おりべまこと電子書籍新刊発売「週末の懐メロ 第1巻」

 

20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!

ブログ「DAIHON屋のネタ帳」で2020年10月から毎週連載している「週末の懐メロ」を本にしました。

 

曲やアーティストを解説する、あるいはロック史・音楽史を研究するといった大それたものでは全然ありません。

好きな曲を聴くと、とうの昔に忘れていた記憶が

どんどんよみがえってきます。

その名の通り、懐かしさと個人的な思い出に駆られて

書いているエッセイなのです。

 

タイムマシンに乗ってはるかな時間を遡ると、

ノスタルジーだけでなく、新しい発見があったり、

改めて感動してみたり、泣いたり笑ったり、

リアライズやサプライズもいっぱい。

 

僕と同じ昭和世代・20世紀世代にはもちろん、

21世紀を生きる若い世代のお宝発掘のための

ガイドブックとしてもお楽しみください。

 

なお、ブログではエッセイとともに、

YouTubeにアップされている

それぞれの曲の映像を紹介しています。

しかし、本の中ではリンクを貼れないので、

検索キーワードを書き出しました。

 

文章を読んで興味を持ったら、

ぜひお聴きになって&ご覧になってください。

良い音楽、好きな音楽をあなたの心の友に。

第1巻として♯1~♯28を収録。

 

もくじ

1 5年間/デビッド・ボウイ 【1972】

2 愛にさよならを /カーペンターズ 【1973】

3 ドント・レット・ミー・ダウン/ザ・ビートルズ 【1968】

4 嘆きの天使/ケイト・ブッシュ 【1978】

5 ソー・ロンリー/ザ・ポリス 【1978】

6 スワロウテイル ~あいのうた~ /イェンタウン・バンド 【1996】

7 青春の影/財津和夫(チューリップ) 【1974】

8 ボール&チェーン/ジャニス・ジョプリン 【1967】

9 ハッピークリスマス/ジョン・レノン&ヨーコ・オノ 【1971】

10 翼をください/山本潤子(赤い鳥) 【1971】

11 スキャットマンズ・ワールド/スキャットマン・ジョン 【1995】

12 クレア/フェアーグランド・アトラクション 【1988】

13 デジャ・メイク・ハー/レッド・ツェッペリン 【1973】

14 タイムマシンにおねがい/サディスティック・ミカバンド 【1974】

15 キエフの大門/エマーソン・レイク&パーマー 【1972】

16 少女/五輪真弓 【1972】

17 ジュニアズ・ファーム/ ポール・マッカートニー&ウイングス 【1974】

18 トムズ・ダイナー/スザンヌ・ヴェガ 【1984】

19 マーチ・オブ・ザ・ブラッククイーン/クイーン 【1973】

20 なごり雪/イルカ 【1975】

21 忘れじのグローリア/ミッシェル・ポルナレフ 【1973】

22 夢見るシャンソン人形/フランス・ギャル 【1965】

23 同志/イエス 【1972】

24 悲しき鉄道員/ショッキング・ブルー 【1970】

25 タワー/エンジェル 【1975】

26 ロッホ・セヌ―/ランパ 【1990】

27 レディ・ラック/ロッド・スチュワート 【1995】

28 残酷な天使のテーゼ/高橋洋子 【1995】

 


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週末の懐メロ120:ユー・メイ・ドリーム/シーナ&ロケッツ

 

1979年リリース。

「夢・ドリーム」という日本語と英語の掛け合わせは

ほとんどダジャレの部類だが、

そうしたジョーク感も含めて、このバンドが好きだった。

1979年はまだまだロックで夢を見られた時代だ。

 

ニューウェーブロックという印象が強いシーナ&ロケッツ。

基本はロックンロールなのだが、

細野晴臣がプロデューサーとして関わっていたせいか、

デビュー当時はちょっとテクノポップ風の

ニュアンスが混じっていた。

 

シーナのハラハラさせるような危なっかしい、

けど魅力的なヴォーカルと

インチキっぽく謎めいたカタカナ英語も懐かしい。

そして、何と言っても鮎川誠のギターがカッコよかった。

 

NHK-FMでエアチェックした鮎川参加の

YMOツアーの番組を

カセットテープに録音して長らく愛聴していたのだが、

YMOのサポートギタリストのなかでも

鮎川のギターがいちばんキレていたように思う。

 

シーナの死後8年、その鮎川が先月末、この世を去った。

そう言えば今年に入ってからYMOのドラマーだった

高橋幸宏も去っている。

 

誰が死んだってロックンロールは不滅だぜ、

と言いたいところだが、

やっぱり寂しさを禁じ得ない。

1979年は、とてもとても思い出深い年だった。

せめてシーナと鮎川といっしょに、

ユメ、ユメ、ユメ、ユー・メイ・ドリーム……

と呟いていよう。

 

 

新刊「週末の懐メロ 第1巻」

 

20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!

ブログ「DAIHON屋のネタ帳」で2020年10月から毎週連載している「週末の懐メロ」を本にしました。

2月5日(日)Amazon Kindleより発売予定。


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週末の懐メロ119:氷の世界/井上陽水

 

中学生の頃、日本の若者の音楽と言えば

フォークソングだった。

井上陽水ももちろんフォークシンガーであり、

シンガーソングライター。

けれども彼の歌には、それまでのフォークにはない

一種の異様さが漂っていた。

 

爽やか系でも、夢・希望系でも、哀愁系でも、

コミカル系でも、バカヤロー系でもなく、

ロックともフォークともつかない陽水ワールド。

あえてカテゴリー名をつけるとすれば、

劇画・文学系フォークロック?

 

いずれにしても「傘がない」「断絶」

「人生が二度あれば」「心もよう」などの

ヘヴィな楽曲群に、

当時の中学生は、まだ体験していない

人生の現実の奈落に叩き込まれたような気になった。

 

とくに「人生が二度あれば」や「心もよう」の

エンディングにはもう絶句するしかなく、

とても軽口を叩けるような雰囲気ではなかった。

 

そして、その真打として1993年にリリースされたのが、

この「氷の世界」である。

大寒波で毎日吹雪が吹き荒れる中、

リンゴ売りが声を張り上げるわ、

テレビがぶっ壊れっるわ、

ノーベル賞を狙っている引きこもりは出て来るわ、

わけのわからないアヴァンギャルドな歌詞が

ファンキーなリズムに乗って荒れ狂う。

 

ファンクともプログレッシブロックとも取れる歌だが、

けっして難解でなく、どこかポップで陽気でユーモラスで、

心地よく聴けてしまうところが陽水のすごいところ。

 

思うにそのポップさ・陽気さのエッセンスが拡大して、

80年代以降に変貌した「ニューミュージック陽水」に

繋がっていったのだと思う。

 

ところで歌詞の冒頭に出てくる「リンゴ売り」って、

いったいいつの時代の話?と思う人は多いだろう。

陽水が子どもの頃(昭和20年代)には、

まだ街中にそうした行商がいたのかなとか、

それとも昭和歌謡の「りんごの唄」(並木路子)などを

意識したのかなと思っていたが、

べつに関係ないらしい。

 

ちなみにリンゴ売りは

絶滅した昭和レトロビジネスではなく、

デジタル令和の今でもちゃんとあって、

リンゴを売り歩いて一日ン10万稼ぐとか、

それで一家7人養っているという人も本当にいるようだ。

この事実にもまた絶句。

 


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週末の懐メロ書籍化

 

ブログのネタがなかったり、あんまり気分がのらない時の

手抜きコンテンツとして始めた週末の懐メロ。

当初、YouTubeのリンク貼って、

2,3行ちょこちょこっと

コメント書いときゃOKと思っていたが、

案に諮らずや、今ではこれをやらないと

1週間過ごした気がしなくなってしまった。

 

というわけで連載2年超、100回超になったので、

電子書籍にまとめて出すことにしました。

YouTubeのリンクが貼れないので文章だけ。

今年1年かけて刊行していこうと思ってます。

 

第1巻は第1回:5年間/デビッド・ボウイから

第28回:残酷な天使のテーゼ/高橋洋子まで収録。

ただいまリライト・編集中。

今月末発売予定です。お楽しみに。

 


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週末の懐メロ118:人は少しずつ変わる/中山ラビ

 

中学生の時、ラジオで初めてこの歌を聴いた。

中山ラビというシンガーソングライターがいるのを

知ったのもその時——1974年だ。

 

心変わりした男に対する女の恨み節。

それがその時の感想だった。

中学生の耳には単なる失恋ソングにしか聴こえず、

大して印象にも残らなかった。

 

けれども、あれから50年近く経ったいま、

まったく違った歌に聴こえる。

62歳最後の夜、「人は少しずつ変わる」は、

底なしの深さを感じさせて響いてくる。

 

本当だ。

若い頃には思ってもみなかったことだが、

人が劇的に変わることなど滅多にない。

人は少しずつ変わる。

これは確かだ。

そんな当たり前のことをこの齢になるまで

はっきりわからずにいた。

 

外身も、中身も、僕も少しずつ変わって来た。

そしていつの時代も、一夜の夢冷めやらず

うかつな10年ひと昔を、懲りずに繰り返してきた。

 

何年も何十年も会っていない友だちや仲間が大勢いる。

変わってしまった姿を見たり、見られたり、

もう昔のように同じ夢を見て語り合えないだろうと思うと、

怖気づいて、このまま死ぬまで会わないで、

美しい昔の面影や、明るい声を

抱いたままでいた方がいいのではないかと、

正直、思うことがある。

齢を取るとはこういうことなのだ、と腑に落ちる。

 

中山ラビは、詩人の中山容が訳した

ボブ・ディランの曲を歌ってライブデビュー。

「女ボブ・ディラン」と呼ばれたこともあったようだ。

芸名も中山容にちなんでつけたという。

 

1972年にレコードデビュー。

レコードを買って聴いた記憶はないが、

「ひらひら」「もうすぐ」「女です」といった

タイトルやジャケットはよく憶えている。

 

その後、よくあるパターンで、

当初の素朴なフォーク風の曲は、

新味を取り入れたニューミュージックっぽい曲調に

少しずつ(?)変わっていったようだ。

 

80年代後半、音楽活動を停止し、10年後にカムバック。

以後、コロナ前の2019年までライブハウスなどで

活動を続け、一昨年7月に亡くなった。

 

最晩年、おそらく最後に近いステージだと思うが、

2019年12月に松本のライブハウスでの

演奏が上がっている。

70歳の中山ラビが、ギター1本でこの歌を歌っていた。

別に気負うことなく、20代の頃と同じように、

さして変わらぬ声で、ごく自然に。

とても美しいと思った。

 

人は少しずつ変わる。

だんだん変わってどこへたどり着くのか。

誰にも自分のことがわからない。

でもきっと、だから生きているのが面白いのだろう。

 


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週末の懐メロ117:スタンド・バイ・ミー/プレイング・フォー・チェンジ

 

いまや誰もが知る名曲中の名曲、

スタンダードナンバー中のスタンダードナンバー。

オリジナルは1961年に黒人シンガーソングライター、

ベン・E・キングがリリースした。

 

その後、1975年にジョン・レノンが

アルバム「ロックンロール」の中でカバーして大ヒット。

 

さらに1986年に公開された、

スティーブン・キング原作、ロブ・ライナー監督の

同名映画(4人の少年が死体を見つけようと冒険する話)の

テーマ曲となり、誰もが知る名曲となった。

 

60年代、70年代、80年代と年月を重ねて

広まった名曲は、もちろん、90年代にも21世紀の今も

愛唱・愛聴されており、

カバー・バージョンは400を超えるという。

 

さて、ここで歌っているのは皆、

音楽ビジネスとは無縁な無名のミュージシャンたち。

ストリートで、スラムの片隅で、自宅で、

あるいはどこかの野っぱらで、

自由に、好きなように「スタンド・バイ・ミー」を歌う。

 

この音楽プロジェクト“PLAYING FOR CHANGE”は、

2004年の第47回グラミー賞において、

ベストコンテンポラリー・ブルースアルバム部門で受賞した

アメリカ人のプロデューサー/エンジニアである、

マーク・ジョンソン氏が立ち上げたもの。

 

彼はサンタモニカの街の路上で歌う

黒人のおっちゃん(冒頭から登場するメインシンガー)の

パフォーマンスに胸を射られ、

その演奏に世界中のミュージシャン達を加え、

音楽で世界をつなぎたいという思いが込み上げたという。

 

その後、数年をかけて世界のさまざまな国を旅して、

世代を超えた名曲やオリジナル楽曲の演奏を、

のべ100人以上のミュージシャン達から収録した。

 

そして、それを編集し、

あたかも世界中のミュージシャンが、

ひとつの楽曲を一緒に演奏しているように

仕上げた動画を発表。

世界規模で大きな話題となり、

多くの人々に感動を与える一大ムーヴメントとなった。

 

このプロジェクトの収益の一部は、

非営利団体である

「PLAYING FOR CHANGE基金」を通じて、

インドやネパールにおける難民への必要物資の提供など、

直接的な援助のほかに、

南アフリカでの音楽スクールやアートスクールの設立、

子どもたちへの恒常的な指導にも役立てられ、

音楽や芸術の輪を、世界に広げることに貢献している。

 

音楽は世界を救う、平和を実現する――

1960年代から80年代にかけて盛り上がった

ポップカルチャーのムーヴメントは色あせ、

夢と消えたかに見えたが、まだ生きている。

やっぱり音楽っていいものだ、夢を捨ててはいけない

と改めて思わせてくれるパフォーマンスだ。

 


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週末の懐メロ116:カラーフィルムを忘れたのね/ニナ・ハーゲン

 

年末の30日にNHKで放送された

「映像の世紀バタフライエフェクト:

ロックが壊した東西冷戦の壁」が

とても見ごたえがあって面白かった。

 

東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」を崩壊に導いた、

ニナ・ハーゲン、ルー・リード、デビッド・ボウイ。

3人のロックシンガーの物語。

自由を叫ぶ3人の音楽は、

冷戦の壁を越えて人々の心を揺さぶった。

その番組の中で紹介された曲の一つが

ニナ・ハーゲンの「カラーフィルムを忘れたのね」である。

 

ニナ・ハーゲンは1980年頃、

パンククイーンとして世界的な人気を博した。

僕もファーストアルバムを持っていたが、

パンクというよりニューウェーブという印象が強かった。

 

彼女は旧・東ドイツ出身で、世界的ロックスターになる前、

10代の頃から東ドイツで音楽活動をやっていた。

しかし1976年、音楽家で作家でもあった養父が

政府から市民権を剥奪されたことをきっかけに、

東ドイツでの活動の場を奪われ、イギリスに亡命。

翌年に西ドイツに移って新たなキャリアを始め、

あっという間にスターダムにのし上がった。

 

この曲は彼女が東ドイツで活動していた時代の

大ヒット曲で、1974年のリリース。

同年、東ドイツの音楽チャートでトップになった。

 

一緒に旅行した彼氏がカラーフィルムを忘れたために、

記念写真がみんなて白黒になってしまったことに

怒る女の子の歌だ(当然、この時代はフィルムカメラ)。

 

第2次世界大戦の敗戦国となったドイツは

東西に分断され、西は資本主義国である

アメリカやイギリス・フランスなどの勢力下に、

東は社会主義国のソ連(現ロシア)の勢力下に

置かれていた。

 

コミカルな味わいのこの曲は、当時の若者の、

単調で色のない社会主義国の生活・文化に対する鋭い批判、

痛烈な風刺として受け止められていた。

 

当時の東ドイツの若者の多くが

この曲に刺激されてロックを聴き始め、

ロックカルチャーの影響を受け、

やがて1987年のデビッド・ボウイの伝説のベルリンライブ、

そして、1989年のベルリンの壁崩壊に繋がっていく。

 

ニナ・ハーゲンを聴く若者の一人に、

当時、大学で物理学を勉強していた

アンゲラ・メルケル元首相がいた。

ただ、彼女はロックカルチャーに浸ることなく、

反体制的な政治思想を持つこともなく、

むしろ社会主義国家に忠実な科学者として

生きていたという。

 

それがベルリンの壁崩壊で劇的に人生が変わり、

科学者から政治家に転身。

最後には統一ドイツの第8代連邦首相

(最年少で初の女性首相)となり、

4期16年間、トップを務めて2021年に引退した。

 

彼女が2021年12月に国防省で行われた退任式典で

演奏する曲として選んだのが

「カラーフィルムを忘れたのね」だった。

記者会見で選んだ理由を問われると

「この曲は私の青春時代のハイライトだった」

と答えたという。

 

メルケル元首相は国際政治の場でも

大きな存在感を持っていたが、

東ドイツ出身ということもあってか、

対ロシア外交にも辣腕を振るった。

プーチン大統領も彼女に対しては、

つねに一目置いていたという。

 

2022年、ロシアがウクライナに侵攻したのは、

メルケルが政治の世界から身を引いたために重しがなくり、

プーチンが自分の願望に

ブレーキを踏めなくなったことが一因、

と見る専門家もいる。

 

それがどこまで真実かわからないが、

国のトップを担う人たちの心理的なバランスが

どこかで崩れてしまったことは確かだろう。

 

それにしてもとっくに過去のものになったと思っていた

東西冷戦(のようなもの)がまた復活するとは

予想だにしなかった。

 

報道慣れしてしまって、

昨年のように大変だと思わなくなってしまったが、

世界の情勢はどんどん悪化しているのではないか?

 

かつては音楽が人の心を変えるだけの力を発揮したが、

今また、それは有効に働くのだろうか?

僕たちは心を揺さぶられることがあるのだろうか?

 

「映像の世紀バタフライエフェクト:

ロックが壊した東西冷戦の壁」は

近代の世界史・ロックカルチャーの一端を知るうえで、

とても充実した内容なので超おすすめです。

再放送があれば、ぜひ見てください。

 


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週末の懐メロ115:ザ・ウェイト/ザ・バンド

 

2022年最後の懐メロは、1968年リリース、

「ザ・バンド」の永遠の輝きを放つ最高傑作。

ボブ・ディランをはじめ、1960年代から活躍する

様々な超一流ミュージシャンたちと共演。

かのウッドストックフェスティバルでも歌われ、

映画「イージーライダー」の挿入歌にも使われた。

 

そして、この曲が入った彼らのデビューアルバムは、

かのエリック・クラプトンに

「俺の音楽人生を変えた」と言わしめた。

 

聖書の言葉を下敷きに

この世で生きる切なさ・苦さに

ユーモアやジョークを入り混ぜた、

不思議に明るい抜けるような旋律。

「重荷」という名の希望と自由を求める歌が、

明日へのテンションを上げる。

では皆さん、良い新年をお迎えください。

 


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週末の懐メロ番外編:イマジン/プレイング・フォー・チェンジ

 

ジョン・レノンは「ハッピークリスマス」のなかで

「戦争は終わった もし君が望むなら」と歌った。

でも、そう望まない人が世界にはたくさんいる。

彼の子供や孫の時代になっても

それはほとんど変わる気配はない。

 

日本も防衛費を増やそうとしている。

ロシア、中国、北朝鮮などの恐るべき動きを見れば

護身のためにやむなしと思う。

 

さらには日本も核を持つべきではないか、

という意見も耳にする。

今年は、世界は核の恐怖の均衡で成り立っている

という現実を、今さらのように思い知らされた。

そうだ、その通りかもしれないと思う。

 

けれども想像してみる。

もしも被爆国の日本が核を保有したと明言したら・・。

世界はそこで終わるかもしれない。

いろいろやっている持続可能な社会への取り組みも

すべてが水の泡になるだろう。

 

日本は核兵器の被害者であるが、

人類の歴史のストーリーの中で、

核を持たずに、

核の脅し合いを諫める役割を背負っている

(背負わされてた?)のではないかと思う。

 

まるでシェイクスピアの悲劇の主人公のようだが、

世界のために、人類のために、

その役割をこれからもと背負い続ける覚悟が

必要なのではないか。

 

そして今また「イマジン」を聴く。

当然ながら、いくら想像してみたって

現実はこの歌の通りにはならない。

けれどもこの曲を愛し続けるしかない。

なんだか時間が半世紀前に逆流している。

この曲が本当の懐メロになるのはまだ遠い先の話だ。

 

今年最後の無料キャンペーン実施

12月22日(木)17:00~26日(月)16:59

おりべまこと電子書籍:音楽エッセイをダブルで。

ポップミュージックをこよなく愛した

僕らの時代の妄想力

ロックが劇的に進化し、ポップミュージックが世界を覆った60~70年代、僕たちのイマジネーションは音楽からどんな影響を受け変態したのか。心の財産となったあの時代の夢と歌を考察する。

忌野清志郎、ビートルズ、藤圭子と宇多田ヒカル、阿久悠など。

ポップミュージックをこよなく愛した

僕らの時代の妄想力2

ロックカルチャーが開花して僕たちの世界はどのように作られ、社会はどう変わっていったのか? いっしょに聴いて、歌って、踊って、妄想しながら考えましょう。

西城秀樹、キング・クリムゾン、ローリング・ストーンズ、ザ・ピーナッツなど。


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週末の懐メロ114:ラスト・クリスマス/ベス

 

クリスマスには失恋がよく似合う?

僕もあなたもみんなも大好き、

山下達郎の「クリスマス・イブ」といい、

この「ラスト・クリスマス」といい、

クリスマスの定番ソングになるのは失恋の歌ばっか。

 

イギリスの男性デュオ・ワムがこの曲を歌ったのは1984年。

(ちなみに録音したのは

ジョージ・マイケルだけだったらしい)

悲しい歌詞なのに、やけに明るいメロディ。

だけど当時はそんなことも気にならず、

この曲が大好きで、この季節になるとよく聴いて

失恋しているのに浮かれた気分になっていた。

思い返せば1980年代はそんな矛盾に満ちた時代だったのだ。

 

そんな若かったバカかった頃も過ぎて、

もうここ30年近く、BGMで聴こえてくるのは別にして、

ほとんど聴く気がしなかったのだが、

ふとまた聴いてみた。

 

やっぱり若い頃は妄想が張り付いていたのか、

魔法が切れてて、ワムのオリジナル版を聴いても、

全然ピンとこない。

 

カバーはどうなのか?

名曲なのでやたらいろんな人、それも女性ばっかり、

しかも世界に名を馳せるビッグネームらが

「“わたしの”ラスト・クリスマス」をご披露しているが、

全然いいと思わない。

 

そうして辿り着いたのが、ベスという無名の歌手。

ピアノだけを強調したシンプルな演奏をバックに、

甘くかわいく歌う。

はっきり言ってワムのオリジナルより数倍いい。

これぞ魔法がよみがえる、

僕の妄想の中の「ラスト・クリスマス」だ。

 

彼女はいろいろなカバー曲で歌い、

自分でネットで歌を売っているらしい。

プライベートな写真・家族の写真(だと思う)を

入れ込んだ、妙に素人っぽい映像づくりにも好感が持てる。

きっとパパ・ママが大好きで、

「ジングルベル」や「赤鼻のトナカイ」などと

いっしょに聴いて歌って大人になったんだろう。

 

懐メロとネットを媒介にビッグネームも素人さんも

分け隔てなく音楽を提供する時代になった。

・・・というわけで、

楽しいクリスマスをお過ごしください。

 

 

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週末の懐メロ113:戦場のメリークリスマス/坂本龍一

 

これが最後のクリスマスになるのだろうか?

最期まで音楽と共に生きたいと願う

坂本龍一のソロコンサート。

 

ガンとの闘病でもうコンサートを行う体力がないと、

1日数曲ずつ、NHKのスタジオで演奏・収録した映像を

一つにつなげてコンサートを構成。

12月11日に世界に配信された。

 

「戦場のメリークリスマス」は1983年に公開された

大島渚監督の映画。

日本では坂本、ビートたけし、デビッド・ボウイという

ユニークな配役で評判になった。

そして、同名のこの主題歌のピアノバージョンは、

彼の終生の代表曲となった。

 

魂に染み入るような旋律。

いわゆるクリスマスソングではないのだが、

40年の間、この季節になると聴き続けてきた。

そして、これからも聴き続けるだろう。

 

今年はなんだか坂本龍一さんからの

クリスマスプレゼントという感じがする。

奇跡の回復を祈らずにはいられない。

 


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週末の懐メロ112:ウォーキング・イン・ジ・エア/オーロラ

 

イギリスで1978年に刊行された

レイモンド・ブリッグスの絵本

「スノーマン(ゆきだるま)」。

少年がクリスマスの夜に、

自分が作ったスノーマン(雪だるま)といっしょに

天上にあるサンタクロースの国へ遊びに行くという物語で、

それを原作に1982年にテレビアニメーションが作られた。

 

「ウォーキング・イン・ジ・エア(空を歩く)」は

その挿入歌で、少年とスノーマンが楽しく空を

散歩するシーンで流れるのだが、

なぜかとても悲しく切ないメロディ。

ラストシーンを暗喩しているのだろう。

夢はいつも切ない。

そして「スノーマン」という童話は、

実は別れや死をテーマにした物語なのだ。

 

作詞・作曲は、ハワード・ブレイク。

オリジナルの歌はセント・ポール大聖堂の

少年聖歌隊のメンバーだったピーター・オーティが歌った。

 

たくさんの人がカバーしているが、

ノルウェーのシンガーソングライター・

オーロラのカバーはそのなかで最も新しいものと思われる。

 

彼女は1996年生まれというから、

うちの息子と同い年だ。

息子がチビのときは今ごろの季節になると、

よくいっしょにスノーマンの本を読んだり、

アニメを観たりした。

 

彼女も同様にスノーマンの物語を愛して育ったのだろう。

スノーマンはまんまるで、イギリスでは

日本のドラえもんやアンパンマンのように

子供に愛される存在なのだ。

 

2013年にデビューしたオーロラは、

クリスマスシーズンになるとよく自分のライブや

テレビ番組で自分のレパートリーの一つにした

この歌をよく歌っているらしい。

 

しかし、彼女が歌うと

あのほのぼのしたスノーマンの世界とは

まるで別の、畏怖さえ感じる聖なる世界が広がる。

 

名前だけは知っていたが、

まともにオーロラを聴くのはこの曲が初めてだったので、

他にもいろいろYouTubeで聴いてみた。

 

「ランニング・ウィズ・ザ・ウルブズ」

「アイ・ウェント・ツー・ファー」

「アンダー・ザ・ウォーター」

「ソフト・ユニバース」

「ザ・リバー」etc・・・

 

完全に心臓をつかまれた。

とてつもなくユニークで、

とほうもなくイマジネーティブ。

40数年前に初めてケイト・ブッシュに

出逢った時に匹敵する衝撃度だ。

 

21世紀以降、これほど妄想力を刺激された

ミュージシャンはいない。

まさか2020年代にこんな音楽に出逢うとは!

 

一応、ジャンル分けとしてはエレクトロポップ

ということになっているようだが、

それよりもベースになっていると思われる

ケルト系・北欧系の民俗音楽の匂いに強く惹かれる。

曲によっては日本・アジア・

ネイティブアメリカンの香りも。

そして、ロックの精神をしっかり受け継いでいる。

ミュージックビデオも傑作ぞろいだ。

 

少なくとも僕にとっては現代最高のミュージシャン。

2022年はオーロラを発見した年として胸に刻んでおこう。

 

懐メロではないが、最高のお気に入り

「ランニング・ウィズ・ザ・ウルブズ」も同時UP。

ぜひ、オーロラの真髄を聴いてみてください。

 


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週末の懐メロ111:レット・イット・ゴー/ピアノ・ガイズ

 

言わずと知れたディズニーのアニメ映画

「アナと雪の女王」の主題歌。

 

「レリゴー」が

懐メロと言えるかどうかは微妙なところだが、

2013年のリリースから早や10年近く。

その人気度・浸透度、そして50年後も聴き継がれ、

歌い継がれるであろう、楽曲のクオリティの高さは、

もはや立派に名曲として殿堂入りしていると思う。

映画のサントラとしても最高峰の一曲ではないか。

 

美しさと疾走感を併せ持つメロディラインは、

吹雪の中で覚醒したエルサが雪の女王に変貌し、

瞬く間に氷の宮殿を築き上げるシーンと相まって

何度聴いても胸が熱くなる。

 

作詞・作曲は、ブロードウェイの舞台や、

映画・テレビの音楽を数多く手がけている

クリスティン・アンダーソン=ロペスと

ロバート・ロペスの夫妻。

 

制作の裏話では、出来上がってきたこの曲を聴いて

衝撃を受けたスタッフが、

ストーリーも、エルサとアナのキャラクターも

それまで作ってきたものを一掃して書き替えたという。

(エルサは当初、芯から冷酷で戦闘的な

氷の女王という悪役だったらしい)

まさに新たな作品世界の礎となるだけの

エネルギーを持った楽曲だ。

 

オリジナルの歌唱は、声優としてエルサを演じた

アメリカ人女優で歌手のイディナ・メンゼルだが、

公開されるやいなや、

世界中で数えきれないほどのアーティストが魅了され、

この名曲をカバーしている。

 

なかでも僕が好きで、冬になるといつも聴いているのが、

何もない雪原で、エルサとアナとは似ても似つかぬ

二人のおっさんが、真っ白なピアノとチェロで奏でる

インストゥルメンタル。

 

間奏とエンディングにビバルディの「四季・冬」を

絡めた超絶パフォーマンスは驚愕に値し、

テンションが上がりまくる。

 

「ピアノ・ガイズ」は、出演のピアニスト、チェリスト、

映像クリエイター、音楽プロデューサーからなるチームで、

映画音楽、クラシックを融合リアレンジし、

映像をネット上に公開。

美しい大自然の中でユーモアを交えて繰り広げられる

演奏・映像が話題を呼んでいる。

 

冷たい風が吹きすさぶ中、情熱をこめて、

この上なく楽しそうに演奏する姿は、

映画の世界をそのまま拡張したかのような

「レット・イット・ゴー」のアナザーワールドを

見事に表現している。

 

そして、凍えるような季節がやってきても、
僕たちも熱く楽しく、愛を持って
毎日を生きたいと思わせてくれる。

 

 


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週末の懐メロ110:命あるものは樹から落ちた/坪田直子

 

1976年リリース。

懐かしいけれど、ひどく新鮮な気持ちにさせられる

坪田直子の透明感のある声。

浮遊感のあるファンタジックな演奏に乗せて、

ほんの数行の詩を繰り返すだけの短い歌だが、

いかようにでも解釈できる、

とても想像力を刺激される歌だ。

 

高校生時代に見た「気まぐれ天使」という

テレビドラマで彼女が好きになり、

レコード屋でこの「ピーターソンの鳥」という

アルバムを見つけて買った。

いまや見つけるのが

難しいマイナーなレコード(CD)だが、

当時、魂を傾けて聴き込んだせいもあって、

いま聴いても1曲1曲が驚くほど個性を放っていて、

めちゃくちゃ充実した内容に思える。

 

全10曲中、6曲がいわゆるフォークソングと

ニューミュージックの間のようなメランコリックな歌、

2曲がポエムリーディング、

そしてこの曲と最後の「ほし」が、

このような短い詩のリフレインになっている。

当時としてもかなりユニークな構成だ。

 

「ピーターソンの鳥」は、同名映画のサントラである。

東京キッドブラザーズ制作の映画で、

彼女はその物語のヒロインだった。

脚本・監督の東由多加は、

かの寺山修司が主宰していた演劇実験室「天井桟敷」の

創設メンバーの一人。

寺山が発起人となって開いた力石徹の葬儀

(漫画「あしたのジョー」の登場人物)は今や伝説だが、

その構成・演出は彼が手掛けた。

 

東京キッドブラザーズは、

東由多加が天井桟敷脱退後に作ったミュージカル劇団で、

NYCのオフブロードウェイにも進出した。

映画はミュージカルではないが、

かなり音楽に精力を傾けていて、

そのこだわりがアルバム「ピーターソンの鳥」の

クオリティの高さに繋がっている。

当時としても、そして、いま聴いても

斬新でユニークなサウンドではないかと思う。

 

ちなみに映画の話をすると、

主役は秋田明大という全共闘のリーダーだった男。

どうも彼が天井桟敷や東京キッドブラザーズの演劇に

興味を持って東と仲良くなり、

この映画作りに発展したらしい。

 

ただ、映画の内容はそうした思想や政治とは関係なく、

珍しい鳥を探し続ける男と、彼と出会った女との旅を

抽象的に描いた、半分アメリカンニューシネマ風の

あまりストーリーのはっきりしない映画だった。

 

内容として思い出せるのは、

雪原やプラネタリウム、バイクで走るシーン。

そしてやっぱり坪田直子の顔と歌声ばかりである。

 

けっこう暗い、破滅的な話なのだが、

妖精のような彼女の存在が、

浄化作用になっていた印象が残っている。

 

僕は確か1978年か9年に池袋の映画館で

リバイバル上映されていたのを見たのだが、

知る限り、その後、

どこかで上映されたという話を聞いたことがない。

もう幻の映画になってしまったのだろう。

僕にとっては坪田直子の歌が聴ければ

それでいいのだけれど。

 


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週末の懐メロ109:アイ・キャント・ゴー・フォー・ザット/ホール&オーツ

 

1982年リリース。

ソウルとポップのベストブレンドを狙った

ダリル・ホールとジョン・オーツのデュオは

80年代前半にヒット曲を連発。

ポピュラー音楽史上最も売れたデュオとさえ言われる。

 

当時、僕は「プライベート・アイズ」という曲が好きで、

自分の芝居のテーマ曲に使ったりもしたが、

ホール&オーツ自体はそれほど大好きというわけではなく、

流行ってたからよく聴いてた、という程度。

 

もう何十年も聴いていなかったし、

正直、ほとんど忘れていたのだが、

この曲の独特の揺らめくような心地よいリズムは

なんだか耳の底に残っていた。

 

今回、このライブパフォーマンスを見て

改めてホール&オーツの音楽のクオリティの高さを実感。

齢を取ってよかったじゃん!

