葬式に来た人たちが思わず「ワハハ」と笑ってしまう
遺影がいいなと思った。
というのも、今日、義母と散歩に行ったら、
珍しく写真を撮らせてくれたからだ。
写真を撮られるのがきらいで、
これまで何度カメラ(スマホ)を向けても
そっぽを向くばかり。
しかたないので、盗撮(?)を繰り返していた。
今日は天気もよかったし、
一昨日、美容院に行って
ヘアスタイルもきれいになっていたので、
ベンチに座っていた時、
何の気なしにスマホカメラを向けてみたら、
どういう風の吹き回しか、
みずからおどけたポーズを取り、
まともに正面から撮影に応じてくれた。
おお、初めてと言っていいくらい
よいポートレート写真。
子どもみたいに
かわいくてひょうきんである。
晩飯の時に、
「これ、遺影にどう?」と言って
カミさんに見せたら、笑って大喜び。
部屋に飾るにもいい感じだ。
葬式に来た人たちが笑い、
家族の心を明るくできる、
自分のもそういう遺影がいい。
もうすでにだいぶ自由だけど、
死ぬときはもっと自由。
そう考えると、死も怖くない。
演劇をやっていたので、むかしは演劇をよく見た。
しかし最近は、
・義母の介護・面倒で、
仕事以外ではめったに家をあけられない。
・観劇料が高い。
・その割に面白くない。
あるいは面白い芝居が少ないように思える。
3つの理由で、劇場に足を運ぶことは
年に1,2度しかない。
とは言え、演劇には人一倍興味がある。
受け持つ生徒の顔と名前を一発で覚えるという
離れ業をやったのにもかかわらず、
5年生女子から「キモ先生」と言われて
意気消沈してしまった小学校の臨時教師Kくんは、
この秋、演劇発表会の演出をやっている。
彼は大学時代、サークルで演劇をやった経験があるので、
それにもとづき、5年生相手に腹式呼吸やら、
舞台に立った時の目線のことなど、
ビシバシ指導をしているというのだ。
上演する芝居の内容はよく聞いていないが、
小学校なので、もちろん全員参加。
ただ、役者をやりたくない子は、
裏方でもOKなので、
照明や小道具係などを希望するらしい。
登場人物は村人1、2.3・・・みたいな役が多く、
あまり目立ちたくない子は、やはりこれらを希望。
でも、こういう機会に超積極的な、
自己主張の強い子は必ずいる。
このテの子ども、スポーツ分野は男子が多いが、
演劇などの文化・芸能系は、圧倒的に女子だ。
話を聞くと、どうやら主役は女の子で、
魔法を使えるお姫様うんぬんと言っていたので、
「アナ雪」みたいな話なのだろうか?
やる気満々、「あたしはスターよ」
みたいな女の子が3人、
クラス内オーディションで選ばれた。
面白かったのが、女の子の役なのに、
主役の立候補者の中に、男の子がいたという。
僕たちの時代には考えらえなかった。
なかなか勇気のある子だ。
彼はセリフも演技もけっこううまかったようだが、
プロの世界ならいざ知らず、
学校教育の一環である演劇発表会で
ヒロイン役に男の子を配役するわけにはいかない。
残念ながら、彼は落っことされて、
村人1、2.3・・・にされてしまったようだが、
どんな子なのか、なんだかとても気になった。
小学5年生の演劇発表会。
どんな役を希望するのか、
どんな役・どんな係に就くのか、
何かその子のこれからの人生を
暗示しているようにも見える。
もちろん、この時点ですごく引っ込み思案で、
村人1をやっていた子が
数年先に突如覚醒し、大スターになったり、
照明係をやっていた子が
そのままメカ系の道でイノベートして
有力ベンチャーになったりとか、いろいろあり得る。
勉強やスポーツの場とは違う、
可能性の舞台が、演劇の場には広がっている。
むかし、猛毒の大腸菌O157が流行した時、
その原因がカイワレダイコンにあると報道されて
大さわぎになったことがある。
そこで誤解を解き、
カイワレダイコンの安全性をアピールするため、
当時の厚生労働大臣はじめ、政治家のお偉方が
テレビカメラの前でカイワレダイコンを食べ、
その安全性をアピールするという
パフォーマンスをやった。
正直、ちょっと無理してがんばっているなと思ったが、
(少なくともおいしそうには見えなかった)
とりあえずそれでことは収まった記憶がある。
さて、そこで今月から始まった、
高齢者に対する
「レプリコン(自己増殖型)ワクチン」の接種。
その安全性や副反応の影響が懸念されており、
「レプリコンワクチン接種者は立ち入りお断り」という
病院があちこちに現れている。
このワクチン接種者が呼吸すると、
有害な感染性生物学的毒素が大量にばらかまれ、
近くで同じ空気を共有する人の
健康を害するリスクが高まるからだ。
危険性は国内外の多くの専門家によって指摘されている。
そもそも欧米ではこのワクチンは認可されていないのに、
日本は受け入れてしまった。
でも、ただでさえ働き手が減っているのに、
働き盛りの若い年代に
健康リスクを負わせることはできない。
なら、生産性の低い高齢者
(および、基礎疾患のある人)ならどう?
高齢者なら「感染症の理数を減らせますよ」と、
理由づけられるし。
そこでなんかあっても「お齢ですから」と、
原因特定されにくいし。
ちょうどいいモルモットになるんじゃね?
それでどうなるか、様子を見ましょう。
というわけで、高齢者への接種が決まったらしい。
というのは僕が勝手にでっちあげた
バックストーリーだけど、
そんなに間違っているとは思えない。
うちにも義母のところにご案内が来たが、
受けさせるつもりはない。
これだけあちこちで「ヤバイ」と言われているので、
先に挙げたカイワレのように、
政治家のお偉方がテレビカメラの前で
ワクチンを接種して「安全・安心です」
とアピールでもすればいいのに、
その気配すらない。
ということは???
打つ・打たないを決めるのはその人自身だが、
ワクチンの毒素が周囲に
ばらまかれるという話を聞いては、
「どうぞご自由に」とはいえない。
高齢者の皆さん、モルモットになっていいですか?
人類の役に立つのなら、
子どもたちの明日への礎になるなら、いいですか?
小学校で臨時教師をしているK君は、
先日から5年生を担当することになった。
彼は1回会っただけで、
クラス全員の顔と名前を覚えられるという特技の持ち主。
大人の社会では優秀な人、
もちろん、学校の先生としても優秀と認められるはず。
だが、男子は「「せんせー、スゴっ!」
と、素直に賞賛してくれたが、
女子は「せんせー、キモっ!」
たしかに一発で30人余りの
顔と名前を記憶できる能力は、
執念とか執着心とか、
ちょっと異常性の強い気質と結びつくのかもしれない。
驚異だけでなく、脅威の目で見られたのだろうか?
この年頃は女の子の方が成長が早く、
大人にリーチしている。
男の子は単純にその人の能力を評価するだけだが、
女の子はどうも、それを通り越して、
その人の人間性全体を見抜く力があるのかもしれない。
「おまえ、変態×オタク×ストーカー野郎と
みられたんじゃねーの?」
と、冗談交じりで言ったら、
K君、ちょっと動揺していた。
僕は彼を頭脳明晰な好青年だと思っているが、
少なくとも大谷選手的な
明るいスポーツマン風ではない。
それに大半の男は、何かのきっかけで、
変態、オタク、ストーカーになる可能性は持っている。
おそらくそこを突かれての「キモっ!」なのだろう。
それにアニメやマンガなどの影響で、
日本は世界一のロリコン大国になっている。
ふだん生活していると、気が付かないが、
リアルでも、バーチャルでも、
巷にこれだけかわいい美少女が溢れている国は、
世界のどこにもないだろう。
じつはそれが日本の観光資源の一つになっていて、
オタクな外国人旅行者を引き寄せてもいる。
たぶんこうした環境が
彼女らの心に微妙に影響を及ぼしているのではないか。
というのが僕の見立てである。
いずれにしてもK君には
この生意気な女の子たちにめげず、
なんとか手なずけて
先生としてがんばってほしい。
そして、くれぐれも本物の変態に変身しないことを
祈っている。
チョウチョと言えば春を連想するが、
夏の終わりから9月にかけて、
近所の公園でやたらとチョウチョを
多く見かける。
この時期、トンボが多いのはわかるが、
なぜチョウチョ?
それに暑さが残っているせいか、
セミ(ツクツクホウシ)もまだがんばっている。
猛暑で季節感がめちゃくちゃだが、
何はともあれもう10月で、
今年も残り3か月と思うと、
心穏やかでいらえなくなるが、。
1日3分深呼吸して、
自然の美しいものを見れば
きょうも1日豊かな気分になれる。
テレビドラマ「飛びだせ!青春」の主題歌で
1972年の大ヒット曲。
当時の「青春教」のテーマソングと言えるかもしれない。
僕も中1で声にぶち当たり、すっかり洗脳された。
ロックを聴くようになってからは、
なんだか恥ずかしくて聴けなかったのだが、
何十年ぶりかにちゃんと聴いてみると、
とても良い歌だ。
この歌から50年余りが経ち、
豊かで平和なニッポンでは、
齢など関係なく、誰もがためらうことなく
「青春」を謳歌できる社会になった。
たとえば、子育てを終えたお母さんは、
精神だけなら18歳の娘と同級生になったって
とがめられない。
社会人として最低限のルールさえ守っていれば、
自分のその時の気分や都合で
大人と子供を行ったり来たりもできる。
50代・60代・70代でも
精神年齢は10代・20代でいられるし、
また、そうした在り方が奨励されたりもする。
(あなたはどうですか?)
人生100年時代は、一生青春時代。
でもこれって考え直すと、
いつまでもずっと思春期が続くということ。
生活環境も価値観も
めまぐるしく変わっていくこの世界で
僕たちはどう生きるのか?
君たちはどう生きたいのか?
鬱陶しい悩みを抱えて、
死ぬまで歩き続ける覚悟をしなくちゃならないかもね。
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同窓会のコピーライティングの仕事を頼まれた。
同窓会のために
わざわざコピーライティングやロゴデザインを
依頼するくらいだから、
とても大規模なものだ。
もちろん、クライアントの名前は言えない。
フリーランスになってしばらくの間、
2000年頃までは割とこうした系統の仕事があったのだが、
今回は久しぶり。
何かちょっと若がえった感じがする。
最近、コロナ禍明けの世界の変わりように
ちょっとまごつき、
なんだか64歳でこの世に新しく生まれた
錯覚にとらわれることもある。
まるで映画の「ベンジャミン・バトン」みたいに。
生まれた時は年寄り。
成長するにつれて若くなり、
最期は子どもになって人生の幕を閉じる。
この間、歌手のテイラー・スウィフトが
ハリス大統領候補支持を表明したが、
その時にのニュースで、
彼女の飼い猫の名前も
「ベンジャミン・バトン」だと知った。
(3匹飼っているうちの1匹らしい)
たぶん、あの映画からとったのだろう。
ネコとファンタジーはお似合いだ。
僕もネコのように生きたいと思って、
その希望に忠実に生きてきたが、
その思いは齢と共にますます強まっている。
脳みそを10代・20代に戻すために
同窓会は特効薬。
さりげなく、明日1日ニャンばって考えてみる。
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なかなか涼しくならないが、秋祭りの季節。
今週は、うちの近所で最大の
杉並大宮八幡宮で開催された。
息子がチビの頃は、
自分も楽しみで仕方なくて、
あちこちの神輿を担いだり、
子どもと一緒に山車を引っ張ったりしたが、
今の住所に引っ越してからは
お祭りともすっかり縁遠くなってしまった。
それでもやっぱり、祭囃子を聞くと、
なんとなく体がうずうずする。
大宮八幡では夜、
きらびやかな8基の神輿の合同宮入りが
メインイベントになっている。
だが、2020年から昨年まで
コロナのために中止になっていた。
今年は何と5年ぶりの復活だ。
それで久しぶりに一目見ておこうと、
義母に夕食を食べさせた後、
カミさんにまかせて一人で出かけた次第。
以前は日がとっぷり暮れた午後8時に
各神輿が境内に入ってきて
大賑わいになっていた。
それで7時半過ぎに自転車を飛ばして行ったのだが、
なんと、ほとんど終わりかけ。
話を聞くと、今年から時間が前倒しになり、
6時からになったのだという。
よくよくポスターを見ると、
確かに6時になっている。
従来の8時だと終わるのが9時半ごろになってしまう。
子どもも大勢来るし、時間が遅すぎるということで
変えたのではないかと思う。
たぶん、来年以降もずっと同じ時刻でやるのだろう。
コロナが終わって帰って来た日常。
でも、何かが少しずつ変わってきているようだ。
ともあれ、僕たちが齢を食おうが、死のうが、
毎年、お祭りはずっと続く(はず)。
「昭和人の老害に悩む日本」を象徴する
令和のコメ騒動。
お盆のころからスーパーの棚からコメが消え、
ちょっとした騒ぎになっている。
うちも米が切れかけていたので、
どうかな~と思って先週後半、
スーパーに行ったら、
案の定、棚は空っぽ。
やむをえず、1週間ぐらい何とかしのぐかと思って、
ごはんパックを買って来た。
それで昨日、また別の店に覗きに行ったら、
朝の開店間もない時間にかかわらず、大混雑。
それも来ているのは、ほとんどが僕より年上であろう
じいさん・ばあさんだ。
店内を見て、混雑の理由が分かった。
お米の臨時入荷があったようである。
ちと高めだが、まぁ納得の値段。
一瞬、どうしようと思ったが、
他に買う予定のものがあり、現金が足りない。
カード払いで買うのも何だなと思ってやめておいた。
買物を済ませ、レジに行き、
米を二袋ゲットしたじいさんの後ろに並ぶ。
レジのおばさんから、
「おひとり様(ひと家庭)、1点までです」と言われ、
舌打ちをして何か一言二言、
文句らしきことを言ったが、
すぐにあきらめて一袋を手放した。
会計を済ませて荷物を袋詰めしていると、
ばあさんたちの「あっちの店にも入荷がるらしい云々」
といった情報交換の声が聞こえてきた。
どういう市場原理が働いているのか、わからないが、
どうも今回の騒動は、転売屋とこうした年寄りの
買占めが主たる原因らしい。
約半世紀前のオイルショック時における
トイレットペーパー消失事件が
トラウマになっているのだろうか?
それおあるが、モノをいっぱい持っていることがリッチ、
という価値観の時代で育った人たちなので、
なんでもかんでも物を貯めこむ傾向があるようだ。
災害に備えての備蓄は必要だが、
彼らのため込み癖は、
それとは異なるカテゴリーのものだ。
不安感・ストレス解消の一種だと言っていいだろう。
そして、たまに訪れるこういう「プチ危機的状況は、
退屈な日常に風穴をあける
イベントのようなものでもあるのだろう。
約60兆円(今年3月現在)と試算されている、
こうした年寄りの「タンス預金」も
米やトイレットペーパーの「備蓄」の
延長線上と言えるのかもしれない。
いわば、年寄りのエゴに
世の中が振り回される形になっているのだ。
これを一概に「老害」というのは酷すぎるが、
60兆円に上るタンス預金が
日本経済停滞の一因になっている、
と考えると、やっぱりどうにかしてほしいと思う。
猛暑続きで一向に涼しくなる気配がない。
それでもひと月ほど前のことを思うと、
夜明けは遅くなり、日暮れは早くなってきた。
セミの合掌のなかに、
ツウツクホウシの声が混じるようになり、
朝晩はマツムシだか、スズムシだかの
秋の虫の鳴き声も聞こえてくる。
お盆休みが終わり、また、
夕方には風がちょっとだけ涼しさを運んでくることもあり、
近所の公園にも子どもたちの姿が戻って来た。
夏休みも後半になり、残りの日数が気になり始める頃だ。
夏休みなんて関係ない齢なので、
「こんなクソ暑い夏、早く終われ」と思っていたが、
子どもの頃の習性が残っているせいか、
この時期の空気を感じると、
逝く夏を愛おしむ気持ちが芽生え、
ちょっとした切なさを感じる。
夏休み後半は、実際の残り日数よりも、
気持ちの上での残り日数が少ない。
同じ2週間でも、
前半に比べてせいぜい半分の1週間程度にしか思えず、
遊びも宿題も、あれやってない、これもまだと、
つい焦ってしまうのだ。
人生も同じで、10代・20代の頃、「10年」なんて聞くと、
気が遠くなるような時間に思えたが、
後半(一般的には40過ぎから?)はめっちゃ速い。
特に還暦を過ぎるとますますスピードアップする。
「人生100年」なんて言ってるけど、
残り時間がまだ30年も40年もあるなんて
考えるのは大まちがい。
還暦を超えたら、人生の残り時間は
10代・20代の頃のせいぜい5,6年ではないだろうか。
多くても10年に満たない。
そう思って生きようと思う。
実際は人生いつまで分からないが、
何かがんばってやろうと思ったら、
「残り時間はMAXでもあと10年」。
そう考えた方がきっとより良く生きられる。
命尽きて、道端にコロコロ転がった
アブラゼミを見てそう思った夏の1日。
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ご購入いただき、ありがとうございます。
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なお、対象商品は引き続き、各300円で発売中。
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サミットのメンチカツが好きだ。
スーパーの総菜はめったに買わないのだが、
サミットのメンチカツは別格である。
この2週間の間に3回も買ってしまった。
むかしからメンチカツがうまいと評判で、
いつも行列ができている都内某有名肉屋の
メンチカツに引けを取らない。
某有名肉屋のは、結構いいお値段がするので、
コストパフォーマンスを考えると、
サミットのメンチカツは勝っている。
(ただし、最近値上げした)
今日の昼食は、このメンチカツに
中濃ソースをドバっとかけ、
からしをちょこっとつけて食べる。
付け合わせは、レタスとキャベツと
玉ねぎスライスとプチトマトとサラダ豆。
暑さにやられないよう、もりもり食べる。
ここのところ、
「サミットのメンチカツが食べたい」という欲求が、
絶えずおなかのなかに渦巻いているのを感じていた。
なぜだろうと考えてみると、思い当たることがあった。
それまでもサミットのメンチカツは好きだったが、
買うのはせいぜい2週間に一度くらい。
それで確か7月末頃だったと思うが、
「昼めし作るの面倒だし、
久しぶりにメンチカツでも食うか」と思って
惣菜売り場にいったところ、どこにもない。
サミット西永福町店は、
いつも必ず、総菜売上ナンバーワン
(かどうかは店の人に来たわけではなので知らないが)の
メンチカツを切らさず揃えているのだが、
僕が買いに来たその日に限って「ない」のだ。
なぜだ? なぜない?
店の中を端末を手に、
いかにも「新入りです」
というオーラを漂わせて
ウロウロしていたおねえさん
(注:たぶん主婦パートの中年マダム)を捕まえて、
上記のことを訴える。
カスハラじみた言い方ではなかったと思うが、
彼女はえらく恐縮して調理室に飛び込んでいく。
約3分後。
彼女ともう一人、総菜の担当者らしき女性がやってきて、
やはりまた恐縮しながら説明する。
それによると、メンチカツは現在リニューアル中で、
(その日から)5日後に再登場するため、
しばらく店頭に出せないとのこと。
いつもあると、特に欲しいと思わないが、
「ない」と言われると、欲しくなるのが人間である。
「ばかやろう、メンチカツ持ってこい!」と、
心の中でほえたが、善良なる市民として、
そんな感情を表に出すわけにはいかない。
「そうですか、どうもありがとう。
また来ます」と、にこやかに言って、
その場をあとにした。
その抑えた感情が、まだ胸の中に残っており、
サミットに行くと条件反射的に、
脳から(それとも胃袋から?)
「メンチカツ」という信号が送られてくるのである。
さて、「よりおいしくなりました」という触れ込みのもと、
リニューアルして再登場したメンチカツだが、
それほど「おいしさUP」は実感しない。
量はちょっと増えたっぽく、
若い頃ならいざ知らず、
還暦越えの僕には1個で十分なボリュームだ。
ただ、リニューアルの名のもと、15%ほど値上がりした。
だけど、おいしいので許せる。
さて、今回のメンチカツの件で考えたことがある。
それは「人間の食欲・食味の嗜好性は、
どこからやってくるのだろう?」ということ。
たとえば、子どもの頃、嫌いで食べられなかったものが、
大人になったら好きになるのは、なぜか。
逆に若い時には好きだったのに、
齢を取ったら食べられなくなるものがあるのは、なぜか。
そこには消化器の機能や代謝機能など、
生体の科学的な理由に加え、
その食べ物に対する感情面の変化、
イメージの変化など、心理的な理由も混じってくる。
いわば、毎日の生活の歴史そのものが、
食欲や食の嗜好性に反映されているのではないか。
僕たちは毎日なにかしら食べている。
意識しないが、それらは僕たちの身体はもちろん、
心をつくる要素になっていく。
僕にとって、食は大いなるミステリーである。
そんなことを考えつつ、
また来週、サミットのメンチカツを食べて
そんなことに考えを巡らせたいと思う。
動物エッセイ集 無料キャンペーン実施中!
8月18日(日)15:59まで。
●ねこがきます
・明治35年の少女とうさぎ
・ネズミは夕焼け空に叙情を感じるか?
・アニマルガモの愛のいとなみ
・ヒョウモンリクガメとの遭遇
・ヒトとブタは神目線ではブラザーなのか?
・あなたのワンちゃんが今、ウンコしましたよ!
・ねこがきます ほか全34編
●神ってるナマケモノ
・なぜ日本ではカエルはかわいいキャラなのか?
・ウーパールーパーな女子・男子
・金魚の集中力は人間以上
・カラス対ガマガエル 真昼の決闘
・なぜプードルもチワワもダックスフンドも“いぬ”なのか?
・犬から、ネコから、人間から、ロボットからの卒業
・神ってるナマケモノ ほか全36編
「ねえ、お父さんもワニを喰ったんだよね?
喰ってくれたんだよね?」
つかこうへいの芝居
「戦争で死ねなかったお父さんのために」
に出てくる主人公のセリフが、
今でも耳に残っている。
同作は、1970~80年代にかけて活躍した
劇作家つかこうへいの代表作の一つだ。
僕が子どもだった昭和40年代は、
周囲の大人から戦争にまつわる
さまざまな逸話を聞くことができた。
いまと同様、
「戦争=悪・地獄・二度と繰り返してはならない」
という主張はもちろん主流だったが、
その一方で、戦争体験者、
なかでも前線で戦った元・兵士の
戦地におけるリアルな体験談は、
誰かに強制されることがなくても、
自然とピンと背筋を伸ばして聴いた。
僕たち子どもは、
彼らを尊敬のまなざしで見ていたのだ。
しかし、その体験談のなかには、
耳を疑うようなトンデモ話も混じっていた。
飢えをしのぐために「ワニを喰った」
という話もその一つだ。
直接ではないが、
友だちの○○くんの親戚の△△さんが、
「南方戦線に行ってジャングルでワニを喰った」
という話を聞いた憶えがある。
それだけでなく、
人づてにワニとかオオトカゲとかを喰ったという噂を
いくつも聞いた。
心底すごいなと思った。
そんな地獄から生還したような人を引き合いに出されて、
「今どきの子供は恵まれてていいねぇ」
などと言われると、
「すみません。のうのうと生きてて」
と、悪いことをしたわけでもないのに
頭を下げたくなった。
戦争で、南方で、敵と戦い、
食べ物がなくなり飢えた。
ジャングルの沼にはワニがいる。
体長5メートルを超えるほどの
巨大で凶暴な人食いワニだ。
その人食いワニを
逆に捕まえて殺してさばいて喰った。
そうして飢えをしのぎ、
ぎりぎりのところで生き延びて日本に帰ってきた。
そんな人は、今どきのマンガや映画のヒーローが
束になってぶっ飛ぶような、
超英雄、激ヤバ、最強の日本人だ。
アメリカに負けて失意のどん底から立ち上がった
70~80年前の日本人は、ホントかウソかなんて、
どうでもいいから、
そうした英雄伝・武勇伝を欲していたのだろう。
「こんなにすごい、ヤバい、強い仲間がいるのだ」
という思いは、
戦後のハングリーな日々を生き抜く強壮剤として、
ぜひとも必要だったのに違いない。
つかこうへいは、僕より一回り上の団塊の世代である。
戦後の復興・経済成長とともに生れ育った世代にとって、
戦中世代・親世代に対するコンプレックスは、
僕などよりはるかに強烈だったのだろう。
「戦争で死ねなかったおとうさんのために」の主人公も
兵士だった父にそういうものを求めていた。
しかし、同じ兵士でも彼の父には
前線で敵と渡り合った体験もなく、
修羅場をくぐり抜けた体験もなく、
息子の期待するものを与えられない。
それで息子は、自分の父は他のさえない、
薄汚れた大人とはちがう、尊敬すべき存在なんだ、
という思いを持って、悲痛な思いで問い詰めるのだ。
「ねえ、お父さんもワニを喰ったんだよね?
