12月のCanon

 

 クリスマスまでもうあと1週間、今年もあと半月しかない。

 クリスマスも年末年始もまだ全然準備してない。

 掃除もやってない。

 ので、まったくそういうモードに入れずにいた。

 

 なので例年ごとくGeorge Winstonの「DECEMBER」を聴く。

 頭の中に果てしない雪原が広がる。

 雪うさぎがピョンピョンと跳ねてゆく。

 

 「聖夜」「ジングルベル」「もろびとこぞりて」のような、子供の頃からおなじみのクラシックに加え、この40年余り、日本でも海外でもいろんなクリスマスソングが続々と出てヒットした。

 

 僕もさんざん聴いてきたが、なんだかもうお腹いっぱいになってしまって、ここ数年はおなじみのクラシックとこのアルバムしか聴かなくなった。

 

「Summer」や「Autumn」もいいけど、Winstonはやっぱりこの「DECEMBER」だ。

 

 集中してイメージを楽しみながら聴くこともあるし、仕事中のBGMとしても適しているし、もちろん季節の気分も堪能できる。一石三鳥。

 

 中でも「Canon」はほとんどループ状態で聴くことが多い。

 Winstonの演奏に初めて出会って、かれこれ35年たつが、いまだこのピアノ一台で紡ぎ出すCanonをしのぐCanonは聴いていない。

 

 なんとか来週には実生活も年末年始モードに入れたいのだけど。

 


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「酒、タバコ、やめて100まで生きたバカ」の最後の晩餐は、雪のように真っ白なごはん

 

   人生は思いのほか短い。

 折り返し地点を過ぎると、そのスピードは倍速になる。

 やはり40歳あたりがミッドポイントで、自分のことを振り返ると「健やかに中年」と、年賀状に大きく書いて宣言したことを憶えている。

 そして、その宣言とともに25年間吸っていたタバコをやめた。

 

 「酒、タバコ、やめて100まで生きたバカ」を目指して人生の復路を走りながら頭に浮かぶのは、ゴールする前に何を食べるのか――最後の食事は何がいいのかということである。

 

 これまでおかずのことばかり考えていたが、先日、いや、これはおかずではないな、ということに気が付いた。

 

 お米のごはんだ。

 雪のように真っ白な、炊きたてのホカホカの極上のごはんだ。

 それだけ。

 味噌汁くらいはついていてもいい。

 またはバリエーションとして、そのごはんで握ったおにぎりがあってもいい。

 

 それだけだ。

 そう思いつくと、これぞ日本人の正しい「最後の晩餐」だと疑えなくなってきた。

 

 まぁ、食い物に正しいも間違ってるもないんだけど。

 

 人間は真っ白で生まれて、真っ白で帰っていく。

 これは美しい。

 

 でも本当にそうなるかどうかは、タイムマシンで、未来の、死ぬ間際の自分に会って聞いてみないとわからない。

 

 ちなみに酒はまだやめてないし、100まで生きるかどうかも当然わからない。

 


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NOELちゃん

 

 むかし勤めていたロンドンのレストランスタッフの同僚にNoelというフランス人の女性がいた。

 Noelとはフランス語でクリスマスのこと。

 つまり「クリスマスちゃん」である。

 

 普段はElisabethと名乗っていたので、僕らもそう呼んでいたのだが、何かのきっかけで本名がわかった。

 べつにからかうつもりもなく、本名を呼ぶんでみたら「やめてー」と、嫌がった。

 日本でいうキラキラネームに該当するのだろうか。

 

 彼女は僕より少しだけ年上だったので、たぶん当時26~7歳だったと思う。

 子供の頃やティーンエージャーの頃ならともかく、大人になって「クリスマスちゃん」なんて呼ばれるのは恥ずかしかったのかもしれない。

 

 彼女には同じレストランの調理助手のバイトをやっていたニキ君という日本人男性と恋仲で、僕が来て一年しないうちに、二人でフランスで暮らすと言ってやめて行った。その後のことはわからない。

 

 そんなに美人というわけではなかったけど、彼女のことをよく覚えているのはその声だ。

 フランス語なまりの英語ってこんなに素敵なのかと思った。

 日常会話がすごくロマンチックなものに聞こえるのだ。

 

 フランス人の話す英語はみんなこんな感じなのかなと思ったけど、その後にもフランス人の女性が入ったが、そっちの彼女のは全然ちがっていた。

 Noelの話す英語は特別にすばらしかったのかも知れない。

 フランス万歳。

 


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トキワ荘復元に関するあれこれ

 

 トキワ荘通りにある南長崎花咲公園。

 そこに2020年3月に「マンガの聖地としまミュージアム(仮称)」として復元されるトキワ荘。

 その費用の一部をクラウドファンディング、つまり寄付で賄うと言う。

 当初は、総費用9億4千万円のうち1億円を、という算段だったそうだが、その人気は目を見張るものがあり、今年10月にはすでにその目標額の7割以上をクリア。

 「これはイケる」と思ったのか、豊島区は目標額を2億8千万円に上方修正したと言う。これだと総費用の4分の1を寄付で賄えることになる。

 

 まずここまではここまではいいことづくめ。

 着工は年明けからか。

 これからオープンまでは話題が絶えないだろう。、

 その日が来るまで、夢が実現するまでは、みんなドキドキワクワクするからね。

 

 問題はできた後だ。

 超情報化時代の今日、新たに生まれたコンテンツの情報はあっという間に消費される。それでなくても、トキワ荘のストーリーは、これまでもさんざん表舞台に上がり、かなり多くの人がもう知っている。

 建設の前から難くせをつけるようで申し訳ないが、賞味期限がそんなに長いとは思えない。

 

 完成~オープン予定の期日を見れば、東京五輪の開催時期に合わせていることは明らか。外国人のマンガ・アニメファンを取り込もうという思惑があるようで、実際、そういう広報も行っている、

 

 日本人のマンガ好きはトキワ荘に思い入れが深いかも知れないが、外国人はどうか?

失礼ながら、手塚治虫先生以外はそんなに海外にその名が轟いているとは思えない。

 この先生たちが遺したものがいかに偉大な功績かを理解してもらうには、相当な工夫が必要だ。

 

 また、その前に日本の若い世代がトキワ荘=マンガの聖地であることをどれだけ認識しているか? はなはだ疑問なのである。

 

 

 あと気になるのはこの公園のこと。

 代々木公園、井の頭公園、和田堀公園のような広い公園ではない。街中でよく見かける児童公園だ。

 今あるようなちょっとしたモニュメントなら問題ないだろうが、アパート一棟分だ。おそらくこの公園の大部分は潰れてしまうだろう。

 

 見たところ、この近辺では唯一の公園で、子供たちの遊び場、お年寄りの憩いの場になっている。

 みんながマンガファンでトキワ荘の価値を認めているわけじゃないので、なんでそんんなボロアパートのために大事な公園を潰すのか、納得できない人も多いだろう。

 

 どうやら豊島区が代替公園を作ると言うことで話は決着したらしいが、そこまでリスクを負って9億ものお金をかけるのだから、本当に意義あることをやらないと地域の人たちの不満はずっと残る。

 

 箱を作ってミュージアムとしてあれこれ展示しても、オープン時は賑やかだろうが、オリンピック・パラリンピックが終わる頃にはもう人は離れているだろう。

 

 最初からそれを覚悟して、飽きられたころに始まる企画――月並みなところではマンガ塾とか――をいくつも用意しておき、どう活用するのか、この地域の資産・トキワ荘のマンガ家たちの偉業が未来に繋がっていくのかを世の中に向かって考え、表現していかないとダメだろう。

 でなければ集まってくるのは、昭和レトロを愛する懐かし好きの年寄りばかり、ということになりかねない。

 楽しみにしているだけにちょっと心配。

 10年後・20年後を想像して、レジェンドの殿堂を築いてほしいなぁ。

 


マンガの聖地・トキワ荘通りを散策する

 

 以前も紹介したことがあるが、金剛院には「マンガ地蔵」が鎮座しており、マンガご朱印も発行している。もちろん、プロデューサー的センス抜群のご住職の発案だ。

 クリエイターのたまごたちがお参りするマンガ地蔵。その向いている方向は、かのトキワ荘のあった場所だ。

 

 手塚治虫をはじめ、赤塚不二夫、藤子不二雄の二人などがデビュー前から住み、石ノ森章太郎なども頻繁に訪れていたというトキワ荘は「マンガの聖地」と呼ばれ、その時代から半世紀を過ぎた今日、この地に人を呼び寄せる地域の財産になっている。、

 

 金剛院のある西武池袋線・椎名町から次の駅の東長崎、その間にある都営大江戸線の落合長崎駅の三角形の界隈には、各所にモニュメントが置かれ、マンガ地蔵も含め、「トキワ荘散策コース」が作られているのだ。

 

 その中心のトキワ荘通りからちょっと裏道に入ったところに跡地がある。トキワ荘は1982年に解体され、その跡地には現在、保険会社のビルが建っている。

 

 

 お休み処という場所もあって、小さなマンガギャラリーになっている。

 僕が入った先週の土曜は、この2階にトキワ荘仲間の紅一点、「ファイヤー!」「星のたてごと」の水野英子先生が来ていてサイン会をやっていた。

 

 それにしてもこのトキワ荘通り、夕方になろうかという時間に行ったせいか、なんだか「三丁目の夕日」を想起するレトロムードが満点。

 裏通りに入ると、ちょっと・・・というかかなりさびれた空き家などもあって、これもまぁレトロと言えばレトロだけど・・・という感じ。

 

 そしてこの通り沿いには南長崎花咲公園というのがあり、そこに2020年3月に「マンガの聖地としまミュージアム(仮称)」として、トキワ荘が復元される。

 まさしく日本のマンガ文化のジュラシックパーク誕生!

 ・・・と拍手したいところだが、ちょっとした懸念も。

 長くなりそうなので、その話はまた明日。

 


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悟りを開いてお寺で婚活

 金剛院では婚活専門会社とコラボでして、2ヵ月に3回くらいの割合で婚活パーティーをやっているという。

 最近は婚活もただ飲み食いするだけの会では人が集まらない。

 ○○×婚活で、共通の趣味・指向性を持つ人同士なら話も合いやすいと言うのだ。

 

 というわけで御住職の発想で登場したお寺で婚活。略してテラコン。

 「悟り婚」という名称も使っていた。

 サトリコンとは、なんだかすごい婚活に思える。

 

 婚活パーティーにはナンパ目的の変な奴も構混じって来るらしいが、さすがに仏様のおひざ元であるお寺には仏罰を恐れてか、そういう奴は来ないそうだ。

 

 この日参加したのは220代後半から40代前半の男性15人、女性14人。

 受付スタッフに聞いてみると、テラコンには時間をちゃんと守り、対応も7きちんとしている、いわば紳士・淑女が多いようだ。

 個人情報保護のため、参加者の職業は不明だが、明らかにお坊さんという人も二人いた。

 

 会場は約50畳の広さの客殿。

 廊下からは小さいながら日本庭園や石庭も見え、ちょっとした京都気分。

 ここに集まって最初に写仏をやった。

 

 テラコンにも説法婚活、瞑想婚活、念誦づくり婚活などいろいろ細かいカテゴリーがあるそうだが、この日は「写仏婚活」。

 全員で最初30分弱の時間、仏様の絵を描いて(といっても下絵をなぞるだけ)気持ちを落ち着けるのだ。

 

 と、緊張気味だった室内の空気が不思議とリラックスしたものに変わってきた。さすが寺力(じりき)はすごい。

 その後、閑静な雰囲気の客殿内には賑やかな話し声が溢れ、トークタイム、カップリングと続いた。

 

 御住職に聞いた話で面白かったのが、この写仏について、

 「バリバリ仕事をやっている今時のビジネスマンは、こういうものをやらせてもすごく速い。理解度も抜群で、まるで仕事のようにスピーディーにこなし、成果を上げる。

そういうものとはは違った世界、異なる価値観が持てなくなっている。そういう人にこそちゃんとじっくりやってもらい、見えない大切なものに気付いてもらいたい。」

 

 仕事の領域で評価されても、それはそのまま人生の幸福にはつながらないと言うことか。うーん、さすがサトリコンは奥が深い。

 


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魔除け・招福の猪目と寺力本願

昨日はお寺で婚活パーティーををやるというので出向いてみた。

 もちろん参加者としてでなく取材です。

 境内に入ると、おお、さすが婚活。

 落ち葉でハートマークを作るというイキな演出。

 

 ではなくて、じつはこれは「猪目(いのめ)」という日本古来の文様で、仏教と関係が深く、寺院魔よけや招福のしるしとして用いられているとのこと。

 べつに来たる年が亥年だから・・・・ということとは関係ありません。

 

 猪目とはそのまんま「猪の目」のことだけど、 実物のイノシシの写真を見てみたが、ハート形の目はしていない。そういうイノシシがいたのかなぁ。

 

 それにしても虎の目でも竜の目でもなく、なんで猪の目が魔よけなのかと一瞬訝ったけど、ジブリ映画「もののけ姫」で乙事主(オッコトヌシ)という猪の神様が出てきたことを思い出した。

 田畑を荒らしたり、街中に下りてきて騒ぎを起こす嫌われ者の猪にも聖なる神の一面があるということか。

 

 ん?いや、ここは神社でなくてお寺・・・ややこしくなるのでこれについてはまた後日研究。

 

 

 何でこのお寺に来たかというと、「世界のEnding Watch」に続いて月刊仏事で2つめの連載を持つことになった。

 お寺に関する取材記事が欲しいということで「寺力本願(じりきほんがん)」という企画を出したらGOとなった。

 

 内容はお寺の本業以外の、いわゆるCSR活動(社会貢献)がテーマ。

 ま、お寺は営利企業ではないので、CSRはむしろ本業なのかも知れませんが。

 

 以前にも増して宗教離れが進み、今や葬儀にお坊さんのお経は要らない、戒名もいらない、当然お布施も出さない、お墓も建てない、」面倒見れないからやめちゃうetc.

 

 というわけで、いまやお寺やお坊さんは社会における存在意義を問われている。

 

 けれどもそうした状況に危機感を覚えて、お寺を積極的に開放し、壇家以外の人にも説法をしたり、寺子屋を設けたり、モダンなカフェやギャラリーを開いたり、イベントをやったりして、より多くの人たちに親しみを持ってもらおうとがんばっでいるご住職、地域のカルチャーステーションとして機能しているお寺もたくさんある。

 

 この金剛院(正式には蓮華山 金剛院 沸性寺)は、そうした近年のCSR寺院(とあえて言ってみる)の草分け的存在で、現在のご住職が30年前から地域の人たちに活用してもらおうと様々な取り組みを行っている。

 

 4年前に椎名町の駅の改築に伴って駅前が再開発され、敷地内も大幅に整備。イベント用の多目的スペースやお洒落なカフェもつくられ、とてもきれいで居心地の良いお寺になった。

 

 最近の若い衆は物質的な世界よりも、目に見えない世界に関心を抱く人が多く、このお寺における婚活は結構な人気なのだそうである。

 

 というわけで取材に来たのだが、前置きが長くなってしまったので、そのエピソードはまだ明日。

 


イノシシの冒険

 

  あの国境を越えれば、おいしい作物食い放題のパラダイスが待っている。

 

 情報化社会は人間の専売特許ではない。

 森の仲間たちの間でも、ここ何世代かにわたって「成功法則」の情報が伝えられシェアされている。

 サル、キツネ、タヌキ、クマ、イタチ、ハクビシン・・・もちろんイノシシにも。

 

 生き延びて成功したいのなら人間の生活圏とのボーダーを突破せよ。

 勇気を出せ、 だいじょうぶだ。人間は思ったほど怖くない。

 だが、ワナには気を付けろ。餌があっても近づくな。

 

 来年の干支として脚光を浴びる今日この頃だが、農業の取材をしていると、いまやイノシシは田畑を荒らすにっくき害獣ワーストワンに挙げられる。

 

 代々伝えられてきた無数の情報を租借し、知恵を付けた新世代のイノシシたちは、まるで移民のように人間の生活圏に潜入し、自分たちの居所を作ろうとしている。

 彼らの何頭かは冒険心に駆られ、命を賭けてフロンティアを切り開こうとしているようだ。

 


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未来が来ても嬉しくないのさ、君と一緒でなけりゃ

 

 久しぶりに佐野元春を聴いてみたら、すごくよかった。
 「アンジェリーナ」や「SOMEDAY」や「約束の橋」などの懐メロもいいけど、最近のはもっといい。ルックスもグレイヘアが似合って若い頃よりかっこよくなった。
 何よりも歌詞が聴かせる。「人間なんてみんな馬鹿さ」「未来が来ても嬉しくないのさ、君と一緒でなけりゃ」・・・大人の想像力を刺激する歌だ。「SOMEDAY」からここまでたどり着いたのか、という感じがする。

 アルバムも聴いてみようかなと思う。

 


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相変わらず幻想・妄想だらけだけど脳は完治

 

 3か月ぶりに頭のCT検査。

 救急車で運ばれて緊急入院したのは猛暑の真っ盛りでしたが、いまや病院の周囲も晩秋~初冬の風情です。

 

 自転車事故に端を発した硬膜下出血ですが、完治してますと言われてホっと安堵しました。

 何といっても人生初の手術・入院だったので、個人的にはやっぱり今年のトップニュースです。

 

 今日もまた中で働いている人たちや、出入りする患者さんたちを観察してて感じましたが、病院はやっぱりシャバとは違う異世界。

 なんだか宇宙旅行の途中で違う惑星に立ち寄ったような気分になります。

 そしてわりかし居心地がいい。

 

 学校の校風、会社の社風と同様、それぞれの病院で院風というのもあるのでしょう。

 この三宿病院の院風は割と自分に合っていたのかもな、と思います。

 院風の合わない病院にいると、病気の治りが遅くなりそうです。

 僕の場合、幸運にもこの三宿病院の院風はけっこう自分に合っていたようです。

 

 といっても、また来たいわけじゃないけどね。

 できれば今年のが人生唯一の手術・入院であってほしいと思います。

 

 というわけで一件落着。

 


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「人間を大事にしています」ってどういうこと?

   

 12月になって新しい年への期待が高まる。

 しかも来年は天皇が交替し、新しい元号になる。

 昭和から平成に変わった時は、確かに変わった。

 世の中の空気の流れが変わったのだ。

 なのでそれを知っている中年以上の人たちは、何とか空気を読もうと思って躍起になっている。

 東京オリンピック・パラリンピックも、大阪万博もその流れの中で開催される。

 昭和に行われた時とは大きな隔たりがあることを誰もが感じ取るだろう。

 

 新しい天皇の新しい元号の時代が20年になるのか30年になるのか、それ以上の長さになるのかはわからないが、一つ言えることは「人間とは何か?」を考える時代になるということである。

 

 「サピエンス全史」や「ホモデウス」があれだけ読まれるのは、すでにそういう時代のサインだ。

 

 一部の学者や研究者などに限らない。

 女も男も、子どもも大人も年寄りも、貧乏人も金持ちも、善人も悪人も、偉い人もそうでない人も、みんながみんな、人類史的スケールで問いかける。

 

 「人間ってなんだろう?」

 

 すごく漠然としている。

 けれども力を持つ者はその漠然とした問いかけに答えることが求められるのだ。

 

 かつて人類が積み重ねてきた過去のデータが膨れ上がり、それを使ってAIやロボットが社会で大手を振るうようになった時、個人個人のアイデンティティの以前にある、人類のアイデンティティが脅かされる。

 

 そうなる過程で国も企業も口をそろえて言うようになるだろう。

 「我が国は人間を大事にしています」

 「わが社は人間を大事にしています」

 

 もちろん今までも「とりあえずそう言っときゃOK」という感じで、みんな言っていた。でも。これからはそれでOKではならない。

 

 それって、どういうこと?

 大事にしてるって、どう大事にしてるの?

 コストカットのために従業員のクビを切ったりしないの?

 派遣やバイトや外国人は差別されないの?

 

 つっこみどころは満載だ。

 国も企業もそれに応え、こんなに人間を大事にしているんです、ということを世の中の皆さんに納得して貰わないことには経営が立ち行かなくなる。

 

 かもしれない。

 

 これが空想か、幻想か、妄想かは、すでに来年の今頃にはその片鱗ぐらいはわかっているだろう。

 


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子どもと大人の狭間で人間は自分の一生を俯瞰するのも知れない

 

 今回書いたドラマは、葬式めぐりをしたり孤独死しそうな老人を観に行く中学生の女の子を主人公にした。

 「死に興味を抱く子ども」と聞くと、びびっちゃう大人は多いかも知れない。

 でもこれは性に興味を抱くのと同じくらい自然なことだと思う。

 

 子どもは永遠の時間を生きている。

 

 死は自分の時間の終わりであり、主観的な世界の終わりである。

 子どもはそんな終わりのあることなんて考えない。

 ただ、得体のしれない恐怖心は持っている。

 地底か、海底か、宇宙か、暗黒の中に吸い込まれていくような、そうした死につながる恐怖の瞬間があることは直観的に知っている。

 

 物語を読むなり聞くなり、ごっこ遊びをするなりして、徐々に「死とは何か」は子ど

 

もの心に取り込まれていくのだと思うが、死の概念が完全に人間の心に定着するのは、やはり生殖できる体に変わる時期なのだろう。

 

 子どもが大人になるというのは、性を含めた愛を知ること、そして死を知ることだと思う。

 その時――思春期のほんの一時期、人間は自分が生まれてから老いて死ぬまでを一挙に俯瞰できてしまうのかも知れない。

 ただ、そんなことは、ほとんどの人はすぐに忘れてしまうのだけど。

 

 主人公の女の子は「いつかみんな故郷の星に帰るのにどうして地球にいるんだろう? ここでわたしたちは何をして、どうなろうとしているんだろう?」というセリフを言った。

 

 どうせ死ぬのになんで生きているのか?

 自分自身も抱えていた疑問が遠い昔からよみがえってきた。

 書いていると、いろいろなことが起こる。

 


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みきなつみの「ボクらの叫び」がカッコいくてかわいい

 

こんなカッコいい歌を、こんな可愛い子が歌ってるなんて昨日まで知らなかった。

後半の歌詞の「空想、幻想、妄想」の3タテには涙がキレまくる。

いつまでもたってもこういう曲が好きだ。たぶん死ぬまで。

 


星のおじいさま 完成

 

 今年もコンペにラジオドラマ脚本の新作を送った。

 「星のおじいさま」。

 毎度のことながら本当に最後まで出来るのか、ハラハラしたが、かわいい二人の娘が跳ねてくれたおかげで楽しくできた。

 リライトも十分できた。

 ジュンちゃん、マナちゃん、ありがとう。

 評価はどうだか分からないけど、例によってとりあえず自己満足。

 というわけで、以下あらすじ。

 

 13歳。子供から大人になろうとしている中1女子ジュンの心を占めるのは「地球に生まれてきて幸運だったか?」という自身への問いかけ。そこで彼女は小学校時代からの親友マナとともに葬式を巡り「故郷の星へ帰っていく人たち」を見て回っている。

 

 そんなジュンは偶然、終活サポート業の中塚(43)と出会い、彼を介して、ひとり暮らしでハーモニカ吹きの老人・和泉(73)を知る。孤独死予備軍の和泉に興味を引かれたジュンは「星のおじいさま」というあだ名をつけ音信不通の父や死んだ祖父のイメージを重ね合わせる。そして家に出入りするようになり、次第に親しさを深めていく。

 

 その一方で彼女はマナとのセクシャルな交遊をこれ以上続けるのをやめようとしていた。それに抵抗し嫉妬したマナは、ジュンと和泉が不純な関係を結んでいるというスキャンダラスな噂を流し、会えないようにする。

 

 しかしそれを契機に二人は互いを必要としていることを強く感じ、好奇の目に晒される怖れのない競馬場で再会。レースに託して人生を賭けた勝負を敢行する。ジュンの唱えるまじないによって和泉は勝利し大穴を当てるが、その直後、心臓発作を起こして倒れる。

 

 和泉が運び込まれた病院に現われたのは、30年前に別れた息子の小峰仁(43)。彼はジュンと中塚が信じていた、和泉の家族や仕事についてのストーリーがすべてウソだったと明かす。それでもジュンは和泉を救うために、再びまじないの言葉を唱える。

 

 その効力か、奇跡的な回復を果たした和泉は退院し、ハーモニカ吹きとして生きると決める。ジュンはそんな和泉に対し、大人になったらまた会いに来ると言って別れる。

 

 子供だからこそ持ち得た力。それを使い果たしたことに気づいたジュンは、ギターを練習し始め、マナと今しばらく甘え合いながら新しい人生の旅へ出る支度を始める。

 


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競馬場への回帰

 

 わけあって府中の東京競馬場へ単独デイトリップ。

 息子がチビの頃、よく遊ばせに来たが、それ以来だから15年ぶりくらいだろうか。

 

 紅葉も美しいこの季節、めっちゃきれいになっていてびっくりした。

 しかも今日は東京の今年最後の開催日で、G1のジャパンカップが開かれるとあって、ムードも華やかだ。

 

 赤ペン片手に競馬新聞を握りしめた、昔ながらの怪しげなおっさんも、もちろんたくさんいるのだが、家族連れ、若い男女のグループ、夫婦、ゲイっぽいカップル、お父さんと娘、単独のおっさん、おばさん、じいちゃん、ばあちゃんも。今の社会の縮図のようだ。

 

 

 今回、特に驚いたのは「ビギナーズセミナー」なるものが1日中開かれていて馬券の買い方や競馬新聞の読み方などを無料でレクチャーしてくれる。

 

 僕も参加してみた。

 講師は埼玉県越谷にお住いのJRAレディ(それとも外注だろうか?)。

 30分弱なのでイラスト満載のテキストを渡され、実際にマークシートに記入するまで基礎的なことを教えてくれるが、あとは自分で勉強してくださいと言う感じ。ま、30分弱の時間ではしかたないけど。

 でも確かに初めてでも、ここで話を聞けばとりあえず馬券は買える。

 

 

 ジャパンカップって昔は半分くらいは外国馬が出走していたと記憶していたが、最近は日本馬ばっかりで、外国馬はたったの二頭。

 今年は三歳牝馬のアーモンドアイが圧倒的な一番人気だったので、彼女には手を出さないことにした。

 

 が、定評通りアイちゃんは強かった。並みいるオスどもをぶっちぎり、最後は華麗な差し足で優勝。

 僕の買ったキセキとシュヴァルグランは残念ながら2着と4着。いいセンいってたんだけどなぁ~。

 というわけで久しぶりに3レースやってみましたが全敗でした。

 

 でも競馬場は面白い。

 入場料200円払って、あとは100円単位でやっていれば一日遊べるから、へたな遊園地よりお金もかからない。(と言いながら、だんだんエスカレートしちゃうんだけどね)

 

 うーん、競馬熱再燃。いろいろ勉強していこうと思った。

 


Queenの思い出:1974~87年

 

 今日はQueenのフレディ・マーキュリーの命日だったらしい。

 そういえばこの間までYou Tubeにアクセスするたびに映画の予告編が出てきたが、この週末あたりから公開しているみたいですね。

 ファンは嬉しいでしょう。

 

 僕がロックを聴き始めた頃、ロック痛の先輩がいて、彼とその仲間がよく僕に向って「Queenみたいなのは女・子供が聴くバンドだ。あんなの聴いてちゃ男の名折れだぞ」とかなんとか言ってた(当時、その人たちは中学生です)。

 

 でも僕は初期の頃のQueenが割と好きだったで、そんな意見はシカトしてレコード買って、75年の来日公演の時も愛知県体育館まで観に行った(当時、名古屋在住)。

 

 初めて買った「MUSIC LIFE」(当時の音楽雑誌)の表紙がQueenだった。

 ちなみにこの少し後の号に載っていた1975年の人気バンド投票の結果は、1位がEmerson,Lake&Palmer、2位がLed Zeppelin、3位がQueen、4位がYes、5位がDeep Purpleだった。(たぶん15位くらいまで憶えている)

 

 僕がQueenを好きだったのは「ボヘミアン・ラプソディ」が入っている4枚目の「オペラ座の夜」までで、その後はだんだん聴く気がなくなった。

 世界的な人気が出たのはその後からだと思うが、人気の秘密はフレディ・マーキュリーのパフォーマンスがお笑いのネタになったのが大きいと思っている。

 

 マイケル・ジャクソンなどもそうだけど、音楽・アーティストとして素晴らしい一方で、モノマネができてお笑いネタにできるというのが、1980年代のスーパースターの条件だったような気がする。

 

 1985~87年、ロンドンの日本食レストランに勤めていた時、一度だけメンバーが揃ってきたことがある(たしか87年の春先)。

 ロジャー・テイラー、ブライアン・メイ、ジョン・ディーコンと来て、最後にフレディも来るのか?と思ってたら彼だけ来なかった。

 今思えば、当時、すでにAIDSとの闘病生活が始まっていたんですね。

 

 うーん、全然見る気なかったけど、映画観とこかと思い始めた。

 


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グローバル化時代の英雄、故郷に錦を飾る(はずだったけど)

 

 「私が倒産寸前だったあの会社を立て直したからこそ、日本で電気自動車や自動運転の技術が発展したのです」

 

 2016年8月5日、オリンピックの聖火を掲げて、リオデジャネイロのコパカバーナ海岸沿いを走るカルロス・ゴーン氏の脳裏には、人生第3幕のシナリオが渦巻いていた。

 そのオープニングを飾るのは、ブラジル大統領選の立候補演説。

 

 2022年までルノー・日産・三菱自動車のトップを務め、日産と三菱をルノー化して筆頭株主のフランス政府に恩を売って後ろ盾につければ、勝算は十分だ。

 

 レバノンで青春時代を送り、フランスでキャリアを積み、日本でついにトップの座、さらにKINGの座に着いた。

 誰もが彼をグローバル化社会の、経済産業分野の英雄と呼ぶ。

 その英雄が地球を一周して生まれ故郷の南米大陸に帰ってきた。

 そしてここが人生の終着点、集大成の地だ。

 

 「私が当選した暁には、必ずやこの国を世界の先進国と肩を並べる経済大国に育て上げます。この国の民衆にはそれができる。

 やっちゃえブラジル。Yes、We Can!」

 

 しかし残念ながらここまで書き上げたシナリオの草稿はもう使えないだろう。

 せっかくブラジルにもベイルートにも家を買ったのに。

 ベルサイユ宮殿で結婚式を挙げて箔も付けたのに。

 

 この問題はゴーン氏個人のストーリーにとどまらず、ルノー対日産、さらにはフランス政府対日本政府という、まさしくグローバルなストーリーに発展しそうだ。

 


Moher&Daugthter:フロリダ・プロジェクト&レディ・バード

 

 高田馬場の早稲田松竹に映画を観に行った。

 「フロリダ・プロジェクト」と「レディ・バード」の2本立て。

 この映画館はいつもテーマを設けて常に2本立てで上映している。

 今回は「Moher&Daugthter 大切な時間を過ごしたあの場所」というテーマだ。

  フロリダ・プロジェクトは息子のおススメ作品の一つ。

 最近の新しい映画や小説や漫画の情報は息子頼みだ。

 

 舞台はディズニーワールド付近の安モーテル地域。

 真っ青な空のもと、観光客をターゲットに、極彩色のフェイク感たっぷりのモーテルやギフトショップや飲食店が立ち並ぶ。

 そのモーテルの一つはシングルマザーらの住処になっていて、主人公の母娘もそこでひと夏を暮らしている。

 

 6歳の娘のワルガキぶり、その母親のBitchぶりがすごいパンチ力だ。

 

 見た目30出たとこのこのかあちゃんは、実はかあちゃんじゃなくて、15歳で妊娠・出産しちゃった娘の子を引き取ったのだという。

 つまりこの母娘は、ホントはばあちゃんと孫娘というわけだ。

 

 いわゆる底辺に生きる人たちを子供の目線から描いており、ちょっとファンタジックでコミカルな世界が広がる。

 その中でリアル感を発散しているのがモーテルの管理人のおじさん。

 このろくでもない母娘に手を焼きながらも、観ていて泣けるほど優しく暖かくてシブくてカッコいい。思いっきり感情移入してしまった。

 

 最後の方になんと本物のディズニーワールドが現れるのだが、このラストシーンはめちゃくちゃ斬新だ。

 

 

 「レディ・バード」はカリフォルニア州サクラメントの高校からニューヨークの大学に入学する女の子の青春&ファミリードラマ。

 

 サクラメントというのは行ったことないけど、この映画で見る限り、田舎町といえどもそこそこ豊かで、余計な夢や野望など抱かず、適当に周りと合わせていればぬくぬく暮らせるような街。

 日本でいえば、昔の名古屋みたいなところかなぁ。

 

 主人公の自称レディ・バードはそこから飛び立ちたいと願って母親と衝突するのだけど、これはこの子どもと母親・父親の両方の気持ちになれて面白かった。

 齢を取ると、こうした青春&ファミリードラマは二重に楽しめる。

 

 

 早稲田松竹は昔ながらの面影を残す、好きな映画館の一つだ。

 古い体質なのかも知れないけど、映画は基本的に家では見ないので、こうした街の名画座があるのはとてもありがたいし、がんばってほしい。

 


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外国人労働者とロボットと徒弟制度

 「

 もうすぐクリスマスだね」「あといくつねたらお正月だね」と言う人はいっぱいいるけど、「いよいよ勤労感謝の日ですね」という人はあまりいない。

 

 だからあえて言ってみよう。

 いよいよ勤労感謝の日ですね。

 勤労感謝の日と言えば、外国人労働者受け入れ問題ですね。

 

 日本の外国人労働者に対する扱いは、基本的にこの20~30年変わってない気がする。

 最近特に思うのは、グローバル化がどうこうより、これはロボットまでの「つなぎ」なのかな、ということだ。

 

 日本の産業界(他の国も同様かとは思うが)、つまり労働力を必要としている職場は、本当はロボットを求めている。

 ロボットなら優秀で効率よく働けるし、低コストで済むし、人権がどうの保険がこうのなんて面倒くさいことも言わない。

 ロボットならスムーズに仕事がはかどって、使う側はストレスが低減できる。

 

 ぶっちゃけ、外国人労働者はそれまでのつなぎみたいな意識なのではないか。

 欲しいのは「労働力」であって、人間ではないのだから。

 

 ついでに言うと「実習生」という言葉からは日本に根付いている「徒弟制度」のニュアンスがある。

 徒弟は仕事を教えてもらう立場にある「半人前」の人間なので、給料も半分でガマンすべき、掃除も雑用もすべて修行にコミコミだよ、というわけだ。

 

 日本人の多く――少なくとも、僕も含めて現在の40代以上のほとんどは、この長らく続いてきた考え方に洗脳されているので「おまえは半人前だから「給料も少ないよ」と言われたら容易に納得してしまうだろう。

 

 徒弟制度の在り方は日本の伝統文化の一つと言って過言ではない。

 基本的には職人や芸事の世界での習慣だったが、サラリーマン社会にも広く普及してきたと感じる。

 

 そういった習慣・文化は雇う側だけが守ってきたわけではない。

 同じ雇われる側も「なんで先輩でスキルアップしているオレと、新入りの何もできないあいつが同じ(あるいは大差ない)給料なんだ」とツッコミを入れる。

 そういうこともあって雇う側は素直に徒弟制度を受け入れてしまう。

 仕事がろくにできないやつにまともな給料は払えない。

 人権だの保険だのプライベートがどうのこうの言う奴なんかいらない。

 でも人出不足だから忙しい間だけ働いていけ―― それが雇う側のスタンスなのだ。 

 しかし、日本人でも若い連中はこれを「搾取」と呼んで拒否し始めている。

 徒弟制度は、いつか自分も一人前になって独立できるという夢と希望と、師匠である店とか人とか会社がそれを援助してくれるという温かい心の絆、信頼関係があってやっと成り立っていた。

 だから働く人たちは厳しい仕打ち、理不尽な扱いにも耐えられた。

 少なくともそれが「搾取」だとは露ほども思わなかった。

 ま、いわば宗教みたいなもので、信じる者は救われたのである。

 

 成長の時代をとうに過ぎて、そうした夢も希望も信頼関係も失われ、経済効率オンリー、ロボット求むのメンタリティになった現代にはもう通用しないのではないだろうか。日本の文化を理解できない外国人にはなおさらだ。

 

 ギリシャ時代、かの国では労働とは奴隷がすることで、人間の仕事と見なされていなかった。

 人間とは労働のために動かすことなく、政治や社会や芸術について考える人たちのことだった。

 日本を含め先進国の人間のメンタリティはだんだんそこに近づいているのではないかという気がする。

 


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「ぼく」という一人称の女が気にニャってる  

 

 10代から20代の前半くらい、自分のことを「ぼく」という女がチラホラいた。

 べつに性同一障害とか、そういうことではない。

 「変身願望」とか「ほんとは男の子になりたかった」とか、心理学的にいろいろありそうだが、少なくとも表面的には皆、その一人称以外はいたってフツーで、見た目も可愛く、頭脳も明晰そうだったと記憶している。

 

 「リボンの騎士」や「ベルサイユのばら」など、宝塚歌劇系の影響が強かったからだろうか?

