秋の最後の日の散歩

明日から寒くなるそうなので、

今日は今年の秋の最後の日かも、

と思って、午後から義母を連れて

近所の公園を散歩する。

遠くに行かなくても紅葉をたっぷり楽しめる。

 

なかなか色づかなかったイチョウが

12月になってどんどん黄色くなり、

見事なゴールデンイエローに。

ほんの少しの風で落葉が雪のように舞って、

切なくも美しい。

 

「ほらほら、空からまたくるくる降ってくるよ」

と、高い木の枝から回転しながら降りて来る落葉を見て、

義母に促すのだが、どうも反応が鈍い。

 

認知症にも関わらずというか、だからこそなのか、

この人はときどき、路傍の小さな花を見つけたりして、

小さな子どものような感性の鋭さを見せることがあるが、

紅葉・落葉に関しては全然気をそそられないようで、

僕がどれだけ「ほら見て見て」言っても、

ほとんどゴミ扱いである。

 

そのくせ、そのへんに落ちている

お菓子の空き袋、ポケットティッシュ、

子どもが落としていったおもちゃやアクセサリーなどは

目ざとく見つけてガメようとする。

せっかく秋を楽しみに来たのに・・・。

と文句を言っても始まらない。

 

しかし、今日は暖かく、お天気も良く、

気分も体調もよかったようで、

なかなか帰りたがらず、2時間近くも歩いた。

こんなによく歩いたのは久しぶりだ。

 

ちなみにネコのいる花屋さんでは、

秋の花が終わったらクリスマスや正月を挟んで、

もう春の花。

暖かい部屋で春を楽しんでほしいのだそうだニャ。

 


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笑える遺影

 

葬式に来た人たちが思わず「ワハハ」と笑ってしまう

遺影がいいなと思った。

というのも、今日、義母と散歩に行ったら、

珍しく写真を撮らせてくれたからだ。

 

写真を撮られるのがきらいで、

これまで何度カメラ(スマホ)を向けても

そっぽを向くばかり。

しかたないので、盗撮(?)を繰り返していた。

 

今日は天気もよかったし、

一昨日、美容院に行って

ヘアスタイルもきれいになっていたので、

ベンチに座っていた時、

何の気なしにスマホカメラを向けてみたら、

どういう風の吹き回しか、

みずからおどけたポーズを取り、

まともに正面から撮影に応じてくれた。

 

おお、初めてと言っていいくらい

よいポートレート写真。

子どもみたいに

かわいくてひょうきんである。

 

晩飯の時に、

「これ、遺影にどう?」と言って

カミさんに見せたら、笑って大喜び。

部屋に飾るにもいい感じだ。

 

葬式に来た人たちが笑い、

家族の心を明るくできる、

自分のもそういう遺影がいい。

もうすでにだいぶ自由だけど、

死ぬときはもっと自由。

そう考えると、死も怖くない。

 


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9月は認知症について知ろう

 

9月は認知症月間というのを初めて知った。

正確には「世界アルツハイマー月間」、

21日が「世界アルツハイマーデー」。

 

1994年9月21日、スコットランドのエジンバラで

「第10回国際アルツハイマー病協会国際会議」が開催。

会議の初日の日を「世界アルツハイマーデー」とした。

世界の患者と家族に

援助と希望をもたらすことを目的に、

アルツハイマー病等に関する認識を高める日

ということで設定されたそうだ。

 

認知症について騒ぎ出したのは、

つい最近のことだと思ってたけど、

今からもう30年も前から問題とされていたんだね。

日本ではまだ「ボケ老人」とか「痴呆症」と

呼ばれていた時代の話。

 

でも、いまや、いつ自分事になるかわからなくなった。

介護はこんな感じだよ、の入門編として

 読める認知症介護エッセイ集。

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ちょっと明るくお笑い的に。

ちょっと死生観を交えて哲学的に。

気軽に認知症のことを知ってください。

 

 


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義母の回復と阿佐ヶ谷の七夕まつり

 

今日は義母を連れ、

バスに乗って阿佐ヶ谷の七夕祭りに行った。

退院から1カ月。

かなり調子を取り戻し、この暑い割にはよく食うが、

さすがに歩行量は以前の半分以下に落ちている。

 

それでも90近い齢の割にはよく歩く。

年寄りが1週間も入院生活を送ると、

運動不足で歩けなくなるというが、

この人の場合は、2週間の軟禁生活(?)を送っても

大丈夫だった。

 

スポーツもトレーニングもしたことないが、

50年近い間、ほぼ毎日、団地の5階まで

買物の荷物などを持って上り下りしていたので、

自然と足腰が鍛えられ、「健康貯金」になった。

 

しかし、その階段エクササイズも

認知症予防には効果がなかったようだ。

 

阿佐ヶ谷の七夕と

高円寺の阿波踊り、

さらに近所の大宮八幡のお祭りと、

いっしょに暮らし始めた最初の夏は、

杉並のお祭りを堪能させてやろうと、

あちこち連れまわした。

本人は憶えていないが、けっこう楽しんでいた。

だが、翌年からコロナで出られなくなったこともあって、

それも今や懐かしい思い出となってしまった。

 

阿佐ヶ谷の七夕祭りは人出がすごい。

肉体的に、というよりも、神経が耐えられないのだろう。

人ごみを歩くのは苦しそうなので、

ちょっと覗いただけですぐ帰ってきてしまった。

もうお祭りのような賑わいの場は

楽しめないのかもしれない。

 

明日からまた川沿いの散歩道を

鳥や犬を見ながら、休み休み歩く。

 

いっしょに暮らして5年が過ぎ、

カミさんのストレスもたまっているので、

9月からはデイサービスや

ショートステイを少し増やす予定。

 


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お母さんといっしょの夏休み

 

義母は先月下旬から今月上旬まで、

入院が半月に及んだので、

夏の間は暑いし、復活は無理だろう、

デイサービスにちゃんと行ってりゃいいやと思っていた。

ところが日を追うごとに

食欲も運動量も順調に回復。

だんだん調子に乗ってきたようだ。

 

睡眠時間はかなり増えたが、

この猛暑なので、日中は冷房のある部屋で

おとなしくしてもらっていたほうが助かる。

そのあたりは本能的に理解しているようで、

お散歩は夕方ちょっとだけ。

認知症はもちろん治らず。

この暑いのにやたら重ね着したがる。

熱中症にならないよう気づかって、

なんとか無事にやり過ごすしかない。

 

熱中症だのコロナだので、

この夏はなかなか安心できない。

気候変動もあって昔の夏とは違って来たし、

海でも山でもお祭りでも、

人ごみに出て行く気がまったくしない。

やっぱ、夏は子どもと若者の季節だ。

僕はセミの合掌でも聞きながら

お義母さんといっしょに家で仕事をしていよう。

 

 

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入院していたことなんて記憶にありません

 

義母は先週月曜8日に退院。

家に帰ってきても病院でのハンストの続きで、

菓子類ばかり食べてろくに食事をしなかった。

が、この2,3日はようやく7割程度食べるように。

90歳一歩手前の高齢者としては十分かと思う。

 

いちばん気になるのは、

入院中、ほとんど歩かなかったこと。

さすがに現在は、入院前のようなロングウォークはできず、

家のそばにある遊歩道を

ちょこちょこベンチで休みながら歩くだけだ。

 

それでも長年、ほぼ毎日、

エレベーターのない団地の5階まで

階段を上り下りして鍛えた足腰は健在。

うちの階段はまだまだ楽勝といった様子なので、

ある程度は回復するだろう。

 

実母もそうだったが、入院すると、

当の病気やケガそのものよりも、

歩かないこと・動かないことによって

生じる筋力低下・身体機能低下のほうが

後の人生に大きなダメージを与える。

 

特に高齢者は、機能回復に時間がかかるため、

入院日数の4倍くらいのリハビリ期間が必要だ。

それでも入院以前に近いところまで回復できればいいが、

年齢が上がれば上がるほど、その確率は低くなり、

最悪、歩けない・動けないという状態になる。

 

あまり入院が度重なると、

病気や怪我が治っても「自分はもう終わり」という

心境になっていくのも不思議ではない。

 

認知症はこういうとき、プラスに働くのか、

義母はそんなこと全然意識していない。

そもそも入院していたこと自体をもう忘れている。

 

ただ、頭はポジティブでも、

身体は正直なのでネガティブ。

ちょっと歩いたり、デイサービスに行ったりすると、

ひどく疲れるようで、

この1週間は毎日12時間以上ねている。

いずれにしても当分の間はリハビリ期間。

少しずつよくなりますように。

 

いちいちまとわりつかれなかったり、

長い散歩に付き合ったりしなくていいのは

疲れなくてラクだし、仕事も勉強も捗るんだけどね。

 

 

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食べ物の恨みは死ぬまで残る

 

病院食を食べないという義母に

パン、お菓子、果物などの差し入れを持っていく。

戦中の疎開体験者・戦後の食糧難体験者なので、

おかゆ系のどろどろした食べ物に

なにか嫌な思い出が紐づいているのだろうか?

食べ物の恨みはおそろしい。

いくつになっても消えることがない、

死ぬまで残るトラウマだ。

 

少し前まで、児童館などの子どもイベントで、

なつかしの「すいとん大会」とか

あちこちでやっていたような気がするが、

ああいったものは、ある程度、

現代風にアレンジされていたのだと思う。

 

ガチ70年前・80年前の

極貧日本のすいとんやらぞうすいやらは、

現代のグルメ生活に慣れ切った

子どもや大人には、

とても食えないような代物なのではないか。

 

添加物が入っていようが何だろうが、

年寄りがきれいに包装された

甘いパンやお菓子に目がないのは、

やっぱりやむを得ないことなのだろう。

 

こんなこと言うと専門家の人に怒られそうだが、

もう90に近い齢なので、

栄養バランスとか、はっきり言ってどうでもいい。

毎日お菓子ばかり食べていても、

とくに健康的に問題ないと思う。

好きなものを、好きなだけ

食べさせてあげたいというのが、

親心ならぬ、子ごころだ。

 

思いがけず入院生活が長引いてしまい、

体力の衰えが心配だが、

今日会ったらけっこう元気になっていて、

少しほっとした。(もしやお菓子効果?)

 

家の中にいると、あれこれ絡んできて

面倒くさくて疲れるのだが、いないと寂しいし、

どこか生活の張りが失われたように感じがする。

早いとこ回復して戻て来てほしい。

 


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義母の入院

 

いっしょに暮らし始めてちょうど5年。

義母が初めて入院した。

週末、実母の3回忌の法事で留守にしたため、

2泊3日でショートステイに預けたのだが、

 

帰宅した日曜の夜、どうも具合が悪そうだと

ステイから電話が入る。

咳き込んで食べたものを吐き出してしまったらしい。

 

翌日、誤嚥性肺炎ということで、そのまま入院。

杉並区高井戸にある浴風会というところで、

高齢者施設と病院が同じ敷地内にあるのだ。

そういう点では助かった。

 

月曜に行ってレントゲンを見せてもらったが、

肺の異常はごくわずかなもので、

医者も大したことはないと言う。

2,3日、長くても今週末までくらいと勝手に考え、

正直、こちらも骨休めになるので

ちょうどいいと思っていた。

 

ところが今日、面会に行くと、

まだ咳がひどい。

さらに彼女を意気消沈させるもろもろの環境。

車いす、点滴、おむつ、おかゆの食事・・・

家では断固として拒否するものをあてがわれ、

虜囚みたいな気分になっていたのかもしれない。

 

かなりショックで、

いたくプライドが傷ついた状態であることがわかった。

認知症でも自尊心は失わない。

 

それでも僕とカミさんの顔を見ると、

「わたしは普段と何の変りもないわよ」

といった感じでふるまい、

ゴホゴホしながら喋っている。

ただし、その内容は例によってさっぱりわからないが。

 

面会時間は15分だけなので早々に退散。

もしかしたら入院は少し長びくかもしれない。

心配してもしかたがないが、

もしかしたらこの先は

今までと同じような調子ではいかないかもしれない。

 

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「痴呆症」は老害ワード?

 

義母を連れてスーパーに買物へ。

途中、トイレに行きたいと言いだしたので、

階段の踊り場にある女子トイレの前まで連れていき、

少し離れたところでで待っていた。

 

なかなか出てこないので心配になっていた矢先、

ドアが開いて、60前後のおばさんが

訝し気な表情で出てきて外にいた僕の顔を見た。

どうやら義母の世話人だと察知したらしく、

「痴呆?」と尋ねた。

 

義母は中でちょっとおかしな行動をしていたらしく、

この人もしや・・・と思ったらしい。

しかし、粗相したとか、特に問題はなく、

そのすぐ後に出てきたのでほっとした。

その女性も特に絡むこともなく、そそくさと立ち去った。

それだけの出来事だったが、

彼女が言った「痴呆」という一言は

ちょっとショッキングに響いた。

 

べつに腹を立てたわけではないが、

2024年のいま聞くと、「痴呆?」は

かなりネガティブなインパクトを持っている。

自分の家族を介護している人に向かって言ったら

ひどく傷ついたり、ブチ切れたりする人もいるだろう。

 

「痴呆症」はいつから「認知症」になったのか?

調べてみたら、

厚生労働省が『痴呆症』に替えて『認知症』を

一般的な用語・行政用語として用いるとしたのは、

2004年12月24日となっている。

「痴呆」という言葉には

侮蔑的な意味が含まれているというのが変更の理由だ。

 

呼び名が変わってもう20年経つわけだが、

ずっと普通に使われていたので、

僕もたぶん10年くらい前まで割と平気で

「痴呆症」と言っていたような気がする。

 

たかが呼び名、されど呼び名。

その人の社会性を問われることなので、

けっこうバカにできない。

こういう言葉遣いに鈍感な人は、

今の社会に適応できていないと

見做される恐れがあるからだ。

 

その女性が義母をバカにして言ったわけではないだろうが、

うっかり出てしまったということは、

彼女の頭の中はまだ昭和の残像で満たされていて、

アップデートできていないということを意味している。

ウィンドウズ95とか98とか、

あのへんのOSで動いているということなのかもしれない。

まぁそれで自分の生活に不便はないのだろうが。

 

「痴呆症」だけではない。

ほかにも病気の呼び名とか、外国人の問題とか、

LGBTQの問題とか、

かつての差別や偏見に対する社会通念が

どんどん変わっているので、

うかつに古い言葉を使ったりすると、

そのデリカシーのなさが白眼視され、

若い世代から「老害予備軍」と

見られてしまうのではないだろうか。

 

「昔はよかった」「昭和は輝いていた」なんて

のたまってはいられない。

やっぱりダメだったところはダメでしたと認めないと。

 

わざと面白がって使うならまだしも、

何気なく無意識に使っている「昭和ワード」

もしくは「平成ワード」が

周囲の人たちを著しく不快にさせていないか、

2024年の世界ではアウトになっていないか、

いま一度、チェックしてみる必要があるかもしれない。

 


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鏡の国のお義母さん

 

「あら、いやだ、だから言ったじゃないの」

「いいわよ、あんた、それ、いいじゃない」

「あんたったら、あーおかしい。アハハハ・・」

 

義母が楽しそうに洗面台の鏡に向かってしゃべっている。

鏡のなかにいるのは誰なのか?

もう一人の自分なのか、友達なのか、きょうだいなのか。

ちょっとだけ離れたキッチンで聴き耳を立てるが

さっぱりわからない。

 

ちょっと前までは自分の部屋のなかで、

死んだ家族の幽霊か、

遊びに来たざしきわらしか、

まぼろしの子供などと話していたのだが、

最近は僕やカミさんがすぐ横にいても

謎の人物と平気で対話している。

もちろん僕らには見えない。

が、認知症の彼女にはくっきりとその存在が見えている。

 

僕らは慣れっこになっているので何とも思わないが、

はたから見ると相当不気味な光景だ。

シュールレアリスムの映画か、

アングラ演劇の1シーンのように

見えるのではないかと思う。

 

知らない人は多分、義母を精神分裂とか、

多重人格とかのカテゴリーに入れるかもしれない。

けれどもそれで別に錯乱することはないし、

外に連れ出すといたって正常な人に見える。

 

今朝、デイサービスに出かけた後に

部屋を掃除したら、

布団の枕もとにポケットアルバムが置いてあった。

めくるとカミさんと妹との3ショット

(かなり若い頃。カミさんかわいい)、

カミさんと僕と息子(彼女の孫)の

3ショットなどが入っている。

眠る前に見ていたのだろうか?

でも写真の僕らと現実の僕らとは一致しないようだ。

 

奇妙ではあるが、それなりに楽しい生活。

他の家族にも会いたいのだろうが、

もうみんないないし、今の暮らしが最大限の幸福

――鏡の国のもうひとりの義母からそう諭してほしい。

 


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認知症患者の純粋な「かわいい」の価値

 

認知症になったらもう社会の役に立たない。

そう思っている人は少なくないだろう。

中には仕事をしている人もいるようだが、

よほど長年の付き合いがある懇意の間柄か、

もしくは条件付きでなければ頼めない。

 

うちの義母は働くのが好きで、

気が乗っていると積極的に家事をやりたがるが、

正直、ありがた迷惑なことが多い。

社会の役に立つか?と問われれば、

常識の範疇では「NO」と言わざるを得ない。

しかし、彼女には彼女にしかない存在価値がある。

 

いつも散歩に行く公園・遊歩道は、

今日のような晴れて暖かい日曜日は

家族連れが大勢来ている。

 

彼女は小さい子供を見ると、のべつまくなしに

「かわいい」とか「いい子ちゃん」とか言ってほめ、

興が乗るとベタベタ触ろうとする。

 

コロナの時はヒヤヒヤしていたが、

自分の子を手放しでほめられて

親は悪い気がするはずがない。

ほとんどが受け入れてくれて

「ありがとうございます」と返す。

 

少し時間をかけてやり取りすると、

明らかにおかしな人だとわかるが、

ちょっとだけなら天真爛漫な気のいい

近所の普通のばあさんという印象になるようだ。

 

子どもも元気に笑顔で挨拶を返す子よりも

照れてモゾモゾしちゃう子のほうが多い。

もしかしたら内心怖がっている子もいるかもしれないが、

特に問題になったことは今までない。

 

だから言ってみれば、義母は出会う親子らを

ささやかながら幸福にしているのである。

 

一度、アトピーの赤ちゃんを抱いた

お母さんに会ったときがあり、

その時はちょっと驚いた。

 

義母は顔が赤くなってしまっているその赤ちゃんを見るや、

「わあ、かわいい」と、ぐいっとのぞき込み、

二言三言、あやすようなことを言って、

お母さんに「本当にかわいい子ですね」と言ったのである。

 

よほどうれしかったらしく、

お母さんは思わず泣いてお礼を言っていた。

おそらく義母のように純粋に「かわいい」と

言ってくれる人は周囲にいないのだろう。

 

普通なら口ではそう言っても、

内心では「かわいそう」とか

「お気の毒に」と思っている人がほとんど。

母親はそういう負の感情は鋭く読みとれるものだ。

 

しかし義母は何の屈託もなく、

心の底から「かわいい」と言っている。

それが伝わったので泣いたのだろう。

ささいなこと、一瞬のことだが、

あのお母さんは幸福な思いを抱き、

子育てをする勇気と元気を得られただろう。

 

考えてみたらすごいことだ。

普通の人ではなかなか真似できない。

少なくとも僕にはできない。

 

通常の社会人として何もできず生産性ゼロだとしても、

やっかいでめんどくさくて世話が焼けても、

義母は目に見えない部分で社会に役立っている。

たとえそれが仕事と呼べないものにせよ、

多くの人に幸福感を与えられることは、

大きな社会的価値と言ってもいいのではないだろうか。

 

今が何月なのか、春夏秋冬どの季節なのか、

さっぱり認知していない義母だが、

動物と同じく体感で季節が変ったことはわかるらしい。

どんどん外に出たがるので、

散歩のおともに費やす時間がまた増えそうだ。

 

 

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どんな子どもも「世界は美しいよ」と実感させてくれる

 

認知症の義母を連れて日曜日の公園に行くと、

雑多な子どもたちがウジャウジャ走り回ったり、

飛んだり跳ねたり、わめいたりしている。

 

ここは自然豊かで、川が流れ、広場があり、

木もいっぱい生えていて生き物もたくさんいる。

季節ごとに表情が変わって面白いので楽しくなる。

 

そんななかで遊ぶ子どもたちは幸福だし、

それを見ては喜んだり、ハラハラしている義母も

幸福なはずだ。

当たり前のようにある風景なので、

そう感じる人は少ないのかもしれないが。

 

この少子化社会にあって、

普通に大勢の子どもといっしょにいられるなんて、

とても恵まれた環境のなかにいるんだなと思う。

 

子どもを育てるのは本当に面倒くさい。

面倒を見る保護者にとって手間暇かかるし、消耗するし、

邪魔に思えることもあるし、むかつくことは数えきれない。

 

けれども子どもは社会に絶対必要な存在である。

必要というのは将来の労働力になるとか、

おとなになった時に僕たちの生活を支えてくれるとか、

そんな理由から言っているのではない。

優秀かどうか、勉強やスポーツができるかどうか

なんてことも、はっきり言ってどうでもいい。

本当にどうでもいいことなのだ。

 

どんな子どもも地域にエネルギーをもたらしてくれる。

僕たちおとなを元気にしてくれる。

「世界は美しい」と実感させてくれる。

それで十分だ。

人間にはみんな、目に見えない才能がある。

子どもはそのことを思い知らせてくれる。

それをきちんと認識できないのが、

今の社会の未熟さであり、問題点だと思う。

 

僕はもう子どもにはなれないし、子どもの真似もできない。

ならばこの先、違うベクトルでいいから、

地域なり、どこかのコミュニティに

エネルギーをもたらす年寄り、

社会に必要とされる年寄りになりたいと考える。

なれるだろうか? 

