どこに行っても観光客だらけの京都だが、
不思議と東寺はいつ行っても空いている感じがする。
空海ゆかりの東寺は、京都駅から徒歩15~20分。
(中途半端なロケーションなので
歩ける人は歩いた方がいい。
足が悪ければタクシーで1~2メーター。)
平安京の遺構であり、日本最古の密教寺であり、
もちろん世界遺産の一つ。
800円で巨大な薬師如来が鎮座する金堂(こんどう)、
立体曼陀羅のある講堂(こうどう)、
そして五重の塔を見て回れる。
どれも圧巻。
こういう寺が1200年も存続しつづけていることが、
月並みだけど日本の素晴らしいところ。
空いている感がするのは、
単にタイミングがいいだけなのか。
境内がだだっ広いので人口密度が低いからか。
けどそれよりも、
他の観光地から離れ小島のような場所にあり、
周囲に食べ歩き用の飲食店や
土産物屋がないおかげで俗化されず、
観光公害を免れているのが大きいのだろう。
今回も修学旅行生はあちこちから来ていたが、
うるさい外国人は少なく、快適に見て回れた。
今回、3つの建物のほかに、食堂(じきどう)で
観瀾斎(かんらんさい)という画家の展覧会をやっていた。
こちらは入場無料なので、さりげに覗いてみると
「棟方志功?」
「ピカソ?」
「マティス?」
「シャガール?」
といった作品がずらり。
それらの巨匠のタッチで仏様の世界を描いている。
悪く言えばパクリなのだが、
この人の描くテーマ「祈り、癒し」――
人間と仏様の世界が、
それらの巨匠に近いタッチで描かれているを見るのは
とても楽しいし、こころ動かされる。
そしてどれもアート一直線でなく、
少しずつポップでマンガっぽくて、庶民的なのもいい。
デジタルテクノロジーが広がり、
人間の社会・感情生活が大きく変わる一方で、
100年前と何ら変わることなく
各地の戦争で不安に脅かされる現代の世界。
こうした状況に触れて、
もし、かの20世紀アートの巨匠たちが生きていたら
どんな絵を描くのだろうと思わず考えてしまった。
観瀾斎氏には今は亡き志功やピカソに替わって、
「祈り、癒し」の絵を描いてほしいと思った。
この展覧会では来年の干支である
龍の作品も多数展示されており、
ポップでユーモラスな龍の絵は縁起がよさそうだ。
小さなパネルの絵なら2000円~3000円で買える。
12月24日まで。
あとひと月間、開催されているので、
これから京都に行く人はぜひ東寺に立ち寄り、
仏像と観瀾斎の絵を見るのがおすすめ。
コロナ禍の頃、観光業やお寺関係の仕事で、
政府が日本の観光立国化を目指し、
観光収益を上げるために、
インバウンド客の単価UPを
図っているという話をよく聞いた。
金のない旅行者から
無理やりふんだくるわけにはいかないので、
ターゲットは当然、世界の富裕層。
高額な料金に見合うだけの
日本文化の体験・最上級のおもてなしを
たっぷり盛り合わせて…という戦略を
いろいろなコンサルタント会社が入って企て、
かなり懸命にテコ入れしていたようだ。
その努力は報われた。
2泊3日の京都旅行に行って、
観光業者はその要請にしっかり応えたことが見えた。
本当に人気観光地の周辺の飲食店に入るには
富裕層クラスのお金が必要。
一般ピープルは食べ歩き用の屋台食やスイーツなどで
楽しんでね、という感じ。
宿代もコロナ前の2019年に比べ、
平均で3~4割値上がっているらしい。
(僕たちは山科駅近くのAirBnBに泊った)
実際、どの程度、単価UPを達成したかは
いずれ観光庁が成果のデータを上げるだろうが、
観光にも昨今の格差社会の在り方が
十二分に反映されているような気がする。
京都の秋の観光はまだまだこれからが本番。
自社と紅葉のライトアップが12月まで続いて、
大賑わいになりそうだ。
ちなみに観光立国になるということは
国家が成熟した証拠。
今あるもの・持っているものを見せればいい。
もちろん、その見せ方が問題で、
そこにいろいろ工夫は必要だけど、
観光業は莫大な資本や人材を投入して
新しく何かイノベーションを起こす産業ではない。
おとなになったニッポン。
リッチなニッポン。
けれども老化するニッポン。
個人と同じで、国家もこれからの生き方を問われる。
「まだまだ若くて元気ハツラツだ~」
なんて張り切ってると、ぎっくり腰にいなるのがオチだ。
何もかも下り坂の国が、
政治も社会機構も、上り坂の時と同じ運転していたら
おかしなことになるのに決まっている。
ネガティブに考えなくてもいいけど
早く昭和アタマの価値観から抜け出さねば。
でないと、ギックリ腰どころか、
脳や心臓にきて倒れちゃうよ。
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再読・風の歌を聴け
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1979年のデビュー作「風の歌を聴け」から2023年発表の最新作「街とその不確かな壁」まで。ふたたび旅したハルキワールドの思い出・感想・評論をミックスアップしたエッセイ集。
はじめての人も、リピーターの人も、ハルキワールドを旅する時のガイドブックとしてご活用ください。
むかし書いたラジオドラマの脚本で
廃園になった遊園地に
宇宙から飛来した円盤が降り立つのを
高校生の女の子と男の子が見に行くという
シーンを書いたことがある。
特撮にしようか、CGにしようか、VFXにしようか
そんなこと考えもせず、予算なんかまったく気にかけず、
リスナーの想像力に丸投げできるのが
ラジオドラマのいいところ。
てなわけで書けてしまったわけだが、
「未知との遭遇」や「E.T.」みたいな
映画に影響されているので、
いつもそういうシーンが頭にある。
てか最近、ほんとに異星人が来てくれないかと考える。
ロシア×ウクライナ
イスラエル×パレスチナ
中国の動きも怪しいし、
北朝鮮は相も変わらずミサイル打ちまくって、
軍事パレードもやりまくっている。
ウクライナ、パレスチナでの
「やったもの勝ち」の現実を見て、
台湾や韓国は、中国や北朝鮮のことが
気が気じゃないだろう。
これら、いがみ合っている国はみな、
もとをただせばみんな近親者同士。
憎み合いって、実は赤の他人より
近しい家族同士のほうがヤバイ。
「人類一家みなきょうだい」という
キャッチフレーズがあったが、
親が亡くなって相続が“争族”になるように
その家族・きょうだいがヤバいんです。
今は過去200年の人類近代化の遺産を
未来へどう継承するか、相続の時代に突入している。
相続は争族になり、
もうほとんど第3次世界大戦が起こっても
おかしくない状態になっているのではないか。
この状況を変えられるのは
地球外生物=宇宙人しかないのではないかと思ってしまう。
いま、マジで世界各地の大都市にUFOが飛来すれば、
どの国もくだらない戦争をやめるのではないか。
宇宙人が「地球を征服しに来た」と宣言すれば、
世界は一致団結するだろう。
それで本当に宇宙人の攻撃が始まったらどうするのか?
そこまで考えてないけど、
今の状況を変えるには宇宙へ向かって
「彼ら」を呼ぶしかないのでは。
もうすでにウクライナで、パレスチナで、
恐ろしいことが起こりまくっているのだから。
地球の家族が仲良くできるチャンスはないのか?
齢をとっても元気な老人が
やたらとテレビなどで紹介されているので、
つい錯覚しがちだが、齢をとれば必ず体力は落ちる。
もちろん鍛えていればそれなりに維持できるけど、
「若いもんには負けんわい」
と頑張り過ぎるのは禁物である。
経験的に言うと、40代でガクン、
60代でガクガクガクンといった感じ。
その顕著な例が、長時間、地球の重力に逆えなくなること。
要するに1日の真ん中、昼寝をしたくなることだ。
これについては本当にフリーランスでよかった、
ホームワークでよかったと、つうづく思う。
最近は昼寝ルームのある会社も増えているらしいが、
それでも昔の雑居ビルに入っているような会社には
そんなものは設けられないだろう。
でも、もし可能なら若い人にも実践してほしい。
昼食後、午後の仕事に入る前にゴロンと横になる。
机に伏せて寝るのはだめ。
べつに眠たくなければ、眠らなくてもいい。
5分10分でも体を横たえること、
地球の重力に逆らわず、二足歩行の動物であることを
忘れることが大事である。
再び体を縦にしたときは、朝起きたほどではないが、
頭がすっきりしている。
重力に逆らわない時間をつくると、
脳のなかの小人さんがちょこちょこっと
お片付けをしてくれて、
「はい、お仕事の続きをどーぞ」と言ってくれるのだ。
運がよければ、15分くらい睡眠して夢を見ることもできる。
今日の昼寝の夢は海にいるのか、空にいるのか、
何だか青いところにいる夢だった。
重力に逆らわないと、
地球が味方になってくれるのかもしれない。
考えてみれば肉体労働をやっている人たちは
よく昼寝している。
ちょっと横になることは健康にも、
よりよい仕事のためにも必要なことなのだ。
それにしても本当に毎日、夜になるとくたびれちゃて
仕事用の頭は回らなくなる。
でもこうしてブログなど書いていると、
不思議と疲れが取れて元気になる。
「人生、還暦から」なんて言って発信しているので、
落ちた体力でも走れるところまで走ります。
若いあなたも無理せずにお昼寝すると、
きっといいことありますよ。
先週の3連休の真ん中、4日の土曜日に池袋で
舞台芸術学院(演劇学校)の同窓会をやった。
うっかり全員写真を撮り忘れたので、
今回の写真は会場すぐそばの
西口公園にあるグローバルリングシアター。
卒業して43年。
何回やったか忘れてしまったが、
5年に一度くらいはやってる気がする。
前回は2018年の5月にやったので、
今回は5年半ぶり。
もうみんなアラカンだから
あんまり間を開けないでやろうと言って、
次は2年後、東京オリパラが終わった
2020年の秋に予定していたのだが、
コロナで3年も延びてしまった。
前回は18人、今回は12人。
集まった連中はみんな元気そうで
20歳ごろとほとんど変わっていないように見える。
もちろん、そんなわけはなく、
客観的には相応の、高年に近い中年だが、
一緒に齢を取っているという妙な温かさ・安心感を感じる。
昔の仲間がいるということはいいことだ。
本やネットなど読んでいると、
同窓会・クラス会を否定する人は大勢いるが、
よほど嫌な関係・忘れてしまいたい関係ならともかく、
「なんとなく出る気しない」とか、
自分のポリシーで出ないとか言ってるなら、
一度、変えてみてもいいかもしれない。
人の心は齢を取ると変わる。変わっていい。
それが自然だ。
それに声がかかるうちが花だ。
いつか「あいつらに会いたいな」と思うようになっても、
声がかからないときが来てしまうのだから。
「100BANCHI」は
「未来を創る実験区」「100年先を豊かにする」
といったコンセプトを掲げた実験アート工房。
そんな呼び名がしっくりくる。
ホームページを覗き、実際のギャラリーを覗いたが、
何やら僕たちの日常生活やビジネスなどとは無縁な、
浮世離れした若い連中の
アバンギャルドなアートの世界が展開している。
のだが、この施設・組織の母体は、
あのパナソニックと聴くと、
インパクトとともに頭のなかに???の花火が上がる。
この施設は、パナソニック(松下電器)の創業100年を機に
2017年7月にオープン。
これからの時代を担う若い世代とともに、
次の100年につながる新しい価値創造に取り組む
プロジェクトだという。
ぱっと見、そんな企業臭さはまったく匂わず、
もちろんパナソニックの宣伝、および、
それにつながるようなものは微塵も見当たらない。
アートスクールのようなノリ?という印象が強く、
いろんな若者が多種多様なアート(のようなもの)を
作っている仕事場(あるいは遊び場)というイメージで、
その実態は不明。
しかし、松下幸之助氏が始めた松下電器の仕事場は、
100年前の一般人・常識人から見たら
おんなじように奇異に見えたに違いない。
つまり、ここは未来の暮らしとビジネスのための
基礎研究を行う場所なのだろう。
昨夜はここで「死をリ・デザインする」という
トークイベントが行われた。
例によって「月刊終活」の取材だが、
めっちゃ面白く、仕事抜きで楽しめ、考えさせられた。
記事化するので内容は明かせないが、
単純化して言うと「死」を隠蔽するのでなく、
もっとオープンに、明るく楽しく語り合えるために、
何か形あるものを創っていこう、という趣旨の話。
この100BANCHIが輩出した若い女性のプロジェクト集団が
そのためのツールを開発したり、
エンディング関係の会社とコラボした活動をしている。
ディスカッションを聴いて、
ちょっとだけ未来を覗いた気分になった。
とは言え、そんな僕の気分を笑い飛ばすかのように
すでに渋谷は一気に未来モード。
この「100BANCHI」がある
JR渋谷駅・新南口の界隈の渋谷3丁目は、
LEDでライトアップされた渋谷川のリバーサイドだ。
100年前はさらさら流れる小川だった渋谷川は
戦後の渋谷の大都市化によってデッドなドブ川になり、
それがまた近年の再開発で、お洒落なシティリバーに。
(本質的にドブ川であることは変わらないが…)
コロナ禍のせいもあって、渋谷の街を歩いたのは
ほぼ5年振りくらいだが、
未来感あふれるデジタルな「SHIBUYA」への
変貌ぶりにびっくり仰天した。
かつてのドブ川に似つかわしい、
汚ない雑多なアナログ裏渋谷にノスタルジーを抱きつつ、
この未来世界で、おれはいつまで生きているのだろう?と
思わずシティリバーの畔で佇んでしまった。
今年もハロウィンが近づき、
街中どこもかしこもオバケだらけになってきた。
オバケを怖がる子どもは多いが、
オバケの絵はみんな描きたがる。
誰でも描けちゃうのがオバケの魅力。
息子がチビの頃、小学校のハロウィン大会で
鬼太郎の目玉おやじの人形を肩にのっけて、
自分おオデコにも目玉を描いて登校したのを思い出した。
僕が子どもの頃は、オバケと言えば
藤子不二雄の「オバQ」だった。
雑誌にオバQの似顔絵を投稿して当選し、
マルチ定規(?)みたいな文具を景品として
もらって、めっちゃうれしかった。
ドラえもんみたいに助けてくれるわけでもなく、
何か役に立つわけでもなく、
ただ大飯食らって、お騒がせするだけのオバQは
今でも大好きである。
GHQ、オバQ、ウルトラQ。
「Q」は昭和世代のQワード。ではなく、キーワード。
新刊「叔母Q」
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10月17日(火)16:59まで
叔母の温子(ながこ)はロサンゼルスの下町のアパートで孤独のうちに死んだ。
リトルトーキョーの小さな葬儀屋の一室で彼女の遺骨を受け取った甥の「わたし」は供養のために、可愛がってくれた叔母と昭和の家族についての話を葬儀屋に語る。短編。2万3千字。
原題「These Days」は
「最近」とか「近頃」と訳すのが普通だが、
1967年の日本のレコード会社の人は
「青春の日々」という
当時のフォークソングっぽい邦題を付けた。
歌でも本でも映画でもよくあるタイトル。
でもニコのこの歌を聴くと、
他のタイトルは思い浮かばなくなる。
とくにセンチメンタルな旋律ではないのだが、
聴けば聴くほど、雨水がしみ込むように、
深く広く、胸のなかに切なさが広がっていく。
青春の日々が遠くなった人間だからかもしれない。
作詞作曲はジャクソン・ブラウンで、
デビューする前、16歳の時に書いた歌だという。
歌詞は、最近、わたしの人生うまくいかない。
もう夢を見るのはやめた。
失敗したことを忘れたわけじゃないから責めないで
・・・といったちょっとネガティブな内容だ。
ティーンエイジャーの頃は
よくないことがあると内省的になり、
人生を達観したような気になってしまうことがある。
もちろんポジティブな気持ちを持って
元気に生きた方がいいけど、
いつもピーカンの青空ばかりというわけにはいかない。
晴天ばっかりでは生きててつまらないし、
人生もうすっぺらくなる。
ぽかぽか浮かんでくる雲の形を楽しんだり、
しとしと雨降りも経験して
生きる哀しさややるせなさも知ったほうが
人間が立体的に形成されていくと思う。
ニコはドイツ出身のファッションモデルで、
その後、シンガーソングライター、女優として活躍。
ニューヨークでかのポップアートの巨匠
アンディ・ウォーホールと知り合い、
彼がプロデュースするロックバンド
「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」と共演した。
ジャケットにウォーホール作のイラストーー
世界で最も有名なバナナが描かれたデビューアルバム
『The Velvet Underground & Nico』は、
ロック史に欠かせない超名盤となり、
その評価はむしろ21世紀になってからのほうが
上がっている。
ただ、ニコがベルベットに参加したのは、
ウォーホールが「女がヴォーカルをやった方が話題になる」
と言ってくっつけたからだそうで、
彼女は1枚限りでバンドを離れ、
同年、ソロアルバムを制作。
「青春の日々」は、そのアルバム
「チェルシーガール」に収録されていた。
昨年(2022年)1月にはビリー・アイリッシュがこの曲を
TikTokに投稿し、再生回数1億2千万回超を記録。
音楽ニュースサイトで大きな話題になった。
まさに今の世界中の若者の心もとらえた大ヒット懐メロだ。
ニコも、アンディ・ウォーホールも、
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを率いた
ルー・リードも、とうの昔に故人になっているが、
40年・50年・60年経っても
良い曲は聴き継がれ、世代を超えて共有される。
若い世代の人もこの曲を聴きながら、
自画像・人生像を描いてみるといいかもしれない。
新刊 叔母Q
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10月16日(月)16:59
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昨日ふたたび池袋へ行く。
10日あまり前とは別の仕事の取材だが、
たまたま同じ池袋。
先月は雨天であまり街の写真が撮れなかったので、
少し早めに行ってスマホでウロウロ撮影作業。
劇場の話に合わせる写真がいるので、
西口にあるわが母校 舞台芸術学院にも足を運んでみた。
卒業したのはもう43年も前のことだ。
当然、校舎は改築されているが、
場所も道路を通し、区画整理した関係で
僕たちの通っていた頃より20mほど移動している。
創立されたのは1948(昭和23)年。
終戦からまだ3年目のことで、
このあたり一帯は焼け野原だったらしい。
ホームページを見て見たら、
こんな創立の物語があった。
https://www.bugei.ac.jp/about/school/
演劇を志したひとりの青年、野尻徹。
彼は幸運にも復員し、池袋で演劇活動の拠点、
「スタジオ・デ・ザール」を開設しました。
しかしその志半ば、彼は27歳でこの世を去ります。
彼の演劇への「思い」はここで潰えたようにみえました。
しかし、彼のあまりにも早い死を悲しんだ父、
与顕は息子の遺志継承を願います。
「地に落ちた一粒の麦、徹死して幾百幾千の
舞台人となって実るであろう事を」
1948年9月13日、与顕は焼け跡の残る
東京・池袋に演劇を渇望した息子、
徹の遺志を継ぐべく、私財を投じ、
若者が演劇に打ち込むための場
「舞台芸術学院」を創立しました。
(※以上、ホームページより抜粋)
初代学長である秋田雨雀、副学長である土方与志は、
日本の近代演劇史・文化史に名を遺す人なので
いちおう知っていたのだが、
真の創設者である野尻さん親子のことは
恥ずかしながらまったく知らなかった。
これは75年前、西口公園に闇市が群れをなし、
池袋全体がダークでカオスな街だった時代の話である。
(池袋のヤバさ加減は、小説・ドラマになった
「池袋ウェストゲートパーク」あたりまで引き継がれてた)
75年の歴史のなかで有名・無名かかわらず、
多くの演劇人、そして、そこに連なるハンパ者たちを
輩出している舞台芸術学院。
60年代の舞芸の学生が、南池袋の仙行寺と関わったことから
小劇場「シアターグリーン」が生まれ、
その活動が波及し、西口公園の
「東京芸術劇場」につながり、
その他、東口の「サンシャイン劇場」「あうるすぽっと」、
野外劇場「グローバルリングシアター」、
最近ではシネマコンプレックス、商業施設と一体化した
文化施設「HAREZA(ハレザ)」の一角を占める
「東京建物ブリリアホール」という劇場もできた。
百貨店・家電量販店・アニメショップなどの
印象が強い池袋だが、
いまや新宿・渋谷をしのぐ劇場が花咲く街である。
その最初の一粒がわが母校だったことに
改めて驚きと感動を覚えた。
在籍時を含めて45年間、創立の話を知らなかったのは、
ハンパ者卒業生の一人として、ほんとに恥ずかしい限り。
長い時間を要しないと、僕のようなボンクラには
世界が見えない、意味が分からない。
しかし、とりあえずこの母校と池袋の劇場の件については
死ぬ前に気付いてよかった。
自分の新しい歴史がまた新しく始まった気がする。
義母がデイサービスに行っていないので、
昨日のリベンジでお祭りを見に行く。
一応、カミさんには声をかけてみたが、
「暑いからいかない」というお返事。
ま、わかってたので、仕事の合間に
ひとりでチャリチャリっと小一時間。
昨夜でハイライトであるお神輿の合同宮入りが終わり、
本日はエピローグモード。
あくまで印象だが、参道の露店は
コロナ前からだいぶ面子が変わった。
半分以上は変わって初出店みたいなところも多い。
値段も物価上昇の折、何割かアップ。
500円以下で飲み食いしたり、遊んだりできる店は
ほとんどない。
今年の正月は喪中だったので、久しぶりにお参りして、
幸福ガエルにもごあいさつしてきた。
帰りに川沿いをチャリチャリ走っていて、
何年もやっていた護岸工事がやっとこさ
終りかけているなぁと写真を撮っていたら、
後ろから「せんせー」と呼びかける声。
自転車とキックボードの高中小学生の女子集団が、
「大宮八幡へはどう行けばいいんですか?」
と聞いてくるので道を教えてあげた。
先生ってなんや?
でも、みんな可愛かったからうれしい。
心もドンヒャラお祭リベンジ。
電子書籍新刊予告
「週末の懐メロ第3巻」
9月20日(水)
kindeより発売予定!
おなじみの音楽エッセイ「週末の懐メロ」第3巻。
♯57:暗黒(スターレス)/キング・クリムゾンから♯84:さよならレイニーステーション/上田知華+KARYOBINまで
全28編を収録。
明日9月15日は「老人の日」。
え、敬老の日じゃないの?
いえ、それは祝日法改正によって2003年(平成15年)から9月第3月曜日に変更された。
今年は来週月曜18日が「敬老の日」になる。単に3連休としか認識していない人も多いけど。
敬老の日は長寿を祝い、お年寄りを敬う日だけど、祝日から転落した「老人の日」は記念日として残されたのはいいけど、どんな役割を果たすのか?
超高齢社会の進展、100年ライフの浸透で、
老人の概念はこの20年の間にずいぶん変わった。
そもそも「老人」という言葉をあまり聞かなくなった。
今、高齢の人に「あなたは老人ですね」
なんて言ったらぶん殴られるかもしれない。
でも逆にじいさん・ばあさんが自分から
「おれはロージンだぜ」
「あたしゃロージンだよ」
なんて啖呵を切ったらカッコいいかもしれない。
この本のタイトルは、
かつて「さいたまゴールドシアター」という
高齢者劇団を率いた演出家・蜷川幸雄さんのセリフ。
ライフシフトの時代、
客観的年齢と主観的年齢は一致しない。
ロージンが舞台に立ち、スポットライトを浴びるのは
もう特別なことではなくなりつつある。
仕事が一段落し、しばし猛暑から解放されたので、
義母を連れて阿佐ヶ谷をぶらぶらしに行く。
アンティーク雑貨店のショーウィンドウに
全身アメリカンファッションのマネキンを見て、
義母と同い年(昭和10年=1935年生まれ)の
叔母のことを思い出した。
小学校の低学年の頃まで数年間、一緒に住んでいて、
甥である僕をずいぶん可愛がってくれた。
アメリカ大好きな人で、
結構ハイカラな考え方・ライフスタイルを持っている
叔母だった。
彼女がティーンエージャーだった時代、
日本はGHQ=ほぼアメリカの占領下だった。
ただし彼女が若い頃は、まともな日本人の女は、
もちろんこんな格好はできなかった。
GHQが去り、高度経済成長が始まって、
彼女は新しく生まれた自由な戦後世代を
羨望の目を持って見ていたイメージがある。
ガキだった僕を相手に
「わたしももう10年遅く生まれていれば・・・」と
呟いていたことをいまだに憶えている。
小学校の高学年になる頃には、
もう離れて住むようになっていたし、
両親もあまり彼女のことを話さなかったので、
その後の叔母の人生はよく知らない。
僕は漠然と、
いずれ彼女はアメリカに移住するのだろうと思っていたが、
まだ一般庶民がそう簡単に海外に行ける時代ではなかった。
その代り、というわけではないが、
中年になってちょっとお金持ちのおっさんの後妻になった。
その叔母は兄である父より先、15年ほど前に亡くなった。
亡くなった時は独身だった。
結婚はあまりうまくいかなかったのか?
