なぜ日本ではカエルはかわいいキャラなのか?

 

 「かえるくん、東京を救う」というのは村上春樹の短編小説の中でもかなり人気の高い作品です。

 主人公がアパートの自分の部屋に帰ると、身の丈2メートルはあろうかというカエルが待っていた、というのだから、始まり方はほとんど恐怖小説。

 ですが、その巨大なカエルが「ぼくのことは“かえるくん”と呼んでください」と言うのだから、たちまちシュールなメルヘンみたいな世界に引き込まれてしまいます。

 

 この話は阪神大震災をモチーフにしていて、けっして甘いメルヘンでも、面白おかしいコメディでもないシリアスなストーリーなのですが、このかえるくんのセリフ回しや行動が、なんとも紳士的だったり、勇敢だったり、愛らしかったり、時折ヤクザだったりして独特の作品世界が出来上がっています。

 

 しかし、アメリカ人の翻訳者がこの作品を英訳するとき、この「かえるくん」という呼称のニュアンスを、どう英語で表現すればいいのか悩んだという話を聞いて、さもありなんと思いました。

 

 このカエルという生き物ほど、「かわいい」と「気持ち悪い」の振れ幅が大きい動物も珍しいのではないでしょうか。

でも、その振れ幅の大きさは日本人独自の感覚のような気もします。

 

 欧米人はカエルはみにくい、グロテスクなやつ、場合によっては悪魔の手先とか、魔女の使いとか、そういう役割を振られるケースが圧倒的に多い気がします。

 

 ところが、日本では、けろけろけろっぴぃとか、コルゲンコーワのマスコットとか、木馬座アワーのケロヨンとか、古くは「やせガエル 負けるな 一茶ここにあり」とか、かわいい系・愛すべき系の系譜がちゃんと続いていますね。

 

 僕が思うに、これはやっぱり稲作文化のおかげなのではないでしょうか。

 お米・田んぼと親しんできた日本人にとって、田んぼでゲコゲコ鳴いているカエルくんたちは、友だちみたいな親近感があるんでしょうね。

 そして、彼らの合唱が聞こえる夏の青々とした田んぼの風景は、今年もお米がいっぱい取れそう、という期待や幸福感とつながっていたのでしょう。

 カエル君に対するよいイメージはそういうところからきている気がします。

 

 ちなみに僕の携帯電話はきみどり色だけど、「カエル色」って呼ばれています。

 茶色いのも黄色っぽいもの黒いのもいるけど、カエルと言えばきれいなきみどり色。やっぱ、アマガエルじゃないとかわいくないからだろうね、きっと。

 雨の季節。そういえば、ここんとこ、カエルくんと会ってないなぁ。ケロケロ。

 


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家族ストーリーを書く仕事② 個の家族

 

  「これから生まれてくる子孫が見られるように」

 ――今回の家族ストーリー(ファミリーヒストリー)を作った動機について、3世代の真ん中の息子さん(団塊ジュニア世代)は作品の最後でこんなメッセージを残しています。

 彼の中にはあるべき家族の姿があった。しかし現実にはそれが叶わなかった。だからやっと安定し、幸福と言える現在の形を映像に残すことを思い立った――僕にはそう取れます。

 

 世間一般の基準に照らし合わせれば、彼は家庭に恵まれなかった人に属するでしょう。かつて日本でよく見られた大家族、そして戦後の主流となった夫婦と子供数人の核家族。彼の中にはそうした家族像への憧れがあったのだと思います。

 

 けれども大家族どころか、核家族さえもはや過去のものになっているのでないか。今回の映像を見ているとそう思えてきます。

 

 団塊の世代の親、その子、そして孫(ほぼ成人)。

 彼らは家族であり、互いに支え合い、励まし合いながら生きている。

 けれど、その前提はあくまで個人。それぞれ個別の歴史と文化を背負い、自分の信じる幸福を追求する人間として生きている。

 

 むかしのように、まず家があり、そこに血のつながりのある人間として生まれ、育つから家族になるのではなく、ひとりひとりの個人が「僕たちは家族だよ」という約束のもとに集まって愛情と信頼を持っていっしょに暮らす。あるいは、離れていても「家族だよ」と呼び合い、同様に愛情と信頼を寄せ合う。だから家族になる。

 

 これからの家族は、核家族からさらに小さな単位に進化した「ミニマム家族」――「個の家族」とでもいえばいいのでしょうか。

 比喩を用いれば、ひとりひとりがパソコンやスマホなどのデバイスであり、必要がある時、○○家にログインし、ネットワークし、そこで父・母・息子・娘などの役割を担って、相手の求めることに応じる。それによってそれぞれが幸福を感じる。そうした「さま」を家族と呼称する――なかなかスムーズに表現できませんが、これからはそういう家族の時代になるのではないでしょうか。

 

 なぜなら、そのほうが現代のような個人主義の世の中で生きていくのに何かと便利で快適だからです。人間は自身の利便性・快適性のためになら、いろいろなものを引き換えにできます。だから進化してこられたのです。

 

 引き換えに失ったものの中にももちろん価値があるし、往々にして失ってみて初めてその価値に気づくケースがあります。むかしの大家族しかり。核家族しかり。こうしてこれらの家族の形態は、今後、一種の文化遺産になっていくのでしょう。

 好きか嫌いかはともかく、そういう時代に入っていて、僕たちはもう後戻りできなくなっているのだと思います。

 

 将来生まれてくる子孫のために、自分の家族の記憶を本なり映像なりの形でまとめて遺す―― もしかしたらそういう人がこれから結構増えるのかもしれません。

 

 

2016・6・27 Mon


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家族ストーリーを書く仕事① 親子3世代の物語

 

 親子3世代の物語がやっと完成一歩手前まで来ました。

 昨年6月、ある家族のヒストリー映像を作るというお仕事を引き受けて、台本を担当。

足掛け1年掛かりでほぼ完成し、残るはクライアントさんに確認を頂いて、最後にナレーションを吹き込むのみ、という段階までこぎつけたのです。

 

 今回のこの仕事は、ディレクターが取材をし、僕はネット経由で送られてくるその音源や映像を見て物語の構成をしていきました。そのディレクターとも最初に1回お会いしただけでご信頼を頂いたので、そのあとはほとんどメールのやり取りのみで進行しました。インターネットがあると、本当に家で何でもできてしまいます。

 ですから時間がかかった割には、そんなに「たいへん感」はありませんでした。

 

 取材対象の人たちともリアルでお会いしたことはなく、インタビューの音声――話の内容はもとより、しゃべり方のくせ、間も含めて――からそれぞれのキャラクターと言葉の背景にある気持ちを想像しながらストーリーを組み立てていくのは、なかなかスリリングで面白い体験でした(最初の下取材の頃はディレクターがまだ映像を撮っていなかったので、レコーダーの音源だけを頼りにやっていました)。

 

 取材対象と直接会わない、会えないという制限は、今までネガティブに捉えていたのですが、現場(彼らの生活空間や仕事空間)の空気がわからない分、余分な情報に戸惑ったり、感情移入のし過ぎに悩まされたりすることがありません。

 適度な距離を置いてその人たちを見られるので、かえってインタビューの中では語られていない範囲まで自由に発想を膨らませられ、こうしたドキュメンタリーのストーリーづくりという面では良い効果もあるんだな、と感じました。

 

 後半(今年になってから)、全体のテーマが固まり、ストーリーの流れが固まってくると、今度は台本に基づいて取材がされるようになりました。

 戦後の昭和~平成の時代の流れを、団塊の世代の親、その息子、そして孫(ほぼ成人)という一つの家族を通して見ていくと、よく目にする、当時の出来事や風俗の記録映像も、魂が定着くした記憶映像に見えてきます。

 これにきちんとした、情感豊かなナレーターの声が入るのがとても楽しみです。

 

 

2016・6・26 Sun


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ゴマスリずんだ餅と正直ファンタじいさん

 

おもちペタペタ伊達男

 

  今週日曜(19日)の大河ドラマ「真田丸」で話題をさらったのは、長谷川朝晴演じる伊達政宗の餅つきパフォーマンスのシーン。「独眼竜」で戦国武将の中でも人気の高い伊達政宗ですが、一方で「伊達男」の語源にもなったように、パフォーマーというか、歌舞伎者というか、芝居っけも方もたっぷりの人だったようです。

 

 だから、餅つきくらいやってもおかしくないのでしょうが、権力者・秀吉に対してあからさまにこびへつらい、ペッタンコとついた餅にスリゴマを・・・じゃなかった、つぶした豆をのっけて「ずんだ餅でございます」と差し出す太鼓持ち野郎の姿に、独眼竜のカッコいいイメージもこっぱみじんでした。

 

 僕としては「歴人めし」の続編のネタ、一丁いただき、と思ってニヤニヤ笑って見ていましたが、ファンの人は複雑な心境だったのではないのでしょうか。(ネット上では「斬新な伊達政宗像」と、好意的な意見が多かったようですが)。

 

 しかし、この後、信繁(幸村=堺雅人)と二人で話すシーンがあり、じつは政宗、今はゴマスリ太鼓持ち野郎を演じているが、いずれ時が来れば秀吉なんぞ、つぶしてずんだ餅にしてやる・・・と、野心満々であることを主人公の前で吐露するのです。

 で、これがクライマックスの関ヶ原の伏線の一つとなっていくわけですね。

 

裏切りのドラマ

 

 この「真田丸」は見ていると、「裏切り」が一つのテーマとなっています。

 出てくるどの武将も、とにかくセコいのなんのttらありゃしない。立派なサムライなんて一人もいません。いろいろな仮面をかぶってお芝居しまくり、だましだまされ、裏切り裏切られ・・・の連続なのです。

 

 そりゃそうでしょう。乱世の中、まっすぐ正直なことばかりやっていては、とても生き延びられません。

 この伊達政宗のシーンの前に、北条氏政の最後が描かれていましたが、氏政がまっすぐな武将であったがために滅び、ゴマスリ政宗は生き延びて逆転のチャンスを掴もうとするのは、ドラマとして絶妙なコントラストになっていました。

 

 僕たちも生きるためには、多かれ少なかれ、このゴマスリずんだ餅に近いことを年中やっているのではないでしょうか。身過ぎ世過ぎというやつですね。

 けれどもご注意。

 人間の心とからだって、意外と正直にできています。ゴマスリずんだ餅をやり過ぎていると、いずれまとめてお返しがやってくるも知れません。

 

人間みんな、じつは正直者

 

 どうしてそんなことを考えたかと言うと、介護士の人と、お仕事でお世話しているおじいさんのことについて話したからです。

 そのおじいさんはいろんな妄想に取りつかれて、ファンタジーの世界へ行っちゃっているようなのですが、それは自分にウソをつき続けて生きてきたからではないか、と思うのです。

 

 これは別に倫理的にどうこうという話ではありません。

 ごく単純に、自分にウソをつくとそのたびにストレスが蓄積していきます。

 それが生活習慣になってしまうと、自分にウソをつくのが当たり前になるので、ストレスが溜まるのに気づかない。そういう体質になってしまうので、全然平気でいられる。

 けれども潜在意識は知っているのです。

 「これはおかしい。これは違う。これはわたしではな~い」

 

 そうした潜在意識の声を、これまた無視し続けると、齢を取ってから自分で自分を裏切り続けてきたツケが一挙に出て来て、思いっきり自分の願いや欲望に正直になるのではないでしょうか。

 だから脳がファンタジーの世界へ飛翔してしまう。それまでウソで歪めてきた自分の本体を取り戻すかのように。

 つまり人生は最後のほうまで行くとちゃんと平均化されるというか、全体で帳尻が合うようにできているのではないかな。

 

自分を大事にするということ

 

 というのは単なる僕の妄想・戯言かも知れないけど、自分に対する我慢とか裏切りとかストレスとかは、心や体にひどいダメージを与えたり、人生にかなりの影響を及ぼすのではないだろうかと思うのです。

 

 みなさん、人生は一度きり。身過ぎ世過ぎばっかりやってると、それだけであっという間に一生終わっちゃいます。何が自分にとっての幸せなのか?心の内からの声をよく聴いて、本当の意味で自分を大事にしましょう。

 介護士さんのお話を聞くといろんなことを考えさせられるので、また書きますね。

 

 

 

2016/6/23 Thu


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死者との対話:父の昭和物語

 

 すぐれた小説は時代を超えて読み継がれる価値がある。特に現代社会を形作った18世紀から20世紀前半にかけての時代、ヨーロッパ社会で生まれた文学には人間や社会について考えさせられる素材にあふれています。

 

その読書を「死者との対話」と呼んだ人がいます。うまい言い方をするものだと思いました。

 

僕たちは家で、街で、図書館で、本さえあれば簡単にゲーテやトルストイやドストエフスキーやブロンテなどと向かい合って話ができます。別にスピリチュアルなものに関心がなくても、書き残したものがあれば、私たちは死者と対話ができるのです。

 

 もちろん、それはごく限られた文学者や学者との間で可能なことで、そうでない一般大衆には縁のないことでしょう。これまではそうでした。しかし、これからの時代はそれも可能なことではないかと思います。ただし、不特定多数の人でなく、ある家族・ある仲間との間でなら、ということですが。

 

 僕は父の人生を書いてみました。

 父は2008年の12月に亡くなりました。家族や親しい者の死も1年ほどたつと悲しいだの寂しいだの、という気持ちは薄れ、彼らは自分の人生においてどんな存在だったのだろう?どんなメッセージを遺していったのだろう?といったことを考えます。

 

父のことを書いてみようと思い立ったのは、それだけがきっかけではありませんでした。

死後、間もない時に、社会保険事務所で遺族年金の手続きをする際に父の履歴書を書いて提出しました。その時に感じたのは、血を分けた家族のことでも知らないことがたくさんあるな、ということでした。

じつはそれは当り前のことなのだが、それまではっきりとは気が付いていませんでした。なんとなく父のことも母のこともよく知っていると思いすごしていたのです。

実際は私が知っているのは、私の父親としての部分、母親としての部分だけであり、両親が男としてどうだったか、女としてどうだったか、ひとりの人間としてどうだったのか、といったことなど、ほとんど知りませんでした。数十年も親子をやっていて、知るきっかけなどなかったのです。

 

父の仕事ひとつ取ってもそうでした。僕の知っている父の仕事は瓦の葺換え職人だが、それは30歳で独立してからのことで、その前――20代のときは工場に勤めたり、建築会社に勤めたりしていたのです。それらは亡くなってから初めて聞いた話です。

そうして知った事実を順番に並べて履歴書を作ったのですが、その時には強い違和感というか、抵抗感のようなものを感じました。それは父というひとりの人間の人生の軌跡が、こんな紙切れ一枚の中に納まってしまうということに対しての、寂しさというか、怒りというか、何とも納得できない気持ちでした。

 

父は不特定多数の人たちに興味を持ってもらえるような、波乱万丈な、生きる迫力に満ち溢れた人生を歩んだわけはありませんい。むしろそれらとは正反対の、よくありがちな、ごく平凡な庶民の人生を送ったのだと思います。

けれどもそうした平凡な人生の中にもそれなりのドラマがあります。そして、そのドラマには、その時代の社会環境の影響を受けた部分が少なくありません。たとえば父の場合は、昭和3(1928)に生まれ、平成元年(1989)に仕事を辞めて隠居していました。その人生は昭和の歴史とほぼ重なっています。

 

ちなみにこの昭和3年という年を調べてみると、アメリカでミッキーマウスの生まれた(ウォルト・ディズニーの映画が初めて上映された)年です。

父は周囲の人たちからは実直でまじめな仕事人間と見られていましたが、マンガや映画が好きで、「のらくろ」だの「冒険ダン吉」だのの話をよく聞かせてくれました。その時にそんなことも思い出したのです。

 

ひとりの人間の人生――この場合は父の人生を昭和という時代にダブらせて考えていくと、昭和の出来事を書き連ねた年表のようなものとは、ひと味違った、その時代の人間の意識の流れ、社会のうねりの様子みたいなものが見えてきて面白いのではないか・・・。そう考えて、僕は父に関するいくつかの個人的なエピソードと、昭和の歴史の断片を併せて書き、家族や親しい人たちが父のことを思い起こし、対話できるための一遍の物語を作ってみようと思い立ちました。

本当はその物語は父が亡くなる前に書くべきだったのではないかと、少し後悔の念が残っています。

生前にも話を聞いて本を書いてみようかなと、ちらりと思ったことはあるのですが、とうとう父自身に自分の人生を振り返って……といった話を聞く機会はつくれませんでした。たとえ親子の間柄でも、そうした機会を持つことは難しいのです。思い立ったら本気になって直談判しないと、そして双方互いに納得できないと永遠につくることはできません。あるいは、これもまた難しいけど、本人がその気になって自分で書くか・・・。それだけその人固有の人生は貴重なものであり、それを正確に、満足できるように表現することは至難の業なのだと思います。

 

実際に始めてから困ったのは、父の若い頃のことを詳しく知る人など、周囲にほとんどいないということ。また、私自身もそこまで綿密に調査・取材ができるほど、時間や労力をかけるわけにもいきませんでした。

だから母から聞いた話を中心に、叔父・叔母の話を少し加える程度にとどめ、その他、本やインターネットでその頃の時代背景などを調べながら文章を組み立てる材料を集めました。そして自分の記憶――心に残っている言葉・出来事・印象と重ね合わせて100枚程度の原稿を作ってみたのです。

 

自分で言うのもナンですが、情報不足は否めないものの、悪くない出来になっていて気に入っています。これがあるともうこの世にいない父と少しは対話できる気がするのです。自分の気持ちを落ち着かせ、互いの生の交流を確かめ、父が果たした役割、自分にとっての存在の意味を見出すためにも、こうした家族や親しい者の物語をつくることはとても有効なのではないかと思います。

 

 高齢化が進む最近は「エンディングノート」というものがよく話題に上っています。

「その日」が来た時、家族など周囲の者がどうすればいいか困らないように、いわゆる社会的な事務手続き、お金や相続のことなどを書き残すのが、今のところ、エンディングノートの最もポピュラーな使い方になっているようだ。

もちろん、それはそれで、逝く者にとっても、後に残る者にとっても大事なことです。しかし、そうすると結局、その人の人生は、いくらお金を遺したかとか、不動産やら建物を遺したのか、とか、そんな話ばかりで終わってしまう恐れもあります。その人の人生そのものが経済的なこと、物質的なものだけで多くの人に価値判断されてしまうような気がするのです。

 

けれども本当に大事なのは、その人の人生にどんな意味や価値があったのか、を家族や友人・知人たちが共有することが出来る、ということではないでしょうか。

そして、もしその人の生前にそうしたストーリーを書くことができれば、その人が人生の最期の季節に、自分自身を取り戻せる、あるいは、取り戻すきっかけになり得る、ということではないでしょうか。

 

 


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赤影メガネとセルフブランディング

 ♪赤い仮面は謎の人 どんな顔だか知らないが キラリと光る涼しい目 仮面の忍者だ

赤影だ~

 というのは、テレビの「仮面の忍者 赤影」の主題歌でしたが、涼しい目かどうかはともかく、僕のメガネは10数年前から「赤影メガネ」です。これにはちょっとした物語(というほどのものではないけど)があります。

 

 当時、小1だか2年の息子を連れてメガネを買いに行きました。

 それまでは確か茶色の細いフレームの丸いメガネだったのですが、今回は変えようかなぁ、どうしようかなぁ・・・とあれこれ見ていると、息子が赤フレームを見つけて「赤影!」と言って持ってきたのです。

 

 「こんなの似合うわけないじゃん」と思いましたが、せっかく選んでくれたのだから・・・と、かけてみたら似合った。子供の洞察力おそるべし。てか、単に赤影が好きだっただけ?

