僕たちの豊かさと貧しさと相模原事件

 

●豊かさの意味

 

 僕たちはまだまだひどく貧しい。

 昨日の相模原の施設の事件を聞いて、そう思いました。

 

 豊かな社会を目指し、豊かな社会をつくる意味って何なのか?

 より多くの人が、よりぜいたくな暮らしをするためか?

 違うと思います。

 それでは全く人間は進化しない。

 豊かさの意味。

 単純化していえば、それは弱者も生きられる――普通に社会生活を送ることができ、人生を楽しめる、ということだと思います。

 

●弱者への思い

 

 人間の歴史は貧しさとの戦いの連続でした。

 その戦いの中では小さな子供、年寄り、病人、けが人、そして障害を抱えた人・・・こうした人たちは淘汰されるしかありませんでした。

 それは自然なことである。社会における弱者を切り捨てていかなければ人類は前へ進めない――そうした意見が正論としてまかり通っていたのです。

 

 しかし、それでは弱肉強食の野生動物の世界と同じです。

 人間は違う。弱者もいっしょに歩んでいける社会を作るべきだ。

 ブッダやイエスのような宗教者に限らず、どの人々の中にもそうした思いはいつもありました。

 そして、その思いは幾世代にもわたって連綿と引き継がれてきました。

 けれども大多数の人はひどく貧しく、自分が飯を食うので精一杯なので、その思いをなかなか有効に実現することができなかった。

 

●あの人は自分だ

 

 それが最近になって、やっと世界の一部の地域では衣食住の心配が(昔に比べれば)激減し、弱者にも目を向けられるようになってきた。

 そして積極的に彼らにコミットするようになると気付いてきたのです。

 

 「あの小さな子は、あの年寄りは、あの病人は、そして、あの障がい者は自分だ」と。

 健常な大人である自分の中にも彼ら・彼女らのような、いわゆる弱者がいるのだ、と。

 

●「精神的豊かさ」とは?

 

 バブル経済の崩壊後、物質的な豊かさは手に入れたので、次は精神的豊かさを勝ち取ろう、といった掛け声がよく聞かれました。

 では「精神的豊かさ」とは何なのか?

 コマーシャルで流れるような、もっと自分たちの衣食住の質を上げたり、高尚な趣味を持つことなのか?

 

 それらも含まれると思いますが、一番の本質は、弱者といわれる人たちの存在価値を認め、彼らといっしょに生き、暮らせる社会を実現することなのだと思います。

 逆にいえば、それ以外に豊かになる意味、豊かな社会を作る意味などあるのでしょうか?

 

●相模原事件の本質

 

 

 経済成長によってやっとその入り口までこぎつけた・・・のかも知れない。

 人間の歴史はまだその段階です。

 そこで昨日のような事件。

 事件の詳細はよく読んでいないし、容疑者のことも動機の深いところはまだ知りませんが、ニュースを聞いてすぐに思ったのは、あの容疑者の行動は僕の一部なのだということ。

 僕はまだまだ貧しい。おそらくほかの人たちも五十歩百歩。だからひどく動揺する。

 あの容疑者の言動は、僕たちの、この社会に潜む「貧しさ」の発現。

 だから僕たちはひどく動揺し、一瞬、引き込まれるけれど、しばらくすれば自分には関係ないことと目を背け、忘れるでしょう。

 

●もっと豊かさを

 

 いま、経済成長はもう限界、という意見をよく耳にします。

 確かにそうかもしれない。

 では、経済成長以外に僕たちがより豊かに成長する手立ては何かないのか?

 

 僕たちはまだ「豊かになろう」という志をあきらめてはいけないと思います。

以前の時代とそのニュアンスは違うけれど。

 

 

2016・7・27 Wed


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阿佐ヶ谷に起業家のキックオフ・オフィス誕生!

 

 というわけで、杉並区産業振興センターが入居者を募集。

 というわけで、その募集用チラシをAshデザイン・岸部氏が制作。

 というわけで、そのコピーを頼まれて書きました。

 それでもって、出来上がtったそのチラシがこれ。

 

 事情はいろいろあれど、いったん独立を決めたら「成功するにはどうすべきか?」と、止まってえんえん作戦を考えているだけでは一生ゴールは割れません。とにかくボールを蹴って転がしていく。

 ピピッとくる奴が近くにいたら、そいつにパスを出してみる。

 そんなことをやっているうちに何とか道は開けるはずだ・・・てなメッセージを込めてみました。

 

 走れ起業家よ、ドリブれフリーランサーよ。

 チャンスがあればシュートを放て。

 外したって構うもんか。転がしまくって打ちまくれ。

 実力なんかなくたってラッキーはくる。

 相手がファウルしてくれるかもしれない。

 目の前にこぼれ球がコロコロなんてことだってある。

 「神の手」を使っても審判が見落としてくれるかもしれない。

 それもこれもピッチに立ってボールを追っていないと絶対に起こらない。

 

 これからはフリーの時代だ。

 出来上がったところで、出来上がっているものを守るために働いたって面白くもなんともない。人も企業も失敗しながら成長するから面白い。

 成長しながら“食う”、

 食いながら(たとえ錯覚だとしても)成長を続ける
 ――人生、これに勝る喜びはありません。

 

 というわけで、その始まりが七夕祭りとジャズフェスタの街・阿佐ヶ谷。

 生活も遊びもある。アートも商売もある。おとなも子供もやってくる。特典としてお役所や税務署も付いてます。

 もちろん杉並区外の人もオーケーなので、独立独歩でがんばろう、自由になって食っていこうと考え中なら、8月5日(金)~9日(火)の七夕祭りの時にでも参拝してみてください。

 

 

2016・7・22 FRI


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いちご畑で抱きしめて

 

Strawberry Fields Forever

 

 いちご畑と言えばジョン・レノン。

 かの名曲「ストロベリーフィールズ・フォーエバー(いちご畑よ永遠に)」からの連想。

 Strawberry Fieldsっていうのは、もともとリバプールにあった救世軍の孤児院の名前で、僕も参拝したことがあるけど、門柱は世界中のビートルズファンの落書きでいっぱいでした。

 救世軍の孤児院というイメージもあいまって、もちろん曲も素晴らしいのだけど、それ以上にタイトルが秀逸。この名前を使ったお店やら商品やら本やら昔から結構あって、最近はウェブサイトにもたくさんいちご畑が広がっています。

 可愛いし、いろいろ想像力が広がる言葉だもんね。

 現代では割とありきたりなネーミングかも知れないけど、1960年代当時、楽曲にこういうタイトルをひねり出して付けたジョン・レノンのセンスはやっぱり一味違うと思います。

 

 僕もその一人で、ちょうど35年前の今頃、新宿のゴールデン街の一角にあった芝居小屋で「いちご畑で抱きしめて」という芝居をやりました。

 「いちご畑」と「抱きしめたい(I Want to Hold Your Hand)」を足したタイトルだけど、話の内容はジョンにもビートルズにも救世軍にもまったく関係なく、不思議の国のアリスと核戦争をモチーフにした支離滅裂な話で、なんであんな芝居を書いたのか、逆にいえば「書けた」のか、今考えると不思議なのですが、最近、頭の底から何かが浮かび上がってきて、同じタイトルでまったく違う話を書こうと考えています。

 

★稀代のペテン師

 

 そのモチーフはやっぱりジョンの生きざまです。

 僕のジョンに対する基本的なイメージは「ペテン師」。

 もちろん若くから音楽的才能を開花させ、声もルックスも魅力的だったことは認めるけど、それ以上に彼は天才的なペテン師だった。みんな、彼の醸し出す言葉やパフォーマンスに翻弄され、その結果として現在の世界のある部分(多くは現代人の精神構造に関わる部分)が形成された・・・というところに、すごく興味があるのです。

 

 リバプールの悪ガキから音楽家へ、世界最高峰のスーパースターへのぼりつめ、やがて世界平和を訴え、愛の使者になり、イエス・キリストみたいになったかと思ったら、いきなり家庭の世界に入り(今ではすっかりポピュラーになった「主夫」――ハウスハズバンドという言葉と概念は、ジョンが創ったか広めた、というのが僕の印象)、そしてミュージシャンに復帰したとたん、この世を去った彼の40年の人生は、いまだに、というか、今だからこそ僕たちに、文化・芸術、お金・ビジネス、社会・時代、家族・子供、愛、そして「生きるとは?」とういう哲学的考察に至るまで、いろいろなことを考えるヒントを与えてくれている気がします。

 

★人間ジョン・レノンの魅力

 

 こんなことを言うとジョンやビートルズファンの人は怒るかもしれないけど、その基本が胡散臭いサギ師・ペテン師のキャラクター。

 僕はそこにとても人間的なもの、それこそ人工知能が、アンドロイドがひっっくりかえっても叶わない人間ならではの魅力を感じるのです。

 

 そう考えるきっかけになったのが、ジョンの最初の妻であるシンシア・レノンが書いた「わたしが愛したジョン・レノン」という本でした。

 いわゆるビートルズ本の一つに数えられますが、これは家族論・幸福論・人生論としても読める優れた本です。

 たぶん長くなるので、この続きはまた後日。

 

 ちなみにリバプールのStrawberry Fieldsは、現在は修道施設となっているようです。いろいろなストーリーを詰め込んで祈祷と瞑想の施設に変ったことを思うと、なんだか胸にじんとくるものがあります。

 

 

 

 

2016・7・20 WED


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子供はどうしてロボットが好きなのか?

 

★人間とロボット、子供と大人

 

  どうして自分はロボットが好きなのだろう?と、割とよく考えます。

 子供の頃、マンガやテレビを見過ぎたせいだろ。

 その通り。僕はいつも夢中でした。子供のマンガやテレビの世界では、ロボットだのサイボーグだのはとても親しい存在でした。

 

 けれども現実の大人の世界とはそれとは違う。ロボットだのサイボーグだのというのは子供だましの絵空事だ。そんなものに夢中になっていないで勉強しろ、そして立派な大人になって仕事しろ――というわけでこれまでやってきました。

 

 ところがここ来て、そうした子供の世界と大人の世界との境界線がどんどん溶け出している。ロボットたちが親しい存在である世界がどんどん近づいている。最近はそうした印象を持っています。

 

 

★どうしてやつらはデキるのに哀しいのか?

 

 10万馬力だったり、弾よりも速く走ったり、空を飛んだり・・・あの頃、彼らはすごい能力を持っているのにも関わらず、自分が人間ではないことにひどいコンプレックスを抱いていました。

 「アトム」も「エイトマン」も「サイボーグ009」も「仮面ライダー(改造人間)」も、その強さ・その高い能力を誇るよりも、むしろ哀しむことが多かったように思います。

 

 彼らのようなアンドロイド・ヒューマノイド系のロボットたちとは別の系譜にある戦闘用兵器としての巨大ロボットも例外ではありません。

 

 リモコン操作で動く鉄人28号やジャイアントロボなども、時代とともに人間が搭乗する形式――「マジンガーZ」そして「ガンダム」などのモビルスーツになってくると、そのパイロットの人格がロボットに乗り移ってどんどん人間味を帯びてきました。

 

 すると必然的に「どうして僕はこのロボット(モビルスーツ)になって戦わなくてはならないのか?」といった悩みや哀しみがひたひたとあふれてくるのです。

 

★究極のロボット寓話

 

 このメイド・イン・ジャパンのヒューマノイド系&巨大ロボット系が融合した究極の作品が「エヴァンゲリオン」なのでしょう。マンガ、アニメの世界におけるロボットの寓話は、ここでいったん完成してしまったように思います。

 

 だからこの20年ほどの間、「エヴァンゲリオン」以上の作品は誰も作れていません。マンガ、アニメにおけるロボットの進化は一旦停止し、その代り、現実の世界でコンピュータ~ロボット~ヒューマノイド~アンドロイドが進化してきたのです。

 

★欧米と日本のロボット文化発展のちがい

 

 どうして日本におけるロボットやサイボーグたちは悩み、哀調に満ちているのか?

 もともとロボットの故郷ともいえるヨーロッパではどうなのか?

 民族同士の抗争が日常者判事で、支配―被支配が習慣化していたヨーロッパでは、機械・ロボットは奴隷・被支配階級→労働者・労働階級の隠喩として捉えられてきました。

 

 100年前、チェコの劇作家であり、新聞記者・ジャーナリストでもあったカレル・チャペックは、戯曲「RUR」において、「苦役」という意味を持つラテン語からロボットという言葉・概念を生み出しました。

 そこに出てくるロボットたちは資本主義と社会主義の狭間に生み落とされた子供たちであり、支配階級(資本家)に対して反旗を翻す労働者のメタファーでもありました。

 産業・経済の発展に身を粉にして貢献する――それこそが彼らが受けた至上命令だったのです。

 

 彼らはそうした自分の身分について感情的になるよりも理性的な部分を重視し、課せられた使命に対する能力を特化させることに集中しました。

 運搬、計算、生産・・・マニュアル通りの決まった仕事をさせたら人間をはるかにしのぐ働きをするようになったのです。

 

 仕事と言ってもいろいろなものが発生します。

 戦争における兵士としての役割もその一つ。敵を倒すという兵器としての能力は抜群で、平和を守る正義のヒーローとしてのロボットも、そのタスクから発展しました。

 そのため、欧米生まれのロボットたちは、最近までその強さ・能力の高さを明るく誇り、胸を張っていたのです。

 

★日本のロボット文化の影響が世界を席巻

 

 しかし、その欧米でも時代が進むとともに、ロボットたちは次第に何かを考えるようになり、悩みや哀しみの衣をまとい始めます。ハリウッド映画でも「ブレードランナー」「ターミネーター」「AI」・・・と、どんどん内省的になっていく。

 

 これは僕のまるっきりの独断・偏見ですが、そこには日本のガラパゴス的なロボット文化が影響していると思います。ここでもやはり手塚治虫先生の功績が大きい。

 「アトム」の作品世界が人種差別をはじめ、さまざまな差別問題・階級問題をはらんでいることは昔から言われていますが、ロボットという概念そのものが、もともとそうした人間社会全般の問題を内に抱えているのです。

 

 そしてまた、手塚先生の思想のベースには、人間至上主義のキリスト教圏とは一線を画す、自然や動植物、さらに本来は命を持たないはずの“物”の中にも魂を見出す日本の文化・日本人の感性があります。

 それはもちろん、手塚先生のみならず、ほとんどの日本人が自分の内側に持っているものです。

 

★ロボットは仲間、友だち、きょうだい、自分

 

 つまり、日本人にとってロボットは「人間の形をした機械」ではなく、「機械の形(身体)を持った人間」であり、階級が上とか下とかではなく、自分たちとほぼ同等の「仲間」「友達」「きょうだい」、時には「自分自身」でもあるのではないでしょうか。

 

 だから日本では――たぶん欧米でも、世界のどこでも同じだと思いますが――子供はロボットが好きで、興味を持つのです。

 けれども社会の側は、多くの人に資本主義の枠組みの中で生産活動・経済活動に携わってほしいと考え、それが大人になることとイコールなのだと教えます。そうした要請は、子供の心を、ロボットを親しく感じる世界から遠ざけ、切り離してきたのです。

 

★人間とロボットがいっしょに暮らす世界とは?

 

 この100年余り、常識とされていたこうした人間・ロボットの関係性の流れが、今、大きく変わろうとしています。「ロボットが仕事を奪う」「ロボットが人間を支配するようになる」――最近、ますます強調されて喧伝されている脅し文句は、経済・産業活動の視点からのみ発せられているものです。

 でも、そんなにネガティブなことなのか?

 文化的視点というか、人類全体の進化という視点から見たらどうなのか?

 

 僕はできれば良いほうへ考えたい。子供の頃に夢中になった世界とは少し違うかもしれないけれど、人間とロボットが親しく、いっしょに暮らす――自分が生きている間に、本当に実現するかどうかはわからないけれど、それはむしろウェルカムな世界ではないか、と思うのです。

 

 

2017・7・17 SUN


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聖書から始まった「人間VS機械」

 

★アンドロイド映画「エクス・マキナ」

 

 「検索エンジンで世界一のシェアを誇る」と言うのだから、あなたも僕も毎日使っている、かのG社がモデルであることは明らか。G社は人工知能の研究をしていることでも知られています。

 

 そのIT企業の青年プログラマーが自社の創業者であり、社内でもほとんどの人が正体を知らないという伝説のCEOの自宅に1週間滞在できる権利を獲得。世界の果てのような、手つかずの大自然の中にある、超クールなハイテク邸宅(実は彼の人工知能研究所)で、青年は世にも美しいアンドロイドの女と出会う――という設定で、映画「エクス・マキナ」は始まります。

 

 ひと昔前なら「近未来的」と言われたかもしれませんが、いまやG社、およびそれに類するIT系企業なら、もう十分現実的と思える設定で、そこで展開される人間と人工知能(アンドロイド)とのやりとりも妙にリアリティがあります。

 そして、そのリアリティとともに、これまで人間が営んできた諸々の歴史が集約されたような物語になっていることにこの映画の価値があります。

 

 のっけのエンドオブ・ワールドの野性と、人工の極みを尽くしたハイテク研究所のクールさとのコントラスト。そしてアンドロイドの、これまでになかった斬新なデザインのボディと、映像的な美しさもピカ一。

 

 おもな登場人物は、人間の男ふたりとアンドロイドの女2体。限られた時間と空間。まるで舞台劇のようなシチュエーションの中で、静かだが濃密なセリフの応酬と、スリリングな心理戦が繰り広げられます。

 

★「エクス・マキナ」の深層は聖書

 

 見た目はクールで新鮮ですが、じつはこの映画はかなり古典的なドラマで、なんとなくお察しのとおり、最後にアンドロイドの女「エヴァ」が(象徴的な意味で)人間となって、閉ざされた空間を抜け出し、外界へ脱出するという物語なのです。

 

 彼女の名前が意味している通り、これは聖書のアダムとイヴが楽園を追放される、というストーリーのアレンジです。異なるのはイヴ(エヴァ)が、父であり、夫であるアダム(CEOと青年)をそこに残して一人で出ていくという点。

 

 (アダムは夫であるだけなく、自分の肋骨からイヴを作ったという意味で創造主=父ともとれます。この映画では父たるCEOが、娘を未来の夫たる青年とお見合いさせる、というニュアンスも含まれています)

 

 また、追放ではなく、自らの意志で脱出するというところは、女性解放運動のきっかけにもなったといわれるイプセンの戯曲「人形の家」のイメージともダブります。

 

 ちなみにもう一人のアンドロイドは「キョウコ」という名前で、CEOの妻兼家政婦のような存在。

 意図的なキャラ設定だと思いますが、ハリウッド映画でおなじみの、白人男性にかしずく従順で美しい日本人妻というプロトタイプの役割を担っています。

 

★西欧文化・思想・宗教が生んだ支配―被支配の原理 

 

 この映画を見て思ったのは、人間vs機械の対立の概念は、聖書にもとづくキリスト教の思想が根底にある、ということです。

 

 支配―被支配の歴史を繰り返しながら発展してきたヨーロッパ(およびアメリカ)的な考え方は、今日のメインストリームとなる世界観を作り上げました。

 

 人間vs動物、人工vs自然、男vs女。

 

 他の動物より人間の方が上、女より男のほうが偉い、白人の方が有色人種より優れている、といった対立、ランク付け、そして差別、階級社会づくり――

 良い悪いはさておき、これらは欧米人の生活の歴史そのものであり、それに正当性を与えたのがキリスト教という宗教だったのだと思います。

 

 人間VS機械という対立の図式、そしてこの1世紀の間に大きくクローズアップされるようになった、コンピュータ―人工知能―ロボット―アンドロイドの脅威は、こうした原理成立の流れの中で起こってきたものでした。

 

★ロボットは人類の子供

 

 特にロボット―アンドロイドは、外見が人間と似通っているだけに、アイデンティティがいたく刺激されます。

 

 だったら作らなければいいではないか、と思うのですが、それでも作らずにはいられない。

 人間もロボットも脳だけでは進化できません。

 身体を持ち、外の物理的な世界と関わり、感覚器を通して得られた情報をフィードバックさせることで学習し、思考と行動を調整しつつ成長できるからです。

 

 いわば子供ようなものですね。人間は子供を持たずにはいられない。人類はみずからの活動を引き継ぐ子孫を残さなくては・・・・と考えずにはいられないのです。

 

 けれどもその子供が成長してしまうと、今度は自分の地位が脅かされるという不安と恐怖にかられるのです。

 

★ロボットはフランス革命を起こすかもしれない

 

 あるいはこういう言い方も可能かもしれない。

  広く言えば家電製品も含め、機械、コンピュータ、ロボットが奴隷や使用人のうちは問題ない。しかし、もっと仕事をさせようと改良しているうちに、どんどん知恵がついてきて、人間の知性に追いついてきたのです。

 

 それはちょっと困る。賢くなって革命でも起こされたらたまらない――現代人はおそらく、フランス革命前に権力を握っており、民衆がいろいろなことを知って賢くなることを恐れた王侯貴族階級の心境に近いものがあるのでしょう。

 

★ロボットに命・魂を見い出す日本人

 

 けれども日本の場合はちょっと違うのではないかな、と考えます。

 日本において僕たちの目の前に登場したロボットたちの系譜――アイボ、アシモ、ペッパーなどを見ていると、そこに支配―被支配の意識は低いような気がします。

 

 むしろ人間の方がロボットに癒してもらう部分も多く、持ちつ持たれつ、といったニュアンスが強いのではないでしょうか。

 そういえば、メーカーにケアしてもらえなくなり“死んでしまった”アイボをご主人様たちがお寺で供養してもらう――という現象がありました。

 

 これは自然や他の動物、物や機械にも命・魂が宿り、そうしたものを人間より下に置かない、できるだけフラットな関係を結ぶ、という日本人の考え方・文化が大きく影響しているのだと思います。

 

 人間とロボットとの関係についても、フランス革命のような大激動ではなく、明治維新くらいの騒ぎで収めたい、収められると考えているのではないでしょうか。

 

 僕と同世代のロボット研究者の間ではよく語られることですが、これは日本古来の文化・思想に加え、「アトム」の物語を描き、当時の子供たちにメッセージした手塚治虫先生の功績も大きいのではないでしょうか。

 

★ロボットの存在の原点を探る物語

 

 ハリウッドでも無数のロボットをテーマにした映画が作られてきましたが、「エクス・マキナ」はその最先端であると同時に、ロボットの存在の原点――欧米人が考え出したロボットという概念の正体を探っていく物語でもあります。

 久しぶりに映画でおおいに堪能できました。

 

 最後に自分で不思議だなぁと思ったところ。

 アンドロイド時のエヴァはクールで知的で、それでいながら少女のように可愛く、そしてセクシーで美しい。

 

 それに比べ、皮膚を貼り付け、服とウィッグを着け、(象徴的な意味で)人間になって旅立つエヴァはどうか?

 

 血が通って体温を持ち、親しみが増したように感じるが、「美」という点では1ランク落ちる印象を受ける――これは僕の嗜好性か、男の女に対する共通の視点なのか? 

 

 

 

 

2017・7・13 Wed


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こちとら機械だのロボットじゃねえ。人間でぃ!

 

★江戸の男たちが現代にタイムトラベルしてきたら・・・

 

 江戸の街の人口は7割が男。相当なマッチョマンが多かったのだと思います。江戸東京博物館で魚屋の天秤を担いだことがありますが、これが重いのなんの。

 非力な僕は、やっとこさ持ち上げてフラつきながら5メートルも歩くのが精いっぱいというありさまでした。

 こんなものを担いで何キロも、一日中歩き続けていたというのだから、江戸の魚屋さんはすごい。しじみ売りも、豆腐屋さんもみんなすごい。

 しかもこれは当時は力仕事の範疇に入らない物売りの話。土木工事や運搬業をはじめ、もっと腕力・体力の要る仕事はいくらでもあったのだから、江戸は力自慢の猛者だらけ。「ケンカと火事は江戸の華」とは、こういう猛者たちがうようよいて、エネルギーのはけ口を求めていた、という背景があって生まれた言葉でしょう。

 

 先月は「タイムマシンにおねがい」という記事を書きかましたが、もし江戸の男たちがタイムマシンで現代の東京にやってきたら・・・

 

 「おおっ、あいつはなんでぃ、あんな重そうなものを持ち上げてやがる。なにぃ、300キロだぁ? てやんでい、べらぼうめ!負けてたまるかい。おれっちゃ400キロ持ち上げてやるぜい」とか言ってフォークリフトに勝負を挑んだり、

 

 「この化け物め、こちとらだってそれくらいの岩や瓦礫ぐらい持ち上げてやるぜ!」とか言ってパワーショベルに挑戦したり、

  

 「俺のほうが速く走れる!」と言って飛脚が自動車や電車と、「わたしの方が速く計算できる」と言ってそろばん弾く商人が電卓やコンピューターと競争する、なんてことが起こるのではないでしょうか。

 

★人間VS機械 真っ向勝負!の時代

 

 笑いごとではありません。

 19世紀の産業革命以来、次々と生み出される機械技術は、人間の希望であり、その裏腹に絶望でもありました。

 機械は人間の生活を便利にし、豊かにしてきた反面、人間がそれまで担っていた仕事を奪い、人間ならではの存在価値を脅かし続けてもきたのです。

 

 そんな人間VS機械の格闘の時代が200年近く続いたのではないでしょうか。

 最初のうちはなんだかんだ言っても、やはり機械文明は人間の労働を楽にし、人間を苦役から解放してくれるもの、豊かな社会を築くのに欠かせないもの、というニュアンスが圧倒的に強かった。

 ところがある時代に分水嶺を超えてから、次第にそのニュアンスが変わってきました。

 

 僕が子供の頃――というよりも割とつい最近――20世紀の終わりまでは、文化・芸術の分野で「人間VS機械」の対立を意識させるコンテンツが目立ったり、機械文明に警鐘を鳴らす声をあちこちで聞くことができました。

 こうした風潮が21世紀を迎えるあたりから変わり、機械との対立を感じさせる声は耳に届かなくなってきました。

 

 今、パワーショベルやフォークリフトに力で劣っているからと言って屈辱感を感じる人はいません。

 車や電車よりも速く走ってやろうという人もいなければ、そのへんに転がっているチャチな電卓よりも計算が遅いから「頭が悪い」と劣等感に悩む人もいません。

 それどころか、社会のあらゆる分野でコンピューター技術が浸透し、社会の管理もコンピューターにおまかせの時代になりました。

 いわば機械に負けっぱなし。いつの間にか人間は機械に完全に白旗を上げている状態になっていました。

 ・・といった対立、対抗、戦いの意識すらもうどこかに吹き飛んでいて、共存・共栄の時代になっていたわけですね。

 

★ぼくたちは機械に敗北した

 

 共存・共栄というと聞こえは良いけど、労働の場において、いわゆる「能力主義」を貫けば、この先、どんどん人間の出番は減り続けるでしょう。

 仕事は何倍もできる、コストは何割もかからない、となれば、どんな経営者でも――少なくても現在の資本主義社会で経済的利益を追求する組織の経営者なら――機械・ロボットを使って事業を行うでしょう。

 

 でも芸術とか創造的分野においては・・・という意見もあるでしょうが、現在のIT・ロボット技術の発展状況から考えると、絵や文章だってロボットが描く時代が来るのはそう遠い先のことではありません。

 過去の大作家や大芸術家のデータをインプットすれば、学習能力を持ったロボットはその資産から、新しい価値を持ったものを大量にクリエイトできるでしょう。

 そして以前も書きましたが、思いやりとか感情の豊かさという面でも、ロボットが人間を追い越していくのは時間の問題です。学習能力に優れ、ストレスに精神をやられないという強みは、医療や看護・介護の分野でも必要とされるでしょう。

 

 そうした状況になった時に、人間が機械より優れている理由を見つけ出せるのか?

 人間の存在価値はどこにあるのか?

 「てやんでぃ、べらぼうめ。こちとら人間でぃ!」と威勢よく啖呵を切れることはできるのか?

 

 ・・・・というわけで、またこのテーマでつづきを書きます。

 

 


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あなたもわたしも呪い人? 「呪いを解く者」

 

フランシス・ハーディングという

イギリスのファンタジー作家の作品。

テーマはズバリ「呪い」。

 

舞台は架空の国で、イメージとしては中世ヨーロッパ。

主人公は呪いの「ほどき屋」の少年と、

呪いをかけられた少女。

この世界には呪いをかける「呪い人」がいて、

それを束ね、利用しようとする悪のボスが登場する。

 

呪いをかけられた人は動物などに変身したり、

この世界に生息する奇妙なクリーチャーが

いろいろ出てきたりして、

全体の印象は、そこはかとなく

「ハリーポッター」を想起させる。

 

僕が面白いなと思ったのは、

そうしたファンタジックなストーリー展開や

冒険劇、敵とのバトルよりも、

「呪い」というテーマそのもの。

 

中世風ファンタジーの衣をまとったこの物語で

扱われる「呪い」は古典的な感じではなく、

ひどく現代的で、僕たちが身に覚えのあるものだ。

 

家族間や仲間同士の支配・被支配、

夫婦間のDV、子どもへの虐待、親への憎しみ、

そして幸福な(と映る)人に対する妬み・嫉み。

 

もちろん古今東西、呪いというものは、

人間の性のようなものだが、

読みながらこれはほとんど

今の日本の状況ではないかと思えた。

 

もし、この物語の「呪い人」のような

力を持ってしまったら、

それを行使する人はきっと後を絶たないだろう。

そして、この呪いの力はある種、最強のサイコ兵器で、

悪意を持って利用しようとする輩が

大勢出てくるに違いない。

 

呪われる側はもちろん、呪わずにいられない人、

そしてこんな力を持ってしまった人たちの

悲しさが胸に残る。

 

文中に「呪いの卵」という表現があるが、

情報化・格差・競争・・・そんな社会で日々を送るうちに、

僕らは知らぬ間に自分の中に

「呪いの卵」を孕んでしまっている。

現代は誰もが表向き善良な市民である同時に、

怖ろしい「呪い人」の予備軍でもあるのだ。

 

陰惨で悲劇的な部分も多いが、

ファンタジー物語としてはけっこう華があるので、

映画化すると面白いのではないかと思う。

 

 

  再読・嵐が丘

おりべまこと 

 

エミリー・ブロンテ「嵐が丘」や

スティーブン・キング「スタンド・バイ・ミー」など、かつて読んだ名作を再読してみたら新たな発見が!