その辺の事情は結局わかかずじまいだ。
わかっているのは彼女にとって、
憧れていたアメリカは最期まで遠い地だった、
ということだけだ。
自分も大人になってわかったが、
まだチビの甥や姪というのは、自分の息子・娘と違って、
割と無責任に甘やかし、可愛がれる、
オモチャやペットのような存在だ。
たぶん僕の中にはあの叔母に甘やかされたことが、
のちの女性観にも影響しているのではないかな、
と思うことがある。
思いがけず面影がよみがえったこの叔母の供養のために、
何か彼女をモデルにした話を書こうと思っている。
いつの間にか、日が短くなり、
朝晩はマツムシが鳴いているのに気付く。
今年も淡々と夏を過ごして
特に思い出に残るようなことはしていないが、
なぜか夏の終わりになると、
いろいろな感情が心のうちに押し寄せてくる。
1970年リリース、サンタナの名盤「天の守護神」の挿入歌。
オリジナルはニューヨーク出身の音楽家で「マンボの王様」
と言われたティト・ブエンテの楽曲。
ジャンルとしてはキューバ発祥の音楽
チャチャチャの曲だったが、
サンタナが斬新なアレンジを施してカバー。
ラテンロックという新たなジャンルの代表曲として、
世界中で聴かれるようになった。
サンタナは、ギタリスト
カルロス・サンタナをリーダーとするバンド名だが、
このグループの楽曲には思い出がある。
初めて東京に出てきた1978年の夏から秋にかけて、
生まれて初めて水商売のバイトをした。
池袋西口の繁華街・ロマンス通りの「ロサ会館」
というビルの地下にあった「サムシング」という店だ。
当時はバーでもスナックでも、
店にウィスキーのボトルをキープ(マイボトル)することで
自分の行きつけの店を作り、というか、
店側のシステムに乗っけられて酒を飲むのがトレンドだった。
なので酒飲みのおっさんたちはみんな、
自分がどれだけマイボトルを持っているか
自慢し合っていた。
ここもそうしたボトルキープの店で、
僕は黒服を着てウェイターをやっていたが、
あまり水商売らしくない店長と、
いかにも水商売やってます風の副店長と、
キツネ型とタヌキ型の女の子コンビと、
5人で回す日が多かった。
マイボトルに関する裏話は面白いが、
またの機会に。
名称はパブ「サムシング」。
パブと言っても英国のパブとは大違いで、
ちょっとした食事もできる、
やや大きめのバーのことを
当時の日本ではそう呼んでいたのだ。
特徴としては、ディスコというほどではないが、
10人程度なら踊れる、ミラーボール付きの
小さなダンスホールがあった。
何と言っても70年代、昭和後期の池袋なので、
ちょっと怪しい客が多く、
この店には演歌の世界に出てくるような
わけありカップルが大勢来ていて、
よくチークダンスを踊っていた。
女を酔っぱらわせて、そのまんま近所のラブホに
連れ込む男もほぼ毎日いたと記憶している。
もう一つの特徴は、専属のバンドがいて、
30分おきに生演奏を披露していたこと。
このバンドのレパートリーの半分くらいがサンタナだった。
この曲を初め、
「君に捧げるサンバ」「ブラックマジックウーマン」
「哀愁のヨーロッパ」(チークタイムの定番!)などを
いつも演奏しており、未だに耳に残っている。
なのでサンタナを聴くと、あの店の客やスタッフのこと、
そこで起こったいろいろな出来事を思い出すのだ。
働いていたのは3カ月か4ヵ月程度だったが、
いろいろ社会勉強・人生勉強をさせてもらって、
今では感謝の気持ちを持って思い出す。
というわけで、
実際のサンタナとは全然ちがう話になってしまったが、
この映像はオンラインで世界各地の音楽家を結ぎ、
みんなで名曲を協奏するというプロジェクト
「プレイング・フォー・チェンジ」によるバージョン。
サンタナのロックテイストにプラス、
オリジナルであるチャチャチャのニュアンスも
色濃く出ていて、めっちゃカッコいい。
「僕のリズムを聴いとくれ」という邦題がぴったりだ。
もちろん、南国の空に響き渡る
カルロス・サンタナのギターソロは圧巻。
あのサムシングのバンドリーダーは、
今もまだサンタナを聴いてギターを弾いているのだろうか?
岡山県真庭市・湯原温泉郷の「はんざき祭り」は、
本日が本祭。
「ハンザキを喰った話」なんて本を書いていたのに、
こんなお祭りが60回も行なわれてるなんて、
ついこの間までちーとも知らなかった。
ちなみに本来は8月7日が前夜祭、8日が本祭。
今年は台風接近のリスクを避けて日程を変更した。
今年は無理だったが、いつか行きたい。
ハンザキ愛にあふれた湯原温泉郷の人たちのお話を
ぜひ聞いてみたいと思う。
じつは「ハンザキを喰った話」は、
岡山でなく他県のハンザキ生息地の人のお話を
モチーフに書いた。
どう見てもグロいとしか思えない地球最大の両棲類だが、
日本各地において、その“グロかわいさ”は
時代を超えた人気を獲得し、
歌に、キャラクターに、お土産物に、お祭りに
大活躍している。
まさに日本の誇り、日本の宝。
そしてどこかSDG'sのシンボルのようにさえ見え、
世界中から愛される勢いさえ感じられる。
これからの時代、ますます
ハンザキ、ハンザケ、オオサンショウウオに注目だ。
はんざき祭り開催につき、さらに延長
親子で読もう!
夏休み無料キャンペーン最終弾
ハンザキを喰った話
8月24日(木)15:59まで
オオサンショウウオに変態した100歳の発明家をめぐる怪異幻想譚。
認知症、あるいは認知症介護が
現実のものになると人生観が変わる。
先日、「回想療法士」を取材した。
回想療法とは古い写真などを見て、
認知症患者、また認知症でなくても元気のない高齢者と
いっしょに思い出を共有するというメソッド。
通信講座で取れる民間の認定資格だが、
ルールを覚えればそう難しいものでもなく、
たとえばカラオケで懐メロを歌うだけでも
回想療法になるらしい。
ただし療法といっても、これで認知症が治るわけではない。
予防になったり、
軽度の段階なら進行を遅らせることは可能らしく、
その辺もまだ研究の最中ということだ。
僕が取材した人たちは回想療法を活かした
商品を作っているのだが、
病院や介護施設の一部でも活用されているらしい。
ちょっと前まで認知症は、痴呆症、老人ボケなどと言われ、
これになったら半死人、ほとんど廃人みたいな扱いだった。
そうした認識がこの10年ほどの間に激変した。
理由は簡単で、当事者、
つまり自分ごとと考える人が増えたからだ。
他人ごとのうちはボケとか軽口を叩いたり、
廃人扱いしても心が痛むことなどなかったが、
身内や大切な人が発症して介護者になったり、
自分自身もなるかもと考えると、そうはいかない。
いまや認知症はポピュラーになり、
嫌な言い方かも知れないが、
多くの人のビジネスのネタになるようになった。
認知症をネタにした本を書いている僕も
その一人といえる。
次の段階としては、これからまだまだ増えるであろう
認知症患者を、どう役に立つようにするかが、
大きな社会課題になっていくだろう。
親子で読もう!
夏休み無料キャンペーン第6弾
ざしきわらしに勇気の歌を
8月22日(火)16時59分まで
認知症になった寅平じいさんの人生最後のミッション。それは最強の妖怪「むりかべ」に立ち向かうざしきわらしのきょうだいを得意の歌で応援することだった。笑ってちょっと不思議な気持ちになる、妖怪幻想譚。
終戦記念日。
日本人として78年前のあの惨劇に向き合う日。
――というのは正論だが、
「戦争を知らない子どもたち」が
8割以上を占めてしまった今の日本では、
なかなかできないことだろう。
そんな時にこの本をおススメ。
戦争に負けたからと言って日本が滅ぶわけでも、
日本人が皆殺しにされるわけでもない。
みんなの人生は続くし、国も世界も続く。
8月15日だって玉音放送を聞いて、
日本国民が全員、泣き崩れ、
茫然自失していたわけでもない。
負けたと分かった瞬間から復興は始まったのだ。
戦後の復興について知るのに、
政治や社会情勢から入るのは厳しいが、
映画・演劇・音楽・出版・スポーツなどの
娯楽の分野からなら入りやすいのではないか。
この本はタイトル通り、
1945(昭和20)年8月15日以降の4ヵ月半の間、
映画・演劇・音楽・出版・スポーツなど、
各分野の文化の担い手たちがどう再起し、
娯楽産業を復興していったかの記録だ。
著者の中川右介は、文学・音楽・映画などの
評伝・評論を書いている人で、
膨大な資料を調べ上げ、
あくまで客観的な事実を重視したスタンスと、
むやみに感動を煽ったりしない、
淡々としたジャーナリスティックな筆致で綴っている。
それが却って胸にしみてくるのだ。
これらの娯楽産業は、コロナ禍や災害時に言われる
「不要・不急な」分野なのだが、
日本中が不安と飢えと貧困にあえぐ中、
わずか4ヵ月半で、いわゆる主要産業よりも先に
復興へ歩み出していたことに驚く。
なぜ文化の担い手たちにはそんな力が合ったのか?
そのエネルギーはどこからやってきたのか?
映画・演劇・音楽・出版・スポーツなどが
人の生活にどんな役割を果たしているのか?
そんなことを考えるのも楽しい。
最近、またもや世間は昭和ブームとかで、
懐メロや昔ばなし、昔の映像がしょっちゅう
テレビやネットで流れているが、
その源流となる1945年について知ると
もっと面白くなるかもしれない。
夏休み無料キャンペーン第3弾
昭和96年の思い出ピクニック
8月16日(水)15時59分まで
みんなが愛して憎んで生きた昭和時代を1960(昭和35)年生まれの著者が探検する面白まじめエッセイ集。
終戦記念日には昭和のことに思いを馳せよう。
真夏。川沿いの道、木々の間を歩くと、
セミの命の限りの鳴きっぷりに心打たれる。
今日は台風の影響で朝から断続的に
土砂降りになっているが、
その短いやみ間、晴れ間を有効活用して
セミは懸命に鳴く。
5分、10分の時間も無駄にするものかという姿勢は
チョコザップみたいだ。
そのセミも先週あたりから選手交代が目立つようになった。
道端には命尽きたアブラゼミがコロコロ転がるようになり、
代わりにツクツクボウシの鳴き声が混じって来た。
朝早くと夕方遅くはヒグラシの独特の鳴き声も響く。
ヒグラシのゆったり伸るような声を聞くと、
なぜか怪談を連想する。
まだまだ暑いけど、
ツクツクボウシとヒグラシの声が増えると、
夏も後半に入ったなという感じがする。
長いと思っていた夏休みも半分終わり、
後半戦に入るとあっという間に過ぎ去る。
人生も同じく、後半戦に入ったと思ったら、
光陰矢の如し。
セミのように短い命を鳴き通そう。
親子で読もう!おりべまこと11日間連続
夏休み無料キャンペーン第2弾
いたちのいのち
8月14日(月)15時59分まで
小学生の女の子カナコと、彼女が世話をしているフェレットとの楽しいお話。
夏休みの読書感想文にもどうぞ。
今日のNHKのニュースで、
長崎原爆資料館の展示物の表記を
原爆が「投下された」から「さく裂した」に
変えると聞いた。
僕は違和感を感じ、なんで?と思った。
「投下」は主体がはっきりしている。
原爆を搭載した米軍機が飛行するイメージが浮かぶ。
米軍が投下した。米軍が原爆を投下した。
Atomic Bomb was Droped.(by U.S. Army)
U.S. Army droped Atomic Bomb.
ところが「さく裂」だと主体があいまいだ。
飛行機の姿も見えない。
原爆がさく裂した。
Atomic Bomb was Exploded.
そこに(by U.S. Army)が入る余地はない。
原爆が自然にさく裂したのか?
原爆がみずから意思を持ってさく裂したのか?
あるいは、どこか別の惑星から地球外生命体がやってきて
さく裂させたのか?
そんなはずはない。
そんなのわかっているだろ。
おまえの言っていることはおかしい。
くだらんツッコミを入れるな。
と言われるかもしれない。
ニュースの内容は以下の通り。
長崎市の原爆に関連して「11時2分」という
時刻について、
長崎原爆資料館では一部の展示物で
原爆が「投下された」時刻と表記されています。
これについて被爆者の一部からはより正確に
「さく裂した」という表記にあらためるべきだ
との意見が出ていることなどから、
長崎市は今後、展示物の表記を見直す方針です。
被爆者の人の指摘なら仕方ないかとも思うが、
主語は大切にした方がいい。
主語があいまいになると、責任もあいまいになる。
そもそも「投下された」という受動態も変だ。
当たりが柔らかくなるからか、
責任をボカした方が都合がいいからか、
日本人はやたらと受動態の文章を好み、
人ではないモノ、概念などを主語にしてしまう
ケースが多い。
同資料館が子どもが原爆について学ぶ場であり、
後世に伝えていく施設であるなら、
“誰が”原爆を投下したのか、
“誰が”この暴力・殺戮を行使したのか、
言わずもがなにせず、
一読ではっきり事実と責任が
わかるように表現すべきではないかと思う。
「米軍が投下した原爆が、
11時2分に長崎市上空でさく裂した」
先週開催の有名花火大会に行った知人が
コロナで高熱を出して寝込んでしまった。
もうほとんどの人が気にしておらず、
感染者数もわからないし、報道もされない。
しかし、コロナは確実に広がっていると思う。
この3年間、
真夏は真冬をしのぐほど感染者数が跳ねあがり、
重症者数・死者数も年間のピークだった。
今年だって例外ではない。おそらく。
5類移行で行動制限がなくなったということは、
「今後はすべて自己責任でお願いします」ということ。
家族などに感染させるリスクも、医療施設の治療費も、
何でも自己負担しなくてはならない。
それに昨年まではコロナになったと言えば、
「たいへんだね」「しかたないよね」と
社会的な同情・共感(?)も得られたが、
今年からは周囲の反応も冷たいだろう。
「なんであたしだけが」「おれだけが」と、
メンタルがへこみやすくもなる。
お祭りムード・夏休みモードに水を差す気はないし、
遊びに行くなという気もない。。
混んでるのはいやだと言う人は多いが、
その一方で、わいわい賑やかじゃなきゃ面白くない、
気分が盛り上があらないというのもまた事実。
ただ、相変わらずリスクはあるんだということは
頭のどこかに留めておいて、
自己防衛策はちゃんとしたほうがいい。
真夏に感染者が増えるのは、
おそらく冷房で換気が不十分になりがちだからだろう。
コロナウィルスはインフルエンザと違って
高温も気にしないので、年間通して活発に動けるようだ。
この猛暑で熱中症のリスクも気になるが、
やはり換気はちゃんとこまめにした方がいいいだろう。
換気の良くない場所には長時間いないこと。
人ごみに揉まれた後で、換気の悪い店で一杯、
というのが一番やばいパターンかも。
暑いけどリスクが気になる人は
マスクも付けた方がいいだろうし、
手洗いをこまめにするのは必須。
今週はお盆で帰省ラッシュになる。
人混むのを楽しむのは、お祭りに共通して、
日本人独特の感性みたいなものだが、
コロナにかかって後々苦しむことのないよう
しっかり防衛策を。
岡山県でAI開発をやっているビアンフェ.の岡野さんから
今年もモモが送られてきた。
ちょっとまだ固いようなので、
両親と義父にお供えして追熟。
連日の猛暑でバナナもアボカドも
ちょっと青っぽいのを買ってきてもすぐに熟すので、
明日あたりには柔らかくなっていただけるだろう。
岡山は桃太郎の故郷なので、モモは名産。
桃太郎と言えば鬼。
「鬼滅の刃」の鬼は、ヨーロッパの吸血鬼と同じく、
太陽の光を浴びると、存在が崩壊してしまうが、
この夏はまさしく鬼を見習って、
太陽が照りつける日中は外出しないほうがいいようだ。
コロナ禍があけて、街も海も山も大賑わいのようだが、
仕事の時以外、とても出かける気にならない。
基本的に毎日家の中で仕事して、
夕方、日光の勢いが弱くなり、
ちょっと気温が下がったのを見計らって
義母を連れて川沿いを散歩する———
ほとんどコロナ時と変わらない生活を続けている。
それにしても連日の猛暑は気温35℃を軽くクリアし、
37℃、38℃にもあまり驚かなくなり、
そのうち40℃くらいが標準になりそうな気配も漂っている。
テレビでは「クーラーを夜通しつけっぱなしにして
寝てください」なんて、
ひと昔前には非常識だったことが常識になってしまい、
日本の夏は(世界の夏も)
これからどうなってしまうんだろうと、
ちょっと不安を抱かざるを得ない。
それに加えて物価高騰のダブルパンチ。
食べ物もずいぶん値上がりしているが、
へたに節約して栄養不良になったら
免疫力が落っこちて、コロナなどにやられかねない。
べつにごちそうは要らないが、
毎日ちゃんとしたものを食べて
バテないようにしたい。
というわけで、おいしいモモで
夏を乗り切る体力を養います。
ありがとう。
幻視なのかどうかよくわらないが、
認知症の義母のところには、
もう一緒に暮らしていない家族がよく現れる。
昨日は食事の時に「あれ、赤ちゃんはどこ行ったの?」
と言い出したので、カミさんが
「もう大人になって会社に行って働いています」
と答えたら、
「ああ、そうか」と納得した様子を見せた。
なんともシュールなやりとりで笑ってしまった。
彼女が最近、家の中で見た赤ちゃんと言えば、
僕らの息子のことである。
食卓上に20数年の時間が風のように過ぎ去った感じだ。
義母が見る家族は、何十年も会っていない人たち。
カミさんによるとそのきょうだいの人たちは
ほとんど亡くなっている。
さらに謎の男の子・女の子も現れる。
いつも通っているデイサービスの
スタッフのことかなと思うが、
そうでないこともあるようだ。
経験上、子どもが成長する時は
なだらかな曲線を描くのでではなく、
ある日突然、ガン!とステップアップする。
それと同じで、人生の下り坂も
ガン!とステップダウンするようで、
最近、認知度の劣化が目立つ。
話す言葉が意味不明なことが多く、
コミュニケーションしづらくなってきた。
自分の誕生日も、このクソ暑い今がどういう季節かも
よくわからなくなってきている。
また、先週・先々週あたりは
ちょっとしたことでキレまくったり、
デイサービスでは風呂に入るのを頑なに固辞したり、
かなり手を焼いて、こっちもキレそうになった。
あとどれくらい一緒に暮らせるのだろう?
「洗たく女の空とぶサンダル」では
主人公のアカネに教わったことがある。
それはいつでも、どんな時でも空を見ること。
僕たちは空を飛べないけど、見続けることはできる。
この星で暮らす限り、みんな、この空の下で生きている。
空には未来があり、ビジョンがある。
そしてまた空は僕たちの心の中を映し出している。
うまく行かないときは空を見るといい。
雲がどう動いていくのか見るといい。
朝と昼間と夕方は違った顔をしているし、
星が広がる夜空はまた別の世界だ。
潜在意識がどうとか、瞑想術がこうとか、
そんものを学ばなくても、ただ空を見上げるだけで、
これまで見えていなかったものが見えてくる。
できたら毎日。
今日もひどく暑そうだが、
ちょっとの間なら外に出てもいいだろう。
あれば木陰に入って晴れた空を眺める。
空は世界であり、自分自身でもある。
洗たく女の空とぶサンダル
無料キャンペーンは昨日終了しました。
ご購入いただいた方、ありがとうございました。もしよければレビューをよろしくお願いします。
引き続きAmazonKindleで販売しています。他の本も読み放題サブスクもあります。今後も洗たく女を応援してください。
「洗たく女の空とぶサンダル」に出てくる
路上で靴を並べるアーティストは、
むかしロンドンで暮らしていた頃に遭遇した
ストリートアーティストをモデルにしている。
僕がロンドンの日本食レストランで働いていたのは、
1985年から87年にかけて。
当時、英国病・老大国化を克服し、
「ふたたび強大なイギリスを」と訴えた
マギー・サッチャーの新自由主義政策によって、
イギリスの公的福祉はバッサバッサと切り捨てられていた。
要するに国は自分で稼がない人・稼げない人の
面倒などこれ以上見ないということである。
その影響で街には失業者・ホームレースがあふれ、
ロンドンの中心部を歩いていると、
「10ペンスめぐんで下せえ」と、よく小銭をせびられた。
ストリートや地下鉄の構内にはそうした物乞い以外に、
「アート」を提供する芸術家もたくさんいた。
音楽家たちはその筆頭で、みんな、ギター、サックス、
バイオリンなどを持ち出し、街頭音楽を聴かせたり、
寸劇やダンス、パントマイムなどを見せていた。
また、路上で詩集のような本を売ったり、
奇妙なオブジェを並べて
人々の関心を引こうとする者もいた。
不思議なことに、その作品やパフォーマンスの
出来・不出来に関わらず、
彼ら・彼女らの顔はどこか自信にあふれていた、
という風に見えた。
たまに目を見張るような面白いもの・
芸術的な価値があるなと思えるものもあったが、
9割以上は投げ銭稼ぎのガラクタの類だ。
それでもロンドンには世界中から
観光客が集まってくるので、
ガラクタみたいな音楽やアートでも面白がられ、
投げ銭でいくらかは稼ぐことができたのかもしれない。
まともな頭で考えれば、そんなことをするより、
非正規だろうが何だろうが、
ちゃんと職に就いて安定的に稼げるのは明らか。
“選り好みさえしなければ”、
少なくとも食っていくのに何とかなる程度
稼げる仕事はあったと思う。
事実、僕の勤めていたレストラン経営の会社でも、
ロンドン出店の条件の一つとして雇用対策を打ち出し、
ほぼ年中、スタッフを募集していた。
それでも少なくとも僕がいた間、
イギリス人で応募してくる者は皆無で、
実際にスタッフになったのは、全員が外国人労働者だった。
みんな「イギリス人は怠け者だからダメだ」と言っていた。
当時のイギリス人の間では、
やっぱり東洋人に対する差別意識があったと思うので、
成りあがりの日本人の会社の支配下に置かれるのは、
プライドが許さなかったということもあるろう。
今、振り返ってみると、あの頃のイギリス人を
バカだ、怠け者だと非難する気にはなれない。
それは人間というのは、
一度、豊かな生活———まわりに文化的な環境があり、
なんとか食っていけるといった状況を体験してしまうと、
必死になってカネを稼ぐだけの生活には
もう二度と戻れないのではないか、と思うからだ。
言い換えると、肉体だけでなく、精神もメシを食いたがり、
その結果、自己表現の欲求が抑えられなくなる。
文化や芸術などなくても生活していけそうなものだが、
文明国で生まれ育った人間には、
それはどだい無理な話なのだ。
労働・カネ・芸術。
これからを生きる人間にとって、
この三つに折り合いをつけるのは
大きな課題であり、ある種の楽しみなのかもしれない。
日本の社会が40年近く前のイギリスと
似たような状況になった今、
しみじみとそうしたことを感じる。
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福井の鯖江と言えば国産メガネの聖地。
1905年に始まった鯖江のメガネ作りは、
100年の間に一大地場産業に発展。
いまや日本のみならず、
世界的にもメガネの産地としての地位を築き上げている。
先日、富山出張の際に会った福井在住の
経営コンサルタントの話によると、
その鯖江で純金のメガネを作って売り出したところ、
最も注文が多かったのは、東京でもなく大阪でもなく、
わが故郷・名古屋だったという。
金は柔らかいので実際に日常的にかけるには適さない。
観賞用か、投資の意味を含んでいると思うが、
妙に納得できてしまう話である。
お値段も末広がりの88万円というのも
名古屋人受けしたのだろう。
名古屋市の市章は漢字の「八」の字をアレンジしたもの。
サッカーJリーグの名古屋グランパスも、
創設当初の正式名称は「名古屋グランパスエイト」だった。
これは市章と、
メインスポンサー「トヨタ」のカタカナの総画数が
「8」であることのダブルミーニングから付けられた。
そこまで末広がりにこだわったのに、
いや、こだかわったがために、
Jリーグでの順位が毎年8位前後だったことで、
2008年に「エイト」を外したという経緯がある。
このあたりのちょっとマヌケなエピソードも
わが故郷・名古屋っぽくて面白れーでいかんわ。
話を純金メガネに戻すと、
日本の中心に位置し、
信長・秀吉・家康という三英傑を輩出しながらも、
都は東京(江戸)に作られ、
文化面の人気では京都・大阪に遠く及ばず、
お洒落感でも横浜・神戸に太刀打ちできない
名古屋人のコンプレックスが、
この88万円・純金鯖江産メガネへの購買に
結びついていると思う。
おそらくは金ピカの茶室・茶器も作った
秀吉以来の伝統なのだと思うが、
お城のしゃちほこも金ピカにしちゃうなど、
金を使った造形物が大好きな名古屋人。
この見え張り・成金趣味は、
経済的には恵まれているのに、
イマイチ感・凡庸感に甘んじざるを得ない
名古屋人にかけられた呪いのようなものかもしれない。
というわけで、
どえりゃーわが故郷をディスってまったけど、
純金メガネを購入された方で、
「おみゃーさん、いっぺん拝ませたるで、こっち来やぁ」
とお声がけ下さる方がいらしたら、ぜひともご連絡を。
ついでに自叙伝でも書かせていただきますで。
お待ちしとるでよ。
先週後半から週末にかけて地方の取材と
母の一周忌の法事、帰って来てまた連荘取材と、
久しぶりに長距離移動が激しく、
いささか疲れてた。
実家に帰ったのは昨年の49日以来、
およそ10か月ぶり。
法事をやって昼飯を食べた後、
そろそろ帰るかなと思ってた矢先、
カミさんが写真撮ったらと言い出したので、
あまり抵抗することもなく、すんなり
両親の遺影の前できょうだい三人で写真を撮った。
考えてみれば、三人揃って写真を撮るなんて、
還暦過ぎて人生初体験である。
じつは末っ子の妹は、実のきょうだいでなく、
本当はいとこ(父の弟の子)なのだが、
事情があって1歳のときに両親が引き取って育てた。
そんなわけで齢が離れていることもあり、
子どもの頃も1枚も3人そろっての写真なんか
撮ってなかったのである。
そうでなくても昭和の時代は、
カメラもフィルムもプリントも高価だったので、
今のようにホイホイ手軽に写真は撮れなかった。
というわけで上のふたりは還暦過ぎての撮影。
人生は短い。
子どもにきょうだいがいる人は、
今のうちにバシバシ並べて写真を撮っておくと良い。
それにしても父と母のみちびきなのか、
50代、60代になってきょうだい写真を撮るなんて
まったく思いもよらなかった。
なんだかひどく照れ臭かったが、
なかなか気分がいいものだ。
新しい人生のフェーズが始まったような気分になっている。
先週、息子の誕生日だったのでお祝いした。
ついこの間までチビだったはずだが、もう20代後半。
あっという間の4半世紀。
子どもができるとエネルギーを吸収されて、
どんどん人生が短くなっていく感じがする。
よく本を読む子どもだったが、
今ではすっかり読書量でははるかに追いつかなくなった。
最近は昭和史だの、SF史だのの
近代クロニクル(歴史・年代史)にハマっているという。
最近は本でもネットでもアーカイブが充実してきて、
平成・昭和はもとより、20世紀全般、
さらにその前の産業革命時代から
この200年余りの人類社会の歴史が、
政治や産業・経済だけでなく、
生活・文化のかなり広い範囲まで、けっこう詳細に、
誰でも調べられ、その気になれば、
かなり深く研究できるような環境ができつつある。
文学・映画・マンガ・音楽だって、
僕らよりもよっぽど詳しい奴らがわんさかいる。
しかもあらかじめクロニクルがわかるので、
体系だって勉強できるのだ。
息子に限らないが、最近の20代・30代(もっと若い子も)は
そうしたアーカイブで勉強・研究している輩が大勢いる。
僕たちのような昭和を体験した年長者が、
かなり主観・先入観のフィルターをかけて
過去の事象を見ているのに対し、
彼らは体験がない分、客観的に歴史を俯瞰し、
クールに分析・考察できる力に長けていると思う。
「近頃の若いもんはリアルな体験がないからだめじゃー」
と、偉そうななことを言っている間に、
あっという間に知識の質・量の面で
アーカイブ勉強派に凌駕されてしまいそうだ。
青年負いやすく、学成り難し。
こっちも勉強し直さないといかなーと思う。
善福寺川添いの散歩道でカルガモ親子に遭遇。
いままで3メートル下の川の中や中州、
岸でしか見たことがなかった。
こんな間近で見たのは初めて。
どうやらこのお母さん、
このあたりの草むらで卵を産んで孵したらしい。
散歩の犬などがよく草むらをかき分けて
クンクンやったりしているのに
よくぞ無事に生まれたものだ。
ひなは8ぴき。
でも、こんなところでのんびりしていたら、
たちどころにカラスや蛇のごはんになってしまう。
お母さんは一生懸命川に降りられる場所を探す。
子ガモたちはピイピイ言いながら、
押し合いへし合い、必死になってついていく。
やっと橋のたもとで降りられそうな場所を見つけた。
母はダイブ。
母はいい。何と言っても大人だし、飛べるし。
「早くみんな来なさい!」
グワグワグワと下からがなり立てる。
「ひえー、お母ちゃん、そんなこと言ったって、
こわいよこわいよ」ピーピーピー。
「はよ来い、ボケカス!」グワグワグワ―!