と思わずいいたくなるほど魅力的な演奏。

めっちゃシブくてダンディで、

若い頃より断然カッコいい。

 

10年近く前のライブらしいが、

ダリル・ホールも、ジョン・オーツも、

もちろんとっくに還暦を過ぎてて、

シニアならではの、

深くて芳醇なモルトウィスキーみたいな

味わいをたっぷり聴かせてくれる。

盛り上げるバックも素晴らしいの一言。

 

特に中盤以降のサックスを中心としたジャージーな展開は、

極上の酔い心地で、これはもうたまらない。

秋の夜長にぴったりの揺らめくリズムに

そのまま揺られて、いつまでも踊っていたくなる。

 


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週末の懐メロ108:ホワッツ・アップ/4ノンブロンズ

 

1992年リリース。

もう30年も経ったのか!

 

90年代指折りの名曲は、

懐メロというよりも現代に繋がる

フォーエバーヤングな歌。

そして聴く者の気持ちのテンションを上げる

フォーエバーロックな世界。

 

ちょっとユニセックスな雰囲気を漂わせる

女3人、男1人のユニークな編成。

「金髪じゃない4人」というバンド名は

ジョークと、反骨精神と、

まっとうな在り方からちょっと外れているという

屈折した思いが程よくブレンドされている。

 

(当時のアメリカ社会では、白人のなかでも

微妙なカーストがあって、

ノンブロンズーー金髪でないことは

劣等感を抱かざるを得なかったらしい)

 

そして、そんな彼女らのスピリットが

パワフルな魅力となって、

この曲に凝縮されているかのようだ。

 

♪25年生きてきたけど

まだ目的地に辿り着く希望を胸に 

あの大きな丘を上がっていこうとしているんだ

 

アタシは精一杯やるよ

どんな時でも諦めず

この社会の枠組みの中で頑張るよ

そして祈ってる

毎日ずっと祈ってる

世の中が大きく変わるように

 

もともと男社会に対する女の反抗の歌だが、

いま聴くと、あまり性別は関係ないように思える。

 

昔の25歳も、今の25歳も同じ様な思いを抱いている。

そして僕のように60歳を過ぎると、

きっとその希望の丘のてっぺんには

永遠に辿り着けないんだろうという諦観も入り混じる。

 

けど、それでもいいさ

死ぬまでその丘を登り続けようじゃないかと、

この歌詞の最後に足してみるといいのかもしれない。

 


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週末の懐メロ107:落葉のコンチェルト/アルバート・ハモンド

 

秋の歌と言えば、ビートルズの

「アンド・アイ・ラブ・ハー」、

ギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」、

そして、このアルバート・ハモンドの

「落葉のコンチェルト」である。

 

1973年リリース。

中学生の今頃の秋の夜、

ラジオにかじりついて聴いていた。

 

落葉が風に舞う秋の散歩道を

孤独を抱えて歩く男をイメージさせる

リリカルなメロディ。

なんとも美しく、ドラマチックな曲だ。

 

漠然とこれは恋に破れた男の歌なんだろうなと思っていた。

まさしく「落葉のコンチェルト」

というタイトルにぴったりの歌だ。

 

ところが今回、英語の原題を見てびっくり!

 

For The Peace Of All Mankind ——

すべての人類の平和のために

 

なんか特撮ヒーローの歌みたいである。

とはいかないまでも、

アルバート・ハモンドって、

こんなジョン・レノンみたいな歌手だっけ?

って混乱してしまった。

 

でもまぁ、ロシア・中国・北朝鮮と、

怖ろしい動きをする国がうごめく今年、

平和への願いを謳っているんなら、

ぜひ伝えたいと思って歌詞を調べてみたら愕然。

 

♪平和のために 安心のために

人類みんなの心の平穏のために

出て行っていってくれ

僕の頭のなかから消え去ってくれ

ベッドルームのドアを閉め

すべてを以前のように戻してくれよ…

 

なんだ、やっぱり女にフラれて

メソっている男の歌ではないか。

それをわざわざ「人類みんなの心の平穏のために」と

壮大なる表現にしてしまう、すごいセンス。

 

というわけで逆転×逆転で、

元通り、女にフラれた寂しい男の歌ってことで

落ち着いたわけだが、まだなぞは残っている。

 

歌詞のストーリーの中には

秋も落葉もコンチェルトも出てこない。

どうやらこれは日本のレコード会社十八番の

邦題マジックだ。

 

原題の仰々しさと曲調がさっぱり合わないということで、

レコードの発売時期が秋だったこともあり、

このタイトルがつけられたのだという。

 

前回の「悲しき天使」(メリー・ホプキン)みたいに、

可愛い娘が歌っているからこうしとけ、

みたいな手抜き仕事もあるが、

これはセンスが光っている。

 

その証拠に、「カリフォルニアの青い空」と並ぶ

ハモンドの代表曲と言われているこの曲は、

日本だけでヒットしたらしい。

 

たしかに題名が「落葉のコンチェルト」というだけで、

切なさ・美しさ三倍増。心に染み入り方が違う。

これぞ邦題の力、これぞ邦題マジック!

 

それにしても、勝手に題名を変えて売るのって、

当時は許されていたみたいだけど、

作者のミュージシャンはどう思っていたのだろう?

それから今はどうなのだろう?

著作権侵害に当たらないのだろうか?

 

いずれにしても皆さん、

すてきな音楽で秋の夜長をお楽しみください。

 


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週末の懐メロ106:悲しき天使/メリー・ホプキン

 

968年リリース。

イギリスのシンガーソングライター、

メリー・ホプキンが歌ってグローバルヒット。

とても印象的なメロディーラインなので、

若い世代でも聴いたことがある人が多いだろう。

 

僕はフランスのシャンソンの何かの曲を

モチーフにしているかと思っていたが、

原曲はロシアの歌謡曲で、

それをアレンジしたのだという。

 

さらに驚きなのが、当時、ビートルズが作った

アップルレコードからの初のシングルであり、

ポール・マッカートニーが

プロデュースしたのだとか。

 

そんな意外な事実に衝撃を受けた

「悲しき天使」だが、

僕にとってこの曲は唐十郎の戯曲「少女仮面」の

テーマ曲である。

 

唐十郎は1960年代から70年代にかけて

世の中を席巻したアングラ演劇の

劇作家であり、大スターであり、

彼の率いる劇団状況劇場は、

恐るべきスター俳優が勢ぞろいする

超パワー劇団だった。

 

その唐十郎が1969年に書き下ろし、

1970年の第15回岸田戯曲賞

(演劇界の芥川賞と言われる)の受賞作が

「少女仮面」だった。

 

この戯曲には冒頭部分のト書きで、

「メリー・ホプキンの『悲しき天使』が流れる」と

堂々と書かれている。

 

物語はさすがアングラ芝居らしく、

いろいろな幻想的なシーンがコラージュされていて、

単純なつくりではないが、

最も主軸となるテーマは「老い」、

それも女の老いである。

 

「時はゆくゆく、乙女は婆に、

婆は乙女になるかしら?」

なんて歌も挿入されるが、

おそらく「悲しき天使」が、

この物語の重要なモチーフになったのだろう。

 

この頃の邦題は、歌にしても映画にしても、

女が主役・歌い手だったりすると、

やたら「悲しき○○」「天使の○○」「○○の天使」

というのが多いが、原題はまったくこれと関係ない。

 

原題「Those were the days」は、

「あの頃はよかった・あの頃がなつかしい」

という意味で、歌詞の内容は、

まさしくな懐メロ大好きな中高年が、

青春時代の思い出に耽っている、という内容。

歌うメリー・ホプキンは当時、

まだ少女と言ってもいい18歳の女の子だった。

 

天才的物語作家で、次々と戯曲を書きまくり、

芝居を打ちまくっていた唐十郎の頭の中には、

この歌詞とメロディを聴いただけで、

「少女仮面」の構想が、

ダダダダと出来上がったのだと思う。

(確か何かの本で「三日で書き上げた」

と言っていたような記憶がある)

 

ちなみに「少女仮面」は、

僕が演劇学校に入った年、

学内の1年上の先輩方が上演して

「すげー」と衝撃を受けた思い出がある。

こんな芝居をやるなんて、

先輩方がみんな天才俳優に見えた。

今でもその時の、

ひとりひとりのキャラクターを鮮烈に憶えている。

 

また、この作品は「老い」という普遍的なテーマ、

そして役者の人数も適度で、

大掛かりなセットもいらない、

時間的にも割と短く、

上演しやすいといった要素から、

唐十郎の芝居の中で最も人気があるようで、

最近でもどこかしらの劇場でやっているようだ。

 

そして「悲しき天使」も時を超えて流れている。

18歳だったメリー・ホプキンも、

もう70歳を過ぎている。

婆は乙女になるかしら?

 

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週末の懐メロ105:剣を棄てろ/ウィッシュボーン・アッシュ

 

1972年リリース。

1970年代に人気を誇ったウィッシュボーン・アッシュは、

最近、あまり語られることが少ない。

しかし、この曲がラストを飾る「百眼の巨人アーガス」は

必聴の名盤である。

逆に言えば、他は聴かなくていいので、

「アーガス」だけは聴いてほしい。

 

内容はレコードジャケットに表現された世界そのまま。

中世の戦士が彼方の空を見つめる。

その視線の先、霧に霞む山の向こうに

かすかに見え隠れするUFO。

過去と未来を繋ぐ、恐ろしくイマジネーティブな音楽が、

1曲目「時は昔」のギターのイントロから展開する。

 

ウイッシュボーン・アッシュは

一般的にはハードロックに分類されることが多いが、

彼らが最も輝いた、この「アーガス」の世界は、

プログレッシブ・ロックのノリである。

 

それもシンセサイザーなどのキーボードを使わず、

ツインリードギターとベース・ドラムの編成で

繰り出すサウンドは、シンプルで味わい深く、

他のプログレバンドにはない独特の美学がある。

 

このアルバムは、いわゆるコンセプトアルバムとは異なり、

特に一貫したストーリーや

明確なテーマがあるわけではない。

しかし、美しくユニークなジャケットにも表現された

統一された世界観は、

却って聴く者の心に、さまざまなストーリーを湧かせる。

 

そして、そのエンディング曲、

ツインギターの独特の哀愁を帯びた「剣を棄てろ」は、

当時の東西冷戦に対する反戦歌とも解釈できる。

 

剣を棄てろ

戦いは終わった

勝者も敗者もない。

闘争の怒りはただ漂流するだけ・・・・

 

50年の年月が経ち、

今また世界は同じ時・同じ道を巡っている。

いつか「剣を棄てる」時代は来るのだろうか。

 


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週末の懐メロ104:ロコモーション/ゴールデン・ハーフ

 

1973年リリース。

本日、鉄道開通150年。

「鉄道の日」にこじつけてロコモーション。

 

前々回のキャロル・キングの時、

このスタンダードナンバーは

キングの作曲だと初めて知ったので、

あっちこっち聴いてみた。

 

1962年のリトル・エヴァという、

アメリカの黒人女性歌手が歌ったのがオリジナルだが、

さすが名曲だけあって、古今東西、

数多の歌手がカバーしている。

 

僕が初めてロコーモションを聴いたのは、

わが日本のゴールデン・ハーフの歌で、だった。

キュートでセクシー。

いま聴いても楽しくて可愛くて

いちばんロコモコしてると思う。

 

ゴールデン・ハーフは1970年代前半に活躍した

全員ハーフの女性グループ。

最初は5人組(この頃は知らない)で、

次に4人組(たぶんこの頃が最盛期)、

最後に3人組になった。

 

明るいお色気をふりまき、露出度も高く、

ビキニの水着で歌っていたのが印象的。

当時はまだ小学生だったが、

鼻の下を伸ばしてテレビを見ていた。

 

バラエティもこなし、

たしかドリフターズの番組でも活躍していたと思う。

 

この頃はアイドルと言えば「清純派」が

持て囃されていた時代(今もそう?)なので、

そちらが最高級品とされており、

お色気とお笑いがウリのゴールデン・ハーフは、

B級アイドルの位置づけだった。

 

でも今見ると、当時の他の清純派アイドルたちが

到底かなわないほどダンスにキレがあって、

歌もうまい。

そして、さすがハーフというべきか、

スタイル抜群で英語もキレてる。

 

思えば、この「ロコモーション」をはじめ、

「黄色いサクランボ「バナナボート」

「太陽の彼方」「2万4千回のキッス」など、

このあたりのスタンダードは、

みんなゴールデン・ハーフで初めて聴いた。

 

当時の子どもにとっての洋楽ポピュラー入門編。

彼女らの貴重映像に巡り合い、

またもや鼻の下を伸ばしている。

 


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週末の懐メロ103:自由に歩いて愛して/PYG(ピッグ)

 

1971年リリース。

アイドル感が強かった

1960年代終わりのGS(グループサウンズ)。

熱狂的なブームが終わり、

そのメンバーたちが集まって

「本格的なロックをやろうぜ」と作ったバンドが

PYG(ピッグ)だった。

 

ザ・タイガースから

ヴォーカル・沢田研二(ジュリー)と

べース・岸部修三(のちの一徳)。

 

ザ・テンプターズから

ヴォーカル・萩原健一(ショーケン)と

ドラムス・大口広司。

 

ザ・スパイダースからギター・井上堯之と

キーボード・大野克夫。

 

GSブームの頃、おとなたちは

「なんだ、あの女オトコどもは!」と怒っていた。

年上のいとこのお姉ちゃんたちは

ジュリーにキャーキャー言ってた。

いとこの兄ちゃんからは

「ショーケンは子どもの頃、

よくおねしょをしてたから

ショーケン(小便+健一)っていうんだって」

と教わった。

 

僕はまるっきり子供(小学校低学年)だったので、

髪の長い兄ちゃんたちがワイワイ歌を歌っているな、

でもエレキギター弾けるとカッコいいな、

という印象だった。

 

ワイワイ、アイドル扱いされていたGSも

あっという間に消費されてしまって、

ロックかぶれの先輩がたは

「あんなの、オンナ相手の子供だましバンドだ」と

馬鹿にしていた。

 

けれども、彼らの音楽性と演奏力は

優れたものだった。

PYGがそれを証明した。

注目されたのは、もちろん超人気アイドル、

ジュリーとショーケンのダブルヴォーカルだが、

バックの4人がすごかった。

彼らはのちに井上堯之バンドとなり、

日本のロック・ポップの世界に金字塔を打ち立てる。

 

井上堯之バンドの代名詞となる

「太陽にほえろ!」のテーマも、

最初はPYGの名義で演奏されたらしい。

 

「自由に歩いて愛して」は、

デビュー曲「花・太陽・雨」に続く

セカンドシングル。

どうやって手に入れたのか憶えてないが、

僕もレコードを持っていて、よく聴いていた。

 

まさしくあの井上堯之バンドのロックサウンドが

ここにある。

詞も素敵で、50年後のいま聴いても、

いや、いま聴くからこそ心に刺さるものがある。

 

これだけのスーパーバンドでありながら、

PYGは不遇で、当時のロック=反体制の信奉者から

商業主義バンドと罵倒されたり、

コンサート会場ではジュリーファンと

ショーケンファンの対立が激しく、

一体化できなかった。

所属事務所のマネージメントもよくなかったらしい。

 

思ったほどレコードは売れず、

マスコミからは見掛け倒しと叩かれ、

結局、鳴かず飛ばずで終わってしまった。

 

しかし、PYGで自分たちの音楽、

本格的なロックを追究したからこそ

メンバーたちのその後の輝かしいキャリアが

築かれた。

 

ドライブ感満点のベースを弾いていた岸部修三も

岸部一徳という存在感抜群の俳優となって今も活躍。

ジュリーもショーケンも歌手・俳優の両面で成功。

二人とも自分のライブでは愛と誇りを持って

この「自由に歩いて愛して」を歌っていた。

 

うん、やっぱりカッコいい!

もうこのメンバーのうち、

半分の三人がこの世を去ってしまったが、

PYGよ、永遠なれ。

 

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週末の懐メロ102:去りゆく恋人/キャロル・キング

 

1971年リリース。

この曲が収録されたアルバム

「つづれおり」(Tapestry )は、

全米アルバムチャートで15週連続1位、

その後も302週連続でトップ100に留まる

ロングセラーとなり、

グラミー賞でも4部門を制覇した。

 

それだけでなく、現在も聴かれ続ける

ポップミュージックの名盤中の名盤として名高い。

この四半世紀、ローリングストーン誌などをはじめ、

いろいろな音楽雑誌やサイトなどで

何度もロック・ポップス名盤ランキングが

開催されているが、いわゆる一般的なランキングで、

「つづれおり」はつねに十傑に入っている

という印象がある。

それだけ多くの人に、

世代を超えて訴える普遍性があるということだ。

 

キャロル・キングは1960年代、

弱冠16歳からプロの音楽家として活動している。

今回、知ってびっくりしたのは

「ロコモーション」をはじめ、

今でも有名なR&B系のスタンダードナンバーの多くが

彼女の手によって書かれたということ。

 

最初の夫となったジェリー・ゴフィンとコンビを組んで、

ソングライターとして全米ヒットを連発していたのである。

ビートルズのレノン=マッカトニーも、

最初はゴフィン=キングを目指していたという

逸話さえあるようだ。

 

そんな彼女が夫とのコンビを解消して、

今度は自らシンガーソングライターとして活動を始めて

2枚目のアルバムが「つづれおり」だった。

このアルバムが後世のミュージシャンに与えた影響は

計り知れない。

そして、もしかしたらその影響力は

日本の女性ミュージシャンたちに

最も大きく及んだのではないかと思える。

 

彼女の作曲の素晴らしさ、アルバムの充実度に加えて、

ジャケット写真がとても印象的だった。

 

日の当たる窓際で、猫といっしょに

セーターとジーンズ姿でたたずむキングの姿は、

「自由な新しい女」として、一つの世界を、

これからのライフスタイルを提示していた。

それもジャニス・ジョプリンのような

常人離れした激しすぎる生き方でなく、

愛情と平和と穏やかさを伴った、日常の中の新しい人生を。

 

事実、キングは五輪真弓のアルバム制作にも関わっており、

日本の音楽界とも縁が深い。

もしも彼女がいなかったら、

そして「つづれおり」というアルバムがなかったら、

日本でこれほどフォークソングも、

ニューミュージックも

発展しなかったのでないかと思えるくらいだ。

 

僕自身は正直、

これまでキャロル・キングにあまり興味がなく、

昔、ラジオでときどき聴いたな~くらいの印象だった。

 

僕が音楽をよく聴き始めた中学生時代—ー

1970年代の半ばには、すでに彼女はレジェンドであり、

当時の変化の激しい音楽界において、

過去の人になっていた感がある。

 

そんなわけで最近、改めて聴いてみたら、

たしかにこれだけいろいろな音楽を聴いた耳にも

「つづれおり」の楽曲群は新鮮に響く。

これはやはり現代のポップスのバイブルと言える

アルバムなのだ。

 

中でもいちばん好きなのが「去りゆく恋人」である。

この曲は中高生時代、女性のDJの

「秋になるとキャロル・キングが聴きたくなるんです」

というセリフとともに、

ラジオで何度か耳にしたことをよく憶えている。

 

BBCに、これまた当時、

シンガーソングライターとして大活躍していた

盟友ジェームス・テイラーと共演したライブ。

若くして素晴らしい貫禄。

そして、心に染みわたる「自由な新しい女」の歌声。

 


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週末の懐メロ101:ザ・ビッグシップ/ブライアン・イーノ

 

1975年リリース。

アンビエントミュージック(環境音楽)の原点であり、

巨大な船で僕たちの心をはるかな海へ曳航してくれる

ブライアン・イーノの最高傑作。

 

イーノはグラムロックとプログレッシブロックの

あいの子みたいなバンド「ロキシーミュージック」の

キーボードプレイヤーとして70年代の初めにデビュー。

 

その頃は奇抜なファッションと

アバンギャルドなパフォーマンスで話題を集めたが、

ソロになってからは独特の音楽世界を築き始めた。

 

この曲が収録された3枚目のソロアルバム

「アナザー・グリーン・ワールド」は、

1980年代になってブレイクし、

新たな音楽ジャンルとして成立する

アンビエントミュージック(環境音楽)の先駆的作品。

 

その後、イーノはいわゆるロック、ポップミュージックとは

一線を画した音楽活動を続けるが、

当時のミュージシャン、アーティストらに

与えた影響は絶大で、

ロバート・フリップ、デビッド・ボウイ、

トーキングヘッズ、U2など、

数え上げればきりがない。

 

そしてアンビエントミュージック(環境音楽)の

開発者の一人として、

映画や美術などの世界にもその影響力は広がった。

 

いまや懐かしのマイクロソフト・ウィンドウズ95の、

あの起動音を作曲したのもイーノだった。

コンピュータ時代の幕開けを彩った

わずか3秒の鮮烈な序曲。

 

人間の無数の感情の一つ一つを構築して作ったような

「ザ・ビッグシップ」には、

信者ともいえる熱烈なファンが大勢いるようで、

YouTubeには「THE BIG LOOP」と題して、

10時間という長大な編集バージョンも上がっている。

 

瞑想曲として、作業用BGMとして、

仕事や生活のあらゆる場面で愛聴できる、

そして日常の風景を非日常的なものに変えてしまう

このマジックナンバーは、

ひとりひとりの心の無意識の領域で

まるで血流のうねりのように響き続ける。

 


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週末の懐メロ99:ヴィクトリア/キンクス

 

1969年リリース。

エリザベス女王の訃報を聞いた時、

真っ先に思い浮かんだのは、

ビートルズの「ハー・マジョスティ」と

セックス・ピストリズの「ゴッド・セーブ・ザ・クイーン」。

そして、このキンクスの「ヴィクトリア」だった。

 

一時期、英国ではビートルズ、

ローリングストーンズと

肩を並べる大人気バンドだったキンクスだが、

日本での人気はイマイチで、

僕も20歳を過ぎるまで聴いていなかった。

 

しかし、1980年代になってヴァン・ヘイレンが

彼らの代表曲「ユー・リアリー・ガット・ミー」を

カバーして世界的大ヒットになったのをきっかけに、

キンクスの人気も再燃。

 

このライブが収められている

「ワン・フォー・ザ・ロード」は

ヒット曲満載で演奏内容も弾けまくっていて、

大好きだった。

中でもこの曲は、

僕にとっての最高のキンクスナンバーだ。

 

「ヴィクトリア」とはもちろん、

エリザベス女王のひいひいばあちゃん。

経済・産業が支配する現代の世界の始まりを作った

大英帝国の元首・ヴィクトリア女王のことである。

 

♪幸福な僕は愛する国に生まれてきた

 貧しくたって自由なのさ

 大人になったら戦争に行って

 お国にために戦うよ

 女王の栄光よ 永遠に

 ヴィクトリア ヴィクトリア

 

めっちゃ明るく元気なロックンロールに乗せて

歌う歌詞は猛毒のてんこ盛り。

強烈な社会批判、

半世紀前の高齢者の老害に対する糾弾を含めて、

偉大なるヴィクトリア女王を皮肉り倒して見せた。

 

ビートルズやセックス・ピストルズもそうだったが、

権威に対する反抗的な姿勢は痛快だった。

 

ただ、いま聴くと、

懐の深い母親や祖母に見守られて、

跳ね回っている腕白小僧たちにも見えるのだけど。

 

いずれにしても、自由にロックできる世界が

これからもずっと続くことを願ってやまない。

 

 

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週末の懐メロ98:アイ・キャント・ハヴ・ユー/ イヴォンヌ・エリマン

 

先週に引き続き、世界的に大ヒットした

映画「サタデーナイトフィーバー」の挿入歌。

1978年リリース、全米シングルチャートで1位を記録した。

 

僕にとっては「恋のナイトフィーバー」や

「スティン・アライブ」よりも、

この曲が最もあの時代の空気をまとっているように思える。

 

歌手のイヴォンヌ・エリマンは、

ハワイ生まれの日系アメリカ人。

1971年にロックミュージカル

『ジーザス・クライスト・スーパースター』

さらに1973年の同作の映画でも

マグダラのマリア役を演じて人気を得た女優でもある。

 

若い頃はもっと日本人っぽい顔をしていたが、

この映像(2000年代だと思う)では

貫禄がついてポリネシアンらしくなった。

 

そして、彼女と同じく貫禄のついた

ディスコ世代のダディ、マダムが

「30年後(40年後?)のナイトフィーバー」という感じで

楽しそうに踊る姿は素敵であり、

同時にちょっと笑えたりもする。

 

大好きなこの曲、惜しいと思うのは

もっと気の利いた邦題が付けられなかったのかということ。

「アイ・キャント・ハヴ・ユー」では

味もないし、平凡でインパクトに欠ける。

 

「サタデーナイトフィーバー」には

「愛はきらめきの中に」なんて

素晴らしい邦題もあったのに。

(原題:How Deep is your Love)

 

こちらの原題は「あなたがいないと」という意味なので、

いくらでも考えられそうなものだが、

なんで日本のレコード会社は、

頭の「If」を取るだけという中途半端な手抜きをしたのか、

いまだに謎である。

 

 

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無力な状態で生きなくていけないため、親に「守ってあげなきゃ」と思わせる。

だから赤ちゃんはかわいいのだ――というのが今では定説。

でも、そうした戦略だけではないのではないか?あのかわいさには、もっともっと人間の心の根源にひびく秘密がありそうだ。そう考えて男の目線から赤ちゃんについて考察した表題作。ほか、子どもをテーマにした面白エッセイ35編を収録。

 

 


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週末の懐メロ97:恋のナイトフィーバー/ビー・ジーズ

 

夏の終わりはディスコでフィーバー!

って、どんだけ昔の話なんだ?と思ったら、

1977年12月のリリースだった。

 

ジョン・トラボルタ主演映画

「サタデーナイト・フィーバー」の主題歌。

日本ではアメリカに遅れること半年、

1978年7月の公開。

 

そうだった、そうだった。

東京に出てきた年の夏休み、

学校の友だちやバイト仲間と、

新宿、池袋、赤坂、六本木など渡り歩き、

アホみたいにフィーバーしてた。

いっしょに踊ってた一人一人の顔が目に浮かぶ。

 

この頃から10年くらいは

ディスコの黄金時代だった。

口にするのは恥ずかしいけど「青春のディスコ」だね。

 

この映画、トラボルタは普段はペンキ屋のあんちゃんで、

週末だけディスコ輝いている、という設定。

そして出逢った女性と恋に落ち、

ダンス大会に出場するというストーリーだったが、

メッセージとしては

「ディスコみたいなところばっか行ってたら、

ロクな大人にならないぞ」みたいなことだったと思う。

それに相反するように、

以後、世界中でディスコ文化が出来上がり、

僕らの世代は一生引きづっている。

 

かつてのディスコブームは、はるか夢の彼方だが、

ビー・ジーズのこの曲は、

いま、普通に聴いていてもすごく良い曲だ。

踊らなくてもいいから、ずっとずっと聴いていよう。

 


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週末の懐メロ96:レット・イット・ビー/上々颱風

 

オリジナルはもちろん、1969年のビートルズ。

それを上々颱風(シャンシャンタイフーン)が

独自のアレンジで1991年にリリースした。

 

過去50年あまり、この偉大な楽曲に魅了されて

数多のミュージシャンがカバーしてきたが、

あまりに孤高過ぎて、

誰もその美しさの半分すら表現できない。

当の作曲者のポール・マッカートニー自身の歌・演奏すら

あんまりいいと思わない。

 

マッカートニーひとりでは駄目なのだ。

あの時代、ほとんど解散状態だったビートルズ。

それでもあの4人が揃っていたからこそ編み出せた

最後のマジック。

それが「レット・イット・ビー」なのだ。

 

しかし唯一、まったくベクトルは違うけど、

原曲と同等レベルの感動を味わえるカバーがある。

それがこの上々颱風の

自称「ちゃんちきミュージック」の演奏だ。

 

「三線バンジョー」を中心に、

パーカッション、ベース、キーボードのほか、

いろんな和楽器や民族楽器、

そして女性二人のツインボーカル。

 

琉球音階などアジア民謡、レゲエなどのエッセンスを

取り入れたお祭りビートの「レット・イット・ビー」は、

原曲をリスペクトしながら、見事なアレンジに成功。

もし凹んでいたら人にぜひ聴いてほしい、

涙が出るほど元気になる音楽だ。

 

1年前に紹介した金沢明子の「イエローサブマリン音頭」

(大滝詠一:編曲、松本隆:訳詞)もそうだが、

思いがけないことにビートルズナンバーって、

日本のお祭りとめっちゃ相性がいいのだ。

もしかしたら探せば、他にもあるかも。

カバーするならぜひ挑戦してみてください。

 

 

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週末の懐メロ95:オー・マイ・マイ/リンゴ・スター

 

1973年リリース。

この曲が収録されたアルバム「リンゴ」は、

ビートルズ解散後、

リンゴ・スターの初めてのオリジナル曲集。

他のメンバー3人も曲を提供したり、

録音に加わっていることから、

発表当時、

ビートルズ再結成説がまことしやかに飛びかった。

 

僕は高校時代に友だちから、

このレコードを100円だか200円で買った記憶がある。

その頃は緊張感の強い曲が好きだったので、

どうもこういうリラックスムードが気にいらなかった。

ビートルズ時代の曲もそうで、

「黄色い潜水艦」とか「タコさんのお庭」とか、

リンゴの歌う曲はマヌケな歌・お笑いか?

