1987年リリース。
アルバム「タンゴ・イン・ザ・ナイト」に収録された
クリスティン・マクヴィー作曲のナンバー。
フリートウッド・マックは
1967年から続く息の長いバンドで、
いろいろな音楽性を持っているが、
やはり70年代中盤、
活動拠点をイギリスからアメリカに移した後に
発表した大ヒットアルバム
「ファンタスティック・マック」や
「噂(Rumours)」のイメージが強い。
このあたりから始まったポップロック路線は、
現代——特にこの数年、人気が高まり、
バンド自体も再評価され、
「噂(Rumours)」という
トリビュートバンドまで出てきて活躍している。
もう一つ、このバンドをユニークな存在にしているのは、
スティーヴィー・ニックスとクリスティン・マクヴィー、
二人の女性ヴォーカリストが
ほぼ均等に並び立っていたという点。
しかも二人とも才色兼備のソングライターである。
「ドリームス」などの大ヒットがあるので、
巷では「マックと言えばスティーヴィー・ニックス」
みたいな感じで語られることが多いようだが、
僕は断然クリスティン・マクヴィー派で、
彼女が書いて歌う歌こそが
フリートウッド・マックの真骨頂だと思っている。
特にこのライブの「エヴリウェア」は
ファンタジックなイントロと
オリジナルよりもテンポアップされた流れるような曲調、
軽やかに踊るように、
それでいて落ち着きのあるヴォーカルがとても心地よい。
昨年(2022年)にこの世を去った
クリスティン・マクヴィーの最高のパフォーマンスの一つ。
音楽エッセイ:
週末の懐メロ
第1巻~第3巻
AmazonKindleにて各300円で発売中
20世紀ポップミュージック
回想・妄想・新発見!
あなたの人生を変えた楽曲はここにありますか?
1970年代から80年代にかけて、
ロックミュージックと一線を画する
シンセサイザーミュージックが流行したことがある。
火付け役は映画「エクソシスト」のテーマ曲
「チューブラーベルズ」を世に送り出した
マイク・オールドフィールドだったかもしれない。
日本でも冨田勲の「惑星」や喜多朗の「シルクロード」に
心酔した人も少なくないだろう。
「アメリカのマイク・オールドフィールド」と言われた
ラリー・ファーストもその一人。
リック・ウェイクマンやピーター・ガブリエルなど、
プログレッシブロックの雄たちの活動をサポートしてきた
シンセサイザー奏者だが、そのラリー・ファーストが
1975年、「シナジー」というプロジェクト名で
アルバム「10番街の殺人」を発表。
そのなかに収められた楽曲「戦士」は、
鮮烈なイメージの音楽世界を創り出した。
美しく抒情的なメロディとスリリングな曲展開、
そして幾重にも重なってハーモニーとなる電子音。
そのサウンドの奥に広がるのは
ファンタジックなSF映画を思わせる異世界。
いま聴いても初めて出会った当時の感動は、
何ら色あせることなくよみがえる。
ロックミュージックと一線を画すると言ったが、
ある面、これが究極のブログレッシヴロックとも思える。
今ではせいぜい仕事中のBGMとしてしか
聴かなくなってしまったシンセミュージックだが、
やはりシナジーは別格で、
クライマックスからエンディングに至る深遠な余韻は
脳の隅々にまで染みわたっていく。
1973年リリース。
ボブ・ディラン屈指の名曲を
サンディ・デニーとフェアポート・コンベンションが
カヴァー。
60年代後半から70年代前半にかけて活躍した
イギリスのフォーク/ロックバンド
フェアポート・コンベンションは
民謡・古謡を現代風にアレンジした楽曲で、
その後の多くのロック/ポップバンドに影響を与えた。
また、ジュディ・ダイブル、サンディ・デニーという
二人の伝説的女性シンガーを輩出したことでも知られる。
ジュディ・ダイブルは、
グレッグ・レイク加入前の
最初期キング・クリムゾンに参加し、
「風に語りて」のアーリーバージョンでヴォーカルを担当。
長いブランクを経てカムバックした2000年には
ソロアルバムで新アレンジによる
21世紀版「風に語りて」もリリースしている。
サンディ・デニーは、レッド・ツェッペリンⅣの
「限りなき戦い」にゲストヴォーカリストとして参加。
ロバート・プラントとのデュエットで、
神話的な楽曲の創造に貢献した。
その残響は次曲「天国への階段」の
イントロにも繋がっている。
31歳で夭折したこともあって、
その歌声は伝説として語り継がれ、
死後半世紀近く経った今でも、
多くのミュージシャンのリスペクトを集めている。
「天国への扉」は、もともとボブ・ディランが
映画「ビリー・ザ・キッド」のテーマ曲として
書いたものだが、
多くのミュージシャンがこの曲の虜となり、
カヴァーにチャレンジ。
そのなかでも
サンディ・デニー&フェアポート・コンベンションの
原曲と対照的な、聖なる雰囲気を漂わせるパフォーマンスは
とりわけユニークで聴きごたえがある。
もちろんワイルドでたっぷりエモーショナルな
本家ディランのハーモニカもしびれる。
もともとはプリンスの曲だが、
完全にオリジナルを食いつくし、
シネイド・オコーナーが自分のものにしてしまった。
「これは彼女の歌だ」とプリンス本人も認めている。
1992年リリース。
めっちゃ美人なのに、なぜか頭を丸めてパフォーマンスする
アイリッシュガールの歌唱と存在感は圧倒的だった。
今年7月、彼女は享年56歳で亡くなった。
死因は明らかにされていないが、
ずっとメンタルヘルスで苦闘していた人なので、
その問題なのかもしれない。
1990年代あたりから日本も含め、世界の先進国では
精神疾患・神経疾患が医療における
最大の損失コストになり、
その深刻度は従来の肉体疾患を上回るという。
どうやら彼女は子供の頃の母親の虐待と
宗教(カトリック)的な締め付けに悩まされたらしい。
持って生まれた魂と生育環境との相性が悪かったようだ。
貧しさから抜け出し、
豊かな社会になっても生きやすくなるとは限らない。
以前、芸術系の表現活動に走る人は、
必ず何か生きる上での葛藤・問題を抱えていると
よく言われていた。
仕事でも趣味でも、大半の人が
何らかの芸術系活動に携わるようになった現代は、
誰もがそうした問題に悩まされているのかも知れない。
自己の本質と取り巻く環境とのギャップが
大きければ大きいほど、
表現活動への情熱は強烈で、咲く花は美しい。
ただ、才能に恵まれ、運よく社会的成功を収めても、
それで本人が幸福になるとは限らない。
むしろ逆に自分を追い詰めてしまうことにもなりかねない。
もちろん彼女の歌が世界中の人々の胸を振るわせた事実は
いつまでも忘れられず、歴史に刻まれるのだけれど。
「ナウ・アンド・ゼン」のリリースで
ビートルズの話題が再燃しているが、
こちらは1970年リリース。
ビートルズ解散後、ソロ活動を始めた頃の
ジョージ・ハリスンの代表作。
先日、現代の若者はビートルズのどの曲を
よく聴いているかという調査データを
ネットで発見し、見てみた。
それによると第1位は
レノン=マッカートニーの曲ではなく、
ハリスンの「ヒア・カムズ・ザ・サン」だという。
確かにビートルズ終盤からソロになった
70年代はじめの時代の
ハリスンのソングライティングは充実している。
特にこの曲や「ヒア・カムズ・ザ・サン」のような
ウォーム系の曲はいま聴いてもとても心地良い。
中学生時代、女の子みたいな男の子で、
気まぐれなネコみたいな、みんなに可愛がられていた
「ネコ」というあだ名の友だちがいた。
僕は一時期、ネコとずいぶん仲が良く、
中1のクリスマスは彼の家で5人くらいで
パーティーをやり、「赤玉ハニーワイン」という
安いワインを飲んで酔っ払ってしまった
(生まれて初めて酔っぱらいを体験した)
ことを覚えている。
このネコがジョージ・ハリスンが好きで、
「オールシングス・マストパス」という
3枚組のアルバムを持っていた。
彼の家に行くと、ほぼいつも
ハリスンの歌が流れていたことを思い出す。
「マイ・スウィート・ロード」は
この3枚組アルバムからのシングルカットで、
シングル、アルバムとも英米で売上第1位を獲得。
3枚組なんて当時、
日本では5千円はくだらなかったと思う。