特にとりえも専門技術も持ち合わせていないけれど。

いい具合に齢を取るのは、なかなか難しそうだ。

 


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親の介護は5年で卒業(というマイルール)

 

子育てには卒業があるが、親の介護に卒業はない。

強いていえば、親が亡くなり看取ることか。

 

でも、あえて卒業を設けるべきではないかという気がする。

今の生活を始めて今年6月で5年になるが、

5年やったら、卒業資格を得てももいい。

誰もそんなことは言ってないし、認めてもくれないが、

これは自分(とカミさん)で決めた。

 

義母は先週、89歳になった。

90歳まであと1年。

体はまだまだ元気なので時々忘れてしまうが、

彼女は認知症という病気持ちである。

 

気になることはいくつかある。

まず、幻視・幻聴が増えていること。

今年になってから、

昨年の誕生日プレゼントにあげたネコちゃんと、

京都のお土産のお地蔵さん人形を返しに来た。

「話が合わない」とか

「部屋のなかにいてほしくない」といった理由を言う。

 

「どうせ次の日には忘れているよ」と

カミさんと示し合わせ、散歩に出ている時とか、

デイサービスに行って留守の時などに

部屋に戻しておくのだが、やっぱり何度も持ってくる。

 

そんなことが3回ほどあったので、

これは本気(?)だと思い、

しかたなく引き取ることにした。

 

そういえば、現実の世界でも

ネコやお地蔵さんは避けていたことを思い出した。

ちょっと怖いのかもしれない。

 

前にも書いたが、

義母は母譲りの霊能力らしきものを持っており、

それをずっと封印して生きてきた人である。

認知症になったことでその能力が徐々に解放され、

見えない世界と交流ができるようになり始めているらしい。

 

ちょっと冗談めかしてい書いているが、

認知症の症例を見ると、

幻視・幻聴で錯乱状態に陥ることが結構あるという。

 

今はまだ笑って受け止めらるレベルだが、

この1年くらいでこうしたことがかなり増えたので

エスカレートしないとも限らない。

 

そのほか、月に一度くらいの割でブラック化し、

普段とはまったく違うダークサイドを

垣間見せることもある。

老人はか弱き者というイメージがあるが、

認知症患者は脳のリミッターが働かず、

すごい力を出すこともあるらしい。

 

僕たちに肉体的・精神的なダメージを与えることがあれば、

即刻離れるべきだとも思っている。

 

多くの場合、施設に入れるのは別れを意味している。

僕が知る限り、住み慣れた家から施設に移った

老親の寿命はけっして長くない。

 

理由はたぶん二つ。

環境が変わって心も体も拒否反応を起こす。

そして面倒を見るのに限界があり、自由が奪われる。

 

ただ20年・30年前より、高齢者施設は各段に

良い環境になっており、面倒見もよくなっている。

けれどもスタッフは家族でも親友でもない。

(ごくまれに親友になるケースもあるかもしれない)

それほど献身的なケアをお願いするわけにはいかない。

 

そんなわけで親を施設などに移すのは罪悪感が伴う。

無責任に非難する人もいるだろう。

いま、二人でがんばっているのは、

「ここまでよくやった」という自己満足を得るためだ。

そして罪悪感を抱くことなく、

後悔を残すことなく、介護から卒業して、

新しい人生を歩みたいからだ。

 

だから5年で卒業資格。

その家族によって事情が違うので、

どのケースにも当てはめられるわけではないが、

限界ぎりぎりまで頑張って

自分の人生をつぶしてしまうべきではない。

もちろん、うちも義母が現状を維持でき、

変わらず楽しく暮らしていけるなら、

1年ずつ更新していく。

そうしたルールでやっていきたいと思っている。

 

 

 

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魔女っ子カーチャン

 

3が日があけて義母は今日からデイサービス。

カミさんと二人で初詣に行く。

お日柄もよく、杉並大宮八幡宮はほどよい人出。

被災地のことも忘れずお祈りして、

ついでに幸福カエル石も撫でてきた。

 

義母は、以前は僕が連れていくと

しぶしぶお参りするという感じだったが、

どうも神社とかお寺の類が苦手なようなので、

時間があっても最近は連れて行かないことにしている。

おみくじを引いたり、

お守りを買ったりするようなことは絶対しないし、

星占いみたいなものさえ嫌がる。

興味がないのではなく“嫌がる”のである。

 

結構その拒否反応が気になって

どうしてだろうとカミさんに聞いてみたところ、

興味深い話を聞いた。

 

彼女の母、つまりカミさんのばあちゃんが

霊能力者みたいな人だったらしく、

「あなたの家の前で私の足が止まりました」とか言って

見知らぬ坊さんがいきなり訪ねてきたりとか、

そのスピリチュアルな能力を子どものころに

目の当たりにしたようだ。

それで「見えない力」に対して

恐怖を抱くようになったのではないか、

というのがカミさんの推測である。

 

さらに母親だけでなく、

自分の中に同じ能力があることを察知して

みずからそれを封印したのではないかという。

なんだか自分の魔力に恐れをなして引きこもってしまった

「アナ雪」のエルサみたいである。

 

ちなみにカミさんも子供の頃、

霊視・予言みたいなことを

しばしば口にすることがあったらしいが、

その手のことを言うと

「絶対口にするな!」と激しく怒られるので、

スピリチュアル方面のことには

口を閉ざすようになったという。

 

カミさんが聞いた祖母の霊能力(?)の話はほんの一部で、

おそらく義母は絶対口にしない、かなりすごい現象、

もしかしたらヤバイ現象を実際に体験したのかもしれない。

 

いろいろ直観が働いたり、

見えないお友だちと対話したりするのは、

認知症で通常の認知能力失われた分、

それを補うために潜在的なスピリチュアル方面の力が

働くようになったのだろうと思っていた。

 

しかし、もともとそっち方面の能力を

かなり豊富に持っている人で、

それが今になって開花したのかもしれない。

 

僕のような霊感ゼロ人間は、

スゲーと思って尊敬してしまうが、

あったらあったで本人はたいへんそうだ。

もしかしたら子供の頃の体験は、

祖母の能力を使って金もうけをたくらむ人が

近づいてきて嫌なトラブルがあったとか、

そうした類のことなのかもしれない。

 

身近なところにも神秘が溢れている。

いずれにしても、見えない家族・見えない友だちが

死ぬまで義母を守ってくれればいいと思う。

 

 


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みかんせんべいに秘められた物語

 

認知症の人の頭のなかには

どんなファンタジーの世界が広がっているのか

興味が尽きない。

 

何度か、義母が夜中や早朝に起き出して、

食べ物などをガメていく話を書いたが、

きょうは部屋の中から「みかんせんべい」が発見された。

 

夜中にガメたみかんを布団の下に隠し、

そのまま寝たのでぺっちゃんこ。

当然、布団の下はみかんの汁でぐちゃぐちゃ。

発見者のカミさんはカンカンである。

 

俗にいう認知症の人の「問題行動」だが、

まぁこれくらいのことなら明日ふとんを干せば

いいだけの話だし、怒っても本人は憶えていない。

 

それよりもどうしてガメたものを食べずに、

こんなふうに隠したり、しまいこんだりしてしまうのか?

 

秋口はお腹が減るせいか、たいてい食べていたが、

最近、寒くなってからは備蓄しようとする傾向がある。

 

冬眠する動物みたいに食糧を蓄えておこうという

本能が働くのも理由の一つだと思うが、

どうもそうした即物的な理由だけではないような気がする。

 

幻の家族やお友だちと会話していることを考え合わせると、

どうやら義母の4畳半の部屋には異次元ドアがあり、

その向こうには彼女にしかわからないストーリーが流れ、

そのストーリーを生きているのではないか。

そして、そう生きることが彼女の存在の芯にある

アイデンティティ、生きる意味と

つながっているのではないかと思える。

 

というわけで、汁が抜けてぺったんこに

みかんせんべいを見ているうちに

義母のストーリーを解き明かしてみたいという

妄想にかられた。

 

その前に、明日晴れたら洗濯と布団干しをやろう。

みかんせんべいは食べてみたが、

パサパサしててさすがにおいしくない。

 

 

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ざしきわらしに勇気の歌を

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気になったら、ぜひ読んでみてください。


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認知症患者のごあいさつを受け止められますか?

 

先日、カミさんが義母を連れて買い物に出かけた。

途中、高校の前を通ったら、

二人連れの女子高生の前にいきなり飛び出していって、

「こんにちは!元気ぃ~!」と大声であいさつした。

もちろん、女子高生はびっくりしてドン引き。

カミさんがあわてて義母をたしなめ、

「ごめんなさい」とその子たちに謝った。

ひとりは「だいじょうぶです」と笑っていたが、

もう一人はずっと顔が引きつったままだっただったらしい。

 

いずれにしてもそれで無事に収まり、

そのまま立ち去ったが、

背中で「なにあれ!?キモっ!」とかなんとか、

引きつってたほうが叫んでいたという。

 

腹も立たないし、説教するつもりもない。

僕も高校生だったら似たような

リアクションを取っただろう。

ちょっとびっくりしたのは僕が知る限り、

通常、義母は女子高生なんかに挨拶しない。

カミさんの話によると、

一人が高校生の頃の妹(つまりもう一人の娘)に

ちょっと雰囲気が似ていたらしい。

 

イメージがダブったのか、

あるいは僕といる時と、カミさんといる時と、

気分の違いで、違ったイメージが湧きだすのかもしれない。

 

義母は愛想がよく、社交的な人と思われていて、

デイサービスなどでもムードメーカーになっているらしい。

実際、そういう一面があって、

僕と散歩するときもすれ違う人に

元気な声で「おはようございます」とか、あいさつする。

 

しかし誰彼かまわずというわけではない。

ちゃんと瞬時に相手が返してくれるかどうか読み取り、

返してくれそうな人にだけあいさつするのだ。

その打率はだいたい7~8割。

けっこう高い精度である。

認知症だからといってバカではない。

論理的思考が働かない分、直観力は優れているのだ。

 

観察していると、声をかけるのは大まかに言って、

子供、子供連れの母親・父親、犬連れの人、

工事の人、掃除の人、トラックの運ちゃん、

警備員、お巡りさん、鳥を撮っているカメラマンなど。

子連れや犬連れ以外は年齢高めの人が多い。

 

やっぱり齢の功というべきか、経験豊富というか、

単にヒマというか、高齢者はちょっと奇異に感じても、

ちゃんと余裕をもって挨拶を返してくれる。

 

その点、前述の女子高生のように

人生経験・社会経験の浅い若いもんは

見たこともない変化球を投げられるとビビってしまう。

義母もそのへんがわかっているのか、

子供でも小さい子はいいが、

小学校の高学年以上になるとあいさつしない。

10代から30代くらいまでの若輩者に

声をかけることは稀である。

特に女性には、若いママさんグループなども含め、

近づこうとしない。

 

それから肉体労働系の人には愛想がいいが、

スーツなどを着込んだインテリ系、

ちょっとスカしたアート系などにも声をかけない。

高齢者でも気難しそうな顔をした人にはあいさつしない。

 

僕といるときはしたことがないが、

肉体労働の人が休んでいるのを見ると寄っていき、

「あら、あなた、いい体してるわね」と、

ペシペシ背中を叩いたりすることもあるらしい。

 

こうして書き出してみると、

なンとなく彼女が交流したい

人間のカテゴリーが見えてくる。

べつにいいとか悪いとかの区別はないが、

やはり社会から離脱した人なので、

忙しい競争社会の真っただ中にいる人や、

そこに入ろう・順応しようとしている

おとなになりかけの子供たちは避ける傾向がある。

 

自分の相手をしてくれるのは、

まだ社会化されていない小さな子や、

逆に社会からリタイアした年寄り、

ちょっと社会から外れた人たちというところか。

 

そういう意味では、川沿いの散歩道は、

ちょっと日常の世界ら外れて

遊んだり休息できる雰囲気があるので、

あいさつを返してくれる人が多いのもしれない。

 

ビジネス街や繁華街でこんな変化球が飛んで来たら

気味悪がってよけるしかないが、

ここなら「まぁ、こんな人もいるよね」と

キャッチできる、

危害がなければ、多少おかしな人がいてもOK、

その方が面白いということだろうか。

 

自然がたくさんある環境なら良いというものでもない。

そこに暮らす人たちがどんな心境でいられるかが大事。

義母には教わることが多い。

 

 

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認知症の義母がぬくぬくする光と音の暖炉

 

この間の土曜日のことだが、

カミさんが中学校の同窓会に出かけたので、

夜は義母と二人だった。

 

普段、食事は居間でしているが、

ここは食事の時間以外はカミさんがいろいろ使っている。

食後、義母はたいてい自分の部屋に引っ込むのだが、

居間の主であるカミさんがいないので、ずっと動かない。

 

カミさんは管理責任者でもあるので、

ああしろ、こうするなとガミガミいわれるが、

今日はその心配はないと察知して

居心地がよかったのだろう。

僕はなめられているということでもある。

 

特に何か話すこともなく、テレビを見ていた。

彼女はテレビで何をやっているのか、

内容を理解できない。

 

メシが出てくれば、おいしそうとかまずそうと言ったり、

イケメンや美女はいいねと言ったり、

激しいスポーツのシーンには「うわ、ひどいことする!」と

怒りのリアクションをするが、すぐに忘れている。

彼女にとってテレビは

「光と音の出る暖炉」のようなものなのかもしれない。

 

そう思って「ペチカ」と「たき火」を歌ったら喜ばれた。

僕のヘタな歌で喜んでくれるのは義母だけである。

 

そのうち、ああ、この人は何十年もの間、

夜はこのように居間で義父と過ごしていたのだなと

わかった。

 

認知症患者には過去の記憶も、未來の展望もなく、

今この時だけがあるが、生活習慣のイメージは残っている。

あたたかい光と音の暖炉に当たりながら

そのイメージに浸るのが、

ぬくぬくして気持ちよかったのかもしれない。

 

そうしているうちに9時を回ったので、

「お義母さん、そろそろおねんねしましょう」と、

みかんを1個持たせたら、喜んで部屋に帰るという。

だが、2時間以上も坐っていたのですぐに立てない。

 

腕を回して抱き起そうとしたら、

「手を持ってくれるだけでいいです」

こういうところはプライドが許さないようだ。

 

土曜日はデイサービスで筋トレをやる上に、

少々夜更かしをしたので

翌日は疲れて1日中寝ていた。

最近はデイサービスに行かない日は、

僕たちも放っておくので、少なくとも昼まで寝ている。

特に寒い季節になると、寝る時間が長くなる。

外に出かけるなど、騒ぎ出さないのでこっちは助かるが。

 

認知症を発症してから、

少なくとも15年は経っているのにもかかわらず、

まだまだ体は元気。

ただ、見ていると、昨年、今年と、

確実に体力は落ちている気がする。

 


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京風お地蔵さん人形と義母のまぼろし家族

 

京都の百万遍にある知恩寺というお寺で

毎月15日に「てづくり市」という市が立つ。

その名の通り、結構広い境内いっぱい

関西・近畿一円から集まった業者が

露店を開き、衣料・アクセサリー・工芸品・アート・

玩具・生活雑貨など、手作り品を売っている。

関西弁があふれ、とても楽しくてにぎやかだ。

 

そのなかで布で作った人形を売っている店があり、

かわいいお地蔵さんが目に留まった。

10数個あったが、一つ一つ顔と着物が微妙に異なる。

売り子のおねえさんによると、

95歳のおばちゃんが作っているのだそうだ。

 

そんな話を聞いて、義母のお土産にと一つ買ってきた。

(旅行中はショートステイに預けていた)

鏡台の前にずらりと並んだお友だちの間に

さりげに置いておいたら、

新入りに気付かないのか、自然に受け入れているのか、

とくにリアクションもなく、この1週間過ごしている。

彼女にとってはお地蔵さんも、タコやネコやワンちゃんと

同列扱いのようだ。

それでもって昼となく夜となく

これらマスコット相手におしゃべりをしている。

 

それだけでなく最近は幻視なのか、

やたらとどこかの子どもや、もうこの世にいない

親やきょうだい、見知らぬ先生とかお兄さん・お姉さんまで

遊びにくるようで、いろいろ訊かれるのだが、

「こっちにはいないよ」とか

「さあ、どこに行ったんだろう?」とか、

「会えてよかったね。きっとまた来るよ」とか言ってかわすと、

納得したのかしないのかわからないが、一応ひっこむ。

それでまたちょっと経つと部屋で誰かと話している。

 

知らない人が見たらびっくりするかもしれないが、

すっかり慣れて日常の風景になってしまった。

一時期、「お母さんのところに帰る」と言って、

止めるのも聞かずに家を出ていくことが会って往生した。

数日前に見たNHKのクローズアップ現代で

「認知症行方不明者1万8千人の衝撃」

という特集をやっていたが、

これは本当に大問題である。

家族や子供が家の中にいて話ができるなら

いきなり「かえるかえるケロケロ」と騒ぎ出さずに済んで

こちは助かるというものだ。

 

考えてみれば、どこか違う世界の子供と会ったり、

もうこの世を去ってしまった家族がいたりするなんて

幸福なくらしである。

そういうふうに考えていかないと、

これからの「高齢者の5人にひとりが認知症」なんて時代を

到底乗り越えていけないのではないか。

お地蔵さん、義母が図と幸福でありますように。

 


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リス系認知症患者の冬じたく

 

秋深まり、義母の食欲マシマシ。

三食はもちろん、つまみ食いも止まらない。

夜中にごそごそ物音がするなと思うと、

必ず食品棚の引き出しをあさっている。

 

大好きなつまみ食いベスト3

1位 菓子パン:

ただし大きいのは半分しか食べない。

残りは引き出しに戻しておくのだが、

自分が食べたことを忘れてしまうので、

「人の喰い残しなんか食べないよ」と言って

そのままほったらかしになる。

なのでできるだけ小さいのを入れるか、切って入れる。

 

2位.みかん:

カミさんの話によると若い頃から柑橘類は大好物。

これからの季節、大きさも手ごろで

自分で皮がむけるみかんが安く出回るのでありがたい。

 

3位.バナナ:

これも自分でムキムキできるし、

甘くて柔らかくて食べやすいので大好物。

 

4位.キャラメル:

好物だが所詮アメなので脳は一時的に満足するが、

おなかは満たされない。

なので他の食品との合わせ技が必要になってくる。

 

5位.ちくわ:

練り物大好き。夏はダメだが、秋・冬は

一晩くらい常温で置いておいても平気なので。

 

その他、ビスケットやクッキー類はカスをボロボロ落として

布団を汚してしまうので出さないようにしている。

表面に砂糖をまぶしてあるようなお菓子もNG。

 

ちなみにうっかり差し入れを忘れると、

かなりストレスが上がるようで、

カキ、リンゴ、アボカド、ジャガイモ、玉ねぎなど、

丸っこい系の果物・野菜を手当たり次第に持ち出していく。

まるい→かわいい→おいしい 

という公式が頭のなかにあるらしい。

 

もちろん、これらはそのまま食べられないし、

自分で皮もむけないので、部屋の鏡台の引きだしとか

スカーフや洋服などにくるんでしまわれている。

 

また、きれいな袋物、

可愛いパッケージを見ると胸がときめくようで、

この間など詰め替え用のコショウとか、

スープの素、雑穀米の小袋などを

テイクアウトしたこともあった。

 

さらに時々、スプーンとかフォークとかの

食器類や歯磨き粉、

僕のノートやはがきなど食品以外の物を持っていく。

 

先祖の記憶がよみがえるのか、

寒い季節が近づいてくると、

リスなどの動物同様、飢えないように

巣穴にいろいろ貯め込んでおきたいという

“貯蔵本能”?が起動するようだ。

 

時に思いもかけないところにしまい込んで

行方不明になってしまうこともある。

気温が低くなったので、すぐに腐る心配は少ないが、

デイサービスに出かけている間に

大捜索をしなくてはならないこともある。

 

いろいろ疲れるが、認知症とのお付き合いも

だいぶスキルアップしてきた気がする。

最近は人間修行をさせていただいているような

境地になってきた。

 

 


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秋よ来い

 

川沿いの散歩道に紅白の彼岸花が咲いた。

しかし、まだ真夏継続。

4年ぶりに大宮八幡宮のお祭りがまともに行われるので、

義母を連れていってあげようと思ったが、

(てか自分が行きたかったのだが)

猛暑の中、長時間(30分近くかかる)

歩かせるわけにいかない。

それにちょっと体力が落ちてきて

以前ほど、長い距離を歩けない。

というわけで今年はお祭り断念。

 

散歩道は木が多いので、夕方は結構涼しい風が吹くが、

蚊に食われまくる。

早く秋になってほしいが、

義母は一足早く食欲の秋モードに入って、

最近、深夜・早朝の盗み食いが激増。

ほぼ毎日、菓子パンを差し入れしている。

 

 

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認知症と回想療法士

 

認知症、あるいは認知症介護が

現実のものになると人生観が変わる。

 

先日、「回想療法士」を取材した。

回想療法とは古い写真などを見て、

認知症患者、また認知症でなくても元気のない高齢者と

いっしょに思い出を共有するというメソッド。

 

通信講座で取れる民間の認定資格だが、

ルールを覚えればそう難しいものでもなく、

たとえばカラオケで懐メロを歌うだけでも

回想療法になるらしい。

 

ただし療法といっても、これで認知症が治るわけではない。

予防になったり、

軽度の段階なら進行を遅らせることは可能らしく、

その辺もまだ研究の最中ということだ。

 

僕が取材した人たちは回想療法を活かした

商品を作っているのだが、

病院や介護施設の一部でも活用されているらしい。

 

ちょっと前まで認知症は、痴呆症、老人ボケなどと言われ、

これになったら半死人、ほとんど廃人みたいな扱いだった。

そうした認識がこの10年ほどの間に激変した。

 

理由は簡単で、当事者、

つまり自分ごとと考える人が増えたからだ。

他人ごとのうちはボケとか軽口を叩いたり、

廃人扱いしても心が痛むことなどなかったが、

身内や大切な人が発症して介護者になったり、

自分自身もなるかもと考えると、そうはいかない。

 

いまや認知症はポピュラーになり、

嫌な言い方かも知れないが、

多くの人のビジネスのネタになるようになった。

認知症をネタにした本を書いている僕も

その一人といえる。

 

次の段階としては、これからまだまだ増えるであろう

認知症患者を、どう役に立つようにするかが、

大きな社会課題になっていくだろう。

 

親子で読もう!

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ざしきわらしに勇気の歌を

8月22日(火)16時59分まで

認知症になった寅平じいさんの人生最後のミッション。それは最強の妖怪「むりかべ」に立ち向かうざしきわらしのきょうだいを得意の歌で応援することだった。笑ってちょっと不思議な気持ちになる、妖怪幻想譚。 

 


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要介護認定更新の日

 

1ヶ月ほど前、義母の要介護度認定更新の調査があり、

きょうその査定結果を聞いた。

要介護度は上がらず下がらず、

いっしょに暮らす前と変わらず3のまま。

これでまた次の4年間を送ることになった。

 

認知症の認定を受けたのは10年ほど前からだが、

その10年ほど前、

つまり20年ほど前から症状はすでに始まっていたらしい。

そう言われていま思い返すと、

まだチビだった息子を連れて訪ねた時、

ところどころおかしな言動が見受けられた。

 

その頃は今ほど認知症が“認知”されておらず。

まだ「ボケ」とか「痴呆症」と呼ばれていた

 

時代だったので、

いっしょに暮らしている家族としては、

そんなことを認めたくなかったのだと思う。

 

これまでのデータでは、

認知症は発症から10年ほどで死に至る病とされているが、

そこだけ考えるとずいぶん長期間、

おとなの人間としての機能が維持できている。

 

引きこもりの人が朝の散歩を始めて、

花の匂いを感じたり、鳥の声を聞いたり、

風を肌に受けたりすることで、

しだいに気分がやわらぎ改善した、

という話を聞いたが、認知症の場合もそれと同じで、

日常的に川沿いを歩くことなどで

脳に良い影響を与えているのかもしれない。

 

ただ、いずれにしても介護は大変で、

カミさんと二人でやっているから何とか持っているが、

一人ならとっくの昔につぶれている。

 

ヤングケアラー、ビジネスケアラーも

これから大勢発生するだろう。

この先、10年・20年、

日本社会(そしてほとんどの先進国)にとって、

介護はますます大きなテーマになっていきそうだ。

 

未来を担う人たちを育てる子育てもそうだが、

これまで社会のために功労してきた人たちを

介護することも、その家族にとっては一大事業なのである。

 


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赤ちゃんは大人になって働いています

 

幻視なのかどうかよくわらないが、

認知症の義母のところには、

もう一緒に暮らしていない家族がよく現れる。

 

昨日は食事の時に「あれ、赤ちゃんはどこ行ったの?」

と言い出したので、カミさんが

「もう大人になって会社に行って働いています」

と答えたら、

「ああ、そうか」と納得した様子を見せた。

なんともシュールなやりとりで笑ってしまった。

 

彼女が最近、家の中で見た赤ちゃんと言えば、

僕らの息子のことである。

食卓上に20数年の時間が風のように過ぎ去った感じだ。

 

義母が見る家族は、何十年も会っていない人たち。

カミさんによるとそのきょうだいの人たちは

ほとんど亡くなっている。

さらに謎の男の子・女の子も現れる。

いつも通っているデイサービスの

スタッフのことかなと思うが、

そうでないこともあるようだ。

 

経験上、子どもが成長する時は

なだらかな曲線を描くのでではなく、

ある日突然、ガン!とステップアップする。

 

それと同じで、人生の下り坂も

ガン!とステップダウンするようで、

最近、認知度の劣化が目立つ。

話す言葉が意味不明なことが多く、

コミュニケーションしづらくなってきた。

自分の誕生日も、このクソ暑い今がどういう季節かも

よくわからなくなってきている。

 

また、先週・先々週あたりは

ちょっとしたことでキレまくったり、

デイサービスでは風呂に入るのを頑なに固辞したり、

かなり手を焼いて、こっちもキレそうになった。

あとどれくらい一緒に暮らせるのだろう?