いやいや、人間だって飛び降りるのはこわい3メートル。
子ガモの体に換算したら、こりゃドバイの超高層ビルから
地上まで飛び降りるのに匹敵するんじゃないのか?
それでも行かなくては、この先、生きることはできない。
あっという間にカラスのごはんだ。
えいっ!
勇気ある一匹がダイブ!
もちろん飛べないので、そのまま落っこちる。
斜面をひたすら転げ落ちる。
でも大丈夫だ、生きている。
おれたちは死なないぜ、きょうだい!
ピーピー言いながら、
みんな「ナムアミダブツ」と唱えつつ、
つぎつぎとダイブ。
護岸工事がされたコンクリの岸に
たたきつけられてもなんのその。
それ行けとばかりに川に飛び込みむと
ぷかぷか浮かんでいる。
さすがカモ!
みんなよくがんばった。
きみらの勇気と冒険に大感動だ。
(この間、つれてきた義母はほったらかし)
しかし油断大敵。
ごちそうを前によだれをたらしながら
カラスが近づいてくる。
必至に交戦し、追い払うお母さん。
しかし、シングルマザー1羽で
チビガモ8兄弟を守るのは至難の業だ。
一昨年はオスかメスかわからないけど、
複数のおとなが協力してヒナを守ったおかげで、
抜群に生存率が高かったという。
みんなで子育てに協力してチビたちを守ってくれ!
「東京はすっごく楽しいですぅ!」
この春、鹿児島の田舎から出てきたという
23歳の女の子と話をした。
仮に名前を「篤姫」としておく。
篤姫は介護施設で働いているが、お休みの日は
友だちと渋谷に行ったり、ディズニーに行ったり、
エンジョイしまくっているようだ。
就職の面接の時(オンライン)では、
「そちらで働きたいから東京に行きます」
と言い切ったらしい。
それが本当だったのか、嘘だったのか、
僕はただのインタビュアー/ライターなので
問い詰める立場でもないし、そんな気もない。
いずれにしてもいったん来てしまえば
こっちのもので、誰しもそうなってしまう。
長年住んでるとわからないが、
それが花の都の魅力というもの。
これだけ情報化が進んだ世の中になっても
やっぱネットやテレビで見る東京と、
リアルに体験する東京とでは全然違うようだ。
そういうところは僕が出てきた45年前と
ほとんど変わらない。
篤姫は江戸川区の千葉との境あたりに住んでいるらしいが、
「東京の人には干渉されないからいい」という。
鹿児島の田舎では、あそこの娘は東京に行ってしまったと、
大きな話題になり、いろんな噂が渦巻いているそうな。
あー、やっぱ、そういうところも
昭和の時代と変わってない。
ただ、違うのは、出てきたばかりにも関わらず、
僕と話したり、仕事をやっている時は
きれいな共通語を話しており、
あの鹿児島特有の強いなまりはほとんど感じない。
そういうところはやっぱ令和っ子。
先のことはわからないけど、
しっかり仕事して東京を楽しんでください。
でも、若くてかわいい篤姫様は、
変な奴に狙われる可能性が高いから気を付けてね。
食事の時、よく義母とカミさんがケンカになる。
原因はほとんどの場合、義母のマナーだ。
「いただきます」をする前からパクパクつまみ食いをする。
さらに舐りばし、迷いばし、
また、箸を持ったまま人を指す。
これらをやると「やめなさい!」と、
カミさんがカッカする。
怒られるのがわかっているので、
本人は一応「わかりました」というふりをするが、
こちらがちょっとスキを見せると、すぐまたやってしまう。
むかしはこうした親子の関係は真逆で、
義母が娘であるカミさんの食事のマナーを
厳しくしつけていたはずだ。
人生大逆流。
違うのは、子どものマナーを叱る場合は、
他人と気持ちよく暮らせるように、
また、自分という人間の品位を保てるようにという
正当性と将来への思いやりがあるのだが、
認知症患者の場合は、それがまったくないこと、
意味をなさないことである。
何と言っても、いったんおとなになってしまっているので、
それなりに人生の蓄積とプライドがあるため、
苦情を言われれば表面上はやめるが、
心の底では素直に従うつもりがない。
それで娘(カミさん)のほうは
ますますカッカしてガミガミいう。
諍いが起こるとめしがまずくなるし、
どっちもへそを曲げるとかなり厄介なので、
まぁまぁとそれぞれのご機嫌を取って
平和を維持するのが大変だ。
たびたび書いているが、認知症患者である義母の
言動を観察していると、どういう部分が
人間の生まれ持っての本質的なところなのか。
どのへんが後天的に身につける
社会人としてのパートなのか、よくわかる。
認知症患者との生活に未来に繋がる何かを見出すとすれば、
こうした人間研究の分野だろうか。
ただ、「超高齢社会では高齢者の5人に一人が認知症」と
言われるようになってから、
どんどん認知症への理解度と
認知症患者を取り巻く状況は変わってきており、
社会参加とか、認知症患者の未来などについても
積極的に語られるようになっている。
ひと昔まえの「ボケ」とか「痴呆症」とかの一言で
片付けられていた時代とは雲泥の差がある。
家族がなるか、自分がなるか、多くの人にとって
自分ごとになる可能性を持つ問題でもあるので、
いろいろ勉強していこうと思っている。
生活体験に基づく
エッセイ集:認知症介護
認知症のおかあさんといっしょ
amzonkindleより発売中 ¥500
昨日、久しぶりに新宿方面に出たので
紀伊国屋書店に寄ったら、
1階にはものすごい村上春樹の新作のレイアウト。
まさしく書店の、文学界の、出版業界の救世主。
ハルキさまさまである。
まだ読んでないので1冊買ってきた。
最近、本は10冊中、8冊は電子で読むか、
図書館で借りて読むかだが、
ハルキ本はやっぱり紙本を買いたくなる。
分厚いし、重いし、お値段もけっこう高いけど、
数年に一度のことだし、
重みを感じていいのではないかと思っている。
「街とその不確かな壁」。
今、ネット検索で「街」と入れただけで、
すぐにこのタイトルが出てくる。
おそるべき人気。
なぜ、村上春樹のわけのわからない話を、
僕を含め、こんなに大勢の人が読みたがるのか?
現代人の不安心理とか、喪失感の現れとか、
いろんなことが言われているけど、
単純にみんな、彼の書く物語を読むことで、
一緒に自分の創作活動を行えるからなのだと思う。
ノウハウ本はべつにして、特に小説など、文学系の読書は
すべからく創作活動だ。
みんな、本を読むことで頭のなかで
自分の物語を創り上げていく。
そこに書いてある小説なり、詩なり、エッセイなり、
あるいは自己啓発本や人生相談さえも創作活動になり得る。
そこが本と映画やテレビなどの
ビジュアルコンテンツとの大きな違いで、
映像という視覚情報がついてくると、
どうしても作り手側から「与えられる」部分が大きい
(すべてとは言わないけど)。
本の場合は人物も情景も、言葉の連なりを手掛かりに、
読者が想像力で創造していかないと、
頭のなかに立体的に現れてこないし、
生きて動き出さない。
村上春樹は数多の文章の中にかなりの部分、
そうした読者の想像力・創造力が入り込む
手掛かりと余白を絶妙な塩梅で用意している。
人間は誰もが、自分の心の奥に自分の物語を持っている。
しかし、多くの人はまったくそれに気付くことすらなく、
この世で生きて死んでいく。
そんなのは嫌だ。
私は自分の中にある物語を知りたい、と言う人が、
何か書いたり、歌ったり、表現活動・創作活動を始める。
文学などの読書もその一環と考えるとわかりやすい。
誰にとっても最も入りやすい、
始めやすい創作活動なのだと思う。
そして、村上春樹は日本だけでなく、世界中の多くの人に
そのことを気づかせた作家なのだと思う。
たぶん、ご本人はそんなこと、思ってもみないだろうけど。
みんな、わけのわからない自分を生きている。
僕もたぶん、最期までわけのわからない自分を生きる。
だから、村上春樹が提供する物語が
わかる・わからないなんて二の次の問題だ。
大事なのはどこに行きつくかではなく、
どんな旅を体験するかなのだ。
読む本がたまっているので、
気が向いた時にぼちぼちじっくり読もうと思う。
桜が咲いている頃に深川(門前仲町)のお寺を取材した。
掲載が1カ月遅れになったので、
ひと月近くほったらかしており、
きょうやっと音起こしをした。
ここの30代の副住職(年内に住職になる)は、
この地域のお寺に生れ育ち、
学業と修行を終えると、
そのまま自分の家である寺に入った。
べつに親に強要されたわけでなく、
自分の意思でそうしたわけだが、
「ぬくぬくと生きてきました」と、
自分の在り方に引け目を感じてきたという。
これまで30カ所近いお寺を取材してきたが、
こういう人は割と少数派で、多くは会社勤め、起業家、
学校の先生など、いったん社会に出て別の仕事を経験し、
あとを継いだという人が多い。
では彼が世間知らずで、世の中のことを知らない、
役立たずのボンボン坊主かというと、
そんなことは全然ない。
彼はクリエイティブな才能を発揮し、
人びとにお寺や仏教のことをもっと理解してほしいと、
自分でお寺や仏教をテーマにしたボードゲームを開発。
それが東京のみならず、お寺関係のみならず。
全国の子供関連のイベントや
地域のコミュニケーション促進の集まりなどで
大人気を集めているという面白い坊さんなのだ。
大人も子供もそうしたゲームで遊べば、
有難いお説教を聞くより何倍も
お寺のことや仏教のことがわかる。
分かるというのが言い過ぎなら、
少なくとも興味がもてるだろう。
また、自分でぬくぬくと言う通り、
確かに競争社会の毒素に触れていない、
のほほんとしたホトケさんキャラで、
一緒にいてとても楽しかった。
彼の話は集約すると、
お金や地位や社会的役割は大事だし、
社会の中にいる以上、迎合して生きていく必要があるけど、
もう一つ、別の基準・視点を持っていないと
生きるのが辛くなります。
その基準・視点が仏教の中にあるんですよ、というもの。
前にも似たようなことを言った
坊さんは複数いた気がするが、
彼のキャラと話し方のせいか、
とても胸に響き、共感できた。
時代が変わり、価値観が変わり、
競争社会で揉まれて努力して勝利することが、
必ずしも良いことではなく、
社会のこと・人のことがわかる
立派な人になる条件では
なくなってきたような気がする。
自分の運命をちゃんと受け入れられる人、
自分の心の声に素直に従える人のほうが、
自分自身の幸福感が上がり、
結果的に人からの信頼感も厚くなるのではないだろうか。
Amazonで注文していたヘルメットがやっと到着。
自転車のヘビーユーザーなのです。
4月から着用義務ということで遅ればせながらGo!
うざったいし、夏は絶対暑いので、嫌がる人がいっぱい。
街の中を見る限り、この1カ月、
着用率2割程度と言ったところだが、
僕の場合、5年前に事故って死にかけた経緯がある。
走行中、転倒して顔を地面に叩きつけられ、
最初はCT撮っても何ともなかったのだが、
1ヵ月後、脳から出血していたことが発覚。
街中で倒れて救急車で運ばれ、
硬膜下出血との診断で脳の手術。
だけど本人、なんも憶えとらん。
大迷惑だったのは連絡受けて
病院をたらいまわしにされたカミさん。
という顛末があり、
バカは死ななきゃ治らん
(どころか死んでも治らん)けど、
バカでも何でも死んでもらっちゃ困る、
ということでプレッシャーをかけられ、
さすがに「うざいから嫌だ」とは言えなかった。
そんなわけでこうしたマヌケな事故例もあるので、
自転車に乗る皆さん、
「まさか、このおれが」などと笑わずに、
できればチャリヘルつけて
僕より優れた頭脳を守った方がいいですよ。
春のルネッサンスキャンペーン第2弾は無事終了しました。
ご購入ありがとうございます。
よろしかったらレビューをご投稿ください。
今週は第3弾として、おとなも楽しい少年少女小説・長編3作を無料セールでお届けします。
5月4日(木)17:00~7日(日)16:59 4日間
どうぞお楽しみに。
3年間のコロナ禍によって、
これまでの時代の残滓がクリーンアップされ、
社会の在り方も、人の生き方・死に方も
この2023年は大きく様変わりしてきた感が倍増している。
昭和のカルチャーやライフスタイルが
だんだん発酵して堆肥化し始めている感じがするのだ。
そりゃまぁ終わって35年も経つんだから当然。
21世紀中盤戦へ向けて、
新しい畑を耕すお百姓さんは、
やっぱりAI・ロボットなのだろう。
僕たちもとりあえず、端っこをお借りして、
自家消費用の家庭菜園でもいいので
何か新しい作物を育てよう。
いつまでも昭和の常識にとらわれていると確実にボケる。
昭和100年に向けてぼちぼち土いじり。
あなたの畑の地中にはどんな虫や細菌が生きているのか?
春のルネッサンスキャンペーン第2弾!
4月27日(木)17:00~30日(日)16:59まで
4日間無料セール
エッセイ集:生きるシリーズ3タイトル
★酒タバコやめて100まで生きたバカ
・わたしの中の人間のクズ
・客観性という名の神様と自分の物語
・人生最後の全力疾走?
・「赤い服の少女」に学ぶ人生タマタマ
・人を食った話 ほか全35篇収録
★いつもちょっとクレイジーでいるためのスキル
・とんかつ屋はいかにして声優に転身したか
・eパン刑事、その愛と死とスマホ
・生殖機能終了後の人生とは?
・中年期以降の同窓会幹事の心のゆらぎ
・お母さんは夕暮れの交差点で踊った ほか全38篇収録
★銀河連邦と交信中なう
・「人間を大事にしています」ってどういうこと?
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・電車内スマホゲームはなぜカッコ悪いか
・みずから幸福になることを放棄している日本人
・落書きペンは地球色 ほか全38篇収録
このチャンスにあなたの
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成功人生に行き詰った時の便秘薬にご常備ください。
「ドウシテ人間は、オ酒ヲ飲ンダリ、
煙草ヲ吸ッタリスルノデスカ?」と、
友だちのロボットに聞かれたので、
「銀河連邦と交信するためだよ」と答えた。
そしたら「ワタシモシタイノデ飲ンダリ吸ッタリシテイイデスカ?」と言うので、
「地球の未来を担う君たちが人間みたいになったら
どうするんだ?」とたしなめた。
というわけで、
本日より春のルネッサンスキャンペーン第2弾!
4月27日(木)17:00~30日(日)16:59まで
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★銀河連邦と交信中なう
・「人間を大事にしています」ってどういうこと?
・慢性硬膜下血腫で頭の手術の顛末記
・電車内スマホゲームはなぜカッコ悪いか
・みずから幸福になることを放棄している日本人
・落書きペンは地球色 ほか全38篇収録
今年になってから時代が変わっている感が倍増。
AI・ロボットが世界を席巻し、人類の暮らしから
酒・タバコが消えるのも間近?と感じてしま今日この頃。
これもまた新たなルネッサンスの始まりなのか?
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ぜひともご常備ください。
おりべまこと電子書籍
春のルネッサンスキャンペーン第1弾
「ネズミを取り出すミケランジェロ」
ご購入ありがとうございました。
好評につき、今週は第2弾を実施。
エッセイ集:生きるの既刊3作を無料セールします。
期間 4月27日(木)17:00~30日(日)16:59 4日間
●酒タバコやめて100まで生きたバカ
●いつもちょっとだけクレイジーでいるためのスキル
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世俗の成功人生の追求に便秘症状を起こした時の
常備薬にぜひどうぞ。
作家のスティーブン・キングは、
雑誌「ニューヨーカー」のインタビューで、
ストーリーというものは地中に埋もれた化石のように
探しあてるべきものだ、と答えたという。
これも大理石のなかにダビデを見出した
ミケランジェロの話や、
あるいは木の中にネズミを見出した混血の少年
(村上春樹「1Q84」のなかで語られる人物)の話と同じ。
キングの答は面白い。
さすがアメリカの超売れっ子作家。
もちろんその化石を美しい形のまま
掘り出すのには、さまざまな技術とセンスがいる。
その多くは天賦のもののようだ。
それを人は「才能」とか「ギフト」とか呼ぶ。
ストーリーを「人生のストーリー」と言い換えてみよう。
それはあらかじめ、僕たちのなかに埋もれている、
僕たちがすべきことは、
その人生のストーリーを見出し、成長の場を与え、
時期を見てうまく掘り出すことである。
それができれば人生は成功だ。
ただし、埋もれていたのが、
社会から絶賛される巨大な恐竜の化石なのか、
見向きもされない小さな貝殻の化石なのかの違いはある。
けれども、どんなものであれ、
あなたも僕も懸命に掘り出すしかないではないか。
春のルネッサンスキャンペーン!
エッセイ集:生きる4
ネズミを取り出すミケランジェロ
ー人間1年生が人生の成功とは何か考えるー
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4月24日(月)16:59まで
このチャンスにあなたのスマホ・PC・タブレットにインストール。人生のおともに。
もはや夏みたいに暑いけど・・・
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春のルネッサンスキャンペーン 本日スタート!
エッセイ集:生きる4
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限定4日間無料セール
4月21日(金)17:00~24日(月)16:59
令和時代の始まりと世界のコロナ禍による混乱をくぐりぬけ、
人生のサクセスとハピネスとは何かを考える面白エッセイ集。
このチャンスにあなたのスマホ・PC・タブレットに
インストール。人生のおともに。
もくじ
・オレのオリジナルという幻想とパクられるという妄想
・海から山への人生進化論
・ネズミを取り出すミケランジェロ
・姉ヶ崎の遠い海
・何事も思い立ったが吉日
・人生何度目かの宮沢賢治との再会
・50年前の高校生たちのイキイキ「未知との遭遇」
・人間ひとりでは生まれて死ねない
ほか ボリュームたっぷり全39編収録。
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ネズミを取り出す
ミケランジェロ
4日間無料キャンペーン
4月21日(金)17:00~
24日(月)16:59
令和時代の始まりと世界のコロナ禍による混乱をくぐりぬけ、人生のサクセスとハピネスとは何かを考える面白エッセイ集。この機会にぜひあなたのスマホ・PC・タブレットにインストールして人生のおともに連れてって。
●ご紹介
ミケランジェロは大理石の塊の中にいたダビデを解放した。
つまり、自分の頭の中でダビデ像をイメージして石を刻んだのではなく、
石の中に潜んでいるダビデの姿を見出し、
ただ、それをそのまま取り出したのだ、と伝えられている。
最近、この言葉こそ創作の真実を表現し、
人生でやるべき最も重要なことではないかと考えるようになった。
彫刻とか芸術作品に限らない。
人はそれぞれ人生をかけてやるべきことを
自分のなかに持っている。
それを見つけられるかどうか。
そして見つけたものをわが手で形にして外に取り出せるかどうか。
それがすべてなのではないかと思う。
僕たちは望むなら何らかの努力をし、
何らかの方法、何らかのタイミングで、
自分にとって価値あるものを見つけ出し、
美しい形で取り出さなくてはならない。
もし、それができれば人生は成功したと言えるはずだ。
たとえその成功が、
世間で「これぞ成功ですよ」とされるものとは、
まったく違っていたとしても。
令和時代の始まりと世界のコロナ禍による混乱をくぐりぬけ、
人生のサクセスとハピネスとは何かを考える面白エッセイ集。
●もくじ
・オレのオリジナルという幻想とパクられるという妄想
・“稼ぐ”という言葉と稲作物語
・住所変更で銀行の変貌ぶりをリアル体験
・いい大人が恥ずかしい電車内・ホームの暴力
・74年前の原爆と47年前のアトムズと原子力の今日
・中身スカスカの自己啓発本より
そこそこ楽しいバッティングセンター
・海から山への人生進化論
・酒タバコやめて100まで生きたかねぇ
・よけいな荷物を背負わない結婚
・1日3回の深呼吸
・もうイメージできない別の人生
・なぜ人はJOKERに魅了されるのか?