そんなアルバムがチャートのナンバー1になるとは、
ちょっと驚きだ。
当時の人気ぶりがうかがい知れる。
それまでレノン=マッカートニーの陰に隠れていた
「サイレント・ビートル」の面目躍如といったところだ。
当時の彼はソロになったメンバーの中で
最も成功した、と音楽雑誌で持て囃されていた。
ネコもそれを自慢していた。
昨日出たビートルズの新曲にしてラストナンバーとなる
「ナウ・アンド・ゼン」は、
ジョン・レノンが作詞作曲した遺品のデモテープを
もとに作られた。
これまで不可能だったヴォーカルとピアノの音の分離を
AIを使って可能にしたために実現できたという。
しかし、それだけではない。
ジョージ・ハリスンがそのギターパートを
録音して遺していたからこそ
「ビートルズの曲」となり得、リリースもできたのだ。
そういう意味ではまさに奇跡の楽曲。
40年あまりの年月をかけて掘り出され、
磨き上げられた宝石なのだから、
この際、作品としての出来不出来はとやかく言うまい。
リアルタイムでビートルズを聴いていたファンは、
今、ほとんどが70代になっている。
彼ら・彼女らにとっては、
青春時代の最後の贈り物と言えるだろう。
「生きててよかった」と心から思う人もいるかもしれない。
おめでとう、皆さん。
ありがとうビートルズ。
そして安らかに、ジョン・レノン、ジョージ・ハリスン。
1978年、ケイト・ブッシュのデビュー作に
出逢った時の衝撃は人生を支配した。
14歳の少女がエミリー・ブロンテの小説から
インスピレーションを受けて作り上げた楽曲は
紛れもなく20世紀ポップミュージックの最高峰。
何十年経ってもその地位は1ミリも揺らぐことはない。
ちなみに日本ではアイドルとして売り出そうと
デビューアルバムのジャケットを
グラビアアイドルみたいなポートレート写真にしていたが、
(それはそれで良いのだが)
僕はこのイギリスのオリジナル版のジャケットが好きだ。
その後も音楽界で神がかった活躍を続け、
孤高のミュージシャンに昇華した彼女の軌跡の
スタートに相応しいアートデザイン。
ケイト・ブッシュは新たなキャリアを築くために
みずから産み出したこの超傑作の呪縛を解こうと
1986年のベスト盤「Whole Story」に
ニューヴォーカル・バージョンを吹き込み、
自分のなかで「嵐が丘」を封印した。
それでもこの曲のファンは世界中に、
そして次世代以降にも広がり続け、
YouTubeにはライブバージョンやカヴァーはもちろん、
様々なリミックスバージョンやビジュアルがあふれている。
そのなかでも最もユニークでクオリティの高いのが
このダンスリミックスバージョン。
まさか「嵐が丘」がディスコダンスがになるとは
思ってもみなかった。
良い曲はどう料理しても素晴らしい。
また最近、毎年7月30日には、
ケイト・ブッシュの誕生日を祝って
世界中のケイトファンが集まってダンスする
「The Most Wuthering Heights Day Ever(嵐が丘の日)」
というイベントが開かれているらしい。
子どもから婆さん・爺さんまで
大勢のファンが真っ赤なドレス
(ケイトがミュージックビデオで着ていたもの)
をまとって、パントマイムを交えた
あの独特のダンスを踊る姿は
思わず笑えると同時に感動的。
時代を超え、世代を超え、
世界中の人々の胸を震わせる「嵐が丘」に
還暦を超えた今も涙を抑えきれない。
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1972年リリース。
セカンド・ソロアルバム「トランスフォーマー」に
収録され、ルー・リードの代表作となった歌。
この中で歌われるトランスジェンダーやゲイたちは、
NYCのアンディ・ウォーホールのスタジオ
「ファクトリー(The Factory)」に集まる
俳優たちをモデルにしたという。
LGBTQの人たちは、かつては音楽や文学や演劇、芸術—ー
いわゆる非日常の世界の住人というイメージだった。
そのことを考えると隔世の感がある。
そうなのだ。
この曲が歌われてから半世紀の時が過ぎた。
半世紀前は、ボブ・ディラン、ドアーズのジム・モリソン、
少し遅れてパティ・スミスなど、
いわゆる詩人系のミュージシャンが活躍した。
ルー・リードもその一人で、
文学性・芸術性に富んだ感性で
ロックの価値を高めたミュージシャンとして
評価されている。
彼が率い、アンディ・ウォーホールがプロデュースした
ベルベット・アンダーグラウンドも、
僕たちがロックに狂っていた70年代~80年代は、
「昔のカルトバンド」として大して注目されていなかった。
ところが、その人気と評価は
時代を経るごとにどんどん上がっていき、
いまやロック史上屈指のレジェンド「ベルベッツ」として
紹介されることが多い。
これはトランスジェンダーやゲイの歌ではあるが、
「Wild」のニュアンスをどう解釈するかで
いろいろな聴き方ができるところも面白い。
そして管理社会が進む今日、
良い意味でWildであり続けることはとても難しいと感じる。
ライブでもよく演奏され、
YouTubeでもたくさん上がっているが、
派手なギターやドラム、ファンキーなホーンが入った
エキサイティングなものが多く、
この曲の良さを損ねている気がする。
僕に散ってはこのオリジナルのスタジオ版がベスト。
リードのリーディングのような歌い方と
エレキベースとダブルベースを重ねた、
独特の雰囲気を醸し出すベースラインは
麻薬のようにやみつきになってヤバい。
原題「These Days」は
「最近」とか「近頃」と訳すのが普通だが、
1967年の日本のレコード会社の人は
「青春の日々」という
当時のフォークソングっぽい邦題を付けた。
歌でも本でも映画でもよくあるタイトル。
でもニコのこの歌を聴くと、
他のタイトルは思い浮かばなくなる。
とくにセンチメンタルな旋律ではないのだが、
聴けば聴くほど、雨水がしみ込むように、
深く広く、胸のなかに切なさが広がっていく。
青春の日々が遠くなった人間だからかもしれない。
作詞作曲はジャクソン・ブラウンで、
デビューする前、16歳の時に書いた歌だという。
歌詞は、最近、わたしの人生うまくいかない。
もう夢を見るのはやめた。
失敗したことを忘れたわけじゃないから責めないで
・・・といったちょっとネガティブな内容だ。
ティーンエイジャーの頃は
よくないことがあると内省的になり、
人生を達観したような気になってしまうことがある。
もちろんポジティブな気持ちを持って
元気に生きた方がいいけど、
いつもピーカンの青空ばかりというわけにはいかない。
晴天ばっかりでは生きててつまらないし、
人生もうすっぺらくなる。
ぽかぽか浮かんでくる雲の形を楽しんだり、
しとしと雨降りも経験して
生きる哀しさややるせなさも知ったほうが
人間が立体的に形成されていくと思う。
ニコはドイツ出身のファッションモデルで、
その後、シンガーソングライター、女優として活躍。
ニューヨークでかのポップアートの巨匠
アンディ・ウォーホールと知り合い、
彼がプロデュースするロックバンド
「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」と共演した。
ジャケットにウォーホール作のイラストーー
世界で最も有名なバナナが描かれたデビューアルバム
『The Velvet Underground & Nico』は、
ロック史に欠かせない超名盤となり、
その評価はむしろ21世紀になってからのほうが
上がっている。
ただ、ニコがベルベットに参加したのは、
ウォーホールが「女がヴォーカルをやった方が話題になる」
と言ってくっつけたからだそうで、
彼女は1枚限りでバンドを離れ、
同年、ソロアルバムを制作。
「青春の日々」は、そのアルバム
「チェルシーガール」に収録されていた。
昨年(2022年)1月にはビリー・アイリッシュがこの曲を
TikTokに投稿し、再生回数1億2千万回超を記録。
音楽ニュースサイトで大きな話題になった。
まさに今の世界中の若者の心もとらえた大ヒット懐メロだ。
ニコも、アンディ・ウォーホールも、
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドを率いた
