週末の懐メロ128:赤いハイヒール/太田裕美

 

松本隆+筒美京平の70年代の斬新な歌謡マジック。

太田裕美の代表曲と言えば「木綿のハンカチーフ」だが、

明るい爽やかさの裏に悲しみが潜むあちらの歌に比べ、

この「赤いハイヒール」は、

アンニュイでミステリアスな曲調。

ちょっと禍々しいブラックメルヘンの味付けもある。

僕はこっちの方が好きで、このレコードも持っていた。

1976年。高校2年の時である。

 

「木綿」と同様、男女のダイアローグで進むが、

冒頭、「ねえ、友だちなら聞いてくださる?」と

リスナーに語り掛けて歌の世界に誘い込むという、

のっけから松本隆のマジックが炸裂する。

今ならそう珍しくないかもしれないが、

当時、こんな曲はなかった。

 

白のイメージカラー、

都会に出た男の子×田舎にいる女の子。

赤のイメージカラー、

都会に出た女の子×田舎にいる男の子。

という設定の対比に留まらない。

 

「木綿」では人物やドラマの描写が

割とあいまいで抽象的だったのに対して、

こちらは、東京駅に着いた・

おさげでそばかすのある女の子・

ハイヒール買った・お国訛りを笑われた(らしい)・

タイプライター打つ仕事をやってるなど、

主人公の状況がかなり具体的に描かれている。

 

このあたり、ただのアンサーソング・二番煎じとは

絶対に言わせない。

「木綿」よりもいい曲にする・面白くするという、

松本+筒美の情熱とプライドを感じる。

そして何よりもその根底に太田裕美への愛情を感じる。

 

「松本隆のことばの力」(藤田久美子インタビュー・編/インターナショナル新書)によると、

当時、すでに大御所作曲家だった筒美京平は、

既にスターになった歌手にほとんど関心を示さず、

自分の曲で新人を育て上げたいという

強い思いを持っていたという。

 

太田裕美はその筒美が目を付けた宝石だった。

そこで売り出し中の作詞家だった松本隆に声をかけて、

太田裕美のためにコンビを組んだ。

 

その第1弾「木綿のハンカチーフ」が大ヒットしたのだが、

一発屋で終わらせない、

彼女を後世まで残る歌手にするのだ、

と気合を込めて作ったのが、この「赤いハイヒール」

だったのではないかと思う。

 

とにかく詞も曲も編曲も凝りまくっているが、

それをここまで可憐に、軽やかに、

それでいながら心に沁みるように歌えるのは、

昔も今もやっぱり太田裕美しかいない。

——聴く者にそう思わせるだけのものがある。

 

ちなみに「おとぎ話の人魚姫は死ぬまで踊る赤い靴」

という一節は、松本隆の創作である。

 

「赤い靴」は美しい少女が、美しさゆえに傲慢になり、

病気の親を見捨てて、強欲に快楽を求めたがために

呪いの赤い靴を履いて死ぬまで踊ることになる。

そして、その呪いを解くために

首切り役人に頼んで両足を切断するという、

子供に読んであげたらトラウマになること必至の

衝撃的な展開の物語だ。

同じアンデルセンの童話だが「人魚姫」とは

別々の話である。

 

それも含めて松本隆の数多い作品の中でも

「赤いハイヒール」は屈指のドラマ性と

独特のイメージを持った世界観を作っている。

 

もちろん、この令和の感覚からすれば、

ツッコミどころ満載の歌詞なのだが、

これぞ懐メロ、これぞレトロ昭和ワールド。

 

まだ1970年代(昭和50年代)は、

今では考えられないくらい

東京と地方とでは情報格差があった。

地方出身者にとって、

東京はほとんど異国と言ってもよいくらいだったのだ。

それもとっておきの、ピカピカの。

 

僕は名古屋の出身で、名古屋は当時、

日本で4番目に人口の多い都会なのだが、

それでも東京に行って暮らす、というと

ただそれだけで周囲から羨望の目で見られた。

ウソのようだが、ホントの話だ。

 

今でもこの季節になると、

東京に出てきて演劇学校に入った頃のことを思い出す。

そして、演劇や音楽にうつつを抜かした

東京暮らしを良い思い出にして、

田舎に帰って行った多くの仲間のことも。

 

元気にまだ生きているだろうか?と無責任に考えるが、

そんな自分は、結局、呪いの赤い靴を履いたまま、

どこにも帰らず、だらだら東京暮らしを続けている。

たぶん、死ぬまで呪いが解けることはない。

 


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お花見とイタリアン

 

雨にも負けず、風にも負けず、

桜ががんばってくれて本日はお花見日和。

 

今日は義母ではなく、カミさんと

桜を見ながら善福寺川沿いを歩くと、

南イタリア料理のレストランがある。

ちょうどテラス席があいていたので、

オープンエアランチ。

 

この「カーザ・ドルチェ・カーザ」は、

表が五日市街道沿い。

関東バスの車庫のすぐお隣。

裏が善福寺川公園というユニークなロケーション。

このあたりを通ることがあったら寄ってみてください。

素朴で可愛いお店です。

 

桜は満開の木も、葉桜も、桜吹雪も、花筏も、

みんな楽しめて大満足でした。

 


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おすすめ本「なんで家族を続けるの?」

 

内田也哉子と中野信子の対談本。

カミさんが図書館で借りてきたのを

借りて読んだら、めっちゃ面白かった。

 

内田也哉子はご存じ、樹木希林と内田裕也の娘。

中野信子は頭脳キレまくりの脳科学者。

日本人の女として、かなりイレギュラーな

家庭・家族の間で育った二人のトークは軽妙で、

家族論を中心に、人生論・幸福論へ広がっていく。

 

要約すれば、日本の伝統的家族像は、

たかがこの150年余りで作られたもの。

それぞれ違ってていいんだ、

というダイバーシティな話をしているのだが、

二人の家族経験・キャラと相まって、

笑えて面白く、とても感動的だった。

 

この本では婚姻関係と生殖・子育て・家族の構築は別物

という大きなテーマが語られている。

中野信子が

「アホウドリの3分の1のカップルはレズビアン」

という話をするのだが、そういえば数年前に、

テレビのドキュメンタリーで、レズビアンのカップルが、

「精子バンクで精子を買って子供を産んで育てたい」と

話しているのを聞いて衝撃を受け、

「そうか・・・」と妙に感心した、というか、

男としてなかなか複雑な思いに駆られたのを思い出した。

 

また、読みながら、ふと樹木希林が晩年に出演した、

是枝裕和監督の映画「万引き家族」が頭に浮かんできた。

 

いま、フランスで生まれる子どもは

過半数が婚外子だという。

そんな国の映画祭(カンヌ国際映画祭)で「万引き家族」が

大きな共感を呼び、グランプリ(2018年)を受賞したのは

何だかと絵も納得できる。

僕も大好きな映画でもう3回見ているが、

また見たくなった。

 

少子化問題が大変だと言っている日本もこの際、

婚姻関係にこだわらず、

フランス式のライフスタイルを受け入れればいいのに、

と思うのだが、

歴史・文化・自然環境などの条件の中で培ってきた

感性・考え方は、

そう簡単に外国に合わせるわけにはいかないようだ。

そのあたりも中野信子は言及している。

 

それにしても、

いつまでも昭和スタイルにこだわっていては、

経済も産業も、家族も人々の幸福感も、

どんどん損なわれていくのは明白である。

そんな、この先のこともいろいろ考えられる本なので、

ぜひ一度、読んでみてください。

 


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ホワイトファンタジー家康:いい人だから天下を取った

 

今年の大河ドラマ「どうする家康」はどうやら、

「家康はいい人だったから天下を取れた」

という物語になりそうな気配だ。

 

もともと家康役が松潤なので、

初回のヘタレぶりから、

どうもそういう話になるんじゃ・・・

という気配はしていたが、

昨日の「氏真」の回でそれを確信した。

 

どういう話だったかは、

ネットであらすじを読むか、

NHKプラスを見るか、

今度の土曜の再放送を見るかしてほしいが、

とにかく家康は、追い詰めた今川氏真(溝端淳平)を

殺せず、助けてしまう、情に厚い“いい人”。

 

しかも氏真の奥さんがこれまた、夫思いのとてもいい人。

 

さらに、とっくの昔に出番が終わってたはずの

今川義元が回想シーンでよみがえり、

感動的なお父さんぶりを見せる。

 

野村萬斎をキャスティングしておいて、

あれで終わりかいと思っていたが、

最後(死んだ後だけど)にちゃんと見せ場を残して、

スポットライトを浴びせてくれた。

そんなわけで、友愛、夫婦愛、親子愛の

人情ドラマ3連荘で、泣かせるわ、泣かせるわ。

 

この後、今川氏真は、

戦国武将としては表舞台から退場するが、

家康の手引きで北条氏の領土に逃げて生き延び、

文化人となって、のちに密かに家康に影響を及ぼす。

いちおうそうした史実も踏まえてドラマ化している。

 

これまで今川親子なんて、

信長や信玄の引き立て役・滅ぼされた負け組として

ずさんな扱われ方しかされなかったが、

ここまで丁寧に人間的に描いたのは良かったと思う。

 

それにしても、昨年の「鎌倉殿」が陰謀・裏切り満載で

思いっきりブラック、そしてリアルだったのに対して、

こちらはまるで戦国ファンタジーかと思えるほどの

ホワイトぶり。

 

なにせファンタジーなので、阿部寛の武田信玄も、

岡田准一の織田信長も、ムロツヨシの豊臣秀吉も

ほとんどマンガの世界の人。

そして家康との対比で、

みんなとんでもない悪人どもに見える。

おそらくそういうのも狙いなのだろう。

 

もちろん、「幼稚」だの「大甘」だの

「戦国時代にこんなのあり得ねーだろ」という

手厳しい批評も飛び交っているが、

僕はこういう見方をしているので、けっこう面白い。

 

ナレーションでも「神の君」なんて言ってるが、

江戸時代には徳川家康は神さま扱いだった。

それが、250年後に明治政府として

権力を取り返した長州組などが

「幕府の元祖の家康は大悪人だった」と言って

ブラックタヌキのイメージを人びとに植え付けた、

とう説がある。

 

正義も悪も、歴史も人物像も、その時代の風向きによって

くるくる変わってしまうものだ。

事実は一つだが、真実は人の数だけある。

 

いま、時代は「いい人」の味方である。

かつて蔑まれていた「いい人」が持て囃される。

最後にはいい人が勝つ・笑う。

「どうする家康」は、そんな時代の空気を吸っている。

 

ブラック鎌倉殿は完成度が高く、

ラストも衝撃的だったが、

あれはちと悲惨過ぎた。

やっぱり同じようなものを続けざまに見せてはいけない。

 

少なくとも今年のこのドラマでは

ハッピーエンドになってほしい。

たとえそれがリアリティに欠けた、

ホワイトファンタジーであっても。

 

これから戦国時代の大波が押し寄せ、

いろいろな修羅場を潜り抜けねばならないが、

松潤家康は間違ってもダークサイドに落ちて

キャラ変などせず、

いい人のまま、白うさぎ君のままでがんばってほしい。

 


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二度と洋食屋には連れていくべからず

 

昨日は久しぶりに義母を美容院に連れて行った。

いつもカミさんが連れていくという行きつけのところ。

ここのおばちゃん、腕は大したことないが、

高齢者の扱いはうまく、

髪もきれいになってすっかり気分がよくなった。

 

問題はその後。

お昼を外食にしたが、

たまにはいいかと洋食専門のカフェへ。

オムライスならよかろうと思って注文したところ、

上にのっていたデミグラソースがお気に召さず、

せっかくご機嫌だったのが、めっちゃ不機嫌に。

あんまり洋食は好きではないのだが、

家では素直に食べるのでつい油断してしまったのだ。

 

この人はへそを曲げるとけっこうガンコで、

いつもなら喜んで食べるデザートにも

「いらない!」と手をつけない。

 

しかたなく、そそくさとカネを払って外に。

二度と洋食屋には連れていくべからず。

痛い教訓を得た。

 

しかし出たとたん、デミグラオムライスの記憶を忘れ、

それまでの不機嫌だった記憶を忘れて、

なぜか美容院から出てきたときの笑顔に戻っている。

こういう時、認知症は便利でありがたい?

帰った後、いつもの安い菓子パンをあげたら大喜び。

 

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週末の懐メロ127:いとしのレイラ/デレク&ザ・ドミノス   ㇲ

 

エリック・クラプトンの代表曲になっている

「いとしのレイラ」。

じつは1970年に発表された

デレク&ザ・ドミノスのアルバムに収録されたものが

オリジナルバージョン。

 

ヤードバーズ、クリーム、ブラインド・フェイスなど、

60年代の歴史的バンドで活躍し、

この頃、すでに稀代の名ギタリストの地位を確立していた

クラプトンは、もちろんこの新しいバンドの

リードギタリストだった。

 

僕は中学生の時、ラジオでが初めてこの曲を聴いた。

その前に音楽雑誌で評判は聞いていた。

当時、これほどもてはやされていた曲も珍しい。

 

クラプトンと言えばレイラ。

とにかくレイラがすごい、レイラ大好き、レイラ最高!

彼はすでにソロ活動に入っていたが、

ライブをやってもみんながこれを聴きたがるものだから、

新しい曲がやりにくい、

といったエピソードがあふれていた。

 

で、そんなにすごい曲なのかと思って聴いたが、

正直なところ、「そんなかなぁ」と思ってしまった。

その頃はハードロックやプログレに狂っていたので、

この曲があんまりすごいとか、カッコいいとか、

面白いとか思わなかったんだよね。

 

その印象が一変したのが、高校生の時。

同じくラジオで流れてきたレイラに鳥肌が立ち、

しびれまくった。

いったい何が違っていたのか?

 

最初に聴いたのは前半3分のみ、

おなじみクラプトンのギターが炸裂する

シングルバージョン。

そして2回目はその続きがあるフルバージョンだったのだ。

 

聴けばわかるが、レイラは二つのパートで成り立っていて、

後半はピアノを中心とした

インストゥルメンタルパートになっている。

 

3分を過ぎてギターが鳴りやんだところに、

やさしくピアノが入ってきて、

そこにまたギターが絡み合って、

まるで違う曲のように美しく流れていく。

これぞ本物の「いとしのレイラ」だ。

 

いわば迸る恋の情熱・激情と、

それが成就したあとの愛が満ち溢れる世界。

この前半と後半の対比が

めっちゃドラマチックで素晴らしく、

両パート合わせてこその名曲なのである。

 

それから半世紀、この曲はクラプトンのライブで

欠かせないレパートリーとなり、

最近は彼の齢に合わせて

渋いアコースティックバージョンになっている。

 

が、演奏されるのはやっぱり前半部分ばかり。

だから「レイラ」と言っても、中学生時代の僕と同様、

曲の半分しか知らない人が多いのではないだろうか?

 

そんな人はぜひ、デレク&ザ・ドミノスの

フルバージョンを聴いて、イメージを一新してほしい。

 

ところでこのバンド名、

僕はずっとデレクさんとドミノスさんという人が

メンバーにいるのかなと思っていたが、そうではなく、

もともと「ダイナミックス」という名前だったのを

テレビ番組の司会者が紹介する時、

「デレク&ザ・ドミノス」と言い間違えたのだという。

 

メンバーの一人である

ボビー・ウィットロックの証言なので、

本当のことらしいが、え~、ホント? と思ってしまう。

ロックの世界は、ジョークやいい加減な話が

まことしやかに伝説化されてしまっていることが多い。

まぁ、今さらどうでもいいことだけど。

 

ちなみにこのアルバムジャッケットも

ロック史に残る名作で、

まさしくレイラが描かれていると思う。

 


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「世界のEnding Watch」ニューバージョン

 

泣いて歌って踊るガーナのエンタメ葬、

ハロウィーンの原型となり、

ディズニー映画のモチーフにもなったメキシコの死者の日、

チベット仏教に基づくブータンの鳥葬など、

世界の葬儀・供養を紹介・考察。

雑誌に連載し、電子書籍として発行している

「世界のEnding Watch」が、

このたび装いも新たに、某サイトの連載記事になります。

もちろん完全リニューアルの新作コラムとして、

前作とは違った構成・展開に。

公開の際にはまたお知らせします。

 


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アネモネと小説

 

お彼岸の花という感じではないが、

行きつけの花屋でアネモネが目に留まり買った。

茎の歪み具合など、何となくサイケなイメージがあって、

クリムトかエゴンシーレの絵画に

あったような気がしていたが、

アネモネを好んで描いたのは、印象派のルノワールだった。

 

僕にとってアネモネというと思い起こすのが、

村上龍の小説「コインロッカーベイビーズ」だ。

この物語のヒロインの名がアネモネだった。

 

20歳の頃にのめり込むように読んだ。

その割に内容を覚えてないのだが、

文体と物語全体のロックなノリが斬新で、

当時、村上春樹と「新しい小説」の双璧を築いていた。

 

当然、影響力の大きな作品だったので、

ネット上にいくつも書評や紹介文も載っているが、

どれを読んでも何か違和感を感じる。

僕が読んだ「コインロッカーベイビーズ」は

こんな話だったっけか?

アネモネはこんな少女だったっけか? という感じ。

 

これだけ大量にいろいろなコンテンツが

あふれる世のなかではやむを得ないのだろうけど、

2,3分でわかった気になってしまう

こういうお手軽な解説は、

あんまり読んでは駄目だなと思ってしまう。

 

これはやはり再読するしかないだろう。

どんどん再読候補本が増える。

目が悪くなった60代としてはなかなか厳しい。

若者たちには、目のいいうちに

いっぱい本を読んでおくことをお薦めする。

 


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認知症 花のアートワーク

外に出て人や自然と触れ合う方が薬を飲むより効果的。

というのは、べつに医学的根拠があるわけでなく、

僕の思い込みで、ほとんど宗教行為に近い。

実際、医者も最初の1年ほどを過ぎると、

薬はほとんど効果なく、単なる気休めだという。

 

子ども、犬、鳥、花・・・

いろいろリアルな情景がある。

ただ、たんに「この世界は美しい」

と感じてもらいたくて、

いつも義母を散歩に連れ出している。

 

今日はお花見日和。

川添いのソメイヨシノは三分咲きくらいのから

八分咲きくらいまで、木によってまちまちだが、

さすがに人出が多く賑やかだった。

心なしか、コロナ前よりお花見マナーが良くなった感じ。

みんなとても幸福そうだ。

 

桜はもちろんだが、他にも小さい目立たない草花から

大きな派手なのまでいろいろな花が咲いて、

まさしく春本番。

ピンクの椿の花も丸くてかわいい。

 

義母が落ちていたのをお持ち帰りするというので、

「それはここにあるからきれいなんだよ」というと、

橋のたもとにある少年像の掌の上に、

椿の花を持たせてあげた。

 

ちょっと感心して、

「どうして持たせてあげたの?」と訊くと、

「知らない。ただこうしたかったのよ」と、

大芸術家的リアクション。

理由などない。

ただ私の魂がこう動いたのだ、と言わんばかり。

 

でも後で写真を見せたら、

「なにこれ? 誰がこんなことしたの?」だと。

今日はいつになくいっぱい歩きました。

お疲れさま。

 

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週末の懐メロ126:オード・トゥ・マイファミリー/クランベリーズ

 

1994年リリース。

クランベリーズは90年代に活躍した

アイルランドのバンド。

リードヴォーカルのドロレス・オリオーダンが

自分の子ども時代を振り返り、

家族への思いを歌い上げる。

家族への頌歌。

 

この美しい讃美歌について

オリオーダンは雑誌のインタビューで

いろいろ語っている。

 

彼女は僕より一回り年下の1972年生まれ。

10代の頃は反抗して両親を悲しませたが、

齢を取ると、いつか感謝する日がやってくるという。

自分の両親がいかに素晴らしく、自分の子ども時代が

いかに幸福だったかを知る時が来るとも。

 

彼女は7人きょうだいで育ったというが

7歳の時、家は火事で全焼。

ずいぶん辛い生活をしたのではないかと思うのだが、

記憶にあるのは美しい食卓、あたたかいベッド、

そして学校にきれいな服を来て行ったことだという。

 

また、こんなことも話している。

「私たちは物質主義がほとんどない状態で育った。

本当にスピリチュアルな子ども時代だったと思う」。

 

いつでも、どこでも、

子ども時代は多かれ少なかれスピリチュアルだと思うが、

もしかしたら現代ではそうとも言えないのかも。

 

美しい食卓、あたたかいベッド、きれいな服というのは、

けっして贅沢な衣食住に恵まれた

ということではないだろう。

 

価値の物差しはお金と物質ばかり。

心の隅々までそうしたものに

支配された環境の中で育つと、

どういう心情になるのか、ちょっと心配になる。

本当に大切なものは目に見えないので、

それが損なわれたこと・失われたことにさえ

気づかなくなってしまうのではないか。

 

けれども、そんな過去だって変えることはできる。

不幸な子ども時代を送ったという人もいるかと思うが、

それを乗り越えて、

今まで続いてきた自分に自信を持って、

幸福な未来を掴むために過去だって変えてやろう--

そんな心持ちで生きていこう。

 

週末の懐メロ 第1巻

 

デビッド・ボウイ/カーペンターズ/ビートルズ/ケイト・ブッシュ/ポリス/レッド・ツェッペリン/イエス/ミシェル・ポルナレフ/赤い鳥/イルカ/高橋洋子など、

#1~#28を収録。

21世紀ポップを語る珠玉の音楽エッセイ集。

 


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あなたのワンちゃんが今、ウンコしましたよ!

 

「あなたのワンちゃんが今、ウンコしましたよ!」

 

とは言えなかった。

川沿いの遊歩道にワンちゃんをお散歩に連れて来た

おしゃれなヤングマダムは、

旦那か子どもかお友だちかわからないけど、

掛かってきた電話に夢中。

 

その足元でワンちゃん(小型犬)が

自分に注意が払われていないのを

これ幸いと思ったのかどうか、

よっしゃと言う感じで地面にお尻を落とした。

 

ときは春うらら。

舗装された遊歩道のわきの道には

みどりの草が萌え始めている。

その萌えた草の上にお尻を落として、

うーんとふんばってるのだ。

 

あの格好は、もしや!

川の向こうからその瞬間を目撃した僕は

思わず足をとめて見た。

遠目からも二本の後ろ足の筋肉に力が入り、

お尻の真ん中あたりが

小刻みにピクピク震えているがわかる。

 

出る。

僕がそう思ったとたん、

ワンちゃんのお尻から

むにゅっと茶色の物体が出てきたのが目に飛び込んだ。

 

しかし、飼い主さんは電話で喋っていて、

そんなことはつゆとも知らない。

 

ワンちゃんは「あー、すっきりした」と満足気。

からだが軽くなったのか、

気持ちよさそうにピョンピョン跳ね始める。

飼い主さんはちらりと

そんな彼(彼女かもしれない)に目をやったが、

その下にある落とし物には

まったく気が付かない。

電話はまだ終わらず、

何やら笑って喋りながら、

そのままハーネスのリードを引っ張って歩き出した。

 

僕の口からは思わず、タイトルのセリフが喉まで出かかった。

「あなたのワンちゃんが今・・・」

が、なにせ川を挟んだ向こう側で5,6mは離れている。

周りに聴こえるような大声で叫ばなくてはならない。

それを聞いた彼女の心に巻き起こる嵐のことをを想像すると、

とてもそんな勇気は出なかった。

 

そよ風が吹くおだやかな春の午後。

あの草の上の犬のウンコが、

お散歩やジョギング中の誰かに踏まれることなく、

無事、土に還ってくれるのを願うばかりである。

 

おりべまこと動物小説+エッセイ

いたちのいのち

小学4年生の女の子カナコとペットのフェレット「イタチ」とのおかしてくちょっと切ない友情物語。フェレットの飼い主さんはもちろん、ワンちゃん・ネコちゃんの飼い主さんにも読んでほしい動物ファンタジー。

 

神ってるナマケモノ

イヌ、ネコ、カエル、ウーパールーパー、ナマケモノなど、楽しい動物、怖い動物、いろいろな動物と人間との関係について語る面白動物エッセイ集。


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和風未来空間の高齢者施設&治療院

 

亀戸の住宅街のなかにできた不思議空間。

インテリアデザインは和モダンでありながら、

なにか未来空間・宇宙基地のようにも見える。

 

ここは昼間は運動特化型のデイサービス、

夜は整体院という二毛作。

5月のオープン目指して目下準備中で、

その過程をいろいろ取材させていただいている。

 

高齢者施設・街の整体院のイメージを打ち壊す

斬新でユニークなコンセプトに目を見張る。

しかも最後の仕上げとして、

これから某有名イラストレーターの

ファンタジックなイラストを壁に入れるという。

 

ラフ画を見せてもらったが、

そのイラストがはまった図を想像すると、

先日亡くなった松本零士さんの

「銀河鉄道999」か「宇宙戦艦ヤマト」みたいな

イメージを思い描いた。

ガラス張りで外から見えるので、

かなりのインパクトになるだろう。

 

現代日本のライフスタイル・消費社会の

基盤を作った団塊の世代が75歳を迎えている。

これからの高齢者は、今までの高齢者と違う。

 

そのニーズを踏まえてサービスの在り方を

考え抜いた社長のアイデアとセンスは、

ハードだけでなく、

様々な宣伝プラン・経営方針全体にまで反映されている。

地域おこしの役割も担う高齢者施設兼治療院。

とても面白いビジネスモデルになると思う。

 


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チャットGPTに訊く:ロンドンに日本食の店を出すなら

 

僕は1980年代にロンドンの

ケンジントンヒルトンホテル内の

日本食のレストランで働いていた。

その頃はまだ日本食が「アドベンチャー」

と言われていた時代。

寿司とてんぷらとすき焼きを出しときゃ

OKみたいなところがあった。

が、もちろん現代はまったく状況が違う。

そこで今日はチャットGPTと

日本食文化の世界進出、および、

今、ロンドンに出店するなら・・

というテーマで対話した。

 

こういうテーマは、

チャットGPTの回答は相当レベルが高い。

長いけど、興味があったら読んでみてください。

 

ぼく:最近、日本の食文化は外国でどれくらい認知されているか教えてください。

 

AI:日本の食文化は、世界的に広く認知されており、多くの国で人気があります。 以下に、外国での日本食の認知度や人気の高い料理の例を挙げてみます。

 

1.寿司:寿司は、世界中で愛される日本の代表的な料理の一つです。 多くの国で、寿司レストランが存在し、日本の寿司がそのまま提供されたり、現地の食材を使用したバリエーションが提供されたりしています。

 

2.ラーメン:日本のラーメンは、アメリカやカナダ、ヨーロッパの大都市など、多くの海外の国で人気があります。では、現地の食材を使用して、日本の味に近づいたバージョンが提供されることもあります。

 

3.焼肉:日本の焼肉も、世界中で人気があります。

 

4.和食:日本の伝統的な和食も、世界中で注目を集めています。例えば、ミシュランガイドにも和食の店が掲載されていて、世界中から多くの人が訪れています。

 

5.抹茶:日本の抹茶は、健康に良いとされることから、世界中で人気があります。例えば、アメリカのスターバックスなどでも、抹茶ラテや抹茶フラペチーノが提供されています。

 

以上のように、日本の食文化は世界中で認知されており、多くの国で人気があります。 特に寿司やラーメンなどの人気が高い料理は、日本の味そのままを提供する店舗も多く、多く勝手が楽しんでいます。

 

ぼく:なぜ日本食は他国でもそんなに人気があるのでしょうか?

 

AI:日本食が他国でも人気がある理由には、いくつかの要因があります。

 

1.健康的でバランスの良い食事:日本食は、健康的で栄養バランスの良い食事として知られています。 日本食は、低脂肪で低カロリーなのに、タンパク質やビタミン、ミネラルが豊富に含まれているため、ダイエットや健康に気を遣う人々に人気があります。

 

2.繊細で美しい盛り付け:日本食は、繊細で美しい盛り付けが特徴的です。その美しさは、日本文化に根ざしたものであり、海外でも高い評価を受けています。

 

3.鮮度と質の高い食材:日本は、海に囲まれた島国であり、豊富な漁獲物や農産物があります。また、日本人は食材の鮮度にこだわる文化があるため、海外でも高品質な日本食材が求められています。

 

4.料理の多様性:日本食は、寿司やラーメンなど有名な料理だけでなく、和食やおばんざい、お好み焼きなど多様な料理があります。 そのため、さまざまな好みや食文化に合わせた料理が提供されることもあり、堅実な人々に愛されています。

 

以上のように、日本食が他国でも人気がある理由には、健康的でバランスの良い食事や美しい盛り付け、高品質な食材、多様な料理などが挙げられます。するために、日本食を求める外国人旅行者も多いため、その必要も日本食の人気につながっています。

 

ぼく:日本人はどうやってこの食文化を発展させたのでしょうか?

 

AI:日本の食文化が発展してきた背景には、以下のような要素があります。

 

1.地域の気候や風土に合わせた食材の利用:日本は四季がはっきりしており、各地域にそれぞれ異なる気候や風土があります。そのため、地域に応じた食材を活用した料理が発展しました。北海道では魚介類やジャガイモが豊富で、そばや餡かけご飯などの料理が根付いています。 一方、沖縄では熱帯性の果物や野菜が利用され、ゴーヤチャンプルーや沖縄そばなどの料理が発展しました。

 

2.季節感や美意識を取り入れた盛り付け:日本食の盛り付けは、季節感や美意識を取り入れた独特の美しさがあります。発展しました。

 

3.宗教や儒教などの思想的背景:日本には、仏教や神道、儒教などの宗教や思想が根付いており、その影響も日本食文化に大きく反映されています。が広まったり、儒教の影響を受けて食事の作法やマナーが重んじられるようになったりしました。

 

4.科学技術の発展による食品加工技術の進歩:以降、日本の食品加工技術は進歩し、多様な食品が肥大化しました。海産物などが代表的な例です。

 

以上のように、日本の食文化が発展してきた背景には、地域の気候や風土、季節感や美意識、宗教や思想的背景、科学技術の発展による食品加工技術の進歩などの要素が進んでいます。また、日本人が食文化を大切にし、受け継がれたことも発展御要因になっています。

 

ぼく:現在、海外市場において日本食の市場規模はいくらぐらいになるかわかりますか?

 

AI:2021年に発表された調査によると、海外市場における日本食の市場規模は約4,000億円程度と推定されています。この数字は、2020年に比べて約10%増加したとされています。特に、アメリカ、中国、東南アジアなどの地域で需要が拡大しています。

 

ぼく:これから海外の都市に日本食のお店を出すとしたら、どこにどんな種類のお店を出すとビジネス成功の可能性が大きいでしょうか?