 


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今日もまたざしきわらしがやって来た

 

ここのところ、一緒に暮らしている認知症の義母のもとに、

ざしきわらしが頻繁に出没しているようだ。

ほぼ毎日、朝昼晩問わず

「あのちっちゃい子どこ行った?」とか

「こっちの部屋に来てない?」とか言ってくる。

 

「いないね~」と言いつつ、

いっしょに探したりもするのだが、

いないんだとわかるとすぐ忘れてしまう。

ところがまた、しばらくすると

バタバタバタと同じことを言いにやって来るのである。

 

この間、ある本を読んでいたら、

マンガ家の水木しげるさんの話が出ていて、

彼は睡眠至上主義を謳い、

長年、1日10時間睡眠を実践していたという。

 

晩年はともかく、

何本も雑誌の連載を抱えていた時代なんか

ほんとうにそんな時間が確保できたのかと疑問だが、

よく寝て休息することで集中力が増し、

却って仕事が速くできたのかもしれない。

奥さんにも子供が寝ている時は無理に起こすなと

厳しく言っていたようだから、筋金入りだ。

 

水木さんの場合、睡眠を多くとるのは休息とともに、

異世界との交信という重要な意味合いが

あったのではないかと思う。

睡眠至上主義が、世界に冠たる、

あの妖怪マンガを産み出したのだと思うと、かなり面白い。

 

そう言えば義母も1日10時間くらいは寝ている。

異世界との交信によって、

自由自在にざしきわらしを呼びよせられるのか?

だとすれば認知症、おそるべし。

またネタをいただいて、なんかお話書こうかな。

 


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食卓のマナーと認知症

 

食事の時、よく義母とカミさんがケンカになる。

原因はほとんどの場合、義母のマナーだ。

「いただきます」をする前からパクパクつまみ食いをする。

さらに舐りばし、迷いばし、

また、箸を持ったまま人を指す。

 

これらをやると「やめなさい!」と、

カミさんがカッカする。

怒られるのがわかっているので、

本人は一応「わかりました」というふりをするが、

こちらがちょっとスキを見せると、すぐまたやってしまう。

 

むかしはこうした親子の関係は真逆で、

義母が娘であるカミさんの食事のマナーを

厳しくしつけていたはずだ。

人生大逆流。

 

違うのは、子どものマナーを叱る場合は、

他人と気持ちよく暮らせるように、

また、自分という人間の品位を保てるようにという

正当性と将来への思いやりがあるのだが、

認知症患者の場合は、それがまったくないこと、

意味をなさないことである。

 

何と言っても、いったんおとなになってしまっているので、

それなりに人生の蓄積とプライドがあるため、

苦情を言われれば表面上はやめるが、

心の底では素直に従うつもりがない。

それで娘(カミさん)のほうは

ますますカッカしてガミガミいう。

 

諍いが起こるとめしがまずくなるし、

どっちもへそを曲げるとかなり厄介なので、

まぁまぁとそれぞれのご機嫌を取って

平和を維持するのが大変だ。

 

たびたび書いているが、認知症患者である義母の

言動を観察していると、どういう部分が

人間の生まれ持っての本質的なところなのか。

どのへんが後天的に身につける

社会人としてのパートなのか、よくわかる。

認知症患者との生活に未来に繋がる何かを見出すとすれば、

こうした人間研究の分野だろうか。

 

ただ、「超高齢社会では高齢者の5人に一人が認知症」と

言われるようになってから、

どんどん認知症への理解度と

認知症患者を取り巻く状況は変わってきており、

社会参加とか、認知症患者の未来などについても

積極的に語られるようになっている。

ひと昔まえの「ボケ」とか「痴呆症」とかの一言で

片付けられていた時代とは雲泥の差がある。

 

家族がなるか、自分がなるか、多くの人にとって

自分ごとになる可能性を持つ問題でもあるので、

いろいろ勉強していこうと思っている。

 

 

生活体験に基づく

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認知症患者に安心とハピネスを

 

ふと気が付くと、義母が部屋でお友だちと話している。

「つるの恩返し」ではないけど、

へたに覗かないほうがいいと思うので、

知らんふりをしているが、

相手はおそらく人形やぬいぐるみだろう。

正確なところはよくわからない。

 

お化けかも知れないが、

オバQとか、キャスパーとか、

怖くない、面白いやつならOK。

 

知らない人が客観的に見たら気味悪いと思うだろうが、

社会活動・生産活動と同時に、

こうしたこともまた人間の本質的な精神活動の一面である。

小さい子どもと同じだ。

 

僕がむかしやっていた&よく見た演劇の世界では、

幻想や妄想に駆られた変な人たちが舞台狭しと活躍し、

泣いたり笑ったり冒険したりしていた。

いわば、けっこう慣れ親しんだ世界・在り方なので、

そんなに驚いたりも引いたりもしない。

こんなところで演劇経験が役立つとは思ってもみなかった。

 

外に出ると義母は季節の歌を歌って歩く。

ここのところ、口ずさむのは

「花(春のうららの隅田川)」「おぼろ月夜」「春の小川」

「茶摘み(夏も近づく八八夜)」など。

陽気に歌いながら、

見知らぬ人たちにも挨拶したり、なれなれしく話しかける。

 

たぶん、ビジネス街とか、都会のど真ん中で

こんな人がいたら、怪訝な顔をされたり、

ドン引きされたりするのは必至。

 

しかし、川沿いの散歩道を行く人の多くは、

花や鳥を愛でながら割と心がゆるんでて、おおらかなので、

この人変だなと思っても大目に見てくれる。

挨拶にも返してくれたり、

適当に話を合わせてくれたりもする。

 

中でも外でも、不安に駆られるとおかしくなるのは、

健常者も認知症患者も同じ。

認知症でも安心できてハッピーでいられる環境は

ありがたいと思う。

 

 

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二度と洋食屋には連れていくべからず

 

昨日は久しぶりに義母を美容院に連れて行った。

いつもカミさんが連れていくという行きつけのところ。

ここのおばちゃん、腕は大したことないが、

高齢者の扱いはうまく、

髪もきれいになってすっかり気分がよくなった。

 

問題はその後。

お昼を外食にしたが、

たまにはいいかと洋食専門のカフェへ。

オムライスならよかろうと思って注文したところ、

上にのっていたデミグラソースがお気に召さず、

せっかくご機嫌だったのが、めっちゃ不機嫌に。

あんまり洋食は好きではないのだが、

家では素直に食べるのでつい油断してしまったのだ。

 

この人はへそを曲げるとけっこうガンコで、

いつもなら喜んで食べるデザートにも

「いらない!」と手をつけない。

 

しかたなく、そそくさとカネを払って外に。

二度と洋食屋には連れていくべからず。

痛い教訓を得た。

 

しかし出たとたん、デミグラオムライスの記憶を忘れ、

それまでの不機嫌だった記憶を忘れて、

なぜか美容院から出てきたときの笑顔に戻っている。

こういう時、認知症は便利でありがたい?

帰った後、いつもの安い菓子パンをあげたら大喜び。

 

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認知症の義母をお世話する日々を面白かしく綴ったエッセイ集。

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認知症 花のアートワーク

外に出て人や自然と触れ合う方が薬を飲むより効果的。

というのは、べつに医学的根拠があるわけでなく、

僕の思い込みで、ほとんど宗教行為に近い。

実際、医者も最初の1年ほどを過ぎると、

薬はほとんど効果なく、単なる気休めだという。

 

子ども、犬、鳥、花・・・

いろいろリアルな情景がある。

ただ、たんに「この世界は美しい」

と感じてもらいたくて、

いつも義母を散歩に連れ出している。

 

今日はお花見日和。

川添いのソメイヨシノは三分咲きくらいのから

八分咲きくらいまで、木によってまちまちだが、

さすがに人出が多く賑やかだった。

心なしか、コロナ前よりお花見マナーが良くなった感じ。

みんなとても幸福そうだ。

 

桜はもちろんだが、他にも小さい目立たない草花から

大きな派手なのまでいろいろな花が咲いて、

まさしく春本番。

ピンクの椿の花も丸くてかわいい。

 

義母が落ちていたのをお持ち帰りするというので、

「それはここにあるからきれいなんだよ」というと、

橋のたもとにある少年像の掌の上に、

椿の花を持たせてあげた。

 

ちょっと感心して、

「どうして持たせてあげたの?」と訊くと、

「知らない。ただこうしたかったのよ」と、

大芸術家的リアクション。

理由などない。

ただ私の魂がこう動いたのだ、と言わんばかり。

 

でも後で写真を見せたら、

「なにこれ? 誰がこんなことしたの?」だと。

今日はいつになくいっぱい歩きました。

お疲れさま。

 

おりべまこと電子書籍

エッセイ集:認知症介護

 

認知症のおかあさんといっしょ

amazonkinleより好評発売中。¥500


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認知症への理解を深めるイベントと、蛭子能収さんの話、 そして「with弱者」の社会の実現について

 

昨日(2月12日)、

認知症への理解を深めてもらおうというイベントが

東京・世田谷区で開かれた。

そこで認知症を公表した漫画家の蛭子能収さんが

「仕事を続けているのが自分らしさだ」と

みずからの体験を語った。

 

この催しは、世田谷区が認知症に対して

深い関心を持てる地域の実現を目指そうと開いたもの。

そのなかのトークショーに

3年前に認知症を公表した漫画家の

蛭子能収さんが登壇した。

 

蛭子さんは直近のことを覚えられないといった

症状がありながら、

家族や周囲の支えを受けて仕事を続けている。

その成果とも言えるエッセイ

「おぼえていても、いなくても」は、

めっちゃ面白い本である。

 

また、その内容とは別に、

どうやって家族や周囲がサポートしているのか、

とても興味深い本になっている。

 

蛭子さんは今回の講演で生きがいについて聞かれると

「何か得意なことを見つけることが大切です。

私は認知症になってもイラストの仕事もテレビの仕事も

受けているのが自分らしさで、ずっと生きてやるぞ、

という思いでいます」と話したという。

 

認知症の症状は人それぞれだし、蛭子さんは有名人なので、

「皆さんも彼のようにポジティブに行きましょう」とは

一概には言えない。

それでも希望を与えてくれることは確かだ。

とは言え、

本人と家族だけがどれだけ頑張ったって限界がある。

そのためには社会の理解がぜひ必要になってくるのだ。

 

うちの義母はべつに公表はしていないし、

親しい人やケアしてくれる人以外に

「認知症なので・・・」と、わざわざ説明しないが、

これだけ認知症というものが一般的に認知されてくると、

わかる人にはそれとわかるようだ。

明るく振舞っているせいもあり、

べつにそれであからさまに蔑視されるようなことはない。

 

それどころか「じつは認知症で・・・」と、

こっそり打ち明けたりすると、

「あ~、やっぱりぃ。うちの親もそうなんですよぉ~」

とか言って笑う人もいる。

 

少なくとも、かつて「ボケ」とか「痴呆症」とか

呼ばれていた頃の

ネガティブなイメージは確実に弱まっていると感じる。

困ったことになるのは変わりないが、

かと言って、この世の終わり、人生終わり、

みたいな絶望感は抱く必要はないのでは、と思う。

 

「withナンチャラ」とは最近、よく聞く言葉だが、

近々、「with認知症」の時代になる可能性は高い。

認知症なんかになったら

すべてを諦めなければならなかった昭和の頃と比べて、

今はこうした病気や障がいを持った社会的弱者も

共に楽しく生きられる可能性が出てきている。

 

貧しかった時代は、生産性のない人たち、

もっと言ってしまうと社会の役に立たない人たちは、

打ち捨てられるしかなかった。

けれども今はそうではないのだ。

そうした人たちの価値も認めていっしょに生きる――

それが豊かな社会、先進国家の証である。

 

社会の進化、豊かな社会とは、

大勢の人が金持ちになって贅沢するために

実現したのではなく、

このために成し遂げられたものなのだ。

 

いつもSNSなどで一生懸命になって、

自分のサクセスストーリーを自慢している人、

私は年収○千万です、

○億円ですとか発信している人たちは、

ぜひこうした方面に目を向けて、

「with弱者」の社会の実現に努めてほしい。

 

おりべまこと電子書籍:

認知症介護エッセイ

「認知症のおかあさんといっしょ」

https://www.amazon.co.jp/dp/B0BR8B8NXF

できれば笑って楽しく向き合いたい。家族でも自分でも、認知症を過度に恐れ、人生に受け入れ難いと言う、すべての人に読んでほしい本です。

 


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電子書籍「認知症のおかあさんといっしょ」 無料キャンペーン実施中

 

1月31日(火)16:59まで実施中

 

義母の介護の日々を綴った面白エッセイ。

認知症を知り、認知症から人生を考え、人間を学ぶ。

日本認知症学会 認知症専門医・指導医である久米一誠氏の貴重な講演録を通して、日本における認知症全体のあらましについても解説しています。

 

 

厚生労働省の発表では、

2025年には65才以上の5人に1人、

予備軍もふくめれば3人に1人が

認知症になると言われています。

 

認知症の人は子どもではありませんが、

子どもに見られる人間の元の部分と、

数十年間、この社会で大人として生きて身に着けた習性と、

複雑怪奇な感情とが絡み合ったものを、

むき出しにして表現する人たちです。

 

僕たちはそんな人たちと向き合わなくてはなりません。

それはまた、これまではスルーしていた

人間の根源的な在り方と向き合うことを

意味しているのではないかと思います。

 

けれども、泣いたり、怒ったり、嘆いたり、

暗い深刻な顔をしたりじゃなくて、

できれば笑って楽しく向き合いたい。

家族でも自分でも、認知症を過度に恐れ、

人生に受け入れ難いと言う、

すべての人に読んでほしい本です。

 

無料アプリを入れればスマホでも読めますよ。

 


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電子書籍「認知症のおかあさんといっしょ」無料キャンペーン 月末まで

 

義母上は本日はデイサービスの日。

土曜日は大のお気に入りの

昭和系2枚目のお兄さんがお迎えに来るので、

寒くても必ずパキッと目をさまし、したくもスムーズ。

ルンルン気分で出かけて行く。

こちらも夕方5時半まで羽を伸ばせてルンルン。

 

本日より「認知症のおかあさんといっしょ」

4日間無料キャンペーン実施。

1月28日(土)17:00~31日(火)16:59

ぜひご購入、読後のレビューをお願いします。

 

お求めはこちら:

https://www.amazon.co.jp/dp/B0BR8B8NXF

 

●PC・スマホ・タブレットで読める:Kindle無料アプリ

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認知症のおかあさんといっしょ キャンペーン予告

 

お誕生日にプレゼントしたネコちゃんを

気に入ってくれた。

ここんところ、いつもニャーニャーお話している。

いつの間にか鏡台の上にはお友だちが増えた。

 

「認知症のおかあさんといっしょ」

4日間無料キャンペーンやります。

1月28日(土)17:00~31日(火)16:59

どうぞよろしく。

 


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誕生日のドラえもんとウサギ

 

義母の誕生日。

88歳の米寿である。

「おめでとう」の祝辞にも

「え、誰のお誕生日なの?」

認知症は、主観的には齢を取ることはない。

本人の意識の上では不老不死である。

 

さて、誕生日と言えばケーキ。

この人はジャムパン、クリームパン、

あるいは100円で買える甘食とかロールケーキとか、

普通、洋菓子とは呼べないお安い菓子パン系は大好物だが、

ちょっとハイクラスのケーキなどは

いまいちお好きではない。

 

最近、その傾向がますます強くなっており、

日本人として原点回帰しているのでは?と思わせる。

 

そんなわけで先日のパステルのプリンケーキは、

三日かけて、カミさんと僕とで食ってしまったのだが、

今日は、それならということで、

好物のどら焼きを食わしちゃろうということで、

阿佐ヶ谷の「うさぎや」へ行く。

 

阿佐ヶ谷北口の狭い路地にあるうさぎやは

古い木づくりの和菓子屋で、

レトロムードたっぷり。

阿佐ヶ谷にお店を開いたのは昭和32年というから、

僕が生まれる前のこと。

日本橋と上野にも同じ店があるが、

のれん分けというわけでなく、親族が経営しているらしい。

 

売っている和菓子はどら焼きをはじめとして、

すべて職人さんの手作り。

いつも行列ができているので、午前中に行ったが、

それでも十分待ち。

店内には大勢お客がいて、

販売の女性たちもちゃきちゃきしていて、

なんだか昭和に還ったような、あったかい気分になる。

味はもちろんだが、

こうした店の雰囲気も人気の秘密なのだろう。

 

浅草・亀十のどら焼きもそうだが、

いわゆる名物となるどら焼きの共通点として、

皮にもアンコにもくどさがまったくなく、

けっこう軽く食べられてしまうこと。

インタビュー記事を読むと、

食べ終わった時に

「もう1つ食べたいと思える余韻がある甘さ」

にしているそうで、そのレシピをずっと守っているという。

 

甘さを抑えている分、

日持ちしない(消費期限三日)のだが、

これならほとんどドラえもんのように

何個でもパクパク食べられてしまう。

もっとたくさん買っておいてもよかった。

 

ウサギまんじゅうが可愛くて、

ウサギ年なので縁起がいいかなと

これも買ってみた。

目と耳は寒天とあんこを混ぜた羊羹で書いており、

手作りなので1つ1つ顔が違う。

ついでに大きな小豆がたっぷり入ったお赤飯も買った。

 

プレゼントもあげて、好物のおでん、お赤飯、

そしてどら焼きでお祝い。

プレゼントには、ネコの小さなぬいぐるみと

ティッシュ入れをあげたのだが、

本人はさっぱりわかっていない。

 

ほとんどカミさんと僕の自己満足の世界になっているが、

まぁ、それでもよし。

明日もどら焼きとウサギまんじゅう食べるよ。

 

認知症のおかあさんといっしょおりべまこと ¥500

 

義母の介護の日々を綴った、面白エッセイ。認知症を知り、認知症から人生を考え、人間を学ぶ。

日本認知症学会 認知症専門医・指導医である久米一誠氏の貴重な講演録を通して、日本における認知症全体のあらましについても解説しています。

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サスペンスフルな認知症映画「ファーザー」

 

一昨年公開されたアンソニー・ホプキンス主演の

映画「ファーザー」は、認知症患者の視点で描かれている。

観客を混乱に陥れるような

ミステリアスでサスペンスフルな展開。

しかしその実、認知症患者と介護の現実を突きつける

ドキュメンタリータッチの映画でもある。

 

もともとは舞台劇で、舞台はロンドン。

派手なシーン展開は一切なく、

ドラマはほとんど家の中で進む。

それでも1時間半、画面から目が離せない。

目の前で何が起っていくのか、

ひとつひとつを固唾を飲んで見守らざるを得なくなる。

 

無駄なものを一切そぎ落としたシャープな演出と構成。

そして何よりもアンソニー・ホプキンスの圧倒的な演技力。

嘘っぽさがみじんもないリアルの極致。

こんなふうに認知症患者を演じられる役者が他にいるのか。

 

そして、その行く先は、やはり辛くて悲しい。

広告では「感動」と謳っているが、

いや、多くの人はそれよりも

言いようのない不安と怖さに晒されるのではないか。

そういう映画だと思う。

 

けれども認知症が蔓延していくこれからの社会、

現実と向き合いたくない人、逃げ出したい人も、

せめてこの映画で認知症のことを知ってほしい。

 

2021年アカデミー賞・主演男優賞と脚本賞。

現在、アマゾンプライム見放題で視聴可能。

 

 

認知症について学ぶ。

認知症から学ぶ。

認知症介護の日々を綴った

おりべまことの面白エッセイ集。

専門医の解説も併載。

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正月明けて今日は義母から解放日

 

年末年始、デイサービスが休みだったので

義母に付きまとわれて往生こいた。

今日は1週間ぶりにあちらへおでかけ。

デイサービスのヘルパーさんが本当にありがたい。

おかげでやっといつものペースに戻れた。

頭はボケてるけど、風邪一つ引かない

元気な(もうすぐ)88歳。

健康なのはありがたいけど、

1週間ベタはつらいよ。

でも、コロナが始まった時は

1カ月ずっと家にいたはず。

どうやってしのいでいたんだろう?

今となってはさっぱり思い出せない。

自分の本を読んで思い出す。あ~、なるへそ。

 

認知症介護エッセイ集「認知症のおかあさんといっしょ」

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本日発売「認知症のおかあさんといっしょ」

おりべまこと電子書籍・新刊

「認知症のおかあさんといっしょ」

https://www.amazon.co.jp/dp/B0BR8B8NXF ¥500

 

「いいの、手なんか握って?」

「だって手をつながないと危ないよ」

「いいの本当に? 奥さんはいらっしゃるの?」

「はい、いますけど(あなたの娘ですよ)」

「わあ、どうしよう? 奥さん、怒らないかしら?」

「だいじょうぶです。公認ですから」

「わあ、うれしい。こうしたこと一生忘れないわ」

「喜んでもらえて何よりです」

そんな対話から始まった義母の介護の日々を綴った

面白エッセイ。

認知症を知り、認知症から人生を考え、人間を学ぶ。

日本認知症学会 認知症専門医・指導医である久米一誠氏の貴重な講演録を通して、日本における認知症全体のあらましについても解説しています。

 

厚生労働省の発表では、

2025年には65才以上の5人に1人、

予備軍もふくめれば3人に1人が認知症になる

と言われています。

親が子どもである自分の顔を忘れてしまったとか、

まともに生活できなくなってしまったとか、

そんなことを悩み悲しんでいるヒマはありません。

また、世間体を慮って隠しているわけにもいきません。これからはwith認知症の時代。

こんな言い方はよくありませんが、

ヘンな人たち、困った人たち、

ちょっと頭のおかしな人たちが

巷にあふれる時代になるのです。

 

ただし、それは

「一般の社会人の基準から見れば」ということ。

まだ一般の社会人の基準に達していなかった

子どもの頃、僕たちもこうしたヘンな人、

困った人、ちょっと頭のおかしな人たちでした。

ただ、子供だから許されていただけなのです。

 

認知症の人は子どもではありませんが、

子どもに見られる人間の元の部分と、

数十年間、この社会で大人として生きて

身に着けた習性と、

複雑怪奇な感情とが絡み合ったものを、

むき出しにして表現する人たちです。

僕たちはそんな人たちと向き合わなくてはなりません。

 

それはまた、これまではスルーしていた

人間の根源的な在り方と向き合うことを

意味しているのではないかと思います。

けれども、泣いたり、怒ったり、嘆いたり、

暗い深刻な顔をしたりじゃなくて、

できれば笑って楽しく向き合いたい。

家族でも自分でも、認知症を過度に恐れ、

人生に受け入れ難いと言う、

すべての人に読んでほしい本です。

 

もくじ

●おててつないで神だのみのお散歩

●未知のスポーツに対するリアクション

●いちばん自分らしく生きていた時間の記憶が残る

●認知症の人の価値はどうやって見つけるか?

●オバQそっくり

●ボロ市と天使

●義母のカエルコール

●認知症に学ぶ変化への対応と人間の根っこ

●人間の魂の純粋性の回復について

●コロナにも怯えず“いま”だけで生きる

●リスクもマスクもなき高齢者

●社会的弱者はステイホーム週間をサバイバルできるのか?

●夏休みバンスキング

●夏の魔法のネコ時間

●義母とざしきわらし

●女のダークサイド

●幸せの歌と認知症の女

●ハロウィーンプレゼントのぬいぐるみだワン

●ばんめし時間と秋の夜長

●認知症と終活の時代がすぐそこに

●認知症専門医と終末期医療を語る。~終活×終末期医療~

●エイジトラベルと幻の息子

●「恐怖!かえる女」はプリンセス

●春だけど自分にいいこと何かやってる?

