外国人労働者とロボットと徒弟制度

 「

 もうすぐクリスマスだね」「あといくつねたらお正月だね」と言う人はいっぱいいるけど、「いよいよ勤労感謝の日ですね」という人はあまりいない。

 

 だからあえて言ってみよう。

 いよいよ勤労感謝の日ですね。

 勤労感謝の日と言えば、外国人労働者受け入れ問題ですね。

 

 日本の外国人労働者に対する扱いは、基本的にこの20~30年変わってない気がする。

 最近特に思うのは、グローバル化がどうこうより、これはロボットまでの「つなぎ」なのかな、ということだ。

 

 日本の産業界(他の国も同様かとは思うが)、つまり労働力を必要としている職場は、本当はロボットを求めている。

 ロボットなら優秀で効率よく働けるし、低コストで済むし、人権がどうの保険がこうのなんて面倒くさいことも言わない。

 ロボットならスムーズに仕事がはかどって、使う側はストレスが低減できる。

 

 ぶっちゃけ、外国人労働者はそれまでのつなぎみたいな意識なのではないか。

 欲しいのは「労働力」であって、人間ではないのだから。

 

 ついでに言うと「実習生」という言葉からは日本に根付いている「徒弟制度」のニュアンスがある。

 徒弟は仕事を教えてもらう立場にある「半人前」の人間なので、給料も半分でガマンすべき、掃除も雑用もすべて修行にコミコミだよ、というわけだ。

 

 日本人の多く――少なくとも、僕も含めて現在の40代以上のほとんどは、この長らく続いてきた考え方に洗脳されているので「おまえは半人前だから「給料も少ないよ」と言われたら容易に納得してしまうだろう。

 

 徒弟制度の在り方は日本の伝統文化の一つと言って過言ではない。

 基本的には職人や芸事の世界での習慣だったが、サラリーマン社会にも広く普及してきたと感じる。

 

 そういった習慣・文化は雇う側だけが守ってきたわけではない。

 同じ雇われる側も「なんで先輩でスキルアップしているオレと、新入りの何もできないあいつが同じ(あるいは大差ない)給料なんだ」とツッコミを入れる。

 そういうこともあって雇う側は素直に徒弟制度を受け入れてしまう。

 仕事がろくにできないやつにまともな給料は払えない。

 人権だの保険だのプライベートがどうのこうの言う奴なんかいらない。

 でも人出不足だから忙しい間だけ働いていけ―― それが雇う側のスタンスなのだ。 

 しかし、日本人でも若い連中はこれを「搾取」と呼んで拒否し始めている。

 徒弟制度は、いつか自分も一人前になって独立できるという夢と希望と、師匠である店とか人とか会社がそれを援助してくれるという温かい心の絆、信頼関係があってやっと成り立っていた。

 だから働く人たちは厳しい仕打ち、理不尽な扱いにも耐えられた。

 少なくともそれが「搾取」だとは露ほども思わなかった。

 ま、いわば宗教みたいなもので、信じる者は救われたのである。

 

 成長の時代をとうに過ぎて、そうした夢も希望も信頼関係も失われ、経済効率オンリー、ロボット求むのメンタリティになった現代にはもう通用しないのではないだろうか。日本の文化を理解できない外国人にはなおさらだ。

 

 ギリシャ時代、かの国では労働とは奴隷がすることで、人間の仕事と見なされていなかった。

 人間とは労働のために動かすことなく、政治や社会や芸術について考える人たちのことだった。

 日本を含め先進国の人間のメンタリティはだんだんそこに近づいているのではないかという気がする。

 


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「ぼく」という一人称の女が気にニャってる  

 

 10代から20代の前半くらい、自分のことを「ぼく」という女がチラホラいた。

 べつに性同一障害とか、そういうことではない。

 「変身願望」とか「ほんとは男の子になりたかった」とか、心理学的にいろいろありそうだが、少なくとも表面的には皆、その一人称以外はいたってフツーで、見た目も可愛く、頭脳も明晰そうだったと記憶している。

 

 「リボンの騎士」や「ベルサイユのばら」など、宝塚歌劇系の影響が強かったからだろうか?

 

 そういえばあの時代(1970~80年代初めごろ)、一人称に「ぼく」を用いて男の立ち場に立って歌う女性歌手が多かったと思う。

 

 代表的なのはイルカの「なごり雪」か。

 あれはもともとかぐや姫の伊勢正三の曲だけど、後にイルカの旦那になるプロデューサーが彼女に歌わせてくれと直談判したらしい。

 それがイルカのキャラクターとマッチして大ヒットし、後世に残る名曲となった。

 今年亡くなった森田童子の歌もほとんどが「ぼく」の一人称だった。

 

 あの頃の流行だったかもしれないけど、少なくとも歌の政界では今でもAKBなどのアイドルが「ボク」「キミ」っていう呼称を使っている。

 

 そこで気になってネットで調べてみたら、「ボクっ娘」とか「ボク少女」とかのカテゴリーがあるという。

 

 これはマンガ・アニメ・ゲーム等のサブカルチャーの世界で、女の子キャラクターがそれぞれの個性を立たせるためにそういう、通常は男が使う一人称を用いることがままあるようだ。

 

 あくまでイメージだけど、確かに萌えキャラで「ぼく」と言っている娘はたくさんいそうな気がする。

 

 歌にしてもサブカルにしてもバーチャルな世界でそういうキャラが重宝され、活躍するのはわかるけど、現実的にはどうなのか?

 

 やっぱり気になって現役若者の息子に「おまえの中高あたりの同級生の女の子で自分のことをボクっていう子いた?」と聞いたら、全然いなかったという返事。

 

 バーチャルで増殖している分、リアルでは絶滅危惧種になっているのか?

 どうでもいいことなんだけど、気になり始めるととことん気になって、仕事にニャラならなくなってしまったので一筆。

 


1111のおんな

 

 来年の課題として「1111のおんな」という話を書こうと思った。

 今日誕生日の友だちがいて、彼女にメッセージを送る時にふいに思いついたのだ。

 ただの思いつきでタイトルは決めたが、中身は何も考えてない。

 11月11日生まれの女の話か、1111年の話なのか、二進法のコンピュータの話なのか、明日なき世界の話なのか、全然わからない。

 これから育てる。こういうのはけっこう好きである。

 

 ちなみにうちの下の妹は11月1日生まれで1101のおんな、カミさんは1月11日生まれで0111のおんなだ。

 何だか女スパイ団のコードナンバーみたいだ。

 

 21世紀になってから9・11だの、3・11だのがあって、何となく11は悪運の数字っぽいイメージになってしまったが、人間の歴史は西暦から数えても2000年。2000年×1年365日、365通り×∞のいいこと・悪いことがある。

 

 来年の今頃は「1111のおんな」がきっと完成しているだろう。

 ひとつ仕事ができた。

 希望もなく絶望もなく、毎日ちょっとずつやっていこう。

 


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オバマとトランプと次世代

 

 アメリカの中間選挙。詳しいデータは読んでないが、テーラー・スゥイフトやハリウッド俳優の呼びかけも効いたのか、結構投票率は高かったのではないかと思う。

 結果は予想通り、上院・共和党、下院・民主党が、それぞれ多数派となった。

 

 民主党は女性や若者、マイノリティの議員が誕生して新鮮さを増したみたいだ。

 しかし、2年後の大統領選に出られるような人材がいないらしく、今回の応援ではオバマ元大統領の姿が目立った。

 

 彼が大統領になる前の選挙戦や就任当時の盛り上がりは今なお印象的だ。

 Change!

 Yes、We can.

 あのフレーズにしびれた人も多かった。

 だが逆に言うと、あれだけ期待され、ノーベル平和賞まで受けながら、8年間やったけど、たいしたことできなかった感が強い。

 オバマはただの傀儡だったのか? そうみんなが疑ってしまった。

 

 世界の覇者である(とあえて言ってみる)アメリカの偉大さを世界平和・軍縮・紛争解決といった面で発揮できなかったので、民衆の心がトランプの唱えるナショナリズムに傾いてしまった、と僕は思っているけど、ちょっと単純化しすぎか。

 

 2年後は民主党が盛り返すだろう。

 人材難かも知れないけど、トランプだって政治家としては素人なのにトップに立った。

 今の時代、若かろうが経験が浅かろうが、あんまり関係ない。

 フランスのマクロンみたいな例もあるし、世界の政治に舞台にはこれからどんどん若い人が上がって欲しいし、そうなってくると思う。

 

 さて、わが日本はどうなんだろうか?

 


20世紀の愛と平和のロックなんて忘れてしまってた

  

 1960年代から80年代のロックやフォークやポップスをいつも聴いているので、YouTubeさんがよく僕のMy Mixというのを提供してくれる。その中には普段聴かないコンテンツも混じっている。

 「あんた、こういうのも好きしょ」と、オーダーしてないものでもおススメを蔵出ししてくれるというわけだ。

 

 昨日は久しく聴いていなかったNenaの「99 Luftballons (ロックバルーンは99)」が出てきた。

 世界を席巻したドイツ発のドイツ語ソング。

 YouTubeが出してくれたのはいつのライブかわからないけど、Nenaが貫禄ついているので割と最近のものではないかと思う。

 

 めっちゃ明るいノリだけど、これはけっこう強烈な風刺を含んだ反戦歌だ。

 ご機嫌なリズムとポップなメロディはもちろんイカしてるが、99個の赤い風船を兵器と間違えて攻撃し戦争に発展してしまうという寓意に富んだ歌詞が素晴らしい。

 

 当時の核廃絶のムーブメントと相まったのか、1983年の世界的大ヒットとなった。、

 そしてそれから5年後にベルリンの壁が崩壊した。

 

 そういえば最近、ある本でデヴィッド・ボウイが1987年にベルリンの壁の前で野外ライブをやったという話を読んだ。

 スピーカーを東ベルリン側に向け、壁で分断された双方のオーディエンスに音楽を送り届けたという。

 まさしくボウイHeroesだった。合掌。

 

 1960年代、当時の若者の多くは音楽で世界が変えられると信じ、ミュージシャンたちはそれに応え、愛と平和について語り歌った。

 その精神は20世紀の間中ずっと生き続けて、東西冷戦の終結や核廃絶運動、難民の救済などにも何らかの影響を与えたと思う。

 だが、いつの間にか、たぶん21世紀の始まりとともに消えてなくなっていた。

 

 世の中そう甘くない。単純ではない。

 あれは幸せな時代の、能天気な連中の、つかの間のたわごとだったのか?

 音楽ビジネスのための偽善だったのか?

 みんな夢でしたと、あとはYou Tubeで音楽を楽しんでりゃそれでいいのか?

 

 ロックが骨抜きにされ、反戦も反核も何もなかったのように、次々とまた世界中で壁が作られ、核が作られる時代になってしまっていることに、今さらながら愕然とする。

 

 「おまえごときに何ができる?」と問われたらグウの音も出ない。

 それでもまだ生きているので、自分の宿題として抱えて、たとえちょっとずつの時間でも向き合いたいと思う。

 


世界の半分は本の中

 

  11月1日は本の日だそうな。

 「世界の半分は本の中にある」とか「世界の半分は本でできている」とか言ったのは誰だったか忘れてしまったけど、とても好きな言葉だ。

 インターネットもいいけど、やっぱり紙の本がいい。

 そして本屋や図書館がいい。

 ネット通販では欲しい本、ターゲットにしていた本しか手に入らないけど、本屋や図書館に行くと予定調和をぶち壊し、手に取ることなんかまったく考えてもいなかった本に出会えたりする。

 まるで思いがけない恋に落ち、ページをめくると、今いるところから別の世界へ連れて行かれる。

 なぜかデジタルデバイスの画面からはこういうイメージが起きにくいんだなぁ。

 はたして生きているうちにあと何冊の本と出会えるのだろう。

 


ちょっとイカれたサブカルチャーの聖域シモキタ

 

 とくに用事があったわけではないけど、お天気が良かったので午後から自転車でぶらっと下北沢へ。

 到着すると駅の方から何やら聴きなれたフレーズが生音で響いてくる。

 お、これはCreamの「Sunshine Of Your Love」ではないか!

 

 出所は駅前広場(しもきたスクエア)。

 英国フェスでLiveと食い物の出店が10軒ほど。

 ライブは複数のバンドが60'S~80'Sのブリティシュロックのカバーをやっ

ている。

 Creamのカバーバンドは上手い! ギターは本家エリック・クラプトン並みだ。

 この広場は再開発予定地で、いずれ駅ビルが建つらしい。

 

 下北沢には東京に来た40年前からずっと通っていて、昔は芝居やライブを見たり、飲んだり食ったり古着を買ったりよくしていたが、ここ10年くらいはカミさんと年に1~2度買い物に来る程度。

 

 一人で来たのは久しぶりだったので2時間ばかりブラブラ歩いて一回りした。

 程よい高揚感と安心感、不思議な居心地の良さは40年前から変わっておらず、狭い道をうじゃうじゃ歩いている人たちを見るだけで面白い。

 

 昔の自分と同じ若い衆の人口密度も高いし、僕と同じ旧・若い衆も負けず劣らず多い。そこに外国人も混じってブレンド具合が絶妙だ。

 

 学生時代よく行った店が立ち退きで閉店になっていたりして寂しい部分もあったが、その代り表通りにも裏通りにも、ポップだったりパンクだったりシブかったりする新しい店もたくさんできてにぎやかだ。

  

 裏通りの「こはぜ珈琲」という小さなカフェに入った。

 コーヒー何と200円。もちろんセルフだが小さな店内にはジャズが流れて

いて、入り切らないお客は表のイスでコーヒーを飲んでいる。

 寒い人用にブランケットも用意されていて、とてもあったかい空気だ。

 トイレも狭いが飾りつけがお洒落で楽しく、シモキタっぽい。

 トイレが楽しい店は良い店だ。

 

 ブラつくだけで面白いシモキタ。

 やっぱりいい。用事がなくてもまた来よう。

 

 再開発されるとキレイでオシャレになる代わりに、漂白剤と脱臭剤をふりかけられ、クセもアクも匂いも消えてつまんない街になるパターンが多いけど、シモキタにはずーっと、ちょっとイカれたサブカルチャーの聖域であってほしい。

 


感動的でもなくイベント的でもない小さなこと

 

人生を変える体験というのは確かにある。

子供の頃や若い頃は、出会うこと・体験することの一つ一つが深く身体に食い込むほど感動的だったり、大きなイベントになる。

 

けれどもずっとそういうわけにはいかない。

あまり毎日がエキサイティングでは消耗し疲れてしまう。

そこでいつの間にやら心身ともども省エネモードになる。

 

子供の頃や若い頃と同様の体験をしても、身体も心は一種のシールドに覆われ、皮膚を突き破って入り込んでくることはない。

慣れっこになっているのだ。

良いことも悪いことも、こんなのどうってことない、大したことないと思える。

 

寂しいことだろうか?

そう思うときもある。

けど、これでいいのだとも思う。

大人になるとはそういうことなのかもしれない。

 

では大人になったら人生を変えるのは無理かというとそんなことはない。

その一つの方法は習慣を変えること。

日常の生活を変えること。

どんなに感動的な出来事があっても、すごいイベントに参加しても日常が変わらなければ何も変わらない。

 

日常を未来のために変えられるか、自分のための習慣を作れるかが、大人になってからの課題。

 

野球のイチローは言った。

小さなことを重ねることが、とんでもないところに行くただ一つの道。

 


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ぎっくり腰は「丹田でお米づくり」のイメージで予防

 

 10月も後半になり、朝晩かなり冷えるようになってきました。

 そのせいか、最近「ぎっくり腰になってしもーた」という声を実世界でもネット世界でもよく聞きます。

 

 かくいう僕も昨年二度ぎっくりに見舞われました。

 齢のせいだと言う人もいるが、あんまり齢は関係ないと思います。

 若くして腰痛持ちになる人もたくさん知っています。

 

 まぁ、命に係わる病ではないので、ちょっと笑いのネタになることもあるのだけど、その痛みと、もうホモサピエンスとして二足歩行できなくなるんじゃないかという精神的ショックは結構こたえます。

 

 現実的にも3日から1週間くらいはほとんどまともに活動できなくなんるので、仕事上のダメージも小さくありません。

 

 ぎっくり腰の重要な要因になるのが身体の冷えだそうだです。

 特に下半身が冷えると腰に来ます。

 だから予防策としては第一に体を冷やさない、しっかりあっためること。

 本格的に寒くなったら無理せず、カッコつけずににカイロなど使って腰回りをあっためたほうがいい。

 何ならその上から腰骨を紐やベルトでギュッと締めておくといい。

 

 さらに予防策としておススメは常に「丹田」を意識することです。

 丹田とはへそ下三寸(約10センチのあたり)の部分だが、特に丹田という名

の内臓があるわけではない。

 

 なんというか、その名の通り、おへそと性器とのちょうど真ん中あたりに自分の田んぼが広がっているイメージ。

 

 東洋医学の概念だけど、へたにネットで調べると、何やらスピリチュアルなボキャブラリーで書かれているものが多い。

 なので「あ、わたしダメ」という人もいるかもしれないが、お腹の中で小さい自分の分身が、せっせと田んぼでお米づくりをしているところを想像すればいいのです。

 

 これを意識していると自然と「丹田に力を入れる」ことになり、全身のバランスが安定し、腰によけいな負担が掛からないようになります。

 要は重心を常に下の方に置いて、浮き上がらないようにすること。

 重い物を持ち上げたり、何かを取ろうと身体を伸ばしたりする場合は、これを心がけて上半身と下半身を分裂させないようにしましょう。

 

 ぎっくり腰は、人間、まだまだ直立二足歩行の歴史が浅いので調子に乗りなさるなよ、という造物主からのメッセージなのかも知れません。

 


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高齢者を書くということについて

  

 最近、高齢者・老人のイメージ・概念そのものが本当に大きく変わって

しまった。

 若い世代との交流の仕方もすっかり変わったという印象がある。

 本格的にエイジレスの時代が始まっている。

 

 なので脚本を書いていて、70代とか80代の高齢者を登場させるとセリフ

の書き方に戸惑う。

 もうかつてのように「わしは・・・じゃ」なんて感じでは書けない。

 サザエさんの波平さんや、ちびまる子ちゃんの友蔵さんみたいなのは

現代では通用しない。

 

 かなりマンガっぽいキャラ(白髭の○○博士とか○○師匠とか)ならそれ

でもOKなんだろうけど、ある程度リアル感を追求すると、ぱっと読んだ

だけでは年齢が分からないセリフになってしまう。

 いわばじいちゃんぽく・ばあちゃんっぽくならない。

 

 かつては頑固じじい、性悪ばばあなどもいたけど。基本的にお年寄りと

言えば、人畜無害で善良な市民か、よぼよぼの老いぼれか、師範や大先生

といった人生を極めた人、博士のように専門を極めた人が大半だった。

 

 でも今の高齢者と言えば、時代の変化に翻弄されて迷い、戸惑い、生き

ることにも死ぬことにも怯えながら、それでも自分の人生を肯定したくて

頑張っている人たち――それが全体的なイメージだ。

 

 どんな生き方をしてきたのか、現在どんな状況にあるのか(健康なのかそ

うでないのか、仕事をしているのかしていないのか、家族はいるのかいな

いのか、どこに住んで何を食っているのか・・・)、で、人のセリフは違っ

たものになってくる。

 高齢者を書こうとすると、それがいっそう顕著になるので、バックスト

ーリーを相当作り込まないとまったく書けない。

 

 今は穏やかに静かに暮らしているじいちゃんでも、かつてはゴロツキど

もを震え上がらせた任侠ヤクザだったかも知れない。

 

 今はケチなごうつくなばあちゃんでも、かつては男どもをイチコロにし

た女神さまだったのかも知れない。

 

 一口にじいちゃん・ばあちゃんと言っても、また、たとえそれが架空の

人物でも、それなりの歴史・それなりの世界を持った人間にしっかり向き

合い、人間像を構築していくのはなかなか骨が折れる仕事だ

 ま、それもこれも当たり前の話なんだけど。

 

 


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北さんのお葬式

 

 和泉親児の会の椎木さん(第5代会長)から北さんの訃報メールを受けて昨日、お葬式に行った。

 

 亡くなったのは7日の早朝だったそうだ。

 

 北さんは息子が卒業した小学校の図書室で司書をやっていた方である。

 司書という職業の一般的なイメージは、静かで知的な人という感じだろうか。

 彼女はそこから逸脱していて、とても明るく剽軽な一面も持ち合わせた楽しい女性だった。

 

 学校の図書館は学習の場であるとともに、ちょっと気持ちが凹んだ子や、学校生活がうまくいかない子のホッとできる居場所、癒しの場所でもある。

 北さんの明るさ・楽しさはそんな子どもたちにとって有りがたいものだったのろうと想像する。

 彼女に甘えていた子供たちも結構いたようだ。

 

 かの和泉小学校の司書だったのは2011年度から14年度までだったと思うが、その間、彼女の企画で朝の読み聞かせ会をやっていた。

 和泉親児の会がそれに協力し、僕はそのメンバーの一人として、卒業した息子の使い古しの青いランドセルを担いで月に数回、学校に通った。

 

 また、教会の子供向けクリスマス会のアレンジャーもやっていて、余興をやってくれないかと頼まれ、椎木さんたちと組んでサンタとトナカイのコントみたいなことを3回にわたってやった。

 いつも時間がなくて、やっつけ・間に合わせの出し物だったが、そこそこ喜んでもらっていたようである。

 

 北さんはクリスチャンだったので、お葬式はその教会でやった。

 うちから歩いて10分と掛からない、住宅街の小さなプロテスタントの教会だ。

 ご自宅はやや離れたところ(たしか中野区)だったので、和泉小学校に通っていたころに特にその和泉教会と親しくなったのかもしれない。

 

 教会といえども周囲の家と変わらない大きさで、アットホームなところだったので、ほとんど自宅葬のような感じだった。

 おそらく100人以上の人が集まり、入り切らなくて庭先にまで人が溢れ出していた。

 

 和泉小から去る頃、背中が痛いと訴えていた。

 胸腺がんというあまり症例のないがんだったそうだ。

 一時、回復してFBも積極的にやっていたのだが、2年半くらい前に途絶えていた。

 

 3年ほど闘病したが、9月になって死期を悟ったようで、教会を訪れ、相談して遺影や花の飾りつけなど、自分のお葬式をこうしてほしいと頼んでいたそうだ。

 

 「わたしの歴史」と題する自分史も書いていて、式の中で10分ほどの間、牧師さんがそれを読み上げた。

 

 離婚を経験するなど、いろいろつらい時期もあったようだが、彼女らしい人生を送ったのだろうと思う。

 ほんのわずかな期間、わずかな関係だったが、僕たちもその歴史の一部だったのだなと思った。

 

 誰でも誰かの人生の一部分になっている。

 たとえ引きこもっていても、ずっと孤独で過ごしていたとしても、ずいぶん齢を取り、もうみんなに忘れられてしまっただろうと思っていても、誰もが誰かの歴史の一部になっているのだ。

 

 弔辞を述べた人のひとりは教会のスタッフで、かなりご高齢の婦人だったが、「北さん、お友達になってくれてありがとう」と、まるで童女のように言ったのがとても胸に響いた。

 

 北さんは僕より一つ年下だった。

 自分と同世代、あるいは自分より若い人とのお別れはひとしお切ない。

 


森田童子の思い出:1970年代ぼくたちの子守唄

 

★訃報

 

 YouTubeで1960~80年代前半の音楽を聴いていると時々特定のミュージシャンの音源や映像が激増している現象に出くわす。

 で、よく見るとそのミュージシャンなり、そのバンドのメンバーなりが亡くなっていたことを知る。

 

 先月下旬もそれがあった。

 

 年に1度くらいの割合で発作的に聴きたくなる声がある。

 森田童子の声。

 検索したところ、6月に「いったい今までどこに眠っていたんだ?」と思える貴重な音源・映像が次々にUPされていた。

 もしやと思って添えられたコメントを読んで今年4月24日に亡くなっていたことを知った。

 世間に公表されたのはJASRACの会報で6月11日となっている。

 

 ぜんぜん知らなかった。

 死因は心不全。享年65歳。

 最近の基準に照らし合わせれば、早すぎるのかも知れないが、森田童子という虚像はすでに1983年――35年も前に消えていた。

 

 それなのに人々の心の中で強烈な存在感を放ち、生き続けていた。

 

★1978年

 

 僕が彼女の歌を初めて聴いたのは、東京に出てきて1年目の1978年のことだった。

 当時、演劇学校に通っていて明大前のアパートで友達と二人で暮らしていた。

 そこは双方の関係からいろんな連中が集まる溜まり場になっており、そのうちの一人がレコードを持ってきた。

 

 森田童子の名前と写真は知っていた。

 大きなサングラスとカーリーヘアの風貌から、てっきりブルースシンガーだと思っていた。それも男の。

 

 レコードは「マザースカイ」。

 A面1曲目「ぼくたちの失敗」。

 短いピアノのイントロに続いて聴こえてきたのは、ブルースシンガーの焼けた声でなく、甘く透き通った少女のような声だった。

 

 心臓を直撃された。

 

 その後40年、いろんな音楽を聴いたけど、これほど素朴で美しいメロディラインを持った楽曲は他にほとんど思い浮かばない。

 

 グッドバイ(75年)、マザースカイ(76年)、A BOY(77年)、東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤(78年)、そしてラストワルツ(80年)。

 

 遅れてきた僕がこれらのレコードをよく聴いていたのは3年ほどの間だった。

 今でも曲を聴くと、この頃の友達の顔や声、生活の断片、街の風景が妙にくっきりとした輪郭でよみがえる。

 毒が経験したのは最後の方だけだったが、森田童子の歌は1970年代という時代の象徴でもあった。

 

 

★1980年/1983年

 

 1970年代後半、森田童子はライブハウスで最も観客を集めるシンガーソングライターの一人だった。

 まさしくあの時代の空気を体現できるミュージシャンだった。

 

 僕は結局ライブハウスには行かなかったが、テント公演を体験した。

 

 80年11月、池袋の東口・三越裏の空地に黒テントを張って行われた「夜行」と題されたコンサート。

 森田童子を生で見たのはそれ一度きりだ。

 激しくギターを掻き鳴らす「春爛漫」で、漆黒のテントの中に桜吹雪が夥しく舞っていたのを思い出す。

 

 YouTubeに当時のドキュメンタリー映像(テレビ東京の番組だったらしい)が上がっていて、その中で彼女は語っている。

 

 「あと何年か後には東京でテントを建てるということは不可能になるでしょう。私たちのコンサートが不可能になっていく様を見てほしいと思います。そして、私たちの歌が消えていく様を見てほしいと思います・・・(中略)一つの終わりの時代へ向けて、私たちの最後の切ない夢を見てほしいと思います」

 

 80年代に入り、もう自分の歌が求められない時代になっていく。遠からず自分はこの世界(音楽シーン)から消え去るのだ、ということを予感していたのかも知れない。

 

 世間には明るく華やかなダンスミュージックが溢れ始めていた。

 孤独や悲しみ、絶望や死を歌う童子の歌を聴く人はどんどん減っていった。

 僕もその頃はもうほとんど聴かなくなっていた。

 「もう森田童子なんて聴かないよ」と誰かに言った覚えもある。

 それなのに、グッドバイとマザースカイの2枚のアナログレコードはいまだに手元にある。

 

 そんな中、1983年、新宿ロフトのライブを最後に森田童子は静かにギターを置いた。

 それを気に留めた人さえ、そんなにいなかったと思う。

 特に引退宣言なども残すこともなく、ひっそりと音楽の世界から身を引き、「みんな夢でありました」と普通の人の生活を送るようになった。 そこで森田童子は死んだのだ。

 

 

★1993年

 

 ところがそれから10年後、彼女は再び脚光を浴びた。

 バブル景気、ジャパン・アズ・ナンバーワンの時代で浮き上がっていた人々が地上に足を下ろし、内省し始めた1993年、あの「ぼくたちの失敗」がテレビドラマ「高校教師」の主題歌に使われたのだ。

 ドラマを見た人たちが「あの歌手は誰だ?」ということで森田童子を再発見した。

 

 その当時、僕はドラマのイメージが貼り付いてしまうことをとても苦々しく感じていた。

 けれどもいま振り返れば、あの美しいメロディと彼女の声がより大勢の人の耳に届き、心に宿ったのは喜ぶべきことだと思う。

 

 「ぼくたちの失敗」が大ヒットになり森田童子にスポットライトが当っても、そこには誰もおらず、空っぽのままだった。

 

 現実の彼女は30歳で森田童子を辞めた後、結婚し、都内で主婦として暮らしてたようだ。

 一度、あるルポライターが居所を探り当て、取材を申し込んだことがあるが頑なに拒否されたと言う。

 

 その後、インターネットが発達しても、とうとう彼女の素顔も本名も公になることはなかった。

 これほどの知名度の人間がここまでプライバシーを守り続けられたのは奇跡的なことだ。

 

★病気

 

 「出たくないと」いう強い意志に加えて、僕は体調や精神状態があまり良くなかったのではないかと推測する。

 10代の頃、大きな病気を患っていたというから、それがずっと残っていたのではないだろうか。

 もし健康だったら、本人がいくら拒んでも周囲が何とか説得しようとあらゆる手段を講じて動くだろう。

 少なくとも取材の一つ、二つは受けさせただろうと思う。

 