と思わせるような歌ばかりで、

ビートルズのカッコよさを損ねていると思っていた。

 

ドラムも後から出てきたハードロック、

プログレッシブロックなどの

ドラマーと比べて地味で、全然カッコよくない。

 

1960年代から70年代のロックドラマーは

ジャズドラマーに習って、思いっきり腕前を見せつける、

派手で長尺のドラムソロを披露するのが一流の証だった。

 

しかし、一度もそんなことはやったことがなく、

それもまたリンゴ・スターは二流、三流で、

たまたま他の3人がすごかったから一緒に売れただけだと、

さんざんディスられていた。

 

けど、いくらすごいドラマーでも、

ドラムソロが5分も10分も続いた日にゃ、

よほどのマニアでなければ飽き飽きしてしまう。

ライブでならまだいいが、レコードでは退屈でしかたなく、

たいていその部分は飛ばして聴いていた。

 

そうしたリスナーの心理を知っていたのか、

リンゴ・スターは、

「誰もレコードでドラムソロなんて聴きたくないから」

と言って、目立とうとはしなかった。

 

そんなビートルズ時代の彼の姿勢は、

今ではほとんどの評論家に支持されており、

「ビートルズのハートビート」

「ドラムで曲に表情を付けられる天才ドラマー」として

リスペクトされている。

 

リードヴォーカルを取ることも、

作曲をすることも少なかったが、

アルバム1枚に1曲、彼の歌声が聴こえてくると

なんだかホッとする面があった。

 

キャラクターもユニークで、他の3人に比べて、

なにか次元の違う場所にいるような奇妙な味がある。

たとえドラムがリンゴ・スターでなくても、

レノン=マッカートニーの天才ぶりを考えれば、

やはりビートルズは偉大なバンドになっていたとは思う。

 

ただ、ロックミュージックの変革者たる彼らが、

ここまで世界中で多くの人々に愛され、

「ビートルズ」という、後の世代まで親しまれる、

ひとつのカルチャーになり得たかというと、

疑問符が浮ぶ。

単なるドラマーの域を超えたリンゴ・スターの存在感。

本当に不思議な存在感。

 

ビートルズの4人を四季に例えてみると、

ジョージ・ハリスンは秋、

ジョン・レノンは冬、

ポール・マッカートニーは春、

そして、やはり「イエローサブマリン」や

「オクトパス・ガーデン」のイメージからか、

リンゴ・スターは夏。

 

ハッピーでノー天気な「オー・マイ・マイ」は

彼のソロ曲の中でも、僕としてはベストナンバー。

この齢になって知るリンゴ・スターの素晴らしき世界。

 

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週末の懐メロ94:おしゃべり魔女/トムトム・クラブ

 

1981年リリース。

ヒップホップやレゲエのソースを

だぼだぼにぶっかけたアフロビート。

ポップスとのこんなにこってり濃厚な

ミックスアップを聴いたのは

初めてだったので、ガチぶっ飛んだ。

 

いま聴いても、もちろんサイコーにユニーク、

サイコーにとんがったダンス・ポップで、

楽しさ106106パーセント。

 

彼女らのオリジナル曲だが、

元ネタはモロッコの子どもたちが遊ぶときの

わらべ歌だったという話もある。

そう言われると、なんとなく納得。

 

トムトムクラブは当初、

80年代ニューウェーブの最先鋒だった

トーキング・ヘッズのメンバー、

ティナ・ウェイマス(ベース)と

クリス・フランツ(ドラム)の夫婦による

プロジェクトバンドだった。

 

バンド名は、トーキング・ヘッズが

レコーディングで使っていたバハマのスタジオに隣接する

ミキシング施設から来ているという。

 

このデビュー・シングル

「おしゃべり魔女(Wordy Rappinghood)」と

セカンド・シングル

「悪魔のラヴ・ソング(Genius of Love)」は

どちらもビルボードのホットダンスプレイチャートの1位を記録。

 

真夏のクソ暑い一日の終わり、

頭からっぽにして、

おしゃべり魔女のリズムに身をまかせよう。

 

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レビューお待ちしています。

皆さんの読書体験をお聞かせください。

 


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ロック/ポップミュージックからいただいた一生モノの妄想力

 

一昨年秋からブログで毎週連載している

「週末の懐メロ」がそろそろ100回になる。

最初は手抜きコンテンツーーYouTubeのリンクを貼って

適当なことを200字程度書いとけばOKや――として始め、

年内いっぱいぐらい続けるかと思っていたが、

どんどん感情移入が進み、

個人的思い出を交えて好き勝手に書いている。

 

ネットでは音楽関係の業界とおぼしき人や、

僕より100倍詳しいロックおやじがいっぱいいて、

そうした人たちの知識に比べれば微々たるものだが、

自分の音楽体験は唯一無二のもの。

物書きになったのも、中学生から高校生にかけて、

音楽雑誌やレコードのライナーノーツをむさぼり読んだ

読書経験に由来する。

 

僕が音楽にどっぷりハマっていたのは、

70年代後半から80年代前半の10年程度だが、

良い時代にロック/ポップミュージックに夢中になれ、

そして今またその頃の曲をYouTubeで

好きな時に好きなだけ聴けたり、

当時は存在すら知らなかったライブやプロモ映像、

テレビパフォーマンスなどを見られて幸せに思う。

おかげで一生モノの妄想力をいただいた。

 

というわけで、「週末の懐メロ」はもう少し、

ネタがなくなるまで続けるつもりだが、

そろそろ2,3巻に分けてまとめてKindleで出版する予定。

ただ、KindleはYouTubeのリンクは載せられないので、

かなりリライトする必要がありそうだ。

それもまた楽し。

 

 

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週末の懐メロ93:スイム/パパズ・カルチャー

 

ラジオからイルカの声が聴こえてくると、

「お、今日も始まった」という感じで、

トロピカルなサウンドが流れてきた。

 

1993年の夏のことなので、

ちょうどカミさんと一緒に暮らし始めた頃だっただろうか。

J-WAVEの朝の番組で、

ほぼ毎日のようにこの曲が流れていた。

ジョン・カビラがいつも

「暑い日はゆったり過ごしましょう」とか

「泳ぎに行きたいですね」とか言っていたのを思い出す。

歌詞の中にもあるように、

本当に今すぐジャボンと海に飛び込んで

泳ぎたくなる歌だ。

 

パパズ・カルチャーは、

ベーシストでコンポーザーのハーレー・ホワイトと、

ギタリスト兼ボーカリストのブレイク・ディビスの

2人による音楽デュオ。

アルバム1枚で解散してしまったようだが、

シングルカットされたこの曲はあの夏、

世界中で大ヒットした。

 

まったり、うねうね、それでいてファンキーな

独特のノリが酷暑にぴったり。

オーシャンビューをイメージしながら

楽しく、リラックスして夏を乗り切ってください。

 

 

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週末の懐メロ92:ジェニーはご機嫌ななめ/ジューシィ・フルーツ

 

♪きみとイチャイチャしてるところを見られちゃったわ

それをペチャクチャ言いふらされて わたしピンチ

 

という、ある意味、衝撃的な歌詞をロリ声で歌う

テクノポップというか、歌謡ロックが

1980年にヒットした。

当時、売れっ子だった近田春夫のバックバンドから独立した

ジューシィ・フルーツ。

「ジェニーはご機嫌ななめ」はそのデビュー曲・代表曲で、

近年、パフュームをはじめ、

いろんなミュージシャンにカバーされている。

 

プロデューサーは当の近田春夫で、

テクノポップ×アイドル歌謡の路線を狙って売り出したのが

見事に当たった。

 

当時の大人から「幼児化現象」などと揶揄された

ヴォーカル・イリアのロリ系ファルセット

(わざと地声より高い声で歌う唱法)と

明るく軽くチープなサウンドが、すごく新鮮で面白かった。

 

いま改めて聴いてみると、

チープさ・オモチャっぽさを際立たせるために、

すごくしっかりした演奏力を持っていたのがわかる。

特に間奏は、実力あるロックバンドを証明するカッコよさ。

 

イリアのギターソロもしびれるが、

それを支えるベースとドラムのノリがすごくいい。

 

この時代は、文学性・思想性をまとい過ぎて

重厚長大化してしまった60~70年代のロックに反発し、

初期のシンプルなロックンロールや

甘いポップスに回帰しようというムーブメントがあった。

「たかがロックンロール、たかがポップミュージック、

楽しけりゃいいじゃん」というノリ。

 

ジューシィ・フルーツがウケたのは

そんな背景もあると思うが、

やっぱ、良い曲は時を超えるという、

当たり前の結論にたどり着く。

 

オマケについている2曲目の「はじめての出来事」は、

70年代アイドル、花の中3トリオの一角、

桜田淳子のヒット曲のカバー。

わずか1分ちょっとの演奏だが、「ジェニー」同様、

ドライブ感、キレ感満点のロックアレンジがイカしている。

 

 

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週末の懐メロ91:七月の朝/ユーライア・ヒープ

 

1971年リリース。

西城秀樹もライブで歌った

70年代ブリティッシュロックの大名曲。

 

黄金期のヒープは、レッド・ツェッペリン、

ディープ・パープル、

ブラック・サバスなどのヘヴィメタの大御所、

さらにはキング・クリムゾンやイエスをはじめとする

プログレ四天王と肩を並べる超人気バンドだった。

 

特に日本での人気がすさまじかったのは、

ツェッペリンの「天国への階段」を彷彿とさせる

この曲の印象が強烈だからだろう。

 

哀愁漂う叙情的バラードからハードなロック、

カオスなバトルへと展開する、

ドラマチックでカタルシス満点の構成美。

 

「七月の朝」は70年代ロックの偉大な遺産であるとともに、

半世紀たった今も現役で活動している

このバンドのアイデンティティでもある。

 

この70年代のライブの記録映像で

雄姿を見せているメンバーたち――

圧倒的な存在感のベースを弾きまくるゲーリー・セインは

この黄金期のライブの最中の感電事故がもとで75年に死亡。

美しく歌い上げたヴォーカルのデビッド・バイロンも

85年に死亡。

この曲の作詞・作曲者である

キーボードのケン・ヘンスレー、

さらにドラムのリー・カースレイクもすでにこの世を去り、

生存しているのはギタリストの

ミック・ボックスただひとり。

 

それでも人々はユーライア・ヒープが

ライブをやると聞けば、

「七月の朝」を聴くために集まってくる。

僕も毎年7月になれば、

やっぱり「七月の朝」を聴きたくなる。

もしできれば若い人たちにも

じっくり耳を傾けて聴いてほしい。

20世紀のロック/ポップミュージックは、

人類が共有し得る文化財産である。

 

 

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週末の懐メロ90:神秘の丘/ケイト・ブッシュ

 

1985年リリースのこの曲が、

先月、世界中で大ブレイクした。

全英第1位、米ビルボードHot100では4位を記録、

その他、スイス、スウェーデン、オーストラリア、

ニュージーランド等でもトップになり、

37年の時を超えたリバイバル・ワールドヒットになった。

 

Netflixのドラマ『ストレンジャー・シングス~未知の世界』の

シーズン4で使用されたのがその原因だが、

この大ヒットは、優れた曲は時代を超えることの証、

そしてまた、それを生み出した、

ケイト・ブッシュという異次元の天才の証でもある。

 

「神秘の丘(Runninng Up That Hill)」が収録された

彼女の5枚目のアルバム

「愛のかたち(Hounds of Love)」が発売された

1985年8月は、

ちょうど僕がロンドンで暮らし始めた時期だった。

 

狩猟の女神をイメージしたのだろう、

2匹の猟犬を抱いてパープルの湖面に横たわる

ケイトの妖艶なジャケット写真が

ロンドンの街中に貼り出されていたことを、

つい昨日のことのように思い出す。

 

「愛のかたち(Hounds of  Love)」は

傑作ぞろいの彼女のアルバムの中でも

ひときわ充実した内容で、

一曲一曲のクオリティの高さ、

緩急自在の曲のバリエーション、

精神世界から宇宙空間まで行かうようなスケールの大きさ、

コンセプトアート的な全体の統一感。

どれをとっても超絶的な素晴らしさで、

ロック/ポップミュージック史の金字塔である。

 

ケイト・ブッシュが

世界最高の女性ミュージシャンであること、

そして、彼女の音楽が人類が共有できる至宝であることは

疑う余地はないが、それにしても

人気ドラマで使われたからとは言え、

こんなアート系な曲が、2022年の今、

これほどまでの大ヒットになるとは驚きである。

何かが変わりつつあるサインなのか?

 

YouTubeではこの1ヵ月ほどの間に、

「神秘の丘」のリミックスバージョンが、

毎日、山のようにUPされている。

と同時に他の曲やアルバム、

インタビュー、レコード解説まで、

次から次へとあふれ出してくる。

 

僕としてはきっかけが何であれ、

これまでケイト・ブッシュを知らなかった大勢の人たちに

彼女の音楽を楽しんでもえらえば

何も言うことはない。

 

こちらはストレジャーシングスのリミックス(の一つ)↓

 

 

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エンディングライターとしての活動から綴った、老いと死をめぐる面白エッセイ集。


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週末の懐メロ89:夏星の国/ジ・エニド

 

1976年リリース。

40年あまり昔にやっていた劇団の旗揚げ公演で

ラストシーンにこの曲を使ったので、とても思い出深い。

 

僕がこの曲と同名のアルバムに出逢った1980年当時、

手に入るレコードは、イギリスからの輸入盤だけだった。

なぜ知ったのかは、たしかプログレ偏重の音楽雑誌で、

このバンドとこのアルバムのレビューを見たからだ。

 

羊水の中の綾波レイみたいな女が膝を抱えた

ジャケットデザインにも魅かれた。

全体を通して「死と再生」みたいなものが

テーマになっているのだと思う。

 

これは買わねばと、新宿のディスクユニオンの

輸入盤コーナーに探しに行ったら

見つけることができた。

 

聴いてみると、全曲ヴォーカルなし、

インストゥルメンタルのみで、

ちょっとイエスやジェネシスに通じる

ファンタジー性やシンフォニック性がある。

 

ただ、ポップ色・ロック色は薄い。

宗教音楽っぽいところもあって、

あまりとっつきやすくはないのだが、

最後を飾るこの曲だけは別。

 

自分の作品で使った思い出があるので偏愛しているが、

この一曲に限っては、

構成も美しさも躍動感・飛翔感も、

世界のプログレッシブ・ロックの最高峰レベル

と言って過言ではない。

 

輸入盤で聴いたので、曲名についてはずっと原題通り、

「イン・ザ・リージョン・オブ・サマースターズ」と

憶えていたので、

「夏星の国」という邦題は今回初めて知った。

 

「リージョン(Region)」とは「領域」という意味で、

「国」というのはかなりの意訳だが、

雰囲気掴んでいるし、

大島弓子のマンガのタイトルみたいで

親しみやすくて良いと思う。

 

現在のアマゾンの内容解説では、

「いわずとしれた英国シンフォニック・ロックの

名盤のひとつ、エニドのデビュー作。

ダイナミズムや幻想性に於いて

このオリジナルに勝るヴァージョンはなし!」と極上の評価。

 

とはいえ、「いわずとしれた」は誇張で、

ジ・エニドは日本では限りなく知名度が低く、

相当なプログレマニアでなければ知らないと思う。

 

実際、世界的なセールスが成功したとは聞かないし、

イギリス国内でコアなファンを相手に

活動してきたのだろう。

それでも現在まで音楽活動を続けられ、

人々の記憶にバンドの存在が刻まれているのは、

この不朽の名曲があるからだ。

 

40年経とうが50年経とうが、

まったく色あせることのない

ファンタジックでエネルギー溢れる演奏は、

星の降る真夏の夜のグッドトリップを約束してくれる。

 


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週末の懐メロ88:恋はみずいろ/ヴィッキー・レアンドロス

 

1967年リリース。

誰もがおなじみ、

ポール・モーリア楽団のインストゥルメンタルで有名。

僕はてっきりポール・モーリアの曲だと思っていたのだが、

じつはカバー曲。

 

オリジナルはアンドレ・ポップという、

映画音楽を手掛けていたフランスの作曲家が作った歌。

発表されるや、あっという間に大人気となり、

1960年代から70年代にかけて、

めっちゃ大勢の歌手が競うようにこの曲を歌っている。

日本では森山良子、由紀さおり、あべ静江など。

(僕はつい最近まで、

この曲にちゃんと歌詞があることすら知らなかった)

 

そして最初に歌ったのは、

このヴィッキー・レアンドロスで、

この人のことも初めて知った。

ギリシャ出身でフランス語、英語、ドイツ語などの

マルチリンガル。

 

まだティーンエイジャーだった1967年、

ウィーンで開催された

「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」で、

ルクセンブルク代表として出場しフランス語で歌った。

 

もともとアップテンポの曲で、

このコンテストではメダルを逃す4位だったが、

その後、僕たちがよく知る

メロディアスな曲にアレンジされた

英語バージョンが登場し、

のちのロングセラーヒットに繋がった。

 

このビデオはドイツ語バージョンで、

美しいエーゲ海と故郷ギリシャの島をバックに

ヴィッキー・レアンドロスが

海風に髪をなびかせて歌っている姿が夏にぴったり。

 


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週末の懐メロ87:東風/YMO(イエローマジック・オーケストラ)

 

1979年リリース。

「テクノポリス」「ライディーン」と並ぶYMOの代表曲。

ファーストアルバムに収められており、

ライブでも中盤のハイライトやエンディングを飾っていた。

 

1979年と80年、2回のワールドツアーの演奏の数々は、

今でもオールドファン、そして新しいファンをうならせる

彼らのベストパフォーマンスだ。

 

YMOの正式メンバーは、

リーダーでベーシストの細野晴臣。

 

当時まだ、ほとんど無名のスタジオミューシャン、

ここから「世界のサカモト」に昇華した

キーボードの坂本龍一、

 

サディスティックミカバンドのドラマーで、

英国でのライブ、レコーディングも経験していた

高橋幸宏の3人。

高橋はリードヴォーカルも担当するほか、

衣裳デザインなど、

アートディレクター的な役割も担っていた。

 

この3人にサポートメンバーとして、

ギターに渡辺香津美、のちに大村憲司。

シーナ&ロケットの鮎川誠も入ったことがある。

 

キーボードとヴォーカルに矢野顕子。

このツアーの中盤には必ず彼女の歌う

「在広東少年」を演奏し、大人気だった。

 

さらにシンセサイザープログラマーの

松武秀樹。

 

まさに当時の最強の布陣で取り組んだ

このツアーの音源はたくさんあるが、

同じ曲でも一度として同じ演奏はなく、

バラエティ豊かな即興性を楽しめる。

「東風」はこのバージョンが、

最も疾走感・アグレッシブさを感じる。

 

YMOは1970年代に後の日本のポップス、

ニューミュージックの原型を創り上げた

「はっぴえんど」「ティン・パン・アレー」という

2大バンドの中心メンバーとして活躍した細野晴臣が創設。

 

細野は「エキゾチカ」と称されるジャンルの音楽

――西洋人が解釈する東洋の音楽――に影響を受けて、

これをシンセサイザーなどの電子楽器を駆使し

てやってみたらどうか?

という野心的な試みを抱いて

YMOのコンセプトを練り上げた。

 

ただし、たんなる実験で終わることなく、

インターナショナルな商業的成功を目指し、

坂本・高橋と共に独自のサウンドを追求した。

 

細野としては1970年代を通して、

日本のポップミュージックが

英米に劣らないレベルまでスキルアップしたことを確信し、

世界に打って出ようという強い意思があったのだろう。

 

彼の目論見は功を奏し、

YMOは日本のバンドとして

最も大きな世界的成功を収めた。

 

国内では社会現象を巻き起こし、

僕もこの頃、長髪をやめてテクノカットにしたり、

シャツのボタンを喉もとまできっちり締めたりしていた。

 

彼らの登場は新たに「テクノポップ」という、

それまでにない音楽ジャンルを産んだ。

近代ポピュラー音楽史のエポックメイキングになり、

当時はもちろんだが、

YMOはむしろ近年のほうが評価が上がっている感がする。

 

いま聴いても抜群に新鮮でキレのある演奏

(特に細野ベースと高橋ドラムの凄さ!)から、

あの時代の空気と共に、

若々しかったメンバーらの熱いエネルギーが伝わってくる。

 

 

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週末の懐メロ86:リトル・グリーン/ジョニ・ミッチェル

 

1971年リリース。

米国ローリングストーン誌が2020年に選出した

「史上最高のアルバム500枚」で

堂々第3位に選出された名盤『Blue』の収録曲。

 

アメリカでは並みいるスターアーティストを差し置き、

ジョニ・ミッチェルの評価は断トツに高いようだ。

女性アーティストの中では、

アレサ・フランクリンと並んでトップと言っていいだろう。

 

確かに優れたシンガーソングライターだが、

最盛期ともいえる70年代、

彼女はここまで人気があっただろうか?

 

少なくとも僕の印象は割と地味で玄人好み、

日本人の女性フォーク歌手にちょっと影響を与えた人、

ぐらいだった。

 

どうして近年、すでに現役とは言えないミッチェルが

これほどまでに評価されるようになったのか?

その秘密を解くカギが、

この「リトル・グリーン」という曲の中に潜んでいる。

 

歌詞は大まかにこんな感じ。

 

かに座に生まれた女の子

この子に似合う名前を選んだ

グリーンと呼ぶわ 冬の寒さに負けないように

グリーンと呼ぶわ 彼女を産んだ子どもたちもね

リトル・グリーン、ジプシーの踊り子になって

 

子どもを持った子どもの偽り

家に嘘をつくのはもう嫌なの

あなたは書類にファミリーネームでサインする

悲しいの、ごめんなさい、でも恥ずかしいとは思わないで

リトル・グリーン、ハッピー・エンドになって

 

「リトル・グリーン」は実体験に基づく歌である。

ここでいう「グリーン」は、

ミッチェルが実の娘に付けた名前であり、

その親になった女と男を「青二才」と揶揄する呼び名でもある。

 

歌詞の中の「彼女を産んだ子どもたち」とは

母親である自分自身、そして恋人だった実の父親のこと。

 

この歌を歌う6年前の1965年、

まだカナダの無名の貧乏アーティストだったミッチェルは、

トロントの慈善病院で女の子を産んだ。

 

避妊の知識も乏しかった時代の、

望まない妊娠・出産。

当時、カナダでは中絶は法で禁じられていた一方、

未婚の女性が母親になることは罪を背負うことだった。

 

父親である前の恋人も、

新しく現れ結婚を申し込んだ男も、

赤ん坊に対してはひどく臆病で責任を逃れようとした。

 

まだ子どもだった若い彼らにとって、

赤ん坊を抱え込むことは、

アーティストになる希望の道が閉ざされることと

イコールに思えたのだろう。

 

結局、ミッチェルは生後6か月の娘を養子に出し、

アメリカにわたる。

「リトル・グリーン」を書くのは、その1年後の1966年のこと。

そして、その頃からシンガーソングライターとしての

天才を開花させる。

 

1968年のデビューアルバム発表後、

彼女は目を見張る勢いで、

世界のポピュラーミュージックの

メインステージに駆け上がる。

 

そして長い年月が流れたあと、運命は劇的な変転を迎える。

1997年、53歳になっていたミッチェルは、

当時32歳、すでに1児の母になっていた娘と再会する。

1971年、アルバム「BLUE」に

「リトル・グリーン」を収めて26年後、

養子に出して32年後のことだ。

 

親子は心から再会を喜び合った。

しかしその後、マスメディアの報道の嵐によって、

歌の通りに「ハッピーエンド」とはいかない事態と

なっていったようだ。

 

人の感情は大海に浮かぶ小舟のように、

ちょっとした波に簡単に揺らぎ、時には転覆してしまう。

 

いずれにしても、このストーリーを知る前と知った後では

「BLUE」の、そして「リトル・グリーン」の印象は

大きく変わってくる。

 

近年、ジョニ・ミッチェルの評価が高まっているのは、

楽曲そのものだけでなく、

こうした彼女の人生にまつわる劇的なドキュメンタリーが

大きく作用しているような気がしてならない。

 

「女性と子どもを大切にする」という

社会意識を深めるためにも、

ジョニ・ミッチェルをもっと評価しようという声が

強まっているのだ。

 

音楽ビジネスの世界に発言力のある女性が増えたことも

その一因だろう。

自由で開放的で先進的に見える映画や音楽の世界も、

つい最近まで男性権力者による支配が横行し、

パワハラ、セクハラの温床であったことが暴露された。

 

すでに60年近くに及ぶミッチェルの音楽キャリアと

優れた楽曲群は、

女性と子どもの未来に光を投げかけるものとして、

これからも評価はますます高まるものと考えられる。

 

 

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週末の懐メロ85:ラジオスターの悲劇/バグルス

 

1979年の世界的大ヒット曲。

「Video Killed Radio Star」

(ビデオがラジオスターを殺っちまった)

というリフレインが耳に残り、

邦題も一度聞いたら忘れられない秀逸さ。

 

ビデオという新しいメディアが世の中に現れ、

ラジオスターの仕事がなくなってしまったという、

ちょっとシニカルな内容だが、とてもポップで楽しい曲だ。

 

トレバー・ホーンとジェフ・ダウンズのバグルスは、

それまでのプログレと、

新興のニューウェーブの間を行くような

とてもユニークなバンドだった。

 

今ではYouTubeなどで、かつて幻のライブとか、

伝説のコンサートとか言われた映像も

見放題・聴き放題になっているが、

従来、音楽は基本的には音だけ。

ヒットソングはいつもラジオから生まれていたのだ。

 

そうした環境が激変したのがこの頃から。

ホームビデオが一般に普及し始めたのはもう少し後だが、

アーティスト(とレコード会社)は

ミュージックビデオを頻繁に作るようになり、

それがテレビでバンバン流れるようになった。

音楽の「聴く」と「観る」の比重はほぼ半々になった。

 

「ラジオスターの悲劇」も皮肉にも、というか、

なかば戦略的にビデオ化された。

いかにもミュージックビデオ初期の映像でござるという

チープさが目立つが、それが今となっては

却って味になっていて、とても楽しめる。

レトロでコミカルなSF仕立てになっていて、

曲の内容と雰囲気をうまくビジュアル化していると思う。

 

バグルスの活動期間は短かったが、

この曲が入っている1980年発売のアルバム

「The Age of Plastic」

(邦題はこの曲と同じ「ラジオスターの悲劇」)は

プログレポップな曲がいっぱい入っていて、

現代よりもなんだか未来っぽくて面白い。

 

日本ではYMOに代表されるように、

1980年代の始まりは、

明るてちょっとオモチャっぽい未来と

ダークな世紀末がいっしょにやって来たような時代だった。

「21世紀」という言葉にも

まだワクワクするような熱い思いが感じられた。

 

でもラジオがビデオに殺されてしまうようなことは

なかった。

ラジオスターも生き残り、また僕たちに語りかけ、

素敵な音楽を届けてくれる。

 


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週末の懐メロ84:さよならレイニーステーション/上田知華+KARYOBIN

 

1980年リリース。

昭和の時代、列車は人生の旅路を表すモチーフであり、

駅はそれぞれのドラマが交錯する舞台だった。

だから駅を題材に別れや旅立ちを描いた歌が

たくさんあった。

この曲もその一つで、いわば「なごり雪」の雨バージョン。

 

けれども素晴らしく新鮮だった。

 

フォークでも歌謡曲でもない、

クラシックを基調としたポップス。

いや、ポップスの姿をしたクラシック。

 

こんなユニークな音楽を創っていたのは、

昔も今も、そして世界中を見渡しても、

上田知華+KARYOBIN(カリョービン)だけだ。

 

グループの中心・上田知華は、東京音楽大学在学中に、

みずからのピアノとヴォーカルに

弦楽四重奏(ヴァイオリン×2、チェロ、ビオラ)を

組み合わせた

ピアノクインテットを結成し、1978年デビュー。

 

KARYOBIN(カリョービン)は「迦陵頻伽」。

仏典における上半身が人で下半身が鳥、

美しい声で歌うとされる想像上の生物。

西洋のセイレーンや人魚に似ている。

 

4年間に通算6枚のアルバムをリリースし、

クラシックの技術・表現力を基盤にした、

数多の優れた楽曲(すべて上田のオリジナル)

を生み出した。

 

特に当時の人気イラストレーター・山口はるみが

ジャケットデザインを担当した

3~5枚目のアルバムの充実度は抜群で、

「パープルモンスーン」や「秋色化粧」は

コマーシャルソングとして使われ、ヒットした。

 

「さよならレイニーステーション」は、

3枚目のアルバムのラストナンバーで、

ライブのラスト、アンコールとしても

よく演奏されたようだ。

 

数秒で涙腺が緩むようなイントロのストリングス。

美しく品格があり、

それでいて親しみやすいメロディライン。

のびやかで繊細な歌唱、

胸の奥深くに余韻を残す五重奏の劇的なエンディング。

このグループの魅力を凝縮した代表曲である。

 

KARYOBINでの活動と作曲力が高く評価された上田知華は、

この頃から松田聖子らアイドル歌手に

数多くの楽曲を提供していた。

 

この曲も当時のアイドル・倉田まり子が歌っていたが、

表現力と音楽の品格の面で

オリジナルははるかに上回っている。

 

上田はグループ解散後、

ソロアーティスト・作曲家として活動。

テレビドラマの主題歌になった今井美樹の

「PIECE OF MY WISH」がミリオンセラーになった。

 

ひとり暮らしを始めた頃、

プログレやテクノやニューウェーブを聴く一方で、

清涼な湧き水のような潤いを与えてくれた

KARYOBINのレコードは、

不安定な心を癒し、

人生の一時期を支えてくれた。

 

あれから40年あまりの月日が流れた。

 

知らなかったが、コロナ前の2018年、

KARYOBIN40周年の復刻盤CDBOXが発売され、

記念のコンサートも開かれたという。

 

しかしその後、上田知華さんは病に倒れた。

ちょうど1ヵ月前の4月27日、訃報が公にされ、

半年前、昨年(2021年)の9月に

亡くなっていたことが伝えられた。

 

音楽人生をやり遂げたのだろうか。

才能をすべて出しきっての終わりだったのだろうか。

そう信じたい。

 

たくさんの美しい曲をありがとう。

心からご冥福をお祈りします。

 

さよならレイニーステーション

きみを忘れはしない。

 


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週末の懐メロ83:チャイルド・イン・タイム/ディープ・パープル

 

1970年リリース。

アルバム「ディープ・パープル・イン・ロック」の挿入歌。

今年発売50周年を迎えた名盤

「ライブ・イン・ジャパン」(1972年)においても

ハイライトナンバーだった。

 

ディープ・パープルは僕にとって、

ほぼ初めてのロック体験だった。

もちろん、その前にもビートルズの曲などは

聴いていたのだが、

当時のロック小僧たちの感覚では

ビートルズはロックではなく、ポップスの範疇であり、

女・子供が聴くものとされていた。

 

酒やタバコをやらないのは男じゃない。

それと同じでロックを聴かなきゃ男じゃない。

1970年代前半、まだ昭和40年代の

日本の地方都市の中学生の間では、

そんなめちゃくちゃな理屈がまかり取っていた。

 

