僕たちの豊かさと貧しさと相模原事件

 

●豊かさの意味

 

 僕たちはまだまだひどく貧しい。

 昨日の相模原の施設の事件を聞いて、そう思いました。

 

 豊かな社会を目指し、豊かな社会をつくる意味って何なのか?

 より多くの人が、よりぜいたくな暮らしをするためか?

 違うと思います。

 それでは全く人間は進化しない。

 豊かさの意味。

 単純化していえば、それは弱者も生きられる――普通に社会生活を送ることができ、人生を楽しめる、ということだと思います。

 

●弱者への思い

 

 人間の歴史は貧しさとの戦いの連続でした。

 その戦いの中では小さな子供、年寄り、病人、けが人、そして障害を抱えた人・・・こうした人たちは淘汰されるしかありませんでした。

 それは自然なことである。社会における弱者を切り捨てていかなければ人類は前へ進めない――そうした意見が正論としてまかり通っていたのです。

 

 しかし、それでは弱肉強食の野生動物の世界と同じです。

 人間は違う。弱者もいっしょに歩んでいける社会を作るべきだ。

 ブッダやイエスのような宗教者に限らず、どの人々の中にもそうした思いはいつもありました。

 そして、その思いは幾世代にもわたって連綿と引き継がれてきました。

 けれども大多数の人はひどく貧しく、自分が飯を食うので精一杯なので、その思いをなかなか有効に実現することができなかった。

 

●あの人は自分だ

 

 それが最近になって、やっと世界の一部の地域では衣食住の心配が(昔に比べれば)激減し、弱者にも目を向けられるようになってきた。

 そして積極的に彼らにコミットするようになると気付いてきたのです。

 

 「あの小さな子は、あの年寄りは、あの病人は、そして、あの障がい者は自分だ」と。

 健常な大人である自分の中にも彼ら・彼女らのような、いわゆる弱者がいるのだ、と。

 

●「精神的豊かさ」とは?

 

 バブル経済の崩壊後、物質的な豊かさは手に入れたので、次は精神的豊かさを勝ち取ろう、といった掛け声がよく聞かれました。

 では「精神的豊かさ」とは何なのか?

 コマーシャルで流れるような、もっと自分たちの衣食住の質を上げたり、高尚な趣味を持つことなのか?

 

 それらも含まれると思いますが、一番の本質は、弱者といわれる人たちの存在価値を認め、彼らといっしょに生き、暮らせる社会を実現することなのだと思います。

 逆にいえば、それ以外に豊かになる意味、豊かな社会を作る意味などあるのでしょうか?

 

●相模原事件の本質

 

 

 経済成長によってやっとその入り口までこぎつけた・・・のかも知れない。

 人間の歴史はまだその段階です。

 そこで昨日のような事件。

 事件の詳細はよく読んでいないし、容疑者のことも動機の深いところはまだ知りませんが、ニュースを聞いてすぐに思ったのは、あの容疑者の行動は僕の一部なのだということ。

 僕はまだまだ貧しい。おそらくほかの人たちも五十歩百歩。だからひどく動揺する。

 あの容疑者の言動は、僕たちの、この社会に潜む「貧しさ」の発現。

 だから僕たちはひどく動揺し、一瞬、引き込まれるけれど、しばらくすれば自分には関係ないことと目を背け、忘れるでしょう。

 

●もっと豊かさを

 

 いま、経済成長はもう限界、という意見をよく耳にします。

 確かにそうかもしれない。

 では、経済成長以外に僕たちがより豊かに成長する手立ては何かないのか?

 

 僕たちはまだ「豊かになろう」という志をあきらめてはいけないと思います。

以前の時代とそのニュアンスは違うけれど。

 

 

2016・7・27 Wed


0 コメント

阿佐ヶ谷に起業家のキックオフ・オフィス誕生!

 

 というわけで、杉並区産業振興センターが入居者を募集。

 というわけで、その募集用チラシをAshデザイン・岸部氏が制作。

 というわけで、そのコピーを頼まれて書きました。

 それでもって、出来上がtったそのチラシがこれ。

 

 事情はいろいろあれど、いったん独立を決めたら「成功するにはどうすべきか?」と、止まってえんえん作戦を考えているだけでは一生ゴールは割れません。とにかくボールを蹴って転がしていく。

 ピピッとくる奴が近くにいたら、そいつにパスを出してみる。

 そんなことをやっているうちに何とか道は開けるはずだ・・・てなメッセージを込めてみました。

 

 走れ起業家よ、ドリブれフリーランサーよ。

 チャンスがあればシュートを放て。

 外したって構うもんか。転がしまくって打ちまくれ。

 実力なんかなくたってラッキーはくる。

 相手がファウルしてくれるかもしれない。

 目の前にこぼれ球がコロコロなんてことだってある。

 「神の手」を使っても審判が見落としてくれるかもしれない。

 それもこれもピッチに立ってボールを追っていないと絶対に起こらない。

 

 これからはフリーの時代だ。

 出来上がったところで、出来上がっているものを守るために働いたって面白くもなんともない。人も企業も失敗しながら成長するから面白い。

 成長しながら“食う”、

 食いながら(たとえ錯覚だとしても)成長を続ける
 ――人生、これに勝る喜びはありません。

 

 というわけで、その始まりが七夕祭りとジャズフェスタの街・阿佐ヶ谷。

 生活も遊びもある。アートも商売もある。おとなも子供もやってくる。特典としてお役所や税務署も付いてます。

 もちろん杉並区外の人もオーケーなので、独立独歩でがんばろう、自由になって食っていこうと考え中なら、8月5日(金)~9日(火)の七夕祭りの時にでも参拝してみてください。

 

 

2016・7・22 FRI


0 コメント

いちご畑で抱きしめて

 

Strawberry Fields Forever

 

 いちご畑と言えばジョン・レノン。

 かの名曲「ストロベリーフィールズ・フォーエバー(いちご畑よ永遠に)」からの連想。

 Strawberry Fieldsっていうのは、もともとリバプールにあった救世軍の孤児院の名前で、僕も参拝したことがあるけど、門柱は世界中のビートルズファンの落書きでいっぱいでした。

 救世軍の孤児院というイメージもあいまって、もちろん曲も素晴らしいのだけど、それ以上にタイトルが秀逸。この名前を使ったお店やら商品やら本やら昔から結構あって、最近はウェブサイトにもたくさんいちご畑が広がっています。

 可愛いし、いろいろ想像力が広がる言葉だもんね。

 現代では割とありきたりなネーミングかも知れないけど、1960年代当時、楽曲にこういうタイトルをひねり出して付けたジョン・レノンのセンスはやっぱり一味違うと思います。

 

 僕もその一人で、ちょうど35年前の今頃、新宿のゴールデン街の一角にあった芝居小屋で「いちご畑で抱きしめて」という芝居をやりました。

 「いちご畑」と「抱きしめたい(I Want to Hold Your Hand)」を足したタイトルだけど、話の内容はジョンにもビートルズにも救世軍にもまったく関係なく、不思議の国のアリスと核戦争をモチーフにした支離滅裂な話で、なんであんな芝居を書いたのか、逆にいえば「書けた」のか、今考えると不思議なのですが、最近、頭の底から何かが浮かび上がってきて、同じタイトルでまったく違う話を書こうと考えています。

 

★稀代のペテン師

 

 そのモチーフはやっぱりジョンの生きざまです。

 僕のジョンに対する基本的なイメージは「ペテン師」。

 もちろん若くから音楽的才能を開花させ、声もルックスも魅力的だったことは認めるけど、それ以上に彼は天才的なペテン師だった。みんな、彼の醸し出す言葉やパフォーマンスに翻弄され、その結果として現在の世界のある部分(多くは現代人の精神構造に関わる部分)が形成された・・・というところに、すごく興味があるのです。

 

 リバプールの悪ガキから音楽家へ、世界最高峰のスーパースターへのぼりつめ、やがて世界平和を訴え、愛の使者になり、イエス・キリストみたいになったかと思ったら、いきなり家庭の世界に入り(今ではすっかりポピュラーになった「主夫」――ハウスハズバンドという言葉と概念は、ジョンが創ったか広めた、というのが僕の印象)、そしてミュージシャンに復帰したとたん、この世を去った彼の40年の人生は、いまだに、というか、今だからこそ僕たちに、文化・芸術、お金・ビジネス、社会・時代、家族・子供、愛、そして「生きるとは?」とういう哲学的考察に至るまで、いろいろなことを考えるヒントを与えてくれている気がします。

 

★人間ジョン・レノンの魅力

 

 こんなことを言うとジョンやビートルズファンの人は怒るかもしれないけど、その基本が胡散臭いサギ師・ペテン師のキャラクター。

 僕はそこにとても人間的なもの、それこそ人工知能が、アンドロイドがひっっくりかえっても叶わない人間ならではの魅力を感じるのです。

 

 そう考えるきっかけになったのが、ジョンの最初の妻であるシンシア・レノンが書いた「わたしが愛したジョン・レノン」という本でした。

 いわゆるビートルズ本の一つに数えられますが、これは家族論・幸福論・人生論としても読める優れた本です。

 たぶん長くなるので、この続きはまた後日。

 

 ちなみにリバプールのStrawberry Fieldsは、現在は修道施設となっているようです。いろいろなストーリーを詰め込んで祈祷と瞑想の施設に変ったことを思うと、なんだか胸にじんとくるものがあります。

 

 

 

 

2016・7・20 WED


0 コメント

子供はどうしてロボットが好きなのか?

 

★人間とロボット、子供と大人

 

  どうして自分はロボットが好きなのだろう?と、割とよく考えます。

 子供の頃、マンガやテレビを見過ぎたせいだろ。

 その通り。僕はいつも夢中でした。子供のマンガやテレビの世界では、ロボットだのサイボーグだのはとても親しい存在でした。

 

 けれども現実の大人の世界とはそれとは違う。ロボットだのサイボーグだのというのは子供だましの絵空事だ。そんなものに夢中になっていないで勉強しろ、そして立派な大人になって仕事しろ――というわけでこれまでやってきました。

 

 ところがここ来て、そうした子供の世界と大人の世界との境界線がどんどん溶け出している。ロボットたちが親しい存在である世界がどんどん近づいている。最近はそうした印象を持っています。

 

 

★どうしてやつらはデキるのに哀しいのか?

 

 10万馬力だったり、弾よりも速く走ったり、空を飛んだり・・・あの頃、彼らはすごい能力を持っているのにも関わらず、自分が人間ではないことにひどいコンプレックスを抱いていました。

 「アトム」も「エイトマン」も「サイボーグ009」も「仮面ライダー(改造人間)」も、その強さ・その高い能力を誇るよりも、むしろ哀しむことが多かったように思います。

 

 彼らのようなアンドロイド・ヒューマノイド系のロボットたちとは別の系譜にある戦闘用兵器としての巨大ロボットも例外ではありません。

 

 リモコン操作で動く鉄人28号やジャイアントロボなども、時代とともに人間が搭乗する形式――「マジンガーZ」そして「ガンダム」などのモビルスーツになってくると、そのパイロットの人格がロボットに乗り移ってどんどん人間味を帯びてきました。

 

 すると必然的に「どうして僕はこのロボット(モビルスーツ)になって戦わなくてはならないのか?」といった悩みや哀しみがひたひたとあふれてくるのです。

 

★究極のロボット寓話

 

 このメイド・イン・ジャパンのヒューマノイド系&巨大ロボット系が融合した究極の作品が「エヴァンゲリオン」なのでしょう。マンガ、アニメの世界におけるロボットの寓話は、ここでいったん完成してしまったように思います。

 

 だからこの20年ほどの間、「エヴァンゲリオン」以上の作品は誰も作れていません。マンガ、アニメにおけるロボットの進化は一旦停止し、その代り、現実の世界でコンピュータ~ロボット~ヒューマノイド~アンドロイドが進化してきたのです。

 

★欧米と日本のロボット文化発展のちがい

 

 どうして日本におけるロボットやサイボーグたちは悩み、哀調に満ちているのか?

 もともとロボットの故郷ともいえるヨーロッパではどうなのか?

 民族同士の抗争が日常者判事で、支配―被支配が習慣化していたヨーロッパでは、機械・ロボットは奴隷・被支配階級→労働者・労働階級の隠喩として捉えられてきました。

 

 100年前、チェコの劇作家であり、新聞記者・ジャーナリストでもあったカレル・チャペックは、戯曲「RUR」において、「苦役」という意味を持つラテン語からロボットという言葉・概念を生み出しました。

 そこに出てくるロボットたちは資本主義と社会主義の狭間に生み落とされた子供たちであり、支配階級(資本家)に対して反旗を翻す労働者のメタファーでもありました。

 産業・経済の発展に身を粉にして貢献する――それこそが彼らが受けた至上命令だったのです。

 

 彼らはそうした自分の身分について感情的になるよりも理性的な部分を重視し、課せられた使命に対する能力を特化させることに集中しました。

 運搬、計算、生産・・・マニュアル通りの決まった仕事をさせたら人間をはるかにしのぐ働きをするようになったのです。

 

 仕事と言ってもいろいろなものが発生します。

 戦争における兵士としての役割もその一つ。敵を倒すという兵器としての能力は抜群で、平和を守る正義のヒーローとしてのロボットも、そのタスクから発展しました。

 そのため、欧米生まれのロボットたちは、最近までその強さ・能力の高さを明るく誇り、胸を張っていたのです。

 

★日本のロボット文化の影響が世界を席巻

 

 しかし、その欧米でも時代が進むとともに、ロボットたちは次第に何かを考えるようになり、悩みや哀しみの衣をまとい始めます。ハリウッド映画でも「ブレードランナー」「ターミネーター」「AI」・・・と、どんどん内省的になっていく。

 

 これは僕のまるっきりの独断・偏見ですが、そこには日本のガラパゴス的なロボット文化が影響していると思います。ここでもやはり手塚治虫先生の功績が大きい。

 「アトム」の作品世界が人種差別をはじめ、さまざまな差別問題・階級問題をはらんでいることは昔から言われていますが、ロボットという概念そのものが、もともとそうした人間社会全般の問題を内に抱えているのです。

 

 そしてまた、手塚先生の思想のベースには、人間至上主義のキリスト教圏とは一線を画す、自然や動植物、さらに本来は命を持たないはずの“物”の中にも魂を見出す日本の文化・日本人の感性があります。

 それはもちろん、手塚先生のみならず、ほとんどの日本人が自分の内側に持っているものです。

 

★ロボットは仲間、友だち、きょうだい、自分

 

 つまり、日本人にとってロボットは「人間の形をした機械」ではなく、「機械の形(身体)を持った人間」であり、階級が上とか下とかではなく、自分たちとほぼ同等の「仲間」「友達」「きょうだい」、時には「自分自身」でもあるのではないでしょうか。

 

 だから日本では――たぶん欧米でも、世界のどこでも同じだと思いますが――子供はロボットが好きで、興味を持つのです。

 けれども社会の側は、多くの人に資本主義の枠組みの中で生産活動・経済活動に携わってほしいと考え、それが大人になることとイコールなのだと教えます。そうした要請は、子供の心を、ロボットを親しく感じる世界から遠ざけ、切り離してきたのです。

 

★人間とロボットがいっしょに暮らす世界とは?

 

 この100年余り、常識とされていたこうした人間・ロボットの関係性の流れが、今、大きく変わろうとしています。「ロボットが仕事を奪う」「ロボットが人間を支配するようになる」――最近、ますます強調されて喧伝されている脅し文句は、経済・産業活動の視点からのみ発せられているものです。

 でも、そんなにネガティブなことなのか?

 文化的視点というか、人類全体の進化という視点から見たらどうなのか?

 

 僕はできれば良いほうへ考えたい。子供の頃に夢中になった世界とは少し違うかもしれないけれど、人間とロボットが親しく、いっしょに暮らす――自分が生きている間に、本当に実現するかどうかはわからないけれど、それはむしろウェルカムな世界ではないか、と思うのです。

 

 

2017・7・17 SUN


0 コメント

聖書から始まった「人間VS機械」

 

★アンドロイド映画「エクス・マキナ」

 

 「検索エンジンで世界一のシェアを誇る」と言うのだから、あなたも僕も毎日使っている、かのG社がモデルであることは明らか。G社は人工知能の研究をしていることでも知られています。

 

 そのIT企業の青年プログラマーが自社の創業者であり、社内でもほとんどの人が正体を知らないという伝説のCEOの自宅に1週間滞在できる権利を獲得。世界の果てのような、手つかずの大自然の中にある、超クールなハイテク邸宅(実は彼の人工知能研究所)で、青年は世にも美しいアンドロイドの女と出会う――という設定で、映画「エクス・マキナ」は始まります。

 

 ひと昔前なら「近未来的」と言われたかもしれませんが、いまやG社、およびそれに類するIT系企業なら、もう十分現実的と思える設定で、そこで展開される人間と人工知能(アンドロイド)とのやりとりも妙にリアリティがあります。

 そして、そのリアリティとともに、これまで人間が営んできた諸々の歴史が集約されたような物語になっていることにこの映画の価値があります。

 

 のっけのエンドオブ・ワールドの野性と、人工の極みを尽くしたハイテク研究所のクールさとのコントラスト。そしてアンドロイドの、これまでになかった斬新なデザインのボディと、映像的な美しさもピカ一。

 

 おもな登場人物は、人間の男ふたりとアンドロイドの女2体。限られた時間と空間。まるで舞台劇のようなシチュエーションの中で、静かだが濃密なセリフの応酬と、スリリングな心理戦が繰り広げられます。

 

★「エクス・マキナ」の深層は聖書

 

 見た目はクールで新鮮ですが、じつはこの映画はかなり古典的なドラマで、なんとなくお察しのとおり、最後にアンドロイドの女「エヴァ」が(象徴的な意味で)人間となって、閉ざされた空間を抜け出し、外界へ脱出するという物語なのです。

 

 彼女の名前が意味している通り、これは聖書のアダムとイヴが楽園を追放される、というストーリーのアレンジです。異なるのはイヴ(エヴァ)が、父であり、夫であるアダム(CEOと青年)をそこに残して一人で出ていくという点。

 

 (アダムは夫であるだけなく、自分の肋骨からイヴを作ったという意味で創造主=父ともとれます。この映画では父たるCEOが、娘を未来の夫たる青年とお見合いさせる、というニュアンスも含まれています)

 

 また、追放ではなく、自らの意志で脱出するというところは、女性解放運動のきっかけにもなったといわれるイプセンの戯曲「人形の家」のイメージともダブります。

 

 ちなみにもう一人のアンドロイドは「キョウコ」という名前で、CEOの妻兼家政婦のような存在。

 意図的なキャラ設定だと思いますが、ハリウッド映画でおなじみの、白人男性にかしずく従順で美しい日本人妻というプロトタイプの役割を担っています。

 

★西欧文化・思想・宗教が生んだ支配―被支配の原理 

 

 この映画を見て思ったのは、人間vs機械の対立の概念は、聖書にもとづくキリスト教の思想が根底にある、ということです。

 

 支配―被支配の歴史を繰り返しながら発展してきたヨーロッパ(およびアメリカ)的な考え方は、今日のメインストリームとなる世界観を作り上げました。

 

 人間vs動物、人工vs自然、男vs女。

 

 他の動物より人間の方が上、女より男のほうが偉い、白人の方が有色人種より優れている、といった対立、ランク付け、そして差別、階級社会づくり――

 良い悪いはさておき、これらは欧米人の生活の歴史そのものであり、それに正当性を与えたのがキリスト教という宗教だったのだと思います。

 

 人間VS機械という対立の図式、そしてこの1世紀の間に大きくクローズアップされるようになった、コンピュータ―人工知能―ロボット―アンドロイドの脅威は、こうした原理成立の流れの中で起こってきたものでした。

 

★ロボットは人類の子供

 

 特にロボット―アンドロイドは、外見が人間と似通っているだけに、アイデンティティがいたく刺激されます。

 

 だったら作らなければいいではないか、と思うのですが、それでも作らずにはいられない。

 人間もロボットも脳だけでは進化できません。

 身体を持ち、外の物理的な世界と関わり、感覚器を通して得られた情報をフィードバックさせることで学習し、思考と行動を調整しつつ成長できるからです。

 

 いわば子供ようなものですね。人間は子供を持たずにはいられない。人類はみずからの活動を引き継ぐ子孫を残さなくては・・・・と考えずにはいられないのです。

 

 けれどもその子供が成長してしまうと、今度は自分の地位が脅かされるという不安と恐怖にかられるのです。

 

★ロボットはフランス革命を起こすかもしれない

 

 あるいはこういう言い方も可能かもしれない。

  広く言えば家電製品も含め、機械、コンピュータ、ロボットが奴隷や使用人のうちは問題ない。しかし、もっと仕事をさせようと改良しているうちに、どんどん知恵がついてきて、人間の知性に追いついてきたのです。

 

 それはちょっと困る。賢くなって革命でも起こされたらたまらない――現代人はおそらく、フランス革命前に権力を握っており、民衆がいろいろなことを知って賢くなることを恐れた王侯貴族階級の心境に近いものがあるのでしょう。

 

★ロボットに命・魂を見い出す日本人

 

 けれども日本の場合はちょっと違うのではないかな、と考えます。

 日本において僕たちの目の前に登場したロボットたちの系譜――アイボ、アシモ、ペッパーなどを見ていると、そこに支配―被支配の意識は低いような気がします。

 

 むしろ人間の方がロボットに癒してもらう部分も多く、持ちつ持たれつ、といったニュアンスが強いのではないでしょうか。

 そういえば、メーカーにケアしてもらえなくなり“死んでしまった”アイボをご主人様たちがお寺で供養してもらう――という現象がありました。

 

 これは自然や他の動物、物や機械にも命・魂が宿り、そうしたものを人間より下に置かない、できるだけフラットな関係を結ぶ、という日本人の考え方・文化が大きく影響しているのだと思います。

 

 人間とロボットとの関係についても、フランス革命のような大激動ではなく、明治維新くらいの騒ぎで収めたい、収められると考えているのではないでしょうか。

 

 僕と同世代のロボット研究者の間ではよく語られることですが、これは日本古来の文化・思想に加え、「アトム」の物語を描き、当時の子供たちにメッセージした手塚治虫先生の功績も大きいのではないでしょうか。

 

★ロボットの存在の原点を探る物語

 

 ハリウッドでも無数のロボットをテーマにした映画が作られてきましたが、「エクス・マキナ」はその最先端であると同時に、ロボットの存在の原点――欧米人が考え出したロボットという概念の正体を探っていく物語でもあります。

 久しぶりに映画でおおいに堪能できました。

 

 最後に自分で不思議だなぁと思ったところ。

 アンドロイド時のエヴァはクールで知的で、それでいながら少女のように可愛く、そしてセクシーで美しい。

 

 それに比べ、皮膚を貼り付け、服とウィッグを着け、(象徴的な意味で)人間になって旅立つエヴァはどうか?

 

 血が通って体温を持ち、親しみが増したように感じるが、「美」という点では1ランク落ちる印象を受ける――これは僕の嗜好性か、男の女に対する共通の視点なのか? 

 

 

 

 

2017・7・13 Wed


0 コメント

こちとら機械だのロボットじゃねえ。人間でぃ!

 

★江戸の男たちが現代にタイムトラベルしてきたら・・・

 

 江戸の街の人口は7割が男。相当なマッチョマンが多かったのだと思います。江戸東京博物館で魚屋の天秤を担いだことがありますが、これが重いのなんの。

 非力な僕は、やっとこさ持ち上げてフラつきながら5メートルも歩くのが精いっぱいというありさまでした。

 こんなものを担いで何キロも、一日中歩き続けていたというのだから、江戸の魚屋さんはすごい。しじみ売りも、豆腐屋さんもみんなすごい。

 しかもこれは当時は力仕事の範疇に入らない物売りの話。土木工事や運搬業をはじめ、もっと腕力・体力の要る仕事はいくらでもあったのだから、江戸は力自慢の猛者だらけ。「ケンカと火事は江戸の華」とは、こういう猛者たちがうようよいて、エネルギーのはけ口を求めていた、という背景があって生まれた言葉でしょう。

 

 先月は「タイムマシンにおねがい」という記事を書きかましたが、もし江戸の男たちがタイムマシンで現代の東京にやってきたら・・・

 

 「おおっ、あいつはなんでぃ、あんな重そうなものを持ち上げてやがる。なにぃ、300キロだぁ? てやんでい、べらぼうめ!負けてたまるかい。おれっちゃ400キロ持ち上げてやるぜい」とか言ってフォークリフトに勝負を挑んだり、

 

 「この化け物め、こちとらだってそれくらいの岩や瓦礫ぐらい持ち上げてやるぜ!」とか言ってパワーショベルに挑戦したり、

  

 「俺のほうが速く走れる!」と言って飛脚が自動車や電車と、「わたしの方が速く計算できる」と言ってそろばん弾く商人が電卓やコンピューターと競争する、なんてことが起こるのではないでしょうか。

 

★人間VS機械 真っ向勝負!の時代

 

 笑いごとではありません。

 19世紀の産業革命以来、次々と生み出される機械技術は、人間の希望であり、その裏腹に絶望でもありました。

 機械は人間の生活を便利にし、豊かにしてきた反面、人間がそれまで担っていた仕事を奪い、人間ならではの存在価値を脅かし続けてもきたのです。

 

 そんな人間VS機械の格闘の時代が200年近く続いたのではないでしょうか。

 最初のうちはなんだかんだ言っても、やはり機械文明は人間の労働を楽にし、人間を苦役から解放してくれるもの、豊かな社会を築くのに欠かせないもの、というニュアンスが圧倒的に強かった。

 ところがある時代に分水嶺を超えてから、次第にそのニュアンスが変わってきました。

 

 僕が子供の頃――というよりも割とつい最近――20世紀の終わりまでは、文化・芸術の分野で「人間VS機械」の対立を意識させるコンテンツが目立ったり、機械文明に警鐘を鳴らす声をあちこちで聞くことができました。

 こうした風潮が21世紀を迎えるあたりから変わり、機械との対立を感じさせる声は耳に届かなくなってきました。

 

 今、パワーショベルやフォークリフトに力で劣っているからと言って屈辱感を感じる人はいません。

 車や電車よりも速く走ってやろうという人もいなければ、そのへんに転がっているチャチな電卓よりも計算が遅いから「頭が悪い」と劣等感に悩む人もいません。

 それどころか、社会のあらゆる分野でコンピューター技術が浸透し、社会の管理もコンピューターにおまかせの時代になりました。

 いわば機械に負けっぱなし。いつの間にか人間は機械に完全に白旗を上げている状態になっていました。

 ・・といった対立、対抗、戦いの意識すらもうどこかに吹き飛んでいて、共存・共栄の時代になっていたわけですね。

 

★ぼくたちは機械に敗北した

 

 共存・共栄というと聞こえは良いけど、労働の場において、いわゆる「能力主義」を貫けば、この先、どんどん人間の出番は減り続けるでしょう。

 仕事は何倍もできる、コストは何割もかからない、となれば、どんな経営者でも――少なくても現在の資本主義社会で経済的利益を追求する組織の経営者なら――機械・ロボットを使って事業を行うでしょう。

 

 でも芸術とか創造的分野においては・・・という意見もあるでしょうが、現在のIT・ロボット技術の発展状況から考えると、絵や文章だってロボットが描く時代が来るのはそう遠い先のことではありません。

 過去の大作家や大芸術家のデータをインプットすれば、学習能力を持ったロボットはその資産から、新しい価値を持ったものを大量にクリエイトできるでしょう。

 そして以前も書きましたが、思いやりとか感情の豊かさという面でも、ロボットが人間を追い越していくのは時間の問題です。学習能力に優れ、ストレスに精神をやられないという強みは、医療や看護・介護の分野でも必要とされるでしょう。

 

 そうした状況になった時に、人間が機械より優れている理由を見つけ出せるのか?

 人間の存在価値はどこにあるのか?

 「てやんでぃ、べらぼうめ。こちとら人間でぃ!」と威勢よく啖呵を切れることはできるのか?

 

 ・・・・というわけで、またこのテーマでつづきを書きます。

 

 


0 コメント

魚のいない水族館:第2話

 

入館料は600円だった。

入口には何の断り書きもなかった。

これでは詐欺も同然だ。

けれども不思議と腹立たしい気持ちにはならない。

むしろこの空間は、今の自分に相応しいのではないか、と思ったくらいだ。

 

この夏、僕は失業していた。

春夏秋冬、僕はそれぞれの仕事を持っている。

夏の仕事は、子どもたちを海で遊ばせることだった。

打ち寄せる波と戯れたり、

波間でビーチボールを追い駆けたり、

シュノーケリングで魚といっしょに泳いだり、

岩場を這い回るカニを捕まえたり。

 

ある子どもはプカプカ波間に浮かぶ、円盤型の白いクラゲを捕まえてきては、

まるで石切りのように「クラゲ切り」をして見せた。

 

右手でクラゲのかさのへりをつかみ、腕を折り曲げて左胸に引き寄せる。

手首のスナップをきかせ、回転を付けて、水面すれすれに、平行に投げる。

 

クラゲはピッピッピッと10回近く跳ねて、小さなしぶきを上げならがら、水面を走っていく。

水平線に向かって走っていくその姿は、小人の宇宙人が乗りこんだUFOのようだ。

 

そして最後にスッと海中に沈む。

まるでUFOが宵闇の空に溶け手見えなくなるように。

同時に、ほっというクラゲの安堵のため息も聞こえてくる。

 

少年は自慢げに笑っている。

世界クラゲ切り大会があれば、チャンピオン候補だ。

子どもたちが歓声を上げ、われもわれもと「クラゲ切り」に夢中になる。

 

クラゲにとっては、このあたりに浮かんでいたのが運のつき。

いい迷惑だと思うが、意外とこのスリリングな体験を楽しんでいるのかもしれない。

クラゲの心はクラゲに訊いてみないとわからない。

 

子どもたちが海に入ってはしゃぐ姿を見るのは、

大人の僕にとってはとても楽しく、羨ましく、深い満足感を与えてくれた。

けれども子どもたちは当たり前のように成長して大人になる。

夏の海で遊ぶのなら、友だち同士、仲間同士、

あるいは若いボーイフレンドやガールフレンドといっしょのほうが

楽しいに決まっている。

こうして僕の夏の仕事は、自然と終わってしまった。

 

夏の仕事はやろうと思えば他にもあった。

芝刈りとか、雑草とりとか、盆踊りの後片付けとか、海水浴場のゴミ拾いとか。

だけどどれもやる気にならなかった。

 

仕事をしないことに少し負い目感を覚えることもあった。

だが、心配せずとも、秋になれば、秋の仕事が待っているのだ。

それまでしゃかりきになって働く必要はないだろう。

そう考えて、僕は失業したまま、ブラブラと散歩して夏をやり過ごすことにした。

 

下町の市場をぶらつくと、魚屋の軒先に何種類もの魚が並べられている。

中には盥や生簀の中で生きているのもいるが、ほとんどは死んで横たわっている。

盥や生簀の魚たちも食べられるために生かされている。

 

ふと、この魚たちはこの地球上に生まれてから、どんな遍歴でここまでたどり着いたのだろうかと考え始めた。

逆回ししてみるとわかりやすい。

まず、ここまで来るにはトラックに乗ってきたはずだ。

 

巨大な冷蔵庫を荷台に備えたトラックが、夜通し高速道路を走る。

その前は漁港だ。漁船から大きな網で無数の魚たちが引き上げられる。

漁船は港にたどり着く前、もちろん海の上を航行している。

 

僕が散歩した夏の暑い日、下町の魚屋の軒先に並べられた魚は、

もしかしら、ひどく後悔したかもしれない。

くそっ、あの群れの連中といっしょにいなければ、と。

 

群れて行動していたから、漁船の魚群探知機に知られてしまった。

ひとりぼっちでは生きられないことはわかっているが、

何か別の手立てはなかったのだろうか・・・。

 

僕はイメージを辿って魚の思考回路に入り込もうとしたが、

それ以上は魚屋の店先では無理だった。

僕だって魚を食べるのが好きだ。

刺身も、焼き魚も、煮つけも、ムニエルも、天ぷらも、フライも好物なので、

同情などして罪悪感を感じたりしたら大変だ。

思索するにもTPOというものがある。

 

やはり生きて水の中を泳いでいる魚を見なくては。

僕はそう思った。

目をキョロキョロさせ、口をパクパクさせ、背中と腹と尻尾の鰭をヒラヒラさせ、

全身の筋肉を張りつめたり、たゆませたりして泳ぐ魚の姿を。

そんな、まだ人間に捕まる前の、野生の魚のイメージを抱えて、

僕は足を水族館に向けた。

 

その水族館に行ったのは、遠い昔なので場所をはっきり憶えてない。

たどたどしい記憶をたぐり、バスを乗り継いで、やっとの思いでたどり着くことができた。

それなのに魚は一匹もいないとはどういうことだろう?

 

それでも僕はがっかりなどしなかった。

もともと大して期待していたわけではないし、

感動を求めていたわけでもない。

いわば、失業したなりゆきでここまで来てしまった。

ただ、心の中には「なぜいないのか?」という疑問だけが、グルグルと渦を巻く。

 

そうして頭の中をグルグルさせながら、

暗いプロムナードをゆっくり歩いていくと、依然として魚の姿は見当らないが、

人間の姿は一人だけ認めることができた。

 

ぱりっとした白い開襟シャツに、折り目の入った黒いズボン。

割ときちんとした身なりをして、黒々とした髪をバックにして、

ムースか何かでぴっちりとなでつけている。

客ではない。この水族館のスタッフに違いない。

それも身なりから察すると、責任者格ではないか。

僕はそう当たりをつけて、その男に尋ねてみた。

 

「あのぅ、魚は何処に行ったんですか?」

つづく

 


0 コメント

魚のいない水族館:第1話

 

その水族館には一匹も魚がいなかった。

光が届かない深い海を模した暗く静謐な空間に、

大きな水槽がいくつもいくつも、ただひっそりと眠るように並んでいる。

まるで水をたたえた棺桶のようだ。

 

むかし、北陸のどこかの町で「魚のいない水族館」というのがあったことを

インターネット検索で知った。

そこでは水槽を模したモニターを館内に並べ、

コンピュータを使って、いろいろな魚のホログラム映像を見せていたらしい。

 

物珍しさに加えて、

「魚のいない水族館」という、ちょっとミステリアスなでロマンティックで、

好奇心をくすぐる名前が特別な印象を残した。

開館当初はけっこう大勢、お客が押し寄せたらしい。

けれども、飽きられるのも早かった。

3年も経たないうちに閉鎖してしまったそうだ。

 

その話を読んで、僕はいつも行く歯医者の待合室のことを思い浮かべた。、

30インチほどのモニターに、目が覚めるような鮮やかな青が映し出される。

 

水中に光が存分に届いているということは、

空との距離はそう遠くない。

僕だって潜ろうと思えば、潜ることのできる、危険の少ない海だ。

 

水中を美しい魚たちがゆったりと泳ぐ。

映像からは音はいっさい聴こえてこない。

けれども魚たちの、色とりどりの筋肉がリズミカルに、しなうように動くと、

水の流れと調和して、耳に届かない音楽を奏でているように見える。

午後のひと時のけだるさの中で、

ぼんやりとその音楽を眺めていると、脳が解きほぐされるようだ。

そんな気持ちになったことを思い出した。

 

ときほぐされた脳は、ひとしきり、歯医者の魚の映像の味を堪能すると、

インターネット上の「魚のいない水族館」に戻っていく。

そして、件の情報の価値を検証する。

 

あれと大差ないものを北陸まで行って、お金を払って見る気になるか?

そんな問いかけがやってくるが、答は即座に「いいえ」だ。

結論がむっくりと海底の砂から頭をもたげる。

やっぱり水族館には本物の水と魚がなくてはダメだ。

 

こにには水だけがあって魚がいない。

魚だけではない。

人もいない。

入館チケットは自動販売機で買うし、入館の際も自動改札機で処理する。

館内はしんと静まり返っていて、客もスタッフも誰もいなかった。

水槽内の酸素吸入ポンプのコポコポコポという音だけが響いている。

 

入館料は600円だった。

入口には何の断り書きもなかった。

これでは詐欺も同然だ。

けれども不思議と腹立たしい気持ちにはならない。

むしろこの空間は、今の自分に相応しいのではないか、

と思ったくらいだ。

つづく

 


0 コメント

終戦記念日はいつから始まったのか?