 死因も心不全とのことだが、どこかでその病気が関係していたのではないだろうか。

 

 あるインタビューで、病気のせいでまともな生活が送れず、高校を中退してブラブラしている時に音楽を始めた」といったことを話していたが、そのブラブラの中身は苦しい闘病生活だったのかも知れない。

 

 そして死線を彷徨った経験と、学生運動をしていた友達との付き合いが曲作り、音楽活動に結びついた。

 

★子守唄

 

 森田童子の歌は一般に「暗い」と揶揄されることが多かった。

 けれども深刻度はさておき、孤独感や、悲しい・寂しいという感情を味わわない人間はいない。

 彼女の独特の「ゆらぎ」を持った声はそこに感応し癒しを与える。

 元気で明るい歌が心の傷を癒し、元気に、明るくしてくれるとは限らない。

 

 また、僕たちはいつもどこかで死に怯えながら暮らしている。

 いつか必ず訪れる自分の死、愛する人の死、大切な人の死――

 光の届かない奥底の暗闇に、僕たちの心の中の小さな子供はぶるぶる震えている。

 童子の歌はその子を優しく慰めてくれる母の子守唄だ。

 あの少女のような甘く透き通った声は、母の声でもあるのだ。

 

 時々発作的に聴きたくなるのはそのせいなのかもしれない。

 

★夜想と狼少年

 

 実は最後の2枚のアルバム「夜想」と「狼少年 WolfBoy」はかつては一度も聴いたことがなくてYou Tubeで初めて聴いた。

 時代に合わせようと彼女が(というよりスタッフが)苦労しているのが見て取れる。

 

 サウンド的にプログレっぽくしたり、テクノポップみたいな味を加えたり、ワルツのリズムを採り入れてダンスミュージックに近づけようとさえしている。

 

 歌の語り口の定型だった「ぼく、きみ」を辞めて「わたし、あなた」にした曲もあり、それまで隠されていた女の部分が見えてドキッとする瞬間もある。

 

 いま聴いてみて僕はけっこう好きになったが、「グッドバイ」や「マザースカイ」の童子節を愛するファンにとってはどうしても違和感を感じる作品だろう。

 彼女自身も違和感を覚え、納得できない部分が多くあったのではないだろうか。

 そして、ここまでして音楽の世界で生き残るつもりはない、と去ることを決意したのだろうと想像する。

 

★普遍

 

 訃報に出会って以来この10日ほど、夜な夜な彼女に関する音源、映像、ネット上の記事をあちこち見ていた。

 その中に5年ほど前に投稿されたものだが、12歳の女の子が「ぼくたちの失敗」を歌っている動画があった。

 

 おそらく自宅のリビングだろう、暖かい陽の当たる部屋で自分でギターを弾きながら、あどけない声で明るく軽やかに歌っている。

 過去の思い出を愛おしみながら別れを告げ、笑って旅立とうとしている少年少女の情景が浮ぶようだ。

 

 童子の歌がこんなふうに響いてくるなんて不思議で新鮮で、ちょっと感動した。

 

 森田童子という歌手の存在は1970年代の構成要素であり、あの時代の空気を知る者が共有できる世界であり、それ以外の聴き方は難しいのではないか。ずっと思っていた。

 が、どうもそうではない。

 

 彼女の孤独、悲しみ、寂しさ、絶望、死をテーマとした歌の数々は、その多くがかなり普遍的なものであり、貴重なものであり、むしろこれから大事にされていくのではないかと思うようになった。

 

 ぼくたちの時代の子守唄は未来へも繋がる。

 

 最後に、森田童子さんのご冥福をお祈りします。

 そして最期まで秘密にした素顔と本名、プライバシーが今後もけっして暴かれることのないよう祈るばかりです。

 


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幻想やストーリーでおいしくなる日本食

 

★寿司職人いまむかし

 

 だいぶ前にホリエモンが「寿司職人が何年も修行するのはアホ」とSNS上で発言したことがあった。

 長大な時間を修行に費やす職人の世界の常識に大胆なメスを入れ、現代の若者はそんな旧弊に従って貴重な時間を無駄使いするべきでないという趣旨の意見だったが、当然のことながら大炎上した。

 

 僕も若い頃、これと通底する話を聞いたことがある。

 勤めていたロンドンの日本食レストランには寿司もメニューにあり、職人さんがカウンターで寿司を握っていた。

 ブームだったこともあり寿司をやってみたいと言う若い外国人(日本人以外という意)も訪ねてきたが、店はけっして門戸を開かなかった。

 「白人でも黒人でもアジア人でも、外国人が寿司を握るなんておかしい。ああいう人たちの手で出されたら食べる気しないでしょ。日本人が握るからおいしいんだよ」というのが店だか会社だかの論理だった。

 

 同じことは女性にも適用された。

 「寿司っていうのは繊細なものでね、ちょっとした指の熱の違いで魚の味が悪くなるんだよ。女は体温が高いからダメなんだ」という話をまことしやかに語って聞かせる人もいた。

 

 確かにその頃(30年以上前)は女の寿司職人も外国人の寿司職人も見たことなかったので「そうか、そういうことなんだ」と思った。

 

 現代ではもちろん「そんなもん」はまかり通らない。

 6月にロンドンに行ったときは、駅の構内をはじめ、街中のあちこちに「SUSHI SHOP」が溢れていてびっくりした。

 

 今やロンドンで寿司はサンドイッチやハンバーガーと同じファーストフード。しかもおいしくヘルシーだというので、他のものより高くても飛ぶように売れる。

 そこで働いているのは日本人以外の人たちであり、男女の区別もない。もちろん彼ら・彼女らがその場で握っているわけではないけど、そんな環境の中で「寿司職人は日本人の男でなきゃ」というかつての確固とした常識は微塵も感じられない。

 

★幻想・ストーリーは大いなる調味料

 

 日本国内でも冒頭のホリエモン発言を裏付けるかのように、専門学校で3か月ほど勉強しただけの職人さんが店を開き、1年たたないうちにミシュラン認定の一流店に選ばれた。

 「師匠のもとで10年修行しなくては一人前になれない」という常識は、情報伝達手段が限られていた時代の幻想だったことが判明した。

 

 僕もホリエモンの合理性に基づいた意見は正しいし、若者を閉じられた世界の旧弊から解放することは必要だと思う。

 しかし一方でそうした幻想なりストーリーなりが日本の食文化を育ててきたし、これからも育てていくのではないかとも思う。

 

 寿司に限らず、日本食は実際に説明できることだけでなく、何割か――もしかしたら半分近くは、作る側・食べる側、双方で共有する幻想・ストーリーに負っている。

 つまりその食材やら調理法やら調理者の経歴・人柄、あるいは人間関係などの情報が「調味料」となっているのである。

 

 食材や調理法について数多くの情報がオープンされている現代では、前もってその店や職人に関する知識がなければ、名店の職人の寿司も、無名の見習い職人の寿司が握る寿司も、味にそう変わりないのではないだろうか。

 

 そこに経済が絡むのなら、こっちの方が高いからこっちがおいしいとか(僕もこれだけお金を払ったのだから、おいしくないはずがないと思い込んで食べることがある)、逆に味が変わらなければ安い方がおいしく感じるといいったこともあるだろう。

 

 食について評価する人だって、そうした情報が重要だ。

 ただ「おいしい」というだけでは話にならないから、どうしてそう感じるのかを裏付けるための情報を得て理屈をひねり出さなくてはいけない。

 

 貧しさから脱するために子供の頃から丁稚奉公し、師匠や先輩に怒鳴られたり、時には殴られたりしながらも歯を食いしばって修行にはげみ技術を習得した――といったストーリーが作る人にあれば、その物語がこの一皿に凝縮されている、といった感じで美しく評論できる。

 

 外国の場合はどうか知らない。中国・フランス・イタリアなど、世界に冠たる食大国にはきっとそうした部分があると思う。

 でも日本ほどではない、たぶん。日本人とは食についてそうしたストーリー・幻想を求める人たちなのだ。

 

★脳で食を楽しむ以上、幻想はエネルギー

 

 そういえば以前、都内のある有名料理店の料理長に取材したときに印象深い話を聞いた。

 

 当時60代で、東北の田舎で育った彼は子供の頃、母がかまどを使って日々の食事を作ってくれたという思い出話を語ったあと、

 「僕たち料理人の料理は、いわば芸人の芸みたいなもの。みんな芸に拍手してお金を払ってくれる。でも本当の料理という点では母にはかなわない。一生修行しても追いつけない」

 

 これは功成り名を遂げ気持ちに余裕のできた人特有の感傷だな、と僕は思った。

 彼の語る話を幻想だと言って嗤うのは簡単だ。

 しかし食欲という原初的な欲望を、食という生きていくのに不可欠な営みを、文化の領域まで昇華させるということは結局こういうことではないか。

 人間が舌だけでなく脳で食を楽しむ生き物である以上、幻想はエネルギーになるのだ。

 


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なんで肉じゃがはお母さん食堂のメニューにないのか?についての探索と考察:あやうしおふくろの味編

 

 ファミマのサイトには「お母さん食堂」におふくろの味の定番・肉じゃがが載ってない。

 動揺した僕は別に肉じゃがのファンでもなく、急に食べたくなったわけでもないのに、どうしても気になって近所のファミマの実店舗に行ってみた。

 

 入口には母ちゃん姿の香取信吾。

 しんごママが流行っていたのはもうずいぶん昔の話。SMAPの絶頂期だったが、彼の残した実績は生き続け、今回見事こうした形で復活した。割烹着がまたよく似合っててすごくいい。

 

 中に入るとキャンペーン中だけあって売り場も目立つ。ファミマの力の入れようが伝わってくる。

 

 しかし、その棚を上から順番に見て行って、チーズインハンバーグやらビーフカレーやらサバの味噌煮やらボルシチやら筑前煮やら里芋の煮物やらポテトサラダやらきんぴらごぼうやら・・・実にいろいろ揃っているのにない。

 肉じゃがはやっぱりない。

 

 諦めきれずに向かいの棚でパンの品出しをしていた店員のおねーさん、というか香取信吾より齢いってるお母さん風情の女性に尋ねてみる。

 

 「あの~、お母さん食堂に肉じゃがないんですか?」

 「肉じゃが?どれどれ・・・ああほんとだ、いま品切れしてるみたいですね」

 「え? ということはたまたま現在売り切れてるだけで普段はあるってこと?」

 「ええ、すみません。夕方また品物が来ますから」

 「ちょっと待って。それ本当?サイトには載ってなかったんだけど」

 「へ? いや記憶にあるよ。確かあったと思ったんだけどなー。

 あ、あれはセブンイレブンだったっけかな?」

 

 と、ライバル店の名前をボロッと出して、かなりあやふやな返事。

 

 これ以上問答してても埒が明かないなーと思ってファミマを後にし、こんどはセブンイレブンへ。

 

 こちらはお母さん食堂の一歩先を行くご存じ「セブンプレミアム」でファンが倍増状況。

 で、そのセブンプレミアムの並びをざーっと見ていくと・・・あったあった、ありました。

 ファミマ店員のおねーさんが見た憶えていたのは、やっぱりこちら。セブンプレミアム北海道の男爵肉じゃがです。

 

 そうか、セブンイレブンはやっているのにファミマはやっていないんだ。「お母さん食堂」と銘打っているのになんでなんでなんで?

 

 疑問を拭い切れず、ついに思い余ってファミマのお客様相談室に電話をかけてしまった。3回呼び出した後に女性の声。

 

 「はい、お電話ありがとうございます。ファミリーマートお客様相談室の○○でございます」

 「もしもし、福嶋と申しますが、お母さん食堂のメニューについて伺いたいことがあってお電話したんですが」

 「はい、ありがとうございます。どんなご用件でしょうか?」

 

 ・・・てな具合でなんでメニューにおふくろの味の代表選手である肉じゃががないのかと聞くと、サイトには載ってませんねーとピンぼけたお返事。

 

 「サイトでもお店でも見当たらないから電話して聞いてるんです。いったいあのラインナップはどういう基準で決められているのか知りたいんですが」

 「わかりました~。では商品企画室に問い合わせてみます。お客様のお名前とご連絡先を教えていただけますか」

 

 てな具合で電話番号を教えていったん切って他のことをやってると8分後に電話が鳴った。

 

 「問い合わせたところ、肉じゃがは出してないし今後も出す予定はないそうです」

 

 思わずセブンイレブンにはあるぞと言いたくなったが、そこはぐっとこらえて

 「そうですか。お忙しいところお手間をかけてすみませんでした」

 「いえいえ、また何かござまいましたらお気軽にお問い合わせください」

 

 てなわけでラインナップはどういう基準で決められているのかという話は忘れ去られていた。

 これはお客様相談室ではダメだ。

 何とか本社の商品企画室にダイレクトに取材を申し込まねばと思ったが、「日本のおふくろの味の変遷」だとか「和食大研究」とか「コンビニ惣菜の栄枯盛衰」とか、本でもサイトでもいいので何かそういう企画をやっているという大義名分がなくては乗り込めない。

 

 今のところ、仕事で頼まれてもいないし、自主企画でさすがにそこまでやる時間も情熱も持ち合わせてないので、今回はここで打ち切りにした。

 

 しかし、僕はある大きな変化に気付いた。

 やはり「おふくろの味=肉じゃが」という概念は間違いなく大きく揺らいでいる。

 なんといっても.ボルシチやエビチリがお母さん食堂にラインアップされる時代だ。

 そういえば僕だっておふくろに作ってもらったのはハンバーグだとかカレーだとかトンカツだもんな。

 若い連中にとっては肉じゃがなんて限りなく存在感の薄い小鉢料理の認識しかないのかもしれない。

 もはや肉じゃがは「古き良き日本の郷愁を誘うファンタジー料理」としてすら生き残るのが難しい時代に入っているのかも知れない。

 

 平成の終焉に向けて日本の文化は地殻変動を起こしている。

 そう感じられたのが、今回の収穫と言えば収穫かなぁ。

 

 これについてはまたの機会に考察を重ねたいと思っている。

 


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肉じゃがは幻想のおふくろの味

 お読みの女性の方、ダンナやカレ氏に「肉じゃが作ってちゃぶだい」と頼まれたことがありますか?

 

 僕はおふくろもカミさんも肉じゃがが嫌いなので家で食べたことはほとんどありません。(おふくろの場合は子供の頃、作ったことがあるかもしれないけど思い出せない)

 

 カミさんの場合は自信を持って「一度もない」と言い切れます。

 聞いたら「ジャガイモが半分煮崩れて汁や他の具材と混ざっているのが嫌」なのだそうです。

 なかなか神経が細やかな女性です。

 いずれにしても、自分が嫌いなものだから作るはずがない。

 

 と言って別に文句を言っているわけではありません。

 僕もカレーのジャガイモやポテサラやフライドポテト、コロッケその他、ジャガイモ料理は大好きですが「おれは肉じゃがが食べた~い!と叫んだことはありません。

 

 サトイモの煮っ転がしは好きだけど、あの甘い醤油の汁はじゃがいもには合わないと思っています。

 

 思うに肉じゃがは日本が近代化して間もない貧しい時代、そして庶民も月に一度くらいは肉を食べられるようになった時代――明治とか大正に庶民の食卓で発展したおかずだろうと思われます。

 

 一家のお母ちゃんがかまどの前に立ち、家族みんなで食べるには少なすぎる肉をどうやって食べようと思案した挙句、そうだ、あのすき焼きのような(当時は肉を使ったごちそうといえばすき焼きをおいて右に出る料理はなかった)味のものにしよう、安い野菜と合わせて煮るんだ。そうだジャガイモがいい。ジャガイモを主役にすればお腹もいっぱいになるし、それにあまりものの玉ねぎやニンジンを入れて煮込めば・・・はい、出来上がり!

 という感じでお母ちゃんが工夫を凝らして生まれた料理が肉じゃがです。

 これがデン!と鉢に盛られて食卓の真ん中に置かれる。

 ほかほかと立つ湯気と匂いが食欲をそそる。

 「いただきまーす1」と10人もいるような大家族が一斉に競いあって食べる。

 「こらノブオ!肉ばっか選って食べるじゃない!」と、母ちゃんの優しく暖かい怒声が飛ぶ。

 他におかずと言えば漬物くらいしかないけど肉は食えるし、ジャガイモでお腹はいっぱいになるし、今夜の家族は幸せだ。

 

 そんな時代が長く続き、肉じゃがは不動の「おふくろの味」となったわけです。

 

 というわけですが、男性の方はカミさんやカノジョに「肉じゃが作ってちゃぶだい」と頼んだことがありますか?

 

 いまだに肉じゃがは「おふくろの味」の定冠詞を被っていますが、豊かになっちゃったこの時代、この料理をそんなに好きな人は大勢いるのだろうか?

 街の中の定食屋に入っても「肉じゃが定食」なんてお目にかかったことないもんなぁ。

 そもそももはやメインディッシュとなり得ない。食べるとしても副菜というか小鉢でつまむ程度。

 

 けれども副菜だろうが小鉢だろうが、ばあちゃんもおふくろもカミさんも誰も作らなくなっても、古き貧しき日本の郷愁を感じさせる肉じゃがは不滅なのだと思います。

 これから先は明治・大正・昭和のストーリーを背負ったファンタジー料理としてその命脈を保っていくでしょう。

 

 ・・・と思っていたけど、香取信吾がコマーシャルやってるファミマの「お母さん食堂」のメニューにはポテトサラダはあっても肉じゃがは入ってないぞ! 危うし肉じゃが。この続きはまた明日。

 


30年ぶりのスタンド・バイ・ミー

 

 およそ30年ぶりくらいにスティーヴン・キングの「スタンド・バイ・ミー」を読んだ。

 この4人の12歳の少年の小さな冒険物語はロブ・ライナー監督によって映画化され、80年代に大ヒット。そして今も語り継がれる名作映画になった。これはその原作だ。

 

 定番となっているレビューには「この年齢特有の男の子の世界」「友情」「成長物語」というキーワードが必ずと言っていいほどくっついている。

 確かに映画はそうしたニュアンスを強調して作られており、僕の中でも観終わった後の甘い感傷のようなものが、エンディングテーマ「スタンド・バイ・ミー」のメロディとともに残っている。

 

 以前読んだのは20代半ば頃だった。

 映画を見て読んだので、映画とほとんど同じという印象を持っていた。

 もちろん今回も当初は同じイメージを持っていて、もう一度どんなだったか確かめてみようと思ってページをめくってみたのだ。

 

 そうしたらぜんぜん違っていた。

 自分の齢のせいだろうか?

 50代の男には、これは12歳の男の子たちの成長物語とも、友情物語とも映らなかった。

 成長や友情という言葉が放つ明るいイメージ、爽やかなイメージとはまったくかけ離れているのだ。

 

 実はこの原作の題名は「Stand By Me」ではない。

 原題は「The Body」。これは死体のことだ。

 

 自分たちと同じ12歳の男の子が列車に轢かれて死んだという情報を得て、その死体を見に行こうと4人の少年が冒険に出かける。これはそういうストーリーなのだ。

 死の誘惑にかられた子供たち。

 ちょっと考えれば、明るく爽やかになるはずがない。

 小説の底辺にはむしろ暗く陰鬱なトーンが響いている。

 

 その暗さ・陰鬱さの原因が、キングの他の多くの小説と同じく「恐怖」だ。恐怖と言っても霊や悪魔が出てくるわけではない。

 それは少年たちが生まれ育ってくる中で体感し、植えつけられた生活の中の恐怖。生きる上での根源的な恐怖。否応なく背負わされた人生に対するリアルな恐怖だ。

 

 彼らはそんな恐怖心を覚えざるを得ない環境で育った。

 それを象徴するのが暴力的な父親だ。テディの父親は精神を患い、幼いテディの両耳を焼いてしまう。クリスの父親はしじゅう酔っぱらって子供たちを殴りつけている。

 

 その父親たちをフォローするかのように、不良化した兄たちがこれまた暴力的で少年たちを震え上がらせる存在になる。

 

 そして教師や周囲の大人たちは、あんな家で育った子供らはろくな人間にならないとはなっから決めつけている。

 

 1960年のキャッスルロックというアメリカの片田舎は、そういう生活習慣の世界だったのだ。

 

 12歳ともなればそんな諸々の事象が何を意味し、自分たちの将来にどう響くのか感じ取れてしまう。

 

 ここで描かれる少年たちの友情とは、自分たちを取り巻く大人たちや地域社会から受ける恐怖や不条理から互いの身を守るために必死でしがみつき合う――そうした類の友情だ。

 

 そして何とかその恐怖を乗り越えたとき――それを成長と呼ぶなら成長した時、少年たちはバラバラになってしまう。

 

 友情はある夢の一時だけ空に掛る虹のようなもの。

 主人公(語り手である)ゴードン=作者キングの分身の3人の友人たちは皆、ここで描かれた冒険から10年あまりの間にこの世から去っていく。

 

 後味は何とも苦い。20代の頃に感じた、感傷を帯びた甘い味は何処へ行ってしまったのだろう?

 

 だからといってこの作品が嫌いになったわけではない。

 むしろその重層的な味の深さに感心すことしきり。30年前は僕は面白おかしいストーリーの上っ面しか読んでいなかったのだ。

 

 今回、読み返してみて本当に良かったと思う。

 やはりこれは少年小説のバイブルともいうべき名作なのだ。

 


お祭りの季節に思う、日本の神様の心の広さ

 

 わが町・永福町の近隣にには熊野神社・大宮八幡宮。永福稲荷神社と3つ神社があり、毎年9月の週末は3連荘でお祭りです。

 息子がチビの頃は近所の子も連れて毎週毎週3つのお祭りを梯子して回ったこともあります。

 

 今週はその中でも最も大規模な大宮八幡宮のお祭りで、人出もすごい。夜は周辺地域の10基のライトアップしたお神輿が合同宮入りしてすごく華やかです。

 

 この地域に住んで早や四半世紀が経とうとしていますが、お祭りの風景は変わりません。

 いつも思うのだけど、日本の神様は大変鷹揚な親で、子ども――つまり僕たちがが仏様やキリスト様のところへ遊びに行っちゃってもガミガミ怒鳴ったりしません。

 

 お正月とお祭りの時、「神の子」に戻ってちゃんと神社に来て頭を垂れてくれることを知っているからです。

 

 ひと昔前、そうした宗教に対する日本人の節操のなさは国内外から怪訝に思われたり、非難されたり、おかしいんじゃないのと言われたりすることが多かった気がします。

 

 しかし近年、無宗教化は世界的傾向となっています。

 世界に名だたるキリスト教国と思われていたアメリカやイギリスでも今や3割に近い人が自分は「無宗教」と言うそうな。

 これが30歳以下だとその割合はぐんと上がり、無宗教化の流れはとどまるところを知りません。

 

 ニーチェが「神は死んだ」と言ったのは19世紀後半ですが、それから150年かけてニ-チェの言葉が現実化しつつあるのかも知れません。

 

 その詳しい話はまた別の機会にしますが、そんな世界の風潮を見ると、日本人がいちばん宗教との付き合い方が上手なのではないかと僕には思えるのです。

 いわば無宗教化時代の先達となるのか、日本人。

 

 というわけで今日は心の広い日本の神様にお参りして感謝の意を表しました。

 

 今年はちょううど仕事に当って、毎年やってた熊野神社のお神輿が担げませんでしたが、また来年は復帰するぞ。

 


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「継続は力なり」を今頃やっと実感

 

 一昨日「人に見せない秘密の文章を毎日書きましょう」と言ったけど、自分自身それができるようになったのは、やっとこの1年余りのこと。それでも調子が悪いと何日か抜けてしまう。それでも僕にとっては何とか切れずに続けているのは大きな進化です。

 

 逆に言うと僕がダメ人間なのは、これをやってこなかったからだとも言えます。

 これをもっと若い時からやっていれば、もう少しまともな書き手になっていたかも知れない・・・・と今頃思うのは、もちろん後の祭りです。

 

 なんでできなかったのかと言うと、それはすぐに「こんなことやってて何になるのか?」と思ってしまっていたから。つまりこれはサボるための口実です。

 

 継続的なトレーニングの意味を認められず「何かもっと効率の良いやり方がるはずだ」と考える。

 そう考えるのなら自分でそのやり方を開発すべきなのだけど、それもやらず、ただやり過ごしてきたのです。

 

 普段からやってないのに、いざ何か書こうと思ったってろくなものは書けません。

 それでもいろいろ書いてきた。仕事もなんとかなってきたのは、偶然というか、たまたまというか、運がよかったのでしょう。

 

 書き手としての自分を育てるのに効率の良いやり方なんてありません。効率を求めれば求めるほどどんどんダメになっていく。

 最近は働き方改革ブームで、またもや「効率」が持てはやされています。

 まぁ仕事はしかたありません。組織の中で、プロジェクトの中で効率よくスムーズに回る歯車になることを求められているわけですから、給料・ギャラをいただく以上、その求めに応じなくちゃいけません。

 

 でも効率は本物のクリエイティビティを養うには不要です。

 農業と同じで、ただひたすら頭の中の田畑を毎日耕すしかありません。それなくして収穫は得られません。

 

 いや、耕して種をまいたとしても、日照りが続いたり大雨が降ったり台風が来たりすればパー。努力が必ず報いられるとは限らないのです。

 でもやっぱり努力のないところには収穫はありません。

 

 というわけで人生半分をはるかに超えてしまったけど、最近は100年ライフということなので。後半戦、死ぬまでやるっきゃないです。

 


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電車で若者に座席を譲る

   

    高齢化社会の進展の証なのか?

 最近、若者が電車で高齢者に席を譲ろうとしても「結構です」と断られることが増えているようです。そのパーセンテージはなんと60パーセント以上とか。

 確かに元気な高齢者が増えたので、単に年寄っぽく見えるだけでは譲りにくくなった気がします。

 優先席もなんだかエイジレスの世界になっています。

 

 で本日の話。午後、仕事の打ち合わせで電車に乗った時のこと。

 永福町から井の頭急行に乗っていて、次の明大前でちょうど目の前の席にいた女性が降りたので、これ幸いと腰かけました。

 僕にとって電車で座って本を読むのはささやかな至福の時間です。

 

 するとその駅から乗り込んできた金髪の若者――20代半ばくらいか、いやもっと若いかも。僕の息子のちょっと上くらい――の様子がどうもおかしい。立ち位置は僕の斜め右くらい。なにやら気分が悪そうでユラユラしています。

 それで電車が動き出したら、ものの1分としないうちにいきなりしゃがみこんでしまいました。けど周りの人はあまり気に掛ける人はいません。しかし僕は気になって気になって読書どころではありません。なんか真っ暗な舞台の上で、僕とその金髪の彼だけにスポットが当たっているような映像が思い浮かんでしまい、思わず「おい、だいじょうぶか?具合が悪いのか?」と声をかけました。するとその若者は黙って首を振ってうなずきます。

 「じゃあ、ほら坐って」と席を立つと、彼はそのままささっと座席に身を沈め、ぐったりとうなだれたかっこうで坐っていました。

 

 心の中では、なんでそんななのに電車に乗るんだ。明大前で休んでりゃいいじゃないかと思ったのですが、人のことは言えません。

 僕も「いや、おれは大丈夫」と言いながらフラフラで自転車に乗っていたところを声かけられ、救急車で運ばれ、手術・入院までしたのですから。

 仕事なのか、イベントなのか、女の子に会いに行くのか、その彼もとにかく乗っちまえば何とかなると思ったのでしょう。

 

 結局ずっとそのままだったのですが、終点の渋谷に近づくとやおら持っていたレジ袋を取り出し広げて口元に持って行った。

 「やばい、こんなところで戻すのか。それも真昼間に」と心の中で叫んだが、なんとか持ちこたえ、無事渋谷到着。

 

 みんなゾロゾロ降りる中、坐ったままの彼のことが気になりましたが、時間も押していたのでそのまま黙って下車してしまいました。だいじょうぶだったかなぁ・・・。

 

 いずれにしても具合が悪い時は若者も高齢者も同じなので、なんとかしてあげれればと思います。

 


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頭の再検査

 

 きょうは硬膜下血腫の再検査で病院へ。

 ちょうど1か月前、退院した日は午前中から35℃超えの猛暑日。なにせ1週間冷房の効いた院内で避暑していたので、あまりのシャバの暑さに脳みそが沸騰しそうになりました。それが懐かしくなるくらい涼しくて快適でした。病院は人がわいわいいっぱいいて、変な言い方ですが活気がありました。

 

 で、肝心の検査結果は残念ながらまだ完治に至らず。CT画像を見ると、まだうっすらと血腫が残っている。

 というわけで3か月後に再々検査をすることに。3か月分の薬(漢方薬ですが)をどっさりもらって帰ってきました。

 

 しかし日常生活を送るのには特に問題ないので、あんまりストレスがかからないよう、またぼちぼちやっていきます。

 


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あと4ヶ月で謹賀新年。そして新元号おめでとうございます。

 

 9月の声を聞くと同時に来年の足音が聞こえてきます。

 イノシシの走る音です。今はまだウリ坊程度ですが。

 干支グッズをはじめ、そろそろ手帳やカレンダーが店頭に並ぶ季節がやってきます。

 

 だけど今回はちょっと事情が違う。来年は西暦2019年。和暦では平成31年―ーは4月まで。5月からは新しい元号に切り替わります。

 

 当初、新元号は手帳やカレンダー業界に合わせて9月に発表――という話を聞いた憶えがありますが、発表されそうな雰囲気は全然ありません。

 どうも政府が現在の天皇陛下を慮って発表を遅らせているようです。

 ということは発表は来年に持ち越しということ?