 

 そういえばあの時代(1970~80年代初めごろ)、一人称に「ぼく」を用いて男の立ち場に立って歌う女性歌手が多かったと思う。

 

 代表的なのはイルカの「なごり雪」か。

 あれはもともとかぐや姫の伊勢正三の曲だけど、後にイルカの旦那になるプロデューサーが彼女に歌わせてくれと直談判したらしい。

 それがイルカのキャラクターとマッチして大ヒットし、後世に残る名曲となった。

 今年亡くなった森田童子の歌もほとんどが「ぼく」の一人称だった。

 

 あの頃の流行だったかもしれないけど、少なくとも歌の政界では今でもAKBなどのアイドルが「ボク」「キミ」っていう呼称を使っている。

 

 そこで気になってネットで調べてみたら、「ボクっ娘」とか「ボク少女」とかのカテゴリーがあるという。

 

 これはマンガ・アニメ・ゲーム等のサブカルチャーの世界で、女の子キャラクターがそれぞれの個性を立たせるためにそういう、通常は男が使う一人称を用いることがままあるようだ。

 

 あくまでイメージだけど、確かに萌えキャラで「ぼく」と言っている娘はたくさんいそうな気がする。

 

 歌にしてもサブカルにしてもバーチャルな世界でそういうキャラが重宝され、活躍するのはわかるけど、現実的にはどうなのか?

 

 やっぱり気になって現役若者の息子に「おまえの中高あたりの同級生の女の子で自分のことをボクっていう子いた?」と聞いたら、全然いなかったという返事。

 

 バーチャルで増殖している分、リアルでは絶滅危惧種になっているのか?

 どうでもいいことなんだけど、気になり始めるととことん気になって、仕事にニャラならなくなってしまったので一筆。

 


恐竜の唐揚げ

 

 映画「ジュラシックパーク」では人間が肉食恐竜のチラノサウルスやヴェロキラプトルに襲われ食われてしまうが、人間は日常的に恐竜を唐揚げや鍋物や焼き竜などにして食っている。

 そう、恐竜とはニワトリのことだ。

 

 近年はニワトリが恐竜の末裔だという説がメジャーとなり、実際にアメリカやチリの大学の研究者の間で「逆進化」の研究がされているらしい。

 

 これはニワトリを遺伝的に操作して、その遠い祖先の隔世遺伝的特徴を取り戻させて、恐竜に似た生物をつくり出そうとする研究で、すでにその気になれば実現できる段階まで来ているようだ。

 

 ちょっとにわかには信じがたい話だが、すでに最初の「ジュラシックパーク」が作られた頃からこの分野の研究は進められていたらしい。

 先日はのクローン犬ビジネスの話をしたが、遺伝子工学の進歩は、まさに「事実は小説より奇なり」の領域に達している。

 

 そういえばこの春、マイナビ農業の仕事で都内のある牧場に行ったとき、割とでかい雄鶏が放し飼いにされていて、そいつがしつこく嘴で攻撃を仕掛けてきた。

 ジーパンをはいていたので特にけがなどはしなかったが、半ズボンだったらふくらはぎのあたりをガシガシやられ血だらけになっていた可能性もある。

 

 後から思い返すと、前夜の夕食に鶏の唐揚げを食べていた。

 ぬぬ、もしや仲間の敵討ち?

 

 だったのかどうかはともかく、軍鶏みたいなケンカ屋じゃなくても、ニワトリのオスはなかなか凶暴で好戦的だ。

 そしてよく見ると、たしかに恐竜に似ている。

 脚がもう何倍か太かったらますます似ている。

 まさに「チキノザウルス」だ。

 

 僕を含め現代人は自分で鶏押さえつけてシメるという経験がないので、わりと怖い。

 あいつらが恐竜だと思うともっと怖い。

 もう怖くてチキンは食べられない。

 ――というのは大うそで、今日のお昼も恐竜の照り焼きを食べた。

 

 にしても何らかのインセンティブが働いて倫理的問題が氷解すれば、そう遠くない将来、チキノザウルスが歩き回るジュラシックパークが生まれるかもしれない。

 


1111のおんな

 

 来年の課題として「1111のおんな」という話を書こうと思った。

 今日誕生日の友だちがいて、彼女にメッセージを送る時にふいに思いついたのだ。

 ただの思いつきでタイトルは決めたが、中身は何も考えてない。

 11月11日生まれの女の話か、1111年の話なのか、二進法のコンピュータの話なのか、明日なき世界の話なのか、全然わからない。

 これから育てる。こういうのはけっこう好きである。

 

 ちなみにうちの下の妹は11月1日生まれで1101のおんな、カミさんは1月11日生まれで0111のおんなだ。

 何だか女スパイ団のコードナンバーみたいだ。

 

 21世紀になってから9・11だの、3・11だのがあって、何となく11は悪運の数字っぽいイメージになってしまったが、人間の歴史は西暦から数えても2000年。2000年×1年365日、365通り×∞のいいこと・悪いことがある。

 

 来年の今頃は「1111のおんな」がきっと完成しているだろう。

 ひとつ仕事ができた。

 希望もなく絶望もなく、毎日ちょっとずつやっていこう。

 


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クローン犬ビジネス

 

 数日前だが、テレビでクローン犬の話題を採り上げていた。

 亡くなった愛犬のクローンを作ってよみがえらす。

 韓国の企業ですでにそのビジネスが始まっているというニュースだ。

 資本主義社会ではビジネスという名のもとでなら何でも起こり得る。

 

 最近はAIやロボットが話題に上って、クローン技術については一般的にはあまり表立つことは少なかった。

 が、もちろん時代とともに確実に進歩している。

 

 愛犬家の人たちにとって、ペットロスによる精神的ダメージは深刻だ。

 そうしたニーズに応じるこのビジネスは現在のところ、1頭につき日本円で1000万円の値段がついている。

 この値段だとさすがにかなりのセレブでなくては利用できない(ニュースではドバイからの注文が多いと言っていた)。

 しかし、それだけのお金を払ってでも可能なら愛犬を蘇らせたいと言う人が世界には確実に一定数いるのだ。

 

 さて、ここまで読んであなたはどういう感想を抱いているだろう?

 ぶっちゃけ、僕はやっぱりひどい悍ましさ・禍々しさを感じた。

 

 そうした反応を予想して、その韓国の企業のスタッフは「今は反対する人が多いでしょう」と答えていた。

 何でも新しいものに人々は拒否反応を起こす。

 テレビだってゲームだってパソコンだって最初は歓迎されたわけではなかった。

 しかし、いざそのメリットを知り、社会に浸透しだすと、そうした抵抗感はあっけなく消えていく。

 そしてもはや生活に仕事に、なくてはならないものになっている。

 

 AI・ロボットもその例に漏れないだろう。

 クローンもまた然り――というわけで、スタッフさんは自信満々だ。

 

 クローン犬が広く認知され、人間の社会生活に無害であれば、そして技術がさらに進化すれば、おそらく10年後には今の1000万円が100万円くらいにコモデティ化するのではないだろうか。

 これなら庶民でも頑張れば手の届く範囲だろう。

 愛犬のためなら100万円くらいは借金してでも、財産の一部を売ってでも割とすぐに作れる。

 そうしたお客さんが増えれば、企業の方はビジネスを拡大できる。

 

 最大のネックはもちろん倫理的問題だ。

 人間の場合は、かけがえのない個人の複製を作れば、人間の尊厳を侵す行為として大論争になるが(でも実際にすでにクローン人間は存在しているらしい)、動物の場合はどうなのだろう?

 

 犬の尊厳、猫の尊厳、フェレットの尊厳などは、守られるべきものとして存在するのか?

 はたまたこれは動物を虐待する行為に当らないのか?

 

 これは当事者であるワンちゃんに訊いてみないとわからない。

 

 はなはだ不勉強でよく分からないが、こうしてビジネスとして始まっているということは、法的規制は今のところ、まだないということなのだろう。

 

 でも僕はやっぱりネガティブにしか捉えられない。

 しかし、わが子同然の愛犬を亡くした飼い主の立場に立つとどうなのだろうか?

 許されるのならもう一度の手に抱きたいという欲求を、そうたやすく否定できるだろうか?

 


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オバマとトランプと次世代

 

 アメリカの中間選挙。詳しいデータは読んでないが、テーラー・スゥイフトやハリウッド俳優の呼びかけも効いたのか、結構投票率は高かったのではないかと思う。

 結果は予想通り、上院・共和党、下院・民主党が、それぞれ多数派となった。

 

 民主党は女性や若者、マイノリティの議員が誕生して新鮮さを増したみたいだ。

 しかし、2年後の大統領選に出られるような人材がいないらしく、今回の応援ではオバマ元大統領の姿が目立った。

 

 彼が大統領になる前の選挙戦や就任当時の盛り上がりは今なお印象的だ。

 Change!

 Yes、We can.

 あのフレーズにしびれた人も多かった。

 だが逆に言うと、あれだけ期待され、ノーベル平和賞まで受けながら、8年間やったけど、たいしたことできなかった感が強い。

 オバマはただの傀儡だったのか? そうみんなが疑ってしまった。

 

 世界の覇者である(とあえて言ってみる)アメリカの偉大さを世界平和・軍縮・紛争解決といった面で発揮できなかったので、民衆の心がトランプの唱えるナショナリズムに傾いてしまった、と僕は思っているけど、ちょっと単純化しすぎか。

 

 2年後は民主党が盛り返すだろう。

 人材難かも知れないけど、トランプだって政治家としては素人なのにトップに立った。

 今の時代、若かろうが経験が浅かろうが、あんまり関係ない。

 フランスのマクロンみたいな例もあるし、世界の政治に舞台にはこれからどんどん若い人が上がって欲しいし、そうなってくると思う。

 

 さて、わが日本はどうなんだろうか?

 


20世紀の愛と平和のロックなんて忘れてしまってた

  

 1960年代から80年代のロックやフォークやポップスをいつも聴いているので、YouTubeさんがよく僕のMy Mixというのを提供してくれる。その中には普段聴かないコンテンツも混じっている。

 「あんた、こういうのも好きしょ」と、オーダーしてないものでもおススメを蔵出ししてくれるというわけだ。

 

 昨日は久しく聴いていなかったNenaの「99 Luftballons (ロックバルーンは99)」が出てきた。

 世界を席巻したドイツ発のドイツ語ソング。

 YouTubeが出してくれたのはいつのライブかわからないけど、Nenaが貫禄ついているので割と最近のものではないかと思う。

 

 めっちゃ明るいノリだけど、これはけっこう強烈な風刺を含んだ反戦歌だ。

 ご機嫌なリズムとポップなメロディはもちろんイカしてるが、99個の赤い風船を兵器と間違えて攻撃し戦争に発展してしまうという寓意に富んだ歌詞が素晴らしい。

 

 当時の核廃絶のムーブメントと相まったのか、1983年の世界的大ヒットとなった。、

 そしてそれから5年後にベルリンの壁が崩壊した。

 

 そういえば最近、ある本でデヴィッド・ボウイが1987年にベルリンの壁の前で野外ライブをやったという話を読んだ。

 スピーカーを東ベルリン側に向け、壁で分断された双方のオーディエンスに音楽を送り届けたという。

 まさしくボウイHeroesだった。合掌。

 

 1960年代、当時の若者の多くは音楽で世界が変えられると信じ、ミュージシャンたちはそれに応え、愛と平和について語り歌った。

 その精神は20世紀の間中ずっと生き続けて、東西冷戦の終結や核廃絶運動、難民の救済などにも何らかの影響を与えたと思う。

 だが、いつの間にか、たぶん21世紀の始まりとともに消えてなくなっていた。

 

 世の中そう甘くない。単純ではない。

 あれは幸せな時代の、能天気な連中の、つかの間のたわごとだったのか?

 音楽ビジネスのための偽善だったのか?

 みんな夢でしたと、あとはYou Tubeで音楽を楽しんでりゃそれでいいのか?

 

 ロックが骨抜きにされ、反戦も反核も何もなかったのように、次々とまた世界中で壁が作られ、核が作られる時代になってしまっていることに、今さらながら愕然とする。

 

 「おまえごときに何ができる?」と問われたらグウの音も出ない。

 それでもまだ生きているので、自分の宿題として抱えて、たとえちょっとずつの時間でも向き合いたいと思う。

 


世界の半分は本の中

 

  11月1日は本の日だそうな。

 「世界の半分は本の中にある」とか「世界の半分は本でできている」とか言ったのは誰だったか忘れてしまったけど、とても好きな言葉だ。

 インターネットもいいけど、やっぱり紙の本がいい。

 そして本屋や図書館がいい。

 ネット通販では欲しい本、ターゲットにしていた本しか手に入らないけど、本屋や図書館に行くと予定調和をぶち壊し、手に取ることなんかまったく考えてもいなかった本に出会えたりする。

 まるで思いがけない恋に落ち、ページをめくると、今いるところから別の世界へ連れて行かれる。

 なぜかデジタルデバイスの画面からはこういうイメージが起きにくいんだなぁ。

 はたして生きているうちにあと何冊の本と出会えるのだろう。

 


「お米の世界へようこそ!」は世界初・世界一のお米のバイブル

 

 原宿のお米屋さんで、五つ星お米マイスターの小池理雄(こいけただお)さんが本を出した。

 同じく五つ星お米マイスターで沖縄在住の渡久地奈々子(とぐちななこ)さんとの共著。

  詳しい経緯は知らないが、お二人はSNSでやりとりしているうちに意気投合し、本を作ろうということになったらしい。

 それぞれ日常的に情報発信しているので、文章を書くのもお手のものだ。

 

 一言で言ってしまうと、これは現代のお米のバイブルである。

 もったいぶって「現代の」と付けたけど、お米の種類から精米やブレンド技術、味の分析、お米の選び方・炊き方、農家さんの取り組み紹介、食育や稲作文化など、これほど広範囲にわたる関連情報をおにぎりみたいにギュギュっと一冊にまとめた本は以前はなかっただろうから、昔の時代も含めて日本初、と言っていいだろう。

 

 さらにこれほどお米という食品にこだわり、味や食感や栄養価など理系的に、また、歴史・文化など文系的にも、これほど広く深く研究を進めている国は日本をおいて他にないだろうから、日本初=世界初、日本一=世界一のお米のバイブルと言って差し支えない。

 

 実は僕はイベントや取材などで小池さんに何度かお世話になっているので、少しはヨイショが混じっているが、そんなものは米粒程度のもので、ヨイショ抜きでもこれがバイブルであることは疑いの余地がない。

 

 これほど充実した内容ならカラー写真をふんだんに搭載してドドン!とデラックスな装丁の高価な本にしてもよかったのに・・・と思うのだが、それをあえてコンパクトな新書版にし、値段も抑えてより多くの人たちにお米情報を普及したいという思いがあったようだ。

 

 そんなわけで台所でお料理しながらでも気軽に読めるようになっているので、ぜひとも手に取ってみてください。

 

 唯一惜しいのは共著ゆえ、お二人の個性がやや相殺されているかなと感じたこと。

 僕が知っている小池節は余り前に出ていない。

 しかし初めての本だし、まぁ、これはしかたない。

 

 それぞれ原宿・沖縄とユニークなホームグランドを持っているので、そうした地域性を活かした活動にも期待したい。

 

 ちなみに第7章で書かれている「原宿・表参道に田んぼが復活すると」という文章を読むと、何の違和感もなくあのあたりに夏の青田、秋の金色の実りの風景が浮んでくる。

 やはりかつては田園地帯だった(今でも商店街などに「隠田」という地名が残っている)ので、原宿という土地はそうした素質というか、雰囲気を持っているのだ。

 

 現代的なファッション、カルチャー、飲食店の立ち並ぶ表通りを一歩入ればそこに昔ながらの田んぼが広がっている――ぜんぜん自然ですよ、小池さん。

 かえって面白くて素敵で、ますます原宿人気が上がるんじゃにかなぁ。

 

 ――といった楽しい想像もできる本が出て、これをきっかけにお二人ともますますメディア露出が増えそうだ。

 お米文化の伝道師として今後もおおいに活躍しそうだね。

 


宝島社企業広告:樹木希林さん最後のメッセージの衝撃

昨日、朝日新聞と読売新聞に掲載された、樹木希林さんのインタビューをもとにした宝島社の企業広告に衝撃を受けた。これはすごい。面白い。

思わず自分は死ぬ時にこれだけのことが言えるかと思ってしまった。

死して残すこれだけの洒落というかユーモアというか・・・僕が祈らずとも御冥福は間違いない。

 


秋の招き猫日和

 

 秋晴れの日曜日。

 一日中家で仕事をやっているのもなんだなと思って、招き猫の豪徳寺へ。

 うちからのんびり自転車で30分程度なので、たまに気が向くと訪れます。

 だいぶ前ですが、テレビ番組のロケもやったことがあります。

 

 観音様のところには相変わらずいっぱいいます。

 その数大小合わせて1万を超えるとか。

 願いを成就させてくれたネコさん、どうもありがとうということで、みんながここに奉納していくのです。

 やっぱり何だか幸運を招いてくれそうです。

 

 そういえば昨年の大河ドラマは井伊直虎の話だったけど、このお寺は井伊家の墓があることでも有名です。

 

 江戸時代、鷹狩でこのあたりに来ていた井伊直孝が、このお寺にいた白い猫が手招きするのでこのお寺に入ったら、いきなり雷鳴轟き大雨が。

 

 ゲリラ豪雨から救われたと、猫にいたく感激した直孝はボロ寺だった豪徳寺を改修して井伊家の菩提寺に。

 

 最初からそこまでシナリオを練ってて直孝を招いたのであれば、なんとも賢くてしたたかであっぱれなネコ。

 まさしく廃寺寸前だった豪徳寺の救世主と言えるでしょう。

 

 立派なお寺に改修し、自分を救った猫を丁重に弔ったことが由来となって招き猫が作られたのだそうです。

 

 最寄駅の小田急線・豪徳寺駅および世田谷線・山下駅近辺の商店街では、31日のハロウィンには幸運を呼ぶ黒猫が跋扈するそうです

 

 今では全国から老若男女大勢のネコ好きを招きよせ、地域活性化に大貢献している立派なネコさんたちなのです。

 


永福町のジビエ料理

  

 灯台下暗し。

 近所の永福町北口商店街をゆっくり歩くと、いつの間にか新しいお店がいくつか出来ていた。

 

 その一つがジビエ料理のバー。

 小さなお店だが、イノシシ、シカ、ワニ、カンガルー、ダチョウなどの料理を食べさせてくれるという。

 

 試しにホームページを覗いてみたら、オープンしてもう1年以上経つ。

情報に疎いので全然知らんかった。

アップされている記事によると、あのでっかいダチョウの卵は白身の部分が多いそうで、オムレツが白く見える。

 

 じつは僕は上記動物の肉はダチョウを除いてどれも食べたことがある。

 で、正直、どれにもあまり良い印象は持っていない。

 その時の料理の問題かとも思うので、再チャレンジしてみたいが、何か強いインセンティブがないと行かないだろうなぁ。

 

 それにしても永福町にもどんどんユニークな店が増えてきて面白い。

 そのうちグルメの街と呼ばれるようになるかも。

 


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飛べよイーグル:ゴルフの勉強

 

 一度もゴルフをやったことないのにゴルフの本を書くことになった。

 なので本を読んで勉強している。

 そもそも専門用語がちゃんとわかってなかった。

 

 規定打数より少ない打数でホールインすることをイーグルとかバーディーという。

 

 これは遠く高く飛んでいくボールを鳥に見立てたのか。

 はたまたスピーディーにラウンドするゴルファーを鳥に見立てたのか。

 

 反対に規定打数より多く打数を重ねてしまうとボギー。

 こっちはダブルボギーとか、トリプルボギーとか。

 

 ボギーって何? ハンフリーボガードのこと?

 トレンチコートを着たカサブランカ・ダンディがゴルフやってるけど、全然入らなくてクールな男丸つぶれの場面を想像してたら、ボギーってもともと妖精の名前なんだって。

 妖精のいたずらで打数を多く叩かされちゃったということなのだろうか。

 

 イーグル、バーディー、ボギー、パー。

 なんだかサッカーやバスケの選手のニックネームみたいだ。

 あるいはフィギュアスケートやスノーボードの技の名前か。

 

 そんなどうでもいいことを考えながら、頭の中でグリーンの上をバーチャルツアーしてます。

 

 とりあえずどっかにパターゴルフでもやりに行こうかなぁ。

 

 


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創作と勝手にテーマ音楽

 

 新作ラジオドラマ脚本の初稿を書き上げた。

 自己満足度100%。「わーい!」って気分になっている。

 

 前作がコンペでファイナルまで残ったので、今回はぜひとも当選してほしい。

 まだ完成ではないが、とりあえず今年も連荘で参加できるという目途が立って一安心。

 とにかく作品を書いて参加しないことには話にならないので。

 

 創作に関してはいつも作品ごとにテーマ音楽を決める。

 言っても、べつにこれを使ってくれとかリクエストを書き込むわけじゃなく、自分がの頭の中で勝手に決めているだけ。

 

 でもテーマ曲があると不思議と全体の雰囲気がつかめ、リズムも出る。

 要は気持ちよく書けるのだ。

 

 選曲は頭の中の音楽ライブラリーから引っ張り出してくる。

 今回のはYesの「And You、And I」

 メンバーがシニア世代になってからのライブを見ると、間奏のあとの後半部分でベースのChris Squire (3年前に他界してしまった)がハーモニカを吹いている。

 それが原曲にない素晴らしい味付けになっていて、イメージの刺激剤となった。

 音楽の力はGreatだ。

 

 ちょっと休んで頭を冷やしてこれから1ヶ月かけてリライトする。

 じつはこれが肝心。

 結構余裕があるので、思い切ったリライトもできそうだ。

 


「万引き家族」:事実の裏にある人間の真実

 

是枝裕和監督の「万引き家族」。

 

「犯罪でしか繋がれなかった」というキャッチコピーは、深淵な社会派ドラマのようなイメージを抱かせられるが、とても楽に観られる、ユーモアと現代的な寓意にあふれた映画だ。

 

 子どもを誘拐したり、万引きさせたり、死んだ年寄りの死体を遺棄したり・・・といった話を聞くと、世の中にはろくでもないやつらがいるもんだと僕たちは思い、憤りを感じたり、子供が本当の親のもとに帰れるように願ったりもする。

 けれどもそうした報道は事実ではあるけど、真実だとは限らない。

 

 もちろん犯罪は悪だけど、その事実の裏にある人間の真実に光が当たることは、現実的にはほとんどない。

 

 どうして彼らはそんなことを犯してしまったのか。

 どうしてそんな生き方を選んでしまったのか。

 

 誰も顧みることのない、闇の中に封じ込められてしまったものに思いを巡らせ、想像力を広げ、こんな事情があったのではないかと物語にすることは、映画や小説などの重要な役割の一つだと思う。

 

 「万引き家族」はそうした映画ならではの役割に思い切りフォーカスした素晴らしい作品だ。

 

 父親役のリリー・フランキーは是枝監督から「最後まで成長しないでくのぼうのお父さんでいてください」と言われたそうだ。

 

 後半、疑似家族が壊滅し、それぞれの秘密が解き明かされるさま、そしてラストシーン、そのでくのぼうのお父さんがバスを追って走っていく姿と、二人の子供の表情には胸がえぐられる。

 

  カンヌのパルムドール受賞でどれくらい興業成績があったのかは知らないけど、小さな映画館は平日昼間でも満席で、諦めて帰る人も。

  是枝作品はもっともっと世の中に認知されて欲しいと思う。

 


ちょっとイカれたサブカルチャーの聖域シモキタ

 

 とくに用事があったわけではないけど、お天気が良かったので午後から自転車でぶらっと下北沢へ。

 到着すると駅の方から何やら聴きなれたフレーズが生音で響いてくる。

 お、これはCreamの「Sunshine Of Your Love」ではないか!

 

 出所は駅前広場(しもきたスクエア)。

 英国フェスでLiveと食い物の出店が10軒ほど。

 ライブは複数のバンドが60'S~80'Sのブリティシュロックのカバーをやっ

ている。

 Creamのカバーバンドは上手い! ギターは本家エリック・クラプトン並みだ。

 この広場は再開発予定地で、いずれ駅ビルが建つらしい。

 

 下北沢には東京に来た40年前からずっと通っていて、昔は芝居やライブを見たり、飲んだり食ったり古着を買ったりよくしていたが、ここ10年くらいはカミさんと年に1~2度買い物に来る程度。

 

 一人で来たのは久しぶりだったので2時間ばかりブラブラ歩いて一回りした。

 程よい高揚感と安心感、不思議な居心地の良さは40年前から変わっておらず、狭い道をうじゃうじゃ歩いている人たちを見るだけで面白い。

 

 昔の自分と同じ若い衆の人口密度も高いし、僕と同じ旧・若い衆も負けず劣らず多い。そこに外国人も混じってブレンド具合が絶妙だ。

 

 学生時代よく行った店が立ち退きで閉店になっていたりして寂しい部分もあったが、その代り表通りにも裏通りにも、ポップだったりパンクだったりシブかったりする新しい店もたくさんできてにぎやかだ。

  

 裏通りの「こはぜ珈琲」という小さなカフェに入った。

 コーヒー何と200円。もちろんセルフだが小さな店内にはジャズが流れて

いて、入り切らないお客は表のイスでコーヒーを飲んでいる。

 寒い人用にブランケットも用意されていて、とてもあったかい空気だ。

 トイレも狭いが飾りつけがお洒落で楽しく、シモキタっぽい。

 トイレが楽しい店は良い店だ。

 

 ブラつくだけで面白いシモキタ。

 やっぱりいい。用事がなくてもまた来よう。

 

 再開発されるとキレイでオシャレになる代わりに、漂白剤と脱臭剤をふりかけられ、クセもアクも匂いも消えてつまんない街になるパターンが多いけど、シモキタにはずーっと、ちょっとイカれたサブカルチャーの聖域であってほしい。

 


感動的でもなくイベント的でもない小さなこと

 

人生を変える体験というのは確かにある。

子供の頃や若い頃は、出会うこと・体験することの一つ一つが深く身体に食い込むほど感動的だったり、大きなイベントになる。

 

けれどもずっとそういうわけにはいかない。

あまり毎日がエキサイティングでは消耗し疲れてしまう。

そこでいつの間にやら心身ともども省エネモードになる。

 

子供の頃や若い頃と同様の体験をしても、身体も心は一種のシールドに覆われ、皮膚を突き破って入り込んでくることはない。

慣れっこになっているのだ。

良いことも悪いことも、こんなのどうってことない、大したことないと思える。

 

寂しいことだろうか?

そう思うときもある。

けど、これでいいのだとも思う。

大人になるとはそういうことなのかもしれない。

 

では大人になったら人生を変えるのは無理かというとそんなことはない。

その一つの方法は習慣を変えること。

日常の生活を変えること。

どんなに感動的な出来事があっても、すごいイベントに参加しても日常が変わらなければ何も変わらない。

 

日常を未来のために変えられるか、自分のための習慣を作れるかが、大人になってからの課題。

 

野球のイチローは言った。

小さなことを重ねることが、とんでもないところに行くただ一つの道。

 


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ぎっくり腰は「丹田でお米づくり」のイメージで予防

 

 10月も後半になり、朝晩かなり冷えるようになってきました。

 そのせいか、最近「ぎっくり腰になってしもーた」という声を実世界でもネット世界でもよく聞きます。

 

 かくいう僕も昨年二度ぎっくりに見舞われました。

 齢のせいだと言う人もいるが、あんまり齢は関係ないと思います。

 若くして腰痛持ちになる人もたくさん知っています。

 

 まぁ、命に係わる病ではないので、ちょっと笑いのネタになることもあるのだけど、その痛みと、もうホモサピエンスとして二足歩行できなくなるんじゃないかという精神的ショックは結構こたえます。

 

 現実的にも3日から1週間くらいはほとんどまともに活動できなくなんるので、仕事上のダメージも小さくありません。

 

 ぎっくり腰の重要な要因になるのが身体の冷えだそうだです。

 特に下半身が冷えると腰に来ます。

 だから予防策としては第一に体を冷やさない、しっかりあっためること。

 本格的に寒くなったら無理せず、カッコつけずににカイロなど使って腰回りをあっためたほうがいい。

 何ならその上から腰骨を紐やベルトでギュッと締めておくといい。

 

 さらに予防策としておススメは常に「丹田」を意識することです。

 丹田とはへそ下三寸(約10センチのあたり)の部分だが、特に丹田という名

の内臓があるわけではない。

 

 なんというか、その名の通り、おへそと性器とのちょうど真ん中あたりに自分の田んぼが広がっているイメージ。

 

 東洋医学の概念だけど、へたにネットで調べると、何やらスピリチュアルなボキャブラリーで書かれているものが多い。

 なので「あ、わたしダメ」という人もいるかもしれないが、お腹の中で小さい自分の分身が、せっせと田んぼでお米づくりをしているところを想像すればいいのです。

 

 これを意識していると自然と「丹田に力を入れる」ことになり、全身のバランスが安定し、腰によけいな負担が掛からないようになります。

 要は重心を常に下の方に置いて、浮き上がらないようにすること。

 重い物を持ち上げたり、何かを取ろうと身体を伸ばしたりする場合は、これを心がけて上半身と下半身を分裂させないようにしましょう。

 

 ぎっくり腰は、人間、まだまだ直立二足歩行の歴史が浅いので調子に乗りなさるなよ、という造物主からのメッセージなのかも知れません。

 


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牛を結ぶ 昨日と今日と明日を結ぶ

 

 農文協・農業所センターで、今年に限らず、近年コンスタントに売れている本としてはどんなものがありますか?と店長さんに聞いたら紹介してくれた。

 「牛の結び方」(酪農学園大学エクステンションセンター)。

 牛を結ぶって・・・・とタイトルだけ聞いたとき、頭の中で?マークがいくつも並んだが、何のことはない。ロープワークの話。

 うまくロープを結びつけないと牛が嫌がって暴れたり逃げ出したりしてしまうのだ。

 

 この本が売れる背景には、農業技術の世代間断絶があるという。

 

 戦後の工業化・経済成長の時代、当時の農家の多くは「農業なんて自分の代限り。子供は後を継ぐ必要なない」と考えており、技術をきちんと伝えてこなかった。

 

 息子世代(僕たちの世代)も学ぶ気はなく、いずれまた自分が帰農するとは夢にも思っていなかった。

 

 さりとて時代は巡る。

 

 企業戦士として働き、その役割を終えた、あるいはもう嫌になって脱兵した農家の息子たちが、家業だった農業をやるか――と思うようになった。

 けれども話を聞きたいときには親世代はもうおらず、一から技術を学ばなくてはならない。

 事情は結構切実だ。

 そんな人たちにこうした技術解説書は重宝されるというのだ。

 

 たかがロープの結び方なのだが、そこには代々受け継がれてきた人間の生業の歴史、深い知恵、動物との感情の交流などが秘められている。

 

 いったん解けてしまった伝承の綱を再び結びなおすのは難しい。

 こうした技術書・ノウハウの書は今後も需要が高いと思う。

 


農文協・農業書センター訪問: 農業⇔脳業の時代到来

 

 「2018年の売れ筋農業書は?」というお題を受けて、神保町にある農文協・農業書センターへ出向き、店長さんにインタビュー。

 お題の内容は12月1日UPのマイナビ農業の記事を記事をご覧いただくことにして――

 

 さすが農業専門の本屋さんだけあって品揃えが違う。

 一歩足を踏み入れると、そこは農業の宇宙。

 一般の書店では扱ってないような専門書や農業高校の教科書もずらりと取

り揃えている。

 ちなみに店長さんによれば新規就農する人の入門書として農業高校の教科

書は超おすすめだそうだ。

 

 さらに農業というものを広範な範囲――環境問題、生物、歴史、地学、社

会問題、政治の問題など――で捉えているので、たとえばユヴァル・ノア

・ハラリ(サピエンス全史では「農業革命」が人類史における超重要キーワ

ードだった)の新作「ホモデウス」など、一般書店でも見られる話題の本も

手に取れる。

 

 また、本を売るだけじゃなく、そんなに広いとは言えないスペースをふん

だんに活用してフォトギャラリー、加工食品の販売、そして食や農、生物な

どをテーマとしてセミナー・講演会・イベントも頻繁に開催。

 小さいものの、かなり電波の強力な情報発信基地となっている。

 

 以前は大手町のJAビルに入っていたが、2015年4月に神保町に移転して以来、客層が幅広くなり、農業関係の仕事や勉強をしている人でなくても、とても楽しめる店づくりをしている。

 

 ちょっとしたエピソードとして、つい先日、脳科学者の茂木健一郎さんが

来店したらしい。

 最近、茂木さんは農業にハマっており大量に本を購入していったという。

 

 店長さん曰く、一日中コンピューターと向き合って仕事している人、IT

の世界にどっぷり浸かっている人などは農業に関心を持ち、思い切りのめり

込んでいく傾向にあるとか。

 なんとなくわかる気がする。

 人間としての自分を見失わないようにしているのかも知れない。

 農業⇔脳業の時代が到来している。

 


カメラを止めるな!:つきぬけた笑いとスパイシー&スイートな人間ドラマ

 

 巷の評判を聞いてみたいなと思っていたけど、ちょうど近所の映画館(下高井戸シネマ)でやっていたので、遅ればせながら鑑賞。

 ゾンビ映画とそのバックステージの物語。

 確かにこれはめっちゃ面白い。

 むかし三谷幸喜がつくった「ラヂオの時間」をちょっと思い出した。

 

 とにかく面白けりゃいいってことで、エンターテインメントに徹しているけど、隠し味になっている人間ドラマがまたスパイシーかつスイートで感情を揺さぶる。

 

 映画や演劇、イベントなどに携わったことのある人(たぶん誰でも一度や二度は経験している)なら思わす笑ってしまう、と同時に心に沁み込むシーンが満載だ。

 

 特にメインの監督親子三人の、家族ドラマは好きだなぁ。

 今の家族って、うん、こんな感じ。

 

 ラストシーンはすごくバカバカしくてあさといんだけど、見終わった後はなんだかジーンとして、心がポカポカした。

 

 ストレス解消にもってこい。

 笑いとしみじみ感とドタバタ感と気持ち悪さ(ゾンビ映画なので)をいっぺんに味わえる貴重な一本。

 


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キノコ愛

 

 山中に自生しているキノコにはどこか神秘的な雰囲気がある。

 「かわいい」とか「すてき」とか「妖精みたい」とか言って偏愛している人も少なくないようだ。

 

 僕は生まれてこの方、一度もキノコ狩りには出かけたことがないのだが、子どもの頃にはよく「キノコ狩りごっこ」というのをやった。

 

 これは家の中でも公園などの屋外でもできる。

 友達とみんなでキノコ狩り(というバーチャル)に行くのだが、そこで生え

ているキノコを採って食べのだが、その中には毒キノコが混じっている。いわばくじ引きなのだが、それにあたると笑いが止まらなくなったり、狂ってしまったり、怪物に変身してしまったりするのだ。

 

 その当時のマンガとか映画とかテレビの影響が大きかったと思うが、子ども心にキノコは危険でサイケな魅力に満ちていた。

 そのくせ実際に食べるのは嫌いだったけど。

 

 また、若い頃はドラッグカルチャーの影響の一環で、バリ島(だったかな

?)のマジックマッシュルームでトリップすることに憧れた。

 これも今のところ実現させていない。

 

 長じてそんなオカルティック、ファンタジック、サイケデリックな雰囲気をまとっていたキノコは今やわが家の常食になった。

 何と言っても養殖技術が進歩したせいで、年中、低価格で安定供給されるのもポイント高い。

 シイタケ、シメジ、エノキ、マイタケ、エリンギ、マッシュルーム・・

いつの間にかどれも好物になり、最近はほとんど切らしたことはなく、干しシイタケをはじめ、冷蔵庫の中には必ずどれかのキノコが入っている。

 

 スープ、シチュー、カレー、炒めもの、煮物、汁物・・・どんな料理にも合うので構わずぶち込む。

 すると味も風味もぐんと豊かになる。

 

 栄養面のことはよくわからないが、健康にいいと言うことで、定期的にテレビで紹介されたりすると、スーパーの店頭から消え失せることがある。

 

 静岡の天竜川界隈で3度、採れたてのシイタケを戴いたことがあるが、マツタケなど及びもつかないその感動的なおいしさが今でも記憶に蘇る。

 大人の休日にはキノコ狩りに行くべきかも知れないなぁ・・・と近頃よく思う。

 


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ゴーストの正体と人間のストーリーテリング

 人間は誰でも生まれながらのストーリーテラーなので、自分の身体が感じたことについてあれこれ解釈し、お話を創り上げるという性癖を持っている。

 

 ちょっと前にアメリカの犯罪ドラマを見ていたら、心霊現象と超低周波との関係について解説するシーンがあった。

 

 幽霊が出るという噂の立つ食肉処理場にゴーストハンターとして潜入した若者たちが、そのゴーストらしきものの祟りで殺される――という事件が起きる。

 それを科学捜査班が解明し、真犯人を突き止めるという話だ。

 

 その食肉処理場はその昔、悍ましい殺人事件が起こった場所であるため、そうした噂が立ったのだが、そこに入った誰もが何か霊のようなものを感じるという。

 その原因は何かと調べていくと、そこでは人間の耳にはほとんど聞こえない超低周波がある機械から発生していた・・・という形で話が展開していく。

 

 現実の世界でも「心霊現象の正体は超低周波」という有力な説があって、いろいろな実験がなされ、科学的に証明されているらしい。

 この超低周波を体が察知すると人間は悪寒、恐怖、強い不安感などにかられるというのだ。

 

 地震とか火山の噴火といった自然災害の前触れ、あるいは暗闇の森の中に潜む野獣の唸り声などがそうした超低周波となって伝わってくるというから、おそらく人間の遺伝子の中に、不幸を引き起こす「よくないサイン」として刷り込まれているのだろう。

 

 狩猟採集で生活していた太古の時代、人間のそうした野生の勘というか、センサーのようなものはすごく発達していたらしい。

 現代人の多く、特に都市生活者はそうした機能を9割以上失ってしまっているが、まだその残骸程度のものは残っているのだ。

 

 で、僕が面白いなと思うのは、体が感じたそうした悪寒、恐怖、強い不安感といったものを脳が「これはなんだ?」と解明し、意味づけしたがることだ。

 

 これはもしやこの空間に幽霊が存在しているからではないか?

