おりべまこと「再読・風の歌を聴け」
https://www.amazon.co.jp/dp/B0CNNF85BP
4日間限定無料キャンペーン
残り1日 11月30日(木)16:59まで。
毎日コツコツ10頁の原稿を書く。
最後まで辿り着いたら、しばらく休んで
もう一度、最初から書き直す。また休む。
そしてまた納得がいくまで書きなおし、
これでいいかと思ったら読んでもらって
指摘を受けたらそこをまた書き直す。
齢を取ってから村上春樹のそうした書き方・生き方を
いいなと思うようになった。
もっと前からできていたらよかったのだろうが、
若い頃はそんなふうに考えられなかった。
そんな話を聞いただけでうんざりした。
いま若い人も恐らくそう思う人が大半だと思うが、
もしできれば気が付くといい。
平凡な日々、平凡な作業の積み重ねが、
非凡な結果を生み出すことがある。
そうして生まれた村上春樹の小説には
いろんな哲学が秘められている。
それを読み解くのが楽しい。
今は間違っていたことを素直にを認めて
気力・体力が続くまでコツコツやりなおすだけである。
もくじ
●村上春樹の初期作品を再読する「風の歌を聴け」
●村上春樹の初期作品を再読する「1973年のピンボール」
●村上春樹の初期作品を再読する「羊をめぐる冒険」
●村上春樹の初期作品を再読する
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」
●少したってまた村上春樹の初期作品を再読する
「ノルウェイの森」
●「海辺のカフカ」迷子の猫とネコ探し名人ナカタさん
●「アフターダーク」生きていく燃料としての記憶
●「1Q84」のタマルとミケランジェロ
●「騎士団長殺し」の免色渉と子ども
●2018年の4月に「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を読んだ
●結婚記念日と「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」
●2020年の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」と新型コロナウィルスに犯された後の世界
●40年目の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」について
●4月のある雨の朝に100パーセントの川岸から 小舟を漕ぎ出すことについて
●早春に目覚めたカエルと「かえるくん」について
●小説を読むように楽しむ映画「ドライブ・マイ・カー」
●村上春樹のエッセイ「猫を棄てる」と父親史について
●村上春樹はみんなに「読書は創造活動」と気づかせた作家
●「街とその不確かな壁」:そこは現代人の魂の拠りどころ
全21編採録
「なんでこんなわけのわからない話を
読みたくなるんだろう?」
と、いつもいつも不思議に思いつつ、
44年にわたって村上春樹の小説と付かず離れずで
生きて来たが、
アラカンになってその謎に挑戦すべく初期作品を再読。
そして近年の作品も読んでいろんなことを考えた。
1978年のデビュー作「風の歌を聴け」から
2023年発表の最新作「街とその不確かな壁」まで。
ふたたび旅したハルキワールドの思い出・感想・評論をミックスアップしたエッセイ集。
村上春樹を読み直して自分の世界を書き換える。
はじめての人も、リピーターの人も、ハルキワールドの旅のガイダンスにご活用ください。
無料キャンペーンは11月30日(木)16:59まで。
この機会にぜひ。
もくじ
●村上春樹の初期作品を再読する「風の歌を聴け」
●村上春樹の初期作品を再読する「1973年のピンボール」
●村上春樹の初期作品を再読する「羊をめぐる冒険」
●村上春樹の初期作品を再読する
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」
●少したってまた村上春樹の初期作品を再読する
「ノルウェイの森」
●「海辺のカフカ」迷子の猫とネコ探し名人ナカタさん
●「アフターダーク」生きていく燃料としての記憶
●「1Q84」のタマルとミケランジェロ
●「騎士団長殺し」の免色渉と子ども
●2018年の4月に「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を読んだ
●結婚記念日と「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」
●2020年の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」と新型コロナウィルスに犯された後の世界
●40年目の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」について
●4月のある雨の朝に100パーセントの川岸から 小舟を漕ぎ出すことについて
●早春に目覚めたカエルと「かえるくん」について
●小説を読むように楽しむ映画「ドライブ・マイ・カー」
●村上春樹のエッセイ「猫を棄てる」と父親史について
●村上春樹はみんなに「読書は創造活動」と気づかせた作家
●「街とその不確かな壁」:そこは現代人の魂の拠りどころ
全21編採録
さよなら読書の秋 4日間限定無料キャンペーン
本日11月27日(月)17:00~30日(木)16:59まで。
あっという間に秋も終わり。
冬じたくに心の栄養を。
再び旅したハルキワールドの
思い出・感想・評論をミックスアップ。
村上春樹を読み直して自分の世界を書き換える。
はじめての人も、リピーターの人も、
ハルキワールドを旅する時の
ガイドブックとしてご活用ください。
もくじ
●村上春樹の初期作品を再読する「風の歌を聴け」
●村上春樹の初期作品を再読する「1973年のピンボール」
●村上春樹の初期作品を再読する「羊をめぐる冒険」
●村上春樹の初期作品を再読する
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」
●少したってまた村上春樹の初期作品を再読する
「ノルウェイの森」
●「海辺のカフカ」迷子の猫とネコ探し名人ナカタさん
●「アフターダーク」生きていく燃料としての記憶
●「1Q84」のタマルとミケランジェロ
●「騎士団長殺し」の免色渉と子ども
●2018年の4月に「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を読んだ
●結婚記念日と「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」
●2020年の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」と新型コロナウィルスに犯された後の世界
●40年目の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」について
●4月のある雨の朝に100パーセントの川岸から 小舟を漕ぎ出すことについて
●早春に目覚めたカエルと「かえるくん」について
●小説を読むように楽しむ映画「ドライブ・マイ・カー」
●村上春樹のエッセイ「猫を棄てる」と父親史について
●村上春樹はみんなに「読書は創造活動」と気づかせた作家
●「街とその不確かな壁」:そこは現代人の魂の拠りどころ
全21編採録
明日11月27日(月)17:00~30日(木)16:59
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冬じたくに心の栄養を。
再び旅したハルキワールドの
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●2020年の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」と新型コロナウィルスに犯された後の世界
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全21編採録
1973年リリース。
ボブ・ディラン屈指の名曲を
サンディ・デニーとフェアポート・コンベンションが
カヴァー。
60年代後半から70年代前半にかけて活躍した
イギリスのフォーク/ロックバンド
フェアポート・コンベンションは
民謡・古謡を現代風にアレンジした楽曲で、
その後の多くのロック/ポップバンドに影響を与えた。
また、ジュディ・ダイブル、サンディ・デニーという
二人の伝説的女性シンガーを輩出したことでも知られる。
ジュディ・ダイブルは、
グレッグ・レイク加入前の
最初期キング・クリムゾンに参加し、
「風に語りて」のアーリーバージョンでヴォーカルを担当。
長いブランクを経てカムバックした2000年には
ソロアルバムで新アレンジによる
21世紀版「風に語りて」もリリースしている。
サンディ・デニーは、レッド・ツェッペリンⅣの
「限りなき戦い」にゲストヴォーカリストとして参加。
ロバート・プラントとのデュエットで、
神話的な楽曲の創造に貢献した。
その残響は次曲「天国への階段」の
イントロにも繋がっている。
31歳で夭折したこともあって、
その歌声は伝説として語り継がれ、
死後半世紀近く経った今でも、
多くのミュージシャンのリスペクトを集めている。
「天国への扉」は、もともとボブ・ディランが
映画「ビリー・ザ・キッド」のテーマ曲として
書いたものだが、
多くのミュージシャンがこの曲の虜となり、
カヴァーにチャレンジ。
そのなかでも
サンディ・デニー&フェアポート・コンベンションの
原曲と対照的な、聖なる雰囲気を漂わせるパフォーマンスは
とりわけユニークで聴きごたえがある。
もちろんワイルドでたっぷりエモーショナルな
本家ディランのハーモニカもしびれる。
京都の百万遍にある知恩寺というお寺で
毎月15日に「てづくり市」という市が立つ。
その名の通り、結構広い境内いっぱい
関西・近畿一円から集まった業者が
露店を開き、衣料・アクセサリー・工芸品・アート・
玩具・生活雑貨など、手作り品を売っている。
関西弁があふれ、とても楽しくてにぎやかだ。
そのなかで布で作った人形を売っている店があり、
かわいいお地蔵さんが目に留まった。
10数個あったが、一つ一つ顔と着物が微妙に異なる。
売り子のおねえさんによると、
95歳のおばちゃんが作っているのだそうだ。
そんな話を聞いて、義母のお土産にと一つ買ってきた。
(旅行中はショートステイに預けていた)
鏡台の前にずらりと並んだお友だちの間に
さりげに置いておいたら、
新入りに気付かないのか、自然に受け入れているのか、
とくにリアクションもなく、この1週間過ごしている。
彼女にとってはお地蔵さんも、タコやネコやワンちゃんと
同列扱いのようだ。
それでもって昼となく夜となく
これらマスコット相手におしゃべりをしている。
それだけでなく最近は幻視なのか、
やたらとどこかの子どもや、もうこの世にいない
親やきょうだい、見知らぬ先生とかお兄さん・お姉さんまで
遊びにくるようで、いろいろ訊かれるのだが、
「こっちにはいないよ」とか
「さあ、どこに行ったんだろう?」とか、
「会えてよかったね。きっとまた来るよ」とか言ってかわすと、
納得したのかしないのかわからないが、一応ひっこむ。
それでまたちょっと経つと部屋で誰かと話している。
知らない人が見たらびっくりするかもしれないが、
すっかり慣れて日常の風景になってしまった。
一時期、「お母さんのところに帰る」と言って、
止めるのも聞かずに家を出ていくことが会って往生した。
数日前に見たNHKのクローズアップ現代で
「認知症行方不明者1万8千人の衝撃」
という特集をやっていたが、
これは本当に大問題である。
家族や子供が家の中にいて話ができるなら
いきなり「かえるかえるケロケロ」と騒ぎ出さずに済んで
こちは助かるというものだ。
考えてみれば、どこか違う世界の子供と会ったり、
もうこの世を去ってしまった家族がいたりするなんて
幸福なくらしである。
そういうふうに考えていかないと、
これからの「高齢者の5人にひとりが認知症」なんて時代を
到底乗り越えていけないのではないか。
お地蔵さん、義母が図と幸福でありますように。
どこに行っても観光客だらけの京都だが、
不思議と東寺はいつ行っても空いている感じがする。
空海ゆかりの東寺は、京都駅から徒歩15~20分。
(中途半端なロケーションなので
歩ける人は歩いた方がいい。
足が悪ければタクシーで1~2メーター。)
平安京の遺構であり、日本最古の密教寺であり、
もちろん世界遺産の一つ。
800円で巨大な薬師如来が鎮座する金堂(こんどう)、
立体曼陀羅のある講堂(こうどう)、
そして五重の塔を見て回れる。
どれも圧巻。
こういう寺が1200年も存続しつづけていることが、
月並みだけど日本の素晴らしいところ。
空いている感がするのは、
単にタイミングがいいだけなのか。
境内がだだっ広いので人口密度が低いからか。
けどそれよりも、
他の観光地から離れ小島のような場所にあり、
周囲に食べ歩き用の飲食店や
土産物屋がないおかげで俗化されず、
観光公害を免れているのが大きいのだろう。
今回も修学旅行生はあちこちから来ていたが、
うるさい外国人は少なく、快適に見て回れた。
今回、3つの建物のほかに、食堂(じきどう)で
観瀾斎(かんらんさい)という画家の展覧会をやっていた。
こちらは入場無料なので、さりげに覗いてみると
「棟方志功?」
「ピカソ?」
「マティス?」
「シャガール?」
といった作品がずらり。
それらの巨匠のタッチで仏様の世界を描いている。
悪く言えばパクリなのだが、
この人の描くテーマ「祈り、癒し」――
人間と仏様の世界が、
それらの巨匠に近いタッチで描かれているを見るのは
とても楽しいし、こころ動かされる。
そしてどれもアート一直線でなく、
少しずつポップでマンガっぽくて、庶民的なのもいい。
デジタルテクノロジーが広がり、
人間の社会・感情生活が大きく変わる一方で、
100年前と何ら変わることなく
各地の戦争で不安に脅かされる現代の世界。
こうした状況に触れて、
もし、かの20世紀アートの巨匠たちが生きていたら
どんな絵を描くのだろうと思わず考えてしまった。
観瀾斎氏には今は亡き志功やピカソに替わって、
「祈り、癒し」の絵を描いてほしいと思った。
この展覧会では来年の干支である
龍の作品も多数展示されており、
ポップでユーモラスな龍の絵は縁起がよさそうだ。
小さなパネルの絵なら2000円~3000円で買える。
12月24日まで。
あとひと月間、開催されているので、
これから京都に行く人はぜひ東寺に立ち寄り、
仏像と観瀾斎の絵を見るのがおすすめ。
京都で印象深かった食と言えば、
南禅寺の参道沿いにあった湯豆腐のお店「五右衛門」。
それから道路を挟んで東寺の入口の向いにある
カモ料理の「空(くう)」。
南禅寺は臨済宗のお寺。
禅宗の一つである臨済宗は、坐禅・宿坊・精進料理で、
外国人に大人気。
それにこの辺は水がいいので豆腐がうまく、
いつの頃からか、ここの参道沿いには
いくつも湯豆腐の店ができ、名物になった。
もともと質素なはずの精進料理だが、
観光客相手だと高級料理に変わってしまい、
この周辺の湯豆腐屋もめっちゃ敷居が高い。
その中でも「五右衛門茶屋」は
比較的リーズナブルなお値段で、
店の雰囲気も素朴であったか。
湯豆腐を食べるのにぴったりだ。
お昼の定食は湯豆腐をメインに突き出し、
野菜天ぷら、ごはんがついて2500円也。
ちなみに南禅寺のもう一つの名物は、石川五右衛門。
もちろんルパン3世の仲間でなく、
安土桃山時代に生きた大盗賊で、
最期は豊臣秀吉によって、
三条河原で、手下や家族もろとも釜茹での刑に処された。
「五右衛門ぶろ」はそこから生まれた
蓋を底に沈めて入る釜茹で風呂である。
それにしても権力を握った後の秀吉はほとんど狂人で、
その残虐さは信長以上である。
五右衛門は権力者ばかり狙う盗賊だったので、
庶民に人気が高く、さまざまな伝説が生まれ、
江渡時代になると歌舞伎のネタにもなった。
巨大な南禅寺の三門は高さが22メートルあり、
日本三大門の1つに数えられるほどの名門だが、
歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」の中で
石川五右衛門が満開の桜を眺め
「絶景かな、絶景かな」と見得を切る場面としても有名だ。
建てられたのは江戸時代初期なので、
五右衛門の「絶景かな」はお芝居での話。
東寺は空海を宗祖とする真言宗のお寺。
その向かいの「空」は当然、空海の空と
めしを「食う」を掛け合わせたもの。
(と断定したけど、お店の人に聞いたわけではない)
ちょっと古風な門構えで、しかも鴨料理というので
一瞬、高いかな?と思わせるが、
少なくともランチはいたってリーズナブル。
ほとんどのメニューが1000円台で食べられる。
お店のなかは外観とちょっとギャップのあるモダンな造り。
いわゆる「町屋カフェ」として売り出しているようだ。
お昼の限定メニューとして、
鴨カツ丼と鴨カレー(鴨しゃぶのだしのカレー)が
あったので、迷ったあげく、鴨カツ丼を選択。
チキンとはまた違う、ちょっと珍しいおいしさだった。
カレーの方も食いたかったとちょっと未練を残しつつ
京都を去ることになった。
★おりべまこと新刊
再読・風の歌を聴け
Kindleより発売。¥300
1979年のデビュー作「風の歌を聴け」から2023年発表の最新作「街とその不確かな壁」まで。ふたたび旅したハルキワールドの思い出・感想・評論をミックスアップしたエッセイ集。
はじめての人も、リピーターの人も、ハルキワールドを旅する時のガイドブックとしてご活用ください。
コロナ禍の頃、観光業やお寺関係の仕事で、
政府が日本の観光立国化を目指し、
観光収益を上げるために、
インバウンド客の単価UPを
図っているという話をよく聞いた。
金のない旅行者から
無理やりふんだくるわけにはいかないので、
ターゲットは当然、世界の富裕層。
高額な料金に見合うだけの
日本文化の体験・最上級のおもてなしを
たっぷり盛り合わせて…という戦略を
いろいろなコンサルタント会社が入って企て、
かなり懸命にテコ入れしていたようだ。
その努力は報われた。
2泊3日の京都旅行に行って、
観光業者はその要請にしっかり応えたことが見えた。
本当に人気観光地の周辺の飲食店に入るには
富裕層クラスのお金が必要。
一般ピープルは食べ歩き用の屋台食やスイーツなどで
楽しんでね、という感じ。
宿代もコロナ前の2019年に比べ、
平均で3~4割値上がっているらしい。
(僕たちは山科駅近くのAirBnBに泊った)
実際、どの程度、単価UPを達成したかは
いずれ観光庁が成果のデータを上げるだろうが、
観光にも昨今の格差社会の在り方が
十二分に反映されているような気がする。
京都の秋の観光はまだまだこれからが本番。
自社と紅葉のライトアップが12月まで続いて、
大賑わいになりそうだ。
ちなみに観光立国になるということは
国家が成熟した証拠。
今あるもの・持っているものを見せればいい。
もちろん、その見せ方が問題で、
そこにいろいろ工夫は必要だけど、
観光業は莫大な資本や人材を投入して
新しく何かイノベーションを起こす産業ではない。
おとなになったニッポン。
リッチなニッポン。
けれども老化するニッポン。
個人と同じで、国家もこれからの生き方を問われる。
「まだまだ若くて元気ハツラツだ~」
なんて張り切ってると、ぎっくり腰にいなるのがオチだ。
何もかも下り坂の国が、
政治も社会機構も、上り坂の時と同じ運転していたら
おかしなことになるのに決まっている。
ネガティブに考えなくてもいいけど
早く昭和アタマの価値観から抜け出さねば。
でないと、ギックリ腰どころか、
脳や心臓にきて倒れちゃうよ。
★おりべまこと新刊
再読・風の歌を聴け
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「なんでこんなわけのわからない話を
読みたくなるんだろう?」
と、いつもいつも不思議に思いつつ、
44年にわたって村上春樹の小説と
付かず離れずで生きて来たが
アラカンになってその謎に挑戦すべく初期作品を再読。
そして近年の作品も読んでいろんなことを考えた。
1979年のデビュー作「風の歌を聴け」から
2023年発表の最新作「街とその不確かな壁」まで。
ふたたび旅したハルキワールドの
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村上春樹を読み直して自分の世界を書き換える。
はじめての人も、リピーターの人も、
ハルキワールドを旅するための
ガイドブックとしてご活用ください。
もくじ
●村上春樹の初期作品を再読する 「風の歌を聴け」
●村上春樹の初期作品を再読する 「1973年のピンボール」
●村上春樹の初期作品を再読する 「羊をめぐる冒険」
●村上春樹の初期作品を再読する 「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」
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「ノルウェイの森」
●「海辺のカフカ」迷子の猫とネコ探し名人ナカタさんのこと
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●早春に目覚めたカエルと村上春樹の「かえるくん」について
●小説を読むように楽しむ映画「ドライブ・マイ・カー」
●村上春樹のエッセイ「猫を棄てる」と父親史について
●村上春樹はみんなに「読書は創造活動」と気づかせた作家
●「街とその不確かな壁」:そこは現代人の魂の拠りどころ
全21編載録
Amazon Kindleより本日発売! ¥300
英国のファンタジー作家・トールキンの
「指輪物語~王の帰還~」から
材を取ったと言われるこの曲は、
レッド・ツェッペリン1971年リリースの
「Ⅳ(フォアシンボルス)」の収録曲。
20世紀ロックの必聴版として名高い
「レッド・ツェッペリンⅣ」の
アナログ盤A面は、ブラックドッグ、ロックンロールと、
ZEP史上最強のロックナンバー2曲を
立て続けにかました後、一転して、
アコースティックなこの曲をブリッジにして
史上最高のバラードとロックの融合曲
「天国への階段」へつながるという完璧な構成だった。
そんなわけで何となく「天国への階段」へのつなぎ、
前座と見なされることが多かった「限りなき戦い」だが、
エスニックで印象的なメロディラインは
ヘヴィメタバンドとして分類されていた
ZEPのイメージを大きく変えた。
世界中のさまざまな伝統音楽のエキスを
ロックの文脈に取り入れた
ワールドミュージックバンドのZEPが
このあたりで開花したと言ってもいだろう。
ZEP時代、この曲をライブで演奏することは
ほとんどなかったようだが、
解散から10年あまりの月日を経て、
ギターのジミー・ペイジと
ヴォーカルのロバート・プラントが
再びタッグを組んで発表したアルバム
『ノー・クォーター』(1994年)では
民俗音楽色が3倍濃厚になった
リメイク版「限りなき戦い」が登場。
ZEPとは一味ちがうペイジ&プラントがめざす
音楽の方向性を示した。
また、この曲はレッド・ツェッペリンの楽曲の中でも唯一、
女性のゲストヴォーカリストが登場することでも
知られている。
オリジナルは60年代から活躍していた
イギリスのフォークバンド
「フェアポート・コンベンション」のサンディ・デニー。
神秘性を帯びた声で
プラントとの素晴らしいハモリを聴かせていたが、
このペイジ&プラントでは
インド系イギリス人のナジマ・アフタールが参加。
ペイジの弦楽器とエジプト人の
ジミューシャンたちをバックに、
エスニック感満点のデュエットで
古代の叙事詩のような世界を描き出す。
おりべまこと電子書籍 新刊予告
秋の読書シリーズ第2弾「再読・風の歌を聴け」
1978年のデビュー作から今年発表の最新作まで
ハルキワールドの思い出・感想・評論を
ミックスアップしたエッセイ集。
「再読・村上春樹」を改題し、11月19日(日)発売予定!
村上春樹を読み直して自分の世界を書き換える。
むかし書いたラジオドラマの脚本で
廃園になった遊園地に
宇宙から飛来した円盤が降り立つのを
高校生の女の子と男の子が見に行くという
シーンを書いたことがある。
特撮にしようか、CGにしようか、VFXにしようか
そんなこと考えもせず、予算なんかまったく気にかけず、
リスナーの想像力に丸投げできるのが
ラジオドラマのいいところ。
てなわけで書けてしまったわけだが、
「未知との遭遇」や「E.T.」みたいな
映画に影響されているので、
いつもそういうシーンが頭にある。
てか最近、ほんとに異星人が来てくれないかと考える。
ロシア×ウクライナ
イスラエル×パレスチナ
中国の動きも怪しいし、
北朝鮮は相も変わらずミサイル打ちまくって、
軍事パレードもやりまくっている。
ウクライナ、パレスチナでの
「やったもの勝ち」の現実を見て、
台湾や韓国は、中国や北朝鮮のことが
気が気じゃないだろう。
これら、いがみ合っている国はみな、
もとをただせばみんな近親者同士。
憎み合いって、実は赤の他人より
近しい家族同士のほうがヤバイ。
「人類一家みなきょうだい」という
キャッチフレーズがあったが、
親が亡くなって相続が“争族”になるように
その家族・きょうだいがヤバいんです。
今は過去200年の人類近代化の遺産を
未来へどう継承するか、相続の時代に突入している。
相続は争族になり、
もうほとんど第3次世界大戦が起こっても
おかしくない状態になっているのではないか。
この状況を変えられるのは
地球外生物=宇宙人しかないのではないかと思ってしまう。
いま、マジで世界各地の大都市にUFOが飛来すれば、
どの国もくだらない戦争をやめるのではないか。
宇宙人が「地球を征服しに来た」と宣言すれば、
世界は一致団結するだろう。
それで本当に宇宙人の攻撃が始まったらどうするのか?
そこまで考えてないけど、
今の状況を変えるには宇宙へ向かって
「彼ら」を呼ぶしかないのでは。
もうすでにウクライナで、パレスチナで、
恐ろしいことが起こりまくっているのだから。
地球の家族が仲良くできるチャンスはないのか?
読書の秋。再読シリーズ第2弾
「再読・村上春樹」11月19日発売予定。
「風の歌を聴け」から「ノルウェイの森」まで
初期作品の再読や
「4月のある晴れた日に100%の女の子に
出会うことについて」の毎年4月の連作、
そして今年発表された最新作
「街とその不確かな壁」のレビューを含む、
エッセイをまとめました。
現在、リライト・編集中。
エミリー・ブロンテや
スティーブン・キングなどを読み直した第1弾「再読・嵐が丘」好評発売中!