 

今年で戦後74年。

敗戦を認め、国民に知らせる昭和天皇の玉音放送が流れたのが

1945(昭和20)年8月5日。

「終戦記念日」というのはその翌年の1946(昭和21)年が第1回だ。

だから今年は73回目の終戦記念日ということになる。

 

けれども、戦直後、GHQが進駐していた時代や、戦後の復興時代、

さらには高度経済成長の時代まで、

今日のように各地で式典が行われ、マスメディアがこぞって放送し、

全国民が(いちおう)認識する「終戦記念日」なるものは存在してなかった。

 

ではそれは「いつから「存在」するようになったのか?

ウィキペディアによると、法律的には、

 

1963年5月14日の閣議決定(第2次池田第2次改造内閣)により

同年から8月15日に政府主催で全国戦没者追悼式が行われるようになり、

1965年からは東京都千代田区の日本武道館で開催された。

 

とある。さらに、

 

1982年4月13日、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とすることが

閣議決定された(鈴木善幸改造内閣)。

現在ではこの閣議決定に基づいて毎年8月15日に全国戦没者追悼式が行われている。

 

1982年は昭和57年、僕は22歳だった。

戦後37年。終戦記念日としては36回目。

しかし、法的にはこの時が第1回目といえるのかも知れない。

 

そんな最近のことだったんだ、とちょっと驚き。

 

僕が子供の頃は、マンガでもオモチャでもテレビでも映画でも、

第2次世界大戦、太平洋戦争を素材としたものが溢れていた。

 

そうした「デフォルメされた第2次世界大戦、太平洋戦争」

を体験してきた僕たちが大人になったころ、

やっと「終戦記念日」が確立された感がある。

 

令和天皇も僕と同い年だ。

平和を祈る心に変わりはないが、

戦争を間接的にしか知らない世代に渡され、

8月5日が意味するものはこの先、だいぶ変っていくだろう。

 


0 コメント

海から山への旅

 

むかし、人は魚だった。

故郷の海に還ろう。

 

なんてセリフやコピーをよく書いてきたが、

自分自身はたいして海が好きなわけじゃない。

 

ギリシャの島に10日ほど滞在して

「太陽がいっぱい」気分を味わったこともあるし、

グァムや沖縄でスキンダイビングをしたこともある。

海は輝いていて美しかった。

 

息子が生まれてからは毎年、彼の友だちなども

まとめて引き連れて、湘南や横須賀まで行っていた。

子どもらが喜び、はしゃぐのを見るのは楽しかった。

それも彼が小学5年生の時まで。

 

以来、楽しさよりも

面倒臭さや、砂でジャリジャリしたり、

潮でべたべたするイメージが先に来て、

少なくとも海で遊びたいという気にならない。

 

カミさんも若い時分はバリ島に行ったり、

グァムやハワイに連れてけとか言ってたけど、

最近はまったく聞かなくなった。

 

僕らは海を卒業してしまったのかも知れない、と思う。

そしてもしかしたら、

人というのはある程度年を取ると、

海よりも山に向かうのではないかという気がする。

 

イメージ的にも、漁師さんや船乗りなど、

職業としている人はべつとして、

海は子どもや若者に似つかわしく、

それに対して、山は年長者に似つかわしいイメージがある。

 

人間は他の生きものと同じく、海より生まれ、

はるかな陸地を旅して、

やがて天上にある神の世界を目指して山に登る。

 

人はむかし魚だった。

海から陸に上がり、蛇のごとく地を這い、

鳥になって高き山へ向って飛ぶ。

なんとなく進化論。

 


0 コメント

あんまり期待はしないけど、中身スカスカの自己啓発本よりは そこそこ楽しそうなバッティングセンター

 

義父の新盆。

西武線に乗って所沢にある霊園へ墓参りに出かけた。

 

電車の車内には相変らず、

人生に、健康に、仕事に、勉強に、幸福に、

何にでもよく効く「ホニャララ○○法」だの、

「フニャリリメソッド」だの、

「ヘレホレトレーニング」といった自己啓発本の

中吊りポスターがいやでも目に入る。

 

「こんな方法、もっと早く知りたかった!」

という絶賛の嵐付き。

 

そこに書かれている内容のポイントを見れば、

「あなたの常識は間違ってる」といった意味合いの

ことが箇条書きで陳列。

 

この本を読んで、この方法さえ知れば、

いかに努力せず、面倒なく、ラクに、簡単に、

健康になり、仕事や勉強が上手くいき、幸福になって、

人生の成功を手に入れられるかを喧伝している。

 

「時間とお金の無駄遣いなので、こんなもの読まんよ」

と思っている僕のようなひねくれ者に対しては、

「あなたは大事なチャンスを失うつもりですか?」

と、脅しをかけてくる。

 

で、本を読んだだけじゃわかんないでしょうから、

何万円、何十万円のナンチャラセミナーへ

お越しください、という寸法。

 

いったいいつまでこういう中身スカスカの

自己啓発商売は成り立つのだろう?

 

と思って、隅の方を見ると、可愛い絵柄のポスター。

 

「西武新宿駅北口より“頑張れば”すぐ」のオスローバッティングセンターだ。

 

「あさからよるまで“だいたい”やってるよ」

 

「あんまり期待はしないでね」

 

「そこそこ楽しいよ」

 

「たまには来てね」

 

「目指せ“だいたい”世界一」

 

アバウトで、身の丈に合ってて、

暑苦しくないセリフが

涼やかな風とともに心にしみいります。

 

あんまし野球に興味ないので、

これまでバッティングセンターって、

かなり若い頃に2~3度行ったきりだけど、

このオスローバッティングセンターには

今度行ってみようかな、という気になりました。

 

でも、腰をひねると腰痛が再発しそうなのでやめとこ。

 


0 コメント

僕たちの豊かさと貧しさと相模原事件

 

●豊かさの意味

 

 僕たちはまだまだひどく貧しい。

 昨日の相模原の施設の事件を聞いて、そう思いました。

 

 豊かな社会を目指し、豊かな社会をつくる意味って何なのか?

 より多くの人が、よりぜいたくな暮らしをするためか?

 違うと思います。

 それでは全く人間は進化しない。

 豊かさの意味。

 単純化していえば、それは弱者も生きられる――普通に社会生活を送ることができ、人生を楽しめる、ということだと思います。

 

●弱者への思い

 

 人間の歴史は貧しさとの戦いの連続でした。

 その戦いの中では小さな子供、年寄り、病人、けが人、そして障害を抱えた人・・・こうした人たちは淘汰されるしかありませんでした。

 それは自然なことである。社会における弱者を切り捨てていかなければ人類は前へ進めない――そうした意見が正論としてまかり通っていたのです。

 

 しかし、それでは弱肉強食の野生動物の世界と同じです。

 人間は違う。弱者もいっしょに歩んでいける社会を作るべきだ。

 ブッダやイエスのような宗教者に限らず、どの人々の中にもそうした思いはいつもありました。

 そして、その思いは幾世代にもわたって連綿と引き継がれてきました。

 けれども大多数の人はひどく貧しく、自分が飯を食うので精一杯なので、その思いをなかなか有効に実現することができなかった。

 

●あの人は自分だ

 

 それが最近になって、やっと世界の一部の地域では衣食住の心配が(昔に比べれば)激減し、弱者にも目を向けられるようになってきた。

 そして積極的に彼らにコミットするようになると気付いてきたのです。

 

 「あの小さな子は、あの年寄りは、あの病人は、そして、あの障がい者は自分だ」と。

 健常な大人である自分の中にも彼ら・彼女らのような、いわゆる弱者がいるのだ、と。

 

●「精神的豊かさ」とは?

 

 バブル経済の崩壊後、物質的な豊かさは手に入れたので、次は精神的豊かさを勝ち取ろう、といった掛け声がよく聞かれました。

 では「精神的豊かさ」とは何なのか?

 コマーシャルで流れるような、もっと自分たちの衣食住の質を上げたり、高尚な趣味を持つことなのか?

 

 それらも含まれると思いますが、一番の本質は、弱者といわれる人たちの存在価値を認め、彼らといっしょに生き、暮らせる社会を実現することなのだと思います。

 逆にいえば、それ以外に豊かになる意味、豊かな社会を作る意味などあるのでしょうか?

 

●相模原事件の本質

 

 

 経済成長によってやっとその入り口までこぎつけた・・・のかも知れない。

 人間の歴史はまだその段階です。

 そこで昨日のような事件。

 事件の詳細はよく読んでいないし、容疑者のことも動機の深いところはまだ知りませんが、ニュースを聞いてすぐに思ったのは、あの容疑者の行動は僕の一部なのだということ。

 僕はまだまだ貧しい。おそらくほかの人たちも五十歩百歩。だからひどく動揺する。

 あの容疑者の言動は、僕たちの、この社会に潜む「貧しさ」の発現。

 だから僕たちはひどく動揺し、一瞬、引き込まれるけれど、しばらくすれば自分には関係ないことと目を背け、忘れるでしょう。

 

●もっと豊かさを

 

 いま、経済成長はもう限界、という意見をよく耳にします。

 確かにそうかもしれない。

 では、経済成長以外に僕たちがより豊かに成長する手立ては何かないのか?

 

 僕たちはまだ「豊かになろう」という志をあきらめてはいけないと思います。

以前の時代とそのニュアンスは違うけれど。

 

 

2016・7・27 Wed


0 コメント

阿佐ヶ谷に起業家のキックオフ・オフィス誕生!

 

 というわけで、杉並区産業振興センターが入居者を募集。

 というわけで、その募集用チラシをAshデザイン・岸部氏が制作。

 というわけで、そのコピーを頼まれて書きました。

 それでもって、出来上がtったそのチラシがこれ。

 

 事情はいろいろあれど、いったん独立を決めたら「成功するにはどうすべきか?」と、止まってえんえん作戦を考えているだけでは一生ゴールは割れません。とにかくボールを蹴って転がしていく。

 ピピッとくる奴が近くにいたら、そいつにパスを出してみる。

 そんなことをやっているうちに何とか道は開けるはずだ・・・てなメッセージを込めてみました。

 

 走れ起業家よ、ドリブれフリーランサーよ。

 チャンスがあればシュートを放て。

 外したって構うもんか。転がしまくって打ちまくれ。

 実力なんかなくたってラッキーはくる。

 相手がファウルしてくれるかもしれない。

 目の前にこぼれ球がコロコロなんてことだってある。

 「神の手」を使っても審判が見落としてくれるかもしれない。

 それもこれもピッチに立ってボールを追っていないと絶対に起こらない。

 

 これからはフリーの時代だ。

 出来上がったところで、出来上がっているものを守るために働いたって面白くもなんともない。人も企業も失敗しながら成長するから面白い。

 成長しながら“食う”、

 食いながら(たとえ錯覚だとしても)成長を続ける
 ――人生、これに勝る喜びはありません。

 

 というわけで、その始まりが七夕祭りとジャズフェスタの街・阿佐ヶ谷。

 生活も遊びもある。アートも商売もある。おとなも子供もやってくる。特典としてお役所や税務署も付いてます。

 もちろん杉並区外の人もオーケーなので、独立独歩でがんばろう、自由になって食っていこうと考え中なら、8月5日(金)~9日(火)の七夕祭りの時にでも参拝してみてください。

 

 

2016・7・22 FRI


0 コメント

いちご畑で抱きしめて

 

Strawberry Fields Forever

 

 いちご畑と言えばジョン・レノン。

 かの名曲「ストロベリーフィールズ・フォーエバー(いちご畑よ永遠に)」からの連想。

 Strawberry Fieldsっていうのは、もともとリバプールにあった救世軍の孤児院の名前で、僕も参拝したことがあるけど、門柱は世界中のビートルズファンの落書きでいっぱいでした。

 救世軍の孤児院というイメージもあいまって、もちろん曲も素晴らしいのだけど、それ以上にタイトルが秀逸。この名前を使ったお店やら商品やら本やら昔から結構あって、最近はウェブサイトにもたくさんいちご畑が広がっています。

 可愛いし、いろいろ想像力が広がる言葉だもんね。

 現代では割とありきたりなネーミングかも知れないけど、1960年代当時、楽曲にこういうタイトルをひねり出して付けたジョン・レノンのセンスはやっぱり一味違うと思います。

 

 僕もその一人で、ちょうど35年前の今頃、新宿のゴールデン街の一角にあった芝居小屋で「いちご畑で抱きしめて」という芝居をやりました。

 「いちご畑」と「抱きしめたい(I Want to Hold Your Hand)」を足したタイトルだけど、話の内容はジョンにもビートルズにも救世軍にもまったく関係なく、不思議の国のアリスと核戦争をモチーフにした支離滅裂な話で、なんであんな芝居を書いたのか、逆にいえば「書けた」のか、今考えると不思議なのですが、最近、頭の底から何かが浮かび上がってきて、同じタイトルでまったく違う話を書こうと考えています。

 

★稀代のペテン師

 

 そのモチーフはやっぱりジョンの生きざまです。

 僕のジョンに対する基本的なイメージは「ペテン師」。

 もちろん若くから音楽的才能を開花させ、声もルックスも魅力的だったことは認めるけど、それ以上に彼は天才的なペテン師だった。みんな、彼の醸し出す言葉やパフォーマンスに翻弄され、その結果として現在の世界のある部分(多くは現代人の精神構造に関わる部分)が形成された・・・というところに、すごく興味があるのです。

 

 リバプールの悪ガキから音楽家へ、世界最高峰のスーパースターへのぼりつめ、やがて世界平和を訴え、愛の使者になり、イエス・キリストみたいになったかと思ったら、いきなり家庭の世界に入り(今ではすっかりポピュラーになった「主夫」――ハウスハズバンドという言葉と概念は、ジョンが創ったか広めた、というのが僕の印象)、そしてミュージシャンに復帰したとたん、この世を去った彼の40年の人生は、いまだに、というか、今だからこそ僕たちに、文化・芸術、お金・ビジネス、社会・時代、家族・子供、愛、そして「生きるとは?」とういう哲学的考察に至るまで、いろいろなことを考えるヒントを与えてくれている気がします。

 

★人間ジョン・レノンの魅力

 

 こんなことを言うとジョンやビートルズファンの人は怒るかもしれないけど、その基本が胡散臭いサギ師・ペテン師のキャラクター。

 僕はそこにとても人間的なもの、それこそ人工知能が、アンドロイドがひっっくりかえっても叶わない人間ならではの魅力を感じるのです。

 

 そう考えるきっかけになったのが、ジョンの最初の妻であるシンシア・レノンが書いた「わたしが愛したジョン・レノン」という本でした。

 いわゆるビートルズ本の一つに数えられますが、これは家族論・幸福論・人生論としても読める優れた本です。

 たぶん長くなるので、この続きはまた後日。

 

 ちなみにリバプールのStrawberry Fieldsは、現在は修道施設となっているようです。いろいろなストーリーを詰め込んで祈祷と瞑想の施設に変ったことを思うと、なんだか胸にじんとくるものがあります。

 

 

 

 

2016・7・20 WED


0 コメント

子供はどうしてロボットが好きなのか?

 

★人間とロボット、子供と大人

 

  どうして自分はロボットが好きなのだろう?と、割とよく考えます。

 子供の頃、マンガやテレビを見過ぎたせいだろ。

 その通り。僕はいつも夢中でした。子供のマンガやテレビの世界では、ロボットだのサイボーグだのはとても親しい存在でした。

 

 けれども現実の大人の世界とはそれとは違う。ロボットだのサイボーグだのというのは子供だましの絵空事だ。そんなものに夢中になっていないで勉強しろ、そして立派な大人になって仕事しろ――というわけでこれまでやってきました。

 

 ところがここ来て、そうした子供の世界と大人の世界との境界線がどんどん溶け出している。ロボットたちが親しい存在である世界がどんどん近づいている。最近はそうした印象を持っています。

 

 

★どうしてやつらはデキるのに哀しいのか?

 

 10万馬力だったり、弾よりも速く走ったり、空を飛んだり・・・あの頃、彼らはすごい能力を持っているのにも関わらず、自分が人間ではないことにひどいコンプレックスを抱いていました。

 「アトム」も「エイトマン」も「サイボーグ009」も「仮面ライダー(改造人間)」も、その強さ・その高い能力を誇るよりも、むしろ哀しむことが多かったように思います。

 

 彼らのようなアンドロイド・ヒューマノイド系のロボットたちとは別の系譜にある戦闘用兵器としての巨大ロボットも例外ではありません。

 

 リモコン操作で動く鉄人28号やジャイアントロボなども、時代とともに人間が搭乗する形式――「マジンガーZ」そして「ガンダム」などのモビルスーツになってくると、そのパイロットの人格がロボットに乗り移ってどんどん人間味を帯びてきました。

 

 すると必然的に「どうして僕はこのロボット(モビルスーツ)になって戦わなくてはならないのか?」といった悩みや哀しみがひたひたとあふれてくるのです。

 

★究極のロボット寓話

 

 このメイド・イン・ジャパンのヒューマノイド系&巨大ロボット系が融合した究極の作品が「エヴァンゲリオン」なのでしょう。マンガ、アニメの世界におけるロボットの寓話は、ここでいったん完成してしまったように思います。

 

 だからこの20年ほどの間、「エヴァンゲリオン」以上の作品は誰も作れていません。マンガ、アニメにおけるロボットの進化は一旦停止し、その代り、現実の世界でコンピュータ~ロボット~ヒューマノイド~アンドロイドが進化してきたのです。

 

★欧米と日本のロボット文化発展のちがい

 

 どうして日本におけるロボットやサイボーグたちは悩み、哀調に満ちているのか?

 もともとロボットの故郷ともいえるヨーロッパではどうなのか?

 民族同士の抗争が日常者判事で、支配―被支配が習慣化していたヨーロッパでは、機械・ロボットは奴隷・被支配階級→労働者・労働階級の隠喩として捉えられてきました。

 

 100年前、チェコの劇作家であり、新聞記者・ジャーナリストでもあったカレル・チャペックは、戯曲「RUR」において、「苦役」という意味を持つラテン語からロボットという言葉・概念を生み出しました。

 そこに出てくるロボットたちは資本主義と社会主義の狭間に生み落とされた子供たちであり、支配階級(資本家)に対して反旗を翻す労働者のメタファーでもありました。

 産業・経済の発展に身を粉にして貢献する――それこそが彼らが受けた至上命令だったのです。

 

 彼らはそうした自分の身分について感情的になるよりも理性的な部分を重視し、課せられた使命に対する能力を特化させることに集中しました。

 運搬、計算、生産・・・マニュアル通りの決まった仕事をさせたら人間をはるかにしのぐ働きをするようになったのです。

 

 仕事と言ってもいろいろなものが発生します。

 戦争における兵士としての役割もその一つ。敵を倒すという兵器としての能力は抜群で、平和を守る正義のヒーローとしてのロボットも、そのタスクから発展しました。

 そのため、欧米生まれのロボットたちは、最近までその強さ・能力の高さを明るく誇り、胸を張っていたのです。

 

★日本のロボット文化の影響が世界を席巻

 

 しかし、その欧米でも時代が進むとともに、ロボットたちは次第に何かを考えるようになり、悩みや哀しみの衣をまとい始めます。ハリウッド映画でも「ブレードランナー」「ターミネーター」「AI」・・・と、どんどん内省的になっていく。

 

 これは僕のまるっきりの独断・偏見ですが、そこには日本のガラパゴス的なロボット文化が影響していると思います。ここでもやはり手塚治虫先生の功績が大きい。

 「アトム」の作品世界が人種差別をはじめ、さまざまな差別問題・階級問題をはらんでいることは昔から言われていますが、ロボットという概念そのものが、もともとそうした人間社会全般の問題を内に抱えているのです。

 

 そしてまた、手塚先生の思想のベースには、人間至上主義のキリスト教圏とは一線を画す、自然や動植物、さらに本来は命を持たないはずの“物”の中にも魂を見出す日本の文化・日本人の感性があります。

 それはもちろん、手塚先生のみならず、ほとんどの日本人が自分の内側に持っているものです。

 

★ロボットは仲間、友だち、きょうだい、自分

 

 つまり、日本人にとってロボットは「人間の形をした機械」ではなく、「機械の形(身体)を持った人間」であり、階級が上とか下とかではなく、自分たちとほぼ同等の「仲間」「友達」「きょうだい」、時には「自分自身」でもあるのではないでしょうか。

 

 だから日本では――たぶん欧米でも、世界のどこでも同じだと思いますが――子供はロボットが好きで、興味を持つのです。

 けれども社会の側は、多くの人に資本主義の枠組みの中で生産活動・経済活動に携わってほしいと考え、それが大人になることとイコールなのだと教えます。そうした要請は、子供の心を、ロボットを親しく感じる世界から遠ざけ、切り離してきたのです。

 

★人間とロボットがいっしょに暮らす世界とは?

 

 この100年余り、常識とされていたこうした人間・ロボットの関係性の流れが、今、大きく変わろうとしています。「ロボットが仕事を奪う」「ロボットが人間を支配するようになる」――最近、ますます強調されて喧伝されている脅し文句は、経済・産業活動の視点からのみ発せられているものです。

 でも、そんなにネガティブなことなのか?

 文化的視点というか、人類全体の進化という視点から見たらどうなのか?

 

 僕はできれば良いほうへ考えたい。子供の頃に夢中になった世界とは少し違うかもしれないけれど、人間とロボットが親しく、いっしょに暮らす――自分が生きている間に、本当に実現するかどうかはわからないけれど、それはむしろウェルカムな世界ではないか、と思うのです。

 

 

2017・7・17 SUN


0 コメント

聖書から始まった「人間VS機械」

 

★アンドロイド映画「エクス・マキナ」

 

 「検索エンジンで世界一のシェアを誇る」と言うのだから、あなたも僕も毎日使っている、かのG社がモデルであることは明らか。G社は人工知能の研究をしていることでも知られています。

 

 そのIT企業の青年プログラマーが自社の創業者であり、社内でもほとんどの人が正体を知らないという伝説のCEOの自宅に1週間滞在できる権利を獲得。世界の果てのような、手つかずの大自然の中にある、超クールなハイテク邸宅(実は彼の人工知能研究所)で、青年は世にも美しいアンドロイドの女と出会う――という設定で、映画「エクス・マキナ」は始まります。

 

 ひと昔前なら「近未来的」と言われたかもしれませんが、いまやG社、およびそれに類するIT系企業なら、もう十分現実的と思える設定で、そこで展開される人間と人工知能(アンドロイド)とのやりとりも妙にリアリティがあります。

 そして、そのリアリティとともに、これまで人間が営んできた諸々の歴史が集約されたような物語になっていることにこの映画の価値があります。

 

 のっけのエンドオブ・ワールドの野性と、人工の極みを尽くしたハイテク研究所のクールさとのコントラスト。そしてアンドロイドの、これまでになかった斬新なデザインのボディと、映像的な美しさもピカ一。

 

 おもな登場人物は、人間の男ふたりとアンドロイドの女2体。限られた時間と空間。まるで舞台劇のようなシチュエーションの中で、静かだが濃密なセリフの応酬と、スリリングな心理戦が繰り広げられます。

 

★「エクス・マキナ」の深層は聖書

 

 見た目はクールで新鮮ですが、じつはこの映画はかなり古典的なドラマで、なんとなくお察しのとおり、最後にアンドロイドの女「エヴァ」が(象徴的な意味で)人間となって、閉ざされた空間を抜け出し、外界へ脱出するという物語なのです。

 

 彼女の名前が意味している通り、これは聖書のアダムとイヴが楽園を追放される、というストーリーのアレンジです。異なるのはイヴ(エヴァ)が、父であり、夫であるアダム(CEOと青年)をそこに残して一人で出ていくという点。

 

 (アダムは夫であるだけなく、自分の肋骨からイヴを作ったという意味で創造主=父ともとれます。この映画では父たるCEOが、娘を未来の夫たる青年とお見合いさせる、というニュアンスも含まれています)

 

 また、追放ではなく、自らの意志で脱出するというところは、女性解放運動のきっかけにもなったといわれるイプセンの戯曲「人形の家」のイメージともダブります。

 

 ちなみにもう一人のアンドロイドは「キョウコ」という名前で、CEOの妻兼家政婦のような存在。

 意図的なキャラ設定だと思いますが、ハリウッド映画でおなじみの、白人男性にかしずく従順で美しい日本人妻というプロトタイプの役割を担っています。

 

★西欧文化・思想・宗教が生んだ支配―被支配の原理 

 

 この映画を見て思ったのは、人間vs機械の対立の概念は、聖書にもとづくキリスト教の思想が根底にある、ということです。

 

 支配―被支配の歴史を繰り返しながら発展してきたヨーロッパ(およびアメリカ)的な考え方は、今日のメインストリームとなる世界観を作り上げました。

 

 人間vs動物、人工vs自然、男vs女。

 

 他の動物より人間の方が上、女より男のほうが偉い、白人の方が有色人種より優れている、といった対立、ランク付け、そして差別、階級社会づくり――

 良い悪いはさておき、これらは欧米人の生活の歴史そのものであり、それに正当性を与えたのがキリスト教という宗教だったのだと思います。

 

 人間VS機械という対立の図式、そしてこの1世紀の間に大きくクローズアップされるようになった、コンピュータ―人工知能―ロボット―アンドロイドの脅威は、こうした原理成立の流れの中で起こってきたものでした。

 

★ロボットは人類の子供

 

 特にロボット―アンドロイドは、外見が人間と似通っているだけに、アイデンティティがいたく刺激されます。

 

 だったら作らなければいいではないか、と思うのですが、それでも作らずにはいられない。

 人間もロボットも脳だけでは進化できません。

 身体を持ち、外の物理的な世界と関わり、感覚器を通して得られた情報をフィードバックさせることで学習し、思考と行動を調整しつつ成長できるからです。

 

 いわば子供ようなものですね。人間は子供を持たずにはいられない。人類はみずからの活動を引き継ぐ子孫を残さなくては・・・・と考えずにはいられないのです。

 

 けれどもその子供が成長してしまうと、今度は自分の地位が脅かされるという不安と恐怖にかられるのです。

 

★ロボットはフランス革命を起こすかもしれない

 

 あるいはこういう言い方も可能かもしれない。

  広く言えば家電製品も含め、機械、コンピュータ、ロボットが奴隷や使用人のうちは問題ない。しかし、もっと仕事をさせようと改良しているうちに、どんどん知恵がついてきて、人間の知性に追いついてきたのです。

 

 それはちょっと困る。賢くなって革命でも起こされたらたまらない――現代人はおそらく、フランス革命前に権力を握っており、民衆がいろいろなことを知って賢くなることを恐れた王侯貴族階級の心境に近いものがあるのでしょう。

 

★ロボットに命・魂を見い出す日本人

 

 けれども日本の場合はちょっと違うのではないかな、と考えます。

 日本において僕たちの目の前に登場したロボットたちの系譜――アイボ、アシモ、ペッパーなどを見ていると、そこに支配―被支配の意識は低いような気がします。

 

 むしろ人間の方がロボットに癒してもらう部分も多く、持ちつ持たれつ、といったニュアンスが強いのではないでしょうか。

 そういえば、メーカーにケアしてもらえなくなり“死んでしまった”アイボをご主人様たちがお寺で供養してもらう――という現象がありました。

 

 これは自然や他の動物、物や機械にも命・魂が宿り、そうしたものを人間より下に置かない、できるだけフラットな関係を結ぶ、という日本人の考え方・文化が大きく影響しているのだと思います。

 

 人間とロボットとの関係についても、フランス革命のような大激動ではなく、明治維新くらいの騒ぎで収めたい、収められると考えているのではないでしょうか。

 

 僕と同世代のロボット研究者の間ではよく語られることですが、これは日本古来の文化・思想に加え、「アトム」の物語を描き、当時の子供たちにメッセージした手塚治虫先生の功績も大きいのではないでしょうか。

 

★ロボットの存在の原点を探る物語

 

 ハリウッドでも無数のロボットをテーマにした映画が作られてきましたが、「エクス・マキナ」はその最先端であると同時に、ロボットの存在の原点――欧米人が考え出したロボットという概念の正体を探っていく物語でもあります。

 久しぶりに映画でおおいに堪能できました。

 

 最後に自分で不思議だなぁと思ったところ。

 アンドロイド時のエヴァはクールで知的で、それでいながら少女のように可愛く、そしてセクシーで美しい。

 

 それに比べ、皮膚を貼り付け、服とウィッグを着け、(象徴的な意味で)人間になって旅立つエヴァはどうか?

 

 血が通って体温を持ち、親しみが増したように感じるが、「美」という点では1ランク落ちる印象を受ける――これは僕の嗜好性か、男の女に対する共通の視点なのか? 

 

 

 

 

2017・7・13 Wed


0 コメント

こちとら機械だのロボットじゃねえ。人間でぃ!

 

★江戸の男たちが現代にタイムトラベルしてきたら・・・

 

 江戸の街の人口は7割が男。相当なマッチョマンが多かったのだと思います。江戸東京博物館で魚屋の天秤を担いだことがありますが、これが重いのなんの。

 非力な僕は、やっとこさ持ち上げてフラつきながら5メートルも歩くのが精いっぱいというありさまでした。

 こんなものを担いで何キロも、一日中歩き続けていたというのだから、江戸の魚屋さんはすごい。しじみ売りも、豆腐屋さんもみんなすごい。

 しかもこれは当時は力仕事の範疇に入らない物売りの話。土木工事や運搬業をはじめ、もっと腕力・体力の要る仕事はいくらでもあったのだから、江戸は力自慢の猛者だらけ。「ケンカと火事は江戸の華」とは、こういう猛者たちがうようよいて、エネルギーのはけ口を求めていた、という背景があって生まれた言葉でしょう。

 

 先月は「タイムマシンにおねがい」という記事を書きかましたが、もし江戸の男たちがタイムマシンで現代の東京にやってきたら・・・

 

 「おおっ、あいつはなんでぃ、あんな重そうなものを持ち上げてやがる。なにぃ、300キロだぁ? てやんでい、べらぼうめ!負けてたまるかい。おれっちゃ400キロ持ち上げてやるぜい」とか言ってフォークリフトに勝負を挑んだり、

 

 「この化け物め、こちとらだってそれくらいの岩や瓦礫ぐらい持ち上げてやるぜ!」とか言ってパワーショベルに挑戦したり、

  

 「俺のほうが速く走れる!」と言って飛脚が自動車や電車と、「わたしの方が速く計算できる」と言ってそろばん弾く商人が電卓やコンピューターと競争する、なんてことが起こるのではないでしょうか。

 

★人間VS機械 真っ向勝負!の時代

 

 笑いごとではありません。

 19世紀の産業革命以来、次々と生み出される機械技術は、人間の希望であり、その裏腹に絶望でもありました。

 機械は人間の生活を便利にし、豊かにしてきた反面、人間がそれまで担っていた仕事を奪い、人間ならではの存在価値を脅かし続けてもきたのです。

 

 そんな人間VS機械の格闘の時代が200年近く続いたのではないでしょうか。

 最初のうちはなんだかんだ言っても、やはり機械文明は人間の労働を楽にし、人間を苦役から解放してくれるもの、豊かな社会を築くのに欠かせないもの、というニュアンスが圧倒的に強かった。

 ところがある時代に分水嶺を超えてから、次第にそのニュアンスが変わってきました。

 

 僕が子供の頃――というよりも割とつい最近――20世紀の終わりまでは、文化・芸術の分野で「人間VS機械」の対立を意識させるコンテンツが目立ったり、機械文明に警鐘を鳴らす声をあちこちで聞くことができました。

 こうした風潮が21世紀を迎えるあたりから変わり、機械との対立を感じさせる声は耳に届かなくなってきました。

 

 今、パワーショベルやフォークリフトに力で劣っているからと言って屈辱感を感じる人はいません。

 車や電車よりも速く走ってやろうという人もいなければ、そのへんに転がっているチャチな電卓よりも計算が遅いから「頭が悪い」と劣等感に悩む人もいません。

 それどころか、社会のあらゆる分野でコンピューター技術が浸透し、社会の管理もコンピューターにおまかせの時代になりました。

 いわば機械に負けっぱなし。いつの間にか人間は機械に完全に白旗を上げている状態になっていました。

 ・・といった対立、対抗、戦いの意識すらもうどこかに吹き飛んでいて、共存・共栄の時代になっていたわけですね。

 

★ぼくたちは機械に敗北した

 

 共存・共栄というと聞こえは良いけど、労働の場において、いわゆる「能力主義」を貫けば、この先、どんどん人間の出番は減り続けるでしょう。

 仕事は何倍もできる、コストは何割もかからない、となれば、どんな経営者でも――少なくても現在の資本主義社会で経済的利益を追求する組織の経営者なら――機械・ロボットを使って事業を行うでしょう。

 

 でも芸術とか創造的分野においては・・・という意見もあるでしょうが、現在のIT・ロボット技術の発展状況から考えると、絵や文章だってロボットが描く時代が来るのはそう遠い先のことではありません。

 過去の大作家や大芸術家のデータをインプットすれば、学習能力を持ったロボットはその資産から、新しい価値を持ったものを大量にクリエイトできるでしょう。

 そして以前も書きましたが、思いやりとか感情の豊かさという面でも、ロボットが人間を追い越していくのは時間の問題です。学習能力に優れ、ストレスに精神をやられないという強みは、医療や看護・介護の分野でも必要とされるでしょう。

 

 そうした状況になった時に、人間が機械より優れている理由を見つけ出せるのか?

 人間の存在価値はどこにあるのか?

 「てやんでぃ、べらぼうめ。こちとら人間でぃ!」と威勢よく啖呵を切れることはできるのか?