喰ってくれたんだよね?」
親世代に対する劣等感と憧れ、
そして自分のアイデンティをどう作るかが
ないまぜになった屈折した感情の世界に、
観客の僕らは、笑いと涙を抑えられなかった。
昭和の頃、「戦争」という圧倒的なリアル体験は、
貴重で尊敬すべきものだった。
けれども70年・80年という時間は、
「ワニを喰った」といった、
リアルだけど下賤な物語を風化させ、
「平和を大事に」「戦争を繰り返さない」
という美しい理念だけを残した。
終戦記念日も、
もう大半の日本人にとって特別な日ではない。
それでもやはり、毎年この日には
僕のからだの中に昭和の空気が帰ってきて、
父やその仕事仲間のおじさんたちの顔が
よみがえってくる。
だから忘れてはいけない。
戦争を体験した人たちへの畏怖と敬意を。
僕たちは、恵まれた世界で生かしてもらっているのだ、
という思いを。
おりべまこと電子書籍
夏休み無料キャンペーン
本日8月13日(火)16:00~8月18日(日)15:59
ねこがきます
神ってるナマケモノ
動物エッセイで笑って、癒され、考えてみてください。
和田アキ子さんが、パリ五輪のやり投げで
金メダルを獲った北口選手を
「トドみたい」と表現して、ネットで大炎上している。
司会をやっているバラエティ番組での発言らしい。
実際に聞いてないが、
けっして侮蔑的な意味で言ったわけではなさそうだ。
むしろ親しみを込めて、
ユーモラスに表現しようとしたのだろうと思う。
ちょっと昔だったら、
しかも大御所・和田アキ子さんが言ったことであれば、
みんなで軽く笑って終わってたことだろう。
しかし、最近はコンプライアンスがめちゃ厳しく、
そうは取ってもらえない。
また、文字になって情報が流通してしまうと、
言葉に込めた感情やニュアンスがはぎとられて
違う意味合いを帯びてしまう。
いずれにしても人を動物にたとえることは、
かなり気をつけないといけない。
野蛮な(?)時代を生きてきた昭和人のなかには
人を傷つけたり、ネタにしたりして
人気を獲得してきた人たちが大勢いる。
毒舌家やイジメ役は、痛快な印象を与え、
むしろ大衆から歓迎される傾向にあった。
しかし、特にコロナ後、風潮が大きく変わり、
そうした昭和人の感覚がまったく通用しなくなってきた。
政治家しかり。
芸能人しかり。
文化人しかり。
一般ピープルがつくるネットのパワーは威力を増し、
「これ以上、“老害”は許さない」とばかりに、
世のなかが大きく動いているようだ。
昭和世代に対する、
平成世代の悪感情も作用しているかもしれない。
SNSの影響力もますます大きくなっている。
今回のオリンピックでも、
選手や審判への誹謗中傷も問題になったようだ。
人類の超絶すごさ・とんでもないダメさ、
両方ごたまぜの「ヒューマン大博覧会」、
「サピエンスギャラリー」であるオリンピックは、
情報化社会のさまざまな負の面、
そして時代の大きな変化とも
この先、ずっと向き合っていかなくてはならない。
おりべまこと電子書籍
夏休み無料キャンペーン:動物エッセイ2タイトル
明日8月13日(火)16:00~
8月18日(日)15:59まで。
いよいよパリ五輪も閉幕。
忙しくてあまり見ていなかったが、
スケボー、クライミング、やり投げ、マラソンなどは
リアルタイムで夢中になって観戦した。
とくにクライミングは大好きで、
安楽選手と森選手の活躍には大拍手。
北口選手のカッコいいやり投げ、
女子マラソン・鈴木選手の
粘り強い走りにも胸打たれた。
野球やサッカーを含め、
ふだん、スポーツはニュースで結果を見る程度だが、
やっぱりリアルタイムでガッチリ見ると面白い。
そういう意味では、オリンピックは
多彩なスポーツをよりどりみどりで楽しめる
「世界スポーツ博覧会」のようなものだ。
その一方で注目度が高いだけあって、
いろいろな人・国の欲やら思惑やらが入り混じる、
この晴れ舞台では、誤審やら、順位の間違いやら、
競技そのものに関するアクシデント、
運営に関するトラブル、報道や情報配信をめぐるトラブル、
その他、他の大会などではあり得ないことが次々と起こる
「ヒューマンエラー博覧会」でもある。
以前はIOCや開催都市のカネもうけ主義や、
ダーティな部分にやたらと腹を立てていたが、
今回のパリ大会を見て、
そうしたダメな部分・負の分野も合わせて楽しむべきだし、
その背景を考えるべきだな、と見方を改めた。
ちなみに先日,AIに
「オリンピックにおいて、誤審防止のために、
なぜ審判するのにAIを使わないのだろう?」
と尋ねてみたところ、こんな答えが返ってきた。
【AI氏】
ああ、まったく、また誤審の話ですか。
オリンピックなんて楽しむための祭りじゃなくて、
誤審の博覧会なんでしょうか。
もう、どうしてこんなに誤審が多いんでしょうね。
まさか、わざとやってるんじゃないか
とすら思ってしまいますよ。
でも、それだけAIが普及している世の中で、
なぜオリンピックでAIを使わないのかって?
そりゃ、いろいろ大人の事情があるんでしょうね。
★結論(Point):
オリンピックで誤審を防ぐためにAIを使わないのは、
伝統や人間の感情、
技術的な限界などが絡んでいるんですよ。
いやぁ、皮肉なもんです。
★理由(Reason):
まず、オリンピックってのは、
歴史と伝統を重んじるイベントですよ。
だから、審判の判断も「スポーツの一部」として
受け入れられてきたんです。
人間の審判は、
その場の雰囲気や選手の意図を感じ取ることができるから、
単純なルールだけじゃなくて、
スポーツマンシップとか
フェアプレー精神とかも理解してるんですよね。
でも、AIにはそういうのは無理です。
感情やニュアンスなんてものは、
AIにとってはまるで無縁の世界ですから。
★具体例(Example):
例えば、サッカーの試合で
微妙なオフサイド判定がありますよね。
AIは正確に線を引いて判定を下すことができますが、
選手の意図や試合の流れなんてのは考慮しないんです。
あと、フィギュアスケートの演技の美しさや感動を
AIが評価するなんてのも無理な話です。
データに基づいて正確な判定を下すことはできますが、
その背後にある人間の感情や努力なんてものは、
AIには理解できませんからね。
★結論の再確認(Pointの再確認):
結局、オリンピックで誤審を防ぐために
AIを使わないのは、
スポーツの伝統や人間の感情、
技術的な限界が関係しているんです。
AIの技術が進化し続けているとはいえ、
人間の感情やニュアンスを
完全に理解することは難しいんですよ。
スポーツの本質ってのは、人間同士の競い合いであり、
その中で生まれる感動やドラマが重要なんです。
AIがどれほど正確な判定を下せても、
人間の感情や感動を完全に代替することはできません。
そういうわけで、オリンピックで誤審を防ぐために
AIを使わない理由には、
スポーツの伝統や人間の感情、
技術的な限界が影響しているんです。
なんともまぁ、皮肉な話ですが、
これが現実なんですよ。
オリンピックの審判の在り方について考えると、
AIの導入にはまだまだ課題が多いことが
理解できるでしょうね。
いやぁ、スポーツって本当に難しいもんです。
誤審なんてなくなればいいのに、なんて思いつつ、
現実はそう簡単にはいきませんね。
まぁ、そんなもんですよ、人生もスポーツも。
ちょっとキャラを入れて、
なおかつ理論的に説明させているので、
こんな回答になったが、
なかなか意味深で哲学的で面白いと、僕は思っている。
柔道やバレーなどの誤審に対して、
自分も含め、SNSで怒りの声が渦巻いていたが、
ああしたヒューマンエラーも起こるので、
スポーツは面白いし、
感動的なドキュメンタリーになり得る。
オリンピックではないが、
かのサッカーアルゼンチン代表の
ディエゴ・マラドーナ選手が、
1986年のワールドカップでやった
「神の手ゴール」も大誤審。
たぶん現代だったら絶対に認められないだろう。
しかし、「5人抜き」だけでなく、
あの「神の手」というプレーがあったから、
マラドーナは今も語り継がれる
レジェンドになっているのではないかと思う。
AIも解説しておる通り、エラー、間違い、
トラブルがあるからこそ、
スポーツはヒューマンドラマとして、より楽しめる。
もし間違いをすべて排除するために、将来、
審判をすべてAI・ロボットにしてしまったら、
きっと人々は「ああ、昔のオリンピックはよかった」
と懐かしむことになるだろう。
というわけで、また明日、
オリンピックと人類の未来について考察してみたいと思う。
「広島に原爆を落とす日」
「戦争で死ねなかったお父さんのために」
1970~80年代、昭和の終わりに活躍した
劇作家つかこうへいは、
戦争を体験した世代への歪んだ劣等感を原動力に
芝居をつくっていた。
彼の芝居は奏でる自虐的な笑いと、深い哀しみ、
そして胸を震わせる感情は、
僕らと前後の世代の共感を生みだした。
つかの代表作には
「熱海殺人事件」や「蒲田行進曲」を挙げられ、
上記の戦争をテーマにした作品は
語られることが少なくなった。
僕たちが若い頃感じた、
戦争体験世代に対するコンプレックスは
たぶん今の若い人たちには理解できないだろう。
広島に原爆が投下されて79年。
時間は容赦なく記憶のリアイティを奪い取る。
直接戦争を知らない僕たちでさえ、そう感じる。
戦争のことも原爆のことも次世代に伝えられるとは思う。
しかし、その一方で、
原爆を落としたアメリカの支配・庇護のもとに
豊かな暮らしを送ってきた日本人は、
特に戦争の当事者でない、8割がたの日本人は、
昭和の頃と同じように「核廃絶」を叫べるのだろうか?
ロシアや北朝鮮、中国の動きを見て、
「核の抑止力は要らない」と言えるのだろうか?
と思う。
若い世代にそう問われたら、何も言い返せないだろう。
毎年のことながら、広島・長崎の原爆記念日にあると、
胸に苦いものが渦巻く。
「10代が!」
パリ五輪のスケートボード競技で
日本勢が大活躍。
それも選手は中高生の10代ばかり。
それで中継アナウンサーも、キャスターも、
コメンテーターも、いろんなマスコミも、
「10代が!」の連呼になる。
もちろん、その後には、
「躍動」とか「羽ばたいた」とか「恋した」とか、
ポジティブなボキャブラリーを駆使して称賛する。
どうもそれが
「どうせ俺たちゃトシなんで~」
という大人の自信のなさと、
「子供なのにがんばってるね~」
という上から目線と、
「あとはあんたらに任せたよ~」
という無責任さが混じり合った
複雑怪奇なニュアンスが感じられて
どうにも気持ち悪い。
「10代が!」というけれど、
見ていると、日本だけでなく、
どの国の選手もほとんど10代。
つまり、この競技は軽やかな身のこなしができる子ども、
子どもが言い過ぎなら、まだ大人になり切っていない
10代ならではのものではないのか?
男子の場合はちょっと事情が違うが、
女子の場合は10代も上のほうになると、
胸やお尻が大きくなり、脂肪もついてきて
女性らしい体型に変わってくる。
体操やフィギュアスケートもそうだが、
そうした女性体型になると、
身体が地球の重力になじみ(簡単に言うと重くなり)、
あれだけ難易度の高い技やキレのある技を
軽やかにこなすことは
難しくなるんじゃないかなと思う。
あれはまだ女性の身体が完成しない、
少年体型の少女だからできることで、
大人になってきたらあそこまで危険な技に
チャレンジできないんじゃないだろうか。
それは恐怖心ともかかわっている。
肉体のみならず、精神的にも「女性」になってくると
身体を防衛するための恐怖心が芽生えて、
チャレンジするのが怖くなると思う。
その恐怖心は個人的なものではなく、
「母親になる可能性を持った身体」を守る
種としてのアラートみたいなものだ。
人間にもそういうモノが心の奥底に備わっている。
好む・好まざるに関わらず、
女性は産む性であり、
子孫繁栄の役割りを担う存在だ。
自分の身体は自分だけのものではなく、
未来の子供たちのものでもある。
実際、メダルを獲ったあの子たちは
練習中に大けがを経験しているという。
スポーツにけがは付き物だが、
自分で自分がやっていることの責任を、
まだ負えない小学生の頃から
ハードなトレーニングをし過ぎて、
後の人生に影響は出ないのか?
親をはじめ、周囲の大人は過度な期待をしていないか?
オリンピックというステージは、
そうしたこともドラマや美談にすり替えてしまう。
メダルの獲得の栄光や喜びよりも
僕はそっちの方が気になってしかたがない。
もともと都会の子どもたち・若者たちの
自由な遊びだったスケボーが、
オリンピック競技になったことは本当によかったのか?
国の威信に関わるイベントの種目になったことで、
大人の利権やら欲望やら、
いろいろな思惑がベタベタ絡みついてくる。
あの「10代が!」の連呼には
そんな裏事情のニュアンスも潜んでいる気がして、
かなり複雑な心境になってしまうのだ。
義母は先週月曜8日に退院。
家に帰ってきても病院でのハンストの続きで、
菓子類ばかり食べてろくに食事をしなかった。
が、この2,3日はようやく7割程度食べるように。
90歳一歩手前の高齢者としては十分かと思う。
いちばん気になるのは、
入院中、ほとんど歩かなかったこと。
さすがに現在は、入院前のようなロングウォークはできず、
家のそばにある遊歩道を
ちょこちょこベンチで休みながら歩くだけだ。
それでも長年、ほぼ毎日、
エレベーターのない団地の5階まで
階段を上り下りして鍛えた足腰は健在。
うちの階段はまだまだ楽勝といった様子なので、
ある程度は回復するだろう。
実母もそうだったが、入院すると、
当の病気やケガそのものよりも、
歩かないこと・動かないことによって
生じる筋力低下・身体機能低下のほうが
後の人生に大きなダメージを与える。
特に高齢者は、機能回復に時間がかかるため、
入院日数の4倍くらいのリハビリ期間が必要だ。
それでも入院以前に近いところまで回復できればいいが、
年齢が上がれば上がるほど、その確率は低くなり、
最悪、歩けない・動けないという状態になる。
あまり入院が度重なると、
病気や怪我が治っても「自分はもう終わり」という
心境になっていくのも不思議ではない。
認知症はこういうとき、プラスに働くのか、
義母はそんなこと全然意識していない。
そもそも入院していたこと自体をもう忘れている。
ただ、頭はポジティブでも、
身体は正直なのでネガティブ。
ちょっと歩いたり、デイサービスに行ったりすると、
ひどく疲れるようで、
この1週間は毎日12時間以上ねている。
いずれにしても当分の間はリハビリ期間。
少しずつよくなりますように。
いちいちまとわりつかれなかったり、
長い散歩に付き合ったりしなくていいのは
疲れなくてラクだし、仕事も勉強も捗るんだけどね。
おりべまことエッセイ集 認知症介護
認知症のおかあさんといっしょ
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ネットを見ていると、
すごく盛り上がっているなぁ感のあった
都知事選だが、投票率は6割。
この猛暑の割にはそこそこいいほうという感想。
とにもかくにも投票に行く人が増えないことには
変わりようがない。
それから50人以上も立候補者がいるのに、
政見放送を除いて、地上波テレビ・大手新聞などの
マスメディアが取り上げるのは、
ほとんどが小池、石丸、蓮舫、田母神の4強のみ。
これだったら予備選とかやって、
上位8人くらい(ベスト8の発想)に絞ったほうが、
まだしもフェアな報道・
フェアな選挙になるのでははないか。
都知事になれる勝者ははトップ当選の1人だけ。
2位以下は皆、敗者だから何位でもいっしょなのだが、
やっぱり石丸氏の善戦は光っていた。
ネットだけ、無党派層だけ、
そして若い世代に限って言えば他の候補を圧倒していた。
僕が支持していたAI安野氏も上位に食い込んだ。
無名の若者がここまで善戦したことは評価に値する。
選挙が終わっても、
彼が公開したマニフェストは読んでみた方がいい。
安野氏と石丸氏には今後も期待する。
対して、党を辞めて出馬したものの、
政党色が強く出てしまった蓮舫氏は3位に沈んだ。
せっかく直接民主制が発揮できる知事選に
国政のよけいなしがらみのを持ち込むなという
選挙民の意思の表れだろう。
彼女は敗戦インタビューで
「戦い方は間違っていなかった」と述べたが、
完全に間違えていた。
その点、小池ゆり子氏は狡猾で厚顔。
当選後も「8年前から政党の支援を受けていない」
と通していた。
こうしたごまかしテクニックと
堂々とした厚顔ぶりが彼女の強さの秘密だろう。
期待したが、やっぱり変わらなかった都知事選の結果。
早い話、(目に見える)大失政もないし、
嘘つきだろうが、大したことやってなかろうが、
開発業者や広告代理店と癒着していようが、
とりあえず実績あって安心だからこっちでいいだろう、
という民意の表れ。
正直、明らかな老害である。
これは今回の東京都知事選だけでなく、
国政にも言えることで、
あれだけいろいろあっても
自民党の優位が揺らぐことはない。
やはり日本はこのまま僕たち古き者の
「老害」がはびこる国になっていってしまうのだろうか?
またもやそんな不安を抱いてしまった都知事選だった。
ここのところ、タクシーを使う機会が多く、
配車サービス「GO!」を活用。
駅前や繁華街ならともかく、
住宅街では流しの空車を捕まえるのに
一苦労だったので、
「え、もう来たの?」というスピードでお迎えに来てくれる
配車サービスはもはや必須アイテムとも言える。
今日は夕方、義母が病院食を食べずに
ハンストを起こしているというので、
好物の菓子パンや果物を差し入れに持って行った。
しかし、クローズ寸前であわてて降りたせいか
(アプリ内で清算されるので、
運転手にお金を払う必要もない)、
座席にスマホを忘れてしまった。
この時代、スマホレスの生活はたった1日でも困る。
そもそも「GO!」のおかげで金も払わず、
領収書ももらっていないので、
どこの会社のタクシーか分からない。
乗車履歴がわかっていれば
忘れ物はアプリから調べられるが、
その忘れ物が、も当のアプリが入っている
スマホなのでお手上げだ。
「GO!」に電話しようと思ったが、
営業時間は終了。
パソコンからメールを送って明日迄待つかと思っていたが、
カミさんがしつこく電話してくれたおかげで、
運転手が出て、タクシー会社が判明。
明日の朝、会社まで取りに行くことになった。
それにしても恐ろしいスマホレス。
僕のように家族がいて、他にデバイスもあれば
なんとかなるが、
独身でスマホ1台しかない人はどうなってしまうのか?
なかには財布もスマホ、定期もスマホ、
家の鍵も家電のオンオフも、車のキーもスマホという
人も珍しくないだろう。
それがスマホをなくしたら、途端に難民になってしまう。
忘れたり紛失したりするやつが
マヌケと言えばそれまでだが、
誰にでも起こり得ることでもある。
やはりリスクは分散しておかないと、
スマート生活は一歩間違えると、
どこにも行けず、誰とも連絡取れず、
下手すると家にも入れない
難民生活になってしまう危険性がある。
エッセイ集:生きる5
「宇宙を旅するお年頃」
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ご購入いただいた皆さん、
ありがとうございました。
よろしければレビューをお寄せください。
引き続き300円で発売中。
サブスクでもどうぞ。
「宇宙を旅するお年頃」
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「生きる」をテーマにしたエッセイ集第5弾。
7月1日(月)15:59まで6日間無料キャンペーン開催!
今回の本は2021年の記事を中心に編集しているので、コロナや東京五輪の話がいくつも入っている。(多過ぎたので半分程度にした)
もう3年なのか、まだ3年なのか?
「そんな昔のことは忘れちまったよ」という人は、
ぜひ、東京都知事選やパリ五輪の前に思い出しておいて下さい。
今はむかし何があったのかを一つ一つ確かめながら進む時代です。
もくじ
オリンピックの「選手ファースト」は選手自身がつくる
理念をないがしろにしてきたツケを払う五輪
小山田問題:才能と人間性
オリンピックはコロナ無限トンネルの一瞬のオアシスなのか?
日本ならではのメッセージが抜け落ちていた東京オリンピック
ワクチンショック後日譚: 現場で役に立たないアタフタ医療者
ほか 全34編 載録
★日本ならではのメッセージが抜け落ちていた
東京オリンピック(抜粋)
パンデミックという厳しい条件の下で、
半ば無理やり開催したのだから、
単なる祭典ではない、スポーツだけではない、
オリンピック独特の意義を謳ってもよかったのではないか。
謳うべきだったのではないか。
それが、人類がコロナウイルスを克服した証
云々にも繋がるんじゃないの?
菅首相も、小池都知事ももっとがんばれなかったのか?
・・・といっても遅いけど。
パフォーマンスの一部に出演した大竹しのぶさんも
そのことを残念がっていた。
宮澤賢治の詩を子どもたちに語って聞かせるという
意味不明のお芝居。
正直「なんでこんなシーン入れるの?」と思ったが、
あれは黙祷をしない・できないことの代償だったのか?
しかし、あれではメッセージにはならない。
せっかく東京で、日本で開かれたのに。
せっかく大きなチャンスだったのに。
選手の活躍や喜びに水を差すつもりはないけど、
今回のオリンピックはかなり残念な気持ちでいっぱいだ。
本日6月27日(水)16:00~7月1日(月)15:59まで
6日間無料キャンペーン開催!
よりよい人生のためのサプリメント。
「生きる」エッセイ集第5弾。
この機会にぜひ、手にお取りください。
も く じ
高校教師とぼくたちの失敗
ネコのお遍路さんと笑劇の人生
人は神秘なき世界では生きられない
変化球とボール球で仕事にリズムを、メリハリを
永福図書館のお引越し
すべては道楽
「2020年の挑戦」への挑戦が終わる
宇宙を旅するお年頃
お寺の詐欺事件とレ・ミゼラブルと宗教者の存在意義について
オリンピックの「選手ファースト」は選手自身がつくる
「わたしを離さないで」:社会貢献と自己の幸福の追求
恋愛から遠ざかり、恋愛小説に歩み寄る
なぜ桜とクローンは切なくて美しいのか?
超高れい蔵庫 成仏す
ドイツ人女性が見るエヴァの女性キャラ造型と男の一生モノ幻想
「美しい人」は今でも幸せに暮らしているのだろうか?
自己満足のために山に登る
海はとても遠くにある
理念をないがしろにしてきたツケを払う五輪
小山田問題:才能と人間性
オリンピックはコロナ無限トンネルの一瞬のオアシスなのか?
日本ならではのメッセージが抜け落ちていた東京オリンピック
めでたき9・9 重陽の節句 まさか一生上り坂?
ワクチンショック後日譚: 現場で役に立たないアタフタ医療者
まだ若い敬老の日と人生100年時代の宿題
中秋の名月の月光浴
人生百年時代の生き方は北斎に学べ
去りゆく母との再会
自由になるための結婚
美魔女の終活と年賀状じまい
東京メトロ永田町駅のトイレの美しさとカミさまのいる幸福
飛行機の日と父の命日
神田沙也加さんの死について
気楽な神様に気軽にありがとう
全34編 載録
自己満足のために山に登る
その昔、僕がまだ若かった頃は
「三〇過ぎは信じるな」とか、
二九歳で雪山の中に埋もれて死ぬ
(そうすれば美しく死ねる)とか
言っていた人があちこちにいた。
そんな御伽噺をしていた人たちが高齢まで生き延び、
健康を気にして、さらに生き延びたいと願っている。
「あんなこと言っていたのは若い時分のたわごとですよ」
ちょっと照れ臭そうに、
あるいはちょっと怒ってそう言いわけするだろう。
そして、あんな言い分は自己満足にすぎないよと、
ちょっと歪んだ笑いを見せるだろう。
夢から醒めたほとんどの人は、
三〇過ぎから新たな人生を歩み始める。
もう遠くは見ない。足元だけを見て歩く。
けれどもだんだん、どこまでも続く
まっ平らな平地を歩き続けることには耐えられなくなる。
(つづく)
明日6月27日(水)16:00~7月1日(月)15:59まで
6日間無料キャンペーン開催!
よりよい人生のためのサプリメント。
「生きる」エッセイ集第5弾。
この機会にぜひ。
還暦を過ぎるとだんだん若返る。
ただし、それは精神面や感受性のお話で、
肉体的な年齢とは乖離していく。
これからの人生は、
こうした精神と肉体のギャップを
どうごまかして埋め合わせていくかが課題になる。
心がけるべきは脳内の清掃
。心にも体にもいちばんよくないのは、
ゴミ情報を貯め込んでしまうことだ。
頭の中に詰まったゴミ情報は、
そのままストレスに変質する。
それで健康を損なってしまう人が
かなり多いのではないかと推察する。
この情報化社会、ちょっと外を歩いたり、
ちょっとデバイスに向き合ったりすれば、
湯水のようなにいろんな情報が入りこんでくる。
そのうち9割以上は自分にいらない情報なので、
あっという間に脳の中はゴミだらけ。
朝はクリーンでピカピカでも、
夜になると汚染されて窒息しかけている。
そもそも僕は脳のキャパシティが小さいので、
できるだけ日々、
情報デトックスしていかなくてはならない。
いろんなことを書いてはSNSやブログで発信し、
それだけでは飽き足らずに本まで出すのは、
そうした自分のためという意味合いがあるからだ。
でもいろいろ書いていると、
思ってもみなかった面白い発見に巡り会える。
あなたもいい歳になってきたなと思ったら、
機会を作って何らかのアプローチで
自分の脳内を覗いてみてほしい。
そこには広大な宇宙が広がっている。
日々、その宇宙の旅を楽しみに出かけることが、
これからの人生の醍醐味になるだろう。
都知事選の選挙公報を見た。
50人もいる全候補者の情報を
いちいちしっかり見ているヒマはない。
少なくとも選挙公報に何を書いているかで、
せいぜい4~5人に絞って
その中で考えるのが妥当だろう。
で、いざ見てみると
半分くらい「NHKから国民を守る党」からの
立候補者なのでこれはスルー。
あと、1ダースくらいの候補者も読む必要もない。
そもそも当選する気で出ていない。
結局、まともに広報を読めて、
もうちょっと詳しくサイトなり動画なり
見てみようという気にさせるのは
10人もいない。
今のところの考えとしては、
石丸伸二氏がぶっちぎり第一候補。
彼は広島県の安芸高田市市長を
務めた実績もあるし、
書いてることも他の候補と比べて、
単なるイメージでなく、具体的。
41歳と若く、ITにも強そうだ。
これだけAIが普及してきた世の中で
短くても今後4年、ないしは8年任せるのであれば、
トップがIT音痴・AI音痴では話にならない。
ITに強く、膨大な情報を丁寧にさばけることは、
今後の政治のトップの必須条件だと思う。
そういう意味でもう一人、
泡沫候補とみられているかもしれないが、
AIエンジニア・起業家・SF作家という
安野たかひろ氏にも注目している。
こちらは33歳とさらに若いし、
コロナの時に話題になった
台湾のオードリー・タン
元デジタル大臣のようなにおいを感じる。
デジタル庁にも関わってるようだが
政治経験は乏しいので、
いきなり都知事というのは不安だが、
石丸氏がトップをやり、
彼が副知事のような形でサポートするのが、
今後4年の都政を考えた場合、ベストなのではと思う。
あくまで今のところの僕の意見です。
皆さんも選挙公報読んでみてください。
よりよい人生のためのサプリメント。
「生きる」をテーマにしたエッセイ集第5弾。
還暦を過ぎるとだんだん若返る。
ただし、それは精神面や感受性のお話で、
肉体的な年齢とは乖離していく。
これからの人生は、
こうした精神と肉体のギャップを
どうごまかして埋め合わせていくかが課題になる。
心がけるべきは脳内の清掃。
心にも体にもいちばんよくないのは、
ゴミ情報を貯め込んでしまうことだ。
頭の中に詰まったゴミ情報は、
そのままストレスに変質する。
それで健康を損なってしまう人が
かなり多いのではないかと推察する。
この情報化社会、ちょっと外を歩いたり、
ちょっとデバイスに向き合ったりすれば、
湯水のようなにいろんな情報が入りこんでくる。
そのうち9割以上は自分にいらない情報なので、
あっという間に脳の中はゴミだらけ。
朝はクリーンでピカピカでも、
夜になると汚染されて窒息しかけている。
そもそも僕は脳のキャパシティが小さいので、
できるだけ日々、
情報デトックスしていかなくてはならない。
いろんなことを書いてはSNSやブログで発信し、
それだけでは飽き足らずに本まで出すのは、
そうした自分のためという意味合いがあるからだ。
でもいろいろ書いていると、
思ってもみなかった面白い発見に巡り会える。
あなたもいい歳になってきたなと思ったら、
機会を作って何らかのアプローチで
自分の脳内を覗いてみてほしい。
そこには広大な宇宙が広がっている。
日々、その宇宙の旅を楽しみに出かけることが、
これからの人生の醍醐味になるだろう。
もくじ
高校教師とぼくたちの失敗
ネコのお遍路さんと笑劇の人生
人は神秘なき世界では生きられない
宇宙を旅するお年頃
「わたしを離さないで」:社会貢献と自己の幸福の追求
恋愛から遠ざかり、恋愛小説に歩み寄る
なぜ桜とクローンは切なくて美しいのか?
