エンディングを意識して人生の台本を書く。

 

●エンディング文化の時代到来

 

 エンディング産業展の取材を終えて考えたこと。

 それは、エンディング――死を楽しむ時代がやってきたということです。

 

 「死を楽しむ」というと語弊があるかもしれませんが、要はひとりひとりが自分の人生の終え方について期待感や希望を抱く、ということです。

 

 いつかはこの世からおさらばしなくてはいけない。

 これはあらかじめそう決まっています。

 だったら悲しんだり寂しがったりするだけでなく、そうした感傷も含めて、思い切って楽しんだほうが「お得」なのではないでしょうか。

 

 少なくとも僕たち、現代の日本人ひとりひとりは、そうしたことをできる豊かな文化に包まれて生きていると思うのです。

 

●人生は20歳まで

 

 じつは人生は20歳で決定しています。

 20歳までの経験とそこから吸収したもの、そして喜怒哀楽の感情で人間の心身の基盤は出来上がります。

 どうすれば自分は気持ちよく生きられるのか、この世の人生において何に価値を置いて生きるのか、自分が果たすべきミッションは何なのか・・・これらはもうみんな、最初の20年で僕たちの内側にしっかりインプットされます。

 

 ただし、そのことに気づくかどうか、それらをいつ発見できるか、はその人しだいです。最期まで見つけられずに終わってしまう人も少なくない。いや、もしかしたら大半の人はそうなのではないでしょうか。

 

 だから20歳を過ぎた大人は、自分の人生の主人公は自分であると、しっかり意識したほうがいい。

 そして日々、自分の人生の台本を書いていくといい。

 細かく書き込む必要はないけれど、どういう流れでどうなり、どんな大団円を迎えるのか、エンディングまで想定してプロット(筋書)を作っておくといいと思います。

 

 もちろん、僕たちを取り巻く環境は、時代とともに刻一刻と変化していくので、日々リライトすることが必要です。

 でも、ベーシックな台本があるとないとでは違います。まったく手ぶらで毎日アドリブだらけでは続きません。

 

 でもじつは、わざわざ僕がこんなことを言わなくても、あなたも自分の人生の台本はひそかに書き進めているはずなんですよ。

 耳を澄まして自分に聞いてみてください。

 そして、目を凝らしてよく探してみてください。

 

●リライトしよう、今からでも始めよう

 

 親やら先生やら世間一般やらの書いた台本で生きている――

 もし、あなたがそう感じるのなら、そんなものは破り捨てるか、端から端までリライトして自分のものにしてしまう必要があるでしょう。

 

 また、もう齢で今からでは手遅れだ・・という人も大丈夫です。

 これまでの記憶・実績を材料に再構成することができます。

 起きてしまった事実は変えられなくても、現在の自分、そして未来の自分に合わせて、その事実の意味を変えることができます。

 マイナスと捉えていた事象もプラスに転換することができます。、

 これもどんどんリライトしましょう。その気になれば一晩でできます。

 

 完成度の高い台本、公開する台本(必要だと思えば見せてもいいけど)を作ることが目的ではありません。

自分が主人公であることを意識し、生きるということについてイメージを広げ、深めるためにこうした考え方をするのは有効ではないかと思うのです。

 

●エンディング産業を面白がろう

 

 エンディング産業は「人の死をネタにしたお金儲け」と、胡散臭い目で見られることがまだまだ多いようですが、歴史・文化・哲学など、いろいろなことを考えさせてくれる媒体です。

 

 そして経済と結びつくことで、世の中に大きな影響を与えていきます。

 そこで提供されるあふれんばかりの商品やサービス――それこそラーメン一杯からデザート付きフルコースまで――は、すべて今を生きる人たちの心が投影されたものばかり。どれを選ぶかは自分次第だし、オーダーメイドも可能だし、どれも選ばないという選択肢だってもちろんあります。

 興味と好奇心を持って覗いてみると、きっと面白いと思います。

  

 

2016・8・28 SUN


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ウーパールーパーな女子・男子

 

 「おまえら、いいトシこいて小学生かよ~」

 というのが「女子・男子」という呼び方に対する感想でした。

 20代だったらいざしらず、いったいいつから中高年まで女子・男子と呼びならわすようになったのか?

 たぶん少なくとも21世紀以降のこと。今ほど頻繁に使われ、定着するようになったのは、この10年くらいか?   どうも前から気になっていたので、これがいったいどういう意味を持つのか考えてみました。

 

●間柄によってビミョーに呼び方を変換

 近頃、女・男を呼び表すのって意外と難しいのです。

 「女性・男性(ジョセイ・ダンセイ)」は書くのはいいけど、音声で表す場合、どうもフォーマルすぎる。改まった席や仕事の場でなら問題ないが、ちょっとくだけた場や親しい間柄で「ジョセイ・ダンセイ」と言われると違和感があります。

 それならやっぱり「女・男(オンナ・オトコ)」―― 僕はこの呼び方を好むのですが、困ったことに最近、女性の中に敬遠する人が少なくない。

 

 文脈の中でどう使うかにもよりますが、「セックスを感じて恥ずかしい」「あまり口では言いたくない」という意見があるのです。「情婦・情夫」といった漢字と結びつくのでしょうか。性を伴う愛のにおいがするのでしょう。

 

 かなり親しい間柄でなら問題ないけど、やや親しさが希薄な友だち・仲間、あるいは仕事の同僚などに対しては、もしかしたら不愉快に感じるかな?と思ってしまうので、僕も「女の人(オンナノヒト)」といった言い方をします。(自分が男なので、男は「オトコ」でOK)。

 つまり相手によってけっこう使い分けなくてはならない。いやはや、なんとも日本語は繊細で複雑でビミョーです。

 それに仕事でも趣味でもプライベートでも、年齢層で分断されることなく、いろいろな年代の人間が、フラットな関係で入り混じって行動するようになったことも、こうした呼称のビミョーさに影響しているのではないかと思います。

 

●安心・安全なジョシ・ダンシ

 そこで登場した「女子・男子(ジョシ・ダンシ)」は、かなり便利。

 もともと子供・若者、あるいはスポーツ選手に対しての呼称だったので、「ジョシ」「ダンシ」と言われると、なんだか若返ったような気分になるし、カタさがなく、親しさイマイチの間柄でもOKだし、一般的な呼称としても安心して使えます。

 

●英語文化と日本語文化

 女子・男子は英語だとGIRL・BOY。

 英米ではむしろこっちのほうがセックス臭が漂いますね。

 その方面のお仕事をしている人はこの呼称で呼ばれることが多いと思います。

 なので普通、英米人の中高年は「GIRL」「BOY」なんて呼ばれたら腹を立てるんじゃないでしょうか。

 ところが日本語―ー日本人の場合はその逆。

 比較して考えると、英米が子供・若者(子供っぽさ・若さ)を下に見るのに対して、日本人には子供を神聖視したり、若さを尊ぶ精神構造があります。女子・男子×GIRL・BOYには、そうした文化の違いも見て取れします。

 

●女子・男子の裏にある「成長」というキーワード

 もうちょっと深掘りしてみたらどうなるか・・・ということで発見したのが 5年ほど前、自分のブログで書いていた文章。これは当時、映画・TV・演劇で「三銃士」がちょっとしたブームになっており、それについて書いたものです。

 

 いわゆる“成熟社会”となった先進諸国では“成長”は重要なキーワードだ。未熟だろうが、ダメダメなところがあろうが、成長を感じさせる、言い換えれば、未来への可能性を感じさせる人や集団や企業は、すこぶる魅力的に映る。 

 

 つまり、今、それだけ“成長”というものに希少価値があるのではないだろうか。

 成熟し、伸びきってしまった大人にはそうした魅力が見出せない。しかも環境の変化のせいもあり、信頼感も失墜しているのでなおさらだ。 

 

 ちなみにこれは実年齢のことを言っているのではない。10代・20代はもちろん、50代・60代でも“成長”しなくてはならない(少なくともそういう意志を見せなくてはならない)世の中になっているのだ。

 そして、若いダルタニアンと年長の三銃士のように、互いに影響を与え合いながら伸びていくことが求められている……三銃士の物語は、そうした現実を映し出す鏡のような機能を持っているのでは、と感じる。 

 

 どうもこうした意識がそのまま、僕たちの深層心理に貼りつき、いつまでも成長しきらない子供・若者の部分を形成しているのではないかと思います。

 それが「女子・男子」という呼称に結びついている。

 国境が溶け、世代差が溶け、リアルとバーチャルの境界が溶け、それでいながら経済や社会階級の格差が広がる今、人間として完成してしまうこと、成長しきってしまうことは、今後のことを考えるとマイナス要素にしかならない。

 齢は取っても可能性は残しておきたい・・・という気持ちの表れなのかも知れません。

 

●僕たちはいつまでウーパールーパーか?

 というわけで、ウーパールーパー。

 南米のサンショウウオの一種であるこの生き物、一般的には死ぬまで成熟せず、幼体のまま一生を終えるのだそうです。

 最近「1980」を謳ったCMでテレビに再登場しましたが、 確かに1980年頃、ウーパールーパーみたいな顔をした若い連中(=当時の僕たちのことです)が街の中をうようよ泳ぎ回っていました。

 

 あれから30年以上経った今も、依然として僕らはウーパールーパーそのもの。

 オトナ女子・オトナ男子として、ろくすっぽ成長することなく、結局、単に子供オバさん。子供オジさんのまんまで終ってしまう可能性は大きいのではないかと思います。

 

 でも「今どきの若いモンは・・・」という昔の人たちが本当に尊敬に値する大人ばかりだったのか?といえば、そんなことはない。情報がたやすく手に入らなかった時代の社会では、ごまかし、カッコづけも簡単で、威張っていられましたからね。

 

 今、成長するとはどういうことなのか? ごまかしやカッコだけでなく、大人になるってどういうことなのか・・・人生の続くかぎり、考えていこう。

  

 

2016・8・15 MON


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ぼくはセイウチロウ

 

氷の世界の恐怖のセイウチ

 子供の頃、動物図鑑で初めてセイウチの写真(イラストだったかも知れない)を見た時は、そのモンスターのような姿・形に心の底から驚愕しました。

その時の僕のセイウチのイメージは、世界の果ての暗くて冷たい氷の世界で巨大な牙をむき出しにして世にも恐ろしい咆哮を轟かせる孤独な怪物。

こわかったなぁ。

 人生の中でもしこんな怪物に出会うことがなあったら、僕は一瞬のうちにカチンコチンに凍り付いて、冷凍食食品になってこいつに食べられてしまうだろうと思い、どうぞそんなことになりませんように、と、何度もお祈りを唱えました。

 

夢の世界でセイウチロウと邂逅

 という衝撃が消えたのはいつのことだろう?

いろいろ本を読んだりテレビを見たりするうちに、セイウチは割とおとなしくて温かい生き物。孤独ではなく、群れをつくってのんびり暮らしていることなどを知りました。

それどころか、近年は日本水族館にも住んでいて愛嬌を振りまいてくれています。

 

 そのセイウチ君に僕もお世話になっています。

 夏、お昼寝するときは涼しい水族館のイメージを抱いて横になり、水中を魚がうようよ泳いでいる中をうつらうつらしつつ彷徨っているのですが、15分ないし30分ほどすると、コツコツと頭を何かがつつく。

「おい、起きろよ、セイイチロウ」

と目を覚ますと目の前には強大なセイウチが。やつはその牙の先で僕の頭をつついいたのです。

 こいつはセイウチロウといってクールな夢のアラーム係として30分経ったから起こしにくるのです。それ以上寝ちゃうと夕方まで頭が働かなってしまうので。起きない時は歌を歌って起こします。

 もちろん、歌はビートルズの「I am the Walrus」。

 

●ビートルズフェスでセイウチ登場

 そういえば昨夜、録画しておいてずっと見ていなかったNHK-BSの「BEATLESフェス」なる3時間番組を見ました。

  ビートルズ来日50周年ということで、当時の逸話――ビートルズにはっぴを着せた日航のスチュワーデスさんの話やら、独占取材に成功した星加ルミコさんやら湯川レイコさんの話――昔、音楽雑誌でよく記事を読んでいましたが、音楽ジャーナリズムのリーダーだった彼女らはまだ20代の女の子だったんですね――やら、を中心に、年寄りから若者まで入り混じったスタジオトークや、ビートルズ番組お約束のリバプール―ロンドン紀行(森高千里がキャバーンクラブに行ってドラムを叩いてた)などがてんこ盛りのバラエティ。

 しかし、目玉は何といっても、新旧いろいろな日本のミュージシャンたちがやるビートルズナンバーのトリビュートライブでした。

 

 財津和夫「Yesterday」や平原綾香「Hey Jude」などは、ま、定番の、という感じ。仲井戸麗市(チャボ)の「The Long and Winding Road」はほとんど自分で歌詞を書き換えた替え歌で、清志郎へのレクイエムにしか聞こえない。歌い方もそっくりだ。やっぱ寂しいんだろうね。

 

 その中で一番面白かったのがラブ・サイケデリコの「I am the Walrus」。

 ぐにゃぐにゃしたサウンドとともに、「おまえはあいつ、あいつはおいら、おいらタマゴ男、おいらセイウチ」なんていう、ジョンのナンセンスでファンタジックでグロテスクな詩の世界がぐりぐり脳天にねじ込まれてきて、めっちゃカッコいい!  こんな新鮮なアレンジでこの曲を聞けるとは思ってもいなかった。まったく感動モノでした。

 

 オリジナルを聞いて育ったおっさん・おばさんたちは、どうしてもリスペクトが先に立ってしまってアレンジも表面的で徹底しない。けど、「むかし、ビートルズっていうバンドがいたらしいね」と言っているような若い連中は、遠慮なくぶっ壊して、さらにおいしく料理していけると思います。

 ジョンやジョージがあの世から「おいおい」と言って止めに来るくらい、ガンガンすごいアレンジをしてほしい。

 

セイウチロウよ永遠に

 おまえはあいつ、おまえはおれ、だからあいつはおれ、おまえはセイウチロウ、ぼくはセイイチロウ、おまえはセイイチロウ? ぼくはセイウチロウ?

 まだまだ暑い。北極の氷の上でごろごろ寝そべる夢を見て毎日過ごすことにいたします。またセイウチロウと会うのを楽しみにして。

  

 

 

2016・8・11 THU


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四国化け猫➡猫神さま伝説

 

 この夏は四国をお遍路しています。

 ただし、オン・マイ・マインドで。

 葬儀・供養の業界誌の仕事で、ネット~メール~電話で取材しては原稿書きの日々。

四国の葬儀の風習や、お遍路についていろいろ勉強しました。

 

 で感じたのが、やたら四国にはネコが多いな、ということ。

 そういえば香川県のある島でネコがいっぱいいるのをテレビで見たことがあります。それで有名になって、観光客が出向いて、かわいい、かわいいとエサをあげまくるのでさらにネコ天国となっているようですが・・・。

 

 一方、僕が出会うのは、お葬式・お墓関連ので話からなので、この世とあの世の境界線上でニャーニャー鳴いているネコばかり。

 

●四国の葬儀における猫の存在

 

 徳島や愛媛で、家で人が亡くなると枕元にホウキや刃物などを置く、という風習があります。(正確には「あった」という過去形。日本の昔ながらの葬儀・供養の風習のほとんどは全国どこでも、この20~30年の間に9割以上消滅している)

何のためにこんなことをするかというと、ネコがご遺体の上をまたがないようにするため。ニャアとまたぐと死人が生き返って歩き出すとか、逆にネコがバケネコ化するというのです。

 ということは、この辺りではネコを飼っていた家が多のか?

 いや、飼っていたというよりも、ネコだのタヌキだの、動物たちが「こにゃにゃにゃちは~」と、自由にあちこちの家を出入りしていたのではないか、と思います。

 昔の日本の田舎の家は戸締りもいい加減で、常にオープン状態だったし、ネズミ退治にも役立つからね。だけど、キミはやばいからお葬式の時は来ちゃだめよ、という感じでしょうか。

 

日本三大化け猫伝説「お松大権現」の猫

 

 そんなわけでネコ伝説がはびこる四国。

 徳島県阿南市には「日本三大化け猫伝説」の一つに数えられている「お松大権現」という神社があります。

 ここに由来するお話は、借金苦にまつわるもので現代人にとってもリアル。

 むかし、困っている村人たちを救うために金貸しから多額の借金をした庄屋さんが金貸しに裏切られ、借金を残して死んでしまう。

 その妻・お松は「借金はちゃんと返したのに」と異議申し立てをしたのですが、その土地の奉行(きっと金貸しとつるんでいたと思われます。これも現代に繋がる政治とカネの問題です)が「わしゃ、返してもらとらんぞ」と、それを認めず、お松と、彼女が可愛がっていたネコを死刑にしてしまうのです。

 なんでネコまで処刑されるのかわからないけど、「わしの命に背く者は一族郎党皆殺しじゃ」という論理だったのでしょうか? 

 ネコも一族郎党に加えられてしまったのですね。

 

 で、この手の怪談兼勧善懲悪・庶民の味方ストーリーのセオリーとして、もちろん、この後、このネコはウソつきの金貸しと、権力乱用の奉行のところに化けて出て、悪者どもを地獄に叩き落とすというオチ。

 めでたし、めでたしということで、この正義のバケネコはこの神社にまつられることになったのです。

 

●今や霊験あらかた、招き猫だらけの観光スポット

 

 こうした因縁話があるせいか、なんと、この神社、今では受験と勝負ごとにご利益があるとして大人気に。バケネコになったネコはリベンジを果たした結果、「猫神様」に昇華。勝負ごとにご利益と言うので、全国からギャンブラーが詣でているようです。

 そして猫神様は招き猫の姿になって降臨したので、境内は招き猫だらけになっているようです。いやー、すごい。でも、借金は勝負事――ギャンブルに頼らず、地道にコツコツ返したほうがいいと思うなぁ。

 

 というわけで、妖怪も神様になってしまう四国。

 そういえば「千と千尋の神隠し」で、妖怪だか神様だかわからない者たちが湯あみに来る湯婆の湯場も愛媛の道後温泉がモデルになっていました。

 四国の旅・オン・マイマインド、まだまだ続きそうです。

 

 

2016・8・6 sat


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電子書籍「認知症のおかあさんといっしょ」 無料キャンペーン実施中

 

1月31日(火)16:59まで実施中

 

義母の介護の日々を綴った面白エッセイ。

認知症を知り、認知症から人生を考え、人間を学ぶ。

日本認知症学会 認知症専門医・指導医である久米一誠氏の貴重な講演録を通して、日本における認知症全体のあらましについても解説しています。

 

 

厚生労働省の発表では、

2025年には65才以上の5人に1人、

予備軍もふくめれば3人に1人が

認知症になると言われています。

 

認知症の人は子どもではありませんが、

子どもに見られる人間の元の部分と、

数十年間、この社会で大人として生きて身に着けた習性と、

複雑怪奇な感情とが絡み合ったものを、

むき出しにして表現する人たちです。

 

僕たちはそんな人たちと向き合わなくてはなりません。

それはまた、これまではスルーしていた

人間の根源的な在り方と向き合うことを

意味しているのではないかと思います。

 

けれども、泣いたり、怒ったり、嘆いたり、

暗い深刻な顔をしたりじゃなくて、

できれば笑って楽しく向き合いたい。

家族でも自分でも、認知症を過度に恐れ、

人生に受け入れ難いと言う、

すべての人に読んでほしい本です。

 

無料アプリを入れればスマホでも読めますよ。

 


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電子書籍「認知症のおかあさんといっしょ」無料キャンペーン 月末まで

 

義母上は本日はデイサービスの日。

土曜日は大のお気に入りの

昭和系2枚目のお兄さんがお迎えに来るので、

寒くても必ずパキッと目をさまし、したくもスムーズ。

ルンルン気分で出かけて行く。

こちらも夕方5時半まで羽を伸ばせてルンルン。

 

本日より「認知症のおかあさんといっしょ」

4日間無料キャンペーン実施。

1月28日(土)17:00~31日(火)16:59

ぜひご購入、読後のレビューをお願いします。

 

お求めはこちら:

https://www.amazon.co.jp/dp/B0BR8B8NXF

 

●PC・スマホ・タブレットで読める:Kindle無料アプリ

https://www.amazon.co.jp/gp/digital/fiona/kcp-landing-page

 

●Kindle unlimited 1ヶ月¥980で読み放題

https://www.amazon.co.jp/kindle-dbs/hz/subscribe/ku?shoppingPortalEnabled=true&shoppingPortalEnabled=true


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週末の懐メロ119:氷の世界/井上陽水

 

中学生の頃、日本の若者の音楽と言えば

フォークソングだった。

井上陽水ももちろんフォークシンガーであり、

シンガーソングライター。

けれども彼の歌には、それまでのフォークにはない

一種の異様さが漂っていた。

 

爽やか系でも、夢・希望系でも、哀愁系でも、

コミカル系でも、バカヤロー系でもなく、

ロックともフォークともつかない陽水ワールド。

あえてカテゴリー名をつけるとすれば、

劇画・文学系フォークロック?

 

いずれにしても「傘がない」「断絶」

「人生が二度あれば」「心もよう」などの

ヘヴィな楽曲群に、

当時の中学生は、まだ体験していない

人生の現実の奈落に叩き込まれたような気になった。

 

とくに「人生が二度あれば」や「心もよう」の

エンディングにはもう絶句するしかなく、

とても軽口を叩けるような雰囲気ではなかった。

 

そして、その真打として1993年にリリースされたのが、

この「氷の世界」である。

大寒波で毎日吹雪が吹き荒れる中、

リンゴ売りが声を張り上げるわ、

テレビがぶっ壊れっるわ、

ノーベル賞を狙っている引きこもりは出て来るわ、

わけのわからないアヴァンギャルドな歌詞が

ファンキーなリズムに乗って荒れ狂う。

 

ファンクともプログレッシブロックとも取れる歌だが、

けっして難解でなく、どこかポップで陽気でユーモラスで、

心地よく聴けてしまうところが陽水のすごいところ。

 

思うにそのポップさ・陽気さのエッセンスが拡大して、

80年代以降に変貌した「ニューミュージック陽水」に

繋がっていったのだと思う。

 

ところで歌詞の冒頭に出てくる「リンゴ売り」って、

いったいいつの時代の話?と思う人は多いだろう。

陽水が子どもの頃(昭和20年代)には、

まだ街中にそうした行商がいたのかなとか、

それとも昭和歌謡の「りんごの唄」(並木路子)などを

意識したのかなと思っていたが、

べつに関係ないらしい。

 

ちなみにリンゴ売りは

絶滅した昭和レトロビジネスではなく、

デジタル令和の今でもちゃんとあって、

リンゴを売り歩いて一日ン10万稼ぐとか、

それで一家7人養っているという人も本当にいるようだ。

この事実にもまた絶句。

 


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認知症のおかあさんといっしょ キャンペーン予告

 

お誕生日にプレゼントしたネコちゃんを

気に入ってくれた。

ここんところ、いつもニャーニャーお話している。

いつの間にか鏡台の上にはお友だちが増えた。

 

「認知症のおかあさんといっしょ」

4日間無料キャンペーンやります。

1月28日(土)17:00~31日(火)16:59

どうぞよろしく。

 


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週末の懐メロ書籍化

 

ブログのネタがなかったり、あんまり気分がのらない時の

手抜きコンテンツとして始めた週末の懐メロ。

当初、YouTubeのリンク貼って、

2,3行ちょこちょこっと

コメント書いときゃOKと思っていたが、

案に諮らずや、今ではこれをやらないと

1週間過ごした気がしなくなってしまった。

 

というわけで連載2年超、100回超になったので、

電子書籍にまとめて出すことにしました。

YouTubeのリンクが貼れないので文章だけ。

今年1年かけて刊行していこうと思ってます。

 

第1巻は第1回:5年間/デビッド・ボウイから

第28回:残酷な天使のテーゼ/高橋洋子まで収録。

ただいまリライト・編集中。

今月末発売予定です。お楽しみに。

 


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エンディングを意識して人生の台本を書く。

 

●エンディング文化の時代到来

 

 エンディング産業展の取材を終えて考えたこと。

 それは、エンディング――死を楽しむ時代がやってきたということです。

 

 「死を楽しむ」というと語弊があるかもしれませんが、要はひとりひとりが自分の人生の終え方について期待感や希望を抱く、ということです。

 

 いつかはこの世からおさらばしなくてはいけない。

 これはあらかじめそう決まっています。

 だったら悲しんだり寂しがったりするだけでなく、そうした感傷も含めて、思い切って楽しんだほうが「お得」なのではないでしょうか。

 

 少なくとも僕たち、現代の日本人ひとりひとりは、そうしたことをできる豊かな文化に包まれて生きていると思うのです。

 

●人生は20歳まで

 

 じつは人生は20歳で決定しています。

 20歳までの経験とそこから吸収したもの、そして喜怒哀楽の感情で人間の心身の基盤は出来上がります。

 どうすれば自分は気持ちよく生きられるのか、この世の人生において何に価値を置いて生きるのか、自分が果たすべきミッションは何なのか・・・これらはもうみんな、最初の20年で僕たちの内側にしっかりインプットされます。

 

 ただし、そのことに気づくかどうか、それらをいつ発見できるか、はその人しだいです。最期まで見つけられずに終わってしまう人も少なくない。いや、もしかしたら大半の人はそうなのではないでしょうか。

 

 だから20歳を過ぎた大人は、自分の人生の主人公は自分であると、しっかり意識したほうがいい。

 そして日々、自分の人生の台本を書いていくといい。

 細かく書き込む必要はないけれど、どういう流れでどうなり、どんな大団円を迎えるのか、エンディングまで想定してプロット(筋書)を作っておくといいと思います。

 

 もちろん、僕たちを取り巻く環境は、時代とともに刻一刻と変化していくので、日々リライトすることが必要です。

 でも、ベーシックな台本があるとないとでは違います。まったく手ぶらで毎日アドリブだらけでは続きません。

 

 でもじつは、わざわざ僕がこんなことを言わなくても、あなたも自分の人生の台本はひそかに書き進めているはずなんですよ。

 耳を澄まして自分に聞いてみてください。

 そして、目を凝らしてよく探してみてください。

 

●リライトしよう、今からでも始めよう

 

 親やら先生やら世間一般やらの書いた台本で生きている――

 もし、あなたがそう感じるのなら、そんなものは破り捨てるか、端から端までリライトして自分のものにしてしまう必要があるでしょう。

 

 また、もう齢で今からでは手遅れだ・・という人も大丈夫です。

 これまでの記憶・実績を材料に再構成することができます。

 起きてしまった事実は変えられなくても、現在の自分、そして未来の自分に合わせて、その事実の意味を変えることができます。

 マイナスと捉えていた事象もプラスに転換することができます。、

 これもどんどんリライトしましょう。その気になれば一晩でできます。

 

 完成度の高い台本、公開する台本(必要だと思えば見せてもいいけど)を作ることが目的ではありません。

自分が主人公であることを意識し、生きるということについてイメージを広げ、深めるためにこうした考え方をするのは有効ではないかと思うのです。

 

●エンディング産業を面白がろう

 

 エンディング産業は「人の死をネタにしたお金儲け」と、胡散臭い目で見られることがまだまだ多いようですが、歴史・文化・哲学など、いろいろなことを考えさせてくれる媒体です。

 

 そして経済と結びつくことで、世の中に大きな影響を与えていきます。

 そこで提供されるあふれんばかりの商品やサービス――それこそラーメン一杯からデザート付きフルコースまで――は、すべて今を生きる人たちの心が投影されたものばかり。どれを選ぶかは自分次第だし、オーダーメイドも可能だし、どれも選ばないという選択肢だってもちろんあります。

 興味と好奇心を持って覗いてみると、きっと面白いと思います。

  

 

2016・8・28 SUN


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ウーパールーパーな女子・男子

 

 「おまえら、いいトシこいて小学生かよ~」

 というのが「女子・男子」という呼び方に対する感想でした。

 20代だったらいざしらず、いったいいつから中高年まで女子・男子と呼びならわすようになったのか?