 とにかく、それ以来、赤いフレームのメガネが、いつの間にか自分のアイキャッチになっていました。自分の中にある自分のイメージと、人から見た自分とのギャップはとてつもなく大きいもの。

 独立・起業・フリーランス化ばやりということもあり、セルフブランディングがよく話題になりますが、自分をどう見せるかというのはとても難しい。自分の中にある自分のイメージと、人から見た自分とのギャップはとてつもなく大きいのです。

 とはいえ、自分で気に入らないものを身に着けてもやっぱり駄目。できたら安心して相談できる家族とか、親しい人の意見をしっかり聞いて(信頼感・安心感を持てない人、あんまり好きでない人の意見は素直に聞けない)、従来の考え方にとらわれない自分像を探していきましょう。

 


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ベビーカーを押す男

 

・・・って、なんだか歌か小説のタイトルみたいですね。そうでもない?

 ま、それはいいんですが、この間の朝、実際に会いました。ひとりでそそくさとベビーカーを押していた彼の姿が妙に心に焼き付き、いろいろなことがフラッシュバックしました。

 BACK in the NEW YORK CITY。

 僕が初めてニューヨークに行ったのは約30年前。今はどうだか知らないけど、1980年代のNYCときたらやっぱ世界最先端の大都会。しかし、ぼくがその先端性を感じたのは、ソーホーのクラブやディスコでもなでもなく、イーストビレッジのアートギャラリーでもなく、ブロードウェイのミュージカルでもなく、ストリートのブレイクダンスでもなく、セントラルパークで一人で子供と散歩しているパパさんたちでした。

 

 特におしゃれでも何でもない若いパパさんたちが、小さい子をベビーカーに乗せていたり、抱っこひもでくくってカンガルーみたいな格好で歩いていたり、芝生の上でご飯を食べさせたり、オムツを替えたりしていたのです。

 

 そういう人たちはだいたい一人。その時、たまたま奥さんがほっとその辺まで買い物に行っているのか、奥さんが働いて旦那がハウスハズバンドで子育て担当なのか、はたまた根っからシングルファーザーなのかわかりませんが、いずれにしてもその日その時、出会った彼らはしっかり子育てが板についている感じでした。

 

 衝撃!・・というほどでもなかったけど、なぜか僕は「うーん、さすがはニューヨークはイケてるぜ」と深く納得し、彼らが妙にカッコよく見えてしまったのです。

 

 

 そうなるのを念願していたわけではないけれど、それから約10年後。

 1990年代後半の練馬区の路上で、僕は1歳になるかならないかの息子をベビーカーに乗せて歩いていました。たしか「いわさきちひろ美術館」に行く途中だったと思います。

 向こう側からやってきたおばさんが、じっと僕のことを見ている。

 なんだろう?と気づくと、トコトコ近寄ってきて、何やら話しかけてくる。

 どこから来たのか?どこへ行くのか? この子はいくつか? 奥さんは何をやっているのいか?などなど・・・

 

 「カミさんはちょっと用事で、今日はいないんで」と言うと、ずいぶん大きなため息をつき、「そうなの。私はまた逃げられたと思って」と。

 おいおい、たとえそうだとしても、知らないあんたに心配されたり同情されたりするいわれはないんだけど。

 

 別に腹を立てたわけではありませんが、世間からはそういうふうにも見えるんだなぁと、これまた深く納得。

 あのおばさんは口に出して言ったけど、心の中でそう思ってて同情だか憐憫だかの目で観ている人は結構いるんだろうなぁ、と感じ入った次第です。

 

 というのが、今から約20年前のこと。

 その頃からすでに「子育てしない男を父とは呼ばない」なんてキャッチコピーが出ていましたが、男の子育て環境はずいぶん変化したのでしょうか?

 表面的には イクメンがもてはやされ、育児関係・家事関係の商品のコマーシャルにも、ずいぶん男が出ていますが、実際どうなのでしょうか?

 

 件のベビーカーにしても、今どき珍しくないだろう、と思いましたが、いや待てよ。妻(母)とカップルの時は街の中でも電車の中でもいる。それから父一人の時でも子供を自転車に乗せている男はよく見かける。だが、ベビーカーを“ひとりで”押している男はそう頻繁には見かけない。これって何を意味しているのだろう? と、考えてしまいました。

 

 ベビーカーに乗せている、ということは、子供はだいたい3歳未満。保育園や幼稚園に通うにはまだ小さい。普段は家で母親が面倒を見ているというパターンがやはりまだまだ多いのでしょう。

 

 そういえば、保育園の待機児童問題って、お母さんの声ばかりで、お父さんの声ってさっぱり聞こえてこない。そもそも関係あるのか?って感じに見えてしまうんだけど、イクメンの人たちの出番はないのでしょうか・・・。

 

2016年6月16日


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インターネットがつくるフォークロア

 

インターネットの出現は社会を変えた――ということは聞き飽きるほど、あちこちで言われています。けれどもインターネットが本格的に普及したのは、せいぜいここ10年くらいの話。全世代、全世界を見渡せば、まだ高齢者の中には使ったことがないという人も多いし、国や地域によって普及率の格差も大きい。だから、その変化の真価を国レベル・世界レベルで、僕たちが実感するのはまだこれからだと思います。

それは一般によくいわれる、情報収集がスピーディーになったとか、通信販売が便利になったとか、というカテゴリーの話とは次元が違うものです。もっと人間形成の根本的な部分に関わることであり、ホモサピエンスの文化の変革にまでつながること。それは新しい民間伝承――フォークロアの誕生です。

 

“成長過程で自然に知ってしまう”昔話・伝承

 

最初はどこでどのように聞いたのか覚えてないですが、僕たちは自分でも驚くほど、昔話・伝承をよく知っています。成長の過程のどこかで桃太郎や浦島太郎や因幡の白ウサギと出会い、彼らを古い友だちのように思っています。

 

家庭でそれらの話を大人に読んでもらったこともあれば、幼稚園・保育園・小学校で体験したり、最近ならメディアでお目にかかることも多い。それはまるで遺伝子に組み込まれているかのように、あまりに自然に身体の中に溶け込んでいるのです。

 

調べて確認したわけではないが、こうした感覚は日本に限らず、韓国でも中国でもアメリカでもヨーロッパでも、その地域に住んでいる人なら誰でも持ち得るのではないでしょうか。おそらく同じような現象があると思います。それぞれどんな話がスタンダードとなっているのかは分かりませんが、その国・その地域・その民族の間で“成長過程で自然に知ってしまう”昔話・伝承の類が一定量あるのです。

 

それらは長い時間を生きながらえるタフな生命エネルギーを持っています。それだけのエネルギーを湛えた伝承は、共通の文化の地層、つまり一種のデータベースとして、万人の脳の奥底に存在しています。その文化の地層の上に、その他すべての情報・知識が積み重なっている――僕はそんなイメージを持っています。

 

世界共通の、新しいカテゴリーの伝承

 

そして、昔からあるそれとは別に、これから世界共通の、新しいカテゴリーの伝承が生まれてくる。その新しい伝承は人々の間で共通の文化の地層として急速に育っていくのでないか。そうした伝承を拡散し、未来へ伝える役目を担っているのがインターネット、というわけです。

 

ところで新しい伝承とは何でしょう? その主要なものは20世紀に生まれ、花開いた大衆文化――ポップカルチャーではないでしょうか。具体的に挙げていけば、映画、演劇、小説、マンガ、音楽(ジャズ、ポップス、ロック)の類です。

 

21世紀になる頃から、こうしたポップカルチャーのリバイバルが盛んに行われるようになっていました。

人々になじみのあるストーリー、キャラクター。

ノスタルジーを刺激するリバイバル・コンテンツ。

こうしたものが流行るのは、情報発信する側が、商品価値の高い、新しいものを開発できないためだと思っていました。

そこで各種関連企業が物置に入っていたアンティーク商品を引っ張り出してきて、売上を確保しようとした――そんな事情があったのでしょう。実際、最初のうちはそうだったはずです。

だから僕は結構冷めた目でそうした現象を見ていました。そこには半ば絶望感も混じっていたと思います。前の世代を超える、真に新しい、刺激的なもの・感動的なものは、この先はもう現れないのかも知れない。出尽くしてしまったのかも知れない、と……。

 

しかし時間が経ち、リバイバル現象が恒常化し、それらの画像や物語が、各種のサイトやYouTubeの動画コンテンツとして、ネット上にあふれるようになってくると考え方は変わってきました。

 

それらのストーリー、キャラクターは、もはや単なるレトロやリバイバルでなく、世界中の人たちの共有財産となっています。いわば全世界共通の伝承なのです。

僕たちは欧米やアジアやアフリカの人たちと「ビートルズ」について、「手塚治虫」について、「ガンダム」について、「スターウォーズ」について語り合えるし、また、それらを共通言語にして、子や孫の世代とも同様に語り合えます。

そこにボーダーはないし、ジェネレーションギャップも存在しません。純粋にポップカルチャーを媒介にしてつながり合う、数限りない関係が生まれるのです。

 

また、これらの伝承のオリジナルの発信者――ミュージシャン、映画監督、漫画家、小説家などによって、あるいは彼ら・彼女らをリスペクトするクリエイターたちによって自由なアレンジが施され、驚くほど新鮮なコンテンツに生まれ変わる場合もあります。

 

インターネットの本当の役割

 

オリジナル曲をつくった、盛りを過ぎたアーティストたちが、子や孫たち世代の少年・少女と再び眩いステージに立ち、自分の資産である作品を披露。それをYouTubeなどを介して広めている様子なども頻繁に見かけるようになりました。

 

それが良いことなのか、悪いことなのか、評価はさておき、そうした状況がインタ―ネットによって現れています。これから10年たち、20年たち、コンテンツがさらに充実し、インターネット人口が現在よりさらに膨れ上がれば、どうなるでしょうか? 

 

おそらくその現象は空気のようなものとして世の中に存在するようになり、僕たちは新たな世界的伝承として、人類共通の文化遺産として、完成された古典として見なすようになるでしょう。人々は分かりやすく、楽しませてくれるものが大好きだからです。

 

そして、まるで「桃太郎」のお話を聞くように、まっさらな状態で、これらの伝承を受け取った子供たちが、そこからまた新しい、次の時代の物語を生みだしていきます。

 

この先、そうした現象が必ず起こると思う。インターネットという新参者のメディアはその段階になって、さらに大きな役割を担うのでしょう。それは文化の貯蔵庫としての価値であり、さらに広げて言えば、人類の文化の変革につながる価値になります。

 

 

2016年6月13日


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地方自治体のホームページって割と面白い

 

 

 ここのところ、雑誌の連載で地方のことを書いています。

書くときはまずベーシックな情報(最初のリード文として使うこともあるので)をインターネットで調べます。

 これはウィキペディアなどの第3者情報よりも、各県の公式ホームページの方が断然面白い。自分たちの県をどう見せ、何をアピールしたいかがよくわかるからです。

なんでも市場価値が問われる時代。「お役所仕事云々・・・」と言われることが多い自治体ですが、いろいろ努力して、ホームページも工夫しています。

 

 最近やった宮崎県のキャッチコピーは「日本のひなた」。

 日照時間の多さ、そのため農産物がよく獲れるということのアピール。

 そしてもちろん、人や土地のやさしさ、あったかさ、ポカポカ感を訴えています。

 いろいろな人たちがお日さまスマイルのフリスビーを飛ばして、次々と受け渡していくプロモーションビデオは、単純だけど、なかなか楽しかった。

 

 それから「ひなた度データ」というのがあって、全国比率のいろいろなデータが出ています。面白いのが、「餃子消費量3位」とか、「中学生の早寝早起き率 第3位」とか、「宿題実行率 第4位」とか、「保護者の学校行事参加率 第2位」とか・・・
 「なんでこれがひなた度なんじゃい!」とツッコミを入れたくなるのもいっぱい。だけど好きです、こういうの。 

 取材するにしても、いきなり用件をぶつけるより、「ホームページ面白いですね~」と切り出したほうが、ちょっとはお役所臭さが緩和される気がします。

 

 「あなたのひなた度は?」というテストもあって、やってみたら100パーセントでした。じつはまだ一度も行ったことないけれど、宮崎県を応援したくなるな。ポカポカ。

 

2016年6月12日


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タイムマシンにおねがい

 

 きのう6月10日は「時の記念日」でした。それに気がついたら頭の中で突然、サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにおねがい」が鳴り響いてきたので、YouTubeを見てみたら、1974年から2006年まで、30年以上にわたるいろいろなバージョンが上がっていました。本当にインターネットの世界でタイムマシン化しています。

 

 これだけ昔の映像・音源が見放題・聞き放題になるなんて10年前は考えられませんでした。こういう状況に触れると、改めてインターネットのパワーを感じると同時に、この時代になるまで生きててよかった~と、しみじみします。

 

 そしてまた、ネットの中でならおっさん・おばさんでもずっと青少年でいられる、ということを感じます。60~70年代のロックについて滔々と自分の思い入れを語っている人がいっぱいいますが、これはどう考えても50代・60代の人ですからね。

 でも、彼ら・彼女らの頭の中はロックに夢中になっていた若いころのまんま。脳内年齢は10代・20代。インターネットに没頭することは、まさしくタイムマシンンに乗っているようなものです。

 

 この「タイムマシンにおねがい」が入っているサディスティック・ミカ・バンドの「黒船」というアルバムは、1974年リリースで、いまだに日本のロックの最高峰に位置するアルバムです。若き加藤和彦が作った、世界に誇る傑作と言ってもいいのではないでしょうか。

 中でもこの曲は音も歌詞もゴキゲンです。いろいろ見た(聴いた)中でいちばんよかったのは、最新(かな?)の2006年・木村カエラ・ヴォーカルのバージョンです。おっさんロッカーたちをバックに「ティラノサウルスおさんぽ アハハハ-ン」とやってくれて、くらくらっときました。

 

 やたらと「オリジナルでなきゃ。あのヴォーカルとあのギターでなきゃ」とこだわる人がいますが、僕はそうは思わない。みんなに愛される歌、愛されるコンテンツ、愛される文化には、ちゃんと後継ぎがいて、表現技術はもちろんですが、それだけでなく、その歌・文化の持ち味を深く理解し、見事に自分のものとして再現します。中には「オリジナルよりいいじゃん!」と思えるものも少なくありません。(この木村カエラがよい例)。

 この歌を歌いたい、自分で表現したい!――若い世代にそれだけ強烈に思わせる、魅力あるコンテンツ・文化は生き残り、クラシックとして未来に継承されていくのだと思います。

 

 もう一つおまけに木村カエラのバックでは、晩年の加藤和彦さんが本当に楽しそうに演奏をしていました。こんなに楽しそうだったのに、どうして自殺してしまったのだろう・・・と、ちょっと哀しくもなったなぁ。

 

2016年6月11日


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「歴人めし」おかわり情報

 

 9日間にわたって放送してきた「歴人めし」は、昨日の「信長巻きの巻」をもっていったん終了。しかし、ご安心ください。7月は夜の時間帯に再放送があります。ぜひ見てくださいね。というか、You Tubeでソッコー見られるみたいですが。

 

 

https://www.ch-ginga.jp/movie-detail/series.php?series_cd=12041

 

 この仕事では歴人たちがいかに食い物に執念を燃やしていたかがわかりました。 もちろん、記録に残っているのはほんの少し。

 源内さんのように、自分がいかにうなぎが好きか、うなぎにこだわっているか、しつこく書いている人も例外としていますが、他の人たちは自分は天下国家のことをいつも考えていて、今日のめしのことなんかどうでもいい。カスミを食ってでの生きている・・・なんて言い出しそうな勢いです。

 

 しかし、そんなわけはない。偉人と言えども、飲み食いと無関係ではいられません。 ただ、それを口に出して言えるのは、平和な世の中あってこそなのでしょう。だから日本の食文化は江戸時代に発展し、今ある日本食が完成されたのです。

 

 そんなわけで、「おかわり」があるかもしれないよ、というお話を頂いているので、なんとなく続きを考えています。

 駿河の国(静岡)は食材豊富だし、来年の大河の井伊直虎がらみで何かできないかとか、 今回揚げ物がなかったから、何かできないかとか(信長に捧ぐ干し柿入りドーナツとかね)、

 柳原先生の得意な江戸料理を活かせる江戸の文人とか、明治の文人の話だとか、

 登場させ損ねてしまった豊臣秀吉、上杉謙信、伊達政宗、浅井三姉妹、新選組などの好物とか・・・

 食について面白い逸話がありそうな人たちはいっぱいいるのですが、柳原先生の納得する人物、食材、メニュー、ストーリーがそろって、初めて台本にできます。(じつは今回もプロット段階でアウトテイク多数)

 すぐにとはいきませんが、ぜひおかわりにトライしますよ。

 それまでおなかをすかせて待っててくださいね。ぐ~~。

2016年6月7日


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歴人めし♯9:スイーツ大好き織田信長の信長巻き

 

信長が甘いもの好きというのは、僕は今回のリサーチで初めて知りました。お砂糖を贈答したり、されたりして外交に利用していたこともあり、あちこちの和菓子屋さんが「信長ゆかりの銘菓」を開発して売り出しているようです。ストーリーをくっつけると、同じおまんじゅうやあんころもちでも何だか特別なもの、他とは違うまんじゅうやあんころもちに思えてくるから不思議なものです。

 

 今回、ゆかりの食材として採用したのは「干し柿」と「麦こがし(ふりもみこがし)」。柿は、武家伝統の本膳料理(会席料理のさらに豪華版!)の定番デザートでもあり、記録をめくっていると必ず出てきます。

 現代のようなスイーツパラダイスの時代と違って、昔の人は甘いものなどそう簡単に口にできませんでした。お砂糖なんて食品というよりは、宝石や黄金に近い超ぜいたく品だったようです。だから信長に限らず、果物に目のない人は大勢いたのでしょう。

 中でもは干し柿にすれば保存がきくし、渋柿もスイートに変身したりするので重宝されたのだと思います。

 

  「信長巻き」というのは柳原尚之先生のオリジナル。干し柿に白ワインを染み込ませるのと、大徳寺納豆という、濃厚でしょっぱい焼き味噌みたいな大豆食品をいっしょに巻き込むのがミソ。

 信長は塩辛い味も好きで、料理人が京風の上品な薄味料理を出したら「こんな水臭いものが食えるか!」と怒ったという逸話も。はまった人なら知っている、甘い味としょっぱい味の無限ループ。交互に食べるともうどうにも止まらない。信長もとりつかれていたのだろうか・・・。

 

 ちなみに最近の映画やドラマの中の信長と言えば、かっこよくマントを翻して南蛮渡来の洋装を着こなして登場したり、お城の中のインテリアをヨーロッパの宮殿風にしたり、といった演出が目につきます。

 スイーツ好きとともに、洋風好き・西洋かぶれも、今やすっかり信長像の定番になっていますが、じつはこうして西洋文化を積極的に採り入れたのも、もともとはカステラだの、金平糖だの、ボーロだの、ポルトガルやスペインの宣教師たちが持ち込んできた、砂糖をたっぷり使った甘いお菓子が目当てだったのです。(と、断言してしまう)

 

 「文化」なんていうと何やら高尚っぽいですが、要は生活習慣の集合体をそう呼ぶまでのこと。その中心にあるのは生活の基本である衣食住です。

 中でも「食」の威力はすさまじく、これに人間はめっぽう弱い。おいしいものの誘惑からは誰も逃れられない。そしてできることなら「豊かな食卓のある人生」を生きたいと願う。この「豊かな食卓」をどう捉えるかが、その人の価値観・生き方につながるのです。

 魔王と呼ばれながら、天下統一の一歩手前で倒れた信長も、突き詰めればその自分ならではの豊かさを目指していたのではないかと思うのです。

 

2016年6月6日


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歴人めし♯8 山内一豊の生食禁止令から生まれた?「カツオのたたき」

 

 「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だったころ、琵琶湖のほとりに金目教という怪しい宗教が流行っていた・・・」というナレーションで始まるのは「仮面の忍者・赤影」。子供の頃、夢中になってテレビにかじりついていました。

 時代劇(忍者もの)とSF活劇と怪獣物をごちゃ混ぜにして、なおかつチープな特撮のインチキスパイスをふりかけた独特のテイストは、後にも先にもこの番組だけ。僕の中ではもはや孤高の存在です。

 