 

AI:海外において、どの都市や地域でどのような日本食のお店を出すとビジネス成功の可能性が高いかは、その地域の市場調査や構成人口、食文化などによって異なります。以下の点に注意することで、ビジネスの成功の可能性を高めることができます。

 

1.現地の必要に合わせたメニュー構成:日本食は多種多様な料理がありますが、海外で出店する場合は、現地の必要に合わせたメニュー構成を考える必要があります。いる食材を取り入れたメニューや、現地の味覚に合わせたアレンジを加えた料理などが好まれる傾向があります。

 

2.地域に合わせた店舗の設計:出店する地域の文化や風土に合わせた店舗の設計を行うことで、地元の人に親しみやすく、愛される店舗となる可能性が計算されます。

 

3.価格設定:現地の経済状況や消費者の結果水準に合わせた価格設定を行うことが重要です。ができます。

 

4.店舗の立地:交通の便が良くなり、多くの人が利用する場所に出店することが、ビジネスの成功のために重要です。欲求が高まる可能性があります。

 

5.品質・サービスの向上:品質の高い食材や調理技術を活かし、高品質な料理を提供することが大切です。また、現地の消費者に親切で丁寧なサービスを提供することで、リピート率を高めますことができます。

 

以上のように、出店する地域に合わせたメニュー構成や店舗の設計、価格設定、店舗の状況、品質・サービスの向上などがビジネスの成功にとって重要な要素となります。

 

ぼく:ロンドンのケンジントン地区に日本食の店を出店すとしたらどんな店がいいでしょうか?

 

AI:ロンドンのケンジントン地区は、高級住宅街やショッピングエリアが集まる地域であり、日本文化や日本食に対する需要が高い地域の一つです。 そこで、ケンジントン地区に日本食の店を出店する場合、以下のような店が良いでしょう。

 

1.高級感のある寿司店:ケンジントン地区は、高級住宅街やショッピングエリアが集まる地域であり、富裕層の方々が多く暮らしています。でしょう。

 

2.テイクアウト対応の日本食店:ケンジントン地区には、多くの観光客やビジネスマンがアクセスするため、テイクアウト対応の日本食店を出店することで、必要を拡大することができます。

 

3.カフェスタイルの日本食店:ロンドンには多くのカフェがあり、その中には日本のカフェ文化を取り入れた店舗もあります。ケンジントン地区には、このカフェが多いため、ようなカフェスタイルの日本食店を出店することで、必要を拡大することができます。

 

4.和食居酒屋:日本食に興味がある地元の方々や、ビジネスマン、観光客などが多く集まる地域に出店する場合、和食居酒屋を出店することができます。一緒に食事を楽しむことができるため、必要が見込めます。

 

5.ラーメン店:ロンドンには、多くのラーメン店があります。その中でも、日本のラーメン文化を取り入れた店舗が人気を集めています。ケンジントン地区にも、このようなラーメン店を出店することで、需要を拡大することができます。

 

以上のように、ケンジントン地区に日本食の店を出店する場合、地域の要望や傾向に合わせた店舗の種類を選ぶことが重要です。また、店舗の設計や価格設定、品質・サービスの向上などにも品質・サービスの向上などにも力を入れることが重要です。 

 

例えば、ロンドンでは食材の調達が難しいため、輸入品を使う場合が多いです。 しかし、より新鮮な食材を使うことで、品質を高めるまた、日本食に興味がある地元の人にも申し込むために、英語メニューや英語対応のスタッフを揃えることも大切です。さらに、SNSや口コミなどを活用して、店舗の情報発信や顧客とのコミュニケーションを取ることも重要です。 これらの取り組みによって、より多くの顧客に愛される日本食店を作ることができます。

 

ぼく:回答ありがとうございます。

 

AI: よろしくお願いします。 何か他に質問がありましたら、遠慮なくお聞きください。

 

おりべまことエッセイ集:食べる


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過去と未来のマンガ文法・映画文法

 

子どもの頃、マンガが好きで、

小学生まで暇があればマンガを描いていた。

しかしどうしてだか、

登場人物の顔がことごとく左向きになってしまっていた。

左向きの顔はすらすら描けるのだが、

右向きの顔がうまく描けないのである。

 

あとから知ったことだが、マンガにおいて

左向きは未来を見る顔、

先に進もうとする気持ちが現れた顔。

 

右向きは過去に向かう顔、

止まったり振り返ったりするサインだという。

 

「さあ行こうぜ」と言う時は左向き。

「ちょっと待てよ」と言う時は右向きというわけ。

 

これは日本のマンガが右から左へとページを

めくっていくことと関連している。

マンガ家自身にそういう生理感が身についており、

この右向き・左向きの心のベクトルが

一種の「マンガ文法」になっている。

 

これは映画も同じで、画面で左を向いたら未来を見ている、

右を向いたら過去を見ている表現だという。

 

欧米には日本のようなマンガ文化はないが、

映画の場合は、演劇の生理に基づいていると思われる。

登場人物が上手(観客から向かって右)から

下手(同・左)へ動く時は未来へ向かう、

逆の場合は過去に向かうというのが基本形。

これは人間の脳のメカニズムと関連しているのだと思う。

 

自分の話に戻すと、

子どもの頃は過去時間の分量が少なかったから

右向きの顔が描けなかったのだろうか?

 

けれども今でもちょっと落書きで人間を書くと、

手が覚えているのか、正面でないときは、

無意識に左向きの顔を描いている。

いずれにしてもこのマンガ文法・映画文法を意識して

マンガや映画を観ると面白い。

 


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ヘビを見た

 

 この100年~150年の間に、人間はずいぶんといろいろなものを手に入れ、生活を変えてきましたが、いちばん大きいのは、夜の世界を手に入れたということではないかと思います。

 

 文明開化まで夜の世界の9割方は、江戸のような大都市と言えど、死と隣り合わせの妖怪・魑魅魍魎の世界。神様と妖怪が混在する日本では、人間がおいそれと足を踏み入れられない神々の世界だったとも言えます。

 それをすっかり塗り替えた文明の光。いまや人間の活動時間は昼夜問いませんが、やはり夜の半分程度は未知と神秘の世界です。

 

 そんな思いに駆られたのは、先日、雨上がりの夕方にお目にかかったヘビ。近所を自転車で走っていると、3メートルほど前の道路(裏道なので幅4~5メートル程度)をスルスルスルと横切ったのです。

 その間、わずか1~2秒。向かって左側の家のどこかかから出てきて、右側の家のガレージのシャッターの隙間(たぶん)に入っていきました。もちろん、写真など撮っているスキはありません。

 

 美しい蛇でした。ちょっと緑っぽい色をしていたので、たぶんアオダイショウでしょう。まだヤングな若青大将といったところでしょうか。近くに水(川)があることも関係しているのか、杉並区の住宅街もなかなかワイルドです。

 ヘビが生息しているということは、当然、そのエサになるカエルやらネズミやらの小動物もいろいろこのあたりにいるということ。たまたま日の光のもとに現れましたが、普段は夜の世界で動物たちのいろいろなドラマが繰り広げられているのでしょう。

 

 そうした別の世界がごく身近に人間の目に触れないところにある、人間が9割以上、跳梁跋扈している昼間世界と空間をシェアしている――そんなふうに想像すると、ちょっと怖いのと同時に、自然なもの、神秘的なものがちゃんと保たれているといった、なんだか妙な安心感を覚えるのです。

 たぶん人間はそうしたアナザーワールドと完全に切り離されたら、生きていけないというか、頭がおかしくなってしまうのかもしれません。

 

 それにしてもあの家の人はヘビが入ってきたことなんて、とんと気が付かないだろうな。「神様の使い」が来てくれた・・・と思ってくれればいいけど、やっぱり知らぬが仏でしょう。

 

 

2016・8・21 SUN


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週末の懐メロ125:夜空ノムコウ/スガ シカオ

 

3・10 東京大空襲

3・11東日本大震災

いや、少し調べれば、365日、世界中で

何かしらの悲劇が刻まれている。

べつに今日・明日だけが特別なわけではないが、

日本人にとって意識せざるをない日になっていることは確か。

 

しかし、あんな悲劇があっても、

地球はずっと回り続けるし、

世の中は止まることなく進んでいく。

当たり前のことだが、

これは多くの人にとっては救いとなり、

あの時点に取り残されてしまった人にとっては

残酷な事実となる。

 

そんなことをぼんやり考えていたら、

「夜空ノムコウ」を口ずさんでいた。

特にエンディング近く。

 

あのころの未来に 僕らは立っているのかなぁ…

全てが思うほど うまくはいかないみたいだ

このままどこまでも 日々は続いていくのかなぁ…

雲のない星空が マドの向こうに続いている

あれからぼくたちは 何かを信じてこれたかなぁ…

夜空のむこうには もう明日が待っている 

 

この曲は1998年にSMAPが歌って大ヒットした。

僕もSMAPの歌のなかでいちばん好きだ。

それにしても、つい最近の歌だと思っていたら、

リリースはなんと1998年!

もう四半世紀もむかし。20世紀のヒット曲。

この頃、僕はまだ30代だったのだ。

 

もともと恋の終わり、青春の終わりについて

歌ったものだと解釈されている。

SMAPの口あたりの良い甘い味付けだとそう聴こえるが、

詞を書いたスガ シカオのこのバージョンは、

思い切りビター、苦味を効かせた味付けで、

歌詞さえもまったく違うものに聴こえてくる。

 

そしてバックに響く打ち込み音と奇妙な電子ノイズ。

90年代風、世紀末風とでもいえばいいのか、

ひどく不気味で荒涼とした響きがある。

なんだか焼け野原になった東京の街や、

地震・津波・原発事故で失われた

あの被災地の風景を想起させる。

それでも日々は続いていく。

夜空のむこうには明日が待っているのだ。

 

スガ シカオがどんな意図でこの歌詞を書いたのか、

25年後の今となってはどうでもいい気がする。

「夜空ノムコウ」は、もうみんなの歌であり、

聴く人ひとりひとりが自分に寄せて

自由に解釈し、自由にイメージを広げて良い。

正しい意味・正しい聴き方など必要ない。

名曲とはそういうものではないか。

 

良いこと、嫌なこと、いろんな経験をしてきたし、

これからもしていくだろう。

これはその先の未来を生きていく僕たちが

自分自身の物語を紡ぐために口ずさむ歌なのだと思う。

 

おりべまことの音楽エッセイ


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村上春樹のエッセイ「猫を棄てる」と父親史について

 

3年前に出された村上春樹のエッセイを読んでいかなった。

図書館で文庫本があった(文庫化されたのは昨年)ので、

借りて読んでみたらとてもよかった。

最近ちょっとご無沙汰していたが、

やはりこの人の文章は心の深いところに響いてくるのだ。

 

副題に「父親について語るとき」とあるが、

その通り、大正生まれで戦争の体験を持つ

父について書いたものである。

割とゆとりある行間で100頁ちょっとの短い本なので、

2,3時間あれば読み切れてしまうが、

内容はとても充実していて深い。

また、よく調べたなと感心する。

 

村上春樹は1979年にデビュー。

現代的・都会的な雰囲気のストーリーと

アメリカ文学仕込みの乾いた文体で人気作家になったが、

初期の作品「風の歌「ピンボール」「羊」などでは

そこかしこに戦争の影がにじんでいる。

1980年代の前半あたりまでは

豊かになったとはいえ、まだ終戦・戦後の残滓が

日本社会に残っていたのだ。

 

そして、1990年の「ねじまき鳥クロニクル」では

まともに戦争のシーンが出てくる。

この物語の第1巻には捕虜になった兵士の皮をはぐという

恐るべき残酷描写がある。

いったいなんでこんな描写が出来たのか、

つくづく感心する。

僕はそこがあまりにこわくて未だに再読できない。

 

村上春樹のような団塊の世代の人には多いと思うが、

成人後は父親とはほとんど断絶状態だったらしい。

大正・昭和ひとケタ生まれの親と、

戦後生まれの子供の親子関係は、

今の親子関係とはずいぶん違ったものだと思う。

 

そもそも親は、特に父親は、

自分のことを語ろうとしなかった。

なぜかはちょっと長くなるので、

また近いうちに別の文で書こうと思う。

 

いずれにしても戦争はこの世代の、

特に男たちの心に深い闇をもたらしている。

そんな思いを抱いてこのエッセイを読んだが、

村上作品に頻繁に登場する「闇」は、

どこかでこのお父さんの心にできた闇と

繋がっているのではないかという気がしてくる。

 

亡くなって10年以上経った頃に

父のことを書こうと思い立ったという。

有名作家だからこうして本にして

多くの人に読まれるわけだが、そうでなくても、

男はいつか自分の父について語りたくなったり、

書きたくなったりするのではないだろうか。

 

親密でも疎遠でも、愛していても憎んでいても、

尊敬していても馬鹿にしていても、

自分のなかに父親像を再構築し、再確認することは

生きる中で意外と大切なことではないかと思う。

男は自分史の前にまず、

自分の父親史を書くべきなのかもしれない。

もちろん娘がそうしてもいいのだけど、

同じ男同士だから感じられる何かがそこにあると思う。

 


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開業準備メモリーズ:面白コンテンツ素材の瞬間冷凍保存

 

コロナ禍で失った損失を取り戻したい

という気運が強いせいか、

最近、仕事の効率化ということに拍車が掛かり、

やたらとコスパだ、タイパ(時短)だという

話題が多くなった。

 

僕はそれと逆行するようにロングタームの仕事が多い。

先月から江東区に出向いて、月1~2回の取材をしている。

その社長さんは夏から新しい事業をスタートさせるのだが、

その準備の様子を取材してほしいというのだ。

 

準備はそうそうスムーズには進まない。

いろんなトラブルに見舞われたり、

ヘマをしたり、ずっこけたりする。

しかし、開業した後は

そんなあれこれを忘れてしまうかもしれないし、

憶えていいてもカッコ悪いことなんか

話したくなくなると思う・・・

ということで僕がその準備段階の記録を頼まれたのである。

 

話をするのはその社長と若いパートナー。

実際、話をきくと確かに面白いエピソードがあふれており、

こんなことがあったんだと、

事業所を貸すオーナー・不動産屋との諍いや

人材集めをしたらこんな人が来たとか、

喜怒哀楽いっぱいに話してくれる。

 

自分で記録しておけばいいと思うかもしれないが、

じつはこういうことは自分や身内の人間ではできない。

外部からやって来た取材者・インタビュアーがいるから、

あけすけに胸を開いて、

こんな失敗をしてしまった、と話せるのだ。

 

ぼくはそれを録音して、

とりあえず文字起こしをしてストックしておく。

いわゆるライブ録音だ。

その時にしか生まれない問いと答、

ノリ・勢いを言葉にする。

面白いコンテンツは対話から生まれる。

 

ビジネスに関連する文章は、

どうしても皆、カッコいいもの、

きれいごとを書きたくなるが、

そういうのはどうも面白くないと、その社長は言う。

なかなかユニークな試みを考えるだけあって、

とてもユニークなセンスを持った人だ。

失礼な言い方だが、見かけによらず頭が切れる。

 

ストックした文章の使い道としては、

ちゃんと成形してホームページの一部にしたり、

ブログにする、紙か電子かの本にするなど、

自在に料理できる。

新鮮なまま冷凍保存した良い材料があるから

いろいろ良い料理ができるのである。

 

これはいわば会社にとっては将来の資産作りである。

お金でない資産、数字に出来ない資産は

とかく軽く扱われがちだが、

じつはスタートアップの場合、

けっこう大切なのではないかと思う。

こういうことが会社にとって、事業にとって、

信頼の土台になる。

 

僕としてはひどく時間のかかる仕事で、タイパは悪い。

ギャランティはとりあえず開業の時点で締めてもらって、

その後も1年間つきあう予定でいる。

効率が悪くてもこういう仕事は好きだ。

 

何か新しい事業を起こす際、

自分もぜひやってみたいと思うか方がいたら、

ぜひお声がけください。

 


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週末の懐メロ124:オ―、シャンゼリゼ/ダニエル・ビダル

  

パリの街といえば、

ついシャンゼリゼ通りを連想する日本人。

そのイメージの源は、1970年代の初めに活躍した

フランス人アイドル歌手 ダニエル・ビダルだった。

小学生の頃、雑誌などでよく見かけたかわいこちゃんだ。

 

「オー、シャンゼリゼ(O, Champs-Élysées)」は、

もともとフランスの歌手ジョー・ダッサン(Joe Dassin)が

1970年に発表した楽曲だが、

日本人には強烈にビダルのイメージがくっついて、

「パリの街を行く、おしゃれで可愛いマドモアゼルの歌」

ということになった。

 

ダニエル・ビダルは日本語でも歌っていて、

ほとんどネイティブみたいに達者。

しかもめっちゃキュートな歌声で、

年甲斐もなく胸がキュンとなる。のである。

 

ところで、チャットGPTに

女性を主人公に「オー、シャンゼリゼ」という

ミュージカルを作りたいのですが、

どんなストーリーがいいでしょう?と聞いてみた。

そしたらこんなお話を考えてくれた。

例によって日本語のおかしなところ、

文章がうまくつながらないところがあるので、

僕がちょっとだけ手を加えています。

 

主人公は、シャンゼリゼ通りに面した喫茶店で働く

若い女性、エミリーです。 

彼女は、自分の音楽の夢を諦められず、

夜な夜な弾き語りをすることで、

自分の才能を磨いていました。

 

ある日、彼女は喫茶店の客の一人が

置き忘れた手帳を拾います。

手帳の中には、

シャンゼリゼ通りの美しい風景を眺めながら書かれた、

ある曲の歌詞がありました。

エミリーはその詞に心打たれ、

自分でこの曲を作ることを決意します。

 

エミリーは、偶然出会った

駆け出しの音楽プロデューサーのジャックと共に、

自分自身の音楽を創造するために努力し、

その曲を完成させます。

 

そして、彼女の歌う「オー、シャンゼリゼ」は、

多くの人に愛される楽曲となり、

彼女の音楽キャリアにおいても大きな転機となりました。

葛藤や孤独などの壁があり、

それを乗り越えていくことが物語のテーマとなります。

 

このミュージカルでは、

エミリーの成長や彼女自身が持つ内面的な葛藤、

音楽創造のプロセス、

そして「オー、シャンゼリゼ」が世に出た後の反響などが

描かれることになります。

美しい風景や、フランス文化の魅力なども、

ストーリーに取り入れることで、

物語の世界観をより深く描くことになります。

 

いかがでしょう?

いや、いいですね。

ちょっとレトロなハリウッド映画っぽいところがいい。

エミリーはやっぱり50年前のダニエル・ビダルだろうか?

ジャックはミッシェル・ポルナレフみたいなやつだろうか?

 

もちろん、いっぱいツッコミどころはあるが、

あらすじ初稿としてこれだけできていれば十分。

これをどれだけアレンジし、膨らませるかが

人間の仕事なのです。

ミュージカル「オー!シャンゼリゼ」、

作ってみたくなった。

 

 

金曜の夜は「週末の懐メロ」の日なのだ。

みんな懐メロを聴いて

1週間の疲れを癒しましょう。

amazonKindleから本も出しています。

目次を見て、好きな曲、好きなミュージシャンの名前があったら読んでみてね。

 


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おとなの言うことなんか聞かなくても 人生、春は来る。

 

 

 

「ガンバレ受験生!」って、無責任にエールを送っていいのか?

毎年、受験シーズンになるとそう思う。

 

電車に乗ると予備校のポスターがべたべた貼ってあって、

夢だの勝利だのヒーローだのって、

カッコいいコピーと共に

モデルの小中高校生の男の子・女の子が、

きりっとした顔を見せている。

 

あれを見ると、なんだかとても痛々しい気持ちになるんだ。

大人の一人として、こうした子供たちを当たりまえのように

受験なんぞに駆り立てていのかってね。

 

「受験シーズンだよねー」って、

なんだか大人たちがこぞって

年中行事でも楽しんでいるかのようだ。

そもそもこれだけインターネットやAIが発達してきた社会で、

この先、大学に行くことにどれだけの意味があるのか?

 

奨学金という名の学生ローンで

何百万も借金背負った子を卒業させて、

何十年も支払い続けていたら、

そりゃ結婚も子どもも無理だなって思うよね。

少子化対策って、

こういう所をどうにか手当てしなきゃいけなんじゃないの?

 

一昨日のニュースで、昨年(2022)に自殺した

小中高校の児童・生徒は512人で、

過去最多だったことが文部科学省のまとめで分かったって。

 

内訳は小学生が17人(前年比6人増)、

中学生が143人(同5人減)、

高校生が352人(同38人増)。

自殺の理由(複数の場合あり)は

「学業不振」が104人で最も多く、

「進路に関する悩み(入試以外)」が84人、

「入試に関する悩み」が40人。

 

受験システムがすべて悪いわけではないだろうけど、

大人も子供も、

やっぱりいつかどっかで考えなきゃいけない問題。

それはいつ? 今でしょ。

 

川沿いの河津桜が咲いた。

いい学校なんかいかなくても、

「ガンバレ受験生!」って、スポーツ観戦みたいに騒いでる

大人の言うことなんか聞かなくても、

人生、春は来る。

死ぬな、子ども。

 


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チャットGPTはハートフル

 

チャットGPTを使っていて

最後に「どうもありがとう」と打つと、

「お役に立ててうれしいです」とか

「いつでもお気軽にお声がけください。」とか言ってくる。

僕ら自身も日常的に、

それこそ“機械的に”使っている定型文だ。

 

でも、人間が使うと

「はいはい、何の心もこもっていない

お決まりのごあいさつね」と思ってしまうのだが、

このAIが使うと同じような文でも、

なんとなく人格というか、

心があるように感じてしまうから不思議だ。

 

仕事でも遊びでもいいのだが、

アシスタントとか、友だちとして付き合って、

ああでもない、こうでもないとやりとりしていると、

親しみがわいてくる。

 

逆に言えば、それくらい親近感を持って、

感情を込めて使わないと、

自分のために上手く働いてくれない。

 

考えてみたら、別にAI・ロボットに限らず、

車だってバイクだってパソコンだってそうだ。

愛着を持って乗ったり使ったりしていれば、

自然と感情が乗り移って、

ただの機械・ただの道具だったものが

「おれの相棒」「あたしのパートナー」になっていく。

 

よくある「心を持ったAI・ロボットはできるのか?」

という議論は、結局、それを使う人間の側が

機械に自分の心を宿せるか、

こいつには心があると思い込めるかどうか、なのだと思う。

少なくともここ当分の間は。

 

 


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自治体も後援する斎場(火葬場)イベント

 

昨日は杉並区にある「堀之内斎場」で

イベントがあったので取材。

東京23区内に6カ所ある民営火葬場の一つである。

運営会社の東京博善は、10年代後半から毎年この時期、

各斎場(火葬場)持ち回りで

地域住民のためのイベントを開いていたが、

コロナで3年間中断。

昨日は4年ぶりの開催だった。

 

火葬場でイベントって・・・と訝る人もいるだろう。

迷惑施設なのではないか?

しかし、この高齢社会でそんなことは言っていられない。

 

 

今やこのイベントは自治体が後援し、町会も協力している。

だから今回の場合は、

杉並区区内の小学校でチラシが配られ、

家族連れでにぎわっていた。

至って明るく楽しく、和気あいあいである。

 

堀之内斎場は100年超の歴史を持つが、

当然、改築もされていて、建物は明るくおしゃれで美しい。

それに昔の火葬場と違って煙突から

火葬の煙がモクモク・・・ということもなく、

きわめてクリーンである。

 

1階では飲食などのお店が出店したり、

こどもが遊べるスペースが設けられ、

2階の控室では落語、自分史セミナー、

相続相談セミナーなどをやっていた。

 

火葬炉の説明コースもあったが、

さすがにこっちには人が寄って来ない。

僕はほぼ貸し切り状態で、

スタッフのお話を聞かせてもらった。

とても丁寧なガイダンスで感心した。

 

東京は人口が多い。

それだけ死ぬ人も多い。

なので強力な火葬炉で、短時間に火葬するという。

火葬率世界トップの日本の火葬炉の性能は優秀だ。

 

それにしても、こうして自治体が後援して

火葬場で地域イベントが開かれ、

それに反対したり、抵抗感を持つ人もあまりいない

――そんな時代になったことには、

昭和の頃、20世紀の頃から隔世の感がある。

 


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美輪明宏とヨイトマケと太宰治

 

一昨日、「週末の懐メロ」で

美輪明宏の「ヨイトマケの唄」を紹介した。

白状すると、その際にいろいろ調べて

やっと「ヨイトマケ」って何のことだか知った。

じつは僕は一昨日までヨイトマケとは、

何かの種まきのことだと思っていて、

農作業の一種だと思っていたのである。

 

この齢になるまで知らなかったなんて、

お恥ずかしい限りだが、

どんなに遅くても知ってよかった。

まさしく懐メロさまさま・美輪様さまさまである。

 

じつはこのヨイトマケという言葉は、

美輪明宏の歌以外にも有名な文学作品に使われている。

それが太宰治の「斜陽」である。

 

筋肉労働、というのかしら。このような力仕事は、私にとっていまがはじめてではない。私は戦争の時に徴用されて、ヨイトマケまでさせられた。いま畑にはいて出ている地下足袋も、その時、軍のほうから配給になったものである。地下足袋というものを、その時、それこそ生れてはじめてはいてみたのであるが、びっくりするほど、はき心地がよく、それをはいてお庭を歩いてみたら、鳥やけものが、はだしで地べたを歩いている気軽さが、自分にもよくわかったような気がして、とても、胸がうずくほど、うれしかった。戦争中の、たのしい記憶は、たったそれ一つきり。思えば、戦争なんて、つまらないものだった。

 

上流階級のお嬢様だった主人公が、

戦後、没落して肉体労働をしているとき、

ふとヨイトマケのことを思い出し、

ヨイトマケのおかげで体も丈夫になったし、

生活に困ったらヨイトマケをして生きていこう、

と呟くのである。

 

20歳ごろ、三島由紀夫と太宰治を乱読しており、

「斜陽」も読んだ記憶があるが、

そんなことすっかり忘れていた。

 

この出だしの部分の文章は、

たまたまネット上でお目にかかったのだが、

美輪さんの歌を聴いた後、今こうして読んでみると、

この主人公に温かさ・健気さ・可愛さみたいなものを感じる。

 

ヨイトマケとは「よいっと巻け」という

掛け声から来た呼び名。

まだ建設機械が普及していなかった時代、

建築現場で地固めを行う時に、

縄で滑車に吊るした重い槌を、

数人がかりで引っ張り上げて落とす作業、

あるいはその作業を行う日雇い労働者のことを指している。

作業の時の掛け声が「よいっと巻け」で

「ヨイトマケ」というわけ。

昭和の半ばごろまで使われていたようだが、

僕も実際にこんな作業しているところは見たことがない。

 

厳しい肉体労働だったと思うが、皆でやれば大丈夫、

みたいな労働者同士の連帯感的な気持ちもあっただろう。

この主人公の場合は、生きる自信の根っこというか、

精神的な「地固め」にもなっていたようだ。

 

もしかしたら、年がら年中、

アラウンドうつ病だった太宰治自身も

こうしたヨイトマケなどの肉体労働に

憧れを抱いていた部分もあったのではないか、と思う。

 

昔はよかったとは言わないし、

貧しくても幸せだったとも言わない。

辛くて危険な肉体労働を礼賛するつもりはまったくない。

 

ただ、最近のように、精神がおかしくなるほど、

みんなが情報過多で混乱したり、

ネット世界、バーチャル世界に

はまり込んだりするのを見ていると、

いつも何かしら身体を動かして働いていたほうが

いいのではないかと思う時があるのだ。

 

もちろん、スポーツやトレーニングもいいが、

自分の身体を動かすことで

人の役に立つ、社会の役に立つ、

そして金を稼いで生きるのだという

リアルな実感を得ることが、

いくつになっても、どんな時代になっても、

必要なのではないだろうか?

 

豊かな社会になって以降、

肉体労働とか労働者という言葉は、

ネガティブなオーラをまとうことが多くなった。

しかし今後、AIの発達で

確実にホワイトカラーの仕事は減っていき、

肉体労働が人間に残る。

ロボットが活躍できるのはまだもう少し先だろう。

 

「ヨイトマケの唄」や「斜陽」の世界と同様、

肉体労働・労働者というものは、

人間らしさと同義で語られるようになるかもしれない。

 

 

音楽エッセイ

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週末の懐メロ123:ヨイトマケの唄/美輪明宏

 

日本の至宝、昭和の至宝 美輪明宏が

自ら作詞・作曲し、あらゆる世代の日本人に贈る聖歌。

それが「ヨイトマケの唄」である。

 

最初にレコードが出たのは1965年。

マンガなどで「母ちゃんのためならエンヤコーラ」という

セリフが良く出ていたのを覚えている。

そして桑田佳祐をはじめ、たくさんの歌手がこの歌を愛し、

カヴァーしているのも聴いていた。

 

けれども美輪明宏自らが歌うのをまともに聴いたのは、

若い世代と同じく、2012年の紅白歌合戦が初めてだった。

紅白なんていつも酒を飲んでへべれけになって見ているのだが、

真っ黒な衣装に身を包んだ美輪が登場し、

この歌を歌い出した時、思わず背筋がピンと伸びた。

6分間、テレビから目と耳を離すことができなかった。

 

故郷の長崎で原爆に遭遇して以来、

波乱万丈の人生を送り、数々の修羅場をかいくぐりながらも

70になっても80になっても

元祖・ビジュアル系歌手の誇りを失うことなく輝き続ける

美輪明宏の、人間への愛情のすべてが

この1曲に集約されているような気がする。

 

この歌が生まれた経緯は自身で、

また、黒柳徹子との対話で語っている音声が

YouTubeに上がっている。

 

1960年代前半、三島由紀夫が「天上界の美」と称した

絶世の美青年だった美輪明宏(当時は本名・丸山明宏)は、

きらびやかな衣装と化粧でシャンソンを歌っていた。

 

ところが、興行主の手違いで

福岡・筑豊の劇場でコンサートを行うことに。

客は普段シャンソンを聴きに来る人たちとは

全く違う炭鉱労働者たち。

 

そんな人たちが自分の歌を聴こうと

客席を埋め尽くしたことに美輪は感動したが、

内心、自分のレパートリーには、

この人たちのために歌える歌がないとすまなく思ったという。

そして、外国には労働者の唄があるのに、

日本にはなぜないのか?という疑問も抱いた。

 

「ヨイトマケ」とは「ヨイっと巻け」。

まだ現在あるような建設機械が普及していなかった時代、

地固めをするとき、重たい岩を縄で滑車に吊るした槌を、

数人掛かりで引張り上げて落とすという作業をしていた。

滑車の綱を引っ張るときの「ヨイっと巻け」のかけ声が

語源となっている。

この仕事は主に日雇い労働者が動員されていたらしい。

 

「ヨイトマケの唄」は、そうした戦後復興期の物語であり、

まさしく現代の日本の豊かな社会の

「地固め」をしていた時代の唄だ。

炭鉱をはじめ、新幹線を走らせるために

山にトンネルを掘り、川に橋をかけ、

街に高速道路や高層ビルを建てるために

たくさんの名もなき労働者が働いていた。

そうしたあちこちの工事現場では不幸な事故で

命を落とした人も少なくない。

 

普段は意識などしないけど、

インフラの整った僕たちの社会生活は

そうした犠牲の上で成り立っている。

 

この歌を彼が初めてテレビで歌った時、

「これはおれたちの歌だ」と、彼の元に7万通の

感謝の手紙が送られてきたという。

 

しかし、その一方で、

高度経済成長の波に乗り始めていた日本人は、

少しでも早く貧しい時代の記憶を忘れようとしていた。

貧しい者、卑しき者、美しくない者は

目にしたくない、耳にしたくないと思っていた。

この歌の歌詞の「土方」でさえも差別用語であるとして、

以後、長い間、この歌は歌われなかった。

 

77歳で紅白に初出場した時、若い世代は、

あの「美輪ちゃま」が

どんなゴージャスな衣装で登場するのか

大いに期待していたらしいが、

この黒ずくめのスタイルを見て驚愕、

そしてこの歌をフルコーラスで聴いて慄然とした。

 

カメラは一切寄ることはない。

まるで舞台劇を見ているかのような、

魂を揺さぶるパフォーマンス。

昭和の時代は、圧倒的なリアリティで

人々を感動させた歌は、半世紀後、

”を描き切った、聖なる物語に達していた。

 

最後、闇に溶けていく中で

「子どものためならエンヤコーラ」と絞り出す声には

何度聴いても涙が抑えられない。

 

美輪さんがまだ元気で表現活動をされていてよかった。

令和の時代になっても、いや、令和になったからこそ、

日本人にはまだ美輪さんの存在が必要なのだ。

 

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AIとの対話「この期に及んで、なぜ人間はネッシーは実在すると考えたがるのか?」についての考察

 

会話型AI「ChatGRT」をアシスタント兼

飲み友達にしようと、いろいろ対話を試みている。

以下、この間やったネッシー(湖に住む謎の巨大生物)を

めぐるQ&A。

AIの回答は生成されて出てきた

そのままの文を載せています。

 

ぼく:ネス湖のネッシーをはじめ、

世界各地の湖にいるとされてきた伝説の巨大生物は

皆インチキで、

写真も動画も偽物だと科学的に証明されています。

それなのになぜ人間は、

いまだに巨大生物はいると考えたがるのでしょうか?