 たぶん少なくとも21世紀以降のこと。今ほど頻繁に使われ、定着するようになったのは、この10年くらいか?   どうも前から気になっていたので、これがいったいどういう意味を持つのか考えてみました。

 

●間柄によってビミョーに呼び方を変換

 近頃、女・男を呼び表すのって意外と難しいのです。

 「女性・男性(ジョセイ・ダンセイ)」は書くのはいいけど、音声で表す場合、どうもフォーマルすぎる。改まった席や仕事の場でなら問題ないが、ちょっとくだけた場や親しい間柄で「ジョセイ・ダンセイ」と言われると違和感があります。

 それならやっぱり「女・男(オンナ・オトコ)」―― 僕はこの呼び方を好むのですが、困ったことに最近、女性の中に敬遠する人が少なくない。

 

 文脈の中でどう使うかにもよりますが、「セックスを感じて恥ずかしい」「あまり口では言いたくない」という意見があるのです。「情婦・情夫」といった漢字と結びつくのでしょうか。性を伴う愛のにおいがするのでしょう。

 

 かなり親しい間柄でなら問題ないけど、やや親しさが希薄な友だち・仲間、あるいは仕事の同僚などに対しては、もしかしたら不愉快に感じるかな?と思ってしまうので、僕も「女の人(オンナノヒト)」といった言い方をします。(自分が男なので、男は「オトコ」でOK)。

 つまり相手によってけっこう使い分けなくてはならない。いやはや、なんとも日本語は繊細で複雑でビミョーです。

 それに仕事でも趣味でもプライベートでも、年齢層で分断されることなく、いろいろな年代の人間が、フラットな関係で入り混じって行動するようになったことも、こうした呼称のビミョーさに影響しているのではないかと思います。

 

●安心・安全なジョシ・ダンシ

 そこで登場した「女子・男子(ジョシ・ダンシ)」は、かなり便利。

 もともと子供・若者、あるいはスポーツ選手に対しての呼称だったので、「ジョシ」「ダンシ」と言われると、なんだか若返ったような気分になるし、カタさがなく、親しさイマイチの間柄でもOKだし、一般的な呼称としても安心して使えます。

 

●英語文化と日本語文化

 女子・男子は英語だとGIRL・BOY。

 英米ではむしろこっちのほうがセックス臭が漂いますね。

 その方面のお仕事をしている人はこの呼称で呼ばれることが多いと思います。

 なので普通、英米人の中高年は「GIRL」「BOY」なんて呼ばれたら腹を立てるんじゃないでしょうか。

 ところが日本語―ー日本人の場合はその逆。

 比較して考えると、英米が子供・若者(子供っぽさ・若さ)を下に見るのに対して、日本人には子供を神聖視したり、若さを尊ぶ精神構造があります。女子・男子×GIRL・BOYには、そうした文化の違いも見て取れします。

 

●女子・男子の裏にある「成長」というキーワード

 もうちょっと深掘りしてみたらどうなるか・・・ということで発見したのが 5年ほど前、自分のブログで書いていた文章。これは当時、映画・TV・演劇で「三銃士」がちょっとしたブームになっており、それについて書いたものです。

 

 いわゆる“成熟社会”となった先進諸国では“成長”は重要なキーワードだ。未熟だろうが、ダメダメなところがあろうが、成長を感じさせる、言い換えれば、未来への可能性を感じさせる人や集団や企業は、すこぶる魅力的に映る。 

 

 つまり、今、それだけ“成長”というものに希少価値があるのではないだろうか。

 成熟し、伸びきってしまった大人にはそうした魅力が見出せない。しかも環境の変化のせいもあり、信頼感も失墜しているのでなおさらだ。 

 

 ちなみにこれは実年齢のことを言っているのではない。10代・20代はもちろん、50代・60代でも“成長”しなくてはならない(少なくともそういう意志を見せなくてはならない)世の中になっているのだ。

 そして、若いダルタニアンと年長の三銃士のように、互いに影響を与え合いながら伸びていくことが求められている……三銃士の物語は、そうした現実を映し出す鏡のような機能を持っているのでは、と感じる。 

 

 どうもこうした意識がそのまま、僕たちの深層心理に貼りつき、いつまでも成長しきらない子供・若者の部分を形成しているのではないかと思います。

 それが「女子・男子」という呼称に結びついている。

 国境が溶け、世代差が溶け、リアルとバーチャルの境界が溶け、それでいながら経済や社会階級の格差が広がる今、人間として完成してしまうこと、成長しきってしまうことは、今後のことを考えるとマイナス要素にしかならない。

 齢は取っても可能性は残しておきたい・・・という気持ちの表れなのかも知れません。

 

●僕たちはいつまでウーパールーパーか?

 というわけで、ウーパールーパー。

 南米のサンショウウオの一種であるこの生き物、一般的には死ぬまで成熟せず、幼体のまま一生を終えるのだそうです。

 最近「1980」を謳ったCMでテレビに再登場しましたが、 確かに1980年頃、ウーパールーパーみたいな顔をした若い連中(=当時の僕たちのことです)が街の中をうようよ泳ぎ回っていました。

 

 あれから30年以上経った今も、依然として僕らはウーパールーパーそのもの。

 オトナ女子・オトナ男子として、ろくすっぽ成長することなく、結局、単に子供オバさん。子供オジさんのまんまで終ってしまう可能性は大きいのではないかと思います。

 

 でも「今どきの若いモンは・・・」という昔の人たちが本当に尊敬に値する大人ばかりだったのか?といえば、そんなことはない。情報がたやすく手に入らなかった時代の社会では、ごまかし、カッコづけも簡単で、威張っていられましたからね。

 

 今、成長するとはどういうことなのか? ごまかしやカッコだけでなく、大人になるってどういうことなのか・・・人生の続くかぎり、考えていこう。

  

 

2016・8・15 MON


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ぼくはセイウチロウ

 

氷の世界の恐怖のセイウチ

 子供の頃、動物図鑑で初めてセイウチの写真(イラストだったかも知れない)を見た時は、そのモンスターのような姿・形に心の底から驚愕しました。

その時の僕のセイウチのイメージは、世界の果ての暗くて冷たい氷の世界で巨大な牙をむき出しにして世にも恐ろしい咆哮を轟かせる孤独な怪物。

こわかったなぁ。

 人生の中でもしこんな怪物に出会うことがなあったら、僕は一瞬のうちにカチンコチンに凍り付いて、冷凍食食品になってこいつに食べられてしまうだろうと思い、どうぞそんなことになりませんように、と、何度もお祈りを唱えました。

 

夢の世界でセイウチロウと邂逅

 という衝撃が消えたのはいつのことだろう?

いろいろ本を読んだりテレビを見たりするうちに、セイウチは割とおとなしくて温かい生き物。孤独ではなく、群れをつくってのんびり暮らしていることなどを知りました。

それどころか、近年は日本水族館にも住んでいて愛嬌を振りまいてくれています。

 

 そのセイウチ君に僕もお世話になっています。

 夏、お昼寝するときは涼しい水族館のイメージを抱いて横になり、水中を魚がうようよ泳いでいる中をうつらうつらしつつ彷徨っているのですが、15分ないし30分ほどすると、コツコツと頭を何かがつつく。

「おい、起きろよ、セイイチロウ」

と目を覚ますと目の前には強大なセイウチが。やつはその牙の先で僕の頭をつついいたのです。

 こいつはセイウチロウといってクールな夢のアラーム係として30分経ったから起こしにくるのです。それ以上寝ちゃうと夕方まで頭が働かなってしまうので。起きない時は歌を歌って起こします。

 もちろん、歌はビートルズの「I am the Walrus」。

 

●ビートルズフェスでセイウチ登場

 そういえば昨夜、録画しておいてずっと見ていなかったNHK-BSの「BEATLESフェス」なる3時間番組を見ました。

  ビートルズ来日50周年ということで、当時の逸話――ビートルズにはっぴを着せた日航のスチュワーデスさんの話やら、独占取材に成功した星加ルミコさんやら湯川レイコさんの話――昔、音楽雑誌でよく記事を読んでいましたが、音楽ジャーナリズムのリーダーだった彼女らはまだ20代の女の子だったんですね――やら、を中心に、年寄りから若者まで入り混じったスタジオトークや、ビートルズ番組お約束のリバプール―ロンドン紀行(森高千里がキャバーンクラブに行ってドラムを叩いてた)などがてんこ盛りのバラエティ。

 しかし、目玉は何といっても、新旧いろいろな日本のミュージシャンたちがやるビートルズナンバーのトリビュートライブでした。

 

 財津和夫「Yesterday」や平原綾香「Hey Jude」などは、ま、定番の、という感じ。仲井戸麗市(チャボ)の「The Long and Winding Road」はほとんど自分で歌詞を書き換えた替え歌で、清志郎へのレクイエムにしか聞こえない。歌い方もそっくりだ。やっぱ寂しいんだろうね。

 

 その中で一番面白かったのがラブ・サイケデリコの「I am the Walrus」。

 ぐにゃぐにゃしたサウンドとともに、「おまえはあいつ、あいつはおいら、おいらタマゴ男、おいらセイウチ」なんていう、ジョンのナンセンスでファンタジックでグロテスクな詩の世界がぐりぐり脳天にねじ込まれてきて、めっちゃカッコいい!  こんな新鮮なアレンジでこの曲を聞けるとは思ってもいなかった。まったく感動モノでした。

 

 オリジナルを聞いて育ったおっさん・おばさんたちは、どうしてもリスペクトが先に立ってしまってアレンジも表面的で徹底しない。けど、「むかし、ビートルズっていうバンドがいたらしいね」と言っているような若い連中は、遠慮なくぶっ壊して、さらにおいしく料理していけると思います。

 ジョンやジョージがあの世から「おいおい」と言って止めに来るくらい、ガンガンすごいアレンジをしてほしい。

 

セイウチロウよ永遠に

 おまえはあいつ、おまえはおれ、だからあいつはおれ、おまえはセイウチロウ、ぼくはセイイチロウ、おまえはセイイチロウ? ぼくはセイウチロウ?

 まだまだ暑い。北極の氷の上でごろごろ寝そべる夢を見て毎日過ごすことにいたします。またセイウチロウと会うのを楽しみにして。

  

 

 

2016・8・11 THU


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四国化け猫➡猫神さま伝説

 

 この夏は四国をお遍路しています。

 ただし、オン・マイ・マインドで。

 葬儀・供養の業界誌の仕事で、ネット~メール~電話で取材しては原稿書きの日々。

四国の葬儀の風習や、お遍路についていろいろ勉強しました。

 

 で感じたのが、やたら四国にはネコが多いな、ということ。

 そういえば香川県のある島でネコがいっぱいいるのをテレビで見たことがあります。それで有名になって、観光客が出向いて、かわいい、かわいいとエサをあげまくるのでさらにネコ天国となっているようですが・・・。

 

 一方、僕が出会うのは、お葬式・お墓関連ので話からなので、この世とあの世の境界線上でニャーニャー鳴いているネコばかり。

 

●四国の葬儀における猫の存在

 

 徳島や愛媛で、家で人が亡くなると枕元にホウキや刃物などを置く、という風習があります。(正確には「あった」という過去形。日本の昔ながらの葬儀・供養の風習のほとんどは全国どこでも、この20~30年の間に9割以上消滅している)

何のためにこんなことをするかというと、ネコがご遺体の上をまたがないようにするため。ニャアとまたぐと死人が生き返って歩き出すとか、逆にネコがバケネコ化するというのです。

 ということは、この辺りではネコを飼っていた家が多のか?

 いや、飼っていたというよりも、ネコだのタヌキだの、動物たちが「こにゃにゃにゃちは~」と、自由にあちこちの家を出入りしていたのではないか、と思います。

 昔の日本の田舎の家は戸締りもいい加減で、常にオープン状態だったし、ネズミ退治にも役立つからね。だけど、キミはやばいからお葬式の時は来ちゃだめよ、という感じでしょうか。

 

日本三大化け猫伝説「お松大権現」の猫

 

 そんなわけでネコ伝説がはびこる四国。

 徳島県阿南市には「日本三大化け猫伝説」の一つに数えられている「お松大権現」という神社があります。

 ここに由来するお話は、借金苦にまつわるもので現代人にとってもリアル。

 むかし、困っている村人たちを救うために金貸しから多額の借金をした庄屋さんが金貸しに裏切られ、借金を残して死んでしまう。

 その妻・お松は「借金はちゃんと返したのに」と異議申し立てをしたのですが、その土地の奉行(きっと金貸しとつるんでいたと思われます。これも現代に繋がる政治とカネの問題です)が「わしゃ、返してもらとらんぞ」と、それを認めず、お松と、彼女が可愛がっていたネコを死刑にしてしまうのです。

 なんでネコまで処刑されるのかわからないけど、「わしの命に背く者は一族郎党皆殺しじゃ」という論理だったのでしょうか? 

 ネコも一族郎党に加えられてしまったのですね。

 

 で、この手の怪談兼勧善懲悪・庶民の味方ストーリーのセオリーとして、もちろん、この後、このネコはウソつきの金貸しと、権力乱用の奉行のところに化けて出て、悪者どもを地獄に叩き落とすというオチ。

 めでたし、めでたしということで、この正義のバケネコはこの神社にまつられることになったのです。

 

●今や霊験あらかた、招き猫だらけの観光スポット

 

 こうした因縁話があるせいか、なんと、この神社、今では受験と勝負ごとにご利益があるとして大人気に。バケネコになったネコはリベンジを果たした結果、「猫神様」に昇華。勝負ごとにご利益と言うので、全国からギャンブラーが詣でているようです。

 そして猫神様は招き猫の姿になって降臨したので、境内は招き猫だらけになっているようです。いやー、すごい。でも、借金は勝負事――ギャンブルに頼らず、地道にコツコツ返したほうがいいと思うなぁ。

 

 というわけで、妖怪も神様になってしまう四国。

 そういえば「千と千尋の神隠し」で、妖怪だか神様だかわからない者たちが湯あみに来る湯婆の湯場も愛媛の道後温泉がモデルになっていました。

 四国の旅・オン・マイマインド、まだまだ続きそうです。

 

 

2016・8・6 sat


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電子書籍「認知症のおかあさんといっしょ」 無料キャンペーン実施中

 

1月31日(火)16:59まで実施中

 

義母の介護の日々を綴った面白エッセイ。

認知症を知り、認知症から人生を考え、人間を学ぶ。

日本認知症学会 認知症専門医・指導医である久米一誠氏の貴重な講演録を通して、日本における認知症全体のあらましについても解説しています。

 

 

厚生労働省の発表では、

2025年には65才以上の5人に1人、

予備軍もふくめれば3人に1人が

認知症になると言われています。

 

認知症の人は子どもではありませんが、

子どもに見られる人間の元の部分と、

数十年間、この社会で大人として生きて身に着けた習性と、

複雑怪奇な感情とが絡み合ったものを、

むき出しにして表現する人たちです。

 

僕たちはそんな人たちと向き合わなくてはなりません。

それはまた、これまではスルーしていた

人間の根源的な在り方と向き合うことを

意味しているのではないかと思います。

 

けれども、泣いたり、怒ったり、嘆いたり、

暗い深刻な顔をしたりじゃなくて、

できれば笑って楽しく向き合いたい。

家族でも自分でも、認知症を過度に恐れ、

人生に受け入れ難いと言う、

すべての人に読んでほしい本です。

 

無料アプリを入れればスマホでも読めますよ。

 


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電子書籍「認知症のおかあさんといっしょ」無料キャンペーン 月末まで

 

義母上は本日はデイサービスの日。

土曜日は大のお気に入りの

昭和系2枚目のお兄さんがお迎えに来るので、

寒くても必ずパキッと目をさまし、したくもスムーズ。

ルンルン気分で出かけて行く。

こちらも夕方5時半まで羽を伸ばせてルンルン。

 

本日より「認知症のおかあさんといっしょ」

4日間無料キャンペーン実施。

1月28日(土)17:00~31日(火)16:59

ぜひご購入、読後のレビューをお願いします。

 

お求めはこちら:

https://www.amazon.co.jp/dp/B0BR8B8NXF

 

●PC・スマホ・タブレットで読める:Kindle無料アプリ

https://www.amazon.co.jp/gp/digital/fiona/kcp-landing-page

 

●Kindle unlimited 1ヶ月¥980で読み放題

https://www.amazon.co.jp/kindle-dbs/hz/subscribe/ku?shoppingPortalEnabled=true&shoppingPortalEnabled=true


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週末の懐メロ119:氷の世界/井上陽水

 

中学生の頃、日本の若者の音楽と言えば

フォークソングだった。

井上陽水ももちろんフォークシンガーであり、

シンガーソングライター。

けれども彼の歌には、それまでのフォークにはない

一種の異様さが漂っていた。

 

爽やか系でも、夢・希望系でも、哀愁系でも、

コミカル系でも、バカヤロー系でもなく、

ロックともフォークともつかない陽水ワールド。

あえてカテゴリー名をつけるとすれば、

劇画・文学系フォークロック?

 

いずれにしても「傘がない」「断絶」

「人生が二度あれば」「心もよう」などの

ヘヴィな楽曲群に、

当時の中学生は、まだ体験していない

人生の現実の奈落に叩き込まれたような気になった。

 

とくに「人生が二度あれば」や「心もよう」の

エンディングにはもう絶句するしかなく、

とても軽口を叩けるような雰囲気ではなかった。

 

そして、その真打として1993年にリリースされたのが、

この「氷の世界」である。

大寒波で毎日吹雪が吹き荒れる中、

リンゴ売りが声を張り上げるわ、

テレビがぶっ壊れっるわ、

ノーベル賞を狙っている引きこもりは出て来るわ、

わけのわからないアヴァンギャルドな歌詞が

ファンキーなリズムに乗って荒れ狂う。

 

ファンクともプログレッシブロックとも取れる歌だが、

けっして難解でなく、どこかポップで陽気でユーモラスで、

心地よく聴けてしまうところが陽水のすごいところ。

 

思うにそのポップさ・陽気さのエッセンスが拡大して、

80年代以降に変貌した「ニューミュージック陽水」に

繋がっていったのだと思う。

 

ところで歌詞の冒頭に出てくる「リンゴ売り」って、

いったいいつの時代の話?と思う人は多いだろう。

陽水が子どもの頃(昭和20年代)には、

まだ街中にそうした行商がいたのかなとか、

それとも昭和歌謡の「りんごの唄」(並木路子)などを

意識したのかなと思っていたが、

べつに関係ないらしい。

 

ちなみにリンゴ売りは

絶滅した昭和レトロビジネスではなく、

デジタル令和の今でもちゃんとあって、

リンゴを売り歩いて一日ン10万稼ぐとか、

それで一家7人養っているという人も本当にいるようだ。

この事実にもまた絶句。

 


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認知症のおかあさんといっしょ キャンペーン予告

 

お誕生日にプレゼントしたネコちゃんを

気に入ってくれた。

ここんところ、いつもニャーニャーお話している。

いつの間にか鏡台の上にはお友だちが増えた。

 

「認知症のおかあさんといっしょ」

4日間無料キャンペーンやります。

1月28日(土)17:00~31日(火)16:59

どうぞよろしく。

 


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週末の懐メロ書籍化

 

ブログのネタがなかったり、あんまり気分がのらない時の

手抜きコンテンツとして始めた週末の懐メロ。

当初、YouTubeのリンク貼って、

2,3行ちょこちょこっと

コメント書いときゃOKと思っていたが、

案に諮らずや、今ではこれをやらないと

1週間過ごした気がしなくなってしまった。

 

というわけで連載2年超、100回超になったので、

電子書籍にまとめて出すことにしました。

YouTubeのリンクが貼れないので文章だけ。

今年1年かけて刊行していこうと思ってます。

 

第1巻は第1回:5年間/デビッド・ボウイから

第28回:残酷な天使のテーゼ/高橋洋子まで収録。

ただいまリライト・編集中。

今月末発売予定です。お楽しみに。

 


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わたしの寿命はあと7年

 

誕生日が来て63になった。

あと7年したら70だが、

僕の寿命はそこらあたりまでかなと思っている。

 

いや、べつにどこか悪いところがあるわけではない。

いたって元気で健康だ。

でも、あと20年生きても30年生きても7年なのだ。

 

もうほとんど前世の記憶みたいだが、

18歳から25歳までの7年間、

演劇の学校に行って、

仲間と劇団を作って芝居をやっていた。

いま思い返すと若気の至りというか、

バカ気の至りみたいなことをやってて、

恥ずかしいぐらいだ。

 

でもバカはバカなりに面白くていつも弾けていた。

出逢うものすべてが新鮮で、

ポジティブにでも、ネガティブにでも、

いちいち鮮烈な感情が自分の内側から迸った。

どう生きてやろうかという気概に溢れていた。

 

あの頃に戻りたくはない。

はっきり言ってあんなふうに毎日を送っていたら

疲れてしかたがない。

齢を取るとは、こういうふうに思ってしまうことだ。

 

ただ、あの頃の時間の感じ方を取り戻せらたら、とは思う。

同じ24時間なのに、実にいろいろなことができた。

バイトをし、稽古をし、本を読み、本を書いた。

ほんとんど寝ない日もあれば、

疲れて一日中爆睡しているような日もあった。

実に贅沢に時間を使い捨てていた。

一つの季節が今の1年ぐらいに感じられた。

そもそも自分が齢を取るなんて思っていなかったのだ。

フォーエバーヤングだと本気で思っていたのだ。

 

しかし、明らかに体力は衰え、

目も悪いし、歯も悪いし、頭も悪い。

顔はちょっといいかも知れない。

 

若ぶって40年前と同じように…は無理だけど、

バカ気の至りを発揮して、

感性豊かに生きてきたいと願う。

最悪、本当にあと7年でもOKなように。

 


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週末の懐メロ118:人は少しずつ変わる/中山ラビ

 

中学生の時、ラジオで初めてこの歌を聴いた。

中山ラビというシンガーソングライターがいるのを

知ったのもその時——1974年だ。

 

心変わりした男に対する女の恨み節。

それがその時の感想だった。

中学生の耳には単なる失恋ソングにしか聴こえず、

大して印象にも残らなかった。

 

けれども、あれから50年近く経ったいま、

まったく違った歌に聴こえる。

62歳最後の夜、「人は少しずつ変わる」は、

底なしの深さを感じさせて響いてくる。

 

本当だ。

若い頃には思ってもみなかったことだが、

人が劇的に変わることなど滅多にない。

人は少しずつ変わる。

これは確かだ。

そんな当たり前のことをこの齢になるまで

はっきりわからずにいた。

 

外身も、中身も、僕も少しずつ変わって来た。

そしていつの時代も、一夜の夢冷めやらず

うかつな10年ひと昔を、懲りずに繰り返してきた。

 

何年も何十年も会っていない友だちや仲間が大勢いる。

変わってしまった姿を見たり、見られたり、

もう昔のように同じ夢を見て語り合えないだろうと思うと、

怖気づいて、このまま死ぬまで会わないで、

美しい昔の面影や、明るい声を

抱いたままでいた方がいいのではないかと、

正直、思うことがある。

齢を取るとはこういうことなのだ、と腑に落ちる。

 

中山ラビは、詩人の中山容が訳した

ボブ・ディランの曲を歌ってライブデビュー。

「女ボブ・ディラン」と呼ばれたこともあったようだ。

芸名も中山容にちなんでつけたという。

 

1972年にレコードデビュー。

レコードを買って聴いた記憶はないが、

「ひらひら」「もうすぐ」「女です」といった

タイトルやジャケットはよく憶えている。

 

その後、よくあるパターンで、

当初の素朴なフォーク風の曲は、

新味を取り入れたニューミュージックっぽい曲調に

少しずつ(?)変わっていったようだ。

 

80年代後半、音楽活動を停止し、10年後にカムバック。

以後、コロナ前の2019年までライブハウスなどで

活動を続け、一昨年7月に亡くなった。

 

最晩年、おそらく最後に近いステージだと思うが、

2019年12月に松本のライブハウスでの

演奏が上がっている。

70歳の中山ラビが、ギター1本でこの歌を歌っていた。

別に気負うことなく、20代の頃と同じように、

さして変わらぬ声で、ごく自然に。

とても美しいと思った。

 

人は少しずつ変わる。

だんだん変わってどこへたどり着くのか。

誰にも自分のことがわからない。

でもきっと、だから生きているのが面白いのだろう。

 


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なぜ付け合わせのポテトサラダがおいしい店は信用できるのか?

 

♪サ、サ、サ、サラダ 

サラダの国から来たむすめ

 

という歌が、かつてあったが、

サラダの国のプリンセスと言えば、

何と言ってもポテトサラダである。

 

並みいるサラダの中で総選挙をやれば、

ぶっちぎりでトップ当選。

日本においては、まさにサラダ界のスーパーアイドル。

いまや多種多様な味・食感を揃えた

ダイバーシティなポテサラ専門店まで出現し、

繁盛する時代である。

 

まさかその事実を知らずして、

スーパーやコンビニの弁当と同じ、

業務用の在りもののポテサラを

袋から出してまんま盛り付けている飲食店はあるまい。

もしあったとすれば、その店は日々、

顧客からの信用を落としている、と認識した方がいい。

 

表題にある「ポテトサラダがおいしい店は信用できる」は、

かの「孤独のグルメ」の主人公・

井之頭五郎氏のセリフだが、

裏返せば、

「ポテトサラダに魂を入れられない店は信用できない」

ということになる。

 

ポテトサラダはいかようにでもオリジナリティが

発揮できるサラダである。

 

材料となるジャガイモも、

男爵、きたあかり、とうや、メークイン、

アンデスレッド、インカのめざめなど多種多様。

 

僕も好きなのでよく家で作る。

自分が好きなものを作る時は、

なんとかうまいものにしてやろうと手が動く。

ゆでるのではなく、圧力釜で蒸し、

うまみを凝縮して柔らかくしたやつを

つぶして湯気が出ているところに

バシャッとお酢をぶっかけ、ガバッと粉チーズをふる。

それに定番としてタマネギ、ゆで卵、

あとはキャベツ、キュウリ、ニンジン、

ブロッコリーの茎などを投入し、

マヨネーズをにゅるにゅるっと絞って混ぜ合わせる。

 

といったレシピを基本に、その日の気分と

ぶち込める材料、調味料によっていろいろアレンジする。

ポテサラはその人の個性・嗜好・工夫、

そして、その瞬間のフィーリングが如実に反映される。

 

「これがうちのポテサラじゃ!」

と、愛と自信と誇りを持って客に出せるか?

それとも、どうせ付け合わせなんだからと

適当に済ませるか?

 

自分で作ると分かるが、ポテサラを作るのは、

けっこう手間暇がかかる。

コロナでダメージを受けた飲食店としては、

経営立て直しの必要性から

付け合わせなんぞに手間暇かけず、

市販の出来合いでパッと済ませて、

その分、生産性を上げたいと考えるのが常道だ。

 

しかし、手を抜いていいものと駄目なものがある。

いくらメインのハンバーグがうまくても

ポテサラが駄目ならハンバーグも減点されてしまう。

 

しかし、しょせんは付け合わせである。

そんなことを口に出して言う人はほとんどいるまい。

皆、井之頭五郎のように

「ここのポテトサラダは間に合わせの業務用か。

これは残念だ」

と心の中で不満げに呟くばかりである。

彼がもう一度、あなたの店に戻ってくる確率は

限りなく低い。

 

僕たちは目の前にある問題を合理的・効率的に解決し、

生産性・経済性を上げようと躍起になる。

手っ取り早く稼いで、

あわよくばさっさとリタイアしちまおうと考える。

 

しかし、そんなことがうまくできるのは、

ごくわずかな幸運で、選ばれた人間だけだ。

あなたはおそらく違う。

僕も違う。

僕たちは残念ながら選ばれし人間などではない、

あまりにも平凡な、どこにでもいる、

いつでも取り換え可能な、十把一絡げの人材だ。

 

そんなしょーもない凡庸な輩が、

出来合いのポテサラを提供して

うまくしのいでいると思っているかも知れないが、

「あの店には二度と行かないよ」と

井之頭五郎らに心の中で言われ、

いつの間にか信用を失くしているのだ。

 

汝、付け合わせのポテトサラダに手を抜くな。

どうしようもなく平凡で、ありきたりでも、

愛と魂と情熱と己のグルーヴを込めて作った

ポテトサラダには自然と個性がにじみ出る。

あなただけのサラダプリンセス。

僕だけのポテポテアイドル。

 

食いに来た客の10人に一人は

「この店は信用できる」と言ってくれるかもしれない。

そして、100人に一人ぐらいは

「好きだ。愛してる」と言ってくれるかもしれない。

みんな、あなたや僕の店の工夫と頑張りを

ちょっとぐらいは期待してくれている。

 


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ETV特集「弔いの時間(とき)」の衝撃

 

1月15日放送のNHKのETV特集

「弔いの時間(とき)」は、けっこう衝撃的だった。

葛飾区(青砥/立石)にある想送庵「カノン」における

ドキュメンタリー。

この施設は故人の安置施設で、

遺族が心行くまで故人と別れの時間を持てるように、

と作られた。

いわば最後のお別れのためのホテルである。

 

葬儀社の葬儀会館と違うのは、

家族や友人が亡くなった人と

最後の時を共有するのが目的の空間なので、

必ずしもここでお葬式をやる必要はないということ。

実際、ここから直接、火葬場へ行く人も少なくないらしい。

 

逆にここでお葬式をするときは、

葬儀社の葬儀会館ではできないような

自由なお葬式というか、お別れの会ができる。

 

番組で紹介されたのは、21歳で自殺してしまった女性と

70歳で亡くなったコピーライターの人のお葬式。

 

前者は3年前の出来事で、お母さんがとつとつと

その時の情景と心情を語る。

子供に先立たれたら、

哀しみで気が狂いそうになるだろうと想像するが、

何かがそのお母さんをそうさせなかった。

哀しみに沈むのとは逆に、

その子の友だちが大勢集まって、

わいわい笑い声が飛び交い、

施設が一種の祝祭空間のように変わってしまったとのこと。

もちろん、その映像はないが、

話と遺影や飾りつけだけで

その時の情景がありありと思う浮かべることができた。

 

後者はリアルタイムで

テレビカメラがお葬式を取材していた。

そのご家族はビデオでその人の亡くなる瞬間を撮影し、

その動画を参列者に見せた。

奥さんは哀しみの感情を隠すことなく、

参列者の前で歌を歌った。

 

どちらもけっして異常だとは思わない。

親しい人間の死は、

その周囲の人間にいろいろな感情を与え、

いろいろな行動を取らせる。

もしかしたら、このカノンという施設の空間には

一種のマジックが働いて、

悲しみに沈みこむという感情の定型パターンから

心が自由になれるのかもしれない。

 

30年ほど昔、「泣き女」を主人公にした

演劇的葬式が開かれる世界についての

ラジオドラマを書いたことがある。

脚本賞をいただいて放送してもらったが、

なんだかそれが時を超えて実現したのを

見たようが気がした。

 

普段から葬儀供養の雑誌の仕事をしているので、

変わった葬式の話は割と聞き慣れている方だが、

それでもやっぱりこれは衝撃。

いい・悪いではないが、何かものすごく心が揺れた。

しばらくはうまく言語化できない。

 

興味のある方は、今週いっぱいなら、

NHKプラスの「#ドキュメンタリー」のところで

見られます。

 


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誕生日のドラえもんとウサギ

 

義母の誕生日。

88歳の米寿である。

「おめでとう」の祝辞にも

「え、誰のお誕生日なの?」

認知症は、主観的には齢を取ることはない。

本人の意識の上では不老不死である。

 

さて、誕生日と言えばケーキ。

この人はジャムパン、クリームパン、

あるいは100円で買える甘食とかロールケーキとか、

普通、洋菓子とは呼べないお安い菓子パン系は大好物だが、

ちょっとハイクラスのケーキなどは

いまいちお好きではない。

 

最近、その傾向がますます強くなっており、

日本人として原点回帰しているのでは?と思わせる。

 

そんなわけで先日のパステルのプリンケーキは、

三日かけて、カミさんと僕とで食ってしまったのだが、

今日は、それならということで、

好物のどら焼きを食わしちゃろうということで、

阿佐ヶ谷の「うさぎや」へ行く。

 

阿佐ヶ谷北口の狭い路地にあるうさぎやは

古い木づくりの和菓子屋で、

レトロムードたっぷり。

阿佐ヶ谷にお店を開いたのは昭和32年というから、

僕が生まれる前のこと。

日本橋と上野にも同じ店があるが、

のれん分けというわけでなく、親族が経営しているらしい。

 