¥300
もともとはプリンスの曲だが、
完全にオリジナルを食いつくし、
シネイド・オコーナーが自分のものにしてしまった。
「これは彼女の歌だ」とプリンス本人も認めている。
1992年リリース。
めっちゃ美人なのに、なぜか頭を丸めてパフォーマンスする
アイリッシュガールの歌唱と存在感は圧倒的だった。
今年7月、彼女は享年56歳で亡くなった。
死因は明らかにされていないが、
ずっとメンタルヘルスで苦闘していた人なので、
その問題なのかもしれない。
1990年代あたりから日本も含め、世界の先進国では
精神疾患・神経疾患が医療における
最大の損失コストになり、
その深刻度は従来の肉体疾患を上回るという。
どうやら彼女は子供の頃の母親の虐待と
宗教(カトリック)的な締め付けに悩まされたらしい。
持って生まれた魂と生育環境との相性が悪かったようだ。
貧しさから抜け出し、
豊かな社会になっても生きやすくなるとは限らない。
以前、芸術系の表現活動に走る人は、
必ず何か生きる上での葛藤・問題を抱えていると
よく言われていた。
仕事でも趣味でも、大半の人が
何らかの芸術系活動に携わるようになった現代は、
誰もがそうした問題に悩まされているのかも知れない。
自己の本質と取り巻く環境とのギャップが
大きければ大きいほど、
表現活動への情熱は強烈で、咲く花は美しい。
ただ、才能に恵まれ、運よく社会的成功を収めても、
それで本人が幸福になるとは限らない。
むしろ逆に自分を追い詰めてしまうことにもなりかねない。
もちろん彼女の歌が世界中の人々の胸を振るわせた事実は
いつまでも忘れられず、歴史に刻まれるのだけれど。
齢をとっても元気な老人が
やたらとテレビなどで紹介されているので、
つい錯覚しがちだが、齢をとれば必ず体力は落ちる。
もちろん鍛えていればそれなりに維持できるけど、
「若いもんには負けんわい」
と頑張り過ぎるのは禁物である。
経験的に言うと、40代でガクン、
60代でガクガクガクンといった感じ。
その顕著な例が、長時間、地球の重力に逆えなくなること。
要するに1日の真ん中、昼寝をしたくなることだ。
これについては本当にフリーランスでよかった、
ホームワークでよかったと、つうづく思う。
最近は昼寝ルームのある会社も増えているらしいが、
それでも昔の雑居ビルに入っているような会社には
そんなものは設けられないだろう。
でも、もし可能なら若い人にも実践してほしい。
昼食後、午後の仕事に入る前にゴロンと横になる。
机に伏せて寝るのはだめ。
べつに眠たくなければ、眠らなくてもいい。
5分10分でも体を横たえること、
地球の重力に逆らわず、二足歩行の動物であることを
忘れることが大事である。
再び体を縦にしたときは、朝起きたほどではないが、
頭がすっきりしている。
重力に逆らわない時間をつくると、
脳のなかの小人さんがちょこちょこっと
お片付けをしてくれて、
「はい、お仕事の続きをどーぞ」と言ってくれるのだ。
運がよければ、15分くらい睡眠して夢を見ることもできる。
今日の昼寝の夢は海にいるのか、空にいるのか、
何だか青いところにいる夢だった。
重力に逆らわないと、
地球が味方になってくれるのかもしれない。
考えてみれば肉体労働をやっている人たちは
よく昼寝している。
ちょっと横になることは健康にも、
よりよい仕事のためにも必要なことなのだ。
それにしても本当に毎日、夜になるとくたびれちゃて
仕事用の頭は回らなくなる。
でもこうしてブログなど書いていると、
不思議と疲れが取れて元気になる。
「人生、還暦から」なんて言って発信しているので、
落ちた体力でも走れるところまで走ります。
若いあなたも無理せずにお昼寝すると、
きっといいことありますよ。
先週の3連休の真ん中、4日の土曜日に池袋で
舞台芸術学院(演劇学校)の同窓会をやった。
うっかり全員写真を撮り忘れたので、
今回の写真は会場すぐそばの
西口公園にあるグローバルリングシアター。
卒業して43年。
何回やったか忘れてしまったが、
5年に一度くらいはやってる気がする。
前回は2018年の5月にやったので、
今回は5年半ぶり。
もうみんなアラカンだから
あんまり間を開けないでやろうと言って、
次は2年後、東京オリパラが終わった
2020年の秋に予定していたのだが、
コロナで3年も延びてしまった。
前回は18人、今回は12人。
集まった連中はみんな元気そうで
20歳ごろとほとんど変わっていないように見える。
もちろん、そんなわけはなく、
客観的には相応の、高年に近い中年だが、
一緒に齢を取っているという妙な温かさ・安心感を感じる。
昔の仲間がいるということはいいことだ。
本やネットなど読んでいると、
同窓会・クラス会を否定する人は大勢いるが、
よほど嫌な関係・忘れてしまいたい関係ならともかく、
「なんとなく出る気しない」とか、
自分のポリシーで出ないとか言ってるなら、
一度、変えてみてもいいかもしれない。
人の心は齢を取ると変わる。変わっていい。
それが自然だ。
それに声がかかるうちが花だ。
いつか「あいつらに会いたいな」と思うようになっても、
声がかからないときが来てしまうのだから。
「ナウ・アンド・ゼン」のリリースで
ビートルズの話題が再燃しているが、
こちらは1970年リリース。
ビートルズ解散後、ソロ活動を始めた頃の
ジョージ・ハリスンの代表作。
先日、現代の若者はビートルズのどの曲を
よく聴いているかという調査データを
ネットで発見し、見てみた。
それによると第1位は
レノン=マッカートニーの曲ではなく、
ハリスンの「ヒア・カムズ・ザ・サン」だという。
確かにビートルズ終盤からソロになった
70年代はじめの時代の
ハリスンのソングライティングは充実している。
特にこの曲や「ヒア・カムズ・ザ・サン」のような
ウォーム系の曲はいま聴いてもとても心地良い。
中学生時代、女の子みたいな男の子で、
気まぐれなネコみたいな、みんなに可愛がられていた
「ネコ」というあだ名の友だちがいた。
僕は一時期、ネコとずいぶん仲が良く、
中1のクリスマスは彼の家で5人くらいで
パーティーをやり、「赤玉ハニーワイン」という
安いワインを飲んで酔っ払ってしまった
(生まれて初めて酔っぱらいを体験した)
ことを覚えている。
このネコがジョージ・ハリスンが好きで、
「オールシングス・マストパス」という
3枚組のアルバムを持っていた。
彼の家に行くと、ほぼいつも
ハリスンの歌が流れていたことを思い出す。
「マイ・スウィート・ロード」は
この3枚組アルバムからのシングルカットで、
シングル、アルバムとも英米で売上第1位を獲得。
3枚組なんて当時、
日本では5千円はくだらなかったと思う。
そんなアルバムがチャートのナンバー1になるとは、
ちょっと驚きだ。
当時の人気ぶりがうかがい知れる。
それまでレノン=マッカートニーの陰に隠れていた
「サイレント・ビートル」の面目躍如といったところだ。
当時の彼はソロになったメンバーの中で
最も成功した、と音楽雑誌で持て囃されていた。
ネコもそれを自慢していた。
昨日出たビートルズの新曲にしてラストナンバーとなる
「ナウ・アンド・ゼン」は、
ジョン・レノンが作詞作曲した遺品のデモテープを
もとに作られた。
これまで不可能だったヴォーカルとピアノの音の分離を
AIを使って可能にしたために実現できたという。
しかし、それだけではない。
ジョージ・ハリスンがそのギターパートを
録音して遺していたからこそ
「ビートルズの曲」となり得、リリースもできたのだ。
そういう意味ではまさに奇跡の楽曲。
40年あまりの年月をかけて掘り出され、
磨き上げられた宝石なのだから、
この際、作品としての出来不出来はとやかく言うまい。
リアルタイムでビートルズを聴いていたファンは、
今、ほとんどが70代になっている。
彼ら・彼女らにとっては、
青春時代の最後の贈り物と言えるだろう。
「生きててよかった」と心から思う人もいるかもしれない。
おめでとう、皆さん。
ありがとうビートルズ。
そして安らかに、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン。
ナウ・アンド・ゼン。
ビートルズの新曲、そしてラストナンバーが
今日リリースされた。
21世紀もビートルズはブランドとして生き続けているが、
この悲しげなメロディは・・・。
まるで20世紀のポップミュージック全盛の時代を
懐かしみ慈しむような鎮魂歌に聴こえる。
人間が生きる限り、音楽がこの世から
なくなることはないが、
今後、音楽づくり——
少なくともビジネスのための音楽づくりの主導権は、
20世紀のビッグデータをもとに
AIに委ねられるだろう。
「再読・嵐が丘」
無料キャンペーンは終了しましたが、
引き続きKindleで発売中。
ご購入いただいた方、ありがとうございます。
気に入っていただけたらレビューをお願いします。
秋の読書シリーズ、11月は「再読・坊ちゃん」
「再読・村上春樹」を順次発売します。
お楽しみに。
再読・嵐が丘
ブロンテ、カフカ、イシグロ、キングなど、名作小説の"こんな読み方もできるんじゃね?"的読書ガイド。
世界名作を読みなおして
人生を書きかえよう。
おりべまこと電子書籍
再読・嵐が丘
10月31日(火)16:59 まで
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前世紀まで人々は社会的地位や家制度などに縛られて
自由な恋愛をするのが難しかった。
女も男も「道ならぬ恋」に恋焦がれつつも
ほとんどは予定調和の結婚・家庭人になって
不完全燃焼のまま人生を終えていた。
エミリー・ブロンテの「嵐が丘」は
そんな人々の潜在的な渇望を見事な形で描き出した
大恋愛ドラマだった。
しかし、社会が変化し、
社会的地位や家制度などへのこだわりが失われ、
自由恋愛が認められる時代になると、
この小説の価値は大きく変わる。
それまで軽く扱われてきた後半の子供たちの物語は、
一般に評価されているキャサリンとヒースクリフの
恋愛物語とは趣を異にするものだ。
しかし、現代の視点から見れば、
この後半にこそ「嵐が丘」を読む価値価がある。
これは父と母の狂気とも言える大恋愛の
“犠牲”となった惨めな子どもたちが
勇気を奮い起こして呪縛を解き、
新たな人生を切り拓く物語なのだ。
これまでの評論などに囚われる必要はない。
小説は映像作品と違って、
読者が好きなように読んで、自由に想像して、
自分にカスタマイズした物語にして良いのだ。
名作小説の"こんな読み方もできるんじゃね?"的
読書ガイドで
自分の世界を書き換えてみよう。
もくじ
●再読「嵐が丘」:呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語
●続・再読「嵐が丘」: 呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語
●嵐が丘の旅の追憶
●カフカの寓話「ロビンソン・クルーソー」
●カフカの寓話②「小さな寓話」
●チェコのカッパ
●成長に希少価値がある時代の「三銃士」
●「忘れられた巨人」は、僕たちの未来を描いた物語なのかもしれない
●香水(パフューム):人間存在の深淵につながる「におい」の世界
●スタンド・バイ・ミー 死の淵を覗きに行く少年たちの冒険譚
●女目フィルターの少年像と少女版スタンドバイミーについて
●「刑務所のリタ・ヘイワーズ」:凡人の希望と絶望をめぐる物語
●「ゴールデンボーイ」:誰もが怪物になり得る恐怖の神話
●ゴーストの正体と人間のストーリーテリング
●どうして人は地球滅亡・人類滅亡の物語を創り続けるのか?
おりべまこと電子書籍 エッセイ集:物語
再読・嵐が丘
ブロンテ、カフカ、イシグロ、キングなど、
名作小説の読書ガイド。
スティーブン・キングは
ハリウッド映画の原作率ナンバーワンの作家だけど、
どれも長いし、ホラーは苦手、という人には
「スタンド・バイ・ミー」
「刑務所のリタ・ヘイワーズ」
「ゴールデンボーイ」など、
比較的短くて、読みごたえたっぷりの中編がおすすめ。
ホラーの根底にある人間心理のドラマが楽しめます。
そんな読み方の参考書としても。
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もくじ
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読書の秋は、世界名作を読みなおして人生を書きかえよう。
おりべまこと電子書籍・新刊
再読・嵐が丘
本日10月28日(土)17:00~31日(火)16:59
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読書の秋は、世界名作を読みなおして人生を書きかえよう。
エミリー・ブロンテ「嵐が丘」は
世間で言われてきた恋愛小説などではなく、
毒親の虐待に打ち克ち、
新たな人生を切り拓くつ子どもたちの勇気の物語。
ブロンテ、カフカ、カズオ・イシグロ、
スティーブン・キングなど、世界名作、ベストセラー小説の
"こんな読み方もできるんじゃね?"的読書ガイド。
もくじ
●再読「嵐が丘」:呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語
●続・再読「嵐が丘」: 呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語
●嵐が丘の旅の追憶
●カフカの寓話「ロビンソン・クルーソー」
●カフカの寓話②「小さな寓話」
●チェコのカッパ
●成長に希少価値がある時代の「三銃士」
●「忘れられた巨人」は、僕たちの未来を描いた物語なのかもしれない
●香水(パフューム):人間存在の深淵につながる「におい」の世界
●スタンド・バイ・ミー 死の淵を覗きに行く少年たちの冒険譚
●女目フィルターの少年像と少女版スタンドバイミーについて
●「刑務所のリタ・ヘイワーズ」:凡人の希望と絶望をめぐる物語
●「ゴールデンボーイ」:誰もが怪物になり得る恐怖の神話
●ゴーストの正体と人間のストーリーテリング
●どうして人は地球滅亡・人類滅亡の物語を創り続けるのか?
全15編
1978年、ケイト・ブッシュのデビュー作に
出逢った時の衝撃は人生を支配した。
14歳の少女がエミリー・ブロンテの小説から
インスピレーションを受けて作り上げた楽曲は
紛れもなく20世紀ポップミュージックの最高峰。
何十年経ってもその地位は1ミリも揺らぐことはない。
ちなみに日本ではアイドルとして売り出そうと
デビューアルバムのジャケットを
グラビアアイドルみたいなポートレート写真にしていたが、
(それはそれで良いのだが)
僕はこのイギリスのオリジナル版のジャケットが好きだ。
その後も音楽界で神がかった活躍を続け、
孤高のミュージシャンに昇華した彼女の軌跡の
スタートに相応しいアートデザイン。
ケイト・ブッシュは新たなキャリアを築くために
みずから産み出したこの超傑作の呪縛を解こうと
1986年のベスト盤「Whole Story」に
ニューヴォーカル・バージョンを吹き込み、
自分のなかで「嵐が丘」を封印した。
それでもこの曲のファンは世界中に、
そして次世代以降にも広がり続け、
YouTubeにはライブバージョンやカヴァーはもちろん、
様々なリミックスバージョンやビジュアルがあふれている。
そのなかでも最もユニークでクオリティの高いのが
このダンスリミックスバージョン。
まさか「嵐が丘」がディスコダンスがになるとは
思ってもみなかった。
良い曲はどう料理しても素晴らしい。
また最近、毎年7月30日には、
ケイト・ブッシュの誕生日を祝って
世界中のケイトファンが集まってダンスする
「The Most Wuthering Heights Day Ever(嵐が丘の日)」
というイベントが開かれているらしい。
子どもから婆さん・爺さんまで
大勢のファンが真っ赤なドレス
(ケイトがミュージックビデオで着ていたもの)
をまとって、パントマイムを交えた
あの独特のダンスを踊る姿は
思わず笑えると同時に感動的。
時代を超え、世代を超え、
世界中の人々の胸を震わせる「嵐が丘」に
還暦を超えた今も涙を抑えきれない。
おりべまこと電子書籍新刊
再読・嵐が丘
世界名作を読みなおして人生を書きかえる
あす10月28日(土)17:00~
10月31日(火)16:59
新発売記念
4日間無料キャンペーン!
おりべまこと電子書籍新刊 エッセイ集:物語
再読・嵐が丘 本日発売!
世界名作を読みなおして、人生を書きかえよう。
エミリー・ブロンテ「嵐が丘」は恋愛小説ではなく、
毒親の虐待に打ち克ち、新たな人生を切り拓くつ子どもたちの勇気の物語。
ブロンテ、カフカ、カズオ・イシグロ、スティーブン・キングなど、世界名作、ベストセラー小説の
"こんな読み方もできるんじゃね?"的読書ガイド。
ブログ「DAIHON屋のネタ帳」から
15編のエッセイを編集・リライト。
もくじ
●再読「嵐が丘」:呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語
●続・再読「嵐が丘」: 呪われた家族・愛情関係から解き放たれる少女の物語
●嵐が丘の旅の追憶
●カフカの寓話「ロビンソン・クルーソー」
●カフカの寓話②「小さな寓話」
●チェコのカッパ
●成長に希少価値がある時代の「三銃士」
●「忘れられた巨人」は、僕たちの未来を描いた物語なのかもしれない
●香水(パフューム):人間存在の深淵につながる「におい」の世界
●スタンド・バイ・ミー 死の淵を覗きに行く少年たちの冒険譚
●女目フィルターの少年像と少女版スタンドバイミーについて
●「刑務所のリタ・ヘイワーズ」:凡人の希望と絶望をめぐる物語
●「ゴールデンボーイ」:誰もが怪物になり得る恐怖の神話
●ゴーストの正体と人間のストーリーテリング
●どうして人は地球滅亡・人類滅亡の物語を創り続けるのか?