還暦ならではの物語エッセイ集。

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友の旅立ちに春の花を

 

昨日、64歳で友達が死んだ。

演劇学校の同期生で、

いっしょに劇団をつくって芝居をやった仲間だった。

 

ステージ4のガンだということを知ったのは

半年前、同窓会を開く連絡をした時だった。

その後、12月に6人で連れ立って福井まで会いに行った。

割と元気そうで、おもてなしまでしてくれて、

わざわざ来てくれたお礼にと、お土産までくれた。

 

ステージ4と聞くと絶望感が生じるが、

カミさんの患者には

「ステージ4でもう7年生きてます」という

ガンとの共存に成功している人もいるらしい。

だからというわけではないが、

今年になってから僕のFBの投稿に

何度かリアクションもしていたし、

その友だちも、

まだまだ意外と大丈夫なんじゃないかと

漠然と思っていた。

でも結局そう願っていただけなのだろう。

 

「楽しい時間を過ごさせていただき

ありがとうございました」

彼女の死を知らせてくれた友達は、

そんな家族の伝言を伝えてくれた。

 

どんな時間を過ごしたのだろうと考えた。

もう40年以上も前のことだが、

いっしょに何かを創った仲間というのは

特別な時間を共有したのだという思いがある。

なんであんなにエネルギーがあったんだろう?

芝居なんてくだらないことに一生懸命になれたんだろう?

と不思議な思いがする。

 

劇団を立ち上げたメンバーは3人だったが、

もう一人はすでに15年前、50歳で逝ってしまった。

その時に比べて、今回どこか自然に

仲間の死を受け入れられるのは

やはり年齢のせいだろうと思う。

人生100年時代とは言えど、

還暦を超えた60代は生と死の境にある年代。

今ここを丁寧に過ごさないと

その後生き延びたとしても、

ただ生活しているだけの人生になりそうな気がする。

 

悩み相談みたいなサイトや動画で、

いろんな意図をこめて

「人生に意味などないよ」と言うセリフをよく聞く。

けれども3人の生き残りになってしまって、

なんで俺だけまだ生きているんだろう?

と考えざるを得ない。

 

この世から去る日を選ぶことなどできないが、

花の季節に逝くのは、

残る者の気持ちをほんの少し和らげる。

友の冥福を祈る。

 


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ある4月の晴れた朝に100パーセントのお花見をすることについて

 

昨日は絶好のお花見日和だったが、実はそうでもない。

カミさんは「絶対混んでいるから嫌だ」と拒否するので、

義母だけ連れて出かけたが、やっぱりという感じ。

 

善福寺川沿いは余りお店もないので、

例年は他の名所みたいに混み合うことはないのだが、

それでもコロナ明け、しかも最近の天気の悪さで

昨日に人出が集中したせいで大混雑。

おかげで義母はストレスで機嫌が悪くなり、

桜にも大して関心が向かない。

彼女の心を打ったのは、

帰り際に寄った小公園に咲いていた

黄色いヤマブキの花だった。

 

そんなわけで今日の朝はリベンジ。

義母をデイサービスに送り出し、

カミさんと3時間近く川沿いを歩く。

 

天気予報が外れて日も差し、

人も少なく、うるさい酔っ払いもいなくていい気分。

 

いわゆる花見による経済効果とは無縁だが、

経済の活性化と、桜の花を見る幸福感との間に

相関性は見いだせない。

 

近辺のあちこちの保育園の子どもたちも大勢来ていた。

この辺の保育園は広大な園庭を持っているようなものだ。

それも季節によってダイナミックに表情が変化する

ワイルドガーデン。

子どもたちも豊かな時間のなかで成長できると思う。

 

今日は近所の小学校の入学式もあったので、

桜並木の下で記念撮影している親子が大勢いた。

あくまで東京での話だが、

令和になってから桜の中で入学式ができたのは、

今年が初めて?

 

平成の息子の入学式も、

昭和の自分の入学式も桜の中だった。

欧米に倣って秋に入学・新学期という声もあり、

そっちのほうが合理的かなとは思うけど、

 

やっぱりそんなの日本人のメンタリティが許さない?

 


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死ぬ前にもう一度ワールドツアーで歌いたい・演奏したい

 

1960~70年代に活躍したミュージシャンで

そう漏らす人は少なくないようだ。

 

ワールドかどうか知らないが、

今夜(2024・4・6)は

有明の東京ガーデンシアターで

ジェームス・テイラーが一夜限りの来日公演をやっている。

 

そのことを教えてくれたのは、

ついこの間まで大学院生で、

来週から東京都の小学校の非常勤講師として

勤め始めるK君だ。

 

水道代を払い忘れて

水を止められたことがあるというK君は、

「たまたま耳にした『マイ・ブルーヘブン』が

心に刺さったんすよ」

と、ジェームス・テイラーは2020年にリリースした

「アメリカン・スタンダード」というアルバムを聴いて

ファンに。

今日はなんと!

S席2万円のチケットを買って今晩のライブ見に行った。

水道代払えないのに、チケット代は払うんかい!

でも、若いってそういうこと。

水より音楽のほうが大事なんだ。

 

ジェームス・テイラーといえば、

僕が中高生の頃、活躍したシンガーソングライターで、

確か、カーリー・サイモンのもと旦那。

キャロル・キングとのデュエットも印象深い。

 

「アメリカン・スタンダード」は

タイトル通り、

アメリカンポップの定番となった楽曲を集めたもので、

テイラーが独自の歌唱とアレンジで

渋みをきかせて料理している。

 

この投稿もBGMとして聴きながら書いている。

確かに心地よくリラックスできる。

そんなテイラーが20代前半の若者の心をつかむとは

面白い時代になったものだ。

 

1960~70年代に活躍したミュージシャンは、

すでに70代後半。

同世代ですでにこの世から去った人も少なくないので、

冒頭の「死ぬ前に・・・」というセリフが

漏れ出てもおかしくない。

 

意地悪くつっこめば、

「そんなに過去の栄光が恋しいのか」とも言えるが、

音楽を愛し、その世界で成功して生きて来たのなら、

やっぱり最後にまた夢を見て、

悔いなく人生を締めくくりたいと思うのが人情だ。

 

20世紀のポップミュージックも

ネット動画の発達、さらにAIの発達で

皆がお金を使わずシェアできるようになり、

もうかつてのようなビッグビジネスは望めない。

 

これから先の音楽産業がどうなるかはわからないが、

良い曲はやっぱり世代を超えて聴き継がれ、

様々な形で歌い継がれるのは間違いない。

 

おりべまことの音楽エッセイ集 Kindleより発売中

20世紀ロック・ポップ・歌謡曲は未来への資産


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AI「IKIRU」とプレスリリースの執筆代行

 

今週月曜、株式会社ビアンフェ.の

プレスリリースが出ました。

 

AI葬儀ナレーションシステム「IKIRU」。

オリジナルは3年前に出たけど、

今回は生成AI(ChatGPT)の機能を取り入れた

新バージョン。

ヒアリングシートに入力してスタートすると、

まさしくあのChatGPTと同様のリズムで

文章がタカタカタカっと生成され、

ナレーション原稿と会葬礼状を書き上げます。

 

まさしく誕生から逝去まで、

人がAIと生きる時代になった――

そう感じさせる画期的なシステムです。

 

じつはこのリリースの

執筆・発行・管理は私が担当しています。

プレスリリースはいつもリサーチする側にいましたが、

今回はビアンフェ.さんから

依頼を受けて執筆代行しました。

 

PRTIMESはTV・ネット・雑誌・新聞など、

多様なメディアにニュースソースを提供するとともに、

一般の人にも会社や個人、

商品やサービスを広く確実にアピールできます。

販促手段としてはかなり使えるツールです。

 

もし出したい、書きたいけど自分じゃ書けない、

面倒くさいので頼みたいといったご要望があれば

相談に乗りますのでご連絡ください。

 

また、リリースをお読みいただき興味があれば、

毎週やっているビアンフェ.のウェブセミナーで

AI「IKIRU」を試用してみてくださいね。

 


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僕たちの豊かさと貧しさと相模原事件

 

●豊かさの意味

 

 僕たちはまだまだひどく貧しい。

 昨日の相模原の施設の事件を聞いて、そう思いました。

 

 豊かな社会を目指し、豊かな社会をつくる意味って何なのか?

 より多くの人が、よりぜいたくな暮らしをするためか?

 違うと思います。

 それでは全く人間は進化しない。

 豊かさの意味。

 単純化していえば、それは弱者も生きられる――普通に社会生活を送ることができ、人生を楽しめる、ということだと思います。

 

●弱者への思い

 

 人間の歴史は貧しさとの戦いの連続でした。

 その戦いの中では小さな子供、年寄り、病人、けが人、そして障害を抱えた人・・・こうした人たちは淘汰されるしかありませんでした。

 それは自然なことである。社会における弱者を切り捨てていかなければ人類は前へ進めない――そうした意見が正論としてまかり通っていたのです。

 

 しかし、それでは弱肉強食の野生動物の世界と同じです。

 人間は違う。弱者もいっしょに歩んでいける社会を作るべきだ。

 ブッダやイエスのような宗教者に限らず、どの人々の中にもそうした思いはいつもありました。

 そして、その思いは幾世代にもわたって連綿と引き継がれてきました。

 けれども大多数の人はひどく貧しく、自分が飯を食うので精一杯なので、その思いをなかなか有効に実現することができなかった。

 

●あの人は自分だ

 

 それが最近になって、やっと世界の一部の地域では衣食住の心配が(昔に比べれば)激減し、弱者にも目を向けられるようになってきた。

 そして積極的に彼らにコミットするようになると気付いてきたのです。

 

 「あの小さな子は、あの年寄りは、あの病人は、そして、あの障がい者は自分だ」と。

 健常な大人である自分の中にも彼ら・彼女らのような、いわゆる弱者がいるのだ、と。

 

●「精神的豊かさ」とは?

 

 バブル経済の崩壊後、物質的な豊かさは手に入れたので、次は精神的豊かさを勝ち取ろう、といった掛け声がよく聞かれました。

 では「精神的豊かさ」とは何なのか?

 コマーシャルで流れるような、もっと自分たちの衣食住の質を上げたり、高尚な趣味を持つことなのか?

 

 それらも含まれると思いますが、一番の本質は、弱者といわれる人たちの存在価値を認め、彼らといっしょに生き、暮らせる社会を実現することなのだと思います。

 逆にいえば、それ以外に豊かになる意味、豊かな社会を作る意味などあるのでしょうか?

 

●相模原事件の本質

 

 

 経済成長によってやっとその入り口までこぎつけた・・・のかも知れない。

 人間の歴史はまだその段階です。

 そこで昨日のような事件。

 事件の詳細はよく読んでいないし、容疑者のことも動機の深いところはまだ知りませんが、ニュースを聞いてすぐに思ったのは、あの容疑者の行動は僕の一部なのだということ。

 僕はまだまだ貧しい。おそらくほかの人たちも五十歩百歩。だからひどく動揺する。

 あの容疑者の言動は、僕たちの、この社会に潜む「貧しさ」の発現。

 だから僕たちはひどく動揺し、一瞬、引き込まれるけれど、しばらくすれば自分には関係ないことと目を背け、忘れるでしょう。

 

●もっと豊かさを

 

 いま、経済成長はもう限界、という意見をよく耳にします。

 確かにそうかもしれない。

 では、経済成長以外に僕たちがより豊かに成長する手立ては何かないのか?

 

 僕たちはまだ「豊かになろう」という志をあきらめてはいけないと思います。

以前の時代とそのニュアンスは違うけれど。

 

 

2016・7・27 Wed


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阿佐ヶ谷に起業家のキックオフ・オフィス誕生!

 

 というわけで、杉並区産業振興センターが入居者を募集。

 というわけで、その募集用チラシをAshデザイン・岸部氏が制作。

 というわけで、そのコピーを頼まれて書きました。

 それでもって、出来上がtったそのチラシがこれ。

 

 事情はいろいろあれど、いったん独立を決めたら「成功するにはどうすべきか?」と、止まってえんえん作戦を考えているだけでは一生ゴールは割れません。とにかくボールを蹴って転がしていく。

 ピピッとくる奴が近くにいたら、そいつにパスを出してみる。

 そんなことをやっているうちに何とか道は開けるはずだ・・・てなメッセージを込めてみました。

 

 走れ起業家よ、ドリブれフリーランサーよ。

 チャンスがあればシュートを放て。

 外したって構うもんか。転がしまくって打ちまくれ。

 実力なんかなくたってラッキーはくる。

 相手がファウルしてくれるかもしれない。

 目の前にこぼれ球がコロコロなんてことだってある。

 「神の手」を使っても審判が見落としてくれるかもしれない。

 それもこれもピッチに立ってボールを追っていないと絶対に起こらない。

 

 これからはフリーの時代だ。

 出来上がったところで、出来上がっているものを守るために働いたって面白くもなんともない。人も企業も失敗しながら成長するから面白い。

 成長しながら“食う”、

 食いながら(たとえ錯覚だとしても)成長を続ける
 ――人生、これに勝る喜びはありません。

 

 というわけで、その始まりが七夕祭りとジャズフェスタの街・阿佐ヶ谷。

 生活も遊びもある。アートも商売もある。おとなも子供もやってくる。特典としてお役所や税務署も付いてます。

 もちろん杉並区外の人もオーケーなので、独立独歩でがんばろう、自由になって食っていこうと考え中なら、8月5日(金)~9日(火)の七夕祭りの時にでも参拝してみてください。

 

 

2016・7・22 FRI


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いちご畑で抱きしめて

 

Strawberry Fields Forever

 

 いちご畑と言えばジョン・レノン。

 かの名曲「ストロベリーフィールズ・フォーエバー(いちご畑よ永遠に)」からの連想。

 Strawberry Fieldsっていうのは、もともとリバプールにあった救世軍の孤児院の名前で、僕も参拝したことがあるけど、門柱は世界中のビートルズファンの落書きでいっぱいでした。

 救世軍の孤児院というイメージもあいまって、もちろん曲も素晴らしいのだけど、それ以上にタイトルが秀逸。この名前を使ったお店やら商品やら本やら昔から結構あって、最近はウェブサイトにもたくさんいちご畑が広がっています。

 可愛いし、いろいろ想像力が広がる言葉だもんね。

 現代では割とありきたりなネーミングかも知れないけど、1960年代当時、楽曲にこういうタイトルをひねり出して付けたジョン・レノンのセンスはやっぱり一味違うと思います。

 

 僕もその一人で、ちょうど35年前の今頃、新宿のゴールデン街の一角にあった芝居小屋で「いちご畑で抱きしめて」という芝居をやりました。

 「いちご畑」と「抱きしめたい(I Want to Hold Your Hand)」を足したタイトルだけど、話の内容はジョンにもビートルズにも救世軍にもまったく関係なく、不思議の国のアリスと核戦争をモチーフにした支離滅裂な話で、なんであんな芝居を書いたのか、逆にいえば「書けた」のか、今考えると不思議なのですが、最近、頭の底から何かが浮かび上がってきて、同じタイトルでまったく違う話を書こうと考えています。

 

★稀代のペテン師

 

 そのモチーフはやっぱりジョンの生きざまです。

 僕のジョンに対する基本的なイメージは「ペテン師」。

 もちろん若くから音楽的才能を開花させ、声もルックスも魅力的だったことは認めるけど、それ以上に彼は天才的なペテン師だった。みんな、彼の醸し出す言葉やパフォーマンスに翻弄され、その結果として現在の世界のある部分(多くは現代人の精神構造に関わる部分)が形成された・・・というところに、すごく興味があるのです。

 

 リバプールの悪ガキから音楽家へ、世界最高峰のスーパースターへのぼりつめ、やがて世界平和を訴え、愛の使者になり、イエス・キリストみたいになったかと思ったら、いきなり家庭の世界に入り(今ではすっかりポピュラーになった「主夫」――ハウスハズバンドという言葉と概念は、ジョンが創ったか広めた、というのが僕の印象)、そしてミュージシャンに復帰したとたん、この世を去った彼の40年の人生は、いまだに、というか、今だからこそ僕たちに、文化・芸術、お金・ビジネス、社会・時代、家族・子供、愛、そして「生きるとは?」とういう哲学的考察に至るまで、いろいろなことを考えるヒントを与えてくれている気がします。

 

★人間ジョン・レノンの魅力

 

 こんなことを言うとジョンやビートルズファンの人は怒るかもしれないけど、その基本が胡散臭いサギ師・ペテン師のキャラクター。

 僕はそこにとても人間的なもの、それこそ人工知能が、アンドロイドがひっっくりかえっても叶わない人間ならではの魅力を感じるのです。

 

 そう考えるきっかけになったのが、ジョンの最初の妻であるシンシア・レノンが書いた「わたしが愛したジョン・レノン」という本でした。

 いわゆるビートルズ本の一つに数えられますが、これは家族論・幸福論・人生論としても読める優れた本です。

 たぶん長くなるので、この続きはまた後日。

 

 ちなみにリバプールのStrawberry Fieldsは、現在は修道施設となっているようです。いろいろなストーリーを詰め込んで祈祷と瞑想の施設に変ったことを思うと、なんだか胸にじんとくるものがあります。

 

 

 

 

2016・7・20 WED


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子供はどうしてロボットが好きなのか?

 

★人間とロボット、子供と大人

 

  どうして自分はロボットが好きなのだろう?と、割とよく考えます。

 子供の頃、マンガやテレビを見過ぎたせいだろ。

 その通り。僕はいつも夢中でした。子供のマンガやテレビの世界では、ロボットだのサイボーグだのはとても親しい存在でした。

 

 けれども現実の大人の世界とはそれとは違う。ロボットだのサイボーグだのというのは子供だましの絵空事だ。そんなものに夢中になっていないで勉強しろ、そして立派な大人になって仕事しろ――というわけでこれまでやってきました。

 

 ところがここ来て、そうした子供の世界と大人の世界との境界線がどんどん溶け出している。ロボットたちが親しい存在である世界がどんどん近づいている。最近はそうした印象を持っています。

 

 

★どうしてやつらはデキるのに哀しいのか?

 

 10万馬力だったり、弾よりも速く走ったり、空を飛んだり・・・あの頃、彼らはすごい能力を持っているのにも関わらず、自分が人間ではないことにひどいコンプレックスを抱いていました。

 「アトム」も「エイトマン」も「サイボーグ009」も「仮面ライダー(改造人間)」も、その強さ・その高い能力を誇るよりも、むしろ哀しむことが多かったように思います。

 

 彼らのようなアンドロイド・ヒューマノイド系のロボットたちとは別の系譜にある戦闘用兵器としての巨大ロボットも例外ではありません。

 

 リモコン操作で動く鉄人28号やジャイアントロボなども、時代とともに人間が搭乗する形式――「マジンガーZ」そして「ガンダム」などのモビルスーツになってくると、そのパイロットの人格がロボットに乗り移ってどんどん人間味を帯びてきました。

 

 すると必然的に「どうして僕はこのロボット(モビルスーツ)になって戦わなくてはならないのか?」といった悩みや哀しみがひたひたとあふれてくるのです。

 

★究極のロボット寓話

 

 このメイド・イン・ジャパンのヒューマノイド系&巨大ロボット系が融合した究極の作品が「エヴァンゲリオン」なのでしょう。マンガ、アニメの世界におけるロボットの寓話は、ここでいったん完成してしまったように思います。

 

 だからこの20年ほどの間、「エヴァンゲリオン」以上の作品は誰も作れていません。マンガ、アニメにおけるロボットの進化は一旦停止し、その代り、現実の世界でコンピュータ~ロボット~ヒューマノイド~アンドロイドが進化してきたのです。

 

★欧米と日本のロボット文化発展のちがい

 

 どうして日本におけるロボットやサイボーグたちは悩み、哀調に満ちているのか?

 もともとロボットの故郷ともいえるヨーロッパではどうなのか?

 民族同士の抗争が日常者判事で、支配―被支配が習慣化していたヨーロッパでは、機械・ロボットは奴隷・被支配階級→労働者・労働階級の隠喩として捉えられてきました。

 

 100年前、チェコの劇作家であり、新聞記者・ジャーナリストでもあったカレル・チャペックは、戯曲「RUR」において、「苦役」という意味を持つラテン語からロボットという言葉・概念を生み出しました。

 そこに出てくるロボットたちは資本主義と社会主義の狭間に生み落とされた子供たちであり、支配階級(資本家)に対して反旗を翻す労働者のメタファーでもありました。

 産業・経済の発展に身を粉にして貢献する――それこそが彼らが受けた至上命令だったのです。

 

 彼らはそうした自分の身分について感情的になるよりも理性的な部分を重視し、課せられた使命に対する能力を特化させることに集中しました。

 運搬、計算、生産・・・マニュアル通りの決まった仕事をさせたら人間をはるかにしのぐ働きをするようになったのです。

 

 仕事と言ってもいろいろなものが発生します。

 戦争における兵士としての役割もその一つ。敵を倒すという兵器としての能力は抜群で、平和を守る正義のヒーローとしてのロボットも、そのタスクから発展しました。

 そのため、欧米生まれのロボットたちは、最近までその強さ・能力の高さを明るく誇り、胸を張っていたのです。

 

★日本のロボット文化の影響が世界を席巻

 

 しかし、その欧米でも時代が進むとともに、ロボットたちは次第に何かを考えるようになり、悩みや哀しみの衣をまとい始めます。ハリウッド映画でも「ブレードランナー」「ターミネーター」「AI」・・・と、どんどん内省的になっていく。

 

 これは僕のまるっきりの独断・偏見ですが、そこには日本のガラパゴス的なロボット文化が影響していると思います。ここでもやはり手塚治虫先生の功績が大きい。

 「アトム」の作品世界が人種差別をはじめ、さまざまな差別問題・階級問題をはらんでいることは昔から言われていますが、ロボットという概念そのものが、もともとそうした人間社会全般の問題を内に抱えているのです。

 

 そしてまた、手塚先生の思想のベースには、人間至上主義のキリスト教圏とは一線を画す、自然や動植物、さらに本来は命を持たないはずの“物”の中にも魂を見出す日本の文化・日本人の感性があります。

 それはもちろん、手塚先生のみならず、ほとんどの日本人が自分の内側に持っているものです。

 

★ロボットは仲間、友だち、きょうだい、自分

 

 つまり、日本人にとってロボットは「人間の形をした機械」ではなく、「機械の形(身体)を持った人間」であり、階級が上とか下とかではなく、自分たちとほぼ同等の「仲間」「友達」「きょうだい」、時には「自分自身」でもあるのではないでしょうか。

 

 だから日本では――たぶん欧米でも、世界のどこでも同じだと思いますが――子供はロボットが好きで、興味を持つのです。

 けれども社会の側は、多くの人に資本主義の枠組みの中で生産活動・経済活動に携わってほしいと考え、それが大人になることとイコールなのだと教えます。そうした要請は、子供の心を、ロボットを親しく感じる世界から遠ざけ、切り離してきたのです。

 

★人間とロボットがいっしょに暮らす世界とは?

 

 この100年余り、常識とされていたこうした人間・ロボットの関係性の流れが、今、大きく変わろうとしています。「ロボットが仕事を奪う」「ロボットが人間を支配するようになる」――最近、ますます強調されて喧伝されている脅し文句は、経済・産業活動の視点からのみ発せられているものです。

 でも、そんなにネガティブなことなのか?

 文化的視点というか、人類全体の進化という視点から見たらどうなのか?

 

 僕はできれば良いほうへ考えたい。子供の頃に夢中になった世界とは少し違うかもしれないけれど、人間とロボットが親しく、いっしょに暮らす――自分が生きている間に、本当に実現するかどうかはわからないけれど、それはむしろウェルカムな世界ではないか、と思うのです。

 

 

2017・7・17 SUN


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聖書から始まった「人間VS機械」

 

★アンドロイド映画「エクス・マキナ」

 

 「検索エンジンで世界一のシェアを誇る」と言うのだから、あなたも僕も毎日使っている、かのG社がモデルであることは明らか。G社は人工知能の研究をしていることでも知られています。

 

 そのIT企業の青年プログラマーが自社の創業者であり、社内でもほとんどの人が正体を知らないという伝説のCEOの自宅に1週間滞在できる権利を獲得。世界の果てのような、手つかずの大自然の中にある、超クールなハイテク邸宅(実は彼の人工知能研究所)で、青年は世にも美しいアンドロイドの女と出会う――という設定で、映画「エクス・マキナ」は始まります。

 

 ひと昔前なら「近未来的」と言われたかもしれませんが、いまやG社、およびそれに類するIT系企業なら、もう十分現実的と思える設定で、そこで展開される人間と人工知能(アンドロイド)とのやりとりも妙にリアリティがあります。

 そして、そのリアリティとともに、これまで人間が営んできた諸々の歴史が集約されたような物語になっていることにこの映画の価値があります。

 

 のっけのエンドオブ・ワールドの野性と、人工の極みを尽くしたハイテク研究所のクールさとのコントラスト。そしてアンドロイドの、これまでになかった斬新なデザインのボディと、映像的な美しさもピカ一。

 

 おもな登場人物は、人間の男ふたりとアンドロイドの女2体。限られた時間と空間。まるで舞台劇のようなシチュエーションの中で、静かだが濃密なセリフの応酬と、スリリングな心理戦が繰り広げられます。

 

★「エクス・マキナ」の深層は聖書

 

 見た目はクールで新鮮ですが、じつはこの映画はかなり古典的なドラマで、なんとなくお察しのとおり、最後にアンドロイドの女「エヴァ」が(象徴的な意味で)人間となって、閉ざされた空間を抜け出し、外界へ脱出するという物語なのです。

 

 彼女の名前が意味している通り、これは聖書のアダムとイヴが楽園を追放される、というストーリーのアレンジです。異なるのはイヴ(エヴァ)が、父であり、夫であるアダム(CEOと青年)をそこに残して一人で出ていくという点。

 

 (アダムは夫であるだけなく、自分の肋骨からイヴを作ったという意味で創造主=父ともとれます。この映画では父たるCEOが、娘を未来の夫たる青年とお見合いさせる、というニュアンスも含まれています)

 

 また、追放ではなく、自らの意志で脱出するというところは、女性解放運動のきっかけにもなったといわれるイプセンの戯曲「人形の家」のイメージともダブります。

 

 ちなみにもう一人のアンドロイドは「キョウコ」という名前で、CEOの妻兼家政婦のような存在。

 意図的なキャラ設定だと思いますが、ハリウッド映画でおなじみの、白人男性にかしずく従順で美しい日本人妻というプロトタイプの役割を担っています。

 

★西欧文化・思想・宗教が生んだ支配―被支配の原理 

 

 この映画を見て思ったのは、人間vs機械の対立の概念は、聖書にもとづくキリスト教の思想が根底にある、ということです。

 

 支配―被支配の歴史を繰り返しながら発展してきたヨーロッパ(およびアメリカ)的な考え方は、今日のメインストリームとなる世界観を作り上げました。

 

 人間vs動物、人工vs自然、男vs女。

 

 他の動物より人間の方が上、女より男のほうが偉い、白人の方が有色人種より優れている、といった対立、ランク付け、そして差別、階級社会づくり――

 良い悪いはさておき、これらは欧米人の生活の歴史そのものであり、それに正当性を与えたのがキリスト教という宗教だったのだと思います。

 

 人間VS機械という対立の図式、そしてこの1世紀の間に大きくクローズアップされるようになった、コンピュータ―人工知能―ロボット―アンドロイドの脅威は、こうした原理成立の流れの中で起こってきたものでした。

 

★ロボットは人類の子供

 

 特にロボット―アンドロイドは、外見が人間と似通っているだけに、アイデンティティがいたく刺激されます。

 

 だったら作らなければいいではないか、と思うのですが、それでも作らずにはいられない。

 人間もロボットも脳だけでは進化できません。

 身体を持ち、外の物理的な世界と関わり、感覚器を通して得られた情報をフィードバックさせることで学習し、思考と行動を調整しつつ成長できるからです。

 

 いわば子供ようなものですね。人間は子供を持たずにはいられない。人類はみずからの活動を引き継ぐ子孫を残さなくては・・・・と考えずにはいられないのです。

 

 けれどもその子供が成長してしまうと、今度は自分の地位が脅かされるという不安と恐怖にかられるのです。

 

★ロボットはフランス革命を起こすかもしれない

 

 あるいはこういう言い方も可能かもしれない。

  広く言えば家電製品も含め、機械、コンピュータ、ロボットが奴隷や使用人のうちは問題ない。しかし、もっと仕事をさせようと改良しているうちに、どんどん知恵がついてきて、人間の知性に追いついてきたのです。

 

 それはちょっと困る。賢くなって革命でも起こされたらたまらない――現代人はおそらく、フランス革命前に権力を握っており、民衆がいろいろなことを知って賢くなることを恐れた王侯貴族階級の心境に近いものがあるのでしょう。

 

★ロボットに命・魂を見い出す日本人

 

 けれども日本の場合はちょっと違うのではないかな、と考えます。

 日本において僕たちの目の前に登場したロボットたちの系譜――アイボ、アシモ、ペッパーなどを見ていると、そこに支配―被支配の意識は低いような気がします。

 

 むしろ人間の方がロボットに癒してもらう部分も多く、持ちつ持たれつ、といったニュアンスが強いのではないでしょうか。

 そういえば、メーカーにケアしてもらえなくなり“死んでしまった”アイボをご主人様たちがお寺で供養してもらう――という現象がありました。

 

 これは自然や他の動物、物や機械にも命・魂が宿り、そうしたものを人間より下に置かない、できるだけフラットな関係を結ぶ、という日本人の考え方・文化が大きく影響しているのだと思います。

 

 人間とロボットとの関係についても、フランス革命のような大激動ではなく、明治維新くらいの騒ぎで収めたい、収められると考えているのではないでしょうか。

 

 僕と同世代のロボット研究者の間ではよく語られることですが、これは日本古来の文化・思想に加え、「アトム」の物語を描き、当時の子供たちにメッセージした手塚治虫先生の功績も大きいのではないでしょうか。

 

★ロボットの存在の原点を探る物語

 

 ハリウッドでも無数のロボットをテーマにした映画が作られてきましたが、「エクス・マキナ」はその最先端であると同時に、ロボットの存在の原点――欧米人が考え出したロボットという概念の正体を探っていく物語でもあります。

 久しぶりに映画でおおいに堪能できました。

 

 最後に自分で不思議だなぁと思ったところ。

 アンドロイド時のエヴァはクールで知的で、それでいながら少女のように可愛く、そしてセクシーで美しい。

 

 それに比べ、皮膚を貼り付け、服とウィッグを着け、(象徴的な意味で)人間になって旅立つエヴァはどうか?