ルー・リードも、とうの昔に故人になっているが、
40年・50年・60年経っても
良い曲は聴き継がれ、世代を超えて共有される。
若い世代の人もこの曲を聴きながら、
自画像・人生像を描いてみるといいかもしれない。
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1980年リリース。
グラムロック×プログレッシブロック×テクノポップ。
イギリスのバンドなのに、なぜかジャパン。
その個性があまりに強烈過ぎて
フォロワーもほとんど現われず、
今では振り返えられることが少ないが、
70年代終わりから80年代はじめにかけて
示した存在感を忘れられない。
そしてもちろん、いま聴いてもすごい。
彼らが残した「クワイエットライフ」
「孤独な影」「ブリキの太鼓」
3枚のアルバムは、
まぎれもなくロック史上に燦然と輝く名盤だ。
「日本の女の子にウケようと
“ジャパン”なんてバンド名をつけた」
音楽雑誌で悪口を書きまくられたデビュー当初は、
ヴォーカルのデビッド・シルビアンをはじめ、
日本の少女マンガに出てきそうな
美形ぞろいのアイドルグループ。
初来日でいきなり女子ファンで
武道館をいっぱいにしてしまうなど、
まさしく「ビッグ・イン・ジャパン
(日本でしか売れない洋楽バンド)」の代名詞となり、
「へたくそなくせに女にモテやがって」と
嫉妬心むき出しの男性ロックファン・評論家から
さんざんこき下ろされるはめになった。
確かに1枚目・2枚目のアルバムは、
「果てしなき反抗」「苦悩の旋律」と、
タイトルだけはやたらカッコいいが、
ふやけたディスコっぽいロックで
ぜんぜん面白くなかった。
それが3枚目の「クワイエットライフ」で激変し、
クオリティ爆上がり。
デビッド・ボウイ、ロキシー・ミュージック、
キング・クリムゾンなど、
70年代の先進的ロックのエッセンスを
80代風に解釈したとでも言えばいいのか、
めっちゃクールでデカダンでスリリングな
音世界を展開した。
続く「孤独な影」「ブリキの太鼓」では
アフリカンビートや東洋音楽を取り入れ、
ヨーロッパの退廃的ムードとミックスさせて
他の追随を許さない独特のジャパンサウンドを構築。
特にミック・カーンのベースと
スティーブ・ジャンセンのドラムが創り出すリズムは、
異常に中毒性が強く、
一度聴きだすと止まらなくなる。
アルバム「孤独な影」のラスト曲
「アイランズ・イン・アフリカ」には
当時YMOの坂本隆一が参加。
この映像が撮られた1982年のラストライブ
(のちにライブ盤「オイル・オン・キャンバス」
としてリリース)では、
脱退したギタリストの代わりに
「すみれセプテンバーラブ」のヒットを飛ばした
一風堂の土屋昌巳がサポートメンバーとして参加。
本当にクールでカッコいいジャパン、
今は亡きミック・カーンの、
ロック史上指折りのベースプレイをぜひ聴いてほしい。
1965年にリリースされた「夢のカリフォルニア」は、
「東海岸(おそらくニューヨークを想定)は
どんより曇っていて寒いよ。
晴れててあったかいカリフォルニアに行きたいなぁ」
というかなり単純な歌だ。
けれども当時、カリフォルニア州にあるサンフランシスコ、
ロサンゼルスはヒッピー文化発祥の地。
愛と自由と平和について語り合おう、
ついでにセックスとドラッグもやっちまおう、
という精神的革命の波が押し寄せていた。
アメリカの若者のほとんどが
社会からドロップアウトするんじゃないかという
勢いさえ感じた。
そんな中で「夢のカリフォルニア」は
一種のメタファーと受け取られ、
どんより曇って寒い街は旧世界の象徴、
太陽輝くカリフォルニア
(サンフランシスコ、ロサンゼルス)こそ
われらが求める新世界――と解釈されたらしい。
と言ってもこの頃,
僕はまだ小学校に入ったばかりのガキで、
ヒッピーをリアルタイムで体験したわけではない。
後年、音楽雑誌などで当時のロック・フォークの先輩方が
「サマー・オブ・ラブ」やら「フラワーチルドレン」やらを
熱く語っているのをカッコイイなぁと思っただけだ。
そしてテレビの音楽番組で見た
1967年の「モンタレーポップフェスティバル」。
この曲を歌うママス&パパスを見て以来、
僕の中ではずっと「夢のカリフォルニア」は、
60年代のヒッピー文化の象徴として、
一種独特の響きを放っていた。
ママス&パパスはグループとしては
3年ほどしか活動していない。
他にもいくつかヒット曲はあるものの、
ほとんどこれ1曲で
1998年にロック殿堂入りを果たしたと言っていいだろう。
それほどあの時代とのマッチングは強烈だったのだ。
けれども、そろそろその幻想とも
別れを告げた方がいかもしれない。
そう思ったのは、ジャズシンガー、
ダイアナ・クラールが2015年にリリースした
カヴァーを聴いた時だった。
オリジナルのママス&パパスから60年。
言い表せない感慨が胸に広がった。
渋くてカッコよくて、
そしてあまりに懐かしさと哀愁に満ちた
「夢のカリフォルニア」。
秋の夜、聴きながら一杯飲まずにはいられない。
●夢のカリフォルニア/ダイアナ・クラール
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「週末の懐メロ 第3巻」
20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!
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峰不二子のモデルはマリアンヌ・フェイスフルだったとか、
「ベティ・デイビスの瞳」はもともとは
レトロジャズだったとか、
「チャイルド・イン・タイム」は実は反戦歌だったとか、
新発見がいっぱい。
卒業式ソングとして「今日の日はさようなら」を
紹介したけど、「わたしの学校では卒業式に〈誰かが風の中で〉を歌いました」なんてメールまでいただきました。
天涯孤独の木枯し紋次郎が卒業ソングとは、
なかなかワイルドな学校ですね。
来月はルー・リードの
「ワイルドサイドを歩け」を取り上げる予定です。
20世紀のポップミュージックが
人類のレガシーになった今日、
21世紀を生きていくために
ぜひとも懐メロを楽しく読み解いてみては?
この本はその参考書としてお役立ていただければ幸いです。
良い音楽、好きな音楽をあなたの人生のおともに。
1976年にリリースされたイーグルスのアルバム
「ホテルカリフォルニア」は、
数あるロッククラシックの中でも
指折りのレコード、名盤中の名盤として名高い。
特にアメリカにおける存在感は抜群だ。
かのアルバム、そして、イーグルスというバンドが
そこまで持ち上げられるのは、
アルバムの最後を締めくくるのがこの曲だから、
ではないかと想像する。
表題曲の「ホテルカリフォルニア」は
60年代ロックカルチャーの商業化・低俗化を
揶揄した歌だが、皮肉なことに彼ら自身が、
アメリカで最も商業的に成功したバンドの一つとなり、
矛盾を抱えたまま半世紀間、活動してきた。
トータルセールスは2億枚を超えると言われている。
「ザ・ラストリゾート」も
そんな大いなる矛盾を拡大したかのような、
アメリカという国そのもの、
現代の文明社会そのものを批判した歌だ。
♪They call it paradise, I don't know why
彼らはそこをパラダイスと呼ぶ 私には理由が分からない
歌詞のストーリーは開拓時代を歌ったもの。
大西洋を渡ってやってきた白人の入植者たちが
広大なフロンティアを「パラダイス」と呼び、
先住民を迫害し、野生動物を殺戮し、
山を森を切り開き、自然環境を破壊し、
自分たちの街を、国家を作り上げていった。
♪We satisfy our endless needs and justify our bloody deeds
私たちは果てしない欲望を満足させて
血まみれの悪行を正義とした
In the name of destiny and in the name of God
運命という名のもとに 神の名のもとに
さらにここが「The Last Resort(最後の楽園)」だとして、