 困る業界はないのだろうか? 祝日とかは?

 皇太子様は2月生まれ。現・天皇陛下は阿4月に退位されるので、そうすると来年は天皇誕生日なしということなるのかな?

 

 昭和から平成になった時はどうだったのか、さっぱり憶えてないけど、あの時は昭和天皇が亡くなってから発表されたから業界はもっと大変だったはず。だからどうってことはないのかもしれません。

 コンピューター関連のシステムなどは西暦でやっているから大丈夫なのだろうか? 30年前と社会状況が違うのでどうなるのよくわかりません。

 

 それにしても元号の話になるると、よく小渕恵三さんの画像にお目にかかりますが、この人を「ああ、あの平成を発表した人ね」とは認識しても、総理大臣だったことはほとんど誰も覚えてないのでは?

 小渕さんは「永遠の平成おじさん」として人々の記憶にとどまった。

 さて今度は誰が「新元号おじさん(あるいはおばさん?お兄さんお姉さん?)」になるのでしょう?

 


利権ファーストで子どもの夢を蹂躙するオリンピックって・・・

 

 オリンピックはアスリートにとって夢の舞台。

 子供のころからすべてを賭けて競技に打ち込んでいると思います。

 それをグダグダとした「大人の事情」で奪っていいはずがない。

 これは夢殺しであり、選手の人生を蹂躙する行為です。

 

 しかも彼女がそれこそ命がけで表明したことを「あれはウソ」ってどういうこと?

 

 利権ファーストの人たちは自分の子供や孫の人生が潰されたらどう思うのでしょうか?

 いや、その前に彼ら彼女らも、かつてはアスリートとして純粋な気持ちで頑張っていた人たち。

 権力をふるえる立場になると、そうした過去もきれいさっぱり忘れてしまうのだろうか。それって自分の栄光を蹂躙してしまうことにならないのだろうか。

 

 2020東京オリンピックは、確か「日本をもっと元気にするために」とかいう大義があったと思います。

 でもねぇ、こんなことがゾロゾロ続くと逆効果。「結局またそれかよ」とシラケちゃって却って元気を失くしそうです。

 

 選手が夢を奪われ、市民も純粋に心から応援できないオリンピックにどんな意味や価値があるのだろう?

 特に若い連中はそう思っているんじゃないのかな。

 


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ちびまる子ちゃんとサザエさんはいつまで続くのか?

 

 西城秀樹さんの葬儀の取材をしたのは5月のことでしたが、まるでその後を追うように今回、さくらももこさんが亡くなってしまいました。

 

 「ちびまる子ちゃん」は世代が近くて自分の子供時代の雰囲気を楽しめるので、日曜の夜、家でゴロゴロしていると時々見ています。

 

 学校のクラスメイトら子供はもちろん、大人も面白いキャラクターがたくさん登場して、いろんな人がいるから世の中楽しいんだということを僕たちに伝えてくれていると思います。

 

 原作者が亡くなったからと言ってアニメの番組がなくなるわけではありませんが、どうも2~3年前から「ちびまる子ちゃん」それに続く「サザエさん」の視聴率の著しい低下が取り沙汰されているようです。

 

 僕はかなり昔から「サザエさん」の放送が終わる時が、日本が本当に変わる時だと言っていました。

 それに対してフジテレビは「サザエさんは永遠不滅です」と豪語していました。

 

 しかし雲行きが怪しくなってきた。

 そもそも当のフジテレビの長期的低落傾向にあり、これはもはや万人の知るところとなっています。

 もしかしたら“その時”が少しずつ近づいているのかもしれません。

 

 ふだんは仕事や接待でろくに家にいないお父さんも日曜の夜だけは家にいる。家族そろって楽しい夕食。家族のだんらん。

 「ちびまる子ちゃん」と「サザエさん」は、そんなに日本の家族の幸せの時間をさらにあたためる暖炉の役割を果たしていたのだと思います。

 しかし、そうしたお茶の間の習慣もとっくの昔に過去の遺物と化してしまいました。

 

 そろそろお役御免なのか? 

 長年培われた習慣と、高齢者がテレビを求めていることを考えると、まだまだいける、そう簡単に消えてなくなるとは思えませんが・・・

 でも、平成最後の夏のさくらさんの訃報は、何か日本人の生活が本質的に変わっていることを暗示しているようにも思えます。

 


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旅する仏壇、またの名をお弁当仏壇

 

 エンディング産業展で、遺品整理クリーンサービスとともに特に気に入ったのが「旅する仏壇」です。

 何と言ってもネーミングが最高で、出展ブースの名前が並んでいるだ

けの資料を見たときは、一体なんだろう?と思ったが、現物を見て納得

。おお、こういうものだったのか。

 

 この仏壇というか、ご供養セットはお弁当箱みたいにコンパクトに収

まるようになっていて、どっかへ行くときにバッグに入れて携帯できる

。いわば置き電から携帯電話へ、パソコンからスマホへ、の発想です。

 

 たとえば死んだ親父と温泉旅行に行きたい、おふくろが好きだった花

畑を見せてやりたい、あるいはワンコの散歩コースをまた歩きたいと思

ったら、この旅する仏壇を持って行ってチーンとやれば、思い出に浸れ

るわけです。

 人間の脳はうまいことできているので、たったそれだけでも失った家族に対する回想の深度は段ちがいになるでしょう。

 

 作ったのは若い仏壇職人や木工工芸士のチーム。こうした人たちは結

構すごい技術を持っているのだけど、産業の変化でそれを発揮できる機

会がめっきり減っています。

 せっかく手につけた職を生かすには自分たちで企画を作るしかない・

・と生まれたのが「旅する仏壇」というわけ。

 

 「あの世にいるお父さん・お母さんと旅に出よう」なんてキャッチフ

レーズが似合うかもね。

 


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孤独死の現場・ゴミ屋敷の実態をミニチュアで見せる

 

 孤独死の現場・ゴミ屋敷の実態――誰もが目を背けたくなる現実をミニチュアにして表現。

 べつにアート作品ではありません。

 エンディング産業展で出展した「遺品整理クリーンサービス」という会社(板橋区)の展示です。

 今年のブースで最も印象的だったものの一つです。

 

 毎年エンディング産業展では葬儀やお墓・仏具仏壇を扱う企業のブースが大きく華やかで目立ちますが、年を追うごとに終活・遺品整理・遺族対応といったカテゴリーの業務を行う企業や団体のブースが増えています。

 

 これらの業務は実際に展示する物がないので、パンフレットや販促物をわたすしかありません。

 

 この会社も自分たちの仕事をアピールするには、写真や動画で表現するしかなかったのですが、やっぱりそういうものは見たくないという人が多い。

 

 しかし、こうしたミニチュアを使って表現すると、不思議と抵抗感が薄れます。それどころか、あまりの出来栄えにコミュニケーションが弾みます。

 

 作ったのは小山さんという入社4年目の20代の女性。

 事務などの後方支援をやっているのかと思ったら、ズカズカ前線にも出動するそうで、こんなことを言うと差別と取られそうですが、思わず「え、こんなかわいい女の子が!」と驚いてしまい、20分ばかりその場でインタビューしてしまいました。

 

 前職はアート関係だったのか、趣味としてこうしたものを作っていたのかと訊いたら、まったく違っていて、ある日こういう表現方法があるのではないかとひらめき、生まれて初めて作ってみた――というから、さらにオドロキ。

 

 普段の業務をやりながら空いた時間で作っているので、さすがに最初の作品は完成までに4ヶ月かかったといいますが、それにしても感心することしきりです。

 

 仕事に情熱を持ち、使命感を持ってやっている人には、何か神様に近いものが降りてきて、隠れていた才能を開かせるのかも知れません。

 

 どうしてこの仕事に就こうと思ったのか、どんな気持ちで仕事をしていけるのか、遺体の処理など抵抗ないのかと無遠慮にどんどん質問をぶつけましたが、気負うことなく屈託のない笑顔で答えてくれました。

 

 孤独死、ゴミ屋敷というと悲惨なイメージばかりで、どうしてとか、何とかならなかったのかと、普通の人は思うでしょうが、現場を知る彼女やこの会社の人たちは、ちょっと異なるイメージを持っているようで、非常に考えさせられました。

 

 この話はまたおいおいここで書いていきます。

 


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エンディングライターinエンディング産業展2018

 

 「エンディングライター」として、鎌倉新書の仕事でこの三日間、東京ビッグサイトに通い、恒例のエンディング産業展を取材してきました。

 高齢化社会が進んで、向こう20~30年は毎年、死亡者が増える時代。葬儀関係・お墓関係・仏具関係の業界は活況を呈し、その周辺の終活、相続、遺品整理、遺族対応といった新しい仕事も次々と生まれ、人間だけでなくペットの葬儀なども激増しています。

 

 2008年に公開され、大ヒットした映画「おくりびと」の中ではまだ葬儀屋さんが職業差別を受ける様子が描かれていましたが、10年後の今、この賑わいを見ていると、あれがはるか遠い異国の昔話のようにも思えます。

 

 社会に必要とされ、産業として発展し、経済が拡大するとはこういうことなんだと言えばそれまでですが、やっぱり人の死をネタにお祭りをやっているようで、心の片隅にこびりついた違和感はぬぐえません。

自分もそのエンディング産業・経済の参画者のひとりなんだけどね。

 

 ただし事態はそう単純でなく、活性化する反面、葬式もお墓も仏壇も坊さんも無用論が広がっており、業界は従来の仕事のやり方――というよりも、自分たちの存在意義の見直しを迫られています。

 

 いずれにしてもこの先当分、エンディング産業は、僕たちに「生きるとは何か、死ぬとはどういうことか」を、いろいろ考えさせてくれそうです。

 あなたも機会があればこの業界に目を向けてみてください。

 


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ヨルとネル:心のツボによく響く少年ドラマ

 

 先月末の入院中、本が読みたくなって、読書家の息子におまえのおススメを何冊か持って来いと言ったら5冊くらい持ってきました。

 「ヨルとネル」(施川ユウキ)はその一冊。マンガです。

 

 身長11センチの小人の少年二人の旅。いわばロードムービーのように物語は進んでいきます。

 

 空き家の風呂に落っこちて出られなくなり、脱出のために排水溝から髪の毛を集めてきて縄梯子を作るとか、糸ようじをノコギリのように使って池の鯉を殺して食ったりとか、カップ焼きそばの空きがらの船に乗って一寸法師のように川を下るとか、ダウンサイジングした世界観とそこで展開する冒険譚、そしてサバイバル術が妙にリアルですごい。

 

 絵はかわいいし、それぞれのエピソードは4コマオムニバスとでも言えばいいのか、独特のスタイルで連なっており、ギャグも詰まっていて読みやすい。

 前半はギャグマンガかと思えるほどですが、後半へ進むにつれて、しだいに緊迫感と哀調を帯びてくる。

 というのはこの二人はある収容所で実験材料にされており、そこから逃げ出してきたというバックスト―リーがあるからです。

 当初、作者はそのバックストーリーと逃亡の旅のエピソードを交互に描くつもりだったと言いますが、結局、収容所の話はすべて省かれ、その分、旅の中で小人として生きる悲しみが強調された感があります。

 

 登場人物は最初から最後までヨルとネルの二人だけ。

 普通サイズの人間は声だけか、巨人の足としてしか出てこない。

 

 けれども読み進めるうちに、僕ら普通サイズの人間もこれとまったく同じではないか、姿の見えない巨大なシステムに取り囲まれ、日夜追い立てられているばかりじゃないかと感じます。

 

 そして二人はラスト間際、衝撃的な物体と出くわし、自分たちの旅の行きつく先を悟ってしまう。その物体が何かはネタバレになるので書きませんが・・・もう涙なしには読めません。

 

 病院という特殊な空間で読んだせいもあるだろうけど、ひどく心に響く物語。そしてその響き方が昔見た懐かしい少年ドラマのようでした。心のツボはいくつになっても変わらないようです。

 


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患者のセリフは信じるな、医者のセリフも信じるな

 

 慢性硬膜下血腫の手術で入院➔退院して半月以上経過。

 どっさり1か月分もらった薬も残り半分以下になりました。

 この数日、涼しくなっいぇいますが、入院中は猛暑の真っ最中だったので、思い返すとなんだか病院に避暑に行っていたような感じです。

 

 なんて今だから言えるけど、きょうカミさんと話していて、一歩間違えば相当やばいことになっていたなぁと実感しました。

 なにせ通りすがりの美人のお姉さんに警察と救急車を呼んでもらってから、翌日、手術を受けて目が覚めるまでの約20時間の記憶がほとんど残っていない。夢の中のようにおぼろげな断片が浮かぶだけです。

 

 どうも僕は最初に救急車で運ばれた病院で車いすに坐っていながら「大丈夫です、なんともありません」と言い張っていたらしい。

 

 病院側もいい加減なもんで、どう見てもフラフラ状態の患者を「ご本人も大丈夫と言っているから大丈夫ですよ」と追っ払うように返したらしい。

 検査だけはしたけど、しかもその検査でどう見ても脳の状態は大丈夫じゃないのがわかったのに返しちゃうってどういうこと? ご都合主義もいいところ。まあ、入ったのが夜で手術できない状態だったからしかたないけど。

 

 どうやらこの病院は中間地点みたいなところで、医局つながりの他の大病院へ患者を回す役割を担っているらしい。つまり自分のところでは治療はしない。

 カミさんがネゴると、翌朝すぐに対処してもらえるようにするからと、その病院(テレビでも出てくる、最近、割と有名なところ)を紹介してくれました。

 

 それで翌朝、紹介状を持ってそこへ行ったら満床だから手術しても入院はできないと言われ、またもや追い返される羽目に。

 

 それでまたもや救急車を呼んでもらって近くの三宿病院へ行き、やっと緊急手術・入院とあいなったわけです。

 しかしそこでも僕はバカの一つ覚えみたいに「いや、おれは大丈夫」と言い続けていたらしい。

 

 べつに強がっていたわけでも何でもなく、主観的には本当に自分は大丈夫だと思い込んでいたようです。

 たぶん潜在意識の中で自分がおかしくなっていることえを認めたくない、周囲から病人扱いされたくない、といった気持ちがそういう表現に結びついたのでしょう。

 

 現実にはカミさんと息子に支えられてやっと歩ける、やばいおっさんだったのに・・・・。主観と客観のギャップに愕然です。

 

 当たり前だけど「大丈夫」と言えば「大丈夫」になるわけじゃない。

 そんなわけで前も書いたけど、こういう場合、精神論やタながんばりは、まったく無用・無意味どころか、弊害でしかありません。

 あたりまえだけど、「大丈夫」と言ったから「大丈夫」になるわけじゃない。こういう患者の言うことは信じちゃいけないし、それをうまいこと使って「大丈夫ですからお帰りください」なんてぬかす医者の言うことはもっと信じちゃダメです。

 

 うーん、医者にかかるのは難しい。いずれにしてもカミさんがあれこれネゴったり、機転を利かせてくれたおかげで助かりました。

 以前にも増して頭が上がらない。

 


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社会全体の児童虐待と「晴れた空」

 

  一昨日、Nスぺの「駅の子の闘い ~語り始めた戦災孤児」というドキュメンタリーを観ました。

 「駅の子」というのは戦争(空襲など)で親を亡くし、戦災孤児になった子供たちです。

 東京なら上野駅が最も多く、駅の構内で寝起きしていたので「駅の子」と呼ばれていたそうです。

 戦争の被害者の中でもこれまであまり表に出ることのなかった人たちです。

 

 東京在住の90歳に近い女性は、すでに未亡人ですが、亡くなった夫には最後まで自分が「戦災孤児(浮浪児)だったことを打ち明けられなかったと話していました。そうした自分の過去がわかってしまったら・・・と怖れながら生きてきたのでしょう。

 

 彼女らは 今の小中学生の年齢の時にあまりに過酷で、惨めな思いをしたので、彼ら自身の罪ではないのに一生消えない恥の烙印を押されてしまったのです。

 

 しかもそれを押したのは、敵だった連合軍ではなく、昨日まで仲間であり守ってくれる存在だった日本人の大人たち。ほとんど犬猫扱いで、いわば社会全体からの児童虐待のようなものです。

 

 もちろん終戦直後の異常な状態の中、多くの大人も頭がおかしくなっていたせいですが、これでは大人を恨むな、社会を呪うな、というほうが無理というもの。

 

 全国で120万人もいたという、こうした元・子供たちの話を聞いていると、もう人生、運しかないなと思ってしまいました。

 

 さすがに国もこの惨状をいつまでも放置しておくわけにはいかず、終戦翌年の11月に児童福祉法が施行され改善に向かいます。

 

 しかし数年後、国が復興し社会がまともになるまで何とかもった子は良かったものの、ひどい状況の中で病気や栄養失調で健康を害したり、精神を病んだり、犯罪生活や売春行為からぬけ出せなくなってしまった子も少なくなかったようです。

 

 そして、ここでもどの施設に送られ、どんな大人に出会うかで運命の明暗が分かれてしまったのだと思います。

 120万人の中で何割が無事大人になり、正常な社会生活を送れるようになったのでしょう?

 

 すでに皆さん高齢なので、傷跡を隠したままで生を終えることも可能なのだと思いますが、どこかで心の中の子どもが、戦争なんて知らないよという人たちに「語らなきゃ」とやんちゃを言い出したのでしょうか。

 

 先だっては「戦後73年もたっているんだから」と書いてしまいまいましたが、この人たちの中の子どもが持つ怒り・悲しみの感情は、73年だろうが、100年だろうが薄れることはない。そんな時間経過なんて関係ないのだと思います。

 

 人生の先輩たちに対して恐縮ですが、そんな目にあったにも関わらず、よくここまで頑張ってちゃんと生きぬいて来られました・・・と本当に頭が下がる思いを抱きました。

 

 ちなみに半村良の「晴れた空」(祥伝社文庫・上下巻)は、戦災孤児と戦後直後の社会の様子を描いた数少ない小説で、とても読み応えがあります。

 作者は上野の闇市を体験しているようで、こうした子供たちとの交流もあったのでしょう。

 あくまでフィクションですが、こういう作品は終戦当時の現場の空気を吸ってないとなかなか書けません。

 


戦争の記憶と戦争文化体験

 

 戦争のことを話すのに日づけは関係ないと思いますが、やっぱり8月15日:終戦記念日は特別です。

 メディアはこの日が近づくと、戦争の記憶を伝えるために、どこそこではこんなイベントが行われました・・・といった報道を必ず行います。

 それはほとんど義務のようなものであり、責任であると考えているのでしょう。報道をすれば日本国民の多くは戦争のことを思い起こし、平和の尊さを改めて噛みしめる、という前提のもとに。

 それに異論があるわけではないのですが・・・。

 

 しかしぶっちゃけ、戦争体験者はもちろん「戦後体験者」も少なくなってきた昨今、こうした慣習がどこまで人の心に響いているのか、よくわかりません。

 

 やめてもいいとは思わないけど、実際どれだけの人が耳を傾けているのだろう?

 

 そういう自分の中でも「8月15日?ああ終戦記念日ね」と、たやすくスルーしてしまう程度の軽い存在でしかないのです。

 

 と同時に1960年生まれの僕は、限りなくパーセンテージは低いけど「戦後体験者」といえるかもしれない・・・と思っています。

 

 もの心ついたときはもう高度経済成長も終わっていたけど、子供の頃はほんのわずかながら、戦後の空気が残っていたような気がします。

 「戦争文化」とでも言えばいいのか、そういうものです。

 戦争体験者であるおとなたちがまだ若く、元気に社会を回していたせいでしょう。

 「戦後体験者」というより「戦争文化体験者」というほうが的確かもしれません。

 

 ♪きさまとおれとは同期のさくら~ 

 といった軍歌も歌っていたし、ゼロ戦・戦車・戦艦などはプラモデルの定番人気アイテムだったし、マンガやオモチャの分野でも「戦争」は一つのジャンルを作っていました。

 

 障がい者となった傷病兵の人たちが、街角でアコーディオンやハーモニカを演奏して通行人からお金をもらっているのも、よく目にしていました。

 

 そして、原爆や沖縄戦、大空襲などの話は、現代と比べて段ちがいの迫力・悲惨さ・リアルさを持って語られていました。

 何よりもごく身近で聞く親の体験談(名古屋空襲・戦中戦後の生活など)は、自然に身体に沁みてきました。

 

 そうした文化はけっして楽しいものではなく、できれば誰にとっても思い出したくない、触れたくないものなので、だんだん風化していってしまうのはやむを得ないのかも知れません。

 

 それに今の子供たちや若い世代は、情報・データとしては知っているけれども、自分の五感で感じ取ったものは一切ありません。

 これはもうどうにもならないギャップです。

 

 風化させないよう、記憶を引き継いでいくには、従来のような報道の仕方や、ストレートな体験談を語るだけでは全然追いつかない。

 そろそろ子供たちや若い世代の心にもよく響く新しい表現方法、新しい「日本の戦争文化」のようなものを作ることが必要になっているのではないのか、と思います。

 なにせもう73年も経ってしまったのだから。

 


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「生産性」という言葉が怖い・重い

 

 「生産性を上げよう」はビジネス現場の合言葉。

 ところが近年、この「生産性」という言葉に負のイメージがまとわりつくようになりました。

 ついこの間、「LGBTには生産性がない」と発言して炎上した杉田水脈議員。

 僕があのニュースを聞いてすぐに連想したのが、2年前の2016年7月、相模原市の施設で園で障がい者殺傷事件を起こした植松容疑者です。

 

 植松容疑者は「障がい者は生産性がない。だから社会に不必要。彼らのためにお金を使うのは無駄遣い」という恐るべき「正義」を振りかざして人を殺しました。

 おまけにネット上では彼の唱える「正義」に賛同する者も続出しました。

 

 杉田議員がどういう人かはよく知りませんが、おそらくLGBTの人たちに良いイメージを持っておらず、最近、彼ら・彼女らの声が大きくなってきたのを感情的にガマン出来ず、いかにも正論めいた発言を雑誌に載せたのではないかと推察します。

 

 対象が障がい者・LGBTという違いはあれど、「生産性」という資本主義社会の歪んだ正義のもとにマイノリティを差別し、あわよくば排除しようという根っこの精神は同じ。

 でもこれはこの二人に限ったことでなく、多くの人が潜在的に持っている感情なのではないかと思います。

 

 だからまたフォロワーが出てくるに違いないと踏んでいたのですが、今回はネット上でも杉田議員の発言を肯定する意見は今のところ、ほとんどありません。

 

 ちょっと違和感を感じ、なんで今回は出ないのか考えてみたところ、2年前の事件から「生産性」という言葉にマイナスイメージが貼りつき始めたからではないかと思うのです。

 

 僕を含め、多くの人は「生産性」という言葉を心の中でとても怖れています。

 「おまえは生産性がない・低い」と言われてしまったらどうしよう。

これは「おまえは社会に不必要な人間だ」と言われているのとほぼ同じ。

 太宰治じゃないけど「生きていてすみません」と謝りたくなってしまう。

 

 そのうち、ビジネス現場にも「生産性の高い」AI・ロボットマネージャーが登場し、生産性の低い人間の僕たちはこき使われるのでないか・・・という不安もだんだん膨らんでいます。

 

 その上、杉田議員のように子供を産む・産まないという分野にまで「生産性」という工業・機械・経済などのイメージをまとった言葉を持ちこまれたら、LGBTじゃなくても自然と拒否反応も起こってくるでしょう。

 

 平成の30年間の最も大きな成果・社会の進化は、人権意識が育ち、どんな人にも人間性を認め、尊重することが当然になったということだと思います。

 それはより自分らしく生きることが可能になった、少なくともなり始めている、ということ。

 

 国が貧しい時代は生き続けるのが困難だった人たちが、普通に生きて社会生活が送れるようになったーーその意味をもっとじっくり考えてみるべきではないかと思います。

 


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オリンピックをオワコンにするのはインターネット?  それとも「夢よもう一度」の利権執着昭和人?

 

 ここ数日、テレビをひねってニュースを見ると、終戦関連のニュース、猛暑・台風などの気象ニュースのほかは、民放は日本ボクシング連盟の山根明会長の独壇場と化しています。

 

 昨年末の日馬富士の暴力事件に端を発する大相撲のお家騒動や、先だっての日大アメフト部の問題など、スポーツ関連のスキャンダルはウケるのでと徹底的に深掘りしていくのが近年のマスメディアのお家芸になっているようです。

 

 本来、クリーンであるべきはず(というかクリーンであってほしい)スポーツの理想と、全然そうなっていない現実とのギャップが面白く、視聴者が舞台裏を楽しめちゃうからでしょう。

 いわば「バックステージツアー」ですね。

 

★利権の匂い

 

 さて、渦中の山根会長、床屋さんへ行くのに日の丸のついた日本代表のトレーニングウェアなんぞ着て登場したせいか、報道の裏からはオリンピックの利権の匂いがぷんぷんと漂ってきます。

 

 もちろん、これは今に始まったことでなく、例の新国立競技場やエンブレムの問題からすでに腐敗臭がダダ漏れしていました。

 オリンピックというおいしいメロンを、あっちこっち、みんなで撫でまわしているうちに、本来の食べごろのはるか前から完熟を通り越して腐ってきちゃった、という印象を受けます。

 

 こんなこと言うと、オリンピック目指して頑張っている選手の皆さんや周囲の関係者の皆さん、ファンの皆さんに申し訳なんだけど、2年後、僕たちは本当に純粋にハッピーでエキサイティングな気持ちでオリンピックを迎えられるのか心配になります。

 

 まぁ、そういう気持ちで迎えなくちゃいけないよ、という国民の義務はないので、どうでもいいといえば、どうでもいいんですけど。

 

 試しにインターネットで「オリンピック、利権」とキーワードを入れてみると、ぞろぞろいろんな記事が大量に出てきて、こんなのを読んでいるうちに、国民の何割かは心が離れて行ってしまうのでは・・・と、またまた心配になります。

 

 心からオリンピックを楽しみたいと思っている人は、ニュースはNHKだけに絞って見たほうがいいかもしれません。

 

★56年前の夢よ もう一度

 

 僕が思うにオリンピック運営の上層部にいる昭和人たちは、1964年の

前回開催のイメージが頭にこびりついていて離れないのでは?

 

 時代は高度経済成長の真っただ中。

 「オリンピックを開催してもっともっと豊かになろう、世界の人たちに敗戦からみごとに立ち直って新しい国づくりに成功した日本を見てもらおう」

 と明るく言えば、「よっしゃあ!」と、国民の心は容易くまとまるし、実際にますます景気は良くなり、経済成長していけました。

 

 それにインターネットという、どこの誰ともわからぬ国民が言いたいことを言いまくって発信する鬱陶しい装置もありませんでした。

 テレビ・ラジオ・新聞で当局に都合のいい情報だけを世の中に広めることも簡単にできちゃったわけです。

 

 1964年大会が「若き高校球児」だとすれば、2020年大会は「引退目前まで追い詰められて必死に踏ん張ろうとしているロートルプロ野球選手」のようなもの。

 

 前時代的な利権執着昭和人の「夢よ もう一度」のために、なんで俺たちも付き合わなくちゃいけないのか・・・

 と考える人たちが大勢出てきてもおかしくないでしょう。

 

 最近の進行状況を見ていると、利権で儲けられる人は大儲けできそう、そうでない人はボランティアという美名のもと酷暑の中をこき使われそう、といった現代の格差社会の写し絵的世界が展開する様相です。

 もちろん、純粋にハッピーでエキサイティングな気持ちで、ボランティアとして参加できるのならいいのですが。

 

★オリンピックはこの先も必要なコンテンツなのか?

 

 そもそも近代オリンピックというコンテンツ自体が、国力の見せつけだったり、金儲けの道具だったりしたわけで、果たして今、そういった必要をどれくらいの人が認めているのか?

 1964年を体験した昭和の大衆と同じように、人生に刻印されるべき価値

あるイベントになりうるのか?

 

 また、今回の東京大会のドキュメントが大量にネット情報として発信されるので、それに触れた世界の人たちが、今後、自国でオリンピックをやりたい!と、純粋にハッピーでエキサイティングな希望を持てるのか?

 

 実際、莫大な予算がかかる関係で、IOCは東京以後の開催地候補があまりに少なくて困っているという話も聞きます。

 

 とは言っても、青春をかけるアスリートや、スポーツに元気をもらって生きている人たちにとってオリンピック・パラリンピックは、希望の星。そう簡単にオワコン(終わったコンテンツ)にするわけにはいきません。

 

 ただ、どうしたらもっと希望の持てるイベントにできるのか、どこかで再生手術をする必要があるだろうと感じます。

 オリンピックをオワコンにするのもインターネット、よみがえらせるのもインターネットなのでしょうか・・・。

 


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宇宙旅行に行きたいですか?