●昭和のバナナ預金

●無敵の認知症:ワクチン接種のことなんてもう忘れた

●認知症のおかあさんといっしょ

●まぼろしの家へカエル病

●認知症の症状は命の芸術表現

●散歩中の犬と演じるシュールな野外劇についての断章

●義母とざしきわらしとちっちゃいおじさん

●新春特別カエルトリップ:椎名町・金剛院

●義母の復活と蛭子能収さんの本のこと

●おたく、家族を虐待していませんか?

●女の諍いにピースサイン

●腹がへった義母のパン侵略

●親より先に死んではいけません

●笑って認知症と向き合いたい

全38編収録

 


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ありがとう&ごめんなさい

 

「ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力1・2」無料キャンペーン、
好評のうちに終了しました。
ご購入いただいた皆さん、ありがとうございます。
ぜひレビューをお寄せください。
新刊エッセイ集「認知症のおかあさんといっしょ」
本日発売の予定でしたが、最終調整中につき、
29日(木)に延期しました。
もうちょっとだけ待っててね。

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最新刊「認知症のおかあさんといっしょ」発売告知

 

おりべまこと電子書籍新刊

「認知症のおかあさんといっしょ」

義母の介護の日々を楽しく綴った面白エッセイ。

認知症を知り、認知症から人生を、人間を学ぶ。

認知症とはどんな病気なのか、

その概要がわかる専門医の講演録も同時収録。

12月26日(月)発売予定。お楽しみに。

 


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ちっちゃいおじさんは、なぜ七五三の時に 杉並のパワースポットに出没するのか?

 

うちの近所にある杉並のパワースポット・大宮八幡宮で、

ちっちゃいおじさんの出没情報が

多数報告されるようになったのは、

10年ちょっと前、2010年あたりからだ。

 

ちょうどリーマンショックの後遺症の時期だったので、

失業し失踪したお父さんたちの魂が

神宮の杜を彷徨っているのでばないか――

と、まことしやかな噂を耳にした。

 

仮説として面白い。

僕もリーマンショックの打撃を負った一人だったので、

その仮説をもとにラジオドラマのシナリオを書いた。

その話をノベライズしたのが、

現在、電子書籍kindleで出している

「ちち、ちぢむ」という少年少女小説である。

 

http://www.amazon.com/dp/B09WNC76JP

 

今日、義母を連れて久しぶりに大宮八幡まで散歩に行ったら、

初詣に備えてなのか、賽銭箱が新調されていた。

それに七五三の季節なので、

ちびっ子がうじゃうじゃいる。

 

そんな状況のなかで、

なんだかちっちゃいおじさんの匂いがプンプンしてきた。

 

そうなのだ。ちっちゃいおじさんは七五三が好きなのだ。

目撃情報も七五三の頃になると跳ね上がる。

 

理由は二つあって、

一つは綺麗な着物を着た子供たちがたくさん来るので、

ちっちゃいおじさんの魂が萌えて、つい人前に現れるから。。

もう一つは、おとなはそんなものいないと思っているから

見えることはないが、

無垢な心の子どもの目には見えてしまうから。

 

奇しくも同神宮のティーサロン

「清涼殿」に入ってお茶したら、

殿内にあるPR映像用の画面に

「いきなり都市伝説」の関暁夫氏が出ていて、

ちっちゃいおじさんについて、例の調子で語っていた。

大宮八幡宮、このタイミングでこんなビデオを流すとは、

なかなか抜け目ない。

寺社にもマーケティング能力が

必要とされる時代であることを実感する。

 

心が世俗の手垢にまみれている僕は、

当然のごとく、ちっちゃいおじさんには会えなかったが、

帰り道、義母に問われた。

 

「あれ、いっしょにいた、あのちっちゃい子たち、

どうしちゃったの?」

 

認知症で聖なる子どもに還っている義母には、

七五三の子どもらに混じって、

彼らの姿が見えていたのだろうか?

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

この話、信じるか信じないかは、あなた次第です。

 


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次回新刊は 「認知症のおかあさんといっしょ」

 

おりべまこと電子書籍ハロウィーンスペシャル

無料キャンペーン、好評のうちに終了しました。

ありがとうございました。

次回新刊は、認知症介護エッセイ集

「認知症のおかあさんといっしょ」。

ちょっと予定から遅れており、

11月中~下旬の発売予定です。

楽しみにされていた方、ごめんなさい。

いましばらくお待ちください。

 


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秋、義母の食欲マシマシ

 

食欲の秋である。

最近、義母が目に見えて太ってきた。

それもそのはず。

ここひと月ほど、盗み食いがひどく、

夜中とか朝方とか食後さえも、

僕らが見てないとわかると

いつもガサゴソ食品を入れる棚を漁っている。

 

現場を捕まえて、

子どもみたいに叱ったとこで効き目はない。

認知症なので、

そもそも食べたことすら忘れてしまってるし。

 

なので見て見ぬふりをして何か仕込んでおく。

以前はキャラメルとかアメとかを入れておけば、

それで満足したのだが、

ちゃんと三食食べててもお腹が減るのか、

精神的に寂しくなるのか(一種のストレス)、

やたら掻き回して朝食用のパンとかバナナを

盗んでいく。

 

しょうがないので対応策として

菓子パンなどを入れておくと、

ほぼ毎日たいらげている。

 

甘いものばっかじゃよくないなと思って、

涼しくなったので、ときどき、

チクワや魚肉ソーセージなどを入れておくと、

やっぱりそれも平らげている。

 

母は食べられなくなって

結局、半分くらいの身体になって亡くなったが、

この調子だと義母はまだまだ大丈夫そうだ。

 

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明日10月10日(月)16:59まで

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面白かったらレビュー書いてね。


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腹が減った義母のパン侵略

 

朝食のとき、

買っておいたロールパンの袋をあけようとすると、

すでに封が解かれ、

5個入りだったものが2個に減っている。

盗み食いの犯人はもちろん知っている。

認知症だろうが何だろうが、もちろん腹は減るのだから。

 

誤解されると困るので言っておくと、

ちゃんと三食モリモリ食べている。

それだけじゃなく3時のおやつもしっかり食べる。

それでも夜中に空腹を感じて起き出すことが

しばしばある。

 

そこでわが家では、

昼夜問わずおやつをほしがる義母のために

4段ある木製フードラックの一番上引き出しには、

好物のキャラメルやアメなど、

なるべく一口で食べられ、カスをボロボロこぼして

部屋を汚さないようなお菓子を仕込んである。

 

ちなみにキャラメルは昔ながらの

黄色いパッケージの森永ミルクキャラメル。

他のもあげるときはあるが、

子どもの頃からの刷り込みは強烈で、

あの黄色いキャラメルが最高においしいと信じている。

たぶん、実際にそう感じるのだろう。

メーカーもそれを知っていて、作り続けているし、

スーパーなどもちゃんと定位置に置いている。

 

子どもじゃないし、この齢の人に

体にいい・悪いといった理由でガミガミ言って

お菓子を禁じるのは、

ストレスを与えるだけだろうと思って容認してきた。

夜中にネズミみたいにごそごそ探る音にも

聴こえないフリをしてきた。

 

そんなわけでしばらくうまくやっていたのだが、

この引き出しに入っているものは取っても大丈夫、

怒られなくて安全と認知すると、

だんだんお菓子以外にも手を伸ばすようになってきた。

 

さすがに野菜や乾物などには手を出さないが、

パンやバナナ、ビスケットなどは好物なので

夜中にこっそり食べているようである。

 

それでもちょっと前までは気が咎めるのか、

封を切っていないものには手を出さなかった。

ところが、ここ最近は大胆に侵略するように

なってきたのだ。

 

丸っこいロールパンは味も見た目も愛おしく、

ついがまんできなくなるようである。

今朝のはスーパーで一袋98円の代物。

高級パンを買った時は冷蔵庫にしまっておこう。

 

まだ冷蔵庫のなかを漁るようなことはしていないが、

いずれこちらにも侵略行為が及ぶかもしれない。

 

やはり食べることこそ行動原理。

人間の(というか生き物の)すべてのアクションの源。

母は食べられなくなって亡くなったが、

こちらの義母はまだまだ元気である。

 

 

エッセイ集:食べる②

あなたもごはんでできている

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好評発売中! ¥300


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自分の未来、世界の未来、子どもの未来を大切にして生きよう

 

時間は未来から現在、そして過去へ流れる。

 

そんなわけないだろうと思うが、

自分の最終形をイメージし、そう考えて生きる方が

これからは良いのではないかと思う。

 

人間の不幸の最大の原因は

「比べてしまうこと」である。

 

他者と比べておれは・・・とやると、

自分のことを客観的に見られるというメリットはあるものの、

自分を見失ってしまうデメリットはその何倍も大きい。

 

それよりもさらに悪いのは、

過去の自分とくらべてしまうことだ。

 

とくに若い頃、いろいろ活躍して

周りにチヤホヤされた中高年は、これをやりがちである。

 

昔の輝いていた自分のイメージが忘れられなくて、

「むかしはよかった」

「もうトシだ」と呟いていると、

その自分の吐く言葉で、

どんどん脳細胞が破壊されていく。

そして、いつの間にか脳が大きなダメージを受けている。

そうなると人生に希望は残らない。

 

その点はうちの義母には見習うべき点がある。

なにせ過去の記憶をすっかり失ってしまっているので、

「昔の自分は・・・」なんて比べようがない。

 

いつでもどこでも“今”が新鮮であり、

“今”が最高で生きている。

認知症も悪いことばかりではない。

 

時間は未来から現在、そして過去へ流れる。

 

そう考えるのはごまかしでもなんでもなく、

たとえ病気になっても、

たとえ頭や体が動かなくなったと感じても、

人生を良き方向に向かわせるための貴重な思考法である。

 

あなたの最終形は何だろうか?

最後の夢、究極の人生の目的は何だろうか?

それを考えるのは、何歳からでも遅くはない。

それを設定できれば、

“今”は過去の結果、過去のなれの果てではなく、

未来へ向かうための一行程、

成長の一段階に変わる。

 

そして、その夢、その目的に不要な情報は

切り捨てていい。

人生は短いのだ。

僕たちは世の中の総ての情報を知ることはできない。

重要でないものには目を瞑っていい。

自分の未来を大切にして生きよう。

そして、世界の未来、子どもの未来を大切にして生きよう。

 

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最終!5月6日(金)16:59まで

 

●「人間を大事にしています」ってどういうこと?

 ●慢性硬膜下血腫で頭の手術の顛末記

●百年ライフの条件と自分ストーリー

●酒タバコやめて100まで生きたバカ3

ほか全38編のエッセイ集


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女の諍いにピースサイン

 

気が弱いので、オンナ同士の諍いは大の苦手である。

それを避けるためなら(死ねと言われるには嫌だけど)、

たいてい何でもする。

 

カミさんと義母と3人で暮らすようになって

間もなく3年。

この二人は時々ぶつかる。

 

他の生物の世界では、

自分の遺伝子と酷似する他の個体、

つまり子どもが大人になって巣立ったら、

親子が同じ場所で暮らすことは少ないが、

人間は別。

 

特に日本人は「家族・親子は仲が良くて当然」

みたいな幻想にいまだに囚われているので、

いろいろやっかいだ。

 

義母は昭和10(1935)年生まれだが、

このあたりの戦前・戦中に生まれ育った人たちは

当時の男尊女卑思想が体に染みついている。

これは認知症になろうが変わらない。

 

したがって義母は男=僕には優しいし気を遣うが、

女=娘であるカミさんには上から目線で

けっこう厳しい言動をとる。

カミさんもムカッとしてやり返すから

ときどき険悪なムードになる。

 

それを察すると、僕は仕事の途中だろうが何だろうが、

さっとニコニコ仮面をかぶって

「ありゃありゃ、どうしたの~」と

とりなしに入る。

 

時として非常に疲れる。

そして、これはいつか昔に経験したことだと悟る。

 

そうだ、遺伝子は違うが、

母と祖母(父の母)も同じだった。

 

もちろん子どもの頃の話である。

 

母はヒステリックにばあさんへの愚痴をこぼすし、

ばあさんはばあさんで、悪口とまでは言わないけど、

母への不満をこぼす。

そして「お母さんには内緒だよ」と耳打ちして

そっと僕におやつとか小遣いとかを渡す。

愛情でもあるが、味方になれよという賄賂でもある。

 

断れるはずがないのでもらっちゃって

内心ニンマリしちゃうんだけど、

母の顔を見ると罪悪感に苛まれる。

妻に不倫がバレないよう隠している夫のような心境だ。

 

妹はあまりそういうことがなかったらしいので、

これはやっぱり自分が男だからなんだろうなーと思う。

 

その母は今、施設に入っていて、

今日電話したら、にこやかに

「元気だよ」「心配いらないよ」

「ごはんもちゃんと食べてるよ」としか言わない。

 

スタッフの人からあんまり調子よくないと聞いて

知ってるけど、

「いやいや、そうじゃないでしょ」とは言えないので、

笑って聴いている。

いろいろな感情が湧き出る。

 

身内に限らず、できれば、すべからく女性には

いつも、いつまでも幸福であってほしいと願う。

願っているだけで何もできない男だが。

 


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「コミュニティふらっと」に阿波踊り見参

 

4月からすぐ近所に

「コミュニティふらっと成田」という施設がオープン。

今日はそのオープニングイベントだった。

 

いわゆる地域集会所なので、

ヨガや体操の体験教室や親子リトミック、

障がいのある音楽家のコンサートなどが開かれる中、

目玉は杉並名物・高円寺阿波踊りの公演。

菊水連の面々が、小さなホテルのロビー程度のスペースで

見事な踊りを見せた。

義母も大喜びでノリノリだった。

 

散歩コースの途中にあるので、

オープン前から中を覗いて顔を売っていたので、

スタッフの人は気やすく声をかけてくれる。

向こうはよく知っているが、

義母のほうは誰だかわからない。

しかし、そこをうまく合わせて

「お友だち会話」を成立させてしまうのが、

彼女のすごいところ。

 

後からこっそり

「すみません。認知症なんで、

じつは全然おぼえてないんです」

「ああ、うちの母もそんな感じです」というお返事。

正直、なんだかちょっとホッとする。

 

いずれにしても近所にこんなきれいな施設が出来たので、

ふらっと寄って休憩所として利用できそうだ。

 


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おたく、家族を虐待していませんか?

 

「おたく、家族を虐待していませんか?」

 

といって誰か訪ねて来るんじゃないかとドキドキしていた。

というのは1週間前、例によって義母が

朝っぱらからカエル病を発症し、

「家に帰りますから!」と言って駄々をこねたのである。

 

ちょうど僕が留守で、カミさんが一人で対応。

玄関のところでドタバタやっているところへ

郵便屋さんが書留を持って来たらしい。

 

そしたら義母が

「あたし家に帰ります、帰りたいんですよ」と、

その郵便屋さんに向かって必死で訴えた。

 

彼は仕事が済むと、苦笑いを浮かべてそそくさと帰り、

カミさんはなんとかなだめて義母を部屋の中に止めた。

(そのあたりで僕が帰って来た)

 

その話を聞いて、こりゃ意識の高い人だったら、

年寄りの虐待を疑って通報するかもな、と思った。

まぁもう1週間以上経って何事もないので、

あの郵便屋さんはシカトしたのだろう。

 

社会的にはどうなんだろう?

放っておくほうがいいのか、

それとも念のために

「あの家、虐待ヤバイかも、ですよ」と

こっそり通報しておいた方がいいのか?

 

認知症の人の何割かは、義母と同様、

僕たちの日常、僕たちの社会とは

ちょっとズレた(人によってはかなり外れた)時間を生き、

それぞれの世界とストーリーを持っている。

 

これから認知症の人が急増するという説もあるけど、

そうなった時、どう対処すればいいのかは難問だ。

 

おとなも楽しい少年少女小説

ざしきわらしに勇気の歌を http://www.amazon.com/dp/B08K9BRPY6

認知症になった寅平じいさんの人生最後のミッション。それは最強の妖怪「むりかべ」に立ち向かうざしきわらしのきょうだいを得意の歌で応援することだった。笑ってちょっと不思議な気持ちになる、妖怪幻想譚。 


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昭和最強のおやつベビーラーメン

 

ブログ内で昨年来、大人気の

「トノサマラーメン」の記事には

やたらとコメントが入る。

昨日来ていたのは、こんなの。

推察するに、僕よりちょっと年上の人か。

 

“私の子供時代はインスタントラーメンといえば、

トノサマラーメンだったから良く食べていた、

そして生まれ育った地元には「松田食品」という

小さなインスタントラーメンの会社があって

大きな袋にインスタントラーメンの破片?

を詰めて売っていた。

後のベビースターラーメンである。

おやつとして毎日のように食べていたな。”

 

「松田食品」とは、

あの「ベビースターラーメン」を作っている

「おやつカンパニー」。

調べてみると、本社は三重県津市にある。

 

商品として発売されたのは1959(昭和34)年。

僕が生まれる前のことだ。

その頃の商品名は「ベビーラーメン」で、

中国人の女の子みたいな初代キャラが、

どんぶり持って「へい、おまち~」

といった感じのパッケージだった。

 

もちろん僕も子どもの頃、食べていた。

とういうか、大好物でかなりのヘビーユーザーだった。

チキンラーメンみたいに麵自体に味が付いてて、

めっちゃおいしかった。

小さな袋とは言え、子どものおやつとしては

十分ボリューミーで、おなかもふくれる。

しかも10円玉1個で買えるという

最高のコストパフォーマンス!

 

友だちと、あるいはひとりで、

あのクズみたいなラーメンを

指でつまんで、あるいは手のひらに広げて、

ポリポリかじるのは至福のひと時。

まさに昭和最強のおやつだった。

 

インスタントラーメンの破片から生まれたということは

テレビ番組だか何かで聞いたことがある。

そうか、地元では最初、

大きな袋に詰めて売っていたんだね。

 

「もったない精神」から誕生した

副産物がヒット商品になり、会社の顔になり、

ついに社名もそっちに合わせて変えてしまった。

アイディアは宝なり。

あなたや僕も仕事をやってて、

「こんなもの、いらねー」と

ポイ捨てしているモノや情報の中に

磨けば光るダイヤモンドの原石が紛れているかもしれない。

 

そういえば1か月ほど前だが、

義母とスーパーに行ったら

なぜか「ベビースターラーメン」が

ズラッと陳列してあった。

パッケージは2017年に3代目キャラクターに代わっていて、

「ホシオくん」というらしい。

 

義母がこのホシオくんを見て、

目をハートにして「かわいい、ほしい」と言うので

一袋買って帰ったが、

家に着くと「なにそれ?」と言って見向きもしない。

 

店内のレイアウトで素敵なものに見えたのだろう、。

認知症だし、よくあることなので

半分以上こうなることは織り込み済み。

 

というわけで自分で食べた。

さすがに子どもの頃のような感動はもう得られないが、

ストレスが上がってきたときに、

ポリポリかじるのにはいい。

柿の種みたいにピーナッツと混ぜて、

ビールのつまみにするという人もいるようだ。

気が向いたらまた食べよう。

 


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義母の復活と 認知症になった蛭子能収さんの本のこと

 

義母のワクチン反応熱は下がり、

すっかりよくなった。

ただ、しばらく家にいて歩いていなかったせいか、

散歩に出ると、すぐに疲れたといい、息切れして

30分ぐらいが限界。

先々週まであれほどガシガシ歩き回っていたのが

嘘みたいだ。

 

1日にトータルすると3時間もお供をさせられていたので、

仕事は六に出来ないし、内心辟易していたが、

こうなってしまうと逆にちょっと心配になる。

本当に年寄りはちょっと表に出ないと

すぐ弱くなってしまうのだ。

 

「寝たきり老人は作られる」というが、その通り。

おじいちゃん、おばあちゃんに

元気で健康であってほしいなら、

大事に安全にして上げ膳・下げ膳してたら

絶対だめだと思う。

 

足のほうは少しトレーニングすればまた元に戻るだろうが、

認知症になった頭のほうは戻らない。

でも残りの人生を楽しく生きられればいいと思う。

 

そう言えば漫画家・タレントの

蛭子能収(えびす・よしかず)さんも認知症だ。

それでいながら昨年8月、

「おぼえていても、いなくても」(毎日新聞出版)

というエッセイ集を出した。

蛭子さんらしい、トボけててイカすタイトルだ。

 

新聞や雑誌に連載していたものをまとめた本で、

マンガもいっぱい載ってて楽しめる。

 

特に第1章はめっちゃ面白い。

協定の話とか、昔やったバイトの話とか、

エロ雑誌とギャンブル雑誌と

間違えて原稿を送っちゃた話とか、

読んでて思わず笑ってしまった。

 

天然おとぼけキャラクターまる出しで、

漫画と同じくヘタウマ文章になっている。

 

ところが第2章はなんとなくテイストが違う。

わざと文体を変えているとかではなく、

最初は気付かないが、読み進めていくと

なんか違うな・・・といったレベルなのだ。

 

文章自体はこっちのほうがうまくて、

ちゃんとまとまっている感がある。

けれども行間から彼のキャラがにじみ出てこなくて、

イマイチ面白くない。

蛭子さんのようで、蛭子さんではないのだ。

 

文章って不思議なものだ。

うまけりゃいいってわけじゃない。

 

推察するに、第2章では認知症が進んで、

なかなか書けなくなったため、

口述筆記でゴーストライターが

以前のテイストに似せて書いているか、

あるいは、断片的なメモっぽいものを

なじみの編集者などがうまいこと

文章にまとめているのかもしれない。

 

あまり突っ込むつもりはないし、

周囲のスタッフのフォローを

ディスるつもりはない。

 

「認知症になっても楽しく生きてる蛭子さん」は、

世の中の人に勇気と元気と安らぎを与えている。

今後のことはちょっと心配だけど、

できるところまでがんばってほしい。

いまや蛭子さんは認知症の人たちの星なのだから。

 


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油断大敵ワクチン3回目:義母、副反応熱でダウン

 

認知症以外、元気で健康だった義母が、

ここのところ体調不良。

 

1週間前の日曜日に3回目のワクチン接種をしたのだが、

当初は問題なかったものの、3日目から微熱が出始め、

ここ4日間ほどはずっと37度台。

ほとんど寝て過ごしている。

 

1回目・2回目はまったく副反応がなかったので、

今回もだいじょうぶか、と思っていた矢先だった。

 

熱に加えて朝晩、ときどきせき込むので、

もしやコロナかと思って一応、抗体検査をしてみたが

結果は陰性。ほっとした。

 

アナフィラキシーが出たカミさんの見立てでは、

弱いけど、潜在的な喘息系のアレルギー反応が出たのかも、

ということ。

 

おかげでいつもの「カエル病」が沈静化し、

「出かける」と駄々をこねなくなったため、

僕の仕事は捗るが。

 

昨日、医者に行って聞いたところでは、

3回目は割と強い副反応が出たり、

高齢者は2週間ほど熱が続く人もいるらしい。

義母のように2回目までは平気でも3回目は出た

という人も少なくないらしい。

 

打ったのはファイザー製。

モデルナを敬遠し、

ファイザーを希望する人が多いが、

モデルナのほうが量が少なくて済むようなので、

3回目はむしろモデルナのほうがいいのかも。

 

もちろん、人それぞれ反応が異なるので、

一概には言えないが、

これから接種する人は、接種日の後、

休みを取るまでしなくても、

あんまりハードワークをしたり、

仕事のスケジュールをがちがちにしないほうが

無難かもしれない。

 

というわけで、そういう僕のところにも

区役所から「赤紙」が来た。

3月なかばに行こうかなと思っている。

 


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今夜のごはんは豚のしょうが焼き

 

今日は義母が3回目のワクチン接種をした。

少なくとも今日の時点では副反応はまったくなく、

相変わらず「お母さんが病気だから家にカエル」と

ケロケロ言ってくるので、

頻繁に仕事の手を止めて散歩に同伴する。

 

「週末の懐メロ」で紹介した矢野顕子の

「ごはんができたよ」は、

とても素敵なおとなの童謡だった。

 

認知症の義母の上にも夜は来る。

夜が来ると、僕の家にも帰ってきてくれる。

今晩のご飯は豚のしょうが焼きと、

大根・厚揚げの煮物だった。

 

つらいことばかりあるなら 帰って帰っておいで

泣きたいことばかりなら 帰って帰っておいで

 

子ども時間を深呼吸しながら聴いてみよう。

 

https://www.youtube.com/watch?v=OzBjF6wPdTk


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87歳・真冬の大冒険

 

年末のテレビでは当然のように東京オリンピック2021の

振り返りをやっていて、

あの女子スケボーの「13歳、真夏の大冒険」

というアナウンスが毎日のように響いていた。

 

「冒険」という言葉は、大人にとってはポジティブな言葉だ。

冒険ができる大人はカッコいい。

したくてもできない大人がみんな冒険に憧れる。

 

もちろん小さな子どもにとってもワクワク感があって

エキサイティングに響くだろうが、

これが中高生あたりの子にとってはどうなのだろう?

