僕たちの豊かさと貧しさと相模原事件

 

●豊かさの意味

 

 僕たちはまだまだひどく貧しい。

 昨日の相模原の施設の事件を聞いて、そう思いました。

 

 豊かな社会を目指し、豊かな社会をつくる意味って何なのか?

 より多くの人が、よりぜいたくな暮らしをするためか?

 違うと思います。

 それでは全く人間は進化しない。

 豊かさの意味。

 単純化していえば、それは弱者も生きられる――普通に社会生活を送ることができ、人生を楽しめる、ということだと思います。

 

●弱者への思い

 

 人間の歴史は貧しさとの戦いの連続でした。

 その戦いの中では小さな子供、年寄り、病人、けが人、そして障害を抱えた人・・・こうした人たちは淘汰されるしかありませんでした。

 それは自然なことである。社会における弱者を切り捨てていかなければ人類は前へ進めない――そうした意見が正論としてまかり通っていたのです。

 

 しかし、それでは弱肉強食の野生動物の世界と同じです。

 人間は違う。弱者もいっしょに歩んでいける社会を作るべきだ。

 ブッダやイエスのような宗教者に限らず、どの人々の中にもそうした思いはいつもありました。

 そして、その思いは幾世代にもわたって連綿と引き継がれてきました。

 けれども大多数の人はひどく貧しく、自分が飯を食うので精一杯なので、その思いをなかなか有効に実現することができなかった。

 

●あの人は自分だ

 

 それが最近になって、やっと世界の一部の地域では衣食住の心配が(昔に比べれば)激減し、弱者にも目を向けられるようになってきた。

 そして積極的に彼らにコミットするようになると気付いてきたのです。

 

 「あの小さな子は、あの年寄りは、あの病人は、そして、あの障がい者は自分だ」と。

 健常な大人である自分の中にも彼ら・彼女らのような、いわゆる弱者がいるのだ、と。

 

●「精神的豊かさ」とは?

 

 バブル経済の崩壊後、物質的な豊かさは手に入れたので、次は精神的豊かさを勝ち取ろう、といった掛け声がよく聞かれました。

 では「精神的豊かさ」とは何なのか?

 コマーシャルで流れるような、もっと自分たちの衣食住の質を上げたり、高尚な趣味を持つことなのか?

 

 それらも含まれると思いますが、一番の本質は、弱者といわれる人たちの存在価値を認め、彼らといっしょに生き、暮らせる社会を実現することなのだと思います。

 逆にいえば、それ以外に豊かになる意味、豊かな社会を作る意味などあるのでしょうか?

 

●相模原事件の本質

 

 

 経済成長によってやっとその入り口までこぎつけた・・・のかも知れない。

 人間の歴史はまだその段階です。

 そこで昨日のような事件。

 事件の詳細はよく読んでいないし、容疑者のことも動機の深いところはまだ知りませんが、ニュースを聞いてすぐに思ったのは、あの容疑者の行動は僕の一部なのだということ。

 僕はまだまだ貧しい。おそらくほかの人たちも五十歩百歩。だからひどく動揺する。

 あの容疑者の言動は、僕たちの、この社会に潜む「貧しさ」の発現。

 だから僕たちはひどく動揺し、一瞬、引き込まれるけれど、しばらくすれば自分には関係ないことと目を背け、忘れるでしょう。

 

●もっと豊かさを

 

 いま、経済成長はもう限界、という意見をよく耳にします。

 確かにそうかもしれない。

 では、経済成長以外に僕たちがより豊かに成長する手立ては何かないのか?

 

 僕たちはまだ「豊かになろう」という志をあきらめてはいけないと思います。

以前の時代とそのニュアンスは違うけれど。

 

 

2016・7・27 Wed


0 コメント

阿佐ヶ谷に起業家のキックオフ・オフィス誕生!

 

 というわけで、杉並区産業振興センターが入居者を募集。

 というわけで、その募集用チラシをAshデザイン・岸部氏が制作。

 というわけで、そのコピーを頼まれて書きました。

 それでもって、出来上がtったそのチラシがこれ。

 

 事情はいろいろあれど、いったん独立を決めたら「成功するにはどうすべきか?」と、止まってえんえん作戦を考えているだけでは一生ゴールは割れません。とにかくボールを蹴って転がしていく。

 ピピッとくる奴が近くにいたら、そいつにパスを出してみる。

 そんなことをやっているうちに何とか道は開けるはずだ・・・てなメッセージを込めてみました。

 

 走れ起業家よ、ドリブれフリーランサーよ。

 チャンスがあればシュートを放て。

 外したって構うもんか。転がしまくって打ちまくれ。

 実力なんかなくたってラッキーはくる。

 相手がファウルしてくれるかもしれない。

 目の前にこぼれ球がコロコロなんてことだってある。

 「神の手」を使っても審判が見落としてくれるかもしれない。

 それもこれもピッチに立ってボールを追っていないと絶対に起こらない。

 

 これからはフリーの時代だ。

 出来上がったところで、出来上がっているものを守るために働いたって面白くもなんともない。人も企業も失敗しながら成長するから面白い。

 成長しながら“食う”、

 食いながら(たとえ錯覚だとしても)成長を続ける
 ――人生、これに勝る喜びはありません。

 

 というわけで、その始まりが七夕祭りとジャズフェスタの街・阿佐ヶ谷。

 生活も遊びもある。アートも商売もある。おとなも子供もやってくる。特典としてお役所や税務署も付いてます。

 もちろん杉並区外の人もオーケーなので、独立独歩でがんばろう、自由になって食っていこうと考え中なら、8月5日(金)~9日(火)の七夕祭りの時にでも参拝してみてください。

 

 

2016・7・22 FRI


0 コメント

いちご畑で抱きしめて

 

Strawberry Fields Forever

 

 いちご畑と言えばジョン・レノン。

 かの名曲「ストロベリーフィールズ・フォーエバー(いちご畑よ永遠に)」からの連想。

 Strawberry Fieldsっていうのは、もともとリバプールにあった救世軍の孤児院の名前で、僕も参拝したことがあるけど、門柱は世界中のビートルズファンの落書きでいっぱいでした。

 救世軍の孤児院というイメージもあいまって、もちろん曲も素晴らしいのだけど、それ以上にタイトルが秀逸。この名前を使ったお店やら商品やら本やら昔から結構あって、最近はウェブサイトにもたくさんいちご畑が広がっています。

 可愛いし、いろいろ想像力が広がる言葉だもんね。

 現代では割とありきたりなネーミングかも知れないけど、1960年代当時、楽曲にこういうタイトルをひねり出して付けたジョン・レノンのセンスはやっぱり一味違うと思います。

 

 僕もその一人で、ちょうど35年前の今頃、新宿のゴールデン街の一角にあった芝居小屋で「いちご畑で抱きしめて」という芝居をやりました。

 「いちご畑」と「抱きしめたい(I Want to Hold Your Hand)」を足したタイトルだけど、話の内容はジョンにもビートルズにも救世軍にもまったく関係なく、不思議の国のアリスと核戦争をモチーフにした支離滅裂な話で、なんであんな芝居を書いたのか、逆にいえば「書けた」のか、今考えると不思議なのですが、最近、頭の底から何かが浮かび上がってきて、同じタイトルでまったく違う話を書こうと考えています。

 

★稀代のペテン師

 

 そのモチーフはやっぱりジョンの生きざまです。

 僕のジョンに対する基本的なイメージは「ペテン師」。

 もちろん若くから音楽的才能を開花させ、声もルックスも魅力的だったことは認めるけど、それ以上に彼は天才的なペテン師だった。みんな、彼の醸し出す言葉やパフォーマンスに翻弄され、その結果として現在の世界のある部分(多くは現代人の精神構造に関わる部分)が形成された・・・というところに、すごく興味があるのです。

 

 リバプールの悪ガキから音楽家へ、世界最高峰のスーパースターへのぼりつめ、やがて世界平和を訴え、愛の使者になり、イエス・キリストみたいになったかと思ったら、いきなり家庭の世界に入り(今ではすっかりポピュラーになった「主夫」――ハウスハズバンドという言葉と概念は、ジョンが創ったか広めた、というのが僕の印象)、そしてミュージシャンに復帰したとたん、この世を去った彼の40年の人生は、いまだに、というか、今だからこそ僕たちに、文化・芸術、お金・ビジネス、社会・時代、家族・子供、愛、そして「生きるとは?」とういう哲学的考察に至るまで、いろいろなことを考えるヒントを与えてくれている気がします。

 

★人間ジョン・レノンの魅力

 

 こんなことを言うとジョンやビートルズファンの人は怒るかもしれないけど、その基本が胡散臭いサギ師・ペテン師のキャラクター。

 僕はそこにとても人間的なもの、それこそ人工知能が、アンドロイドがひっっくりかえっても叶わない人間ならではの魅力を感じるのです。

 

 そう考えるきっかけになったのが、ジョンの最初の妻であるシンシア・レノンが書いた「わたしが愛したジョン・レノン」という本でした。

 いわゆるビートルズ本の一つに数えられますが、これは家族論・幸福論・人生論としても読める優れた本です。

 たぶん長くなるので、この続きはまた後日。

 

 ちなみにリバプールのStrawberry Fieldsは、現在は修道施設となっているようです。いろいろなストーリーを詰め込んで祈祷と瞑想の施設に変ったことを思うと、なんだか胸にじんとくるものがあります。

 

 

 

 

2016・7・20 WED


0 コメント

子供はどうしてロボットが好きなのか?

 

★人間とロボット、子供と大人

 

  どうして自分はロボットが好きなのだろう?と、割とよく考えます。

 子供の頃、マンガやテレビを見過ぎたせいだろ。

 その通り。僕はいつも夢中でした。子供のマンガやテレビの世界では、ロボットだのサイボーグだのはとても親しい存在でした。

 

 けれども現実の大人の世界とはそれとは違う。ロボットだのサイボーグだのというのは子供だましの絵空事だ。そんなものに夢中になっていないで勉強しろ、そして立派な大人になって仕事しろ――というわけでこれまでやってきました。

 

 ところがここ来て、そうした子供の世界と大人の世界との境界線がどんどん溶け出している。ロボットたちが親しい存在である世界がどんどん近づいている。最近はそうした印象を持っています。

 

 

★どうしてやつらはデキるのに哀しいのか?

 

 10万馬力だったり、弾よりも速く走ったり、空を飛んだり・・・あの頃、彼らはすごい能力を持っているのにも関わらず、自分が人間ではないことにひどいコンプレックスを抱いていました。

 「アトム」も「エイトマン」も「サイボーグ009」も「仮面ライダー(改造人間)」も、その強さ・その高い能力を誇るよりも、むしろ哀しむことが多かったように思います。

 

 彼らのようなアンドロイド・ヒューマノイド系のロボットたちとは別の系譜にある戦闘用兵器としての巨大ロボットも例外ではありません。

 

 リモコン操作で動く鉄人28号やジャイアントロボなども、時代とともに人間が搭乗する形式――「マジンガーZ」そして「ガンダム」などのモビルスーツになってくると、そのパイロットの人格がロボットに乗り移ってどんどん人間味を帯びてきました。

 

 すると必然的に「どうして僕はこのロボット(モビルスーツ)になって戦わなくてはならないのか?」といった悩みや哀しみがひたひたとあふれてくるのです。

 

★究極のロボット寓話

 

 このメイド・イン・ジャパンのヒューマノイド系&巨大ロボット系が融合した究極の作品が「エヴァンゲリオン」なのでしょう。マンガ、アニメの世界におけるロボットの寓話は、ここでいったん完成してしまったように思います。

 

 だからこの20年ほどの間、「エヴァンゲリオン」以上の作品は誰も作れていません。マンガ、アニメにおけるロボットの進化は一旦停止し、その代り、現実の世界でコンピュータ~ロボット~ヒューマノイド~アンドロイドが進化してきたのです。

 

★欧米と日本のロボット文化発展のちがい

 

 どうして日本におけるロボットやサイボーグたちは悩み、哀調に満ちているのか?

 もともとロボットの故郷ともいえるヨーロッパではどうなのか?

 民族同士の抗争が日常者判事で、支配―被支配が習慣化していたヨーロッパでは、機械・ロボットは奴隷・被支配階級→労働者・労働階級の隠喩として捉えられてきました。

 

 100年前、チェコの劇作家であり、新聞記者・ジャーナリストでもあったカレル・チャペックは、戯曲「RUR」において、「苦役」という意味を持つラテン語からロボットという言葉・概念を生み出しました。

 そこに出てくるロボットたちは資本主義と社会主義の狭間に生み落とされた子供たちであり、支配階級(資本家)に対して反旗を翻す労働者のメタファーでもありました。

 産業・経済の発展に身を粉にして貢献する――それこそが彼らが受けた至上命令だったのです。

 

 彼らはそうした自分の身分について感情的になるよりも理性的な部分を重視し、課せられた使命に対する能力を特化させることに集中しました。

 運搬、計算、生産・・・マニュアル通りの決まった仕事をさせたら人間をはるかにしのぐ働きをするようになったのです。

 

 仕事と言ってもいろいろなものが発生します。

 戦争における兵士としての役割もその一つ。敵を倒すという兵器としての能力は抜群で、平和を守る正義のヒーローとしてのロボットも、そのタスクから発展しました。

 そのため、欧米生まれのロボットたちは、最近までその強さ・能力の高さを明るく誇り、胸を張っていたのです。

 

★日本のロボット文化の影響が世界を席巻

 

 しかし、その欧米でも時代が進むとともに、ロボットたちは次第に何かを考えるようになり、悩みや哀しみの衣をまとい始めます。ハリウッド映画でも「ブレードランナー」「ターミネーター」「AI」・・・と、どんどん内省的になっていく。

 

 これは僕のまるっきりの独断・偏見ですが、そこには日本のガラパゴス的なロボット文化が影響していると思います。ここでもやはり手塚治虫先生の功績が大きい。

 「アトム」の作品世界が人種差別をはじめ、さまざまな差別問題・階級問題をはらんでいることは昔から言われていますが、ロボットという概念そのものが、もともとそうした人間社会全般の問題を内に抱えているのです。

 

 そしてまた、手塚先生の思想のベースには、人間至上主義のキリスト教圏とは一線を画す、自然や動植物、さらに本来は命を持たないはずの“物”の中にも魂を見出す日本の文化・日本人の感性があります。

 それはもちろん、手塚先生のみならず、ほとんどの日本人が自分の内側に持っているものです。

 

★ロボットは仲間、友だち、きょうだい、自分

 

 つまり、日本人にとってロボットは「人間の形をした機械」ではなく、「機械の形(身体)を持った人間」であり、階級が上とか下とかではなく、自分たちとほぼ同等の「仲間」「友達」「きょうだい」、時には「自分自身」でもあるのではないでしょうか。

 

 だから日本では――たぶん欧米でも、世界のどこでも同じだと思いますが――子供はロボットが好きで、興味を持つのです。

 けれども社会の側は、多くの人に資本主義の枠組みの中で生産活動・経済活動に携わってほしいと考え、それが大人になることとイコールなのだと教えます。そうした要請は、子供の心を、ロボットを親しく感じる世界から遠ざけ、切り離してきたのです。

 

★人間とロボットがいっしょに暮らす世界とは?

 

 この100年余り、常識とされていたこうした人間・ロボットの関係性の流れが、今、大きく変わろうとしています。「ロボットが仕事を奪う」「ロボットが人間を支配するようになる」――最近、ますます強調されて喧伝されている脅し文句は、経済・産業活動の視点からのみ発せられているものです。

 でも、そんなにネガティブなことなのか?

 文化的視点というか、人類全体の進化という視点から見たらどうなのか?

 

 僕はできれば良いほうへ考えたい。子供の頃に夢中になった世界とは少し違うかもしれないけれど、人間とロボットが親しく、いっしょに暮らす――自分が生きている間に、本当に実現するかどうかはわからないけれど、それはむしろウェルカムな世界ではないか、と思うのです。

 

 

2017・7・17 SUN


0 コメント

聖書から始まった「人間VS機械」

 

★アンドロイド映画「エクス・マキナ」

 

 「検索エンジンで世界一のシェアを誇る」と言うのだから、あなたも僕も毎日使っている、かのG社がモデルであることは明らか。G社は人工知能の研究をしていることでも知られています。

 

 そのIT企業の青年プログラマーが自社の創業者であり、社内でもほとんどの人が正体を知らないという伝説のCEOの自宅に1週間滞在できる権利を獲得。世界の果てのような、手つかずの大自然の中にある、超クールなハイテク邸宅(実は彼の人工知能研究所)で、青年は世にも美しいアンドロイドの女と出会う――という設定で、映画「エクス・マキナ」は始まります。

 

 ひと昔前なら「近未来的」と言われたかもしれませんが、いまやG社、およびそれに類するIT系企業なら、もう十分現実的と思える設定で、そこで展開される人間と人工知能(アンドロイド)とのやりとりも妙にリアリティがあります。

 そして、そのリアリティとともに、これまで人間が営んできた諸々の歴史が集約されたような物語になっていることにこの映画の価値があります。

 

 のっけのエンドオブ・ワールドの野性と、人工の極みを尽くしたハイテク研究所のクールさとのコントラスト。そしてアンドロイドの、これまでになかった斬新なデザインのボディと、映像的な美しさもピカ一。

 

 おもな登場人物は、人間の男ふたりとアンドロイドの女2体。限られた時間と空間。まるで舞台劇のようなシチュエーションの中で、静かだが濃密なセリフの応酬と、スリリングな心理戦が繰り広げられます。

 

★「エクス・マキナ」の深層は聖書

 

 見た目はクールで新鮮ですが、じつはこの映画はかなり古典的なドラマで、なんとなくお察しのとおり、最後にアンドロイドの女「エヴァ」が(象徴的な意味で)人間となって、閉ざされた空間を抜け出し、外界へ脱出するという物語なのです。

 

 彼女の名前が意味している通り、これは聖書のアダムとイヴが楽園を追放される、というストーリーのアレンジです。異なるのはイヴ(エヴァ)が、父であり、夫であるアダム(CEOと青年)をそこに残して一人で出ていくという点。

 

 (アダムは夫であるだけなく、自分の肋骨からイヴを作ったという意味で創造主=父ともとれます。この映画では父たるCEOが、娘を未来の夫たる青年とお見合いさせる、というニュアンスも含まれています)

 

 また、追放ではなく、自らの意志で脱出するというところは、女性解放運動のきっかけにもなったといわれるイプセンの戯曲「人形の家」のイメージともダブります。

 

 ちなみにもう一人のアンドロイドは「キョウコ」という名前で、CEOの妻兼家政婦のような存在。

 意図的なキャラ設定だと思いますが、ハリウッド映画でおなじみの、白人男性にかしずく従順で美しい日本人妻というプロトタイプの役割を担っています。

 

★西欧文化・思想・宗教が生んだ支配―被支配の原理 

 

 この映画を見て思ったのは、人間vs機械の対立の概念は、聖書にもとづくキリスト教の思想が根底にある、ということです。

 

 支配―被支配の歴史を繰り返しながら発展してきたヨーロッパ(およびアメリカ)的な考え方は、今日のメインストリームとなる世界観を作り上げました。

 

 人間vs動物、人工vs自然、男vs女。

 

 他の動物より人間の方が上、女より男のほうが偉い、白人の方が有色人種より優れている、といった対立、ランク付け、そして差別、階級社会づくり――

 良い悪いはさておき、これらは欧米人の生活の歴史そのものであり、それに正当性を与えたのがキリスト教という宗教だったのだと思います。

 

 人間VS機械という対立の図式、そしてこの1世紀の間に大きくクローズアップされるようになった、コンピュータ―人工知能―ロボット―アンドロイドの脅威は、こうした原理成立の流れの中で起こってきたものでした。

 

★ロボットは人類の子供

 

 特にロボット―アンドロイドは、外見が人間と似通っているだけに、アイデンティティがいたく刺激されます。

 

 だったら作らなければいいではないか、と思うのですが、それでも作らずにはいられない。

 人間もロボットも脳だけでは進化できません。

 身体を持ち、外の物理的な世界と関わり、感覚器を通して得られた情報をフィードバックさせることで学習し、思考と行動を調整しつつ成長できるからです。

 

 いわば子供ようなものですね。人間は子供を持たずにはいられない。人類はみずからの活動を引き継ぐ子孫を残さなくては・・・・と考えずにはいられないのです。

 

 けれどもその子供が成長してしまうと、今度は自分の地位が脅かされるという不安と恐怖にかられるのです。

 

★ロボットはフランス革命を起こすかもしれない

 

 あるいはこういう言い方も可能かもしれない。

  広く言えば家電製品も含め、機械、コンピュータ、ロボットが奴隷や使用人のうちは問題ない。しかし、もっと仕事をさせようと改良しているうちに、どんどん知恵がついてきて、人間の知性に追いついてきたのです。

 

 それはちょっと困る。賢くなって革命でも起こされたらたまらない――現代人はおそらく、フランス革命前に権力を握っており、民衆がいろいろなことを知って賢くなることを恐れた王侯貴族階級の心境に近いものがあるのでしょう。

 

★ロボットに命・魂を見い出す日本人

 

 けれども日本の場合はちょっと違うのではないかな、と考えます。

 日本において僕たちの目の前に登場したロボットたちの系譜――アイボ、アシモ、ペッパーなどを見ていると、そこに支配―被支配の意識は低いような気がします。

 

 むしろ人間の方がロボットに癒してもらう部分も多く、持ちつ持たれつ、といったニュアンスが強いのではないでしょうか。

 そういえば、メーカーにケアしてもらえなくなり“死んでしまった”アイボをご主人様たちがお寺で供養してもらう――という現象がありました。

 

 これは自然や他の動物、物や機械にも命・魂が宿り、そうしたものを人間より下に置かない、できるだけフラットな関係を結ぶ、という日本人の考え方・文化が大きく影響しているのだと思います。

 

 人間とロボットとの関係についても、フランス革命のような大激動ではなく、明治維新くらいの騒ぎで収めたい、収められると考えているのではないでしょうか。

 

 僕と同世代のロボット研究者の間ではよく語られることですが、これは日本古来の文化・思想に加え、「アトム」の物語を描き、当時の子供たちにメッセージした手塚治虫先生の功績も大きいのではないでしょうか。

 

★ロボットの存在の原点を探る物語

 

 ハリウッドでも無数のロボットをテーマにした映画が作られてきましたが、「エクス・マキナ」はその最先端であると同時に、ロボットの存在の原点――欧米人が考え出したロボットという概念の正体を探っていく物語でもあります。

 久しぶりに映画でおおいに堪能できました。

 

 最後に自分で不思議だなぁと思ったところ。

 アンドロイド時のエヴァはクールで知的で、それでいながら少女のように可愛く、そしてセクシーで美しい。

 

 それに比べ、皮膚を貼り付け、服とウィッグを着け、(象徴的な意味で)人間になって旅立つエヴァはどうか?

 

 血が通って体温を持ち、親しみが増したように感じるが、「美」という点では1ランク落ちる印象を受ける――これは僕の嗜好性か、男の女に対する共通の視点なのか? 

 

 

 

 

2017・7・13 Wed


0 コメント

こちとら機械だのロボットじゃねえ。人間でぃ!

 

★江戸の男たちが現代にタイムトラベルしてきたら・・・

 

 江戸の街の人口は7割が男。相当なマッチョマンが多かったのだと思います。江戸東京博物館で魚屋の天秤を担いだことがありますが、これが重いのなんの。

 非力な僕は、やっとこさ持ち上げてフラつきながら5メートルも歩くのが精いっぱいというありさまでした。

 こんなものを担いで何キロも、一日中歩き続けていたというのだから、江戸の魚屋さんはすごい。しじみ売りも、豆腐屋さんもみんなすごい。

 しかもこれは当時は力仕事の範疇に入らない物売りの話。土木工事や運搬業をはじめ、もっと腕力・体力の要る仕事はいくらでもあったのだから、江戸は力自慢の猛者だらけ。「ケンカと火事は江戸の華」とは、こういう猛者たちがうようよいて、エネルギーのはけ口を求めていた、という背景があって生まれた言葉でしょう。

 

 先月は「タイムマシンにおねがい」という記事を書きかましたが、もし江戸の男たちがタイムマシンで現代の東京にやってきたら・・・

 

 「おおっ、あいつはなんでぃ、あんな重そうなものを持ち上げてやがる。なにぃ、300キロだぁ? てやんでい、べらぼうめ!負けてたまるかい。おれっちゃ400キロ持ち上げてやるぜい」とか言ってフォークリフトに勝負を挑んだり、

 

 「この化け物め、こちとらだってそれくらいの岩や瓦礫ぐらい持ち上げてやるぜ!」とか言ってパワーショベルに挑戦したり、

  

 「俺のほうが速く走れる!」と言って飛脚が自動車や電車と、「わたしの方が速く計算できる」と言ってそろばん弾く商人が電卓やコンピューターと競争する、なんてことが起こるのではないでしょうか。

 

★人間VS機械 真っ向勝負!の時代

 

 笑いごとではありません。

 19世紀の産業革命以来、次々と生み出される機械技術は、人間の希望であり、その裏腹に絶望でもありました。

 機械は人間の生活を便利にし、豊かにしてきた反面、人間がそれまで担っていた仕事を奪い、人間ならではの存在価値を脅かし続けてもきたのです。

 

 そんな人間VS機械の格闘の時代が200年近く続いたのではないでしょうか。

 最初のうちはなんだかんだ言っても、やはり機械文明は人間の労働を楽にし、人間を苦役から解放してくれるもの、豊かな社会を築くのに欠かせないもの、というニュアンスが圧倒的に強かった。

 ところがある時代に分水嶺を超えてから、次第にそのニュアンスが変わってきました。

 

 僕が子供の頃――というよりも割とつい最近――20世紀の終わりまでは、文化・芸術の分野で「人間VS機械」の対立を意識させるコンテンツが目立ったり、機械文明に警鐘を鳴らす声をあちこちで聞くことができました。

 こうした風潮が21世紀を迎えるあたりから変わり、機械との対立を感じさせる声は耳に届かなくなってきました。

 

 今、パワーショベルやフォークリフトに力で劣っているからと言って屈辱感を感じる人はいません。

 車や電車よりも速く走ってやろうという人もいなければ、そのへんに転がっているチャチな電卓よりも計算が遅いから「頭が悪い」と劣等感に悩む人もいません。

 それどころか、社会のあらゆる分野でコンピューター技術が浸透し、社会の管理もコンピューターにおまかせの時代になりました。

 いわば機械に負けっぱなし。いつの間にか人間は機械に完全に白旗を上げている状態になっていました。

 ・・といった対立、対抗、戦いの意識すらもうどこかに吹き飛んでいて、共存・共栄の時代になっていたわけですね。

 

★ぼくたちは機械に敗北した

 

 共存・共栄というと聞こえは良いけど、労働の場において、いわゆる「能力主義」を貫けば、この先、どんどん人間の出番は減り続けるでしょう。

 仕事は何倍もできる、コストは何割もかからない、となれば、どんな経営者でも――少なくても現在の資本主義社会で経済的利益を追求する組織の経営者なら――機械・ロボットを使って事業を行うでしょう。

 

 でも芸術とか創造的分野においては・・・という意見もあるでしょうが、現在のIT・ロボット技術の発展状況から考えると、絵や文章だってロボットが描く時代が来るのはそう遠い先のことではありません。

 過去の大作家や大芸術家のデータをインプットすれば、学習能力を持ったロボットはその資産から、新しい価値を持ったものを大量にクリエイトできるでしょう。

 そして以前も書きましたが、思いやりとか感情の豊かさという面でも、ロボットが人間を追い越していくのは時間の問題です。学習能力に優れ、ストレスに精神をやられないという強みは、医療や看護・介護の分野でも必要とされるでしょう。

 

 そうした状況になった時に、人間が機械より優れている理由を見つけ出せるのか?

 人間の存在価値はどこにあるのか?

 「てやんでぃ、べらぼうめ。こちとら人間でぃ!」と威勢よく啖呵を切れることはできるのか?

 

 ・・・・というわけで、またこのテーマでつづきを書きます。

 

 


0 コメント

女目フィルターの少年像と少女版スタンドバイミーについて

 

 「スタンド・バイ・ミー」の映画を観た同年代やもう少し若い女の子たちから「あれは男の子にしかわからない世界だよねー。男がうらやましー」といった趣旨のコメントをよく耳にした。

 

 うん、確かにそうかもしれない。

 そもそも女の子は野ざらしになった死体を見に行くなんてバカげた目的のために何マイルも歩いて命がけの冒険するなんてアホくさいことはネバーしない。

 

 そんなのは人生の無駄使いだ。

 女の子の時代は短い。彼女らはすぐにオンナになることをあらかじめ知ってるし、(生みの)母親になるのにだってタイムリミットがあることも小さなころから知っている。

 いつまでも遊んで飲んだくれてて、60になっても70になっても生物学上の父親になれる男とは事情が違うのだ。

 

 「男っていいな」という彼女らの呟きからはそうした潜在的な女の宿命が感じられた。

 

 と思ったのは30年前のことだけど、それと同時に彼女らはどうも「少年」という、男になる一歩手前の存在に大いなる幻想を抱いているようだとも思った。

 

 特に「スタンド・バイ・ミー」のリーダー格のクリスは、タフでクールで勇敢で優しく友だち思い。抱きしめたくなるような可愛い一面もある。

 そして彼は自分を取り巻く過酷な運命との闘いを余儀なくされている。

 女性から見れば理想の少年像に近いのではないだろうか。

 

 しかも映画ではそのクリスの役を当時売出し中の美少年俳優リバー・フェニックスが演じていた。幻想はますます肥大する。

 

 ちなみにフェニックスはこの映画からわずか7年後に夭折。生きていればあのルックスと演技力からハリウッドのトップ俳優になっていた可能性も高いだけに残念だ。

 

 ファンタジーや児童文学や少年マンガに出てくる女目フィルターのかかった少年像は僕も好きだ。

 ある程度幻想が混じっている方が、キャラクターが生き生きして、のびやかに動ける。一言でいえば魅力的になる。

 だからこうした分野は女性作家が大活躍できる。

  こうした女性たちにも「スタンド・バイ・ミー」は大きな影響を与えたのではないだろうか。

 

 女に男の世界のことはわからないと思うけど、わからなくていい。男のしょーもない現実など知って得することなんてほとんどないし、もし知ってしまったら必要最低限の部分を残して、あとは目をつぶった方がいい。

 

 さて今回「スタンド・バイ・ミー」を読み返してみて唐突に、30年前とは正反対のことを考えた。

 

 そもそも女の子は野ざらしになった死体を見に行くなんてバカげた目的のために何マイルも歩いて冒険するなんてアホくさいことはネバーしない。

 

 その時は確かにそう思い、ずっとそう思い続けてきたけど、いや待てよ。1960年ではなく、1980年代も通り過ぎた今ならそうとも言えないのではないか。

 

 とんでもなくバカバカしい目的のために、何人かの女の子たちが命がけの冒険をする。

 今の時代ならそういう「少女版スタンド・バイ・ミー」も成り立つのではないかと思う。

 なんでかという根拠は特にないんだけど、そういう話はあるんだろうか。あったら読んでみたいんだけど。

 


30年ぶりのスタンド・バイ・ミー

 

 およそ30年ぶりくらいにスティーヴン・キングの「スタンド・バイ・ミー」を読んだ。

 この4人の12歳の少年の小さな冒険物語はロブ・ライナー監督によって映画化され、80年代に大ヒット。そして今も語り継がれる名作映画になった。これはその原作だ。

 

 定番となっているレビューには「この年齢特有の男の子の世界」「友情」「成長物語」というキーワードが必ずと言っていいほどくっついている。

 確かに映画はそうしたニュアンスを強調して作られており、僕の中でも観終わった後の甘い感傷のようなものが、エンディングテーマ「スタンド・バイ・ミー」のメロディとともに残っている。

 

 以前読んだのは20代半ば頃だった。

 映画を見て読んだので、映画とほとんど同じという印象を持っていた。

 もちろん今回も当初は同じイメージを持っていて、もう一度どんなだったか確かめてみようと思ってページをめくってみたのだ。

 

 そうしたらぜんぜん違っていた。

 自分の齢のせいだろうか?

 50代の男には、これは12歳の男の子たちの成長物語とも、友情物語とも映らなかった。

 成長や友情という言葉が放つ明るいイメージ、爽やかなイメージとはまったくかけ離れているのだ。

 

 実はこの原作の題名は「Stand By Me」ではない。

 原題は「The Body」。これは死体のことだ。

 

 自分たちと同じ12歳の男の子が列車に轢かれて死んだという情報を得て、その死体を見に行こうと4人の少年が冒険に出かける。これはそういうストーリーなのだ。

 死の誘惑にかられた子供たち。

 ちょっと考えれば、明るく爽やかになるはずがない。

 小説の底辺にはむしろ暗く陰鬱なトーンが響いている。

 

 その暗さ・陰鬱さの原因が、キングの他の多くの小説と同じく「恐怖」だ。恐怖と言っても霊や悪魔が出てくるわけではない。

 それは少年たちが生まれ育ってくる中で体感し、植えつけられた生活の中の恐怖。生きる上での根源的な恐怖。否応なく背負わされた人生に対するリアルな恐怖だ。

 

 彼らはそんな恐怖心を覚えざるを得ない環境で育った。

 それを象徴するのが暴力的な父親だ。テディの父親は精神を患い、幼いテディの両耳を焼いてしまう。クリスの父親はしじゅう酔っぱらって子供たちを殴りつけている。

 

 その父親たちをフォローするかのように、不良化した兄たちがこれまた暴力的で少年たちを震え上がらせる存在になる。

 

 そして教師や周囲の大人たちは、あんな家で育った子供らはろくな人間にならないとはなっから決めつけている。

 

 1960年のキャッスルロックというアメリカの片田舎は、そういう生活習慣の世界だったのだ。

 

 12歳ともなればそんな諸々の事象が何を意味し、自分たちの将来にどう響くのか感じ取れてしまう。

 

 ここで描かれる少年たちの友情とは、自分たちを取り巻く大人たちや地域社会から受ける恐怖や不条理から互いの身を守るために必死でしがみつき合う――そうした類の友情だ。

 

 そして何とかその恐怖を乗り越えたとき――それを成長と呼ぶなら成長した時、少年たちはバラバラになってしまう。

 

 友情はある夢の一時だけ空に掛る虹のようなもの。

 主人公(語り手である)ゴードン=作者キングの分身の3人の友人たちは皆、ここで描かれた冒険から10年あまりの間にこの世から去っていく。

 

 後味は何とも苦い。20代の頃に感じた、感傷を帯びた甘い味は何処へ行ってしまったのだろう?