 

 と、いきなり街の中で聞かれたら、あなたは何と答えますか?

 とりあえず費用は度外視。意志の問題で。

 

 「当ったり前でしょ、宇宙から青い地球を見て、地球と交信するんだ。それに宇宙遊泳もしてみたーい!」

 なんて元気に答えるのがカッコいいし、夢のある人と思ってもらえるんだろうな、やっぱし。

 

 うーん、でも僕は別に行きたくないなぁ。

 1960年代から80年代にかけてのスペースオペラ小説のような世界が展開するんならいざ知らず、観光遊覧的なノリで地球の周りを回るだけじゃあ、どうもつまらない。

 

 ちなみに4年前ですがJAXAとクラブツーリズムがアンケートをした結果、日本人の半分以上の人が「行きたい」と答えているそうです。

 

 僕は宇宙旅行自体じゃなくて、こうした事業に関わる人たちの心の中のほうが面白い気がします。

 何年先になるかわからないけど、宇宙旅行事業を題材にした仕事をしてみたい。

 ノンフィクションとフィクション(ちょっとひねったスペースオペラもの)を両方書いてみたい。

 そっちほうが僕にとっては夢だなぁ。

 


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慢性硬膜下血腫 退院後の生活

 

 先週の退院以来、お盆を待たず、半ひきこもり状態で過ごしてます。

家事をやったり、パソコン内の整理をしたり、レギュラーワークをぼちぼちやっていますが、基本的にはクーラーの部屋でゴロゴロしてます。

 

 慢性的な睡眠不足と疲労が溜まっていて、どこかでしばらくゴロゴロするような休みを取りたいなぁ・・・という心の声を聴いて、脳が「よっしゃ、そしたら休ませたるわい」と疾患が出たのかなぁ・・・とも思ったりして。

 

 1週間、病院食(割とおいしかった)を食べていたせいか(割と好きだった)刺激物や油ものに食指が動かなくて、野菜と大豆ものを欲するとか、身体の変化も感じます。

 あんまり動いてないから当たりまえだけど、食べる量も減ってます。

これまではストレス食いしていた部分もあったのかも知れません。

 

 入院以来、毎日たっぷり寝て、身体にべちゃっとまつわりついていた疲労感が抜けたようです。

ただ、あんまりゴロゴロしていると現場復帰できなくなってしまうので、今週から少しずつ動き出しますよ。

 


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入院顛末記

 

 シャバに出てきた今だからこそ笑って語れる顛末記。

 長いのでおヒマなら。

 

●平衡感覚が取れず、足先に力が入らない

 

 1ヶ月前、熱中症かな~と思っていたのが、慢性硬膜下血腫でした。

 

 7月25日(水)夕方、永福町の自宅から明大前方面に向かって自転車をこぎ出したのですが、なんだかペダルを踏みこむ足に力が入らず、ふらふらする。

 どうもおかしいな~と思ったのですが、「ええい、こんなものは気力で克服しちゃる!」と気合を入れ直し、一路目的地へ。

 

 ところが「一路」というわりに蛇行している。

 6月の事故以来、あまりスピードを出さないように注意しているのですが、ちょっと幅の狭い道で通行人や車とすれ違うと、ぶつかりそうな錯覚に陥り、ところどころ降りて歩くことに。

 

 進めば進むほど、頭の中でおかしいぞ、おかしいぞという声が響いてくる。こりゃダメなんじゃないかという声が大きくなってくる。

 「いやいや、おかしいと思うからおかしい、ダメと思うからダメなんじゃ!」と振り切っているうちにやっと甲州街道の交差点へ。

 

●美人のお姉さんの声掛けでギブアップ

 

 そこで道路を横断しようとしたところで、通りすがりのおじさんに呼び止められ、「あんた、少し休みなさい」と言われました。

 自分の中ではちょっとだけフラついているという自覚でしたが、傍から見ると相当フラついていたようで、交通量の多い甲州街道の辺りでは、かなり危険と映ったのでしょう。

 

 そこでやむを得ず、高架下の駐輪場に自転車を停め、歩いて向こう側まで歩いて渡ったのですが、その歩きもフラフラ状態だったようで、今度はまた通りすがりの女性が『大丈夫ですか?ちょっと休みましょう」と声をかけてきました。

 

 おそらく熱中症だと思ったのでしょう。

 

 若い美人だし、おとなしく言うことを聞いて沿道で休んでいると、彼女は親切にも警察に電話してくれ、ほどなく3人の警官が登場。何を聞かれたか覚えていませんが、とにかく救急車を呼びましょうということになって最寄りの救急病院へ。

 

 そこでCT検査をしたところ、慢性硬膜下血腫と診断されましたが、その夜は一旦自宅に帰り、翌朝26日、目黒区の三宿病院へ。そのまま緊急患者として手術、入院とあいなりました。

 人生初めての手術、入院です。

 

●入院メモリー

 

 初日はまったくベッドの上から動けず、頭に入った管には赤黒い血種の残りが出ているようで、グロくて正視できない状態。夜になってやっと頭の管を外し、バチバチとホチキスで傷口を止めてもらいました。

 

 看護師さんが入院手続きの話をしたり、家族が来てあれこれ話したのですが、イメージだけが残っていて具体的にな何を話したのか、ほとんど覚えていません。

 これもそんな自覚症状はなかったのですが、かなり意識が朦朧としていたのでしょう。

 

 2日目以降はもちろん歩けるようになりましたが、トイレに行くにもナースコールが必要で、しかも入っていた病室がちょっと重症っぽい患者さんが多く、夜中に機器の管を外してしまうなどの騒ぎがあったりして、これはオレも相当な重症なのかな~、退院までどれくらいかkるのだろう?と不安になりました。

 

 ただ、病院内は過去お見舞いや親の看護などで訪れたことのある他の病院よりも明るいイメージで、午前と午後にリハビリの時間も適度に退屈カ感・ストレスが抜けて、割と居心地よかったです。

 

 いろんな個性をにじませる患者さんがいて、それに対しても明るく働く看護師さんやリハビリスタッフの人たち(仕事だから当たり前だけど)にも感心しました。

 

●ありがとう&疾患についての覚書&教訓

 

 ま、シャバに出てきた今だからこそ、こんなのんきなことが言えるのでしょう。

 たかが1週間だったんですけどね。

 いずれにしてもいろんな人に助けられました。

 特にわざわざ警官を呼んでもらった通りすがりの女性には感謝です。

 若くて美人だったしね。

べつにそうでなかったら言うこと聞かなかったわけじゃないけど。

 

 ちなみにこの疾患は、大した症状がなくても長期間放置しておくと命にかかわることもあるようです。

 体験的に言うと、平衡感覚がおかしくなったり、踏ん張りがきかず、地に足をつける感覚が薄れたら、疑ってみた方がいいかもしれません。

 

 そして、いくら精神論を唱えたり、気力を出そうとしてもダメな時はダメです。

 大人しく認め、諦めることも必要ですね。

 

 今朝、涼しいうちに駐輪場に置きっぱなしだった自転車を回収してきました。

 リハビリがてらゆっくり漕いでみたら、感覚が戻っていました。完

 


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慢性硬膜下血腫で入院

 

しばらく更新が滞っていて失礼しました。

実は慢性硬膜下血腫(まんせいこうまくかけっしゅ)という疾患にかかり、7月26日から1週間、都内の病院に入院。本日退院してきました。

 

これは頭の中の硬膜と脳の間に血腫が少しずつでき、それが脳を圧迫するという疾患です。

かなりギュギュっと押しつぶされていたようです。

 

6月上旬に自転車事故で顔面を打ちつけましたが、その時の後遺症と思われます。

脳天を打った覚えはないし、直後のCT検査でも異常は見られなかったので安心していたのですが。

 

今月初めごろからどうも体調が思わしくないなと思っていたら、少しずつ出していたというわけです。

 

手術は頭の中から血種を抜き出すもので、そう深刻なオペではありませんでした。

ただ再発のリスクもあるので、向こう1カ月間はぼちぼちやろうと思っています。暑いですしね。

 

家族の他、緊急で仕事関係の方にはショートメールで連絡しましたが、ご心配・励ましの言葉、ありがとうございました。

 

入院の顛末や入院生活についてはちょっと笑える部分もあるので、後日改めて書きますね。

長時間の出歩きとハードワークはしばし控えますが、こんな感じで元気です。

 


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ロンドンに行くのになぜか1985年のソ連

 

 ドタバタと仕事を終わらせて旅支度も整いました。

 が、スーツケースを先に送って、いつも仕事で使っているスリーウェイのバッグ一つなので今ひとつ気分が盛り上がらない。

 

 というわけで、最初にロンドンに行った時のことを思い出してみました。

 1985年8月。あの日航ジャンボ機墜落事故の1週間前でした。

 なぜか友だちがわざわざ成田まで見送りに来てくれて、いま思えばドラマごっこをしていたような感じでした。

 

 乗り込んだのはアエロフロート・ソ連航空。

 サッカーワールドカップをやってるロシアじゃないですよ、ソ連です。

 まだペレストロイカ前夜で、ゴルバチョフが登場する前の話です。

 

 評判は最悪の航空会社でしたが、乗り心地も機内食もそうひどくはありませんでした。

 ただし、スッチーさんたち(今はキャビンアテンダントですが)は超不愛想。

 

 強烈だったのはトランジットでモスクワ空港に降りた時。

 節電しているのかなんだか、やたら暗くてがらんとしていて、まるで巨大な倉庫のようでした。

 

 そこでカチンコチンの無表情なソ連兵が銃を構えて乗客に「早く行け」とかなんとか指示していました。

 

 「やあ」と笑って挨拶したら、「バカヤロ、なに笑ってんだ」と女性兵士に叱られました。これホント。

 

 なんだか古い映画のようにあの時の映像がよみがえってきます。

 

 ロンドンに行くのになんでソ連の話なんかしているのか?

 まあいいでしょう。

 ちなみに今回はアリアナ航空なのでソウルでトランジットです。

 


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LGBTの話題

 

 農業やエンディング関係の仕事をしていると、たびたびLGBTの話題に出会います。農業の方はライフスタイルとして相性がいい・・・といえばいいのでしょうか。デザインなどの仕事と並行してやっているという人もいて、ちゃんとブログやホームページでもカミングアウトしています。

 

 エンディングのほうは昨年あたりから急に増え始めたような気がします。

 やっぱり悩み相談ですね。お寺などで議論の場がちょくちょく設けられているのを耳にします。

 

 性転換したお坊さんもいて、性的マイノリティの人たちの駆け込み寺を作るっていることも話題になっています。

 

 寛容になったのかどうかわかりませんが、いずれにしても社会全体がそうしたマイノリティの人たちの声を聴こうと動いているようです。

 

 なんでも日本人も13人に一人がLGBTとかで・・・ホントなんだろうか?

 LGBTと言ってもいろいろなスタイルぎょうで、そこのところ、僕はまだちゃんと理解できていません。

 

 そういえばロンドンにいた時、ゲイのおじさんに誘惑されたことふがるけど、その人はちゃんと妻子もいたなぁ。

 

 それでふと思い出したのが、20代後半の頃、ふられた女の子のこと。

 半年ほどシナリオ講座に通ったことがあるのだけど、その時いっしょに受講していた子で、その時はボンクラで気が付かなかったけど、どうも彼女はレズビアンだったのではないかと。

 

 何か根拠があるわけではないのですが、たいして美人ではないけど不思議な魅力のあってすごくモテる子で、知っているだけでも僕以外に若い奴からおっさんまで3人の男が言いよっていましたが、みんなフラれていました。

 

 かといって彼氏がいる様子もなく、オトコそのものが嫌いのでは・・・という印象を受けました。

 

 僕はふられたけど、それでそんなに傷ついたわけでなく、なぜかその後も自然に20年以上も友だちづきあいしていました。

 息子がチビだったころ、一度会わせたことがあるのだけど、妙によくなついて「私、この子とは友達になれそう」とか言っていました。

 5~6年前から毎年来ていた年賀状が来なくなり、ぷっつり音沙汰が絶えてしまったのけど、どうしているのやら。

 恋人と外国へでも飛んだのか・・・。

 

 たぶん少し幻想が混じっていると思いますが、LGBTの人たちは(と一括りにできないと思いますが)僕たちには見えない何かが見えるのではないかと思います。

 また、人生のあちこちで生きづらさを感じている分、生きることについて、死後のことまで、僕たちなどよりも深くまじめに考えているのではないかと思います。

 


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顔出しNG

 

 お気にかけて頂き、ありがとうございます。

 本日、CT検査の結果が出て、顔も頭も骨に異常なしとのこと。

 大事に至らず、ほっと一安心しました。

 

 擦過傷もだいぶ回復してきたものの、右目の周りは真紫色。

 あちこち腫れたり、(比喩ではなく物理的に)歪んだりしていて、ちょっとまだ人前に出るのは憚られる顔になっています。

 

 好奇心旺盛な方のために顔出ししようかとも思いましたが、不快になる方のほうが多いだろうと思ってやめときます。

 見ても、生きる勇気が湧くとか、明日への希望につながるとか、そんなことないしね。

 

 今週はなるべく外出を控え、引きこもって原稿書きをしていたいと思います。

 

※画像と文章は特に関係ありません。タイトルの「顔出しNG」で画像を調べてみたら、こんなのが出てきたので使ってみました。ちょっとホラーテイストですが、なかなか可愛い子です。河村友歌ちゃんというモデルだそうです。

 


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ひつじの数など数えなくても死んだように眠った

 

 突然のアクシデントですっかりタガが崩壊。

 普段、ケガや病気に慣れていないのと慢性的睡眠不足が原因かと思います。

 今日は予定の仕事もキャンセルして1日中家で寝ていました。

 ひつじなんぞ数えなくても、寝られるわ寝られるわ。

 

 月並みな話で恐縮ですが、いてもは大して意識していないのですが、弱体化した状況に陥ると、いっしょに住まう家族のありがたみをひしひしと感じます。

 

 前も書いたけど、若い頃は孤独なんぞ気にならなかったけど、齢を取るとやっぱりそうな言えなくなります。

 ひとりだったらこれはきついだろうなと。

 そういう意味では気が弱くなっているのかと思います。

 

 今、独居老人と好奇心むき出しの子どもの話(設定としては湯本香樹実の「夏の庭」みたいな)を考えているんだけど、その登場人物の気持ちになれそうです。

 

 ま、命に別条があるわけでなし、とんでもない重症というわけでもないので、こういう経験も必要なのかも。

 


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顔面負傷

 

 今朝、自転車で走行中転倒し、顔面を強打。

 メガネが吹っ飛び、前歯が砕け、二目とみられぬ顔に・・・

 というのは冗談ですが、擦過傷の他、顔面骨折の疑いもあるとか(そんなに痛くないのだけど)で、近所の外科から渋谷の病院を紹介されて出向き、顔と頭のCTを撮りました。

 

CTは初体験。今はスキャニング専門の病院もあるんですね。

 

 というわけで数日安静を促されましたが、いずれにしても現在は人前に出られる顔じゃなくなっています。

 人生いろいろあるもんだ。

 と、のんきなこと言ってる場合じゃなく、交通事故には気をつけましょう。

 


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シェイプ・オブ・ウォーター:もし人魚姫が生き延びたら

 

 人魚姫は船から身を投げて海の泡となって消える運命だったのに、幸か不幸か、人間の姿のまま、声を失ったまま生き延びた。

 四半世紀が過ぎ、15歳だった少女は中年となり、1962年のアメリカ・ボルチモアの宇宙科学研究所で清掃員の職を得た。

 

 自宅のアパートと職場を往復する淡々とした毎日。

 風呂場で自慰に耽るときだけ、失われた人魚だった頃の記憶がかすかによみがえる。

 

 まだアメリカが「強いアメリカ」で、セクハラもパワハラも当たり前だったこの時代、障害を持ち、底辺の歯車として、しかも汚れ仕事で働く独身の中年女なんて社会は見向きもしない。

 

 彼女のことを気にかけてくれるのは、いつもしょーもない亭主の愚痴ばかり言っている同僚の黒人女と、アパートの隣の部屋に住んでいて、若い男に失恋する、年老いた絵描きのゲイだけだ。

 

 それでも彼女は自分がさして不幸だとも思わす、ささやかな日常を大事にして生きていた。

 

 そんなある日、研究所にある特異な生き物が運ばれてくる。

 その生き物――「アマゾンの半魚人」に出会ったことで、恋に焦がれる人魚姫の記憶がよみがえる――

 という、改めて辿ってみると、とんでもなく奇をてらったストーリー。

 

 ところが、これがいい。

 甘く切ないラブストーリーをベースに、古典SF、ホラー、ファンタジーの要素が絶妙にブレンドされて、ちょっとコミカルだったり、エロチックだったり、といったスパイスもまぶされている。

 すっかりツボにはまってしまった。

 

 ヒロインは若くも美人でもないし、子供時代のトラウマのせいで声が出せないということ以外、生い立ちも謎のまま。

 けれどもその感情表現は素晴らしく、ラストシーンは本当に人魚に帰っていくのではないかと思った。

 

 また、1962年という「近過去」の設定もいい。

 リアリズムとファンタジーのハーフ&ハーフが、ギリギリのバランスで成り立つ美味しい時代だ。

 そしてまた、トランプ政権下の現代のアメリカを風刺しているかのような映画でもある。

 

 こうした寓話性の高い物語は、よく「大人のおとぎ話」と呼ばれるけど、それで片付けるのはつまらないし、何だかもったいない気がする。

 人間が生きる本質は思わぬところに隠れている。

 それを見つけるためにも、こういう映画は役に立つのではないかと思う。

 


早稲田のドーナツ田んぼで田植え

 

 早稲田大学内に田んぼがあって生徒らが田植えすると聞いて、マイナビ農業の取材でやってきました。その名も「わせでん」。

 大隈講堂の隣、大隈庭園の奥にあります。

 

 どんな田んぼなのかと思ったら、直径5メートルくらいのかわいい「ドーナツ型」田んぼ。

 

 ドーナツ型と言うのは、真ん中にポチッとサルスベリの島があるのです。

 このサルスベリが由緒ある木だそうで、切るに切れなくてドーナツ型にせざるを得なかったということ。

 

 

 2004年に開田した時はハート型に近かったそうで、それがだんだん凹みがなくなってきて、まぁるくなったとのこと。

 毎年ここで苗を植えて、秋には約5キロのお米が収穫できるそうです。

 

 田植えをするのは学生NPO「農楽塾」というサークルの子たちで総勢30名ほど。

 今年は例年になく新入会員が多いそうで、女の子も男の子も泥んこの中に足を突っ込み、ワーワーキャーキャー。

 見ていると可愛くて、こっちの心も💛、目も💕になってきます。

 

 取材という大義名分のもと、こういうところにズケズケと入り込めるのは、ライターの特権と言えるでしょう。

 

 大隈庭園に遊びに来ている一般の人たち――家族連れやお年寄りのグループもちょこちょこ覗きに来ていました。

 

 地域に開かれたオープンキャンパスになっているので、基本的に誰でも庭園内は自由に出入りできます。

 そのため土曜の午後は大学と言えどもまるで現代社会の縮図のように、若者(学生)一人に対して、年寄り5人と言う感じです。

 

 おそらく新宿区で唯一の田んぼである「わせでん」。

 来週は近所の幼稚園の子供たちがここで田植え体験をしに来るそうなので、少しだけそのスペースを残して1時間ちょっとで無事終了しました。

 

 それにしてもホントに若さは財産です。

 でも若い頃はそんなことには気が付かなくて、ザクザク無駄遣いしちゃうんだよね。

 でもでもそれがいいんだよ。

 若さを貯金や利殖のためにこせこせしたって面白くない。

 「もっと有効に使えたかな」と後悔するくらいでちょうどいい。

 そうした思いがあるからこそ人間の味が出ます。

 農業もサークルもバイトも恋もいっぱいしてほしいと思います。

 ついでに勉強も。

 


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6月に「結婚の日」はいかが?

 

 海の日だの、山の日だの、いろいろできて、とうとう6月だけ取り残されて「国民の祝日」のない月になってしまった。

 この際、「雨降り記念日」とか「田圃の日」とか「カエルの日」とか、6月にも祝日を入れたらどうなのだろう?

 

 そこで思い出したけど、皇太子が結婚したのは確か6月じゃなかったっけ?

 雅子さんはジューンブライドだった気がする。

 元号が変わったら6月に「結婚の日」を作ったらどうだろう?

 少しは少子化対策に役立つかも知れないし。

 

 それにしてもこの国にやたら祝日が多いのは、公に認められた日じゃないと休めないから・・・ってことなのだろうか。

 べつに祝日じゃなくてもいいいから、テキトーに休みましょう。

 

 というわけで、僕はフリーランスの特権で、今月の後半は久しぶりに大型連休させて頂きます。と言っても10日程度ですが。

 


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西城秀樹さんのお葬式で感じたこと:女の涙は子どもと夢の人のために

 

 先日の西城秀樹さんのお葬式の記事を書くのに、現場の録音データを聞きながら、昨日1日ジタバタしていました。

 これだとちょっと思い入れが強すぎてダメだし食らうかも、と思いつつ原稿提出。

 

 それにしてもいろんな意味で感動的な体験でした。

 

 喪服のマダムらがYMCAを踊ったり、おいおい泣いたり、「ヒデキー」と叫んでいるのを思い出すと、身体の底でずっと眠っていた女の子が40年ぶりくらいに起き出して、マダムの着ぐるみをかぶってあそこに集まっていたんじゃないか。そんな幻想にとりつかれます。

 

 仲間もいっぱいいるし、あそこなら何の遠慮もなく泣けるもんね。

 

 ファンは圧倒的に女性が多いんだけど、中には男性もチラホラいて、男同士というのはほとんど見当たらず、どうやら夫婦で来ているらしい。

 それが奥さんは喪服、もしくはそれに準じるような服装をしているのに、ダンナの方はほぼ普段着というチグハグなカップルがほとんど。

 

 取材したわけでなく、あくまでこれは僕の想像だけど、普段は従順な奥さんがこの日ばかりは「わたしは絶対に行く!」と主張し、その迫力にタジタジとなったダンナが「しゃーない、じゃあオレもついていくわ、東京見物・青山見物もしたいし・・・」ということで一緒に来たのではないか。

 

 奥さんとしてはちょっとジャマだけど、交通費もメシ代も出してくれるというから、まぁいいや、と妥協した・・・とか、そんなバックストーリーがあったのではないだろうかと思います。

 

 でもダンナづれで、ちゃんと女の子に戻ってヒデキに声を掛けられたのかなぁ。

 

 そういえばネットに上っていた映像で、テレビのインタビューを受けたマダムが「夫が死んでもこんなに泣きません」と泣いていました。

 それでいいと思います。

 

 死んだからって、あんまり泣かれても困っちゃうしね。

 女の涙は子どもと夢の人のために大事に使ってください。

 ダンナはそのおこぼれを頂ければ十分です。

 


スーパーマーケット偏愛シンドローム

 

 時々、自分はスーパーフェチなのではないかと思うことがあります。

 スーパーマーケットが好き。というか、その空気の中にドブンと丸ごと漬かりたいという欲求に時々襲われるのです。

 

 今日も午前中仕事して、昼に出かけて5ヶ月ぶりに会った友だちと昼飯を食って、帰ってきて疲れて昼寝していたら早や夕暮れ時。

 ベランダの洗濯物を取り込んで、ちょっと涼しくなった外の風に触れたら、急にその欲求に襲われました。

 

 というわけで冷蔵庫の在庫を確認し、リュックを担いで近所のスーパーマーケットへ。

 近所と言っても3番目くらいに近い所で、5分ほど自転車に乗って出掛けます。

 この5分間、ちょっと涼しくなった空気と、ちょっと金色っぽい西日の光を全身に感じられれるのがいい。

 

 着いてみるとスーパーの中は赤ん坊からお年寄りまでいろんな人たちが、今晩は何を食べようか、明日の分も買っておこうか、予算はいくらだと、あれこれ考えながら、あるいは話し合いつつ買い物に興じています。

 

 普段は昼間に行くことが多いので空いていますが、今日は時刻も時刻で、ちょっと混雑していてレジにもカゴをぶら下がたり、カートを押す人たちの列が。

 この混み具体がまたなかなかいい味出しててて、胸をワクワクさせます。

 

 初夏の良く晴れた日曜日の夕方のスーパーです。

 家族そろってきている人たちもたくさんいます。

 

 こっちの子どもは何がうれしいのか声を上げてはしゃぎ回り、そっちの子どもは試食のハシゴで走り回り、あっちの子どもはなぜだか怒って大泣きしている。

 

 怒り出すお母さん、困った顔したお父さん、すましてマイペースでのんびり品定めをするお年寄り、値段を見て長考する人もいれば、あせあせと小走りでかごの中に品物を放り込んでいく人もいます。

 

 働いているスタッフもお店にいる時間はスーパーの人だけど、勤務時間以外はもちろん自分の生活を持っていて、家族のこと、子供のこと、お金のこと、自分がかつて持っていて諦めきれない夢のこと・・・いろんなことで悩んだり、失望したり、希望を持ち直したりしています。

 作業の合間やお客とのちょっとしたやりとりの中で、そうしたものが垣間見えたりするのも面白い。

 当たり前だけど、彼ら・彼女らはけっして働くだけの人ではなく、今日も一生懸命、この世の中の不条理と闘いながら(でもあんまり頑張ると疲れちゃうので時々は空気を抜きながら)生きている、すてきな人間です。

 

 なんといえばいいのか、たまにそんなことを考えつつスーパーをうろつき回っていると、とても人間が愛おしくなって、からだの芯があったまってきて、脳みそが妄想で膨れ上がって、お店ごと抱きしめたくなるのです。

 

 というわけで買ったレタス、トマトやキャベツ、タマネギ、ジャガイモ、サカナ、牛乳、ヨーグルト、パン、ドレッシング、ぶどうなどをリュックにぶち込んで家路に向かうと夕焼けがきれいでした。

 いつかスーパーマーケットを舞台にした面白くて泣ける話を書きたいなぁ。

 


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西城秀樹さん葬儀:青春の同窓会

 

 「月刊仏事」の取材で西城秀樹さんの葬儀に行って来ました。

 朝9時半、会場の青山葬儀場最寄りの乃木坂駅に着いたら、ホームに黒い服の人たちが溢れ返っています。

 改札横の女子トイレには長蛇の列。

 恐縮しながら喪服のマダムらの列を掻き分けて男子トイレまで辿り着き、あせって身支度を済ませました。

 

 ちょっと話を聞いたところでは、地方から出てきて一泊し、通夜・葬儀と連荘で参加したという人も。

 

 葬儀や出棺の様子はニュースやSNSでいっぱい上がっているので書きませんが、野口五郎・郷ひろみ両氏の弔辞や昭和のスーパースターならではの演出には心打たれるものがありました。

 

 葬儀から出棺の間、葬儀場前を走る青山通りの向こう側までファンがびっしりで、向かいのデニーズの表階段にまで人が溢れているのにはガチびっくりでした。

 

 こうなるとお葬式とは言っても一種のイベントで、同じ時代を生き、ヒデキに胸をときめかせて青春を送った50代や60代の人たちにとっては、ファン同士で顔を合わせる「同窓会」的なノリの人もたくさんいたようです。

 

 ちょっと不謹慎にも聞こえますが、「ヒデキ」がみんなを結びつけるメディア、コミュニケーション媒体になっているのだなぁと思いました。

 

 大勢の人を楽しませ、夢を与えるエンターテイナーとして生きてきたのですから、最期に身を挺してまでその仕事がまっとうでき、「ヒデキ、カンゲキ!」と言いつつ旅立っていけたのではないかと思います。

 

 終わった後もしばらくの間、みんな名残惜しくて、なかなか立ち去れません。

 本当の寂しさはきっとこの後、家に帰った頃にやってくるのでしょう。

 

 おそらくこれから、どんどん昭和のアイドルやスターだった人たちが亡くなっていくわけですが、そのたびにこうしたイベントになるのだろうなと、ちょっとフクザツな気持ちになりました。

 

 ちなみに葬儀参列者への返礼品の一部はハウス食品さんが提供。

 西城さんのCMによる、家庭のカレー普及への貢献度は相当大きかったようです。

 

 でも一緒だった若い女性スタッフは「ヒデキ、カンゲキ!」は知らないそうで「何ですか、それ?」と聞かれて説明しなくてはなりませんでした。

 バーモントカレーは好きだそうですが。

 


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ありのままの私が帰ってこられる「ふるさと」

 

 「ふるさと」と聞いて、ほとんどの日本人が連想するのは、稲を実らせる田んぼや、野菜を育て、果実を育てる畑がのどかに広がり、魚が泳ぐ美しい川が流れ、背景に美しい山並みを望める、いわゆる里山の風景だと思います。

 

 愛知・長久手市の愛・地球博記念公園(モリコロパーク)内にある「あいち・さとラボ」では8年前から「里山開拓団」なるボランティアグループが、ほとんど砂漠のようだった更地から美しい里山をーーふるさとの風景を創り出しました。

 

 もちろん当初はアドバイザーがいたり、資金面では県のバックアップもあったわけですが、造園や農業などに素人同然の人たちが一つ一つ、作物の育て方のノウハウを学び、組織管理も行い、年間を通したイベント開催などで仲間を増やしていった開拓ストーリーの取材は、とても感動的でした。

 

 開拓に携わってきた人たちにとって、まさしくここは「ふるさと」になり得るでしょう。

 

 これからの課題は。この里山をどう維持していくか。

 

 4月にモリコロパーク内に2022年、「ジブリパーク」ができるというニュースが伝えらましたが、写真の山の左側の森の中にその一部である「もののけの里」ができるとのこと。

 具体的な話し合いはまだこれからですが、今後の里山活動によい影響が出ればいいなぁと思います。

 

 それにしてもこうした絵に描いたような里山の風景を、潜在的なイメージとしてではなく、実際の体験として、つまりリアルなふるさととして自分の中に持っている日本人は、僕も含め、もうそんなにいないのでは、と推察します。

 

 昭和レトロが一種のファンタジックな異文化として人気を集める背景、また、「ふるさと創生」やら「ふるさと起こし」といった言葉が流布する背景には、そうした日本人の「ふるさと喪失物語」があると思っています。

 

 かくいう僕もじつは今、「ふるさとについて考えよ」というお題を頂いているので、面倒だけどぼちぼちやっていこうと思います。

 

 どんな事象があって、どんなストーリーがあって、そこに立って何を想起できれば、人はその場所を、

 ありのままの私が帰ってこられるところ、

 裸の、少なくともそれに近い私が、心を開いて受け入れてもらえるところとして心の深い部分に取り込めるのか?