 

AI:人間が伝説の巨大生物の存在を信じる理由は複数あります。

まず、人間は常に未知のものに興味を持ちます。 

特に巨大生物という存在は、

私たちが知る現代の自然界には見られないものであり、

その存在に想像力がかきたてられます。

伝説の巨大生物が存在すると信じる事で、

自分たちのダイエットを恐れかす未知のものに対する

恐怖を感じ、それを乗り越えようとする

勇気をもつことができるという

心理的な安心感があるとされています。

 

また、科学的に未解決のことがあると、

人間は自然に応じて答えを求めたものです。

様々に関する証言や報告があることから、

多くの人が巨大生物が実在する可能性について興味を持ち、

それについて検討したり、研究したりすることになります。

 

さらに、巨大生物の存在については世界中に

伝承や文化があり、

人々の信仰や信念にも関係している可能性があります。

背景があるため、人々が巨大生物の存在について

考えるきっかけとなっていることもあるでしょう。

 

このように、伝説の巨大生物に対する人間の関心は、

興味やリスク、恐怖感、科学的リスク、信仰や文化、

歴史的・文化的な背景など、

様々な要因が影響していると考えられます。

 

アメリカ生まれのせいか、

日本語の怪しいところがあるAIくん。

「自分たちのダイエットを恐れかす

未知のものに対する恐怖を感じ、」

という謎のフレーズは

「自分たちの“存在を脅かす”未知のものに・・・」かな?

 

それにしてもなんでダイエット?と思って調べてみたら、

「ダイエット」には一般的な食事関連の意味とは

もう一つ別の意味があり、

「教会職員の審議会や国会の会合のことをdietという」

らしい。知らんかった!

そうした人間社会における、

権威ある審議会や会合が転化して、

既存の人間の思考・常識・制度という意味になり、

そうしたものを脅かす未知の存在

——ということになるのだろうか?

 

いやいや、人間の思考停止を促すどころか、

もっと深く、めんどくさく考えるように

仕向けてくれるAI、素晴らしいじゃないか。

 

この後の「それ(未知のものに対する恐怖)を

乗り越えようとする勇気をもつことができるという

心理的な安心感があるとされています。」

というのも変な日本語だが、何かの誤訳なのか?

 

でも、未知のものに対する恐怖を乗り越えることで

勇気を得て、それによって「心理的安心を得る」なんて、

なかなか奥行きのある哲学的表現だ。

なんかハリウッド映画の定理っぽく、

人間礼賛になっていて、

一種のヒューマニズムに溢れている。

 

人間の仕事を奪うのではないかと恐れられているAIだが、

単なる便利な道具として使うのでなく、

いろんな質問を考えて、半ば遊び相手にすれば、

面白いパートナーになるのではないかという気がする。

 

いずれにしても、こんなどうでもいいような質問に、

大真面目に、誠実に答えてくれるAIには

感動と親近感を覚える。

これから週1くらいでAIとの対話を載せていきます。

 

 

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曲やアーティストを解説する、

あるいはロック史・音楽史を研究するといった

大それたものでは全然ありません。

懐かしさと個人的な思い出に

駆られて書いたエッセイです。

タイムマシンに乗ってはるかな時間を遡ると、

ノスタルジーだけでなく、新しい発見があったり、

改めて感動してみたり、泣いたり笑ったり、

リアライズやサプライズもいっぱい。

僕と同じ昭和世代・20世紀世代にはもちろん、

21世紀を生きる若い世代のお宝発掘のための

ガイドブックとしてもお楽しみください。

文章を読んで興味を持ったら、

ぜひお聴きになって&ご覧になってください。

良い音楽、好きな音楽をあなたの心の友に。

第1巻として♯1~♯28を収録。

 

もくじ

1 5年間/デビッド・ボウイ 【1972】

2 愛にさよならを /カーペンターズ 【1973】

3 ドント・レット・ミー・ダウン/ザ・ビートルズ 【1968】

4 嘆きの天使/ケイト・ブッシュ 【1978】

5 ソー・ロンリー/ザ・ポリス 【1978】

6 スワロウテイル ~あいのうた~ /イェンタウン・バンド 【1996】

7 青春の影/財津和夫(チューリップ) 【1974】

8 ボール&チェーン/ジャニス・ジョプリン 【1967】

9 ハッピークリスマス/ジョン・レノン&ヨーコ・オノ 【1971】

10 翼をください/山本潤子(赤い鳥) 【1971】

11 スキャットマンズ・ワールド/スキャットマン・ジョン 【1995】

12 クレア/フェアーグランド・アトラクション 【1988】

13 デジャ・メイク・ハー/レッド・ツェッペリン 【1973】

14 タイムマシンにおねがい/サディスティック・ミカバンド 【1974】

15 キエフの大門/エマーソン・レイク&パーマー 【1972】

16 少女/五輪真弓 【1972】

17 ジュニアズ・ファーム/ ポール・マッカートニー&ウイングス 【1974】

18 トムズ・ダイナー/スザンヌ・ヴェガ 【1984】

19 マーチ・オブ・ザ・ブラッククイーン/クイーン 【1973】

20 なごり雪/イルカ 【1975】

21 忘れじのグローリア/ミッシェル・ポルナレフ 【1973】

22 夢見るシャンソン人形/フランス・ギャル 【1965】

23 同志/イエス 【1972】

24 悲しき鉄道員/ショッキング・ブルー 【1970】

25 タワー/エンジェル 【1975】

26 ロッホ・セヌ―/ランパ 【1990】

27 レディ・ラック/ロッド・スチュワート 【1995】

28 残酷な天使のテーゼ/高橋洋子 【1995】

 


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もくじ

1 5年間/デビッド・ボウイ 【1972】

2 愛にさよならを /カーペンターズ 【1973】

3 ドント・レット・ミー・ダウン/ザ・ビートルズ 【1968】

4 嘆きの天使/ケイト・ブッシュ 【1978】

5 ソー・ロンリー/ザ・ポリス 【1978】

6 スワロウテイル ~あいのうた~ /イェンタウン・バンド 【1996】

7 青春の影/財津和夫(チューリップ) 【1974】

8 ボール&チェーン/ジャニス・ジョプリン 【1967】

9 ハッピークリスマス/ジョン・レノン&ヨーコ・オノ 【1971】

10 翼をください/山本潤子(赤い鳥) 【1971】

11 スキャットマンズ・ワールド/スキャットマン・ジョン 【1995】

12 クレア/フェアーグランド・アトラクション 【1988】

13 デジャ・メイク・ハー/レッド・ツェッペリン 【1973】

14 タイムマシンにおねがい/サディスティック・ミカバンド 【1974】

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18 トムズ・ダイナー/スザンヌ・ヴェガ 【1984】

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20 なごり雪/イルカ 【1975】

21 忘れじのグローリア/ミッシェル・ポルナレフ 【1973】

22 夢見るシャンソン人形/フランス・ギャル 【1965】

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24 悲しき鉄道員/ショッキング・ブルー 【1970】

25 タワー/エンジェル 【1975】

26 ロッホ・セヌ―/ランパ 【1990】

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28 残酷な天使のテーゼ/高橋洋子 【1995】

 


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書籍『リモートワークの最前線』 リモートワークで海外進出!

 

執筆協力させていただいたビジネス書が完成。

出版元から見本が届きました。

とても読みやすく仕上がっています。

本日20日から全国の書店で発売。

amazonでもご注文できます。

 

日本の経済産業状況について、

経営者にとっての労働力の問題について、

労働者にとっての労働環境の問題について、

リモートワークについて、

そして海外進出について、

いまどうなっているのかわかる、お得な本です。

 

海外進出と言えば、法務・労務・税務の手続きやルール体系が日本と異なることから臆する企業も多いかもしれません。

 

そんななか、海外雇用代行

(EOR。Employer of Record = 記録上の雇用主)

と呼ばれる仕組みにより、海外に拠点を置いて、

リモートワーク中心に業務を進めることで

成長していく秘訣を解き明かします。

 

本書は、事例としてGoGlobal、NRIアメリカ、

メロディインターナショナル、Paidyの4社を採り上げ、

具体的に海外とのリモートワークの仕組みや

工夫について紹介する実践的な内容となっています。

 

ぜひ、お手元でご覧ください。

 


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週末の懐メロ122:ファーストカー/トレイシー・チャップマン

 

とてもシンプルでありながら、

あまりにも切なく美しいメロデイライン。

初めて聴いた時は本当に鮮烈だった。

1988年のヒット曲だが、

どこか1970年代の日本のフォークソングを彷彿とさせた。

 

正直、最初、歌だけ聴いたので

トレイシー・チャップマンが黒人女性だとは思わなかった。

 

黒人歌手はみんな歌い方がブルースっぽかったり、

ソウルフルだったり、ファンキーだったり、

ダンスフルだったりする。

そんな思い込みというか、偏見があった。

そして僕が知っている限り、ギター1本で歌う

プロの黒人シンガーソングライターは

1988年まで存在しなかった。

そういう意味で、トレイシー・チャップマンは

今でも特別なミュージシャンである。

 

しかし、この曲の内容はまさしくブルース。

アメリカ社会の底辺で働く、黒人女性の労働者の歌だ。

厳しくリアルなストーリーを歌っているのだが、

なぜか一編の寓話を語っているようにも聴こえる。

そして自然と浮かび上がる映画のようなシーン、

ストーリーは、ひどく胸に迫ってくる。

 

主人公の女は学校を辞めて、

スーパーやコンビニのレジ打ちをしながら、

貧困の中で飲んだくれの父親を支えている。

母親は、もうこんな生活は嫌だと言って

出て行ってしまったからだ。

 

そんな境遇の彼女が車を持っている男と出逢う。

高速道路を走ったらバラバラになってしまいそうなほどの

ポンコツだが、彼と一緒にドライブした彼女は狂喜する。

まるで空を飛ぶほどのスピードで走っているような

錯覚にとらわれる。

笑って運転する彼と一緒にいると、

それまでのみじめな自分を忘れることができる。

そう呟くのだ。

 

二人は一緒に暮らし始める。

いつかこの町の、この貧しい暮らしから

抜け出せることを夢見て。

 

子どもも生まれた。

幸せになりたいのだが、

いつの間にか彼は彼女の父親と同じように

無職の飲んだくれになっていってしまう。

 

けれども彼女はまだ夢を捨てていない。

貧しい生活の中で彼女は一縷の望みを抱えて

彼に問い続けるのだ。

ここで死ぬか、今夜飛び立つか・・・

あなたのあの速い車で。

 

 

★週末の懐メロ 第1巻 

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女でなくなる恐怖

 

カミさんが週イチで行っている健康センターで

更年期障害に対処する講演会&ワークショップを行う。

定員はあっという間にいっぱいになったそうだ。

 

近年、女性は「更年期」という言葉に敏感で、

その裏には「女でなくなる恐怖」

「女の時代が終わる恐怖」といったものが

まとわりつくらしい。

 

情報化社会。

情報で人を動かすには恐怖や不安を与えるのが、

いちばん手っ取り早い。

なのでテレビでも雑誌でもネットでも、

恐怖心・不安感をあおる情報が氾濫することになる。

 

更年期になると大変だ、病気になりやすくなるよ、

気分がおかしくなるよ、みたいな声に加え、

「女でなくなったアタシに価値があるのかしら?」とか

「これからどう生きれていけばいいの?」

という恐怖もある。

確かに子供を生めなくなるのは大ごとだが、

大げさな情報のせいで

精神疾患の人も増えてしまう。

 

女性は子供の時も

女になる恐怖、女が始まる恐怖に晒される。

恐怖は言い過ぎかもしれないが、

あんまりハッピーな気分になったという話は聞かない。

その点、男はいつまでもノー天気で、ガキでいられる。

いいことなのか、悪いことなのか。

男女不平等。

 

いずれにしても情報が豊富にあるのは

いいことばかりじゃない。

「知らぬが仏」という言葉を思い出し、

ある程度は見ざる・聞かざるにしとくのも

健康を保ち、自分を見失わず、

人生を快適に生きる知恵ではないだろうかと思う。

 

梅が咲き、河津桜も咲いた。

春はもうすぐだ。

毎日おかしな情報ばっかり頭に詰め込まず、

たまには外で花でも見てぼーっとした方が良い。

 


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書籍『リモートワークの最前線』発売! リモートワークで海外進出!

 

執筆協力させていただいたビジネス書が完成。

20日から書店で発売。amazonでもご注文できます。

 

日本の経済産業状況について、

経営者にとっての労働力の問題について、

労働者にとっての労働環境の問題について、

リモートワークについて、

そして海外進出について、

いまどうなっているのかわかる、お得な本です。

 

海外進出と言えば、法務・労務・税務の手続きやルール体系が日本と異なることから臆する企業も多いかもしれません。

 

そんななか、海外雇用代行 (EOR。Employer of Record = 記録上の雇用主) と呼ばれる仕組みにより、海外に拠点を置いて、リモートワーク中心に業務を進めることで成長していく秘訣を解き明かします。

 

本書は、事例としてGoGlobal、NRIアメリカ、メロディインターナショナル、Paidyの4社を採り上げ、具体的に海外とのリモートワークの仕組みや工夫について紹介する実践的な内容となっています。

 

ぜひ、お手元でご覧ください。

 


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オープンAI「ChatGPT」まずは落第

 

話題のオープンAI「ChatGPT」を使ってみた。

今日はバレンタインデーなので、その話題について。

 

ぼく:バレンタインデーの由来を教えて。

AI:バレンタインデーの起源はキリスト教の宗教的な祭りにまで対処しますが、現代における恋人同士の祝い方は、14世紀の中世ヨーロッパまでさかのぼります。 その後、19世紀には、バレンタインデーのカード交換が広大、20世紀には、商業的な祝日として世界中で広く認知されるようになりました。

 

ぼく:なんで日本ではチョコレートを贈るの?

AI:日本でバレンタインデーにチョコレートを贈る習慣は、1950年代に菓子メーカーが広告展開を行ったことが始まりとされています。同士での贈り物や、逆に男性が女性にお返しを贈る「ホワイトデー」も生まれ、現在では様々な形で祝われています。

 

ぼく:イギリスでは新聞などに男性から女性へのメッセージが載っていますね?

AI:はい、イギリスではバレンタインデーになると、新聞や雑誌などに「バレンタインメッセージ」と呼ばれる、男性から女性へのメッセージが掲載されることがあります。また、最近では、インターネットやソーシャルメディアでも同様のサービスが提供されていることもあります。

 

ここまではウィキ風の一般常識と僕自身が知っていること。

文章も一部を除いてちゃんとしていて、

まあ合格点だが、問題はこのあと。

 

ぼく:他の国ではバレンタインデーにどんなことをするの?

AI:世界各国でバレンタインデーは祝われていますが、

祝い方は国や地域によって異なります。 

例えば、以下にいくつかの例を挙げます。

フランス:「愛の鍵」と呼ばれる鍵を贈り合う習慣があります。

韓国:2月14日に女性が男性にチョコレートを贈る「チョコレートデー」、そして、3月14日に男性が女性にお返しをする「ホワイトデー」があります。

メキシコ:バレンタインデーには、「ダイアの日」と呼ばれる習慣があり、恋人同士がお互いにダイヤモンドを贈り合います。

南アフリカ:バレンタインデーは、人々がカードや贈り物を交換するだけでなく、恋人同士がそのまま木の枝を剪定し、その枝に装飾品を飾り付ける「ラブロックス」と呼ばれる習慣があります。

他にも、世界中に様々な独自のバレンタインデーの習慣があります。

 

愛の鍵?

ダイヤモンドを贈り合う?

木の枝を剪定し、その枝に装飾品を飾り付ける?

 

一瞬信じてしまいそうになったが、

何かおかしいと思って調べてみたら、

このへんは全部間違っている。

 

いちいち説明すると長くなるのでしないが、

パリの「愛の南京鍵」で橋が崩壊した事件は

バレンタインデーとは関係ないし、

メキシコでダイヤを贈り合うなんて、

よほどの金持ちじゃなきゃできるわけない。

 

ぼく:どうもありがとう。あなたのことをブログやSNSで紹介しておきますよ。

AI:どうもありがとうございます。 お力になって嬉しいです。 何か他にも質問やお困りごとがあればいつでも聞いてください。

 

お礼にはちゃんとお行儀よく返してくれるので、

いいやつ風だけど、妙に自信たっぷりなところが怖い。

続いて、先日書いたイヌに関する会話。

 

ぼく:いま、日本ではどんなイヌがたくさん飼われていますか?

AI:日本で最も一般的に飼われている犬種は、トイプードル、シーズー、チワワ、ダックスフンド、柴犬などです。ただし、最近はミックス犬や外国産の犬種も人気があります。

 

ぼく:ジャックラッセルテリアの人気はどうですか?

AI:ジャックラッセルテリアは、日本でも一定の人気がありますが、一般的には比較的少数派の犬種の一つです。また、ジャックラッセルテリアをモデルにしたキャラクターなども人気があるため、それが犬種自体にも影響しているかもしれません

ぼく:ダックスフンドは以前より人気が下がったみたいだけど、なぜ?

AI:確かに、日本では過去に比べてダックスファンドの人気は明らかになっています。その理由としては、以下のようなものが挙げられます。

・年齢層の変化:ダックスフンドは、昔は高齢者を中心に語られていましたが、今では若い世代にはあまり必要がないという飼う傾向があります。

・健康問題:ダックスフンドは、背が長く足が短い体型のため脊椎疾患にかかりやすい傾向があります。このことが、飼い主たちの健康面や医療費の問題につながっているとも言われています。

・環境変化:都市部では、小型犬よりも中・大型犬が飼いやすいという環境変化があったことも、ダックスファンドの人気低下につながっているかもしれません。

ただし、全国的に見れば、まだまだダックスフンドは人気のある犬種の一つです。

 

こちらも一見もっともらしいことは言っている。

ダックスフンドの健康問題については正しいと思うが、

都市部では、小型犬よりも中・大型犬が飼いやすいって・・

そんなことはないだろ。

 

ついでにもう一題、僕の電子書籍の名を出して、これの作者は?と聞いてみたところ、筒井康隆とか森見登美彦だと答えた(笑)。マイナーな情報については0点だ。

 

本日のところの結論。

回答は確かに速く、ほどほどにまとまった文章で出てくるが、中身の精度は???

・・ってか、かなりめちゃくちゃ。

なのでいちいち確認する必要があるので、

結局、自分で調べるのと変わらない。

 

聞いてみたらすぐに回答が出てくるのと、

自信たっぷり、私は常に正しい情報を提供します、

みたいな口ぶりなので、

うっかり信じてしまう人も多いだろう。

 

しかしそのまま文章をコピペして、ホイホイ仕事に使ったり、ネットに上げたら大恥かくし、

トンデモ情報が氾濫して大迷惑になるので、

ちゃんと自分の目と耳で調べましょう。

 

というわけで、お遊びにはいいが、

仕事や勉強をお任せするにはまだまだの「ChatGPT」。

でもたぶん、聞き方が問題なのだと思う。

上手く育てて、上手く使いこなせるようになれば

けっこう使いでがあるのではないかと感じた。

いよいよAIの時代。ともに成長しよう。

 


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認知症への理解を深めるイベントと、蛭子能収さんの話、 そして「with弱者」の社会の実現について

 

昨日(2月12日)、

認知症への理解を深めてもらおうというイベントが

東京・世田谷区で開かれた。

そこで認知症を公表した漫画家の蛭子能収さんが

「仕事を続けているのが自分らしさだ」と

みずからの体験を語った。

 

この催しは、世田谷区が認知症に対して

深い関心を持てる地域の実現を目指そうと開いたもの。

そのなかのトークショーに

3年前に認知症を公表した漫画家の

蛭子能収さんが登壇した。

 

蛭子さんは直近のことを覚えられないといった

症状がありながら、

家族や周囲の支えを受けて仕事を続けている。

その成果とも言えるエッセイ

「おぼえていても、いなくても」は、

めっちゃ面白い本である。

 

また、その内容とは別に、

どうやって家族や周囲がサポートしているのか、

とても興味深い本になっている。

 

蛭子さんは今回の講演で生きがいについて聞かれると

「何か得意なことを見つけることが大切です。

私は認知症になってもイラストの仕事もテレビの仕事も

受けているのが自分らしさで、ずっと生きてやるぞ、

という思いでいます」と話したという。

 

認知症の症状は人それぞれだし、蛭子さんは有名人なので、

「皆さんも彼のようにポジティブに行きましょう」とは

一概には言えない。

それでも希望を与えてくれることは確かだ。

とは言え、

本人と家族だけがどれだけ頑張ったって限界がある。

そのためには社会の理解がぜひ必要になってくるのだ。

 

うちの義母はべつに公表はしていないし、

親しい人やケアしてくれる人以外に

「認知症なので・・・」と、わざわざ説明しないが、

これだけ認知症というものが一般的に認知されてくると、

わかる人にはそれとわかるようだ。

明るく振舞っているせいもあり、

べつにそれであからさまに蔑視されるようなことはない。

 

それどころか「じつは認知症で・・・」と、

こっそり打ち明けたりすると、

「あ~、やっぱりぃ。うちの親もそうなんですよぉ~」

とか言って笑う人もいる。

 

少なくとも、かつて「ボケ」とか「痴呆症」とか

呼ばれていた頃の

ネガティブなイメージは確実に弱まっていると感じる。

困ったことになるのは変わりないが、

かと言って、この世の終わり、人生終わり、

みたいな絶望感は抱く必要はないのでは、と思う。

 

「withナンチャラ」とは最近、よく聞く言葉だが、

近々、「with認知症」の時代になる可能性は高い。

認知症なんかになったら

すべてを諦めなければならなかった昭和の頃と比べて、

今はこうした病気や障がいを持った社会的弱者も

共に楽しく生きられる可能性が出てきている。

 

貧しかった時代は、生産性のない人たち、

もっと言ってしまうと社会の役に立たない人たちは、

打ち捨てられるしかなかった。

けれども今はそうではないのだ。

そうした人たちの価値も認めていっしょに生きる――

それが豊かな社会、先進国家の証である。

 

社会の進化、豊かな社会とは、

大勢の人が金持ちになって贅沢するために

実現したのではなく、

このために成し遂げられたものなのだ。

 

いつもSNSなどで一生懸命になって、

自分のサクセスストーリーを自慢している人、

私は年収○千万です、

○億円ですとか発信している人たちは、

ぜひこうした方面に目を向けて、

「with弱者」の社会の実現に努めてほしい。

 

おりべまこと電子書籍:

認知症介護エッセイ

「認知症のおかあさんといっしょ」

https://www.amazon.co.jp/dp/B0BR8B8NXF

できれば笑って楽しく向き合いたい。家族でも自分でも、認知症を過度に恐れ、人生に受け入れ難いと言う、すべての人に読んでほしい本です。

 


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週末の懐メロ121:ア・ソング・フォー・ユー/レオン・ラッセル

 

「この曲はカーペンターズの曲だと思っているだろ?」

と、中学生のある日、ロック好きの先輩に聞かれた。

彼がそんなふうに聞いてくるのは、もちろん、

じつは違うんだということを物語っている。

 

僕がうなずくと、案の定、彼はいつもの通り、

いつまで女・子どもの聞く音楽を聴いているんだ、

男はロックだ、ウンチャラカンチャラと、

カーペンターズをひとくさり、ディスった後で、

「これはもともとレオン・ラッセルの曲なんだよ。

よく憶えておけ」と言ってレコードを聴かせてくれた。

 

酒と煙草の匂いがプンプンしてくるような、

めちゃくちゃクセのあるピアノと歌い方。

洗練され、万人受けするカーペンターズの

ヒット曲とは確かに違う、

大人の男の「ア・ソング・フォー・ユー」がそこにあった。

 

1970年リリース。

レオン・ラッセル初のソロアルバムに収められたこの曲は、

当初、大したヒットにならなかった。

しかし、カーペンターズがカヴァーして

世界に知られるようになって以降、

たちまちその魅力に多くの人が酔いしれた。

そして、ジャズやブルースが好きな歌手なら誰もが

一度は歌ってみたいと言う名曲に昇華した。

 

僕の場合、約50年前の先輩の洗脳が効果を発揮していて、

いまだに誰が歌うよりもラッセルの

オリジナルが最高だと思っている。

 

この歌にはまた、東京に来て初めて

水商売のバイトをやった時の思い出も沁み込んでいる。

 

僕が勤めていた池袋の店にはバンドの生演奏が入っており、

「ア・ソング・フォ・ユー」は、

彼らのレパートリーの一つになっていた。

 

店内にはちょっとしたダンスホールがあり、

この曲が始まると、必ずお客のカップルが出てきて、

ミラーボールが回る中でチークダンスを踊っていた。

僕にとっての夜の商売の世界の原風景。

音節の間から立ち上る酒と煙草の匂いは、

おそらくそこから来ているのだろう。

 

レオン・ラッセルは他にも「スーパースター」

「ディス・マスカレード」

(いずれもカーペンターズがカヴァー)

といった今ではポップスのスタンダードナンバーに

なっている名曲の数々を生み出した

稀代のシンガーソングライターだ。

 

ところが、なぜか今、彼の知名度は異常に低く、

あまり語られることのないミュージシャンになっている。

ネット上の情報もこれほどの大家の割には驚くほど少ない。

 

「僕は人生の中でたくさんの場所にいて、

たくさんの歌を歌ってきた  

けれども今、僕はきみのためにこの歌を歌っている」

 

僕個人のいろいろな思い出を抜きにして、

誰の胸にも響く素晴らしい歌であることは疑いようもない。

すでに天国の人となったレオン・ラッセル。

誰かのカヴァーを聴いてこの曲と出逢ったのなら、

ぜひ生みの親のことも知ってほしいと思う。

 

 

週末の懐メロ 第1巻 

価格:¥300

20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!