売っている和菓子はどら焼きをはじめとして、

すべて職人さんの手作り。

いつも行列ができているので、午前中に行ったが、

それでも十分待ち。

店内には大勢お客がいて、

反日の女性たちもちゃきちゃきしていて、

なんだか昭和に還ったような、あったかい気分になる。

味はもちろんだが、

こうした店の雰囲気も人気の秘密なのだろう。

 

浅草・亀十のどら焼きもそうだが、

いわゆる名物となるどら焼きの共通点として、

皮にもアンコにもくどさがまったくなく、

けっこう軽く食べられてしまうこと。

インタビュー記事を読むと、

食べ終わった時に

「もう1つ食べたいと思える余韻がある甘さ」

にしているそうで、そのレシピをずっと守っているという。

 

甘さを抑えている分、

日持ちしない(消費期限三日)のだが、

これならほとんどドラえもんのように

何個でもパクパク食べられてしまう。

もっとたくさん買っておいてもよかった。

 

ウサギまんじゅうが可愛くて、

ウサギ年なので縁起がいいかなと

これも買ってみた。

目と耳は寒天とあんこを混ぜた羊羹で書いており、

手作りなので1つ1つ顔が違う。

ついでに大きな小豆がたっぷり入ったお赤飯も買った。

 

プレゼントもあげて、好物のおでん、お赤飯、

そしてどら焼きでお祝い。

プレゼントには、ネコの小さなぬいぐるみと

ティッシュ入れをあげたのだが、

本人はさっぱりわかっていない。

 

ほとんどカミさんと僕の自己満足の世界になっているが、

まぁ、それでもよし。

明日もどら焼きとウサギまんじゅう食べるよ。

 

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義母の介護の日々を綴った、面白エッセイ。認知症を知り、認知症から人生を考え、人間を学ぶ。

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週末の懐メロ117:スタンド・バイ・ミー/プレイング・フォー・チェンジ

 

いまや誰もが知る名曲中の名曲、

スタンダードナンバー中のスタンダードナンバー。

オリジナルは1961年に黒人シンガーソングライター、

ベン・E・キングがリリースした。

 

その後、1975年にジョン・レノンが

アルバム「ロックンロール」の中でカバーして大ヒット。

 

さらに1986年に公開された、

スティーブン・キング原作、ロブ・ライナー監督の

同名映画(4人の少年が死体を見つけようと冒険する話)の

テーマ曲となり、誰もが知る名曲となった。

 

60年代、70年代、80年代と年月を重ねて

広まった名曲は、もちろん、90年代にも21世紀の今も

愛唱・愛聴されており、

カバー・バージョンは400を超えるという。

 

さて、ここで歌っているのは皆、

音楽ビジネスとは無縁な無名のミュージシャンたち。

ストリートで、スラムの片隅で、自宅で、

あるいはどこかの野っぱらで、

自由に、好きなように「スタンド・バイ・ミー」を歌う。

 

この音楽プロジェクト“PLAYING FOR CHANGE”は、

2004年の第47回グラミー賞において、

ベストコンテンポラリー・ブルースアルバム部門で受賞した

アメリカ人のプロデューサー/エンジニアである、

マーク・ジョンソン氏が立ち上げたもの。

 

彼はサンタモニカの街の路上で歌う

黒人のおっちゃん(冒頭から登場するメインシンガー)の

パフォーマンスに胸を射られ、

その演奏に世界中のミュージシャン達を加え、

音楽で世界をつなぎたいという思いが込み上げたという。

 

その後、数年をかけて世界のさまざまな国を旅して、

世代を超えた名曲やオリジナル楽曲の演奏を、

のべ100人以上のミュージシャン達から収録した。

 

そして、それを編集し、

あたかも世界中のミュージシャンが、

ひとつの楽曲を一緒に演奏しているように

仕上げた動画を発表。

世界規模で大きな話題となり、

多くの人々に感動を与える一大ムーヴメントとなった。

 

このプロジェクトの収益の一部は、

非営利団体である

「PLAYING FOR CHANGE基金」を通じて、

インドやネパールにおける難民への必要物資の提供など、

直接的な援助のほかに、

南アフリカでの音楽スクールやアートスクールの設立、

子どもたちへの恒常的な指導にも役立てられ、

音楽や芸術の輪を、世界に広げることに貢献している。

 

音楽は世界を救う、平和を実現する――

1960年代から80年代にかけて盛り上がった

ポップカルチャーのムーヴメントは色あせ、

夢と消えたかに見えたが、まだ生きている。

やっぱり音楽っていいものだ、夢を捨ててはいけない

と改めて思わせてくれるパフォーマンスだ。

 


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がっちりアメリケンなハンバーガーとアップルパイ

 

吉祥寺の「バビーズ」という店で昼食を食べたが、

めっちゃうまかった。

 

思いっきりアメリケンなカフェ&レストランで、

古き良きアメリカ料理がコンセプト。

いろんなハリウッド映画によく出てくるような

田舎町のカフェに似ている。

 

大ぶりなテーブルの上には全席、

真っ赤なハインツのケチャップと、

まっ黄色なマスタードが、

なかよくドカッという感じで鎮座している。

 

カミさんはマカロニチーズ、

僕はハンバーガーを頼んだが、

これまた、ちんまりお洒落な感じでなく、

アメリケンなメジャーリーグ、

イッツ・ショータイムという感じで、

ドカドカッと運ばれてきた。

 

こんがり焼けたビーフハンバーガーは、

トマト、オニオン、レタスをのっけただけの

シンプルな代物で、

これにハインツのケチャップとマスタードを

ドバドバかけてかぶりつく。

 

おお、そうだった。

本来、ハンバーガーとはこういう食い物だ。

そして日本のケチャップとはやっぱり違う

アメリケンなハインツの甘さと酸っぱさ。

 

おお、愛しき憎きパックスアメリカーナ。

おれのからだの中では今、

日本人とアメリカ人の血がせめぎ合っている。

 

「孤独のグルメ」の井之頭五郎なら、

そうモノローグするところだ。

 

ちょっと重いかなと思って、付け合わせには

コールスロー(ビーツが入っていてピンク色)を選んだ。

これもおいしかったが、

これならフライドポテトも食べてみたい気がする。

 

そしてデザートに頼んだのが、この店の売りの

アップルパイ。

 

普通のアップルパイでもよかったが、

記事にくるみを入れ、シナモンを効かせた

「クランブルアップルパイ」というのを頼んでみたら、

これが感動的な味だった。

こんなサクサクなアップルパイ、

ちょっと他では食べられない。

 

ニューヨークに本店があって人気らしく、

日本では吉祥寺のほかには

赤坂・八重洲・汐留・二子玉などに店を出している。

「都会の中のカントリー」といったところで、

お洒落感もほどほど。

年齢に関係なく、年寄りでも子ども連れでも

気軽に入れるところがいい。

テーブルも広く、リラックスムードがあって居心地も良い。

 

二人で、メイン2+ドリンク2+デザート1で

4千円ちょい。

そう安くはないけど、内容と見合わせれば十分満足。

束の間、アメリカのどこかに旅した気分にも浸れます。

 


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新宿にパステルが帰って来た

 

カミさんのお誕生日だったので、

パステルのプリンケーキを買いに新宿へ行く。

1か月前、新宿西口地下の小田急エースタウンに

パステルの新しい店舗ができたのだ!

 

その昔は渋谷・恵比寿・新宿に数店舗、

数年前は吉祥寺のアトレにも入っていたが、

撤退に次ぐ撤退で、

一番近いのは池袋東武の1階になってしまったのだが、

新宿にできてうれしい。

行ってみるとチョコレートケーキのTOPSも入っている!

 

しかし、ここに入ってる店はどこもそうだが。

かつての店舗と比べると極めて小さく、

ぎりぎりの省スペースで、

スタッフもぎりぎりに削ってやっているように見える。

(基本、おねーさん一人で販売しているように

見受けられた)

 

何となく栄枯盛衰。

パステルもTOPSもかつては

デパ地下の花形というイメージがあったのだが、

あれは愛するが故の幻想だったのか?

なんだかデパ地下・駅ビルの晴れ舞台から陥落して、

ひっそりやっていますという感じがしなくもない。

 

でも、いいのだ。おいしければ。

味は決して落ちてない。

古い奴だと思われても、

僕らはプリンケーキを食べ続けるだろう。

(と言っても年に1回か2回だけど)

 

パステルのプリンケーキと

TOPSのチョコレートケーキは日本の宝です。

 


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サスペンスフルな認知症映画「ファーザー」

 

一昨年公開されたアンソニー・ホプキンス主演の

映画「ファーザー」は、認知症患者の視点で描かれている。

観客を混乱に陥れるような

ミステリアスでサスペンスフルな展開。

しかしその実、認知症患者と介護の現実を突きつける

ドキュメンタリータッチの映画でもある。

 

もともとは舞台劇で、舞台はロンドン。

派手なシーン展開は一切なく、

ドラマはほとんど家の中で進む。

それでも1時間半、画面から目が離せない。

目の前で何が起っていくのか、

ひとつひとつを固唾を飲んで見守らざるを得なくなる。

 

無駄なものを一切そぎ落としたシャープな演出と構成。

そして何よりもアンソニー・ホプキンスの圧倒的な演技力。

嘘っぽさがみじんもないリアルの極致。

こんなふうに認知症患者を演じられる役者が他にいるのか。

 

そして、その行く先は、やはり辛くて悲しい。

広告では「感動」と謳っているが、

いや、多くの人はそれよりも

言いようのない不安と怖さに晒されるのではないか。

そういう映画だと思う。

 

けれども認知症が蔓延していくこれからの社会、

現実と向き合いたくない人、逃げ出したい人も、

せめてこの映画で認知症のことを知ってほしい。

 

2021年アカデミー賞・主演男優賞と脚本賞。

現在、アマゾンプライム見放題で視聴可能。

 

 

認知症について学ぶ。

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認知症介護の日々を綴った

おりべまことの面白エッセイ集。

専門医の解説も併載。

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年寄り大河ファンを切り捨て御免の「どうする家康」

 

年末年始にかけて、NHKの画面は松本潤だらけ。

「どうする家康」の大量の番宣を投下し続けた。

それで第1回を見たが、松本潤の家康のヘタレぶりと

家臣らのキャラ(特に松重豊とイッセー尾形)が

面白かった。

 

それにしてもオープニングタイトルは、

まるで朝ドラみたいな軽やかな映像と音楽。

これだけでこのドラマは、

これまでの大河のような重厚な時代劇ではなく、

弱小企業の若いヘタレ後継ぎ

(あるいは窮地に追い込まれたスタートアップ)が奮闘して

業界を牛耳るヒーローに成りあがる物語であることが

わかる。

だから松潤(39)と似た世代(あるいはそれより若いの)が

自己投影しやすいように作られている。

 

大河ドラマとしては相当な違和感。

従来の大河ファンには到底受け入れられないだろう。

けれどもたぶん、それでいいのだと制作陣は思っている。

言い換えると、これまでの大河ファンは切り捨ててもいい、

とさえ割り切っているのではないかと想像する。

 

テレビがこれだけ若い世代に見られなくなっている現状

(にしても数百万、数千万人規模が見ているけど)

を考えると、

彼ら・彼女らに大河ドラマを見てもらうためには

これくらい思いきったことが必要なのだ、きっと。

 

大河の視聴者というのはどうもかなり保守的なようで、

「大河ドラマとはこうでなくては」みたいな

思い入れが強い。

あれだけ革新的で大好評であることが伝えられた

「鎌倉殿の13人」も視聴率は12%台で振るわなかった。

2019年の「いだてん」などは1ケタ。

三谷幸喜も宮藤官九郎も人気が高く、

腕も確かな素晴らしい脚本家だが、

大河ドラマの作者としてはあまり評価されないようだ。

 

何度もいろいろな変革を試みてきた大河ドラマだが、

数字を見る限りはうまくいっていない。

ということで、マスメディアでは、

かつて最高視聴率39.7%を記録した

「独眼竜正宗(1987年)」以下、

歴代の高視聴率作品(30%以上はすべて60年代~80年代)

と比べて、

最近の大河の視聴率の低さばかりをあげつらうが、

そんな懐メロ作品と今を比べてどうするのか?

 

幸い、NHKは民放ほど視聴率を気にせずに済むので、

大河の制作陣は余計なことを気にせず、

どんどん自分たちの信じるところを追究して、

良いドラマを作ってほしい。

 

これだけテレビで手間暇かけて丁寧なドラマ作り、

そして役者をやる気にさせる仕事ができるのは

大河ドラマを置いて他にないのではないかと思う。

 

経済が好調だった30年前の時代の幻想から

一歩も抜けだせない頭の固まった年寄りたちの

幻想の弊害はこんなところにも現れている。

 

こうした年寄りは皆切り捨てて、

若い者に照準を絞ったやり方は正解である。

しかも家康は歴史上の人物として、

数少ないハッピーエンドが可能な人物でもある。

若者――といってもベビーフェースの松潤ももう40、

ほとんど中年だ――にやる気・勇気を少しでも与え、

楽しめるドラマになればいいと思う。

 


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週末の懐メロ116:カラーフィルムを忘れたのね/ニナ・ハーゲン

 

年末の30日にNHKで放送された

「映像の世紀バタフライエフェクト:

ロックが壊した東西冷戦の壁」が

とても見ごたえがあって面白かった。

 

東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」を崩壊に導いた、

ニナ・ハーゲン、ルー・リード、デビッド・ボウイ。

3人のロックシンガーの物語。

自由を叫ぶ3人の音楽は、

冷戦の壁を越えて人々の心を揺さぶった。

その番組の中で紹介された曲の一つが

ニナ・ハーゲンの「カラーフィルムを忘れたのね」である。

 

ニナ・ハーゲンは1980年頃、

パンククイーンとして世界的な人気を博した。

僕もファーストアルバムを持っていたが、

パンクというよりニューウェーブという印象が強かった。

 

彼女は旧・東ドイツ出身で、世界的ロックスターになる前、

10代の頃から東ドイツで音楽活動をやっていた。

しかし1976年、音楽家で作家でもあった養父が

政府から市民権を剥奪されたことをきっかけに、

東ドイツでの活動の場を奪われ、イギリスに亡命。

翌年に西ドイツに移って新たなキャリアを始め、

あっという間にスターダムにのし上がった。

 

この曲は彼女が東ドイツで活動していた時代の

大ヒット曲で、1974年のリリース。

同年、東ドイツの音楽チャートでトップになった。

 

一緒に旅行した彼氏がカラーフィルムを忘れたために、

記念写真がみんなて白黒になってしまったことに

怒る女の子の歌だ(当然、この時代はフィルムカメラ)。

 

第2次世界大戦の敗戦国となったドイツは

東西に分断され、西は資本主義国である

アメリカやイギリス・フランスなどの勢力下に、

東は社会主義国のソ連(現ロシア)の勢力下に

置かれていた。

 

コミカルな味わいのこの曲は、当時の若者の、

単調で色のない社会主義国の生活・文化に対する鋭い批判、

痛烈な風刺として受け止められていた。

 

当時の東ドイツの若者の多くが

この曲に刺激されてロックを聴き始め、

ロックカルチャーの影響を受け、

やがて1987年のデビッド・ボウイの伝説のベルリンライブ、

そして、1989年のベルリンの壁崩壊に繋がっていく。

 

ニナ・ハーゲンを聴く若者の一人に、

当時、大学で物理学を勉強していた

アンゲラ・メルケル元首相がいた。

ただ、彼女はロックカルチャーに浸ることなく、

反体制的な政治思想を持つこともなく、

むしろ社会主義国家に忠実な科学者として

生きていたという。

 

それがベルリンの壁崩壊で劇的に人生が変わり、

科学者から政治家に転身。

最後には統一ドイツの第8代連邦首相

(最年少で初の女性首相)となり、

4期16年間、トップを務めて2021年に引退した。

 

彼女が2021年12月に国防省で行われた退任式典で

演奏する曲として選んだのが

「カラーフィルムを忘れたのね」だった。

記者会見で選んだ理由を問われると

「この曲は私の青春時代のハイライトだった」

と答えたという。

 

メルケル元首相は国際政治の場でも

大きな存在感を持っていたが、

東ドイツ出身ということもあってか、

対ロシア外交にも辣腕を振るった。

プーチン大統領も彼女に対しては、

つねに一目置いていたという。

 

2022年、ロシアがウクライナに侵攻したのは、

メルケルが政治の世界から身を引いたために重しがなくり、

プーチンが自分の願望に

ブレーキを踏めなくなったことが一因、

と見る専門家もいる。

 

それがどこまで真実かわからないが、

国のトップを担う人たちの心理的なバランスが

どこかで崩れてしまったことは確かだろう。

 

それにしてもとっくに過去のものになったと思っていた

東西冷戦(のようなもの)がまた復活するとは

予想だにしなかった。

 

報道慣れしてしまって、

昨年のように大変だと思わなくなってしまったが、

世界の情勢はどんどん悪化しているのではないか?

 

かつては音楽が人の心を変えるだけの力を発揮したが、

今また、それは有効に働くのだろうか?

僕たちは心を揺さぶられることがあるのだろうか?

 

「映像の世紀バタフライエフェクト:

ロックが壊した東西冷戦の壁」は

近代の世界史・ロックカルチャーの一端を知るうえで、

とても充実した内容なので超おすすめです。

再放送があれば、ぜひ見てください。

 


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正月明けて今日は義母から解放日

 

年末年始、デイサービスが休みだったので

義母に付きまとわれて往生こいた。

今日は1週間ぶりにあちらへおでかけ。

デイサービスのヘルパーさんが本当にありがたい。

おかげでやっといつものペースに戻れた。

頭はボケてるけど、風邪一つ引かない

元気な(もうすぐ)88歳。

健康なのはありがたいけど、

1週間ベタはつらいよ。

でも、コロナが始まった時は

1カ月ずっと家にいたはず。

どうやってしのいでいたんだろう?

今となってはさっぱり思い出せない。

自分の本を読んで思い出す。あ~、なるへそ。

 

認知症介護エッセイ集「認知症のおかあさんといっしょ」

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「鎌倉殿」完結:どうして僕たちは歪んでしまうのか?

 

年末に「鎌倉殿の13人」の総集編をやっていたのだが、

前半のほうを見逃してしまったので、

NHKプラスで見ている。

 

後半、あまりにダークな展開で、

北条義時の若い時代って、どうだったっけ?

と忘れてしまっていたので見てみたら、

そのあまりの明るさ・純朴さ・清々しさに再会して

びっくり。

そしてラストとの対比で、思わず涙してしまった。

 

こんな気のいい青年が、あんな陰惨な男になり、

あれほど無残な最期を迎えるとは。

諸行無常と言えばそれまでだけど、ひどすぎる。

 

裏返して言うと、小栗旬の演技力の素晴らしさ!

あの希望にあふれた若者の明るい笑顔と

陰惨な政治家になった男の暗い澱んだ表情との落差。

力は掴んだが、ひとりの人間としての

夢だの愛だの幸福だのは、

はるかかなたに遠ざかってしまった人生。

 

大河ドラマ初(だと思う)の

恐るべきダークヒーローは、

小栗旬でなければできなかっただろうし、

視聴者も小栗旬だから見続け、

義時を愛せたのだろう。

 

若くて明るい少年・青年。

同じく陽気で気の良い家族や仲間たち。

みんな夢と理想を描き、

目標を定めて人生の旅に出るが、

齢を重ね、おのおのの道を歩むうちに

その関係はゆがみ、

ぽっかりあいた暗い淵に落ちていく。

そして気付いた時には、

もうあと戻り出来なくなっている。

 

そんなドラマはこれまで何度か見て来た。

てか、ドラマほどではないかもしれないが

現実にも起こっている。

それが大人になることなのだ、

といえばそうなのかもしれない。

 

こんな陰惨でバッドエンドなストーリーに

ハマった人たちは深い共感を覚えたのだろう。

大人として生き続けることは、

多かれ少なかれ、汚れ、傷つき、

苦さと哀しみを舐めなくてはならないということを。

 

認めたくないが、認めざるを得ない。

でもやっぱりすべては認めたくない。

僕たちはいくつになっても、

その諦めと抗いの間を右往左往しながら生きている。

このドラマが胸に刺さるのはそうした理由からで、

 

義時や政子を自分に引き寄せられるからだと思う。

 

それにしても、この枠でこんなダークヒーロー、

そしてあんな最終回を描くことが許されたのは、

三谷幸喜にこれまでの実績と

スタッフ・キャストの信頼があったからに違いない。

 

舞台出身の人だけあって、三谷脚本で面白いのは、

随所で舞台劇のようなシーンが見られることだ。

義時(小栗旬)と政子(小池栄子)のラストシーンは、

その真骨頂だった。

 

思わず僕は夢想した。

スポットライトだけが当たる何もない舞台の上で、

政子がゆっくりと毒消しの薬を床にこぼし、

義時が這いながらそれを舐めようとする。

政子は彼を現世の闇から救い出すかのように、

 

それを振り払う。

あの壮絶なシーンと、そこに至るまでのこのドラマを

生の舞台で、生の舞台で見られたら、と妄想を抱いた。

 

さて、僕は今、どれくらい歪んでしまったのだろう?

 


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社会を回す人たちの働く意欲・生きる元気

 

年末年始はデイサービスがお休みなので、

義母が毎日家にいる。

それでカミさんがカリカリしてくるので、

僕が義母を外に連れ出すことになる。

午前も午後も普段より長めの散歩をする。

正直、けっこう疲れる。

本や映画をゆっくり見ようと思っていたが、

考えが甘かったようだ。

 

お正月スペシャル散歩ということで、

帰りけに茶店に寄る。

飲食店、特にチェーン店は

コロナで落ちた売り上げを取り戻す狙いもあるのか、

けっこう元旦から開いている。

 

昨日は浜田山付近・井の頭通り沿いにある

「むさしの森珈琲」でコーヒーといっしょに

この店の名物だという

「ふわとろパンケーキ」を食べた。

 

名前の通り、ふわっとしてて

トロっと口の中で溶けるパンケーキで、

見た目はけっこうボリューミーだが、

風船みたいなので軽く食べられてしまう。

おやつにちょうどいい感じだ。

 

なかなかおいしかったので、支払いの時に

「あのパンケーキはおいしいねぇ」と言ったら、

レジを打っていたマージャーらしき人の指が一時停止して

「そう言っていただけて、本当にありがたいです」と、

えらく恐縮して言われたので、

こっちが恐縮してしまった。

でも、自分の一言で喜んでくれたようなので

悪い気はしない。

 

見た感じ、40過ぎたあたりの人だったので、

奥さんや子供といっしょにお正月を

ゆっくり過ごしたかっただろうに、

出勤せざるを得なくなったのだろうか?

そうした重荷を少しでも軽くできたのだろうか。

 

思えば、0年代の「勝ち組・負け組」あたりから、

もともとおかしかった日本社会は

ますます歪んできた。

 

マネーゲームの勝者を目指す競争社会。

儲けたもん勝ちという風潮になって、

こうして地道に働いて、現場を回している人たちを

使用人みたいに見る傾向がはびこってしまった。

それは人の心を蝕み、現場仕事の価値を認めず、

従事する人たちの自尊心を奪ってきたのではないかと思う。

 

近年、あちこちでおぞましい事件が

頻発するような社会になってしまった背景には、

こうした自尊心を奪われた人たちの、

表出されない怒りや悲しみのようなものが

マグマみたいに地下で流れているような気がしてならない。

 

社会をよくするというと、あまりに大げさだけど、

お客として良い品物や良いサービスを提供されて、

少しでも心を動かされるようなことがあれば、

「おいしかった」「助かった」「ありがとう」と

声に出してお礼を言った方が、

彼ら・彼女らの心の報酬になるのではないかと思う。

 

また、配達員とか工事員とか警備員とか、

機会があれば「お疲れさま」とか、

ねぎらいの声をかけてもいいのではないか。

 

仕事だから当たりまえだろ。

カネもらってるんだらちゃんとやるべきだろ。

 

もちろんそうだけど、やっているのは人間である。

お礼やねぎらいの言葉を報酬として求めるのは

けっして甘えでも、間違った心の在り方ではない。

人間の気持ちとして

「カネを稼ぐために働いている」だけでは

とても長くもたない。

そこに何か喜びなり、充実感がなくては働けない。

 

ほんの一言で、彼ら・彼女らの働く意欲が上がったり、

今日は良い日だと思えたり、心が軽くなったり、

元気や幸福感につながることだってあるだろう。

 

そして、それは経済にだってプラスに働くだろう。

「新しい資本主義」って、

システムがどうのこうのではなく、

働く側と生活する側・双方の関係を

良くするところか始まるのではないだろうか。

 


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2023年 兎と走る!

 

今年は喪中で初詣にも行かない。

なので祈願もしないし、おみくじも引かない。

だから今年の運勢はああだこうだとか、

縁起がいいとか悪いとか、

年の初めにあれしなきゃとか、

これしなきゃとか一切考えることもない。

弱冠寂しくはあるのだが、

これはこれで浮き立つことなく、

すっきりしていていいものだ。

 

最近お気に入りのオーロラの歌

「ランニング・ウィズ・ウルブズ」をもじって

ランニング・ウィズ・ラビッツー-兎と走る!

 

今年の目標は昨日書いたとおり、

書きかけ・企画どまりの小説を

何とか1作でも多く書き上げることと、

新しいコンテンツをスタートアップすることだが、

これらは10年後もフリーランスで

バリバリ頑張って仕事ができる自分の

(何度目かの)下地作りである。

そのためなら、年頭の目標に縛られなくても

思いついたことはどんどんやっていく。

 

いくら人生100年時代だとは言っても、

自分の残り時間が少ないことはわかっている。

ウルトラマンで言えばカラータイマーが

ピコピコ点滅し始めている。

自分にとって何がエネルギーになるのか、

何がテンションを上げてくれるの、

どんなことなら冒険のしがいがあるかも

だいたいわかってきた。

これからはそういうところに

リソースを集中させて生きていく必要があるだろう。

 

ろくに才能もないのに、幸運に恵まれて、

行き当たりばったりで、

フリーランスを貫いてここまで生きてこられた。

今さら安定や保証を求めるわけにもいかないし、

そんなものに頼っても落ちるときは落ちる。

 

不安をエネルギーに生きるしかない。

 

なので今年も良い意味で流れに身を任せ、

あんまりがんばらないように、

ゆるくがんばっていきたいと思っている。

皆さん、今年もよろしくお願いします。

 


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2022年から2023年へ行きます

 

2022年は電子出版で9冊の本を出した。

小説3冊(長編1刷・短編2冊)、エッセイ集6冊。

紙の本(ビジネス本)のほうは

けっこう時間が掛かってなんとか原稿は年内に上げたが、

出版は1月か2月になりそうだ。

レギュラーワークと義母の介護をしながら、

また、母の死などもあって

思うようにいかなかったところもあるが、

そもそも思うようにいくことのほうがレアケース。

生きてりゃいろんなことがあるわけだから、

そのなかでベストを尽くすしかない。

 

2023年の電子出版は書きかけの小説が3本。

「河童の水を飲んだ話」:

若返る女と彼女と関係を持った3人の男の物語。

 

「星の王女さま、地球の仲間と旅に出る」:

女の子の夏休みの冒険を描く童話。

 

「6,600万年前の夢を見て死ね」:

故郷の湖の恐竜伝説で地元起こしをしようと動き出した

若者たちのプロジェクトの話。

 

それと数年企画を練っているフードミステリー1本

「ばんめしできたよ」

 

いずれもすぐ書けそうだが、なかなか書けなくて

あっという間に1年が過ぎてしまった。

2023年は何とかこれらを完成させ、

かつまた、良い出会いもあったので、

新しいコンテンツ企画にも取り組もうと思う。

 

というわけで2020年の反省と、

ちょっと欲張りな2023年の目標。

心身の充実に努めて新しいスタートを切りたい。

喪中なので新年のごあいさつは控えておきます。

 


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週末の懐メロ115:ザ・ウェイト/ザ・バンド

 

2022年最後の懐メロは、1968年リリース、

「ザ・バンド」の永遠の輝きを放つ最高傑作。

ボブ・ディランをはじめ、1960年代から活躍する

様々な超一流ミュージシャンたちと共演。

かのウッドストックフェスティバルでも歌われ、

映画「イージーライダー」の挿入歌にも使われた。

 

そして、この曲が入った彼らのデビューアルバムは、

かのエリック・クラプトンに

「俺の音楽人生を変えた」と言わしめた。

 

聖書の言葉を下敷きに

この世で生きる切なさ・苦さに

ユーモアやジョークを入り混ぜた、

不思議に明るい抜けるような旋律。

「重荷」という名の希望と自由を求める歌が、

明日へのテンションを上げる。

では皆さん、良い新年をお迎えください。

 


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本日発売「認知症のおかあさんといっしょ」

おりべまこと電子書籍・新刊

「認知症のおかあさんといっしょ」

https://www.amazon.co.jp/dp/B0BR8B8NXF ¥500

 

「いいの、手なんか握って?」

「だって手をつながないと危ないよ」

「いいの本当に? 奥さんはいらっしゃるの?」

「はい、いますけど(あなたの娘ですよ)」

「わあ、どうしよう? 奥さん、怒らないかしら?」

「だいじょうぶです。公認ですから」

「わあ、うれしい。こうしたこと一生忘れないわ」

「喜んでもらえて何よりです」

そんな対話から始まった義母の介護の日々を綴った

面白エッセイ。

認知症を知り、認知症から人生を考え、人間を学ぶ。

日本認知症学会 認知症専門医・指導医である久米一誠氏の貴重な講演録を通して、日本における認知症全体のあらましについても解説しています。

 

厚生労働省の発表では、

2025年には65才以上の5人に1人、

予備軍もふくめれば3人に1人が認知症になる

と言われています。

親が子どもである自分の顔を忘れてしまったとか、

まともに生活できなくなってしまったとか、

そんなことを悩み悲しんでいるヒマはありません。

また、世間体を慮って隠しているわけにもいきません。これからはwith認知症の時代。

こんな言い方はよくありませんが、

ヘンな人たち、困った人たち、

ちょっと頭のおかしな人たちが

巷にあふれる時代になるのです。

 

ただし、それは

「一般の社会人の基準から見れば」ということ。

まだ一般の社会人の基準に達していなかった

子どもの頃、僕たちもこうしたヘンな人、

困った人、ちょっと頭のおかしな人たちでした。

ただ、子供だから許されていただけなのです。

 

認知症の人は子どもではありませんが、

子どもに見られる人間の元の部分と、

数十年間、この社会で大人として生きて

身に着けた習性と、

複雑怪奇な感情とが絡み合ったものを、

むき出しにして表現する人たちです。

僕たちはそんな人たちと向き合わなくてはなりません。

 

それはまた、これまではスルーしていた

人間の根源的な在り方と向き合うことを

意味しているのではないかと思います。

けれども、泣いたり、怒ったり、嘆いたり、

暗い深刻な顔をしたりじゃなくて、

できれば笑って楽しく向き合いたい。

家族でも自分でも、認知症を過度に恐れ、

人生に受け入れ難いと言う、

すべての人に読んでほしい本です。

 

もくじ

●おててつないで神だのみのお散歩

●未知のスポーツに対するリアクション

●いちばん自分らしく生きていた時間の記憶が残る

●認知症の人の価値はどうやって見つけるか?