 

 血が通って体温を持ち、親しみが増したように感じるが、「美」という点では1ランク落ちる印象を受ける――これは僕の嗜好性か、男の女に対する共通の視点なのか? 

 

 

 

 

2017・7・13 Wed


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こちとら機械だのロボットじゃねえ。人間でぃ!

 

★江戸の男たちが現代にタイムトラベルしてきたら・・・

 

 江戸の街の人口は7割が男。相当なマッチョマンが多かったのだと思います。江戸東京博物館で魚屋の天秤を担いだことがありますが、これが重いのなんの。

 非力な僕は、やっとこさ持ち上げてフラつきながら5メートルも歩くのが精いっぱいというありさまでした。

 こんなものを担いで何キロも、一日中歩き続けていたというのだから、江戸の魚屋さんはすごい。しじみ売りも、豆腐屋さんもみんなすごい。

 しかもこれは当時は力仕事の範疇に入らない物売りの話。土木工事や運搬業をはじめ、もっと腕力・体力の要る仕事はいくらでもあったのだから、江戸は力自慢の猛者だらけ。「ケンカと火事は江戸の華」とは、こういう猛者たちがうようよいて、エネルギーのはけ口を求めていた、という背景があって生まれた言葉でしょう。

 

 先月は「タイムマシンにおねがい」という記事を書きかましたが、もし江戸の男たちがタイムマシンで現代の東京にやってきたら・・・

 

 「おおっ、あいつはなんでぃ、あんな重そうなものを持ち上げてやがる。なにぃ、300キロだぁ? てやんでい、べらぼうめ!負けてたまるかい。おれっちゃ400キロ持ち上げてやるぜい」とか言ってフォークリフトに勝負を挑んだり、

 

 「この化け物め、こちとらだってそれくらいの岩や瓦礫ぐらい持ち上げてやるぜ!」とか言ってパワーショベルに挑戦したり、

  

 「俺のほうが速く走れる!」と言って飛脚が自動車や電車と、「わたしの方が速く計算できる」と言ってそろばん弾く商人が電卓やコンピューターと競争する、なんてことが起こるのではないでしょうか。

 

★人間VS機械 真っ向勝負!の時代

 

 笑いごとではありません。

 19世紀の産業革命以来、次々と生み出される機械技術は、人間の希望であり、その裏腹に絶望でもありました。

 機械は人間の生活を便利にし、豊かにしてきた反面、人間がそれまで担っていた仕事を奪い、人間ならではの存在価値を脅かし続けてもきたのです。

 

 そんな人間VS機械の格闘の時代が200年近く続いたのではないでしょうか。

 最初のうちはなんだかんだ言っても、やはり機械文明は人間の労働を楽にし、人間を苦役から解放してくれるもの、豊かな社会を築くのに欠かせないもの、というニュアンスが圧倒的に強かった。

 ところがある時代に分水嶺を超えてから、次第にそのニュアンスが変わってきました。

 

 僕が子供の頃――というよりも割とつい最近――20世紀の終わりまでは、文化・芸術の分野で「人間VS機械」の対立を意識させるコンテンツが目立ったり、機械文明に警鐘を鳴らす声をあちこちで聞くことができました。

 こうした風潮が21世紀を迎えるあたりから変わり、機械との対立を感じさせる声は耳に届かなくなってきました。

 

 今、パワーショベルやフォークリフトに力で劣っているからと言って屈辱感を感じる人はいません。

 車や電車よりも速く走ってやろうという人もいなければ、そのへんに転がっているチャチな電卓よりも計算が遅いから「頭が悪い」と劣等感に悩む人もいません。

 それどころか、社会のあらゆる分野でコンピューター技術が浸透し、社会の管理もコンピューターにおまかせの時代になりました。

 いわば機械に負けっぱなし。いつの間にか人間は機械に完全に白旗を上げている状態になっていました。

 ・・といった対立、対抗、戦いの意識すらもうどこかに吹き飛んでいて、共存・共栄の時代になっていたわけですね。

 

★ぼくたちは機械に敗北した

 

 共存・共栄というと聞こえは良いけど、労働の場において、いわゆる「能力主義」を貫けば、この先、どんどん人間の出番は減り続けるでしょう。

 仕事は何倍もできる、コストは何割もかからない、となれば、どんな経営者でも――少なくても現在の資本主義社会で経済的利益を追求する組織の経営者なら――機械・ロボットを使って事業を行うでしょう。

 

 でも芸術とか創造的分野においては・・・という意見もあるでしょうが、現在のIT・ロボット技術の発展状況から考えると、絵や文章だってロボットが描く時代が来るのはそう遠い先のことではありません。

 過去の大作家や大芸術家のデータをインプットすれば、学習能力を持ったロボットはその資産から、新しい価値を持ったものを大量にクリエイトできるでしょう。

 そして以前も書きましたが、思いやりとか感情の豊かさという面でも、ロボットが人間を追い越していくのは時間の問題です。学習能力に優れ、ストレスに精神をやられないという強みは、医療や看護・介護の分野でも必要とされるでしょう。

 

 そうした状況になった時に、人間が機械より優れている理由を見つけ出せるのか?

 人間の存在価値はどこにあるのか?

 「てやんでぃ、べらぼうめ。こちとら人間でぃ!」と威勢よく啖呵を切れることはできるのか?

 

 ・・・・というわけで、またこのテーマでつづきを書きます。

 

 


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あなたもわたしも呪い人? 「呪いを解く者」

 

フランシス・ハーディングという

イギリスのファンタジー作家の作品。

テーマはズバリ「呪い」。

 

舞台は架空の国で、イメージとしては中世ヨーロッパ。

主人公は呪いの「ほどき屋」の少年と、

呪いをかけられた少女。

この世界には呪いをかける「呪い人」がいて、

それを束ね、利用しようとする悪のボスが登場する。

 

呪いをかけられた人は動物などに変身したり、

この世界に生息する奇妙なクリーチャーが

いろいろ出てきたりして、

全体の印象は、そこはかとなく

「ハリーポッター」を想起させる。

 

僕が面白いなと思ったのは、

そうしたファンタジックなストーリー展開や

冒険劇、敵とのバトルよりも、

「呪い」というテーマそのもの。

 

中世風ファンタジーの衣をまとったこの物語で

扱われる「呪い」は古典的な感じではなく、

ひどく現代的で、僕たちが身に覚えのあるものだ。

 

家族間や仲間同士の支配・被支配、

夫婦間のDV、子どもへの虐待、親への憎しみ、

そして幸福な(と映る)人に対する妬み・嫉み。

 

もちろん古今東西、呪いというものは、

人間の性のようなものだが、

読みながらこれはほとんど

今の日本の状況ではないかと思えた。

 

もし、この物語の「呪い人」のような

力を持ってしまったら、

それを行使する人はきっと後を絶たないだろう。

そして、この呪いの力はある種、最強のサイコ兵器で、

悪意を持って利用しようとする輩が

大勢出てくるに違いない。

 

呪われる側はもちろん、呪わずにいられない人、

そしてこんな力を持ってしまった人たちの

悲しさが胸に残る。

 

文中に「呪いの卵」という表現があるが、

情報化・格差・競争・・・そんな社会で日々を送るうちに、

僕らは知らぬ間に自分の中に

「呪いの卵」を孕んでしまっている。

現代は誰もが表向き善良な市民である同時に、

怖ろしい「呪い人」の予備軍でもあるのだ。

 

陰惨で悲劇的な部分も多いが、

ファンタジー物語としてはけっこう華があるので、

映画化すると面白いのではないかと思う。

 

 

  再読・嵐が丘

おりべまこと 

 

エミリー・ブロンテ「嵐が丘」や

スティーブン・キング「スタンド・バイ・ミー」など、かつて読んだ名作を再読してみたら新たな発見が!

還暦ならではの物語エッセイ集。

AmazonKindleより発売中。¥300


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友の旅立ちに春の花を

 

昨日、64歳で友達が死んだ。

演劇学校の同期生で、

いっしょに劇団をつくって芝居をやった仲間だった。

 

ステージ4のガンだということを知ったのは

半年前、同窓会を開く連絡をした時だった。

その後、12月に6人で連れ立って福井まで会いに行った。

割と元気そうで、おもてなしまでしてくれて、

わざわざ来てくれたお礼にと、お土産までくれた。

 

ステージ4と聞くと絶望感が生じるが、

カミさんの患者には

「ステージ4でもう7年生きてます」という

ガンとの共存に成功している人もいるらしい。

だからというわけではないが、

今年になってから僕のFBの投稿に

何度かリアクションもしていたし、

その友だちも、

まだまだ意外と大丈夫なんじゃないかと

漠然と思っていた。

でも結局そう願っていただけなのだろう。

 

「楽しい時間を過ごさせていただき

ありがとうございました」

彼女の死を知らせてくれた友達は、

そんな家族の伝言を伝えてくれた。

 

どんな時間を過ごしたのだろうと考えた。

もう40年以上も前のことだが、

いっしょに何かを創った仲間というのは

特別な時間を共有したのだという思いがある。

なんであんなにエネルギーがあったんだろう?

芝居なんてくだらないことに一生懸命になれたんだろう?

と不思議な思いがする。

 

劇団を立ち上げたメンバーは3人だったが、

もう一人はすでに15年前、50歳で逝ってしまった。

その時に比べて、今回どこか自然に

仲間の死を受け入れられるのは

やはり年齢のせいだろうと思う。

人生100年時代とは言えど、

還暦を超えた60代は生と死の境にある年代。

今ここを丁寧に過ごさないと

その後生き延びたとしても、

ただ生活しているだけの人生になりそうな気がする。

 

悩み相談みたいなサイトや動画で、

いろんな意図をこめて

「人生に意味などないよ」と言うセリフをよく聞く。

けれども3人の生き残りになってしまって、

なんで俺だけまだ生きているんだろう?

と考えざるを得ない。

 

この世から去る日を選ぶことなどできないが、

花の季節に逝くのは、

残る者の気持ちをほんの少し和らげる。

友の冥福を祈る。

 


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ある4月の晴れた朝に100パーセントのお花見をすることについて

 

昨日は絶好のお花見日和だったが、実はそうでもない。

カミさんは「絶対混んでいるから嫌だ」と拒否するので、

義母だけ連れて出かけたが、やっぱりという感じ。

 

善福寺川沿いは余りお店もないので、

例年は他の名所みたいに混み合うことはないのだが、

それでもコロナ明け、しかも最近の天気の悪さで

昨日に人出が集中したせいで大混雑。

おかげで義母はストレスで機嫌が悪くなり、

桜にも大して関心が向かない。

彼女の心を打ったのは、

帰り際に寄った小公園に咲いていた

黄色いヤマブキの花だった。

 

そんなわけで今日の朝はリベンジ。

義母をデイサービスに送り出し、

カミさんと3時間近く川沿いを歩く。

 

天気予報が外れて日も差し、

人も少なく、うるさい酔っ払いもいなくていい気分。

 

いわゆる花見による経済効果とは無縁だが、

経済の活性化と、桜の花を見る幸福感との間に

相関性は見いだせない。

 

近辺のあちこちの保育園の子どもたちも大勢来ていた。

この辺の保育園は広大な園庭を持っているようなものだ。

それも季節によってダイナミックに表情が変化する

ワイルドガーデン。

子どもたちも豊かな時間のなかで成長できると思う。

 

今日は近所の小学校の入学式もあったので、

桜並木の下で記念撮影している親子が大勢いた。

あくまで東京での話だが、

令和になってから桜の中で入学式ができたのは、

今年が初めて?

 

平成の息子の入学式も、

昭和の自分の入学式も桜の中だった。

欧米に倣って秋に入学・新学期という声もあり、

そっちのほうが合理的かなとは思うけど、

 

やっぱりそんなの日本人のメンタリティが許さない?

 


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死ぬ前にもう一度ワールドツアーで歌いたい・演奏したい

 

1960~70年代に活躍したミュージシャンで

そう漏らす人は少なくないようだ。

 

ワールドかどうか知らないが、

今夜(2024・4・6)は

有明の東京ガーデンシアターで

ジェームス・テイラーが一夜限りの来日公演をやっている。

 

そのことを教えてくれたのは、

ついこの間まで大学院生で、

来週から東京都の小学校の非常勤講師として

勤め始めるK君だ。

 

水道代を払い忘れて

水を止められたことがあるというK君は、

「たまたま耳にした『マイ・ブルーヘブン』が

心に刺さったんすよ」

と、ジェームス・テイラーは2020年にリリースした

「アメリカン・スタンダード」というアルバムを聴いて

ファンに。

今日はなんと!

S席2万円のチケットを買って今晩のライブ見に行った。

水道代払えないのに、チケット代は払うんかい!

でも、若いってそういうこと。

水より音楽のほうが大事なんだ。

 

ジェームス・テイラーといえば、

僕が中高生の頃、活躍したシンガーソングライターで、

確か、カーリー・サイモンのもと旦那。

キャロル・キングとのデュエットも印象深い。

 

「アメリカン・スタンダード」は

タイトル通り、

アメリカンポップの定番となった楽曲を集めたもので、

テイラーが独自の歌唱とアレンジで

渋みをきかせて料理している。

 

この投稿もBGMとして聴きながら書いている。

確かに心地よくリラックスできる。

そんなテイラーが20代前半の若者の心をつかむとは

面白い時代になったものだ。

 

1960~70年代に活躍したミュージシャンは、

すでに70代後半。

同世代ですでにこの世から去った人も少なくないので、

冒頭の「死ぬ前に・・・」というセリフが

漏れ出てもおかしくない。

 

意地悪くつっこめば、

「そんなに過去の栄光が恋しいのか」とも言えるが、

音楽を愛し、その世界で成功して生きて来たのなら、

やっぱり最後にまた夢を見て、

悔いなく人生を締めくくりたいと思うのが人情だ。

 

20世紀のポップミュージックも

ネット動画の発達、さらにAIの発達で

皆がお金を使わずシェアできるようになり、

もうかつてのようなビッグビジネスは望めない。

 

これから先の音楽産業がどうなるかはわからないが、

良い曲はやっぱり世代を超えて聴き継がれ、

様々な形で歌い継がれるのは間違いない。

 

おりべまことの音楽エッセイ集 Kindleより発売中

20世紀ロック・ポップ・歌謡曲は未来への資産


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AI「IKIRU」とプレスリリースの執筆代行

 

今週月曜、株式会社ビアンフェ.の

プレスリリースが出ました。

 

AI葬儀ナレーションシステム「IKIRU」。

オリジナルは3年前に出たけど、

今回は生成AI(ChatGPT)の機能を取り入れた

新バージョン。

ヒアリングシートに入力してスタートすると、

まさしくあのChatGPTと同様のリズムで

文章がタカタカタカっと生成され、

ナレーション原稿と会葬礼状を書き上げます。

 

まさしく誕生から逝去まで、

人がAIと生きる時代になった――

そう感じさせる画期的なシステムです。

 

じつはこのリリースの

執筆・発行・管理は私が担当しています。

プレスリリースはいつもリサーチする側にいましたが、

今回はビアンフェ.さんから

依頼を受けて執筆代行しました。

 

PRTIMESはTV・ネット・雑誌・新聞など、

多様なメディアにニュースソースを提供するとともに、

一般の人にも会社や個人、

商品やサービスを広く確実にアピールできます。

販促手段としてはかなり使えるツールです。

 

もし出したい、書きたいけど自分じゃ書けない、

面倒くさいので頼みたいといったご要望があれば

相談に乗りますのでご連絡ください。

 

また、リリースをお読みいただき興味があれば、

毎週やっているビアンフェ.のウェブセミナーで

AI「IKIRU」を試用してみてくださいね。

 


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桜よりだんご?のお子様アート

 

いよいよというか、やっとというか、桜満開ニュース。

わが家の庭である善福寺川沿いの遊歩道・公園でも

ソメイヨシノはだいたい朝は5分咲き、

夕方見たら8分咲きくらいになていた。

でも、桜よりもまたもやお子様アートに心奪われる。

髪の毛だんご?サザエさん?

笑えて可愛くて楽しい。

 

 

昭和99年の思い出ピクニック

マンガ・怪獣大好きで、戦争・貧乏大嫌い。みんな集まれ、昭和っ子!

「昭和96年の思い出ピクニック」に続く昭和エッセイ第2集。

 

全31編載録。

昭和の文化を未来への「資産」に。

 


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昭和の文化を未来への資産に

 

4月。新年度が始まって昭和気分も平成気分もぶっ飛んだ。

変わる、変わると言われつつ、

失われた20年だか30年だか、

ぐずぐずしていた日本も

やっと新しい時代へ動き始めたようだ。

いつまでもあると思うな昭和の常識。

それでも昭和が愛しいお年寄り、

昭和時代に憧れる子ども・若者に向けて、

昭和ルネッサンスの記憶を発信し続けます。

 

マンガ・怪獣大好きで、戦争・貧乏大嫌い。

みんな集まれ、昭和っ子!

「昭和96年の思い出ピクニック」

に続く、おりべまことの昭和エッセイ第2集 発売!

「昭和99年の思い出ピクニック」

96、99あわせて読んでね。

AmazonKindkeより発売中。

 


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本日発売! 昭和99年の思い出ピクニック

 

2024年➡令和6年は昭和99年です。

マンガ・怪獣大好きで、戦争・貧乏大嫌い。

みんな集まれ、昭和っ子!

 

「昭和96年の思い出ピクニック」に続く

昭和エッセイ第2集。

マンガ、テレビ、怪獣、アイドル、プロレス家族、仕事、戦争、暮らし・・・

昭和時代の数々の思い出を紐解き、

さまざまな角度から考察。いっしょに笑ったり、

しんみりしたり、懐かしがったり、

テンション上げたりしながら、

これからの日本の社会の在り方、

私たちの生き方を考察していきましょう。

 

もくじ

●今、そこにゴジラが立っている

●神のモスラ、悪魔のギャオスが巣食った東京タワーと地方出身者の東京幻想

●昭和人のマネして逃げたらアカン

●池袋でふくろう時代を振り返る

●「鬼滅の刃」で辿る近代日本の家族主義と個人主義

●昭和プロレタリアートの「出会いそして旅立ち」

●シェー!と麻丘めぐみと昭和歌舞伎

●カネゴンは鳥を見た

●人生百年時代の浦島伝説

●成人ちびまる子ちゃんと還暦サザエさんの「昭和の日」

●昭和のバナナ預金

●昭和28年を精神分析する妖怪小説

●「生きていくなら仕事しなきゃあな」という本

●東京メトロ永田町駅のトイレの美しさとカミさまのいる幸福

●トノサマラーメンとお寺の讃岐うどんのおいしい記憶

●「あとしまつ」の時代を生きる

●死ぬまで戦争体験はしたくないけれど

●労働者と風俗と大洋ホエールズの川崎伝説

●暑くても働く人がいるから世の中は回る

●平和祈願・核廃絶祈願のエネルギーと新たな戦争の脅威

●戦後77年の認知症予防策

●生涯現役・ウルトラの女神

●追悼・アントニオ猪木さん:あなたほど無様さがサマになる男はいなかった

●シン・ウルトラマンとイデ隊員とウルトラマンの本質

●廃墟から再出発 アニメむすめの温泉ビレッジ鬼怒川温泉

●美輪明宏とヨイトマケと太宰治

●いつまでもあると思うな昭和の常識

●昭和98年8月と17歳の父

●豊臣秀吉とジャニーズ 英雄の凋落と昭和システムの崩壊

●距離のある家族のこと

●イマイチ昭和世界の「ゴジラ-1.0」

 

全31編載録。昭和の文化を未来への「資産」に。

 


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4月だ、新年度・新学期だ、おりべの新刊だ

 

春休み無料キャンペーン、すべて終了しました。

ご購入いただいた方、ありがとうございます。

よろしければ感想をお寄せください。

 

さて、いよいよ新年度、新学期。

明日4月1日(月)は電子書籍最新刊

「昭和99年の思い出ピクニック」を発売します。

「昭和96年の思い出ピクニック」に続く

昭和エッセイ第2集。

こちらもどうぞよろしくお願いします。

Amazon Kindleより¥500

 

もくじ

●今、そこにゴジラが立っている

●シェー!と麻丘めぐみと昭和歌舞伎

●カネゴンは鳥を見た

●人生百年時代の浦島伝説

●成人ちびまる子ちゃんと還暦サザエさんの「昭和の日」

●美輪明宏とヨイトマケと太宰治

●いつまでもあると思うな昭和の常識

 

ほか全31編載録。昭和の文化を未来への「資産」に。

 


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春休みは勝手にアート

 

東京では今年は桜が咲く中で

入社式・入学式を迎えられそうだ。

春は桜だけじゃなく、いろんな花が咲く。

春休みの子どもたちが勝手に作るアートも楽しめる。

 

●おりべまこと電子書籍 おとなも楽しい少年少女小説 

春休み無料キャンペーン いよいよ最終日へ。

3月31日(日)15:59まで!

この機会にぜひ読んでみてね。

 

★オナラよ永遠に

好きな女の子に恥をかかせたくない!

そう思ってオナラの罪をかぶり、

ヘーコキ野郎の汚名を着せられた救太郎が

未来から参上したヘーコキサイボーグとともに

人類を救うために活躍する愛と笑いのSF冒険劇

 

★ピノキオボーイのダンス

見た目は12歳だが、

淋しさとむなしさを抱えた人間たちの虐待を受けて限界に。

故障し廃棄されたレンタルロボットの少年を

拾ったのは年老いたダンサーだった。

二人の師弟愛を中心に、AI・ロボットが発達した

近未来の人間とマシンに宿った魂の行方を描くSFドラマ。

 


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週末の懐メロ180:オールウェイズ・リターニング/ブライアン・イーノ

 

アンビエントミュージック(環境音楽)の創始者

 ブライアン・イーノが1983年にリリースした

名盤『アポロ』の一曲。

 

『アポロ』の収録曲はもともと

劇場用ドキュメンタリー映画『宇宙へのフロンティア』の

サウンドトラックとして制作された。

まさしく宇宙を感じさせる楽曲の数々は、

発表当時より21世紀になってからのほうが

よく聴かれているようで、

アルバム収録曲のストリーミング再生回数は

3億回を超えるという。

 

そのなかでも「オールウェイズ・リターニング」は

最も美しく、優しく、イマジネイティブな楽曲で、

昔やった演劇のBGMとして使ったし、

つい最近も拙作「今はまだ地球がふるさと」の

テーマ曲として割と頻繁に聴いていた。

 

もともとは4分ほどの曲だが、

これは1時間のループバージョン。

以前紹介した「ビッグシップ」もそうだが、

イーノの曲はずっと聴いていても飽きない、疲れない。

作業用のBGMとしてもいいし、

ただ単に1時間ボーっと聴き続けてもいいじゃないか。

 

というわけで2020年10月、

手抜きコンテンツとして始めた「週末の懐メロ」だが、

思いがけず約3年半、180回も毎週続けてしまった。

 

単に懐かしむだけでなく、新しい発見もいっぱいあって

本当に楽しかった。

また、音楽をネタに新しい企画をやるかもしれないけど、

とりあえず、これでさようなら。

 

ブログに過去の投稿も載っているし、

エッセイ集として電子書籍でも読めるので、

好きな曲・好きなミュージシャンがいたら

何を書いているのか覗いてみて下さい。

いつも、あるいは時々、もしくは1回だけでも

読んでいただき、どうもありがとうございました。

 

おりべまこと電子書籍 おとなも楽しい少年少女小説 

続・春休み無料キャンペーン7Days

パート2:3月31日(日)15:59まで!

 

★オナラよ永遠に

好きな女の子のオナラの罪をかばった救太郎が

未来から参上したヘーコキサイボーグとともに

人類を救うために活躍するSF冒険劇

 

★ピノキオボーイのダンス

廃棄されたレンタルロボットの少年と

年老いたダンサーとの師弟愛を中心に

近未来の人間とロボットの魂の行方を描くSFドラマ。

 


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AI・ロボットは人類の子ども

 

今月は2021年に携わったAI関連の仕事を手伝っている。

3年前はまだ異物感のあったAIだが、

ChatGPTの登場以来、急速に社会に馴染んできた感じ。

だからもう後戻りはできないと思う。

AI、そしてこの後に進化して

普及してくるであろうロボットは、

これまでの人類のさまざまな

ストーリーの情報を吸い込んだ、

いわば「人類の子ども」である。

 

優れた能力、そしてまた怖ろしい能力を持つ

子どもたちに対して

僕たちはいつまでもありがたがったり、

ビビッたりしてばかりはいられない。

 

これまでの対立的な態度を変えて

ともに生きることを考えていかなくてはいけないだろう。

AI・ロボットといっしょに

この先、僕たちは何をするのか、したいのか?

たぶん、まだ誰もわかっていない。

 

おりべまこと電子書籍 

おとなも楽しい少年少女小説 

続・春休み無料キャンペーン7Days パート2:

3月28日(木)16:00~31日(日)15:59

 

★ピノキオボーイのダンス

廃棄されたレンタルロボットの少年と

年老いたダンサーとの師弟愛を中心に

近未来の人間とロボットの魂の行方を描くSFドラマ

 

★オナラよ永遠に

好きな女の子のオナラの罪をかばった救太郎が

未来から参上したヘーコキサイボーグとともに

人類を救うために活躍する愛と笑いのSF冒険劇

 


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いたちのいのち、ちちちぢむ、いまのうち

 

おりべまこと電子書籍

おとなも楽しい少年少女小説

ただいま続・春休み無料キャンペーン実施中!

「いたちのいのち」と「ちち、ちぢむ」

3月28日(木)15:59まで。今のうちだよ。

 

★いたちのいのち

https://amazon.co.jp/dp/B08P8WSRVB

夏目漱石「吾輩は猫である」をはじめ、

わが国にはネコ目線・イヌ目線で書かれた

文学作品は数あるが、フェレット目線の小説は

これが日本初!(たぶん)

 

★ちち、ちぢむ

https://amazon.com/dp/B09WNC76JP

南米産パラドクスフロッグ

(アベコベガエル)の生態と、

わが街の神社に出没する

「ちっちゃいおじさん」の都市伝説と、

SDG'Sの思想とを掛け合わせて考えたストーリー。

 

3月28日(木)16:00からは

第2弾として「オナラよ永遠に」と

「ピノキオボーイのダンス」を0円で。

 

 

★オナラよ永遠に

https://www.amazon.co.jp/dp/B085BZF8VZ

好きな女の子のオナラの罪をかばった救太郎が

未来から参上したヘーコキサイボーグとともに

人類を救うために活躍するSF冒険劇

 

★ピノキオボーイのダンス

https://www.amazon.co.jp/dp/B08F1ZFLQ6

棄てられたレンタルロボットの少年と

年老いたダンサーとの師弟愛を中心に

近未来の人間とロボットの魂の行方を描くSFドラマ

 


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春休みは人生の踊り場

 

いろいろあるけど春休み。

子ども時代・学生時代を振り返ると、

長期休暇のうち、春休みがいちばん思い出深い。

夏休みは冗長で中だるみがあるし

(今は40日くらいすぐに過ぎちゃうけど)、

冬休みは年末年始で家で過ごす機会が多い。

それに対して春休みは進級・進学を控えているせいか、

それまで同じクラス・同じ学校だった仲間と

離れてしまうみたいなこともあって、

楽しくのびのびできるんだけど、

そこはかとない切なさがそよぐ春風に混じっていた。

春休みは、いわば人生の階段をのぼる途中の

小さな踊り場なのだろう。

 

なぜ階段の途中に「踊り場」があるかというと、

方向転換や、小休止、転落の危険を緩和するためだ。

そうなのだ。

子どもでも大人でもこういう場所は必要だ。

そしてせっかく踊り場に来たのなら、

階段を上ったり下りたりすることはちょっと忘れて、

踊っちゃおう。

からだもこころもちょっと踊ってリフレッシュ。

 

 おりべまこと電子書籍 続・春休み無料キャンペーン7Days

おとなも楽しい少年少女小説 長編4作を0円で。

 

パート1:3月25日(月)16:00~28日(木)15:59

 

★いたちのいのち

カナコは10歳。小学4年生。

一人娘の子育てに悩まされながら、

生活を支えるのに忙しい母親のマヨと

二人暮らしをしている。

しかしもう一人というか一匹、

いっしょに暮らす同居者がいる。

その名は「イタチ」。ペットのフェレットだ。

学校でも家でも口をきかないカナコにとって、

イタチは唯一、心を開いて話ができる親友であり家族だ。

子どもからちょっとおとなに変わっていくカナコと、

そのそばで天使の目を持ったまま生きる

フェレットのイタチ。

それぞれの視点から代わる代わる、

日常生活とその中で起こる事件の数々、

そして、ふたりの別れまでのストーリーを描く。

表紙イラストは「ほっと・ペットクリニック」

「あしたはハッピードッグ」など、

動物もの作品を多数発表している漫画家・麻乃真純が制作。

 

★ちち、ちぢむ

ケントの11歳の誕生日、

プレゼントを持ってきてくれるはずだったお父さんは、

身長9センチの「ちっちゃいおじさん」になって現れた。

どうしてお父さんは小さくちぢんでしまったのか?