 

 これからの僕の人生は、ふるさとへたどり着くまでの長い巡礼の旅になるのかな。

 と、そんな気がします。

 


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子供の自立について

 

 今日は息子の誕生日だった。
 当初の予定ではとっくの昔に自立・自活しているはずだったが、現実はそうなってない。
 親がアホなせいかも知れない。
 アホでもしゃーないなと思ってマッシモ・タヴィオでささやかなお祝いをやった。

 子供の自立を望んでいながら、かたやこっちが子離れしていない。
 じつは最近の映画や本やコンテンツもろもろにに関する情報の7~8割は息子に頼っている。
 彼が推薦するものはだいたい外れがなくて信頼できる。

 その代わりにこっちはレトロ情報(60年代~90年代カルチャー)を提供する。
 物々交換みたいだ。
 でも最近はやたら勉強していて、そのあたりのことも親よりよく知っていたりする。

 そう考えていくと、むしろ自分の方が子供に頼って生きている部分がある。
 それどころかずっと子供の可愛さ・面白さに支えられて生きてきた。
 そういう意味ではもう十分に親孝行は果たされている。
 
 さらに考えてくと自分は自立していると言えるのか、とも思う。
 何とかここまでもっているのは、若い頃から友達におだて上げられたり、仲間に励まされたり、女の子たちに甘えさせてもらったりしたおかげである。
 もちろんカミさんにも甘えっぱなしである。

 昔は自分の食い扶持は自分で稼ぐ――そうなれば自立したと言った。
 今はどうか?
 金さえ稼いでりゃ自立していると言えるのか?
 ネットの株取引きで稼いでりゃ、他の人間と接触しなくても、他に何やってても、誰も文句が言えないのか?。
 人の助けを必要としなければ、それが自立なのか?

 基本はそうなんだろうけど、そう単純なのだろうか?
 他人の支えや助けを拒み無視して生きようとするのは立派なことなのか?

 少しでも早く自立して欲しいと願う気持ちに変わりはないが、そうなるまでのプロセスでいろんな経験を積んで成長してくれればいいなと思う。


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僕に楽しい思いをさせてくれた子供たち

 

 先日の専門学校の同窓会でクラスに在籍していた同級生を暗唱してみたら全員言えた。

 (確認してないけど全員だと思う、たぶん。)

 

 試しに他はどうかと思ってこそっとやってみた。

 

 高校のクラスは3年間いっしょだったので、これも中途退学した連中を含め、全員出てきた(たぶん)。

 

 中学がビミョーで、1・2・3年それぞれのクラスのやつがごった煮になって出てくる。

 でも好きな女の子が2年生のクラスに二人いたので、やっぱり2年生がいちばん思い出深い。

 ちなみにその時はYさんが一番好きだったのだが、いま思い返すとKさんの方が可愛くて好きだ。

 うーん、なんでKさんの方に行かなかったんだろう・・・。

 

 小学校5・6年のクラスは大好きなクラスだったので、35人以上出てきた。

 男子は全員思い出せるが、あと5人くらいいたはずの女子がどうしても思い出せない。

 ごめんなさい。

 ちなみにこのクラスは、運動会やら遠足やらのイベント的なことはほとんど思い出せないのだが、日常的なシーンをやたらよく覚えている。

 

 大人になってから出会った人は結構忘れてしまうが、子供時代に出会った連中、付き合った連中の顔や声は鮮明によみがえる。

 本当にどうでもいい、くだらないことをいっぱい憶えている。

 子供はまだ自分を装うことに長けていないので、持ち前の個性を隠したくても隠せない。

 だからひとりひとり、面白いのだ。

 

 でも成長する中であっちこっちぶつけて痛い目に遭って、どの個性は人にウケ、どれはウケないか学び、調整しつつ自分を作る。

 多くの場合、スマートになっていくんだけど、同時につまんなくもなっていく。

 

 それにしてもそんな何の得にもならないことをやっていて、よほどヒマなんだねと思われるだろうけど、割と忙しい。

 忙しい時にかぎってこういうことをしたくなるのだ。

 本当に何の得にもならないけど、わりと楽しい。

 

 それに記憶にある子供たちのほとんどは、おそらく人生の中でもう二度と会わない人たちである。

 ここらでちょっと、ひとりひとりに僕に楽しい思いをさせてくれてありがとう、と言っておいてもいいのではないかと思った。

 


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幼なじみのトウキョウサンショウウオ

 

 子供のころ持っていた(今でも実家にあると思う、きっと)百科事典の動物の巻のグラビアTOPに「トウキョウサンショウウオ」が載っていました。

 

 ゾウとかライオンとかオオカミとか、巻頭グラビアを飾るべきスター動物はいっぱいいるはずなのに、そいつらをさしおいて両生類の、しかもローカルなサンショウウオがトップとはどういうことだ?と子供心に不思議でしたが、最近、その理由に思い至りました。

 

 オリンピックだ!

 

 その百科事典(手元にないので確認できないが、たぶん学研)が発行されたのは、ちょうど前回の東京オリンピック(1964年)の時期と合致すると思うのです。

 だから東京特産の生き物としてトウキョウサンショウウオが選ばれた!

 

 とまぁ、そんなどうでもいいことを思い出したのは、先月、仕事で秋川や武蔵五日市に行った時に「森っこサンちゃん」と出会ったからです。

 

 森っこサンちゃんは秋川市のキャラクターで、もちろんトウキョウサンショウウオ。

 駅の観光コーナーや商店街のサインで愛嬌を振りまいてます。

 今度の東京オリンピックでも活躍するか?

 

 大型連休は1日ヒマを作って、サンちゃんのいる秋川渓谷にでも行こうかなと思っていたのですが、あまり強く念じていたわけでもなかったので、仕事にかこつけて結局行かずじまい。

 でもまたヒマを見つけて渓谷歩きに出掛けたいと思ってます。

 トウキョウサンショウウオに会えるかなぁ。

 

 それにしてもカエルもそうだけど、両生類のキャラクターは、ケロヨンとか、けろけろけろっぴぃとか、村上春樹の「かえるくん」とか、かわいい・オモロいって人気があるのに、実物はイヤだダメだという人が多いのはなんでー?

 

 もう田植えの季節だなぁってネットを調べてたら「カエルうるさい」とか「カエル駆除」とか「カエル殺せ」みたいな話がうじゃうじゃ出てきた。

 

 カエルもイモリもサンショウウオも、両生類は水のきれいな里山日本を象徴するような存在で、生態系の保全にも欠かせないのに、これはちょっとさびしいです。

 

 やっぱり都市化とともに失ったものは、物理的にも精神的にも大きいと思わざるを得ません。

 サンちゃんのいる森は守りたいなぁ。

 


唐組「吸血姫」観劇で思ったこと・考えたこと

 

 解散後のビートルズは、あるいはとっくの昔に衰退したパンクロックは、今もなお物語を紡ぎ続け、英国の文化の一つとして血肉化している。

 それと同様、テント芝居はビートルズであり、パンクであり、現代の日本においての一つの異文化として脈動している。

 

 日本一の大都市・繁華街と言える新宿の真ん中。

 黄昏時の光と闇が入り混じる、ぽっかりと空いた異空間に朱色の鳥居と、みずみずしい緑が浮かび上がる。

 そしてその向こう側。まるで僕たちの心の故郷のように、昔ながらの紅いテントが建っている。

 開場を待ってその周辺でうろついている観客は、もちろん懐かしさに駆られた年寄りが多いが、若い観客も少なくない。

 じいちゃん・ばあちゃんに話を聞かされた子供や孫たちなのかなぁと想像する。

 

 天井も側面も血肉色に包まれた紅テント内は胎内であり、繰り広げられる芝居は子宮の中の旅である。

 飛び交うセリフと役者の動きは、日常のリアル感とはまったく趣の違う、本質的なリアル感にあふれており、一緒に見に行った21歳の息子が目を白黒させていた。

 

 わけがわからないけど面白い。

 それでいいのだと思う。

 

 人間が生きることは、わけがわからない神秘にあふれている。

 それがなくて、ただ仕事をして生活しているだけなら、ロボットと変わらない。

 飯を食ったり休んだりする分、非効率でロボット以下だ。

 

 唐十郎の芝居にはそうしたことを再認識させてくれる価値がある。

 

 そして何よりも圧倒的なセリフの面白さ・美しさ。

 その一つ一つは詩であり、感情の表出であり、社会批評であり、精神分析であり、哲学であり、そうしたものすべてをひっくるめて物語全体を形作るピース(断片)になっている。

 

 物語はタイトルが示すように「吸血鬼」という存在を最初に思い浮かべると読み解きやすい(というか正解があるわけでなく、自分のものとして解釈できる)。

 

 吸血鬼はすでに遠い昔に死んでいるとも、永遠の命を持っている存在とも捉えられる。

 そんな幻想にとりつかれた主人公が、初演時の1971年を起点に、東京が焦土と化した戦後、大正末期の関東大震災、それに続く、アジア大陸における満州国建国と、幾つもの積み重なった時間と空間の中を旅する。

 

 インターネットが進んだ現在、僕らはこれと似たようなことができるようになっている。

 僕らは今という時間だけを生きるわけではない。

 リアル世界では若さを失っても、ネットにアクセスすれば脳内はたちまち時間を遡れる。

 情報は誰でもいつでもどこでも手に入れられ、知識としてだけならいくらでも異文化を吸収し、深入りすればバーチャル体験も可能だ。

 

 たとえば何の知識もなしにこの芝居を見ても、「愛染かつら」とはどういう話なのか、高石かつえ、川島浪速、川島芳子(東洋のマタ・ハリ)ってどんな人物なのか、関東大震災や満州建国で何が起こったのかなど、帰り道にスマホで調べれば家に帰る頃、そうした歴史的事象はわかっているのである。

 

 そう考えると、すでは僕らは半ば吸血鬼のような生き方をしているのかも知れない。

 

 それにしても唐さんが倒れてから、もう6年も経つとは知らなかった。

 病状のことはわからない。

 でももしかしたら自分が創った文化の後継者たちを育てるために、あえて病気になってみたのかも知れない。

 

 いや、もしかしたら病気というのは唐流の芝居で、じつは世界旅行にでも出掛けているのかもしれない。

 そして後継者らの成長を確信したらまさかの復活を遂げ、みずから「帰ってきた唐十郎」を舞台で演じるのかもしれない。

 

 その時、唐芝居は幕末~明治期に書かれた歌舞伎の名作同様、後世までずっと引き継がれる伝統芸能になるのではないかと思う。

 


生殖機能終了後の人生とは?

 

上野の国立科学博物館でやっている「人体」展。

僕のボディもかなり古びてきましたが、まだまだ使わせてもらう予定でいます。

 

それで展示を見て、すごく当たり前のことに気が付きました。

 

大きく言うと、人間の身体は生まれてから死ぬまで3つの期間に分けられる。

 

①子供(生殖機能が起動する前)

②生殖機能活動期

③生殖機能終了後

 

めちゃくちゃ単純です。

確かにすべての生物は子孫を残すのを最大の仕事としているので、身体は生殖機能のあるなしで変化し、時代区分できます。

 

他の動物(植物)は子孫を残す仕事を終えたら、ほどなくしてこの世とさようならになるのだけど、人間の最も大きな特徴は、生殖機能をなくしてからの生存期間がすごく長いということ。

 

もちろん個人差があるけど、最近の寿命で言えば、人生の半分以上の時間が「生殖機能終了後」です。

これは特に女の人が実感しているでしょう。

男の場合は、その気があれば、生涯現役も可能なわけですが。

 

「生殖機能をなくす」と言葉にすると、かなり悲しい響きがあるのだけど、考えようによってはオンナであること・オトコであることから自由になったとも言えます。

 

僕も10代・20代の頃はホルモンの分泌に支配されて、よく頭がイカレていました。

性欲をほどよくコントロールするのはなかなか大変で、今思うと冷や汗かいたことも何度かあります。

いやいや、さすがにそういうものにはあまり悩まされなくなりました。

(ちょっとはあるけど)

 

かと言って、女も男もみんなが坊さんみたいになっちゃたり、悟りを開いたりしちゃったらつまらない。

 

生殖機能なくても恋愛もSEXも楽しめるわけだし、今の時代、この人生第3期をどう生きるかは本当に考えどころです。

 

できれば子孫を残すことの何千分の一でもいいから、のちの人類のためになることができればいいなぁと思います。

 


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演劇仲間との同窓会

 

昨日は舞台芸術学院30期生の同窓会。

 こうした会の取り仕切りは不向きで、他では絶対やらないのだけど、どういうわけか、ここだけは昔から幹事役をやっています。

 

 入学40周年、出会って40年ということでやりました。

 集まったのは17人。連絡取れる人の約半分。

 

 福井や静岡などからわざわざ出向いてきてくれた人もいます。

 以前は利便性を考えて、新宿でやっていたのですが、今回は学校に通っていた池袋西口で開催。

 やっぱり土地の記憶というのは重要で、故郷の空気を吸ってリフレッシュしました。

 

 学生と社会人の狭間の2年間を、演劇なんぞに現をぬかしてともに過ごしたわけですが、時間がたってみると、その仲間と記憶が一つの大事な財産になっている気がします。

 

 何よりもこういう場と時間を共有できることが、それぞれの心の支えになっているならいいなぁ。

 

 6年ぶりに開きましたが、正直、この5~6年ほど全然やる気がしなかった。

 連絡するのも面倒だし、やってどうするの?という気持ちもあり、あまり大事なことと思えなかった。

 

 ところが仲間の一人のみっちゃんが毎年、年賀状で「今年はやらないの?」と粘り強く送りつけてくるので、徐々にボディーブローが効いてきてプレッシャーになっていたので思い切って昨年末から再開に踏み切りました。

 

 でもそうしてよかった。

 諦めずに背中を押し続けてくれたみっちゃんに感謝だなぁ。

 

 思い出話もさることながら、未来へ向けて年寄り劇団を作ったら・・・という話も出ました。

 酒の席の話なので冗談半分ですが、子供や孫みたいな連中をお客として呼んで、ヘンな年寄りたちがヘンな芝居をして見せるというのも悪くない。

 それで何かが伝えられればいいし、みんなのこれからの人生の励みにもなればいいなぁと思いました。

 


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マイピュアレディと妄想力に基づく男の深い愛

 

 うちのカミさんは髪を切るとき、カメが店長をやっている赤坂の24時間営業(これはぜんぶホントです)の「PINCH」という美容院に行っています。

 

 店内ではカメの店長が悠々とウロウロしながら野菜を食べているそうです。

 

 で、昨日そこに行ってバスっとショートカットにしてきました。

 身内なので褒め難いけど、なかなかイイのです。

 

 それで思わず「マイピュアレディの小林麻美みたいだ」と言ったら、「はぁ?」と返されてしまった。

 聞くと、小林麻美は長い髪のイメージしかないとか。

 デビュー当時のハミガキのCMに出演していた頃とか、「初恋のメロディ」を歌っていた頃のことだろうか。

 

 3つしか齢が違わないので、一応、同時代人なのだが、時々、話がズレるのです。

 それとも、僕が小林麻美が好きだったというのが気に喰わなかったのか・・・。

 いずれにしても、ほめ言葉のつもりだったが、あまりお気に召さなかったようです。

 表現手段を間違えましたた。

 

 そういえば半年くらい前だったか、雑誌の表紙で久しぶりに小林麻美さんを見ました。

 さすがにもう貫禄がついているんだけど、男の妄想力は偉大なので、脳の中でちゃんとそこに過去の残像をピタッと合わせられる。

 

 つまり現実を受け入れつつ、過去の記憶の中の面影をしっかり楽しめちゃうのです。

 だから昔ぞっこんだったアイドルを今も十分に愛でることができる。

 好きな女に対する男の愛はとっても深いのです。

 

 それに対して女の場合はどうなのか?

 女がおじさんになってしまった昔のアイドルに肩入れするのは、そのアイドルを愛しているというよりも、それを媒介として、脳内であの頃の若い自分にもどれるからではないかと思います。

 だからどっちかというと自己愛に近いものという気がします。

 

 やっぱりメインは子供の方にとっておくんでしょうね。

 そうしてください。

 子供より大事なものはこの世にありません。

 


リメンバーミー:「わたしを忘れないで」のメッセージ

 

 昨年見た映画「はじまりへの旅」は、コメディでありながら妙に感動的な作品だった。

 

 文明生活に反してワイルドライフを送る父と子供たちが、都会暮らしで、精神疾患が原因で死んだ(らしい)妻(母親)の遺体を奪還。

 遺言通りに家族自らの手で火葬し、遺灰をトイレに流す、というのがストーリーだ。

 

 この家族はオートメーション化し、形骸化した現代社会の慣習に対する反抗精神を持って生きてきた。

 かつてのいヒッピー世代、フラワーチルドレンのメタファーのように思える。

 

 したがって遺灰をトイレに流すという行為(=流してほしいという遺言)は、その反抗精神の表現であると同時に、逆説的に「わたしを忘れないで」という妻(母親)のメッセージでもあり、家族の記憶の中に永遠にとどまりたい、という思いが込められている。

 

 こうした映画が生まれた背景は、やはり少子高齢化社会だ。

 

 半世紀前、ロック文化が盛り上がり、「Dont Trust Over Thirty」と皆が叫んでいた時代、アメリカの人口は、およそ半分が25歳以下だった。

 

 その圧倒的多数のベビーブーマー世代が高齢化し、自分のエンディングを意識せざるを得なくなった今、ハリウッド映画もそうした社会状況を反映するものが増えている。

 

 世界最高峰のアニメを送り出すディズニー/ピクサーもまたしかり。

 その最新作「リメンバー・ミー」は、メキシコの「死者の日」という民俗をモチーフに作られた。

 

 「死者の日」は毎月11月はじめに行われ、家族や友人達が故人・先祖への思いを馳せて語り合うために、みんなで集まるという。

 

 日本のお盆に共通する伝統文化であり、欧米のハロウィーンの原型とも言われている。

 

 死者の精霊が帰ってくるその日は、家々に先祖を祭る祭壇が飾られ、街は華やかで賑やかなお祭りムードに包まれる。

 

 「リメンバー・ミー」は、その雰囲気を映画表現に置き換え、世にも美しいカラフルでゴージャスな死者の国で、ガイコツの人々が“いきいきと”“楽しく”生活している。

 暗いムード、おどろおどろしいムード、また神聖な雰囲気などみじんもない。

 

 つまりこの死者の世界は、生者の世界と同時に存在するパラレルワールドになっていて、年一度の「死者の日」にだけ2つの間に橋が架かり、死者たちは生者の世界に里帰りする。

 

 こうした設定はメキシコの死生観が下敷きにされているという。

 

 メキシコは16世紀にスペインに征服され、以後、約300年間植民地化。19世紀にそこから独立して新たな国を作ったという経緯から、現在はカトリック教徒が多いが、植民地化される前のアステカ帝国の文化を引き継いでいる。

 

 このアステカ文化の影響で、死を象徴するものが独自の発展を遂げており、「死は、新たな生へと巡る過程のひとつ」という考え方が社会生活の基盤になっている。

生の世界と死の世界を分け隔てる壁がとても薄く、行き来することもそう難しくないと考えられているのだ。

 

 映画ではそこにもう一つ、「二度目の死」という設定を作っている。

 生者の世界で、誰一人としてその人の記憶を持つ者がいなくなってしまったら、その人は死者の世界からも消滅してしまうのである。

 

 テーマである「家族・先祖・伝統」に則った世界観の設定で、とても普遍的なものだが、同時にタイトル通り、そして「はじまりの旅」と同様に「わたしを忘れないで」という、ベビーブーマー世代の強い自己主張を感じる。

 

 ・・・といった面倒なことなど、あれこれ考えなくても、極上のエンターテインメントとして単純に楽しめちゃうところが、ディズニー/ピクサー映画のすごさであり、ハリウッド映画の底力である。

 

 観客対象はもちろん家族向けだけど、お父さん・お母さんとだけじゃなく、おじいちゃん・おばあちゃんも一緒に連れて見に来てね、というメッセージもこめられているんだろうなぁ。

 


忍法影分身と影縫いに関する実験と考察

 

 最近、自分の影をほとんど見ていませんでした。

 いつの間にか、影がふてくされていなくなっていても、きっと僕は全然気が付かなかったでしょう。

 

 あなたの影はちゃんとありますか?

 

 というわけで影の話をしますが、まずはうちの食卓から。

 

 うちでは食事中、しょーもない話題で盛り上がることがあります。

 本日の話題は忍者。

 今や世界に名だたるジャパニーズブランド文化の一つ「NINJA」です。

 

 忍者と言えばマンガですが、僕が子供の頃読んだ忍者マンガといえば、「カムイ」「サスケ」の白土三平先生、「影丸」「赤影」の横山光輝先生が二大巨頭ででした。

 

 いろんな忍法が出てきたけど、中でも心に食い込んでいるのが影に関する忍法です。

 ちょっとミステリアスでカッコいい。忍者そのものという感じがします。

 

 「影分身」は確かサスケの得意技です。

 これはちゃんとその原理についての解説がついていて、超高速で動くと相手の動体視力がそれに追いつけず、残像がいくつも残ってサスケが何人もいるかのように見える。

 そして「どれが本体なんだ」と焦っている相手に、「ここだ」と思いもかけぬ所――たとえば背後とか木の上とか――から攻撃し倒すというもの。

 

 これは僕も忍者ごっこで実験してみました。

 

 目にも止まらぬ速さで縦横無尽に(と本人は思っている)動き回り、

「どう?分身して見える?」と聞いてみたのです。

 

 見えるわけないよね。

 

 でも一生懸命やったらもしかして・・・とやってみたけど、やっぱりダメでした。

 

 もう一つ、横山先生の得意技(?)だったのが忍法影縫い。

これは影丸でも赤影でも敵方の忍者が使っていて、けっこうダークなイメージが強い術です。

 

 地面や壁などに映る相手の影。それに手裏剣を幾つも刺して縫い付ける。

 ここで「おまえの影はわしが縫った。もう動けまいが」なんてセリフを言うと、本当に体が動かせなくなってしまうのです。

 

 そんなアホな。

 

 と思うのは今だからであって、かつてはマンガを読むときは入れ込んでいたので、この術には驚愕しました。

 

 そして動けなくなっている本体にとどめを刺して命を奪う。

 

 いやぁこれはおそろしい。

 もしやこれは数ある忍術の中でも最強の術ではないか、と思ったくらいです。

 

 超フィジカルな影分身に対して、こっちは超メンタル。

 一種の暗示、催眠術の類で、今風にいえば精神攻撃と言うところでしょうか。

 

 この影縫いから逃れるには、影を作る光源(外なら太陽や月、室内ならろうそくなど)を消して、自分の影を消すしかない――いわば自分の存在を一時的に消し去るわけです。

 

 

 おそらく昔の人たちは、影が本当に自分の分身とか魂だと信じていて、それを敵に抑えられるということは、負け=死を意味していたということでしょう。

 

 そういえば僕も影踏みだとか、車にひかれるなどして自分の影がダメージを受けたらアウトとか、そんな遊びもしていました。

 

 今でももちろん「影」は多彩で深いイメージを抱えた概念として用いられますが、昔ほど肉体に直結した、リアリティのある存在ではなくなってきているような気します。

 

 これはやはり生活空間が人工物で構築されるようになってきて、自然の光と闇がの領域がどんどんん減ってきているからではないでしょうか。

 

 影はどんどんリアルな空間を離れ、仮想の世界に追いやられています。

 なので、たまには自分の影と話して、希望を聞いてあげるといいかもね。


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ちょっとこわい、歪んでいく顔の話

 

 FaceBookでいろんな顔が並んでいるのを見ていると、先日、アカデミー賞でメイクアップ賞を受けた辻一弘さんがインタビューで話していたことを思い出します。

 

 印象に残っているのは、人間の顔は苦悩を重ねるたびに左右の対称性が崩れていくということ。

 子供の頃・若い頃は美しいシンメトリーを成していても、齢とともにそれがあらぬ方向に歪んでいく。

 

 純粋に皮膚、目、鼻、歯などの肉体の衰えもあると思いますが、それ以上に、生きていて笑ったり泣いたり怒ったりを繰り返していると、顔面の筋肉のつき方がいろいろ変わっていくのでしょう。

 

 また、顔では笑っていながら、心の中では相手に対する嫉妬や憎悪がメラメラ・・・なんてことをやっているのも、筋肉や神経が複雑によじれそうです。

 

 そういえば漫画などで、悪いやつとか、心に闇を持っている人物(別に異常者でなくても、よほどの聖人君子でない限り大抵の人が持っている)などの顔をアップにすると左右がひどく違う顔て描かれていたりします。

 

 これまであまり意識したことなかったけど、鏡でまじまじと自分の顔を見ると確かにそうだ。左右にかなり違いがある。おーこわ。

 

 若い頃、美男美女の誉れ高かった人は、その自画像の残影が強烈に焼き付いているので、齢とともにその顔が歪んでいくことに人一倍敏感なのでしょう。

 「顔が崩壊していく」という恐怖感を抱き、ほとんどパニックに近い精神状態になる人もいるようです。

 だから美容整形や薬物投与を繰り返し、ますます問題が複雑怪奇になっていく。

 

 僕らは、生まれついての美形なら、ずいぶんと人生のアドバンテージが高いだろうと思いがちですが、どうやらそうでもないようです。

 

 こうやって書くと齢を取ると醜くなる一方で、ロクなことがないようですが、辻さんはそうした歪みを超え、何らかの形で苦悩を克服した時、人間の顔は人生で最も美しく輝くと言います。

 

 そして彼が手掛ける特殊メイクの仕事は「その人の伝記を書くのと同じ仕事」だとも。

 

 ゲイリー・オールドマンを、ウィンストン・チャーチルに作り変えられる程、人間の顔と向き合い研究してきたアーティストだからこそ、そんな表現ができるのだと思います。

 

 筋肉の張り・弛み・しわの一つ一つに、その人の生き方・心の在り方・秘めたるものが現れているのでしょう。

 これはすごいことであり、また、とても恐ろしいことでもあります。

 

 だからFaceBookにも顔を載せない人が多いのかな?

 かく言う僕も、最近あまり気に入った写真がないので、6年前のを貼り付けてありますが。

 あなたはどうですか?

 


お母さんは夕暮れの交差点で踊った

 

昨日のこと。

日が沈み、空が薄く群青色になり始めていた。

僕は永福町の駅を通り抜け、井の頭通りを西から東へ自転車で走っていた。

通りの向こう側に行きたいので、信号のある交差点で停まる。

 

すると思わぬ光景に出会った。

 

向こう側に女性がふたりいる。

ひとりは小学5年生~6年生くらいの女の子。

もう一人はそのお母さんと思しき女性。

信号待ちの間、ふたりは何やら仲良くふざけ合っている。

 

お母さんはちょっとお道化て体をスイングさせながら、リズミカルに脚をサイドに蹴り出して見せる。

それを見て娘はキャッキャと嬉しそうに身をくねらせている。

 

どうやら彼女はクラシックバレエの素養があるようだ。

表現のために鍛え上げた筋肉はさりげにすごく、通りを挟んだこちら側からでも、体の輪郭がくっきりと浮かび上がって見える。

 

僕はぼんやり見とれながら、あの二人は本当に母娘か? 

あるいは叔母と姪か?