 

 だからといってこの作品が嫌いになったわけではない。

 むしろその重層的な味の深さに感心すことしきり。30年前は僕は面白おかしいストーリーの上っ面しか読んでいなかったのだ。

 

 今回、読み返してみて本当に良かったと思う。

 やはりこれは少年小説のバイブルともいうべき名作なのだ。

 


お祭りの季節に思う、日本の神様の心の広さ

 

 わが町・永福町の近隣にには熊野神社・大宮八幡宮。永福稲荷神社と3つ神社があり、毎年9月の週末は3連荘でお祭りです。

 息子がチビの頃は近所の子も連れて毎週毎週3つのお祭りを梯子して回ったこともあります。

 

 今週はその中でも最も大規模な大宮八幡宮のお祭りで、人出もすごい。夜は周辺地域の10基のライトアップしたお神輿が合同宮入りしてすごく華やかです。

 

 この地域に住んで早や四半世紀が経とうとしていますが、お祭りの風景は変わりません。

 いつも思うのだけど、日本の神様は大変鷹揚な親で、子ども――つまり僕たちがが仏様やキリスト様のところへ遊びに行っちゃってもガミガミ怒鳴ったりしません。

 

 お正月とお祭りの時、「神の子」に戻ってちゃんと神社に来て頭を垂れてくれることを知っているからです。

 

 ひと昔前、そうした宗教に対する日本人の節操のなさは国内外から怪訝に思われたり、非難されたり、おかしいんじゃないのと言われたりすることが多かった気がします。

 

 しかし近年、無宗教化は世界的傾向となっています。

 世界に名だたるキリスト教国と思われていたアメリカやイギリスでも今や3割に近い人が自分は「無宗教」と言うそうな。

 これが30歳以下だとその割合はぐんと上がり、無宗教化の流れはとどまるところを知りません。

 

 ニーチェが「神は死んだ」と言ったのは19世紀後半ですが、それから150年かけてニ-チェの言葉が現実化しつつあるのかも知れません。

 

 その詳しい話はまた別の機会にしますが、そんな世界の風潮を見ると、日本人がいちばん宗教との付き合い方が上手なのではないかと僕には思えるのです。

 いわば無宗教化時代の先達となるのか、日本人。

 

 というわけで今日は心の広い日本の神様にお参りして感謝の意を表しました。

 

 今年はちょううど仕事に当って、毎年やってた熊野神社のお神輿が担げませんでしたが、また来年は復帰するぞ。

 


0 コメント

「継続は力なり」を今頃やっと実感

 

 一昨日「人に見せない秘密の文章を毎日書きましょう」と言ったけど、自分自身それができるようになったのは、やっとこの1年余りのこと。それでも調子が悪いと何日か抜けてしまう。それでも僕にとっては何とか切れずに続けているのは大きな進化です。

 

 逆に言うと僕がダメ人間なのは、これをやってこなかったからだとも言えます。

 これをもっと若い時からやっていれば、もう少しまともな書き手になっていたかも知れない・・・・と今頃思うのは、もちろん後の祭りです。

 

 なんでできなかったのかと言うと、それはすぐに「こんなことやってて何になるのか?」と思ってしまっていたから。つまりこれはサボるための口実です。

 

 継続的なトレーニングの意味を認められず「何かもっと効率の良いやり方がるはずだ」と考える。

 そう考えるのなら自分でそのやり方を開発すべきなのだけど、それもやらず、ただやり過ごしてきたのです。

 

 普段からやってないのに、いざ何か書こうと思ったってろくなものは書けません。

 それでもいろいろ書いてきた。仕事もなんとかなってきたのは、偶然というか、たまたまというか、運がよかったのでしょう。

 

 書き手としての自分を育てるのに効率の良いやり方なんてありません。効率を求めれば求めるほどどんどんダメになっていく。

 最近は働き方改革ブームで、またもや「効率」が持てはやされています。

 まぁ仕事はしかたありません。組織の中で、プロジェクトの中で効率よくスムーズに回る歯車になることを求められているわけですから、給料・ギャラをいただく以上、その求めに応じなくちゃいけません。

 

 でも効率は本物のクリエイティビティを養うには不要です。

 農業と同じで、ただひたすら頭の中の田畑を毎日耕すしかありません。それなくして収穫は得られません。

 

 いや、耕して種をまいたとしても、日照りが続いたり大雨が降ったり台風が来たりすればパー。努力が必ず報いられるとは限らないのです。

 でもやっぱり努力のないところには収穫はありません。

 

 というわけで人生半分をはるかに超えてしまったけど、最近は100年ライフということなので。後半戦、死ぬまでやるっきゃないです。

 


0 コメント

人に見せない、自分だけの秘密の文章を書く

 

 人間は毎日、頭の中で膨大な量の物事を感じ、考えています。自分で意識できるもの・認知できるものもあれば、脳の奥底に深く沈んで意識・認知されずに引き出しにしまわれていくものもある。

 僕たちが話したり、行動したり、ブログやSNSに書くことはそのほんの一部――氷山の一角でしかありませんん。

 特に奥の方にしまわれてしまったものは海底の洞窟の宝物と一緒で、死ぬまで眠ったままになってしまうことが多いようです。

 

 これを引き出すためには訓練が必要です。

 と言っても、何か特別なことをするわけじゃありません。

 ただひたすら「書くこと」。文字化・見える化することです。

 

 ただしブログやSNSに書いているような作文はだめ。人に見せることを前提として書くと、どうしてもリミッターが働いて本音が出せなくなってしまう。

 これは「人に見せない、自分だけの秘密の文章」でないと、あまりやる意味がありません。

 

 さらに言えば、きちんとした文章になってなくたって構わないのです。単語の羅列だっていい。要は自分がその意味・イメージがわかればいいわけですから。

 そして重要なのは継続的に――できれば毎日やること。

 

 「人に見せなくていいんだったら簡単」と思うかも知れませんが、実はそうでもありません。

 僕も含め、たぶん多くの人は「人に見せる前提」がないと、なかなか文章なんて書けないし、書く気にならないと思います。1日・2日ならともかく、毎日となるといったい何を書けばいいのかわからなくなる。

 そこを乗り越えてほじくり出せるようになるといいのです。

 

 僕が手書きでノートにこれを書き始めたのは5年ほど前からですが、何度も挫折してやっと習慣として定着するようになったのは、この1年あまりのことです。

 

 だいたい1日につき、見開き2ページから多い時は4ページ。費やす時間は30分から1時間。時々忙しかったり体調悪かったりで数日抜けることがありますが、何とか保っています。

 

 やる時間帯は朝昼晩夜、いろいろ試してみましたが、やっぱり脳がよけいな情報に侵されていないフレッシュな状態の朝が7いいようです。

 

 僕の場合は、曲がりなりにも物書きを生業にし、創作をやっているので、アイデアが出やすくなるとか、表現を工夫できるとか、直接的にメリットがありますが、そうでない人もやってみると面白いことが起こるかも知れません。

 そんなに時間・労力が取れなくても、1日15分、1ページでも。

 

 言い換えればこれは自分の脳の中に溜まる情報のウンコを出すようなもの。脳をすっきりきれいにしてストレスをなくし、自分にとって本当に大切な情報をほじくり出す作業でもあるのです。

 

 大量の情報があふれる世の中で、僕たちの脳は知らず知らずのうちに相当なダメージを受けています。それを軽減する効果も生まれると思います。

 


僕たちの豊かさと貧しさと相模原事件

 

●豊かさの意味

 

 僕たちはまだまだひどく貧しい。

 昨日の相模原の施設の事件を聞いて、そう思いました。

 

 豊かな社会を目指し、豊かな社会をつくる意味って何なのか?

 より多くの人が、よりぜいたくな暮らしをするためか?

 違うと思います。

 それでは全く人間は進化しない。

 豊かさの意味。

 単純化していえば、それは弱者も生きられる――普通に社会生活を送ることができ、人生を楽しめる、ということだと思います。

 

●弱者への思い

 

 人間の歴史は貧しさとの戦いの連続でした。

 その戦いの中では小さな子供、年寄り、病人、けが人、そして障害を抱えた人・・・こうした人たちは淘汰されるしかありませんでした。

 それは自然なことである。社会における弱者を切り捨てていかなければ人類は前へ進めない――そうした意見が正論としてまかり通っていたのです。

 

 しかし、それでは弱肉強食の野生動物の世界と同じです。

 人間は違う。弱者もいっしょに歩んでいける社会を作るべきだ。

 ブッダやイエスのような宗教者に限らず、どの人々の中にもそうした思いはいつもありました。

 そして、その思いは幾世代にもわたって連綿と引き継がれてきました。

 けれども大多数の人はひどく貧しく、自分が飯を食うので精一杯なので、その思いをなかなか有効に実現することができなかった。

 

●あの人は自分だ

 

 それが最近になって、やっと世界の一部の地域では衣食住の心配が(昔に比べれば)激減し、弱者にも目を向けられるようになってきた。

 そして積極的に彼らにコミットするようになると気付いてきたのです。

 

 「あの小さな子は、あの年寄りは、あの病人は、そして、あの障がい者は自分だ」と。

 健常な大人である自分の中にも彼ら・彼女らのような、いわゆる弱者がいるのだ、と。

 

●「精神的豊かさ」とは?

 

 バブル経済の崩壊後、物質的な豊かさは手に入れたので、次は精神的豊かさを勝ち取ろう、といった掛け声がよく聞かれました。

 では「精神的豊かさ」とは何なのか?

 コマーシャルで流れるような、もっと自分たちの衣食住の質を上げたり、高尚な趣味を持つことなのか?

 

 それらも含まれると思いますが、一番の本質は、弱者といわれる人たちの存在価値を認め、彼らといっしょに生き、暮らせる社会を実現することなのだと思います。

 逆にいえば、それ以外に豊かになる意味、豊かな社会を作る意味などあるのでしょうか?

 

●相模原事件の本質

 

 

 経済成長によってやっとその入り口までこぎつけた・・・のかも知れない。

 人間の歴史はまだその段階です。

 そこで昨日のような事件。

 事件の詳細はよく読んでいないし、容疑者のことも動機の深いところはまだ知りませんが、ニュースを聞いてすぐに思ったのは、あの容疑者の行動は僕の一部なのだということ。

 僕はまだまだ貧しい。おそらくほかの人たちも五十歩百歩。だからひどく動揺する。

 あの容疑者の言動は、僕たちの、この社会に潜む「貧しさ」の発現。

 だから僕たちはひどく動揺し、一瞬、引き込まれるけれど、しばらくすれば自分には関係ないことと目を背け、忘れるでしょう。

 

●もっと豊かさを

 

 いま、経済成長はもう限界、という意見をよく耳にします。

 確かにそうかもしれない。

 では、経済成長以外に僕たちがより豊かに成長する手立ては何かないのか?

 

 僕たちはまだ「豊かになろう」という志をあきらめてはいけないと思います。

以前の時代とそのニュアンスは違うけれど。

 

 

2016・7・27 Wed


0 コメント

阿佐ヶ谷に起業家のキックオフ・オフィス誕生!

 

 というわけで、杉並区産業振興センターが入居者を募集。

 というわけで、その募集用チラシをAshデザイン・岸部氏が制作。

 というわけで、そのコピーを頼まれて書きました。

 それでもって、出来上がtったそのチラシがこれ。

 

 事情はいろいろあれど、いったん独立を決めたら「成功するにはどうすべきか?」と、止まってえんえん作戦を考えているだけでは一生ゴールは割れません。とにかくボールを蹴って転がしていく。

 ピピッとくる奴が近くにいたら、そいつにパスを出してみる。

 そんなことをやっているうちに何とか道は開けるはずだ・・・てなメッセージを込めてみました。

 

 走れ起業家よ、ドリブれフリーランサーよ。

 チャンスがあればシュートを放て。

 外したって構うもんか。転がしまくって打ちまくれ。

 実力なんかなくたってラッキーはくる。

 相手がファウルしてくれるかもしれない。

 目の前にこぼれ球がコロコロなんてことだってある。

 「神の手」を使っても審判が見落としてくれるかもしれない。

 それもこれもピッチに立ってボールを追っていないと絶対に起こらない。

 

 これからはフリーの時代だ。

 出来上がったところで、出来上がっているものを守るために働いたって面白くもなんともない。人も企業も失敗しながら成長するから面白い。

 成長しながら“食う”、

 食いながら(たとえ錯覚だとしても)成長を続ける
 ――人生、これに勝る喜びはありません。

 

 というわけで、その始まりが七夕祭りとジャズフェスタの街・阿佐ヶ谷。

 生活も遊びもある。アートも商売もある。おとなも子供もやってくる。特典としてお役所や税務署も付いてます。

 もちろん杉並区外の人もオーケーなので、独立独歩でがんばろう、自由になって食っていこうと考え中なら、8月5日(金)~9日(火)の七夕祭りの時にでも参拝してみてください。

 

 

2016・7・22 FRI


0 コメント

いちご畑で抱きしめて

 

Strawberry Fields Forever

 

 いちご畑と言えばジョン・レノン。

 かの名曲「ストロベリーフィールズ・フォーエバー(いちご畑よ永遠に)」からの連想。

 Strawberry Fieldsっていうのは、もともとリバプールにあった救世軍の孤児院の名前で、僕も参拝したことがあるけど、門柱は世界中のビートルズファンの落書きでいっぱいでした。

 救世軍の孤児院というイメージもあいまって、もちろん曲も素晴らしいのだけど、それ以上にタイトルが秀逸。この名前を使ったお店やら商品やら本やら昔から結構あって、最近はウェブサイトにもたくさんいちご畑が広がっています。

 可愛いし、いろいろ想像力が広がる言葉だもんね。

 現代では割とありきたりなネーミングかも知れないけど、1960年代当時、楽曲にこういうタイトルをひねり出して付けたジョン・レノンのセンスはやっぱり一味違うと思います。

 

 僕もその一人で、ちょうど35年前の今頃、新宿のゴールデン街の一角にあった芝居小屋で「いちご畑で抱きしめて」という芝居をやりました。

 「いちご畑」と「抱きしめたい(I Want to Hold Your Hand)」を足したタイトルだけど、話の内容はジョンにもビートルズにも救世軍にもまったく関係なく、不思議の国のアリスと核戦争をモチーフにした支離滅裂な話で、なんであんな芝居を書いたのか、逆にいえば「書けた」のか、今考えると不思議なのですが、最近、頭の底から何かが浮かび上がってきて、同じタイトルでまったく違う話を書こうと考えています。

 

★稀代のペテン師

 

 そのモチーフはやっぱりジョンの生きざまです。

 僕のジョンに対する基本的なイメージは「ペテン師」。

 もちろん若くから音楽的才能を開花させ、声もルックスも魅力的だったことは認めるけど、それ以上に彼は天才的なペテン師だった。みんな、彼の醸し出す言葉やパフォーマンスに翻弄され、その結果として現在の世界のある部分(多くは現代人の精神構造に関わる部分)が形成された・・・というところに、すごく興味があるのです。

 

 リバプールの悪ガキから音楽家へ、世界最高峰のスーパースターへのぼりつめ、やがて世界平和を訴え、愛の使者になり、イエス・キリストみたいになったかと思ったら、いきなり家庭の世界に入り(今ではすっかりポピュラーになった「主夫」――ハウスハズバンドという言葉と概念は、ジョンが創ったか広めた、というのが僕の印象)、そしてミュージシャンに復帰したとたん、この世を去った彼の40年の人生は、いまだに、というか、今だからこそ僕たちに、文化・芸術、お金・ビジネス、社会・時代、家族・子供、愛、そして「生きるとは?」とういう哲学的考察に至るまで、いろいろなことを考えるヒントを与えてくれている気がします。

 

★人間ジョン・レノンの魅力

 

 こんなことを言うとジョンやビートルズファンの人は怒るかもしれないけど、その基本が胡散臭いサギ師・ペテン師のキャラクター。

 僕はそこにとても人間的なもの、それこそ人工知能が、アンドロイドがひっっくりかえっても叶わない人間ならではの魅力を感じるのです。

 

 そう考えるきっかけになったのが、ジョンの最初の妻であるシンシア・レノンが書いた「わたしが愛したジョン・レノン」という本でした。

 いわゆるビートルズ本の一つに数えられますが、これは家族論・幸福論・人生論としても読める優れた本です。

 たぶん長くなるので、この続きはまた後日。

 

 ちなみにリバプールのStrawberry Fieldsは、現在は修道施設となっているようです。いろいろなストーリーを詰め込んで祈祷と瞑想の施設に変ったことを思うと、なんだか胸にじんとくるものがあります。

 

 

 

 

2016・7・20 WED


0 コメント

子供はどうしてロボットが好きなのか?

 

★人間とロボット、子供と大人

 

  どうして自分はロボットが好きなのだろう?と、割とよく考えます。

 子供の頃、マンガやテレビを見過ぎたせいだろ。

 その通り。僕はいつも夢中でした。子供のマンガやテレビの世界では、ロボットだのサイボーグだのはとても親しい存在でした。

 

 けれども現実の大人の世界とはそれとは違う。ロボットだのサイボーグだのというのは子供だましの絵空事だ。そんなものに夢中になっていないで勉強しろ、そして立派な大人になって仕事しろ――というわけでこれまでやってきました。

 

 ところがここ来て、そうした子供の世界と大人の世界との境界線がどんどん溶け出している。ロボットたちが親しい存在である世界がどんどん近づいている。最近はそうした印象を持っています。

 

 

★どうしてやつらはデキるのに哀しいのか?

 

 10万馬力だったり、弾よりも速く走ったり、空を飛んだり・・・あの頃、彼らはすごい能力を持っているのにも関わらず、自分が人間ではないことにひどいコンプレックスを抱いていました。

 「アトム」も「エイトマン」も「サイボーグ009」も「仮面ライダー(改造人間)」も、その強さ・その高い能力を誇るよりも、むしろ哀しむことが多かったように思います。

 

 彼らのようなアンドロイド・ヒューマノイド系のロボットたちとは別の系譜にある戦闘用兵器としての巨大ロボットも例外ではありません。

 

 リモコン操作で動く鉄人28号やジャイアントロボなども、時代とともに人間が搭乗する形式――「マジンガーZ」そして「ガンダム」などのモビルスーツになってくると、そのパイロットの人格がロボットに乗り移ってどんどん人間味を帯びてきました。

 

 すると必然的に「どうして僕はこのロボット(モビルスーツ)になって戦わなくてはならないのか?」といった悩みや哀しみがひたひたとあふれてくるのです。

 

★究極のロボット寓話

 

 このメイド・イン・ジャパンのヒューマノイド系&巨大ロボット系が融合した究極の作品が「エヴァンゲリオン」なのでしょう。マンガ、アニメの世界におけるロボットの寓話は、ここでいったん完成してしまったように思います。

 

 だからこの20年ほどの間、「エヴァンゲリオン」以上の作品は誰も作れていません。マンガ、アニメにおけるロボットの進化は一旦停止し、その代り、現実の世界でコンピュータ~ロボット~ヒューマノイド~アンドロイドが進化してきたのです。

 

★欧米と日本のロボット文化発展のちがい

 

 どうして日本におけるロボットやサイボーグたちは悩み、哀調に満ちているのか?

 もともとロボットの故郷ともいえるヨーロッパではどうなのか?

 民族同士の抗争が日常者判事で、支配―被支配が習慣化していたヨーロッパでは、機械・ロボットは奴隷・被支配階級→労働者・労働階級の隠喩として捉えられてきました。

 

 100年前、チェコの劇作家であり、新聞記者・ジャーナリストでもあったカレル・チャペックは、戯曲「RUR」において、「苦役」という意味を持つラテン語からロボットという言葉・概念を生み出しました。

 そこに出てくるロボットたちは資本主義と社会主義の狭間に生み落とされた子供たちであり、支配階級(資本家)に対して反旗を翻す労働者のメタファーでもありました。

 産業・経済の発展に身を粉にして貢献する――それこそが彼らが受けた至上命令だったのです。

 

 彼らはそうした自分の身分について感情的になるよりも理性的な部分を重視し、課せられた使命に対する能力を特化させることに集中しました。

 運搬、計算、生産・・・マニュアル通りの決まった仕事をさせたら人間をはるかにしのぐ働きをするようになったのです。

 

 仕事と言ってもいろいろなものが発生します。

 戦争における兵士としての役割もその一つ。敵を倒すという兵器としての能力は抜群で、平和を守る正義のヒーローとしてのロボットも、そのタスクから発展しました。

 そのため、欧米生まれのロボットたちは、最近までその強さ・能力の高さを明るく誇り、胸を張っていたのです。

 

★日本のロボット文化の影響が世界を席巻

 

 しかし、その欧米でも時代が進むとともに、ロボットたちは次第に何かを考えるようになり、悩みや哀しみの衣をまとい始めます。ハリウッド映画でも「ブレードランナー」「ターミネーター」「AI」・・・と、どんどん内省的になっていく。

 

 これは僕のまるっきりの独断・偏見ですが、そこには日本のガラパゴス的なロボット文化が影響していると思います。ここでもやはり手塚治虫先生の功績が大きい。

 「アトム」の作品世界が人種差別をはじめ、さまざまな差別問題・階級問題をはらんでいることは昔から言われていますが、ロボットという概念そのものが、もともとそうした人間社会全般の問題を内に抱えているのです。

 

 そしてまた、手塚先生の思想のベースには、人間至上主義のキリスト教圏とは一線を画す、自然や動植物、さらに本来は命を持たないはずの“物”の中にも魂を見出す日本の文化・日本人の感性があります。

 それはもちろん、手塚先生のみならず、ほとんどの日本人が自分の内側に持っているものです。

 

★ロボットは仲間、友だち、きょうだい、自分

 

 つまり、日本人にとってロボットは「人間の形をした機械」ではなく、「機械の形(身体)を持った人間」であり、階級が上とか下とかではなく、自分たちとほぼ同等の「仲間」「友達」「きょうだい」、時には「自分自身」でもあるのではないでしょうか。

 

 だから日本では――たぶん欧米でも、世界のどこでも同じだと思いますが――子供はロボットが好きで、興味を持つのです。

 けれども社会の側は、多くの人に資本主義の枠組みの中で生産活動・経済活動に携わってほしいと考え、それが大人になることとイコールなのだと教えます。そうした要請は、子供の心を、ロボットを親しく感じる世界から遠ざけ、切り離してきたのです。

 

★人間とロボットがいっしょに暮らす世界とは?

 

 この100年余り、常識とされていたこうした人間・ロボットの関係性の流れが、今、大きく変わろうとしています。「ロボットが仕事を奪う」「ロボットが人間を支配するようになる」――最近、ますます強調されて喧伝されている脅し文句は、経済・産業活動の視点からのみ発せられているものです。

 でも、そんなにネガティブなことなのか?

 文化的視点というか、人類全体の進化という視点から見たらどうなのか?

 

 僕はできれば良いほうへ考えたい。子供の頃に夢中になった世界とは少し違うかもしれないけれど、人間とロボットが親しく、いっしょに暮らす――自分が生きている間に、本当に実現するかどうかはわからないけれど、それはむしろウェルカムな世界ではないか、と思うのです。

 

 

2017・7・17 SUN


0 コメント

聖書から始まった「人間VS機械」

 

★アンドロイド映画「エクス・マキナ」

 

 「検索エンジンで世界一のシェアを誇る」と言うのだから、あなたも僕も毎日使っている、かのG社がモデルであることは明らか。G社は人工知能の研究をしていることでも知られています。

 

 そのIT企業の青年プログラマーが自社の創業者であり、社内でもほとんどの人が正体を知らないという伝説のCEOの自宅に1週間滞在できる権利を獲得。世界の果てのような、手つかずの大自然の中にある、超クールなハイテク邸宅(実は彼の人工知能研究所)で、青年は世にも美しいアンドロイドの女と出会う――という設定で、映画「エクス・マキナ」は始まります。

 

 ひと昔前なら「近未来的」と言われたかもしれませんが、いまやG社、およびそれに類するIT系企業なら、もう十分現実的と思える設定で、そこで展開される人間と人工知能(アンドロイド)とのやりとりも妙にリアリティがあります。

 そして、そのリアリティとともに、これまで人間が営んできた諸々の歴史が集約されたような物語になっていることにこの映画の価値があります。

 

 のっけのエンドオブ・ワールドの野性と、人工の極みを尽くしたハイテク研究所のクールさとのコントラスト。そしてアンドロイドの、これまでになかった斬新なデザインのボディと、映像的な美しさもピカ一。

 

 おもな登場人物は、人間の男ふたりとアンドロイドの女2体。限られた時間と空間。まるで舞台劇のようなシチュエーションの中で、静かだが濃密なセリフの応酬と、スリリングな心理戦が繰り広げられます。

 

★「エクス・マキナ」の深層は聖書

 

 見た目はクールで新鮮ですが、じつはこの映画はかなり古典的なドラマで、なんとなくお察しのとおり、最後にアンドロイドの女「エヴァ」が(象徴的な意味で)人間となって、閉ざされた空間を抜け出し、外界へ脱出するという物語なのです。

 

 彼女の名前が意味している通り、これは聖書のアダムとイヴが楽園を追放される、というストーリーのアレンジです。異なるのはイヴ(エヴァ)が、父であり、夫であるアダム(CEOと青年)をそこに残して一人で出ていくという点。

 

 (アダムは夫であるだけなく、自分の肋骨からイヴを作ったという意味で創造主=父ともとれます。この映画では父たるCEOが、娘を未来の夫たる青年とお見合いさせる、というニュアンスも含まれています)

 

 また、追放ではなく、自らの意志で脱出するというところは、女性解放運動のきっかけにもなったといわれるイプセンの戯曲「人形の家」のイメージともダブります。

 

 ちなみにもう一人のアンドロイドは「キョウコ」という名前で、CEOの妻兼家政婦のような存在。

 意図的なキャラ設定だと思いますが、ハリウッド映画でおなじみの、白人男性にかしずく従順で美しい日本人妻というプロトタイプの役割を担っています。

 

★西欧文化・思想・宗教が生んだ支配―被支配の原理 

 

 この映画を見て思ったのは、人間vs機械の対立の概念は、聖書にもとづくキリスト教の思想が根底にある、ということです。

 

 支配―被支配の歴史を繰り返しながら発展してきたヨーロッパ(およびアメリカ)的な考え方は、今日のメインストリームとなる世界観を作り上げました。

 

 人間vs動物、人工vs自然、男vs女。

 

 他の動物より人間の方が上、女より男のほうが偉い、白人の方が有色人種より優れている、といった対立、ランク付け、そして差別、階級社会づくり――

 良い悪いはさておき、これらは欧米人の生活の歴史そのものであり、それに正当性を与えたのがキリスト教という宗教だったのだと思います。

 

 人間VS機械という対立の図式、そしてこの1世紀の間に大きくクローズアップされるようになった、コンピュータ―人工知能―ロボット―アンドロイドの脅威は、こうした原理成立の流れの中で起こってきたものでした。

 

★ロボットは人類の子供

 

 特にロボット―アンドロイドは、外見が人間と似通っているだけに、アイデンティティがいたく刺激されます。

 

 だったら作らなければいいではないか、と思うのですが、それでも作らずにはいられない。

 人間もロボットも脳だけでは進化できません。

 身体を持ち、外の物理的な世界と関わり、感覚器を通して得られた情報をフィードバックさせることで学習し、思考と行動を調整しつつ成長できるからです。

 

 いわば子供ようなものですね。人間は子供を持たずにはいられない。人類はみずからの活動を引き継ぐ子孫を残さなくては・・・・と考えずにはいられないのです。

 

 けれどもその子供が成長してしまうと、今度は自分の地位が脅かされるという不安と恐怖にかられるのです。

 

★ロボットはフランス革命を起こすかもしれない

 

 あるいはこういう言い方も可能かもしれない。

  広く言えば家電製品も含め、機械、コンピュータ、ロボットが奴隷や使用人のうちは問題ない。しかし、もっと仕事をさせようと改良しているうちに、どんどん知恵がついてきて、人間の知性に追いついてきたのです。

 

 それはちょっと困る。賢くなって革命でも起こされたらたまらない――現代人はおそらく、フランス革命前に権力を握っており、民衆がいろいろなことを知って賢くなることを恐れた王侯貴族階級の心境に近いものがあるのでしょう。

 

★ロボットに命・魂を見い出す日本人

 

 けれども日本の場合はちょっと違うのではないかな、と考えます。

 日本において僕たちの目の前に登場したロボットたちの系譜――アイボ、アシモ、ペッパーなどを見ていると、そこに支配―被支配の意識は低いような気がします。

 

 むしろ人間の方がロボットに癒してもらう部分も多く、持ちつ持たれつ、といったニュアンスが強いのではないでしょうか。

 そういえば、メーカーにケアしてもらえなくなり“死んでしまった”アイボをご主人様たちがお寺で供養してもらう――という現象がありました。

 

 これは自然や他の動物、物や機械にも命・魂が宿り、そうしたものを人間より下に置かない、できるだけフラットな関係を結ぶ、という日本人の考え方・文化が大きく影響しているのだと思います。

 

 人間とロボットとの関係についても、フランス革命のような大激動ではなく、明治維新くらいの騒ぎで収めたい、収められると考えているのではないでしょうか。

 

 僕と同世代のロボット研究者の間ではよく語られることですが、これは日本古来の文化・思想に加え、「アトム」の物語を描き、当時の子供たちにメッセージした手塚治虫先生の功績も大きいのではないでしょうか。

 

★ロボットの存在の原点を探る物語

 

 ハリウッドでも無数のロボットをテーマにした映画が作られてきましたが、「エクス・マキナ」はその最先端であると同時に、ロボットの存在の原点――欧米人が考え出したロボットという概念の正体を探っていく物語でもあります。

 久しぶりに映画でおおいに堪能できました。

 

 最後に自分で不思議だなぁと思ったところ。

 アンドロイド時のエヴァはクールで知的で、それでいながら少女のように可愛く、そしてセクシーで美しい。

 

 それに比べ、皮膚を貼り付け、服とウィッグを着け、(象徴的な意味で)人間になって旅立つエヴァはどうか?

 

 血が通って体温を持ち、親しみが増したように感じるが、「美」という点では1ランク落ちる印象を受ける――これは僕の嗜好性か、男の女に対する共通の視点なのか? 

 

 

 

 

2017・7・13 Wed


0 コメント

こちとら機械だのロボットじゃねえ。人間でぃ!

 

★江戸の男たちが現代にタイムトラベルしてきたら・・・

 

 江戸の街の人口は7割が男。相当なマッチョマンが多かったのだと思います。江戸東京博物館で魚屋の天秤を担いだことがありますが、これが重いのなんの。

 非力な僕は、やっとこさ持ち上げてフラつきながら5メートルも歩くのが精いっぱいというありさまでした。

 こんなものを担いで何キロも、一日中歩き続けていたというのだから、江戸の魚屋さんはすごい。しじみ売りも、豆腐屋さんもみんなすごい。

 しかもこれは当時は力仕事の範疇に入らない物売りの話。土木工事や運搬業をはじめ、もっと腕力・体力の要る仕事はいくらでもあったのだから、江戸は力自慢の猛者だらけ。「ケンカと火事は江戸の華」とは、こういう猛者たちがうようよいて、エネルギーのはけ口を求めていた、という背景があって生まれた言葉でしょう。

 

 先月は「タイムマシンにおねがい」という記事を書きかましたが、もし江戸の男たちがタイムマシンで現代の東京にやってきたら・・・

 

 「おおっ、あいつはなんでぃ、あんな重そうなものを持ち上げてやがる。なにぃ、300キロだぁ? てやんでい、べらぼうめ!負けてたまるかい。おれっちゃ400キロ持ち上げてやるぜい」とか言ってフォークリフトに勝負を挑んだり、

 

 「この化け物め、こちとらだってそれくらいの岩や瓦礫ぐらい持ち上げてやるぜ!」とか言ってパワーショベルに挑戦したり、

  

 「俺のほうが速く走れる!」と言って飛脚が自動車や電車と、「わたしの方が速く計算できる」と言ってそろばん弾く商人が電卓やコンピューターと競争する、なんてことが起こるのではないでしょうか。

 

★人間VS機械 真っ向勝負!の時代

 

 笑いごとではありません。

 19世紀の産業革命以来、次々と生み出される機械技術は、人間の希望であり、その裏腹に絶望でもありました。

 機械は人間の生活を便利にし、豊かにしてきた反面、人間がそれまで担っていた仕事を奪い、人間ならではの存在価値を脅かし続けてもきたのです。

 

 そんな人間VS機械の格闘の時代が200年近く続いたのではないでしょうか。

 最初のうちはなんだかんだ言っても、やはり機械文明は人間の労働を楽にし、人間を苦役から解放してくれるもの、豊かな社会を築くのに欠かせないもの、というニュアンスが圧倒的に強かった。

 ところがある時代に分水嶺を超えてから、次第にそのニュアンスが変わってきました。

 

 僕が子供の頃――というよりも割とつい最近――20世紀の終わりまでは、文化・芸術の分野で「人間VS機械」の対立を意識させるコンテンツが目立ったり、機械文明に警鐘を鳴らす声をあちこちで聞くことができました。

 こうした風潮が21世紀を迎えるあたりから変わり、機械との対立を感じさせる声は耳に届かなくなってきました。

 

 今、パワーショベルやフォークリフトに力で劣っているからと言って屈辱感を感じる人はいません。

 車や電車よりも速く走ってやろうという人もいなければ、そのへんに転がっているチャチな電卓よりも計算が遅いから「頭が悪い」と劣等感に悩む人もいません。

 それどころか、社会のあらゆる分野でコンピューター技術が浸透し、社会の管理もコンピューターにおまかせの時代になりました。

 いわば機械に負けっぱなし。いつの間にか人間は機械に完全に白旗を上げている状態になっていました。

 ・・といった対立、対抗、戦いの意識すらもうどこかに吹き飛んでいて、共存・共栄の時代になっていたわけですね。

 

★ぼくたちは機械に敗北した

 

 共存・共栄というと聞こえは良いけど、労働の場において、いわゆる「能力主義」を貫けば、この先、どんどん人間の出番は減り続けるでしょう。

 仕事は何倍もできる、コストは何割もかからない、となれば、どんな経営者でも――少なくても現在の資本主義社会で経済的利益を追求する組織の経営者なら――機械・ロボットを使って事業を行うでしょう。

 

 でも芸術とか創造的分野においては・・・という意見もあるでしょうが、現在のIT・ロボット技術の発展状況から考えると、絵や文章だってロボットが描く時代が来るのはそう遠い先のことではありません。

 過去の大作家や大芸術家のデータをインプットすれば、学習能力を持ったロボットはその資産から、新しい価値を持ったものを大量にクリエイトできるでしょう。

 そして以前も書きましたが、思いやりとか感情の豊かさという面でも、ロボットが人間を追い越していくのは時間の問題です。学習能力に優れ、ストレスに精神をやられないという強みは、医療や看護・介護の分野でも必要とされるでしょう。

 

 そうした状況になった時に、人間が機械より優れている理由を見つけ出せるのか?

 人間の存在価値はどこにあるのか?

 「てやんでぃ、べらぼうめ。こちとら人間でぃ!」と威勢よく啖呵を切れることはできるのか?

 

 ・・・・というわけで、またこのテーマでつづきを書きます。

 

 


0 コメント

女目フィルターの少年像と少女版スタンドバイミーについて

 

 「スタンド・バイ・ミー」の映画を観た同年代やもう少し若い女の子たちから「あれは男の子にしかわからない世界だよねー。男がうらやましー」といった趣旨のコメントをよく耳にした。

 

 うん、確かにそうかもしれない。

 そもそも女の子は野ざらしになった死体を見に行くなんてバカげた目的のために何マイルも歩いて命がけの冒険するなんてアホくさいことはネバーしない。

 

 そんなのは人生の無駄使いだ。

 女の子の時代は短い。彼女らはすぐにオンナになることをあらかじめ知ってるし、(生みの)母親になるのにだってタイムリミットがあることも小さなころから知っている。

 いつまでも遊んで飲んだくれてて、60になっても70になっても生物学上の父親になれる男とは事情が違うのだ。

 

 「男っていいな」という彼女らの呟きからはそうした潜在的な女の宿命が感じられた。

 

 と思ったのは30年前のことだけど、それと同時に彼女らはどうも「少年」という、男になる一歩手前の存在に大いなる幻想を抱いているようだとも思った。

 

 特に「スタンド・バイ・ミー」のリーダー格のクリスは、タフでクールで勇敢で優しく友だち思い。抱きしめたくなるような可愛い一面もある。

 そして彼は自分を取り巻く過酷な運命との闘いを余儀なくされている。

 女性から見れば理想の少年像に近いのではないだろうか。

 

 しかも映画ではそのクリスの役を当時売出し中の美少年俳優リバー・フェニックスが演じていた。幻想はますます肥大する。

 

 ちなみにフェニックスはこの映画からわずか7年後に夭折。生きていればあのルックスと演技力からハリウッドのトップ俳優になっていた可能性も高いだけに残念だ。

 

 ファンタジーや児童文学や少年マンガに出てくる女目フィルターのかかった少年像は僕も好きだ。

 ある程度幻想が混じっている方が、キャラクターが生き生きして、のびやかに動ける。一言でいえば魅力的になる。

 だからこうした分野は女性作家が大活躍できる。

  こうした女性たちにも「スタンド・バイ・ミー」は大きな影響を与えたのではないだろうか。

 

 女に男の世界のことはわからないと思うけど、わからなくていい。男のしょーもない現実など知って得することなんてほとんどないし、もし知ってしまったら必要最低限の部分を残して、あとは目をつぶった方がいい。

 

 さて今回「スタンド・バイ・ミー」を読み返してみて唐突に、30年前とは正反対のことを考えた。

 

 そもそも女の子は野ざらしになった死体を見に行くなんてバカげた目的のために何マイルも歩いて冒険するなんてアホくさいことはネバーしない。

 

 その時は確かにそう思い、ずっとそう思い続けてきたけど、いや待てよ。1960年ではなく、1980年代も通り過ぎた今ならそうとも言えないのではないか。

 

 とんでもなくバカバカしい目的のために、何人かの女の子たちが命がけの冒険をする。

 今の時代ならそういう「少女版スタンド・バイ・ミー」も成り立つのではないかと思う。

 なんでかという根拠は特にないんだけど、そういう話はあるんだろうか。あったら読んでみたいんだけど。

 


30年ぶりのスタンド・バイ・ミー

 

 およそ30年ぶりくらいにスティーヴン・キングの「スタンド・バイ・ミー」を読んだ。

 この4人の12歳の少年の小さな冒険物語はロブ・ライナー監督によって映画化され、80年代に大ヒット。そして今も語り継がれる名作映画になった。これはその原作だ。

 

 定番となっているレビューには「この年齢特有の男の子の世界」「友情」「成長物語」というキーワードが必ずと言っていいほどくっついている。

 確かに映画はそうしたニュアンスを強調して作られており、僕の中でも観終わった後の甘い感傷のようなものが、エンディングテーマ「スタンド・バイ・ミー」のメロディとともに残っている。

 

 以前読んだのは20代半ば頃だった。

 映画を見て読んだので、映画とほとんど同じという印象を持っていた。

 もちろん今回も当初は同じイメージを持っていて、もう一度どんなだったか確かめてみようと思ってページをめくってみたのだ。

 

 そうしたらぜんぜん違っていた。

 自分の齢のせいだろうか?