 そうだ、私はそれを感じ取っている。これは霊感だ!――

 というふうに自分の趣向に合わせて解釈し、意味を見出し、ストーリーを組み立てる。

 

 それがさらに発展してスピリチュアルな物語となっていき、私も私もとたくさんのエピソードが集まり、世の中にさまざまな都市伝説が伝搬していくことになる。

 

 僕はそうだったのか、納得した、これで疑問解決!と思った。

 

 だけどこれも「心霊現象の正体は超低周波なのだ」という科学的っぽいストーリーを誰かの脳が創り上げて唱え出したら時、そうだそうだ納得・解決と同調する意見がたくさん集まり、あたかも正論のように世に蔓延ったというだけなのかも知れない。

 

 ハロウィンのお祭り騒ぎの中から立ち現われたゴーストハンターたちが

 「本当にゴーストは私たちの周りにいるんですよ。

 あなたたちはそれを超低周波のせいだと理屈をこじつけて、真実から目を背けようとしているだけ。

目に見えるものしか信じられず、神秘を否定するオロカモノですよ」

 

 なんていわれちゃったら、たぶんブレまくるだろう。

 科学でことを納めるのか、神秘の世界へ入り込むのか?

 どっちを取るからは自分次第、そしてまた、あなた次第です。

 


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高齢者を書くということについて

  

 最近、高齢者・老人のイメージ・概念そのものが本当に大きく変わって

しまった。

 若い世代との交流の仕方もすっかり変わったという印象がある。

 本格的にエイジレスの時代が始まっている。

 

 なので脚本を書いていて、70代とか80代の高齢者を登場させるとセリフ

の書き方に戸惑う。

 もうかつてのように「わしは・・・じゃ」なんて感じでは書けない。

 サザエさんの波平さんや、ちびまる子ちゃんの友蔵さんみたいなのは

現代では通用しない。

 

 かなりマンガっぽいキャラ(白髭の○○博士とか○○師匠とか)ならそれ

でもOKなんだろうけど、ある程度リアル感を追求すると、ぱっと読んだ

だけでは年齢が分からないセリフになってしまう。

 いわばじいちゃんぽく・ばあちゃんっぽくならない。

 

 かつては頑固じじい、性悪ばばあなどもいたけど。基本的にお年寄りと

言えば、人畜無害で善良な市民か、よぼよぼの老いぼれか、師範や大先生

といった人生を極めた人、博士のように専門を極めた人が大半だった。

 

 でも今の高齢者と言えば、時代の変化に翻弄されて迷い、戸惑い、生き

ることにも死ぬことにも怯えながら、それでも自分の人生を肯定したくて

頑張っている人たち――それが全体的なイメージだ。

 

 どんな生き方をしてきたのか、現在どんな状況にあるのか(健康なのかそ

うでないのか、仕事をしているのかしていないのか、家族はいるのかいな

いのか、どこに住んで何を食っているのか・・・)、で、人のセリフは違っ

たものになってくる。

 高齢者を書こうとすると、それがいっそう顕著になるので、バックスト

ーリーを相当作り込まないとまったく書けない。

 

 今は穏やかに静かに暮らしているじいちゃんでも、かつてはゴロツキど

もを震え上がらせた任侠ヤクザだったかも知れない。

 

 今はケチなごうつくなばあちゃんでも、かつては男どもをイチコロにし

た女神さまだったのかも知れない。

 

 一口にじいちゃん・ばあちゃんと言っても、また、たとえそれが架空の

人物でも、それなりの歴史・それなりの世界を持った人間にしっかり向き

合い、人間像を構築していくのはなかなか骨が折れる仕事だ

 ま、それもこれも当たり前の話なんだけど。

 

 


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北さんのお葬式

 

 和泉親児の会の椎木さん(第5代会長)から北さんの訃報メールを受けて昨日、お葬式に行った。

 

 亡くなったのは7日の早朝だったそうだ。

 

 北さんは息子が卒業した小学校の図書室で司書をやっていた方である。

 司書という職業の一般的なイメージは、静かで知的な人という感じだろうか。

 彼女はそこから逸脱していて、とても明るく剽軽な一面も持ち合わせた楽しい女性だった。

 

 学校の図書館は学習の場であるとともに、ちょっと気持ちが凹んだ子や、学校生活がうまくいかない子のホッとできる居場所、癒しの場所でもある。

 北さんの明るさ・楽しさはそんな子どもたちにとって有りがたいものだったのろうと想像する。

 彼女に甘えていた子供たちも結構いたようだ。

 

 かの和泉小学校の司書だったのは2011年度から14年度までだったと思うが、その間、彼女の企画で朝の読み聞かせ会をやっていた。

 和泉親児の会がそれに協力し、僕はそのメンバーの一人として、卒業した息子の使い古しの青いランドセルを担いで月に数回、学校に通った。

 

 また、教会の子供向けクリスマス会のアレンジャーもやっていて、余興をやってくれないかと頼まれ、椎木さんたちと組んでサンタとトナカイのコントみたいなことを3回にわたってやった。

 いつも時間がなくて、やっつけ・間に合わせの出し物だったが、そこそこ喜んでもらっていたようである。

 

 北さんはクリスチャンだったので、お葬式はその教会でやった。

 うちから歩いて10分と掛からない、住宅街の小さなプロテスタントの教会だ。

 ご自宅はやや離れたところ(たしか中野区)だったので、和泉小学校に通っていたころに特にその和泉教会と親しくなったのかもしれない。

 

 教会といえども周囲の家と変わらない大きさで、アットホームなところだったので、ほとんど自宅葬のような感じだった。

 おそらく100人以上の人が集まり、入り切らなくて庭先にまで人が溢れ出していた。

 

 和泉小から去る頃、背中が痛いと訴えていた。

 胸腺がんというあまり症例のないがんだったそうだ。

 一時、回復してFBも積極的にやっていたのだが、2年半くらい前に途絶えていた。

 

 3年ほど闘病したが、9月になって死期を悟ったようで、教会を訪れ、相談して遺影や花の飾りつけなど、自分のお葬式をこうしてほしいと頼んでいたそうだ。

 

 「わたしの歴史」と題する自分史も書いていて、式の中で10分ほどの間、牧師さんがそれを読み上げた。

 

 離婚を経験するなど、いろいろつらい時期もあったようだが、彼女らしい人生を送ったのだろうと思う。

 ほんのわずかな期間、わずかな関係だったが、僕たちもその歴史の一部だったのだなと思った。

 

 誰でも誰かの人生の一部分になっている。

 たとえ引きこもっていても、ずっと孤独で過ごしていたとしても、ずいぶん齢を取り、もうみんなに忘れられてしまっただろうと思っていても、誰もが誰かの歴史の一部になっているのだ。

 

 弔辞を述べた人のひとりは教会のスタッフで、かなりご高齢の婦人だったが、「北さん、お友達になってくれてありがとう」と、まるで童女のように言ったのがとても胸に響いた。

 

 北さんは僕より一つ年下だった。

 自分と同世代、あるいは自分より若い人とのお別れはひとしお切ない。

 


お化けは子どもの大事な友だち

 

 世田谷・羽根木公園の雑居松まつりへ。

 息子がチビの頃、1年ほどここのプレーパークの自主ようちえんsでお世話になっていました。

 

 雑居まつりは毎年この時期に行われており、世田谷区の社会福祉団体やボランティア団体が出店するフリーマーケット。

 衣料とか生活雑貨がめっちゃ安く売られています。

 昔は子供服目当てで毎年通っており、しばらく足が遠のいていましたが、ここ4~5年また覗きに出かけています。

 けど最近、この開催日は毎年雨が降るか、ピーカンでとんでもなく暑くなるか、どっちかなんだよね。

 今年も後者でバテました。

 

 公園の中央にはステージも設けられ、バンドの演奏をはじめ(今日は久しぶりにS&Gの「明日にかける橋」を聴いた)、いろいろな催しが行われていますが、その横でこれも恒例の、プレーパークの子どもたちが創るマスコットがデデン!と登場。

 

 今年はろくろっ首と妖怪電車(バスかな?)。

 一足早いハロウィンか?

 妖怪ブームがあった記憶はないけど、プレーパークの子どもたちにとってのマイブームだったのでしょう。

 お化けはいつでも子どもの大事な友だちなのです。

 


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森田童子の思い出:1970年代ぼくたちの子守唄

 

★訃報

 

 YouTubeで1960~80年代前半の音楽を聴いていると時々特定のミュージシャンの音源や映像が激増している現象に出くわす。

 で、よく見るとそのミュージシャンなり、そのバンドのメンバーなりが亡くなっていたことを知る。

 

 先月下旬もそれがあった。

 

 年に1度くらいの割合で発作的に聴きたくなる声がある。

 森田童子の声。

 検索したところ、6月に「いったい今までどこに眠っていたんだ?」と思える貴重な音源・映像が次々にUPされていた。

 もしやと思って添えられたコメントを読んで今年4月24日に亡くなっていたことを知った。

 世間に公表されたのはJASRACの会報で6月11日となっている。

 

 ぜんぜん知らなかった。

 死因は心不全。享年65歳。

 最近の基準に照らし合わせれば、早すぎるのかも知れないが、森田童子という虚像はすでに1983年――35年も前に消えていた。

 

 それなのに人々の心の中で強烈な存在感を放ち、生き続けていた。

 

★1978年

 

 僕が彼女の歌を初めて聴いたのは、東京に出てきて1年目の1978年のことだった。

 当時、演劇学校に通っていて明大前のアパートで友達と二人で暮らしていた。

 そこは双方の関係からいろんな連中が集まる溜まり場になっており、そのうちの一人がレコードを持ってきた。

 

 森田童子の名前と写真は知っていた。

 大きなサングラスとカーリーヘアの風貌から、てっきりブルースシンガーだと思っていた。それも男の。

 

 レコードは「マザースカイ」。

 A面1曲目「ぼくたちの失敗」。

 短いピアノのイントロに続いて聴こえてきたのは、ブルースシンガーの焼けた声でなく、甘く透き通った少女のような声だった。

 

 心臓を直撃された。

 

 その後40年、いろんな音楽を聴いたけど、これほど素朴で美しいメロディラインを持った楽曲は他にほとんど思い浮かばない。

 

 グッドバイ(75年)、マザースカイ(76年)、A BOY(77年)、東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤(78年)、そしてラストワルツ(80年)。

 

 遅れてきた僕がこれらのレコードをよく聴いていたのは3年ほどの間だった。

 今でも曲を聴くと、この頃の友達の顔や声、生活の断片、街の風景が妙にくっきりとした輪郭でよみがえる。

 毒が経験したのは最後の方だけだったが、森田童子の歌は1970年代という時代の象徴でもあった。

 

 

★1980年/1983年

 

 1970年代後半、森田童子はライブハウスで最も観客を集めるシンガーソングライターの一人だった。

 まさしくあの時代の空気を体現できるミュージシャンだった。

 

 僕は結局ライブハウスには行かなかったが、テント公演を体験した。

 

 80年11月、池袋の東口・三越裏の空地に黒テントを張って行われた「夜行」と題されたコンサート。

 森田童子を生で見たのはそれ一度きりだ。

 激しくギターを掻き鳴らす「春爛漫」で、漆黒のテントの中に桜吹雪が夥しく舞っていたのを思い出す。

 

 YouTubeに当時のドキュメンタリー映像(テレビ東京の番組だったらしい)が上がっていて、その中で彼女は語っている。

 

 「あと何年か後には東京でテントを建てるということは不可能になるでしょう。私たちのコンサートが不可能になっていく様を見てほしいと思います。そして、私たちの歌が消えていく様を見てほしいと思います・・・(中略)一つの終わりの時代へ向けて、私たちの最後の切ない夢を見てほしいと思います」

 

 80年代に入り、もう自分の歌が求められない時代になっていく。遠からず自分はこの世界(音楽シーン)から消え去るのだ、ということを予感していたのかも知れない。

 

 世間には明るく華やかなダンスミュージックが溢れ始めていた。

 孤独や悲しみ、絶望や死を歌う童子の歌を聴く人はどんどん減っていった。

 僕もその頃はもうほとんど聴かなくなっていた。

 「もう森田童子なんて聴かないよ」と誰かに言った覚えもある。

 それなのに、グッドバイとマザースカイの2枚のアナログレコードはいまだに手元にある。

 

 そんな中、1983年、新宿ロフトのライブを最後に森田童子は静かにギターを置いた。

 それを気に留めた人さえ、そんなにいなかったと思う。

 特に引退宣言なども残すこともなく、ひっそりと音楽の世界から身を引き、「みんな夢でありました」と普通の人の生活を送るようになった。 そこで森田童子は死んだのだ。

 

 

★1993年

 

 ところがそれから10年後、彼女は再び脚光を浴びた。

 バブル景気、ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代で浮き上がっていた人々が地上に足を下ろし、内省し始めた1993年、あの「ぼくたちの失敗」がテレビドラマ「高校教師」の主題歌に使われたのだ。

 ドラマを見た人たちが「あの歌手は誰だ?」ということで森田童子を再発見した。

 

 その当時、僕はドラマのイメージが貼り付いてしまうことをとても苦々しく感じていた。

 けれどもいま振り返れば、あの美しいメロディと彼女の声がより大勢の人の耳に届き、心に宿ったのは喜ぶべきことだと思う。

 

 「ぼくたちの失敗」が大ヒットになり森田童子にスポットライトが当っても、そこには誰もおらず、空っぽのままだった。

 

 現実の彼女は30歳で森田童子を辞めた後、結婚し、都内で主婦として暮らしてたようだ。

 一度、あるルポライターが居所を探り当て、取材を申し込んだことがあるが頑なに拒否されたと言う。

 

 その後、インターネットが発達しても、とうとう彼女の素顔も本名も公になることはなかった。

 これほどの知名度の人間がここまでプライバシーを守り続けられたのは奇跡的なことだ。

 

★病気

 

 「出たくないと」いう強い意志に加えて、僕は体調や精神状態があまり良くなかったのではないかと推測する。

 10代の頃、大きな病気を患っていたというから、それがずっと残っていたのではないだろうか。

 もし健康だったら、本人がいくら拒んでも周囲が何とか説得しようとあらゆる手段を講じて動くだろう。

 少なくとも取材の一つ、二つは受けさせただろうと思う。

 

 死因も心不全とのことだが、どこかでその病気が関係していたのではないだろうか。

 

 あるインタビューで、病気のせいでまともな生活が送れず、高校を中退してブラブラしている時に音楽を始めた」といったことを話していたが、そのブラブラの中身は苦しい闘病生活だったのかも知れない。

 

 そして死線を彷徨った経験と、学生運動をしていた友達との付き合いが曲作り、音楽活動に結びついた。

 

★子守唄

 

 森田童子の歌は一般に「暗い」と揶揄されることが多かった。

 けれども深刻度はさておき、孤独感や、悲しい・寂しいという感情を味わわない人間はいない。

 彼女の独特の「ゆらぎ」を持った声はそこに感応し癒しを与える。

 元気で明るい歌が心の傷を癒し、元気に、明るくしてくれるとは限らない。

 

 また、僕たちはいつもどこかで死に怯えながら暮らしている。

 いつか必ず訪れる自分の死、愛する人の死、大切な人の死――

 光の届かない奥底の暗闇に、僕たちの心の中の小さな子供はぶるぶる震えている。

 童子の歌はその子を優しく慰めてくれる母の子守唄だ。

 あの少女のような甘く透き通った声は、母の声でもあるのだ。

 

 時々発作的に聴きたくなるのはそのせいなのかもしれない。

 

★夜想と狼少年

 

 実は最後の2枚のアルバム「夜想」と「狼少年 WolfBoy」はかつては一度も聴いたことがなくてYou Tubeで初めて聴いた。

 時代に合わせようと彼女が(というよりスタッフが)苦労しているのが見て取れる。

 

 サウンド的にプログレっぽくしたり、テクノポップみたいな味を加えたり、ワルツのリズムを採り入れてダンスミュージックに近づけようとさえしている。

 

 歌の語り口の定型だった「ぼく、きみ」を辞めて「わたし、あなた」にした曲もあり、それまで隠されていた女の部分が見えてドキッとする瞬間もある。

 

 いま聴いてみて僕はけっこう好きになったが、「グッドバイ」や「マザースカイ」の童子節を愛するファンにとってはどうしても違和感を感じる作品だろう。

 彼女自身も違和感を覚え、納得できない部分が多くあったのではないだろうか。

 そして、ここまでして音楽の世界で生き残るつもりはない、と去ることを決意したのだろうと想像する。

 

★普遍

 

 訃報に出会って以来この10日ほど、夜な夜な彼女に関する音源、映像、ネット上の記事をあちこち見ていた。

 その中に5年ほど前に投稿されたものだが、12歳の女の子が「ぼくたちの失敗」を歌っている動画があった。

 

 おそらく自宅のリビングだろう、暖かい陽の当たる部屋で自分でギターを弾きながら、あどけない声で明るく軽やかに歌っている。

 過去の思い出を愛おしみながら別れを告げ、笑って旅立とうとしている少年少女の情景が浮ぶようだ。

 

 童子の歌がこんなふうに響いてくるなんて不思議で新鮮で、ちょっと感動した。

 

 森田童子という歌手の存在は1970年代の構成要素であり、あの時代の空気を知る者が共有できる世界であり、それ以外の聴き方は難しいのではないか。ずっと思っていた。

 が、どうもそうではない。

 

 彼女の孤独、悲しみ、寂しさ、絶望、死をテーマとした歌の数々は、その多くがかなり普遍的なものであり、貴重なものであり、むしろこれから大事にされていくのではないかと思うようになった。

 

 ぼくたちの時代の子守唄は未来へも繋がる。

 

 最後に、森田童子さんのご冥福をお祈りします。

 そして最期まで秘密にした素顔と本名、プライバシーが今後もけっして暴かれることのないよう祈るばかりです。

 


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金木犀からの贈り物

 

 人間や動物の体臭は温度・湿度が上がると匂いが強まる(基本的に悪臭)が、植物のそれはどうも違う。

 ついこの間まであまり匂わなかった近所の金木犀が今日は急によく匂うようになったと感じる。

 花の咲き具合はそんなに変わっていないようなので、これは温度・湿度・風向き・日射などの条件のせいか。一日のうちの時間も関係しているのかも知れないなぁ。

 

 でも、もしかしたら一番影響が大きいのは自分の体調や気分かも。

 一昨日、FBでいつも読んでくださる音楽家の方の金木犀とご自分の音楽家精神にに関する一文を読んで、それが心に残っていた。

 どうもそのせいで金木犀の香りを嗅ごうと無意識に考えていたようだ。

 あるいは金木犀のほうがそうした気持ちを察知してより強く香りを発したとか。動物や昆虫もそういうことをするのだから植物だってするはずだ。

 

 チョウやハチみたいに受粉に協力できなくて申し訳ないけど、まだしばらくの間、楽しませてくれると嬉しい。

 


人面犬大増殖

 

 戌年も残り少なくなってきたけど、最近、散歩などでイヌに会うと、どうも自分は今、四足で歩いてるけど、大人になったら飼い主みたいに二本足で歩く人間になる――そう思っているやつが増殖している気がする。

 

 僕はちゃんとけじめをつけなきゃならんと思い、心の中で「きみはイヌ。いつまでたっても四足。ずっと子ども。死ぬまで人間にはなれないの」と叫ぶが、夢を壊すのもなんだなぁと思ってやめてしまう。

 そんなことをいきなり言ったら、イヌより先に飼い主に噛みつかれそうだ。

 

 ただし彼らは姿かたちはイヌのままなれど、顔つきだけは人間そっくり。ドッグフードのコマーシャルに出演しているイヌなんてほとんど人面犬だ。

 

 心が通じ合うと顔が似る。本当にそうなんだなぁと思う。

 でも、かわいいのはわかるけど、飼い主さんはあんまり過保護にしないで「きみはイヌ、わたしは人間。人間には逆らっちゃダメ」ってちゃんと教えたほうがいいと思うなぁ。

 


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幻想やストーリーでおいしくなる日本食

 

★寿司職人いまむかし

 

 だいぶ前にホリエモンが「寿司職人が何年も修行するのはアホ」とSNS上で発言したことがあった。

 長大な時間を修行に費やす職人の世界の常識に大胆なメスを入れ、現代の若者はそんな旧弊に従って貴重な時間を無駄使いするべきでないという趣旨の意見だったが、当然のことながら大炎上した。

 

 僕も若い頃、これと通底する話を聞いたことがある。

 勤めていたロンドンの日本食レストランには寿司もメニューにあり、職人さんがカウンターで寿司を握っていた。

 ブームだったこともあり寿司をやってみたいと言う若い外国人(日本人以外という意)も訪ねてきたが、店はけっして門戸を開かなかった。

 「白人でも黒人でもアジア人でも、外国人が寿司を握るなんておかしい。ああいう人たちの手で出されたら食べる気しないでしょ。日本人が握るからおいしいんだよ」というのが店だか会社だかの論理だった。

 

 同じことは女性にも適用された。

 「寿司っていうのは繊細なものでね、ちょっとした指の熱の違いで魚の味が悪くなるんだよ。女は体温が高いからダメなんだ」という話をまことしやかに語って聞かせる人もいた。

 

 確かにその頃(30年以上前)は女の寿司職人も外国人の寿司職人も見たことなかったので「そうか、そういうことなんだ」と思った。

 

 現代ではもちろん「そんなもん」はまかり通らない。

 6月にロンドンに行ったときは、駅の構内をはじめ、街中のあちこちに「SUSHI SHOP」が溢れていてびっくりした。

 

 今やロンドンで寿司はサンドイッチやハンバーガーと同じファーストフード。しかもおいしくヘルシーだというので、他のものより高くても飛ぶように売れる。

 そこで働いているのは日本人以外の人たちであり、男女の区別もない。もちろん彼ら・彼女らがその場で握っているわけではないけど、そんな環境の中で「寿司職人は日本人の男でなきゃ」というかつての確固とした常識は微塵も感じられない。

 

★幻想・ストーリーは大いなる調味料

 

 日本国内でも冒頭のホリエモン発言を裏付けるかのように、専門学校で3か月ほど勉強しただけの職人さんが店を開き、1年たたないうちにミシュラン認定の一流店に選ばれた。

 「師匠のもとで10年修行しなくては一人前になれない」という常識は、情報伝達手段が限られていた時代の幻想だったことが判明した。

 

 僕もホリエモンの合理性に基づいた意見は正しいし、若者を閉じられた世界の旧弊から解放することは必要だと思う。

 しかし一方でそうした幻想なりストーリーなりが日本の食文化を育ててきたし、これからも育てていくのではないかとも思う。

 

 寿司に限らず、日本食は実際に説明できることだけでなく、何割か――もしかしたら半分近くは、作る側・食べる側、双方で共有する幻想・ストーリーに負っている。

 つまりその食材やら調理法やら調理者の経歴・人柄、あるいは人間関係などの情報が「調味料」となっているのである。

 

 食材や調理法について数多くの情報がオープンされている現代では、前もってその店や職人に関する知識がなければ、名店の職人の寿司も、無名の見習い職人の寿司が握る寿司も、味にそう変わりないのではないだろうか。

 

 そこに経済が絡むのなら、こっちの方が高いからこっちがおいしいとか(僕もこれだけお金を払ったのだから、おいしくないはずがないと思い込んで食べることがある)、逆に味が変わらなければ安い方がおいしく感じるといいったこともあるだろう。

 

 食について評価する人だって、そうした情報が重要だ。

 ただ「おいしい」というだけでは話にならないから、どうしてそう感じるのかを裏付けるための情報を得て理屈をひねり出さなくてはいけない。

 

 貧しさから脱するために子供の頃から丁稚奉公し、師匠や先輩に怒鳴られたり、時には殴られたりしながらも歯を食いしばって修行にはげみ技術を習得した――といったストーリーが作る人にあれば、その物語がこの一皿に凝縮されている、といった感じで美しく評論できる。

 

 外国の場合はどうか知らない。中国・フランス・イタリアなど、世界に冠たる食大国にはきっとそうした部分があると思う。

 でも日本ほどではない、たぶん。日本人とは食についてそうしたストーリー・幻想を求める人たちなのだ。

 

★脳で食を楽しむ以上、幻想はエネルギー

 

 そういえば以前、都内のある有名料理店の料理長に取材したときに印象深い話を聞いた。

 

 当時60代で、東北の田舎で育った彼は子供の頃、母がかまどを使って日々の食事を作ってくれたという思い出話を語ったあと、

 「僕たち料理人の料理は、いわば芸人の芸みたいなもの。みんな芸に拍手してお金を払ってくれる。でも本当の料理という点では母にはかなわない。一生修行しても追いつけない」

 

 これは功成り名を遂げ気持ちに余裕のできた人特有の感傷だな、と僕は思った。

 彼の語る話を幻想だと言って嗤うのは簡単だ。

 しかし食欲という原初的な欲望を、食という生きていくのに不可欠な営みを、文化の領域まで昇華させるということは結局こういうことではないか。

 人間が舌だけでなく脳で食を楽しむ生き物である以上、幻想はエネルギーになるのだ。

 


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なんで肉じゃがはお母さん食堂のメニューにないのか?についての探索と考察:あやうしおふくろの味編

 

 ファミマのサイトには「お母さん食堂」におふくろの味の定番・肉じゃがが載ってない。

 動揺した僕は別に肉じゃがのファンでもなく、急に食べたくなったわけでもないのに、どうしても気になって近所のファミマの実店舗に行ってみた。

 

 入口には母ちゃん姿の香取信吾。

 しんごママが流行っていたのはもうずいぶん昔の話。SMAPの絶頂期だったが、彼の残した実績は生き続け、今回見事こうした形で復活した。割烹着がまたよく似合っててすごくいい。

 

 中に入るとキャンペーン中だけあって売り場も目立つ。ファミマの力の入れようが伝わってくる。

 

 しかし、その棚を上から順番に見て行って、チーズインハンバーグやらビーフカレーやらサバの味噌煮やらボルシチやら筑前煮やら里芋の煮物やらポテトサラダやらきんぴらごぼうやら・・・実にいろいろ揃っているのにない。

 肉じゃがはやっぱりない。

 

 諦めきれずに向かいの棚でパンの品出しをしていた店員のおねーさん、というか香取信吾より齢いってるお母さん風情の女性に尋ねてみる。

 

 「あの~、お母さん食堂に肉じゃがないんですか?」

 「肉じゃが?どれどれ・・・ああほんとだ、いま品切れしてるみたいですね」

 「え? ということはたまたま現在売り切れてるだけで普段はあるってこと?」

 「ええ、すみません。夕方また品物が来ますから」

 「ちょっと待って。それ本当?サイトには載ってなかったんだけど」

 「へ? いや記憶にあるよ。確かあったと思ったんだけどなー。

 あ、あれはセブンイレブンだったっけかな?」

 

 と、ライバル店の名前をボロッと出して、かなりあやふやな返事。

 

 これ以上問答してても埒が明かないなーと思ってファミマを後にし、こんどはセブンイレブンへ。

 

 こちらはお母さん食堂の一歩先を行くご存じ「セブンプレミアム」でファンが倍増状況。

 で、そのセブンプレミアムの並びをざーっと見ていくと・・・あったあった、ありました。

 ファミマ店員のおねーさんが見た憶えていたのは、やっぱりこちら。セブンプレミアム北海道の男爵肉じゃがです。

 

 そうか、セブンイレブンはやっているのにファミマはやっていないんだ。「お母さん食堂」と銘打っているのになんでなんでなんで?

 

 疑問を拭い切れず、ついに思い余ってファミマのお客様相談室に電話をかけてしまった。3回呼び出した後に女性の声。

 

 「はい、お電話ありがとうございます。ファミリーマートお客様相談室の○○でございます」

 「もしもし、福嶋と申しますが、お母さん食堂のメニューについて伺いたいことがあってお電話したんですが」

 「はい、ありがとうございます。どんなご用件でしょうか?」

 

 ・・・てな具合でなんでメニューにおふくろの味の代表選手である肉じゃががないのかと聞くと、サイトには載ってませんねーとピンぼけたお返事。

 

 「サイトでもお店でも見当たらないから電話して聞いてるんです。いったいあのラインナップはどういう基準で決められているのか知りたいんですが」

 「わかりました~。では商品企画室に問い合わせてみます。お客様のお名前とご連絡先を教えていただけますか」

 

 てな具合で電話番号を教えていったん切って他のことをやってると8分後に電話が鳴った。

 

 「問い合わせたところ、肉じゃがは出してないし今後も出す予定はないそうです」

 

 思わずセブンイレブンにはあるぞと言いたくなったが、そこはぐっとこらえて

 「そうですか。お忙しいところお手間をかけてすみませんでした」

 「いえいえ、また何かござまいましたらお気軽にお問い合わせください」

 

 てなわけでラインナップはどういう基準で決められているのかという話は忘れ去られていた。

 これはお客様相談室ではダメだ。

 何とか本社の商品企画室にダイレクトに取材を申し込まねばと思ったが、「日本のおふくろの味の変遷」だとか「和食大研究」とか「コンビニ惣菜の栄枯盛衰」とか、本でもサイトでもいいので何かそういう企画をやっているという大義名分がなくては乗り込めない。

 

 今のところ、仕事で頼まれてもいないし、自主企画でさすがにそこまでやる時間も情熱も持ち合わせてないので、今回はここで打ち切りにした。

 

 しかし、僕はある大きな変化に気付いた。

 やはり「おふくろの味=肉じゃが」という概念は間違いなく大きく揺らいでいる。

 なんといっても.ボルシチやエビチリがお母さん食堂にラインアップされる時代だ。

 そういえば僕だっておふくろに作ってもらったのはハンバーグだとかカレーだとかトンカツだもんな。

 若い連中にとっては肉じゃがなんて限りなく存在感の薄い小鉢料理の認識しかないのかもしれない。

 もはや肉じゃがは「古き良き日本の郷愁を誘うファンタジー料理」としてすら生き残るのが難しい時代に入っているのかも知れない。

 

 平成の終焉に向けて日本の文化は地殻変動を起こしている。

 そう感じられたのが、今回の収穫と言えば収穫かなぁ。

 

 これについてはまたの機会に考察を重ねたいと思っている。

 


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肉じゃがは幻想のおふくろの味

 お読みの女性の方、ダンナやカレ氏に「肉じゃが作ってちゃぶだい」と頼まれたことがありますか?