●オバQそっくり

●ボロ市と天使

●義母のカエルコール

●認知症に学ぶ変化への対応と人間の根っこ

●人間の魂の純粋性の回復について

●コロナにも怯えず“いま”だけで生きる

●リスクもマスクもなき高齢者

●社会的弱者はステイホーム週間をサバイバルできるのか?

●夏休みバンスキング

●夏の魔法のネコ時間

●義母とざしきわらし

●女のダークサイド

●幸せの歌と認知症の女

●ハロウィーンプレゼントのぬいぐるみだワン

●ばんめし時間と秋の夜長

●認知症と終活の時代がすぐそこに

●認知症専門医と終末期医療を語る。~終活×終末期医療~

●エイジトラベルと幻の息子

●「恐怖!かえる女」はプリンセス

●春だけど自分にいいこと何かやってる?

●昭和のバナナ預金

●無敵の認知症:ワクチン接種のことなんてもう忘れた

●認知症のおかあさんといっしょ

●まぼろしの家へカエル病

●認知症の症状は命の芸術表現

●散歩中の犬と演じるシュールな野外劇についての断章

●義母とざしきわらしとちっちゃいおじさん

●新春特別カエルトリップ:椎名町・金剛院

●義母の復活と蛭子能収さんの本のこと

●おたく、家族を虐待していませんか?

●女の諍いにピースサイン

●腹がへった義母のパン侵略

●親より先に死んではいけません

●笑って認知症と向き合いたい

全38編収録

 


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大にぎわいの浅草と憧れの亀十のどら焼き

 

取材で浅草に行ったら、外国人だらけでびっくり。

インバウンド完全復活!なのか?

レースみたいな奇妙なフリフリのついた着物を着た

アジア系の娘がゾロゾロいるし、

彼女らを乗せて人力車の兄ちゃんも走っている。

年末から正月にかけて浅草はお祭り気分だ。

歩いているだけで楽しくなるし、元気になる。

やっぱりいいいね。

みなさん、思う存分、日本を楽しんでください!

 

と、満たされた気持ちになって、

よし、今日は亀十のどら焼きを買って帰るろう!

と思ったが、長蛇の列ができていて、

とても待てないので諦めた。

亀十のどら焼きはおいしいが、なかなか買えない。

 


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ありがとう&ごめんなさい

 

「ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力1・2」無料キャンペーン、
好評のうちに終了しました。
ご購入いただいた皆さん、ありがとうございます。
ぜひレビューをお寄せください。
新刊エッセイ集「認知症のおかあさんといっしょ」
本日発売の予定でしたが、最終調整中につき、
29日(木)に延期しました。
もうちょっとだけ待っててね。

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週末の懐メロ番外編:イマジン/プレイング・フォー・チェンジ

 

ジョン・レノンは「ハッピークリスマス」のなかで

「戦争は終わった もし君が望むなら」と歌った。

でも、そう望まない人が世界にはたくさんいる。

彼の子供や孫の時代になっても

それはほとんど変わる気配はない。

 

日本も防衛費を増やそうとしている。

ロシア、中国、北朝鮮などの恐るべき動きを見れば

護身のためにやむなしと思う。

 

さらには日本も核を持つべきではないか、

という意見も耳にする。

今年は、世界は核の恐怖の均衡で成り立っている

という現実を、今さらのように思い知らされた。

そうだ、その通りかもしれないと思う。

 

けれども想像してみる。

もしも被爆国の日本が核を保有したと明言したら・・。

世界はそこで終わるかもしれない。

いろいろやっている持続可能な社会への取り組みも

すべてが水の泡になるだろう。

 

日本は核兵器の被害者であるが、

人類の歴史のストーリーの中で、

核を持たずに、

核の脅し合いを諫める役割を背負っている

(背負わされてた?)のではないかと思う。

 

まるでシェイクスピアの悲劇の主人公のようだが、

世界のために、人類のために、

その役割をこれからもと背負い続ける覚悟が

必要なのではないか。

 

そして今また「イマジン」を聴く。

当然ながら、いくら想像してみたって

現実はこの歌の通りにはならない。

けれどもこの曲を愛し続けるしかない。

なんだか時間が半世紀前に逆流している。

この曲が本当の懐メロになるのはまだ遠い先の話だ。

 

今年最後の無料キャンペーン実施

12月22日(木)17:00~26日(月)16:59

おりべまこと電子書籍:音楽エッセイをダブルで。

ポップミュージックをこよなく愛した

僕らの時代の妄想力

ロックが劇的に進化し、ポップミュージックが世界を覆った60~70年代、僕たちのイマジネーションは音楽からどんな影響を受け変態したのか。心の財産となったあの時代の夢と歌を考察する。

忌野清志郎、ビートルズ、藤圭子と宇多田ヒカル、阿久悠など。

ポップミュージックをこよなく愛した

僕らの時代の妄想力2

ロックカルチャーが開花して僕たちの世界はどのように作られ、社会はどう変わっていったのか? いっしょに聴いて、歌って、踊って、妄想しながら考えましょう。

西城秀樹、キング・クリムゾン、ローリング・ストーンズ、ザ・ピーナッツなど。


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週末の懐メロ114:ラスト・クリスマス/ベス

 

クリスマスには失恋がよく似合う?

僕もあなたもみんなも大好き、

山下達郎の「クリスマス・イブ」といい、

この「ラスト・クリスマス」といい、

クリスマスの定番ソングになるのは失恋の歌ばっか。

 

イギリスの男性デュオ・ワムがこの曲を歌ったのは1984年。

(ちなみに録音したのは

ジョージ・マイケルだけだったらしい)

悲しい歌詞なのに、やけに明るいメロディ。

だけど当時はそんなことも気にならず、

この曲が大好きで、この季節になるとよく聴いて

失恋しているのに浮かれた気分になっていた。

思い返せば1980年代はそんな矛盾に満ちた時代だったのだ。

 

そんな若かったバカかった頃も過ぎて、

もうここ30年近く、BGMで聴こえてくるのは別にして、

ほとんど聴く気がしなかったのだが、

ふとまた聴いてみた。

 

やっぱり若い頃は妄想が張り付いていたのか、

魔法が切れてて、ワムのオリジナル版を聴いても、

全然ピンとこない。

 

カバーはどうなのか?

名曲なのでやたらいろんな人、それも女性ばっかり、

しかも世界に名を馳せるビッグネームらが

「“わたしの”ラスト・クリスマス」をご披露しているが、

全然いいと思わない。

 

そうして辿り着いたのが、ベスという無名の歌手。

ピアノだけを強調したシンプルな演奏をバックに、

甘くかわいく歌う。

はっきり言ってワムのオリジナルより数倍いい。

これぞ魔法がよみがえる、

僕の妄想の中の「ラスト・クリスマス」だ。

 

彼女はいろいろなカバー曲で歌い、

自分でネットで歌を売っているらしい。

プライベートな写真・家族の写真(だと思う)を

入れ込んだ、妙に素人っぽい映像づくりにも好感が持てる。

きっとパパ・ママが大好きで、

「ジングルベル」や「赤鼻のトナカイ」などと

いっしょに聴いて歌って大人になったんだろう。

 

懐メロとネットを媒介にビッグネームも素人さんも

分け隔てなく音楽を提供する時代になった。

・・・というわけで、

楽しいクリスマスをお過ごしください。

 

 

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ロックが劇的に進化し、ポップミュージックが世界を覆った60~70年代、僕たちのイマジネーションは音楽からどんな影響を受け変態したのか。心の財産となったあの時代の夢と歌を考察する。

忌野清志郎、ビートルズ、藤圭子と宇多田ヒカル、阿久悠など。

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本日から5日間、今年最後の無料キャンペーン実施

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ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力

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ロックが劇的に進化し、ポップミュージックが世界を覆った60~70年代、僕たちのイマジネーションは音楽からどんな影響を受け変態したのか。心の財産となったあの時代の夢と歌を考察する。

忌野清志郎、ビートルズ、藤圭子と宇多田ヒカル、阿久悠など。

 

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ロックカルチャーが開花して僕たちの世界はどのように作られ、社会はどう変わっていったのか? いっしょに聴いて、歌って、踊って、妄想しながら考えましょう。

西城秀樹、キング・クリムゾン、ローリング・ストーンズ、ザ・ピーナッツなど。

 

ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力

 もくじ

●八王子・冨士森公園のスローバラード駐車場で、ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力について考える

●アーティストたちの前に扉が開いていた

●21世紀のビートルズ伝説

●藤圭子と宇多田ヒカルの歌う力の遺伝子について

●ヘイ・ジュード:ジョンとポールの別れの歌

●阿久悠の作詞入門

●余命9ヵ月のピアニスト

●ローリング・ストーンズと新選組の相似点について

●キング・クリムゾンの伝説と21世紀版「風に語りて」

●プログレッシヴ・ロックスターの死①:ジョン・ウエットンの訃報、そしてロンドンの寿司

●プログレッシヴ・ロックスターの死②:キース・エマーソンの尊厳死(1周忌に捧ぐ) 

●勝手にビートルズ・ベストテン

●中学生時代の「エリナ・リグビー」の衝撃と和訳演奏

●純情ストーカー男と純心DV願望女の昭和歌謡

●人間は幸せに慣れると、幸せであることを忘れてしまう

●義弟のアナログレコードと帰ってきたカレン・カーペンター

●いちご畑で抱きしめて

●ダイヤモンドをつけたルーシーとの別れとジュリアンの心の修復作業

●抹消された20世紀パンクと想像力の中で生きる19世紀型スチームパンク

●悲しいことなんてぶっとばすロックンロールバンドのモンキービジネス

●オノ・ヨーコさん「NHKファミリー・ヒストリー」とYESの3文字の秘密

●オノ・ヨーコさん「NHKファミリー・ヒストリー」と「イマジン」の秘密

●いろいろな人が弾くから、心に響くロンドンのピアノ

●ストリートミュージックが商品になった街ロンドン

●アナログレコードとの再会

●見捨てられた恋人のようだったアナログレコードが、 なぜ絶滅の淵から回帰したのか?

●さすらいのレコード・コレクター:男のバカバカしくて痛快な生きザマ

●クリスマスにちょっとだけ世界と自分を変える

●森田童子の思い出:僕らの時代の子守唄

●自分をリライトする

●よみがえる死者・よみがえる歌:AIの音楽

●20世紀の愛と平和のロックなんて忘れてしまっていた

●だいじょうぶです、なすがままになさい

 

ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力2

  もくじ

●神さまのカケラを拾い集めて生きる僕たちの妄想力

●45周年ユーミン、40周年サザン&YMOの衝撃

●七月の朝とユーライア・ヒープと西城秀樹

●エピタフとキング・クリムゾンと西城秀樹

●西城秀樹さん ラストステージの記憶

●「THE ALTERNATE LET IT BE…Naked」:ビートルズの終わらない物語

●ビートルズのセッション音源からジョン・レノンの伝説について考察する

●天国への階段 アウトテイク

●ロックの名盤「対自核」の邦題マジック

●ロックの邦題マジック「ハートに火をつけて」/ドアーズ

●欲望がかなう街「マホガニー市」のアラバマソング

●義母が歌う自分への子守歌とザ・ピーナッツの「村祭り」

●「サルビアの花」を聴いた

●ストーブとライター代わりの電熱器

●ルカ Lukaと子どもの虐待

●アメリカの物語を体現するロックスターは大統領選に勝つのか?

●独断と偏見のマイ・クリスマスソング・ベスト5

●音楽から生まれる妄想力とライティング

●ガーナのお葬式は、泣き女、棺桶ダンス、ポップアート棺桶

●メモリアルギター 燃えるギター愛

●日本の夏 幻想漬けのサウンドスケープ

●芸術的才能と人間性

●さらばチャーリー・ワッツ、ブラウンシュガー、そしてローリング・ストーンズ

●世界最高峰の音楽と文学と侵略戦争

●親子で卒業ソング

●銀狼・佐野元春「銀の月」

●「ラブ&ピース」の歌は無力ではない

●死ぬまで戦争体験はしたくないけれど

●メタバースで永遠に生きる

●欲望いう名の電車に乗ったロンリーハーツ・クラブバンド

●フリッパトロニクス 幻の起動音


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ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力ダブル無料キャンペーン

 

明日から5日間、今年最後の無料キャンペーン実施

12月22日(木)17:00~26日(月)16:59

おりべまこと電子書籍:音楽エッセイ

「ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力」1・2 ダブルでお届けします!読んでね。

ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力

 

●八王子・冨士森公園のスローバラード駐車場で、ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力について考える

●アーティストたちの前に扉が開いていた

●21世紀のビートルズ伝説

●藤圭子と宇多田ヒカルの歌う力の遺伝子について

●ヘイ・ジュード:ジョンとポールの別れの歌

●阿久悠の作詞入門

●余命9ヵ月のピアニスト

●ローリング・ストーンズと新選組の相似点について

●キング・クリムゾンの伝説と21世紀版「風に語りて」

●プログレッシヴ・ロックスターの死①:ジョン・ウエットンの訃報、そしてロンドンの寿司

●プログレッシヴ・ロックスターの死②:キース・エマーソンの尊厳死(1周忌に捧ぐ) 

●勝手にビートルズ・ベストテン

●中学生時代の「エリナ・リグビー」の衝撃と和訳演奏

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●ストリートミュージックが商品になった街ロンドン

●アナログレコードとの再会

●見捨てられた恋人のようだったアナログレコードが、 なぜ絶滅の淵から回帰したのか?

●さすらいのレコード・コレクター:男のバカバカしくて痛快な生きザマ

●クリスマスにちょっとだけ世界と自分を変える

●森田童子の思い出:僕らの時代の子守唄

●自分をリライトする

●よみがえる死者・よみがえる歌:AIの音楽

●20世紀の愛と平和のロックなんて忘れてしまっていた

●だいじょうぶです、なすがままになさい

 

ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力2

 

 

●神さまのカケラを拾い集めて生きる僕たちの妄想力

●45周年ユーミン、40周年サザン&YMOの衝撃

●七月の朝とユーライア・ヒープと西城秀樹

●エピタフとキング・クリムゾンと西城秀樹

●西城秀樹さん ラストステージの記憶

●「THE ALTERNATE LET IT BE…Naked」:ビートルズの終わらない物語

●ビートルズのセッション音源からジョン・レノンの伝説について考察する

●天国への階段 アウトテイク

●ロックの名盤「対自核」の邦題マジック

●ロックの邦題マジック「ハートに火をつけて」/ドアーズ

●欲望がかなう街「マホガニー市」のアラバマソング

●義母が歌う自分への子守歌とザ・ピーナッツの「村祭り」

●「サルビアの花」を聴いた

●ストーブとライター代わりの電熱器

●ルカ Lukaと子どもの虐待

●アメリカの物語を体現するロックスターは大統領選に勝つのか?

●独断と偏見のマイ・クリスマスソング・ベスト5

●音楽から生まれる妄想力とライティング

●ガーナのお葬式は、泣き女、棺桶ダンス、ポップアート棺桶

●メモリアルギター 燃えるギター愛

●日本の夏 幻想漬けのサウンドスケープ

●芸術的才能と人間性

●さらばチャーリー・ワッツ、ブラウンシュガー、そしてローリング・ストーンズ

●世界最高峰の音楽と文学と侵略戦争

●親子で卒業ソング

●銀狼・佐野元春「銀の月」

●「ラブ&ピース」の歌は無力ではない

●死ぬまで戦争体験はしたくないけれど

●メタバースで永遠に生きる

●欲望いう名の電車に乗ったロンリーハーツ・クラブバンド

●フリッパトロニクス 幻の起動音

 


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最新刊「認知症のおかあさんといっしょ」発売告知

 

おりべまこと電子書籍新刊

「認知症のおかあさんといっしょ」

義母の介護の日々を楽しく綴った面白エッセイ。

認知症を知り、認知症から人生を、人間を学ぶ。

認知症とはどんな病気なのか、

その概要がわかる専門医の講演録も同時収録。

12月26日(月)発売予定。お楽しみに。

 


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親より先に死んではいけません

 

昨日は父の命日だった。

もう14年になる。

今年は母が逝ったので14年ぶりにいっしょになれた。

良かったと思う。

おとぎ話っぽいが、死後のことは誰にも分らないので、

天国でまた仲良くやっていることを想像する。

 

僕にとって、父、母と呼べる人は、

認知症の義母一人になった。

彼女の方は実の娘であるカミさんのことも

娘と認知してないので、当然、僕が義理の息子だとも

思っていない。

 

「おかあさん」という呼び方にも反応しないので、

半分以上は名前で呼んでいる。

その方が本人も居心地いいようだ。

しかし、客観的には母親に違いない。

最後の親なので、彼女より先には死ねない。

と、最近よく思う。

 

僕は昭和の人間なので、上の世代から

「親より先に死んではいけない。それは最大の親不孝」

と割ときつく教えられてきた。

 

10代の頃から同世代で事故や病気や自殺で死ぬ

人間を見て来た。

逆に子供に死なれた友人・知人も見て来た。

やはりどっちも見るに堪えないものがある。

 

若い頃は、いつ死ぬかなんてわからないから

しょーがないだろと思っていたが、

齢を取ると、やはり親より長く生きるのが

最低限の親孝行というふうに思える。

 

いくらいい子でも、親孝行を重ねてきた子でも、

親より先に死んだら元も子もない。

 

「親より先に死んではいけません」という戒めは、

今の時代、割と薄れてきたように感じるのだが、

どうなのだろうか?

 

もちろん、寿命がどこまでかは

神のみぞ知る運命なのでどうにもならないが、

「親より先に死んではいけない」は、

いつもおまじないの言葉として唱えていた方がいい。

人生は自由に生きればいいが、

どこかでそれくらいの重しは必要だと思う。

 


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週末の懐メロ113:戦場のメリークリスマス/坂本龍一

 

これが最後のクリスマスになるのだろうか?

最期まで音楽と共に生きたいと願う

坂本龍一のソロコンサート。

 

ガンとの闘病でもうコンサートを行う体力がないと、

1日数曲ずつ、NHKのスタジオで演奏・収録した映像を

一つにつなげてコンサートを構成。

12月11日に世界に配信された。

 

「戦場のメリークリスマス」は1983年に公開された

大島渚監督の映画。

日本では坂本、ビートたけし、デビッド・ボウイという

ユニークな配役で評判になった。

そして、同名のこの主題歌のピアノバージョンは、

彼の終生の代表曲となった。

 

魂に染み入るような旋律。

いわゆるクリスマスソングではないのだが、

40年の間、この季節になると聴き続けてきた。

そして、これからも聴き続けるだろう。

 

今年はなんだか坂本龍一さんからの

クリスマスプレゼントという感じがする。

奇跡の回復を祈らずにはいられない。

 


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クリスマス前のノベルティデイ

 

電車に乗るのに永福町まで行ったら、

駅前で高井戸警察が年末の

振り込め詐欺防止キャンペーンをやっていた。

しそふりかけ、本のしおり、ティッシュの

3点入りノベルティの大判ふるまい?

 

「ふりかけかけてもふりこむな」という

相変わらずのダジャレ標語のキャンペーン。

でも、しそふりかけは好きなので今回はディスりません。

 

電車に乗って東京ビッグサイトへ。

経産省主催の「中小企業 新ものづくり・新サービス展」を

見学。

ついでに「東京ビジネスチャンスEXPO」も覗いて、

アンケートに答えたら、うさぎの手ぬぐいと

渋沢栄一のコーヒーをもらった。

こちらは東京商工会議所の主催。

いよいよ1万円札に登場する渋沢栄一氏は

東京商工会議所の創設者なのだ。

お歳暮か、クリスマスプレゼントか。

ノベルティいっぱいでちょっと満たされた気分?

 

どちらも仕事の知り合いが出展していて、

色々話が出来て楽しかった。

 


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ロックと人権問題 世界は変わる

 

先日、電子書籍で出版した

「ポップミュージックをこよなく愛した

僕らの時代の妄想力2」の中で

ローリングストーンズの超名曲「ブラウンシュガー」が

ライブで封印されたという話を書いた。

 

歌詞の中に黒人奴隷に関する描写があるからだ。

この曲自体は人種差別の歌ではなく、

むしろ黒人音楽をリスペクトするもので、

そう認識されてきたはずだが、

2010年代から流れは大きく変わった。

 

ある意味、ローリングストーンズに代表される

60年代型のロックカルチャーはもう終焉している。

 

おそらくその背後には国連のSDGs(2015年に明文化)、

さらにそれ以前の、

特に欧米社会における人権意識の高まりがある。

 

SDGsというと環境問題・脱炭素の問題に

意識がいきがちだが、

それ以上に人権問題に対する意識が強い。

 

イギリスではそれと時を同じくして、

2015年に「現代奴隷法」という労働規制が作られ、

差別や搾取的な労働は処せられることになった。

 

かつての帝国主義時代、

さんざん他国を蹂躙した懺悔の意味もあるのか?

とシニカルに考えてしまうが、それはさておき、

先月末に出されたJETRO(日本貿易機構)の

「海外進出している日本企業の調査報告」を読むと、

ビジネスにおける人権問題について、

多くの企業がかなりのプレッシャーをかけられ、

大きな課題としているのが伝わってくる。

 

自社では人権を無視した経営など行っていなくても、

サプライチェーン(現地の下請けや関連会社など)に

児童労働や家族労働など、

人権に接触する問題があると、

国や顧客から責任を問われるというのだ。

 

そう言えば、サッカーワールドカップ・カタール大会の

会場工事で出稼ぎに来ていた外国人労働者が、

劣悪な労働環境

(現場の事故や不衛生な宿泊所、コロナの蔓延など)

のせいで数千人が亡くなったという報道があった。

大会が終わったら、

おそらく再びその問題が大きく取りざたされるだろう。

 

もちろん現実は理想にはまったく追いついていない。

けれども最近は「きれいごとなどほざくな」とは

言えない状況にだんだんなりつつある。

 

確実に人類は、僕らが慣れ親しんだ世界から

別の次元へシフトしてきている。

 


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本日も宣伝「ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力2」

 

ロックの邦題マジック、西城秀樹メモリアル、

ビートルズとジョン・レノン伝説、

そして、ロック・ポップカルチャーと人権問題の関係など、数々のテーマと格闘。

半世紀の間、多くのアーティストからもらった

刺激・メッセージを執筆活動の糧にしてきた著者が、

頭の中に渦巻く妄想とともに綴った

面白音楽エッセイ集です。

 

ロック・ポップカルチャーが開花した1960年代・70年代。

僕たちの世界はどのように作られているのか? 

僕たちの社会で何が問題になっているのか?

僕たちは何を大事にして生きていけばいいのか?

人を愛することなのか、夢を抱くことなのか、

異郷を冒険することなのか、現実を見つめることなのか?

 

「あの頃に帰りたい」とつぶやくオールドな人たちも、

むかしのロックやポップのことを

もっと知りたいというヤングな人たちも、

いっしょに聴いて、歌って、踊って、

妄想しながら考えよう。

 

もくじ

●神さまのカケラを拾い集めて生きる僕たちの妄想力

●45周年ユーミン、40周年サザン&YMOの衝撃

●七月の朝とユーライア・ヒープと西城秀樹

●エピタフとキング・クリムゾンと西城秀樹

●西城秀樹さん ラストステージの記憶

●「THE ALTERNATE LET IT BE…Naked」:ビートルズの終わらない物語

●ビートルズのセッション音源からジョン・レノンの伝説について考察する

●天国への階段 アウトテイク

●ロックの名盤「対自核」の邦題マジック

●ロックの邦題マジック「ハートに火をつけて」/ドアーズ

●欲望がかなう街「マホガニー市」のアラバマソング

●義母が歌う自分への子守歌とザ・ピーナッツの「村祭り」

●「サルビアの花」を聴いた

●ストーブとライター代わりの電熱器

●ルカ Lukaと子どもの虐待

●アメリカの物語を体現するロックスターは大統領選に勝つのか?

●独断と偏見のマイ・クリスマスソング・ベスト5

●音楽から生まれる妄想力とライティング

●ガーナのお葬式は、泣き女、棺桶ダンス、ポップアート棺桶

●メモリアルギター 燃えるギター愛

●日本の夏 幻想漬けのサウンドスケープ

●芸術的才能と人間性

●さらばチャーリー・ワッツ、ブラウンシュガー、そしてローリング・ストーンズ

●世界最高峰の音楽と文学と侵略戦争

●親子で卒業ソング

●銀狼・佐野元春「銀の月」

●「ラブ&ピース」の歌は無力ではない

●死ぬまで戦争体験はしたくないけれど

●メタバースで永遠に生きる

●欲望いう名の電車に乗ったロンリーハーツ・クラブバンド

●フリッパトロニクス 幻の起動音

全31篇収録


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「ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力2」本日発売

 

半世紀の間、さまざまなアーテイストからもらった

刺激・メッセージを執筆活動の糧にしてきた著者が、

頭の中に渦巻く妄想とともに綴った面白音楽エッセイ集。

 

ロック・ポップカルチャーが開花した1960年代・70年代。

僕たちの世界はどのように作られているのか? 

僕たちの社会で何が問題になっているのか?

僕たちは何を大事にして生きていけばいいのか?

人を愛することなのか、夢を抱くことなのか、

異郷を冒険することなのか、現実を見つめることなのか?

 

「あの頃に帰りたい」とつぶやくオールドな人たちも、

むかしのロックやポップのことを

もっと知りたいというヤングな人たちも、

いっしょに聴いて、歌って、踊って、

妄想しながら考えよう。

 

もくじ

●神さまのカケラを拾い集めて生きる僕たちの妄想力

●45周年ユーミン、40周年サザン&YMOの衝撃

●七月の朝とユーライア・ヒープと西城秀樹

●エピタフとキング・クリムゾンと西城秀樹

●西城秀樹さん ラストステージの記憶

●「THE ALTERNATE LET IT BE…Naked」:ビートルズの終わらない物語

●ビートルズのセッション音源からジョン・レノンの伝説について考察する

●天国への階段 アウトテイク

●ロックの名盤「対自核」の邦題マジック

●ロックの邦題マジック「ハートに火をつけて」/ドアーズ

●欲望がかなう街「マホガニー市」のアラバマソング

●義母が歌う自分への子守歌とザ・ピーナッツの「村祭り」

●「サルビアの花」を聴いた

●ストーブとライター代わりの電熱器

●ルカ Lukaと子どもの虐待

●アメリカの物語を体現するロックスターは大統領選に勝つのか?

●独断と偏見のマイ・クリスマスソング・ベスト5

●音楽から生まれる妄想力とライティング

●ガーナのお葬式は、泣き女、棺桶ダンス、ポップアート棺桶

●メモリアルギター 燃えるギター愛

●日本の夏 幻想漬けのサウンドスケープ

●芸術的才能と人間性

●さらばチャーリー・ワッツ、ブラウンシュガー、そしてローリング・ストーンズ

●世界最高峰の音楽と文学と侵略戦争

●親子で卒業ソング

●銀狼・佐野元春「銀の月」

●「ラブ&ピース」の歌は無力ではない

●死ぬまで戦争体験はしたくないけれど

●メタバースで永遠に生きる

●欲望いう名の電車に乗ったロンリーハーツ・クラブバンド

●フリッパトロニクス 幻の起動音

全31篇収録

 


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新刊12月12日発売 「ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力2」

 

ビートルズ、ドアーズ、西城秀樹、キング・クリムゾン、レッド・ツェッペリン・・・ブログで人気の音楽エッセイを31篇集めました。12月12日(月)発売予定。お楽しみに。

 

もくじ

神さまのカケラを拾い集めて生きる僕たちの妄想力

四五周年ユーミン、四〇周年サザン&YMOの衝撃

七月の朝とユーライア・ヒープと西城秀樹

エピタフとキング・クリムゾンと西城秀樹

西城秀樹さん ラストステージの記憶

「THE ALTERNATE LET IT BE…Naked」:ビートルズの終わらない物語

ビートルズのセッション音源からジョン・レノンの伝説について考察する

天国への階段 アウトテイク

ロックの名盤「対自核」の邦題マジック

ロックの邦題マジック「ハートに火をつけて」/ドアーズ

欲望がかなう街「マホガニー市」のアラバマソング

義母が歌う自分への子守歌とザ・ピーナッツの「村祭り」

「サルビアの花」を聴いた

ストーブとライター代わりの電熱器

ルカ Lukaと子どもの虐待

アメリカの物語を体現するロックスターは大統領選に勝つのか?