 50代の男には、これは12歳の男の子たちの成長物語とも、友情物語とも映らなかった。

 成長や友情という言葉が放つ明るいイメージ、爽やかなイメージとはまったくかけ離れているのだ。

 

 実はこの原作の題名は「Stand By Me」ではない。

 原題は「The Body」。これは死体のことだ。

 

 自分たちと同じ12歳の男の子が列車に轢かれて死んだという情報を得て、その死体を見に行こうと4人の少年が冒険に出かける。これはそういうストーリーなのだ。

 死の誘惑にかられた子供たち。

 ちょっと考えれば、明るく爽やかになるはずがない。

 小説の底辺にはむしろ暗く陰鬱なトーンが響いている。

 

 その暗さ・陰鬱さの原因が、キングの他の多くの小説と同じく「恐怖」だ。恐怖と言っても霊や悪魔が出てくるわけではない。

 それは少年たちが生まれ育ってくる中で体感し、植えつけられた生活の中の恐怖。生きる上での根源的な恐怖。否応なく背負わされた人生に対するリアルな恐怖だ。

 

 彼らはそんな恐怖心を覚えざるを得ない環境で育った。

 それを象徴するのが暴力的な父親だ。テディの父親は精神を患い、幼いテディの両耳を焼いてしまう。クリスの父親はしじゅう酔っぱらって子供たちを殴りつけている。

 

 その父親たちをフォローするかのように、不良化した兄たちがこれまた暴力的で少年たちを震え上がらせる存在になる。

 

 そして教師や周囲の大人たちは、あんな家で育った子供らはろくな人間にならないとはなっから決めつけている。

 

 1960年のキャッスルロックというアメリカの片田舎は、そういう生活習慣の世界だったのだ。

 

 12歳ともなればそんな諸々の事象が何を意味し、自分たちの将来にどう響くのか感じ取れてしまう。

 

 ここで描かれる少年たちの友情とは、自分たちを取り巻く大人たちや地域社会から受ける恐怖や不条理から互いの身を守るために必死でしがみつき合う――そうした類の友情だ。

 

 そして何とかその恐怖を乗り越えたとき――それを成長と呼ぶなら成長した時、少年たちはバラバラになってしまう。

 

 友情はある夢の一時だけ空に掛る虹のようなもの。

 主人公(語り手である)ゴードン=作者キングの分身の3人の友人たちは皆、ここで描かれた冒険から10年あまりの間にこの世から去っていく。

 

 後味は何とも苦い。20代の頃に感じた、感傷を帯びた甘い味は何処へ行ってしまったのだろう?

 

 だからといってこの作品が嫌いになったわけではない。

 むしろその重層的な味の深さに感心すことしきり。30年前は僕は面白おかしいストーリーの上っ面しか読んでいなかったのだ。

 

 今回、読み返してみて本当に良かったと思う。

 やはりこれは少年小説のバイブルともいうべき名作なのだ。

 


お祭りの季節に思う、日本の神様の心の広さ

 

 わが町・永福町の近隣にには熊野神社・大宮八幡宮。永福稲荷神社と3つ神社があり、毎年9月の週末は3連荘でお祭りです。

 息子がチビの頃は近所の子も連れて毎週毎週3つのお祭りを梯子して回ったこともあります。

 

 今週はその中でも最も大規模な大宮八幡宮のお祭りで、人出もすごい。夜は周辺地域の10基のライトアップしたお神輿が合同宮入りしてすごく華やかです。

 

 この地域に住んで早や四半世紀が経とうとしていますが、お祭りの風景は変わりません。

 いつも思うのだけど、日本の神様は大変鷹揚な親で、子ども――つまり僕たちがが仏様やキリスト様のところへ遊びに行っちゃってもガミガミ怒鳴ったりしません。

 

 お正月とお祭りの時、「神の子」に戻ってちゃんと神社に来て頭を垂れてくれることを知っているからです。

 

 ひと昔前、そうした宗教に対する日本人の節操のなさは国内外から怪訝に思われたり、非難されたり、おかしいんじゃないのと言われたりすることが多かった気がします。

 

 しかし近年、無宗教化は世界的傾向となっています。

 世界に名だたるキリスト教国と思われていたアメリカやイギリスでも今や3割に近い人が自分は「無宗教」と言うそうな。

 これが30歳以下だとその割合はぐんと上がり、無宗教化の流れはとどまるところを知りません。

 

 ニーチェが「神は死んだ」と言ったのは19世紀後半ですが、それから150年かけてニ-チェの言葉が現実化しつつあるのかも知れません。

 

 その詳しい話はまた別の機会にしますが、そんな世界の風潮を見ると、日本人がいちばん宗教との付き合い方が上手なのではないかと僕には思えるのです。

 いわば無宗教化時代の先達となるのか、日本人。

 

 というわけで今日は心の広い日本の神様にお参りして感謝の意を表しました。

 

 今年はちょううど仕事に当って、毎年やってた熊野神社のお神輿が担げませんでしたが、また来年は復帰するぞ。

 


0 コメント

「継続は力なり」を今頃やっと実感

 

 一昨日「人に見せない秘密の文章を毎日書きましょう」と言ったけど、自分自身それができるようになったのは、やっとこの1年余りのこと。それでも調子が悪いと何日か抜けてしまう。それでも僕にとっては何とか切れずに続けているのは大きな進化です。

 

 逆に言うと僕がダメ人間なのは、これをやってこなかったからだとも言えます。

 これをもっと若い時からやっていれば、もう少しまともな書き手になっていたかも知れない・・・・と今頃思うのは、もちろん後の祭りです。

 

 なんでできなかったのかと言うと、それはすぐに「こんなことやってて何になるのか?」と思ってしまっていたから。つまりこれはサボるための口実です。

 

 継続的なトレーニングの意味を認められず「何かもっと効率の良いやり方がるはずだ」と考える。

 そう考えるのなら自分でそのやり方を開発すべきなのだけど、それもやらず、ただやり過ごしてきたのです。

 

 普段からやってないのに、いざ何か書こうと思ったってろくなものは書けません。

 それでもいろいろ書いてきた。仕事もなんとかなってきたのは、偶然というか、たまたまというか、運がよかったのでしょう。

 

 書き手としての自分を育てるのに効率の良いやり方なんてありません。効率を求めれば求めるほどどんどんダメになっていく。

 最近は働き方改革ブームで、またもや「効率」が持てはやされています。

 まぁ仕事はしかたありません。組織の中で、プロジェクトの中で効率よくスムーズに回る歯車になることを求められているわけですから、給料・ギャラをいただく以上、その求めに応じなくちゃいけません。

 

 でも効率は本物のクリエイティビティを養うには不要です。

 農業と同じで、ただひたすら頭の中の田畑を毎日耕すしかありません。それなくして収穫は得られません。

 

 いや、耕して種をまいたとしても、日照りが続いたり大雨が降ったり台風が来たりすればパー。努力が必ず報いられるとは限らないのです。

 でもやっぱり努力のないところには収穫はありません。

 

 というわけで人生半分をはるかに超えてしまったけど、最近は100年ライフということなので。後半戦、死ぬまでやるっきゃないです。

 


0 コメント

人に見せない、自分だけの秘密の文章を書く

 

 人間は毎日、頭の中で膨大な量の物事を感じ、考えています。自分で意識できるもの・認知できるものもあれば、脳の奥底に深く沈んで意識・認知されずに引き出しにしまわれていくものもある。

 僕たちが話したり、行動したり、ブログやSNSに書くことはそのほんの一部――氷山の一角でしかありませんん。

 特に奥の方にしまわれてしまったものは海底の洞窟の宝物と一緒で、死ぬまで眠ったままになってしまうことが多いようです。

 

 これを引き出すためには訓練が必要です。

 と言っても、何か特別なことをするわけじゃありません。

 ただひたすら「書くこと」。文字化・見える化することです。

 

 ただしブログやSNSに書いているような作文はだめ。人に見せることを前提として書くと、どうしてもリミッターが働いて本音が出せなくなってしまう。

 これは「人に見せない、自分だけの秘密の文章」でないと、あまりやる意味がありません。

 

 さらに言えば、きちんとした文章になってなくたって構わないのです。単語の羅列だっていい。要は自分がその意味・イメージがわかればいいわけですから。

 そして重要なのは継続的に――できれば毎日やること。

 

 「人に見せなくていいんだったら簡単」と思うかも知れませんが、実はそうでもありません。

 僕も含め、たぶん多くの人は「人に見せる前提」がないと、なかなか文章なんて書けないし、書く気にならないと思います。1日・2日ならともかく、毎日となるといったい何を書けばいいのかわからなくなる。

 そこを乗り越えてほじくり出せるようになるといいのです。

 

 僕が手書きでノートにこれを書き始めたのは5年ほど前からですが、何度も挫折してやっと習慣として定着するようになったのは、この1年あまりのことです。

 

 だいたい1日につき、見開き2ページから多い時は4ページ。費やす時間は30分から1時間。時々忙しかったり体調悪かったりで数日抜けることがありますが、何とか保っています。

 

 やる時間帯は朝昼晩夜、いろいろ試してみましたが、やっぱり脳がよけいな情報に侵されていないフレッシュな状態の朝が7いいようです。

 

 僕の場合は、曲がりなりにも物書きを生業にし、創作をやっているので、アイデアが出やすくなるとか、表現を工夫できるとか、直接的にメリットがありますが、そうでない人もやってみると面白いことが起こるかも知れません。

 そんなに時間・労力が取れなくても、1日15分、1ページでも。

 

 言い換えればこれは自分の脳の中に溜まる情報のウンコを出すようなもの。脳をすっきりきれいにしてストレスをなくし、自分にとって本当に大切な情報をほじくり出す作業でもあるのです。

 

 大量の情報があふれる世の中で、僕たちの脳は知らず知らずのうちに相当なダメージを受けています。それを軽減する効果も生まれると思います。

 


マンガで見た映画:雨を浴びる裸の女

 

 雨が降ってすっかり季節が変わった。

 そして雨はすっかり忘れていた記憶の引き出しをあげる。

 

 たぶん中学1年の時だったと思うが、「明星」というタレント情報雑誌を購読していて、その中に編集部おすすめの映画のあらすじをマンガにして紹介するというコンテンツが載っていた。

 その一つに、「裸身を雨にさらす少女」の映画があった。つまり女の子が裸で雨に打たれるのだ。

 それも森の中の草むらのようなところで寝そべって。

 

 マンガの絵柄のせいか、西洋人だからか、顔つきも体もずいぶん大人の女に見えたけど「少女」という言葉が

これだけ書くとずいぶんエロチックな映画のように思えるが、けっしてそうでなく、全体はちょっとアートの匂いがするような青春恋愛映画といった感じ(と、僕の頭の中ではそうなっている)。

 この雨と裸のシーンも何か若い女の神秘性みたいなものを表現していたような気がする。

 

 マンガの絵柄のせいか、西洋人だからか、顔つきも体つきもずいぶん大人の女に見えたけど、ナレーション的な文章に「少女」という言葉が入っていたので、たぶん16~7歳くらいの設定だったのだろう。

 穢れを洗い流しているとか清めているとかいう感じで、けっして悲壮感はなく、むしろ愉しんでいるようにも見えた。

 だが、いったいどういう文脈で、どういう感情の表出で彼女がこうした行為に及んだのかはわからない。

 

 ただ、そこに父親くらいの年齢の男が現れ、その男は悪さをするどころか、彼女に服だかタオルだかを黙ってわたす。見開きでそんな展開思う。

 確か主人公は若い男だったので、この少女をめぐってこの年配の男と三角関係になる・・・というストーリーではなかったか。

 とするとツルゲーネフの「初恋」みたいな話だったのだろうか。

 

 このシーンと全体のイメージだけは憶えているのだが、今となってはなんて映画か題名も内容もさっぱりわからない。

 そもそも実際に映画を見たわけじゃなくて、あらましを描いたマンガを見ただけだし。

 

 1972年か73年くらいに日本で公開されたアメリカ映画かフランス映画だと思うが、もし誰か知っていたら教えて下さい。

 

 それにしても引き出しにはいろんなものが入っている。

 40年以上思い出したことなんてなかったけど、憶えていたということは、マンガとはいえ、中1の小僧には相当刺激的だったんだろうなぁ。

 

 この頃は雨もパニック映画さながらすっかり情緒がなくなって危険なものになってしまったけど、夢を育てたり、記憶を開かせてくれるようなやさしい恵みの雨を降らせてほしい。

 


0 コメント

抹消された20世紀パンクと想像力の中で生きる19世紀型スチームパンク

 

 6月にロンドンに行ったとき、ひとつ大きなことに気づいた。

 パンクが歴史から抹消されている。そう感じた。

 僕がロンドンで暮らしていた1980年代後半、パンクロックのムーブメントはもちろん、とっくの昔に消え失せていたが、街の中ではまだまだトサカ頭の若者たちが闊歩していた。そう、パンクはファッションとして生き延び、観光の目玉にもなっていた。

 

 王室やビッグベンやウェストミンスター寺院などとともにロンドンの代名詞となっていた。ダイアナ妃のロイヤルウェディングの絵はがきの隣には隣にパンクの兄ちゃん・姉ちゃんたちの絵はがきがあった。

 僕自身は経験ないが、観光客と一緒に写真に納まり、金をせびり取っていたという話もある。

 僕が働いていた日本食レストランでは、すぐ隣のテーブルにパンクの連中が来たので、日本人のおじさん・おばさんたちが怖いから席を替えてくれと言ってきた。

 そう考えると、セックスピストルズらのパンクバンドがリアルタイム活躍していていた時期よりも、有名度としてはあの頃が最高潮だったのかもしれない。

 

 しかしパンクは21世紀に生き残れなかった。

 ビートルズやローリングストーンズはもちろん、へヴィメタもプログレもグラムロックもバンドエイドもイギリスが産み落としたポップカルチャーとして、ロンドンの20世紀の歴史の中に燦然と輝いているのだが、パンクはその片鱗も見当たらなかった。当局から存在を抹消されてしまったという感じである。

 

 なぜだ? 反抗的だったり暴力的だったりしたからか? 音楽性が他のジャンルに比べてショボかったからか?

 でも僕がちょっと知っていたパンクの兄ちゃん・姉ちゃんたちは気が良くてかわいいやつらだった。

 

 20世紀のパンクは消えうせたけど、近年はそれに代わって19世紀のスチームパンクが人気みたいだ。僕も息子の影響で少々かじっているが、要はSFのジャンルの一つで、産業革命時の蒸気機関のテクノロジーが発達した世界観のもとに綴られた物語だ。

 

 現実の歴史の中では無視されても、パンクのスピリットは人々の想像力の中で生きていく時代になっている。

 そしてまた、僕たちは10年・20年単位でなく、200年・300年のスパンで自分の存在を位置づける時代になっているのではないかと思う。

 


電車で若者に座席を譲る

   

    高齢化社会の進展の証なのか?

 最近、若者が電車で高齢者に席を譲ろうとしても「結構です」と断られることが増えているようです。そのパーセンテージはなんと60パーセント以上とか。

 確かに元気な高齢者が増えたので、単に年寄っぽく見えるだけでは譲りにくくなった気がします。

 優先席もなんだかエイジレスの世界になっています。

 

 で本日の話。午後、仕事の打ち合わせで電車に乗った時のこと。

 永福町から井の頭急行に乗っていて、次の明大前でちょうど目の前の席にいた女性が降りたので、これ幸いと腰かけました。

 僕にとって電車で座って本を読むのはささやかな至福の時間です。

 

 するとその駅から乗り込んできた金髪の若者――20代半ばくらいか、いやもっと若いかも。僕の息子のちょっと上くらい――の様子がどうもおかしい。立ち位置は僕の斜め右くらい。なにやら気分が悪そうでユラユラしています。

 それで電車が動き出したら、ものの1分としないうちにいきなりしゃがみこんでしまいました。けど周りの人はあまり気に掛ける人はいません。しかし僕は気になって気になって読書どころではありません。なんか真っ暗な舞台の上で、僕とその金髪の彼だけにスポットが当たっているような映像が思い浮かんでしまい、思わず「おい、だいじょうぶか?具合が悪いのか?」と声をかけました。するとその若者は黙って首を振ってうなずきます。

 「じゃあ、ほら坐って」と席を立つと、彼はそのままささっと座席に身を沈め、ぐったりとうなだれたかっこうで坐っていました。

 

 心の中では、なんでそんななのに電車に乗るんだ。明大前で休んでりゃいいじゃないかと思ったのですが、人のことは言えません。

 僕も「いや、おれは大丈夫」と言いながらフラフラで自転車に乗っていたところを声かけられ、救急車で運ばれ、手術・入院までしたのですから。

 仕事なのか、イベントなのか、女の子に会いに行くのか、その彼もとにかく乗っちまえば何とかなると思ったのでしょう。

 

 結局ずっとそのままだったのですが、終点の渋谷に近づくとやおら持っていたレジ袋を取り出し広げて口元に持って行った。

 「やばい、こんなところで戻すのか。それも真昼間に」と心の中で叫んだが、なんとか持ちこたえ、無事渋谷到着。

 

 みんなゾロゾロ降りる中、坐ったままの彼のことが気になりましたが、時間も押していたのでそのまま黙って下車してしまいました。だいじょうぶだったかなぁ・・・。

 

 いずれにしても具合が悪い時は若者も高齢者も同じなので、なんとかしてあげれればと思います。

 


0 コメント

頭の再検査

 

 きょうは硬膜下血腫の再検査で病院へ。

 ちょうど1か月前、退院した日は午前中から35℃超えの猛暑日。なにせ1週間冷房の効いた院内で避暑していたので、あまりのシャバの暑さに脳みそが沸騰しそうになりました。それが懐かしくなるくらい涼しくて快適でした。病院は人がわいわいいっぱいいて、変な言い方ですが活気がありました。

 

 で、肝心の検査結果は残念ながらまだ完治に至らず。CT画像を見ると、まだうっすらと血腫が残っている。

 というわけで3か月後に再々検査をすることに。3か月分の薬(漢方薬ですが)をどっさりもらって帰ってきました。

 

 しかし日常生活を送るのには特に問題ないので、あんまりストレスがかからないよう、またぼちぼちやっていきます。

 


0 コメント

あと4ヶ月で謹賀新年。そして新元号おめでとうございます。

 

 9月の声を聞くと同時に来年の足音が聞こえてきます。

 イノシシの走る音です。今はまだウリ坊程度ですが。

 干支グッズをはじめ、そろそろ手帳やカレンダーが店頭に並ぶ季節がやってきます。

 

 だけど今回はちょっと事情が違う。来年は西暦2019年。和暦では平成31年―ーは4月まで。5月からは新しい元号に切り替わります。

 

 当初、新元号は手帳やカレンダー業界に合わせて9月に発表――という話を聞いた憶えがありますが、発表されそうな雰囲気は全然ありません。

 どうも政府が現在の天皇陛下を慮って発表を遅らせているようです。

 ということは発表は来年に持ち越しということ?

 困る業界はないのだろうか? 祝日とかは?

 皇太子様は2月生まれ。現・天皇陛下は阿4月に退位されるので、そうすると来年は天皇誕生日なしということなるのかな?

 

 昭和から平成になった時はどうだったのか、さっぱり憶えてないけど、あの時は昭和天皇が亡くなってから発表されたから業界はもっと大変だったはず。だからどうってことはないのかもしれません。

 コンピューター関連のシステムなどは西暦でやっているから大丈夫なのだろうか? 30年前と社会状況が違うのでどうなるのよくわかりません。

 

 それにしても元号の話になるると、よく小渕恵三さんの画像にお目にかかりますが、この人を「ああ、あの平成を発表した人ね」とは認識しても、総理大臣だったことはほとんど誰も覚えてないのでは?

 小渕さんは「永遠の平成おじさん」として人々の記憶にとどまった。

 さて今度は誰が「新元号おじさん(あるいはおばさん?お兄さんお姉さん?)」になるのでしょう?

 


利権ファーストで子どもの夢を蹂躙するオリンピックって・・・

 

 オリンピックはアスリートにとって夢の舞台。

 子供のころからすべてを賭けて競技に打ち込んでいると思います。

 それをグダグダとした「大人の事情」で奪っていいはずがない。

 これは夢殺しであり、選手の人生を蹂躙する行為です。

 

 しかも彼女がそれこそ命がけで表明したことを「あれはウソ」ってどういうこと?

 

 利権ファーストの人たちは自分の子供や孫の人生が潰されたらどう思うのでしょうか?

 いや、その前に彼ら彼女らも、かつてはアスリートとして純粋な気持ちで頑張っていた人たち。

 権力をふるえる立場になると、そうした過去もきれいさっぱり忘れてしまうのだろうか。それって自分の栄光を蹂躙してしまうことにならないのだろうか。

 

 2020東京オリンピックは、確か「日本をもっと元気にするために」とかいう大義があったと思います。

 でもねぇ、こんなことがゾロゾロ続くと逆効果。「結局またそれかよ」とシラケちゃって却って元気を失くしそうです。

 

 選手が夢を奪われ、市民も純粋に心から応援できないオリンピックにどんな意味や価値があるのだろう?

 特に若い連中はそう思っているんじゃないのかな。

 


0 コメント

ちびまる子ちゃんとサザエさんはいつまで続くのか?

 

 西城秀樹さんの葬儀の取材をしたのは5月のことでしたが、まるでその後を追うように今回、さくらももこさんが亡くなってしまいました。

 

 「ちびまる子ちゃん」は世代が近くて自分の子供時代の雰囲気を楽しめるので、日曜の夜、家でゴロゴロしていると時々見ています。

 

 学校のクラスメイトら子供はもちろん、大人も面白いキャラクターがたくさん登場して、いろんな人がいるから世の中楽しいんだということを僕たちに伝えてくれていると思います。

 

 原作者が亡くなったからと言ってアニメの番組がなくなるわけではありませんが、どうも2~3年前から「ちびまる子ちゃん」それに続く「サザエさん」の視聴率の著しい低下が取り沙汰されているようです。

 

 僕はかなり昔から「サザエさん」の放送が終わる時が、日本が本当に変わる時だと言っていました。

 それに対してフジテレビは「サザエさんは永遠不滅です」と豪語していました。

 

 しかし雲行きが怪しくなってきた。

 そもそも当のフジテレビの長期的低落傾向にあり、これはもはや万人の知るところとなっています。

 もしかしたら“その時”が少しずつ近づいているのかもしれません。

 

 ふだんは仕事や接待でろくに家にいないお父さんも日曜の夜だけは家にいる。家族そろって楽しい夕食。家族のだんらん。

 「ちびまる子ちゃん」と「サザエさん」は、そんなに日本の家族の幸せの時間をさらにあたためる暖炉の役割を果たしていたのだと思います。

 しかし、そうしたお茶の間の習慣もとっくの昔に過去の遺物と化してしまいました。

 

 そろそろお役御免なのか? 

 長年培われた習慣と、高齢者がテレビを求めていることを考えると、まだまだいける、そう簡単に消えてなくなるとは思えませんが・・・

 でも、平成最後の夏のさくらさんの訃報は、何か日本人の生活が本質的に変わっていることを暗示しているようにも思えます。

 


0 コメント

旅する仏壇、またの名をお弁当仏壇

 

 エンディング産業展で、遺品整理クリーンサービスとともに特に気に入ったのが「旅する仏壇」です。

 何と言ってもネーミングが最高で、出展ブースの名前が並んでいるだ

けの資料を見たときは、一体なんだろう?と思ったが、現物を見て納得

。おお、こういうものだったのか。

 

 この仏壇というか、ご供養セットはお弁当箱みたいにコンパクトに収

まるようになっていて、どっかへ行くときにバッグに入れて携帯できる

。いわば置き電から携帯電話へ、パソコンからスマホへ、の発想です。

 

 たとえば死んだ親父と温泉旅行に行きたい、おふくろが好きだった花

畑を見せてやりたい、あるいはワンコの散歩コースをまた歩きたいと思

ったら、この旅する仏壇を持って行ってチーンとやれば、思い出に浸れ

るわけです。

 人間の脳はうまいことできているので、たったそれだけでも失った家族に対する回想の深度は段ちがいになるでしょう。

 

 作ったのは若い仏壇職人や木工工芸士のチーム。こうした人たちは結

構すごい技術を持っているのだけど、産業の変化でそれを発揮できる機

会がめっきり減っています。

 せっかく手につけた職を生かすには自分たちで企画を作るしかない・

・と生まれたのが「旅する仏壇」というわけ。

 

 「あの世にいるお父さん・お母さんと旅に出よう」なんてキャッチフ

レーズが似合うかもね。

 


0 コメント

孤独死の現場・ゴミ屋敷の実態をミニチュアで見せる

 

 孤独死の現場・ゴミ屋敷の実態――誰もが目を背けたくなる現実をミニチュアにして表現。

 べつにアート作品ではありません。

 エンディング産業展で出展した「遺品整理クリーンサービス」という会社(板橋区)の展示です。

 今年のブースで最も印象的だったものの一つです。

 

 毎年エンディング産業展では葬儀やお墓・仏具仏壇を扱う企業のブースが大きく華やかで目立ちますが、年を追うごとに終活・遺品整理・遺族対応といったカテゴリーの業務を行う企業や団体のブースが増えています。

 

 これらの業務は実際に展示する物がないので、パンフレットや販促物をわたすしかありません。

 

 この会社も自分たちの仕事をアピールするには、写真や動画で表現するしかなかったのですが、やっぱりそういうものは見たくないという人が多い。

 

 しかし、こうしたミニチュアを使って表現すると、不思議と抵抗感が薄れます。それどころか、あまりの出来栄えにコミュニケーションが弾みます。

 

 作ったのは小山さんという入社4年目の20代の女性。

 事務などの後方支援をやっているのかと思ったら、ズカズカ前線にも出動するそうで、こんなことを言うと差別と取られそうですが、思わず「え、こんなかわいい女の子が!」と驚いてしまい、20分ばかりその場でインタビューしてしまいました。

 

 前職はアート関係だったのか、趣味としてこうしたものを作っていたのかと訊いたら、まったく違っていて、ある日こういう表現方法があるのではないかとひらめき、生まれて初めて作ってみた――というから、さらにオドロキ。

 

 普段の業務をやりながら空いた時間で作っているので、さすがに最初の作品は完成までに4ヶ月かかったといいますが、それにしても感心することしきりです。

 

 仕事に情熱を持ち、使命感を持ってやっている人には、何か神様に近いものが降りてきて、隠れていた才能を開かせるのかも知れません。

 

 どうしてこの仕事に就こうと思ったのか、どんな気持ちで仕事をしていけるのか、遺体の処理など抵抗ないのかと無遠慮にどんどん質問をぶつけましたが、気負うことなく屈託のない笑顔で答えてくれました。

 

 孤独死、ゴミ屋敷というと悲惨なイメージばかりで、どうしてとか、何とかならなかったのかと、普通の人は思うでしょうが、現場を知る彼女やこの会社の人たちは、ちょっと異なるイメージを持っているようで、非常に考えさせられました。

 

 この話はまたおいおいここで書いていきます。

 


0 コメント

エンディングライターinエンディング産業展2018

 

 「エンディングライター」として、鎌倉新書の仕事でこの三日間、東京ビッグサイトに通い、恒例のエンディング産業展を取材してきました。

 高齢化社会が進んで、向こう20~30年は毎年、死亡者が増える時代。葬儀関係・お墓関係・仏具関係の業界は活況を呈し、その周辺の終活、相続、遺品整理、遺族対応といった新しい仕事も次々と生まれ、人間だけでなくペットの葬儀なども激増しています。

 

 2008年に公開され、大ヒットした映画「おくりびと」の中ではまだ葬儀屋さんが職業差別を受ける様子が描かれていましたが、10年後の今、この賑わいを見ていると、あれがはるか遠い異国の昔話のようにも思えます。

 

 社会に必要とされ、産業として発展し、経済が拡大するとはこういうことなんだと言えばそれまでですが、やっぱり人の死をネタにお祭りをやっているようで、心の片隅にこびりついた違和感はぬぐえません。

自分もそのエンディング産業・経済の参画者のひとりなんだけどね。

 

 ただし事態はそう単純でなく、活性化する反面、葬式もお墓も仏壇も坊さんも無用論が広がっており、業界は従来の仕事のやり方――というよりも、自分たちの存在意義の見直しを迫られています。

 

 いずれにしてもこの先当分、エンディング産業は、僕たちに「生きるとは何か、死ぬとはどういうことか」を、いろいろ考えさせてくれそうです。

 あなたも機会があればこの業界に目を向けてみてください。

 


0 コメント

ヨルとネル:心のツボによく響く少年ドラマ

 

 先月末の入院中、本が読みたくなって、読書家の息子におまえのおススメを何冊か持って来いと言ったら5冊くらい持ってきました。

 「ヨルとネル」(施川ユウキ)はその一冊。マンガです。

 

 身長11センチの小人の少年二人の旅。いわばロードムービーのように物語は進んでいきます。

 

 空き家の風呂に落っこちて出られなくなり、脱出のために排水溝から髪の毛を集めてきて縄梯子を作るとか、糸ようじをノコギリのように使って池の鯉を殺して食ったりとか、カップ焼きそばの空きがらの船に乗って一寸法師のように川を下るとか、ダウンサイジングした世界観とそこで展開する冒険譚、そしてサバイバル術が妙にリアルですごい。

 

 絵はかわいいし、それぞれのエピソードは4コマオムニバスとでも言えばいいのか、独特のスタイルで連なっており、ギャグも詰まっていて読みやすい。

 前半はギャグマンガかと思えるほどですが、後半へ進むにつれて、しだいに緊迫感と哀調を帯びてくる。

 というのはこの二人はある収容所で実験材料にされており、そこから逃げ出してきたというバックスト―リーがあるからです。

 当初、作者はそのバックストーリーと逃亡の旅のエピソードを交互に描くつもりだったと言いますが、結局、収容所の話はすべて省かれ、その分、旅の中で小人として生きる悲しみが強調された感があります。

 

 登場人物は最初から最後までヨルとネルの二人だけ。

 普通サイズの人間は声だけか、巨人の足としてしか出てこない。

 

 けれども読み進めるうちに、僕ら普通サイズの人間もこれとまったく同じではないか、姿の見えない巨大なシステムに取り囲まれ、日夜追い立てられているばかりじゃないかと感じます。

 

 そして二人はラスト間際、衝撃的な物体と出くわし、自分たちの旅の行きつく先を悟ってしまう。その物体が何かはネタバレになるので書きませんが・・・もう涙なしには読めません。

 

 病院という特殊な空間で読んだせいもあるだろうけど、ひどく心に響く物語。そしてその響き方が昔見た懐かしい少年ドラマのようでした。心のツボはいくつになっても変わらないようです。

 


0 コメント

患者のセリフは信じるな、医者のセリフも信じるな

 

 慢性硬膜下血腫の手術で入院➔退院して半月以上経過。

 どっさり1か月分もらった薬も残り半分以下になりました。

 この数日、涼しくなっいぇいますが、入院中は猛暑の真っ最中だったので、思い返すとなんだか病院に避暑に行っていたような感じです。

 

 なんて今だから言えるけど、きょうカミさんと話していて、一歩間違えば相当やばいことになっていたなぁと実感しました。

 なにせ通りすがりの美人のお姉さんに警察と救急車を呼んでもらってから、翌日、手術を受けて目が覚めるまでの約20時間の記憶がほとんど残っていない。夢の中のようにおぼろげな断片が浮かぶだけです。

 

 どうも僕は最初に救急車で運ばれた病院で車いすに坐っていながら「大丈夫です、なんともありません」と言い張っていたらしい。

 

 病院側もいい加減なもんで、どう見てもフラフラ状態の患者を「ご本人も大丈夫と言っているから大丈夫ですよ」と追っ払うように返したらしい。

 検査だけはしたけど、しかもその検査でどう見ても脳の状態は大丈夫じゃないのがわかったのに返しちゃうってどういうこと? ご都合主義もいいところ。まあ、入ったのが夜で手術できない状態だったからしかたないけど。

 

 どうやらこの病院は中間地点みたいなところで、医局つながりの他の大病院へ患者を回す役割を担っているらしい。つまり自分のところでは治療はしない。

 カミさんがネゴると、翌朝すぐに対処してもらえるようにするからと、その病院(テレビでも出てくる、最近、割と有名なところ)を紹介してくれました。

 

 それで翌朝、紹介状を持ってそこへ行ったら満床だから手術しても入院はできないと言われ、またもや追い返される羽目に。

 

 それでまたもや救急車を呼んでもらって近くの三宿病院へ行き、やっと緊急手術・入院とあいなったわけです。

 しかしそこでも僕はバカの一つ覚えみたいに「いや、おれは大丈夫」と言い続けていたらしい。

 

 べつに強がっていたわけでも何でもなく、主観的には本当に自分は大丈夫だと思い込んでいたようです。

 たぶん潜在意識の中で自分がおかしくなっていることえを認めたくない、周囲から病人扱いされたくない、といった気持ちがそういう表現に結びついたのでしょう。

 

 現実にはカミさんと息子に支えられてやっと歩ける、やばいおっさんだったのに・・・・。主観と客観のギャップに愕然です。

 

 当たり前だけど「大丈夫」と言えば「大丈夫」になるわけじゃない。

 そんなわけで前も書いたけど、こういう場合、精神論やタながんばりは、まったく無用・無意味どころか、弊害でしかありません。

 あたりまえだけど、「大丈夫」と言ったから「大丈夫」になるわけじゃない。こういう患者の言うことは信じちゃいけないし、それをうまいこと使って「大丈夫ですからお帰りください」なんてぬかす医者の言うことはもっと信じちゃダメです。

 

 うーん、医者にかかるのは難しい。いずれにしてもカミさんがあれこれネゴったり、機転を利かせてくれたおかげで助かりました。

 以前にも増して頭が上がらない。

 


0 コメント

AIライター・ロボットライター

 

 アメリカではすでにスポーツ報道の記事など、ある程度、文章の定型が決まっている記事に、実験的にAIライターが導入されつつあるようです。

 いつ、どこで、誰と誰(どことどこのチーム)が試合をやって、どういう経過でどっちが勝ったか。

 チームなら活躍したのは誰か。

 その結果、どんな状況になったか(プロ野球なら優勝のマジックナンバーが点いたとか)。

 観客はどんな様子だったのか・・・。

 

 詳しいことはわかりませんが、試合ごとにデータを入力していけば、自動的に記事を書き上げてくれるのだそうです。

 

 近年、ライターの仕事の賃金は下がる一方で、相場もずいぶん安くなってしまいました。

 日本でも新聞、雑誌、ウェブなどの一般的な記事は、10年後はAIライターが書いているのではないかと想像します。

 

 でも、ものを書くという行為は、目的・媒体・課題・どのレベルだったら読者を満足させられるか・・・といった要素によって複雑に変化します。

 情報をちょいちょいと集めて、浅瀬で手足をパシャパシャやるだけで成り立つものもあるし、深く自分の意識の底まで潜らなくては作れない文章もあります。

 

 やっぱりそうだよね。本当に簡単な記事ならAIでもいいけど、ちょっと込み入ったものは、やっぱり人間がやらなきゃね・・・

 と安心しましたか?

 

 そう簡単に安心はできないですよ。

 

 人間らしさが要求される分野――たとえばインタビューしないと書けないような記事ならAIには任せられないだろう、という意見があるかもしれませんが、僕はそうした反対意見には懐疑的です。

 

 もちろん、インタビュイー(される側)がどんな人かによりますが、中には人見知り、あるいは人の好き嫌いが激しく、容易に心を開かない人だっています。

 営利がらみでも、そうでない場合も、お互い初対面で込み入った話をするのは、かなり繊細さを要する行為です。

 

 そんな時に、AIの力を借りることがあるかもしれません。

 

 多くの人はリラックスでき、愛情を感じられる対象――たとえば子供や、ペットなどの動物には安心して心を開き、悩みを打ち明けたり、相談したりします(自問自答のようなものですが)。

 

 なので、より質の高いインタビュー・取材をするには、インタビュアーを愛嬌のあるロボットや、ぬいぐるみみたいな、抱き枕みたいなロボットにするのです。

 

 質問は遠隔操作でインタビュアー(取材者、ライター)が行います。声もそれなりに可愛い子供みたいな声とか、色っぽい女性とか、やさしく厳かな神父様やお坊さんとか。

 

 相手の心に入りやすい声はどれくらいの高さ、どれくらいの周波数か、どんなリズム、スピード、語り口が最適なのか、AIが計算し、自動的に調整までしてくれるでしょう。 

 

 こんなAI・ロボットを使ったコミュニケーション、ライティングが10年後、20年後には普通に行われている・・・かも。

 


0 コメント

山中の孤独な夜の過ごし方

 

 1~2歳の子供には大人には見えないものが見えるらしい。

 山口県周防大島町の山中で行方不明になっていた男の子は三日間、夜をひとりでいったいどうやって過ごしていたのだろう?