 

金メダルを獲った当の彼女がどう思っているのかは知らないが、

僕が中高生だったら、「おい、子ども扱いすんなよ」と

うそぶいてしまうのではないだろうか。

 

さて、うちの義母は一昨日(1月15日)にお誕生日を迎え、

御年87歳になった。

昨年秋から体力増強著しく、

正月が終わった頃からますますヒートアップ。

デイサービスのない日は、食事と寝る時間以外、

「87歳・真冬の大冒険」にお出かけになる。

 

「家に帰るんだからひとりで大丈夫よ」というが、

認知症患者を一人で表に行かせられるわけがなく、

きょうは午前・午後2回ずつ、計4回も1時間以上の大冒険。

僕が3回、カミさんが1回付き添いして、

もうへとへとだ。

 

道行く人に誰彼かまわずご挨拶し、

手を振り、笑顔を振りまき、ご愛嬌を大サービス。

ちゃんと返してくれる人もいれば、

びっくりした顔をする人、無視する人、

リアクションはいろいろだが、

本人はこれまでのしがらみから解放されて、

ことのほか楽しそうだ。

 

はてさて、この大冒険はいつまで続くのか?

あなたの人生に金メダルあげるから、

もう少しお手柔らかにお願いしたい。

 


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新春特別カエルトリップ:椎名町・金剛院

 

義母の「カエル病」に対処すべく、

お正月スペシャルサービスとして椎名町へ。

 

昭和10年、目白の豪邸にお生まれの超お嬢様だが、

わけあってその数年後、父が破産。

4歳だか5歳だかで椎名町の貧乏長屋に落ち着いた。

 

現在も高級住宅街として知られる目白と

池袋から西武線で一つ目のこの椎名町とは

目と鼻の先だが、

当時は現在よりもさらに住環境の格差が大きかったらしい。

 

義母の記憶の奥底にある「家」のイメージが

どちらのことかはわからないが、

口から出てくる言葉は「椎名町」なので、

貧乏長屋のほうが故郷と言えそうだ。

 

電車を乗り換え、「さあ椎名町だよ」と連れて来たのだが、

本人はべつに喜ぶだけでもなく、

「へー、そうなの」という感じ。

全然わかってない。

電車に乗って遠足を楽しんだという感じ。

まあ、シナリオ通りだが。

 

ここの駅前には「長崎神社」というお宮と

「金剛院」というお寺が隣同士、並んで立っている。

古くて小さなお宮に比べ、

お寺は近年、改築・整備をしたのでとてもきれいだ。

 

しかし、今日はまだお正月。

やはりコロナリベンジなのか、

長崎神社には初詣客が長蛇の列を作っているのに比べ、

金剛院は閑散状態。

 

本来はどっちにお参りしてもいいのだが、

いつの頃からか、大みそかはお寺で除夜の鐘を突き、

元旦から3が日は神社で初もうでというのが

日本人の間で習慣化してしまった。

 

義母を連れて行列に並ぶのはまっぴらなので、

今日はお寺のほうにお参り。

 

じつはこの金剛院、

「月刊仏事」の「寺力本願(じりきほんがん)」

という連載記事の1回目で取り上げた、

僕にとってもご縁のある天台宗のお寺である。

取材をしたのは3年前だ。

 

境内には弘法大師像とともに、

「マンガ地蔵(ウィズ・ドラえもん)」や

かわいい赤い帽子の「ひとことお願い地蔵」がある。

おしゃれなカフェも併設されていて、

明るく楽しいお寺なのだ。

 

以前も紹介したことがあるが、

ここにマンガ地蔵がいるのは、

近所にかの「トキワ荘ミュージアム」があるから。

確かおととし、TOKYO2020に合わせてオープンした

(コロナのせいで少し遅れたかも知れない)が、

まだ一度も行っていない。

(たしか要予約)

ぜひ今年は単独で足を運んでみたい。

 

それにしてもシナリオどおりではあるものの、

本日の椎名町訪問はやっぱり空振り。

今年も認知症のカエル病には悩まされそうだケロ。

 

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気楽な神様に気軽にありがとう

 

義母を連れて、大宮八幡宮の茅の輪・笹の輪くぐりへ。

「今年も無事に生きてました。

ありがとうございました」とお礼。

 

たぶん大半の日本人がそうだと思うが、

僕はかなりいい加減に神様・仏様と付き合っている。

でもそれでいい。

宗教と言うのは、

あんまり熱心な信者になってはいけないと思う。

 

若い頃は願掛けばかりで功利的に付き合っていても、

日本の神様・仏様は許してくれるものだ。

それは自分勝手な人間ほど、

年を取るとともに神様・仏様のありがたさに気付くからだ。

 

日本の神様・仏様はちゃんとそれをお見通しである。

だから他の宗教みたいに厳格に教えを守らなくていい。

お気楽に拝んだり、お気軽にお願いしたりできたりする

日本の神様・仏様こそが

世界のスタンダード宗教になればいいと思う。

 

ところで初詣はともかく、神社やお寺に通うなんて、

なんか年寄り臭いと思っていたが、

年を取るとともに、

だんだん自然と足が向くようになってきた。

 

人間はやっぱり「年寄り」と呼ばれるようになるくらいまで

生きた方がいい。

「若い頃はああだった、こうだった」と

振り返るくらいまで生きないと、

人生をしっかり楽しんだことにならない。

 

「もう死にたい」と思ったことさえ、

笑い飛ばせるようにならないと、

人間をやった甲斐がない。

人生の醍醐味はアフター還暦からである。

 

それにしても神様にお礼を言ったはいいものの、

あと5日を残すのみで、仕事も終わってない、

掃除も片付けも終わってない。

本当に終わらせられるのか?

もう一度、ギリギリ大みそかにもう一度来ないとだめかも。

 


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義母のカエル病と阿佐ヶ谷のクリスマス

 

ここのところ、またもや義母の「カエル病」が再発し、

「お母さんが呼んでいる」とか、

「ちょっと家に行ってきます」とか言っては

日に何度も家出を図る。

先週は一度、夜中に出ようとしたのでかなり焦った。

 

デイサービスで筋トレをしているせいか、

やたら元気で、いっしょに暮らし始めた頃は

100メートルも歩くとゼイゼイ言ってたのに、

今では2時間くらいは平気で歩く。

健康なのはいいが、

仕事をやりながら付き合うこっちは結構大変である。

 

今日も出かけたくてしょうがないので、

すぎまる(地域ミニバス)に乗って阿佐ヶ谷まで行った。

(じつは阿佐ヶ谷までも歩いて行けそうな体力がある)

 

今年はコロナ縛りからもある程度解放されて、

阿佐ヶ谷はクリスマスモードで楽しかった。

大道芸でパントマイムをやっているらしい。

なるほど。パントマイムなら飛沫も飛ばなくていい。

しかし、時間が合わなかったのと、1キロ近くある商店街の

どこでやっているかわからず、見られずじまい。

クリスマスまで日曜日に行けばやっているらしいので、

またチャンスがあれば。

 

阿佐ヶ谷は、あんまりテンションを上げず、

気軽にぶらぶらしながら

クリスマスムードを楽しみたい人には

おすすめです。

 

駅前にはなみすけとナミー

(恐竜をモチーフにした杉並区のマスコットキャラ)と

ジャズバンド(阿佐ヶ谷はジャズクラブの街として有名)の

イルミネーションもあってかわいい。

 


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義母とざしきわらしとちっちゃいおじさん

 

「ざしきわらしに勇気の歌を」というのは、

認知症の老人がざしきわらしに出逢うお話だ。

1年ちょっと前にひらめいて書いてみたのだが、

これが正夢になりつつある。

 

というのも最近、ときどき義母の部屋に

ざしきわらしが出没するらしいのだ

 

なんだか誰かと話してる声が聞こえて来たり、

ときどき唐突に

「あの男の子、どこに行っちゃったの?」とか

3時のおやつをあげると

「あの子と一緒に食べちゃった」などという。

 

べつに怖がったりすることもなく、

わりと楽しんでいるようなので、

「そうですか。それはよかった。

また遊びに来てくれるといいね」

などと適当に合わせている。

 

ざしきわらしは家を裕福にしてくれる

良い妖怪なので何も心配ない。

ついでに僕たちにもハッピーのおこぼれを授かりたい。

 

ただ、ざしきわらし体質になると、

いろいろ他のもついてきてしまうようだ。

 

今日は昼間、久しぶりに早く仕事を済ませて

余裕があったので、

2時間近くかけて大宮八幡宮を往復した。

するとなぜか帰り道、

「あの男の子は?」と言い出した。

 

ざしきわらしが出張してきたのかと思ったら、

川の向こう岸を歩いているおっさんを一生懸命探している。

義父(夫)の面影を追っているのか、

それとも大宮八幡で「ちっちゃいおじさん」を見てしまったのか?

 

何人ものちっちゃい子どもたちから

大宮八幡での「ちっちゃいおじさん」の目撃談を聞いた。

 

どう認識してるのかはともかく、

認知症の義母にも見えるのだ。

奇しくも七五三詣での真っ最中でもある。

ちっちゃいおじさんたちも

元気に走り回っているに違いない。

もちろん僕にはさっぱり見えないけど、

 

ちっちゃいおじさんに逢いたい人は、

ちっちゃい子供か、認知症の人を連れて行くと

何万分の1くらいのチャンスはあるかもしれない。

 

あなたも、ちっちゃいおじさん情報、

そして、ざしきわらし情報、

ありましたらお寄せください。

 

電子書籍:おとなも楽しい少年少女小説

ざしきわらしに勇気の歌を/おりべまこと

ロボット介護士に支えられて余生を送っている寅平じいさんが、ある日、林の中を散歩していると不思議な子どもに出逢う。

その子を追って木の穴に潜り込むと、奥には妖怪の国が広がっていた。

子どもの正体はざしきわらし。

ざしきわらしは最強の妖怪“むりかべ”の脅威から人間を守るために闘うので、応援してほしいと寅平に頼む。

寅平はこれぞ自分のミッションと思い、闘うざしきわらしのために勇気の出る歌を歌う。


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認知症の義母と散歩中のワンちゃんと演じるシュールな野外劇についての断章

 

人間というのはとても複雑で面白い。

義母といると良い勉強になる。

 

基本的にこの人はあんまり生き物が好きではない。

ところが、なぜかそれを認めたがらない傾向があり、

時々、自分が飼っていたというイヌやネコの話をしたがる。

動物をかわいがる自己像を大事にしているのかもしれない。

 

そのせいか、散歩中の犬とすれ違うと、

たいてい「わぁ、かわいいワンちゃん」と大きな声を上げる。

100%本心ではなく、

連れている飼い主さんに気を遣っている部分が大きい。

 

しかし、多くの犬は「かわいい」という言葉がわかるので、

尻尾をふって寄ってくる。

そうすると、ビビッて引いてしまう。

 

しょうがないので代わりに僕がその犬を撫でてあげると、

義母と犬と飼い主さんの間で平和で安定した場が成り立ち、

なんとなく一つのエピソードが完結する。

 

それでたぶん、その飼い主さんから見ると、

義母は「イヌ好きな良い人」というイメージとして残る。

 

義母のほうはその場を離れたとたん、

犬のことも飼い主のことも忘れている。

 

それで橋を渡って折り返してくると、

同じ犬と飼い主さんに出くわすことがある。

すると、先ほどと同じシーンが繰り返される。

 

飼い主さんは顔で笑いながらも内心、

「さっきも同じことしたんだけど・・・」

と思っている。たぶん。

 

僕も敢えて「認知症なんで・・・」と説明することなく、

同じことを繰り返す。

なんだかシュールな野外劇のようだ。

 

ネコに対しては、飼い主さんがいないので、

「かわいいわね」と言いつつも、

僕が対話しに行くのを、ちょっと距離を置いて見ているだけ。

ソーシャルディスタンスを守っている。

 

そのくせ、離れるとまたもや

「私の家も子どもの頃はネコを飼っててね」と

言い出したりする。

 

この人、じつは幼い頃、女中さん・使用人がいる

目白のお屋敷で育ったお嬢様である。

とは言っても、それは4,5歳までのことで、

認知症になる前も、そんな記憶はほとんどなかったらしい。

 

けれども時おり、本当に、あ、そうだったのかなと思う時もある。

時々発症する「カエル病」も

そのお屋敷のイメージがどこかに残っていて、

魂がそこに帰ろうとするらしい。

 

そうすると、僕はさながら

おつきのじいやといったところかもしれない。

なんとなく「ちびまる子ちゃん」に出てくる

花輪君のおつきの「ひでじい」を思い浮かべる。

 

黒塗りのリムジンは運転できないが

そういう設定で面倒を見ると、

また面白くなる気がする。

 


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認知症の症状は命の芸術表現

 

今月は成年後見・家族信託の本を書いている。

士業の会社の著作だ。

 

とっかりのテーマは「2025年問題」。

団塊の世代が75歳になり、後期高齢者に突入する。

 

そして、怖い情報として、

65歳以上の高齢者の5人に1人が

認知症という社会が訪れる。

という話を綴っていく。

 

そこから財産をどう管理・運用するのか・・・

というお金がらみの話に変わるわけで、

そこは専門家の皆さんにお任せだが、

一般向けにはどうしても

自分たちの文章だと固くなりがちなので・・・

ということで導入の1章分だけ僕が依頼された。

 

毎日、義母の様子を見たり、

あちこちから話を聞いたり、

本やネット情報を読んだりしていると、

認知症の症状は、人によって千差万別であると同時に、

一つの傾向があるようだ。

 

記憶を失うというのは誰にも共通の、

ベーシックな症状だが。

男女別にそれぞれ特徴的な症状がある。

 

男性には、怒りっぽくなって、周囲に暴言・暴行を働く。

女性はうつっぽくなって、「お金を取られた」とか

「夫が他の女と浮気している」といった被害妄想に陥る。

 

これはやはり年代的なものではないかと思える。

 

一般的に、昭和の女の人生は男次第。

専業主婦となり、夫と子供の面倒を見ながら、

心が抑圧されていた人が多かったのだと思う。

娘たちの世代がっ自由なのを見て、

面白くなかった人も多いだろう。

それがうつや被害妄想となって現れる。

 

じゃあ男はみんないい目を見ていたかというと、

そうではない。

「男の沽券」というものに拘り、

過度なプライドと戦わなくてはいけなかった。

それが認知症になり、人の世話を受けなければ、

まともに生活できない、大人の男として見られない。

そんな自分自身に対する怒りと苛立ち。

それが暴言・暴力となって現れる。

 

もちろん、ものすごく大雑把な分毛方だが、

今の70代以上の人たちは

そういう時代を生きて来たので、

どうしてもこうした傾向が現れるのではないか。

時代精神というものが反映されているのだ。

 

認知症は社会生活を送るために学習し、

獲得してきた能力と記憶をなくしていく病気である。

 

とはいえ、完全に子どもに還ってしまうわけではない。

最後に残るのは、この世で自分を偽ったり、

不自由さを感じながらも生きてこざるを得なかった

その人のコアのようなもの。

 

数十年生きて社会によって歪められて

それでも最後に残ったその人の本質である。

 

だから認知症の症状は、

その人の生き方の最終的な表現と言えるのだろう。

ある意味、一種の命の芸術なのか?

そう考えると、皆が覚悟しなくてはならない

この病気に対する見方が変わるかも知れない。

 


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まぼろしの家へカエル病

 

「どうもお世話になりました。

わたしは家に帰ります」。

 

夕方、デイサービスから帰ってきて、

さて一服、あともう少しだから

仕事の残りをやるかと思ったてたら、

いきなり義母の「カエル病」が発症した。

 

やれやれゲロゲロと思うが、あまり抵抗せず、

「そうですか。ではお気をつけて。

そこまでお見送りしますケロ」と言って、

いっしょに表に出る。

 

しかし、外に出てもどう帰っていいかわらない。

彼女の帰る家は「まぼろしの家」なので当然だ。

 

ぼくに道を訊くので、じゃあそこまで行きましょうと。

クルマの通らない、いつもの散歩コースである

川沿いの遊歩道まで連れて行く。

 

すると「ここからならだいたいわかります。

もう遅いのでお帰りなさい」と言われてしまった。

 

「はい、それでは」と言って別れたフリをしたら、

いつもの散歩コースをスタスタと歩き出す。

体力は後期高齢者と思えないほど満点だ。

 

僕は探偵のように離れてずっと尾行する。

 

やがて住宅街に入って行き、

迷子になって焦っているのが背中からわかる。

 

クルマも来るので、そのへんで

たまたま会ったフリをして声をかけると、

やっと改心してネコやイヌやカルガモらに

声をかけながら家に帰る。

 

でも義母にとって、こっちは「仮の住まい」でしかない。

子どもの頃の家族(と言っても、とっくにみんな亡くなっている)

がいる「まぼろしの家」こそ、

いつか帰っていく本当の家なのだ。

 

9月になって急に涼しくなり、

日が暮れるのも速くなったせいか、

「カエル病」の発症頻度が高くなった。

認知症には困ったケロ。

 


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認知症のおかあさんといっしょ

 

 

今日も認知症の義母は川沿いを散歩しながら、

通りすがりの人たちに愛想を振りまく。

子どもやイヌを見て可愛い、可愛いいと連呼する。

ネコはどっちかというと苦手なようである。

 

しかし、じつはイヌもちょっと苦手。

イヌは人間の言葉がわかるから、

きっと可愛がってくれるんだろうと思って

しっぽをフリフリ寄ってくる。

 

顔は笑っているが、

ちょっと大きいイヌだと内心ビビっているのがわかる。

しかたないので、僕が代わりに撫でたりしてあげる。

義母のそんなキャラも面白いと思う。

 

認知症の介護と言っても、

今のところはそれくらいで済んでいるが、

もちろん先のことはわからない。

 

2025年には5人に1人が認知症患者になるという。

わずか4年後のことだ、

本当にそうなるのか?

もちろん先のことはわからない。

 

でも、これからの社会が

認知症という現象と共存する社会になるのは、

ほぼ間違いないだろう。

 

認知症と認定されると、

どんなお金持ちでも

自分の財産を好きなようには使えなくなる。

 

記憶の中から、お金も社会的地位も、

家族も友だちもみんな消え去っていく。

 

それまで所有していた財力や権力に関わらず、

一気に社会の弱者に転落する。

 

その時に何かを愛することができるか、

そして、人から愛されることができるか、

それがその人の人生の価値になる。

 

あまり考えたくないが、

もし自分が認知症になったら・・・ということは

心のどこかにメモしておいたほうはいい気がする。

 


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無敵の認知症:ワクチン接種のことなんてもう忘れた

 

昨日は義母の付き添いでワクチン接種へ。

会場のセシオン杉並というのは、

東高円寺や堀之内斎場の近所(環七沿い)にある

多目的ホール兼集会所兼杉並区役所の出張所。

 

テレビのニュースを見てて、

「きゃー、怖い怖い」とか、

「うわー、やだやだ」とか

子どもみたいに騒いでいたので

ちょっと心配していたが、

説明してもどうせ憶えてないので、

だまし討ち同然で連れて行ったが、

すんなり済ませた。

 

雰囲気的にスマホを見るのが憚られたので、

何経過観察待機の15分は退屈のきわみ。

本でも持ってくりゃよかったと後悔。

 

バスに乗って帰宅したら、

腕のばんそうこうを見て、

「どうしたの、これ?」とか言ってて

もう忘れていた。

 

さすがに散歩に連れ出すのはやめたけど、

特に具合が悪くなることもなく

今日もデーサービスへ行って

いつもと変わることなく帰って来た。

認知症以外はすこぶる健康で

コロナのこともさっぱりわかってない。

ある意味、心の平和を保っている。

 


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昭和のバナナ預金

 

バナナを預金する。

そんな発想は現代人にはない。

昭和を語る僕にもない。

しかし、認知症患者の義母にはある。

 

昨日、近所の八百屋に一緒にいったら、

店頭にどっさりバナナが一山280円で売っていた。

Lサイズのでかいのが10本くらい。

よくスーパーで売っている「甘熟」系の

おいしそうなやつだ。

値段的にも量を考えたら大安売りである。

 

義母はそれを見て目をキラキラさせ、

「バナナたべたーい💛」と口走る。

記憶が刺激されるのだ。

彼女の目には安っぽい、

緑色のプラスチックのざるに盛られたバナナの山が

キラキラ輝く黄色いお宝の山に見える。

 

なぜかと言えば―ー

 

かつて、昭和40年代頃まで

バナナは高級フルーツで、

庶民にとっては高根の花だった。

現代の感覚で言えば、マスクメロンであり、

高級イチゴやシャインマスカットなどに匹敵するのだろう。

入院患者へのお見舞いのフルーツバスケットには

威風堂々、ど真ん中にありがたくドカッと鎮座していた、

らしい。

 

昭和40年代の子どもである僕にも今一つ、

「バナナ=高級品」という実感がないのだが、

まぁ今ほど頻繁に食べられなかったのは事実だ。

 

で、バナナLOVEの義母が

お喜びで食べるのかと思いきや、

いざ食卓に出すと手をつけない。

必ず「今は食べない」という。

 

ではいつ食べるのかというと、

永遠に食べない。

だって食べたらなくなってしまう。

そんなもったいないことはできない。

なので、紙にくるんで懐に入れ、

大事にタンスの奥にしまっておく。

言ってみれば「タンス預金」である。

 

しかし、そんな行動をとられてはたまらない。

2~3日後にはバナナはタンスの奥で

ドロドロに溶けている。

今の季節なら、あっという間に虫がわんさか湧いて

部屋がとんでもないことになってしまう。

 

お持ち帰りしようとするのを慌てて阻止し、

「これはちゃんとお義母さんのためにとっておきます」

と言って取り上げる。

ちょっと胸が痛むが、しばらく他のことをやっていると、

もうバナナのことなど忘れている。

視覚情報がなくなると、自然に記憶から抜け落ちるのだ。

執着心はないので助かる。

 

あとからカミさんに

バナナは薄くスライスしてヨーグルトなどに入れて

「加工」して出さないとだめだと言われた。

子ども時代から若い頃まで

滅多に食べられなかったバナナ。

甘くて栄養もあって、お腹も膨れるバナナを

昔の分までいっぱい食べてほしいと思うのだが、

どうもそんな僕の願いは、

義母の昭和精神にはそぐわないらしい。

 

一生消えないトラウマのような、

燦然と輝く高級フルーツ像を刻みつけたバナナ。

義母にはいつも昭和の心を学ばせてもらっている。

感謝を込めて、お残しした分は、僕がいただきます。

 

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なぜ「もう死にたい」と思っても人はめしを食うのか?