 いきなり話が脱線していますが、赤影オープニングのナレーションで語られた「琵琶湖のほとり」とは滋賀県長浜あたりのことだったのだ、と気づいたのは、ちょうど10年前の今頃、イベントの仕事でその長浜に滞在していた時です。

 このときのイベント=期間限定のラジオ番組制作は、大河ドラマ「功名が辻」関連のもの。4月~6月まで断続的に数日ずつ訪れ、街中や郊外で番組用の取材をやっていました。春でもちょっと寒いことを我慢すれば、賑わいがあり、かつまた、自然や文化財にも恵まれている、とても暮らしやすそうな良いところです。

この長浜を開いたのは豊臣秀吉。そして秀吉の後を継いで城主になったのが山内一豊。「功名が辻」は、その一豊(上川隆也)と妻・千代(仲間由紀恵)の物語。そして本日の歴人めし♯9は、この一豊ゆかりの「カツオのたたき」でした。

 ところが一豊、城主にまでしてもらったのに秀吉の死後は、豊臣危うしと読んだのか、関が原では徳川方に寝返ってしまいます。つまり、うまいこと勝ち組にすべり込んだわけですね。

 これで一件落着、となるのが、一豊の描いたシナリオでした。

 なぜならこのとき、彼はもう50歳。人生50年と言われた時代ですから、その年齢から本格的な天下取りに向かった家康なんかは例外中の例外。そんな非凡な才能と強靭な精神を持ち合わせていない、言ってみればラッキーで何とかやってきた凡人・一豊は、もう疲れたし、このあたりで自分の武士人生も「あがり」としたかったのでしょう。

 できたら、ごほうびとして年金代わりに小さな領地でももらって、千代とのんびり老後を過ごしたかったのだと思います。あるいは武士なんかやめてしまって、お百姓でもやりながら余生を・・・とひそかに考えていた可能性もあります。

 

 ところが、ここでまた人生逆転。家康からとんでもないプレゼントが。

 「土佐一国をおまえに任せる」と言い渡されたのです。

 一国の領主にしてやる、と言われたのだから、めでたく大出世。一豊、飛び上がって喜んだ・・・というのが定説になっていますが、僕はまったくそうは思いません。

 なんせ土佐は前・領主の長曾我部氏のごっつい残党がぞろぞろいて、新しくやってくる領主をけんか腰で待ち構えている。徳川陣営の他の武将も「あそこに行くのだけは嫌だ」と言っていたところです。

 

 現代に置き換えてみると、後期高齢者あたりの年齢になった一豊が、縁もゆかりもない外国――それも南米とかのタフな土地へ派遣されるのようなもの。いくらそこの支店長のポストをくれてやる、と言われたって全然うれしくなんかなかったでしょう。

 

 けれども天下を収めた家康の命令は絶対です。断れるはずがありません。

 そしてまた、うまく治められなければ「能無し」というレッテルを貼られ、お家とりつぶしになってしまいます。

 これはすごいプレッシャーだったでしょう。「勝ち組になろう」なんて魂胆を起こすんじゃなかった、と後悔したに違いありません。

 

 こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

 恐怖にかられてしまった人間は、より以上の恐怖となる蛮行、残虐行為を行います。

 一豊は15代先の容堂の世代――つまり、250年後の坂本龍馬や武市半平太の時代まで続く、武士階級をさらに山内家の上士、長曾我部氏の下士に分けるという独特の差別システムまで発想します。

 そうして土佐にきてわずか5年で病に倒れ、亡くなってしまった一豊。寿命だったのかもしれませんが、僕には土佐統治によるストレスで命を縮めたとしか思えないのです。

 

 「カツオのたたき」は、食中毒になる危険を慮った一豊が「カツオ生食禁止令」を出したが、土佐の人々はなんとかおいしくカツオを食べたいと、表面だけ火であぶり、「これは生食じゃのうて焼き魚だぜよ」と抗弁したところから生まれた料理――という話が流布しています。

 しかし、そんな禁止令が記録として残っているわけではありません。やはりこれはどこからか生えてきた伝説なのでしょう。

 けれども僕はこの「カツオのたたき発祥物語」が好きです。それも一豊を“民の健康を気遣う良いお殿様”として解釈するお話でなく、「精神的プレッシャーで恐怖と幻想にとりつかれ、カツオの生食が、おそるべき野蛮人たちの悪食に見えてしまった男の物語」として解釈してストーリーにしました。

 

 随分と長くなってしまいましたが、ここまで書いてきたバックストーリーのニュアンスをイラストの方が、短いナレーションとト書きからじつにうまく掬い取ってくれて、なんとも情けない一豊が画面で活躍することになったのです。

 一豊ファンの人には申し訳ないけど、カツオのたたきに負けず劣らず、実にいい味出している。マイ・フェイバリットです。

 

2016年6月3日


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「歴人めし」徳川家康提唱、日本人の基本食

 

 

 歴人めし第7回は「徳川家康―八丁味噌の冷汁と麦飯」。

 「これが日本人の正しい食事なのじゃ」と家康が言ったかどうかは知りませんが、米・麦・味噌が長寿と健康の基本の3大食材と言えば、多くの日本人は納得するのではないでしょうか。エネルギー、たんぱく質、ビタミン、その他の栄養素のバランスも抜群の取り合わせです。

 ましてやその発言の主が、天下を統一して戦国の世を終わらせ、パックス・トクガワ―ナを作った家康ならなおのこと。実際、家康はこの3大食材を常食とし、かなり養生に努めていたことは定説になっています。

 

  昨年はその家康の没後400年ということで、彼が城を構えた岡崎・浜松・静岡の3都市で「家康公400年祭」というイベントが開催され、僕もその一部の仕事をしました。

そこでお会いしたのが、岡崎城から歩いて八丁(約780メートル)の八丁村で八丁味噌を作っていた味噌蔵の後継者。

 かのメーカー社長は現在「Mr.Haccho」と名乗り、毎年、海外に八丁味噌を売り込みに行っているそうで、日本を代表する調味料・八丁味噌がじわじわと世界に認められつつあるようです。

 

 ちなみに僕は名古屋の出身なので子供の頃から赤味噌に慣れ親しんできました。名古屋をはじめ、東海圏では味噌と言えば、赤味噌=豆味噌が主流。ですが、八丁味噌」という食品名を用いれるのは、その岡崎の元・八丁村にある二つの味噌蔵――現在の「まるや」と「カクキュー」で作っているものだけ、ということです。

 

 しかし、養生食の米・麦・味噌をがんばって食べ続け、健康に気を遣っていた家康も、平和な世の中になって緊張の糸がプツンと切れたのでしょう。

 がまんを重ねて押さえつけていた「ぜいたくの虫」がそっとささやいたのかもしれません。

 

 「もういいんじゃないの。ちょっとぐらいぜいたくしてもかまへんで~」

 

 ということで、その頃、京都でブームになっていたという「鯛の天ぷら」が食べた~い!と言い出し、念願かなってそれを口にしたら大当たり。おなかが油に慣れていなかったせいなのかなぁ。食中毒がもとで亡くなってしまった、と伝えられています。

 でも考えてみれば、自分の仕事をやり遂げて、最期に食べたいものをちゃんと食べられて旅立ったのだから、これ以上満足のいく人生はなかったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

2016年6月2日


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歴人めし「篤姫のお貝煮」と御殿女中

  絶好調「真田丸」に続く2017年大河は柴咲コウ主演「おんな城主 直虎」。今年は男だったから来年は女――というわけで、ここ10年あまり、大河は1年ごとに主人公が男女入れ替わるシフトになっています。
 だけど女のドラマは難しいんです。なかなか資料が見つけらない。というか、そもそも残っていな。やはり日本の歴史は(外国もそうですが)圧倒的に男の歴史なんですね。


 それでも近年、頻繁に女主人公の物語をやるようになったのは、もちろん女性の視聴者を取り込むためだけど、もう一つは史実としての正確さよりも、物語性、イベント性を重視するようになってきたからだと思います。

 

 テレビの人気凋落がよく話題になりますが、「腐っても鯛」と言っては失礼だけど、やっぱ日曜8時のゴールデンタイム、「お茶の間でテレビ」は日本人の定番ライフスタイルです。

 出演俳優は箔がつくし、ゆかりの地域は観光客でにぎわうって経済も潤うし、いろんなイベントもぶら下がってくるし、話題も提供される・・・ということでいいことづくめ。
 豪華絢爛絵巻物に歴史のお勉強がおまけについてくる・・・ぐらいでちょうどいいのです。(とはいっても、制作スタッフは必死に歴史考証をやっています。ただ、部分的に資料がなくても諦めずに面白くするぞ――という精神で作っているということです)

 

 と、すっかり前置きが長くなってしまいましたが、なんとか「歴人めし」にも一人、女性を入れたいということで、あれこれ調べた挙句、やっと好物に関する記録を見つけたのが、20082年大河のヒロイン「篤姫」。本日は天璋院篤姫の「お貝煮」でした。

 

 見てもらえればわかるけど、この「お貝煮」なる料理、要するにアワビ入りの茶碗蒸しです。その記述が載っていたのが「御殿女中」という本。この本は明治から戦前の昭和にかけて活躍した、江戸文化・風俗の研究家・三田村鳶魚の著作で。篤姫付きの女中をしていた“大岡ませ子”という女性を取材した、いわゆる聞き書きです。

 

 

 明治も30年余り経ち、世代交代が進み、新しい秩序・社会体制が定着してくると、以前の時代が懐かしくなるらしく、「江戸の記憶を遺そう」というムーブメントが文化人の間で起こったようです。
 そこでこの三田村鳶魚さんが、かなりのご高齢だったます子さんに目をつけ、あれこれ大奥の生活について聞き出した――その集成がこの本に収められているというわけです。これは現在、文庫本になっていて手軽に手に入ります。

 ナレーションにもしましたが、ヘアメイク法やら、ファッションやら、江戸城内のエンタメ情報やらも載っていて、なかなか楽しい本ですが、篤姫に関するエピソードで最も面白かったのが飼いネコの話。

 最初、彼女は狆(犬)が買いたかったようなのですが、夫の徳川家定(13代将軍)がイヌがダメなので、しかたなくネコにしたとか。

 


 ところが、このネコが良き相棒になってくれて、なんと16年もいっしょに暮らしたそうです。彼女もペットに心を癒された口なのでしょうか。

 

 そんなわけでこの回もいろんな発見がありました。

 続編では、もっと大勢の女性歴人を登場させ、その好物を紹介したいと思っています。

 

2016年6月1日


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ワクチンに対する疑念とコロナのこれから

 

今朝、杉並区から義母宛てに

ワクチン3回目接種の案内が来た。

昨年と違って、日時もすべて指定済み。

どうしても都合悪くて来れなければ変更は可能ですよ、

ただ、もしかしたらだいぶ後回しになるかもねー―

というスタンス。

 

昨年みたいに、希望に応じて予約取って――

なんてやっていると、

受ける側も保健所側も混乱して大変なので、

まぁいいと思う。

高齢者は基本的に時間の自由がきくしね。

 

ただ、現在爆発しているオミクロンは、

海外の例を見る限り、ピークアウトも早そうなので、

今から打って(義母の指定日は来月前半)、

効果としてどうなのか?

 

政府もマスメディアも、ちょっと前まで

「感染拡大に歯止めをかけ、重症化を防ぐためのは

ブースター接種に掛かっている」といったニュアンスで

懸命にワクチン効果をPRしていたが、

あれよあれよという間に感染が広がって、

誰の目にも手遅れという事態が明らかになるとともに、

そのアナウンスもトーンダウンしてきた。

 

ブレイクスルー感染も多いようだし、

国民も1回目・2回目の時ほど、

ワクチンを信頼してないのではないかな?

 

僕は決してワクチン反対派ではないが、

高齢者の接種がすみ、3月・4月になって

オミクロンが沈静化したタイミングで

「今後の予防のために3回目どうぞ」と来ても、

あんまり受ける気にならない。

 

しかし気になるのはオミクロンの後のこと。

巷では「オミクロンでコロナ禍は終わる。

あとちょっとの辛抱だ」という声が多いが、

僕はそれよりも南アフリカの大統領が

「オミクロン株の発生は、

ワクチンの不平等がもう許されないことを示した」

と発言していたことのほうが印象的だ。

 

地球は一つ。

人類みんな一蓮托生。

先進国ばかり3回、4回、5回とワクチンを打っても、

殆ど打てないアフリカ諸国の状況を改善しない限り、

オミクロンの後も

次々と新しい変異株が生まれるのではないか。

 

すると永久にコロナ禍は終わらない、

とまでは言わないが、この先、5年も10年も

パンデミックは解かれない可能性もあるのではないか。

 

良くも悪くもこの半世紀で

それまでとは比べ物にならないほど、

世界の人々の関係は密になり、地球は小さくなった。

 

コロナ禍は分断・格差・差別を生んでいると言われるが、

最終的にはコロナがそれらを

大きく減退させるかもしれない。

 

新型コロナウィルスは、

国連のSDGsの理念「ひとりも置き去りにしない」を

無理やり実現し、人類を団結させ平等にするために

生まれたもの———

そんな妄想にとらわれたりもする。

 


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こぐま座 再生目指してトラックコンサート

 

先日トラックが盗難事故に遭った

こぐま座のコンサートがYouTubeにUPされている。

 

彼らのレパートリー

「三匹のこぶた」「ももたろう」「ピノッキオ」などの

主題歌メドレー、

および、この劇団のスーパーアイドル、

ファンキーなラッパーゴリラ・ゴンタの

パフォーマンスが見られる。

 

 1月18日、盗難されたトラックが帰ってきたけど、

自走が困難になってしまったため、

廃車することになったそうだ。

それで、日本全国を幾度となく旅して回った

トラックの最後の思い出として

荷台ステージでのコンサートとなったようだ。

 

皆さん、新しいトラックで活動再開したら、

子どもや孫を連れて観に行ってみてください。

こぐま座の人形劇は、日本の偉大な文化の一つです。

もちろん、おとながひとりでブラっと行って

童心を取り戻してもええんでないかい?

 


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バースデーフラワー

 

ピンクとブルー。

誕生日にもらった花がどんどん開いていく。

冬来りなば春遠からじ。

If Winter comes, can Spring be far behind ?

 


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アホになる修行をせなあかん

 

誕生日メッセージをいただいた皆さん、

どうもありがとうございます。

 

昨日も書きましたが、還暦を超えると

あたりの見晴らしがよくなるので、

この際、終わりから人生考えてみても

いいのではないでしょうか。

 

折しも、第3次世界大戦になぞらえられるコロナ禍。

年末年始は全世界、オミクロン弾の大空襲。

戦後はおそらくいろんな価値観がぐちゃぐちゃになり、

過去の社会常識・人生モデルが瓦礫と化すでしょう。

 

そんな焼け野原を口笛吹いて明日へ向かって歩けるか?

自分の行く末と、

ホモサピエンスはこれからどこへ行くのか?

を想像しながら歩くのもまた楽し。

 

この間、横尾忠則さんの

「アホになる修行~横尾忠則言葉集~」(イーストプレス)

という本を読んだが、

「死を想う」という項目が一番面白かった。

 

現実を死の側からの視線で眺めたい。

いつもそう思っている。

死の側から見たこの現実を描きたいと。(引用)

 

その他、素敵な言葉がいっぱい並んでいる。

すぐに小賢しいことを考える僕は、

横尾さんにならって

アホになる修行をせなあかんな、と思った誕生日でした。

 

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週末の懐メロ66:リヴィング・イット・アップ/リッキー・リー・ジョーンズ

 

今日は誕生日。

還暦を過ぎると誕生日って、

そこはかとなく人生の終わりから逆算したりしてみる。

そこで死ぬ前に1曲だけ好きな歌を聴かせてやる、

と言われたら、何を選ぶだろうと考えてみた。

 

殆ど考えることなく、この曲のイントロが聞こえてきた。

1981年リリース。

リッキー・リー・ジョーンズの

セカンドアルバム「パイレーツ」のA面2曲目。

変幻自在の曲調。

マジックのように変転するリズムに乗せた歌声は、

軽やかな足取りで野道を行く少女のようであり、

裏街の酒場で飲んだくれるセクシーな女のようでもある。

 

♪おかしな片目を持ったエディは

 可愛い女の子がやってくると

 すぐにマンガのほうに視線をそらしてしまう

 彼はそれ以上何もしないで

 一日中玄関のポーチにすわっている

 何かを待っているようなふりをして・・・

 

そんな歌詞で始まるこの歌は、

まだ人生を始める前のイカれた子どもたちが

恋をしたり悪さをしたりしながら成長して

やがて離れ離れになっていく物語を

リリカルに、人生の変節を綴るかのように歌い語る。

 

人生をぜいたくに楽しむ。

おもしろおかしく暮らす。

「リヴィング・イット・アップ」はそんな意味だ。

 

リッキー・リー・ジョーンズの代表作と言われるのは、

1979年にリリースし、グラミー賞新人賞を獲得した

デビューアルバム「浪漫」だが、

彼女の類まれな、魔術としか思えない

独特のジャージーなヴォーカルを思う存分堪能できるのは、

このセカンドアルバムだ。

 

アナログレコードはずいぶん前に売ったりあげたりして、

今ても手元に残っているのは10枚ほどだが、

その中の1枚がこの「パイレーツ」である。

 

確かレコード屋でジャケ買いしたのだが、

ジャケットの写真は、ライナーノーツによれば、

1930年代のパリのナイトライフを撮っていた

ハンガリー出身のブラッサイという写真家のもの。

彼は画家のピカソや作家のヘンリー・ミラーと親交が厚く、

自ら画家としても活躍していたらしい。

この写真は1932年の「Lovers(恋人たち)」と

題された代表作である。

 

1981年。その頃はテレビもあまり見ないで、

演劇と本とレコードが生活のほとんどを占めていた。

一時期、毎晩、ひとりで酒を飲みながらアパートの部屋で

このレコードを聴きふけっていたことを思い出す。

特に幸福だったという思い出でもないし、

人生最高の歌なのかと問われてもイエスとは言い難い。

 

でも。

今日はカミさんのプレゼントのフランスワインを

飲みながら聴いているが、

やっぱり最後の晩餐にいちばん相応しいのは

この曲だなと思わずにいられない。

まだまだ面白おかしく暮らしたいしね。

 

さて、あなたは最後の晩餐曲に何を選びますか?

 

 

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なぜ日本ではカエルはかわいいキャラなのか?