 

 暗黒の中の孤独。

 たぶんおとなでも三日も続いたらおかしくなってしまうような状況だ。当然、必死で叫ぶだろう。

 もうちょっと大きい子供でも泣いて誰かを呼ぶだろう。

  

 でも彼は泣き叫んだりしなかったようだ。

 山の精霊が彼のところにやってきた。

 時間を忘れていっしょに遊んで、結構楽しかったのかもしれない。

 その友だちがヘビやイノシシなどから守ってくれていた。

 

 へたをしたらそのまま精霊のところへ連れて行かれてしまったかもしれないけど、絶好のタイミングであのボランティアおじさんがやってきてくれた。

 

 それとも、あのおじさんが来るのを知っていて、精霊のほうがそれじゃこれで、と帰って行ったのかも。

 おじさんはそれをキャッチしていたからすぐに見つけられたのかも。

 

 いずれにしても二人のチューニングが合っていて、男の子は無事、人間の世界にもどることができた。

 世の中は不思議なことがいっぱいある。

 


0 コメント

社会全体の児童虐待と「晴れた空」

 

  一昨日、Nスぺの「駅の子の闘い ~語り始めた戦災孤児」というドキュメンタリーを観ました。

 「駅の子」というのは戦争(空襲など)で親を亡くし、戦災孤児になった子供たちです。

 東京なら上野駅が最も多く、駅の構内で寝起きしていたので「駅の子」と呼ばれていたそうです。

 戦争の被害者の中でもこれまであまり表に出ることのなかった人たちです。

 

 東京在住の90歳に近い女性は、すでに未亡人ですが、亡くなった夫には最後まで自分が「戦災孤児(浮浪児)だったことを打ち明けられなかったと話していました。そうした自分の過去がわかってしまったら・・・と怖れながら生きてきたのでしょう。

 

 彼女らは 今の小中学生の年齢の時にあまりに過酷で、惨めな思いをしたので、彼ら自身の罪ではないのに一生消えない恥の烙印を押されてしまったのです。

 

 しかもそれを押したのは、敵だった連合軍ではなく、昨日まで仲間であり守ってくれる存在だった日本人の大人たち。ほとんど犬猫扱いで、いわば社会全体からの児童虐待のようなものです。

 

 もちろん終戦直後の異常な状態の中、多くの大人も頭がおかしくなっていたせいですが、これでは大人を恨むな、社会を呪うな、というほうが無理というもの。

 

 全国で120万人もいたという、こうした元・子供たちの話を聞いていると、もう人生、運しかないなと思ってしまいました。

 

 さすがに国もこの惨状をいつまでも放置しておくわけにはいかず、終戦翌年の11月に児童福祉法が施行され改善に向かいます。

 

 しかし数年後、国が復興し社会がまともになるまで何とかもった子は良かったものの、ひどい状況の中で病気や栄養失調で健康を害したり、精神を病んだり、犯罪生活や売春行為からぬけ出せなくなってしまった子も少なくなかったようです。

 

 そして、ここでもどの施設に送られ、どんな大人に出会うかで運命の明暗が分かれてしまったのだと思います。

 120万人の中で何割が無事大人になり、正常な社会生活を送れるようになったのでしょう?

 

 すでに皆さん高齢なので、傷跡を隠したままで生を終えることも可能なのだと思いますが、どこかで心の中の子どもが、戦争なんて知らないよという人たちに「語らなきゃ」とやんちゃを言い出したのでしょうか。

 

 先だっては「戦後73年もたっているんだから」と書いてしまいまいましたが、この人たちの中の子どもが持つ怒り・悲しみの感情は、73年だろうが、100年だろうが薄れることはない。そんな時間経過なんて関係ないのだと思います。

 

 人生の先輩たちに対して恐縮ですが、そんな目にあったにも関わらず、よくここまで頑張ってちゃんと生きぬいて来られました・・・と本当に頭が下がる思いを抱きました。

 

 ちなみに半村良の「晴れた空」(祥伝社文庫・上下巻)は、戦災孤児と戦後直後の社会の様子を描いた数少ない小説で、とても読み応えがあります。

 作者は上野の闇市を体験しているようで、こうした子供たちとの交流もあったのでしょう。

 あくまでフィクションですが、こういう作品は終戦当時の現場の空気を吸ってないとなかなか書けません。

 


戦争の記憶と戦争文化体験

 

 戦争のことを話すのに日づけは関係ないと思いますが、やっぱり8月15日:終戦記念日は特別です。

 メディアはこの日が近づくと、戦争の記憶を伝えるために、どこそこではこんなイベントが行われました・・・といった報道を必ず行います。

 それはほとんど義務のようなものであり、責任であると考えているのでしょう。報道をすれば日本国民の多くは戦争のことを思い起こし、平和の尊さを改めて噛みしめる、という前提のもとに。

 それに異論があるわけではないのですが・・・。

 

 しかしぶっちゃけ、戦争体験者はもちろん「戦後体験者」も少なくなってきた昨今、こうした慣習がどこまで人の心に響いているのか、よくわかりません。

 

 やめてもいいとは思わないけど、実際どれだけの人が耳を傾けているのだろう?

 

 そういう自分の中でも「8月15日?ああ終戦記念日ね」と、たやすくスルーしてしまう程度の軽い存在でしかないのです。

 

 と同時に1960年生まれの僕は、限りなくパーセンテージは低いけど「戦後体験者」といえるかもしれない・・・と思っています。

 

 もの心ついたときはもう高度経済成長も終わっていたけど、子供の頃はほんのわずかながら、戦後の空気が残っていたような気がします。

 「戦争文化」とでも言えばいいのか、そういうものです。

 戦争体験者であるおとなたちがまだ若く、元気に社会を回していたせいでしょう。

 「戦後体験者」というより「戦争文化体験者」というほうが的確かもしれません。

 

 ♪きさまとおれとは同期のさくら~ 

 といった軍歌も歌っていたし、ゼロ戦・戦車・戦艦などはプラモデルの定番人気アイテムだったし、マンガやオモチャの分野でも「戦争」は一つのジャンルを作っていました。

 

 障がい者となった傷病兵の人たちが、街角でアコーディオンやハーモニカを演奏して通行人からお金をもらっているのも、よく目にしていました。

 

 そして、原爆や沖縄戦、大空襲などの話は、現代と比べて段ちがいの迫力・悲惨さ・リアルさを持って語られていました。

 何よりもごく身近で聞く親の体験談(名古屋空襲・戦中戦後の生活など)は、自然に身体に沁みてきました。

 

 そうした文化はけっして楽しいものではなく、できれば誰にとっても思い出したくない、触れたくないものなので、だんだん風化していってしまうのはやむを得ないのかも知れません。

 

 それに今の子供たちや若い世代は、情報・データとしては知っているけれども、自分の五感で感じ取ったものは一切ありません。

 これはもうどうにもならないギャップです。

 

 風化させないよう、記憶を引き継いでいくには、従来のような報道の仕方や、ストレートな体験談を語るだけでは全然追いつかない。

 そろそろ子供たちや若い世代の心にもよく響く新しい表現方法、新しい「日本の戦争文化」のようなものを作ることが必要になっているのではないのか、と思います。

 なにせもう73年も経ってしまったのだから。

 


0 コメント

「生産性」という言葉が怖い・重い

 

 「生産性を上げよう」はビジネス現場の合言葉。

 ところが近年、この「生産性」という言葉に負のイメージがまとわりつくようになりました。

 ついこの間、「LGBTには生産性がない」と発言して炎上した杉田水脈議員。

 僕があのニュースを聞いてすぐに連想したのが、2年前の2016年7月、相模原市の施設で園で障がい者殺傷事件を起こした植松容疑者です。

 

 植松容疑者は「障がい者は生産性がない。だから社会に不必要。彼らのためにお金を使うのは無駄遣い」という恐るべき「正義」を振りかざして人を殺しました。

 おまけにネット上では彼の唱える「正義」に賛同する者も続出しました。

 

 杉田議員がどういう人かはよく知りませんが、おそらくLGBTの人たちに良いイメージを持っておらず、最近、彼ら・彼女らの声が大きくなってきたのを感情的にガマン出来ず、いかにも正論めいた発言を雑誌に載せたのではないかと推察します。

 

 対象が障がい者・LGBTという違いはあれど、「生産性」という資本主義社会の歪んだ正義のもとにマイノリティを差別し、あわよくば排除しようという根っこの精神は同じ。

 でもこれはこの二人に限ったことでなく、多くの人が潜在的に持っている感情なのではないかと思います。

 

 だからまたフォロワーが出てくるに違いないと踏んでいたのですが、今回はネット上でも杉田議員の発言を肯定する意見は今のところ、ほとんどありません。

 

 ちょっと違和感を感じ、なんで今回は出ないのか考えてみたところ、2年前の事件から「生産性」という言葉にマイナスイメージが貼りつき始めたからではないかと思うのです。

 

 僕を含め、多くの人は「生産性」という言葉を心の中でとても怖れています。

 「おまえは生産性がない・低い」と言われてしまったらどうしよう。

これは「おまえは社会に不必要な人間だ」と言われているのとほぼ同じ。

 太宰治じゃないけど「生きていてすみません」と謝りたくなってしまう。

 

 そのうち、ビジネス現場にも「生産性の高い」AI・ロボットマネージャーが登場し、生産性の低い人間の僕たちはこき使われるのでないか・・・という不安もだんだん膨らんでいます。

 

 その上、杉田議員のように子供を産む・産まないという分野にまで「生産性」という工業・機械・経済などのイメージをまとった言葉を持ちこまれたら、LGBTじゃなくても自然と拒否反応も起こってくるでしょう。

 

 平成の30年間の最も大きな成果・社会の進化は、人権意識が育ち、どんな人にも人間性を認め、尊重することが当然になったということだと思います。

 それはより自分らしく生きることが可能になった、少なくともなり始めている、ということ。

 

 国が貧しい時代は生き続けるのが困難だった人たちが、普通に生きて社会生活が送れるようになったーーその意味をもっとじっくり考えてみるべきではないかと思います。

 


0 コメント

オリンピックをオワコンにするのはインターネット?  それとも「夢よもう一度」の利権執着昭和人?

 

 ここ数日、テレビをひねってニュースを見ると、終戦関連のニュース、猛暑・台風などの気象ニュースのほかは、民放は日本ボクシング連盟の山根明会長の独壇場と化しています。

 

 昨年末の日馬富士の暴力事件に端を発する大相撲のお家騒動や、先だっての日大アメフト部の問題など、スポーツ関連のスキャンダルはウケるのでと徹底的に深掘りしていくのが近年のマスメディアのお家芸になっているようです。

 

 本来、クリーンであるべきはず(というかクリーンであってほしい)スポーツの理想と、全然そうなっていない現実とのギャップが面白く、視聴者が舞台裏を楽しめちゃうからでしょう。

 いわば「バックステージツアー」ですね。

 

★利権の匂い

 

 さて、渦中の山根会長、床屋さんへ行くのに日の丸のついた日本代表のトレーニングウェアなんぞ着て登場したせいか、報道の裏からはオリンピックの利権の匂いがぷんぷんと漂ってきます。

 

 もちろん、これは今に始まったことでなく、例の新国立競技場やエンブレムの問題からすでに腐敗臭がダダ漏れしていました。

 オリンピックというおいしいメロンを、あっちこっち、みんなで撫でまわしているうちに、本来の食べごろのはるか前から完熟を通り越して腐ってきちゃった、という印象を受けます。

 

 こんなこと言うと、オリンピック目指して頑張っている選手の皆さんや周囲の関係者の皆さん、ファンの皆さんに申し訳なんだけど、2年後、僕たちは本当に純粋にハッピーでエキサイティングな気持ちでオリンピックを迎えられるのか心配になります。

 

 まぁ、そういう気持ちで迎えなくちゃいけないよ、という国民の義務はないので、どうでもいいといえば、どうでもいいんですけど。

 

 試しにインターネットで「オリンピック、利権」とキーワードを入れてみると、ぞろぞろいろんな記事が大量に出てきて、こんなのを読んでいるうちに、国民の何割かは心が離れて行ってしまうのでは・・・と、またまた心配になります。

 

 心からオリンピックを楽しみたいと思っている人は、ニュースはNHKだけに絞って見たほうがいいかもしれません。

 

★56年前の夢よ もう一度

 

 僕が思うにオリンピック運営の上層部にいる昭和人たちは、1964年の

前回開催のイメージが頭にこびりついていて離れないのでは?

 

 時代は高度経済成長の真っただ中。

 「オリンピックを開催してもっともっと豊かになろう、世界の人たちに敗戦からみごとに立ち直って新しい国づくりに成功した日本を見てもらおう」

 と明るく言えば、「よっしゃあ!」と、国民の心は容易くまとまるし、実際にますます景気は良くなり、経済成長していけました。

 

 それにインターネットという、どこの誰ともわからぬ国民が言いたいことを言いまくって発信する鬱陶しい装置もありませんでした。

 テレビ・ラジオ・新聞で当局に都合のいい情報だけを世の中に広めることも簡単にできちゃったわけです。

 

 1964年大会が「若き高校球児」だとすれば、2020年大会は「引退目前まで追い詰められて必死に踏ん張ろうとしているロートルプロ野球選手」のようなもの。

 

 前時代的な利権執着昭和人の「夢よ もう一度」のために、なんで俺たちも付き合わなくちゃいけないのか・・・

 と考える人たちが大勢出てきてもおかしくないでしょう。

 

 最近の進行状況を見ていると、利権で儲けられる人は大儲けできそう、そうでない人はボランティアという美名のもと酷暑の中をこき使われそう、といった現代の格差社会の写し絵的世界が展開する様相です。

 もちろん、純粋にハッピーでエキサイティングな気持ちで、ボランティアとして参加できるのならいいのですが。

 

★オリンピックはこの先も必要なコンテンツなのか?

 

 そもそも近代オリンピックというコンテンツ自体が、国力の見せつけだったり、金儲けの道具だったりしたわけで、果たして今、そういった必要をどれくらいの人が認めているのか?

 1964年を体験した昭和の大衆と同じように、人生に刻印されるべき価値

あるイベントになりうるのか?

 

 また、今回の東京大会のドキュメントが大量にネット情報として発信されるので、それに触れた世界の人たちが、今後、自国でオリンピックをやりたい!と、純粋にハッピーでエキサイティングな希望を持てるのか?

 

 実際、莫大な予算がかかる関係で、IOCは東京以後の開催地候補があまりに少なくて困っているという話も聞きます。

 

 とは言っても、青春をかけるアスリートや、スポーツに元気をもらって生きている人たちにとってオリンピック・パラリンピックは、希望の星。そう簡単にオワコン(終わったコンテンツ)にするわけにはいきません。

 

 ただ、どうしたらもっと希望の持てるイベントにできるのか、どこかで再生手術をする必要があるだろうと感じます。

 オリンピックをオワコンにするのもインターネット、よみがえらせるのもインターネットなのでしょうか・・・。

 


0 コメント

宇宙旅行に行きたいですか?

 

 と、いきなり街の中で聞かれたら、あなたは何と答えますか?

 とりあえず費用は度外視。意志の問題で。

 

 「当ったり前でしょ、宇宙から青い地球を見て、地球と交信するんだ。それに宇宙遊泳もしてみたーい!」

 なんて元気に答えるのがカッコいいし、夢のある人と思ってもらえるんだろうな、やっぱし。

 

 うーん、でも僕は別に行きたくないなぁ。

 1960年代から80年代にかけてのスペースオペラ小説のような世界が展開するんならいざ知らず、観光遊覧的なノリで地球の周りを回るだけじゃあ、どうもつまらない。

 

 ちなみに4年前ですがJAXAとクラブツーリズムがアンケートをした結果、日本人の半分以上の人が「行きたい」と答えているそうです。

 

 僕は宇宙旅行自体じゃなくて、こうした事業に関わる人たちの心の中のほうが面白い気がします。

 何年先になるかわからないけど、宇宙旅行事業を題材にした仕事をしてみたい。

 ノンフィクションとフィクション(ちょっとひねったスペースオペラもの)を両方書いてみたい。

 そっちほうが僕にとっては夢だなぁ。

 


0 コメント

慢性硬膜下血腫 退院後の生活

 

 先週の退院以来、お盆を待たず、半ひきこもり状態で過ごしてます。

家事をやったり、パソコン内の整理をしたり、レギュラーワークをぼちぼちやっていますが、基本的にはクーラーの部屋でゴロゴロしてます。

 

 慢性的な睡眠不足と疲労が溜まっていて、どこかでしばらくゴロゴロするような休みを取りたいなぁ・・・という心の声を聴いて、脳が「よっしゃ、そしたら休ませたるわい」と疾患が出たのかなぁ・・・とも思ったりして。

 

 1週間、病院食(割とおいしかった)を食べていたせいか(割と好きだった)刺激物や油ものに食指が動かなくて、野菜と大豆ものを欲するとか、身体の変化も感じます。

 あんまり動いてないから当たりまえだけど、食べる量も減ってます。

これまではストレス食いしていた部分もあったのかも知れません。

 

 入院以来、毎日たっぷり寝て、身体にべちゃっとまつわりついていた疲労感が抜けたようです。

ただ、あんまりゴロゴロしていると現場復帰できなくなってしまうので、今週から少しずつ動き出しますよ。

 


0 コメント

入院顛末記

 

 シャバに出てきた今だからこそ笑って語れる顛末記。

 長いのでおヒマなら。

 

●平衡感覚が取れず、足先に力が入らない

 

 1ヶ月前、熱中症かな~と思っていたのが、慢性硬膜下血腫でした。

 

 7月25日(水)夕方、永福町の自宅から明大前方面に向かって自転車をこぎ出したのですが、なんだかペダルを踏みこむ足に力が入らず、ふらふらする。

 どうもおかしいな~と思ったのですが、「ええい、こんなものは気力で克服しちゃる!」と気合を入れ直し、一路目的地へ。

 

 ところが「一路」というわりに蛇行している。

 6月の事故以来、あまりスピードを出さないように注意しているのですが、ちょっと幅の狭い道で通行人や車とすれ違うと、ぶつかりそうな錯覚に陥り、ところどころ降りて歩くことに。

 

 進めば進むほど、頭の中でおかしいぞ、おかしいぞという声が響いてくる。こりゃダメなんじゃないかという声が大きくなってくる。

 「いやいや、おかしいと思うからおかしい、ダメと思うからダメなんじゃ!」と振り切っているうちにやっと甲州街道の交差点へ。

 

●美人のお姉さんの声掛けでギブアップ

 

 そこで道路を横断しようとしたところで、通りすがりのおじさんに呼び止められ、「あんた、少し休みなさい」と言われました。

 自分の中ではちょっとだけフラついているという自覚でしたが、傍から見ると相当フラついていたようで、交通量の多い甲州街道の辺りでは、かなり危険と映ったのでしょう。

 

 そこでやむを得ず、高架下の駐輪場に自転車を停め、歩いて向こう側まで歩いて渡ったのですが、その歩きもフラフラ状態だったようで、今度はまた通りすがりの女性が『大丈夫ですか?ちょっと休みましょう」と声をかけてきました。

 

 おそらく熱中症だと思ったのでしょう。

 

 若い美人だし、おとなしく言うことを聞いて沿道で休んでいると、彼女は親切にも警察に電話してくれ、ほどなく3人の警官が登場。何を聞かれたか覚えていませんが、とにかく救急車を呼びましょうということになって最寄りの救急病院へ。

 

 そこでCT検査をしたところ、慢性硬膜下血腫と診断されましたが、その夜は一旦自宅に帰り、翌朝26日、目黒区の三宿病院へ。そのまま緊急患者として手術、入院とあいなりました。

 人生初めての手術、入院です。

 

●入院メモリー

 

 初日はまったくベッドの上から動けず、頭に入った管には赤黒い血種の残りが出ているようで、グロくて正視できない状態。夜になってやっと頭の管を外し、バチバチとホチキスで傷口を止めてもらいました。

 

 看護師さんが入院手続きの話をしたり、家族が来てあれこれ話したのですが、イメージだけが残っていて具体的にな何を話したのか、ほとんど覚えていません。

 これもそんな自覚症状はなかったのですが、かなり意識が朦朧としていたのでしょう。

 

 2日目以降はもちろん歩けるようになりましたが、トイレに行くにもナースコールが必要で、しかも入っていた病室がちょっと重症っぽい患者さんが多く、夜中に機器の管を外してしまうなどの騒ぎがあったりして、これはオレも相当な重症なのかな~、退院までどれくらいかkるのだろう?と不安になりました。

 

 ただ、病院内は過去お見舞いや親の看護などで訪れたことのある他の病院よりも明るいイメージで、午前と午後にリハビリの時間も適度に退屈カ感・ストレスが抜けて、割と居心地よかったです。

 

 いろんな個性をにじませる患者さんがいて、それに対しても明るく働く看護師さんやリハビリスタッフの人たち(仕事だから当たり前だけど)にも感心しました。

 

●ありがとう&疾患についての覚書&教訓

 

 ま、シャバに出てきた今だからこそ、こんなのんきなことが言えるのでしょう。

 たかが1週間だったんですけどね。

 いずれにしてもいろんな人に助けられました。

 特にわざわざ警官を呼んでもらった通りすがりの女性には感謝です。

 若くて美人だったしね。

べつにそうでなかったら言うこと聞かなかったわけじゃないけど。

 

 ちなみにこの疾患は、大した症状がなくても長期間放置しておくと命にかかわることもあるようです。

 体験的に言うと、平衡感覚がおかしくなったり、踏ん張りがきかず、地に足をつける感覚が薄れたら、疑ってみた方がいいかもしれません。

 

 そして、いくら精神論を唱えたり、気力を出そうとしてもダメな時はダメです。

 大人しく認め、諦めることも必要ですね。

 

 今朝、涼しいうちに駐輪場に置きっぱなしだった自転車を回収してきました。

 リハビリがてらゆっくり漕いでみたら、感覚が戻っていました。完

 


0 コメント

慢性硬膜下血腫で入院

 

しばらく更新が滞っていて失礼しました。

実は慢性硬膜下血腫(まんせいこうまくかけっしゅ)という疾患にかかり、7月26日から1週間、都内の病院に入院。本日退院してきました。

 

これは頭の中の硬膜と脳の間に血腫が少しずつでき、それが脳を圧迫するという疾患です。

かなりギュギュっと押しつぶされていたようです。

 

6月上旬に自転車事故で顔面を打ちつけましたが、その時の後遺症と思われます。

脳天を打った覚えはないし、直後のCT検査でも異常は見られなかったので安心していたのですが。

 

今月初めごろからどうも体調が思わしくないなと思っていたら、少しずつ出していたというわけです。

 

手術は頭の中から血種を抜き出すもので、そう深刻なオペではありませんでした。

ただ再発のリスクもあるので、向こう1カ月間はぼちぼちやろうと思っています。暑いですしね。

 

家族の他、緊急で仕事関係の方にはショートメールで連絡しましたが、ご心配・励ましの言葉、ありがとうございました。

 

入院の顛末や入院生活についてはちょっと笑える部分もあるので、後日改めて書きますね。

長時間の出歩きとハードワークはしばし控えますが、こんな感じで元気です。

 


0 コメント

ロンドン旅行記⑤:「国家の英雄」が乗った海賊船

 

 「海の日」なので海賊の話。

 ロンドンブリッジの近くにあるテムズ川のドック。

 ビルとビルの谷間に、小さな海賊船がポヨヨンと浮かんでいます。

 

 ルフィの麦わら海賊団の船でももう少しはでかいだろうというくらいの可愛さですが、これが七つの海で金銀財宝など、略奪の限りを尽くし、スペインの無敵艦隊を撃破し、あげくの果てに世界一周まで成し遂げ、イギリスの英雄とまで謳われるようになった海賊王サー・フランシス・ドレークが自らの船団を率いる旗艦とした「GOLDEN HEIND号」です。

 

 初めて世界周航に成功したのはご存知の通り、ポルトガルのマゼラン(率いたのはスペインの船)ですが、実はマゼランは出発地に帰り着く前に死んでしまった(船団の部下が帰還した)ので、指揮官として世界周航をコンプリートに実現し、故国に生還したのは、ドレークが世界初と言えます。

 

 この船はもちろん実物大のレプリカなのですが、テーマパークで賑やかしのために展示している代物とは違って、本物感たっぷりです。

 最初は本当に500年前の船を修復したのかと思ったくらいです。

 

 乗船して甲板、船室、船底などに入ってみると、楽しさ・快適さとはほど遠く、こんなところにはとても数時間といられないという感じ。

 

 当時のイギリス人が今より体格が小さかったとしても、本当に小さすぎないか?

 もしや寸法を間違えて再現したのではないか?

 

 とにかく想像を絶する狭さ・暗さで、時々港で休むことはあったとしても、むさ苦しい男どもが何人も同乗して、波に揺られながら何ヶ月も旅をするのは大変だっただろうなと、ひしひしと感じます。

 

 1581年4月、船長のドレークはこの船の甲板上で、当時の国家元首エリザベス1世からナイトの爵位を授けられたと言います。

 

 海賊なのに、女王の治世を支えた「国家の英雄」。

 

 なんでかというと、ドレークは略奪した金銀財宝の半分を女王陛下に上納していたそうで、その額は当時の国家予算に相当したといいます。

 

 いわゆる国家公認、女王陛下お抱えの海賊。

 

 エリザベス1世はその金で莫大な借金を返した上に、まっとうな経済を作る貿易会社設立のために投資。それに付随して現代の金融・貿易システムにつながるさまざまな施策を打ち出しました。

 

 このあたりのことは国際政治学者で海賊研究者である竹田いさみ氏の「世界史をつくった海賊」(ちくま新書888)に詳しく、面白く書かれています。

 

 ちょっと弁護すると、この時代のイギリスは経済的にも軍事的にもヨーロッパの弱小国で、ちょうど明治期、欧米列強の侵略に怯えていた日本同様、スペイン、ポルトガル、フランスなどのカソリック系先進国から国をつぶされそうになっており「富国強兵」の必要に駆られていました。

 

 そこでこのドレークをはじめとする海賊たちの経済貢献活動が「富国」の部分――のちの大英帝国の経済基盤になり、航海術や戦闘術などが「強兵」の部分――世界最強海軍の編成になったのです。

 

 まさに「悪の大帝国誕生エピソード1」という感じ。

 

 ドレークもすごいけど、その黒幕として海賊を利用し、やることなすことしたたかで賢いエリザベスはもっとすごい。

 

 大英帝国時代のビクトリア女王しかり、現在のエリザベス2世しかり、80年代のマーガレット・サッチャーしかり、(メイ首相はまだどうか分かりませんが)この国は成長・変革のたびに女に救われてきたと言えるのかも知れません。

 

 実際に「GOLDEN HEIND号」船内を見て感じたのは、この海賊王のすごさは度胸とか勇敢さなどよりも、乗組員の健康管理とか、ストレス管理を繊細にやっていたところではないかと思います。

 また、それがあったからこそ部下の信頼も厚かったのでしょう。

 

 この時代、船団が航海に出かけると大半の乗組員は途中で死んでしまったようですが、その多くは戦闘や事故でなく、病気で命を落としていたようです。

 こんな狭い船内で閉じこもって仕事をしていればそれも当然です。

 

 そして病死したらそのまま海に投げ入れてサメの餌です。

 そんな仲間の末路を目の当たりにしたら、残りの連中も暗澹たる気持ちになったことでしょう。

 

 その中でドレーク海賊団の生還率は飛びぬけて高かったと言います。

 積める荷物は限られているので、食糧や飲料水の調達にも相当気を配っていただろうし、部下のストレスがなるべく溜まらないよう、休憩させたり、慰安を入れたり、いろいろ心を砕いていたのでしょう。

 

 そういう意味では英雄ドレークの真の強さの秘密は、ボスとしての思いやりとか、従業員の「働き方改革」だったのではないかと思います。

 

 そういえば我が国の「海の日」も、3連休づくりという政府の思し召しのために、毎年カレンダーに合わせて動かされるので、本当は何日で、どういう由来のある日だったのかすっかり忘れてしまいました。

 ま、誰にも文句言われず、大手を振って休めれば何でもいいのかな。

 


0 コメント

ロンドン旅行記④:メモリアルベンチのある風景

 

 自分が愛した公園で人々と一緒に過ごしたいという故人の思い、あるいはその遺族の思いを表現し寄贈したメモリアルベンチ。

 この世を去った人たちと、その後も生き続ける人たち、新しく生まれてきた子や孫の世代の人たちが、ごく自然に同じ場所で憩い、語らい、ひとときを楽しむ。

 ロンドンではそんな風景を見ることができます。

 

●故人の名前とメッセージを刻んだベンチ

 

 イギリスの公園を歩くと、あちこちに座って休めるベンチが置いてあります。

 その背もたれの部分などをよく見ると名前と生没年、メッセージが彫り込まれていたり、それらを書いた金属プレートが埋め込まれていたりします。

 これは、その公園やガーデン、その場所に通っていた(あるいは縁のある)亡き人を想い、家族や友人たちが寄贈したもので「メモリアルベンチ」と呼ばれています。

 

●80以上のメモリアルベンチが置かれたHolland Park

 

 このメモリアルベンチが80以上も設置されているのが、ロンドン西部のケンジントン地区にあるHolland Park(ホーランドパーク)です。

 広さは日比谷公園ほど。四季の花が咲く庭園やバラ園が設けられ、雑木林ではリスが遊ぶ愛らしい公園で、カフェやギャラリー、子供のための遊び場・施設、ちょっとしたイベントステージなども設けられており、地域のコミュニティの中心として活用されています。

 

 公園の散歩道沿いに、あるいは花壇の周囲などに設置されてあるベンチのメッセージを読んでいくと、見も知らぬ故人の人柄・家族や友人との間柄を偲ぶことができます。

 

 おじいちゃん・おばあちゃんのために、孫を含めた家族が寄贈というケースが多いようですが、中には30代半ばで昨年亡くなった青年のために彼の婚約者らが贈ったもの、あるいはわずか1歳足らずで亡くなったわが子のことを忘れないために両親が贈ったものもあります。

 

●文字から滲み出す切実な思い

 

 老齢の人のものは「IN LOVONG MEMORY OF・・・」といった比較的穏やかな文章が綴られていますが、若い人や子供の場合は、「Funny、warm、loving、thoghful and uniqe」とか、「the most gorgeous baby in the world」など、かなり強い言葉が用いられています。

 

 自分たちが愛した彼もしくは彼女のことを、何とか表現して伝えなくては癒されない遺族の切実な思い、その裏にある無念さ、喪失感の大きさが文字から滲み出していて、ついその場で立ち止まってしまいます。

 

●メモリアルベンチの聖地

 

 このHolland Parkは、僕がむかし働いていた店のすぐそばにあり、休憩時間などに行ってよく散歩していました。

 今ほど数は多くありませんでしたが、当時からこうしたベンチが置かれており、その頃は「何だろう?」とよく意味がわからなかったのですが、そのうちガイドブック内の小さなコラムでメモリアルベンチの話を読んで、そうだったのかと認識した次第です。

 

 そんな思い出もあってロンドンに来るたびに、観光スポットでもないこの公園を訪れるのですが、なんだか毎回、このベンチが増えているような気がします。

 僕にとっては「メモリアルベンチの聖地」とも言えるところです。

 

 先々月から雑誌で「世界のEndong Watch」という連載コラムを書いており、今回はこのことをぜひ紹介したいと思い、泊ったところも歩いて15分くらいのところだったので、じっくり散策・取材出来ました。

 

●自然に風景の一部に

 

 僕がこのメモリアリベンチが好きなのは、飾られている感がまったくなく、ごく普通にベンチとして使われていることです。

 

 座って何か熱心に語り合っているグループもいれば、子どもたちが遊び回るのを眺めているお母さんもいる。

 

 一人で本を読む人、新聞を広げて読む老人もいれば、ジョギングの合間の休憩でドシャーッと寝そべっている若者もいる。

 いちゃついているラブラブカップルもいるし、一緒に座ってアイスクリームを食べているイヌと飼い主もいる。

 時々、リスもちょろちょろと空いているベンチの上で遊んでいる。

 

 毎日いろいろな人たちが(プラス動物も)この公園で楽しみ、何の気兼ねもなくベンチを利用する。

 

もしかしたらその中の何人かは、背もたれのメッセージに気づき、誰かに愛され、少し前に命を終えたその人の暮らしをぼんやりと想像してみたりするのかもしれません。

 

メモリアルベンチの存在はごく自然に風景の一部になっており、この愛らしい公園をより愛の溢れた場所にしているかのようです。

 

●設置の手続き

 

 このメモリアルベンチを設置する手続きは 、住んでいる地区のカウンシル(自治体)に申し込んで料金を支払えば、ベンチの購入からメッセージの彫り込み(あるいはプレートの制作)、設置まで手配してもらえるようです。

 

 費用はその地区によって異なりますが、ロンドンの公園ではだいたい1000ポンド(約15万円)前後であることが多く、ベンチが破損しても10年間は無料で修理してくれるといいます。

 

 ただし、お金さえ払えば作れるというわけではなく、その人(家族)が長年その地域に暮らし、しかも地域のためにどんな貢献をしたか(寄付やボランティア活動などの実績)が問われるようです。

 

●生き続ける人たち・生まれてくる人たちのために

 

 この習慣がいつ頃から始まったのはか定かではありませんが、Holland Parkで見つけたベンチの中で最も古いのは、1983年に亡くなった人のものでした。

 僕がここをウロついていたのは、1985~87年頃だったので、あの頃はまだ始まったばかりだったのかも知れません。

 

 散歩好き・公園好きなイギリス人らしい発想であり、この世から去った後も公共の場で、生き続ける人々・新しく生まれてくる人々の憩い・語らい・楽しみのためにさりげなく役立ちたい・・・。

 

 そんな心象が表現された、とてもチャーミングなエンディングワークが、自然な風景として溶け込んでいるのが、ロンドンの魅力の一つになっています。

 


0 コメント

ロンドン旅行記③:ロンドンのリスとイヌとネコ

 

 ロンドンの公園では雑木林でリスがちょろちょろしているので対話を試みます。

 このリスたちはあまり物おじせず、中にはカメラを向けると「へへっ」とポーズを取ったりするやつもいます。なかなかキュートです。

 

 イギリス人はイヌ好きなので、公園や住宅街ではイヌもよく散歩しています。

 日本でドッグランを設けている公園もありますが、こちらはあまり関係なく、平気でリードを外して歩かせています。

 むしろリードをつけている犬の方が少ないくらいで、しかも多くはリトリバーやボーダーコリーみたいな大型犬です。

 

 滞在したHolland Park周辺では、以前は小型犬はほとんど見かけなかったのですが、住宅事情の影響か、高齢者世帯が増えて大型犬は手に負えなくなったのか、3~4割は小型犬になったような気がします。

 

 この周辺には立派なしっぽをピンと立てたネコが結構大勢うろうろしていました。

 

 僕が話しかけると、シャイな日本のネコみたいに逃げ出さず、リスと同じく堂々と対応してくれたものです。

 

 それでミャウミャウやっていると、どこからか飼主かご近所さんだか、マダムやおばあちゃんがやってきて「Lovely Catがああしたこうした」とか、「Beautiful Tailがどうのこうの」とか、うれしそうに話しかけてきました。

 

 70年代後半から21世紀になる頃まで、「CATS」というヒットミュージカルを長年にわたって上演されており、ロンドンは「ネコの街」というイメージすらあった(そういえばキティちゃんもたしかロンドン出身という設定でしたね)のですが、なぜか今回はどこへ行っても、ただの一匹もネコに会えませんでした。

 

 WHY?