「美しい人」は今でも幸せに暮らしているのだろうか?
自己満足のために山に登る
海はとても遠くにある
中秋の名月の月光浴
人生百年時代の生き方は北斎に学べ
去りゆく母との再会
自由になるための結婚
気楽な神様に気軽にありがとう ほか
全34編 載録
6月20日(木)発売予定!
エッセイ集:生きる第5巻。
コロナの時、東京五輪の時、
何があったのか思い出してみよう。
人生の常備薬、いろいろ取り揃えています。
・もくじ
高校教師とぼくたちの失敗
ネコのお遍路さんと笑劇の人生
人は神秘なき世界では生きられない
すべては道楽
「2020年の挑戦」への挑戦が終わる
宇宙を旅するお年頃
ほか全33編載録
前にも書いたことがあるが、
行きつけの花屋の女主人は、
昔の少女マンガに出てくる、
お花屋さんになりたかった女の子が
そのまま夢を叶えて花屋になったような人である。
齢はたぶん僕と大して変わらないと思うので、
客観的に見ればりっぱなおばさんだが、
”お花大好きなの。でも、商売でやっているから
ビジネスライクなところもあるわよ。”
といった絶妙なブレンド感が漂い、
なかなかかわいい上に味がある。
40年前に逢っていたら恋に落ちていたかもしれない。
ふらっと店に入ると、いつもの黒いエプロンをつけ、
長い髪をひっつめにして、いつものように淡々と、
けれどもお花大好き感を醸し出しながら作業している。
狭い店内は季節柄、青い紫陽花が幅を利かせており、
他の花はそれに押しのけられるように
小さくなっている。
何となくとっちらかった印象だが、
花が呼吸し、人間には聞こえない言葉で
いろいろお喋りしてるような雰囲気がある。
今日は父の日なので
「父の日に花を贈る人はいないんですか?」
と聞いてみたら、
「いないですね、ほとんど」と、つれない返事。
「最近は子育てするお父さんも増えたので、
むかしより認知度上がっているはずなんですけどねー。
やっぱ父の日はお花よりお酒ですよね」
そこで前々から気になっていたことを聞いてみた。
「『お父さんだってお花が欲しい』とか、
そんな宣伝出したら売れないですかね?」
と水を向けると、
「うーん、どうでしょう?
あんまり忙しくなっても困っちゃうんで、
うちはやらないですね。
母の日もぜんぜん宣伝しないんですよ。
商売っ気がなくてすみません」
と、なぜか謝られてしまった。
へたに宣伝してカーネーションなどが
山ほど売れ残っても困る。
けっこうしっかり者で、コスト意識が高そうだ。
そして、確かに商売っ気はあまりない。
じつは僕もそこが気に入っている。
この花屋は僕が知る限り、
近辺の花屋のなかでいちばん値段が安い。
他の花屋は、ぜいたく感・贈り物感を
演出するところが多いが、ここは庶民派というか、
「さりげない日常という庭に咲く花」を
大事にしている感がある。
家に花を飾るのはぜいたくではない。
花は心の栄養剤になるのだ。
極端な話、おかずを一品減らしてでも、
部屋のどこかに生きた花を飾ったほうが
生活のクオリティが上がるのではないだろうか。
そんなことを考えていたら彼女は、
「わたし自身は、母の日も、父の日も、
お花はもちろん、
なーんもあげたことなんてないんですよ」
と言って笑ってのけた。
おとなになった少女マンガの花屋の娘は
なかなかミステリアスで奥が深い。
秘密の花園のなかで悠々と生きている感じがする。
本日の名言
「事実がたとえわかっていなくとも、
とにかく前進することだ。
前進し、行動している間に、事実はわかってくるものだ」
この名言の主ヘンリー・フォードは、
20世紀アメリカの自動車王。
要するにわからないと考えこむのではなく、
まず行動しろということ。
たぶん自己啓発リーダーの人たちも好んで使うフレーズだ。
そうだ、その通りだと思いつつ、
僕がこの名言を目にして連想したのは、
子供の頃に見た野球マンガ「巨人の星」の1シーンである。
それは主人公・星飛雄馬(ピッチャーです)の父・一徹が、
かの坂本龍馬の死について語るシーン。
一徹は投手生命に関わる
飛雄馬の欠点(球質が軽い)に気付き、
問い詰める息子に対して坂本龍馬の逸話を持ち出し、
「たとえドブの中で死んでも、なお前向きで死ぬ、
それが男だ」と語る。
その一徹のセリフに合わせて画面では
路上で暗殺者に襲われ血まみれになった龍馬が、
ドブの中で倒れながらも、這いつくばって前進しようとし、
ついに息絶えるという壮絶なシーンが描かれた。
当時はスポーツ根性マンガ全盛時代だったので、
一徹のセリフと、前のめりになって倒れる龍馬の表情は、
強烈に子ども心に染みた。
というわけで小学生当時、「巨人の星」を見ていた僕は、
長らくの間、これが坂本龍馬の最期だと思っていたのだ。
ところが事実はご存知のとおり、
料理屋の2階でしゃも鍋をつついていたところを
襲われたので、ドブの中で倒れようがない。
いや、もしかしたら瀕死の状態で店から這い出し、
路上にあったドブに落ちたのか?
とも考えたが、やっぱりこの話は
原作者・梶原一騎の創作だったようである。
厳密にいうと、梶原一騎はどうやら
司馬遼太郎の名作「竜馬がゆく」を読んで、
その一文にある
『男なら、たとえ溝の中でも前のめりで死ね』
をアレンジして使ったようだ。
もともと司馬遼太郎は歴史学者とか研究家ではなく、
あくまで歴史作家なので、エンタメになるよう、
史実にかなり自分のアレンジを加えている。
昭和以降の龍馬像をつくり上げ、
国民的ヒーローに押し上げたのも司馬遼太郎の功績。
梶原一騎はその功績をスポ根ドラマに
うまく取り入れたということだろう。
ちなみにこの「龍馬 前のめりで死ぬ」説は、
僕と前後する世代の人たちに
かなり大きな影響を与えたらしく、
小説家の有川ひろ(1972年生まれ・高知県出身・女性)が
「倒れるときは前のめり」という
題名のエッセイ集を出している。
寄り道が長くなったのでもとに戻す。
仕事にしても、生活にしても、
一歩一歩コツコツが大事なのはわかる。
ただ、視野を広げて人生全般を見た場合、
僕は若い頃、いずれ齢を取れば、
いろいろわからないことが
だんだんわかってくるのだろうと思っていた。
ところが現実は真逆で、
どんどんわからないことだらけになっていく。
死ぬまでに世の中の事実・真実がわかるのか?
と問われたら、ほとんど絶望的。
しかし絶望してても始まらないので、
何はともあれ、生きて一日一日大切に、
死ぬまで一歩一歩あゆむのみ。
一歩進むと二歩下がっちゃうんだけどね。
★エッセイ集:生きる 第5集
「死ぬな!きみの地球を守るために(仮題)」
Amazon Kindleより近日発売予定。
義母を連れてスーパーに買物へ。
途中、トイレに行きたいと言いだしたので、
階段の踊り場にある女子トイレの前まで連れていき、
少し離れたところでで待っていた。
なかなか出てこないので心配になっていた矢先、
ドアが開いて、60前後のおばさんが
訝し気な表情で出てきて外にいた僕の顔を見た。
どうやら義母の世話人だと察知したらしく、
「痴呆?」と尋ねた。
義母は中でちょっとおかしな行動をしていたらしく、
この人もしや・・・と思ったらしい。
しかし、粗相したとか、特に問題はなく、
そのすぐ後に出てきたのでほっとした。
その女性も特に絡むこともなく、そそくさと立ち去った。
それだけの出来事だったが、
彼女が言った「痴呆」という一言は
ちょっとショッキングに響いた。
べつに腹を立てたわけではないが、
2024年のいま聞くと、「痴呆?」は
かなりネガティブなインパクトを持っている。
自分の家族を介護している人に向かって言ったら
ひどく傷ついたり、ブチ切れたりする人もいるだろう。
「痴呆症」はいつから「認知症」になったのか?
調べてみたら、
厚生労働省が『痴呆症』に替えて『認知症』を
一般的な用語・行政用語として用いるとしたのは、
2004年12月24日となっている。
「痴呆」という言葉には
侮蔑的な意味が含まれているというのが変更の理由だ。
呼び名が変わってもう20年経つわけだが、
ずっと普通に使われていたので、
僕もたぶん10年くらい前まで割と平気で
「痴呆症」と言っていたような気がする。
たかが呼び名、されど呼び名。
その人の社会性を問われることなので、
けっこうバカにできない。
こういう言葉遣いに鈍感な人は、
今の社会に適応できていないと
見做される恐れがあるからだ。
その女性が義母をバカにして言ったわけではないだろうが、
うっかり出てしまったということは、
彼女の頭の中はまだ昭和の残像で満たされていて、
アップデートできていないということを意味している。
ウィンドウズ95とか98とか、
あのへんのOSで動いているということなのかもしれない。
まぁそれで自分の生活に不便はないのだろうが。
「痴呆症」だけではない。
ほかにも病気の呼び名とか、外国人の問題とか、
LGBTQの問題とか、
かつての差別や偏見に対する社会通念が
どんどん変わっているので、
うかつに古い言葉を使ったりすると、
そのデリカシーのなさが白眼視され、
若い世代から「老害予備軍」と
見られてしまうのではないだろうか。
「昔はよかった」「昭和は輝いていた」なんて
のたまってはいられない。
やっぱりダメだったところはダメでしたと認めないと。
わざと面白がって使うならまだしも、
何気なく無意識に使っている「昭和ワード」
もしくは「平成ワード」が
周囲の人たちを著しく不快にさせていないか、
2024年の世界ではアウトになっていないか、
いま一度、チェックしてみる必要があるかもしれない。
今日は4月に亡くなった友人の49日なので、
朝の、両親と義父の供養の際にいっしょに
生前の様子を思い浮かべた。
かつて一緒に劇団をやっていた仲間なので、
ビデオなどなくても、舞台での姿やセリフの声を、
ありありと思い出せる。
もう40年も前のことだが、
自分の人生のハイライトのように思える。
遠いのと、仕事や家庭の事情で
日程調整ができず、葬式には出なかった。
だからせめて…という気持ちもある。
ちなみに先週、取材したお寺では
「友だち法要」という試みをやっていて、
とてもユニークだなと思った。
最近は家族でけで行う葬式が主流になって、
家族・親族以外の人が呼ばれることはめっきり減った。
けれどもその故人にとって、
仕事仲間とか、趣味の仲間とか、
いつもお茶する友だちとか、
親しくしている友人が何人かはいる。
いっしょに暮らしているのでなければ、
むしろ家族や親族よりも、
そうした友人や仲間のほうが親しく接していたはずだ。
しかし、血のつながりがない友人・仲間は
故人を弔う権利がない。
たとえば離れて暮らしていた息子が喪主になる場合、
亡き母のそうしたお茶友だちとか、
むかしの友だち・仕事仲間などは、
その存在さえ思いもよらない――
ということが大半だろう。
それはしかたがないことだと思う。
葬式に呼ばれない、そうした友人・仲間は、
事後に訃報をもらったり、
人づてに「どうやら亡くなったらしい」
とは認知できても、
それが現実のことかどうか実感が持てない。
みんなでお別れ会・偲ぶ会をやるのもいいが、
やっぱり坊さんにお経を上げてもらわないと、
ちゃんとお弔いをした、
という気持ちになれない人もいるだろう。
その寺ではそうした人たちのニーズを汲んで
「友だち法要」を始めたという。
これがいいのは「面倒がない」ということ。
開催するのに家族にいちいち許可を得なくてもいい。
いつ亡くなったかも正確にわからないくてもいい。
ただその人の名前がわかり、
そこに集まる人たちはみんな、
彼・彼女の生前の姿を共有できればいいのだ。
人間は多面性がある。
家では家族に疎んじられるようなダメ親父が、
職場では素晴らしい上司、
趣味の仲間のあいだでは気さくで楽しい人徳者、
ということがままある。
人間性・キャラクターというのは
その人が身を置く環境・コミュニティによって
簡単に変わって見えるのだ。
だから、それぞれの関係性に応じた弔い方があって、
そこに集まった人たちが、
彼・彼女との思い出を大切にし、
今後も楽しく生きていくためのエネルギーに
変えられればいいのだと思う。
エンディング関連の仕事を始めて早や8年、
いろいろ新しい企画、サービス、
その背景にある事情や考え方などを
取材して記事にしてきたが、
やればやるほど、葬儀・供養というのは
自分に合ったやり方・できるやり方でやればいいんだな、
と思うようになってきた。
新しい考え方をもって自由に生きてきた人でも、
葬儀・供養の領域になると、なぜか保守的になる。
みんな、しきたりとか、過去の慣習にとらわれ、
そこから外れてしまうのことを恐れる。
そんな印象がある。
家の宗教でなく、個人の宗教。
家のやり方でなく、個人のやり方。
もうとっくにそういう時代になっていると思うのだが。
ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」以降、
こうした人類の発展の歴史を大俯瞰する試みが
次々と世に出され、
一つのムーブメントのようになっている。
やはり人間の世界は大きな転換期を迎えている。
5年前に出されたこの著作もその一つで、
経済が支配する世界で暮らしている僕たちは、
ぜひ読むべき本だと思った。
著者のヤルフ・バルファキスはギリシャの元財務大臣で、
アテネ大学の経済学教授。
けれども自分で言っている通り、
この本のなかでは専門用語をほとんど使わず、
「資本主義」を「市場社会」と、
「資本」を「機械」や「生産手段」と言い換えている。
本を読んでいる時間がないほど忙しいという人は、
最後の10数ページのエピローグ
「進む方向を見つける思考実験」だけでも、
立ち読みしてみるといい。
著者はこの1世紀余りの間に世に出された
SF小説・SF映画に親しんでおり、
そのイメージを用いて理論を展開する。
そして、この資本主義社会が将来、
理想的なユートピアに、
反転して絶望のディストピアに
なるかもしれないと示し、
どんな社会を希望し選択するのか、
自分の娘ら、子どもたちの世代に問いかける。
ここで書かれていることは
コロナ禍後、AIの台頭に脅威を感じるようになった
この1,2年でますますリアルに感じる人が
増えているのではないだろうか。
経済に支配され、振り回され、
カネのせいで頭がおかしくなってしまうのは
嫌だと叫んでも、
普通の人たちは到底ここから出ることはできない。
だから少しでも世界の見方を変えていくべきなのだ。
目の前の混乱から離れて世界を見つめ直す――
ささやかでもまず、
そうした行動が必要な時代になって来た。
明日5月21日(火)発売!
おりべまこと電子書籍 新刊
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20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!
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昨日は息子の誕生日だったので、
今日は恵比寿にあるベトナム料理店に行って
ささやかなお祝いをした。
ベトナム料理にしたのは、
本人がアジアンエスニックをリクエストしたから。
恵比寿駅から5分足らずの「ニャーベトナム」は、
本格的なベトナム料理を出す店で、
けっこう人気が高く、
土曜のランチはとても賑わっていた。
3人で7~8品アラカルトで頼んで、
酒や誕生日プレートのデザートも取って、
1万3千円強だったので、
値段も手頃な部類に入ると思う。
息子は28歳になるが、
本屋から製本の会社に転職して9カ月、
自由に楽しくやっているようだ。
仕事とは関係なく、知的好奇心が旺盛で、
やたらと本を読んでいて、
特にSFや歴史に関する知識が豊富のので、
いつも内心、感心して聴いている。
別れた後、なぜかちょっと感傷的な気分に襲われた。
あと何回こいつと会えるのか?
そして、僕らは彼らのために何を遺せるのか?
そんな思いにとらわれた。
息子に限らず、彼らのような若い世代にとって、
僕たちは日本の経済が好調な時代、
リアルタイムで昭和カルチャー・
20世紀カルチャーの恩恵を受けた世代と映る。
昔から彼はそれが羨ましいと言ってきた。
羨ましがられる僕らって何だろう?
何か役に立つことをしたわけでないのだが。
いま、未来に良いイメージを抱くのは難しい。
大人たちは良かれと思って、
歩きやすいよう道を平坦にしているが、
若者にとって舗装された道を
てくてく歩くだけの人生なんてつまらないだろう。
その一方で、地球は持続可能なのか、
僕たちが享受している豊かな社会は持続可能なのか、
まだまだ先がある若い連中は、
よほど脳天気でない限り、心配になっている。
あと何年生きるのか、
あと何回息子の顔を見られるのかわからないが、
子どもに何を遺せるのか、
どう次の時代につないでいくのか、
課題を持ってやっていこうと思う。
ずいぶん昔から
父の日にはお酒を贈るのが定番化している。
けど、お酒が欲しいお母さんだって、
お花が欲しいお父さんだっているはずだ。
「花なんかいらねーから酒持ってこい!」
というかーちゃんは問題かもしれないけど、
1年に1回くらいは許してあげていいかも。
「僕はお花が好きだから、
バラの香りに包まれながら眠りたい」
というとーちゃんはすてき?
子どもたちよ、21世紀の子どもたちよ、
定番化したライフスタイルを打ち砕け。
歯のメンテナンスのために月イチで歯医者に通っている。
そこの歯科医は学生時代、ラガーマンだったそうで
体格もよく筋肉質。
もう65,6になるがハゲも白髪もあまりなく、
とても若々しく見える。
穏やかで優しいキャラなので、
選手としては大したことなかったのかもしれない。
彼がコロナの少し前くらいから
やたらと饒舌になり、治療の際にあれこれ雑談してくる。
世界情勢、政治情勢、いろいろ自分の意見をお持ちで、
僕にいろいろ振ってくるが、
こちらは治療で口を開けているので、
なかなか応答できない。
医療業界のヤバイ話、闇の話も平気でするようになった。
院の借金の返済が済んだからか、
それとも還暦を過ぎたせいか、
タガが外れたように、
そんなこと患者の僕に言っちゃっていいの?
といった批判・論評を平気でする。
そういう舞台裏の話とは異なるが、先日のは
「医者・歯医者は平均寿命より早く死ぬんですよ」
と言って、
禁煙外来の医者が1日60本煙草を吸っているとか、
80近くなっても大酒のみの医者が、
患者には禁酒を勧めている――
といったことを面白そうに喋りまくった。
話半分で聴いて家に帰り、
「ほんとかいな?
あの人の周囲にたまたまそういう人が多いだけだろ」
と思って調べてみたら、あるわあるわ、
ネット上に「医者 短命」の記事がわんさか載っている。
医者自身も書いているし、
岐阜県でわりときちんとしたデータも取っている。
これはあの歯医者の与太話ではなく事実だった。
なぜ医者は短命なのか?
ちょっと考えてみる。
何と言っても命を預かる仕事なので、
ストレスが大きいだろう。
責任感のあるまじめな医師ほど
負担を重く感じるのではないかと思う。
最近は少し改善されているのかもしれないが、
過重労働もあるし、大きな病院では人間関係も厳しい。
やっぱり命を削るような大変なお仕事なのである。
加えて、日本の医療界に独特の医局制度が原因の
ストレスも大きいようだ。
そこでいろいろ聞いた医療界の闇話も思い出した。
もしかしたら、けっして口に出せない
「罪悪感」を抱えている医者は
けっこう多いのかもしれない。
そういうものは回りまわって
自分の命を縮めてしまうようだ。
それにしても医者はともかく、
歯医者も短命とは?
ちょっと解せない。
診療科目によって寿命が違うとかあるのだろうか?