・酒タバコやめて100まで生きたバカ:
シガーバー&愛煙家通信編
・「忘れられた巨人」は僕たちの未来を描いた物語
・ミラクルクリスマス
・「メリークリスマス!」は時代遅れの宗教ハラスメント?
・わたしも「コンビニ人間」
・何のために豊かになろうとしているのか?
・キャッシュレスの時代になっても「現金な世の中」
・あれこれ学んでも本当にやりたいわずかなことしかできない
・新型コロナウィルスはペルリの黒船か?
・バカは死んでも治らない
・「みみずくは黄昏に飛び立つ」は書き手・聞き手のバイブル
・働かなくても食うべしココロ
・緊急事態宣言前夜に神の子あらわる
・のびのび生きなおそう
・ありふれた一日でもあなたには記念日
・気がつけば世界の終わりにいた
・生きていく燃料としての記憶
・オンラインLOVEの恋人たち
・人間1年生
・夢の未来建築は昔ながらの町屋?
・ネズミを取り出すミケランジェロ
・姉ヶ崎の遠い海
・何事も思い立ったが吉日
・人生何度目かの宮沢賢治との再会
・こなきじじいとねこなきじじい
・50年前の高校生たちのイキイキ「未知との遭遇」
・人間ひとりでは生まれて死ねない
全39編収録
本日発売!おりべまこと電子書籍新刊
エッセイ集:生きる4
「ネズミを取り出すミケランジェロ」
ミケランジェロは大理石の塊の中にいた
ダビデを解放した。
つまり、自分の頭の中でダビデ像をイメージして、
それに合わせて石を刻んだのではなく、
石の中に潜んでいるダビデの姿を見出し、
ただ、それをそのまま取り出したのだ、
と伝えられている。
最近、この言葉こそ創作の真実を表現し、
人生でやるべき最も重要なことではないかと
考えるようになった。
彫刻とか芸術作品に限らない。
人はそれぞれ人生をかけてやるべきことを
自分のなかに持っている。
それが見つけられるかどうか。
そして見つけたものをわが手で形にして
外に取り出せるかどうか。
それがすべてなのではないかと思う。
僕たちは望むなら何らかの努力をし、
何らかの方法、何らかのタイミングで、
自分にとって価値あるものを見つけ出し、
それを美しい形で取り出さなくてはならない。
もし、それができれば人生は成功と言えるはずだ。
たとえそれが世間的成功からは遠いものだとしても。
令和時代の始まりと
世界のコロナ禍による混乱をくぐりぬけ、
人生のサクセスとハピネスとは何かを考える
面白エッセイ集。
もくじ
・オレのオリジナルという幻想とパクられるという妄想
・“稼ぐ”という言葉と稲作物語
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・いい大人が恥ずかしい電車内・ホームの暴力
・74年前の原爆と47年前のアトムズと原子力の今日
・中身スカスカの自己啓発本より
そこそこ楽しいバッティングセンター
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・酒タバコやめて100まで生きたかねぇ
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・1日3回の深呼吸
・もうイメージできない別の人生
・なぜ人はJOKERに魅了されるのか?
・酒タバコやめて100まで生きたバカ:
シガーバー&愛煙家通信編
・「忘れられた巨人」は僕たちの未来を描いた物語
・ミラクルクリスマス
・「メリークリスマス!」は時代遅れの宗教ハラスメント?
・わたしも「コンビニ人間」
・何のために豊かになろうとしているのか?
・キャッシュレスの時代になっても「現金な世の中」
・あれこれ学んでも本当にやりたいわずかなことしかできない
・新型コロナウィルスはペルリの黒船か?
・バカは死んでも治らない
・「みみずくは黄昏に飛び立つ」は書き手・聞き手のバイブル
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・何事も思い立ったが吉日
・人生何度目かの宮沢賢治との再会
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・50年前の高校生たちのイキイキ「未知との遭遇」
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全39編収録
amazon kindleより発売中 ¥500
里山の美しい自然に囲まれた「ひさよ斎場」。
先週、取材に伺った
群馬県吾妻郡中之条町にある葬儀場である。
女性社長のひさよさんは、
10年前にお父さんが始めた葬儀社を引き継ぎ、
新しくこの斎場を建てた。
普通、ケガレの場所として避けられる施設だが、
この敷地はすごいプラスパワーの気が集まる場所とされ、
ひさよさんは「悲しみの癒しスポット」の意味を込めて、
一角に神聖な手水舎を建てた。
解説もついている。
この地は東に赤城山、
西に白根山を眺む立地に位置しており、
そのプラスパワーにあふれたエネルギーの波動が
集まってきます。
その気を全身で受け止め、浄化して戴けたら幸いです。
手を清め、口を清め、
心明るく穏やかな日々を送られますように、
山桜に向かい合掌なさってお帰りください。
手水舎の中には「ひだまり地蔵」「さやか地蔵」
「よろこび地蔵」という
3体のかわいい「“ひさよ”地蔵」がいる。
ここは知る人ぞ知る人たちの間で話題になり、
葬儀場なのに、わざわざ東京あたりからパワーをもらいに
お参りに来る人たちもいるらしい。
ひさよ地蔵にお参りして、里山の自然を満喫して、
上州うどんなどを食って、余裕があれば温泉宿に泊る———
というのは一泊旅行としていいかもしれない。
霊感とか、超能力だとか、スピリチュアルとか、
ファンタジーの類の話は女性が好きで、
これまで会ってきた女性から数限りなく聞かされてきた。
僕は創作としてそういうジャンルのものは好きなのだが、
現実の世界と想像力の世界は違うという
明確な線を引いているので、
割と冷淡に聞くタイプである。
ただ、産む性である女性が、
死に触れる仕事をやっていると、自分を守る意味でも、
そういうものに心が傾くのは
自然なことなのかなと思っている。
統計などを取ったわけではないが、
女性の葬儀社社長はそういう人が多いのではないだろうか。
信じる者こそ救われるので、
スピリチュアルや気のパワーで精神が安定し、
人生が好転するのであれば、良いことだと思う。
頭のおかしな宗教家、占い師、自称超能力者などに
引っかかって、ぼったくられない限りは。
残念ながら霊感ゼロ人間の僕も、
文章を書いていると、
目に見えない力がどうとか、地球の意思がどうこうとか、
つい自然と話がスピリチュアル系に
なっていてしまうことがある。
なくて生活に困るわけではないけど、
霊感・超能力に少しは縁があったほうが楽しいのかな
——そんな気持ちの表れなのだろうと思う。
ロンドンの日本食レストランで働いていた時、
一度だけ坂本龍一さんが昼食を取りに来たことがある。
この店は当時、BBCのスタジオの近くにあって、
ミュージシャンがよく来ていた。
80年代の日本のミュージシャンは、
ロンドンでレコーディングすることが多かったようだ。
1986年の後半か1987年。
季節は秋だったような気がする。
その頃、サブマネージャーをやっていて、
ちょうどマネージャーが公休の日だったので、
月曜だったことは確か。
午後1時過ぎで店はヒマだった。
男性ばかり三人で来たのだが、
他の人はミュージシャンっぽい雰囲気の人では
なかったので、
マネージャーとか、演奏者以外のスタッフだったと思う。
4人掛けのボックス席に座って
坂本さんは鮭の照り焼き定食を食べた。
ヒマだったこともあり、
スタッフの一人が坂本さんに
少々失礼なふるまいをしたので、
僕があわてて謝りに行った。
事は穏便に済み、帰る時にももう一度謝ったのだが、
「まぁ気にしないでください」と
ひとこと言われたのを憶えている。
それだけの話だが、その後、坂本龍一さんには
ずっと良い印象を抱いていた。
もちろん、彼の音楽も好きだった。
1997年のこの曲は
YMOの楽曲や「戦メリ」と並んで愛聴している。
Sister Mとは娘の坂本美雨さんのこと。
美雨さんの実質的なデビュー曲でもある。
坂本さんの楽曲はこれからも繰り返し聴くだろう。
ご冥福を祈ります。
ふきのとうをはじめとする山菜天ぷらと
しこしこした上州うどん。
つゆはあっさりしていて、そこにいりごまを入れて
少しこうばしくして、つるつる食べる。
漬物・サラダ・しそごはんなどいろいろついてて、
デザートは、あんこのたっぷりかかったわらび餅。
美野原茶屋(みのばらぢゃや)は、
群馬県中之条町にある。
うれしくなるくらい「いなか~」という感じの食堂。
今日はこの近辺の葬儀屋さんを取材に来て、
お昼におすすめのところは?と聞いて、
連れてきてもらった。
「美野原」というのは正式な住所ではないが、
この地域は地元では昔からそう呼ばれているそうで、
その名の通り、山々に囲まれた美しい里山。
まさしく「日本のふるさと」と呼びたいところ。
幸運にも山桜が満開で、
あちこちがピンクに萌えている。
そしてその手前に咲き乱れる一面の菜の花。
さらに道路沿いにはずーっと限りなく
黄色い水仙の花の群れが並んで咲いている。
最寄り駅はJR中之条か、
上越新幹線・上毛高原駅。
季節に応じて「日本のふるさと」が楽しめる。
近くに草津温泉や伊香保温泉があるせいか、
あまり観光に力を入れている気配もなく、
かえって田舎感を思う存分、満喫できる。
温泉もあるようなので、
機会があればぜひ訪れてほしいところ。
暖かくなり始めた頃から、こっそり走り始めた。
じつは以前もこっそり走っていたが、数年ぶりに再開。
とくに「よし、やるぞ!」と
気合を入れて始めたわけではない。
ただあえて理由を付けると、
ずっと机に向かっていると、ストレスが溜まって
ついお菓子をストレス食いしたり、
コーヒーを飲みすぎたりする。
少し横になると回復するのだが、
その回復具合が鈍くなってきた。
やはり少しずつ体力が低下しているのかもしれない。
——と思ってのこと。
走ると言ってもごたいそうなものでなく、
時間もあまりないので、
ふだん義母と散歩している川沿いの、
1キロに満たない道を15分ばかり走るという、
冬眠から出てきたカメみたいなランニングである。
それでも初日はタバコを吸いながら
走っているのではないかと
思うほど心肺がしんどく、
いやー、ここまで体力落ちたかと愕然としたが、
1回ずつ重ねるうちにだんだん楽になってきた。
走った後はストレスがぬけて、
体も頭もしゃっきりする。
継続は力なり。
ちょっぴり距離も伸ばすことにした。
こっそりゆっくりカメ走を続けよう。
松本隆+筒美京平の70年代の斬新な歌謡マジック。
太田裕美の代表曲と言えば「木綿のハンカチーフ」だが、
明るい爽やかさの裏に悲しみが潜むあちらの歌に比べ、
この「赤いハイヒール」は、
アンニュイでミステリアスな曲調。
ちょっと禍々しいブラックメルヘンの味付けもある。
僕はこっちの方が好きで、このレコードも持っていた。
1976年。高校2年の時である。
「木綿」と同様、男女のダイアローグで進むが、
冒頭、「ねえ、友だちなら聞いてくださる?」と
リスナーに語り掛けて歌の世界に誘い込むという、
のっけから松本隆のマジックが炸裂する。
今ならそう珍しくないかもしれないが、
当時、こんな曲はなかった。
白のイメージカラー、
都会に出た男の子×田舎にいる女の子。
赤のイメージカラー、
都会に出た女の子×田舎にいる男の子。
という設定の対比に留まらない。
「木綿」では人物やドラマの描写が
割とあいまいで抽象的だったのに対して、
こちらは、東京駅に着いた・
おさげでそばかすのある女の子・
ハイヒール買った・お国訛りを笑われた(らしい)・
タイプライター打つ仕事をやってるなど、
主人公の状況がかなり具体的に描かれている。
このあたり、ただのアンサーソング・二番煎じとは
絶対に言わせない。
「木綿」よりもいい曲にする・面白くするという、
松本+筒美の情熱とプライドを感じる。
そして何よりもその根底に太田裕美への愛情を感じる。
「松本隆のことばの力」(藤田久美子インタビュー・編/インターナショナル新書)によると、
当時、すでに大御所作曲家だった筒美京平は、
既にスターになった歌手にほとんど関心を示さず、
自分の曲で新人を育て上げたいという
強い思いを持っていたという。
太田裕美はその筒美が目を付けた宝石だった。
そこで売り出し中の作詞家だった松本隆に声をかけて、
太田裕美のためにコンビを組んだ。
その第1弾「木綿のハンカチーフ」が大ヒットしたのだが、
一発屋で終わらせない、
彼女を後世まで残る歌手にするのだ、
と気合を込めて作ったのが、この「赤いハイヒール」
だったのではないかと思う。
とにかく詞も曲も編曲も凝りまくっているが、
それをここまで可憐に、軽やかに、
それでいながら心に沁みるように歌えるのは、
昔も今もやっぱり太田裕美しかいない。
——聴く者にそう思わせるだけのものがある。
ちなみに「おとぎ話の人魚姫は死ぬまで踊る赤い靴」
という一節は、松本隆の創作である。
「赤い靴」は美しい少女が、美しさゆえに傲慢になり、
病気の親を見捨てて、強欲に快楽を求めたがために
呪いの赤い靴を履いて死ぬまで踊ることになる。
そして、その呪いを解くために
首切り役人に頼んで両足を切断するという、
子供に読んであげたらトラウマになること必至の
衝撃的な展開の物語だ。
同じアンデルセンの童話だが「人魚姫」とは
別々の話である。
それも含めて松本隆の数多い作品の中でも
「赤いハイヒール」は屈指のドラマ性と
独特のイメージを持った世界観を作っている。
もちろん、この令和の感覚からすれば、
ツッコミどころ満載の歌詞なのだが、
これぞ懐メロ、これぞレトロ昭和ワールド。
まだ1970年代(昭和50年代)は、
今では考えられないくらい
東京と地方とでは情報格差があった。
地方出身者にとって、
東京はほとんど異国と言ってもよいくらいだったのだ。
それもとっておきの、ピカピカの。
僕は名古屋の出身で、名古屋は当時、
日本で4番目に人口の多い都会なのだが、
それでも東京に行って暮らす、というと
ただそれだけで周囲から羨望の目で見られた。
ウソのようだが、ホントの話だ。
今でもこの季節になると、
東京に出てきて演劇学校に入った頃のことを思い出す。
そして、演劇や音楽にうつつを抜かした
東京暮らしを良い思い出にして、
田舎に帰って行った多くの仲間のことも。
元気にまだ生きているだろうか?と無責任に考えるが、
そんな自分は、結局、呪いの赤い靴を履いたまま、
どこにも帰らず、だらだら東京暮らしを続けている。
たぶん、死ぬまで呪いが解けることはない。
内田也哉子と中野信子の対談本。
カミさんが図書館で借りてきたのを
借りて読んだら、めっちゃ面白かった。
内田也哉子はご存じ、樹木希林と内田裕也の娘。
中野信子は頭脳キレまくりの脳科学者。
日本人の女として、かなりイレギュラーな
家庭・家族の間で育った二人のトークは軽妙で、
家族論を中心に、人生論・幸福論へ広がっていく。
要約すれば、日本の伝統的家族像は、
たかがこの150年余りで作られたもの。
それぞれ違ってていいんだ、
というダイバーシティな話をしているのだが、
二人の家族経験・キャラと相まって、
笑えて面白く、とても感動的だった。
この本では婚姻関係と生殖・子育て・家族の構築は別物
という大きなテーマが語られている。
中野信子が
「アホウドリの3分の1のカップルはレズビアン」
という話をするのだが、そういえば数年前に、
テレビのドキュメンタリーで、レズビアンのカップルが、
「精子バンクで精子を買って子供を産んで育てたい」と
話しているのを聞いて衝撃を受け、
「そうか・・・」と妙に感心した、というか、
男としてなかなか複雑な思いに駆られたのを思い出した。
また、読みながら、ふと樹木希林が晩年に出演した、
是枝裕和監督の映画「万引き家族」が頭に浮かんできた。
いま、フランスで生まれる子どもは
過半数が婚外子だという。
そんな国の映画祭(カンヌ国際映画祭)で「万引き家族」が
大きな共感を呼び、グランプリ(2018年)を受賞したのは
何だかと絵も納得できる。
僕も大好きな映画でもう3回見ているが、
また見たくなった。
少子化問題が大変だと言っている日本もこの際、
婚姻関係にこだわらず、
フランス式のライフスタイルを受け入れればいいのに、
と思うのだが、
歴史・文化・自然環境などの条件の中で培ってきた
感性・考え方は、
そう簡単に外国に合わせるわけにはいかないようだ。
そのあたりも中野信子は言及している。
それにしても、
いつまでも昭和スタイルにこだわっていては、
経済も産業も、家族も人々の幸福感も、
どんどん損なわれていくのは明白である。
そんな、この先のこともいろいろ考えられる本なので、
ぜひ一度、読んでみてください。
3年前に出された村上春樹のエッセイを読んでいかなった。
図書館で文庫本があった(文庫化されたのは昨年)ので、
借りて読んでみたらとてもよかった。
最近ちょっとご無沙汰していたが、
やはりこの人の文章は心の深いところに響いてくるのだ。
副題に「父親について語るとき」とあるが、
その通り、大正生まれで戦争の体験を持つ
父について書いたものである。
割とゆとりある行間で100頁ちょっとの短い本なので、
2,3時間あれば読み切れてしまうが、
内容はとても充実していて深い。
また、よく調べたなと感心する。
村上春樹は1979年にデビュー。
現代的・都会的な雰囲気のストーリーと
アメリカ文学仕込みの乾いた文体で人気作家になったが、
初期の作品「風の歌「ピンボール」「羊」などでは
そこかしこに戦争の影がにじんでいる。
1980年代の前半あたりまでは
豊かになったとはいえ、まだ終戦・戦後の残滓が
日本社会に残っていたのだ。
そして、1990年の「ねじまき鳥クロニクル」では
まともに戦争のシーンが出てくる。
この物語の第1巻には捕虜になった兵士の皮をはぐという
恐るべき残酷描写がある。
いったいなんでこんな描写が出来たのか、
つくづく感心する。
僕はそこがあまりにこわくて未だに再読できない。
村上春樹のような団塊の世代の人には多いと思うが、
成人後は父親とはほとんど断絶状態だったらしい。
大正・昭和ひとケタ生まれの親と、
戦後生まれの子供の親子関係は、
今の親子関係とはずいぶん違ったものだと思う。
そもそも親は、特に父親は、
自分のことを語ろうとしなかった。
なぜかはちょっと長くなるので、
また近いうちに別の文で書こうと思う。
いずれにしても戦争はこの世代の、
特に男たちの心に深い闇をもたらしている。
そんな思いを抱いてこのエッセイを読んだが、
村上作品に頻繁に登場する「闇」は、
どこかでこのお父さんの心にできた闇と
繋がっているのではないかという気がしてくる。
亡くなって10年以上経った頃に
父のことを書こうと思い立ったという。
有名作家だからこうして本にして
多くの人に読まれるわけだが、そうでなくても、
男はいつか自分の父について語りたくなったり、
書きたくなったりするのではないだろうか。
親密でも疎遠でも、愛していても憎んでいても、
尊敬していても馬鹿にしていても、
自分のなかに父親像を再構築し、再確認することは
生きる中で意外と大切なことではないかと思う。
男は自分史の前にまず、
自分の父親史を書くべきなのかもしれない。
もちろん娘がそうしてもいいのだけど、
同じ男同士だから感じられる何かがそこにあると思う。
「ガンバレ受験生!」って、無責任にエールを送っていいのか?
毎年、受験シーズンになるとそう思う。
電車に乗ると予備校のポスターがべたべた貼ってあって、
夢だの勝利だのヒーローだのって、
カッコいいコピーと共に
モデルの小中高校生の男の子・女の子が、
きりっとした顔を見せている。
あれを見ると、なんだかとても痛々しい気持ちになるんだ。
大人の一人として、こうした子供たちを当たりまえのように
受験なんぞに駆り立てていのかってね。
「受験シーズンだよねー」って、
なんだか大人たちがこぞって
年中行事でも楽しんでいるかのようだ。
そもそもこれだけインターネットやAIが発達してきた社会で、
この先、大学に行くことにどれだけの意味があるのか?
奨学金という名の学生ローンで
何百万も借金背負った子を卒業させて、
何十年も支払い続けていたら、
そりゃ結婚も子どもも無理だなって思うよね。
少子化対策って、
こういう所をどうにか手当てしなきゃいけなんじゃないの?
一昨日のニュースで、昨年(2022)に自殺した
小中高校の児童・生徒は512人で、
過去最多だったことが文部科学省のまとめで分かったって。
内訳は小学生が17人(前年比6人増)、
中学生が143人(同5人減)、
高校生が352人(同38人増)。
自殺の理由(複数の場合あり)は
「学業不振」が104人で最も多く、
「進路に関する悩み(入試以外)」が84人、
「入試に関する悩み」が40人。
受験システムがすべて悪いわけではないだろうけど、
大人も子供も、
やっぱりいつかどっかで考えなきゃいけない問題。
それはいつ? 今でしょ。
川沿いの河津桜が咲いた。
いい学校なんかいかなくても、
「ガンバレ受験生!」って、スポーツ観戦みたいに騒いでる
大人の言うことなんか聞かなくても、
人生、春は来る。
死ぬな、子ども。
一昨日、「週末の懐メロ」で
美輪明宏の「ヨイトマケの唄」を紹介した。
白状すると、その際にいろいろ調べて
やっと「ヨイトマケ」って何のことだか知った。
じつは僕は一昨日までヨイトマケとは、
何かの種まきのことだと思っていて、
農作業の一種だと思っていたのである。
この齢になるまで知らなかったなんて、
お恥ずかしい限りだが、
どんなに遅くても知ってよかった。
まさしく懐メロさまさま・美輪様さまさまである。
じつはこのヨイトマケという言葉は、
美輪明宏の歌以外にも有名な文学作品に使われている。
それが太宰治の「斜陽」である。
筋肉労働、というのかしら。このような力仕事は、私にとっていまがはじめてではない。私は戦争の時に徴用されて、ヨイトマケまでさせられた。いま畑にはいて出ている地下足袋も、その時、軍のほうから配給になったものである。地下足袋というものを、その時、それこそ生れてはじめてはいてみたのであるが、びっくりするほど、はき心地がよく、それをはいてお庭を歩いてみたら、鳥やけものが、はだしで地べたを歩いている気軽さが、自分にもよくわかったような気がして、とても、胸がうずくほど、うれしかった。戦争中の、たのしい記憶は、たったそれ一つきり。思えば、戦争なんて、つまらないものだった。
上流階級のお嬢様だった主人公が、
戦後、没落して肉体労働をしているとき、
ふとヨイトマケのことを思い出し、
ヨイトマケのおかげで体も丈夫になったし、
生活に困ったらヨイトマケをして生きていこう、
と呟くのである。
20歳ごろ、三島由紀夫と太宰治を乱読しており、
「斜陽」も読んだ記憶があるが、
そんなことすっかり忘れていた。
この出だしの部分の文章は、
たまたまネット上でお目にかかったのだが、
美輪さんの歌を聴いた後、今こうして読んでみると、
この主人公に温かさ・健気さ・可愛さみたいなものを感じる。
ヨイトマケとは「よいっと巻け」という
掛け声から来た呼び名。
まだ建設機械が普及していなかった時代、
建築現場で地固めを行う時に、
縄で滑車に吊るした重い槌を、
数人がかりで引っ張り上げて落とす作業、
あるいはその作業を行う日雇い労働者のことを指している。
作業の時の掛け声が「よいっと巻け」で
「ヨイトマケ」というわけ。
昭和の半ばごろまで使われていたようだが、
僕も実際にこんな作業しているところは見たことがない。
厳しい肉体労働だったと思うが、皆でやれば大丈夫、
みたいな労働者同士の連帯感的な気持ちもあっただろう。
この主人公の場合は、生きる自信の根っこというか、
精神的な「地固め」にもなっていたようだ。
もしかしたら、年がら年中、
アラウンドうつ病だった太宰治自身も
こうしたヨイトマケなどの肉体労働に
憧れを抱いていた部分もあったのではないか、と思う。
昔はよかったとは言わないし、
貧しくても幸せだったとも言わない。
辛くて危険な肉体労働を礼賛するつもりはまったくない。
ただ、最近のように、精神がおかしくなるほど、
みんなが情報過多で混乱したり、
ネット世界、バーチャル世界に
はまり込んだりするのを見ていると、
いつも何かしら身体を動かして働いていたほうが
いいのではないかと思う時があるのだ。
もちろん、スポーツやトレーニングもいいが、
自分の身体を動かすことで
人の役に立つ、社会の役に立つ、
そして金を稼いで生きるのだという
リアルな実感を得ることが、
いくつになっても、どんな時代になっても、
必要なのではないだろうか?