いや、じつはお父さんだけではない。

今、社会の役に立たなくなった男たちが、

ある日突然、カエルサイズにちぢんでしまう

怪現象が多発している。

将来、生物学者をめざすケントは、

「ちぢむ男=ちっちゃいおじさん」は、

やりたい放題のホモサピエンスを

これ以上のさばらせないという

地球の意志によって生まれているのではないかと推理する。

アベコベ親子の奮闘を描く奇々怪々でユーモラスな物語。

 

この機会にぜひ手に取ってみてね。

 


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おりべまこと電子書籍 続・春休み無料キャンペーン7Days

 

子どもを主人公にした おとなも楽しい少年少女小説 

長編4作を本日3月25日(月)16:00から7日間にわたって

0円でご購入できます。

 

パート1:3月25日(月)16:00~28日(木)15:59

 

★いたちのいのち

カナコは10歳。小学4年生。

一人娘の子育てに悩まされながら、

生活を支えるのに忙しい母親マヨと二人暮らしをしている。しかしもう一人というか一匹、一緒に暮らす同居者がいる。その名は「イタチ」。ペットのフェレットだ。

学校でも家でも口をきかないカナコにとって、

イタチは唯一、心を開いて話ができる親友であり家族だ。

子どもからちょっとおとなに変わっていくカナコと、

天使の目を持ったまま生きるフェレットのイタチ。

それぞれの視点から代わる代わる、

日常生活とその中で起こる事件の数々、

そして、ふたりの別れまでのストーリーを描く。

表紙イラストは「ほっと・ペットクリニック」

「あしたはハッピードッグ」など、

動物もの作品を多数発表している漫画家・麻乃真純が制作。

 

★ちち、ちぢむ

ケントの11歳の誕生日、

プレゼントを持ってきてくれるはずだったお父さんは、

身長9センチの「ちっちゃいおじさん」になって現れた。

どうしてお父さんは小さくちぢんでしまったのか?

いや、じつはお父さんだけではない。

今、社会の役に立たなくなった男たちが、ある日突然、

カエルサイズにちぢんでしまう怪現象が多発している。

将来、生物学者をめざすケントは、

「ちぢむ男=ちっちゃいおじさん」は、

やりたい放題のホモサピエンスを

これ以上のさばらせないという地球の意志によって

生まれているのではないかと推理する。

アベコベ親子の奮闘を描く奇々怪々でユーモラスな物語。

 

パート2:3月28日(木)16:00~31日(日)15:59

 

★オナラよ永遠に

 

好きな女の子のオナラの罪をかぶった救太郎が

未来から参上したヘーコキサイボーグとともに

人類を救うために活躍する愛と笑いのSF冒険劇

 

★ピノキオボーイのダンス

棄てられたレンタルロボットの少年と

年老いたダンサーとの師弟愛を中心に

近未来の人間とロボットの魂の行方を描くSFドラマ。

 

もうすぐサクラの季節。春休みは遊び+読書でGO!

 


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おりべまこと春休み無料キャンペーン続行!4作品を7日間連続で

 

「今はまだ地球がふるさと」

無料キャンペーン終了しました。

ご購入ありがとうございます。

よろしければレビュー欄へ感想をお寄せください。

 

さて、好評につき、おりべまこと作品

春休み無料キャンペーン続行します。

子どもを主人公にした長編4作を

明日から7日間にわたってご購入できます。

 

パート1:3月25日(月)16:00~28日(木)15:59

★いたちのいのち

https://amazon.co.jp/dp/B08P8WSRVB

小4の少女カナコとペットの「イタチ」との

魂の交流を描く友情ファンタジー。

 

★ちち、ちぢむ

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「ちっちゃいおじさん」になってしまったお父さんと

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もうすぐサクラの季節。

春休みは遊び+読書でGO!

 


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ジジババとUFOについて語り合おう

 

齢を取ってよかったなと思うのは、

子どもから年寄りまで全世代にわたって

特に抵抗なく登場人物を書けるようになったことだ。

 

この話に出てくる年寄りコンビは、

書いていくうちにどんどん生き生きしてきて、

われながら面白くて愛すべきジジババになった。

 

二人はお茶を飲んでせんべいをかじりながら、

なぜ現代人はUFOを見たがり、心惹かれ、

時には乗り込みたくなるのかについて

真剣に討論したりする。

 

そしてそれぞれ驚くべき顛末を迎える。

これなら齢を取るのも怖くない。

 

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週末の懐メロ179:放浪者(エグザイルス)/キング・クリムゾン

 

1973年リリース。名盤「太陽と戦慄」の挿入歌。

原曲は詩情あふれる佳曲だが、

それをパワフルな演奏に置き換えた、

想像を絶するアレンジのライブバージョンが

1975年発表のライブアルバム「USA」に収められた。

 

44年前の今ごろ、僕は演劇学校の卒業公演で

唐十郎の「蛇姫様」という芝居をやったが、

そのBGMとしてこの曲を使った。

 

「蛇姫様」は、第2次世界大戦直後、

朝鮮半島から日本へ渡ってきた

密航者のドキュメントをベースにしている。

 

追われるように故郷をあとにした女が

密航船の暗闇中で犯され、娘を産み落とす。

戦後の日本(九州・小倉)で育ったその娘が、

幻想や悪夢と闘いながら

自分のアイデンティティを探す旅をする物語だった。

 

じつは数年前、

高齢の在日韓国人2世の男性に話を聴く機会があり、

南北が動乱のさなかにあった1948年に

母・兄とともに密航船に乗って命がけで日本に来た、

というエピソードを聴いた。

 

当時まだ幼かった彼の記憶は曖昧だが、

密航船は船底に水が溜まっているようなボロい漁船で、

暗く狭い船内に20人ほどの密航者が詰め込まれ、

しける海を3日かけて航海したという。

 

夜中に日本にたどり着いて

(博多だったか下関だったか覚えていないという)、

密航者のほとんどは捕まって強制送還されたが、

彼らは靴をなくして探しているうち、

集団から外れたおかげで捕縛を免れ、

やがて大阪に行って暮らし始めたという。

 

この曲も「放浪者」という邦題がついていたが、

歌詞は異国で暮らす亡命者がふるさとの情景を追憶する

という内容なので、「亡命者」と訳す方が的確だろう。

当時はそんなこと何も考えていなかったが、

この曲は「蛇姫様」の物語に

ぴったりマッチしていたのだ。

 

1973~74年のキング・クリムゾンは、

ヨーロッパ・アメリカツアーを敢行し、

連日連夜、ステージに立っていた。

このライブ音源も1974年6月28日、

アメリカのアズベリー・パーク公演での収録を

編集したもの。

 

この時代のクリムゾンの大量のライブ音源は、

過去、CDとして様々な形でリリースされ、

YouTubeにも数多のバージョンが上がっている。

毎日、その日のノリでアレンジを変えていたので、

同じ曲なのに別の曲に聴こえることもあり、

めちゃくちゃバリエーション豊富なのだ。

 

ただ、「エグザイルズ」に限って言えば、

やはりこの「USA」における演奏が

最もアグレッシブでドラマチックで、いちばん好きだ。

 

特に今は亡きジョン・ウェットンのベースは圧倒的。

ヴォーカルも素晴らしく、

ウェットンの名声を高めた一曲と言っていいだろう。

 

もちろん「太陽と戦慄」収録の原曲も

美しくてミステリアスで好きだ。

 

キング・クリムゾンと言えば、

即興演奏や暴力的な音楽の凄みばかりが取りざたされるが、

中学生の頃の僕が虜になったのは、

彼らが醸し出すメロディの美しさに他ならない。

クリムゾンの音楽は僕の心のなかに輝きを産み出し続ける

永遠の錬金術なのである。

 

 

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泣かない ハグしない 走らない

 

この話の主人公のリコは、やたら何度も泣き、

母親や友だちを抱きしめ、むやみに走ったりする。

ちょっと多過ぎるなぁと思って、

推敲しながら何度か、どこか削ろうとしたがだめだった。

彼女の自然な感情を潰すわけにはいかない。

 

きっとこの3つが僕が齢を取るうちに失ったものだ。

ま、女の子じゃないので、

もともと泣いたりハグしたりはできないが。

 

「走る」については、

ほぼ毎日、ちょこちょこ川沿いを走ってはいるが、

あくまで健康保持という

理性的な目的をもってやっていること。

 

内から湧きあがる何かに突き上げられてとか、

感情がさく裂するのに任せてとか、

ただ単に楽しくて走り出すなんてことは

とっくの昔に忘れてしまった。

 

べつに哀しくも寂しくもないが、

そういう幼さ・若さはちょっと羨ましく思うことはある。

 

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人はいつだって14歳にもどれる

 

人はいつだって14歳にもどれる。

64歳の僕のなかにも、

何歳だかわからないあなたのなかにも、

14歳の自分が暮らしている。

 

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3月19日(火)16:00~24日(日)15:59まで。

 

春休み満喫の小中高大生さん、

おとなのあなたもぜひ読んでね。

がっちり長編9万1千字。

 

 自分は“宇宙人とのあいのこ”だというリコは、小学校時代からの親友サーヤとともにあちこちの葬式を巡り「故郷の星へ帰っていく人たち」を見て回っては聖女のごとく祈りを捧げている。

 そんなとき、偶然、終活サポートの仕事をしている中年男・中塚と出会い、彼を介して、ひとり暮らしでハーモニカ吹きの老人・小田部と知り合った。孤独死予備軍の小田部に興味を引かれたリコは彼に「星のおじいさま」というあだ名をつけ、食事や掃除の世話をするために家に出入りするようになり、次第に親しさを深めていく。

 そんなリコに恋したシンゴが彼女の気を引くために「きみのためにUFOを呼ぼう」と言ってアプローチすると、リコが生きる世界にさまざまな不思議な現象が起こり始める。

子ども時代を卒業し、人生の旅に出る支度を始めた少女の、夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。

 

もくじ

1 地球人の母になる

2 星のおじいさま

3 UFOに出逢ったお母さん

4 ラブリーな親友

5 恋文と宇宙の夢

6 令和終活コーポレーション

7 記念碑ツアー

8 レトロ喫茶と未来の記憶

9 取り調べ

10 里山の合宿でUFOと出逢う

11 UFO同窓会のレポート

12 奇妙な家族だんらん

13 競馬場でのドラマ

14 絶交

15 星のおじいさまの息子

16 いつか見た虹のこと

17 UFOからのメッセージ

18 天国への扉

19 魔法のアイドル誕生

20 ありがとう友だち

21 いつか家族に

 


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大島レトロ商店街の「なかたん」と「ちびまる子ちゃん」

 

「新プロジェクトを発動するから来て!」

と呼ばれて、江東区の大島へ。

昨年から月1ペースで通っているデイサービス&整体院だ。

亀戸と大島の間ぐらいのロケーションなので、

都営新宿線 大島駅からは10分くらい歩く。

 

通るのは中の橋商店街という

昭和レトロな雰囲気が漂う1km近い下町商店街。

この周辺には大きなスーパーがなく、

個人商店が立ち並ぶ聖域みたいになっている。

 

今年になって初めて行ったが、

新たに「なかたん」という

お買い物の女の子キャラクターが登場。

けっこうかわいくて好きだ。

 

地元の人御用達で、

観光客が集まるようなところではないが、

下町情緒があてほのぼのするので、

近くに来るようなことがあったら覗いてみて下さい。

 

「なかたん」を見ていたら、

なぜか「ちびまる子ちゃん」を思い出した。

中の橋商店街は、まる子のマンガに出てくる

清水の商店街にちょっと似ているのだ。

きっとこのあたりで生まれ育った子どもの目には、

とてつもなく長大な商店街に、

そしてふるさとのような風景に見えるだろう。

 

先週、まる子役のTARAKOさんが亡くなってしまったが、

みんな大好き昭和40年代の夢をなくすわけにはいかず、

アニメはまだまだ存続する模様だ。

けれども後を継ぐまる子役の声優さんは

大変な覚悟が必要。

誰がなってもネットで悪口を書くのはやめようね。

 

 

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認知症患者の純粋な「かわいい」の価値

 

認知症になったらもう社会の役に立たない。

そう思っている人は少なくないだろう。

中には仕事をしている人もいるようだが、

よほど長年の付き合いがある懇意の間柄か、

もしくは条件付きでなければ頼めない。

 

うちの義母は働くのが好きで、

気が乗っていると積極的に家事をやりたがるが、

正直、ありがた迷惑なことが多い。

社会の役に立つか?と問われれば、

常識の範疇では「NO」と言わざるを得ない。

しかし、彼女には彼女にしかない存在価値がある。

 

いつも散歩に行く公園・遊歩道は、

今日のような晴れて暖かい日曜日は

家族連れが大勢来ている。

 

彼女は小さい子供を見ると、のべつまくなしに

「かわいい」とか「いい子ちゃん」とか言ってほめ、

興が乗るとベタベタ触ろうとする。

 

コロナの時はヒヤヒヤしていたが、

自分の子を手放しでほめられて

親は悪い気がするはずがない。

ほとんどが受け入れてくれて

「ありがとうございます」と返す。

 

少し時間をかけてやり取りすると、

明らかにおかしな人だとわかるが、

ちょっとだけなら天真爛漫な気のいい

近所の普通のばあさんという印象になるようだ。

 

子どもも元気に笑顔で挨拶を返す子よりも

照れてモゾモゾしちゃう子のほうが多い。

もしかしたら内心怖がっている子もいるかもしれないが、

特に問題になったことは今までない。

 

だから言ってみれば、義母は出会う親子らを

ささやかながら幸福にしているのである。

 

一度、アトピーの赤ちゃんを抱いた

お母さんに会ったときがあり、

その時はちょっと驚いた。

 

義母は顔が赤くなってしまっているその赤ちゃんを見るや、

「わあ、かわいい」と、ぐいっとのぞき込み、

二言三言、あやすようなことを言って、

お母さんに「本当にかわいい子ですね」と言ったのである。

 

よほどうれしかったらしく、

お母さんは思わず泣いてお礼を言っていた。

おそらく義母のように純粋に「かわいい」と

言ってくれる人は周囲にいないのだろう。

 

普通なら口ではそう言っても、

内心では「かわいそう」とか

「お気の毒に」と思っている人がほとんど。

母親はそういう負の感情は鋭く読みとれるものだ。

 

しかし義母は何の屈託もなく、

心の底から「かわいい」と言っている。

それが伝わったので泣いたのだろう。

ささいなこと、一瞬のことだが、

あのお母さんは幸福な思いを抱き、

子育てをする勇気と元気を得られただろう。

 

考えてみたらすごいことだ。

普通の人ではなかなか真似できない。

少なくとも僕にはできない。

 

通常の社会人として何もできず生産性ゼロだとしても、

やっかいでめんどくさくて世話が焼けても、

義母は目に見えない部分で社会に役立っている。

たとえそれが仕事と呼べないものにせよ、

多くの人に幸福感を与えられることは、

大きな社会的価値と言ってもいいのではないだろうか。

 

今が何月なのか、春夏秋冬どの季節なのか、

さっぱり認知していない義母だが、

動物と同じく体感で季節が変ったことはわかるらしい。

どんどん外に出たがるので、

散歩のおともに費やす時間がまた増えそうだ。

 

 

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今はまだ地球がふるさと」 春休み無料キャンペーン予告

 

春休み、夏休み、冬休み。

子どもは長い休みに成長する。

宿題のない春休みは勉強なんか忘れて、

いっぱい遊んだり本を読んだりしよう。

 

というわけで、

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6日間の春休み無料キャンペーンやります。

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小学生、中学生、高校生のあなたに。

その頃の記憶と感性を持っているおとなのあなたにも。

新しい成長の旅に出かける支度を始めた少女の、

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どうぞお楽しみに!

 


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週末の懐メロ178:ラミア/ジェネシス

 

蛇身の魔女ラミアの伝説は、

ギリシャ神話にルーツを持つらしい。

上半身が美女、下半身が蛇の吸血鬼というのは、

エロチック感MAXで、

想像しただけでクラクラしてしまう。

 

その蛇魔女の誘惑について歌った「ラミア」は、

「サパーズ・レディ」「怪奇のオルゴール」などと並んで

ジェネシスのレパートリーの中でも人気抜群の曲だ。

 

それだけでなく、プログレッシブロック全般、

ポップミュージック、ロックミュージックの歴史の中でも

飛び抜けてユニークでイマジネイティブ。

こんな音楽を創れたのは、

70年代前半のピーターガブリエル在籍時の

ジェネシスだけである。

 

僕にとってこの曲は10代・20代の頃の思い出とともに、

とても懐かしく響くのだが、

若い世代も男女問わず

ラミアの虜になってしまう人が続出するようで、

YouTubeでもやたらとカバーが多い。

 

1974年リリースの2枚組アルバム

「幻惑のブロードウェイ」の挿入歌だが、

このアルバムは、ニューヨークに暮らす移民の少年が

ブロードウェイの路上に

子羊が横たわっている情景に出くわし、

それを追いかけて地下の迷宮に迷い込むという

「不思議の国のアリス」みたいなストーリーを

構成したもの。

全23曲・約90分にわたって

ジェネシス流のロックオペラが展開する。

 

それまでの3枚の傑作アルバム「怪奇骨董音楽箱」

「フォックストロット」「月影の騎士」で、

音楽による怪奇メルヘン、

ダークファンタジーを綴ってきたジェネシスの、

いわば集大成とも言える作品だ。

 

ストーリーはよくある夢オチだが、

一つ一つの楽曲の完成度、演奏表現の素晴らしさは圧倒的。

特に変幻自在なピーター・ガブリエルのヴォーカルは、

この時代のジェネシスミュージックの核をなしていた。

「ラミア」では水の中で絡みつく蛇身の魔女のイメージ、

耽美的な悪夢のイメージを繊細に歌っている。

 

ガブリエルはこのアルバムのツアー後、ジェネシスを脱退。

彼を失ったバンドは解散するのかと思いきや、

ドラムを叩いていたフィル・コリンズががんばって再生。

そしてダークファンタジーから

ポップ路線に変更したのが成功し、

アメリカで大ブレイクした。

 

一方、ガブリエルもソロになって

ワールドミュージックを取り入れた

独自の音楽世界を構築し、大きな成功を納めた。

昨年、73歳にして出したニューアルバム「I/O」は、

なんと全英売上1位を獲得している。

 

彼らの後年の音楽シーンでの出世を考えると、

50年前、若きガブリエルのヴォーカルを中心に織り上げた

ダークでプログレッシブなジェネスの音楽は、

まさしく彼らにとっての「創世記」だった。

そして、それは輝かしい成功とはまた別の、

不滅の価値がリスペクトされ、聴き歌い継がれている。

 

女性ヴォーカルの「ラミア」もまたいい!

 


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人生は思ったよりもずっと短い

 

先日、ある年上の知人と会ってがく然とした。

前に会って半年も経っていないのに

ずいぶん老け込んでしまったと感じた。

もう70を超えて高齢者の域に入っているので

けっして不思議ではないが、それにしても・・・。

 

病気になったとか、怪我をしたわけでもない。

話を聴く限り、何かショッキングな出来事や

センセーショナルな出来事があったわけでもなさそうだ。

でも目が死んでいて覇気がない。

何か自分の人生を放棄してしまったような感じを受ける。

 

彼は若い頃、けっこう自信家で常識を疑い、

人間と社会に対する鋭い批評眼を持っていたので

内心、一目置いていた。

そしていずれ中年になる頃には

何かデカいことをやるだろうと思っていた。

ところがさにあらず、

人生は思うようにいかなかったようだ。

プライドが高く、自己主張が強いことも裏目に出た。

独身であり続け、

ここに至るまで自分の家族を持たなかったことも

不運だった気がする。

 

彼のことを批判的には考えたくない。

昔はむしろ、ちょっとアアウトローっぽい

個性的な生き方がカッコいいと思っていたくらいだ。

 

けれどもいつの間にかダメになったのは、

世の中を批評的に見過ぎて、

自分がやりたいことをまじめに考え、

それに向けて何も行動していなかったことだ。

 

いつかはそういうチャンスが

巡って来るだろうと思っていて、

若くて元気な時代、体力がある時代を

その時々の欲望や生活のための仕事で

消耗してしまい、何も育んでこなかった。

悲しいことだが、今となってはその時間は取り戻せない。

 

こういうことは誰にも起こる。

会社員でもフリーランスでも関係ない。

うかうかしていると時間はすぐに過ぎ去る。

人生100年時代になったが、

それでも自分が何者であるか知り、

自分の中に埋蔵しているものを掘り出すには、

人生はあまりに短い。

 

今日いっぱいやりたいことがあったのに、

いろんな雑用が入ってきたり、

突然、頼まれごとをしたり、

家族の面倒を見なきゃならなかったりで、

それらをこなしているうちに夜中になって、

なにもできずじまいだった――というのと同じだ。

 

若い人は心して聴いてほしい。

40歳を過ぎたら、

その後の10年、20年はあっという間に過ぎ去る。

そうならないようにするには

30代までのいろいろな経験を活かし、

後年のエネルギーに変えていくといった工夫がいる。

 

「老後の蓄え」というのはカネだけの話ではない。

いや、むしろカネを蓄えるのに人生を消耗して、

カラッポになってしまう人の方が

もっとヤバいのではないかと思う。

 

若くて元気なうち、体力があるうちに

いろんな冒険をし、心を解放する。

そして自分が本当は何をやりたいのか、

自分の人生にとって大切なものは何なのか考えながら、

それに向かって少しずつでも行動していく。

そうすると違った世界が開けてくると思う。

 


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アカデミーゴジラへの称賛と違和感

 

平成後半、何度もオワコンだと言われ、

アメリカに売り飛ばされていたゴジラがまさかの再生。

そして驚愕のアカデミー賞受賞。

その「ゴジラ-1.0」と、

作品賞をはじめ、各賞を総ナメにした

「オッペンハイマー」が同じ年に受賞したことには

何か因縁を感じるが、

あまりそんなことを考えている人はいないのかな?

 

以前も書いたが、昭和20年代を舞台にした

「ゴジラ-1.0」が

原爆投下や敗戦の傷跡をあまり感じさせなかったことに

けっこう違和感を覚えた。

もしやアメリカ市場に忖度してる?とも考えた。

今回の受賞で、ゴジラが水爆実験から生まれた怪物だという

オリジナル設定は忘却されてしまうのではないか?

そんな懸念もある。

 

もう一つ、今回称賛され、

たぶん受賞の一要因になったのは、

アメリカ・ハリウッドでは考えられない

低予算・少人数による制作体制。

どちらもケタ違いに安くて少ない。

 

これはもう日本映画のお家芸みたいなもので、

映画が量産されていた1950年代・60年代、

黒澤明や小津安二郎が活躍していた時代は、

コスパ、タイパに徹底的にこだわり、

1週間で1本とか、1か月で3本とかをあげるのは

ザラだったという。

巨大な予算と膨大な人数で映画作りを行い、

働く人たちの権利意識が強く、組合も強力で、

頻繁にデモやストライキなどをやる

ハリウッドでは到底考えられない作り方・働き方なのだ。

これもまた、資本・経営者に対する

日本の労働者の立場の弱さを表している。

と言ったら言い過ぎ?

もちろん、条件が悪い中で工夫して知恵を絞ることに

イノベーションが生まれるので、

いいことでもあるんだけど。

 

ただ、この働き方改革の時代に、

スタッフの健康やプライベートは大丈夫かとか、

それなりの額のギャラが

ちゃんと払われているだろうかとか、

会社の言いなりになっていないかとか、

ついついよけいなことを考えてしまう。

 

映画をはじめ、クリエイティブの現場は

労働基準法なんてあってなきもの、

みんな好きで、愛を込めて仕事やっているんだから、

夜中までかかろうが、休みがゼロだろうが文句なんかない。

といった世界だったはず。

気持ちがノッて、クリエイティブ魂が全開になって、

現場のテンションがグワーって盛り上がってきたところで、

「はい、6時になったんで今日はここでおしまい」

なんて言われたらドッチラケ。

昔の監督だったら「ふざけんな!」と怒鳴りまくるだろう。

と、僕は認識しているが、最近はそうした環境も

変わってきているのだろうか?

 

なんだかせっかくの受賞に

ケチをつけるようなことを書いたけど、

やっぱりこれは画期的な出来事。

ハリウッドの映画製作にも何か影響を与えるのだろうか?

ちょっと楽しみではある。

 


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ありがとうロボットリヤマ

 

最近はどうだか知らないが、

僕が子どもの頃、よく読んだマンガでは

作者自身がしばしば作品のなかに出てきた。

おそらく手塚治虫先生がその草分けだろう。

「バンパイヤ」では完全に登場人物のひとりとなって、

物語のなかで大活躍していた。

その他、石ノ森章太郎、永井豪などの

セルフキャラも印象的で、

土田よしこなどは、ほとんど自分を主人公にした

「よしこ先生」なんてマンガを描いていた。

 

鳥山明先生の自画像「ロボットリヤマ」も大好きだった。

僕は「ドラゴンボール」のことはあまり知らなくて、

好きだったのは「ドクタースランプ」の方だった。

ちなみに「ロボットリヤマ」とは

当時、僕とごく一部の友人がそう呼んでいただけで、

公式なキャラ名などではない。

 

デビュー当時、「ドクタースランプ」の絵は衝撃的で、

お洒落なのにめっちゃギャグ漫画しているところ、

そしてアラレちゃんをはじめとするキャラが

可愛くて弾けているところは、

それまでのマンガにない、新鮮な世界だった。

 

鳥山先生は名古屋出身、僕も名古屋なので、

ニコちゃん大王をはじめ、

ブロークンな名古屋弁をしゃべるキャラが

いろいろ出てくるのも面白くて親しみを覚えた。

 

ペンギン村には作者自身もやってきて、

しばしば登場していた。

最初の頃は人間の姿で出ていたが、

すぐに自己改造して「ロボットリヤマ」になり、

ペンギン村に移住した。

鉄を食べちゃうガッちゃんによく食われて、

半壊状態になっちゃうのには、いつも笑わせてもらった。

 

人気が爆発し、仕事が忙しくなり、

自分がマンガ生成マシーンのように思えて

ロボット化したのだろうか。

でも、みんなに喜んでもらうマンガを描き続ける

ロボットの自分をとても楽しみ、愛していたのだと思う。

どうかごゆっくりお休みください。

 


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どんな子どもも「世界は美しいよ」と実感させてくれる

 

認知症の義母を連れて日曜日の公園に行くと、

雑多な子どもたちがウジャウジャ走り回ったり、

飛んだり跳ねたり、わめいたりしている。

 

ここは自然豊かで、川が流れ、広場があり、

木もいっぱい生えていて生き物もたくさんいる。

季節ごとに表情が変わって面白いので楽しくなる。

 

そんななかで遊ぶ子どもたちは幸福だし、

それを見ては喜んだり、ハラハラしている義母も

幸福なはずだ。

当たり前のようにある風景なので、

そう感じる人は少ないのかもしれないが。

 

この少子化社会にあって、

普通に大勢の子どもといっしょにいられるなんて、

とても恵まれた環境のなかにいるんだなと思う。

 

子どもを育てるのは本当に面倒くさい。

面倒を見る保護者にとって手間暇かかるし、消耗するし、

邪魔に思えることもあるし、むかつくことは数えきれない。

 

けれども子どもは社会に絶対必要な存在である。

必要というのは将来の労働力になるとか、

おとなになった時に僕たちの生活を支えてくれるとか、

そんな理由から言っているのではない。

優秀かどうか、勉強やスポーツができるかどうか

なんてことも、はっきり言ってどうでもいい。

本当にどうでもいいことなのだ。

 

どんな子どもも地域にエネルギーをもたらしてくれる。

僕たちおとなを元気にしてくれる。

「世界は美しい」と実感させてくれる。

それで十分だ。

人間にはみんな、目に見えない才能がある。

子どもはそのことを思い知らせてくれる。

それをきちんと認識できないのが、

今の社会の未熟さであり、問題点だと思う。

 

僕はもう子どもにはなれないし、子どもの真似もできない。

ならばこの先、違うベクトルでいいから、

地域なり、どこかのコミュニティに

エネルギーをもたらす年寄り、

社会に必要とされる年寄りになりたいと考える。

なれるだろうか? 

特にとりえも専門技術も持ち合わせていないけれど。

いい具合に齢を取るのは、なかなか難しそうだ。

 


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週末の懐メロ177:危機/イエス

 

1972年にリリースされたイエスのアルバム

「危機」を初めて聴いたのは1975年。

高校に入って間もない春のことだった。

 

「危機 Close to the Edge」

「同志 And you And I」

「シベリアン・カートゥル Siberian Khatru」

収録曲はわずか3曲。

いずれも18分、11分、10分という

今では考えられない超大曲だが、

その充実度と緊張感、そしてスケールの大きさにのけぞり、

鳥肌が立ちまくった。

 

中学生の時にプログレにハマって、

ELP、ピンク・フロイド、キング・クリムゾンと聴いてきて、

真打はイエス。

あの時はついに頂点にたどり着いたと思った。

 

率直に言って、これはELPの「頭脳改革」も、

フロイドの「狂気」も、クリムゾンの「宮殿」も超えていた。

最高のプログレ、いや、最高のロック、世界最高の音楽!