 

 「かえるくん、東京を救う」というのは村上春樹の短編小説の中でもかなり人気の高い作品です。

 主人公がアパートの自分の部屋に帰ると、身の丈2メートルはあろうかというカエルが待っていた、というのだから、始まり方はほとんど恐怖小説。

 ですが、その巨大なカエルが「ぼくのことは“かえるくん”と呼んでください」と言うのだから、たちまちシュールなメルヘンみたいな世界に引き込まれてしまいます。

 

 この話は阪神大震災をモチーフにしていて、けっして甘いメルヘンでも、面白おかしいコメディでもないシリアスなストーリーなのですが、このかえるくんのセリフ回しや行動が、なんとも紳士的だったり、勇敢だったり、愛らしかったり、時折ヤクザだったりして独特の作品世界が出来上がっています。

 

 しかし、アメリカ人の翻訳者がこの作品を英訳するとき、この「かえるくん」という呼称のニュアンスを、どう英語で表現すればいいのか悩んだという話を聞いて、さもありなんと思いました。

 

 このカエルという生き物ほど、「かわいい」と「気持ち悪い」の振れ幅が大きい動物も珍しいのではないでしょうか。

でも、その振れ幅の大きさは日本人独自の感覚のような気もします。

 

 欧米人はカエルはみにくい、グロテスクなやつ、場合によっては悪魔の手先とか、魔女の使いとか、そういう役割を振られるケースが圧倒的に多い気がします。

 

 ところが、日本では、けろけろけろっぴぃとか、コルゲンコーワのマスコットとか、木馬座アワーのケロヨンとか、古くは「やせガエル 負けるな 一茶ここにあり」とか、かわいい系・愛すべき系の系譜がちゃんと続いていますね。

 

 僕が思うに、これはやっぱり稲作文化のおかげなのではないでしょうか。

 お米・田んぼと親しんできた日本人にとって、田んぼでゲコゲコ鳴いているカエルくんたちは、友だちみたいな親近感があるんでしょうね。

 そして、彼らの合唱が聞こえる夏の青々とした田んぼの風景は、今年もお米がいっぱい取れそう、という期待や幸福感とつながっていたのでしょう。

 カエル君に対するよいイメージはそういうところからきている気がします。

 

 ちなみに僕の携帯電話はきみどり色だけど、「カエル色」って呼ばれています。

 茶色いのも黄色っぽいもの黒いのもいるけど、カエルと言えばきれいなきみどり色。やっぱ、アマガエルじゃないとかわいくないからだろうね、きっと。

 雨の季節。そういえば、ここんとこ、カエルくんと会ってないなぁ。ケロケロ。

 


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家族ストーリーを書く仕事② 個の家族

 

  「これから生まれてくる子孫が見られるように」

 ――今回の家族ストーリー(ファミリーヒストリー)を作った動機について、3世代の真ん中の息子さん(団塊ジュニア世代)は作品の最後でこんなメッセージを残しています。

 彼の中にはあるべき家族の姿があった。しかし現実にはそれが叶わなかった。だからやっと安定し、幸福と言える現在の形を映像に残すことを思い立った――僕にはそう取れます。

 

 世間一般の基準に照らし合わせれば、彼は家庭に恵まれなかった人に属するでしょう。かつて日本でよく見られた大家族、そして戦後の主流となった夫婦と子供数人の核家族。彼の中にはそうした家族像への憧れがあったのだと思います。

 

 けれども大家族どころか、核家族さえもはや過去のものになっているのでないか。今回の映像を見ているとそう思えてきます。

 

 団塊の世代の親、その子、そして孫(ほぼ成人)。

 彼らは家族であり、互いに支え合い、励まし合いながら生きている。

 けれど、その前提はあくまで個人。それぞれ個別の歴史と文化を背負い、自分の信じる幸福を追求する人間として生きている。

 

 むかしのように、まず家があり、そこに血のつながりのある人間として生まれ、育つから家族になるのではなく、ひとりひとりの個人が「僕たちは家族だよ」という約束のもとに集まって愛情と信頼を持っていっしょに暮らす。あるいは、離れていても「家族だよ」と呼び合い、同様に愛情と信頼を寄せ合う。だから家族になる。

 

 これからの家族は、核家族からさらに小さな単位に進化した「ミニマム家族」――「個の家族」とでもいえばいいのでしょうか。

 比喩を用いれば、ひとりひとりがパソコンやスマホなどのデバイスであり、必要がある時、○○家にログインし、ネットワークし、そこで父・母・息子・娘などの役割を担って、相手の求めることに応じる。それによってそれぞれが幸福を感じる。そうした「さま」を家族と呼称する――なかなかスムーズに表現できませんが、これからはそういう家族の時代になるのではないでしょうか。

 

 なぜなら、そのほうが現代のような個人主義の世の中で生きていくのに何かと便利で快適だからです。人間は自身の利便性・快適性のためになら、いろいろなものを引き換えにできます。だから進化してこられたのです。

 

 引き換えに失ったものの中にももちろん価値があるし、往々にして失ってみて初めてその価値に気づくケースがあります。むかしの大家族しかり。核家族しかり。こうしてこれらの家族の形態は、今後、一種の文化遺産になっていくのでしょう。

 好きか嫌いかはともかく、そういう時代に入っていて、僕たちはもう後戻りできなくなっているのだと思います。

 

 将来生まれてくる子孫のために、自分の家族の記憶を本なり映像なりの形でまとめて遺す―― もしかしたらそういう人がこれから結構増えるのかもしれません。

 

 

2016・6・27 Mon


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家族ストーリーを書く仕事① 親子3世代の物語

 

 親子3世代の物語がやっと完成一歩手前まで来ました。

 昨年6月、ある家族のヒストリー映像を作るというお仕事を引き受けて、台本を担当。

足掛け1年掛かりでほぼ完成し、残るはクライアントさんに確認を頂いて、最後にナレーションを吹き込むのみ、という段階までこぎつけたのです。

 

 今回のこの仕事は、ディレクターが取材をし、僕はネット経由で送られてくるその音源や映像を見て物語の構成をしていきました。そのディレクターとも最初に1回お会いしただけでご信頼を頂いたので、そのあとはほとんどメールのやり取りのみで進行しました。インターネットがあると、本当に家で何でもできてしまいます。

 ですから時間がかかった割には、そんなに「たいへん感」はありませんでした。

 

 取材対象の人たちともリアルでお会いしたことはなく、インタビューの音声――話の内容はもとより、しゃべり方のくせ、間も含めて――からそれぞれのキャラクターと言葉の背景にある気持ちを想像しながらストーリーを組み立てていくのは、なかなかスリリングで面白い体験でした(最初の下取材の頃はディレクターがまだ映像を撮っていなかったので、レコーダーの音源だけを頼りにやっていました)。

 

 取材対象と直接会わない、会えないという制限は、今までネガティブに捉えていたのですが、現場(彼らの生活空間や仕事空間)の空気がわからない分、余分な情報に戸惑ったり、感情移入のし過ぎに悩まされたりすることがありません。

 適度な距離を置いてその人たちを見られるので、かえってインタビューの中では語られていない範囲まで自由に発想を膨らませられ、こうしたドキュメンタリーのストーリーづくりという面では良い効果もあるんだな、と感じました。

 

 後半(今年になってから)、全体のテーマが固まり、ストーリーの流れが固まってくると、今度は台本に基づいて取材がされるようになりました。

 戦後の昭和~平成の時代の流れを、団塊の世代の親、その息子、そして孫(ほぼ成人)という一つの家族を通して見ていくと、よく目にする、当時の出来事や風俗の記録映像も、魂が定着くした記憶映像に見えてきます。

 これにきちんとした、情感豊かなナレーターの声が入るのがとても楽しみです。

 

 

2016・6・26 Sun


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ゴマスリずんだ餅と正直ファンタじいさん

 

おもちペタペタ伊達男

 

  今週日曜(19日)の大河ドラマ「真田丸」で話題をさらったのは、長谷川朝晴演じる伊達政宗の餅つきパフォーマンスのシーン。「独眼竜」で戦国武将の中でも人気の高い伊達政宗ですが、一方で「伊達男」の語源にもなったように、パフォーマーというか、歌舞伎者というか、芝居っけも方もたっぷりの人だったようです。

 

 だから、餅つきくらいやってもおかしくないのでしょうが、権力者・秀吉に対してあからさまにこびへつらい、ペッタンコとついた餅にスリゴマを・・・じゃなかった、つぶした豆をのっけて「ずんだ餅でございます」と差し出す太鼓持ち野郎の姿に、独眼竜のカッコいいイメージもこっぱみじんでした。

 

 僕としては「歴人めし」の続編のネタ、一丁いただき、と思ってニヤニヤ笑って見ていましたが、ファンの人は複雑な心境だったのではないのでしょうか。(ネット上では「斬新な伊達政宗像」と、好意的な意見が多かったようですが)。

 

 しかし、この後、信繁(幸村=堺雅人)と二人で話すシーンがあり、じつは政宗、今はゴマスリ太鼓持ち野郎を演じているが、いずれ時が来れば秀吉なんぞ、つぶしてずんだ餅にしてやる・・・と、野心満々であることを主人公の前で吐露するのです。

 で、これがクライマックスの関ヶ原の伏線の一つとなっていくわけですね。

 

裏切りのドラマ

 

 この「真田丸」は見ていると、「裏切り」が一つのテーマとなっています。

 出てくるどの武将も、とにかくセコいのなんのttらありゃしない。立派なサムライなんて一人もいません。いろいろな仮面をかぶってお芝居しまくり、だましだまされ、裏切り裏切られ・・・の連続なのです。

 

 そりゃそうでしょう。乱世の中、まっすぐ正直なことばかりやっていては、とても生き延びられません。

 この伊達政宗のシーンの前に、北条氏政の最後が描かれていましたが、氏政がまっすぐな武将であったがために滅び、ゴマスリ政宗は生き延びて逆転のチャンスを掴もうとするのは、ドラマとして絶妙なコントラストになっていました。

 

 僕たちも生きるためには、多かれ少なかれ、このゴマスリずんだ餅に近いことを年中やっているのではないでしょうか。身過ぎ世過ぎというやつですね。

 けれどもご注意。

 人間の心とからだって、意外と正直にできています。ゴマスリずんだ餅をやり過ぎていると、いずれまとめてお返しがやってくるも知れません。

 

人間みんな、じつは正直者

 

 どうしてそんなことを考えたかと言うと、介護士の人と、お仕事でお世話しているおじいさんのことについて話したからです。

 そのおじいさんはいろんな妄想に取りつかれて、ファンタジーの世界へ行っちゃっているようなのですが、それは自分にウソをつき続けて生きてきたからではないか、と思うのです。

 

 これは別に倫理的にどうこうという話ではありません。

 ごく単純に、自分にウソをつくとそのたびにストレスが蓄積していきます。

 それが生活習慣になってしまうと、自分にウソをつくのが当たり前になるので、ストレスが溜まるのに気づかない。そういう体質になってしまうので、全然平気でいられる。

 けれども潜在意識は知っているのです。

 「これはおかしい。これは違う。これはわたしではな~い」

 

 そうした潜在意識の声を、これまた無視し続けると、齢を取ってから自分で自分を裏切り続けてきたツケが一挙に出て来て、思いっきり自分の願いや欲望に正直になるのではないでしょうか。

 だから脳がファンタジーの世界へ飛翔してしまう。それまでウソで歪めてきた自分の本体を取り戻すかのように。

 つまり人生は最後のほうまで行くとちゃんと平均化されるというか、全体で帳尻が合うようにできているのではないかな。

 

自分を大事にするということ

 

 というのは単なる僕の妄想・戯言かも知れないけど、自分に対する我慢とか裏切りとかストレスとかは、心や体にひどいダメージを与えたり、人生にかなりの影響を及ぼすのではないだろうかと思うのです。

 

 みなさん、人生は一度きり。身過ぎ世過ぎばっかりやってると、それだけであっという間に一生終わっちゃいます。何が自分にとっての幸せなのか?心の内からの声をよく聴いて、本当の意味で自分を大事にしましょう。

 介護士さんのお話を聞くといろんなことを考えさせられるので、また書きますね。

 

 

 

2016/6/23 Thu


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死者との対話:父の昭和物語

 

 すぐれた小説は時代を超えて読み継がれる価値がある。特に現代社会を形作った18世紀から20世紀前半にかけての時代、ヨーロッパ社会で生まれた文学には人間や社会について考えさせられる素材にあふれています。

 

その読書を「死者との対話」と呼んだ人がいます。うまい言い方をするものだと思いました。

 

僕たちは家で、街で、図書館で、本さえあれば簡単にゲーテやトルストイやドストエフスキーやブロンテなどと向かい合って話ができます。別にスピリチュアルなものに関心がなくても、書き残したものがあれば、私たちは死者と対話ができるのです。

 

 もちろん、それはごく限られた文学者や学者との間で可能なことで、そうでない一般大衆には縁のないことでしょう。これまではそうでした。しかし、これからの時代はそれも可能なことではないかと思います。ただし、不特定多数の人でなく、ある家族・ある仲間との間でなら、ということですが。

 

 僕は父の人生を書いてみました。

 父は2008年の12月に亡くなりました。家族や親しい者の死も1年ほどたつと悲しいだの寂しいだの、という気持ちは薄れ、彼らは自分の人生においてどんな存在だったのだろう?どんなメッセージを遺していったのだろう?といったことを考えます。

 

父のことを書いてみようと思い立ったのは、それだけがきっかけではありませんでした。

死後、間もない時に、社会保険事務所で遺族年金の手続きをする際に父の履歴書を書いて提出しました。その時に感じたのは、血を分けた家族のことでも知らないことがたくさんあるな、ということでした。

じつはそれは当り前のことなのだが、それまではっきりとは気が付いていませんでした。なんとなく父のことも母のこともよく知っていると思いすごしていたのです。

実際は私が知っているのは、私の父親としての部分、母親としての部分だけであり、両親が男としてどうだったか、女としてどうだったか、ひとりの人間としてどうだったのか、といったことなど、ほとんど知りませんでした。数十年も親子をやっていて、知るきっかけなどなかったのです。

 

父の仕事ひとつ取ってもそうでした。僕の知っている父の仕事は瓦の葺換え職人だが、それは30歳で独立してからのことで、その前――20代のときは工場に勤めたり、建築会社に勤めたりしていたのです。それらは亡くなってから初めて聞いた話です。

そうして知った事実を順番に並べて履歴書を作ったのですが、その時には強い違和感というか、抵抗感のようなものを感じました。それは父というひとりの人間の人生の軌跡が、こんな紙切れ一枚の中に納まってしまうということに対しての、寂しさというか、怒りというか、何とも納得できない気持ちでした。

 

父は不特定多数の人たちに興味を持ってもらえるような、波乱万丈な、生きる迫力に満ち溢れた人生を歩んだわけはありませんい。むしろそれらとは正反対の、よくありがちな、ごく平凡な庶民の人生を送ったのだと思います。

けれどもそうした平凡な人生の中にもそれなりのドラマがあります。そして、そのドラマには、その時代の社会環境の影響を受けた部分が少なくありません。たとえば父の場合は、昭和3(1928)に生まれ、平成元年(1989)に仕事を辞めて隠居していました。その人生は昭和の歴史とほぼ重なっています。

 

ちなみにこの昭和3年という年を調べてみると、アメリカでミッキーマウスの生まれた(ウォルト・ディズニーの映画が初めて上映された)年です。

父は周囲の人たちからは実直でまじめな仕事人間と見られていましたが、マンガや映画が好きで、「のらくろ」だの「冒険ダン吉」だのの話をよく聞かせてくれました。その時にそんなことも思い出したのです。

 

ひとりの人間の人生――この場合は父の人生を昭和という時代にダブらせて考えていくと、昭和の出来事を書き連ねた年表のようなものとは、ひと味違った、その時代の人間の意識の流れ、社会のうねりの様子みたいなものが見えてきて面白いのではないか・・・。そう考えて、僕は父に関するいくつかの個人的なエピソードと、昭和の歴史の断片を併せて書き、家族や親しい人たちが父のことを思い起こし、対話できるための一遍の物語を作ってみようと思い立ちました。

本当はその物語は父が亡くなる前に書くべきだったのではないかと、少し後悔の念が残っています。

生前にも話を聞いて本を書いてみようかなと、ちらりと思ったことはあるのですが、とうとう父自身に自分の人生を振り返って……といった話を聞く機会はつくれませんでした。たとえ親子の間柄でも、そうした機会を持つことは難しいのです。思い立ったら本気になって直談判しないと、そして双方互いに納得できないと永遠につくることはできません。あるいは、これもまた難しいけど、本人がその気になって自分で書くか・・・。それだけその人固有の人生は貴重なものであり、それを正確に、満足できるように表現することは至難の業なのだと思います。

 

実際に始めてから困ったのは、父の若い頃のことを詳しく知る人など、周囲にほとんどいないということ。また、私自身もそこまで綿密に調査・取材ができるほど、時間や労力をかけるわけにもいきませんでした。

だから母から聞いた話を中心に、叔父・叔母の話を少し加える程度にとどめ、その他、本やインターネットでその頃の時代背景などを調べながら文章を組み立てる材料を集めました。そして自分の記憶――心に残っている言葉・出来事・印象と重ね合わせて100枚程度の原稿を作ってみたのです。

 

自分で言うのもナンですが、情報不足は否めないものの、悪くない出来になっていて気に入っています。これがあるともうこの世にいない父と少しは対話できる気がするのです。自分の気持ちを落ち着かせ、互いの生の交流を確かめ、父が果たした役割、自分にとっての存在の意味を見出すためにも、こうした家族や親しい者の物語をつくることはとても有効なのではないかと思います。

 

 高齢化が進む最近は「エンディングノート」というものがよく話題に上っています。

「その日」が来た時、家族など周囲の者がどうすればいいか困らないように、いわゆる社会的な事務手続き、お金や相続のことなどを書き残すのが、今のところ、エンディングノートの最もポピュラーな使い方になっているようだ。

もちろん、それはそれで、逝く者にとっても、後に残る者にとっても大事なことです。しかし、そうすると結局、その人の人生は、いくらお金を遺したかとか、不動産やら建物を遺したのか、とか、そんな話ばかりで終わってしまう恐れもあります。その人の人生そのものが経済的なこと、物質的なものだけで多くの人に価値判断されてしまうような気がするのです。

 

けれども本当に大事なのは、その人の人生にどんな意味や価値があったのか、を家族や友人・知人たちが共有することが出来る、ということではないでしょうか。

そして、もしその人の生前にそうしたストーリーを書くことができれば、その人が人生の最期の季節に、自分自身を取り戻せる、あるいは、取り戻すきっかけになり得る、ということではないでしょうか。

 

 


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赤影メガネとセルフブランディング

 ♪赤い仮面は謎の人 どんな顔だか知らないが キラリと光る涼しい目 仮面の忍者だ

赤影だ~

 というのは、テレビの「仮面の忍者 赤影」の主題歌でしたが、涼しい目かどうかはともかく、僕のメガネは10数年前から「赤影メガネ」です。これにはちょっとした物語(というほどのものではないけど)があります。

 

 当時、小1だか2年の息子を連れてメガネを買いに行きました。

 それまでは確か茶色の細いフレームの丸いメガネだったのですが、今回は変えようかなぁ、どうしようかなぁ・・・とあれこれ見ていると、息子が赤フレームを見つけて「赤影!」と言って持ってきたのです。

 

 「こんなの似合うわけないじゃん」と思いましたが、せっかく選んでくれたのだから・・・と、かけてみたら似合った。子供の洞察力おそるべし。てか、単に赤影が好きだっただけ?

 とにかく、それ以来、赤いフレームのメガネが、いつの間にか自分のアイキャッチになっていました。自分の中にある自分のイメージと、人から見た自分とのギャップはとてつもなく大きいもの。

 独立・起業・フリーランス化ばやりということもあり、セルフブランディングがよく話題になりますが、自分をどう見せるかというのはとても難しい。自分の中にある自分のイメージと、人から見た自分とのギャップはとてつもなく大きいのです。

 とはいえ、自分で気に入らないものを身に着けてもやっぱり駄目。できたら安心して相談できる家族とか、親しい人の意見をしっかり聞いて(信頼感・安心感を持てない人、あんまり好きでない人の意見は素直に聞けない)、従来の考え方にとらわれない自分像を探していきましょう。

 


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ベビーカーを押す男

 

・・・って、なんだか歌か小説のタイトルみたいですね。そうでもない?