読書の秋は世界名作を読みなおして、人生を書きかえよう。
秋深まり、義母の食欲マシマシ。
三食はもちろん、つまみ食いも止まらない。
夜中にごそごそ物音がするなと思うと、
必ず食品棚の引き出しをあさっている。
大好きなつまみ食いベスト3
1位 菓子パン:
ただし大きいのは半分しか食べない。
残りは引き出しに戻しておくのだが、
自分が食べたことを忘れてしまうので、
「人の喰い残しなんか食べないよ」と言って
そのままほったらかしになる。
なのでできるだけ小さいのを入れるか、切って入れる。
2位.みかん:
カミさんの話によると若い頃から柑橘類は大好物。
これからの季節、大きさも手ごろで
自分で皮がむけるみかんが安く出回るのでありがたい。
3位.バナナ:
これも自分でムキムキできるし、
甘くて柔らかくて食べやすいので大好物。
4位.キャラメル:
好物だが所詮アメなので脳は一時的に満足するが、
おなかは満たされない。
なので他の食品との合わせ技が必要になってくる。
5位.ちくわ:
練り物大好き。夏はダメだが、秋・冬は
一晩くらい常温で置いておいても平気なので。
その他、ビスケットやクッキー類はカスをボロボロ落として
布団を汚してしまうので出さないようにしている。
表面に砂糖をまぶしてあるようなお菓子もNG。
ちなみにうっかり差し入れを忘れると、
かなりストレスが上がるようで、
カキ、リンゴ、アボカド、ジャガイモ、玉ねぎなど、
丸っこい系の果物・野菜を手当たり次第に持ち出していく。
まるい→かわいい→おいしい
という公式が頭のなかにあるらしい。
もちろん、これらはそのまま食べられないし、
自分で皮もむけないので、部屋の鏡台の引きだしとか
スカーフや洋服などにくるんでしまわれている。
また、きれいな袋物、
可愛いパッケージを見ると胸がときめくようで、
この間など詰め替え用のコショウとか、
スープの素、雑穀米の小袋などを
テイクアウトしたこともあった。
さらに時々、スプーンとかフォークとかの
食器類や歯磨き粉、
僕のノートやはがきなど食品以外の物を持っていく。
先祖の記憶がよみがえるのか、
寒い季節が近づいてくると、
リスなどの動物同様、飢えないように
巣穴にいろいろ貯め込んでおきたいという
“貯蔵本能”?が起動するようだ。
時に思いもかけないところにしまい込んで
行方不明になってしまうこともある。
気温が低くなったので、すぐに腐る心配は少ないが、
デイサービスに出かけている間に
大捜索をしなくてはならないこともある。
いろいろ疲れるが、認知症とのお付き合いも
だいぶスキルアップしてきた気がする。
最近は人間修行をさせていただいているような
境地になってきた。
おりべまこと電子書籍 新刊予告
「再読・嵐が丘」 10月26日(木)発行予定
秋の読書シリーズ第1集。
エミリー・ブロンテ「嵐が丘」は恋愛小説ではなく、
毒親に打ち克つ子供たちの勇気の物語。
コロナが終わったからって
わざわざ人ごみの観光地に出かけなくても
本の中で素晴らしい旅が体験できます。
ブロンテ、カフカ、キングなどの
"こんな読み方もできるんじゃね?"的名作読書ガイド。
ブログ「DAIHON屋のネタ帳」から
15編のエッセイを編集・リライト。
第2集「再読・坊ちゃん」
第3集「再読・村上春樹」も準備中。
どうぞお楽しみに。
「100BANCHI」は
「未来を創る実験区」「100年先を豊かにする」
といったコンセプトを掲げた実験アート工房。
そんな呼び名がしっくりくる。
ホームページを覗き、実際のギャラリーを覗いたが、
何やら僕たちの日常生活やビジネスなどとは無縁な、
浮世離れした若い連中の
アバンギャルドなアートの世界が展開している。
のだが、この施設・組織の母体は、
あのパナソニックと聴くと、
インパクトとともに頭のなかに???の花火が上がる。
この施設は、パナソニック(松下電器)の創業100年を機に
2017年7月にオープン。
これからの時代を担う若い世代とともに、
次の100年につながる新しい価値創造に取り組む
プロジェクトだという。
ぱっと見、そんな企業臭さはまったく匂わず、
もちろんパナソニックの宣伝、および、
それにつながるようなものは微塵も見当たらない。
アートスクールのようなノリ?という印象が強く、
いろんな若者が多種多様なアート(のようなもの)を
作っている仕事場(あるいは遊び場)というイメージで、
その実態は不明。
しかし、松下幸之助氏が始めた松下電器の仕事場は、
100年前の一般人・常識人から見たら
おんなじように奇異に見えたに違いない。
つまり、ここは未来の暮らしとビジネスのための
基礎研究を行う場所なのだろう。
昨夜はここで「死をリ・デザインする」という
トークイベントが行われた。
例によって「月刊終活」の取材だが、
めっちゃ面白く、仕事抜きで楽しめ、考えさせられた。
記事化するので内容は明かせないが、
単純化して言うと「死」を隠蔽するのでなく、
もっとオープンに、明るく楽しく語り合えるために、
何か形あるものを創っていこう、という趣旨の話。
この100BANCHIが輩出した若い女性のプロジェクト集団が
そのためのツールを開発したり、
エンディング関係の会社とコラボした活動をしている。
ディスカッションを聴いて、
ちょっとだけ未来を覗いた気分になった。
とは言え、そんな僕の気分を笑い飛ばすかのように
すでに渋谷は一気に未来モード。
この「100BANCHI」がある
JR渋谷駅・新南口の界隈の渋谷3丁目は、
LEDでライトアップされた渋谷川のリバーサイドだ。
100年前はさらさら流れる小川だった渋谷川は
戦後の渋谷の大都市化によってデッドなドブ川になり、
それがまた近年の再開発で、お洒落なシティリバーに。
(本質的にドブ川であることは変わらないが…)
コロナ禍のせいもあって、渋谷の街を歩いたのは
ほぼ5年振りくらいだが、
未来感あふれるデジタルな「SHIBUYA」への
変貌ぶりにびっくり仰天した。
かつてのドブ川に似つかわしい、
汚ない雑多なアナログ裏渋谷にノスタルジーを抱きつつ、
この未来世界で、おれはいつまで生きているのだろう?と
思わずシティリバーの畔で佇んでしまった。
1972年リリース。
セカンド・ソロアルバム「トランスフォーマー」に
収録され、ルー・リードの代表作となった歌。
この中で歌われるトランスジェンダーやゲイたちは、
NYCのアンディ・ウォーホールのスタジオ
「ファクトリー(The Factory)」に集まる
俳優たちをモデルにしたという。
LGBTQの人たちは、かつては音楽や文学や演劇、芸術—ー
いわゆる非日常の世界の住人というイメージだった。
そのことを考えると隔世の感がある。
そうなのだ。
この曲が歌われてから半世紀の時が過ぎた。
半世紀前は、ボブ・ディラン、ドアーズのジム・モリソン、
少し遅れてパティ・スミスなど、
いわゆる詩人系のミュージシャンが活躍した。
ルー・リードもその一人で、
文学性・芸術性に富んだ感性で
ロックの価値を高めたミュージシャンとして
評価されている。
彼が率い、アンディ・ウォーホールがプロデュースした
ベルベット・アンダーグラウンドも、
僕たちがロックに狂っていた70年代~80年代は、
「昔のカルトバンド」として大して注目されていなかった。
ところが、その人気と評価は
時代を経るごとにどんどん上がっていき、
いまやロック史上屈指のレジェンド「ベルベッツ」として
紹介されることが多い。
これはトランスジェンダーやゲイの歌ではあるが、
「Wild」のニュアンスをどう解釈するかで
いろいろな聴き方ができるところも面白い。
そして管理社会が進む今日、
良い意味でWildであり続けることはとても難しいと感じる。
ライブでもよく演奏され、
YouTubeでもたくさん上がっているが、
派手なギターやドラム、ファンキーなホーンが入った
エキサイティングなものが多く、
この曲の良さを損ねている気がする。
僕に散ってはこのオリジナルのスタジオ版がベスト。
リードのリーディングのような歌い方と
エレキベースとダブルベースを重ねた、
独特の雰囲気を醸し出すベースラインは
麻薬のようにやみつきになってヤバい。
「叔母Q」無料キャンペーンご利用でのお買い上げ、
ありがとうございました。
気にいっていただけたらレビューをお願いします。
引き続きAmazon Kindleにて¥500で発売中です。
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おりべまことの本は現在33冊発売していますが
1カ月¥980で読み放題のKindle Unlimitedでも
もちろんお読みいただけます。
ご興味があればぜひどうぞ。
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来週以降、「読書の秋」ということで
読書ガイド風エッセイ集を出します。
第1弾は「再読・嵐が丘」。
こちらもよろしくお願いします。
谷村新司さんが亡くなった。
正直、アリスの歌も、谷村さんの歌も
あまり好きじゃなかったので特に思い入れはないが、
テレビの追悼ニュースなど見ていると、
やはりなんともいえないものを感じる。
今年はYMOの高橋さん・坂本さんが
相次いで亡くなった。
それとともに長年、芸能界で大きな影響力を持っていた
ジャニーズ事務所が終焉した。
こうした芸能・アート関係の
新陳代謝を目の当たりにして、
昭和が一気に遠くなったという感じがする。
最近はテレビでもネットでも
やたら昭和コンテンツが増殖して、
ブームになっているとか言ってるけど、
なんだか嘘くさくて胡散臭い。気持ち悪い。
はっきり言ってもう「昭和」は賞味期限切れだ。
来年早々、「昭和99年の思い出ピクニック」
という本を出そうと思っているが、
これを出し、再来年、昭和100年になったら
昭和を卒業しようと思う。
と言っても実際はできるわけないことはわかっている。
でも、これからはあくまで昭和の文化を
未来への「資産」として見做す視点を持てないと、
ただの懐かしがり屋さん、
ただ終わりを待つだけの老人になっていくだろう。
新刊「叔母Q」
発売記念4日間無料キャンペーン
本日10月17日(火)16:59まで
叔母の温子(ながこ)はロサンゼルスの下町のアパートで孤独のうちに死んだ。
リトルトーキョーの小さな葬儀屋の一室で彼女の遺骨を受け取った甥の「わたし」は供養のために、可愛がってくれた叔母と昭和の家族についての話を葬儀屋に語る。短編。2万3千字。
叔父・叔母(伯父・伯母)や従妹といった
少し距離のある家族とは、
子供の頃(小学校低学年まで)は密な関係だった。
しかし、時代が進んで貧乏な昭和から
豊かな昭和に変わると、
みんなバラバラになってしまった。
次に会う時は葬式だったり、
最近は葬式にも呼ばれない、行かない。
そもそも葬式をしないことも珍しくなくなった。
そうした家族は確実に自分の人生の一部分を
つくっているというのに。
しょっちゅうではないが時々
そうした離れた家族のことを思い出すと胸が痛む。
人生破綻した人、自殺した人もいる。
子どもの頃の記憶しかないので、
あの人たちがそこまで
追い詰められなけばならなかったことが
どうしてもリアルに感じられない。
そして、もう知りようがない。
そんななかで賢くも度胸もないのにも関わらず、
還暦過ぎまでのほほんと生きてきた自分は
本当に運がいいのだなと思う。
叔父・叔母(伯父・伯母)や従妹といった家族とは、
ていねいに関係を保てば、
互いによい友人・よい人生の伴走者になれる。
僕はそれをしてこなかったが、
未だ遅くない人は修復してみるといいかもしれない。
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叔母の温子(ながこ)はロサンゼルスの下町のアパートで孤独のうちに死んだ。
リトルトーキョーの小さな葬儀屋の一室で彼女の遺骨を受け取った甥の「わたし」は供養のために、可愛がってくれた叔母と昭和の家族についての話を葬儀屋に語る。短編。2万3千字。
今年もハロウィンが近づき、
街中どこもかしこもオバケだらけになってきた。
オバケを怖がる子どもは多いが、
オバケの絵はみんな描きたがる。
誰でも描けちゃうのがオバケの魅力。
息子がチビの頃、小学校のハロウィン大会で
鬼太郎の目玉おやじの人形を肩にのっけて、
自分おオデコにも目玉を描いて登校したのを思い出した。
僕が子どもの頃は、オバケと言えば
藤子不二雄の「オバQ」だった。
雑誌にオバQの似顔絵を投稿して当選し、
マルチ定規(?)みたいな文具を景品として
もらって、めっちゃうれしかった。
ドラえもんみたいに助けてくれるわけでもなく、
何か役に立つわけでもなく、
ただ大飯食らって、お騒がせするだけのオバQは
今でも大好きである。
GHQ、オバQ、ウルトラQ。
「Q」は昭和世代のQワード。ではなく、キーワード。
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叔母の温子(ながこ)はロサンゼルスの下町のアパートで孤独のうちに死んだ。
リトルトーキョーの小さな葬儀屋の一室で彼女の遺骨を受け取った甥の「わたし」は供養のために、可愛がってくれた叔母と昭和の家族についての話を葬儀屋に語る。短編。2万3千字。
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本日10月14日(土)17:00~10月17日(火)16:59
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叔母の温子(ながこ)は
ロサンゼルスの下町のアパートで孤独のうちに死んだ。
リトルトーキョーの小さな葬儀屋の一室で
彼女の遺骨を受け取った甥の「わたし」は供養のために、
可愛がってくれた叔母と
昭和の家族についての話を葬儀屋に語る。
子供だった「わたし」と、
戦後の時代を生きた叔母との記憶の断片を
つなぎ合わせた物語。
短編。2万3千字。
原題「These Days」は
「最近」とか「近頃」と訳すのが普通だが、
1967年の日本のレコード会社の人は
「青春の日々」という
当時のフォークソングっぽい邦題を付けた。
歌でも本でも映画でもよくあるタイトル。
でもニコのこの歌を聴くと、
他のタイトルは思い浮かばなくなる。
とくにセンチメンタルな旋律ではないのだが、
聴けば聴くほど、雨水がしみ込むように、
深く広く、胸のなかに切なさが広がっていく。
青春の日々が遠くなった人間だからかもしれない。
作詞作曲はジャクソン・ブラウンで、
デビューする前、16歳の時に書いた歌だという。
歌詞は、最近、わたしの人生うまくいかない。
もう夢を見るのはやめた。
失敗したことを忘れたわけじゃないから責めないで
・・・といったちょっとネガティブな内容だ。
ティーンエイジャーの頃は
よくないことがあると内省的になり、
人生を達観したような気になってしまうことがある。
もちろんポジティブな気持ちを持って
元気に生きた方がいいけど、
いつもピーカンの青空ばかりというわけにはいかない。
晴天ばっかりでは生きててつまらないし、
人生もうすっぺらくなる。
ぽかぽか浮かんでくる雲の形を楽しんだり、
しとしと雨降りも経験して
生きる哀しさややるせなさも知ったほうが
人間が立体的に形成されていくと思う。
ニコはドイツ出身のファッションモデルで、
その後、シンガーソングライター、女優として活躍。
ニューヨークでかのポップアートの巨匠
アンディ・ウォーホールと知り合い、
彼がプロデュースするロックバンド
「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」と共演した。
ジャケットにウォーホール作のイラストーー
世界で最も有名なバナナが描かれたデビューアルバム
『The Velvet Underground & Nico』は、
ロック史に欠かせない超名盤となり、
その評価はむしろ21世紀になってからのほうが
上がっている。
ただ、ニコがベルベットに参加したのは、
ウォーホールが「女がヴォーカルをやった方が話題になる」
と言ってくっつけたからだそうで、
彼女は1枚限りでバンドを離れ、
同年、ソロアルバムを制作。
「青春の日々」は、そのアルバム
「チェルシーガール」に収録されていた。
昨年(2022年)1月にはビリー・アイリッシュがこの曲を
TikTokに投稿し、再生回数1億2千万回超を記録。
音楽ニュースサイトで大きな話題になった。
まさに今の世界中の若者の心もとらえた大ヒット懐メロだ。
ニコも、アンディ・ウォーホールも、
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを率いた
ルー・リードも、とうの昔に故人になっているが、
40年・50年・60年経っても
良い曲は聴き継がれ、世代を超えて共有される。
若い世代の人もこの曲を聴きながら、
自画像・人生像を描いてみるといいかもしれない。
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10月14日(土)17:00~
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おりべまこと電子書籍新刊「叔母Q」 本日発売
叔母の温子(ながこ)は
ロサンゼルスの下町のアパートで孤独のうちに死んだ。
リトルトーキョーの小さな葬儀屋の一室で
彼女の遺骨を受け取った甥の「わたし」は供養のために、
可愛がってくれた叔母と昭和の家族についての話を
葬儀屋に語る。
「わたしも叔母のことが好きでした」
そう口にするとあの口もとのホクロを思い出した。
家族だった彼女は恋人でもあった。
生まれて初めて意識した大人の女だった。
子供だった「わたし」と、
戦後の時代を生きた叔母との記憶の断片を
つなぎ合わせた物語。短編小説。2万3千字。¥500
もくじ
1 パンパン 1960年
2 リトルトーキョー 2023年
3 結婚式 1988年
4 昭和家族 1960年代
5 チューベー 1968年
6 ナンシー 2023年
7 母と叔母 1968年
8 GHQ 1945年
9 ロサンゼルス 2023年
10 姪と叔母 2023年
叔母の温子はロサンゼルスの下町のアパートで孤独死した。
リトルトーキョーの小さな葬儀屋の一室で
彼女の遺骨を受け取った甥の「わたし」は供養のために、
可愛がってくれた叔母と昭和の家族についての話を
葬儀屋に語る。
「わたしも叔母のことが好きでした」
そう口にすると彼女の口もとのホクロを思い出し、
閉じられていた記憶の扉が次々と開いていった。
短編(2万字) 10月12日(木)発売予定。
大河ドラマ「どうする家康」では
ムロツヨシ演じる豊臣秀吉の最期が近づいている。
次回予告を見る限り、
秀吉は側室である茶々(淀の方)に復讐され、
(心理的に)殺されるという展開らしい。
北川景子が市と茶々(淀の方)の母娘二役なので、
予想はしていたが、やはりショッキングだ。
太閤・秀吉の死因は病死だが、
天下人としてはあまりに寂しいものだったことは
長年の謎とされている。
それをここまであからさまに
愛人の憎しみによってとどめを刺される
というストーリーは前代未聞であり、
衝撃を受ける人は多いのではないだろうか。
茶々は家康が思いを寄せた市の娘であり、
乱世のなかで非業の死を遂げた
信長と市というカリスマ兄妹が
転生した存在とも言える。
父(浅井長政)と母(市)を殺し、
自分を凌辱した男に対する凄まじい復讐。
彼女が一種のモンスターとなって
最後に家康の前に立ちはだかるというのは
ドラマとしてすごいダイナミズム。
市と淀を見事に演じ分ける北川景子の演技は
(あざとさも含めて)ヤバすぎる。
秀吉は昭和の成長時代、
庶民にとって英雄以外の何者でもなかった。
戦国武将の中でも人気抜群であり、
百姓の子せがれから天下人に成りあがった
サクセスストーリーは、誰もが見習うべきものであり、
みんなが尊敬すべき人物だった。
それが平成時代を通して、
徐々にそのヒーローの皮がはがされていき、
負の部分も含めて人間くさい側面に
光が当てられるようになっていった。
そして令和の今、このドラマでは
かつての英雄像の「凋落」ともいえる扱い。
その伏線は昨日の放送回における
高畑淳子演じる大政所(秀吉の母・仲)の
臨終のセリフに現われている。
「あの息子は自分が本当は何を欲しかったのか、
自分でわからなくなってしまった」
このドラマは家康が主役なので、
秀吉がなぜあれほど民衆に慕われ、
人を惹きつけたのかといった
ポジティブな面はほとんど描かれない。
逆にその俗物的な部分や、
自分の欲望を満たすためには手段を選ばない
あくどさばかりが強調されていることに
秀吉ファンは怒りさえ覚えるだろう。
僕はべつに秀吉ファンではないが、
地元の名古屋で育ったので、
やはり秀吉は尊敬すべき英雄であり、
いわば正義の基準だった。
ちなみに名古屋駅には太閤口という玄関があり、
太閤通りという道路が走っている。
名古屋の人たちは、まさかわれらが太閤様が
テレビドラマでこんなふうに描かれる時代が来るとは
夢にも思っていなかっただろう。
ドラマは時代の変化・価値観の変化を
如実に表すメタファーである。
こうした秀吉像の変化は、
リアル世界では芸能界の英雄として亡くなった
ジャニー喜多川氏と重なる。
製作者側はもちろん、そんなことは意図していない。
これは僕の個人的な見解だが、
まんざら見当違いでもないと思う。
今年のはじめ頃、ジャニー氏がここまで国内で糾弾され、
彼の犯罪を隠蔽し、王国を守ってきた
ジャニーズ事務所がこんな惨状になろうとは、
少なくとも一般人は誰も予想していなかった。
長らく日本を支え、生き延びてきた昭和システムが
音を立てて崩壊したのだ。
この事実は芸能やマスコミの世界のみならず、
いろいろな所に波及していくだろう。
日本の社会を覆っていた昭和の幻影が拭い去られた———
まだ1年を振り返るのには早すぎるが、
この先、令和5年、2023年は
そういう年として記憶されるかもしれない。
1980年リリース。
グラムロック×プログレッシブロック×テクノポップ。
イギリスのバンドなのに、なぜかジャパン。
その個性があまりに強烈過ぎて
フォロワーもほとんど現われず、
今では振り返えられることが少ないが、
70年代終わりから80年代はじめにかけて
示した存在感を忘れられない。
そしてもちろん、いま聴いてもすごい。
彼らが残した「クワイエットライフ」
「孤独な影」「ブリキの太鼓」
3枚のアルバムは、
まぎれもなくロック史上に燦然と輝く名盤だ。
「日本の女の子にウケようと
“ジャパン”なんてバンド名をつけた」
音楽雑誌で悪口を書きまくられたデビュー当初は、
ヴォーカルのデビッド・シルビアンをはじめ、
日本の少女マンガに出てきそうな
美形ぞろいのアイドルグループ。
初来日でいきなり女子ファンで
武道館をいっぱいにしてしまうなど、
まさしく「ビッグ・イン・ジャパン
(日本でしか売れない洋楽バンド)」の代名詞となり、
「へたくそなくせに女にモテやがって」と
嫉妬心むき出しの男性ロックファン・評論家から
さんざんこき下ろされるはめになった。
確かに1枚目・2枚目のアルバムは、
「果てしなき反抗」「苦悩の旋律」と、
タイトルだけはやたらカッコいいが、
ふやけたディスコっぽいロックで
ぜんぜん面白くなかった。
それが3枚目の「クワイエットライフ」で激変し、
クオリティ爆上がり。
デビッド・ボウイ、ロキシー・ミュージック、
キング・クリムゾンなど、
70年代の先進的ロックのエッセンスを
80代風に解釈したとでも言えばいいのか、
めっちゃクールでデカダンでスリリングな
音世界を展開した。
続く「孤独な影」「ブリキの太鼓」では
アフリカンビートや東洋音楽を取り入れ、
ヨーロッパの退廃的ムードとミックスさせて
他の追随を許さない独特のジャパンサウンドを構築。
特にミック・カーンのベースと
スティーブ・ジャンセンのドラムが創り出すリズムは、
異常に中毒性が強く、
一度聴きだすと止まらなくなる。
アルバム「孤独な影」のラスト曲
「アイランズ・イン・アフリカ」には
当時YMOの坂本隆一が参加。
この映像が撮られた1982年のラストライブ
(のちにライブ盤「オイル・オン・キャンバス」
としてリリース)では、
脱退したギタリストの代わりに
「すみれセプテンバーラブ」のヒットを飛ばした
一風堂の土屋昌巳がサポートメンバーとして参加。
本当にクールでカッコいいジャパン、
今は亡きミック・カーンの、
ロック史上指折りのベースプレイをぜひ聴いてほしい。
昨日ふたたび池袋へ行く。
10日あまり前とは別の仕事の取材だが、
たまたま同じ池袋。
先月は雨天であまり街の写真が撮れなかったので、
少し早めに行ってスマホでウロウロ撮影作業。
劇場の話に合わせる写真がいるので、
西口にあるわが母校 舞台芸術学院にも足を運んでみた。
卒業したのはもう43年も前のことだ。
当然、校舎は改築されているが、
場所も道路を通し、区画整理した関係で
僕たちの通っていた頃より20mほど移動している。
創立されたのは1948(昭和23)年。
終戦からまだ3年目のことで、
このあたり一帯は焼け野原だったらしい。
ホームページを見て見たら、
こんな創立の物語があった。
https://www.bugei.ac.jp/about/school/
演劇を志したひとりの青年、野尻徹。
彼は幸運にも復員し、池袋で演劇活動の拠点、
「スタジオ・デ・ザール」を開設しました。
しかしその志半ば、彼は27歳でこの世を去ります。
彼の演劇への「思い」はここで潰えたようにみえました。
しかし、彼のあまりにも早い死を悲しんだ父、
与顕は息子の遺志継承を願います。
「地に落ちた一粒の麦、徹死して幾百幾千の
舞台人となって実るであろう事を」
1948年9月13日、与顕は焼け跡の残る
東京・池袋に演劇を渇望した息子、
徹の遺志を継ぐべく、私財を投じ、
若者が演劇に打ち込むための場
「舞台芸術学院」を創立しました。
(※以上、ホームページより抜粋)
初代学長である秋田雨雀、副学長である土方与志は、
日本の近代演劇史・文化史に名を遺す人なので
いちおう知っていたのだが、
真の創設者である野尻さん親子のことは
恥ずかしながらまったく知らなかった。
これは75年前、西口公園に闇市が群れをなし、
池袋全体がダークでカオスな街だった時代の話である。
(池袋のヤバさ加減は、小説・ドラマになった
「池袋ウェストゲートパーク」あたりまで引き継がれてた)
75年の歴史のなかで有名・無名かかわらず、
多くの演劇人、そして、そこに連なるハンパ者たちを
輩出している舞台芸術学院。
60年代の舞芸の学生が、南池袋の仙行寺と関わったことから
小劇場「シアターグリーン」が生まれ、
その活動が波及し、西口公園の
「東京芸術劇場」につながり、
その他、東口の「サンシャイン劇場」「あうるすぽっと」、
野外劇場「グローバルリングシアター」、
最近ではシネマコンプレックス、商業施設と一体化した
文化施設「HAREZA(ハレザ)」の一角を占める
「東京建物ブリリアホール」という劇場もできた。
百貨店・家電量販店・アニメショップなどの
印象が強い池袋だが、
いまや新宿・渋谷をしのぐ劇場が花咲く街である。
その最初の一粒がわが母校だったことに
改めて驚きと感動を覚えた。
在籍時を含めて45年間、創立の話を知らなかったのは、
ハンパ者卒業生の一人として、ほんとに恥ずかしい限り。
長い時間を要しないと、僕のようなボンクラには
世界が見えない、意味が分からない。
しかし、とりあえずこの母校と池袋の劇場の件については
死ぬ前に気付いてよかった。
自分の新しい歴史がまた新しく始まった気がする。
川沿いの道で長さ1メートルのヘビに遭遇。
青みを帯びた銀色に輝くボディのアオダイショウ。
カメラ目線をキメてくれた。
なかなかいい面構えでしょ?
神々しくて思わず手を合わせてしまった。
今年も残すところあと3カ月。
大将、よろしくたのんます。
ナマケモノもよろしくたのんます。
1965年にリリースされた「夢のカリフォルニア」は、
「東海岸(おそらくニューヨークを想定)は
どんより曇っていて寒いよ。
晴れててあったかいカリフォルニアに行きたいなぁ」
というかなり単純な歌だ。
けれども当時、カリフォルニア州にあるサンフランシスコ、
ロサンゼルスはヒッピー文化発祥の地。
愛と自由と平和について語り合おう、
ついでにセックスとドラッグもやっちまおう、
という精神的革命の波が押し寄せていた。
アメリカの若者のほとんどが
社会からドロップアウトするんじゃないかという
勢いさえ感じた。
そんな中で「夢のカリフォルニア」は
一種のメタファーと受け取られ、
どんより曇って寒い街は旧世界の象徴、
太陽輝くカリフォルニア
(サンフランシスコ、ロサンゼルス)こそ
われらが求める新世界――と解釈されたらしい。
と言ってもこの頃,
僕はまだ小学校に入ったばかりのガキで、
ヒッピーをリアルタイムで体験したわけではない。
後年、音楽雑誌などで当時のロック・フォークの先輩方が
「サマー・オブ・ラブ」やら「フラワーチルドレン」やらを
熱く語っているのをカッコイイなぁと思っただけだ。
そしてテレビの音楽番組で見た
1967年の「モンタレーポップフェスティバル」。
この曲を歌うママス&パパスを見て以来、
僕の中ではずっと「夢のカリフォルニア」は、
60年代のヒッピー文化の象徴として、
一種独特の響きを放っていた。
ママス&パパスはグループとしては
3年ほどしか活動していない。
他にもいくつかヒット曲はあるものの、
ほとんどこれ1曲で
1998年にロック殿堂入りを果たしたと言っていいだろう。
それほどあの時代とのマッチングは強烈だったのだ。
けれども、そろそろその幻想とも
別れを告げた方がいかもしれない。
そう思ったのは、ジャズシンガー、
ダイアナ・クラールが2015年にリリースした
カヴァーを聴いた時だった。
オリジナルのママス&パパスから60年。
言い表せない感慨が胸に広がった。
渋くてカッコよくて、
そしてあまりに懐かしさと哀愁に満ちた
「夢のカリフォルニア」。
秋の夜、聴きながら一杯飲まずにはいられない。
●夢のカリフォルニア/ダイアナ・クラール
何かを達成するのはクレイジーなエネルギーである。
フリッパ(離婚したシングルマザーの中年女性)は、
たまたま子どもの付きそいで
シェイクスピア作の「リチャードⅢ世」の舞台を見る。
それが彼女の人生を変えた。
リチャードⅢ世の霊が彼女にとりついた。
あの世からやってきたリチャードとの対話から
彼の遺骨が墓にも納められず埋もれ、
名誉を棄損されていることを知る。
そして8割方インスピレーションによって、
その遺骨の眠る場所を探り当てる。
こう書くと、荒唐無稽なオカルト映画、
あるいはインディー・ジョーンズのような
考古学者の冒険譚なのかと思うかもしれないが、
これは事実をもとに作られた映画である。
英国レスターにおいて
リチャードⅢ世の遺骨発掘が行われたのは、
わずか5年前。2,018年のこと。
国営放送BBCは、そのドキュメンタリーを作ったが、
それを劇映画化したもの。
脚色・演出はされているが、
ストーリー自体は事実そのもである。
主人公のフリッパは、
もともと考古学に縁もゆかりもないもない。
「リチャードⅢ世」は、知る人ぞ知る、
シェイクスピア劇の中でも屈指の人気を誇る作品だ。
リチャードがこの世を去って1世紀後、
シェイクスピアがその伝説をもとに造形したのが
せむしで醜く、心も歪み荒んだ極悪の王。
その残虐非道さ故、
英国歴代の正当な王とは認められていなかった。
しかし、リチャードの人柄と行為は、
彼のあとに政権を握った王朝が、
自らの正義を民衆に示すために捏造したものだった。
ちょうど明治政府が徳川幕府の政治を貶めたように。
江戸幕府の開幕時、
徳川家が豊臣家の影を消し去ったように。
フリッパはリチャード(の幻影)との対話と、
あくなき調査によってそのことを確信し、
遺棄された彼の遺骨のありかも突き止め、
孝行学者と大学を動かして発掘調査を行う。
あくまでドキュメンタリー風の作品なので、
ドキドキハラハラみたいなエンタメ感は乏しいが、
面白く、妙に感動的な映画だ。
フリッパの行動の動機は、
世紀の発見をして歴史を覆してやろうといった
崇高な目的や野心のためでもなく、
もちろん一発当ててやろうという金儲けや
損得勘定のためでもない。
本当に霊に取りつかれてしまったか、
リチャードに恋をしてしまったか、
要ははた目から見たらめっちゃクレイジーな熱意なのだ。
それでも元夫や子供たちは彼女を応援し支える。
あくまでドキュメンタリー風の作品なので、
ドキドキハラハラみたいなエンタメ感は乏しいが、
そうした家族愛もあり、面白く、妙に感動的な映画だ。
そしてもう一つ。
彼女が自分の発想で、単独で始めたことを、
世紀の大発見という成果が得られると、
ちゃっかりその手柄を横取りし、
自分たちの栄誉にしてしまおうとする
大学や学者の在り方も、
リチャードを貶めた次期王朝権力と重なって面白い。
歴史は常にその時々の勝者・成功者・権力者が
つくってきたものである。
僕たちが英雄と信じている人が、
とんでもない悪人や詐欺師だったり、
悪漢や愚者だと思っていた人が、
実は英雄だったりすることもある。
インターネットが発達した世の中では
そうした驚くべきどんでん返しも起こり得る。
世界はまだまだ神秘にあふれ、
変化していく可能性を孕んでいる。
歴史が深く、多彩な物語が眠る英国だから作り得た
と思われるこの映画は、
そんなことまで考えさせてくれる。
「週末の懐メロ 第3巻」
発売記念無料キャンペーン終了しました。
ご購入ありがとうございました。
気に入っていただけたらレビューよろしくお願いします。
なお、引き続き¥300で発売中なので、未読の方はぜひ。
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次回は短編小説「叔母Q」10月上旬発行予定。
その後、物語エッセイ集「再読・嵐が丘」
「再読・村上春樹」「再読・夏目漱石」
長編小説「今はまだ地球がふるさと」
「週末の懐メロ第4巻」年内発行準備中です。
応援・ご愛読、よろしくお願いいたします。
おりべまこと電子書籍新刊
「週末の懐メロ 第3巻」
20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!
