本だけ。

 

今、オンラインの「となりのヤングジャンプ」で

「ゴールデンカムイ」を通読しているが、

ダークキャラの尾形が腹違いの弟に

「兄様は祝福されて生まれてきた子どもです」

と言われるシーンが泣ける。

主人公・杉元の

「どう生まれたかより、どう生きるかだろ!」もいい。

 

人は皆、誰かに祝福されてこの世に生まれてくる。

世界中の誰にでも平等にある祝福の日。

誕生日はそのことを思い出す日。

何よりも自分を大切にする日。

そして、どう生きるかを考える日。

いくつになっても恥ずかしがらずにお祝いしよう。

 

★前夜、昨年完成させられなかった長編小説

「今はまだ地球がふるさと」を最後まで書き上げた。

まだ書き直しをするけど、とりあえず乾杯。

久しぶりに子供を主人公にしたお話。2月発売予定です。

 

★新刊近日発行予定:

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お正月を食い尽くす「二十日正月」

 

世の中、すっかり受験モード、バレンタインモードに

移行しているけど、

本日1月20日は二十日(はつか)正月。

お正月の祝い納めをして、

正月の残り物を食べ尽くす日だそうな。

 

ウィキを見ると、

二十日正月とは日本の行事で、新年の季語でもある。

この日は正月の納めの日、または仕事始めの日とされる。

 

ってことは昨日まで正月休みだったってこと?

子どもの頃、母から

「三が日を過ぎたら正月はもう終わりだよ」

と言われてひどく寂しくなって、

1月いっぱいずっと正月ならいいのになぁ、

と思った覚えがある。

なので還暦を超え、64の誕生日を目の前にした今、

二十日正月というものがあるのにはちょっと感動した。

 

地域により、その風習に因んで、骨正月・頭正月・

団子正月・麦正月・乞食正月・奴正月・灸正月・

とろろ正月・はったい正月などとも言われるそうだ。

日本の風習、日本語のカラフルな世界もめっちゃ面白い。

 

さて現実を見ると、さすがに冬とは言え、

そして冷蔵・冷凍技術も発達した現代とは言え、

20日以上も前に用意したものは

やっぱりそろそろ食べきらないとヤバイと思う。

 

年明け以降、あまったおせち料理も

ネット通販で叩き売りされていたけど、

さすがにもうお終いだろうか?

 

毎年この時期に安くなったおせち料理を頼んで

食べている人がけっこういるらしい。

 

おいしいもの・年に一度のレアなものを

安く食べたいという人に

ケチをつけるつもりはないが、

これもまた面白いなと思う。

日本の食の風景は本当に豊かで懐が深い。

 

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週末の懐メロ170:ラヴィン・ユー/ミニー・リパートン

 

ここで毎週紹介している懐メロは、

たいていどれも記憶に残る出会いがあるのだが、

この曲だけはいつ・どのように出会ったのか、

ラジオで聴いたのか、テレビで見たのか、

コマーシャルだったのか、街のどこかで流れていたのか、

「ラヴィン・ユー」は10代後半の頃から

いつの間にか耳に住み着いていたという感じの曲だ。

 

ラブソングのプロフェッショナルなら

誰でも一度は歌ってみたいと思うような

美しい旋律の純粋なラブバラード。

それに自分の個性に合わせて

アレンジの自由度が高いこともあり、

世代を超えて、世界中でカヴァーは数限りないが、

オリジナルは1975年のミニー・リパートン。

 

彼女は黒人のシンガーだが、

歌はブルージーでもソウルフルでもない。

黒人だからと、そうした歌い方を求められることに

反感を覚えていたという。

 

もともとはオペラ歌手志望だったが、

ポップミュージックの世界へ。

既に大スターだったスティービー・ワンダーの

バックヴォーカルを務めたことで

メジャーなミュージシャンとしての道が開けた。

 

ワンダーはプロデューサーとして、

驚異の5オクターブの声域を持つ

彼女の歌唱の魅力を開花させた。

初のソロアルバムにつけた名前は

「パーフェクト・エンジェル」だ。

 

彼女自身は僕がまだ10代だった1979年に、

31歳の若さでこの世を去っている。

けれども子供の誕生を祝って夫と作ったという

「ラヴィン・ユー」はおそらくいつの時代も、

ほとんどの人が愛さずにはいられない

普遍的な名曲として、

この先も永く生き続けるのではないかと思う。

 


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