 ま、それはいいんですが、この間の朝、実際に会いました。ひとりでそそくさとベビーカーを押していた彼の姿が妙に心に焼き付き、いろいろなことがフラッシュバックしました。

 BACK in the NEW YORK CITY。

 僕が初めてニューヨークに行ったのは約30年前。今はどうだか知らないけど、1980年代のNYCときたらやっぱ世界最先端の大都会。しかし、ぼくがその先端性を感じたのは、ソーホーのクラブやディスコでもなでもなく、イーストビレッジのアートギャラリーでもなく、ブロードウェイのミュージカルでもなく、ストリートのブレイクダンスでもなく、セントラルパークで一人で子供と散歩しているパパさんたちでした。

 

 特におしゃれでも何でもない若いパパさんたちが、小さい子をベビーカーに乗せていたり、抱っこひもでくくってカンガルーみたいな格好で歩いていたり、芝生の上でご飯を食べさせたり、オムツを替えたりしていたのです。

 

 そういう人たちはだいたい一人。その時、たまたま奥さんがほっとその辺まで買い物に行っているのか、奥さんが働いて旦那がハウスハズバンドで子育て担当なのか、はたまた根っからシングルファーザーなのかわかりませんが、いずれにしてもその日その時、出会った彼らはしっかり子育てが板についている感じでした。

 

 衝撃!・・というほどでもなかったけど、なぜか僕は「うーん、さすがはニューヨークはイケてるぜ」と深く納得し、彼らが妙にカッコよく見えてしまったのです。

 

 

 そうなるのを念願していたわけではないけれど、それから約10年後。

 1990年代後半の練馬区の路上で、僕は1歳になるかならないかの息子をベビーカーに乗せて歩いていました。たしか「いわさきちひろ美術館」に行く途中だったと思います。

 向こう側からやってきたおばさんが、じっと僕のことを見ている。

 なんだろう?と気づくと、トコトコ近寄ってきて、何やら話しかけてくる。

 どこから来たのか?どこへ行くのか? この子はいくつか? 奥さんは何をやっているのいか?などなど・・・

 

 「カミさんはちょっと用事で、今日はいないんで」と言うと、ずいぶん大きなため息をつき、「そうなの。私はまた逃げられたと思って」と。

 おいおい、たとえそうだとしても、知らないあんたに心配されたり同情されたりするいわれはないんだけど。

 

 別に腹を立てたわけではありませんが、世間からはそういうふうにも見えるんだなぁと、これまた深く納得。

 あのおばさんは口に出して言ったけど、心の中でそう思ってて同情だか憐憫だかの目で観ている人は結構いるんだろうなぁ、と感じ入った次第です。

 

 というのが、今から約20年前のこと。

 その頃からすでに「子育てしない男を父とは呼ばない」なんてキャッチコピーが出ていましたが、男の子育て環境はずいぶん変化したのでしょうか?

 表面的には イクメンがもてはやされ、育児関係・家事関係の商品のコマーシャルにも、ずいぶん男が出ていますが、実際どうなのでしょうか?

 

 件のベビーカーにしても、今どき珍しくないだろう、と思いましたが、いや待てよ。妻(母)とカップルの時は街の中でも電車の中でもいる。それから父一人の時でも子供を自転車に乗せている男はよく見かける。だが、ベビーカーを“ひとりで”押している男はそう頻繁には見かけない。これって何を意味しているのだろう? と、考えてしまいました。

 

 ベビーカーに乗せている、ということは、子供はだいたい3歳未満。保育園や幼稚園に通うにはまだ小さい。普段は家で母親が面倒を見ているというパターンがやはりまだまだ多いのでしょう。

 

 そういえば、保育園の待機児童問題って、お母さんの声ばかりで、お父さんの声ってさっぱり聞こえてこない。そもそも関係あるのか?って感じに見えてしまうんだけど、イクメンの人たちの出番はないのでしょうか・・・。

 

2016年6月16日


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インターネットがつくるフォークロア

 

インターネットの出現は社会を変えた――ということは聞き飽きるほど、あちこちで言われています。けれどもインターネットが本格的に普及したのは、せいぜいここ10年くらいの話。全世代、全世界を見渡せば、まだ高齢者の中には使ったことがないという人も多いし、国や地域によって普及率の格差も大きい。だから、その変化の真価を国レベル・世界レベルで、僕たちが実感するのはまだこれからだと思います。

それは一般によくいわれる、情報収集がスピーディーになったとか、通信販売が便利になったとか、というカテゴリーの話とは次元が違うものです。もっと人間形成の根本的な部分に関わることであり、ホモサピエンスの文化の変革にまでつながること。それは新しい民間伝承――フォークロアの誕生です。

 

“成長過程で自然に知ってしまう”昔話・伝承

 

最初はどこでどのように聞いたのか覚えてないですが、僕たちは自分でも驚くほど、昔話・伝承をよく知っています。成長の過程のどこかで桃太郎や浦島太郎や因幡の白ウサギと出会い、彼らを古い友だちのように思っています。

 

家庭でそれらの話を大人に読んでもらったこともあれば、幼稚園・保育園・小学校で体験したり、最近ならメディアでお目にかかることも多い。それはまるで遺伝子に組み込まれているかのように、あまりに自然に身体の中に溶け込んでいるのです。

 

調べて確認したわけではないが、こうした感覚は日本に限らず、韓国でも中国でもアメリカでもヨーロッパでも、その地域に住んでいる人なら誰でも持ち得るのではないでしょうか。おそらく同じような現象があると思います。それぞれどんな話がスタンダードとなっているのかは分かりませんが、その国・その地域・その民族の間で“成長過程で自然に知ってしまう”昔話・伝承の類が一定量あるのです。

 

それらは長い時間を生きながらえるタフな生命エネルギーを持っています。それだけのエネルギーを湛えた伝承は、共通の文化の地層、つまり一種のデータベースとして、万人の脳の奥底に存在しています。その文化の地層の上に、その他すべての情報・知識が積み重なっている――僕はそんなイメージを持っています。

 

世界共通の、新しいカテゴリーの伝承

 

そして、昔からあるそれとは別に、これから世界共通の、新しいカテゴリーの伝承が生まれてくる。その新しい伝承は人々の間で共通の文化の地層として急速に育っていくのでないか。そうした伝承を拡散し、未来へ伝える役目を担っているのがインターネット、というわけです。

 

ところで新しい伝承とは何でしょう? その主要なものは20世紀に生まれ、花開いた大衆文化――ポップカルチャーではないでしょうか。具体的に挙げていけば、映画、演劇、小説、マンガ、音楽(ジャズ、ポップス、ロック)の類です。

 

21世紀になる頃から、こうしたポップカルチャーのリバイバルが盛んに行われるようになっていました。

人々になじみのあるストーリー、キャラクター。

ノスタルジーを刺激するリバイバル・コンテンツ。

こうしたものが流行るのは、情報発信する側が、商品価値の高い、新しいものを開発できないためだと思っていました。

そこで各種関連企業が物置に入っていたアンティーク商品を引っ張り出してきて、売上を確保しようとした――そんな事情があったのでしょう。実際、最初のうちはそうだったはずです。

だから僕は結構冷めた目でそうした現象を見ていました。そこには半ば絶望感も混じっていたと思います。前の世代を超える、真に新しい、刺激的なもの・感動的なものは、この先はもう現れないのかも知れない。出尽くしてしまったのかも知れない、と……。

 

しかし時間が経ち、リバイバル現象が恒常化し、それらの画像や物語が、各種のサイトやYouTubeの動画コンテンツとして、ネット上にあふれるようになってくると考え方は変わってきました。

 

それらのストーリー、キャラクターは、もはや単なるレトロやリバイバルでなく、世界中の人たちの共有財産となっています。いわば全世界共通の伝承なのです。

僕たちは欧米やアジアやアフリカの人たちと「ビートルズ」について、「手塚治虫」について、「ガンダム」について、「スターウォーズ」について語り合えるし、また、それらを共通言語にして、子や孫の世代とも同様に語り合えます。

そこにボーダーはないし、ジェネレーションギャップも存在しません。純粋にポップカルチャーを媒介にしてつながり合う、数限りない関係が生まれるのです。

 

また、これらの伝承のオリジナルの発信者――ミュージシャン、映画監督、漫画家、小説家などによって、あるいは彼ら・彼女らをリスペクトするクリエイターたちによって自由なアレンジが施され、驚くほど新鮮なコンテンツに生まれ変わる場合もあります。

 

インターネットの本当の役割

 

オリジナル曲をつくった、盛りを過ぎたアーティストたちが、子や孫たち世代の少年・少女と再び眩いステージに立ち、自分の資産である作品を披露。それをYouTubeなどを介して広めている様子なども頻繁に見かけるようになりました。

 

それが良いことなのか、悪いことなのか、評価はさておき、そうした状況がインタ―ネットによって現れています。これから10年たち、20年たち、コンテンツがさらに充実し、インターネット人口が現在よりさらに膨れ上がれば、どうなるでしょうか? 

 

おそらくその現象は空気のようなものとして世の中に存在するようになり、僕たちは新たな世界的伝承として、人類共通の文化遺産として、完成された古典として見なすようになるでしょう。人々は分かりやすく、楽しませてくれるものが大好きだからです。

 

そして、まるで「桃太郎」のお話を聞くように、まっさらな状態で、これらの伝承を受け取った子供たちが、そこからまた新しい、次の時代の物語を生みだしていきます。

 

この先、そうした現象が必ず起こると思う。インターネットという新参者のメディアはその段階になって、さらに大きな役割を担うのでしょう。それは文化の貯蔵庫としての価値であり、さらに広げて言えば、人類の文化の変革につながる価値になります。

 

 

2016年6月13日


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地方自治体のホームページって割と面白い

 

 

 ここのところ、雑誌の連載で地方のことを書いています。

書くときはまずベーシックな情報(最初のリード文として使うこともあるので)をインターネットで調べます。

 これはウィキペディアなどの第3者情報よりも、各県の公式ホームページの方が断然面白い。自分たちの県をどう見せ、何をアピールしたいかがよくわかるからです。

なんでも市場価値が問われる時代。「お役所仕事云々・・・」と言われることが多い自治体ですが、いろいろ努力して、ホームページも工夫しています。

 

 最近やった宮崎県のキャッチコピーは「日本のひなた」。

 日照時間の多さ、そのため農産物がよく獲れるということのアピール。

 そしてもちろん、人や土地のやさしさ、あったかさ、ポカポカ感を訴えています。

 いろいろな人たちがお日さまスマイルのフリスビーを飛ばして、次々と受け渡していくプロモーションビデオは、単純だけど、なかなか楽しかった。

 

 それから「ひなた度データ」というのがあって、全国比率のいろいろなデータが出ています。面白いのが、「餃子消費量3位」とか、「中学生の早寝早起き率 第3位」とか、「宿題実行率 第4位」とか、「保護者の学校行事参加率 第2位」とか・・・
 「なんでこれがひなた度なんじゃい!」とツッコミを入れたくなるのもいっぱい。だけど好きです、こういうの。 

 取材するにしても、いきなり用件をぶつけるより、「ホームページ面白いですね~」と切り出したほうが、ちょっとはお役所臭さが緩和される気がします。

 

 「あなたのひなた度は?」というテストもあって、やってみたら100パーセントでした。じつはまだ一度も行ったことないけれど、宮崎県を応援したくなるな。ポカポカ。

 

2016年6月12日


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タイムマシンにおねがい

 

 きのう6月10日は「時の記念日」でした。それに気がついたら頭の中で突然、サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにおねがい」が鳴り響いてきたので、YouTubeを見てみたら、1974年から2006年まで、30年以上にわたるいろいろなバージョンが上がっていました。本当にインターネットの世界でタイムマシン化しています。

 

 これだけ昔の映像・音源が見放題・聞き放題になるなんて10年前は考えられませんでした。こういう状況に触れると、改めてインターネットのパワーを感じると同時に、この時代になるまで生きててよかった~と、しみじみします。

 

 そしてまた、ネットの中でならおっさん・おばさんでもずっと青少年でいられる、ということを感じます。60~70年代のロックについて滔々と自分の思い入れを語っている人がいっぱいいますが、これはどう考えても50代・60代の人ですからね。

 でも、彼ら・彼女らの頭の中はロックに夢中になっていた若いころのまんま。脳内年齢は10代・20代。インターネットに没頭することは、まさしくタイムマシンンに乗っているようなものです。

 

 この「タイムマシンにおねがい」が入っているサディスティック・ミカ・バンドの「黒船」というアルバムは、1974年リリースで、いまだに日本のロックの最高峰に位置するアルバムです。若き加藤和彦が作った、世界に誇る傑作と言ってもいいのではないでしょうか。

 中でもこの曲は音も歌詞もゴキゲンです。いろいろ見た(聴いた)中でいちばんよかったのは、最新(かな?)の2006年・木村カエラ・ヴォーカルのバージョンです。おっさんロッカーたちをバックに「ティラノサウルスおさんぽ アハハハ-ン」とやってくれて、くらくらっときました。

 

 やたらと「オリジナルでなきゃ。あのヴォーカルとあのギターでなきゃ」とこだわる人がいますが、僕はそうは思わない。みんなに愛される歌、愛されるコンテンツ、愛される文化には、ちゃんと後継ぎがいて、表現技術はもちろんですが、それだけでなく、その歌・文化の持ち味を深く理解し、見事に自分のものとして再現します。中には「オリジナルよりいいじゃん!」と思えるものも少なくありません。(この木村カエラがよい例)。

 この歌を歌いたい、自分で表現したい!――若い世代にそれだけ強烈に思わせる、魅力あるコンテンツ・文化は生き残り、クラシックとして未来に継承されていくのだと思います。

 

 もう一つおまけに木村カエラのバックでは、晩年の加藤和彦さんが本当に楽しそうに演奏をしていました。こんなに楽しそうだったのに、どうして自殺してしまったのだろう・・・と、ちょっと哀しくもなったなぁ。

 

2016年6月11日


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「歴人めし」おかわり情報

 

 9日間にわたって放送してきた「歴人めし」は、昨日の「信長巻きの巻」をもっていったん終了。しかし、ご安心ください。7月は夜の時間帯に再放送があります。ぜひ見てくださいね。というか、You Tubeでソッコー見られるみたいですが。

 

 

https://www.ch-ginga.jp/movie-detail/series.php?series_cd=12041

 

 この仕事では歴人たちがいかに食い物に執念を燃やしていたかがわかりました。 もちろん、記録に残っているのはほんの少し。

 源内さんのように、自分がいかにうなぎが好きか、うなぎにこだわっているか、しつこく書いている人も例外としていますが、他の人たちは自分は天下国家のことをいつも考えていて、今日のめしのことなんかどうでもいい。カスミを食ってでの生きている・・・なんて言い出しそうな勢いです。

 

 しかし、そんなわけはない。偉人と言えども、飲み食いと無関係ではいられません。 ただ、それを口に出して言えるのは、平和な世の中あってこそなのでしょう。だから日本の食文化は江戸時代に発展し、今ある日本食が完成されたのです。

 

 そんなわけで、「おかわり」があるかもしれないよ、というお話を頂いているので、なんとなく続きを考えています。

 駿河の国(静岡)は食材豊富だし、来年の大河の井伊直虎がらみで何かできないかとか、 今回揚げ物がなかったから、何かできないかとか(信長に捧ぐ干し柿入りドーナツとかね)、

 柳原先生の得意な江戸料理を活かせる江戸の文人とか、明治の文人の話だとか、

 登場させ損ねてしまった豊臣秀吉、上杉謙信、伊達政宗、浅井三姉妹、新選組などの好物とか・・・

 食について面白い逸話がありそうな人たちはいっぱいいるのですが、柳原先生の納得する人物、食材、メニュー、ストーリーがそろって、初めて台本にできます。(じつは今回もプロット段階でアウトテイク多数)

 すぐにとはいきませんが、ぜひおかわりにトライしますよ。

 それまでおなかをすかせて待っててくださいね。ぐ~~。

2016年6月7日


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歴人めし♯9:スイーツ大好き織田信長の信長巻き

 

信長が甘いもの好きというのは、僕は今回のリサーチで初めて知りました。お砂糖を贈答したり、されたりして外交に利用していたこともあり、あちこちの和菓子屋さんが「信長ゆかりの銘菓」を開発して売り出しているようです。ストーリーをくっつけると、同じおまんじゅうやあんころもちでも何だか特別なもの、他とは違うまんじゅうやあんころもちに思えてくるから不思議なものです。

 

 今回、ゆかりの食材として採用したのは「干し柿」と「麦こがし(ふりもみこがし)」。柿は、武家伝統の本膳料理(会席料理のさらに豪華版!)の定番デザートでもあり、記録をめくっていると必ず出てきます。

 現代のようなスイーツパラダイスの時代と違って、昔の人は甘いものなどそう簡単に口にできませんでした。お砂糖なんて食品というよりは、宝石や黄金に近い超ぜいたく品だったようです。だから信長に限らず、果物に目のない人は大勢いたのでしょう。

 中でもは干し柿にすれば保存がきくし、渋柿もスイートに変身したりするので重宝されたのだと思います。

 

  「信長巻き」というのは柳原尚之先生のオリジナル。干し柿に白ワインを染み込ませるのと、大徳寺納豆という、濃厚でしょっぱい焼き味噌みたいな大豆食品をいっしょに巻き込むのがミソ。

 信長は塩辛い味も好きで、料理人が京風の上品な薄味料理を出したら「こんな水臭いものが食えるか!」と怒ったという逸話も。はまった人なら知っている、甘い味としょっぱい味の無限ループ。交互に食べるともうどうにも止まらない。信長もとりつかれていたのだろうか・・・。

 

 ちなみに最近の映画やドラマの中の信長と言えば、かっこよくマントを翻して南蛮渡来の洋装を着こなして登場したり、お城の中のインテリアをヨーロッパの宮殿風にしたり、といった演出が目につきます。

 スイーツ好きとともに、洋風好き・西洋かぶれも、今やすっかり信長像の定番になっていますが、じつはこうして西洋文化を積極的に採り入れたのも、もともとはカステラだの、金平糖だの、ボーロだの、ポルトガルやスペインの宣教師たちが持ち込んできた、砂糖をたっぷり使った甘いお菓子が目当てだったのです。(と、断言してしまう)

 

 「文化」なんていうと何やら高尚っぽいですが、要は生活習慣の集合体をそう呼ぶまでのこと。その中心にあるのは生活の基本である衣食住です。

 中でも「食」の威力はすさまじく、これに人間はめっぽう弱い。おいしいものの誘惑からは誰も逃れられない。そしてできることなら「豊かな食卓のある人生」を生きたいと願う。この「豊かな食卓」をどう捉えるかが、その人の価値観・生き方につながるのです。

 魔王と呼ばれながら、天下統一の一歩手前で倒れた信長も、突き詰めればその自分ならではの豊かさを目指していたのではないかと思うのです。

 

2016年6月6日


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歴人めし♯8 山内一豊の生食禁止令から生まれた?「カツオのたたき」

 

 「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だったころ、琵琶湖のほとりに金目教という怪しい宗教が流行っていた・・・」というナレーションで始まるのは「仮面の忍者・赤影」。子供の頃、夢中になってテレビにかじりついていました。

 時代劇(忍者もの)とSF活劇と怪獣物をごちゃ混ぜにして、なおかつチープな特撮のインチキスパイスをふりかけた独特のテイストは、後にも先にもこの番組だけ。僕の中ではもはや孤高の存在です。

 

 いきなり話が脱線していますが、赤影オープニングのナレーションで語られた「琵琶湖のほとり」とは滋賀県長浜あたりのことだったのだ、と気づいたのは、ちょうど10年前の今頃、イベントの仕事でその長浜に滞在していた時です。

 このときのイベント=期間限定のラジオ番組制作は、大河ドラマ「功名が辻」関連のもの。4月~6月まで断続的に数日ずつ訪れ、街中や郊外で番組用の取材をやっていました。春でもちょっと寒いことを我慢すれば、賑わいがあり、かつまた、自然や文化財にも恵まれている、とても暮らしやすそうな良いところです。

この長浜を開いたのは豊臣秀吉。そして秀吉の後を継いで城主になったのが山内一豊。「功名が辻」は、その一豊(上川隆也)と妻・千代(仲間由紀恵)の物語。そして本日の歴人めし♯9は、この一豊ゆかりの「カツオのたたき」でした。

 ところが一豊、城主にまでしてもらったのに秀吉の死後は、豊臣危うしと読んだのか、関が原では徳川方に寝返ってしまいます。つまり、うまいこと勝ち組にすべり込んだわけですね。

 これで一件落着、となるのが、一豊の描いたシナリオでした。

 なぜならこのとき、彼はもう50歳。人生50年と言われた時代ですから、その年齢から本格的な天下取りに向かった家康なんかは例外中の例外。そんな非凡な才能と強靭な精神を持ち合わせていない、言ってみればラッキーで何とかやってきた凡人・一豊は、もう疲れたし、このあたりで自分の武士人生も「あがり」としたかったのでしょう。

 できたら、ごほうびとして年金代わりに小さな領地でももらって、千代とのんびり老後を過ごしたかったのだと思います。あるいは武士なんかやめてしまって、お百姓でもやりながら余生を・・・とひそかに考えていた可能性もあります。