主観9割・偏見まみれの音楽エッセイ。
9月24日(日)15:59まで
発売記念無料キャンペーン実施中。
峰不二子のモデルはマリアンヌ・フェイスフルだったとか、
「ベティ・デイビスの瞳」はもともとは
レトロジャズだったとか、
「チャイルド・イン・タイム」は実は反戦歌だったとか、
新発見がいっぱい。
卒業式ソングとして「今日の日はさようなら」を
紹介したけど、「わたしの学校では卒業式に〈誰かが風の中で〉を歌いました」なんてメールまでいただきました。
天涯孤独の木枯し紋次郎が卒業ソングとは、
なかなかワイルドな学校ですね。
来月はルー・リードの
「ワイルドサイドを歩け」を取り上げる予定です。
20世紀のポップミュージックが
人類のレガシーになった今日、
21世紀を生きていくために
ぜひとも懐メロを楽しく読み解いてみては?
この本はその参考書としてお役立ていただければ幸いです。
良い音楽、好きな音楽をあなたの人生のおともに。
1976年にリリースされたイーグルスのアルバム
「ホテルカリフォルニア」は、
数あるロッククラシックの中でも
指折りのレコード、名盤中の名盤として名高い。
特にアメリカにおける存在感は抜群だ。
かのアルバム、そして、イーグルスというバンドが
そこまで持ち上げられるのは、
アルバムの最後を締めくくるのがこの曲だから、
ではないかと想像する。
表題曲の「ホテルカリフォルニア」は
60年代ロックカルチャーの商業化・低俗化を
揶揄した歌だが、皮肉なことに彼ら自身が、
アメリカで最も商業的に成功したバンドの一つとなり、
矛盾を抱えたまま半世紀間、活動してきた。
トータルセールスは2億枚を超えると言われている。
「ザ・ラストリゾート」も
そんな大いなる矛盾を拡大したかのような、
アメリカという国そのもの、
現代の文明社会そのものを批判した歌だ。
♪They call it paradise, I don't know why
彼らはそこをパラダイスと呼ぶ 私には理由が分からない
歌詞のストーリーは開拓時代を歌ったもの。
大西洋を渡ってやってきた白人の入植者たちが
広大なフロンティアを「パラダイス」と呼び、
先住民を迫害し、野生動物を殺戮し、
山を森を切り開き、自然環境を破壊し、
自分たちの街を、国家を作り上げていった。
♪We satisfy our endless needs and justify our bloody deeds
私たちは果てしない欲望を満足させて
血まみれの悪行を正義とした
In the name of destiny and in the name of God
運命という名のもとに 神の名のもとに
さらにここが「The Last Resort(最後の楽園)」だとして、
海の向こうからどんどん移住者を呼び寄せ、
この世の楽園である近代国家を作り上げた。
実際、開国時代の冒険者・開拓者たちにとって、
その活動は神の導きによる愛と正義の表現だと
信じていたのだろう。
そして20世紀を迎えて間もなく、
アメリカは世界で最も富める国・力を持つ国となり、
金さえあればどんな夢でもかなう「楽園」となった。
けれども年月を経て、楽園を築いた人々の子どもたちは
考えざるを得なくなった。
「わたしたちはどこから来て、どこへ行くのか?」
そして過去を振り返り、違和感を覚えざるを得なくなった。
「わたしたちは正しかったのか?」と。
高校生だった70年代、僕は美しく抒情的な旋律を
楽しむだけだったが、
この「ザ・ラストリゾート」は、
表題曲「ホテルカリフォルニア」と対になって、
当時の心あるアメリカの若者たちの胸に
ギリギリと食い込んだのだろうと思う。
それから50年近くを経て、人々の意識は、
先住民の歴史やマイノリティの存在、人権の尊重、
破壊してしまった自然環境などにも
向けられるようになった。
もちろん、それがイーグルスの歌のおかげだとは言わない。
でも、当たり前のようにある豊かさが
過去のさまざまな犠牲によって育まれたものだと
気付かせるきっかけにはなったのではないか。
音楽は人の心を変える。
人の心が変われば世界が変わる。
たとえ少しずつでも――
まだそんなファンタジーを信じたいと思っている。
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収録曲
57 暗黒(スターレス)/キング・クリムゾン 【1974】
58 イッツ・ア・ミステリー/トーヤ 【1981】
59パッフェルベルのカノン/ジョージ・ウィンストン【1982】
60 オン・マイ・オウン/島田歌穂 【1987】
61 長い夜/シカゴ 【1970】
62 ケイト・ブッシュ・クリスマススペシャル 【1979】
63 ジェネシス・ライブ 【1973】
64 ビー・マイ・ベイビー/ザ・ロネッツ 【1963】
65 ジェイデッド/エアロスミス 【2001】
66 リヴィング・イット・アップ/リッキー・リー・ジョーンズ 【1981】
67 冬の散歩道/サイモンとガーファンクル 【1966】
68 ごはんができたよ/矢野顕子 【1980】
69 だれかが風の中で/上條恒彦&小室等 【1972】
70 ブロークン・イングリッシュ/マリアンヌ・フェイスフル 【1979】
71 アイビスの飛行/マクドナルド&ジャイルズ 【1971】
72 今日の日はさようなら/森山良子 【1967】
73 サマータイム・ブルース/RCサクセション 【1988】
74 タイム・アフター・タイム/シンディ・ローパー【1984】
75 ピアノマン/ビリー・ジョエル 【1973】
76 そよ風の誘惑/オリビア・ニュートン・ジョン 【1975】
77 ネバーエンディングストーリー/リマール 【1984】
78 アニバーサリー/松任谷由実 【1989】
79 あなたがここにいてほしい/ピンク・フロイド 【1975】
80 私は風/カルメン・マキ&OZ 【1975】
81 ヒート・オブ・ザ・モーメント/エイジア 【1982】
82 ベティ・デイビスの瞳/キム・カーンズ 【1981】
83 チャイルド・イン・タイム/ディープ・パープル【1970】
84 さよならレイニーステーション/上田知華+KARYOBIN
【1980】
全28曲
南池袋の仙行寺というお寺を取材する。
大樹を模したモダン建築の本堂ビル。
中には高さ6メートルの「池袋大仏」が鎮座。
隣は懐かしや、20代の頃、何度か通ったシアターグリーン。
渡辺えり子の劇団300、
三宅裕司のSET(スーパーエキセントリックシター)
などを輩出した小劇場だが、
ここは仙行寺が開設したもの。
お寺の劇場だったということを今回初めて知った。
先代住職がこの地に来たのは
終戦からまだ10年かそこらの時代。
池袋は闇市の街で、めっちゃ危険で汚く貧しく、
ヤクザ・愚連隊が夜な夜な跳梁跋扈する地域だった。
(僕が演劇学校に通っていた70年代末でも
その名残は色濃く感じられた)
当時、本堂もない貧乏寺だった仙行寺の先代住職は、
まず地域の環境をなんとかしないと
布教どころではないと考え、
隣の敷地に建てたアパートの集会室を
芝居の稽古場に、さらに設備を入れて
小劇場「池袋アートシアター」をオープン。
それがのちに「シアターグリーン」となり、
演劇をやる若者が集う場になった。
荒廃した池袋に文化のタネをまいたのである。
その後、池袋には西口の東京芸術劇場をはじめ、
様々な拠点ができ、
舞台芸術の花開く街に成長した。
20年近く前に改装して、複数の劇場を持つ
シアターコンプレックスになったシアターグリーンは、
日本で最も歴史ある小劇場として
リスペクトされている。
現・住職は改装後、支配人に就任。
演劇プロデューサーでもあり、
時代劇を描く脚本家でもある。
本人の話によれば、プロデューサーも脚本家も
お寺の活動の一環として自然にやっているという。
「じゃ、こんど若い坊さんだちを集めて、
ボーズ劇団をつくったらどうですか?」
と提案したら笑ってた。
仙行寺がやってきた地域活動・文化活動は
行政も高く評価しており、
仙行寺と劇場の並ぶ通りは
「シアターグリーン通り」と名付けられた。
僕が通っていた頃と比べても、
ごちゃごちゃしていたこのあたりの地域は
とてもきれいに整備され、
夜はエロくてヤバイ公園だった南池袋公園も
きれいな芝生の公園に生まれ変わっている。
いつもご愛読ありがとうございます。
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第3巻として♯57~♯84を収録。
もくじ
57 暗黒(スターレス)/キング・クリムゾン 【1974】
58 イッツ・ア・ミステリー/トーヤ 【1981】
59 パッフェルベルのカノン/ジョージ・ウィンストン 【1982】
60 オン・マイ・オウン/島田歌穂 【1987】
61 長い夜/シカゴ 【1970】
62 ケイト・ブッシュ・クリスマススペシャル 【1979】
63 ジェネシス・ライブ 【1973】
64 ビー・マイ・ベイビー/ザ・ロネッツ 【1963】
65 ジェイデッド/エアロスミス 【2001】
66 リヴィング・イット・アップ/リッキー・リー・ジョーンズ 【1981】
67 冬の散歩道/サイモンとガーファンクル 【1966】
68 ごはんができたよ/矢野顕子 【1980】
69 だれかが風の中で/上條恒彦&小室等 【1972】
70 ブロークン・イングリッシュ/マリアンヌ・フェイスフル 【1979】
71 アイビスの飛行/マクドナルド&ジャイルズ 【1971】
72 今日の日はさようなら/森山良子 【1967】
73 サマータイム・ブルース/RCサクセション 【1988】
74 タイム・アフター・タイム/シンディ・ローパー 【1984】
75 ピアノマン/ビリー・ジョエル 【1973】
76 そよ風の誘惑/オリビア・ニュートン・ジョン 【1975】
77 ネバーエンディングストーリー/リマール 【1984】
78 アニバーサリー/松任谷由実 【1989】
79 あなたがここにいてほしい/ピンク・フロイド 【1975】
80 私は風/カルメン・マキ&OZ 【1975】
81 ヒート・オブ・ザ・モーメント/エイジア 【1982】
82 ベティ・デイビスの瞳/キム・カーンズ 【1981】
83 チャイルド・イン・タイム/ディープ・パープル 【1970】
84 さよならレイニーステーション/上田知華+KARYOBIN 【1980】
義母がデイサービスに行っていないので、
昨日のリベンジでお祭りを見に行く。
一応、カミさんには声をかけてみたが、
「暑いからいかない」というお返事。
ま、わかってたので、仕事の合間に
ひとりでチャリチャリっと小一時間。
昨夜でハイライトであるお神輿の合同宮入りが終わり、
本日はエピローグモード。
あくまで印象だが、参道の露店は
コロナ前からだいぶ面子が変わった。
半分以上は変わって初出店みたいなところも多い。
値段も物価上昇の折、何割かアップ。
500円以下で飲み食いしたり、遊んだりできる店は
ほとんどない。
今年の正月は喪中だったので、久しぶりにお参りして、
幸福ガエルにもごあいさつしてきた。
帰りに川沿いをチャリチャリ走っていて、
何年もやっていた護岸工事がやっとこさ
終りかけているなぁと写真を撮っていたら、
後ろから「せんせー」と呼びかける声。
自転車とキックボードの高中小学生の女子集団が、
「大宮八幡へはどう行けばいいんですか?」
と聞いてくるので道を教えてあげた。
先生ってなんや?
でも、みんな可愛かったからうれしい。
心もドンヒャラお祭リベンジ。
電子書籍新刊予告
「週末の懐メロ第3巻」
9月20日(水)
kindeより発売予定!
おなじみの音楽エッセイ「週末の懐メロ」第3巻。
♯57:暗黒(スターレス)/キング・クリムゾンから♯84:さよならレイニーステーション/上田知華+KARYOBINまで
全28編を収録。
川沿いの散歩道に紅白の彼岸花が咲いた。
しかし、まだ真夏継続。
4年ぶりに大宮八幡宮のお祭りがまともに行われるので、
義母を連れていってあげようと思ったが、
(てか自分が行きたかったのだが)
猛暑の中、長時間(30分近くかかる)
歩かせるわけにいかない。
それにちょっと体力が落ちてきて
以前ほど、長い距離を歩けない。
というわけで今年はお祭り断念。
散歩道は木が多いので、夕方は結構涼しい風が吹くが、
蚊に食われまくる。
早く秋になってほしいが、
義母は一足早く食欲の秋モードに入って、
最近、深夜・早朝の盗み食いが激増。
ほぼ毎日、菓子パンを差し入れしている。
おりべまこと電子書籍新刊
「週末の懐メロ 第3巻」9月20日(水)発売予定。
20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!
主観9割・偏見まみれの音楽エッセイ。
昭和世代・20世紀世代はもちろん、若い世代のお宝発掘のためのガイドブックとしてもお楽しみください。
1巻・2巻も好評発売中。
1963年のヒット曲で、
60年代アメリカンポップスの人気ナンバー。
僕は四半世紀前に、ザ・ピーナッツを模した
双子の女の子歌手のショーの台本を頼まれて
書いたことがある。
彼女たちはオールディーズポップス
(50年代後半から60年代前半)
を歌うデュエットだったが、
最も得意としていたレパートリーが、
この「涙のバースディ・パーティ」だった。
その双子デュオの印象が残っているので、
「可愛い歌」「可愛い歌手」というイメージが強かったが、
この曲をヒットさせたレスリー・ゴアは、
ちょっときつそうなヤンキーねえちゃんという感じ。
中学の英語の教科書に出てくる
アメリカンファミリーのお母さんみたいな髪型を
していて、ちょっとおばさんっぽいのだが、
この頃はまだ10代だったという。
これはカバーだが彼女のデビュー曲で、
同時に、かの大プロデューサー、
クインシー・ジョーンズの若き日の
初プロデュース曲でもあった。
歌詞のストーリーは、
誕生日パーティーで恋人のジョニーがいなくなり、
一度消えて再び姿を現したジュディという女の子が
「彼の指輪をはめている」。
なんてこと!
それで「これは私のパーティー、泣きたくなったら泣くわ」
とリフレイン。
この時代の日本のレコード会社は、
女性歌手が歌っていれば、
内容に関わらず、なんでもかんでも
「悲しき○○」「涙の○○」「天使の○○」
という邦題をつけたがる傾向があった。
でもまぁ、この歌は確かに
「涙のバースディ・パーティ」だよねと納得。
女の子の失恋ソングだが、
クインシー・ジョーンズは、それを頭からノリノリの
明るいポップナンバーにアレンジ。
後世の人々が愛してやまない名曲に仕上げた。
ちなみに欧米でも、
誕生日をパーティーで祝う習慣が出来たのは、
20世紀に入ってからだという。
日本ではおそらく戦後から始まった習慣で、
まだ100年にもならない。
そう言えば僕も友だちが集まって
ワイワイやることはあったが、
家族に誕生日パーティーなんて
やってもらったことはなかった。
クリスマスとおんなじで、
「お誕生日おめでとう!」なんて言われると、
いまだにお尻がもぞもぞしてしまう。
明日9月15日は「老人の日」。
え、敬老の日じゃないの?
いえ、それは祝日法改正によって2003年(平成15年)から9月第3月曜日に変更された。
今年は来週月曜18日が「敬老の日」になる。単に3連休としか認識していない人も多いけど。
敬老の日は長寿を祝い、お年寄りを敬う日だけど、祝日から転落した「老人の日」は記念日として残されたのはいいけど、どんな役割を果たすのか?
超高齢社会の進展、100年ライフの浸透で、
老人の概念はこの20年の間にずいぶん変わった。
そもそも「老人」という言葉をあまり聞かなくなった。
今、高齢の人に「あなたは老人ですね」
なんて言ったらぶん殴られるかもしれない。
でも逆にじいさん・ばあさんが自分から
「おれはロージンだぜ」
「あたしゃロージンだよ」
なんて啖呵を切ったらカッコいいかもしれない。
この本のタイトルは、
かつて「さいたまゴールドシアター」という
高齢者劇団を率いた演出家・蜷川幸雄さんのセリフ。
ライフシフトの時代、
客観的年齢と主観的年齢は一致しない。
ロージンが舞台に立ち、スポットライトを浴びるのは
もう特別なことではなくなりつつある。
毎月13日は、6つの和食メーカーが制定した
「一汁三菜の日」。
「13」を分解して、いち、じゅう、さん。というわけ。
いろいろな料理を組み合わせて、
さまざまな栄養素がバランスよくとれる「一汁三菜」
(主食・汁物・主菜・副菜・副々菜)は
和食の基本形であるとともに、食事の理想形。
和食文化は2013年(平成25年)12月に
「和食:日本人の伝統的な食文化」として
ユネスコ無形文化遺産に登録され、
世界的にも注目されている。
とまか、そこまでしゃちほこはらないでも、
日本の食べ物は十分美味しく、
世界に自慢できるものばかり。
毎日コンビニ弁当を食ってても、
僕らは世界から「美食民族」と見做されているのだ。
そして本日のデザートには、
くだもの王国・岡山のお取引先から
いただいたブドウ。シャインマスカットとピオーネ。
おいしい秋到来で夏バテ撃退!
もう一つ、デザートにおいしく楽しく、
ちょいとスパイスを効かせた
「食べるエッセイ集」はいかが?
ただいま2冊刊行中。
京アニ放火殺人事件の初公判とジャニーズ事務所の
記者会見が話題になった今週。
会見を聞く限り、ジャニーズ事務所は
「児童虐待」「人権蹂躙」の深刻さが
イマイチわかっていない。
これは事務所だけではない。
先日、テレビがやっていた一般人への街頭アンケ―トでは
「べつに社名を変える必要はないんじゃね?」
という意見が圧倒的に多かった。
こういうところはやっぱり
日本は時代の進化・国際基準から取り残された
「ガラパゴス」と言われても仕方ない。
ジャニーズの歌やダンス、演技に関する技術は
日本のエンタメの世界では確かに
ハイレベル・ハイクオリティだと思うが、
ここまで問題が大きくなり、
改革案もあの程度の甘さで、
単なる精神論で乗り切ろうとしているのを見ると、
この先、海外進出は絶望的で、
ガラパゴスの中で生き延びるしかなさそうだ。
ファンもマスコミも、大勢保護者がついているので
当分の間はなんとかなるのかもしれないが、
なんだかこの半世紀余りの日本の芸能の歴史も
モヤモヤした暗闇に包まれて見えてくる。
京アニ事件の青葉被告も
虐待から生まれたモンスターだという。
彼は過酷な体験を克服するために
「自分はクリエイターである」という妄想に入り込み、
その妄想が行動原理になって
あんな大事件を起こしたのではないかと思われる。
「トラウマだの、アダルトチルドレンなどと
いった考え方にこだわるな。忘れろ」という人もいるが、
人はいくつになっても、
子ども時代の記憶を呼吸して生きている。
認知症にならない限り、死ぬまで。
いや、認知症になっても、それは心の芯に食い込んで
怒りや悲しみの言動となって現れる。
日本人はそうした認識がまだ全然足りない。
じつは欧米の方が、児童虐待に関しては先進国だ。
現在の資本主義社会の発達は、産業革命時代に
好きに子供を働かせ、虐待し、搾取したのが
要因になっているという一面がある。
そこでどうにか生き延びて大人になった
1~2割ぐらいの子どもたちが、
また同じことを繰り返して資本主義社会は巨大化してきた。
要するに労働者の子供は奴隷と同じだったのである。
欧米はどうやらそれを反省し、
今になってやっと児童虐待・人権を重視するようになった。
幕末から明治にかけて日本を訪れた欧米の知識人は、
日本人がとても子どもを可愛がるのを見て驚き、
「日本は妖精の国」という報告書を
本国に送った人もいるくらいだ。
だからと言って、
日本は「もともと悪いのはおまえらじゃん」
なんて、もちろん食って掛かるわけにはいかない。
資本主義の恩恵を賜って豊かになった以上、
そうした欧米の負の歴史も他人ごとでなく、
ちゃんと自分事として取り込んで変化して、
この先に進む必要があるのではないかと思う。
最寄り駅のホームから見える飲食店ビルの3階に
音楽バーがある。
その看板には「60年代・70年代のイカした音楽をアナタに」
とメッセージ。
これがなぜかいつも「イカれた音楽をアナタに」
と読めてしまうのだ。
つまり僕はイカした音楽よりも
イカれた音楽の方が好きなのだろう。
というわけで今日は抜群にイカれている
ロックの暴走列車、グランド・ファンク・レイルロード、
1973年の全米ナンバー1ヒット「WE are an American Band」。
GFRと言えば、かつてすごい伝説に包まれた
ハードロックの雄だった。
たとえばデビューの頃、
当時人気絶頂のレッド・ツェッペリンの前座を務めた際、
そのパワフルな演奏で観客を圧倒してアンコールの連続。
完全にツェッペリンを食ってしまった。とか、
1971年の初来日公演では後楽園球場
(現・東京ドーム、もちろんこの頃は屋根なし)で
雷鳴が響き、豪雨が降りしきる嵐の中で演奏し続けたとか。
僕の中学のロックの先輩たちにとって、
そんな伝説をつくり上げた英雄で、
ひたすらパワーで押しまくるGFRは、
今どきの表現ならまさしく「神バンド」で、
ハードロックと言えば、
クリームよりも、レッド・ツェッペリンよりも、
ブラック・サバスよりも、ディープ・パープルよりも、
まずグランド・ファンク・レイルロードだった。
そんなにすごかったバンドだが、
50年経ってみると、音楽的評価・格付け・知名度は、
完璧なロックレジェンドとして君臨する
レッド・ツェッペリンは別格としても、
上記のバンドよりだいぶ落ちると言わざるを得ない。
なんて言ってデイスったりすると、
「てめー、何言ってやがんだ」と
あの先輩方に怒られるかもしれないのでやめておこう。
僕自身もGFRはマイフェバリットとは言い難いが、
それまでの「ハートブレイカー」や「孤独の叫び」などの
シリアス路線から思い切り方向性を変えた
この「アメリカンバンド」は大・大・大好きだ。
誰もが楽しめる、底抜けに陽気でポップな
ハードロックの傑作。
聴けば聴くほどイカれた歌と演奏は最高だ。
天才少女ドラマーのよよかちゃんも
ノリノリでこの曲をやっている。
初めて観たのは、まだ5歳かそこらだったが、
どんどん成長してドラムもよりパワフルに。
楽しく、可愛く、世界へ羽ばたけ。
仕事が一段落し、しばし猛暑から解放されたので、
義母を連れて阿佐ヶ谷をぶらぶらしに行く。
アンティーク雑貨店のショーウィンドウに
全身アメリカンファッションのマネキンを見て、
義母と同い年(昭和10年=1935年生まれ)の
叔母のことを思い出した。
小学校の低学年の頃まで数年間、一緒に住んでいて、
甥である僕をずいぶん可愛がってくれた。
アメリカ大好きな人で、
結構ハイカラな考え方・ライフスタイルを持っている
叔母だった。
彼女がティーンエージャーだった時代、
日本はGHQ=ほぼアメリカの占領下だった。
ただし彼女が若い頃は、まともな日本人の女は、
もちろんこんな格好はできなかった。
GHQが去り、高度経済成長が始まって、
彼女は新しく生まれた自由な戦後世代を
羨望の目を持って見ていたイメージがある。
ガキだった僕を相手に
「わたしももう10年遅く生まれていれば・・・」と
呟いていたことをいまだに憶えている。
小学校の高学年になる頃には、
もう離れて住むようになっていたし、
両親もあまり彼女のことを話さなかったので、
その後の叔母の人生はよく知らない。
僕は漠然と、
いずれ彼女はアメリカに移住するのだろうと思っていたが、
まだ一般庶民がそう簡単に海外に行ける時代ではなかった。
その代り、というわけではないが、
中年になってちょっとお金持ちのおっさんの後妻になった。
その叔母は兄である父より先、15年ほど前に亡くなった。
亡くなった時は独身だった。
結婚はあまりうまくいかなかったのか?