さすがに姉妹ではないだろう。

齢の離れた友達と言うのもあり得るかな・・・など、いろいろ考えていたが、そのうち信号が変わり、ぼくは北から南へ、二人連れはこれまた楽しそうに小躍りしながら南から北へ渡った。

 

すれ違って僕は、お母さんらしき女性はダンサーなのかも知れないと考えた。

でも暮らし向きは良くない。

もしかしたら彼女の夫はろくでもない男で、愛想をつかして離婚して娘と二人暮らしになってしまったのかも知れない。

 

お金がなくて娘を育てるためにスーパーマーケットンのレジ打ちやら、トイレ掃除やら、介護ヘルパーやら、宅配便の配達やら、いろんな仕事を掛け持ちしなくてはならないのかも知れない。

 

けれどそれでも彼女は踊るのをやめないだろう。

自分のために、娘のためにも。

 

ほんの一時かも知れないけど、彼女らは生きていることをとても楽しんでいて、僕に素敵な印象を与えてくれた。

 


西暦か元号か? 今年は昭和93年?

 

 

 原稿を書いていると、過去の出来事について、それが起こったの年を西暦で書くか、元号で書くか、迷うことがあります。

 大正時代から前は併記しないと自分自身がわからないし、読者もよくわからない人が多いでしょう。

 大正3年、明治24年、慶応元年をそれぞれ西暦に直せ、と言われてその場でぱっとわかる人はあまりいないと思います。

 

 やっかいなのが昭和で、これは過去でありながら、年寄りにとってはいまだ続いている現在なのでややこしい。

 うちの母親は昭和4年生まれですが、時々、自分の齢がわからなくなります。

 

 そんなとき、僕は「今年は昭和93年。だからお母さんは89だよ」と言ってます。

 母の頭の中では西暦はもちろんですが、平成という元号は、どこか他の国の歴史の数字のようです。

 

 僕の場合は、同じ年であっても昭和〇年と西暦〇年は随分イメージが違っています。

 だから特にルールを課されない場合は、ほとんど自分の感覚で書き分けます。(字数が許されるときは極力併記しますが)

 

 たとえばビートルズの来日公演はやっぱり1966年で、昭和41年ではない。

 同じくアポロ11号の月着陸は1969年で、昭和43年ではない。

 逆に平成天皇(当時皇太子)のご成婚は昭和34年で、1959年ではない。

 前・東京オリンピックは、1964年と昭和39年、両方ありかなぁ。

 

 昭和は40年代までは風味が農厚で、その時代の空気を数字で明瞭に表現してくれるのですが、50年代・60年代になると急に印象が薄くなる。

 

 昭和50年と言われても全然ピンと来ないのだけど、1975年と言われれば長髪でベルボトムの裾がボロボロになったジーパンはいた若者が、ギター鳴らしているシーンが即座に思い浮かびます。

 昭和55年も60年も、1980年とか85年とか言われないとイメージわかないなぁ。

 

 平成は1989年から始まってて、出だしがバブルで盛り上がっていた時代だったので、明るく楽しく軽やかなイメージが強い。

 

 だけど、そのあとすぐに経済が急降下しちゃって、そのせいか日本人もおかしくなっちゃって、1990年代には心理学やらプロファイリングみたいなものが流行ってくらーくなってしまい、それがずーっとダラダラ続いて、失われた10年やら20年やらが30年になって、結局、平成はまるごとロストジェネレーションになってしまうのではないかという危機感が漂います。

 

 その平成も残り1年あまり。

 2019年から始まる新しい元号はどんなもので、どんな空気を作るのだろう?

 


植物のいのちは人間・動物より高次元にある

 

 食育などでは肉も魚も野菜も、いのちをいただくのよと、子供に教えている。

 それは正論だけど、僕は動物のいのちと植物のいのちはちょっと違うものなのではないかと考える。

 

 僕は子供の頃、肉が食べられなかった。

 ハムやソーセージなどの加工肉はいいが、そのままの豚や牛や鶏の肉は全然ダメで口にできない。

 煮物や炒め物などに入っているといつも避けていた。

 

 当時の大人はまだ肉食文化のアメリカに負けたという敗戦コンプレックスが強烈に残っていて、こっちも肉を食ってリベンジしたいという思いが潜在的にあった。

 そこに肉を食べない豆腐小僧みたいな男児がいると、あからさまに腹を立てた。

 別居うなんかできなくたって、ガツガツ肉を食う元気な男児がよしとされたのだ。

 というわけで毎日、給食の時間は絶望的な気分になっていた。

 

 一方、家では母親が、僕が肉を食えないことに対して「連想するんでしょ」と言っていた。つまり肉片から牛や豚や鶏のまんまの姿を思い描いてしまい、それで食えないというのだ。

 

 その時はそんなことはないよと思っていたけど、今考えると母は正しかったのかも知れない。

 哺乳類でも鳥類でも、肉を食べるということは、同族とか仲間とは言わないまでも、かなり自分に近い存在を殺して食べるということ。

 人間のいのちと動物のいのちは、ほぼ同じレベルに属するのだ。

 なので食べるには抵抗感がある。

 もしかしたら抵抗感を感じるということが、人間と動物の違いであるとも言える。

 

 でも植物はちがう。

 人間や動物より下等なのではない。逆だ。

 植物のいのちはより上等、高次元にあるのではないか。

 

 天上と地上の間、神さま(的な存在)と動物の間にあると言えるかもしれない。

 あるいは地球という大地と、そこで活動するすべての動物との媒介者と言ってもいいかの知れない。

 

 植物は惜しげもなく「恵み」として自分の身を与え、生命活動の成果物を与える。

 だから人間も感謝しこそすれ、その恵みを受け取ることに抵抗は感じない。

 草食動物はもとより、それを食べる肉食動物も、そして人間も、食物連鎖の基盤であり、神さまにより近いいのちを持つ植物に生かされているのかも知れない。

 


とん平流「こうすればうまくいく」

 

  どんな人でもお葬式になると「いい人でした」「立派な人でした」で、きれいにまとめられてしまうのだけど、さすが先日の左とん平さんのお別れ会は違っていた。

 

 発起人代表の里見浩太朗さんは、お別れの言葉(弔辞)として、祭壇にデン!と据えられた190インチの大画面に映し出された遺影に向かって思い出を語りかけた。

 

 とん平さんと里見さんはゴルフ友達で、一緒にゴルフに出かけるとき、里見さんはとん平さんの家に朝、迎えに行くことがちょくちょくあったという。

 ところがある朝迎えに行くと、昨日麻雀をしに出掛けたきり帰って来てないという。

 その足で麻雀屋へ行くと、とん平さんはまだ麻雀を打っていて「よぉ浩ちゃん、ちょっと待ってて」なんて言う。

 

 「とんちゃん、ゴルフに行くのになんで朝の8時に麻雀屋にいるんだよ」

 と語り掛けると、会場が思わず笑いでほころんだ。

 

 喜劇役者だと、こんなエピソードも輝かしい勲章だ。

 参列者にとっても、在りし日のとん平さんの人柄が、ひとしお心に沁みる。

 

 これだけで終わらず、里見さんはこのエピソードに、しみじみと感慨を込めてこう付け加えた。

 

 「でもそんなときに限って、とんちゃん、すごくスコアがいいんだよねぇ」

 

 とん平さんのゴルフ好き・麻雀好きは有名だったようだ。

 どっちも全力でやっていたのだろう。

 好きなことをダブルでやっていると、ツボが刺激され、相乗効果が起こるらしい。

 徹マンで寝不足だの何だのなんて関係ない。

 集中力がアップし、運も手伝って自己ベストに近いパフォーマンスが生まれる。

 

 仕事でもそうだ。

 好きなことに没頭して気分が乗れば、常識的なマニュアルに則ったやり方よりも何倍も高いパフォーマンスができる。

 

 人間はひとりひとり違うツボをもっている。

 ロボットじゃないのだから、世にはびこる「こうすればうまくいく」式のマニュアルから出てくる能力はごくささやかなものだ。

 

 個々の人間は神秘に溢れた面白い存在である。

 それを無視して一般的な公式、他人の作ったマニュアルに囚われていると、本当の自分の力は発揮できない。

 

 とん平さんと里見さんの最後の対話はそんなことを考えさせられた。

 


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2018年の4月も「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を読んだ。

 

 

 4月になると僕は本棚から村上春樹の「カンガルー日和」という本を取り出して、その中の2つ目に収録されている短編賞小説「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を読む。

 ほんの15分もあれば読み切れる短い話だ。

 そして次の15分、これはいったいどういう話なのだろう?と、ぼんやりと問いかけてみる。

 答はいつの少しずつ違っているけど、今年はこんなふうに考えた。

 

 僕たちは自分にとって何が大切なのか、本当はとっくの昔に知っている。

 それはごく若い頃、もうほとんど子供と言ってもいいくらいの時にわかっている。

 ところがいつしか、「ちがうだろ」と心のどこかでもう一人の自分がささやくのだ。

 その声は年を追うごとに大きくなってくる。

 やがて「ちがうだろ」だけじゃなく、「おまえ、それじゃダメだ」と言うようになる。

 もう一人の自分というのは、顔のない大人の言うことを聞く自分だ。

 

 顔のない大人は、子供や若い連中を教え導かなきゃいけないという責任感と慈愛に満ち溢れている。信奉するのは知識と経験だ。

 それがなくては生きちゃいけない。もっと勉強しろ。もっと知識を仕入れろ。あれも覚えろ。これも覚えろと、ズカズカ僕たちの胸の中に上がり込んで親切な指導をする。

 

 そうすると僕たちは信じられなくなるのだ。

 自分がとっくの昔に本当に大切なものを見つけてしまったことを。

 そんな大切なものを、知識も経験もない、そんなほとんど子供みたいなやつに見つけられるはずがない。

 自分は何か大きなカン違いをしているんだ。

 そんなカン違いしたままでいると、人生取り返しのつかないことにななってしまうんじゃないかと。

 

 やがてもう一人の自分は、教え導いてくれたのと同じ顔のない大人になって、苦労して勉強しようよとか、我慢して仕事しようよとか、損せず得して賢く生きようよとか、まっとうでやさしう言葉を使って僕たちを励ます。

 

 そうするともう、大切なものを見つけた記憶なんてすっからかんになってしまい、あの人は得しているのに自分は損している。不公平だ。損するのはいやだ。得しなきゃ、得しなきゃ・・・って、そういうことで死ぬまで頭がいっぱいになってしまうのだ。

  

 この小さな物語は「悲しい話だと思いませんか」というセリフで終わるのだけど、僕たちはもうすでにそれが悲しいとさえ感じなくなっている。

 

 ということも、やっとこの2018年になって考えられるようになったのだけれども。

 


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昭和の喜劇は終わっちゃった

 

 鎌倉新書の取材で、2月に亡くなった左とん平さんのお別れ会に行きました。

 なんでも10年近く前のテレビ番組で

 「オレの葬式はド派手にしたい。弔問客はエキストラを呼んで5千人、霊柩車はキャデラックで・・・」なんて遺書を読み上げたそうで。

 

 長らく「さがみ典礼」という大手葬儀社のCMに出演していたので、その厚意もあり、豪華な祭壇、生前の活躍ぶりを表すパネルやタペストリー、そして遺影は190インチの巨大モニターなど、すべてにおいて豪華絢爛。

 まさしく映画・テレビ・舞台をまたにかけて活躍した大スターでした。

 

 参列者も芸能界・スポーツ界のそうそうたる顔ぶれが。

 僕が子供の頃、テレビで笑わせてもらっていた人たちが大勢いました。

 囲み取材に応じた堺正章さんの「昭和の喜劇は終わっちゃった」という一言が妙に心に残りました。

 そういえば「平成の喜劇」って言われても何だかピンとこない。

 喜劇はやっぱり昭和だなぁ。

 


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19年ぶりのパスポート申請

 

 パスポートを申請することになりました。

 前回申請したのは、なんと1999年!

 ノストラダムスの予言の年。

 今は遠き20世紀のことでした。

 2009年に失効しているので、9年ぶりにパスポートを持つことになります。

 結局このパスポートは2回しか使いませんでした。

 

 明日は取材の帰りに書類を出しに行くだけなんだけど、これだけ久々だとちょっとしたイベント感があります。

 

 何かの本で、人生いつなん時チャンスが巡ってくるかわからない。

 突然3日後に海外に出ることになった時、お金やモノは誰かに借りられても、パスポートがないとどうにもならない。みすみすチャンスを棒に振ることになる。こんな惨めで悔しいことはない

 ――といった教訓が、事例とともに紹介されていたのを読んだことがあります。

 

 幸か不幸か、僕の場合、この9年間はそれに該当することがなかったけど、これからは切らさずに所持していこうと思います。

 


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1サクラ、2タカ、3バナナで新年度の初夢

 

陽気も良くてお花見日和。

近所の和田堀公園に、カミさんと赤飯ランチのお花見に出かけました。

大宮八幡宮付近はもうかなり散っていて、桜吹雪も今日が最後という感じ。

 

お花見の後、先日、周辺でオオタカ発見のニュースを読んだのを思い出し、確認してみようと、善福寺川沿いを五日市街道に向かって歩いていくと、熟年カメラマンたちの姿が。

 

「オオタカですか?」とずけずけと訊いて、ホンマにいるんかいなと見上げると、発見!

杉の木の高い枝に白いお腹をしたオオタカの雄姿。

 

いつ頃からこの辺に来ているのかは定かではありませんが、カメラマンさんたちの話によると、どうやら子育てもしているようです。

 

タカが暮らせるということは、ごはんにする獲物がいるということ。

なんといってもかつて地球を支配した恐竜族の末裔のモーキンです。

 

この公園は都心近くにありながら野鳥の集会所みたくなっており、それらを狩るのだろうと思われますが、一説によると主食としているのは、群を抜いて数の多いハトらしい。

善福寺川のカモなどのヒナも狙われそうです。

 

夜は活動しないだろうから地上のネズミを獲ることはなさそうですが、子ネコやフェレット、小型犬などはだいじょうぶなのだろうか?

タイマン張ったら叶わないだろうけど、数で圧倒しているカラスとの縄張り争いも気になるところ。

 

でもこんな身近なところにタカがいるなんて、ちょっと感動的です。

 

夕方、家に帰って小腹がすいたのでバナナを1本食べたら、ここのところの睡眠不足がたたって2時間近くZZZ。

夢をいっぱい見て、それぞれ内容は憶えていないけど、どれも面白かったイメージが残って良い気分に。

本日から新年度。縁起のいい初夢として楽しみました。

 


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中年期以降の同窓会幹事の心のゆらぎ

 

 4月の同窓会まで1ヶ月を切り、ほぼ連絡が行きわたったようなので、手伝ってくれてる二人にメールを送って情報をとりまとめる。

 直前まで出欠変更は可能だけど、とりあえず人数を店に知らせておく必要があるので。

 

 この仕事、20代の頃は単なる飲み会の連絡係・会計係に過ぎなかったのだが、齢を経ると様相が変わる。

 

 飛び級で早々に人生を卒業してしまったのも二人ほどいる。

 

 それぞれの生活環境などわからないし、家族のこと・仕事のこと・お金のこと・健康のこと、ぞれいろいろ問題抱えているだろうし、長く生きているといろんなことが起こる。

 

 40年前と寸分たがわぬキャラ丸出しのメールが来て笑っちゃうこともあれば、できれば聞きたくなかったこと(相手も話したくなかったこと)を聞くことにもなる。

 

 名簿を見ながら、だれだれ出席、だれだれ欠席と、漢字4~5文字の本名を書いていると、これ誰だっけ?と認識できなくなるケースもチラホラ出てくる。

 特に女子は名字が変わっていることが多いので、なおのこと。

 

 そこでそれぞれ当時の愛称・通称・あだ名などで書き換えてみると、たちまち顔が思い浮かび、声が聞こえてきて、キャラクターが立ち上がる。

 身振り。口振り・服装・背景・いろんなシチュエーションまで再現できたりする。

 

 そうやって名前を書き出すと、今回は欠席でも次回また声を掛けようという気になる。

 

 でも連絡先がわからない・つながらないのもいる。

 また、もう連絡なんかいらないと思っているのもいるだろう。

 しかたないことだけど、幹事なんかやっていると、ここまできちゃうと、そういう人たちとはもう完全に切れちゃうだろうなと思う。

 切っちゃう権限が自分にあるのかなとも考える。

 

 もしかしたら以前は同窓会なんてどうでもいいと思っていたけど、今になってみると行ってみたいな、連絡があればなぁ、声掛からないかなぁ・・・と待っていることだってあるかも知れない。

 

 「あいつがお願いって声掛けてきたから、しかたないので来てやったよ」

 ――今ならそういうやつがいてもOKと笑えるだろうなぁ。

 

 こんなよけいなこと考えずに、クールに事務的にさっさと進めればいいのに、なんかいろいろ引っ掛かっちゃうんだよなぁ。

 


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楽しさ・学び・癒し満載の八王子・磯沼牧場

 

 東京にこんな素晴らしい牧場があったのか!

 噂には聞いていたけど、なかなかタイミングが合わずに来そびれていた磯沼牧場(磯沼ミルクファーム)に25日・日曜日、初めて来場。

 

 多摩八王子江戸東京野菜研究会とのコラボイベントで、牧場特製のチーズとベーコン、ソーセージ、野菜てんこ盛りのピッツァ作りです。

 

 牧場主・磯沼さん手づくりの溶岩石窯で焼いたピッツァはおいしくてボリューム満点。

 

 ランチの後は乳しぼり体験、牧場ツアー(放牧場もある)、磯沼さん×福島さん(多摩八王子江戸東京野菜研究会代表)の都市農業トークと続き、あえて取材の必要なしというところまで堪能しました。

 

 場所は京王線・山田駅から徒歩10分弱。

 新宿から1時間足らずで来れるし、横浜からも近い。

 わざわざ北海道などへ行かなくても、たっぷり牧場体験ができます。

 それも観光牧場でなく、リアルな生活と結びついている生産牧場で。

 

 環境問題、動物福祉問題への取り組みなど、牧場経営のコンセプトを通じて、さりげにいろいろ勉強でき、新しいライフスタイル、これからの哲学を考えるきっかけにもなると思います。

 

 乳しぼりをはじめ、毎週のように何らかのイベントが開かれ、牛さんをはじめ動物たちに触れあえます。

 いつでもオープンなので、ぶらっと覗きに来るだけでもいい。

 

 子供たちには超おすすめ。お年寄りにも楽しい。

 ちょっと凹んでいる人、メンタルを病んでいる人も心のケアができるのではないかな。

 直売所もあって、おいしいアイスクリームやプリンやヨーグルトも食べられますよ。

 興味のある人はホームページやフェイスブックもあるので検索してみてください。

 


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ぼくらはにおいでできている

 

 下の妹が飼っているチワワのハナちゃんとは、たぶん2年ぶりくらいのご対面。

 前に会ったのはチビ犬の頃だったけど、ちょっとの間、くんくん嗅ぎ回って「あ、知ってる知ってる」と思ったのか、尻尾をフリフリしてくれた。

 抱き上げても安心安心。僕のにおいを憶えていてくれてありがとう。

 

 人間の子どももいろいろ情報を詰め込まれる前は嗅覚がするどい。

 一度嗅いだにおいは絶対忘れない。

 自分自身のことを考えてみると、視覚や聴覚では憶えていなくても、においというか空気感で憶えていることがいっぱいある。

 親はもちろんだけど、周りにいる大人たちはそれぞれ独特のにおいを持っていたような気がする。

 

 におうと言うと何だか臭くて嫌われそうな気がするが、完全ににおいを消し去ると、その人は透明人間になって、見えていても誰にも気づかない存在になる。

 忍者やスパイになるならいいかも知れない。

 

 大人になると鼻が利かなくなって、というか、においを感じる脳の部分が鈍くなって、刺激の強いものしかキャッチできなくなるようだ。

 なので少しは意識してにおいを嗅ぐ練習をしたほうがいいのかもしれない。

 

 基本はやっぱり食事。

 テレビやスマホを見ながらめしを食わないこと。

 

 そして手料理を楽しむこと。

 最近はそんなものより出来合いの料理の方がよっぽどうまいと言う人も多いけど、手料理にはその家・その人独自のにおい・風味がついている。

 それを知っているのと知らないのとでは随分ちがうんじゃないかな。

 

 自分が自分である基礎とか土台みたいなものは、そういう些細な目に見えないもので出来ているのではないかと思う。

 そうだよね、ハナちゃん。

 


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かわいい叔母さん

 

 父も母も昭和ヒトケタ生まれ。貧乏人の子沢山でそれぞれ8人兄弟だ。

 ぼくが生まれる前に死んでしまった人を除き、そのきょうだい、および、その伴侶の全部はしっかり顔や言動を憶えている。

 僕が子供の頃は行き来が盛んだったので、みんなインプットしている。

 

 しかし、9年前に父が亡くなったのをきっかけに、毎年バタバタと後を追うように亡くなり、大半がいなくなった。

 今年もまたひとり、先日、ヨリコ叔母さんが亡くなったと聞いた。

 

 母方は女系家族で8人のうち、7番目までが女で末っ子だけが男。

 ヨリコ叔母さんは7番目。つまり7姉妹のいちばん下の妹だ。

 

 幼稚園の時だったと思うが、結婚式に出た記憶がある。

 きれいなお嫁さんで、チビだったぼくを可愛がってくれた。

 そのチビの目から見ても、なんだかとてもかわいい人だった。

 

 6人も姉がいて、4番目の母(母は双子の妹)とさえ12歳違う。

 いちばん上のお姉さんとは16歳以上違うはずだ。

 なのでほとんどは姉というよりチーママみたいなものだ。

 母もよく子守をしたというし、日替わりでみんなが面倒を見てくれていたようだ。

 

 母の家はお父さん(僕の母方の祖父)が早く亡くなったので、女が協力して貧乏暮らしからぬけ出そうとがんばってきた。

 でもヨリコ叔母さんは小さかったので、そうした苦労が身に沁みず、物心ついたのは、お母さんやお姉さんたちのがんばりのおかげで暮らし向きも上がってきた頃だった。

 そうした中で一家のアイドルとして可愛がられて育った。

 

 そうした成育歴はくっきり刻まれ、そのせいで彼女は、ほかの姉妹らの下町の母ちゃん風の雰囲気とは違う、お嬢さん風の雰囲気を持っていた。

 だから、おとなになってもどことなくかわいいし、ちょっと天然も入っていた。

 

 最後に会ったのは父の葬儀の時。

 さすがに外見はそろそろばあちゃんっぽくなっていたが、中身はほとんど変わっておらず、ぼくをつかまえて

 「せいちゃん、大きくなったねー」と言った。

 

 50間近の男に向かって大きくなったねーはないもんだけど、そう笑顔で屈託なく声を掛けられるとすごく和んでしまった。

 その時の会話が最後の印象として残ることになった。

 

 叔母とはいえ、中学生以降はめったに会うこともなかったので、彼女がどんな人生を送っていたのはわからない。

 

 もちろん少しは苦労もあったと思うけど、べつだんお金持ちではないにせよ旦那さんは真面目で優しくユーモアもある人だったし、特に悪い話も聞かなかった。

 嬉しそうに小さい孫娘の面倒を見ていたのも印象的だった。

 

 たぶん美化しているし、これは僕の勝手な想像であり願いだけど、おそらくそれなりに幸せに過ごしてきたのだろう。

 

 不幸な目に遭ったり、理不尽な苦労を強いられたり、他人にあくどく利用されたり、自分の欲に振り回されたり・・・

 人生の中のそんな巡りあわせで、人間は簡単に歪んでしまう。

 

 でも、できるだけそうしたものに心を損なわれないで、ヨリコ叔母さんのようにかわいい人にはいくつになっても、ずっと素直にかわいくいてほしいなぁと願ってやまない。

 


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里山を事業化するナチュラルボーン・サトヤマー

 

 今回の名古屋(愛知)ツアーでは、里山の概念を農業と組み合わせ、インターネットを利用して事業化するプロジェクトを掲げる人を取材しました。

 

 彼は2002年生まれ。16歳の高校生。

 田園地帯で植物や昆虫に親しみ、かたやインターネットに親しみながら育った彼は、資本主義発展拡大病の時代に育ったぼくたちの世代とはまったく違うセンスを生まれながらに持っているようです。

 

 「里山」という概念が今、世の中に浸透しつつあります。

 里山はごく簡単に言うと、自然環境と人間の生活圏の交流地帯。そのベストバランスを保つ、あるいは破壊したものを再生するという考え方を表現する言葉でもあります。

 

 人間が生活できなくてはならないので、当然そこには経済活動も含まれるし、伝統工芸・伝統芸能といった文化芸術や民俗学系の学問も含まれるのではないかと思います。

 「人間が手を入れた自然」と言い換えることもできるでしょう。

 

 また、それらを包括する懐かしいとか、愛おしいとかいった心象風景もその概念の中に入ってくるでしょう。

 人間のあり方・生き方を問い直す哲学も含まれているのかも知れません。

 

 日本独自のものかと思っていたら、他国にも通用し、国際的にも理解が進んでいる概念で、よく言われる「持続可能」な社会にSATOYAMAは不可欠とされているようです。

 

 そういう意味では、過去200年、世界を席巻し、地球を支配してきた工業化・資本主義化の流れに対するカウンターとも言えます。

 

 高校生の彼には野外でのインタビューを考えていましたが、あいにくの雨のためはやむを得ず、岡崎市内の「コメダ珈琲店」で敢行。コーヒーと、コメダ名物「シロノワール」を食べながらの取材になりました。

 

 彼は子供のころから自由研究などを通じて里山について学び、中学生のころから戦略的にプロジェクト化を画策。近所の農家の人たちなどはもとより、自分で電話やメールで東大・京大などの教授・学者に頼み込み、取材に出かけたといいます。

 

 現在はいわばサークル的なノリで同級生やネット上の仲間が集まり、大人の支援者もいますが、まだ実務のできるスタッフがいない状況。

 コンセプトは決まっているので、まずネットを通じての「ブランド化」に力を注いでいきたいとのことでした。

 

 僕としてはこうしたことを本気で考え、事業化に取り組んでいる若僧がいるというだけで十分心を動かされました。

 

 彼のことは来月、「マイナビ農業」でUPしますが、興味のある方は「里山農業プロジェクト」で検索してみてください。

 


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ひるねして夢の記憶を情報発信

 

 齢を取ってくると昼寝が楽しみの一つになります。

 以前は時間がもったいないなぁと思っていましたが、たとえ僅かな時間でも体を横にして休むと、もう調子が段違い平行棒。

 その後の仕事の効率、クオリティを考えたら寝るに限る、休むに限る。

 

 しかし、会社のオフィスではなかなかこうはいかないでしょう。

 こういう時は自宅でやっているフリーランスで本当によかった~と思います。

 

 ただちょっと困るのが夢を見ちゃったとき。

 いや、夢を見るのはこれまた楽しいのですが、その夢の記憶が現実のものとごっちゃになることがあるのです。

 

 この間、通っていた学校を探そうと現地に行ってみると、迷宮に迷い込んだように、いくら歩き回っても見つからない。

 それで思い出したのが「移転した」という情報を耳にしたこと。

 それで、ああ、移転したんだっけと思い込んでしまったのです。

 

 ところが、あとでネットで調べてみると、改装はしているものの、ちゃんと同じ住所に存在しているではないか!