生涯でこれ以上の楽曲には出会えない、とさえ思ったことは

鳥肌のブツブツとともにずっと体内に残っている。

 

若さゆえの興奮と感動だったが、

じつはその思いは50年近く経った今でも

そんなに変わっていない。

 

その後、15歳の頃とは比べ物にならないほど

たくさんの、いろんな音楽を聴いてきて、

好きな曲もいっぱいできて、ランク付けなどできないが、

いまだに「危機」が最高峰にあることは確か。

いつ聴いても心動かされ、

精神的なエネルギーをもらっている。

 

川の流れや鳥の声など、自然音のミックスに続いて

不協和音が嵐のようにうねるイントロ、

そしてメインテーマに流れ込んでいく下りは、

カオスから宇宙が生成され、

地球が生まれてくるドラマを表しているようだ。

 

東洋哲学が反映された歌詞は抽象度が高く、

和訳を読んでみても、意味がよくわからない。

ただ、70年代のイエスは、

人間の友愛、世界の調和をテーマとして音楽を作っており、

その基本姿勢は美しいメロディラインからも感じとれる。

僕の耳には世界の生成と、人間はいかに生きるか、

人生という旅路のイメージを思い描く曲として響いてくる。

 

スタジオ盤は非常に繊細なつくりだが、

この1975年のライブではそれと対照的な、

あえて荒れた感じのアグレッシブな演奏になっており、

ライブならではの臨場感が楽しい。

 

メンバーのラインナップは、

スタジオ盤制作時からビル・ブラッフォードが抜け、

ドラムはアラン・ホワイト。

キーボードはリック・ウェイクマンから

パトリック・モラーツに交代した時期。

モラーツはごくわずかな期間しかイエスに在籍しておらず、

その後の度重なる再結成時にも参加していないので、

このパフォーマンス映像は貴重だ。

 

この頃、メンバーはまだ20代半ばの若者たち

ということにも驚く。

超絶テクでギターを弾きまくるステーヴ・ハウ、

ヴォーカル ジョン・アンダーソンの美声、

そして、それをサポートするクリス・スクワイアの

バックヴォーカルと、

こ曲のエネルギッシュな“うねり”を創り出す

躍動的なベースプレイ。

今は亡きスクワイアのカッコいい雄姿に、

彼こそがイエスのリーダーだったことが

如実にわかるライブとしても価値がある。

 

1960年代から70年代、

音楽の神がこの星に降りていた。

この時代にイエスの創造した楽曲は、

やはり地球上に起こった一つの奇跡だったことを

改めて実感する。

 

そして、中高生という、まだ子どもの時代に

胸に響いたもの、強く感じとったものこそ、

自分の人生にとって本当に価値あるもの・

大切なものなのだ、ということも。

 


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教育産業・受験産業は縮小してください

 

そろそろ受験シーズンも終わりと思っていたら、

電車内にぶわーっと有名学習塾の広告。

ライバルに負けじと複数の塾が一斉に広告を出している。

もちろん、いち早く次年度の塾生を獲得するためだ。

テレビCMもしかり。

戦略とか、マーケティングとかあるんだろうけど、

当事者でない者としては本当にげんなりする。

 

おまえに見せてるんじゃねーよ。

嫌なら文句言わすに無視しろ。

 

広告主はそういうだろう。

テレビは消せばいいが、

電車内では目をつむったり、逃げ出すわけにはいかない。

広告によってそういう環境を作り出すことが問題だ。

子供も親も「教育」とか「受験」に

脳が毒されてしまうからだ。

 

少子化の時代、僕は教育産業も成長を諦め、

縮小していくべきだと思っている。

大学もどんどん減らしていったほうがいい。

受験戦争に巻き込まれることにって、

さらに大学に進学することによって、

いったいどれくらいの子供や親が幸福になるのか?

 

もちろん、そんな数字は出ない。

学習塾は塾生の○パーセントが合格した、

志望校に入れた、一流校に入れた、

という結果が出ればそれでいい。

それが学習塾にとってのゴールだ。

 

けれども子供や親にとってはそれはゴールでも何でもない。

人によってはさらなる無間地獄への入口になる。

そんなことをもう半世紀以上も繰り返している。

 

僕が子どもの頃、楳図かずおのマンガの中に

「秀才」という作品があった。

(「おろち」というオムニバスシリーズの一編)

折しも受験戦争、受験地獄とい言葉が

生まれた時代のもので、

大学受験に向き合う親と子がいかに狂っているか、

いかに不幸なものか、その真髄を描き出した作品だ。

 

この頃はまだ大学への進学率も低く、

ある意味、ここまで狂ってしまうのは

ある特殊な層の、特別な家庭というイメージがあった。

けれども日本全体が豊かになり、情報化が進んだせいで、

この「秀才」の世界がどこの家庭にも浸透して

すっかり日本社会のデフォルトになってしまった。

 

そして大学に入ったら入ったで、

その後はベルトコンベア式に

就活、就職というイベントに巻き込まれる。

そんな子供たちにおとなは

「がんばれ受験生」「がんばれ就活生」などと

無責任なエールを送る。

ほとんど季節の風物詩というか、

子どもをネタにしたお祭りみたいな気分になっている。

これでは死にたくなる子供が増えてもおかしくない。

 

僕にはやっぱりこういう状況は

狂っているとしか思えないのだ。

受験勉強に情熱を傾け、

ある意味、生きがいに出来る子供はいいが、

そんな子は少数派のはずである。

それが当たり前のようになって

しまっているところがおかしい。

親も子も目を覚まして

こんなおかしなシステムに安易に巻き込まれず、

自分の心の声に耳を澄まして、

冷静に人生について考える勇気をもって生きてほしい。

 


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赤いパンツの底力 ~巣鴨とげぬき地蔵デイトリップ~

 

今日はとげぬき地蔵でおなじみの巣鴨へ。

べつに仕事で出かけたわけではないが、

月刊終活なんて仕事をやっているので、

巣鴨の実態くらい見ておこうかと思い、

カミさんといっしょにぶらっと出かけたのだ。

 

通称・とげぬき地蔵尊は、この商店街の真ん中あたりにある

曹洞宗のお寺「高岩寺」のこと。

このとげぬき地蔵尊商店街では

毎月4のつく日にたくさん露店が出てジジババで大賑わい。

僕らが若い頃、「おばあちゃんの原宿」として

マスコミが取り上げてよく話題になった。

 

その頃以来のキャッチフレーズはもちろん健在だが、

ただ違うのは、自分自身がここを歩いていても

全く違和感を感じないこと。

むかし感じた一種のカルチャーショックのようなものなど

微塵もなく、街全体に昭和の香りが充満していて、

そこらへんでたこ焼きは食えるわ、大判焼きは食えるわ、

玉こんやくは食えるわ、塩大福は食えるわで、

居心地いいったらありゃしない。

 

お店の看板も「ズボン屋」とか「バッグハウス」とか

「もんぺ・はんてんの店」とか、レトロ感ハンパなし。

なかでも巣鴨の代名詞とも言える赤いパンツが、

強烈な存在感をアピール。

 

でも、「年寄に赤」にはちゃんと科学的根拠があって、

赤い色を身に着けると血流がよくなり、

気分も上がって元気になれるのだ。

 

年齢・性別に関係なく、冷え性の人は

健康維持・向上のために、

ショボくれてる人・メンタルやられちゃってる人は

元気回復・テンションアップのために、

赤パンは超おすすめ。

 

しかも最近は、こじゃれた年寄り用なのか、

それとも上記の理由で若い人たちも買い求めに来るのか、

レースのついたお洒落でセクシーな赤パンも売られていて、

ドッキリ!

見ると某有名下着メーカーの製品である。

 

それ以外にもいろんなレッドなお召し物が

ずらりと並び圧巻。

見ているだけで元気が出てくる。

気楽で面白いので、

老いも若きもぜひ巣鴨をぶらついてみよう。

 

 

おりべまことはジジババが登場・活躍する小説も

書いて電子書籍Amazon Kindleで出版しています。

「おれを、あたしをモデルにして何か書け」

という方はぜひご連絡ください。

 


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週末の懐メロ176:ヒーローズ/デヴィッド・ボウイ

 

歌で映画でドラマで、様々なコンテンツで

「ヒーローズ」というタイトルを見かけるが、

僕にとっての「ヒーローズ」は

デヴィッド・ボウイの歌しかない。

 

1977年リリースのアルバムのタイトル曲。

アナログ盤では「英雄夢語り」という邦題がついていた。

ボウイがドイツに住んでいた時に作った歌で、

ブライアン・イーノ、トニー・ヴィスコンティらと組んだ

プロジェクトから生まれた。

「ジギースターダスト」や「ヤングアメリカン」を経て、

シンセサイザーを強調した、

プログレ&ニューウェーブ系の音楽に

傾倒していた時代の歌だ。

 

単調なメロディのくり返しのなかで

「僕らは人生で一日だけならヒーローになれる」

と唱えるこの歌は、

ベルリンの壁の傍で落ち合う恋人たちの姿を見て

着想されたという。

 

ここでは「ヒーローズ」という言葉が、

閉塞的な状況における人の儚い夢

という意味で使われており、

他のコンテンツにあるような

英雄崇拝・英雄賛歌などではない。

だからいい。

 

この歌がリリースされて数年間——

70年後半から80年代前半頃は、

この曲・アルバムの評価はさして高くなく、

成功作とは見做されていなかった。

ボウイのキャリアの中でもランク付けは低かった。

 

けれども1989年6月、

ボウイが当時の西ベルリンの壁際で行ったコンサートから

「ヒーローズ」の評価は劇的に変わった。

まさに壁崩壊(ドイツの東西統一)の5カ月前。

ボウイの歌が、観衆の熱狂が、壁の向こう側にいた

東ベルリンの人々の心を強く動かしたのは間違いない。

 

以来、そのベルリンコンサートのシンボルとして

「ヒーローズ」は傑作と言われるようになり、

時を経るとともに名曲度を増していった。

そしていまや、ボウイの全キャリアを通して、

一番にその名が挙がる代表曲、

さらに数ある20世紀ロックのなかでも

最高峰の名曲として多くの人が認めている。

 

リリース以来、実に多くの時代・場所で歌われ、

幾多のミュージシャンにカバーされてきたが、

いま聴いてみて、ボウイ自身の

ミレニアム前後のパフォーマンスが

最も素晴らしいのではないかと思う。

この頃のバックバンドは強力で、

それまでのボウイにはなかった独特のグルーブを創り出し、

21世紀の新しい「ヒーローズ」を生み出した。

 

シンプルなメロディの繰り返しから

観衆を巻き込んでぐんぐん盛り上がり、

ポジティブなエネルギーを創出していくさまは圧巻の一言。

ふたたび社会の閉塞感が強まり、

壁の内側に人生が閉じ込められ、

精神を苛まれる人がますます増える時代。

 

何があっても生きろ、生き続けろ

誰もがなれる おまえも人生のヒーローになれ

自分自身のヒーローになれ

 

ボウイのそんなメッセージが聴こえてくる。

本当に感動的だ。

 

このバンドの黒人女性ベーシスト

ゲイル・アン・ドーシーは今、

ボウイミュージックを継承する音楽家として活躍している。

彼女が歌う「スペース・オディティ」は美しく、

まるで亡きボウイへの鎮魂歌のようにひびく。

 

 

 

2020年10月にデヴィッド・ボウイの

「5年間 Five Years」で始まった

この「週末の懐メロ」は、

3月いっぱいでいったん終了します。

今回を含め、最後の5回はアンコールシリーズ。

どうぞ最後までお付き合いください。

 


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かさこ交流会に参加

 

昨日はネット界で活躍している

カメライター・かさこさんの交流会に参加した。

自分でいろんな仕事をして、

人生を開拓しようとしている人たちが集まっていて、

いろいろ話が出来てとても面白かった。

僕が最高齢かと思っていたら70代の人も参加。

年齢とか全然関係ない世界。

 

かさこさんは最初、どうやって知ったのか憶えてないが、

6,7年前ぐらいから、

たまにちょこちょこブログを読んでいるうちに

ヘビーユーザーになった。

 

ビジネス関係・自己啓発関係で

ウソクソな情報があふれ、ぼったくりセミナーが横行し、

まともな人でも

単なる批評家みたいな人ばかりのネット界で、

信頼に足る数少ないリーダー。

良心的でナチュラルで具体的な行動に繋がる発信&

コミュニティづくりをやっている。

 

巷にあふれるウソクソ儲け話、

マルチまがいセミナー、

虚飾にまみれた起業成功ストーリーなど、

コロナ禍をしのぐインチキウィルス情報で

脳をやられちゃっている人は、

かさこさんの発信を読んだり、

セミナーや交流会などに出て

自分の仕事・人生の療養・自然治癒に取り組もう。

まさにネット界の漢方薬・鍼灸師。

仕事と家庭だけで行き詰まっちゃっている人にもおすすめ。

 


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64歳と14歳の「今はまだ地球がふるさと」

 

「僕が64歳になっても、きみは僕を愛してくれるかい?

と歌うのは、ビートルズの

「ホウェン・アイム・シックスティー・フォー」。

この歌が出された1967年頃は

64歳がイギリス人の平均寿命だったらしい。

同じころの日本人の寿命はもっと短かったと思う。

自分もその齢になって、ちょっとドキドキしている。

 

齢を取っていいことは、経験したどの年齢にも

自由自在に往復できること。

なので還暦を超えると時おり中二病が再発する。

中二の時は「中二病」なんて言葉はなかったけど。

 

おとなみたいに適当にやり過ごすことができなくて、

「生きる」ことに対して一生懸命に考えている中学生

――にたまには戻ってみてもいい。

 

そうしてこの先のことを考えてみる。

わたしは、あなたはどう生きたいのか?

そんな思いがあって出来上がった話。

 

 

おりべまこと電子書籍最新刊 

今はまだ地球がふるさと

 

Amazon Kindleより¥600

 

 

自分は“宇宙人とのあいのこ”だというリコは、

小学校時代からの親友サーヤとともに

あちこちの葬式を巡り

「故郷の星へ帰っていく人たち」を見て回っては

聖女のごとく祈りを捧げている。

 

そんなとき、偶然、終活サポートの仕事をしている

中年男・中塚と出会い、彼を介して、

ひとり暮らしでハーモニカ吹きの老人・

小田部と知り合った。

孤独死予備軍の小田部に興味を引かれたリコは

彼に「星のおじいさま」というあだ名をつけ、

食事や掃除の世話をするために家に出入りするようになり、次第に親しさを深めていく。

 

そんなリコに恋したシンゴが彼女の気を引くために

「きみのためにUFOを呼ぼう」

と言ってアプローチすると、

リコが生きる世界にさまざまな

不思議な現象が起こり始める。

 

 

子ども時代を卒業し、

人生の旅に出る支度を始めた少女の、

夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く

青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。

 


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工事現場はもうアトムの世界

 

今朝、テレビのニュースを見てたら、ダム工事の現場で

ダンプやパワーショベルなど、自動運転の重機が

ガンガン働いているのでびっくり。

1ダース以上いたが、すべて無人。自動運転。

人間がいないので、燃料補給以外、休む時間もなく、

それこそ24時間はたらけまーす、である。

現場は秋田で、そこから数百キロ離れた会社から

遠隔操作しているそうだ。

 

それとは別のもう少し小規模な工事現場でも

無人重機が動いていて、

こっちは遠隔操作している操縦者が登場。

会社のオフィスの一角にシュミレーターを設置した

スペースを作って、モニターを見ながら動かしている。

 

さらに驚くのは、操作しているのが女性事務員。

彼女は1日のうち半分事務仕事をやって、

半分はこの工事をしているという。

しかも子育てママなので、子連れ出勤。

シュミレータースペースのわきには、

子どもを寝かせたり遊ばせたりする部屋がある。

作業中も、ヘルメットも作業着も安全靴もいらない。

足もとなんかキティちゃんの顔が付いたサンダル履きだ。

 

公道を走る車やバスの自動運転は、

安全性の問題があるのでまだまだ時間がかかるが、

逆にこうした作業現場はどんどん自動化されて、

逆に人間が危険地帯に入らなくていいので安全だ。

ロボットではないものの、

重労働はみんな機会にお任せという

アトムの世界がすでに実現している。

 

AIの普及といい、こうした無人重機といい、

コロナ後の世界はすごいスピードで様変わりしている。

むむ、目が回り、ちょっと息切れが・・・。

 

 おりべまこと電子書籍 最新刊 

「今はまだ地球がふるさと」

 

子ども時代を卒業し、

人生の旅に出る支度を始めた少女の、

夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。


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今はまだ地球がふるさと 本日発売!

 

おりべまこと電子書籍 最新刊 本日発売!

「今はまだ地球がふるさと」

 

レビューにいつもより時間がかかったので、

もしや中学生の女の子に

セクシーなセリフを言わせたのでNG?

と一瞬心配しましたが、無事出せました。

91,000字の長編小説。

Amazon Kindleより¥600で発売中!

 

あらすじ

 自分は“宇宙人とのあいのこ”だというリコは、

小学校時代からの親友サーヤとともに

あちこちの葬式を巡り

「故郷の星へ帰っていく人たち」を見て回っては

聖女のごとく祈りを捧げている。

 

 そんなとき、偶然、終活サポートの仕事をしている

中年男・中塚と出会い、彼を介して、

ひとり暮らしでハーモニカ吹きの老人・

小田部と知り合った。

孤独死予備軍の小田部に興味を引かれたリコは

彼に「星のおじいさま」というあだ名をつけ、

食事や掃除の世話をするために

家に出入りするようになり、

次第に親しさを深めていく。

 

そんなリコに恋したシンゴが

彼女の気を引くために

「きみのためにUFOを呼ぼう」

と言ってアプローチすると、

リコが生きる世界に

さまざまな不思議な現象が起こり始める。

 

子ども時代を卒業し、

人生の旅に出る支度を始めた少女の、

夢と想像と現実が入り混じった日常生活を描く

青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。

 

もくじ

1 地球人の母になる

2 星のおじいさま

3 UFOに出逢ったお母さん

4 ラブリーな親友

5 恋文と宇宙の夢

6 令和終活コーポレーション

7 記念碑ツアー

8 レトロ喫茶と未来の記憶

9 取り調べ

10 里山の合宿でUFOと出逢う

11 UFO同窓会のレポート

12 奇妙な家族だんらん

13 競馬場でのドラマ

14 絶交

15 星のおじいさまの息子

16 いつか見た虹のこと

17 UFOからのメッセージ

18 天国への扉

19 魔法のアイドル誕生

20 ありがとう友だち

21 いつか家族に

 


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残酷でカオスな傑作「進撃の巨人」

 

約1カ月半かけてAmazonPrimeで

アニメ「進撃の巨人」全94話を見た。

先月末の途中経過でも書いたが、人間が食われる話なので、

残酷描写がかなりのもので、見続けるのが精神的にきつい。

それに慣れてきた中盤で

かつて仲間と信じていた者同士が「共食い」になるので、

これまたきつくなる。

 

それでも3分の2くらいのところまでは、

自分たちがなぜ壁に閉じ込められているのか、

その謎を解こう。

そして、この壁の向こうにあるはずの

海を見に行こう、という少年の夢がある。

つまり、そこまではどんなに残酷であっても

希望に満ちた冒険物語になっていて、

夢を達成した少年たちが新たな世界に旅立つ――

といった美しい結末を予感させていた。

 

ところが話はそんな単純ではない。

問題はそのゴールに達したあとのこと。

人生と同じで当たり前だけど、

僕たちはいつまでも少年少女のままではいられない。

この作品は安易なハッピーエンドで

お茶を濁すようなことはしなかった。

 

カメラが180度切り替わり、新たな世界に視界が開けると、

そこにはさらに救いのない

残酷で恐ろしい世界が広がっていて、

そこでまた戦わなければいけなくなる。

 

後半の話はどんどん深く複雑になり、

それまでのいろいろな謎が解けていくのだが、

ますます見るのが辛くなっていった。

 

そして、そもそもいったい誰が主人公だったんだっけ?

と思わせるようなカオス的な展開になっていく。

それでも向き合わずにはいられない気持ちにさせるのが、

この作品のすごいところ。

 

壁とは何か?

巨人とは何か?

近代日本、戦後日本社会のメタファーであり、

風刺であるという説がよく聞かれるが、

帝国主義や数々の戦争、難民問題などから形づくられた

現代の人類の世界全体の暗喩であるとも受け取れる。

 

ラストも決してスカッと終わらず、あれでいいのかという、

気持ちの悪い違和感が腹の中に残った。

まるで「後味の良い感動を残す物語」なんてあざ笑い、

ぶった切るかのようだ。

最後の最後のあのシーン、あのセリフは、

希望や救いと言えるのだろうか?

 

「進撃の巨人」の世界には

随所にさまざまな意味が込められており、

それをどう読み解き、何を考えるかは

読者・視聴者の向き合い方次第と言えるだろう。

それだけの豊かなものがこの作品には詰まっている。

少し落ち着いたら、

今度は原作のマンガを通読してみようと思っている。

 

いずれにしてもこの時代に、マンガ・アニメという手法で

こんなすごいドラマを創り上げた作者を

リスペクトせずにはいられない。

 

おりべまこと Kindle新刊:長編小説

今はまだ地球がふるさと

 

本日2月25日発売予定でしたが、

残念ながら提出が遅れたため、

まだレビュー中。

楽しみにされていた方、

どうもごめんなさい。

明日までお待ちくださいね。


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週末の懐メロ175:ババ・オライリー/ザ・フー

 

1971年リリース。

最高傑作アルバム「フーズ・ネクスト」の挿入歌で、

ザ・フーのキャリア全体を通じても最高の一曲。

さらに言えば、60年代から70年代の

ポップロック、ハードロック、プログレッシブロックの

美味しい部分をすべて凝縮した、ロック史に残る名曲だ。

 

♪この荒野で俺は糧を得るために戦う

 生きるために全力を尽くす

 正しさを証明するために

 戦う必要はないし 許される必要だってない

 

そんな歌詞で始まるこの曲は、

スコットランドの農民が、

妻と子供を連れてロンドンへ脱出する

という物語を音楽で描く

「ライフハウス」というロックオペラの一曲だった。

ところが、この「ライフハウス」の構想がまとまらず、

通常のスタイルのアルバムに挿入された。

結果的には単独曲となったことで

ザ・フー随一のヒットナンバーになったのかもしれない。

 

タイトルも当初は歌詞に沿って

「Teenage Wasteland(10代の荒野)」と

つけられる予定だったが、

インドの神秘家メヘル・バーバー(Meher Baba) と、

アメリカの作曲家テリー・ライリー(Terry Riley)の

ファーストネームを合わせたものに変更された。

これは当時、作詞・作曲の

ピート・タウンゼント(ギタリスト)が

メヘル・バーバーの思想にいたく

傾倒していたことから来ているようだ。

 

ザ・フーはこの頃、スピリチュアルな物語を

ロックオペラというスタイルで

ドラマチックに表現することに取り組んでおり、

大成功をおさめた1967年の「トミー」は

ケン・ラッセル監督によって1975年に映画化、

その後、ミュージカルとして舞台化もされた。

 

戦争に行った夫が戦死したと思っていた

妻は新しい男と恋に落ちた。

けれどもその男との情事の最中、死んだはずの夫が帰還。

夫は怒りにまかせて情夫を殺してしまう。

ところが、その様子を幼い息子トミーが見てしまった。

あわてた父と母は息子に言い聞かせる。

「あなたは何も見なかったし、何も聞いていなかった」

「このことは誰にも話してはダメ」と。

両親から与えられたそのトラウマによって、

トミーは見ることも、聴くことも、

話すこともできないという三重苦を負ってしまう。

 

そんなストーリーのロックオペラ「トミー」は

トミーが三重苦を克服し、

自己を解放し、自由に羽ばたくという内容で、

僕は高校生の時にその映画を見たが、

カルチャーショックを受け、

自分の中の重要な音楽体験・映画体験として残っている。

 

「10代の荒野」だった「ババ・オライリー」では

最後にこう歌う。

 

♪10代は不毛な時代 たかが10代の荒野

  10代は不毛な時代 10代に実りはない 

  全てが無駄なんだ

 

「ライフハウス」がどんな物語だったのかわからないが、

10代に何を体験するか、

そしてその後、その体験をどう捉えるかで

人生は大きく変わるのだと思う。

 

おりべまこと電子書籍「週末の懐メロ」AmazonKindleにて好評発売中! 各300円


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今はまだ地球がふるさと

 

おりべまこと電子書籍新刊のご案内
おとなも楽しい少年少女長編小説(9万1千字)
「今はまだ地球がふるさと」
久しぶりに子ども(中学生)を主人公にした
青春×終活×謎の空飛ぶ円盤ファンタジー。
長編小説(9万1千字)。
最初の予告よりちょっと遅れて、
2月25日(日)発売予定。
お楽しみに。

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となりのレトロより:あんたも閻魔様に舌抜かれるよ

 

インターネット社会になって女性不信になった。

というのは冗談だが、

おかしなネット発信は女が多い。

SNSは本当にひどい。

 

FBでは国内外を問わず、会ったこともない女から

ガンガン友だち申請が来る。

もろエロ系もあるが、それとなくまともを装った

表向き若い女が多い。

どんなやつか発信履歴を見ると、まったく中身がなくて、

写真だけいろいろ投稿している。

 

たまに「あなたの発信に感動しました」という

ほめ殺しコメントを書いてくるのもいる。

あと、もしかたら油断させようというつもりか、

落ち着いた高齢女性から来ることもある。

海外に移住して悠々自適にやってます的マダムとか。

 

X(ツイッター)のほうは、

やたらとドラマチックな女が多くて、

親の虐待とか、夫のDVなどでかわいそうな目に会って、

ン千万という借金地獄に落ちたが、

奮起しただの、すごいメンターに出会っただのの

ミラクルな大転換があって、すべて一気に返済・完済。

今では副業で月にン百万稼いでます。

あなたもおひとつどうですか?っていうやつ。

 

いやいや、世の中にはすごい女性がわんさかいるもんだ。

そんなお金持ちなら、

僕みたいな者にからむのは時間と労力の無駄遣い。

アメリカでもシンガポールでもドバイでも行って

よろしくやってくださいな。

 

それにしても僕などの世代の人間は子どもの頃、

嘘つくとバチがあたるとか、

地獄に落ちて閻魔様に舌を抜かれるとか、

おとなによく言われたものだが、

今の人間はまったく意に介さないらしい。

なんだか閻魔様が懐かしく、可愛く思えてくる。

 

となりのレトロの僕から言わしてもらうと、

ウソメールとか、サギ発信とかに

大事な人生の何割も使っていると、

やっぱりそのうち相応の罰が当たると思うよ。

 

 


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週末の懐メロ174:世界の重みを手に持つ少女/エディ・リーダー

 

80年代後半に活躍したフェアーグランド・アトラクション。

そのリードシンガーだったエディ・リーダーが、

グループ解散後、1992年に初めて出した

ソロアルバムの中の一曲。

カヴァー曲で、

オリジナルは「インディゴガールズ」というデュオが

1990年にリリースしている。

 

日本で最初にCDで出た時は最後に入っていたせいもあり、

アルバム全体の余韻とともにとても深く心に染みた。

 

子どもから大人になる過程で

誰もが世界の重みを感じるようになるが、

別の命を体内に宿すことができる女性は、

その感覚がひとしお強いのかもしれない。

 

婚活や妊活に熱心になり、

人生のスケジューリングに躍起になる女性が増えているが、

子どもを産める期間が25年から長くて30年

(たぶん現実的にはもっと短くてその3分の2程度)と、

限られていることを考えると

男がとやかく言ってはいけない気がする。

 

でもやはり人生の楽しみはスケジュールから

外れたところにある。

女でも男でもいいから、

手にしてしまった世界の重さを分かち合える人と

出逢えたらいいね。

 


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なぜ昭和の“すごい”人たちは本を出せなかったのか?

 

昭和は今と比べて野蛮な時代だったと思うが、

面白い人生を送ってきた人たちがたくさんいた、と思う。

今より貧しく、生活が不便で洗練されておらず、

管理も緩かった分、

生きるエネルギーに溢れていた。

逆に言えばエネルギーがないと生きられなかった。

 

なので若僧の頃はエネルギッシュな人たち、

劇的な人生を送って来た人たち、

すごい人だなと感心するような人たちに何人も出会った。

それもみんなけっこう若い、30代・40代の人たちが多かった。

彼らのドラマチックな話を聞いていると、

自分はなんて臆病で凡庸な人間だろうと

劣等感を抱いたくらいだ。

 

そうした人たちの冒険譚・英雄譚・武勇伝などは

自伝にしたら面白いし、

それらの体験をもとに小説も書けるのではないかと思った。

 

事実、自分はこんなに面白いことをしてきたから

そのうち本にして出すよとか、

ネタにして小説を書くよとか、映画や芝居にしてやるよと

僕に話していた人は一人や二人ではなかった。

 

けれども憶えている限り、実現した人は一人もいない。

ノンフィクションであれ、フィクションであれ、

そうした(世間的には無名だが)すごい人たちの話が

物語になり本になることはなかった。

 

なぜか?

そういう人たちは字を書かなかったからである。

当たり前のことだが、

机に向かって字を綴るという地道な「作業」をしない限り、

永遠に本も物語も生まれないのだ。

そうしたものを作るためには本人とは別に

字を書く「作業員」が必要になる。

 

自分のなかにもう一人、

そういう作業員を持っている人はいいが、

大方の人は「文才があればやるけど」

「時間があればできるけど」と言って逃げていく。

 

いつかあの人のあの話を本で読んだり、

映画やテレビで見られるだろうと思っていた人たちは、

(現時点では)誰もそうならなかった。

齢のことを考えると、

結局そのまま人生が終わってしまった人も

少なくないのではないだろうか。

なんだかもったいない気がする。

 

昭和と違って今ではSNSやブログもあるし、

動画配信もあって、いろいろ発信の手段はある。

けれどもやっぱりそれらと

本を刊行することは別の作業が必要なのだと思う。

 

「文才があれば」「時間があれば」というのは言い訳だが、

現実的には確かにそれも分かる。

毎日、いろいろ忙しいことばっかだからね。

でも時は止まってはくれない。

そう考えると人生は短い。

「いつかやろう」が永遠に来ない可能性は高い。

 

もし、そうした本を書くための「作業員」が必要なら

ご相談に乗ります。

 


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キャンペーン終了と新刊発売のお知らせ

 

おりべまこと電子書籍「おふくろの味はハンバーグ」

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無料キャンペーン終了しました。

ご購入ありがとうございました。よろしければレビューをお寄せください。

引き続き発売中です。

読み放題でも読めるので、どうぞご利用ください。

 

次の新刊は長編小説「今はまだ地球がふるさと」

自分は異星人とのあいのこだと言い張る女の子と

彼女が「星のおじいさま」と呼ぶ終活老人とのお話。

2月22日(木)発売予定。お楽しみに!