その辺の事情は結局わかかずじまいだ。
わかっているのは彼女にとって、
憧れていたアメリカは最期まで遠い地だった、
ということだけだ。
自分も大人になってわかったが、
まだチビの甥や姪というのは、自分の息子・娘と違って、
割と無責任に甘やかし、可愛がれる、
オモチャやペットのような存在だ。
たぶん僕の中にはあの叔母に甘やかされたことが、
のちの女性観にも影響しているのではないかな、
と思うことがある。
思いがけず面影がよみがえったこの叔母の供養のために、
何か彼女をモデルにした話を書こうと思っている。
1989年リリース。90年代のダンスミュージックの女王・
リサ・スタンスフィールドの
デビューアルバム『アフェクション』の挿入歌。
「This Is The Right Time」や「All Around the World」が
大ヒットしたが、僕はこの歌が一等好きだった。
この頃は日本もバブル景気で大盛り上がりしていた時代で、
ディスコ(この頃はもうクラブって言い方をしてたっけ?)でも、こうしたゴージャス、かつ、
お洒落なダンスミュージックが本流だった。
今振り返って聴いてみると、
僕らがよく踊っていた70年代・80年代より
同じR&B系の曲でも格段に洗練され、
ダンサブルになっていた。
それが好きかどうかは、また別問題だけど。
ただ、リサ・スタンスフィールドはとにかくカッコよくて、
CDも買ってよく聴いていた。
こうしてライブを見ると、バックの演奏も最高だ。
ディスコ(クラブ)に通ったのは、この頃までだった。
芝浦の「GOLD」が最後だったように記憶している。
バブルとともに去りぬ、というところか。
29日から3日間、東京ビッグサイトで
「エンディング産業展2023」の取材をした。
インパクティブだったのは、有限会社統美のブース。
納棺師が使う保存用品・メイク用品などを開発・販売。
「人は死んだら(遺体は)どうなるか」を
ユニークなイラストで表現し、来場者に伝えている。
本来、葬儀・供養業者向けのビジネスイベントだが、
半分は、介護・看護・終活・空き家・遺品・相続など、
ソーシャル系問題のソリューション提案。
超高齢化社会、多死社会が進み、
人は嫌でも向き合わなくてはならない時代になった。
日本のエンディング産業は、世界でも注目されており、
今回の展示会には中国・台湾・韓国などから
視察隊が大勢来ていた。
ちなみに中国では近年、2008年の映画
「おくりびと」がリバイバルヒットしており、
「納棺の儀」などにも興味が集まっている。
日本だけでなく、多くの豊かな国が
老いと死の問題に直面しつつある。
夏目漱石の「坊ちゃん」を初めて読んだのは
小4か小5のときだった。
以来、何度か読んで、
最後はいつだったのか思い出せないが、
多分、高校生の時以来だろう。
ご存じ、江戸っ子口調の名調子。
これほど痛快で印象的な一人称の語り口は、
この作品とサリンジャーの
「ライ麦畑でつかまえて」ぐらいだ。
図書館のヤングアダルト文庫の棚で
ふと目にすると、あのべらんめえ文体が脳裏によみがえり、
手に取って読みたくなったのだ。
★なぜマドンナが表紙を飾るのか?
表紙にはマンガっぽいイラストで
主人公の坊ちゃんとマドンナが描かれている。
近年、なぜか「坊ちゃん」というと
表紙にマドンナが登場するパターンが多い。
内容を知らない人、
あるいは昔読んだがよく憶えていないという人は、
赴任先の松山で、名家のお嬢さんであるマドンナと
坊ちゃんが出会い、憧れ、恋をする、
というストーリーを思い描くかと思う。
ところがこれはまったくの誤解で、
主人公はマドンナに何の感情も持たない。
むしろ「うらなりから赤シャツに寝返った女」として
あまり良い感情を抱かないと言ってもいいぐらいだ。
出版社は「明治の青春小説」と銘打っているし、
明治ファッションの女性は飾りになるので、
ほとんど活躍の場がないマドンナを
表紙に載せたがるのだろう。
誤解するのは読者の勝手というわけだ。
昭和以降、特に戦後の青春小説・青春マンガには
この「マドンナ」という、男の女性幻想をかたちにした
偶像が頻繁に登場するようになった。
果ては歌謡曲のタイトルになったり、
アメリカの歌手が自分でそう名乗ったりしたので、
一般的にすっかり定着したが、
明治の頃は西洋画に精通した人以外、
マドンナなんて初めて聴く言葉で、
意味など知らないという人が大半だったと思われる。
だから日本人にマドンナの
「聖母・聖女=清く、美しく、愛し尊敬すべき女性」という
イメージを植え付けたのは、
漱石作品の中でも最も人気が高い
この小説だと言っても過言ではないだろう。
★マドンナは清さん
しかし、この定義からすれば、
坊ちゃんから見るマドンナは、
子供の頃から可愛がってくれ、
惜しみない愛情で支えてくれた清さんの方である。
そう言えば、僕が小学生の時に初めて読んだ本の表紙には、
坊ちゃんが見上げる空の向こうには、
ちょっとだけ微笑む和服姿の清さんが描かれていた。
しかし、清さんは若くてきれいなお嬢様ではなく、
坊ちゃんの家の下女、住み込みのお手伝いさんで、
しかもけっこう年寄りである。
この小説の登場人物は、主人公をはじめ、
一人も年齢が特定されていないが、
物語の舞台が発表時の
明治39年(1906年)あたりだとすると、
ほとんどは明治生まれ・明治育ちの人たちである。
ただ一人、清さんは明治維新を体験した人だ。
武士の名家の出身らしいが、
「瓦解(明治維新)の時に零落して、
ついに奉公までするようになった」というから、
おそらく50代後半~60代前半である。
いまと違ってもう立派なお婆さんだ。
しかも人生の辛酸をなめた元・お嬢さまの。
子ども頃から可愛がってもらっているのだから、
母や祖母のように慕うのはわかるが、
坊ちゃんの清さんへの感情は、
そうした家族に対するものとはまたちょっと違う。
さりとて恋愛でもない。
もっと齢が近ければ、そうなり得たかもしれないが、
あまり生々しさを伴わない、尊敬の念を交えた、
女性という偶像に対する愛情が混じっている。
子供の頃は母以上に彼を可愛がった清さんは
坊ちゃんの将来に夢を託し、
おとなになったら面倒を見てもらおうと思っている。
そういう意味では彼女の愛もけっして純粋なものではなく、
ギブアンドテイクの関係と言えなくもない。
ただし、成長した坊ちゃんは、
自分に期待を託す彼女の言うことは、かなりおかしく、
贔屓の引き倒しで、現実離れしていることに気付く。
「こんな婆さんに逢ってはかなわない。
自分の好きな者は必ずえらい人物になって、
嫌いな人はきっと落ちぶれるものと信じていた」
「婆さんは何も知らないから、年さえとれば
兄の家がもらえると信じている」
「(学校を)卒業すれば金が自然とポケットの中に
湧いてくると思っている」
などと冷静に分析し、
“もとは身分のある者でも、
教育のない婆さんだから仕方がない”清さんの
無知ぶり・夢みる少女ぶりにあきれ果てている。
それでも坊ちゃんは清さんを嗤ったりは絶対しない。
彼にとって、知識量・情報量は、
人間的な価値とは決して比例しないのだ。
子供の頃、読んだときは気が付かなったが、
この二人のやりとりは本当に面白く、笑えて哀しく、
清さんはめっちゃ可愛い。
松山で教職に就き、不快な目に会うたびに坊ちゃんは、
そんな清さんの人間的な気品・尊さに思いを巡らせるが、
痛快なストーリーの裏側で、
こうした女性への愛とリスペクトの念があるからこそ、
この小説を単なる面白ばなしでなく、
奥行きと味わいの深いものにしている。
★時代に取り残される坊ちゃん
「坊ちゃん」の読み方の一つとして、
「時代に適応できる者とできない者の物語」
という視点がある。
前者は、話の中で悪人とされる赤シャツや野だいこであり、
後者はとっちめる側の正義の坊ちゃんや山嵐だ。
マドンナも、坊ちゃんからは
うらなりから赤シャツに寝返った、
およそマドンナらしくない女と見做されるが、
彼女は若かりし頃の清さんと同じ立場にある。
この時代の女性の社会低地位は低く、
生き方は今と比較にならないほど制限されていた。
没落寸前の名家の娘として、
いくら身分があるとはいえ、
世渡り下手・自己主張ベタ・まじめなだけで面白くない
許嫁のうらなりよりも、
既に教頭職を得て、将来有望、しかも話術に長けていて
楽しませてくれそうな赤シャツのほうになびくのも
しかたがないところだろう。
下手をすれば清さんと同じく、
零落の道に転がり落ちることになるので必死なのだ。
マドンナとあだ名をつけられて、
男性の夢を壊さないよう、ホホホとおとなしく
笑っているわけにはいかない。
マドンナファンには申し訳ないが、
もしかしたら、彼女の方が赤シャツに目を付け、
誘ったのではにかとさえ思える。
楽しくて痛快な「坊ちゃん」だが、
この明治後期、時代は変わり、
価値観も急速に変わっていた。
よく読むと、それを表現するかのように、
この物語は別れの連続だ。
母が死に、父が死に、生れ育った家は人手にわたり、
兄とも別れ、いわば天涯孤独の身の上になる。
松山ではうらなり(坊ちゃんは彼を人間的に
上等と評価している)を見送り、
赤シャツ・野だいこを叩きのめして訣別するが、
相棒で親友になった山嵐とは新橋で別れる。
ちなみに幕府軍として
明治政府と最後まで戦った会津出身の山嵐は、
江戸時代のサムライ精神の象徴とも取れる。
そして帰って来た彼を涙ながらに出迎えてくれた
マドンナ清さんも、
それからいくらも経たないうちに肺炎で死んでしまう、
坊ちゃんは本当にひとりぼっちになってしまうのだ。
★坊ちゃんは何歳なのか?
今回、読み返してみて、最大の疑問として残ったのは、
この物語を語っている時の坊ちゃんは、
いったい幾つなのだろうということ。
東京に帰って来た彼は街鉄(電車)の技手になり、
清さんと一緒に暮らし始めたもののが、
最後に清さんは「今年の2月に死んでしまった」とある。
ニュアンス的に、仕事に慣れ、生活も落ち着いてきた矢先に
亡くなってしまったと読めるから、
新しい仕事に就いてから1,2年後くらいだろうか。
そしてそれから半年ほど経ってから、
自分の人生を振り返った時、
松山での経験と、清さんという存在の大きさを
語ってみたくなったということだろう。
だとしても、坊ちゃんはまだ20代の溌剌とした若者だ。
その後、彼がどうしたのか、
兄や山嵐と再会する機会はあったのか、
結婚して家庭を持ったのか、興味津々である。
でもきっと、どれだけ年をとっても
この物語のような名調子は消えなかっただろう。
坊ちゃんという人物は、時代に適応できない者の代表格で、
自分の価値観に固執するあまり、教職を失ったが、
それでも新しい職を得て、一人でも生きる道を見出した。
★死ぬまで続く名調子
この頃と同じく、
最近も時代に合わせる
必要性・適応する柔軟性が強調されるが、
人間だれしも、
生まれながらの「自分のリズム」を持っている。
それをないがしろにして、周囲に合わせようとすると、
やっぱりろくなことにならないのではないか。
たとえ得になる生き方だとしても、
損をしない人生だとしても、
それが自分のリズム・語り口・文体と相いれないものなら
気持ち悪くて、長続きなどしない。
世間に通用してもしなくても、
坊ちゃんのように自分のべらんめえを並べ立てて
生き抜いた方がうんと気持ちいいのではないだろうか。
気分が凹んだときの活力剤として、
「坊ちゃん」は、はるか1世紀を超えた過去から
今でも僕たちにいろんなことを教えてくれていると思う。
いつの間にか、日が短くなり、
朝晩はマツムシが鳴いているのに気付く。
今年も淡々と夏を過ごして
特に思い出に残るようなことはしていないが、
なぜか夏の終わりになると、
いろいろな感情が心のうちに押し寄せてくる。
1970年リリース、サンタナの名盤「天の守護神」の挿入歌。
オリジナルはニューヨーク出身の音楽家で「マンボの王様」
と言われたティト・ブエンテの楽曲。
ジャンルとしてはキューバ発祥の音楽
チャチャチャの曲だったが、
サンタナが斬新なアレンジを施してカバー。
ラテンロックという新たなジャンルの代表曲として、
世界中で聴かれるようになった。
サンタナは、ギタリスト
カルロス・サンタナをリーダーとするバンド名だが、
このグループの楽曲には思い出がある。
初めて東京に出てきた1978年の夏から秋にかけて、
生まれて初めて水商売のバイトをした。
池袋西口の繁華街・ロマンス通りの「ロサ会館」
というビルの地下にあった「サムシング」という店だ。
当時はバーでもスナックでも、
店にウィスキーのボトルをキープ(マイボトル)することで
自分の行きつけの店を作り、というか、
店側のシステムに乗っけられて酒を飲むのがトレンドだった。
なので酒飲みのおっさんたちはみんな、
自分がどれだけマイボトルを持っているか
自慢し合っていた。
ここもそうしたボトルキープの店で、
僕は黒服を着てウェイターをやっていたが、
あまり水商売らしくない店長と、
いかにも水商売やってます風の副店長と、
キツネ型とタヌキ型の女の子コンビと、
5人で回す日が多かった。
マイボトルに関する裏話は面白いが、
またの機会に。
名称はパブ「サムシング」。
パブと言っても英国のパブとは大違いで、
ちょっとした食事もできる、
やや大きめのバーのことを
当時の日本ではそう呼んでいたのだ。
特徴としては、ディスコというほどではないが、
10人程度なら踊れる、ミラーボール付きの
小さなダンスホールがあった。
何と言っても70年代、昭和後期の池袋なので、
ちょっと怪しい客が多く、
この店には演歌の世界に出てくるような
わけありカップルが大勢来ていて、
よくチークダンスを踊っていた。
女を酔っぱらわせて、そのまんま近所のラブホに
連れ込む男もほぼ毎日いたと記憶している。
もう一つの特徴は、専属のバンドがいて、
30分おきに生演奏を披露していたこと。
このバンドのレパートリーの半分くらいがサンタナだった。
この曲を初め、
「君に捧げるサンバ」「ブラックマジックウーマン」
「哀愁のヨーロッパ」(チークタイムの定番!)などを
いつも演奏しており、未だに耳に残っている。
なのでサンタナを聴くと、あの店の客やスタッフのこと、
そこで起こったいろいろな出来事を思い出すのだ。
働いていたのは3カ月か4ヵ月程度だったが、
いろいろ社会勉強・人生勉強をさせてもらって、
今では感謝の気持ちを持って思い出す。
というわけで、
実際のサンタナとは全然ちがう話になってしまったが、
この映像はオンラインで世界各地の音楽家を結ぎ、
みんなで名曲を協奏するというプロジェクト
「プレイング・フォー・チェンジ」によるバージョン。
サンタナのロックテイストにプラス、
オリジナルであるチャチャチャのニュアンスも
色濃く出ていて、めっちゃカッコいい。
「僕のリズムを聴いとくれ」という邦題がぴったりだ。
もちろん、南国の空に響き渡る
カルロス・サンタナのギターソロは圧巻。
あのサムシングのバンドリーダーは、
今もまだサンタナを聴いてギターを弾いているのだろうか?
17日間連続となった夏休み無料キャンペーンは
本日16時を持って無事終了。
ご購入いただいた方々、ありがとうございました。
よろしければレビューをお寄せください。
今後も月1ペースでKindleで小説・エッセイを
UPしていく予定です。
今後ともよろしくお願いいたします。
夏はまだまだto be continue。
岡山県真庭市・湯原温泉郷の「はんざき祭り」は、
本日が本祭。
「ハンザキを喰った話」なんて本を書いていたのに、
こんなお祭りが60回も行なわれてるなんて、
ついこの間までちーとも知らなかった。
ちなみに本来は8月7日が前夜祭、8日が本祭。
今年は台風接近のリスクを避けて日程を変更した。
今年は無理だったが、いつか行きたい。
ハンザキ愛にあふれた湯原温泉郷の人たちのお話を
ぜひ聞いてみたいと思う。
じつは「ハンザキを喰った話」は、
岡山でなく他県のハンザキ生息地の人のお話を
モチーフに書いた。
どう見てもグロいとしか思えない地球最大の両棲類だが、
日本各地において、その“グロかわいさ”は
時代を超えた人気を獲得し、
歌に、キャラクターに、お土産物に、お祭りに
大活躍している。
まさに日本の誇り、日本の宝。
そしてどこかSDG'sのシンボルのようにさえ見え、
世界中から愛される勢いさえ感じられる。
これからの時代、ますます
ハンザキ、ハンザケ、オオサンショウウオに注目だ。
はんざき祭り開催につき、さらに延長
親子で読もう!
夏休み無料キャンペーン最終弾
ハンザキを喰った話
8月24日(木)15:59まで
オオサンショウウオに変態した100歳の発明家をめぐる怪異幻想譚。
岡山県真庭市・湯原温泉はんざき祭り開催につき、
さらに延長
親子で読もう!夏休み無料キャンペーン最終弾
ハンザキを喰った話
8月22日(火)16時~8月24日(木)15:59まで
ハンザキに変態した発明家をめぐる怪異幻想譚。
はんざき祭りは本日前夜祭。明日本祭。
光り輝く黄金のハンザキが温泉街を練り歩く!
認知症、あるいは認知症介護が
現実のものになると人生観が変わる。
先日、「回想療法士」を取材した。
回想療法とは古い写真などを見て、
認知症患者、また認知症でなくても元気のない高齢者と
いっしょに思い出を共有するというメソッド。
通信講座で取れる民間の認定資格だが、
ルールを覚えればそう難しいものでもなく、
たとえばカラオケで懐メロを歌うだけでも
回想療法になるらしい。
ただし療法といっても、これで認知症が治るわけではない。
予防になったり、
軽度の段階なら進行を遅らせることは可能らしく、
その辺もまだ研究の最中ということだ。
僕が取材した人たちは回想療法を活かした
商品を作っているのだが、
病院や介護施設の一部でも活用されているらしい。
ちょっと前まで認知症は、痴呆症、老人ボケなどと言われ、
これになったら半死人、ほとんど廃人みたいな扱いだった。
そうした認識がこの10年ほどの間に激変した。
理由は簡単で、当事者、
つまり自分ごとと考える人が増えたからだ。
他人ごとのうちはボケとか軽口を叩いたり、
廃人扱いしても心が痛むことなどなかったが、
身内や大切な人が発症して介護者になったり、
自分自身もなるかもと考えると、そうはいかない。
いまや認知症はポピュラーになり、
嫌な言い方かも知れないが、
多くの人のビジネスのネタになるようになった。
認知症をネタにした本を書いている僕も
その一人といえる。
次の段階としては、これからまだまだ増えるであろう
認知症患者を、どう役に立つようにするかが、
大きな社会課題になっていくだろう。
親子で読もう!
夏休み無料キャンペーン第6弾
ざしきわらしに勇気の歌を
8月22日(火)16時59分まで
認知症になった寅平じいさんの人生最後のミッション。それは最強の妖怪「むりかべ」に立ち向かうざしきわらしのきょうだいを得意の歌で応援することだった。笑ってちょっと不思議な気持ちになる、妖怪幻想譚。
好評につき延長
親子で読もう!夏休み無料キャンペーン第6弾
「ざしきわらしに勇気の歌を」
8月20日(日)17時~8月22日(火)16時59分まで
認知症になった寅平じいさんの人生最後のミッション。
それは最強の妖怪「むりかべ」に立ち向かう
ざしきわらしのきょうだいを
得意の歌で応援することだった。
笑ってちょっと不思議な気持ちになる、妖怪幻想譚。
1979年、オンシアター自由劇場が上演した音楽劇
「上海バンスキング」のテーマ曲。
昭和10年代(1930年代後半から40年代前半)の
上海租界を舞台に、
享楽的に生きるジャズマンをめぐる物語で、
劇中演奏されるのはジャズのオールドナンバーだが、
オープニングとクロージングを飾るこの曲はオリジナル。
主人公のまどか役で歌手の吉田日出子は
小劇場界では名の知れた魅力的な女優だったが、
この芝居まで歌手としての経験はほとんどなかった。
また、ジャズマンたちも串田和美(シロー)や
笹野高史(バクマツ)をはじめ、楽器は素人同然。
にもかかわらず、演奏はノリにノってて素晴らしかった。
それはもちろん、この物語がとてつもなく面白く、
感動的だったからである。
僕は「上海バンスキング」の初演を見た。
当時、オンシアター自由劇場の拠点劇場は、
外苑東通りと六本木通り(首都高3号)とが交わる
六本木交差点からすぐ近くの雑居ビルの地下にあった。
キャパ100人の小さな劇場(というよりも芝居小屋)には
観客が溢れかえり、
広さ8畳程度の狭い舞台には、
主演級の他、楽器を携えた楽団員役を含め
20人を超えるキャストが出入りして熱演した。
あんな狭いところでいったいどうやっていたのか、
思い出すと不思議で仕方がない。
舞台となるのは、まどかとシロー夫妻の家の広間だが、
舞台セットなどは椅子とテーブルがあるだけ。
そこが突如ジャズクラブに変貌したりするシーン構成、
いろいろな登場人物が錯綜するストーリー展開、
そして時代が日中戦争、さらに太平洋戦争へ続いていく
ドラマの流れは、リアリズムをベースに、
時にファンタジーが入り混じり、
さらに歴史の残酷さを描き出す叙事詩にもなるという、
舞台劇の醍醐味に満ちていた。
ジャズと笑い・ユーモアに彩られながらも、
「上海バンスキング」はけっしてハッピーな物語ではない。
後半は戦争の暗雲が登場人物たちの人生を狂わせていき、
終盤、自由を、仲間を、そして音楽を失ったシローは、
アヘンに溺れ、やがて廃人になってしまう。
変わり果てた夫を抱きしめて、まどかは最後に
「この街には人を不幸にする夢が多過ぎた」と呟く。
ひどく苦い結末を迎える悲劇なのだが、
追憶の中、二人の心によみがえる「ウェルカム上海」は、
思わず踊りだしたくなるほど陽気で軽やか。
その楽しいスウィングは、
同時に哀しく美しい抒情に包まれる。
劇作家・斎藤憐はこの作品で
演劇界の芥川賞とされる岸田國士戯曲賞を受賞。
オンシアター自由劇場は
1979年の紀伊国屋演劇賞団体賞を受賞。
再演するごとに人気は高まり、
キャパ100人の劇場は連日満員で客が入りきらなくなり、
やがて大きな劇場で何度も再演されることになる。
それまで演劇など見たことのなかった人たちでさえも
虜にし、1984年には、深作欣二監督、
松坂慶子・風間杜夫の主演で映画化。
20世紀の終わりまで上演され続ける
日本の演劇史に残る名作になった。
オールドファンとしては、
吉田日出子をはじめとするオリジナルキャストの
歌・演奏・演技はあまりにも印象的で忘れ難いが、
新しい若いキャストで今の時代に再演しても
ヒットするだろうと思う。
不幸のリスクを背負っても夢を求めるのか、
夢など見ずに幸福(というより不幸ではない状態)を
求めるのか、
いつの時代も、いくつになっても、
人生の悩みと迷いは変わらないのだ。
もう一度、舞台で「ウェルカム上海」を聴いてみたい。
夏休み無料キャンペーン第5弾
「ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力」
8月20日(日)16時59分まで
ポップミュージックが世界を覆った時代、ホームビデオもインターネットもなくたって、僕らはひたすら妄想力を駆使して音楽と向き合っていた。
心の財産となったあの時代の夢と歌を考察する音楽エッセイ集。
おりべまこと11日間連続
親子で読もう!夏休み無料キャンペーン第5弾
「ポップミュージックをこよなく愛した
僕らの時代の妄想力」
8月18日(金)17時~8月20日(日)16時59分
ロックが劇的に進化し、ポップミュージックが
世界を覆った時代.