 

 僕はおふくろもカミさんも肉じゃがが嫌いなので家で食べたことはほとんどありません。(おふくろの場合は子供の頃、作ったことがあるかもしれないけど思い出せない)

 

 カミさんの場合は自信を持って「一度もない」と言い切れます。

 聞いたら「ジャガイモが半分煮崩れて汁や他の具材と混ざっているのが嫌」なのだそうです。

 なかなか神経が細やかな女性です。

 いずれにしても、自分が嫌いなものだから作るはずがない。

 

 と言って別に文句を言っているわけではありません。

 僕もカレーのジャガイモやポテサラやフライドポテト、コロッケその他、ジャガイモ料理は大好きですが「おれは肉じゃがが食べた~い!と叫んだことはありません。

 

 サトイモの煮っ転がしは好きだけど、あの甘い醤油の汁はじゃがいもには合わないと思っています。

 

 思うに肉じゃがは日本が近代化して間もない貧しい時代、そして庶民も月に一度くらいは肉を食べられるようになった時代――明治とか大正に庶民の食卓で発展したおかずだろうと思われます。

 

 一家のお母ちゃんがかまどの前に立ち、家族みんなで食べるには少なすぎる肉をどうやって食べようと思案した挙句、そうだ、あのすき焼きのような(当時は肉を使ったごちそうといえばすき焼きをおいて右に出る料理はなかった)味のものにしよう、安い野菜と合わせて煮るんだ。そうだジャガイモがいい。ジャガイモを主役にすればお腹もいっぱいになるし、それにあまりものの玉ねぎやニンジンを入れて煮込めば・・・はい、出来上がり!

 という感じでお母ちゃんが工夫を凝らして生まれた料理が肉じゃがです。

 これがデン!と鉢に盛られて食卓の真ん中に置かれる。

 ほかほかと立つ湯気と匂いが食欲をそそる。

 「いただきまーす1」と10人もいるような大家族が一斉に競いあって食べる。

 「こらノブオ!肉ばっか選って食べるじゃない!」と、母ちゃんの優しく暖かい怒声が飛ぶ。

 他におかずと言えば漬物くらいしかないけど肉は食えるし、ジャガイモでお腹はいっぱいになるし、今夜の家族は幸せだ。

 

 そんな時代が長く続き、肉じゃがは不動の「おふくろの味」となったわけです。

 

 というわけですが、男性の方はカミさんやカノジョに「肉じゃが作ってちゃぶだい」と頼んだことがありますか?

 

 いまだに肉じゃがは「おふくろの味」の定冠詞を被っていますが、豊かになっちゃったこの時代、この料理をそんなに好きな人は大勢いるのだろうか?

 街の中の定食屋に入っても「肉じゃが定食」なんてお目にかかったことないもんなぁ。

 そもそももはやメインディッシュとなり得ない。食べるとしても副菜というか小鉢でつまむ程度。

 

 けれども副菜だろうが小鉢だろうが、ばあちゃんもおふくろもカミさんも誰も作らなくなっても、古き貧しき日本の郷愁を感じさせる肉じゃがは不滅なのだと思います。

 これから先は明治・大正・昭和のストーリーを背負ったファンタジー料理としてその命脈を保っていくでしょう。

 

 ・・・と思っていたけど、香取信吾がコマーシャルやってるファミマの「お母さん食堂」のメニューにはポテトサラダはあっても肉じゃがは入ってないぞ! 危うし肉じゃが。この続きはまた明日。

 


女目フィルターの少年像と少女版スタンドバイミーについて

 

 「スタンド・バイ・ミー」の映画を観た同年代やもう少し若い女の子たちから「あれは男の子にしかわからない世界だよねー。男がうらやましー」といった趣旨のコメントをよく耳にした。

 

 うん、確かにそうかもしれない。

 そもそも女の子は野ざらしになった死体を見に行くなんてバカげた目的のために何マイルも歩いて命がけの冒険するなんてアホくさいことはネバーしない。

 

 そんなのは人生の無駄使いだ。

 女の子の時代は短い。彼女らはすぐにオンナになることをあらかじめ知ってるし、(生みの)母親になるのにだってタイムリミットがあることも小さなころから知っている。

 いつまでも遊んで飲んだくれてて、60になっても70になっても生物学上の父親になれる男とは事情が違うのだ。

 

 「男っていいな」という彼女らの呟きからはそうした潜在的な女の宿命が感じられた。

 

 と思ったのは30年前のことだけど、それと同時に彼女らはどうも「少年」という、男になる一歩手前の存在に大いなる幻想を抱いているようだとも思った。

 

 特に「スタンド・バイ・ミー」のリーダー格のクリスは、タフでクールで勇敢で優しく友だち思い。抱きしめたくなるような可愛い一面もある。

 そして彼は自分を取り巻く過酷な運命との闘いを余儀なくされている。

 女性から見れば理想の少年像に近いのではないだろうか。

 

 しかも映画ではそのクリスの役を当時売出し中の美少年俳優リバー・フェニックスが演じていた。幻想はますます肥大する。

 

 ちなみにフェニックスはこの映画からわずか7年後に夭折。生きていればあのルックスと演技力からハリウッドのトップ俳優になっていた可能性も高いだけに残念だ。

 

 ファンタジーや児童文学や少年マンガに出てくる女目フィルターのかかった少年像は僕も好きだ。

 ある程度幻想が混じっている方が、キャラクターが生き生きして、のびやかに動ける。一言でいえば魅力的になる。

 だからこうした分野は女性作家が大活躍できる。

  こうした女性たちにも「スタンド・バイ・ミー」は大きな影響を与えたのではないだろうか。

 

 女に男の世界のことはわからないと思うけど、わからなくていい。男のしょーもない現実など知って得することなんてほとんどないし、もし知ってしまったら必要最低限の部分を残して、あとは目をつぶった方がいい。

 

 さて今回「スタンド・バイ・ミー」を読み返してみて唐突に、30年前とは正反対のことを考えた。

 

 そもそも女の子は野ざらしになった死体を見に行くなんてバカげた目的のために何マイルも歩いて冒険するなんてアホくさいことはネバーしない。

 

 その時は確かにそう思い、ずっとそう思い続けてきたけど、いや待てよ。1960年ではなく、1980年代も通り過ぎた今ならそうとも言えないのではないか。

 

 とんでもなくバカバカしい目的のために、何人かの女の子たちが命がけの冒険をする。

 今の時代ならそういう「少女版スタンド・バイ・ミー」も成り立つのではないかと思う。

 なんでかという根拠は特にないんだけど、そういう話はあるんだろうか。あったら読んでみたいんだけど。

 


30年ぶりのスタンド・バイ・ミー

 

 およそ30年ぶりくらいにスティーヴン・キングの「スタンド・バイ・ミー」を読んだ。

 この4人の12歳の少年の小さな冒険物語はロブ・ライナー監督によって映画化され、80年代に大ヒット。そして今も語り継がれる名作映画になった。これはその原作だ。

 

 定番となっているレビューには「この年齢特有の男の子の世界」「友情」「成長物語」というキーワードが必ずと言っていいほどくっついている。

 確かに映画はそうしたニュアンスを強調して作られており、僕の中でも観終わった後の甘い感傷のようなものが、エンディングテーマ「スタンド・バイ・ミー」のメロディとともに残っている。

 

 以前読んだのは20代半ば頃だった。

 映画を見て読んだので、映画とほとんど同じという印象を持っていた。

 もちろん今回も当初は同じイメージを持っていて、もう一度どんなだったか確かめてみようと思ってページをめくってみたのだ。

 

 そうしたらぜんぜん違っていた。

 自分の齢のせいだろうか?

 50代の男には、これは12歳の男の子たちの成長物語とも、友情物語とも映らなかった。

 成長や友情という言葉が放つ明るいイメージ、爽やかなイメージとはまったくかけ離れているのだ。

 

 実はこの原作の題名は「Stand By Me」ではない。

 原題は「The Body」。これは死体のことだ。

 

 自分たちと同じ12歳の男の子が列車に轢かれて死んだという情報を得て、その死体を見に行こうと4人の少年が冒険に出かける。これはそういうストーリーなのだ。

 死の誘惑にかられた子供たち。

 ちょっと考えれば、明るく爽やかになるはずがない。

 小説の底辺にはむしろ暗く陰鬱なトーンが響いている。

 

 その暗さ・陰鬱さの原因が、キングの他の多くの小説と同じく「恐怖」だ。恐怖と言っても霊や悪魔が出てくるわけではない。

 それは少年たちが生まれ育ってくる中で体感し、植えつけられた生活の中の恐怖。生きる上での根源的な恐怖。否応なく背負わされた人生に対するリアルな恐怖だ。

 

 彼らはそんな恐怖心を覚えざるを得ない環境で育った。

 それを象徴するのが暴力的な父親だ。テディの父親は精神を患い、幼いテディの両耳を焼いてしまう。クリスの父親はしじゅう酔っぱらって子供たちを殴りつけている。

 

 その父親たちをフォローするかのように、不良化した兄たちがこれまた暴力的で少年たちを震え上がらせる存在になる。

 

 そして教師や周囲の大人たちは、あんな家で育った子供らはろくな人間にならないとはなっから決めつけている。

 

 1960年のキャッスルロックというアメリカの片田舎は、そういう生活習慣の世界だったのだ。

 

 12歳ともなればそんな諸々の事象が何を意味し、自分たちの将来にどう響くのか感じ取れてしまう。

 

 ここで描かれる少年たちの友情とは、自分たちを取り巻く大人たちや地域社会から受ける恐怖や不条理から互いの身を守るために必死でしがみつき合う――そうした類の友情だ。

 

 そして何とかその恐怖を乗り越えたとき――それを成長と呼ぶなら成長した時、少年たちはバラバラになってしまう。

 

 友情はある夢の一時だけ空に掛る虹のようなもの。

 主人公(語り手である)ゴードン=作者キングの分身の3人の友人たちは皆、ここで描かれた冒険から10年あまりの間にこの世から去っていく。

 

 後味は何とも苦い。20代の頃に感じた、感傷を帯びた甘い味は何処へ行ってしまったのだろう?

 

 だからといってこの作品が嫌いになったわけではない。

 むしろその重層的な味の深さに感心すことしきり。30年前は僕は面白おかしいストーリーの上っ面しか読んでいなかったのだ。

 

 今回、読み返してみて本当に良かったと思う。

 やはりこれは少年小説のバイブルともいうべき名作なのだ。

 


お祭りの季節に思う、日本の神様の心の広さ

 

 わが町・永福町の近隣にには熊野神社・大宮八幡宮。永福稲荷神社と3つ神社があり、毎年9月の週末は3連荘でお祭りです。

 息子がチビの頃は近所の子も連れて毎週毎週3つのお祭りを梯子して回ったこともあります。

 

 今週はその中でも最も大規模な大宮八幡宮のお祭りで、人出もすごい。夜は周辺地域の10基のライトアップしたお神輿が合同宮入りしてすごく華やかです。

 

 この地域に住んで早や四半世紀が経とうとしていますが、お祭りの風景は変わりません。

 いつも思うのだけど、日本の神様は大変鷹揚な親で、子ども――つまり僕たちがが仏様やキリスト様のところへ遊びに行っちゃってもガミガミ怒鳴ったりしません。

 

 お正月とお祭りの時、「神の子」に戻ってちゃんと神社に来て頭を垂れてくれることを知っているからです。

 

 ひと昔前、そうした宗教に対する日本人の節操のなさは国内外から怪訝に思われたり、非難されたり、おかしいんじゃないのと言われたりすることが多かった気がします。

 

 しかし近年、無宗教化は世界的傾向となっています。

 世界に名だたるキリスト教国と思われていたアメリカやイギリスでも今や3割に近い人が自分は「無宗教」と言うそうな。

 これが30歳以下だとその割合はぐんと上がり、無宗教化の流れはとどまるところを知りません。

 

 ニーチェが「神は死んだ」と言ったのは19世紀後半ですが、それから150年かけてニ-チェの言葉が現実化しつつあるのかも知れません。

 

 その詳しい話はまた別の機会にしますが、そんな世界の風潮を見ると、日本人がいちばん宗教との付き合い方が上手なのではないかと僕には思えるのです。

 いわば無宗教化時代の先達となるのか、日本人。

 

 というわけで今日は心の広い日本の神様にお参りして感謝の意を表しました。

 

 今年はちょううど仕事に当って、毎年やってた熊野神社のお神輿が担げませんでしたが、また来年は復帰するぞ。

 


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「継続は力なり」を今頃やっと実感

 

 一昨日「人に見せない秘密の文章を毎日書きましょう」と言ったけど、自分自身それができるようになったのは、やっとこの1年余りのこと。それでも調子が悪いと何日か抜けてしまう。それでも僕にとっては何とか切れずに続けているのは大きな進化です。

 

 逆に言うと僕がダメ人間なのは、これをやってこなかったからだとも言えます。

 これをもっと若い時からやっていれば、もう少しまともな書き手になっていたかも知れない・・・・と今頃思うのは、もちろん後の祭りです。

 

 なんでできなかったのかと言うと、それはすぐに「こんなことやってて何になるのか?」と思ってしまっていたから。つまりこれはサボるための口実です。

 

 継続的なトレーニングの意味を認められず「何かもっと効率の良いやり方がるはずだ」と考える。

 そう考えるのなら自分でそのやり方を開発すべきなのだけど、それもやらず、ただやり過ごしてきたのです。

 

 普段からやってないのに、いざ何か書こうと思ったってろくなものは書けません。

 それでもいろいろ書いてきた。仕事もなんとかなってきたのは、偶然というか、たまたまというか、運がよかったのでしょう。

 

 書き手としての自分を育てるのに効率の良いやり方なんてありません。効率を求めれば求めるほどどんどんダメになっていく。

 最近は働き方改革ブームで、またもや「効率」が持てはやされています。

 まぁ仕事はしかたありません。組織の中で、プロジェクトの中で効率よくスムーズに回る歯車になることを求められているわけですから、給料・ギャラをいただく以上、その求めに応じなくちゃいけません。

 

 でも効率は本物のクリエイティビティを養うには不要です。

 農業と同じで、ただひたすら頭の中の田畑を毎日耕すしかありません。それなくして収穫は得られません。

 

 いや、耕して種をまいたとしても、日照りが続いたり大雨が降ったり台風が来たりすればパー。努力が必ず報いられるとは限らないのです。

 でもやっぱり努力のないところには収穫はありません。

 

 というわけで人生半分をはるかに超えてしまったけど、最近は100年ライフということなので。後半戦、死ぬまでやるっきゃないです。

 


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人に見せない、自分だけの秘密の文章を書く

 

 人間は毎日、頭の中で膨大な量の物事を感じ、考えています。自分で意識できるもの・認知できるものもあれば、脳の奥底に深く沈んで意識・認知されずに引き出しにしまわれていくものもある。

 僕たちが話したり、行動したり、ブログやSNSに書くことはそのほんの一部――氷山の一角でしかありませんん。

 特に奥の方にしまわれてしまったものは海底の洞窟の宝物と一緒で、死ぬまで眠ったままになってしまうことが多いようです。

 

 これを引き出すためには訓練が必要です。

 と言っても、何か特別なことをするわけじゃありません。

 ただひたすら「書くこと」。文字化・見える化することです。

 

 ただしブログやSNSに書いているような作文はだめ。人に見せることを前提として書くと、どうしてもリミッターが働いて本音が出せなくなってしまう。

 これは「人に見せない、自分だけの秘密の文章」でないと、あまりやる意味がありません。

 

 さらに言えば、きちんとした文章になってなくたって構わないのです。単語の羅列だっていい。要は自分がその意味・イメージがわかればいいわけですから。

 そして重要なのは継続的に――できれば毎日やること。

 

 「人に見せなくていいんだったら簡単」と思うかも知れませんが、実はそうでもありません。

 僕も含め、たぶん多くの人は「人に見せる前提」がないと、なかなか文章なんて書けないし、書く気にならないと思います。1日・2日ならともかく、毎日となるといったい何を書けばいいのかわからなくなる。

 そこを乗り越えてほじくり出せるようになるといいのです。

 

 僕が手書きでノートにこれを書き始めたのは5年ほど前からですが、何度も挫折してやっと習慣として定着するようになったのは、この1年あまりのことです。

 

 だいたい1日につき、見開き2ページから多い時は4ページ。費やす時間は30分から1時間。時々忙しかったり体調悪かったりで数日抜けることがありますが、何とか保っています。

 

 やる時間帯は朝昼晩夜、いろいろ試してみましたが、やっぱり脳がよけいな情報に侵されていないフレッシュな状態の朝が7いいようです。

 

 僕の場合は、曲がりなりにも物書きを生業にし、創作をやっているので、アイデアが出やすくなるとか、表現を工夫できるとか、直接的にメリットがありますが、そうでない人もやってみると面白いことが起こるかも知れません。

 そんなに時間・労力が取れなくても、1日15分、1ページでも。

 

 言い換えればこれは自分の脳の中に溜まる情報のウンコを出すようなもの。脳をすっきりきれいにしてストレスをなくし、自分にとって本当に大切な情報をほじくり出す作業でもあるのです。

 

 大量の情報があふれる世の中で、僕たちの脳は知らず知らずのうちに相当なダメージを受けています。それを軽減する効果も生まれると思います。

 


マンガで見た映画:雨を浴びる裸の女

 

 雨が降ってすっかり季節が変わった。

 そして雨はすっかり忘れていた記憶の引き出しをあげる。

 

 たぶん中学1年の時だったと思うが、「明星」というタレント情報雑誌を購読していて、その中に編集部おすすめの映画のあらすじをマンガにして紹介するというコンテンツが載っていた。

 その一つに、「裸身を雨にさらす少女」の映画があった。つまり女の子が裸で雨に打たれるのだ。

 それも森の中の草むらのようなところで寝そべって。

 

 マンガの絵柄のせいか、西洋人だからか、顔つきも体もずいぶん大人の女に見えたけど「少女」という言葉が

これだけ書くとずいぶんエロチックな映画のように思えるが、けっしてそうでなく、全体はちょっとアートの匂いがするような青春恋愛映画といった感じ(と、僕の頭の中ではそうなっている)。

 この雨と裸のシーンも何か若い女の神秘性みたいなものを表現していたような気がする。

 

 マンガの絵柄のせいか、西洋人だからか、顔つきも体つきもずいぶん大人の女に見えたけど、ナレーション的な文章に「少女」という言葉が入っていたので、たぶん16~7歳くらいの設定だったのだろう。

 穢れを洗い流しているとか清めているとかいう感じで、けっして悲壮感はなく、むしろ愉しんでいるようにも見えた。

 だが、いったいどういう文脈で、どういう感情の表出で彼女がこうした行為に及んだのかはわからない。

 

 ただ、そこに父親くらいの年齢の男が現れ、その男は悪さをするどころか、彼女に服だかタオルだかを黙ってわたす。見開きでそんな展開思う。

 確か主人公は若い男だったので、この少女をめぐってこの年配の男と三角関係になる・・・というストーリーではなかったか。

 とするとツルゲーネフの「初恋」みたいな話だったのだろうか。

 

 このシーンと全体のイメージだけは憶えているのだが、今となってはなんて映画か題名も内容もさっぱりわからない。

 そもそも実際に映画を見たわけじゃなくて、あらましを描いたマンガを見ただけだし。

 

 1972年か73年くらいに日本で公開されたアメリカ映画かフランス映画だと思うが、もし誰か知っていたら教えて下さい。

 

 それにしても引き出しにはいろんなものが入っている。

 40年以上思い出したことなんてなかったけど、憶えていたということは、マンガとはいえ、中1の小僧には相当刺激的だったんだろうなぁ。

 

 この頃は雨もパニック映画さながらすっかり情緒がなくなって危険なものになってしまったけど、夢を育てたり、記憶を開かせてくれるようなやさしい恵みの雨を降らせてほしい。

 


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抹消された20世紀パンクと想像力の中で生きる19世紀型スチームパンク

 

 6月にロンドンに行ったとき、ひとつ大きなことに気づいた。

 パンクが歴史から抹消されている。そう感じた。

 僕がロンドンで暮らしていた1980年代後半、パンクロックのムーブメントはもちろん、とっくの昔に消え失せていたが、街の中ではまだまだトサカ頭の若者たちが闊歩していた。そう、パンクはファッションとして生き延び、観光の目玉にもなっていた。

 

 王室やビッグベンやウェストミンスター寺院などとともにロンドンの代名詞となっていた。ダイアナ妃のロイヤルウェディングの絵はがきの隣には隣にパンクの兄ちゃん・姉ちゃんたちの絵はがきがあった。

 僕自身は経験ないが、観光客と一緒に写真に納まり、金をせびり取っていたという話もある。

 僕が働いていた日本食レストランでは、すぐ隣のテーブルにパンクの連中が来たので、日本人のおじさん・おばさんたちが怖いから席を替えてくれと言ってきた。

 そう考えると、セックスピストルズらのパンクバンドがリアルタイム活躍していていた時期よりも、有名度としてはあの頃が最高潮だったのかもしれない。

 

 しかしパンクは21世紀に生き残れなかった。

 ビートルズやローリングストーンズはもちろん、へヴィメタもプログレもグラムロックもバンドエイドもイギリスが産み落としたポップカルチャーとして、ロンドンの20世紀の歴史の中に燦然と輝いているのだが、パンクはその片鱗も見当たらなかった。当局から存在を抹消されてしまったという感じである。

 

 なぜだ? 反抗的だったり暴力的だったりしたからか? 音楽性が他のジャンルに比べてショボかったからか?

 でも僕がちょっと知っていたパンクの兄ちゃん・姉ちゃんたちは気が良くてかわいいやつらだった。

 

 20世紀のパンクは消えうせたけど、近年はそれに代わって19世紀のスチームパンクが人気みたいだ。僕も息子の影響で少々かじっているが、要はSFのジャンルの一つで、産業革命時の蒸気機関のテクノロジーが発達した世界観のもとに綴られた物語だ。

 

 現実の歴史の中では無視されても、パンクのスピリットは人々の想像力の中で生きていく時代になっている。

 そしてまた、僕たちは10年・20年単位でなく、200年・300年のスパンで自分の存在を位置づける時代になっているのではないかと思う。

 


電車で若者に座席を譲る

   

    高齢化社会の進展の証なのか?

 最近、若者が電車で高齢者に席を譲ろうとしても「結構です」と断られることが増えているようです。そのパーセンテージはなんと60パーセント以上とか。

 確かに元気な高齢者が増えたので、単に年寄っぽく見えるだけでは譲りにくくなった気がします。

 優先席もなんだかエイジレスの世界になっています。

 

 で本日の話。午後、仕事の打ち合わせで電車に乗った時のこと。

 永福町から井の頭急行に乗っていて、次の明大前でちょうど目の前の席にいた女性が降りたので、これ幸いと腰かけました。

 僕にとって電車で座って本を読むのはささやかな至福の時間です。

 

 するとその駅から乗り込んできた金髪の若者――20代半ばくらいか、いやもっと若いかも。僕の息子のちょっと上くらい――の様子がどうもおかしい。立ち位置は僕の斜め右くらい。なにやら気分が悪そうでユラユラしています。

 それで電車が動き出したら、ものの1分としないうちにいきなりしゃがみこんでしまいました。けど周りの人はあまり気に掛ける人はいません。しかし僕は気になって気になって読書どころではありません。なんか真っ暗な舞台の上で、僕とその金髪の彼だけにスポットが当たっているような映像が思い浮かんでしまい、思わず「おい、だいじょうぶか?具合が悪いのか?」と声をかけました。するとその若者は黙って首を振ってうなずきます。

 「じゃあ、ほら坐って」と席を立つと、彼はそのままささっと座席に身を沈め、ぐったりとうなだれたかっこうで坐っていました。

 

 心の中では、なんでそんななのに電車に乗るんだ。明大前で休んでりゃいいじゃないかと思ったのですが、人のことは言えません。

 僕も「いや、おれは大丈夫」と言いながらフラフラで自転車に乗っていたところを声かけられ、救急車で運ばれ、手術・入院までしたのですから。

 仕事なのか、イベントなのか、女の子に会いに行くのか、その彼もとにかく乗っちまえば何とかなると思ったのでしょう。

 

 結局ずっとそのままだったのですが、終点の渋谷に近づくとやおら持っていたレジ袋を取り出し広げて口元に持って行った。

 「やばい、こんなところで戻すのか。それも真昼間に」と心の中で叫んだが、なんとか持ちこたえ、無事渋谷到着。

 

 みんなゾロゾロ降りる中、坐ったままの彼のことが気になりましたが、時間も押していたのでそのまま黙って下車してしまいました。だいじょうぶだったかなぁ・・・。

 

 いずれにしても具合が悪い時は若者も高齢者も同じなので、なんとかしてあげれればと思います。

 


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頭の再検査

 

 きょうは硬膜下血腫の再検査で病院へ。

 ちょうど1か月前、退院した日は午前中から35℃超えの猛暑日。なにせ1週間冷房の効いた院内で避暑していたので、あまりのシャバの暑さに脳みそが沸騰しそうになりました。それが懐かしくなるくらい涼しくて快適でした。病院は人がわいわいいっぱいいて、変な言い方ですが活気がありました。

 

 で、肝心の検査結果は残念ながらまだ完治に至らず。CT画像を見ると、まだうっすらと血腫が残っている。

 というわけで3か月後に再々検査をすることに。3か月分の薬(漢方薬ですが)をどっさりもらって帰ってきました。

 

 しかし日常生活を送るのには特に問題ないので、あんまりストレスがかからないよう、またぼちぼちやっていきます。

 


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あと4ヶ月で謹賀新年。そして新元号おめでとうございます。

 

 9月の声を聞くと同時に来年の足音が聞こえてきます。

 イノシシの走る音です。今はまだウリ坊程度ですが。

 干支グッズをはじめ、そろそろ手帳やカレンダーが店頭に並ぶ季節がやってきます。

 

 だけど今回はちょっと事情が違う。来年は西暦2019年。和暦では平成31年―ーは4月まで。5月からは新しい元号に切り替わります。

 

 当初、新元号は手帳やカレンダー業界に合わせて9月に発表――という話を聞いた憶えがありますが、発表されそうな雰囲気は全然ありません。

 どうも政府が現在の天皇陛下を慮って発表を遅らせているようです。

 ということは発表は来年に持ち越しということ?

 困る業界はないのだろうか? 祝日とかは?

 皇太子様は2月生まれ。現・天皇陛下は阿4月に退位されるので、そうすると来年は天皇誕生日なしということなるのかな?

 

 昭和から平成になった時はどうだったのか、さっぱり憶えてないけど、あの時は昭和天皇が亡くなってから発表されたから業界はもっと大変だったはず。だからどうってことはないのかもしれません。

 コンピューター関連のシステムなどは西暦でやっているから大丈夫なのだろうか? 30年前と社会状況が違うのでどうなるのよくわかりません。

 

 それにしても元号の話になるると、よく小渕恵三さんの画像にお目にかかりますが、この人を「ああ、あの平成を発表した人ね」とは認識しても、総理大臣だったことはほとんど誰も覚えてないのでは?

 小渕さんは「永遠の平成おじさん」として人々の記憶にとどまった。

 さて今度は誰が「新元号おじさん(あるいはおばさん?お兄さんお姉さん?)」になるのでしょう?

 


利権ファーストで子どもの夢を蹂躙するオリンピックって・・・

 

 オリンピックはアスリートにとって夢の舞台。

 子供のころからすべてを賭けて競技に打ち込んでいると思います。

 それをグダグダとした「大人の事情」で奪っていいはずがない。

 これは夢殺しであり、選手の人生を蹂躙する行為です。

 

 しかも彼女がそれこそ命がけで表明したことを「あれはウソ」ってどういうこと?

 

 利権ファーストの人たちは自分の子供や孫の人生が潰されたらどう思うのでしょうか?

 いや、その前に彼ら彼女らも、かつてはアスリートとして純粋な気持ちで頑張っていた人たち。

 権力をふるえる立場になると、そうした過去もきれいさっぱり忘れてしまうのだろうか。それって自分の栄光を蹂躙してしまうことにならないのだろうか。

 

 2020東京オリンピックは、確か「日本をもっと元気にするために」とかいう大義があったと思います。

 でもねぇ、こんなことがゾロゾロ続くと逆効果。「結局またそれかよ」とシラケちゃって却って元気を失くしそうです。

 

 選手が夢を奪われ、市民も純粋に心から応援できないオリンピックにどんな意味や価値があるのだろう?

 特に若い連中はそう思っているんじゃないのかな。

 


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ちびまる子ちゃんとサザエさんはいつまで続くのか?

 

 西城秀樹さんの葬儀の取材をしたのは5月のことでしたが、まるでその後を追うように今回、さくらももこさんが亡くなってしまいました。

 

 「ちびまる子ちゃん」は世代が近くて自分の子供時代の雰囲気を楽しめるので、日曜の夜、家でゴロゴロしていると時々見ています。

 

 学校のクラスメイトら子供はもちろん、大人も面白いキャラクターがたくさん登場して、いろんな人がいるから世の中楽しいんだということを僕たちに伝えてくれていると思います。

 

 原作者が亡くなったからと言ってアニメの番組がなくなるわけではありませんが、どうも2~3年前から「ちびまる子ちゃん」それに続く「サザエさん」の視聴率の著しい低下が取り沙汰されているようです。

 

 僕はかなり昔から「サザエさん」の放送が終わる時が、日本が本当に変わる時だと言っていました。

 それに対してフジテレビは「サザエさんは永遠不滅です」と豪語していました。

 

 しかし雲行きが怪しくなってきた。

 そもそも当のフジテレビの長期的低落傾向にあり、これはもはや万人の知るところとなっています。

 もしかしたら“その時”が少しずつ近づいているのかもしれません。

 

 ふだんは仕事や接待でろくに家にいないお父さんも日曜の夜だけは家にいる。家族そろって楽しい夕食。家族のだんらん。

 「ちびまる子ちゃん」と「サザエさん」は、そんなに日本の家族の幸せの時間をさらにあたためる暖炉の役割を果たしていたのだと思います。

 しかし、そうしたお茶の間の習慣もとっくの昔に過去の遺物と化してしまいました。

 

 そろそろお役御免なのか? 

 長年培われた習慣と、高齢者がテレビを求めていることを考えると、まだまだいける、そう簡単に消えてなくなるとは思えませんが・・・

 でも、平成最後の夏のさくらさんの訃報は、何か日本人の生活が本質的に変わっていることを暗示しているようにも思えます。

 


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旅する仏壇、またの名をお弁当仏壇

 

 エンディング産業展で、遺品整理クリーンサービスとともに特に気に入ったのが「旅する仏壇」です。

 何と言ってもネーミングが最高で、出展ブースの名前が並んでいるだ

けの資料を見たときは、一体なんだろう?と思ったが、現物を見て納得

。おお、こういうものだったのか。

 

 この仏壇というか、ご供養セットはお弁当箱みたいにコンパクトに収

まるようになっていて、どっかへ行くときにバッグに入れて携帯できる

。いわば置き電から携帯電話へ、パソコンからスマホへ、の発想です。

 

 たとえば死んだ親父と温泉旅行に行きたい、おふくろが好きだった花

畑を見せてやりたい、あるいはワンコの散歩コースをまた歩きたいと思

ったら、この旅する仏壇を持って行ってチーンとやれば、思い出に浸れ

るわけです。

 人間の脳はうまいことできているので、たったそれだけでも失った家族に対する回想の深度は段ちがいになるでしょう。

 

 作ったのは若い仏壇職人や木工工芸士のチーム。こうした人たちは結

構すごい技術を持っているのだけど、産業の変化でそれを発揮できる機

会がめっきり減っています。

 せっかく手につけた職を生かすには自分たちで企画を作るしかない・

・と生まれたのが「旅する仏壇」というわけ。

 

 「あの世にいるお父さん・お母さんと旅に出よう」なんてキャッチフ

レーズが似合うかもね。

 


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孤独死の現場・ゴミ屋敷の実態をミニチュアで見せる

 

 孤独死の現場・ゴミ屋敷の実態――誰もが目を背けたくなる現実をミニチュアにして表現。

 べつにアート作品ではありません。

 エンディング産業展で出展した「遺品整理クリーンサービス」という会社(板橋区)の展示です。

 今年のブースで最も印象的だったものの一つです。

 

 毎年エンディング産業展では葬儀やお墓・仏具仏壇を扱う企業のブースが大きく華やかで目立ちますが、年を追うごとに終活・遺品整理・遺族対応といったカテゴリーの業務を行う企業や団体のブースが増えています。

 

 これらの業務は実際に展示する物がないので、パンフレットや販促物をわたすしかありません。

 

 この会社も自分たちの仕事をアピールするには、写真や動画で表現するしかなかったのですが、やっぱりそういうものは見たくないという人が多い。

 

 しかし、こうしたミニチュアを使って表現すると、不思議と抵抗感が薄れます。それどころか、あまりの出来栄えにコミュニケーションが弾みます。

 

 作ったのは小山さんという入社4年目の20代の女性。

 事務などの後方支援をやっているのかと思ったら、ズカズカ前線にも出動するそうで、こんなことを言うと差別と取られそうですが、思わず「え、こんなかわいい女の子が!」と驚いてしまい、20分ばかりその場でインタビューしてしまいました。

 

 前職はアート関係だったのか、趣味としてこうしたものを作っていたのかと訊いたら、まったく違っていて、ある日こういう表現方法があるのではないかとひらめき、生まれて初めて作ってみた――というから、さらにオドロキ。

 

 普段の業務をやりながら空いた時間で作っているので、さすがに最初の作品は完成までに4ヶ月かかったといいますが、それにしても感心することしきりです。

 

 仕事に情熱を持ち、使命感を持ってやっている人には、何か神様に近いものが降りてきて、隠れていた才能を開かせるのかも知れません。

 

 どうしてこの仕事に就こうと思ったのか、どんな気持ちで仕事をしていけるのか、遺体の処理など抵抗ないのかと無遠慮にどんどん質問をぶつけましたが、気負うことなく屈託のない笑顔で答えてくれました。

 

 孤独死、ゴミ屋敷というと悲惨なイメージばかりで、どうしてとか、何とかならなかったのかと、普通の人は思うでしょうが、現場を知る彼女やこの会社の人たちは、ちょっと異なるイメージを持っているようで、非常に考えさせられました。

 

 この話はまたおいおいここで書いていきます。

 


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エンディングライターinエンディング産業展2018

 

 「エンディングライター」として、鎌倉新書の仕事でこの三日間、東京ビッグサイトに通い、恒例のエンディング産業展を取材してきました。

 高齢化社会が進んで、向こう20~30年は毎年、死亡者が増える時代。葬儀関係・お墓関係・仏具関係の業界は活況を呈し、その周辺の終活、相続、遺品整理、遺族対応といった新しい仕事も次々と生まれ、人間だけでなくペットの葬儀なども激増しています。

 

 2008年に公開され、大ヒットした映画「おくりびと」の中ではまだ葬儀屋さんが職業差別を受ける様子が描かれていましたが、10年後の今、この賑わいを見ていると、あれがはるか遠い異国の昔話のようにも思えます。

 

 社会に必要とされ、産業として発展し、経済が拡大するとはこういうことなんだと言えばそれまでですが、やっぱり人の死をネタにお祭りをやっているようで、心の片隅にこびりついた違和感はぬぐえません。

自分もそのエンディング産業・経済の参画者のひとりなんだけどね。

 

 ただし事態はそう単純でなく、活性化する反面、葬式もお墓も仏壇も坊さんも無用論が広がっており、業界は従来の仕事のやり方――というよりも、自分たちの存在意義の見直しを迫られています。

 

 いずれにしてもこの先当分、エンディング産業は、僕たちに「生きるとは何か、死ぬとはどういうことか」を、いろいろ考えさせてくれそうです。

 あなたも機会があればこの業界に目を向けてみてください。

 


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ヨルとネル:心のツボによく響く少年ドラマ

 