そんなわけで僕は先輩の家で

神聖なる教示を受けるかのように

ディープ・パープルのレコードを何枚も聴かされた。

 

正直、最初は「なんじゃこのうるさい音楽は!」と思った。

しかし、まさしく酒やタバコと同じで

何度か聴くうちに大好きになった。

見事な洗脳である。

 

1枚目のアルバム「ハッシュ」から

ギターのリッチー・ブラックモアが抜けて

トミー・ボーリンに替わった

11枚目の「カム・テイスト・ザ・バンド」まで全部聴いた。

 

それほど好きだったディープ・パープル、

そして日本のロックファンの間でも

圧倒的な人気を誇ったディープ・パープルだが、

20歳を超える頃にはもうあまり聴かなくなり、

その後も最近までほとんど聴いてなかった。

 

同じ60~70年代のハードロック(ヘヴィメタ)でも、

レッド・ツェッペリンが若い世代にも聴き継がれて、

ますます名声を高めているのとは対照的に、

ここ10年ほどの間に、

ディープ・パープルの影は

ずいぶん薄くなったように感じる。

 

ロック史に残る大名盤、ライブアルバムの金字塔

とまで言われてきた「ライブ・イン・ジャパン」さえ、

その地位を落としつつあるのではないだろうか。

 

「ハイウェイスター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」

「ブラックナイト」などは、相変わらず名曲として

若いロッカーたちに演奏されているのだろうが、

今聴いて面白いかと言えば、そうでもない。

 

ただ、「チャイルド・イン・タイム」は別格だ。

第2期-ディープ・パープル黄金時代とされる

5人による演奏。

 

この時期のパープルナンバーの多くは、

ジョン・ロードのキーボードと

リッチー・ブラックモアのギターのせめぎ合いが

メインの聴きどころだが、

この曲では、イアン・ギランのヴォーカルのすごさが

際立っている。

 

ディープ・パープルの歌は

あまり中身のない歌詞が多く、

それが飽きられたり、

後年の評価がイマイチな要因になっているが、

この曲だけはやたら文学的だ。

 

♪愛しい子よ いつかお前にも見えてくるはずだ

何がよくて何が悪いのかの境界線が

見ろ 盲人の男が世界に向けて発砲する

銃弾が飛び交い 犠牲者が続出する

 

まるで現在のロシア・ウクライナ戦争を重ね合わせても

何ら違和感のない内容だ。

 

ここで歌われる「スイート・チャイルド」は、

兵士として戦場に立つ少年・若者を表している。

時代的に背景にベトナム戦争や

東西冷戦構造があったからだろう。

 

この時代のロックは、表立った反戦歌でなくても、

こうした戦争に抗う精神、世界の危機を憂える気持ち、

怒りや悲しみがモチーフになっているものが少なくない。

 

イアン・ギランもバンドを抜け、ソロになってからも

ずっとこの歌を大事に歌ってきた。

おそらく彼にとってはシンガーとして

最も誇りに出来る曲の一つだったのだろう。

 

終わったと思っていた冷戦・核戦争の危機は、

ただちょっとお休みしていただけで

ふたたびその姿を露わにした。

時代は巡るということか。

ディープ・パープルの黄金時代は懐かしいけど、

もうあの時代に戻りたいとは思わない。

 


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週末の懐メロ82:ベティ・デイビスの瞳/キム・カーンズ

 

1981年。

今から41年前のちょうど今頃から2ヵ月余りの間、

全米チャートのトップを走り続けた大ヒット曲。

1981年のグラミー賞最優秀楽曲賞も受賞した。

 

キム・カーンズ独特の強烈なハスキーヴォイスと、

高く鳴り響くシンセサイザー、そして打ち込みのビート。

絶妙なブレンドが生み出すマジックが酩酊感を醸し出す。

 

そしてビジュアルも印象的だった。

 

スラリとした長身に白いブラウス、黒いスーツの上下、

ロングブーツといういでたちで、

艶やかなブロンドの長髪をなびかせた

当時36歳のキム・カーンズは、

ベルばらのオスカルのようで、めっちゃカッコよかった。

 

それから40年後。

昨年、2021年のパフォーマンス。

キム・カーンズ、齢76。

さすがに容貌は衰え、身長も縮んだかのように見える。

ところが。

 

ヒット当時はもちろん、

いろいろな時代のライブと聴き比べてみたところ、

76歳で歌うこの「ベティ・デイビスの瞳」が最高なのだ。

 

なんでだろうと思って何度も聴いてみると、

往年の歌唱の力強さが少々薄れ、

時々わずかに声がかすれたり、

音程が不安定になるところがある。

それが却って気持ち良い「ゆらぎ」となって、

よりセクシーに響いてくるのだ。

 

すべて完璧ならいいというものじゃない。

音楽って、人間って面白い。

 

じいさん、おっさん、あんちゃん。

あらゆる年代の男たちをバックに従えて

不滅のハスキーヴォイスを聴かせるカーンズの

カッコいいばあさんっぷりには、

感動とリスペクトを覚えずにはいられない。

 

もう一つこの曲について発見があった。

なんとこの大ヒット曲はカヴァー曲だった。

 

オリジナルは1975年に、

ジャッキー・デシャノンという

ソングライターが歌ったもの。

 

聴いてみたら、ちょっとノスタルジックなジャズ調の曲。

何も知らないで聴いたら、よほど注意しないと

同じ曲だとは思えない。

それほどカーンズバージョンのアレンジは

斬新でエッジが立っていた。

 

女は男を弄び、惑わせ、悦ばせる

女は早熟で熟知している

頬を染めるプロに欠かせないもの

それはグレタ・ガルボのため息

そして、ベティ・デイビスの瞳

 

ベティ・デイビスは1930年代に活躍した

ハリウッド映画の名女優。

だからデシャノンの原曲はレトロジャズっぽい。

 

往年の女優をモチーフにした歌なのに、

なんでこんな斬新な曲が生まれたのか、

不思議に思っていたが、その謎が解けた。

 

自分の個性・センス・才能を信じて疑わなかった

カーンズの大勝利。

 

興味のある方はぜひデシャノンの原曲と

聴き比べてみてください。

 


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週末の懐メロ81:ヒート・オブ・ザ・モーメント/エイジア

 

1982年リリース。

キング・クリムゾン、ロキシー・ミュージック、

ユーライア・ヒープ、U.K.、そしてエイジア。

1970年代から80年代にかけて、

イギリスのプログレッシブ・ロックバンドを渡り歩いた

ベーシスト/ヴォーカリスト/ソングライターの

ジョン・ウェットンがこの世を去ってもう5年が経つ。

 

イエスのスティーブ・ハウ(ギター)、

ELPのカール・パーマー(ドラムス)、

バグルスのジェフ・ダウンズ(キーボード)らと組んだ

最強のバンド、エイジアは

ウェットンのそうそうたるキャリアの頂点だった。

 

「放浪者」「堕落天使」「夜を支配する人」などで

落ち着いたヴォーカルを聴かせながら、

ぶっといベースをブンブン唸らせるウェットン。

彼が大活躍した1973年から74年の

第3期クリムゾンは今でも大好きである。

 

しかも、脊髄をひん曲げるほどの

強烈にダークでアヴァンギャルドな音楽をやりながら、

映画俳優のような生粋の二枚目。

 

半世紀を経て第3期クリムゾンが

ますます神格化されているのは、

メンバーの才能、楽曲の素晴らしさはもちろんだが、

若きジョン・ウェットンと

デビッド・クロス(バイオリン/キーボード)が

アイドルバンド並みのイケメンだったことも

一因ではないかと思う。

 

70年代後半のU.K.ではエディ・ジョブソンや

ビル・ブラッフォードなどと組んで

「クリムゾン再来を目指した」などと言われていたが、

2枚目のアルバムでは、

もうエイジアと共通するポップ指向が見て取れた。

 

おそらく彼はクリムゾンを超えるほどの

サウンドを作るのは不可能だと感じ、

プログレを卒業しようとしていたのだと思う。

 

エイジアは結成時、スーパーバンドの呼び声が高く、

70年代のプログレ四天王を超越する音楽が

期待されていたが、

そのあまりにポップな楽曲群に

プログレファンは大きく裏切られた。

 

1980年代、プログレの黄金時代はとっくに終焉し、

ウェットン等は新たな境地を目指していた。

 

彼らの新たなチャレンジは見事、功を奏し、

この「ヒート・オブ・ザ・モーメント」がトップを飾る

デビューアルバム『詠時感〜時へのロマン』は、

全米ビルボード・チャートで第1位を9週間獲得。

年間アルバム・チャートでもNo.1に輝いた

大ヒット作であり、

1980年代を代表するロックナンバーになった。

 

しかし、売れたせいでエイジアへの風当たりは

より強くなった。

その後、節操なくメンバーチェンジを繰り返したため、

ヒット狙いの寄せ集め産業バンドとも揶揄された。

 

なんと創始者であり、リーダーであるはずのウェットンも

一時期離脱してしまっていたくらいだ。

 

それでもエイジアのサウンドのカッコよさは

誰もが認めるところだろう。

僕もこの曲を聴くと、がんがんテンションが上がり、

エネルギーが湧いてくる。

 

映像はウェットンが復帰した代わりに

スティーブ・ハウが抜けた

1985年あたりのものだと思われる。

 

ハウがいなけりゃエイジアじゃないという声もあるが、

僕にとってはウェットンさえいればエイジアだ。

 

それに僕の知る限り、

メンバーがみんな楽しく生き生きしている

このライブ映像は、この曲のベストパフォーマンス。

疾走するギターとキーボードをぶっとく支える

ウェットンのベースランニングが何よりも素晴らしい。

 

改めて、ぼくの人生を変えた

プログレッシブロック最高のスター、

ジョン・ウェットンの冥福を祈りたい。

 


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週末の懐メロ80:私は風/カルメン・マキ&OZ

 

1975年リリース。

昭和の天才詩人・寺山修司のシュールな歌謡曲を

歌ってデビューしたカルメン・マキが、

ジャニス・ジョプリンのレコードに出逢って

ロック歌手に転向。

春日博文らのバンド・OZ(オズ)の演奏を

バックに絶唱する日本のハードロックの金字塔。

 

 

1969(昭和44)年、17歳のカルメン・マキの

「時には母のない子のように」は

子ども心にトラウマを残すような歌だった。

 

僕はまだ10歳にもなっていなかったが、

テレビから流れてくる、

長い髪をしたエキゾチックな若い女

(子どもだったのでずいぶん大人に見えた)の雰囲気、

そして他の歌謡曲にもフォークソングにもない、

その異様な歌詞に胸がざわめいたことを

今でも覚えている。

 

作詞が詩人・劇作家の寺山修司、

そして、カルメン・マキが彼の主宰する

演劇実験室「天井桟敷」の一員だったことを知るのは

後に高校生になってからのこと。

その頃、すでに彼女は当時の日本で随一の

ロック歌手に変貌していた。

 

当時はまだ、ジャニス・ジョプリンを除いて、

こんな激しいシャウトができる女性ヴォーカルは、

アメリカにもイギリスにもいなかったように思う。

 

「私は風」は70年代ロックの総ての要素を盛り込んだ

ドラマティックな展開を見せる大曲で、

OZの代名詞、ジャパニーズ70'Sの代表曲でもある。

 

そしてよく聴き込んでみると、

この歌の主人公の女は、

「時には母のない子のように」で

海を見ていた少女であるかのように思える。

 

少女は大人になり、愛した男と別れて

新しい旅に出ていく——-

そんなストーリーが流れている。

 

それもまた「私は風」が他のOZのレパートリーと

一線を画す特別な曲になっているように感じる。

聴けば聴くほどすごい歌と演奏だ。

 

 


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週末の懐メロ79:あなたがここにいてほしい/ピンク・フロイド

 

1975年リリース。

アルバム「炎(原題:Wish You were here)」の

タイトル曲。

 

ピンク・フロイドが世界で最も成功した

プログレバンドであることは疑いようがない。

けれども、プログレオタクの僕は、

イエスやジェネシス,ELPやキング・クリムゾンと

出会ったときのような

脊髄をひん曲げてしまう衝撃も、

脳髄を侵食してしまうほどの愛着も

ついにピンク・フロイドからは感じることができなかった。

 

一応、デビュー作の「夜明けの口笛吹き」から

70年代最後の「ザ・ウォール」までのアルバムは

一通り聴いたが、どうも前出のバンドのような、

人生を変えるほどの圧倒的な印象がなかった。

もっというと、U.K.やキャメルよりもつまらない。

 

巷で名盤と名高い2枚組の「ザ・ウォール」などは

あまりに退屈で、途中で聴くのを辞めてしまった。

以来40年ほど、たまたま耳に入って来た時以外、

まったくピンク・フロイドは聴いていなかった。

「ザ・ウォール」はこの週末の懐メロを始めてから、

気を取り直して改めて聴いてみたが、やっぱりだめだ。

退屈でどうしようもない。

なんでこれが名盤なのか?

 

と、さんざんディスってしまったが、

70年代前半、バンドの黄金期、

そしてプログレの黄金時代に生まれた「狂気」と「炎」。

この2枚のアルバムだけは別格である。

特に「あなたがここにいてほしい」は

何度聞いても飽きない。

 

このオルタナティブバージョンは、

今回初めて聴いたが、

中盤からバイオリンが入ってくるのがとても新鮮で、

この曲の個性を際立たせている。

 

ドキュメンタリーフィルムに出てくるのは

1970年代のロンドン。

地下鉄ジュビリーライン。

ダブルデッカーが走るセント・ジョーンズウッド駅の界隈。

ビートルズのアルバムジャケットに使われた、

世界一有名な横断歩道。

アビーロードスタジオでレコーディングに

いそしむメンバーたち。

哀切感あるメロディと相まって

すべてが懐かしの風景。

 

さて、ここから47年後、

今年4月にピンク・フロイドが新曲を出した。

20世紀末以降、活動を停止していたのだが、まさかの復活。

ウクライナ支援の「ヘイヘイ・ライズアップ」という曲だ。

正直、これがピンク・フロイドと言われても

ピンと来ないが、

ギターのデイヴ・ギルモアによれば、

「ピンク・フロイド」というブランド力で、

ウクライナ支援を訴えたいということ。

ちなみに彼の義理の娘がウクライナ人である。

 

趣旨は良いと思う。

しかし往年のファンからは

「ロジャー・ウォーターズのいないフロイドなんて」

という声も上がっている。

じつは僕も同感である。

 

狂気の天才シド・バレットが生み出した

ピンク・フロイドは、

ベースのロジャー・ウォーターズが後を引き継ぎ、

黄金時代を築き上げた。

それがいつしかギルモアが主導権を握るようになり、

かつての仲間同士の争いは裁判沙汰に発展し、

結局、裁判に負けたウォーターズは追放された形で

バンドに戻れなくなった。

 

新曲に参加している往年のメンバーは、

デイヴ・ギルモアと、ドラムのニック・メイスンのみ。

キーボードのリック・ライトはすでにこの世を去っている。

 

この先も何か音楽活動をするのかどうかは不明だが、

戦争によってレジェンドバンドが復活するなら、

かつてのバンドエイドや

ウィ・アー・ザ・ワールドのような

動きには繋がらないのだろうか?

 


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週末の懐メロ78:アニバーサリー/松任谷由実

 

1989年リリース。

絶頂期のユーミンが生んだ奇跡の一曲。

 

むかしは運命の人に出会えた恋愛、

そして結婚の歌なのだと、

当たり前のように思っていたが、

いま聴くとかなりニュアンスが違う。

 

「ひとり残されても」

「いつか会えなくなる」

「思い出列車に乗る」

歌詞の中に出てくるこれらの言葉には

死の香りが漂っている。

 

「ひこうき雲」が、

飛び降り自殺をした友人を思って

書いた歌というのは、ほぼ定説になっている。

 

命とか魂といったものに対する意識が

彼女の音楽の源泉にあるのではないかと考える。

 

他にも「ベルベットイースター」

「翳りゆく部屋」など、

荒井由実時代の傑作は、

死のベールをまとった、

それゆえに不思議な透明感が印象深い作品になっている。

 

どうやら「アニバーサリー」も

その系譜に連なっているようだ。

80年代以降、都市に暮らす大人の恋愛を

お洒落に、華やかに歌ってきた彼女がたどり着いた、

一つの終着点のようにも思える。

 

このプロモーションビデオは今回初めて見たが、

誰もいない地球、すべてが終わった世界に

ひとり残された松任谷由実が

海岸や砂漠や草原をでさまよいながら

ほとんどスッピンで普段着で、

孤独に歌っている。

 

世界の果て、人生の果てを

たったひとりで歩いて行った――

30代半ばの彼女の自然な心象風景なのだろう。

その姿からは数多のイメージが流れ出し、

ひどく感情を揺さぶられる。

 

名曲ぞろいのレパートリーの中でも、

おそらく最も多くの人に、

最も長く聴き継がれる曲の一つになるであろう

「記念日」の刻印。

 


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週末の懐メロ77:ネバーエンディングストーリー/リマール

 

1984年リリース。

転調に次ぐ転調がカッコよくて気持ちよく、

まさしくネバーエンディングに楽しめる。

 

最近は同じ曲をえんえん1時間繰り返す

「1H」がいろいろ上がっていて、

僕も時々ライティング時のBGMとして聴いてるが、

この曲はその中でも断トツに好きだ。

 

流して聴いても邪魔にならないし、

テンション上げるために、

思い切り耳を傾けて聴き込むこともできる、

無理なくツーウェイができる楽曲は他にあまりない。

 

歌い手のリマールは80年代前半、

特に女子に人気があった

イギリスの「カジャグーグー」という

ポップロックバンドのヴォーカリストだった。

 

余談だが、このバンドのベーシストだった

ニック・ベッグスは、

僕が勤めていたロンドンの日本食レストランの

常連客だった。

いつもガールフレンドと一緒にきて、

天ぶらや焼き鳥を食べてた。

とてもフレンドリーで、いかにもアイドルといった

可愛い顔が記憶に残っているが、

最近はプログレバンドで結構活躍しているようだ。

 

話を戻して、この曲は日本でもかなり人気があり、

これまでトヨタのコマーシャルやドラマの挿入歌

(前者は坂本美雨、後者はeガールズがカバー)

としても使われた。

最近ではマクドナルドのコマーシャルでも

耳にした気がする。

 

が、何といってもリマールのオリジナル版が最高である。

彼の声の持つ「揺らぎ」が、この美しくも凛々しい曲調に

ベストマッチしているのだ。

 

これはもともと同年公開されたファンタジー映画

「ネバーエンディングストーリー」のテーマ曲だった。

 

原作は「モモ」で知られる

ドイツの児童文学作家ミヒャエル・エンデ。

この頃、高い文学性、深淵な哲学性、鋭い現代文明批評を

併せ持ったエンデの作品は世界的に脚光を浴び、

この作品は日本では

「はてしない物語」という題名で出版され、

よく読まれていた。

エンデ作品は「ハリーポッター」以前の

ファンタジー文学では

トップクラスの知名度を持っていたと思う。

 

さて、その「はてしない物語」――

ネバーエンディングストーリーの内容は、というと、

 

イジメにあった少年が古本屋に逃げ込み、

偶然見つけた本のページをめくっていくと

その物語の中に入り込んでいくというストーリー。

 

この本の中の物語は、産業社会が発展する中で

しだいに荒廃していく人々の内面世界を描いており、

「はてしない物語」とは人生のこと。

人生の主人公は、物語の英雄ではなく、

これを読んでいる君自身なのだよーー

簡単に解説すると、そんなメッセージが含まれている。

 

この曲で繰り返される転調は、

現実世界と異世界(内面世界)を行ったり来たりする

少年の心の動きを表現しているといえるかもしれない。

 

しかし、テーマ曲の素晴らしさに比べて

映画はイマイチだった。

ビジュアルは当時の技術のベストを尽くしていたと思うが、

脚本がただストーリーをなぞっただけの代物で、

出てくる人物やクリーチャーのキャラや

小道具に頼っていて、

原作の本質的な部分が表現されていなかった。

原作者のエンデも出来栄えにはかなり不満があったらしい。

 

ハリウッドのファンタジー映画は

2000年代に入ってから、

「ハリーポッター」や「ロード・オブ・リング」などで

ビジュアルはもちろんのこと、

脚本の面でも格段の進歩を見せた。

「ネバーエンディングストーリー」が作られらた頃は

まだ子どもだまし的な部分が否めず、

エンデ人気にのっかった、

早すぎる映画化だったのかもしれない。

 

ファンタジー映画に対する理解が進み、技術も成熟した今、

もう一度、この作品をリメイクしてみてはどうか。

もちろん、テーマ曲はこのままで。

 

ついでに1時間版もご紹介。

 


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週末の懐メロ76:そよ風の誘惑/オリビア・ニュートン・ジョン

 

1975年リリース。

優れた歌唱、楽曲の素晴らしさ、そして邦題マジックと

3拍子揃った大ヒット曲。

僕はちょうど高校生になった頃で、

ラジオで聴いてドハマリしてレコードも買った。

 

オリビア・ニュートン・ジョンは当時、金髪美人の代名詞。

こんな美人にこんな声で歌われたら、みんなメロメロだ。

 

歌詞の中には「そよ風」も「誘惑」も出てこず、

辛うじて「Mellow」が

その言葉のニュアンスに引っかかるか?

 

けれども彼女の清楚でキュートなイメージ、

そして曲調から生まれた「そよ風の誘惑」という邦題は、

数ある洋楽曲の中でも指折りの名作だと思う。

50年経っても色あせず、

日本のリスナーがこの曲を覚えているのは

邦題の力も影響しているはず。

 

この頃から30年以上たったライブでもこの曲を聴いた。

齢が行き、さすがに高音はちょっと苦しそうだが、

その分、歌に深みが加わっていて、すごくよかった。

 

永遠の歌姫オリビア・ニュートン・ジョン

そういえば「オリビアを聴きながら」

という歌があったことも思い出した。

 

 

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週末の懐メロ75:ピアノマン/ビリー・ジョエル

 

73年リリースとは意外。

ビリー・ジョエルのデビュー曲であり代表曲は、

僕のイメージの中では1978年の歌だった。

 

44年前の今ごろ、東京に出てきた時、

専門学校に通っていた最初の2年間、

友だちと部屋をシェアして暮らしていた。

 

そいつがビリー・ジョエルが大好きで、

暇さえあれば「ストレンジャー」「オネスティ」などを

聴いていた。

特に好きだったのがこの「ピアノマン」。

風呂上がりに、夜寝る前に、

レコードに合わせて、年がら年中口ずさんでいた。

 

「この歌だけがおれの心を慰めてくれる」とかなんとか。

そんなセリフを言っていた覚えもある。

あの頃、あのアパートに集まってくる男も女も

みんな夢を喰って生きていた。

夢で腹を満たしていれば、飢えも乾きもなかった。

人生は長く曲がりくねった道で、

時間はあり余るほどあった。

真剣でありながら、能天気でもあった。

 

都会的なピアノの響きと、

素朴なブルースハープとの絡み合い。

親しみやすく口ずさみやすい、

明るく、けれどもあまりに切ないメロディ。

 

実際に酒場でピアノを演奏していた

ビリー・ジョエルの自伝ともいえる歌は、

飲まずにはいられない夢見る男たちのドラマを描く。

 

きっとこの歌と変わらないドラマが、

50年近く経った今でも、

世界中の街のたくさんの酒場で

繰り広げられているのだろう。

 

でも、もしかしたら、

この酒場に集っていた登場人物の何人かは

好きな酒を断ち、くだを巻くのもきっぱりやめて、

齢を取っても昔の夢を、あるいは新しい夢を

追い求めているのかもしれない。

 

「おまえはなんでこんなところで歌っているんだ?」と

言われていたピアノマンが酒場から足を洗い、

ビリー・ジョエルというスター歌手になった。

もしかしたら自分だって。

 

若いころ思っていたより人生はずっと短いことを知った。

このまま死んでいくのはごめんだ。

そりゃそうだ。

酔っぱらたままで終わりたくない。

夢のカーニバルをどこまで続けるか、

決めるのは自分次第。

 


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週末の懐メロ74:タイム・アフター・タイム/シンディ・ローパー

 

1984年の大ヒット曲。

最初にブレイクした「ハイスクールはダンステリア」

(本人の抗議によって後に原題通りの

「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」に変更)の

印象が強烈だったせいか、

僕の中でシンディ・ローパーはずっと

ネアカのおもろい青春ねーちゃんというイメージだった。

 

それがいつの間にか、ずいぶんおとなになっていた。

てか、僕よりだいぶ年上なので、

こんな言い方は失礼だけど。

 

「タイム・アフター・タイム」は

優しいメロディといかにも80年代っぽいリズムの絡みが

とても心地よい曲だった。

 

もちろん、オリジナルは素晴らしいのだが、

この女3人で弦を奏でるストリングスバージョンは、

まるで曲自体が子どもからおとなに、

ガールからレディになったかのように聴こえてくる。

 

時を重ねて磨き上げられ、

深い美しさ、神聖さが味わえる究極のアレンジ。

 

齢を取ってますます輝きを放つ

シンディ・ローパーの才能に敬服する。

 


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週末の懐メロ73:サマータイム・ブルース/RCサクセション

 

あの3・11から11年。

亡くなった人の冥福を祈る。

ただ、地震・津波は人間の力でどうにもできない自然災害。

それに対して福島第一原発の事故は完全な人災だ。

「原子力はがつくる明るい未来」という

戦後日本が掲げてきた輝ける看板は

木っ端みじんになり、

あの地域の人々は故郷を失った。

 

その惨状を20数年前に予言したかのような偉人、

忌野清志郎。

「サマータイム・ブルース」は

1988年、彼のバンド、RCサクセションとして

リリースしたアルバム「カヴァーズ」の1曲。

その名の通り、1950年代・60年代の

名曲カヴァーを収めたアルバムで、

オリジナルはアメリカのロカビリー歌手、

エディー・コクランの歌。

それを忌野が日本の原発の在り方を告発する歌詞をつけ、

反原発ソングとして作り変えた。

 

この少し前の1986年4月、

当時のソ連(現ウクライナ)の

チェルノブイリ原発事故が発生。

以降、日本でも一時期、原発の安全性が取りざたされた。

 

3・11の福島第一原発以前にも

小規模・中規模の事故はいくつかあった。

でも、この後、バブル景気になって、みんなすぐに忘れた。

僕もすっかり忘れた。

 

忌野清志郎はこのほかにも、

プレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」や

タイマーズとして「原発音頭」を歌って反原発を唱えたが、

時が経つうち、これらは彼のキャリアの

ちょっとおかしな番外編として

隅っこに置かれたような印象がある。

 

でも今、改めて聴くとすごい。

ユーモアとエンターテインメント性にあふれた告発は、

誰にもまねできない反骨精神あふれるパフォーマンスだ。

 

だから、もし彼があの3・11の惨状を目の当たりにしたら、

いったいどんな歌を・・・と、どうしても考えてしまう。

 

ロシアとウクライナの戦争が勃発し、

チェルノブイリ原発がロシア軍に制圧されたという。

次々と攻撃され、制圧されていくウクライナの原発。

久しぶりに「核」という言葉が切迫感を持って

毎日にように飛び交っている。

 

そして、また考えてしまう。

もし彼がこの世界の現状を目の当たりにしたら、

いったいどんな歌を・・・と。

 

2009年に亡くなってもう13年になる。

生きていれば今年で71。

ロックンロールにゃトシかも知れないけど、

死ぬにはちょいと若すぎたぜ、清志郎。

 


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週末の懐メロ72:今日の日はさようなら/森山良子

 

卒業の季節。

森山良子がギター1本で歌うこの名曲は

1967年リリース。

最初出た時はシングル盤のB面だった。

—ーと、今回調べてみて初めて知った。

あなたはどこかの卒業式でこの歌を歌っただろうか?