独断と偏見のマイ・クリスマスソング・ベスト5

音楽から生まれる妄想力とライティング

ガーナのお葬式は、泣き女、棺桶ダンス、ポップアート棺桶

メモリアルギター 燃えるギター愛

日本の夏 幻想漬けのサウンドスケープ

芸術的才能と人間性

さらばチャーリー・ワッツ、ブラウンシュガー、 そしてローリング・ストーンズ

世界最高峰の音楽と文学と侵略戦争

親子で卒業ソング

銀狼・佐野元春「銀の月」

「ラブ&ピース」の歌は無力ではない

死ぬまで戦争体験はしたくないけれど

メタバースで永遠に生きる

欲望いう名の電車に乗ったロンリー・ハーツ・クラブ・バンド

フリッパトロニクス 幻の起動音

全31篇収録

 


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週末の懐メロ112:ウォーキング・イン・ジ・エア/オーロラ

 

イギリスで1978年に刊行された

レイモンド・ブリッグスの絵本

「スノーマン(ゆきだるま)」。

少年がクリスマスの夜に、

自分が作ったスノーマン(雪だるま)といっしょに

天上にあるサンタクロースの国へ遊びに行くという物語で、

それを原作に1982年にテレビアニメーションが作られた。

 

「ウォーキング・イン・ジ・エア(空を歩く)」は

その挿入歌で、少年とスノーマンが楽しく空を

散歩するシーンで流れるのだが、

なぜかとても悲しく切ないメロディ。

ラストシーンを暗喩しているのだろう。

夢はいつも切ない。

そして「スノーマン」という童話は、

実は別れや死をテーマにした物語なのだ。

 

作詞・作曲は、ハワード・ブレイク。

オリジナルの歌はセント・ポール大聖堂の

少年聖歌隊のメンバーだったピーター・オーティが歌った。

 

たくさんの人がカバーしているが、

ノルウェーのシンガーソングライター・

オーロラのカバーはそのなかで最も新しいものと思われる。

 

彼女は1996年生まれというから、

うちの息子と同い年だ。

息子がチビのときは今ごろの季節になると、

よくいっしょにスノーマンの本を読んだり、

アニメを観たりした。

 

彼女も同様にスノーマンの物語を愛して育ったのだろう。

スノーマンはまんまるで、イギリスでは

日本のドラえもんやアンパンマンのように

子供に愛される存在なのだ。

 

2013年にデビューしたオーロラは、

クリスマスシーズンになるとよく自分のライブや

テレビ番組で自分のレパートリーの一つにした

この歌をよく歌っているらしい。

 

しかし、彼女が歌うと

あのほのぼのしたスノーマンの世界とは

まるで別の、畏怖さえ感じる聖なる世界が広がる。

 

名前だけは知っていたが、

まともにオーロラを聴くのはこの曲が初めてだったので、

他にもいろいろYouTubeで聴いてみた。

 

「ランニング・ウィズ・ザ・ウルブズ」

「アイ・ウェント・ツー・ファー」

「アンダー・ザ・ウォーター」

「ソフト・ユニバース」

「ザ・リバー」etc・・・

 

完全に心臓をつかまれた。

とてつもなくユニークで、

とほうもなくイマジネーティブ。

40数年前に初めてケイト・ブッシュに

出逢った時に匹敵する衝撃度だ。

 

21世紀以降、これほど妄想力を刺激された

ミュージシャンはいない。

まさか2020年代にこんな音楽に出逢うとは!

 

一応、ジャンル分けとしてはエレクトロポップ

ということになっているようだが、

それよりもベースになっていると思われる

ケルト系・北欧系の民俗音楽の匂いに強く惹かれる。

曲によっては日本・アジア・

ネイティブアメリカンの香りも。

そして、ロックの精神をしっかり受け継いでいる。

ミュージックビデオも傑作ぞろいだ。

 

少なくとも僕にとっては現代最高のミュージシャン。

2022年はオーロラを発見した年として胸に刻んでおこう。

 

懐メロではないが、最高のお気に入り

「ランニング・ウィズ・ザ・ウルブズ」も同時UP。

ぜひ、オーロラの真髄を聴いてみてください。

 


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マイナビ農業 ハラール認証

 

「マイナビ農業」で書いた

ハラール認証についての記事がUPになった。

コロナ前、マレーシアやインドネシアからの

観光客が激増し、

そのほとんどがムスリム(イスラム教徒)であるため、

それまであまりハラールに興味のなかった日本人も

熱心に取り組み始めたのだ。

 

ハラールというと、

豚肉が食べられない、アルコールが飲めない

という程度の知識しかなかったが、

そう単純な問題ではない。

健康食とか、ベジタリアンや

ヴィーガンの思想に通じていたり、

食品添加物や環境問題にも通じているところがある。

 

また、食品とは関係ないところでの

モラル的な問題も指摘されるようで、

印象的だったのは、キューピーマヨネーズ。

 

数年前からイスラム圏で販売を始めたのだが、

その認証の際、食品の内容自体は問題ないのだが、

あのマークのキューピーちゃんがダメ出しを食らった。

ハダカだからダメということらしい。

なので日本とは異なるマーク(上半身だけ)で

発売することになった。

そうした興味深い話がいろいろある。

 

現在、日本にはハラール認証を行う機関が10くらいあるが、

ビジネス面から見ると、彼らにとって

認証を与えることは良いビジネスになるようだ。

 

農水省の資料などからいろいろ情報を調べると、

認証を求める会社の企業規模によって

お値段が変わるらしい。

 

一応、ざっと調べたところ、

いろいろ条件によって変わるので、

値段を明示しているところは皆無である。

正直、ちょっと胡散臭い感じもする。

金持ち企業からはたんまりボッタくろう、

みたいな機運があるのかも知れない。

 

なかなか面白い世界なので、また機会を見つけて

探究したいと思う。

けっこう読みごたえがあると思うので、

興味のある方は読んでみてください。

 


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地球の歩き方 関東版ねこの御朱印&お守りめぐり 週末開運にゃんさんぽ

 

今年、2022年は寅年。

来年、2023年はうさぎ年。

というわけで、トラの親戚で、

ウサギのようにかわいいネコはいかが?

というこじつけで、ネコ寺めぐりはいかが?

 

「地球の歩き方」が、御朱印シリーズとして

『関東版ねこの御朱印&お守りめぐり 

週末開運にゃんさんぽ』を発売している。

関東1都6県の「ねこにゆかりのある神社とお寺」を

集めたガイドブックで、

有名な「猫寺」下野厄除大師や長福寺をはじめ、

「招き猫発祥」の豪徳寺や今戸神社など、72寺社を紹介。

御利益がすごいとうネコの御朱印や

かわいいネコのお守りなどの授与品を多数掲載し、

話題の寺社やねこの聖地をめぐる週末プランは、

東京、栃木、群馬の3コースを案内している。

参拝マナーや仏像の鑑賞ポイントなどの

基本情報や解説も充実。

 

と、お寺紹介の一環として、

「月刊終活12月号」でご紹介させていただいた

「地球の歩き方」。

おなじみ、海外旅行のガイドブックとして、

国内最大の売り上げを誇っていた。

 

僕もその昔、世界をほっつき歩いていた時に

ずいぶんお世話になったものが、

こんな大変貌を遂げていて、びっくり。

そうなのだ。

旅行業界とともに、コロナ禍で大打撃を受け、

存亡の危機に立たされていたのだ。

しかし、その大ピンチをチャンスに変えた。

 

2020年東京五輪に合わせて国内ガイドにシフトした後は、

都心や近場を「旅する」ガイドブックに変身。

その一方で、40年以上の取材の成果を

グルメや動物など、多彩なテーマで再編集した

「図鑑」シリーズを発刊し、大ヒット。

 

さらにオカルト・ミステリー雑誌「ムー」とのコラボで、

『地球の歩き方ムー』も刊行。

ネス湖、ストーンヘンジ、モアイ像、雪男出現地など、

“世界の不思議”を「旅行ガイド」の視点で特集して

ヒットを放っているという。

あっぱれ!

 

やっと旅行需要が戻って来たので、

これからはまた、

もとの形に戻るのかどうかはわからないが、

ユニーク企画は引き続き、どんどんやってほしい。

 

それにしても需要が戻ってきたとはいえ、

円安のせいもあって海外はべらぼうに高い。

年末年始は海外へ昨年の7倍の客が出かける予定だ、

と、今日のニュースで言っていたが、

結構なお金持ちしかいけないのでがないか。

 

このガイドブック片手に

年末年始はかわいく神社めぐりやお寺めぐりで

ネコちゃんと遊んでみてはどうかニャー。

 


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紫のバラで母を偲ぶ

 

6月に母が亡くなったので、
毎年年賀状をいただいている人たちに
喪中はがきを出したら、カミさんの友人の一人から
お花代が送られてきた。

お花代というからには、やはりお花を飾らにゃいかんだろうと
行きつけの花屋に行ったら紫のバラが目に付いた。
なかなかユニークな色だ。

高齢の女性はなぜか紫カラーに傾く。
母親もご多分に漏れず、
晩年はこれと同じような色のセーターを着ていて、
最期まで持っていた巾着袋も紫色だった。
というわけでイメージがぴったり重なったので
買ってきた。

部屋に置いてみると、とても落ちつく。
と同時に母のことを思い出す。
まだ半年しか経っていないが、
なんだか遠い昔のことのように思える。
向こうもあっちで子どものことなど忘れて、
父と仲良くやっているのだろう。

供養ビジネスの取材などもしているが、
実際のところは供養って、
そんなにお金をかけて大げさにやらなくても
年に何回か、こうしてお花でも飾って偲ぶことが出来れば、
それで十分なのではないかという気がする。

 


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週末の懐メロ111:レット・イット・ゴー/ピアノ・ガイズ

 

言わずと知れたディズニーのアニメ映画

「アナと雪の女王」の主題歌。

 

「レリゴー」が

懐メロと言えるかどうかは微妙なところだが、

2013年のリリースから早や10年近く。

その人気度・浸透度、そして50年後も聴き継がれ、

歌い継がれるであろう、楽曲のクオリティの高さは、

もはや立派に名曲として殿堂入りしていると思う。

映画のサントラとしても最高峰の一曲ではないか。

 

美しさと疾走感を併せ持つメロディラインは、

吹雪の中で覚醒したエルサが雪の女王に変貌し、

瞬く間に氷の宮殿を築き上げるシーンと相まって

何度聴いても胸が熱くなる。

 

作詞・作曲は、ブロードウェイの舞台や、

映画・テレビの音楽を数多く手がけている

クリスティン・アンダーソン=ロペスと

ロバート・ロペスの夫妻。

 

制作の裏話では、出来上がってきたこの曲を聴いて

衝撃を受けたスタッフが、

ストーリーも、エルサとアナのキャラクターも

それまで作ってきたものを一掃して書き替えたという。

(エルサは当初、芯から冷酷で戦闘的な

氷の女王という悪役だったらしい)

まさに新たな作品世界の礎となるだけの

エネルギーを持った楽曲だ。

 

オリジナルの歌唱は、声優としてエルサを演じた

アメリカ人女優で歌手のイディナ・メンゼルだが、

公開されるやいなや、

世界中で数えきれないほどのアーティストが魅了され、

この名曲をカバーしている。

 

なかでも僕が好きで、冬になるといつも聴いているのが、

何もない雪原で、エルサとアナとは似ても似つかぬ

二人のおっさんが、真っ白なピアノとチェロで奏でる

インストゥルメンタル。

 

間奏とエンディングにビバルディの「四季・冬」を

絡めた超絶パフォーマンスは驚愕に値し、

テンションが上がりまくる。

 

「ピアノ・ガイズ」は、出演のピアニスト、チェリスト、

映像クリエイター、音楽プロデューサーからなるチームで、

映画音楽、クラシックを融合リアレンジし、

映像をネット上に公開。

美しい大自然の中でユーモアを交えて繰り広げられる

演奏・映像が話題を呼んでいる。

 

冷たい風が吹きすさぶ中、情熱をこめて、

この上なく楽しそうに演奏する姿は、

映画の世界をそのまま拡張したかのような

「レット・イット・ゴー」のアナザーワールドを

見事に表現している。

 

そして、凍えるような季節がやってきても、
僕たちも熱く楽しく、愛を持って
毎日を生きたいと思わせてくれる。

 

 


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「親に愛された(?)子ども」の相続(争族)

 

昨日は月刊終活の取材で、日比谷の東京商工会議所へ

相続診断協会の「笑顔相続シンポジウム」に参加した。

 

会場は渋沢栄一ゆかりの東京商工会議所・渋沢ホール。

2020年にできたばかりのきれいなホールだ。

ここで開くのは何回目か知らないが、

こうしたシンポジウムを毎年開いており、

けっこう活発に活動している。

 

相続診断協会は、相続問題における家族の悲劇を

何度も目の当たりにした税理士が一念発起して、

2011年に設立した一般社団法人である。

相続に関する相談に乗る「相続診断士」を

養成している。

 

スタートしてから11年。

士業や保険会社や金融機関の社員、

終活カウンセラーなどの間で評判になり、

この資格を取得する人が増えて、

「相続診断士」は現在、全国に45,0000人以上。

協会は国家資格を目指して奮闘している最中だ。

 

シンポジウムはコンテンツも盛りだくさんで面白く、

「笑顔相続落語」というエンターテインメントもある。

これは協会がプロの落語家に依頼して

作った創作落語で、

より多くの人たちに相続問題に興味を持ち、

きちんと向き合ってもらうためのもの。

 

「不幸な相続を一件でも減らしたい」という

法人の理念は、単なるお題目ではなく、

心に訴える真摯なものだ。

 

相続というからにはもちろん、お金の話になるのだが、

機械的に、数字的に、きちんとお金を分けましょう・

管理しましょう、というだけにものではない。

 

その根底にあるのは、

良くも悪しくも人間の強烈な感情だ。

感情があるからこそ幸福な笑顔相続にもなり、

非情な家族間の争族にもなる。

 

代表理事が話してくれたことで最も印象的だったのは、

「なぜ人が遺産の金額にこだわるのかと言えば、

その多くは、

自分がいかに親に愛された子どもだったのか、

を確認したい、証明したいからなんです」

 

日本人の生活の歴史の中では、

遺書を遺すという文化は育たず、

相続問題で揉めるようになったのは戦後のこと。

 

戦前世代と戦後世代との意識・価値観のギャップが

その大きな原因になっている。

お金の問題であり、心の問題であり、歴史の問題。

幾多のテーマをはらんだ日本の相続問題は

これからが本番である。

 

 


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大終活・大相続・大争続(争族)の時代到来

 

レギュラーワークの「月刊仏事」が

先月から「月刊終活」に誌名変更した。

いろいろ大人の事情があるんです。

 

というわけで終活、相続、家族信託などの

記事が増えることになる。

その取材がひしめいてきて、忙しくなっている。

 

ニュースなどでご存じかと思うけど、

65歳以上の高齢者の資産が日本全国で

1000兆円埋蔵されている(という話)。

さらにその大半は75歳以上の資産だという。

どんだけタンス預金持ってるんだ、ニッポン?

 

そりゃ狙われないわけがない。

そりゃオレオレ詐欺が増える。

大争奪戦が始まりそうだ。

 

これから大終活・大相続・大争続(争族)の

時代がやってくる。

日本中に高齢者にやさしく寄り添う詐欺師・ペテン師が

跳梁跋扈するだろう。

 

普段はいい人でも、いざタンス預金を目にしてしまったら

どうなるかわからない。

倫理も美学も尊厳も自分自身も

みんな木っ端みじんになりかねない。

 

大金持ちの昭和人、成金ニッポンのあと後始末は大変だ。

僕はだいじょうぶだろうか?

あなたはだいじょうぶですか?

覚悟はできてますか?

 


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週末の懐メロ110:命あるものは樹から落ちた/坪田直子

 

1976年リリース。

懐かしいけれど、ひどく新鮮な気持ちにさせられる

坪田直子の透明感のある声。

浮遊感のあるファンタジックな演奏に乗せて、

ほんの数行の詩を繰り返すだけの短い歌だが、

いかようにでも解釈できる、

とても想像力を刺激される歌だ。

 

高校生時代に見た「気まぐれ天使」という

テレビドラマで彼女が好きになり、

レコード屋でこの「ピーターソンの鳥」という

アルバムを見つけて買った。

いまや見つけるのが

難しいマイナーなレコード(CD)だが、

当時、魂を傾けて聴き込んだせいもあって、

いま聴いても1曲1曲が驚くほど個性を放っていて、

めちゃくちゃ充実した内容に思える。

 

全10曲中、6曲がいわゆるフォークソングと

ニューミュージックの間のようなメランコリックな歌、

2曲がポエムリーディング、

そしてこの曲と最後の「ほし」が、

このような短い詩のリフレインになっている。

当時としてもかなりユニークな構成だ。

 

「ピーターソンの鳥」は、同名映画のサントラである。

東京キッドブラザーズ制作の映画で、

彼女はその物語のヒロインだった。

脚本・監督の東由多加は、

かの寺山修司が主宰していた演劇実験室「天井桟敷」の

創設メンバーの一人。

寺山が発起人となって開いた力石徹の葬儀

(漫画「あしたのジョー」の登場人物)は今や伝説だが、

その構成・演出は彼が手掛けた。

 

東京キッドブラザーズは、

東由多加が天井桟敷脱退後に作ったミュージカル劇団で、

NYCのオフブロードウェイにも進出した。

映画はミュージカルではないが、

かなり音楽に精力を傾けていて、

そのこだわりがアルバム「ピーターソンの鳥」の

クオリティの高さに繋がっている。

当時としても、そして、いま聴いても

斬新でユニークなサウンドではないかと思う。

 

ちなみに映画の話をすると、

主役は秋田明大という全共闘のリーダーだった男。

どうも彼が天井桟敷や東京キッドブラザーズの演劇に

興味を持って東と仲良くなり、

この映画作りに発展したらしい。

 

ただ、映画の内容はそうした思想や政治とは関係なく、

珍しい鳥を探し続ける男と、彼と出会った女との旅を

抽象的に描いた、半分アメリカンニューシネマ風の

あまりストーリーのはっきりしない映画だった。

 

内容として思い出せるのは、

雪原やプラネタリウム、バイクで走るシーン。

そしてやっぱり坪田直子の顔と歌声ばかりである。

 

けっこう暗い、破滅的な話なのだが、

妖精のような彼女の存在が、

浄化作用になっていた印象が残っている。

 

僕は確か1978年か9年に池袋の映画館で

リバイバル上映されていたのを見たのだが、

知る限り、その後、

どこかで上映されたという話を聞いたことがない。

もう幻の映画になってしまったのだろう。

僕にとっては坪田直子の歌が聴ければ

それでいいのだけれど。

 


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大退職・大辞職・大離職時代VS大量解雇・ハードワーク指令

 

9月から執筆に当たっているリモートワークの本が

あと一歩ということころまで来た。

そんな折、アメリカのIT業界で解雇の嵐。

 

ツイッターのCEOになったイーロン・マスク氏は、

取締役などの高給取りをはじめ、

社員の半数近くをレイオフした後、

「出社して週40時間以上働けない者は

明日から来なくていい」というお達しを出した。

 

まるで30年前の日本の「24時間働けますか」を

再現するかのような世界。

 

結局、ツイッターは

全体で3分の2が解雇されることになった。

これぞアメリカのダイナミズム!

とも言えるが、さすがにおっかない国だ。

 

ただ、「解雇された」というとかわいそうに聴こえるが、

「だったらこっちから辞めてやる」と、

うまうまと退職金をがめていった人が

多いのではないだろうか。

 

システムエンジニアをはじめ、ある程度優秀な社員なら

「ツイッターで働いていました」と言えば、

どんな職種でもそう職探しに苦労しないだろう。

給料が多少下がったとしても、

新しいクレイジーなCEOが要求するような

ハードワークはごめんだと思う人が大半ではないかと思う。

 

本の取材で先月お会いした某有名日系企業の

アメリカ支社の社長の話では、

コロナ以降、

すっかりリモートワークがスタンダードになり、

オフィス勤務者の間ではワークフロムホームーー—

在宅勤務の人が激増した。

そして、家でゆったりマイペースで仕事できる

リモートワーク、ワークフロムホームは

彼らの人生観をも変えたという。

 

家庭も自分も省みず、ガツガツ休みなく働いて、

カネばっかり稼いでもハッピーではない。

そう考える人の増加で「大退職(大辞職・大離職)時代」――The Great Resignation が到来したと

世間で話題になったのはつい1年程前のことだ。

 

「企業にこき使われるのはごめんだ。

人間らしく生きたい」という労働者の声に、

多くの大企業の経営者は

不愉快な思いを抱いているということだろう。

 

マスク氏ほどではないかもしれないが、

ウォール街の金融エリート企業のお偉いさんたちも、

特に高給取りの社員に対しては、

何か特別な理由がない限り、リモートワークを許さず、

「ちゃんとスーツを着て毎日出社しろ」と

ゲキを飛ばしているらしい。

 

イーロン・マスクもあれだけの天才経営者なのだから、

最近の労働者の心理ぐらいわかっていたはず。

いきなりあんな発信をすれば、

反発が来るのはわかっていたはずだが、

あえてやったのはそれだけの自信があるからか?

 

先日は冗談めかして書いたが、

やはりそれだけAIが整備されたのか?

自分の側近は皆ロボットで固めたりして。

 

それにしても、そんな状況からここにきて、

アメリカITの大量解雇。

そして、カウンターパンチのようなハードワーク指令。

 

アメリカで発生した波は時間差で日本にも波及する。

大退職(大辞職・大離職)の波が来るのか?

大量解雇とマスク流ハードワークの波が来るのか?

いずれにしても来年は何かしらの波乱があるだろう。

人間と労働をめぐる問題は、いつの時代も面白い。

 


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廃墟から再出発 アニメむすめの鬼怒川温泉

 

いまや観光地は、ゆるキャラ、アニメキャラだらけ。

鬼怒川温泉の観光案内所にも

4人の美少女さんがたちがいた。

 

このうち、グレーの制服を着ているのは

「鬼怒川みやび」ちゃんという

東武鉄道の特急スペーシアの車掌さん。

「日々、接客について勉強中💛」。

 

紺の制服は「大桑じゅり」ちゃん。

鬼怒川には東武鉄道が運営する

「SL大樹」も走っており、彼女はその新米機関士さん。

「持ち前の明るさとガッツを武器に奮闘中💛」です。

 

この二人は全国の鉄道事業者の現場で活躍する

キャラクターコンテンツ「鉄道むすめ」の一員だ。

「鉄道むすめ」は結構何年も前から

「鉄むす」の略称で親しまれているようだが、

僕はこんなコンテンツがあるなんて、

今回の旅で(実際には今日ネットで調べて)初めて知った。

 

他の2人のことはよくわからないが、

鉄むすとのコラボで、

ご当地キャラクターとして生まれたのだろうか?

僕は赤鬼ちゃんと機関士さんがお気に入りである。

 

鬼怒川温泉は10年ほど前に放送されたアニメ

「未来日記」の1エピソードで描かれていて、

「アニメ聖地巡礼地」の一つになっている。

(これも今日初めて知った)

 

このアニメも見たことないので内容はわからないが、

ネットで調べると、廃墟の描写がすごくて、

鬼怒川温泉は完全に

「凋落して廃墟と化した昭和時代の大温泉街」の

イメージになっている。

 

実際、昭和の後半、鬼怒川は箱根や熱海と肩を並べる

大温泉街、娯楽の殿堂だった。

東京から近いというロケーションも幸いして

毎日、観光バスに乗った団体客や

東武鉄道に乘った家族連れなどがわんさか押し寄せて、

週末ともなれば、ホテルや旅館が並ぶメインストリ-トは、

都心の繁華街のように人がごった返していたらしい。

 

栄枯盛衰。諸行無常。

栄光の頂点から落ちぶれてから何年経つというのか。

殿様商売を改められなかったところは

もう滅びるしかない。

 

そんなわけで廃墟ホテル、廃墟施設が

わんさか出来上がってしまったのだろう。

 

僕は廃墟は見なかったが、

日暮れとともに外は閑散となって、

かつて賑わったメインストリートは

確かにわびしげな風が吹いていた。

 

こうした観光地はもう開き直って、

前世の記憶みたいな大廃墟を売り物にするぐらいの

ことをやったほうがいい。

(てか、勝手に見物客は集まってくるみたいだけど)

 

廃墟から再出発した鬼怒川温泉。

もう昭和の賑わいを取り戻すのは無理だ。

そんな夢は追わないほうがいい。

 

それで人が来るのなら、アニメ娘に頼ってもいい。

鬼怒川みやびちゃん、大桑じゅりちゃん、

いいではないか。

萌える、癒される、かわいい温泉ビレッジを

再構築してほしい。

 


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シン・ウルトラマンとイデ隊員とウルトラマンの本質

 

「僕が作った武器なんて何の役にも立たないんだ。

怪獣はみんなウルトラマンが倒してくれるんだから」

 

無力感に苛まれたイデ隊員は、戦うことを放棄して

空に向かって声を振り絞ってウルトラマンを呼んだ。

 

「ウルトラマーン、早く来てくれ。

ウルトラマーン!」

 

ウルトラマンであるハヤタ隊員はその姿を見て、

変身するのを躊躇ってしまう。

 

初代ウルトラマンの第37話「小さな英雄」は、

子ども心に全エピソード中、最も感動的な話だった。

じつはこの回の主役は怪獣ピグモンなのだが、

僕の中では完全にイデ隊員が主役だった。

 

イデ隊員は第23話「故郷は地球」でも主役だった。

辺境の惑星で怪獣になってしまった宇宙飛行士ジャミラは

人間に復讐するために地球に帰って来た。

科学特捜隊は、彼の正体を隠したまま、

抹殺しろと命令を受ける。

破壊を繰り返すジャミラにイデ隊員は悲痛な叫びをあげる。

「ジャミラ、おまえは人間の心さえ失くしてしまったのか!」

 

昨年亡くなった二瓶正也さん演じるイデ隊員は、

科学特捜隊の兵器やマシンを開発する天才科学者でもある。

しかし、○○博士といった威厳ある趣はみじんもなく、

ヒラ隊員に甘んじており、

普段はひょうひょうとした3枚目キャラだ。

 

けれども彼のシリアスでヒューマンな面を印象づけた

この2つのエピソードが

「ウルトラマン」のトーンを決めた。

イデ隊員が表現する人間性こそが

「ウルトラマン」の本質なのである。

当時、僕は6歳だったが、

子どもの胸に入り込んだものは、

とてもとても信じるに値する。

 

「シン・ウルトラマン」は劇場で一度見たが、

配信が始まったので昨日、家でもう一度見た。

ここには、かつてのウルトラマンという物語の

エッセンスが凝縮されている。

 

細部にわたる庵野監督の仕掛けはさすがだと思う。

旧作へのオマージュもふんだんに盛り込まれている。

さらに現代社会への風刺も。

 

世界は核兵器による脅し合いで成立している。

核に代わるパワー、核を凌駕するパワーを

どの国も求めていることが、

登場人物のセリフから伝わってくる。

 

ウルトラマンの軍事利用。

ベータシステムの政治利用。

メフィラスとの交渉シーンでは、

そのあたりが実にうまく表現されている。

メフィラスを演じる山本耕史は最高だ。

 

そうした現代ならではの要素

(実は55年前と大して変わっていないけど)を

盛り込みつつ、ちゃんと本質を抑えている。

 

「シン・ウルトラマン」を観ていて

僕にイデ隊員を想起させたのは、

有岡大貴が演じる禍特対(禍威獣特設対策室専従班)の

滝明久である。

滝は粒子物理学者で、かなりの天才らしいが、

メンバー中最年少の若僧。

 

劇中、けっこう生意気な口を叩くが、

最後のゼットン登場によって、

「小さな英雄」のイデと同じく、

深い無力感と絶望感に苛まれる。

 

「ウルトラマンも勝てない相手だ。

もう人間はおしまいなんだ」

彼には少しエヴァのシンジくんも入っているようだ。

 

けれども滝もまた、あの時のイデ隊員と同じく、

奮起し、自分のできることをする

(それがすごいんだけど)。

 

人間がアホで能なしで臆病で、

しょーもないゼツボー的生き物であることは

わかっているけど、そんな現実に

めげてないで一生懸命やるしかないのである。

一生懸命やってれば、いつかどこかで

ウルトラマンも助けてくれるかもしれない。

一口で言えば、

それがウルトラマンという物語のメッセージだ。

 

ウルトラシリーズで最も評価されているのは

「ウルトラセブン」だと思う。

確かにセブンは引き締まったシリアスな展開で、

おとなっぽくてドラマとしての質も高い。

 

それに対して「ウルトラマン」は

メルヘンあり、コメディあり、ホラーあり、

ファンタジーありの子どもっぽいバラエティだ。

(前作の「ウルトラQ」の世界を引き継いでいる)

 

おそらく初めて観た時の年齢が関係していると思うが、

僕は子どもこ心に訴える、

柔らかで広がりのあるコンテンツとして、

戦闘的なウルトラセブン

(およびその後のシリーズの各作)よりも

ウルトラマンのやさしいヒューマンな物語が

好きなのである。

 

ただ、おとなになった今、原本のウルトラマンは、

さすがに稚拙さ・子どもっぽさが目立って

まともには見られない。

 

今回の「シン・ウルトラマン」は、

2時間の重厚でリズム感あふれるドラマに仕立て上げて

その真髄を見せてくれた。

ラストもキレがあり、シャレが効いている。

 

願わくば「故郷は地球」のエピソードを活かしてもう1作。

最終兵器のゼットンを出しちゃったから無理かと思うけど。

 


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週末の懐メロ109:アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット/ホール&オーツ

 

1982年リリース。

ソウルとポップのベストブレンドを狙った

ダリル・ホールとジョン・オーツのデュオは

80年代前半にヒット曲を連発。

ポピュラー音楽史上最も売れたデュオとさえ言われる。

 

当時、僕は「プライベート・アイズ」という曲が好きで、

自分の芝居のテーマ曲に使ったりもしたが、

ホール&オーツ自体はそれほど大好きというわけではなく、

流行ってたからよく聴いてた、という程度。

 

もう何十年も聴いていなかったし、

正直、ほとんど忘れていたのだが、

この曲の独特の揺らめくような心地よいリズムは

なんだか耳の底に残っていた。

 

今回、このライブパフォーマンスを見て

改めてホール&オーツの音楽のクオリティの高さを実感。

齢を取ってよかったじゃん!