 先月末の入院中、本が読みたくなって、読書家の息子におまえのおススメを何冊か持って来いと言ったら5冊くらい持ってきました。

 「ヨルとネル」(施川ユウキ)はその一冊。マンガです。

 

 身長11センチの小人の少年二人の旅。いわばロードムービーのように物語は進んでいきます。

 

 空き家の風呂に落っこちて出られなくなり、脱出のために排水溝から髪の毛を集めてきて縄梯子を作るとか、糸ようじをノコギリのように使って池の鯉を殺して食ったりとか、カップ焼きそばの空きがらの船に乗って一寸法師のように川を下るとか、ダウンサイジングした世界観とそこで展開する冒険譚、そしてサバイバル術が妙にリアルですごい。

 

 絵はかわいいし、それぞれのエピソードは4コマオムニバスとでも言えばいいのか、独特のスタイルで連なっており、ギャグも詰まっていて読みやすい。

 前半はギャグマンガかと思えるほどですが、後半へ進むにつれて、しだいに緊迫感と哀調を帯びてくる。

 というのはこの二人はある収容所で実験材料にされており、そこから逃げ出してきたというバックスト―リーがあるからです。

 当初、作者はそのバックストーリーと逃亡の旅のエピソードを交互に描くつもりだったと言いますが、結局、収容所の話はすべて省かれ、その分、旅の中で小人として生きる悲しみが強調された感があります。

 

 登場人物は最初から最後までヨルとネルの二人だけ。

 普通サイズの人間は声だけか、巨人の足としてしか出てこない。

 

 けれども読み進めるうちに、僕ら普通サイズの人間もこれとまったく同じではないか、姿の見えない巨大なシステムに取り囲まれ、日夜追い立てられているばかりじゃないかと感じます。

 

 そして二人はラスト間際、衝撃的な物体と出くわし、自分たちの旅の行きつく先を悟ってしまう。その物体が何かはネタバレになるので書きませんが・・・もう涙なしには読めません。

 

 病院という特殊な空間で読んだせいもあるだろうけど、ひどく心に響く物語。そしてその響き方が昔見た懐かしい少年ドラマのようでした。心のツボはいくつになっても変わらないようです。

 


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患者のセリフは信じるな、医者のセリフも信じるな

 

 慢性硬膜下血腫の手術で入院➔退院して半月以上経過。

 どっさり1か月分もらった薬も残り半分以下になりました。

 この数日、涼しくなっいぇいますが、入院中は猛暑の真っ最中だったので、思い返すとなんだか病院に避暑に行っていたような感じです。

 

 なんて今だから言えるけど、きょうカミさんと話していて、一歩間違えば相当やばいことになっていたなぁと実感しました。

 なにせ通りすがりの美人のお姉さんに警察と救急車を呼んでもらってから、翌日、手術を受けて目が覚めるまでの約20時間の記憶がほとんど残っていない。夢の中のようにおぼろげな断片が浮かぶだけです。

 

 どうも僕は最初に救急車で運ばれた病院で車いすに坐っていながら「大丈夫です、なんともありません」と言い張っていたらしい。

 

 病院側もいい加減なもんで、どう見てもフラフラ状態の患者を「ご本人も大丈夫と言っているから大丈夫ですよ」と追っ払うように返したらしい。

 検査だけはしたけど、しかもその検査でどう見ても脳の状態は大丈夫じゃないのがわかったのに返しちゃうってどういうこと? ご都合主義もいいところ。まあ、入ったのが夜で手術できない状態だったからしかたないけど。

 

 どうやらこの病院は中間地点みたいなところで、医局つながりの他の大病院へ患者を回す役割を担っているらしい。つまり自分のところでは治療はしない。

 カミさんがネゴると、翌朝すぐに対処してもらえるようにするからと、その病院(テレビでも出てくる、最近、割と有名なところ)を紹介してくれました。

 

 それで翌朝、紹介状を持ってそこへ行ったら満床だから手術しても入院はできないと言われ、またもや追い返される羽目に。

 

 それでまたもや救急車を呼んでもらって近くの三宿病院へ行き、やっと緊急手術・入院とあいなったわけです。

 しかしそこでも僕はバカの一つ覚えみたいに「いや、おれは大丈夫」と言い続けていたらしい。

 

 べつに強がっていたわけでも何でもなく、主観的には本当に自分は大丈夫だと思い込んでいたようです。

 たぶん潜在意識の中で自分がおかしくなっていることえを認めたくない、周囲から病人扱いされたくない、といった気持ちがそういう表現に結びついたのでしょう。

 

 現実にはカミさんと息子に支えられてやっと歩ける、やばいおっさんだったのに・・・・。主観と客観のギャップに愕然です。

 

 当たり前だけど「大丈夫」と言えば「大丈夫」になるわけじゃない。

 そんなわけで前も書いたけど、こういう場合、精神論やタながんばりは、まったく無用・無意味どころか、弊害でしかありません。

 あたりまえだけど、「大丈夫」と言ったから「大丈夫」になるわけじゃない。こういう患者の言うことは信じちゃいけないし、それをうまいこと使って「大丈夫ですからお帰りください」なんてぬかす医者の言うことはもっと信じちゃダメです。

 

 うーん、医者にかかるのは難しい。いずれにしてもカミさんがあれこれネゴったり、機転を利かせてくれたおかげで助かりました。

 以前にも増して頭が上がらない。

 


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AIライター・ロボットライター

 

 アメリカではすでにスポーツ報道の記事など、ある程度、文章の定型が決まっている記事に、実験的にAIライターが導入されつつあるようです。

 いつ、どこで、誰と誰(どことどこのチーム)が試合をやって、どういう経過でどっちが勝ったか。

 チームなら活躍したのは誰か。

 その結果、どんな状況になったか(プロ野球なら優勝のマジックナンバーが点いたとか)。

 観客はどんな様子だったのか・・・。

 

 詳しいことはわかりませんが、試合ごとにデータを入力していけば、自動的に記事を書き上げてくれるのだそうです。

 

 近年、ライターの仕事の賃金は下がる一方で、相場もずいぶん安くなってしまいました。

 日本でも新聞、雑誌、ウェブなどの一般的な記事は、10年後はAIライターが書いているのではないかと想像します。

 

 でも、ものを書くという行為は、目的・媒体・課題・どのレベルだったら読者を満足させられるか・・・といった要素によって複雑に変化します。

 情報をちょいちょいと集めて、浅瀬で手足をパシャパシャやるだけで成り立つものもあるし、深く自分の意識の底まで潜らなくては作れない文章もあります。

 

 やっぱりそうだよね。本当に簡単な記事ならAIでもいいけど、ちょっと込み入ったものは、やっぱり人間がやらなきゃね・・・

 と安心しましたか?

 

 そう簡単に安心はできないですよ。

 

 人間らしさが要求される分野――たとえばインタビューしないと書けないような記事ならAIには任せられないだろう、という意見があるかもしれませんが、僕はそうした反対意見には懐疑的です。

 

 もちろん、インタビュイー(される側)がどんな人かによりますが、中には人見知り、あるいは人の好き嫌いが激しく、容易に心を開かない人だっています。

 営利がらみでも、そうでない場合も、お互い初対面で込み入った話をするのは、かなり繊細さを要する行為です。

 

 そんな時に、AIの力を借りることがあるかもしれません。

 

 多くの人はリラックスでき、愛情を感じられる対象――たとえば子供や、ペットなどの動物には安心して心を開き、悩みを打ち明けたり、相談したりします(自問自答のようなものですが)。

 

 なので、より質の高いインタビュー・取材をするには、インタビュアーを愛嬌のあるロボットや、ぬいぐるみみたいな、抱き枕みたいなロボットにするのです。

 

 質問は遠隔操作でインタビュアー(取材者、ライター)が行います。声もそれなりに可愛い子供みたいな声とか、色っぽい女性とか、やさしく厳かな神父様やお坊さんとか。

 

 相手の心に入りやすい声はどれくらいの高さ、どれくらいの周波数か、どんなリズム、スピード、語り口が最適なのか、AIが計算し、自動的に調整までしてくれるでしょう。 

 

 こんなAI・ロボットを使ったコミュニケーション、ライティングが10年後、20年後には普通に行われている・・・かも。

 


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山中の孤独な夜の過ごし方

 

 1~2歳の子供には大人には見えないものが見えるらしい。

 山口県周防大島町の山中で行方不明になっていた男の子は三日間、夜をひとりでいったいどうやって過ごしていたのだろう?

 

 暗黒の中の孤独。

 たぶんおとなでも三日も続いたらおかしくなってしまうような状況だ。当然、必死で叫ぶだろう。

 もうちょっと大きい子供でも泣いて誰かを呼ぶだろう。

  

 でも彼は泣き叫んだりしなかったようだ。

 山の精霊が彼のところにやってきた。

 時間を忘れていっしょに遊んで、結構楽しかったのかもしれない。

 その友だちがヘビやイノシシなどから守ってくれていた。

 

 へたをしたらそのまま精霊のところへ連れて行かれてしまったかもしれないけど、絶好のタイミングであのボランティアおじさんがやってきてくれた。

 

 それとも、あのおじさんが来るのを知っていて、精霊のほうがそれじゃこれで、と帰って行ったのかも。

 おじさんはそれをキャッチしていたからすぐに見つけられたのかも。

 

 いずれにしても二人のチューニングが合っていて、男の子は無事、人間の世界にもどることができた。

 世の中は不思議なことがいっぱいある。

 


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社会全体の児童虐待と「晴れた空」

 

  一昨日、Nスぺの「駅の子の闘い ~語り始めた戦災孤児」というドキュメンタリーを観ました。

 「駅の子」というのは戦争(空襲など)で親を亡くし、戦災孤児になった子供たちです。

 東京なら上野駅が最も多く、駅の構内で寝起きしていたので「駅の子」と呼ばれていたそうです。

 戦争の被害者の中でもこれまであまり表に出ることのなかった人たちです。

 

 東京在住の90歳に近い女性は、すでに未亡人ですが、亡くなった夫には最後まで自分が「戦災孤児(浮浪児)だったことを打ち明けられなかったと話していました。そうした自分の過去がわかってしまったら・・・と怖れながら生きてきたのでしょう。

 

 彼女らは 今の小中学生の年齢の時にあまりに過酷で、惨めな思いをしたので、彼ら自身の罪ではないのに一生消えない恥の烙印を押されてしまったのです。

 

 しかもそれを押したのは、敵だった連合軍ではなく、昨日まで仲間であり守ってくれる存在だった日本人の大人たち。ほとんど犬猫扱いで、いわば社会全体からの児童虐待のようなものです。

 

 もちろん終戦直後の異常な状態の中、多くの大人も頭がおかしくなっていたせいですが、これでは大人を恨むな、社会を呪うな、というほうが無理というもの。

 

 全国で120万人もいたという、こうした元・子供たちの話を聞いていると、もう人生、運しかないなと思ってしまいました。

 

 さすがに国もこの惨状をいつまでも放置しておくわけにはいかず、終戦翌年の11月に児童福祉法が施行され改善に向かいます。

 

 しかし数年後、国が復興し社会がまともになるまで何とかもった子は良かったものの、ひどい状況の中で病気や栄養失調で健康を害したり、精神を病んだり、犯罪生活や売春行為からぬけ出せなくなってしまった子も少なくなかったようです。

 

 そして、ここでもどの施設に送られ、どんな大人に出会うかで運命の明暗が分かれてしまったのだと思います。

 120万人の中で何割が無事大人になり、正常な社会生活を送れるようになったのでしょう?

 

 すでに皆さん高齢なので、傷跡を隠したままで生を終えることも可能なのだと思いますが、どこかで心の中の子どもが、戦争なんて知らないよという人たちに「語らなきゃ」とやんちゃを言い出したのでしょうか。

 

 先だっては「戦後73年もたっているんだから」と書いてしまいまいましたが、この人たちの中の子どもが持つ怒り・悲しみの感情は、73年だろうが、100年だろうが薄れることはない。そんな時間経過なんて関係ないのだと思います。

 

 人生の先輩たちに対して恐縮ですが、そんな目にあったにも関わらず、よくここまで頑張ってちゃんと生きぬいて来られました・・・と本当に頭が下がる思いを抱きました。

 

 ちなみに半村良の「晴れた空」(祥伝社文庫・上下巻)は、戦災孤児と戦後直後の社会の様子を描いた数少ない小説で、とても読み応えがあります。

 作者は上野の闇市を体験しているようで、こうした子供たちとの交流もあったのでしょう。

 あくまでフィクションですが、こういう作品は終戦当時の現場の空気を吸ってないとなかなか書けません。

 


戦争の記憶と戦争文化体験

 

 戦争のことを話すのに日づけは関係ないと思いますが、やっぱり8月15日:終戦記念日は特別です。

 メディアはこの日が近づくと、戦争の記憶を伝えるために、どこそこではこんなイベントが行われました・・・といった報道を必ず行います。

 それはほとんど義務のようなものであり、責任であると考えているのでしょう。報道をすれば日本国民の多くは戦争のことを思い起こし、平和の尊さを改めて噛みしめる、という前提のもとに。

 それに異論があるわけではないのですが・・・。

 

 しかしぶっちゃけ、戦争体験者はもちろん「戦後体験者」も少なくなってきた昨今、こうした慣習がどこまで人の心に響いているのか、よくわかりません。

 

 やめてもいいとは思わないけど、実際どれだけの人が耳を傾けているのだろう?

 

 そういう自分の中でも「8月15日?ああ終戦記念日ね」と、たやすくスルーしてしまう程度の軽い存在でしかないのです。

 

 と同時に1960年生まれの僕は、限りなくパーセンテージは低いけど「戦後体験者」といえるかもしれない・・・と思っています。

 

 もの心ついたときはもう高度経済成長も終わっていたけど、子供の頃はほんのわずかながら、戦後の空気が残っていたような気がします。

 「戦争文化」とでも言えばいいのか、そういうものです。

 戦争体験者であるおとなたちがまだ若く、元気に社会を回していたせいでしょう。

 「戦後体験者」というより「戦争文化体験者」というほうが的確かもしれません。

 

 ♪きさまとおれとは同期のさくら~ 

 といった軍歌も歌っていたし、ゼロ戦・戦車・戦艦などはプラモデルの定番人気アイテムだったし、マンガやオモチャの分野でも「戦争」は一つのジャンルを作っていました。

 

 障がい者となった傷病兵の人たちが、街角でアコーディオンやハーモニカを演奏して通行人からお金をもらっているのも、よく目にしていました。

 

 そして、原爆や沖縄戦、大空襲などの話は、現代と比べて段ちがいの迫力・悲惨さ・リアルさを持って語られていました。

 何よりもごく身近で聞く親の体験談(名古屋空襲・戦中戦後の生活など)は、自然に身体に沁みてきました。

 

 そうした文化はけっして楽しいものではなく、できれば誰にとっても思い出したくない、触れたくないものなので、だんだん風化していってしまうのはやむを得ないのかも知れません。

 

 それに今の子供たちや若い世代は、情報・データとしては知っているけれども、自分の五感で感じ取ったものは一切ありません。

 これはもうどうにもならないギャップです。

 

 風化させないよう、記憶を引き継いでいくには、従来のような報道の仕方や、ストレートな体験談を語るだけでは全然追いつかない。

 そろそろ子供たちや若い世代の心にもよく響く新しい表現方法、新しい「日本の戦争文化」のようなものを作ることが必要になっているのではないのか、と思います。

 なにせもう73年も経ってしまったのだから。

 


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「生産性」という言葉が怖い・重い

 

 「生産性を上げよう」はビジネス現場の合言葉。

 ところが近年、この「生産性」という言葉に負のイメージがまとわりつくようになりました。

 ついこの間、「LGBTには生産性がない」と発言して炎上した杉田水脈議員。

 僕があのニュースを聞いてすぐに連想したのが、2年前の2016年7月、相模原市の施設で園で障がい者殺傷事件を起こした植松容疑者です。

 

 植松容疑者は「障がい者は生産性がない。だから社会に不必要。彼らのためにお金を使うのは無駄遣い」という恐るべき「正義」を振りかざして人を殺しました。

 おまけにネット上では彼の唱える「正義」に賛同する者も続出しました。

 

 杉田議員がどういう人かはよく知りませんが、おそらくLGBTの人たちに良いイメージを持っておらず、最近、彼ら・彼女らの声が大きくなってきたのを感情的にガマン出来ず、いかにも正論めいた発言を雑誌に載せたのではないかと推察します。

 

 対象が障がい者・LGBTという違いはあれど、「生産性」という資本主義社会の歪んだ正義のもとにマイノリティを差別し、あわよくば排除しようという根っこの精神は同じ。

 でもこれはこの二人に限ったことでなく、多くの人が潜在的に持っている感情なのではないかと思います。

 

 だからまたフォロワーが出てくるに違いないと踏んでいたのですが、今回はネット上でも杉田議員の発言を肯定する意見は今のところ、ほとんどありません。

 

 ちょっと違和感を感じ、なんで今回は出ないのか考えてみたところ、2年前の事件から「生産性」という言葉にマイナスイメージが貼りつき始めたからではないかと思うのです。

 

 僕を含め、多くの人は「生産性」という言葉を心の中でとても怖れています。

 「おまえは生産性がない・低い」と言われてしまったらどうしよう。

これは「おまえは社会に不必要な人間だ」と言われているのとほぼ同じ。

 太宰治じゃないけど「生きていてすみません」と謝りたくなってしまう。

 

 そのうち、ビジネス現場にも「生産性の高い」AI・ロボットマネージャーが登場し、生産性の低い人間の僕たちはこき使われるのでないか・・・という不安もだんだん膨らんでいます。

 

 その上、杉田議員のように子供を産む・産まないという分野にまで「生産性」という工業・機械・経済などのイメージをまとった言葉を持ちこまれたら、LGBTじゃなくても自然と拒否反応も起こってくるでしょう。

 

 平成の30年間の最も大きな成果・社会の進化は、人権意識が育ち、どんな人にも人間性を認め、尊重することが当然になったということだと思います。

 それはより自分らしく生きることが可能になった、少なくともなり始めている、ということ。

 

 国が貧しい時代は生き続けるのが困難だった人たちが、普通に生きて社会生活が送れるようになったーーその意味をもっとじっくり考えてみるべきではないかと思います。

 


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オリンピックをオワコンにするのはインターネット?  それとも「夢よもう一度」の利権執着昭和人?

 

 ここ数日、テレビをひねってニュースを見ると、終戦関連のニュース、猛暑・台風などの気象ニュースのほかは、民放は日本ボクシング連盟の山根明会長の独壇場と化しています。

 

 昨年末の日馬富士の暴力事件に端を発する大相撲のお家騒動や、先だっての日大アメフト部の問題など、スポーツ関連のスキャンダルはウケるのでと徹底的に深掘りしていくのが近年のマスメディアのお家芸になっているようです。

 

 本来、クリーンであるべきはず(というかクリーンであってほしい)スポーツの理想と、全然そうなっていない現実とのギャップが面白く、視聴者が舞台裏を楽しめちゃうからでしょう。

 いわば「バックステージツアー」ですね。

 

★利権の匂い

 

 さて、渦中の山根会長、床屋さんへ行くのに日の丸のついた日本代表のトレーニングウェアなんぞ着て登場したせいか、報道の裏からはオリンピックの利権の匂いがぷんぷんと漂ってきます。

 

 もちろん、これは今に始まったことでなく、例の新国立競技場やエンブレムの問題からすでに腐敗臭がダダ漏れしていました。

 オリンピックというおいしいメロンを、あっちこっち、みんなで撫でまわしているうちに、本来の食べごろのはるか前から完熟を通り越して腐ってきちゃった、という印象を受けます。

 

 こんなこと言うと、オリンピック目指して頑張っている選手の皆さんや周囲の関係者の皆さん、ファンの皆さんに申し訳なんだけど、2年後、僕たちは本当に純粋にハッピーでエキサイティングな気持ちでオリンピックを迎えられるのか心配になります。

 

 まぁ、そういう気持ちで迎えなくちゃいけないよ、という国民の義務はないので、どうでもいいといえば、どうでもいいんですけど。

 

 試しにインターネットで「オリンピック、利権」とキーワードを入れてみると、ぞろぞろいろんな記事が大量に出てきて、こんなのを読んでいるうちに、国民の何割かは心が離れて行ってしまうのでは・・・と、またまた心配になります。

 

 心からオリンピックを楽しみたいと思っている人は、ニュースはNHKだけに絞って見たほうがいいかもしれません。

 

★56年前の夢よ もう一度

 

 僕が思うにオリンピック運営の上層部にいる昭和人たちは、1964年の

前回開催のイメージが頭にこびりついていて離れないのでは?

 

 時代は高度経済成長の真っただ中。

 「オリンピックを開催してもっともっと豊かになろう、世界の人たちに敗戦からみごとに立ち直って新しい国づくりに成功した日本を見てもらおう」

 と明るく言えば、「よっしゃあ!」と、国民の心は容易くまとまるし、実際にますます景気は良くなり、経済成長していけました。

 

 それにインターネットという、どこの誰ともわからぬ国民が言いたいことを言いまくって発信する鬱陶しい装置もありませんでした。

 テレビ・ラジオ・新聞で当局に都合のいい情報だけを世の中に広めることも簡単にできちゃったわけです。

 

 1964年大会が「若き高校球児」だとすれば、2020年大会は「引退目前まで追い詰められて必死に踏ん張ろうとしているロートルプロ野球選手」のようなもの。

 

 前時代的な利権執着昭和人の「夢よ もう一度」のために、なんで俺たちも付き合わなくちゃいけないのか・・・

 と考える人たちが大勢出てきてもおかしくないでしょう。

 

 最近の進行状況を見ていると、利権で儲けられる人は大儲けできそう、そうでない人はボランティアという美名のもと酷暑の中をこき使われそう、といった現代の格差社会の写し絵的世界が展開する様相です。

 もちろん、純粋にハッピーでエキサイティングな気持ちで、ボランティアとして参加できるのならいいのですが。

 

★オリンピックはこの先も必要なコンテンツなのか?

 

 そもそも近代オリンピックというコンテンツ自体が、国力の見せつけだったり、金儲けの道具だったりしたわけで、果たして今、そういった必要をどれくらいの人が認めているのか?

 1964年を体験した昭和の大衆と同じように、人生に刻印されるべき価値

あるイベントになりうるのか?

 

 また、今回の東京大会のドキュメントが大量にネット情報として発信されるので、それに触れた世界の人たちが、今後、自国でオリンピックをやりたい!と、純粋にハッピーでエキサイティングな希望を持てるのか?

 

 実際、莫大な予算がかかる関係で、IOCは東京以後の開催地候補があまりに少なくて困っているという話も聞きます。

 

 とは言っても、青春をかけるアスリートや、スポーツに元気をもらって生きている人たちにとってオリンピック・パラリンピックは、希望の星。そう簡単にオワコン(終わったコンテンツ)にするわけにはいきません。

 

 ただ、どうしたらもっと希望の持てるイベントにできるのか、どこかで再生手術をする必要があるだろうと感じます。

 オリンピックをオワコンにするのもインターネット、よみがえらせるのもインターネットなのでしょうか・・・。

 


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宇宙旅行に行きたいですか?

 

 と、いきなり街の中で聞かれたら、あなたは何と答えますか?

 とりあえず費用は度外視。意志の問題で。

 

 「当ったり前でしょ、宇宙から青い地球を見て、地球と交信するんだ。それに宇宙遊泳もしてみたーい!」

 なんて元気に答えるのがカッコいいし、夢のある人と思ってもらえるんだろうな、やっぱし。

 

 うーん、でも僕は別に行きたくないなぁ。

 1960年代から80年代にかけてのスペースオペラ小説のような世界が展開するんならいざ知らず、観光遊覧的なノリで地球の周りを回るだけじゃあ、どうもつまらない。

 

 ちなみに4年前ですがJAXAとクラブツーリズムがアンケートをした結果、日本人の半分以上の人が「行きたい」と答えているそうです。

 

 僕は宇宙旅行自体じゃなくて、こうした事業に関わる人たちの心の中のほうが面白い気がします。

 何年先になるかわからないけど、宇宙旅行事業を題材にした仕事をしてみたい。

 ノンフィクションとフィクション(ちょっとひねったスペースオペラもの)を両方書いてみたい。

 そっちほうが僕にとっては夢だなぁ。

 


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慢性硬膜下血腫 退院後の生活

 

 先週の退院以来、お盆を待たず、半ひきこもり状態で過ごしてます。

家事をやったり、パソコン内の整理をしたり、レギュラーワークをぼちぼちやっていますが、基本的にはクーラーの部屋でゴロゴロしてます。

 

 慢性的な睡眠不足と疲労が溜まっていて、どこかでしばらくゴロゴロするような休みを取りたいなぁ・・・という心の声を聴いて、脳が「よっしゃ、そしたら休ませたるわい」と疾患が出たのかなぁ・・・とも思ったりして。

 

 1週間、病院食(割とおいしかった)を食べていたせいか(割と好きだった)刺激物や油ものに食指が動かなくて、野菜と大豆ものを欲するとか、身体の変化も感じます。

 あんまり動いてないから当たりまえだけど、食べる量も減ってます。

これまではストレス食いしていた部分もあったのかも知れません。

 

 入院以来、毎日たっぷり寝て、身体にべちゃっとまつわりついていた疲労感が抜けたようです。

ただ、あんまりゴロゴロしていると現場復帰できなくなってしまうので、今週から少しずつ動き出しますよ。

 


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入院顛末記

 

 シャバに出てきた今だからこそ笑って語れる顛末記。

 長いのでおヒマなら。

 

●平衡感覚が取れず、足先に力が入らない

 

 1ヶ月前、熱中症かな~と思っていたのが、慢性硬膜下血腫でした。

 

 7月25日(水)夕方、永福町の自宅から明大前方面に向かって自転車をこぎ出したのですが、なんだかペダルを踏みこむ足に力が入らず、ふらふらする。

 どうもおかしいな~と思ったのですが、「ええい、こんなものは気力で克服しちゃる!」と気合を入れ直し、一路目的地へ。

 

 ところが「一路」というわりに蛇行している。

 6月の事故以来、あまりスピードを出さないように注意しているのですが、ちょっと幅の狭い道で通行人や車とすれ違うと、ぶつかりそうな錯覚に陥り、ところどころ降りて歩くことに。

 

 進めば進むほど、頭の中でおかしいぞ、おかしいぞという声が響いてくる。こりゃダメなんじゃないかという声が大きくなってくる。

 「いやいや、おかしいと思うからおかしい、ダメと思うからダメなんじゃ!」と振り切っているうちにやっと甲州街道の交差点へ。

 

●美人のお姉さんの声掛けでギブアップ

 

 そこで道路を横断しようとしたところで、通りすがりのおじさんに呼び止められ、「あんた、少し休みなさい」と言われました。

 自分の中ではちょっとだけフラついているという自覚でしたが、傍から見ると相当フラついていたようで、交通量の多い甲州街道の辺りでは、かなり危険と映ったのでしょう。

 

 そこでやむを得ず、高架下の駐輪場に自転車を停め、歩いて向こう側まで歩いて渡ったのですが、その歩きもフラフラ状態だったようで、今度はまた通りすがりの女性が『大丈夫ですか?ちょっと休みましょう」と声をかけてきました。

 

 おそらく熱中症だと思ったのでしょう。

 

 若い美人だし、おとなしく言うことを聞いて沿道で休んでいると、彼女は親切にも警察に電話してくれ、ほどなく3人の警官が登場。何を聞かれたか覚えていませんが、とにかく救急車を呼びましょうということになって最寄りの救急病院へ。

 

 そこでCT検査をしたところ、慢性硬膜下血腫と診断されましたが、その夜は一旦自宅に帰り、翌朝26日、目黒区の三宿病院へ。そのまま緊急患者として手術、入院とあいなりました。

 人生初めての手術、入院です。

 

●入院メモリー

 

 初日はまったくベッドの上から動けず、頭に入った管には赤黒い血種の残りが出ているようで、グロくて正視できない状態。夜になってやっと頭の管を外し、バチバチとホチキスで傷口を止めてもらいました。

 

 看護師さんが入院手続きの話をしたり、家族が来てあれこれ話したのですが、イメージだけが残っていて具体的にな何を話したのか、ほとんど覚えていません。

 これもそんな自覚症状はなかったのですが、かなり意識が朦朧としていたのでしょう。

 

 2日目以降はもちろん歩けるようになりましたが、トイレに行くにもナースコールが必要で、しかも入っていた病室がちょっと重症っぽい患者さんが多く、夜中に機器の管を外してしまうなどの騒ぎがあったりして、これはオレも相当な重症なのかな~、退院までどれくらいかkるのだろう?と不安になりました。

 

 ただ、病院内は過去お見舞いや親の看護などで訪れたことのある他の病院よりも明るいイメージで、午前と午後にリハビリの時間も適度に退屈カ感・ストレスが抜けて、割と居心地よかったです。

 

 いろんな個性をにじませる患者さんがいて、それに対しても明るく働く看護師さんやリハビリスタッフの人たち(仕事だから当たり前だけど)にも感心しました。

 

●ありがとう&疾患についての覚書&教訓

 

 ま、シャバに出てきた今だからこそ、こんなのんきなことが言えるのでしょう。

 たかが1週間だったんですけどね。

 いずれにしてもいろんな人に助けられました。

 特にわざわざ警官を呼んでもらった通りすがりの女性には感謝です。

 若くて美人だったしね。

べつにそうでなかったら言うこと聞かなかったわけじゃないけど。

 

 ちなみにこの疾患は、大した症状がなくても長期間放置しておくと命にかかわることもあるようです。

 体験的に言うと、平衡感覚がおかしくなったり、踏ん張りがきかず、地に足をつける感覚が薄れたら、疑ってみた方がいいかもしれません。

 

 そして、いくら精神論を唱えたり、気力を出そうとしてもダメな時はダメです。

 大人しく認め、諦めることも必要ですね。

 

 今朝、涼しいうちに駐輪場に置きっぱなしだった自転車を回収してきました。

 リハビリがてらゆっくり漕いでみたら、感覚が戻っていました。完

 


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慢性硬膜下血腫で入院

 

しばらく更新が滞っていて失礼しました。

実は慢性硬膜下血腫(まんせいこうまくかけっしゅ)という疾患にかかり、7月26日から1週間、都内の病院に入院。本日退院してきました。

 

これは頭の中の硬膜と脳の間に血腫が少しずつでき、それが脳を圧迫するという疾患です。

かなりギュギュっと押しつぶされていたようです。

 

6月上旬に自転車事故で顔面を打ちつけましたが、その時の後遺症と思われます。

脳天を打った覚えはないし、直後のCT検査でも異常は見られなかったので安心していたのですが。

 

今月初めごろからどうも体調が思わしくないなと思っていたら、少しずつ出していたというわけです。

 

手術は頭の中から血種を抜き出すもので、そう深刻なオペではありませんでした。

ただ再発のリスクもあるので、向こう1カ月間はぼちぼちやろうと思っています。暑いですしね。

 

家族の他、緊急で仕事関係の方にはショートメールで連絡しましたが、ご心配・励ましの言葉、ありがとうございました。

 

入院の顛末や入院生活についてはちょっと笑える部分もあるので、後日改めて書きますね。

長時間の出歩きとハードワークはしばし控えますが、こんな感じで元気です。

 


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ロンドン旅行記⑤:「国家の英雄」が乗った海賊船

 

 「海の日」なので海賊の話。

 ロンドンブリッジの近くにあるテムズ川のドック。

 ビルとビルの谷間に、小さな海賊船がポヨヨンと浮かんでいます。

 

 ルフィの麦わら海賊団の船でももう少しはでかいだろうというくらいの可愛さですが、これが七つの海で金銀財宝など、略奪の限りを尽くし、スペインの無敵艦隊を撃破し、あげくの果てに世界一周まで成し遂げ、イギリスの英雄とまで謳われるようになった海賊王サー・フランシス・ドレークが自らの船団を率いる旗艦とした「GOLDEN HEIND号」です。

 

 初めて世界周航に成功したのはご存知の通り、ポルトガルのマゼラン(率いたのはスペインの船)ですが、実はマゼランは出発地に帰り着く前に死んでしまった(船団の部下が帰還した)ので、指揮官として世界周航をコンプリートに実現し、故国に生還したのは、ドレークが世界初と言えます。

 

 この船はもちろん実物大のレプリカなのですが、テーマパークで賑やかしのために展示している代物とは違って、本物感たっぷりです。

 最初は本当に500年前の船を修復したのかと思ったくらいです。

 

 乗船して甲板、船室、船底などに入ってみると、楽しさ・快適さとはほど遠く、こんなところにはとても数時間といられないという感じ。

 

 当時のイギリス人が今より体格が小さかったとしても、本当に小さすぎないか?

 もしや寸法を間違えて再現したのではないか?