 

僕がこの曲を初めて聴いたのは、

中学生の頃聴いていたラジオの深夜放送で、である。

 

「私がこの番組を担当するには今日が最後です」という

DJのお別れの挨拶のバックに掛かっていたのが

とてもきれいで印象的だった。

 

卒業式の歌のメロディは、総じて切なく美しい。

 

僕の世代は卒業式と言えば「あおげばとうとし」と

「ほたるの光」だったが、

歌詞はともかく「あおげばとうとし」のメロディも

とてもきれいで好きだった。

(最近、アンジェラ・アキがピアノを弾いて

歌っているのを聴いた)

 

1970年代の後半あたりから卒業の歌は、

お世話になった師(先生)に対して歌うものではなく、

別れゆく友だちを思って歌うものになったようだ。

 

「今日の日はさようなら」が作られた頃は

「あおげばとうとし」や「ほたるの光」の

おまけみたいな役回りだったのだが、

だんだん主役に取って代わるようになってきたのだと思う。

30代の友人に聞いたら、歌ったよという人が何人かいた。

 

息子は7年前に高校を卒業して、

いま20代半ばだが、

このあたりの世代はもう歌っていないようだ。

彼らにとってこの曲は

「エヴァンゲリオン」の印象が強烈なようである。

 

子どもたちとともに歌う林原めぐみバージョンが

「エヴァンゲリオン新劇場版・破」の

あのシーンで使われたために、

トラウマになってしまったという人も少なくない。

 

たしかにすごい演出だった。

完結した今、思い返すと、

この曲と「翼をください」の2曲の昭和フォークが

新劇場版全体のトーンを作っていた。

 

作曲者は森山良子のために書いたわけではないが、

最初に歌ってヒットさせ、広めたのが森山だったので、

彼女の持ち歌ということにしても問題ないだろう。

 

それにしてもシングルレコードのB面という、

いわばオマケあつかいだった曲が、

今や懐メロ、卒業ソング、昭和フォークといった枠を超えて

「にっぽんの歌」の殿堂入り。

この季節、改めて聴いてみると本当に良い歌だ。

僕にとって卒業式は、

もう人生の卒業式しか残されていないが、

さようならにはこの歌がいいかもしれない。

 

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週末の懐メロ71:アイビスの飛行/マクドナルド&ジャイルズ

 

1971年リリース。

マクドナルド&ジャイルズの叙情溢れる

プログレッシブ・フォークロックの佳曲。

2人はキング・クリムゾンのオリジナルメンバーで、

イアン・マクドナルドはフルートなどの管楽器や

キーボード群担当のマルチプレイヤー、

マイケル・ジャイルズはドラマーである。

 

今月9日、そのイアン・マクドナルドが76歳で亡くなった。

キング・クリムゾンはギタリスト 

ロバート・フリップのバンドとして認識されているが、

デビュー作であり、後世に語り継がれる歴史的名盤となった

「クリムゾン・キングの宮殿」で

音楽的イニシアティブを執っていたのは、

フリップよりもマクドナルドだった。

 

 

 

彼はアルバム全5曲、すべての作曲に携わり、

中でも「風に語りて」と「クリムゾンキングの宮殿」は

マクドナルド単独の作曲

(作詞はピート・シンフィールド)である。

 

初期クリムゾンの音楽は、凄まじい狂気性・暴力性と

それに相反する優しさ・抒情性との絶妙なバランスで

成り立っていた。

 

その優しさ・抒情性のパートを担っていたのが、

イアン・マクドナルドの多彩な才能と

抜群の音楽センスだった。

 

「クリムゾン・キングの宮殿」は大成功したが、

当時、全員、20代半ばの若者だったメンバーらは、

その成功にしがみつくことなく、

新たな地平へ向かっていく。

 

ベース&ヴォーカルのグレッグ・レイクは、

キース・エマーソンに誘われ、ELP結成のために脱退。

 

マクドナルドとジャイルズは、このユニットを結成し、

自分たちの音楽を追求すべく脱退。

 

その後は残されたロバート・フリップが

「21世紀の精神異常者」の路線を追求して、

クリムゾンを狂気と暴力性を強調した

バンドに発展させていく。

 

それでもマクドナルドが創った

「叙情クリムゾン」のカラーを

捨て去ることは難しく、

後年もジョン・ウェットンや

デビッド・クロスの助けを借りて

「放浪者」「夜を支配する人」「堕落天使」など、

代表曲となる美しい楽曲群を生みだしていった。

 

「マクドナルド&ジャイルズ」は

美しい水彩画のような楽曲が揃った、

今聴いてもとても味わい深いアルバムだが、

キング・クリムゾンやELPに比べると

インパクトが弱いのは否めない。

 

ただ、その分、とても聴きやすく、

クリムゾンやELPのようなアグレッシブな音楽に

アレルギー反応を起こす人には、ぜひ聴いてみてほしい、

プログレッシブロックのアナザーワールドだ。

 

「アイビスの飛行」は、

そんなマクドナルド&ジャイルズの個性を味わうのに

最適な珠玉のバラード。

美しいメロディーと、

それに絡みつくような独特のドラムスが

とても印象的だ。

 

1960年代と70年代の狭間でロックを変革した寵児・

イアン・マクドナルドの冥福を祈る。

 


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週末の懐メロ70:ブロークン・イングリッシュ/マリアンヌ・フェイスフル

 

1979年に同名のアルバムがリリースされた際、

どこかの雑誌に「地獄から這い上がって来た女」

と紹介されていたのを憶えている。

 

ドスの効いたハスキーヴォイス。

ヒリヒリするような緊張感とデカダンスな雰囲気。

マリアンヌ・フェイスフルの

「ブロークン・イングリッシュ」は、

ポストパンクからニューウェーヴに移行する時代の

最先端のサウンドであり、強力にエッジが立っていた。

 

「地獄から這い上がって来た女」は

大げさなセールス文句に思えるが、

過去に遡ってストーリーを辿っていくと、

あながちそうでもない。

 

彼女は堕天使だった。

 

1964年、すでに結婚して母親になっていた18歳のとき、

ローリング・ストーンズの初期のバラード

「涙あふれて」を歌って18歳でデビュー。

清らかなその声はエンジェル・ヴォイスと言われた。

 

その頃、ビートルズの「イエスタディ」や

サイモンとガーファンクルの「スカボロフェア」なども

歌っているが、本家をしのぐほどの美しい歌唱。

たちまち人気アイドルとなったのも納得できる。

 

イギリス人だが、もともとオーストリアの

ハプスブルグ家の血を引く貴族のお嬢様という経歴も

大きな強みだったのだろう。

 

けれども可愛いアイドルに

ちんまり収まっている器ではなく、

歌だけでなく女優業にも進出。

 

1968年には「あの胸にもう一度」で当時の大スター、

アラン・ドロンと共演。

この映画で彼女はバイクに乗る

カッコいい娘を演じるのだが、

黒いレザーのバイクスーツの下は裸で、

そのジッパーをドロンが

口でくわえて引き下げて脱がすという、

かなりの衝撃度を持つエロチックなシーンがある。

 

それを見て鼻血ブー!となった男が大勢いると思うが、

どうやらその衝撃から

「ルパン三世」のあのヒロインが生まれたらしい。

 

そうなのだ。

マリアンヌ・フェイスフルが

峰不二子のモデルだったとは初めて知った。

 

その後、ストーンズのミック・ジャガーの恋人になり、

だんだん酒と煙草と麻薬に浸る生活にはまっていく。

 

1969年、ストーンズの「シスター・モーフィン」という、

「ヘロインの代わりにモルヒネを」という

とんでもない歌を歌った後は、

薬物に加え、数々のスキャンダル、ホームレス生活、

自裁未遂までしでかし、

ついには音楽・芸能の世界から姿を消す。

 

それから約10年。

一度死んだと言ってもいいマリアンヌ・フェイスフルは、

いまだ強い生命力を持つ

この大名盤を創り上げて奇跡のカムバックを果たす。

 

可愛いアイドルから

地獄を潜り抜けた、迫力満点の大姉御への大変身。

 

リアルタイムでこの曲・このアルバムを聞いていた頃は、

60年代の彼女のことはまったく知らなかったので、

そのギャップの凄さがよくわからなかったが、

今回、いろいろ聴いて、調べて、

「地獄から這い上がって来た女」の意味がやっとわかった。

そしてその豊富なキャリア、活動量、

そして才能に驚愕した。

 

しかし、そんな彼女のライフストーリーを抜きにしても、

グイグイ脳髄に切り込んでくる

「ブロークン・イングリッシュ」は、

文句なしにカッコいい。

 

その後の時代も、

アコースティックだったり、ジャズ風だったり、

様々なアレンジでやっているのを聴いたが、

どれも渋くて、めっちゃエッジが立っていて、

プログレッシブ。

 

最近のインタビュー映像で、アイドル時代からの流転変転を

余裕しゃくしゃくの笑顔で話す姿も貫禄あり過ぎだ。

 

ちなみに彼女は2006年の映画

「マリー・アントワネット」では、

アントワネットの母のマリア・テレジアを演じている。

 

お姫様アントワネットからオーストリアの女帝へ――

を地で行くかのような女の生きざまに脱帽。

 


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週末の懐メロ69:だれかが風の中で/上條恒彦&小室等

 

1972年、フジテレビ放映のドラマ「木枯し紋次郎」の

主題歌としてリリースされた。

かの市川崑監督が描く時代劇で、

「市川崑劇場」と銘打っていた。

 

故郷の村が盗賊に襲われて家族が皆殺しになり、

一人生き残った。

確かそんなといった設定だったと思うが、

とにかく紋次郎は天涯孤独の男となり、

上州(群馬県あたり)を旅して回る。

 

「あっしには関りにないことでござんす」と言いつつも、

行く先々でトラブルに巻き込まれ、

悪党どもとチャンバラをする羽目になる。

 

件のニヒルなセリフと口にくわえた長い楊枝、

そして編み笠と旅合羽がトレードマークで、

アホなガキども(自分を含む)が

紋次郎のマネをして遊んでいた。

 

正直、ドラマはあまりまともに観たことがなく、

したがって大して思入れはないのだが、

この主題歌はいい曲だなぁと思って

レコードを買って持っていた。

 

上條恒彦はこのちょっと前、ギターを弾いている小室等と

「六文銭(ろくもんせん)」という

バンドを組んで活動していた。

 

六文銭の音楽は一応、フォークソングとして

カテゴライズされていたと思うが、

フォークやロックとは一線を画す、

もちろん歌謡曲とも違う独特の存在、

そして上條の圧倒的な歌唱力は子ども心にも衝撃的だった。

 

二人ともすっかりじいさんになってしまったが、

この曲は今聴いても、体の奥底から血がたぎってくる。

 

小室等のギターは優しく美しく響き、

上条恒彦は力強さを保ちながらも、

齢を取った男の味わい深い声で、

この歌の持つ内側のドラマを描き出す。

 

バックの演奏もオーケストラではなく、

ギターとピアノを立たせた小編成バンドで、

アレンジでとても新鮮だ。

2022年になっても、この先まで行っても、

きっとまだ、誰かが風の中で待っている。

 


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週末の懐メロ68:ごはんができたよ/矢野顕子

 

自由奔放に明るく跳ね回るピアノの旋律。

およそ40年ぶりに聴いたこの曲は、

ナイフのようにズブリと胸の奥深くまで入り、

いろいろな感情が噴き出してきて、不覚にも涙した。

 

八百屋のみいちゃん、お医者さんちのあっこちゃん、

甘ったれのふうちゃん、鼻ったれのかずちゃんたちは

今どうしているのだろう?

 

歌う矢野顕子も、聴く自分も

ずいぶん齢を取った。

だからこそこの「おとなの童謡」の真髄が響く。

 

1980年リリース。

同名の2枚組アルバムは確かその次の年くらいに

中古レコード屋で手に入れて持っていた。

 

矢野顕子は1979~80年に行なわれた

YMO(イエローマジックオーケストラ)の

ワールドツアーにサポートメンバーとして帯同し、

時にはYMOを食ってしまうぐらい

大活躍していた。

 

その帰国直後に作られたこのアルバムでは、

YMOの3人——

細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一が全面的にバックを務め、

テクノポップっぽいサウンドになっていた。

 

アルバムのハイライトになっていた

この表題曲もオリジナルはテクノ歌謡みたいな感じで、

それはそれで面白ったのだが、

このピアノバージョン(10年ほど前のコンサートらしい)は

格別の味わいと深みがある。

 

義なるものの上にも 不義なるものの上にも

静かに夜は来る みんなの上に来る

いい人の上にも 悪い人の上にも

静かに夜は来る みんなの上に来る

 

こんな歌詞を軽やかなピアノに乗せて、

こんな童謡のような歌にできる

矢野顕子という音楽の女神を愛さずにはいられない。

 


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週末の懐メロ67:冬の散歩道/サイモンとガーファンクル

 

1966年リリース。

僕が中学生の頃(1970年代半ば)、

みんなが好きな洋楽と言えば、

ビートルズ、カーペンターズ、ミッシェル・ポルナレフ、

そして、サイモンとガーファンクルだった。

 

代表曲「明日に架ける橋」をはじめ、

「サウンド・オブ・サイエンス」「スカボロフェア」

「コンドルは飛んで行く」など、

ビートルズに匹敵する名曲・影響力のある曲の数々を

世に送り出したS&Gだが、フォークのイメージが強くて、

かの時代の中二病に掛かっていたロック小僧たちからは

軟派音楽として軽んじられていた。

 

そんなわけでやはりロック小僧だった僕も、

「サイモンとガーファンクルっていいね」とは

なかなか言えなかったのだが、

彼らのロックっぽい曲の中でも最大のヒットとなった

この「冬の散歩道」だけは別格。

 

特に切れ味鋭く、スパッとカットアウトする

エンディングは、めっちゃカッコよくて、

ロック小僧の皆さんもシビれていた。

 

解放的に明るく、青春を謳歌する

春夏モードの楽曲と対照的に、

秋冬モードの楽曲は舞い落ちる落ち葉や雪に

哀しみや寂しさの感情を乗せた叙情的なものが多い。

 

しかし、そこをキリっとした緊張感のある曲調で、

寒くてグレイな風景を描きながら

哲学的な歌詞を載せたこの歌は

やはり特別の味わいがある。

今もって、これに追随するような

ポップミュージックは数少ない。

 

ただ邦題の「散歩道」というタイトルが、

曲のイメージと相反するのんびりムードを

醸し出しているところが

ちょっと残念かな。

憶えやすくはあるんだけど。

 


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週末の懐メロ66:リヴィング・イット・アップ/リッキー・リー・ジョーンズ

 

今日は誕生日。

還暦を過ぎると誕生日って、

そこはかとなく人生の終わりから逆算したりしてみる。

そこで死ぬ前に1曲だけ好きな歌を聴かせてやる、

と言われたら、何を選ぶだろうと考えてみた。

 

殆ど考えることなく、この曲のイントロが聞こえてきた。

1981年リリース。

リッキー・リー・ジョーンズの

セカンドアルバム「パイレーツ」のA面2曲目。

変幻自在の曲調。

マジックのように変転するリズムに乗せた歌声は、

軽やかな足取りで野道を行く少女のようであり、

裏街の酒場で飲んだくれるセクシーな女のようでもある。

 

♪おかしな片目を持ったエディは

 可愛い女の子がやってくると

 すぐにマンガのほうに視線をそらしてしまう

 彼はそれ以上何もしないで

 一日中玄関のポーチにすわっている

 何かを待っているようなふりをして・・・

 

そんな歌詞で始まるこの歌は、

まだ人生を始める前のイカれた子どもたちが

恋をしたり悪さをしたりしながら成長して

やがて離れ離れになっていく物語を

リリカルに、人生の変節を綴るかのように歌い語る。

 

人生をぜいたくに楽しむ。

おもしろおかしく暮らす。

「リヴィング・イット・アップ」はそんな意味だ。

 

リッキー・リー・ジョーンズの代表作と言われるのは、

1979年にリリースし、グラミー賞新人賞を獲得した

デビューアルバム「浪漫」だが、

彼女の類まれな、魔術としか思えない

独特のジャージーなヴォーカルを思う存分堪能できるのは、

このセカンドアルバムだ。

 

アナログレコードはずいぶん前に売ったりあげたりして、

今ても手元に残っているのは10枚ほどだが、

その中の1枚がこの「パイレーツ」である。

 

確かレコード屋でジャケ買いしたのだが、

ジャケットの写真は、ライナーノーツによれば、

1930年代のパリのナイトライフを撮っていた

ハンガリー出身のブラッサイという写真家のもの。

彼は画家のピカソや作家のヘンリー・ミラーと親交が厚く、

自ら画家としても活躍していたらしい。

この写真は1932年の「Lovers(恋人たち)」と

題された代表作である。

 

1981年。その頃はテレビもあまり見ないで、

演劇と本とレコードが生活のほとんどを占めていた。

一時期、毎晩、ひとりで酒を飲みながらアパートの部屋で

このレコードを聴きふけっていたことを思い出す。

特に幸福だったという思い出でもないし、

人生最高の歌なのかと問われてもイエスとは言い難い。

 

でも。

今日はカミさんのプレゼントのフランスワインを

飲みながら聴いているが、

やっぱり最後の晩餐にいちばん相応しいのは

この曲だなと思わずにいられない。

まだまだ面白おかしく暮らしたいしね。

 

さて、あなたは最後の晩餐曲に何を選びますか?

 

 

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週末の懐メロ65:ジェイデッド/エアロスミス

 

あまり懐メロというイメージはないけど、

2001年リリースだからすでに20年。

 

僕が中学生の頃、

1973年にデビューしたエアロスミスが、

クイーン、キッスと並んで

「ロック新御三家」と言われて

日本で大人気になったことも、

今やはるかな昔話になった。

 

その頃はあまり興味がなくて、

ろくに聴いてなかったのだが、

その後、メンバ脱退や一時解散期を経ても

バンドとして成長を止めなかったエアロスミスは大出世し、

グラミー賞受賞、ロックの殿堂入りなどを果たした。

 

「キング・オブ・ロック」の称号を手にした

エアロスミスのリッチでゴージャス、

ポップでコマーシャルなサウンドは

聴いてて気持ちよく、

20世紀ロックのおいしいところをてんこ盛りにした

お祝い料理をいただいたような満足感がある。

 

加えてミュージックビデオの質の高さ。

 

贅沢な暮らしにJaded(あきあき)した

箱入りお姫さまが

お屋敷からワイルドな世界に脱出するストーリーが、

妖しく猥雑でセクシーで、

ユーモアたっぷり、遊び心満載の妄想として描かれていて

すごく面白い。

 

音楽ビデオの大傑作と思える見事な映像展開は、

4分弱でハリウッドエンターテインメント映画を

満喫したような気分にさせてくれる。

 

 

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週末の懐メロ64:ビー・マイ・ベイビー/ザ・ロネッツ

 

1963年リリース。

今や世界的な人気、大瀧詠一や山下達郎に代表される

80年代ジャパニーズ・シティポップの

良きお手本になったとも言われるラブリーな楽曲。

 

ザ・ロネッツは、リードヴォーカルのベロニカと姉、

従姉の三人組。

彼女らは最初、「ダーリン・シスターズ」という名前

でデビューしたが、鳴かず飛ばずだった。

 

そんな時、さっそうと現れたのが、

音楽プロデューサーのフィル・スペクターである。

当時のヒットメーカーと組み、

グループ名を変えてこの曲を歌ったら大ヒットとなった。

 

当時のヒットもさることながら、

良い曲は時を超えて成長する。

その後も1960年代アメリカンポップスの代表曲として

時代ごとに歌い継がれ、聴き継がれており、

後世のミュージシャンに与えた影響は計り知れない。

 

僕も当然、リアルタイムでは知らず、

20歳ごろにアメリカン・オールディーズを編集した

レコードで聴いて好きになった。

すでにもうその頃から懐メロだったわけだが、

1980年代でも、2000年代でも、

そして今聴いてもめっちゃ新鮮に響く。

 

つい最近までモノクロだったこの映像も、

現代のテクノロジーのおかげで、

いつの間にやら「総天然色」に進化。

 

僕が子どもの頃は、まだ白黒のテレビ番組が多かったので、

新聞のラテ欄を見るとカラーの番組は題名の頭に

「カラー」とか「C」とかいうマークがついていたが、

そんなことを思いださせる風合いもなつか楽しい。

 


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週末の懐メロ63:ジェネシス・ライブ1973

 

2020年、一発目のこのコーナーでは、

1973年1月10日のパリの劇場における

ジェネシスのライブをご紹介。

 

この時代のジェエシスは

「シアトリカルバンド」とも呼ばれ、

ライブにおける演劇的パフォーマンスが

高く評価されていた。

 

そのシアトリカルな部分は、

ヴォーカルのピーター・ガブリエルの独壇場だった。

 

フルートを吹き、タンバリンを響かせ、

バスドラを踏み鳴らし、そして、

マイクスタンドを振り回す、

半世紀前の若きガブリエルの雄姿が、

つい昨日撮ったばかりのような美しい映像でよみがえる。

 

2020年秋から2021年にかけて毎週、このコーナーで

僕が子どもの頃・若い頃、よく聴いたミュージシャン、

今でも大好きな楽曲を60以上紹介してきた。

その中で最もアクセスが多かったのが、

昨年5月にUPしたジェネシスの「サパーズレディ」だった。

 

ちなみに2位は松田聖子の「秘密の花園」、

3位はランパの「ロッホ・セヌ―」、

4位はミッシェル・ポルナレフの「忘れじのグローリア」、

5位は平山みきの「真夏の出来事」である。

面白い?

 

1970年代プログレッシブロックの特徴の一つに

楽曲の長大さが挙げられるが、

「サパーズレディ」もアナログレコード片面を

ほぼ全部使った20分超の大曲。

それが他を抑えて、なぜこんなに人気があるのか、

ちょっと驚きだ。

 

この1973年初頭、今から49年前のライブは

フランスのテレビ局が収録フィルムを

音楽番組として放送したものだ。

 

収録されているのは、この時代のジェネシスの名曲4曲。

 

①怪奇のオルゴール(0:00)

②サパーズレデイ(10:03)

③ザ・リターン・オブ・ジャイアントホッグウィード(21:22)

④ザ・ナイフ(26:48)

 

4曲とも番組放送用に編集されて短くなっており、

特に「サパーズレディ」は中盤が大幅にカットされて

半分くらいの長さ。

フルでこの4曲をやると1時間かかるから、

やむを得なかったのかもしれない。

 

それでもこのコンテンツを紹介するのは、

冒頭でもお話した通り、その画質のクオリティである。

約50年も前のライブがこんなクリアで

美しい映像で見られるとは感動ものだ。

もちろん演奏も素晴らしい。

 

「シアトリカルバンド」という情報はあったものの、

ホームビデオさえなかった1970年代に

日本にいた僕たちは

その稀有なパフォーマンスを見ることはできず、

いわば幻の人気プログレバンドだった。

 

時々、ピーター・ガブリエルが奇天烈な格好をして

歌っているのを、

レコードジャケットやし雑誌の写真で見た程度である。

(僕の記憶にある限り、日本のテレビで

ジェネシスの演奏がオンエアされたことはなかった)

 

それがいま、およそ50年を経て、

インターネットで無料で楽しめるなんて、

考えてみれば夢のようである。

 

怪しいオカルティックな幻想曲を歌いながら、

赤いドレスを着たキツネ婦人に変身したり、

「サパーズレディ」圧巻のクライマックスで

真っ白な天使となって昇天したり、

マイクスタンドを縦横無尽に操って

ステージ上で狂走するガブリエル。

 

その姿はクールに見ると滑稽で笑ってしまうが、

このイメージ、この感情を表現したいんだ、

何が何でも伝えたいんだ、という意欲が

体中にあふれていて、

笑いながらも胸が熱くなり、

やはり心打たれずにはいられない。

 

そしてこんなユニークな音楽パフォーマンスは

現代ではなかなかお目にかかれないと思う。

 

最後に4分間ほど、ライブ後のインタビューが入っており、

音楽的にはビートルズ、キング・クリムゾン、

パフォーマンス的には、アリス・クーパー、

デヴィッド・ボウイなどの影響を受けた・・・

といった話をしているようだ。

 

ガブリエル・ジェネシスのすごさ、面白さ、美しさが

存分に堪能できるライブフィルム。

興味を覚えた人は、画質は悪いものの、

1970年代前半のガブリエル・ジェネシスのライブ映像が

いくつかも上がっているので、

ぜひ観てみてください。

 

また、この「週末の懐メロ」でご紹介した

アニメーションの「サパーズレディ」も面白く、

この楽曲の物語もわかりやすく楽しめるので、

ぜひご覧ください。

 

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週末の懐メロ62:ケイト・ブッシュ・クリスマススペシャル1979

 

「こんなものがあったのか!お宝発見」と、

びっくりしたのが、

1979年、BBCで放送されたケイト・ブッシュの

クリスマススペシャル番組。

 

1977年「嵐が丘」の衝撃のデビュー後、

1980年にサードアルバム「魔物語」を出す前までの

ケイト・ブッシュは、

楽曲の素晴らしさもさることながら

ダンス&パントマイムを取り入れ、演劇的に構成した

ユニークなライブパフォーマンスが評判だった。

 

僕も80年代半ばにリリースされた

ロンドン・ハマースミスオデオンでのライブを

それこそ擦り切れるまで(当時はVHビデオテープ)

観ていた。

 

この映像はそのスタジオ版ミニライブといった趣で、

当時の新曲と未発表曲を中心に、10曲を披露している。

(プラス、ピーター・ガブリエルがゲストとして

1曲歌っている)

 

収録曲

①バイオリン 00:29

②ブルーのシンフォニー 04:44

③ゼム・ヘヴィ・ピープル 08:20

④ヒア・カムズ・ザ・フラッド(ピーター・ガブリエル)T 13:22

⑤酔いどれワルツ 17:02

⑥ディセンバー・ウィル・ビー・マジック・アゲイン 19:43

⓻ウエディング・リスト 23:35

⑧アナザー・デイ(ガブリエルとのデュエット) 28:05

⑨エジプト 31:41

⑩少年の瞳を持った男 36:21

⑪車輪がすべる 39:24

 

名曲中の名曲「嵐が丘」や「ライオンハート」がないのは、

いささか残念だが、その代り、「酔いどれワルツ」と

クリスマスソングの

「ディセンバー・ウィル・ビー・マジック・アゲイン」

を歌っているのは嬉しい。

(「嵐が丘」はエンドロールのバックにちょっと流れる)

 

どちらもアルバム未収録曲で、

特に「酔いどれワルツ」のパフォーマンスは、

この番組以外でやっていないのではないかと思われる。

 

この中では、「ローリング・ザ・ボール」と歌って、

日本の時計のコマーシャルでも使われた

「ゼム・ヘヴィ・ピープル」と

彼女が髭を生やした酔っぱらいのおっさんを演じている

「酔いどれワルツ」が、

ユーモラスでキュートで最高に楽しく、

この時代のケイト・ブッシュの魅力を堪能できる。

 

彼女の演劇的な嗜好を反映して、

曲と曲の間の繋ぎにも、

サティの「ジムノペティ」がかかったり、

ゲストをアカペラコーラスで紹介したり、

映像の中から抜け出してきて次の歌に入る、といった

面白い演出もされている。

 

改めて、ケイト・ブッシュは永遠の恋人。

あなたも素敵な音楽とともに、

楽しいクリスマスをお過ごしください。

 

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週末の懐メロ61:長い夜/シカゴ

 

もうすぐ冬至(12月22日)ということもあり「長い夜」。

1970年発表。シカゴの大ヒット曲だ。

 

最初は彼らの音楽そのものより

バンド名のロゴがカッコいいと思っていた。

 

シカゴ、カーペンターズ、コカ・コーラ。

Cで始まるグニャグニャっとした感じの

アメリカンなロゴはどれも好きで、

当時の「輝けるアメリカ」を象徴していた。

 

僕の先輩方やあの頃の大人たち、

要するに日本人の大半がアメリカに憧れ、

アメリカにコンプレックスを抱いていた時代の話だ。

 

ロック狂いの先輩にこの曲を初めて聴かされたのは、

確か小6の時だったと思うが、

僕にとってシカゴは、父親のイメージと結びついている。

 

「ちょっとシカゴに行ってくる」は父の口癖だった。

いや、アメリカと貿易をしていたとか、

イリノイ州のあのギャングシティに

何か買い付けに行ってたとか、そんな話ではない。

うちの親父は鵜屋根瓦をふせ換える職人で、

肉体労働者だ。

労働者の休日のお楽しみは、ささやかなギャンブルだ。

 

シカゴと言うのは当時、

うちの近所にあったパチンコ屋の名前である。

仕事が休みで暇なときは、

いつもそのパチンコ屋に通っていたのだ。

チビの時はそのパチンコ屋に連れて行ってもらうだけでも

嬉しかった。

 

印象的には勝ち負け半々。

勝った時はチョコレートを取ってくれたし、

負けても喫茶店に行って何かおごってくれた。

 

今でもあの店の床に塗ったワックスの油臭さと

タバコの煙が入り混じったにおいを憶えている。

今日は父の命日なので、そんなことを思い出してしまった。

 

だけど皮肉なもので、音楽をよく聴くようになってから、

あのパチンコ屋の密閉空間に響く

チンジャラジャラという騒音が

年を取るにしたがって、

だんだん耐え難いものになっていった。

もう40年近く、パチンコ屋には足を踏みいれていない。

 

そんなわけでビッグシティの名を冠した

ロックバンド「シカゴ」は、

そのカッコいいロゴとは相反する、

日本の庶民のケチ臭い娯楽のイメージをまとっていて、

イマイチ印象が良くなかった。

 

最近もあまり取り上げられることが少ないようだが、

よく聴くと、なかなか良い曲が揃っているし、

60~70年代バンドらしく、メッセージ性も高い。

 

「長い夜」はそんなシカゴの代表曲で、

リードギタリスト、テリー・キャスのギターソロを

フィーチャーしている。

そう言えば、こんなに長いギターソロを聴いたのも

シカゴのこの曲が初めてだ。

 

テリー・キャスがギターを弾く姿は、

お世辞にもそんなにカッコいいとは言えないが、

60~70年代らしいサウンドで、

とてもエキサイティングで味わい深い。

 


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週末の懐メロ60:オン・マイ・オウン/島田歌穂

 

『レ・ミゼラブル』は今のところ、

生涯最高のミュージカルである。

正直この先、これを超える作品に出逢うことは

難しいだろうとも思っている。

 

そして、こうしたアーカイブでは、

やはり島田歌穂の「オン・マイ・オウン」を聴いてしまう。

 

彼女が『レ・ミゼラブル』でエポニーヌを演じたのは

1000回を超える。

日本初演の年、1987年には同作の世界ベストキャストに選ばれ、

日本の女優として初めて英国王室主催のコンサート

『ザ・ロイヤル・バラエティ・パフォーマンス』に出演した。

 

英語でなく日本語で歌うというハンデをものともせず、

これだけの評価を得たのは驚異的だ。

いまだに史上最高、世界最高のエポニーヌという

呼び声が高いことも頷ける。

 

歌のうまい人は他にも大勢いるが、

島田歌穂の歌と演技は、何かが決定的に違っていた。

 

エポニーヌはパリの裏町で、

悪徳居酒屋を営む小悪党夫妻のもとで

生まれ育ったやさぐれ娘で、

革命の学生リーダーに報われない恋をし、

彼を救うために敵の銃弾に倒れる。

そして、最期は愛する人の腕に抱かれながら天に召される。

 

観客の誰もが感情移入せずにはいられない、

おいしい役だけど、

額面通りの、やさぐれ娘の片思いで終わってしまっては

人の心は掴めない。

 

エポニーヌは『レ・ミゼラブル』という物語にあって、

貴族でも英雄でも聖人でもない、

地を這って生きる凡百の人間が持つ

魂の純潔性を象徴する役である。

 

だからめっちゃ難しい。

僕が知っている限り、それを最も鮮やかに表現し得たのが、

島田歌穂ではないかと思う。

 

だから彼女の「オン・マイ・オウン」には

誰の胸にも届き、染み入る広がりと深みがある。

 

今思えば80年代は世界のミュージカルの黄金時代だった。

なんと幸運なことに、僕はその発火点のロンドンにいた。

 

1985年の8月からしばらくの間、

かの地に暮らしていたのだが、

「レ・ミゼラブル」がオープンしたのは、

ちょうどその頃だ。

 

初めて見たのは、36年前の今頃。

パリに留学していた友だちが遊びに来て、

何かミュージカルが観たいというので、

ロンドンの中心部、レースタースクエアの近くの

パレスシアターで上演中だった

「レ・ミゼラブル」を観に行った。

 

オープン直後から爆発的な人気だったので、

チケットはなかったのだが、

ダフ屋にだまされて20ポンド(当時、約6000円)払って、

いちばん安い5ポンド(1500円)のバルコニー席で観た。

かなり舞台は遠かったのだが、

それでも、詐欺られたことを忘れるくらい、

圧巻の舞台だったことを昨日のように思い出す。

 

その時のオリジナルキャストの

エポニーヌも素晴らしかったが、

日本に帰ってから帝国劇場で島田歌穂を見たら

それ以上だったので本当にびっくりした。

 

そもそも歌って踊って物語を綴る

ミュージカルという形式自体、

欧米人仕様のエンターテインメントなので、

日本人が世界レベルに達するのは難しい。

 

その中にあって島田歌穂の遺した功績は

どれだけ讃えても過ぎることはない。

後世のエポニーヌが皆、挑まなくてはならない巨大な壁。

 

美しい旋律と、

日本オリジナルと言ってもいい素晴らしい歌詞。

そして魂のこもった歌。

たとえアーカイブ上でも彼女の「オン・マイ・オウン」を

聴ける幸福に感謝する。

 


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週末の懐メロ59:パッフェルベルのカノン/ジョージ・ウィンストン

 

12月になったらやはりこの曲だ。

1982年、アルバム「ディセンバー」の挿入歌。

クラシックの名曲だが、僕にとっての「カノン」は、

ジョージ・ウィンストンがピアノで

奏でるこの「カノン」である。

 

その後、40年近くにわたって軽く100を超える

「カノン」を聴いてきたが、

初恋が終生唯一の恋になってしまった。

もし、この世との別れに

なにか最後に1曲だけ聴かせてやると言われたら、

選ぶ曲の一つに挙げるだろう。

 

うちのカミさんと息子以外、

誰かと一緒に聴いたことはないのだが、

なぜかウィンストンの「カノン」を聴くと、

今までに出逢った人たち、

もう逢えなくなった人たちの顔が次々に浮かんでくる。

 

アルバム「ディセンバー」は

最高のクリスマス音楽であり、

年に一度、心を雪原のように真っ白にできる

名盤中の名盤である。

 


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週末の懐メロ58:イッツ・ア・ミステリー/トーヤ

 

1981年。トーヤのセカンドアルバム「聖歌」の挿入歌。

世界の神秘を歌う詩人のようなトーヤの歌と

2本のアコースティックギターの響き。

5年ほど前にイギリスの新設ラジオ局で

収録されたものらしい。

 

トーヤ(TOHA)はバンド名であり、

彼女の名前(トーヤ・ウィルコックス)でもある。

1980年代のパンク・ニューウェーブの流れでデビューした

イギリスのアーティストで、俳優としても活躍している。

 

イメージ的にはケイト・ブッシュのフォロワー、

日本で言えば戸川純というところか。

 

非日常の世界に引っ張り込んでくれる

エキセントリックな女性アーティストが好きだったので、

彼女の音楽もよく聴いてた。

アルバムも5枚持っていた。

 

バリバリにロックしていた頃のトーヤは、

髪をオレンジ色に染め上げたり、突っ立てたり、

メイクも衣裳も、とにかく奇抜さを追求。

今ならゲームのキャラクターにでもなりそうな

妖精かSFヒロインみたいな恰好で、

神話やファンタジーから題材をとった楽曲を

パンク仕立て、ニューウェーブ仕立て

時にはプログレのスパイスを加えつつ

ステージで暴れまくりながら歌っていた。

 

「イッツ・ア・ミステリー」は、

その親しみやすいメロディで、

彼女の代表曲ともいえる楽曲だが、

原曲はシンセサイザーがビンビン響き、

リフレインでどんどん盛り上がっていく

テンション上がりまくりの曲だった。

 

もちろん僕は大好きだったのだが、

先日、このアコースティックバージョンに

巡り会って再びハートを射ぬかれた。

 

だてに40年歌い込んできたわけではない。

昔やっていた突き抜けるようなシャウトは

もうできないのだろうが、

その分、丁寧に思いを織り込むように歌うトーヤの声は、

若い頃よりも深く、優しく、可愛く、

不思議な色気に溢れている。

まるでケルト神話の森に誘い込まれるかのようだ。

 

後から調べてみたら、2015年に

「アコースティック・アルバム」を出していて、

他にピアノバージョンや、

弦楽四重奏バージョンまでやっていて、どれも素敵だ。

 

若い頃はエキセントリックな面しか見えていなかったが、

改めて本当にいい曲だなと思う。

アコースティックにしたことで、

むしろ21世紀の音楽として昇華したという感じがする。

すごく新鮮に響く。

 

さて、80年代のトーヤを知る人は少ないと思うが、

彼女は最近、YouTubeでちょっと話題になっている。

それはキング・クリムゾンの総帥ロバート・フリップと

コンビでやっているロック漫才である。

彼女はかのプログレの巨匠のカミさんなのだ。

 

厳格な求道者と見られていた夫のイメージを

お笑い芸人か? と思えるところまで

完膚なきまでに叩き潰した功績は大きい。

 

二人の結婚生活は結構長く、

もう30年以上に及ぶはずだ。

 

フリップ(クリムゾン)とトーヤの音楽からは、

愛情とか結婚とか家庭とか、

一般的な幸福感といったものは

微塵も感じられないけど、

とても仲睦まじいようだ。

人間はいろんな矛盾した面を

併せ持っているからこそ面白い。

 

以前からイギリスのテレビ番組などには

「おもろい夫婦」として出演していて、

暖かく幸福そうな笑顔を振りまいていたようだ。

 

だからYouTubeEでのお笑いパフォーマンスも

そう唐突なことでもないのかもしれない。

 

それにしてもフリップをここまで改造してしまった

女の力はまさしくミステリー。

 

夫婦漫才を始めた動機は、

コロナ禍でステイホームを余儀なくされた人たちを

少しでも楽しませたい、というもの。

かつてのエキセントリックなニューウェーブガールは

包容力と慈愛の深い女性に成熟したのだ。

 

そんなことを考えあわせると、

この「イッツ・ア・ミステリー」の

アコースティックバージョンも

より味わい深く響いてくる。

 

 

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週末の懐メロ57:暗黒(スターレス)/キング・クリムゾン

 

1974年発表、アルバム「レッド」の最終曲。

計ったことはないが、キング・クリムゾンは、

おそらく僕がこれまで最も長い時間、

その演奏を聴いたミュージシャンである。

 

アルバムも1980年に発表されたものまでは

ライブ盤、ベスト盤を含めてすべて持っていた。

 

なぜそれほどハマったのか?