海の向こうからどんどん移住者を呼び寄せ、
この世の楽園である近代国家を作り上げた。
実際、開国時代の冒険者・開拓者たちにとって、
その活動は神の導きによる愛と正義の表現だと
信じていたのだろう。
そして20世紀を迎えて間もなく、
アメリカは世界で最も富める国・力を持つ国となり、
金さえあればどんな夢でもかなう「楽園」となった。
けれども年月を経て、楽園を築いた人々の子どもたちは
考えざるを得なくなった。
「わたしたちはどこから来て、どこへ行くのか?」
そして過去を振り返り、違和感を覚えざるを得なくなった。
「わたしたちは正しかったのか?」と。
高校生だった70年代、僕は美しく抒情的な旋律を
楽しむだけだったが、
この「ザ・ラストリゾート」は、
表題曲「ホテルカリフォルニア」と対になって、
当時の心あるアメリカの若者たちの胸に
ギリギリと食い込んだのだろうと思う。
それから50年近くを経て、人々の意識は、
先住民の歴史やマイノリティの存在、人権の尊重、
破壊してしまった自然環境などにも
向けられるようになった。
もちろん、それがイーグルスの歌のおかげだとは言わない。
でも、当たり前のようにある豊かさが
過去のさまざまな犠牲によって育まれたものだと
気付かせるきっかけにはなったのではないか。
音楽は人の心を変える。
人の心が変われば世界が変わる。
たとえ少しずつでも――
まだそんなファンタジーを信じたいと思っている。
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いつも心に音楽を。
9月21日(木)16:00~24日(日)15:59まで
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収録曲
57 暗黒(スターレス)/キング・クリムゾン 【1974】
58 イッツ・ア・ミステリー/トーヤ 【1981】
59パッフェルベルのカノン/ジョージ・ウィンストン【1982】
60 オン・マイ・オウン/島田歌穂 【1987】
61 長い夜/シカゴ 【1970】
62 ケイト・ブッシュ・クリスマススペシャル 【1979】
63 ジェネシス・ライブ 【1973】
64 ビー・マイ・ベイビー/ザ・ロネッツ 【1963】
65 ジェイデッド/エアロスミス 【2001】
66 リヴィング・イット・アップ/リッキー・リー・ジョーンズ 【1981】
67 冬の散歩道/サイモンとガーファンクル 【1966】
68 ごはんができたよ/矢野顕子 【1980】
69 だれかが風の中で/上條恒彦&小室等 【1972】
70 ブロークン・イングリッシュ/マリアンヌ・フェイスフル 【1979】
71 アイビスの飛行/マクドナルド&ジャイルズ 【1971】
72 今日の日はさようなら/森山良子 【1967】
73 サマータイム・ブルース/RCサクセション 【1988】
74 タイム・アフター・タイム/シンディ・ローパー【1984】
75 ピアノマン/ビリー・ジョエル 【1973】
76 そよ風の誘惑/オリビア・ニュートン・ジョン 【1975】
77 ネバーエンディングストーリー/リマール 【1984】
78 アニバーサリー/松任谷由実 【1989】
79 あなたがここにいてほしい/ピンク・フロイド 【1975】
80 私は風/カルメン・マキ&OZ 【1975】
81 ヒート・オブ・ザ・モーメント/エイジア 【1982】
82 ベティ・デイビスの瞳/キム・カーンズ 【1981】
83 チャイルド・イン・タイム/ディープ・パープル【1970】
84 さよならレイニーステーション/上田知華+KARYOBIN
【1980】
全28曲
1963年のヒット曲で、
60年代アメリカンポップスの人気ナンバー。
僕は四半世紀前に、ザ・ピーナッツを模した
双子の女の子歌手のショーの台本を頼まれて
書いたことがある。
彼女たちはオールディーズポップス
(50年代後半から60年代前半)
を歌うデュエットだったが、
最も得意としていたレパートリーが、
この「涙のバースディ・パーティ」だった。
その双子デュオの印象が残っているので、
「可愛い歌」「可愛い歌手」というイメージが強かったが、
この曲をヒットさせたレスリー・ゴアは、
ちょっときつそうなヤンキーねえちゃんという感じ。
中学の英語の教科書に出てくる
アメリカンファミリーのお母さんみたいな髪型を
していて、ちょっとおばさんっぽいのだが、
この頃はまだ10代だったという。
これはカバーだが彼女のデビュー曲で、
同時に、かの大プロデューサー、
クインシー・ジョーンズの若き日の
初プロデュース曲でもあった。
歌詞のストーリーは、
誕生日パーティーで恋人のジョニーがいなくなり、
一度消えて再び姿を現したジュディという女の子が
「彼の指輪をはめている」。
なんてこと!
それで「これは私のパーティー、泣きたくなったら泣くわ」
とリフレイン。
この時代の日本のレコード会社は、
女性歌手が歌っていれば、
内容に関わらず、なんでもかんでも
「悲しき○○」「涙の○○」「天使の○○」
という邦題をつけたがる傾向があった。
でもまぁ、この歌は確かに
「涙のバースディ・パーティ」だよねと納得。
女の子の失恋ソングだが、
クインシー・ジョーンズは、それを頭からノリノリの
明るいポップナンバーにアレンジ。
後世の人々が愛してやまない名曲に仕上げた。
ちなみに欧米でも、
誕生日をパーティーで祝う習慣が出来たのは、
20世紀に入ってからだという。
日本ではおそらく戦後から始まった習慣で、
まだ100年にもならない。
そう言えば僕も友だちが集まって
ワイワイやることはあったが、
家族に誕生日パーティーなんて
やってもらったことはなかった。
クリスマスとおんなじで、
「お誕生日おめでとう!」なんて言われると、
いまだにお尻がもぞもぞしてしまう。
最寄り駅のホームから見える飲食店ビルの3階に
音楽バーがある。
その看板には「60年代・70年代のイカした音楽をアナタに」
とメッセージ。
これがなぜかいつも「イカれた音楽をアナタに」
と読めてしまうのだ。
つまり僕はイカした音楽よりも
イカれた音楽の方が好きなのだろう。
というわけで今日は抜群にイカれている
ロックの暴走列車、グランド・ファンク・レイルロード、
1973年の全米ナンバー1ヒット「WE are an American Band」。
GFRと言えば、かつてすごい伝説に包まれた
ハードロックの雄だった。
たとえばデビューの頃、
当時人気絶頂のレッド・ツェッペリンの前座を務めた際、
そのパワフルな演奏で観客を圧倒してアンコールの連続。
完全にツェッペリンを食ってしまった。とか、
1971年の初来日公演では後楽園球場
(現・東京ドーム、もちろんこの頃は屋根なし)で
雷鳴が響き、豪雨が降りしきる嵐の中で演奏し続けたとか。
僕の中学のロックの先輩たちにとって、
そんな伝説をつくり上げた英雄で、
ひたすらパワーで押しまくるGFRは、
今どきの表現ならまさしく「神バンド」で、
ハードロックと言えば、
クリームよりも、レッド・ツェッペリンよりも、
ブラック・サバスよりも、ディープ・パープルよりも、
まずグランド・ファンク・レイルロードだった。
そんなにすごかったバンドだが、
50年経ってみると、音楽的評価・格付け・知名度は、
完璧なロックレジェンドとして君臨する
レッド・ツェッペリンは別格としても、
上記のバンドよりだいぶ落ちると言わざるを得ない。
なんて言ってデイスったりすると、
「てめー、何言ってやがんだ」と
あの先輩方に怒られるかもしれないのでやめておこう。
僕自身もGFRはマイフェバリットとは言い難いが、
それまでの「ハートブレイカー」や「孤独の叫び」などの
シリアス路線から思い切り方向性を変えた
この「アメリカンバンド」は大・大・大好きだ。
誰もが楽しめる、底抜けに陽気でポップな
ハードロックの傑作。
聴けば聴くほどイカれた歌と演奏は最高だ。
天才少女ドラマーのよよかちゃんも
ノリノリでこの曲をやっている。
初めて観たのは、まだ5歳かそこらだったが、
どんどん成長してドラムもよりパワフルに。
楽しく、可愛く、世界へ羽ばたけ。