 

 とにかく想像を絶する狭さ・暗さで、時々港で休むことはあったとしても、むさ苦しい男どもが何人も同乗して、波に揺られながら何ヶ月も旅をするのは大変だっただろうなと、ひしひしと感じます。

 

 1581年4月、船長のドレークはこの船の甲板上で、当時の国家元首エリザベス1世からナイトの爵位を授けられたと言います。

 

 海賊なのに、女王の治世を支えた「国家の英雄」。

 

 なんでかというと、ドレークは略奪した金銀財宝の半分を女王陛下に上納していたそうで、その額は当時の国家予算に相当したといいます。

 

 いわゆる国家公認、女王陛下お抱えの海賊。

 

 エリザベス1世はその金で莫大な借金を返した上に、まっとうな経済を作る貿易会社設立のために投資。それに付随して現代の金融・貿易システムにつながるさまざまな施策を打ち出しました。

 

 このあたりのことは国際政治学者で海賊研究者である竹田いさみ氏の「世界史をつくった海賊」(ちくま新書888)に詳しく、面白く書かれています。

 

 ちょっと弁護すると、この時代のイギリスは経済的にも軍事的にもヨーロッパの弱小国で、ちょうど明治期、欧米列強の侵略に怯えていた日本同様、スペイン、ポルトガル、フランスなどのカソリック系先進国から国をつぶされそうになっており「富国強兵」の必要に駆られていました。

 

 そこでこのドレークをはじめとする海賊たちの経済貢献活動が「富国」の部分――のちの大英帝国の経済基盤になり、航海術や戦闘術などが「強兵」の部分――世界最強海軍の編成になったのです。

 

 まさに「悪の大帝国誕生エピソード1」という感じ。

 

 ドレークもすごいけど、その黒幕として海賊を利用し、やることなすことしたたかで賢いエリザベスはもっとすごい。

 

 大英帝国時代のビクトリア女王しかり、現在のエリザベス2世しかり、80年代のマーガレット・サッチャーしかり、(メイ首相はまだどうか分かりませんが)この国は成長・変革のたびに女に救われてきたと言えるのかも知れません。

 

 実際に「GOLDEN HEIND号」船内を見て感じたのは、この海賊王のすごさは度胸とか勇敢さなどよりも、乗組員の健康管理とか、ストレス管理を繊細にやっていたところではないかと思います。

 また、それがあったからこそ部下の信頼も厚かったのでしょう。

 

 この時代、船団が航海に出かけると大半の乗組員は途中で死んでしまったようですが、その多くは戦闘や事故でなく、病気で命を落としていたようです。

 こんな狭い船内で閉じこもって仕事をしていればそれも当然です。

 

 そして病死したらそのまま海に投げ入れてサメの餌です。

 そんな仲間の末路を目の当たりにしたら、残りの連中も暗澹たる気持ちになったことでしょう。

 

 その中でドレーク海賊団の生還率は飛びぬけて高かったと言います。

 積める荷物は限られているので、食糧や飲料水の調達にも相当気を配っていただろうし、部下のストレスがなるべく溜まらないよう、休憩させたり、慰安を入れたり、いろいろ心を砕いていたのでしょう。

 

 そういう意味では英雄ドレークの真の強さの秘密は、ボスとしての思いやりとか、従業員の「働き方改革」だったのではないかと思います。

 

 そういえば我が国の「海の日」も、3連休づくりという政府の思し召しのために、毎年カレンダーに合わせて動かされるので、本当は何日で、どういう由来のある日だったのかすっかり忘れてしまいました。

 ま、誰にも文句言われず、大手を振って休めれば何でもいいのかな。

 


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ロンドン旅行記④:メモリアルベンチのある風景

 

 自分が愛した公園で人々と一緒に過ごしたいという故人の思い、あるいはその遺族の思いを表現し寄贈したメモリアルベンチ。

 この世を去った人たちと、その後も生き続ける人たち、新しく生まれてきた子や孫の世代の人たちが、ごく自然に同じ場所で憩い、語らい、ひとときを楽しむ。

 ロンドンではそんな風景を見ることができます。

 

●故人の名前とメッセージを刻んだベンチ

 

 イギリスの公園を歩くと、あちこちに座って休めるベンチが置いてあります。

 その背もたれの部分などをよく見ると名前と生没年、メッセージが彫り込まれていたり、それらを書いた金属プレートが埋め込まれていたりします。

 これは、その公園やガーデン、その場所に通っていた(あるいは縁のある)亡き人を想い、家族や友人たちが寄贈したもので「メモリアルベンチ」と呼ばれています。

 

●80以上のメモリアルベンチが置かれたHolland Park

 

 このメモリアルベンチが80以上も設置されているのが、ロンドン西部のケンジントン地区にあるHolland Park(ホーランドパーク)です。

 広さは日比谷公園ほど。四季の花が咲く庭園やバラ園が設けられ、雑木林ではリスが遊ぶ愛らしい公園で、カフェやギャラリー、子供のための遊び場・施設、ちょっとしたイベントステージなども設けられており、地域のコミュニティの中心として活用されています。

 

 公園の散歩道沿いに、あるいは花壇の周囲などに設置されてあるベンチのメッセージを読んでいくと、見も知らぬ故人の人柄・家族や友人との間柄を偲ぶことができます。

 

 おじいちゃん・おばあちゃんのために、孫を含めた家族が寄贈というケースが多いようですが、中には30代半ばで昨年亡くなった青年のために彼の婚約者らが贈ったもの、あるいはわずか1歳足らずで亡くなったわが子のことを忘れないために両親が贈ったものもあります。

 

●文字から滲み出す切実な思い

 

 老齢の人のものは「IN LOVONG MEMORY OF・・・」といった比較的穏やかな文章が綴られていますが、若い人や子供の場合は、「Funny、warm、loving、thoghful and uniqe」とか、「the most gorgeous baby in the world」など、かなり強い言葉が用いられています。

 

 自分たちが愛した彼もしくは彼女のことを、何とか表現して伝えなくては癒されない遺族の切実な思い、その裏にある無念さ、喪失感の大きさが文字から滲み出していて、ついその場で立ち止まってしまいます。

 

●メモリアルベンチの聖地

 

 このHolland Parkは、僕がむかし働いていた店のすぐそばにあり、休憩時間などに行ってよく散歩していました。

 今ほど数は多くありませんでしたが、当時からこうしたベンチが置かれており、その頃は「何だろう?」とよく意味がわからなかったのですが、そのうちガイドブック内の小さなコラムでメモリアルベンチの話を読んで、そうだったのかと認識した次第です。

 

 そんな思い出もあってロンドンに来るたびに、観光スポットでもないこの公園を訪れるのですが、なんだか毎回、このベンチが増えているような気がします。

 僕にとっては「メモリアルベンチの聖地」とも言えるところです。

 

 先々月から雑誌で「世界のEndong Watch」という連載コラムを書いており、今回はこのことをぜひ紹介したいと思い、泊ったところも歩いて15分くらいのところだったので、じっくり散策・取材出来ました。

 

●自然に風景の一部に

 

 僕がこのメモリアリベンチが好きなのは、飾られている感がまったくなく、ごく普通にベンチとして使われていることです。

 

 座って何か熱心に語り合っているグループもいれば、子どもたちが遊び回るのを眺めているお母さんもいる。

 

 一人で本を読む人、新聞を広げて読む老人もいれば、ジョギングの合間の休憩でドシャーッと寝そべっている若者もいる。

 いちゃついているラブラブカップルもいるし、一緒に座ってアイスクリームを食べているイヌと飼い主もいる。

 時々、リスもちょろちょろと空いているベンチの上で遊んでいる。

 

 毎日いろいろな人たちが(プラス動物も)この公園で楽しみ、何の気兼ねもなくベンチを利用する。

 

もしかしたらその中の何人かは、背もたれのメッセージに気づき、誰かに愛され、少し前に命を終えたその人の暮らしをぼんやりと想像してみたりするのかもしれません。

 

メモリアルベンチの存在はごく自然に風景の一部になっており、この愛らしい公園をより愛の溢れた場所にしているかのようです。

 

●設置の手続き

 

 このメモリアルベンチを設置する手続きは 、住んでいる地区のカウンシル(自治体)に申し込んで料金を支払えば、ベンチの購入からメッセージの彫り込み(あるいはプレートの制作)、設置まで手配してもらえるようです。

 

 費用はその地区によって異なりますが、ロンドンの公園ではだいたい1000ポンド(約15万円)前後であることが多く、ベンチが破損しても10年間は無料で修理してくれるといいます。

 

 ただし、お金さえ払えば作れるというわけではなく、その人(家族)が長年その地域に暮らし、しかも地域のためにどんな貢献をしたか(寄付やボランティア活動などの実績)が問われるようです。

 

●生き続ける人たち・生まれてくる人たちのために

 

 この習慣がいつ頃から始まったのはか定かではありませんが、Holland Parkで見つけたベンチの中で最も古いのは、1983年に亡くなった人のものでした。

 僕がここをウロついていたのは、1985~87年頃だったので、あの頃はまだ始まったばかりだったのかも知れません。

 

 散歩好き・公園好きなイギリス人らしい発想であり、この世から去った後も公共の場で、生き続ける人々・新しく生まれてくる人々の憩い・語らい・楽しみのためにさりげなく役立ちたい・・・。

 

 そんな心象が表現された、とてもチャーミングなエンディングワークが、自然な風景として溶け込んでいるのが、ロンドンの魅力の一つになっています。

 


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ロンドン旅行記③:ロンドンのリスとイヌとネコ

 

 ロンドンの公園では雑木林でリスがちょろちょろしているので対話を試みます。

 このリスたちはあまり物おじせず、中にはカメラを向けると「へへっ」とポーズを取ったりするやつもいます。なかなかキュートです。

 

 イギリス人はイヌ好きなので、公園や住宅街ではイヌもよく散歩しています。

 日本でドッグランを設けている公園もありますが、こちらはあまり関係なく、平気でリードを外して歩かせています。

 むしろリードをつけている犬の方が少ないくらいで、しかも多くはリトリバーやボーダーコリーみたいな大型犬です。

 

 滞在したHolland Park周辺では、以前は小型犬はほとんど見かけなかったのですが、住宅事情の影響か、高齢者世帯が増えて大型犬は手に負えなくなったのか、3~4割は小型犬になったような気がします。

 

 この周辺には立派なしっぽをピンと立てたネコが結構大勢うろうろしていました。

 

 僕が話しかけると、シャイな日本のネコみたいに逃げ出さず、リスと同じく堂々と対応してくれたものです。

 

 それでミャウミャウやっていると、どこからか飼主かご近所さんだか、マダムやおばあちゃんがやってきて「Lovely Catがああしたこうした」とか、「Beautiful Tailがどうのこうの」とか、うれしそうに話しかけてきました。

 

 70年代後半から21世紀になる頃まで、「CATS」というヒットミュージカルを長年にわたって上演されており、ロンドンは「ネコの街」というイメージすらあった(そういえばキティちゃんもたしかロンドン出身という設定でしたね)のですが、なぜか今回はどこへ行っても、ただの一匹もネコに会えませんでした。

 

 WHY?

 

 たんに僕にネコ運がなかったというだけならいいのですが、まさか何か規制がかけられてネコが飼えなくなったわけじゃないだろうな・・・・とちょっと心配になりました。

 それともみんな、小型犬に乗り替えてしまったのかなぁ。

 

 リスもイヌもネコもいるロンドンが好きなので、ちょっとこれは残念でした。

 


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熱中症でダウン

 

 今まで他人事と思っていた熱中症にやられ、ひどい頭痛と軽い吐きけ。

 月曜・火曜とアポイントのあった取材・打ち合わせ・取材を何とかこなした後、すっかりダウンしてしまいました。

 本日、やっと回復傾向。

 旅行記も止まってしまいましたが、まだ続くので、ロンドンのリスちゃんに免じて許してケロ。

 


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ロンドン旅行記②:21世紀の新名所は鉄道駅 Paddington➡パディントン/King's Cross➡ハリーポッター

 

★還暦を迎え大スターに昇進した「旅する子グマ」

 

 ヒースロー空港から中心部へは、以前は地下鉄のピカデリーラインで乗り込んでいたのですが、今回は新しくできた「ヒースロー・エクスプレス」を利用。これだとターミナル駅のPaddingtonまでたったの15分です(でも帰りは途中で停まってしまい、30分かかったぞ)。

 

 鉄道発祥の国だけあって、ロンドンのターミナル駅はどこもクラシックな趣があり、初めて目にする息子は、そこはかとなく感動していました(本当は2回目だけど、最初に来た時は5歳のチビだったので、ほとんど覚えてないとのこと)。

 

 パディントンの駅は「くまのパディントン」(マイケル・ボンド作)というお話の舞台としても有名です。

 僕も赤い帽子と青いコート、いつもトランクを持っているクマのキャラクターがいることは知っていましたが、「プーさんやテディベアとどこがどう違うんだ?」というレベルの認識でした。

 

 ところがこのクマ、生まれて60年、還暦を迎えてますます元気とのことで、世界的な人気を獲得し、映画もすでに2本作られ、パディントン駅にはかわいショップもでき、お客があふれています。

 

 どうも「旅する子グマ」(設定では南米ペルーの山奥からやってきたみなしごクマで、この駅のそばに住んでいる優しい家族に拾われ、いっしょに暮らしている)の視線でロンドンの街や人々を眺め、ユーモラスな騒動を起こすというところが面白いようです。

 

 そんなストーリーなど全く知らなかったので、帰りの飛行機の中で映画「パディントン2」を見ましたが、確かに英国風ユーモアにあふれ、ドタバタしながらも、おしゃれ感・ほのぼの感があって楽しめました。

 

 帰ってきて原作を読んでみようと近所の図書館に行ったところ、3冊あるのに残念ながらどれも貸し出し中(ということはやっぱり結構人気があるということでしょうか)。

 まだまだ知らないお話がたくさんあります。

 

★英国ファンタジー大復活の舞台

 

 さて、パディントンと同様のターミナル駅でKing's Cross(キングスクロス)という駅があり、こちらには“鉄道を利用しない観光客”が毎日大挙して押し寄せます。

 

 ここも古い駅で、よく言えば荘厳、悪く言えばとんでもないオンボロだったのですが、近年改築され、モダンなデザインの屋根がかけられて生まれ変わりました。

 

 これはこれで「クラシックとモダンの融合」として素敵なのですが、人気を集めているのはそんなアート的な駅の佇まいではありません。

 

 構内の端っこにある奇妙な壁のオブジェ――「9と4分の3」と番号が振られた壁の中に荷物を乗せたワゴンが半分入りこんでいます。

 そうです、かのハリーポッターが魔法学校ホグワースヘ向かう列車に乗り込んだ時の幻のプラットフォームです。

 

 そこでの写真撮影を目的に、連日、世界中から観光客がやってくるのです。

 

 僕たちはここを2回通り過ぎましたが、日中はいつも長蛇の列で、とても並ぶ気にならず、撮影はあきらめました。

 

 ちなみにこの撮影は朝8時から夜10時までOKで、自分のスマホやタブレット、デジカメなどで撮るのは基本的に無料。

 

 ちゃんと杖とかマフラーとか小道具も用意されており、大混乱にならないよう専任のスタッフがついて面倒見ています。

 

 撮影は無料だけど、その脇にはパディントンの場合と同じく専用のおみやげショップが設けられ、しっかりビジネスしています。

 豊富なグッズ類はどれも結構いいお値段がするにも関わらず、見ていると飛ぶように売れていきます。

 

 行かなかったけど、映画のスタジオツアーもあるし、ウェストエンドのど真ん中にあるパレスシアターでは舞台劇「ハリーポッターと呪いの子」(原作者のJ・K・ローリングも脚本に参加)もかかっています。

 どっちも相当前からネットで予約しておかないとチケットは取れないようです。

 

 それにしてもこうした現象を目の当たりにすると、この21世紀の世界的大ベストセラーがもたらした文化的影響力、この国に与えた経済効果は計り知れません。

 

 貧乏シングルマザーからペン1本で大作家に上り詰めたという、彼女自身のシンデレラストーリーも相まって、いまやローリングさんは20世紀のビートルズにも匹敵するスーパーポップスター、と言えるのかもしれません。

 


ロンドン旅行記①:観光都市は空港からエンターテインメント

 

 今回は韓国のアシアナ航空の、ひとり往復9万円弱なりのエアチケットで旅行。発着はヒースロー空港第2ターミナルでした。

 

 この第2ターミナルは2014年にリニューアルオープンしたばかりだそうで、またの名を「Queens Terminal」といいます。

 

 これまで成田もヒースローも、他国の空港でも、そこは単なる飛行機の発着所であり、通り過ぎる場所であり、お土産屋やカフェが並ぶ場所で、特にこれといった印象を受けたことは一度もありませんでした。

 

 しかしこの「Queens Terminal」は、なかなかモダンなつくりでメッセージ性も豊かな施設になっています。

 

 到着ロビーに行く途中、「Weklcome」というポスターが壁に貼ってあり、利用者を出迎えるのは万国共通ですが、ここではそのポスター1枚1枚にミュージシャンやら、ビーフイーター(ロンドン塔の番兵)やら、ポリスマンやら、エンジニアやら、ロンドンの街中で見かける人たちが映っています。

 

 人種・性別・年齢の区別なく10人ほどの人たちが自分のキャラクターを押し出し

、それぞれ満面の笑みでWeklcome!と語り掛けるポスターはなかなかの迫力で、広告効果抜群です。

 「これからロンドン劇場でお楽しみくださいな」と、演劇の登場人物らが言っているような、そんなイメージを抱かせます。

 

 人間の感情豊かな表情が発信するメッセージというのは、とても強烈で多弁なんだなと改めて感じました。

 

 アシアナ航空の発着ゲートは、空港の端っこにあって随分と歩かなくてはいけないのだけど、ここもただ単に移動するだけの空間にしていません。

 

 プロムナードの途中には、1946年に開港したヒースローの歴史(と同時にこの70年近くのイギリスの歴史)が写真で分かりやすく描かれていて、これもなかなか楽しめました。

 

 世界中の多くの人が知っている、エリザベス女王の戴冠式、ビートルズ、デビッド・ボウイ、LIVE AIDなどのUKロックのヒストリー、ロイヤルウェディング、さらに2012年のロンドン五輪まで。

 写真で誰にでもわかりやすく表現されており、来た人がヒースローに、ひいてはロンドン、英国にさりげなく親しみと関心を抱けるよう工夫しています。

 これにはちょっと感心しました。

 

 ロンドンには世界の首都としての歴史的建造物や物語の舞台がたくさんあるし、地方にもその地方独自の歴史・文化があり、美しい自然があり、観光資源は豊富に揃っています。

 

 けれども以前はその素材の持つ力自体に頼っていて、何も手を加えないのがいいのだ――といった方針があったのではないかと思います。

 

 なので、僕が住んでいた30数年前は「先祖の遺産で食っている」と揶揄されることもしばしばありました。

 

 で、このままじゃいかんと国の中枢の人が気付いたのでしょう。

 あるいは民間企業から働きかけがあったのかもしれません。

 

 いつ、どこで、どんな街づくりプロジェクトが発令されたのかは知りませんが、これらの遺産をどう有効活用し、次世代に繋げていくかが――といったことが割と真剣に検討されたのではないでしょうか。

 

 その結果、古いものを残しつつ、この第2ターミナル同様、街全体(特に観光エリア)にいろいろな種類の物語が編み込まれ、リニューアルデザインされたのだと思います。

 

 こうしたことは以前来た2001年にはかなり進んでいたと思いますが、僕の中ではまだ1980年代のイメージが残っていたせいか、そんなに強くは感じませんでした。

 しかし今回はさすがにブランクが大きかっただけあって、とても強く感じとることができました。

 

 もちろん、そのために失われた良いところ――無理やり化粧をしなくてもいいではないかと思えるところ――もいくつかあるわけですが。

 

 いずれにしてもこの国が、グローバル化の進展とネット社会の進展によってケタ違いに増えた観光客を、どんどん招き入れ、観光で収入倍増をもくろんでいることは明白です。

 

 なのであちこち楽しむにはお金がたくさんかかることは覚悟しなくてはなりませんが、飛行機代は昔より安く手に入るようになったので、そこはチャラになっていると考えた方がいいでしょう。

 

 一介の観光客としては高いアドミッションを払う分、たっぷり楽しんで元を取ってやろうという根性が大切です。

 

 旅も自分のテーマとか目的とか条件とか予算とかを統合し、できるだけ自分用にカスタマイズして楽しむ時代。

 ロンドンみたいな観光都市はそれにしっかり応えてくれると思います。

 


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ロンドンの青空

 

 ロンドンから帰ってきました。

 お天気が悪いということで定評あるロンドンですが、僕が滞在した20日~27日の間、ご覧の通り晴れっぱなしです。

 

 1995年も、2001年も同じ6月に行ったので、この23年間、ロンドンのイメージは完全にピーカンから変わらず。

 雨が降ってたのっていつのことだっけ? という感じです。

 

 天気は良いのはいいのだけど、暑いの何の。

 これでは日本と変わらない。

 おまけにこの国は冷房というものを使わないので、かなりバテました。

 

 今回のロンドン行きはカミさんにカミつかれて、メンドくさいけど、しゃーない行くかと重い腰を上げて出かけたのですが、めちゃくちゃ楽しかった。

 

 もともと観光都市なのだけど、オリンピックもあったせいでしょう。

 すっかり洗練されてポップ度がUPして素敵な街に様変わりしていました。

 なんというか街全体がテーマパークみたいになってて、観光客には本当に楽しい街だと思います。

 

 最後に来た2001年からずっと進化していたし、ましてや僕が暮らしていた1980年代なかばとは全然ちがう街になっていました。

 

 いろいろ新発見・再発見もあって、またイギリスの近代史など勉強したいなと思うところもいっぱいで、なんだかすっかりリセットという感じです。

 

 何がどう変ったのか、そう短くは言えないので、リアルタイムで情報発信しなかった代わりに、「ちょっとビンボーな観光客」として、「昔の生活者」の視点をちょっと交えて、1ヵ月ほどの間、いくつかのコンテンツに分けて五月雨式に旅行記を書いていこうと思います。

 

 おヒマと興味があったら読んでください。

 おたのしみに~。

 


ロンドンに行くのになぜか1985年のソ連

 

 ドタバタと仕事を終わらせて旅支度も整いました。

 が、スーツケースを先に送って、いつも仕事で使っているスリーウェイのバッグ一つなので今ひとつ気分が盛り上がらない。

 

 というわけで、最初にロンドンに行った時のことを思い出してみました。

 1985年8月。あの日航ジャンボ機墜落事故の1週間前でした。

 なぜか友だちがわざわざ成田まで見送りに来てくれて、いま思えばドラマごっこをしていたような感じでした。

 

 乗り込んだのはアエロフロート・ソ連航空。

 サッカーワールドカップをやってるロシアじゃないですよ、ソ連です。

 まだペレストロイカ前夜で、ゴルバチョフが登場する前の話です。

 

 評判は最悪の航空会社でしたが、乗り心地も機内食もそうひどくはありませんでした。

 ただし、スッチーさんたち(今はキャビンアテンダントですが)は超不愛想。

 

 強烈だったのはトランジットでモスクワ空港に降りた時。

 節電しているのかなんだか、やたら暗くてがらんとしていて、まるで巨大な倉庫のようでした。

 

 そこでカチンコチンの無表情なソ連兵が銃を構えて乗客に「早く行け」とかなんとか指示していました。

 

 「やあ」と笑って挨拶したら、「バカヤロ、なに笑ってんだ」と女性兵士に叱られました。これホント。

 

 なんだか古い映画のようにあの時の映像がよみがえってきます。

 

 ロンドンに行くのになんでソ連の話なんかしているのか?

 まあいいでしょう。

 ちなみに今回はアリアナ航空なのでソウルでトランジットです。

 


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17年ぶりのロンドン旅行

 

 じつは明後日から月末までロンドンへ行きます。

 20代の頃、2年半ほど暮らしていて、帰ってきてからも新婚旅行をはじめ、3~4年に1回くらいは言ってましたが、今回はなんと17年ぶり。

 海外旅行も17年ぶり。すごいブランクです。

 

 1週間前に顔面負傷はするわ、つい三日前に予約していたAirBBの家にキャンセルくらい、ドタバタしました。

 

 でも懐かしの町Shephers Bush(この近くのホテルの日本食屋で働いていた)に宿が取れてよかった。

 

 昨日スーツケースを宅配便で送ってひと段落。

 忙しくて準備はほとんどカミさんまかせで、いろいろIT化した現代旅行事情・ロンドン事情についていけてません。

 

 いやー、どうなることやら。楽しみです。

 


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LGBTの話題

 

 農業やエンディング関係の仕事をしていると、たびたびLGBTの話題に出会います。農業の方はライフスタイルとして相性がいい・・・といえばいいのでしょうか。デザインなどの仕事と並行してやっているという人もいて、ちゃんとブログやホームページでもカミングアウトしています。

 

 エンディングのほうは昨年あたりから急に増え始めたような気がします。

 やっぱり悩み相談ですね。お寺などで議論の場がちょくちょく設けられているのを耳にします。

 

 性転換したお坊さんもいて、性的マイノリティの人たちの駆け込み寺を作るっていることも話題になっています。

 

 寛容になったのかどうかわかりませんが、いずれにしても社会全体がそうしたマイノリティの人たちの声を聴こうと動いているようです。

 

 なんでも日本人も13人に一人がLGBTとかで・・・ホントなんだろうか?

 LGBTと言ってもいろいろなスタイルぎょうで、そこのところ、僕はまだちゃんと理解できていません。

 

 そういえばロンドンにいた時、ゲイのおじさんに誘惑されたことふがるけど、その人はちゃんと妻子もいたなぁ。

 

 それでふと思い出したのが、20代後半の頃、ふられた女の子のこと。

 半年ほどシナリオ講座に通ったことがあるのだけど、その時いっしょに受講していた子で、その時はボンクラで気が付かなかったけど、どうも彼女はレズビアンだったのではないかと。

 

 何か根拠があるわけではないのですが、たいして美人ではないけど不思議な魅力のあってすごくモテる子で、知っているだけでも僕以外に若い奴からおっさんまで3人の男が言いよっていましたが、みんなフラれていました。

 

 かといって彼氏がいる様子もなく、オトコそのものが嫌いのでは・・・という印象を受けました。

 

 僕はふられたけど、それでそんなに傷ついたわけでなく、なぜかその後も自然に20年以上も友だちづきあいしていました。

 息子がチビだったころ、一度会わせたことがあるのだけど、妙によくなついて「私、この子とは友達になれそう」とか言っていました。

 5~6年前から毎年来ていた年賀状が来なくなり、ぷっつり音沙汰が絶えてしまったのけど、どうしているのやら。

 恋人と外国へでも飛んだのか・・・。

 

 たぶん少し幻想が混じっていると思いますが、LGBTの人たちは(と一括りにできないと思いますが)僕たちには見えない何かが見えるのではないかと思います。

 また、人生のあちこちで生きづらさを感じている分、生きることについて、死後のことまで、僕たちなどよりも深くまじめに考えているのではないかと思います。

 


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顔出しNG

 

 お気にかけて頂き、ありがとうございます。

 本日、CT検査の結果が出て、顔も頭も骨に異常なしとのこと。

 大事に至らず、ほっと一安心しました。

 

 擦過傷もだいぶ回復してきたものの、右目の周りは真紫色。

 あちこち腫れたり、(比喩ではなく物理的に)歪んだりしていて、ちょっとまだ人前に出るのは憚られる顔になっています。

 

 好奇心旺盛な方のために顔出ししようかとも思いましたが、不快になる方のほうが多いだろうと思ってやめときます。

 見ても、生きる勇気が湧くとか、明日への希望につながるとか、そんなことないしね。

 

 今週はなるべく外出を控え、引きこもって原稿書きをしていたいと思います。

 

※画像と文章は特に関係ありません。タイトルの「顔出しNG」で画像を調べてみたら、こんなのが出てきたので使ってみました。ちょっとホラーテイストですが、なかなか可愛い子です。河村友歌ちゃんというモデルだそうです。

 


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ひつじの数など数えなくても死んだように眠った

 

 突然のアクシデントですっかりタガが崩壊。

 普段、ケガや病気に慣れていないのと慢性的睡眠不足が原因かと思います。

 今日は予定の仕事もキャンセルして1日中家で寝ていました。

 ひつじなんぞ数えなくても、寝られるわ寝られるわ。

 

 月並みな話で恐縮ですが、いてもは大して意識していないのですが、弱体化した状況に陥ると、いっしょに住まう家族のありがたみをひしひしと感じます。

 

 前も書いたけど、若い頃は孤独なんぞ気にならなかったけど、齢を取るとやっぱりそうな言えなくなります。

 ひとりだったらこれはきついだろうなと。

 そういう意味では気が弱くなっているのかと思います。

 

 今、独居老人と好奇心むき出しの子どもの話(設定としては湯本香樹実の「夏の庭」みたいな)を考えているんだけど、その登場人物の気持ちになれそうです。

 

 ま、命に別条があるわけでなし、とんでもない重症というわけでもないので、こういう経験も必要なのかも。

 


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顔面負傷

 

 今朝、自転車で走行中転倒し、顔面を強打。

 メガネが吹っ飛び、前歯が砕け、二目とみられぬ顔に・・・

 というのは冗談ですが、擦過傷の他、顔面骨折の疑いもあるとか(そんなに痛くないのだけど)で、近所の外科から渋谷の病院を紹介されて出向き、顔と頭のCTを撮りました。

 

CTは初体験。今はスキャニング専門の病院もあるんですね。

 

 というわけで数日安静を促されましたが、いずれにしても現在は人前に出られる顔じゃなくなっています。

 人生いろいろあるもんだ。

 と、のんきなこと言ってる場合じゃなく、交通事故には気をつけましょう。

 


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シェイプ・オブ・ウォーター:もし人魚姫が生き延びたら

 

 人魚姫は船から身を投げて海の泡となって消える運命だったのに、幸か不幸か、人間の姿のまま、声を失ったまま生き延びた。

 四半世紀が過ぎ、15歳だった少女は中年となり、1962年のアメリカ・ボルチモアの宇宙科学研究所で清掃員の職を得た。

 

 自宅のアパートと職場を往復する淡々とした毎日。

 風呂場で自慰に耽るときだけ、失われた人魚だった頃の記憶がかすかによみがえる。

 

 まだアメリカが「強いアメリカ」で、セクハラもパワハラも当たり前だったこの時代、障害を持ち、底辺の歯車として、しかも汚れ仕事で働く独身の中年女なんて社会は見向きもしない。

 

 彼女のことを気にかけてくれるのは、いつもしょーもない亭主の愚痴ばかり言っている同僚の黒人女と、アパートの隣の部屋に住んでいて、若い男に失恋する、年老いた絵描きのゲイだけだ。

 

 それでも彼女は自分がさして不幸だとも思わす、ささやかな日常を大事にして生きていた。

 

 そんなある日、研究所にある特異な生き物が運ばれてくる。

 その生き物――「アマゾンの半魚人」に出会ったことで、恋に焦がれる人魚姫の記憶がよみがえる――

 という、改めて辿ってみると、とんでもなく奇をてらったストーリー。

 

 ところが、これがいい。

 甘く切ないラブストーリーをベースに、古典SF、ホラー、ファンタジーの要素が絶妙にブレンドされて、ちょっとコミカルだったり、エロチックだったり、といったスパイスもまぶされている。

 すっかりツボにはまってしまった。

 

 ヒロインは若くも美人でもないし、子供時代のトラウマのせいで声が出せないということ以外、生い立ちも謎のまま。

 けれどもその感情表現は素晴らしく、ラストシーンは本当に人魚に帰っていくのではないかと思った。

 

 また、1962年という「近過去」の設定もいい。

 リアリズムとファンタジーのハーフ&ハーフが、ギリギリのバランスで成り立つ美味しい時代だ。

 そしてまた、トランプ政権下の現代のアメリカを風刺しているかのような映画でもある。

 

 こうした寓話性の高い物語は、よく「大人のおとぎ話」と呼ばれるけど、それで片付けるのはつまらないし、何だかもったいない気がする。

 人間が生きる本質は思わぬところに隠れている。

 それを見つけるためにも、こういう映画は役に立つのではないかと思う。

 


オタマジャクシとカエルの間の自意識

 

 昆虫は子供(幼虫)から大人(成虫)になる途中の段階に「さなぎ」という形態がある。

 なのに同じように変態するカエルにはそれがない。

 

 手足のはえたオタマジャクシを、人は「オタマジャクシ」と呼ぶが、当のオタマジャクシは「おれもうカエルだい」と思っているかも知れない。

 なんとなく思春期の人間に似ている。

 

 人はいったいどうやって子供から大人に移行するのか、移行できたのか。すっかり忘れてしまったし、自分の子供に対してもほとんど気にかけなかったけど、今になると、もう一度探ってみたい気がする。

 


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早稲田のドーナツ田んぼで田植え

 

 早稲田大学内に田んぼがあって生徒らが田植えすると聞いて、マイナビ農業の取材でやってきました。その名も「わせでん」。

 大隈講堂の隣、大隈庭園の奥にあります。

 

 どんな田んぼなのかと思ったら、直径5メートルくらいのかわいい「ドーナツ型」田んぼ。

 

 ドーナツ型と言うのは、真ん中にポチッとサルスベリの島があるのです。

 このサルスベリが由緒ある木だそうで、切るに切れなくてドーナツ型にせざるを得なかったということ。

 

 

 2004年に開田した時はハート型に近かったそうで、それがだんだん凹みがなくなってきて、まぁるくなったとのこと。

 毎年ここで苗を植えて、秋には約5キロのお米が収穫できるそうです。

 

 田植えをするのは学生NPO「農楽塾」というサークルの子たちで総勢30名ほど。

 今年は例年になく新入会員が多いそうで、女の子も男の子も泥んこの中に足を突っ込み、ワーワーキャーキャー。

 見ていると可愛くて、こっちの心も💛、目も💕になってきます。

 

 取材という大義名分のもと、こういうところにズケズケと入り込めるのは、ライターの特権と言えるでしょう。

 

 大隈庭園に遊びに来ている一般の人たち――家族連れやお年寄りのグループもちょこちょこ覗きに来ていました。

 

 地域に開かれたオープンキャンパスになっているので、基本的に誰でも庭園内は自由に出入りできます。

 そのため土曜の午後は大学と言えどもまるで現代社会の縮図のように、若者(学生)一人に対して、年寄り5人と言う感じです。

 

 おそらく新宿区で唯一の田んぼである「わせでん」。

 来週は近所の幼稚園の子供たちがここで田植え体験をしに来るそうなので、少しだけそのスペースを残して1時間ちょっとで無事終了しました。

 

 それにしてもホントに若さは財産です。

 でも若い頃はそんなことには気が付かなくて、ザクザク無駄遣いしちゃうんだよね。

 でもでもそれがいいんだよ。

 若さを貯金や利殖のためにこせこせしたって面白くない。

 「もっと有効に使えたかな」と後悔するくらいでちょうどいい。

 そうした思いがあるからこそ人間の味が出ます。

 農業もサークルもバイトも恋もいっぱいしてほしいと思います。

 ついでに勉強も。

 


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6月に「結婚の日」はいかが?

 

 海の日だの、山の日だの、いろいろできて、とうとう6月だけ取り残されて「国民の祝日」のない月になってしまった。

 この際、「雨降り記念日」とか「田圃の日」とか「カエルの日」とか、6月にも祝日を入れたらどうなのだろう?

 

 そこで思い出したけど、皇太子が結婚したのは確か6月じゃなかったっけ?

 雅子さんはジューンブライドだった気がする。

 元号が変わったら6月に「結婚の日」を作ったらどうだろう?

 少しは少子化対策に役立つかも知れないし。

 

 それにしてもこの国にやたら祝日が多いのは、公に認められた日じゃないと休めないから・・・ってことなのだろうか。

 べつに祝日じゃなくてもいいいから、テキトーに休みましょう。

 

 というわけで、僕はフリーランスの特権で、今月の後半は久しぶりに大型連休させて頂きます。と言っても10日程度ですが。

 


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代筆業の進め方

 

 久しぶりに代筆の仕事をしました。

 守秘義務があるので、具体的なことは書けませんが、とある地方新聞の連載コラムの仕事で、依頼して頂いた方は、いわゆるコンサルティング業です。

 遠方の方なので面識はなく、メールのやりとりだけで進めました。

 

 最初にどんなネタがあるのか、どんな話を書きたいのか、単なるメモでも何でもいいから送ってもらい、じゃあ第1回はこの話で、第2回はこれで・・・・という感じで整理し、各回のテーマを決めます。

 それを決めたら、その回ごとに、こんな話で・・・と、また大雑把なメモを送って頂き、それについて突っ込んで取材します。

 

 たとえば、相談にみえたそのお客さんはどんな様子だったか、背格好は?服装は?

 傷心していたのか、イライラしていたのか。

 家族構成はどうなっているのか?

 どんな仕事をしているのか? 

 子供はいるのか? 独身なのか? 