ホームビデオもインターネットもなくたって、
僕らはひたすら妄想力を駆使して音楽と向き合っていた。
僕らのイマジネーションは音楽からどれだけの影響を受け、
どんな変態を遂げたのか。
心の財産となったあの時代の夢と歌を考察する
音楽エッセイ集。
もくじ
●八王子・冨士森公園のスローバラード駐車場で、
ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力について考える
●純情ストーカー男と純心DV願望女の昭和歌謡
●悲しいことなんてぶっとばすロックンロールバンドのモンキービジネス
●21世紀のビートルズ伝説
●義弟のアナログレコードと帰ってきたカレン・カーペンター
●森田童子の思い出:僕らの時代の子守唄
ほか全33編
事件の真相は、初恋の中に沈んでいる――。
宣伝コピーがカッコいい「ザリガニの鳴くところ」は、
全世界で累計1500万部を売り上げた
ディーリア・オーエンズの同名小説の映画化。
1969年、ノースカロライナ州の湿地帯で、
将来有望な金持ちの青年が変死体で見つかる。
殺人事件の容疑者として逮捕されたのは、
「湿地の少女」と呼ばれる孤児の女の子。
彼女を裁く陪審員裁判で事件の真相が明かされていく。
しかし、本当の真実が明かされるのは
それから半世紀のちの現代(映画のエピローグ)。
人生の結論はすぐには現れず、
目に見えないところに深く沈み、
思いがけない時に浮かび上がってくる。
原作小説は一昨年、読んでいた。
作者のオーエンズは動物学者で、
その知見をふんだんに活かし、
湿地の生態系について詳しく描写しており、
それと人間ドラマとがブレンドされて、
詩的でスケールの大きな物語になっている。
湿地という土地自体がミステリアスで、
様々な暗喩に満ちており、
人間の心のなかの世界を表現しているかのようだ。
ただ、ミステリー映画という頭で見ると、
正直、論理的に甘い部分が気になるかもしれない。
冒頭の宣伝コピーも
実際の内容とはちょっとズレてる感じが否めない。
映画化に際してストーリーは単純化され、
殺人事件の真相解明に焦点が絞られているが、
アメリカ社会に深く根を張った
児童虐待・家庭崩壊の問題も
もっと突っ込んで描いてよかった気がする。
アマプラで見た(今でも見られる)が、
陸と海との境界となっている雄大な湿地帯の風景と、
そこで暮らす人々のライフスタイルは、
映画館のスクリーンサイズで見たかった、という印象。
その映像をバックにしたプロローグとエピローグの
ナレーションもしびれるほど詩的でイマジネーティブ。
「ザリガニの鳴くところ」というタイトルの意味も分かる。
そして、ラブシーンがいい。
ドラマの文脈、映像の美しさ。
若い俳優さんがあまり美男美女過ぎないのもいい。
こんなきれいなラブシーンは久しぶりに見た気がして、
年甲斐もなく、ムズムズソワソワしてしまった。
夏休み無料キャンペーン 第4弾
ちち、ちぢむ
8月18日(金)15時59分まで
ろくでなしだけど大好きなお父さんが
「ちっちゃいおじさん」に!
人新世(アンドロポセン)の時代を生きるアベコベ親子の奇々怪々でユーモラスな冒険と再起の物語
親子で読もう!
夏休み無料キャンペーン 第4弾
ちち、ちぢむ
8月16日(水)16時~8月18日(金)15時59分
ろくでなしだけど大好きなお父さんが
「ちっちゃいおじさん」に!
将来、生物学者をめざす秀才ケントは、
これはオタマジャクシの時よりも小さくなってしまう
アベコベガエルと同じく、
アポトーシス(細胞の死)による
変異が起こっていると解析。
社会の役に立たないハンパな男たちが
こぞって縮んでしまう怪現象は、
人類による環境破壊を阻止しようとする
地球の意志なのだろうか?
人新世(アンドロポセン)の時代を生きる
アベコベ親子の奇々怪々でユーモラスな冒険と再起の物語。
終戦記念日。
日本人として78年前のあの惨劇に向き合う日。
――というのは正論だが、
「戦争を知らない子どもたち」が
8割以上を占めてしまった今の日本では、
なかなかできないことだろう。
そんな時にこの本をおススメ。
戦争に負けたからと言って日本が滅ぶわけでも、
日本人が皆殺しにされるわけでもない。
みんなの人生は続くし、国も世界も続く。
8月15日だって玉音放送を聞いて、
日本国民が全員、泣き崩れ、
茫然自失していたわけでもない。
負けたと分かった瞬間から復興は始まったのだ。
戦後の復興について知るのに、
政治や社会情勢から入るのは厳しいが、
映画・演劇・音楽・出版・スポーツなどの
娯楽の分野からなら入りやすいのではないか。
この本はタイトル通り、
1945(昭和20)年8月15日以降の4ヵ月半の間、
映画・演劇・音楽・出版・スポーツなど、
各分野の文化の担い手たちがどう再起し、
娯楽産業を復興していったかの記録だ。
著者の中川右介は、文学・音楽・映画などの
評伝・評論を書いている人で、
膨大な資料を調べ上げ、
あくまで客観的な事実を重視したスタンスと、
むやみに感動を煽ったりしない、
淡々としたジャーナリスティックな筆致で綴っている。
それが却って胸にしみてくるのだ。
これらの娯楽産業は、コロナ禍や災害時に言われる
「不要・不急な」分野なのだが、
日本中が不安と飢えと貧困にあえぐ中、
わずか4ヵ月半で、いわゆる主要産業よりも先に
復興へ歩み出していたことに驚く。
なぜ文化の担い手たちにはそんな力が合ったのか?
そのエネルギーはどこからやってきたのか?
映画・演劇・音楽・出版・スポーツなどが
人の生活にどんな役割を果たしているのか?
そんなことを考えるのも楽しい。
最近、またもや世間は昭和ブームとかで、
懐メロや昔ばなし、昔の映像がしょっちゅう
テレビやネットで流れているが、
その源流となる1945年について知ると
もっと面白くなるかもしれない。
夏休み無料キャンペーン第3弾
昭和96年の思い出ピクニック
8月16日(水)15時59分まで
みんなが愛して憎んで生きた昭和時代を1960(昭和35)年生まれの著者が探検する面白まじめエッセイ集。
終戦記念日には昭和のことに思いを馳せよう。
おりべまこと夏休み無料キャンペーン第3弾
昭和96年の思い出ピクニック
8月14日(月)16時~8月16日(水)15時59分まで
みんなが愛して憎んで生きた昭和時代を
1960(昭和35)年生まれの著者が探検する
面白まじめエッセイ集。
終戦記念日には昭和のことに思いを馳せよう。
もくじ
・西城秀樹さんのお葬式:青春の同窓会
・ちびまる子ちゃんとサザエさんはいつまで続くのか?
・昭和オカルト大百科
・新聞少年絶滅?物語
・死者との対話:父の昭和物語
・社会全体の児童虐待と「晴れた空」
ほか30編
真夏。川沿いの道、木々の間を歩くと、
セミの命の限りの鳴きっぷりに心打たれる。
今日は台風の影響で朝から断続的に
土砂降りになっているが、
その短いやみ間、晴れ間を有効活用して
セミは懸命に鳴く。
5分、10分の時間も無駄にするものかという姿勢は
チョコザップみたいだ。
そのセミも先週あたりから選手交代が目立つようになった。
道端には命尽きたアブラゼミがコロコロ転がるようになり、
代わりにツクツクボウシの鳴き声が混じって来た。
朝早くと夕方遅くはヒグラシの独特の鳴き声も響く。
ヒグラシのゆったり伸るような声を聞くと、
なぜか怪談を連想する。
まだまだ暑いけど、
ツクツクボウシとヒグラシの声が増えると、
夏も後半に入ったなという感じがする。
長いと思っていた夏休みも半分終わり、
後半戦に入るとあっという間に過ぎ去る。
人生も同じく、後半戦に入ったと思ったら、
光陰矢の如し。
セミのように短い命を鳴き通そう。
親子で読もう!おりべまこと11日間連続
夏休み無料キャンペーン第2弾
いたちのいのち
8月14日(月)15時59分まで
小学生の女の子カナコと、彼女が世話をしているフェレットとの楽しいお話。
夏休みの読書感想文にもどうぞ。
夏休み無料キャンペーン第2弾
いたちのいのち
8月12日(土)16時~14日(月)15時59分まで
カナコは10歳。小学4年生。お母さんと二人暮らし。
しかしもう一人、というか一匹、
いっしょに暮らす同居者がいる。
その名は「イタチ」。ペットのフェレットだ。
学校でも家でも口をきかないカナコにとって、
イタチは唯一、心を開いて話ができる親友であり家族だ。
天使だったイタチは、
人間として地球に生まれることを望んでいが、
天国の〈地球いきもの派遣センター〉の
手続き上のミスによって人間になるのを諦め、
その代わりにフェレットとして
ワンサイクルの命をまっとうすることになった。
子どもからちょっとおとなに変わっていくカナコと、
そのそばで天使の目を持ったまま生きる
フェレットのイタチ。
それぞれの日常生活と事件の数々、
そして別れまでを描く動物ファンタジー。
今日もディスコ!ダンスダンスダンス!
マイケル・ジャクソンのプロデューサーとしても
おなじみのクインシー・ジョーンズ、
1981年リリースの大フィーバー曲。
ちなみに歌っているのはデューン(チャールズ・メイ)と
パティ・オースティンという人で、
クインシー・ジョーンズはドピンクのシャツを着て
ウロウロしている黒人のおっさんです。
この曲、つい昨日までジョーンズのオリジナルだと思っていたが、
実はチャズ・ジャンケルという歌手が
前年に出した曲のカバーだった。
しかも、もと歌もそんなに変わらないディスコビート。
それでもこの頃、すでに巨匠だった
クインシー・ジョーンズが取り上げ、
世界中のディスコで響きわたり、
若者たちが踊りまくったことで、
すっかりこのバージョンが定着してしまった。
戦前生まれ(1933)のクインシー・ジョーンズは、
ジャズミュージシャン、アレンジャーとして、
60年代前半から音楽業界で大活躍。
マイルス・デイヴィスやフランク・シナトラらの
プロデュースを手がけたり、
映画やテレビドラマのサントラも多数つくっている。
そして80年代以降はソウル系ポップ・ロックの
大ボスとしてマイケル・ジャクソンはじめ、
世界のスターミュージシャンらに多大な影響を及ぼした。
「愛のコリーダ」というタイトルは、
邦題ではなく、オリジナルのまんま。
1976年に大島渚監督が発表した映画から
いただいたものだ。
大島渚の最も有名な代表作は
1983年の「戦場のメリークリスマス」だが、
戦メリ以前の大島監督の代名詞と言えば、
初の海外進出作で、カンヌ国際映画祭で賞を取った
「愛のコリーダ」だった。
同作は戦前の日本社会を騒然とさせたエロ猟奇殺人事件
「阿部定」を題材とした問題作だが、
歌の方はべつに映画の内容とは関係ない。
(猟奇殺人の歌で踊ってたら、やっぱヤバい)
強いて言えば「究極の愛」について歌っているから
同じ題名にしたのか。
「愛」は日本語、
「コリーダ」はスペイン語で「闘牛」の意味だから、
アメリカ人にとってはエキゾチックなムードが
出せるのだろう。
愛し合い、いっしょに踊る男女を
闘牛と闘牛士に見立てたのかもしれない。
かつてのディスコミュージックの帝王は、
90歳になる今も健在で、
元気に音楽活動を続けているようだ。
グレート。
親子で読もう!夏休み無料キャンペーン
オナラよ永遠に
8月12日(土)15時59分まで
一発の小さなオナラから巻き起こる
愛と笑いと冒険のSFファンタジー。
親子で読もう! 夏休み無料キャンペーン
オナラよ永遠に
8月10日(木)16時~8月12日(土)15時59分
ぼくは小学5年生の救太郎。
かわいいあの子を守るために、
学校の教室で彼女が漏らしたオナラの罪をかぶって
「ヘコキ虫」と、いじめられるハメに。
でも、それだけじゃなかった。
未来からタイムスリップして来たサイボーグ・プ―太郎に
「君は救世主だ」と決めつけられ、
人類を脅かす恐るべき敵との戦いに巻き込まれてしまう。
一発の小さなオナラから巻き起こる
愛と笑いと冒険のSFファンタジー。
親子で読もう!明日10日(木)から
おりべまことKindle夏休み無料キャンペーン2023
子どもが読める、大人も楽しい電子書籍
8月10日(木)16:00~12日(土)15:59
「オナラよ永遠に」
小学5年生の小松救太郎は、ぬきうちテストの最中にオナラをもらし、クラス中からいじめられる。しかし、その真犯人は彼の好きな女の子だった。一発のオナラから巻き起こる愛と笑いのSFファンタジー。
12日(土)16:00~14日(月)15:59
「いたちのいのち」
小4の女の子カナコと天使の目を持ったペットのフェレット
「イタチ」との日常とファンタジーを行き来する物語。
14日(月)15:59~16日(水)15:59
「昭和96年の思い出ピクニック」
みんなが愛して憎んで生きた時代を1960(昭和35)年生まれの著者が探検する面白まじめエッセイ集。
16日(水)16:00~18日(金)15:59
「ちち、ちぢむ」
お父さんが「ちっちゃいおじさん」に!
役立たずの男たちが縮んでしまう怪現象は地球の意志なのか? アベコベ親子の奇々怪々でユーモラスな物語。
18日(金)16:00~20日(日)15:59
「ハンザキを喰った話」
オオサンショウウオの不思議な生命力に人生を左右されることになった明治・大正の発明家と、昭和・平成のライターの怪奇な運命の物語。
今日のNHKのニュースで、
長崎原爆資料館の展示物の表記を
原爆が「投下された」から「さく裂した」に
変えると聞いた。
僕は違和感を感じ、なんで?と思った。
「投下」は主体がはっきりしている。
原爆を搭載した米軍機が飛行するイメージが浮かぶ。
米軍が投下した。米軍が原爆を投下した。
Atomic Bomb was Droped.(by U.S. Army)
U.S. Army droped Atomic Bomb.
ところが「さく裂」だと主体があいまいだ。
飛行機の姿も見えない。
原爆がさく裂した。
Atomic Bomb was Exploded.
そこに(by U.S. Army)が入る余地はない。
原爆が自然にさく裂したのか?
原爆がみずから意思を持ってさく裂したのか?
あるいは、どこか別の惑星から地球外生命体がやってきて
さく裂させたのか?
そんなはずはない。
そんなのわかっているだろ。
おまえの言っていることはおかしい。
くだらんツッコミを入れるな。
と言われるかもしれない。
ニュースの内容は以下の通り。
長崎市の原爆に関連して「11時2分」という
時刻について、
長崎原爆資料館では一部の展示物で
原爆が「投下された」時刻と表記されています。
これについて被爆者の一部からはより正確に
「さく裂した」という表記にあらためるべきだ
との意見が出ていることなどから、
長崎市は今後、展示物の表記を見直す方針です。
被爆者の人の指摘なら仕方ないかとも思うが、
主語は大切にした方がいい。
主語があいまいになると、責任もあいまいになる。
そもそも「投下された」という受動態も変だ。
当たりが柔らかくなるからか、
責任をボカした方が都合がいいからか、
日本人はやたらと受動態の文章を好み、
人ではないモノ、概念などを主語にしてしまう
ケースが多い。
同資料館が子どもが原爆について学ぶ場であり、
後世に伝えていく施設であるなら、
“誰が”原爆を投下したのか、
“誰が”この暴力・殺戮を行使したのか、
言わずもがなにせず、
一読ではっきり事実と責任が
わかるように表現すべきではないかと思う。
「米軍が投下した原爆が、
11時2分に長崎市上空でさく裂した」
仕事としてライターをやりたいのなら、
まず書くことを楽しむこと。
書くことを楽しむことなく、
良い文章・りっぱな文章・人に褒められる文章を
書こうとしても、絶対に続きません。
そしてライターの仕事のうち、書くことは半分だけ。
あとの半分はクライアントや取材相手と
良い人間関係を築くことです。
これができないと仕事はあなたのところには来ません。
まずこの二つを踏まえて、
ライターの仕事に興味のある人は読んでみてください。
薬にはなりませんが、
サプリメントくらいの効用はあるかも。
実用的なマニュアルっぽいものもいくつかありますが、
基本的には自分の感想・考察などを綴った
エッセイなので、
「ふーん、こういうやり方・考え方もあるのか」
と思って気楽に読んでみてください。
もくじ
・まえがき みんなライター あなたも物書き
・メディアにおけるメールを利用した取材について
・追記:リモート取材
・メモ帳活用ライティング
・自伝を書いて脚色する
・ライターの仕事の半分以上は取材
・代筆業の進め方 具体例
・AIライター・ロボットライター
・人に見せない、自分だけの秘密の文章を書く
・「継続は力なり」を今頃やっと実感
・ライターという職業の面白さ
・マルチなわらじと自分マネージメント術
・取材はイベントにしたい
・ビジネスのための本気の企業理念
・デジタル時代ならではのアナログ手書き写本トレーニング
・企業ブランディングとストーリーテリング
・世界は代筆でできている
・ホームページに心のこもったお手入れを
・インタビュー術「あなたの健康の秘訣は?」
・文章力よりも相手のいいところを発見する力
・「みみずくは黄昏に飛び立つ」は書き手・聞き手のバイブル
・本を出したい人は心の地図を開いてブログを書こう
・春の小川流さらさら仕事術
・自動書き起こしソフトから生まれた地球のメッセージ?
・日本人はデジタルに心を求める
・あとがき 村上・キング方式をマネる
Kindleより本日発売。¥300
先週開催の有名花火大会に行った知人が
コロナで高熱を出して寝込んでしまった。
もうほとんどの人が気にしておらず、
感染者数もわからないし、報道もされない。
しかし、コロナは確実に広がっていると思う。
この3年間、
真夏は真冬をしのぐほど感染者数が跳ねあがり、
重症者数・死者数も年間のピークだった。
今年だって例外ではない。おそらく。
5類移行で行動制限がなくなったということは、
「今後はすべて自己責任でお願いします」ということ。
家族などに感染させるリスクも、医療施設の治療費も、
何でも自己負担しなくてはならない。
それに昨年まではコロナになったと言えば、
「たいへんだね」「しかたないよね」と
社会的な同情・共感(?)も得られたが、
今年からは周囲の反応も冷たいだろう。
「なんであたしだけが」「おれだけが」と、
メンタルがへこみやすくもなる。
お祭りムード・夏休みモードに水を差す気はないし、
遊びに行くなという気もない。。
混んでるのはいやだと言う人は多いが、
その一方で、わいわい賑やかじゃなきゃ面白くない、
気分が盛り上があらないというのもまた事実。
ただ、相変わらずリスクはあるんだということは
頭のどこかに留めておいて、
自己防衛策はちゃんとしたほうがいい。
真夏に感染者が増えるのは、
おそらく冷房で換気が不十分になりがちだからだろう。
コロナウィルスはインフルエンザと違って
高温も気にしないので、年間通して活発に動けるようだ。
この猛暑で熱中症のリスクも気になるが、
やはり換気はちゃんとこまめにした方がいいいだろう。
換気の良くない場所には長時間いないこと。
人ごみに揉まれた後で、換気の悪い店で一杯、
というのが一番やばいパターンかも。
暑いけどリスクが気になる人は
マスクも付けた方がいいだろうし、
手洗いをこまめにするのは必須。
今週はお盆で帰省ラッシュになる。
人混むのを楽しむのは、お祭りに共通して、
日本人独特の感性みたいなものだが、
コロナにかかって後々苦しむことのないよう
しっかり防衛策を。
シティポップのミックスを聴いていたら偶然の再会。
かなり遠い昔、
高校時代にラジオで1度聴いたきりの曲で、
曲名も歌手の名前も全然知らなかったが、
さわやかで親しみやすく、ちょっとだけメロウな旋律と
「シュワっとはじけて」という夏っぽいフレーズが、
頭の奥の引き出しに録音されていた。
1977年リリース。
マザー・グースは金沢出身の女性3人組バンド。
この曲は彼女らのオリジナル曲で、一度、
前年発売のデビューアルバムに収められていたが、
それを山下達郎が編曲・プロデュースを手掛け、
シングル盤として新たに発売した。
当時まだマイナーな存在だった
(伝説の「シュガーベイブ」というバンドをやっていた)
山下達郎にとって初めてのプロデュース作だったらしい。
すごいのは山下をはじめとするバックの演奏陣で、
ティンパンアレイの林立夫、細野晴臣、鈴木茂、
そしてまだ無名のスタジオミュージシャンだった
坂本龍一など、日本のポップミュージックシーンを築いた
若き日のビッグネームたちがこぞって参加している。
「貿易風」とは聞き慣れない言葉だが、
横浜などの貿易港のイメージなのだろう。
改めて聴くと、女性がオトコ目線で歌う歌詞は
ユニークで楽しく、ちょっと不器用感があって、
そこがまたひどくみずみずしくて印象的だ。
世界で人気のジャパニーズ・シティポップは、
80年代の曲がメインだが、
そこまできらびやかでなく、
イマイチ洗練されきっていない、
70年代後半感が漂うサウンドは、とても気持ちいい。
ちなみにこの頃はシティポップも、
J-POPという言葉もなく、
やっと「ニューミュージック」という言葉が
広がり出したころだ。
いずれにしても、いつまでもみずみずしさを失わない、
不思議な魅力のある歌。
ジャパニーズ・シティポップの隠れた名曲として
より大勢の人が聴いて楽しんでくれるといいと思う。
これは「物書きをめざす人」と
「物書きを続ける人」に向けた本である。
ブログで時々、仕事についての話を書いているが
割と覗いてくれる人が多い。
数年前の記事でもちょくちょくアクセスがある。
それで興味を持つ人のために一度、まとめてみた。
この本で物書きと言うのは、
職業としてのライター(執筆業)はもちろんだが、
職業としていなくても、
何らかの文章を書く人・書きたい人全般を指している。
書くという行為は、本能とまではいわないまでも、
かなり人間の本質的な部分から起こす行動だと
思うからだ。
特に情報化が進んだ世の中で生きる現代人にとって、
この表現活動は生活の一部であり、人生のなかでけっこう大きな部分を占めていると思う。
毎日SNSで何かしら自分の意見を
発信している人だって、
自分の文章に責任を持てる人であれば
ライターと呼んでもいいし、
名乗ってもいいかもしれない。
逆に言えば、ライターと名乗ることで
発信のしかたも変わってくるのではないだろうか。
そんなわけで僕のブログの仕事の話に
興味を持ってくれる人は、みんな物書きであり、
ライターと言ってもいいと思っている。
現代社会では人は皆、自分の意思次第で
「人生の中でいつか物書きになることをめざす人」
にもなれるし、
「一生物書きをやり続ける人・物書きであり続ける人」
にもなれるのだ。
僕はもう還暦を過ぎているが、
ライターと名乗って仕事を始めてから、
かれこれ30年以上経つ。
もともと演劇やテレビ・ラジオドラマの
脚本を書いていて、最近は小説なども手掛けているが、
ここでは基本的にビジネス関係
(書籍出版・雑誌・ウェブ記事)の
執筆活動の話をまとめてみた。
特に取材・インタビューについての話が多いので、
そうした方面の仕事がしたい人・している人には
ちょっと面白く、役に立つかもしれない。
実用的なマニュアルっぽいものもいくつかあるが、
基本的には自分の感想・考察などを綴った
エッセイなので、
「ふーん、こういうやり方・考え方もあるのか」
と思って気楽に読んでほしい。
8月6日(日)発売予定。
子供の頃、戦後復興世代の両親に
よく話を聞かされたせいか、
僕にとって8月は戦争・戦後のイメージに包まれている。
終戦はこの世に生まれる15年も前
(でもたった15年前!)のことで、
まったく未経験だが、
わりと鮮明に過去のビジョン(とでもいうべきもの)が
脳裏に刻まれている。
復興期が自分の青春期ともろに重なっていた父親は、
事業で成功して家を建てた後は、
あちこち旅行に行ったり、
美術品や骨董品を集めていたが、
仕事を辞めるとそれにも飽きて、
晩年はしきりに昭和20年代から30年代前半のことを
回想していたフシがある。
そういえば8月は父の誕生日もある。
焼け野原の中で軍需工場での仕事も失い、
17歳の誕生日を迎えた少年は
何を考えていたのだろう?