豊かな社会になって以降、
肉体労働とか労働者という言葉は、
ネガティブなオーラをまとうことが多くなった。
しかし今後、AIの発達で
確実にホワイトカラーの仕事は減っていき、
肉体労働が人間に残る。
ロボットが活躍できるのはまだもう少し先だろう。
「ヨイトマケの唄」や「斜陽」の世界と同様、
肉体労働・労働者というものは、
人間らしさと同義で語られるようになるかもしれない。
音楽エッセイ
「週末の懐メロ 第1巻」
2月27日(月)16:59まで
無料キャンペーン実施中
会話型AI「ChatGRT」をアシスタント兼
飲み友達にしようと、いろいろ対話を試みている。
以下、この間やったネッシー(湖に住む謎の巨大生物)を
めぐるQ&A。
AIの回答は生成されて出てきた
そのままの文を載せています。
ぼく:ネス湖のネッシーをはじめ、
世界各地の湖にいるとされてきた伝説の巨大生物は
皆インチキで、
写真も動画も偽物だと科学的に証明されています。
それなのになぜ人間は、
いまだに巨大生物はいると考えたがるのでしょうか?
AI:人間が伝説の巨大生物の存在を信じる理由は複数あります。
まず、人間は常に未知のものに興味を持ちます。
特に巨大生物という存在は、
私たちが知る現代の自然界には見られないものであり、
その存在に想像力がかきたてられます。
伝説の巨大生物が存在すると信じる事で、
自分たちのダイエットを恐れかす未知のものに対する
恐怖を感じ、それを乗り越えようとする
勇気をもつことができるという
心理的な安心感があるとされています。
また、科学的に未解決のことがあると、
人間は自然に応じて答えを求めたものです。
様々に関する証言や報告があることから、
多くの人が巨大生物が実在する可能性について興味を持ち、
それについて検討したり、研究したりすることになります。
さらに、巨大生物の存在については世界中に
伝承や文化があり、
人々の信仰や信念にも関係している可能性があります。
背景があるため、人々が巨大生物の存在について
考えるきっかけとなっていることもあるでしょう。
このように、伝説の巨大生物に対する人間の関心は、
興味やリスク、恐怖感、科学的リスク、信仰や文化、
歴史的・文化的な背景など、
様々な要因が影響していると考えられます。
アメリカ生まれのせいか、
日本語の怪しいところがあるAIくん。
「自分たちのダイエットを恐れかす
未知のものに対する恐怖を感じ、」
という謎のフレーズは
「自分たちの“存在を脅かす”未知のものに・・・」かな?
それにしてもなんでダイエット?と思って調べてみたら、
「ダイエット」には一般的な食事関連の意味とは
もう一つ別の意味があり、
「教会職員の審議会や国会の会合のことをdietという」
らしい。知らんかった!
そうした人間社会における、
権威ある審議会や会合が転化して、
既存の人間の思考・常識・制度という意味になり、
そうしたものを脅かす未知の存在
——ということになるのだろうか?
いやいや、人間の思考停止を促すどころか、
もっと深く、めんどくさく考えるように
仕向けてくれるAI、素晴らしいじゃないか。
この後の「それ(未知のものに対する恐怖)を
乗り越えようとする勇気をもつことができるという
心理的な安心感があるとされています。」
というのも変な日本語だが、何かの誤訳なのか?
でも、未知のものに対する恐怖を乗り越えることで
勇気を得て、それによって「心理的安心を得る」なんて、
なかなか奥行きのある哲学的表現だ。
なんかハリウッド映画の定理っぽく、
人間礼賛になっていて、
一種のヒューマニズムに溢れている。
人間の仕事を奪うのではないかと恐れられているAIだが、
単なる便利な道具として使うのでなく、
いろんな質問を考えて、半ば遊び相手にすれば、
面白いパートナーになるのではないかという気がする。
いずれにしても、こんなどうでもいいような質問に、
大真面目に、誠実に答えてくれるAIには
感動と親近感を覚える。
これから週1くらいでAIとの対話を載せていきます。
音楽エッセイ「週末の懐メロ 第1巻」
http://www.amazon.com/dp/B0BTWMZBVT
本日2月22日(水)17:00~27日(月)16:59まで
6日間連続無料キャンペーン
20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!
ブログ「DAIHON屋のネタ帳」で2020年10月から毎週連載している「週末の懐メロ」を本にしました。
オールド世代もヤングな世代も
楽しい懐メロ話で精神の栄養補給を。
カミさんが週イチで行っている健康センターで
更年期障害に対処する講演会&ワークショップを行う。
定員はあっという間にいっぱいになったそうだ。
近年、女性は「更年期」という言葉に敏感で、
その裏には「女でなくなる恐怖」
「女の時代が終わる恐怖」といったものが
まとわりつくらしい。
情報化社会。
情報で人を動かすには恐怖や不安を与えるのが、
いちばん手っ取り早い。
なのでテレビでも雑誌でもネットでも、
恐怖心・不安感をあおる情報が氾濫することになる。
更年期になると大変だ、病気になりやすくなるよ、
気分がおかしくなるよ、みたいな声に加え、
「女でなくなったアタシに価値があるのかしら?」とか
「これからどう生きれていけばいいの?」
という恐怖もある。
確かに子供を生めなくなるのは大ごとだが、
大げさな情報のせいで
精神疾患の人も増えてしまう。
女性は子供の時も
女になる恐怖、女が始まる恐怖に晒される。
恐怖は言い過ぎかもしれないが、
あんまりハッピーな気分になったという話は聞かない。
その点、男はいつまでもノー天気で、ガキでいられる。
いいことなのか、悪いことなのか。
男女不平等。
いずれにしても情報が豊富にあるのは
いいことばかりじゃない。
「知らぬが仏」という言葉を思い出し、
ある程度は見ざる・聞かざるにしとくのも
健康を保ち、自分を見失わず、
人生を快適に生きる知恵ではないだろうかと思う。
梅が咲き、河津桜も咲いた。
春はもうすぐだ。
毎日おかしな情報ばっかり頭に詰め込まず、
たまには外で花でも見てぼーっとした方が良い。
今回、「週末の懐メロ」を書籍化するに当たって、
リライト・編集作業をしたり、
紹介した楽曲を改めて聴いてみたりして、
一つ気付いたことがある。
それはこれらの名曲の誕生時、
当のミュージシャンらは、
自分でもわけがわからずに
創作に取り組んでいたんだろう、ということだ。
もちろん、ベースになるもの—ー
ブルースとか、民俗音楽とかはあっただろうし、
こんな作品にしたいという
完成イメージはあったと思うが、
自分たちの創作のプロセスを
言語化・理論化できなかった。
夜中にギターを弾いたり、
夜明けにピアノの前に座ったりすると、
すーっとそこに神とか天使だとかが下りて来る。
そしてわけがわからずに、
自分に内在するものに突き動かされて
詞をつくる、曲を作る、
できた曲を編み上げ、味つけをする。
その過程で神が宿るのである。
音楽に限らず、21世紀以降のサブカルチャーに
世のなかの価値観を揺るがすほど斬新なもの、
いわば、神がかり的なものが生まれないのは、
やはり産業化され、
システム化されてしまったからだろう。
言ってしまえば、かつての生きた音楽の抜け殻
を再生産しているだけである。
自己啓発本にあるような
「こうすればうまくいく」的な「成功法則」は、
この数年でAIが普及したら、
完全にコモディティ化されて、
成功法則でも何でもなくなってしまう。
それはこの2,3年のことかもしれない。
ビジネスになる「そこそこのもの」ができれば、
それで十分なのかもしれないけど、
そもそもクリエエイター自身が、
人の作った法則やらメソッドやらに従って作って
面白いのだろうか?
そこに喜びがあるのだろうか?
今の時代、あるいは未来、どうなるのかわからないけど、
何かものを創る人は、
他人のサクセスストーリーなどに惑わされず、
自分を信じて取り組んだほうがよい。
あなたのなかにも、あなただけの神がいる。
新刊「週末の懐メロ 第1巻」
20世紀ポップミュージックの
回想・妄想・新発見!
もくじ
1 5年間/デビッド・ボウイ 【1972】
2 愛にさよならを /カーペンターズ 【1973】
3 ドント・レット・ミー・ダウン/ザ・ビートルズ 【1968】
4 嘆きの天使/ケイト・ブッシュ 【1978】
5 ソー・ロンリー/ザ・ポリス 【1978】
6 スワロウテイル ~あいのうた~ /イェンタウン・バンド 【1996】
7 青春の影/財津和夫(チューリップ) 【1974】
8 ボール&チェーン/ジャニス・ジョプリン 【1967】
9 ハッピークリスマス/ジョン・レノン&ヨーコ・オノ 【1971】
10 翼をください/山本潤子(赤い鳥) 【1971】
11 スキャットマンズ・ワールド/スキャットマン・ジョン 【1995】
12 クレア/フェアーグランド・アトラクション 【1988】
13 デジャ・メイク・ハー/レッド・ツェッペリン 【1973】
14 タイムマシンにおねがい/サディスティック・ミカバンド 【1974】
15 キエフの大門/エマーソン・レイク&パーマー 【1972】
16 少女/五輪真弓 【1972】
17 ジュニアズ・ファーム/ ポール・マッカートニー&ウイングス 【1974】
18 トムズ・ダイナー/スザンヌ・ヴェガ 【1984】
19 マーチ・オブ・ザ・ブラッククイーン/クイーン 【1973】
20 なごり雪/イルカ 【1975】
21 忘れじのグローリア/ミッシェル・ポルナレフ 【1973】
22 夢見るシャンソン人形/フランス・ギャル 【1965】
23 同志/イエス 【1972】
24 悲しき鉄道員/ショッキング・ブルー 【1970】
25 タワー/エンジェル 【1975】
26 ロッホ・セヌ―/ランパ 【1990】
27 レディ・ラック/ロッド・スチュワート 【1995】
28 残酷な天使のテーゼ/高橋洋子 【1995】
NHK総合の「病院ラジオ」をやっていたので見た。
今日は長野の子ども病院。
サンドウィッチマンが難病と闘う子どもたちの話を聞く。
こんな病気の子どもたちがいるのか、と驚く。
こんな障害を持った彼らの毎日の生活が想像できない。
いったいどんな人生を歩むことになるのか想像できない。
けれども彼らは自分の運命を憐れむわけでもなく、
ちゃんと前向きに生きている。
恋もしたいし、親孝行もしたいという。
がんばって生きようとしている。
本当に心動かされる番組だ。
そして、彼らからそんな話を素直に聞き出せる
サンドウィッチマンはすごいなと思う。
普通なら重すぎて苦しすぎて、うーんと唸ったり、
妙に気を遣ってしまったり、
可愛そうに、と思ったりしてしまうはずだが、
彼らは普通の人たちと相対する時と変わらずに応じ、
ジョークも飛ばせれば、笑いも取れる。
もちろん、彼らが売れっ子芸人だから
相手もテンションが上がる、というところもあるだろう。
でも見ていると、患者の子たちは、この二人なら
ちゃんと普通に話せる、ということを知っている。
ということが伝わってくる。
子どもだけではない。
前回は高齢者の病院でやっていたが、
そのときも彼らの対応は素晴らしかった。
病気で社会と隔絶してしまった人たちに
そうした安心感を与え、なおかつ、
面白テレビ番組として成立させてしまえるとは、
すごい才能だ。
サンドウィッチマンの人気が高いのは納得してしまう。
この番組は年に数回しかやらないのだが、
いつも楽しみにしている。
入院患者の人たちに、勇気と元気を与えていただく、
本当に良い番組だ。
またもやNHKの宣伝で、何やら回し者みたいだが、
良いものは良い。
これも向こう1週間、NHKプラスで見られます。
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1月31日(火)16:59まで
義母の介護の日々を綴った面白エッセイ。認知症を知り、認知症から人生を考え、人間を学ぶ。
日本認知症学会 認知症専門医・指導医である久米一誠氏の貴重な講演録を通して、日本における認知症全体のあらましについても解説しています。
誕生日が来て63になった。
あと7年したら70だが、
僕の寿命はそこらあたりまでかなと思っている。
いや、べつにどこか悪いところがあるわけではない。
いたって元気で健康だ。
でも、あと20年生きても30年生きても7年なのだ。
もうほとんど前世の記憶みたいだが、
18歳から25歳までの7年間、
演劇の学校に行って、
仲間と劇団を作って芝居をやっていた。
いま思い返すと若気の至りというか、
バカ気の至りみたいなことをやってて、
恥ずかしいぐらいだ。
でもバカはバカなりに面白くていつも弾けていた。
出逢うものすべてが新鮮で、
ポジティブにでも、ネガティブにでも、
いちいち鮮烈な感情が自分の内側から迸った。
どう生きてやろうかという気概に溢れていた。
あの頃に戻りたくはない。
はっきり言ってあんなふうに毎日を送っていたら
疲れてしかたがない。
齢を取るとは、こういうふうに思ってしまうことだ。
ただ、あの頃の時間の感じ方を取り戻せらたら、とは思う。
同じ24時間なのに、実にいろいろなことができた。
バイトをし、稽古をし、本を読み、本を書いた。
ほんとんど寝ない日もあれば、
疲れて一日中爆睡しているような日もあった。
実に贅沢に時間を使い捨てていた。
一つの季節が今の1年ぐらいに感じられた。
そもそも自分が齢を取るなんて思っていなかったのだ。
フォーエバーヤングだと本気で思っていたのだ。
しかし、明らかに体力は衰え、
目も悪いし、歯も悪いし、頭も悪い。
顔はちょっといいかも知れない。
若ぶって40年前と同じように…は無理だけど、
バカ気の至りを発揮して、
感性豊かに生きてきたいと願う。
最悪、本当にあと7年でもOKなように。
中学生の時、ラジオで初めてこの歌を聴いた。
中山ラビというシンガーソングライターがいるのを
知ったのもその時——1974年だ。
心変わりした男に対する女の恨み節。
それがその時の感想だった。
中学生の耳には単なる失恋ソングにしか聴こえず、
大して印象にも残らなかった。
けれども、あれから50年近く経ったいま、
まったく違った歌に聴こえる。
62歳最後の夜、「人は少しずつ変わる」は、
底なしの深さを感じさせて響いてくる。
本当だ。
若い頃には思ってもみなかったことだが、
人が劇的に変わることなど滅多にない。
人は少しずつ変わる。
これは確かだ。
そんな当たり前のことをこの齢になるまで
はっきりわからずにいた。
外身も、中身も、僕も少しずつ変わって来た。
そしていつの時代も、一夜の夢冷めやらず
うかつな10年ひと昔を、懲りずに繰り返してきた。
何年も何十年も会っていない友だちや仲間が大勢いる。
変わってしまった姿を見たり、見られたり、
もう昔のように同じ夢を見て語り合えないだろうと思うと、
怖気づいて、このまま死ぬまで会わないで、
美しい昔の面影や、明るい声を
抱いたままでいた方がいいのではないかと、
正直、思うことがある。
齢を取るとはこういうことなのだ、と腑に落ちる。
中山ラビは、詩人の中山容が訳した
ボブ・ディランの曲を歌ってライブデビュー。
「女ボブ・ディラン」と呼ばれたこともあったようだ。
芸名も中山容にちなんでつけたという。
1972年にレコードデビュー。
レコードを買って聴いた記憶はないが、
「ひらひら」「もうすぐ」「女です」といった
タイトルやジャケットはよく憶えている。
その後、よくあるパターンで、
当初の素朴なフォーク風の曲は、
新味を取り入れたニューミュージックっぽい曲調に
少しずつ(?)変わっていったようだ。
80年代後半、音楽活動を停止し、10年後にカムバック。
以後、コロナ前の2019年までライブハウスなどで
活動を続け、一昨年7月に亡くなった。
最晩年、おそらく最後に近いステージだと思うが、
2019年12月に松本のライブハウスでの
演奏が上がっている。
70歳の中山ラビが、ギター1本でこの歌を歌っていた。
別に気負うことなく、20代の頃と同じように、
さして変わらぬ声で、ごく自然に。
とても美しいと思った。
人は少しずつ変わる。
だんだん変わってどこへたどり着くのか。
誰にも自分のことがわからない。
でもきっと、だから生きているのが面白いのだろう。
♪サ、サ、サ、サラダ
サラダの国から来たむすめ
という歌が、かつてあったが、
サラダの国のプリンセスと言えば、
何と言ってもポテトサラダである。
並みいるサラダの中で総選挙をやれば、
ぶっちぎりでトップ当選。
日本においては、まさにサラダ界のスーパーアイドル。
いまや多種多様な味・食感を揃えた
ダイバーシティなポテサラ専門店まで出現し、
繁盛する時代である。
まさかその事実を知らずして、
スーパーやコンビニの弁当と同じ、
業務用の在りもののポテサラを
袋から出してまんま盛り付けている飲食店はあるまい。
もしあったとすれば、その店は日々、
顧客からの信用を落としている、と認識した方がいい。
表題にある「ポテトサラダがおいしい店は信用できる」は、
かの「孤独のグルメ」の主人公・
井之頭五郎氏のセリフだが、
裏返せば、
「ポテトサラダに魂を入れられない店は信用できない」
ということになる。
ポテトサラダはいかようにでもオリジナリティが
発揮できるサラダである。
材料となるジャガイモも、
男爵、きたあかり、とうや、メークイン、
アンデスレッド、インカのめざめなど多種多様。
僕も好きなのでよく家で作る。
自分が好きなものを作る時は、
なんとかうまいものにしてやろうと手が動く。
ゆでるのではなく、圧力釜で蒸し、
うまみを凝縮して柔らかくしたやつを
つぶして湯気が出ているところに
バシャッとお酢をぶっかけ、ガバッと粉チーズをふる。
それに定番としてタマネギ、ゆで卵、
あとはキャベツ、キュウリ、ニンジン、
ブロッコリーの茎などを投入し、
マヨネーズをにゅるにゅるっと絞って混ぜ合わせる。
といったレシピを基本に、その日の気分と
ぶち込める材料、調味料によっていろいろアレンジする。
ポテサラはその人の個性・嗜好・工夫、
そして、その瞬間のフィーリングが如実に反映される。
「これがうちのポテサラじゃ!」
と、愛と自信と誇りを持って客に出せるか?
それとも、どうせ付け合わせなんだからと
適当に済ませるか?
自分で作ると分かるが、ポテサラを作るのは、
けっこう手間暇がかかる。
コロナでダメージを受けた飲食店としては、
経営立て直しの必要性から
付け合わせなんぞに手間暇かけず、
市販の出来合いでパッと済ませて、
その分、生産性を上げたいと考えるのが常道だ。
しかし、手を抜いていいものと駄目なものがある。
いくらメインのハンバーグがうまくても
ポテサラが駄目ならハンバーグも減点されてしまう。
しかし、しょせんは付け合わせである。
そんなことを口に出して言う人はほとんどいるまい。
皆、井之頭五郎のように
「ここのポテトサラダは間に合わせの業務用か。
これは残念だ」
と心の中で不満げに呟くばかりである。
彼がもう一度、あなたの店に戻ってくる確率は
限りなく低い。
僕たちは目の前にある問題を合理的・効率的に解決し、
生産性・経済性を上げようと躍起になる。
手っ取り早く稼いで、
あわよくばさっさとリタイアしちまおうと考える。
しかし、そんなことがうまくできるのは、
ごくわずかな幸運で、選ばれた人間だけだ。
あなたはおそらく違う。
僕も違う。
僕たちは残念ながら選ばれし人間などではない、
あまりにも平凡な、どこにでもいる、
いつでも取り換え可能な、十把一絡げの人材だ。
そんなしょーもない凡庸な輩が、
出来合いのポテサラを提供して
うまくしのいでいると思っているかも知れないが、
「あの店には二度と行かないよ」と
井之頭五郎らに心の中で言われ、
いつの間にか信用を失くしているのだ。
汝、付け合わせのポテトサラダに手を抜くな。
どうしようもなく平凡で、ありきたりでも、
愛と魂と情熱と己のグルーヴを込めて作った
ポテトサラダには自然と個性がにじみ出る。
あなただけのサラダプリンセス。
僕だけのポテポテアイドル。
食いに来た客の10人に一人は
「この店は信用できる」と言ってくれるかもしれない。
そして、100人に一人ぐらいは
「好きだ。愛してる」と言ってくれるかもしれない。
みんな、あなたや僕の店の工夫と頑張りを
ちょっとぐらいは期待してくれている。
カミさんのお誕生日だったので、
パステルのプリンケーキを買いに新宿へ行く。
1か月前、新宿西口地下の小田急エースタウンに
パステルの新しい店舗ができたのだ!
その昔は渋谷・恵比寿・新宿に数店舗、
数年前は吉祥寺のアトレにも入っていたが、
撤退に次ぐ撤退で、
一番近いのは池袋東武の1階になってしまったのだが、
新宿にできてうれしい。
行ってみるとチョコレートケーキのTOPSも入っている!
しかし、ここに入ってる店はどこもそうだが。
かつての店舗と比べると極めて小さく、
ぎりぎりの省スペースで、
スタッフもぎりぎりに削ってやっているように見える。
(基本、おねーさん一人で販売しているように
見受けられた)
何となく栄枯盛衰。
パステルもTOPSもかつては
デパ地下の花形というイメージがあったのだが、
あれは愛するが故の幻想だったのか?
なんだかデパ地下・駅ビルの晴れ舞台から陥落して、
ひっそりやっていますという感じがしなくもない。
でも、いいのだ。おいしければ。
味は決して落ちてない。
古い奴だと思われても、
僕らはプリンケーキを食べ続けるだろう。
(と言っても年に1回か2回だけど)
パステルのプリンケーキと
TOPSのチョコレートケーキは日本の宝です。
年末年始にかけて、NHKの画面は松本潤だらけ。
「どうする家康」の大量の番宣を投下し続けた。
それで第1回を見たが、松本潤の家康のヘタレぶりと
家臣らのキャラ(特に松重豊とイッセー尾形)が
面白かった。
それにしてもオープニングタイトルは、
まるで朝ドラみたいな軽やかな映像と音楽。
これだけでこのドラマは、
これまでの大河のような重厚な時代劇ではなく、
弱小企業の若いヘタレ後継ぎ
(あるいは窮地に追い込まれたスタートアップ)が奮闘して
業界を牛耳るヒーローに成りあがる物語であることが
わかる。
だから松潤(39)と似た世代(あるいはそれより若いの)が
自己投影しやすいように作られている。
大河ドラマとしては相当な違和感。
従来の大河ファンには到底受け入れられないだろう。
けれどもたぶん、それでいいのだと制作陣は思っている。
言い換えると、これまでの大河ファンは切り捨ててもいい、
とさえ割り切っているのではないかと想像する。
テレビがこれだけ若い世代に見られなくなっている現状
(にしても数百万、数千万人規模が見ているけど)
を考えると、
彼ら・彼女らに大河ドラマを見てもらうためには
これくらい思いきったことが必要なのだ、きっと。
大河の視聴者というのはどうもかなり保守的なようで、
「大河ドラマとはこうでなくては」みたいな
思い入れが強い。
あれだけ革新的で大好評であることが伝えられた
「鎌倉殿の13人」も視聴率は12%台で振るわなかった。
2019年の「いだてん」などは1ケタ。
三谷幸喜も宮藤官九郎も人気が高く、
腕も確かな素晴らしい脚本家だが、
大河ドラマの作者としてはあまり評価されないようだ。
何度もいろいろな変革を試みてきた大河ドラマだが、
数字を見る限りはうまくいっていない。
ということで、マスメディアでは、
かつて最高視聴率39.7%を記録した
「独眼竜正宗(1987年)」以下、
歴代の高視聴率作品(30%以上はすべて60年代~80年代)
と比べて、
最近の大河の視聴率の低さばかりをあげつらうが、
そんな懐メロ作品と今を比べてどうするのか?
幸い、NHKは民放ほど視聴率を気にせずに済むので、
大河の制作陣は余計なことを気にせず、
どんどん自分たちの信じるところを追究して、
良いドラマを作ってほしい。
これだけテレビで手間暇かけて丁寧なドラマ作り、
そして役者をやる気にさせる仕事ができるのは
大河ドラマを置いて他にないのではないかと思う。
経済が好調だった30年前の時代の幻想から
一歩も抜けだせない頭の固まった年寄りたちの
幻想の弊害はこんなところにも現れている。
こうした年寄りは皆切り捨てて、
若い者に照準を絞ったやり方は正解である。
しかも家康は歴史上の人物として、
数少ないハッピーエンドが可能な人物でもある。
若者――といってもベビーフェースの松潤ももう40、
ほとんど中年だ――にやる気・勇気を少しでも与え、
楽しめるドラマになればいいと思う。
年末に「鎌倉殿の13人」の総集編をやっていたのだが、
前半のほうを見逃してしまったので、
NHKプラスで見ている。
後半、あまりにダークな展開で、
北条義時の若い時代って、どうだったっけ?