 離婚経験があるのか?  などなど。

 一見構どうでもよさそうなことを具体的に聞いていきます。

 魂は細部に宿っています。

 ちゃんと聞いたことに答えて頂ければ、書くのは別に難しくもなんともありません。

 

 困っちゃうのは抽象的なことばかり言って、意味を汲み取ってほしいとか言う人。

 

 もっとひどいのは「忙しいから頼んでいるのに、取材なんかに時間は取れない。とにかく書いて見せてくれればチェックする」とか言っちゃう人。

 

 こういう人たちは、人に頼まず自分で書いてほしいです。

 へたでも苦手でも、毎日ブログなど書いていれば、自然と書き方のコツが身につきます。

 

 以前はどんな仕事も断っちゃいかんと思って、こういう横着な人たちの言い分も聞き、がんばって書いていました。

 

 しかし、最近はメールを見ればどんなクライアントかわかっちゃうので、いやだなと思う人はお断りしています。

 だいたい自分のカンは当たります。

 

 今回の方はとても良い人柄の方で、仕事の様子を聞かせてもらって、ぜひお力になりたいなと自然に思いました。

 

 いろいろ貴重なお話も伺い、人間の面白さを知ることもできました。

 これなら代筆も悪くない。そう感じさせてもらいました。

 


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西城秀樹さんのお葬式で感じたこと:女の涙は子どもと夢の人のために

 

 先日の西城秀樹さんのお葬式の記事を書くのに、現場の録音データを聞きながら、昨日1日ジタバタしていました。

 これだとちょっと思い入れが強すぎてダメだし食らうかも、と思いつつ原稿提出。

 

 それにしてもいろんな意味で感動的な体験でした。

 

 喪服のマダムらがYMCAを踊ったり、おいおい泣いたり、「ヒデキー」と叫んでいるのを思い出すと、身体の底でずっと眠っていた女の子が40年ぶりくらいに起き出して、マダムの着ぐるみをかぶってあそこに集まっていたんじゃないか。そんな幻想にとりつかれます。

 

 仲間もいっぱいいるし、あそこなら何の遠慮もなく泣けるもんね。

 

 ファンは圧倒的に女性が多いんだけど、中には男性もチラホラいて、男同士というのはほとんど見当たらず、どうやら夫婦で来ているらしい。

 それが奥さんは喪服、もしくはそれに準じるような服装をしているのに、ダンナの方はほぼ普段着というチグハグなカップルがほとんど。

 

 取材したわけでなく、あくまでこれは僕の想像だけど、普段は従順な奥さんがこの日ばかりは「わたしは絶対に行く!」と主張し、その迫力にタジタジとなったダンナが「しゃーない、じゃあオレもついていくわ、東京見物・青山見物もしたいし・・・」ということで一緒に来たのではないか。

 

 奥さんとしてはちょっとジャマだけど、交通費もメシ代も出してくれるというから、まぁいいや、と妥協した・・・とか、そんなバックストーリーがあったのではないだろうかと思います。

 

 でもダンナづれで、ちゃんと女の子に戻ってヒデキに声を掛けられたのかなぁ。

 

 そういえばネットに上っていた映像で、テレビのインタビューを受けたマダムが「夫が死んでもこんなに泣きません」と泣いていました。

 それでいいと思います。

 

 死んだからって、あんまり泣かれても困っちゃうしね。

 女の涙は子どもと夢の人のために大事に使ってください。

 ダンナはそのおこぼれを頂ければ十分です。

 


スーパーマーケット偏愛シンドローム

 

 時々、自分はスーパーフェチなのではないかと思うことがあります。

 スーパーマーケットが好き。というか、その空気の中にドブンと丸ごと漬かりたいという欲求に時々襲われるのです。

 

 今日も午前中仕事して、昼に出かけて5ヶ月ぶりに会った友だちと昼飯を食って、帰ってきて疲れて昼寝していたら早や夕暮れ時。

 ベランダの洗濯物を取り込んで、ちょっと涼しくなった外の風に触れたら、急にその欲求に襲われました。

 

 というわけで冷蔵庫の在庫を確認し、リュックを担いで近所のスーパーマーケットへ。

 近所と言っても3番目くらいに近い所で、5分ほど自転車に乗って出掛けます。

 この5分間、ちょっと涼しくなった空気と、ちょっと金色っぽい西日の光を全身に感じられれるのがいい。

 

 着いてみるとスーパーの中は赤ん坊からお年寄りまでいろんな人たちが、今晩は何を食べようか、明日の分も買っておこうか、予算はいくらだと、あれこれ考えながら、あるいは話し合いつつ買い物に興じています。

 

 普段は昼間に行くことが多いので空いていますが、今日は時刻も時刻で、ちょっと混雑していてレジにもカゴをぶら下がたり、カートを押す人たちの列が。

 この混み具体がまたなかなかいい味出しててて、胸をワクワクさせます。

 

 初夏の良く晴れた日曜日の夕方のスーパーです。

 家族そろってきている人たちもたくさんいます。

 

 こっちの子どもは何がうれしいのか声を上げてはしゃぎ回り、そっちの子どもは試食のハシゴで走り回り、あっちの子どもはなぜだか怒って大泣きしている。

 

 怒り出すお母さん、困った顔したお父さん、すましてマイペースでのんびり品定めをするお年寄り、値段を見て長考する人もいれば、あせあせと小走りでかごの中に品物を放り込んでいく人もいます。

 

 働いているスタッフもお店にいる時間はスーパーの人だけど、勤務時間以外はもちろん自分の生活を持っていて、家族のこと、子供のこと、お金のこと、自分がかつて持っていて諦めきれない夢のこと・・・いろんなことで悩んだり、失望したり、希望を持ち直したりしています。

 作業の合間やお客とのちょっとしたやりとりの中で、そうしたものが垣間見えたりするのも面白い。

 当たり前だけど、彼ら・彼女らはけっして働くだけの人ではなく、今日も一生懸命、この世の中の不条理と闘いながら(でもあんまり頑張ると疲れちゃうので時々は空気を抜きながら)生きている、すてきな人間です。

 

 なんといえばいいのか、たまにそんなことを考えつつスーパーをうろつき回っていると、とても人間が愛おしくなって、からだの芯があったまってきて、脳みそが妄想で膨れ上がって、お店ごと抱きしめたくなるのです。

 

 というわけで買ったレタス、トマトやキャベツ、タマネギ、ジャガイモ、サカナ、牛乳、ヨーグルト、パン、ドレッシング、ぶどうなどをリュックにぶち込んで家路に向かうと夕焼けがきれいでした。

 いつかスーパーマーケットを舞台にした面白くて泣ける話を書きたいなぁ。

 


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西城秀樹さん葬儀:青春の同窓会

 

 「月刊仏事」の取材で西城秀樹さんの葬儀に行って来ました。

 朝9時半、会場の青山葬儀場最寄りの乃木坂駅に着いたら、ホームに黒い服の人たちが溢れ返っています。

 改札横の女子トイレには長蛇の列。

 恐縮しながら喪服のマダムらの列を掻き分けて男子トイレまで辿り着き、あせって身支度を済ませました。

 

 ちょっと話を聞いたところでは、地方から出てきて一泊し、通夜・葬儀と連荘で参加したという人も。

 

 葬儀や出棺の様子はニュースやSNSでいっぱい上がっているので書きませんが、野口五郎・郷ひろみ両氏の弔辞や昭和のスーパースターならではの演出には心打たれるものがありました。

 

 葬儀から出棺の間、葬儀場前を走る青山通りの向こう側までファンがびっしりで、向かいのデニーズの表階段にまで人が溢れているのにはガチびっくりでした。

 

 こうなるとお葬式とは言っても一種のイベントで、同じ時代を生き、ヒデキに胸をときめかせて青春を送った50代や60代の人たちにとっては、ファン同士で顔を合わせる「同窓会」的なノリの人もたくさんいたようです。

 

 ちょっと不謹慎にも聞こえますが、「ヒデキ」がみんなを結びつけるメディア、コミュニケーション媒体になっているのだなぁと思いました。

 

 大勢の人を楽しませ、夢を与えるエンターテイナーとして生きてきたのですから、最期に身を挺してまでその仕事がまっとうでき、「ヒデキ、カンゲキ!」と言いつつ旅立っていけたのではないかと思います。

 

 終わった後もしばらくの間、みんな名残惜しくて、なかなか立ち去れません。

 本当の寂しさはきっとこの後、家に帰った頃にやってくるのでしょう。

 

 おそらくこれから、どんどん昭和のアイドルやスターだった人たちが亡くなっていくわけですが、そのたびにこうしたイベントになるのだろうなと、ちょっとフクザツな気持ちになりました。

 

 ちなみに葬儀参列者への返礼品の一部はハウス食品さんが提供。

 西城さんのCMによる、家庭のカレー普及への貢献度は相当大きかったようです。

 

 でも一緒だった若い女性スタッフは「ヒデキ、カンゲキ!」は知らないそうで「何ですか、それ?」と聞かれて説明しなくてはなりませんでした。

 バーモントカレーは好きだそうですが。

 


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ありのままの私が帰ってこられる「ふるさと」

 

 「ふるさと」と聞いて、ほとんどの日本人が連想するのは、稲を実らせる田んぼや、野菜を育て、果実を育てる畑がのどかに広がり、魚が泳ぐ美しい川が流れ、背景に美しい山並みを望める、いわゆる里山の風景だと思います。

 

 愛知・長久手市の愛・地球博記念公園(モリコロパーク)内にある「あいち・さとラボ」では8年前から「里山開拓団」なるボランティアグループが、ほとんど砂漠のようだった更地から美しい里山をーーふるさとの風景を創り出しました。

 

 もちろん当初はアドバイザーがいたり、資金面では県のバックアップもあったわけですが、造園や農業などに素人同然の人たちが一つ一つ、作物の育て方のノウハウを学び、組織管理も行い、年間を通したイベント開催などで仲間を増やしていった開拓ストーリーの取材は、とても感動的でした。

 

 開拓に携わってきた人たちにとって、まさしくここは「ふるさと」になり得るでしょう。

 

 これからの課題は。この里山をどう維持していくか。

 

 4月にモリコロパーク内に2022年、「ジブリパーク」ができるというニュースが伝えらましたが、写真の山の左側の森の中にその一部である「もののけの里」ができるとのこと。

 具体的な話し合いはまだこれからですが、今後の里山活動によい影響が出ればいいなぁと思います。

 

 それにしてもこうした絵に描いたような里山の風景を、潜在的なイメージとしてではなく、実際の体験として、つまりリアルなふるさととして自分の中に持っている日本人は、僕も含め、もうそんなにいないのでは、と推察します。

 

 昭和レトロが一種のファンタジックな異文化として人気を集める背景、また、「ふるさと創生」やら「ふるさと起こし」といった言葉が流布する背景には、そうした日本人の「ふるさと喪失物語」があると思っています。

 

 かくいう僕もじつは今、「ふるさとについて考えよ」というお題を頂いているので、面倒だけどぼちぼちやっていこうと思います。

 

 どんな事象があって、どんなストーリーがあって、そこに立って何を想起できれば、人はその場所を、

 ありのままの私が帰ってこられるところ、

 裸の、少なくともそれに近い私が、心を開いて受け入れてもらえるところとして心の深い部分に取り込めるのか?

 

 これからの僕の人生は、ふるさとへたどり着くまでの長い巡礼の旅になるのかな。

 と、そんな気がします。

 


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豊橋ウズラはキャラ弁の名優

 

 昨日は全国のウズラ生産量日本一(シェアの7割を占める)の豊橋で、ウズラ卵の流通出荷センターを取材しました。

 

 豊橋がどうしてそこまでの一大産地になったのかはさまざまな理由があります。

 表向きには気候が温暖で育てやすいとか、他の家畜や家禽の飼育に使う施設や、糞などの処理システムが昔からあった・・・というもっともらしい表向きの理由はあるのですが、やっぱり面白いのは裏事情。

 

 今を去る70年以上昔、戦後の混乱期、闇市に卵を売り出して大もうけした人たちが何人かいたようです。

 近隣の名古屋はもちろん、日本の真中という地の利を生かして、東京や大阪にも。

 その情報をGetした人たちが「よっしゃ、わしもウズラ屋になったるで」と、豊橋にやってきて、かの地はウズラの聖地となった・・・という、まことしやかな伝説が現地では語り継がれているようです。

 もちろん、そんなヤミヤミな話は、資料だの記録だのが残っているわけではないので、表には出てきませんが。

 

 というわけで、ここでは生卵とゆで卵をあわせて1日30万個出荷。

 ころころしたチビタマゴが次から次へところがってくる様子はめちゃくちゃかわいいです。

 が、単に鶏の卵のミニサイズ版でしかないウズラの卵に、本当にそんなに需要があるのだろうか?

 と疑問に思っていましたが、なんと最近はすごいニーズが。

 

 お料理作り・お弁当作りの得意な人はもうピーンときたでしょう。

 ネットで調べてみたら出るわ出るわ、いまやウズラ卵は、ヒヨコ、パンダ、ウサギ、カエル、オバケ、サンリオキャラクターなど、お弁当箱の中で変幻自在な姿で登場するキャラ弁の名俳優。

 また小さい割に栄養価も非常に高いということで 特に子供の遠足や運動会のシーズンは売り上げが跳ね上がるのだそうです。

 

 常食の食材とは言えないにせよ、そうしたいわゆる嗜好品食材としての価値はとても高いようで、近年は普通のゆで卵だと喉に詰まらせる恐れがある・・・という理由から高齢者用の食事やお弁当にも重宝されているようです。

 

 ちなみに卵だけでなく、肉はどうなのか?

 

 僕の場合、ウズラというと思い出すのが「ウズラは処女の味、鴨は熟女の味」という、美食アカデミー主宰・鹿賀丈史(テレビ番組・料理の鉄人)のセリフです。

 

 フランス料理では鴨と並んで、ウズラはジビエの定番ですが、日本のフランス料理店で出されるウズラ肉はほとんどがかの国からの輸入品。

 

 そこに目をつけ、国内産のフレッシュなウズラ肉を提供しようと、それまで卵ばかりだった豊橋のウズラ農家で「肉」に特化した大型のウズラを開発。

 

 そのブランド「三河山吹ウズラ」は大好評で、全国の飲食店から年2万羽を超す注文を受けていたのですが、今年1月、その社長がわずか40過ぎの若さで急逝。

 今後のウズラ肉はどうなるのか?

 現状はまだ不明のようです。

 

 いずれにしても、わが郷土・愛知のウズラ産業、ぜひとも応援したいものです。

 


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12月のCanon

 

 クリスマスまでもうあと1週間、今年もあと半月しかない。

 クリスマスも年末年始もまだ全然準備してない。

 掃除もやってない。

 ので、まったくそういうモードに入れずにいた。

 

 なので例年ごとくGeorge Winstonの「DECEMBER」を聴く。

 頭の中に果てしない雪原が広がる。

 雪うさぎがピョンピョンと跳ねてゆく。

 

 「聖夜」「ジングルベル」「もろびとこぞりて」のような、子供の頃からおなじみのクラシックに加え、この40年余り、日本でも海外でもいろんなクリスマスソングが続々と出てヒットした。

 

 僕もさんざん聴いてきたが、なんだかもうお腹いっぱいになってしまって、ここ数年はおなじみのクラシックとこのアルバムしか聴かなくなった。

 

「Summer」や「Autumn」もいいけど、Winstonはやっぱりこの「DECEMBER」だ。

 

 集中してイメージを楽しみながら聴くこともあるし、仕事中のBGMとしても適しているし、もちろん季節の気分も堪能できる。一石三鳥。

 

 中でも「Canon」はほとんどループ状態で聴くことが多い。

 Winstonの演奏に初めて出会って、かれこれ35年たつが、いまだこのピアノ一台で紡ぎ出すCanonをしのぐCanonは聴いていない。

 

 なんとか来週には実生活も年末年始モードに入れたいのだけど。

 


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「酒、タバコ、やめて100まで生きたバカ」の最後の晩餐は、雪のように真っ白なごはん

 

   人生は思いのほか短い。

 折り返し地点を過ぎると、そのスピードは倍速になる。

 やはり40歳あたりがミッドポイントで、自分のことを振り返ると「健やかに中年」と、年賀状に大きく書いて宣言したことを憶えている。

 そして、その宣言とともに25年間吸っていたタバコをやめた。

 

 「酒、タバコ、やめて100まで生きたバカ」を目指して人生の復路を走りながら頭に浮かぶのは、ゴールする前に何を食べるのか――最後の食事は何がいいのかということである。

 

 これまでおかずのことばかり考えていたが、先日、いや、これはおかずではないな、ということに気が付いた。

 

 お米のごはんだ。

 雪のように真っ白な、炊きたてのホカホカの極上のごはんだ。

 それだけ。

 味噌汁くらいはついていてもいい。

 またはバリエーションとして、そのごはんで握ったおにぎりがあってもいい。

 

 それだけだ。

 そう思いつくと、これぞ日本人の正しい「最後の晩餐」だと疑えなくなってきた。

 

 まぁ、食い物に正しいも間違ってるもないんだけど。

 

 人間は真っ白で生まれて、真っ白で帰っていく。

 これは美しい。

 

 でも本当にそうなるかどうかは、タイムマシンで、未来の、死ぬ間際の自分に会って聞いてみないとわからない。

 

 ちなみに酒はまだやめてないし、100まで生きるかどうかも当然わからない。

 


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NOELちゃん

 

 むかし勤めていたロンドンのレストランスタッフの同僚にNoelというフランス人の女性がいた。

 Noelとはフランス語でクリスマスのこと。

 つまり「クリスマスちゃん」である。

 

 普段はElisabethと名乗っていたので、僕らもそう呼んでいたのだが、何かのきっかけで本名がわかった。

 べつにからかうつもりもなく、本名を呼ぶんでみたら「やめてー」と、嫌がった。

 日本でいうキラキラネームに該当するのだろうか。

 

 彼女は僕より少しだけ年上だったので、たぶん当時26~7歳だったと思う。

 子供の頃やティーンエージャーの頃ならともかく、大人になって「クリスマスちゃん」なんて呼ばれるのは恥ずかしかったのかもしれない。

 

 彼女には同じレストランの調理助手のバイトをやっていたニキ君という日本人男性と恋仲で、僕が来て一年しないうちに、二人でフランスで暮らすと言ってやめて行った。その後のことはわからない。

 

 そんなに美人というわけではなかったけど、彼女のことをよく覚えているのはその声だ。

 フランス語なまりの英語ってこんなに素敵なのかと思った。

 日常会話がすごくロマンチックなものに聞こえるのだ。

 

 フランス人の話す英語はみんなこんな感じなのかなと思ったけど、その後にもフランス人の女性が入ったが、そっちの彼女のは全然ちがっていた。

 Noelの話す英語は特別にすばらしかったのかも知れない。

 フランス万歳。

 


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トキワ荘復元に関するあれこれ

 

 トキワ荘通りにある南長崎花咲公園。

 そこに2020年3月に「マンガの聖地としまミュージアム(仮称)」として復元されるトキワ荘。

 その費用の一部をクラウドファンディング、つまり寄付で賄うと言う。

 当初は、総費用9億4千万円のうち1億円を、という算段だったそうだが、その人気は目を見張るものがあり、今年10月にはすでにその目標額の7割以上をクリア。

 「これはイケる」と思ったのか、豊島区は目標額を2億8千万円に上方修正したと言う。これだと総費用の4分の1を寄付で賄えることになる。

 

 まずここまではここまではいいことづくめ。

 着工は年明けからか。

 これからオープンまでは話題が絶えないだろう。、

 その日が来るまで、夢が実現するまでは、みんなドキドキワクワクするからね。

 

 問題はできた後だ。

 超情報化時代の今日、新たに生まれたコンテンツの情報はあっという間に消費される。それでなくても、トキワ荘のストーリーは、これまでもさんざん表舞台に上がり、かなり多くの人がもう知っている。

 建設の前から難くせをつけるようで申し訳ないが、賞味期限がそんなに長いとは思えない。

 

 完成~オープン予定の期日を見れば、東京五輪の開催時期に合わせていることは明らか。外国人のマンガ・アニメファンを取り込もうという思惑があるようで、実際、そういう広報も行っている、

 

 日本人のマンガ好きはトキワ荘に思い入れが深いかも知れないが、外国人はどうか?

失礼ながら、手塚治虫先生以外はそんなに海外にその名が轟いているとは思えない。

 この先生たちが遺したものがいかに偉大な功績かを理解してもらうには、相当な工夫が必要だ。

 

 また、その前に日本の若い世代がトキワ荘=マンガの聖地であることをどれだけ認識しているか? はなはだ疑問なのである。

 

 

 あと気になるのはこの公園のこと。

 代々木公園、井の頭公園、和田堀公園のような広い公園ではない。街中でよく見かける児童公園だ。

 今あるようなちょっとしたモニュメントなら問題ないだろうが、アパート一棟分だ。おそらくこの公園の大部分は潰れてしまうだろう。

 

 見たところ、この近辺では唯一の公園で、子供たちの遊び場、お年寄りの憩いの場になっている。

 みんながマンガファンでトキワ荘の価値を認めているわけじゃないので、なんでそんんなボロアパートのために大事な公園を潰すのか、納得できない人も多いだろう。

 

 どうやら豊島区が代替公園を作ると言うことで話は決着したらしいが、そこまでリスクを負って9億ものお金をかけるのだから、本当に意義あることをやらないと地域の人たちの不満はずっと残る。

 

 箱を作ってミュージアムとしてあれこれ展示しても、オープン時は賑やかだろうが、オリンピック・パラリンピックが終わる頃にはもう人は離れているだろう。

 

 最初からそれを覚悟して、飽きられたころに始まる企画――月並みなところではマンガ塾とか――をいくつも用意しておき、どう活用するのか、この地域の資産・トキワ荘のマンガ家たちの偉業が未来に繋がっていくのかを世の中に向かって考え、表現していかないとダメだろう。

 でなければ集まってくるのは、昭和レトロを愛する懐かし好きの年寄りばかり、ということになりかねない。

 楽しみにしているだけにちょっと心配。

 10年後・20年後を想像して、レジェンドの殿堂を築いてほしいなぁ。

 


マンガの聖地・トキワ荘通りを散策する

 

 以前も紹介したことがあるが、金剛院には「マンガ地蔵」が鎮座しており、マンガご朱印も発行している。もちろん、プロデューサー的センス抜群のご住職の発案だ。

 クリエイターのたまごたちがお参りするマンガ地蔵。その向いている方向は、かのトキワ荘のあった場所だ。

 

 手塚治虫をはじめ、赤塚不二夫、藤子不二雄の二人などがデビュー前から住み、石ノ森章太郎なども頻繁に訪れていたというトキワ荘は「マンガの聖地」と呼ばれ、その時代から半世紀を過ぎた今日、この地に人を呼び寄せる地域の財産になっている。、

 

 金剛院のある西武池袋線・椎名町から次の駅の東長崎、その間にある都営大江戸線の落合長崎駅の三角形の界隈には、各所にモニュメントが置かれ、マンガ地蔵も含め、「トキワ荘散策コース」が作られているのだ。

 

 その中心のトキワ荘通りからちょっと裏道に入ったところに跡地がある。トキワ荘は1982年に解体され、その跡地には現在、保険会社のビルが建っている。

 

 

 お休み処という場所もあって、小さなマンガギャラリーになっている。

 僕が入った先週の土曜は、この2階にトキワ荘仲間の紅一点、「ファイヤー!」「星のたてごと」の水野英子先生が来ていてサイン会をやっていた。

 

 それにしてもこのトキワ荘通り、夕方になろうかという時間に行ったせいか、なんだか「三丁目の夕日」を想起するレトロムードが満点。

 裏通りに入ると、ちょっと・・・というかかなりさびれた空き家などもあって、これもまぁレトロと言えばレトロだけど・・・という感じ。

 

 そしてこの通り沿いには南長崎花咲公園というのがあり、そこに2020年3月に「マンガの聖地としまミュージアム(仮称)」として、トキワ荘が復元される。

 まさしく日本のマンガ文化のジュラシックパーク誕生!

 ・・・と拍手したいところだが、ちょっとした懸念も。

 長くなりそうなので、その話はまた明日。

 


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悟りを開いてお寺で婚活

 金剛院では婚活専門会社とコラボでして、2ヵ月に3回くらいの割合で婚活パーティーをやっているという。

 最近は婚活もただ飲み食いするだけの会では人が集まらない。

 ○○×婚活で、共通の趣味・指向性を持つ人同士なら話も合いやすいと言うのだ。

 

 というわけで御住職の発想で登場したお寺で婚活。略してテラコン。

 「悟り婚」という名称も使っていた。

 サトリコンとは、なんだかすごい婚活に思える。

 

 婚活パーティーにはナンパ目的の変な奴も構混じって来るらしいが、さすがに仏様のおひざ元であるお寺には仏罰を恐れてか、そういう奴は来ないそうだ。

 

 この日参加したのは220代後半から40代前半の男性15人、女性14人。

 受付スタッフに聞いてみると、テラコンには時間をちゃんと守り、対応も7きちんとしている、いわば紳士・淑女が多いようだ。

 個人情報保護のため、参加者の職業は不明だが、明らかにお坊さんという人も二人いた。

 

 会場は約50畳の広さの客殿。

 廊下からは小さいながら日本庭園や石庭も見え、ちょっとした京都気分。

 ここに集まって最初に写仏をやった。

 

 テラコンにも説法婚活、瞑想婚活、念誦づくり婚活などいろいろ細かいカテゴリーがあるそうだが、この日は「写仏婚活」。

 全員で最初30分弱の時間、仏様の絵を描いて(といっても下絵をなぞるだけ)気持ちを落ち着けるのだ。

 

 と、緊張気味だった室内の空気が不思議とリラックスしたものに変わってきた。さすが寺力(じりき)はすごい。

 その後、閑静な雰囲気の客殿内には賑やかな話し声が溢れ、トークタイム、カップリングと続いた。

 

 御住職に聞いた話で面白かったのが、この写仏について、

 「バリバリ仕事をやっている今時のビジネスマンは、こういうものをやらせてもすごく速い。理解度も抜群で、まるで仕事のようにスピーディーにこなし、成果を上げる。

そういうものとはは違った世界、異なる価値観が持てなくなっている。そういう人にこそちゃんとじっくりやってもらい、見えない大切なものに気付いてもらいたい。」

 

 仕事の領域で評価されても、それはそのまま人生の幸福にはつながらないと言うことか。うーん、さすがサトリコンは奥が深い。

 


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魔除け・招福の猪目と寺力本願

昨日はお寺で婚活パーティーををやるというので出向いてみた。

 もちろん参加者としてでなく取材です。

 境内に入ると、おお、さすが婚活。

 落ち葉でハートマークを作るというイキな演出。

 

 ではなくて、じつはこれは「猪目(いのめ)」という日本古来の文様で、仏教と関係が深く、寺院魔よけや招福のしるしとして用いられているとのこと。

 べつに来たる年が亥年だから・・・・ということとは関係ありません。

 

 猪目とはそのまんま「猪の目」のことだけど、 実物のイノシシの写真を見てみたが、ハート形の目はしていない。そういうイノシシがいたのかなぁ。

 

 それにしても虎の目でも竜の目でもなく、なんで猪の目が魔よけなのかと一瞬訝ったけど、ジブリ映画「もののけ姫」で乙事主(オッコトヌシ)という猪の神様が出てきたことを思い出した。

 田畑を荒らしたり、街中に下りてきて騒ぎを起こす嫌われ者の猪にも聖なる神の一面があるということか。

 

 ん?いや、ここは神社でなくてお寺・・・ややこしくなるのでこれについてはまた後日研究。

 

 

 何でこのお寺に来たかというと、「世界のEnding Watch」に続いて月刊仏事で2つめの連載を持つことになった。

 お寺に関する取材記事が欲しいということで「寺力本願(じりきほんがん)」という企画を出したらGOとなった。

 

 内容はお寺の本業以外の、いわゆるCSR活動(社会貢献)がテーマ。

 ま、お寺は営利企業ではないので、CSRはむしろ本業なのかも知れませんが。

 

 以前にも増して宗教離れが進み、今や葬儀にお坊さんのお経は要らない、戒名もいらない、当然お布施も出さない、お墓も建てない、」面倒見れないからやめちゃうetc.

 

 というわけで、いまやお寺やお坊さんは社会における存在意義を問われている。

 

 けれどもそうした状況に危機感を覚えて、お寺を積極的に開放し、壇家以外の人にも説法をしたり、寺子屋を設けたり、モダンなカフェやギャラリーを開いたり、イベントをやったりして、より多くの人たちに親しみを持ってもらおうとがんばっでいるご住職、地域のカルチャーステーションとして機能しているお寺もたくさんある。

 

 この金剛院(正式には蓮華山 金剛院 沸性寺)は、そうした近年のCSR寺院(とあえて言ってみる)の草分け的存在で、現在のご住職が30年前から地域の人たちに活用してもらおうと様々な取り組みを行っている。

 

 4年前に椎名町の駅の改築に伴って駅前が再開発され、敷地内も大幅に整備。イベント用の多目的スペースやお洒落なカフェもつくられ、とてもきれいで居心地の良いお寺になった。

 

 最近の若い衆は物質的な世界よりも、目に見えない世界に関心を抱く人が多く、このお寺における婚活は結構な人気なのだそうである。

 

 というわけで取材に来たのだが、前置きが長くなってしまったので、そのエピソードはまだ明日。

 


イノシシの冒険

 

  あの国境を越えれば、おいしい作物食い放題のパラダイスが待っている。

 

 情報化社会は人間の専売特許ではない。

 森の仲間たちの間でも、ここ何世代かにわたって「成功法則」の情報が伝えられシェアされている。

 サル、キツネ、タヌキ、クマ、イタチ、ハクビシン・・・もちろんイノシシにも。

 

 生き延びて成功したいのなら人間の生活圏とのボーダーを突破せよ。

 勇気を出せ、 だいじょうぶだ。人間は思ったほど怖くない。

 だが、ワナには気を付けろ。餌があっても近づくな。

 

 来年の干支として脚光を浴びる今日この頃だが、農業の取材をしていると、いまやイノシシは田畑を荒らすにっくき害獣ワーストワンに挙げられる。

 

 代々伝えられてきた無数の情報を租借し、知恵を付けた新世代のイノシシたちは、まるで移民のように人間の生活圏に潜入し、自分たちの居所を作ろうとしている。

 彼らの何頭かは冒険心に駆られ、命を賭けてフロンティアを切り開こうとしているようだ。

 


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未来が来ても嬉しくないのさ、君と一緒でなけりゃ

 

 久しぶりに佐野元春を聴いてみたら、すごくよかった。
 「アンジェリーナ」や「SOMEDAY」や「約束の橋」などの懐メロもいいけど、最近のはもっといい。ルックスもグレイヘアが似合って若い頃よりかっこよくなった。
 何よりも歌詞が聴かせる。「人間なんてみんな馬鹿さ」「未来が来ても嬉しくないのさ、君と一緒でなけりゃ」・・・大人の想像力を刺激する歌だ。「SOMEDAY」からここまでたどり着いたのか、という感じがする。

 アルバムも聴いてみようかなと思う。

 


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相変わらず幻想・妄想だらけだけど脳は完治

 

 3か月ぶりに頭のCT検査。

 救急車で運ばれて緊急入院したのは猛暑の真っ盛りでしたが、いまや病院の周囲も晩秋~初冬の風情です。

 

 自転車事故に端を発した硬膜下出血ですが、完治してますと言われてホっと安堵しました。

 何といっても人生初の手術・入院だったので、個人的にはやっぱり今年のトップニュースです。

 

 今日もまた中で働いている人たちや、出入りする患者さんたちを観察してて感じましたが、病院はやっぱりシャバとは違う異世界。

 なんだか宇宙旅行の途中で違う惑星に立ち寄ったような気分になります。

 そしてわりかし居心地がいい。

 

 学校の校風、会社の社風と同様、それぞれの病院で院風というのもあるのでしょう。

 この三宿病院の院風は割と自分に合っていたのかもな、と思います。

 院風の合わない病院にいると、病気の治りが遅くなりそうです。

 僕の場合、幸運にもこの三宿病院の院風はけっこう自分に合っていたようです。

 

 といっても、また来たいわけじゃないけどね。

 できれば今年のが人生唯一の手術・入院であってほしいと思います。

 

 というわけで一件落着。

 


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「人間を大事にしています」ってどういうこと?

   

 12月になって新しい年への期待が高まる。

 しかも来年は天皇が交替し、新しい元号になる。

 昭和から平成に変わった時は、確かに変わった。

 世の中の空気の流れが変わったのだ。

 なのでそれを知っている中年以上の人たちは、何とか空気を読もうと思って躍起になっている。

 東京オリンピック・パラリンピックも、大阪万博もその流れの中で開催される。

 昭和に行われた時とは大きな隔たりがあることを誰もが感じ取るだろう。

 

 新しい天皇の新しい元号の時代が20年になるのか30年になるのか、それ以上の長さになるのかはわからないが、一つ言えることは「人間とは何か?」を考える時代になるということである。

 

 「サピエンス全史」や「ホモデウス」があれだけ読まれるのは、すでにそういう時代のサインだ。

 

 一部の学者や研究者などに限らない。

 女も男も、子どもも大人も年寄りも、貧乏人も金持ちも、善人も悪人も、偉い人もそうでない人も、みんながみんな、人類史的スケールで問いかける。

 

 「人間ってなんだろう?」

 

 すごく漠然としている。

 けれども力を持つ者はその漠然とした問いかけに答えることが求められるのだ。

 

 かつて人類が積み重ねてきた過去のデータが膨れ上がり、それを使ってAIやロボットが社会で大手を振るうようになった時、個人個人のアイデンティティの以前にある、人類のアイデンティティが脅かされる。

 

 そうなる過程で国も企業も口をそろえて言うようになるだろう。

 「我が国は人間を大事にしています」

 「わが社は人間を大事にしています」

 

 もちろん今までも「とりあえずそう言っときゃOK」という感じで、みんな言っていた。でも。これからはそれでOKではならない。

 

 それって、どういうこと?

 大事にしてるって、どう大事にしてるの?

 コストカットのために従業員のクビを切ったりしないの?

 派遣やバイトや外国人は差別されないの?

 

 つっこみどころは満載だ。

 国も企業もそれに応え、こんなに人間を大事にしているんです、ということを世の中の皆さんに納得して貰わないことには経営が立ち行かなくなる。

 

 かもしれない。

 

 これが空想か、幻想か、妄想かは、すでに来年の今頃にはその片鱗ぐらいはわかっているだろう。

 


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子どもと大人の狭間で人間は自分の一生を俯瞰するのも知れない

 

 今回書いたドラマは、葬式めぐりをしたり孤独死しそうな老人を観に行く中学生の女の子を主人公にした。

 「死に興味を抱く子ども」と聞くと、びびっちゃう大人は多いかも知れない。

 でもこれは性に興味を抱くのと同じくらい自然なことだと思う。

 

 子どもは永遠の時間を生きている。

 

 死は自分の時間の終わりであり、主観的な世界の終わりである。

 子どもはそんな終わりのあることなんて考えない。

 ただ、得体のしれない恐怖心は持っている。

 地底か、海底か、宇宙か、暗黒の中に吸い込まれていくような、そうした死につながる恐怖の瞬間があることは直観的に知っている。

 

 物語を読むなり聞くなり、ごっこ遊びをするなりして、徐々に「死とは何か」は子ど

 

もの心に取り込まれていくのだと思うが、死の概念が完全に人間の心に定着するのは、やはり生殖できる体に変わる時期なのだろう。

 

 子どもが大人になるというのは、性を含めた愛を知ること、そして死を知ることだと思う。

 その時――思春期のほんの一時期、人間は自分が生まれてから老いて死ぬまでを一挙に俯瞰できてしまうのかも知れない。

 ただ、そんなことは、ほとんどの人はすぐに忘れてしまうのだけど。

 

 主人公の女の子は「いつかみんな故郷の星に帰るのにどうして地球にいるんだろう? ここでわたしたちは何をして、どうなろうとしているんだろう?」というセリフを言った。

 

 どうせ死ぬのになんで生きているのか?