今ならそこをピンポイントで聴いてみたいところだが、
もう遅すぎる。
めっちゃ大変だったが、めっちゃ面白かった時代。
戦争・戦後を語る際、
悲劇・惨劇・怒りばかりが強調されて伝えられるのは
しかたないことだ。
「面白かった」なんて言おうものなら、
つるし上げを食らいそうだが、
大半の日本人は、実はそう思っていたのではないだろうか。
それくらいの元気がなければ、
ここまで経済成長はできなかっただろうし、
これほど百花繚乱の昭和文化は生まれなかっただろう。
平成・令和と時代が進むにつれて
そうした印象を強くする人は
むしろ増えているのではないだろうか。
たんなる懐メロでなく、ノスタルジーでもなく、
昭和は未来まで、ルネッサンスのような
面白い時代として記憶されるに違いない。
そんな思いもあって
気まぐれで昭和シリーズのエッセイを書いている。
第2弾は「昭和99年」、
3弾は「昭和100年」の出版を予定しているが、
考えてみたらもうすぐそこだ。
1ヶ月ほど前、義母の要介護度認定更新の調査があり、
きょうその査定結果を聞いた。
要介護度は上がらず下がらず、
いっしょに暮らす前と変わらず3のまま。
これでまた次の4年間を送ることになった。
認知症の認定を受けたのは10年ほど前からだが、
その10年ほど前、
つまり20年ほど前から症状はすでに始まっていたらしい。
そう言われていま思い返すと、
まだチビだった息子を連れて訪ねた時、
ところどころおかしな言動が見受けられた。
その頃は今ほど認知症が“認知”されておらず。
まだ「ボケ」とか「痴呆症」と呼ばれていた
時代だったので、
いっしょに暮らしている家族としては、
そんなことを認めたくなかったのだと思う。
これまでのデータでは、
認知症は発症から10年ほどで死に至る病とされているが、
そこだけ考えるとずいぶん長期間、
おとなの人間としての機能が維持できている。
引きこもりの人が朝の散歩を始めて、
花の匂いを感じたり、鳥の声を聞いたり、
風を肌に受けたりすることで、
しだいに気分がやわらぎ改善した、
という話を聞いたが、認知症の場合もそれと同じで、
日常的に川沿いを歩くことなどで
脳に良い影響を与えているのかもしれない。
ただ、いずれにしても介護は大変で、
カミさんと二人でやっているから何とか持っているが、
一人ならとっくの昔につぶれている。
ヤングケアラー、ビジネスケアラーも
これから大勢発生するだろう。
この先、10年・20年、
日本社会(そしてほとんどの先進国)にとって、
介護はますます大きなテーマになっていきそうだ。
未来を担う人たちを育てる子育てもそうだが、
これまで社会のために功労してきた人たちを
介護することも、その家族にとっては一大事業なのである。
本日は電子書籍の新刊予告。
エッセイ集:仕事「書く人に効くサプリメント」
ブログで気まぐれで書いている
ライター業に関するエッセイ・書き方マニュアルなどが
割とよく読まれているようなので、
電子書籍にまとめて発売することにしました。
ライターの仕事をやっている方、めざしている方、
本を書いている方、書きたい方のための
「薬」とまでは言いませんが、
サプリメントくらいにはなるかも。
参考にしてお役立ていただければ幸いです。
今週中に発売予定。どうぞお楽しみに。
僕たち70年代の若者は、みんなこの曲で踊り狂って、
精神が宇宙まですっ飛んで行っていた。
日本における70年代ディスコミュージックの代表曲、
アース・ウィンド&ファイアーの「宇宙のファンタジー」。
1977年リリースのアルバム『太陽神』からの
シングルカット。
アース・ウィンド&ファイアーは、
ファンクを主軸にしたポップミュージックの
金字塔を打ち立てたスーパーバンドで、
当時、世界中を席巻した。
なぜかアメリカではあまり売れなかったらしいが、
日本ではEWFと言えば、
やはり「セプテンバー」とこの曲だ。
ディスコでかかると、ミラーボールがギュンギュン回り、
照明が点滅して、フロアは宇宙空間に早変わりして、
僕らはみんなスペーストラベラーだった。
いやー、アホみたいに汗をかきかき踊った踊った。
作詞・作曲はバンドリーダーで、
ドラム&ヴォーカルのモーリス・ホワイト。
当時はなんにも考えすに踊っていたが、
歌詞は超ポジティブ&超スピリチュアルだ。
♪ 誰の心の中にも宇宙がある
世界に消されることのないファンタジーがある
僕らの船 ファンタジー号に乗り込もう
君の夢はすべて叶うんだ 今すぐに
あらゆる思考は夢であり
流れの中を駆け抜けて行き
僕たちの王国に命をもたらすだろう
滑走しろ 大きく足を踏み出して
その風と共に 空へ飛び立ち
唇に微笑みを浮かべ 言うんだ
僕は自由なのだと
今 自分の道を歩んでいると ♪
引き寄せてる、引き寄せてる
これを引き寄せの術と言わずして何と呼ぼう。
このライブの後半ではバンドのメンバーは
全員テンション上がりまくって、
宇宙までピョンピョン飛んでいる。
笑っちゃうけど楽しいぞ、最高だぞ。
へんな自己啓発セミナーに通ったり、
わけのわからない引き寄せ法則の勉強なんぞにハマって
おカネをはたいているぐらいなら、
毎日繰り返し、この「宇宙のファンタジー」を
聴いて、歌って、踊っていたほうが
よっぽど自己発見できるよ。
気分は上がって元気が出るし、
それでもって、またみんなでディスコに行きたいね。
井上ひさしの「手鎖心中」は
歌舞伎にもなった直木賞受賞作。
この作品も面白いのだが、
併載されている「江戸の夕立」が
表題作に輪をかけてめっちゃ面白い。
長めの中編というか、短めの長編というか、
そこそこボリュームもあるので、
読みごたえもたっぷり。
主人公は大商店の放蕩息子の若旦那と
そのご祝儀目当てでベタベタお世辞を連発しながら
くっついて歩く太鼓持ち。
平和な江戸の街で、ぬくぬくした環境で生まれて育って、
軽薄短小な人生を謳歌する二人組の軽妙なやりとりで、
ハリウッド映画ばりの波乱万丈の物語が綴られていく。
はでに買い物したり、花魁遊びが出来たのも序盤まで。
その後は江戸を離れ、東北地方を放浪するはめに。
しかもそれは暴力、漂流、バクチ、友情、裏切り、
奴隷労働、疫病、借金、旅芸、女狂い、家庭崩壊など、
現代の、僕らの人生でも起こり得る、
あらゆる災厄のてんこ盛り。
笑いとユーモアの味付けで救われているが、
まさに地獄めぐりの旅である。
そんなひどい目に遭いながらも
人間的に成長するわけでなく、
放蕩していた頃のろくでなしのまま、
9年をかけてやっと江戸の街に帰ってきた二人。
ところがその故郷はなんと・・・という展開で、
けっしてハッピーエンドとはいえない、
かなり苦み走ったラストを迎える。
ただ、このラストが僕は好きである。
すべてを失った代わりに、
彼らは生きるための何かを得た、
その思わせてくれる、心に響く結末だ。
井上ひさしはお芝居もたくさん書いていて、
ユーモア・人情を描く作家だと思われている。
しかしその実、彼が人生・人間社会を見る目は
かなりシニカルで、だからこそユーモア・人情が映え、
胸に深く沁み込んでくる。
地獄の奴隷労働の仲間が死の間際、
「女の裸が見てえ」という願いをかなえるために
キリシタンの娘が一肌脱ぐシーンなどは
涙が止まらんかった。
いくら齢を取ったって人間、
大して成長するわけではない。
バカはバカのまま、ろくでなしはろくでなしのまま。
だから笑えて泣ける。だからいいのだ。
最近やたらと多い感動の美談、
人間ってすばらしい!と讃えるストーリーに
食傷気味の方におすすめです。
アマプラで「シン・仮面ライダー」を見た。
すごいなと思ったのは、敵であるショッカーの設定。
悪の組織であるはずのショッカーは、
なんとこの作品では「人間の幸福を追求する組織」である。
フルネームだと「Sustainable Happiness Organization with Computational Knowledge Embedded Remodeling」。
「計画的知識を埋め込んで改造した持続可能な幸福の組織」
とでも訳せばいいのか。
それぞれの頭文字をつなげて「SHOCKER」。
もちろん、これは庵野監督の創作である。
怪人(改造人間)のモチーフが昆虫であるところを
考え合わせると、地球環境との調和も追求しているようだ。
当然、この幸福の追求は、
一般社会で生活する人間にとっては
歪んだおぞましいものだが、
主人公の仮面ライダー・本郷猛も、
ラスボスであるショッカーの首領も、
不条理な無差別殺人事件によって父や母を奪われた遺族である。
彼らの立場になって考えていくと、
つまり見方を変えると、ショッカーが目指すものこそ
正義と捉えてみてもおかしくない。
もちろん、本当のご遺族の方が
こうした考えを持つようになるということではないが、
原典の「仮面ライダー」が持つテーマ性を深堀りして、
現代に新たな世界観を築き上げた
庵野秀明監督の想像力・創造力はやはり尊敬に値する。
ゴジラやウルトラマンと違って、
仮面ライダーは等身大のヒーローであり、
この話は、僕たちの人生とごく身近な、
家族・友人・その周りの社会をめぐる物語とも言える。
1号・本郷猛と2号・一文字隼人との
人間関係・信頼関係の成り立ちも良い。
登場人物の中ではヒロインのルリ子がとてもよかった。
演じているのは、今やっている朝ドラのヒロイン役
(牧野博士の妻)の浜辺美波。
狂言回しのような役柄で、
彼女のセリフと行動によって
この話の世界観・構造が語られていくのだが、
彼女と彼女に対する本郷の愛あっての
「シン・仮面ライダー」という感じがする。
僕はテレビの「仮面ライダー」が始まった頃、
すでに小学校の高学年だったので、
やや冷めた目で見ていて、
初期シリーズ(1号・本郷猛のシリーズ)を
半分ほど見ただけだ。
ウルトラシリーズと違ってほとんど思い入れがないので、
今回も期待せず、事前情報もほとんど仕入れていなかった。
結局、劇場に行かず、アマプラで見てしまったのだが、
すばらしかった。
「幸福のために人間を改造する」というテーマのもとで
これだけの物語を作り得るのはすごいことだ。
「仮面ライダー」なんて知らない・興味ないという人も
ぜひ観て見るといいのでは、と思う。
1989年の世界的大ヒット曲。
最初、ヨーロッパで大流行し、秋に日本でリリース。
翌年1990年の夏まで、
当時のディスコやカフェバーではもちろん、
街中のいたるところで流れていた記憶がある。
「ランバダ」とは男女ペアで踊るダンスの名前でもあるが、
これがご覧の通り、めっちゃセクシー。
体を密着させて腰をくねくね動かし、
ひざをパートナーの股の間に入れて
お互いの股間(局部)を太股で刺激するように
擦り合わせながら腰をすり寄せる。
セクシーで情熱的で、疑似セックス、
エロダンスと言ってもいいくらい。
バブル華やかし時代の日本は、
僕たちのような(むかしの)若い連中が
みんな色気づいていたが、
さすがにこのダンスを踊れる人・踊ろうとする人は
日本人の中にはほとんどいなかったらしい。
この曲を演奏している「カオマ」というバンドのことは
よく知らなかったが、
セネガル出身の「トゥレ・クンダ」という
グループのメンバーに
フランス人やブラジル人らを加えた多国籍音楽集団である。
踊りはダメだが、世界的大ヒット曲なので、
カバーに挑戦する日本人歌手は大勢いた。
かの大御所・加藤登紀子が歌っていたのにはびっくり。
うーん、でもやっぱラテン系の血を注入しないと、
シャイな日本人には向いてない?
岡山県でAI開発をやっているビアンフェ.の岡野さんから
今年もモモが送られてきた。
ちょっとまだ固いようなので、
両親と義父にお供えして追熟。
連日の猛暑でバナナもアボカドも
ちょっと青っぽいのを買ってきてもすぐに熟すので、
明日あたりには柔らかくなっていただけるだろう。
岡山は桃太郎の故郷なので、モモは名産。
桃太郎と言えば鬼。
「鬼滅の刃」の鬼は、ヨーロッパの吸血鬼と同じく、
太陽の光を浴びると、存在が崩壊してしまうが、
この夏はまさしく鬼を見習って、
太陽が照りつける日中は外出しないほうがいいようだ。
コロナ禍があけて、街も海も山も大賑わいのようだが、
仕事の時以外、とても出かける気にならない。
基本的に毎日家の中で仕事して、
夕方、日光の勢いが弱くなり、
ちょっと気温が下がったのを見計らって
義母を連れて川沿いを散歩する———
ほとんどコロナ時と変わらない生活を続けている。
それにしても連日の猛暑は気温35℃を軽くクリアし、
37℃、38℃にもあまり驚かなくなり、
そのうち40℃くらいが標準になりそうな気配も漂っている。
テレビでは「クーラーを夜通しつけっぱなしにして
寝てください」なんて、
ひと昔前には非常識だったことが常識になってしまい、
日本の夏は(世界の夏も)
これからどうなってしまうんだろうと、
ちょっと不安を抱かざるを得ない。
それに加えて物価高騰のダブルパンチ。
食べ物もずいぶん値上がりしているが、
へたに節約して栄養不良になったら
免疫力が落っこちて、コロナなどにやられかねない。
べつにごちそうは要らないが、
毎日ちゃんとしたものを食べて
バテないようにしたい。
というわけで、おいしいモモで
夏を乗り切る体力を養います。
ありがとう。
★70年代のモンスターアルバム
1976年リリース。
世界中で1千万枚以上のセールスを記録した
70年代ロックアルバムの金字塔が
ピーター・フランプトンの
「フランプトン・カムズ・アライブ」。
本国イギリスよりもアメリカで売れ、
ビルボードで合計10週にわたって1位を独走。
発売から3ヶ月でプラチナ・ディスクに認定される
モンスターヒットとなった。
もちろん日本でもめちゃ売れ。
2枚組ライブアルバム(当時5千円近くした)で
このセールスはすごい!
「ショー・ミー・ザ・ウェイ」はその中に収録され、
最初にシングルカットされた曲で、これもやはり大ヒット。
長きにわたって、押しも押されぬ
ロックの名盤と“されていた。”
★いまや過去の名盤?
あえて過去完了形にしたのは、最近になって、
この「フランプトン・カムズ・アライブ」の
名盤としての地位が危うくなっているというのだ。
21世紀も20年以上を過ぎ、
英米のいろんな音楽メディアの間で
ロック・フォーク・ポップの楽曲・アルバムの価値を
現代的視点を強めて見直してみようじゃないか、
という動きが活発化しているらしい。
詳しいことはまた別の機会に譲るが、
簡単に言うと、見直しのテーマは、
今ある音楽文化の真の貢献者は誰か?
21世紀以降もより多くの音楽家・リスナーに
影響を及ぼしている作品は何か?
といった「歴史的価値」により焦点が当てられていること。
そのテーマに沿って、20世紀に作られ、流通していた
「名盤ランキング」も再検討が図られている。
ビートルズ、ローリングストーンズ、ボブ・ディラン、
デビッド・ボウイ、レッド・ツェッペリンなど、
今も変わらぬ不動の地位を築いている
アーティストがいる一方で、
昔は人気があった・売れた・高評価だったけど、今は???
というアーティスト・作品も少なくない。
「フランプトン・カムズ・アライブ」は、
その「昔はすごかったけどねグループ」の
代表格に挙げられている。
★再聴フランプトン・カムズ・アライブ
考えてみれば、ピーター・フランプトン自身、
レジェンド化されるスーパースターとは言い難く、
後世のアーティスト・リスナーに
それほど認められていない感じがする。
つまり、時代の流れ・その時の勢いで売れた
アーティストというイメージが
強まってしまったのかもしれない。
また、イケメンなので女の子に人気があっただけかもね、
という男姓評論家のそれとない嫉妬心も
いくらか混じっているような気がする。
なんだかひどくディスって申しわけないが、
僕自身もかつて大好きだったというわけではない。
今、どう感じるか、ほぼ45年ぶりくらいに
「フランプトン・カムズ・アライブ」を聴き直してみた。
この曲をはじめ、普通に良い曲・万人受けする
ポップでスイートな楽曲がバランスよく揃っていて、
割と気持ちよく聴ける。
しかし、聴いている途中でどうしてこのアルバムに
かつて良い印象を持たなかったのか、思い出した。
それはオリジナル曲の合間にマイフェーバリット、
ローリング・ストーンズの
「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」を
やっているからだ。
カバーするのに文句を言うつもりはないが、
アレンジもパフォーマンスも気に食わない。
「このジャンピンはちがうっ!」
と強く憤った思いがよみがえった。
こうした感情は何十年たっても変わらない。
まぁ、当時ほどとんがっていなにので
さすがに今は「許せん」とまでは言わないけど、
やっぱあんまり感心せんな、このカバーは。
★きみを求めて=ベイビー・アイ・ラブ・ユア・ウェイ
というわけで結局、またディスることになってしまったが、
それでも平均的に見て良いアルバムですよ、
「フランプトン・カムズ・アライブ」は。
特にあまりゴリゴリのロックが苦手で、
基本的には甘いポップロックでありながら、
ところどころスパイス効かせて
ギンギンやっちゃう、というのが
好きな人にはおすすめです。
おわびというわけでもないけど、もう1曲、
「ショー・ミー・ザ・ウェイ」とともに
リコメンドするのが、
これもシングルカットされてヒットした
「きみを求めて」というアイドル系ラブソング。
女の子の人気が高かったのがわかる気がする。
●きみを求めて/ピーター・フランプトン
あれ、どっかで聴いたことあるぞという人も多いはず。
そうそう、こちらは1994年に
レゲエバンドのビッグ・マウンテンが
レゲエバージョンに仕立て上げ、
原題「ベイビー・アイ・ラブ・ユア・ウェイ」として
世界的な大ヒットとなった。
暑い夏を吹っ飛ばす会心のレゲエナンバーを聴きながら、
オリジナルを歌ったピーター・フランプトンの名を
ぜひ胸に刻んでほしい。
●ベイビー・アイ・ラブ・ユア・ウェイ/ビッグマウンテン
頭にお皿、背中に甲羅、口はくちばし状、手足に水かき、
からだは人間の子ども(幼児~小学校低学年)
くらいの大きさで、
皮膚がヌメヌメしていて体色は緑系。
いたずら好きで、キュウリが大好物。
過去100年くらいで、
日本人の間にそんなカッパのイメージが定着した。
地域によってまちまちだった呼び名も、
かの芥川龍之介が、死の間際、
そのものズバリ「河童」という小説を書いてから
統一された感じがする。
そのカッパは実在するのか否か?
その他、柳田国男の「遠野物語」をとっかかりに
東北の民話の世界を探検し、
登場する怪異・妖怪の類の秘密を解き明かそう
というのがこの本「荒俣宏妖怪探偵団 ニッポン見聞録」
の趣旨である。
おなじみ、この手の妖怪学・博物学の大家・
荒俣宏先生を中心に、
小説家・理学博士がチームを組んで、
東北各地の大学教授・学者、博物館などの研究員、
郷土研究家、お寺の住職などを訪ねて回る。
面白いのは、たとえばカッパに話を絞れば、
みんな、カッパの実在を肯定していること。
ただ、そのカッパとされる妖怪は、
“現代人の視点で見ると”、
どれも別の様々な生き物であるという点だ。
あるところではそれはウミガメだったり、
あるところではイモリ、あるところではカワウソ、
あるところではネコだったりする。
それら爬虫類・両棲類・鳥類・哺乳類にまでまたがる
多種多様な生き物が、
「カッパ」という妖怪・生き物に
ひとくくりにカテゴライズされていたのだ。
どういうことかというと、
人間は自分(あるいは自分を取り巻く社会)が持っている
知識・情報の埒外にあるものと遭遇したとき、
「わけのわからないもの」としておくことができず、
それを分類するために
特定のファイルみたいなものを必要とする。
その一つに「カッパ(地域によって呼び名は異なる)」と
題されたファイルがあり、
「これは何だ?わからん」と思ったものをみんな、
とりあえずそのカッパファイルの中に突っ込んでいたのだ。
だからそれぞれの動物の特徴・生態・イメージが、
そのファイルのなかで混ざり合い、繋がり合い、
時には化学変化を起こして、
カッパという妖怪の形になって
多くの人々の頭のなかに生息するようになり、
民間伝承として伝えられるようになった。
そしてまたその伝承・民話をもとにして
時代ごとに絵師などがカッパの姿を絵として描き上げた、
ということらしい。
僕たち現代社会で生きる人間は、
科学的に解明された知識・情報を
すでに頭のなかに仕入れてあるので、
これは犬とか、カエルとか、ウサギであると知っている。
だから、なんでカメやイモリやカワウソやネコを
カッパだなんて思ったんだろう、と不思議がるが、
それは逆で、カッパというファイルの中から
Aタイプが実はカメで、Bタイプがカワウソで、
Cタイプがネコだった・・と、
後で(だいたい明治以降~昭和初期の間に)
分類・整理されたのである。
言い換えれば、江戸時代以前の日本人にとって、
奇妙な野生動物は皆、UMA(未確認動物)であり、
ほんの150年ほど前まで日本の海も山も里もUMAで
溢れかえっていたのである。
この本ではカッパ以外にも
いろいろな妖怪・民俗学的伝承が紹介されているが、
そうした昔と今の人間の心の地図の違いについて
気付かせてくれることに重要な価値があると思う。
荒俣宏妖怪探偵団 ニッポン見聞録 東北編
著者:荒俣宏/荻野慎諧・峰守ひろかず
発行:学研プラス 2017年
幻視なのかどうかよくわらないが、
認知症の義母のところには、
もう一緒に暮らしていない家族がよく現れる。
昨日は食事の時に「あれ、赤ちゃんはどこ行ったの?」
と言い出したので、カミさんが
「もう大人になって会社に行って働いています」
と答えたら、
「ああ、そうか」と納得した様子を見せた。
なんともシュールなやりとりで笑ってしまった。
彼女が最近、家の中で見た赤ちゃんと言えば、
僕らの息子のことである。
食卓上に20数年の時間が風のように過ぎ去った感じだ。
義母が見る家族は、何十年も会っていない人たち。
カミさんによるとそのきょうだいの人たちは
ほとんど亡くなっている。
さらに謎の男の子・女の子も現れる。
いつも通っているデイサービスの
スタッフのことかなと思うが、
そうでないこともあるようだ。
経験上、子どもが成長する時は
なだらかな曲線を描くのでではなく、
ある日突然、ガン!とステップアップする。
それと同じで、人生の下り坂も
ガン!とステップダウンするようで、
最近、認知度の劣化が目立つ。
話す言葉が意味不明なことが多く、
コミュニケーションしづらくなってきた。
自分の誕生日も、このクソ暑い今がどういう季節かも
よくわからなくなってきている。
また、先週・先々週あたりは
ちょっとしたことでキレまくったり、
デイサービスでは風呂に入るのを頑なに固辞したり、
かなり手を焼いて、こっちもキレそうになった。
あとどれくらい一緒に暮らせるのだろう?