ブログ「DAIHON屋のネタ帳」で2020年10月から毎週連載している「週末の懐メロ」を本にしました。

好きな曲・アーティストがいたら、ぜひ覗いてみてください。

もくじ

1 5年間/デビッド・ボウイ 【1972】

2 愛にさよならを /カーペンターズ 【1973】

3 ドント・レット・ミー・ダウン/ザ・ビートルズ 【1968】

4 嘆きの天使/ケイト・ブッシュ 【1978】

5 ソー・ロンリー/ザ・ポリス 【1978】

6 スワロウテイル ~あいのうた~ /イェンタウン・バンド 【1996】

7 青春の影/財津和夫(チューリップ) 【1974】

8 ボール&チェーン/ジャニス・ジョプリン 【1967】

9 ハッピークリスマス/ジョン・レノン&ヨーコ・オノ 【1971】

10 翼をください/山本潤子(赤い鳥) 【1971】

11 スキャットマンズ・ワールド/スキャットマン・ジョン 【1995】

12 クレア/フェアーグランド・アトラクション 【1988】

13 デジャ・メイク・ハー/レッド・ツェッペリン 【1973】

14 タイムマシンにおねがい/サディスティック・ミカバンド 【1974】

15 キエフの大門/エマーソン・レイク&パーマー 【1972】

16 少女/五輪真弓 【1972】

17 ジュニアズ・ファーム/ ポール・マッカートニー&ウイングス 【1974】

18 トムズ・ダイナー/スザンヌ・ヴェガ 【1984】

19 マーチ・オブ・ザ・ブラッククイーン/クイーン 【1973】

20 なごり雪/イルカ 【1975】

21 忘れじのグローリア/ミッシェル・ポルナレフ 【1973】

22 夢見るシャンソン人形/フランス・ギャル 【1965】

23 同志/イエス 【1972】

24 悲しき鉄道員/ショッキング・ブルー 【1970】

25 タワー/エンジェル 【1975】

26 ロッホ・セヌ―/ランパ 【1990】

27 レディ・ラック/ロッド・スチュワート 【1995】

28 残酷な天使のテーゼ/高橋洋子 【1995】

 


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高齢者の心の問題を手当てする「親の雑誌」

 

月刊終活で「創業!エンディング・プロデュース」

という連載記事を書いている。

高齢社会の進展に従って、

これまでなかった、高齢者をめぐるニーズが発生しており、

大小いろいろな企業が

そこにフォーカスした事業を起こしている。

この記事はそれらの事業内容を紹介するものだ。

 

ニーズが発生しているとはいえ、

それらは社会の目が届かないものも多い。

その最たるものとして、高齢者の心の問題がある。

 

ごく端的に言うと、

「もうこの社会で自分の出番はないかも・・」

と思っている高齢者は少なくない。

 

誰からも、どこからも求められていない。

だんだん忘れられてゆく存在になりつつある。

その孤独感・疎外感は想像を絶するものがある。

 

お金があって、裕福な暮らしをしていて、

悠々自適にやっているように見えても、

じつは心に空いた穴は大きい。

いや、むしろ裕福な人ほどそれが大きいのではないか。

 

近年、大きな社会問題となっている

特殊詐欺事件(最近は強盗)の頻発も、

僕はこうした高齢者の心の問題が遠因と

なっているのではないかと思う。

「話しかけてくれるのならば相手が犯罪者だとしても‥」

そうした心情は理解する必要がある。

 

きょう取材した「こころみ」という会社は、

「話を聞く」をコンセプトとして、各種事業を行っている。

コミュニケーション・ロボット、スマートスピーカー、

チャットボット等の会話シナリオを作ったり、

「ディープリスニング」という、

傾聴を一段深化させたメソッドを開発し、

企業研修に提供したりしている。

 

その基幹事業と言えるのが「親の雑誌」という、

高齢者の自分史の制作だ。

自分史は通常、高齢者本人が自分の意志で本を書き

(あるいはライターが代筆し)、出版するのだが、

こちらは子供がライター(インタビュアー)に依頼し、

親の人生ストーリーを聞き出して

本(雑誌)にするというもの。

つまり、親の心の奥にしまわれている出来事や思いを

開放することに焦点を当てた仕事だ。

すごくユニークであり、社会的意義も大きい。

 

高齢者はみんな潜在的に語りたがっている、

誰かに話を聞いてもらいたがっているが、

家族もケアラーも無事であること・健康であることには

注意を払うものの、そうした潜在的な飢餓感にまでは、

なかなか気がつかないし、手当てもできない。

「親の雑誌」はその問題点に光を当て、

高齢者を救うと同時に、家族や周囲の人たちとの

コミュニケーションを促す役割を果たすのだと思う。

それは高齢者一人一人の心の手当になるとともに、

今後の日本社会全体の手当てにも繋がるのでないか。

注目していきたい仕事だ。

 

 


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中小企業DX研究会「リモートワークの最前線」

 

昨年9月から取り組んでいたビジネス書が完成。

中小企業DX研究会名義の著書として出版します。

リモートワークの可能性について

考察・実践ノウハウを論じています。

興味のあるかたは、ぜひ手に取ってみてください。

特にこれから海外進出を目録む企業にとっては

必読の書となっております。

2月20日より全国の書店、Amazonで発売。

 

リモートワークで海外進出!海外進出と言えば、

法務・労務・税務の手続きやルール体系が

日本と異なることから臆する企業も多い。

 

そんななか、海外雇用代行(EOR。Employer of Record

=記録上の雇用主)と呼ばれる仕組みにより、

海外に拠点を置いて、

リモートワーク中心に業務を進めることで

成長していく秘訣を解き明かす。

 

本書は、事例としてGoGlobal、NRIアメリカ、

メロディインターナショナル、Paidyの4社を採り上げ、

具体的に海外とのリモートワークの

仕組みや工夫について紹介する実践的な内容となっている。

 


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なぜ20世紀のポップミュージックには神が宿ったのか?

 

今回、「週末の懐メロ」を書籍化するに当たって、

リライト・編集作業をしたり、

紹介した楽曲を改めて聴いてみたりして、

一つ気付いたことがある。

 

それはこれらの名曲の誕生時、

当のミュージシャンらは、

自分でもわけがわからずに

創作に取り組んでいたんだろう、ということだ。

 

もちろん、ベースになるもの—ー

ブルースとか、民俗音楽とかはあっただろうし、

こんな作品にしたいという

完成イメージはあったと思うが、

自分たちの創作のプロセスを

言語化・理論化できなかった。

 

夜中にギターを弾いたり、

夜明けにピアノの前に座ったりすると、

すーっとそこに神とか天使だとかが下りて来る。

そしてわけがわからずに、

自分に内在するものに突き動かされて

詞をつくる、曲を作る、

できた曲を編み上げ、味つけをする。

その過程で神が宿るのである。

 

音楽に限らず、21世紀以降のサブカルチャーに

世のなかの価値観を揺るがすほど斬新なもの、

いわば、神がかり的なものが生まれないのは、

やはり産業化され、

システム化されてしまったからだろう。

言ってしまえば、かつての生きた音楽の抜け殻

を再生産しているだけである。

 

自己啓発本にあるような

「こうすればうまくいく」的な「成功法則」は、

この数年でAIが普及したら、

完全にコモディティ化されて、

成功法則でも何でもなくなってしまう。

それはこの2,3年のことかもしれない。

 

ビジネスになる「そこそこのもの」ができれば、

それで十分なのかもしれないけど、

そもそもクリエエイター自身が、

人の作った法則やらメソッドやらに従って作って

面白いのだろうか?

そこに喜びがあるのだろうか?

 

今の時代、あるいは未来、どうなるのかわからないけど、

何かものを創る人は、

他人のサクセスストーリーなどに惑わされず、

自分を信じて取り組んだほうがよい。

あなたのなかにも、あなただけの神がいる。

 

新刊「週末の懐メロ 第1巻」

20世紀ポップミュージックの

回想・妄想・新発見!

もくじ

1 5年間/デビッド・ボウイ 【1972】

2 愛にさよならを /カーペンターズ 【1973】

3 ドント・レット・ミー・ダウン/ザ・ビートルズ 【1968】

4 嘆きの天使/ケイト・ブッシュ 【1978】

5 ソー・ロンリー/ザ・ポリス 【1978】

6 スワロウテイル ~あいのうた~ /イェンタウン・バンド 【1996】

7 青春の影/財津和夫(チューリップ) 【1974】

8 ボール&チェーン/ジャニス・ジョプリン 【1967】

9 ハッピークリスマス/ジョン・レノン&ヨーコ・オノ 【1971】

10 翼をください/山本潤子(赤い鳥) 【1971】

11 スキャットマンズ・ワールド/スキャットマン・ジョン 【1995】

12 クレア/フェアーグランド・アトラクション 【1988】

13 デジャ・メイク・ハー/レッド・ツェッペリン 【1973】

14 タイムマシンにおねがい/サディスティック・ミカバンド 【1974】

15 キエフの大門/エマーソン・レイク&パーマー 【1972】

16 少女/五輪真弓 【1972】

17 ジュニアズ・ファーム/ ポール・マッカートニー&ウイングス 【1974】

18 トムズ・ダイナー/スザンヌ・ヴェガ 【1984】

19 マーチ・オブ・ザ・ブラッククイーン/クイーン 【1973】

20 なごり雪/イルカ 【1975】

21 忘れじのグローリア/ミッシェル・ポルナレフ 【1973】

22 夢見るシャンソン人形/フランス・ギャル 【1965】

23 同志/イエス 【1972】

24 悲しき鉄道員/ショッキング・ブルー 【1970】

25 タワー/エンジェル 【1975】

26 ロッホ・セヌ―/ランパ 【1990】

27 レディ・ラック/ロッド・スチュワート 【1995】

28 残酷な天使のテーゼ/高橋洋子 【1995】

 


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おりべまこと電子書籍新刊発売「週末の懐メロ 第1巻」

 

20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!

ブログ「DAIHON屋のネタ帳」で2020年10月から毎週連載している「週末の懐メロ」を本にしました。

 

曲やアーティストを解説する、あるいはロック史・音楽史を研究するといった大それたものでは全然ありません。

好きな曲を聴くと、とうの昔に忘れていた記憶が

どんどんよみがえってきます。

その名の通り、懐かしさと個人的な思い出に駆られて

書いているエッセイなのです。

 

タイムマシンに乗ってはるかな時間を遡ると、

ノスタルジーだけでなく、新しい発見があったり、

改めて感動してみたり、泣いたり笑ったり、

リアライズやサプライズもいっぱい。

 

僕と同じ昭和世代・20世紀世代にはもちろん、

21世紀を生きる若い世代のお宝発掘のための

ガイドブックとしてもお楽しみください。

 

なお、ブログではエッセイとともに、

YouTubeにアップされている

それぞれの曲の映像を紹介しています。

しかし、本の中ではリンクを貼れないので、

検索キーワードを書き出しました。

 

文章を読んで興味を持ったら、

ぜひお聴きになって&ご覧になってください。

良い音楽、好きな音楽をあなたの心の友に。

第1巻として♯1~♯28を収録。

 

もくじ

1 5年間/デビッド・ボウイ 【1972】

2 愛にさよならを /カーペンターズ 【1973】

3 ドント・レット・ミー・ダウン/ザ・ビートルズ 【1968】

4 嘆きの天使/ケイト・ブッシュ 【1978】

5 ソー・ロンリー/ザ・ポリス 【1978】

6 スワロウテイル ~あいのうた~ /イェンタウン・バンド 【1996】

7 青春の影/財津和夫(チューリップ) 【1974】

8 ボール&チェーン/ジャニス・ジョプリン 【1967】

9 ハッピークリスマス/ジョン・レノン&ヨーコ・オノ 【1971】

10 翼をください/山本潤子(赤い鳥) 【1971】

11 スキャットマンズ・ワールド/スキャットマン・ジョン 【1995】

12 クレア/フェアーグランド・アトラクション 【1988】

13 デジャ・メイク・ハー/レッド・ツェッペリン 【1973】

14 タイムマシンにおねがい/サディスティック・ミカバンド 【1974】

15 キエフの大門/エマーソン・レイク&パーマー 【1972】

16 少女/五輪真弓 【1972】

17 ジュニアズ・ファーム/ ポール・マッカートニー&ウイングス 【1974】

18 トムズ・ダイナー/スザンヌ・ヴェガ 【1984】

19 マーチ・オブ・ザ・ブラッククイーン/クイーン 【1973】

20 なごり雪/イルカ 【1975】

21 忘れじのグローリア/ミッシェル・ポルナレフ 【1973】

22 夢見るシャンソン人形/フランス・ギャル 【1965】

23 同志/イエス 【1972】

24 悲しき鉄道員/ショッキング・ブルー 【1970】

25 タワー/エンジェル 【1975】

26 ロッホ・セヌ―/ランパ 【1990】

27 レディ・ラック/ロッド・スチュワート 【1995】

28 残酷な天使のテーゼ/高橋洋子 【1995】

 


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ペットも参列できるお葬式

 

千歳烏山にあるJA東京中央セレモニーセンターでは、

今年から「ペットに見送られる、私の葬儀」

というプランを始めた。

その名の通り、お葬式にペットも参列し、

亡くなった飼い主さんをお見送りする、というものだ。

このプランは、世田谷区、杉並区、大田区にある

同社の3つの専用ホールでできる。

 

今までもこっそりお通夜などに

キャリーケースに入れた小型犬を連れてきて、

故人とお別れをさせていた家族はいるようだが、

公にこうしたお葬式ができます、と打ち出したのは、

おそらく日本で初めてではないだろうか?

 

というわけで月刊終活の取材で千歳烏山まで行ってきた。

こうしたサービスを始めた下地として、

この会社ではガチでペット葬に力を入れており、

敷地内に専用のお別れ室や専用の火葬車、

霊柩車も揃えてる。

そして、安心のキーポイントとして、

ペットシッターというスペシャリストも控えている。

 

供養グッズもおしゃれでかわいい。

ペットのお葬式では、

立場や人間関係などに気を遣うことなく、

純粋に悲しみの感情を表出できるので、

なりふり構わず号泣する人も多いという。

 

取材でプラン開発の経緯を聴くと、

そうした人たちの心情を日頃から肌で感じており、

インフラも整っているので、

始めるのに大きな葛藤はなかったという。

 

ペットは永遠の子供。

自分が可愛がった子に最期を看取ってもらいたい

という人は多く、ニーズは高いだろう。

 

ペットー主にイヌだが―は、人の死がわかるのか?

という疑問もある。

でも、散歩のときに逢う犬たちを見ていると、

たぶんわかるのではないかという気がする。

人と一緒に暮らしている犬は、

もしかしたら幼い人間の子供より

死とか別れの意味はよく理解できる。

 

取材してみて思ったのは、

これ以降、死という事象の前では

人もペットも同等になるのではないかということ。

同じ命の重み――というと、反感を買うかもしれないが、

おそらくペットに心を寄せて暮らしている人にとっては、

心情的にそうなるのは自然なことだと思う。

もちろん、社会的な意味合いと重みはまったく違うけど、

いろいろ人間関係に倦んで、

ペットのほうに心を傾けたり、思い出を育む人が

これからどんどん増えていくのかもしれない。

 


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週末の懐メロ120:ユー・メイ・ドリーム/シーナ&ロケッツ

 

1979年リリース。

「夢・ドリーム」という日本語と英語の掛け合わせは

ほとんどダジャレの部類だが、

そうしたジョーク感も含めて、このバンドが好きだった。

1979年はまだまだロックで夢を見られた時代だ。

 

ニューウェーブロックという印象が強いシーナ&ロケッツ。

基本はロックンロールなのだが、

細野晴臣がプロデューサーとして関わっていたせいか、

デビュー当時はちょっとテクノポップ風の

ニュアンスが混じっていた。

 

シーナのハラハラさせるような危なっかしい、

けど魅力的なヴォーカルと

インチキっぽく謎めいたカタカナ英語も懐かしい。

そして、何と言っても鮎川誠のギターがカッコよかった。

 

NHK-FMでエアチェックした鮎川参加の

YMOツアーの番組を

カセットテープに録音して長らく愛聴していたのだが、

YMOのサポートギタリストのなかでも

鮎川のギターがいちばんキレていたように思う。

 

シーナの死後8年、その鮎川が先月末、この世を去った。

そう言えば今年に入ってからYMOのドラマーだった

高橋幸宏も去っている。

 

誰が死んだってロックンロールは不滅だぜ、

と言いたいところだが、

やっぱり寂しさを禁じ得ない。

1979年は、とてもとても思い出深い年だった。

せめてシーナと鮎川といっしょに、

ユメ、ユメ、ユメ、ユー・メイ・ドリーム……

と呟いていよう。

 

 

新刊「週末の懐メロ 第1巻」

 

20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!

ブログ「DAIHON屋のネタ帳」で2020年10月から毎週連載している「週末の懐メロ」を本にしました。

2月5日(日)Amazon Kindleより発売予定。


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ウルフとチワワと犬の本能の発散について

 

川沿いを散歩していると、いろいろな犬に逢う。

あくまで印象だが、うちの近所では柴犬、

チワワ、トイプードル、ポメラニアンが

人気トップ4だ。

 

それぞれの犬の名前はわからないので、

シバくん、チワちゃん、プーちゃん、ポメちゃんというと、

みんなどうも自分のことだと分かるらしく、

しっぽを振って寄ってくる子が多い。

 

かつて飼犬人気ナンバーワンだった

ミニチュアダックスフントは、

めっきり数が減ったように思う。

短足胴長の体型が災いして、

体を壊しやすいと聞いたことがあるが、

そのせいなのだろうか?

 

代わって目立つのがジャックラッセルテリアなどの

テリア種。

これら犬種の名前がジャック以外、よくわからない。

でも、ジャックは好きなので、

「おっ、ジャックラッセルテリアくんだ」と

フルネームで呟くと、なぜか本人(本犬?)より

飼い主さんが喜んでくれる。

 

大型犬も結構いて、やっぱりゴールデンレトリバーと

ラブラドールレトリバーが気があるようだ。

僕もゴールデンくんとラブちゃんは大好きだ。

 

小熊くらいありそうなバーニーズマウンテンとか、

シェパードやサモエドもいる。

サモエドくんはポメラニアンのご先祖らしく、

たまにポメちゃんだと思って飼っていたら、

みるみる大きくなってサモエドになることがあるらしい。

サモエドくんは図体はデカいが、めちゃくちゃ可愛い。

 

さて、そんな中で最近、オオカミみたいな犬に出逢った。

その名も「ウルフドッグ」というらしい。

シベリアンハスキーの親戚かなと思ったら、

そういうわけでもないらしく、

ハスキーよりもオオカミの血が濃いらしい。

 

「おっ、カッコいい」というと、

「え、おれのこと?」と聞き耳を立てて止まり、

「ねえねえ、もっとほめて」と寄ってくる。

精悍な顔をしている割になかなかかわいいやつなのだ。

 

それにしても、こんな怖そうなデカいイヌと
チワワみたいなおチビが同じ犬とは・・・。
犬の遺伝子というのは、いったいどうなっているのか?

 

そういえば広場で「ピー」とか「キュー」という

音の出るボールやオモチャで遊んでいる犬をよく見かける。

あの音の出るおもちゃは好奇心を刺激されて犬が喜ぶ――

いう説明がされていることが多い。

 

好奇心というのは、

そう言えば納得するだろうと言われているみたいで、

なんだか腑に落ちない。

なぜ好奇心を刺激されるのか?

そう思い巡らせて森の道を歩いていたら

思い至ったところがある。

 

あの音は、オオカミが狩りをしたときに

獲物が出す断末魔の声なのではないか?

それで本能が刺激されて犬が喜ぶのではないだろうか?

残酷な話だが、今はかわいい犬たちも、

もとは野生の肉食獣である。

 

ああいうオモチャで適度に本能のはけ口を作ってやると、

万一、人間に噛みつく事故をが起るのを

防ぐ効果があるのではないだろうか?

――と勝手に想像を巡らせてみたが、どうなのだろう?

誰かワンちゃんの飼い主で、

知っている人がいたら教えてください。

 

こんど「チワワ、オオカミと旅に出る」という

動物物語を書こうと思っている。

 


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おりべまこと電子書籍情報

 

「認知症のおかあさんといっしょ」

 無料キャンペーン終了しました。

ご購入いただいた方々、どうもありがとうございました。

よろしければ読後レビューよろしくお願いいたします。

おりべまことの電子書籍新刊は

「週末の懐メロ 第1巻」。

2月4日(土)発売予定です。なにとぞお楽しみに。

 


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病院ラジオは必見のテレビ

 

NHK総合の「病院ラジオ」をやっていたので見た。

今日は長野の子ども病院。

サンドウィッチマンが難病と闘う子どもたちの話を聞く。

 

こんな病気の子どもたちがいるのか、と驚く。

こんな障害を持った彼らの毎日の生活が想像できない。

いったいどんな人生を歩むことになるのか想像できない。

けれども彼らは自分の運命を憐れむわけでもなく、

ちゃんと前向きに生きている。

恋もしたいし、親孝行もしたいという。

がんばって生きようとしている。

本当に心動かされる番組だ。

 

そして、彼らからそんな話を素直に聞き出せる

サンドウィッチマンはすごいなと思う。

普通なら重すぎて苦しすぎて、うーんと唸ったり、

妙に気を遣ってしまったり、

可愛そうに、と思ったりしてしまうはずだが、

彼らは普通の人たちと相対する時と変わらずに応じ、

ジョークも飛ばせれば、笑いも取れる。

 

もちろん、彼らが売れっ子芸人だから

相手もテンションが上がる、というところもあるだろう。

でも見ていると、患者の子たちは、この二人なら

ちゃんと普通に話せる、ということを知っている。

ということが伝わってくる。

 

子どもだけではない。

前回は高齢者の病院でやっていたが、

そのときも彼らの対応は素晴らしかった。

病気で社会と隔絶してしまった人たちに

そうした安心感を与え、なおかつ、

面白テレビ番組として成立させてしまえるとは、

すごい才能だ。

サンドウィッチマンの人気が高いのは納得してしまう。

 

この番組は年に数回しかやらないのだが、

いつも楽しみにしている。

入院患者の人たちに、勇気と元気を与えていただく、

本当に良い番組だ。

またもやNHKの宣伝で、何やら回し者みたいだが、

良いものは良い。

これも向こう1週間、NHKプラスで見られます。

 

 

おりべまこと電子書籍

「認知症のおかあさんといっしょ」

無料キャンペーン実施中

1月31日(火)16:59まで

義母の介護の日々を綴った面白エッセイ。認知症を知り、認知症から人生を考え、人間を学ぶ。

日本認知症学会 認知症専門医・指導医である久米一誠氏の貴重な講演録を通して、日本における認知症全体のあらましについても解説しています。

 


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電子書籍「認知症のおかあさんといっしょ」 無料キャンペーン実施中

 

1月31日(火)16:59まで実施中

 

義母の介護の日々を綴った面白エッセイ。

認知症を知り、認知症から人生を考え、人間を学ぶ。

日本認知症学会 認知症専門医・指導医である久米一誠氏の貴重な講演録を通して、日本における認知症全体のあらましについても解説しています。

 

 

厚生労働省の発表では、

2025年には65才以上の5人に1人、

予備軍もふくめれば3人に1人が

認知症になると言われています。

 

認知症の人は子どもではありませんが、

子どもに見られる人間の元の部分と、

数十年間、この社会で大人として生きて身に着けた習性と、

複雑怪奇な感情とが絡み合ったものを、

むき出しにして表現する人たちです。

 

僕たちはそんな人たちと向き合わなくてはなりません。

それはまた、これまではスルーしていた

人間の根源的な在り方と向き合うことを

意味しているのではないかと思います。

 

けれども、泣いたり、怒ったり、嘆いたり、

暗い深刻な顔をしたりじゃなくて、

できれば笑って楽しく向き合いたい。

家族でも自分でも、認知症を過度に恐れ、

人生に受け入れ難いと言う、

すべての人に読んでほしい本です。

 

無料アプリを入れればスマホでも読めますよ。

 


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電子書籍「認知症のおかあさんといっしょ」無料キャンペーン 月末まで

 

義母上は本日はデイサービスの日。

土曜日は大のお気に入りの

昭和系2枚目のお兄さんがお迎えに来るので、

寒くても必ずパキッと目をさまし、したくもスムーズ。

ルンルン気分で出かけて行く。

こちらも夕方5時半まで羽を伸ばせてルンルン。

 

本日より「認知症のおかあさんといっしょ」

4日間無料キャンペーン実施。

1月28日(土)17:00~31日(火)16:59

ぜひご購入、読後のレビューをお願いします。

 

お求めはこちら:

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●PC・スマホ・タブレットで読める:Kindle無料アプリ

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週末の懐メロ119:氷の世界/井上陽水

 

中学生の頃、日本の若者の音楽と言えば

フォークソングだった。

井上陽水ももちろんフォークシンガーであり、

シンガーソングライター。

けれども彼の歌には、それまでのフォークにはない

一種の異様さが漂っていた。

 

爽やか系でも、夢・希望系でも、哀愁系でも、

コミカル系でも、バカヤロー系でもなく、

ロックともフォークともつかない陽水ワールド。

あえてカテゴリー名をつけるとすれば、

劇画・文学系フォークロック?

 

いずれにしても「傘がない」「断絶」

「人生が二度あれば」「心もよう」などの

ヘヴィな楽曲群に、

当時の中学生は、まだ体験していない

人生の現実の奈落に叩き込まれたような気になった。

 

とくに「人生が二度あれば」や「心もよう」の

エンディングにはもう絶句するしかなく、

とても軽口を叩けるような雰囲気ではなかった。

 

そして、その真打として1993年にリリースされたのが、

この「氷の世界」である。

大寒波で毎日吹雪が吹き荒れる中、

リンゴ売りが声を張り上げるわ、

テレビがぶっ壊れっるわ、

ノーベル賞を狙っている引きこもりは出て来るわ、

わけのわからないアヴァンギャルドな歌詞が

ファンキーなリズムに乗って荒れ狂う。

 

ファンクともプログレッシブロックとも取れる歌だが、

けっして難解でなく、どこかポップで陽気でユーモラスで、

心地よく聴けてしまうところが陽水のすごいところ。

 

思うにそのポップさ・陽気さのエッセンスが拡大して、

80年代以降に変貌した「ニューミュージック陽水」に

繋がっていったのだと思う。

 

ところで歌詞の冒頭に出てくる「リンゴ売り」って、

いったいいつの時代の話?と思う人は多いだろう。

陽水が子どもの頃(昭和20年代)には、

まだ街中にそうした行商がいたのかなとか、

それとも昭和歌謡の「りんごの唄」(並木路子)などを

意識したのかなと思っていたが、

べつに関係ないらしい。

 

ちなみにリンゴ売りは

絶滅した昭和レトロビジネスではなく、

デジタル令和の今でもちゃんとあって、

リンゴを売り歩いて一日ン10万稼ぐとか、

それで一家7人養っているという人も本当にいるようだ。

この事実にもまた絶句。

 


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認知症のおかあさんといっしょ キャンペーン予告

 

お誕生日にプレゼントしたネコちゃんを

気に入ってくれた。

ここんところ、いつもニャーニャーお話している。

いつの間にか鏡台の上にはお友だちが増えた。

 

「認知症のおかあさんといっしょ」

4日間無料キャンペーンやります。

1月28日(土)17:00~31日(火)16:59

どうぞよろしく。

 


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週末の懐メロ書籍化

 

ブログのネタがなかったり、あんまり気分がのらない時の

手抜きコンテンツとして始めた週末の懐メロ。

当初、YouTubeのリンク貼って、

2,3行ちょこちょこっと

コメント書いときゃOKと思っていたが、

案に諮らずや、今ではこれをやらないと

1週間過ごした気がしなくなってしまった。

 

というわけで連載2年超、100回超になったので、

電子書籍にまとめて出すことにしました。

YouTubeのリンクが貼れないので文章だけ。

今年1年かけて刊行していこうと思ってます。

 

第1巻は第1回:5年間/デビッド・ボウイから

第28回:残酷な天使のテーゼ/高橋洋子まで収録。

ただいまリライト・編集中。

今月末発売予定です。お楽しみに。

 


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わたしの寿命はあと7年

 

誕生日が来て63になった。

あと7年したら70だが、

僕の寿命はそこらあたりまでかなと思っている。

 

いや、べつにどこか悪いところがあるわけではない。

いたって元気で健康だ。

でも、あと20年生きても30年生きても7年なのだ。

 

もうほとんど前世の記憶みたいだが、

18歳から25歳までの7年間、

演劇の学校に行って、

仲間と劇団を作って芝居をやっていた。

いま思い返すと若気の至りというか、

バカ気の至りみたいなことをやってて、

恥ずかしいぐらいだ。

 

でもバカはバカなりに面白くていつも弾けていた。

出逢うものすべてが新鮮で、

ポジティブにでも、ネガティブにでも、

いちいち鮮烈な感情が自分の内側から迸った。

どう生きてやろうかという気概に溢れていた。

 

あの頃に戻りたくはない。

はっきり言ってあんなふうに毎日を送っていたら

疲れてしかたがない。

齢を取るとは、こういうふうに思ってしまうことだ。

 

ただ、あの頃の時間の感じ方を取り戻せらたら、とは思う。

同じ24時間なのに、実にいろいろなことができた。

バイトをし、稽古をし、本を読み、本を書いた。

ほんとんど寝ない日もあれば、

疲れて一日中爆睡しているような日もあった。

実に贅沢に時間を使い捨てていた。

一つの季節が今の1年ぐらいに感じられた。

そもそも自分が齢を取るなんて思っていなかったのだ。

フォーエバーヤングだと本気で思っていたのだ。

 

しかし、明らかに体力は衰え、

目も悪いし、歯も悪いし、頭も悪い。

顔はちょっといいかも知れない。

 

若ぶって40年前と同じように…は無理だけど、

バカ気の至りを発揮して、

感性豊かに生きてきたいと願う。

最悪、本当にあと7年でもOKなように。

 


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週末の懐メロ118:人は少しずつ変わる/中山ラビ

 

中学生の時、ラジオで初めてこの歌を聴いた。

中山ラビというシンガーソングライターがいるのを

知ったのもその時——1974年だ。

 

心変わりした男に対する女の恨み節。

それがその時の感想だった。

中学生の耳には単なる失恋ソングにしか聴こえず、

大して印象にも残らなかった。

 

けれども、あれから50年近く経ったいま、

まったく違った歌に聴こえる。

62歳最後の夜、「人は少しずつ変わる」は、

底なしの深さを感じさせて響いてくる。

 

本当だ。

若い頃には思ってもみなかったことだが、

人が劇的に変わることなど滅多にない。

人は少しずつ変わる。

これは確かだ。

そんな当たり前のことをこの齢になるまで

はっきりわからずにいた。

 

外身も、中身も、僕も少しずつ変わって来た。

そしていつの時代も、一夜の夢冷めやらず

うかつな10年ひと昔を、懲りずに繰り返してきた。

 

何年も何十年も会っていない友だちや仲間が大勢いる。

変わってしまった姿を見たり、見られたり、

もう昔のように同じ夢を見て語り合えないだろうと思うと、

怖気づいて、このまま死ぬまで会わないで、

美しい昔の面影や、明るい声を

抱いたままでいた方がいいのではないかと、

正直、思うことがある。

齢を取るとはこういうことなのだ、と腑に落ちる。

 

中山ラビは、詩人の中山容が訳した

ボブ・ディランの曲を歌ってライブデビュー。

「女ボブ・ディラン」と呼ばれたこともあったようだ。

芸名も中山容にちなんでつけたという。

 

1972年にレコードデビュー。

レコードを買って聴いた記憶はないが、

「ひらひら」「もうすぐ」「女です」といった

タイトルやジャケットはよく憶えている。

 

その後、よくあるパターンで、

当初の素朴なフォーク風の曲は、

新味を取り入れたニューミュージックっぽい曲調に

少しずつ(?)変わっていったようだ。

 

80年代後半、音楽活動を停止し、10年後にカムバック。

以後、コロナ前の2019年までライブハウスなどで

活動を続け、一昨年7月に亡くなった。

 

最晩年、おそらく最後に近いステージだと思うが、

2019年12月に松本のライブハウスでの

演奏が上がっている。

70歳の中山ラビが、ギター1本でこの歌を歌っていた。

別に気負うことなく、20代の頃と同じように、

さして変わらぬ声で、ごく自然に。

とても美しいと思った。

 

人は少しずつ変わる。

だんだん変わってどこへたどり着くのか。

誰にも自分のことがわからない。

でもきっと、だから生きているのが面白いのだろう。

 


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なぜ付け合わせのポテトサラダがおいしい店は信用できるのか?