 

 ところが、ここでまた人生逆転。家康からとんでもないプレゼントが。

 「土佐一国をおまえに任せる」と言い渡されたのです。

 一国の領主にしてやる、と言われたのだから、めでたく大出世。一豊、飛び上がって喜んだ・・・というのが定説になっていますが、僕はまったくそうは思いません。

 なんせ土佐は前・領主の長曾我部氏のごっつい残党がぞろぞろいて、新しくやってくる領主をけんか腰で待ち構えている。徳川陣営の他の武将も「あそこに行くのだけは嫌だ」と言っていたところです。

 

 現代に置き換えてみると、後期高齢者あたりの年齢になった一豊が、縁もゆかりもない外国――それも南米とかのタフな土地へ派遣されるのようなもの。いくらそこの支店長のポストをくれてやる、と言われたって全然うれしくなんかなかったでしょう。

 

 けれども天下を収めた家康の命令は絶対です。断れるはずがありません。

 そしてまた、うまく治められなければ「能無し」というレッテルを貼られ、お家とりつぶしになってしまいます。

 これはすごいプレッシャーだったでしょう。「勝ち組になろう」なんて魂胆を起こすんじゃなかった、と後悔したに違いありません。

 

 こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

 恐怖にかられてしまった人間は、より以上の恐怖となる蛮行、残虐行為を行います。

 一豊は15代先の容堂の世代――つまり、250年後の坂本龍馬や武市半平太の時代まで続く、武士階級をさらに山内家の上士、長曾我部氏の下士に分けるという独特の差別システムまで発想します。

 そうして土佐にきてわずか5年で病に倒れ、亡くなってしまった一豊。寿命だったのかもしれませんが、僕には土佐統治によるストレスで命を縮めたとしか思えないのです。

 

 「カツオのたたき」は、食中毒になる危険を慮った一豊が「カツオ生食禁止令」を出したが、土佐の人々はなんとかおいしくカツオを食べたいと、表面だけ火であぶり、「これは生食じゃのうて焼き魚だぜよ」と抗弁したところから生まれた料理――という話が流布しています。

 しかし、そんな禁止令が記録として残っているわけではありません。やはりこれはどこからか生えてきた伝説なのでしょう。

 けれども僕はこの「カツオのたたき発祥物語」が好きです。それも一豊を“民の健康を気遣う良いお殿様”として解釈するお話でなく、「精神的プレッシャーで恐怖と幻想にとりつかれ、カツオの生食が、おそるべき野蛮人たちの悪食に見えてしまった男の物語」として解釈してストーリーにしました。

 

 随分と長くなってしまいましたが、ここまで書いてきたバックストーリーのニュアンスをイラストの方が、短いナレーションとト書きからじつにうまく掬い取ってくれて、なんとも情けない一豊が画面で活躍することになったのです。

 一豊ファンの人には申し訳ないけど、カツオのたたきに負けず劣らず、実にいい味出している。マイ・フェイバリットです。

 

2016年6月3日


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「歴人めし」徳川家康提唱、日本人の基本食

 

 

 歴人めし第7回は「徳川家康―八丁味噌の冷汁と麦飯」。

 「これが日本人の正しい食事なのじゃ」と家康が言ったかどうかは知りませんが、米・麦・味噌が長寿と健康の基本の3大食材と言えば、多くの日本人は納得するのではないでしょうか。エネルギー、たんぱく質、ビタミン、その他の栄養素のバランスも抜群の取り合わせです。

 ましてやその発言の主が、天下を統一して戦国の世を終わらせ、パックス・トクガワ―ナを作った家康ならなおのこと。実際、家康はこの3大食材を常食とし、かなり養生に努めていたことは定説になっています。

 

  昨年はその家康の没後400年ということで、彼が城を構えた岡崎・浜松・静岡の3都市で「家康公400年祭」というイベントが開催され、僕もその一部の仕事をしました。

そこでお会いしたのが、岡崎城から歩いて八丁(約780メートル)の八丁村で八丁味噌を作っていた味噌蔵の後継者。

 かのメーカー社長は現在「Mr.Haccho」と名乗り、毎年、海外に八丁味噌を売り込みに行っているそうで、日本を代表する調味料・八丁味噌がじわじわと世界に認められつつあるようです。

 

 ちなみに僕は名古屋の出身なので子供の頃から赤味噌に慣れ親しんできました。名古屋をはじめ、東海圏では味噌と言えば、赤味噌=豆味噌が主流。ですが、八丁味噌」という食品名を用いれるのは、その岡崎の元・八丁村にある二つの味噌蔵――現在の「まるや」と「カクキュー」で作っているものだけ、ということです。

 

 しかし、養生食の米・麦・味噌をがんばって食べ続け、健康に気を遣っていた家康も、平和な世の中になって緊張の糸がプツンと切れたのでしょう。

 がまんを重ねて押さえつけていた「ぜいたくの虫」がそっとささやいたのかもしれません。

 

 「もういいんじゃないの。ちょっとぐらいぜいたくしてもかまへんで~」

 

 ということで、その頃、京都でブームになっていたという「鯛の天ぷら」が食べた~い!と言い出し、念願かなってそれを口にしたら大当たり。おなかが油に慣れていなかったせいなのかなぁ。食中毒がもとで亡くなってしまった、と伝えられています。

 でも考えてみれば、自分の仕事をやり遂げて、最期に食べたいものをちゃんと食べられて旅立ったのだから、これ以上満足のいく人生はなかったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

2016年6月2日


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歴人めし「篤姫のお貝煮」と御殿女中

  絶好調「真田丸」に続く2017年大河は柴咲コウ主演「おんな城主 直虎」。今年は男だったから来年は女――というわけで、ここ10年あまり、大河は1年ごとに主人公が男女入れ替わるシフトになっています。
 だけど女のドラマは難しいんです。なかなか資料が見つけらない。というか、そもそも残っていな。やはり日本の歴史は(外国もそうですが)圧倒的に男の歴史なんですね。


 それでも近年、頻繁に女主人公の物語をやるようになったのは、もちろん女性の視聴者を取り込むためだけど、もう一つは史実としての正確さよりも、物語性、イベント性を重視するようになってきたからだと思います。

 

 テレビの人気凋落がよく話題になりますが、「腐っても鯛」と言っては失礼だけど、やっぱ日曜8時のゴールデンタイム、「お茶の間でテレビ」は日本人の定番ライフスタイルです。

 出演俳優は箔がつくし、ゆかりの地域は観光客でにぎわうって経済も潤うし、いろんなイベントもぶら下がってくるし、話題も提供される・・・ということでいいことづくめ。
 豪華絢爛絵巻物に歴史のお勉強がおまけについてくる・・・ぐらいでちょうどいいのです。(とはいっても、制作スタッフは必死に歴史考証をやっています。ただ、部分的に資料がなくても諦めずに面白くするぞ――という精神で作っているということです)

 

 と、すっかり前置きが長くなってしまいましたが、なんとか「歴人めし」にも一人、女性を入れたいということで、あれこれ調べた挙句、やっと好物に関する記録を見つけたのが、20082年大河のヒロイン「篤姫」。本日は天璋院篤姫の「お貝煮」でした。

 

 見てもらえればわかるけど、この「お貝煮」なる料理、要するにアワビ入りの茶碗蒸しです。その記述が載っていたのが「御殿女中」という本。この本は明治から戦前の昭和にかけて活躍した、江戸文化・風俗の研究家・三田村鳶魚の著作で。篤姫付きの女中をしていた“大岡ませ子”という女性を取材した、いわゆる聞き書きです。

 

 

 明治も30年余り経ち、世代交代が進み、新しい秩序・社会体制が定着してくると、以前の時代が懐かしくなるらしく、「江戸の記憶を遺そう」というムーブメントが文化人の間で起こったようです。
 そこでこの三田村鳶魚さんが、かなりのご高齢だったます子さんに目をつけ、あれこれ大奥の生活について聞き出した――その集成がこの本に収められているというわけです。これは現在、文庫本になっていて手軽に手に入ります。

 ナレーションにもしましたが、ヘアメイク法やら、ファッションやら、江戸城内のエンタメ情報やらも載っていて、なかなか楽しい本ですが、篤姫に関するエピソードで最も面白かったのが飼いネコの話。

 最初、彼女は狆(犬)が買いたかったようなのですが、夫の徳川家定(13代将軍)がイヌがダメなので、しかたなくネコにしたとか。

 


 ところが、このネコが良き相棒になってくれて、なんと16年もいっしょに暮らしたそうです。彼女もペットに心を癒された口なのでしょうか。

 

 そんなわけでこの回もいろんな発見がありました。

 続編では、もっと大勢の女性歴人を登場させ、その好物を紹介したいと思っています。

 

2016年6月1日


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ワクチンに対する疑念とコロナのこれから

 

今朝、杉並区から義母宛てに

ワクチン3回目接種の案内が来た。

昨年と違って、日時もすべて指定済み。

どうしても都合悪くて来れなければ変更は可能ですよ、

ただ、もしかしたらだいぶ後回しになるかもねー―

というスタンス。

 

昨年みたいに、希望に応じて予約取って――

なんてやっていると、

受ける側も保健所側も混乱して大変なので、

まぁいいと思う。

高齢者は基本的に時間の自由がきくしね。

 

ただ、現在爆発しているオミクロンは、

海外の例を見る限り、ピークアウトも早そうなので、

今から打って(義母の指定日は来月前半)、

効果としてどうなのか?

 

政府もマスメディアも、ちょっと前まで

「感染拡大に歯止めをかけ、重症化を防ぐためのは

ブースター接種に掛かっている」といったニュアンスで

懸命にワクチン効果をPRしていたが、

あれよあれよという間に感染が広がって、

誰の目にも手遅れという事態が明らかになるとともに、

そのアナウンスもトーンダウンしてきた。

 

ブレイクスルー感染も多いようだし、

国民も1回目・2回目の時ほど、

ワクチンを信頼してないのではないかな?

 

僕は決してワクチン反対派ではないが、

高齢者の接種がすみ、3月・4月になって

オミクロンが沈静化したタイミングで

「今後の予防のために3回目どうぞ」と来ても、

あんまり受ける気にならない。

 

しかし気になるのはオミクロンの後のこと。

巷では「オミクロンでコロナ禍は終わる。

あとちょっとの辛抱だ」という声が多いが、

僕はそれよりも南アフリカの大統領が

「オミクロン株の発生は、

ワクチンの不平等がもう許されないことを示した」

と発言していたことのほうが印象的だ。

 

地球は一つ。

人類みんな一蓮托生。

先進国ばかり3回、4回、5回とワクチンを打っても、

殆ど打てないアフリカ諸国の状況を改善しない限り、

オミクロンの後も

次々と新しい変異株が生まれるのではないか。

 

すると永久にコロナ禍は終わらない、

とまでは言わないが、この先、5年も10年も

パンデミックは解かれない可能性もあるのではないか。

 

良くも悪くもこの半世紀で

それまでとは比べ物にならないほど、

世界の人々の関係は密になり、地球は小さくなった。

 

コロナ禍は分断・格差・差別を生んでいると言われるが、

最終的にはコロナがそれらを

大きく減退させるかもしれない。

 

新型コロナウィルスは、

国連のSDGsの理念「ひとりも置き去りにしない」を

無理やり実現し、人類を団結させ平等にするために

生まれたもの———

そんな妄想にとらわれたりもする。

 


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こぐま座 再生目指してトラックコンサート

 

先日トラックが盗難事故に遭った

こぐま座のコンサートがYouTubeにUPされている。

 

彼らのレパートリー

「三匹のこぶた」「ももたろう」「ピノッキオ」などの

主題歌メドレー、

および、この劇団のスーパーアイドル、

ファンキーなラッパーゴリラ・ゴンタの

パフォーマンスが見られる。

 

 1月18日、盗難されたトラックが帰ってきたけど、

自走が困難になってしまったため、

廃車することになったそうだ。

それで、日本全国を幾度となく旅して回った

トラックの最後の思い出として

荷台ステージでのコンサートとなったようだ。

 

皆さん、新しいトラックで活動再開したら、

子どもや孫を連れて観に行ってみてください。

こぐま座の人形劇は、日本の偉大な文化の一つです。

もちろん、おとながひとりでブラっと行って

童心を取り戻してもええんでないかい?

 


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バースデーフラワー

 

ピンクとブルー。

誕生日にもらった花がどんどん開いていく。

冬来りなば春遠からじ。

If Winter comes, can Spring be far behind ?

 


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アホになる修行をせなあかん

 

誕生日メッセージをいただいた皆さん、

どうもありがとうございます。

 

昨日も書きましたが、還暦を超えると

あたりの見晴らしがよくなるので、

この際、終わりから人生考えてみても

いいのではないでしょうか。

 

折しも、第3次世界大戦になぞらえられるコロナ禍。

年末年始は全世界、オミクロン弾の大空襲。

戦後はおそらくいろんな価値観がぐちゃぐちゃになり、

過去の社会常識・人生モデルが瓦礫と化すでしょう。

 

そんな焼け野原を口笛吹いて明日へ向かって歩けるか?

自分の行く末と、

ホモサピエンスはこれからどこへ行くのか?

を想像しながら歩くのもまた楽し。

 

この間、横尾忠則さんの

「アホになる修行~横尾忠則言葉集~」(イーストプレス)

という本を読んだが、

「死を想う」という項目が一番面白かった。

 

現実を死の側からの視線で眺めたい。

いつもそう思っている。

死の側から見たこの現実を描きたいと。(引用)

 

その他、素敵な言葉がいっぱい並んでいる。

すぐに小賢しいことを考える僕は、

横尾さんにならって

アホになる修行をせなあかんな、と思った誕生日でした。

 

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週末の懐メロ66:リヴィング・イット・アップ/リッキー・リー・ジョーンズ

 

今日は誕生日。

還暦を過ぎると誕生日って、

そこはかとなく人生の終わりから逆算したりしてみる。

そこで死ぬ前に1曲だけ好きな歌を聴かせてやる、

と言われたら、何を選ぶだろうと考えてみた。

 

殆ど考えることなく、この曲のイントロが聞こえてきた。

1981年リリース。

リッキー・リー・ジョーンズの

セカンドアルバム「パイレーツ」のA面2曲目。

変幻自在の曲調。

マジックのように変転するリズムに乗せた歌声は、

軽やかな足取りで野道を行く少女のようであり、

裏街の酒場で飲んだくれるセクシーな女のようでもある。

 

♪おかしな片目を持ったエディは

 可愛い女の子がやってくると

 すぐにマンガのほうに視線をそらしてしまう

 彼はそれ以上何もしないで

 一日中玄関のポーチにすわっている

 何かを待っているようなふりをして・・・

 

そんな歌詞で始まるこの歌は、

まだ人生を始める前のイカれた子どもたちが

恋をしたり悪さをしたりしながら成長して

やがて離れ離れになっていく物語を

リリカルに、人生の変節を綴るかのように歌い語る。

 

人生をぜいたくに楽しむ。

おもしろおかしく暮らす。

「リヴィング・イット・アップ」はそんな意味だ。

 

リッキー・リー・ジョーンズの代表作と言われるのは、

1979年にリリースし、グラミー賞新人賞を獲得した

デビューアルバム「浪漫」だが、

彼女の類まれな、魔術としか思えない

独特のジャージーなヴォーカルを思う存分堪能できるのは、

このセカンドアルバムだ。

 

アナログレコードはずいぶん前に売ったりあげたりして、

今ても手元に残っているのは10枚ほどだが、

その中の1枚がこの「パイレーツ」である。

 

確かレコード屋でジャケ買いしたのだが、

ジャケットの写真は、ライナーノーツによれば、

1930年代のパリのナイトライフを撮っていた

ハンガリー出身のブラッサイという写真家のもの。

彼は画家のピカソや作家のヘンリー・ミラーと親交が厚く、

自ら画家としても活躍していたらしい。

この写真は1932年の「Lovers(恋人たち)」と

題された代表作である。

 

1981年。その頃はテレビもあまり見ないで、

演劇と本とレコードが生活のほとんどを占めていた。

一時期、毎晩、ひとりで酒を飲みながらアパートの部屋で

このレコードを聴きふけっていたことを思い出す。

特に幸福だったという思い出でもないし、

人生最高の歌なのかと問われてもイエスとは言い難い。

 

でも。

今日はカミさんのプレゼントのフランスワインを

飲みながら聴いているが、

やっぱり最後の晩餐にいちばん相応しいのは

この曲だなと思わずにいられない。

まだまだ面白おかしく暮らしたいしね。

 

さて、あなたは最後の晩餐曲に何を選びますか?

 

 

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もくじ

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・町会・商店会の世界ではアラ還でも「青年部」

・船上のワーキング

・カエル男のスキンケロ情報

・ナマケモノリズムで未来型脳を養生

・朝十時台のスーパーで年寄りの気持ちになる

・いつもちょっとクレイジーでいるためのスキル

・「釣った魚にエサをやらない男」は、じつはその魚に依存して生きている

・とんかつ屋はいかにして声優に転身したか

・eパン刑事、その愛と死とスマホ

・少年アキラ:ガキどもはくじ引きに命を懸ける

・負けっぱなしでも強く、しぶとく、勝っているやつよりハッピーに生きている

・自分の中の文脈を探る冒険

・誕生日のコーヒーカップと悪魔と天使

・中高年はめざせ!中川屋嘉兵衛

・慣習的自己と本質的自己

・子どもの大学受験は「良い親検定」

・自伝を書いて脚色する

・哲学するネコと瞑想書き

・民泊は旅行者もホストも面白い、新しい旅スタイル

・芸術がわかる人と思われたい

・のりしろ時間

・孤独な老人は本当に可哀そうな存在か?

・ミケランジェロ的冒険:誰もが自分の中に人生でしたいこと・すべきことを持っている

・現実世界が「AKIRA」の近未来世界を追い越すとき

・中年期以降の同窓会幹事の心のゆらぎ

・お母さんは夕暮れの交差点で踊った

・ちょっとこわい、歪んでいく顔の話

・演劇仲間との同窓会

・生殖機能終了後の人生とは?

・唐組「吸血姫」観劇で思ったこと・考えたこと

・シェイプ・オブ・ウォーター:もし人魚姫が生き延びたら

・LGBTの話題

・患者のセリフは信じるな、医者のセリフも信じるな

・ヨルとネル:心のツボによく響く少年ドラマ

・電車で若者に座席を譲る

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そのワンちゃん・ネコちゃんの動画投稿は虐待ではないですか?

 

動物(ペット)虐待のニュースをしばしば耳にするが、

知らないうちに虐待しているということはないだろうか?

テレビで毎日、ネットにUPされている

ペットの動画をよく見る。

 

たしかに可愛いし、面白いし、こころ癒される。

ただし、時々、おかしな歩き方・おかしな動作をしている

イヌやネコを目にすることがある。

 

投稿主(おそらくイコール飼い主)は、

「うちの子、面白いでしょ」というつもりで

投稿しているのだと思うが、

どこか体が悪いために

変な歩き方・変な動作になっているのでは?