1989年リリース。90年代のダンスミュージックの女王・
リサ・スタンスフィールドの
デビューアルバム『アフェクション』の挿入歌。
「This Is The Right Time」や「All Around the World」が
大ヒットしたが、僕はこの歌が一等好きだった。
この頃は日本もバブル景気で大盛り上がりしていた時代で、
ディスコ(この頃はもうクラブって言い方をしてたっけ?)でも、こうしたゴージャス、かつ、
お洒落なダンスミュージックが本流だった。
今振り返って聴いてみると、
僕らがよく踊っていた70年代・80年代より
同じR&B系の曲でも格段に洗練され、
ダンサブルになっていた。
それが好きかどうかは、また別問題だけど。
ただ、リサ・スタンスフィールドはとにかくカッコよくて、
CDも買ってよく聴いていた。
こうしてライブを見ると、バックの演奏も最高だ。
ディスコ(クラブ)に通ったのは、この頃までだった。
芝浦の「GOLD」が最後だったように記憶している。
バブルとともに去りぬ、というところか。
1970年リリース、サンタナの名盤「天の守護神」の挿入歌。
オリジナルはニューヨーク出身の音楽家で「マンボの王様」
と言われたティト・ブエンテの楽曲。
ジャンルとしてはキューバ発祥の音楽
チャチャチャの曲だったが、
サンタナが斬新なアレンジを施してカバー。
ラテンロックという新たなジャンルの代表曲として、
世界中で聴かれるようになった。
サンタナは、ギタリスト
カルロス・サンタナをリーダーとするバンド名だが、
このグループの楽曲には思い出がある。
初めて東京に出てきた1978年の夏から秋にかけて、
生まれて初めて水商売のバイトをした。
池袋西口の繁華街・ロマンス通りの「ロサ会館」
というビルの地下にあった「サムシング」という店だ。
当時はバーでもスナックでも、
店にウィスキーのボトルをキープ(マイボトル)することで
自分の行きつけの店を作り、というか、
店側のシステムに乗っけられて酒を飲むのがトレンドだった。
なので酒飲みのおっさんたちはみんな、
自分がどれだけマイボトルを持っているか
自慢し合っていた。
ここもそうしたボトルキープの店で、
僕は黒服を着てウェイターをやっていたが、
あまり水商売らしくない店長と、
いかにも水商売やってます風の副店長と、
キツネ型とタヌキ型の女の子コンビと、
5人で回す日が多かった。
マイボトルに関する裏話は面白いが、
またの機会に。
名称はパブ「サムシング」。
パブと言っても英国のパブとは大違いで、
ちょっとした食事もできる、
やや大きめのバーのことを
当時の日本ではそう呼んでいたのだ。
特徴としては、ディスコというほどではないが、
10人程度なら踊れる、ミラーボール付きの
小さなダンスホールがあった。
何と言っても70年代、昭和後期の池袋なので、
ちょっと怪しい客が多く、
この店には演歌の世界に出てくるような
わけありカップルが大勢来ていて、
よくチークダンスを踊っていた。
女を酔っぱらわせて、そのまんま近所のラブホに
連れ込む男もほぼ毎日いたと記憶している。
もう一つの特徴は、専属のバンドがいて、
30分おきに生演奏を披露していたこと。
このバンドのレパートリーの半分くらいがサンタナだった。
この曲を初め、
「君に捧げるサンバ」「ブラックマジックウーマン」
「哀愁のヨーロッパ」(チークタイムの定番!)などを
いつも演奏しており、未だに耳に残っている。
なのでサンタナを聴くと、あの店の客やスタッフのこと、
そこで起こったいろいろな出来事を思い出すのだ。
働いていたのは3カ月か4ヵ月程度だったが、
いろいろ社会勉強・人生勉強をさせてもらって、
今では感謝の気持ちを持って思い出す。
というわけで、
実際のサンタナとは全然ちがう話になってしまったが、
この映像はオンラインで世界各地の音楽家を結ぎ、
みんなで名曲を協奏するというプロジェクト
「プレイング・フォー・チェンジ」によるバージョン。
サンタナのロックテイストにプラス、
オリジナルであるチャチャチャのニュアンスも
色濃く出ていて、めっちゃカッコいい。
「僕のリズムを聴いとくれ」という邦題がぴったりだ。
もちろん、南国の空に響き渡る
カルロス・サンタナのギターソロは圧巻。
あのサムシングのバンドリーダーは、
今もまだサンタナを聴いてギターを弾いているのだろうか?
1979年、オンシアター自由劇場が上演した音楽劇
「上海バンスキング」のテーマ曲。
昭和10年代(1930年代後半から40年代前半)の
上海租界を舞台に、
享楽的に生きるジャズマンをめぐる物語で、
劇中演奏されるのはジャズのオールドナンバーだが、
オープニングとクロージングを飾るこの曲はオリジナル。
主人公のまどか役で歌手の吉田日出子は
小劇場界では名の知れた魅力的な女優だったが、
この芝居まで歌手としての経験はほとんどなかった。
また、ジャズマンたちも串田和美(シロー)や
笹野高史(バクマツ)をはじめ、楽器は素人同然。
にもかかわらず、演奏はノリにノってて素晴らしかった。
それはもちろん、この物語がとてつもなく面白く、
感動的だったからである。
僕は「上海バンスキング」の初演を見た。
当時、オンシアター自由劇場の拠点劇場は、
外苑東通りと六本木通り(首都高3号)とが交わる
六本木交差点からすぐ近くの雑居ビルの地下にあった。
キャパ100人の小さな劇場(というよりも芝居小屋)には
観客が溢れかえり、
広さ8畳程度の狭い舞台には、
主演級の他、楽器を携えた楽団員役を含め
20人を超えるキャストが出入りして熱演した。
あんな狭いところでいったいどうやっていたのか、
思い出すと不思議で仕方がない。
舞台となるのは、まどかとシロー夫妻の家の広間だが、
舞台セットなどは椅子とテーブルがあるだけ。
そこが突如ジャズクラブに変貌したりするシーン構成、
いろいろな登場人物が錯綜するストーリー展開、
そして時代が日中戦争、さらに太平洋戦争へ続いていく
ドラマの流れは、リアリズムをベースに、
時にファンタジーが入り混じり、
さらに歴史の残酷さを描き出す叙事詩にもなるという、
舞台劇の醍醐味に満ちていた。
ジャズと笑い・ユーモアに彩られながらも、
「上海バンスキング」はけっしてハッピーな物語ではない。
後半は戦争の暗雲が登場人物たちの人生を狂わせていき、
終盤、自由を、仲間を、そして音楽を失ったシローは、
アヘンに溺れ、やがて廃人になってしまう。
変わり果てた夫を抱きしめて、まどかは最後に
「この街には人を不幸にする夢が多過ぎた」と呟く。
ひどく苦い結末を迎える悲劇なのだが、
追憶の中、二人の心によみがえる「ウェルカム上海」は、
思わず踊りだしたくなるほど陽気で軽やか。
その楽しいスウィングは、
同時に哀しく美しい抒情に包まれる。
劇作家・斎藤憐はこの作品で
演劇界の芥川賞とされる岸田國士戯曲賞を受賞。
オンシアター自由劇場は
1979年の紀伊国屋演劇賞団体賞を受賞。
再演するごとに人気は高まり、
キャパ100人の劇場は連日満員で客が入りきらなくなり、
やがて大きな劇場で何度も再演されることになる。
それまで演劇など見たことのなかった人たちでさえも
虜にし、1984年には、深作欣二監督、
松坂慶子・風間杜夫の主演で映画化。
20世紀の終わりまで上演され続ける
日本の演劇史に残る名作になった。
オールドファンとしては、
吉田日出子をはじめとするオリジナルキャストの
歌・演奏・演技はあまりにも印象的で忘れ難いが、
新しい若いキャストで今の時代に再演しても
ヒットするだろうと思う。
不幸のリスクを背負っても夢を求めるのか、
夢など見ずに幸福(というより不幸ではない状態)を
求めるのか、
いつの時代も、いくつになっても、
人生の悩みと迷いは変わらないのだ。
もう一度、舞台で「ウェルカム上海」を聴いてみたい。
夏休み無料キャンペーン第5弾
「ポップミュージックをこよなく愛した僕らの時代の妄想力」
8月20日(日)16時59分まで
ポップミュージックが世界を覆った時代、ホームビデオもインターネットもなくたって、僕らはひたすら妄想力を駆使して音楽と向き合っていた。
心の財産となったあの時代の夢と歌を考察する音楽エッセイ集。
今日もディスコ!ダンスダンスダンス!