 

♪サ、サ、サ、サラダ 

サラダの国から来たむすめ

 

という歌が、かつてあったが、

サラダの国のプリンセスと言えば、

何と言ってもポテトサラダである。

 

並みいるサラダの中で総選挙をやれば、

ぶっちぎりでトップ当選。

日本においては、まさにサラダ界のスーパーアイドル。

いまや多種多様な味・食感を揃えた

ダイバーシティなポテサラ専門店まで出現し、

繁盛する時代である。

 

まさかその事実を知らずして、

スーパーやコンビニの弁当と同じ、

業務用の在りもののポテサラを

袋から出してまんま盛り付けている飲食店はあるまい。

もしあったとすれば、その店は日々、

顧客からの信用を落としている、と認識した方がいい。

 

表題にある「ポテトサラダがおいしい店は信用できる」は、

かの「孤独のグルメ」の主人公・

井之頭五郎氏のセリフだが、

裏返せば、

「ポテトサラダに魂を入れられない店は信用できない」

ということになる。

 

ポテトサラダはいかようにでもオリジナリティが

発揮できるサラダである。

 

材料となるジャガイモも、

男爵、きたあかり、とうや、メークイン、

アンデスレッド、インカのめざめなど多種多様。

 

僕も好きなのでよく家で作る。

自分が好きなものを作る時は、

なんとかうまいものにしてやろうと手が動く。

ゆでるのではなく、圧力釜で蒸し、

うまみを凝縮して柔らかくしたやつを

つぶして湯気が出ているところに

バシャッとお酢をぶっかけ、ガバッと粉チーズをふる。

それに定番としてタマネギ、ゆで卵、

あとはキャベツ、キュウリ、ニンジン、

ブロッコリーの茎などを投入し、

マヨネーズをにゅるにゅるっと絞って混ぜ合わせる。

 

といったレシピを基本に、その日の気分と

ぶち込める材料、調味料によっていろいろアレンジする。

ポテサラはその人の個性・嗜好・工夫、

そして、その瞬間のフィーリングが如実に反映される。

 

「これがうちのポテサラじゃ!」

と、愛と自信と誇りを持って客に出せるか?

それとも、どうせ付け合わせなんだからと

適当に済ませるか?

 

自分で作ると分かるが、ポテサラを作るのは、

けっこう手間暇がかかる。

コロナでダメージを受けた飲食店としては、

経営立て直しの必要性から

付け合わせなんぞに手間暇かけず、

市販の出来合いでパッと済ませて、

その分、生産性を上げたいと考えるのが常道だ。

 

しかし、手を抜いていいものと駄目なものがある。

いくらメインのハンバーグがうまくても

ポテサラが駄目ならハンバーグも減点されてしまう。

 

しかし、しょせんは付け合わせである。

そんなことを口に出して言う人はほとんどいるまい。

皆、井之頭五郎のように

「ここのポテトサラダは間に合わせの業務用か。

これは残念だ」

と心の中で不満げに呟くばかりである。

彼がもう一度、あなたの店に戻ってくる確率は

限りなく低い。

 

僕たちは目の前にある問題を合理的・効率的に解決し、

生産性・経済性を上げようと躍起になる。

手っ取り早く稼いで、

あわよくばさっさとリタイアしちまおうと考える。

 

しかし、そんなことがうまくできるのは、

ごくわずかな幸運で、選ばれた人間だけだ。

あなたはおそらく違う。

僕も違う。

僕たちは残念ながら選ばれし人間などではない、

あまりにも平凡な、どこにでもいる、

いつでも取り換え可能な、十把一絡げの人材だ。

 

そんなしょーもない凡庸な輩が、

出来合いのポテサラを提供して

うまくしのいでいると思っているかも知れないが、

「あの店には二度と行かないよ」と

井之頭五郎らに心の中で言われ、

いつの間にか信用を失くしているのだ。

 

汝、付け合わせのポテトサラダに手を抜くな。

どうしようもなく平凡で、ありきたりでも、

愛と魂と情熱と己のグルーヴを込めて作った

ポテトサラダには自然と個性がにじみ出る。

あなただけのサラダプリンセス。

僕だけのポテポテアイドル。

 

食いに来た客の10人に一人は

「この店は信用できる」と言ってくれるかもしれない。

そして、100人に一人ぐらいは

「好きだ。愛してる」と言ってくれるかもしれない。

みんな、あなたや僕の店の工夫と頑張りを

ちょっとぐらいは期待してくれている。

 


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ETV特集「弔いの時間(とき)」の衝撃

 

1月15日放送のNHKのETV特集

「弔いの時間(とき)」は、けっこう衝撃的だった。

葛飾区(青砥/立石)にある想送庵「カノン」における

ドキュメンタリー。

この施設は故人の安置施設で、

遺族が心行くまで故人と別れの時間を持てるように、

と作られた。

いわば最後のお別れのためのホテルである。

 

葬儀社の葬儀会館と違うのは、

家族や友人が亡くなった人と

最後の時を共有するのが目的の空間なので、

必ずしもここでお葬式をやる必要はないということ。

実際、ここから直接、火葬場へ行く人も少なくないらしい。

 

逆にここでお葬式をするときは、

葬儀社の葬儀会館ではできないような

自由なお葬式というか、お別れの会ができる。

 

番組で紹介されたのは、21歳で自殺してしまった女性と

70歳で亡くなったコピーライターの人のお葬式。

 

前者は3年前の出来事で、お母さんがとつとつと

その時の情景と心情を語る。

子供に先立たれたら、

哀しみで気が狂いそうになるだろうと想像するが、

何かがそのお母さんをそうさせなかった。

哀しみに沈むのとは逆に、

その子の友だちが大勢集まって、

わいわい笑い声が飛び交い、

施設が一種の祝祭空間のように変わってしまったとのこと。

もちろん、その映像はないが、

話と遺影や飾りつけだけで

その時の情景がありありと思う浮かべることができた。

 

後者はリアルタイムで

テレビカメラがお葬式を取材していた。

そのご家族はビデオでその人の亡くなる瞬間を撮影し、

その動画を参列者に見せた。

奥さんは哀しみの感情を隠すことなく、

参列者の前で歌を歌った。

 

どちらもけっして異常だとは思わない。

親しい人間の死は、

その周囲の人間にいろいろな感情を与え、

いろいろな行動を取らせる。

もしかしたら、このカノンという施設の空間には

一種のマジックが働いて、

悲しみに沈みこむという感情の定型パターンから

心が自由になれるのかもしれない。

 

30年ほど昔、「泣き女」を主人公にした

演劇的葬式が開かれる世界についての

ラジオドラマを書いたことがある。

脚本賞をいただいて放送してもらったが、

なんだかそれが時を超えて実現したのを

見たようが気がした。

 

普段から葬儀供養の雑誌の仕事をしているので、

変わった葬式の話は割と聞き慣れている方だが、

それでもやっぱりこれは衝撃。

いい・悪いではないが、何かものすごく心が揺れた。

しばらくはうまく言語化できない。

 

興味のある方は、今週いっぱいなら、

NHKプラスの「#ドキュメンタリー」のところで

見られます。

 


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誕生日のドラえもんとウサギ

 

義母の誕生日。

88歳の米寿である。

「おめでとう」の祝辞にも

「え、誰のお誕生日なの?」

認知症は、主観的には齢を取ることはない。

本人の意識の上では不老不死である。

 

さて、誕生日と言えばケーキ。

この人はジャムパン、クリームパン、

あるいは100円で買える甘食とかロールケーキとか、

普通、洋菓子とは呼べないお安い菓子パン系は大好物だが、

ちょっとハイクラスのケーキなどは

いまいちお好きではない。

 

最近、その傾向がますます強くなっており、

日本人として原点回帰しているのでは?と思わせる。

 

そんなわけで先日のパステルのプリンケーキは、

三日かけて、カミさんと僕とで食ってしまったのだが、

今日は、それならということで、

好物のどら焼きを食わしちゃろうということで、

阿佐ヶ谷の「うさぎや」へ行く。

 

阿佐ヶ谷北口の狭い路地にあるうさぎやは

古い木づくりの和菓子屋で、

レトロムードたっぷり。

阿佐ヶ谷にお店を開いたのは昭和32年というから、

僕が生まれる前のこと。

日本橋と上野にも同じ店があるが、

のれん分けというわけでなく、親族が経営しているらしい。

 

売っている和菓子はどら焼きをはじめとして、

すべて職人さんの手作り。

いつも行列ができているので、午前中に行ったが、

それでも十分待ち。

店内には大勢お客がいて、

反日の女性たちもちゃきちゃきしていて、

なんだか昭和に還ったような、あったかい気分になる。

味はもちろんだが、

こうした店の雰囲気も人気の秘密なのだろう。

 

浅草・亀十のどら焼きもそうだが、

いわゆる名物となるどら焼きの共通点として、

皮にもアンコにもくどさがまったくなく、

けっこう軽く食べられてしまうこと。

インタビュー記事を読むと、

食べ終わった時に

「もう1つ食べたいと思える余韻がある甘さ」

にしているそうで、そのレシピをずっと守っているという。

 

甘さを抑えている分、

日持ちしない(消費期限三日)のだが、

これならほとんどドラえもんのように

何個でもパクパク食べられてしまう。

もっとたくさん買っておいてもよかった。

 

ウサギまんじゅうが可愛くて、

ウサギ年なので縁起がいいかなと

これも買ってみた。

目と耳は寒天とあんこを混ぜた羊羹で書いており、

手作りなので1つ1つ顔が違う。

ついでに大きな小豆がたっぷり入ったお赤飯も買った。

 

プレゼントもあげて、好物のおでん、お赤飯、

そしてどら焼きでお祝い。

プレゼントには、ネコの小さなぬいぐるみと

ティッシュ入れをあげたのだが、

本人はさっぱりわかっていない。

 

ほとんどカミさんと僕の自己満足の世界になっているが、

まぁ、それでもよし。

明日もどら焼きとウサギまんじゅう食べるよ。

 

認知症のおかあさんといっしょおりべまこと ¥500

 

義母の介護の日々を綴った、面白エッセイ。認知症を知り、認知症から人生を考え、人間を学ぶ。

日本認知症学会 認知症専門医・指導医である久米一誠氏の貴重な講演録を通して、日本における認知症全体のあらましについても解説しています。

電子書籍AmazonKindleから発売中。


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週末の懐メロ117:スタンド・バイ・ミー/プレイング・フォー・チェンジ

 

いまや誰もが知る名曲中の名曲、

スタンダードナンバー中のスタンダードナンバー。

オリジナルは1961年に黒人シンガーソングライター、

ベン・E・キングがリリースした。

 

その後、1975年にジョン・レノンが

アルバム「ロックンロール」の中でカバーして大ヒット。

 

さらに1986年に公開された、

スティーブン・キング原作、ロブ・ライナー監督の

同名映画(4人の少年が死体を見つけようと冒険する話)の

テーマ曲となり、誰もが知る名曲となった。

 

60年代、70年代、80年代と年月を重ねて

広まった名曲は、もちろん、90年代にも21世紀の今も

愛唱・愛聴されており、

カバー・バージョンは400を超えるという。

 

さて、ここで歌っているのは皆、

音楽ビジネスとは無縁な無名のミュージシャンたち。

ストリートで、スラムの片隅で、自宅で、

あるいはどこかの野っぱらで、

自由に、好きなように「スタンド・バイ・ミー」を歌う。

 

この音楽プロジェクト“PLAYING FOR CHANGE”は、

2004年の第47回グラミー賞において、

ベストコンテンポラリー・ブルースアルバム部門で受賞した

アメリカ人のプロデューサー/エンジニアである、

マーク・ジョンソン氏が立ち上げたもの。

 

彼はサンタモニカの街の路上で歌う

黒人のおっちゃん(冒頭から登場するメインシンガー)の

パフォーマンスに胸を射られ、

その演奏に世界中のミュージシャン達を加え、

音楽で世界をつなぎたいという思いが込み上げたという。

 

その後、数年をかけて世界のさまざまな国を旅して、

世代を超えた名曲やオリジナル楽曲の演奏を、

のべ100人以上のミュージシャン達から収録した。

 

そして、それを編集し、

あたかも世界中のミュージシャンが、

ひとつの楽曲を一緒に演奏しているように

仕上げた動画を発表。

世界規模で大きな話題となり、

多くの人々に感動を与える一大ムーヴメントとなった。

 

このプロジェクトの収益の一部は、

非営利団体である

「PLAYING FOR CHANGE基金」を通じて、

インドやネパールにおける難民への必要物資の提供など、

直接的な援助のほかに、

南アフリカでの音楽スクールやアートスクールの設立、

子どもたちへの恒常的な指導にも役立てられ、

音楽や芸術の輪を、世界に広げることに貢献している。

 

音楽は世界を救う、平和を実現する――

1960年代から80年代にかけて盛り上がった

ポップカルチャーのムーヴメントは色あせ、

夢と消えたかに見えたが、まだ生きている。

やっぱり音楽っていいものだ、夢を捨ててはいけない

と改めて思わせてくれるパフォーマンスだ。

 


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がっちりアメリケンなハンバーガーとアップルパイ

 

吉祥寺の「バビーズ」という店で昼食を食べたが、

めっちゃうまかった。

 

思いっきりアメリケンなカフェ&レストランで、

古き良きアメリカ料理がコンセプト。

いろんなハリウッド映画によく出てくるような

田舎町のカフェに似ている。

 

大ぶりなテーブルの上には全席、

真っ赤なハインツのケチャップと、

まっ黄色なマスタードが、

なかよくドカッという感じで鎮座している。

 

カミさんはマカロニチーズ、

僕はハンバーガーを頼んだが、

これまた、ちんまりお洒落な感じでなく、

アメリケンなメジャーリーグ、

イッツ・ショータイムという感じで、

ドカドカッと運ばれてきた。

 

こんがり焼けたビーフハンバーガーは、

トマト、オニオン、レタスをのっけただけの

シンプルな代物で、

これにハインツのケチャップとマスタードを

ドバドバかけてかぶりつく。

 

おお、そうだった。

本来、ハンバーガーとはこういう食い物だ。

そして日本のケチャップとはやっぱり違う

アメリケンなハインツの甘さと酸っぱさ。

 

おお、愛しき憎きパックスアメリカーナ。

おれのからだの中では今、

日本人とアメリカ人の血がせめぎ合っている。

 

「孤独のグルメ」の井之頭五郎なら、

そうモノローグするところだ。

 

ちょっと重いかなと思って、付け合わせには

コールスロー(ビーツが入っていてピンク色)を選んだ。

これもおいしかったが、

これならフライドポテトも食べてみたい気がする。

 

そしてデザートに頼んだのが、この店の売りの

アップルパイ。

 

普通のアップルパイでもよかったが、

記事にくるみを入れ、シナモンを効かせた

「クランブルアップルパイ」というのを頼んでみたら、

これが感動的な味だった。

こんなサクサクなアップルパイ、

ちょっと他では食べられない。

 

ニューヨークに本店があって人気らしく、

日本では吉祥寺のほかには

赤坂・八重洲・汐留・二子玉などに店を出している。

「都会の中のカントリー」といったところで、

お洒落感もほどほど。

年齢に関係なく、年寄りでも子ども連れでも

気軽に入れるところがいい。

テーブルも広く、リラックスムードがあって居心地も良い。

 

二人で、メイン2+ドリンク2+デザート1で

4千円ちょい。

そう安くはないけど、内容と見合わせれば十分満足。

束の間、アメリカのどこかに旅した気分にも浸れます。

 


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新宿にパステルが帰って来た

 

カミさんのお誕生日だったので、

パステルのプリンケーキを買いに新宿へ行く。

1か月前、新宿西口地下の小田急エースタウンに

パステルの新しい店舗ができたのだ!

 

その昔は渋谷・恵比寿・新宿に数店舗、

数年前は吉祥寺のアトレにも入っていたが、

撤退に次ぐ撤退で、

一番近いのは池袋東武の1階になってしまったのだが、

新宿にできてうれしい。

行ってみるとチョコレートケーキのTOPSも入っている!

 

しかし、ここに入ってる店はどこもそうだが。

かつての店舗と比べると極めて小さく、

ぎりぎりの省スペースで、

スタッフもぎりぎりに削ってやっているように見える。

(基本、おねーさん一人で販売しているように

見受けられた)

 

何となく栄枯盛衰。

パステルもTOPSもかつては

デパ地下の花形というイメージがあったのだが、

あれは愛するが故の幻想だったのか?

なんだかデパ地下・駅ビルの晴れ舞台から陥落して、

ひっそりやっていますという感じがしなくもない。

 

でも、いいのだ。おいしければ。

味は決して落ちてない。

古い奴だと思われても、

僕らはプリンケーキを食べ続けるだろう。

(と言っても年に1回か2回だけど)

 

パステルのプリンケーキと

TOPSのチョコレートケーキは日本の宝です。

 


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サスペンスフルな認知症映画「ファーザー」

 

一昨年公開されたアンソニー・ホプキンス主演の

映画「ファーザー」は、認知症患者の視点で描かれている。

観客を混乱に陥れるような

ミステリアスでサスペンスフルな展開。

しかしその実、認知症患者と介護の現実を突きつける

ドキュメンタリータッチの映画でもある。

 

もともとは舞台劇で、舞台はロンドン。

派手なシーン展開は一切なく、

ドラマはほとんど家の中で進む。

それでも1時間半、画面から目が離せない。

目の前で何が起っていくのか、

ひとつひとつを固唾を飲んで見守らざるを得なくなる。

 

無駄なものを一切そぎ落としたシャープな演出と構成。

そして何よりもアンソニー・ホプキンスの圧倒的な演技力。

嘘っぽさがみじんもないリアルの極致。

こんなふうに認知症患者を演じられる役者が他にいるのか。

 

そして、その行く先は、やはり辛くて悲しい。

広告では「感動」と謳っているが、

いや、多くの人はそれよりも

言いようのない不安と怖さに晒されるのではないか。

そういう映画だと思う。

 

けれども認知症が蔓延していくこれからの社会、

現実と向き合いたくない人、逃げ出したい人も、

せめてこの映画で認知症のことを知ってほしい。

 

2021年アカデミー賞・主演男優賞と脚本賞。

現在、アマゾンプライム見放題で視聴可能。

 

 

認知症について学ぶ。

認知症から学ぶ。

認知症介護の日々を綴った

おりべまことの面白エッセイ集。

専門医の解説も併載。

「認知症のおかあさんといっしょ」

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年寄り大河ファンを切り捨て御免の「どうする家康」

 

年末年始にかけて、NHKの画面は松本潤だらけ。

「どうする家康」の大量の番宣を投下し続けた。

それで第1回を見たが、松本潤の家康のヘタレぶりと

家臣らのキャラ(特に松重豊とイッセー尾形)が

面白かった。

 

それにしてもオープニングタイトルは、

まるで朝ドラみたいな軽やかな映像と音楽。

これだけでこのドラマは、

これまでの大河のような重厚な時代劇ではなく、

弱小企業の若いヘタレ後継ぎ

(あるいは窮地に追い込まれたスタートアップ)が奮闘して

業界を牛耳るヒーローに成りあがる物語であることが

わかる。

だから松潤(39)と似た世代(あるいはそれより若いの)が

自己投影しやすいように作られている。

 

大河ドラマとしては相当な違和感。

従来の大河ファンには到底受け入れられないだろう。

けれどもたぶん、それでいいのだと制作陣は思っている。

言い換えると、これまでの大河ファンは切り捨ててもいい、

とさえ割り切っているのではないかと想像する。

 

テレビがこれだけ若い世代に見られなくなっている現状

(にしても数百万、数千万人規模が見ているけど)

を考えると、

彼ら・彼女らに大河ドラマを見てもらうためには

これくらい思いきったことが必要なのだ、きっと。

 

大河の視聴者というのはどうもかなり保守的なようで、

「大河ドラマとはこうでなくては」みたいな

思い入れが強い。

あれだけ革新的で大好評であることが伝えられた

「鎌倉殿の13人」も視聴率は12%台で振るわなかった。

2019年の「いだてん」などは1ケタ。

三谷幸喜も宮藤官九郎も人気が高く、

腕も確かな素晴らしい脚本家だが、

大河ドラマの作者としてはあまり評価されないようだ。

 

何度もいろいろな変革を試みてきた大河ドラマだが、

数字を見る限りはうまくいっていない。

ということで、マスメディアでは、

かつて最高視聴率39.7%を記録した

「独眼竜正宗(1987年)」以下、

歴代の高視聴率作品(30%以上はすべて60年代~80年代)

と比べて、

最近の大河の視聴率の低さばかりをあげつらうが、

そんな懐メロ作品と今を比べてどうするのか?

 

幸い、NHKは民放ほど視聴率を気にせずに済むので、

大河の制作陣は余計なことを気にせず、

どんどん自分たちの信じるところを追究して、

良いドラマを作ってほしい。

 

これだけテレビで手間暇かけて丁寧なドラマ作り、

そして役者をやる気にさせる仕事ができるのは

大河ドラマを置いて他にないのではないかと思う。

 

経済が好調だった30年前の時代の幻想から

一歩も抜けだせない頭の固まった年寄りたちの

幻想の弊害はこんなところにも現れている。

 

こうした年寄りは皆切り捨てて、

若い者に照準を絞ったやり方は正解である。

しかも家康は歴史上の人物として、

数少ないハッピーエンドが可能な人物でもある。

若者――といってもベビーフェースの松潤ももう40、

ほとんど中年だ――にやる気・勇気を少しでも与え、

楽しめるドラマになればいいと思う。

 


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週末の懐メロ116:カラーフィルムを忘れたのね/ニナ・ハーゲン

 

年末の30日にNHKで放送された

「映像の世紀バタフライエフェクト:

ロックが壊した東西冷戦の壁」が

とても見ごたえがあって面白かった。

 

東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」を崩壊に導いた、

ニナ・ハーゲン、ルー・リード、デビッド・ボウイ。

3人のロックシンガーの物語。

自由を叫ぶ3人の音楽は、

冷戦の壁を越えて人々の心を揺さぶった。

その番組の中で紹介された曲の一つが

ニナ・ハーゲンの「カラーフィルムを忘れたのね」である。

 

ニナ・ハーゲンは1980年頃、

パンククイーンとして世界的な人気を博した。

僕もファーストアルバムを持っていたが、

パンクというよりニューウェーブという印象が強かった。

 

彼女は旧・東ドイツ出身で、世界的ロックスターになる前、

10代の頃から東ドイツで音楽活動をやっていた。

しかし1976年、音楽家で作家でもあった養父が

政府から市民権を剥奪されたことをきっかけに、

東ドイツでの活動の場を奪われ、イギリスに亡命。

翌年に西ドイツに移って新たなキャリアを始め、

あっという間にスターダムにのし上がった。

 

この曲は彼女が東ドイツで活動していた時代の

大ヒット曲で、1974年のリリース。

同年、東ドイツの音楽チャートでトップになった。

 

一緒に旅行した彼氏がカラーフィルムを忘れたために、

記念写真がみんなて白黒になってしまったことに

怒る女の子の歌だ(当然、この時代はフィルムカメラ)。

 

第2次世界大戦の敗戦国となったドイツは

東西に分断され、西は資本主義国である

アメリカやイギリス・フランスなどの勢力下に、

東は社会主義国のソ連(現ロシア)の勢力下に

置かれていた。

 

コミカルな味わいのこの曲は、当時の若者の、

単調で色のない社会主義国の生活・文化に対する鋭い批判、

痛烈な風刺として受け止められていた。

 

当時の東ドイツの若者の多くが

この曲に刺激されてロックを聴き始め、

ロックカルチャーの影響を受け、

やがて1987年のデビッド・ボウイの伝説のベルリンライブ、

そして、1989年のベルリンの壁崩壊に繋がっていく。

 

ニナ・ハーゲンを聴く若者の一人に、

当時、大学で物理学を勉強していた

アンゲラ・メルケル元首相がいた。

ただ、彼女はロックカルチャーに浸ることなく、

反体制的な政治思想を持つこともなく、

むしろ社会主義国家に忠実な科学者として

生きていたという。

 

それがベルリンの壁崩壊で劇的に人生が変わり、

科学者から政治家に転身。

最後には統一ドイツの第8代連邦首相

(最年少で初の女性首相)となり、

4期16年間、トップを務めて2021年に引退した。

 

彼女が2021年12月に国防省で行われた退任式典で

演奏する曲として選んだのが

「カラーフィルムを忘れたのね」だった。

記者会見で選んだ理由を問われると

「この曲は私の青春時代のハイライトだった」

と答えたという。

 

メルケル元首相は国際政治の場でも

大きな存在感を持っていたが、

東ドイツ出身ということもあってか、

対ロシア外交にも辣腕を振るった。

プーチン大統領も彼女に対しては、

つねに一目置いていたという。

 

2022年、ロシアがウクライナに侵攻したのは、

メルケルが政治の世界から身を引いたために重しがなくり、

プーチンが自分の願望に

ブレーキを踏めなくなったことが一因、

と見る専門家もいる。

 

それがどこまで真実かわからないが、

国のトップを担う人たちの心理的なバランスが

どこかで崩れてしまったことは確かだろう。

 

それにしてもとっくに過去のものになったと思っていた

東西冷戦(のようなもの)がまた復活するとは

予想だにしなかった。

 

報道慣れしてしまって、

昨年のように大変だと思わなくなってしまったが、

世界の情勢はどんどん悪化しているのではないか?

 

かつては音楽が人の心を変えるだけの力を発揮したが、

今また、それは有効に働くのだろうか?

僕たちは心を揺さぶられることがあるのだろうか?

 

「映像の世紀バタフライエフェクト:

ロックが壊した東西冷戦の壁」は

近代の世界史・ロックカルチャーの一端を知るうえで、

とても充実した内容なので超おすすめです。

再放送があれば、ぜひ見てください。

 


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正月明けて今日は義母から解放日

 

年末年始、デイサービスが休みだったので

義母に付きまとわれて往生こいた。

今日は1週間ぶりにあちらへおでかけ。

デイサービスのヘルパーさんが本当にありがたい。

おかげでやっといつものペースに戻れた。

頭はボケてるけど、風邪一つ引かない

元気な(もうすぐ)88歳。

健康なのはありがたいけど、

1週間ベタはつらいよ。

でも、コロナが始まった時は

1カ月ずっと家にいたはず。

どうやってしのいでいたんだろう?

今となってはさっぱり思い出せない。

自分の本を読んで思い出す。あ~、なるへそ。

 

認知症介護エッセイ集「認知症のおかあさんといっしょ」

https://www.amazon.co.jp/dp/B0BR8B8NXF ¥500

 


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「鎌倉殿」完結:どうして僕たちは歪んでしまうのか?

 

年末に「鎌倉殿の13人」の総集編をやっていたのだが、

前半のほうを見逃してしまったので、

NHKプラスで見ている。

 

後半、あまりにダークな展開で、

北条義時の若い時代って、どうだったっけ?

と忘れてしまっていたので見てみたら、

そのあまりの明るさ・純朴さ・清々しさに再会して

びっくり。

そしてラストとの対比で、思わず涙してしまった。

 

こんな気のいい青年が、あんな陰惨な男になり、

あれほど無残な最期を迎えるとは。

諸行無常と言えばそれまでだけど、ひどすぎる。

 

裏返して言うと、小栗旬の演技力の素晴らしさ!

あの希望にあふれた若者の明るい笑顔と

陰惨な政治家になった男の暗い澱んだ表情との落差。

力は掴んだが、ひとりの人間としての

夢だの愛だの幸福だのは、

はるかかなたに遠ざかってしまった人生。

 

大河ドラマ初(だと思う)の

恐るべきダークヒーローは、

小栗旬でなければできなかっただろうし、

視聴者も小栗旬だから見続け、

義時を愛せたのだろう。

 

若くて明るい少年・青年。

同じく陽気で気の良い家族や仲間たち。

みんな夢と理想を描き、

目標を定めて人生の旅に出るが、

齢を重ね、おのおのの道を歩むうちに

その関係はゆがみ、

ぽっかりあいた暗い淵に落ちていく。

そして気付いた時には、

もうあと戻り出来なくなっている。

 

そんなドラマはこれまで何度か見て来た。

てか、ドラマほどではないかもしれないが

現実にも起こっている。

それが大人になることなのだ、

といえばそうなのかもしれない。

 

こんな陰惨でバッドエンドなストーリーに

ハマった人たちは深い共感を覚えたのだろう。

大人として生き続けることは、

多かれ少なかれ、汚れ、傷つき、

苦さと哀しみを舐めなくてはならないということを。

 

認めたくないが、認めざるを得ない。

でもやっぱりすべては認めたくない。

僕たちはいくつになっても、

その諦めと抗いの間を右往左往しながら生きている。

このドラマが胸に刺さるのはそうした理由からで、

 

義時や政子を自分に引き寄せられるからだと思う。

 

それにしても、この枠でこんなダークヒーロー、

そしてあんな最終回を描くことが許されたのは、

三谷幸喜にこれまでの実績と

スタッフ・キャストの信頼があったからに違いない。

 

舞台出身の人だけあって、三谷脚本で面白いのは、

随所で舞台劇のようなシーンが見られることだ。

義時(小栗旬)と政子(小池栄子)のラストシーンは、

その真骨頂だった。

 

思わず僕は夢想した。

スポットライトだけが当たる何もない舞台の上で、

政子がゆっくりと毒消しの薬を床にこぼし、

義時が這いながらそれを舐めようとする。

政子は彼を現世の闇から救い出すかのように、

 

それを振り払う。

あの壮絶なシーンと、そこに至るまでのこのドラマを

生の舞台で、生の舞台で見られたら、と妄想を抱いた。

 

さて、僕は今、どれくらい歪んでしまったのだろう?

 


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社会を回す人たちの働く意欲・生きる元気

 

年末年始はデイサービスがお休みなので、

義母が毎日家にいる。

それでカミさんがカリカリしてくるので、

僕が義母を外に連れ出すことになる。

午前も午後も普段より長めの散歩をする。

正直、けっこう疲れる。

本や映画をゆっくり見ようと思っていたが、

考えが甘かったようだ。

 

お正月スペシャル散歩ということで、

帰りけに茶店に寄る。

飲食店、特にチェーン店は

コロナで落ちた売り上げを取り戻す狙いもあるのか、

けっこう元旦から開いている。

 

昨日は浜田山付近・井の頭通り沿いにある

「むさしの森珈琲」でコーヒーといっしょに

この店の名物だという

「ふわとろパンケーキ」を食べた。

 

名前の通り、ふわっとしてて

トロっと口の中で溶けるパンケーキで、

見た目はけっこうボリューミーだが、

風船みたいなので軽く食べられてしまう。

おやつにちょうどいい感じだ。

 

なかなかおいしかったので、支払いの時に

「あのパンケーキはおいしいねぇ」と言ったら、

レジを打っていたマージャーらしき人の指が一時停止して

「そう言っていただけて、本当にありがたいです」と、

えらく恐縮して言われたので、

こっちが恐縮してしまった。

でも、自分の一言で喜んでくれたようなので

悪い気はしない。

 

見た感じ、40過ぎたあたりの人だったので、

奥さんや子供といっしょにお正月を

ゆっくり過ごしたかっただろうに、

出勤せざるを得なくなったのだろうか?