 

 ・・・・というわけで、またこのテーマでつづきを書きます。

 

 


0 コメント

魚のいない水族館:第2話

 

入館料は600円だった。

入口には何の断り書きもなかった。

これでは詐欺も同然だ。

けれども不思議と腹立たしい気持ちにはならない。

むしろこの空間は、今の自分に相応しいのではないか、と思ったくらいだ。

 

この夏、僕は失業していた。

春夏秋冬、僕はそれぞれの仕事を持っている。

夏の仕事は、子どもたちを海で遊ばせることだった。

打ち寄せる波と戯れたり、

波間でビーチボールを追い駆けたり、

シュノーケリングで魚といっしょに泳いだり、

岩場を這い回るカニを捕まえたり。

 

ある子どもはプカプカ波間に浮かぶ、円盤型の白いクラゲを捕まえてきては、

まるで石切りのように「クラゲ切り」をして見せた。

 

右手でクラゲのかさのへりをつかみ、腕を折り曲げて左胸に引き寄せる。

手首のスナップをきかせ、回転を付けて、水面すれすれに、平行に投げる。

 

クラゲはピッピッピッと10回近く跳ねて、小さなしぶきを上げならがら、水面を走っていく。

水平線に向かって走っていくその姿は、小人の宇宙人が乗りこんだUFOのようだ。

 

そして最後にスッと海中に沈む。

まるでUFOが宵闇の空に溶け手見えなくなるように。

同時に、ほっというクラゲの安堵のため息も聞こえてくる。

 

少年は自慢げに笑っている。

世界クラゲ切り大会があれば、チャンピオン候補だ。

子どもたちが歓声を上げ、われもわれもと「クラゲ切り」に夢中になる。

 

クラゲにとっては、このあたりに浮かんでいたのが運のつき。

いい迷惑だと思うが、意外とこのスリリングな体験を楽しんでいるのかもしれない。

クラゲの心はクラゲに訊いてみないとわからない。

 

子どもたちが海に入ってはしゃぐ姿を見るのは、

大人の僕にとってはとても楽しく、羨ましく、深い満足感を与えてくれた。

けれども子どもたちは当たり前のように成長して大人になる。

夏の海で遊ぶのなら、友だち同士、仲間同士、

あるいは若いボーイフレンドやガールフレンドといっしょのほうが

楽しいに決まっている。

こうして僕の夏の仕事は、自然と終わってしまった。

 

夏の仕事はやろうと思えば他にもあった。

芝刈りとか、雑草とりとか、盆踊りの後片付けとか、海水浴場のゴミ拾いとか。

だけどどれもやる気にならなかった。

 

仕事をしないことに少し負い目感を覚えることもあった。

だが、心配せずとも、秋になれば、秋の仕事が待っているのだ。

それまでしゃかりきになって働く必要はないだろう。

そう考えて、僕は失業したまま、ブラブラと散歩して夏をやり過ごすことにした。

 

下町の市場をぶらつくと、魚屋の軒先に何種類もの魚が並べられている。

中には盥や生簀の中で生きているのもいるが、ほとんどは死んで横たわっている。

盥や生簀の魚たちも食べられるために生かされている。

 

ふと、この魚たちはこの地球上に生まれてから、どんな遍歴でここまでたどり着いたのだろうかと考え始めた。

逆回ししてみるとわかりやすい。

まず、ここまで来るにはトラックに乗ってきたはずだ。

 

巨大な冷蔵庫を荷台に備えたトラックが、夜通し高速道路を走る。

その前は漁港だ。漁船から大きな網で無数の魚たちが引き上げられる。

漁船は港にたどり着く前、もちろん海の上を航行している。

 

僕が散歩した夏の暑い日、下町の魚屋の軒先に並べられた魚は、

もしかしら、ひどく後悔したかもしれない。

くそっ、あの群れの連中といっしょにいなければ、と。

 

群れて行動していたから、漁船の魚群探知機に知られてしまった。

ひとりぼっちでは生きられないことはわかっているが、

何か別の手立てはなかったのだろうか・・・。

 

僕はイメージを辿って魚の思考回路に入り込もうとしたが、

それ以上は魚屋の店先では無理だった。

僕だって魚を食べるのが好きだ。

刺身も、焼き魚も、煮つけも、ムニエルも、天ぷらも、フライも好物なので、

同情などして罪悪感を感じたりしたら大変だ。

思索するにもTPOというものがある。

 

やはり生きて水の中を泳いでいる魚を見なくては。

僕はそう思った。

目をキョロキョロさせ、口をパクパクさせ、背中と腹と尻尾の鰭をヒラヒラさせ、

全身の筋肉を張りつめたり、たゆませたりして泳ぐ魚の姿を。

そんな、まだ人間に捕まる前の、野生の魚のイメージを抱えて、

僕は足を水族館に向けた。

 

その水族館に行ったのは、遠い昔なので場所をはっきり憶えてない。

たどたどしい記憶をたぐり、バスを乗り継いで、やっとの思いでたどり着くことができた。

それなのに魚は一匹もいないとはどういうことだろう?

 

それでも僕はがっかりなどしなかった。

もともと大して期待していたわけではないし、

感動を求めていたわけでもない。

いわば、失業したなりゆきでここまで来てしまった。

ただ、心の中には「なぜいないのか?」という疑問だけが、グルグルと渦を巻く。

 

そうして頭の中をグルグルさせながら、

暗いプロムナードをゆっくり歩いていくと、依然として魚の姿は見当らないが、

人間の姿は一人だけ認めることができた。

 

ぱりっとした白い開襟シャツに、折り目の入った黒いズボン。

割ときちんとした身なりをして、黒々とした髪をバックにして、

ムースか何かでぴっちりとなでつけている。

客ではない。この水族館のスタッフに違いない。

それも身なりから察すると、責任者格ではないか。

僕はそう当たりをつけて、その男に尋ねてみた。

 

「あのぅ、魚は何処に行ったんですか?」

つづく

 


0 コメント

魚のいない水族館:第1話

 

その水族館には一匹も魚がいなかった。

光が届かない深い海を模した暗く静謐な空間に、

大きな水槽がいくつもいくつも、ただひっそりと眠るように並んでいる。

まるで水をたたえた棺桶のようだ。

 

むかし、北陸のどこかの町で「魚のいない水族館」というのがあったことを

インターネット検索で知った。

そこでは水槽を模したモニターを館内に並べ、

コンピュータを使って、いろいろな魚のホログラム映像を見せていたらしい。

 

物珍しさに加えて、

「魚のいない水族館」という、ちょっとミステリアスなでロマンティックで、

好奇心をくすぐる名前が特別な印象を残した。

開館当初はけっこう大勢、お客が押し寄せたらしい。

けれども、飽きられるのも早かった。

3年も経たないうちに閉鎖してしまったそうだ。

 

その話を読んで、僕はいつも行く歯医者の待合室のことを思い浮かべた。、

30インチほどのモニターに、目が覚めるような鮮やかな青が映し出される。

 

水中に光が存分に届いているということは、

空との距離はそう遠くない。

僕だって潜ろうと思えば、潜ることのできる、危険の少ない海だ。

 

水中を美しい魚たちがゆったりと泳ぐ。

映像からは音はいっさい聴こえてこない。

けれども魚たちの、色とりどりの筋肉がリズミカルに、しなうように動くと、

水の流れと調和して、耳に届かない音楽を奏でているように見える。

午後のひと時のけだるさの中で、

ぼんやりとその音楽を眺めていると、脳が解きほぐされるようだ。

そんな気持ちになったことを思い出した。

 

ときほぐされた脳は、ひとしきり、歯医者の魚の映像の味を堪能すると、

インターネット上の「魚のいない水族館」に戻っていく。

そして、件の情報の価値を検証する。

 

あれと大差ないものを北陸まで行って、お金を払って見る気になるか?

そんな問いかけがやってくるが、答は即座に「いいえ」だ。

結論がむっくりと海底の砂から頭をもたげる。

やっぱり水族館には本物の水と魚がなくてはダメだ。

 

こにには水だけがあって魚がいない。

魚だけではない。

人もいない。

入館チケットは自動販売機で買うし、入館の際も自動改札機で処理する。

館内はしんと静まり返っていて、客もスタッフも誰もいなかった。

水槽内の酸素吸入ポンプのコポコポコポという音だけが響いている。

 

入館料は600円だった。

入口には何の断り書きもなかった。

これでは詐欺も同然だ。

けれども不思議と腹立たしい気持ちにはならない。

むしろこの空間は、今の自分に相応しいのではないか、

と思ったくらいだ。

つづく

 


0 コメント

終戦記念日はいつから始まったのか?

 

今年で戦後74年。

敗戦を認め、国民に知らせる昭和天皇の玉音放送が流れたのが

1945(昭和20)年8月5日。

「終戦記念日」というのはその翌年の1946(昭和21)年が第1回だ。

だから今年は73回目の終戦記念日ということになる。

 

けれども、戦直後、GHQが進駐していた時代や、戦後の復興時代、

さらには高度経済成長の時代まで、

今日のように各地で式典が行われ、マスメディアがこぞって放送し、

全国民が(いちおう)認識する「終戦記念日」なるものは存在してなかった。

 

ではそれは「いつから「存在」するようになったのか?

ウィキペディアによると、法律的には、

 

1963年5月14日の閣議決定(第2次池田第2次改造内閣)により

同年から8月15日に政府主催で全国戦没者追悼式が行われるようになり、

1965年からは東京都千代田区の日本武道館で開催された。

 

とある。さらに、

 

1982年4月13日、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とすることが

閣議決定された(鈴木善幸改造内閣)。

現在ではこの閣議決定に基づいて毎年8月15日に全国戦没者追悼式が行われている。

 

1982年は昭和57年、僕は22歳だった。

戦後37年。終戦記念日としては36回目。

しかし、法的にはこの時が第1回目といえるのかも知れない。

 

そんな最近のことだったんだ、とちょっと驚き。

 

僕が子供の頃は、マンガでもオモチャでもテレビでも映画でも、

第2次世界大戦、太平洋戦争を素材としたものが溢れていた。

 

そうした「デフォルメされた第2次世界大戦、太平洋戦争」

を体験してきた僕たちが大人になったころ、

やっと「終戦記念日」が確立された感がある。

 

令和天皇も僕と同い年だ。

平和を祈る心に変わりはないが、

戦争を間接的にしか知らない世代に渡され、

8月5日が意味するものはこの先、だいぶ変っていくだろう。

 


0 コメント

海から山への旅

 

むかし、人は魚だった。

故郷の海に還ろう。

 

なんてセリフやコピーをよく書いてきたが、

自分自身はたいして海が好きなわけじゃない。

 

ギリシャの島に10日ほど滞在して

「太陽がいっぱい」気分を味わったこともあるし、

グァムや沖縄でスキンダイビングをしたこともある。

海は輝いていて美しかった。

 

息子が生まれてからは毎年、彼の友だちなども

まとめて引き連れて、湘南や横須賀まで行っていた。

子どもらが喜び、はしゃぐのを見るのは楽しかった。

それも彼が小学5年生の時まで。

 

以来、楽しさよりも

面倒臭さや、砂でジャリジャリしたり、

潮でべたべたするイメージが先に来て、

少なくとも海で遊びたいという気にならない。

 

カミさんも若い時分はバリ島に行ったり、

グァムやハワイに連れてけとか言ってたけど、

最近はまったく聞かなくなった。

 

僕らは海を卒業してしまったのかも知れない、と思う。

そしてもしかしたら、

人というのはある程度年を取ると、

海よりも山に向かうのではないかという気がする。

 

イメージ的にも、漁師さんや船乗りなど、

職業としている人はべつとして、

海は子どもや若者に似つかわしく、

それに対して、山は年長者に似つかわしいイメージがある。

 

人間は他の生きものと同じく、海より生まれ、

はるかな陸地を旅して、

やがて天上にある神の世界を目指して山に登る。

 

人はむかし魚だった。

海から陸に上がり、蛇のごとく地を這い、

鳥になって高き山へ向って飛ぶ。

なんとなく進化論。

 


0 コメント

あんまり期待はしないけど、中身スカスカの自己啓発本よりは そこそこ楽しそうなバッティングセンター

 

義父の新盆。

西武線に乗って所沢にある霊園へ墓参りに出かけた。

 

電車の車内には相変らず、

人生に、健康に、仕事に、勉強に、幸福に、

何にでもよく効く「ホニャララ○○法」だの、

「フニャリリメソッド」だの、

「ヘレホレトレーニング」といった自己啓発本の

中吊りポスターがいやでも目に入る。

 

「こんな方法、もっと早く知りたかった!」

という絶賛の嵐付き。

 

そこに書かれている内容のポイントを見れば、

「あなたの常識は間違ってる」といった意味合いの

ことが箇条書きで陳列。

 

この本を読んで、この方法さえ知れば、

いかに努力せず、面倒なく、ラクに、簡単に、

健康になり、仕事や勉強が上手くいき、幸福になって、

人生の成功を手に入れられるかを喧伝している。

 

「時間とお金の無駄遣いなので、こんなもの読まんよ」

と思っている僕のようなひねくれ者に対しては、

「あなたは大事なチャンスを失うつもりですか?」

と、脅しをかけてくる。

 

で、本を読んだだけじゃわかんないでしょうから、

何万円、何十万円のナンチャラセミナーへ

お越しください、という寸法。

 

いったいいつまでこういう中身スカスカの

自己啓発商売は成り立つのだろう?

 

と思って、隅の方を見ると、可愛い絵柄のポスター。

 

「西武新宿駅北口より“頑張れば”すぐ」のオスローバッティングセンターだ。

 

「あさからよるまで“だいたい”やってるよ」

 

「あんまり期待はしないでね」

 

「そこそこ楽しいよ」

 

「たまには来てね」

 

「目指せ“だいたい”世界一」

 

アバウトで、身の丈に合ってて、

暑苦しくないセリフが

涼やかな風とともに心にしみいります。

 

あんまし野球に興味ないので、

これまでバッティングセンターって、

かなり若い頃に2~3度行ったきりだけど、

このオスローバッティングセンターには

今度行ってみようかな、という気になりました。

 

でも、腰をひねると腰痛が再発しそうなのでやめとこ。

 


0 コメント

アポトーシスによって消失するオタマジャクシの尻尾と、 これからの人間の進化のパラドックス

 

「ちぢむ男」の話を考えていて、

「アポトーシス (apoptosis)」という言葉に出会った。

 

ウィキペディアによれば、

これは人間を含む多細胞生物の体を構成する細胞の死に方の一種。

個体をより良い状態に保つために積極的に引き起こされる、

管理・調節された細胞の自殺すなわちプログラムされた細胞死のこと――なのだそうだ。

 

細胞の自殺だの、プログラムされた細胞死だの、何やら小難しく、

不穏なイメージの説明が並ぶが、

いちばんわかりやすいのはオタマジャクシからカエルへの変貌だ。

 

それまで水中では必要だった尻尾が、

陸上に上がる際に消えてなくなるメカニズム。

 

あるいは、人間の手足の指。

母親の胎内では当初、指の間が埋まった、

肉団子のような状態で形成される。

 

それが胎児の成長とともに、

アポトーシスの作用で指の間の細胞が死滅する。

それによって複雑な動きを持つ指が完成するのだ。

 

そういえば南米には

体長20センチにも及ぶ世界最大のオタマジャクシがいるそうだ。

 

こいつがカエルになったら、どんだけデカい、化け物になるんだ?

と思わせるが、

不思議なことにカエルになると、4分の1程度の大きさ――

せいぜいトノサマガエルくらいになってしまうそうだ。

 

子どもよりも大人の方が小さいこのカエル、

和名はベたなアベコベガエル、

英名はパラドックスフロッグ。

なんだか新たな思想を生みだしそうなカエルである。

 

われわれの祖先であるほ乳類も、

大きくなり過ぎた恐竜の絶滅を目の当たりにして(?)、

巨大化をやめ、縮小する道を選んだ。

 

言ってみれば、コンパクトになることによって進化し、

環境の変化を克服し、

地球上で繁栄できるようになった。

これもまたアポトーシスの原理が作用したことになるのか?

 

また、コンピュータをはじめ、多くの機械は小さくなることによって

進化を遂げている。

 

物質的な豊かさを享受できるようになった先進国の人間は、

もう人生の多くのことに満足している。

 

恐れるのは手に入れたものを「失うこと」であり、

そのためたくさんの無駄なものまで抱え込む習性ができた。

もうこれ以上は抱えきれない。

そこで地球の意志なのか、アポトーシスが働く。

 

人間の身体も、あるいは脳も、縮小、あるいはある部分が

消失することによって、

地球環境に合うように進化していく・・・

 

そんな妄想に囚われ始めている。

 


0 コメント

最後の核兵器

 

「長崎市への原子爆弾投下」について、

ウィキペディアで調べると、

「アメリカ軍が日本の長崎県長崎市に対して投下した、

人類史上実戦で使用された最後の核兵器である」

と記されている。

最終更新は今日の日付。

 

「最後の核兵器」という言葉が胸をえぐる。

誰が書いたのか知らないが、そこには何か深い思い、

何か劇的なニュアンスが含まれている。

 

この「最後の核兵器」は、

3日前、広島に落とされた「最初の核兵器」の

1・5倍の威力を持っていたと言われる。

 

それでも広島より被害が少なくて済んだのは、

長崎市は周りが山で囲まれていたため、

熱線や爆風が山によって遮断されたから。

 

と言っても、死者は推定7万4千人。

建物は約36%が全焼または全半壊。

 

厳密に言えば「最後」の前に、

「今のところ」とか「現時点では」という前提条件がつく。

 

けれども本当に、最後の最後であってほしい。

 

そして本当に長崎の原爆を「最後の核兵器」にするのは、

僕たち一人一人の生き方だと思う。

 


0 コメント

サスティナブルなゲゲゲの鬼太郎

 

6月ごろから気になっていたが、

なぜだか今年の熱中症予防の啓蒙ポスターは、

「ゲゲゲの鬼太郎」だ。

 

僕らの子どもの頃のマンガヒーローが

軒並み廃れた中で、

唯一、鬼太郎だけは生き残っている。

 

祖先の霊毛で編んだちゃんちゃんこのおかげか?

 

かつては端役だったねこ娘は、

ほとんど鬼太郎と肩を並べる主役級。

 

原作では興奮すると、口が耳まで裂けて、

まさしく化け猫といった強烈キャラだったが、

すっかり洗練されてお嬢さんっぽくなった。

 

いまや、ネコは怪談話の似合う怪しい動物でなく、

可愛い女の子の化身のような存在である。

「ねこ娘」と呼ばれたら、

女の子はみんな喜んじゃうんだろう。

 

この間の日曜の朝、テレビをつけていたら

ちょうど「鬼太郎」をやっていた。

 

主題歌は変わらないのだが、歌っているのは

なんと氷川きよしだ。

 

内容は、ねずみ男がたまたま山の中で出会った縄文人を

SNSに載せて、いいね!をいっぱいもらってガバガバ稼ぐ。

それに対して、ブランドものに身を包み、

「オーッホッホッホ」と高笑いしている

SNSのカリスマみたいな女が対抗意識を燃やして、

なんとか縄文人をつぶして、

自分が「いいねランキング」のトップに立とうとする・・・

といった内容。

結構面白くて、つい最後まで見てしまった。

 

昔の鬼太郎は、人間を脅かしたり、社会に脅威を与える

悪い妖怪を鬼太郎がやっつけると言うのが

基本パターンだったが、

この回を見る限り、まったく逆パターン。

おぞましい妖怪は人間の方である。

 

水木しげる先生の原作の中でも、

妖怪を通して人間社会を風刺するエピソード、

科学文明を批判するエピソードがいくつもあったが、

現代ではそっちの方がメインになりそうだ。

 

まさしく鬼太郎はサスティナブルなマンガになった。

 


74年前の原爆と47年前のアトムズと原子力の今日

 

広島原爆の日。

テレビでは例年のごとく、原爆ドームの映像が映し出される。

 

べつに自分には何の責任もないよと思うけど、

同時になぜか、どこかの誰かから問いかけられている気がする。

 

おまえ、クーラー効いた部屋で、のうのうとテレビ見ていいの?

74年前のこと、もちろん、おまえの生まれる前のことだけどさ、

ここに原爆落とされたんよ。

何万人も死んだんよ。

その時は死ななかったけど、

後遺症で死んだり、病気で何年も苦しんだ人が大勢いるんよ。

それなのに、おまえ、そういうこと何も考えずに、

のうのうと生きていいの?

 

そんなことを詰問してくるのは

いったい誰なのかわからない。

はっきり言ってめちゃくちゃうざい。

でも、耳を塞げないのだ。

 

なので、何かこれと言って行動するわけじゃないけど、

少しは原爆のことを考えようと思う。

 

で、考えていたら、

なぜかアトムズというプロ野球チームのことを思い出した。

 

そう、アトムズというチームがかつてあった。

47年ほど昔のことだ。

前身は国鉄スワローズ。現在はヤクルトスワローズ。

 

ユニフォームの肩の所に鉄腕アトムのワッペンが貼ってあった。

1960年代後半から1970年代はじめのこと。

野球マンガ「巨人の星」の時代だ。

中日球場に中日対アトムズ戦を観に行って、

ロバーツというアトムズの4番の選手が

ホームランを打ったのを憶えている。

 

当時、「アトム」とか「原子力」は未来を象徴するキーワードだった。

膨大な戦争被害を生み出した原爆は悪だ。

だが原子力自体は人類の可能性を切り開く、素晴らしいものだ。

 

未来の日本を背負って立つ子どもたち(つまり当時の僕たち)よ、

原子力の平和利用。有効利用を考えるのが君たちの務めだ――

と言われていたような気がする。

 

それから時を経て、「アトム」も「原子力」も、

世界の経済大国にのし上がった日本の過去の栄光とともに

すっかり20世紀の遺物と化した。

とどめはもちろん3・11だ。

 

福島原発のあった地域で「原子力 明るい未来のエネルギー」という

看板が掛かっていた。

 

その標語があまりにもアイロニカルで恥辱的で

脳裏にこびりついて離れない。

 

「原子力」の輝きは失われたが、

僕たちを猛暑から解放し、熱中症から救うエアコンも、

原爆ドームと平和記念公園を映し出すテレビも、

このブログを書いているパソコンも、

動力の源には、やっぱり原子力から生まれる電気が

混じっているんじゃないの?

 

おまえ、そんなことも見て見ぬふりして、

のうのうとしていていいの?

 

また、どこかの誰かが問い詰めてくる。

 

戦争の怖ろしさはもちろんだが、

74年前の原爆の中には、さらに多くのメッセージが含まれている。

それは19世紀からこっちの

人類の科学文明全般に対する審判かも知れない。

 


0 コメント

令和元年阿佐ヶ谷七夕祭り

 

義母を連れて阿佐ヶ谷の七夕祭りへ。

朝早めに行ったので、まだそんなに混雑してなくて、

ゆっくりとお散歩できた。

 

面白かったのが、昭和29年からの過去65年の写真展。

昭和30年(第2回)は時計屋やワイシャツ・ネクタイなどが

飾りになっていて、

なんとなく「高度経済成長」「モーレツ社員」といった

キーワードが思い浮かぶ。

 

お気に入りだったのは昭和55年の

不二家のペコちゃん・ポコちゃんの織姫・彦星。

 

この頃からキャラクターのハリボテが増えたのか、

平成以降はすっかりアニメキャラ中心になっている。

 

たったこれだけの写真でも時代の流れがわかるものだ。

 

義母は露店で売っているものを目にして、

「あれ食べたい」「あれ買いたい」と

子どもみたいに言うので、

ターキーレッグやわらび餅など、

いろいろお土産を買って帰った。

 

家に帰って、昼食用に食卓に広げる。

「これお母さんが欲しいと言ったから買ったんだよ」

と言うと、

「そんなこと言ったっけ?」

というオトボケぶり。

ってか、もうすっかり忘れてる。

 

で、撮った写真を見せると、

「わーすごい」「わーきれい」などと喜んでいる。

 

「今度は高円寺の阿波踊りに行きましょう」

というと、

「わー、連れてってくれるの。うれしい!」

 

いちおう、喜んでくれたり、楽しみにしてくれたりするので

いいんあだろうなぁ。

それもまた、ちょっと後には忘れてるんだろうけど。

 


0 コメント

人生、飽きてからが本番

 

アキが来た。

 

と言うと、日本全国、このクソ暑いのに、

ボケてるのか?

熱中症になったのかと言われそぅだが、

そうではない。

 

秋ではない。

“飽き”が来た。

 

仕事に飽きた。

人間に飽きた。

人生に飽きた。

 

うーむ、やっぱり暑さのせいか。

実は、定期的に、ザザザザと

遠浅の海の砂浜に

寄せる波のようにやってくる。

 

仕事も人間も人生も、

もうアキアキだ。

 

でもね、どれも

楽しんでいるうちはまだまだ。

 

飽きてからが勝負。

飽きた後が本番。

 

そういえば誰だったか、

「セックスレスになってからが本物の夫婦」

と言っていたのを思い出した。

 

けだし名言。

 

というわけで猛暑中お見舞い申しげます。

 

ぼちぼち頑張りましょう。

 

早く秋が来ることを祈りつつ。

 


0 コメント

いい大人が恥ずかしい電車内・ホームの暴力

 

電車内やホームでの暴力に対する

キャンペーンのポスターを

よく見かけるようになった。

 

このキャンペーンは2014年の暮れから

毎年7月と12月、年2回やっているそうだ。

 

じつは20年以上前、5年にわたって

関東私鉄協会のビデオを作っていたことがある。

 

内容は、勤務中・作業中の鉄道会社社員の

安全に対する注意を啓発するものだ。

 

その中に乗客による、車掌や駅員に対する

暴力への対処の仕方というのもあった。

 

いろんなケースの事例メモを戴いて

台本を作る。

 

注意したり、寝ているところを

起こそうとして殴られたとか、

 

乗客同士のケンカを仲介しようとして

袋叩きにあったとか、

 

そのメモに書かれている、

あまりに理不尽な暴力の実態を見て、

 

「なんで我慢しなきゃいけないの?

正当防衛はできないんですか?」

 

と、思わず意見してしまった覚えがある。

 

とにかく、やられ放題、言われ放題。

乗客のストレスのはけ口にされている。

 

お客様だから手を出せない

というのがクライアントさんの答だった。

 

その実情は四半世紀の間、

まったく変わっていなかったようだ。

 

この電車内暴力の問題、

ほとんど酔っぱらいの仕業だろうと思っていたが、

2割くらいは素面の人が起こしているらしい。

 

そこでピンときた。

2014年からキャンペーンという形で復活したのは、

スマホの普及が関係しているかも知れない。

 

そんな予測を立てて、

総務省の情報通信白書のデータを見ると、

安の定、2011年に29・3%だった保有率は、

2012年に49・5%、2013年には62・6%に

跳ね上がっていた。

 

通路の狭い所や混んでいる所で

ちんたら歩きスマホをしている人がいると、

急いでいても前に進めない。

これは相当イラつく。

 

また、せっかく乗換案内を検索して、

ちゃんと乗り換えプランを立てて乗ったのに、

事故や故障で電車が遅れたりすると、

これもまたイラつく。

 

おまけにイヤな情報がその場で入ってきたりすると、

ますますイラつく。

 

 

それが乗客同士のトラブルに発展したり、

駅員や車掌に対する暴力になったりしているのではないか。

 

ちょっとこじつけすぎ?

 

もちろん正確な因果関係は分からないけど、

何かしらの影響はあるんじゃないかと思う。

 

狭い車内に閉じ込められているストレスと、

普段から感じているストレスが融合して

つらい状態になってるけど、

このポスターに書いてあるように

大人なら当たり前のこと守らないとね。

 

と言いつつ、今日も歩きスマホのご婦人が

前を歩いてたせいで、1本乗り損なってしまい、

「おまえのせいで~ ムカムカ」と、

心の中でキレましたが。

 

電車に乗る時は、時間と心に余裕を持ちましょう。

忙しいし、難しいんだけど。

 


0 コメント

住所変更で、銀行の変貌ぶりをリアル体験

 

この前、銀行の受付に行ったのは

確か昨年4月のこと。

うっかり財布を置き忘れて

カードをみんなキャンセルした。

そこで再発行の手続きに行ったのだ。

 

以来、1年余り。

銀行に行くときは

入ってすぐのATMしか使わないので、

中の様子には無頓着だった。

 

で先日、引っ越ししたので

住所変更に訪れたら、びっくり。

ぜんぜん人がいない。

 

あのワイワイ賑やかで、

一種の社交場のようでもあった

銀行の面影は

まったく消え失せている。

 

無人化のニュースは聴いていたが、

情報として知っているのと、

リアルに現場を体験するのとでは

大違いだ。

 

メインで使っているA銀行では、

一応、身分証を見せて

受付の生き残り?のお姉さんが

住所を確認。

 

その後、奥に通されて

大学出たばっかみたいな、

自分の娘みたいな女の子と

差し向かいで、

端末にあれこれ入力。

 

何度か名前を書き入れて登録すれば、

機械で筆跡確認できるので、

もはやハンコも必要ないと言う。

 

住所変更手続きと同時に

スマホアプリを入れて、

ATMに来なくてもOKになった。

 

アプリで収入・支出の確認もでき、

振り込みも振替も

残高管理ができてしまうので

もはや通帳さえも

必需品じゃなくなったとのこと。

 

「やめますか?」

と聞かれたが、

記帳という古代の習慣が

身についてしまっているので、

さすがに手放せなかった。

 

 

サブメインのB銀行では

さらに進んでいて?

案内のお姉さんに

「こちらでどうぞ」と

無人ブースに通された。

端末画面と向かい合って

新しい住所を入力・

登録して終わり。

 

こちらは身分証もハンコも

まったく必要なし。

最期にジジジと機会が作動して

本日の変更事項が

プリントアウトされて出てきて、

一丁上がり、という感じ。

 

これまでの銀行のイメージが

急速に過去のものになっていく。

 

こんなことに感心しているのは。

相当時代遅れなんだろう。

 

ATMコーナーで

銀行員を呼びつけて

怒鳴ってるおっさん。

 

使い方がわからなくて

おろおろしているばあちゃん。

 

普段、そんな人たちを見ていて、

それが当たり前の銀行の風景のように

思っていたが、

これらも遠からず、

「なつかしい昭和・平成の風景」

になるのだろう。

 

そして、自分もあのATM族の

ひとりであったことを再確認。

 

お金とのつきあい方は

どんどん変っていく。

 

それでもまだニコニコ現金払いが好き、

というか、やっぱ安心してしまうんだけど。

 


0 コメント

れいわ新撰組の革命第一歩

 

旧民主党による政権交代劇からかれこれ10年。

チャンスをもらった民主党の

あまりのダメさ加減。

そしてハンパない国民のがっかり感。

裏切られ感。

 

「なんだ、何もできないじゃんか」

「なんだ、何も変わらないじゃんか」

 

おまけにたび重なる内輪もめ・仲間割れ。

「和」を尊ぶ国民の目には

醜態に映った。

 

そのトラウマのせいで

国民は現状維持を希求してしまった。

 

「現状維持希望」はその時始まったことではないけど、

民主党政権に対するがっかり感は

あまりに深い傷になった。

 

人間は基本的になまけものだ。

大して良い現状でなくても、

変化することで面倒くさい思いをするくらいなら、

現状維持のほうを選んでしまう。

 

というわけで、

半ばあきらめの気持ちで、

自民党・安倍首相という選択肢を選場ざるを得ず、

無気力にだらだらと6年半の月日が流れた。

 

今回の参院選もその延長戦上で白けきったものになっていた。

選挙民のその無気力な空気を切り裂いたのが

「れいわ新撰組」だったと思う。

 

今日、当選した二人の重度身体障がい者議員のために

国会の場を物理的に改造しなくてはならないというニュースを見て

一つの「革命」を感じた。

 

れいわ新撰組は、本当に日本を変える。

変えられるかも知れない。

結局、自民党の分派に過ぎなかった旧民主党とは明らかに違う。

自民党と同じくらいダラダラしている既存野党とも明らかに違う。

 

ネット上で改めて、今回の選挙時のれいわ新撰組の動画を見てみる。

代表・山本太郎氏の言葉は、

この政党を作る以前は上滑りしていたように感じたが、

今回のは違っている。

 

二人の重度身体障がい者をはじめ、

立候補者に対する責任と、

選挙民に対する信頼感。

それらが言葉に厚みを与え、心に響く。

彼はこれから本気で政権を奪いに行くだろう。

 

政治にわくわくするものを感じたのは久しぶり――

というか、初めてかもしれない。

 

まだほんのわずかだが

れいわ新撰組は日本人の心に希望の灯をともした。

これからこの小さな灯が消えてしまうか、

大きく燃え上がるかは、僕たち次第である。

 


0 コメント

“稼ぐ”という言葉と稲作物語

 

神田昌典氏の本の中に

「“稼ぐ”という言葉の中には

稲が育つまでの物語が織り込まれている」

との記述があり、とても心に響いた。

 

土を耕し、種をまき、苗を育て、

田に植え、稲穂が実り、

黄金色に輝き、収穫する。

 

そうした自然の流れと

人の生業から生まれた言葉が「稼ぐ」。

 

禾編に家。

家族に糧をもたらすイメージもある。

 

また、収穫した稲を神さまに奉納する

ことも考えあわせると、

その地域全体を富ませるイメージもある。

 

今までちょっと「稼ぎ」「稼ぐ」を

誤解していたような気持ちになった。

 

経済やらビジネスやらと聞くと、

僕たちひとりひとりと

はるかかけ離れたところで動く、

無機質な巨大システムとか、

なんちゃらマシンみたいなものを想起する。

 

だけど、稲作の物語のイメージをまとった

「稼ぎ」「稼ぐ」を口にすると、

お金を稼ぐ行為が、

田畑を耕すイメージに繋がって

とてもヒューマンで

晴れやかな行為のように感じられる。

 

強制的に収穫を上げるために、

農薬や化学肥料をやり過ぎて

痛めつけてしまった田畑。

 

僕たちは今、未来へ向けて

それらの田畑を耕している。

 


0 コメント

川床の七夕の夢

 

今朝はどういうわけか七夕の夢を見た。

澄んだ美しい風景だった。

水辺――どこかの川、涼やかな清流だ。

川床が置かれ、その上に七夕飾りが飾られている。

 

姿は見えないが、どこからか織姫さんらしき

女の子の声がして、

 

「また仙台の七夕祭りに来てね」と誘っている。

 

仙台の七夕祭りに行ったのはもう40年も昔の話だ。

いろんな思い出と重なって

ひどく懐かしい気分に浸ってしまう。

 

こんな夢を見たのは、

先日、義母といっしょに

近所の大宮八幡宮で

平安時代の七夕飾りを目にしたせいかもしれない。

 

夢の風景はそのまままぶたに貼り付き、

目が覚めてもそのまましばらまどろんでいた。

 

耳を澄ますとサラサラと水の流れる音が聞こえてくる。

まるで時のせせらぎのように響き、耳を潤す。

 

杉並に義母を連れてきた理由の一つには、

いろいろお祭りに連れてってあげたいと思ったからだ。

 

仙台まで連れて行くのは難儀だが、

阿佐ヶ谷の七夕ならバスに乗って15分で行ける。

 

すっかりでかくなってしまった息子が

まだチビだった頃は、

毎年、楽しみしていたが、

ここのところ、すっかり足が遠ざかっていた。

 

今度は子どもに戻った義母が

喜んでくれえばいいなと思う。

 


0 コメント

京都アニメ放火殺人事件:オレのオリジナルという幻想と、パクられるという妄想

 

人は誰でも創造的で

アーティストの素養を持っている。

が、そこにこだわり過ぎると、

あらぬ妄想のとりこになってしまう。

 

「パクリやがって」

とは、いったいどう響くセリフだったのだろう?

 

自分も大やけどを負い、

倒れて意識を失う直前だったのだから、

よほど強烈な恨みを込めて叫んだのに違いない。

 

京都アニメーションの放火殺人犯に

同情するつもりも、弁護するつもりも全くない。

だけど気になるのだ。

 

あれほどの凶行に及んだ動機は

一体なんだったのだろう?

 

京都アニメに勤めたこともないし、

小説なりマンガなり、

自分の創作作品を公の場に出したこともないようだ。

 

少なくとも僕の知る限り、

そうした報道はされていない。

 

 

以前、シナリオライター講座に

通っていたことがある。

そこへ行くと、

 

「オレのアイデアがあのドラマでやられちまった」とか、

 

ほとんど同じプロットのストーリーを作られたとか、

 

あそこの局で企画を募集しているが、

あれは全部落選させて、

いいとこをみんなパクるんだ。

汚ねえ。

 

なんて話が、受講生の間で毎週、飛び交っていた。

 

いわゆる広告クリエイティブの世界でも、

デザインや文章をパクった・パクられた

という話は日常的に聞く。

 

また、世間に名の知れた有名作家の多くは、

初めて会う人から

 

「わたしをモデルにして書いたわね」とか、

 

「おれの人生を勝手に無断で話にしただろう」

 

とか、まったく身に覚えのない言いがかりを

つけられることがよくあるらしい。

 

かくも創作者の界隈は、そうした

「わたしは世界で一つだけの花妄想」

「ぼくの作品はスペシャル・ユニーク・オリジナル妄想」を、

集塵機のように引き寄せてしまう。

 

これだけインターネットが発達した時代だ。

小説、映画、マンガ、アニメ、音楽――

古今東西のいろんな分野のエンタメが、

誰でも手軽に、自由に楽しめるようになると、

いろんな作品の影響・刺激を受ける。

そこからクリエイターの道に入る人も

大勢いる。

 

しかし、これだけ古今東西の

創作物に関するデータが蓄積され、

そこへアクセスするのも容易になると、

世間に広く受け入れられる、

いわゆる「売れ筋パターン」が定着してくる。

 

売れるストーリー、キャラクター、メッセージ。

音楽ならメロディ、リズム、歌唱法。

 

また、「売りたいならこうするべきだ」といった

ノウハウ・法則なるものも広く伝搬する。

 

こうした要素がミックスアップされると、

どこまでが他から影響された部分で、

どこからが自分のオリジナルなのか、

わけがわからなくなってしまうのではないだろうか。

 

そしてヒット作が生まれると、

 

あれはオレが考えていたアイデア=

あいつらはそれをパクって大儲けしている。

 

といった妄想に囚われる人たちが

大量発生するのではないだろうか。

 

犯人の男が実際に創作活動をしていたのかどうか、

定かでない。、

頭の中で考えていただけという可能性は

十分にある。

 

京都アニメのある作品が、

彼が構想していたそのストーリーと

共通する部分を持っていると気づいた時、

これはパクられたのだと

脳が自動的に変換してしまったのではないか。

そんな気がする。

 

さまざまな奇行が多かったことも

考えあわせると、

自分の上手くいかない人生に対する

忸怩たる思いも堆積していたのだろう。

 

それらが混ざり合って、

絶望感と破壊衝動が生まれてしまったのか?