 確かに聞いていた移転情報。あれはいったい・・・

 と考えてみると、それはいつかの夢の記憶だったのです。

 

 あちゃ~、いよいよボケが始まったぁ。

 夢と現実がひとつながりになった次元へ、とうとう足を踏み入れてしまったのかも知れません。

 でもまぁいいや、気持ちよく昼寝できれば。

 

 というわけで、今後、僕の発信する情報が現実の出来事なのか、夢の中の記憶なのかは、読んでいるあなたの判断におまかせします。

 

 ではお休みなさい。ZZZ。

 


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現実世界が「AKIRA」の近未来世界を追い越すとき

 

 渋谷パルコの建て替え工事現場の囲いに大友克洋のマンガ「AKIRA」が描かれている。

 この大きさだとすごい迫力。そして、内側の解体されたビルの風景が、「AKIRA」の世界観と符合して、リアルで巨大なアートになっている。

 人通りの多い公園通りだけにアピール度は抜群だ。

 

 最近あまり渋谷に行かないので知らなかったけど、このアートワークが搭乗したのはすでに昨年(2017年)5月半ばのこと。ネットでいろいろ話題になっていたらしい。

 

 というのも「AKIRA」の舞台は2019年の「ネオ東京」。翌2020年にはそのものずばり「東京オリンピック」が開催される予定・・・という設定。

 その中で抑圧された若者たちをい中心に超能力バトルが繰り広げられ、ネオ東京が崩壊していくというストーリー展開なのだ。

 

 というわけで「AKIRA」をパネルにしたパルコはオリンピック開催に異議を申し立てているのではないかという憶測が飛び交ったが、当のパルコ側は、さすがにそれは否定したという。

 

 僕が思うに、おそらく渋谷の街の再生劇のメタファーとして、かのマンガを用いたのだろう。それも「西武・パルコの渋谷」の。

 

 「AKIRA」が連載され、映画化され、一種の社会現象にまでなったのは1980年代のバブル上り坂の頃で、パルコの黄金時代、西武・セゾングループカルチャーの最盛期とぴったり重なる。

 

 一時は東急グループと渋谷の覇権を二分していた西武・セゾンにとって、昨今の東急の圧倒的な大改造計画に一矢でも報いたいという思いで、「AKIRA」を持ち出してきたのではないかと思われる。

 

 あの頃は経済の繁栄と裏腹に「近未来」「世紀末」という言葉が跳梁跋扈した。

 「AKIRA」はその象徴と言える作品だった。

 

 この繁栄・この豊かさはインチキなのではないか、まがいものではないのか。

 そんな違和感が当時の若者たちの心の中にトゲのように突き刺さっていた。

 そんな違和感によって支えられ、膨れ上がった「AKIRA」のような作品世界が、好景気で沸き返る、どこかうそくさい日常世界とのバランスを取っていたのかも知れない。

 

 その状況は終わったわけでなく、実はもう30年以上も続いている。

 だからなのか、現代の渋谷に「AKIRA」が出現することに時代遅れ感どころか、ベストマッチ感さえ感じてしまう。

 

 「世紀末」が過ぎても、東京の街は崩壊していない。

 終わりのない日常がダラダラと続き、僕たちはズルズルと前の時代の太い尻尾を引きずりながら、時には波に呑まれて漂流しながら前に進もうとしている。

 もうすぐ現実世界が「AKIRA」の近未来世界を追い越していく。

 


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ミケランジェロ的冒険:誰もが自分の中に人生でしたいこと・すべきことを持っている

 

 ミケランジェロは石の中にダビデの像を見出し、解放したと言われています。

 そのダビデ象という「ヴィジョン」は最初から彼の中に存在していた。

 そして石と向き合うことでそれを見ることが出来た。

 芸術家として自分が何をするべきか分かった。あとは手を動かすだけ。

 

 これは芸術家に限らず、誰にでも起こりうることなのだと思います。

 

 誰もが自分が人生の中でしたいこと・すべきことはちゃんと持っていて、本能的に認知している。それは人生のいたるところで、日常生活のあちこちで顔をのぞかせる。

 

 けれども僕らはそれを取るに足らないこと、おかしなエゴが作り出す妄想だとして処理してしまう。

 この忙しいのに、そんなことに関わっているヒマはない、と。

 だから何となく分かっているのにそれははっきり見えない。

 そして見えたとしてもそれを実行しようとはしない。

 

 なぜならほとんどの場合、それは社会的必要性が認められない、人々が求めていることに応えられない、早い話、そんなことをしたって「食えない」。

 そういう事情があるからでしょう。

 なので、ますますその内在するものを見ようとしない。

 見るのを怖れ、目をそらしてしまうし、もちろんやろうとしない。

 その結果、不満だらけの人生が世の中に蔓延することになります。

 

 これはきっと人生の途上で、立ち止まって考えてみるべき課題なのだと思います。

 ミケランジェロのダビデのように、芸術家じゃなくてもあなたにはあなたが創るべきもの、やるべきことがある。

 そう静かに思いを巡らせると、「あれがそうだ」と人生のどこかで見たサインを再発見できるかも知れない。

 深い海の底から、ぽっかりと浮かび上がってくるかも知れない。

 

  あなたの中に何があるのか、することは何か、まず見つけ出す冒険。

  そして、それをやり始める冒険。

 


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孤独な老人は本当に可哀そうな存在か?

 

 一人暮らしの高齢者というと、最近はすぐに「孤独死」が連想され、何やらくら~いイメージがつきまとう。

 そうでなければ、家族がなく、身寄りがなく、孤独で可哀そうとか、同情される。

 いずれにしてもネガティブなイメージであることに変わりない。

 

 でも本当にそうなのだろうか?

 彼らはけっこう孤独を楽しんでいるのではないか。

 本当にいっしょにいたいと思う家族ならいいけど、ただ同じ屋根の下にいるだけ、同じ空気を吸っているだけの家族なんて鬱陶しいと思ったりしていないのだろうか?

 

 血が繋がっていたって形だけの家族はいっぱいいる。

 財産などをあてにしてすり寄ってくる家族や親族なんかに、あれこれ気を遣ってもらったって不愉快なだけ。

 

 メディアの「家族は素晴らしい」「家族がいないと気の毒だ」といった大合唱もなんだか胡散臭いね。

 

 それよりも最期まで一人でやっていく、という気概のある生き方をを見せるほうがいい。

 あるいは、血縁にこだわらない、常識にとらわれない、損得勘定抜きの、心の深いところで繋がり合える人たちとの暮らし。

 齢を取ったからこそ、そうした自由や愛情に満ちたものを優先できるという面もある。

 

 幸いにも、そうした人たちをサポートするセーフティネットはあちこちにでき始めているようだ。

 

 「家族の絆」という美名のもとに隠した損得勘定や惰性的な繋がりよりも、自分の意思に基づいて生き、死ぬ「個の尊厳」を優先する時代がすぐそこまで来ている。

 


のりしろ時間

 

 元来、コアラとかナマケモノ体質で、自分のペースで動けないと調子悪くなっちゃうので、効率悪いことこの上なし。

 ヘタにビジネス書など読んで勉強して、時間を有効活用しようなんて意識すると、なんだかイライラしてきて、自分が今何をやっているんだか分からなくなってきます。

 

 とは言え、仕事をする以上、そんなこともいっていられない。

 相手のペースに合わせなきゃいけない場合もある。

 そんな時、最近、心がけているのが「時間ののりしろ」を作ることです。

 

 自分のペースでOKの時間帯と、相手に合わせる必要のある時間帯。

 この2種類のカテゴリーの時間帯が、ポンとカットで繋がると脳の切り替えがうまくできない場合があり、気持ちの負担も大きいので疲れます。

 やっぱリカットつなぎでなく、オーバーラップさせたほうがショックが和らげられる。

 

 なので、相手に合わせる時間帯に入るときは脳が自然に準備できるよう、「のりしろ時間」を作るようにしています。

 

 具体的に言うと、打ち合わせ、取材などの時は約束の時間より30分早く行って、その現場周辺の空気を吸っておくようにするのです。

 そうするとリラックスして、少しはその環境に入り込みやすくなります。

 つまり100%アウェイの空気でなく、10~20%くらいはホームの空気をまぜるようにする。

 するとある程度リラックスして、よりよいパフォーマンスが期待できます。

 

 昨日は思いのほか早く着いたので、待ち時間に近所の神社で、ぼやーっと木などを眺めて、ああ鳥の巣がある、何の鳥だろう。まだ作っている最中かなぁ・・・と思ったり、ネコの家族が来て日向で遊び出したりするのを見ていました。

 

 仕事の役に立つだけじゃなく、ちょっとおまけみたいなものを拾ってトクした気分になります。 もしかしたらそんなどうでもいいことが、あなたの人生を救ったりするかもしれません。

 スケジュールぱんぱんにして毎日アクセクしちゃうと、ほんと疲れますから。

 


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ラストドライブ日本版 出発

 

 わたしを思い出の場所に連れてって――

 そんな末期患者の願いをかなえるのが「ラストドライブ」。

 この数年、ヨーロッパで静かに広がってきた、いわゆる終活支援です。

 

 昨年夏、ドイツでの事例を取材したドキュメンタリー番組がNHK-BSで放送されました。たまたまそれを見て感想をブログに書いたら、その時だけアクセス数が5倍くらいに跳ね上がってびっくりしました。けっこう関心の高い人が多いようです。

 

 じつは今年から日本でもこれと同様の終活支援サービスが始まりつつあります。

 さいたま市の「タウ」という会社がCSR(社会貢献事業)として始めた「願いの車」がそれ。余命少なく、一人では外出困難な患者を希望の場所に無料送迎するというものです。

 

 タウは事故車の買い取り・販売を手掛ける会社で、社長がかの番組に心を揺すられ、「自分たちも車を扱う仕事をしているので」と、立ち上げました。

 当面は近隣の病院やホスピスに声をかけて説明し、希望者を募るというやり方で進めていくそうです。

 

  あらかじめ民間救急会社と提携しており、車両は酸素ボンベ、吸引機、自動体外式

 除細動機(AED)などを装備した民間救急車を使用。外出には看護師やボランティ

アが同行。ただし外出は日帰りのみ。

 主治医の了承と、家族の同意を得た上で送迎です。

  

 僕は「月刊仏事」の記事を書くために電話で広報の方と話したのですが、この事業に誇りを持ち、かといって気負うこともなく、たいへん美しい応対だったことにも心惹かれました。

 

 今後、提携先を県内の病院などに広げ、将来的には、活動に理解を示す企業からの協賛も。2019年には公益社団法人にして全国的活動を目指すそうです。

 

 これも高齢化社会・多死化社会における一つの文化になり得るでしょう。 これからの展開が楽しみです。

 


芸術がわかる人と思われたい

 

 昔のことなので、そのおじさんがなぜ訪ねてきたか忘れてしまったが、たぶんガスの定期点検かなんかだったのだろう。

 とにかくおじさんは、うちの玄関に飾ってあったとうもろこしの水墨画を見て言った。

 

 「あ、この絵、わたし知ってますよ。描いた人」

 「ほんと?ご存知なんですか?」

 「けっこう有名な人ですよね?」

 「お目が高い。かの福嶋青観の絵ですよ」

 「あ、そうそう。福嶋青観ね。おいくらぐらいしたんですか」

 「銀座の画廊でね、100万でした」

 「ああ、やっぱりね。それくらいしますよね。いや、いいもの見せてもらいました。

 それじゃ」

 (ト、おじさん、気分良くルンルン気分で帰っていく)

 

 以上の会話は実は架空のものです。

 実際の会話はどうだったかと再現すると・・・

 

 「あ、この絵、わたし知ってますよ。描いた人」

 「え、なんで?」

 「けっこう有名な人ですよね? 高いんでしょ、おいくらぐらい?」

 「いや・・・それはうちの家内の絵です」

 「え?」

 「以前、水墨画教室に通ってまして、そこで描いたものですが・・・」

 「あ・・・そうですか・・・どうも失礼しました」

 (ト、おじさん、恥ずかしそうに慌てて立ち去る)

 

 どうぜその場限りでしか会わない人だから、適当に話を合わせて気分よくさせてあげればよかったのに、気が回らんかった。

 つい正直なことを言って恥をかかせてしまった~と、いまだに後悔しています。

 

 衣食住が足り、生活が安定すると、多かれ少なかれ、人は誰でも芸術に心を寄せるようになる。

 自分は芸術に理解がある、よくわかっていると思いたい。

 そしてそれ以上に、人からそう見られたいと欲する。

 

 でも、世間で認められている絵ばかりが芸術じゃない。

 水墨画教室の生徒の絵だって、あなたが「これは素晴らしい。おいしそう」と心から感じたのなら、それはあなたにとって銀座の画廊の100万円の絵よりも価値の高い芸術なのです。

 


AirBnB:旅行者もホストも面白い、新しい旅スタイル

 

 

 うちの近所で「This is not AirBnB」という貼り紙を玄関に出している家を発見しました。

 ということは、この永福町界隈に、そことよく似た門構えの家がAirBnBをやっているので、しばしば間違われて旅行者が訪ねてくるということ?

 

 AirBnBというのは要するに「民泊」のことです。

 自分の家やアパートに旅行者を泊めるところで、数年前、話題になった時は、そんなに利用者がいるのだろうか?と訝りました。

 

 が、スマホの普及と比例して、あっという間に世界各地で増殖したようです。

 もちろんホテル・旅館、あるいは民宿などと比べて安いのが魅力ですが、増殖したのはそういった経済面の理由だけではありません。

 

 ホテル・旅館に泊まるのとは違った旅、その現地に踏み込み、生活感のある旅を楽しめるという醍醐味があるのです。

 

 昨年秋に京都へ行ったとき、僕もはじめて利用したのだけど、そこは新選組のもと屯所して有名な壬生寺の近く。

 

 華やかな中心部の観光地とは趣が異なり、生活感あふれる下町で、昭和レトロな店もたくさん並ぶ商店街の路地裏にありました。

 

 ホテルや旅館が建つような立地じゃないので、迷子にでもならない限り、普通の観光客が入り込むところではありません。

しかし、宿があれば楽しめるし、親近感がわきます。

 本当に普通のアパートの一室を貸し出していました。

 

 オーナー(ホスト)は40代のDさん。男性。

 ホスト側も最初はお金目的にやり出すのですが、国内外からいろんな人がやってくるので、そういう人たちと交流するうちに面白くなってはまってしまい、本格的な経営者になってしまう。、

 人気のある観光都市だとプロのホストになって何軒も抱えて経営している人も珍しくありません。ベテランの「スーパーホスト」なる人も登場しています。

 

 そのDさんも1年ほど前にそれまで勤めていた会社を辞めてAirBnB業に乗り出し、京都・大阪に物件を持っていて、日夜往復しています

 掃除もしなきゃいけないので大変だと思いますが、本人はすごく楽しそう。

 オリンピック開催を狙って、この1年くらいのうちに東京でもやりたんだ、と話していました。

 

 泊った旅行者はその宿泊体験についてレビューを書く。

 そのレビューを参考に、次の旅行者がそこを利用するかどうか選択する。

 双方向でつくっていく新しい、個性的な旅のスタイル。

 インターネットの効用をフルに生かしています。

 

 もちろん、ホテル・旅館業界は大反対で、この流れに圧力をかけてきますが、Dさんはそれさえも楽しんでいる風情でした。

 

 AirBnBを利用した旅、きっと面白いので一度、体験してみてください。

 


哲学するネコと瞑想書き

 

   ちょっと春めいた日差しがやってきたので、中野の哲学堂公園までサイクリング。

 そこで哲学するネコと出会う。

 ベンチの背もたれにちょこんと乗っかって、ウトウト居眠りしているのかと思ったら、目は細めているものの、ちゃんと起きている。 

 

 こういうフリーのネコと出会うと、僕はいつも果敢に対話を試みるのだが、ニャーとかミャーとか語り掛けても、まったくリアクションしてくれない。

 

 けれども拒否されたわけではない。

 20㎝くらいのところまで近づいて写真を撮っても、背中を撫でても、逃げ出すどころか微動だにしない。

 その背もたれの上にさりげなく、かつ堂々と“存在”しているのだ。

 まるで瞑想中の老師のようだ。さすが哲学堂。こんな大したネコがいるなんて。

 

 僕も何度かトライしたことがあるが、瞑想というのはうまくできない。

 部屋を暗くし、ヒーリング系の音楽を流し、お香などを炊いてみても、その行為に集中できない。

 なんだかこんなことをやっている自分は、自分じゃなく思えてきてしまうのだ。

 

 そこで見つけたのが「瞑想書き」。

 なるべく考えようとせず、頭に思い浮かぶ言葉・イメージを手書きでノートに書き留める。ただそれだけ。

 

 ちゃんとした文章になってなくていい。単語の羅列でも構わない。

 愚痴や泣き言や頭にきたことを書き散らしてもいい。

 「おまえバカじゃないの」とか「あなた賢いわ」とか、自分を分裂させてAとBの会話にしてもいい。

 

 ただひたすら意識の流れを「見える化」する。

 紙とペン(鉛筆)を見ていればいいので、集中力も保てる。

 瞑想効果があるので、瞑想書き。

 

 最初はうまくできないかも知れないけど、続けてやっていると、そのうち自然にスラスラ言葉が出てくるようになってきて、これがけっこう面白い。

 手を動かすことによって脳が開き、意識の奥から情報が湧き上がる。

 心の声を聴くような感覚をつかめるのだ。

 

 自分のものにできてきたなと思ったら、テーマや目的に沿って、仕事のアイディア出しの下書きに使ったり、ブログやSNSのメッセージの下書きに利用してもいい。

 もちろん、創作活動のウォーミングアップとしてもOK。

 

 たまにやるのではなく、できれば毎日やる。

 朝起きたばかりの、脳も空気もきれいな時間帯、あるいは夜眠る前の、おしりに何もやることが残っていない時間帯がベストです。

 興味があったら試してみてください。

 ネコの手は借りられないので、自分の手で書いてニャ。

 


自伝を書いて脚色する

 

 

 文章を書くことに興味があって、自己表現でも、ビジネスに生かせるものでもいいから腰を入れてやりたい。

 もしあなたがそう考える人なら、まず自伝を書いてみるといいでしょう。

 

 最近は終活ばやりで、エンディングを意識した人が大勢、自伝に挑戦していますが、ここでいう自伝の執筆は、自分だけの言葉・文体・文章を養うためのものです。

 

 だからむしろ若い人にやってほしいと思っています。

 

 なぜかと言うと、これから先、「要点をうまくまとめた文章」「美しく整った文章」など、企業や役所などの仕事で求められる「正解」の文章は、AI・ロボットに委ねられるからです。

 

 自社・自分の組織に関するデータ、こんな目的で作う、こんな感じ(パターン)の文章、みたいな条件を入れてAI・ロボットに頼めば、オートマティックにお望みのものが出来上がってくる――そういう世界になっていくと思います。

 

 だから文章を書きたい、表現したいという若い人は、「おれの文」「わたしの文」を出来るだけ早くから磨いて使えるようになったほうがいいと思うのです。

 

 そのために有効なのが自伝の執筆です。

 自分のことならネタに困らないので、トレーニングには最適です。

 

 僕・わたしの短い人生なんて書いたって面白くないよという人、ほんとうにそうでしょうか?

 自分のことも面白く書けないのなら、人に読ませて少しでも心を動かす文章――そういした価値ある文章なんて書けるはずがありません。

 

 だから一度や二度はトライしてみましょう。

 目を凝らして自分の中を見つめれば、きっと面白い要素が見つかります。

 

 一口に自伝と言っても、ただ履歴書みたいなもの、「〇〇へ行って〇〇を食べた」みたいな単なる記録みたいなことを書いていてはダメです。

 

 あくまで人に見せることを意識して、面白く、わかりやすく読めるように書く。

 (ただし、書いても実際に人に見せる必要はありません)

 

 そして事実をそのまま書くのではなく、ポイントになる部分だけでもいいから脚色する。

 ドラマチックにしてもいいし、コミカルにしてもいいし、詩的にしてもいい。

 記憶の中の事実に、自分なりの構成・アレンジを入れてが面白いと思う脚色をする。

 自己満足でいいのです。

 

 さらにできれば、フィクションがまじってもいいので、その自伝を小説にしたり、エッセイにしたり、舞台の戯曲、映画の脚本にしてみる。

 そうすると自分の文章の世界が広がります。

 

 そのままの自分を書くのは恥ずかしいと言うのなら、自分とは別人の、架空の人物に置き換えてもいい。

 そうすると周囲の人たちのキャラクターも変わってきて、より生き生きと動き出します。

 

 過去のエピソードなんて面白くない。将来おれは宇宙へ行くから、その時の話を想像して書いてみようと思う。

 そんなアイデアが出てきたら、しめたもの。

 

 要は自分をネタにして、書く楽しさを体感してほしいのです。

 自分の脳を掘り返す楽しさ、記憶を引っ張り出し、自由に使う楽しさを。

 

 本当に自分の人生はつまらなさ過ぎて書くことない。

 トライしてみてあなたがそう絶望したら、文章を書くのには向いてないので、さっさとやめて、別のことに時間とエネルギーを使って人生を楽しみましょう。

 

 それでも何らかの事情で、どうしても何か書かなきゃいけないんだ、という人は、僕が代筆して差し上げますので、お便りください。

 


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自分をリライトする

今までやってきたことを書き直す。

 リライトは今後の自分のテーマである。

 

 と思って、久しぶりにアジアンカンフージェネレーションの「リライト」を聴いた。

 とんでもない重量感と疾走感。

 こんなカッコいいロックに出会ったのはどんだけぶりだ~と、ぶっとんだのが、はや15年ほど前。

 

 アニメ「鋼の錬金術師」のラストクールのオープニング曲だったので、ハガレンのクオリティが10倍UPした。

 

 いま聴いてもレジェンドでなく、なつメロでもなく、現在進行形のリアル感満点で、ザラザラの音の塊がより深く胸をえぐってくる。

 

 リライトは形を成した文脈をもう一度掘り進めて、新しい価値と意味を見つけ出す作業。書いて休んで書いて休んで、また書き直す。

 

 個人的なことだけど、今の時代はみんな同じようなことをして、自分の生きてきた中から何かを掘り出そうとしているのではないだろうか。

 

 あなたは何回自分を書き直しますか?

 


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記憶のダストを書き集めると星が生まれる

 

 続けて思い出話を書いたので、ズシ、と心に重みを感じている。

 とらやの羊羹か、名古屋名物ういろうを手渡された時のような重さ。

 寂しさと、悲しみと、楽しさと、懐かしさが熟して詰まった重さだ。

 

 宇宙に浮遊していた記憶のダストを書き集めて塊にすると、自分の中の宇宙にポコッと小さな星が生まれたよう。

 

 フェレットを飼っていたAさんも、

 亡くなった白滝さんも、

 そんなに長く付き合ったわけでなく、とても親しかったわけでもないけど、

 「同じ時間を生きた」と実感した人。

 だから思い出して書いてみると、一つの「過去」が出来上がり、一つの「物語」になる。

 

 書くという行為はとても面白い。

 

 あなたも心のどこかに引っ掛かっているダストがあれば、書き集めてみるといい。

 その人の目、話し方、歩き方。

 その時の聞こえてきた声、音楽。

 その場所に流れていた風。

 それを塊にすれば、あなたの宇宙に星が生まれる。

 誰にも見せなくていい。

 その星はただあなたのために静かに輝く。

 


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子供の大学受験は「良い親検定」

 

私立大学の受験も終盤を迎えたようです。

今日もうちの近くのM大の正門前には、夕方、試験を終えて出てくるわが子を待つ親たちがたむろしていました。

 

子供のことを心配している。

なのだろうけど、じつは自分の心配。

子供の受験を自分の検定試験のように考えているはようで。

「親として私は合格なのだろうか?」と、気が気でない。

不安な気持ちはわかります。

 

でも、その合否を子供が受ける大学に決めてもらうのか?

子供がM大に合格すれば、自分も親として合格なのか?

それで「上がり」で、子育て卒業というわけか?

 

でも現代子育てすごろくには続編がある。

4年後には今度は就職(就社)がやってくる。

これまた一大イベントで、再び親としての検定試験が行われる。

今度は子供が入社試験を受ける〇〇社に

「私は親として合格でしょうか?」と問いかける。

 

「いやぁ、もちろんです。こんな立派な息子さん(娘さん)を育てたあなた、合格!」

とポン!とハンコを押してもらえば満足なのか?

 

ゾロゾロ門から出てくる受験生たち。

その中からわが子の姿を必死に探し出し、駆け寄る親たち。

 

中には子供に「来てほしくない」とはねつけられたけど、やっぱり来てしまって、

遠目からわが子の姿を追う人もいるようだ。

 

なんだか年々その数が増えている気がします。

よけいなお世話だろうけど、ちょっと考えさせられる風景なのです。

 


ピーターラビットの農的世界への回帰現象

 

●ピーターラビットの農的世界への回帰現象

 

イギリスの田舎、農村地帯、田園地帯は日本人にやたらと人気があります。

確かにとても美しいのだけど、外国の、西洋の田舎ならフランスでもドイツでもイタリアでもスペインでもいいではないか。

なぜイギリスなのか?と考えると・・・今年のうちのカレンダーを見てハッとした。

 

ピーターラビットだ!

 

ピーターラビットこそ、イギリスの、洋風田舎の代表的イメージを形作っているのではないか。

さらには近代社会において農業・農村をポジティブなイメージに価値転換したのもピーターラビットなのではないか、と。

 

子供向けの絵本でありながら、大人にも、というか、むしろ大人に、特に女性に大人気のピーターラビット。

人気の秘密はあまりメルヘン過ぎない上品な絵と、よく読むと割ときわどいストーリーにあります。

 

なにせピーターラビットのお父さんは農夫マクレガーさんの畑を荒らして捕まり、パイだかシチューだかにされて食べられてしまったのですから。

ピーターも危うく同じ目にあいそうになります。

 

かと言って、作者はマクレガーさんを残酷な悪者扱いにすることなく、子供向けによけいな甘味料を加えることなく、それがごく自然な人間と動物の関係として、さらりと描いています。

 

子供だましでない、そのストーリーテリングの見事さと、リアリズムからちょっとだけズラした絵柄とのマッチングが、唯一無二の世界観を醸し出している。

 

そして、その世界観が、この物語の舞台である湖水地方、さらにその向こうにあるイギリスの田舎を一種の理想郷のイメージに繋がっているのではないかと思います。

 

僕はこの物語の舞台であり、作者のビアトリクス・ポターが暮らしたイギリスの湖水地方には何度も行きました。

 

最後に行ったのは20年ほど前ですが、その時すでに地元の英国人は日本人観光客の多さに驚き、「ポターはそんなに日本で人気があるのか?」と聞かれたことがあります。

その頃からピーター=ポターの人気は不動のようですね。

 

19世紀の産業革命の時代、ロンドンなどの都会に住んでいた富裕層が、工業化と人口の増加で環境が悪化した都会を離れ、別荘を構えたり移住したことで湖水地方は発展した・・・という趣旨の話を最近、聞きました。

 

それまでの田舎・農村は貧しさや汚さ、そしてその土地に人生が縛り付けられる、といった暗いイメージと結びついており、けっして好ましい場所ではなかった。

 

しかし、急速な工業化・非人間的で気ぜわしい労働・環境に嫌気のさした人々が、都市・工場とは対極にある農村・田園・農業に、自然とともに生きる人間らしさ、長閑さ、幸福感とぴった高い価値を見い出したのです。

 

ポターの描いたピーターラビットの世界はその象徴と言えるのかもしれません。

 

そして産業革命から200年余りを経た今日、一種の回帰現象が起こり、再び農業に人気が集まりつつあります。

 

これからのライフスタイルは、工業化の時代を超えて、土に触れ、植物や動物の世話をする超リアルな農的ライフと、ネット・AI・ロボットのバーチャルな脳的ライフとに二極化し、僕たちはその間を行ったり来たりするのかなぁと、ピーターラビットのカレンダーを見ながら考えています。

 


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人間の歴史はチョコレート前とチョコレート後とに分かれる(かも)

 

  バレンタインデーなので、カミさんから「プレミアム・チョコプリン」を頂きました。自分も食べたいのでこれにしたようです。

 何がプレミアムなのか食べてみると、プリンという呼び名は相応しくない。

 食感はレアチーズケーキに近い。味は濃厚、そしてビター。でもしっかりチョコレート感がある。これはおいしい。ありがとう。

 

 僕は、人間の歴史はチョコレートが開発される前と後とに分けて考えられるんじゃないか、と考えています。

 

 古代から疲れを癒し、魂を覚醒させる効果があると信じられてきたチョコレート(古代は飲み物で、チョコというよりココアでしたが)。

 それが近世の西洋社会で量産され、普及するようになって、人々の知覚は明らかに鋭敏になった。

 いわゆるドラッグのような効果があったのではないかと言われています。

 

 体に害はないんだけど、「やばい食べ物」と言われた時期もあったようです。

 庶民にあんまり頭良くなってもらいたくない人たち、知恵を付けてほしくない人たちは、すぐにこういうことを言い出しますね。

 

 明治時代、日本で作られ出回るようになった頃も「牛の血を混ぜて作っている」とか、いろいろデマが飛び交い、売るのに苦戦したようです。

 

 日本の庶民が本当にチョコレートの味を知るようになったのは、やっぱり戦後から。

 「ギブ・ミー・チョコレート!」と叫んで進駐軍のジープを追いかける、あの子供たちからでしょう。

 

 映画やドラマでしかあのシーンを見たことがないけど、何度見ても衝撃的。

 あんな体験をリアルにしてしまった子供の胸には、良いにつけ悪いにつけ、アメリカの存在の大きさが胸に刻み込まれたことでしょう。

 

 そういえば、あのあたりの世代はアメリカかぶれが多いような気がします。

 無理もありません。

 あの時代、将来の日本人の頭を洗脳するのにチョコレートはうってつけでした。

 まさしくドラッグとして機能していたとしても、おかしくありません。

 

 父や叔父・叔母はそうした経験をしていないと思うけど(齢が下の方の叔父・叔母はちょうど「ギブ・ミー」の世代だけど)、僕が子供の頃、パチンコで勝って景品のチョコレートをもらってくると、誇らしげに僕や妹にたちに手渡しました。

 

 多くは「森永ハイクラウン」など、子供にとってワンランク上のちょっと大人っぽい、高級っぽいやつです。

 

 子供にチョコレートを与えられる、まっとうな生活力にある大人。

 そういう大人であることに、深い満足感を覚えていたのだと思います。

 もちろん僕たちは大喜びで、家族は幸せでした。

 チョコレートをかじると、その時代のみんなの笑顔を思い出します。

 

 僕が子供の頃からずっとチョコレートを好きで、食べるといろんな思いにとらわれるのは、そんな理由からです。

 

 すっかり習慣化したバレンタインデーは、朝からあちこちでいろんなチョコ――もちろ義理チョコの類だけど――をもらって食べました。

 でも家庭によけいな波風を立てたくないので、毎年カミさんには黙っているようにしています。

 


慣習的自己と本質的自己

 

人間の中には「慣習的自己」と「本質的自己」という二つの自己が宿っている。

と看破したのは精神科医の神谷美恵子さんという人。

 

人間は社会生活が長くなるにつれ、つまり、おとなになるにつれ、慣習的自己が肥え太り、本質的自己がやせ細っていく。

 

現実の社会生活に対応するのが慣習的自己。

何につけても、これをするのは得か損かと考える。

そして他者が自分をどう認識するのかに気を張り詰める。

 

本質的自己は子供の頃は元気いっぱい。

けれども齢とともにだんだん隅に追いやられ、息を潜めて暮らすようになる。

けっして死んではいないけれど、ネグレストされた子供のように引きこもる。

 

「自分を見失う」とは慣習的自己に支配され、本質的自己を見失うこと。

いっそのこと、慣習的自己オンリーで生きればいい、と思うが、どこか心のすき間に

 

「本当は自分は何がしたいのか、何ができるのか?」

 

そう本質的自己が囁くのが聴こえてしまう。

 

またネグレストするか?