そうした重荷を少しでも軽くできたのだろうか。

 

思えば、0年代の「勝ち組・負け組」あたりから、

もともとおかしかった日本社会は

ますます歪んできた。

 

マネーゲームの勝者を目指す競争社会。

儲けたもん勝ちという風潮になって、

こうして地道に働いて、現場を回している人たちを

使用人みたいに見る傾向がはびこってしまった。

それは人の心を蝕み、現場仕事の価値を認めず、

従事する人たちの自尊心を奪ってきたのではないかと思う。

 

近年、あちこちでおぞましい事件が

頻発するような社会になってしまった背景には、

こうした自尊心を奪われた人たちの、

表出されない怒りや悲しみのようなものが

マグマみたいに地下で流れているような気がしてならない。

 

社会をよくするというと、あまりに大げさだけど、

お客として良い品物や良いサービスを提供されて、

少しでも心を動かされるようなことがあれば、

「おいしかった」「助かった」「ありがとう」と

声に出してお礼を言った方が、

彼ら・彼女らの心の報酬になるのではないかと思う。

 

また、配達員とか工事員とか警備員とか、

機会があれば「お疲れさま」とか、

ねぎらいの声をかけてもいいのではないか。

 

仕事だから当たりまえだろ。

カネもらってるんだらちゃんとやるべきだろ。

 

もちろんそうだけど、やっているのは人間である。

お礼やねぎらいの言葉を報酬として求めるのは

けっして甘えでも、間違った心の在り方ではない。

人間の気持ちとして

「カネを稼ぐために働いている」だけでは

とても長くもたない。

そこに何か喜びなり、充実感がなくては働けない。

 

ほんの一言で、彼ら・彼女らの働く意欲が上がったり、

今日は良い日だと思えたり、心が軽くなったり、

元気や幸福感につながることだってあるだろう。

 

そして、それは経済にだってプラスに働くだろう。

「新しい資本主義」って、

システムがどうのこうのではなく、

働く側と生活する側・双方の関係を

良くするところか始まるのではないだろうか。

 


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2023年 兎と走る!

 

今年は喪中で初詣にも行かない。

なので祈願もしないし、おみくじも引かない。

だから今年の運勢はああだこうだとか、

縁起がいいとか悪いとか、

年の初めにあれしなきゃとか、

これしなきゃとか一切考えることもない。

弱冠寂しくはあるのだが、

これはこれで浮き立つことなく、

すっきりしていていいものだ。

 

最近お気に入りのオーロラの歌

「ランニング・ウィズ・ウルブズ」をもじって

ランニング・ウィズ・ラビッツー-兎と走る!

 

今年の目標は昨日書いたとおり、

書きかけ・企画どまりの小説を

何とか1作でも多く書き上げることと、

新しいコンテンツをスタートアップすることだが、

これらは10年後もフリーランスで

バリバリ頑張って仕事ができる自分の

(何度目かの)下地作りである。

そのためなら、年頭の目標に縛られなくても

思いついたことはどんどんやっていく。

 

いくら人生100年時代だとは言っても、

自分の残り時間が少ないことはわかっている。

ウルトラマンで言えばカラータイマーが

ピコピコ点滅し始めている。

自分にとって何がエネルギーになるのか、

何がテンションを上げてくれるの、

どんなことなら冒険のしがいがあるかも

だいたいわかってきた。

これからはそういうところに

リソースを集中させて生きていく必要があるだろう。

 

ろくに才能もないのに、幸運に恵まれて、

行き当たりばったりで、

フリーランスを貫いてここまで生きてこられた。

今さら安定や保証を求めるわけにもいかないし、

そんなものに頼っても落ちるときは落ちる。

 

不安をエネルギーに生きるしかない。

 

なので今年も良い意味で流れに身を任せ、

あんまりがんばらないように、

ゆるくがんばっていきたいと思っている。

皆さん、今年もよろしくお願いします。

 


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2022年から2023年へ行きます

 

2022年は電子出版で9冊の本を出した。

小説3冊(長編1刷・短編2冊)、エッセイ集6冊。

紙の本(ビジネス本)のほうは

けっこう時間が掛かってなんとか原稿は年内に上げたが、

出版は1月か2月になりそうだ。

レギュラーワークと義母の介護をしながら、

また、母の死などもあって

思うようにいかなかったところもあるが、

そもそも思うようにいくことのほうがレアケース。

生きてりゃいろんなことがあるわけだから、

そのなかでベストを尽くすしかない。

 

2023年の電子出版は書きかけの小説が3本。

「河童の水を飲んだ話」:

若返る女と彼女と関係を持った3人の男の物語。

 

「星の王女さま、地球の仲間と旅に出る」:

女の子の夏休みの冒険を描く童話。

 

「6,600万年前の夢を見て死ね」:

故郷の湖の恐竜伝説で地元起こしをしようと動き出した

若者たちのプロジェクトの話。

 

それと数年企画を練っているフードミステリー1本

「ばんめしできたよ」

 

いずれもすぐ書けそうだが、なかなか書けなくて

あっという間に1年が過ぎてしまった。

2023年は何とかこれらを完成させ、

かつまた、良い出会いもあったので、

新しいコンテンツ企画にも取り組もうと思う。

 

というわけで2020年の反省と、

ちょっと欲張りな2023年の目標。

心身の充実に努めて新しいスタートを切りたい。

喪中なので新年のごあいさつは控えておきます。

 


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週末の懐メロ115:ザ・ウェイト/ザ・バンド

 

2022年最後の懐メロは、1968年リリース、

「ザ・バンド」の永遠の輝きを放つ最高傑作。

ボブ・ディランをはじめ、1960年代から活躍する

様々な超一流ミュージシャンたちと共演。

かのウッドストックフェスティバルでも歌われ、

映画「イージーライダー」の挿入歌にも使われた。

 

そして、この曲が入った彼らのデビューアルバムは、

かのエリック・クラプトンに

「俺の音楽人生を変えた」と言わしめた。

 

聖書の言葉を下敷きに

この世で生きる切なさ・苦さに

ユーモアやジョークを入り混ぜた、

不思議に明るい抜けるような旋律。

「重荷」という名の希望と自由を求める歌が、

明日へのテンションを上げる。

では皆さん、良い新年をお迎えください。

 


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本日発売「認知症のおかあさんといっしょ」

おりべまこと電子書籍・新刊

「認知症のおかあさんといっしょ」

https://www.amazon.co.jp/dp/B0BR8B8NXF ¥500

 

「いいの、手なんか握って?」

「だって手をつながないと危ないよ」

「いいの本当に? 奥さんはいらっしゃるの?」

「はい、いますけど(あなたの娘ですよ)」

「わあ、どうしよう? 奥さん、怒らないかしら?」

「だいじょうぶです。公認ですから」

「わあ、うれしい。こうしたこと一生忘れないわ」

「喜んでもらえて何よりです」

そんな対話から始まった義母の介護の日々を綴った

面白エッセイ。

認知症を知り、認知症から人生を考え、人間を学ぶ。

日本認知症学会 認知症専門医・指導医である久米一誠氏の貴重な講演録を通して、日本における認知症全体のあらましについても解説しています。

 

厚生労働省の発表では、

2025年には65才以上の5人に1人、

予備軍もふくめれば3人に1人が認知症になる

と言われています。

親が子どもである自分の顔を忘れてしまったとか、

まともに生活できなくなってしまったとか、

そんなことを悩み悲しんでいるヒマはありません。

また、世間体を慮って隠しているわけにもいきません。これからはwith認知症の時代。

こんな言い方はよくありませんが、

ヘンな人たち、困った人たち、

ちょっと頭のおかしな人たちが

巷にあふれる時代になるのです。

 

ただし、それは

「一般の社会人の基準から見れば」ということ。

まだ一般の社会人の基準に達していなかった

子どもの頃、僕たちもこうしたヘンな人、

困った人、ちょっと頭のおかしな人たちでした。

ただ、子供だから許されていただけなのです。

 

認知症の人は子どもではありませんが、

子どもに見られる人間の元の部分と、

数十年間、この社会で大人として生きて

身に着けた習性と、

複雑怪奇な感情とが絡み合ったものを、

むき出しにして表現する人たちです。

僕たちはそんな人たちと向き合わなくてはなりません。

 

それはまた、これまではスルーしていた

人間の根源的な在り方と向き合うことを

意味しているのではないかと思います。

けれども、泣いたり、怒ったり、嘆いたり、

暗い深刻な顔をしたりじゃなくて、

できれば笑って楽しく向き合いたい。

家族でも自分でも、認知症を過度に恐れ、

人生に受け入れ難いと言う、

すべての人に読んでほしい本です。

 

もくじ

●おててつないで神だのみのお散歩

●未知のスポーツに対するリアクション

●いちばん自分らしく生きていた時間の記憶が残る

●認知症の人の価値はどうやって見つけるか?

●オバQそっくり

●ボロ市と天使

●義母のカエルコール

●認知症に学ぶ変化への対応と人間の根っこ

●人間の魂の純粋性の回復について

●コロナにも怯えず“いま”だけで生きる

●リスクもマスクもなき高齢者

●社会的弱者はステイホーム週間をサバイバルできるのか?

●夏休みバンスキング

●夏の魔法のネコ時間

●義母とざしきわらし

●女のダークサイド

●幸せの歌と認知症の女

●ハロウィーンプレゼントのぬいぐるみだワン

●ばんめし時間と秋の夜長

●認知症と終活の時代がすぐそこに

●認知症専門医と終末期医療を語る。~終活×終末期医療~

●エイジトラベルと幻の息子

●「恐怖!かえる女」はプリンセス

●春だけど自分にいいこと何かやってる?

●昭和のバナナ預金

●無敵の認知症:ワクチン接種のことなんてもう忘れた

●認知症のおかあさんといっしょ

●まぼろしの家へカエル病

●認知症の症状は命の芸術表現

●散歩中の犬と演じるシュールな野外劇についての断章

●義母とざしきわらしとちっちゃいおじさん

●新春特別カエルトリップ:椎名町・金剛院

●義母の復活と蛭子能収さんの本のこと

●おたく、家族を虐待していませんか?

●女の諍いにピースサイン

●腹がへった義母のパン侵略

●親より先に死んではいけません

●笑って認知症と向き合いたい

全38編収録

 


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大にぎわいの浅草と憧れの亀十のどら焼き

 

取材で浅草に行ったら、外国人だらけでびっくり。

インバウンド完全復活!なのか?

レースみたいな奇妙なフリフリのついた着物を着た

アジア系の娘がゾロゾロいるし、

彼女らを乗せて人力車の兄ちゃんも走っている。

年末から正月にかけて浅草はお祭り気分だ。

歩いているだけで楽しくなるし、元気になる。

やっぱりいいいね。

みなさん、思う存分、日本を楽しんでください!

 

と、満たされた気持ちになって、

よし、今日は亀十のどら焼きを買って帰るろう!

と思ったが、長蛇の列ができていて、

とても待てないので諦めた。

亀十のどら焼きはおいしいが、なかなか買えない。

 


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ありがとう&ごめんなさい

 

「ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力1・2」無料キャンペーン、
好評のうちに終了しました。
ご購入いただいた皆さん、ありがとうございます。
ぜひレビューをお寄せください。
新刊エッセイ集「認知症のおかあさんといっしょ」
本日発売の予定でしたが、最終調整中につき、
29日(木)に延期しました。
もうちょっとだけ待っててね。

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週末の懐メロ番外編:イマジン/プレイング・フォー・チェンジ

 

ジョン・レノンは「ハッピークリスマス」のなかで

「戦争は終わった もし君が望むなら」と歌った。

でも、そう望まない人が世界にはたくさんいる。

彼の子供や孫の時代になっても

それはほとんど変わる気配はない。

 

日本も防衛費を増やそうとしている。

ロシア、中国、北朝鮮などの恐るべき動きを見れば

護身のためにやむなしと思う。

 

さらには日本も核を持つべきではないか、

という意見も耳にする。

今年は、世界は核の恐怖の均衡で成り立っている

という現実を、今さらのように思い知らされた。

そうだ、その通りかもしれないと思う。

 

けれども想像してみる。

もしも被爆国の日本が核を保有したと明言したら・・。

世界はそこで終わるかもしれない。

いろいろやっている持続可能な社会への取り組みも

すべてが水の泡になるだろう。

 

日本は核兵器の被害者であるが、

人類の歴史のストーリーの中で、

核を持たずに、

核の脅し合いを諫める役割を背負っている

(背負わされてた?)のではないかと思う。

 

まるでシェイクスピアの悲劇の主人公のようだが、

世界のために、人類のために、

その役割をこれからもと背負い続ける覚悟が

必要なのではないか。

 

そして今また「イマジン」を聴く。

当然ながら、いくら想像してみたって

現実はこの歌の通りにはならない。

けれどもこの曲を愛し続けるしかない。

なんだか時間が半世紀前に逆流している。

この曲が本当の懐メロになるのはまだ遠い先の話だ。

 

今年最後の無料キャンペーン実施

12月22日(木)17:00~26日(月)16:59

おりべまこと電子書籍:音楽エッセイをダブルで。

ポップミュージックをこよなく愛した

僕らの時代の妄想力

ロックが劇的に進化し、ポップミュージックが世界を覆った60~70年代、僕たちのイマジネーションは音楽からどんな影響を受け変態したのか。心の財産となったあの時代の夢と歌を考察する。

忌野清志郎、ビートルズ、藤圭子と宇多田ヒカル、阿久悠など。

ポップミュージックをこよなく愛した

僕らの時代の妄想力2

ロックカルチャーが開花して僕たちの世界はどのように作られ、社会はどう変わっていったのか? いっしょに聴いて、歌って、踊って、妄想しながら考えましょう。

西城秀樹、キング・クリムゾン、ローリング・ストーンズ、ザ・ピーナッツなど。


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週末の懐メロ114:ラスト・クリスマス/ベス

 

クリスマスには失恋がよく似合う?

僕もあなたもみんなも大好き、

山下達郎の「クリスマス・イブ」といい、

この「ラスト・クリスマス」といい、

クリスマスの定番ソングになるのは失恋の歌ばっか。

 

イギリスの男性デュオ・ワムがこの曲を歌ったのは1984年。

(ちなみに録音したのは

ジョージ・マイケルだけだったらしい)

悲しい歌詞なのに、やけに明るいメロディ。

だけど当時はそんなことも気にならず、

この曲が大好きで、この季節になるとよく聴いて

失恋しているのに浮かれた気分になっていた。

思い返せば1980年代はそんな矛盾に満ちた時代だったのだ。

 

そんな若かったバカかった頃も過ぎて、

もうここ30年近く、BGMで聴こえてくるのは別にして、

ほとんど聴く気がしなかったのだが、

ふとまた聴いてみた。

 

やっぱり若い頃は妄想が張り付いていたのか、

魔法が切れてて、ワムのオリジナル版を聴いても、

全然ピンとこない。

 

カバーはどうなのか?

名曲なのでやたらいろんな人、それも女性ばっかり、

しかも世界に名を馳せるビッグネームらが

「“わたしの”ラスト・クリスマス」をご披露しているが、

全然いいと思わない。

 

そうして辿り着いたのが、ベスという無名の歌手。

ピアノだけを強調したシンプルな演奏をバックに、

甘くかわいく歌う。

はっきり言ってワムのオリジナルより数倍いい。

これぞ魔法がよみがえる、

僕の妄想の中の「ラスト・クリスマス」だ。

 

彼女はいろいろなカバー曲で歌い、

自分でネットで歌を売っているらしい。

プライベートな写真・家族の写真(だと思う)を

入れ込んだ、妙に素人っぽい映像づくりにも好感が持てる。

きっとパパ・ママが大好きで、

「ジングルベル」や「赤鼻のトナカイ」などと

いっしょに聴いて歌って大人になったんだろう。

 

懐メロとネットを媒介にビッグネームも素人さんも

分け隔てなく音楽を提供する時代になった。

・・・というわけで、

楽しいクリスマスをお過ごしください。

 

 

今年最後の無料キャンペーン実施

12月22日(木)17:00~26日(月)16:59

おりべまこと電子書籍:音楽エッセイをダブルで。

 

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忌野清志郎、ビートルズ、藤圭子と宇多田ヒカル、阿久悠など。

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おりべまこと2022最後の無料キャンペーン

 

本日から5日間、今年最後の無料キャンペーン実施

12月22日(木)17:00~26日(月)16:59

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https://www.amazon.co.jp/dp/B08SKGH8BV

ロックが劇的に進化し、ポップミュージックが世界を覆った60~70年代、僕たちのイマジネーションは音楽からどんな影響を受け変態したのか。心の財産となったあの時代の夢と歌を考察する。

忌野清志郎、ビートルズ、藤圭子と宇多田ヒカル、阿久悠など。

 

ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力2

https://www.amazon.co.jp/dp/B0BPS1Q15P

ロックカルチャーが開花して僕たちの世界はどのように作られ、社会はどう変わっていったのか? いっしょに聴いて、歌って、踊って、妄想しながら考えましょう。

西城秀樹、キング・クリムゾン、ローリング・ストーンズ、ザ・ピーナッツなど。

 

ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力

 もくじ

●八王子・冨士森公園のスローバラード駐車場で、ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力について考える

●アーティストたちの前に扉が開いていた

●21世紀のビートルズ伝説

●藤圭子と宇多田ヒカルの歌う力の遺伝子について

●ヘイ・ジュード:ジョンとポールの別れの歌

●阿久悠の作詞入門

●余命9ヵ月のピアニスト

●ローリング・ストーンズと新選組の相似点について

●キング・クリムゾンの伝説と21世紀版「風に語りて」

●プログレッシヴ・ロックスターの死①:ジョン・ウエットンの訃報、そしてロンドンの寿司

●プログレッシヴ・ロックスターの死②:キース・エマーソンの尊厳死(1周忌に捧ぐ) 

●勝手にビートルズ・ベストテン

●中学生時代の「エリナ・リグビー」の衝撃と和訳演奏

●純情ストーカー男と純心DV願望女の昭和歌謡

●人間は幸せに慣れると、幸せであることを忘れてしまう

●義弟のアナログレコードと帰ってきたカレン・カーペンター

●いちご畑で抱きしめて

●ダイヤモンドをつけたルーシーとの別れとジュリアンの心の修復作業

●抹消された20世紀パンクと想像力の中で生きる19世紀型スチームパンク

●悲しいことなんてぶっとばすロックンロールバンドのモンキービジネス

●オノ・ヨーコさん「NHKファミリー・ヒストリー」とYESの3文字の秘密

●オノ・ヨーコさん「NHKファミリー・ヒストリー」と「イマジン」の秘密

●いろいろな人が弾くから、心に響くロンドンのピアノ

●ストリートミュージックが商品になった街ロンドン

●アナログレコードとの再会

●見捨てられた恋人のようだったアナログレコードが、 なぜ絶滅の淵から回帰したのか?

●さすらいのレコード・コレクター:男のバカバカしくて痛快な生きザマ

●クリスマスにちょっとだけ世界と自分を変える

●森田童子の思い出:僕らの時代の子守唄

●自分をリライトする

●よみがえる死者・よみがえる歌:AIの音楽

●20世紀の愛と平和のロックなんて忘れてしまっていた

●だいじょうぶです、なすがままになさい

 

ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力2

  もくじ

●神さまのカケラを拾い集めて生きる僕たちの妄想力

●45周年ユーミン、40周年サザン&YMOの衝撃

●七月の朝とユーライア・ヒープと西城秀樹

●エピタフとキング・クリムゾンと西城秀樹

●西城秀樹さん ラストステージの記憶

●「THE ALTERNATE LET IT BE…Naked」:ビートルズの終わらない物語

●ビートルズのセッション音源からジョン・レノンの伝説について考察する

●天国への階段 アウトテイク

●ロックの名盤「対自核」の邦題マジック

●ロックの邦題マジック「ハートに火をつけて」/ドアーズ

●欲望がかなう街「マホガニー市」のアラバマソング

●義母が歌う自分への子守歌とザ・ピーナッツの「村祭り」

●「サルビアの花」を聴いた

●ストーブとライター代わりの電熱器

●ルカ Lukaと子どもの虐待

●アメリカの物語を体現するロックスターは大統領選に勝つのか?

●独断と偏見のマイ・クリスマスソング・ベスト5

●音楽から生まれる妄想力とライティング

●ガーナのお葬式は、泣き女、棺桶ダンス、ポップアート棺桶

●メモリアルギター 燃えるギター愛

●日本の夏 幻想漬けのサウンドスケープ

●芸術的才能と人間性

●さらばチャーリー・ワッツ、ブラウンシュガー、そしてローリング・ストーンズ

●世界最高峰の音楽と文学と侵略戦争

●親子で卒業ソング

●銀狼・佐野元春「銀の月」

●「ラブ&ピース」の歌は無力ではない

●死ぬまで戦争体験はしたくないけれど

●メタバースで永遠に生きる

●欲望いう名の電車に乗ったロンリーハーツ・クラブバンド

●フリッパトロニクス 幻の起動音


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ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力ダブル無料キャンペーン

 

明日から5日間、今年最後の無料キャンペーン実施

12月22日(木)17:00~26日(月)16:59

おりべまこと電子書籍:音楽エッセイ

「ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力」1・2 ダブルでお届けします!読んでね。

ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力

 

●八王子・冨士森公園のスローバラード駐車場で、ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力について考える

●アーティストたちの前に扉が開いていた

●21世紀のビートルズ伝説

●藤圭子と宇多田ヒカルの歌う力の遺伝子について

●ヘイ・ジュード:ジョンとポールの別れの歌

●阿久悠の作詞入門

●余命9ヵ月のピアニスト

●ローリング・ストーンズと新選組の相似点について

●キング・クリムゾンの伝説と21世紀版「風に語りて」

●プログレッシヴ・ロックスターの死①:ジョン・ウエットンの訃報、そしてロンドンの寿司

●プログレッシヴ・ロックスターの死②:キース・エマーソンの尊厳死(1周忌に捧ぐ) 

●勝手にビートルズ・ベストテン

●中学生時代の「エリナ・リグビー」の衝撃と和訳演奏

●純情ストーカー男と純心DV願望女の昭和歌謡

●人間は幸せに慣れると、幸せであることを忘れてしまう

●義弟のアナログレコードと帰ってきたカレン・カーペンター

●いちご畑で抱きしめて

●ダイヤモンドをつけたルーシーとの別れとジュリアンの心の修復作業

●抹消された20世紀パンクと想像力の中で生きる19世紀型スチームパンク

●悲しいことなんてぶっとばすロックンロールバンドのモンキービジネス

●オノ・ヨーコさん「NHKファミリー・ヒストリー」とYESの3文字の秘密

●オノ・ヨーコさん「NHKファミリー・ヒストリー」と「イマジン」の秘密

●いろいろな人が弾くから、心に響くロンドンのピアノ

●ストリートミュージックが商品になった街ロンドン

●アナログレコードとの再会

●見捨てられた恋人のようだったアナログレコードが、 なぜ絶滅の淵から回帰したのか?

●さすらいのレコード・コレクター:男のバカバカしくて痛快な生きザマ

●クリスマスにちょっとだけ世界と自分を変える

●森田童子の思い出:僕らの時代の子守唄

●自分をリライトする

●よみがえる死者・よみがえる歌:AIの音楽

●20世紀の愛と平和のロックなんて忘れてしまっていた

●だいじょうぶです、なすがままになさい

 

ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力2

 

 

●神さまのカケラを拾い集めて生きる僕たちの妄想力

●45周年ユーミン、40周年サザン&YMOの衝撃

●七月の朝とユーライア・ヒープと西城秀樹

●エピタフとキング・クリムゾンと西城秀樹

●西城秀樹さん ラストステージの記憶

●「THE ALTERNATE LET IT BE…Naked」:ビートルズの終わらない物語

●ビートルズのセッション音源からジョン・レノンの伝説について考察する

●天国への階段 アウトテイク

●ロックの名盤「対自核」の邦題マジック

●ロックの邦題マジック「ハートに火をつけて」/ドアーズ

●欲望がかなう街「マホガニー市」のアラバマソング

●義母が歌う自分への子守歌とザ・ピーナッツの「村祭り」

●「サルビアの花」を聴いた

●ストーブとライター代わりの電熱器

●ルカ Lukaと子どもの虐待

●アメリカの物語を体現するロックスターは大統領選に勝つのか?

●独断と偏見のマイ・クリスマスソング・ベスト5

●音楽から生まれる妄想力とライティング

●ガーナのお葬式は、泣き女、棺桶ダンス、ポップアート棺桶

●メモリアルギター 燃えるギター愛

●日本の夏 幻想漬けのサウンドスケープ

●芸術的才能と人間性

●さらばチャーリー・ワッツ、ブラウンシュガー、そしてローリング・ストーンズ

●世界最高峰の音楽と文学と侵略戦争

●親子で卒業ソング

●銀狼・佐野元春「銀の月」

●「ラブ&ピース」の歌は無力ではない

●死ぬまで戦争体験はしたくないけれど

●メタバースで永遠に生きる

●欲望いう名の電車に乗ったロンリーハーツ・クラブバンド

●フリッパトロニクス 幻の起動音

 


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最新刊「認知症のおかあさんといっしょ」発売告知

 

おりべまこと電子書籍新刊

「認知症のおかあさんといっしょ」

義母の介護の日々を楽しく綴った面白エッセイ。

認知症を知り、認知症から人生を、人間を学ぶ。

認知症とはどんな病気なのか、

その概要がわかる専門医の講演録も同時収録。

12月26日(月)発売予定。お楽しみに。

 


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親より先に死んではいけません

 

昨日は父の命日だった。

もう14年になる。

今年は母が逝ったので14年ぶりにいっしょになれた。

良かったと思う。

おとぎ話っぽいが、死後のことは誰にも分らないので、

天国でまた仲良くやっていることを想像する。

 

僕にとって、父、母と呼べる人は、

認知症の義母一人になった。

彼女の方は実の娘であるカミさんのことも

娘と認知してないので、当然、僕が義理の息子だとも

思っていない。

 

「おかあさん」という呼び方にも反応しないので、

半分以上は名前で呼んでいる。

その方が本人も居心地いいようだ。

しかし、客観的には母親に違いない。

最後の親なので、彼女より先には死ねない。

と、最近よく思う。

 

僕は昭和の人間なので、上の世代から

「親より先に死んではいけない。それは最大の親不孝」

と割ときつく教えられてきた。

 

10代の頃から同世代で事故や病気や自殺で死ぬ

人間を見て来た。

逆に子供に死なれた友人・知人も見て来た。

やはりどっちも見るに堪えないものがある。

 

若い頃は、いつ死ぬかなんてわからないから

しょーがないだろと思っていたが、

齢を取ると、やはり親より長く生きるのが

最低限の親孝行というふうに思える。

 

いくらいい子でも、親孝行を重ねてきた子でも、

親より先に死んだら元も子もない。

 

「親より先に死んではいけません」という戒めは、

今の時代、割と薄れてきたように感じるのだが、

どうなのだろうか?

 

もちろん、寿命がどこまでかは

神のみぞ知る運命なのでどうにもならないが、

「親より先に死んではいけない」は、

いつもおまじないの言葉として唱えていた方がいい。

人生は自由に生きればいいが、

どこかでそれくらいの重しは必要だと思う。

 


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週末の懐メロ113:戦場のメリークリスマス/坂本龍一

 

これが最後のクリスマスになるのだろうか?

最期まで音楽と共に生きたいと願う

坂本龍一のソロコンサート。

 

ガンとの闘病でもうコンサートを行う体力がないと、

1日数曲ずつ、NHKのスタジオで演奏・収録した映像を

一つにつなげてコンサートを構成。

12月11日に世界に配信された。

 

「戦場のメリークリスマス」は1983年に公開された

大島渚監督の映画。

日本では坂本、ビートたけし、デビッド・ボウイという

ユニークな配役で評判になった。

そして、同名のこの主題歌のピアノバージョンは、

彼の終生の代表曲となった。

 

魂に染み入るような旋律。

いわゆるクリスマスソングではないのだが、

40年の間、この季節になると聴き続けてきた。

そして、これからも聴き続けるだろう。

 

今年はなんだか坂本龍一さんからの

クリスマスプレゼントという感じがする。

奇跡の回復を祈らずにはいられない。

 


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クリスマス前のノベルティデイ

 

電車に乗るのに永福町まで行ったら、

駅前で高井戸警察が年末の

振り込め詐欺防止キャンペーンをやっていた。

しそふりかけ、本のしおり、ティッシュの

3点入りノベルティの大判ふるまい?

 

「ふりかけかけてもふりこむな」という

相変わらずのダジャレ標語のキャンペーン。

でも、しそふりかけは好きなので今回はディスりません。

 

電車に乗って東京ビッグサイトへ。

経産省主催の「中小企業 新ものづくり・新サービス展」を

見学。

ついでに「東京ビジネスチャンスEXPO」も覗いて、

アンケートに答えたら、うさぎの手ぬぐいと

渋沢栄一のコーヒーをもらった。

こちらは東京商工会議所の主催。

いよいよ1万円札に登場する渋沢栄一氏は

東京商工会議所の創設者なのだ。

お歳暮か、クリスマスプレゼントか。

ノベルティいっぱいでちょっと満たされた気分?

 

どちらも仕事の知り合いが出展していて、

色々話が出来て楽しかった。

 


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ロックと人権問題 世界は変わる

 

先日、電子書籍で出版した

「ポップミュージックをこよなく愛した

僕らの時代の妄想力2」の中で

ローリングストーンズの超名曲「ブラウンシュガー」が

ライブで封印されたという話を書いた。

 

歌詞の中に黒人奴隷に関する描写があるからだ。

この曲自体は人種差別の歌ではなく、

むしろ黒人音楽をリスペクトするもので、

そう認識されてきたはずだが、

2010年代から流れは大きく変わった。

 

ある意味、ローリングストーンズに代表される

60年代型のロックカルチャーはもう終焉している。

 

おそらくその背後には国連のSDGs(2015年に明文化)、

さらにそれ以前の、

特に欧米社会における人権意識の高まりがある。

 

SDGsというと環境問題・脱炭素の問題に

意識がいきがちだが、

それ以上に人権問題に対する意識が強い。

 

イギリスではそれと時を同じくして、

2015年に「現代奴隷法」という労働規制が作られ、

差別や搾取的な労働は処せられることになった。

 

かつての帝国主義時代、

さんざん他国を蹂躙した懺悔の意味もあるのか?