「洗たく女の空とぶサンダル」では
主人公のアカネに教わったことがある。
それはいつでも、どんな時でも空を見ること。
僕たちは空を飛べないけど、見続けることはできる。
この星で暮らす限り、みんな、この空の下で生きている。
空には未来があり、ビジョンがある。
そしてまた空は僕たちの心の中を映し出している。
うまく行かないときは空を見るといい。
雲がどう動いていくのか見るといい。
朝と昼間と夕方は違った顔をしているし、
星が広がる夜空はまた別の世界だ。
潜在意識がどうとか、瞑想術がこうとか、
そんものを学ばなくても、ただ空を見上げるだけで、
これまで見えていなかったものが見えてくる。
できたら毎日。
今日もひどく暑そうだが、
ちょっとの間なら外に出てもいいだろう。
あれば木陰に入って晴れた空を眺める。
空は世界であり、自分自身でもある。
洗たく女の空とぶサンダル
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「洗たく女の空とぶサンダル」に出てくる
路上で靴を並べるアーティストは、
むかしロンドンで暮らしていた頃に遭遇した
ストリートアーティストをモデルにしている。
僕がロンドンの日本食レストランで働いていたのは、
1985年から87年にかけて。
当時、英国病・老大国化を克服し、
「ふたたび強大なイギリスを」と訴えた
マギー・サッチャーの新自由主義政策によって、
イギリスの公的福祉はバッサバッサと切り捨てられていた。
要するに国は自分で稼がない人・稼げない人の
面倒などこれ以上見ないということである。
その影響で街には失業者・ホームレースがあふれ、
ロンドンの中心部を歩いていると、
「10ペンスめぐんで下せえ」と、よく小銭をせびられた。
ストリートや地下鉄の構内にはそうした物乞い以外に、
「アート」を提供する芸術家もたくさんいた。
音楽家たちはその筆頭で、みんな、ギター、サックス、
バイオリンなどを持ち出し、街頭音楽を聴かせたり、
寸劇やダンス、パントマイムなどを見せていた。
また、路上で詩集のような本を売ったり、
奇妙なオブジェを並べて
人々の関心を引こうとする者もいた。
不思議なことに、その作品やパフォーマンスの
出来・不出来に関わらず、
彼ら・彼女らの顔はどこか自信にあふれていた、
という風に見えた。
たまに目を見張るような面白いもの・
芸術的な価値があるなと思えるものもあったが、
9割以上は投げ銭稼ぎのガラクタの類だ。
それでもロンドンには世界中から
観光客が集まってくるので、
ガラクタみたいな音楽やアートでも面白がられ、
投げ銭でいくらかは稼ぐことができたのかもしれない。
まともな頭で考えれば、そんなことをするより、
非正規だろうが何だろうが、
ちゃんと職に就いて安定的に稼げるのは明らか。
“選り好みさえしなければ”、
少なくとも食っていくのに何とかなる程度
稼げる仕事はあったと思う。
事実、僕の勤めていたレストラン経営の会社でも、
ロンドン出店の条件の一つとして雇用対策を打ち出し、
ほぼ年中、スタッフを募集していた。
それでも少なくとも僕がいた間、
イギリス人で応募してくる者は皆無で、
実際にスタッフになったのは、全員が外国人労働者だった。
みんな「イギリス人は怠け者だからダメだ」と言っていた。
当時のイギリス人の間では、
やっぱり東洋人に対する差別意識があったと思うので、
成りあがりの日本人の会社の支配下に置かれるのは、
プライドが許さなかったということもあるろう。
今、振り返ってみると、あの頃のイギリス人を
バカだ、怠け者だと非難する気にはなれない。
それは人間というのは、
一度、豊かな生活———まわりに文化的な環境があり、
なんとか食っていけるといった状況を体験してしまうと、
必死になってカネを稼ぐだけの生活には
もう二度と戻れないのではないか、と思うからだ。
言い換えると、肉体だけでなく、精神もメシを食いたがり、
その結果、自己表現の欲求が抑えられなくなる。
文化や芸術などなくても生活していけそうなものだが、
文明国で生まれ育った人間には、
それはどだい無理な話なのだ。
労働・カネ・芸術。
これからを生きる人間にとって、
この三つに折り合いをつけるのは
大きな課題であり、ある種の楽しみなのかもしれない。
日本の社会が40年近く前のイギリスと
似たような状況になった今、
しみじみとそうしたことを感じる。
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「洗たく女の空とぶサンダル」に出てくる
洗たく屋の社長は、
「人の手足を使って昔ながらのお洗濯をします」と訴え、
超富裕層に向けて「ぬくもりランドリー」
というサービスを始めて大ヒット。
見事に成功を果たした洗たくビジンス界の寵児である。
・・・という設定である。
今年はチャットGPTの登場で、
まだもうちょっと先ではないかと言われていた
AIの実用化が広範囲に広まり、
ビジネスのデジタル化が急激に加速した。
そして多くの人が仕事を奪われるのではないかと
戦々恐々としている。
けれでもご心配なく。
肉体労働は当分間の間、なくならない。
どうしても働きたい・働かなきゃという人は、
涼しいオフィスで坐っておらずに、
体を動かし、汗を流して働けばいいのだ。
それにこれからますます消費生活がデジタル化すると、
「昔はよかった、生活の中に人のぬくもりがあった」
と言い出す人が必ず出てくる。どんどん出てくる。
なのでお金のある人は、
ちゃんとしてるけど味気ない、
機械化されたサービスではなく、
アナログで、人のぬくもりを感じられるサービス、
昔ながらの人力労働を求めるようになるだろう。
ちょっとぐらい失敗してくれた方が、
人間らしくてありがたい、とさえ思うかもしれない。
だから、たとえ高いお金を払っても、
いや、お金なんかいくらでも払えるからこそ、
その人力労働を買おうとする。
時代設定は現代ということにしてあるが、
そういう意味では、これは近未来SFなのかもしれない。
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久しぶりにバービーボーイズを聴いて、
こんなにもパワフルだったっけか?と驚いた。
リリースは1987年。
バービーには他にも面白い曲がいっぱいあるが、
この曲のセクシーでスリリングなカッコよさは断トツ。
何と言ってもヴォーカル杏子が女ぎつねそのもので、
キツネサインを掲げてしなを作ったり、
スカートを翻してクルクル踊り回る姿には
完全にイカれちゃうな。
実際に売れていた若い頃の映像も見たが、
なんだかちょっとガキっぽくて、
演奏のクオリティもステージパフォーマンスも
齢を取ったこの頃(2009年らしい)のほうが
抜群にキレていて色気もたっぷりだ。
バラードっぽい曲でのデュエットはよくあるが、
ロックでこうした男女で掛け合いをする
ツインヴォーカルスタイルはかなり独特で、
他にあまり思い当たらない。
このバンドが活躍したは80年代後半から90年代初めは、
いわゆるバブルの頃で、
時代の勢いに乗ってた感じもするが、
いま聴いたほうがその真価がよりビビットに伝わってくる。
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おりべまこと
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先日、若い女の子がゴミ回収の仕事を
やっているところに出くわし、びっくりした。
女子がそうした仕事に就くことに何の異論もないが、
彼女はびしっとメイクしていて、
帽子からはみ出た髪はきれいにサラサラしていて、
ほとんどアイドルみたい。
朝、この仕事でバイトして、作業着から普段着に着替えて
芸能事務所なりロケ現場に行くのだろうか・・・
と勝手に想像した。
本当のところはもちろん知らないが、
その労働する姿とルックスとのギャップに
いたく心癒された。
ご本人はそんなつもりはカケラもないと思うが。
3K的な肉体労働の現場でも、
昔と違って女性がバリバリ働いている。
経済が成長していく時代は、
女はどんな職業・職場でも、
女は日々働く男たちを慰労する役割が中心で、
実際の労働の価値はその副産物でしかなかった。
時は流れ、経済が落ち込み、
男だけじゃダメだということで社会進出が当たり前になり、
今では経済・産業の世界において
女性が主役を務めることも少なくない。
しかし誤解を恐れず言えば、
それでも職場で女は男を癒し、
多かれ少なかれ夢を施している。
これは人間社会が女と男で成り立っている以上、
仕方ないことだと思うし、
それで職場のテンションが上がればいいことだと思う。
ただ、その現実と夢のバランスが崩れると、
世の中ではいろいろ事件が起きる。
「洗たく女と空とぶサンダル」は当初、
足の大きい女性を主人公にして話にしようと
思っていたのが、
いつの間にか、この資本主義社会において
そうした労働に勤しむ女についての幻想が入り込み、
奇妙なファンタジー物に化けた。
はたらく女性と
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残り1日 11月30日(木)16:59まで。
毎日コツコツ10頁の原稿を書く。
最後まで辿り着いたら、しばらく休んで
もう一度、最初から書き直す。また休む。
そしてまた納得がいくまで書きなおし、
これでいいかと思ったら読んでもらって
指摘を受けたらそこをまた書き直す。
齢を取ってから村上春樹のそうした書き方・生き方を
いいなと思うようになった。
もっと前からできていたらよかったのだろうが、
若い頃はそんなふうに考えられなかった。
そんな話を聞いただけでうんざりした。
いま若い人も恐らくそう思う人が大半だと思うが、
もしできれば気が付くといい。
平凡な日々、平凡な作業の積み重ねが、
非凡な結果を生み出すことがある。
そうして生まれた村上春樹の小説には
いろんな哲学が秘められている。
それを読み解くのが楽しい。
今は間違っていたことを素直にを認めて
気力・体力が続くまでコツコツやりなおすだけである。
もくじ
●村上春樹の初期作品を再読する「風の歌を聴け」
●村上春樹の初期作品を再読する「1973年のピンボール」
●村上春樹の初期作品を再読する「羊をめぐる冒険」
●村上春樹の初期作品を再読する
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」
●少したってまた村上春樹の初期作品を再読する
「ノルウェイの森」
●「海辺のカフカ」迷子の猫とネコ探し名人ナカタさん
●「アフターダーク」生きていく燃料としての記憶
●「1Q84」のタマルとミケランジェロ
●「騎士団長殺し」の免色渉と子ども
●2018年の4月に「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を読んだ
●結婚記念日と「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」
●2020年の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」と新型コロナウィルスに犯された後の世界
●40年目の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」について
●4月のある雨の朝に100パーセントの川岸から 小舟を漕ぎ出すことについて
●早春に目覚めたカエルと「かえるくん」について
●小説を読むように楽しむ映画「ドライブ・マイ・カー」
●村上春樹のエッセイ「猫を棄てる」と父親史について
●村上春樹はみんなに「読書は創造活動」と気づかせた作家
●「街とその不確かな壁」:そこは現代人の魂の拠りどころ
全21編採録
「なんでこんなわけのわからない話を
読みたくなるんだろう?」
と、いつもいつも不思議に思いつつ、
44年にわたって村上春樹の小説と付かず離れずで
生きて来たが、
アラカンになってその謎に挑戦すべく初期作品を再読。
そして近年の作品も読んでいろんなことを考えた。
1978年のデビュー作「風の歌を聴け」から
2023年発表の最新作「街とその不確かな壁」まで。
ふたたび旅したハルキワールドの思い出・感想・評論をミックスアップしたエッセイ集。
村上春樹を読み直して自分の世界を書き換える。
はじめての人も、リピーターの人も、ハルキワールドの旅のガイダンスにご活用ください。
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この機会にぜひ。
もくじ
●村上春樹の初期作品を再読する「風の歌を聴け」
●村上春樹の初期作品を再読する「1973年のピンボール」
●村上春樹の初期作品を再読する「羊をめぐる冒険」
●村上春樹の初期作品を再読する
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」
●少したってまた村上春樹の初期作品を再読する
「ノルウェイの森」
●「海辺のカフカ」迷子の猫とネコ探し名人ナカタさん
●「アフターダーク」生きていく燃料としての記憶
●「1Q84」のタマルとミケランジェロ
●「騎士団長殺し」の免色渉と子ども
●2018年の4月に「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を読んだ
●結婚記念日と「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」
●2020年の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」と新型コロナウィルスに犯された後の世界
●40年目の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」について
●4月のある雨の朝に100パーセントの川岸から 小舟を漕ぎ出すことについて
●早春に目覚めたカエルと「かえるくん」について
●小説を読むように楽しむ映画「ドライブ・マイ・カー」
●村上春樹のエッセイ「猫を棄てる」と父親史について
●村上春樹はみんなに「読書は創造活動」と気づかせた作家
●「街とその不確かな壁」:そこは現代人の魂の拠りどころ
全21編採録
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本日11月27日(月)17:00~30日(木)16:59まで。
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全21編採録
1973年リリース。
ボブ・ディラン屈指の名曲を
サンディ・デニーとフェアポート・コンベンションが
カヴァー。
60年代後半から70年代前半にかけて活躍した
イギリスのフォーク/ロックバンド
フェアポート・コンベンションは
民謡・古謡を現代風にアレンジした楽曲で、
その後の多くのロック/ポップバンドに影響を与えた。
また、ジュディ・ダイブル、サンディ・デニーという
二人の伝説的女性シンガーを輩出したことでも知られる。
ジュディ・ダイブルは、
グレッグ・レイク加入前の
最初期キング・クリムゾンに参加し、
「風に語りて」のアーリーバージョンでヴォーカルを担当。
長いブランクを経てカムバックした2000年には
ソロアルバムで新アレンジによる
21世紀版「風に語りて」もリリースしている。
サンディ・デニーは、レッド・ツェッペリンⅣの
「限りなき戦い」にゲストヴォーカリストとして参加。
ロバート・プラントとのデュエットで、
神話的な楽曲の創造に貢献した。
その残響は次曲「天国への階段」の
イントロにも繋がっている。
31歳で夭折したこともあって、
その歌声は伝説として語り継がれ、
死後半世紀近く経った今でも、
多くのミュージシャンのリスペクトを集めている。
「天国への扉」は、もともとボブ・ディランが
映画「ビリー・ザ・キッド」のテーマ曲として
書いたものだが、
多くのミュージシャンがこの曲の虜となり、
カヴァーにチャレンジ。
そのなかでも
サンディ・デニー&フェアポート・コンベンションの
原曲と対照的な、聖なる雰囲気を漂わせるパフォーマンスは
とりわけユニークで聴きごたえがある。
もちろんワイルドでたっぷりエモーショナルな
本家ディランのハーモニカもしびれる。
京都の百万遍にある知恩寺というお寺で
毎月15日に「てづくり市」という市が立つ。
その名の通り、結構広い境内いっぱい
関西・近畿一円から集まった業者が
露店を開き、衣料・アクセサリー・工芸品・アート・
玩具・生活雑貨など、手作り品を売っている。
関西弁があふれ、とても楽しくてにぎやかだ。
そのなかで布で作った人形を売っている店があり、
かわいいお地蔵さんが目に留まった。
10数個あったが、一つ一つ顔と着物が微妙に異なる。
売り子のおねえさんによると、
95歳のおばちゃんが作っているのだそうだ。
そんな話を聞いて、義母のお土産にと一つ買ってきた。
(旅行中はショートステイに預けていた)
鏡台の前にずらりと並んだお友だちの間に
さりげに置いておいたら、
新入りに気付かないのか、自然に受け入れているのか、
とくにリアクションもなく、この1週間過ごしている。
彼女にとってはお地蔵さんも、タコやネコやワンちゃんと
同列扱いのようだ。
それでもって昼となく夜となく
これらマスコット相手におしゃべりをしている。
それだけでなく最近は幻視なのか、
やたらとどこかの子どもや、もうこの世にいない
親やきょうだい、見知らぬ先生とかお兄さん・お姉さんまで
遊びにくるようで、いろいろ訊かれるのだが、
「こっちにはいないよ」とか
「さあ、どこに行ったんだろう?」とか、
「会えてよかったね。きっとまた来るよ」とか言ってかわすと、
納得したのかしないのかわからないが、一応ひっこむ。
それでまたちょっと経つと部屋で誰かと話している。
知らない人が見たらびっくりするかもしれないが、
すっかり慣れて日常の風景になってしまった。
一時期、「お母さんのところに帰る」と言って、
止めるのも聞かずに家を出ていくことが会って往生した。
数日前に見たNHKのクローズアップ現代で
「認知症行方不明者1万8千人の衝撃」
という特集をやっていたが、
これは本当に大問題である。
家族や子供が家の中にいて話ができるなら
いきなり「かえるかえるケロケロ」と騒ぎ出さずに済んで
こちは助かるというものだ。
考えてみれば、どこか違う世界の子供と会ったり、
もうこの世を去ってしまった家族がいたりするなんて
幸福なくらしである。
そういうふうに考えていかないと、
これからの「高齢者の5人にひとりが認知症」なんて時代を
到底乗り越えていけないのではないか。
お地蔵さん、義母が図と幸福でありますように。
どこに行っても観光客だらけの京都だが、
不思議と東寺はいつ行っても空いている感じがする。
空海ゆかりの東寺は、京都駅から徒歩15~20分。
(中途半端なロケーションなので
歩ける人は歩いた方がいい。
足が悪ければタクシーで1~2メーター。)
平安京の遺構であり、日本最古の密教寺であり、
もちろん世界遺産の一つ。
800円で巨大な薬師如来が鎮座する金堂(こんどう)、
立体曼陀羅のある講堂(こうどう)、
そして五重の塔を見て回れる。
どれも圧巻。
こういう寺が1200年も存続しつづけていることが、
月並みだけど日本の素晴らしいところ。
空いている感がするのは、
単にタイミングがいいだけなのか。
境内がだだっ広いので人口密度が低いからか。
けどそれよりも、
他の観光地から離れ小島のような場所にあり、
周囲に食べ歩き用の飲食店や
土産物屋がないおかげで俗化されず、
観光公害を免れているのが大きいのだろう。
今回も修学旅行生はあちこちから来ていたが、
うるさい外国人は少なく、快適に見て回れた。
今回、3つの建物のほかに、食堂(じきどう)で
観瀾斎(かんらんさい)という画家の展覧会をやっていた。
こちらは入場無料なので、さりげに覗いてみると
「棟方志功?」
「ピカソ?」
「マティス?」
「シャガール?」
といった作品がずらり。
それらの巨匠のタッチで仏様の世界を描いている。
悪く言えばパクリなのだが、
この人の描くテーマ「祈り、癒し」――
人間と仏様の世界が、
それらの巨匠に近いタッチで描かれているを見るのは
とても楽しいし、こころ動かされる。
そしてどれもアート一直線でなく、
少しずつポップでマンガっぽくて、庶民的なのもいい。
デジタルテクノロジーが広がり、
人間の社会・感情生活が大きく変わる一方で、
100年前と何ら変わることなく
各地の戦争で不安に脅かされる現代の世界。
こうした状況に触れて、
もし、かの20世紀アートの巨匠たちが生きていたら
どんな絵を描くのだろうと思わず考えてしまった。
観瀾斎氏には今は亡き志功やピカソに替わって、
「祈り、癒し」の絵を描いてほしいと思った。
この展覧会では来年の干支である
龍の作品も多数展示されており、
ポップでユーモラスな龍の絵は縁起がよさそうだ。
小さなパネルの絵なら2000円~3000円で買える。
12月24日まで。
あとひと月間、開催されているので、
これから京都に行く人はぜひ東寺に立ち寄り、
仏像と観瀾斎の絵を見るのがおすすめ。
京都で印象深かった食と言えば、
南禅寺の参道沿いにあった湯豆腐のお店「五右衛門」。
それから道路を挟んで東寺の入口の向いにある
カモ料理の「空(くう)」。
南禅寺は臨済宗のお寺。
禅宗の一つである臨済宗は、坐禅・宿坊・精進料理で、
外国人に大人気。
それにこの辺は水がいいので豆腐がうまく、
いつの頃からか、ここの参道沿いには
いくつも湯豆腐の店ができ、名物になった。
もともと質素なはずの精進料理だが、
観光客相手だと高級料理に変わってしまい、
この周辺の湯豆腐屋もめっちゃ敷居が高い。
その中でも「五右衛門茶屋」は
比較的リーズナブルなお値段で、
店の雰囲気も素朴であったか。
湯豆腐を食べるのにぴったりだ。
お昼の定食は湯豆腐をメインに突き出し、
野菜天ぷら、ごはんがついて2500円也。
ちなみに南禅寺のもう一つの名物は、石川五右衛門。
もちろんルパン3世の仲間でなく、
安土桃山時代に生きた大盗賊で、
最期は豊臣秀吉によって、
三条河原で、手下や家族もろとも釜茹での刑に処された。
「五右衛門ぶろ」はそこから生まれた
蓋を底に沈めて入る釜茹で風呂である。
それにしても権力を握った後の秀吉はほとんど狂人で、
その残虐さは信長以上である。
五右衛門は権力者ばかり狙う盗賊だったので、
庶民に人気が高く、さまざまな伝説が生まれ、
江渡時代になると歌舞伎のネタにもなった。
巨大な南禅寺の三門は高さが22メートルあり、
日本三大門の1つに数えられるほどの名門だが、
歌舞伎「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」の中で
石川五右衛門が満開の桜を眺め
「絶景かな、絶景かな」と見得を切る場面としても有名だ。
建てられたのは江戸時代初期なので、
五右衛門の「絶景かな」はお芝居での話。
東寺は空海を宗祖とする真言宗のお寺。
その向かいの「空」は当然、空海の空と
めしを「食う」を掛け合わせたもの。
(と断定したけど、お店の人に聞いたわけではない)
ちょっと古風な門構えで、しかも鴨料理というので
一瞬、高いかな?と思わせるが、
少なくともランチはいたってリーズナブル。
ほとんどのメニューが1000円台で食べられる。
お店のなかは外観とちょっとギャップのあるモダンな造り。
いわゆる「町屋カフェ」として売り出しているようだ。
お昼の限定メニューとして、
鴨カツ丼と鴨カレー(鴨しゃぶのだしのカレー)が
あったので、迷ったあげく、鴨カツ丼を選択。
チキンとはまた違う、ちょっと珍しいおいしさだった。
カレーの方も食いたかったとちょっと未練を残しつつ
京都を去ることになった。
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1979年のデビュー作「風の歌を聴け」から2023年発表の最新作「街とその不確かな壁」まで。ふたたび旅したハルキワールドの思い出・感想・評論をミックスアップしたエッセイ集。
はじめての人も、リピーターの人も、ハルキワールドを旅する時のガイドブックとしてご活用ください。
コロナ禍の頃、観光業やお寺関係の仕事で、
政府が日本の観光立国化を目指し、
観光収益を上げるために、
インバウンド客の単価UPを
図っているという話をよく聞いた。
金のない旅行者から
無理やりふんだくるわけにはいかないので、
ターゲットは当然、世界の富裕層。
高額な料金に見合うだけの
日本文化の体験・最上級のおもてなしを
たっぷり盛り合わせて…という戦略を
いろいろなコンサルタント会社が入って企て、
かなり懸命にテコ入れしていたようだ。
その努力は報われた。
2泊3日の京都旅行に行って、
観光業者はその要請にしっかり応えたことが見えた。
本当に人気観光地の周辺の飲食店に入るには
富裕層クラスのお金が必要。
一般ピープルは食べ歩き用の屋台食やスイーツなどで
楽しんでね、という感じ。
宿代もコロナ前の2019年に比べ、
平均で3~4割値上がっているらしい。
(僕たちは山科駅近くのAirBnBに泊った)
実際、どの程度、単価UPを達成したかは
いずれ観光庁が成果のデータを上げるだろうが、
観光にも昨今の格差社会の在り方が
十二分に反映されているような気がする。
京都の秋の観光はまだまだこれからが本番。
自社と紅葉のライトアップが12月まで続いて、
大賑わいになりそうだ。
ちなみに観光立国になるということは
国家が成熟した証拠。
今あるもの・持っているものを見せればいい。
もちろん、その見せ方が問題で、
そこにいろいろ工夫は必要だけど、
観光業は莫大な資本や人材を投入して
新しく何かイノベーションを起こす産業ではない。
おとなになったニッポン。
リッチなニッポン。
けれども老化するニッポン。
個人と同じで、国家もこれからの生き方を問われる。
「まだまだ若くて元気ハツラツだ~」
なんて張り切ってると、ぎっくり腰にいなるのがオチだ。
何もかも下り坂の国が、
政治も社会機構も、上り坂の時と同じ運転していたら
おかしなことになるのに決まっている。
ネガティブに考えなくてもいいけど