と感じることがあるのだ。

 

人間だって腰が痛かったり、脚が悪かったり、

背中がおかしかったりすると、

歩き方や恰好が変になってしまう。

イヌやネコは言葉が話せないので、

そんなことは訴えられない。

おかしな歩き方や変な動作をしている場合は、

飼い主さんがおかしいなと気づいて、

まず獣医さんにどこか病気やけががないか

診てもらうべきではないだろうか。

 

ネットやテレビで観ている人は「わはは」と

笑っているしかないが、

飼い主さんは言葉の話せない

ワンちゃん・ネコちゃんを気遣う義務がある。

それをしないで「みてみて、うちの子、おもしろいよ」と、

ウケを狙って投稿するのは動物虐待になるのでは、と思う。

 


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会社の仕事はリアルとリモート2本立てに

 

先週末、新橋方面に今年初の取材に行った。

いきなり振られたので、

ろくに内容も把握できていなかったのだが、

ちゃんと要点を絞って話してくれたので

書くのに困ることはなかった。

 

取材時間は30分弱。

その会社までは片道1時間強。

行って帰ってくるまで3時間以上かかった。

 

以前は何とも思わなかったが、

今だと「これくらいだったらリモートで十分だったな」

と思ってしまう。

 

その取材先はIT会社だし、社長とも面識があったので、

べつにリアルでなくてはならない理由もなかったのだが、

1年間「月刊仏事」で広告を打ちたいことで、

その1回目だからいいかと納得。

でも、2回目以降はリモートで行こうと思っている。

相手もその方が時間が掛からなくて助かるはずだ。

 

ここ2年、すっかりリモートに慣れて

感覚が変わってしまったのを改めて実感した。

ホームページやブログやSNSの情報、

メールでのやりとり、

ズームやグーグルで電子的に会えれば、

打ち合わせ・取材などはほとんどできてしまう。

もちろん現場に行かなくてはならない仕事もあるが、

1割か、せいぜい2割だ。

 

オミクロンは拡大が急速だったせいか、

昨年秋から3か月余りでリアルモードに戻った会社は、

なかなかぱっと、またリモートモードには戻せないらしい。

通勤電車が混んでいれば、感染拡大は避けられない。

 

だけど、現場作業のない会社は

やっぱりリアルとリモート、

臨機応変に2本立てでできる体制を

整えておかないと心もとない。

 

コロナはおそらくオミクロンで終わりではないし、

終息後の社会も、ビジネスシーンも、

かなり変貌していると思う。

コロナが終わればすべて元通りになると思わないほうがいい。

 

だから去年から言ってるけど、

今のうちにDXを進めておかないと

2年後、3年後に困ったことになるのではないだろうか。

 


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87歳・真冬の大冒険

 

年末のテレビでは当然のように東京オリンピック2021の

振り返りをやっていて、

あの女子スケボーの「13歳、真夏の大冒険」

というアナウンスが毎日のように響いていた。

 

「冒険」という言葉は、大人にとってはポジティブな言葉だ。

冒険ができる大人はカッコいい。

したくてもできない大人がみんな冒険に憧れる。

 

もちろん小さな子どもにとってもワクワク感があって

エキサイティングに響くだろうが、

これが中高生あたりの子にとってはどうなのだろう?

 

金メダルを獲った当の彼女がどう思っているのかは知らないが、

僕が中高生だったら、「おい、子ども扱いすんなよ」と

うそぶいてしまうのではないだろうか。

 

さて、うちの義母は一昨日(1月15日)にお誕生日を迎え、

御年87歳になった。

昨年秋から体力増強著しく、

正月が終わった頃からますますヒートアップ。

デイサービスのない日は、食事と寝る時間以外、

「87歳・真冬の大冒険」にお出かけになる。

 

「家に帰るんだからひとりで大丈夫よ」というが、

認知症患者を一人で表に行かせられるわけがなく、

きょうは午前・午後2回ずつ、計4回も1時間以上の大冒険。

僕が3回、カミさんが1回付き添いして、

もうへとへとだ。

 

道行く人に誰彼かまわずご挨拶し、

手を振り、笑顔を振りまき、ご愛嬌を大サービス。

ちゃんと返してくれる人もいれば、

びっくりした顔をする人、無視する人、

リアクションはいろいろだが、

本人はこれまでのしがらみから解放されて、

ことのほか楽しそうだ。

 

はてさて、この大冒険はいつまで続くのか?

あなたの人生に金メダルあげるから、

もう少しお手柔らかにお願いしたい。

 


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立ち読みコーナー

どうして僕はロボットじゃないんだろう?

 何の脈絡もなしに、あるセリフだけが、葉っぱが一枚、ひらひらと風に乗って頭の中の郵便受けに届けられるときがある。

 「どうして僕はロボットじゃないんだろう?」というものその一つ。

 その一つのセリフから、それを発した人物、そこに関連しているストーリー、その背後にある世界観を探っていく――ということを時々やる。

 こういうセリフを言う以上、人物はもちろん人間だ。

 まだ若い。子どもかもしれない。

 自分は人間なのに、人間であることに一種の罪悪感を抱いている。

 まるでロボットなり機械であったほうがよかったのに、と言わんばかりだ。

 その時代の人間は、ロボットほど生産能力・情報解析能力が高くないことを嘆いているのかも知れない。

 いまや産業界の労働力のメインはAIであり、ロボットだ。

 あるいは地球環境の観点から言っても、環境を破壊したりしない、地球の味方であるロボットの方が好ましい。

 人間はその点でもロボットにかなわない。

 セリフを少し変えてみる。

「どうして君はロボットでなく、人間なんだろう?(自分でよく考えなさい)」

 脳の奥深くか、地球の奥底か、宇宙の果てか、から聞こえてくる問いかけは、実はすぐ身の回りにあるコンピューターから少しずつ発せられているように感じる。

 コンピューターに意思があるなどと言うと、ばかばかしいと嗤われるだろうが、やはりコンピューターは人間の純粋な道具だった、いわば知能がなかった機械類とは違っているのではないか。

 この四半世紀余りの間に社会にゆっくりと澱のように何かが溜まってきている。それはじわじわと僕たち人間の存在にプレッシャーをかけ続けている。

 そして、スマホの普及もあってそれはこの数年で加速している。

 その正体は、コンピューター類の発する無言のメッセージなのではないかという気がする。

 これから先、AI・ロボットが日常生活の中で完全に主力となれば、その目に見えないメッセージ=プレッシャーは著しく人々の精神を圧迫することになるのかも知れない。

 


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週末の懐メロ65:ジェイデッド/エアロスミス

 

あまり懐メロというイメージはないけど、

2001年リリースだからすでに20年。

 

僕が中学生の頃、

1973年にデビューしたエアロスミスが、

クイーン、キッスと並んで

「ロック新御三家」と言われて

日本で大人気になったことも、

今やはるかな昔話になった。

 

その頃はあまり興味がなくて、

ろくに聴いてなかったのだが、

その後、メンバ脱退や一時解散期を経ても

バンドとして成長を止めなかったエアロスミスは大出世し、

グラミー賞受賞、ロックの殿堂入りなどを果たした。

 

「キング・オブ・ロック」の称号を手にした

エアロスミスのリッチでゴージャス、

ポップでコマーシャルなサウンドは

聴いてて気持ちよく、

20世紀ロックのおいしいところをてんこ盛りにした

お祝い料理をいただいたような満足感がある。

 

加えてミュージックビデオの質の高さ。

 

贅沢な暮らしにJaded(あきあき)した

箱入りお姫さまが

お屋敷からワイルドな世界に脱出するストーリーが、

妖しく猥雑でセクシーで、

ユーモアたっぷり、遊び心満載の妄想として描かれていて

すごく面白い。

 

音楽ビデオの大傑作と思える見事な映像展開は、

4分弱でハリウッドエンターテインメント映画を

満喫したような気分にさせてくれる。

 

 

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読みごたえたっぷり。

寒い冬の夜に読書であったまろう。

 

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立ち読みコーナー

「ちびちびリンゴとでかでかスイカ」

(子ども時間の深呼吸・収録)

 

「わーい、ぼくのいっぱい!」と、まだ幼児だった息子が大喜びしていたことがある。

十六等分の大きさで出していた(八つ切りを半分にする)リンゴををさらに小さく三十二等分のちびちびにして盛り付けてあげたのだ。小さい子は単純なので、全体の分量は変わらなくても数が増えると大喜び・大はしゃぎする。 

「数」と人間の心理との関係は面白いもので、女性や小さい子は一つ一つは小さくても、いっぱいあった方が嬉しいという場合が多い。

これと反対なのが男性や少し大きくなった子ども。ドカン! デカっ! というやつに丸ごとかぶりつくのに至上の喜びを抱く。たとえばスイカ丸ごと食べたいという子ども(特に男の子)は少なくない。少年が抱く夢の一つといってもいいくらいだ。

「ぼくのいっぱい!」と言っていた息子も保育園に通うようになってから、夏になるたびにこの「スイカ丸ごと」と言い出した。うるさいので無視していたが、夢というのは諦めることなく、くり返し唱えていると、神様が根負けしていつかは叶えてくれるものだ。

彼が小学校四年生の夏休み、その時が来た。

知り合いから続けざまに丸のままのスイカを二個もらったのである。

僕は夏休みの思い出にもなるし、かねてからの夢を叶えてやろうと一個は息子にそのままあげたのだ。

目の前でズバッと半分に切る。もちろん大喜びで歓喜の声を上げる。そしてスプーン片手に、半球形になったスイカに勇ましく立ち向かった。ところが――。 

途中、まだ三合目あたりであえなくギブアップ。結局、残りは友だちが来た時にいっしょに食べていた。以降、その年はもう「スイカが食べたい」とは二度と言わなかった。いま考えるとよく腹をこわさなかったものだ。

あの夏、彼は人生の真理を一つ学んだのかも知れない。そして僕も自分の教訓とした。子どもの夢は百パーセント叶えて満腹にしてしまってはいけない、と。 

 


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心のなかの「子ども」にアクセスしてみれば、

何が本当に大切なのか、何が必要なのか、

幸せになるために何をすればいいのか、どう生きるのか。

自分にとっての正解がきっとわかる。

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「子どもの自殺防止は不登校体験者にまかせよう!」

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「ちょっと切なくて笑えるネバーエンディングな少女のバレエ物語」

「忍法影分身と忍法影縫いに関する実験と考察」

「働くシングルマザーと生活保護のシングルマザーの価値観

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社会のニーズに応え、生活に入り込み、

世界を変革していくAI・ロボット。

はたしてやつらは人間の敵か味方か? 

上司か部下か? ライバルか友だちか?

ただの機械に過ぎないのか、それとも人類の子どもなのか?

AI・ロボット大好きな人と

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「AIライター・ロボットライター」

「外国人労働者とロボットと徒弟制度」

「人間とロボットの未来は、トイレ掃除がカギを握っている」

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ぜひ読んでみてください。

 


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本屋の息子と本の話をする

 

都内某メジャー書店で2021年、

ビジネス部門・思想書部門でよく売れたのは、

 

マイケル・サンデル教授の

「実力も運のうち 能力主義は正義か? 」

 

斎藤 幸平「人新世の資本論」

 

ルドガー・ブレグマン「希望の歴史」

 

プレジデント社の「独学大全」といったところらしい。

 

また、この数年間、着実な売上を示しているのが

ハンス・ロリングの「ファクトフルネス 

10の思い込みを乗り越え、

データを基に世界を正しく見る習慣」

 

一般ピープルが抱く

資本主義社会に対する不信と反感、

その将来性に対する疑念と不安、

自分でなんとかしなくては、みたいな心持ちが

反映されているのかもしれない。

 

日常の生活レベルではともかく、

社会・世界・人生といったマクロな視点では

ネット情報はあてにならない。

そこはやっぱりちゃんと本を読まないと、

ということになるのだろう。

 

そんな話を息子としていた。

 

正月、来なかった息子が昨日・一昨日と遊びに来た。

自転車で20分くらいのところに住んでいるが、

年に2~3回しか来ない。

 

何をするでもなく、メシ食ってフロ入って、

くっちゃべって帰っていくだけだが、

やっぱり会うと何となく落ち着いて、

やっと正月終わった感になった。

 

こやつが上記某書店に勤めていて、

いろいろ本屋の舞台裏の話を聞けて面白い。

とある宗教家の本がベストセラーになっていると思ったら、

信者の人がそれぞれ一人100冊買いに来ていた、とか。

 

書店もネットの進化で電子書籍なども出ているし、

加えてこの2年はコロナの影響でさぞ苦戦しているだろう、

もしや正月来なかったのは、会社が経営不振で

リストラされたのではと、一瞬、心配したのだが、

そういうことはまったくなく、

逆にネット通販が充実したことによって、

むしろ売り上げは伸びているという。

 

やはりそこは老舗ブランド大型店の強み。

日本の出版文化の一翼を担う書店

と言っても過言でないので、

顧客の厚みが違う。信頼感が違う。

一般には売れない専門書もたくさん扱っているし、

図書館並みのレファレンス力もある。

 

売れ筋本しか置かない(置けない)、

いわゆる町の本屋さんには

到底真似できない所業ができる。

本屋も両極化が進んでいるようだ。

町の本屋さんには個性で勝負してもらうしかない。

 

息子とそんな話をするのはなかなか楽しかった。

 

「ところで、おれ読んでないけど、

村上春樹の『ドライブ・マイ・カー』ってどんな話?」

と聞かれて思い出そうとしたが、

ぜんぜん思い出せなかった。

 

たしか5~6年ほど前の短編集に

入っていたので読んだはず。

同じビートルズの曲のタイトルの「イエスタディ」は

関西弁のやり取りが面白くて

ぼんやり覚えていたのだが・・・。

映画化されてゴールデングラブ賞を

受賞するほどの話だっけ?

という印象。

カンヌ映画祭では脚本賞を取ったというから、

原作とはまた別物と考えた方がいいのだろう。

それでも「原作:村上春樹」の名は燦然と世界に輝く。

また一つ勲章が付いた。

 

一昨年の短編集「一人称単数」は

あんまり面白くなかったし、

世間の評価も高くなかったけど、

雑誌は村上春樹特集をやると売上が跳ね上がるという。

今回の映画で再び株が上がることは間違いなし。

日本の文学界は、まだまだハルキ頼りのようだ。

 

というわけで息子はもちとイチゴをお土産に帰って行った。

 


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週末の懐メロ64:ビー・マイ・ベイビー/ザ・ロネッツ

 

1963年リリース。

今や世界的な人気、大瀧詠一や山下達郎に代表される

80年代ジャパニーズ・シティポップの

良きお手本になったとも言われるラブリーな楽曲。

 

ザ・ロネッツは、リードヴォーカルのベロニカと姉、

従姉の三人組。

彼女らは最初、「ダーリン・シスターズ」という名前

でデビューしたが、鳴かず飛ばずだった。

 

そんな時、さっそうと現れたのが、

音楽プロデューサーのフィル・スペクターである。

当時のヒットメーカーと組み、

グループ名を変えてこの曲を歌ったら大ヒットとなった。

 

当時のヒットもさることながら、

良い曲は時を超えて成長する。

その後も1960年代アメリカンポップスの代表曲として

時代ごとに歌い継がれ、聴き継がれており、

後世のミュージシャンに与えた影響は計り知れない。

 

僕も当然、リアルタイムでは知らず、

20歳ごろにアメリカン・オールディーズを編集した

レコードで聴いて好きになった。

すでにもうその頃から懐メロだったわけだが、

1980年代でも、2000年代でも、

そして今聴いてもめっちゃ新鮮に響く。

 

つい最近までモノクロだったこの映像も、

現代のテクノロジーのおかげで、

いつの間にやら「総天然色」に進化。

 

僕が子どもの頃は、まだ白黒のテレビ番組が多かったので、

新聞のラテ欄を見るとカラーの番組は題名の頭に

「カラー」とか「C」とかいうマークがついていたが、

そんなことを思いださせる風合いもなつか楽しい。

 


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フォーエバーストロベリーとピンクレディアップル

 

雪道を散歩して帰ってきたら、

お隣さんがいたので、

昨日、岡山からいただいたイチゴを

おすそ分けに1パック、持っていった。

そしたら、なんと、リンゴをいただいた。

いちごとリンゴのトレード成立。

 

オーストラリア産の「ピンクレディ」という品種で、

日本では30農家くらいしか作っていないレアものらしい。

 

1個生で食べてみると、ちょっと固めで甘さが薄い。

煮崩れしにくいので、調理向け。

アップルパイやタルト用かな。

砂糖で煮るだけでもおいしいかも。

 


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2022ハッピーストロベリーフォーエバーイヤー

 

真っ白な雪の中、真っ赤なイチゴが来た~!

子どもの握りこぶしくらいあるような大粒の

朝摘み完熟イチゴがぎっしり詰まって、

なんと3箱、計6パック。

びっくり!

岡山の奥山いちご農園のいちごを

愛のあるAIプロデューサーの岡野さんが送ってくれた。

(さりげに韻を踏んでいる?)

試しに1個食べてみたらベリースイートで

ワンモアびっくり。

砂糖も練乳もクリームも何もいらない。

ラブリーストロベリーを満喫です。

 

年明けて東京に大雪警報が発令された6日夕方、

おもちも箱入りミカンもそろそろ底が見えてきて、

明日あたりには終わりかなと思っていた矢先、

お正月再来、ハッピーストロベリーフォーエバー。

イチゴでもう一度、2022の新年をお祝いします。

 


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初詣リベンジ編

 

元旦の巨混み状態を見て撤退したので、

本日4日はカミさんと二人で大宮八幡宮に

リベンジ初詣。

 

大宮八幡宮ではコロナ対策か、

本殿の周囲で写真撮影などで

人が溜まらないようにしている。

 

なので記念撮影は再び、かえる石さまの前で。

改めて、本年もよろしくお願いいたします。

 

おみくじ引いたら小吉で、

「万事成り行きのままに身をゆだねるとき」

「流れに自然に従えば、物事はひとりでに発展していく」

と書いてある。

 

「ハンザキを喰った」も、じつはこんなことがテーマです。

人生は川の流れのように。

 

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新春特別カエルトリップ:椎名町・金剛院

 

義母の「カエル病」に対処すべく、

お正月スペシャルサービスとして椎名町へ。

 

昭和10年、目白の豪邸にお生まれの超お嬢様だが、

わけあってその数年後、父が破産。

4歳だか5歳だかで椎名町の貧乏長屋に落ち着いた。

 

現在も高級住宅街として知られる目白と

池袋から西武線で一つ目のこの椎名町とは

目と鼻の先だが、

当時は現在よりもさらに住環境の格差が大きかったらしい。

 

義母の記憶の奥底にある「家」のイメージが

どちらのことかはわからないが、

口から出てくる言葉は「椎名町」なので、

貧乏長屋のほうが故郷と言えそうだ。

 

電車を乗り換え、「さあ椎名町だよ」と連れて来たのだが、

本人はべつに喜ぶだけでもなく、

「へー、そうなの」という感じ。

全然わかってない。

電車に乗って遠足を楽しんだという感じ。

まあ、シナリオ通りだが。

 

ここの駅前には「長崎神社」というお宮と

「金剛院」というお寺が隣同士、並んで立っている。

古くて小さなお宮に比べ、

お寺は近年、改築・整備をしたのでとてもきれいだ。

 

しかし、今日はまだお正月。

やはりコロナリベンジなのか、

長崎神社には初詣客が長蛇の列を作っているのに比べ、

金剛院は閑散状態。

 

本来はどっちにお参りしてもいいのだが、

いつの頃からか、大みそかはお寺で除夜の鐘を突き、

元旦から3が日は神社で初もうでというのが

日本人の間で習慣化してしまった。

 

義母を連れて行列に並ぶのはまっぴらなので、

今日はお寺のほうにお参り。

 

じつはこの金剛院、

「月刊仏事」の「寺力本願(じりきほんがん)」

という連載記事の1回目で取り上げた、

僕にとってもご縁のある天台宗のお寺である。

取材をしたのは3年前だ。

 

境内には弘法大師像とともに、

「マンガ地蔵(ウィズ・ドラえもん)」や

かわいい赤い帽子の「ひとことお願い地蔵」がある。

おしゃれなカフェも併設されていて、

明るく楽しいお寺なのだ。

 

以前も紹介したことがあるが、

ここにマンガ地蔵がいるのは、

近所にかの「トキワ荘ミュージアム」があるから。

確かおととし、TOKYO2020に合わせてオープンした

(コロナのせいで少し遅れたかも知れない)が、

まだ一度も行っていない。

(たしか要予約)

ぜひ今年は単独で足を運んでみたい。

 

それにしてもシナリオどおりではあるものの、

本日の椎名町訪問はやっぱり空振り。

今年も認知症のカエル病には悩まされそうだケロ。

 

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近年は愛されキャラにも。人はなぜオオサンショウウオに魅かれるのか? その謎がこの物語で解ける?2022年のスタートは、不死身のハンザキのお話で寿ぎください。


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週末の懐メロ63:ジェネシス・ライブ1973

 

2020年、一発目のこのコーナーでは、

1973年1月10日のパリの劇場における

ジェネシスのライブをご紹介。

 

この時代のジェエシスは

「シアトリカルバンド」とも呼ばれ、

ライブにおける演劇的パフォーマンスが

高く評価されていた。

 

そのシアトリカルな部分は、

ヴォーカルのピーター・ガブリエルの独壇場だった。

 

フルートを吹き、タンバリンを響かせ、

バスドラを踏み鳴らし、そして、

マイクスタンドを振り回す、

半世紀前の若きガブリエルの雄姿が、

つい昨日撮ったばかりのような美しい映像でよみがえる。

 

2020年秋から2021年にかけて毎週、このコーナーで

僕が子どもの頃・若い頃、よく聴いたミュージシャン、

今でも大好きな楽曲を60以上紹介してきた。

その中で最もアクセスが多かったのが、

昨年5月にUPしたジェネシスの「サパーズレディ」だった。

 

ちなみに2位は松田聖子の「秘密の花園」、

3位はランパの「ロッホ・セヌ―」、

4位はミッシェル・ポルナレフの「忘れじのグローリア」、

5位は平山みきの「真夏の出来事」である。

面白い?