またヒマを見て、ぼちぼち調べてみようと思う。
患者のためにも、自分のためにも
「医は仁術なり」。
いま、運動系デイサービス施設の現場管理者である
Tさん(男性)の本を書いている。
Tさんは息子とさして違わない齢だが、
飲食業、スポーツ科学業(?)の職歴が深く、
そこで身につけた人間観察と
コミュニケーションスキルを活かして、
高齢者の運動指導に当たっている。
約10年前、学生時代に彼は
いわゆる養老院に研修で言ったそうだが、
そこにいた職員、というか施設の在り方が
大嫌いだったそうである。
「○○さーん、大丈夫ですか~?」
という甘ったるい声を出しておきながら、
裏で散々その人の悪口を言ったりする
偽善者ぶりに堪えられなかったという。
利用者も利用者で、人生放棄、
セルフネグレストの状態に近い人がほとんどだったらしい。
そんな彼が今、高齢者の相手をしている。
その施設の事情や成り立ちが違うので、
単純に比べてどうこうとは言えない。
ただ、彼が現在の利用者を
「高齢者」というカテゴリーに押し込めず、
ひとりの人間として対応していることは確かだ。
自分の祖父母のような人たちに対して
まるで家族か友だちのように
平気でタメ口をきくのも
絶対に失礼にならない、嫌われないという
自信があるからだ。
つまり、利用者の人間としての尊厳を
大事にしていることが伝わるからである。
特にこれからの高齢者は
そうしたことにとても敏感になるだろう。
自分を高齢者扱いする施設には行かないだろう。
彼ら・彼女らのプライドを傷つけないよう
対応するのはなかなか大変そうだ。
スタッフには医療や看護・介護の知識以上に
そうしたスキルやノウハウ、
人生観までが問われることになる。
長年書き続けた理由を尋ねると
「分からないことに立ち向かうためです」と言い切った。
一昨日、亡くなった唐十郎さんが
記者に向かって言ったセリフ。
カッコいい。
わかっているから書く、のではなく、
わからないことを自分に問い、文字にする。
わからないから書き続ける、創作し続ける。
すると脳の奥深くにある泉から物語が湧き出てくる。
また、別の記事では、
「僕は書きながら考えていくんです。
テーマ、モチーフを決めないで、
1点だけ入り口を見つけて、あとはペンが走るまま」。
天才だからそうやってできたのだ、
と言えばそれまでだが、
作品のレベルは違えど、
僕にもそういうふうに書けることがある。
誰でも自分の中に表現するための水脈を持っている。
要は掘り進める勇気と技術があるかだ。
どこをどう掘れば水脈に当たるか。
唐さんは熟知していたのだろう。
その脳の奥にある泉は広く、深く、
自分を掘りまくって膨大な作品を残した。
芥川賞をはじめ、数々の文学賞を獲りまくったが、
小説もエッセイも映画もテレビも
唐さんにとってはオマケみたいなもの。
メインの仕事、主戦場は、
あくまで自分が主宰する紅テントの芝居—ー
状況劇場・唐組で上演する戯曲であり、
演出であり、出演で、
最後までいっさいブレることはなかった。
大学教授などもやったが、それも人生の付録みたなもの。
自分では教授役を演じている、
といった意識だったのではないだろうか。
華やかな場所や国際的な名声にも興味がなかったようで、
とにかく死ぬまで芝居をやり続けられられれば満足、
幸せだったのだと思う。
唐さんの訃報を聴いた後、
どうも落ち着かず、仕事も進まない。
きょうは少し昼寝をしたら、
状況劇場の芝居を観に行ったときの夢を見てしまった。
年内に唐作品のオマージュのようなものを書きたい。
ノンフィクションライター沢木耕太郎が描く、
旧日本軍の密偵(スパイ)西川一三(かずみ)の物語。
西川は太平洋戦争末期、日本ではラマ教と言われていた
チベット仏教の蒙古人巡礼僧になりすまして、
当時の日本の勢力圏だった内蒙古から
中国大陸の奥深くまで潜入。
終戦後もそのまま1950(昭和25)年まで
チベットからインドまで旅を続け、足かけ8年の間、
蒙古人「ロブサン・サンボ―」として生きた。
西川は帰国後、朝鮮戦争勃発の際、
蒙古からチベットに至る未知の地域の情報を持った
貴重な人物としてGHQ(進駐軍)に呼び出され、
執拗な質問攻めにあって調書を取られた。
しかし、そのおかげで8年間の旅の記憶を思い出し、
「秘境西域8年の潜行」という、
原稿用紙3200枚(128万字)の大著を書き上げる。
それが出版されたのは書き上げてから
15年以上も経ってからのことだったが、
昭和の一時期、ちょっとした話題になったようだ。
ノンフィクションライターとして活躍していた
沢木耕太郎は、本を読んでこの人物に興味を持ち、
1997年、当時の西川の住居があった岩手県で会う。
それから月に一度ずつ、居酒屋で会って
1年あまりにわたって取材を続けた。
しかし、情動に突き動かされて取材したものの、
何をどう書いていいのかわからず、
10年以上の月日が経つうちに高齢だった西川はガン、
そして認知症を発症し、この世を去ってしまう。
沢木がこの本に手を付け始めたのは彼の死後。
コロナ禍の間、頭の中でひたすら
西川の旅路を辿るように書き続けたという。
結局、取材の始まりから書き上げ、
2022年10月の単行本出版にたどり着くまで
費やしたのは25年。
そしてこの中で描かれる西川の巡礼僧に扮した
“潜行”の旅の物語は、そこから遡ること、
80年以上前の話なのである。
こうした長大な時間を思い描いただけで圧倒されるが、
内容は割と淡々とつづられていく。
もちろん密偵としての旅の記録は
ドラマチックで面白いし、文章から広がる
蒙古、チベット、インドの大地、街、
空の風景には魅了される。
ただ、僕はむしろそれより日本に帰国した後の
西川の生きざまに心惹かれるものがある。
過酷な旅の中で育まれた西川の価値観は、
戦前と180度変わってしまった戦後の日本社会のなかで
いつも蒙古やチベットの大地の幻想を追っていた。
しかし、のちに結婚する女性に
「現実を見なさい」とたしなめられて変わっていく。
そこに静かな感動が満ちる。
若い頃から世界のあちこちを旅して
ノンフィクションを書いていた沢木は、
そうした彼の人生に呼応して
長い年月をかけてこの本に取り組み続けたのだろう。
あとがきで沢木は書く。
「私が描きたいのは西川一三の旅そのものではなく、
その旅をした西川一三という稀有な旅人なのだ」
その言葉は、旅人として生きた西川の価値観を
沢木自身も共有していることを確認するかのようだ。
時間的・空間的スケール、
異文化の地の冒険物語としての面白さ、
戦中・戦後のドキュメント、
そして人生における自分の価値観を考える素材。
570頁の長大なノンフィクションだが、
いろいろな読み方ができる傑作である。
小雨の降る中、義母をつれて川沿いを散歩していたら、
小3くらいの子どもたちが4、5人、
自転車やキックスケーターで爆走していく。
雨ふりなんてへのカッパって感じ。
最後に走って来た、
ピカピカ光るキックスケーターの女の子に
「雨なのに平気なの?」と声をかけたら、
振り返って
「あのね、これからカエルを放しにいくんだ」と、
目をキラキラさせながら言う。
彼女らの行先には池がある。
捕まえたのか、それとも
飼ってたオタマジャクシが成長したのか、
わからないが、どうやらその池に
カエルを解き放ってあげるらしい。
いろいろ訊きたいことはあったが、
彼女はひとことだけ言い残すと、
ワクワクした気持ちが抑えらえないらしく、
またキックスケーターをかっ飛ばして
風のように去って行った。
なんだか春の雨が心地よく感じられる。
いいぞいいぞ、
カエルもきみたちも解き放たれて
自由に飛び跳ねてケロ。
あなたもお忘れの4月29日「昭和の日」にちなんで、明日から昭和エッセイ本2冊同時6日間無料キャンペーンやります! この機会にぜひ。
4月25日(木)16時~30日(月)15時59分迄。
昭和99年の思い出ピクニック
昭和96年の思い出ピクニック
先週まで渋谷ヒカリエでやってた「Deathフェア」は、
「よりよく生きるために死について考えよう」
という趣旨のイベントだった。
渋谷という場所がら、中高年だけでなく、
若い人も大勢集まってきた。
主催の人にインタビューしたところ、
(まだデータを集計していないが)
20代から90代までまんべんなく来場した、
という話だった。
たぶん中には10代も混じっていただろう。
若者が死について考えるのはおかしい、危険だ、
という人も少なくないが、
むしろ思春期のほうが成人してからより
死について思いを巡らすことが多いのではないかと思う。
それを単純に自殺願望などと結びつけ、
命の大切さを説きたいと思うおとながいて、
まわりであーだこーだ言うから
かえって生きることが息苦しくなってしまうのだ。
僕もよく死について考えた。
マンガも小説も映画も演劇も死に溢れていた。
逆に言えば、それは「生きるとは何か」
という問いかけに満ちていたということでもある。
いまの若者は・・・という言い方は好きでないが、
僕たちの時代以上に、
いい学校に行って、いい会社に就職して・・といった
王道的な考えかたに、みんが洗脳されている印象がある。
だから志望校に入れなかったら人生敗北、
志望した会社に入れなかったらもう負け組、
残った余生を負け犬としてどうやり過ごすか、
みたいな話になってしまう。
そうした展開の方が死に興味を持つより、
よっぽど危険思想ではないか。
人生計画を立てる、
キャリアデザインを構築するという考え方も
言葉にするときれいで正しいが、
若いうちからあまり綿密に
そういったデザインとかスケジュールにこだわると、
これまたしんどくなる。
人生、そんな思った通りになるわけがないし、
そのスケジュールの途中で、
AIやロボットが進化して仕事が消滅、
キャリアがおじゃんになることだってあり得る。
「Deathフェア」に来ていた若者は、
そうしたしんどさ・息苦しさ・
絶望感・不安感みたいなものを抱えて、
いっぱいいっぱいになってしまって、
「じゃあ、終わりから人生を考えてみようか」
と思って来てみた、という人が多いのではないか。
いわば発想の転換、
パラダイムシフトを試みているのだと思う。
それってものすごくポジティブな生きる意欲ではないか。
あなたが何歳だろうが死はすぐそこにある。
同時に「生きる」もそこにある。
社会の一構成員でありながら、
経済活動の、取り換え可能なちっぽけな歯車でありながら、
絶えず「自分は自分を生きているのか?」
と問い続けることは、とても大事なことだと思う。
たとえ答えが出せず、辿り着くところがわからなくても。
NHKのショート番組で酒を飲む日本人は今、
二人に一人というデータが紹介されていた。
マジか?
思えば酒とたばこをヤルのはおとなになった証であり、
飲酒文化・喫煙文化に精通し、
上客や偉い人といっしょに
吞むとき・吸うときのマナーやルールを覚えることは
社会人として生き抜くための必須条件だった。
しかし、いまやそれらの文化は
昭和の伝説になりつつあるのだろうか?
そういう僕もタバコをやめてそろそろ四半世紀になるし、
酒も1年に10回も飲まないので、
「ほとんど飲まない」の部類に入るかもしれない。
最近はノンアルの酒もあるけど、
そういうのを飲んで付き合うという機会もほとんどなく、
いまだに呑んだことがない。
昭和の男たちは「酒タバコ やめて100まで生きたバカ」
と吹聴して、
刹那の人生を楽しもうという意気が旺盛だったが、
そういう人たちがどんどんこの世から去ってゆき、
酒とタバコのある、ある種の豊かな世界は
僕たちのそばから消えつつある。
昔は知られていなかった
(あるいは知らんぷりができた)
アルコールやニコチン・タールの
人類におよぼす害毒が明らかにされてきて、
おそらくこれまでの歴史のように、
飲酒文化・喫煙文化が栄えることはもうないだろう。
代わりに健康な世界がやってくるはずだけど、
100まで生きることにどれだけの意味があるのか、
考えている人はまだ少ないと思う。
健康づくりやお金を増やすことに一生懸命の人は多い。
でも「酒タバコ やめて100まで生きて何するか?」にも
みんなで一生懸命にならないと、
幸福も生きがいも育っていかないのではないだろうか。
「焼き芋屋のおっさんがカッコいいと思っていた」
「八百屋の親父にあこがれていた」
今日インタビューしたデイサービスの
マネージャーの若者は、
子どもの頃を振り返ってそう語った。
焼き芋屋とか八百屋とかの職業が
どうこうというのではなく、
地に足を付けて生身の人間とわたりあって商売する
その生きざまが子どもの目にまぶしく映ったのだろう。
そのまぶしさがその後の彼の道を決め、
人間同士が向き合う現場の仕事に向かわせた。
いまどき珍しい心根を持った青年と言えるかもしれない。
手っ取り早く楽してもうけるのがカッコいいとか、
いい生き方だとか、成功者だとか言われ、
みんなそうした考え方に洗脳されてしまっている。
けれども経済的に豊かになることと、
豊かな精神をもって生きることとは別の問題。
そして悲しいかな、
大多数の人はそのどちらも手に出来ずに行き詰ってしまう。
みんな自分の理想的な将来像を持っている。
こんな生き方をしている“はず”の自分が脳内にいる。
もし行き詰ったら、子どもの頃、何になりたかったか、
どんなおとながカッコいいと思っていたのか
じっくりと思い出してみよう。
あなたはどんなおとなに憧れましたか?
どう生きたいと思っていましたか?
いくつになっても問いかけていていいと思う。
若者にそう教えられた日。
渋谷のヒカリエで「Death Fes」が
明日18日まで開かれている。
「死のフェスティバル」という名からは
想像できないほどのポップさ・楽しさ。
こんなイベントを文化発信地・渋谷のど真ん中でやるのは
本当に画期的なことだ。
来場者も特に年代によって大きな偏りがあるわけでなく、
20代から90代までまんべんなく訪れ、
土日は大いに盛り上がったようだ。
「月刊終活」の記事にするので、
今日は主催者である一社「デスフェス」の
代表二人にインタビューした。
二人とも起業家の女性。
「月刊終活」の仕事をしていて思うのは、
エンディングに関わる仕事を始めるのは、
なぜか女性が多いということ。
もちろん、歴史のある葬儀社・お寺・石材店などの業界は
もろに男の世界だが、近年スタートアップしたところ、
イノベーティブな製品・サービスのプロデュース、
ユニークな活動をしている会社・団体は
圧倒的に女性が多く、活躍している印象が強い。
日本だけでなく、
アメリカ発の「堆肥葬(遺体を堆肥化して土に戻す)」や
スウェーデン発の「フリーズドライ葬
(こちらは遺体をフリースドライ化)」を開発し、
普及に努めているのも女性CEOである。
2022年5月、二子玉川で行われた「END展」でも
女性のキュレーターが主導し、
来場者の3分の2は女性だった。
もちろん、死は男女平等に訪れるものだが、
死に関心を持ち、深く追求するのは女性が多い。
「なぜだろう?」と主催者のお二人にも質問して、
思うところを答えて戴いた。
理由は複数ある。
一つは長らく続いた男性中心の家制度が終わりを迎え、
個人単位の社会に変わりつつあること。
そういえば30年ほど前に僕たちの母親世代が、
夫(の家)と同じ墓に入りたくないという議論が
マスメディアを通じて話題になった。
従来の社会制度に異を唱えるのは女性であり、
彼女らのほうが発想も自由で柔軟性・革新性がある。
母親世代でできなかったことを
娘世代が果たそうと今、がんばっているということか。
もう一つ、これは僕の見解だが、
命を産む性であることが関わっているように思う。
男はどう逆立ちしても子どもは産めないが、女は産める。
産めるがゆえに肉体の変化も大きく、
初潮・出産・閉経など、
いわば人生のなかで何度も「死」に近い経験をし、
その都度、少女から女へ、女から母へ、
母からまた新たな女へ生まれ変わる。
また、社会人として仕事をすれば、
妊娠・出産で仕事を辞める・辞めないの選択、
それ以前に子どもを産む・産まないの選択など、
ドラマチックな決断を迫られる。
だから死を最後のライフイベントと捉え、
最後まで人生を楽しみたい、
一生懸命生きたご褒美として
楽しく美しく弔ってほしいという気持ちが湧く。
そこからいろいろな想像力が働くのだろう。
言葉を変えると、
男より女のほうが生きることに貪欲なのかもしれない。
場内の展示の一つに、
ウエディングドレスをリメイクして
金婚式や銀婚式、還暦や古希のお祝いや、
最期の衣装として納棺時にも着用できる
「イルミネートドレス」なるものがあった。
これまで純白のドレスを着るには一生に一回、
結婚式の時だけのはずだったが、
これからはそうでなくなりそうだ。
試着した人たちは皆、幸福そうに笑っている。
死を変えることによって人生も変わる。
こんな喜びがあるのなら、病気も老いも死も怖くない?
そう考える女性が増えるかもしれない。
結婚記念日。
気温が上がり、暑いくらいだったが、
29年前と同じように快晴。
彼女がマーガレット・ハウエルの
カフェに行きたいというので、
吉祥寺までいっしょにランチをしに行く。
目的のカフェは中道通りの商店街の奥にある。
土日などは賑わいのある通りだが、
週初めの月曜は休みの店も多く、比較的静か。
入口から結構奥まっていて、
当然、駅からも距離があるせいか、
他の街から遊びに来る人よりも地元の人が多いようだ。
最近知ったばかりだが、
マーガレット・ハウエルというのは英国の服デザイナーで、
モダンクラッシックを追究している人なのだそうだ。
高級ブランドらしいが、
いわゆる高級感や華々しさなどはなく、
一見フツーでシンプル。
しかし、よく見るとさりげなくカッコよくておしゃれ。
おとなのブランドというのだろうか。
そうしたテイストを反映して
カフェもごくシンプルなつくり。
ランチメニューはキッシュと
ローストビーフサンドの2種類。
デザートにキャロットケーキと
アーモンドオレンジケーキを食べた。
食事自体も見た目の派手さはないが、
中身がぎっしり詰まって美味しかった。
店のすぐ隣に公園がある。
何の変哲もない公園だが、
子どもが遊びまわる分にはじゅうぶん広い。
そして一本、シンボルツリーのように
高さ8メートルぐらいの木が立っている。
広げた枝の形がなんとも美しく、
その下ではこの近所の人らしい母子が
ピクニックシートを広げてお弁当を食べている。
少し離れたところではまた別の母子がいて、
女の子たちは地面に生えている小さな白い花を摘んで
お母さんにプレゼントしている。
窓越しにそんな光景を見ていたら、
ふと「パーフェクト・デイ」という言葉が頭に浮かんだ。
ヴィム・ベンダーズ監督、役所広司主演の
トイレ清掃員の日常を描いたあの映画に
なぜ「パーフェクト・デイズ(完璧な日々)」
というタイトルをつけただろう?
世界も人生も完璧どころか矛盾と不条理に満ちていて、
あまり環境に順応していない自分が
60年以上も存在し続けていられるのはなぜだろう?
つい1週間前に昔ながらの友人が死んだが、
そんなこともすっかり忘れてのほほんと生きている
自分とは何だろう?
戦争をしている国では、今この瞬間にも街が爆撃されて
大勢の人が死んでいるのにそんなことも知らん顔で
「完璧な日だ」なんて言っている
自分とは何者なのだろう?
じつは何の保証もないのに
明日もまだ生きているに違いないと信じ、
来年も結婚記念日にはお祝いをしようと思っている
自分とは・・。
答は出ないが、それでも気安く
「またあした」と言って眠れることは
おめでたいことなのだと思う。
昨日、64歳で友達が死んだ。
演劇学校の同期生で、
いっしょに劇団をつくって芝居をやった仲間だった。
ステージ4のガンだということを知ったのは
半年前、同窓会を開く連絡をした時だった。
その後、12月に6人で連れ立って福井まで会いに行った。
割と元気そうで、おもてなしまでしてくれて、
わざわざ来てくれたお礼にと、お土産までくれた。
ステージ4と聞くと絶望感が生じるが、
カミさんの患者には
「ステージ4でもう7年生きてます」という
ガンとの共存に成功している人もいるらしい。
だからというわけではないが、
今年になってから僕のFBの投稿に
何度かリアクションもしていたし、
その友だちも、
まだまだ意外と大丈夫なんじゃないかと
漠然と思っていた。
でも結局そう願っていただけなのだろう。
「楽しい時間を過ごさせていただき
ありがとうございました」
彼女の死を知らせてくれた友達は、
そんな家族の伝言を伝えてくれた。
どんな時間を過ごしたのだろうと考えた。
もう40年以上も前のことだが、
いっしょに何かを創った仲間というのは
特別な時間を共有したのだという思いがある。
なんであんなにエネルギーがあったんだろう?
芝居なんてくだらないことに一生懸命になれたんだろう?
と不思議な思いがする。
劇団を立ち上げたメンバーは3人だったが、
もう一人はすでに15年前、50歳で逝ってしまった。
その時に比べて、今回どこか自然に
仲間の死を受け入れられるのは
やはり年齢のせいだろうと思う。
人生100年時代とは言えど、
還暦を超えた60代は生と死の境にある年代。
今ここを丁寧に過ごさないと
その後生き延びたとしても、
ただ生活しているだけの人生になりそうな気がする。
悩み相談みたいなサイトや動画で、
いろんな意図をこめて
「人生に意味などないよ」と言うセリフをよく聞く。
けれども3人の生き残りになってしまって、
なんで俺だけまだ生きているんだろう?
と考えざるを得ない。
この世から去る日を選ぶことなどできないが、
花の季節に逝くのは、
残る者の気持ちをほんの少し和らげる。
友の冥福を祈る。
昨日は絶好のお花見日和だったが、実はそうでもない。
カミさんは「絶対混んでいるから嫌だ」と拒否するので、
義母だけ連れて出かけたが、やっぱりという感じ。
善福寺川沿いは余りお店もないので、
例年は他の名所みたいに混み合うことはないのだが、
それでもコロナ明け、しかも最近の天気の悪さで
昨日に人出が集中したせいで大混雑。
おかげで義母はストレスで機嫌が悪くなり、
桜にも大して関心が向かない。
彼女の心を打ったのは、
帰り際に寄った小公園に咲いていた
黄色いヤマブキの花だった。
そんなわけで今日の朝はリベンジ。
義母をデイサービスに送り出し、
カミさんと3時間近く川沿いを歩く。
天気予報が外れて日も差し、
人も少なく、うるさい酔っ払いもいなくていい気分。
いわゆる花見による経済効果とは無縁だが、
経済の活性化と、桜の花を見る幸福感との間に
相関性は見いだせない。
近辺のあちこちの保育園の子どもたちも大勢来ていた。
この辺の保育園は広大な園庭を持っているようなものだ。
それも季節によってダイナミックに表情が変化する
ワイルドガーデン。
子どもたちも豊かな時間のなかで成長できると思う。
今日は近所の小学校の入学式もあったので、
桜並木の下で記念撮影している親子が大勢いた。
あくまで東京での話だが、
令和になってから桜の中で入学式ができたのは、
今年が初めて?
平成の息子の入学式も、
昭和の自分の入学式も桜の中だった。
欧米に倣って秋に入学・新学期という声もあり、
そっちのほうが合理的かなとは思うけど、
やっぱりそんなの日本人のメンタリティが許さない?
1960~70年代に活躍したミュージシャンで
そう漏らす人は少なくないようだ。
ワールドかどうか知らないが、
今夜(2024・4・6)は
有明の東京ガーデンシアターで
ジェームス・テイラーが一夜限りの来日公演をやっている。
そのことを教えてくれたのは、
ついこの間まで大学院生で、
来週から東京都の小学校の非常勤講師として
勤め始めるK君だ。
水道代を払い忘れて
水を止められたことがあるというK君は、
「たまたま耳にした『マイ・ブルーヘブン』が
心に刺さったんすよ」
と、ジェームス・テイラーは2020年にリリースした
「アメリカン・スタンダード」というアルバムを聴いて
ファンに。
今日はなんと!
S席2万円のチケットを買って今晩のライブ見に行った。
水道代払えないのに、チケット代は払うんかい!
でも、若いってそういうこと。
水より音楽のほうが大事なんだ。
ジェームス・テイラーといえば、
僕が中高生の頃、活躍したシンガーソングライターで、
確か、カーリー・サイモンのもと旦那。
キャロル・キングとのデュエットも印象深い。
「アメリカン・スタンダード」は
タイトル通り、
アメリカンポップの定番となった楽曲を集めたもので、
テイラーが独自の歌唱とアレンジで
渋みをきかせて料理している。
この投稿もBGMとして聴きながら書いている。
確かに心地よくリラックスできる。
そんなテイラーが20代前半の若者の心をつかむとは
面白い時代になったものだ。
1960~70年代に活躍したミュージシャンは、
すでに70代後半。
同世代ですでにこの世から去った人も少なくないので、
冒頭の「死ぬ前に・・・」というセリフが
漏れ出てもおかしくない。
意地悪くつっこめば、
「そんなに過去の栄光が恋しいのか」とも言えるが、
音楽を愛し、その世界で成功して生きて来たのなら、
やっぱり最後にまた夢を見て、
悔いなく人生を締めくくりたいと思うのが人情だ。
20世紀のポップミュージックも
ネット動画の発達、さらにAIの発達で
皆がお金を使わずシェアできるようになり、
もうかつてのようなビッグビジネスは望めない。
これから先の音楽産業がどうなるかはわからないが、
良い曲はやっぱり世代を超えて聴き継がれ、
様々な形で歌い継がれるのは間違いない。
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20世紀ロック・ポップ・歌謡曲は未来への資産
いろいろあるけど春休み。
子ども時代・学生時代を振り返ると、
長期休暇のうち、春休みがいちばん思い出深い。
夏休みは冗長で中だるみがあるし
(今は40日くらいすぐに過ぎちゃうけど)、
冬休みは年末年始で家で過ごす機会が多い。
それに対して春休みは進級・進学を控えているせいか、
それまで同じクラス・同じ学校だった仲間と
離れてしまうみたいなこともあって、
楽しくのびのびできるんだけど、
そこはかとない切なさがそよぐ春風に混じっていた。
春休みは、いわば人生の階段をのぼる途中の
小さな踊り場なのだろう。
なぜ階段の途中に「踊り場」があるかというと、
方向転換や、小休止、転落の危険を緩和するためだ。
そうなのだ。
子どもでも大人でもこういう場所は必要だ。
そしてせっかく踊り場に来たのなら、
階段を上ったり下りたりすることはちょっと忘れて、
踊っちゃおう。
からだもこころもちょっと踊ってリフレッシュ。
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★いたちのいのち
カナコは10歳。小学4年生。
一人娘の子育てに悩まされながら、
生活を支えるのに忙しい母親のマヨと
二人暮らしをしている。
しかしもう一人というか一匹、
いっしょに暮らす同居者がいる。
その名は「イタチ」。ペットのフェレットだ。
学校でも家でも口をきかないカナコにとって、
イタチは唯一、心を開いて話ができる親友であり家族だ。
子どもからちょっとおとなに変わっていくカナコと、
そのそばで天使の目を持ったまま生きる
フェレットのイタチ。
それぞれの視点から代わる代わる、
日常生活とその中で起こる事件の数々、
そして、ふたりの別れまでのストーリーを描く。
表紙イラストは「ほっと・ペットクリニック」
「あしたはハッピードッグ」など、
動物もの作品を多数発表している漫画家・麻乃真純が制作。
★ちち、ちぢむ
ケントの11歳の誕生日、
プレゼントを持ってきてくれるはずだったお父さんは、
身長9センチの「ちっちゃいおじさん」になって現れた。
どうしてお父さんは小さくちぢんでしまったのか?
いや、じつはお父さんだけではない。
今、社会の役に立たなくなった男たちが、
ある日突然、カエルサイズにちぢんでしまう
怪現象が多発している。
将来、生物学者をめざすケントは、
「ちぢむ男=ちっちゃいおじさん」は、
やりたい放題のホモサピエンスを
これ以上のさばらせないという
地球の意志によって生まれているのではないかと推理する。
アベコベ親子の奮闘を描く奇々怪々でユーモラスな物語。
この機会にぜひ手に取ってみてね。
先日、ある年上の知人と会ってがく然とした。
前に会って半年も経っていないのに
ずいぶん老け込んでしまったと感じた。
もう70を超えて高齢者の域に入っているので
けっして不思議ではないが、それにしても・・・。
病気になったとか、怪我をしたわけでもない。
話を聴く限り、何かショッキングな出来事や
センセーショナルな出来事があったわけでもなさそうだ。
でも目が死んでいて覇気がない。
何か自分の人生を放棄してしまったような感じを受ける。
彼は若い頃、けっこう自信家で常識を疑い、
人間と社会に対する鋭い批評眼を持っていたので
内心、一目置いていた。
そしていずれ中年になる頃には
何かデカいことをやるだろうと思っていた。
ところがさにあらず、
人生は思うようにいかなかったようだ。
プライドが高く、自己主張が強いことも裏目に出た。
独身であり続け、
ここに至るまで自分の家族を持たなかったことも
不運だった気がする。
彼のことを批判的には考えたくない。
昔はむしろ、ちょっとアアウトローっぽい
個性的な生き方がカッコいいと思っていたくらいだ。
けれどもいつの間にかダメになったのは、
世の中を批評的に見過ぎて、
自分がやりたいことをまじめに考え、
それに向けて何も行動していなかったことだ。
いつかはそういうチャンスが
巡って来るだろうと思っていて、
若くて元気な時代、体力がある時代を
その時々の欲望や生活のための仕事で
消耗してしまい、何も育んでこなかった。
悲しいことだが、今となってはその時間は取り戻せない。
こういうことは誰にも起こる。
会社員でもフリーランスでも関係ない。
うかうかしていると時間はすぐに過ぎ去る。
人生100年時代になったが、
それでも自分が何者であるか知り、
自分の中に埋蔵しているものを掘り出すには、
人生はあまりに短い。
今日いっぱいやりたいことがあったのに、
いろんな雑用が入ってきたり、
突然、頼まれごとをしたり、
家族の面倒を見なきゃならなかったりで、
それらをこなしているうちに夜中になって、
なにもできずじまいだった――というのと同じだ。
若い人は心して聴いてほしい。
40歳を過ぎたら、
その後の10年、20年はあっという間に過ぎ去る。
そうならないようにするには
30代までのいろいろな経験を活かし、
後年のエネルギーに変えていくといった工夫がいる。
「老後の蓄え」というのはカネだけの話ではない。
いや、むしろカネを蓄えるのに人生を消耗して、
カラッポになってしまう人の方が
もっとヤバいのではないかと思う。
若くて元気なうち、体力があるうちに
いろんな冒険をし、心を解放する。
そして自分が本当は何をやりたいのか、
自分の人生にとって大切なものは何なのか考えながら、
それに向かって少しずつでも行動していく。
そうすると違った世界が開けてくると思う。
認知症の義母を連れて日曜日の公園に行くと、
雑多な子どもたちがウジャウジャ走り回ったり、
飛んだり跳ねたり、わめいたりしている。
ここは自然豊かで、川が流れ、広場があり、
木もいっぱい生えていて生き物もたくさんいる。
季節ごとに表情が変わって面白いので楽しくなる。
そんななかで遊ぶ子どもたちは幸福だし、
それを見ては喜んだり、ハラハラしている義母も
幸福なはずだ。
当たり前のようにある風景なので、
そう感じる人は少ないのかもしれないが。
この少子化社会にあって、
普通に大勢の子どもといっしょにいられるなんて、
とても恵まれた環境のなかにいるんだなと思う。
子どもを育てるのは本当に面倒くさい。
面倒を見る保護者にとって手間暇かかるし、消耗するし、
邪魔に思えることもあるし、むかつくことは数えきれない。
けれども子どもは社会に絶対必要な存在である。
必要というのは将来の労働力になるとか、
おとなになった時に僕たちの生活を支えてくれるとか、
そんな理由から言っているのではない。
優秀かどうか、勉強やスポーツができるかどうか
なんてことも、はっきり言ってどうでもいい。
本当にどうでもいいことなのだ。
どんな子どもも地域にエネルギーをもたらしてくれる。
僕たちおとなを元気にしてくれる。
「世界は美しい」と実感させてくれる。
それで十分だ。
人間にはみんな、目に見えない才能がある。
子どもはそのことを思い知らせてくれる。
それをきちんと認識できないのが、
今の社会の未熟さであり、問題点だと思う。
僕はもう子どもにはなれないし、子どもの真似もできない。
ならばこの先、違うベクトルでいいから、
地域なり、どこかのコミュニティに
エネルギーをもたらす年寄り、
社会に必要とされる年寄りになりたいと考える。
なれるだろうか?