 

誰もがたやすく妄想の世界に浸れる時代。

しかし、24時間、365日、バーチャルな世界に

浸って生活することはできない。

あなたも僕も、腹が減って何か食べたり、

それ以上の頻度でトイレにも行く。

 

そして普通は働いてお金を稼ぎ、

家賃なりローンなりを払って家に住み、

光熱費や、ネット・電話を使うためにも支払いをする。

 

そうしたリアルな日常の細事を

バカにしていると、妄想で人生そのものが狂いかねない。

 

さえないリアルを人のせいにしたり、

あらぬ言いがかりを付けたり、

ましてや、こんなひどい事件を

起こしたりしない限り、

空想・幻想・妄想を膨らませるのは、

どこまでも自由だと思うのだけど。

 


0 コメント

世界は代筆でできている

 

僕たちが生きているこの世界――

人間が社会を作り、

国家を作り、

文化を作ってきたほとんどの部分は

代筆でできている。

 

今日のようなメディアができる以前から、

歴史上の有名な人物が何をした、何を言った、

ということの99パーセントは、

無名の、どこかの誰かが、

その有名人に代って代筆し、

後世に残したものだ。

 

というわけで、

代筆業をやっていると言うと、

どうやったら始められるのか?

と聞かれることがある。

 

これについては何とも言いようがない。

ホームページでも、ブログでも、SNSでも

なんでもいいから、公開された場で

「私、代筆やります」と書いて宣伝するだけだ。

 

もちろん、会った人に直接言えるのなら、

それに越したことはない。

 

あとは待ち。

かなり運が良ければ、

これだけで何か仕事が来るかも知れない。

 

が、普通はダメだろうから、

自分がどれだけの文章が書けるのか、

あれこれアピールする。

 

そういう意味では、今は昔と違い、

インターネットを使えば

自由にいくらでもアピールできるから

いい時代になった。

 

でもやっぱり一本釣りは難しいから、

現実的には、どこかのメディアに入って

取材記事を書いてみて実績を作るのが早道だ。

 

 

代筆業と聞くと多くの人は、

芸能人や経営者などの本の、

いわゆるゴーストライターを想起する。

 

でも僕が思うに、インタビュー取材などをして

ウェブサイトや雑誌などの記事を

書くのも、みんな代筆だ。

 

自分が思っていること・

考えていることを

自分で、人に伝わる文章に書き表す。

 

みんな、それをやろうとするが、

これがそう簡単ではない。

 

自分では、自分の顔も体全体も

見ることができない。

鏡がないとどうにもならない。

 

そういう意味では代筆ライターは、

クライアントにとって一種の鏡である。

 

僕も取材して記事を書くと、

 

「私はこういう人間だったんだ」

「うちはこういう会社だったのか」

「わたしたちは、こういう仕事をしているんですね」

などと言われることが多々ある。

 

文章が読みやすくなるよう前後を整えたり、

専門用語がわかりやすくなるよう

解説を加えることもあるが、

基本的にはその人が話したことを

そのまま書くだけなのだが。

 

ただ、そう単純でないのは、、

その相手との信頼関係が、

インタビュー中のやりとりに、

そして出来上がった原稿の文章に

如実に反映されてしまうということ。

 

だから代筆業で最も大事な点は、

文章力とか理解力とか、そういうことではなく、

いかに相手と短時間で良い関係が築けるかだ。

 

リアルな取材なら、

インタビュー現場の雰囲気を

できるだけ楽しく盛り上げ、

インタビューそのものを

エキサイティングなイベントにする。

 

電話取材やメール取材の場合は、

事前に話の流れを作って、

できたら台本を準備しておいて、

その上で進めるなどの工夫をする。

 

こうした下ごしらえが、

代筆業の仕事の

8割以上を占める。

 

てなわけで、今日は野菜栽培を研究している

ご高齢の先生の農園を訪ねて取材した。

 

楽しかったが、なかなか大変だった。

 

どれだけ経験を積んでも、

以前やったことと同じパターンを使って

うまくいくことは一度もない。

 

さすがにこの分野にはAIライターは

まだ進出してこれそうにない。

めんどくさいけど、人間にしかできない仕事。

志のある人はどうぞ、

世界を作る仕事においでください。

 


0 コメント

金魚の集中力は人間以上

 

「金魚の集中力は人間以上なのだ」

と言うと、「アホぬかせ、んなわけねーだろ!」

と思うだろうか?

 

2015年の時点で、

人間が集中力を持続できる時間は8秒、

対して金魚の集中時間は9秒。

 

僕はこの話を聞いて、さっそく金魚を観察しようとした。

しかし、残念ながら、

今、うちには金魚はいない。

 

そこでかつて自分が飼っていた

歴代の金魚たちを記憶の底から釣り上げてきた。

 

彼らは9秒間、集中できていたのだろうか?

金魚の目が何秒間か、じっと何かを見つめている。

そして目を動かし、体の向きを変える。

そこまでは思い出せるが・・・

 

でも、金魚が集中するのって何に?

 

あ、向こうから仲間が来る。

このまままっすぐ泳いでいくとぶつかるかも。

でも、可愛い女の子だから、

わざと気づかなかったふりをして

さりげに正面衝突して、キスできたらラッキー・・・

とかなんとか、集中して思考するのだろうか?

 

だけど、金魚だって個性があるだろうから、

10秒以上集中できるやつもいれば、

5秒しかできないやつだっているだろう。

 

あるいは、出目金とか、和金とか、

リュウキンとか、ランチュウとか、

オランダシシガシラとか、

種類によって集中力は違ってくるかもしれない。

 

 

じつは正確にはこれ、

「金魚の集中力は人間以上」ではなく、

通常は「人間の集中力は金魚以下」

と言い表されている。

 

ここのところ、マーケティングの勉強をしていて、

巡り合った文言だ。

 

情報源は、あなたも僕も使っているWindowsの

マイクロソフト・カナダ研究チームが、

2015年5月に発表したデータ。

 

情報があふれかえる時代に生き、

わずか数秒でも空白ができれば、

スマホを手に取り、

タップし始める現代人。

 

その現代人が集中できる時間は8秒、

対して金魚の集中できる時間は9秒。

というわけ。

 

デジタル情報中毒の人間が

どんだけ集中時間を持続できないかを

如実に表すデータとして

2017年頃、ビジネス関連の雑誌やサイトで

センセーショナルに採り上げられまくった。

 

まさしく、ここまで来たか人類!

金魚にも劣る集中力とは・・・

 

なにしろ、かのブランド企業のお墨付きで、

こんなキャッチ―な面白ネタが

飛び出したのだから、

ビジネスコンサルタント系の人たちも

こぞってこの話題を

講座などで使っていたらしい。

 

けど、僕がこの話に会って

最初に思ったのは、タイトルに書いた通り

「金魚の集中力は人間以上なのか?」という疑問。

 

および、誰がどうやって

金魚の集中力を計測したのかというものだった。

 

当然、多くの人が同じ疑問を抱くものと思って検索すると、

そんな人はほとんどいない。、

 

疑問を持ったとしても、

忙しいのにわざわざ時間をかけて、

調べたりしないんだろうな~と諦めかけた。

 

が、何ページ目かに

高橋美佐さんというパーソナルコーチをやっている人が

「わたしも自分の講座で、この金魚の話しました。

ごめんなさい」と謝りつつ、

この情報について徹底リサーチしていた。

 

マイクロソフトも金魚の集中時間については、

自前で調査したわけでなく、その元ネタがあったわけで

それを辿っていくと、金魚の集中力について

正確に科学的に計測した人、

その数値を発表した人もいないことが判明。

 

だから金魚の集中力が9秒というのは根拠のない話なのだ。

つまり、「人間の集中力は金魚以下」

=「金魚の集中力は人間以上」はガセネタ

――というのが言い過ぎなら、

一種の都市伝説にすぎないという

結論にたどり着いたと言う。

 

やれやれという感じだ。

がんばって追求した高橋美佐さんはえらい。

 

この話、たとえば僕――福嶋誠一郎が

「金魚の集中力は人間以上なんやでぇ」

と言っても「アホか!」と一蹴されるだけ。

 

ところが、かの世界に冠たるブランド企業が

言うことなので、

みんな、ろくに検証することもなく信じた。

そして、おそらくは今後も信じられ続けていく。

だって面白いし、間違っていたところで

大問題になるわけでもないしね。

 

それに、いちいち検証していたら、

人生それだけで終わっちゃうので。

 

というわけで、

僕たちはそういう世界に生きている。

 

夏はお祭りなどで金魚に出会う機会も

増えるかも知れない。

今度、じっくり観察してみよう。

 

しかし、僕の観察力は、

はたして9秒間持続しているだろうか?

8秒過ぎたところでスマホを始めたりして。

 

 


0 コメント

認知症の義母と神頼みの散歩

 

「いいの、手なんか握って?」

「だって手をつながないと危ないよ」

「いいの本当に? 奥さんはいらっしゃるの?」

「はい、いますけど」

「わあ、どうしよう? 奥さん、怒らないかしら?」

「だいじょうぶです。公認ですから」

「わあ、うれしい。こうしたこと一生忘れないわ」

「喜んでもらえて何よりです」

 

認知症の義母と散歩に行くと、こういう会話になる。

言ってもわからないので、

「奥さんはあなたの娘ですよ」

なんて説明はわざわざしない。

 

僕のことは「お兄さん」と呼ぶ。

まぁ確かに義母より25も若いけど、

お兄さんというほど、若い男に見えているのだろうか?

 

亡夫(つまり僕の義父)は、

「女は三歩下がって」という考え方の

関白亭主だったらしいので、

男と手をつないで

公道を歩くのに慣れていないらしく、

ちょっと恥ずかしそうにする。

 

義母には昨日も明日もない。

小さな子どもと同じで、

「いま、この瞬間」があるだけだ。

 

「いま、この瞬間」がずうっと繋がって、

僕たちの人生があり、この世界があるわけだが、

そんなこと、ふだん僕たちはまったく考えない。

 

僕たちはいつも、これまで何をしてきたか、

少しでも多くの記憶をキープし、

自分のビッグデータを作って、

何があるかわからない明日に備え、

サバイバルしようとする。

 

ところが義母は昨日なにがあったかも忘れているし、

明日どうなるのか不安に脅えることもない。

もうボケちゃってるわけだから、

齢を取ってボケたらどうしようと怖がることもない。

 

でも時々、時計を見て

「もう家に帰らなきゃ」とか言い出す。

「ここがあなたの家だよ。

あそこにあなたの部屋があるでしょ」

と言うと、「ああ、「そうか」と

一応、納得するのだが、

数分後にはまた「帰らなきゃ」と言い出す。

 

まだ一緒に暮らし始めて1週間たたないから

しかたないのだろうが、

彼女はいったいどこに帰りたいのだろう?

 

僕は認知症についてはまったく不勉強だ。

てか、あんまり余計な先入観を持って関わるのは

よくないんじゃないかと思って、

あえて最小限の知識・情報しか入れてない。

 

人それぞれいろんなパターンがあると思うが、

認知症になると、

その人本来のキャラクターや

人生の中で培ったストーリーが

集約されて表現されるようで、

義母を見ている限り、

不謹慎な言い方かもしれないけど、

とてもとても興味深い。

 

それにしても、

いったいこれからどうなるのか?

 

同じ「いま、この瞬間」を生きる人間でも

小さい子どもはこれから成長が見込める、

いわば、のびしろのある存在だが、

認知症の高齢者はそうではない。

 

「お兄さん」としては、

とにかく少しでも、

その瞬間瞬間の積み重ねを、

幸福感・安心感を持って

過ごしてもらいたいだけだ。

 

ふだんは宗教心なんて欠片もないが、

義母に関してはもう神さまに祈るばかり。

 

大宮八幡は立派な神宮で、

初詣やお花見や秋祭りで毎年来ている。

この季節は七夕飾りが美しい。

 

すっかり通い慣れたお宮だが、

義母と一緒にいると、

不思議と素直で新鮮な気持ちでお参りできる。

やっぱ人間、最後の最後は神頼みやで。

 


0 コメント

オリジナルひらがな教育ツール

 

引っ越しの荷物の中から出てきた

数十枚の自筆の絵。

 

息子がチビの頃、字を教えるのに

めったやたらとそこらへんの紙に

絵を描いていた思い出した。

 

いま見ると、この絵が結構面白い。

こんなのが何十枚も描くなんて、

われながらよくやってたもんだ。

ちょっと感心。

 

じいさんの左にはガイコツを

描くべきだったかな。

 


0 コメント

息子は強制退去で独立

 

元来、劇画メンタルなので、

出会いや別れを過度にドラマチックなものとして

考える性癖がある。

けど、現実はそんなものじゃない。

大体のことは必要に追われているうちに、

いつの間にか始まって、なんとなく終わっている。

 

この1週間もあれこれバタバタしていた。

金曜はカミさんの実家から義母の荷物を運び出して

新しい住まいに入れ、

土曜はショートステイに行っていた義母が来た。

 

そして今日は入れ替わりに息子が家を出て行った。

ほとんど強制退去のようなものだ。

 

スーツケースとリュックサックに荷物を詰め込んで、

タクシーに乗っての引っ越しだった。

 

引っ越しと言っても同じ区内。

自転車で30分と掛からない距離なので、

大したことではないのだが、それでも独立は独立。

 

20数年の思い出が走馬灯のようによみがえり、

泣いてしまったらヤバいなと危惧していた。

 

ところが、バタバタやってたせいで、

そんな余裕もなく、じゃああばよ、達者でやれな、と別れた。

 

(と言っても、自転車やら本やら家にいっぱい荷物が

残っているので、またすぐ戻ってくるのだろうけど)

 

強制退去みたいな形でしか子供を独立させられなかったのは、

親としてちと情ないが、これもまた非ドラマなドラマ。

餞別に同封した一筆書きに「7月7日」と入れられたのが、

ちょっと華になった。

 

人生は劇的に、カッコよく、

理想通りにいかないから面白いのかも知れない。

 

家の冷蔵庫の側面には、僕が一番好きな、

彼の小学生の時の作品の「招き猫」が貼ってある。

夢を招いてほしい。

 


0 コメント

きれいに咲いたガクアジサイが笑って見送ってくれた

 

永福町の家の小さな庭には、

鉢やプランターに植えた花とはべつに、

毎年、どこからか花の種が飛んできて、

いろんな花を咲かせていた。

「野の花鍼灸院」の名前に相応しい庭だった。

 

この季節はガクアジサイの花が美しい。

毎年咲くわけでなく、1年咲いては休み、

2年休んでは咲き、

といったのんびりペース。

今年はその当たり年だった。

 

引っ越ししてから1週間。

後片付けと掃除とゴミ出しに通っていた。

 

今日はインターネット回線のケーブル撤収工事があり、

そのあと最後の後始末をしていたら、

ガス屋さんが元栓を閉めに来た。

これですべて終わり。

水道と電気は人手をかけることなく、

0時になったら自動で止まる。

 

何もなくなった家の中はやっぱりさびしい。

雨の中、最後にガクアジサイが笑って見送ってくれた。

咲という字はエミ(笑)とも読む。

当て字じゃないよ。正しい訓読み。

日本語って美しい。

それではさようなら。

12年間ありがとう。


0 コメント

食と祈りの店 自由が丘・田の実

 

ここのところずっと、葬儀供養と農業の仕事をやっているが、昨日取材したのは、そのふたつが一体化したお店。自由ヶ丘に先々週オープンしたばかりの「田の実」だ。
コンセプトは日本人の稲作文化の中で育まれた「食と祈り」。
1階は全国の農産物などの食品と四季の行事を彩る雑貨のショップ。2階はカフェ&レストラン。3階はイベントスペース。
ランチに出る汁ものは仙台の名店「ゆきむら」のシェフの作品で、日本人の脳の深淵に届く美味しさだ。

実はこの店の経営母体は、「手のしわとしわを合わせて、しあわせ」の、お仏壇のはせがわ。
「手を合わせるとはどういうことか?」を追究していったら、食と農にたどり着いたという。
さすがリーディングカンパニーと感心する話だった。
オープンしてからまだ2
週間だが、早くも自由ヶ丘の大人気店になりつつある。駅から3分なので、そっち方面に行くことがあれば、ぜひ寄ってみてください。

 


0 コメント

引っ越しと地球の意志

 

長年住み慣れた家とも今日でお別れ。

今朝はひどく感傷的な思いが込み上げてきて目が覚めた。

 

ここ数日、急な対応を要する仕事も入らず、

引っ越し作業に集中できた。

ここにいたのは12年だが、考えてみたら、

12年前の引っ越しの時は、あまりモノを捨てていなかった。

 

息子がまだ小学生だったので、チビの頃の思い出の品などが

まだ親バカ的に愛おしくて捨てられなかったのである。

 

自分の仕事の資料や趣味の用品もたんまりため込んでいた。

すでに現在の生活に必要なくなったものでも、

むかし愛した愛着が残っていて、

自分の心が宿っているような気がしていた。

 

つまり、この家にはそれ以前も含め、

結婚から子育てしてきたヒストリーが詰まっていたんだなと思った。

 

しかし、今回はダウンサイジングするのでそんなことは言ってられない。

心の中で手を合わせながら、

昔の手紙も写真も本もどんどん捨ててしまった。

それでも、(何日か前にも書いたが)、

ずいぶん捨てたつもりなのに、段ボールはいっぱいだ。

 

作業をしていると、

家をゴミ屋敷にしてしまう人の気持ちが分かるような気がしてきた。

たぶん、かの住人はモノに囲まれてないと寂しくてしかたないのだろう。

 

モノには魂が宿っている。

モノの豊かさ=生活の豊かさである。

僕たちはそうしたメンタリティで生きてきて、なかなか変えられない。

 

そのあたり、息子のような若い連中はそうしたこだわりはないようだ。

本でもDVDでも、どんなものかわかった、もう十分楽しんだと思うと、

ホイホイ惜しげもなく捨ててしまう。

 

本も音楽も映像も思い出も、なんでもデジタル化でき、

デバイス一つで楽しめてしまう。

クラウドに上げて保存すれば、容量は無限である。

 

衣食住という生活の基本部分はさておいて、

仕事や勉強や娯楽の方面は、物理的なものは必要なくなってきている。

今後はすべて自分の頭の中・体の中で管理せよ・処理せよ。

そう言われているかのようだ。

 

引っ越しによって実感させられた、

石油製品に依存する大量生産・大量消費の時代の終焉。

僕たちはメンタリティを変える必要に迫られている。

地球の意志が働いているのかも知れない。

 


0 コメント

白鳥の引っ越し屋

 

12年前と同じ引越し屋を選んだ。

「白鳥の湖? いや、みにくにアヒルの子?」

と、首かしげたくなる、不思議にメルヘンなイラストの入った、

この会社オリジナルの段ボールも12年前のままだ。

 

内見・見積もりに来た営業のお兄ちゃんに、前も使ったよという話をしたら、

「その頃と同じスタッフかも知れません」と、やや意外な返事。

 

聞くとスタッフの高齢化が進んでいて、

若い子は入ってもすぐやめてしまい、

結局、古くから働いている社員ばかりになっているという。

 

かく言う営業マン氏は、見た感じ、30ちょっと出たとこだけど、

かなりエキゾチックな風貌で、

タイやフィリピン方面の血を感じさせる。

少なくともハーフだろう。

日本語は難なく話し、理解していたので、

たぶん日本で生まれ育ったのだと思う。

 

大手はどうだか知らないが、こうした地域の中小の引越し屋さんは、

年輩者と外国人の職場になりつつあるのかも知れない。

 

もう一つ、引っ越し絡みで聞いたのは、

今年は昨年(および従来)と比べて、ピークが平均化しているということ。

普通、引っ越しと言えば年度末と初めの3月・4月だが、

今年は5月も6月もずっと忙しいのが続いているらしい。

通勤ラッシュの緩和策――オフピーク通勤をおもぃ起こさせる。

 

どうも企業の異動が、一時期に集中しないよう、

ずらして行われているようだ。

6月に転勤して7月から新しい部署で――

というパターンが増えてきている。

これも働き方改革の一環?

 

しかし、そのおかげで引越し屋さんは休みなく働き続けることになる。

中小企業の働き方改革は後回し?

というか、最初からあんまり考えてない?

要は「日本は労働者にも優しい先進的な国ですよ」ってアピールしたい、

政府のパフォーマンスだもんね。

 

日本の労働市場の実態を垣間見させる地域の引っ越しサービス。

いずれにしても、どうぞよろしくお願い致します。

 


0 コメント

最期まで希望を見たい

 

人間はきっと最期の最後まで希望を見たがる生きものだ。

ここ数年、ドラマや小説などの創作を含め、

いろいろな書き物をしてきて、そんなことを思っている。

 

100パーセント満足な人生だったと、こころ満たされて最期を迎える。

それが最高の幸福だなんて大うそだ。

 

結局、自分の思い描いたゴールにたどり着けず、

あるいはゴールを見つけられず、

目的を達成できないまま、人間的にも未完成なまま終わって良い。

 

僕が考え得る最高の幸福は、

最期において、心を託せる誰か――

それは子どもかかもしれないし、友だちかもしれないし、

その日出会ったばかりの見知らぬ旅人かもしれない。

 

その誰かが、ついに自分がたどり着けなかった、

その場所に向かって歩いていく――

その後ろ姿を見られることだ。

希望を見つめながら死んでいけることだ。

 

義父がどんな思いで亡くなったかわからないが、

希望を見つめて空へ向かって欲しかった。

49日の納骨を迎え、美しい夏空のもと、そう祈った。

どんなところかわからないが、

これから義父の行けなかったところへ行こうと思う。

 


0 コメント

これからは手ぶらで旅をしたいんだけど

 

 カミさんの鍼灸院に来る子どもらが「トトロの森みたい」と言ってた庭をすっかりきれいにした。

 壺や鉢やプランタにいろいろ花を咲かせていたのだが、それらも全部撤去し、生い茂っていた蔦の葉も刈り込んだ。

 小さな森が消え失せた。

 

 12年ぶりの引っ越しはなかなか厳しい。

 片付け作業が,やってもやっても終わらない。

 

 収納がたっぷりある家だったので、

何でもかんでも放り込めてたせいもある。

 それぞれの収納をあけるたびに、

とんでもない量の物が溢れ出してくるのだ。

(それも写真を載せようと思ったが、どう見てもゴミ屋敷に見えてしまうのでやめといた)

 

 過去、10代の頃から40年余りの間、

後生大事に持っていた本やら思い出の品やら、

「これは絶対捨てられない」と思っていたものも

今回はあっさり捨てている。

 

 捨てながら、逆にどうしてあんなにこだわっていたのだろう?

と不思議になることもある。

 本だのレコード(CD)だの映画や演劇のパンフレットだのといったものに、自分のアイデンティティを投影していたのかもしれない。

 

 もうそういう類の荷物はいらない。

 自分の中に残るものは残るし、消えるものは消える。

 これからの自分に必要と思われる――ぜひもう一度読み返したい本だとか――だけ手元に置いて、その他のよぶんなものは手放して、

なるべく手ぶらに近い状態で旅をしたいと思う。

 

 という方針で、ここ1ヵ月で膨大な量のごみを捨て、ずいぶん断捨離した気になっていた。

 が、それはあくまで主観であって、

現実的には思ったより荷物は少なくならない。

 

 思い出深い品を目にしてしまうと、

やっぱりリュックに詰めたくなっちゃうんだよなぁ。

 


0 コメント

井の頭線文化圏残留報告とSUUMOのワナと不動産屋の愉快な若者たち

 

1ヵ月前、「さらば永福町」と書いたが、

結局、永福町からさほど遠くない、

浜田山に引っ越すことに。

井の頭線文化圏に残留することになった。

 

西武線文化圏の方、

転居情報がひるがえり、ぬかよろこびさせてごめんなさい。

(誰もしてない?)

 

駅にはちょっと遠いけど、公園まで歩いて3分。

いつでも散歩やジョギングができる環境に。

けっこう理想的なロケーションだ。

 

ところで、今回は物件を探す(なんといっても12年ぶり!)のに

SUUMOを使ってみた。

 

同じようなエリアに同じような間取りの部屋が

いっぱいあるなぁ。

このあたりの内装業者が皆、同じだからかなぁ、

不動産屋はみんな違うけどなぁ・・・

 

と思って見ていたら、何のことはない、

同じ物件の外観を、A社は正面から撮ったり、

B社は裏側から撮ったり、C社は斜めから撮ったり、

D社は上の部分だけ切り取って見せたり・・・

といったように

アングルや画角を変えて、

それぞれ違う物件に見せようとしている。

 

わかってみれば、な~んだという感じだが、

探している時は、みんな印象が異なるので、

いっぱいあるように見えて、なかなか気づかない。

 

複数の不動産屋で同じ物件を共有して

ネット上で「どうぞこちらへ」と営業しているので、

お客がどの写真が気に入ったかで、

どの不動産屋に行くか、

そして契約が取れるかが決まるというわけ。

 

不動産屋もなんとか検索数を上げようと、

SUUMO対策、ネット対策に必死である。

客にとっては紛らわいいこと、この上ない。

 

でも、今回は3件の不動産屋を回り、

それぞれ気のいい若い兄ちゃんたちと

いろいろ話ができたので面白かった。

 

というのが先月末のことで、

本日無事契約も終わり、引っ越し準備中。

完了は6月末予定。

 


0 コメント

サンゲノヨル:仏教式罪の告白

 

「あのやろう、うまいことやりやがって」と妬んだり、

「失敗しろ。不幸になれ」と呪ったり、

道行く女の子に劣情を起こしたり、

気に食わないことに逆ギレしたり、

暴飲暴食に走ったり、

やるべきこともやらずゴロゴロ怠けていたり・・・

 

人間は日々、罪を犯している。

そこで神さまの前で自分の罪を白状するのが「懺悔」だ。

 

これはキリスト教の話だと思っていたら、仏教にもある。

同じようにお釈迦様の前で罪を認め、

仏教では「さんげ」と読む。

 

月に一度「サンゲノヨル」を開いているお寺があると聞いて、

一昨日、取材で出かけて行った。

神楽坂にある圓福寺だ。

 

まだ30代の若い住職様にインタビュー。

幕末に伝わり、この寺に祀られている夜光鬼子母神の話、

その鬼子母神絡みで妊活講座が行われている話、

住職がIT企業に勤めていた時の話など聞いて、

メインの「サンゲ」。

 

これは実際に体験してみた。

 

500円払ってお守り(懺悔守り)を購入し、

その中に自分の犯した、

あるいは犯していそうな罪を書く。

 

自分は悪いことしてなくても、遠い先祖が

騙し・欺き・裏切り・虐待・泥棒や人殺しなどの

大罪を犯している可能性もある。

 

因果応報。

過去の罪が、現在につながって、

あなたの人生で表現されている。

こうした考え方は、仏教ならではという感じがする。

 

書き入れたお守りは持ち帰るのではなく、

この寺の祖師像に奉納する。

奉納したら、あとはひたすら

心の中で罪を詫び、お経を唱える。

 

先祖が罪を犯したのかどうかはわからないので、

とりあえず自分の罪だけ思い起こした。

一応、善良な市民のつもりではいるが、

生きていると、どうしてもいろいろあるからねぇ。

ズルもしてるし、迷惑もかけてるし、

人を傷つけたりもしています。

 

ありがたいのは「懺悔」すると「三化」が起こるということ。

①健康運・②仕事運(金運)に恵まれるようになり、

③ 良縁にも恵まれる。 

これはもう、信じるしかないねぇ。

 

それに夜(僕が行ったのは5時過ぎでまだ明るかったけど)、

お堂の中にいると、厳かな気分になり、精神的にも良い刺激になる。新鮮な空気が身体の中に入ってくる感じだ

月に一度くらい、こうした体験をするのはいいと思う。

 

500円で懺悔守りを購入するのは最初だけで、

そのあと、2回目以降は自由。

リピーターも大勢いて、僕がいた時間だけでも10人くらいやってきた。

男よりも女のほうが多いという。

女のほうが男よりも罪深いのだろうか?

 

毎月、第一水曜日、夕方5時から8時までやっている。

こうした懺悔の概念を大事にして、

積極的に打ち出しているお寺はかなり少ない。

(少なくとも、僕は初めてだった)

 

あなたも秘密めいた体験として、

一度やってみると面白いと思う。

 

神楽坂・圓福寺。

サンゲノヨルは、お参りした後、

神楽坂に立ち並ぶ飲み屋でハシゴ・・・となったら、

またまたそこで罪を犯し、

翌月、ふたたび通うことになって永遠の循環に陥るかもね。

 


0 コメント

国家資格を宝の持ち腐れにしない自宅開業

 

12年間やってきたカミさんの「野の花鍼灸院」」が昨日を最後に閉院した。

自宅の1階のワンフロアのリビングを半分に区切って、そこを治療室にしていた。

 

職住一体。

待合室も設けられないので予約時間で区切るしかなく、

必然的に時間内は完全なプライベート診療になった。

女性と子ども専門だったので、かえってアットホーム感が好評だった。

 

僕はもちろん、営業中に一度も治療室に入ることも、

患者さんの前に出ることはなかったが、

ホームページやパンフレットを作ったり、掃除を手伝ったり、

2階で連日やってくる子どもの声を聞いたりしていたので、

けっこう思い入れも深い。

家庭の事情とはいえ、閉じるのは何とも寂しく胸が痛む。

かなり感傷。

 

僕の感傷的な話を書いてもしゃあないので本題に入ると、

国家資格である鍼灸師は大勢いるが、

開業できる人はごくわずかだと言う。

カミさんは40を過ぎてから3年間学校に通って資格を取ったが、

同級生で自分の院を持っている人はほとんどいないらしい。

 

鍼灸師のみならず、整体師もそうだが、

毎年、びっくりするほど大勢の人が資格を取る。

にも関わらず、その8割、9割の人はそれを生かせない。

 

自分で開業するには莫大な資金が必要だとか、

ロケーションの良い一等地じゃないと患者さんが来ないとか、

しっかり収益を上げなきゃダメだとか。

何かそういった思い違い、思い込みがあるのではないだろうか?

 

せっかく腕1本でやっていける技術・許諾を得たのに、

ハコの良しあし・設備のあるなしにこだわって

自分で開業しないのはもったいない。

 

うちがやってきたスタイルはべつに新しいものではない。

僕が子どもの頃、

ばあちゃんに連れて行ってもらった鍼灸院も、

長屋みたいなボロい家で布団一つ敷いて営業していた。

 

本来、鍼灸院や整体院といった民間医療はそういうものだ。

「医療ビジネス」にしようと思うから、

いろいろ大きなことを考えて動けなくなってしまう。

 

小さくでいい、

パートとして大して変わらない稼ぎでもいいから、

資格のある人はまず自分で始めて、

直接、お客さん(患者さん)と相対しないと、

いつまでたってもスキルアップしないし、

キャリアが積み上がらない。

続けられるかどうか考えるのは、始めてみた後の話である。

 

いくら国家資格でも何年もほったらかしでは宝の持ち腐れ。

ペーパードライバーになってしまう。

何年も経ってから「じゃあ運転します」と言い出したって、

誰もペーパードライバーが運転する車になんか乗りたくない。

 

うちの場合は、幸い駅チカの戸建ての貸家を見つけられたが、

アパートでもマンションでも、

保健所の基準をクリアできるところならどこでもできる。

 

自営業だから自分のライフスタイルに合わせて――

たとえば子育てをしながらでもできる。

そして、それはすべて貴重な実績・将来の財産になる。

 

最近はホームページだって無料で、

あるいは年間1万円少々で開設・運営できる、

設備を整え、宣伝してスタートする費用は

20~30万円程度しかかからないと思う。

 

カミさんもそんなこんなで12年やってきたので、

自分の院を閉じても、

他の診療施設の仕事や、講師や指導者の仕事がある。

がんばれば得られるものは小さくない。

 

こうしたノウハウは鍼灸の後継者を育てるためにも

伝えていきたいと話し合っている。

生活が落ち着いたら、その準備も始めようと思う。

 


0 コメント

田町駅のペディストリアンデッキの鳩

 

「鳩がクソを垂れて飛び立つ」

 

これは平成の終わりとともに逝った名優、

ショーケンこと萩原健一の代表作

「傷だらけの天使」の第1話の冒頭にあるト書きだ。

あの名作はこの1行から始まった。

 

この脚本を書いた故・市川森一氏は

「傷だらけの天使とは何だったのか?」と回想した際、

自分で書いたこのト書きに,

その答えを発見した、と語っていた。

 

「鳩=平和のシンボル。

 傷だらけの天使とは、1970年代の平和と繁栄の“クソ”だったのだ」

 

今日、仕事(三田の方で取材があった)で

久しぶりに田町駅で降りたら、

三田方面に向かうペディストリアンデッキの手すりの上に、

あまり美しくない鳩がズラリと居並んでいた。

 

女の人などは、汚いものを見るようにイヤ~な顔をして通り過ぎていく。

 

鳩が平和のシンボルだと言われても、

今や「?」の人が多いのではないか。

僕たちは平和にも繁栄にも慣れ切ってしまっている。

 

でも、巨大なビルが立ち並び、

あまり人が始終行き交う大都会の真ん中で、

僕たちのようにあまり美しくもなく、強くもなく、特別でもなく、

もちろん偉大でもない、平々凡々とした鳩たちが、

わやわや集まって仲良く生きている光景を見たら、

やっぱり平和とはいいものだよなと思った。

PEACE。

 


0 コメント

東寺展――空海と仏像曼荼羅を観る

 

先週、上野の国立博物館に「東寺展――空海と仏像曼荼羅」を観に行った。

 

東寺のあの空間で見るからいいのになぁ・・・

と思っていたが、普段は見えない背中も見られて

なかなか興味深かった。

 

唯一、写真撮影が許されていたのが、象に乗った帝釈天。

いちばんイケメンで、

女性に人気が高いので選ばれたのだろうか。

 

ひとり孤高のステージに立ち、

眩しくフラッシュを浴び続ける。

(本当はフラッシュ禁止だけどね)

 

他の天、菩薩、如来の皆さんは、

なんといっても悟りを開いた仏様なので、

「おまえだけモテやがって」と嫉妬したりしない。

 

今度の日曜まで、東京でのお勤めを果たし、

ご無事で京都までお帰り下さい。

 


0 コメント

認知症の義母と川沿いの緑の小道を散歩する

 

昨日は義母と、実家のある清瀬市の清瀬柳瀬川の川沿いを散歩した。

この道は桜並木が美しいことで有名だが、川は高度成長時代から昭和40年代にかけては生活排水などでひどいドブ川になっていたらしい。

 

それが地域の人々や行政の努力で半世紀かけて、鮎も泳ぐ美しい川によみがえたという。

うちの息子がチビの頃、この妻の実家に来ると、いつもこの川で水遊びをしていた。

昨日も暑かったので、当時の息子くらいの男の子がバシャバシャと大喜びで水遊びをしていた。

 

義母は嬉しがって「わぁ、気持ちよさそうだねぇ」んどと声を上げる。

 

これから一緒に暮らすので、今後の生活に向けて、いっしょに時間を過ごす練習をしたほうがいいだろう、ということで、ちょっとトレーニングの日を設けてみたのだ。

 

3時間ほどの間、休職して義母としばらく一緒に暮らしている義妹が抜けて2人きりになった。

義母は亡くなった義父、つまり自分の旦那以外の男性と二人きりになったことは、84年の人生の中でおそらくほとんどないらしい。

 

ずっと家の中にいるとに、すぐに煮詰まってくるので

「散歩しましょうか」というと嬉しがって、

お出かけ服とまでは言わないけど、

ちょっとした外出着に着替えてきた。

 

認知症なのだが、からだは丈夫で、5階建ての団地の階段(古い住宅なのでエレベーターが付いてない)も平気で上り下りする。

歩く足取りも、84歳とは思えないほどしっかりしている。

 

河原に下りたり上がったりして、50~60mほど歩いたところで、

「あそこで働いていたのよ」と言って、道路の向こう側にある建物を指した。

 

今は何かの倉庫として使われているが、昔はこの地域のスーパーで、もう40年くらい前に5~6年間、その店でパートで働いていたのだそうだ。

カミさんの話によると、そこのパートの仕事が、とても楽しかったらしい。

ただ、関白亭主の義父は、妻がそこで楽しそうに働いているのをあまり快く思っていなかったようだ。

 

認知症になった今、亡くなった夫のことは、夫ではなく、自分の父や兄だと言う。

娘のことはカミさんも義妹も、「ヘルパーのおねえさん」といった理解らしい。

僕のことは当然、娘の夫でもなく、義理の息子でもなく、

どっかから時々現れる「明るい男」ということになっている。

 

半世紀以上、寝食をともに共にしてきた家族のことは忘れても、

40年以上前、ほんの一時期、働いていたパート仕事のことは憶えている。

義母の人生のハイライトだったのかな?と思う。

 

家族は大切だが、同時に主婦・母親にとって、

家族は一種の重い「義務」でもある。

 

もしかしたら義母は、その重たい義務から、

すっかり自由になったんだろう、と思う。

自由になった義母の心が、できるだけ羽ばたけるような暮らし方をする必要があるのかもしれない。

美しい川と緑の小道を歩きがら、そんなことを考えた。

 


0 コメント

葬儀・供養に関する「昭和システム」の呪縛

 

つましい生活をしていた高齢者が亡くなってみたら、何千万円ものタンス預金を残していて、びっくり! ――という話をよく聞く。

なんで?