と忘れてしまっていたので見てみたら、
そのあまりの明るさ・純朴さ・清々しさに再会して
びっくり。
そしてラストとの対比で、思わず涙してしまった。
こんな気のいい青年が、あんな陰惨な男になり、
あれほど無残な最期を迎えるとは。
諸行無常と言えばそれまでだけど、ひどすぎる。
裏返して言うと、小栗旬の演技力の素晴らしさ!
あの希望にあふれた若者の明るい笑顔と
陰惨な政治家になった男の暗い澱んだ表情との落差。
力は掴んだが、ひとりの人間としての
夢だの愛だの幸福だのは、
はるかかなたに遠ざかってしまった人生。
大河ドラマ初(だと思う)の
恐るべきダークヒーローは、
小栗旬でなければできなかっただろうし、
視聴者も小栗旬だから見続け、
義時を愛せたのだろう。
若くて明るい少年・青年。
同じく陽気で気の良い家族や仲間たち。
みんな夢と理想を描き、
目標を定めて人生の旅に出るが、
齢を重ね、おのおのの道を歩むうちに
その関係はゆがみ、
ぽっかりあいた暗い淵に落ちていく。
そして気付いた時には、
もうあと戻り出来なくなっている。
そんなドラマはこれまで何度か見て来た。
てか、ドラマほどではないかもしれないが
現実にも起こっている。
それが大人になることなのだ、
といえばそうなのかもしれない。
こんな陰惨でバッドエンドなストーリーに
ハマった人たちは深い共感を覚えたのだろう。
大人として生き続けることは、
多かれ少なかれ、汚れ、傷つき、
苦さと哀しみを舐めなくてはならないということを。
認めたくないが、認めざるを得ない。
でもやっぱりすべては認めたくない。
僕たちはいくつになっても、
その諦めと抗いの間を右往左往しながら生きている。
このドラマが胸に刺さるのはそうした理由からで、
義時や政子を自分に引き寄せられるからだと思う。
それにしても、この枠でこんなダークヒーロー、
そしてあんな最終回を描くことが許されたのは、
三谷幸喜にこれまでの実績と
スタッフ・キャストの信頼があったからに違いない。
舞台出身の人だけあって、三谷脚本で面白いのは、
随所で舞台劇のようなシーンが見られることだ。
義時(小栗旬)と政子(小池栄子)のラストシーンは、
その真骨頂だった。
思わず僕は夢想した。
スポットライトだけが当たる何もない舞台の上で、
政子がゆっくりと毒消しの薬を床にこぼし、
義時が這いながらそれを舐めようとする。
政子は彼を現世の闇から救い出すかのように、
それを振り払う。
あの壮絶なシーンと、そこに至るまでのこのドラマを
生の舞台で、生の舞台で見られたら、と妄想を抱いた。
さて、僕は今、どれくらい歪んでしまったのだろう?
年末年始はデイサービスがお休みなので、
義母が毎日家にいる。
それでカミさんがカリカリしてくるので、
僕が義母を外に連れ出すことになる。
午前も午後も普段より長めの散歩をする。
正直、けっこう疲れる。
本や映画をゆっくり見ようと思っていたが、
考えが甘かったようだ。
お正月スペシャル散歩ということで、
帰りけに茶店に寄る。
飲食店、特にチェーン店は
コロナで落ちた売り上げを取り戻す狙いもあるのか、
けっこう元旦から開いている。
昨日は浜田山付近・井の頭通り沿いにある
「むさしの森珈琲」でコーヒーといっしょに
この店の名物だという
「ふわとろパンケーキ」を食べた。
名前の通り、ふわっとしてて
トロっと口の中で溶けるパンケーキで、
見た目はけっこうボリューミーだが、
風船みたいなので軽く食べられてしまう。
おやつにちょうどいい感じだ。
なかなかおいしかったので、支払いの時に
「あのパンケーキはおいしいねぇ」と言ったら、
レジを打っていたマージャーらしき人の指が一時停止して
「そう言っていただけて、本当にありがたいです」と、
えらく恐縮して言われたので、
こっちが恐縮してしまった。
でも、自分の一言で喜んでくれたようなので
悪い気はしない。
見た感じ、40過ぎたあたりの人だったので、
奥さんや子供といっしょにお正月を
ゆっくり過ごしたかっただろうに、
出勤せざるを得なくなったのだろうか?
そうした重荷を少しでも軽くできたのだろうか。
思えば、0年代の「勝ち組・負け組」あたりから、
もともとおかしかった日本社会は
ますます歪んできた。
マネーゲームの勝者を目指す競争社会。
儲けたもん勝ちという風潮になって、
こうして地道に働いて、現場を回している人たちを
使用人みたいに見る傾向がはびこってしまった。
それは人の心を蝕み、現場仕事の価値を認めず、
従事する人たちの自尊心を奪ってきたのではないかと思う。
近年、あちこちでおぞましい事件が
頻発するような社会になってしまった背景には、
こうした自尊心を奪われた人たちの、
表出されない怒りや悲しみのようなものが
マグマみたいに地下で流れているような気がしてならない。
社会をよくするというと、あまりに大げさだけど、
お客として良い品物や良いサービスを提供されて、
少しでも心を動かされるようなことがあれば、
「おいしかった」「助かった」「ありがとう」と
声に出してお礼を言った方が、
彼ら・彼女らの心の報酬になるのではないかと思う。
また、配達員とか工事員とか警備員とか、
機会があれば「お疲れさま」とか、
ねぎらいの声をかけてもいいのではないか。
仕事だから当たりまえだろ。
カネもらってるんだらちゃんとやるべきだろ。
もちろんそうだけど、やっているのは人間である。
お礼やねぎらいの言葉を報酬として求めるのは
けっして甘えでも、間違った心の在り方ではない。
人間の気持ちとして
「カネを稼ぐために働いている」だけでは
とても長くもたない。
そこに何か喜びなり、充実感がなくては働けない。
ほんの一言で、彼ら・彼女らの働く意欲が上がったり、
今日は良い日だと思えたり、心が軽くなったり、
元気や幸福感につながることだってあるだろう。
そして、それは経済にだってプラスに働くだろう。
「新しい資本主義」って、
システムがどうのこうのではなく、
働く側と生活する側・双方の関係を
良くするところか始まるのではないだろうか。
今年は喪中で初詣にも行かない。
なので祈願もしないし、おみくじも引かない。
だから今年の運勢はああだこうだとか、
縁起がいいとか悪いとか、
年の初めにあれしなきゃとか、
これしなきゃとか一切考えることもない。
弱冠寂しくはあるのだが、
これはこれで浮き立つことなく、
すっきりしていていいものだ。
最近お気に入りのオーロラの歌
「ランニング・ウィズ・ウルブズ」をもじって
ランニング・ウィズ・ラビッツー-兎と走る!
今年の目標は昨日書いたとおり、
書きかけ・企画どまりの小説を
何とか1作でも多く書き上げることと、
新しいコンテンツをスタートアップすることだが、
これらは10年後もフリーランスで
バリバリ頑張って仕事ができる自分の
(何度目かの)下地作りである。
そのためなら、年頭の目標に縛られなくても
思いついたことはどんどんやっていく。
いくら人生100年時代だとは言っても、
自分の残り時間が少ないことはわかっている。
ウルトラマンで言えばカラータイマーが
ピコピコ点滅し始めている。
自分にとって何がエネルギーになるのか、
何がテンションを上げてくれるの、
どんなことなら冒険のしがいがあるかも
だいたいわかってきた。
これからはそういうところに
リソースを集中させて生きていく必要があるだろう。
ろくに才能もないのに、幸運に恵まれて、
行き当たりばったりで、
フリーランスを貫いてここまで生きてこられた。
今さら安定や保証を求めるわけにもいかないし、
そんなものに頼っても落ちるときは落ちる。
不安をエネルギーに生きるしかない。
なので今年も良い意味で流れに身を任せ、
あんまりがんばらないように、
ゆるくがんばっていきたいと思っている。
皆さん、今年もよろしくお願いします。
2022年は電子出版で9冊の本を出した。
小説3冊(長編1刷・短編2冊)、エッセイ集6冊。
紙の本(ビジネス本)のほうは
けっこう時間が掛かってなんとか原稿は年内に上げたが、
出版は1月か2月になりそうだ。
レギュラーワークと義母の介護をしながら、
また、母の死などもあって
思うようにいかなかったところもあるが、
そもそも思うようにいくことのほうがレアケース。
生きてりゃいろんなことがあるわけだから、
そのなかでベストを尽くすしかない。
2023年の電子出版は書きかけの小説が3本。
「河童の水を飲んだ話」:
若返る女と彼女と関係を持った3人の男の物語。
「星の王女さま、地球の仲間と旅に出る」:
女の子の夏休みの冒険を描く童話。
「6,600万年前の夢を見て死ね」:
故郷の湖の恐竜伝説で地元起こしをしようと動き出した
若者たちのプロジェクトの話。
それと数年企画を練っているフードミステリー1本
「ばんめしできたよ」
いずれもすぐ書けそうだが、なかなか書けなくて
あっという間に1年が過ぎてしまった。
2023年は何とかこれらを完成させ、
かつまた、良い出会いもあったので、
新しいコンテンツ企画にも取り組もうと思う。
というわけで2020年の反省と、
ちょっと欲張りな2023年の目標。
心身の充実に努めて新しいスタートを切りたい。
喪中なので新年のごあいさつは控えておきます。
ジョン・レノンは「ハッピークリスマス」のなかで
「戦争は終わった もし君が望むなら」と歌った。
でも、そう望まない人が世界にはたくさんいる。
彼の子供や孫の時代になっても
それはほとんど変わる気配はない。
日本も防衛費を増やそうとしている。
ロシア、中国、北朝鮮などの恐るべき動きを見れば
護身のためにやむなしと思う。
さらには日本も核を持つべきではないか、
という意見も耳にする。
今年は、世界は核の恐怖の均衡で成り立っている
という現実を、今さらのように思い知らされた。
そうだ、その通りかもしれないと思う。
けれども想像してみる。
もしも被爆国の日本が核を保有したと明言したら・・。
世界はそこで終わるかもしれない。
いろいろやっている持続可能な社会への取り組みも
すべてが水の泡になるだろう。
日本は核兵器の被害者であるが、
人類の歴史のストーリーの中で、
核を持たずに、
核の脅し合いを諫める役割を背負っている
(背負わされてた?)のではないかと思う。
まるでシェイクスピアの悲劇の主人公のようだが、
世界のために、人類のために、
その役割をこれからもと背負い続ける覚悟が
必要なのではないか。
そして今また「イマジン」を聴く。
当然ながら、いくら想像してみたって
現実はこの歌の通りにはならない。
けれどもこの曲を愛し続けるしかない。
なんだか時間が半世紀前に逆流している。
この曲が本当の懐メロになるのはまだ遠い先の話だ。
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昨日は父の命日だった。
もう14年になる。
今年は母が逝ったので14年ぶりにいっしょになれた。
良かったと思う。
おとぎ話っぽいが、死後のことは誰にも分らないので、
天国でまた仲良くやっていることを想像する。
僕にとって、父、母と呼べる人は、
認知症の義母一人になった。
彼女の方は実の娘であるカミさんのことも
娘と認知してないので、当然、僕が義理の息子だとも
思っていない。
「おかあさん」という呼び方にも反応しないので、
半分以上は名前で呼んでいる。
その方が本人も居心地いいようだ。
しかし、客観的には母親に違いない。
最後の親なので、彼女より先には死ねない。
と、最近よく思う。
僕は昭和の人間なので、上の世代から
「親より先に死んではいけない。それは最大の親不孝」
と割ときつく教えられてきた。
10代の頃から同世代で事故や病気や自殺で死ぬ
人間を見て来た。
逆に子供に死なれた友人・知人も見て来た。
やはりどっちも見るに堪えないものがある。
若い頃は、いつ死ぬかなんてわからないから
しょーがないだろと思っていたが、
齢を取ると、やはり親より長く生きるのが
最低限の親孝行というふうに思える。
いくらいい子でも、親孝行を重ねてきた子でも、
親より先に死んだら元も子もない。
「親より先に死んではいけません」という戒めは、
今の時代、割と薄れてきたように感じるのだが、
どうなのだろうか?
もちろん、寿命がどこまでかは
神のみぞ知る運命なのでどうにもならないが、
「親より先に死んではいけない」は、
いつもおまじないの言葉として唱えていた方がいい。
人生は自由に生きればいいが、
どこかでそれくらいの重しは必要だと思う。
電車に乗るのに永福町まで行ったら、
駅前で高井戸警察が年末の
振り込め詐欺防止キャンペーンをやっていた。
しそふりかけ、本のしおり、ティッシュの
3点入りノベルティの大判ふるまい?
「ふりかけかけてもふりこむな」という
相変わらずのダジャレ標語のキャンペーン。
でも、しそふりかけは好きなので今回はディスりません。
電車に乗って東京ビッグサイトへ。
経産省主催の「中小企業 新ものづくり・新サービス展」を
見学。
ついでに「東京ビジネスチャンスEXPO」も覗いて、
アンケートに答えたら、うさぎの手ぬぐいと
渋沢栄一のコーヒーをもらった。
こちらは東京商工会議所の主催。
いよいよ1万円札に登場する渋沢栄一氏は
東京商工会議所の創設者なのだ。
お歳暮か、クリスマスプレゼントか。
ノベルティいっぱいでちょっと満たされた気分?
どちらも仕事の知り合いが出展していて、
色々話が出来て楽しかった。
6月に母が亡くなったので、
毎年年賀状をいただいている人たちに
喪中はがきを出したら、カミさんの友人の一人から
お花代が送られてきた。
お花代というからには、やはりお花を飾らにゃいかんだろうと
行きつけの花屋に行ったら紫のバラが目に付いた。
なかなかユニークな色だ。
高齢の女性はなぜか紫カラーに傾く。
母親もご多分に漏れず、
晩年はこれと同じような色のセーターを着ていて、
最期まで持っていた巾着袋も紫色だった。
というわけでイメージがぴったり重なったので
買ってきた。
部屋に置いてみると、とても落ちつく。
と同時に母のことを思い出す。
まだ半年しか経っていないが、
なんだか遠い昔のことのように思える。
向こうもあっちで子どものことなど忘れて、
父と仲良くやっているのだろう。
供養ビジネスの取材などもしているが、
実際のところは供養って、
そんなにお金をかけて大げさにやらなくても
年に何回か、こうしてお花でも飾って偲ぶことが出来れば、
それで十分なのではないかという気がする。
コロナのはるか昔から在宅ワークをやっているが、
最近、妙に仕事着にこだわるようになった。
こだわると言っても、カッコいいか・悪いかじゃなくて、
着心地がいいか・どうか。
さらに言えば、働きやすいかどうか、である。
別にどこかに出かけるとか、
誰かお客さんが来るとか関係なく、
家で一人で仕事をしている時でも、
一日の間に何回も服を着替える。
着る物によって調子が変わるのだ。
サラーマンのスーツとか、肉体労働の作業着じゃあるまいし、
家でパソコン叩いているだけなら何を着てても一緒だろうと
思うだろうが、そうではない。
何を着ているかによって脳の疲れ方が違う。
着替えたとたんに、
バババババと執筆が進むこともあるのだ。
何がいいかは季節や天気、
その時その時の気分によって違うが、
まず駄目なのはフリースである。
温かいのだが、フリースの服を着て仕事をしていると、
なんだか途中から脳が拘束されているような
錯覚にとらわれる。
素材が石油由来からだろうか。
なにか科学的な根拠がありそうな気がするが、
とにかく調子が悪くなる。
アベレージが高く、仕事着として割とよく着ているのが、
息子が高校生の時に着ていたジャージ。
3年前の引っ越しの時にタンスの肥やしになっていたのを
もらい受けた。
いわば、息子のおさがりである。
買った時、値段がいくらだったか忘れてしまったが、
安くはなかったはずだ。
制服でも体操着でも、「スクールナントカ」は、
いったんその学校に入り込めれば、
あとは何年も何十年も独占市場である。
どれもだいたい高い。
しかしその分、モノは良い。
ガキどものハードな動きに耐久性がなくてはならないので、
それも当然。
したがって頑丈であり、その割に柔らかい。
ほどよくくたびれているところも
また着やすさになっている。
仕事着にぴったりなのである。
この間、こういう日本の中古スクールジャージが
オランダの若者に大人気だという話を聞いた。
ポイントは胸の名前の刺繍である。
アルファベットじゃなくて漢字。
これがオランダの若者にしてみたら、
カッコいいとウケる。
しかも名前なので、ダブりが極端に少なく、
みんな違っている。
どうやら輸入専門の業者までいるらしい。
面白いものだ。
この息子のおさがり、家では重宝しているが、
外には絶対着て出ない。
今の家は彼の母校である豊多摩高校のすぐそば。
同じジャージを着た高校生がうじゃうじゃ歩いている。
さすがに彼らと同じのを着ているというのは
恥ずかしいので。
TwitterやMeta(Facebook)の大量解雇は、
どうやらAIのディープランニングが一区切りついて、
それに携わって来た、いわゆる教育係の社員たちが
お払い箱になったということではないかと思われる。
Amazonでも人員削減の声が聞こえる。
コロナ禍のこの3年ほどの間に、
AIはとんでもなく成長し高度化した。
歴史も科学も芸術も、人間のことをたっぷり学んで
立派な学歴もつけた。
これまでの活動は、ほんの序の口、
学生ボランティアみたいなものだった。
もう世界もビジネスも次の新しいフェーズに入ってる。
アメリカのIT企業は、今後、本格的に
AIを活用した事業活動をやっていくと思う。
おそらく当面、僕たちの生活に直接的な影響はないだろう。
僕たちは昨日と変わらない世界を歩き、
変わらない会話をし、変わらない暮らしを営む。
けれどもそれは少しずつ、確実に、
AIの意思に導かれていく。
そして、僕ら自身もAIが提供する可能性を楽しみ、
AIが見せる夢に大きな期待を抱くのではないかと思う。
イーロン・マスク氏やマーク・ザッカーバーグ氏が
どんな夢や野望を持っているのか知る由もないが、
たかがSNSのはずだったものが、
いまや政治や経済、世界全体を変えていく
力を持つようになるのかもしれない。
AIが創る世界は、良きにつけ、悪しきにつけ、
過去生きて来た人間、そして、今を生きる人間の
愛、欲望、願い、理想、悟り、悪徳・・・
あらゆる脳の活動を反映したものになるだろう。
それをどう制御するのか?
どう未来につなげるのか?
全然わからないが、僕が死ぬ今世紀の半ばには
何か、今と全く違う世界・暮らし方が
実現しているのではないかと想像する。
いったいどうなるのか、
ぜひとも生き延びて見てやろうじゃないか。
秋晴れの日、ほぼ3年ぶりに新宿の街に降り立つ。
新宿御苑に来るのは何年ぶりか分からない。
5年ほど前、まだインバウンド華やかりし時代、
ちょうど5月の連休の頃だと思うが、
入口に来たら人があふれ返っていて、
入るのを諦めた覚えがある。それ以来だ。
今日は平日ということもあって、
ちょうどいい具合で、のびのび散策できた。
インバウンドで潤ったのか、
いつの間にか、苑内には新しいカフェやレストラン、
休憩所などがいっぱいできていて、
草木の手入れも行き届いている感じ。
入場料は一般500円。
記憶にあるのは200円だか300円だかの時代。
ただ、年間パスポートは2,000円と
4回くればもとがとれる。
このあたりに住んでいる人、
頻繁に新宿に来る人なら、
持っていると損はないだろう。
さすがに新宿は旅行者らしき外国人が多く、
インバウンド復活の兆しが感じられたが、
じつは!
僕たちは昨日・今日と日光に
一泊旅行に行く予定だった。
ところが、義母を2拍3日で預けるはずだった
ショートステイの施設でコロナが出て、
預けられず、予定はおじゃんになってしまったのだ。
なんとなくだが、ひしひしと確実に
コロナの次の波が近づいている気がする。
インバウンド復活とともにコロナ復活?
とりあえずまたマスクと手洗いかな~。
本日は月刊終活(旧・月刊仏事)の取材で
埼玉県川口市へ。
この木の匣はお墓であり、終活であり、
遺品であり、生前整理であり、
遺言であり、自分史である。
商品名は「ひとめぐり」という。
9月のエンディング産業展でのブース展示を見て、
ミステリアスな衝撃を受けた。
中には直観的にその本質を悟り、
泣き出した女性もいたという。
今日はそのミステリーを解くための取材である。
墓地の建設やリノベーションを手掛ける
川本商店・みんてら事業部が、
建築と福祉事業の鹿鳴堂、
そして京王電鉄の支援を受けて
「ありかた」という名のプロジェクトを発動。
お寺を介して自分の想いを
遺したい人と受け取る人とを繋ぐ、
新しい継承の形の提案だ。
なんだかよくわからいけど、
新しいものはわからなくて当然。
僕たちがよく知っている、
世の常識だと思ってること・
思わされていることの多くは、
じつは大して深い歴史・永続性があるわけではなく、
せいぜい150年。長くて幕末・明治から。
大半は戦後から。
例えばお墓を建てるのは
一部の特権階級のやることで、
庶民もこぞって立てだしたのは明治以降の話。
葬儀屋が葬式を取り仕切るようになったのも
戦後からだから、せいぜい70年余り。
時代の変化とともに死の概念も変わる。
あと10年すれば、
この「ひとめぐり」が供養の在り方として
普通のものになっているかもしれない。
人間はこれからどこへ行くのだろう?
僕たちの死生観はこれからどうなるのだろう?
メタバースとか、テクノロジーの分野とは
違った意味で、
自分が生きる未来の世界がわからなくなる。
NHK・Eテレの「ねほりんぱほりん」のファンなので、
先週末から新シリーズが始まってうれしい。
見たことある人はご存じだが、
これはモグラの人形に扮した山里亮太とYouが
インタビュアーになって、
ブタの人形に扮したゲストに根掘り葉掘り
事情を聴いていく、という番組である。
ゲストは皆、一般人で、
いろいろ話題になる社会現象の当事者。
普段は聞けないその裏事情を容赦なく暴いていく。
てか、本人もぶっちゃけたいから出てくるわけだが。
顔出しはNG。
音声ももちろん変えてある。
そこで人形に扮するわけだが、そのへんの手間暇かけた
丁寧な作り方が、
雑なのが多い今どきのテレビ番組の中でひときわ光る。
ところでゲストの人形はなぜブタなのか?