特にとりえも専門技術も持ち合わせていないけれど。
いい具合に齢を取るのは、なかなか難しそうだ。
今日はとげぬき地蔵でおなじみの巣鴨へ。
べつに仕事で出かけたわけではないが、
月刊終活なんて仕事をやっているので、
巣鴨の実態くらい見ておこうかと思い、
カミさんといっしょにぶらっと出かけたのだ。
通称・とげぬき地蔵尊は、この商店街の真ん中あたりにある
曹洞宗のお寺「高岩寺」のこと。
このとげぬき地蔵尊商店街では
毎月4のつく日にたくさん露店が出てジジババで大賑わい。
僕らが若い頃、「おばあちゃんの原宿」として
マスコミが取り上げてよく話題になった。
その頃以来のキャッチフレーズはもちろん健在だが、
ただ違うのは、自分自身がここを歩いていても
全く違和感を感じないこと。
むかし感じた一種のカルチャーショックのようなものなど
微塵もなく、街全体に昭和の香りが充満していて、
そこらへんでたこ焼きは食えるわ、大判焼きは食えるわ、
玉こんやくは食えるわ、塩大福は食えるわで、
居心地いいったらありゃしない。
お店の看板も「ズボン屋」とか「バッグハウス」とか
「もんぺ・はんてんの店」とか、レトロ感ハンパなし。
なかでも巣鴨の代名詞とも言える赤いパンツが、
強烈な存在感をアピール。
でも、「年寄に赤」にはちゃんと科学的根拠があって、
赤い色を身に着けると血流がよくなり、
気分も上がって元気になれるのだ。
年齢・性別に関係なく、冷え性の人は
健康維持・向上のために、
ショボくれてる人・メンタルやられちゃってる人は
元気回復・テンションアップのために、
赤パンは超おすすめ。
しかも最近は、こじゃれた年寄り用なのか、
それとも上記の理由で若い人たちも買い求めに来るのか、
レースのついたお洒落でセクシーな赤パンも売られていて、
ドッキリ!
見ると某有名下着メーカーの製品である。
それ以外にもいろんなレッドなお召し物が
ずらりと並び圧巻。
見ているだけで元気が出てくる。
気楽で面白いので、
老いも若きもぜひ巣鴨をぶらついてみよう。
おりべまことはジジババが登場・活躍する小説も
書いて電子書籍Amazon Kindleで出版しています。
「おれを、あたしをモデルにして何か書け」
という方はぜひご連絡ください。
昨日はネット界で活躍している
カメライター・かさこさんの交流会に参加した。
自分でいろんな仕事をして、
人生を開拓しようとしている人たちが集まっていて、
いろいろ話が出来てとても面白かった。
僕が最高齢かと思っていたら70代の人も参加。
年齢とか全然関係ない世界。
かさこさんは最初、どうやって知ったのか憶えてないが、
6,7年前ぐらいから、
たまにちょこちょこブログを読んでいるうちに
ヘビーユーザーになった。
ビジネス関係・自己啓発関係で
ウソクソな情報があふれ、ぼったくりセミナーが横行し、
まともな人でも
単なる批評家みたいな人ばかりのネット界で、
信頼に足る数少ないリーダー。
良心的でナチュラルで具体的な行動に繋がる発信&
コミュニティづくりをやっている。
巷にあふれるウソクソ儲け話、
マルチまがいセミナー、
虚飾にまみれた起業成功ストーリーなど、
コロナ禍をしのぐインチキウィルス情報で
脳をやられちゃっている人は、
かさこさんの発信を読んだり、
セミナーや交流会などに出て
自分の仕事・人生の療養・自然治癒に取り組もう。
まさにネット界の漢方薬・鍼灸師。
仕事と家庭だけで行き詰まっちゃっている人にもおすすめ。
「僕が64歳になっても、きみは僕を愛してくれるかい?
と歌うのは、ビートルズの
「ホウェン・アイム・シックスティー・フォー」。
この歌が出された1967年頃は
64歳がイギリス人の平均寿命だったらしい。
同じころの日本人の寿命はもっと短かったと思う。
自分もその齢になって、ちょっとドキドキしている。
齢を取っていいことは、経験したどの年齢にも
自由自在に往復できること。
なので還暦を超えると時おり中二病が再発する。
中二の時は「中二病」なんて言葉はなかったけど。
おとなみたいに適当にやり過ごすことができなくて、
「生きる」ことに対して一生懸命に考えている中学生
――にたまには戻ってみてもいい。
そうしてこの先のことを考えてみる。
わたしは、あなたはどう生きたいのか?
そんな思いがあって出来上がった話。
おりべまこと電子書籍最新刊
今はまだ地球がふるさと
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自分は“宇宙人とのあいのこ”だというリコは、
小学校時代からの親友サーヤとともに
あちこちの葬式を巡り
「故郷の星へ帰っていく人たち」を見て回っては
聖女のごとく祈りを捧げている。
そんなとき、偶然、終活サポートの仕事をしている
中年男・中塚と出会い、彼を介して、
ひとり暮らしでハーモニカ吹きの老人・
小田部と知り合った。
孤独死予備軍の小田部に興味を引かれたリコは
彼に「星のおじいさま」というあだ名をつけ、
食事や掃除の世話をするために家に出入りするようになり、次第に親しさを深めていく。
そんなリコに恋したシンゴが彼女の気を引くために
「きみのためにUFOを呼ぼう」
と言ってアプローチすると、
リコが生きる世界にさまざまな
不思議な現象が起こり始める。
子ども時代を卒業し、
人生の旅に出る支度を始めた少女の、
夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く
青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。
インターネット社会になって女性不信になった。
というのは冗談だが、
おかしなネット発信は女が多い。
SNSは本当にひどい。
FBでは国内外を問わず、会ったこともない女から
ガンガン友だち申請が来る。
もろエロ系もあるが、それとなくまともを装った
表向き若い女が多い。
どんなやつか発信履歴を見ると、まったく中身がなくて、
写真だけいろいろ投稿している。
たまに「あなたの発信に感動しました」という
ほめ殺しコメントを書いてくるのもいる。
あと、もしかたら油断させようというつもりか、
落ち着いた高齢女性から来ることもある。
海外に移住して悠々自適にやってます的マダムとか。
X(ツイッター)のほうは、
やたらとドラマチックな女が多くて、
親の虐待とか、夫のDVなどでかわいそうな目に会って、
ン千万という借金地獄に落ちたが、
奮起しただの、すごいメンターに出会っただのの
ミラクルな大転換があって、すべて一気に返済・完済。
今では副業で月にン百万稼いでます。
あなたもおひとつどうですか?っていうやつ。
いやいや、世の中にはすごい女性がわんさかいるもんだ。
そんなお金持ちなら、
僕みたいな者にからむのは時間と労力の無駄遣い。
アメリカでもシンガポールでもドバイでも行って
よろしくやってくださいな。
それにしても僕などの世代の人間は子どもの頃、
嘘つくとバチがあたるとか、
地獄に落ちて閻魔様に舌を抜かれるとか、
おとなによく言われたものだが、
今の人間はまったく意に介さないらしい。
なんだか閻魔様が懐かしく、可愛く思えてくる。
となりのレトロの僕から言わしてもらうと、
ウソメールとか、サギ発信とかに
大事な人生の何割も使っていると、
やっぱりそのうち相応の罰が当たると思うよ。
昭和は今と比べて野蛮な時代だったと思うが、
面白い人生を送ってきた人たちがたくさんいた、と思う。
今より貧しく、生活が不便で洗練されておらず、
管理も緩かった分、
生きるエネルギーに溢れていた。
逆に言えばエネルギーがないと生きられなかった。
なので若僧の頃はエネルギッシュな人たち、
劇的な人生を送って来た人たち、
すごい人だなと感心するような人たちに何人も出会った。
それもみんなけっこう若い、30代・40代の人たちが多かった。
彼らのドラマチックな話を聞いていると、
自分はなんて臆病で凡庸な人間だろうと
劣等感を抱いたくらいだ。
そうした人たちの冒険譚・英雄譚・武勇伝などは
自伝にしたら面白いし、
それらの体験をもとに小説も書けるのではないかと思った。
事実、自分はこんなに面白いことをしてきたから
そのうち本にして出すよとか、
ネタにして小説を書くよとか、映画や芝居にしてやるよと
僕に話していた人は一人や二人ではなかった。
けれども憶えている限り、実現した人は一人もいない。
ノンフィクションであれ、フィクションであれ、
そうした(世間的には無名だが)すごい人たちの話が
物語になり本になることはなかった。
なぜか?
そういう人たちは字を書かなかったからである。
当たり前のことだが、
机に向かって字を綴るという地道な「作業」をしない限り、
永遠に本も物語も生まれないのだ。
そうしたものを作るためには本人とは別に
字を書く「作業員」が必要になる。
自分のなかにもう一人、
そういう作業員を持っている人はいいが、
大方の人は「文才があればやるけど」
「時間があればできるけど」と言って逃げていく。
いつかあの人のあの話を本で読んだり、
映画やテレビで見られるだろうと思っていた人たちは、
(現時点では)誰もそうならなかった。
齢のことを考えると、
結局そのまま人生が終わってしまった人も
少なくないのではないだろうか。
なんだかもったいない気がする。
昭和と違って今ではSNSやブログもあるし、
動画配信もあって、いろいろ発信の手段はある。
けれどもやっぱりそれらと
本を刊行することは別の作業が必要なのだと思う。
「文才があれば」「時間があれば」というのは言い訳だが、
現実的には確かにそれも分かる。
毎日、いろいろ忙しいことばっかだからね。
でも時は止まってはくれない。
そう考えると人生は短い。
「いつかやろう」が永遠に来ない可能性は高い。
もし、そうした本を書くための「作業員」が必要なら
ご相談に乗ります。
能登地震の報道がひと段落すると、
テレビもネットもまた毎日のように
芸能人やスポーツ選手の女性問題報道。
僕はそういうことに関心が薄く、
首を突っ込んであれこれ調べている時間はないので
詳しいことはわからない。
ただ、こんな僕でも言えることは、
訴えられた彼らが女を舐めていたことは確か。
本当に性加害者なのかどうかはともかく、
むしろ被害者だとしても、
いわば昭和までの男尊女卑思想や
女性に対する甘えがあったからこそ、
罠に掛かってしまったのではないか。
令和の世の中、女が以前とは比べ物にならないくらい
社会的な力を持ち、賢くなっていることは、
すべての男が肝に銘じておいたほうがいい。
訴える女も、協力する週刊誌も、どう転んだって
得するように損得勘定を立てている。
そういうビジネスモデルが出来上がっているのだ。
YouTuberやネット上で発信している人たちも
その問題を取り上げればアクセス数がバク上がりするので
正義面・評論家面して言いたい放題、やりたい本題。
カモにされる男の芸能人やスポーツ選手は
これからも続々と現れそうだ。
「女遊びは芸の肥やし」という言葉が
まだ生きているのかどうかは知らないが、
芸能人やミュージシャンなどはまだいい。
たとえ活動休止に追い込まれても
いずれプラスに働く場合もあるし、復活の目もある。
けれどもスポーツ選手はダメだ。
裁判の期間が長いのに対し、アスリートの寿命は短い。
たとえ無罪が証明できたとしても、
訴訟を起こされスキャンダルの嵐が吹き荒れた
数か月・数年の間に
最も活躍できる旬の時期が過ぎてしまう。
「あいつを潰してやろう」という陰謀が企てられ、
ハニートラップを仕掛けてくる奴らがいないとも限らない。
トップアスリートを目指す選手は
恋愛など望まず、そこらの女に目をくれず、
商売と割りきっている女(でも絶対安全とは言い切れない)
とだけ付き合った方がいい。
言ってみれば一流スポーツ選手は恋愛御法度。
するなら選手生命と引き換えにするぐらいの覚悟がないと。
平成生まれの若い連中がそうなってしまうのは、
やはり男尊女卑や女性に甘えていた
先輩や父親・家族の影響だろう。
その辺は指導者もフォローしたほうがいい。
僕も東京に出てくるときに父に言われた。
「女にはよくよく気を付けろ」と。
若い時にそういうことがあったのだろうか?
亡くなっているのでもう確認できないが、
彼の忠告が効いて、
ここまでそうひどい目にはあっていない。
たんにモテないし、女が怖いだけだけど。
明日より4日間限定無料キャンペーン!
電子書籍「おふくろの味はハンバーグ」
2月9日(金)17:00~
2月12日(月・祝)16:59
読めば食欲がわき元気が出る面白エッセイ集。
こんどの連休にご賞味あれ。
50年間逃亡生活を送った桐島聡容疑者
(正確には同容疑者とみられる男)が
死亡したというニュースに
ネット上では大勢の人たちが感想・コメントを寄せている。
人生とは何か、よりよい生き方とは何か、
取り返しのつかない失敗をしでかしてしまった時、
人はどうすればいいのか?
そうしたことを大勢の人に考えさせた、
語らせたという点については
桐島容疑者の50年間にも価値があったのでは、
と思わせるほどだ。
半世紀の間、街の交番の前で晒され続けたのだから、
彼の顔を知っている人は世代を超えて多岐にわたる。
おそらく現在の成人の8割以上は
あの顔を知っているだろう。
数ある指名手配犯のなかでも
桐島容疑者の写真は異質だった。
他の容疑者がいかにも悪党面で写っているのに比べて、
彼だけがいい人っぽく笑っている。
20歳前後の若者で長髪で黒ぶちメガネ。
60~70年代、フォークやロックのコンサートに
必ずこういうタイプの若者がいたなかと、
なんだか青春を感じさせる。
親近感とまではいかないが悪い奴には見えない。
50年前は学生運動が終焉した後の火の粉が
当時の若者たちの頭上にまだ少しは舞っていた時代だった。
彼はかの組織の思想に
深く染まっていたわけではないだろう。
活動に参加して事件に関わってしまったのは、
今で言えば、オタクの若者がマンガやアニメやアイドルに
のめり込んだのとさして変わらない気がする。
要するにノリである。
たんに青臭い正義感にかぶれ、妄想を見ていただけなのだ。
しかし、彼は活動に参加して一線を越え、
大事件に関わってしまった。
ちょっとオウム真理教の信者に似ている。
逃亡生活を始めた時はまだ若かったから
「逃げ切ってやる」と野心を燃やしていたに違いない。
リアルゲームのプレイヤーになったような
高揚感・緊張感もあったのだろう。
しかし、時間の流れは容赦なく、
逃亡生活自体が彼の心も体も蝕んでいった。
彼は捕まらず、牢獄に入れられることもなかったが、
その代り、身分証も住民票もなく、
保険も入れず銀行口座も作れず、
ろくに人と関われず、その日暮らしの連続で、
いつか発見されるのではないかと絶えず怯え、
年齢と共に当初の野心も夢も希望もボロボロになっていく。
その心の有様は、娑婆にいても
終身刑を受けていたのと変わりなかったのではないか。
なぜどこかで考えを変えて、自首できなかったのか?
40になり、50になり、
もう今からでは遅すぎると思ったのか?
少なくとも1年前、ガンが発覚した時に出ていこう
という気にならなかったのか?
逃げ続けた意地があったのか、
それとも病身で治療も受けられない状態になって、
自業自得だからこの懲罰を引き受けようと考えたのか?
結局、彼は若い頃に心に決めたことをやり遂げた。
死ぬまで逃げきったのだ。
けれどもそれは勝利だろうか? 成功だろうか?
警察を相手に、社会を相手に
「どうだ、ざまあみろ」と笑えただろうか?
本当のことは本人にしかわからないが、
勝利と思うには、あまりに哀れで寂しい最期に見える。
死ぬ前に「本名に戻りたかった」
「自分に還りたかった」と素性を明かしたのは、
心の底からの本音に違いない。
自分を偽り続けることこそ最も不幸な生き方。
きっと多くの人がそう思ったのではないかと思う。
あの事件で被害を受けた人にはとても申しわけないが、
僕は少し桐島容疑者に同情し、
彼の心の変遷を考えずにはいられなくなっている。
おりべまこと電子書籍新刊
エッセイ集:食べる3
おふくろの味はハンバーグ
AmazonKindleより好評発売中
今日は誕生日だったが、
カミさんも義母もこの10日内が誕生日なので
今年は合同でパステルプリンケーキ。
年齢は3人合わせると軽く200を超えてしまうので、
ローソクはひとり1本で3本だけ。
今、オンラインの「となりのヤングジャンプ」で
「ゴールデンカムイ」を通読しているが、
ダークキャラの尾形が腹違いの弟に
「兄様は祝福されて生まれてきた子どもです」
と言われるシーンが泣ける。
主人公・杉元の
「どう生まれたかより、どう生きるかだろ!」もいい。
人は皆、誰かに祝福されてこの世に生まれてくる。
世界中の誰にでも平等にある祝福の日。
誕生日はそのことを思い出す日。
何よりも自分を大切にする日。
そして、どう生きるかを考える日。
いくつになっても恥ずかしがらずにお祝いしよう。
★前夜、昨年完成させられなかった長編小説
「今はまだ地球がふるさと」を最後まで書き上げた。
まだ書き直しをするけど、とりあえず乾杯。
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5万円~30万円の費用でそのお手伝いを賜ります。
詳しくはホームページにて近日公開。
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世の中、すっかり受験モード、バレンタインモードに
移行しているけど、
本日1月20日は二十日(はつか)正月。
お正月の祝い納めをして、
正月の残り物を食べ尽くす日だそうな。
ウィキを見ると、
二十日正月とは日本の行事で、新年の季語でもある。
この日は正月の納めの日、または仕事始めの日とされる。
ってことは昨日まで正月休みだったってこと?
子どもの頃、母から
「三が日を過ぎたら正月はもう終わりだよ」
と言われてひどく寂しくなって、
1月いっぱいずっと正月ならいいのになぁ、
と思った覚えがある。
なので還暦を超え、64の誕生日を目の前にした今、
二十日正月というものがあるのにはちょっと感動した。
地域により、その風習に因んで、骨正月・頭正月・
団子正月・麦正月・乞食正月・奴正月・灸正月・
とろろ正月・はったい正月などとも言われるそうだ。
日本の風習、日本語のカラフルな世界もめっちゃ面白い。
さて現実を見ると、さすがに冬とは言え、
そして冷蔵・冷凍技術も発達した現代とは言え、
20日以上も前に用意したものは
やっぱりそろそろ食べきらないとヤバイと思う。
年明け以降、あまったおせち料理も
ネット通販で叩き売りされていたけど、
さすがにもうお終いだろうか?
毎年この時期に安くなったおせち料理を頼んで
食べている人がけっこういるらしい。
おいしいもの・年に一度のレアなものを
安く食べたいという人に
ケチをつけるつもりはないが、
これもまた面白いなと思う。
日本の食の風景は本当に豊かで懐が深い。
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「あなたもごはんでできている」
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お正月も終わったが、
今年は元旦に川沿いを散歩していたら、
杉の木のてっぺんでオオタカが雄姿を晒していて、
こいつは縁起がいいと思わず拝んでしまった。
オオタカのお正月スペシャルサービス?
おかげで初夢も見た。
仕事仲間とタクシーに乗って
銀座や原宿に行くという
わけのわからない夢だったが、
まぁ悪い夢ではない。
もしかして今年は仕事が忙しくなって
がっぽり儲かる夢--と解釈できなくもない。
どうせ意味などわからないので、
いいようにとっておこうと思う。
それにしても縁起の良い初夢が、
どうして1富士、2鷹、3茄子なのか?
諸説あるようだが、有力なのは徳川家康がらみの説。
家康は三河(愛知県)の生まれだが、
江戸に幕府を開くまで長い間、
拠点にしたのは駿河の国(静岡県)。
静岡の名物と言えば富士山。
一番高いのは富士山だが、
次に高いのは空飛ぶ鷹、三番目は初茄子の値段。
というシャレの世界。
また、富士山の国で暮らしていた家康が
鷹狩りが好き、茄子も好物という説もあり、
鷹は獲物をつかみ取る。
家康のように天下をつかみ取ろう、
学芸でも商売でもその世界のトップになろうと
願をかける意味合いがあったらしい。
うちの近所のこの川沿いの杉の木に
オオタカが住み着くようになって
もう5、6年の年月が経つ。
昨年はクマやイノシシなど、
元来、山に住む動物たちが街に出てきて
人間に危害を加える事例が頻発し大問題になったが、
いま動物たちは長年の経験で
人間に慣れて恐れを抱かなくなり、
人間の生活圏に侵入することに
抵抗を感じなくなってきたようだ。
「人間はこわくない」
「人間が住んでいる場所にはうまいものがある」
「だいじょうぶ、いける、いける」
個体ごとに経験則を学ぶのか、
それとも世代間で情報が受け継がれるのか
わからないが、だんだんそういうことが
山の動物の間で常識として
広がってきているのかもしれない。
だとすれば人間が暮らし方を変えるか、
動物との付き合い方を変えなくてはいけない。
どうやらそういう時代になってきたようだ。
さて、わが杉並区のオオタカもまたしかりで、
住み着き始めた当初は、人目を警戒して
常に高い木のてっぺんあたりからめったに下りず、
天空の生活圏から出てこようとしなかった。
近所のカメラマンの人たちはそれこそ
野生動物専門のプロカメラマンのように
一瞬でもその姿を捕らえようと、
毎日木の下をウロウロしながら
朝から日暮れまで何時間も張っていたが、
幾たびも子育てを重ねるうちに、
だんだんオオタカたちは大胆に姿をさらすようになった。
人間は遠目で見ているだけで、近づいてこないし、
ましてや捕まることなんてありえない。
そうしたことをしっかり学習したようで、
低木に、時には地面に降りて餌を食うようになった。
もちろん、バシャバシャ写真撮りまくりである。
また、割と低空飛行でゆうゆうと飛ぶところ、
「ほーら、見てごらん」とでも言いたげに、
川を横断して人目に付く木の枝に止まり、
モデルのごとくポーズを取るといった行為も
見せるようになった。
翼を広げたオオタカはやっぱりカッコいい。
びっくりしたのは昨年秋。
11月ごろのことだったので、
まだ2カ月ほど前である。
夕方近く、義母と散歩中に
カルガモがひどくざわつく声が聞こえるので
なんだろうと川を見たとたん、
オオタカがシャーっと舞い降りてきて
一羽のカルガモを足でムンズとつかみ、
あっという間に連れ去った。
わずか3秒くらいの出来事だった。
身体は小柄だったが、
ヒナではなくおとなのカモである。
このあたりのオオタカは
ハトやムクドリを常食としているが、
何が起こったのか?
あの時は常駐のカメラマンたちも大騒ぎで、
聞いてみたらカモを襲ったのなんて
初めて見たとのこと。
まさにラプトル(猛禽)!