そんなにお金があるんなら、貧乏に甘んじず、もっと裕福に暮らせたろうに・・・と思っていたが、今回、義父の死に触れて「そりゃ当然だな」と納得してしまった。

 

お葬式をするのも、お寺さんにお経を唱えてもらって戒名をいただくのも、納骨してお墓を建てるのも、従来の、いわゆる「昭和システム」にのっとってやっていたら、いくらお金があっても足りない。

あっという間に数百万、ちょっと見栄を張ったら1千万くらいすぐに使ってしまう、と思う。

 

これに前後の医療費やケアのお金を入れれば、そりゃたしかに何千万円も持ってなきゃ、安心して老後を暮らせないし、安らかに眠ることもできない。

 

けっして日本の仏教文化、葬儀供養の文化を軽んじるわけではないが、「昭和システム」の葬儀供養を遂行するのは、今や、よほどのお金持ちでなければ無理である。

 

「無理をしてでもやるべきだ」という宗教心の厚い人、伝統的な習慣を重んじる人の意見もあると思う。

否定するつもりはない。

 

ただ、伝統的な習慣と言っても、みんながこれだけお金の掛かる供養葬儀をやるようになったのは、高度経済成長時代からだ。

 

現代のように、広く自由に情報が飛び交う時代ではなかったので、業者などに「そういうものだ」と言われれば、「そういうものか」と選択肢もなく、無理をしてでもそうせざるを得なかった面もあるだろう。

 

要は一般庶民にも裕福な人が大勢増えて、昔の武士階級・貴族階級・地域の名士など、社会的地位の高い人たちの真似をしたくなっただけではないのだろうか。

 

現代はお葬式にしても、お墓にしても、供養の仕方にしても、多様な選択肢がたくさんある。

無理なく、納得でき、大事な人を心から偲べるやり方は、いくらでも自分たちで創ることができる。

 

盛大なお葬式をして、りっぱなお墓を立てて、遺された家族がみんなハッピーになれるなら、それでいい。

 

けれどもそうでなく、精神的にも経済的にも負担が増えるばかりで、心から偲ぶこともままならないリスクを背負いそうなら、昭和の習慣の呪縛から自由になったほうがいい。

 


0 コメント

仏像にいちばん近いアイドル&鎌倉名物・鳩サブレ入りソフトクリーム

 

“仏像にいちばん近いアイドル”を取材しに、いざ鎌倉へ。

その名も「みほとけちゃん」。

彼女は何と、2016年度ミス鎌倉でもある。

 

当然、美人でかわいい。

写真や動画を見て、それはわかっていたが、

ナマで会ったら、一段と美人でかわいい。

そして、かしこく、おとなだ。

 

自作の刺繍入り作務衣を着込み、

仏像のインナースペースに入り込める特技を持ち、

まさしく仏像にいちばん近いアイドルを体現する。

 

僕はこれまで特にアイドルに興味を持ったことはないが、

彼女のことは応援したくなる。

興味を持ったら、

「みほとけ」で検索してみてください。

 

アイドルの鎌倉おすすめスポットの一つが、

おみやげの「鳩サブレ」でおなじみ、

豊島屋がやっている洋菓子店&カフェ「置石」。

 

ここの「置石ソフト」は、

ソフトクリームの中に粉々になった鳩サブレが

まんべんなく入っているという逸品。

クリーミーさとザクザク感が一体化して

これはおいしい!

 

アイ love 鎌倉。

 


0 コメント

女性と子供の為の野の花鍼灸院 閉院

 

親の介護のために、カミさんが12年やってきた

「野の花鍼灸院」の看板を下ろすことになった。

 

身内の自分が言うのも何だけど、

自宅を改造したプライベート空間で

女性と子どもを専門で診療し、、

一緒に子育てに関する相談もできるというのは、

割と希少で貴重な診療所だったのではないかと思う。

 

子ども向けの鍼灸ができる鍼灸師は、

関西方面ではそこそこいるが、

関東ではまだまだ少ない。

 

閉院のニュースを聞いて訪れた人の中には

泣き出す人までいるらしく、

やっぱりこの空間がなくんるのは惜しいなと思う。

 

ただ、閉院はするが、仕事をゼロにしてしまうわけではない。

3年ほど前から週1で通っている横浜の診療所の仕事は続けると言う。

 

それに専門学校の臨時講師や、海外の鍼灸師に対する講師の仕事もある。

海外――特に欧米では鍼灸治療の効果は

WHOでも認められているほど、広く知られており、

治療院を営んでいる人も多い。

 

現在のホームページはサーバーを解約して消えることになるが、

ドメインだけは契約更新した。

しばらくして落ち着いたら、同じドメインでカミさん個人の

ホームページを作る予定だ。

 

引っ越し先の近辺の幼稚園や保育園に交渉して

子どもを診療する機会を作る計画も立てている。

 

また、せっかく国家資格を取っても、

ペーパードライバー状態の鍼灸師も多いので、

小児鍼の基本と自宅開業ノウハウを教え、

後進育成につなげるコンテンツの制作や、

セミナー開講などの企画も始める。

 

介護と並行して新しい活動の基盤づくりができればいいと思う。

 


0 コメント

さらば永福町

 

連休中に義父が急逝。

遺された義母の面倒をどうするか? 

という問題を背負うことになった。

 

義母は身体は割と健康ではあるものの、

認知症になっていて、ひとことで言うと

ファンタジーの世界で生きている。

僕たちと日常の時間を共有できない。

 

とてもひとり暮らしはさせられないということで、

現在は神戸在住の義妹が会社を休み、そのまま残って一緒にいる。

けれども、彼女にだって仕事と生活があるので、

いつまでもというわけにはいかない。

 

それで、うちのカミさんは今やっている治療院を閉鎖して、

清瀬の実家に戻ると決めた。

 

じつは僕は、12年やってきて実績もできたこの治療院の、

ホームページ刷新と、

スマホ用ラディングページ作成のために、

密かに構成とテキストを作っていた。

 

正直、「そんな・・・」と思ったが、

こういう局面では、女は思いきりよく、迷いがない。

 

現在の自宅は治療院併設のために借りたところなので、

もうここにいる意味がないし、カミさんひとりで

介護をやらせるわけにはいかないので、

僕も一緒に清瀬に行くことにした。

 

結婚して子供も育てた永福町とも6月にはお別れになる。

 


0 コメント

義父の葬儀

 

昨日は所沢斎場で義父の葬儀を行った。

葬儀と言っても、火葬の前に少しの間だけお別れをする、

いわゆる「直葬」である。

 

義父の妻である義母、その娘であるカミさんと僕と息子(孫)、

そして妹夫婦の6人が参列。

身内だけでゆっくりお別れができた。

 

退職して25年経つので、仕事関係の人たちとはもう縁が切れているし、

ずっと親しく付き合っていたらしき友人もいないし、

親戚も無理に呼べば呼べたかもしれないが、

やめておこうという話になった。

 

ずっと親しく付き合っていたらしき友人もいない。

もしかしたら、いたかも知れないが、

どう連絡を取っていいかわからなかった。

 

懇意にしているお寺もないし、義父から宗教的なニュアンスの

話も聞いたことがない。

 

簡素で安価な葬儀にすることには何のためらいもなかった。

 

遺体を引き取りに行った警察署で出入している葬儀社のリストには

5社くらい載っていて、カミさんが直接電話で連絡。比較検討した。

 

こういうところ、うちのカミさんはカンが鋭く、賢い。

他の所はベーシックな値段は安いが、

オプションで2倍・3倍以上に膨れ上がりそうだ――

という匂いを感じ取って、結局、地元の小さな葬儀社を選んだ。

 

結論的には大正解で、

とてもとても誠実で丁寧で良心的な葬儀屋さんで、たいへん助かった。

感謝に絶えない。

 

たぶんポータルサイトでレビューが書けるので、

良い評判を広げたいと思う。

 

お金の話をするのはどうかと思うが、気になる人が多いと思うので

参考になるよう、あえて書いておくと、すべて込みで32万円弱でした。

内訳も明瞭で本当に良かった。

 

結局、お葬式は、大規模に立派にやるにしても、

つつましく、ささやかにやるにしても、

遺族の満足感・納得感の問題だと思う。

 


0 コメント

義父は最期まで弱音を吐かずじまいだった

 

義父は胃がんを手術で、前立腺がんを放射線治療で完治させ、

克服してきた強い人だった。

 

そして関白亭主で、奥さん――義母をアゴで使っていた。

家のことは一切やらず、お茶も自分では淹れない。

けれども5~6年ほど前から義母が認知症になってから、

その生活ぶりが変わっていった。

 

義母は2年ほど前からお茶を淹れる以外、

家のことが出来なくなってきた。

もう自分でやるしかない。

 

「家族に迷惑をかけたくない」と言うのは、

最近の高齢者全般の口癖だが、

義父の場合はその最たるものだった。

 

迷惑というか、絶対に人に弱みを見せない

というのが信条だった。

たとえ相手が家族でもだ。

 

カミさんも義妹も電話で義父の話を聞くばかりだったので、

2人とも結構元気なものと思っていたらしい。

 

そしてとにかく器用なので、やる気になれば何でもできた。

 

掃除も洗濯も裁縫もやっていた。

 

ただ、さすがに料理だけは、にわか仕込みではダメで、

レンジでチン食が主食だったようだ。

 

それに加え、義母を病院につれて行ったり、

薬の管理をしたり、迷子にならないようにしたり。

まめまめしく世話をしていたらしい。

認知症介護士の資格も取ろうとしていたようだ。

 

弱音を吐かないことは立派だが、

本当にそれでよかったのかという思いが残る。

 

強い男の生き方ももう限界に近づいていたのかもしれない。

それでも娘たちのところへはSOSは出さなかった。

その矢先の突然の死だった。

 

部屋の中にある様々なメモや生活の痕跡を見ながら、

怖くて厳しく君臨していた昭和の関白亭主が、

最期にはまるで恩返しか、贖罪をするかのように、

少女のようになってしまった女房を

甲斐甲斐しく面倒を見ている姿が脳裏に浮かんだ。

 

ヘンな言い方だが、終わってみれば、二人の夫婦関係が

最終的にはチャラになったような印象がある。

 

なんだか人生うまくできているものだなと思う。

それなりの長さを生きれば、

ずっとラッキー、ハッピーもなく、

アンラッキー、アンハッピーもなく、

最期には何でもチャラになるのではないかという気がする。

 


0 コメント

義父の棺に競馬研究ノート

 

カミさんと僕と息子、義妹夫婦の5人で

亡くなった義父の遺品整理をした。

義父は若い頃、自衛官で、

退官後は自動車教習所の教官を務めていた人だ。

 

めちゃくちゃ怖い教官だったらしく、

娘たちに対してもかなり怖い父親だったらしい。

 

特に長女のカミさんは昭和男の

「女に教育は要らない」式の躾をされ、

かなり圧力をかけられ、自由を制限されていたようだ。

 

しかしそれが逆にバネになったのか、

成人する頃には、如才なく親をやりこめる才覚を表し、

その後、海外で働きながら旅をするなどして、

自由で独立した生活を獲得した。

人間とは面白いものだと思う。

 

義父は自営官時代に身に着けた習慣があって、

身の回りの管理術に長けていた。

何でもこまめにメモを残し、

几帳面に整理する癖を持っている。

 

近年、遺産相続や遺品整理に困っている遺族に対する

サービス業が繁盛しているが、それもうなずける。

離れて暮らしていた遺族が、生前の生活状況を把握し、

遺品・遺産の整理をするのは大変な作業だ。

 

おそらくこの義父ほど几帳面にメモを残し、

管理を実践している高齢者はそう多くはないだろう。

それでも、どこかにメモがあるだろうと思っていた

キャッシュカードの暗証番号だけは

ついにわからずじまいだった。

役所への届けとともに、口座は凍結されることになる。

それでも葬儀代など、当面必要なお金の分は

ちゃんと現金でしまってあった。

 

僕と反対で、多趣味で何でも器用にこなすことができた。

三味線やギターを弾き、日曜大工もお手のもの。

教官だったので、もちろん自動車の運転はプロドライバー。

ボウリングもプロに近いアベレージだったと言う。

高齢になってから始めたパソコンも器用に操っていた。

 

「だけど器用貧乏なのよ」とカミさんは言っていた。

 

何でもすぐにマスターできるので、

執着心がなく、すぐに飽きてしまうのだという。

名取りにまでなった三味線もすっかり辞めてしまっていた。

自分にとってこれだ!というもの、

とことん追求したいと思えるものは、なかったのかもしれない。

 

晩年は競馬が趣味で、これも雑誌や新聞などを参考に

めちゃくちゃ研究していたようだ。

 

自前のノートに膨大な分析データが残されていた。

おかげでけっこう勝率は高く、

確実に小遣いを稼ぎ続けていたようだ。

 

けれども大穴を当てたという話は聞かないので、

そう派手に儲けることはできなかったらしい。

いろいろデータ分析するのを楽しんでいたのだ。

 

死の2日前の天皇賞(平成最後の天皇賞だ)も

少額だが獲っていた。

 

手垢のしみこんだ競馬関連のノートなどは火葬の時、

棺に入れてあげようと思う。

 


0 コメント

平成最後のショック

 

平成最後の日の朝、85歳の義父が亡くなった。

しばらく会っていなかったが、元気だと聞いていた。

自宅で寝ている間の急死。

死因が特定できないため、遺体は救急病院から警察に移された。

(カミさんの)自宅にも検死調査が入った。

明日、警察まで引き取りに行く。

火葬場の都合で2~3日は葬儀屋さんに

安置してもらうことになりそうだ。

期待せずとも、人生、変る時は変わる。

 


生きててもだいじょうぶ、死んでもだいじょうぶ

 

年寄りのつぶやきとして「変わってしまった・・・」というのがある。

世の中変わってしまった。

人の心が変わってしまった。

みんな変わってしまった。

 

今年90になったうちの母親も、僕が実家に帰ると口癖のようにそう言う。

 

だいたいこの「変わってしまった・・・」というつぶやきの中には、

「もう私の居場所はない」という心の声が含まれている。

 

僕は母親に「だいじょうぶだよ」と声をかける。

そう言ってから「何が“だいじょうぶ”なのだろう?」と考える。

 

そして、ちょっと恥ずかしいが、

「お母さんがこの家にいるだけでありがたいんだよ」と言う。

 

「そうかい」と、母は一応、わかったように言うが、

心底納得しているとは言い難い。

 

そこでこちゃごちゃ説明しても仕方ないので、そのままにしているが、

ほんとうに何が“だいじょうぶ”なのだろう?

 

たぶん、そのまま生きていてもだいじょうぶだし、

死んでもだいじょうぶだ、ということなのだ。

 

もういあんまりやりたいこともないようだし、

欲しいものもないと言う。

母に「がんばって生きろ」とはもう言えない。

幸い健康で、食欲は旺盛なので、食事制限など受けることなく、

自分の好きなものを食って暮らしてほしいと願うだけだ。

 

「人間、どんな時もがんばって生きなきゃいけない」は正論だと思う。

けど、なんだか暑苦しし、息苦しい。

無責任に言われると、時にムカつくことさえある。

おまえに何がわかるんだ、と言いたくなる。

 

書いてきたのは年寄りの話だが、年寄りに限らず、

最近は世の中の変化についていくので

いっぱいいっぱいの人が大勢いるのではないか。

 

優秀さを求められ、効率を求められ、

AI・ロボットが普及したら、お払い箱になると脅されて、

余裕を失っているのに

「人間、どんな時もがんばって生きなきゃいけない」

なんて正義の味方から正義の言葉を聞かされても、

「うるせー!」とブチ切れるのがオチだ。

 

こういうときはやっぱり神様・仏様だな。

ポール・マッカートニーのような天才さえ、

ビートルズの終焉を悟った時は、

これが終わったらオレはどうなるんだろう?

レノン=マッカートニーを解消してやっていけるのか?

この先、音楽で生きていけるのだろうか?

と心配していたのだと思う。

 

「LET IT BE」はそこから生まれた。

神様・仏様に

「なすがままになさい。あなたはそのままでいい。

生きていても、死んでもだいじょうぶだ」

 

そう言われるだけで人間は元気を取り戻せる。

 


0 コメント

夜中に情報ウンコの排出

 

夜、眠っている時、自分の中で何が起こっているのだろう?

 

今朝、カミさんに「叫んでいた」と言われた。

どこかに置いてけぼりにされて、声を上げているような・・・そんな感じだったと言う。

いわゆる寝言である。

 

自分ではもちろん、さっぱり記憶にない。

こわい夢を見たという印象も残ってない。

むしろ昨夜は気持ちよくぐっすり眠った部類だ。

朝起きた時に疲れが残ってない。

 

どうも月に一度くらいとか、割とよく叫んでいるらしい。

ちょっとどこか異常なのかも知れない。

 

と言っても別に心配してない。

 

僕はほぼ毎朝、Writing Meditation――

「書く瞑想」というのをやっていて、

脳の中にあるものをノートに書き出している。

 

超情報化社会の僕らの脳の中は雑念や、自分にとって余分な情報で

あふれている。

 

このWriting Meditationはその脳内の老廃物―ー

いわば「情報のウンコ」を排出する働きもあるのだが、

やっぱりまだまだあちこちにウンコがこびりついているようだ。

 

そこで月イチくらいで、睡眠中にクリーンアップが

行われているのではないかと想像する。

 

自分では気にしてないつもりでも、潜在意識の中には

悲しみやら怒りやら、いろんな感情が潜んでて、

ときどきプカーッと浮かび上がってくるんだろうね。

 

カミさんにはびっくりさせて申しわけないと思うが、カンベンです。

 


0 コメント

さらば平成――みんなが昭和に帰りたがった30年

 

平成もいよいよ残り1週間ということで、家族で「平成の最高傑作映画」は何か、議論した。

ギロンと言うと大げさだけど、ま、めしの時に話してたわけです。

「平成の」と冠詞が付いているので、邦画限定。

 

僕としては岩井俊二監督や是枝裕和監督の作品を選びたいところだが、クオリティの高さにも関わらず、このお二人の映画はあまり一般受けしているとは言い難い。

 

そこで選んだのは「ALWAYS 三丁目の夕日」である。

選んだと言っても僕とカミさんと息子の3人の意見が一致しただけです。

あとはアニメ部門として、ジブリの「もののけ姫」と「千と千尋の神隠し」。

 

興行収入の面から見ても「ALWAYS 三丁目の夕日」は、トップクラスだと思う。

そして、そこから平成とはどういう時代だったのか、時代精神が見えてくる。

 

「昭和に帰りたい」

 

これこそが平成の本質だったのではないか。

あくまで僕の印象だが、平成前期、日本人の心は荒れに荒れた。

 

バブル経済から始まり、あっという間にそれが崩壊。

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と胴上げされて宙に舞ったと持ったら、ドカンと落されて愕然としているところに、

阪神淡路大震災。

続いて、自分たちの妄想を現実にしてしまおうとする、

オウム真理教の地下鉄サリン事件が起きた。

 

さらに続いて神戸の連続児童殺人事件など、子どもの妄想狂の不可解な犯罪、

精神がイカれてしまったような連中の、

あたかもホラー映画のような殺人事件が頻発し、

それまでとはまったく違った社会が始まってしまった。

 

そして、経済の落ち込みがそれに拍車をかけた。

 

大勢の人がその地殻変動に恐れ戦き、

ああ、昭和はあんなに幸せだったのに・・・と過去を美化した。

 

昭和だって不可解な事件は山ほどあったはずだが、

情報化が進んでなかったせいで

表に出てこなかっただけだと思う。

あるいは隠ぺいされていたか。

 

いま振りければ、社会全体が格段に貧乏(ビンボーだけど幸せだよねなんて言ってる余裕のある人は、本当の貧乏人ではない)だったし、差別もセクハラもパワハラも横行していたし、人権だってないがしろにされていた。

 

昔が良かったはずはない。

 

けれども、いやなこと・ダメだったことに目を瞑り、

いいこと・楽しかったことだけをかき集めて貼り合わせ、

心の中に「懐かしい、ハッピーだった昭和」を築いた。

 

そうしなければ、みんなの精神のバランスが崩れてしまっていたかもしれない。

 

「みんなが昭和に帰りたがった時代」というのがあまりに後ろ向きというなら、

「みんが昭和とは何だったんだろう?と検証した時代」と言い換えてもいいかもしれない。

 

文化的にも新しいものは生まれず、昭和生まれの文化の焼き直しが目立った。

 

平成生まれの、うちの息子のような若い連中も

昭和文化の方が圧倒的に面白いと言う。

 

最近はネットのアーカイブの発達・充実で、

いつの時代のものも見放題・研究し放題。

彼は僕より昭和カルチャーについて詳しいくらいだ。

 

だけど、そんな30年に及ぶ流れも令和になったら終わる。

たかが元号が変わるだけだけど、この国において言霊は強力だ。

 

もう十分に検証も終わって、来年のオリンピック・パラリンピックを境に、昭和は彼方に遠去かっていくだろう。

 

さらば平成、さらば愛しき昭和よ。

いったいこれからどうなってしまうのか?

たぶん令和がどうなるか、最初の3年で時代のトーンが決まると思う。

 

楽しみもあるけど、僕はやっぱり恐れおののいています。

あなたはどうですか?

 

とりあえず、ゴールデンウィークは

「ALWAYS 三丁目の夕日」を見て心を休めようかな。

 

 

 

 

 


0 コメント

ロンドンのストリートミュージック

 

ストリートミュージックが商品になった街・ロンドン。

 

1週間前にロンドンのセントパンクラス駅の駅ピアノの話を書いたが、

街頭の音楽は、今やすっかりこの街の観光資源の一つである。

 

歴史的な古い建造物の立ち並ぶ街の中で、ギターをはじめ、

アコーディオン、バイオリン、管楽器、キーボードなど、

思い思いの楽器を手に、名も知らぬ貸家演奏者が

得意のパフォーマンスを披露する。

その光景は確かに楽しく、絵になる。

さしずめ、どこかの物語世界の中に入ったような気にさせてくれる。

 

演奏する曲もロックからジャズ、クラシックまでさまざま。

けっしてみんながみんな、上手いわけではないが、

やる側も聴く側も、あまりそんなことは気にしていない。

 

残念ながら、日本の都市で同じことを、いくら上手いミュージシャンがやっても、

こんな魅力的なテイストにはならないだろう。

 

30数年前、ロンドンで暮らし始めたばかりの頃、

地下鉄の構内や町中で彼ら演奏しているのを聴いて、

「おお、俺はロンドンにいるんだ」と、胸を熱くしていたが、

当時、彼らは街の邪魔者で、何割かはホームレスだった。

 

1980年代半ばの英国は経済的落ち込みから復興する途上で、

鉄の女マギー・サッチャーがそれまでの福祉政策を全面的に見直して

大ナタを振るっている最中だった。

 

その頃まだニートという言葉は生まれていなかったが、

多くの若者は職もなく、路上に放り出され、途方に暮れ、

歌でも歌わずにはいらなかった。

 

警官や地下鉄の職員は、大目に見ていたものの、

やはり目立つことをすると追いはらっていた。

 

けれども追いはらっても追いはらっても、

虫のようにわいてきて、今度は隣の駅で、

一本向こうの通りで歌ったり、演奏したりしている。

 

それが30年たって、社会は彼ら(の「子どもたち)を

認めるだけでなく、

観光客用の売り物にしてしまった。

 

歴史を売り物にするこの国では、

わずか30年前の歴史もまた、

立派なメニューとして陳列され、

求めるお客様をおもてなしする。

 

生活事情は30数年前と大して違わないと思う。

物価の高いロンドンで、歌って暮らすのは楽じゃない。

EU離脱問題だって気が気じゃないだろう。

 

それでも歌うのをやめない。

誰かがいなくなっても、またべつの誰かが、

どっからかやってきて、

楽しそうに歌ったり踊ったりしている。

 

人生にはやっぱり音楽が必要だ。

ロンドンにはそう思わせてくれるろくでなしが大勢いる。

 


100万回生きたロボット(仮題)

 

新作として「100万回生きたロボット」という話を考えた。

もちろん、かの名作、佐野洋子さんの「100万回生きたねこ」のパクリです。

 

100まんねんも しなない ねこがいました。

100万回も しんで、100万回も 生きたのです。

りっぱな とらねこでした。

100万人の 人が、そのねこをかわいがり、

100万人の 人が、そのねこが しんだとき なきました。

ねこは1回もなきませんでした。

 

意味はともかく、1ページ目の、この言葉のリズムが圧倒的。

あっという間に、子どもも大人も、この世界に吸い込まれる。

 

子どもに読み聞かせると言って買ってきて、

こっそり自分が読んで泣いているお母さんが多いようだ。

女性受けする絵本でもある。

 

さて、「100万回生きたロボット」。

メモリーチップさえ残っていれば、

ロボットは何回でも生き返り、何回でも記憶を再生させる。

 

ボディだって、ごっついマシンから

限りなく人間に近いアンドロイドまで、よりどりみどり。

子どもにも大人にも老人にも、男にも女にもなれる。

 

工場でもお店でもか病院でもどこでも働くし、

海の底に潜ったり、宇宙にだって飛んでいく。

 

いつ生まれても、やるべき仕事があった。

しかし100万1回目に生まれた時、仕事もなく、

命令を下す人もいなかった・・・

 

人間の未来を描く物語になるのかもしれない。

 

というわけで、出発点はパクリ。

以後、オリジナル。

いったいどこへたどり着くのか。

また長い旅が始まった。

 


0 コメント

結婚記念日の花束と、ネコのいる花屋と、花を食べるネズミの話

 

結婚記念日は昨日(4月15日)だったけど、

夜、仕事があったので、今日お祝いすることに。

と言っても、近所のピザ屋でメシ食うだけですが。

 

メシだけではなんだな~と思って、

少し仕事を早めに切り上げて近所の花屋へ。

 

その昔、陸奥A子のマンガに出ていた花屋の娘が

そのまま大人になったような女主人がやっている。

 

30年ちょっと前に会っていたら、

恋をしたかも知れない。

 

1970年代のフォークソングと、

1980年代のニューミュージックの隙間の歌が

似合いそうな、小さな花屋だ。

 

サーモンピンクのバラが目に止まって、

それを7本入れて、グリーンと白を合わせた花束を、

その女主人に作ってもらった。

 

出来るのを待っていると、なにか横で生き物の気配がするので

振り返ると、白黒ブチのでかいネコがいた。

去勢したオスだそうで、かなりデブっている。

 

「先代はもっとデブっていたんですよ」と女主人。

 

花屋にネコがいるのは、なかなかファンタスティックな光景だが、

飼い始めたのは、ネズミよけという、なんとも現実的な動機から。

 

しかし、飲食店なら分かるけど、なんで花屋にネズミ?

 

「ネズミに売り物の花を食べられちゃたんです」と女主人。

 

聞くと、近所で解体された家があり、そこから出てきたらしいネズミが、

カーネーションの花が好きで、侵入して食い荒らし、

母の日のカーネーションは、あわれ、がくだけの残骸に。

 

僕は頭の中でネズミが花びらを1枚1枚むしって

ほおばっている様子を思い浮かべてみた。

 

「トムとジェリー」でジェリーが花の中にいたシーンが

あったような気がするが、そんな可愛くて牧歌的な世界が広がる。

 

だが、花屋さんにとっては大損害。

それに現実のネズミはジェリーみたいに可愛くない。

そこでネコのトムさんが花番として任務に就いてるというわけだ。

 

僕が会った2代目トムさん――というより、

ドラえもんに近いブチネコは、ずいぶんのんびりした風情だが、

一応、任務は果たしているようだ。

おかげでネズミは来なくなったらしい。

 

小さな花屋の平和な光景にも、いろんなドラマがある。

夜になって出張診療から帰ってきたカミさんに

その話をしたら、花束よりも喜んでた。

花束にも喜んでほしいんだけど、

24年も経つと、やっぱ花よりダンゴですかね、

 


結婚記念日と「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」

 

4月のある晴れた朝に結婚式を挙げた。

もう24年も前の今日のことだ。

カミさんとは一緒にいて楽しいし、

未だに可愛いと思うが、

では彼女が自分にとって

100パーセントの女の子か?

そう問われると、ちがうと思う。

 

たぶん75パーセントくらい。

4分の1くらいは不足や違和感があったほうがいい。

 

何でもそうだけど、完璧すぎると、

もうその時点でコンプリートされてしまって面白くない。

 

不足があるから、今よりハッピーにしていこうと思える。

未来に夢が持てるのだ。

 

100パーセント同志で夫婦になってしまうと、

きっと長く持たないのではないだろうか。

 

100パーセントの女の子には、

ずいぶん前にどこかで会っているのではないかと思う。

 

あるいは気づいてないだけで、つい最近、

どこかで会った可能性だってある。

 

いや、もしかしたら、まだこの世にいなくて、

これから生まれてくるのかもしれない。

 

ときどき。脳の端っこでそんなことを感じている。

 

そう考えると、人生、より楽しくなってくる。

 

20代のはじめに、初めて村上春樹の

「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を読んだが、

それから40年近く経っても、スルメみたいに楽しめる。

4月になるとページを開いて、毎年、

100パーセントの女の子に出会うことについて思いを巡らす。

たぶん死ぬまで、そんなことをやっている。

 


0 コメント

いろいろな人が弾くから、心に響くロンドンのピアノ 

 

ピアノを演奏するのが好きな人、自信のある人は、

ロンドンに行って一曲弾いてみるといいと思う。

きっと貴重な体験・思い出ができる。

人生が変わることだってあり得るかもしれない。

 

ロンドンの都心にあるセントパンクラス駅構内に一台のピアノが置いてある。

通りすがりの人が、誰でも自由に弾けるようになっている。

 

今日、お昼を食べながら、そのテレビ番組

「駅ピアノ」(NHK-BS1)を見ていた。

いろんな国籍の人が足を止めて弾く。

 

旅行で来た人もいれば、在住の人もいる。

ロンドンは多国籍都市なので、イギリス人、ロンドン在住者でも人種はさまざま。

 

性別はもちろん、年齢もバラバラ、職業もいろいろ。

そして演奏する曲も、クラシック、ジャズ、ロック、ソウル、

ポップスなど、バラエティに富んでいる。

 

ポーランドから来た旅行者で、クイーンの大ファンだという男性は、「ボヘミアン・ラプソディ」を弾いた。

 

ミュージシャンを目指し、弾き語りを披露する若い男性。

 

地方から遊びに来た仲良しの女子高生のカップル。

 

同じく地方から来たが仕事が見つからず、

現在はホ―ムレスだと言う男性のピアノは

ちょっと物憂げだが、美しかった。

ここでピアノを弾くことが、

彼の心の支えになっているようだ。

 

ルーマニア人の奥さんとラブラブな

ナイジェリア人の男性が、ゴスペル風の讃美歌を轢く。

そういえばアフリカの国は半分くらいの人が

キリスト教らしい。

 

8歳のかわいい男の子が、即興でブギウギ(めちゃくちゃ上手い!)を弾いていると、

プロのミュージシャンの男性がジョイントして、

アドリブ合戦が繰り広げられる。

 

1ヵ月前、脳梗塞で倒れた男性は、無事、一曲弾き終えて

安堵した表情をしていた。

 

ドイツ人の音楽教師は替え歌で、EU離脱で混迷する

イギリスに向けて

「イギリスよ、離れるな。帰ってきてくれ」と歌った。

 

ブルーのおしゃれなネクタイを締めた90歳の男性は、

「音楽は生きがいだった。ピアノと出会い、

弾けることができて、私の人生は幸運だった」と

しみじみ語った。

 

どうもこのピアノは、2012年のオリンピックの時に、」

エルトン・ジョンが寄付したものらしい。

去年、ロンドンを旅したときは、

セントパンクラスにも行ったのに、

不覚にも見過ごしてしまった。

ちと残念、

 

テレビ番組なので、うまい人しか登場しないが、

たぶん誰でも触れると思う。

たくさんのオーディエンスが行き交っているので、

自信のある人はトライして楽しませてほしい。

 

この番組はロンドンに限らず、

各国の駅や空港に置いてあるピアノと、

それを演奏する人たちを映し出すドキュメンタリー。

 

登場する人たちのプロフィールを紹介するテロップが出て、

演奏後にそれぞれの人のコメントが入る。

 

途中で、その国や都市のインフォメーションが何度か入る。

 

たったそれだけだが、音楽が楽しめるとともに、

ピアノを愛する、それぞれの人の人生の背景を

垣間見ることができて、本当に面白い。

 

番組の最後には、黒人のミュージシャンが、

障がいのある女の子とのセッションを見せる。

さらに、周囲のオーディエンスに呼びかけて、

サッカーのイングランド応援歌を演奏して盛り上げた。

 

やっぱりそうだ。

音楽には人をつなぐ力がある。

そしてやっぱり、

世界はいろいろな人がいるから、生きてて面白い、

いろいろな人がいるから、世界は成り立っている。

いろいろな人が弾くから、心に響くロンドンのピアノ。

 

今度行ったときは、わが十八番「かえるの合唱」を弾こう。

 


0 コメント

さいみょうくん・さいみょうちゃん

 

お寺のオリジナルキャラクターというのに初めてお目にかかった。

「さいみょうくん」と「さいみょうちゃん」。

一昨日、「寺力本願」の取材で伺った川越・最明寺のキャラである。

 

開かれたお寺づくり――とくに女性・子どもに親しんでもらえる

お寺を目指して、平成元年生まれ・インド修行帰りの

若き副住職のプロデュースのもと、

仏像キャラ専門のデザイナーが考案した。

 

ご本人は否定したが、男の子のさいみょうくんは、

当の副住職をモデルにしたのではないかと思われる。

(理知的で優しい顔立ちのイケメンである)

 

女の子のさいみょうちゃんは「小悪魔風」のキャラ付がされていて、

そこはかとなくドキンちゃんを連想させる。

それにしても、仏像キャラなのに、小悪魔って、どーゆーこっちゃ!