とシニカルに考えてしまうが、それはさておき、

先月末に出されたJETRO(日本貿易機構)の

「海外進出している日本企業の調査報告」を読むと、

ビジネスにおける人権問題について、

多くの企業がかなりのプレッシャーをかけられ、

大きな課題としているのが伝わってくる。

 

自社では人権を無視した経営など行っていなくても、

サプライチェーン(現地の下請けや関連会社など)に

児童労働や家族労働など、

人権に接触する問題があると、

国や顧客から責任を問われるというのだ。

 

そう言えば、サッカーワールドカップ・カタール大会の

会場工事で出稼ぎに来ていた外国人労働者が、

劣悪な労働環境

(現場の事故や不衛生な宿泊所、コロナの蔓延など)

のせいで数千人が亡くなったという報道があった。

大会が終わったら、

おそらく再びその問題が大きく取りざたされるだろう。

 

もちろん現実は理想にはまったく追いついていない。

けれども最近は「きれいごとなどほざくな」とは

言えない状況にだんだんなりつつある。

 

確実に人類は、僕らが慣れ親しんだ世界から

別の次元へシフトしてきている。

 


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本日も宣伝「ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力2」

 

ロックの邦題マジック、西城秀樹メモリアル、

ビートルズとジョン・レノン伝説、

そして、ロック・ポップカルチャーと人権問題の関係など、数々のテーマと格闘。

半世紀の間、多くのアーティストからもらった

刺激・メッセージを執筆活動の糧にしてきた著者が、

頭の中に渦巻く妄想とともに綴った

面白音楽エッセイ集です。

 

ロック・ポップカルチャーが開花した1960年代・70年代。

僕たちの世界はどのように作られているのか? 

僕たちの社会で何が問題になっているのか?

僕たちは何を大事にして生きていけばいいのか?

人を愛することなのか、夢を抱くことなのか、

異郷を冒険することなのか、現実を見つめることなのか?

 

「あの頃に帰りたい」とつぶやくオールドな人たちも、

むかしのロックやポップのことを

もっと知りたいというヤングな人たちも、

いっしょに聴いて、歌って、踊って、

妄想しながら考えよう。

 

もくじ

●神さまのカケラを拾い集めて生きる僕たちの妄想力

●45周年ユーミン、40周年サザン&YMOの衝撃

●七月の朝とユーライア・ヒープと西城秀樹

●エピタフとキング・クリムゾンと西城秀樹

●西城秀樹さん ラストステージの記憶

●「THE ALTERNATE LET IT BE…Naked」:ビートルズの終わらない物語

●ビートルズのセッション音源からジョン・レノンの伝説について考察する

●天国への階段 アウトテイク

●ロックの名盤「対自核」の邦題マジック

●ロックの邦題マジック「ハートに火をつけて」/ドアーズ

●欲望がかなう街「マホガニー市」のアラバマソング

●義母が歌う自分への子守歌とザ・ピーナッツの「村祭り」

●「サルビアの花」を聴いた

●ストーブとライター代わりの電熱器

●ルカ Lukaと子どもの虐待

●アメリカの物語を体現するロックスターは大統領選に勝つのか?

●独断と偏見のマイ・クリスマスソング・ベスト5

●音楽から生まれる妄想力とライティング

●ガーナのお葬式は、泣き女、棺桶ダンス、ポップアート棺桶

●メモリアルギター 燃えるギター愛

●日本の夏 幻想漬けのサウンドスケープ

●芸術的才能と人間性

●さらばチャーリー・ワッツ、ブラウンシュガー、そしてローリング・ストーンズ

●世界最高峰の音楽と文学と侵略戦争

●親子で卒業ソング

●銀狼・佐野元春「銀の月」

●「ラブ&ピース」の歌は無力ではない

●死ぬまで戦争体験はしたくないけれど

●メタバースで永遠に生きる

●欲望いう名の電車に乗ったロンリーハーツ・クラブバンド

●フリッパトロニクス 幻の起動音

全31篇収録


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「ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力2」本日発売

 

半世紀の間、さまざまなアーテイストからもらった

刺激・メッセージを執筆活動の糧にしてきた著者が、

頭の中に渦巻く妄想とともに綴った面白音楽エッセイ集。

 

ロック・ポップカルチャーが開花した1960年代・70年代。

僕たちの世界はどのように作られているのか? 

僕たちの社会で何が問題になっているのか?

僕たちは何を大事にして生きていけばいいのか?

人を愛することなのか、夢を抱くことなのか、

異郷を冒険することなのか、現実を見つめることなのか?

 

「あの頃に帰りたい」とつぶやくオールドな人たちも、

むかしのロックやポップのことを

もっと知りたいというヤングな人たちも、

いっしょに聴いて、歌って、踊って、

妄想しながら考えよう。

 

もくじ

●神さまのカケラを拾い集めて生きる僕たちの妄想力

●45周年ユーミン、40周年サザン&YMOの衝撃

●七月の朝とユーライア・ヒープと西城秀樹

●エピタフとキング・クリムゾンと西城秀樹

●西城秀樹さん ラストステージの記憶

●「THE ALTERNATE LET IT BE…Naked」:ビートルズの終わらない物語

●ビートルズのセッション音源からジョン・レノンの伝説について考察する

●天国への階段 アウトテイク

●ロックの名盤「対自核」の邦題マジック

●ロックの邦題マジック「ハートに火をつけて」/ドアーズ

●欲望がかなう街「マホガニー市」のアラバマソング

●義母が歌う自分への子守歌とザ・ピーナッツの「村祭り」

●「サルビアの花」を聴いた

●ストーブとライター代わりの電熱器

●ルカ Lukaと子どもの虐待

●アメリカの物語を体現するロックスターは大統領選に勝つのか?

●独断と偏見のマイ・クリスマスソング・ベスト5

●音楽から生まれる妄想力とライティング

●ガーナのお葬式は、泣き女、棺桶ダンス、ポップアート棺桶

●メモリアルギター 燃えるギター愛

●日本の夏 幻想漬けのサウンドスケープ

●芸術的才能と人間性

●さらばチャーリー・ワッツ、ブラウンシュガー、そしてローリング・ストーンズ

●世界最高峰の音楽と文学と侵略戦争

●親子で卒業ソング

●銀狼・佐野元春「銀の月」

●「ラブ&ピース」の歌は無力ではない

●死ぬまで戦争体験はしたくないけれど

●メタバースで永遠に生きる

●欲望いう名の電車に乗ったロンリーハーツ・クラブバンド

●フリッパトロニクス 幻の起動音

全31篇収録

 


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新刊12月12日発売 「ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力2」

 

ビートルズ、ドアーズ、西城秀樹、キング・クリムゾン、レッド・ツェッペリン・・・ブログで人気の音楽エッセイを31篇集めました。12月12日(月)発売予定。お楽しみに。

 

もくじ

神さまのカケラを拾い集めて生きる僕たちの妄想力

四五周年ユーミン、四〇周年サザン&YMOの衝撃

七月の朝とユーライア・ヒープと西城秀樹

エピタフとキング・クリムゾンと西城秀樹

西城秀樹さん ラストステージの記憶

「THE ALTERNATE LET IT BE…Naked」:ビートルズの終わらない物語

ビートルズのセッション音源からジョン・レノンの伝説について考察する

天国への階段 アウトテイク

ロックの名盤「対自核」の邦題マジック

ロックの邦題マジック「ハートに火をつけて」/ドアーズ

欲望がかなう街「マホガニー市」のアラバマソング

義母が歌う自分への子守歌とザ・ピーナッツの「村祭り」

「サルビアの花」を聴いた

ストーブとライター代わりの電熱器

ルカ Lukaと子どもの虐待

アメリカの物語を体現するロックスターは大統領選に勝つのか?

独断と偏見のマイ・クリスマスソング・ベスト5

音楽から生まれる妄想力とライティング

ガーナのお葬式は、泣き女、棺桶ダンス、ポップアート棺桶

メモリアルギター 燃えるギター愛

日本の夏 幻想漬けのサウンドスケープ

芸術的才能と人間性

さらばチャーリー・ワッツ、ブラウンシュガー、 そしてローリング・ストーンズ

世界最高峰の音楽と文学と侵略戦争

親子で卒業ソング

銀狼・佐野元春「銀の月」

「ラブ&ピース」の歌は無力ではない

死ぬまで戦争体験はしたくないけれど

メタバースで永遠に生きる

欲望いう名の電車に乗ったロンリー・ハーツ・クラブ・バンド

フリッパトロニクス 幻の起動音

全31篇収録

 


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週末の懐メロ112:ウォーキング・イン・ジ・エア/オーロラ

 

イギリスで1978年に刊行された

レイモンド・ブリッグスの絵本

「スノーマン(ゆきだるま)」。

少年がクリスマスの夜に、

自分が作ったスノーマン(雪だるま)といっしょに

天上にあるサンタクロースの国へ遊びに行くという物語で、

それを原作に1982年にテレビアニメーションが作られた。

 

「ウォーキング・イン・ジ・エア(空を歩く)」は

その挿入歌で、少年とスノーマンが楽しく空を

散歩するシーンで流れるのだが、

なぜかとても悲しく切ないメロディ。

ラストシーンを暗喩しているのだろう。

夢はいつも切ない。

そして「スノーマン」という童話は、

実は別れや死をテーマにした物語なのだ。

 

作詞・作曲は、ハワード・ブレイク。

オリジナルの歌はセント・ポール大聖堂の

少年聖歌隊のメンバーだったピーター・オーティが歌った。

 

たくさんの人がカバーしているが、

ノルウェーのシンガーソングライター・

オーロラのカバーはそのなかで最も新しいものと思われる。

 

彼女は1996年生まれというから、

うちの息子と同い年だ。

息子がチビのときは今ごろの季節になると、

よくいっしょにスノーマンの本を読んだり、

アニメを観たりした。

 

彼女も同様にスノーマンの物語を愛して育ったのだろう。

スノーマンはまんまるで、イギリスでは

日本のドラえもんやアンパンマンのように

子供に愛される存在なのだ。

 

2013年にデビューしたオーロラは、

クリスマスシーズンになるとよく自分のライブや

テレビ番組で自分のレパートリーの一つにした

この歌をよく歌っているらしい。

 

しかし、彼女が歌うと

あのほのぼのしたスノーマンの世界とは

まるで別の、畏怖さえ感じる聖なる世界が広がる。

 

名前だけは知っていたが、

まともにオーロラを聴くのはこの曲が初めてだったので、

他にもいろいろYouTubeで聴いてみた。

 

「ランニング・ウィズ・ザ・ウルブズ」

「アイ・ウェント・ツー・ファー」

「アンダー・ザ・ウォーター」

「ソフト・ユニバース」

「ザ・リバー」etc・・・

 

完全に心臓をつかまれた。

とてつもなくユニークで、

とほうもなくイマジネーティブ。

40数年前に初めてケイト・ブッシュに

出逢った時に匹敵する衝撃度だ。

 

21世紀以降、これほど妄想力を刺激された

ミュージシャンはいない。

まさか2020年代にこんな音楽に出逢うとは!

 

一応、ジャンル分けとしてはエレクトロポップ

ということになっているようだが、

それよりもベースになっていると思われる

ケルト系・北欧系の民俗音楽の匂いに強く惹かれる。

曲によっては日本・アジア・

ネイティブアメリカンの香りも。

そして、ロックの精神をしっかり受け継いでいる。

ミュージックビデオも傑作ぞろいだ。

 

少なくとも僕にとっては現代最高のミュージシャン。

2022年はオーロラを発見した年として胸に刻んでおこう。

 

懐メロではないが、最高のお気に入り

「ランニング・ウィズ・ザ・ウルブズ」も同時UP。

ぜひ、オーロラの真髄を聴いてみてください。

 


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マイナビ農業 ハラール認証

 

「マイナビ農業」で書いた

ハラール認証についての記事がUPになった。

コロナ前、マレーシアやインドネシアからの

観光客が激増し、

そのほとんどがムスリム(イスラム教徒)であるため、

それまであまりハラールに興味のなかった日本人も

熱心に取り組み始めたのだ。

 

ハラールというと、

豚肉が食べられない、アルコールが飲めない

という程度の知識しかなかったが、

そう単純な問題ではない。

健康食とか、ベジタリアンや

ヴィーガンの思想に通じていたり、

食品添加物や環境問題にも通じているところがある。

 

また、食品とは関係ないところでの

モラル的な問題も指摘されるようで、

印象的だったのは、キューピーマヨネーズ。

 

数年前からイスラム圏で販売を始めたのだが、

その認証の際、食品の内容自体は問題ないのだが、

あのマークのキューピーちゃんがダメ出しを食らった。

ハダカだからダメということらしい。

なので日本とは異なるマーク(上半身だけ)で

発売することになった。

そうした興味深い話がいろいろある。

 

現在、日本にはハラール認証を行う機関が10くらいあるが、

ビジネス面から見ると、彼らにとって

認証を与えることは良いビジネスになるようだ。

 

農水省の資料などからいろいろ情報を調べると、

認証を求める会社の企業規模によって

お値段が変わるらしい。

 

一応、ざっと調べたところ、

いろいろ条件によって変わるので、

値段を明示しているところは皆無である。

正直、ちょっと胡散臭い感じもする。

金持ち企業からはたんまりボッタくろう、

みたいな機運があるのかも知れない。

 

なかなか面白い世界なので、また機会を見つけて

探究したいと思う。

けっこう読みごたえがあると思うので、

興味のある方は読んでみてください。

 


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地球の歩き方 関東版ねこの御朱印&お守りめぐり 週末開運にゃんさんぽ

 

今年、2022年は寅年。

来年、2023年はうさぎ年。

というわけで、トラの親戚で、

ウサギのようにかわいいネコはいかが?

というこじつけで、ネコ寺めぐりはいかが?

 

「地球の歩き方」が、御朱印シリーズとして

『関東版ねこの御朱印&お守りめぐり 

週末開運にゃんさんぽ』を発売している。

関東1都6県の「ねこにゆかりのある神社とお寺」を

集めたガイドブックで、

有名な「猫寺」下野厄除大師や長福寺をはじめ、

「招き猫発祥」の豪徳寺や今戸神社など、72寺社を紹介。

御利益がすごいとうネコの御朱印や

かわいいネコのお守りなどの授与品を多数掲載し、

話題の寺社やねこの聖地をめぐる週末プランは、

東京、栃木、群馬の3コースを案内している。

参拝マナーや仏像の鑑賞ポイントなどの

基本情報や解説も充実。

 

と、お寺紹介の一環として、

「月刊終活12月号」でご紹介させていただいた

「地球の歩き方」。

おなじみ、海外旅行のガイドブックとして、

国内最大の売り上げを誇っていた。

 

僕もその昔、世界をほっつき歩いていた時に

ずいぶんお世話になったものが、

こんな大変貌を遂げていて、びっくり。

そうなのだ。

旅行業界とともに、コロナ禍で大打撃を受け、

存亡の危機に立たされていたのだ。

しかし、その大ピンチをチャンスに変えた。

 

2020年東京五輪に合わせて国内ガイドにシフトした後は、

都心や近場を「旅する」ガイドブックに変身。

その一方で、40年以上の取材の成果を

グルメや動物など、多彩なテーマで再編集した

「図鑑」シリーズを発刊し、大ヒット。

 

さらにオカルト・ミステリー雑誌「ムー」とのコラボで、

『地球の歩き方ムー』も刊行。

ネス湖、ストーンヘンジ、モアイ像、雪男出現地など、

“世界の不思議”を「旅行ガイド」の視点で特集して

ヒットを放っているという。

あっぱれ!

 

やっと旅行需要が戻って来たので、

これからはまた、

もとの形に戻るのかどうかはわからないが、

ユニーク企画は引き続き、どんどんやってほしい。

 

それにしても需要が戻ってきたとはいえ、

円安のせいもあって海外はべらぼうに高い。

年末年始は海外へ昨年の7倍の客が出かける予定だ、

と、今日のニュースで言っていたが、

結構なお金持ちしかいけないのでがないか。

 

このガイドブック片手に

年末年始はかわいく神社めぐりやお寺めぐりで

ネコちゃんと遊んでみてはどうかニャー。

 


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紫のバラで母を偲ぶ

 

6月に母が亡くなったので、
毎年年賀状をいただいている人たちに
喪中はがきを出したら、カミさんの友人の一人から
お花代が送られてきた。

お花代というからには、やはりお花を飾らにゃいかんだろうと
行きつけの花屋に行ったら紫のバラが目に付いた。
なかなかユニークな色だ。

高齢の女性はなぜか紫カラーに傾く。
母親もご多分に漏れず、
晩年はこれと同じような色のセーターを着ていて、
最期まで持っていた巾着袋も紫色だった。
というわけでイメージがぴったり重なったので
買ってきた。

部屋に置いてみると、とても落ちつく。
と同時に母のことを思い出す。
まだ半年しか経っていないが、
なんだか遠い昔のことのように思える。
向こうもあっちで子どものことなど忘れて、
父と仲良くやっているのだろう。

供養ビジネスの取材などもしているが、
実際のところは供養って、
そんなにお金をかけて大げさにやらなくても
年に何回か、こうしてお花でも飾って偲ぶことが出来れば、
それで十分なのではないかという気がする。

 


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週末の懐メロ111:レット・イット・ゴー/ピアノ・ガイズ

 

言わずと知れたディズニーのアニメ映画

「アナと雪の女王」の主題歌。

 

「レリゴー」が

懐メロと言えるかどうかは微妙なところだが、

2013年のリリースから早や10年近く。

その人気度・浸透度、そして50年後も聴き継がれ、

歌い継がれるであろう、楽曲のクオリティの高さは、

もはや立派に名曲として殿堂入りしていると思う。

映画のサントラとしても最高峰の一曲ではないか。

 

美しさと疾走感を併せ持つメロディラインは、

吹雪の中で覚醒したエルサが雪の女王に変貌し、

瞬く間に氷の宮殿を築き上げるシーンと相まって

何度聴いても胸が熱くなる。

 

作詞・作曲は、ブロードウェイの舞台や、

映画・テレビの音楽を数多く手がけている

クリスティン・アンダーソン=ロペスと

ロバート・ロペスの夫妻。

 

制作の裏話では、出来上がってきたこの曲を聴いて

衝撃を受けたスタッフが、

ストーリーも、エルサとアナのキャラクターも

それまで作ってきたものを一掃して書き替えたという。

(エルサは当初、芯から冷酷で戦闘的な

氷の女王という悪役だったらしい)

まさに新たな作品世界の礎となるだけの

エネルギーを持った楽曲だ。

 

オリジナルの歌唱は、声優としてエルサを演じた

アメリカ人女優で歌手のイディナ・メンゼルだが、

公開されるやいなや、

世界中で数えきれないほどのアーティストが魅了され、

この名曲をカバーしている。

 

なかでも僕が好きで、冬になるといつも聴いているのが、

何もない雪原で、エルサとアナとは似ても似つかぬ

二人のおっさんが、真っ白なピアノとチェロで奏でる

インストゥルメンタル。

 

間奏とエンディングにビバルディの「四季・冬」を

絡めた超絶パフォーマンスは驚愕に値し、

テンションが上がりまくる。

 

「ピアノ・ガイズ」は、出演のピアニスト、チェリスト、

映像クリエイター、音楽プロデューサーからなるチームで、

映画音楽、クラシックを融合リアレンジし、

映像をネット上に公開。

美しい大自然の中でユーモアを交えて繰り広げられる

演奏・映像が話題を呼んでいる。

 

冷たい風が吹きすさぶ中、情熱をこめて、

この上なく楽しそうに演奏する姿は、

映画の世界をそのまま拡張したかのような

「レット・イット・ゴー」のアナザーワールドを

見事に表現している。

 

そして、凍えるような季節がやってきても、
僕たちも熱く楽しく、愛を持って
毎日を生きたいと思わせてくれる。

 

 


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「親に愛された(?)子ども」の相続(争族)

 

昨日は月刊終活の取材で、日比谷の東京商工会議所へ

相続診断協会の「笑顔相続シンポジウム」に参加した。

 

会場は渋沢栄一ゆかりの東京商工会議所・渋沢ホール。

2020年にできたばかりのきれいなホールだ。

ここで開くのは何回目か知らないが、

こうしたシンポジウムを毎年開いており、

けっこう活発に活動している。

 

相続診断協会は、相続問題における家族の悲劇を

何度も目の当たりにした税理士が一念発起して、

2011年に設立した一般社団法人である。

相続に関する相談に乗る「相続診断士」を

養成している。

 

スタートしてから11年。

士業や保険会社や金融機関の社員、

終活カウンセラーなどの間で評判になり、

この資格を取得する人が増えて、

「相続診断士」は現在、全国に45,0000人以上。

協会は国家資格を目指して奮闘している最中だ。

 

シンポジウムはコンテンツも盛りだくさんで面白く、

「笑顔相続落語」というエンターテインメントもある。

これは協会がプロの落語家に依頼して

作った創作落語で、

より多くの人たちに相続問題に興味を持ち、

きちんと向き合ってもらうためのもの。

 

「不幸な相続を一件でも減らしたい」という

法人の理念は、単なるお題目ではなく、

心に訴える真摯なものだ。

 

相続というからにはもちろん、お金の話になるのだが、

機械的に、数字的に、きちんとお金を分けましょう・

管理しましょう、というだけにものではない。

 

その根底にあるのは、

良くも悪しくも人間の強烈な感情だ。

感情があるからこそ幸福な笑顔相続にもなり、

非情な家族間の争族にもなる。

 

代表理事が話してくれたことで最も印象的だったのは、

「なぜ人が遺産の金額にこだわるのかと言えば、

その多くは、

自分がいかに親に愛された子どもだったのか、

を確認したい、証明したいからなんです」

 

日本人の生活の歴史の中では、

遺書を遺すという文化は育たず、

相続問題で揉めるようになったのは戦後のこと。

 

戦前世代と戦後世代との意識・価値観のギャップが

その大きな原因になっている。

お金の問題であり、心の問題であり、歴史の問題。

幾多のテーマをはらんだ日本の相続問題は

これからが本番である。

 

 


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大終活・大相続・大争続(争族)の時代到来

 

レギュラーワークの「月刊仏事」が

先月から「月刊終活」に誌名変更した。

いろいろ大人の事情があるんです。

 

というわけで終活、相続、家族信託などの

記事が増えることになる。

その取材がひしめいてきて、忙しくなっている。

 

ニュースなどでご存じかと思うけど、

65歳以上の高齢者の資産が日本全国で

1000兆円埋蔵されている(という話)。

さらにその大半は75歳以上の資産だという。

どんだけタンス預金持ってるんだ、ニッポン?

 

そりゃ狙われないわけがない。

そりゃオレオレ詐欺が増える。

大争奪戦が始まりそうだ。

 

これから大終活・大相続・大争続(争族)の

時代がやってくる。

日本中に高齢者にやさしく寄り添う詐欺師・ペテン師が

跳梁跋扈するだろう。

 

普段はいい人でも、いざタンス預金を目にしてしまったら

どうなるかわからない。

倫理も美学も尊厳も自分自身も

みんな木っ端みじんになりかねない。

 

大金持ちの昭和人、成金ニッポンのあと後始末は大変だ。

僕はだいじょうぶだろうか?

あなたはだいじょうぶですか?

覚悟はできてますか?

 


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週末の懐メロ110:命あるものは樹から落ちた/坪田直子

 

1976年リリース。

懐かしいけれど、ひどく新鮮な気持ちにさせられる

坪田直子の透明感のある声。

浮遊感のあるファンタジックな演奏に乗せて、

ほんの数行の詩を繰り返すだけの短い歌だが、

いかようにでも解釈できる、

とても想像力を刺激される歌だ。

 

高校生時代に見た「気まぐれ天使」という

テレビドラマで彼女が好きになり、

レコード屋でこの「ピーターソンの鳥」という

アルバムを見つけて買った。

いまや見つけるのが

難しいマイナーなレコード(CD)だが、

当時、魂を傾けて聴き込んだせいもあって、

いま聴いても1曲1曲が驚くほど個性を放っていて、

めちゃくちゃ充実した内容に思える。

 

全10曲中、6曲がいわゆるフォークソングと

ニューミュージックの間のようなメランコリックな歌、

2曲がポエムリーディング、

そしてこの曲と最後の「ほし」が、

このような短い詩のリフレインになっている。

当時としてもかなりユニークな構成だ。

 

「ピーターソンの鳥」は、同名映画のサントラである。

東京キッドブラザーズ制作の映画で、

彼女はその物語のヒロインだった。

脚本・監督の東由多加は、

かの寺山修司が主宰していた演劇実験室「天井桟敷」の

創設メンバーの一人。

寺山が発起人となって開いた力石徹の葬儀

(漫画「あしたのジョー」の登場人物)は今や伝説だが、

その構成・演出は彼が手掛けた。

 

東京キッドブラザーズは、

東由多加が天井桟敷脱退後に作ったミュージカル劇団で、

NYCのオフブロードウェイにも進出した。

映画はミュージカルではないが、

かなり音楽に精力を傾けていて、

そのこだわりがアルバム「ピーターソンの鳥」の

クオリティの高さに繋がっている。

当時としても、そして、いま聴いても

斬新でユニークなサウンドではないかと思う。

 

ちなみに映画の話をすると、

主役は秋田明大という全共闘のリーダーだった男。

どうも彼が天井桟敷や東京キッドブラザーズの演劇に

興味を持って東と仲良くなり、

この映画作りに発展したらしい。

 

ただ、映画の内容はそうした思想や政治とは関係なく、

珍しい鳥を探し続ける男と、彼と出会った女との旅を

抽象的に描いた、半分アメリカンニューシネマ風の

あまりストーリーのはっきりしない映画だった。

 

内容として思い出せるのは、

雪原やプラネタリウム、バイクで走るシーン。

そしてやっぱり坪田直子の顔と歌声ばかりである。

 

けっこう暗い、破滅的な話なのだが、

妖精のような彼女の存在が、

浄化作用になっていた印象が残っている。

 

僕は確か1978年か9年に池袋の映画館で

リバイバル上映されていたのを見たのだが、

知る限り、その後、

どこかで上映されたという話を聞いたことがない。

もう幻の映画になってしまったのだろう。

僕にとっては坪田直子の歌が聴ければ

それでいいのだけれど。

 


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大退職・大辞職・大離職時代VS大量解雇・ハードワーク指令

 

9月から執筆に当たっているリモートワークの本が

あと一歩ということころまで来た。

そんな折、アメリカのIT業界で解雇の嵐。

 

ツイッターのCEOになったイーロン・マスク氏は、

取締役などの高給取りをはじめ、

社員の半数近くをレイオフした後、

「出社して週40時間以上働けない者は

明日から来なくていい」というお達しを出した。

 

まるで30年前の日本の「24時間働けますか」を

再現するかのような世界。

 

結局、ツイッターは

全体で3分の2が解雇されることになった。

これぞアメリカのダイナミズム!

とも言えるが、さすがにおっかない国だ。

 

ただ、「解雇された」というとかわいそうに聴こえるが、

「だったらこっちから辞めてやる」と、

うまうまと退職金をがめていった人が

多いのではないだろうか。

 

システムエンジニアをはじめ、ある程度優秀な社員なら

「ツイッターで働いていました」と言えば、

どんな職種でもそう職探しに苦労しないだろう。

給料が多少下がったとしても、

新しいクレイジーなCEOが要求するような

ハードワークはごめんだと思う人が大半ではないかと思う。

 

本の取材で先月お会いした某有名日系企業の

アメリカ支社の社長の話では、

コロナ以降、

すっかりリモートワークがスタンダードになり、

オフィス勤務者の間ではワークフロムホームーー—

在宅勤務の人が激増した。

そして、家でゆったりマイペースで仕事できる

リモートワーク、ワークフロムホームは

彼らの人生観をも変えたという。

 

家庭も自分も省みず、ガツガツ休みなく働いて、

カネばっかり稼いでもハッピーではない。

そう考える人の増加で「大退職(大辞職・大離職)時代」――The Great Resignation が到来したと

世間で話題になったのはつい1年程前のことだ。

 

「企業にこき使われるのはごめんだ。

人間らしく生きたい」という労働者の声に、

多くの大企業の経営者は

不愉快な思いを抱いているということだろう。

 

マスク氏ほどではないかもしれないが、

ウォール街の金融エリート企業のお偉いさんたちも、

特に高給取りの社員に対しては、

何か特別な理由がない限り、リモートワークを許さず、

「ちゃんとスーツを着て毎日出社しろ」と

ゲキを飛ばしているらしい。

 

イーロン・マスクもあれだけの天才経営者なのだから、

最近の労働者の心理ぐらいわかっていたはず。

いきなりあんな発信をすれば、

反発が来るのはわかっていたはずだが、

あえてやったのはそれだけの自信があるからか?

 

先日は冗談めかして書いたが、

やはりそれだけAIが整備されたのか?

自分の側近は皆ロボットで固めたりして。

 

それにしても、そんな状況からここにきて、

アメリカITの大量解雇。

そして、カウンターパンチのようなハードワーク指令。

 

アメリカで発生した波は時間差で日本にも波及する。

大退職(大辞職・大離職)の波が来るのか?

大量解雇とマスク流ハードワークの波が来るのか?

いずれにしても来年は何かしらの波乱があるだろう。

人間と労働をめぐる問題は、いつの時代も面白い。

 


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廃墟から再出発 アニメむすめの鬼怒川温泉

 

いまや観光地は、ゆるキャラ、アニメキャラだらけ。

鬼怒川温泉の観光案内所にも

4人の美少女さんがたちがいた。

 

このうち、グレーの制服を着ているのは

「鬼怒川みやび」ちゃんという

東武鉄道の特急スペーシアの車掌さん。

「日々、接客について勉強中💛」。

 

紺の制服は「大桑じゅり」ちゃん。

鬼怒川には東武鉄道が運営する

「SL大樹」も走っており、彼女はその新米機関士さん。

「持ち前の明るさとガッツを武器に奮闘中💛」です。

 

この二人は全国の鉄道事業者の現場で活躍する

キャラクターコンテンツ「鉄道むすめ」の一員だ。

「鉄道むすめ」は結構何年も前から

「鉄むす」の略称で親しまれているようだが、

僕はこんなコンテンツがあるなんて、

今回の旅で(実際には今日ネットで調べて)初めて知った。

 

他の2人のことはよくわからないが、

鉄むすとのコラボで、

ご当地キャラクターとして生まれたのだろうか?