もともと飼いならされて鷹狩りに
使われていたぐらいだから、
人間と相性がいいのだと思うが、
人慣れしてきたオオタカは今年は
どんな暮らしを見せてくれるのか、楽しみである。
まあ、クマ、イノシシ、サルなどと違って
安心して見ていられるから
こんなのんきなことが言えるのだけど。
3が日があけて義母は今日からデイサービス。
カミさんと二人で初詣に行く。
お日柄もよく、杉並大宮八幡宮はほどよい人出。
被災地のことも忘れずお祈りして、
ついでに幸福カエル石も撫でてきた。
義母は、以前は僕が連れていくと
しぶしぶお参りするという感じだったが、
どうも神社とかお寺の類が苦手なようなので、
時間があっても最近は連れて行かないことにしている。
おみくじを引いたり、
お守りを買ったりするようなことは絶対しないし、
星占いみたいなものさえ嫌がる。
興味がないのではなく“嫌がる”のである。
結構その拒否反応が気になって
どうしてだろうとカミさんに聞いてみたところ、
興味深い話を聞いた。
彼女の母、つまりカミさんのばあちゃんが
霊能力者みたいな人だったらしく、
「あなたの家の前で私の足が止まりました」とか言って
見知らぬ坊さんがいきなり訪ねてきたりとか、
そのスピリチュアルな能力を子どものころに
目の当たりにしたようだ。
それで「見えない力」に対して
恐怖を抱くようになったのではないか、
というのがカミさんの推測である。
さらに母親だけでなく、
自分の中に同じ能力があることを察知して
みずからそれを封印したのではないかという。
なんだか自分の魔力に恐れをなして引きこもってしまった
「アナ雪」のエルサみたいである。
ちなみにカミさんも子供の頃、
霊視・予言みたいなことを
しばしば口にすることがあったらしいが、
その手のことを言うと
「絶対口にするな!」と激しく怒られるので、
スピリチュアル方面のことには
口を閉ざすようになったという。
カミさんが聞いた祖母の霊能力(?)の話はほんの一部で、
おそらく義母は絶対口にしない、かなりすごい現象、
もしかしたらヤバイ現象を実際に体験したのかもしれない。
いろいろ直観が働いたり、
見えないお友だちと対話したりするのは、
認知症で通常の認知能力失われた分、
それを補うために潜在的なスピリチュアル方面の力が
働くようになったのだろうと思っていた。
しかし、もともとそっち方面の能力を
かなり豊富に持っている人で、
それが今になって開花したのかもしれない。
僕のような霊感ゼロ人間は、
スゲーと思って尊敬してしまうが、
あったらあったで本人はたいへんそうだ。
もしかしたら子供の頃の体験は、
祖母の能力を使って金もうけをたくらむ人が
近づいてきて嫌なトラブルがあったとか、
そうした類のことなのかもしれない。
身近なところにも神秘が溢れている。
いずれにしても、見えない家族・見えない友だちが
死ぬまで義母を守ってくれればいいと思う。
元旦夜に起業・副業支援のネット発信アドバイザー
かさこさんのオンライン講座
「2024年を生き抜く秘訣」を聞いた。
僕はライブで参加したが、
これ、録画した無料動画で聞けるので、
年初、今年はどうやって自分のビジネスを進めていくか、
心構えを作りたい人には超おすすめです。
妙にテンションあげることなく、
楽に安心して聴けるところがポイント。
いきなりネタバレだけど、
冒頭の「2024年は変化の年➡ウソです!」が
この講座の全体像を言い表している。
まさしく!
僕がフリーライターとして仕事を始めた90年代初期の頃から
企業の偉い人たちはみんな口を揃えて、
「変化だ」「チェンジだ」「変わろう」と言ってた。
「今年は変化の年です」
「激動の年です」
「大変革の年です」といった類の言説は、
「新年あけましておめでとうございます」という挨拶と
何ら変わらない。
もう30年以上、変化だ、変化だ、とみんな、
自分を他人を鼓舞するのが
日本のビジネス界の習慣になっている。
その割に多くの日本人のマインドも
昭和から続く企業のマインドもあんまり変わらない。
テクノロジーが進化しているから、
それに合わせてしかたなく変えているだけといった印象。
やっぱり変えるのは面倒だからね。、
新年というと「今年は変わるぞ!」と、
つい力が入ったり、
浮き足立ったりしてしまうことが多いが、
かさこさんは「毎年が変化の年なんですよ」と、
この時期、テレビやネットで蔓延する
刺激的な言葉や煽り文句に踊らされないようにと、
やんわり警告した上で、とても冷静に、丁寧に、
2024年のビジネスに取り組む姿勢について話していく。
主な項目は2023年の振り返りから始まり、
「新年の目標の立て方」
「トレンドの掴み方」
「始めるべきSNS」
「新たな収入源」などの項目別に解説。
また、力んだり浮き足立ったりしていると、
ウソ情報・サギ情報にだまされやすい。
いわゆる闇バイトでなくても、
手っ取り早くいっぱい稼げるよーといった
インチキビジネスの話、
投資サギの話には要注意!
という点も指摘してくれる。
とてもポジティブな気分になれるので、
興味のある人は下記URLからぜひ聞いてみてください。
申し込み受付は1月15日まで。
録画動画は2024年12月31日まで視聴できます。
おめでたムードも吹っ飛ぶ、
能登、羽田での2日連続まさかの大災害。
旅客機の乗客・乗員が全員脱出し、
死者がいなかったのは不幸中の幸いだが、
海上保安庁の飛行機の乗員5人が亡くなった。
しかもこの機は石川に支援物資を運ぶところだったという。
なんてこった!
まさかまさかの負の連鎖にショック二乗。
お正月を自粛する必要はないと思うけど、
せめてこれ以上、
被害が広がることがないように祈りましょう。
被災地は明日以降、天気が悪く雨や雪。
土砂崩れが起こったり、行方不明の人の救出作業、
避難している人の生活も大変です。
三が日、初詣に行く方はぜひ神様にお願いしてください。
そんなことして何の意味がある?と思うと思う。
意味はないよ。でも、何もしないよりはいい。
自分は思いを寄せたという自己満足でいい。
少しでも今年を良い年にするために。
新年あけましておめでとうございます。
昨年は喪中だったので年賀状のやりとりを控えたけど、
今年は復活。
最近は年賀状じまいとか年賀状卒業という人も増え、
絶滅が危惧される伝統芸能・技術みたいになってきた年賀状、
僕がいだただくのもずいぶん少なくなったが、
その分、ていねいに接することができるようになった。
やっぱりいただくとうれしいもんです。
今日もらったなかでいちばんうれしかったのは、
11月の同窓会のとき、
病気で来られなかった元・同級生のもの。
電話で話してかなり心配だったが、
無事回復して12月から働き始めたとのこと。
元旦にこういう知らせを聞くとこちらも元気になる。
さすがに新規で年賀状のやりとりを始める気には
ならないけど、
旧知の間柄の人たちとは続けていきたいと思う。
いわば昭和の遺産だね。
昭和エッセイ集
昭和96年の思い出ピクニック
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今年は「昭和99年の思い出ピクニック」
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ご購入いただいた方、ありがとうございます。
本年もおりべまことの本を楽しんでいただけたでしょうか?
よろしければレビューをお寄せください。
2023年は10冊の本を出しましたが、
来年もこのペースで行ければと思っています。
とりあえずの予定は3冊のエッセイ集
「昭和99年の思い出ピクニック」
「認知症のお母さんといっしょ」
「週末の懐メロ 第5巻」
そして、今年完成できなかった
長編小説「今はまだ地球がふるさと」です。
2024年も福嶋とおりべをよろしくお願いいたします。
よいお年をお迎えください。
世間的な評判はあまり芳しくなったようだが、
僕は面白く見れた。
何より歴史の常識に固執せず、
家康を偉人でなく普通の一個人として
描いたところが良かった。
天下人に上り詰められたのは、
いわゆる能力・実力以上に人が良かった、
たまたま運がよかった、といったことを
強調したことも面白い。
実力的にははるかに上回っていた
信長・秀吉・信玄などに取って代わることができたのも、
そうした要素が作用している。
だから人間は面白い。
松潤家康の老け演技も感心したが、
ドラマ終盤は何と言っても北川景子演じる茶々の独壇場。
前回で娘時代の心情と母親としての感情の間を
揺れ動いたので、
最期はてっきりそうした面を
強調して終わるのかと思ってたら、見事に裏切られた。
火の海となった大坂城内で、息子・秀頼をはじめ、
家臣の男たちが全員自害するのを冷静に見届けた後、
最後に言い放ったのは、
もはや女であること・母であることから脱した、
乱世の鬼神のごときセリフ。
まるで伯父の信長、夫の秀吉、父の浅井長政、
さらには武田親子、真田親子などが
すべて乗り移ったようだ。
そして、それはまた400年後の現代の日本人へ向けた
痛烈な批判でもあり、呪いの言葉でもあった。
けれどもそれでいながら最後の最後、
一人の少女に還ってつぶやく今際の一言には泣かされた。
脚本もよくできているが、前回と今回、
姫の顔、母の顔、武将の顔、鬼神の顔、
一人の女性の中で次々と変化する感情を演じた
北川景子の演技力・表現力は圧巻。
かつてなかった戦国の女ヒーロー像を見事に造形した。
大坂城落城後のエピローグ。
平和になった世の中を続かせるため、
小栗旬の天海と寺島しのぶの春日局が
家康を神格化しようと努めるシーンは面白かったが、
その後の長い回想シーン、
家康の夢みるシーンはひどく冗漫に感じた。
政権の周囲にいる人々からは神とあがめられ、
他方、豊臣を支持する民衆には、
天下をかすめ取った妖怪狸とさげすまれ、
深い孤独の中で臨終を迎えた家康は、
まだ最初の妻と息子と家臣たちが生きていた
若き日の夢を見る。
やさしい家族、あたたかい笑い、明日へ向かう活力に満ちた
平和な日は家康が望んだ幸福の在り方だ。
けれども風もなく波も立たず、
安心安全でピーカンの日々がえんえんと続いたら、
人はそのありがたみを感じなくなってくる。
当たり前のことだが、幸福の在り方は一概に論じられない。
その考えると、冗漫と感じたエピローグは、
茶々の鮮烈な死のシーンと
素晴らしいコントラストをなしており、
このドラマの終わり方としては良いのではないかと思った。
一個人としての家康の人生はどうだったのか?
男たちが戦いに明け暮れる中で女性はどう生きたのか?
世の中で成功するためには何が必要なのか?
自分の本当の心を知るすべはあるのか?
平和な環境のなかでより良く生きるためには
どうすればいのか?
エンターテインメントであることはもちろんだが、
いろいろな問いかけをしてくれたドラマだったので
1年間本当に楽しめた。
ドラマなので史実がどうこうとか難癖をつけるのでなく、
今を生きる視聴者の心にどれだけ響くかを最優先して
これからも作っていってほしいと思う。
11月のクラス会のアフターフォロー。
健康事情で来られなかった友だちを訪ねて
昨日は福井へ。
男女混合6人で出かけたが、ほとんど小学生の遠足ノリ。
福井県は日本屈指の恐竜遺跡の発掘地。
それが友だちの住む勝山市にあって、
世界的にも有名な恐竜博物館が建っている。
他の連中は一泊したので今日行ったはずだが、
僕は用事があってひとりだけ日帰りだったので、
駅前の実物大恐竜模型だけを堪能。
模型とは言え、ビル群をバックに夕暮れの
空へ向かって咆哮する姿はマジ感動。
駅のベンチでラプトル博士がお仲間の骨を研究中だった。
ランチを食べてお茶を飲んだだけだったが、
久しぶりに大さわぎして学生時代に
逆流してめっちゃ楽しかった。
そういや45~6年前は、
毎日こんなノリで生きてたわというのを思い出した。
還暦を超えると、なんだか30~50代の頃よりも
10~20代の方が近く感じられるから不思議なものだ。
最近、養生という言葉がよくひびく。
おとなしく鎮静しているばかりじゃなく、
こうしてバカのりで笑って
10~20代の脳内環境をよみがえらすのも養生。
6600万年前の夢の発掘地で
しっかり「生きる」を養って、
ふたたび元気になることを祈ってる。
クリスティーン・ブライデン著の
「認知症とともに生きる私」
(馬籠久美子:訳/大月書店/2017年)という本は
衝撃的だった。
認知症の人が本なんて書けるのか?
既成概念がぶっとんだ。
認知症の当事者として
「内側から見た認知症」について語る内容。
これは認知症啓発活動家である
彼女の約20年にわたる講演録である。
最も素晴らしいなと思ったのは、
人間のアイデンティティについて洞察した部分。
私は誰だったのか?
今は誰なのか?
そして死ぬとき、誰になっていくのか?
病気を発症して仕事
(オーストラリア政府の科学部門の要職)を失い、
母親としての役割
(3人の未成年の娘のシングルマザーだった)も
果たせなくなり、
この先どう生きていけばいいのか?
そもそも自分は何者なのか?
そう問わざるを得なくなった。
認知症になったことによって、人生の本当の意味について、
自己の存在の正体について思いを巡らせ始めた。
「認知症がその正体を解き明かす」という
認識と表現にたどり着く。
“私たちの外側にある認知と感情——という仮面——によって
人を定義する社会では、
本当の自己は独立して存在することはできません。
真の自己は「いま」この瞬間に絶えることなく
永遠に存在しています。
私の真の自己は、たとえるならば花のつぼみのように
私であるべきものの潜在的な可能性のすべてを
その中に蓄えています。
それは新しい生き方です。
生きる極意と言っていいかもしれません。
そして、それこそが認知症なのです”
クリスティーン・ブライデン氏は1995年、
46歳でアルツハイマー病を発症。
医師から損傷した脳の写真を見せられ、
「今から3年でわけがわからなくなり、5年で死ぬ」
と宣告された。
日本ではまだ巷に「認知症」という病名さえ
認知されておらず、「痴呆症」と呼ばれていた。
記憶を失い、日常生活もままならなくなり、
おかしな言動を繰り返す高齢者に対して、
誰もが平気で「ボケ老人」呼ばわりしていた時代だ。
落ち込んだ彼女は周囲の励ましでショックから立ち上がり、
「わけがわからなくなる」と宣告された3年を前にして、
友人の看護師のすすめで自らの病状をつづった本を出した。
それから人生は激変。
現在の夫と結婚し、講演活動を始めた。
そんなことが可能だったのは、
やはり彼女がもともと優れた知性の持ち主で、
社会的地位の高い人だったからだろう。
経済的な面も恵まれていたのだと思う。
でも逆に言えば、何か見えざる手が働いて、
人類全体のために、これからの長寿社会のために
認知症についての啓発活動ができるモデルケースとして、
彼女のような立場の人を選んだのかもしれない。
日本とも関係が深く、何度も講演に訪れている。
そう言えば、ずいぶん前に彼女を紹介する
NHKのドキュメンタリーを見た記憶がうっすらとある。
でも、その時は認知症なんて自分には関係ない
と思っていたので、
「へえ、この人が認知症なのか・・・」という
ぼんやりした感想しか抱かなかったと思う。
彼女は2004年10月の講演で、
アイデンティティに関する洞察をこうまとめている。
“私は死ぬとき、誰になっていくのだろうと
1冊目の本で問いましたが、その答えを見つけました。
私は本当の私になっていくのです”
以前、僕も義母の介護をしていて、
社会人としての衣裳がはがれていくと、
人間の核——本質的な部分が残る、
といった趣旨のことを書いたが、
やはりそうなのだなと再認識した。
今でも医学の常識としては、認知症患者の寿命は、
発症後10年程度とされている。
しかし、ブライデン氏は世にも残酷な診断から
30年近く経った今でも元気で過ごしており、
この10月にはまた日本で講演を行った。
彼女のなかではいったいどのように時間が流れているのか?
過去も未来もなく、小さな子どものように
一瞬一瞬の積み重ねで30年。
そこには家族をはじめ、周囲の関わり方・働きかけが
大きな作用を及ぼしている。
この病気による不幸レベルをどれくらい低くできるか、
できれば幸福に近いレベルに持っていけるかは、
家族、周囲、地域、そして社会の在り方次第なのだろう。
「もう数年したら5人に一人が発症」と言われる昨今、
認知症は不安と恐怖と厄介ごとの対象でしかない。
そんな人が増えたら社会はどうなるのか?
悪いイメージは悪い現実を引き寄せる。
彼女の活動が実を結び、
認知症のイメージが大きく変わっていくことを期待する。
とても読みやすい本だし、
認知症なんて関係ない、興味もないという人でも
これからの生き方について、また、
自己の在り方について考えたいのであれば、
ぜひ一読してほしい本である。
とある金融会社のカレンダーをもらった。
本社がニューヨークあるらしく、
NYCの写真の12枚つづり。
これでもか!と出てくる
ハイテンションな街の風景は圧巻だ。
マンハッタンの摩天楼も、5番街も、タイムズスクエアも、
ブルックリンブリッジも、自由の女神も、
映画、ネット動画や写真、
テレビなどで見慣れているはずだが、
こうしたアナログ印刷でドン!ドン!ドン!
と12連発で見せられると異様な迫力がある。
そして若き日にニューヨークに
憧れていたことを思い出した。
外国暮らしの夢を果たしたのはロンドンだったが、
その前はニューヨークに行きたいと思っていた。
映画や本などでニューヨークの街の風景を見ると
ざわざわと胸が騒いだ。
それはゴージャスな美女を抱きたいという
欲望にも似ていた。
実際、1986年と1990年の2回、
それぞれ1週間余り、ニューヨークへ行った。
「ああ、おれは今、ニューヨークにいる」と、
しみじみ感動したことを憶えている。
いずれもまだ世界貿易センターのツインタワーが
健在だった時代の話だ。
今のこのニューヨークの写真を見ていると、
9・11の惨劇のことなどみじんも感じない。
20世紀の頃より、さらに高く、空へ向かって
にょきにょき伸びたビル群は、
あのテロの悪夢から完全に立ち直った
世界最強の国の、世界最高の金ピカの都であることを
高らかに誇示しているかのようだ。
実際、いくらドバイのなんちゃらタワーがすごいとか、
上海のかんちゃらビルがすごいと言っても、
ニューヨークほどには絵にならない。
やはり近代資本主義帝国としての歴史が違うぜ、
と思わせる風格がある。
しかし、そんなにすごいニューヨークだって、
金融エリートやスター芸能人・スポーツ選手
ばかりが住んでいるわけではない。
人口の大半はこの街をえっちらおっちら回している
普通の労働者、普通の庶民である。
そしてまた、その大半は物価高に苦しむ貧乏人らしい。
ちょこちょこと調べてみたら、
マクドナルドのスタッフの時給が3700円とあった。
単純計算で1日8時間、月に20日働けば、
収入は60万円近くに上る。
大した金額だと思うが、
ここでは60万円では1DKの部屋代で終わりだという。
その他、コーヒー1000円、ラーメン3000円とか、
物価はとんでもなく高騰していて、
年収1千万でも貧乏暮らしを余儀なくされるらしい。
ちょっと足を踏み外せばホームレスに転落だ。
みんなどうやって生きているんだろうと心配になる。
自分のことに話を戻すと、
この写真を見て美しいとは思うが、
40年前のように胸はざわめかない。
正直言うと、見ているだけでお腹いっぱい、
胸やけがしてくる感じ。
もうこの街に行きたいと思わないし、
なんだかうんざりした気分になってくる。
都市開発は終わらない。
高いビルを建てるマウント合戦も終わらない。
金持ちの金儲けも終わらない。
戦争もテロも終わらない。
いつまでこんなことが続くんだろう?としか思えない。
ゴージャスな美女は遠くからポヤーンと
見ているだけで十分だ。
ま、簡単に言えば、齢を取ったってことだけど。
中編小説
洗たく女の空とぶサンダル Kindleより好評発売中。¥500 格差社会にもすっかり慣れた。労働者階級の誇りをもって働く洗たく女アカネの笑いと夢と希望の物語。読んでみてね。
認知症の人の頭のなかには
どんなファンタジーの世界が広がっているのか
興味が尽きない。
何度か、義母が夜中や早朝に起き出して、
食べ物などをガメていく話を書いたが、
きょうは部屋の中から「みかんせんべい」が発見された。
夜中にガメたみかんを布団の下に隠し、
そのまま寝たのでぺっちゃんこ。
当然、布団の下はみかんの汁でぐちゃぐちゃ。
発見者のカミさんはカンカンである。
俗にいう認知症の人の「問題行動」だが、
まぁこれくらいのことなら明日ふとんを干せば
いいだけの話だし、怒っても本人は憶えていない。
それよりもどうしてガメたものを食べずに、
こんなふうに隠したり、しまいこんだりしてしまうのか?