と思わずいいたくなるほど魅力的な演奏。

めっちゃシブくてダンディで、

若い頃より断然カッコいい。

 

10年近く前のライブらしいが、

ダリル・ホールも、ジョン・オーツも、

もちろんとっくに還暦を過ぎてて、

シニアならではの、

深くて芳醇なモルトウィスキーみたいな

味わいをたっぷり聴かせてくれる。

盛り上げるバックも素晴らしいの一言。

 

特に中盤以降のサックスを中心としたジャージーな展開は、

極上の酔い心地で、これはもうたまらない。

秋の夜長にぴったりの揺らめくリズムに

そのまま揺られて、いつまでも踊っていたくなる。

 


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鬼怒川温泉・日光江戸村の旅

 

久しぶりの完オフで鬼怒川温泉・日光江戸村に

カミさんと一泊二日の旅。

鬼怒川温鬼のアニメ少女キャラ、鬼めぐりキャラ、

江戸村の江戸キャラ、どれもエンジョイラブル。

旅エッセイをお楽しみに。

 


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オランダで大人気! 息子のおさがりで仕事の調子があがる

 

コロナのはるか昔から在宅ワークをやっているが、

最近、妙に仕事着にこだわるようになった。

こだわると言っても、カッコいいか・悪いかじゃなくて、

着心地がいいか・どうか。

さらに言えば、働きやすいかどうか、である。

 

別にどこかに出かけるとか、

誰かお客さんが来るとか関係なく、

家で一人で仕事をしている時でも、

一日の間に何回も服を着替える。

着る物によって調子が変わるのだ。

 

サラーマンのスーツとか、肉体労働の作業着じゃあるまいし、

家でパソコン叩いているだけなら何を着てても一緒だろうと

思うだろうが、そうではない。

何を着ているかによって脳の疲れ方が違う。

着替えたとたんに、

バババババと執筆が進むこともあるのだ。

 

何がいいかは季節や天気、

その時その時の気分によって違うが、

まず駄目なのはフリースである。

温かいのだが、フリースの服を着て仕事をしていると、

なんだか途中から脳が拘束されているような

錯覚にとらわれる。

素材が石油由来からだろうか。

なにか科学的な根拠がありそうな気がするが、

とにかく調子が悪くなる。

 

アベレージが高く、仕事着として割とよく着ているのが、

息子が高校生の時に着ていたジャージ。

3年前の引っ越しの時にタンスの肥やしになっていたのを

もらい受けた。

いわば、息子のおさがりである。

 

買った時、値段がいくらだったか忘れてしまったが、

安くはなかったはずだ。

制服でも体操着でも、「スクールナントカ」は、

いったんその学校に入り込めれば、

あとは何年も何十年も独占市場である。

どれもだいたい高い。

 

しかしその分、モノは良い。

ガキどものハードな動きに耐久性がなくてはならないので、

それも当然。

したがって頑丈であり、その割に柔らかい。

ほどよくくたびれているところも

また着やすさになっている。

仕事着にぴったりなのである。

 

この間、こういう日本の中古スクールジャージが

オランダの若者に大人気だという話を聞いた。

 

ポイントは胸の名前の刺繍である。

アルファベットじゃなくて漢字。

これがオランダの若者にしてみたら、

カッコいいとウケる。

しかも名前なので、ダブりが極端に少なく、

みんな違っている。

どうやら輸入専門の業者までいるらしい。

面白いものだ。

 

この息子のおさがり、家では重宝しているが、

外には絶対着て出ない。

今の家は彼の母校である豊多摩高校のすぐそば。

同じジャージを着た高校生がうじゃうじゃ歩いている。

さすがに彼らと同じのを着ているというのは

恥ずかしいので。

 


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週末の懐メロ108:ホワッツ・アップ/4ノンブロンズ

 

1992年リリース。

もう30年も経ったのか!

 

90年代指折りの名曲は、

懐メロというよりも現代に繋がる

フォーエバーヤングな歌。

そして聴く者の気持ちのテンションを上げる

フォーエバーロックな世界。

 

ちょっとユニセックスな雰囲気を漂わせる

女3人、男1人のユニークな編成。

「金髪じゃない4人」というバンド名は

ジョークと、反骨精神と、

まっとうな在り方からちょっと外れているという

屈折した思いが程よくブレンドされている。

 

(当時のアメリカ社会では、白人のなかでも

微妙なカーストがあって、

ノンブロンズーー金髪でないことは

劣等感を抱かざるを得なかったらしい)

 

そして、そんな彼女らのスピリットが

パワフルな魅力となって、

この曲に凝縮されているかのようだ。

 

♪25年生きてきたけど

まだ目的地に辿り着く希望を胸に 

あの大きな丘を上がっていこうとしているんだ

 

アタシは精一杯やるよ

どんな時でも諦めず

この社会の枠組みの中で頑張るよ

そして祈ってる

毎日ずっと祈ってる

世の中が大きく変わるように

 

もともと男社会に対する女の反抗の歌だが、

いま聴くと、あまり性別は関係ないように思える。

 

昔の25歳も、今の25歳も同じ様な思いを抱いている。

そして僕のように60歳を過ぎると、

きっとその希望の丘のてっぺんには

永遠に辿り着けないんだろうという諦観も入り混じる。

 

けど、それでもいいさ

死ぬまでその丘を登り続けようじゃないかと、

この歌詞の最後に足してみるといいのかもしれない。

 


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さらば教育係、こんにちは高学歴AI

 

TwitterやMeta(Facebook)の大量解雇は、

どうやらAIのディープランニングが一区切りついて、

それに携わって来た、いわゆる教育係の社員たちが

お払い箱になったということではないかと思われる。

Amazonでも人員削減の声が聞こえる。

 

コロナ禍のこの3年ほどの間に、

AIはとんでもなく成長し高度化した。

歴史も科学も芸術も、人間のことをたっぷり学んで

立派な学歴もつけた。

これまでの活動は、ほんの序の口、

学生ボランティアみたいなものだった。

 

もう世界もビジネスも次の新しいフェーズに入ってる。

アメリカのIT企業は、今後、本格的に

AIを活用した事業活動をやっていくと思う。

 

おそらく当面、僕たちの生活に直接的な影響はないだろう。

僕たちは昨日と変わらない世界を歩き、

変わらない会話をし、変わらない暮らしを営む。

けれどもそれは少しずつ、確実に、

AIの意思に導かれていく。

 

そして、僕ら自身もAIが提供する可能性を楽しみ、

AIが見せる夢に大きな期待を抱くのではないかと思う。

 

イーロン・マスク氏やマーク・ザッカーバーグ氏が

どんな夢や野望を持っているのか知る由もないが、

たかがSNSのはずだったものが、

いまや政治や経済、世界全体を変えていく

力を持つようになるのかもしれない。

 

AIが創る世界は、良きにつけ、悪しきにつけ、

過去生きて来た人間、そして、今を生きる人間の

愛、欲望、願い、理想、悟り、悪徳・・・

あらゆる脳の活動を反映したものになるだろう。

 

それをどう制御するのか?

どう未来につなげるのか?

全然わからないが、僕が死ぬ今世紀の半ばには

何か、今と全く違う世界・暮らし方が

実現しているのではないかと想像する。

いったいどうなるのか、

ぜひとも生き延びて見てやろうじゃないか。

 


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TwitterもFacebookも激変?

 

メリカは先進国中(たぶん)唯一、

問答無用でトップが従業員のクビを切れる。

昨日まで会社のお偉いさんだった人が、

明日からホームレスになっちゃったりもする自由の国。。

 

イーロン・マスク氏がTwitterトップに就任したとたん、

全取締役、半数の従業員がクビになったという。

朝起きていきなり

「きみは今日から会社に来なくていいよ」

なんてメールが入ってたら、こりゃショックだよね。

 

Facebookを運営するMetaも

明日にでも数千人規模の人員削減を

発表する見込みというニュースがあった。

 

今、アメリカで何が起きているのだろうか?

ビジネス界の大変動の予兆なのか?

 

と、海の向こうの他人ごとのように考えていたら、

今年ずっと取材してきた会社の担当者が

メンタルを病んで当分再起不能。

そして、この6年ほどの間、お世話になった

雑誌の編集長が年末で退職するという。

 

そう言えば、今年は6月に母が亡くなった。

とりあえず自分の仕事は変わらないのだが、

2023年は何か大きな変化が起るのかも知れない。

 

変革だ、レボリューションだと叫びながらも、

いざ変わるとなると、やっぱりおじけづく。

自分の保守性・臆病さを笑う。

 


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ちっちゃいおじさんは、なぜ七五三の時に 杉並のパワースポットに出没するのか?

 

うちの近所にある杉並のパワースポット・大宮八幡宮で、

ちっちゃいおじさんの出没情報が

多数報告されるようになったのは、

10年ちょっと前、2010年あたりからだ。

 

ちょうどリーマンショックの後遺症の時期だったので、

失業し失踪したお父さんたちの魂が

神宮の杜を彷徨っているのでばないか――

と、まことしやかな噂を耳にした。

 

仮説として面白い。

僕もリーマンショックの打撃を負った一人だったので、

その仮説をもとにラジオドラマのシナリオを書いた。

その話をノベライズしたのが、

現在、電子書籍kindleで出している

「ちち、ちぢむ」という少年少女小説である。

 

http://www.amazon.com/dp/B09WNC76JP

 

今日、義母を連れて久しぶりに大宮八幡まで散歩に行ったら、

初詣に備えてなのか、賽銭箱が新調されていた。

それに七五三の季節なので、

ちびっ子がうじゃうじゃいる。

 

そんな状況のなかで、

なんだかちっちゃいおじさんの匂いがプンプンしてきた。

 

そうなのだ。ちっちゃいおじさんは七五三が好きなのだ。

目撃情報も七五三の頃になると跳ね上がる。

 

理由は二つあって、

一つは綺麗な着物を着た子供たちがたくさん来るので、

ちっちゃいおじさんの魂が萌えて、つい人前に現れるから。。

もう一つは、おとなはそんなものいないと思っているから

見えることはないが、

無垢な心の子どもの目には見えてしまうから。

 

奇しくも同神宮のティーサロン

「清涼殿」に入ってお茶したら、

殿内にあるPR映像用の画面に

「いきなり都市伝説」の関暁夫氏が出ていて、

ちっちゃいおじさんについて、例の調子で語っていた。

大宮八幡宮、このタイミングでこんなビデオを流すとは、

なかなか抜け目ない。

寺社にもマーケティング能力が

必要とされる時代であることを実感する。

 

心が世俗の手垢にまみれている僕は、

当然のごとく、ちっちゃいおじさんには会えなかったが、

帰り道、義母に問われた。

 

「あれ、いっしょにいた、あのちっちゃい子たち、

どうしちゃったの?」

 

認知症で聖なる子どもに還っている義母には、

七五三の子どもらに混じって、

彼らの姿が見えていたのだろうか?

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

この話、信じるか信じないかは、あなた次第です。

 


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週末の懐メロ107:落葉のコンチェルト/アルバート・ハモンド

 

秋の歌と言えば、ビートルズの

「アンド・アイ・ラブ・ハー」、

ギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」、

そして、このアルバート・ハモンドの

「落葉のコンチェルト」である。

 

1973年リリース。

中学生の今頃の秋の夜、

ラジオにかじりついて聴いていた。

 

落葉が風に舞う秋の散歩道を

孤独を抱えて歩く男をイメージさせる

リリカルなメロディ。

なんとも美しく、ドラマチックな曲だ。

 

漠然とこれは恋に破れた男の歌なんだろうなと思っていた。

まさしく「落葉のコンチェルト」

というタイトルにぴったりの歌だ。

 

ところが今回、英語の原題を見てびっくり!

 

For The Peace Of All Mankind ——

すべての人類の平和のために

 

なんか特撮ヒーローの歌みたいである。

とはいかないまでも、

アルバート・ハモンドって、

こんなジョン・レノンみたいな歌手だっけ?

って混乱してしまった。

 

でもまぁ、ロシア・中国・北朝鮮と、

怖ろしい動きをする国がうごめく今年、

平和への願いを謳っているんなら、

ぜひ伝えたいと思って歌詞を調べてみたら愕然。

 

♪平和のために 安心のために

人類みんなの心の平穏のために

出て行っていってくれ

僕の頭のなかから消え去ってくれ

ベッドルームのドアを閉め

すべてを以前のように戻してくれよ…

 

なんだ、やっぱり女にフラれて

メソっている男の歌ではないか。

それをわざわざ「人類みんなの心の平穏のために」と

壮大なる表現にしてしまう、すごいセンス。

 

というわけで逆転×逆転で、

元通り、女にフラれた寂しい男の歌ってことで

落ち着いたわけだが、まだなぞは残っている。

 

歌詞のストーリーの中には

秋も落葉もコンチェルトも出てこない。

どうやらこれは日本のレコード会社十八番の

邦題マジックだ。

 

原題の仰々しさと曲調がさっぱり合わないということで、

レコードの発売時期が秋だったこともあり、

このタイトルがつけられたのだという。

 

前回の「悲しき天使」(メリー・ホプキン)みたいに、

可愛い娘が歌っているからこうしとけ、

みたいな手抜き仕事もあるが、

これはセンスが光っている。

 

その証拠に、「カリフォルニアの青い空」と並ぶ

ハモンドの代表曲と言われているこの曲は、

日本だけでヒットしたらしい。

 

たしかに題名が「落葉のコンチェルト」というだけで、

切なさ・美しさ三倍増。心に染み入り方が違う。

これぞ邦題の力、これぞ邦題マジック!

 

それにしても、勝手に題名を変えて売るのって、

当時は許されていたみたいだけど、

作者のミュージシャンはどう思っていたのだろう?

それから今はどうなのだろう?

著作権侵害に当たらないのだろうか?

 

いずれにしても皆さん、

すてきな音楽で秋の夜長をお楽しみください。

 


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次回新刊は 「認知症のおかあさんといっしょ」

 

おりべまこと電子書籍ハロウィーンスペシャル

無料キャンペーン、好評のうちに終了しました。

ありがとうございました。

次回新刊は、認知症介護エッセイ集

「認知症のおかあさんといっしょ」。

ちょっと予定から遅れており、

11月中~下旬の発売予定です。

楽しみにされていた方、ごめんなさい。

いましばらくお待ちください。

 


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わたしを忘れないで(メキシコ)  アステカの死生観と世界的高齢化社会の到来

 

ハロウィーンをより楽しくする、おりべまことの電子書籍。

11月1日(月)16:59まで、4つの「死と死者をめぐる本」を

無料でご提供。

そのなかから「世界のEnding Watch」の

「わたしを忘れないで(メキシコ) 

アステカの死生観と世界的高齢化社会の到来」をご紹介。

 

●メキシコ伝統の「死者の日」

 

色とりどりのパペル・ピカド(切り絵の旗)、ユーモラスなガイコツの人形、鮮やかなオレンジ色のマリーゴールドの花。

街は華やかに彩られ、楽しい音楽が溢れ、伝統を重んじる家では「オフレンダ」と呼ばれる美しい祭壇を設けて写真や食べ物を供え、死者(先祖)の精霊を迎え入れる。

街中がお祭りムードに包まれるメキシコの「死者の日」は、ユネスコの無形文化財にも指定されている供養文化。年に一度、現世に死者が帰ってくる日(十一月一・二日)、家族や友人たちが故人を偲び、語り合うために集う、いわば日本のお盆に当たる行事であり、欧米のハロウィーンの原型とも言われている。

メキシコはカトリック教徒が多いが、十六世紀にスペインの征服を受ける前のアステカ帝国の文化が色濃く残っており、死を象徴するものが独自の発展を遂げている。

この国では「死は、新たな生へと巡る過程のひとつ」という考え方が社会生活の深いところに根付いているのだ。そのため、生の世界と死の世界を隔てる壁が薄く、双方を行き来することもそう難しくないと、人々は考えている。

 

●映画「リメンバー・ミー」

 

その「死者の日」をモチーフに作られ、二〇一八年に大ヒットを記録したのが、ディズニー/ピクサー映画「リメンバー・ミー」だ。

映画の中では世にも美しいテーマパークのような死者の国で、ガイコツになった人々が“いきいきと”生活している。

世界的な影響力を持つハリウッド映画の代表的企業が、こうしたメキシコの供養風習を材料に、“死を表現した”エンターテインメント作品を世に送り出したことには大きな意味があるように思える。

ご当地アメリカでは五〇年前、二十五歳以下の人口が全米の約半分を占めていたと言われる。その世代――一九六〇年代から七〇年代にかけて、ロックミュージックやファッション、コミック、映画、ビートニク文学などのカウンターカルチャーをクリエイトしたベビーブーマー世代――の社会的パワーは凄まじいものがあった。

彼ら・彼女らが高齢化し、エンディングを意識せざるを得なくなったことは、単に数字的に高齢者人口が増えたという以上の影響があるのだ。

「リメンバー・ミー」は家族向けの映画であると同時に「わたしを忘れるな、憶えていろ」と主張するベビーブーマー世代の精神を表現した映画でもある。マーケティングにも長けた映画会社としては、三世代まとめての鑑賞を想定して制作したのだろう。

 

●多様でありながら普遍性を持つ世界のエンディング

 

ベビーブーマー世代の影響力が大きいのは何もアメリカに限ったことではない。欧州も日本も、いわゆる先進国はどこもよく似た人口構成になっており、エンディングの周辺では同様の現象が起こっている。

それぞれの国・地域の伝統は多種多様でありながら、近年の葬儀供養事情、終活、高齢者ケアの在り方・考え方・サービスなどは、この二十一世紀前半ならではの一種の普遍性を持っている。

そのいくつかはすでに日本に影響を及ぼしており、逆に日本発のサービスが外国に影響を及ぼしている場合もある。葬儀供養ビジネスは今、国境を超えて交信し合う時代を迎えている。

 

●世界のEnding Watch

ハロウィーンの原型・ディズニー映画の題材にもなったメキシコの「死者の日」などの先祖供養の風習、人生最後の旅や最後の晩餐を提供する臨終ケア、森や土に還り地球と一体化するエコ葬、死を意識した人なら誰でも一度は考える安楽死の現実など、各国の死と葬送の記録などをエッセイにして収めました。

 

●死ぬまでジタバタしようぜ

出来ればずっと知らないフリをしていたい「死」。しかし、すべての人がいつかは関わらなくてはならない「死」の話。

自分は本当はどう考えているのか、他の人はどう感じているのか――そんな対話をしてみたい人のネタに使うなど、いつかは向き合わなくてはならない死に心を慣らすのに役立ててほしいエッセイ集。

●ざしきわらしに勇気の歌を

認知症になってしまった寅平じいさんに課された人生最後のミッション。

それは最強の妖怪「むりかべ」に立ち向かうざしきわらしのきょうだいを得意の歌で応援することだった。

笑ってちょっと不思議な気持ちになる妖怪幻想譚。短編小説。

 

最大の両棲類として古代から地球上で生き続けるオオサンショウウオ。その不思議な生命力に人生を左右されることになった明治・大正の発明家と、昭和・平成のライターの怪奇な運命の物語が、夢と現実のバランスが崩れた世界で紡がれてゆく怪異譚。

長篇小説。


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ハロウィーンをより楽しくする、おりべまことの電子書籍

 

今夜はハロウィーンイブ。

ハロウィーンをより楽しくする

おりべまことの電子書籍。

10月29日(土)17:00~11月1日(月)まで4日間4つの「死と死者をめぐる世界」を無料提供。

この機会にぜひ。気に入っていただけたら

レビューをお待ちしております。

●世界のEnding Watch

ハロウィーンの原型・ディズニー映画の題材にもなったメキシコの「死者の日」などの先祖供養の風習、人生最後の旅や最後の晩餐を提供する臨終ケア、森や土に還り地球と一体化するエコ葬、死を意識した人なら誰でも一度は考える安楽死の現実など、各国の死と葬送の記録などをエッセイにして収めました。

 

●死ぬまでジタバタしようぜ

出来ればずっと知らないフリをしていたい「死」。しかし、すべての人がいつかは関わらなくてはならない「死」の話。

自分は本当はどう考えているのか、他の人はどう感じているのか――そんな対話をしてみたい人のネタに使うなど、いつかは向き合わなくてはならない死に心を慣らすのに役立ててほしいエッセイ集。

●ざしきわらしに勇気の歌を

認知症になってしまった寅平じいさんに課された人生最後のミッション。

それは最強の妖怪「むりかべ」に立ち向かうざしきわらしのきょうだいを得意の歌で応援することだった。

笑ってちょっと不思議な気持ちになる妖怪幻想譚。短編小説。

●ハンザキを喰った話

最大の両棲類として古代から地球上で生き続けるオオサンショウウオ。その不思議な生命力に人生を左右されることになった明治・大正の発明家と、昭和・平成のライターの怪奇な運命の物語が、夢と現実のバランスが崩れた世界で紡がれてゆく怪異譚。

長篇小説。

 


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おりべまこと電子書籍ハロウィーン・スペシャル開催

 

10月29日(土)17:00~11月1日(月)

4日間4タイトル無料キャンペーン

以下4タイトル無料で購入できます。

この機会にぜひ。レビューもお寄せください。

 

世界のEnding Watch

ハロウィーンの故郷・メキシコの「死者の日」をはじめ、

世界の葬儀・供養を探求するエッセイ集。

 

死ぬまでジタバタしようぜ

http://www.amazon.com/dp/B0B5FMN8QW

死から現代の生き方を考察するエッセイ集。

 

ざしきわらしに勇気の歌を

http://www.amazon.com/dp/B08K9BRPY6

認知症になった寅平じいさんの人生最後のミッションは最強の妖怪「むりかべ」に立ち向かうざしきわらしを得意の歌で応援することだった。笑ってちょっと不思議な気持ちになる妖怪幻想小説 

 

ハンザキを喰った話

http://www.amazon.com/dp/B09PGDSQMP

オオサンショウウオに変態した100歳の発明家をめぐる幻想小説。

 


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週末の懐メロ106:悲しき天使/メリー・ホプキン

 

968年リリース。

イギリスのシンガーソングライター、

メリー・ホプキンが歌ってグローバルヒット。

とても印象的なメロディーラインなので、

若い世代でも聴いたことがある人が多いだろう。

 

僕はフランスのシャンソンの何かの曲を

モチーフにしているかと思っていたが、

原曲はロシアの歌謡曲で、

それをアレンジしたのだという。

 

さらに驚きなのが、当時、ビートルズが作った

アップルレコードからの初のシングルであり、

ポール・マッカートニーが

プロデュースしたのだとか。

 

そんな意外な事実に衝撃を受けた

「悲しき天使」だが、

僕にとってこの曲は唐十郎の戯曲「少女仮面」の

テーマ曲である。

 

唐十郎は1960年代から70年代にかけて

世の中を席巻したアングラ演劇の

劇作家であり、大スターであり、

彼の率いる劇団状況劇場は、

恐るべきスター俳優が勢ぞろいする

超パワー劇団だった。

 

その唐十郎が1969年に書き下ろし、

1970年の第15回岸田戯曲賞

(演劇界の芥川賞と言われる)の受賞作が

「少女仮面」だった。

 

この戯曲には冒頭部分のト書きで、

「メリー・ホプキンの『悲しき天使』が流れる」と

堂々と書かれている。

 

物語はさすがアングラ芝居らしく、

いろいろな幻想的なシーンがコラージュされていて、

単純なつくりではないが、

最も主軸となるテーマは「老い」、

それも女の老いである。

 

「時はゆくゆく、乙女は婆に、

婆は乙女になるかしら?」

なんて歌も挿入されるが、

おそらく「悲しき天使」が、

この物語の重要なモチーフになったのだろう。

 

この頃の邦題は、歌にしても映画にしても、

女が主役・歌い手だったりすると、

やたら「悲しき○○」「天使の○○」「○○の天使」

というのが多いが、原題はまったくこれと関係ない。

 

原題「Those were the days」は、

「あの頃はよかった・あの頃がなつかしい」

という意味で、歌詞の内容は、

まさしくな懐メロ大好きな中高年が、

青春時代の思い出に耽っている、という内容。

歌うメリー・ホプキンは当時、

まだ少女と言ってもいい18歳の女の子だった。

 

天才的物語作家で、次々と戯曲を書きまくり、

芝居を打ちまくっていた唐十郎の頭の中には、

この歌詞とメロディを聴いただけで、

「少女仮面」の構想が、

ダダダダと出来上がったのだと思う。

(確か何かの本で「三日で書き上げた」

と言っていたような記憶がある)

 

ちなみに「少女仮面」は、

僕が演劇学校に入った年、

学内の1年上の先輩方が上演して

「すげー」と衝撃を受けた思い出がある。

こんな芝居をやるなんて、

先輩方がみんな天才俳優に見えた。

今でもその時の、

ひとりひとりのキャラクターを鮮烈に憶えている。

 

また、この作品は「老い」という普遍的なテーマ、

そして役者の人数も適度で、

大掛かりなセットもいらない、

時間的にも割と短く、

上演しやすいといった要素から、

唐十郎の芝居の中で最も人気があるようで、

最近でもどこかしらの劇場でやっているようだ。

 

そして「悲しき天使」も時を超えて流れている。

18歳だったメリー・ホプキンも、

もう70歳を過ぎている。

婆は乙女になるかしら?

 

おりべまことハロウィンスペシャル

4日間4タイトル無料キャンペーン予告

10月29日(土)17:00~11月1日(月)16:59 

 

ざしきわらしに勇気の歌を:短編小説

http://amazon.com/dp/B08K9BRPY6

ハンザキを喰った話:長篇小説

http://amazon.com/dp/B09PGDSQMP

世界のEndligWatch:エンディングエッセイ①

http://amazon.com/dp/B09HQT42JR

死ぬまでジタバタしようぜ:エンディングエッセイ⓶

http://amazon.com/dp/B0B5FMN8QW

 


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おりべまことハロウィーン・スペシャル:4タイトル無料キャンペーン!

 

10月29日(土)17:00~11月1日(月)16:59 

 

ざしきわらしに勇気の歌を:短編小説

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ハンザキを喰った話:長篇小説

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世界のEndligWatch:エンディングエッセイ①

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死ぬまでジタバタしようぜ:エンディングエッセイ⓶

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くまがや・ふかや

 

仕事で埼玉県熊谷市へ。

熊谷は「日本一アツい街」として

全国にその名を轟かせたが、

今日は東京より寒かった!

 

熊谷に来るのは、まだチビだった息子を連れて

秩父鉄道のSL「バイオエクスプレス」に

乗りに来て以来だから、20数年ぶりだ。

(その頃はまだ日本一アツくはなかったと思う)

SLが走るのは土日祝だけなので今日は静か。

ただ、ちょっと先の深谷市の駅前に

巨大アウトレットモールができたそうで、

そこの人出がすごいとか。

 

2019年のラグビーワールドカップ以来、

熊谷はラグビーの街として売り出しているようで、

お土産もラグビーがらみ。

 

帰りはお隣の籠原駅を利用したのだが、

こちらは同じ熊谷市でも深谷市に近いようで、

駅構内のコンビニには昨年の大河ドラマの主人公で、

いよいよ間もなく1万円札として登場する

渋沢栄一のお土産がずらり。

これから季節、お鍋には深谷ネギがおいしい。

 

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小説・エッセイ4タイトル

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本気でグローバルビジネスにチャレンジするならGEOを利用してみよう

 

外進出を計画する会社には耳より情報。

先月から「リモートワーク」×「海外進出」の本を

執筆中だが、本日はその取材で

Go Globalという会社の話を聞いた。

 

2006年、アメリカで生まれた海外雇用代行サービス

EOR(Employer of Record)は、

いま、大きな広がりを見せており、

世界中にそのサービスを提供する会社ができている。

 

その一つ、Go Globalは現在のところ、

日本でそのサービスを提供する

唯一の日系企業であり、

GEO(Global Employment Outsourcing)

というサービス名で雇用代行業を行っている。

 

平たく言うと、海外に拠点を置きたい日本企業と

現地スタッフの間に立ち、

そのスタッフの雇用主として日本企業に提供。

Go Globalと契約した日本企業は、

そのスタッフを自社社員(の海外メンバー)のように

使えるという仕組みである。

 

海外で事業を展開したい企業にとって、

現地に法人を作ったり、支店や駐在所を作ったり、

合弁会社を作ったりするのは

大変な時間・費用・労力が掛かる。

 

労務法、税制などは国ごとに異なっており、

それらを順守して維持・運営していくのもまた、

大変な費用・労力が掛かる。

 

莫大なイニシャルコスト、ランニングコストを掛けて

成功すればいいのだが、けっしてそうとは限らない。

海外進出の失敗で傾いてしまった会社、

潰れてしまった会社は、枚挙にいとまがない。

大志はあっても、お金も人材もない

中小企業の腰が引けてしまうのは当然である。

 

だけど、やってみないことには

成功するか失敗するかはわからない。

まさしく大バクチの世界だ。

でも、そんなバクチをせずに済めば

それに越したことはない。

 

Go GlobalのGEOは、

そうした課題を一挙に解決するサービスで、

費用は現地スタッフに払う給料と、

Go Globalへの手数料だけ。

法人も支店も作らずに、

市場調査も事前営業もお試し操業もできる。

労務管理や税金管理などの面倒な雑事は

Go Global経由で雇った

現地スタッフに丸投げできてしまうのである。

 

現地スタッフはもちろんリモートワーク。

リモートワークが世界的に普及した時代だからこそ

実現したビジネスである。

もはや、満員電車に乗って会社に出勤しなくては、

仕事をやった気にならない、

などと言ってる場合ではない。

 

人材や資金の足りない中小企業などは

「お試し」のためにぜひ利用してみるといい。

それで成功できするという確信が得られれば、

改めて法人なり支店なりを作ればいいのだ。

失敗したら、「ごめんなすって」と、

ただ撤退すればいい。

リスクは本当に最小限である。

 

また、日本で技術を教えて帰国した

海外実習生らと協業したいといったニーズ、

配偶者の海外赴任に同行するが、

これまでと同じ会社で働きたいといったニーズにも

応えることができる。

 

リモートワークはビジネスを救い、人生を救い、

地球を救う・・・かもしれない。

 

本気でグローバルなビジネスをしたい、

グローバルな人材を雇いたいという会社にとっては

願ってもないサービスなので、

ぜひ知っておくといいと思います。

 


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週末の懐メロ105:剣を棄てろ/ウィッシュボーン・アッシュ

 

1972年リリース。

1970年代に人気を誇ったウィッシュボーン・アッシュは、

最近、あまり語られることが少ない。

しかし、この曲がラストを飾る「百眼の巨人アーガス」は

必聴の名盤である。

逆に言えば、他は聴かなくていいので、

「アーガス」だけは聴いてほしい。

 

内容はレコードジャケットに表現された世界そのまま。

中世の戦士が彼方の空を見つめる。

その視線の先、霧に霞む山の向こうに

かすかに見え隠れするUFO。

過去と未来を繋ぐ、恐ろしくイマジネーティブな音楽が、

1曲目「時は昔」のギターのイントロから展開する。

 

ウイッシュボーン・アッシュは

一般的にはハードロックに分類されることが多いが、

彼らが最も輝いた、この「アーガス」の世界は、

プログレッシブ・ロックのノリである。

 

それもシンセサイザーなどのキーボードを使わず、

ツインリードギターとベース・ドラムの編成で

繰り出すサウンドは、シンプルで味わい深く、

他のプログレバンドにはない独特の美学がある。

 

このアルバムは、いわゆるコンセプトアルバムとは異なり、

特に一貫したストーリーや

明確なテーマがあるわけではない。

しかし、美しくユニークなジャケットにも表現された

統一された世界観は、

却って聴く者の心に、さまざまなストーリーを湧かせる。

 

そして、そのエンディング曲、

ツインギターの独特の哀愁を帯びた「剣を棄てろ」は、

当時の東西冷戦に対する反戦歌とも解釈できる。

 

剣を棄てろ

戦いは終わった

勝者も敗者もない。

闘争の怒りはただ漂流するだけ・・・・

 

50年の年月が経ち、

今また世界は同じ時・同じ道を巡っている。

いつか「剣を棄てる」時代は来るのだろうか。

 


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日光の代わりに新宿御苑

 

秋晴れの日、ほぼ3年ぶりに新宿の街に降り立つ。

新宿御苑に来るのは何年ぶりか分からない。

5年ほど前、まだインバウンド華やかりし時代、

ちょうど5月の連休の頃だと思うが、

入口に来たら人があふれ返っていて、

入るのを諦めた覚えがある。それ以来だ。

 

今日は平日ということもあって、

ちょうどいい具合で、のびのび散策できた。

 

インバウンドで潤ったのか、

いつの間にか、苑内には新しいカフェやレストラン、

休憩所などがいっぱいできていて、

草木の手入れも行き届いている感じ。

 

入場料は一般500円。

記憶にあるのは200円だか300円だかの時代。

ただ、年間パスポートは2,000円と

4回くればもとがとれる。

このあたりに住んでいる人、

頻繁に新宿に来る人なら、

持っていると損はないだろう。

 

さすがに新宿は旅行者らしき外国人が多く、

インバウンド復活の兆しが感じられたが、

じつは!