 


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コシコシ・シコシコ桶川うどんを食べる旅

 

昨日は埼玉の桶川を旅して、お昼にうどんを2杯食べた。

埼玉県は香川県に次いでうどんの生産量全国第2位。

そばを合せてめんの生産量としては堂々1位となる。

ついでにうどんの原料となる小麦の生産高も第9位で、

関東では群馬に次ぐ「麦どころ」だ。

土地や気象条件が麦づくりに適しているらしい。

 

ただ、讃岐うどんと違って、

「埼玉うどん」というのは存在しない。

定型がなく、これぞ!という特徴に欠けている。

要はブランディングできていないのだ。

香川=讃岐とちがって、

江戸時代から今日まで、首都圏の台所として

いろんな農産物の需要があったので、

がんばってうどんを売り込む必要性がなかったからか。

 

その中でも江戸時代の中山道の宿場町

「桶川宿」があったことで

桶川のうどんはその名を広く知られるようになり、

ある程度、ブランド化しているといえるだろう。

 

これも決まったスタイルがなく、

スタイルは店によってまちまち。

共通する特徴としては、

讃岐うどんに勝るとも劣らないコシの強さだ。

まさにコシコシで、シコシコ感ハンパなく、

噛むのにあごが疲れるくらいだ。

 

今回は2軒ともかけうどんを食べたが、

1軒目は鶏もも肉と昆布をコテコテに煮込んだ

関東系の濃い出し汁。

 

2軒目は讃岐に近い薄めのあっさりした

関西系の出汁で、これも店によっていろいろらしい。

 

また、冷たいうどんを熱いつけ汁につけて食べるのが

桶川流らしく、

2軒目の店ではそのバリエーションが豊富だった。

テーブルに岩塩と黒コショウのミルが置いてあり、

肉系のつけ汁にはこれらを入れて食べるらしい。

うどん屋に塩・胡椒が常備してあるなんて

初めてお目にかかった。

 

いずれの店も中山道沿いにあるが、

片や地元の人のごひいき、

片や外からも食べに来るお客が多いようで、

店の前には行列ができていた。

 

なぜ2杯食べたのか、長くなるので事情の説明は省くが、

結果的に2軒入れてとてもよかった。

桶川には他にもうどんの名店が20店くらいあるというので、

機会があれば食べ比べをしてみても面白い。

 

さて、今日はあなたは何を食べますか?

 

 

 

おりべまこと電子書籍

おふくろの味はハンバーグ

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この機会にぜひご賞味ください。


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週末の懐メロ173:ザ・ウェイ・イット・イズ/ブルース・ホーズビー&ザ・レンジ

 

1986年リリース。

お気楽ポップ、エンタメロックが多数輩出され、

音楽産業が肥大化した80年代。

そのなかで異彩を放つ、

人種差別問題と真正面から向かい合った

シリアスなテーマの楽曲が

全米ナンバーワンヒットになった。

 

♪1964年、ある法律が成立した

これまで恵まれなかった人々を救うためだ

けれども、ただそれだけのこと

法律は人の心までは変えられない

 

重い歌詞を変幻自在のピアノプレイに乗せて、

歌うホーンズビーは独自の輝きを放っていた。

 

この頃、僕はロンドンで暮らしていたが、

イギリスでも大ヒットしており、

今でも最も印象深い曲の一つになってる。

そしてこの歌で描かれた社会状況も

40年近く経っても変わらない。

いや、階級社会の進行でますます悪くなっている。

 

90年代以降、数々のヒップホップアーティストに

カバーされ、サンプリングされ続けており、

最近では2020年、ポロGが2020年の

「Wishing for a Hero」で使っている。

 

それとともにこの曲とホーンズビーの活動にも

新たなスポットが当たっている。

 

https://www.youtube.com/watch?v=14AYq_rBJUg

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「おふくろの味はハンバーグ」無料キャンペーン

 

無料キャンペーン 本日よりスタート!

2月9日(金)17時~12日(月・祝)16時59分 

4日間限定

読めば食欲がわき、元気が出る面白エッセイ集。

いっぺん食ってみたってちょ。

 

もくじ

・トノサマラーメンと名古屋インスタントラーメン戦国史

・オバマのタカハシさんちの娘は人魚の肉を喰った

・「みんなが作ってる カエルのから揚げレシピ」の衝撃

・なぜ日本にカエル食が定着しなかったのか?

・昭和最強のおやつ ベビーラーメン

・さらば、おれの牛丼

・どうだ、銅だ、ブドウだ

・ヒトとブタは神目線ではブラザーなのか?

・マイナビ農業 ハラール認証

・飲食業の現場で働く人たちの意欲・生きる元気

・新宿にパステルが帰って来た

・がっちりアメリケンなハンバーガーとアップルパイ

・誕生日のドラえもんとウサギ

・なぜ付け合わせのポテトサラダがおいしい店は

   信用できるのか?

・チャットGPTに訊く:ロンドンに日本食の店を出すなら

・美野原御膳と日本の里山

・吉祥寺にやってきたクレヨンハウス

・カエルの幸福サラダ

・一汁三菜はより良き食卓・家庭・人生の秘訣

・五右衛門の湯豆腐と空海の鴨カツ丼

・おふくろの味はハンバーグ

・みんなのハンバーグ  

全22編載録

 


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女を舐めるべからず

 

能登地震の報道がひと段落すると、

テレビもネットもまた毎日のように

芸能人やスポーツ選手の女性問題報道。

僕はそういうことに関心が薄く、

首を突っ込んであれこれ調べている時間はないので

詳しいことはわからない。

 

ただ、こんな僕でも言えることは、

訴えられた彼らが女を舐めていたことは確か。

本当に性加害者なのかどうかはともかく、

むしろ被害者だとしても、

いわば昭和までの男尊女卑思想や

女性に対する甘えがあったからこそ、

罠に掛かってしまったのではないか。

 

令和の世の中、女が以前とは比べ物にならないくらい

社会的な力を持ち、賢くなっていることは、

すべての男が肝に銘じておいたほうがいい。

訴える女も、協力する週刊誌も、どう転んだって

得するように損得勘定を立てている。

そういうビジネスモデルが出来上がっているのだ。

 

YouTuberやネット上で発信している人たちも

その問題を取り上げればアクセス数がバク上がりするので

正義面・評論家面して言いたい放題、やりたい本題。

カモにされる男の芸能人やスポーツ選手は

これからも続々と現れそうだ。

 

「女遊びは芸の肥やし」という言葉が

まだ生きているのかどうかは知らないが、

芸能人やミュージシャンなどはまだいい。

たとえ活動休止に追い込まれても

いずれプラスに働く場合もあるし、復活の目もある。

 

けれどもスポーツ選手はダメだ。

裁判の期間が長いのに対し、アスリートの寿命は短い。

たとえ無罪が証明できたとしても、

訴訟を起こされスキャンダルの嵐が吹き荒れた

数か月・数年の間に

最も活躍できる旬の時期が過ぎてしまう。

 

「あいつを潰してやろう」という陰謀が企てられ、

ハニートラップを仕掛けてくる奴らがいないとも限らない。

トップアスリートを目指す選手は

恋愛など望まず、そこらの女に目をくれず、

商売と割りきっている女(でも絶対安全とは言い切れない)

とだけ付き合った方がいい。

言ってみれば一流スポーツ選手は恋愛御法度。

するなら選手生命と引き換えにするぐらいの覚悟がないと。

 

平成生まれの若い連中がそうなってしまうのは、

やはり男尊女卑や女性に甘えていた

先輩や父親・家族の影響だろう。

その辺は指導者もフォローしたほうがいい。

 

僕も東京に出てくるときに父に言われた。

「女にはよくよく気を付けろ」と。

若い時にそういうことがあったのだろうか?

亡くなっているのでもう確認できないが、

彼の忠告が効いて、

ここまでそうひどい目にはあっていない。

たんにモテないし、女が怖いだけだけど。

 

 

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2月9日(金)17:00~

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読めば食欲がわき元気が出る面白エッセイ。

ブログでトノサマラーメン、カエルのから揚げ、

ChatGPTに訊いたロンドンの日本食なども載録。

 

もくじ

・トノサマラーメンと名古屋インスタントラーメン戦国史

・オバマのタカハシさんちの娘は人魚の肉を喰った

・「みんなが作ってる カエルのから揚げレシピ」の衝撃

・なぜ日本にカエル食が定着しなかったのか?

・昭和最強のおやつ ベビーラーメン

・さらば、おれの牛丼

・どうだ、銅だ、ブドウだ

・ヒトとブタは神目線ではブラザーなのか?

・マイナビ農業 ハラール認証

・飲食業の現場で働く人たちの意欲・生きる元気

・新宿にパステルが帰って来た

・がっちりアメリケンなハンバーガーとアップルパイ

・誕生日のドラえもんとウサギ

・なぜ付け合わせのポテトサラダがおいしい店は信用できるのか?

・チャットGPTに訊く:ロンドンに日本食の店を出すなら

・美野原御膳と日本の里山

・吉祥寺にやってきたクレヨンハウス

・カエルの幸福サラダ

・一汁三菜はより良き食卓・家庭・人生の秘訣

・五右衛門の湯豆腐と空海の鴨カツ丼

・おふくろの味はハンバーグ

 

・みんなのハンバーグ

 

 


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郷竜小説「6万6千万年前の夢を見て死ね」 パート3.ジャパニーズネッシー捜索隊 その③

 

 

 一方、みずからジャパニーズネッシー捜索隊の総指揮官に就任した国会議員は、隊を北と南、二班に分けて、北海道の屈斜路湖、鹿児島県の池田湖から捜索をスタート。政府公認の研究施設や大学の生物学研究所などから選ばれたスタッフがそれぞれ8名ずつ派遣され、現地調査を行った。マスコミも大挙して押し寄せて大騒ぎをしていたが、こちらもナッシー捜索の子どもたち同様、待てど暮らせどクッシーもイッシ―も現れないので、数日するうちに飽きてきた。

 

 それからしばらく後、とある大臣のスキャンダルが発覚し、政府がマスコミの糾弾を受け、野党が色めき立つと、ジャパニーズネッシー捜索隊もそのとばっちりを受けて国会でやり玉に挙げられた。

 いったいあの予算はどこから出ているのか?

 国会議員がろくに仕事もしないで、あんなろくでもないことに現を向かしていいのか?

 そもそもあの活動が社会的・経済的にどんな意味・どんなメリットがあるのか? など云々。

 当の作家議員は抗弁するのに窮してトーンダウンし、何も見つからないまま捜索は打ち切られることになった。結局、ジャパニーズネッシー捜索隊は奈々湖には来ずじまいだったのだ。

 

 村長はマスコミの取材に応じてコメントを残した。

 「まことに残念です。ちゃんと捜索すれば、必ずや世紀の大発見になったのに。ナッシーは間違いなかったのですから」

 そのコメントはちゃんとそのまま新聞や雑誌に載ったが、それだけだった。そこから何か新しい活動が展開されることはまったくなかった。そして、そんな騒ぎがあったことも遠い昔ばなしになった。いまやこの湖にナッシーの伝説があったことを知っている人さえ少なくなっている。

 しかし、世の中には6600万年前に死に絶えた巨大な生き物が、今まだ、この地球上のどこかに生き続けているはずだと信じている人が驚くほど大勢いる。それはもはや願いのようなものだ。

 おれたちにはその願いをかなえるミッションがある。

 

 一彦はまじめな顔をして大善に訴えた。

 大善はうんうんと頷いたものの、いったい東京で何があったのだろう?と訝った。たしかにいっしょに古文書の捜索などもやったが、彼の記憶の中の一彦は頭の良い秀才タイプで、むしろ周囲の子どもたちよりも一般常識をわきまえている男だった。

 中学生になる頃には奈那湖の怪物のことなどすっかり忘れて、勉強と部活のバスケットボールに打ち込んでいた。時々、テレビや雑誌で見たオカルト話で盛り上がることはあったが、それはちょっとしたお楽しみの範疇だった。もうその頃にはみんな、おとなになって社会の常識の中で生きていかなくてはいけないことがわかっていたのだから。

 いったい何が一彦を、いわば逆行させてしまったのか、大善にはわからなかったが、人が大勢来て村が賑わうことはいいことだ。そして正直、大善も時おり湖畔を散歩しては、ああ、本当に怪物が出てきて、また大騒ぎが起こればいいのにと考え、朝夕のお務めで仏に向かって祈念していたのである。

 そしてもう一人、このナッシープロジェクトに参加したいという人物が現れた。その名も菜々子という。

 


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郷竜小説「6万6千万年前の夢を見て死ね」 パート3.ジャパニーズネッシー捜索隊 その②

 

子どもたちが探しまわった古文書は仏像や古地図が所蔵してある部屋にしまわれていた。住職――大善の父は村長からの連絡を受けてそれを取り出しておいた。

 翌日、村長以下、村のお偉方はがん首揃えて麟風寺を訪れ、住職――大善の父に古文書を見せてくれるよう願い入れた。

 住職は彼らを客間に通し、とっておきの黄金に輝く法服を着て出迎えた。そして訴えを聞くとまるで時代劇のように大仰な間を取り、両手を合わせて目をつむった。そして読経を始めた。村長らも慌てて手を合わせ、首を垂れる。

 一分ほどのち、住職は目を開き、傍に法具の上に用意してあった古文書をしずしずと村長らの前に取りだし、一枚ずつ広げて見せた。ミミズがのたくったような黒々とした文字が黄ばんだ和紙にえんえんと書き綴られている。村長らは食い入るような目つきでその文字の列を追っていたが、何が書いてあるのやら、さっぱり読めない。住職はいつにない厳かな口調でそこに書いてあることを解説した。

 そして絵を見せる。どれも子どもの落書きみたいな絵だが、たしかに怪物らしきものが描かれている。

全員が深いため息をつき、客間はしばし沈黙に包まれた。

「これは間違いありませんな」

最初にそう声を発したのは、観光課長の田中だった。

 「他の湖にはこれほどの資料はありますまい。動かぬ証拠です。ナッシーは間違いなく、日本のネッシーの一番手です」

 「けどなぁ」

 そう異議を唱えたのは副村長の山田だった。

 「他のところには写真があるんだよ、写真が。ナッシーにはあるのか?」

 「たしかありますよ、何枚か」

 「なんかコブが水から突き出していたりとか、ぼんやりしてて何だかわからない黒い影が映ってるのしかないだろ。おお、これは恐竜だっていう決定的なやつはないの?」

 「そんなの他のところにだってないですよ。みんな似たり寄ったりだ」

 そこでけんけんがくがくの議論になり、結局、決め手は写真で、古文書はその付属品に過ぎない、という話になった。住職は憤まんやるかたない思いを抱いたが、とにかく村をあげての大事業だから協力すると約束してその場は収まった。

 子どもたちは隣の部屋でふすま越しに耳を澄ませ、この会合の一部始終を聞いていた。胸が湧きたつのを感じた。そして、なんとか自分たちでナッシーの写真を撮ろうと画策し、プロジェクトチームを結成した。

 カメラを持っているのは、タカシとユキヒロだ。他には女子の中にもいるかもしれない。そんなわけでタカシがリーダーとなって学校で募集をかけると、全部で十二人が参加した。

プロジェクトはずんずん進んだ。カメラマンと見張り役二人、三人で一チームとし、学校が終わって夕暮れまでの間、交替で奈々湖を見張ることにした。

 彼らの空想は限りなく広がった。それまでのほほんとした長閑な佇まいだった奈々湖は、急にミステリアスでオカルト感に満ちた、底なしの不気味な湖に見え始めた。

 子どもたちは会議も開いた。たいてい「緊急会議」とか「重要会議」とか「特別会議」とか、ものものしい名前がついていた。そこでは一日二時間くらいでは時間が足りない、という意見が出たが、夏休みになったら一日中見張りをしよう、ということで解決策が決まった。

 しかし、そんな盛り上がりは長くは続かなかった。何日見張っても、奈々湖には何も現れない。ときどき水音がするので何かと思って見ると、水鳥が羽根をバタバタさせているだけだったりした。

 当初、メンバーは皆、「おれたち、すごいことやってる感」がしていたので、そんなちょっとした異変にも色めき立って面白かったがすぐに飽きた。何回か経つうちに退屈になってきて、だんだんサボるチームも出てきた。

 つづく

 

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郷竜小説「6万6千万年前の夢を見て死ね」 パート3.ジャパニーズネッシー捜索隊 その①

 

 ところがそれからしばらく後。村じゅうがひっくり返るような出来事が起こった。

 とある国会議員が「日本のネッシーを捜索する」と言い出し、日本各地のネッシー伝説がある湖に捜索隊を送り込んだからだ。

その国会議員はもともとSF作家で、数々のベストセラー作品を発表して世間を賑わせていた。それと同時に「日本は世界で最も地球の歴史を知っている国」とか、「国土には太古の記憶が幾重にも刻まれている」いう自説を展開し、テレビの討論会などにもちょくちょく出演していた。

 そして、その人気・知名度を使って参議院選挙に立候補したら、しっかり当選してしまったのだ。政治経験はもちろんゼロ。しかし、歯に衣を着せない物言いは庶民にとって痛快に映り、彼は喝采を浴びて政界に迎えられた。

 参議院で何らかの実績を上げたという話は聞かないが、その男がなぜだか恐竜探しをやるというのである。しかし、彼の中では決して荒唐無稽なパフォーマンスではなく、ちゃんと論理だった、国民感情を高揚させるためのストーリーがあった。

 「イギリスのごとき老大国の一地方であるスコットランドの田舎がネッシーだけで盛り上がり、年間で世界中から相当数の観光客が訪れるという。わが国にも列島各地の湖に恐竜が生息している可能性があるのだから発掘し、エコノミックアニマルではない、夢とロマンにあふれた日本国を世界にアピールすべきである」

 折も折、日本は高度経済成長によって世界有数の豊かな国になりつつあった。円は高騰し、他国の通貨を圧倒する勢いは当分衰えそうにない。カネのことしか考えない成金国家の台頭に、二〇世紀の世界をリードしてきた欧米諸国は苦々しい思いを抱いている。これらの国の各地では日本製品排斥のデモが起こるなど、貿易摩擦も深刻化しており、政府もほったらかしておくわけにはいかなくなった。

 そんな時に出された彼のアイデアは、そうした摩擦・軋轢を緩和する潤滑油のようなはたらきができるのではないかと期待されたらしい。それにもちろん観光客が増え、観光収入のアップも目論まれていたのだろう。

 あくまでも噂だが、裏では当時の首相も絡んでいたようで、排斥運動を受けた複数の企業がスポンサーとなってこのプロジェクトを動かすことになったという。

 その作家議員が公開したリストには、北海道・屈斜路湖のクッシー、山梨県・本栖湖のモッシー、鹿児島県・池田湖のイッシ―などの有名どころに連なって、最後に奈々湖のナッシーの名も挙がっていた。

 今まで日本中の誰も聞いたことがなかった村の名前は、この時から突然、全国区になった。このニュースに村人たちが沸き返ったのは言うまでもない。

 

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週末の懐メロ172:追憶/バーブラ・ストライサンド

 

1973年、ロバート・レッドフォードと

バーブラ・ストライサンド主演の

恋愛映画「追憶」のテーマ。

 

ラストシーン、ニューヨークの街角で偶然出会った

元恋人の二人がちょっとした言葉を交わし、

互いに背を向けてそのままさらっと別れていく。

しかし、バックにこの歌が流れ、

心のなかに切ない思いがあふれ出す。

 

初めて観た時、まだ子どもだったので、

その切なさ・悲しみを抑えたさらっと感が

ものすごく大人びていてカッコよくて憧れた。

自分もいつかこんな恋愛をするのだろうと思っていた。

しかしまぁ、もちろん現実は映画のようにいかない。

何ともお恥ずかしい限りだが、

この齢になるとそれも笑い話。

 

映画の内容についてはラストシーン以外、

さっぱり覚えていないが、

この歌は一生心の中に残ると思う。

 

ものすごく久しぶりに聴いたが、

イントロのピアノとハミング、

そしてハミングから歌に移っていくところは心底しびれる。

 

女優としてもそうだが、1970年代の終わりごろ、

歌手としてのストライサンドは絶頂に達した。

アメリカにおける彼女のレコードセールスは

プレスリー、ビートルズに次ぐほどだったという。

女性歌手としてはもちろんナンバー1である。

 

そういえばビー・ジーズのバリー・ギブがプロデュースした

「ギルティ」(1980年)を僕も持っていた。

これは彼女の最大のヒットアルバムだったらしい。

 

長らく名前を聞かなかったので、

僕にとっては過去形の名女優・歌手だったが、

調べてみると、アメリカではその後も

ずっと変わらずに活躍していて、

レジェンドとして君臨しているようだ。

ただ、来日公演は一度も行っていない。

 

80歳を超えるバーブラ・ストライサンドは

この「追憶」の頃、31歳。

「30以上は信じるな」とみんなで叫んでいた時代、

僕をはじめとして、その頃の若者の多くは

30前後で人生はいったん終わるのだと

信じていたような気がする。

 

けれども僕はその30歳をもう2回やってしまった。

その上でこの曲を聴くと、

記憶がいろいろな時代をさまよって

あの頃が遠い昔のことなのか、

つい昨日のことなのか、わからなくなってくる。

どちらでもいい。今、こうして生きて歌を聴けるなら。

 

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逃亡者の死の価値

 

50年間逃亡生活を送った桐島聡容疑者

(正確には同容疑者とみられる男)が

死亡したというニュースに

ネット上では大勢の人たちが感想・コメントを寄せている。

 

人生とは何か、よりよい生き方とは何か、

取り返しのつかない失敗をしでかしてしまった時、

人はどうすればいいのか?

そうしたことを大勢の人に考えさせた、

語らせたという点については

桐島容疑者の50年間にも価値があったのでは、

と思わせるほどだ。

 

半世紀の間、街の交番の前で晒され続けたのだから、

彼の顔を知っている人は世代を超えて多岐にわたる。

おそらく現在の成人の8割以上は

あの顔を知っているだろう。

 

数ある指名手配犯のなかでも

桐島容疑者の写真は異質だった。

他の容疑者がいかにも悪党面で写っているのに比べて、

彼だけがいい人っぽく笑っている。

20歳前後の若者で長髪で黒ぶちメガネ。

60~70年代、フォークやロックのコンサートに

必ずこういうタイプの若者がいたなかと、

なんだか青春を感じさせる。

親近感とまではいかないが悪い奴には見えない。

 

50年前は学生運動が終焉した後の火の粉が

当時の若者たちの頭上にまだ少しは舞っていた時代だった。

彼はかの組織の思想に

深く染まっていたわけではないだろう。

 

活動に参加して事件に関わってしまったのは、

今で言えば、オタクの若者がマンガやアニメやアイドルに

のめり込んだのとさして変わらない気がする。

要するにノリである。

たんに青臭い正義感にかぶれ、妄想を見ていただけなのだ。

 

しかし、彼は活動に参加して一線を越え、

大事件に関わってしまった。

ちょっとオウム真理教の信者に似ている。

 

逃亡生活を始めた時はまだ若かったから

「逃げ切ってやる」と野心を燃やしていたに違いない。

リアルゲームのプレイヤーになったような

高揚感・緊張感もあったのだろう。

 

しかし、時間の流れは容赦なく、

逃亡生活自体が彼の心も体も蝕んでいった。

彼は捕まらず、牢獄に入れられることもなかったが、

その代り、身分証も住民票もなく、

保険も入れず銀行口座も作れず、

ろくに人と関われず、その日暮らしの連続で、

いつか発見されるのではないかと絶えず怯え、

年齢と共に当初の野心も夢も希望もボロボロになっていく。

 

その心の有様は、娑婆にいても

終身刑を受けていたのと変わりなかったのではないか。

なぜどこかで考えを変えて、自首できなかったのか?

40になり、50になり、

もう今からでは遅すぎると思ったのか?

 

少なくとも1年前、ガンが発覚した時に出ていこう

という気にならなかったのか?

逃げ続けた意地があったのか、

それとも病身で治療も受けられない状態になって、

自業自得だからこの懲罰を引き受けようと考えたのか?

 

結局、彼は若い頃に心に決めたことをやり遂げた。

死ぬまで逃げきったのだ。

けれどもそれは勝利だろうか? 成功だろうか?

警察を相手に、社会を相手に

「どうだ、ざまあみろ」と笑えただろうか?

 

本当のことは本人にしかわからないが、

勝利と思うには、あまりに哀れで寂しい最期に見える。

死ぬ前に「本名に戻りたかった」

「自分に還りたかった」と素性を明かしたのは、

心の底からの本音に違いない。

自分を偽り続けることこそ最も不幸な生き方。

きっと多くの人がそう思ったのではないかと思う。

 

あの事件で被害を受けた人にはとても申しわけないが、

僕は少し桐島容疑者に同情し、

彼の心の変遷を考えずにはいられなくなっている。

 

 

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「進撃の巨人」の「食べる」

 

今さらだけど「進撃の巨人」のアニメを

アマプラで見ている。

評判は聞いていたが、巨人が人間を食うシーンが怖くて

気持ち悪くて、これまで見ていなかった。

しかし今年になって、意を決して(?)見出したら

めっちゃ面白くてドハマリ。

正月からこの1カ月ほどで、

ほぼ一気見ペースで見まくっている。

 

それにしても想像以上に残酷シーンが多い。

巨人が人間を食う、巨人が巨人を食う。

人食いシーンのてんこ盛りである。

感想的なものは全部見終わってから書こうと思うが、

一つだけ先に言うと、

この作品において「食べる」という行為は、

三つの意味を持っているように見受けられる。

 

一つは殺戮・戦争のオマージュ。

巨人は強大な力を持って襲ってくる。

心を持たない兵器・軍隊のように見える。

 

一つは本能だけで食欲の塊である赤ん坊や子供の暗喩。

知性を持たない、ただ人を食うだけの巨人は

「無垢の巨人」と呼ばれ、

姿形も動きも本能のまま、

無邪気に食物に向かう子供のように描かれる。

 

そしてもう一つは、

相手の能力を取り込む行為としての「食べる」。

 

最近は人種差別につながるからか、あまり聞かないが、

僕が子どもの頃には少年雑誌・マンガ誌などに

よく人食い人種の話が載っていた。

今でもそういう習慣を残している種族がいると思うが、

彼らが人を食うのは、

自分にはない敵の能力を取り入れるという意味があり、

一種の宗教的・呪術的な行為であったようだ。

 

この作品では能力にプラス相手の持つ記憶も

取り込めることになっており、

それがストーリーの大きな鍵になっている。

 

僕たちもしばしば

「食べたものが自分になる」ということを言う。

ふだんあまり意識しないが考えてみえば、

かなり恐ろしい思想・イメージだ。

 

太古の人類は地球上のどこでも、

それぞれの種族同士で殺し合い・食い合いをやっていた。

そして殺した敵の(時には仲間の)

人間を食うということは、他のどの動植物よりも優れた

最高の栄養を取り入れることだった。

と、科学的にどうかはともかく、そう信じられていた。

なので、少なくとも精神的には強力な栄養になった。

そうした栄養によって進化してきたのがホモサピエンスだ。

 

おそらく僕たちの脳のどこかには

そうした太古のホモサピの記憶が残っているのだと思う。

この先、より科学が発達し、社会が発展し、

ライフスタイルが洗練されても、

こうした原初の感覚は残り続けるのではないかと思う。

 

というわけで「進撃の巨人」は

すさまじいイメージが渦巻く物語であり、

とても優れた人間ドラマであり、

テーマもストーリー展開も素晴らしい作品である。

残酷シーンが大丈夫な人には、ぜひ見て欲しいと思う。

 

というわけでまだ最後まで辿り着いていないので、

この話はまたこんどするが、

日本のアニメのクオリティはやっぱりすごい。世界一。

 

 

おりべまこと電子書籍新刊

エッセイ集:食べる3

おふくろの味はハンバー

AmazonKindleより好評発売中

 


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おふくろの味はハンバーグ  本日発売!

 

どんな夢も、どんな未来も、めしを食わなきゃ始まらない。

食べることは明日へ向かって生きること。

どんなに悲しんだり、落ち込んだり、深刻に悩んだり、

もう死にたいと思っていても、人は腹が減ればめしを食う。

めしを食えるうちは絶対に死にません。

食べていると、生きる意欲がモリモリ湧き出します。

「明日もがんばるぞ。さあ、今日は何を食おう?」 

そうして食っためしが、あなたの、私の、

血となり肉となり心になっていく。

読めば食欲がわき、元気が出る面白エッセイ。

どうぞご賞味あれ。

 

もくじ

・トノサマラーメンと名古屋インスタントラーメン戦国史

・オバマのタカハシさんちの娘は人魚の肉を喰った

・「みんなが作ってる カエルのから揚げレシピ」の衝撃

・なぜ日本にカエル食が定着しなかったのか?

・昭和最強のおやつ ベビーラーメン

・さらば、おれの牛丼

・どうだ、銅だ、ブドウだ

・ヒトとブタは神目線ではブラザーなのか?

・マイナビ農業 ハラール認証

・飲食業の現場で働く人たちの意欲・生きる元気

・新宿にパステルが帰って来た

・がっちりアメリケンなハンバーガーとアップルパイ

・誕生日のドラえもんとウサギ

・なぜ付け合わせのポテトサラダがおいしい店は信用できるのか?