 

―ーといったツッコミが入るのも織り込み済みなのだろう。

プロデューサー/デザイナーの遊び心が窺えて楽しい。

 

可愛いだけじゃなく、高貴な品格も感じさせてくれて、

僕はたちまちファンになってしまった。

 

 

最明寺は先週、世界自閉症啓発デー/発達障害啓発週間に合わせて、

1週間、お寺をブルーにライトアップし、

本堂では障がいを持つ子どもたちの絵画展をはじめ、

地元のアーティストやアイドルが出演するイベントを開催。

市や商工会の人たちも巻き込んで大いに盛り上がった。

 

また、10月には毎年、乳がん検診啓発の「ピンクリボン運動」に参加。

この時はピンクでライトアップし、」同様に各種イベントを繰り広げるという。

これをやっているのは今までのところ、

最明寺と京都の清水寺だけだ。

 

2人のキャラクターのカラーリングは、

それぞれのライトアップを表したものなのだ。

 

最明寺の社会活動とそれに連動したイベントもあって、

小江戸でにぎわう川越は、ますます活気づいているもよう。

あなたも川越方面に出向くことがあれば、

ぜひ西川越まで足を伸ばして、

さいみょうくん・さいみょうちゃんに

会いに行ってください。

僕もまた行きたいと思ってます。

 


0 コメント

小江戸・川越をぶらり

 

真冬の寒さだった昨日は埼玉の川越へDayTrip。

お寺の取材でアポを取っていて、延期するわけにもいかず、

震えながらの小旅行になった。

 

お寺のあたりは、隣の西川越という無人駅の近くの長閑な地域。

桜も菜の花もまだ綺麗に咲いている、

とてもいいところだったのに、ちょっと残念。

しかし、お天気のことなので、文句を言っても始まりません。

 

取材を終えて川越に戻り、街中をぶらり。

というか、それもまた取材の一部なので、1時間余り歩き回った。

「小江戸」という愛称の古い街並みが人気。

京都・金沢・鎌倉などのプチ版という感じだろうか。

スターバックスも純和風のしつらえで出店しています。

 

その小江戸界隈(川越駅からはちょっと距離がある)は、

平日で、みぞれが降る悪天候・寒さにも関わらず、

けっこうな人出でにぎわっていた。晴れて陽気が良かったら、

どんだけ~の世界。

ご多分に漏れず、シニア層と外国人(おもにアジア系)の姿が目立った。

 

川越に来たのは、たぶん20年ぶりくらい。

池袋から40分もあれば来れるところだけど、

やっぱり仕事でもないと、なかなか足を運ばない。

そう考えると、仕事という名目でいろいろな街に行けるのは、

幸運な境遇なのかも知れない。

 


0 コメント

世界自閉症啓発デー&発達障害啓発週間と人権意識の未来

 

桜が満開になり、新年度が始まった4月2日(火)は

世界自閉症啓発デー、

そして4月2日~8日(月)までは発達障害啓発週間だった。

 

「LIGHT IT UP BLUE 」――青は希望の色として、

2007年から毎年、世界各地のランドマークを

ブルーにライトアップ。

東京タワー、東京スカイツリー、大阪の通天閣なども

真っ青な光で照らされ、各地でイベントが行われた。

 

ということを週末、ほとんど終わりかけていた頃に知った。

でも、知っただけでもいいかな。

 

平成の30年間で最も進化したのは、人権意識だと思う。

少なくとも、ほとんどの人が

「すべての人に人権がある」

ということを知り、認めるようになった。

 

昭和の時代は、パワハラ、セクハラなど、

さまざまなハラスメントや暴力が、

そういう習慣だ、常識だと、平然とまかり通っていた。

よほどのことでもない限り、

問題視されて取り沙汰されることさえなく、

泣き寝入りするしかなかった。

 

死ななければならない人も大勢いたと思う、たぶん。

 

それと比べると大きな進化だと思う。

もちろん、知ってはいても、

それがアクションに繋がっているかと言うと、

まだ全然そうなってないと思うけど。

 

すでにコンビニなどで実験が始まっているが、

これから産業界ではAI・ロボットがどんどん導入され、

多くの人間はAIの指示のもとに動くようになる。

あるいは、それまでやってきた仕事を失う。

この流れはもう止めようもない。

 

「きみの仕事はAIが、ロボットがやってくれるよ」

 

いかに経済・産業に貢献する能力があるかを競ってきた、

ほとんどの人に、アイデンティティの危機が訪れる。

 

その時に、こうした人権を尊重しよう、

それぞれの個性を尊重しようという、

何十年にもわたって続けられてきた社会活動の成果がやっと表れ、

するすると社会に染み透っていくのではないかと思う。

 

他人の人権を軽視する人は、

自分の人権も失いかねない。

そんな時代になるのではないかと思う。

 


イチローの国民栄誉賞辞退に心の中で拍手喝采

 

「人生の幕を下ろした時に頂けるよう励みます」

そう言ってイチローは国民栄誉賞の授与を辞退した。

カッコいい!と思うと同時に、もし受けちゃったら、ちょっとカッコ悪いよな、とも思った。

 

たぶん国民の半分は僕と同じように感じるんじゃないか。

 

べつに権威に対する反骨心とか、

自民党の宣伝材料に使うなとか、

そんな思想めいたことを言っているのではない。

 

単に、もらっちゃったら、イチローらしくない。

「長い間のヒーロー業、ご苦労様。国民みんなでお祝いします」と、

定年退職のおじさんに花束が贈られるような雰囲気になってしまう。

そんなことがあると、一気にリタイアしたじいさんになってしまいそうだ。

 

もうそんな時代じゃない。

定年退職して過去の栄光だけでやっていける時代じゃない

 

イチローには、孤高の姿勢を保ってほしい。

国民栄誉賞なんて、時代遅れな荷物を担がなくていい。

何するにしても、軽やかに新しい人生に踏み出してほしい。

たぶん本人もそう思っていると思います。

 

さて、ここからは日本昔話。

 

数多の伝説を作り出してきたイチローだが、

そのストーリーの根本にあるのは、彼がプロ野球に入るとき、

けっしてそんなに注目される選手ではなかった、ということがある。

 

1991年のドラフトでのオリックスの指名は第4位。

彼は愛知県の出身で、子供の頃から

地元・中日ドラゴンズのファンだった。

 

なので、中日が早い順番に指名すると思っていたのに、

オリックスが先を越してしまったのだ。

これは意外なことだった。

 

その後の大活躍を目の当たりにした名古屋のファンから

「なんでイチローを取らなかった!」と球団に講義が殺到。

「次の順番で指名するつもりだったんだよ~」と、当時の高木守道監督が言い訳がましいことを言ったため、火に油を注いだことをよく憶えている。

 

メジャーリーガーとして活躍するようになった後、一時期、名古屋のファンの間では、

「イチローは大リーグを辞めたら、日本のプロ野球界に戻ってきて、中日でプレーする」

という噂が広がったが、それも幻と消えた。

 

僕もその名古屋のファンのひとりだったが、

落合監督が辞めた頃からなぜか野球自体に興味をなくして、

この10年余りの間、全然、見なくなってしまった。

いま、プロ野球ではどんな選手が活躍しているのか、ほとんど知らない。

 

だけど、もし、イチローが日本で、中日の監督なりコーチをやるというなら、また観るようになるかも知れない。

ま、ありえないと思うけど。

 


0 コメント

高級住宅街のど真ん中の斎場

 

 日曜日のことだが、月刊仏事の仕事で、代々幡斎場へ行った。

 場所は京王線・幡ヶ谷と、小田急線(+東京メトロ千代田線)の中間点にある渋谷区西原というところ。

 

 結構な豪邸が並ぶ高級住宅街のど真ん中に、火葬場併設の葬儀場が、どーん!と立つ。そのギャップがすごい。

 

 どうしてこんな一等地に火葬を行う斎場が・・と思ってしまうが、これは話が逆。

 

 ここでは江戸時代からいくつかの寺院が合同して火屋(火葬場)を運営していた。

 明治になって 東京市区改正条例(都市計画法の前身)が施行され、1889(明治22)年5月20日より都市計画施設として稼働。

 

 1921(大正10)年から東京博善株式会社(現・廣済堂グループ)が所有することになり、以後、1世紀にわたって運営を担い続けている。

 名称は、所在地がかつて「豊多摩郡代々幡町」という名の町だったことに由来する。

 

 戦後、これを囲むように住宅が次々と建てられ、やがて都内でも指折りの高級住宅街として発展していった。

 

 約四半世紀前まで外観は大型の寺院風で、瓦葺きの屋根に煙突が立っているが特徴的だったが、1996年(平成8年)11月に全面改築され、明るく近代的な快適性と、人生最終の大礼に相応しい荘厳さを兼ね備えるとともに、環境問題にも配慮した無煙無臭火葬システムも導入。3階建ての総合斎場に生まれ変わった。

 

 この日は3月最後の日曜で友引。

 ということで、初めての地域感謝イベントが開かれ、花見や落語が行われていた。

 館内には明るい笑い声が響き、とても火葬場だとは思えない。

 渋谷区も後援につき、町会も開催に協力したようだ。

 

 高齢化社会が進み、こうした施設も、人間の自然な営みとして、敬遠せずに街が受け入れる――令和は、そうした時代になりそうだ。

 


令和元年が来る

 

 菅官房長官、たぶん、この日のためにスーツ新調、

 昨日はちゃんと散髪もしてきた。

 そして新元号「令和」発表。

 小渕さんの時と違って、

 今回は余裕があって良かったね。

 

 新元号、結構、意外性があった。

 頭文字が「R」というのは新鮮感がある。

 昭和の「和」が入っていることで、年配者も安心だ。

 そして中国の古典からじゃなくて、

 日本の「万葉集」から持ってきた、

 というところがミソなんだと思う。

 

 それにしても日本人って面白い。

 街のあちこちで大勢集まって、大画面でその瞬間を見てた。

 元号発表でこれだけ盛り上がれるなんて、

 他の国ではありえない。

 日本語には言霊が宿ってることを改めて実感。

 ホント、今日は日本人冥利に尽きました。

 4月31日と5月1日も楽しみだ。

 

 もう僕の頭は「令和時代」に入ってます。

 


いたちのいのち少年少女版・完成

 

ホームページに載せている「いたちのいのち」という小説を書きなおした。

「いたち」というのはペットのフェレットのこと。

書き直す時点で削除しようと思ったけど、

割と毎日のようにアクセスがあるようなので、そのままにしておいた。

たぶん、タイトルが面白いのでアクセスするんだと思うけど、

ちゃんと読まれているかどうかはわからない。

 

どういう経緯だったか、詳しい事は忘れてしまったが、

6年ほど前、フェレットを飼っている、ひとりぐらしの女性に話を聞いた。

確か横浜のファミレスで4時間ぐらい聞いたと思う。

 

その録音をもとに、彼女とフェレットの暮らしを

ちょっとフィクションを交えてストーリーにした。

 

読んでもらって感想を聞こうと思ったのだが、

リアクションはなく、そのまま僕の前から姿を消した。

たぶん、彼女としては、

自分がどんなにそのフェレットを好きか、

思いきり話をして相手に聞いてもらえれば、

それだけで満足だったのだろう。

 

手元に残った原稿は、400字詰めで100枚以上あったので、

このままにしとくのはもったいないなと思い、

彼女の名前やフェレットの名前を変えて、

構成も組み直して小説らしきものにした。

 

これを原作にして、少年少女小説にしてみようと

思い立ったのが去年のはじめ。

 

ひとり暮らしだった彼女は、その後、

あるオトコと出会って恋におち、子どもを設けたが、

じつはそいつが割とろくでもないオトコで

逃げ出してしまったので、

彼女はシングルマザーとなり、

生まれた娘と二人で暮らすことになった。

その娘が3歳の時、

ペットショップでまたフェレットと出会い、

フェレットを飼い始める。

その7年後の話。

 

なので主人公は10歳になった娘とフェレット。

こいつは本当は人間に生まれたかった天使。

話は、娘の視点と、天使のフェレットの視点の

ダブルカメラで進む。

タイトルは気に入っているので、

まんま「いたちのいのち」です。

 

結局、いろいろあって書き直すのにまる1年かかった。

400字詰めで290枚になった。

最後まで書上げられて、ほっとしている。

児童文学賞の賞レースに出してみた。

落選したら公開します。

 


さらばショーケン:カッコ悪いカッコよさを体現した1970年代のヒーロー

 

ショーケンが死んだ。

代表作はやっぱり、「傷だらけの天使」か

「太陽にほえろ!」のマカロニ刑事。

どちらも僕らのヒーローだった。

 

マカロニは主人公だったのにも関わらず。

タチションしている最中に、チンピラに刺されて死んだ。

ショーケン本人が考えたエンディングだ。

 

子どもの頃に見て「人生は不条理なり」と教えられた。

ショーケンにはそんな気はさらさらなくて、

ただ、こうやってぶざまに死んだら

カッコいいぜ、と思ったんだろうけど。

 

「傷だらけの天使」のオサムは、探偵をやってたけど、

みじめで卑怯で不器用でカネがなくて、でも純粋な、

でもやっぱり虫ケラみたいな男だった。

 

だけど、とびきっきりイカしてた。

とくに男はみんな、あの生き方に憧れた。

とんでもなくぶざまでカッコ悪いのに、なぜかそれがカッコいい。

 

1970代のティーンエイジャーの男で、

「傷天」にまったく影響を受けなかったやつは

いないのではないかと思えるぐらいだ。

 

あれほど、カッコ悪いカッコよさを

体現できる男は、もう二度と出てこない。

 

うちの本棚に「傷だらけの天使」の脚本集がある。

メインライターだった、名脚本家の故・市川森一氏のペンによる

8本の脚本が収められている。

この本が出た1983(昭和58)年の時点で、

傷天は、すでに伝説的なドラマとなっていた。

 

あとがきで市川氏は語っている。

 

「傷だらけの天使」は、テレビ界のどんな賞ももらわなかった。

視聴率も、最後まで20%に届かなかった。

それにも関わらず、自作の中で、これ程、いつまでも、

人々の口の端にのぼる作品を、私はほかに持たない。

 

当時、業界では非常に評判の悪い作品だったので、

市川氏自身も「傷だらけの天使」って、なんだったのだろう?

と自問することが、よくあったという。

 

そして氏は、自ら書いた第1回のファーストシーンの

1行目のト書きに、その答を見つけたと言う。

 

――鳩が糞(クソ)を垂れて飛び立つ。

 

鳩=平和のシンボル。すなわち、平和の糞。

70年代の繁栄が垂れ流した糞。

「傷だらけの天使」とは、ほかでもない、

実に、鳩の糞だったのだ。

 

それもまた遠い昔話となった。

時も時。平成の終わり。

われらがヒーロー・ショーケンには、平成という時代は似合わなかった。

合掌。

 


和服でサムライプレゼン

 

 IT関連企業などを中心に、

 ビジネスの現場では、じわじわと脱スーツが進んでいる。

 ように感じるけど、実際にはどうなのだろうか?

 

 今日はアップルの動画配信サービス参入のニュースで、

 CEOのプレゼンシーンを見た。

 ジョブズ氏以来の伝統になっているのか、

 カジュアルな服装でのプレゼンがカッコいい。

 

 昔はよく、若い者はカジュアルファッションでもいいけど、

 年輩者はやっぱスーツじゃないとサマにならんよねーと

 言われたものだが、もうそんな常識も吹っ飛んでる。

 

 ただ、きょうのプレゼンシーンを見て思ったのは、

 これって日本人ならどうかな~ってこと。

 

 スーツにしても、カジュアル服にしても、

 洋服というのは、西洋人の顔や体型を基準に作られている。

 

 いくら最近、日本人の上背が伸び、筋肉が発達し、

 体型が変わったと言っても、やっぱり西洋人とは違う。

 

 肌の色はもちろん、その質や骨格が違う。

 年齢が高くなるにつて、そうした特徴は顕著になってくる。

 

 プレゼンは演劇みたいなものだから、

 観客を満足・納得させるためには、

 内容や語り口と同じくらい、見てくれが重要。

 服装が占める要素はけっこう大きいのではないか。

 

 同じ服を着たら、西洋人にかなわない。

 スティーブ・ジョブズの真似をしてもダメ。  

 

 日本人ビジネスパーソンをカッコよく見せ、

 プレゼン内容の説得力を高めるのは、

 和服――着物ではないかと思う。

 

 和服の価値・イメージは近年、上がっていると思うが、

 さすがにビジネスシーンでは、

 特別な接待やセレモニーの場を除いて、

 お目にかかる機会はほとんどない。

 

 女性の場合は、フジヤマ・ゲイシャ時代からの

 華やかなキモノ・イメージがついちゃっているので、

 ちょっと難しいと思うけど、

 男性用は大いに開発の余地がある。

 

 カッコいいデザインのビジネス和服、勝負着物で、

 サムライプレゼン。

 特に国際的なステージでは効果的では、と思うけど、

 どうでしょう?

 


0 コメント

日本人は、ほんとは幸福になんかなりたくないのでは、と思う時がある

 

 先日、今年もまた、国連の持続可能開発ソリューションネットワークが発行する、幸福度調査レポートが発表された。

 いわゆる「世界幸福度ランキング」です。

 

 やっぱりというか、

 案の定というか、

 相変らずというか、

 日本は下位に低迷。

 今年は58位。

 昨年が54位だったから、4つ順位を下げたことになる。

 年々じりじりと下がり続けている。

 

 今年は韓国より下になってる。ガーン!

 でも中国よりはだいぶ上だ、ホッ。

 

 なんて言ってランキングに一喜一憂している日本人の皆さん、

 そうやって他人と比較する癖が抜けなければ、

 永遠に幸福にはたどり着けません。

 

 それにこの国連のランキング、

 欧米の価値観を基準にして作られているから、

 そんなに気にして一喜一憂してもしゃーない。

 

 いつも日本の幸福度を下げている「他者への寛容さ」の項目は、

 寄付をしたか・しないかがポイントの高低の基準だというので、

 そうした習慣が定着していない日本が低くなるのは、

 当たり前なんです。

 

 今年のベスト3は、フィンランド、デンマーク、ノルウェーと、

 例年同様、北欧勢が強い。

 

 でも、かといって日本人が北欧で暮らせば、幸福を感じられるかというと、まずそんなことはないだろう。

 

 確かに社会保障は充実しているけど、その分、税金はたまげるほど高い。

 平均的な生活水準だって、日本と比べてけっして高いわけではないと思う。

 貧富の差だってもちろんあるし、いろんな社会問題もあるし、犯罪だって起こる。

 

 そして何よりも、あの地域は1年のおよそ4分の3が「冬」だ。

 

 寒いのにプラス、今ごろもまだお日さまが拝めず、1日中ほとんど真っ暗である。

 その分、夏は白夜で、1日中お日様が出ているが、それもわずかな期間だ。

 こんなところで現代の日本人が暮らしたら、とたんにうつ病になりそうだ。

 

 それに比べれば、四季折々の、美しく、バリエーション豊富な自然を楽しめる日本は断然、恵まれている。

 食べるものだって、その幅の広さもクオリティも、おそらくは世界一。

 アニメもマンガもゲームも、たぶん世界一。

 

 社会保障だって、世界の他国と比べて、そうダメなわけでもない。

 お金だってあって生活水準は高いし、健康寿命も長い。

 北欧の人なんか、日本は天国だと思っているのではないか。

 日本ほど幸福な国はないと思っている人は、世界にはいっぱいいるはずだ。

 

 けれども北欧人は、人生に幸福を感じている人が多く、

 日本人は少ない。

 

 なんで?

 

 よく言われることだが、結局、生きるための軸が自分にあるのか、

 他人にあるのかの違いなんだと思う。

 

 被害者意識の強い人が多すぎる。

 あの人と比べて、私はこんなに不幸、運が悪い、恵まれてない。

 くそー、あんちくしょう、恵まれやがって。

 早く落ちぶれればいいのに・・・。

 とかなんとか。

 

 そして、子どもの声がうるさいから、近所に保育園なんか作るなとか、

 わが街のブランド価値が下がるから、児童相談所なんか作るなとか、

 他人の立場に立って考えられない想像力の欠如と余裕のなさ。

 こういうのは「他者に不寛容」と言われてもしかたないだろうね。

 

 さらに、それをなんでかと深掘りすると、

 子どもの声を許容できないほどの疲労とストレスの蓄積や、

 土地が高く、ブランド価値が高い地域に住んでいることを

 支えにしなきゃならないような心の在り方が、

 構造的不幸をつくっているんだと思う。

 

 日本人が幸福感を高められる日は、やって来るのだろうか?

 

 


0 コメント

企業ブランディングとストーリーテリング

 

 企業ブランディングの仕事の際に、

 商品の想定ユーザーを主人公とした8つのストーリー、 

 そしてその企業にまつわる1つのストーリーを作ってみた。

 

 あくまで提案の方向性とキーワードを見つけるための準備作業なので、

 それをそのまま提案するわけではないが、

 われながら良い方法だし、なかなか楽しいなと思った。

 

 冷静なマーケティング分析も必要なんだろうけど、

 まずは自分がその会社や店と一体になってみないと、

 良い提案など考えられない。

 

 それに昔、広告代理店がやってたF1やらM2やらの分析って、

 今でも有効なのか?

 

 

 何より自分がなんでこの仕事をやっているのか納得できるし、

 その商品なり、サービスなりを愛せるし、テンションも上がる。

 

 ブランディングとは、その企業なり、商品なりのストーリーを

 見出して、一つのまとまった形にして、社会に向けて発表することだ。

 

 もちろん、会社・創業者(代表者)・商品にそれなりの歴史があれば、

 その棚卸をすることでストーリーは作れる。

 けれども、それだけではだめで、未来のストーリーを

 繋げて描けないといけない。

 

 自分たちはいったい何のためにその事業をやっているのか。

 その事業を通して、何を実現したいのか。

 その商品・サービスによって、人の心にどんな動きが起こるのか?

 それはその人の生き方を少しでも変えられるのか?

 

 あるいは、

 これまで単にお金儲けのためにやってたその仕事に、

 どんな意味づけをして、どんな夢を付加して、

 社会性を持たせられるのか?

 

 会社でも非営利団体でも、法人というからには、人格がある。

 すなわち、その会社・団体独自のキャラクターが求められる。

 

 市場で生きていくため、

 特に無名の中小企業やベンチャー企業は、

 キャラクターとストーリーづくりをしっかりやっていく必要がある。

 それが顧客との出会いのドラマを生み出す。

 

 こう考えると、ブランディングもドラマや物語を書くのと同じだ。

 


0 コメント

新元号発表とGod Save the Kingと戦争のあった時代

 

 新元号が発表されるまであと2週間を切った。

 やっぱり気になる。

 

 菅官房長官が そのプレゼンター(たぶん)となり、

 のちのちの時代まで語り継がれることになる。

 

 数十年後、みんな、安倍首相のことは忘れても、

 菅官房長官の顔は忘れない。

 

 元号のことを考えていたら、

 イギリスに住んでいた頃、戦中派のご夫婦から

 英国国歌の「God Save the Quuen」は、

 前は「God Save the King」だったんだよ、

 と教えてもらったことを思い出した。

 

 考えてみれば当たり前のことで、

 1952年2月まで 英国国王はジョージ6世だった。、

 

 現在のエリザベス2世に替わっても

 国歌は同じ曲だ。

 ただ、タイトルと、ほんの少し歌詞が変わっている。

 

 王様が変わるというのは、立憲君主制国家にとって

 やはり国民の精神に少なからぬ影響を及ぼす。

 

 ジョージ国王時代とエリザベス女王時代とでは、

 厳然とした違いがあると思う。

 

 政治に関わらなくても、

 王様の持つ雰囲気・キャラクターというのは

 ある程度、国の在り方――

 特に文化方面に働きかけるものがあるのではないだろうか。

 

 もし、1952年に即位したのが女王でなく、

 男性の国王だったら、

 イギリスは現在とはけっこう色合いの違う国に

 なっていたような気がする。

 

 もしかしたら、ビートルズが

 あれほど人気が出ることもなかったし、

 それならばイギリス発のロックやポップカルチャーも

 これほど世界を席巻することはなかったのでは、と思う。

 

 ただ、イギリスや他の国家では西暦を採用しているので、

 日本のように元号というものがあり、

 それが変わることはない。

 

 そういう意味では日本はかなり特殊な国だ。

 言霊の持つ力を信じる民族にとって、

 社会的影響力は想像以上に強力だ。

 

 そして、新しい天皇陛下になる皇太子様

 ――僕は同年代のよしみで、

 つい「浩宮さん」と言ってしまうのだが

 ――と雅子様の雰囲気・キャラクターが及ぼす力は、

 やっぱり小さくないと思う。

 

 新元号になって1~2年もすれば、

 平成とはかなり色合いの違う時代になり、

 昭和は一気に遠くなる。

 

 そうなればも昭和は伝説的な「戦争のあった時代」になる。

 高度経済成長も、バブルも、

 ジャパン・アズ・ナンバー1も、

 もう戦争(敗戦・復興)なしには語れない。

 

 いや、昭和っていうのは前半と後半に分かれててね、

 戦争があったのは前半の話で・・・

 なんて言っても、

 新元号生まれの子どもたちには、たぶん通用しない。

 

 戦争なんてまったく知らず、チャラチャラ育った僕たちも、

 下の世代からそういう目で見られるようになるということ。

 

 新元号の時代において、僕たちは語り部の役割を求められる。

 

 今からでも遅くない。

 多少は戦争のことについて

 勉強しておいたほうがいいだろう。

 


0 コメント

SNSメディアはNZの事件を黙って見過ごすのか?

 インターネット社会の進展で、多くの人が、組織が、

 ネット上で自分の存在をアピールする必要に迫られるようになった。

 会社や大きな組織だけでなく、

 個人も、小さな団体も、何かしようと思ったら

 とにかく目立たなくてはいけない。

 

 ニュージーランドのテロ組織は、殺害現場を生中継した。

 犯行声明文も公開している。

 

 10年ほど前には、フィクションで起こっていた

 こうした 超・劇場型犯罪は、いまや現実の世界で普通に起こり得る。

 

 FBやTwiterはこの事件にまつわる動画の配信を

 停止したらしいが、もうかなり拡散されたんじゃないだろうか。

 

 テロはテロを引き起こす。

 目立ちたい奴、自分をアピールしたい奴は

 世界にうじゃうじゃ溢れている。

 

 ネットメディアは、もはや社会のインフラで、

 影響力は絶大だ。

 それを運営する企業には、大きな責任があると思う。

 ご利用いただければ、それでいいのか?

 

 このような暴力を抑制するために、

 今後のネット社会の方向性を示すために、

 世界に向けて、大きな声で

 自分たちの理念にもとづく

 何らかのメッセージを発信してほしい。

 


0 コメント

電車内スマホゲームはなぜカッコ悪いか

 

 最近、電車の中で新聞を読む人を見かけなくなった。

 会社勤めをしてないので、あまり電車に乗らないし、

 乗る時も多くは昼間のすいてる時間帯のせいかもしれない。

 

 本を読む人、マンガを読む人もあまりいない。

 大半はスマホをやっている。

 そしてまた、そのうち大半はゲームに興じているようだ。

 子どもなら、ま、しゃーないかなと思うが、

 社会人であり、中高年の領域になったいい大人が

 一生懸命になってやっている。

 

 スマホなんだから、画面を覗きこまなければ

 わからないだろうと思うだろうが、

 顔を見てるとわかっちゃうんだよね、これが。、

 

 僕が若い頃、電車の中でマンガを読むのは

 下品なことだ、それもいい大人が読むとは――

 みたいなことをよく言われた。

 

 確かにスーツにネクタイの紳士が

 少年ジャンプなどを読んでいるのはカッコ悪く見えた。

 青年コミック誌でも、なんかやっぱり違和感がある。

 少なくともあまり頭がよく見えなかった。

 

 スマホゲームにもまったく同じことが言える。

 男でも女でも、いい大人がやっているとバカに見える。

 

 なぜだろう? と考えてみた。

 べつにゲームやマンガが悪いわけではない。

 

 立派な表現手段だし、芸術性が高いものだってある。

 日本のコンテンツ産業のクオリテの高さは

 外国でもよく知られている。

 まさにクールジャパンの重要部分であり、

 日本の経済力の一端を担ってもいる。

 

 でもやっぱりそれは私的な娯楽である。

 自分の家の中、あるいはマンガカフェ、ゲームカフェなど、

 専用空間でやる分には全然構わない。

 

 要するにその私的な娯楽を公共空間で―ー

 それも電車内という閉じられた空間でやるから

 ネガティブに捉えられる。

 

 つまり、電車の中でゲームに興じている人は、

 公私の区別、自分の家の中と外の区別もつかない

 「稚拙な人間」となるわけです。

 電車の中でメイクしているおねーちゃんと一緒です。

 

 ちなみに若い者はどう思っているかなと、

 マンガ好き・ゲーム好きの息子に聞いてみたら、

 やはり、おっさん・おばさんの電車内スマホゲームは

 カッコ悪いし、情けなく見えるとのこと。

 

 自由な世の中だ、余計なお世話だ、

 誰にも迷惑かけてないじゃん、

 何が悪いんじゃいと言うレディース&ジェントルメ、

 20歳そこそこの若造――息子や娘たちから

 そんなふうに見られてますよ、

 ということは知っておいた方がいいと思います。

 自分の品性を保つために。

 


0 コメント

異業種からの葬儀供養業参入ストーリー

  

 小さな会社でも社内で新規事業を立ち上げ、

 一つのブランドとして展開させるケースが増えてきた。

 

 レギュラーで仕事をしている鎌倉新書の月刊仏事では、

 毎月、葬儀・供養業界(この頃は終活とかシニア問題なども加わる)の

 ニュース記事を書いており、いろいろネタをリサーチするのだが、

 そういうケースによく出会う。

 

 10年余り前、「おくりびと」という映画が公開されるまで、

 やはりまだ葬儀屋さんに対する世間の差別意識は強かったと思う。

 

 それがたった10年で、高齢化社会・多死社会の進展とともに、

 みんなが参入したがる成長産業になった。

 

 ちなみに鎌倉新書も僕が最初に訪れた時は、

 小伝馬町の小さなビルの1フロアにある小さな会社だったのだが、

 あかれよあれよという間に成長して、

 八重洲の一等地のビルにオフィスを構える

 東証一部上場企業になった。

 

 お金儲けがしたくて、もともと畑違いの会社が安易に入ってくる――

 という批判的な見方もできる。

 でも、これはちょっと一面的過ぎる。

 

 たとえば以前「ラストドライブ日本版」の記事で紹介した

 タウという埼玉の会社は、

 事故車の買い取りをして海外へ輸出する事業をしている。

 

 ここが「願いのくるま」という法人を立ち上げ、

 ターミナルケアを 受けている人を希望の場所に車で連れて行く、

 という事業をボランティアでやっている。

 

 高齢者が増えたことによって、

 こうしたケアや葬儀・供養に関する社会的ニーズが激増中なのだ。

 

 また、それだけでなく、社会通念が変わり、

 死を仕事にする人たちを忌み嫌う風潮がかなり弱くなった。

 

 こうした理由から異業種からの参入者が増えているのだと思う。

 

 とは言え、いきなりそれだけで新しく会社を起こすのは

 あまりにリスキーなので、社内の事業単位で

 独立したブランドを作るのだろう。

 

 異業種から参入するからには、

 いろんなストーリーがありそうだが、

 残念ながら、ホームページを見ているだけだと、

 なんでこの会社が葬儀事業を???

 と、分からないことが多い。

 

 仏事の新連載企画として、異業種からの参入ストーリー

 というのをやってみようかと思っている。

 


0 コメント

記憶を伝える「おもかげ復元師の震災絵日記」

 

 彼女が遺体安置所を訪れると「おくりびとが来た」

 と人々がどよめいた。

 

 この本と出会ったのは、震災から3年くらい経ったころだ。

 女性納棺師である笹原留似子さんが被災地を回って

 300人以上の遺体を復元した。

 

 もちろんボランティア。寝るのは車の中。

 1日の終わりに、その日、復元した人たちの顔を思い浮かべて

 スケッチとメモを残していた。

 

 それがどういう経緯でか、翌年の夏、

 ポプラ社から絵本として出版された。、

 僕がこの本と出会ったのは、それからまた1年くらい経ったころだ。

 

 彼女の簡素な絵と言葉が、現場の状況と

 人々の感情を描き出していて、胸に迫ってくる。

  

 どうしてこんな仕事ができたのか?

 この時、彼女の手には神様が降りていたとしか思えない。

 

 3・11の記憶を後世に伝えるとともに、

 納棺師という仕事の尊さ、

 ひとりひとりの心に寄り添う仕事の重さを

 普遍的に伝える本。

 


あたりまえに豊かで幸福だけど

 

 生きててたくさん不満はある。

 いやになちゃうこともある。

 世の中には運のいい人がいっぱいいいるのに、

 なんで自分だけ運が悪いんだと嘆くこともある。

 

 でも、こうやってパソコンやスマホがあれば

 インターネットでつながって、

 あなたにメッセージを届けられるし、

 話をすることもできる。

 

 SNSを覗いてみれば、

 今日もおいしそうなごはんやお菓子やお酒の写真も

 楽しそうな動画があちこちに載っている。

 

 僕も昼はラーメン、夜はヒレカツを作って食べました。

 

 これはやっぱり豊かな生活だし、

 ささやかだけど幸福なことに違いない。

 

 でもその豊かさ・幸福も

 地球がちょっと身震いするだけで

 一瞬で消えてなくなることがある。

 

 あの日、亡くなった人たちの多くも、

 普通に生活できて当たり前と思っていたし、

 それがずっと続くと思っていた。、

 

 でもそうではなかった。

 日本中がみんな、そうではなかったことに気が付いた。

 

 そうやって気が付いたこともそろそろ忘れかけてたけど、

 やっぱり思い出したほうがいと思う。

 

 3・11はこんな暮らしが楽しめることに

 ありがとうと唱える日。

 そして、その気持ちを未来へ伝える日。

 


0 コメント

子どもの卒業・親の卒業

 

 先日、大学生の息子の卒業式に出たいのに出させてくれないというお母さんに、息子さんがいやだと言うのは当然ですよ、僕だって嫌でした、という類のことを言ってちょっと冷た過ぎたのではないかと後悔している。

 

 嫌がるのは息子さんの独立心の証だと言いたかったのだが、そう言えば自分も息子の中学の卒業式に出られなかった。

 

 仕事だったのでやむを得なかったわけだが、子どもの一生一度のイベントを犠牲にしてまでやらなければいけなかったのかなぁ・・・と、しばらくの間、後悔してた。

 

 僕の親の世代はこんなことは考えなかっただろう。

 父親は学校なんかに一度も来たことなんてない。

 父親がわざわざ子どもの入学式やら卒業式に出るなんて、男を下げることだ――

 と、昭和の男たちはそういうだろう。

 

 そんな父を見ているので、母親が入学式やら卒業式やらについてくるのを容認するのは、やっぱり男を下げることだった。

 

 けれども今は母親も父親も大学まで、いや、会社の入社式までついてきたがるし、子どももそれを容認する。中にはぜひ来てほしいと願っている子もいる。

 

 親は子どもの成人した姿を見て何らかの精神的報酬を受けようとしている。

 彼もしくは彼女は自分が手塩にかけた立派な作品であることを確認したがる。

 その確認を済ませた上で、気持ちをすっきりさせて、人生の次の章に移る。

 つまり子どもの卒業式は、親の卒業でもあるわけだ。

 そういう意味では、ずいぶん親にやさしい子どもが増えた。

 

 でもこれで、子どもにとっての卒業は、本当に卒様になるのかはやっぱり疑問だけど。

 

 お互いに助け合い、いたわり合って、親子団子になってやっていかないと、この先、生きいくのはきびしいぞという予感がしているのかも知れない。

 


0 コメント

カラオケBOXミーティング

 

 かなり歌が下手なので、カラオケからは、ず~~っと遠ざかっている。

 でもカラオケBOXには行く。

 仕事の打ち合わせのためだ。

 個室で周囲と遮断されるので集中して話ができるし、資料も広げやすい。

 

 きょうはアートディレクター氏と1時間半たっぷり。

 来週もやる予定だ。

 

 都心であれば、レンタルオフィスや談話室喫茶などもたくさんあるが、ざんねんながら、わが永福町には皆無。

 カラオケBOXはいわば臨時オフィスだ。

 

 経営上の必要に駆られて、こうした「昼の顔」を持つようになったのだろうが、いつごろからカラオケBOXが集会場として利用されるようになったかは定かでない。

 

 それにしてもランチ会が開かれていたり、学生らが溜まり場にしたり、PTAのお母さんたちの喧々諤々の会議が開かれていたり、もちろん昼間の2時から歌いまくってるグループもいたり、スキルアップを目指して一人で練習しているおじさんもいたりで、なかなか魅力あふれるカオス状態になっている。

 

 KARAOKEは世界に冠たる正真正銘の日本文化で、海外でも大人気だが、ここまで進化を遂げ、別の目的で利用されているのは、やはりまだ日本だけだろう。

 まさに原点にして頂点。

 日本のカラオケはこれからどこへ行くのか?