 

「親が死んでも食休み」というが、

確かに僕は父が死んだときでも

別に食欲が落ちることなくパクパク食べていた。

母が死んでもたぶん同じだろう。

 

どんなに悲しんだり、落ち込んだり、

深刻に悩んだり、もう死にたいと思っていても、

人は腹が減ればめしを食う。

 

食っているとき、

人の「生きる」という意欲はモリモリ表に出る。

そしてガツガツしたエゴがむき出しになる。

何だかひどく罪深い気持ちになる。

 

悲しんだり、悩んだり、絶望したりしているつもりでも、

結局それはフリだけだ。

本当のおまえは他の生命を奪ってまで

意地汚く食って、

みっともなく生き延びたいだけなんだ、

と別の自分に嗤われているような気になる。

 

たまにそんなことを考えつつ、

明日も生きるぞ、さあ何を食おう?と考える。

 

わが家では最近、いろいろ混ぜて飯を炊く。

今使ってるのは熊本県産発芽玄米使用の十一雑穀米。

 

くまモンが付いているせいか、

義母はお菓子だと思ってて、

時々こっそり開けて中身を見て

がっかりしているようだ。

 

でも認知症には、お好きな銀シャリよりも

こちらのほうがいいそうなんですよ。

 

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 もくじ

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・永遠の現物支給 : 2018年3月15日

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春だけど自分にいいこと何かやってる?

 

コブシの白い花が咲くと春のプロローグという感じがする。

今日は天気も良く暖かくなって、川沿いを散歩すると、

花、鳥、子ども群団、ワンコたちがわらわらと湧いていた。

これは義母が大好きな風景だ。

 

部屋の中にいても「今日は面白そうだ」ということが

感じ取れるらしく、午前と午後、2回、

長い散歩に連れ出さなくてはならなくなった。

おかげでマイペースが乱され、仕事はさっぱり捗らなかった。

 

しかし義母は、感じることが最も大切であり、

自分が「いいね」と感じたもの、好きなものが

自分の生きる基本だということを教えてくれる。

認知症の人はそういう点がとってもピュアである。

 

自分にとって自分らしい生き方はどんなものかは、

じつは誰もがとっくの昔に知っている。

 

けれども、いろんな人の価値観や

社会の要請、国の要請、会社の要請、

家族の要請などによって、

自分の大事でない「大事なもの」を

世のため、人のためだという大義のもとに

お仕着せられているのだ。

 

情報化社会で情報がいっぱいあるのはいいけど。

自分に不要な情報で脳をいっぱいにしてしまうと、

人は簡単におかしくなる。

 

緊急事態宣言がなかなか解除されないが、

ちょっと近所を散歩して、外の空気を吸って

一度、頭をカラにして

新しい季節を感じた方がいいと思う。

 

自分にとって本当に大事なものを大事にして生きたい。

 

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昭和エッセイ集:

昭和96年の思い出ピクニック

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アイドル、マンガ、オカルト、オリンピック、新聞配達、家族、そして戦争――昭和には愛すべきもの、憎むべきもののすべてがあった。

2021年=令和3年=昭和96年になった今でも、僕たちは昭和の物語から離れられない。海を埋めたて、山を切り開き、明日へ向かって進んだ果てに

見つけたものは何だったのか?

みんなが愛して憎んで生きた時代を1960(昭和35)年生まれの著者が探検する面白まじめエッセイ集。ブログ「DAIHON屋のネタ帳」から30篇を厳選・リライト。

 

もくじ

・西城秀樹さんのお葬式:青春の同窓会

・ちびまる子ちゃんとサザエさんはいつまで続くのか?

・昭和オカルト大百科

・新聞少年絶滅?物語

・死者との対話:父の昭和物語

・社会全体の児童虐待と「晴れた空」

・東京ブラックホールⅡ:「老いた東京」は美しいか?

・さらばショーケン:カッコ悪いカッコよさを体現した1970年代のヒーロー

・さらば平成――みんなが昭和に帰りたがった30年

・永遠の昭和 明日のための1960年代・70年代   ほか

 

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「恐怖!かえる女」はプリンセス

 

どうやら弱みを握られたようだ。

 

「椎名町の家にカエル」

「家族が迎えに来てるからカエル」

「すごそこに兄貴がいるからカエル」

 

そうやってケロッピーなセリフを放つと、

僕やカミさんが慌てて対応してくれることを

義母は学習してしまったようである。

認知症患者、侮るなかれ。

 

こうした「かえるコール」が出るのは、

たいてい「飯まだか」「おやつが食べたい」

「散歩に行きたい(退屈だから外出したい)」

のいずれかである。

 

要するに自分の要求を訴えたいとき、

「かえるコール」を発射することが

最も有効な手段なのだ。

 

仕事でテンパっているときに

これをやられると、プシューっと脳みそが沸騰するが、

やむを得ずニコニコ仮面を被って要求に応じる。

これ以上エスカレートしないことを念じるばかりだ。

 

さらに最近、ときどき朝起き出してくると、

「あれ、男の子たちは今日いないの?」

といった、ボケゼリフが飛び出す。

 

最初は幼い頃のきょうだいとか、息子のことを言ってるのかな、

だけど兄しかいないし、娘しかいないし、

「男の子」には縁がないはず。

幼なじみがいたのかな・・・と、カミさんと話していたが、

どうもそれはデイサービスのスタッフのことを

言っているらしい、ということに思い至った。

 

最近はデイサービスで若い男のスタッフが

けっこうチヤホヤしてくれていて、

お姫さま気分を味わっているようだ。

 

少なくとも本人にとって、

認知症になったのが悲劇であるとは限らない。

もしかしたら、今こそがお姫でいられる

わが世の春なのかもしれない。

 

逆に幼い頃、お城みたいなところに住んでていて

召使に傅かれていたけど

わたしは不幸だった、と語る人もいた。

 

諸行無常。万物流転。

今がいいから、またはダメだからと言って

人生の幸不幸をそう単純に決めてはいけない。

 

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エイジトラベルする義母と幻の息子

「さっき、息子が来ていたはずだけど・・・」

「え、息子?」

 

最近、認知症の義母の頭の中に

息子が登場するようになった。

彼女には息子はいない。

一応、僕と義妹の夫が「義理の息子」ということになるが、

どうやらそれとは違うようだ。

 

正月にうちの息子(彼女の孫)が遊びに来ていたので、

彼のイメージが残っているのかも知れない。

それを材料にして架空の息子を創作してくるところは、

なかなかクリエイティブだ。

 

義母の脳内にはいろんな家族が登場する。

その多くは過去一緒に暮らした人たちで、

時々、彼女のところに遊びに来たりする。

 

それも夫や兄、父母などが

あれこれ役割を変えてかわるがわる登場したり、

飼ったことのないペットのイヌやネコが登場したり、

お菓子の空き箱を子どもの娘たちが取り合ったりする。

それを実の娘であるカミさんがあきれて

その話を聞いていたりする。

 

僕たちと一緒に暮らし始めた当初は、

自分の年齢を結婚前の20代前半あたりに設定していたようだが、

今では時々、母親としての設定も入ってくるので、

その時々によって縦横無尽にエイジトラベルしているようだ。

 

ちなみに幻の息子は今年になっては初登場したキャラである。

「今日はいないよ」と言うと、

「そうかぁ、会いたかったのになぁ」と言って

部屋に引っ込んでいった。

 

実際にははいないけど、息子のいる人生もあり得たかもね。

たとえ架空でも、いろんな家族がいて、

いろんなストーリーがあると楽しいね。

 

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「ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力」

 

ビートルズをきっかけにロックが劇的に進化し、ポップミュージックが世界を覆った時代.僕たちのイマジネーションは 音楽からどれだけの影響を受け、どんな変態を遂げたのか。心の財産となったあの時代の夢と歌を考察する、おりべまことの音楽エッセイ集。ブログ「DAIHON屋のネタ帳」より33編を厳選・リライト。

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もくじ

●八王子・冨士森公園のスローバラード駐車場で、ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力について考える

●アーティストたちの前に扉が開いていた

●21世紀のビートルズ伝説

●藤圭子と宇多田ヒカルの歌う力の遺伝子について

●ヘイ・ジュード:ジョンとポールの別れの歌  ほか

 


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認知症と終活の時代がすぐそこに

 

エンディング産業展は、ブース展示のほかにセミナーがある。

今年はコロナ禍で7月から10月まで4分の1ほどの講座が

zoomを使ったウェビナーとして行なわれ、

リアル講座は昨日からの3日間で30あまり。

じつは取材のメインはこちらのほうである。

 

僕はそのうち4講座を担当しているが、

そのうちの一つが認知症専門医の講座だった。

こういう医療関係者の講座は初めてだと思う。

 

内容は、臨床医の見識に基づき、認知症患者の実態と

今後の見通しについて語るもの。

個人的に義母のこともあるので興味深く聞いた。

 

2025年、これからわずか5年後。

65歳以上の高齢者の5人に一人は(軽度を含めると)

認知症になるという。

 

その数だけでもショッキングだが、

一人暮らしの高齢者が増えると、誰にも気づかれず、

いつの間にか認知症になっていた、

というパターンも増えるという。

 

そうなると当然のことながらすべては手遅れで、

自分を客観的に見られない状態になっているので

終活もままならず、

施設に入る手続きも自分では取れない。

 

そういう人が増えると社会はどうなってしまうのか?

わずか5年先、10年先の話だが、

普通の人はあまりそんな気が回らない。

 

てか、そんなこと考えたくない。

今までそんなこと考えずに生きてきた。

見たくも聞きたくもなかった。

 

僕だって義母がいなかったら、ろくに考えなかっただろう。

しかし、そろそろ見ないふり・聞かないふりは

できなくなくなりそうだ。

 

僕たちの社会はそういう5人に一人の認知症の人たちの

面倒を見られるのだろうか?

 

この講座は終活のカテゴリーの一つとして開かれた。

これから終活関係の講座や展示はさらに増えるだろう。

認知症問題やその他の終末医療も含めて

終活関係のことがらは向こう10年、20年の

社会最大のテーマに育ちつつある。

 

 

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ばんめし時間と秋の夜長

 

認知症の義母には、人間がつくった時間は通用しない。

明るくなれば目を覚ますし、暗くなれば寝る。

子どもや動物と同じく、自然のまんまである。

認知症でんくても年寄りはみんなそうか。

 

秋の日はつるべ落とし。

そんなわけで11月に入ってしばらくしてから、

すっかり生活のリズムが変わってしまった。

 

デイサービスから帰ってくる時間はもう真っ暗である。

仕事があるからね~と言って、夕食を1時間以上も待たせると、

布団に潜り込んで、食べずに寝てしまう。

 

「ご飯食べるまで寝ないでね」と言っておいても

こっちが言ったことなど5分も経てば忘れてしまう。

タイミングを逃すともうアウトだ。

 

これをやると夜中にお腹が減って起き出したり、

まだ日が昇らない早朝から台所をウロウロしたり、

挙句の果てに着替えてひとりで出かけようとする。

 

そんなことが2度、3度あったので、

これはいかんと思って、カミさんともども

夕食の時間に気をつかうようになった。

 

とにかくデイサービスから帰ってきてから、

あるいはそれがない日は夕方の散歩から帰ってきてから、

30分で夕食にするようにした。

 

おかげでここのところ、夕食は午後6時前に食べ始める。

その分、夜の時間が伸びるので、

午後の仕事はそこそこで切り上げて、夜、仕事をする。

秋冬の間、こういう生活が続きそうだ。

 

 

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「生まれて初めての出逢い」がいっぱい

「認知症予防にウォーキングはいかがですか?」

と、散歩中に声を掛けられた。

毎週、杉並区内のあちこちの公園を歩いているという

高齢者さんのグループからだ。

 

ひとりで3~5キロ歩くらしいので、

年寄りとしてはなかなかのもんだ。

 

「うわっ、面白そう。やってみたい」などと

自分が認知症だとは夢にも思っていない義母は言う。

その場であれこれ事情を説明してなんかいられないので、

チラシだけ受け取ってそのまま別れた。

 

すみません、皆さん。

残念ながらもううちの義母は予防には遅いんです。

 

でも認知症も悪いことばかりじゃない。

何でもすぐに忘れちゃうから、

見慣れた風景でも、いつも初めて見た感じになっちゃう。

「うわー、生まれて初めて見た」が口癖になっている。

ある意味、これは幸福なことかも知れない。

 

今日もしっかり歩いて、

イヌに逢い、ネコに逢い、カモに逢い、

可愛い子どもたちにも、へんなおじさん・おばさんにも逢い、

いろんな面白い景色の、美しい夕焼け雲も見られたので良かった。

僕たちの散歩はいつまで、どこまで続くのだろう?

 

 

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ハロウィーンプレゼントのぬいぐるみだワン

 

近所の雑貨屋に行って

義母にハロウィーンプレゼントを買った。

といってもお化けなんか怖がってダメだから、

白い子犬のぬいぐるみだ。

 

先日、一緒に銀行に行った時、

ロビーのソファにソーシャルディスタンス用に

いろんなぬいぐるみが置いてあって、

それがいたくお気に入りで

お持ち帰りしちゃいそうな勢いだったので。

 

イヌやネコと同じように、毛づくろいは、

人間の脳に良い効果をもたらすとか、

もたらさないとかいう説があるようだ。

 

それが本当かどうかはわからないし、

そんなことで認知症が治るとはとても思えないが、

少なくともぬいぐるみをなでることで

悪い影響を及ぼすことはないだろう。

かわいがることで少しでもハッピーになるならそれでOKだ。

 

大事なものは「大事にしなきゃ」という意識が働いて

紙などでしっかり包んで部屋のどこかにしまいこんで忘れて

それっきりということが多いが、

この子はちゃんとお部屋の見えるところに飾られていた。

寒かろうと思ってタオルで巻いてあげているようだ。

ほっとひと安心だワン。

 

 

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幸せの歌と認知症の女

 

義母は歌が好きで、デイサービスに行ってもしょっちゅう

自発的に歌っているらしい。

 

スタッフの人から「コーラス部とかに入っていたんですか?」

と聞かれるが、娘であるカミさん曰く、

少なくとも自分が生まれてからは、

そんなことは一度もないし、

若い頃もそんなことをやってたなんて聞いてないという。

 

コーラス部どころか、家族でカラオケに行っても

一度も歌ったことがないという。

 

義父が関白亭主だったので、

目立つようなことをしてはいけないという

気持ちが働いて抑えていたのではないか、

というのがカミさんの意見である。

 

家でもフンフンいつも鼻歌みたいなのを歌ったり、

CDを聴きながら歌っているが、

そういえば、僕と散歩に行くと歌わない。

 

代わりに僕が歌うと笑う。

秋なので「もみじ」と「どんぐりころころ」を歌うとウケる。

 

べつに夫婦仲が悪ったわけではないけど、

義母が我慢することで家庭のバランスが

成り立っていた部分が多いのかなとは思う。

 

これは特別なケースではない。

現在の高齢者=戦前生まれの女たちの標準的な生き方だったのだろう。

昭和の時代は現代との比ではなく、

男尊女卑が蔓延していた。

 

いま、高齢の認知症患者に女性が多いのも、

そうした自分の欲望とか、望んだことを抑圧し続けた結果

なのかもしれない。

もちろん、因果関係はわからないけど。

 

認知症になって第2の人生を送る義母は、

第1の人生と同様、とても人を気遣う優しい人である。

 

けれども歌うことについては遠慮することはなくなったようだ。

それは幸せなことだと思う。

 

みんな自分は認知症になったらどうしようと

びくびくしているみたいだが、

認知症になって、部分的にかもしれないけど、

幸福を手にする場合もあるのではないか。

 

人に迷惑をかけちゃいけないと、

最後の最後まで自分を抑圧して、遠慮し続けて、

葬式で「よい人でした」と言ってもらって、おしまい。

それは幸せなんだろうか?

 

 

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女のダークサイド

 

しばらくの間、雨続きだったので、久しぶりに義母と川沿いを散歩する。

金木犀も彼岸花も終わり、秋が深まっていくのが感じられる。

依然として蚊が多いのには閉口するが、夕方になっても結構人通りがあり、

子どもや犬の散歩の人たちが大勢歩いていた。

 

認知症の人は子どもとおなじように無邪気に見える。

なので散歩に行くと、

「あら、こんにちは」

「(子どもと親やイヌと飼い主に向かって)かわいいですねぇ」

「また会いましょうね」

などとにこやかに声をかけるので、

たいていの人は胸を開いて笑顔で応じてくれる。

そしてよく顔を合わせる人でも、たぶん、

彼女が認知症だとは夢にも思っていない。

 

多くのイヌは「かわいい」という人間の言葉に

敏感に反応するので、

義母の後をクンクンついてきたする子もいる。

 

とてもとてもいい人に見えるのだろう。

でも本当は100%いい人というわけではない。

 

そうやって一見、社交性があるものの。

じつはそんなに開放的なキャラではないのだ。

 

にこやかにあいさつして通り過ぎた後に、

「あの人、おっかしいわよねぇ」とディスって、

ブラックに笑ったりもする。

 

でも、僕といるときは割と控えめらしいだ。

異性の前ではあまりそういう面は見せないのだ。

 

同性であるカミさんと二人の時はその傾向がかなり顕著だという。

なかなか女はいやらしくて狡猾だ。

 

いくつになろうが、認知症になろうが、

そうした女のダークサイドを失わない義母は

なかなか強かで面白い、魅力的な存在である。

 

しかし、彼女の「かわいい」にイヌはイチコロだが、

ネコには通用しない。

 

ネコは僕のものである。

ねこなきじじい・ねこなでじじいの僕とネコとの戯れを

義母はソーシャルディスタンスを取って、

じっと嫉妬深げな目で眺めるのみである。

 

 

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令和の妖怪・人面木

 

「あらぁ、人の顔みたいねぇ」

怖がりの義母が妙に明るい声を上げる。

 

言われてふと見ると、恐るべきものが!

人面木(ジンメンボク)。

イヌの顔とか、クマの顔にも見える。

精霊はいたるところに。

明日は彼岸の入りです。

 

 

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義母が歌う自分への子守歌とザ・ピーナッツの「村祭り」

 

毎晩と言うわけではないが、

夜、義母の部屋から歌声が聞こえてくる。

大声で歌っているわけではなく、

鼻歌程度の音量なので特に問題ない。

 

レパートリーは、いわゆる昭和歌謡

(昭和30年代から40年代初め頃)と、

童謡・小学唱歌などだ。

 

寝つきが悪いと、つい口をついて出てくるようで、

長いときは1時間以上歌っている。

まるで自分に子守唄を歌っているようだ。

 

べつに聞き惚れるというほどのものではないが、

ぼくはそれを聴くのが結構好きだ。

 

なんというか、ちょっと心が洗われるような気分になる。

そして、人間が結局落ち着くべきところに

案内してもらっているような気分になる。

 

最近よく歌っているのは「村祭り」。

ぼくが小学校の頃は音楽の教科書に載っていたが、

今はたぶんもうないだろう。

このメロディもちょっとユニークで美しく、

わりと好きだったことを思い出した。

 

それでYou Tubeで聴いてみようと思ったら、

なんと! ザ・ピーナッツが歌っている。

 

昭和歌謡の代表選手。

ポップスはもとより、ジャズやボサノバ、

モスラの歌まで何でも歌いこなす天才双子デュエット。

 

ユーライア・ヒープの「対自核」や

キング・クリムゾンの「エピタフ」を歌っていたのにも

びっくりしたが、こんな小学唱歌まで歌っていたとは!

 

彼女らが〽ドンドンヒャララ ドンヒャララ~

と歌うと、山奥から守護神の怪獣が目を覚ましそうだ。

 

今年はコロナ禍で秋のお祭りも中止なので、

ザ・ピーナッツを聞いて、

日本のお祭りの精神を愛でたいと思います。

 

 

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義母とざしきわらし

 

義母がいつも散歩で楽しみにしているのは、

カモ、イヌ、子どもである。

ネコはどっちかというと僕の楽しみだ。

 

善福寺川で涼しそうに泳いでいるカルガモは25羽にもおよぶ。

日によってはコサギ(白い鷺)、カワウ(黒い鵜)、

アオサギ(大型のグレーの鷺)なども混じっている。

こいつらが水に頭を突っ込んだり、バシャバシャやっている風景が

平和で楽しげみたいなのだ。

 

イヌと子どもはリアクションがあるので面白いみたいだ。

彼女は臆病なので、じつはイヌはけっこう怖がる。

ソーシャルディスタンスを取って遠目で見るならいいが、

特にラブラドールなどの大型犬が近くに来るのは怖いらしい。

だけど、つい「かわいいねえ」などと言ってしまう。

 

散歩しているイヌの7割くらいは、

この「かわいい」という言葉がわかるので、

それを聞きつけて「はいはい、かわいがって」と

義母のもとに寄って来るのだ。

その時の彼女のちょっと緊張した顔がけっこう面白い。

 

その点、人間の子どもは安心だ。

特に1~3歳くらいのおチビさんはにっこり反応して

手を振ってくれたりする子が多い。

 

そうした義母と子どもとのやりとりを傍で見ていると、

僕は内心「今日はざしきわらしに逢えた」と思う。

 

子どもの姿をしたざしきわらしという妖怪に逢うと、

幸運になると言われる。

 

昔はせっかくこの世にオギャーと生まれてきても、

大きく育つ前に死んでしまう子どもが多かった。

特に東北地方の貧しい農村などでは

病気や事故はもとより、

家族が食っていくために間引きされることも

少なくなかった。

 

なので小さい子どものイメージは

現代とはずいぶん違っていたのだろう。

「7歳までは神のうち」などとも言われるが、

“将来、人間として生きるかもしれない”

精霊に近い存在だったのではないかと思う。

 

たぶん、ざしきわらしの伝説は、

そうした幼くして逝ってしまった

子どもたちのことを偲んで生まれたものなのだろう。

 

いずれにしても、散歩でざしきわらしに逢えると

義母の中に幸福のタネが一つ植わる。

家に帰るころにはもう忘れているんだけど、それでもいいのだ。

 


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夏の魔法のネコ時間

 

猛暑日でもわりと涼しい。

たぶん都心のコンクリ・アスファルトだらけのエリアより

2~3度は低いのではないだろうか。

 

なので朝や夕方は義母を連れて散歩する。

夕方は夕涼み中のネコと出くわす。

 

特にこのクロネコは頭の上を飛来するカラスにも、

散歩中のイヌにも、

わいわい寄ってくる人間にも、

まったく動じることなく、

いつも道の真ん中でゴロゴロして

自由気ままに真夏の夕べを満喫している。

 

僕はいつも彼(彼女かもしれない)を

ソーシャルディスタンスを保ってフォローし、

写真を撮らせてもらう。

おかげでスマホの中はクロネコだらけだ。

 

僕の友だちはクロネコだが、

義母の友だちは、この周辺の野良猫たちを

手なづけているネコ使いのばあさんだ。

 

ここんとこ毎日のように会うので、

すっかり顔なじみになって井戸端会議を始める。

はたで見ていても何の違和感もない。

 

ネコ使いのばあさんは、うちの義母が認知症だとは

夢にも思わないだろう。

 

午後6時の♪夕焼け小焼けの歌が流れると、

家路に向かう(といってもここから5分くらいだ)

 

家に帰って夕食時、「きょうもクロネコちゃんと

ネコ使いのばあさんに会えて楽しかったね」と話すと、

「え、ネコ? 何のこと?」と、と、なんにも憶えていない。

夢でも見たんじゃないの?って顔をされてしまう。

 

けれども翌日、あの道を通れば

「ああ、昨日はどうも。また今日も会いましたね」と

記憶がつながるのだろう。

 

けっこう奇妙な日々を送っているような気がするが、

まぁ、今日も無事に楽しく生きられました、ということで合掌。

 

 

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サギとカワウとカルガモのザ・リバー

 

近所の善福寺川には、いろいろな水鳥が雑居している。
今朝は雨の中、カルガモをはじめ、
コサギやカワウまで飛んでいてにぎやかだった。

きょうはいなかったかが、アオサギも時々見かける。

 

サギと言えば魚を食べる水鳥だが、
昨日の「ダーウィンが来た!」(NHK)を観ていたら
イタリアではサギがネズミを食べていると聞いてびっくり。

 

イタリア北部に乳牛を育てるための牧草地があるのだが、
ここはロクに手入れもしないでほったらかし。
ほったらかしには理由があって、
その中に自然に生えてくる、ある雑草を牛のエサにすると、
バクテリアの影響で牛乳をチーズにしたとき、
独特の風味がつくのだそうだ。

こうして出来上がるチーズが
「パルジャミーノ・レッジャーノ」。
イタリア産のチーズの王様だ。

 

ところがこの牧草地、手入れもせず、
もちろん農薬も使わないので、
畑にいろんな虫が湧いたり、ネズミ天国になる。


その虫やネズミを食べに猛禽類をはじめとする、
いろんな鳥が集まってくる。
生態系はホントよくできている。

 

それにしても水鳥のサギが魚をとらず畑に来て
タカやフクロウに混じってネズミを食ってるとは・・・。
善福寺川のサギはさすがにそれはなさそうだ。

 

しかし黒いカワウは、いったい何を食っているのか、
春先はしょっちゅう川にサーモンピンクのウンコを垂れていた。
まさかサケを食っているわけではないだろうけど。

 

いつも散歩コースにしている
成園橋から白山前橋の間の約100メートルは
カルガモの居留区になっている。


義母がカモ好きなので、
通ると一生懸命見ているのでちょうどいい。
カモに年寄りのお守をしてもらっているみたいだ。
これもアニマルセラピーの一種?