 

 たんに僕にネコ運がなかったというだけならいいのですが、まさか何か規制がかけられてネコが飼えなくなったわけじゃないだろうな・・・・とちょっと心配になりました。

 それともみんな、小型犬に乗り替えてしまったのかなぁ。

 

 リスもイヌもネコもいるロンドンが好きなので、ちょっとこれは残念でした。

 


0 コメント

熱中症でダウン

 

 今まで他人事と思っていた熱中症にやられ、ひどい頭痛と軽い吐きけ。

 月曜・火曜とアポイントのあった取材・打ち合わせ・取材を何とかこなした後、すっかりダウンしてしまいました。

 本日、やっと回復傾向。

 旅行記も止まってしまいましたが、まだ続くので、ロンドンのリスちゃんに免じて許してケロ。

 


0 コメント

ロンドン旅行記②:21世紀の新名所は鉄道駅 Paddington➡パディントン/King's Cross➡ハリーポッター

 

★還暦を迎え大スターに昇進した「旅する子グマ」

 

 ヒースロー空港から中心部へは、以前は地下鉄のピカデリーラインで乗り込んでいたのですが、今回は新しくできた「ヒースロー・エクスプレス」を利用。これだとターミナル駅のPaddingtonまでたったの15分です(でも帰りは途中で停まってしまい、30分かかったぞ)。

 

 鉄道発祥の国だけあって、ロンドンのターミナル駅はどこもクラシックな趣があり、初めて目にする息子は、そこはかとなく感動していました(本当は2回目だけど、最初に来た時は5歳のチビだったので、ほとんど覚えてないとのこと)。

 

 パディントンの駅は「くまのパディントン」(マイケル・ボンド作)というお話の舞台としても有名です。

 僕も赤い帽子と青いコート、いつもトランクを持っているクマのキャラクターがいることは知っていましたが、「プーさんやテディベアとどこがどう違うんだ?」というレベルの認識でした。

 

 ところがこのクマ、生まれて60年、還暦を迎えてますます元気とのことで、世界的な人気を獲得し、映画もすでに2本作られ、パディントン駅にはかわいショップもでき、お客があふれています。

 

 どうも「旅する子グマ」(設定では南米ペルーの山奥からやってきたみなしごクマで、この駅のそばに住んでいる優しい家族に拾われ、いっしょに暮らしている)の視線でロンドンの街や人々を眺め、ユーモラスな騒動を起こすというところが面白いようです。

 

 そんなストーリーなど全く知らなかったので、帰りの飛行機の中で映画「パディントン2」を見ましたが、確かに英国風ユーモアにあふれ、ドタバタしながらも、おしゃれ感・ほのぼの感があって楽しめました。

 

 帰ってきて原作を読んでみようと近所の図書館に行ったところ、3冊あるのに残念ながらどれも貸し出し中(ということはやっぱり結構人気があるということでしょうか)。

 まだまだ知らないお話がたくさんあります。

 

★英国ファンタジー大復活の舞台

 

 さて、パディントンと同様のターミナル駅でKing's Cross(キングスクロス)という駅があり、こちらには“鉄道を利用しない観光客”が毎日大挙して押し寄せます。

 

 ここも古い駅で、よく言えば荘厳、悪く言えばとんでもないオンボロだったのですが、近年改築され、モダンなデザインの屋根がかけられて生まれ変わりました。

 

 これはこれで「クラシックとモダンの融合」として素敵なのですが、人気を集めているのはそんなアート的な駅の佇まいではありません。

 

 構内の端っこにある奇妙な壁のオブジェ――「9と4分の3」と番号が振られた壁の中に荷物を乗せたワゴンが半分入りこんでいます。

 そうです、かのハリーポッターが魔法学校ホグワースヘ向かう列車に乗り込んだ時の幻のプラットフォームです。

 

 そこでの写真撮影を目的に、連日、世界中から観光客がやってくるのです。

 

 僕たちはここを2回通り過ぎましたが、日中はいつも長蛇の列で、とても並ぶ気にならず、撮影はあきらめました。

 

 ちなみにこの撮影は朝8時から夜10時までOKで、自分のスマホやタブレット、デジカメなどで撮るのは基本的に無料。

 

 ちゃんと杖とかマフラーとか小道具も用意されており、大混乱にならないよう専任のスタッフがついて面倒見ています。

 

 撮影は無料だけど、その脇にはパディントンの場合と同じく専用のおみやげショップが設けられ、しっかりビジネスしています。

 豊富なグッズ類はどれも結構いいお値段がするにも関わらず、見ていると飛ぶように売れていきます。

 

 行かなかったけど、映画のスタジオツアーもあるし、ウェストエンドのど真ん中にあるパレスシアターでは舞台劇「ハリーポッターと呪いの子」(原作者のJ・K・ローリングも脚本に参加)もかかっています。

 どっちも相当前からネットで予約しておかないとチケットは取れないようです。

 

 それにしてもこうした現象を目の当たりにすると、この21世紀の世界的大ベストセラーがもたらした文化的影響力、この国に与えた経済効果は計り知れません。

 

 貧乏シングルマザーからペン1本で大作家に上り詰めたという、彼女自身のシンデレラストーリーも相まって、いまやローリングさんは20世紀のビートルズにも匹敵するスーパーポップスター、と言えるのかもしれません。

 


ロンドン旅行記①:観光都市は空港からエンターテインメント

 

 今回は韓国のアシアナ航空の、ひとり往復9万円弱なりのエアチケットで旅行。発着はヒースロー空港第2ターミナルでした。

 

 この第2ターミナルは2014年にリニューアルオープンしたばかりだそうで、またの名を「Queens Terminal」といいます。

 

 これまで成田もヒースローも、他国の空港でも、そこは単なる飛行機の発着所であり、通り過ぎる場所であり、お土産屋やカフェが並ぶ場所で、特にこれといった印象を受けたことは一度もありませんでした。

 

 しかしこの「Queens Terminal」は、なかなかモダンなつくりでメッセージ性も豊かな施設になっています。

 

 到着ロビーに行く途中、「Weklcome」というポスターが壁に貼ってあり、利用者を出迎えるのは万国共通ですが、ここではそのポスター1枚1枚にミュージシャンやら、ビーフイーター(ロンドン塔の番兵)やら、ポリスマンやら、エンジニアやら、ロンドンの街中で見かける人たちが映っています。

 

 人種・性別・年齢の区別なく10人ほどの人たちが自分のキャラクターを押し出し

、それぞれ満面の笑みでWeklcome!と語り掛けるポスターはなかなかの迫力で、広告効果抜群です。

 「これからロンドン劇場でお楽しみくださいな」と、演劇の登場人物らが言っているような、そんなイメージを抱かせます。

 

 人間の感情豊かな表情が発信するメッセージというのは、とても強烈で多弁なんだなと改めて感じました。

 

 アシアナ航空の発着ゲートは、空港の端っこにあって随分と歩かなくてはいけないのだけど、ここもただ単に移動するだけの空間にしていません。

 

 プロムナードの途中には、1946年に開港したヒースローの歴史(と同時にこの70年近くのイギリスの歴史)が写真で分かりやすく描かれていて、これもなかなか楽しめました。

 

 世界中の多くの人が知っている、エリザベス女王の戴冠式、ビートルズ、デビッド・ボウイ、LIVE AIDなどのUKロックのヒストリー、ロイヤルウェディング、さらに2012年のロンドン五輪まで。

 写真で誰にでもわかりやすく表現されており、来た人がヒースローに、ひいてはロンドン、英国にさりげなく親しみと関心を抱けるよう工夫しています。

 これにはちょっと感心しました。

 

 ロンドンには世界の首都としての歴史的建造物や物語の舞台がたくさんあるし、地方にもその地方独自の歴史・文化があり、美しい自然があり、観光資源は豊富に揃っています。

 

 けれども以前はその素材の持つ力自体に頼っていて、何も手を加えないのがいいのだ――といった方針があったのではないかと思います。

 

 なので、僕が住んでいた30数年前は「先祖の遺産で食っている」と揶揄されることもしばしばありました。

 

 で、このままじゃいかんと国の中枢の人が気付いたのでしょう。

 あるいは民間企業から働きかけがあったのかもしれません。

 

 いつ、どこで、どんな街づくりプロジェクトが発令されたのかは知りませんが、これらの遺産をどう有効活用し、次世代に繋げていくかが――といったことが割と真剣に検討されたのではないでしょうか。

 

 その結果、古いものを残しつつ、この第2ターミナル同様、街全体(特に観光エリア)にいろいろな種類の物語が編み込まれ、リニューアルデザインされたのだと思います。

 

 こうしたことは以前来た2001年にはかなり進んでいたと思いますが、僕の中ではまだ1980年代のイメージが残っていたせいか、そんなに強くは感じませんでした。

 しかし今回はさすがにブランクが大きかっただけあって、とても強く感じとることができました。

 

 もちろん、そのために失われた良いところ――無理やり化粧をしなくてもいいではないかと思えるところ――もいくつかあるわけですが。

 

 いずれにしてもこの国が、グローバル化の進展とネット社会の進展によってケタ違いに増えた観光客を、どんどん招き入れ、観光で収入倍増をもくろんでいることは明白です。

 

 なのであちこち楽しむにはお金がたくさんかかることは覚悟しなくてはなりませんが、飛行機代は昔より安く手に入るようになったので、そこはチャラになっていると考えた方がいいでしょう。

 

 一介の観光客としては高いアドミッションを払う分、たっぷり楽しんで元を取ってやろうという根性が大切です。

 

 旅も自分のテーマとか目的とか条件とか予算とかを統合し、できるだけ自分用にカスタマイズして楽しむ時代。

 ロンドンみたいな観光都市はそれにしっかり応えてくれると思います。

 


0 コメント

ロンドンの青空

 

 ロンドンから帰ってきました。

 お天気が悪いということで定評あるロンドンですが、僕が滞在した20日~27日の間、ご覧の通り晴れっぱなしです。

 

 1995年も、2001年も同じ6月に行ったので、この23年間、ロンドンのイメージは完全にピーカンから変わらず。

 雨が降ってたのっていつのことだっけ? という感じです。

 

 天気は良いのはいいのだけど、暑いの何の。

 これでは日本と変わらない。

 おまけにこの国は冷房というものを使わないので、かなりバテました。

 

 今回のロンドン行きはカミさんにカミつかれて、メンドくさいけど、しゃーない行くかと重い腰を上げて出かけたのですが、めちゃくちゃ楽しかった。

 

 もともと観光都市なのだけど、オリンピックもあったせいでしょう。

 すっかり洗練されてポップ度がUPして素敵な街に様変わりしていました。

 なんというか街全体がテーマパークみたいになってて、観光客には本当に楽しい街だと思います。

 

 最後に来た2001年からずっと進化していたし、ましてや僕が暮らしていた1980年代なかばとは全然ちがう街になっていました。

 

 いろいろ新発見・再発見もあって、またイギリスの近代史など勉強したいなと思うところもいっぱいで、なんだかすっかりリセットという感じです。

 

 何がどう変ったのか、そう短くは言えないので、リアルタイムで情報発信しなかった代わりに、「ちょっとビンボーな観光客」として、「昔の生活者」の視点をちょっと交えて、1ヵ月ほどの間、いくつかのコンテンツに分けて五月雨式に旅行記を書いていこうと思います。

 

 おヒマと興味があったら読んでください。

 おたのしみに~。

 


ロンドンに行くのになぜか1985年のソ連

 

 ドタバタと仕事を終わらせて旅支度も整いました。

 が、スーツケースを先に送って、いつも仕事で使っているスリーウェイのバッグ一つなので今ひとつ気分が盛り上がらない。

 

 というわけで、最初にロンドンに行った時のことを思い出してみました。

 1985年8月。あの日航ジャンボ機墜落事故の1週間前でした。

 なぜか友だちがわざわざ成田まで見送りに来てくれて、いま思えばドラマごっこをしていたような感じでした。

 

 乗り込んだのはアエロフロート・ソ連航空。

 サッカーワールドカップをやってるロシアじゃないですよ、ソ連です。

 まだペレストロイカ前夜で、ゴルバチョフが登場する前の話です。

 

 評判は最悪の航空会社でしたが、乗り心地も機内食もそうひどくはありませんでした。

 ただし、スッチーさんたち(今はキャビンアテンダントですが)は超不愛想。

 

 強烈だったのはトランジットでモスクワ空港に降りた時。

 節電しているのかなんだか、やたら暗くてがらんとしていて、まるで巨大な倉庫のようでした。

 

 そこでカチンコチンの無表情なソ連兵が銃を構えて乗客に「早く行け」とかなんとか指示していました。

 

 「やあ」と笑って挨拶したら、「バカヤロ、なに笑ってんだ」と女性兵士に叱られました。これホント。

 

 なんだか古い映画のようにあの時の映像がよみがえってきます。

 

 ロンドンに行くのになんでソ連の話なんかしているのか?

 まあいいでしょう。

 ちなみに今回はアリアナ航空なのでソウルでトランジットです。

 


0 コメント

17年ぶりのロンドン旅行

 

 じつは明後日から月末までロンドンへ行きます。

 20代の頃、2年半ほど暮らしていて、帰ってきてからも新婚旅行をはじめ、3~4年に1回くらいは言ってましたが、今回はなんと17年ぶり。

 海外旅行も17年ぶり。すごいブランクです。

 

 1週間前に顔面負傷はするわ、つい三日前に予約していたAirBBの家にキャンセルくらい、ドタバタしました。

 

 でも懐かしの町Shephers Bush(この近くのホテルの日本食屋で働いていた)に宿が取れてよかった。

 

 昨日スーツケースを宅配便で送ってひと段落。

 忙しくて準備はほとんどカミさんまかせで、いろいろIT化した現代旅行事情・ロンドン事情についていけてません。

 

 いやー、どうなることやら。楽しみです。

 


0 コメント

LGBTの話題

 

 農業やエンディング関係の仕事をしていると、たびたびLGBTの話題に出会います。農業の方はライフスタイルとして相性がいい・・・といえばいいのでしょうか。デザインなどの仕事と並行してやっているという人もいて、ちゃんとブログやホームページでもカミングアウトしています。

 

 エンディングのほうは昨年あたりから急に増え始めたような気がします。

 やっぱり悩み相談ですね。お寺などで議論の場がちょくちょく設けられているのを耳にします。

 

 性転換したお坊さんもいて、性的マイノリティの人たちの駆け込み寺を作るっていることも話題になっています。

 

 寛容になったのかどうかわかりませんが、いずれにしても社会全体がそうしたマイノリティの人たちの声を聴こうと動いているようです。

 

 なんでも日本人も13人に一人がLGBTとかで・・・ホントなんだろうか?

 LGBTと言ってもいろいろなスタイルぎょうで、そこのところ、僕はまだちゃんと理解できていません。

 

 そういえばロンドンにいた時、ゲイのおじさんに誘惑されたことふがるけど、その人はちゃんと妻子もいたなぁ。

 

 それでふと思い出したのが、20代後半の頃、ふられた女の子のこと。

 半年ほどシナリオ講座に通ったことがあるのだけど、その時いっしょに受講していた子で、その時はボンクラで気が付かなかったけど、どうも彼女はレズビアンだったのではないかと。

 

 何か根拠があるわけではないのですが、たいして美人ではないけど不思議な魅力のあってすごくモテる子で、知っているだけでも僕以外に若い奴からおっさんまで3人の男が言いよっていましたが、みんなフラれていました。

 

 かといって彼氏がいる様子もなく、オトコそのものが嫌いのでは・・・という印象を受けました。

 

 僕はふられたけど、それでそんなに傷ついたわけでなく、なぜかその後も自然に20年以上も友だちづきあいしていました。

 息子がチビだったころ、一度会わせたことがあるのだけど、妙によくなついて「私、この子とは友達になれそう」とか言っていました。

 5~6年前から毎年来ていた年賀状が来なくなり、ぷっつり音沙汰が絶えてしまったのけど、どうしているのやら。

 恋人と外国へでも飛んだのか・・・。

 

 たぶん少し幻想が混じっていると思いますが、LGBTの人たちは(と一括りにできないと思いますが)僕たちには見えない何かが見えるのではないかと思います。

 また、人生のあちこちで生きづらさを感じている分、生きることについて、死後のことまで、僕たちなどよりも深くまじめに考えているのではないかと思います。

 


0 コメント

顔出しNG

 

 お気にかけて頂き、ありがとうございます。

 本日、CT検査の結果が出て、顔も頭も骨に異常なしとのこと。

 大事に至らず、ほっと一安心しました。

 

 擦過傷もだいぶ回復してきたものの、右目の周りは真紫色。

 あちこち腫れたり、(比喩ではなく物理的に)歪んだりしていて、ちょっとまだ人前に出るのは憚られる顔になっています。

 

 好奇心旺盛な方のために顔出ししようかとも思いましたが、不快になる方のほうが多いだろうと思ってやめときます。

 見ても、生きる勇気が湧くとか、明日への希望につながるとか、そんなことないしね。

 

 今週はなるべく外出を控え、引きこもって原稿書きをしていたいと思います。

 

※画像と文章は特に関係ありません。タイトルの「顔出しNG」で画像を調べてみたら、こんなのが出てきたので使ってみました。ちょっとホラーテイストですが、なかなか可愛い子です。河村友歌ちゃんというモデルだそうです。

 


0 コメント

ひつじの数など数えなくても死んだように眠った

 

 突然のアクシデントですっかりタガが崩壊。

 普段、ケガや病気に慣れていないのと慢性的睡眠不足が原因かと思います。

 今日は予定の仕事もキャンセルして1日中家で寝ていました。

 ひつじなんぞ数えなくても、寝られるわ寝られるわ。

 

 月並みな話で恐縮ですが、いてもは大して意識していないのですが、弱体化した状況に陥ると、いっしょに住まう家族のありがたみをひしひしと感じます。

 

 前も書いたけど、若い頃は孤独なんぞ気にならなかったけど、齢を取るとやっぱりそうな言えなくなります。

 ひとりだったらこれはきついだろうなと。

 そういう意味では気が弱くなっているのかと思います。

 

 今、独居老人と好奇心むき出しの子どもの話(設定としては湯本香樹実の「夏の庭」みたいな)を考えているんだけど、その登場人物の気持ちになれそうです。

 

 ま、命に別条があるわけでなし、とんでもない重症というわけでもないので、こういう経験も必要なのかも。

 


0 コメント

顔面負傷

 

 今朝、自転車で走行中転倒し、顔面を強打。

 メガネが吹っ飛び、前歯が砕け、二目とみられぬ顔に・・・

 というのは冗談ですが、擦過傷の他、顔面骨折の疑いもあるとか(そんなに痛くないのだけど)で、近所の外科から渋谷の病院を紹介されて出向き、顔と頭のCTを撮りました。

 

CTは初体験。今はスキャニング専門の病院もあるんですね。

 

 というわけで数日安静を促されましたが、いずれにしても現在は人前に出られる顔じゃなくなっています。

 人生いろいろあるもんだ。

 と、のんきなこと言ってる場合じゃなく、交通事故には気をつけましょう。

 


0 コメント

シェイプ・オブ・ウォーター:もし人魚姫が生き延びたら

 

 人魚姫は船から身を投げて海の泡となって消える運命だったのに、幸か不幸か、人間の姿のまま、声を失ったまま生き延びた。

 四半世紀が過ぎ、15歳だった少女は中年となり、1962年のアメリカ・ボルチモアの宇宙科学研究所で清掃員の職を得た。

 

 自宅のアパートと職場を往復する淡々とした毎日。

 風呂場で自慰に耽るときだけ、失われた人魚だった頃の記憶がかすかによみがえる。

 

 まだアメリカが「強いアメリカ」で、セクハラもパワハラも当たり前だったこの時代、障害を持ち、底辺の歯車として、しかも汚れ仕事で働く独身の中年女なんて社会は見向きもしない。

 

 彼女のことを気にかけてくれるのは、いつもしょーもない亭主の愚痴ばかり言っている同僚の黒人女と、アパートの隣の部屋に住んでいて、若い男に失恋する、年老いた絵描きのゲイだけだ。

 

 それでも彼女は自分がさして不幸だとも思わす、ささやかな日常を大事にして生きていた。

 

 そんなある日、研究所にある特異な生き物が運ばれてくる。

 その生き物――「アマゾンの半魚人」に出会ったことで、恋に焦がれる人魚姫の記憶がよみがえる――

 という、改めて辿ってみると、とんでもなく奇をてらったストーリー。

 

 ところが、これがいい。

 甘く切ないラブストーリーをベースに、古典SF、ホラー、ファンタジーの要素が絶妙にブレンドされて、ちょっとコミカルだったり、エロチックだったり、といったスパイスもまぶされている。

 すっかりツボにはまってしまった。

 

 ヒロインは若くも美人でもないし、子供時代のトラウマのせいで声が出せないということ以外、生い立ちも謎のまま。

 けれどもその感情表現は素晴らしく、ラストシーンは本当に人魚に帰っていくのではないかと思った。

 

 また、1962年という「近過去」の設定もいい。

 リアリズムとファンタジーのハーフ&ハーフが、ギリギリのバランスで成り立つ美味しい時代だ。

 そしてまた、トランプ政権下の現代のアメリカを風刺しているかのような映画でもある。

 

 こうした寓話性の高い物語は、よく「大人のおとぎ話」と呼ばれるけど、それで片付けるのはつまらないし、何だかもったいない気がする。

 人間が生きる本質は思わぬところに隠れている。

 それを見つけるためにも、こういう映画は役に立つのではないかと思う。

 


オタマジャクシとカエルの間の自意識

 

 昆虫は子供(幼虫)から大人(成虫)になる途中の段階に「さなぎ」という形態がある。

 なのに同じように変態するカエルにはそれがない。

 

 手足のはえたオタマジャクシを、人は「オタマジャクシ」と呼ぶが、当のオタマジャクシは「おれもうカエルだい」と思っているかも知れない。

 なんとなく思春期の人間に似ている。

 

 人はいったいどうやって子供から大人に移行するのか、移行できたのか。すっかり忘れてしまったし、自分の子供に対してもほとんど気にかけなかったけど、今になると、もう一度探ってみたい気がする。

 


0 コメント

早稲田のドーナツ田んぼで田植え

 

 早稲田大学内に田んぼがあって生徒らが田植えすると聞いて、マイナビ農業の取材でやってきました。その名も「わせでん」。

 大隈講堂の隣、大隈庭園の奥にあります。

 

 どんな田んぼなのかと思ったら、直径5メートルくらいのかわいい「ドーナツ型」田んぼ。

 

 ドーナツ型と言うのは、真ん中にポチッとサルスベリの島があるのです。

 このサルスベリが由緒ある木だそうで、切るに切れなくてドーナツ型にせざるを得なかったということ。

 

 

 2004年に開田した時はハート型に近かったそうで、それがだんだん凹みがなくなってきて、まぁるくなったとのこと。

 毎年ここで苗を植えて、秋には約5キロのお米が収穫できるそうです。

 

 田植えをするのは学生NPO「農楽塾」というサークルの子たちで総勢30名ほど。

 今年は例年になく新入会員が多いそうで、女の子も男の子も泥んこの中に足を突っ込み、ワーワーキャーキャー。

 見ていると可愛くて、こっちの心も💛、目も💕になってきます。

 

 取材という大義名分のもと、こういうところにズケズケと入り込めるのは、ライターの特権と言えるでしょう。

 

 大隈庭園に遊びに来ている一般の人たち――家族連れやお年寄りのグループもちょこちょこ覗きに来ていました。

 

 地域に開かれたオープンキャンパスになっているので、基本的に誰でも庭園内は自由に出入りできます。

 そのため土曜の午後は大学と言えどもまるで現代社会の縮図のように、若者(学生)一人に対して、年寄り5人と言う感じです。

 

 おそらく新宿区で唯一の田んぼである「わせでん」。

 来週は近所の幼稚園の子供たちがここで田植え体験をしに来るそうなので、少しだけそのスペースを残して1時間ちょっとで無事終了しました。

 

 それにしてもホントに若さは財産です。

 でも若い頃はそんなことには気が付かなくて、ザクザク無駄遣いしちゃうんだよね。

 でもでもそれがいいんだよ。

 若さを貯金や利殖のためにこせこせしたって面白くない。

 「もっと有効に使えたかな」と後悔するくらいでちょうどいい。

 そうした思いがあるからこそ人間の味が出ます。

 農業もサークルもバイトも恋もいっぱいしてほしいと思います。

 ついでに勉強も。

 


0 コメント

6月に「結婚の日」はいかが?

 

 海の日だの、山の日だの、いろいろできて、とうとう6月だけ取り残されて「国民の祝日」のない月になってしまった。

 この際、「雨降り記念日」とか「田圃の日」とか「カエルの日」とか、6月にも祝日を入れたらどうなのだろう?

 

 そこで思い出したけど、皇太子が結婚したのは確か6月じゃなかったっけ?

 雅子さんはジューンブライドだった気がする。

 元号が変わったら6月に「結婚の日」を作ったらどうだろう?

 少しは少子化対策に役立つかも知れないし。

 

 それにしてもこの国にやたら祝日が多いのは、公に認められた日じゃないと休めないから・・・ってことなのだろうか。

 べつに祝日じゃなくてもいいいから、テキトーに休みましょう。

 

 というわけで、僕はフリーランスの特権で、今月の後半は久しぶりに大型連休させて頂きます。と言っても10日程度ですが。

 


0 コメント

代筆業の進め方

 

 久しぶりに代筆の仕事をしました。

 守秘義務があるので、具体的なことは書けませんが、とある地方新聞の連載コラムの仕事で、依頼して頂いた方は、いわゆるコンサルティング業です。

 遠方の方なので面識はなく、メールのやりとりだけで進めました。

 

 最初にどんなネタがあるのか、どんな話を書きたいのか、単なるメモでも何でもいいから送ってもらい、じゃあ第1回はこの話で、第2回はこれで・・・・という感じで整理し、各回のテーマを決めます。

 それを決めたら、その回ごとに、こんな話で・・・と、また大雑把なメモを送って頂き、それについて突っ込んで取材します。

 

 たとえば、相談にみえたそのお客さんはどんな様子だったか、背格好は?服装は?

 傷心していたのか、イライラしていたのか。

 家族構成はどうなっているのか?

 どんな仕事をしているのか? 

 子供はいるのか? 独身なのか? 

 離婚経験があるのか?  などなど。

 一見構どうでもよさそうなことを具体的に聞いていきます。

 魂は細部に宿っています。

 ちゃんと聞いたことに答えて頂ければ、書くのは別に難しくもなんともありません。

 

 困っちゃうのは抽象的なことばかり言って、意味を汲み取ってほしいとか言う人。

 

 もっとひどいのは「忙しいから頼んでいるのに、取材なんかに時間は取れない。とにかく書いて見せてくれればチェックする」とか言っちゃう人。

 

 こういう人たちは、人に頼まず自分で書いてほしいです。

 へたでも苦手でも、毎日ブログなど書いていれば、自然と書き方のコツが身につきます。

 

 以前はどんな仕事も断っちゃいかんと思って、こういう横着な人たちの言い分も聞き、がんばって書いていました。

 

 しかし、最近はメールを見ればどんなクライアントかわかっちゃうので、いやだなと思う人はお断りしています。

 だいたい自分のカンは当たります。

 

 今回の方はとても良い人柄の方で、仕事の様子を聞かせてもらって、ぜひお力になりたいなと自然に思いました。

 

 いろいろ貴重なお話も伺い、人間の面白さを知ることもできました。

 これなら代筆も悪くない。そう感じさせてもらいました。

 


0 コメント

西城秀樹さんのお葬式で感じたこと:女の涙は子どもと夢の人のために

 

 先日の西城秀樹さんのお葬式の記事を書くのに、現場の録音データを聞きながら、昨日1日ジタバタしていました。

 これだとちょっと思い入れが強すぎてダメだし食らうかも、と思いつつ原稿提出。

 

 それにしてもいろんな意味で感動的な体験でした。

 

 喪服のマダムらがYMCAを踊ったり、おいおい泣いたり、「ヒデキー」と叫んでいるのを思い出すと、身体の底でずっと眠っていた女の子が40年ぶりくらいに起き出して、マダムの着ぐるみをかぶってあそこに集まっていたんじゃないか。そんな幻想にとりつかれます。

 

 仲間もいっぱいいるし、あそこなら何の遠慮もなく泣けるもんね。

 

 ファンは圧倒的に女性が多いんだけど、中には男性もチラホラいて、男同士というのはほとんど見当たらず、どうやら夫婦で来ているらしい。

 それが奥さんは喪服、もしくはそれに準じるような服装をしているのに、ダンナの方はほぼ普段着というチグハグなカップルがほとんど。

 

 取材したわけでなく、あくまでこれは僕の想像だけど、普段は従順な奥さんがこの日ばかりは「わたしは絶対に行く!」と主張し、その迫力にタジタジとなったダンナが「しゃーない、じゃあオレもついていくわ、東京見物・青山見物もしたいし・・・」ということで一緒に来たのではないか。

 

 奥さんとしてはちょっとジャマだけど、交通費もメシ代も出してくれるというから、まぁいいや、と妥協した・・・とか、そんなバックストーリーがあったのではないだろうかと思います。

 

 でもダンナづれで、ちゃんと女の子に戻ってヒデキに声を掛けられたのかなぁ。

 

 そういえばネットに上っていた映像で、テレビのインタビューを受けたマダムが「夫が死んでもこんなに泣きません」と泣いていました。

 それでいいと思います。

 

 死んだからって、あんまり泣かれても困っちゃうしね。

 女の涙は子どもと夢の人のために大事に使ってください。

 ダンナはそのおこぼれを頂ければ十分です。

 


スーパーマーケット偏愛シンドローム

 

 時々、自分はスーパーフェチなのではないかと思うことがあります。

 スーパーマーケットが好き。というか、その空気の中にドブンと丸ごと漬かりたいという欲求に時々襲われるのです。

 

 今日も午前中仕事して、昼に出かけて5ヶ月ぶりに会った友だちと昼飯を食って、帰ってきて疲れて昼寝していたら早や夕暮れ時。

 ベランダの洗濯物を取り込んで、ちょっと涼しくなった外の風に触れたら、急にその欲求に襲われました。

 

 というわけで冷蔵庫の在庫を確認し、リュックを担いで近所のスーパーマーケットへ。

 近所と言っても3番目くらいに近い所で、5分ほど自転車に乗って出掛けます。

 この5分間、ちょっと涼しくなった空気と、ちょっと金色っぽい西日の光を全身に感じられれるのがいい。

 

 着いてみるとスーパーの中は赤ん坊からお年寄りまでいろんな人たちが、今晩は何を食べようか、明日の分も買っておこうか、予算はいくらだと、あれこれ考えながら、あるいは話し合いつつ買い物に興じています。

 

 普段は昼間に行くことが多いので空いていますが、今日は時刻も時刻で、ちょっと混雑していてレジにもカゴをぶら下がたり、カートを押す人たちの列が。

 この混み具体がまたなかなかいい味出しててて、胸をワクワクさせます。

 

 初夏の良く晴れた日曜日の夕方のスーパーです。

 家族そろってきている人たちもたくさんいます。

 

 こっちの子どもは何がうれしいのか声を上げてはしゃぎ回り、そっちの子どもは試食のハシゴで走り回り、あっちの子どもはなぜだか怒って大泣きしている。

 

 怒り出すお母さん、困った顔したお父さん、すましてマイペースでのんびり品定めをするお年寄り、値段を見て長考する人もいれば、あせあせと小走りでかごの中に品物を放り込んでいく人もいます。

 

 働いているスタッフもお店にいる時間はスーパーの人だけど、勤務時間以外はもちろん自分の生活を持っていて、家族のこと、子供のこと、お金のこと、自分がかつて持っていて諦めきれない夢のこと・・・いろんなことで悩んだり、失望したり、希望を持ち直したりしています。

 作業の合間やお客とのちょっとしたやりとりの中で、そうしたものが垣間見えたりするのも面白い。

 当たり前だけど、彼ら・彼女らはけっして働くだけの人ではなく、今日も一生懸命、この世の中の不条理と闘いながら(でもあんまり頑張ると疲れちゃうので時々は空気を抜きながら)生きている、すてきな人間です。

 

 なんといえばいいのか、たまにそんなことを考えつつスーパーをうろつき回っていると、とても人間が愛おしくなって、からだの芯があったまってきて、脳みそが妄想で膨れ上がって、お店ごと抱きしめたくなるのです。

 

 というわけで買ったレタス、トマトやキャベツ、タマネギ、ジャガイモ、サカナ、牛乳、ヨーグルト、パン、ドレッシング、ぶどうなどをリュックにぶち込んで家路に向かうと夕焼けがきれいでした。

 いつかスーパーマーケットを舞台にした面白くて泣ける話を書きたいなぁ。

 


0 コメント

西城秀樹さん葬儀:青春の同窓会

 

 「月刊仏事」の取材で西城秀樹さんの葬儀に行って来ました。

 朝9時半、会場の青山葬儀場最寄りの乃木坂駅に着いたら、ホームに黒い服の人たちが溢れ返っています。

 改札横の女子トイレには長蛇の列。

 恐縮しながら喪服のマダムらの列を掻き分けて男子トイレまで辿り着き、あせって身支度を済ませました。

 

 ちょっと話を聞いたところでは、地方から出てきて一泊し、通夜・葬儀と連荘で参加したという人も。

 

 葬儀や出棺の様子はニュースやSNSでいっぱい上がっているので書きませんが、野口五郎・郷ひろみ両氏の弔辞や昭和のスーパースターならではの演出には心打たれるものがありました。

 

 葬儀から出棺の間、葬儀場前を走る青山通りの向こう側までファンがびっしりで、向かいのデニーズの表階段にまで人が溢れているのにはガチびっくりでした。

 

 こうなるとお葬式とは言っても一種のイベントで、同じ時代を生き、ヒデキに胸をときめかせて青春を送った50代や60代の人たちにとっては、ファン同士で顔を合わせる「同窓会」的なノリの人もたくさんいたようです。

 

 ちょっと不謹慎にも聞こえますが、「ヒデキ」がみんなを結びつけるメディア、コミュニケーション媒体になっているのだなぁと思いました。

 

 大勢の人を楽しませ、夢を与えるエンターテイナーとして生きてきたのですから、最期に身を挺してまでその仕事がまっとうでき、「ヒデキ、カンゲキ!」と言いつつ旅立っていけたのではないかと思います。

 

 終わった後もしばらくの間、みんな名残惜しくて、なかなか立ち去れません。

 本当の寂しさはきっとこの後、家に帰った頃にやってくるのでしょう。

 

 おそらくこれから、どんどん昭和のアイドルやスターだった人たちが亡くなっていくわけですが、そのたびにこうしたイベントになるのだろうなと、ちょっとフクザツな気持ちになりました。

 

 ちなみに葬儀参列者への返礼品の一部はハウス食品さんが提供。

 西城さんのCMによる、家庭のカレー普及への貢献度は相当大きかったようです。

 

 でも一緒だった若い女性スタッフは「ヒデキ、カンゲキ!」は知らないそうで「何ですか、それ?」と聞かれて説明しなくてはなりませんでした。

 バーモントカレーは好きだそうですが。

 


0 コメント

ありのままの私が帰ってこられる「ふるさと」

 

 「ふるさと」と聞いて、ほとんどの日本人が連想するのは、稲を実らせる田んぼや、野菜を育て、果実を育てる畑がのどかに広がり、魚が泳ぐ美しい川が流れ、背景に美しい山並みを望める、いわゆる里山の風景だと思います。

 

 愛知・長久手市の愛・地球博記念公園(モリコロパーク)内にある「あいち・さとラボ」では8年前から「里山開拓団」なるボランティアグループが、ほとんど砂漠のようだった更地から美しい里山をーーふるさとの風景を創り出しました。

 

 もちろん当初はアドバイザーがいたり、資金面では県のバックアップもあったわけですが、造園や農業などに素人同然の人たちが一つ一つ、作物の育て方のノウハウを学び、組織管理も行い、年間を通したイベント開催などで仲間を増やしていった開拓ストーリーの取材は、とても感動的でした。

 

 開拓に携わってきた人たちにとって、まさしくここは「ふるさと」になり得るでしょう。

 

 これからの課題は。この里山をどう維持していくか。

 

 4月にモリコロパーク内に2022年、「ジブリパーク」ができるというニュースが伝えらましたが、写真の山の左側の森の中にその一部である「もののけの里」ができるとのこと。

 具体的な話し合いはまだこれからですが、今後の里山活動によい影響が出ればいいなぁと思います。

 

 それにしてもこうした絵に描いたような里山の風景を、潜在的なイメージとしてではなく、実際の体験として、つまりリアルなふるさととして自分の中に持っている日本人は、僕も含め、もうそんなにいないのでは、と推察します。

 

 昭和レトロが一種のファンタジックな異文化として人気を集める背景、また、「ふるさと創生」やら「ふるさと起こし」といった言葉が流布する背景には、そうした日本人の「ふるさと喪失物語」があると思っています。

 

 かくいう僕もじつは今、「ふるさとについて考えよ」というお題を頂いているので、面倒だけどぼちぼちやっていこうと思います。

 

 どんな事象があって、どんなストーリーがあって、そこに立って何を想起できれば、人はその場所を、

 ありのままの私が帰ってこられるところ、

 裸の、少なくともそれに近い私が、心を開いて受け入れてもらえるところとして心の深い部分に取り込めるのか?