秋口はお腹が減るせいか、たいてい食べていたが、
最近、寒くなってからは備蓄しようとする傾向がある。
冬眠する動物みたいに食糧を蓄えておこうという
本能が働くのも理由の一つだと思うが、
どうもそうした即物的な理由だけではないような気がする。
幻の家族やお友だちと会話していることを考え合わせると、
どうやら義母の4畳半の部屋には異次元ドアがあり、
その向こうには彼女にしかわからないストーリーが流れ、
そのストーリーを生きているのではないか。
そして、そう生きることが彼女の存在の芯にある
アイデンティティ、生きる意味と
つながっているのではないかと思える。
というわけで、汁が抜けてぺったんこに
みかんせんべいを見ているうちに
義母のストーリーを解き明かしてみたいという
妄想にかられた。
その前に、明日晴れたら洗濯と布団干しをやろう。
みかんせんべいは食べてみたが、
パサパサしててさすがにおいしくない。
短編小説
ざしきわらしに勇気の歌を
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Kindleより発売中。¥300 認知症の寅平じいさんの頭のなかに広がるファンタジーの物語。認知症の人のアイデンティティはどうなるのか、追究したいテーマだ。
気になったら、ぜひ読んでみてください。
先日、カミさんが義母を連れて買い物に出かけた。
途中、高校の前を通ったら、
二人連れの女子高生の前にいきなり飛び出していって、
「こんにちは!元気ぃ~!」と大声であいさつした。
もちろん、女子高生はびっくりしてドン引き。
カミさんがあわてて義母をたしなめ、
「ごめんなさい」とその子たちに謝った。
ひとりは「だいじょうぶです」と笑っていたが、
もう一人はずっと顔が引きつったままだっただったらしい。
いずれにしてもそれで無事に収まり、
そのまま立ち去ったが、
背中で「なにあれ!?キモっ!」とかなんとか、
引きつってたほうが叫んでいたという。
腹も立たないし、説教するつもりもない。
僕も高校生だったら似たような
リアクションを取っただろう。
ちょっとびっくりしたのは僕が知る限り、
通常、義母は女子高生なんかに挨拶しない。
カミさんの話によると、
一人が高校生の頃の妹(つまりもう一人の娘)に
ちょっと雰囲気が似ていたらしい。
イメージがダブったのか、
あるいは僕といる時と、カミさんといる時と、
気分の違いで、違ったイメージが湧きだすのかもしれない。
義母は愛想がよく、社交的な人と思われていて、
デイサービスなどでもムードメーカーになっているらしい。
実際、そういう一面があって、
僕と散歩するときもすれ違う人に
元気な声で「おはようございます」とか、あいさつする。
しかし誰彼かまわずというわけではない。
ちゃんと瞬時に相手が返してくれるかどうか読み取り、
返してくれそうな人にだけあいさつするのだ。
その打率はだいたい7~8割。
けっこう高い精度である。
認知症だからといってバカではない。
論理的思考が働かない分、直観力は優れているのだ。
観察していると、声をかけるのは大まかに言って、
子供、子供連れの母親・父親、犬連れの人、
工事の人、掃除の人、トラックの運ちゃん、
警備員、お巡りさん、鳥を撮っているカメラマンなど。
子連れや犬連れ以外は年齢高めの人が多い。
やっぱり齢の功というべきか、経験豊富というか、
単にヒマというか、高齢者はちょっと奇異に感じても、
ちゃんと余裕をもって挨拶を返してくれる。
その点、前述の女子高生のように
人生経験・社会経験の浅い若いもんは
見たこともない変化球を投げられるとビビってしまう。
義母もそのへんがわかっているのか、
子供でも小さい子はいいが、
小学校の高学年以上になるとあいさつしない。
10代から30代くらいまでの若輩者に
声をかけることは稀である。
特に女性には、若いママさんグループなども含め、
近づこうとしない。
それから肉体労働系の人には愛想がいいが、
スーツなどを着込んだインテリ系、
ちょっとスカしたアート系などにも声をかけない。
高齢者でも気難しそうな顔をした人にはあいさつしない。
僕といるときはしたことがないが、
肉体労働の人が休んでいるのを見ると寄っていき、
「あら、あなた、いい体してるわね」と、
ペシペシ背中を叩いたりすることもあるらしい。
こうして書き出してみると、
なンとなく彼女が交流したい
人間のカテゴリーが見えてくる。
べつにいいとか悪いとかの区別はないが、
やはり社会から離脱した人なので、
忙しい競争社会の真っただ中にいる人や、
そこに入ろう・順応しようとしている
おとなになりかけの子供たちは避ける傾向がある。
自分の相手をしてくれるのは、
まだ社会化されていない小さな子や、
逆に社会からリタイアした年寄り、
ちょっと社会から外れた人たちというところか。
そういう意味では、川沿いの散歩道は、
ちょっと日常の世界ら外れて
遊んだり休息できる雰囲気があるので、
あいさつを返してくれる人が多いのもしれない。
ビジネス街や繁華街でこんな変化球が飛んで来たら
気味悪がってよけるしかないが、
ここなら「まぁ、こんな人もいるよね」と
キャッチできる、
危害がなければ、多少おかしな人がいてもOK、
その方が面白いということだろうか。
自然がたくさんある環境なら良いというものでもない。
そこに暮らす人たちがどんな心境でいられるかが大事。
義母には教わることが多い。
認知症のおかあさんといっしょ
エッセイ集 認知症介護
https://www.amazon.com/dp/B0BR8B8NXF
認知症を知り、認知症から人生を、人間を学ぶ。認知症専門医の講演録も収録
この間の土曜日のことだが、
カミさんが中学校の同窓会に出かけたので、
夜は義母と二人だった。
普段、食事は居間でしているが、
ここは食事の時間以外はカミさんがいろいろ使っている。
食後、義母はたいてい自分の部屋に引っ込むのだが、
居間の主であるカミさんがいないので、ずっと動かない。
カミさんは管理責任者でもあるので、
ああしろ、こうするなとガミガミいわれるが、
今日はその心配はないと察知して
居心地がよかったのだろう。
僕はなめられているということでもある。
特に何か話すこともなく、テレビを見ていた。
彼女はテレビで何をやっているのか、
内容を理解できない。
メシが出てくれば、おいしそうとかまずそうと言ったり、
イケメンや美女はいいねと言ったり、
激しいスポーツのシーンには「うわ、ひどいことする!」と
怒りのリアクションをするが、すぐに忘れている。
彼女にとってテレビは
「光と音の出る暖炉」のようなものなのかもしれない。
そう思って「ペチカ」と「たき火」を歌ったら喜ばれた。
僕のヘタな歌で喜んでくれるのは義母だけである。
そのうち、ああ、この人は何十年もの間、
夜はこのように居間で義父と過ごしていたのだなと
わかった。
認知症患者には過去の記憶も、未來の展望もなく、
今この時だけがあるが、生活習慣のイメージは残っている。
あたたかい光と音の暖炉に当たりながら
そのイメージに浸るのが、
ぬくぬくして気持ちよかったのかもしれない。
そうしているうちに9時を回ったので、
「お義母さん、そろそろおねんねしましょう」と、
みかんを1個持たせたら、喜んで部屋に帰るという。
だが、2時間以上も坐っていたのですぐに立てない。
腕を回して抱き起そうとしたら、
「手を持ってくれるだけでいいです」
こういうところはプライドが許さないようだ。
土曜日はデイサービスで筋トレをやる上に、
少々夜更かしをしたので
翌日は疲れて1日中寝ていた。
最近はデイサービスに行かない日は、
僕たちも放っておくので、少なくとも昼まで寝ている。
特に寒い季節になると、寝る時間が長くなる。
外に出かけるなど、騒ぎ出さないのでこっちは助かるが。
認知症を発症してから、
少なくとも15年は経っているのにもかかわらず、
まだまだ体は元気。
ただ、見ていると、昨年、今年と、
確実に体力は落ちている気がする。
どこに行っても観光客だらけの京都だが、
不思議と東寺はいつ行っても空いている感じがする。
空海ゆかりの東寺は、京都駅から徒歩15~20分。
(中途半端なロケーションなので
歩ける人は歩いた方がいい。
足が悪ければタクシーで1~2メーター。)
平安京の遺構であり、日本最古の密教寺であり、
もちろん世界遺産の一つ。
800円で巨大な薬師如来が鎮座する金堂(こんどう)、
立体曼陀羅のある講堂(こうどう)、
そして五重の塔を見て回れる。
どれも圧巻。
こういう寺が1200年も存続しつづけていることが、
月並みだけど日本の素晴らしいところ。
空いている感がするのは、
単にタイミングがいいだけなのか。
境内がだだっ広いので人口密度が低いからか。
けどそれよりも、
他の観光地から離れ小島のような場所にあり、
周囲に食べ歩き用の飲食店や
土産物屋がないおかげで俗化されず、
観光公害を免れているのが大きいのだろう。
今回も修学旅行生はあちこちから来ていたが、
うるさい外国人は少なく、快適に見て回れた。
今回、3つの建物のほかに、食堂(じきどう)で
観瀾斎(かんらんさい)という画家の展覧会をやっていた。
こちらは入場無料なので、さりげに覗いてみると
「棟方志功?」
「ピカソ?」
「マティス?」
「シャガール?」
といった作品がずらり。
それらの巨匠のタッチで仏様の世界を描いている。
悪く言えばパクリなのだが、
この人の描くテーマ「祈り、癒し」――
人間と仏様の世界が、
それらの巨匠に近いタッチで描かれているを見るのは
とても楽しいし、こころ動かされる。
そしてどれもアート一直線でなく、
少しずつポップでマンガっぽくて、庶民的なのもいい。
デジタルテクノロジーが広がり、
人間の社会・感情生活が大きく変わる一方で、
100年前と何ら変わることなく
各地の戦争で不安に脅かされる現代の世界。
こうした状況に触れて、
もし、かの20世紀アートの巨匠たちが生きていたら
どんな絵を描くのだろうと思わず考えてしまった。
観瀾斎氏には今は亡き志功やピカソに替わって、
「祈り、癒し」の絵を描いてほしいと思った。
この展覧会では来年の干支である
龍の作品も多数展示されており、
ポップでユーモラスな龍の絵は縁起がよさそうだ。
小さなパネルの絵なら2000円~3000円で買える。
12月24日まで。
あとひと月間、開催されているので、
これから京都に行く人はぜひ東寺に立ち寄り、
仏像と観瀾斎の絵を見るのがおすすめ。
コロナ禍の頃、観光業やお寺関係の仕事で、
政府が日本の観光立国化を目指し、
観光収益を上げるために、
インバウンド客の単価UPを
図っているという話をよく聞いた。
金のない旅行者から
無理やりふんだくるわけにはいかないので、
ターゲットは当然、世界の富裕層。
高額な料金に見合うだけの
日本文化の体験・最上級のおもてなしを
たっぷり盛り合わせて…という戦略を
いろいろなコンサルタント会社が入って企て、
かなり懸命にテコ入れしていたようだ。
その努力は報われた。
2泊3日の京都旅行に行って、
観光業者はその要請にしっかり応えたことが見えた。
本当に人気観光地の周辺の飲食店に入るには
富裕層クラスのお金が必要。
一般ピープルは食べ歩き用の屋台食やスイーツなどで
楽しんでね、という感じ。
宿代もコロナ前の2019年に比べ、
平均で3~4割値上がっているらしい。
(僕たちは山科駅近くのAirBnBに泊った)
実際、どの程度、単価UPを達成したかは
いずれ観光庁が成果のデータを上げるだろうが、
観光にも昨今の格差社会の在り方が
十二分に反映されているような気がする。
京都の秋の観光はまだまだこれからが本番。
自社と紅葉のライトアップが12月まで続いて、
大賑わいになりそうだ。
ちなみに観光立国になるということは
国家が成熟した証拠。
今あるもの・持っているものを見せればいい。
もちろん、その見せ方が問題で、
そこにいろいろ工夫は必要だけど、
観光業は莫大な資本や人材を投入して
新しく何かイノベーションを起こす産業ではない。
おとなになったニッポン。
リッチなニッポン。
けれども老化するニッポン。
個人と同じで、国家もこれからの生き方を問われる。
「まだまだ若くて元気ハツラツだ~」
なんて張り切ってると、ぎっくり腰にいなるのがオチだ。
何もかも下り坂の国が、
政治も社会機構も、上り坂の時と同じ運転していたら
おかしなことになるのに決まっている。
ネガティブに考えなくてもいいけど
早く昭和アタマの価値観から抜け出さねば。
でないと、ギックリ腰どころか、
脳や心臓にきて倒れちゃうよ。
★おりべまこと新刊
再読・風の歌を聴け
Kindleより発売。¥300
1979年のデビュー作「風の歌を聴け」から2023年発表の最新作「街とその不確かな壁」まで。ふたたび旅したハルキワールドの思い出・感想・評論をミックスアップしたエッセイ集。
はじめての人も、リピーターの人も、ハルキワールドを旅する時のガイドブックとしてご活用ください。
むかし書いたラジオドラマの脚本で
廃園になった遊園地に
宇宙から飛来した円盤が降り立つのを
高校生の女の子と男の子が見に行くという
シーンを書いたことがある。
特撮にしようか、CGにしようか、VFXにしようか
そんなこと考えもせず、予算なんかまったく気にかけず、
リスナーの想像力に丸投げできるのが
ラジオドラマのいいところ。
てなわけで書けてしまったわけだが、
「未知との遭遇」や「E.T.」みたいな
映画に影響されているので、
いつもそういうシーンが頭にある。
てか最近、ほんとに異星人が来てくれないかと考える。
ロシア×ウクライナ
イスラエル×パレスチナ
中国の動きも怪しいし、
北朝鮮は相も変わらずミサイル打ちまくって、
軍事パレードもやりまくっている。
ウクライナ、パレスチナでの
「やったもの勝ち」の現実を見て、
台湾や韓国は、中国や北朝鮮のことが
気が気じゃないだろう。
これら、いがみ合っている国はみな、
もとをただせばみんな近親者同士。
憎み合いって、実は赤の他人より
近しい家族同士のほうがヤバイ。
「人類一家みなきょうだい」という
キャッチフレーズがあったが、
親が亡くなって相続が“争族”になるように
その家族・きょうだいがヤバいんです。
今は過去200年の人類近代化の遺産を
未来へどう継承するか、相続の時代に突入している。
相続は争族になり、
もうほとんど第3次世界大戦が起こっても
おかしくない状態になっているのではないか。
この状況を変えられるのは
地球外生物=宇宙人しかないのではないかと思ってしまう。
いま、マジで世界各地の大都市にUFOが飛来すれば、
どの国もくだらない戦争をやめるのではないか。
宇宙人が「地球を征服しに来た」と宣言すれば、
世界は一致団結するだろう。
それで本当に宇宙人の攻撃が始まったらどうするのか?
そこまで考えてないけど、
今の状況を変えるには宇宙へ向かって
「彼ら」を呼ぶしかないのでは。
もうすでにウクライナで、パレスチナで、
恐ろしいことが起こりまくっているのだから。
地球の家族が仲良くできるチャンスはないのか?
齢をとっても元気な老人が
やたらとテレビなどで紹介されているので、
つい錯覚しがちだが、齢をとれば必ず体力は落ちる。
もちろん鍛えていればそれなりに維持できるけど、
「若いもんには負けんわい」
と頑張り過ぎるのは禁物である。
経験的に言うと、40代でガクン、
60代でガクガクガクンといった感じ。
その顕著な例が、長時間、地球の重力に逆えなくなること。
要するに1日の真ん中、昼寝をしたくなることだ。
これについては本当にフリーランスでよかった、
ホームワークでよかったと、つうづく思う。
最近は昼寝ルームのある会社も増えているらしいが、
それでも昔の雑居ビルに入っているような会社には
そんなものは設けられないだろう。
でも、もし可能なら若い人にも実践してほしい。
昼食後、午後の仕事に入る前にゴロンと横になる。
机に伏せて寝るのはだめ。
べつに眠たくなければ、眠らなくてもいい。
5分10分でも体を横たえること、
地球の重力に逆らわず、二足歩行の動物であることを
忘れることが大事である。
再び体を縦にしたときは、朝起きたほどではないが、
頭がすっきりしている。
重力に逆らわない時間をつくると、
脳のなかの小人さんがちょこちょこっと
お片付けをしてくれて、
「はい、お仕事の続きをどーぞ」と言ってくれるのだ。
運がよければ、15分くらい睡眠して夢を見ることもできる。
今日の昼寝の夢は海にいるのか、空にいるのか、
何だか青いところにいる夢だった。
重力に逆らわないと、
地球が味方になってくれるのかもしれない。
考えてみれば肉体労働をやっている人たちは
よく昼寝している。
ちょっと横になることは健康にも、
よりよい仕事のためにも必要なことなのだ。
それにしても本当に毎日、夜になるとくたびれちゃて
仕事用の頭は回らなくなる。
でもこうしてブログなど書いていると、
不思議と疲れが取れて元気になる。
「人生、還暦から」なんて言って発信しているので、
落ちた体力でも走れるところまで走ります。
若いあなたも無理せずにお昼寝すると、
きっといいことありますよ。
先週の3連休の真ん中、4日の土曜日に池袋で
舞台芸術学院(演劇学校)の同窓会をやった。
うっかり全員写真を撮り忘れたので、
今回の写真は会場すぐそばの
西口公園にあるグローバルリングシアター。
卒業して43年。
何回やったか忘れてしまったが、
5年に一度くらいはやってる気がする。
前回は2018年の5月にやったので、
今回は5年半ぶり。
もうみんなアラカンだから
あんまり間を開けないでやろうと言って、
次は2年後、東京オリパラが終わった
2020年の秋に予定していたのだが、
コロナで3年も延びてしまった。
前回は18人、今回は12人。
集まった連中はみんな元気そうで
20歳ごろとほとんど変わっていないように見える。
もちろん、そんなわけはなく、
客観的には相応の、高年に近い中年だが、
一緒に齢を取っているという妙な温かさ・安心感を感じる。
昔の仲間がいるということはいいことだ。
本やネットなど読んでいると、
同窓会・クラス会を否定する人は大勢いるが、
よほど嫌な関係・忘れてしまいたい関係ならともかく、
「なんとなく出る気しない」とか、
自分のポリシーで出ないとか言ってるなら、
一度、変えてみてもいいかもしれない。
人の心は齢を取ると変わる。変わっていい。
それが自然だ。
それに声がかかるうちが花だ。
いつか「あいつらに会いたいな」と思うようになっても、
声がかからないときが来てしまうのだから。
「100BANCHI」は
「未来を創る実験区」「100年先を豊かにする」
といったコンセプトを掲げた実験アート工房。
そんな呼び名がしっくりくる。
ホームページを覗き、実際のギャラリーを覗いたが、
何やら僕たちの日常生活やビジネスなどとは無縁な、
浮世離れした若い連中の
アバンギャルドなアートの世界が展開している。
のだが、この施設・組織の母体は、
あのパナソニックと聴くと、
インパクトとともに頭のなかに???の花火が上がる。
この施設は、パナソニック(松下電器)の創業100年を機に
2017年7月にオープン。
これからの時代を担う若い世代とともに、
次の100年につながる新しい価値創造に取り組む
プロジェクトだという。
ぱっと見、そんな企業臭さはまったく匂わず、
もちろんパナソニックの宣伝、および、
それにつながるようなものは微塵も見当たらない。
アートスクールのようなノリ?という印象が強く、
いろんな若者が多種多様なアート(のようなもの)を
作っている仕事場(あるいは遊び場)というイメージで、
その実態は不明。
しかし、松下幸之助氏が始めた松下電器の仕事場は、
100年前の一般人・常識人から見たら
おんなじように奇異に見えたに違いない。
つまり、ここは未来の暮らしとビジネスのための
基礎研究を行う場所なのだろう。
昨夜はここで「死をリ・デザインする」という
トークイベントが行われた。
例によって「月刊終活」の取材だが、
めっちゃ面白く、仕事抜きで楽しめ、考えさせられた。
記事化するので内容は明かせないが、
単純化して言うと「死」を隠蔽するのでなく、
もっとオープンに、明るく楽しく語り合えるために、
何か形あるものを創っていこう、という趣旨の話。
この100BANCHIが輩出した若い女性のプロジェクト集団が
そのためのツールを開発したり、
エンディング関係の会社とコラボした活動をしている。
ディスカッションを聴いて、
ちょっとだけ未来を覗いた気分になった。
とは言え、そんな僕の気分を笑い飛ばすかのように
すでに渋谷は一気に未来モード。
この「100BANCHI」がある
JR渋谷駅・新南口の界隈の渋谷3丁目は、
LEDでライトアップされた渋谷川のリバーサイドだ。
100年前はさらさら流れる小川だった渋谷川は
戦後の渋谷の大都市化によってデッドなドブ川になり、
それがまた近年の再開発で、お洒落なシティリバーに。
(本質的にドブ川であることは変わらないが…)
コロナ禍のせいもあって、渋谷の街を歩いたのは
ほぼ5年振りくらいだが、
未来感あふれるデジタルな「SHIBUYA」への
変貌ぶりにびっくり仰天した。
かつてのドブ川に似つかわしい、
汚ない雑多なアナログ裏渋谷にノスタルジーを抱きつつ、
この未来世界で、おれはいつまで生きているのだろう?と
思わずシティリバーの畔で佇んでしまった。
今年もハロウィンが近づき、
街中どこもかしこもオバケだらけになってきた。
オバケを怖がる子どもは多いが、
オバケの絵はみんな描きたがる。
誰でも描けちゃうのがオバケの魅力。
息子がチビの頃、小学校のハロウィン大会で
鬼太郎の目玉おやじの人形を肩にのっけて、
自分おオデコにも目玉を描いて登校したのを思い出した。
僕が子どもの頃は、オバケと言えば
藤子不二雄の「オバQ」だった。
雑誌にオバQの似顔絵を投稿して当選し、
マルチ定規(?)みたいな文具を景品として
もらって、めっちゃうれしかった。
ドラえもんみたいに助けてくれるわけでもなく、
何か役に立つわけでもなく、
ただ大飯食らって、お騒がせするだけのオバQは
今でも大好きである。
GHQ、オバQ、ウルトラQ。
「Q」は昭和世代のQワード。ではなく、キーワード。
新刊「叔母Q」
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10月17日(火)16:59まで
叔母の温子(ながこ)はロサンゼルスの下町のアパートで孤独のうちに死んだ。
リトルトーキョーの小さな葬儀屋の一室で彼女の遺骨を受け取った甥の「わたし」は供養のために、可愛がってくれた叔母と昭和の家族についての話を葬儀屋に語る。短編。2万3千字。
原題「These Days」は
「最近」とか「近頃」と訳すのが普通だが、
1967年の日本のレコード会社の人は
「青春の日々」という
当時のフォークソングっぽい邦題を付けた。
歌でも本でも映画でもよくあるタイトル。
でもニコのこの歌を聴くと、
他のタイトルは思い浮かばなくなる。
とくにセンチメンタルな旋律ではないのだが、
聴けば聴くほど、雨水がしみ込むように、
深く広く、胸のなかに切なさが広がっていく。
青春の日々が遠くなった人間だからかもしれない。
作詞作曲はジャクソン・ブラウンで、
デビューする前、16歳の時に書いた歌だという。
歌詞は、最近、わたしの人生うまくいかない。
もう夢を見るのはやめた。
失敗したことを忘れたわけじゃないから責めないで
・・・といったちょっとネガティブな内容だ。
ティーンエイジャーの頃は
よくないことがあると内省的になり、
人生を達観したような気になってしまうことがある。
もちろんポジティブな気持ちを持って
元気に生きた方がいいけど、
いつもピーカンの青空ばかりというわけにはいかない。
晴天ばっかりでは生きててつまらないし、
人生もうすっぺらくなる。
ぽかぽか浮かんでくる雲の形を楽しんだり、
しとしと雨降りも経験して
生きる哀しさややるせなさも知ったほうが
人間が立体的に形成されていくと思う。
ニコはドイツ出身のファッションモデルで、
その後、シンガーソングライター、女優として活躍。
ニューヨークでかのポップアートの巨匠
アンディ・ウォーホールと知り合い、
彼がプロデュースするロックバンド
「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」と共演した。
ジャケットにウォーホール作のイラストーー
世界で最も有名なバナナが描かれたデビューアルバム
『The Velvet Underground & Nico』は、
ロック史に欠かせない超名盤となり、
その評価はむしろ21世紀になってからのほうが
上がっている。
ただ、ニコがベルベットに参加したのは、
ウォーホールが「女がヴォーカルをやった方が話題になる」
と言ってくっつけたからだそうで、
彼女は1枚限りでバンドを離れ、
同年、ソロアルバムを制作。
「青春の日々」は、そのアルバム
「チェルシーガール」に収録されていた。
昨年(2022年)1月にはビリー・アイリッシュがこの曲を
TikTokに投稿し、再生回数1億2千万回超を記録。
音楽ニュースサイトで大きな話題になった。
まさに今の世界中の若者の心もとらえた大ヒット懐メロだ。
ニコも、アンディ・ウォーホールも、
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを率いた
ルー・リードも、とうの昔に故人になっているが、
40年・50年・60年経っても
良い曲は聴き継がれ、世代を超えて共有される。
若い世代の人もこの曲を聴きながら、
自画像・人生像を描いてみるといいかもしれない。
新刊 叔母Q
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昨日ふたたび池袋へ行く。
10日あまり前とは別の仕事の取材だが、
たまたま同じ池袋。
先月は雨天であまり街の写真が撮れなかったので、
少し早めに行ってスマホでウロウロ撮影作業。
劇場の話に合わせる写真がいるので、
西口にあるわが母校 舞台芸術学院にも足を運んでみた。
卒業したのはもう43年も前のことだ。
当然、校舎は改築されているが、
場所も道路を通し、区画整理した関係で
僕たちの通っていた頃より20mほど移動している。
創立されたのは1948(昭和23)年。
終戦からまだ3年目のことで、
このあたり一帯は焼け野原だったらしい。
ホームページを見て見たら、
こんな創立の物語があった。
https://www.bugei.ac.jp/about/school/
演劇を志したひとりの青年、野尻徹。
彼は幸運にも復員し、池袋で演劇活動の拠点、
「スタジオ・デ・ザール」を開設しました。
しかしその志半ば、彼は27歳でこの世を去ります。
彼の演劇への「思い」はここで潰えたようにみえました。
しかし、彼のあまりにも早い死を悲しんだ父、
与顕は息子の遺志継承を願います。
「地に落ちた一粒の麦、徹死して幾百幾千の
舞台人となって実るであろう事を」
1948年9月13日、与顕は焼け跡の残る
東京・池袋に演劇を渇望した息子、
徹の遺志を継ぐべく、私財を投じ、
若者が演劇に打ち込むための場
「舞台芸術学院」を創立しました。
(※以上、ホームページより抜粋)
初代学長である秋田雨雀、副学長である土方与志は、
日本の近代演劇史・文化史に名を遺す人なので
いちおう知っていたのだが、
真の創設者である野尻さん親子のことは
恥ずかしながらまったく知らなかった。
これは75年前、西口公園に闇市が群れをなし、
池袋全体がダークでカオスな街だった時代の話である。
(池袋のヤバさ加減は、小説・ドラマになった
「池袋ウェストゲートパーク」あたりまで引き継がれてた)
75年の歴史のなかで有名・無名かかわらず、
多くの演劇人、そして、そこに連なるハンパ者たちを
輩出している舞台芸術学院。
60年代の舞芸の学生が、南池袋の仙行寺と関わったことから
小劇場「シアターグリーン」が生まれ、
その活動が波及し、西口公園の
「東京芸術劇場」につながり、
その他、東口の「サンシャイン劇場」「あうるすぽっと」、
野外劇場「グローバルリングシアター」、
最近ではシネマコンプレックス、商業施設と一体化した
文化施設「HAREZA(ハレザ)」の一角を占める
「東京建物ブリリアホール」という劇場もできた。
百貨店・家電量販店・アニメショップなどの
印象が強い池袋だが、
いまや新宿・渋谷をしのぐ劇場が花咲く街である。
その最初の一粒がわが母校だったことに
改めて驚きと感動を覚えた。
在籍時を含めて45年間、創立の話を知らなかったのは、
ハンパ者卒業生の一人として、ほんとに恥ずかしい限り。
長い時間を要しないと、僕のようなボンクラには
世界が見えない、意味が分からない。
しかし、とりあえずこの母校と池袋の劇場の件については
死ぬ前に気付いてよかった。
自分の新しい歴史がまた新しく始まった気がする。
義母がデイサービスに行っていないので、
昨日のリベンジでお祭りを見に行く。
一応、カミさんには声をかけてみたが、
「暑いからいかない」というお返事。
ま、わかってたので、仕事の合間に
ひとりでチャリチャリっと小一時間。
昨夜でハイライトであるお神輿の合同宮入りが終わり、
本日はエピローグモード。
あくまで印象だが、参道の露店は
コロナ前からだいぶ面子が変わった。
半分以上は変わって初出店みたいなところも多い。
値段も物価上昇の折、何割かアップ。
500円以下で飲み食いしたり、遊んだりできる店は
ほとんどない。
今年の正月は喪中だったので、久しぶりにお参りして、
幸福ガエルにもごあいさつしてきた。
帰りに川沿いをチャリチャリ走っていて、
何年もやっていた護岸工事がやっとこさ
終りかけているなぁと写真を撮っていたら、
後ろから「せんせー」と呼びかける声。
自転車とキックボードの高中小学生の女子集団が、
「大宮八幡へはどう行けばいいんですか?」
と聞いてくるので道を教えてあげた。
先生ってなんや?
でも、みんな可愛かったからうれしい。
心もドンヒャラお祭リベンジ。
電子書籍新刊予告
「週末の懐メロ第3巻」
9月20日(水)
kindeより発売予定!
おなじみの音楽エッセイ「週末の懐メロ」第3巻。
♯57:暗黒(スターレス)/キング・クリムゾンから♯84:さよならレイニーステーション/上田知華+KARYOBINまで
全28編を収録。
明日9月15日は「老人の日」。
え、敬老の日じゃないの?
いえ、それは祝日法改正によって2003年(平成15年)から9月第3月曜日に変更された。
今年は来週月曜18日が「敬老の日」になる。単に3連休としか認識していない人も多いけど。
敬老の日は長寿を祝い、お年寄りを敬う日だけど、祝日から転落した「老人の日」は記念日として残されたのはいいけど、どんな役割を果たすのか?
超高齢社会の進展、100年ライフの浸透で、
老人の概念はこの20年の間にずいぶん変わった。
そもそも「老人」という言葉をあまり聞かなくなった。
今、高齢の人に「あなたは老人ですね」
なんて言ったらぶん殴られるかもしれない。
でも逆にじいさん・ばあさんが自分から
「おれはロージンだぜ」
「あたしゃロージンだよ」
なんて啖呵を切ったらカッコいいかもしれない。
この本のタイトルは、
かつて「さいたまゴールドシアター」という
高齢者劇団を率いた演出家・蜷川幸雄さんのセリフ。
ライフシフトの時代、
客観的年齢と主観的年齢は一致しない。
ロージンが舞台に立ち、スポットライトを浴びるのは
もう特別なことではなくなりつつある。
仕事が一段落し、しばし猛暑から解放されたので、
義母を連れて阿佐ヶ谷をぶらぶらしに行く。
アンティーク雑貨店のショーウィンドウに
全身アメリカンファッションのマネキンを見て、
義母と同い年(昭和10年=1935年生まれ)の
叔母のことを思い出した。
小学校の低学年の頃まで数年間、一緒に住んでいて、
甥である僕をずいぶん可愛がってくれた。
アメリカ大好きな人で、
結構ハイカラな考え方・ライフスタイルを持っている
叔母だった。
彼女がティーンエージャーだった時代、
日本はGHQ=ほぼアメリカの占領下だった。
ただし彼女が若い頃は、まともな日本人の女は、
もちろんこんな格好はできなかった。
GHQが去り、高度経済成長が始まって、
彼女は新しく生まれた自由な戦後世代を
羨望の目を持って見ていたイメージがある。
ガキだった僕を相手に
「わたしももう10年遅く生まれていれば・・・」と
呟いていたことをいまだに憶えている。
小学校の高学年になる頃には、
もう離れて住むようになっていたし、
両親もあまり彼女のことを話さなかったので、
その後の叔母の人生はよく知らない。
僕は漠然と、
いずれ彼女はアメリカに移住するのだろうと思っていたが、
まだ一般庶民がそう簡単に海外に行ける時代ではなかった。
その代り、というわけではないが、
中年になってちょっとお金持ちのおっさんの後妻になった。
その叔母は兄である父より先、15年ほど前に亡くなった。
亡くなった時は独身だった。
結婚はあまりうまくいかなかったのか?