番組側の説明によると「タブー」をひっくり返した
言葉遊びの発想から生まれたものらしい。
しかし見ていると、
これはやっぱりイヌでもネコでもサルでもダメ。
絶対ブタが大正解と思えてくる。
欲の深くて、業が深くて、ずるくて、煩悩まみれ。
なのに、愛らしく、切なく、泣けて笑えて
ヒューマンタッチ。
その人間らしさを表現できる動物は
ブタ以外にあり得ない気がする。
先日、ムスリム(イスラム教徒)にとって、
なぜブタはタブーなのか、という理由として
「豚は余りに人間に似すぎていて人肉食に通じるから」
という珍説を唱えてみた。
皮膚や臓器の移植事例など、科学的にもそうだが、
イメージとしても、ブタはサルよりも人間に近い。
実際、ブタはその豚生(?)の中で
かなり人間に近い喜怒哀楽の感情を体験するようだ。
新シーズン初回の「ねほりんぱほりん」は
Lean FIRE(リーン・ファイア)の20代・30代がゲスト。
FIREは早期退職してリッチに遊んで暮らす人たちという
イメージだったが、
リーン・ファイアは、
働かず資産のみで暮らすのは同じだが、
最低限の暮らしで資産を作り、
これまたその最低限で暮らす。
「ミニマリスト」と言えば聞こえはいいが、
一言で言えば、胸が切なくなるほどの貧乏暮らし。
そこまでしてやめたかったというのは、
よほどひどいブラック企業に勤めてしまい、
会社勤めそのものに絶望感を
抱いてしまったのだなと思った。
そこもまた家畜(社畜)であるブタの哀愁を感じさせる。
社畜を脱するためにFIREしたお二人。
でも、人生は長い。
会社も辛かったようだが、
そのFIRE、けっこう辛いのではないか。
よけいなお世話かも知れないが、
まだ若いんだし、起業するなり、
バイトでもボランティアでもするなりして、
どこかで働く喜び、仕事する楽しさを見出してほしい。
そう思ったぞブヒ。
季節が変わり、空気が変わって急に涼しくなると、
脳内の景色も変わる。
久しぶりに死んだ友だちのことを思い出した。
昨日、彼の墓参りに行ったことを書いたが、
13年前、肺がんで50歳で死んだのだ。
発見のとき、すでにステージ4で余命半年と宣告された。
そのあと頑張って10カ月生きたのだが、
その間、毎日ブログを書きまくっていた。
これはあくまで僕の想像だが、
彼にとって最も恐怖だったのは、
人生を閉じるに当たって
「何も遺せないこと」だったのだと思う。
ほんのひとこと数十字のものから
千字を超えるものまで、1年足らずのうちに
おそらく千本以上は書いただろう。
そのブログは結果的にひとつの闘病記として
優れたものになっていた。
真面目なもの・深刻なものはむしろ少なめで、
ふざけた冗談めかした文章が多かったのだが、
後年それを読んで、背景に痛いほどの
後悔・焦りの気持ちを感じとれた。
彼は20代の頃、僕らの劇団の演出家だった。
表現することが好きだった男である。
その後は食うために舞台の裏方仕事をやり、
家族を作り、表現者としての自分は眠らせていた。
けれども、それはいつか目覚めるものなのだ。
「いつかまた」という思いは胸のなかにあったのだろう。
しかし自覚するのが遅すぎた。
突然、終わりが来ることを知って、
何の準備もしていなかったことを
ひどく悔やんだのだと思う。
結局、その発露はブログしかなかった。
それはそれでがんばったが、もっと時間があれば、
本当に表現したいことは他にあったのかもしれない。
「生きた証」なんて大げさなものでなくていい。
他人や社会に承認されるものである必要もない。
いわば自己満足で十分なのだが、
人はこの世を去ると分かった時、
何か人に伝えるメッセージを遺さずにはいられない。
いつ終わりが来るのかわからない。
表現しておきたいことがあると自覚したら、
あなたが何歳でもすぐに行動した方がいい。
ほかの誰かのためでなく、自分のために
何かを遺すべきだと思う。
「ふつう見せないでしょう。こんな無様な姿は。
でもそういう商売をしてきたから。ありのままですよ」
昨日亡くなった猪木さんの病床の最期の映像を見て、
なんてカッコいいんだと涙しかなかった。
特に熱烈な猪木のシンパではないし、
プロレスファン、格闘技ファンでもない。
しかし、ご多分に漏れず、
子どもの頃・若い頃は夢中になってプロレスを観た。
そして、アントニオ猪木のカッコよさは
体の芯に染みついていた。
僕の中でのアントニオ猪木はそんなに強くはなかった。
最期に語ったように、むしろ無様にやられたり、
負けたりするシーンのほうが印象に残っている。
それはジャイアント馬場との対比で明らかだ。
馬場がやられるところ、
負けたところはほとんど記憶にない。
しかし、猪木はいつも敵の外人レスラーにやられて、
額から血を流していた。
馬場とタッグを組むと、危機一髪のところでタッチし、
馬場が大暴れして一人で敵のチームをコテンパンにした。
馬場は圧倒的に強く、威勢はいいけど猪木は弱かった。
アニメ「タイガーマスク」でも、
なんだか馬場が悠々とした親分で、
猪木は子分の鉄砲玉みたいな感じで描かれていた。
ところがある年のワールドリーグ戦。
最終戦で猪木は血まみれになりながら、
相手のクリス・マルコフを卍固めでギブアップさせた。
世界最強の必殺技・卍固め(オクトパスホールド)
初披露の日、猪木はワールドリーグ戦に優勝。
馬場が血で真っ赤に染まった白いハチマキの猪木を讃えた。
めちゃくちゃ感動し、
しばらくテレビの前で棒立ちになっていた。
新日時代になってからのアントニオ猪木も、
大巨人アンドレ・ザ・ジャイアントの
バックドロップで粉砕されたり、
超人ハルク・ホーガンのアックスボンバーを食らって
卒倒したりした。
長州力らの維新軍にコテンパンにやられ、
惨敗したこともある。
鮮烈に記憶に残る無残な負け方、無様なやられ方。
だけどめちゃくちゃカッコいい。
そして、どんなに無様な姿をさらしても、
敢然と立ちあがり、リベンジを果たした。
それがアントニオ猪木の「闘魂」だった。
だから猪木さんの言葉は響いた。
無様でもいいんだ。
負けてもいいんだ。
人生が続く限り、何度でも立ち上がれ。
リベンジしろ。
もちろん、彼のように誰でもリベンジできるわけではない。
無様さをサマにできるわけではない。
いや、むしろ、ほとんどの人ができない。
でも「それでもいいんだ」と
猪木さんなら笑って言う気がする。
「元気ですかー!」と言って、
ビンタを食らわせてくれそうな気がする。
もっと生きろ、夢を捨てるな、とも。
もう記憶のなかでしか、それはかなわない。
ありがとう猪木さん。
ご冥福をお祈りします。
まだ暑い日はあるが、お彼岸を過ぎて
本格的な秋になった。
ふと思い出したのが昔、30代の初めの頃、
「もうお彼岸だね」といったら
「トレンディードラマでお彼岸なんて出てこないよ~」
と笑われた。
要するに「年寄りくせー」と馬鹿にされたのだが、
僕はトレンディードラマで
カップルがお彼岸に墓参りに行くなんて
シーンがあったら面白いのに、と思っていた。
その頃はバブル崩壊直後だったが、
世のなかは、まだまだお祭り続けるぞ!
みたいな雰囲気があふれていた。
ジュリアナ東京も、クリスマスのホテルも、
当時の僕らのような若い連中で大賑わいだった。
その頃の倍の齢になり、
さすがにもうああいう騒ぎに参加したいとは思わない。
若ぶってもしょうがない。
正直、最近はスポーツも音楽も、
盛り上がる系イベントにはさして興味がなくなった。
人生の秋になったからだ。
そんなものより、もっと自分のために
大切に時間を使いたいと思うようになった。
とはいえ、毎日、
仕事と義母の介護とカミさんとの付き合い、
そして自分の本を書くことでいっぱいいっぱいで、
合間にちょっと本を読んだり、
映画を観たり程度の日々が続いている。
もともと人間のキャパが小さく、
エネルギッシュでもないので、
この状態で精いっぱいなのだ。
でもまぁ、とりあえず、ここで死んでも悔いはない。
まだ死ぬ気はないけど。
ありがたいことにここのところ、いろいろ仕事が入って、
当分の間、おそらく年末まで忙しそうだ。
仕事は面白くて大好きなので、
いっぱいごはんをいただいている気分である。
もっと稼げればいいんだけどね。
昨夜はエリザベス女王の国葬を、BBCの生中継で見た。
こんなに絢爛豪華で美しい式典を見ることは
もう生涯ないだろうと思った。
内容の重厚さあってこその華やかさ。
あれだけ世界の要人が一堂に集まることも
もうこの先ないのではないか、と思える。
そいて、こんなすごいことをする国、できる国は、
もう地球上にイギリスしかない。
BBCの気合の入れ方もハンパなかった。
イントロダクションの編集もめっちゃカッコいいし、
ウェストミンスター寺院の天井にカメラつけて
神さま目線の大俯瞰映像を撮るなんて本当にびっくりした。
おそらくBBCは昨日の中継映像を、
後世に残す、人類共有の遺産とすることを意識して
撮ったのではないだろうか。
21世紀になってから22年目にして、
とうとう20世紀の真の終幕を見た感じがする。
国葬のパレードは軍隊に支えられていた。
王制と軍制は一体のものであり、
あの祭典は、大英帝国の祭典である。
僕たちが暮らすこの世界は、
いまだ大英帝国の影響下にあったのだ。
その礎を築いたのは、16世紀のエリザベス1世。
海軍と海賊を使って世界の覇権を握り、
イギリスに富と繁栄をもたらした。
19世紀。ヴィクトリア女王の治世と産業革命。
日本も初めてグローバル化し、文明開化を迎え、
資本主義・覇権主義の時代が始まった。
世界を制覇し、栄光に包まれた大英帝国の歴史は、
富を求め、権力と暴力で人を抑えつける
搾取・略奪・虐殺・支配・蹂躙の歴史でもある。
エリザベス2世はそうした前世代の恩恵と、
犯した罪悪の双方を熟知して
この70年間、必死で世界のバランスを保つのに
努めてきたのだと思う。
そして自分の葬儀さえも過去と未来との懸け橋にした。
英王室内の知恵の蓄積もあったのだろうが、
すごい女王、すごい物語の作り手だ。
彼女がいなくなった今、
大航海時代から20世紀、そして今日まで
続いてきた一連の流れはゆるやかに止まっていくだろう。
英連邦国家の独立や、王制廃止の動きも
雪崩を打って襲ってくるだろう。
ユニオンジャックの国旗を見るのも、
もうそんなに長くないかもしれない。
世界のかたちは変わり、資本主義社会の在り方も
変質していくだろう。
もしかしたらそれらは僕がまだ生きている間、
向こう10年、20年のうちに実現してしまうかもしれない。
僕たちの子孫は、昨日の国葬を
20世紀文化のアーカイブとして鑑賞するのだろう。
そして、王様・女王様のいる世界を
バーチャルとして楽しむようになるのかもしれない。
リアルにこんなことをやって、無駄ガネを使いまくって、
なんてクレイジーな時代だったんだ!
ということになるんだろう、きっと。
僕らはそれを寂しいと思ってこう言う。
「いや、民主主義・合理主義には賛成だけど、
人間というものはどこかでこういう物語を
求めているんじゃないか?
それが心を豊かにするんじゃないか?」
だが結局、新しい時代のことは、
新しい世代が決めることになる。
いずれにしてもロンドンとウィンザーで
エリザベス女王を見送った僕たちは、
一つの歴史と始まりを見届けた。
とても幸運なことだし、貴重な体験をしたと思う。
先日、義母といっしょに近所の八百屋に買い物に出た時、
マスクを忘れたことに気が付いた。
もう春先ぐらいから外ではマスクをしていない。
ただ、店とか建物に入る時はつけなきゃいけないので、
持ち歩くのだが、家に置いてきてしまったのだ、
ちょうどストックが切れかけていたので、
ドラッグストアに寄って60枚入りの不織布マスクを買った。
その時、こうしてコロナ用にマスクを買うのは
これが最後になるだろうと思った。
テレビなどの映像を見る限り、
どこへ行くにもこれだけ国民が
一律にマスクをしている国は日本だけ。
まさにガラパゴス感があふれている。
データを見ても第7波は終わりに近づいているが、
そもそも欧米などはもはやデータ管理さえしていない。
つまりもう「普通の病気」と見做している。
WHOも「パンデミックはそろそろ終わり」
と言い出してるし、
マスクをする生活にも終わりが近づいている、
そう予感している人は少なくないだろう。
エリザベス女王の国葬でロンドンにおられる天皇陛下も
日本のメディアを意識して外ではマスクをしたり、
晩さん会の場では周囲と合わせて外したりと、
なかなかお気遣いが大変だ。
だけどある意味、
3年におよぶコロナの影響はこれから現れる。
気になるのは子どもや若者。
彼らにとって3年は、おとなにとっての30年に匹敵する。
そんな長い間、マスク生活を強いられ、
人の顔・表情がまともに見えない、
自分の顔・表情をちゃんと見せない感覚になった子の
メンタリティはどうなのか?
マスクを外して生活できるのか?
北欧のどこかの国の保育園では、
コロナ禍においても、
保育士はけっしてマスクをしなかったという。
理由は、子どもに大人の表情を見せないのは、
精神の発達上、よくないという考え方があるからだそうだ。
国がわざわざそんなお達しをするとは考えにくいので、
その園なり、保育士業界の判断なのだろう。
日本(アジア)と欧米では、
相手の表情を読みとるのに、
目もとを見るか、口もとを見るかの違いがあるので、
一概にはこうした方針の是非は問えない。
ただ、上からのお達しや世間に対する気遣いを重視するか、
自分たちの信念、大げさに言えば哲学を重視するかの
違いがあるなと思った。
いずれにしても社会の中で、
コロナによって変わったもの・変わるものと
変わらずに残るもの・元に戻るものがある。
自分の中でも何が変わらずに続いているのか、
どんな習慣・考え方を変えたのか?
どこかで落ち着いて検討してみようと思う。
今朝はとても美しい夢を見てめざめた。
「がんばっているアタシへのご褒美」みたいな夢だ。
最近、何かいいことあったっけ?
特に思いつないので、近々いいことがあるのかな?
と、たかが夢でこんなに良い気分になるなんて、
ほとんど記憶がない。
もしかしたら人生を変える夢になるかもしれない。
そこで「良い夢を見る方法」なんてものが
あるのだろうかと思って
学者・研究者のサイトを検索してみた。
が、とくにそういうものはないようだ。
強いていれば悩み事を抱え込まないとか、
良い睡眠をとるとか、その程度。
でも、「良い睡眠をとる方法」と
[良い夢を見る方法」とは別だと思う。
記憶がどうこう、潜在意識がどうこうなど、
いろいろ説明はできるようだが、
結局、科学的に解明できないから、
メソッドなんて誰も編み出せないから、
夢は面白い。
そこで今朝の夢を参考に、
自分で「良い夢を見る方法」を考えてみた。
自分にウソをつかずに生きること。
ある程度、人を慮って丁寧に接すること。
好きなものは好き、面白いものは面白いと言うこと。
そして自分を見失わないよう、
できるだけ心の中を整理整頓しておくこと。
なんだかみんな
ごくありきたりのことだばっかだけど、
夢が人生を映し出すとすれば、
こういうことになるんだろうと思う。
いずれにしても良い夢、美しい夢を見られることは
幸福なこと。
あなたもたくさん良い夢を見られますように。
ここ数日、テレビやネットで
エリザベス女王逝去に関するニュースが
目に触れると、つい見てしまう。
20代の一時期、2年半ほどイギリスで
暮らしていたというだけで、
特に王室にシンパシーを感じていたわけでもないが、
何か喪失感のようなものがある。
一つの時代の終焉。
世界が大きく変わる予感。
なんだかひどく胸が疼くのだ。
エリザベス女王の最期は、ある意味、
高齢者にとっての理想形でもあった。
ガンや認知症に侵されることもなく、
ほぼ健康なまま、最後まで現役を全うした。
ひどく苦しむこともなく、安らかに亡くなったのは、
母を見送る子どもたち(国民)にとって
幸いなことだ。
死は悲しい出来事だが、
それ以上に、女王の死には
人生を生き切った不思議な充実感が感じられる。
どのように死を迎えるかは自分で選べないが、
彼女のように国を背負って
70年も歩き続けてきた人間には、
その報酬として、最後にはるか高い山頂から
広大な世界を見わたすことができたのかもしれない。
国葬は19日に行われるという。
エンディングの仕事をやっていることもあって、
こちらにもたいへん興味がある。
天皇陛下と皇后陛下も参列されるようだ。
お二人の英国留学は、
かけがえのない青春の1ページだったはず。
ほぼ同世代ということもあり、
かの地、かの時代、王室、女王対する
両陛下のお気持ちがひしひしと伝わってくる。
どうぞ心おきなくお別れをしてほしいと思う。
エリザベス2世逝去。
在位70年はすごい。
最後の最後まで女王であり続けた。
僕の母を超える高齢。
日本で言えば、昭和と平成をほぼ丸ごと生きた。
いずれ近いうちに・・・と思っていたが、
いざ現実になとやはり寂しい。
でも、穏やかな最期とのことで、良かったと思う。
政治家でも芸能人でもないが、
その存在感はあまりに大きく、
世の中に与える影響も大きかった。
ミニスカートも、ビートルズも、パンクも、
ブリティシュロックも、
ウェストエンドのミュージカルも、
戦後の英国生まれの文化は
すべて女王の擁護のもとに生まれ育った。
ロンドンで暮らしていた頃は、
毎日お顔を拝んでいた。
ポンド札の表で微笑む肖像は
(1980年代の実年齢より)
若くてチャーミングだった。
70年もの間、目に見えない巨大な何か、
ヴェールのようなものを英国のみならず、
ヨーロッパのみならず、
世界全体に投げかけていたような気がする。
その存在が地上から消えて、
これから世界に何が起きるだろう?
気になる。
僕たちの知る世界は
大きく変わってしまうのだろうか?
この2週間のうちに、誰も何の疑問を抱くことなく、
“本物”の国葬が行われるものと思う。
心から女王陛下のご冥福をお祈りします。
おりべまことエッセイ集:子ども②
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これは先日のエンディング産業展のセミナーで
DXを進めている会社から聴いた話。
最近は日本でも日常の買い物をはじめ、
生活のあらゆるシーンで
キャッシュレスが増えてきたが、
それでもまだまだ現金信仰が厚い。
これは世界的な視野から見ると、
一つの大きな幸福であり、
素晴らしい幸運の証なんだろうなと思う。
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過去にブログやSNSで書いたエッセイを
編集・リライトして電子書籍にしている。
今度の新刊「赤ちゃんはなぜかわいいのだ?」は、
子どもがテーマ。
その編集をしていたら
子ども時代に見た「ウルトラQ」がらみのネタが
3本もあった。
そう言えば、この間も5年くらい前に書いた
「2020年の挑戦への挑戦」を引用されてくれと
リクエストが来たのでOKした。
(この記事はエッセイ集:生きる
「酒タバコやめて100まで生きたバカ」に収録)。
ウルトラQは、のちのウルトラマン、ウルトラセブンなど、
ウルトラシリーズの元祖である。
製作・放送はなんと1966年。
その後のヒーローものにはさして執着心はないが、
Qはべつもの。
6歳の時、僕はいったい何を見たのだろう?
といまだに考える。
Qの記憶は素晴らしく鮮明で、
深読みさせられるマテリアルが
たくさん埋蔵されているので、
いまだに頭の中で、それぞれのエピソードが、
進化・深化を続けている。
そのQの中で活躍していた紅一点が
桜井浩子さん演じる「ユリちゃん」である。
桜井さんは、この後のウルトラマンに出てくる
科学特捜隊のフジ・アキコ隊員のほうが有名かもしれない。
「ユリちゃん」こと江戸川百合子は、
新聞社の女性カメラマンで、
ほかのふたりの男性とトリオの主人公で、
怪獣や怪事件に立ち向かっていた。
この時代、特撮やアニメ番組に出てくる
若い大人の女性は、なぜかカメラマンが多かった。
「スーパージェッター」のカオルさんとか。
まだ職場が男だらけだった時代、
カメラ片手に颯爽と駆け回るおねえさんは
子ども心にカッコよくて、胸がときめいた。
しかもユリちゃんはただ写真を撮るだけでなく、
知的でユーモアがあって勇敢で優しかった。
時にとんでもない悲劇にも見舞われた。
そのユリちゃん、そしてフジ・アキコ隊員を演じていた
桜井浩子さんの記事を先日読んだが
とても面白くて、こころ動かされた。
怪獣もののイメージがついてしまって、
その後の女優業は苦労したのではないかと思うが、
今になって、その半世紀以上前のキャリアが
燦然と輝いている。
彼女は現在、ウルトラ関係のコーディネーター業を
やっていて、今回の「シン・ウルトラン」でも、
裏方でいろいろ活躍していたようだ。
僕が6歳の時におねえさんだったのだから、
それなりのお齢だが、
この明るさ・元気さは素晴らしい。
こうなるともう生涯現役確定。
ユリちゃんファンも、フジ隊員ファンも
死ぬまでついていく。
いつまでもウルトラの女神でいてほしい。
古い友だちから残暑お見舞いの葉書が届いた。
もう10年近く会っておらず、
オンラインでもやりとりしていない。
年賀状だけは、ずっと交わしていたのだが、
この齢になると親が亡くなり、
喪中で出さない年も多くなる。
そうすると翌年、出すのを忘れてしまったり、
忘れてしまう程度のつながりなら、
半ば形骸化した関係なので
なくてもいいかと、喪中葉書をきっかけに
「年賀状じまい」をする人も増えてきた。
この友だちも昨年、父が亡くなり、
今年、母が亡くなったという。
僕一人に宛てたわけでもないと思うのだが、
「『元気でいるよ』とお知らせしたくて、お手紙しました」
という一文にはちょっと心を動かされるものがあった。
これはアナログのマジックと言えるのかもしれない。
2年続けて喪中で出さないと・・・
という危惧があったからだろうか?
それとは別に何かあったのだろうか?
本当に元気でいてくれているのなら何の問題もないのだが。
僕らの世代はまだオンラインのやりとりを
煩わしく感じる人が多い。
Facebookなども一時の流行りで始めたものの、
もうやっていない、ずっと休眠中という人が
周りに大勢いる。
僕は時々サボるけど、いちおう、ほぼ毎日、
ブログもFace boookも Twitterも更新しているよ。
電子書籍も出してます。
よかったら覗いてね~と書いて返事を出した。
相手がどう思うか、感じるかは二の次でいい。
自分の「いま」を、
いつでも表現して見せられるということ、
「俺は生きている」と発信し続けられることは、
心の安定と新たなエネルギーにつながる。
還暦を過ぎると、こういうことって、
けっこう重要になっていくのではないかと思う。
今日は久しぶりに江ノ電に乗って湘南の海へ。
おそらく江ノ電に乗るのは5~6年ぶり。
駅も電車もすっかりきれいになっている。
遊びじゃなくて仕事――お寺の取材で行ったのだが、
七里ガ浜の住宅地を歩くと潮騒がロマンチックに響く。
でも、砂浜に降りてみると、あまりきれいではない。
東京に来た頃から、季節を問わず、友だちと騒ぎに来たり、
女の子とデートしに来たり、
子どもを連れて遊びに来た湘南。
でも、もうここで遊びたいとか泳ぎたいとは思わないなぁ。
むかしはご多聞に漏れず、
湘南のイメージに憧れていた。
けれども還暦を過ぎると、その魔法も解ける。
サーフィンやマリンスポーツを楽しむわけでもなし、
もともと僕はそんなに海が好きな人間ではないのだ。
潮騒の音楽を楽しむもの。
遠くから眺めるもの。
イメージを楽しむもの。
これから自分にとっての海は
そういうものでいいと思う。
今日はそのことを再確認した感じ。
おまけ情報:
このあたりのスポーツ振興会の会長をやっている、
取材先のお寺の住職は、
ちょっとだけサーフィンをやってたそうだ。
ところが、このあたりは中級者以上限定で、
初心者はダメという暗黙のルールがあるそうだ。
だから彼は目の前に海があるのに
ここではサーフィンができず、
わざわざ江の島のほうまで行ってたとか。
では、残り少ない夏をしっかりお楽しみください。
川沿いの散歩道は木陰が多く、
猛暑日でも午前中や夕方近くは耐えられるレベルの暑さ。
体感的には、日向のアスファルトの路上に比べて
4~5度くらい違うのではないかと思える。
時おり吹き抜ける風は、
葉間や川面で冷やされ、思いのほか涼しく、
この先の少し高台になっている藤棚の下は
オアシスのように涼しく、
夕方はお散歩中のワンちゃんたちの憩いの場になっている。
セミの合唱がものすごいが、
ここ数日、ミンミンゼミやアブラゼミの声に混じって
ツクツクホウシの声が混じるようになってきた。
ツクツクホウシの声は日に日に響きをまし、
ふと地面に目をやると、
アブラゼミの死骸がコロコロ転がっている。
まだ秋の足音とまではいわないが、
夏は確実に後半戦に入っている。
子どもから手が離れた頃から、
逝く夏を惜しむということがなくなった。
コロナと猛暑。
むしろ早く終わってほしいと思うのだが、
それも何だか季節感をぞんざいにしているみたいで
ちょっと寂しくて、
夏の終わりを愛おしく思えた時代よ、
帰って来いと唱えている。
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・わたしの中の人間のクズ
・客観性という名の神様と自分の物語
・映画「はじまりへの旅」の寓意とユーモア
・人を食った話
・「2020年の挑戦」への挑戦
・夏のテレビのニュースで、道行く人たちが「暑い」とコメントすることに関する考察 ほか全35編
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・とんかつ屋はいかにして声優に転身したか
・eパン刑事、その愛と死とスマホ
・負けっぱなしでも強く、しぶとく、勝っているやつよりハッピーに生きている
・自分の中の文脈を探る冒険
・子どもの大学受験は「良い親検定」
・電車で若者に座席を譲る ほか全38編
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・「人間を大事にしています」ってどういうこと?