 

 これからの僕の人生は、ふるさとへたどり着くまでの長い巡礼の旅になるのかな。

 と、そんな気がします。

 


0 コメント

豊橋ウズラはキャラ弁の名優

 

 昨日は全国のウズラ生産量日本一(シェアの7割を占める)の豊橋で、ウズラ卵の流通出荷センターを取材しました。

 

 豊橋がどうしてそこまでの一大産地になったのかはさまざまな理由があります。

 表向きには気候が温暖で育てやすいとか、他の家畜や家禽の飼育に使う施設や、糞などの処理システムが昔からあった・・・というもっともらしい表向きの理由はあるのですが、やっぱり面白いのは裏事情。

 

 今を去る70年以上昔、戦後の混乱期、闇市に卵を売り出して大もうけした人たちが何人かいたようです。

 近隣の名古屋はもちろん、日本の真中という地の利を生かして、東京や大阪にも。

 その情報をGetした人たちが「よっしゃ、わしもウズラ屋になったるで」と、豊橋にやってきて、かの地はウズラの聖地となった・・・という、まことしやかな伝説が現地では語り継がれているようです。

 もちろん、そんなヤミヤミな話は、資料だの記録だのが残っているわけではないので、表には出てきませんが。

 

 というわけで、ここでは生卵とゆで卵をあわせて1日30万個出荷。

 ころころしたチビタマゴが次から次へところがってくる様子はめちゃくちゃかわいいです。

 が、単に鶏の卵のミニサイズ版でしかないウズラの卵に、本当にそんなに需要があるのだろうか?

 と疑問に思っていましたが、なんと最近はすごいニーズが。

 

 お料理作り・お弁当作りの得意な人はもうピーンときたでしょう。

 ネットで調べてみたら出るわ出るわ、いまやウズラ卵は、ヒヨコ、パンダ、ウサギ、カエル、オバケ、サンリオキャラクターなど、お弁当箱の中で変幻自在な姿で登場するキャラ弁の名俳優。

 また小さい割に栄養価も非常に高いということで 特に子供の遠足や運動会のシーズンは売り上げが跳ね上がるのだそうです。

 

 常食の食材とは言えないにせよ、そうしたいわゆる嗜好品食材としての価値はとても高いようで、近年は普通のゆで卵だと喉に詰まらせる恐れがある・・・という理由から高齢者用の食事やお弁当にも重宝されているようです。

 

 ちなみに卵だけでなく、肉はどうなのか?

 

 僕の場合、ウズラというと思い出すのが「ウズラは処女の味、鴨は熟女の味」という、美食アカデミー主宰・鹿賀丈史(テレビ番組・料理の鉄人)のセリフです。

 

 フランス料理では鴨と並んで、ウズラはジビエの定番ですが、日本のフランス料理店で出されるウズラ肉はほとんどがかの国からの輸入品。

 

 そこに目をつけ、国内産のフレッシュなウズラ肉を提供しようと、それまで卵ばかりだった豊橋のウズラ農家で「肉」に特化した大型のウズラを開発。

 

 そのブランド「三河山吹ウズラ」は大好評で、全国の飲食店から年2万羽を超す注文を受けていたのですが、今年1月、その社長がわずか40過ぎの若さで急逝。

 今後のウズラ肉はどうなるのか?

 現状はまだ不明のようです。

 

 いずれにしても、わが郷土・愛知のウズラ産業、ぜひとも応援したいものです。

 


0 コメント

カフカのワイン

 本日は名古屋から滋賀の取材を3軒こなしました。

 東近江市にあるヒトミワイナリーは知る人ぞ知る「にごりワイン」の製造元。

 

 醸造家は皆、20代から30代の若者で、収穫したぶどうの個性をとにかく重視し、同じ銘柄で味にばらつきが出ても「自然のもだからしゃーない」と、かまわず作っちゃう。

 あまりにばらつきが過ぎるということなら、その場でプランを変更して新しい銘柄にしちゃうという、自由でおおらかな姿勢でワイン作りを楽しんでいます。

 

 ここの名前を一躍有名にした「にごりワイン」もそうした自由な精神の産物と言えるでしょう。

 ラベルデザインも醸造家が自分たちの手でやっちゃうし、ボトリングもスタッフが総がかりで手作りで行うそうです。

 

 そこで気になったのが虫のイラストが描かれた「カフカ」というワイン。

 ラベルの裏にある解説ストーリーを読むと

 

 自然なワイン造りは「可or不可」という問いかけと、その中で繰り広げられるワインの「変身=フランツ・カフカ」をコラージュさせています。

 

 こういう遊び心、大好きです。

 


0 コメント

さつきとメイと5月生まれ

子供が5月生まれだというと、よく羨ましがられました。

べつに何月生まれでも関係ないと思うのだけど、子供の日やら、こいのぼりやらで、明るいイメージがあるのだそうです。

 

男の子だけの話かと思ったら、女の子もだって。

「となりのトトロ」のさつきとメイがいるからだそうで。

あの姉妹は5月生まれって設定だったっけ?

 

いずれにしても、5月は春と初夏の間のとても美しい季節で、ぼくも大好きです。楽しい思い出もいっぱいあるし、バラの花もきれいだしね。 

 

子供に関して言うと、夜中も泣き出して毎日起こされる生後3~4ヶ月の間がちょうど夏の時期にあたるので、そういう意味では5月生まれは比較的、子育てがラクといえるかもしれません。

 

僕なんか1月生まれなので、親は寒い夜中に起こされて大変だったそうで。

いまだに母親は「お前にはよくたたき起こされた」と言われています。

 

じつは現在名古屋。あさっては愛・地球博会記念公園(モリコロパーク)に取材に行きます。

最近は2022年にできるジブリパークの建設予定地といったほうが通りがいいかも。

時間があったら「さつきとメイの家」(これはすでに公園内にあるのです)も覗いて来ようかなと思っています。

 

まだしばらく爽やかで美しい5月を楽しみたいですね。

 


0 コメント

江戸東京野菜・川口エンドウ試食会

   

    マイナビ農業の取材。

 今が旬の川口エンドウの試食会で八王子へ。

 

 八王子特産で赤紫色の美しい花を咲かせる川口エンドウは、1年のうち、この初夏の季節の3週間ほどしか味わえないそうです。

 

 多摩八王子研究会の福島さんが、昭和30年代から40年代初めごろにかけて、地元の野菜として農協がものすごく力を入れ生産・出荷していた時代があったんだよ~っていうストーリーも発掘してきました。

 

 当時の八王子のライフスタイルが垣間見える「豌豆小唄」も作られていて、この川口エンドウを肴に一杯やりたくなる名調子です。

 

 僕が参加したのは昼の部でしたが、もしかして夜の部では歌ったのかな?

 

 日本絹サヤやスナックエンドウなど、他のエンドウとの食べ比べをやって、お料理もいただきました。

 エンドウを主役にした料理は、もしかして生まれて初めて。

 

 特にこの豚肉で巻いた揚げ物。

 口に入れると、エンドウの甘味がふわっと広がり絶品でした。

 


0 コメント

子供の自立について

 

 今日は息子の誕生日だった。
 当初の予定ではとっくの昔に自立・自活しているはずだったが、現実はそうなってない。
 親がアホなせいかも知れない。
 アホでもしゃーないなと思ってマッシモ・タヴィオでささやかなお祝いをやった。

 子供の自立を望んでいながら、かたやこっちが子離れしていない。
 じつは最近の映画や本やコンテンツもろもろにに関する情報の7~8割は息子に頼っている。
 彼が推薦するものはだいたい外れがなくて信頼できる。

 その代わりにこっちはレトロ情報(60年代~90年代カルチャー)を提供する。
 物々交換みたいだ。
 でも最近はやたら勉強していて、そのあたりのことも親よりよく知っていたりする。

 そう考えていくと、むしろ自分の方が子供に頼って生きている部分がある。
 それどころかずっと子供の可愛さ・面白さに支えられて生きてきた。
 そういう意味ではもう十分に親孝行は果たされている。
 
 さらに考えてくと自分は自立していると言えるのか、とも思う。
 何とかここまでもっているのは、若い頃から友達におだて上げられたり、仲間に励まされたり、女の子たちに甘えさせてもらったりしたおかげである。
 もちろんカミさんにも甘えっぱなしである。

 昔は自分の食い扶持は自分で稼ぐ――そうなれば自立したと言った。
 今はどうか?
 金さえ稼いでりゃ自立していると言えるのか?
 ネットの株取引きで稼いでりゃ、他の人間と接触しなくても、他に何やってても、誰も文句が言えないのか?。
 人の助けを必要としなければ、それが自立なのか?

 基本はそうなんだろうけど、そう単純なのだろうか?
 他人の支えや助けを拒み無視して生きようとするのは立派なことなのか?

 少しでも早く自立して欲しいと願う気持ちに変わりはないが、そうなるまでのプロセスでいろんな経験を積んで成長してくれればいいなと思う。


0 コメント

まだまだ育つ「ばんめしできたよ」

 

 

  昨年11月、拙作「ばんめしできたよ」をNHK名古屋の創作ラジオドラマ脚本コンクールに送ったところ、最終審査まで残ったものの、受賞までは至りませんでした。

 

 過去2回経験がありますが、受賞すると制作されるのが何よりうれしい。

 小説と違って脚本は制作されてナンボですから。

 僕としては主人公の料理人を素敵な女優さんが演じてくれるのを夢見ていましたが、残念でした。

 

 ちなみにNHK名古屋はこのように審査経過や、最終審査に残った作品の講評や、受賞作をまとめたものをきちんと本にして応募者全員に送ってくれます。

 3月に結果は出ていたようですが、うちに届いたのは先週末でした。

 

 というわけで、いろいろ講評をもらえました。

 魅力的な作品だと推薦してくれた審査員が多くいて、なかには一押ししてくれた人もいたようなのですが、「描写が雑」やら「物語の展開が物足りない」やら「終わり方が尻切れトンボ」やら、なかなか厳しい意見もいただきました。

 クライマックスからラストは自分で書きながら泣いちゃったんだけどな。わはは。

 

 ちょっと承服しかねる批評もあったけど、内心、自分でもここはちょっと拙いかなぁ、強引かなぁ・・・と思っていたところを突かれていて、おおむね納得出来ました。

 

 思い切り頭を発熱させて書いて、その後はキンキンに冷やして書き直ししなくてはならないのだけど、愛しすぎて粗熱が取り切れなかったのかも。

 でも出した時点ではこれがベストだったんだよね。

 

 もちろん悔しいのですが、反面、まだ可愛いこの子を手放さずに済んだ~、嫁に出さずに済んだ~という安堵の思いもあります。

 

 ここで落選したのは、まだまだこの子は自分の手で育てる余地があるぞ、未来があるぞ、もっと面白くできるはずだぞ、ということなので、また書き直して新バージョンを作っていきます。

 


0 コメント

孤独死に備えて

   

 シナリオにするか小説にするか、まだわからないけど、ちょっと新作の卵が育ってきた。

 「孤独死に備えて」。

 

 真面目に人生考えすぎてだんだんおかしくなっちゃう年寄りと、ちょっとイカれた子供と、その間にいるまともな社会人(だけどブレちゃう)大人――との間の愛をめぐる物語。

 実際はこんな堅苦しいタイトルじゃなく、どっちかちゅうとコメディっぽくしたいと思っています。

 

 で、それについて考えていたら、あらぬ妄想にとりつかれ、ここ1週間ほど頭がイカれてしまったというか、タマシイが放浪の旅に出ちゃっていました。

 

 一応なんとか仕事はこなしていましたが、こんな時間が長く続くと、社会生活も日常生活もまともに送れなくなるなという不安感に苛まれ、ブログも手につかないありさまでした。

 

 でも考えてみると20代の頃、一人暮らししていた時代は、時々こんな状態に陥ることがあったと思います。

 その頃の記憶と言うか、生活習慣みたいなものがよみがえって、久しぶりに妄想のるつぼにハマってしまった感じ。

 

 カミさんと暮らし始めてから(結婚するちょっと前から一緒に住んでいるので)そろそろ四半世紀。いい悪いの問題じゃないけど、いわゆる「孤独」を忘れてしまっているのだなぁと感じました。

 

 物語の世界にアクセスしようとすると、自分の中にあるいろいろな感覚が復元出来て面白い。と同時に、ちょっとずつ狂っていきそうで、おっかないのです。

 


僕に楽しい思いをさせてくれた子供たち

 

 先日の専門学校の同窓会でクラスに在籍していた同級生を暗唱してみたら全員言えた。

 (確認してないけど全員だと思う、たぶん。)

 

 試しに他はどうかと思ってこそっとやってみた。

 

 高校のクラスは3年間いっしょだったので、これも中途退学した連中を含め、全員出てきた(たぶん)。

 

 中学がビミョーで、1・2・3年それぞれのクラスのやつがごった煮になって出てくる。

 でも好きな女の子が2年生のクラスに二人いたので、やっぱり2年生がいちばん思い出深い。

 ちなみにその時はYさんが一番好きだったのだが、いま思い返すとKさんの方が可愛くて好きだ。

 うーん、なんでKさんの方に行かなかったんだろう・・・。

 

 小学校5・6年のクラスは大好きなクラスだったので、35人以上出てきた。

 男子は全員思い出せるが、あと5人くらいいたはずの女子がどうしても思い出せない。

 ごめんなさい。

 ちなみにこのクラスは、運動会やら遠足やらのイベント的なことはほとんど思い出せないのだが、日常的なシーンをやたらよく覚えている。

 

 大人になってから出会った人は結構忘れてしまうが、子供時代に出会った連中、付き合った連中の顔や声は鮮明によみがえる。

 本当にどうでもいい、くだらないことをいっぱい憶えている。

 子供はまだ自分を装うことに長けていないので、持ち前の個性を隠したくても隠せない。

 だからひとりひとり、面白いのだ。

 

 でも成長する中であっちこっちぶつけて痛い目に遭って、どの個性は人にウケ、どれはウケないか学び、調整しつつ自分を作る。

 多くの場合、スマートになっていくんだけど、同時につまんなくもなっていく。

 

 それにしてもそんな何の得にもならないことをやっていて、よほどヒマなんだねと思われるだろうけど、割と忙しい。

 忙しい時にかぎってこういうことをしたくなるのだ。

 本当に何の得にもならないけど、わりと楽しい。

 

 それに記憶にある子供たちのほとんどは、おそらく人生の中でもう二度と会わない人たちである。

 ここらでちょっと、ひとりひとりに僕に楽しい思いをさせてくれてありがとう、と言っておいてもいいのではないかと思った。

 


0 コメント

幼なじみのトウキョウサンショウウオ

 

 子供のころ持っていた(今でも実家にあると思う、きっと)百科事典の動物の巻のグラビアTOPに「トウキョウサンショウウオ」が載っていました。

 

 ゾウとかライオンとかオオカミとか、巻頭グラビアを飾るべきスター動物はいっぱいいるはずなのに、そいつらをさしおいて両生類の、しかもローカルなサンショウウオがトップとはどういうことだ?と子供心に不思議でしたが、最近、その理由に思い至りました。

 

 オリンピックだ!

 

 その百科事典(手元にないので確認できないが、たぶん学研)が発行されたのは、ちょうど前回の東京オリンピック(1964年)の時期と合致すると思うのです。

 だから東京特産の生き物としてトウキョウサンショウウオが選ばれた!

 

 とまぁ、そんなどうでもいいことを思い出したのは、先月、仕事で秋川や武蔵五日市に行った時に「森っこサンちゃん」と出会ったからです。

 

 森っこサンちゃんは秋川市のキャラクターで、もちろんトウキョウサンショウウオ。

 駅の観光コーナーや商店街のサインで愛嬌を振りまいてます。

 今度の東京オリンピックでも活躍するか?

 

 大型連休は1日ヒマを作って、サンちゃんのいる秋川渓谷にでも行こうかなと思っていたのですが、あまり強く念じていたわけでもなかったので、仕事にかこつけて結局行かずじまい。

 でもまたヒマを見つけて渓谷歩きに出掛けたいと思ってます。

 トウキョウサンショウウオに会えるかなぁ。

 

 それにしてもカエルもそうだけど、両生類のキャラクターは、ケロヨンとか、けろけろけろっぴぃとか、村上春樹の「かえるくん」とか、かわいい・オモロいって人気があるのに、実物はイヤだダメだという人が多いのはなんでー?

 

 もう田植えの季節だなぁってネットを調べてたら「カエルうるさい」とか「カエル駆除」とか「カエル殺せ」みたいな話がうじゃうじゃ出てきた。

 

 カエルもイモリもサンショウウオも、両生類は水のきれいな里山日本を象徴するような存在で、生態系の保全にも欠かせないのに、これはちょっとさびしいです。

 

 やっぱり都市化とともに失ったものは、物理的にも精神的にも大きいと思わざるを得ません。

 サンちゃんのいる森は守りたいなぁ。

 


唐組「吸血姫」観劇で思ったこと・考えたこと

 

 解散後のビートルズは、あるいはとっくの昔に衰退したパンクロックは、今もなお物語を紡ぎ続け、英国の文化の一つとして血肉化している。

 それと同様、テント芝居はビートルズであり、パンクであり、現代の日本においての一つの異文化として脈動している。

 

 日本一の大都市・繁華街と言える新宿の真ん中。

 黄昏時の光と闇が入り混じる、ぽっかりと空いた異空間に朱色の鳥居と、みずみずしい緑が浮かび上がる。

 そしてその向こう側。まるで僕たちの心の故郷のように、昔ながらの紅いテントが建っている。

 開場を待ってその周辺でうろついている観客は、もちろん懐かしさに駆られた年寄りが多いが、若い観客も少なくない。

 じいちゃん・ばあちゃんに話を聞かされた子供や孫たちなのかなぁと想像する。

 

 天井も側面も血肉色に包まれた紅テント内は胎内であり、繰り広げられる芝居は子宮の中の旅である。

 飛び交うセリフと役者の動きは、日常のリアル感とはまったく趣の違う、本質的なリアル感にあふれており、一緒に見に行った21歳の息子が目を白黒させていた。

 

 わけがわからないけど面白い。

 それでいいのだと思う。

 

 人間が生きることは、わけがわからない神秘にあふれている。

 それがなくて、ただ仕事をして生活しているだけなら、ロボットと変わらない。

 飯を食ったり休んだりする分、非効率でロボット以下だ。

 

 唐十郎の芝居にはそうしたことを再認識させてくれる価値がある。

 

 そして何よりも圧倒的なセリフの面白さ・美しさ。

 その一つ一つは詩であり、感情の表出であり、社会批評であり、精神分析であり、哲学であり、そうしたものすべてをひっくるめて物語全体を形作るピース(断片)になっている。

 

 物語はタイトルが示すように「吸血鬼」という存在を最初に思い浮かべると読み解きやすい(というか正解があるわけでなく、自分のものとして解釈できる)。

 

 吸血鬼はすでに遠い昔に死んでいるとも、永遠の命を持っている存在とも捉えられる。

 そんな幻想にとりつかれた主人公が、初演時の1971年を起点に、東京が焦土と化した戦後、大正末期の関東大震災、それに続く、アジア大陸における満州国建国と、幾つもの積み重なった時間と空間の中を旅する。

 

 インターネットが進んだ現在、僕らはこれと似たようなことができるようになっている。

 僕らは今という時間だけを生きるわけではない。

 リアル世界では若さを失っても、ネットにアクセスすれば脳内はたちまち時間を遡れる。

 情報は誰でもいつでもどこでも手に入れられ、知識としてだけならいくらでも異文化を吸収し、深入りすればバーチャル体験も可能だ。

 

 たとえば何の知識もなしにこの芝居を見ても、「愛染かつら」とはどういう話なのか、高石かつえ、川島浪速、川島芳子(東洋のマタ・ハリ)ってどんな人物なのか、関東大震災や満州建国で何が起こったのかなど、帰り道にスマホで調べれば家に帰る頃、そうした歴史的事象はわかっているのである。

 

 そう考えると、すでは僕らは半ば吸血鬼のような生き方をしているのかも知れない。

 

 それにしても唐さんが倒れてから、もう6年も経つとは知らなかった。

 病状のことはわからない。

 でももしかしたら自分が創った文化の後継者たちを育てるために、あえて病気になってみたのかも知れない。

 

 いや、もしかしたら病気というのは唐流の芝居で、じつは世界旅行にでも出掛けているのかもしれない。

 そして後継者らの成長を確信したらまさかの復活を遂げ、みずから「帰ってきた唐十郎」を舞台で演じるのかもしれない。

 

 その時、唐芝居は幕末~明治期に書かれた歌舞伎の名作同様、後世までずっと引き継がれる伝統芸能になるのではないかと思う。

 


紅テント伝説の名作「吸血姫」まさかの再演・まさかの家族観劇

 

 劇団唐組が伝説の名作「吸血姫(きゅうけつき)」を上演すると聞いて、日曜日に新宿・花園神社まで出かけることになりました。

 

 状況劇場で初演されたのは1971年。

 その後、紫テントの新宿梁山泊が2000年と2002年にやったらしいが、大御所の紅テントでやるのは47年ぶりとのこと。

 そうそう、かの状況劇場は、常に唐十郎の新作を上演していて、一切再演なんてやらなかったんです(僕の記憶の限りでは)。

 

 1971年の初演時、小学生だった僕は当然、紅テント・アングラ演劇のアの字も知らなかった。

 10代後半で演劇を始めた頃、「吸血姫」は状況劇場の歴史の第1幕(60~70年代初頭)のクライマックスを飾る集大成・最高傑作と評され、すでに伝説化していました。

 

 家にはなんと、ちゃんとこの戯曲があります。

 「唐十郎全作品集・第2巻」。

 若かりし頃の唐十郎が、演劇界の芥川賞と言われる岸田戯曲賞を受賞した当時の作品がずらり収録されています。

 

 初演時の上演記録も入っていて、唐十郎・李礼仙をはじめ、当時の主力役者の麿赤児、四谷シモン、大久保鷹といった名怪優たち、そして今は亡き根津甚八がやっと頭角を現してきた時代だったことがわかります。

 

 というわけで、ちゃんと読んだかどうか覚えもないこの作品集を、たぶん30年ぶりにくらいに開いて「吸血姫」を読んでみました。

 

 愛染かつら。

 看護婦と献血車。

 関東大震災。

 満州。

 

 わ、わけがわからん。

 そ、それなのにめちゃくちゃ面白い。

 

 この作品に限らず、唐作品は誇大妄想で練り上げられたセリフが繋がって、あっという間に化け物のように巨大化して暴走するのだが、それが物語としてちゃんと成立してしまうという摩訶不思議な世界。

 

 ということは分かっていたけど、やっぱりすごい。

 でも随分久しぶりに接した割に、とてもすんなり妄想世界に入っていけました。

 なんか若い頃読んだ時よりもイメージが広がりやすかった。

 

 今回の公演では、初演時、四谷シモンが演じた「狂える看護婦・高石かつえ(愛染かつらの主題歌を歌っていた歌手をもじった役)」を最後のアングラ女優・銀粉蝶が、

麿赤児が演じた「袋小路浩三(愛染病院の院長)」を唐さんの長男・大鶴佐助が、

李礼仙が演じた「海之ほおずき」を長女の大鶴美仁音が演じる。

 

 もうこれだけでストーリーができあがっちゃってるね。

 

 と、こんなに詳しくじゃないけど、メシ食ってるときにちょっとカミさんと息子に話したら、「わたしも行く」「僕も見たい」と言い出して、前売り券も取れたので、結局、連休の締め括りに3人で出かけることになってしまった。

 

 この時代にまさか家族そろって花園神社にアングラ・テント芝居を見に行くことになるとは夢にも思わなかった。

 

 久しぶりのテント芝居、2~3時間座って見るにも体力が要るので、観客として最後まで持つかどうか、いささか心配ですが。

 


0 コメント

生殖機能終了後の人生とは?

 

上野の国立科学博物館でやっている「人体」展。

僕のボディもかなり古びてきましたが、まだまだ使わせてもらう予定でいます。

 

それで展示を見て、すごく当たり前のことに気が付きました。

 

大きく言うと、人間の身体は生まれてから死ぬまで3つの期間に分けられる。

 

①子供(生殖機能が起動する前)

②生殖機能活動期

③生殖機能終了後

 

めちゃくちゃ単純です。

確かにすべての生物は子孫を残すのを最大の仕事としているので、身体は生殖機能のあるなしで変化し、時代区分できます。

 

他の動物(植物)は子孫を残す仕事を終えたら、ほどなくしてこの世とさようならになるのだけど、人間の最も大きな特徴は、生殖機能をなくしてからの生存期間がすごく長いということ。

 

もちろん個人差があるけど、最近の寿命で言えば、人生の半分以上の時間が「生殖機能終了後」です。

これは特に女の人が実感しているでしょう。

男の場合は、その気があれば、生涯現役も可能なわけですが。

 

「生殖機能をなくす」と言葉にすると、かなり悲しい響きがあるのだけど、考えようによってはオンナであること・オトコであることから自由になったとも言えます。

 

僕も10代・20代の頃はホルモンの分泌に支配されて、よく頭がイカレていました。

性欲をほどよくコントロールするのはなかなか大変で、今思うと冷や汗かいたことも何度かあります。

いやいや、さすがにそういうものにはあまり悩まされなくなりました。

(ちょっとはあるけど)

 

かと言って、女も男もみんなが坊さんみたいになっちゃたり、悟りを開いたりしちゃったらつまらない。

 

生殖機能なくても恋愛もSEXも楽しめるわけだし、今の時代、この人生第3期をどう生きるかは本当に考えどころです。

 

できれば子孫を残すことの何千分の一でもいいから、のちの人類のためになることができればいいなぁと思います。

 


0 コメント

長野・伊那谷で昆虫を食べる

 

 「大昆蟲食博」。

 長野県・伊那市の伊那市創造館で開かれている企画展をマイナビ農業で取材。

 日本でも、世界でも、こんなにいろんな虫を食べていたとは!

 世界観が変わりました。

 

 国連食糧農業機関(FAO)が2013年、「食用昆虫 食品と飼料の安全に関する将来展望」という報告書を発表して以来、全世界的に「昆虫を食べよう!」というムーブメントが広がっているそうです。

 

 世界各地の人口が増加する中、タンパク源としての家畜が足りなくなることから、代わりに栄養価の高い昆虫を食べることが推奨されているからです。

 

 というわけで、昔からイナゴ、ザザ虫、ハチの子、蚕のサナギと、昆虫食の伝統文化を持つ伊那市でも昨年12月2日からこの連休、5月7日まで企画展が開催されました。

 

 チラシの裏面に「オール昆虫食大進撃」という怪獣映画みたいなキャッチコピーが踊り、あたかも怪獣のごとく載っている虫たちのUP写真があまりに強烈(掲載しないので興味のある人は検索して見てください)なので、ちょっとビビっていましたが、いざ足を踏み入れれば大丈夫。

 

 伊那谷の昆虫食には、それぞれ食文化としての背景があり、ちゃんと経済・産業に繋がっていたから現代まで残っているのだそうです。

 

 特に蚕のサナギ食の話は驚愕と感動。

 かつて日本でも盛んだった養蚕業は、ただ生糸の生産だけだったんじゃないんですね。

サナギを絞って油を取ったり、殻を漢方薬にしたり、糞を歯磨き粉や食品添加物(天然色素)に使ったりと、まさに捨てるところなしの大循環産業だったんです。

 

 その他、館長自らタイやカンボジアのタランチュラ、サソリ、タガメ、コオロギなどの料理に挑戦した食レポも秀逸でした。

 

 この大昆蟲食博、創造館始まって以来の大人気企画となり、東京・名古屋・大阪などからも多数の来場者があったとのこと。

 

 じつは僕も昼に入った日本食店で、ザザ虫にトライ。

 郷に入っては郷に従えで、口に入れるのは抵抗なかったけど・・・・

 なんだかカタクチイワシの煮干しをそのまま食べている感じでビミョーなお味。

 酒の肴として食べれば美味しいのかも。

 


0 コメント

演劇仲間との同窓会

 

昨日は舞台芸術学院30期生の同窓会。

 こうした会の取り仕切りは不向きで、他では絶対やらないのだけど、どういうわけか、ここだけは昔から幹事役をやっています。

 

 入学40周年、出会って40年ということでやりました。

 集まったのは17人。連絡取れる人の約半分。

 

 福井や静岡などからわざわざ出向いてきてくれた人もいます。

 以前は利便性を考えて、新宿でやっていたのですが、今回は学校に通っていた池袋西口で開催。

 やっぱり土地の記憶というのは重要で、故郷の空気を吸ってリフレッシュしました。

 

 学生と社会人の狭間の2年間を、演劇なんぞに現をぬかしてともに過ごしたわけですが、時間がたってみると、その仲間と記憶が一つの大事な財産になっている気がします。

 

 何よりもこういう場と時間を共有できることが、それぞれの心の支えになっているならいいなぁ。

 

 6年ぶりに開きましたが、正直、この5~6年ほど全然やる気がしなかった。

 連絡するのも面倒だし、やってどうするの?という気持ちもあり、あまり大事なことと思えなかった。

 

 ところが仲間の一人のみっちゃんが毎年、年賀状で「今年はやらないの?」と粘り強く送りつけてくるので、徐々にボディーブローが効いてきてプレッシャーになっていたので思い切って昨年末から再開に踏み切りました。

 

 でもそうしてよかった。

 諦めずに背中を押し続けてくれたみっちゃんに感謝だなぁ。

 

 思い出話もさることながら、未来へ向けて年寄り劇団を作ったら・・・という話も出ました。

 酒の席の話なので冗談半分ですが、子供や孫みたいな連中をお客として呼んで、ヘンな年寄りたちがヘンな芝居をして見せるというのも悪くない。

 それで何かが伝えられればいいし、みんなのこれからの人生の励みにもなればいいなぁと思いました。

 


0 コメント

マイピュアレディと妄想力に基づく男の深い愛

 

 うちのカミさんは髪を切るとき、カメが店長をやっている赤坂の24時間営業(これはぜんぶホントです)の「PINCH」という美容院に行っています。

 

 店内ではカメの店長が悠々とウロウロしながら野菜を食べているそうです。

 

 で、昨日そこに行ってバスっとショートカットにしてきました。

 身内なので褒め難いけど、なかなかイイのです。

 

 それで思わず「マイピュアレディの小林麻美みたいだ」と言ったら、「はぁ?」と返されてしまった。

 聞くと、小林麻美は長い髪のイメージしかないとか。

 デビュー当時のハミガキのCMに出演していた頃とか、「初恋のメロディ」を歌っていた頃のことだろうか。

 

 3つしか齢が違わないので、一応、同時代人なのだが、時々、話がズレるのです。

 それとも、僕が小林麻美が好きだったというのが気に喰わなかったのか・・・。

 いずれにしても、ほめ言葉のつもりだったが、あまりお気に召さなかったようです。

 表現手段を間違えましたた。

 

 そういえば半年くらい前だったか、雑誌の表紙で久しぶりに小林麻美さんを見ました。

 さすがにもう貫禄がついているんだけど、男の妄想力は偉大なので、脳の中でちゃんとそこに過去の残像をピタッと合わせられる。

 

 つまり現実を受け入れつつ、過去の記憶の中の面影をしっかり楽しめちゃうのです。

 だから昔ぞっこんだったアイドルを今も十分に愛でることができる。

 好きな女に対する男の愛はとっても深いのです。

 

 それに対して女の場合はどうなのか?

 女がおじさんになってしまった昔のアイドルに肩入れするのは、そのアイドルを愛しているというよりも、それを媒介として、脳内であの頃の若い自分にもどれるからではないかと思います。

 だからどっちかというと自己愛に近いものという気がします。

 

 やっぱりメインは子供の方にとっておくんでしょうね。

 そうしてください。

 子供より大事なものはこの世にありません。

 


フツーのおにぎりでも日本のコメなら800円!?

 

 外国人相手にお米のセミナーをやった時、おにぎりを作らせたら「わたしも日本食が作れた!」と大喜び。

 

 という話を、以前、原宿で米屋をやっている小池さんから聞きました。

 

 日本食と言えば、すき焼き、天ぷら、寿司、刺身しか出てこなかったのは、はるか昔の話で、いまやおにぎりだって日本食の代表選手。

 

 シンガポールあたりではお洒落な中食として、レギュラーサイズの2個セットが800円くらいの値段で売られているそうです。

 

 もちろん、これはお米も具材もメイドインジャパンに限ってのこと。

 

 昨日のマイナビ農業主催の「NEXT AGRI PROJECT2018」で講演したJTBの人の話では、それだけ日本食、日本の食材にはブランド価値があるのだそうです。

 

 それを捉えて、JTBでは海外に日本の農産物を紹介・提供するサポートをしたり、日本にvisitする外国人に農業体験をしてもらうツアーを企画するなど、「食農×観光」をテーマにした仕組みづくりに取り組んでいるそうです。

 

 アジア圏の人たちにとって桜アリ紅葉アリ雪景色アリの日本の四季は憧れの的であるとともに、シンガポールなどの、いわゆる田舎のない国では、田んぼや畑のある美しい里山の景色自体が十分観光価値のあるものだとか。

 

 ましてやそれが美味しい日本食と結ぶついているのなら、その価値は数倍に跳ね上がるのでしょう。

 

 僕たちにとっての当たり前の食、見慣れた景色は、じつは貴重な宝物なんですね。

 


0 コメント

NEXT AGRI PROJECT2018~明日の日本農業を語る活性化会議

 

 マイナビ農業が有楽町マリオンのオルタナティブシアターで開催した「NEXT AGRI PROJECT2018~明日の日本農業を語る活性化会議」に行ってきました。

 

 ライターとして毎月4~5本コンテンツを作っているので、半ば付き合いというか、冷やかしのつもりで参加したのですが、意外にも(というと失礼ですが)いろんな情報に出会えて、めっぽう面白かった。

 

 基調講演はNTTやJTBの人で、農業×ICT、食農×観光をテーマに活動を展開し、農業支援を行うのだそうです。

 特にJTBの人の話は分かりやすくて面白かったので、また明日にここだけ採り上げて書きます。

 

 前から聞いていたけど、5月の連休明けからマイナビ農業でクライドファンディング――「クラウドマルシェ」を始めるそうで、それに関するトークセッションでは、渋谷のライブハウスの屋上で野菜を栽培しているアーバンファーマーが登場。

 

 この渋谷の都市農業、ロンドンが2012年のオリンピックの時に始めた市民農園プロジェクトに触発されて始めたとのことですが、すでに大きな広がりを見せているようです。

 

 最後のパネルディスカッションは、ぐるなびの人、パナソニックの人、れんこん屋さん、狭山茶&しいたけ屋さんが登場。いろんな情報が飛び交いました。

 

 さらにマイナビ農業は7月から千葉の田舎にある廃校を買い取って、農業体験をはじめ、合宿やら運動会やらウェディング用に貸し出すプロジェクトを始めるそうです。

 

 正直言って今まで、なんでマイナビが農業なのか。一時の流行りでやっているのか・・・とも思っていましたが、なかなかどうして、本気で10年・20年スパンで考えています。

 

 今後どんどん面白く展開していきそうな予感がします。

 


0 コメント

未来の子どもたちに伝えたい。ネッシー、UFO、心霊写真、そして20世紀の化石ジジイ

 

フィルムしかなかった時代に比べて、今、写真の量は何倍くらいになっているのだろう?