それとも耳を傾けるか?

それとも、とりあえずネットに何か書き込んでみるか?

「これが本当の自分です」というようなものを。

 


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中高年はめざせ!中川屋嘉兵衛

 

 「還暦から勝負です」と宣言した人がいるが、先パイ、その通りです。

 あなたも老後の心配で、使わないカネを貯め込んでいる場合じゃありません。

 「人生50年」と言われた時代でも、50歳から大活躍した人がいます。

 

 マイナビ農業の仕事で、日本における肉食の歴史を調べていると、幕末から明治にかけて活躍した「中川屋嘉兵衛(中川嘉兵衛)」という名に出会いました。

 この人は慶応3(1867)年、荏原郡白金村に東京初の屠畜場を開いた人です。

 

 三河(現在の愛知県岡崎市)出身で、京都で漢学を修めた後、江戸に出てきてイギリス公使の料理人見習いをしながら英語を勉強し、欧米人相手のビジネスを画策。

 

 そして慶応元(1865)年、開港間もない横浜に出て、アメリカ人医師のもとで牛乳販売業を、イギリス軍の食料用達商人としてパンやビスケットの製造販売、さらに牛肉の販売を手掛けるようになりました。

 

 しかし車も冷蔵庫もまだない時代。横浜から江戸まで肉を運ぶのは至難の業ということで、都内に屠畜場を作り、芝高輪の英国大使館に納品したのです。 

 

 それとほとんど並行する形で、肉を鮮度がいいまま保存管理するには氷が必要となって製氷業を、ついでにアイスクリーム屋も開業。お肉の方では牛鍋屋も開店。

 次から次へといろんな事業をやって、人からは「節操ない男」と映ったかもしれませんが、彼の中では「洋食事業」ということでつながっており、それぞれ牛乳部門、パン部門、肉部門、製氷部門・・・といったように部門別に分かれていたにすぎないのかもしれません。

 いわば日本における「洋食文化の父」と呼べる人でしょう。

 

 僕は最初、資料を読んでいて、彼のことを勝手に岩崎弥太郎みたいな青年実業家だと思っていたのですが、江戸に出てきたのは40歳、横浜に出た時はすでに50歳!

 

 これは江戸時代の社会常識で考えれば、人生晩年近く。

 すでにご隠居さんとなってもおかしくない齢でしょう。

 

 そこから欧米人に仕えて取り入って、車も鉄道も、電話もインターネットもない環境でこれだけの事業を成し遂げ、80歳まで仕事をやりぬいたというのだから、中川屋嘉兵衛あっぱれ。

 

 「もうトシですからムリですぅ~」とか、

 「もう今からでは遅すぎますぅ~」とか言ってる場合じゃないですよね。

 何かやってもやらなくても同じように齢は取る。

 何歳だって“今”より早いスタートはないわけですから。

 


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聞きかじり原宿むかし話:リーゼント床屋伝説

 

 昨日のことになってしまったが、3月のイベントの件で“原宿のお米屋さん”小池さんとの打ち合わせがあって原宿まで行きました。

 天気が良かったのでチャリンコで。

 

 小池精米店はいわゆる裏原宿――江戸時代、水車小屋もある田園地帯だった隠田商店街にあります。

 この辺りには隠田地域会館というのがあって、原宿にチャリで来るときは、いつもそこの駐輪場(サイカパークになっていて誰でも利用できる)に停めるのですが、この地域会館がなんと、D昨年末で閉鎖になっていた!

 

 地域の人たちが出入りするのを結構見ていたので、ちょっと寂しい気がしましたが、さすがにこの建物、筑何十年かわからないけど、老朽化が激しくて限界気味。やむを得ず建て直すことにしたようです。

 

 築何十年わからないけど、たぶん小池さんと同年代くらい。

 彼の少年時代は原宿カルチャーの絶頂期で、ホコ天で竹の子族が踊っていた時代とシンクロしていますが、台風の目の下にいると暴風雨に巻き込まれないのと同様、原宿に住む彼らはそうしたカルチャーやファッションにほとんど影響受けることなく、フツーの子供をしていたそうで。

 

 ホコ天も竹の子もツッパリも、ワンス・アポン・ア・タイムになってしまったけど、流行らない床屋さんはいっちょオヤジ相手にリーゼント専門店になってみてはどうだろうか。

 

 キャロルカットとか、永ちゃんレジェンドヘア、やりますとかね。

 さらにカッコいい無精ひげなんかも調整して、チョイ悪おやじ御用達になれば商売繁盛。

 

 オヤジも大人ぶって老朽化していないで、バリバリにキメてまた原宿を闊歩すれば、元気になって病気なんかもふっとばせるぜ。

 


食べ物を作る仕事をしている人の話は一聴・一読に値する。

 

マイナビ農業で取材した「東京しゃも」の記事がUPされたので、先日、浅野養鶏場の浅野さんに報告したら丁寧なメールの返信が返ってきました。

 

 「自分のする話は難しいといつも言われるが、見事にまとめてくれました」と喜んでいただいたので、こちらも嬉しくまりました。

 

 開発技術者や、江戸時代からしゃも料理を扱ってきた人形町の名店とともに東京しゃも開発プロジェクトに携わったエピソードはめっぽう面白い。

 しかし、それ以上に、戦後の混乱期・食糧難の時代から身を起こして養鶏業を半世紀以上にわたって営んできた浅野さんの、食べ物に関する信念・哲学が魅力的なのです。

 

 また、昨日はある料理人の書いた本を読んで、けっこう心に染み入るものがありました。

 料理の話というよりも、自分の半生記みたいになっているエッセイで、さらっと口ごたえがいい割に、何というか、隠し味が効いていて面白いし、深味があるのです。

 料理の味やお店のコンセプト・ムードと、その人の人間性かどうかなんて関係ないように思えるけど、じつは深いところでつながっているんだろうなと思いました。

 

 総じて一流の料理人・生産者は、自分ならではの哲学を持っていると思います。

 哲学という言い方が難しければ、「生きる」ことについて感じること・考えることを何らかの形で表現を試みる――とでもいえばいいでしょうか。

 

 それが生産物・料理・お店全体の在り方に反映される。

 優れた技術に、その人ならではの魂が宿ることによって、人の心を打つ「食」が生まれます。

 

 浅野さんの「食べ物を扱うのは神聖な仕事なんだ」という言葉が耳に残ります。

 機械的に、早く、安く、美味しく、安全な食べ物がたくさん出回るようになった世の中だからこそ、時々はそうした生産者や料理人や作る人たちの人間性だとか、哲学だとかに目を向けて行こうと思います。

 


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新潟のビジネスホテルで魚沼コシヒカリを食べて幸福について考える

 

 土日の新潟遠征で泊ったのは、駅から歩いて5分の、新潟なのに「京浜ホテル」という、どこにでもあるようなフツーのビジネスホテルでした。

 フツーと言っても、21世紀型のモダンなフツーではなく、建設された昭和の後半には、新潟へきてバリバリ働くビジネスマンが明日への英気を養う、最新の「東京に負けないくらいナウい」ホテルだったのかもね~といった匂いが漂う、本当によくある、シングルベッド、ユニットバス、テレビ付きのホテル。

 

 のはずだったのですが、日曜日の朝食でその印象がガラッと変わりました。

 

 う、うまい!

 魚沼産コシヒカリの和朝食だ。

 

 炊き立てではないが、降り積もった雪のよう白くピカピカ光っている。

 久しぶりに「銀シャリ」という言葉を思い出しました。

 

 生卵をかけて一杯、納豆かけて一杯、あちこちおかずと一緒に一杯。

 まだいけそうだったけど、これから仕事があるのにあまり腹いっぱいになってはいかんぞ、と抑えました。

 

 恐るべし、魚沼コシヒカリの魔力。

 

 すっかりご機嫌になって、食堂のおっちゃん・おばちゃん(たぶん夫婦だと思う)に、フロントのお兄さん・お姉さんに「おいしかった。ありがとう」と愛想を振りまいてしまいました。

 

 「ああ、そうだったのか」と、写真のポスターを見たのはその後。

 

 ごはんがおいしいとホテルの印象も変わります。

 何の変哲もない古ぼけたビジネスホテルが、新潟のオンリーワンホテルに見えてきた。

 

 当初の印象とのギャップ効果もあって、古ぼけ感も、おしゃレトロとまでは言わないけど、何やら味わい深く感じ、永く思い出に残るだろうなという気持ちになるのです。

 

 そこでハタと考えた。

 

 しかし、僕が普段から魚沼コシヒカリを食べなれている人間だったら、ここまでの強い印象を抱くだろうか。

 

 ヘン、魚沼コシヒカリなんて、わしゃ毎日くっとるでよう、別段、感動なんかせーへんがや。

 

 とクールに流し、おっちゃん・おばちゃんや、兄ちゃん・姉ちゃんに愛想を振りまくこともなかったでしょう。

 京浜ホテルが味わい深いホテルだと感じることもなく、永く思い出に残ることもなかったに違いない。

 

 そう考えると、人生と言うのはちょっとした条件の違い、ささいな感じ方の違いでまったく違ったものになってしまう。

 いつでも(俗にいう)美味いものを食っている人が幸福だとは限らない。

 もちろん、そうした人にとって、京浜ホテルに人生の醍醐味を感じるかどうかなんて、とんでもない低次元の問題で、はるかな高次元の幸福を追求しているのでしょうが。人類全体のとか、地球全体のとか、ね。

 

 いずれにしても、今や海外のセレブも認める最高級ジャパニーズライスブランド、魚沼コシヒカリは美味しかった。そして京浜ホテルとのギャップもよかった。

 

 どうもごちそうさま。

 


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雪トトロ、しぶとく生きる

 

 新潟から帰ってきたら、近所で先週の大雪の日に誕生した雪トトロがお出迎えしてくれました。

 それもかなり化粧直しして。

 

 先週末はかなりメルティになって風前の灯かと思われたのですが、制作者のおねえさん(幼稚園の先生)にメンテナンスしてもらったようです。

 

 長寿の秘密はこの場所がいい具合に日陰になっていること。

 日陰者には日陰者の生き方があるんだぜ、とでも言いたげです。

 

 うちの野の花鍼灸院に来る子供たちも、このトトロに会えるのを楽しみにしています。

 しぶとく生き残れ、トトロ。

 節分の日くらいまで。

 


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雪と少女

 

雪どけの風景に出会うと、五輪真弓の「少女」という歌を思い出す。

 

 ♪あたたかい陽の当たる真冬の縁側で

 少女はひとりでぼんやりと座ってた

 積もった白い雪がだんだんとけていくのを

 悲しそうに見ていたの

 夢が大きな音を立てて崩れてしまったの

 

 透明感のある旋律と余白に満ちた詞。

 思い出すたびにとても清新な気持ちにさせられる。

 

 子供は雪どけの景色や子犬の遊ぶ姿を見るだけで、生きるってどういうことなのか感じとっている。

 夢がとけて消えても、また次の夢の芽を雪の下から見つけ出してくる。

 生きるってその繰り返しなんだということも。

 

 塾や習い事などいくら詰め込まれて忙しくても、

ちゃんとぼんやりして感じる時間を持っている。

 「なにぼんやりしているの!”」と大人に怒られたってへっちゃらで、

 自分の中にいる未来の自分と話している。

 


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誕生日のコーヒーカップと悪魔と天使

今日は誕生日なので朝、早起きして発掘調査をしました。

 頭の中にあることをノートに書き出してみる。

 ちゃんとした文章にはならないけど、結構オートマティックに腕が動いて、泉のようにいろんな文章が湧いてきます。

 ひと段落したところで、新しいカップでコーヒーを一杯。

 

 先日の合同お誕生会でカミさんからコーヒーカップをプレゼントしてもらいました。

 シンプルなオフホワイトのカップだけど、「ALL I need is・・・」と書いてあって、この言葉が下に敷く木のコースターの周囲にある言葉「You」「idea」「Coffee」「Love」「Break」「Tea」とそれぞれ呼応している。

 しかもこのコースターはそのまま上にかぶせると蓋になる。

 なかなか隠し味が効いていて洒落っ気がある。

 持った感じも、そこはかとなく丸みがあって、最初からとても手に馴染む。

 仲良くなれそうな、良い相談相手になってくれそうなカップだな、という気がします。

 

 先代のカップはなんと十年近く使っていました。

 それも100円ショップで適当に見繕って買ったもの。

 しかし、使っているうちに下半身の丸み、手に持った感じが気に入ってしまって、持ち手が取れても、縁が欠けてもずっと使い続けていました。

 僕は1日平均3~4杯はコーヒーか紅茶を飲むので、単純計算すると、こいつで1万杯以上も飲んでいたことになります。

 まさかこんなに仲が良くなり、関係が持続するとは思ってもみませんでした。

 

 そのモノがどれだけ自分になじむのかは使ってみないとわからない。

 人と人の関係も、最初で決まることもあれば、続けてみなくちゃわからないこともいっぱいあります。

 

 自分との関係も同じく。

 付き合いも随分長くなったけど、まだ使っていない自分、会っていない自分がいつのではないかと思います。

 そう思って書いていると、地底から悪魔がモコモコ湧き出してきたり、空から天使がバシャバシャ降ってきたりします。

 

 ALL I need is Devil.

 ALL I need is Angel.

 

 


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孤独担当相の誕生

 人は一人で生まれてこれないし、一人で死ぬこともできない。

 「私は一人で生きてきたから孤独でいいのだ」というのは、その人の驕りだと思います。

 

 孤独担当相。Lonely Minister。

 これはジョークか、ファンタジーか、未来小説か、。

 まず抱いたのはそんな感想。

 政治の世界にミスマッチなこのネーミングのセンスは好きです。

 なんかイギリスらしいなという感じがするし。

 

 先日、政府がこの孤独担当相を新設。

 英国社会に影を落とす孤独の問題に取り組むと言います。

 当初、僕が見た報道では「高齢者の孤独死問題に」という形で採り上げられていました。

 割合的にはそれが大きいのかもしれないけど、それだけに限らず、この孤独の問題は全世代にわたっている社会問題のようです。

 うつ病、引きこもり等、精神疾患にまつわる要素もはらんでいるのでしょう。

 

 もちろん、大きなお世話だ、とも思います。

 そんな個人的なことに政府が介入するのか、とも。

 

 そもそもみんながイメージするほど、孤独というのは暗いものでも悲惨なものでもない。

 

 高齢者の孤独死も、本人にしてみたら可哀そうでも不幸でもないのかも知れません。

 可哀そうだ、不幸だというのは周囲の勝手な思い込みで、その人はやっと煩わしい人間関係から解放され、人生の最後に、自由に、のびのびと孤独を楽しむ時間が出来て嬉しいのかも知れません。

 

 孤独の何が悪いんじゃ。ほっといてくれ。よけいなお節介するな。

 

 日本でも英国でも、若かろうが年寄りだろうが、半分以上はそういう人ではないでしょうか。

 

 でも僕は政府がこうして孤独の問題に向き合うと宣言するのは悪いことではないと思います。

 世の中を動かす政治が、現代の社会の中でそれだけ個人個人の在り方を尊重し、手を掛ける価値のあるものとして捉えている――と思うからです。

 

 近代になって自立精神、独立独歩の生き方が理想とされ、そうアナウンスされ続けてきたけど、もしかしたら、それがもう限界に来ていて、何かケアしないと社会がこのままではもたないのかもしれません。

 

 

 「孤独の何が悪い」「よけいなお世話だ」という人は、また、人間生まれるときも死ぬときも一人なんだと言います。

 

 僕は違うと思う。

 人間、周囲の誰かの手を借りなければ生まれてこられないし、たとえ生まれたとしてもすぐ死んでしまう。

 

 死ぬ時だってそう。

 孤独死するのは本人はそれでよくても、自分で自分の遺体を処理できない限り、結局は誰かの手を煩わせ、迷惑をかけることになる。

 

 僕もべたべたした繋がりや面倒くさい人間関係、形にとらわれた付き合いは苦手で、孤独が好きな部類に入ると思うけど、社会が孤独について意識する姿勢を作る、そのきっかけとして孤独担当相なる大臣が登場するのは、アイデアとしていいなと思うのです。

 フィクションみたいで面白いしね。

 どこまで実効性・持続性があるのか、わからないけど、今後ちょっと注目してみたいです。

 


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「美味しいケーキは年一度」の誓いと、追憶のバタークリームデコレーションケーキ

 

 カミさんと誕生日が10日しか違っていないのです(11日と21日)。

 双方の都合が合わなので、じゃあ真ん中の日の夜は空いているので、そこでやるかということで、昨日の晩は二人合わせてお誕生会。

 と言ってもお寿司を食べて、ワインを飲んで、定番のパステルのプリンケーキを食べただけですが。

 

 パステルの回し者ではないけど、やっぱりここのプリンケーキはおいしい。これと対抗できるのは(べクトルは違うが)、赤坂TOPSのチョコレートケーキだけです。

 

 ケーキはいろいろ食べましたが、この2つの頂点に行き着いてしまったと感じ、ここ数年、たまに贈り物としていただく以外は、他のケーキ屋のケーキにあまり食指が動きません。

 

 以前はクリスマスやら誕生日やらの「ハレの日」に燦然と輝いていたケーキ類ですが、最近はスーパーやコンビニでも手軽に安く、いろんなスイーツが手に入ります。

 それもレベルが激アップして、どれを食べてもかなり美味しいんだよね。

 なので、ケーキに対するスペシャル感がなくなってしまいました。

 

 こうなると逆説的に、僕らが子供の頃に食べた、バタークリームを使ったデコレーションケーキが懐かしくなる。

 デコレーションされてて、「うわぁ、美味しそう!」とハイテンションになるんだけど、あのバタークリームって脂をそのまま食べているみたいで、まずいのなんの。

 三口も食べるとうんざりする。

 でも、お父ちゃんがわざわざ子供のために、と買ってきてくれたので、そう嫌な顔もできず、食っていました。

 涙ぐましい子供の気遣い。

 

 それにしても、当時、舌のまったく肥えていなかった僕でも、あれほどまずいと思ったのだから、 今の子供・若者たちは、あのバタークリームは絶対食べられないだろうなと想像します。

 

 そういえば中学生の時、友達と集まってクリスマスパーティーをやって、あのバタークリームのケーキと、こっちも今思えば激マズの「赤玉ハニーワイン」を飲んで酔っぱらって、翌日まで気持ち悪く、胃がムカムカしていたことまで思い出しました。

 人生初にして最悪の二日酔い。

 

 さて。

 日常的においしいものがいっぱいあるということは幸福である一方で、どうも生活にメリハリがなくなってしまう。

 なので、パステルのプリンケーキと、TOPSのチョコレートケーキは、それぞれ年に1~2度の楽しみと決めています。

 

 久しぶりに一度、昭和のバタークリームのデコケーキ、食べてみたいなぁと思うこともありますが、やっぱりまずいだろうなぁ。

 


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笑って泣ける人生親子漫才

 

 夫婦漫才、兄弟漫才というのは昔からあるけど、最近は親子漫才も人気のようで、シングルファーザーのお父ちゃんと小学生の娘のコンビがネットでちょっとした話題になっています。

 

 「お父ちゃんがお笑い芸人になる夢捨てきれへんから、お母ちゃんが愛想つかして出て行ってしもうたわ」と、娘が可愛くかまして観客大爆笑。

 だけどちょっとホロっと来て、胸に響いて、ヘタな哲学談義などよりよっぽど考えさせられるのです。

 

 プライベートな話をネタにして、自分を笑い飛ばす。人生を笑い飛ばす。

 僕やあなたをはじめ、ちゃちなプライドにとらわれている人たちにとって、これはなかなかできることではありません。

 

 ベテランの漫才師さんたちを見ていると、自分の病気や体がきかなくなったことさえネタにして笑わせてしまう。

 これぞプロフェッショナル。まったく尊敬ものです。

 

 彼ら・彼女らは死ぬことさえも笑い飛ばして、相方のお葬式でも大爆笑の渦にしてしまうかも知れない。

 そして参列者をみんな体の芯から号泣させてしまうかも知れない。

 

  話を親子漫才に戻すと、これから親と子も相互扶助の時代で、ネタも豊富に作れそうだし、どんどん増えるような予感がします。

 今のところ、娘のツッコミ×親父のボケが主流のようですが、娘×母、息子×親父、息子×母、みんなあっていいんじゃないかなぁ。

 

 さらに男同士、女同士の夫婦とか、LGBTの漫才があっても面白い。

 

 そのうちジジババも交えて3世代のトリオ漫才も飛び出すかも。

 

 「老人ホーム入るために漫才やって稼がなあかんのや。

 おまえら協力しい」

 「何言うてんの、じいちゃん。このギャラは今度生まれてくる、あんたのひ孫のミルク代にするんやで」とかね。

 

 とにかく何があっても笑って生きていきたい。

 


自分の中の文脈を探る冒険

 

 僕の中にも、あなたの中にも、個々の人生の文脈がある。

 生きていかないとそれは発見できない。

 そう考えると、どんな人の人生もその文脈の中から金鉱を掘り当てる冒険だ。

 

 昭和30年代(1950年代半ば)以降に生まれた世代は「モラトリアム」と言われ、成人してもいつまでも自分探しをやっている煮え切らない連中と、上の世代から揶揄されてきた。

 

 上の世代がモラトリアムなどせずに済んだのは、そんな必要がなかったからである。

 頑固とした常識、世の習い。

 食うためだけに精一杯。

 そうした時代・環境なら、常識・慣習・伝統に従っているだけで、たとえささやかなものでも幸福が手にできた。

 

 時代や環境のせいにするな、確固とした信念を持て。

 という言説はカッコいいが、人の生き方・考え方が、時代や生活環境に左右されるのは当たり前のことだ。

 

 言い方を変えると、現代はより良い人生を志せば、自然とモラトリアムにならざるを得ない。

 誰もが一生モラトリアムのまま終わってしまうリスクを抱えて生きている。

 

 自分はいったい何者なのか?

 自分はこの世界で何をするために生まれてきたのか?

 それをいろいろな仕事、遊び、活動、人間関係、情報の受信発信を通して考え続けるのが、現代社会に生を受けた人間のミッションなのではないかと思う。

 

 文脈から金鉱を掘り当て、ゴールドの恩恵に浸れる人はごく少数だ。

 たいていの人は道半ばで「このあたりでいいか」と腰を落ち着け、モラトリアムを卒業したかのように見せかける。

 あるいは、ストックな人は厳しい道を歩き続けて倒れたり、精神を病んだりもする。

 

 反対に卒業したはずだたけど、ふとしたことで文脈探しのことを思い出し、これは卒業ではなく休憩だったのだと思い直し、「よっこらしょ」と重い腰を上げて再びモラトリアムの旅へ出発する人もいる。

 

 いずれにしても、そうして見事、金鉱を掘り当てた人が英雄となって、他の人たちや子供たちに勇気と希望をもたらすのだ。

 

 しかし、そうした英雄も英雄であり続けることに疑問を抱き、また新たな文脈を求めて旅立つかもしれない。

 死ぬまで英雄であり続けることも、どこが自分の最後の到達点か知っている人は、ひとりもいない。

 

 


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負けっぱなしでも強く、しぶとく、勝っているやつよりハッピーに生きているぜ

 競争社会では勝者の話はいやというほど聞けるが、敗者の話はなかなか聞けない。

 もっと負けたやつに話してほしい。

 

 ライバルをドーピング疑惑に陥れたカヌー選手にあえて同情してみる。

 いったん引退した後、東京五輪出場をめざしての復帰。

 年齢的にはギリギリ。

 大丈夫、外国の選手で35歳でチャンピオンになった人もいる。

 あきらめるな、カズさんを見ろ。50を過ぎてもまだ現役だ。

 そんな周囲の励ましもあったという。(カズさんの話は僕の付け足しです)

 

 結果論としてはその励ましが仇になった。

 

 子ども時代から全国大会で優勝を繰り返し、国内では常にトップ選手。

 周囲の人たち、地元の人たちにとってはヒーローだ。

 

 でもオリンピックには届かなかった。

 これが最後のチャンスだ、がんばらねば、ここで負けて五輪に出られなければ、これまで人生を賭けてやってきたことのすべてを失う。

 

 そうした覚悟でやったことも結果的に仇になった。

 

 すべて以上のものを失った。

 

 告白するのは恐怖したと思う。

 卑怯者。卑劣漢。アスリートのクズ。

 あらゆる非難・罵詈雑言が頭の中に渦巻いただろう。

 

 でも、黙っているのはもっと苦しかった。

 人間はやっぱり良心の呵責には勝てないのだ。

 そう考えると、ちょっと安心させてくれた面、人間を信じさせてくれた面もある。

 

 被害者となった選手も、彼のおかげで多くの人に知られ、ファン・応援団が増えるかもしれない。イケメンだし。

 そう考えると、ちょっとは救われるかも。

 

 地元開催のオリンピック。

 どの選手も命を懸けてがんばっている。

 見えないところでは、こうした負のドラマもいっぱい生まれそうだ。

 

 こんなことをいうと失礼かもしれないが、早くに脱落した選手はまだいい。

 あきらめがつく。切り替えられる。別の道が見つけられる。

 出場できるかどうか瀬戸際の選手がいちばんきつい。

 

 負けても一生けん命頑張ったんだからいじゃないか。

 みんなきっと労ってくれるよ。なあみんな、負けた人も讃えよう。

 

 これはまったく正しい。

 でも人間の感情は、こうした正論だけでおさまるものなのか。

 

 世の中、勝った人より負けた人の方が圧倒的に多い。

 今日勝った人も明日は負けるかもしれない。

 

 もっと負けた人の声が聞きたい。

 負けっぱなしでも強く、しぶとく、勝っているやつよりハッピーに生きているぜ。

 本でも番組でもいいから、そういう声がもっと聞きたいと思う。

 


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うおぉぉぉ おれは燃えているぜ!(追悼・星野仙一さん)

 「うおぉぉぉ おれは燃えているぜ!」

 

 河合じゅんじが小学館のコロコロコミックに連載していた「かっとばせ!キヨハラくん」。

 野球ギャグマンガですが、その初回に「中日ドラポンズ」の「ホジノ監督」が、カチカチ山のたぬきみたいに火のついた薪を背負って、このセリフを言いながら登場するシーンに大爆笑しました。

 

 河合じゅんじは同じ名古屋出身の友達なので、プレゼントしてもらった本にいつもマンガのキャラとサインを書いてもらっていました。

 それでいの一番に書いてもらったのが、カチカチ山のホジノ監督。

 

 数々の栄光に包まれた星野投手&監督だけど、僕の記憶にあるのは、

 

 ルーキー当時、巨人にめった打ちを食らってボロボロになって投げていたんだけど、どういうわけかベンチがちーとも替えなかったこと。

 (ラジオ中継でアナと解説が「どうして交替しないんでしょう?」としきりと言っていた)

 

 完全に打ち取って凡フライに仕留めたのに、そのフライを宇野勝選手が頭に当ててヒットにしてしまい、キレまくったこと。(球史に残るボーンヘッド「ヘディング事件」)

 

 阪神の監督時代の日本シリーズ、甲子園で3連勝して嬉し泣きしちゃったのに、その後全部負けて、結局、日本一になれなかったこと。

 

 本人にとってはろくでもないところが印象的なんだよね。

 けどもちろん、ドラゴンズが優勝した時は僕も泣きました。

 楽天でついに日本一監督になった時も嬉しかったなぁ。

 

 しばし名古屋にいましたが、名古屋のテレビは星野さん追悼のニュースだらけでした。

 やっぱり星野がいた時代のドラゴンズは面白かったでよ~(強かったというより、面白かったという印象が強い)。

 名古屋人にとって、やっぱり星野さんは阪神・日本代表・楽天はオマケみたいなもので、中日ドラゴンズの♪星野仙一、強気の勝負~(「燃えよドラゴンズ」より)なんだがや。

 

 もう一つ、星野さんは女性にもめっぽう人気があった。

 それは愛妻家だったからだと思います。

 妹が、奥さんを亡くした時の、憔悴した星野さんのニュース映像をよく憶えていました。

 野球なんてまったく興味を持ったことがない妹ですが、女はそういうところをよく見ていて、星野人気の隠し味になっていたようです。

 

 野球――特に日本のプロ野球にはすっかり興味を失って、最近は、高校野球と大リーグの日本人選手の活躍をちょろっと見るくらい。

 星野さんが亡くなって、ますますプロ野球が遠くなりそうです。

 

 もう一度、「かっとばせ!キヨハラくん」を読んでホジノ監督の激闘ぶりを笑って偲ぼうと思っています。

 


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