 


0 コメント

デジタル時代ならではのアナログ手書き写本トレーニング

 

 手は脳と連結している。

 運動することによって信号がビビットに伝わる。

 やればやるほどその能力は上がる。

 それがデジタルデバイスの入力作業では得られない手書きの効能。

 ま、科学的根拠があるわけじゃないけど。

 

 毎日インターネットを使っていろんな文章を読み書きしているが、デバイス上で読む文章はなんだか字面だけなぞっているようで、文章の奥にあるSomethingが見えてこない。

 つまり単なる情報なんだな。

 

 アナログ世代の習性なのかも知れないが、重要なものはプリントアウトしてしまう。

 紙の上に納まった文章は読みやすく、(自分にとって)一段と質の高い情報になる。

 

 さらにその情報を自分の知識にするには、自分で書く。

 仕事で使うためにデータ入力もするが、これはぜひとも深い所まで突っ込んで血肉にしたいと思うともう手書きするしかない。

 いわば「写経」のようなものだ。

 

 本でもウェブサイトでもそこに載っている気に入った文章をまるまる写す。

 コピペではないよ。

 するとその世界に没入し、その筆者がなぜその文を書いたのかの意図、その行間にある精神みたいなものが伝わってくる。

 

 それが合ってるか間違っているかはどうでもぃい。

 自分がそう思えるということが大事なのだ。

 

 でも手書きは疲れる。

 めちゃくちゃ時間もかかる。

 そして何より、1回や2回やっただけじゃ効能がわからない。

 何度もトレーニングして、やっとその価値が分かってくる。

 肉体のトレーニング同様、サボらずにやっていると確実に身に付く。

 手と脳の繋がりを磨く、これも一種の筋トレなのだ。

 

 小説でも論文でも宣伝文句でも何でも、こころ動かされる文章に出会ったら、その都度やってみるといい。

 

 もっと効率的なやり方があるんじゃないかと思う時もあるけど、やっぱりないのだ。

 これからやってくる、はるかに効率の良いAIライターに対抗するには、人間ならではの非効率なやり方を実践するしかないと思う。

 


フリッパトロニクス 幻の起動音

 

 キング・クリムゾンのロバート・フリップが開発したフリッパトロニクスの音がWindowsの起動音に採用された――というニュースを、ラジオで、確かJ-WAVEのジョン・カビラがナビゲーターをやっていた朝の番組で聞いたことをふと思い出した。

 

 確か2000年をちょっと過ぎた頃だと思う。

 反響も大きく、僕も楽しみにしていた。

 

 しかし、それはガセネタだったのか、その後もフリッパトロニクスはWindowsで使われることはなかった。

 

 ブライアン・イーノやロバート・フリップが1980年代に始めた環境音楽 ambient musicは今でも仕事のBGMや、頭を休めたい時によく聴く。

 

 あの時代よりも、むしろ21世紀の今の時代に合っているのではないかと思う。

 かつては空間に溶け込むような感触だった環境音楽の音は、今だとそれに加えて、時間にも溶け込んでいるように聴こえる。

 

 ちょっと瞑想音楽めいたフリッパトロニクスの世界。

 20年近くの時を超えて、Windowsの起動音。

 今からでも遅くないのではないか。

 


0 コメント

ビジネスのための本気の企業理念

 

 先日、取材に行ったファームで、僕はそこの社名に興味を持ち、

 「これは一体どういう意味ですか?」と訊いた。

 すると40代の社長は、名刺を見せて、おもむろに説明を始めた。

 ロゴマークと理念(カンパニースピリッツ)が名刺上の小さなスペースにきれいに収まっている。

 

 そこは企業理念と会社のネーミング、商品の制作・販売が見事にリンクした稀有な会社だった。

 

 「環境問題に貢献する会社として、その理念に基づいて有機栽培をやっている。

 しかし有機野菜は値段が高い。多くの人に有機の良さを知ってもらい、理解してもらうためにはコストダウンして安く提供することが必要だ」

 

 その考え方を実践し、商品である作物を作り、それに共感する顧客が付く。

 理念はその会社の「顔」であり、一種のキャラクターであり、強みになる。

 だから通常ではなかなか市場で扱いづらい商品も「顔の見える売り方」で売ることができるわけだ。

 

 そういったことを社長は短く簡単な言葉で明快に話して聞かせてくれた。

 

 正直な所、農作業というのは単調で退屈な仕事である。

 しかし、その理念に共感してやってきたスタッフらは、どうしてその作業をするのかがわかっているし、疑問があれば説明してもらえるので楽しく働けると言う。

 

 インタビューして僕はかなり感心した。

 

「企業理念は大切です」と、いろんなビジネス本の類に書いてある。

 経営術の講座、起業セミナーなどでもそうだろう。

 けれども大方の人は、理念というものを金儲けをするための大義名分と考えている。

 

 金を稼ぐことは悪いことではないし、必要不可欠なことだ。

 それなのに日本人はどうしてもお金を稼ぐことに心のどこかで罪悪感を感じている。

 

 だから企業の理念・哲学なるものを打ち立て、わが社は人々の幸せのために・・・といった小論文を展開させて、会社案内のパンフレットやホームページに載せる。

 

 で、制作物(コピーライティング)の打ち合わせに行って、その理念やら哲学やらの話をしようとすると、担当者から

 「ま、表向きそう言ってるだけなんで」とか、

 「きれいごとでは商売できませんよ」と返されることが、昔も今も往々にあるのだ。

 

 最近は理念を持ってないと駄目なんだという認識が浸透してきたせいか、

 「福嶋さん、こういう言葉をサイトのトップに持って行きたいんだ」と、夢やら希望やらのやたらキラキラしたワードを並べ立てる。

 

 企業理念ってそんなものでいいのか? といつも思ってしまう。

 やるなら、かのファームの社長のように本気でやらねば。

 

 ちなみに僕は「あなたが自分や自分の仕事についての物語を見つけるためのお手伝いをし、文章として書き記すこと」

 を理念として活動している。

 

 個人事業者もビジネスをやっていることは変わりないので、お金をいただく以上は、なんでやっているのか相手に馳せる、それなりの理念は作っておいたほうがいいと思う。

 


0 コメント

「実践!50歳からのライフシフト術」で人生の午後に備える

 

 安倍首相が口にしたのが大きかったのか「人生100年時代」はあっという間にポピュラーになった。

 テレビなどではやたらきれいな70歳が笑い、やたら元気な80歳が走り、やたら楽しげな90歳もあふれるようになって、人生100年啓蒙キャンペーンのような様相を呈している。

 

 だけどみんな、ついこの間まで100年の人生なんて考えていなかった。

 何となく大学出て就職して40年ほど働いて、退職した後は10年くらいぼーっと過ごして人生終わるんだろうなと漠然と思っていた。

 そして社会全体がそうした人生のモデルケースを想定して作られ動いていた。

 

 その常識が、ほんのこの数年で見事に覆された。

 これからは会社がどうの、社会がこうのという前に、自分で主体的に生きて人生を構築しなくてはならない。

 かつての「人生50年」は」まだ正午。

 50歳になってやっと午後が始まると言うのだ。

 

 これまでにもそういう話はいろいろなところでいっぱい聞かされてきたが、

 「いやいや、主体的に生きろったって、私らサラリーマンで会社から給料もらって生活してるんで、運よくそういうチャンスがあったらやってみますよ」

 と言って逃げられた。

 

 けれどもこれからはそうはいかない。

 チャンスはそのへんにころがってなんかいない。

 自分で決断して作るものだ。

 会社を退職した後は、主体的に生きるというのは必須条件である。

 どうしたものか――と思案している人にとって、これは一種の福音書からも知れない。

 

 この本に出てくる22人のうちのひとり、海外貿易で起業した三浦陽一さんは、息子が小学生の頃、一緒にボランティアをやっていた仲でよく知っている。

 知っているけど、こんなすごい人だとは知らなんだ!

 

 僕が和泉親児の会で出会ったころはちょうど起業した頃だったらしい。

 どうすごいのか知りたい人はぜひ読んでみてください。

 

 と、ここで締めようと思ったんだけど、じつは半月くらい前に読み終わっていて、どう感想を書いたらいいのかとという思いあぐねていた。

 

 なんでかというと、たぶん、僕はこの本の人たちのようにサラリーマン生活を経験してないので、会社勤めの人生前半から主体的に生きる人生後半にシフトする、という感覚が、いま一つ実感として分からないのだ。

 

 それに帯の「一切、きれいごと抜き」のコピーは余りに大げさで中身と合ってない。

 僕から見ると、やっぱきれいごとだろ、と思える。

 ライターの立場からすれば、取材した人を悪く書くわけにはいかないので、一見短所もじつは長所だったんですよと、塩梅を考えて文章を綴るのは当然だ。

 

 戦後、日本が一丸となって構築してきたサラリーマン社会はこれから解体の一途を辿る。

 僕自身は最初からフリーランスだが、企業相手に仕事をしている以上、まるっきり他人事ではない。

 

 ここに登場する人たちほど劇的ではないが、確かに50を過ぎて親が死んだり、友人が死んだり、体力の衰えを感じたりがあって、シフトしてきている。

 

 一つ言えるのは、50歳を過ぎると人生を俯瞰して見られるようになるということ。若い時にはこれができなかった。

 

 三浦さん以下、この本の人たちも人生を俯瞰して見られるようになったからこそ、それぞれの起業ができたのではないかと思う。

 シニアはもちろんだが、リンダ・グラットンの「ライフシフト」と併せて若い衆にも読んでほしいと思う。

 


0 コメント

アンドロイド観音とどう向き合うか?

 

 先週、京都の高台寺でアンドロイド観音「マインダー」がプレス公開された。

 これは素晴らしい、面白い試みだ。

 僕は映像を見て感動さえ覚えた。

 このあと2カ月、一般公開されるとこことなので、期間中にぜひ実物に会いに行きたい。

 

 けれども案の定、多くの人はネガティブに反応しているようだ。

 もはやテクノロジー抜きには成り立ちえない社会になって、AI・ロボットがビジネスの世界に、生活の中に入り込み始めているのに、なぜだろう?

 宗教は人間だけの聖域にしておきたいということか?

 

 YouTubeにアップされたコメントを見ていると、由緒ある寺(豊臣秀吉の正室の北政所=ねねが創設)なのに、こんなもの大金をかけて作って、観光客に媚びてるのか。恥を知れ――といった批判をはじめ、怒り・呆れ・戦き・怖れといった感情が溢れている。

 

 人間の下で労働するしもべならともかく、観音様の姿で法話を語って聞かせるのが許せないというのだろう。

 「人間の尊厳」「仏への冒涜」などともっともらしい言葉を出して批判しているが、実質的には階級社会における、上層の人間の、下層の人間に対する差別意識と大差ない。

  

 開発チームの中心人物である大阪大の石黒浩教授は世界の認めるロボット研究者で、これまでに落語家の故・桂米朝やマツコデラックスのアンドロイドを作ったり、演出家の平田オリザと組んでロボット演劇/アンドロイド演劇を上演したりしている。

 

 石黒教授がアンドロイド開発に取り組むのは「人間とは何か?」を探究するためだ。

 ロボット研究者であるとともに、人間の研究者であり、優れた思想家でもある石黒教授と彼のチームは、こうした社会の反響も織り込み済みで、このアンドロイド観音をリリースしたのではないかと思う。

 

 ロボット・アンドロイドは仏像と同じく、人間の心を映し出す鏡。

 彼女を見て怒ったり、恐怖を抱くといった人々のリアクションもすべて「ロボット」という大きな概念の一部なのだ、と言いたいのかも知れない。

 

 イヌも歩けば、歩きスマホに当ると言われるくらい、テクノロジーに依存するようになったこの時代、僕たちはいつまでも20世紀のSF小説やマンガや映画に登場するロボットのイメージにとらわれているわけにはいかない。

 もっと素直に受け入れ、共生する前提で付き合ったほうがいいと思う。

 


0 コメント

取材はイベントにしたい

 

 仕事柄、取材によく出向くので、ホームページやブログなどを見て事前に情報を仕入れる。

 企業や店舗はもちろん、個人もホームページを公開する時代になった。

 それ以外に既存のブログを活用したり、SNSを主軸に発信する法人も多くなり、情報は百花繚乱だ。

 ちょっと前までは必死にそれらの情報を読み込み頭に叩き込んで、質問事項もめいっぱい書き上げて事前に取材先に送った上で出向いていた。

 が、そういうやり方をしていると、ホームページに載っていることをなぞって確認するだけになってしまって、どうもつまらない。

 なので最近は事前調査をあまり綿密にやり過ぎず、ささっと目を通し、印象に残った文や単語をちょっとメモる程度にしている。

 

 事前調査をやる意味は、取材現場を盛り上げるためだ。

 言い換えれば、相手を楽しませ、気持ちよく喋ってもらうためである。

 

 される側にとって、する側にとっても、1時間なり2時間なりを費やすのだから、取材というのはどちらにとっても楽しい時間――イベントの一種ででなければならないと思う。

 

 今日は取材と称して面白いやつが訪ねてきて、いろいろうちのやっていることをインタビューして「きたので、あれこれ応えて話ができて面白かった。

 あいつに話したことで、自分がどんな仕事をやっているのか、どんなことを考えているのか、そして自分とはどういう人間なのかが、改めて明確になった。楽しい体験だった。

 

 取材相手にそう思ってもらえてこそ本当の取材だ。

 相手のホームページに載っている情報や、日々のブログやSNSでの発信はそのネタでしかない。

 そのネタと自分の問題意識をもとに、面と向かった時、一定の緊張感を持ってどう話を展開させるかが醍醐味だ。

 

 もちろん相手によってはきっちりした、意外性のない取材を―ーつまり自分たちで用意している決まりきった受け答えで済ませられる取材を要望していることもある。

 それはそれでしかたない。

 

 でもメールを使ってネット上で何でもやっちゃえる時代にあって、せっかくナマで向き合えるのなら、アドリブをきかしてその場限りのグルーブを作りたい。

 

 面白い取材ができると、そのあと原稿を書いてる段階までテンションを高く保てる。

 最終的に内容は平凡なものになったとしても、取材をやったその時の感触と熱は、その後、相手にも自分にも残る。

 


0 コメント

アザラシの入江でヤギの乳を搾ってチーズを作る娘について

 

 その女の子は短大を卒業した後、なぜか農業に目覚めてアメリカ・メイン州の農場で働いていたそうだ。

 

 メイン州と言われても、ああ東海岸のほうか~という程度のイメージしか浮かばなかったが、その農場の名前は Seal Cove―ーつまり、アザラシの入江という。

 

 アザラシが集まってウオッウオッと鳴いているところで、メェメェ鳴いてるヤギのお乳を来る日も来る日も搾っている彼女の姿を思い浮かべたら、あまりに健気で愛おしくて抱きしめたくなってしまった。

 

 「フクシマさん、ぜんぜん違いますよ」

 「え、なにが?」

 「まずアザシはウオッウオッなんて鳴きません。それはアシカです」

 「ああ、そうか。きみの2・5倍も長く生きてるのに、アザラシとアシカの区別もついてなかった。

 ボーッと生きてんじゃねえよ!ってチコちゃんみたいに叱らないでほしい。ところでアザラシってどう鳴くんだっけ?」

 「知りませんよ」

 「だってきみの働いてた農場はアザラシの入江のそばにあったんだろ?」

 「それは大昔の話で、今はもう海から離れたところに移転してるんです。でも Seal Coveって名前だけは残してあるんです。ちなみにSeal Coveはこのあたりのリゾート地になっているんですよ」

 

 そっか~

 というわけで帰ってきてからインターネットで調べてみたら、あった。

 メイン州のSeal Cove。

 なんだか水平線のに落ちる夕陽が素敵そうな海岸だ。

 

 そして、Seal Cove Farmもあった。

 なるほど。彼女はここでヤギのミルクを取ってチーズを作っていたのだ。

 Goat Cheeseはこの農場の名物である。

 ミルクはちょっとくさいし、チーズはかなりクセがあるのだそうだ。

 でもたぶん、それで病みつきになるんだろうなと推測する。

 

 日本ではヤギのチーズって、世界のチーズを取り揃えているようなチーズ専門店に行かないと売っていないようだ。

 少なくとも成城石井では見たことない。

 しかし、欧米では結構ポピュラーで愛好者も多いと言う。

 アメリカ人は大好きらしい。

 

 ちょっと食べてみたいなと思う。

 チーズと来ればやっぱりワインだ。

 メイン州に行って、Seal Coveの夕焼けに染まる海と空を見ながら、ヤギのチーズをつまんでワインのグラスを傾ける。うーん、たまらん。

 

 ヤギの乳を搾っていた女の子は日本に帰ってきて今、神奈川に住んでいる。ブランド都市・横浜にいるのに、住まいは神奈川ですという人は珍しい。神奈川が好きなので、職場に近くても東京には住みたくないとまで言う。神奈川の海にもアザラシはやって来るのだろうか?

 

 Seal Cove Farmはだだぴろい割に人が少なく、結構ハードワークだったらしい。だからもうヤギの乳は搾りたくないと彼女は語った。

 メェ~。

 


0 コメント

ビッグデータ分析と夢を共有する時代

 

 奇妙で魅惑的で、ちょっと人には言えない濃厚な夢を見て目が覚めたら、2月最後の日は雨降りだった。

 なんだか脳の中に蓄積されたビッグデータがシャッフルされたかのような夢。

 

 「ビッグデータ」という言葉を使ってみたが、最近、やたらとこの言葉を聞くようになった。

 「AI(人工知能)にインプットする用の大量のデータ」という意味で使われることが多いようだが、そんな単純なものではなく、もっと広範囲の意味合いを持っているらしい。

 

 僕の印象では、ウィキペディアなどに載っている事柄などはどんなジャンルののものでも、みんなひっくるめてビッグデータなのではないかと感じる。

 特に戦後、20世紀後半以降のデータは膨大だ。

 

 僕が子供の頃から若い頃のサブカルチャーなどもみんなビッグデータ化しているのではないだろうか。

 音楽、映画、演劇、漫画、文学、ファッション・・・あらゆる分野で次々と新しいものが生まれた1960年代から90年代。

 

 しかしその勢いは21世紀になってからピタッと止まり、いま出てくるのはほとんどがこの半世紀間に創られたものの焼き直しだ。

 

 僕たちは両親と同じ価値観で同じ夢を見られなかったが、僕たちの子どもは僕たちと同じ夢を見る。 たぶん孫も。

 

 もしかしたらこれから何世代にもわたって、大勢の人間が共有した20世紀後半のカルチャーは伝えられてゆくのかもしれない。

 

 時代はインターネットというテクノロジーを得て、この半世紀間のビッグデータを分析するのに躍起になっているように思える。

 停滞なのか、次なるルネッサンスまでの空胎の時期なのか、いずれにしても新しいテクノロジーを抜きでは時代は進歩しない。

 

 人々がビッグデータの分析に飽きてきた頃が、本格的なAI・ロボット社会の到来になるのかもしれない。

 ちょっと不安であり、ちょっと待ち遠しい。

 

 今夜もまた、脳の中のビッグデータがシャッフルされるような夢が見られるといい。

 


0 コメント

群馬・横川のひもかわうどん

 

 マイナビ農業の取材で朝からカメラマンの車で長野県佐久市の農家へ。

 ここ数日、暖かかったので油断して薄着で行った。

 なんといっても長野。スキー場も近いし、当たり前に寒い。

 

 お昼過ぎに仕事が終わったので、帰り道、ランチにかの横川名物「峠の釜めし」を食おうということになった。

 

 サービスエリアに行ってみてメニューを見ると「あったかけんちんひもかわうどん」というのがある。

 キモかわ? 紐革? なにこれ?

 

 釜めしは食べたことあるし、冷えていたこともあって頼んでみた。

 ちなみにこの横川SAの食堂は券売機で食券を買うと、厨房へ自動的にオーダーが入ることになっている。

 食券の右上には注文番号が入っており、食事を出すカウンターのところではおばちゃんがマイクでその食券番号を読み上げると、自分で券を持って行って、注文したメニューを受け取るという仕組みになっている。

 

 で、僕の注文の「あったかけんちんひもかわうどん」。

 これは言ってみれば「拡大きしめん」である。

 

 わが故郷・名古屋の名物きしめんは平べったいうどんだが、この横川名物ひもかわうどんは、それをはるかに凌駕する平ぺったさで、めんの幅は普通のきしめんの3~4倍、ゆうに5センチはあえりそうだ、

 

 平べった過ぎてちょっと食べにくいが、つるっ、もちっとした食感は喉をくすぐるような感じで気持ちいい。

 そして鶏と野菜の入ったけんちん汁(ちょっと甘いので七味を少し多めにかけた)がうまいことからんで、これはうまい。

 

 それにしても「ひもかわ」ってどういう意味だろうと思って、帰ってネットで調べて、いたら、どうもこれは愛知県三河地方――徳川家康の出身地――信長や秀吉の出身地である名古屋を中心とするWest Aichiの尾張地方とは、明らかに違う文化圏であるEast Aichi(同じ愛知県の名古屋圏よりもむしろ静岡県との共通点が多い)にある「芋川」といいう土地に由来しているらしい。

 

 尾張と三河を隔てて流れる境川の三河側、現在の刈谷市北部がその「芋川」にあたるということで、江戸時代、その辺りの茶店で売られていた平打ちのうどんがそう呼ばれていたようで、井原西鶴の『好色一代男』や十返舎一九の『東海道中膝栗毛』にも登場するとのこと。

 

 それが尾張(名古屋)へ行ってきしめんになり、どういう経緯かは知らねど、関東の「山間に入って「ひもかわうどん」になったらしい。

 

 ちーとも知らなかったけど、この平ぺったいうどんをめぐるストーリーは、突っ込みがいのある、面白そうな話だ。

 が、今日のところはここまで。

 

 ちょっとお値段が高くなってしまうが、峠の釜めしとセットで食べると上州を満悦できそうだ。

 

 ちなみのこのサービスエリアでは、本物の電車車両にテーブルを取り付けた席もあり、駅弁気分で釜めしを食べられる。

 


猫の額(ひたい)とネコアート

 

 なんだか仕事で煮詰まっていたので、昼食後、自転車を飛ばした。

 和田堀公園を抜けて高円寺まで行く。

 午後になってちょうど春の日差しが出てきて暖かい。

 公園には梅の花はもちろん、桃の花まで咲いていた。

 

 目指したのは高円寺駅北口から伸びるセントラルロード。

 その商店街沿いにある「猫の額(ひたい)」は、その名の通り、ネコの額ほどの狭い店内にネコグッズをわんさと詰め込んだネコアート専門の雑貨店だ。

 

 ここでネコアートの作家グループの展示販売会をやっているので観に行った。

 漫画家・イラストレーターの麻乃真純さんがそのグループの一人。

 

 先週行こうと思ってたが、バタバタ仕事が入って行きそびれてた。

 展示会は明日(27日)までということもあって、額はほとんど売り切れ。

 「ネコヤナギ」のカードを買って帰ってきた。

 これは面白可愛い。

 

 むかしはイヌのスペシャリストだったが、最近はネコにぞっこんんだとのこと。

 今回はリスも描いてたが、次はハムスターとかフェレットも描いてほしい。

 

 ほかの作家の人たちの作品も面白かった。

 特に版画家のやまもとしゅくこさんという人の、生意気っぽいネコや、ちょっとブラックな天使のようなネコが好きだった。

 

 ネコは本当にいろんなイメージを醸し出してくれる動物だ。

 ネコ好きな人は高円寺方面に行くことがあったら「猫の額」に寄ってみると、楽しい気分になれるかもよ。

 


0 コメント

絵描きのセンス

 

 息子がチビの頃の絵や、うちの「野の花鍼灸院」に来る子どもの絵(先生にプレゼントと言って持ってくる)を見ると、子どもの描く絵って、どうしてあんなに面白くて魅力的なんだろうと思う。まさに誰もが天才だ。

 

 でもほとんどの子どもは、学校へ行く頃にはその天才の輝きを失ってゆく。

 ピカソのすごさは、その子どものセンスを生涯失わずに保ち続けたことだった。

 

 僕も子どもの頃はお絵かきが大好きで、建て直す前の実家は壁も柱もそこらじゅう我が作品の落書だらけだった。

 とにかく絵を描いていれば楽しかった。

 

 よくまぁ両親はほったらかしにしといたものだ。

 あんなに家をめちゃくちゃにして、なんで誰からも怒られなかったのか不思議でしかたがない。

 それどころか「おまえは絵が上手だねぇ」と家族から褒められていた覚えがある。

 子どもはほめて育てよということか。

 

 それでもやはり大多数の子と同じだった。

 学校の図画とか美術の成績は良かったけど、ただそれだけだ。

 

 小学生の時は将来マンガ家になろうとか考えていたが、どこかでその思いはプツンと途切れて、大人になる頃にはほとんど絵なんて描かなくなっていた。

 

 時々、絵を描きたいなという思いが湧きあがる。

 今日がそうだった。

 さりとて何を描いていいのかわからない。

 今の自分にいったいどんな絵が描けるんだろう?

 どんな絵を描きたいんだろう?

 


0 コメント

2月の悲劇とそれを癒す鳥の声について 

 

 それにしてもなぜ2月は28日しかないのか?

 31日ある月は年に7つもあるのに、なんだかすごく不公平な気がする。

 各月の日数の割り振りを決めるときに何か謀略があったのではないかと訝らざるを得ない。

 

 「今月はあと1週間ある」と「今月はあと4日しかない」の違いが与える影響はかなり大きい。

 心理作戦で「今月はあと4日もあるぞ~」と思い込もうとしたが、一度、脳に登録してしまった印象はそう簡単にキャンセルできない。

 

 しかもインタビューの音声起こしをしなくてはならない。

 耳にイヤホンを突っ込み、何時間も音声を聴いて文字に書きだすのは重労働だ。

 

 1時間に1回は休んで音楽を聴くが、2月はウグイスだなぁと思ったら、以前、小鳥の声を判別するために「日本野鳥の会」の泣き声再生リストを聴いたことがあるのを思い出した。

 ストレスが溜まってきた方は聴いてみてください。

 落ち着くし、心が軽くなります。

 そのまま鳥のように羽ばたき、空へ飛んでゆきたい。

 


0 コメント

早春に目覚めたカエルと村上春樹の「かえるくん」について

 

 昼間の日差しはずいぶん暖かくなり、日も長くなった。

 季節は早春と言ってもいいだろう。

 この頃になると地球がアラームを鳴らすらしく、地下で眠っていた虫やカエルなどがのそのそと起き出してくる。

 

 そういえば「啓蟄」という言葉もある。

 

 今年はまだ見ていないが、うちの猫の額みたいな庭でもこの季節になると、ガマガエルがのっそりしているのに遭遇して、ちょっとびっくりしたりする。

 

 カエルと言えば、僕のブログの中でやたらアクセスの多い(ランキングを見ると断トツトップ)のが、2016年6月30日に上げた「なぜ日本ではカエルはかわいいキャラなのか?」という記事だ。

 

 なんでだろう? 

 そんなにカエルのファンが多いのか?

 多いのかもしれないが、そんなの、イヌ・ネコ・ウサギなどに比べれば微々たるものだろう。

 

 考えてみて推察できるのは、村上春樹の短編小説「かえるくん、東京を救う」について少し触れているからではないかと思い至った。

 

 これは村上氏の作品の中でも非常に人気が高い。

 

 短編なのでそんなに時間をかずに読めるし、寓意に富んだ、まるで現代のグリム、アンデルセンのような物語だ。

 

 言い換えると、村上春樹という作家のエッセンスが、最もわかりやすい形で凝縮された作品だろう。

 

 講談社が出してる小中学生向けの「はじめての文学」というシリーズにも村上氏の自薦で収められている。

 

 物語の背景には1995年の阪神淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件という、日本を襲った二つの大事件がある。

 

 これらの悪夢的な事件はもう昔話だが、昔話ゆえに僕たちの脳裏に静かに負の感情を伴って沁み渡っている気がする。

 

 それをこんなメルヘンのような作品にして後世に残した村上春樹はすごいなと思う。

 

 天災と人災。いずれ東日本大震災と福島原発の事件も似たような形で、多大な影響力を持つ「昔話」として日本人の脳裏に沈殿するのではないか。

 

 彼はインタビューで自分は長編小説の作家だと語っているが、同時に短編は大事な実験場だとも話し、短編の中でさまざまなアイデアを形にしてみたり、新しいトライアルをしているという。

 

 「かえるくん」のエッセンスは後に書かれた代表的な長編作品の中でもずっと息づいているような気がする。

 

 この作品を好きな人は結構、僕と同様の印象を持っているのではないだろうか。

 近々また、地下から這い出してきたかえる君に会いたいと思っている。

 


0 コメント

巨大ターミナル駅の迷宮とコンビニコロッケパンとの相関関係

 

 一昨日は品川、今日は横浜。

 今週の取材先はいずれも行き慣れてない大ターミナル駅のそばだった。

 取材先のホームページのアクセスを見ると駅から徒歩3分とか7分とか書いてある。

 

 訪問者はこれを電車を降りてからとか、改札からとか捉えてしまいがちだ。

 これはリスキーだ。

 小さな駅でならそんなに問題ないが、品川や横浜のような巨大駅、しかも慣れてなくて駅の構造をよくわかっていない人は大きな計算違いをしてしまう。

 

 とにかくホームから改札までの距離が長く、改札から出口までもまた長い。

 品川では途中でトイレに寄ったことも災いして、電車を降りてから駅を出るまでに15分もかかった。

 横浜でもやたら歩かされ、出口を間違えたりしてゆうに10分以上かかったと思う。

 路線サイトの駅➔駅の時間しか頭になく、この駅構内で費やす時間を考慮してかなり[余裕をもって行かないと、目的地現地集合の場合は遅刻のリスクが高まる。

 

 最近は、特に初めて行くところだと、道に迷うことも想定して、30分以上余裕をもって向かうため遅刻はしないが、昼に掛かる時間だと、たいてい食べてる時間が無くなって昼食はコンピニのパンになる、

 

 コンビニパンはもっぱらセブンイレブンのコロッケパンを常食にしている。

 コロッケパンは好物なので、あちこちのものを試したが、セブンイレブンのコロッケパンがいちばんおいしい。

 品川でも、横浜でも、やっぱりセブンコロッケになった。

 おいしくて満足したが、次回はせめて駅の立ち食いそばが食べたい。

 


0 コメント

ガーナのお葬式は、泣き女、棺桶ダンス、ポップアート棺桶

 

 ガーナと言えば某菓子メーカーのチョコレート。おいしい。

 チョコレートの原料はカカオ豆。

 西アフリカのガーナ共和国は世界有数のカカオ産出国。

 意外だったが、ほかにGOLDや石油の産出量も有数だ。

 

 そしてサッカーファンはご存じ、アフリカのチームとしてはトップクラスの実力を持っている。だ。

 しかし、もう一つ、世界に冠たるすごいものがある。

 それはお葬式であり、棺桶だ。、

 

 ここのところ、アフリカ諸国の生活文化に興味を持って、仕事の合間にちょこちょこネットで調べている。

 

 「月刊仏事」でエンディング関係の記事を書いているので、どうしても葬式とか供養のことが気になるのっだが、どうもガーナのお葬式の派手さはアフリカだけでなく、世界でも断トツらしい。

 

 ガーナはかつてイギリスの植民地だったこともあり、約7割がクリスチャン。

 大都市に暮らす富裕層はもクリスチャンが大半のようで、彼らは一般人の平均年収の4倍から10倍にあたる費用を葬式に使うらしい。

 故人が亡くなってから遺体を冷凍保しておき、約3ヶ月後、満を持して週末3日間かけて盛大に、飲んで食って、歌って踊って、お祭り騒ぎをするというのだ。

 

 この国には葬式を盛り上げるために「泣き屋」、そして棺桶の「担ぎ屋」がいて、このプロフェッショナル達が、まさしくプロの技を見せる。

 

「泣き屋」は一般的には女の団体で、「泣き師協会」というものもあるらしい。

 静かな啜り泣きから、地面に転がっての号泣、謎の「シマリス泣き」というものまで豊富なmメニューを取り揃え、時間やシーン、人出などに合わせて会場を盛り上げるために変幻自在の泣きパフォーマンスを披露するという。

 

 「泣き屋」が女の仕事なら、「担ぎ屋」は男の仕事。

 スーツを着込んだダンディーな奴らがお神輿よろしく棺桶を担ぐ。

 と言ってもただ担いで練り歩くだけではない。

 陽気でリズミカルなハイライフミュージックに合わせて、棺桶を担ぎながら踊る、いや、踊りながら担ぐのか。

 とにかくこれがえらくカッコいい。

 

 周囲には演奏するバンドマンやダンサーたちもわんさかいて、いつ果てるともないビッグパーティーが続く。

 

 ガーナでは人は死後、異なる世界でふたたび新たな人生が始まると信じられており、「死」は「新たな始まり」と捉えられるのだそうだ。

 したがって葬式とは、故人の死は悲しむものでなく、新たに生き始める故人をみんなで祝福するための儀式なのだ。

 

 

 さらにもう一つすごいのが、その棺桶。

 ガーナの棺桶は世界一ユニークと言っても過言ではない。

 

 ガーナ人は、故人の人生にちなんだ棺桶をオーダーメイドする。

 たとえば、パイナップルの形をした棺桶は、パイナップル農家。

 魚の形をした棺桶は、漁師の棺、

 

 仕事だけでなく、自分の人生に幸をもたらしてくれたもの、叶わなかった夢や希望などを様々な形にして棺桶を作るというのだが、これがポップで可愛くてファンキーだ。

 

 

 いわゆるアート作品として海外からの評価も高く、プロのアート館桶屋が 何人もいるようで、希望があれば海外からの注文も受けるという。

 

 備えあれば憂いなし。ガーナのアート棺桶。終活している人はオーダーメイドを選択肢に入れておいてもいいのでは?