ほとんどビョーキだったとしか思えない。

今でいう「中二病」というやつだろうか。

 

紅王との遭遇

 

「レッド」と出会った時は中三のだった。

忘れもしない、初めて買った音楽雑誌

「ミュージックライフ」のレコードレビュー欄に

新譜としてこのアルバムが紹介されていた。

 

そこにある情報はジャケット写真と曲名と、

100~200字程度の短いレビュー。

ツイッターで書ける程度の分量だったと思う。

 

脳髄に入り込んだのは 収録された全5曲の曲名の並び。

表題作のほかはすべて漢字で、

「堕落天使」「再び赤い悪夢」「神の導き」「暗黒」。

全部合わせてもわずか16文字。

カタカナ名の「レッド」を入れても19文字。

 

語彙の少ない当時の中学生が、

まだあまり目にすることのなかった

ダークで宇宙の深淵を感じさせるような

言葉の並びに

それまで持っていたロック、ポップスの概念が

破壊されるようなインパクトを受けた。

 

それと合わせて、暗闇にメンバー3人の顔が

浮がび上がるジャケ写真。

それだけで迷わず小遣いをはたいてレコードを買った。

 

レコードから出てきたのは、

これまで聴いたことのない「異様」としか

表現できないような音楽だった。

その時の感触は今でもよく憶えている。

 

特にメロディアスな部分を多く含む

「堕落天使」と「暗黒」には

完璧に心を支配された。

 

クリムゾンの音楽のすごさと魅力は

その過激なメリハリにある。

むき出しの暴力性と、

それを取りなすような優しさ・切なさ・美しさ。

地獄と天国、悪魔と天使との矛盾を

ギリギリのところで抱え込んだ圧倒的存在感が、

まさしくプログレの中のプログレ。

キング・オブ・プログレッシブロックだ。

 

僕が読んだ「ミュージックライフ」のレビューでは

5点満点で星4つ。

「そこそこいいよ」といったレベルだった。

 

そして1974年から75年頃、クリムゾン自体も、

プログレッシブバンドとしての人気は、

ELP、イエス、ピンク・フロイドの後塵を拝していた。

 

ところが半世紀近く経った今、

キング・クリムゾンはその名の通り、

依然としてプログレのキングとして君臨。

70年代最後のアルバム「レッド」は、

1969年のデビュー盤「クリムゾンキングの宮殿」と並ぶ

深紅の王の最高傑作として、

また、ロック史に輝く名盤として

世界中の人たちに評価され、寵愛されている。

 

そして曲名は日本人の英語力のレベルアップ?)に伴って、

「堕落天使➡フォールン・エンジェル」、

「再び赤い悪夢➡ワンモア・レッドナイトメア」

「神の導き➡プロヴィデンス」

「暗黒➡スターレス」

といった具合に、そのまんま原題のカタカナ名に、

たぶんアナログレコードからCDへの変わり目の時に

改名された。

 

ついでに言うと、

「21世紀の精神異常者」は「21世紀のスキッツォイドマン」に、

「放浪者」は「エグザイルㇲ」に、

「夜を支配する人」は「ザ・ナイトウォッチ」になった。

 

なんだかプロレス技の「岩石落とし」が「バックドロップ」に、

「人間風車」が「ダブルアーム・スープレックス」に、

いつの間にか変わったのと似ている。

 

1960~70年代と80年代以降の間に流れる深い河、

昭和と平成の間の感性のギャップを感じる。

 

●燃え尽きた紅王

 

 

僕が初めてクリムゾンの音楽に遭遇したアルバム「レッド」は、

彼らのラストアルバムだった。

その半年後に「U.S.A」というライブ盤が出たが、

収録は「レッド」のほうが後なので、

実質的にはこちらが最後と言っていいだろう。

その時、1960~70年代のクリムゾンの歴史は

いったん幕を下ろしたのだ。

 

「暗黒(スターレス)」はその有終の美を飾る大曲で、

集大成、燃え尽きるクリムゾン、などとも評された。

 

実際はこの曲はアルバムの他の曲よりも先にできていて、

1973~74年のヨーロッパやアメリカのツアーで

たびたび演奏されていた。

ライブ盤「U.S.A」にもアナログでは入っていなかったが、

CD化された時に収録されていた。

 

この映像で演奏されているのは、

その頃の、いわゆるアーリーバージョンで、

まだデヴィッド・クロス(バイオリン/キーボード)が

脱退する前の、4人の時に演奏されている。

 

「レッド」製作の際には、

これにイアン・マクドナルドやメル・コリンズなど、

初期の旧メンバーの管楽器群が加わって完成された。

 

この4人だけでもすごいのに、

マクドナルドらが参戦して、

後半は各楽器の圧倒的なバトルロワイヤルになって展開。

クライマックスでメインテーマに戻ってきて

エンディングに向かって激走する最後の1分間は、

まさしく集大成・燃え尽きる感じがして、

クリムゾンの音楽のすごさが凝縮されている。

 

●神秘のベールに包まれた紅王

 

10代から20代前半の頃は、どちらかというと、

「宮殿」に代表される初期のサウンドが好きだった。

 

最初のクリムゾンは、イアン・マクドナルドと

作詞家ピート・シンフィールドの個性が強く出た

まるでシェイクスピア劇のような荘厳な世界だった。

 

けれども齢を経るとともに、

「太陽と戦慄」から「レッド」にいたる

この頃のクリムゾンサウンドが好きになった。

その思いは今も変わらない。

 

クリムゾン史上最強のメンバー。

 

ロバート・フリップ(ギター/メロトロン)

ジョン・ウェットン(ベース/ヴォーカル)

ビル・ブラッフォード(ドラムス/パーカッション)

デヴィッド・クロス(バイオリン/メロトロン)

 

アルバム「太陽と戦慄」(これもすごい邦題!)で

集結したこの四人は、1973~74年にかけて

ヨーロッパ・アメリカで

長期のライブツアーを行い、膨大な音源を残した、

 

じつはこの時、

日本公演もスケジュールに組まれていたらしいが、

あまりのタフさにクロスが音を上げてバンドを脱退。

そして、フリップが限界を感じて解散を決めた。

そのために残念ながら来日公演は実現しなかった。

 

70年代のクリムゾンは音源は膨大にあるが、

映像はほとんどなく、後から加工されているとはいえ、

このスタジオでの収録風景の映像は

かなり貴重なものである。

 

ちなみに高校生の時、

行きつけのレコード屋のマスターからプレゼントされた

ワーナーパイオニア(レコード会社)のカレンダーに

各月それぞれ12組のロックバンドが載っていて、

確か9月だか10月だかがキング・クリムゾンだった。

そこで使っていた写真が、

このスタジオでの演奏シーンだった。

 

何と言っても、

まだ20代半ばの若きメンバーらの風貌がいい。

今は亡きジョン・ウェットンは

まるで映画俳優のような顔立ち。

デヴィッド・クロスも、とてもハンサムだ。

ビル・ブラッフォードのエキセントリックな表情もいい。

ちなみにビル・ブラッフォードは、

今は「ブルーフォード」と呼ぶらしい。

 

この当時は今と比べると情報量に

天と地ほどの開きがある。

 

特にクリムゾンの音楽活動に関しての情報は非常に乏しく、

音源以外の情報といえば、

レコードについているライナーノーツと

雑誌のわずかな論評のみ。

動画はおろか、カラー写真もないし、ステージ写真もない。

ビジュアルがほとんどない。

しかし、それが却って他のミュージシャンにはない、

神秘感を醸し出していた。

 

ライナーノーツや雑誌に載る

モノクロ写真のメンバーの姿は、

ロックミュージシャンというよりも

世界史の本に載っている

思想家とか哲学者・文学者を想起させた。

それもまた、僕の中でキング・クリムゾンが

別格の存在になった要因でもある。

 

そういえばレコードについている帯には

「神秘のベールに包まれた・・・」

といったカッコいいフレーズが謳われていた。

要するに情報が少なかっただけなのだが。

 

●1980年の来日公演

 

1974年のラストアルバムで罹患したクリムゾン病は

その後、どんどん進行していったが、

それと反比例するかのように、

70年代半ばをピークにプログレの人気は急降下し、

代わってパンク、続いてニューウェーブが台頭していく。

まるでクリムゾンの終焉が

プログレの時代の終わりを暗示していたかのように。

 

ところが80年代に入った途端、

なんと死んだはずのキング・クリムゾンは

「ディシプリン」というアルバㇺを出して生き返る。

 

これはロバート・フリップが、

ビル・ブラッフォードと再び組み、

ギター、ヴォーカルのエイドリアン・ブリュー、

ベースのトニー・レヴィンを入れて結成した

新しいバンドだった。

 

当初のバンド名は「ディシプリン」だったのだが、

フリップはこのバンドに再び

「キング・クリムゾン」の名を冠した。

 

フリップの意思だったのか、

マネージメント側やレコード会社の意向だったのか、

わからないが、

この時から「キング・クリムゾン」は

バンド名であるとともに、

音楽ビジネスのためのブランド名になった。

 

驚きと不安の中で聴いた「ディシプリン」。

それはかつてキング・クリムゾンとは

まったく別の音世界だった。

僕は混乱した。

 

それでも初の来日公演を行うというので、

チケットを手に入れないわけにはいかなかった。

 

来日公演について宣伝をしたり、

熱く語った覚えはないのだが、

なぜかプログレなんてほとんど聴いたこともない友だちが

「おれもいく」「あたしも行きたい」とか言い出し、

5、6人くらいで連れ立って会場へ向かった。

 

東京の会場は、今はなき浅草国際劇場。

「なんで浅草?」という違和感と

実際のステージを見た時の違和感は忘れらない。

 

ああ、やっぱり。

このキング・クリムゾンは、

僕が知っている、ぼくを病気にした

キング・クリムゾンではない。

 

「レッド」と「太陽と戦慄パート2」はやってくれたが、

暗黒も、堕落天使も、21世紀も、宮殿も、放浪者もない。

 

ディスコやニューウェーブの影響を受けた

「デイシプリン」のサウンドに、

60~70年代のクリムゾンのイメージに支配されていた

僕は脳も体もついていけなかった。

 

唯一、日本のあいさつを勉強してきたロバート・フリップが

お坊さんみたいに手と手を合わせて「アリガト」と

観客にお辞儀していたのが心に残った。

 

浅草からの帰り道、

本当にプログレッシブロックの時代は

終わってしまったんだとしみじみ感じた。

でも、その頃からロックとは、

音楽とはこういうものがいいんだ

という思い込みから解き放たれ、

より幅広い音楽を自由に楽しめるようになった気がする。

 

振り返ると、プログレのカテゴリーからは外れるが、

「ディシプリン」は今聴いても面白い、

時代の先端を先取りしていた、優れたアルバムだと思う。

ただし、僕がクリムゾンのレコードを買ったのは

ここまでだ。

 

●永遠の暗黒

 

その後、クリムゾンは何度か解散・再結成を繰り返し、

90年代以降はヘヴィメタみたいになってしまい。

6人編成になったり、8人編成になったりした。

オールドファンの要望に応えてか、

最近は60~70年代の曲もよくやっている。

そういえば今年もこれから来日公演をやるらしい。

 

おそらく御大ロバート・フリップが生きている限り、

活動を続けるのだと思うが、

僕はそんなに興味を避けなくなってしまった。

 

ただ、フリップ師には最近、ちょっとまた注目している。

 

独自の道を行くプログレ王であり、

厳格な求道者というイメージだったフリップ師は、

最近、キャラが激変。

 

奥さんのトーヤにそそのかされたのか、

コロナ禍でステイホームしている人たちを楽しませようと、

YouTubeでお笑いコスプレや、

ロック夫婦漫才みたいなことをやっているのだ。

 

まさかあのクリムゾンの総帥が、

お茶目で可愛いじいさんぶりをご披露してくれるとは

夢にも思わなかった。

時代は変わる、人間は変わる、人生は変わる。

 

しかし、これも長きにわたるクリムゾンの活動で、

自分が追求する音楽を成し遂げたという

余裕がなせる業なのかもしれない。

 

今やフリップが従来のイメージを自ら破壊しようとも、

キング・クリムゾンは

微動だにしない圧倒的な世界と物語を構築した。

もうこうなると古いとか新しいとかいった論評は

意味をなさない。

 

普遍的なロッククラック。

プログレッシブロックという名の孤高の文化。

「暗黒」――「スターレス」はそのバイブルとして、

永遠の生命力を持って聴き継がれ、

語り継がれると信じてやまない。

 


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週末の懐メロ56:ホワット・ア・フィーリン/アイリーン・キャラ

 

1983年。

アイリーン・キャラは、自分も出演してしていた

映画「フェーム」(1980年)と

この「フラッシュダンス」で。

続けざまに主題歌をヒットさせ、大スターになった。

 

この曲が流れてくるとともに、自転車に乗った主人公が

朝焼けの街を疾駆する「フラッシュダンス」の冒頭3分は、

これまでに観た映画の中で、最も希望に溢れた

オープニングシーンだ。

 

みどころは、もちろんダンスシーンなのだが、

僕はそれ以上に、ジェニファー・ビールス演じる

主人公アレックスの、昼間はガテンな溶接工、

夜はセクシーバーで金を稼ぐ、という

大都会で夢を追いながら生きる

タフなサバイバーぶりが好きだった。

 

夢見る少女ダンサーの物語に

こんな設定を加えて映画にすることができたのは、

やはり女性が自由にふるまえるようになり、

ライフスタイルが変わった80年代だったからではないかと思う。

 

今では女性も当たり前にガテンな仕事をするようになったが、

この頃の日本じゃ工場や倉庫や建築現場で

若い女の子が働くなんて、とても考えられなかった。

アメリカだって女性溶接工なんて、

まだそんなにいなかったと思う。

 

それでいてアレックスは可愛い女の子で、

自分の夢にまっすぐで、

ちょっとエッチなところもあって、

成功に向かってがんばって、

予定調和的なシンデレラストーリーを

実現させちゃう。

 

なんだかおいしところてんこ盛りで、

斬新でありながら、意外と古典的なヒロインの、

今考えるとよくできた話だった。

 

時代は変わっても、齢を取っても

やっぱり自然と希望が胸に溢れ出してくるような

音楽と映画に親しんでいたい。

 


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週末の懐メロ55:アローン・アゲイン/ギルバート・オサリヴァン

 

秋風に吹かれると口ずさみたくなる曲の一つ。

アイルランド生まれのイギリス人シンガーソングライター、

ギルバート・オサリヴァンが1971年にリリース。

 

その時は小学生なので、

たぶん初めて聴いたのは中学生になってから。

ラジオの深夜放送で、

たぶん秋が深まって来た今ごろの季節だと思う。

(脳内で記憶を捏造している可能性はあるが)

 

20歳くらいの頃、友だちが

僕が住んでいたアパートのそばの

ゴミ置き場に捨ててあった、

小さなシングル盤レコード専用の

ポータブルプレーヤーを拾ってきて

僕の部屋でこの曲のレコードを

えんえん繰り返し聴いていたことを憶えている。

 

そいつはもう死んでしまったが、

そんなくだらないことばっかりよく思い出す。

 

ちょっぴり切なさはあるけど、

乾いた明るさを持った覚えやすく、歌いやすい

ミディアムテンポの心地よいメロディ。

 

好きな女の子に振られた男が、

「またひとりになっちゃたよ、当たりまえみたいにね」

と、ヒューッと口笛吹きながらつぶやいて、

もうあの子のことは忘れちゃおう、

でも忘れられないなーー

そんなふうに歌っていると、ずっと勝手に思っていた。

 

ところが最近、ちゃんとした歌詞・訳詞を知ってびっくり。

あまりにシリアスで重い内容なのだ。

ちょっとダイジェスト版でご紹介。

 

少し経っても この気分が晴れなければと

自分に約束したんだ

近くの塔に登って身を投げるのだ 

打ちのめされた人間が

どんなことになるか

きみに知らせてあげるために

 

教会に佇んでいると 周りの人たちが言う

「もう充分だ 彼は婚約者に見捨てられ

 私たちがここに残る理由は無い」と

僕らは家に帰ることになるだろう

自分から仕掛けたように

僕はまた一人になった 当り前のように

 

この世界にはまだ他にも

救われない心がたくさんあって

誰にも治してもらえないまま

忘れ去られていく

僕らはどうすればいいのだろう

何をしてあげられるのだろう

また一人になってしまった 当り前のように

 

何年も前のことを振り返る

前にもこんなことがあったなと

思い出したよ 父が亡くなったとき

僕は泣き明かして 涙もろくに拭わなかった

そして母は65歳で死んだ

僕は理解できなかった 

なぜ彼女が愛した唯一の人を奪われて

傷ついたまま生きていかなければならなかったのか

 

母はだんだん喋らなくなっていった

僕が励ましたのにも関わらず

そして 彼女が死んだとき

僕は一日中 泣き続けた

そしてひとりぼっちになったんだ 当然のように

また一人になるんだ 当たり前のように

 

曲と詞とのギャップに驚くが、それ以上に

こんな歌を世に送り出してヒットさせた

ギルバート・オサリヴァンの才能と、

この曲の持つ芸術性に高さに

50年後の今、改めて感心する。

 

この時代、60年代・70年代の

ポップミュージックは、

若者たちがこれからの人生を思い描き、

愛も自由も、生も死も好きなように

想いを奏でられる時代だった。

 

だから聴く人たちは、こんな絶望的な歌からでも

自由に自分を表現し、自由に生きていいんだという

希望のメッセージを感じとることができた。

芸術性を見出し、世界を広げることができた。

そこに「アローン・アゲイン」の世界的大ヒットの、

そして後世に残る名曲になり得た秘密があるように思える。

 


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週末の懐メロ54:ロックバルーンは99/ネーナ

 

1983年、ドイツで生まれたロックナンバーが

翌年、アメリカをはじめ、日本やイギリスなど、

世界中を席巻した。

 

わたしに時間をくれたなら

あなたのために歌ってあげるよ 

地平線の彼方へ飛んで行った

99個の風船の歌よ

 

抜群にノリがよく、

メロデイーもサウンドも歌声もキュート。

明るくポップでパワフルな、

まさしく1980年代屈指の世界的大ヒットだが、

内容は反戦の意思を志を秘めた寓話の世界の歌だ。

 

風に乗って飛んで行った風船を

敵国の爆弾と勘違いして、

軍人や政治家が大騒ぎして

攻撃を仕掛けるさまを

ちょっとコミカルなメルヘンのように歌う。

 

99年間の戦争の果て、勝者なんて誰もいない

国もない 大臣たちももういない 

戦闘機の影もない

 

いつもの道を歩いて行ったら

瓦礫の街の片隅に 1個の風船を見つけたの

そしてあなたのこと思いながら 空へ飛ばしたの

 

「ネーナ」はこの曲を世に送り出したバンドの名前であり、

ヴォーカリスト・ネーナ・ケルナーの名前でもある。

もともとはスペイン語で

「ちっちゃな女の子」という意味らしい。

 

最初にドイツと書いたが、正確には1983~84年は

「西ドイツ」だった。

当時はまだベルリンの壁が存在し、

ドイツは西と東に分断されていたのだ。

 

その壁が崩壊したのは、この曲のヒットから

5年後の1989年11月9日。

32年前のことである。

 

ベルリンの壁の崩壊は、

アメリカとソ連の冷戦終結を意味していた。

対立と分断の時代が終わり、世界中の人々が手を取り合い、

より良い世界が訪れる――

多くの人がそんな、限りなくリアルな夢を抱いた。

 

けれども現実はそんなに単純なものではなかった。

世界は新たな混乱と暴力と分断の時代に

入ってしまった。

32年経ったけど、

いまはまだ夢の途中なのだろうか?

 

ふたたびネーナの話。

バンドは解散し、ヴォーカルのネーナは一時引退し、

5人の子どもの母となり、そして歌の世界に帰って来た。

この「ちっちゃな女の子」は僕と同い年である。

 

3年前の映像だが、アラカンでこの若さと元気さ。

親子世代がいっしょに歌う、今なお新鮮なポップロック。

21世紀のロックバルーンに

驚きと感動を抑えることができない。

 

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週末の懐メロ53:スリラー/マイケル・ジャクソン

 

ハロウィーン近しと言うことで、ちょっとベタだけど、

何の説明もいらない、1982年発表の同名アルバムの

超ヒット曲。

 

マイケル・ジャクソンは10歳の頃から

ジャクソン5の一員として活躍しており、

全米のアイドルだったが、

このソロ第2作のアルバム「スリラー」で、

他の追随を許さない世界のビッグスターに駆け上がった。

 

めちゃくちゃ久しぶりにミュージックビデオの

フルバージョンを見た。

40年前は画期的なビデオだったが

映像技術が発達した現代の視点からは、

割とチープなつくりに見えてしまう。

そこがまた面白かったりもする。

 

チープなのは映像技術だけでなく、

マイケル・ジャクソンの芝居もだ。

裏とダンスはこの頃から超一流的だったが、

芝居はチープでへたくそで、そこがまた楽しい。

 

そして何と言っても、まだ若くて、と言うかガキっぽくて、

そのへんにいる女の子とイチャつくのが大浮きな

おにーちゃんという感じが、たまらなく良い。

 

彼がすでにこの世から旅立って10年以上経つ今、見ると、

こうしてオバケごっこをやっていた時代が、

マイケル・ジャクソンにとっても最も幸福で、

ミュージシャンとしても頂点だったんじゃないか

という気がしてくる。

 

この「スリラー」をきっかけに超大物になった彼は、

その後も歌とダンスに磨きをかけ、

世界一のエンターテイナーになった。

それはいい。

 

けれども黒い肌が白く変わり、

整形を繰り返していくさまは

とても痛々しくてまともに見ていられなかった。

 

当時、彼は白人になろうとしているなどと言われたが、

どうも肌が白くなるのは一種の病気だったらしい。

また、ステージや撮影中のケガなどによって

整形も余儀なくされていたようだ。

 

彼としては音楽の仕事に集中し、

持ち得る技をより高みに引き上げることが

唯一、自分自身を救う手段だったのではないか。

 

1990年代以降のマイケル・ジャクソンは、

つねに世界の人々の熱狂の渦の中にいて、

「キング・オブ・ポップ」の称号を手に入れた。

けれども、それと引き換えに

何かとても大切なものを失ってしまった。

 

いろんな事象が絡み合い、

自分ひとりでは抗えない、何か大きな世界の力、

ポップスターの神を求める人々の想念の渦みたいなものに

取り込まれてしまった。

そんな感じがする。

 

僕にはマイケル・ジャクソンを死へ追い詰めていった

世界の力、神を求める大衆の想念のほうが

「スリラー」に思える。

 

 

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ハロウィーンの原型となったメキシコの「死者の日」をはじめ、伝統的な風習から現代の各国のエンディング事情まで。

鎌倉新書発行の葬儀・供養の業界誌「月刊仏事」の連載をまとめたエッセイ集。

もくじ

・わたしを忘れないで(メキシコ)

・ラストドライブ 最後の旅(ドイツ)

 

・メモリアルベンチ(イギリス)

・安楽死できる国は幸福か?(オランダ)

・巣式ストリップショーに禁止令(中国)

ほか全23篇


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週末の懐メロ52:ノーモア“アイ・ラブ・ユーズ”/アニー・レノックス

 

1995年リリース。「メドゥサ」のトップナンバー。

もともとは「ザ・ラヴァ―スピークス」という

イギリスのバンドが1986年に発表した曲である。

 

それはそれでななかなかいいのだが、

これをカヴァーしたレノックスのバージョンが凄すぎた。

 

おそらくほとんどの人は、

彼女のオリジナル曲だと思っている。

かくいう僕もつい最近までその一人だった。

 

圧倒的な歌唱力に加え、

ひと睨みで男を石にする蛇魔女メドゥサの魔性。

 

悪魔の館か、倒錯趣味の変態秘密クラブか、

奇怪な世界を描いた演劇風のミュージックビデオは、

そこはかとなく楽しくユーモラスでもある。

 

これは現在も世界中を巡演している

男性だけのバレエ団

「トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ」への

オマージュとして制作したらしい。

 

愛を囁く人たちは怪物たちの話をする。

 

「No more "I love you's"」とともに 

歌詞の中で繰り返される「モンスター」とは、

誰もの心の中にいる、もう一人の自分の姿だ。

 

だって人はこぞってハロウィーンに

オバケになりたがる。

年に一度、自分の中のモンスターを解放するのは、

健康の秘訣なのかもしれない。

 

レノックスはこの曲で第38回グラミー賞(1996年)の

「最優秀女性ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞」を

受賞した。

 

ちなみに「メドゥサ」ではチークダンスでおなじみ、

プロコルハルムの「蒼い影」なども歌っている。

これまた圧倒的なレノックス節で素晴らしい。

 


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週末の懐メロ51:サンシャイン・ラブ/クリーム

 

ハードロックの元祖クリーム。

1968年11月、ロンドンの古式ゆかしい

ロイヤルアルバートホールを

ぶち壊すかのような壮絶なラストライブ。

 

バンドの活動期間はわずか2年半ほどだったが、

エリッククラプトン(ギター)、

ジャック・ブルース(ベース/ヴォーカル)、

ジンジャー・ベイカー(ドラム)の

最強トリオの凄まじい演奏は、

ロック史に巨大な足跡を残した。

 

「サンシャイン・ラブ(Sunshine of Your Love)」は

1967年リリースのアルバム「カラフル・クリーム」に

収録された、大好きなヒットナンバーだ。

初めて聴いたのはその10年後だったけど。

 

僕が高校生の頃は

「レッド・ツェッペリン? 

ディープ・パープル?

ブラック・サバス?