 自分自身も抱えていた疑問が遠い昔からよみがえってきた。

 書いていると、いろいろなことが起こる。

 


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みきなつみの「ボクらの叫び」がカッコいくてかわいい

 

こんなカッコいい歌を、こんな可愛い子が歌ってるなんて昨日まで知らなかった。

後半の歌詞の「空想、幻想、妄想」の3タテには涙がキレまくる。

いつまでもたってもこういう曲が好きだ。たぶん死ぬまで。

 


星のおじいさま 完成

 

 今年もコンペにラジオドラマ脚本の新作を送った。

 「星のおじいさま」。

 毎度のことながら本当に最後まで出来るのか、ハラハラしたが、かわいい二人の娘が跳ねてくれたおかげで楽しくできた。

 リライトも十分できた。

 ジュンちゃん、マナちゃん、ありがとう。

 評価はどうだか分からないけど、例によってとりあえず自己満足。

 というわけで、以下あらすじ。

 

 13歳。子供から大人になろうとしている中1女子ジュンの心を占めるのは「地球に生まれてきて幸運だったか?」という自身への問いかけ。そこで彼女は小学校時代からの親友マナとともに葬式を巡り「故郷の星へ帰っていく人たち」を見て回っている。

 

 そんなジュンは偶然、終活サポート業の中塚(43)と出会い、彼を介して、ひとり暮らしでハーモニカ吹きの老人・和泉(73)を知る。孤独死予備軍の和泉に興味を引かれたジュンは「星のおじいさま」というあだ名をつけ音信不通の父や死んだ祖父のイメージを重ね合わせる。そして家に出入りするようになり、次第に親しさを深めていく。

 

 その一方で彼女はマナとのセクシャルな交遊をこれ以上続けるのをやめようとしていた。それに抵抗し嫉妬したマナは、ジュンと和泉が不純な関係を結んでいるというスキャンダラスな噂を流し、会えないようにする。

 

 しかしそれを契機に二人は互いを必要としていることを強く感じ、好奇の目に晒される怖れのない競馬場で再会。レースに託して人生を賭けた勝負を敢行する。ジュンの唱えるまじないによって和泉は勝利し大穴を当てるが、その直後、心臓発作を起こして倒れる。

 

 和泉が運び込まれた病院に現われたのは、30年前に別れた息子の小峰仁(43)。彼はジュンと中塚が信じていた、和泉の家族や仕事についてのストーリーがすべてウソだったと明かす。それでもジュンは和泉を救うために、再びまじないの言葉を唱える。

 

 その効力か、奇跡的な回復を果たした和泉は退院し、ハーモニカ吹きとして生きると決める。ジュンはそんな和泉に対し、大人になったらまた会いに来ると言って別れる。

 

 子供だからこそ持ち得た力。それを使い果たしたことに気づいたジュンは、ギターを練習し始め、マナと今しばらく甘え合いながら新しい人生の旅へ出る支度を始める。

 


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競馬場への回帰

 

 わけあって府中の東京競馬場へ単独デイトリップ。

 息子がチビの頃、よく遊ばせに来たが、それ以来だから15年ぶりくらいだろうか。

 

 紅葉も美しいこの季節、めっちゃきれいになっていてびっくりした。

 しかも今日は東京の今年最後の開催日で、G1のジャパンカップが開かれるとあって、ムードも華やかだ。

 

 赤ペン片手に競馬新聞を握りしめた、昔ながらの怪しげなおっさんも、もちろんたくさんいるのだが、家族連れ、若い男女のグループ、夫婦、ゲイっぽいカップル、お父さんと娘、単独のおっさん、おばさん、じいちゃん、ばあちゃんも。今の社会の縮図のようだ。

 

 

 今回、特に驚いたのは「ビギナーズセミナー」なるものが1日中開かれていて馬券の買い方や競馬新聞の読み方などを無料でレクチャーしてくれる。

 

 僕も参加してみた。

 講師は埼玉県越谷にお住いのJRAレディ(それとも外注だろうか?)。

 30分弱なのでイラスト満載のテキストを渡され、実際にマークシートに記入するまで基礎的なことを教えてくれるが、あとは自分で勉強してくださいと言う感じ。ま、30分弱の時間ではしかたないけど。

 でも確かに初めてでも、ここで話を聞けばとりあえず馬券は買える。

 

 

 ジャパンカップって昔は半分くらいは外国馬が出走していたと記憶していたが、最近は日本馬ばっかりで、外国馬はたったの二頭。

 今年は三歳牝馬のアーモンドアイが圧倒的な一番人気だったので、彼女には手を出さないことにした。

 

 が、定評通りアイちゃんは強かった。並みいるオスどもをぶっちぎり、最後は華麗な差し足で優勝。

 僕の買ったキセキとシュヴァルグランは残念ながら2着と4着。いいセンいってたんだけどなぁ~。

 というわけで久しぶりに3レースやってみましたが全敗でした。

 

 でも競馬場は面白い。

 入場料200円払って、あとは100円単位でやっていれば一日遊べるから、へたな遊園地よりお金もかからない。(と言いながら、だんだんエスカレートしちゃうんだけどね)

 

 うーん、競馬熱再燃。いろいろ勉強していこうと思った。

 


Queenの思い出:1974~87年

 

 今日はQueenのフレディ・マーキュリーの命日だったらしい。

 そういえばこの間までYou Tubeにアクセスするたびに映画の予告編が出てきたが、この週末あたりから公開しているみたいですね。

 ファンは嬉しいでしょう。

 

 僕がロックを聴き始めた頃、ロック痛の先輩がいて、彼とその仲間がよく僕に向って「Queenみたいなのは女・子供が聴くバンドだ。あんなの聴いてちゃ男の名折れだぞ」とかなんとか言ってた(当時、その人たちは中学生です)。

 

 でも僕は初期の頃のQueenが割と好きだったで、そんな意見はシカトしてレコード買って、75年の来日公演の時も愛知県体育館まで観に行った(当時、名古屋在住)。

 

 初めて買った「MUSIC LIFE」(当時の音楽雑誌)の表紙がQueenだった。

 ちなみにこの少し後の号に載っていた1975年の人気バンド投票の結果は、1位がEmerson,Lake&Palmer、2位がLed Zeppelin、3位がQueen、4位がYes、5位がDeep Purpleだった。(たぶん15位くらいまで憶えている)

 

 僕がQueenを好きだったのは「ボヘミアン・ラプソディ」が入っている4枚目の「オペラ座の夜」までで、その後はだんだん聴く気がなくなった。

 世界的な人気が出たのはその後からだと思うが、人気の秘密はフレディ・マーキュリーのパフォーマンスがお笑いのネタになったのが大きいと思っている。

 

 マイケル・ジャクソンなどもそうだけど、音楽・アーティストとして素晴らしい一方で、モノマネができてお笑いネタにできるというのが、1980年代のスーパースターの条件だったような気がする。

 

 1985~87年、ロンドンの日本食レストランに勤めていた時、一度だけメンバーが揃ってきたことがある(たしか87年の春先)。

 ロジャー・テイラー、ブライアン・メイ、ジョン・ディーコンと来て、最後にフレディも来るのか?と思ってたら彼だけ来なかった。

 今思えば、当時、すでにAIDSとの闘病生活が始まっていたんですね。

 

 うーん、全然見る気なかったけど、映画観とこかと思い始めた。

 


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グローバル化時代の英雄、故郷に錦を飾る(はずだったけど)

 

 「私が倒産寸前だったあの会社を立て直したからこそ、日本で電気自動車や自動運転の技術が発展したのです」

 

 2016年8月5日、オリンピックの聖火を掲げて、リオデジャネイロのコパカバーナ海岸沿いを走るカルロス・ゴーン氏の脳裏には、人生第3幕のシナリオが渦巻いていた。

 そのオープニングを飾るのは、ブラジル大統領選の立候補演説。

 

 2022年までルノー・日産・三菱自動車のトップを務め、日産と三菱をルノー化して筆頭株主のフランス政府に恩を売って後ろ盾につければ、勝算は十分だ。

 

 レバノンで青春時代を送り、フランスでキャリアを積み、日本でついにトップの座、さらにKINGの座に着いた。

 誰もが彼をグローバル化社会の、経済産業分野の英雄と呼ぶ。

 その英雄が地球を一周して生まれ故郷の南米大陸に帰ってきた。

 そしてここが人生の終着点、集大成の地だ。

 

 「私が当選した暁には、必ずやこの国を世界の先進国と肩を並べる経済大国に育て上げます。この国の民衆にはそれができる。

 やっちゃえブラジル。Yes、We Can!」

 

 しかし残念ながらここまで書き上げたシナリオの草稿はもう使えないだろう。

 せっかくブラジルにもベイルートにも家を買ったのに。

 ベルサイユ宮殿で結婚式を挙げて箔も付けたのに。

 

 この問題はゴーン氏個人のストーリーにとどまらず、ルノー対日産、さらにはフランス政府対日本政府という、まさしくグローバルなストーリーに発展しそうだ。

 


Moher&Daugthter:フロリダ・プロジェクト&レディ・バード

 

 高田馬場の早稲田松竹に映画を観に行った。

 「フロリダ・プロジェクト」と「レディ・バード」の2本立て。

 この映画館はいつもテーマを設けて常に2本立てで上映している。

 今回は「Moher&Daugthter 大切な時間を過ごしたあの場所」というテーマだ。

  フロリダ・プロジェクトは息子のおススメ作品の一つ。

 最近の新しい映画や小説や漫画の情報は息子頼みだ。

 

 舞台はディズニーワールド付近の安モーテル地域。

 真っ青な空のもと、観光客をターゲットに、極彩色のフェイク感たっぷりのモーテルやギフトショップや飲食店が立ち並ぶ。

 そのモーテルの一つはシングルマザーらの住処になっていて、主人公の母娘もそこでひと夏を暮らしている。

 

 6歳の娘のワルガキぶり、その母親のBitchぶりがすごいパンチ力だ。

 

 見た目30出たとこのこのかあちゃんは、実はかあちゃんじゃなくて、15歳で妊娠・出産しちゃった娘の子を引き取ったのだという。

 つまりこの母娘は、ホントはばあちゃんと孫娘というわけだ。

 

 いわゆる底辺に生きる人たちを子供の目線から描いており、ちょっとファンタジックでコミカルな世界が広がる。

 その中でリアル感を発散しているのがモーテルの管理人のおじさん。

 このろくでもない母娘に手を焼きながらも、観ていて泣けるほど優しく暖かくてシブくてカッコいい。思いっきり感情移入してしまった。

 

 最後の方になんと本物のディズニーワールドが現れるのだが、このラストシーンはめちゃくちゃ斬新だ。

 

 

 「レディ・バード」はカリフォルニア州サクラメントの高校からニューヨークの大学に入学する女の子の青春&ファミリードラマ。

 

 サクラメントというのは行ったことないけど、この映画で見る限り、田舎町といえどもそこそこ豊かで、余計な夢や野望など抱かず、適当に周りと合わせていればぬくぬく暮らせるような街。

 日本でいえば、昔の名古屋みたいなところかなぁ。

 

 主人公の自称レディ・バードはそこから飛び立ちたいと願って母親と衝突するのだけど、これはこの子どもと母親・父親の両方の気持ちになれて面白かった。

 齢を取ると、こうした青春&ファミリードラマは二重に楽しめる。

 

 

 早稲田松竹は昔ながらの面影を残す、好きな映画館の一つだ。

 古い体質なのかも知れないけど、映画は基本的に家では見ないので、こうした街の名画座があるのはとてもありがたいし、がんばってほしい。

 


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外国人労働者とロボットと徒弟制度

 「

 もうすぐクリスマスだね」「あといくつねたらお正月だね」と言う人はいっぱいいるけど、「いよいよ勤労感謝の日ですね」という人はあまりいない。

 

 だからあえて言ってみよう。

 いよいよ勤労感謝の日ですね。

 勤労感謝の日と言えば、外国人労働者受け入れ問題ですね。

 

 日本の外国人労働者に対する扱いは、基本的にこの20~30年変わってない気がする。

 最近特に思うのは、グローバル化がどうこうより、これはロボットまでの「つなぎ」なのかな、ということだ。

 

 日本の産業界(他の国も同様かとは思うが)、つまり労働力を必要としている職場は、本当はロボットを求めている。

 ロボットなら優秀で効率よく働けるし、低コストで済むし、人権がどうの保険がこうのなんて面倒くさいことも言わない。

 ロボットならスムーズに仕事がはかどって、使う側はストレスが低減できる。

 

 ぶっちゃけ、外国人労働者はそれまでのつなぎみたいな意識なのではないか。

 欲しいのは「労働力」であって、人間ではないのだから。

 

 ついでに言うと「実習生」という言葉からは日本に根付いている「徒弟制度」のニュアンスがある。

 徒弟は仕事を教えてもらう立場にある「半人前」の人間なので、給料も半分でガマンすべき、掃除も雑用もすべて修行にコミコミだよ、というわけだ。

 

 日本人の多く――少なくとも、僕も含めて現在の40代以上のほとんどは、この長らく続いてきた考え方に洗脳されているので「おまえは半人前だから「給料も少ないよ」と言われたら容易に納得してしまうだろう。

 

 徒弟制度の在り方は日本の伝統文化の一つと言って過言ではない。

 基本的には職人や芸事の世界での習慣だったが、サラリーマン社会にも広く普及してきたと感じる。

 

 そういった習慣・文化は雇う側だけが守ってきたわけではない。

 同じ雇われる側も「なんで先輩でスキルアップしているオレと、新入りの何もできないあいつが同じ(あるいは大差ない)給料なんだ」とツッコミを入れる。

 そういうこともあって雇う側は素直に徒弟制度を受け入れてしまう。

 仕事がろくにできないやつにまともな給料は払えない。

 人権だの保険だのプライベートがどうのこうの言う奴なんかいらない。

 でも人出不足だから忙しい間だけ働いていけ―― それが雇う側のスタンスなのだ。 

 しかし、日本人でも若い連中はこれを「搾取」と呼んで拒否し始めている。

 徒弟制度は、いつか自分も一人前になって独立できるという夢と希望と、師匠である店とか人とか会社がそれを援助してくれるという温かい心の絆、信頼関係があってやっと成り立っていた。

 だから働く人たちは厳しい仕打ち、理不尽な扱いにも耐えられた。

 少なくともそれが「搾取」だとは露ほども思わなかった。

 ま、いわば宗教みたいなもので、信じる者は救われたのである。

 

 成長の時代をとうに過ぎて、そうした夢も希望も信頼関係も失われ、経済効率オンリー、ロボット求むのメンタリティになった現代にはもう通用しないのではないだろうか。日本の文化を理解できない外国人にはなおさらだ。

 

 ギリシャ時代、かの国では労働とは奴隷がすることで、人間の仕事と見なされていなかった。

 人間とは労働のために動かすことなく、政治や社会や芸術について考える人たちのことだった。

 日本を含め先進国の人間のメンタリティはだんだんそこに近づいているのではないかという気がする。

 


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「ぼく」という一人称の女が気にニャってる  

 

 10代から20代の前半くらい、自分のことを「ぼく」という女がチラホラいた。

 べつに性同一障害とか、そういうことではない。

 「変身願望」とか「ほんとは男の子になりたかった」とか、心理学的にいろいろありそうだが、少なくとも表面的には皆、その一人称以外はいたってフツーで、見た目も可愛く、頭脳も明晰そうだったと記憶している。

 

 「リボンの騎士」や「ベルサイユのばら」など、宝塚歌劇系の影響が強かったからだろうか?

 

 そういえばあの時代(1970~80年代初めごろ)、一人称に「ぼく」を用いて男の立ち場に立って歌う女性歌手が多かったと思う。

 

 代表的なのはイルカの「なごり雪」か。

 あれはもともとかぐや姫の伊勢正三の曲だけど、後にイルカの旦那になるプロデューサーが彼女に歌わせてくれと直談判したらしい。

 それがイルカのキャラクターとマッチして大ヒットし、後世に残る名曲となった。

 今年亡くなった森田童子の歌もほとんどが「ぼく」の一人称だった。

 

 あの頃の流行だったかもしれないけど、少なくとも歌の政界では今でもAKBなどのアイドルが「ボク」「キミ」っていう呼称を使っている。

 

 そこで気になってネットで調べてみたら、「ボクっ娘」とか「ボク少女」とかのカテゴリーがあるという。

 

 これはマンガ・アニメ・ゲーム等のサブカルチャーの世界で、女の子キャラクターがそれぞれの個性を立たせるためにそういう、通常は男が使う一人称を用いることがままあるようだ。

 

 あくまでイメージだけど、確かに萌えキャラで「ぼく」と言っている娘はたくさんいそうな気がする。

 

 歌にしてもサブカルにしてもバーチャルな世界でそういうキャラが重宝され、活躍するのはわかるけど、現実的にはどうなのか?

 

 やっぱり気になって現役若者の息子に「おまえの中高あたりの同級生の女の子で自分のことをボクっていう子いた?」と聞いたら、全然いなかったという返事。

 

 バーチャルで増殖している分、リアルでは絶滅危惧種になっているのか?

 どうでもいいことなんだけど、気になり始めるととことん気になって、仕事にニャラならなくなってしまったので一筆。

 


恐竜の唐揚げ

 

 映画「ジュラシックパーク」では人間が肉食恐竜のチラノサウルスやヴェロキラプトルに襲われ食われてしまうが、人間は日常的に恐竜を唐揚げや鍋物や焼き竜などにして食っている。

 そう、恐竜とはニワトリのことだ。

 

 近年はニワトリが恐竜の末裔だという説がメジャーとなり、実際にアメリカやチリの大学の研究者の間で「逆進化」の研究がされているらしい。

 

 これはニワトリを遺伝的に操作して、その遠い祖先の隔世遺伝的特徴を取り戻させて、恐竜に似た生物をつくり出そうとする研究で、すでにその気になれば実現できる段階まで来ているようだ。

 

 ちょっとにわかには信じがたい話だが、すでに最初の「ジュラシックパーク」が作られた頃からこの分野の研究は進められていたらしい。

 先日はのクローン犬ビジネスの話をしたが、遺伝子工学の進歩は、まさに「事実は小説より奇なり」の領域に達している。

 

 そういえばこの春、マイナビ農業の仕事で都内のある牧場に行ったとき、割とでかい雄鶏が放し飼いにされていて、そいつがしつこく嘴で攻撃を仕掛けてきた。

 ジーパンをはいていたので特にけがなどはしなかったが、半ズボンだったらふくらはぎのあたりをガシガシやられ血だらけになっていた可能性もある。

 

 後から思い返すと、前夜の夕食に鶏の唐揚げを食べていた。

 ぬぬ、もしや仲間の敵討ち?

 

 だったのかどうかはともかく、軍鶏みたいなケンカ屋じゃなくても、ニワトリのオスはなかなか凶暴で好戦的だ。

 そしてよく見ると、たしかに恐竜に似ている。

 脚がもう何倍か太かったらますます似ている。

 まさに「チキノザウルス」だ。

 

 僕を含め現代人は自分で鶏押さえつけてシメるという経験がないので、わりと怖い。

 あいつらが恐竜だと思うともっと怖い。

 もう怖くてチキンは食べられない。

 ――というのは大うそで、今日のお昼も恐竜の照り焼きを食べた。

 

 にしても何らかのインセンティブが働いて倫理的問題が氷解すれば、そう遠くない将来、チキノザウルスが歩き回るジュラシックパークが生まれるかもしれない。

 


1111のおんな

 

 来年の課題として「1111のおんな」という話を書こうと思った。

 今日誕生日の友だちがいて、彼女にメッセージを送る時にふいに思いついたのだ。

 ただの思いつきでタイトルは決めたが、中身は何も考えてない。

 11月11日生まれの女の話か、1111年の話なのか、二進法のコンピュータの話なのか、明日なき世界の話なのか、全然わからない。

 これから育てる。こういうのはけっこう好きである。

 

 ちなみにうちの下の妹は11月1日生まれで1101のおんな、カミさんは1月11日生まれで0111のおんなだ。

 何だか女スパイ団のコードナンバーみたいだ。

 

 21世紀になってから9・11だの、3・11だのがあって、何となく11は悪運の数字っぽいイメージになってしまったが、人間の歴史は西暦から数えても2000年。2000年×1年365日、365通り×∞のいいこと・悪いことがある。

 

 来年の今頃は「1111のおんな」がきっと完成しているだろう。

 ひとつ仕事ができた。

 希望もなく絶望もなく、毎日ちょっとずつやっていこう。

 


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クローン犬ビジネス

 

 数日前だが、テレビでクローン犬の話題を採り上げていた。

 亡くなった愛犬のクローンを作ってよみがえらす。

 韓国の企業ですでにそのビジネスが始まっているというニュースだ。

 資本主義社会ではビジネスという名のもとでなら何でも起こり得る。

 

 最近はAIやロボットが話題に上って、クローン技術については一般的にはあまり表立つことは少なかった。

 が、もちろん時代とともに確実に進歩している。

 

 愛犬家の人たちにとって、ペットロスによる精神的ダメージは深刻だ。

 そうしたニーズに応じるこのビジネスは現在のところ、1頭につき日本円で1000万円の値段がついている。

 この値段だとさすがにかなりのセレブでなくては利用できない(ニュースではドバイからの注文が多いと言っていた)。

 しかし、それだけのお金を払ってでも可能なら愛犬を蘇らせたいと言う人が世界には確実に一定数いるのだ。

 

 さて、ここまで読んであなたはどういう感想を抱いているだろう?

 ぶっちゃけ、僕はやっぱりひどい悍ましさ・禍々しさを感じた。

 

 そうした反応を予想して、その韓国の企業のスタッフは「今は反対する人が多いでしょう」と答えていた。

 何でも新しいものに人々は拒否反応を起こす。

 テレビだってゲームだってパソコンだって最初は歓迎されたわけではなかった。

 しかし、いざそのメリットを知り、社会に浸透しだすと、そうした抵抗感はあっけなく消えていく。

 そしてもはや生活に仕事に、なくてはならないものになっている。

 

 AI・ロボットもその例に漏れないだろう。

 クローンもまた然り――というわけで、スタッフさんは自信満々だ。

 

 クローン犬が広く認知され、人間の社会生活に無害であれば、そして技術がさらに進化すれば、おそらく10年後には今の1000万円が100万円くらいにコモデティ化するのではないだろうか。

 これなら庶民でも頑張れば手の届く範囲だろう。

 愛犬のためなら100万円くらいは借金してでも、財産の一部を売ってでも割とすぐに作れる。

 そうしたお客さんが増えれば、企業の方はビジネスを拡大できる。

 

 最大のネックはもちろん倫理的問題だ。

 人間の場合は、かけがえのない個人の複製を作れば、人間の尊厳を侵す行為として大論争になるが(でも実際にすでにクローン人間は存在しているらしい)、動物の場合はどうなのだろう?

 

 犬の尊厳、猫の尊厳、フェレットの尊厳などは、守られるべきものとして存在するのか?

 はたまたこれは動物を虐待する行為に当らないのか?

 

 これは当事者であるワンちゃんに訊いてみないとわからない。

 

 はなはだ不勉強でよく分からないが、こうしてビジネスとして始まっているということは、法的規制は今のところ、まだないということなのだろう。

 

 でも僕はやっぱりネガティブにしか捉えられない。

 しかし、わが子同然の愛犬を亡くした飼い主の立場に立つとどうなのだろうか?

 許されるのならもう一度の手に抱きたいという欲求を、そうたやすく否定できるだろうか?

 


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オバマとトランプと次世代

 

 アメリカの中間選挙。詳しいデータは読んでないが、テーラー・スゥイフトやハリウッド俳優の呼びかけも効いたのか、結構投票率は高かったのではないかと思う。

 結果は予想通り、上院・共和党、下院・民主党が、それぞれ多数派となった。

 

 民主党は女性や若者、マイノリティの議員が誕生して新鮮さを増したみたいだ。

 しかし、2年後の大統領選に出られるような人材がいないらしく、今回の応援ではオバマ元大統領の姿が目立った。

 

 彼が大統領になる前の選挙戦や就任当時の盛り上がりは今なお印象的だ。

 Change!

 Yes、We can.

 あのフレーズにしびれた人も多かった。

 だが逆に言うと、あれだけ期待され、ノーベル平和賞まで受けながら、8年間やったけど、たいしたことできなかった感が強い。

 オバマはただの傀儡だったのか? そうみんなが疑ってしまった。

 

 世界の覇者である(とあえて言ってみる)アメリカの偉大さを世界平和・軍縮・紛争解決といった面で発揮できなかったので、民衆の心がトランプの唱えるナショナリズムに傾いてしまった、と僕は思っているけど、ちょっと単純化しすぎか。

 

 2年後は民主党が盛り返すだろう。

 人材難かも知れないけど、トランプだって政治家としては素人なのにトップに立った。

 今の時代、若かろうが経験が浅かろうが、あんまり関係ない。

 フランスのマクロンみたいな例もあるし、世界の政治に舞台にはこれからどんどん若い人が上がって欲しいし、そうなってくると思う。

 

 さて、わが日本はどうなんだろうか?

 


20世紀の愛と平和のロックなんて忘れてしまってた

  

 1960年代から80年代のロックやフォークやポップスをいつも聴いているので、YouTubeさんがよく僕のMy Mixというのを提供してくれる。その中には普段聴かないコンテンツも混じっている。

 「あんた、こういうのも好きしょ」と、オーダーしてないものでもおススメを蔵出ししてくれるというわけだ。

 

 昨日は久しく聴いていなかったNenaの「99 Luftballons (ロックバルーンは99)」が出てきた。

 世界を席巻したドイツ発のドイツ語ソング。

 YouTubeが出してくれたのはいつのライブかわからないけど、Nenaが貫禄ついているので割と最近のものではないかと思う。

 

 めっちゃ明るいノリだけど、これはけっこう強烈な風刺を含んだ反戦歌だ。

 ご機嫌なリズムとポップなメロディはもちろんイカしてるが、99個の赤い風船を兵器と間違えて攻撃し戦争に発展してしまうという寓意に富んだ歌詞が素晴らしい。

 

 当時の核廃絶のムーブメントと相まったのか、1983年の世界的大ヒットとなった。、

 そしてそれから5年後にベルリンの壁が崩壊した。

 

 そういえば最近、ある本でデヴィッド・ボウイが1987年にベルリンの壁の前で野外ライブをやったという話を読んだ。

 スピーカーを東ベルリン側に向け、壁で分断された双方のオーディエンスに音楽を送り届けたという。

 まさしくボウイHeroesだった。合掌。

 

 1960年代、当時の若者の多くは音楽で世界が変えられると信じ、ミュージシャンたちはそれに応え、愛と平和について語り歌った。

 その精神は20世紀の間中ずっと生き続けて、東西冷戦の終結や核廃絶運動、難民の救済などにも何らかの影響を与えたと思う。

 だが、いつの間にか、たぶん21世紀の始まりとともに消えてなくなっていた。

 

 世の中そう甘くない。単純ではない。

 あれは幸せな時代の、能天気な連中の、つかの間のたわごとだったのか?

 音楽ビジネスのための偽善だったのか?

 みんな夢でしたと、あとはYou Tubeで音楽を楽しんでりゃそれでいいのか?

 

 ロックが骨抜きにされ、反戦も反核も何もなかったのように、次々とまた世界中で壁が作られ、核が作られる時代になってしまっていることに、今さらながら愕然とする。

 

 「おまえごときに何ができる?」と問われたらグウの音も出ない。

 それでもまだ生きているので、自分の宿題として抱えて、たとえちょっとずつの時間でも向き合いたいと思う。

 


世界の半分は本の中

 

  11月1日は本の日だそうな。

 「世界の半分は本の中にある」とか「世界の半分は本でできている」とか言ったのは誰だったか忘れてしまったけど、とても好きな言葉だ。

 インターネットもいいけど、やっぱり紙の本がいい。

 そして本屋や図書館がいい。

 ネット通販では欲しい本、ターゲットにしていた本しか手に入らないけど、本屋や図書館に行くと予定調和をぶち壊し、手に取ることなんかまったく考えてもいなかった本に出会えたりする。

 まるで思いがけない恋に落ち、ページをめくると、今いるところから別の世界へ連れて行かれる。

 なぜかデジタルデバイスの画面からはこういうイメージが起きにくいんだなぁ。

 はたして生きているうちにあと何冊の本と出会えるのだろう。

 


「お米の世界へようこそ!」は世界初・世界一のお米のバイブル

 

 原宿のお米屋さんで、五つ星お米マイスターの小池理雄(こいけただお)さんが本を出した。

 同じく五つ星お米マイスターで沖縄在住の渡久地奈々子(とぐちななこ)さんとの共著。

  詳しい経緯は知らないが、お二人はSNSでやりとりしているうちに意気投合し、本を作ろうということになったらしい。

 それぞれ日常的に情報発信しているので、文章を書くのもお手のものだ。

 

 一言で言ってしまうと、これは現代のお米のバイブルである。

 もったいぶって「現代の」と付けたけど、お米の種類から精米やブレンド技術、味の分析、お米の選び方・炊き方、農家さんの取り組み紹介、食育や稲作文化など、これほど広範囲にわたる関連情報をおにぎりみたいにギュギュっと一冊にまとめた本は以前はなかっただろうから、昔の時代も含めて日本初、と言っていいだろう。

 

 さらにこれほどお米という食品にこだわり、味や食感や栄養価など理系的に、また、歴史・文化など文系的にも、これほど広く深く研究を進めている国は日本をおいて他にないだろうから、日本初=世界初、日本一=世界一のお米のバイブルと言って差し支えない。

 

 実は僕はイベントや取材などで小池さんに何度かお世話になっているので、少しはヨイショが混じっているが、そんなものは米粒程度のもので、ヨイショ抜きでもこれがバイブルであることは疑いの余地がない。

 

 これほど充実した内容ならカラー写真をふんだんに搭載してドドン!とデラックスな装丁の高価な本にしてもよかったのに・・・と思うのだが、それをあえてコンパクトな新書版にし、値段も抑えてより多くの人たちにお米情報を普及したいという思いがあったようだ。

 

 そんなわけで台所でお料理しながらでも気軽に読めるようになっているので、ぜひとも手に取ってみてください。

 

 唯一惜しいのは共著ゆえ、お二人の個性がやや相殺されているかなと感じたこと。

 僕が知っている小池節は余り前に出ていない。

 しかし初めての本だし、まぁ、これはしかたない。

 

 それぞれ原宿・沖縄とユニークなホームグランドを持っているので、そうした地域性を活かした活動にも期待したい。

 

 ちなみに第7章で書かれている「原宿・表参道に田んぼが復活すると」という文章を読むと、何の違和感もなくあのあたりに夏の青田、秋の金色の実りの風景が浮んでくる。

 やはりかつては田園地帯だった(今でも商店街などに「隠田」という地名が残っている)ので、原宿という土地はそうした素質というか、雰囲気を持っているのだ。

 

 現代的なファッション、カルチャー、飲食店の立ち並ぶ表通りを一歩入ればそこに昔ながらの田んぼが広がっている――ぜんぜん自然ですよ、小池さん。

 かえって面白くて素敵で、ますます原宿人気が上がるんじゃにかなぁ。

 

 ――といった楽しい想像もできる本が出て、これをきっかけにお二人ともますますメディア露出が増えそうだ。

 お米文化の伝道師として今後もおおいに活躍しそうだね。

 


宝島社企業広告:樹木希林さん最後のメッセージの衝撃

昨日、朝日新聞と読売新聞に掲載された、樹木希林さんのインタビューをもとにした宝島社の企業広告に衝撃を受けた。これはすごい。面白い。

思わず自分は死ぬ時にこれだけのことが言えるかと思ってしまった。

死して残すこれだけの洒落というかユーモアというか・・・僕が祈らずとも御冥福は間違いない。

 


秋の招き猫日和

 

 秋晴れの日曜日。

 一日中家で仕事をやっているのもなんだなと思って、招き猫の豪徳寺へ。

 うちからのんびり自転車で30分程度なので、たまに気が向くと訪れます。

 だいぶ前ですが、テレビ番組のロケもやったことがあります。

 

 観音様のところには相変わらずいっぱいいます。

 その数大小合わせて1万を超えるとか。

 願いを成就させてくれたネコさん、どうもありがとうということで、みんながここに奉納していくのです。

 やっぱり何だか幸運を招いてくれそうです。

 

 そういえば昨年の大河ドラマは井伊直虎の話だったけど、このお寺は井伊家の墓があることでも有名です。

 

 江戸時代、鷹狩でこのあたりに来ていた井伊直孝が、このお寺にいた白い猫が手招きするのでこのお寺に入ったら、いきなり雷鳴轟き大雨が。

 

 ゲリラ豪雨から救われたと、猫にいたく感激した直孝はボロ寺だった豪徳寺を改修して井伊家の菩提寺に。

 

 最初からそこまでシナリオを練ってて直孝を招いたのであれば、なんとも賢くてしたたかであっぱれなネコ。

 まさしく廃寺寸前だった豪徳寺の救世主と言えるでしょう。

 

 立派なお寺に改修し、自分を救った猫を丁重に弔ったことが由来となって招き猫が作られたのだそうです。

 

 最寄駅の小田急線・豪徳寺駅および世田谷線・山下駅近辺の商店街では、31日のハロウィンには幸運を呼ぶ黒猫が跋扈するそうです

 

 今では全国から老若男女大勢のネコ好きを招きよせ、地域活性化に大貢献している立派なネコさんたちなのです。

 


永福町のジビエ料理

  

 灯台下暗し。

 近所の永福町北口商店街をゆっくり歩くと、いつの間にか新しいお店がいくつか出来ていた。

 

 その一つがジビエ料理のバー。

 小さなお店だが、イノシシ、シカ、ワニ、カンガルー、ダチョウなどの料理を食べさせてくれるという。

 

 試しにホームページを覗いてみたら、オープンしてもう1年以上経つ。

情報に疎いので全然知らんかった。

アップされている記事によると、あのでっかいダチョウの卵は白身の部分が多いそうで、オムレツが白く見える。

 

 じつは僕は上記動物の肉はダチョウを除いてどれも食べたことがある。

 で、正直、どれにもあまり良い印象は持っていない。

 その時の料理の問題かとも思うので、再チャレンジしてみたいが、何か強いインセンティブがないと行かないだろうなぁ。

 

 それにしても永福町にもどんどんユニークな店が増えてきて面白い。

 そのうちグルメの街と呼ばれるようになるかも。

 


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飛べよイーグル:ゴルフの勉強

 

 一度もゴルフをやったことないのにゴルフの本を書くことになった。

 なので本を読んで勉強している。

 そもそも専門用語がちゃんとわかってなかった。

 

 規定打数より少ない打数でホールインすることをイーグルとかバーディーという。

 

 これは遠く高く飛んでいくボールを鳥に見立てたのか。

 はたまたスピーディーにラウンドするゴルファーを鳥に見立てたのか。

 

 反対に規定打数より多く打数を重ねてしまうとボギー。

 こっちはダブルボギーとか、トリプルボギーとか。

 

 ボギーって何? ハンフリーボガードのこと?

 トレンチコートを着たカサブランカ・ダンディがゴルフやってるけど、全然入らなくてクールな男丸つぶれの場面を想像してたら、ボギーってもともと妖精の名前なんだって。

 妖精のいたずらで打数を多く叩かされちゃったということなのだろうか。

 

 イーグル、バーディー、ボギー、パー。

 なんだかサッカーやバスケの選手のニックネームみたいだ。

 あるいはフィギュアスケートやスノーボードの技の名前か。

 

 そんなどうでもいいことを考えながら、頭の中でグリーンの上をバーチャルツアーしてます。

 

 とりあえずどっかにパターゴルフでもやりに行こうかなぁ。

 

 


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