・チャットGPTに訊く:ロンドンに日本食の店を出すなら

・美野原御膳と日本の里山

・吉祥寺にやってきたクレヨンハウス

・カエルの幸福サラダ

・一汁三菜はより良き食卓・家庭・人生の秘訣

・五右衛門の湯豆腐と空海の鴨カツ丼

・おふくろの味はハンバーグ

 

・みんなのハンバーグ

全22編 載録

 


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新刊「おふくろの味はハンバーグ」明日発売

 

どんな夢も、どんな未来も、めしを食わなきゃ始まらない。

食べることは明日へ向かって生きること。

 

「明日もがんばるぞ。さあ、今日は何を食おう?」 

そうして食っためしが、あなたの、私の、

血となり肉となり心になっていく。

読めば食欲がわき、元気が出る面白エッセイ。

どうぞご賞味ください。

もくじ

・トノサマラーメンと名古屋インスタントラーメン戦国史

・オバマのタカハシさんちの娘は人魚の肉を喰った

・「みんなが作ってる カエルのから揚げレシピ」の衝撃

・なぜ日本にカエル食が定着しなかったのか?

・昭和最強のおやつ ベビーラーメン

・さらば、おれの牛丼

・チャットGPTに訊く:ロンドンに日本食の店を出すなら

・おふくろの味はハンバーグ

ほか22編載録

 

エッセイ集:食べる3

おりべまこと電子書籍新刊

おふくろの味はハンバーグ

 

AmazonKindleより明日1/29(月)発売。

 


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おりべまことKindle本新刊予告「おふくろの味はハンバーグ」

 

おりべまことKindle本新刊予告

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「おふくろの味はハンバーグ」

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ChatGPTに訊くロンドン日本食なども載録。全22編。

1月29日(月)発売予定です。

 


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週末の懐メロ171:僕たちの家/クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング

 

僕は暖炉に火をくべ、きみは花瓶に花を挿す———

と歌う「僕たちの家」は1970年リリース、

CSNY(クロスビー・スティルㇲ・ナッシュ&ヤング)の

名盤「デジャ・ヴュ」からシングルカットされたヒット曲。

 

歌っているのは何気ない日常のひと時。

好きな人と同じ家でいっしょに暮らしている喜び・幸福。

 

名盤とか名曲とか音楽史的価値とか、

どれだけ売れたとか、

CSNYがいかに偉大なバンドだったか、

そんなことはどうでもよくて、

いま聴いても思わず口ずさみたくなる

楽しくて、やさしい歌だ。

 

むかしは恋人でも、夫婦でも、友だちでも、親子でも、

好きな人といっしょにいれば、

ただそれだけで楽しかったのに。

そう思うことはありませんか?

 

人間、齢を取るごとに、

好きな人といっしょにいるだけでは足らなくなり、

いろいろなものが欲しくなり、

約束された未来を手に入れたくなる。

そして、欲しいものが手に入らないと、

好きだったはずの人も好きでなくなってしまう。

 

欲しいものを手に入れようとがんばるから

人間は成長・進化するのだ。

そう言うかもしれないが、

それは実は成長でも進化でもなく、

人間がねじ曲がる変化・変貌ではないか。

 

人生はメルヘンではないけど、

たまにはこんな懐メロを口ずさみ、

単純に幸福だった時代、

楽しく暮らしていた時代を思い出してもいいかもね。

 

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音楽エッセイ集「週末の懐メロ」第1~4巻

Amazon Kindleより発売中。各300円。

 


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今夜もニャゾのねこちゃーはん

 

ネットで「ねこちゃーはん」と入れて検索すると、

なぜかチャーハンが好きそうなネコがいっぱい出てくる。

これは僕の知らなかった世界だ。

 

ネコってチャーハン好きなの?

食えるの?

食わせていいの?

疑問が頭のなかをぐるぐる渦を巻いたが、

ひと昔前、「ねこまんま」がネコの定番食(?)だったので、

チャーハンもありかもしれない。

 

さらに驚いたことには、

アマプラに「ネコチャーハン」という映画が入っていた。

下町の中華料理の名店を舞台にした

ファンタジー&ヒューマンドラマ(?)。

 

この映画でもネコが中華料理屋のおやじに

毎日チャーハンをもらって食っている。

そのネコがこの店の後継ぎの息子のために

美女に変身(ネコ娘か?)となって現れ、

ベッドも共にして彼を献身的に応援するという、

いわば「ネコの恩返し」みたいな話。

レビューめいたことは書かないので、

興味があったらご覧ください。1時間ちょっとです。

 

おかげですっかりネコは、チャオちゅーるとおなじくらい

チャーハンが好きなのではないかと思い込んでしまったが、

「いやいや、かつおぶし入りじゃないんです」と、

「ねこちゃーはん はじめました」の店から顔を出した

お兄ちゃんからは真っ向から否定した。

え???

あんまり料理人らしくなく、

ノマドワーカーか、クリエイターといった風情だ。

 

彼は言うには

「ネコの顔をデコったチャーハンのことなんです」

つまり、映えを狙って作ったチャーハンらしい。

最初、「ねこちゃーはん」で検索しても出てこなかったが、

あわせて「浜田山」と入れるとやっと出てきた。

 

この店、昨年6月にオープンしたとのことで、

店主はかつて下北沢で雑貨店をやっていたらしい。

それで今回はお酒やコーヒー等を飲みながら、

お腹も満たせるようにと飲食店を始めたという。

 

名刺をもらったが、もしや1枚1枚手書き?という感じ。

あんまり商売っ気もなさそうだし、ヒマそうだが、

夜のお酒が飲める時間などは繁盛しているのだろうか?

 

ニャゾがニャゾを呼ぶねこちゃーはん。

来週あたり、ちょっと食べに行ってみたくなった。

しばらく間をおくが、次なる第3回をお楽しみに。

 

 

こちらもお楽しみに!

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ニャゾのねこちゃーはん

 

昨年のいつ頃だったか、浜田山駅近くの店で

「ねこちゃーはん はじめました」

という謎の看板を見掛け、

「ねこちゃーはん」ってニャンだろう?

と思っていた。

 

ネコカフェ?

それともネコを連れて入れるお店?

それにしては飲食店らしくないニャー。

 

まさかペットのネコに

チャーハンを喰わせるわけでもあるミャーと思って、

勝手にかつおぶしを入れたチャーハンのことニャのだと断定。

 

ニャらばわざわざ食いに行くこともあるまいと、

家で作ってみたニャン。

以下、レシピ。

 

★材料:昨日の残りの冷ご飯、卵、ねぎ、にんじん、レタス、しいたけ、ちくわ、かつおぶし

 

★調味料:しお、こしょう、しょうゆ、ナンプラー、ごま油、酒

 

(量は人数とみんなの腹の減り具合に合わせて適当に。

それぞれ多くても少なくても大失敗することはありません)

 

作り方:

熱した鉄鍋もしくはフライパンにごま油を入れ、溶き卵をいれてゆるめに焼く。

20~30秒で十分。とろっと状態になったら即取り出す。

ご飯をガバッと鉄鍋もしくはフライパンに入れて、

お酒をちょっとかけつつ、ほぐしながら炒める。

 

適当に切った野菜をガバッと入れる。

ネギは必須。後は好みで適当にだが、

しいたけはあると味がよくなる。

レタスは以前よく行ってた中華に

「レタスチャーハン」というメニューがあり、

割と合うので、冷蔵庫にあればいつも入れる。

 

タンパク系の具を入れる。

焼き豚でもベーコンでもいいが「ねこちゃーはん」なので

魚系にしてみた。これも好みで。

あとは適当に火が通るまでごはんと具を炒める。

 

だいたい火が通ったら、取り出しておいた卵を入れて

ぐちゃぐちゃ混ぜる。

そして、調味料を適当にぶち込む。

ナンプラーはお好みで。

仕上げにかつおぶしを入れてまぜまぜする。

 

盛り付けて紅ショーガを添え、

ねこちゃーはんらしく、

上からかつおぶしをパラパラかけて出来上がりダニャ。

 

「これぞねこちゃーはん」と、おいしく食べた。

ところが!

この後、たまたま駅の方に用事があったので

あの店の前を通ったら、衝撃の事実が判明。

僕が作ったねこちゃーはんは、

あの店のねこちゃーはんとは違っていた。

はたして、浜田山のねこちゃーはんの正体とは?

 

明日へつづくニャンコロリン

 

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第3集「殿様ラーメンと母ハンバーグ」近日発売予定

 


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親の介護は5年で卒業(というマイルール)

 

子育てには卒業があるが、親の介護に卒業はない。

強いていえば、親が亡くなり看取ることか。

 

でも、あえて卒業を設けるべきではないかという気がする。

今の生活を始めて今年6月で5年になるが、

5年やったら、卒業資格を得てももいい。

誰もそんなことは言ってないし、認めてもくれないが、

これは自分(とカミさん)で決めた。

 

義母は先週、89歳になった。

90歳まであと1年。

体はまだまだ元気なので時々忘れてしまうが、

彼女は認知症という病気持ちである。

 

気になることはいくつかある。

まず、幻視・幻聴が増えていること。

今年になってから、

昨年の誕生日プレゼントにあげたネコちゃんと、

京都のお土産のお地蔵さん人形を返しに来た。

「話が合わない」とか

「部屋のなかにいてほしくない」といった理由を言う。

 

「どうせ次の日には忘れているよ」と

カミさんと示し合わせ、散歩に出ている時とか、

デイサービスに行って留守の時などに

部屋に戻しておくのだが、やっぱり何度も持ってくる。

 

そんなことが3回ほどあったので、

これは本気(?)だと思い、

しかたなく引き取ることにした。

 

そういえば、現実の世界でも

ネコやお地蔵さんは避けていたことを思い出した。

ちょっと怖いのかもしれない。

 

前にも書いたが、

義母は母譲りの霊能力らしきものを持っており、

それをずっと封印して生きてきた人である。

認知症になったことでその能力が徐々に解放され、

見えない世界と交流ができるようになり始めているらしい。

 

ちょっと冗談めかしてい書いているが、

認知症の症例を見ると、

幻視・幻聴で錯乱状態に陥ることが結構あるという。

 

今はまだ笑って受け止めらるレベルだが、

この1年くらいでこうしたことがかなり増えたので

エスカレートしないとも限らない。

 

そのほか、月に一度くらいの割でブラック化し、

普段とはまったく違うダークサイドを

垣間見せることもある。

老人はか弱き者というイメージがあるが、

認知症患者は脳のリミッターが働かず、

すごい力を出すこともあるらしい。

 

僕たちに肉体的・精神的なダメージを与えることがあれば、

即刻離れるべきだとも思っている。

 

多くの場合、施設に入れるのは別れを意味している。

僕が知る限り、住み慣れた家から施設に移った

老親の寿命はけっして長くない。

 

理由はたぶん二つ。

環境が変わって心も体も拒否反応を起こす。

そして面倒を見るのに限界があり、自由が奪われる。

 

ただ20年・30年前より、高齢者施設は各段に

良い環境になっており、面倒見もよくなっている。

けれどもスタッフは家族でも親友でもない。

(ごくまれに親友になるケースもあるかもしれない)

それほど献身的なケアをお願いするわけにはいかない。

 

そんなわけで親を施設などに移すのは罪悪感が伴う。

無責任に非難する人もいるだろう。

いま、二人でがんばっているのは、

「ここまでよくやった」という自己満足を得るためだ。

そして罪悪感を抱くことなく、

後悔を残すことなく、介護から卒業して、

新しい人生を歩みたいからだ。

 

だから5年で卒業資格。

その家族によって事情が違うので、

どのケースにも当てはめられるわけではないが、

限界ぎりぎりまで頑張って

自分の人生をつぶしてしまうべきではない。

もちろん、うちも義母が現状を維持でき、

変わらず楽しく暮らしていけるなら、

1年ずつ更新していく。

そうしたルールでやっていきたいと思っている。

 

 

 

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誕生日は誰にでも平等にある祝福の日

 

今日は誕生日だったが、

カミさんも義母もこの10日内が誕生日なので

今年は合同でパステルプリンケーキ。

年齢は3人合わせると軽く200を超えてしまうので、

ローソクはひとり1本で3本だけ。

 

今、オンラインの「となりのヤングジャンプ」で

「ゴールデンカムイ」を通読しているが、

ダークキャラの尾形が腹違いの弟に

「兄様は祝福されて生まれてきた子どもです」

と言われるシーンが泣ける。

主人公・杉元の

「どう生まれたかより、どう生きるかだろ!」もいい。

 

人は皆、誰かに祝福されてこの世に生まれてくる。

世界中の誰にでも平等にある祝福の日。

誕生日はそのことを思い出す日。

何よりも自分を大切にする日。

そして、どう生きるかを考える日。

いくつになっても恥ずかしがらずにお祝いしよう。

 

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「今はまだ地球がふるさと」を最後まで書き上げた。

まだ書き直しをするけど、とりあえず乾杯。

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お正月を食い尽くす「二十日正月」

 

世の中、すっかり受験モード、バレンタインモードに

移行しているけど、

本日1月20日は二十日(はつか)正月。

お正月の祝い納めをして、

正月の残り物を食べ尽くす日だそうな。

 

ウィキを見ると、

二十日正月とは日本の行事で、新年の季語でもある。

この日は正月の納めの日、または仕事始めの日とされる。

 

ってことは昨日まで正月休みだったってこと?

子どもの頃、母から

「三が日を過ぎたら正月はもう終わりだよ」

と言われてひどく寂しくなって、

1月いっぱいずっと正月ならいいのになぁ、

と思った覚えがある。

なので還暦を超え、64の誕生日を目の前にした今、

二十日正月というものがあるのにはちょっと感動した。

 

地域により、その風習に因んで、骨正月・頭正月・

団子正月・麦正月・乞食正月・奴正月・灸正月・

とろろ正月・はったい正月などとも言われるそうだ。

日本の風習、日本語のカラフルな世界もめっちゃ面白い。

 

さて現実を見ると、さすがに冬とは言え、

そして冷蔵・冷凍技術も発達した現代とは言え、

20日以上も前に用意したものは

やっぱりそろそろ食べきらないとヤバイと思う。

 

年明け以降、あまったおせち料理も

ネット通販で叩き売りされていたけど、

さすがにもうお終いだろうか?

 

毎年この時期に安くなったおせち料理を頼んで

食べている人がけっこういるらしい。

 

おいしいもの・年に一度のレアなものを

安く食べたいという人に

ケチをつけるつもりはないが、

これもまた面白いなと思う。

日本の食の風景は本当に豊かで懐が深い。

 

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週末の懐メロ170:ラヴィン・ユー/ミニー・リパートン

 

ここで毎週紹介している懐メロは、

たいていどれも記憶に残る出会いがあるのだが、

この曲だけはいつ・どのように出会ったのか、

ラジオで聴いたのか、テレビで見たのか、

コマーシャルだったのか、街のどこかで流れていたのか、

「ラヴィン・ユー」は10代後半の頃から

いつの間にか耳に住み着いていたという感じの曲だ。

 

ラブソングのプロフェッショナルなら

誰でも一度は歌ってみたいと思うような

美しい旋律の純粋なラブバラード。

それに自分の個性に合わせて

アレンジの自由度が高いこともあり、

世代を超えて、世界中でカヴァーは数限りないが、

オリジナルは1975年のミニー・リパートン。

 

彼女は黒人のシンガーだが、

歌はブルージーでもソウルフルでもない。

黒人だからと、そうした歌い方を求められることに

反感を覚えていたという。

 

もともとはオペラ歌手志望だったが、

ポップミュージックの世界へ。

既に大スターだったスティービー・ワンダーの

バックヴォーカルを務めたことで

メジャーなミュージシャンとしての道が開けた。

 

ワンダーはプロデューサーとして、

驚異の5オクターブの声域を持つ

彼女の歌唱の魅力を開花させた。

初のソロアルバムにつけた名前は

「パーフェクト・エンジェル」だ。

 

彼女自身は僕がまだ10代だった1979年に、

31歳の若さでこの世を去っている。

けれども子供の誕生を祝って夫と作ったという

「ラヴィン・ユー」はおそらくいつの時代も、

ほとんどの人が愛さずにはいられない

普遍的な名曲として、

この先も永く生き続けるのではないかと思う。

 


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郷竜小説「6600万年前の夢を見て死ね」 ★パート2「麟風寺の遺産」②

パート2.麟風寺の遺産②

 

奈々湖に何か得体のしれない化け物が住んでいる——

少なくとも昭和のどこかまでは、

そんな伝説が村には流布していた。

 

その伝説の源は麟風寺だった。

660年の歴史がある寺だ。

所蔵されている古文書には、

室町時代から江戸時代にかけて、

どのようにこの村が出来上がったのかという記録とともに、

何年かに一度、奈々湖に現れるとされる怪物の目撃談が

いくつも残されていた。

 

その中にはその怪物の絵が添えられたものまであった。

巨大なワニとか、オドロドロしい魚とか、

エビの化け物のようなものまで、

いろいろバラエティに富んでいる。

 

とにかく何か得体の知れない生き物がいることは間違いない。

村の年寄りたちは一彦や大善の両親の世代に

そんな話をよく語り聴かせたようだ。

 

昭和の半ばあたりまで、

こんな山間の村にはろくに娯楽がなかった。

それは一種の夜伽話として代々、

村の子どもたちを楽しませていたのかもしれない。

 

「バカバカしい」

一彦はすでに亡くなった父の言葉を思い浮かべた。

「非科学的にもほどがある。

あの湖にそんな大きな生き物なんかいるわけねえ。

ちょっと考えればわかることだ。

ホントに田舎者はこれだから困る」

 

父はいつもそう言っていた。

近郊の少しばかり大きな街の、

世間に少しは名の知れた会社に勤める

サラリーマンだった父は、

自分はこの村のやつらとは違う、

という自負があったのだろう。

 

一彦らの世代になると、そんな話を信じるなんてバカだ、

という方が優勢だった。

けれどもその一方で、本当だったらいいけどな、

という気持ちもちょっぴりあった。

 

大善はビミョーな立場に立たされていた。

なんと言っても噂のもとであるお寺の跡取りである。

「あんなデタラメを広げやがって」と、

湖の怪物のせいでいじめられることも少なくなかった。

 

けれどもこちらもその一方で、

怪物の絵が描かれている古文書を見たい、

見せろと言ってくるやつらも多かった。

彼と仲の良かった一彦も、

もちろんその好奇心を強く抱えた一人だ。

 

しかし大善自身、父がどこに

その古文書をしまっているのか知らない。

一度、一彦を含め、四人の仲間で

〈捜索隊〉を作り、

大善の父――当時の住職が留守の時に

家のあちこちを探しまわったことがある。

 

ある日、それがバレて大善は父にこっぴどく叱られ、

それ以降、捜索活動は打ち切りになった。

みんな、ちょっとがっかりしたが

一日でそんなことは忘れてしまった。

 

しょせん子どもの遊びである。

いつまでも過去のことなどにこだわっちゃいられない。

奈々湖は相変わらず子どもたちの遊び場であり続けた。

ところがそれからしばらく後。

村じゅうがひっくり返るような出来事が起こった。

 


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●郷竜小説「6600万年前の夢を見て死ね」 パート2.麟風寺の遺産①

パート2.麟風寺の遺産①

 

「ガチか?イッピコ、おまえヤバイんでねぇの?」

川西大善の口からはおよそ僧侶とは思えない

俗っぽいセリフが飛び出す。

「なんで事前に相談しなかったのさ?」

「一度連絡しただろ。けどプーちゃん、忙しそうだったし」

大善は、はたと自らを振り返る。

「そういやそうだった。けっこうテンパってたかもね」

麟風寺の住職になって半年。

大善は先代住職の父から引継ぎで、

なんやかんやとバタバタしていたことを思い起こした。

 

愛称は「ダイちゃん」でなく「プーちゃん」。

麟風寺のプーから来ているのだが、

そこに彼の持ち味であるのんきな性格も加味されている。

大学を出た後はそれこそプータローとして、

2年ほど外国を放浪していた。

「坊主にはならねえ」が子どもの頃からの口癖だったが、

結局、頭を丸めて修行に出たあと、

実家に戻り、坊主稼業を継ぐことに決めた。

 

麟風寺は故郷にあるお寺で、

その若い住職は一彦の幼なじみであり親友だった。

「いや、そりゃ帰ってきてくれたのはうれしいけどさ、

せっかく東京でちゃんとした会社に就職したのに・・・」

「もったいないってこと?」

「そう思うでしょ、誰だって」

「おまえが人生相談で言ってることと違うな」

 

大善はインターネットの「お坊さんに相談しよう」

というサイトで人生相談に応じている。

「プー坊主」というのは彼の売りだ。

「悩んだら自分に正直になりましょう。

心の声を聞きなさい。

好きなことを優先しましょう、とか」

「まあ、そうだけど」

「先のことを考えすぎです。今を生きましょう、

とかなんとか」

「いや、それとこれとはべつで」

「そんなの無責任だろ」

「だってさ、おれはおまえが羨ましかったわけ」

そう言って大善は子ども時代と変わらないまなざしで

一彦を見た。

麟風寺の宗派では頭を剃る戒律はない。

修行を終えて戻ってきてからは普通に髪を伸ばし、

袈裟も着ていないので、大善はまったく僧侶には見えない。

 

二人は本堂に隣にある住居の一室で話をしている。

ここも二人が子どもだった頃のまま、

ほとんど変わっていない。

「おれは跡取りだからさ、

ここから離れられなかったんだ。

660年の歴史がこう、ずしっとのしかかってな」

大善は重い荷物を背負うようなお道化たしぐさを見せた。

 

「こう言っちゃなんだけど、

親父はいい時に仏様の世界へ行ったよ。

やれやれ、これからどうすりゃいいのやら」

 

「ひどい住職がいたもんだな。

そのセリフをお檀家さんたちに聞かせてあげたいよ」

 

「どうぞお好きに。お檀家さんもめっきり減っちゃってね、

もうお布施も集まらなくて」

 

二人の故郷はすごい勢いで過疎化が進んでいる。

自然の恵みに溢れた美しい村なのだが、

ここで生まれ育った多くの子どもたちにとっては

そうではない。

 

それぞれの家はきれいで新しい住宅に建て替えられ、

電化製品が行きわたり、豊かで便利な生活を送っている。

にも関わらず、いまだに昔ながらの差別意識と

おかしな因習が残る閉塞的な暗いムラなのである。

 

だからみんな成長し、

中学や高校を卒業するとさっさと都会へ出て行ってしまう。

大学に入れば、そのまま大都市圏の会社に就職だ。

そうでなければフリーターをやりながら

自分の好きなことをやったり起業をめざす。

 

一彦はそれなりの規模の旅行会社に就職したものの、

2年と経たないうちにもう退職と起業を考え出した。

起業して自分の会社を持つという漠然とした夢が

日に日に膨らみ、週末ごとに起業サークルに通い始めた。

 

最初はいろんな仲間がいて面白かった。

けれども何回か通ううち、じつはみんな、

大して本気じゃないことに気付いた。

 

口当たりのいい自己啓発書を読み漁ってヴィジョン、

言い換えれば自分に都合の良い“妄想”を膨らませ、

「起業家」「経営者」という名の職業に就こうとしている。

 

だから何か手っ取り早く稼げる仕事はないか。

あわよくばその稼ぎを投資に回して

資産を作って早期リタイアできないか――

そんなことばかり考えて、

いわゆるビジネスチャンスを探しまわっている。

 

何よりも彼らには、仕事に対する愛情が

決定的に欠落していた。

市場のニーズと言えば聞こえがいいが、

今、儲かりそうならどんな仕事でいい。

効率よくやって効率よく金を稼ぐ。

それで成功している人を見ると、

自分にもたやすくできそうな気がしてくる。

しかし、そうなるためにはやはり特別な才能がいるのだ

ということにも気がついた。

 

仕事に対する愛情の欠落――

つまり好きなこと、やりたいことがないことは

自分もまったく同じだった。

一彦は割と器用で、

何をやってもだいたいのことはうまくできた。

人間関係もどう立ち居ふるまえばいいか

頭が素早く回転した。

女にだってそこそこモテる。

傍目にはわりかし優秀な人間・スマートな男と

映っているはずだ。

 

しかしそれだけだ。

その分、がんばってやり抜きたいと思うことは何もない。

この女のためなら何でもすると思うこともない。

すべてそこそこで、ほどほどで、

このままいけば平均的な日本人はこうあるべき、

みたいな人生を歩めるだろう。

人は彼を見て、これこそ幸福と思い、

中には羨む人もいるかもしれない。

 

だけど、それが何なんだ?

うすっぺらいペラペラな人生。

彼の胸にはぽっかりと大きな穴が開いていた。

 

起業サークルに通って学べば学ぶほど、

その穴はどんどん大きくなっていった。

それは怖ろしいことだった。

この先、何十年も続く人生を

いったいどうやって生きていけばいいのか

見当がつかなかった。

 

マイケルのサイトに出会ったのはちょうどそんな時だった。

特に恐竜が大好きというわけでもなかったが、

彼のサイトを目にするうち、

からからに乾いた心が潤い、

みるみる小さなオアシスが育っていく。

 

しだいに心の中に夢が芽生えた。

自分の故郷で、現代の恐竜伝説を創る。

それによって旅行客を呼び寄せ、新たな観光名所にする。

 

おれみたいな人間が、どうしてそんな荒唐無稽な話、

幼稚な妄想をマジになって考えているんだ? 

最初のうち、自分が自分を信じられなかった。

しかし、これはただの夢物語ではない。

なぜなら根拠がゼロではないからだ。

                    つづく

 


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甲州街道・勝沼宿は葡萄酒の里

 

ワインというよりも「葡萄酒」という日本語の呼び名が

しっくりくる丸藤(まるふじ)葡萄酒工業株式会社。

昨日はそのワイナリーの見学ツアーに参加した。

 

ツアーと言っても、オフシーズンなので参加者は

僕と20代後半と思しきカップルの3人だけ。

静かな分、じっくりゆっくり貯蔵庫なども見学でき、

ガイドの女性の説明もていねいで、とても面白かった。

通常30分弱だが、僕がその場でいろいろ質問するので、

小一時間掛けて応じてくれた。

同行のカップルさんには少々予定を狂わせてしまったかも。

 

小規模なワイナリーだが、同社は明治36年創業で、

ここ山梨県・勝沼ぶどう郷の中でも指折りの老舗。

ショップなどは数年前に建て替えられたものだが、

創業当時の面影を再現したレトロモダンなつくりで、

いろいろなワインを見ながら、優雅な気分に浸れる。

 

もともとこの勝沼のあたりはブドウやモモの名産地で、

「勝沼や馬子も葡萄を食いながら」という

松尾芭蕉の俳句も残されているほど、

江戸時代から日本有数の果物の生産地だった。

 

政府の役人や地域の名士たちが

そこに目を付け、豊富で良質な甲州ブドウを使って

フランスなどヨーロッパに負けない

ワインを作ろうということになり。

地域を挙げてのワインづくりが始まった。

そんなガイドさんの話を聞いていると、

130年前の明治日本の

国を挙げた産業勃興の気概が伝わってくる。

 

国造りの大転換期だった明治は、

国家的スケールで新しい産業を起こすことに

エネルギーを注いでいたのだ。

 

甲州街道の宿場町があった歴史ある勝沼市は

塩山市などと合併して現在、甲州市に。

甲州市は山梨県でも一番の

ブドウ生産地・ワイン生産地で、

市内には45のワイナリーがあるそうだ。

その多くで見学・試飲もでき、

シーズンには大勢の人が参加する。

 

丸藤は見学料200円だが、その料金で試飲もできる。

3種のワインを少しずつ飲んでみて、どれもおいしかった。

 

このあたりは無数のブドウ畑だらけ・丘だらけなので、

効率よく回るには車がいい。

車なら首都圏からささっと行けるのも魅力だが、

ワインの試飲をするなら、運転する人は飲めない。

 

アルコールに弱い僕などは試飲だけで

30分くらいいい気分にあんってフラフラしていた。

良いワインは酔い心地もいい。

 

てなわけで電車でもすぐ

(JR中央線の「勝沼ぶどう郷」)なので、

宿場町の面影を残す旧甲州街道や

ワイナリーエリアを1日かけてぶらぶら歩いて、

帰りはタクシーで、というのが一番。

シーズンになれば、

ブドウ狩りやワイナリー見学の

バスやバスツアーもいっぱい出ているようだ。

 


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週末の懐メロ169:ロケットマン/エルトン・ジョン

 

1972年リリースのエルトン・ジョンの楽曲のために

イラン出身の映像作家マシッド・アディンが

アニメーションのミュージックビデオを製作。

半世紀前の懐メロの傑作にみずみずしい息吹を吹き込んだ。

 

エルトン・ジョンは1970年代から活躍してきた

指折りのロックスター。

「ユア・ソング(君の歌は僕の歌)」

「グッバイ・イエローブリックロード」などの

世代を超えた大ヒット曲、

そして、1997年に交通事故死した

プリンセス・ダイアナを追悼した

「キャンドル・イン・ザ・ウィンド」は、

誰でも一度は耳にしたとがあるだろう。

 

「ロケットマン」も

全英シングルヒットチャート2位、

米ビルボード6位を記録したヒット曲ではあるが、

日本ではあまり知られていない。

 

この曲は長年、エルトン・ジョンとのコンビで

作詞を担当してきたバーニー・トーピンが

SF作家 レイ・ブラッドベリの

短編小説「The Rocket Man」(1951年)に

インスパイアされて生まれた曲と言われている。

 

描かれるのは、人類の新たな開拓地となった

火星に向けて一人で旅立った宇宙飛行士の男が

家族を思う心情。

 

♪火星は子供を育てられるところじゃない

ひどく寒くて そんなことは考えられない

科学のことをよく知っているわけじゃないが

これが僕の仕事 週に5日の仕事

僕はロケット・マン

たった一人、宇宙でいつか燃え尽きてしまう

 

1960年代の終わりから70年代前半にかけては

アメリカのアポロ計画が成功し、

宇宙開発に人々の意識が向けられた時代だ。

ロックの世界でもミュージシャンたちが

宇宙・宇宙旅行・異星人とのコンタクトや

異性の文化との交流などをテーマにした楽曲を

数多く作っていた。

 

この曲もそうしたムーブメントに

影響されたものの一つと取れるが、

片や、家庭を顧みることなく

ひたすら労働することで人生をすり減らしていく

産業戦士の孤独と悲哀を想起させる歌にもなっている。

 

それはエルトン・ジョン自身の

現実の人生にも言えることなのかもしれない。

 

半年前、昨年(2023年)7月に

最後のワールドツアーを終えた彼は、

今後、公演活動から引退すると宣言した。

今年76歳。

同世代のスターミュージシャンたちが

次々とこの世を去っていく昨今、

理由は当然、高齢による健康上の問題かと思いきや、

音楽活動よりも家族との時間を優先させたいからだという。

 

ゲイのエルトン・ジョンは2014年に同性と結婚。

現在、代理母出産によって授かった二人の男の子の

子育てに従事しているという。

70歳を超えて母性に目覚めたのか?