 

僕たちは昨日・今日と日光に

一泊旅行に行く予定だった。

ところが、義母を2拍3日で預けるはずだった

ショートステイの施設でコロナが出て、

預けられず、予定はおじゃんになってしまったのだ。

 

なんとなくだが、ひしひしと確実に

コロナの次の波が近づいている気がする。

インバウンド復活とともにコロナ復活?

とりあえずまたマスクと手洗いかな~。

 


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小説を読むように楽しむ映画「ドライブ・マイ・カー」

 

脚本もセリフも素晴らしい。

それを3日かけて観た。

1日1幕ずつの3幕劇。

村上春樹の小説を濱口竜介監督が映画化した。

昨年のカンヌ国際映画祭脚本賞、

今年のアカデミー賞国際長編映画賞など、

世界的に評価された作品。

 

第1幕、序盤のハイライトは濡れ場。

こちらの世界とあちらの世界へ、

ファンタジー要素のない、リアルベースの物語なら、

日常のマテリアルな世界から、

内面のマインドな世界へぬけるために、

セックスをトンネルとかブリッジに使うのは、

村上春樹の常套手段だが、

それを映像化すると、こんなにエロくなるのかと

ちょっと驚いた。女優さんが上手だ。

 

第2幕は演劇の世界。

主人公が演出家なので、演劇のシーンが多いのだが、

その空気感もビンビン伝わって来た。

すごく久しぶりにチェーホフの戯曲に触れた。

若い頃はチェーホフなんて退屈で嫌いだったのだが、

いま観ると面白そうだ。

 

韓国の俳優さんたちがいい味を出している。

舞台が広島というのもいい。

そういえば、瀬戸内にはもう何十年も行ってない。

 

第3幕はロードムービー。

広島から北海道へ、タイトル通りドライブ・マイ・カー。

クライマックス。

主人公とドライバーの女の子のセリフが胸を打つ。

 

でも、すごく感動!という映画ではない。

てか、やたら淡々とした地味な映画だ。

しかもその割に長い。

なんと3時間近くもある。

それもあって1日では見られず、3日かけて観たのだ。

でも、そのおかげですごく心に染みる映画として見られた。

 

べつにこれは皮肉ではない。

本を読むように、ページを見返しながら、

ちょっと戻し戻し見ながら、

1シーン、1シーンを噛み締めながら楽しむ。

 

正直、映画館で見たら途中で寝てしまって、

「なんだか地味で、よくわからなくて退屈だった」

あるいは

「序盤の濡れ場だけがやたら印象に残った」

という感想しか抱かなかっただろう。

 

今はネット配信で、何日でもかけて、

いくらでも止めながら観られる。

今までの映画の見方からすれば、

そんなの邪道なのかもしれないけど、

そのほうがいい作品もあると思う。

 

今だとAmazonPrimeの見放題で見られます。

良い映画なんでおすすめです。

もちろんイッキに見てもいいし、

1週間かけてちびちび見るのも良し。

 


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「ありかた」の「ひとめぐり」

 

本日は月刊終活(旧・月刊仏事)の取材で

埼玉県川口市へ。

この木の匣はお墓であり、終活であり、

遺品であり、生前整理であり、

遺言であり、自分史である。

商品名は「ひとめぐり」という。

 

9月のエンディング産業展でのブース展示を見て、

ミステリアスな衝撃を受けた。

中には直観的にその本質を悟り、

泣き出した女性もいたという。

今日はそのミステリーを解くための取材である。

 

墓地の建設やリノベーションを手掛ける

川本商店・みんてら事業部が、

建築と福祉事業の鹿鳴堂、

そして京王電鉄の支援を受けて

「ありかた」という名のプロジェクトを発動。

お寺を介して自分の想いを

遺したい人と受け取る人とを繋ぐ、

新しい継承の形の提案だ。

 

なんだかよくわからいけど、

新しいものはわからなくて当然。

僕たちがよく知っている、

世の常識だと思ってること・

思わされていることの多くは、

じつは大して深い歴史・永続性があるわけではなく、

せいぜい150年。長くて幕末・明治から。

大半は戦後から。

 

例えばお墓を建てるのは

一部の特権階級のやることで、

庶民もこぞって立てだしたのは明治以降の話。

 

葬儀屋が葬式を取り仕切るようになったのも

戦後からだから、せいぜい70年余り。

 

時代の変化とともに死の概念も変わる。

あと10年すれば、

この「ひとめぐり」が供養の在り方として

普通のものになっているかもしれない。

人間はこれからどこへ行くのだろう?

僕たちの死生観はこれからどうなるのだろう?

 

メタバースとか、テクノロジーの分野とは

違った意味で、

自分が生きる未来の世界がわからなくなる。

 


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愛しきブタと「ねほりんぱほりん」のFIRE

 

NHK・Eテレの「ねほりんぱほりん」のファンなので、

先週末から新シリーズが始まってうれしい。

見たことある人はご存じだが、

これはモグラの人形に扮した山里亮太とYouが

インタビュアーになって、

ブタの人形に扮したゲストに根掘り葉掘り

事情を聴いていく、という番組である。

 

ゲストは皆、一般人で、

いろいろ話題になる社会現象の当事者。

普段は聞けないその裏事情を容赦なく暴いていく。

てか、本人もぶっちゃけたいから出てくるわけだが。

 

顔出しはNG。

音声ももちろん変えてある。

そこで人形に扮するわけだが、そのへんの手間暇かけた

丁寧な作り方が、

雑なのが多い今どきのテレビ番組の中でひときわ光る。

 

ところでゲストの人形はなぜブタなのか?

番組側の説明によると「タブー」をひっくり返した

言葉遊びの発想から生まれたものらしい。

 

しかし見ていると、

これはやっぱりイヌでもネコでもサルでもダメ。

絶対ブタが大正解と思えてくる。

 

欲の深くて、業が深くて、ずるくて、煩悩まみれ。

なのに、愛らしく、切なく、泣けて笑えて

ヒューマンタッチ。

その人間らしさを表現できる動物は

ブタ以外にあり得ない気がする。

 

先日、ムスリム(イスラム教徒)にとって、

なぜブタはタブーなのか、という理由として

「豚は余りに人間に似すぎていて人肉食に通じるから」

という珍説を唱えてみた。

 

皮膚や臓器の移植事例など、科学的にもそうだが、

イメージとしても、ブタはサルよりも人間に近い。

実際、ブタはその豚生(?)の中で

かなり人間に近い喜怒哀楽の感情を体験するようだ。

 

新シーズン初回の「ねほりんぱほりん」は

Lean FIRE(リーン・ファイア)の20代・30代がゲスト。

 FIREは早期退職してリッチに遊んで暮らす人たちという

イメージだったが、

リーン・ファイアは、

働かず資産のみで暮らすのは同じだが、

最低限の暮らしで資産を作り、

これまたその最低限で暮らす。

「ミニマリスト」と言えば聞こえはいいが、

一言で言えば、胸が切なくなるほどの貧乏暮らし。

 

そこまでしてやめたかったというのは、

よほどひどいブラック企業に勤めてしまい、

会社勤めそのものに絶望感を

抱いてしまったのだなと思った。

そこもまた家畜(社畜)であるブタの哀愁を感じさせる。

 

社畜を脱するためにFIREしたお二人。

でも、人生は長い。

会社も辛かったようだが、

そのFIRE、けっこう辛いのではないか。

 

よけいなお世話かも知れないが、

まだ若いんだし、起業するなり、

バイトでもボランティアでもするなりして、

どこかで働く喜び、仕事する楽しさを見出してほしい。

そう思ったぞブヒ。

 


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モーニンノート(書く瞑想)でよみガエル

 

ここのところ仕事が忙しく、

一段落したところで息切れしてしまった。

頭の中でプツンと何かが切れて、

この二日ほどはさっぱりやる気が出ず、

世界の終わりを感じてしまった。

(ちょっと大げさ?)

 

何時間もチンタラしながらぼんやりYouTubeを見ていた。

よく見るのは、岡田斗司夫、山田玲司、苫米地英人、

ときどきホリエモンなど。

最近、アントニオ猪木の死後、

プロレス関係のチャンネルもよく見ている。

いろいろ勉強にはなるが、

今回の疲労・凹みにはあまり効かないようだ。

 

そこで気を入れ直して「モーニンノート」をやった。

本来、毎日やるものだが、

忙しくて今月に入ってから4日、

それもチョロチョロとしかしかやっていない。

「モーニンノート」は

脳から自然に出てくる言葉を手へ送って

字にしていく「書く瞑想」。

基本的には朝、起きた時がいちばん脳がクリアなので、

朝にやるのだが、その気になればいつでもいい。

マイルールは必ず青いペンを使うこと。

青は空の色、自由の色、地球の色。

そしてB5ノートに最低見開き2ページ書くこと。

 

ちょっと粘って90分間やったら、

仕事や人生に関するいろんな

イメージが可視化されてかなり回復した。

また朝から元気で行こう!

元気は人からもらうものじゃないと改めて思う。

本当に自分を元気に、自由にできるのは

結局、自分しかいないのだ。

 

 


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週末の懐メロ104:ロコモーション/ゴールデン・ハーフ

 

1973年リリース。

本日、鉄道開通150年。

「鉄道の日」にこじつけてロコモーション。

 

前々回のキャロル・キングの時、

このスタンダードナンバーは

キングの作曲だと初めて知ったので、

あっちこっち聴いてみた。

 

1962年のリトル・エヴァという、

アメリカの黒人女性歌手が歌ったのがオリジナルだが、

さすが名曲だけあって、古今東西、

数多の歌手がカバーしている。

 

僕が初めてロコーモションを聴いたのは、

わが日本のゴールデン・ハーフの歌で、だった。

キュートでセクシー。

いま聴いても楽しくて可愛くて

いちばんロコモコしてると思う。

 

ゴールデン・ハーフは1970年代前半に活躍した

全員ハーフの女性グループ。

最初は5人組(この頃は知らない)で、

次に4人組(たぶんこの頃が最盛期)、

最後に3人組になった。

 

明るいお色気をふりまき、露出度も高く、

ビキニの水着で歌っていたのが印象的。

当時はまだ小学生だったが、

鼻の下を伸ばしてテレビを見ていた。

 

バラエティもこなし、

たしかドリフターズの番組でも活躍していたと思う。

 

この頃はアイドルと言えば「清純派」が

持て囃されていた時代(今もそう?)なので、

そちらが最高級品とされており、

お色気とお笑いがウリのゴールデン・ハーフは、

B級アイドルの位置づけだった。

 

でも今見ると、当時の他の清純派アイドルたちが

到底かなわないほどダンスにキレがあって、

歌もうまい。

そして、さすがハーフというべきか、

スタイル抜群で英語もキレてる。

 

思えば、この「ロコモーション」をはじめ、

「黄色いサクランボ「バナナボート」

「太陽の彼方」「2万4千回のキッス」など、

このあたりのスタンダードは、

みんなゴールデン・ハーフで初めて聴いた。

 

当時の子どもにとっての洋楽ポピュラー入門編。

彼女らの貴重映像に巡り合い、

またもや鼻の下を伸ばしている。

 


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ヒトとブタは神目線ではブラザーなのか?

 

マイナビ農業の仕事で、

ハラールに関する8千字の記事を書いた。

「ハラール」とは、ムスリム(イスラム教徒)にとって

「許されたもの」。

これに対して禁じられているものは「ハラム」という。

これらは彼らの聖典であるコーランに記されている。

 

このハラムで有名なのが、豚肉とアルコールだ。

ロンドンのレストランで働いていたとき、

職場の仲間にエジプト人のムスリムがいて、

彼は酒が好きだった。

さすがにそんなにガバガバとは飲まなかったが、

チビっと飲んでは酔っぱらっていた。

 

地元の国ではどうだか知らないが、

外国に在住しているムスリムの間では、

アルコールの禁忌については割と甘いようである。

 

けれども豚はダメだ。

彼もけっして豚肉は食べず、

賄いでトンカツやハムカツが出てくると、

オー!と、天を仰いで嘆いていた。

 

それにしても疑問はやはり、

なぜイスラム教は豚を禁忌としたかである。

「豚は不浄の動物だから」というのは

どうも説得力がない。

 

豚は本来、きれい好きな動物で、

豚小屋が汚いというイメージは、

むしろ飼う人間の側の問題・責任である。

 

それよりも有力な説は、イスラム教の創始者とされる

預言者ムハンマドが生きていた時代(7世紀はじめ)、

中東地域(現在のサウジアラビアあたり)で

豚肉が原因となって疫病が流行したということ。

 

豚は雑食性なので、ヒツジや牛などの草食動物より

肉が腐りやすい。

衛生管理がなっていなかった当時としては、

十分あり得る話である。

 

もちろんヒツジだって牛だって鶏だって

冷蔵しとかなきゃ腐るのだが、

たまたまムハンマドが豚肉由来の疫病に

出逢ってしまったのだろう。

歴史は僕たちが思っている以上に、

必然よりも偶然の力が大きい。

 

なんとなく納得してしまう説だが、それでも釈然としない。

仏教やキリスト教の地域だって同様のことはあったはず。

これだけ世界に広がった宗教の創始者だから、

ムハンマドの信念はもっと複雑で深いはずだ。

彼は直観で知っていたからではないかという気がする。

 

「豚は人間に酷似してる」

 

つまり豚を食べることは、人肉食に通じる。

そうイメージして恐怖し、ブタにフタをしたのである。

 

実際、豚の皮膚や臓器は、類似猿よりも人間に近く、

代替が可能だという。

皮膚や臓器の移植手術は

190年代から試行検討されており、

つい最近、ついに実際に行われた。

 

今年2月には

「世界初、ブタからヒトへの心臓移植の注目点は」

という医学記事も発表されている。

(以下抜粋)

2021年1月7日、米メリーランド大学の医療チームにより、

世界で初めてヒトへの遺伝子改変ブタの心臓を用いた

異種移植が実施された。同大学の公式サイトによると、

2月9日現在、レシピエントの57歳男性に移植されたブタの心臓は

問題なく機能しており、

24時間体制のケアを受けている様子が伝えられている。

 

https://www.m3.com/clinical/open/news/1018905

 

預言者ムハンマドは、イエス・キリストと違って

神の子として生まれてきたわけではない。

彼は商人として暮らしていた40歳のときに突然、

天使ガブリエルによる啓示を受け、

預言者として神からのメッセージを

人々へ伝えていくことを決意したという。

 

彼はその中で人間と豚の近親関係を感知し、

それを人々に「豚肉食禁止」と言う形で説いた。

それが人々の心の奥底にあった、

豚に対する近親相関的感情に響いたのではないだろうか?

 

上記のような移植の話は、

到底、ムスリムの人々は受け入れられないだろうが、

医学的・科学的に興味を抱く人は少なくないはずだ。

 

あなたは自分が、あるいは家族が、

命を救うためにこの臓器移植の提案をされたら、

どうしますか?

 

今回の仕事は、ハラールについて、イスラム教について、

豚についての神秘を感じた面白い仕事だった。

この件についてはまたおいおい。

 


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マイナビ農業「農Tuberにチャレンジ!」

 

最近、報告していませんでしたが、

マイナビ農業の仕事も

年に数本ですが続けています。

本日、この間やった「農Tuber」の記事が

アップされました。

 

農業やっている人に「農Tuberにチャレンジしよう!」

という記事ですが、けっこう面白いと思います。

 

YouTuber全盛時代、

農業者の「農Tuber動画」もたくさんアップされてて、

一般人が見ても結構面白い。

食べ物を作る仕事って、

大変だけど生きがいになるって感じがします。

ご興味があればぜひどうぞ。

 

また、農業やっている人は、

この記事読んで、ぜひ、

農Tuberに挑戦してみてください。

 

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秋、義母の食欲マシマシ

 

食欲の秋である。

最近、義母が目に見えて太ってきた。

それもそのはず。

ここひと月ほど、盗み食いがひどく、

夜中とか朝方とか食後さえも、

僕らが見てないとわかると

いつもガサゴソ食品を入れる棚を漁っている。

 

現場を捕まえて、

子どもみたいに叱ったとこで効き目はない。

認知症なので、

そもそも食べたことすら忘れてしまってるし。

 

なので見て見ぬふりをして何か仕込んでおく。

以前はキャラメルとかアメとかを入れておけば、

それで満足したのだが、

ちゃんと三食食べててもお腹が減るのか、

精神的に寂しくなるのか(一種のストレス)、

やたら掻き回して朝食用のパンとかバナナを

盗んでいく。

 

しょうがないので対応策として

菓子パンなどを入れておくと、

ほぼ毎日たいらげている。

 

甘いものばっかじゃよくないなと思って、

涼しくなったので、ときどき、

チクワや魚肉ソーセージなどを入れておくと、

やっぱりそれも平らげている。

 

母は食べられなくなって

結局、半分くらいの身体になって亡くなったが、

この調子だと義母はまだまだ大丈夫そうだ。

 

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週末の懐メロ103:自由に歩いて愛して/PYG(ピッグ)

 

1971年リリース。

アイドル感が強かった

1960年代終わりのGS(グループサウンズ)。

熱狂的なブームが終わり、

そのメンバーたちが集まって

「本格的なロックをやろうぜ」と作ったバンドが

PYG(ピッグ)だった。

 

ザ・タイガースから

ヴォーカル・沢田研二(ジュリー)と

べース・岸部修三(のちの一徳)。

 

ザ・テンプターズから

ヴォーカル・萩原健一(ショーケン)と

ドラムス・大口広司。

 

ザ・スパイダースからギター・井上堯之と

キーボード・大野克夫。

 

GSブームの頃、おとなたちは

「なんだ、あの女オトコどもは!」と怒っていた。

年上のいとこのお姉ちゃんたちは

ジュリーにキャーキャー言ってた。

いとこの兄ちゃんからは

「ショーケンは子どもの頃、

よくおねしょをしてたから

ショーケン(小便+健一)っていうんだって」

と教わった。

 

僕はまるっきり子供(小学校低学年)だったので、

髪の長い兄ちゃんたちがワイワイ歌を歌っているな、

でもエレキギター弾けるとカッコいいな、

という印象だった。

 

ワイワイ、アイドル扱いされていたGSも

あっという間に消費されてしまって、

ロックかぶれの先輩がたは

「あんなの、オンナ相手の子供だましバンドだ」と

馬鹿にしていた。

 

けれども、彼らの音楽性と演奏力は

優れたものだった。

PYGがそれを証明した。

注目されたのは、もちろん超人気アイドル、

ジュリーとショーケンのダブルヴォーカルだが、

バックの4人がすごかった。

彼らはのちに井上堯之バンドとなり、

日本のロック・ポップの世界に金字塔を打ち立てる。

 

井上堯之バンドの代名詞となる

「太陽にほえろ!」のテーマも、

最初はPYGの名義で演奏されたらしい。

 

「自由に歩いて愛して」は、

デビュー曲「花・太陽・雨」に続く

セカンドシングル。

どうやって手に入れたのか憶えてないが、

僕もレコードを持っていて、よく聴いていた。

 

まさしくあの井上堯之バンドのロックサウンドが

ここにある。

詞も素敵で、50年後のいま聴いても、

いや、いま聴くからこそ心に刺さるものがある。

 

これだけのスーパーバンドでありながら、

PYGは不遇で、当時のロック=反体制の信奉者から

商業主義バンドと罵倒されたり、

コンサート会場ではジュリーファンと

ショーケンファンの対立が激しく、

一体化できなかった。

所属事務所のマネージメントもよくなかったらしい。

 

思ったほどレコードは売れず、

マスコミからは見掛け倒しと叩かれ、

結局、鳴かず飛ばずで終わってしまった。

 

しかし、PYGで自分たちの音楽、

本格的なロックを追究したからこそ

メンバーたちのその後の輝かしいキャリアが

築かれた。

 

ドライブ感満点のベースを弾いていた岸部修三も

岸部一徳という存在感抜群の俳優となって今も活躍。

ジュリーもショーケンも歌手・俳優の両面で成功。

二人とも自分のライブでは愛と誇りを持って

この「自由に歩いて愛して」を歌っていた。

 

うん、やっぱりカッコいい!

もうこのメンバーのうち、

半分の三人がこの世を去ってしまったが、

PYGよ、永遠なれ。

 

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10月7日(金)17:00~10日(月)16:59

おとなも楽しい少年少女小説 第10作。

Kindleでしか読めない

おりべまことの物語世界をお楽しみください。

面白かったらレビュー書いてね。

 

人気ポップスターだった父は、

意識不明の状態で病院のベッドに横たわっていた。

音楽で生きる父と子の、死を前にした対話の物語。

短編。1万9千字。

 

★あらすじ

 

デビュー間もない若いシンガーソングライターは

時おり、広い畑の夢を見る。

そこでは幼い頃に死別した妹が畑仕事をしている。

夢の中でいっしょに成長してきた彼女は

「お父さんがもうすぐここに来るよ」と彼に告げた。

 

それが予知夢であるかのように、

ほどなくして父が脳出血で倒れた、

という報せが入る。

 

彼の父もまたミュージシャン。

それも世界的に有名なポップクスターであり、

愛のメッセンジャーとしても知られる人物だ。

 

けれどもそうした世間のイメージとかけ離れた、

プライベートな顔を知る息子は、

自分と母親と妹を捨てて生きてきた

父をひどく憎んでいた。

 

一本のギターを抱えて、

病院に瀕死の父の面会に訪れた息子。

閉じられた病室の中で、

意識を失ったままベッドに横たわる父に向き合い、

胸の奥から湧いて出る思いをつぶやく。

そしてギターを媒介として、

意識のないはずの父と「イエス・ノー」の問答形式で

会話を交わすようになる。

 

次第に息子は、もう表に現れない父の奥の意識と

一つになっていき、

それまで知らなかった父の人生の一面を垣間見る。

栄光の中の孤独。

自分が信じていた音楽の才能が枯渇していく恐怖。

安息の場のはずだった家庭も重圧となり、

精神的混乱は家族愛さえも悪夢に変えてしまう。

迷走した父は家族を捨てて

一人の女(後妻)との愛に生きるようになる。

 

息子はそんな不完全な人間だった父を

少しだけ赦せる気持ちになり、

彼が旅立つ前に最初で最後のデュエットを

しようと試みる。

 

面会時間が終わる頃、

病室に父の心を奪った女――後妻が現れる。

憎しみのため、それまで顔をそむけ続けてきた相手。

そんな相手と言葉を交わし、思いを交流させるうち、

息子の中には新しい自分の音楽を作り、

歌い始める準備が進んでいった。

 


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マイ・ギターズメモリアル 明日より無料キャンペーン

 

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おりべまこと おとなも楽しい少年少女小説 第10作。

 

お待たせしました。

明日より4日連続無料キャンペーン 実施します。

10月7日(金)17:00~10日(月)16:59

 

人気ポップスターだった父は、

意識不明の状態で病院のベッドに横たわっていた。

音楽で生きる父と子の、死を前にした対話の物語。

短編。1万9千字。

 

あらすじ

 

デビュー間もない若いシンガーソングライターは

時おり、広い畑の夢を見る。

そこでは幼い頃に死別した妹が畑仕事をしている。

夢の中でいっしょに成長してきた彼女は

「お父さんがもうすぐここに来るよ」と彼に告げた。

 

それが予知夢であるかのように、

ほどなくして父が脳出血で倒れた、

という報せが入る。

 

彼の父もまたミュージシャン。

それも世界的に有名なポップクスターであり、

愛のメッセンジャーとしても知られる人物だ。

 

けれどもそうした世間のイメージとかけ離れた、

プライベートな顔を知る息子は、

自分と母親と妹を捨てて生きてきた

父をひどく憎んでいた。

 

一本のギターを抱えて、

病院に瀕死の父の面会に訪れた息子。

閉じられた病室の中で、

意識を失ったままベッドに横たわる父に向き合い、

胸の奥から湧いて出る思いをつぶやく。

そしてギターを媒介として、

意識のないはずの父と「イエス・ノー」の問答形式で

会話を交わすようになる。

 

次第に息子は、もう表に現れない父の奥の意識と

一つになっていき、

それまで知らなかった父の人生の一面を垣間見る。

栄光の中の孤独。

自分が信じていた音楽の才能が枯渇していく恐怖。

安息の場のはずだった家庭も重圧となり、

精神的混乱は家族愛さえも悪夢に変えてしまう。

迷走した父は家族を捨てて

一人の女(後妻)との愛に生きるようになる。

 

息子はそんな不完全な人間だった父を

少しだけ赦せる気持ちになり、

彼が旅立つ前に最初で最後のデュエットを

しようと試みる。

 

面会時間が終わる頃、

病室に父の心を奪った女――後妻が現れる。

憎しみのため、それまで顔をそむけ続けてきた相手。

そんな相手と言葉を交わし、思いを交流させるうち、

息子の中には新しい自分の音楽を作り、

歌い始める準備が進んでいった。

 

ぜひ、ご購読、レビュー、お願いします。

 


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自分のために何かを遺す

 

季節が変わり、空気が変わって急に涼しくなると、

脳内の景色も変わる。

 

久しぶりに死んだ友だちのことを思い出した。

昨日、彼の墓参りに行ったことを書いたが、

13年前、肺がんで50歳で死んだのだ。

発見のとき、すでにステージ4で余命半年と宣告された。

 

そのあと頑張って10カ月生きたのだが、

その間、毎日ブログを書きまくっていた。

これはあくまで僕の想像だが、

彼にとって最も恐怖だったのは、

人生を閉じるに当たって

「何も遺せないこと」だったのだと思う。

 

ほんのひとこと数十字のものから

千字を超えるものまで、1年足らずのうちに

おそらく千本以上は書いただろう。

そのブログは結果的にひとつの闘病記として

優れたものになっていた。

 

真面目なもの・深刻なものはむしろ少なめで、

ふざけた冗談めかした文章が多かったのだが、

後年それを読んで、背景に痛いほどの

後悔・焦りの気持ちを感じとれた。

 

彼は20代の頃、僕らの劇団の演出家だった。

表現することが好きだった男である。

その後は食うために舞台の裏方仕事をやり、

家族を作り、表現者としての自分は眠らせていた。

 

けれども、それはいつか目覚めるものなのだ。

「いつかまた」という思いは胸のなかにあったのだろう。

しかし自覚するのが遅すぎた。

突然、終わりが来ることを知って、

何の準備もしていなかったことを

ひどく悔やんだのだと思う。

 

結局、その発露はブログしかなかった。

それはそれでがんばったが、もっと時間があれば、

本当に表現したいことは他にあったのかもしれない。

 

「生きた証」なんて大げさなものでなくていい。

他人や社会に承認されるものである必要もない。

いわば自己満足で十分なのだが、

人はこの世を去ると分かった時、

何か人に伝えるメッセージを遺さずにはいられない。

 

いつ終わりが来るのかわからない。

表現しておきたいことがあると自覚したら、

あなたが何歳でもすぐに行動した方がいい。

ほかの誰かのためでなく、自分のために

何かを遺すべきだと思う。

 


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東京タワーのハロウィーン犬

 

 

先週土曜、東京タワーの足元のお寺に

友だちの墓参りに行く。もう13年経つ。

ほぼ毎年1回、線香とコップ酒を持って足を運ぶ。

境内からふと見るとハロウィーン犬。

ハロウィーンは死者のお祭り。

今年はまた大騒ぎするのだろうか?