その辺の事情は結局わかかずじまいだ。
わかっているのは彼女にとって、
憧れていたアメリカは最期まで遠い地だった、
ということだけだ。
自分も大人になってわかったが、
まだチビの甥や姪というのは、自分の息子・娘と違って、
割と無責任に甘やかし、可愛がれる、
オモチャやペットのような存在だ。
たぶん僕の中にはあの叔母に甘やかされたことが、
のちの女性観にも影響しているのではないかな、
と思うことがある。
思いがけず面影がよみがえったこの叔母の供養のために、
何か彼女をモデルにした話を書こうと思っている。
いつの間にか、日が短くなり、
朝晩はマツムシが鳴いているのに気付く。
今年も淡々と夏を過ごして
特に思い出に残るようなことはしていないが、
なぜか夏の終わりになると、
いろいろな感情が心のうちに押し寄せてくる。
1970年リリース、サンタナの名盤「天の守護神」の挿入歌。
オリジナルはニューヨーク出身の音楽家で「マンボの王様」
と言われたティト・ブエンテの楽曲。
ジャンルとしてはキューバ発祥の音楽
チャチャチャの曲だったが、
サンタナが斬新なアレンジを施してカバー。
ラテンロックという新たなジャンルの代表曲として、
世界中で聴かれるようになった。
サンタナは、ギタリスト
カルロス・サンタナをリーダーとするバンド名だが、
このグループの楽曲には思い出がある。
初めて東京に出てきた1978年の夏から秋にかけて、
生まれて初めて水商売のバイトをした。
池袋西口の繁華街・ロマンス通りの「ロサ会館」
というビルの地下にあった「サムシング」という店だ。
当時はバーでもスナックでも、
店にウィスキーのボトルをキープ(マイボトル)することで
自分の行きつけの店を作り、というか、
店側のシステムに乗っけられて酒を飲むのがトレンドだった。
なので酒飲みのおっさんたちはみんな、
自分がどれだけマイボトルを持っているか
自慢し合っていた。
ここもそうしたボトルキープの店で、
僕は黒服を着てウェイターをやっていたが、
あまり水商売らしくない店長と、
いかにも水商売やってます風の副店長と、
キツネ型とタヌキ型の女の子コンビと、
5人で回す日が多かった。
マイボトルに関する裏話は面白いが、
またの機会に。
名称はパブ「サムシング」。
パブと言っても英国のパブとは大違いで、
ちょっとした食事もできる、
やや大きめのバーのことを
当時の日本ではそう呼んでいたのだ。
特徴としては、ディスコというほどではないが、
10人程度なら踊れる、ミラーボール付きの
小さなダンスホールがあった。
何と言っても70年代、昭和後期の池袋なので、
ちょっと怪しい客が多く、
この店には演歌の世界に出てくるような
わけありカップルが大勢来ていて、
よくチークダンスを踊っていた。
女を酔っぱらわせて、そのまんま近所のラブホに
連れ込む男もほぼ毎日いたと記憶している。
もう一つの特徴は、専属のバンドがいて、
30分おきに生演奏を披露していたこと。
このバンドのレパートリーの半分くらいがサンタナだった。
この曲を初め、
「君に捧げるサンバ」「ブラックマジックウーマン」
「哀愁のヨーロッパ」(チークタイムの定番!)などを
いつも演奏しており、未だに耳に残っている。
なのでサンタナを聴くと、あの店の客やスタッフのこと、
そこで起こったいろいろな出来事を思い出すのだ。
働いていたのは3カ月か4ヵ月程度だったが、
いろいろ社会勉強・人生勉強をさせてもらって、
今では感謝の気持ちを持って思い出す。
というわけで、
実際のサンタナとは全然ちがう話になってしまったが、
この映像はオンラインで世界各地の音楽家を結ぎ、
みんなで名曲を協奏するというプロジェクト
「プレイング・フォー・チェンジ」によるバージョン。
サンタナのロックテイストにプラス、
オリジナルであるチャチャチャのニュアンスも
色濃く出ていて、めっちゃカッコいい。
「僕のリズムを聴いとくれ」という邦題がぴったりだ。
もちろん、南国の空に響き渡る
カルロス・サンタナのギターソロは圧巻。
あのサムシングのバンドリーダーは、
今もまだサンタナを聴いてギターを弾いているのだろうか?
岡山県真庭市・湯原温泉郷の「はんざき祭り」は、
本日が本祭。
「ハンザキを喰った話」なんて本を書いていたのに、
こんなお祭りが60回も行なわれてるなんて、
ついこの間までちーとも知らなかった。
ちなみに本来は8月7日が前夜祭、8日が本祭。
今年は台風接近のリスクを避けて日程を変更した。
今年は無理だったが、いつか行きたい。
ハンザキ愛にあふれた湯原温泉郷の人たちのお話を
ぜひ聞いてみたいと思う。
じつは「ハンザキを喰った話」は、
岡山でなく他県のハンザキ生息地の人のお話を
モチーフに書いた。
どう見てもグロいとしか思えない地球最大の両棲類だが、
日本各地において、その“グロかわいさ”は
時代を超えた人気を獲得し、
歌に、キャラクターに、お土産物に、お祭りに
大活躍している。
まさに日本の誇り、日本の宝。
そしてどこかSDG'sのシンボルのようにさえ見え、
世界中から愛される勢いさえ感じられる。
これからの時代、ますます
ハンザキ、ハンザケ、オオサンショウウオに注目だ。
はんざき祭り開催につき、さらに延長
親子で読もう!
夏休み無料キャンペーン最終弾
ハンザキを喰った話
8月24日(木)15:59まで
オオサンショウウオに変態した100歳の発明家をめぐる怪異幻想譚。
認知症、あるいは認知症介護が
現実のものになると人生観が変わる。
先日、「回想療法士」を取材した。
回想療法とは古い写真などを見て、
認知症患者、また認知症でなくても元気のない高齢者と
いっしょに思い出を共有するというメソッド。
通信講座で取れる民間の認定資格だが、
ルールを覚えればそう難しいものでもなく、
たとえばカラオケで懐メロを歌うだけでも
回想療法になるらしい。
ただし療法といっても、これで認知症が治るわけではない。
予防になったり、
軽度の段階なら進行を遅らせることは可能らしく、
その辺もまだ研究の最中ということだ。
僕が取材した人たちは回想療法を活かした
商品を作っているのだが、
病院や介護施設の一部でも活用されているらしい。
ちょっと前まで認知症は、痴呆症、老人ボケなどと言われ、
これになったら半死人、ほとんど廃人みたいな扱いだった。
そうした認識がこの10年ほどの間に激変した。
理由は簡単で、当事者、
つまり自分ごとと考える人が増えたからだ。
他人ごとのうちはボケとか軽口を叩いたり、
廃人扱いしても心が痛むことなどなかったが、
身内や大切な人が発症して介護者になったり、
自分自身もなるかもと考えると、そうはいかない。
いまや認知症はポピュラーになり、
嫌な言い方かも知れないが、
多くの人のビジネスのネタになるようになった。
認知症をネタにした本を書いている僕も
その一人といえる。
次の段階としては、これからまだまだ増えるであろう
認知症患者を、どう役に立つようにするかが、
大きな社会課題になっていくだろう。
親子で読もう!
夏休み無料キャンペーン第6弾
ざしきわらしに勇気の歌を
8月22日(火)16時59分まで
認知症になった寅平じいさんの人生最後のミッション。それは最強の妖怪「むりかべ」に立ち向かうざしきわらしのきょうだいを得意の歌で応援することだった。笑ってちょっと不思議な気持ちになる、妖怪幻想譚。
終戦記念日。
日本人として78年前のあの惨劇に向き合う日。
――というのは正論だが、
「戦争を知らない子どもたち」が
8割以上を占めてしまった今の日本では、
なかなかできないことだろう。
そんな時にこの本をおススメ。
戦争に負けたからと言って日本が滅ぶわけでも、
日本人が皆殺しにされるわけでもない。
みんなの人生は続くし、国も世界も続く。
8月15日だって玉音放送を聞いて、
日本国民が全員、泣き崩れ、
茫然自失していたわけでもない。
負けたと分かった瞬間から復興は始まったのだ。
戦後の復興について知るのに、
政治や社会情勢から入るのは厳しいが、
映画・演劇・音楽・出版・スポーツなどの
娯楽の分野からなら入りやすいのではないか。
この本はタイトル通り、
1945(昭和20)年8月15日以降の4ヵ月半の間、
映画・演劇・音楽・出版・スポーツなど、
各分野の文化の担い手たちがどう再起し、
娯楽産業を復興していったかの記録だ。
著者の中川右介は、文学・音楽・映画などの
評伝・評論を書いている人で、
膨大な資料を調べ上げ、
あくまで客観的な事実を重視したスタンスと、
むやみに感動を煽ったりしない、
淡々としたジャーナリスティックな筆致で綴っている。
それが却って胸にしみてくるのだ。
これらの娯楽産業は、コロナ禍や災害時に言われる
「不要・不急な」分野なのだが、
日本中が不安と飢えと貧困にあえぐ中、
わずか4ヵ月半で、いわゆる主要産業よりも先に
復興へ歩み出していたことに驚く。
なぜ文化の担い手たちにはそんな力が合ったのか?
そのエネルギーはどこからやってきたのか?
映画・演劇・音楽・出版・スポーツなどが
人の生活にどんな役割を果たしているのか?
そんなことを考えるのも楽しい。
最近、またもや世間は昭和ブームとかで、
懐メロや昔ばなし、昔の映像がしょっちゅう
テレビやネットで流れているが、
その源流となる1945年について知ると
もっと面白くなるかもしれない。
夏休み無料キャンペーン第3弾
昭和96年の思い出ピクニック
8月16日(水)15時59分まで
みんなが愛して憎んで生きた昭和時代を1960(昭和35)年生まれの著者が探検する面白まじめエッセイ集。
終戦記念日には昭和のことに思いを馳せよう。
真夏。川沿いの道、木々の間を歩くと、
セミの命の限りの鳴きっぷりに心打たれる。
今日は台風の影響で朝から断続的に
土砂降りになっているが、
その短いやみ間、晴れ間を有効活用して
セミは懸命に鳴く。
5分、10分の時間も無駄にするものかという姿勢は
チョコザップみたいだ。
そのセミも先週あたりから選手交代が目立つようになった。
道端には命尽きたアブラゼミがコロコロ転がるようになり、
代わりにツクツクボウシの鳴き声が混じって来た。
朝早くと夕方遅くはヒグラシの独特の鳴き声も響く。
ヒグラシのゆったり伸るような声を聞くと、
なぜか怪談を連想する。
まだまだ暑いけど、
ツクツクボウシとヒグラシの声が増えると、
夏も後半に入ったなという感じがする。
長いと思っていた夏休みも半分終わり、
後半戦に入るとあっという間に過ぎ去る。
人生も同じく、後半戦に入ったと思ったら、
光陰矢の如し。
セミのように短い命を鳴き通そう。
親子で読もう!おりべまこと11日間連続
夏休み無料キャンペーン第2弾
いたちのいのち
8月14日(月)15時59分まで
小学生の女の子カナコと、彼女が世話をしているフェレットとの楽しいお話。
夏休みの読書感想文にもどうぞ。
今日のNHKのニュースで、
長崎原爆資料館の展示物の表記を
原爆が「投下された」から「さく裂した」に
変えると聞いた。
僕は違和感を感じ、なんで?と思った。
「投下」は主体がはっきりしている。
原爆を搭載した米軍機が飛行するイメージが浮かぶ。
米軍が投下した。米軍が原爆を投下した。
Atomic Bomb was Droped.(by U.S. Army)
U.S. Army droped Atomic Bomb.
ところが「さく裂」だと主体があいまいだ。
飛行機の姿も見えない。
原爆がさく裂した。
Atomic Bomb was Exploded.
そこに(by U.S. Army)が入る余地はない。
原爆が自然にさく裂したのか?
原爆がみずから意思を持ってさく裂したのか?
あるいは、どこか別の惑星から地球外生命体がやってきて
さく裂させたのか?
そんなはずはない。
そんなのわかっているだろ。
おまえの言っていることはおかしい。
くだらんツッコミを入れるな。
と言われるかもしれない。
ニュースの内容は以下の通り。
長崎市の原爆に関連して「11時2分」という
時刻について、
長崎原爆資料館では一部の展示物で
原爆が「投下された」時刻と表記されています。
これについて被爆者の一部からはより正確に
「さく裂した」という表記にあらためるべきだ
との意見が出ていることなどから、
長崎市は今後、展示物の表記を見直す方針です。
被爆者の人の指摘なら仕方ないかとも思うが、
主語は大切にした方がいい。
主語があいまいになると、責任もあいまいになる。
そもそも「投下された」という受動態も変だ。
当たりが柔らかくなるからか、
責任をボカした方が都合がいいからか、
日本人はやたらと受動態の文章を好み、
人ではないモノ、概念などを主語にしてしまう
ケースが多い。
同資料館が子どもが原爆について学ぶ場であり、
後世に伝えていく施設であるなら、
“誰が”原爆を投下したのか、
“誰が”この暴力・殺戮を行使したのか、
言わずもがなにせず、
一読ではっきり事実と責任が
わかるように表現すべきではないかと思う。
「米軍が投下した原爆が、
11時2分に長崎市上空でさく裂した」
先週開催の有名花火大会に行った知人が
コロナで高熱を出して寝込んでしまった。
もうほとんどの人が気にしておらず、
感染者数もわからないし、報道もされない。
しかし、コロナは確実に広がっていると思う。
この3年間、
真夏は真冬をしのぐほど感染者数が跳ねあがり、
重症者数・死者数も年間のピークだった。
今年だって例外ではない。おそらく。
5類移行で行動制限がなくなったということは、
「今後はすべて自己責任でお願いします」ということ。
家族などに感染させるリスクも、医療施設の治療費も、
何でも自己負担しなくてはならない。
それに昨年まではコロナになったと言えば、
「たいへんだね」「しかたないよね」と
社会的な同情・共感(?)も得られたが、
今年からは周囲の反応も冷たいだろう。
「なんであたしだけが」「おれだけが」と、
メンタルがへこみやすくもなる。
お祭りムード・夏休みモードに水を差す気はないし、
遊びに行くなという気もない。。
混んでるのはいやだと言う人は多いが、
その一方で、わいわい賑やかじゃなきゃ面白くない、
気分が盛り上があらないというのもまた事実。
ただ、相変わらずリスクはあるんだということは
頭のどこかに留めておいて、
自己防衛策はちゃんとしたほうがいい。
真夏に感染者が増えるのは、
おそらく冷房で換気が不十分になりがちだからだろう。
コロナウィルスはインフルエンザと違って
高温も気にしないので、年間通して活発に動けるようだ。
この猛暑で熱中症のリスクも気になるが、
やはり換気はちゃんとこまめにした方がいいいだろう。
換気の良くない場所には長時間いないこと。
人ごみに揉まれた後で、換気の悪い店で一杯、
というのが一番やばいパターンかも。
暑いけどリスクが気になる人は
マスクも付けた方がいいだろうし、
手洗いをこまめにするのは必須。
今週はお盆で帰省ラッシュになる。
人混むのを楽しむのは、お祭りに共通して、
日本人独特の感性みたいなものだが、
コロナにかかって後々苦しむことのないよう
しっかり防衛策を。
岡山県でAI開発をやっているビアンフェ.の岡野さんから
今年もモモが送られてきた。
ちょっとまだ固いようなので、
両親と義父にお供えして追熟。
連日の猛暑でバナナもアボカドも
ちょっと青っぽいのを買ってきてもすぐに熟すので、
明日あたりには柔らかくなっていただけるだろう。
岡山は桃太郎の故郷なので、モモは名産。
桃太郎と言えば鬼。
「鬼滅の刃」の鬼は、ヨーロッパの吸血鬼と同じく、
太陽の光を浴びると、存在が崩壊してしまうが、
この夏はまさしく鬼を見習って、
太陽が照りつける日中は外出しないほうがいいようだ。
コロナ禍があけて、街も海も山も大賑わいのようだが、
仕事の時以外、とても出かける気にならない。
基本的に毎日家の中で仕事して、
夕方、日光の勢いが弱くなり、
ちょっと気温が下がったのを見計らって
義母を連れて川沿いを散歩する———
ほとんどコロナ時と変わらない生活を続けている。
それにしても連日の猛暑は気温35℃を軽くクリアし、
37℃、38℃にもあまり驚かなくなり、
そのうち40℃くらいが標準になりそうな気配も漂っている。
テレビでは「クーラーを夜通しつけっぱなしにして
寝てください」なんて、
ひと昔前には非常識だったことが常識になってしまい、
日本の夏は(世界の夏も)
これからどうなってしまうんだろうと、
ちょっと不安を抱かざるを得ない。
それに加えて物価高騰のダブルパンチ。
食べ物もずいぶん値上がりしているが、
へたに節約して栄養不良になったら
免疫力が落っこちて、コロナなどにやられかねない。
べつにごちそうは要らないが、
毎日ちゃんとしたものを食べて
バテないようにしたい。
というわけで、おいしいモモで
夏を乗り切る体力を養います。
ありがとう。
幻視なのかどうかよくわらないが、
認知症の義母のところには、
もう一緒に暮らしていない家族がよく現れる。
昨日は食事の時に「あれ、赤ちゃんはどこ行ったの?」
と言い出したので、カミさんが
「もう大人になって会社に行って働いています」
と答えたら、
「ああ、そうか」と納得した様子を見せた。
なんともシュールなやりとりで笑ってしまった。
彼女が最近、家の中で見た赤ちゃんと言えば、
僕らの息子のことである。
食卓上に20数年の時間が風のように過ぎ去った感じだ。
義母が見る家族は、何十年も会っていない人たち。
カミさんによるとそのきょうだいの人たちは
ほとんど亡くなっている。
さらに謎の男の子・女の子も現れる。
いつも通っているデイサービスの
スタッフのことかなと思うが、
そうでないこともあるようだ。
経験上、子どもが成長する時は
なだらかな曲線を描くのでではなく、
ある日突然、ガン!とステップアップする。
それと同じで、人生の下り坂も
ガン!とステップダウンするようで、
最近、認知度の劣化が目立つ。
話す言葉が意味不明なことが多く、
コミュニケーションしづらくなってきた。
自分の誕生日も、このクソ暑い今がどういう季節かも
よくわからなくなってきている。
また、先週・先々週あたりは
ちょっとしたことでキレまくったり、
デイサービスでは風呂に入るのを頑なに固辞したり、
かなり手を焼いて、こっちもキレそうになった。
あとどれくらい一緒に暮らせるのだろう?
「洗たく女の空とぶサンダル」では
主人公のアカネに教わったことがある。
それはいつでも、どんな時でも空を見ること。
僕たちは空を飛べないけど、見続けることはできる。
この星で暮らす限り、みんな、この空の下で生きている。
空には未来があり、ビジョンがある。
そしてまた空は僕たちの心の中を映し出している。
うまく行かないときは空を見るといい。
雲がどう動いていくのか見るといい。
朝と昼間と夕方は違った顔をしているし、
星が広がる夜空はまた別の世界だ。
潜在意識がどうとか、瞑想術がこうとか、
そんものを学ばなくても、ただ空を見上げるだけで、
これまで見えていなかったものが見えてくる。
できたら毎日。
今日もひどく暑そうだが、
ちょっとの間なら外に出てもいいだろう。
あれば木陰に入って晴れた空を眺める。
空は世界であり、自分自身でもある。
洗たく女の空とぶサンダル
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「洗たく女の空とぶサンダル」に出てくる
路上で靴を並べるアーティストは、
むかしロンドンで暮らしていた頃に遭遇した
ストリートアーティストをモデルにしている。
僕がロンドンの日本食レストランで働いていたのは、
1985年から87年にかけて。
当時、英国病・老大国化を克服し、
「ふたたび強大なイギリスを」と訴えた
マギー・サッチャーの新自由主義政策によって、
イギリスの公的福祉はバッサバッサと切り捨てられていた。
要するに国は自分で稼がない人・稼げない人の
面倒などこれ以上見ないということである。
その影響で街には失業者・ホームレースがあふれ、
ロンドンの中心部を歩いていると、
「10ペンスめぐんで下せえ」と、よく小銭をせびられた。
ストリートや地下鉄の構内にはそうした物乞い以外に、
「アート」を提供する芸術家もたくさんいた。
音楽家たちはその筆頭で、みんな、ギター、サックス、
バイオリンなどを持ち出し、街頭音楽を聴かせたり、
寸劇やダンス、パントマイムなどを見せていた。
また、路上で詩集のような本を売ったり、
奇妙なオブジェを並べて
人々の関心を引こうとする者もいた。
不思議なことに、その作品やパフォーマンスの
出来・不出来に関わらず、
彼ら・彼女らの顔はどこか自信にあふれていた、
という風に見えた。
たまに目を見張るような面白いもの・
芸術的な価値があるなと思えるものもあったが、
9割以上は投げ銭稼ぎのガラクタの類だ。
それでもロンドンには世界中から
観光客が集まってくるので、
ガラクタみたいな音楽やアートでも面白がられ、
投げ銭でいくらかは稼ぐことができたのかもしれない。
まともな頭で考えれば、そんなことをするより、
非正規だろうが何だろうが、
ちゃんと職に就いて安定的に稼げるのは明らか。
“選り好みさえしなければ”、
少なくとも食っていくのに何とかなる程度
稼げる仕事はあったと思う。
事実、僕の勤めていたレストラン経営の会社でも、
ロンドン出店の条件の一つとして雇用対策を打ち出し、
ほぼ年中、スタッフを募集していた。
それでも少なくとも僕がいた間、
イギリス人で応募してくる者は皆無で、
実際にスタッフになったのは、全員が外国人労働者だった。
みんな「イギリス人は怠け者だからダメだ」と言っていた。
当時のイギリス人の間では、
やっぱり東洋人に対する差別意識があったと思うので、
成りあがりの日本人の会社の支配下に置かれるのは、
プライドが許さなかったということもあるろう。
今、振り返ってみると、あの頃のイギリス人を
バカだ、怠け者だと非難する気にはなれない。
それは人間というのは、
一度、豊かな生活———まわりに文化的な環境があり、
なんとか食っていけるといった状況を体験してしまうと、
必死になってカネを稼ぐだけの生活には
もう二度と戻れないのではないか、と思うからだ。
言い換えると、肉体だけでなく、精神もメシを食いたがり、
その結果、自己表現の欲求が抑えられなくなる。
文化や芸術などなくても生活していけそうなものだが、
文明国で生まれ育った人間には、
それはどだい無理な話なのだ。
労働・カネ・芸術。
これからを生きる人間にとって、
この三つに折り合いをつけるのは
大きな課題であり、ある種の楽しみなのかもしれない。
日本の社会が40年近く前のイギリスと
似たような状況になった今、
しみじみとそうしたことを感じる。
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福井の鯖江と言えば国産メガネの聖地。
1905年に始まった鯖江のメガネ作りは、
100年の間に一大地場産業に発展。
いまや日本のみならず、
世界的にもメガネの産地としての地位を築き上げている。
先日、富山出張の際に会った福井在住の
経営コンサルタントの話によると、
その鯖江で純金のメガネを作って売り出したところ、
最も注文が多かったのは、東京でもなく大阪でもなく、
わが故郷・名古屋だったという。
金は柔らかいので実際に日常的にかけるには適さない。
観賞用か、投資の意味を含んでいると思うが、
妙に納得できてしまう話である。
お値段も末広がりの88万円というのも
名古屋人受けしたのだろう。
名古屋市の市章は漢字の「八」の字をアレンジしたもの。
サッカーJリーグの名古屋グランパスも、
創設当初の正式名称は「名古屋グランパスエイト」だった。
これは市章と、
メインスポンサー「トヨタ」のカタカナの総画数が
「8」であることのダブルミーニングから付けられた。
そこまで末広がりにこだわったのに、
いや、こだかわったがために、
Jリーグでの順位が毎年8位前後だったことで、
2008年に「エイト」を外したという経緯がある。
このあたりのちょっとマヌケなエピソードも
わが故郷・名古屋っぽくて面白れーでいかんわ。
話を純金メガネに戻すと、
日本の中心に位置し、
信長・秀吉・家康という三英傑を輩出しながらも、
都は東京(江戸)に作られ、
文化面の人気では京都・大阪に遠く及ばず、
お洒落感でも横浜・神戸に太刀打ちできない
名古屋人のコンプレックスが、
この88万円・純金鯖江産メガネへの購買に
結びついていると思う。
おそらくは金ピカの茶室・茶器も作った
秀吉以来の伝統なのだと思うが、
お城のしゃちほこも金ピカにしちゃうなど、
金を使った造形物が大好きな名古屋人。
この見え張り・成金趣味は、
経済的には恵まれているのに、
イマイチ感・凡庸感に甘んじざるを得ない
名古屋人にかけられた呪いのようなものかもしれない。
というわけで、
どえりゃーわが故郷をディスってまったけど、
純金メガネを購入された方で、
「おみゃーさん、いっぺん拝ませたるで、こっち来やぁ」
とお声がけ下さる方がいらしたら、ぜひともご連絡を。
ついでに自叙伝でも書かせていただきますで。
お待ちしとるでよ。
先週後半から週末にかけて地方の取材と
母の一周忌の法事、帰って来てまた連荘取材と、
久しぶりに長距離移動が激しく、
いささか疲れてた。
実家に帰ったのは昨年の49日以来、
およそ10か月ぶり。
法事をやって昼飯を食べた後、
そろそろ帰るかなと思ってた矢先、
カミさんが写真撮ったらと言い出したので、
あまり抵抗することもなく、すんなり
両親の遺影の前できょうだい三人で写真を撮った。
考えてみれば、三人揃って写真を撮るなんて、
還暦過ぎて人生初体験である。
じつは末っ子の妹は、実のきょうだいでなく、
本当はいとこ(父の弟の子)なのだが、
事情があって1歳のときに両親が引き取って育てた。
そんなわけで齢が離れていることもあり、
子どもの頃も1枚も3人そろっての写真なんか
撮ってなかったのである。
そうでなくても昭和の時代は、
カメラもフィルムもプリントも高価だったので、
今のようにホイホイ手軽に写真は撮れなかった。
というわけで上のふたりは還暦過ぎての撮影。
人生は短い。
子どもにきょうだいがいる人は、
今のうちにバシバシ並べて写真を撮っておくと良い。
それにしても父と母のみちびきなのか、
50代、60代になってきょうだい写真を撮るなんて
まったく思いもよらなかった。
なんだかひどく照れ臭かったが、
なかなか気分がいいものだ。
新しい人生のフェーズが始まったような気分になっている。