元気な2人の少年の相手をするには

体力的に厳しいとは思うけど。

 

火星での長い任務を終えた「ロケットマン」が

やっと地球に還って来て、新しい人生を歩み出す。

そんなイメージを抱かせる決断。

エルトン・ジョンのセカンドライフのスタートは、

1972年には思いもかけなかった、

ライフスタイルの変化と、

テクノロジーの恩恵に満ちた、

21世紀型の新しい生き方と言えるのかもしれない。

 

そして、70年代前半に盛り上がった

宇宙開発のムーブメントは、

半世紀の時を超えて、ふたたび大きくうねり始めている。

 

一般人が宇宙旅行に出かけたり、

新たな資源の採掘など、

宇宙ビジネスが話題になることも増えてきた。

2024年、人々の意識はまた宇宙に向かっていく予感がする。

現実的な「ロケットマン」の世界は、

じつはこれから始まるのかも知れない。

 

★ケイト・ブッシュ版(1991)

 

なお、この曲が大好きだというケイト・ブッシュが

1991年にリリースしたカヴァーをリリース。

 

「呼吸」「ビッグスカイ」

「こんにちは地球」「ロケットテイル」など、

地球・宇宙をテーマにした自作の楽曲も多い彼女が、

オリジナルをリスペクトしながらも

独自のアレンジで、レゲエ風のリズムや

他の民俗音楽のエッセンスを取り入れた味付けで

超絶すばらしい傑作に仕上げている。

 

ミュージックビデオの出来も最高レベルで、

必聴・必見の音楽コンテンツになっている。

 


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郷竜小説「6600万年前の夢を見て死ね」パート1-2

 

辰年ということで郷竜(きょうりゅう)小説スタート。

随時連載。

 

★パート1.マイケル・オーネストの遺言 その2

 

自称・スコットランド観光大使の還暦バックパッカー

マイケル・オーネストは、

スコッチウィスキーではなく、

日本のグレープフルーツサワーを飲みながら

椎名一彦相手に新宿の居酒屋でくだをまく。

 

「とにかくネス湖を世界遺産にしたいんだ」

彼は故郷に帰ったら、その運動に携わるという。

 

インヴァネスという

ネス湖観光の拠点として知られる街が彼の故郷だ。

街の中にはネス川という川が流れている。

彼はその流れを眺めて育ち、

夕日に照らし出された

川の景色の美しさを何度も語って聞かせた。

 

ついでにベッド・アンド・ブレックファーストを

経営していた家の娘との初恋のことも。

 

「アマンダは可愛かった。

白いエプロンがよく似合ってね。

ベーコンと目玉焼きを作るのが得意だったんだ。

 

そんなの、誰にだってできると思うだろ。

だけど、目玉焼きをきれいに

程よい加減で焼くのは思ったより難しい。

お皿に移す時に

黄身を崩さないようにするのにコツがいるんだ。

かといって黄身を固くしてしまったらおいしくない」

 

そんな話をしているときに、

つまみに頼んだベーコンポテトが出てきた。

マイケルは「オー!」と声を上げて

好物に飛びつき、初恋の話は

それであっけなくフェードアウトした。

 

一彦はインヴァネスの

ベッド・アンド・ブレックファーストで

白いエプロンを着た金髪の娘に給仕され、

ベーコンエッグの朝食を食べている自分の姿を想像した。

 

窓越しに鳥の声、そして川のせせらぎが聞こえてくる。

その川、ネス川はネス湖に流れ込んでいる。

それはまた、マイケルのイメージの中では

スコットランド独立というヴィジョンにも

繋がる流れでもあった。

 

「必ず実現してみせるよ」

彼の人生には二つの目標があるという。

ネス湖の世界遺産登録。

スコットランドの独立。

その二つがどこでどうつながるのか、よくわからない。

 

ところが彼はその疑問に対する答えも

ちゃんと用意しているのだ。

「ネス湖は有名ではあるが、どこの国にあるのか、

ちゃんと知らない人が世界には圧倒的に多い。

スコットランドは今、君たち日本人が言うイギリス、

すなわち、グレートブリテン、

またの名をユナイテッド・キングダム、

の一地域ということになっている。

けれどもネス湖はイギリスにある湖、

とは誰も言わないだろ?」

 

そう言われてみればそうかなと一彦は思った。

たしかにビッグベンやウェストミンスター寺院、

あるいはストーンヘンジやシェイクスピアの村、

ピーターラビットの村と同じように

ネス湖を「イギリスの名所」

だと思っている人は少ない気がする。

 

多くの日本人にとってスコットランドのイメージは

何といってもネス湖。

あとは古都エジンバラ(こちらの街並みは世界遺産)とか、

タータンチェックにバグパイプといったところか。

 

「だから僕はこの二つをできるだけ

同時期に実現することに意義があると思っている」

 

マイケル・オーネストは自分のサイト

「マイケルのローストネッシーがうまいケル」で

ネッシーの話題を提供している。

 

一彦はそれを見つけて彼と友だちになったのだ。

日本語版は奥さんが翻訳をやっていたが、

どうやらその表現のしかたを巡って

ケンカになったことが離婚の原因だったようだ。

男の夢は離婚も辞さない。

それくらいマイケルは

ネス湖とネッシーについて本気だった。

 

その熱意に一彦は心動かされた。

東京でサラリーマンをやっていた

彼の脳裏に故郷の奈々湖の景色、

そして幼い頃に一度だけ見た

あの怪物の姿がよみがえった。

 

ほんの一瞬だけ、目の当たりにした

天に向かって伸びる長い首。

あれはたしかに太古の恐竜だった。

6600万年前に絶滅した、

かつてこの地球を支配していた巨大生物。

 

妄想にかられた彼の耳にはその咆哮さえも轟いた。

何度かマイケルと会って話を聞くうち、

一彦の心はしだいに固まっていった。

 

いま務めている会社を辞め、

故郷に戻って観光事業をやる。

その夜――彼はその決意を

マイケルに打ち明けた。

 

彼は一瞬、大きく目を見開き、

「オー!」と声を上げて両手を広げ、

やたらと芝居掛かったリアクションをした。

そして一彦の肩をがっちりとつかみ、

「マイフレンド」と感嘆のセリフを漏らした。

目には涙さえあふれ、ツーと頬を伝った。

シェイクスピアの芝居でこういう人物がいたかもしれない。

 

「それならば君も言うべきだ。ナナコを見て死ね、と」

人生は短い。

僕たちはこの世界のほんのわずかな部分しか、

見ることも触れることもできない。

だから人々に問うべきなのだ。

あなたにとって大切なものは何か?

自分に正直になってそれを確かめなさい。

そして明日死ぬ前に

それをしっかり見ておきなさい、と。

 

そう言い残して、

マイケル・オーネストはイギリスに、

いや、スコットランドに旅立って行った。

 


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郷竜小説「6600万年前の夢を見て死ね」1-1

 

辰年ということで郷竜(きょうりゅう)小説スタート。

随時連載します。

 

★パート1.マイケル・オーネストの遺言

 

「ネス湖を見て死ね」

 

マイケル・オーネストはそう言った。

まだ見たことはないが、

椎名一彦は霧に包まれたネス湖を頭に思い浮かべた。

 

同時に頭の半分には明るい太陽の光に照らされた

奈々湖の風景が浮かび上がった。

神秘性、何か出そうな雰囲気という点では

まったく比較にならない。

奈々湖はあまりにも長閑で緊張感に欠けている。

 

けれども確信しなくてはならない。

ネス湖にネッシーがいるように、

おれの故郷の奈々湖にだって〈ナッシー〉がいるのだ、と。

 

マイケル・オーネストは

スコットランドの観光大使を自称している。

あくまで“自称”だ。

実際はただのバックパッカーに過ぎない。

 

若い頃からバックパックを背負って

世界をほっつき歩いてきたが、

60歳になった今、祖国に帰ると言う。

 

日本が気に入って住みつき、12年暮らした。

結婚もしていたが奥さんとは昨年離婚したという。

彼が言うには奥さんはかなりエキセントリックな性格で、

とてもいっしょに暮らしていけなかったと言っている。

 

そういう本人も相当エキセントリックだが。

いずれにしてもそんなわけで本人曰く、

「日本はの長い世界漫遊の最後の地になる“かもしれない”」

 

「“かもしれない”って、

また帰ってくるかもしれないってこと?」

そう一彦が聞くと、

「未来のことは誰にも分らないからね」

マイケルは答える。

「だけど自分自身のことでしょう」

 

二人が飲んでいる新宿三丁目の居酒屋〈下町伯爵〉には

1960年代から70年代のポップスや映画音楽が流れている。

 

「自分のことだってわからない。

今の自分と未来の自分は違うから」

 

そう言ってマイケルは自分の頭を指さした。

 

「この脳は三日後には違う脳になってるよ」

 

笑って大好物のグレープフルーツサワーを

グイッとあおった。

スコットランドの観光大使を名乗っている割に、

スコッチウィスキーを飲んでいるところは見たことがない。

 

つづく


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杉並ラプトル・オオタカ物語

 

お正月も終わったが、

今年は元旦に川沿いを散歩していたら、

杉の木のてっぺんでオオタカが雄姿を晒していて、

こいつは縁起がいいと思わず拝んでしまった。

オオタカのお正月スペシャルサービス?

 

おかげで初夢も見た。

仕事仲間とタクシーに乗って

銀座や原宿に行くという

わけのわからない夢だったが、

まぁ悪い夢ではない。

もしかして今年は仕事が忙しくなって

がっぽり儲かる夢--と解釈できなくもない。

どうせ意味などわからないので、

いいようにとっておこうと思う。

 

それにしても縁起の良い初夢が、

どうして1富士、2鷹、3茄子なのか?

諸説あるようだが、有力なのは徳川家康がらみの説。

家康は三河(愛知県)の生まれだが、

江戸に幕府を開くまで長い間、

拠点にしたのは駿河の国(静岡県)。

 

静岡の名物と言えば富士山。

一番高いのは富士山だが、

次に高いのは空飛ぶ鷹、三番目は初茄子の値段。

というシャレの世界。

 

また、富士山の国で暮らしていた家康が

鷹狩りが好き、茄子も好物という説もあり、

鷹は獲物をつかみ取る。

家康のように天下をつかみ取ろう、

学芸でも商売でもその世界のトップになろうと

願をかける意味合いがあったらしい。

 

うちの近所のこの川沿いの杉の木に

オオタカが住み着くようになって

もう5、6年の年月が経つ。

 

昨年はクマやイノシシなど、

元来、山に住む動物たちが街に出てきて

人間に危害を加える事例が頻発し大問題になったが、

いま動物たちは長年の経験で

人間に慣れて恐れを抱かなくなり、

人間の生活圏に侵入することに

抵抗を感じなくなってきたようだ。

 

「人間はこわくない」

「人間が住んでいる場所にはうまいものがある」

「だいじょうぶ、いける、いける」

 

個体ごとに経験則を学ぶのか、

それとも世代間で情報が受け継がれるのか

わからないが、だんだんそういうことが

山の動物の間で常識として

広がってきているのかもしれない。

だとすれば人間が暮らし方を変えるか、

動物との付き合い方を変えなくてはいけない。

どうやらそういう時代になってきたようだ。

 

さて、わが杉並区のオオタカもまたしかりで、

住み着き始めた当初は、人目を警戒して

常に高い木のてっぺんあたりからめったに下りず、

天空の生活圏から出てこようとしなかった。

 

近所のカメラマンの人たちはそれこそ

野生動物専門のプロカメラマンのように

一瞬でもその姿を捕らえようと、

毎日木の下をウロウロしながら

朝から日暮れまで何時間も張っていたが、

幾たびも子育てを重ねるうちに、

だんだんオオタカたちは大胆に姿をさらすようになった。

 

人間は遠目で見ているだけで、近づいてこないし、

ましてや捕まることなんてありえない。

そうしたことをしっかり学習したようで、

低木に、時には地面に降りて餌を食うようになった。

もちろん、バシャバシャ写真撮りまくりである。

 

また、割と低空飛行でゆうゆうと飛ぶところ、

「ほーら、見てごらん」とでも言いたげに、

川を横断して人目に付く木の枝に止まり、

モデルのごとくポーズを取るといった行為も

見せるようになった。

翼を広げたオオタカはやっぱりカッコいい。

 

びっくりしたのは昨年秋。

11月ごろのことだったので、

まだ2カ月ほど前である。

 

夕方近く、義母と散歩中に

カルガモがひどくざわつく声が聞こえるので

なんだろうと川を見たとたん、

オオタカがシャーっと舞い降りてきて

一羽のカルガモを足でムンズとつかみ、

あっという間に連れ去った。

わずか3秒くらいの出来事だった。

 

身体は小柄だったが、

ヒナではなくおとなのカモである。

このあたりのオオタカは

ハトやムクドリを常食としているが、

何が起こったのか?

 

あの時は常駐のカメラマンたちも大騒ぎで、

聞いてみたらカモを襲ったのなんて

初めて見たとのこと。

まさにラプトル(猛禽)!

 

もともと飼いならされて鷹狩りに

使われていたぐらいだから、

人間と相性がいいのだと思うが、

人慣れしてきたオオタカは今年は

どんな暮らしを見せてくれるのか、楽しみである。

まあ、クマ、イノシシ、サルなどと違って

安心して見ていられるから

こんなのんきなことが言えるのだけど。

 


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週末の懐メロ168:今日突然に/カーヴド・エア

 

ヒッピーとベトナム戦争をテーマにつくられ、

1960年代後半に世界の若者たちの心を揺るがせた

ブロードウェイミュージカル「ヘアー」。

ソーニャ・クリスティーナは、

そのロンドンバージョンのオリジナルキャストだった。

 

彼女をリードヴォーカルに迎えて

1970年にデビューしたカーヴド・エア。

「今日突然に」は彼らのデビューアルバム

「エア・コンディショニング」のトップナンバーで、

シングルヒットも記録した。

 

「プログレッシブバンド」として紹介されることが多いが、

日本での知名度は低く、

かなりマニアックなファンでなければ知らなかったと思う。

僕も1975年発表のライブアルバムを

20歳ごろ中古レコード屋で見つけて

それを聴いていただけだったので、

名前は知っていたものの印象は薄かった。

 

しかし今回「エア・コンディショニング」をはじめ、

主なアルバムを聴いてみて、

他のプログレッシブロックバンドとは一味も二味も違う

魅力を持ったバンドであることを再発見した。

 

「曲った空気」というバンド名、

女性ヴォーカルとバイオリンをフィーチャーした編成、

曲作りも演奏表現も独特の面白さにあふれている。

 

人気がイマイチだったのは、

イエスやクリムゾン、フロイド、ジェネシス,ELPなど、

プログレビッグネームのような

圧倒的な世界観が築けなかったからか。

でも、その分、楽曲はバリエーションに富んでいるし、

聴きごたえのある曲も多い。

 

また、このバンドは、オリジナルメンバーではないが、

ロキシーミュージックやU.K.で活躍した

バイオリニスト&キーボーディストのエディ・ジョブソン、

ポリスを結成したドラムのスチュワート・コープランドが

在籍していたことでも「知る人ぞ知る」存在になっている。

 

この「今日突然に」は前半、アグレッシブな演奏の

とんがったなロックナンバーから中盤で急に転調し、

後半はスローで優美な、

まるで別の曲に変わってしまうという構成。

よく知られるところでは、

デレク・アンド・ドミノス(エリック・クラプトン)の

「レイラ」や、

カルメン・マキ&OZの「私は風」みたいな。

 

この時代にはこういう複数曲のカップリングみたいなのが

普通で、僕も当時はヘンなのと思っていたが、

いま聴くとこのメドレーみたいな急転調がやみつきになる。

 

まさしく20世紀再発見だったカーヴド・エア。

興味があれば、この曲が入っている

「エア・コンディショニング」

(タイトルもジャケットも実にユニーク!)、

そして、1975年のライブアルバムの

2枚だけでいいので聴いてみてほしい。

 


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魔女っ子カーチャン

 

3が日があけて義母は今日からデイサービス。

カミさんと二人で初詣に行く。

お日柄もよく、杉並大宮八幡宮はほどよい人出。

被災地のことも忘れずお祈りして、

ついでに幸福カエル石も撫でてきた。

 

義母は、以前は僕が連れていくと

しぶしぶお参りするという感じだったが、

どうも神社とかお寺の類が苦手なようなので、

時間があっても最近は連れて行かないことにしている。

おみくじを引いたり、

お守りを買ったりするようなことは絶対しないし、

星占いみたいなものさえ嫌がる。

興味がないのではなく“嫌がる”のである。

 

結構その拒否反応が気になって

どうしてだろうとカミさんに聞いてみたところ、

興味深い話を聞いた。

 

彼女の母、つまりカミさんのばあちゃんが

霊能力者みたいな人だったらしく、

「あなたの家の前で私の足が止まりました」とか言って

見知らぬ坊さんがいきなり訪ねてきたりとか、

そのスピリチュアルな能力を子どものころに

目の当たりにしたようだ。

それで「見えない力」に対して

恐怖を抱くようになったのではないか、

というのがカミさんの推測である。

 

さらに母親だけでなく、

自分の中に同じ能力があることを察知して

みずからそれを封印したのではないかという。

なんだか自分の魔力に恐れをなして引きこもってしまった

「アナ雪」のエルサみたいである。

 

ちなみにカミさんも子供の頃、

霊視・予言みたいなことを

しばしば口にすることがあったらしいが、

その手のことを言うと

「絶対口にするな!」と激しく怒られるので、

スピリチュアル方面のことには

口を閉ざすようになったという。

 

カミさんが聞いた祖母の霊能力(?)の話はほんの一部で、

おそらく義母は絶対口にしない、かなりすごい現象、

もしかしたらヤバイ現象を実際に体験したのかもしれない。

 

いろいろ直観が働いたり、

見えないお友だちと対話したりするのは、

認知症で通常の認知能力失われた分、

それを補うために潜在的なスピリチュアル方面の力が

働くようになったのだろうと思っていた。

 

しかし、もともとそっち方面の能力を

かなり豊富に持っている人で、

それが今になって開花したのかもしれない。

 

僕のような霊感ゼロ人間は、

スゲーと思って尊敬してしまうが、

あったらあったで本人はたいへんそうだ。

もしかしたら子供の頃の体験は、

祖母の能力を使って金もうけをたくらむ人が

近づいてきて嫌なトラブルがあったとか、

そうした類のことなのかもしれない。

 

身近なところにも神秘が溢れている。

いずれにしても、見えない家族・見えない友だちが

死ぬまで義母を守ってくれればいいと思う。

 

 


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おすすめ動画:かさこさんの「2024年を生き抜く秘訣」

 

元旦夜に起業・副業支援のネット発信アドバイザー

かさこさんのオンライン講座

「2024年を生き抜く秘訣」を聞いた。

僕はライブで参加したが、

これ、録画した無料動画で聞けるので、

年初、今年はどうやって自分のビジネスを進めていくか、

心構えを作りたい人には超おすすめです。

妙にテンションあげることなく、

楽に安心して聴けるところがポイント。

 

いきなりネタバレだけど、

冒頭の「2024年は変化の年➡ウソです!」が

この講座の全体像を言い表している。

まさしく!

 

僕がフリーライターとして仕事を始めた90年代初期の頃から

企業の偉い人たちはみんな口を揃えて、

「変化だ」「チェンジだ」「変わろう」と言ってた。

 

「今年は変化の年です」

「激動の年です」

「大変革の年です」といった類の言説は、

「新年あけましておめでとうございます」という挨拶と

何ら変わらない。

 

もう30年以上、変化だ、変化だ、とみんな、

自分を他人を鼓舞するのが

日本のビジネス界の習慣になっている。

その割に多くの日本人のマインドも

昭和から続く企業のマインドもあんまり変わらない。

テクノロジーが進化しているから、

それに合わせてしかたなく変えているだけといった印象。

やっぱり変えるのは面倒だからね。、

 

新年というと「今年は変わるぞ!」と、

つい力が入ったり、

浮き足立ったりしてしまうことが多いが、

かさこさんは「毎年が変化の年なんですよ」と、

この時期、テレビやネットで蔓延する

刺激的な言葉や煽り文句に踊らされないようにと、

やんわり警告した上で、とても冷静に、丁寧に、

2024年のビジネスに取り組む姿勢について話していく。

 

主な項目は2023年の振り返りから始まり、

「新年の目標の立て方」

「トレンドの掴み方」

「始めるべきSNS」

「新たな収入源」などの項目別に解説。

 

また、力んだり浮き足立ったりしていると、

ウソ情報・サギ情報にだまされやすい。

いわゆる闇バイトでなくても、

手っ取り早くいっぱい稼げるよーといった

インチキビジネスの話、

投資サギの話には要注意!

 

という点も指摘してくれる。

とてもポジティブな気分になれるので、

興味のある人は下記URLからぜひ聞いてみてください。

 

申し込み受付は1月15日まで。

録画動画は2024年12月31日まで視聴できます。

 


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2024年を少しでも良い年にするために

 

おめでたムードも吹っ飛ぶ、

能登、羽田での2日連続まさかの大災害。

旅客機の乗客・乗員が全員脱出し、

死者がいなかったのは不幸中の幸いだが、

海上保安庁の飛行機の乗員5人が亡くなった。

しかもこの機は石川に支援物資を運ぶところだったという。

なんてこった!

まさかまさかの負の連鎖にショック二乗。

 

お正月を自粛する必要はないと思うけど、

せめてこれ以上、

被害が広がることがないように祈りましょう。

被災地は明日以降、天気が悪く雨や雪。

土砂崩れが起こったり、行方不明の人の救出作業、

避難している人の生活も大変です。

 

三が日、初詣に行く方はぜひ神様にお願いしてください。

そんなことして何の意味がある?と思うと思う。

意味はないよ。でも、何もしないよりはいい。

自分は思いを寄せたという自己満足でいい。

少しでも今年を良い年にするために。

 


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年賀状の話2024

 

新年あけましておめでとうございます。

昨年は喪中だったので年賀状のやりとりを控えたけど、

今年は復活。

 

最近は年賀状じまいとか年賀状卒業という人も増え、

絶滅が危惧される伝統芸能・技術みたいになってきた年賀状、

僕がいだただくのもずいぶん少なくなったが、

その分、ていねいに接することができるようになった。

やっぱりいただくとうれしいもんです。

 

今日もらったなかでいちばんうれしかったのは、

11月の同窓会のとき、

病気で来られなかった元・同級生のもの。

電話で話してかなり心配だったが、

無事回復して12月から働き始めたとのこと。

元旦にこういう知らせを聞くとこちらも元気になる。

 

さすがに新規で年賀状のやりとりを始める気には

ならないけど、

旧知の間柄の人たちとは続けていきたいと思う。

いわば昭和の遺産だね。

 

 

昭和エッセイ集

昭和96年の思い出ピクニック

 

Amazon Kindleより発売中! ¥300

今年は「昭和99年の思い出ピクニック」

発売予定

 


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ありがとう さようなら 2023

 

電子書籍「週末の懐メロ 第4巻」

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無料キャンペーンは本日16:59をもって終了しました。

ご購入いただいた方、ありがとうございます。

本年もおりべまことの本を楽しんでいただけたでしょうか?

よろしければレビューをお寄せください。

 

2023年は10冊の本を出しましたが、

来年もこのペースで行ければと思っています。

とりあえずの予定は3冊のエッセイ集

「昭和99年の思い出ピクニック」

「認知症のお母さんといっしょ」

「週末の懐メロ 第5巻」

そして、今年完成できなかった

長編小説「今はまだ地球がふるさと」です。

2024年も福嶋とおりべをよろしくお願いいたします。

よいお年をお迎えください。

 


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週末の懐メロ167:ジャンプ/ヴァン・ヘイレン

 

天使の小僧がニタッと笑うジャケットの

アルバム「1984」からもう40年。

アメリカンハードロック史上最大のヒット曲

「ジャンプ」を産んだ

ヴァン・ヘイレンの1984は、

もちろん1984年のリリース。

 

発売当初はイギリスの小説家ジョージ・オーウェルの

ディストピアSF小説「1984」が関係しているのでは?

という議論も生まれたが、メンバーは一笑に付した。

 

まぁ、確かに暗い影もないし、

思想的なことを楽曲にするようなバンドでもない。

「ジャンプ」はエドワード・ヴァンヘイレンの

ギターとシンセサイザー二刀流がさく裂する

超カッコいい、エネルギー噴出ナンバーだ。

でもこの「1984」がオーウェルの小説と

何の関係もないところが

逆に時代の変わり目を感じさせる。

 

というのも20世紀後半、

欧米では全体主義国家によって分割統治された

近未来世界の恐怖を描いたこのディストピア小説は

非常に高く評価され、よく読まれており、

ミュージシャンらにも大きな影響を与えていたからだ。

 

デヴィッド・ボウイ『ダイアモンドの犬』(1974年)

トッド・ラングレン『1984年の子供たち』(1974年)

スティーヴィー・ワンダー『ビッグ・ブラザー』(1972年)などは、もろに「1984」をモチーフにした作品として知られている。

 

ちなみに音楽ではないが、

「1Q84」という傑作小説を書いた

村上春樹も言及したことはないが、

やはり「1984」を意識したのだろう。

 

思えば20世紀のロック/ポップミュージックは、

自由を許さず、絶え間ない監視によって人々を抑圧する

1984ディストピア的世界と戦うために

生れ育ったカルチャーであるとも言えるだろう。

 

しかし、ヴァン・ヘイレンが

世界のトップバンドに上り詰めた

1984年頃にはそんなことも忘れられ、

ミュージシャンもリスナーも楽しさを追求することでに

一生懸命になっていた。

 

もちろん、音楽なんだから、

難しいこと抜きに楽しければいい、

テンションが上がればいいのだけど。

あれから40年。

2024年になろうとしている今、

僕たちの世界はどうなっている?

そして、これからどうなっていく?

 

ロシア・ウクライナの戦争が長期化し、

パレスチナ問題が再燃し、

中国・北朝鮮の脅威が迫る2024、

もう一度「1984」を意識したほうがいいかもしれない。

 

ちょっと辛気臭い話をしてしまいましたが、

皆さんが新しい年に向かってジャンプ!できますように。

良いお年を。

 

大みそかまで続行!

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12月31日(日)16:59まで。お早めに!

 

20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!

ジョニ・ミッチェルやキャロル・キングが21世紀以降、ますます愛される秘密、

ポップミュージックとアングラ演劇の関係、

70年代ディスコと80年代テクノポップの神髄、

ジュリー&ショーケンWヴォーカル最後のGS・PYG、

ケイト・ブッシュ40年の時を超えたワールドリバイバルヒットなど、読みどころたくさん。

 


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2024年になっても不滅の名曲をご紹介。

年末年始のお休みに楽しい音楽のお話をどうぞ。

ジョニ・ミッチェルやキャロル・キングが21世紀以降、

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70年代ディスコと80年代テクノポップの神髄、

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ケイト・ブッシュ40年の時を超えた

ワールドリバイバルヒットなど、

読みどころ満載の音楽エッセイ集。

85~115まで 全31編 載録

 

もくじ

85 ラジオスターの悲劇/バグルス 【1979】

86 リトル・グリーン/ジョニ・ミッチェル 【1971】

87 東風/YMO(イエローマジック・オーケストラ) 【1979】

88 恋はみずいろ/ヴィッキー・レアンドロス 【1967】

89 夏星の国/ジ・エニド 【1976】

90 神秘の丘/ケイト・ブッシュ 【1985】

91 七月の朝/ユーライア・ヒープ 【1971】

92 ジェニーはご機嫌ななめ/ジューシィ・フルーツ【1980】

93 スイム/パパズ・カルチャー 【1993】

94 おしゃべり魔女/トムトム・クラブ 【1981】

 

95 オー・マイ・マイ/リンゴ・スター 【1973】

96 レット・イット・ビー/上々颱風 【1969】

97 恋のナイトフィーバー/ビー・ジーズ 【1977】

98 アイ・キャント・ハヴ・ユー/ イヴォンヌ・エリマン 【1977】

99 ヴィクトリア/キンクス 【1969】

100 ザ・ローズ/ベット・ミドラー 【1979】

101 ザ・ビッグシップ/ブライアン・イーノ 【1975】

102 去りゆく恋人/キャロル・キング 【1971】

103 自由に歩いて愛して/PYG(ピッグ)【1971】

104 ロコモーション/ゴールデン・ハーフ 【1962】

105 剣を棄てろ/ウィッシュボーン・アッシュ 【1972】

106 悲しき天使/メリー・ホプキン 【1968】

107 落葉のコンチェルト/アルバート・ハモンド 【1973】

108 ホワッツ・アップ/4ノンブロンズ 【1992】

109 アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット/ホール&オーツ 【1982】

110 命あるものは樹から落ちた/坪田直子 【1976】

111 レット・イット・ゴー/ピアノ・ガイズ 【2013】

112 ウォーキング・イン・ジ・エア/オーロラ 【1982】

113 戦場のメリークリスマス/坂本龍一 【1983】

114 ラスト・クリスマス/ベス 【1984】

115 ザ・ウェイト/ザ・バンド 【1968】

 


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