 


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追悼・アントニオ猪木さん:あなたほど無様さがサマになる男はいなかった

 

「ふつう見せないでしょう。こんな無様な姿は。

でもそういう商売をしてきたから。ありのままですよ」

 

昨日亡くなった猪木さんの病床の最期の映像を見て、

なんてカッコいいんだと涙しかなかった。

 

特に熱烈な猪木のシンパではないし、

プロレスファン、格闘技ファンでもない。

しかし、ご多分に漏れず、

子どもの頃・若い頃は夢中になってプロレスを観た。

そして、アントニオ猪木のカッコよさは

体の芯に染みついていた。

 

僕の中でのアントニオ猪木はそんなに強くはなかった。

最期に語ったように、むしろ無様にやられたり、

負けたりするシーンのほうが印象に残っている。

 

それはジャイアント馬場との対比で明らかだ。

馬場がやられるところ、

負けたところはほとんど記憶にない。

しかし、猪木はいつも敵の外人レスラーにやられて、

額から血を流していた。

馬場とタッグを組むと、危機一髪のところでタッチし、

馬場が大暴れして一人で敵のチームをコテンパンにした。

馬場は圧倒的に強く、威勢はいいけど猪木は弱かった。

 

アニメ「タイガーマスク」でも、

なんだか馬場が悠々とした親分で、

猪木は子分の鉄砲玉みたいな感じで描かれていた。

 

ところがある年のワールドリーグ戦。

最終戦で猪木は血まみれになりながら、

相手のクリス・マルコフを卍固めでギブアップさせた。

世界最強の必殺技・卍固め(オクトパスホールド)

初披露の日、猪木はワールドリーグ戦に優勝。

馬場が血で真っ赤に染まった白いハチマキの猪木を讃えた。

めちゃくちゃ感動し、

しばらくテレビの前で棒立ちになっていた。

 

新日時代になってからのアントニオ猪木も、

大巨人アンドレ・ザ・ジャイアントの

バックドロップで粉砕されたり、

超人ハルク・ホーガンのアックスボンバーを食らって

卒倒したりした。

長州力らの維新軍にコテンパンにやられ、

惨敗したこともある。

 

鮮烈に記憶に残る無残な負け方、無様なやられ方。

だけどめちゃくちゃカッコいい。

そして、どんなに無様な姿をさらしても、

敢然と立ちあがり、リベンジを果たした。

それがアントニオ猪木の「闘魂」だった。

 

だから猪木さんの言葉は響いた。

無様でもいいんだ。

負けてもいいんだ。

人生が続く限り、何度でも立ち上がれ。

リベンジしろ。

 

もちろん、彼のように誰でもリベンジできるわけではない。

無様さをサマにできるわけではない。

いや、むしろ、ほとんどの人ができない。

でも「それでもいいんだ」と

猪木さんなら笑って言う気がする。

「元気ですかー!」と言って、

ビンタを食らわせてくれそうな気がする。

もっと生きろ、夢を捨てるな、とも。

もう記憶のなかでしか、それはかなわない。

 

ありがとう猪木さん。

ご冥福をお祈りします。

 


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本日発売!新作小説「マイ・ギターズメモリアル」

 

人気ポップスターだった父は、

意識不明の状態で病院のベッドに横たわっていた。

音楽で生きる父と子の、死を前にした対話の物語。

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あらすじ

デビュー間もない若いシンガーソングライターは

時おり、広い畑の夢を見る。

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夢の中でいっしょに成長してきた彼女は

「お父さんがもうすぐここに来るよ」と彼に告げた。

 

それが予知夢であるかのように、

ほどなくして父が脳出血で倒れた、

という報せが入る。

彼の父もまたミュージシャン。

それも世界的に有名なポップクスターであり、

愛のメッセンジャーとしても知られる人物だ。

けれどもそうした世間のイメージとかけ離れた、

プライベートな顔を知る息子は、

自分と母親と妹を捨てて生きてきた

父をひどく憎んでいた。

 

一本のギターを抱えて、

病院に瀕死の父の面会に訪れた息子。

閉じられた病室の中で、

意識を失ったままベッドに横たわる父に向き合い、

胸の奥から湧いて出る思いをつぶやく。

そしてギターを媒介として、

意識のないはずの父と「イエス・ノー」の問答形式で会話を交わすようになる。

次第に息子は、もう表に現れない父の奥の意識と

一つになっていき、

それまで知らなかった父の人生の一面を垣間見る。

 

栄光の中の孤独。

自分が信じていた音楽の才能が枯渇していく恐怖。

安息の場のはずだった家庭も重圧となり、

精神的混乱は家族愛さえも悪夢に変えてしまう。

迷走した父は家族を捨てて

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ジュンはそんな不完全な人間だった父を

少しだけ赦せる気持ちになり、

彼が旅立つ前に最初で最後のデュエットを

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面会時間が終わる頃、

病室に父の心を奪った女――後妻が現れる。

憎しみのため、それまで顔をそむけ続けてきた相手。

そんな相手と言葉を交わし、思いを交流させるうち、

息子の中には新しい自分の音楽を作り、

歌い始める準備が進んでいった。

 

Amazon Kindleにて価格300円で販売中。

 


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週末の懐メロ102:去りゆく恋人/キャロル・キング

 

1971年リリース。

この曲が収録されたアルバム

「つづれおり」(Tapestry )は、

全米アルバムチャートで15週連続1位、

その後も302週連続でトップ100に留まる

ロングセラーとなり、

グラミー賞でも4部門を制覇した。

 

それだけでなく、現在も聴かれ続ける

ポップミュージックの名盤中の名盤として名高い。

この四半世紀、ローリングストーン誌などをはじめ、

いろいろな音楽雑誌やサイトなどで

何度もロック・ポップス名盤ランキングが

開催されているが、いわゆる一般的なランキングで、

「つづれおり」はつねに十傑に入っている

という印象がある。

それだけ多くの人に、

世代を超えて訴える普遍性があるということだ。

 

キャロル・キングは1960年代、

弱冠16歳からプロの音楽家として活動している。

今回、知ってびっくりしたのは

「ロコモーション」をはじめ、

今でも有名なR&B系のスタンダードナンバーの多くが

彼女の手によって書かれたということ。

 

最初の夫となったジェリー・ゴフィンとコンビを組んで、

ソングライターとして全米ヒットを連発していたのである。

ビートルズのレノン=マッカトニーも、

最初はゴフィン=キングを目指していたという

逸話さえあるようだ。

 

そんな彼女が夫とのコンビを解消して、

今度は自らシンガーソングライターとして活動を始めて

2枚目のアルバムが「つづれおり」だった。

このアルバムが後世のミュージシャンに与えた影響は

計り知れない。

そして、もしかしたらその影響力は

日本の女性ミュージシャンたちに

最も大きく及んだのではないかと思える。

 

彼女の作曲の素晴らしさ、アルバムの充実度に加えて、

ジャケット写真がとても印象的だった。

 

日の当たる窓際で、猫といっしょに

セーターとジーンズ姿でたたずむキングの姿は、

「自由な新しい女」として、一つの世界を、

これからのライフスタイルを提示していた。

それもジャニス・ジョプリンのような

常人離れした激しすぎる生き方でなく、

愛情と平和と穏やかさを伴った、日常の中の新しい人生を。

 

事実、キングは五輪真弓のアルバム制作にも関わっており、

日本の音楽界とも縁が深い。

もしも彼女がいなかったら、

そして「つづれおり」というアルバムがなかったら、

日本でこれほどフォークソングも、

ニューミュージックも

発展しなかったのでないかと思えるくらいだ。

 

僕自身は正直、

これまでキャロル・キングにあまり興味がなく、

昔、ラジオでときどき聴いたな~くらいの印象だった。

 

僕が音楽をよく聴き始めた中学生時代—ー

1970年代の半ばには、すでに彼女はレジェンドであり、

当時の変化の激しい音楽界において、

過去の人になっていた感がある。

 

そんなわけで最近、改めて聴いてみたら、

たしかにこれだけいろいろな音楽を聴いた耳にも

「つづれおり」の楽曲群は新鮮に響く。

これはやはり現代のポップスのバイブルと言える

アルバムなのだ。

 

中でもいちばん好きなのが「去りゆく恋人」である。

この曲は中高生時代、女性のDJの

「秋になるとキャロル・キングが聴きたくなるんです」

というセリフとともに、

ラジオで何度か耳にしたことをよく憶えている。

 

BBCに、これまた当時、

シンガーソングライターとして大活躍していた

盟友ジェームス・テイラーと共演したライブ。

若くして素晴らしい貫禄。

そして、心に染みわたる「自由な新しい女」の歌声。

 


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キンモクセイとセミ

 

外に出るとあちこちでふわっと鼻をくすぐる。

今年は一段と香りが良い。

川面をわたる風に乗ってやってくる金木犀の

優しい匂い。

あっという間に9月もおしまい。

もう秋なんだなぁと思いきや、

夕方はまだツクツクホウシとヒグラシが

がんばって鳴いている。

まだ恋がしたいのか。

セミ生の最後によいおなごに出逢って

エッチできることを祈っています。

 


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なぜ30年前のトレンディードラマには、 お彼岸が出てこなかったのか?

 

まだ暑い日はあるが、お彼岸を過ぎて

本格的な秋になった。

 

ふと思い出したのが昔、30代の初めの頃、

「もうお彼岸だね」といったら

「トレンディードラマでお彼岸なんて出てこないよ~」

と笑われた。

要するに「年寄りくせー」と馬鹿にされたのだが、

僕はトレンディードラマで

カップルがお彼岸に墓参りに行くなんて

シーンがあったら面白いのに、と思っていた。

 

その頃はバブル崩壊直後だったが、

世のなかは、まだまだお祭り続けるぞ!

みたいな雰囲気があふれていた。

ジュリアナ東京も、クリスマスのホテルも、

当時の僕らのような若い連中で大賑わいだった。

 

その頃の倍の齢になり、

さすがにもうああいう騒ぎに参加したいとは思わない。

若ぶってもしょうがない。

 

正直、最近はスポーツも音楽も、

盛り上がる系イベントにはさして興味がなくなった。

人生の秋になったからだ。

 

そんなものより、もっと自分のために

大切に時間を使いたいと思うようになった。

 

とはいえ、毎日、

仕事と義母の介護とカミさんとの付き合い、

そして自分の本を書くことでいっぱいいっぱいで、

合間にちょっと本を読んだり、

映画を観たり程度の日々が続いている。

 

もともと人間のキャパが小さく、

エネルギッシュでもないので、

この状態で精いっぱいなのだ。

でもまぁ、とりあえず、ここで死んでも悔いはない。

まだ死ぬ気はないけど。

 

ありがたいことにここのところ、いろいろ仕事が入って、

当分の間、おそらく年末まで忙しそうだ。

仕事は面白くて大好きなので、

いっぱいごはんをいただいている気分である。

もっと稼げればいいんだけどね。

 


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新作短編小説「マイ・ギターズメモリアル」予告

 

新作短編小説「マイ・ギターズメモリアル」

人気ポップスターだった父は、

意識不明の状態で病院のベッドに横たわっていた。

訪れた息子が憎しみと別れの言葉を告げると、

父の意思はギターの弦を鳴らし、

彼を引き止め、語り掛けてきた。

 

10月1日(土)AmazonKindleよりリリース予定。

どうぞお楽しみに。

 


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週末の懐メロ101:ザ・ビッグシップ/ブライアン・イーノ

 

1975年リリース。

アンビエントミュージック(環境音楽)の原点であり、

巨大な船で僕たちの心をはるかな海へ曳航してくれる

ブライアン・イーノの最高傑作。

 

イーノはグラムロックとプログレッシブロックの

あいの子みたいなバンド「ロキシーミュージック」の

キーボードプレイヤーとして70年代の初めにデビュー。

 

その頃は奇抜なファッションと

アバンギャルドなパフォーマンスで話題を集めたが、

ソロになってからは独特の音楽世界を築き始めた。

 

この曲が収録された3枚目のソロアルバム

「アナザー・グリーン・ワールド」は、

1980年代になってブレイクし、

新たな音楽ジャンルとして成立する

アンビエントミュージック(環境音楽)の先駆的作品。

 

その後、イーノはいわゆるロック、ポップミュージックとは

一線を画した音楽活動を続けるが、

当時のミュージシャン、アーティストらに

与えた影響は絶大で、

ロバート・フリップ、デビッド・ボウイ、

トーキングヘッズ、U2など、

数え上げればきりがない。

 

そしてアンビエントミュージック(環境音楽)の

開発者の一人として、

映画や美術などの世界にもその影響力は広がった。

 

いまや懐かしのマイクロソフト・ウィンドウズ95の、

あの起動音を作曲したのもイーノだった。

コンピュータ時代の幕開けを彩った

わずか3秒の鮮烈な序曲。

 

人間の無数の感情の一つ一つを構築して作ったような

「ザ・ビッグシップ」には、

信者ともいえる熱烈なファンが大勢いるようで、

YouTubeには「THE BIG LOOP」と題して、

10時間という長大な編集バージョンも上がっている。

 

瞑想曲として、作業用BGMとして、

仕事や生活のあらゆる場面で愛聴できる、

そして日常の風景を非日常的なものに変えてしまう

このマジックナンバーは、

ひとりひとりの心の無意識の領域で

まるで血流のうねりのように響き続ける。

 


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最期のバグパイプ

 

ツイッターに「女王に捧げた最期のバグパイプ」

がアップされていた。

テレビ中継では見なかったが、

ウィンザー城のセントジョージ礼拝堂で

女王の棺が地下に降ろされ埋葬される時に

奏でられたものらしい。

 

まるで美しい映画や演劇のラストシーンのようだ。

とても感動的なのと同時に、エリザベス女王の

「スコットランドよ、行かないで」という

願いも込められているかのようだ。

 

ちょっと前から「6600万年前の夢を見て死ね」

という小説を書いていて、

これにマイケル・オーネストという人物が登場する。

マイケルはスコットランド人のバックパッカーで、

日本人女性と結婚し、東京で25年暮らしていたが、

還暦になり、スコットランド独立運動と

ネス湖の観光事業に取り組むため、

故郷スコットランドに帰ろうとしている。

彼はバグパイプ奏者でもあり、

楽器を教わりに来た主人公の男を相手に居酒屋で

スコットランドの自慢をして

「ネス湖を見て死ね」と、くだを巻く。

 

そんな設定なのだが、僕はスコットランドには、

1986年の春にネス湖観光、

1987年の夏にエジンバラ演劇祭を見に行ったきりだ。

特に強烈な印象はないが、

ロンドンなどより物価が安く、

のんびりした田舎というイメージが残っている。

インヴァネスの宿に泊まった時に給仕してくれた

当時高校生くらいの女の子が

真っ赤なほっぺをしていて可愛かった。

 

イングランドとスコットランドはここ数百年、

何とか折り合いをつけて仲良くしてきたが、

いつまでも過去を懐かしんではいられない。

何よりも民族としての

アイデンティティが大事なのだ。

 

亡き女王の願いむなしく、

近いうちにスコットランドは独立するだろう。

それが歴史の必然のような気がする。

そう思ってこのバグパイプを聴くと、

よけいに切なく美しく響く。

そしてエリザべㇲ2世の生きた時代は、

次世代へ語り継がれる物語としてパッケージされる。

 


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エリザベス2世国葬:20世紀の真の終幕

 

昨夜はエリザベス女王の国葬を、BBCの生中継で見た。

こんなに絢爛豪華で美しい式典を見ることは

もう生涯ないだろうと思った。

 

内容の重厚さあってこその華やかさ。

あれだけ世界の要人が一堂に集まることも

もうこの先ないのではないか、と思える。

 

そいて、こんなすごいことをする国、できる国は、

もう地球上にイギリスしかない。

 

BBCの気合の入れ方もハンパなかった。

イントロダクションの編集もめっちゃカッコいいし、

ウェストミンスター寺院の天井にカメラつけて

神さま目線の大俯瞰映像を撮るなんて本当にびっくりした。

 

おそらくBBCは昨日の中継映像を、

後世に残す、人類共有の遺産とすることを意識して

撮ったのではないだろうか。

 

21世紀になってから22年目にして、

とうとう20世紀の真の終幕を見た感じがする。

 

国葬のパレードは軍隊に支えられていた。

王制と軍制は一体のものであり、

あの祭典は、大英帝国の祭典である。

僕たちが暮らすこの世界は、

いまだ大英帝国の影響下にあったのだ。

 

その礎を築いたのは、16世紀のエリザベス1世。

海軍と海賊を使って世界の覇権を握り、

イギリスに富と繁栄をもたらした。

 

19世紀。ヴィクトリア女王の治世と産業革命。

日本も初めてグローバル化し、文明開化を迎え、

資本主義・覇権主義の時代が始まった。

 

世界を制覇し、栄光に包まれた大英帝国の歴史は、

富を求め、権力と暴力で人を抑えつける

搾取・略奪・虐殺・支配・蹂躙の歴史でもある。

 

エリザベス2世はそうした前世代の恩恵と、

犯した罪悪の双方を熟知して

この70年間、必死で世界のバランスを保つのに

努めてきたのだと思う。

 

そして自分の葬儀さえも過去と未来との懸け橋にした。

英王室内の知恵の蓄積もあったのだろうが、

 

すごい女王、すごい物語の作り手だ。

 

 

彼女がいなくなった今、

大航海時代から20世紀、そして今日まで

続いてきた一連の流れはゆるやかに止まっていくだろう。

 

英連邦国家の独立や、王制廃止の動きも

雪崩を打って襲ってくるだろう。

ユニオンジャックの国旗を見るのも、

もうそんなに長くないかもしれない。

 

世界のかたちは変わり、資本主義社会の在り方も

変質していくだろう。

 

もしかしたらそれらは僕がまだ生きている間、

向こう10年、20年のうちに実現してしまうかもしれない。

 

僕たちの子孫は、昨日の国葬を

20世紀文化のアーカイブとして鑑賞するのだろう。

そして、王様・女王様のいる世界を

バーチャルとして楽しむようになるのかもしれない。

 

リアルにこんなことをやって、無駄ガネを使いまくって、

なんてクレイジーな時代だったんだ!

ということになるんだろう、きっと。

 

僕らはそれを寂しいと思ってこう言う。

 

「いや、民主主義・合理主義には賛成だけど、

人間というものはどこかでこういう物語を

求めているんじゃないか?

それが心を豊かにするんじゃないか?」

 

だが結局、新しい時代のことは、

新しい世代が決めることになる。

 

いずれにしてもロンドンとウィンザーで

エリザベス女王を見送った僕たちは、

一つの歴史と始まりを見届けた。

とても幸運なことだし、貴重な体験をしたと思う。

 


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ガラパゴスマスク

 

先日、義母といっしょに近所の八百屋に買い物に出た時、

マスクを忘れたことに気が付いた。

もう春先ぐらいから外ではマスクをしていない。

ただ、店とか建物に入る時はつけなきゃいけないので、

持ち歩くのだが、家に置いてきてしまったのだ、

 

ちょうどストックが切れかけていたので、

ドラッグストアに寄って60枚入りの不織布マスクを買った。

その時、こうしてコロナ用にマスクを買うのは

これが最後になるだろうと思った。

 

テレビなどの映像を見る限り、

どこへ行くにもこれだけ国民が

一律にマスクをしている国は日本だけ。

まさにガラパゴス感があふれている。

 

データを見ても第7波は終わりに近づいているが、

そもそも欧米などはもはやデータ管理さえしていない。

つまりもう「普通の病気」と見做している。

 

WHOも「パンデミックはそろそろ終わり」

と言い出してるし、

マスクをする生活にも終わりが近づいている、

そう予感している人は少なくないだろう。

 

エリザベス女王の国葬でロンドンにおられる天皇陛下も

日本のメディアを意識して外ではマスクをしたり、

晩さん会の場では周囲と合わせて外したりと、

なかなかお気遣いが大変だ。

 

だけどある意味、

3年におよぶコロナの影響はこれから現れる。

気になるのは子どもや若者。

彼らにとって3年は、おとなにとっての30年に匹敵する。

そんな長い間、マスク生活を強いられ、

人の顔・表情がまともに見えない、

自分の顔・表情をちゃんと見せない感覚になった子の

メンタリティはどうなのか?

マスクを外して生活できるのか?

 

北欧のどこかの国の保育園では、

コロナ禍においても、

保育士はけっしてマスクをしなかったという。

理由は、子どもに大人の表情を見せないのは、

精神の発達上、よくないという考え方があるからだそうだ。

国がわざわざそんなお達しをするとは考えにくいので、

その園なり、保育士業界の判断なのだろう。

 

日本(アジア)と欧米では、

相手の表情を読みとるのに、

目もとを見るか、口もとを見るかの違いがあるので、

一概にはこうした方針の是非は問えない。

 

ただ、上からのお達しや世間に対する気遣いを重視するか、

自分たちの信念、大げさに言えば哲学を重視するかの

違いがあるなと思った。

 

いずれにしても社会の中で、

コロナによって変わったもの・変わるものと

変わらずに残るもの・元に戻るものがある。

 

自分の中でも何が変わらずに続いているのか、

どんな習慣・考え方を変えたのか?

どこかで落ち着いて検討してみようと思う。

 


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週末の懐メロ100:ザ・ローズ/ベット・ミドラー

 

1979年リリース。

誰もが知る名曲中の名曲だが、

僕にとっては、冒頭の騒然としたざわめきと

ピアノのイントロが交わる数秒間こそが

本物のザ・ローズの泣かせどころである。

 

ベット・ミドラー主演の映画「ローズ」が

日本で公開されたのは

翌1980年11月のことだった。

ひどく寒い日、新宿の映画館に

一人で観に行った覚えがある。

 

物語の舞台は遡ること10年前。

1969年のアメリカ。

ベトナム戦争、ヒッピームーブメント、

ドラッグ、セックス、ロックンロールの時代。

 

ローズのモデルはジャニス・ジョプリン。

いまだに史上最高の女性ロック歌手として崇められるが、

死後10年のこの頃、そのカリスマ性はハンパなかった。

 

映画は当初、彼女の生涯をドラマ化するという企画だったが、

主演をオファーされたベット・ミドラーはこれを拒否。

「わたしは私の役をやりたい」

こうして愛と激情に生きる架空のロックシンガー

「ローズ」が生まれた。

 

しかし、ミドラーの熱演・熱唱にも関わらず、

ドラマの展開、ローズのキャクターにはどうしても

ジャニス・ジョプリンの幻影が覆いかぶさる。

 

劇中で歌われるブルースナンバー

「男が女を愛する時」も、「ステイ・ウィズ・ミー」も

本当に素晴らしいのだが、

かのレジェンドが生きて歌っていたら、

もっと胸を揺さぶるだろうと夢想してしまう。

当時、それほどまでに

ジャニス・ジョプリンの存在感は絶大だった。

 

けれども物語の最後にそれが覆る。

故郷でのライブステージ。

酒と麻薬でボロボロになっていたローズは、

満員の観衆の前で倒れ、命尽きる。

そうして画面が闇に包まれていくとともに

エンドロールをバックにこの曲が流れる。

 

その時、ローズ(ミドラー)は死と引き換えに、

ジョプリンの幻影を拭い去り、永遠の存在となった。

以後40年以上、世界中で歌い継がれ、

聞き継がれてきたこの曲は、

これから後も長い年月にわたって生き続ける。

 

ローズのあまりに激しい、狂気にも思える生き方は、

現代では理解しづらく、共感も呼ばないだろう。

それでも彼女の歌は愛の種となって未来に残る。

 

僕は長年、この美しい旋律を酒の肴にしてきたが、

そろそろこの歌詞をもっと

じっくり味わななくてはいけない齢になったようだ。

もう毎日元気いっぱいというわけにはいかない。

人生に疲れた時にこの歌は本当に心のひだに染みてくる。

 

ローズのように酒も麻薬もやらなくても、

この世の中は十分、

僕たちの頭を狂わせるものに溢れている。

 

どうかあなたの心が痛みや憎しみで

バラバラになりませんように。

どうかこの世界とは何か、この自分とは何か、

つかめるところまで歩いて行けますように。

 


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良い夢を見る方法

 

今朝はとても美しい夢を見てめざめた。

「がんばっているアタシへのご褒美」みたいな夢だ。

 

最近、何かいいことあったっけ?

特に思いつないので、近々いいことがあるのかな?

と、たかが夢でこんなに良い気分になるなんて、

ほとんど記憶がない。

もしかしたら人生を変える夢になるかもしれない。

 

そこで「良い夢を見る方法」なんてものが

あるのだろうかと思って

学者・研究者のサイトを検索してみた。

が、とくにそういうものはないようだ。

 

強いていれば悩み事を抱え込まないとか、

良い睡眠をとるとか、その程度。

でも、「良い睡眠をとる方法」と

[良い夢を見る方法」とは別だと思う。

 

記憶がどうこう、潜在意識がどうこうなど、

いろいろ説明はできるようだが、

結局、科学的に解明できないから、

メソッドなんて誰も編み出せないから、

夢は面白い。

 

そこで今朝の夢を参考に、

自分で「良い夢を見る方法」を考えてみた。

 

自分にウソをつかずに生きること。

ある程度、人を慮って丁寧に接すること。

好きなものは好き、面白いものは面白いと言うこと。

そして自分を見失わないよう、

できるだけ心の中を整理整頓しておくこと。

 

なんだかみんな

ごくありきたりのことだばっかだけど、

夢が人生を映し出すとすれば、

こういうことになるんだろうと思う。

 

いずれにしても良い夢、美しい夢を見られることは

幸福なこと。

あなたもたくさん良い夢を見られますように。

 


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どうだ、銅だ、ブドウだ

 

秋はブドウの季節。

ちょっとご報告遅くなったけど、

岡山県から今年もブドウが届いた。

グリーンのはシャインマスカット。

黒いのはオーロラブラック。

 

オーロラブラックは岡山特産で、

粒は巨峰をはるかにしのぐ大きさ。

甘くて食べ応え抜群だ。

 

ちなみに昨年(2021年)日本のぶどうの収穫量は

16万5,100トン。

1位:山梨県(4万6千トン)シェア25% やっぱり。

2位:長野県(2万8千トン)シェア17% こちらも強い。

そして、おめでとうございます。

3位が岡山県。1万5千100トン。シェア9%。

4位の山形県・1万4千500トンを僅差でかわし、

どうどう銅メダル獲得。

 

ちなみに5位は福岡県で6,910トン。4%。

このベスト5で全国生産量の64%を占めている。

 

東高西低のブドウ生産県。

岡山は堂々、西日本ナンバーワンを誇るブドウの国だ。

ブドウだけでなく。モモやイチゴもおいしい。

農家の皆さん、これからもおいしい果物を

たくさん作ってください。

 

そして岡野さん、いつもありがとう。

お礼が遅れてごめんなさい。

カミさんが歯痛でしばらく食べられなかったので、

まだ食べてます。

日持ちがいいのもうれしいね。

 

上記データは農林水産省のサイトより。

https://www.maff.go.jp/j/tokei/kekka_gaiyou/sakumotu/sakkyou_kajyu/nasi_budou/r3/index.html

 


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ふたたびエリザベス女王逝去について

 

ここ数日、テレビやネットで

エリザベス女王逝去に関するニュースが

目に触れると、つい見てしまう。

 

20代の一時期、2年半ほどイギリスで

暮らしていたというだけで、

特に王室にシンパシーを感じていたわけでもないが、

何か喪失感のようなものがある。

 

一つの時代の終焉。

世界が大きく変わる予感。

なんだかひどく胸が疼くのだ。

 

エリザベス女王の最期は、ある意味、

高齢者にとっての理想形でもあった。

ガンや認知症に侵されることもなく、

ほぼ健康なまま、最後まで現役を全うした。

ひどく苦しむこともなく、安らかに亡くなったのは、

母を見送る子どもたち(国民)にとって

幸いなことだ。

 

死は悲しい出来事だが、

それ以上に、女王の死には

人生を生き切った不思議な充実感が感じられる。

 

どのように死を迎えるかは自分で選べないが、

彼女のように国を背負って

70年も歩き続けてきた人間には、

その報酬として、最後にはるか高い山頂から

広大な世界を見わたすことができたのかもしれない。

 

国葬は19日に行われるという。

エンディングの仕事をやっていることもあって、

こちらにもたいへん興味がある。

 

天皇陛下と皇后陛下も参列されるようだ。

お二人の英国留学は、

かけがえのない青春の1ページだったはず。

ほぼ同世代ということもあり、

かの地、かの時代、王室、女王対する

両陛下のお気持ちがひしひしと伝わってくる。

どうぞ心おきなくお別れをしてほしいと思う。

 


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週末の懐メロ99:ヴィクトリア/キンクス

 

1969年リリース。

エリザベス女王の訃報を聞いた時、

真っ先に思い浮かんだのは、

ビートルズの「ハー・マジョスティ」と

セックス・ピストリズの「ゴッド・セーブ・ザ・クイーン」。

そして、このキンクスの「ヴィクトリア」だった。

 

一時期、英国ではビートルズ、

ローリングストーンズと

肩を並べる大人気バンドだったキンクスだが、

日本での人気はイマイチで、

僕も20歳を過ぎるまで聴いていなかった。

 

しかし、1980年代になってヴァン・ヘイレンが

彼らの代表曲「ユー・リアリー・ガット・ミー」を

カバーして世界的大ヒットになったのをきっかけに、

キンクスの人気も再燃。

 

このライブが収められている

「ワン・フォー・ザ・ロード」は

ヒット曲満載で演奏内容も弾けまくっていて、

大好きだった。

中でもこの曲は、

僕にとっての最高のキンクスナンバーだ。

 

「ヴィクトリア」とはもちろん、

エリザベス女王のひいひいばあちゃん。

経済・産業が支配する現代の世界の始まりを作った

大英帝国の元首・ヴィクトリア女王のことである。

 

♪幸福な僕は愛する国に生まれてきた

 貧しくたって自由なのさ

 大人になったら戦争に行って

 お国にために戦うよ

 女王の栄光よ 永遠に

 ヴィクトリア ヴィクトリア

 

めっちゃ明るく元気なロックンロールに乗せて

歌う歌詞は猛毒のてんこ盛り。

強烈な社会批判、

半世紀前の高齢者の老害に対する糾弾を含めて、

偉大なるヴィクトリア女王を皮肉り倒して見せた。

 

ビートルズやセックス・ピストルズもそうだったが、

権威に対する反抗的な姿勢は痛快だった。

 

ただ、いま聴くと、

懐の深い母親や祖母に見守られて、

跳ね回っている腕白小僧たちにも見えるのだけど。

 

いずれにしても、自由にロックできる世界が

これからもずっと続くことを願ってやまない。

 

 

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God save the Queenの終焉