100倍なんてことはないだろう。

1,000倍? 10,000倍? いや、もっと・・・。

調べようなんて気にならないくらい、すごい増え方だ。

 

それだけ増えてるのに、心霊写真やらUFOやらネッシーやら、謎の生物系の写真は一向に増える気配はない。

まぁ一定数は出ているのだろうけど、ろくろく話題にもならない。

 

みんな忙しくてそんなことに構っちゃいられないのだ。

もうみんなの心から幽霊もネッシーもUFOも絶滅しつつある。

 

しかし、この間、図書館の旅行書のコーナーで「死ぬまでに一度は行きたい世界の名所」というタイトル(正確でないけど、ま、こんな意味)の本があったので、手に取ってパラパラとめくったらネス湖もその一つに挙げられていた。

 

「ネッシーに興味のない人も一度は行ってほしい・・・」とか書いてあったけど、やっぱり行くのはその昔、さんざんその手のテレビや雑誌企画を見てネッシーが好きな人だろう。

 

そんなわけで20世紀の遺物として細々と生き残っていくのかも知れない。

 

ならば僕は20世紀の化石ジジイになって、これから生まれてくる子供たちに昔話を語り伝えようと思う。

 

「むかしむかし、20世紀という時代のことじゃ。

 空にはUFOが群れをなして飛び交い、世界中のあまたの湖には古生代の恐竜が住み着き、

雄たけびを上げておった。

 そして夜ともなれば、ほら、そこにもあそこにも。

 写真を撮ると、ほーら、この世のものでないものが」

 


0 コメント

リメンバーミー:「わたしを忘れないで」のメッセージ

 

 昨年見た映画「はじまりへの旅」は、コメディでありながら妙に感動的な作品だった。

 

 文明生活に反してワイルドライフを送る父と子供たちが、都会暮らしで、精神疾患が原因で死んだ(らしい)妻(母親)の遺体を奪還。

 遺言通りに家族自らの手で火葬し、遺灰をトイレに流す、というのがストーリーだ。

 

 この家族はオートメーション化し、形骸化した現代社会の慣習に対する反抗精神を持って生きてきた。

 かつてのいヒッピー世代、フラワーチルドレンのメタファーのように思える。

 

 したがって遺灰をトイレに流すという行為(=流してほしいという遺言)は、その反抗精神の表現であると同時に、逆説的に「わたしを忘れないで」という妻(母親)のメッセージでもあり、家族の記憶の中に永遠にとどまりたい、という思いが込められている。

 

 こうした映画が生まれた背景は、やはり少子高齢化社会だ。

 

 半世紀前、ロック文化が盛り上がり、「Dont Trust Over Thirty」と皆が叫んでいた時代、アメリカの人口は、およそ半分が25歳以下だった。

 

 その圧倒的多数のベビーブーマー世代が高齢化し、自分のエンディングを意識せざるを得なくなった今、ハリウッド映画もそうした社会状況を反映するものが増えている。

 

 世界最高峰のアニメを送り出すディズニー/ピクサーもまたしかり。

 その最新作「リメンバー・ミー」は、メキシコの「死者の日」という民俗をモチーフに作られた。

 

 「死者の日」は毎月11月はじめに行われ、家族や友人達が故人・先祖への思いを馳せて語り合うために、みんなで集まるという。

 

 日本のお盆に共通する伝統文化であり、欧米のハロウィーンの原型とも言われている。

 

 死者の精霊が帰ってくるその日は、家々に先祖を祭る祭壇が飾られ、街は華やかで賑やかなお祭りムードに包まれる。

 

 「リメンバー・ミー」は、その雰囲気を映画表現に置き換え、世にも美しいカラフルでゴージャスな死者の国で、ガイコツの人々が“いきいきと”“楽しく”生活している。

 暗いムード、おどろおどろしいムード、また神聖な雰囲気などみじんもない。

 

 つまりこの死者の世界は、生者の世界と同時に存在するパラレルワールドになっていて、年一度の「死者の日」にだけ2つの間に橋が架かり、死者たちは生者の世界に里帰りする。

 

 こうした設定はメキシコの死生観が下敷きにされているという。

 

 メキシコは16世紀にスペインに征服され、以後、約300年間植民地化。19世紀にそこから独立して新たな国を作ったという経緯から、現在はカトリック教徒が多いが、植民地化される前のアステカ帝国の文化を引き継いでいる。

 

 このアステカ文化の影響で、死を象徴するものが独自の発展を遂げており、「死は、新たな生へと巡る過程のひとつ」という考え方が社会生活の基盤になっている。

生の世界と死の世界を分け隔てる壁がとても薄く、行き来することもそう難しくないと考えられているのだ。

 

 映画ではそこにもう一つ、「二度目の死」という設定を作っている。

 生者の世界で、誰一人としてその人の記憶を持つ者がいなくなってしまったら、その人は死者の世界からも消滅してしまうのである。

 

 テーマである「家族・先祖・伝統」に則った世界観の設定で、とても普遍的なものだが、同時にタイトル通り、そして「はじまりの旅」と同様に「わたしを忘れないで」という、ベビーブーマー世代の強い自己主張を感じる。

 

 ・・・といった面倒なことなど、あれこれ考えなくても、極上のエンターテインメントとして単純に楽しめちゃうところが、ディズニー/ピクサー映画のすごさであり、ハリウッド映画の底力である。

 

 観客対象はもちろん家族向けだけど、お父さん・お母さんとだけじゃなく、おじいちゃん・おばあちゃんも一緒に連れて見に来てね、というメッセージもこめられているんだろうなぁ。

 


忍法影分身と影縫いに関する実験と考察

 

 最近、自分の影をほとんど見ていませんでした。

 いつの間にか、影がふてくされていなくなっていても、きっと僕は全然気が付かなかったでしょう。

 

 あなたの影はちゃんとありますか?

 

 というわけで影の話をしますが、まずはうちの食卓から。

 

 うちでは食事中、しょーもない話題で盛り上がることがあります。

 本日の話題は忍者。

 今や世界に名だたるジャパニーズブランド文化の一つ「NINJA」です。

 

 忍者と言えばマンガですが、僕が子供の頃読んだ忍者マンガといえば、「カムイ」「サスケ」の白土三平先生、「影丸」「赤影」の横山光輝先生が二大巨頭ででした。

 

 いろんな忍法が出てきたけど、中でも心に食い込んでいるのが影に関する忍法です。

 ちょっとミステリアスでカッコいい。忍者そのものという感じがします。

 

 「影分身」は確かサスケの得意技です。

 これはちゃんとその原理についての解説がついていて、超高速で動くと相手の動体視力がそれに追いつけず、残像がいくつも残ってサスケが何人もいるかのように見える。

 そして「どれが本体なんだ」と焦っている相手に、「ここだ」と思いもかけぬ所――たとえば背後とか木の上とか――から攻撃し倒すというもの。

 

 これは僕も忍者ごっこで実験してみました。

 

 目にも止まらぬ速さで縦横無尽に(と本人は思っている)動き回り、

「どう?分身して見える?」と聞いてみたのです。

 

 見えるわけないよね。

 

 でも一生懸命やったらもしかして・・・とやってみたけど、やっぱりダメでした。

 

 もう一つ、横山先生の得意技(?)だったのが忍法影縫い。

これは影丸でも赤影でも敵方の忍者が使っていて、けっこうダークなイメージが強い術です。

 

 地面や壁などに映る相手の影。それに手裏剣を幾つも刺して縫い付ける。

 ここで「おまえの影はわしが縫った。もう動けまいが」なんてセリフを言うと、本当に体が動かせなくなってしまうのです。

 

 そんなアホな。

 

 と思うのは今だからであって、かつてはマンガを読むときは入れ込んでいたので、この術には驚愕しました。

 

 そして動けなくなっている本体にとどめを刺して命を奪う。

 

 いやぁこれはおそろしい。

 もしやこれは数ある忍術の中でも最強の術ではないか、と思ったくらいです。

 

 超フィジカルな影分身に対して、こっちは超メンタル。

 一種の暗示、催眠術の類で、今風にいえば精神攻撃と言うところでしょうか。

 

 この影縫いから逃れるには、影を作る光源(外なら太陽や月、室内ならろうそくなど)を消して、自分の影を消すしかない――いわば自分の存在を一時的に消し去るわけです。

 

 

 おそらく昔の人たちは、影が本当に自分の分身とか魂だと信じていて、それを敵に抑えられるということは、負け=死を意味していたということでしょう。

 

 そういえば僕も影踏みだとか、車にひかれるなどして自分の影がダメージを受けたらアウトとか、そんな遊びもしていました。

 

 今でももちろん「影」は多彩で深いイメージを抱えた概念として用いられますが、昔ほど肉体に直結した、リアリティのある存在ではなくなってきているような気します。

 

 これはやはり生活空間が人工物で構築されるようになってきて、自然の光と闇がの領域がどんどんん減ってきているからではないでしょうか。

 

 影はどんどんリアルな空間を離れ、仮想の世界に追いやられています。

 なので、たまには自分の影と話して、希望を聞いてあげるといいかもね。


0 コメント

アナ雪短編 充実度1時間分

 

 大ぴらに言うのは初めてだけど、けっこうアナ雪が好きなんです。

 ストーリーもビジュアルも音楽も素晴らしい。

 最近、ミュージカル映画なんて全然見ない(そもそも作られているのだろうか?)けど、アナ雪だけは別格。何度聴いてもいい。

 この映画は本当にディズニー/ピクサーの力を思い知らされた。

 

 で、今日は「リメンバー・ミー」を見たんだけど、その前座がアナ雪。

 なんと贅沢な!

 20分そこそこのクリスマスをテーマにした短編だけど、ひとかけらの手抜きもなく充実度満点。

 「自分たちには伝統がないね」と、ちょっと悲しむアナとエルサのために、雪だるまのオラフが伝統を集めて回るが・・・という、いかにもアメリカらしい発想のストーリーで、これがまたとても面白く、かつ美しくまとまっている。

 もちろんアナとエルサの歌も最高で、1時間分くらい見た気になりました。

 

 けどあくまで前座なので、あまり胃にもたれず、ちゃんとメインを食べられるように軽くしてあるのがミソ。

 ちょっと完璧過ぎるバランスです。いずれにしてもこの2本立ては超お得です。

 

 メインの「リメンバー・ミー」については、いろいろ考えさせられたので、また後日。

 

 今日はほとんど映画会社の回し者になってしまいました。

 まぁ良いものは良い。好きなものは好きなので、ということで。

 


0 コメント

インターネット翻訳 日進月歩 rapid progression

 

  Googleの翻訳機能の精度がずいぶん上がってきたような気がします。

 今日はほぼ半日、ずっと仏事やマイナビ農業のネタ探しで検索をしていたのですが、海外の話についてはこれまでほとんど日本語のサイトに頼っていました。

 英語サイトならちょっと読んでみようとするのですが、やっぱりよくわからない。

 「翻訳しますよ」と出てくるので、やってみると、ますますわからん!

 

 ということが多かったのですが、今日、改めてみるとそう悪くありません。

 たとえばこんな感じ。

 

農業革命へようこそ!

 

成長中のアンダーグラウンドで、私たちは持続的に口腔内で新鮮なマイクログリーンを生育し、サラダはClaphamの賑やかな通りの33メートル下に葉っぱになります。 最新の水耕栽培システムとLED技術を使用して、私たちの作物は、忘れられたこれらのトンネルが提供する完全な無農薬環境で年間を通して栽培されています。 管理された環境のおかげで、それぞれの小さな葉は最後まで驚くほど味わいます。 私たちの緑は、気候や季節の変化に影響を受けません。私たちは一番の場所のおかげで、作物を輸入する必要性を減らし、小売店や消費者の食糧マイルを大幅に削減します。

 

 おかしなところはいくつかあるけど、意味はわかりますよね。

 確実に進化している。

 

 ちなみにこれは、第二次世界大戦時に防空壕として使用されていたロンドンの地下トンネルを、LED照明を使った水耕栽培農場に変えようとしている「Zero Carbon Food」という企業サイト。

 

http://www.zerocarbonfood.co.uk/

 

 おかしなところは原文と比較して自分で修正すればちゃんとした日本文として使えるし、語学の勉強にもなります。

 他の言語はどうかまだわからないけど、まず英語サイトには付き合っていきたいなと思います。

 興味ある分野なら、海外サイトもどんどん見ていこう!

 


0 コメント

ちょっとこわい、歪んでいく顔の話

 

 FaceBookでいろんな顔が並んでいるのを見ていると、先日、アカデミー賞でメイクアップ賞を受けた辻一弘さんがインタビューで話していたことを思い出します。

 

 印象に残っているのは、人間の顔は苦悩を重ねるたびに左右の対称性が崩れていくということ。

 子供の頃・若い頃は美しいシンメトリーを成していても、齢とともにそれがあらぬ方向に歪んでいく。

 

 純粋に皮膚、目、鼻、歯などの肉体の衰えもあると思いますが、それ以上に、生きていて笑ったり泣いたり怒ったりを繰り返していると、顔面の筋肉のつき方がいろいろ変わっていくのでしょう。

 

 また、顔では笑っていながら、心の中では相手に対する嫉妬や憎悪がメラメラ・・・なんてことをやっているのも、筋肉や神経が複雑によじれそうです。

 

 そういえば漫画などで、悪いやつとか、心に闇を持っている人物(別に異常者でなくても、よほどの聖人君子でない限り大抵の人が持っている)などの顔をアップにすると左右がひどく違う顔て描かれていたりします。

 

 これまであまり意識したことなかったけど、鏡でまじまじと自分の顔を見ると確かにそうだ。左右にかなり違いがある。おーこわ。

 

 若い頃、美男美女の誉れ高かった人は、その自画像の残影が強烈に焼き付いているので、齢とともにその顔が歪んでいくことに人一倍敏感なのでしょう。

 「顔が崩壊していく」という恐怖感を抱き、ほとんどパニックに近い精神状態になる人もいるようです。

 だから美容整形や薬物投与を繰り返し、ますます問題が複雑怪奇になっていく。

 

 僕らは、生まれついての美形なら、ずいぶんと人生のアドバンテージが高いだろうと思いがちですが、どうやらそうでもないようです。

 

 こうやって書くと齢を取ると醜くなる一方で、ロクなことがないようですが、辻さんはそうした歪みを超え、何らかの形で苦悩を克服した時、人間の顔は人生で最も美しく輝くと言います。

 

 そして彼が手掛ける特殊メイクの仕事は「その人の伝記を書くのと同じ仕事」だとも。

 

 ゲイリー・オールドマンを、ウィンストン・チャーチルに作り変えられる程、人間の顔と向き合い研究してきたアーティストだからこそ、そんな表現ができるのだと思います。

 

 筋肉の張り・弛み・しわの一つ一つに、その人の生き方・心の在り方・秘めたるものが現れているのでしょう。

 これはすごいことであり、また、とても恐ろしいことでもあります。

 

 だからFaceBookにも顔を載せない人が多いのかな?

 かく言う僕も、最近あまり気に入った写真がないので、6年前のを貼り付けてありますが。

 あなたはどうですか?

 


お母さんは夕暮れの交差点で踊った

 

昨日のこと。

日が沈み、空が薄く群青色になり始めていた。

僕は永福町の駅を通り抜け、井の頭通りを西から東へ自転車で走っていた。

通りの向こう側に行きたいので、信号のある交差点で停まる。

 

すると思わぬ光景に出会った。

 

向こう側に女性がふたりいる。

ひとりは小学5年生~6年生くらいの女の子。

もう一人はそのお母さんと思しき女性。

信号待ちの間、ふたりは何やら仲良くふざけ合っている。

 

お母さんはちょっとお道化て体をスイングさせながら、リズミカルに脚をサイドに蹴り出して見せる。

それを見て娘はキャッキャと嬉しそうに身をくねらせている。

 

どうやら彼女はクラシックバレエの素養があるようだ。

表現のために鍛え上げた筋肉はさりげにすごく、通りを挟んだこちら側からでも、体の輪郭がくっきりと浮かび上がって見える。

 

僕はぼんやり見とれながら、あの二人は本当に母娘か? 

あるいは叔母と姪か?

さすがに姉妹ではないだろう。

齢の離れた友達と言うのもあり得るかな・・・など、いろいろ考えていたが、そのうち信号が変わり、ぼくは北から南へ、二人連れはこれまた楽しそうに小躍りしながら南から北へ渡った。

 

すれ違って僕は、お母さんらしき女性はダンサーなのかも知れないと考えた。

でも暮らし向きは良くない。

もしかしたら彼女の夫はろくでもない男で、愛想をつかして離婚して娘と二人暮らしになってしまったのかも知れない。

 

お金がなくて娘を育てるためにスーパーマーケットンのレジ打ちやら、トイレ掃除やら、介護ヘルパーやら、宅配便の配達やら、いろんな仕事を掛け持ちしなくてはならないのかも知れない。

 

けれどそれでも彼女は踊るのをやめないだろう。

自分のために、娘のためにも。

 

ほんの一時かも知れないけど、彼女らは生きていることをとても楽しんでいて、僕に素敵な印象を与えてくれた。

 


西暦か元号か? 今年は昭和93年?

 

 

 原稿を書いていると、過去の出来事について、それが起こったの年を西暦で書くか、元号で書くか、迷うことがあります。

 大正時代から前は併記しないと自分自身がわからないし、読者もよくわからない人が多いでしょう。

 大正3年、明治24年、慶応元年をそれぞれ西暦に直せ、と言われてその場でぱっとわかる人はあまりいないと思います。

 

 やっかいなのが昭和で、これは過去でありながら、年寄りにとってはいまだ続いている現在なのでややこしい。

 うちの母親は昭和4年生まれですが、時々、自分の齢がわからなくなります。

 

 そんなとき、僕は「今年は昭和93年。だからお母さんは89だよ」と言ってます。

 母の頭の中では西暦はもちろんですが、平成という元号は、どこか他の国の歴史の数字のようです。

 

 僕の場合は、同じ年であっても昭和〇年と西暦〇年は随分イメージが違っています。

 だから特にルールを課されない場合は、ほとんど自分の感覚で書き分けます。(字数が許されるときは極力併記しますが)

 

 たとえばビートルズの来日公演はやっぱり1966年で、昭和41年ではない。

 同じくアポロ11号の月着陸は1969年で、昭和43年ではない。

 逆に平成天皇(当時皇太子)のご成婚は昭和34年で、1959年ではない。

 前・東京オリンピックは、1964年と昭和39年、両方ありかなぁ。

 

 昭和は40年代までは風味が農厚で、その時代の空気を数字で明瞭に表現してくれるのですが、50年代・60年代になると急に印象が薄くなる。

 

 昭和50年と言われても全然ピンと来ないのだけど、1975年と言われれば長髪でベルボトムの裾がボロボロになったジーパンはいた若者が、ギター鳴らしているシーンが即座に思い浮かびます。

 昭和55年も60年も、1980年とか85年とか言われないとイメージわかないなぁ。

 

 平成は1989年から始まってて、出だしがバブルで盛り上がっていた時代だったので、明るく楽しく軽やかなイメージが強い。

 

 だけど、そのあとすぐに経済が急降下しちゃって、そのせいか日本人もおかしくなっちゃって、1990年代には心理学やらプロファイリングみたいなものが流行ってくらーくなってしまい、それがずーっとダラダラ続いて、失われた10年やら20年やらが30年になって、結局、平成はまるごとロストジェネレーションになってしまうのではないかという危機感が漂います。

 

 その平成も残り1年あまり。

 2019年から始まる新しい元号はどんなもので、どんな空気を作るのだろう?

 


植物のいのちは人間・動物より高次元にある

 

 食育などでは肉も魚も野菜も、いのちをいただくのよと、子供に教えている。

 それは正論だけど、僕は動物のいのちと植物のいのちはちょっと違うものなのではないかと考える。

 

 僕は子供の頃、肉が食べられなかった。

 ハムやソーセージなどの加工肉はいいが、そのままの豚や牛や鶏の肉は全然ダメで口にできない。

 煮物や炒め物などに入っているといつも避けていた。

 

 当時の大人はまだ肉食文化のアメリカに負けたという敗戦コンプレックスが強烈に残っていて、こっちも肉を食ってリベンジしたいという思いが潜在的にあった。

 そこに肉を食べない豆腐小僧みたいな男児がいると、あからさまに腹を立てた。

 別居うなんかできなくたって、ガツガツ肉を食う元気な男児がよしとされたのだ。

 というわけで毎日、給食の時間は絶望的な気分になっていた。

 

 一方、家では母親が、僕が肉を食えないことに対して「連想するんでしょ」と言っていた。つまり肉片から牛や豚や鶏のまんまの姿を思い描いてしまい、それで食えないというのだ。

 

 その時はそんなことはないよと思っていたけど、今考えると母は正しかったのかも知れない。

 哺乳類でも鳥類でも、肉を食べるということは、同族とか仲間とは言わないまでも、かなり自分に近い存在を殺して食べるということ。

 人間のいのちと動物のいのちは、ほぼ同じレベルに属するのだ。

 なので食べるには抵抗感がある。

 もしかしたら抵抗感を感じるということが、人間と動物の違いであるとも言える。

 

 でも植物はちがう。

 人間や動物より下等なのではない。逆だ。

 植物のいのちはより上等、高次元にあるのではないか。

 

 天上と地上の間、神さま(的な存在)と動物の間にあると言えるかもしれない。

 あるいは地球という大地と、そこで活動するすべての動物との媒介者と言ってもいいかの知れない。

 

 植物は惜しげもなく「恵み」として自分の身を与え、生命活動の成果物を与える。

 だから人間も感謝しこそすれ、その恵みを受け取ることに抵抗は感じない。

 草食動物はもとより、それを食べる肉食動物も、そして人間も、食物連鎖の基盤であり、神さまにより近いいのちを持つ植物に生かされているのかも知れない。

 


とん平流「こうすればうまくいく」

 

  どんな人でもお葬式になると「いい人でした」「立派な人でした」で、きれいにまとめられてしまうのだけど、さすが先日の左とん平さんのお別れ会は違っていた。

 

 発起人代表の里見浩太朗さんは、お別れの言葉(弔辞)として、祭壇にデン!と据えられた190インチの大画面に映し出された遺影に向かって思い出を語りかけた。

 

 とん平さんと里見さんはゴルフ友達で、一緒にゴルフに出かけるとき、里見さんはとん平さんの家に朝、迎えに行くことがちょくちょくあったという。

 ところがある朝迎えに行くと、昨日麻雀をしに出掛けたきり帰って来てないという。

 その足で麻雀屋へ行くと、とん平さんはまだ麻雀を打っていて「よぉ浩ちゃん、ちょっと待ってて」なんて言う。

 

 「とんちゃん、ゴルフに行くのになんで朝の8時に麻雀屋にいるんだよ」

 と語り掛けると、会場が思わず笑いでほころんだ。

 

 喜劇役者だと、こんなエピソードも輝かしい勲章だ。

 参列者にとっても、在りし日のとん平さんの人柄が、ひとしお心に沁みる。

 

 これだけで終わらず、里見さんはこのエピソードに、しみじみと感慨を込めてこう付け加えた。

 

 「でもそんなときに限って、とんちゃん、すごくスコアがいいんだよねぇ」

 

 とん平さんのゴルフ好き・麻雀好きは有名だったようだ。

 どっちも全力でやっていたのだろう。

 好きなことをダブルでやっていると、ツボが刺激され、相乗効果が起こるらしい。

 徹マンで寝不足だの何だのなんて関係ない。

 集中力がアップし、運も手伝って自己ベストに近いパフォーマンスが生まれる。

 

 仕事でもそうだ。

 好きなことに没頭して気分が乗れば、常識的なマニュアルに則ったやり方よりも何倍も高いパフォーマンスができる。

 

 人間はひとりひとり違うツボをもっている。

 ロボットじゃないのだから、世にはびこる「こうすればうまくいく」式のマニュアルから出てくる能力はごくささやかなものだ。

 

 個々の人間は神秘に溢れた面白い存在である。

 それを無視して一般的な公式、他人の作ったマニュアルに囚われていると、本当の自分の力は発揮できない。

 

 とん平さんと里見さんの最後の対話はそんなことを考えさせられた。

 


0 コメント

見タカ、聞いタカ、朝タカ情報

 

オオタカ続報。

カミさんが月に一度来るマダムの患者さんに、先日のオオタカの話をしたら、なんと!彼女はほぼ毎日会っているそうです。

 

どういうことかというと、そのマダムはほぼ毎日、かの公園へジョギングだかウォーキングに出かけており、タカの存在もだいぶ前から知ってたとか。

ちなみに今朝はつがいで仲良くあの木の上にいたらしい。

 

それどころか、「この間なんて交尾してるとこも見ちゃったわん💛」

まさかそんなおおっぴらに夜の営み、いや、朝の営みをしていたとは仰天。

 

空中を活動領域とする鳥類は、空気にとても敏感です。

だから人間がまだ炭酸ガスをまき散らす前の、空気のきれいな時間に朝活するのでしょう。

 

タカの飛行能力も獲物の捕獲力も上がるだろうし、ラブラブエネルギーもUPする。

グッモーニン・ダーリンいっちょやろか♥

いいわよウッフーン💕という気分になるのでしょうか。

 

オオタカみたいな本格的なモーキンまでやってきて、ますます野鳥の楽園化するわれらが公園。

卵が無事孵り、赤ちゃんが生まれて育つといいですね。

 

ただ、これからは葉が茂ってくるので、オオタカの姿を見られるのはあとわずからしい。

せっかく平和にラブラブしているので、お邪魔にならないよう、ましてやストレスなどかけないよう、こっそり見に行ってください。

 


0 コメント

2018年の4月も「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を読んだ。

 

 

 4月になると僕は本棚から村上春樹の「カンガルー日和」という本を取り出して、その中の2つ目に収録されている短編賞小説「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を読む。

 ほんの15分もあれば読み切れる短い話だ。

 そして次の15分、これはいったいどういう話なのだろう?と、ぼんやりと問いかけてみる。

 答はいつの少しずつ違っているけど、今年はこんなふうに考えた。

 

 僕たちは自分にとって何が大切なのか、本当はとっくの昔に知っている。

 それはごく若い頃、もうほとんど子供と言ってもいいくらいの時にわかっている。

 ところがいつしか、「ちがうだろ」と心のどこかでもう一人の自分がささやくのだ。

 その声は年を追うごとに大きくなってくる。

 やがて「ちがうだろ」だけじゃなく、「おまえ、それじゃダメだ」と言うようになる。

 もう一人の自分というのは、顔のない大人の言うことを聞く自分だ。

 

 顔のない大人は、子供や若い連中を教え導かなきゃいけないという責任感と慈愛に満ち溢れている。信奉するのは知識と経験だ。

 それがなくては生きちゃいけない。もっと勉強しろ。もっと知識を仕入れろ。あれも覚えろ。これも覚えろと、ズカズカ僕たちの胸の中に上がり込んで親切な指導をする。

 

 そうすると僕たちは信じられなくなるのだ。

 自分がとっくの昔に本当に大切なものを見つけてしまったことを。

 そんな大切なものを、知識も経験もない、そんなほとんど子供みたいなやつに見つけられるはずがない。

 自分は何か大きなカン違いをしているんだ。

 そんなカン違いしたままでいると、人生取り返しのつかないことにななってしまうんじゃないかと。

 

 やがてもう一人の自分は、教え導いてくれたのと同じ顔のない大人になって、苦労して勉強しようよとか、我慢して仕事しようよとか、損せず得して賢く生きようよとか、まっとうでやさしう言葉を使って僕たちを励ます。

 

 そうするともう、大切なものを見つけた記憶なんてすっからかんになってしまい、あの人は得しているのに自分は損している。不公平だ。損するのはいやだ。得しなきゃ、得しなきゃ・・・って、そういうことで死ぬまで頭がいっぱいになってしまうのだ。

  

 この小さな物語は「悲しい話だと思いませんか」というセリフで終わるのだけど、僕たちはもうすでにそれが悲しいとさえ感じなくなっている。

 

 ということも、やっとこの2018年になって考えられるようになったのだけれども。

 


0 コメント

昭和の喜劇は終わっちゃった

 

 鎌倉新書の取材で、2月に亡くなった左とん平さんのお別れ会に行きました。

 なんでも10年近く前のテレビ番組で

 「オレの葬式はド派手にしたい。弔問客はエキストラを呼んで5千人、霊柩車はキャデラックで・・・」なんて遺書を読み上げたそうで。

 

 長らく「さがみ典礼」という大手葬儀社のCMに出演していたので、その厚意もあり、豪華な祭壇、生前の活躍ぶりを表すパネルやタペストリー、そして遺影は190インチの巨大モニターなど、すべてにおいて豪華絢爛。

 まさしく映画・テレビ・舞台をまたにかけて活躍した大スターでした。

 

 参列者も芸能界・スポーツ界のそうそうたる顔ぶれが。

 僕が子供の頃、テレビで笑わせてもらっていた人たちが大勢いました。

 囲み取材に応じた堺正章さんの「昭和の喜劇は終わっちゃった」という一言が妙に心に残りました。

 そういえば「平成の喜劇」って言われても何だかピンとこない。

 喜劇はやっぱり昭和だなぁ。

 


0 コメント

19年ぶりのパスポート申請

 

 パスポートを申請することになりました。

 前回申請したのは、なんと1999年!

 ノストラダムスの予言の年。

 今は遠き20世紀のことでした。

 2009年に失効しているので、9年ぶりにパスポートを持つことになります。

 結局このパスポートは2回しか使いませんでした。

 

 明日は取材の帰りに書類を出しに行くだけなんだけど、これだけ久々だとちょっとしたイベント感があります。

 

 何かの本で、人生いつなん時チャンスが巡ってくるかわからない。

 突然3日後に海外に出ることになった時、お金やモノは誰かに借りられても、パスポートがないとどうにもならない。みすみすチャンスを棒に振ることになる。こんな惨めで悔しいことはない

 ――といった教訓が、事例とともに紹介されていたのを読んだことがあります。

 

 幸か不幸か、僕の場合、この9年間はそれに該当することがなかったけど、これからは切らさずに所持していこうと思います。

 


0 コメント

1サクラ、2タカ、3バナナで新年度の初夢

 

陽気も良くてお花見日和。

近所の和田堀公園に、カミさんと赤飯ランチのお花見に出かけました。

大宮八幡宮付近はもうかなり散っていて、桜吹雪も今日が最後という感じ。

 

お花見の後、先日、周辺でオオタカ発見のニュースを読んだのを思い出し、確認してみようと、善福寺川沿いを五日市街道に向かって歩いていくと、熟年カメラマンたちの姿が。

 

「オオタカですか?」とずけずけと訊いて、ホンマにいるんかいなと見上げると、発見!

杉の木の高い枝に白いお腹をしたオオタカの雄姿。

 

いつ頃からこの辺に来ているのかは定かではありませんが、カメラマンさんたちの話によると、どうやら子育てもしているようです。

 

タカが暮らせるということは、ごはんにする獲物がいるということ。

なんといってもかつて地球を支配した恐竜族の末裔のモーキンです。

 

この公園は都心近くにありながら野鳥の集会所みたくなっており、それらを狩るのだろうと思われますが、一説によると主食としているのは、群を抜いて数の多いハトらしい。

善福寺川のカモなどのヒナも狙われそうです。

 

夜は活動しないだろうから地上のネズミを獲ることはなさそうですが、子ネコやフェレット、小型犬などはだいじょうぶなのだろうか?

タイマン張ったら叶わないだろうけど、数で圧倒しているカラスとの縄張り争いも気になるところ。

 

でもこんな身近なところにタカがいるなんて、ちょっと感動的です。

 

夕方、家に帰って小腹がすいたのでバナナを1本食べたら、ここのところの睡眠不足がたたって2時間近くZZZ。

夢をいっぱい見て、それぞれ内容は憶えていないけど、どれも面白かったイメージが残って良い気分に。

本日から新年度。縁起のいい初夢として楽しみました。

 


0 コメント

中年期以降の同窓会幹事の心のゆらぎ

 

 4月の同窓会まで1ヶ月を切り、ほぼ連絡が行きわたったようなので、手伝ってくれてる二人にメールを送って情報をとりまとめる。

 直前まで出欠変更は可能だけど、とりあえず人数を店に知らせておく必要があるので。

 

 この仕事、20代の頃は単なる飲み会の連絡係・会計係に過ぎなかったのだが、齢を経ると様相が変わる。

 

 飛び級で早々に人生を卒業してしまったのも二人ほどいる。

 

 それぞれの生活環境などわからないし、家族のこと・仕事のこと・お金のこと・健康のこと、ぞれいろいろ問題抱えているだろうし、長く生きているといろんなことが起こる。

 

 40年前と寸分たがわぬキャラ丸出しのメールが来て笑っちゃうこともあれば、できれば聞きたくなかったこと(相手も話したくなかったこと)を聞くことにもなる。

 

 名簿を見ながら、だれだれ出席、だれだれ欠席と、漢字4~5文字の本名を書いていると、これ誰だっけ?と認識できなくなるケースもチラホラ出てくる。

 特に女子は名字が変わっていることが多いので、なおのこと。

 

 そこでそれぞれ当時の愛称・通称・あだ名などで書き換えてみると、たちまち顔が思い浮かび、声が聞こえてきて、キャラクターが立ち上がる。

 身振り。口振り・服装・背景・いろんなシチュエーションまで再現できたりする。

 

 そうやって名前を書き出すと、今回は欠席でも次回また声を掛けようという気になる。

 

 でも連絡先がわからない・つながらないのもいる。

 また、もう連絡なんかいらないと思っているのもいるだろう。

 しかたないことだけど、幹事なんかやっていると、ここまできちゃうと、そういう人たちとはもう完全に切れちゃうだろうなと思う。

 切っちゃう権限が自分にあるのかなとも考える。

 

 もしかしたら以前は同窓会なんてどうでもいいと思っていたけど、今になってみると行ってみたいな、連絡があればなぁ、声掛からないかなぁ・・・と待っていることだってあるかも知れない。

 

 「あいつがお願いって声掛けてきたから、しかたないので来てやったよ」

 ――今ならそういうやつがいてもOKと笑えるだろうなぁ。

 

 こんなよけいなこと考えずに、クールに事務的にさっさと進めればいいのに、なんかいろいろ引っ掛かっちゃうんだよなぁ。

 


0 コメント

テープ起こしの日々

 

 取材が続いたので、今週はテープ起こしと原稿書きの日々。

 きょうは先日の里山農業プロジェクトの野田君の音声を起こしました。

 録音を聞いてみて、やっと彼のヴィジョンが理解できる。

 思った以上に深く、広がりがある。

 これを一旦メモ帳に書き記して、その後、あっちこっち編集したのにプラス、合間合間に自分の文章を書き入れていく、というのが取材をした記事のオーソドックス(僕にとっては、ということだけど)な書き方です。

 

 テープ起こし(機器はICレコーダーですが)は面倒な作業で時間もかかるし、重労働ですが、手ごわい内容は、これをやらないとどうにも頭にすんなり入ってきません。

 テープ起こしをアウトソーシングすればラクに早くできるのだろうけど、そんな経済的余裕などないし、それにそう横着しちゃうと、なんだか寂しい気持ちになる。

 頭の回転が鈍いので、何度も反芻しないとよくわからないんだよね。

 この後もまだいろいろ溜っているので、どんどんやらねば。

 間もなく3月も終わり。

 こうしているとあっという間にゴールデンウィークになってしまいそうです。

 


0 コメント

鎌倉新書と新連載企画の話

 

 月に一度、鎌倉新書の打ち合わせで日本橋・八重洲方面に出向きます。

 鎌倉新書というのは葬儀供養業界のWebや雑誌を作っている会社。

 以前は仏教書を出版していたのですが、現会長が社長になった20年ほど前から、機械化とかITテクノロジーとか、非人間的なイメージを嫌うこの業界において、いち早くインターネットでの情報発信にシフトしました。

 

 「いい葬儀」という、消費者と葬儀社とを仲介するポータルサイトを開設したところ、業界内では当初、白い目で見られ、あの会社は代替わりしてダメになったと言われたらしいのですが、そこは時代の趨勢であれよあれよという間に市場に浸透。

 

 特に僕が本格的に関わり出した2年半ほど前から株はうなぎのぼりで、一昨年末にこの八重洲の一等地に引っ越したと思ったら、それから1年も経たないうちに東証一部上場を果たしました。

 

 とは言え、利益分はいろいろ始めた新事業のほうに回っているようで、外部ライターである僕のギャラが上がるわけではありません。

 

 正直、割に合わんなーと思うことが多いのですが、興味のある分野だし、ある意味、高齢化・多死化代社会に関する最先端情報(テクノロジーなどではなく、社会心理的流れとしての情報)にも触れられるので、引き続き、業界誌の月刊仏事で記事を書き、時々Webの方もやっています。

 

 その月刊仏事から新しい連載企画をやりたいけど何かない?と言われたので、以前、このブログで書き散らしたネタを思い出し、「世界の葬儀供養・終活・高齢者福祉」なんてどうですか?と提案したら、じゃあぜひ、とあっさり通って取り組むことに。

 

 国内の出張費も出ないのに「海外出張費出ますか?」なんて聞くこともできず、ネット頼りの仕事になるのは必至。

 でもイラストを描いてくれる人もいるらしいので、伝統文化と最新事情をごった煮にして分析を交えた読物風の話にしようと思っています。

 ごく個人的なことでもいいので、情報あったらお知らせくださいな。

 


0 コメント

野生の本能の逆流に葛藤する都会暮らしのネコ

 

 散歩がてらサクラを見に近所の大宮八幡宮に行くとネコ発見。

 例によってナンパを試みたが、例によってシカトされた。

 

 彼女には事情があった。

 上の方でガサゴソ音がするので見ると、キジバトがいる。

 落ち葉の中をつついて虫をほじくり出して食べているらしい。

 ネコは野生の本能が刺激され、ねらっているのか?