マイケル・ジャクソンのプロデューサーとしても
おなじみのクインシー・ジョーンズ、
1981年リリースの大フィーバー曲。
ちなみに歌っているのはデューン(チャールズ・メイ)と
パティ・オースティンという人で、
クインシー・ジョーンズはドピンクのシャツを着て
ウロウロしている黒人のおっさんです。
この曲、つい昨日までジョーンズのオリジナルだと思っていたが、
実はチャズ・ジャンケルという歌手が
前年に出した曲のカバーだった。
しかも、もと歌もそんなに変わらないディスコビート。
それでもこの頃、すでに巨匠だった
クインシー・ジョーンズが取り上げ、
世界中のディスコで響きわたり、
若者たちが踊りまくったことで、
すっかりこのバージョンが定着してしまった。
戦前生まれ(1933)のクインシー・ジョーンズは、
ジャズミュージシャン、アレンジャーとして、
60年代前半から音楽業界で大活躍。
マイルス・デイヴィスやフランク・シナトラらの
プロデュースを手がけたり、
映画やテレビドラマのサントラも多数つくっている。
そして80年代以降はソウル系ポップ・ロックの
大ボスとしてマイケル・ジャクソンはじめ、
世界のスターミュージシャンらに多大な影響を及ぼした。
「愛のコリーダ」というタイトルは、
邦題ではなく、オリジナルのまんま。
1976年に大島渚監督が発表した映画から
いただいたものだ。
大島渚の最も有名な代表作は
1983年の「戦場のメリークリスマス」だが、
戦メリ以前の大島監督の代名詞と言えば、
初の海外進出作で、カンヌ国際映画祭で賞を取った
「愛のコリーダ」だった。
同作は戦前の日本社会を騒然とさせたエロ猟奇殺人事件
「阿部定」を題材とした問題作だが、
歌の方はべつに映画の内容とは関係ない。
(猟奇殺人の歌で踊ってたら、やっぱヤバい)
強いて言えば「究極の愛」について歌っているから
同じ題名にしたのか。
「愛」は日本語、
「コリーダ」はスペイン語で「闘牛」の意味だから、
アメリカ人にとってはエキゾチックなムードが
出せるのだろう。
愛し合い、いっしょに踊る男女を
闘牛と闘牛士に見立てたのかもしれない。
かつてのディスコミュージックの帝王は、
90歳になる今も健在で、
元気に音楽活動を続けているようだ。
グレート。
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オナラよ永遠に
8月12日(土)15時59分まで
一発の小さなオナラから巻き起こる
愛と笑いと冒険のSFファンタジー。
シティポップのミックスを聴いていたら偶然の再会。
かなり遠い昔、
高校時代にラジオで1度聴いたきりの曲で、
曲名も歌手の名前も全然知らなかったが、
さわやかで親しみやすく、ちょっとだけメロウな旋律と
「シュワっとはじけて」という夏っぽいフレーズが、
頭の奥の引き出しに録音されていた。
1977年リリース。
マザー・グースは金沢出身の女性3人組バンド。
この曲は彼女らのオリジナル曲で、一度、
前年発売のデビューアルバムに収められていたが、
それを山下達郎が編曲・プロデュースを手掛け、
シングル盤として新たに発売した。
当時まだマイナーな存在だった
(伝説の「シュガーベイブ」というバンドをやっていた)
山下達郎にとって初めてのプロデュース作だったらしい。
すごいのは山下をはじめとするバックの演奏陣で、
ティンパンアレイの林立夫、細野晴臣、鈴木茂、
そしてまだ無名のスタジオミュージシャンだった
坂本龍一など、日本のポップミュージックシーンを築いた
若き日のビッグネームたちがこぞって参加している。
「貿易風」とは聞き慣れない言葉だが、
横浜などの貿易港のイメージなのだろう。
改めて聴くと、女性がオトコ目線で歌う歌詞は
ユニークで楽しく、ちょっと不器用感があって、
そこがまたひどくみずみずしくて印象的だ。
世界で人気のジャパニーズ・シティポップは、
80年代の曲がメインだが、
そこまできらびやかでなく、
イマイチ洗練されきっていない、
70年代後半感が漂うサウンドは、とても気持ちいい。
ちなみにこの頃はシティポップも、
J-POPという言葉もなく、
やっと「ニューミュージック」という言葉が
広がり出したころだ。
いずれにしても、いつまでもみずみずしさを失わない、
不思議な魅力のある歌。
ジャパニーズ・シティポップの隠れた名曲として
より大勢の人が聴いて楽しんでくれるといいと思う。
僕たち70年代の若者は、みんなこの曲で踊り狂って、
精神が宇宙まですっ飛んで行っていた。
日本における70年代ディスコミュージックの代表曲、
アース・ウィンド&ファイアーの「宇宙のファンタジー」。
1977年リリースのアルバム『太陽神』からの
シングルカット。
アース・ウィンド&ファイアーは、
ファンクを主軸にしたポップミュージックの
金字塔を打ち立てたスーパーバンドで、
当時、世界中を席巻した。
なぜかアメリカではあまり売れなかったらしいが、
日本ではEWFと言えば、
やはり「セプテンバー」とこの曲だ。
ディスコでかかると、ミラーボールがギュンギュン回り、
照明が点滅して、フロアは宇宙空間に早変わりして、
僕らはみんなスペーストラベラーだった。
いやー、アホみたいに汗をかきかき踊った踊った。
作詞・作曲はバンドリーダーで、
ドラム&ヴォーカルのモーリス・ホワイト。
当時はなんにも考えすに踊っていたが、
歌詞は超ポジティブ&超スピリチュアルだ。
♪ 誰の心の中にも宇宙がある
世界に消されることのないファンタジーがある
僕らの船 ファンタジー号に乗り込もう
君の夢はすべて叶うんだ 今すぐに
あらゆる思考は夢であり
流れの中を駆け抜けて行き
僕たちの王国に命をもたらすだろう
滑走しろ 大きく足を踏み出して
その風と共に 空へ飛び立ち
唇に微笑みを浮かべ 言うんだ
僕は自由なのだと
今 自分の道を歩んでいると ♪
引き寄せてる、引き寄せてる
これを引き寄せの術と言わずして何と呼ぼう。
このライブの後半ではバンドのメンバーは
全員テンション上がりまくって、
宇宙までピョンピョン飛んでいる。
笑っちゃうけど楽しいぞ、最高だぞ。
へんな自己啓発セミナーに通ったり、
わけのわからない引き寄せ法則の勉強なんぞにハマって
おカネをはたいているぐらいなら、
毎日繰り返し、この「宇宙のファンタジー」を
聴いて、歌って、踊っていたほうが
よっぽど自己発見できるよ。
気分は上がって元気が出るし、
それでもって、またみんなでディスコに行きたいね。
1989年の世界的大ヒット曲。
最初、ヨーロッパで大流行し、秋に日本でリリース。
翌年1990年の夏まで、
当時のディスコやカフェバーではもちろん、
街中のいたるところで流れていた記憶がある。
「ランバダ」とは男女ペアで踊るダンスの名前でもあるが、
これがご覧の通り、めっちゃセクシー。
体を密着させて腰をくねくね動かし、
ひざをパートナーの股の間に入れて
お互いの股間(局部)を太股で刺激するように
擦り合わせながら腰をすり寄せる。
セクシーで情熱的で、疑似セックス、
エロダンスと言ってもいいくらい。
バブル華やかし時代の日本は、
僕たちのような(むかしの)若い連中が
みんな色気づいていたが、
さすがにこのダンスを踊れる人・踊ろうとする人は
日本人の中にはほとんどいなかったらしい。
この曲を演奏している「カオマ」というバンドのことは
よく知らなかったが、
セネガル出身の「トゥレ・クンダ」という
グループのメンバーに
フランス人やブラジル人らを加えた多国籍音楽集団である。
踊りはダメだが、世界的大ヒット曲なので、
カバーに挑戦する日本人歌手は大勢いた。
かの大御所・加藤登紀子が歌っていたのにはびっくり。
うーん、でもやっぱラテン系の血を注入しないと、
シャイな日本人には向いてない?
★70年代のモンスターアルバム
1976年リリース。
世界中で1千万枚以上のセールスを記録した
70年代ロックアルバムの金字塔が
ピーター・フランプトンの
「フランプトン・カムズ・アライブ」。
本国イギリスよりもアメリカで売れ、
ビルボードで合計10週にわたって1位を独走。
発売から3ヶ月でプラチナ・ディスクに認定される
モンスターヒットとなった。
もちろん日本でもめちゃ売れ。
2枚組ライブアルバム(当時5千円近くした)で
このセールスはすごい!
「ショー・ミー・ザ・ウェイ」はその中に収録され、
最初にシングルカットされた曲で、これもやはり大ヒット。
長きにわたって、押しも押されぬ
ロックの名盤と“されていた。”
★いまや過去の名盤?
あえて過去完了形にしたのは、最近になって、
この「フランプトン・カムズ・アライブ」の
名盤としての地位が危うくなっているというのだ。
21世紀も20年以上を過ぎ、
英米のいろんな音楽メディアの間で
ロック・フォーク・ポップの楽曲・アルバムの価値を
現代的視点を強めて見直してみようじゃないか、
という動きが活発化しているらしい。
詳しいことはまた別の機会に譲るが、
簡単に言うと、見直しのテーマは、
今ある音楽文化の真の貢献者は誰か?
