自分がいちばん自分らしく生きていた時間の記憶が残る

 

義母はまだ結婚する前、20代前半の頃、

麻布にあったインドの駐日大使の私邸で

メイドとして働いていたそうだ。

 

この頃、彼女は一生懸命英語を勉強していて、

結構、会話もできていたとのこと。

そのせいか、ちょっと込み入った日本語よりも、

シンプルな英語の方がよくわかることもある。

 

いったい頭の中の時間軸がどうなっているのか

さっぱりわからない。

 

でも、どうやら人生でいちばん楽しい時期だったようで、

基本的には、この20代前半のイメージが

自分を自分たらしめていることは確かだ。

 

言い換えると、この頃の記憶が、

彼女のアイデンティティに繋がっている。

 

認知症も人によっていろんな症状があるし、

いろんな進行の段階があるので、

一概には言えない。

 

ただ、どうも人間、誰が家族だったかは忘れてしまっても、

自分がいちばん自分らしく生きていた時間の記憶は

最後まで残るようだ。

 

僕やあなたが認知症になったら、

いったいどの時間の、どういう記憶が残るのだろうか。

 

社会的制約をあまり受けず、

家族に煩わされることもなく、

いつも自由に、自分らしく生きていたら、

記憶が抜け落ちたりはしないのだろうか?

 

義母と付き合っていると、

生き方についてのヒントを

与えられているような気になる。

 


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善福寺川緑地アンバランス生物との記念撮影

 

善福寺緑地アンバランスゾーンに生息する

謎の生物を遂に捕獲。

 

「こわいよ、こわいよ」と言って逃げ惑う義母を

説き伏せて、

無理やりシャッターを切らせる。

 

「わかんない、できない」と言ってた割には

なかなかグッドな撮影。

 

どや!

 

しかし、を地球の平和と宇宙のバランスを保つため、

写真撮影だけにとどめ、

引き続き観察活動をすることにする。

 

見れば見るほど不気味な風貌だが、

この雨の夜、やつはどうやって過ごすのだろう?

 

異次元をトリップして、

僕の夢に入り込んできたらどうしよう?

 

おお、こわ。

 


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義母と祖母の未知のスポーツに対するリアクション

 

今日は亡き義父の誕生日だった。

甘党で和菓子が大好きな人だったので、

お菓子をお供えしようということで、

義母といっしょに買い物に出かけた。

 

義母とスーパーに行くのは、なかなか楽しい。

愛想の良い人なので、知らない人にでも

「こんにちは」とあいさつする。

 

あまりに遠慮がないので、

相手もつい「こんにちは」と返してくる。

 

小さい子どもにでも会おうものなら、

「かわいいねー、いくつ?」と、

何の躊躇もなく声をかける。

 

照れくさがる子どももいないではないが、

大体はみんな良い気分になれる。

 

9割以上の人は、義母が認知症だとは気付かない。

けどまぁ、普通の人とはちょっと違うことは確かである。

 

一緒にテレビを見ていても結構面白い。

最近、間もなくワールドカップが開幕する

ラグビーの映像がよく出てくるが、

タックルなどのシーンを見るたびに

「うわー、なんてひどいことするの!」と、

顔をしかめる。

 

「いや、お母さん、こういうスポーツなんですよ」

と説明して、その場では「ああ、そうか」と納得するが、

すぐに忘れて、次の時はまた

「うわー、ひどい」と言っている。

それでまた説明する。

 

そんな義母のリアクションを見ていて、

うちの祖母のことを思い出した。

 

うちの祖母と札幌オリンピック(1972年)の

テレビ中継を見ていた時のこと。

札幌オリンピックと言えば、

フィギュアスケートのジャネット・リンである。

 

彼女を見て、祖母はビックリ仰天して

「うわー、パンツ丸出し。なんでこんなカッコウさせるの」。

うちの母が

「おばあちゃん、こういう衣裳なんですよ」と、

母が一生懸命説明していた。

 

その後、ジャネット・リンが演技議中、

転倒して尻餅をついたのを見た時の、

祖母の何とも言えない悲しそぅな顔がよみがえった。

 

祖母はその年の夏に亡くなったので、

僕にとっては「パンツ丸出し」というセリフと、

あの時の表情が、祖母の最後のインプレッションになっている。

 

義母との暮らしにもだいぶ慣れてきた。

面白がらせてくれてありがたい。

 


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純情ストーカー男と純心DV願望女の昭和歌謡

 

昭和歌謡にはストーカーするする男と、

DVしてして女が登場する。

 

前者の代表は坂本九の「明日があるさ」、

後者の代表は奥村チヨの「恋の奴隷」か。

 

高井戸図書館にはCDも置いてあるので、

歌好きな義母のために2枚ほど借りてきた。

 

耳が悪いので、そのまま聴こうとすると、

近所迷惑な大音量にしなくてはいけないので、

ヘッドホンで聴いてもらう。

 

全30曲、義母はノリノリで声を出して歌いまくる。

同じ家にいる僕としては、ちとうるさいなと思うが、

これくらいなら近所迷惑にならないからいいかとガマン。

 

認知症なのだが、若い頃に聴いた歌は

脳のどこかにこびりついていて、

心地よい世界にトリップできるようだ。

 

それにしても、義母が歌うと歌詞が気になる。

「明日があるさ」も「恋の奴隷」も大ヒット曲だが、

現代なら発禁になりそうな内容だ。

 