 

もちろん、その上流・下流にも行くが、
この辺がいちばん落ち着くようで、
他の区域にいない時でも、必ずここにいっくと何羽かいる。
多い時は1ダースくらいいてガアガアやっている。

 

その中で1羽、ヒナと思しきカモを発見。
もうだいぶ大きくなっているが、明らかに他の連中よりチビだし、
観察していると、懸命に親の後をついて泳いでいる。

ここで生まれ育ったのか、

他のところから引っ越していたのか定かでないが、

カラスやネコにやられずに無事、大人になってくれぃ。

 

 

電子書籍第6弾 神ってるナマケモノ発売!

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可愛いくて、楽しくて、笑える彼ら。

奇妙で、不気味で、不思議な彼女ら。
美しくて、おぞましくて、くさくて、汚くて、とてつもなく怖くて危険なやつらも。
僕たちはこの星の上で137万種類を超す動物たちといっしょに暮らしている。
イマジネーションを掻き立て、人間の世界観の大きな領域をつくってきた仲間たちについてのエピソードや、あれこれ考えたことを編み上げた、おりべまことの面白エッセイ集。
「DAIHON屋のネタ帳」から36編を厳選・リライト。

内容

・ネコのふりかけ
・おしりを拭いてもらうイヌの幸せと人面犬の増殖について
・なぜ日本ではカエルはかわいいキャラなのか?
・ウーパールーパーな女子・男子
・犬から、ネコから、人間から、ロボットからの卒業
・神ってるナマケモノ ほか

 

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神さまのカケラを拾い集めて生きる

 

小さい頃は神様がいて、不思議に夢をかなえてくれた。

というのはユーミンの「やさしさに包まれたなら」の
出だしの歌詞だが、
本当に子どもの頃は神様はいたと思う。

 

子どもの脳は100パーセント開かれているので、
いろいろ見えて、あれこれ触れるらしい。

 

だが、現実社会の枠組みの中で
脳の使える部分は制限される。
人間が一生のうちで使う“脳力”は全体の1割とか2割。
みんなに100パーセント“脳力開放”されてもらっては、
社会として何かと困ることが多いのだろう。

 

というわけで僕たちは神さまを見失う。

 

ただ、齢を取って認知症などになると。
それまで使ってた1割・2割がダメになり、
あんまり社会で役に立たなくなる。
すると、
それまで制限されていた残り8割だか9割だかの
脳のどこかの部分が開放される、こともあるらしい。

 

それでいわゆる「妄想」が見えるようになる。
それは小さい頃いた神様なのかも知れないし、
妖精とか妖怪とか小人とか、

そういうちょっと禍々しいものかも知れない。

 

うちの義母はそこまでひどくないが、
時折、別世界に入っているのではないかと思えることもある。

 

目に映るすべてのことはメッセージ――
なんだろうか?

 

僕も一緒に朝とか夕方とか、
光が淡い時間に林を歩くと
神さまのカケラぐらいは感じ取れる。
カケラを拾い集めて、夜なべしてつなぎ合わせて明日も生きる。

おりべまこと電子書籍
子ども時間の深呼吸

だれの心のなかにも「子ども」がいる。

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もくじ
・大人のなかの子ども、子どもの中のおとな 
・ちびちびリンゴとでかでかスイカ  
・天才クラゲ切り:海を駆けるクラゲ 
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夏休みバンスキング

 

今日もまた義母を連れて近所の公園の散歩。
じつはこれにもいろんなバージョンを用意していて
大まかには川の上流へ遡るアーバンバージョンと、
下流に沿って歩くワイルドバージョンに分かれる。

 

景観はどちらかというと桜並木などがあり、
整備されているアーバンバージョンのほうが良いのだが、
ワイルドバージョンは野趣が溢れていて、

ネコやいろんな鳥に出会える。


最近は急速に木の葉が生い茂り、野草が伸び、
日ごとに夏モードへ移行しているという印象だ。

 

今日はこのワイルドバージョンの

ロングディスタンスということで、池まで足を伸ばした。

 

池端には黄色いあやめがずらりと咲いている。
そしてたも網と小さな水槽をぶら下げた子どもがうようよ。
さすがワイルドバージョンにふさわしいいシーンが展開している。
みんな、すごく楽しそうで一足早く夏休みが来た感じだ。

 

だいたい捕まえているのはザリガニやエビ、小魚などだが、
あるお母さんは
「ヘビとか捕まえてる子もいるんですよ」と話していた。
大人らが凹んでいるこのご時世でも、
子どもたちはたくましい。
勉強なんてちょっとくらい遅れてもいいではないかと思う。

 

学校が始まるのは6月1日と聞いた。
たぶん今年の夏休みはお盆の1種間程度だろう。

この状況だと例年のリゾートや夏祭りなどはほぼなさそうだから、
子どもたちにとっては今、この公園で過ごすことが
夏休みになるのかもしれない。

夏休みの前借りだ。

 

息子がチビの頃は、僕もここの池や川で
ガキどもといっしょにわんさかザリガニを捕まえたが、
さすがに大人ひとりではできません。

 

というわけでドヤ顔をしている子にお願いして、
捕まえたザリガニを1枚撮らせて頂きました。

 

ためしに義母に「ザリガニ捕ろうか?」と聞いてみたら、
「ええっ、やだやだ」と、案の定きびしく拒否。
そりゃそうだよね。

 

それにこの人は、小さい頃は
目白の豪邸で生まれ育ったお嬢様だったらしいので、
こういう遊びには縁がないらしい。
85歳で初めてチャレンジ! する気はまったくないようです。

 

 

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子ども①

「子ども時間の深呼吸」

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社会的弱者はステイホーム週間をサバイバルできるのか?

 

ステイホームウィークですが、
うちは大きな公園の裏にあるので散歩はできます。
ニュースで出てくるような混み方をするところでなく、
ちゃんとゆったり間隔を取って歩けるのが幸いです。

 

天気が良ければ毎日、午前と午後と出かけます。
なにせ義母のデイサービスを休ませているので、
相手をしないわけにはいきません。

 

認知症なので家でゲームとかで楽しむということもできない。
そもそもコロナウィルスが蔓延しているとか、
感染しないために家にいなきゃいけないということがわからない。

歩かず体力が衰えると、罹患・重篤化の確率も高くなります。

 

デイサービスではいろんな人と会って話をしたり、歌を歌ったり、
料理を手伝ったりするので退屈しないのですが、
僕たちも四六時中相手をするわけにはいかないし、
家にいると、どうしてもぼーっとしている時間が

多くなってしまいます。

 

正直、ちょっと認知症が進んだのでは?
と思えるところもチラホラ。

 

なのでやっぱり一日に1回、2回は花や木や鳥やネコや、
散歩のイヌや遊ぶ子どもを見せてあげたいんだよね。

 

僕はカメラマンを兼任して、
「あの花きれい」とか「あの鳥かわいい」とか言うと、
「はいはい、じゃ撮っときましょう」

とスマホで写真撮りまくっています。
おかげで随分ストックが貯まりました。

 

最近はほとんど外出は公園やスーパーだけど、
車いすや杖をついている人を全然見かけなくなりました。
たまたまなのか、それとも出られないのか?

 

これといった知り合いがいるわけじゃないけど、
障がいのある人や、一人暮らしの高齢者h、
インターネットやSNSなどを使わない人、使えない人は
ステイホームしていて大丈夫なのだろうか? 


コロナにかからなくても、ストレスや運動不足で

健康を害したりしないのだろうか?

 

義母を見ていると、

そうした社会的に弱い人たちの状況も心配になります。

 

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コロナストレスを打破する面白エッセイ集

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ロンドンのハムカツ:人間、「食べる」に始まり、「食べる」に終わる

 

本日の夕食はカレー。
鶏モモ肉を使ったので、皮をビローンと剥ぎ取り、
熱したフライパンにギュッと押し付けて、
ジュ―っと油を搾る。


このt鶏皮の油で具材を炒めるのだが、
その作業を僕にくっついて
義母が「へーっ」と感心しながら、
じーーっと見つめている。


カラカラのカリカリのせんべいっぽくなった鶏皮を
「食べる?」と聞くと、
嬉しそうに「うん」というので、
取り出してパラパラっと塩をふりかけてあげた。

「おいしい!」と喜びの声を上げる。


デ・ジャ・ブだ。
20年ほど前までこれと同じことをキッチンで体験した。


チビだった息子が、
いつも僕がカレーを作り始めると寄ってきて、
油を搾ったカリカリの鶏皮せんべいを欲しがった。

そして義母と同じように
「おいしい!」と満面の笑みを見せた。


季節はめぐり巡る。
人間、「食べる」に始まり、「食べる」に終わる。
子どもも年寄りも、金持ちも貧乏人も、聖人も俗物も、
「食べる」という行為のもとではみな裸になる。

だから僕は「食べる」について考える。


というと、なんだかエラそうだけど、
食べることは面白い、
食べること以上に面白いことはないかもしれない。


僕たちは「食べる」ために生きている。
世界は「食べる」ために回っている。
「食べる」を考え語ることは、
毎日をより豊かに生き、人生を広く深くすることである。

 

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「食」こそ、すべての文化のみなもと。
その大鍋には経済も産業も、科学も宗教も、日々の生活も深遠な思想・哲学も、すべてがスープのように溶け込んでいる。

「食べる」を学び、遊び、
モグモグ語るおりべまことの面白エッセイ集。
自身のブログ「DAIHON屋のネタ帳」から

33編を厳選・リライト。

 

●内容
・お米と田んぼとお母ちゃんのニッポン!
・お米を研ぐ理由と人間の味と匂いの話 
・永遠の現物支給 
・フツーのおにぎりでも日本のコメなら800円!?
・ロンドンのハムカツ
・インヴァネスのベーコンエッグ
・ニューヨーク発アボカド愛
・英国名物フィッシュ&チップスの材料にイカが選ばれるようになったグローバル化現象に関する私的考察
・フランス革命とマカロン大統領と「パンがなければお菓子を食べろ」発言の真相
・ハムカツの呪い 
・脳が構築する「風味」:人間の食と世界観
・人間の歴史はチョコレート前とチョコレート後とに分かれる(かも)
・幻想やストーリーでおいしくなる日本食 
・肉じゃがは幻想のおふくろの味 
・なんで肉じゃがはお母さん食堂のメニューにないのか? についての探求と考察
・恐竜の唐揚げ 
・キノコ愛 
・スーパーマーケットをめぐる冒険旅行 
・むかしのコロッケ、みらいのコロッケ、まあるいコロッケ
・ドラもんがどら焼きの売り上げに及ぼした経済的効果について 
・ホントは新商品じゃないけど、新商品に見せる編集・編曲の能力
・中高年はめざせ!中川屋嘉兵衛 
・「ありがとう」の思いを込めた動物供養は、世界オンリーワンの日本の文化
・「世界屠畜紀行」の「屠る」と「食べる」 
・人を食った話
・「おいしいケーキは年一度」の誓いと追憶のバタークリームデコレーションケーキ 
・脳が知っている、豆腐小僧の食歴と健康食 
・最後の晩餐の演出 
・ジャイアント馬場と大福とで創り出すアッポーな化学反応
・勤労感謝の日は農業感謝の日に
・スーパーマーケット・イン・マイライフ 
・植物のいのちは人間・動物より高次元にある 
・「酒タバコ、やめて百まで生きたバカ」の最後の晩餐は、雪のように真っ白なごはん

 

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面白いことを発見する工夫

 

義母は週に3回、デイサービスに通っていますが、
さすがに今日からお休みにしました。
いちおう1カ月ということで。

 

スーパーやコンビニなどへ買い物に連れていくのも
やめて、もう毎日お散歩オンリーです。

 

以前はお店を見るのが好きだったのですが、
なんというか、認知症でわけのわからない分、
勘が働くのか、店に入りたいと言わなくなりました。

 

人間って不思議。

 

僕の言うことはきちんと従ってくれるので
助かっています。

 

また、おかげで今まで目を向けなかったものにも
目が行くようになりました。

 

いままでと違う暮らしになっても
面白いことを発見できるよう工夫しよう。

 

 

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リスクもマスクもなき高齢者

 

「便りがないのは元気な証拠」なので、
この半月ばかり連絡していなかったが、
ちょっと気になって実家の母に電話した。

 

5分くらい話したが、どうもコロナウィルスのことなど
よくわかってないようだ。

 

「東京は大変なことになっとるのかねー。
けど名古屋はだいじょうぶだでよ」

 

んなわけねーだろ!
これだけ毎日朝から晩までテレビでニュースやってるのに
見とらんのか!

 

じつは母は肺も心臓もよくない。
肺炎で入院したこともある。
感染したらたぶんイチコロだ。

 

認知症ではないけど、こっちも半分ぼけてる。
てか、もう浮世のことなど超越しているのか?

高齢者はリスクが高いというけど、
こうなるともう本人にとってはリスクもくそもない。

 

一緒に暮らしている義母も
コロナのことなんてわからない。
だからマスクもほとんどしたことない。

 

知らぬが仏。
ある意味、幸せなことだ。
80代・90代の何割かはウィルスごときで
動じない生き仏なのかもしれない。

 


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桜と雪のミラクルコラボレーション

 

満開の散りゆく薄紅の桜と純白の雪の協奏。
一生に一度、見られるかどうかの情景です。

 

「うわぁ、外が真っ白!」と
毎5分おきに子どもみたいに義母が騒ぐので
いっしょに外に出ました。

 

ちょうど降りやんだ昼過ぎの時刻だったので、
公園にはがまんできなくて雪遊びする親子や
桜と雪に見とれるカップルが何人も。

 

外出自粛の異常事態のつかの間の天国。

異常気象、地球環境の異変でもあるのでしょう、
やっぱり。

 

けど素敵なものは素敵だし、
美しいものは美しい。
せっかくなので心に焼き付けておきたいです。

 

来年からルーティン化しちゃったら困るけどね。

 

 

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なごり雪 なごみ庵 なごり花

 

最初のピアノのイントロ10秒を聴いたら、
もうそれだけで涙腺が緩む「なごり雪」。

 

3月になるとついこの懐メロを口ずさむけど、
桜も咲いたし、今年はまさか・・・と思ってたら、
なんと明日は雪予報。

今日は半袖で過ごせる暖かさだったのに、
まさかまさかの二乗です。

 

今週は月刊仏事の「寺力本願」の執筆。
今回は月曜日に取材した横浜の「なごみ庵」というお寺の巻です。

ここの住職は「死の体験旅行®」の講師として有名。


「死の体験旅行®」とは、
もともと欧米の終末医療の現場で考案されたワークショップで、
カードとペンと想像力を使って、

死を疑似体験するというプログラム。

 

ポイントは自分が大切だと思っているものを
一つ一つ捨てていくところ。
それによって最後に、

自分にとって本当に大切なものだけが残る。

それはあなたにとって何なのか?

家族? 仕事? お金? みんなの幸福?

それとも・・・

 

僕も一度体験してみないと、と思っていますが、
うちの義母と散歩すると、
彼女はもうその域を超越しているのかも、と思えます。

 

家族とか、大切だと思ってきた記憶をどんどん捨て去って、
自分にとって本当に大切なもの――
歌や花を楽しむ気持ちだけが残っている。

 

認知症だからなんだけど、
べつに認知症にならなくても、
人間の脳が行きつく先は、結局、
自分一人の宇宙なのかなぁ。

 

なんだか人生のたたみ方を教えてもらっている気がします。
明日、雪が降ったら今年の桜も終わりでしょうか?
あと何回、桜の花を見られるでしょうかね?

 


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記憶喪失の代償に人間の脳は新たな領域に進化する?

 

東京では桜満開のニュース。
うちの近所はまだ満開とまではいかず、
七分咲きくらいで、程よい賑わい。
カミさんと義母とお花見散歩に行きました。

 

義母のことで不思議に思うのが、
認知症が進むにつれて目がよくなったこと。
以前は老眼鏡をかけていたのに、
僕たちと暮らすようになってから
まったくいらなくなったようです。

細かい字など、僕やカミさんよりもよぽどよく見える。


ついでに歯も丈夫で、
すべて自前の歯で僕らと同じものを食べ、
歯医者の世話にもなっていない。

 

アルツハイマー型認知症で脳が委縮しているのだが、
その分、視力を司る脳の機能は以前よりも

働いているのかもしれなません。

 

一般的に人間は脳の機能の8割ほどは未使用のまま、
生涯を終えるといいます。
けれども認知症になって

これまでの記憶を貯蔵する能力が失われると、
その他の部分が全体を補完するしようと動き始めるのかも。

 

人間の脳は神秘の世界。
生活習慣の変化や何らかのトレーニング、
適切な刺激によって、
もしかしたら認知症は人間を
新しい領域に進化させるのかもしれない。

桜とお茶とドーナツを楽しみながら、
そんな希望をこめた妄想が花咲きました。

 

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コロナにも怯えず“いま”だけで生きる、うちの高齢者

 

過去も未来もなく、今だけがある。
新型コロナウィルスの騒ぎもどこ吹く風。
感染・致死率のリスクの高い高齢者ですが、
きょうも3食平らげてネコのようにマイペース。


ただ義母はここのところ、デイサービスから帰ってくると
ちょっと疲れた顔を見せます。


最近は、新型コロナウィルスの影響で利用者が減っており、
それに加えて今日は3連休の真ん中ということもあって
極端に人数が少なかったため、
いつになく介護士さんたちに
いろいろ構ってもらったみたいです。


本来はありがたいことなのですが、
彼女の場合、それで気疲れしてしまうのです。


普段は、言い方はよくないけど、
介護する人たちにとって、とても楽で扱いやすい、
放っておいても大丈夫な利用者なのだと思います。


同じ利用者のなかでも歩行や運動が困難な人、
気を使わなくてはいけない人などに

手を取られてしまいますからね。


義母もその辺は心得ていて、
どうも自分は介護される側でなく、
あの施設の臨時スタッフの一人みたいに
思っていることもあるようです。

いちおう介護レベル3なんですが。


認知症になる前は、いろいろ人に気を使いすぎてた人なので
過去も未来もなくした今はネコ的に生きたい。
だからあまり構われると、
そのマイペースが崩されるような感じがするのでしょう。


新型コロナウィルスをめぐる情報ソースのなかには、
高齢者ばかりが重度化しやすいことに
何か意味を見出そうとしている考察もあるようです。


高齢化社会、100年ライフへの警鐘?
うーん、まだよくわからニャい。


高齢者や基礎疾患のある人は、
コロナに限らず、どんな病気でもリスクが高いと思いますが。


いずれにしても今回のパンデミックは、
近代社会の今後を左右する分岐点になる予感はしています。

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新型コロナウィルスはペルリの黒船か?

 

うるう年なので存在する2月29日。

本来は1日プレゼントされたような、
うれしいおまけの日なのですが、
新型コロナウィルスによる大混乱の日に。

 

どうやってごはん食べていけばいいのやら

今朝、義母を迎えに来たデイサービスのスタッフ30代男性。

ちょっとナイーブなイメージの、見ようによってはイケメンで、
けっこう義母のお気に入りです。

 

いつも出掛ける前にトイレに入るので、
しばし待つ間、新型コロナウィルスの感染について話しました。

「学校が突然休みになってしまったので、
もしやこっちも・・と思って焦りました」

 

そうですか、心配してくれてありがとう、

と心の中で感謝した次の瞬間、

「仕事が何週間もなくなっちゃったら、
どうやってごはん食べていけばいいのやら」

なんだよ、利用者じゃなくて自分のこと心配してんのかーー

と、べつに腹を立てたわけではありません。

 

そりゃそうだよね。

介護の現場は、彼のような非正規雇用のスタッフで回っています。
実働なしで給料が保証されるわけではありません。

 

国会議員の年間報酬1割を感染対策予算に

次々と中止になるイベントや、

アミューズメント施設、飲食店などのスタッフも同じ。
ちなみに僕もフリーランスなので、そのへんの事情は同じです。

 

多くの人にとっては感染の不安と同じくらい、
経済の不安、生活の不安を抱えて3月を迎えなくちゃいけない。


現にすでに倒産したり、

危機に瀕している会社もたくさんあるようです。

政府はそうした人たちに補填云々と言ってるけど、


「非常事態に際して国会議員の年間報酬
ひとりあたま1割を対策予算に回します」とか、

ドン!とそれくらいのことは言えんのかい。

 

安倍さんもこの大ピンチは、
すべての疑惑・不祥事を払しょく・挽回する
最終最大のチャンスなんだから、
命をかけて取り組んでほしい。

 

外敵襲来による強制的社会変革

2020年は変革の年とか前々とか言われていて、
ポスト・オリンピック、パラリンピックは
どうなるんだろうと論議されていましたが、
いきなりウィルスという外敵の襲来によって
強制的に社会の変革が迫られたような感じです。

まさしく幕末の浦賀。ペルリ提督の黒船襲来。

 

ついでに言うと、
タイミング悪く家のトイレットペーパーが切れそうになったので、
買いに行ってみたら、どこのスーパーやドラッグストアも

もぬけの殻。


ま、昨夜のニュースで覚悟はしていましたが・・・。
節約して使えば、あと1週間くらい何とか持つかな。

 

報道機関としては黙っているわけにいかないので
しかたないんだろうけど、
ああいう報道があると、
いくら「冷静に行動してください」と言っても無駄。

 

●正義は弱しの情報化社会

冷静な行動は正しいことだけど、

「こっちは紙がなくなっちゃったらと困るのよ。
いちいちきれいごとに付き合ってられまへん」
という声と行動に圧倒されている。


そんなわけで「正義は弱し」。

 

加えて言うと、例の誤報SNS、じつは誤報じゃなくて、
買い占めて転売して稼いでやろうという奴が仕掛けたのでは、
という話が出ています。

 

そりゃきっと本当だろうなと思ってしまう情報化社会。
そういう世界で僕たちは生きていかねばなりません。
ゴミ情報の濁流に流されず、清く正しく、愉快に面白く。

 


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人間の魂の純粋性の回復について

 

義母は認知症になり、記憶を失い、通常の社会性も失っています。
知性も半分失ってしまった、と言ってもいいでしょう。


それは人間の魂の純粋性を回復する過程なのかも知れない、
と思う時があります。
だけど残念ながら、
純真な子どもに戻れるわけではない。

 

今日は一緒に井の頭公園へ。
池で白鳥のボートに乗りました。
僕にとってもチビの頃の息子と乗って以来なので、
たぶん20年ぶりくらい、

 

足漕ぎボートなので、一緒に漕いでと言っても、
「わたしなんかできないわよ」と、やろうとしない。

 