21世紀以降もより多くの音楽家・リスナーに
影響を及ぼしている作品は何か?
といった「歴史的価値」により焦点が当てられていること。
そのテーマに沿って、20世紀に作られ、流通していた
「名盤ランキング」も再検討が図られている。
ビートルズ、ローリングストーンズ、ボブ・ディラン、
デビッド・ボウイ、レッド・ツェッペリンなど、
今も変わらぬ不動の地位を築いている
アーティストがいる一方で、
昔は人気があった・売れた・高評価だったけど、今は???
というアーティスト・作品も少なくない。
「フランプトン・カムズ・アライブ」は、
その「昔はすごかったけどねグループ」の
代表格に挙げられている。
★再聴フランプトン・カムズ・アライブ
考えてみれば、ピーター・フランプトン自身、
レジェンド化されるスーパースターとは言い難く、
後世のアーティスト・リスナーに
それほど認められていない感じがする。
つまり、時代の流れ・その時の勢いで売れた
アーティストというイメージが
強まってしまったのかもしれない。
また、イケメンなので女の子に人気があっただけかもね、
という男姓評論家のそれとない嫉妬心も
いくらか混じっているような気がする。
なんだかひどくディスって申しわけないが、
僕自身もかつて大好きだったというわけではない。
今、どう感じるか、ほぼ45年ぶりくらいに
「フランプトン・カムズ・アライブ」を聴き直してみた。
この曲をはじめ、普通に良い曲・万人受けする
ポップでスイートな楽曲がバランスよく揃っていて、
割と気持ちよく聴ける。
しかし、聴いている途中でどうしてこのアルバムに
かつて良い印象を持たなかったのか、思い出した。
それはオリジナル曲の合間にマイフェーバリット、
ローリング・ストーンズの
「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」を
やっているからだ。
カバーするのに文句を言うつもりはないが、
アレンジもパフォーマンスも気に食わない。
「このジャンピンはちがうっ!」
と強く憤った思いがよみがえった。
こうした感情は何十年たっても変わらない。
まぁ、当時ほどとんがっていなにので
さすがに今は「許せん」とまでは言わないけど、
やっぱあんまり感心せんな、このカバーは。
★きみを求めて=ベイビー・アイ・ラブ・ユア・ウェイ
というわけで結局、またディスることになってしまったが、
それでも平均的に見て良いアルバムですよ、
「フランプトン・カムズ・アライブ」は。
特にあまりゴリゴリのロックが苦手で、
基本的には甘いポップロックでありながら、
ところどころスパイス効かせて
ギンギンやっちゃう、というのが
好きな人にはおすすめです。
おわびというわけでもないけど、もう1曲、
「ショー・ミー・ザ・ウェイ」とともに
リコメンドするのが、
これもシングルカットされてヒットした
「きみを求めて」というアイドル系ラブソング。
女の子の人気が高かったのがわかる気がする。
●きみを求めて/ピーター・フランプトン
あれ、どっかで聴いたことあるぞという人も多いはず。
そうそう、こちらは1994年に
レゲエバンドのビッグ・マウンテンが
レゲエバージョンに仕立て上げ、
原題「ベイビー・アイ・ラブ・ユア・ウェイ」として
世界的な大ヒットとなった。
暑い夏を吹っ飛ばす会心のレゲエナンバーを聴きながら、
オリジナルを歌ったピーター・フランプトンの名を
ぜひ胸に刻んでほしい。
●ベイビー・アイ・ラブ・ユア・ウェイ/ビッグマウンテン
久しぶりにバービーボーイズを聴いて、
こんなにもパワフルだったっけか?と驚いた。
リリースは1987年。
バービーには他にも面白い曲がいっぱいあるが、
この曲のセクシーでスリリングなカッコよさは断トツ。
何と言ってもヴォーカル杏子が女ぎつねそのもので、
キツネサインを掲げてしなを作ったり、
スカートを翻してクルクル踊り回る姿には
完全にイカれちゃうな。
実際に売れていた若い頃の映像も見たが、
なんだかちょっとガキっぽくて、
演奏のクオリティもステージパフォーマンスも
齢を取ったこの頃(2009年らしい)のほうが
抜群にキレていて色気もたっぷりだ。
バラードっぽい曲でのデュエットはよくあるが、
ロックでこうした男女で掛け合いをする
ツインヴォーカルスタイルはかなり独特で、
他にあまり思い当たらない。
このバンドが活躍したは80年代後半から90年代初めは、
いわゆるバブルの頃で、
時代の勢いに乗ってた感じもするが、
いま聴いたほうがその真価がよりビビットに伝わってくる。
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70年代グラムロックといえば、
マーク・ボラン率いるT.レックス。
1973年にリリースし、
大ヒット曲となった「20th Century Boy」は、
20世紀の終わりにそのまんま和訳「20世紀少年」という、
浦沢直樹のマンガになり、その後、映画化もされた。
何となく意味深なタイトルだが、
歌詞には大した意味がなく、
「おれ、カッコいいだろ。
おまえの男になりたいんだ」みたいな歌。
ギターのリフはいま聴いても抜群にイカしているが、
それと同時に、このタイトルのせいか、
20世紀は本当に昔ばなしになってしまった感があって、
なんだかしみじみしてしまう。
グラムロックの始祖はデビッド・ボウイだが、
ボウイは時代ごとにファンキーになったり、
プログレっぽくなったり、
ダンスミュージックっぽくなったり、
さまざまに変化して多彩な顔と音楽を創り出した。
対してT.レックスは、グラムで世を席巻し、
グラムのままで終わった。
というのもグラムロックは70年代後半には人気が下落し、
T.レックスもすっかり影が薄くなっていた。
そんな矢先の1978年、マーク・ボランが交通事故で死亡。
T.レックスはほとんどボランのバンドだったので、
そのまま消滅してしまったのだ。
それでもほんの短い間だったが、鮮烈なヒット曲を連発し、
ロック史に貴重な足跡を残したT.レックスは
2020年にロック殿堂入りを果たしている。
ちなみにマーク・ボランが死んだのは30歳になる2週間前。
60年代から70年代前半、ロックに心酔する若者たちの間では
「30過ぎは信じるな」という言葉が浸透したが、
まるでそれを体現するかのような最期。
かつて大スターだったボランは、
ほんの数年で見る影もなく、酒や麻薬のせいで
激しく劣化していたらしい。
もちろん、自殺などではなく、
再起を目指している最中の自動車事故だったのだが、
この頃のアーティストたちには
潜在意識のなかに「30歳の壁」があったのかもしれない。
それにしても50年後も
やっぱりカッコいいT.レックスのロック。
残された音源・映像のなかで
ボランは永遠の「20世紀少年」として
ギターをかき鳴らし、歌い続ける。
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魔法のサンダルを履いた
はたらく女のものがたり
今年、ロック殿堂入りを果たしたケイト・ブッシュ。
彼女のようなタイプの音楽は、
あまりこうした権威にウケが悪いし、
ファンも殿堂入りがどうこうなんて気にしていない。
しかし昨年(2022年)、
1985年に発表した「神秘の丘」が、
ドラマ「ストレンジャーシングス」の挿入歌に使われ、
世界中で前代未聞のリバイバル大ヒット。
ロック殿堂側もこれ以上、
彼女を無視していられなくなったというのが
正直なところなのだろう。
「クラウドバスティング」は「神秘の丘」と同じく
5枚目のアルバム「愛のかたち(Hounds of Love)」の
挿入歌。
楽曲としては言うまでもなく、
80年代のミュージックビデオとして、
さらにその後、40年弱のポップミュージック史を見ても、
最高レベルの作品である。
「クラウドバスティング」 は本屋で見かけた
ピーター・ライヒという人が書いた本
「ブック・オブ・ドリームス」に
インスパイアされて作りました。
とても変わった美しい本で、
子供のころの父親を見る視線で、
親子の特別な関係について書かれていました。
お父さんは本当にかけがえのない人だったのです。
ケイト・ブッシュがそう語るピーター・ライヒとは、
オーストリア出身で、