だっせ~。おれはクリーム聴いてるんだよ」

と言えば、なんだか自慢できた(笑)。

アホみたいだけど、要はそれくらい偉大なバンドとして

認識されていたのだ。

 

何と言っても、当時からすでに“神”の称号を受けていた

世界最高峰のレジェンドギタリスト、

エリック・クラプトンが若々しく、

バリバリにロックしていたということが大きい。

 

しかし、聴けばお分かりのように、

ブルースのベースも、ベイカーのドラムも、

クラプトンを圧倒するほどの

凄いエネルギーを放っている。

 

曲の中盤以降はチームワークなどまるで無視して、

ほとんど3人のバトルロワイヤル状態。

最後までこの曲を続けられるのか、

途中で崩壊してしまうんじゃないかと

ハラハラするほどだ。

 

そしてクリーム以上に凄まじいというか、

面白いのが観客。

この頃の客は会場で

平気でタバコ(マリファナか?)を

ふかしながらタテノリしまくっている。

この人たちは今、ほとんどが70代だろう。

 

ハチャメチャな1960年代。

見方を変えれば、思う存分、音楽を楽しみ、

それだけで世界を変えられると、

みんなが信じていた牧歌的な時代。

 

そんな時代の空気を満喫できるこんなライブを、

普通に家にいて観られるとは、

今もまた、それなりにいい時代なんだよな。

 


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週末の懐メロ50:エニウェア・イズ/エンヤ

 

1995年末のリリースのサードアルバム

「メモリー・オブ・トゥリーズ」の代表曲。

エンヤという稀有なミュージシャンの

代表曲とも言えるかもしれない。

 

このアルバムはちょうど息子が生まれた頃よく聴いていた。

中世を思わせるケルトの民族ドレスをまとった

エンヤのジャケットがとても神秘的で美しかった。

 

エンヤは1980年代の終わりごろから

アイルランドの歌姫として

世界のミュージックシーンで知られるようになった。

 

その登場は衝撃と言うよりも、

当時のワールドミュージックの潮流に乗って、

まるでひたひたと潮が満ちるように、

いつの間にかそこに存在していたという感じがする。

 

ワールドミュージックは

ごく大雑把に言えば、

現代文明が構築される以前の人間が

どう時間を捉え、どう人生を捉えていたかを

歌と音で伝えるツールである。

 

「エニウェア・イズ」は

人生の謎について問いかけ、答える歌だが、

ポップでありながら宇宙の律動のような響きを持っている。

 

いろいろな人の和訳を拾ってみると

最後のほうではこんな内容のことを歌っている。

 

 

何度やり直しても、どの道を選んでも

また新たな始まりが始まる。

ずっと答を探し求めてきたけど

終わりを見つけることはできない

今ここにあるこの道、

そして、向こうに広がるあの道

どっちを選んでもいい

今、わたしが選んだこの道も

あの頃のわたしが選んだあの道も

みんな始まりに過ぎないのかもしれないし

終わりはすぐそこなのかもしれない

 

 

人間ひとりの脳の中には

さまざまな次元の時間が流れている。

 

親子であっても、夫婦であっても

共有できるのは、そのほんの一部に過ぎない。

広い社会の中ではなおのこと。

 

若い頃は単一方向にしか流れていなかった時間が、

齢を取ってくると、放射状にあらゆる方向に伸び始める。

 

細かく切り刻まれた

現代社会における時間とは対照的な、

山上からな海へ向かって流れ続ける大河のような時。

 

個人の過去。

日本という国・地域の文化に包まれ過去。

ヒトという地球に生きる種族の過去。

 

個人の未来。

日本という文化の未来。

ヒトという種族の未来。

 

それらすべてを孕んで僕たちの現在(いま)がある。

 

始まりもなく終わりもない道をどう歩いてゆくのか。

きっとEnywhere、どこへでも歩いてゆける。

エンヤの歌を聴くと、いつもそんなことを考える。

 

音楽エッセイ集

ポップミュージックをこよなく愛した

僕らの時代の妄想力

4週連続無料キャンペーン

第4回:10月2日(土)17:00~3日(日)16:59

収録33編

●八王子・冨士森公園のスローバラード駐車場で、ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力について考える

●アーティストたちの前に扉が開いていた

●21世紀のビートルズ伝説

●藤圭子と宇多田ヒカルの歌う力の遺伝子について

●ヘイ・ジュード:ジョンとポールの別れの歌

●阿久悠の作詞入門

●余命9ヵ月のピアニスト

●ローリング・ストーンズと新選組の相似点について

●キング・クリムゾンの伝説と21世紀版「風に語りて」

●プログレッシヴ・ロックスターの死①:ジョン・ウエットンの訃報、そしてロンドンの寿司

●プログレッシヴ・ロックスターの死②:キース・エマーソンの尊厳死(1周忌に捧ぐ) 

●勝手にビートルズ・ベストテン

●中学生時代の「エリナ・リグビー」の衝撃と和訳演奏

●純情ストーカー男と純心DV願望女の昭和歌謡

●人間は幸せに慣れると、幸せであることを忘れてしまう

●義弟のアナログレコードと帰ってきたカレン・カーペンター

●いちご畑で抱きしめて

●ダイヤモンドをつけたルーシーとの別れとジュリアンの心の修復作業

●抹消された20世紀パンクと想像力の中で生きる19世紀型スチームパンク

●悲しいことなんてぶっとばすロックンロールバンドのモンキービジネス

●オノ・ヨーコさん「NHKファミリー・ヒストリー」とYESの3文字の秘密

●オノ・ヨーコさん「NHKファミリー・ヒストリー」と「イマジン」の秘密

●いろいろな人が弾くから、心に響くロンドンのピアノ

●ストリートミュージックが商品になった街ロンドン

●アナログレコードとの再会

●見捨てられた恋人のようだったアナログレコードが、 なぜ絶滅の淵から回帰したのか?

●さすらいのレコード・コレクター:男のバカバカしくて痛快な生きザマ

●クリスマスにちょっとだけ世界と自分を変える

●森田童子の思い出:僕らの時代の子守唄

●自分をリライトする

●よみがえる死者・よみがえる歌:AIの音楽

●20世紀の愛と平和のロックなんて忘れてしまっていた

●だいじょうぶです、なすがままになさい

 


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週末の懐メロ49:永遠の調べ/キャメル

 

今週は美しい月に心奪われた。

そこで“ロック界のアンデルセン”こと、

イギリスのプログレバンド・キャメルの

1976年リリースの名盤

「ムーンマッドネス:月夜の幻想曲(ファンタジア)」から

メインナンバー「永遠(とわ)の調べ」をご紹介。

 

フルートの音色が形づくる、やさしく神秘的な前半部と、

リズミカルな高揚感に溢れたクライマックスとの

コントラストが美しい、This is Camelと呼ぶのに

ふさわしい名曲だ。

 

二人のムーンチャイルドが肩を寄せ合って月を見つめる。

絵本のようなアルバムジャケットも好きだった。

この絵がキャメルの音楽全般のイメージを

端的に描き出している。

 

叙情と幻想、寓話・神話のイメージは、

プログレッシブロックの大きな特徴の一つだが、

キャメルの音楽は、

それらをとても親しみやすい形で表現しており、

誰にも聴きやすく、

それでいて刺激的なサウンドになっている。

 

フルートの演奏が入るのもプログレならではだが、

キャメルもこの曲をはじめ、随所でフルートを使い、

彼らの世界観を印象付けていた。

 

絶頂期はこのアルバムを出した70年代後半だが、

この頃の映像はあまり残っていない。

 

80年代以降、長きにわたってバンドを存続させてきた

唯一のオリジナルメンバー、

ギタリストのアンディ・ラティマーが

こんなふうにフルートを奏でる姿を見たのは、

この2018年のライブが初めてだ。

 

長髪とサングラスがトレードマークだったラティマーも

すっかりじいさんになってしまったが、

演奏力と音楽の感性は衰えていない。

 

そして何より自分たちの創り上げた楽曲に

変わらぬ愛情を注いで、

とても大切にしていることが伝わってくる。

 

70年代の遺産で食っている

ーーといった悪口も聞こえてくるが、

それから50年近くたってもこれだけ元気で

ライブができるのは、

演奏者にとっても聴衆にとっても幸福なことだ。

 

キャメルの弱点はヴォーカルだった。

 

イエスのジョン・アンダーソン、

ジェネシスのピーター・ガブリエル、

ELPのグレッグ・レイク

キング・クリムゾンのジョン・ウェットンといった

プログレ特有の、華のある、

個性的でエキセントリックな

リードヴォーカリストが不在だった。

 

そのため、ラティマ―はじめ、各楽器の奏者が

掛け持ち・交替で、ヴォーカルをやっていた。

そこが他のバンドに比べて、

いま一つ評価の低い要因かも知れない。

 

けれどもそれはキャメルらしさでもある。

 

もともとインストゥルメンタル中心のバンドで、

「白雁(スノーグース)」という

児童文学のストーリーを組曲化したアルバムなどは、

一切ヴォーカルなし・全編インストのみだったが、

それでも十分聴きごたえがあった。

 

この「ムーンマッドネス」のアルバムでも

「転移」「月の海(ルナ・シー)」といった

フュージョンっぽいインストの名曲が入っている。

 

テクニシャンぞろいのキャメルのインストナンバーは

耳に心地よく響き、仕事中のBGMにも適しているのだ。

 

それを考えると、プログレバンドの中でも

最近いちばん長時間聴いているのはキャメルかも知れない。

 

“ロック界のアンデルセン”とは

僕が勝手につけたキャッチフレーズだが、

キャメルの楽曲は、アンデルセン童話のごとく、

新しい世代のリスナーを獲得しながら、

長く愛され続けるのではないかと思う。

 

音楽エッセイ集

ポップミュージックをこよなく愛した

僕らの時代の妄想力

4週連続無料キャンペーン

第3回:9月25日(土)16:00~26日(日)15:59

 

収録33編

●八王子・冨士森公園のスローバラード駐車場で、ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力について考える

●アーティストたちの前に扉が開いていた

●21世紀のビートルズ伝説

●藤圭子と宇多田ヒカルの歌う力の遺伝子について

●ヘイ・ジュード:ジョンとポールの別れの歌

●阿久悠の作詞入門

●余命9ヵ月のピアニスト

●ローリング・ストーンズと新選組の相似点について

●キング・クリムゾンの伝説と21世紀版「風に語りて」

●プログレッシヴ・ロックスターの死①:ジョン・ウエットンの訃報、そしてロンドンの寿司

●プログレッシヴ・ロックスターの死②:キース・エマーソンの尊厳死(1周忌に捧ぐ) 

●勝手にビートルズ・ベストテン

●中学生時代の「エリナ・リグビー」の衝撃と和訳演奏

●純情ストーカー男と純心DV願望女の昭和歌謡

●人間は幸せに慣れると、幸せであることを忘れてしまう

●義弟のアナログレコードと帰ってきたカレン・カーペンター

●いちご畑で抱きしめて

●ダイヤモンドをつけたルーシーとの別れとジュリアンの心の修復作業

●抹消された20世紀パンクと想像力の中で生きる19世紀型スチームパンク

●悲しいことなんてぶっとばすロックンロールバンドのモンキービジネス

●オノ・ヨーコさん「NHKファミリー・ヒストリー」とYESの3文字の秘密

●オノ・ヨーコさん「NHKファミリー・ヒストリー」と「イマジン」の秘密

●いろいろな人が弾くから、心に響くロンドンのピアノ

●ストリートミュージックが商品になった街ロンドン

●アナログレコードとの再会

●見捨てられた恋人のようだったアナログレコードが、 なぜ絶滅の淵から回帰したのか?

●さすらいのレコード・コレクター:男のバカバカしくて痛快な生きザマ

●クリスマスにちょっとだけ世界と自分を変える

●森田童子の思い出:僕らの時代の子守唄

●自分をリライトする

●よみがえる死者・よみがえる歌:AIの音楽

●20世紀の愛と平和のロックなんて忘れてしまっていた

●だいじょうぶです、なすがままになさい

 


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週末の懐メロ48:今夜はブギ・ウギ・ウギ/ テイスト・オブ・ハニー

 

1978年リリースの全米ナンバー1ディスコソング。

そして女ベースと女ギターの最高峰。

 

いわゆるディスコミュージックって踊ってなんぼ。

音楽としてはそんなに熱心に聴いてなかった.

ところが、この曲は別格。

レコード買って聴きまくっていた。

 

女だてらに、なんて言っちゃ怒られるが、

演奏に秀でた女性ミュージシャンが

まだ少なかったこの時代、

このジャニス・マリー・ジョンソンのベースと、

ヘイゼル・ペインのギターの腕前は圧巻だった。

 

もちろん40年以上たった今聴いても

エッジ立ちまくりで超ヤバい。

 

ジャニスのベースは熱いため息。

エロチックにからむヘイゼルのギター。

そして二人の歌声は

甘く切ない蜜の味のよう。

 

なんて、昭和おやじが書くようなコピーが

レコードジャケットに刷り込まれていたが、

(実際、レコード会社の昭和おやじが

書いていたんだろうけど)

確かにエロっぽさとうねりまくりのグルーヴ感は

ハンパなくカッコいい。

 

バックのドラムとキーボードもキレまくってて、

ジャズ、ソウル、ファンクのエッセンスが

見事にミックスアップ。

数多のディスコソングと一線を画す

不死身のダンスナンバーだ。

 

そして、わが胸にはまだ10代だった

70年代終わりのゆらめく夜が鮮烈によみがえる。

 

音楽エッセイ集

ポップミュージックをこよなく愛した

僕らの時代の妄想力

4週連続無料キャンペーン

第2回:9月18日(土)16:00~20日(月)15:59

収録33編

●八王子・冨士森公園のスローバラード駐車場で、ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力について考える

●アーティストたちの前に扉が開いていた

●21世紀のビートルズ伝説

●藤圭子と宇多田ヒカルの歌う力の遺伝子について

●ヘイ・ジュード:ジョンとポールの別れの歌

●阿久悠の作詞入門

●余命9ヵ月のピアニスト

●ローリング・ストーンズと新選組の相似点について

●キング・クリムゾンの伝説と21世紀版「風に語りて」

●プログレッシヴ・ロックスターの死①:ジョン・ウエットンの訃報、そしてロンドンの寿司

●プログレッシヴ・ロックスターの死②:キース・エマーソンの尊厳死(1周忌に捧ぐ) 

●勝手にビートルズ・ベストテン

●中学生時代の「エリナ・リグビー」の衝撃と和訳演奏

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●人間は幸せに慣れると、幸せであることを忘れてしまう

●義弟のアナログレコードと帰ってきたカレン・カーペンター

●いちご畑で抱きしめて

●ダイヤモンドをつけたルーシーとの別れとジュリアンの心の修復作業

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●クリスマスにちょっとだけ世界と自分を変える

●森田童子の思い出:僕らの時代の子守唄

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●だいじょうぶです、なすがままになさい

 


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週末の懐メロ47:ああ青春/中村雅俊+ゴーイング・アンダーグラウンド

 

作詞・松本隆、作曲・吉田拓郎というレアな取り合わせ。

1975年に歌ったのは「トランザム」というグループだった。

 

それにしても。またもや松本隆のマジカルワードワールド。

聴けばわかるが、この曲は数え歌になっている。

1970年代の若者の心情を

1から10までの数を使って見事に歌に仕立て上げた。

この歌詞のユニークさと完成度はどうだ。

 

じつはこの「ああ青春」は

最初、インストゥルメンタルで

ドラマのオープニング曲に使われていた。

 

僕が高校生の時にやっていた

そのドラマ「俺たちの勲章」は、

革ジャン・グラサンの松田優作と

スリーピース・バギーパンツの中村雅俊の

対照的なコンビが主人公の刑事ドラマだった。

 

「バカヤロー、コノヤロー」と、

容疑者の胸ぐらをつかんでぶん殴る

松田ハードボイルド刑事を、

中村ソフト刑事が「まぁまぁ」となだめる。

そんな感じで犯罪捜査と青春を

掛け合わせたような話だった。

 

原曲はフォークっぽくて、

トランザムとは別に中村雅俊もその後、

自分のアルバムの中で歌い、持ち歌の一つにしていた。

 

ゴーイング・アンダーグラウンドは

1990年代から活動しているバンドで、

中村にオリジナル曲を提供したこともある。

 

青春ロックを売りにしていたので、

この曲をロックアレンジにして

中村と共演することになったらしい。

 

こうしてロック調で聴くと新鮮で、

懐かしい原曲とはまた違った味わいがある。

ほんとうに良い曲だ。

 

一時期、「青春」なんて口走るのは恥ずかしかったが、

この齢になると、もうべつに恥ずかしくも怖くもない。

この曲も今でもそらで口ずさめてしまう。

10代の頃からまったく成長していない

ってことなのかもしれない。

 

音楽エッセイ集

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第1回:9月11日(土)16:00~12日(日)15:59

 

収録33編

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●森田童子の思い出:僕らの時代の子守唄

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週末の懐メロ46:イエローサブマリン音頭/金沢明子

 

原曲はもちろんビートルズの「イエローサブマリン」。

レノン=マッカートニーの作詞・作曲で、

リンゴ・スターがトボけた歌を聴かせていた。

 

ノイジーな効果音とブラスバンドの音が楽しく賑やかで、

ビートルズナンバーの中でも異彩を放つ、

面白メルヘンソング。

 

当時(1966年)のロック・ポップスの常識から外れた、

実験的で、いわば、プログレッシブロックの源流うぃ

創った楽曲の一つでもある。

 

そのイエローサブマリンを音頭にして歌ったのが、

民謡の女王・金沢明子。

そして、その背後にいたのは、

日本のシティポップの王・大滝詠一だ。

 

大滝詠一プロデュースで1982年にリリースされたこの曲に、

作者であるポール・マッカートニーも

ぶっ飛んで笑いころげたという伝説も伝えられている。

 

訳詞は大滝の盟友、そして日本の作詞王でもある松本隆。

原曲のストーリーを大切に、

日本語でここまで愉快なファンタジックワールドを

構築してしまうのだから、舌を巻く。

 

それを歌い上げる金沢明子のコブシ回しも最高だ。

 

そして編曲の萩原哲生(てっしょう)は、

「スーダラ節」をはじめ、

クレージーキャッツの数々のコミックソングを産み落とした

昭和のレジェンド。

これは彼が晩年に手掛け、ほぼ最後の名作となった。

 

つまりこの「イエローサブマリン音頭」は、

ビートルズ×はっぴいえんど(大滝・松本)×

クレージーキャッツ×日本民謡の

超絶コラボレーションなのだ。

 

今年もコロナで、日本のいたるところで

夏祭り・秋祭りが中止になってしまった。

 

ちょっとでいいから黄色い潜水艦に乗り込んで、

笑ってお祭り気分を楽しもう。

 

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●抹消された20世紀パンクと想像力の中で生きる19世紀型スチームパンク

●悲しいことなんてぶっとばすロックンロールバンドのモンキービジネス

●オノ・ヨーコさん「NHKファミリー・ヒストリー」とYESの3文字の秘密

●オノ・ヨーコさん「NHKファミリー・ヒストリー」と「イマジン」の秘密

●いろいろな人が弾くから、心に響くロンドンのピアノ

●ストリートミュージックが商品になった街ロンドン

●アナログレコードとの再会

●見捨てられた恋人のようだったアナログレコードが、 なぜ絶滅の淵から回帰したのか?

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●だいじょうぶです、なすがままになさい

全33編 収録


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週末の懐メロ45:Summer/久石 譲

 

テレビのコマーシャルやBGMでよく耳にするこの曲は、

1999年に公開された北野武監督の映画「菊次郎の夏」のテーマ曲。

 

「遠く離れて暮らすお母さんに会いに行きたい」

「よし、おじさんが連れてってやる」

 

ちょっとどんくさい感じの少年マサオを、

たけし演じる寅さんみたいなヤクザ男・菊次郎が

小さな旅に連れ出す。

 

ただそれだけの話なのだが、

ふさけてて笑えて、

かわいくて切なくて、

少年の心と中年男の心が重なり合う。

僕の心の地図の中で最高峰に位置する映画である。

 

歌詞のないインストゥルメンタル曲だが、

メロディラインの中に映画で描かれる

夏、旅、海、花火、お祭り、無垢で不器用な少年、

アホでこころやさしい大人、笑い、涙。

そして昭和から平成初期にかけての近過去の日本。

そのすべてのエッセンスが盛り込まれている。

まさしく懐メロの中の懐メロだ。

 

YouTubeにはこの映画と音楽に関する

北野監督のインタビューが投稿されている。

 

Q「『菊次郎の夏』では、作曲家の久石譲との協力が

いつにもなく強調されており、

そこから尊敬と称賛の意を受け取ることができます。

あなたがた二人がどのように作品を作っていくのか、

より詳しく教えていただけますか?」

 

監督「いつもは編集したものを見せて、

さあ、これにつけろとぜんぶ任せてたんだけど、

今回だけは、こういったメロディラインでって、

音楽の内容にまでかなり言ったので、

こんなような音楽が出来てくるだろうなって

思って撮っていったので当たったんだろうね」

 

この曲はたけし監督の想いを

見事に反映した曲でもあるのだと思う。

 

けれども、近所のどこの馬の骨とも知らぬおっさんが

熱中症も気にすることなく、

ヤバイ場所、うさんくさい場所も含めて

子どもをあちこち連れ回すことはもうできないし、

心を重ね合わせることもできない。

 

菊次郎や僕たちが体験した「昭和の夏」

「日本ならではの夏」は、

時代が変わり、社会が変わり、環境が変わった今、

洗練され、加工され、

アク抜き処理をされたパッケージ商品のようになっていく。

 

この先もナチュラルな形で残していくのは、

もう難しいのかもしれない。

 

その代わりと言っていいのかどうかわからないが、

ジブリ映画などの音楽も手掛ける久石譲は、

いまや現代の日本人の心の原風景を作っているかのようだ。

 

「日本ならではの夏」を伝えていくためにも

懐メロ映画や懐メロ音楽を愛し続けたい。

 

電子書籍新刊「1日3分の地球人」

8月26日(木)16:00~31日(火)15:59

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忙しくて目の前のことしか見えない。考えられない。

でも1日3分でいいから、空に浮かんで地球を見つめてみる。

脳だけ旅人にして世界を歩いてみる。

せっかくこの星に生まれたのなら、

自分が芥子粒のように思える広い空間と長い時間こ手足を伸ばして寝そべりたい。

そんな思いを抱いて綴った地球・世界についてのエッセイ集。

ブログ「DAIHON屋ネタ帳」より30編を厳選・リライト。

●もくじ

他者に不寛容だから幸福度低い?ニッポン

1月21日のルイ16世とマリー・アントワネット

アムステルダムのナシゴレンとコロッケとアンネ・フランク

孤独担当相の誕生

ヒトラーの人間力

 「GACHI」という言葉を外国人に説明すると

 未来のことは子どもに学ぶ

 人新世(アントロポセン)を生きる ほか

 


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週末の懐メロ44:少年ヴィーナス/ビョーク

 

アイスランドで初の世界的ミュージシャンとして

羽ばたいたビョークが

1993年にリリースした必殺の1曲。

 

未来チックでありながら

懐かしい子守歌のような音色とリズムは

浮遊感たっぷりで

どこかべつの宇宙へつれていかれそうだ。

 

かつてのケイト・ブッシュを彷彿とさせる

サウンドとパフォーマンスだが、

ビョークは顔立ちが東洋系のせいか、

妖精というよりかわいい妖怪といった感じ。

影ふみをして遊ぶざしきわらしのように見えてしまう。

 

「彼は美を信じる少年ヴィーナス」という歌詞は

けっこうエロいニュアンスがあるけど、

少女のように見える彼女、

じつはこの頃、すでに母親だった。

 

なのでこの歌は、もしかしたら

息子への愛情を歌ったものなのかもしれない。

なんとなく子守歌っぽく聞こえるのはそのせいかも。

 

ジャン・レノ主演・リュック・ベッソン監督の

映画「レオン」の挿入歌として憶えている人も多い。

「やさしい殺し屋のララバイ」というところか。

 

彼女自身もこの後、映画女優として活躍。

 

2000年には「ダンサー・イン・ザ・ダーク」という

かなりヤバい映画に主演し、

第53回カンヌ国際映画祭でパルム・ドール、

そして主演女優賞を獲得した。

 

北の果ての国から生まれた特異な才能。

月光のなかでゆらゆら揺らぎながら歌うビョークは、

むし暑い夏の夜をひんやりクールにしてくれる。

 

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エッセイ集:音楽

ポップミュージックを

こよなく愛した僕らの時代の妄想力

ロックが劇的に進化し、ポップミュージックが世界を覆った時代。僕たちのイマジネーションは 音楽からどれだけの影響を受け、どんな変態を遂げたのか。心の財産となったあの時代の夢と歌を考察する音楽エッセイ集33篇。

もくじ

●アーティストたちの前に扉が開いていた

●21世紀のビートルズ伝説

●藤圭子と宇多田ヒカルの歌う力の遺伝子について

●ローリング・ストーンズと新選組の相似点について

●キング・クリムゾンの伝説と21世紀版「風に語りて」 ほか

 


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週末の懐メロ43:ラヴ・ラヴ・ラヴ/ザ・タイガース

 

映画情報に触れて、ふと沢田研二のことを思い出し、

聴いていたら何曲目かに出てきた「ラヴ・ラヴ・ラヴ」。

 

リリースは1969年末。

他のグループのメンバーも夜中にスタジオに集まってきて、

レコーディングに参加した、という逸話もあるくらい、

かなり気合を入れて作られたらしい。

が、その割にはあまりヒットしなかった。

 

熱狂的だったブームは瞬く間に過ぎ去り、

ザ・タイガースをはじめとする

日本のGS(グループサウンズ)の時代は

もう終わろうとしていた。

 

僕もまだ子どもだったので、

リアルタイムでこの曲を聴いたことは、

ほとんどなかった。

 

テレビで観た憶えもないし、

いつ、どこで、どう耳にしたのかわからない。

けれども、このメロディはずっと脳のどこかに

こびりついていた。

 

そして、おそらく50年ぶりに聴いて衝撃を受けた。

 

明らかにビートルズの

「愛こそはずべて(All you need is LOVE)」に

インスパイアされた曲だ。

 

だけどこれ、ビートルズよりうんといいやんか。

めっちゃ素晴らしい曲やんか。

 

 

沢田研二は先日公開された

山田洋次監督の「キネマの神様」で、

昨年コロナで亡くなった志村けんの代役を務めている。

 

エロチックでデカダンで

ファンタジック。

日本人離れしたな魅惑のパフォーマンスで

1970年代の日本のポップス界をリードした沢田研二。

 

あの頃の若い女と男を魅了しまくった

スーパースター“ジュリー”が、

「寅さん」に代表される山田人情映画で、

人生を破綻させた老人役を演じるなんて

誰も夢にも思わなかっただろう。

 

けれども年齢を重ね、

いろいろな経験を重ねた彼にとっては

そんなに特別なことではなかったのかもしれない。

 

 

僕らが抱くかつてのジュリーの幻想から離れて数十年、

沢田研二はずっとコンサートを開き、

歌い続け、音楽とともに生きてきた。

 

この曲も自分のソロコンサートで、

そしてタイガースの復活コンサートで、

ずっと大事に歌い継いできた。

 

映像は復活タイガースの2013年のコンサート。

GSの中でもトップだった人気バンドは、

ただのアイドルではなかった。

ヴォーカルも演奏力も一流だった。

 

5人ともすっかりじいさんになってしまったが、

サポートを受けずとも素晴らしい演奏を繰りひろげていく。

 

ドラマ・映画の名わき役として知られる

岸部一徳(旧名・修造、愛称サリー)の唸るベース。

 

ハートビートを打ち続け、

クライマックスに炸裂する瞳みのる(愛称ピー)のドラム。

このカッコよさはどうだ。

 

そして沢田研二のヴォーカルも

若い頃からけっして衰えていない。

むしろ齢を取って深みを増しているように感じる。

 

本当に時はあまりにも早く過ぎてゆく。

喜びも悲しみもすべてつかの間だ。

 

「ラヴ・ラヴ・ラヴ」の歌詞は、

いま歌ってこそ、いま聴いてこそ、

深く心に染みる。

 

ラヴ・ラヴ・ラヴ 愛こそすべて

 

映画観に行くよ。

まだまだ終わらない。

がんばれジュリー!

 

 

 

 

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5日間限定 短編小説3タイトル無料

8月12日(木)16:00~17日(火)15:59

 

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失業し街をさまよっていた主人公が出逢った古い水族館には一匹も魚がいなかった。ところが彼がそれをブログに書くと、水族館は大人気を呼び、彼はそこに就職する。就活中のあなたと終活中のあなたに読んでほしい癒しファンタジー。

 

茶トラのネコマタと金の林檎 http://www.amazon.com/dp/B084HJW6PG

私立探偵の健太が受けた仕事は難題だった.依頼人のネコマタマダムとともに黄金の林檎の発掘作業に明け暮れる日々。その中で見つけたものは? 人生で大切なものは何か、探しているあなたに贈るコミカルな探偵物語。

 

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認知症になった寅平じいさんの人生最後のミッション。それは最強の妖怪「むりかべ」に立ち向かうざしきわらしのきょうだいを得意の歌で応援することだった。笑ってちょっと不思議な気持ちになる、妖怪幻想譚。 

 


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週末の懐メロ42:秘密の花園/松田聖子

 

ミステリアスなランデブーからたおやかに広がっていく

夜の海の情景。

イメージ豊かな旋律が魅惑的な松田聖子1983年のヒット曲。

 

特にファンというわけではないのだが、

なぜか唯一この曲だけは完全にツボにはまってしまった、

 

愛らしい少女と

セクシーなおとなの女性の混じり合った神秘感と、

月や星の光に照らし出された海のファンタジー感が

重なり合う聖子ワールドの頂点、とでも言えばいいのか。

今でも聴くとゾクゾクする。

 

作詞は松本隆、作曲は呉田軽穂。

 

松田聖子のシングルの楽曲は

1981年の「白いパラソル」から

84年の「ハートのイアリング」まで3年間、

松本隆が作詞を一手に引き受けていた。

 

その絡みなのか、松本隆と縁の深いアーティストたちが、

次々と楽曲を提供するようになり、

不滅の聖子ワールドが構築されていく。

 

中でも多いのが財津和夫(チェリーブラッサム、夏の扉、白いパラソル、野ばらのエチュード)と

呉田軽穂(赤いスイートピー、瞳はダイアモンド、渚のバルコニー、小麦色のマーメイド)。

 

呉田軽穂ってだれ?と当時は謎だったが、

後年。松任谷由実(ユーミン)のペンネームと知って納得。

 

彼女は自分の名前を出さず、

純粋に作曲家として他の歌手(特に若手の女性)に

曲を提供する場合に限って、

このペンネームを使っていたようだ。

 

原田知世の「時をかける少女」、

薬師丸ひろ子の「Woman(Wの悲劇)」など

呉田軽穂の作曲。

女優のグレタ・ガルボをもじった名前らしい。

 

実はこの「秘密の花園」は最初、財津和夫作曲の歌だった。

財津バージョンというのは

デモ(試作品)のレベルかと思ってたけど、

つい最近、YouTubeに上がっていたのを聴いたら、

しっかり編曲もされて完成している。

 

正式tリリースされた呉田バージョンに比べて

アップテンポで、ポップで元気で明るい歌になっている。

 

財津和夫はもちろん当時のビッグネーム。

そしてまた当時の聖子人気からすれば、

これでもたぶん№1ヒットになっただろう。

 

しかしプロデューサー氏はじめ、

この時代の聖子プロジェクトのスタッフは妥協しないで

さらなる高みを目指していた。

 

正直、どこかこれまでの歌に似ている。

弾んだ感じはいいかが、歌詞まで軽い感じがする。

もっと新しい聖子ワールドを開きたい・・・・

たぶん、そんな思いに駆られたのだろう。

作りなおしを決断した。

 

作詞の松本隆も乗り出して、

ツアー中の松任谷由実を捕まえた。

時間がないと断る彼女を、そこを何とかと口説き落とした。

 

ツアーの合間に松任谷から呉田へスイッチして

かなり短時間で書き上げたらしい。

 

しかし、そこは彼女の才能とキャリアをもってすれば

驚くには当たらない。

30分で傑作が生まれることもあれば、

30年かけても駄作しかできないことがある。

創作の神は愛する者のもとに一周運のうちに舞い降りる。

 

とにかくそんないわくつきで「秘密の花園」は生まれた。

スタッフの判断は大正解だった。

財津さんにはたいへん申し訳ないが、

この曲に限ってはユーミンの完勝。

 

彼女の紡ぎ出すたおやかで繊細なメロディは

歌詞の奥に秘められた物語を存分に引き出した。

ここまでドラマチックに、ファンタジックに昇華し、

まさしく「秘密の花園」までたどり着けたのは

ユーミンマジック、そして、

編曲の松任谷正隆(ユーミンの旦那)のセンスの

賜物である。

 

僕は長らく「秘密の花園」は夏の歌だと思っていたが、シングルが出たのは1983年1月。真冬である。

 

そう思っていたのは「ユートピア」という

夏と海をテーマにしたアルバムに入っていたからだ。

 

「秘密の花園」「天国のキッス」という

2枚のヒットシングルを収めた「ユートピア」は、

呉田と財津をはじめ、

当時のニューミュージックのトップレベルの

ミュージシャンたちが集結して楽曲を提供した。

 

アルバム曲ならではの名作「マイアミ午前5時」や

「セイシェルの夕陽」などもここから生まれた。

 

アイドルポップスをはるかに超えた、

1980年代のJ-POP(という言葉はまだなかったが)の

金字塔ともいえる名盤だと思う。

 

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エッセイ集:音楽

ポップミュージックを

こよなく愛した僕らの時代の妄想力

ロックが劇的に進化し、ポップミュージックが世界を覆った時代。僕たちのイマジネーションは 音楽からどれだけの影響を受け、どんな変態を遂げたのか。心の財産となったあの時代の夢と歌を考察する音楽エッセイ集33篇。

もくじ

●アーティストたちの前に扉が開いていた

●21世紀のビートルズ伝説

●藤圭子と宇多田ヒカルの歌う力の遺伝子について

●ローリング・ストーンズと新選組の相似点について

●キング・クリムゾンの伝説と21世紀版「風に語りて」 ほか

 


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週末の懐メロ41:カナリア諸島にて/大滝詠一

 

あなたはカナリア諸島に行ったことがあるか?