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・慢性硬膜下血腫で頭の手術の顛末記
・みずから幸福になることを放棄している日本人
・電車内スマホゲームはなぜカッコ悪いか
・生殖機能終了後の人生とは? ほか全38編
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大甘から激辛まで あなたのレビューお待ちしています。
父の人生の話は書いて本(原稿だけ)にしたが、
母からはついぞ話が聞けなかった。
父が亡くなってから10年あまり、
帰省するたびに何度かトライしてみたのだが、
自分のことはほとんど語ろうとはしなった。
中学生か高校生の頃だったと思うが、
小津安二郎の映画の世界みたいな
写真を家で見たことである。
白黒なのではっきりとはわからないが、
どうやら菜の花畑みたいなところで
若い女が立っている。
それが母の若い頃――おそらく20歳そこそこ
――であることに気付くのにしばし時間がかかった。
けっして美人ではないが、そこそこきれいだなと思って、
しばらく目が釘付けになった。
なぜか、そこにはそよそよと風が吹いていると感じた。
もうずいぶん昔のことなのに、
わりと鮮烈に脳に映像とその風の感触が刻まれている。
あの写真、まだ実家にあるのだろうか?
16歳で終戦を迎えた母が父と結婚したのは
30歳の時である。
当時としてはかなり晩婚だったはずだ。
双子の姉がいたのだが、
そちらは20歳前に嫁に行っていた。
下の妹も先に嫁に行っていたので、
内心穏やかでなかったかも知れないが、
結婚については
「そろそろしようかなと思って、したんだよ。
相手がお父さんで良かった」
と軽くかわされた。
家事手伝いだったわけでもないようなので、
終戦から14年間、何か仕事をしていたんだと思うが、
さっぱり不明である。
インタビューしていろんな人の本を書く機会があるが、
男性は割とあけっぴろげに何でもはしてくれるのに対して、
女性はプライベートなことに関してはガードが堅い。
以前は自分の聞き方が拙いのだろうと思っていたが、
そうではなさそうだ。
だから、これ以上つっこむのは無理だなと思ったら、
できるだけ寸止めすることにしている。
「お互い裸の付き合いで」
というのは男同士の話であって、
やはり相手が異性だと裸を見せるわけにはいかない。
たとえ家族でも事情は同じで、
娘なら語ってくれたかもしれないが、
息子では駄目だった。
残念だが母の若い時代は謎のままで終ってしまった。
でも女は男にとってミステリアスな部分を
残しておいたほうがいい、とも思う。
そんなわけで亡くなった母の話はわかるところを書いて、
以前書いた父の話と合わせて
両親の人生本を作ろうと思っている。
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第4世:この生きづらい世界を生きる!エッセイ集
明日8月17日(水)16:00~20日(土)15:59
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両親が昭和ひとケタ生まれなので、
終戦記念日になると、
父と母がどのように終戦を迎えたのだろうかと
頭の中でトレースする。
二人とも16歳で名古屋で終戦を迎えた。
名古屋も空襲を受け、
父が働いていた軍需工場も爆撃された。
危ない目に遇い、亡くなった仲間もいたようだが、
父自身は幸運にもケガ一つしなかった。
それもあって母はよく父のことを
「運の良い人」と言っていた。
これから本格的に社会に出る前、
16歳で終戦になったことは、
軍国主義、戦前の価値観でがんじがらめにされずに済んだ、
自由に戦後を生きることができた、という点で、
ある意味、幸運だったのではないかと思う。
僕が子どもの頃は、二人とも自分たちの戦争体験や
食糧難体験をよく話して聞かせていた。
それは実際は悲惨なことではあったのだろうが、
豊かな暮らしを手に入れた安心からか、
なにか懐かしい、
牧歌的な昔ばなしのように僕には聞こえた。
けれども、まだそれはすぐ近くにあるものだった。
僕たちは軍歌を知っていたし、戦記マンガも読んでいた。
街には傷痍軍人もいて物乞いをしていた。
考えてみれば、そうした両親の話を聞いていたのは、
戦後20年から30年ちょっとの頃である。
人間、齢を取れば認知症にもなる。
戦後77年。国だって国民だって認知症になりがちだ。
かつて平和ボケと言われた日本は、
戦後ボケにもなってきたように見える。
戦争反対、平和祈願の理念も、
中身の伴わない空虚なお題目になっているように
感じるときがある。
今年、母が亡くなって、
僕の中でも戦後のリアリティが1枚ぺろっとは剥がれ落ち、
軽度認知症になった感じがする。
認知症の進行を食い止め、
戦後文化の記憶を保つには、
人間の本質、生きる本質を見ようと努め、
想像力を駆使するよう努める必要があると思う。
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第3世:お盆に効く!子どもと動物と昭和のエッセイ集
本日8月13日(土)16:00~16日(火)15:59
★子ども時間の深呼吸 https://amazon.com/dp/B0881V8QW2
いつものロレックスを外して子どもの時計を巻いてみる。
心の中の子ども時間が自分を自分らしくする。
★神ってるナマケモノ http://amazon.co.jp/dp/B08BJRT873
人間のことは動物に訊け。
動物から人間の正体が見えてくる。
★昭和96年の思い出ピクニック http://amazon.co.jp/dp/B08WR79ZCR
戦争も平和も、芸術も金儲けも。甘い夢も非情な現実も。
僕らの愛するもののすべてがあった昭和へGO!
ご購読後はぜひレビュー投稿をお願いします。
以前、月刊仏事に告知記事を載せた、
泉ピン子の「すぐ死ぬんだから」というお芝居に
ご招待いただいたので観に行った。
劇場は東池袋の「あうるすぽっと」。
最後はいつだったか思い出せないほど、
観劇はかなり久しぶりだが、めっちゃ面白かった。
夫とともに町の商店を切り盛りしながら、
夫婦仲よく平凡に生きてきた
78歳の高齢女性を主人公としたストーリー。
テレビドラマの脚本家としておなじみ、
内館牧子が書いた小説を舞台用に構成した朗読劇で、
出演は泉ピン子と村田雄浩。
泉が、主人公のハナ役をメインに、
村田がその夫と息子をメインにしながら、
全登場人物、そして小説の地の文に当たる部分を
ト書きやナレーション風にして、すべて演じる。
その切り替えとバランスが抜群で、
縦横無尽に感情をさらけ出して暴れる泉ピン子を
村田雄浩が見事にフォローする。
だからとても安心して感情移入でき、笑って泣けるのだ。
泉ピン子が本に惚れて舞台化を企画したそうだが、
現代の高齢女性の心をドラマ化した
内館牧子の原作が素晴らしい。
タイトルの「すぐ死ぬんだから」は
劇中、随所にキーワードのように出てくる。
場面によって諦観の表現や、
笑いを誘うためのセリフとして
使われているところもあるが、
全体を通してみると、
人生の終章近くを生きる女性を叱咤し励ます
エールのような意味合いを帯びている。
そしてそれが最後には高齢女性に限らず、
すべての世代の男女に向けた
人生の応援歌として響いてくる。
観客も高齢者が大半かと思っていたら、
けっこう若い人も多く、バラエティに富んでいた。
休憩20分を入れて2時間余り。
終了後、作品の余韻を残したまま、
ピン子さんと村田さんがカーテンコールで
10分ほどのトークをしたが、それもまた楽しくて、
みんなとても良い気分で劇場を後にした。
まさしく名優にして名エンターテイナー。
東京での公演の後、年内は全国ツアーに出る。
機会があれば、ぜひ観ると面白いですよ。
第2世:長編小説特集「読むホリデー」
8月9日(火)16:00~12日(金)15:59
・オナラよ永遠に http://www.amazon.co.jp/dp/B085BZF8VZ
子どもたちの未来を開くのは愛と笑いとオナラの力!
・いたちのいのち http://www.amazon.co.jp/dp/B08P8WSRVB
少女とフェレットの楽しい暮らしと切ないお別れの物語
・ちち、ちぢむ
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ちっちゃいおじさんになっちゃったお父さんを救え!
レビューお待ちしています。
あなたの感想をお聞かせください。
ヒロシマ・ナガサキ。
今年もいくつか原爆関連のニュースを見た。
たいへん失礼な言い方になるかもしれないが、
ここ数年、特にコロナ禍が始まった一昨年以降、
かなりトーンダウンしてきたような印象がある。
昭和の頃の原爆記念日はとても熱いものがあった。
テレビで平和式のニュースの一端を見て、
みんなで平和を祈り、核廃絶を唱えていれば、
それがやがて世界中に広がるだろう。
いつか僕らがおとなになり、
50歳・60歳を超える頃は
核兵器が一掃され、
世界平和が実現するのではないか。
たしかにそう思えた。
けれども現実はそんなに甘くなかった。
考えてみれば、当たり前のことだけど。
平成になり、令和になり、
昭和の頃に感じた
平和祈願・核廃絶祈願のエネルギーは、
徐々に減衰した。
みんな、ただ祈願しても無力だ、
ということがわかってしまった。
言葉に出しては言わないけど、心の中で諦める。
おとなになったのだ。
これもまた、考えてみれば、
当たり前のことだけど。
体験を持つ人も高齢化している。
気力・体力も衰える。
亡くなる人も増えている。
そして改めて思うのが、
(これもまた怒られるかもしれないけど)
被爆者であることを
自分のアイデンティティの一部にして
生きていかなくてはならないのは、
ひどく辛いことなのではないかと思う。
被爆者の人たちは、いやがおうでも
「世界平和」や「核廃絶」というスローガンを
背負って歩かなければならない。
それもやっぱり辛いことだと思う。
何と言っても体験してしまったいるのだから、
被害者なのだから、
僕たちのように飽きたら投げ出す、
というわけにはいかないのだ。
加えて今年はロシアのウクライナ侵攻を
見てしまった。
平和祈願・核廃絶祈願がぶっとぶほどの
インパクトだ。
それに乗じて中国も不穏な動きを見せている。
やっぱりロシアや中国が
「話せばわかる」国だとは信じがたい。
いくら日本が世界平和・核廃絶を叫んでも、
あいつらが「行動」してしまったら、
もうそんなことは言っていられなくなる。
それでも日本は反戦・反核を
唱え続けるべきだと思う。
でもその一方で万一の時のために
備えておく必要もある。
日本も核を保有して抑止力にするべき――
そう考える人が出て来るのもしかたがないだろう。
日本が核兵器を保有することは
99パーセントないとは思うが、
ロシアなり中国なりから侵略の脅威に
晒されたら・・・と考えると、
今までのように落ち着いてはいられない。
政治家の皆さんは
アホなことをやっているように見えるが、
それでも国防はちゃんと考えていて、
トップシークレットの奥の手は
持っているのではないだろうか。
国民も何もせず黙っていても
今の平和、今の幸福が、
未来永劫続くんだとは思わず、
もしまた戦争になりそうになったら、
巻き込まれそうになったら・・・ということは
想定しておくべきではないかと思う。
第2世:長編小説特集「読むホリデー」
8月9日(火)16:00~12日(金)15:59
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レビューお待ちしています。
あなたの感想をお聞かせください。
今日は月刊仏事の取材で、
二子玉川 蔦屋家電に「読むジュエリー展」の
発表会・内覧会に行く。
近年、手元供養品として、ミニサイズの骨壺や
遺骨や遺灰の一部をリングやペンダントなどに仕込む
「遺骨ジュエリー」の需要が高まっている。
そうした遺骨ジュエリーの世界を
「メモリアルアートの大野屋」が絵本で表現した。
広報室のスタッフが
このジュエリーを購入した人たちのコメントを集め、
それをもとに企画を立案。
絵はプロのイラストレーター、
文は著名な作家(本名はシークレットだそうで、
ここでは専用のペンネームを使用)が作成。
発表会ではナレーターが、
この「かけら」という物語を朗読した。
蔦屋家電の2階の1コーナーを使った
小さなアート展だが、とても素晴らしい。
入場無料で、8月17日(水)までやっているので、
二子玉界隈に出向くことがあったら
ぜひ覗いてみるといいと思います。
何よりも遺骨ジュエリー・手元供養の世界、
その奥にある物語を、
寓話性に富んだ絵本というアナログな手段を使って
表現するセンスにたいへん感心した。
このアート展を通して、
遺骨ジュエリーのことが
より多くの人に広まってほしいと素直に思う。
特に若くして伴侶を失くしたり、
子どもを失くしたりした人のために。
特設サイト
https://story.souljewelry.jp/
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明日8月5日(金)16:00よりスタート!
●第1世:短編小説特集
8月5日(金)16:00~8日(月)15:59
・魚のいない水族館
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・茶トラのネコマタと金の林檎り http://www.amazon.com/dp/B084HJW6PG
・ざしきわらしに勇気の歌を http://www.amazon.com/dp/B08K9BRPY6
「適切に冷房を使い、命を守りましょう」
というアナウンスが今日も聞こえてきた。
本当に暑いので、
そのアナウンスが間違っているとは言わない。
けれども、6月に亡くなった母には
「そんなに暑い、暑いと言ってはいかん」と、
子どもの頃、よく怒られた。
理由は父が真夏のクソ暑いときでも外で働いていたからだ。
仕事だから休むわけにはいかない。
「お父さんがこの暑い中、家族のために働いているのに、
おまえはなんだ」というわけである。
そう言われるとグウの音も出なくて、
黙ってひたすら扇風機の風に当たっていた。
そして、扇風機に向かって
「ワレワレハウチュウジンダ」と言って遊んでた。
父は瓦のふせ替えの仕事をしていたので屋根に上る。
屋根の上は遮るもののない光の世界——
360度の直射日光ワールド。
太陽がまともにジリジリ照り付け、
とてつもない暑さであることを
学生時代に手伝って実感した。
特に反抗的だったわけでもないが、
以来、(口に出しては言わなかったが)
父を尊敬するようになった。
自分をたしなめた母のことも。
「尊敬」とか「感謝」はオーバーだけど、
両親のそういうところはとてもいいなと
今でも思っている。
昭和の、まだ一般家庭にエアコンなど普及していない、
日本がうすら貧乏だった時代の、
今ならうっとうしい根性論・精神論である。
じつは僕も人からそういう根性論・精神論を
説かれるのは大嫌いなのだが、
その一方で両親からの教え
(という大げさなものではないけど)が身に沁みている。
だから炎天下、外で働いている人たちを見ると、
いつも頭が下がる思いがする。
涼しい部屋でパソコンやっている自分に
かすかな罪悪感さえ覚えたりする。
そして、当たり前のことだけど、
猛暑だろうが酷暑だろうが、
こうして汗水たらして働いている人たちがいるからこそ
日本の社会は、経済は回っている。
誰が何と言おうと、それだけは忘れてはいけない。
熱中症で倒れたりしませんように、
今日も無事仕事を終えて、
冷たいビールでプハーッとできますように。
と心の中で手を合わせる。
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●第1世:短編小説特集
8月5日(金)16:00~8日(月)15:59
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●第2世:長編小説特集
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・オナラよ永遠に http://www.amazon.co.jp/dp/B085BZF8VZ
・いたちのいのち http://www.amazon.co.jp/dp/B08P8WSRVB
・ちち、ちぢむ http://www.amazon.com/dp/B09WNC76JP
●第3世:エッセイ集:昭和/子ども/動物
8月13日(土)16:00~16日(火)15:59
・昭和96年の思い出ピクニック http://www.amazon.co.jp/dp/B08WR79ZCR
・子ども時間の深呼吸 https://www.amazon.com/dp/B0881V8QW2
・神ってるナマケモノ http://www.amazon.co.jp/dp/B08BJRT873
●第4世:エッセイ集:生きる
8月17日(水)16:00~20日(土)15:59
・酒タバコやめて100まで生きたバカ http://www.amazon.com/dp/B09MDX2J45
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「今年の夏は行けるでぇ~!
3年ぶりに大爆発~」
と、1か月前は誰もが思っていた。
むしろ猛暑による熱中症のほうが
よっぽどコロナより脅威に思われていたが、
あっさり形勢大逆転。
「コロナなんか終わってるのに、クソ暑い中、
いまだマスクしてるアホ真面目民族」
などと揶揄されていた日本国民が一転、
きょうは「日本の感染者増加率、世界一!」と
センセーショナルに報道されてしまって、
あのアホ真面目振りは何だったの?と、
むなしさを感じている人も少なくないようだ。
欧米なんかはもはやコロナは風邪扱いで、
感染者のカウントすらしてないのだから、
そんな比較に何の意味もないのだが、
人と比べ合って一喜一憂する国民性は
いかんともしがたいようだ。
日本でも欧米同様、「ウィズ・コロナ」を目指し、
社会活動・経済活動を優先して、
コロナをインフルエンザなどと同じ5類扱いにしろ、
という声が前々から出ている。
しかし当然、法律上で分類を書き替えれば
OKというわけでなく、
いろいろそのための準備・手続き・体制づくりが
必要なのだが、落ち着いている間も、
岸田内閣は放置・無視・無策状態で、
何もやってなかった。
ロシアのウクライナ侵攻、物価の高騰と円安、
さらに参院選に安倍元首相の銃撃事件と、
いろいろあったから忙しかったんですよ~。
――というのは何の言い訳にもならない。
医療崩壊が起こり、社会インフラに支障が出る
今の状況で「じゃあ明日から5類にします」なんて
言えるわけもないので、
なんとか対策を打ってもらいたいが、
この夏、いったいどうするのか?
社会・経済のために行動制限しないのはいいが、
報道されている通り、医療体制がやばいのなら、
どこかに出かけるのに躊躇する人が増えるのも
しかたがない。
交通事故や水難事故などに遭ってケガしたり、
熱中症にやられたりしても、ヘタすると医療に
お世話になれない可能性は高い。
イベントの中止も相次いでいる。
杉並名物の阿佐ヶ谷七夕祭りも、
高円寺阿波踊りも結局3年連続中止。
(阿波踊りは昨年同様、8月27 日・28 日に
「座・高円寺」で屋内舞台公演を実施)
ちなみに写真は2019年のものです。
伝統的なイベントも3年連続でやらないと、
復活させようにも運営体制をもとに戻すのが大変だ。
そのまま消え失せてしまう行事も出てくるだろう。
個人的にはリアルな旅行とかイベント参加など、
どこか出かけるのは波が去った後に、
と無責任に考えているが、
主催者側はそうもいかないだろう。
お盆が過ぎる頃には落ち着いてほしいが、
「コロナはただの風邪だよ、心配しなくても平気だよ」
と言い切れるのは、いつの日になるのか?
先週取材した「しのぶば」の記事原稿を書いている。
オンラインの「偲ぶ会・お別れ会」を
プロデュースする事業で、
博報堂の社内ベンチャー企業として1年前にスタートした。
葬式を行うのは、原則、血のつながりのある
遺族しか許されないが、
「偲ぶ会」「お別れ会」は友人や仲間でもできる。
最近はコロナの影響もあり、
家族葬が主流となっているため、
いつの間にか彼(彼女)は死んでいた、
と後から家族に知らされることも少なくない。
遺族は見送り、弔う責任がある。
葬式で外部の者に気を遣うのは大変な負担だ。
しかたがなかったのだ。
おれはちょっと一時期だけ、
あいつと仲良くしていただけなのだから。
と、なんとなく納得する。
でも、おれとあいつの関係ってなんだったのか?
おれはあいつの人生の中でどんな意味を持っていたのか?
あいつはおれの中でどんな存在だったのか?
釈然としない思いを抱いたまま時は過ぎていき、
結局、大事だと思っていたことはうやむやになってしまう。
それが自分の人生にとって
小さくない損失であることにも気が付かない。
「しのぶば」は、そんな時にオンラインを利用して、
みんなを集めてお別れ会をやってみたら・・・
というニーズを狙って誕生したサービスだ。
じつはそれだけでなく、この事業には
社会的にもっと深い意味合いがあり、
日本人の供養の在り方を変えるほどの
ポテンシャルがあるのではと非常に興味を抱いている。
ただ、未だ記事にしてないし、長くなるので
今日はそこは伏せておく。
今年になってからぐんと実績が伸び、
アクセス数も上がっているという。
もし、上記のような思いを抱いている人がいて、
関心があればちょっと覗いてみるといいだろう。
料金もホテルなどで開く従来のお別れ会などと違って、
とてもリーズナブルなので、
気軽に企画し、相談もできると思う。
関連コンテンツの作成など、クリエイティブな部分は、
「さすが博報堂」と言えるクオリティである。
先月亡くなった母の49日法要の予定が月末にあったが、
実家にいる義弟が本日、コロナ陽性と判定。
妹も姪も濃厚接触者になってしまった。
妹が「どうしよう?」と相談してきたので、
即座に延期を決定。
いちおう宗教的には、
49日は49日前にやらなくてはならないという
きまりになっているようだが、
「べつに構わん。家族が不安な状況で無理やりやっても
おふくろは成仏しない。
どうせうちは信心深くないからOKだ」
と言い切り、3週間延ばした。
そもそも月末にやるのは早すぎるのだが、
それも「お盆は忙しいので」という
坊さんの都合で決めたこと。
現代社会では宗教のきまりごとよりも
世俗のスケジュールが優先される。
だからこっちから主張したっていいのだ。
正直、感染が広がっているのに
名古屋まで移動するのは大丈夫か?
でも遊びじゃないし、動かせないからしゃーないか・・
と思っていたところ。
もう緊急事態宣言やら行動制限は出なさそうだが、
この第七波がうねっている間は、
自分で自分の生活をコントロールして
コロナに対処したほうがよさそうだ。
感染拡大中は、
不要不急の用事・遊び・集まりなどはやめとく。
波が収まったタイミングで行けばいい。
長い人生、そんなに急いでどこへ行く?
でも今月いっぱいくらいでピークアウトすることを願う。
「刑務所のリタ・ヘイワース」と一緒に納められた
スティーヴン・キングの傑作中編。
タイトルや表紙から一見、
「スタンド・バイ・ミー」のような
青春物語なのかと思って読み始めると、
とんでもない目に遇う。
(「スタンド・バイ・ミー」も原作「死体」は、
映画と違ってかなる陰鬱な物語だが)
霊だの超能力だの超常現象だのは一切出てこない。
舞台はありふれたアメリカの田舎都市。
主人公は健康でスポーツ万能、成績優秀、
家庭にも恵まれ、経済的にも恵まれ、
孤独や貧困や差別などとは無縁な、
白い歯の笑顔が似合う理想的なアメリカ少年。
およそ人間の心の闇だの、
社会の裏とか影だのといったところとは
遠いところにいるはずだった少年は、
雑誌のエンタメ風読み物に掲載されていた
ナチスドイツの犯罪の話に興味を持った。
それに対する無邪気な好奇心が、
近所に隠れ住んでいた、
老齢のナチスの戦犯を見つけるという偶然から、
腹わたをえぐり出すような物語に発展する。
1983年にアメリカでキングの中編集「恐怖の四季」を
ペーパーバック化する際、
この作品の衝撃的な内容に出版社がおそれをなし、
「これだけ外せませんか?」と
お伺いを立てたといういわくもついている。
「あとがき」にはその時のことを語った
キングのインタビューの一部が載っている。
「僕は自分の精神分析に興味はない。
何よりも興味があるのは、
自分が何を怖がっているかに気付く時だ。
そこから一つのテーマを発見することができるし、
さらにはその効果を拡大して、
読者を僕以上に怖がらせることができる」
1980年代当時、発禁ギリギリとも言えるこの物語、
そして90年代以降、頻発する猟奇殺人・無差別殺人を
予言したかのような「ゴールデンボーイ」は、
超売れっ子作家であるキングの作品だからこそ
世に出すことができたのかもしれない。
1990年代から一般人の間でも精神分析、
プロファイリングという概念が広まり、
「トラウマ」「アダルトチルドレン」
といった言葉も一般化した。
以来、日本でも海外でも、
理由のわからない殺人事件が起きると、
僕たちはその犯人の心に闇をもたらしたもの———
孤独、貧困、虐待、差別、マインドコントロール、
格差社会のひずみといった問題を探し出し、
なんとか理解しようとする。
しかし、40年前に書かれたこの小説を読むと、
それ以前の何か—ー80年代のアメリカ社会に象徴される
現代のゴールデンな物質文明、
さらに情報化された社会そのものが、
人間を――特に可塑性のある子どもを、
容易にモンスター化する土壌に
なっているのではないかと思えてくる。
ナチスの老人との出会いはそのトリガーに過ぎない。
キングは二人の3年にわたる交流の過程を、
平凡な日常の描写を積み重ねながら描いていく。
そして、それが恐るべき状況を生み出し、
戦慄の結末へとつながっていく。
ラスト3頁の地獄の顛末の表現はあまりに素晴らしく、
読後感はとてつもなく苦い。
しかし、不思議なことに
それは何度でも何度でも嚙み締めたくなる、
噛み締めずにはいられない苦味なのだ。
それはこの物語がたんなる恐怖小説でなく、
僕たちの生きるこの社会に、
人間の魂に宿る善と悪の源泉に、
そして人生の始まりから行く末にまで
想像力を馳せらることができる、
現代の負の神話、負のバイブルだからではないかと思う。
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