 


0 コメント

トマトが変わる

 

 きょうはマイナビ農業の仕事で、トマトの新しい栽培法を開発している会社の話を聴いた。

 

 トマトは日本では明治時代から本格的に栽培されるようになったが、トンカツなど、いわゆる洋食の付け合せとして広がったたため、生で食べるものとされた。

 だから生食として使う丸い大玉のトマトをいかにたくさん、おいしくするかということをテーマに栽培法が追究され、マニュアル化されたという。

 その会社の新しい栽培法というのは、調理用のイタリアントマトを育てるためのもので、従来のトマト栽培の常識とは一線を画している。

 

 日本人のトマトの摂取量は、ひとり当たり年間およそ8㎏。1日当たりプチトマト2個程度。

 生食だけでは消費はもうこのあたりで頭打ちだろう。

 

 しかし、調理用トマトの需要をもっと伸ばせる――というのが、かの会社の目論見だ。

 なにしろ世界最高クラスの摂取国であるトルコやエジプトでは、日本の10倍以上のトマトを食べている。それもほとんどは調理用トマト。

 これから先、イタリアンだけでなく、世界中の美味しいトマト料理が日本で広がっていくかも知れない。

 

 それにトマトは野菜の中でも1,2を争うキュートなビジュアルを持っている。

 俗にいうインスタ映えする食材だ。

 色も赤だけでなく、近年は、黄色、オレンジ、ピンク、バイオレットなど、実にカラフルに、また形や大きさもバリエーション豊富になってきた。

 

 僕もトマトは好物だが、冬は生で食べる気がしないので、もっぱら缶詰のトマトを買ってきて料理に使う。

 

 熱したオリーブオイルにニンニクのスライスをたっぷり入れて風味を出したところへタマネギを丸1個分くらいドサッっと入れる。

 その他、セロリ、ピーマン、ニンジン、キノコ類など、冷蔵庫に余っている野菜を適当に入れて炒め、そこに缶詰トマトをまんま投入する。 

 

 煮立ったところへ、粉をつけて揚げ焼きにしたイワシ、またはチキン、または肉団子などのメイン具材を入れる。

 強火でがーっと煮立てて、そのまま煮詰め、できるだけ水分を飛ばすと、トマトのコクと甘みが倍増。調味料は塩をちょっとだけでOK。

 あれば適当なハーブ、スパイス、粉チーズなどを入れるとさらに味が重層的になる。

 

 超カンタン、超テキトーに作れて栄養バランスも最高。もちろんめっちゃボーノでおなかいっぱい。MY LOVE。

 


0 コメント

ニューヨーク発アボカド愛

 

 1986年秋、1週間休暇を取ってロンドンからニューヨークに飛んだ。

 ブロードウェイの裏手あたりのボロい安ホテルに泊まった。

 泊り客よりもここに住んでる人のほうが多いんじゃないのという感じの所で、窓の向こうは隣の建物の壁。ごちゃこちゃした配管がへばりついている。

 でもそこはやっぱりニューヨーク。

 映画みたいでカッコいいじゃんと満悦してた青春の1ページ。

 

 滞在中はピッツァとハンバーガーを主食としていたが、この時、生まれて初めて口にしたのがベーグルパンと、カリフォルニアロールだった。

 

 確かグリニッジヴィレッジあたりのスシIバーだったと思う。

 SUSHIはこの頃、すでにアメリカではかなりポピュラーになってきてて、カジュアルなレストランも増えていた。

 カリフォルニアロールについての情報は入ってきていたが、実際に口にしたことはなかった。

 注文して一口食べて感動した。これはうまい!

 魚のネタよりうまいと思った。

 アボカドという食べ物に遭遇したのもこれが初めてだった。たぶん。

 

 以来、アボカドは好物になった。

 

 ここのところ、スーパーで安く売ってることが多く、1個100円なら必ず手を出す。 皮の色はできるだけ真っ黒なのを選ぶ。ただし、熟れすぎに注意。

 手のひらで軽く持つと、熟れ具合が伝わってくる。

おいしいアボカドは

 「食べごろなのよーん、早く連れてってぇ」

と甘くささやいてくる。

 

 家に帰り、台所でぱこっと半分に割る。

 いい子は皮と果肉の間にスッとナイフを差し込むと、きれいに果肉が取れる。

 種にも果肉が残らないよう、しっかりこそぎ落とす。

 ほどよく熟れたアボカドの、柔らかく、ちょっとねっとり感がある美しい緑の果肉はエロチックでさえある。

 

 サラダで使うときは、そのままきれいにスライスするが、僕がいちばん好きな食べ方はここから「ごめんね」と言いながら、美しい緑の果肉をぐちゃぐちゃにつぶしてしまう。

 要はポテトサラダの要領だ。

 サンドイッチの具にするときはそれにこれまたみじん切りのタマネギを混ぜ、塩・胡椒をふってパンにはさむ。

 

 しかし、何といってもアボカドにはあったかいごはんだ。

 ぐちゃぐちゃにしたやつにかつお節をぱらぱら、醤油をちゃーっとかけ、ワサビを添える。あればもみ海苔をふってもいい。

 これをあったかいごはんの上にのっける。

 肉でも魚でも野菜でも味わえない、クリーミーな食感。

 くどいわけでも、あっさりしているわけでもない、濃厚でも薄味でもない独特の味。ごはんとのブレンド感がたまらない。

 うまい! かんたん。アボカ丼。(べつにどんぶりでなくてもいい)

 

 週に一度は食べている。うちの家族もアボカドファンである。MY LOVE。

 


0 コメント

ルワンダを復興させた女性たち

 

 日本の女性の政治参加が国際的に見てあまりにも低い。

 とはよく言われている。

 2015年のデータでは、なんと世界144位だそうだ。

 

 もう一つおまけに、世界経済フォーラムが発表する男女平等ランキング(ジェンダーギャップ指数)というのがあって、この2016年版では日本は111位。

 なんでだ?

 

 オリンピックだ、万博だ、クールジャパンだ、外国人はみんなニッポンだーいすき!

 と胸を張り、日本って本当に素晴らしい国だって、やたらとそういうテレビ番組が増えているし、政府も世界に対して躍起になってアピールしている。

 

 が、先日の「児童虐待多発国」という汚名といい、女・子どもに関しては、どうもあまり誇れるデータが出てこない。

 なんでだ?

 

 もちろん、女性の政治参加が増えれば、それが女性の幸福につながるかといえば、そういうわけでもない。

 

 それにどうもこの国には、芸術やスポーツや文化などの面で女が活躍するのは好ましいけど、政治とか経済の分野ではあんまりしゃしゃり出ないでほしい・・・という偏見がまだまだ強いのではないか。

 

 で、女性も政治参加――国会における女性議員の割合が最も高いのは」おそらくスウェーデンとかノルウェーとか、北欧のどこかだろうと思っていたら、なんと、アフリカのルワンダと聞いてびっくりした。

 

 しかもその比率は63.8%。女性議員3人に男性議員2人という割合。

 男女平等ランキングでも第5位になっている。

 

 ルワンダと言えば、25年前の1994年に内戦が勃発し、部族同士の抗争から大虐殺に発展。100日間で80万人~100万人、人口のおよそ7分の1が殺されるという人類史上有数の大惨事に、世界中が真っ青になった。

 虐殺を免れた女性も多くが強姦され、万単位の望まない子供が生まれたと言う。

 

 ニュースやルポなどで見た、その時の印象があまりにも強烈で、正直、僕はルワンダって世界で最も悲惨で貧しく、暴力の蔓延る危険な国の一つだと思っていた。

 

 しかし、その印象は一変した。

 あれから四半世紀後たった今、記事と写真を見る限り、首都は美しく整備され、経済発展も著しい。治安の良さもアフリカでトップクラスらしい。

 

 内戦と虐殺からの復興はめざましいものがある。

 終戦から20年余りで世界有数の経済大国へ駆け上がった日本と似た勢いがあるのだろうか。

 

 どうやらかの虐殺で男性の人口が大幅に減り、半ば崩壊した国の立て直しを女性の手に委ねざるを得なかったという事情があるようだ。

 思い切った法制度の改正もあり、この国では議員の少なくとも30%は女性にするよう憲法で定められているという。

 

 そして何よりも、そのベースには過去の悲劇を克服し、生きている幸福を感じられる国にしたいという人々の願いが一枚岩になっているのだろう。

 そこには望まずに母になった女、望まれずに生まれた子どもの思いも入っている。

 

 政治参加率が低かろうと、男女平等ランキングが低かろうと、いいじゃないの、幸せならば――という声が聞こえて来そうだけど、本当にいいのかな?

 


たっぷり眠るとたらふく夢を見る

 

 夢を見るのは楽しい。

 と思っていると、わりと楽しい夢が見られる。

 

 疲れがたまっていたのか、久しぶりに10時間以上眠ってしまった。

 いつもは朝の4時とか5時に起きるのだが、今朝は8時起き。

 カミさん一緒に朝食を食べて、洗濯物を干して、ひと仕事したところで、こりゃだめだ~と思ってもう1回ふとんに入ったら、次に起きた時はお昼をとっくに過ぎていた。

 

 夢に期待していたら、二度寝した時には案の定、たっぷり夢を見た。

 充実してたな~という印象だけは残っているのだが、いつもと同じく内容はさっぱり忘れてしまう。

 

 インターネットを見ると夢占いとか夢診断のサイトがわんさかある。

 ちょいちょい拾い読みをすると、もっともらしいことがいろいろ書いてある。

 

 「空を飛ぶ夢」はこう解釈するとか、「階段から落ちる夢」はこんなことを意味してるとか・・・ニーズも多いだろうし、熱心にハマってる人も多いだろうが、どうもこういうものにピンと来ない。

 

 夢が潜在意識の表れであることに疑念はないが、人それぞれ持っているバックボーンも生活環境も人生の趣向もが違うのだから、同じ夢でもそれぞれ意味するところは違ってくると思う。まったく逆の意味になることだってあるだろう。

 

 夢占いは古い歴史を持っているが、かつては多分、占い師が人生相談に応ずる際の一つの材料として、その人にどんな夢を見たのか聞いたていたのだろう。

 そしてその人にとって、その夢が何を表しているのかを相談を聞く中で解き明かしていったのだ。

 

 なので、サイトや雑誌に載っている夢診断・夢占いは、神社のおみくじの吉凶とか、星占いの「きょうの運勢」程度のもんなんだろうと思う。

 

 その日の気分を盛り上げたいとか、自分の気持ちを調整するために活用したい人は、大いに活用すればいいと思うけど、僕は自分の夢に他人にずかずか踏み込まれて、あれこれ理屈を付けて分析されるのはご免だなぁ。

 

 人生の夢と同様、眠っている時の夢だって自分の聖域だ。

 ヘンな解釈などせず、ナンセンスな世界、「不思議の国」のままでいいと思う。

 みんな、不思議でミステリアスな部分を持ってたほうが面白いんじゃないかな。

 


0 コメント

マルチなわらじと自分マネージメント術 

 

 食っていくためには「わらじ」が何足も必要だ。

 

 先週取材した六本木のお寺の住職の父は、仏教関係の新聞の記者と僧侶を兼業していたと言う。

 朝のお勤めが終わったらスーツに着替えて会社に行き、帰宅すると僧服に着替えて夕方のお勤めをする。

 子どもの頃からそんな父の姿を見ていた住職は、僧侶の兼業に何の違和感も持っていなかったと言う。

 

 どうもこれは特殊な例でなく、住職さんの中には学校の先生や公務員など、他の仕事と兼任している人が大勢いるらしい。

 観光名所になっているようなお寺でない限り、そうでないと生活していくのが難しい所が増えている。

 

 言われてみればそうかもしれない。

 そもそも宗教に従事する仕事を「ビジネス」と呼ぶのは間違っている。

 一般人は僧侶を「聖職」と見なし、清貧であることを求めるだろう。

 

 けれども、お坊さんも生活しなくてはならないし、家族を養わなくてはならないし、お寺を維持していく必要がある。

 

 経済成長時代はどうだったのか知らないが、いずれにしても、お坊さんだけやっていれば生活に困らなかった時代は、もう「古き良き時代」になりつつある。

 

 しかし、これは何もお坊さんに限った話ではない。

 

 人生フルタイムで一つの仕事に集中するということが難しくなってきている。

 いまや多くの人にとってダブルワーク、トリプルワークは当たり前。

 そうでもしないと日本で「まともな生活」は保障されないのではないか。

 

 いろんな物価が高く、何をするにもお金がかかる日本で、一つの仕事(一つの収入口)だけで食える状況というのは、もはや超お金に恵まれた、セレブな特権階級と言えるのかも知れない。

 

 会社は社員のアルバイトも奨励する。

 あるいはお父さんは仕事一つでも、夫婦共働きでお母さんも稼いでいたり、さらには子供も家の経済を助けるのに参加するなど、一世帯にいくつもの収入口を設けるのが普通になってきている。

 

 こういう状況になると「自分マネージメント術」が重要になってくる。

 どうひっくり返っても、1日は24時間だし、1年は365日しかない。

 その限られた時間をどう配分して経済を安定させ、家族を安心させ、自分の夢をかなえ、アイデンティティを保てるか。

 どうすれば一人何役もこなすことができ、しかもそれぞれのパフォーマンスの質を上げられるのか。

 なおかつ、それでもストレスを溜めず、ゆったりとした気持ちで生きられるか。

 

 これは現代を生きるすべての人にとって、考える必要のあるテーマだと思う。

 


女の天才に奉仕する仕事

 

 バレンタインのチョコをもらったから、ではないけど、女性全般に敬意を抱いている。

 と言うと「ウソこけ!」という声がどこかから飛んでくると思うが、ホントです。信じてください。

 

 なんでかというと、やっぱり女には子どもを産むという天才があるからだ。

 当りまえすぎて自覚してない人も多いかと思うけど、これは女だけに与えられた天賦の才能。

 地球上で人類が今あるのも、女が身体を張って、命がけで子どもを産み続けてきた結果である。

 男は女の、この天才的所業に追いつこうと、いろんな仕事をする。

 

 人間の歴史はそうして創られてきた。

 だから、やっぱり男は女に敬意を払ってしかるべきだと思う。

 

 政治も経済も学問もスポーツも文化も芸術も、およそ人間の社会的活動のすべては、女が子どもを産み、その子どもを育てるという基幹事業に付随する活動に過ぎない。

 

 あくまで推測だが、女には人生のどこか(たぶん30代のどこか)で、宇宙のどこかから男に聞こえない声が聞こえる。

 

 「産む?産まない?」

 

 これを重く受け止めるか、軽く聞き流すか、個人差があるだろうけど、とにかく女は肉体的なタイムリミットがあるので、その問いかけに「Yes」か「No」かの答を出さなくてはならない。

 

 「Yes」と答えた人は、たぶんそこから婚活に奔走するのだろう。

 現代は昔と違って猶予期間が長い。40代になっても十分産めるというのだから、夫・父親にふさわしい男を5年10年かけて探し出してほしい。

 

 レズビアンの女性で「Yes」の人は、人工授精技術を活用する道もある。

 そうして子どもを育てている女同士のカップルもいる。

 

 「NO」ならべつに産まなくてもいい。

 ただ、その際は自分の持つ大きな可能性の一つを自ら放棄することになるわけだから、それ相応の葛藤と痛み、自責の念などを覚えるのだと思う。

 

 男の人生にはそこまで身を削るような瞬間は訪れない。

 女の人には悪いけど、のほほんと生きようと思えば、死ぬまでのほほんとしていられる。

 地球上における人類継続の本質には関われないのだ。

 

 僕もご多分に漏れず、男らしくのほほんと生きてきたが、女の天才に敬意を払い、少しは女性の皆さんの役に立つこと、奉仕できることを死ぬまでにいくつかはやっていこうと思ってる。 何をするかはこれから考えますが。

 


0 コメント

スイーツ男子大増殖とバレンタインデー半世紀の因果関係

 「子どもじゃあるめーし、チョコレートなんてあまったりーもんが食えるかよ!」

 と啖呵を切る男が、昔は大勢いた気がする。

 が、今やこういうのは絶滅危惧種、レッドデータの部類に入るのではないだろうか。

 時代はスイーツ男子大増殖の様相を呈している。

 

 そうなった原因は何か?

 酒飲みが減り、煙草飲みが減ったから?

 疲労がたまり、みんな日常的に糖分を求めているせいかもしれない。

 バレンタインデーもそれに一役買っているのだろうか?

 

 年に1度とはいえ、習慣は侮れない。

 日本でバレンタインデーが知られるようになって半世紀。

 女性の愛の証として贈られるチョコレートは、男の潜在意識にサブリミナル効果のように浸透してきた。

 

 というわけで、愛の証かどうかはともかく、今年もあちこちの女性からチョコレートをもらった。

 僕は生まれついてのチョコ好きなのでうれしい。

 

 それで浮き足立っていたわけではないが、せっかく書いた原稿の下書きデータをうっかり保存し忘れて消してしまったり、メールを送る相手を間違えたり、凡ミス続きの一日。

 こんな日はチョコを食べてゆっくり寝よう。

 


0 コメント

信じたくないけど、日本は子ども虐待の多発国?

 

 息子が1歳の頃だったと思うが、転んで頭を打ってケガをした。

 あわてて小児科へ連れて行ったが、その時、なんでケガをしたのか、かなりねちっこく聞かれた。

 ははん、虐待が疑われているのだな、とすぐピンときた。

 その医者とケンカすることはなかったが、たったそれだけで、かなり頭に血が上ってカッとなった。

 

 虐待を疑われた親がひどく感情的になったり、詰問する児童福祉司などに強烈な恨み・憎しみを抱いたりするのは、そんな自分のことを思い起こすと分かる気がする。

 

 虐待を疑われるということは、その親にとっては「あなたは親の権利・資格があるのか?」と疑問視され、問い詰められているのと同じだ。

 

 一旦、親となった人間は、その親という立場を失うかもしれないと感じると、強い危惧感・恐怖心を抱くのだろう。

 

 もし「あなたには親の権利・資格はない」と、他人からドーンと言われたらどうか?

 

 「おまえは人間失格」と烙印を押されるのに等しい、屈辱的かつ絶望的なことだ。

 

 そして、なんとかアイデンティティを守ろうと、その屈辱の感情を、学校や児童相談所などの関係者、ひいては社会に対する激しい怒りと憎しみに転化するだろう。

 

 千葉県野田市の女の子の虐待死事件は、世界にも知れ渡り、国連の子どもの権利委員会で問題視されているようだ。

 

 先週、同委員会は、今回の事件をはじめ、日本で子どもへの虐待などの暴力が高い頻度で報告されているとして、政府に対策強化を求めたという。

 

 かつで幕末から明治時代にかけて、日本に駐留した欧米の学者らが、民衆が子どもをとても可愛がり、大事にする姿を見て驚嘆を覚えたと当時の記録にある。

 

 逆に言えば、当時の欧米の民衆は、子どもに対して相当ひどい扱いをしていた(産業革命時の工場での強制労働など)ということだが、それから150年たって状況は逆転してしまったのか、信じたくないけど「日本は子どもの虐待が多発する国」になっているらしい。

 

 これは日本社会全体で向き合うべき問題ではないかという指摘がされたわけで、いわゆる外圧までかかってしまった。

 

 さすがにこういうことが続くと、子どもの虐待に対する法規制の強化・厳罰化が行われるのは、そう遠い先ではないかも知れない。

 

 厳罰化には反対しないが、これは人間のエモーショナルな部分に深く関わる問題であり、へたをすると親の側の人格崩壊にも繋がりかねない。

 

 なので本気でやるのなら、不幸な親子を増やさないためにも、同時に、あるいは事前に、社会全体への十分な啓蒙活動・認知活動が必要なのではないか。

 

 なぜ子どもの虐待問題に、社会全体で向き合わなくてはならないのか。

 なぜ虐待をする親が重い罰が科せられるのか。

 そもそもなぜ子どもをそんなに大切にするのか。

 

 こうした問いに対する答えはたぶん、僕たちの社会の未来のビジョンを思い描くことにもなると思う。

 


落書きペンは地球色

 

 空の色、海の色、地球の色。

 自分で手書きする青い文字、青い文章が好きだ。

 

 黒で書くべきフォーマルな書類には黒を使うが、特に人に見せる必要のない自分のノート、取材ノート、メモ書き、落書きなどはいつも青のボールペンで書くようにしている。

 

 人間の脳はもう一つの地球。

 空ほど広く、海ほど深い。

 だから青い文字、青い文章は脳を活性化させる。

 

 ――というのは、もちろん、こじつけであり、おまじないであり、単なる気分の問題だ。

 しかし、そういう気分が大切なのだ。

 気分一つで文章はいかようにも広がり、変幻する。

 概して黒で書くと、ちょっとかしこまったような、強張ったような感じになる。途中で止まることもよくある。

 青で書くと、よりしなやかに、たおやかに文章が展開する。

 

 毎日、脳の中から吐き出しているので、ペンもノートも毎日大量消費する。

 だから高価なものはいらない。

 どっちもせいぜい100円のもので十分だ。

 

 ヘタに高価なものを使うと、ムダ使いしないよう、ちゃんとした文章にしようという意識が働いて、書くことが広がらず、固くなってしまうのだ。

 ケチな性分だからしかたない。

 

 面白いの、気に入ったの、人に読んでもらおうかなと思うのが出てきたら、ちょこちょこ編集してデジタルに移し替える。

 畑で採れた農作物や、海で釣り上げた魚を、1次加工するのに似ている。

 毎日、大量の1次加工品ができてくる。

 仕事や作品用に使ったり、ブログやSNSにしてみたりする。

 

 今日も自分の地球を探検して、わずかでも採掘できたなと思うと楽しい。

 


フレンチ・ランチinキチジョージ

 

 きょうは昨夜、無事お泊りから帰ってきたカミさんといっしょに吉祥寺に行った。

 買い物のあと、「久しぶりにミーはおフランス料理が食べたいざんす」

 という、おそ松くんのイヤミ氏みたいなセリフがおなかの底から湧き出てきて、ランチはフレンチに。

 

 フランス料理はやたら世間で褒められることが多く、舶来高級料理の代名詞になっているが、どうもその実体がつかめない。

 

 ピザやパスタに代表されるイタリア料理には「This is イタリア料理」といった明確なイメージがある。

 好き嫌いはともかく「The イギリス料理」はローストビーフや フィッシュ&チップス。「The ドイツ料理」はソーセージ盛り合わせ。

 

 だが、フランス料理にはこれらに該当するものがない。

 「This is The ○○」=これがフランス料理だ! というものがないのだ。

 少なくとも僕の中には。

 

 一応、フランスには20代の頃、3回ほど旅行したことがある。

 トータルで半月程度は過ごしているが、最も印象に残っている食事は、ノルマンジー周辺の田舎町のレストランで食べた魚のスープ〈煮込みかな〉だ。

 

 料理名も覚えてないが、なんだか味噌汁みたいな味がしてうまかったな~と、記憶に焼き付いている。

 しかしパリをはじめ、他では何を食べていたのか、フランスパンのサンドイッチとか、クロワッサンの朝食以外はとんと思い出せない。

 

 きょう入った吉祥寺の店は、タルトフランベというアルザス地方の料理をメインに出していて、これはいわばフレンチピッツァだ。

 

 カミさんが頼んだ「ロレーヌ」というのはサーモンやエビなどの具材が乗っている。

 僕はせっかくフレンチに来たのだからということで「パリ」というのを頼んだ。

 これはカモ肉・トリュフ・フォアグラという3大フレンチ食材が乗っかっているリッチ版。

 

 見た目、よく行くイタリアンピッツァの半分程度の大きさで、これじゃ足りないんじゃないかなと思ったけど、お味の方もかなりリッチで、こってり濃厚。

 二人でシェアして食べてじゅうぶんお腹がふくれた。

 ただし、この濃厚さはワインと一緒に食したほうがいい。

 

 ちなみに僕はグラスの赤ワインを飲んだけど、なかなか美味しくて食前に飲みきってしまった。

 これ以上飲んだら絶対酔っぱらって午後の用事が果たせなくなると思って2杯目は断念。

 

 この「ブラッスリー・エディブル」は、こじんまりした、パリの裏通りにあるいそうな感じの店で、お値段もリーズナブル。

 ワインと一緒に料理を楽しみたい人にはうってつけなのではないかな。

 

 ただこれが「Theフランス料理」かというと、そうではない気がする。

 フランス料理ってやっぱり正体不明。僕の中では。

 


おばさん天使

 

 日本では天使というと小さな子どもの姿をしていることが多い。

 欧米では若い男女の姿が多い気がする。

 神さまがじいさんなので、その弟子みたいなイメージなのか?

 

 だけどもちろんのこと、天使に年齢的制限はない。

 最近は地上の世相を反映して? おばさん天使が増えている。

 

 天国には地球に生き物を派遣する「いきもの派遣センター」がある。

 そこは、ふつう人間が「神さま」と呼ぶゾーブツシュが経営していて、希望者は自分がほしい〈いのち〉を登録しておく。

 

 そこで空きが出るのを待っていて、オーケーの連絡をもらったら正式なハケンの手続きをしに行く。

 それをすませば一定期間、地球で生きものとしての命が与えられ、地上に旅立つというシステムになっている。

 

 その受付業務を担っているのは、おばさん天使だ。

 これから地上で生まれる生き物候補が「○生相談」しやすいというので、近年、おばさん天使の株が上がってきた。

 

 彼女らはセンターの受付のテーブルのところで背中の翼を微妙にパタパタさせながら、いつもお菓子を食べて、マンガを読んでいる。

 

 訪問者が声をかけようとした瞬間、おばさんは気がついてニコっと笑う。

 「べつにヒマしているわけじゃないのよ。いまちょうどいそがしい時間が終わったところ。あなたはラッキー」

 とか何とか言いながら、そそくさとお菓子とマンガをテーブルの下にしまう。

 口の周りにはお菓子の食べかすがくっついていて、しゃべるたびにぽろぽろこぼれ落ちる。

 

 声は思いのほか、かわいいキャンディヴォイス。

 子どもの声からばあちゃんの声まで幅広い声域を持ち、歌が得意だ。

 

 体型はふくよかで、地上にいるとドスドスと音を立てて歩きそうだが、天使なのでもちろんそんなことはなく、ふわふわっとした足取りで軽やかに浮遊しながら歩く。

 

 そして相談を持ちかけると、親身になって聞いてくれ、場合によっては神さまも怒鳴りつけるほど感情的になることもある。

 意外と知恵者だが、お菓子とマンガが手放せないところが玉にキズ。

 

 いま書いてる話のチョイ役として出てくるのだが、なかなか楽しいキャラなので、いずれまた別の話で主役級に持っていきたいと思ってる。

 


0 コメント

今夜はホームアローンでわくわく?

 

 うれしくてうれしくて、シッポがあったら振りたいくらい。

 

 前、アメリカのノンフィクションでこんな文章があって、気に入っていたことを思い出した。

 これは夫が出張か何かで数日間留守にするのを妻が喜んで発したセリフ。

 前後の文脈は忘れてしまったので、この後、これ幸いとばかりに盛大な女子会を開いて大盛り上がりしたのか、それとも密かに男を家に連れ込んだのかは定かでない。

 

 なんでこんな文章を思い出したかというと、今夜はカミさんがお泊り〈小児はりの研究会の合宿〉でいない。一人だ。

 

 そこはかとない解放感。

 

 べつに普段、一緒に暮らしていてストレスとかプレッシャーを感じているわけではないのだが、ちょっとだけ家の中の空気をいつもより多く吸える気になる。

 そして、さて何をしようかとわくわくする。

 

 イヌみたいに喜んでシッポは振らないけど、期待でリスのしっぽみたいに膨らむかも知れない。

 しかし、何に期待しているのか?

 

 子どもの頃は親が留守でホームアローンぬいなれば、友達を呼んで大騒ぎしてたし、友達と部屋をシェアしていた頃は、そいつが留守だとここぞとばかりに当時のガールフレンドを呼んでいちゃついていた。

 

 ホントに面白かったし、楽しかった。

 

 ところが一人暮らしをするようになって、いつでも自由に、当たり前にそういうことができる環境を得ると、そうした「今日はホームアローン」の喜びはなくなってしまった。

 やっぱりメリハリの問題なのだ。

 

 でまぁ、結婚してまた一人暮らしじゃなくなったのだが・・・たまに一人になっても、やるのはせいぜいテレビ見たり、ネット観たり、本読んだりしてゴロゴロ。

 これじゃ普段やってる生活と変わりない。

 

 そう思ってたら、夜中にピンポンとインターホンが鳴るので出てみたら「ずっとあなたのこと、お慕いしてました」とか言って女性が訪ねてきた。

 

 もしそんなことがあるのなら若い女がいいいと、まず考えるのだけど、近所のガールズバーにいるようなキャンキャンした小娘に来られてもうるせえなと思い直して、やっぱり壇蜜みたいな女が赤ワインとチーズを持って現れて「ご一緒に」なんて言われるのがいいなと思ったり。

 

 そんな想像を巡らせたりはするけど、実際にそんなことが起こったらめんどくさくて「ありがとう。でも結構です」って帰しちゃいそうだ。

 想像するのは楽しいけど、それだけで十分。

 というわけで、テレビとネットと本にもどる。

 

 こういうのって、何だかつまらない人生だと思ってた若い時代もあったけど、最近はどうも自分は劇的な刺激を求めて、ダイナミックに生きる人間ではないなと悟ってしまった。

 

 ま、それなりに充実した暮らしがあるし、平和が何より。

 普段と同じことをして今晩は一人で床に着こうと思います。

 


0 コメント

アート&カルチャーのご縁寺in六本木〈西麻布〉

 

   午前中、日差しがポカポカしてて、おお、きょうは小春日和だね~いやいや違った。小春日和は晩秋だ。今日は早春サイクリングだ!と思い立って、六本木まで自転車を漕いでいった。

 

 月刊仏事「寺力本願」の第2回の取材は西麻布3丁目の妙善寺。

 六本木ヒルズのすぐそばというか、通りを挟んでホテル・グランドハイアットの真ん前というアーバンなロケーション。

 

 江戸時代、囲碁寺として知られ、このあたりの町人がぶらっと寄って楽しく囲碁を打っていたとか。

 

 そうした歴史を下敷きにして、近年はまだ30代の住職様が、若いアーティストや芸人などに開放して、演劇、ダンス、音楽などの公演を開いている。

 

 聞けばこの住職様、若い頃、お笑い芸人をやってた経験があるそうで、そこから演芸系いオーラが発せられるせいか、インディペンダントなアーティスト系・カルチャー系の人たちが引き寄せられてくるようだ。まさに「ご縁」である。

 ここではいろいろな文化系の催しや教室、秋には自主映画の映画祭も開催されている。

 お寺という空間は、日常とは一味違ったリラックス感があって、自然と非日常的な世界へ脳もトリップできるのかもしれない。

 

 こうした活動を通して、人々が自然に仏教的なものをライフスタイルの中に採り入れていったら、もっと生きやすくなるのでは・・・というお話を、柔和で福々しい笑顔でっ語ってくれた。

 

 お昼を回ったころ、取材を終えて外に出てみたら、激さむ。

 早春のサイクリングだったはずなのに、お昼を回ったころにはどんよりと空は曇り、ぐんぐん気温が下がっている。行きはよいよい、帰りはこわい。

 真冬に逆戻りして明日は大雪という情報も。

 


カレンダー大変動に昭和人降参

 

 きょう、貸家の契約更新で不動産屋へ行ったら、デカデカと「2019年 平成23年」と上下に併記した紙がオフィス内の3ヵ所に貼ってあった。

 大家さんも、店子さんも、西暦と元号がごっちゃになってしまう年配の方が多いのだそうだ。

 

 ちなみにうちの母は西暦も平成もよくわからず、昭和○年と言わないと駄目だ。

 今年は昭和94年だよ。だからお母さんは90歳」と、帰省するたびに説明している。

 もはやこのあたりの人たちは、新しい元号や、西暦換算なんてもう諦めて100年を越しても昭和で押し通した方がよさそうだ。

 

 今年に限っては「退位の日」と「即位の日」の制定され、4月から5月にかけて天皇陛下の交代劇をはさんだ10連休のスーパーゴールデンウィークになるが、来年もまたすごい。

 

 10月第2月曜日だった「体育の日」――これまた昭和人には「10月10日」としっかり刻印されているが――は7月24日、すなわち東京オリンピックの開会式の日に移動するのだそうだ。しかも名称は「スポーツの日」に変わるとのこと。

 

 7月になるのはどうやら来年限定らしいが、いずれにしても「体育の日」は今年が最後。最近は学校の運動会も春に回されちゃうケースが多いし、10月のイメージが変わってしまいそうだ。

 

 ついでに「海の日」やら「山の日」もオリンピックに合わせて大きく移動し、真夏に「金メダルウィーク」ができるらしい(これは僕が勝手にそう言ってる)。

 

 それにしても昭和人たちが大混乱に陥りそうな今年と来年のカレンダー。

 いろいろ事情があって祝日だらけになるのはしかたがないけど1、あんまり連休が増えるとその前後が大変なんだよね。

 休みに合わせて仕事の締め切り前倒しとか、休み明けに見たいからここまでやっといてとか、1年の半分が年末進行になりそうだ。

 


0 コメント

別の惑星との交信

 

 街を歩いていると、やたらとぶつぶつ独り言を言ったり、へらへら笑いながら歩いている人が増えてるような気がする。

 

 おやおや、こりゃ精神をやられちゃっているのかなと思ってよく見ると、何のことはない。電話で話しているのだ。

 ワイヤレスイヤホンが普及したせいで、何だか街の中に奇妙な光景が現出している。

 

 だけどそれを差し引いても、ひとり言を言う人は増えたのではないだろうか。

 =精神やられてる、というのは言い過ぎかもしれないけど、電車で隣に座っている人が、そうやって自分の世界に入っちゃってると、やっぱりちょっと引いてしまう。

 

 でも、街中や電車の中ではないが、自分も時々ひとり言を口にしていることに気付く。

 家の中とか、人通りの少ない近所の道端とかでそっとね。

 しかも最近、その頻度がかなり増しているのではないか、こりゃやべぇと感じる。

 

 でも思考していることや認識したことなどをはっきり確認するためには、言葉を内に留めておくのではなく、外に出す――アウトプットするのは良いことなのだ。

 

 安全や防災などの指差確認歓呼などはその好例だ。

 本の音読効果もその類だろう。

 書いた文章がおかしくないか、誤字脱字がないかを確認する際も、黙読でなく、音読するほうが10倍精度が高い。

 

 また、ふっと心に過ったことをメモに書きとめるとか、意識に上ったことをノートしていく「瞑想ノート」なども、アウトプットという意味ではとても有効だ。

 

 だから街中やで電車の中でぱっと良いアイデアが閃いたりして何とか記憶しておきたいなら、ひたすら口で唱えて脳に焼き付けるしかない。

 

 だいたいそういう時はメモを取れるような状況じゃない。

 ペンと紙や、スマホなどを取り出そうとしているうちに、閃きは流れ星のように消えてなくなってしまう。

 

 あんまり大声出して周囲に迷惑かけちゃいけないけど、なにこれ? ヘンな人。ちょっと頭がおかしいじゃないの、気持ちわる~い、と思われるくらいなら、まぁ構わないのではないだろうか。

 

 周りの人もそれくらいなら、この人はたぶん別の惑星から来た人で、故郷の星とワイヤレスイヤホンで交信しているんだと思って、まぁ大目に見てあげてくださいな。

 


1 コメント

ネコのふりかけ

  

 もう前世の記憶に近いが、そのむかし「劇団ねこ」というのをやってた。

 なんでそんな名前を付けたのかというと、管理社会を自由にすりぬけ、何者にも縛られず、ネコのように柔軟に生きながら、可愛がってくれる人がいれば調子よくニャオンとすり寄り、ごはんとねどこをせしめたい。

 そんなメッセージを、演劇を通して発信しようとしたからだ。

 

 というのは今しがた考え付いた、まったくのこじつけだけど、潜在的にはそんな気持ちがあったのだと思う。

 

 劇団ねこは30年以上も前に消滅してしまい、座長と演出をやってた男も10年前に死んでしまった。

 

 けれども最近のネコのモテモテぶりに触れると、現在を生きる人たちの心の奥底には、冒頭に書いたような、ネコのように生きたいという思いが、ずっとくすぶり続けているのでないかと推測する。

 

 そして、それは30年前よりますます強くなっているのではないかと感じる。

 

 こんなことを言っては申し訳ないけど、受験生とか、就活している若者らとか、その親とかの顔を見ると、何に縛られているのかさえ分からなくなってしまって、もう闇雲にネコ的なものを求めたくなっているように思える。

 

 だから、絵本も写真集もテレビ番組も、ネコを使えばみんなが観てくれるし、ファッションもグッズもネコのふりかけをかければ魔法のように美味しくなる。

 

 こんなにも身近にいながら野性を感じさせてくれ、しかも基本的に安全。人間に甘えてくれるけど、かといって媚びてるわけではない。

 もはやネコは人間にとっての夢の存在であり、希望の星と言っても過言ではない。

 

 この先、テクノロジーが進むとともに、人間のネコ依存症はますます深まっていくのではないだろうか。

 すると何が起こるか?

 そうだ、AIを搭載したネコを作ろう――という発想が生まれる。

 

 というわけで、ネコ型ロボット・ドラえもんの誕生だ。

 そうなると逆転現象が起こって、僕たちはのび太くんのようにネコのドラえもんに甘えるようになるだろう。

 そして、ドラえもんにいろんな夢をもらうようになる。

 ネコのふりかけは未来まで果しなく効能を発揮する。

 

 そうか「劇団ねこ」の演劇は、ドラえもんに繋がっていたのかと、前世の記憶が新たな発見を伴ってよみがえった今宵。

 いずれ、ネコとロボットをテーマにしたお話を書いてみたい。