 

1970年代プログレッシブロックの特徴の一つに

楽曲の長大さが挙げられるが、

「サパーズレディ」もアナログレコード片面を

ほぼ全部使った20分超の大曲。

それが他を抑えて、なぜこんなに人気があるのか、

ちょっと驚きだ。

 

この1973年初頭、今から49年前のライブは

フランスのテレビ局が収録フィルムを

音楽番組として放送したものだ。

 

収録されているのは、この時代のジェネシスの名曲4曲。

 

①怪奇のオルゴール(0:00)

②サパーズレデイ(10:03)

③ザ・リターン・オブ・ジャイアントホッグウィード(21:22)

④ザ・ナイフ(26:48)

 

4曲とも番組放送用に編集されて短くなっており、

特に「サパーズレディ」は中盤が大幅にカットされて

半分くらいの長さ。

フルでこの4曲をやると1時間かかるから、

やむを得なかったのかもしれない。

 

それでもこのコンテンツを紹介するのは、

冒頭でもお話した通り、その画質のクオリティである。

約50年も前のライブがこんなクリアで

美しい映像で見られるとは感動ものだ。

もちろん演奏も素晴らしい。

 

「シアトリカルバンド」という情報はあったものの、

ホームビデオさえなかった1970年代に

日本にいた僕たちは

その稀有なパフォーマンスを見ることはできず、

いわば幻の人気プログレバンドだった。

 

時々、ピーター・ガブリエルが奇天烈な格好をして

歌っているのを、

レコードジャケットやし雑誌の写真で見た程度である。

(僕の記憶にある限り、日本のテレビで

ジェネシスの演奏がオンエアされたことはなかった)

 

それがいま、およそ50年を経て、

インターネットで無料で楽しめるなんて、

考えてみれば夢のようである。

 

怪しいオカルティックな幻想曲を歌いながら、

赤いドレスを着たキツネ婦人に変身したり、

「サパーズレディ」圧巻のクライマックスで

真っ白な天使となって昇天したり、

マイクスタンドを縦横無尽に操って

ステージ上で狂走するガブリエル。

 

その姿はクールに見ると滑稽で笑ってしまうが、

このイメージ、この感情を表現したいんだ、

何が何でも伝えたいんだ、という意欲が

体中にあふれていて、

笑いながらも胸が熱くなり、

やはり心打たれずにはいられない。

 

そしてこんなユニークな音楽パフォーマンスは

現代ではなかなかお目にかかれないと思う。

 

最後に4分間ほど、ライブ後のインタビューが入っており、

音楽的にはビートルズ、キング・クリムゾン、

パフォーマンス的には、アリス・クーパー、

デヴィッド・ボウイなどの影響を受けた・・・

といった話をしているようだ。

 

ガブリエル・ジェネシスのすごさ、面白さ、美しさが

存分に堪能できるライブフィルム。

興味を覚えた人は、画質は悪いものの、

1970年代前半のガブリエル・ジェネシスのライブ映像が

いくつかも上がっているので、

ぜひ観てみてください。

 

また、この「週末の懐メロ」でご紹介した

アニメーションの「サパーズレディ」も面白く、

この楽曲の物語もわかりやすく楽しめるので、

ぜひご覧ください。

 

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長編小説「ハンザキを喰った話」

 

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2022年のスタートは、不死身のハンザキのお話で寿ぎください。

 

 


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2022おりべ作品第1弾!「ハンザキを喰った話」 新春無料キャンペーン

 

新年あけましておめでとうございます。

今年も妄想力全開で仕事をやりまくり、

毎日楽しく生き抜きたいと思います。

元旦の初詣は「幸福がえる」のご神石にお参り。

カエルパワーを授かりました。

 

というわけで2022年は、昨年大みそかにUPした新作小説「ハンザキを喰った話」の無料キャンペーンからスタート。

奇怪でユーモラスで切ない不死身のハンザキのお話で

寿ぎください。

キャンペーン期間:4日間限定

1月1日(土)17:00~1月4日(火)16:59

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2021最後の日に出版・新春キャンペーン実施「ハンザキを喰った話」

 

おりべまこと長編小説「ハンザキを喰った話」

2021年の最後を飾って本日大みそかに

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そして発売記念新春無料キャンペーン実施!

2022年1月1日(土)17:00~1月4日(火)16:59

 

2022年のスタートは、

不死身のハンザキのお話で寿ぎください。

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あらすじ

舞台は2000年。20世紀と21世紀の狭間のミレニアムの年。

文福社という小さな出版社の雇われライター・神部良平は、

自費出版の「自分史」の本を書いている。

これは自分の人生を本にしたいという人から話を聞いて、

それを一編の物語のように仕上げる、

いわば代筆業、ゴーストライターだ。

 

今回のクライアントは自称・発明家の堀田史郎という

100歳の老人。

その昔、彼は折りたたみ式の「ちゃぶ台」を発明して

大きな富を得たが、

無二の親友の裏切りに逢い、

その財産をすべて失ったという経歴の持ち主だ。

 

そんな彼が1950(昭和25)年、

人生の半ばで自殺の名所を巡る旅に出て、

出雲大社に向かう途中、島根県のとある山村で歓待を受ける。

そこで当時まだ特別天然記念物に指定されていなかった

ハンザキ(オオサンショウウオ)を食べたという。

そしてその食体験によって

自分は不死身になったというのだ。

 

彼の話を書き綴る神部は、

そんな話は老人の妄想に違いないと疑惑を抱きつつも、

なぜか半分は信じたい気になって、

みずから堀田老人がハンザキを喰ったという村に赴く。

清流が流れるその美しい村では

半世紀前の因習・しきたりは途絶え、

もちろん堀田老人が歓待を受けた時のように

「ハレの日」のお祝いとして

ハンザキを食べていたという記憶さえ失われていた。

しかし、そこで神部は思いがけない体験をする。

それは半分人間、

半分ハンザキ(オオサンショウウオ)という怪物との

遭遇だった。

こうして堀田老人の語る夢のような話は、

神部の内面でみるみる真実に変貌する。

 

最大の両棲類として古代から地球上で生き続ける

オオサンショウウオの不思議な生命力に

人生を左右されることになった

明治・大正の発明家と、昭和・平成のライターの

怪奇な運命の物語が、

夢と現実のバランスが崩れた世界で紡がれてゆく。

 

もくじ

1.ハンザキになった男

2.カエルのから揚げ

3.友情に裏切られた男

4.発明家・堀田史郎のこの世の一生

5.ハンザキの村

6.ハンザキに関する調査

7.夢ヶ淵での遭遇

8.お寺の住職の夜伽話

9.最後の取材

10.もう一つの仕事

11.満月の夜

12.富士見川での別れ

13.仕事の後始末

14.ハンザキになった男の末裔

15. ハンザキ再来

 


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「ハンザキを喰った話」:オオサンショウウオに変態した100歳の発明家をめぐる幻想譚

 

最初は5000字程度のちょっとした民話というか

おとぎ話風の短い物語にする予定だったのだが、

やっているうちに膨らんで5万字超の長編小説に。

 

夏に1週間程度で書いて出そうと思ってたのが、

年末ぎりぎりまでかかってしまった。

やっと最後のチェックが済んでUP。

大みそかに発行できるかな?

 

あらすじ

 

舞台は2000年。20世紀と21世紀の狭間のミレニアムの年。

文福社という小さな出版社の雇われライター・神部良平は、

自費出版の「自分史」の本を書いている。

これは自分の人生を本にしたいという人から話を聞いて、

それを一編の物語のように仕上げる、

いわば代筆業、ゴーストライターだ。

 

今回のクライアントは自称・発明家の堀田史郎という

100歳の老人。

その昔、彼は折りたたみ式の「ちゃぶ台」を発明して

大きな富を得たが、

無二の親友の裏切りに逢い、

その財産をすべて失ったという経歴の持ち主だ。

 

そんな彼が1950(昭和25)年、

人生の半ばで自殺の名所を巡る旅に出て、

出雲大社に向かう途中、島根県のとある山村で歓待を受ける。

そこで当時まだ特別天然記念物に指定されていなかった

ハンザキ(オオサンショウウオ)を食べたという。

そしてその食体験によって

自分は不死身になったというのだ。

 

彼の話を書き綴る神部は、

そんな話は老人の妄想に違いないと疑惑を抱きつつも、

なぜか半分は信じたい気になって、

みずから堀田老人がハンザキを喰ったという村に赴く。

清流が流れるその美しい村では

半世紀前の因習・しきたりは途絶え、

もちろん堀田老人が歓待を受けた時のように

「ハレの日」のお祝いとして

ハンザキを食べていたという記憶さえ失われていた。

しかし、そこで神部は思いがけない体験をする。

それは半分人間、半分ハンザキ(オオサンショウウオ)という怪物との遭遇だった。

こうして堀田老人の語る夢のような話は、

神部の内面でみるみる真実に変貌する。

 

最大の両棲類として古代から地球上で生き続ける

オオサンショウウオの不思議な生命力に

人生を左右されることになった

明治・大正の発明家と、昭和・平成のライターの

怪奇な運命の物語が、

夢と現実のバランスが崩れた世界で紡がれてゆく。

 


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狛寅と百足小判と毘沙門天

 

先日、港区芝(浜松町と田町の間)にある

正傳寺(しょうでんじ)というお寺を取材した。

ここは江戸時代、毘沙門天を祀っていることで

参拝客で大賑わいしたというお寺だ。

 

来年、令和4(2020)年の干支は寅だが、

このお寺の毘沙門堂には狛犬ではなく、

二体の狛寅(こまとら)が鎮座している。

 

これは毘沙門天が日本で初めて姿を現したのは、

寅年、寅日、寅の刻だったという伝承があることから

寅が使いとされるようになったからだ。

勇猛な寅は、甲冑を着た戦いの神に

ぴったりイメージが当てはまる。

 

もう一つ、同じく毘沙門天の使いとされているのは百足だ。

百足は気味悪がる人が多く、

嚙まれるとアレルギー反応を起こすこともある毒虫だが、

こちらも江戸庶民の間では

縁起の良い生き物だと評判が高い。

 

理由は江戸庶民はお金のことを「お足」と言ったため、

百足はそのお足がたくさんあるということで

金運を呼ぶとされたからだ。

 

また、歌舞伎役者など、人気商売の人も

たくさんの足が自分に向きますように、

つまり、人気が出ますようにと願って

自分の家紋に百足を使うことがよくあったという。

 

江戸っ子の洒落、現代なら「おやじギャグ」の類だが、

正傳寺ではこうした江戸庶民の感情を機敏に捉え、

「百足小判」のお守りを考案して販売。

これが大いにウケたという。

 

今のこの寺の住職さんは、こうした歴史を踏まえて

自らデザインして

この「百足小判」の復刻版をプロデュース。

これが大好評を博している。

 

毘沙門天のお寺は、東京では神楽坂の善國寺が

最も有名(ここにももちろん狛寅が鎮座している)で、

正傳寺にならって百足小判のお守りを売り出したらしいが、

「オリジナルはこちら、あちらはフォロワーです」

と住職さん。

 

いずれにしても、寅年に狛寅のいるお寺で、

金運と人気が上がる百足小判は縁起がいい。

来年はぜひ毘沙門天様にお参りするといいことあるかも。

 


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気楽な神様に気軽にありがとう

 

義母を連れて、大宮八幡宮の茅の輪・笹の輪くぐりへ。

「今年も無事に生きてました。

ありがとうございました」とお礼。

 

たぶん大半の日本人がそうだと思うが、

僕はかなりいい加減に神様・仏様と付き合っている。

でもそれでいい。

宗教と言うのは、

あんまり熱心な信者になってはいけないと思う。

 

若い頃は願掛けばかりで功利的に付き合っていても、

日本の神様・仏様は許してくれるものだ。

それは自分勝手な人間ほど、

年を取るとともに神様・仏様のありがたさに気付くからだ。

 

日本の神様・仏様はちゃんとそれをお見通しである。

だから他の宗教みたいに厳格に教えを守らなくていい。

お気楽に拝んだり、お気軽にお願いしたりできたりする

日本の神様・仏様こそが

世界のスタンダード宗教になればいいと思う。

 

ところで初詣はともかく、神社やお寺に通うなんて、

なんか年寄り臭いと思っていたが、

年を取るとともに、

だんだん自然と足が向くようになってきた。

 

人間はやっぱり「年寄り」と呼ばれるようになるくらいまで

生きた方がいい。

「若い頃はああだった、こうだった」と

振り返るくらいまで生きないと、

人生をしっかり楽しんだことにならない。

 

「もう死にたい」と思ったことさえ、

笑い飛ばせるようにならないと、

人間をやった甲斐がない。

人生の醍醐味はアフター還暦からである。

 

それにしても神様にお礼を言ったはいいものの、

あと5日を残すのみで、仕事も終わってない、

掃除も片付けも終わってない。

本当に終わらせられるのか?

もう一度、ギリギリ大みそかにもう一度来ないとだめかも。

 


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金の林檎を贈って2021のクリスマスの思い出を

 

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週末の懐メロ62:ケイト・ブッシュ・クリスマススペシャル1979

 

「こんなものがあったのか!お宝発見」と、

びっくりしたのが、

1979年、BBCで放送されたケイト・ブッシュの

クリスマススペシャル番組。

 

1977年「嵐が丘」の衝撃のデビュー後、

1980年にサードアルバム「魔物語」を出す前までの

ケイト・ブッシュは、

楽曲の素晴らしさもさることながら

ダンス&パントマイムを取り入れ、演劇的に構成した

ユニークなライブパフォーマンスが評判だった。

 

僕も80年代半ばにリリースされた

ロンドン・ハマースミスオデオンでのライブを

それこそ擦り切れるまで(当時はVHビデオテープ)

観ていた。

 

この映像はそのスタジオ版ミニライブといった趣で、

当時の新曲と未発表曲を中心に、10曲を披露している。

(プラス、ピーター・ガブリエルがゲストとして

1曲歌っている)

 

収録曲

①バイオリン 00:29

②ブルーのシンフォニー 04:44

③ゼム・ヘヴィ・ピープル 08:20

④ヒア・カムズ・ザ・フラッド(ピーター・ガブリエル)T 13:22

⑤酔いどれワルツ 17:02

⑥ディセンバー・ウィル・ビー・マジック・アゲイン 19:43

⓻ウエディング・リスト 23:35

⑧アナザー・デイ(ガブリエルとのデュエット) 28:05

⑨エジプト 31:41

⑩少年の瞳を持った男 36:21

⑪車輪がすべる 39:24

 

名曲中の名曲「嵐が丘」や「ライオンハート」がないのは、

いささか残念だが、その代り、「酔いどれワルツ」と

クリスマスソングの

「ディセンバー・ウィル・ビー・マジック・アゲイン」

を歌っているのは嬉しい。

(「嵐が丘」はエンドロールのバックにちょっと流れる)

 

どちらもアルバム未収録曲で、

特に「酔いどれワルツ」のパフォーマンスは、

この番組以外でやっていないのではないかと思われる。

 

この中では、「ローリング・ザ・ボール」と歌って、

日本の時計のコマーシャルでも使われた

「ゼム・ヘヴィ・ピープル」と

彼女が髭を生やした酔っぱらいのおっさんを演じている

「酔いどれワルツ」が、

ユーモラスでキュートで最高に楽しく、

この時代のケイト・ブッシュの魅力を堪能できる。

 

彼女の演劇的な嗜好を反映して、

曲と曲の間の繋ぎにも、

サティの「ジムノペティ」がかかったり、

ゲストをアカペラコーラスで紹介したり、

映像の中から抜け出してきて次の歌に入る、といった

面白い演出もされている。

 

改めて、ケイト・ブッシュは永遠の恋人。

あなたも素敵な音楽とともに、

楽しいクリスマスをお過ごしください。

 

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今年のクリスマスは、自分のハートに金の林檎をプレゼント

 

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★オナラよ永遠に

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 小学5年生の小松救太郎は、ぬきうちテストの最中にオナラをもらし、クラス中からいじめられる。じつはそのオナラの真犯人は隣の席の水城ユリカ。彼は憧れの女の子の失敗をかばっていたのだ。しかし、ユリカはお礼を言うどころか、よけいなおせっかいだと救太郎をきびしく攻める。

 その日、家に帰った救太郎は奇妙な白昼夢を見る。

そこに登場するのは、26世紀から来た、オナラで音楽を奏でるプータローというキテレツな男。この男の話によると、500年後の世界では人間はオナラをしない生き物に進化しており、そのせいでストレスがたまり、心の病が蔓延しているという。

 そして救太郎こそが、失われたオナラを取り戻すための救世主であり、ユリカとラブラブになることで人類がオナラを取り戻し、不幸な歴史をやり直せると伝える。

 救太郎は、潔癖症でオナラを軽蔑するステージママである母親のプレッシャーにユリカが苦しんでいること、また、人類からオナラを奪おうとする謎のヘビ魔女が彼女に取りついていることを知る。

ヘビ魔女との対決や、秘密警察から逃走するプータローとの交信を通じて、ついに自分の力で未来を変えることを決意する救太郎。その方法はユリカのオナラをかばった日にタイムスリップして戻り、二人のよじれてしまった関係を修復するということだった。

 はたして彼はユリカの気持ちを変え、オナラを失った未来の人類を救うことができるのだろうか?

 オナラをテーマに展開する、愛と笑いとメッセージを載せたSF+ファンタジーテイストの少年少女小説。

 

★茶トラのネコマタと金の林檎

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 20代半ばで独立起業し、6畳一間のアパートの自分の部屋で探偵事務所を開いた私立探偵・飛田健太。 その健太のもとに開業以来、最高のギャラが発生する難事件の依頼が飛び込んだ。

 山中に埋められた、時価数億円に上る金の林檎の捜索。 健太は相棒である便利屋の中年男・六郎を連れ、現場に飛ぶ。そこに現れたのはオレンジ色の髪をし、魔女のような真っ黒な服に身を包んだミステリアスな高齢女性。 健太はその依頼人に“茶トラのネコマタ”というあだ名をつける。

 ネコマタの目撃談によれば、10月の第3日曜日の夕暮れ時、黒服・黒メガネの4人組の男たちがこの山にやってきて、どこかから盗み出してきた大量の金の林檎を埋めていったという。

 しかし明らかに彼女の話はおかしい。 これはかつて女優だったという女の空想か?幻想か?妄想か?

 健太と六郎は、その話を信じたふりをして、山中の雑木林に入ってスコップを振るい肉体労働に精を出すことになった。 はたしてこの難事件はどんな“解決”に至るのか?

 それぞれ心に傷を負った若者、中年、年寄りが織りなす、コミカルでファンタジックな探偵小説。

 

今年のクリスマスは、自分のハートに金の林檎をプレゼント。

そして、家族なかよく、恋人同士、友だち同士もなかよく、オナラをかまし合って楽しいクリスマスをお過ごしください。

 


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