 でも、その割にはハトに対して集中力が欠けている。

 自分の中でウズウズモゾモゾ本能がうずくのを気持ち悪がっているように見える。

 

 サクラ色の首輪をつけているので、どこかの飼いネコだろう。

 家に帰ればいつもの安全安心、おいしく食べやすく栄養バランスもとれてるキャットフードが待っている。

 なのになんで鳥なんか狩らなきゃならんのか、

 だいいち、あたしが口の周りを血だらけにして鳥やらネズミやら持って来たら、飼い主さんが卒倒しちゃう。

 でも狩ったら脳からアドレナリンがドバっと出て気持ちよくなりそうだ。

 ああ、でも、そんなのダメダメ・・・と、ひどく葛藤しているように見える。

 

 飼いネコでも本能のままに生きているやつもいれば、鶏のササミや魚の切り身をあげても見向きもしないやつもいる。

 イヌもそうだけど、多くの飼い主はペットに一生自分のかわいい子供であってほしいと願う。

 人間じゃないんだから、大人になんかなってほしくない。

 恋もしてほしくないから去勢や避妊手術を施す。

 生物学的なことはよくわからないけど、そうするとホルモンもあまり分泌しなくなるだろうから、ペット動物は「子供化」して野生の本能は眠ったままになるのだろう。

 

 一生人のそばにいて、一生キャットフードを食べて、一生本能なんぞに煩わされることなく、平和に暮らせるのがサイコーだと思っているネコもいるはずだ。

 人間と一緒に都市生活をしていくにはそのほうが幸せなんだろう。

 

 けれどもイヌと違って、ネコは本能に目覚めても人間に危害を及ぼす可能性は限りなく低い。なので「最も身近な野生」を感じさせてほしいという、人間の勝手な期待を背負わされた存在でもある。

 

 おそらくネズミや鳥を狩ってくる飼いネコは、飼い主のそうした潜在的な希望を感じとって、本能のうずきに素直に従うのだ。

 ただ、そうじゃない彼女のようなネコもいて、せっかくのんびり暮らせているのに、野生時代の先祖の血の逆流に悩まされることもあるんじゃないかと思う。

 

 こんど道端で会ったネコに、そこんとこつっこんでインタビューしてみようと思うけど、答えてくれるかニャ~。

 


0 コメント

東京唯一のブランド和牛・秋川牛と、むかしみらいTOKYO

 

 連荘で農業取材。

 26日(月)は秋川渓谷と美しい山並みが望めるあきる野市に出向き、秋川牛とご対面。出荷前・生後30ヵ月の黒毛和牛の体重は800キロ。でかっ。

 

 東京で唯一の肉牛生産牧場・竹内牧場では約200頭の秋川牛を飼育しています。

 このあたりは、日本各地の有名なブランド牛の産地に負けず劣らず、水も空気もきれいで豊かな環境なので、牛をはじめ、豚・鶏などを育てるには持ってこいとのこと。

 

 秋川牛は希少価値のある高価なお肉ですが、都内のホテル・レストラン・料理店なので口にするチャンスがあるかも。

 

 一方、武蔵五日市駅にほど近い松村精肉店は、地元で生産されるこの秋川牛の認知度を上げたいと、手軽に味わえる加工品としてレトルトカレーなど製作しています。

 オリンピックもあることだし、東京の名産品をアピールしていこうとブランド力UPに奮闘中です。

 

 昨日ご紹介した磯沼牧場+多摩八王子江戸東京野菜研究会でも聞きましたが、これら多摩・八王子地域の環境はこの20年ほどで劇的に改善され、川には清流が戻り、アユなども戻ってきているとか。

 

 今や都心で働く人たちのベッドタウンというイメージから脱却し、豊かな自然が楽しめ、農業も盛んな地域としてのイメージが高まっています。

 

 いつまでも「東京は緑が少ないから云々」なんて、手垢のつきまくったステレオタイプのセリフをほざいていると時代に取り残されますよ。

 

 テクノロジーとパラレルで進行する昔ながらの環境とライフスタイルへの回帰。

 「むかしみらい東京」がもう始まっているのかも知れません。

 


0 コメント

楽しさ・学び・癒し満載の八王子・磯沼牧場

 

 東京にこんな素晴らしい牧場があったのか!

 噂には聞いていたけど、なかなかタイミングが合わずに来そびれていた磯沼牧場(磯沼ミルクファーム)に25日・日曜日、初めて来場。

 

 多摩八王子江戸東京野菜研究会とのコラボイベントで、牧場特製のチーズとベーコン、ソーセージ、野菜てんこ盛りのピッツァ作りです。

 

 牧場主・磯沼さん手づくりの溶岩石窯で焼いたピッツァはおいしくてボリューム満点。

 

 ランチの後は乳しぼり体験、牧場ツアー(放牧場もある)、磯沼さん×福島さん(多摩八王子江戸東京野菜研究会代表)の都市農業トークと続き、あえて取材の必要なしというところまで堪能しました。

 

 場所は京王線・山田駅から徒歩10分弱。

 新宿から1時間足らずで来れるし、横浜からも近い。

 わざわざ北海道などへ行かなくても、たっぷり牧場体験ができます。

 それも観光牧場でなく、リアルな生活と結びついている生産牧場で。

 

 環境問題、動物福祉問題への取り組みなど、牧場経営のコンセプトを通じて、さりげにいろいろ勉強でき、新しいライフスタイル、これからの哲学を考えるきっかけにもなると思います。

 

 乳しぼりをはじめ、毎週のように何らかのイベントが開かれ、牛さんをはじめ動物たちに触れあえます。

 いつでもオープンなので、ぶらっと覗きに来るだけでもいい。

 

 子供たちには超おすすめ。お年寄りにも楽しい。

 ちょっと凹んでいる人、メンタルを病んでいる人も心のケアができるのではないかな。

 直売所もあって、おいしいアイスクリームやプリンやヨーグルトも食べられますよ。

 興味のある人はホームページやフェイスブックもあるので検索してみてください。

 


0 コメント

ぼくらはにおいでできている

 

 下の妹が飼っているチワワのハナちゃんとは、たぶん2年ぶりくらいのご対面。

 前に会ったのはチビ犬の頃だったけど、ちょっとの間、くんくん嗅ぎ回って「あ、知ってる知ってる」と思ったのか、尻尾をフリフリしてくれた。

 抱き上げても安心安心。僕のにおいを憶えていてくれてありがとう。

 

 人間の子どももいろいろ情報を詰め込まれる前は嗅覚がするどい。

 一度嗅いだにおいは絶対忘れない。

 自分自身のことを考えてみると、視覚や聴覚では憶えていなくても、においというか空気感で憶えていることがいっぱいある。

 親はもちろんだけど、周りにいる大人たちはそれぞれ独特のにおいを持っていたような気がする。

 

 におうと言うと何だか臭くて嫌われそうな気がするが、完全ににおいを消し去ると、その人は透明人間になって、見えていても誰にも気づかない存在になる。

 忍者やスパイになるならいいかも知れない。

 

 大人になると鼻が利かなくなって、というか、においを感じる脳の部分が鈍くなって、刺激の強いものしかキャッチできなくなるようだ。

 なので少しは意識してにおいを嗅ぐ練習をしたほうがいいのかもしれない。

 

 基本はやっぱり食事。

 テレビやスマホを見ながらめしを食わないこと。

 

 そして手料理を楽しむこと。

 最近はそんなものより出来合いの料理の方がよっぽどうまいと言う人も多いけど、手料理にはその家・その人独自のにおい・風味がついている。

 それを知っているのと知らないのとでは随分ちがうんじゃないかな。

 

 自分が自分である基礎とか土台みたいなものは、そういう些細な目に見えないもので出来ているのではないかと思う。

 そうだよね、ハナちゃん。

 


0 コメント

かわいい叔母さん

 

 父も母も昭和ヒトケタ生まれ。貧乏人の子沢山でそれぞれ8人兄弟だ。

 ぼくが生まれる前に死んでしまった人を除き、そのきょうだい、および、その伴侶の全部はしっかり顔や言動を憶えている。

 僕が子供の頃は行き来が盛んだったので、みんなインプットしている。

 

 しかし、9年前に父が亡くなったのをきっかけに、毎年バタバタと後を追うように亡くなり、大半がいなくなった。

 今年もまたひとり、先日、ヨリコ叔母さんが亡くなったと聞いた。

 

 母方は女系家族で8人のうち、7番目までが女で末っ子だけが男。

 ヨリコ叔母さんは7番目。つまり7姉妹のいちばん下の妹だ。

 

 幼稚園の時だったと思うが、結婚式に出た記憶がある。

 きれいなお嫁さんで、チビだったぼくを可愛がってくれた。

 そのチビの目から見ても、なんだかとてもかわいい人だった。

 

 6人も姉がいて、4番目の母(母は双子の妹)とさえ12歳違う。

 いちばん上のお姉さんとは16歳以上違うはずだ。

 なのでほとんどは姉というよりチーママみたいなものだ。

 母もよく子守をしたというし、日替わりでみんなが面倒を見てくれていたようだ。

 

 母の家はお父さん(僕の母方の祖父)が早く亡くなったので、女が協力して貧乏暮らしからぬけ出そうとがんばってきた。

 でもヨリコ叔母さんは小さかったので、そうした苦労が身に沁みず、物心ついたのは、お母さんやお姉さんたちのがんばりのおかげで暮らし向きも上がってきた頃だった。

 そうした中で一家のアイドルとして可愛がられて育った。

 

 そうした成育歴はくっきり刻まれ、そのせいで彼女は、ほかの姉妹らの下町の母ちゃん風の雰囲気とは違う、お嬢さん風の雰囲気を持っていた。

 だから、おとなになってもどことなくかわいいし、ちょっと天然も入っていた。

 

 最後に会ったのは父の葬儀の時。

 さすがに外見はそろそろばあちゃんっぽくなっていたが、中身はほとんど変わっておらず、ぼくをつかまえて

 「せいちゃん、大きくなったねー」と言った。

 

 50間近の男に向かって大きくなったねーはないもんだけど、そう笑顔で屈託なく声を掛けられるとすごく和んでしまった。

 その時の会話が最後の印象として残ることになった。

 

 叔母とはいえ、中学生以降はめったに会うこともなかったので、彼女がどんな人生を送っていたのはわからない。

 

 もちろん少しは苦労もあったと思うけど、べつだんお金持ちではないにせよ旦那さんは真面目で優しくユーモアもある人だったし、特に悪い話も聞かなかった。

 嬉しそうに小さい孫娘の面倒を見ていたのも印象的だった。

 

 たぶん美化しているし、これは僕の勝手な想像であり願いだけど、おそらくそれなりに幸せに過ごしてきたのだろう。

 

 不幸な目に遭ったり、理不尽な苦労を強いられたり、他人にあくどく利用されたり、自分の欲に振り回されたり・・・

 人生の中のそんな巡りあわせで、人間は簡単に歪んでしまう。

 

 でも、できるだけそうしたものに心を損なわれないで、ヨリコ叔母さんのようにかわいい人にはいくつになっても、ずっと素直にかわいくいてほしいなぁと願ってやまない。

 


0 コメント

里山を事業化するナチュラルボーン・サトヤマー

 

 今回の名古屋(愛知)ツアーでは、里山の概念を農業と組み合わせ、インターネットを利用して事業化するプロジェクトを掲げる人を取材しました。

 

 彼は2002年生まれ。16歳の高校生。

 田園地帯で植物や昆虫に親しみ、かたやインターネットに親しみながら育った彼は、資本主義発展拡大病の時代に育ったぼくたちの世代とはまったく違うセンスを生まれながらに持っているようです。

 

 「里山」という概念が今、世の中に浸透しつつあります。

 里山はごく簡単に言うと、自然環境と人間の生活圏の交流地帯。そのベストバランスを保つ、あるいは破壊したものを再生するという考え方を表現する言葉でもあります。

 

 人間が生活できなくてはならないので、当然そこには経済活動も含まれるし、伝統工芸・伝統芸能といった文化芸術や民俗学系の学問も含まれるのではないかと思います。

 「人間が手を入れた自然」と言い換えることもできるでしょう。

 

 また、それらを包括する懐かしいとか、愛おしいとかいった心象風景もその概念の中に入ってくるでしょう。

 人間のあり方・生き方を問い直す哲学も含まれているのかも知れません。

 

 日本独自のものかと思っていたら、他国にも通用し、国際的にも理解が進んでいる概念で、よく言われる「持続可能」な社会にSATOYAMAは不可欠とされているようです。

 

 そういう意味では、過去200年、世界を席巻し、地球を支配してきた工業化・資本主義化の流れに対するカウンターとも言えます。

 

 高校生の彼には野外でのインタビューを考えていましたが、あいにくの雨のためはやむを得ず、岡崎市内の「コメダ珈琲店」で敢行。コーヒーと、コメダ名物「シロノワール」を食べながらの取材になりました。

 

 彼は子供のころから自由研究などを通じて里山について学び、中学生のころから戦略的にプロジェクト化を画策。近所の農家の人たちなどはもとより、自分で電話やメールで東大・京大などの教授・学者に頼み込み、取材に出かけたといいます。

 

 現在はいわばサークル的なノリで同級生やネット上の仲間が集まり、大人の支援者もいますが、まだ実務のできるスタッフがいない状況。

 コンセプトは決まっているので、まずネットを通じての「ブランド化」に力を注いでいきたいとのことでした。

 

 僕としてはこうしたことを本気で考え、事業化に取り組んでいる若僧がいるというだけで十分心を動かされました。

 

 彼のことは来月、「マイナビ農業」でUPしますが、興味のある方は「里山農業プロジェクト」で検索してみてください。

 


0 コメント

名古屋コーチンをめぐる冒険:ふしぎ・まったり小牧編

 「こんなやわらきゃー、水っぽい鶏はいかんわ。むかしのかしわはまっと歯ごたえがあってうまかったでよー」

 

 こんな軟らかい、水っぽい鶏はダメだ。昔のかしわ(鶏肉)はもっと歯ごたえがあっておいしかった、という声を受けて、一時期、市場から消滅した名古屋コーチンが、日本を代表する地鶏として見事復活を果たした物語を探るべく、今回は「マイナビ農業」で名古屋取材を敢行しました。

 

 市内にある「名古屋コーチン協会」で話を聞いた後、名古屋コーチン発祥の地である小牧市へ。

 明治の初め、この地に養鶏場を開いた元士族の海部兄弟が、地元の鶏と、中国(当時、清)から輸入したコーチンという鶏を掛け合わせてできたのが名古屋コーチンです。

 

 「だもんだで、まっとそのことを宣伝せんといかんわ。日本が誇れる名物だでよう」

 

 ということで昨年(2017年)、名鉄・小牧駅前にはコケー!と、おしどり夫婦(?)の名古屋コーチンのモニュメントが立ったと聞き、駅について改札を出たところ、出口が左右に分かれている。
 どっちだろう? と迷ったとき、すぐ目の前で駅員さんが掲示板を直す作業をしているので、尋ねてみました。

 

 「あのー、名古屋コーチンの像はどっちの出口にあるんでしょうか?」

 

 駅員さん、けだるそうに振り向き、ぼくの顔を一瞥。さらに一呼吸おいて

 「左の階段を下りてって、右に曲がってずっとまっすぐ行ったところに市の出張所がありますで、そこで聞いてちょーだゃー。それはうちの管轄でないもんで」

 

 ?????

 駅前って聞いたけど、そんな分かりづらいところにあるのかなぁ・・・と思いつつ、左の階段を降りると、なんと、その目の前にコーチン像があるではないか。

 

 ?????

 まさかあの駅員さんはこれを知らなかったのだろうか?
 それとも上司に、責任問題が発生するから、鉄道のこと以外は聞かれても答えるなと言われていたのだろうか?
 それとも奥さんと何かあったとか家庭の悩みでも抱えているからなのか?
 あるいはたんに鶏が嫌いで、コーチンお話なんかのしたくなかったのか? 

 

 たくさんの疑問に駆られながらも、前に進まなくてはなりません。
 海部養鶏場(跡地)にはどういけばいいのか。
 ちょうど目の前に観光案内所があったので入ってみました。

 

 平日ということもあってお客は皆無。
 ぱっと見た目、アラサーぐらいの女の子がひとりで机に向かって、わりとのんびりした感じで書類の整理みたいなことをやっています。
 そいえば時刻はちょうどランチタイムでした。

 「あのー、海部養鶏場跡地に行きたいんです」
 「え、何です?」
 「海部養鶏場です。カイフ兄弟。名古屋コーチンの」
 「あ、ああ、ああ、名古屋コーチンのね」
 「たしか池ノ内というところなんですが・・。歩きじゃちょっと無理ですよね」
 「ええと。そうだと思います。ちょっとお待ちくださいねー」

 

 と、アラサーの女性はあちこち地図やらパンフやらをひっくり返し始めました。
 市の観光スポットの一つに加えられたらしいと聞いていたので、即座に答えが返ってくるものと想定していた僕は思わぬ展開にちょっとびっくり。


 その女の子は一人じゃだめだと思ったのか、奥に入っておじさんを引っ張り出してきて、ふたりでああだこうだと大騒ぎで調べ始めたのです。

 お昼の平和でゆったりとした時間を邪魔してしまったようで申し訳ないなと恐縮しつつ、実はなんか面白いなと思いつつ待っていたら、もう一人、お昼を早めに済ませて戻ってきたおにいちゃんが加わって3人で合同会議。

 

 それで出てきた結論が「タクシーで行ったら?」というもの。
 べつにタクシーを使うお金がないわけじゃないけど、アポがあるわけじゃなし、急いでいるわけじゃないし、第一ここまで大騒ぎしたのに、それなら最初からタクシーに乗ってるよ、バスとかないんですか? 地元の人といっしょにバスに乗ると楽しいいんですよと言うと、バスルートと時刻表を調べて、やっと案内が完了しました。

 

 この間、約20分。効率主義、生産性アップが叫ばれる世の中で、このまったり感はどうだ。急いでいたら頭にきてたかもしれないけど、旅というのはこうやって余裕を持って楽しむものだ、と改めて教えてもらった気がしました。


 考えさせられる不思議な駅員さんといい、まったりした観光案内所といい、皮肉でなく、おかげで楽しい旅になりました。小牧の皆さん、ありがとう。


0 コメント

リバーズ・エッジ:トラウマになった漫画を映画で観る

 

●リバーズ・エッジ:トラウマになった漫画を映画で観る

 

 岡崎京子の漫画「リバーズ・エッジ」は僕のトラウマになっている。

 この漫画に出会った1990年代前半、僕はとっくに30を超えていた。

 心のコアの部分を防御するシールドもしっかり出来上がっていたのにも関わらず、ティーンエイジャーを描いたこの漫画は、シールドに穴をあけて肌に食い込んできた。

 

 先日書いた大友克洋の「AKIRA」が世紀末時代の象徴なら、「リバーズ・エッジ」は、その the Day Afte rの象徴だ。

 

 リバーズ・エッジ(川の淵)は流れの淀みであり、尋常ではない閉塞感・荒涼感・空虚感に包まれた繁栄の廃墟だった。

 

 子供たちの残酷で不気味で鬱々としたストーリーと、ポップでシンプルな絵柄との組み合わせが劇的な効果を生み出し、ページをめくるごとにますます深くめり込んでくる。

 

 自分自身は仕事も順調で結婚もした頃。

 こんな胸が悪くなるようなものにそうそう関わり合っていられないと2~3度読んで古本屋に売ってしまった。

 けれども衝撃から受けた傷は深く心臓まで届いていた。

 

 映画化されたことは全然知らなかったのだが、先週、渋谷の公園通りを歩いていて、偶然、映画館の前の、二階堂ふみと吉沢亮の2ショットのポスターに出会ってしまった。ふみちゃんに「観ろ」と言われているようだった。

 原作に惚れた彼女自ら行定勲監督に頼んで映画化が実現したらしい。

 

 映画は原作をリスペクトし、ほぼ忠実に再現している。

 その姿勢も良いが、何よりもこの漫画が発表された四半世紀前は、まだこの世に生まれてもいなっかった俳優たちが、すごくみずみずしくて良かった。

 

 暴力でしか自己表現できない観音崎くん、

 セックスの相手としてしか自分の価値が認められないルミちゃん、

 食って食ってゲロ吐きまくりモデルとして活躍するこずえちゃん、

 嫉妬に狂って放火・焼身自殺を図るカンナちゃん、

 河原の死体を僕の宝物だと言う山田くん、

 そしてそれらを全部受け止める主人公のハルナちゃん。

 

 みんなその歪み具合をすごくリアルに演じ、存在感を放っている。

 最近の若い俳優さんは、漫画のキャラクターを演じることに長けているようだ。

 

 原作にない要素としては、この6人の登場人物のインタビューが随所に差しはさまれる。

 この演出もそれぞれのプロフィールと物語のテーマをより鮮明にしていてよかった。

 

 でも映画を観たからといって、何かカタルシスがあるわけでも、もちろん何か答が受け取れるわけではない。

 

 四半世紀経っても、僕たちはまだ河原の藪の中を歩いている。

 そして二階堂ふみが言うように、このリバーズ・エッジの感覚は彼女らの世代――僕たちの子どもの世代もシェアできるものになっている。

 

 そのうち僕は疲れ果ててこのリバーズ・エッジで倒れ、そのまま死体となって転がって、あとからやってきた子供たちに

 「おれは死んでいるけど、おまえたちは確かに生きている」と勇気づけたりするのかもしれない。

 そんなことを夢想させるトラウマ。やっぱり死ぬまで残りそうだ。

 


0 コメント

ひるねして夢の記憶を情報発信

 

 齢を取ってくると昼寝が楽しみの一つになります。

 以前は時間がもったいないなぁと思っていましたが、たとえ僅かな時間でも体を横にして休むと、もう調子が段違い平行棒。

 その後の仕事の効率、クオリティを考えたら寝るに限る、休むに限る。

 

 しかし、会社のオフィスではなかなかこうはいかないでしょう。

 こういう時は自宅でやっているフリーランスで本当によかった~と思います。

 

 ただちょっと困るのが夢を見ちゃったとき。

 いや、夢を見るのはこれまた楽しいのですが、その夢の記憶が現実のものとごっちゃになることがあるのです。

 

 この間、通っていた学校を探そうと現地に行ってみると、迷宮に迷い込んだように、いくら歩き回っても見つからない。

 それで思い出したのが「移転した」という情報を耳にしたこと。

 それで、ああ、移転したんだっけと思い込んでしまったのです。

 

 ところが、あとでネットで調べてみると、改装はしているものの、ちゃんと同じ住所に存在しているではないか!

 確かに聞いていた移転情報。あれはいったい・・・

 と考えてみると、それはいつかの夢の記憶だったのです。

 

 あちゃ~、いよいよボケが始まったぁ。

 夢と現実がひとつながりになった次元へ、とうとう足を踏み入れてしまったのかも知れません。

 でもまぁいいや、気持ちよく昼寝できれば。

 

 というわけで、今後、僕の発信する情報が現実の出来事なのか、夢の中の記憶なのかは、読んでいるあなたの判断におまかせします。

 

 ではお休みなさい。ZZZ。

 


0 コメント

永遠の現物支給

 

 きょうは確定申告の最終日でしたが、先週会ったお友だちの会計士さんは締切間近でストレス満載の様子でした。

 その彼がぼそっとつぶやいたセリフが

 「現物支給でも、永遠に続けばいいんだけど」

 

 え、まさか現物支給の報酬で会計を?

 そういえば、半年前に会った時は、つぶれそうな食品会社の経理を請負っているとか言ってたけど・・・。

 

 追及するのはやめときましたが、「永遠の現物支給」という言葉が頭に残ったので、それについて考えてみました。

 

 何でもお金の世の中で、ちょっとした贈り物も、冠婚葬祭の引き出物も、現金・カード・商品券などが喜ばれます。

 そうした風潮の中で現物支給――それも1回2回こっきりじゃなくて、毎月ずーっと支給が続くとしたら、何がもらえたら嬉しいだろうと考えると・・・

 

 やっぱり食べ物ですね。

 会計士さん、食品会社でよかった。

 なに、よくない?

 

 缶詰、レトルト、乾物、冷凍食品・・・

 そんなもの1か月分もらうと嵩張るし、置き場所に苦労する。

 それに毎日食べたくない。

 かといって生鮮食品は日持ちしないし・・・

 

 と考えていくと、ベストはお米だ!

 お米なら毎日食べられるい、真夏でも1カ月くらいなら保存も問題なし。

 うちはひと月10キロ食べるけど、それくらいなら置き場所にも困らない。

 

 ついこの間、イベントの仕事「五つ星お米マイスターのおいしいお米講座」でお米の食べ比べをやったけど、毎月ちがう品種のお米を支給してもらえれば、いろんなのが試食出来て、ますます楽しい。

 

 ――と話すと、そこは会計士さん、チャチャっと数字に置き換えて、

 「1カ月10キロ、平均5000円として1年で6万円。10年で60万円。17年しないと100万円超えませんよ。安すぎる~。お金でもらわなきゃだめだ~」

 

 なるほど。お金にすると確かに安い。

 でもね、お金がなくても、死ぬまでごはんだけは間違いなく食べられるという安心感は何物にも代えがたいのではないでしょうか。

 

 1カ月のギャラ・給料が5000円と考えると、わびしくみじめになるけど、今月も10キロのお米がいただけると考えると、なんだか豊かな気持ちになってくる。

 ましてやそれが永遠に続くとなると、穏やかな晴天が心の中に広がってくる。

 

 うんこれなら悪くないぞ、永遠の現物支給。

 農家さんとか、お米屋さんとか、JAさんとかの仕事なら、そんな契約を結んでもOKかも。

 会計士さんは嫌だというけど、あなたならどうですか?

 


0 コメント

現実世界が「AKIRA」の近未来世界を追い越すとき

 

 渋谷パルコの建て替え工事現場の囲いに大友克洋のマンガ「AKIRA」が描かれている。

 この大きさだとすごい迫力。そして、内側の解体されたビルの風景が、「AKIRA」の世界観と符合して、リアルで巨大なアートになっている。

 人通りの多い公園通りだけにアピール度は抜群だ。

 

 最近あまり渋谷に行かないので知らなかったけど、このアートワークが搭乗したのはすでに昨年(2017年)5月半ばのこと。ネットでいろいろ話題になっていたらしい。

 

 というのも「AKIRA」の舞台は2019年の「ネオ東京」。翌2020年にはそのものずばり「東京オリンピック」が開催される予定・・・という設定。

 その中で抑圧された若者たちをい中心に超能力バトルが繰り広げられ、ネオ東京が崩壊していくというストーリー展開なのだ。

 

 というわけで「AKIRA」をパネルにしたパルコはオリンピック開催に異議を申し立てているのではないかという憶測が飛び交ったが、当のパルコ側は、さすがにそれは否定したという。

 

 僕が思うに、おそらく渋谷の街の再生劇のメタファーとして、かのマンガを用いたのだろう。それも「西武・パルコの渋谷」の。

 

 「AKIRA」が連載され、映画化され、一種の社会現象にまでなったのは1980年代のバブル上り坂の頃で、パルコの黄金時代、西武・セゾングループカルチャーの最盛期とぴったり重なる。

 

 一時は東急グループと渋谷の覇権を二分していた西武・セゾンにとって、昨今の東急の圧倒的な大改造計画に一矢でも報いたいという思いで、「AKIRA」を持ち出してきたのではないかと思われる。

 

 あの頃は経済の繁栄と裏腹に「近未来」「世紀末」という言葉が跳梁跋扈した。

 「AKIRA」はその象徴と言える作品だった。

 

 この繁栄・この豊かさはインチキなのではないか、まがいものではないのか。

 そんな違和感が当時の若者たちの心の中にトゲのように突き刺さっていた。

 そんな違和感によって支えられ、膨れ上がった「AKIRA」のような作品世界が、好景気で沸き返る、どこかうそくさい日常世界とのバランスを取っていたのかも知れない。

 

 その状況は終わったわけでなく、実はもう30年以上も続いている。

 だからなのか、現代の渋谷に「AKIRA」が出現することに時代遅れ感どころか、ベストマッチ感さえ感じてしまう。

 

 「世紀末」が過ぎても、東京の街は崩壊していない。

 終わりのない日常がダラダラと続き、僕たちはズルズルと前の時代の太い尻尾を引きずりながら、時には波に呑まれて漂流しながら前に進もうとしている。

 もうすぐ現実世界が「AKIRA」の近未来世界を追い越していく。

 


0 コメント

秋田からきりたんぽ鍋セット到着

 

 今日は何の予告もなく、クール宅急便で「きりたんぽ鍋セット」が送られてきてびっくり。

 仕事をいただいている秋田の方からサプライズの贈り物です。

 これまでメールでしかやりとりしていなかったんだけど、そういえばこの間、住所を聞かれたので、紙にした資料を送ってくるのかなと思ってたら・・・どうもごちそうさまです。

 

 ちょうど今夜は家族が揃っていたので、早速いただきました。

 肉も野菜も一式入っていて比内地鶏のスープ付き。あったまりました。

 

 秋田県は、かなり昔に大潟村(かつての大干拓地・八郎潟にある村)の干拓資料館の仕事をやりましたが、それ以来の仕事。

 来週は名古屋コーチンの取材で名古屋に行きますが、いずれ比内地鶏も取材したいです。

 


0 コメント

五つ星お米マイスター・小池理雄のおいしいお米講座:絶品ごはんの食べくらべ

 

 10日(土)・11日(日)の二日間、渋谷のNHKの敷地で「にっぽんの食・ふるさとの食」のイベント開催。JA全中ブースで「五つ星お米マイスター・小池理雄のおいしいお米講座:絶品ごはんの食べくらべ」をやり、台本と演出を担当しました。

 

 原宿の米屋・小池さんの作った「お米の通知表」を参考に、岩手・宮城・福島・福岡、各地産の4種類のブランド米を食べ比べ、その品種を当てる、クイズ形式のワークショップです。

 

 五つ星お米マイスターとしてメディアから引っ張りだこ、講師としても大活躍の小池さんですが、この二日間の受講生(1ステージにつき35人ほど)は、ぜひ「参加したくて来ているというよりも、ここに一休みに来たり、冷やかしに来たり、ただ単にごはんが食べられるからという理由で入ってきたた一般大衆。ぶっちゃけ、まじめにお米のことが知りたいと思っている人は1割、2割しかいません。講師にとっては最も手ごわい相手です。

 

 二日間で4ステージにありましたが、1日目の参加者の反応を見て、その夜、台本を書き直し、2日目は大きく違う構成でやってみました。

 

 ちなみに30分の台本のセリフ部分はほとんどMC(司会)用で、それに応じながら小池さんが自由にトークを展開していくというつくりです。

 

 イベントはまさしく生ものなので、その時の参加者の発するSomethingによって1回目も2回目も3回目も4回目も、まったく違ったステージになります。

 これが正解、これが完成という形はなく、きっちりできたのに反響が薄い場合もあれば、グダグダになっても大ウケという場合もあります。

 もちろんグダグダでいいというわけにはいきませんが、面白いものです。

 

 それにしても、その場に応じて自由自在にセリフを変えられる小池さんのお米ボキャブラリー宇宙は素晴らしい。

 ますますこなれて星雲のように年々膨らんでいます。

 


0 コメント

天国への階段の上まで冒険

 

おなじみ階段シリーズ。

 うちは1階が「野の花鍼灸院」という鍼灸院になっています。

 カミさんが小児鍼のエキスパートなので、女性と子供を診ています。

 

 で、毎日、いろんな子供が来るのだけど、玄関を入ってすぐある階段にどうしても目が行ってしまう。とって

 特に好奇心旺盛で冒険好きの幼児には、たまらない魅力なのでしょう。

 

 もちろん進入禁止で、連れてきたお母さんは「怖いおじさんがいるのよ」なんて脅すのだけど、ある年齢を過ぎると、そんな脅し文句などヘのカッパになる。

 好奇心が抑えられず、のこのこ上ってくる子もいるのです。

 

 今日来た4歳児のショウちゃんもその一人で、お母さんとカミさんの制止を振り切り、階段を登り切ってパソコンやってた僕の背中に話しかけてきたので、ニヤッと笑って振り返ったら、むこもニコッ。 下からは「ショウちゃん!降りてきなさい」と呼ぶ声が。

 なので、ぺちっとハイタッチをしたら満足したように引き上げていきました。

 本日の冒険、おわり。

 

 あとから聞いたら、怖いおじさんなんていないよ~。やさしいおじさんだよ~って言っていたようだ。

 

 うーん、これに味をしめてまた上がって来るかも。

 今度はオバケのお面でもつけてふり返ってやろうか。

 でも、あんまり怖がらせ過ぎてもなぁ~。

 好奇心・冒険心は子供の宝物ですから。

 侵入されてもいいように、ちょっとは二階をちゃんと片付けて掃除しておかないとね。

 


0 コメント

ミケランジェロ的冒険:誰もが自分の中に人生でしたいこと・すべきことを持っている

 

 ミケランジェロは石の中にダビデの像を見出し、解放したと言われています。

 そのダビデ象という「ヴィジョン」は最初から彼の中に存在していた。

 そして石と向き合うことでそれを見ることが出来た。

 芸術家として自分が何をするべきか分かった。あとは手を動かすだけ。

 

 これは芸術家に限らず、誰にでも起こりうることなのだと思います。

 

 誰もが自分が人生の中でしたいこと・すべきことはちゃんと持っていて、本能的に認知している。それは人生のいたるところで、日常生活のあちこちで顔をのぞかせる。

 

 けれども僕らはそれを取るに足らないこと、おかしなエゴが作り出す妄想だとして処理してしまう。

 この忙しいのに、そんなことに関わっているヒマはない、と。

 だから何となく分かっているのにそれははっきり見えない。

 そして見えたとしてもそれを実行しようとはしない。

 

 なぜならほとんどの場合、それは社会的必要性が認められない、人々が求めていることに応えられない、早い話、そんなことをしたって「食えない」。

 そういう事情があるからでしょう。

 なので、ますますその内在するものを見ようとしない。

 見るのを怖れ、目をそらしてしまうし、もちろんやろうとしない。

 その結果、不満だらけの人生が世の中に蔓延することになります。

 

 これはきっと人生の途上で、立ち止まって考えてみるべき課題なのだと思います。

 ミケランジェロのダビデのように、芸術家じゃなくてもあなたにはあなたが創るべきもの、やるべきことがある。

 そう静かに思いを巡らせると、「あれがそうだ」と人生のどこかで見たサインを再発見できるかも知れない。

 深い海の底から、ぽっかりと浮かび上がってくるかも知れない。

 

  あなたの中に何があるのか、することは何か、まず見つけ出す冒険。

  そして、それをやり始める冒険。

 


0 コメント

星のおじい様と孤独なエイリアン

 

 その少女は一人暮らしの老人と友達になった。

 老人は近隣から奇異な目で見られている。

 彼は特殊な能力を持っており、それで人助けをしたりもするのだが、普通の人たちにはそれが気味悪く映る。

 だから少女にも、あの老人の家へ行くな、近寄るなと言う。

 両親にとってもそれは家族の一大事と受け取られていた。

 

 少女はなぜその老人にひかれるのか?

 老人の語る宇宙の話、昔の話、妄想のような話が好きなのだ。

 彼女は老人がじつは宇宙人で、永年地球で過ごし、近いうちに故郷の星へ帰ろうとしているのではないかと思っている。

 

 老人には少女子以外にもう一人だけ訪ねてくる人がいる。

 それは彼の身元保証人だ。

 老人はちゃんとお金を払ってその会社と契約し、自分の死後の後始末をつけてくれるよう段取りしている。

 彼は宇宙人なんかではない、まっとうな人生を歩んで齢を取り、社会人として最期まで人に迷惑をかけずに人生を終えようと考えている、普通のおじいさんなのだ。

 

 そうした現実を知っても、少女は彼がやっぱり本当は宇宙人なのではないかと疑念をぬぐえない。

 彼女はしだいに何とか老人の秘密を探りたいと考えるようになる。

 

 しかし、そんな彼女の行動を心配した両親は、それ以上、老人に近づくことを許さず、彼女を学習塾のトレーニング合宿に送り込んでしまう。

 

 数日を経て帰ってきた少女は両親の目を盗み、再び老人に会いに行くが、彼は呼び鈴を押しても出てこない。と同時に何か気になる匂いがする。

 彼女は身元保証人を電話で呼び、家の中に入る。

 そこには布団の中で孤独死した老人の遺体が横たわっていた。

 

 少女には老人が物理的に死んだことは分かったが、地球から消滅したとは映らない。

 彼女は遺体を運ぶ人たちが到着するまでの間、その老人――「星のおじい様」の時間軸に入り込み、孤独なエイリアンとして、奇妙な冒険に出掛ける。

 


0 コメント