僕はない。

でもこの40年間、毎年のようにこの季節、

脳みそだけは永遠の夏に遊びに行く。

 

大滝詠一の不朽の名盤「ロングバケーション」が

リリースされたのは1981年。

「カナリア諸島にて」は、その3曲目、

シングル盤では「君は天然色」のB面だったが、

僕にとってはこの曲こそが「ロンバケ」を象徴する曲だ。

 

日本人が戦後の貧しさから抜け出し、

豊かさを実感し始めた80年代前半、

この曲に代表される大滝の音楽は

現代日本人の心に、現実とは別の心象風景をつくった。

 

南の島のパラダイス。

天国に一番近い島のリゾート。

 

それは豊かになった日本人が次に目指したい、

辿り着きたい場所だった。

 

少し前の時代はハワイが「夢の島」だった。

しかし、グァムもハワイも一般庶民が行けるようになってきて、

なんだか俗っぽくなってきた。

 

もっと新しい夢に相応しい南の島はないか?

でもまだ戦後36年(今年は76年)。

忌まわしい太平洋癒戦争の記憶がまだ残っている。

そんな残滓があるような島を選ぶわけにはいかない。

 

そこでアフリカ北西部にある

スペイン領カナリア諸島が選ばれたのかもしれない。

 

海が美しいのはもちろん、

日本からはるかに遠く、手あかがついていない聖地。

「カナリア」という言葉の響きも明るかった。

 

しかし、大瀧詠一も、作詞の松本隆も、

この頃、まだカナリア諸島には行ったことはなく、

詞も曲も完全に彼らの幻想・妄想から出来上がった。

 

いや、幻想・妄想だったからこそ

名曲になり得たし、僕たちの心に

「永遠の夏」を植え付けられたと言っていいだろう。

 

後年、松本隆は実際にカナリア諸島に行き、

その現実の風景をを目の当たりにして冷や汗をかいたーー

という話を聞いた。

 

大瀧詠一は生前、旅したことがあったのだろうか?

 

いずれにしても、1981年はもちろん、

それから40年経った今も、

カナリア諸島に行ったことのある日本人は、

せいぜい1~2パーセント程度だろう。

 

これからもそんなに大勢の日本人が

かの地に出かけていくとは思えない。

 

それでいいのだ。

 

そして僕らは薄切りのオレンジを浮かべた

アイスティーを飲みながら,

永遠にたどり着けない

カナリア諸島の夢の風景に自らを癒しつつ、

酷暑の夏、コロナの夏をやり過ごしていく。

 

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●アーティストたちの前に扉が開いていた

●21世紀のビートルズ伝説

●藤圭子と宇多田ヒカルの歌う力の遺伝子について

●ローリング・ストーンズと新選組の相似点について

●キング・クリムゾンの伝説と21世紀版「風に語りて」 ほか

 

 


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週末の懐メロ40:真夏の出来事/平山みき(代官山ミラクルキャバレー)

 

学生の頃、平山三紀の歌声に初めて大人の女性を感じた、

「セクシー」という言葉はその当時

まだ知らなかったと思うが、

そのお洒落で色っぽい声にしびれていた。

「希望の旅」と「真夏の出来事」は

あの時代の歌謡ポップスの中で最も印象深い2曲だ。

 

という思い出が、つい1週間ほど前によみがえった。

ちょうど50年前、1971年の夏の大ヒット

「真夏の出来事」を久しぶりに聴いてみようと検索したら、

オリジナルとともに出てきたのが

この代官山ミラクルキャバレーによる

スウィングジャズバージョン。

 

グループを率いているのは、

なんとご本家の平山みき(芸名をひらがなに改名していた)

なので、超びっくり。

 

お齢は僕より10歳は上のはずだが、

依然として色っぽくて可愛くて、

歌声も歌い方も50年前のまま。

 

美脚・胸元ガン見せの女の子たち、

迫力満点のドラッグクイーンのおねえさんたちとともに

お洒落に楽しく華やかに、かの名曲を歌う。

 

仲間とお遊び感覚でやってみました

といったノリのパフォーマンだが、

思わず感動してしまった。

まさしく「真夏の出来事」として胸に刻みたい。

 

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ポップミュージックをこよなく愛した

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週末の懐メロ39:ダンシング・ウィズ・ミスターD/ザ・ローリング・ストーンズ

 

ヘビが肌にからみつくようなヌメヌメ感。

粘り気たっぷりのグルーブが気持ち悪くて気持ちイイ。

 

「ダンシング・ウィズ・ミスターD」は、

1973年リリースのアルバム「山羊の頭のスープ」の

オープニングナンバー。

ダークで猥雑で退廃的な

ストーンズ流変態ダンスナンバーとでもいえばいいのか、

彼らの楽曲の中でもすごくユニークな曲だ。

 

このビデオでも化粧したミック・ジャガーが

体をくねらせ尻振りダンスを披露していて、

セクシーというより、いやらしくて気味が悪くて面白い。

 

女ものの帽子をかぶってギターを弾く

この時代のリードギタリスト、ミック・テイラーも

無表情にドラムを叩くチャーリー・ワッツの顔もいい。

 

★山羊の頭のスープ1973

 

この年、僕は中学2年生だったが、

「悲しみのアンジー」というラブバラードが大ヒットし、

それが聴きたくてアルバムを買った。

ローリング・ストーンズとまともに出逢ったのは、

このアルバムが初めてだった。

 

薄い布かビニールみたいなものを被ったメンバーの顔が映った

まっ黄色のジャケットもシュールでヘンテコで大好きだった。

だからとても愛着がある。

 

この1973年は彼らの来日公演が、

ミック・ジャガーの麻薬所持が理由で中止になった年でもある。

 

結局、初来日公演はそれから17年後の1990年になった。

僕は1万円のチケットを手に入れて

友だちと大騒ぎして東京ドームまで観に行った。

 

ド派手な超一級のエンターテインメントだったが、

今思うと、やはりこの頃のダークさ・猥雑さと

だいぶ雰囲気が違っていた。

 

★1979年代:ロック王の格闘史

 

ストーンズが名実ともにロックの王者となったのは、

70年代を見事に生き抜いたからだと思う。

 

60年代の終わり、

目の上のたんこぶ的な存在だったビートルズが解散。

初代リーダーのブライアン・ジョーンズが死に、

ミック・ジャガーとキース・リチャーズの双頭体制になった。

(まるで芹沢鴨を追い出して、

近藤・土方主導になった新撰組みたいだ)

 

そして「スティッキー・フィンガース」

「メインストリートのならず者」という

ロック史・ストーンズ史に残る

大傑作アルバムを立て続けに出して天下を取った、

と思われた。

 

しかし、ポップミュージックの可能性が思い切り広がった

70年代の音楽シーンの荒波に

王者の地位はいつも揺るがされていた。

 

イギリス・アメリカでは人気ナンバーワン。

そして音楽通・ロック通の評判は高かったものの、

日本ではどうだったか?

 

人気の面、音楽性の広さ・演奏表現の醍醐味といった面では

レッド・ツェッペリンやディープ・パープルなどの

ハードロック勢、

イエスやELPなどのプログレ勢、

もしくはクイーンやエアロスミスなどの新興勢力の

後塵を拝していた。

 

そういった状況を意識してかどうか、

2大傑作の成功に安住することなく、

「山羊の頭のスープ」では、

この変態ダンスナンバー「ダンシング・ウィズ・ミスターD」や

ストーンズとしては珍しい、

もろバラードの「悲しみのアンジー」、

民俗音楽を取り入れ、

ちょっとプログレにアプローチしたようにも聴こえる

「すべては音楽」など、

いろいろなことに挑戦している。

 

もちろん、「スター・スター」みたいな

This is Stones みたいな曲もやりながら。

 

それまでのワイルド感やラフ感を抑えて、

かなり緻密で来寧な音作りを行っている。

 

評価が低いのは、そのへんが裏目に出て、

なんだか全体の印象が散漫で、

あんまりストーンズらしくないぜ~と映ったからだろう。

 

一貫して、ブルースから発展させた

自分たちのロックンロールを失わなかったストーンズだが、

その一方で、いろいろな音楽のっセンスを取り込むことに

挑戦し続け、

コンスタントにアルバムを作り、

ライブをやり続けたからこそ

激動の70年代ロックシーンを生き抜くことができた。

 

そして80年代になる頃、

他の人気バンドが解散したり衰退したりする中、

ストーンズだけは頭一つ抜けた、

別格のロックバンドになっていた。

 

そんなふうな格闘のヒストリーを考慮すると

「山羊の頭のスープ」はもっと評価されていい。

 

★山羊の頭のスープ2020

 

と思っていたら、じつは昨年、

「山羊の頭のスープ2020」という

アルバムが出ていたのを知った。

 

聴いてみたら、リマスターされたオリジナルの10曲に加え、

デモバージョン、別バージョン、アウトテイク、

未発表曲、この時代のライブパフォーマンスなど

盛りだくさん入っていてすごくいい。

 

僕たちの世代にとってローリング・ストーンズは、

永遠のロックの王者だが、

今の若い世代は、ベロ出しマークは知っていても、

ストーンズというバンドの存在は知らない人が多いらしい。

 

そんな世代にとって、バラエティに富んだ

ストーンズのロック宇宙が楽しめる

「山羊の頭のスープ2020」は超オススメである。

 

★ミスターDとコインロッカーベイビーズ

 

最後に、この「ダンシング・ウィズ・ミスターD」の

ミスターDとは何者なのか?

ちょっと気になるところ。

これはどうやらドラキュラのDらしい。

闇夜に吸血鬼と一緒にヌメヌメ踊ろうぜ、というわけだ。

 

ちなみに村上龍が1980年に発表した傑作小説

「コインロッカーベイビーズ」の中に

“D”という変態音楽プロデューサーが登場する。

このDという人物は、

この曲からイメージして書いたのでないか、

と勝手に僕は思っている。

 

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●アーティストたちの前に扉が開いていた

●21世紀のビートルズ伝説

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週末の懐メロ38:ワイルドワン/スージー・クアトロ

 

「キャン・ザ・キャン」「48クラッシュ」

「悪魔とドライブ」に続く真打。

スージー。クアトロ、1974年の大ヒット曲。

 

レザーのジャンプスーツに身を包み、

ベースを弾いてシャウトする

ロックンロールねえちゃんは、ぶちカッコよかった。

 

彼女が弾くベースはやたらでかく見えたが、

べつにベースがでかいわけじゃなくて、

彼女が小柄だったのだ。

 

あんまりグラマーでお色気出しまくりじゃなくて、

ちょっと小さくて可愛いところも、

アイドルチックで日本人にウケた。

 

それまで女性のミュージシャンが弾く楽器といえば、

ギターやピアノ(キーボード)で、

少なくともメジャーになった人で

ベースというのはいなかった。

その点でもクアトロは斬新だった。

 

彼女が人気になって以降、

急にベ-スが女をカッコよく見せるアイテムになり、

実際に弾かなくてもベースを抱えた

女性アイドルがレコードのジャケットや

雑誌のグラビアを飾っていた記憶がある。

 

音楽雑誌で「なぜあなたはベースを弾くんですか?」

というインタビューに対する

彼女の答が忘れられない。

 

「ギターは頭にガンガン響くのよ。

ドラムはお尻にボンボンくるわ。

ベースはね、股間にビンビン来るのよ」

 

ひえー、そうなの!と、

中学生だった僕はそれを読んで、ぶっとんでしまった。

ロックの女王、面目躍如。

この名ゼリフとともにスージー・クアトロは

永遠のアイドルになった。

 

アイドルと言えば、

かつての歌謡アイドル・榊原郁恵の「夏のお嬢さん」

(♪アイスクリーム、ユースクリームと歌う曲)は、

この「ワイルドワン」のパクリだと言われている。

 

試しに聴いてみたら、パクリとまではいわないけど、

おいしいところはいただいてます、という感じ。

興味のある人は聴き比べてみてください。

 

 

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週末の懐メロ 37:紅い月/佐野元春&ザ・コヨーテバンド

 

若い頃より還暦を超えた今のほうが

楽曲も。歌う姿も、断然カッコいい。

 

ビートと歌詞が深く溶け合った表現。

積み重ねた歳月、刻まれた経験知

それでいて不思議と新鮮な息吹を感じさせる音楽。

おとなとして成長するとはこういうことか。

 

「アンジェリーナ」も「ハートビート」も

「サムデイ」も「ビジターズ」も「ヤングブラッズ」も

好きでよく聴いていたけど、

最近はもうあのへんの曲を聴きたいと思うことはない。

 

2015年リリースのアルバム

「BOLLOD MO0N」のタイトル曲の充実した歌と演奏は、

佐野元春が懐メロ歌手ではなく、

いまだ現役バリバリの日本のロックの担い手である証だ。

 

この曲のみならず、2005年から始まった

コヨーテバンドとのセッションで

彼の世界はさらに進化した。

 

80年代から90年代の活躍は、

ここにたどり着くまでの

助走だったのではないかとさえ思える。

 

盟友・忌野清志郎も、大瀧詠一も

この世を去った今、

時代の天気を気にすることなく、

けれども確実に空気を呼吸しながら、

佐野元春はひたすら誠実にロックし続けている。

 

かつて「ガラスのジェネレーション」で

「つまらない大人にはなりたくない」と叫んでいたが、

40年を経て、彼はそれを実現した。

 

自分はどうか?

つまらない大人をしていないか?

佐野元春の歌を聴くと。

いつもそう問いかけずにはいられない。

それだけでも聴く価値がある。

 

 

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週末の懐メロ㊱:雨音はショパンの調べ/小林麻美withC-POINT

 

 

雨の季節になると思い出さずにはいられない、

小林麻美、1984年の大ヒット曲。

邦題と日本語訳詞を手掛け、

プロデューサー的な役割を果たしたのは松任谷由実。

 

ディスコブームの1980年代、

陽気でイケイケなアメリカとはひと味違う

ユーロ系ディスコが台頭し流行したが、

中でもメロディアスでメランコリックな旋律を

ダンスのリズムに乗せた

イタリア産の「イタロディスコ」はユニークで人気を博した。

 

そのイタロディスコの立役者のひとりが

パウロ・マッツォリーニ。

この原曲「I Like Chopin」を歌ったガゼボだった。

 

ガゼボは自作でありながら

この日本語バージョンに魅了され、

「これは彼女(小林)の歌だ」と言ったという。

 

アレンジも打ち込み音とオーガニックなイメージの

バランスが素晴らしく、

原曲のようなディスコっぽさをあまり感じさせない

とても繊細で丁寧な音作りをしている。

 

「別れたあの人はショパンが好きだった」という、

内容的にはありがちな失恋ソングなのだが、

ユーミンマジックと小林麻美の魔性の歌唱によって

神秘度・エロス度MAXの名曲に昇華した。

 

クールでメランコリックでダンサブル。

8分間のクラブミックスバージョンで展開する

小林麻美の脳内フル女神イリュージョン。

このイリュージョンであなたも僕も

10年長く生きられる。

 

 

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ポップミュージックをこよなく愛した

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週末の懐メロ㉟:ナッシング・トゥ・ルーズ/U.K.

 

U.K.は1978年に結成された

“最後の”プログレッシブロックバンドである。

プログレッシブロックの歴史の始まりが、

1960年代後半のビートルズの

「リヴォルバー」や「サージェントペパーズ」だとすれば、

終焉はU.K.の3枚目にして最後のアルバム

「ナイト・アフター・ナイト

(U.Kライブ・イン・ジャパン)」だった。

 

僕は1979年のこの日本公演を見た。

東京で2公演が行われ、

5月30日の中野サンプラザのステージに行った。

 

同年発表されたこの曲ももちろん演奏され、

クリスタルに輝くエレクトレックバイオリンを弾きまくる

エディー・ジョブスンの姿が今でも目に浮かぶ。

 

「ナイト・アフター・ナイト

(U.Kライブ・イン・ジャパン)」は演奏修了後、

オーディエンスの「U.K.コール」が鳴り響き、

それがエコーアウトするという

すごくカッコいい終わり方をする。

 

しかし、収録は僕が見た後の6月4日の

日本青年館での公演を録音したものだったので、

レコードを聴いた時、

U.K.コールに参加できなかったことを

地団駄踏んで悔しがった。

 

そのライブアルバムが出たのは

確か同年の終わりごろだったが、

翌年になってU.K解散のニュースが伝えられた。

つまり、プログレッシブロックの歴史は

1970年代とともに終わったのである。

 

――と言うと、異論を唱える人がいるのは知っている。

U.K.を率いていたジョン・ウェットンは解散後、

イエスのスティーヴ・ハウや

ELPのカール・パーマーらと

エイジアを結成し、世界的な大ヒットを飛ばした。

 

メンバーチェンジをして生まれ変わった

イエスやジェネシスも

全米ヒットチャートを賑わせる

超人気グループに駆け上がった。

 

それはそれでいい。

売れたのが悪いわけではない。

けれども、それらはもうプログレッシブロックとは

異なる音楽だった。

 

その後、40年余りにわたってこれらのバンドは

解散しては再結成を繰り返してきたけど、

オーディエンスがリクエストと喝采を送るのは、

全米で売れた80年代のヒットナンバーではなく、

それ以前の70年代に彼らが生み出した、

今思えば奇跡のような、野心と抒情と哲学と、

大いなる世界の幻想に溢れたプログレの名曲群なのである。

 

1978年はパンクロックが音楽界に旋風を巻き起こし、

プログレ人気が凋落の一途を辿っていた時期だった。

 

そこへ舞い込んだビッグニュース。

ジョン・ウェットン(ベース/ヴォーカル)と

ビル・ブラッフォード(ドラム)が新バンドを結成!

しかもバンド名は、

United Kingdamというイギリスの正式国名。

 

これに数多のプログレファンの胸は高鳴った。

何と言っても二人は1975年に一度解散した

キング・クリムゾンのベーシストとドラマーだ。

 

そこにロキシーミュージックの元メンバーで、

クリムゾンのセッションに参加したこともある

キーボード&バイオリンのエディー・ジョブスン、

そして元ソフトマシーンのギタリスト、

アラン・ホールズワースが加わる。

 

U.K.の登場はキング・クリムゾンの再来、再結成と

受け取られた。

しかし、U.K.に対する当時の世間的評価は

あまり芳しくなかった。

 

クリムゾンファンの期待が大きすぎたせいか、

デビューアルバム「憂国の四士」は、

「クリムゾンにしてはスケール小さい」

「いまいちエッジが立ってない」などと言われた。

 

メンバーチェンジしてトリオ編成になって出した

セカンドアルバム「デンジャーマネー」は

「プログレなのにポップ過ぎる」という評価だった。

 

いま改めて聴いてみると、

1枚目は、確かにクリムゾンの影が残っているものの、

アヴァンギャルド的な部分よりも、

メロディアスな部分を強調していて聴きやすい。

 

2枚目は半分プログレ、

半分ポップなハードロックという感じで、

のちのエイジアに繋がる要素が垣間見える。

 

けれどもそれはもちろん、

クリムゾンでもエイジアでもなく、

U.K.というバンドでしか生み出せなかった楽曲群だ。

 

U.K.は活動期間も短く、

遺したアルバムもスタジオ盤2枚、ライブ盤1枚の

3枚のみで、レパートリーも20曲に満たない。

けれどもその充実度はすばらしく、

僕はどの曲も大好きだったし、

初めてプログレを聴く人にも親しみやすいと思う。

 

プログレの頂点に立つのは、一般的には4大バンド

(キング・クリムゾン/ピンク・フロイド/

イエス/エマーソン・レイク&パーマー)、

あるいはこれにジェネシスを加えた

5大バンドと言われているが、

僕はキャメルとU.K.を加えて

7大バンドということにしている。

そして唯一、

リアルタイムでライブを体験できたU.Kに対しては

愛着ひとしおなのだ。

 

あの40年以上前の日本公演で印象に残ったことがもう一つ。

プログレを聴くのは男ばかりと思っていたのだが、

オーディエンスには意外と女の子も多かった。

 

それはたぶん、

表に立つジョン・ウェットンとエディー・ジョブスンが

二人ともかなり美形だったことが大きいと思う。

ちょっとクイーンファンっぽいノリだったのだろう。

 

たしかにウェットンがベースをブンブン鳴らす横で、

ジョブスンが、今でいうならまるで羽生結弦のように

華奢な身をくねらせながらバイオリンをきらめかせ、

ギュンギュン言わせるビジュアルは、

本当に美しく、かっこよかった。

 

女子たちは、周りにいる

「聖域を荒らすミーハー許すまじ」みたいな、

プログレファンの男たちの気位の高さを察してか、

ジョンとかエディーとか呼ぶのではなく、

「ウェットン!」「ジョブスン!」と声をかけていた。

そのおとな対応が、いま思い返すとちょっと面白い。

 

2011年以降、ウェットンとジョブスンはU.Kを再結成し、

日本公演も行った。

映像を見たが、齢を取って二人の美貌は衰えたものの、

演奏は素晴らしく充実しており、

“最後の”プログレッシブロックバンドは

なおも光り輝いていた。

 

けれどもウェットンは2017年にこの世を去り、

ジョブスンも音楽の世界から身を引いたという。

 

さようならU.K.

歴史は永遠に閉じられた。

それでも僕はやっぱり死ぬまで

プログレを聴き続けるだろう。

 

 

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週末の懐メロ㉞:雨のクロール/森田童子

 

森田童子には春や夏を歌った曲が多い。

明るい光の向こう側にある影、孤独、別れ、哀しみ、死。

彼女はそうしたものを歌にしてきた。

1975年のデビューアルバムに収められた

「雨のクロール」はそれを象徴する佳曲である。

 

この音源はライブ

「東京カテドラル聖マリア大聖堂録音盤」から。

 

死去したことが公表されたのは3年前、

2018年のちょうど今頃だ。

それより35年以上も前に

もう森田童子であることをやめ、

一人の主婦として

都内のどこかで静かに暮らしていたらしい。

 

森田童子として遺した特異な歌の数々からは

どうもその暮らしぶりは想像しにくい。

でも、作品とその人の生き方・キャラクターに

整合性を求めるのは間違っていると思う。

 

1980年を過ぎて時代が変わり、

「学生運動をやっていた人たちのアイドル」

に対する関心は薄れ、

もう自分の役割は終わったと感じたのだろう。

 

どんな思いで歌うのをやめたのかわからないが、

もうしがみつくことはなかった。

 

キャリアの後半、

周囲がなんとか“延命”させようと

自分の曲に

当時の流行りだったニューウェーブやテクノポップ風の

アレンジをして売ろうとしたことにも、

すっかり嫌気がさしてしまったのだろう。

 

でもそれ以上に、普通の人になって

普通の幸せを手に入れたかった。

子ども時代に何か普通ではない、

過酷な体験があったのかも知れない。

 

本人はインタビューで

「病気のせいで孤独な生活を送っていた」

とだけ語っている。

 

そんなわけで1990年代になって

「ぼくたちの失敗」がドラマの主題歌となって

大ヒットしたのは、

本人がいちばんびっくりしたにちがいない。

 

けれども、それさえも遠い昔ばなしになってしまった。

 

森田童子はあまりにも学生運動とその時代と

セットで語られ過ぎてきた。

 

時代のベールを剥がして聴くと、彼女の歌の本質が見える。

春や夏の光の向こう側にある、人間の心の影や孤独。

 

時々、若い歌手がカヴァーを歌っているのを聴くが、

若者ほどその本質を理解している。

 

消費されることのない永続性と、

神聖と言ってもいい領域が、森田童子の歌の中にある。

 

 

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エッセイ集:音楽

ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力


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週末の懐メロ㉝:ジョニー・B・グッド/チャック・ベリー

 

ビートルズも、ローリング・ストーンズも、

彼らに追随した世界中の数多の歌手も演奏者も、

チャック・ベリーがいなかったら生まれなかった。

ロックンロールのグランドファーザー、

1958年のバイブル。

 

このバイブルが発表された年は

僕はまだこの世に影も形もなかった。

 

初めて聴いたのは1974年。

近所のレコード屋が主催する

中高生らのコンサートが

区役所のちんまりしたホールで開かれた。

 

そこで中学の同級生のカドタくんが

「お子さまバンド」という3人組のバンドを結成して出演。

そこで演奏したのが「ジョニー・B・グッド」だったのだ。

(他にも2、3曲やったと思うが忘れてしまった)

 

当時、僕はハードロックやプログレッシブロックの

分厚くて起伏が激しく、

綿密に構成された楽曲が好きだったので、

初期のビートルズやストーンズがやっていたような

シンプルなロックンロールには

スカスカ感を感じて、正直、物足りなかった。

 

ところが、お子さまバンドがやった

「ジョニー・B・グッド」は

めちゃくちゃイカしてた。

 

中学生のバンドがそんなにうまかったわけではない。

しかし、とにかく楽しいノリと旋律が、

一発で体に刻み込まれた。

 

チャック・ベリーはその頃から

すでに伝説のロックンローラーとして、

ジョン・レノンやキス・リチャーズの口から

語り継がれていた。

 

その独特のパフォーマンスも、

「ロックなんてお笑いみたいなもん」とか、

「インチキだらけの世の中なんて笑い飛ばしたる」

みたいな気概を体現しているようで大好きだ。

 

2017年、グランパ・ベリーが

90歳でこの世を去った今も、

永遠のロックの北極星として、

ジョニーはグッドであり続ける。

 

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週末の懐メロ㉜:パンク蛹化の女/戸川純とヤプーズ

 

月光の白き林で

木のの根掘れば蝉の蛹の幾つも出てきし

嗚呼 嗚呼

それは貴方を思い過ぎて変り果てた私の姿

月光も凍てつく森で

樹液啜る 私は蛹化(むし)の女

 

何時の間にか貴方が

私に気づくころ

飴色の腹持つ

虫と化した娘は

不思議な草に寄生されて

飴色の背中に悲しみの茎が伸びる

 

カノンの旋律に

昭和のアングラ演劇を思わせる

女の情念のような詩を乗せ、

少女のように歌う戸川純。

 

「蛹化(むし)の女」を初めて聴いたのは

1984年のことだった。

ソロデビューアルバム「玉姫様」の

最後を飾るその歌声に戦慄が走ったことを憶えている。

 

蜷川幸雄も蜷川実花も

あまりに切なく美しい

この奇怪で文学的な純愛歌を愛し、

舞台や映画の劇中歌として使った。

 

それを自らの手で叩き潰したパンクバージョンは、

ライブのラストナンバーとして歌い続けられた。

 

昔はその狂いっぷりにドン引きして

まともに聴けなかったが、

還暦を過ぎて再び巡り会った今、

一気に脳髄に食い込んできて、血を逆流させる。

 

戸川の絶唱とヤプーズの壮絶な演奏に

ただただ感涙するのみ。

 

そして最後の投げキッスが可愛い。

 

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ポップミュージックをこよなく愛した

僕らの時代の妄想力

 

ビートルズをきっかけにロックが劇的に進化し、ポップミュージックが世界を覆った時代.僕たちのイマジネーションは 音楽からどれだけの影響を受け、どんな変態遂げたのか考察する、おりべまことの音楽エッセイ集。

 


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週末の懐メロ㉛:シュガー・ベイビー・ラブ/ザ・ルベッツ

 

1974年。当時日本で大人気だった

カーペンターズやミッシェル・ポルナレフを押しのけ、

ラジオの洋楽ヒットチャートで1位に駆け上った

「シュガー・ベイビー・ラブ」。

 

中学生だった僕も、一発で大好きになり、

毎日のように聴いていた。

 

ルーベッツ(正式にはルベッツらしい)

のデビュー曲だが、おそらく日本人の大半は

この曲以外、まったく知らず、

このグループのことなんて

とっくの昔に忘れていたのでないだろうか。

僕もすっかり忘却の彼方だった。

 

しかし、ある時、あの甘くて、

ちょっと切ないメロディが

脳の奥からよみがえってきたのだ。

 

で、探してみたら、あった!

曲はやっぱり素晴らしい。

 

そして動画までああった。

もちろん初見。

こんなちゃんときれいな画像が残っていたとは驚きだ。

70年代臭さがプンプンするところも感動的だ。

 

メンバー全員お揃いの

白い帽子、ジャケット、ズボン。

背中にはグループ名のロゴまで入っている。

 

そして、振り付けや決めポーズも

おもしろレトロ。

 

極めつけは、途中に入る

ドラマーのキザなセリフ。

当時の女子はこれでメロメロっとなったのか?

 

ラブ&ピースなザ・70年代ポップスを楽しむのに最適。

コロナの梅雨の清涼剤に、ぜひどうぞ。

 

 

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週末の懐メロ㉚:ララ・ミーンズ・アイ・ラブ・ユー/スウィング・アウト・シスター

 

「ララは愛の言葉」はフィラデルフィアソウル最高の一曲。

オリジナルは1968年のデルフォニクス。

 

以来、70年代・80年代・90年代と、

ジャズ系・ソウル系ポップスのシンガーたちが

こぞって歌いたがる超人気曲となり、

ジャクソン5時代のマイケル・ジャクソンや

プリンスなどもカヴァーしている。

 

僕が初めて聴いたのは阿川泰子の

ちょっと夜っぽくて艶っぽいヴァージョン。

日本人では山下達郎が圧倒的な人気だ。

 

山下達郎ヴァージョンはカッコいいし、

プリンスのちょっと変態チックな歌い方も好きだけど、

やっぱりこの歌は女性の声で聴きたいなということで、

1994年リリースのスウィング・アウト・シスターを選択。

 

この頃、よくJ-WAVEを聴いていたが、

ほとんど局のテーマソングみたいに1日何回も流れていた。

 

爽やかで華やかな、このバンド独特のサウンド、

親しみやすく覚えやすく、それでいて味わい深いメロディは、

コリーン・ドリュリーが歌うと、

ますます愛らしく聴こえる。

 

いつ聴いても耳に心地よくて、

今日も思わず「ララララ・・・」と口ずさんでいる。

 

「メモリアルギター」というものにハートを射られた。

これは大阪で195年の歴史を持つという超老舗楽器店「三木楽器」が

開発した「燃えるギター」である。

いわゆるビートルズ世代も70 代に入り、エンディングについて考えるようになっている。

「三木楽器」はそんな世代の、楽器や音楽を愛した人たちへのお見送りオブジェとしてこの「燃えるギター」をプロデュースした。

どうせあの世に行くなら、大好きな音楽・愛する楽器とともに――とお考えの皆さんは、ぜひ三木楽器のサイトを覗いてみてください。