それで僕が一人で漕いで運転していると、
ものの10分もしないうちに
「お兄さん(僕のこと)、疲れちゃうから戻りましょう。
もう十分よ」と言い出します。

 

ボートから降りて「何か飲みましょう」と言うと、
「いいわよ。お金ないし・・・」

 

この一連の言動に義母の人生が集約されているように
思えてなりません。

人間の生まれ持った魂は、
この世で生きる何十年かのうちに、
お金のことやら、家族のことやら、競争のことやら、
いろんな目に遭って損なわれてしまう。

 

特に義母のように昭和を丸ごと生きた女性の大半は
男尊女卑の考え方も植え付けられているようで、
僕に対しては随分へりくだった態度を取ります。
逆にそれでちょっとイラついたり、
悲しくなったりもします。

 

だけど今さらどうにもなりません。
どんなことで心を痛めつけられ、
そこまで謙虚、というか半ば自虐的
になってしまったのかわかりませんが、
そういうやり方で一生懸命生き抜いてきたのだから。

 

義母の魂の純粋性は、
昭和歌謡を歌ったり、
こうやって公園などを歩いて
子どもや犬を見ることで回復されるのかなと思います。

そういう意味で子どもの存在は偉大です。
ワンちゃんも。
僕ができるのは、

少しでも多くそうした機会をつくることだけです。


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認知症に学ぶ変化への対応と人間の根っこ

 

過去や実績にこだわらず、時代の変化に柔軟に対応する。

ビジネス本などでよく言われていることですが、
2020年を迎えて1か月。
これまで以上の大きな変化が訪れているような気がします。

そんなとき、認知症の義母のスタイルが参考になります。


なにせ次々といろんなことを忘れてしまうので、
瞬間瞬間を生きている。

「いつもそう言ってるでしょ」
なんてセリフは通用しない。
昨日のことも、1時間前のことも憶えてないんだから。

 

言い換えると、これはつねに自分が
フレッシュな状態でいるということです。
つまり、いつも新しい自分。

 

もちろん、それだとまともな社会生活は送れないわけだけど、
そういう人といっしょに暮していると、
「過去や実績にこだわらず、時代の変化に柔軟に対応する」
という言葉をしっかり自分の中に刻み込めます。

 

今朝もデイサービスに行く日なのに、
「あなたと一緒じゃないと出掛けない」とか言い出したので、
こりゃいかんなと思い、お迎えが来るちょっと前に、
「手紙を出すので一緒にポストまで行きましょう」と言って
外に連れ出しました。

(毎週火曜はカミさんが鍼灸治療の仕事で朝いないので、
送り出しは僕の仕事)

 

ほんの10分くらいですが、一回りして戻ってきたら
お迎えの車が到着。
そうしたら「出かけない」と言ってたことなど
ケロッと忘れて、バイバーイと出発してホッとしました。

 

駄々をこねる子どもをなだめて保育園に送るのと同じですが、
子どもと違うのは、やっぱり高齢者には「過去」があること。
いわば自分の人生の「根っこ」があることです。

 

認知症になろうが何だろうが、
その人間の根っこ、
この世の中に数十年生きて地に伸ばした根っこは
最期までけっして枯れません。

 

それはまた、誰でも自分以外の人間にはなれないということ。
世の中の役に立つ人間、求められる人間になろうという
向上心は大切ですが、
世間の情報、人の言うことにふりまわされて
根こそぎ倒れてしまわないよう
気をつけたほうがいいです。

 

こうしたことを義母から日々、学んでいます。
これからますます変わる2020年代。
なるべく頭の中を軽くして、流れに乗ることも大事ですが、
自分の根っこをつかんでおくことは、もっと大事だと思います。


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義母のカエルコール

 

「帰ります」

「どこへ?」

「わたしの家。お母さんのいるところ。

あにき(亡くなった義父)もいるし」

 

夕方、久しぶりに義母の「カエルコール」が飛び出した。

帰るっていったって一人じゃなんか分からない。

たぶん、いったん表に出たら

迷子になって二度とここに帰ってこられません。

 

夕焼けを見て帰りたくなったのでしょうか。

小さい子は「黄昏泣き」というのをしますが、

おそらくあれと同じ情動が働くのでしょう。

 

ここが今、あなたの家なんですよ。

そもそも帰るところなんて、他にどこにもないんですよ。

 

そう言いたくなるけど、

これは認知症の義母にとって、

ひどく残酷なセリフとして響くでしょう。

 

お父さんも、お母さんも、きょうだいも、

そして長年連れ添ってきた伴侶も、

もうこの世界をあとにして、

向こうの世界に行ってしまった。

ひとりぼっちで取り残されて、

帰るところなんか、どこにもない。

それって・・・。

 

あくまで僕たちが一緒に住んでいる今の家は、

母にとって仮の宿でしかありません。

いつかは自分の本当の家に帰るのだ。

心の片隅で絶えず「カエルコール」が

鳴っているのかもしれません。

 

そんなふうに考えると、人間って、

いったん世の中に出てしまった後は、

自分の帰るべきところをずっと探して旅している――

結局それが人生なんだろうか・・・

という思いに囚われます。

 

そういえば同じ認知症だった知人のお母さんが、

入っていた東京郊外の施設から脱走し、

どうやってたどり着いたのか、

家族も誰も知らない北陸の山に入って

凍死しているのが発見された

――という話を聞いたことがあります。

 

その人はどこを目指していたのだろう?

どこへたどり着きたかったのだろう?

すべてはミステリー――とのことでした。

 

今日、「カエルコール」が出たのは、

お天気いいのに僕が仕事をしていて

昼間、放っておいたせいかも知れません。

せめて30分くらいでも散歩に外へ連れ出せば、

黄昏時に切なくなってしまうこともなかったかもな・・・

ごめん。

と、ちょっと後悔・反省。

 

晩ごはんを食べるころには

カエルといったことも忘れて

ケロケロっとしていましたが。

 


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ボロ市と天使

 

「わたしは賑やかな所が好きなのよ」

と言うのが、最近の義母の口癖になっている。

 

公園やうちの住宅街の周辺を歩くと、

「人通りの少ない、さみしいところね」などとほざく。

 

公園や住宅街が新宿や渋谷の繁華街みたいに

人でごったがえしてたら困りますよ、お母さん。

あ、そうか――

といっても5分もすればもう忘れてて、

また同じセリフを繰り返す。

 

相手は認知症なのでしかたない。

しかし、というか、だから、というか、

時々、彼女が地上の人間界を

視察に来た天使のように見える。

 

そこで今日は天気も良いし、今日は

義母とカミさんと世田谷のボロ市に行ってきた。

今シーズンの初日、少々寒いがピーカンで、

しかも日曜日と重なったのですごい人出だ。

 

ボロ市は毎年1月15・16日、12月15・16日の4日間、

路面電車でおなじみ、東急世田谷線の

世田谷駅と上町駅の間で開かれている。

 

天正6年(1578年)に小田原城主・北条氏政が

このあたりで楽市を開いたのが始まりで、

400年以上の歴史がある。

 

最初は古着や古道具など農産物等を持ち寄ったことから

「ボロ市」という名前がついたとされ、

今は代官屋敷のあるボロ市通りを中心に、

骨董品、日用雑貨、古本などを売る露天が立ち並ぶ。

 

僕が目をひんむいたのが、

江戸時代、明治~戦前の時代の教科書を

まとめて売っている露店があったこと。

いったいどこからこんなものが出てきたのか。

 

明治時代のものはなんとか2~3割読めるが、

江戸時代の教科書なんて、

何が書いてあるのかチンプンカンプンだ。

 

天使さんは僕らがお供について

賑やかな場所に来られたのが、楽しいらしくい。

 

最近、とみに元気になって食欲も旺盛。

今日もお昼に入った蕎麦屋で、

天丼を1人前ペロリと平らげ、

「全然疲れてないわよ」などと言う。

その言葉通り、健脚ぶりを発揮。

僕とカミさんのほうがよっぽど疲れた。

 

3時ごろまでウロウロして、

義母には外出時用の肩掛けポシェットと、

古着屋で気に入った

300円のノルディック柄のパーカーを買った。

 

あんまり電車が混まないうちに帰ってきたが、

帰り道では、そのポシェットとパーカーを見て、

「これ何?」「これ誰の?」

と言っていた。

 

でも、今日の視察には満足したようで、

夕食を食べた終えたら、ほどなくしてAngel Sleep。

 


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認知症の義母は、オバケのQ太郎だった

 

●ばなな氏の「私のQちゃん」

オバケのQ太郎全集の2巻の最後に、

作家のよしもとばなな氏の解説が載っている。

 

彼女は大のQちゃんファンで、

藤子・F・不二雄先生が亡くなった時、

肩にQちゃんの入れ墨を入れたそうである。

 

彼女がこの解説で書いていることは、

いちいち自分にも当てはまる。

 

思えば、ラーメンという食べ物を初めて知ったのも、

オバQの小池さんに出会ったからだ。

小池さんが食べるラーメンの美味しそうなことと言ったら!

 

というわけで、マンガとともに

よしもとばなな氏の話にすっかり共感し、

より深いオバQワールドに入り込みつつある。

 

ばなな氏は、ドラえもんよりもQちゃんに肩入れしているが、

その理由は、ドラえもんが役立ちすぎるのに対して、

Qちゃんはほとんど何の役にもたたないからだと言う。

 

まさしくまさしく。

 

僕も役に立って頼りになるドラえもんより、

役立たずで全然頼りにならないQちゃんが大好きだ。

 

さらにばなな氏は、Qちゃんのキャラクターを評して、

“涙もろいし人情家ではあるけれど、わがままだしマイペースだし、

怒りっぽいし、案外なんでもすぐ割り切るし、けっこうクールなのだ”

と言う。

 

●オバQ要素てんこ盛りの認知症

これを読んで気づいたことがある。

 

義母そっくり。

 

もちろん、人によって違うだろうが、

認知症の人の多くは、こうしたちょっと

マンガチックなオバQ要素を

いくつか持っているのではないかと思う。

 

そうか、義母はオバQになったのだ。

僕は相棒の正ちゃんである。

そう考えると、一緒に過ごす日々が

楽しいし、愛おしくなる。

 

この2巻と3巻の表紙のQちゃんの表情は

本当にそっくりだ。

(ラジカセで昭和歌謡を聴いて歌うのが日課になっている)

 

第3巻ではQちゃんの家族がやってきたり、

正ちゃんを連れてオバケの国へ行ったりする。

 

●人間族はオバケ族に還る?

そこで妹のP子ちゃんがオバケの国のことを物語る。

 

「ずーっとむかし、地球にはオバケ族と人間族がいたんですって。

ところが世の中が進歩するにつれて、

ノンビリ屋のオバケは人間にかなわなくなくなったの。

 

多い詰められたオバケは、人間をおどかしたこともありました。

このころの言い伝えが、いろんなバケモノを想像させたのよ。

 

しかし、けっきょくオバケは雲の上に逃げ出しちゃったの。

オバケはうそをついたり、人をきずつけたりできなかったからよ」

 

子どもの頃は、ただ面白がって笑っていたけど、

大人になってオバQを読んで、

これほど考えさせられるとは思わなかった。

 

社会で役に立たなくなった認知症の人は、

人間の悪い部分が抜けて、

オバケみたいなところだけが残るのかも知れない。

 

オバケの国に帰る日まで良い友達でいたいと思う。

 


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認知症の義母の価値はどうやって見つけるか?

 

認知症の義母とこの4ヶ月一緒に暮らしているが、

昨日と今日はいない。

施設のショートステイに預けたのだ。

特に理由はないのだが、いわゆる「ならし」で

一度、利用してみようと思った。

 

将来的に、もし自分たちで面倒を見られなくなったら、

施設に預ける―ーその伏線でもある。

 

認知症患者専用のフロアには

魂の抜けたようなばあちゃんたちが大勢いた。

(なぜだか圧倒的に女性が多い)

比べるのは悪いが、義母は比較すると相当元気だ。

 

残していく時にはちょっと胸が痛く、

逃げるように出てきた。

 

久しぶりにカミさんと二人だったので、

新宿に行って映画を見てきた。

 

義母がいないと気楽だし、仕事もはかどるが、

ちょっと寂しい。

 

これはどういうわけだろう?

 

義母はもう社会の役には立たない人だ。

それでも一生懸命、僕らの役にたとうと

料理や掃除を手伝いたがり、洗い物や片づけを手伝う。

 

効率性を考えると、少々邪魔なこともあるが、

「手伝わなくいいよ」とは言えない。

 

役にたちたいというのは、

人間の本能の次に来るものだ。

自分の存在の証明でもある。

 

小さい子どもも役に立たないが、

子どもは「可愛さ」それ以上に「未来」という

大人にとって圧倒的にありがたいプレゼントをくれる。

 

残念ながら、老人にはそれがない。

子どものようになってしまっても、子どもではなく、

子どもと同じ価値もない。

 

ほとんど役に立たず、わがまま、マイペース。

おまけに認知症だとトンチンカン。

明日迎えに行ったとき、

はたして僕やカミさんのことを憶えているかも怪しい。

しかし、言葉にできないが、価値はあるのだ。

 

彼女といかに楽しく暮らし、

そのまたとない価値を見出せるかが、

僕の生きるテーマとなりつつある。

 


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自分がいちばん自分らしく生きていた時間の記憶が残る

 

義母はまだ結婚する前、20代前半の頃、

麻布にあったインドの駐日大使の私邸で

メイドとして働いていたそうだ。

 

この頃、彼女は一生懸命英語を勉強していて、

結構、会話もできていたとのこと。

そのせいか、ちょっと込み入った日本語よりも、

シンプルな英語の方がよくわかることもある。

 

いったい頭の中の時間軸がどうなっているのか

さっぱりわからない。

 

でも、どうやら人生でいちばん楽しい時期だったようで、

基本的には、この20代前半のイメージが

自分を自分たらしめていることは確かだ。

 

言い換えると、この頃の記憶が、

彼女のアイデンティティに繋がっている。

 

認知症も人によっていろんな症状があるし、

いろんな進行の段階があるので、

一概には言えない。

 

ただ、どうも人間、誰が家族だったかは忘れてしまっても、

自分がいちばん自分らしく生きていた時間の記憶は

最後まで残るようだ。

 

僕やあなたが認知症になったら、

いったいどの時間の、どういう記憶が残るのだろうか。

 

社会的制約をあまり受けず、

家族に煩わされることもなく、

いつも自由に、自分らしく生きていたら、

記憶が抜け落ちたりはしないのだろうか?

 

義母と付き合っていると、

生き方についてのヒントを

与えられているような気になる。

 


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善福寺川緑地アンバランス生物との記念撮影

 

善福寺緑地アンバランスゾーンに生息する

謎の生物を遂に捕獲。

 

「こわいよ、こわいよ」と言って逃げ惑う義母を

説き伏せて、

無理やりシャッターを切らせる。

 

「わかんない、できない」と言ってた割には

なかなかグッドな撮影。

 

どや!

 

しかし、を地球の平和と宇宙のバランスを保つため、

写真撮影だけにとどめ、

引き続き観察活動をすることにする。

 

見れば見るほど不気味な風貌だが、

この雨の夜、やつはどうやって過ごすのだろう?

 

異次元をトリップして、

僕の夢に入り込んできたらどうしよう?

 

おお、こわ。

 


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義母と祖母の未知のスポーツに対するリアクション

 

今日は亡き義父の誕生日だった。

甘党で和菓子が大好きな人だったので、

お菓子をお供えしようということで、

義母といっしょに買い物に出かけた。

 

義母とスーパーに行くのは、なかなか楽しい。

愛想の良い人なので、知らない人にでも

「こんにちは」とあいさつする。

 

あまりに遠慮がないので、

相手もつい「こんにちは」と返してくる。

 

小さい子どもにでも会おうものなら、

「かわいいねー、いくつ?」と、

何の躊躇もなく声をかける。

 

照れくさがる子どももいないではないが、

大体はみんな良い気分になれる。

 

9割以上の人は、義母が認知症だとは気付かない。

けどまぁ、普通の人とはちょっと違うことは確かである。

 

一緒にテレビを見ていても結構面白い。

最近、間もなくワールドカップが開幕する

ラグビーの映像がよく出てくるが、

タックルなどのシーンを見るたびに

「うわー、なんてひどいことするの!」と、

顔をしかめる。

 

「いや、お母さん、こういうスポーツなんですよ」

と説明して、その場では「ああ、そうか」と納得するが、

すぐに忘れて、次の時はまた

「うわー、ひどい」と言っている。

それでまた説明する。

 

そんな義母のリアクションを見ていて、

うちの祖母のことを思い出した。

 

うちの祖母と札幌オリンピック(1972年)の

テレビ中継を見ていた時のこと。

札幌オリンピックと言えば、

フィギュアスケートのジャネット・リンである。

 

彼女を見て、祖母はビックリ仰天して

「うわー、パンツ丸出し。なんでこんなカッコウさせるの」。

うちの母が

「おばあちゃん、こういう衣裳なんですよ」と、

母が一生懸命説明していた。

 

その後、ジャネット・リンが演技中、

転倒して尻餅をついたのを見た時の、

祖母の何とも言えない悲しそぅな顔がよみがえった。

 

祖母はその年の夏に亡くなったので、

僕にとっては「パンツ丸出し」というセリフと、

あの時の表情が、祖母の最後のインプレッションになっている。

 

義母との暮らしにもだいぶ慣れてきた。

面白がらせてくれてありがたい。

 


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純情ストーカー男と純心DV願望女の昭和歌謡

 

昭和歌謡にはストーカーするする男と、

DVしてして女が登場する。

 

前者の代表は坂本九の「明日があるさ」、

後者の代表は奥村チヨの「恋の奴隷」か。

 

高井戸図書館にはCDも置いてあるので、

歌好きな義母のために2枚ほど借りてきた。

 

耳が悪いので、そのまま聴こうとすると、

近所迷惑な大音量にしなくてはいけないので、

ヘッドホンで聴いてもらう。

 

全30曲、義母はノリノリで声を出して歌いまくる。

同じ家にいる僕としては、ちとうるさいなと思うが、

これくらいなら近所迷惑にならないからいいかとガマン。

 

認知症なのだが、若い頃に聴いた歌は

脳のどこかにこびりついていて、

心地よい世界にトリップできるようだ。

 

それにしても、義母が歌うと歌詞が気になる。

「明日があるさ」も「恋の奴隷」も大ヒット曲だが、

現代なら発禁になりそうな内容だ。

 

しかし、明るいメロディーと

歌い手の九ちゃんのキャラクターも相まって、

「明日があるさ」の主人公のストーカーまがいの行為は、

愛すべき純情男の、片思いの表現とされていた。

 

そして、子犬のように膝に絡みついたり、

「悪い時はどうぞぶって」と言う「恋の奴隷」の女は、

男にとってはたまらなく可愛い純心女だった。

 

もちろん当時は、ストーカーや

ドメスティックバイオレンスなんて言葉自体、

存在してなかったし、

流行歌や作詞家が悪いわけでもない。

 

けど、子どもの虐待が頻発し、

その原因の一つに、男の女に対するDV、

支配構造があると聞くと、

やっぱり気分が落ち着かなくなる。

 

僕も子どもや若い時分には、人生の先輩たちに

「女ってのはちょっとくらい殴って、言うこと聞かせなきゃだめだ」

なんてことをよく言われた。

 

半ば冗談であったり、子ども・若造の前で

男気を見せようという意識がはたらいて、

そんなセリフになったんだろう。

ただ、やっぱり昭和はまだ男が威張れた時代、

言い換えれば甘やかさていれた時代だったんだなと思う。

 

人間は感情で動く生き物だ。

理屈は感情で行動した後の言い訳・後付けに過ぎない。

歌は感情に深く訴えかけるからこそ、

認知症になった義母も憶えている。

 

男尊女卑(とあえて言う)の時代の空気を取り込んだ

昭和歌謡に親しんできた世代の人たちが、

セクハラやパワハラという概念に理解を示し、

現代の考え方に順応していくのは、

それだけですごいことなんじゃないかな。

 

けど、その遺伝子を引き継いでしまった若い人たちが、

まだまだ大勢いるようだ。

 

余談だが、「恋の奴隷」を歌った奥村チヨさんは

昨年、71歳で引退したそうだ。

「恋の奴隷」(改めて見るとすごいタイトル!)が

リリースされたのは1969(昭和43)年。

彼女は22歳だったが、あの歌詞には抵抗があった、

とコメントしていた。

 

けど、「わたしを奴隷にして」と歌うことで、

当時の男の心を虜にしたんだよね~。

 


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認知症の義母と神頼みの散歩

 

「いいの、手なんか握って?」

「だって手をつながないと危ないよ」

「いいの本当に? 奥さんはいらっしゃるの?」

「はい、いますけど」

「わあ、どうしよう? 奥さん、怒らないかしら?」

「だいじょうぶです。公認ですから」

「わあ、うれしい。こうしたこと一生忘れないわ」

「喜んでもらえて何よりです」

 

認知症の義母と散歩に行くと、こういう会話になる。

言ってもわからないので、

「奥さんはあなたの娘ですよ」

なんて説明はわざわざしない。

 

僕のことは「お兄さん」と呼ぶ。

まぁ確かに義母より25も若いけど、

お兄さんというほど、若い男に見えているのだろうか?

 

亡夫(つまり僕の義父)は、

「女は三歩下がって」という考え方の

関白亭主だったらしいので、

男と手をつないで

公道を歩くのに慣れていないらしく、

ちょっと恥ずかしそうにする。

 

義母には昨日も明日もない。

小さな子どもと同じで、

「いま、この瞬間」があるだけだ。

 

「いま、この瞬間」がずうっと繋がって、

僕たちの人生があり、この世界があるわけだが、

そんなこと、ふだん僕たちはまったく考えない。

 

僕たちはいつも、これまで何をしてきたか、

少しでも多くの記憶をキープし、

自分のビッグデータを作って、

何があるかわからない明日に備え、

サバイバルしようとする。

 

ところが義母は昨日なにがあったかも忘れているし、

明日どうなるのか不安に脅えることもない。

もうボケちゃってるわけだから、

齢を取ってボケたらどうしようと怖がることもない。

 

でも時々、時計を見て

「もう家に帰らなきゃ」とか言い出す。

「ここがあなたの家だよ。

あそこにあなたの部屋があるでしょ」

と言うと、「ああ、「そうか」と

一応、納得するのだが、

数分後にはまた「帰らなきゃ」と言い出す。

 

まだ一緒に暮らし始めて1週間たたないから

しかたないのだろうが、

彼女はいったいどこに帰りたいのだろう?

 

僕は認知症についてはまったく不勉強だ。

てか、あんまり余計な先入観を持って関わるのは

よくないんじゃないかと思って、

あえて最小限の知識・情報しか入れてない。

 

人それぞれいろんなパターンがあると思うが、

認知症になると、

その人本来のキャラクターや

人生の中で培ったストーリーが

集約されて表現されるようで、

義母を見ている限り、

不謹慎な言い方かもしれないけど、

とてもとても興味深い。

 

それにしても、

いったいこれからどうなるのか?

 

同じ「いま、この瞬間」を生きる人間でも

小さい子どもはこれから成長が見込める、

いわば、のびしろのある存在だが、

認知症の高齢者はそうではない。

 

「お兄さん」としては、

とにかく少しでも、

その瞬間瞬間の積み重ねを、

幸福感・安心感を持って

過ごしてもらいたいだけだ。

 

ふだんは宗教心なんて欠片もないが、

義母に関してはもう神さまに祈るばかり。

 

大宮八幡は立派な神宮で、

初詣やお花見や秋祭りで毎年来ている。

この季節は七夕飾りが美しい。

 

すっかり通い慣れたお宮だが、

義母と一緒にいると、

不思議と素直で新鮮な気持ちでお参りできる。

やっぱ人間、最後の最後は神頼みやで。

 


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