僕は赤鬼ちゃんと機関士さんがお気に入りである。

 

鬼怒川温泉は10年ほど前に放送されたアニメ

「未来日記」の1エピソードで描かれていて、

「アニメ聖地巡礼地」の一つになっている。

(これも今日初めて知った)

 

このアニメも見たことないので内容はわからないが、

ネットで調べると、廃墟の描写がすごくて、

鬼怒川温泉は完全に

「凋落して廃墟と化した昭和時代の大温泉街」の

イメージになっている。

 

実際、昭和の後半、鬼怒川は箱根や熱海と肩を並べる

大温泉街、娯楽の殿堂だった。

東京から近いというロケーションも幸いして

毎日、観光バスに乗った団体客や

東武鉄道に乘った家族連れなどがわんさか押し寄せて、

週末ともなれば、ホテルや旅館が並ぶメインストリ-トは、

都心の繁華街のように人がごった返していたらしい。

 

栄枯盛衰。諸行無常。

栄光の頂点から落ちぶれてから何年経つというのか。

殿様商売を改められなかったところは

もう滅びるしかない。

 

そんなわけで廃墟ホテル、廃墟施設が

わんさか出来上がってしまったのだろう。

 

僕は廃墟は見なかったが、

日暮れとともに外は閑散となって、

かつて賑わったメインストリートは

確かにわびしげな風が吹いていた。

 

こうした観光地はもう開き直って、

前世の記憶みたいな大廃墟を売り物にするぐらいの

ことをやったほうがいい。

(てか、勝手に見物客は集まってくるみたいだけど)

 

廃墟から再出発した鬼怒川温泉。

もう昭和の賑わいを取り戻すのは無理だ。

そんな夢は追わないほうがいい。

 

それで人が来るのなら、アニメ娘に頼ってもいい。

鬼怒川みやびちゃん、大桑じゅりちゃん、

いいではないか。

萌える、癒される、かわいい温泉ビレッジを

再構築してほしい。

 


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シン・ウルトラマンとイデ隊員とウルトラマンの本質

 

「僕が作った武器なんて何の役にも立たないんだ。

怪獣はみんなウルトラマンが倒してくれるんだから」

 

無力感に苛まれたイデ隊員は、戦うことを放棄して

空に向かって声を振り絞ってウルトラマンを呼んだ。

 

「ウルトラマーン、早く来てくれ。

ウルトラマーン!」

 

ウルトラマンであるハヤタ隊員はその姿を見て、

変身するのを躊躇ってしまう。

 

初代ウルトラマンの第37話「小さな英雄」は、

子ども心に全エピソード中、最も感動的な話だった。

じつはこの回の主役は怪獣ピグモンなのだが、

僕の中では完全にイデ隊員が主役だった。

 

イデ隊員は第23話「故郷は地球」でも主役だった。

辺境の惑星で怪獣になってしまった宇宙飛行士ジャミラは

人間に復讐するために地球に帰って来た。

科学特捜隊は、彼の正体を隠したまま、

抹殺しろと命令を受ける。

破壊を繰り返すジャミラにイデ隊員は悲痛な叫びをあげる。

「ジャミラ、おまえは人間の心さえ失くしてしまったのか!」

 

昨年亡くなった二瓶正也さん演じるイデ隊員は、

科学特捜隊の兵器やマシンを開発する天才科学者でもある。

しかし、○○博士といった威厳ある趣はみじんもなく、

ヒラ隊員に甘んじており、

普段はひょうひょうとした3枚目キャラだ。

 

けれども彼のシリアスでヒューマンな面を印象づけた

この2つのエピソードが

「ウルトラマン」のトーンを決めた。

イデ隊員が表現する人間性こそが

「ウルトラマン」の本質なのである。

当時、僕は6歳だったが、

子どもの胸に入り込んだものは、

とてもとても信じるに値する。

 

「シン・ウルトラマン」は劇場で一度見たが、

配信が始まったので昨日、家でもう一度見た。

ここには、かつてのウルトラマンという物語の

エッセンスが凝縮されている。

 

細部にわたる庵野監督の仕掛けはさすがだと思う。

旧作へのオマージュもふんだんに盛り込まれている。

さらに現代社会への風刺も。

 

世界は核兵器による脅し合いで成立している。

核に代わるパワー、核を凌駕するパワーを

どの国も求めていることが、

登場人物のセリフから伝わってくる。

 

ウルトラマンの軍事利用。

ベータシステムの政治利用。

メフィラスとの交渉シーンでは、

そのあたりが実にうまく表現されている。

メフィラスを演じる山本耕史は最高だ。

 

そうした現代ならではの要素

(実は55年前と大して変わっていないけど)を

盛り込みつつ、ちゃんと本質を抑えている。

 

「シン・ウルトラマン」を観ていて

僕にイデ隊員を想起させたのは、

有岡大貴が演じる禍特対(禍威獣特設対策室専従班)の

滝明久である。

滝は粒子物理学者で、かなりの天才らしいが、

メンバー中最年少の若僧。

 

劇中、けっこう生意気な口を叩くが、

最後のゼットン登場によって、

「小さな英雄」のイデと同じく、

深い無力感と絶望感に苛まれる。

 

「ウルトラマンも勝てない相手だ。

もう人間はおしまいなんだ」

彼には少しエヴァのシンジくんも入っているようだ。

 

けれども滝もまた、あの時のイデ隊員と同じく、

奮起し、自分のできることをする

(それがすごいんだけど)。

 

人間がアホで能なしで臆病で、

しょーもないゼツボー的生き物であることは

わかっているけど、そんな現実に

めげてないで一生懸命やるしかないのである。

一生懸命やってれば、いつかどこかで

ウルトラマンも助けてくれるかもしれない。

一口で言えば、

それがウルトラマンという物語のメッセージだ。

 

ウルトラシリーズで最も評価されているのは

「ウルトラセブン」だと思う。

確かにセブンは引き締まったシリアスな展開で、

おとなっぽくてドラマとしての質も高い。

 

それに対して「ウルトラマン」は

メルヘンあり、コメディあり、ホラーあり、

ファンタジーありの子どもっぽいバラエティだ。

(前作の「ウルトラQ」の世界を引き継いでいる)

 

おそらく初めて観た時の年齢が関係していると思うが、

僕は子どもこ心に訴える、

柔らかで広がりのあるコンテンツとして、

戦闘的なウルトラセブン

(およびその後のシリーズの各作)よりも

ウルトラマンのやさしいヒューマンな物語が

好きなのである。

 

ただ、おとなになった今、原本のウルトラマンは、

さすがに稚拙さ・子どもっぽさが目立って

まともには見られない。

 

今回の「シン・ウルトラマン」は、

2時間の重厚でリズム感あふれるドラマに仕立て上げて

その真髄を見せてくれた。

ラストもキレがあり、シャレが効いている。

 

願わくば「故郷は地球」のエピソードを活かしてもう1作。

最終兵器のゼットンを出しちゃったから無理かと思うけど。

 


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週末の懐メロ109:アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット/ホール&オーツ

 

1982年リリース。

ソウルとポップのベストブレンドを狙った

ダリル・ホールとジョン・オーツのデュオは

80年代前半にヒット曲を連発。

ポピュラー音楽史上最も売れたデュオとさえ言われる。

 

当時、僕は「プライベート・アイズ」という曲が好きで、

自分の芝居のテーマ曲に使ったりもしたが、

ホール&オーツ自体はそれほど大好きというわけではなく、

流行ってたからよく聴いてた、という程度。

 

もう何十年も聴いていなかったし、

正直、ほとんど忘れていたのだが、

この曲の独特の揺らめくような心地よいリズムは

なんだか耳の底に残っていた。

 

今回、このライブパフォーマンスを見て

改めてホール&オーツの音楽のクオリティの高さを実感。

齢を取ってよかったじゃん!

と思わずいいたくなるほど魅力的な演奏。

めっちゃシブくてダンディで、

若い頃より断然カッコいい。

 

10年近く前のライブらしいが、

ダリル・ホールも、ジョン・オーツも、

もちろんとっくに還暦を過ぎてて、

シニアならではの、

深くて芳醇なモルトウィスキーみたいな

味わいをたっぷり聴かせてくれる。

盛り上げるバックも素晴らしいの一言。

 

特に中盤以降のサックスを中心としたジャージーな展開は、

極上の酔い心地で、これはもうたまらない。

秋の夜長にぴったりの揺らめくリズムに

そのまま揺られて、いつまでも踊っていたくなる。

 


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鬼怒川温泉・日光江戸村の旅

 

久しぶりの完オフで鬼怒川温泉・日光江戸村に

カミさんと一泊二日の旅。

鬼怒川温鬼のアニメ少女キャラ、鬼めぐりキャラ、

江戸村の江戸キャラ、どれもエンジョイラブル。

旅エッセイをお楽しみに。

 


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オランダで大人気! 息子のおさがりで仕事の調子があがる

 

コロナのはるか昔から在宅ワークをやっているが、

最近、妙に仕事着にこだわるようになった。

こだわると言っても、カッコいいか・悪いかじゃなくて、

着心地がいいか・どうか。

さらに言えば、働きやすいかどうか、である。

 

別にどこかに出かけるとか、

誰かお客さんが来るとか関係なく、

家で一人で仕事をしている時でも、

一日の間に何回も服を着替える。

着る物によって調子が変わるのだ。

 

サラーマンのスーツとか、肉体労働の作業着じゃあるまいし、

家でパソコン叩いているだけなら何を着てても一緒だろうと

思うだろうが、そうではない。

何を着ているかによって脳の疲れ方が違う。

着替えたとたんに、

バババババと執筆が進むこともあるのだ。

 

何がいいかは季節や天気、

その時その時の気分によって違うが、

まず駄目なのはフリースである。

温かいのだが、フリースの服を着て仕事をしていると、

なんだか途中から脳が拘束されているような

錯覚にとらわれる。

素材が石油由来からだろうか。

なにか科学的な根拠がありそうな気がするが、

とにかく調子が悪くなる。

 

アベレージが高く、仕事着として割とよく着ているのが、

息子が高校生の時に着ていたジャージ。

3年前の引っ越しの時にタンスの肥やしになっていたのを

もらい受けた。

いわば、息子のおさがりである。

 

買った時、値段がいくらだったか忘れてしまったが、

安くはなかったはずだ。

制服でも体操着でも、「スクールナントカ」は、

いったんその学校に入り込めれば、

あとは何年も何十年も独占市場である。

どれもだいたい高い。

 

しかしその分、モノは良い。

ガキどものハードな動きに耐久性がなくてはならないので、

それも当然。

したがって頑丈であり、その割に柔らかい。

ほどよくくたびれているところも

また着やすさになっている。

仕事着にぴったりなのである。

 

この間、こういう日本の中古スクールジャージが

オランダの若者に大人気だという話を聞いた。

 

ポイントは胸の名前の刺繍である。

アルファベットじゃなくて漢字。

これがオランダの若者にしてみたら、

カッコいいとウケる。

しかも名前なので、ダブりが極端に少なく、

みんな違っている。

どうやら輸入専門の業者までいるらしい。

面白いものだ。

 

この息子のおさがり、家では重宝しているが、

外には絶対着て出ない。

今の家は彼の母校である豊多摩高校のすぐそば。

同じジャージを着た高校生がうじゃうじゃ歩いている。

さすがに彼らと同じのを着ているというのは

恥ずかしいので。

 


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週末の懐メロ108:ホワッツ・アップ/4ノンブロンズ

 

1992年リリース。

もう30年も経ったのか!

 

90年代指折りの名曲は、

懐メロというよりも現代に繋がる

フォーエバーヤングな歌。

そして聴く者の気持ちのテンションを上げる

フォーエバーロックな世界。

 

ちょっとユニセックスな雰囲気を漂わせる

女3人、男1人のユニークな編成。

「金髪じゃない4人」というバンド名は

ジョークと、反骨精神と、

まっとうな在り方からちょっと外れているという

屈折した思いが程よくブレンドされている。

 

(当時のアメリカ社会では、白人のなかでも

微妙なカーストがあって、

ノンブロンズーー金髪でないことは

劣等感を抱かざるを得なかったらしい)

 

そして、そんな彼女らのスピリットが

パワフルな魅力となって、

この曲に凝縮されているかのようだ。

 

♪25年生きてきたけど

まだ目的地に辿り着く希望を胸に 

あの大きな丘を上がっていこうとしているんだ

 

アタシは精一杯やるよ

どんな時でも諦めず

この社会の枠組みの中で頑張るよ

そして祈ってる

毎日ずっと祈ってる

世の中が大きく変わるように

 

もともと男社会に対する女の反抗の歌だが、

いま聴くと、あまり性別は関係ないように思える。

 

昔の25歳も、今の25歳も同じ様な思いを抱いている。

そして僕のように60歳を過ぎると、

きっとその希望の丘のてっぺんには

永遠に辿り着けないんだろうという諦観も入り混じる。

 

けど、それでもいいさ

死ぬまでその丘を登り続けようじゃないかと、

この歌詞の最後に足してみるといいのかもしれない。

 


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さらば教育係、こんにちは高学歴AI

 

TwitterやMeta(Facebook)の大量解雇は、

どうやらAIのディープランニングが一区切りついて、

それに携わって来た、いわゆる教育係の社員たちが

お払い箱になったということではないかと思われる。

Amazonでも人員削減の声が聞こえる。

 

コロナ禍のこの3年ほどの間に、

AIはとんでもなく成長し高度化した。

歴史も科学も芸術も、人間のことをたっぷり学んで

立派な学歴もつけた。

これまでの活動は、ほんの序の口、

学生ボランティアみたいなものだった。

 

もう世界もビジネスも次の新しいフェーズに入ってる。

アメリカのIT企業は、今後、本格的に

AIを活用した事業活動をやっていくと思う。

 

おそらく当面、僕たちの生活に直接的な影響はないだろう。

僕たちは昨日と変わらない世界を歩き、

変わらない会話をし、変わらない暮らしを営む。

けれどもそれは少しずつ、確実に、

AIの意思に導かれていく。

 

そして、僕ら自身もAIが提供する可能性を楽しみ、

AIが見せる夢に大きな期待を抱くのではないかと思う。

 

イーロン・マスク氏やマーク・ザッカーバーグ氏が

どんな夢や野望を持っているのか知る由もないが、

たかがSNSのはずだったものが、

いまや政治や経済、世界全体を変えていく

力を持つようになるのかもしれない。

 

AIが創る世界は、良きにつけ、悪しきにつけ、

過去生きて来た人間、そして、今を生きる人間の

愛、欲望、願い、理想、悟り、悪徳・・・

あらゆる脳の活動を反映したものになるだろう。

 

それをどう制御するのか?

どう未来につなげるのか?

全然わからないが、僕が死ぬ今世紀の半ばには

何か、今と全く違う世界・暮らし方が

実現しているのではないかと想像する。

いったいどうなるのか、

ぜひとも生き延びて見てやろうじゃないか。

 


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TwitterもFacebookも激変?

 

メリカは先進国中(たぶん)唯一、

問答無用でトップが従業員のクビを切れる。

昨日まで会社のお偉いさんだった人が、

明日からホームレスになっちゃったりもする自由の国。。

 

イーロン・マスク氏がTwitterトップに就任したとたん、

全取締役、半数の従業員がクビになったという。

朝起きていきなり

「きみは今日から会社に来なくていいよ」

なんてメールが入ってたら、こりゃショックだよね。

 

Facebookを運営するMetaも

明日にでも数千人規模の人員削減を

発表する見込みというニュースがあった。

 

今、アメリカで何が起きているのだろうか?

ビジネス界の大変動の予兆なのか?

 

と、海の向こうの他人ごとのように考えていたら、

今年ずっと取材してきた会社の担当者が

メンタルを病んで当分再起不能。

そして、この6年ほどの間、お世話になった

雑誌の編集長が年末で退職するという。

 

そう言えば、今年は6月に母が亡くなった。

とりあえず自分の仕事は変わらないのだが、

2023年は何か大きな変化が起るのかも知れない。

 

変革だ、レボリューションだと叫びながらも、

いざ変わるとなると、やっぱりおじけづく。

自分の保守性・臆病さを笑う。

 


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ちっちゃいおじさんは、なぜ七五三の時に 杉並のパワースポットに出没するのか?

 

うちの近所にある杉並のパワースポット・大宮八幡宮で、

ちっちゃいおじさんの出没情報が

多数報告されるようになったのは、

10年ちょっと前、2010年あたりからだ。

 

ちょうどリーマンショックの後遺症の時期だったので、

失業し失踪したお父さんたちの魂が

神宮の杜を彷徨っているのでばないか――

と、まことしやかな噂を耳にした。

 

仮説として面白い。

僕もリーマンショックの打撃を負った一人だったので、

その仮説をもとにラジオドラマのシナリオを書いた。

その話をノベライズしたのが、

現在、電子書籍kindleで出している

「ちち、ちぢむ」という少年少女小説である。

 

http://www.amazon.com/dp/B09WNC76JP

 

今日、義母を連れて久しぶりに大宮八幡まで散歩に行ったら、

初詣に備えてなのか、賽銭箱が新調されていた。

それに七五三の季節なので、

ちびっ子がうじゃうじゃいる。

 

そんな状況のなかで、

なんだかちっちゃいおじさんの匂いがプンプンしてきた。

 

そうなのだ。ちっちゃいおじさんは七五三が好きなのだ。

目撃情報も七五三の頃になると跳ね上がる。

 

理由は二つあって、

一つは綺麗な着物を着た子供たちがたくさん来るので、

ちっちゃいおじさんの魂が萌えて、つい人前に現れるから。。

もう一つは、おとなはそんなものいないと思っているから

見えることはないが、

無垢な心の子どもの目には見えてしまうから。

 

奇しくも同神宮のティーサロン

「清涼殿」に入ってお茶したら、

殿内にあるPR映像用の画面に

「いきなり都市伝説」の関暁夫氏が出ていて、

ちっちゃいおじさんについて、例の調子で語っていた。

大宮八幡宮、このタイミングでこんなビデオを流すとは、

なかなか抜け目ない。

寺社にもマーケティング能力が

必要とされる時代であることを実感する。

 

心が世俗の手垢にまみれている僕は、

当然のごとく、ちっちゃいおじさんには会えなかったが、

帰り道、義母に問われた。

 

「あれ、いっしょにいた、あのちっちゃい子たち、

どうしちゃったの?」

 

認知症で聖なる子どもに還っている義母には、

七五三の子どもらに混じって、

彼らの姿が見えていたのだろうか?

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

この話、信じるか信じないかは、あなた次第です。

 


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週末の懐メロ107:落葉のコンチェルト/アルバート・ハモンド

 

秋の歌と言えば、ビートルズの

「アンド・アイ・ラブ・ハー」、

ギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」、

そして、このアルバート・ハモンドの

「落葉のコンチェルト」である。

 

1973年リリース。

中学生の今頃の秋の夜、

ラジオにかじりついて聴いていた。

 

落葉が風に舞う秋の散歩道を

孤独を抱えて歩く男をイメージさせる

リリカルなメロディ。

なんとも美しく、ドラマチックな曲だ。

 

漠然とこれは恋に破れた男の歌なんだろうなと思っていた。

まさしく「落葉のコンチェルト」

というタイトルにぴったりの歌だ。

 

ところが今回、英語の原題を見てびっくり!

 

For The Peace Of All Mankind ——

すべての人類の平和のために

 

なんか特撮ヒーローの歌みたいである。

とはいかないまでも、

アルバート・ハモンドって、

こんなジョン・レノンみたいな歌手だっけ?

って混乱してしまった。

 

でもまぁ、ロシア・中国・北朝鮮と、

怖ろしい動きをする国がうごめく今年、

平和への願いを謳っているんなら、

ぜひ伝えたいと思って歌詞を調べてみたら愕然。

 

♪平和のために 安心のために

人類みんなの心の平穏のために

出て行っていってくれ

僕の頭のなかから消え去ってくれ

ベッドルームのドアを閉め

すべてを以前のように戻してくれよ…

 

なんだ、やっぱり女にフラれて

メソっている男の歌ではないか。

それをわざわざ「人類みんなの心の平穏のために」と

壮大なる表現にしてしまう、すごいセンス。

 

というわけで逆転×逆転で、

元通り、女にフラれた寂しい男の歌ってことで

落ち着いたわけだが、まだなぞは残っている。

 

歌詞のストーリーの中には

秋も落葉もコンチェルトも出てこない。

どうやらこれは日本のレコード会社十八番の

邦題マジックだ。

 

原題の仰々しさと曲調がさっぱり合わないということで、

レコードの発売時期が秋だったこともあり、

このタイトルがつけられたのだという。

 

前回の「悲しき天使」(メリー・ホプキン)みたいに、

可愛い娘が歌っているからこうしとけ、

みたいな手抜き仕事もあるが、

これはセンスが光っている。

 

その証拠に、「カリフォルニアの青い空」と並ぶ

ハモンドの代表曲と言われているこの曲は、

日本だけでヒットしたらしい。

 

たしかに題名が「落葉のコンチェルト」というだけで、

切なさ・美しさ三倍増。心に染み入り方が違う。

これぞ邦題の力、これぞ邦題マジック!

 

それにしても、勝手に題名を変えて売るのって、

当時は許されていたみたいだけど、

作者のミュージシャンはどう思っていたのだろう?

それから今はどうなのだろう?

著作権侵害に当たらないのだろうか?

 

いずれにしても皆さん、

すてきな音楽で秋の夜長をお楽しみください。

 


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次回新刊は 「認知症のおかあさんといっしょ」

 

おりべまこと電子書籍ハロウィーンスペシャル

無料キャンペーン、好評のうちに終了しました。

ありがとうございました。

次回新刊は、認知症介護エッセイ集

「認知症のおかあさんといっしょ」。

ちょっと予定から遅れており、

11月中~下旬の発売予定です。

楽しみにされていた方、ごめんなさい。

いましばらくお待ちください。

 


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週末の懐メロ128:赤いハイヒール/太田裕美

 

松本隆+筒美京平の70年代の斬新な歌謡マジック。

太田裕美の代表曲と言えば「木綿のハンカチーフ」だが、

明るい爽やかさの裏に悲しみが潜むあちらの歌に比べ、

この「赤いハイヒール」は、

アンニュイでミステリアスな曲調。

ちょっと禍々しいブラックメルヘンの味付けもある。

僕はこっちの方が好きで、このレコードも持っていた。

1976年。高校2年の時である。

 

「木綿」と同様、男女のダイアローグで進むが、

冒頭、「ねえ、友だちなら聞いてくださる?」と

リスナーに語り掛けて歌の世界に誘い込むという、

のっけから松本隆のマジックが炸裂する。

今ならそう珍しくないかもしれないが、

当時、こんな曲はなかった。

 

白のイメージカラー、

都会に出た男の子×田舎にいる女の子。

赤のイメージカラー、

都会に出た女の子×田舎にいる男の子。

という設定の対比に留まらない。

 

「木綿」では人物やドラマの描写が

割とあいまいで抽象的だったのに対して、

こちらは、東京駅に着いた・

おさげでそばかすのある女の子・

ハイヒール買った・お国訛りを笑われた(らしい)・

タイプライター打つ仕事をやってるなど、

主人公の状況がかなり具体的に描かれている。

 

このあたり、ただのアンサーソング・二番煎じとは

絶対に言わせない。

「木綿」よりもいい曲にする・面白くするという、

松本+筒美の情熱とプライドを感じる。

そして何よりもその根底に太田裕美への愛情を感じる。

 

「松本隆のことばの力」(藤田久美子インタビュー・編/インターナショナル新書)によると、

当時、すでに大御所作曲家だった筒美京平は、

既にスターになった歌手にほとんど関心を示さず、

自分の曲で新人を育て上げたいという

強い思いを持っていたという。

 

太田裕美はその筒美が目を付けた宝石だった。

そこで売り出し中の作詞家だった松本隆に声をかけて、

太田裕美のためにコンビを組んだ。

 

その第1弾「木綿のハンカチーフ」が大ヒットしたのだが、

一発屋で終わらせない、

彼女を後世まで残る歌手にするのだ、

と気合を込めて作ったのが、この「赤いハイヒール」

だったのではないかと思う。

 

とにかく詞も曲も編曲も凝りまくっているが、

それをここまで可憐に、軽やかに、

それでいながら心に沁みるように歌えるのは、

昔も今もやっぱり太田裕美しかいない。

——聴く者にそう思わせるだけのものがある。

 

ちなみに「おとぎ話の人魚姫は死ぬまで踊る赤い靴」

という一節は、松本隆の創作である。

 

「赤い靴」は美しい少女が、美しさゆえに傲慢になり、

病気の親を見捨てて、強欲に快楽を求めたがために

呪いの赤い靴を履いて死ぬまで踊ることになる。

そして、その呪いを解くために

首切り役人に頼んで両足を切断するという、

子供に読んであげたらトラウマになること必至の

衝撃的な展開の物語だ。

同じアンデルセンの童話だが「人魚姫」とは

別々の話である。

 

それも含めて松本隆の数多い作品の中でも

「赤いハイヒール」は屈指のドラマ性と

独特のイメージを持った世界観を作っている。

 

もちろん、この令和の感覚からすれば、

ツッコミどころ満載の歌詞なのだが、

これぞ懐メロ、これぞレトロ昭和ワールド。

 

まだ1970年代(昭和50年代)は、

今では考えられないくらい

東京と地方とでは情報格差があった。

地方出身者にとって、

東京はほとんど異国と言ってもよいくらいだったのだ。

それもとっておきの、ピカピカの。

 

僕は名古屋の出身で、名古屋は当時、

日本で4番目に人口の多い都会なのだが、

それでも東京に行って暮らす、というと

ただそれだけで周囲から羨望の目で見られた。

ウソのようだが、ホントの話だ。

 

今でもこの季節になると、

東京に出てきて演劇学校に入った頃のことを思い出す。

そして、演劇や音楽にうつつを抜かした

東京暮らしを良い思い出にして、

田舎に帰って行った多くの仲間のことも。

 

元気にまだ生きているだろうか?と無責任に考えるが、

そんな自分は、結局、呪いの赤い靴を履いたまま、

どこにも帰らず、だらだら東京暮らしを続けている。

たぶん、死ぬまで呪いが解けることはない。

 


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お花見とイタリアン

 

雨にも負けず、風にも負けず、

桜ががんばってくれて本日はお花見日和。

 

今日は義母ではなく、カミさんと

桜を見ながら善福寺川沿いを歩くと、

南イタリア料理のレストランがある。

ちょうどテラス席があいていたので、

オープンエアランチ。

 

この「カーザ・ドルチェ・カーザ」は、

表が五日市街道沿い。

関東バスの車庫のすぐお隣。

裏が善福寺川公園というユニークなロケーション。

このあたりを通ることがあったら寄ってみてください。

素朴で可愛いお店です。

 

桜は満開の木も、葉桜も、桜吹雪も、花筏も、

みんな楽しめて大満足でした。

 


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おすすめ本「なんで家族を続けるの?」

 

内田也哉子と中野信子の対談本。

カミさんが図書館で借りてきたのを

借りて読んだら、めっちゃ面白かった。

 

内田也哉子はご存じ、樹木希林と内田裕也の娘。

中野信子は頭脳キレまくりの脳科学者。

日本人の女として、かなりイレギュラーな

家庭・家族の間で育った二人のトークは軽妙で、

家族論を中心に、人生論・幸福論へ広がっていく。

 

要約すれば、日本の伝統的家族像は、

たかがこの150年余りで作られたもの。

それぞれ違ってていいんだ、

というダイバーシティな話をしているのだが、

二人の家族経験・キャラと相まって、

笑えて面白く、とても感動的だった。

 

この本では婚姻関係と生殖・子育て・家族の構築は別物

という大きなテーマが語られている。

中野信子が

「アホウドリの3分の1のカップルはレズビアン」

という話をするのだが、そういえば数年前に、

テレビのドキュメンタリーで、レズビアンのカップルが、

「精子バンクで精子を買って子供を産んで育てたい」と

話しているのを聞いて衝撃を受け、

「そうか・・・」と妙に感心した、というか、

男としてなかなか複雑な思いに駆られたのを思い出した。

 

また、読みながら、ふと樹木希林が晩年に出演した、

是枝裕和監督の映画「万引き家族」が頭に浮かんできた。

 

いま、フランスで生まれる子どもは

過半数が婚外子だという。

そんな国の映画祭(カンヌ国際映画祭)で「万引き家族」が

大きな共感を呼び、グランプリ(2018年)を受賞したのは

何だかと絵も納得できる。

僕も大好きな映画でもう3回見ているが、

また見たくなった。

 

少子化問題が大変だと言っている日本もこの際、

婚姻関係にこだわらず、

フランス式のライフスタイルを受け入れればいいのに、

と思うのだが、

歴史・文化・自然環境などの条件の中で培ってきた

感性・考え方は、

そう簡単に外国に合わせるわけにはいかないようだ。

そのあたりも中野信子は言及している。

 

それにしても、

いつまでも昭和スタイルにこだわっていては、

経済も産業も、家族も人々の幸福感も、

どんどん損なわれていくのは明白である。

そんな、この先のこともいろいろ考えられる本なので、

ぜひ一度、読んでみてください。

 


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ホワイトファンタジー家康:いい人だから天下を取った

 

今年の大河ドラマ「どうする家康」はどうやら、

「家康はいい人だったから天下を取れた」

という物語になりそうな気配だ。

 

もともと家康役が松潤なので、

初回のヘタレぶりから、

どうもそういう話になるんじゃ・・・

という気配はしていたが、

昨日の「氏真」の回でそれを確信した。

 

どういう話だったかは、

ネットであらすじを読むか、

NHKプラスを見るか、

今度の土曜の再放送を見るかしてほしいが、

とにかく家康は、追い詰めた今川氏真(溝端淳平)を

殺せず、助けてしまう、情に厚い“いい人”。

 

しかも氏真の奥さんがこれまた、夫思いのとてもいい人。

 

さらに、とっくの昔に出番が終わってたはずの

今川義元が回想シーンでよみがえり、

感動的なお父さんぶりを見せる。

 

野村萬斎をキャスティングしておいて、

あれで終わりかいと思っていたが、

最後(死んだ後だけど)にちゃんと見せ場を残して、

スポットライトを浴びせてくれた。

そんなわけで、友愛、夫婦愛、親子愛の

人情ドラマ3連荘で、泣かせるわ、泣かせるわ。

 

この後、今川氏真は、

戦国武将としては表舞台から退場するが、

家康の手引きで北条氏の領土に逃げて生き延び、

文化人となって、のちに密かに家康に影響を及ぼす。

いちおうそうした史実も踏まえてドラマ化している。

 

これまで今川親子なんて、

信長や信玄の引き立て役・滅ぼされた負け組として

ずさんな扱われ方しかされなかったが、

ここまで丁寧に人間的に描いたのは良かったと思う。

 

それにしても、昨年の「鎌倉殿」が陰謀・裏切り満載で

思いっきりブラック、そしてリアルだったのに対して、

こちらはまるで戦国ファンタジーかと思えるほどの

ホワイトぶり。

 

なにせファンタジーなので、阿部寛の武田信玄も、

岡田准一の織田信長も、ムロツヨシの豊臣秀吉も

ほとんどマンガの世界の人。

そして家康との対比で、

みんなとんでもない悪人どもに見える。

おそらくそういうのも狙いなのだろう。

 

もちろん、「幼稚」だの「大甘」だの

「戦国時代にこんなのあり得ねーだろ」という

手厳しい批評も飛び交っているが、

僕はこういう見方をしているので、<