しかし、明るいメロディーと

歌い手の九ちゃんのキャラクターも相まって、

「明日があるさ」の主人公のストーカーまがいの行為は、

愛すべき純情男の、片思いの表現とされていた。

 

そして、子犬のように膝に絡みついたり、

「悪い時はどうぞぶって」と言う「恋の奴隷」の女は、

男にとってはたまらなく可愛い純心女だった。

 

もちろん当時は、ストーカーや

ドメスティックバイオレンスなんて言葉自体、

存在してなかったし、

流行歌や作詞家が悪いわけでもない。

 

けど、子どもの虐待が頻発し、

その原因の一つに、男の女に対するDV、

支配構造があると聞くと、

やっぱり気分が落ち着かなくなる。

 

僕も子どもや若い時分には、人生の先輩たちに

「女ってのはちょっとくらい殴って、言うこと聞かせなきゃだめだ」

なんてことをよく言われた。

 

半ば冗談であったり、子ども・若造の前で

男気を見せようという意識がはたらいて、

そんなセリフになったんだろう。

ただ、やっぱり昭和はまだ男が威張れた時代、

言い換えれば甘やかさていれた時代だったんだなと思う。

 

人間は感情で動く生き物だ。

理屈は感情で行動した後の言い訳・後付けに過ぎない。

歌は感情に深く訴えかけるからこそ、

認知症になった義母も憶えている。

 

男尊女卑(とあえて言う)の時代の空気を取り込んだ

昭和歌謡に親しんできた世代の人たちが、

セクハラやパワハラという概念に理解を示し、

現代の考え方に順応していくのは、

それだけですごいことなんじゃないかな。

 

けど、その遺伝子を引き継いでしまった若い人たちが、

まだまだ大勢いるようだ。

 

余談だが、「恋の奴隷」を歌った奥村チヨさんは

昨年、71歳で引退したそうだ。

「恋の奴隷」(改めて見るとすごいタイトル!)が

リリースされたのは1969(昭和43)年。

彼女は22歳だったが、あの歌詞には抵抗があった、

とコメントしていた。

 

けど、「わたしを奴隷にして」と歌うことで、

当時の男の心を虜にしたんだよね~。

 


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認知症の義母と神頼みの散歩

 

「いいの、手なんか握って?」

「だって手をつながないと危ないよ」

「いいの本当に? 奥さんはいらっしゃるの?」

「はい、いますけど」

「わあ、どうしよう? 奥さん、怒らないかしら?」

「だいじょうぶです。公認ですから」

「わあ、うれしい。こうしたこと一生忘れないわ」

「喜んでもらえて何よりです」

 

認知症の義母と散歩に行くと、こういう会話になる。

言ってもわからないので、

「奥さんはあなたの娘ですよ」

なんて説明はわざわざしない。

 

僕のことは「お兄さん」と呼ぶ。

まぁ確かに義母より25も若いけど、

お兄さんというほど、若い男に見えているのだろうか?

 

亡夫(つまり僕の義父)は、

「女は三歩下がって」という考え方の

関白亭主だったらしいので、

男と手をつないで

公道を歩くのに慣れていないらしく、

ちょっと恥ずかしそうにする。

 

義母には昨日も明日もない。

小さな子どもと同じで、

「いま、この瞬間」があるだけだ。

 

「いま、この瞬間」がずうっと繋がって、

僕たちの人生があり、この世界があるわけだが、

そんなこと、ふだん僕たちはまったく考えない。

 

僕たちはいつも、これまで何をしてきたか、

少しでも多くの記憶をキープし、

自分のビッグデータを作って、

何があるかわからない明日に備え、

サバイバルしようとする。

 

ところが義母は昨日なにがあったかも忘れているし、

明日どうなるのか不安に脅えることもない。

もうボケちゃってるわけだから、

齢を取ってボケたらどうしようと怖がることもない。

 

でも時々、時計を見て

「もう家に帰らなきゃ」とか言い出す。

「ここがあなたの家だよ。

あそこにあなたの部屋があるでしょ」

と言うと、「ああ、「そうか」と

一応、納得するのだが、

数分後にはまた「帰らなきゃ」と言い出す。

 

まだ一緒に暮らし始めて1週間たたないから

しかたないのだろうが、

彼女はいったいどこに帰りたいのだろう?

 

僕は認知症についてはまったく不勉強だ。

てか、あんまり余計な先入観を持って関わるのは

よくないんじゃないかと思って、

あえて最小限の知識・情報しか入れてない。

 

人それぞれいろんなパターンがあると思うが、

認知症になると、

その人本来のキャラクターや

人生の中で培ったストーリーが

集約されて表現されるようで、

義母を見ている限り、

不謹慎な言い方かもしれないけど、

とてもとても興味深い。

 

それにしても、

いったいこれからどうなるのか?

 

同じ「いま、この瞬間」を生きる人間でも

小さい子どもはこれから成長が見込める、

いわば、のびしろのある存在だが、

認知症の高齢者はそうではない。

 

「お兄さん」としては、

とにかく少しでも、

その瞬間瞬間の積み重ねを、

幸福感・安心感を持って

過ごしてもらいたいだけだ。

 

ふだんは宗教心なんて欠片もないが、

義母に関してはもう神さまに祈るばかり。

 

大宮八幡は立派な神宮で、

初詣やお花見や秋祭りで毎年来ている。

この季節は七夕飾りが美しい。

 

すっかり通い慣れたお宮だが、

義母と一緒にいると、

不思議と素直で新鮮な気持ちでお参りできる。

やっぱ人間、最後の最後は神頼みやで。

 


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