精神分析学の権威フロイトの弟子だった
ヴィルヘルム・ライヒの息子である。
この楽曲が描くのは、父ヴィルヘルムと息子ピーターが、
オカルティックな生命エネルギーを駆使して
「クラウドバスター」というマシンを動かす物語。
ミュージックビデオは、
レトロっぽいSF短編映画のようなつくりになっている。
ヴィルヘルムを演じるのは、ハリウッドの名優
ドナルド・サザーランド。
そして息子ピーターはケイト・ブッシュ自身。
この頃、彼女は他の楽曲では成熟した女性の魅力を放ち、
かなり色っぽかったのだが、ここでは髪を切って
一転、男の子に。
父の意志を成し遂げようとする少年に扮し、
美しい丘を駆け上がっていくシーンには
完全にしびれてしまった。
「嵐が丘」「神秘の丘」――
彼女の音楽の世界で、丘は魔法の舞台である。
ヴィルヘルム・ライヒは精神分析家・精神科医というより、
人間の心のありかの研究者・思想家として
20世紀前半に活躍した人。
社会運動にも関わり、
『ファシズムの大衆心理』(1933年)などの著作で
後世にも影響を与えている。
第2次世界大戦が勃発する前にアメリカに移住したが、
その頃からかなりオカルトめいた思想を抱くようになり、
「生命体(organism)」と「オーガズム(orgasm)」を
組み合わせた「オルゴンエネルギー」という
生命エネルギーの概念を打ち出した。
そして1940年、
そのオルゴンを集めるというオルゴン集積器を作り、
ガン患者に効果があると主張し。
これが原因でアメリカ食品医薬品局から
弾圧を受けることになる。
秘密組織の黒服の男たちに拘束される下りは、
そのあたりのドキュメントをドラマ化したものだ。
ここで登場する「クラウドバスター」という
サイケでスチームパンクっぽい怪物マシンは、
オルゴンエネルギーによって雲を創り出し、
大地に雨を降らせるという代物。
連れ去られた父に代わって、
息子がその目的を実現するというストーリーになっている。
雲を作り出すのにクラウドバスター(雲を蹴散らす)
という名は矛盾しているのだが、
これはオルゴンエネルギー(生命エネルギー)が
心の暗雲を払って生命体に潤いをもたらすといった思想の
暗喩になっているのかもしれない。
いずれにしてもこんな虚実ないまぜのSFじみた話から
途方もなくパワフルで美しい楽曲を編み出した
ケイト・ブッシュの才能はすごいの一言。
そしてこのビデオのラストシーンーー
丘の頂上で怪物マシンを稼働させた少年のシルエットは、
ケイト・ブッシュの音楽を表すアイコンとしても
長らく愛されてきた。
2015年にピーター・ライヒの
「ブック・オブ・ドリームス」が
再発売されたが、その表紙にはなんと
このビデオのラストシーンがデザインとして使われている。
さらに2010年からはケイト・ブッシュの
トリビュートバンドが活動。
そのバンド名が「クラウドバスティング」だ。
どうやら本人公認らしく、演奏もパフォーマンスも
単なるカバーをはるかに超えて、
「こんにちは地球」など、
彼女がライブでやったことのない楽曲も見事に再現。
21世紀にケイト・ブッシュの
新しい音楽世界を創り出している。
●こんにちは地球/クラウドバスティング
モット・ザ・フープルは、
ヴォーカルのイアン・ハンターを中心とした
70年代前半に活躍したイギリスのグラムロックバンド。
いわゆるグラムロックとしては、
デヴィッド・ボウイ、Tレックスの
次くらいに名前が上がるだろう。
デヴィッド・ボウイはこのバンドがお気に入りで、
自らプロデュースを申し入れ、ボウイ作の
「すべての若き野郎ども」が1972年に大ヒットし、
スターバンドに駆け上がった。
1974年リリースのアルバム「ロックンロール黄金時代」は、
アルバムタイトルのこの曲をはじめ、
「マリオネットの叫び」「あばずれアリス」
「野郎どもの襲撃」「あの娘はイカしたキャディラック」「土曜日の誘惑」など、
邦題マジック満開の名曲が並び、充実度抜群。
クセのある香辛料を効かせたロックンロールがたまらない、
文句なしの名盤である。
ジャケットデザインも一度見たら忘れられない
強烈なインパクト。ロック史上、屈指のカッコよさだ。
モット・ザ・フープルは、
ビートルズ亡き後の70年代前半、
レッド・ツェッペリンやローリング・ストーンズ、
プログレ四天王などに比べると、
やや格落ちするB級バンド感がいいじゃん、
いうことで、日本でも結構人気があった。
たしか1975年の「ミュージックライフ」の人気投票では、
バンド部門で15位前後だったと記憶している。
ただ、このアルバムを最後にスタープレイヤーの
イアン・ハンターが抜け、
バンドはなかば空中分解。
その後は人気を盛り返せることなく、
70年代後半に解散してしまった。
このアルバムに参加したメンバーで、
キーボーディストのモーガン・フィッシャーは、
80年代後半から日本に活動拠点を移し、
過去の栄光にこだわることなく、
まったく違ったスタイルの音楽を追求。
それは当時、新しい音楽の潮流となった
アンビエントミュージック(環境音楽)だった。
ヒーリングミュージックと言ってもいいが、
シンセサイザーを駆使し、
日常の中で瞑想を喚起するような音楽を創り出した。
フィッシャーは環境音楽家として、
90年、91年と京都・大阪で開かれた
大規模イベントに出演したのだが、
僕はその時、演出スタッフとして関わっていた。
それで打ち合わせなどで何度か言葉を交わしたことがある。
「モット・ザ・フープル、好きでした」とコクると、
彼はいきなり、ダダダダダダダ、ダダダダダダダ・・・と、
この曲の出だしのピアノ連打のフレーズを口ずさんだ後、
「フーッ、やれやれ」という感じで、
やや自嘲的な笑みを浮かべて、
「そう言や、そういうバンドもやってたね」
みたいなポーズを見せた。
たぶんその頃は、
自分の新しい音楽を作るのに躍起になっていて、
「もうあんなの昔ばなしだから勘弁してくれ」
という気持ちだったのではないかと思う。
ところが、フィッシャーはその後、
日本のみ発売のモット・ザ・フープルの
トリビュートアルバムを作ったり、
2018年・19年には、イアン・ハンターらと共に
モット・ザ・フープルを再結成。
ヨーロッパやアメリカで大々的なツアーまで行った。
ちなみに彼はモット以外にも
ジョン・レノンの楽曲の
カバーアルバム(オノ・ヨーコが参加)を作ったり、
クイーンのサポートキーボーディストとして、
ツアーに参加したり、CM音楽や映画音楽を製作するなど、
長年にわたって多彩な活躍を見せている。
最近のインタビューを読むと、
日本で暮らすことが音楽活動にとてもプラスに働き、
安定したキャリアを築くことに成功したようだ。
現在もコンスタントに音楽づくりを続ける
モーガン・フィッシャー。
彼の音楽は僕も気に入っていて、
仕事のBGMとしてよく聴いている。
特に「Refresh」というアルバムは、
単なるヒーリングミュージックを超えた、
ユーモアとフューチャー感があふれる傑作で、
BGMとしてはもちろん、
日常生活に心地よい刺激を与える
プログレッシブな音楽としても素晴らしい。
すべての人におすすめだ。
6月は夏至。
雨や曇りの日が多いせいであまり気が付かないが、
夜明けがとても早くやってくる季節になった。
「夜明けのスキャット」は、
1969年に由紀さおりが歌って
大ヒットした昭和歌謡の代表曲。
タイトルは夜明けだが、
歌の中で、時計は夜明け前で止まり、
星は永遠に消えず、ふたりは愛の世界に生きる。
捉えようによっては相当エロい歌だ。
子どもの頃はそんなエロさなど分からなかったが、
聴いていて「なんだ、この歌は?」と
異常なインパクトを受けたことを、
いまだにありありと憶えている。
ルルルとか、ラララとか、パパパばっかりで
全然歌詞が出てこない!
いま聴けば2番はちゃんと歌詞があって、
それなりにバランスが取れているのだが、
子どもの頃は、スキャットのみの部分が
とんでもなく長く感じられて、
他の歌にはまったくない、
唯一無二の不思議感がずっと残っていた。
それからすでに半世紀以上。
その不思議感は半永久的な生命力を持って、
歌詞の通り、時のない愛の世界にリスナーを連れていく。
その透き通るようなファンタジー性は、
いまや世界中に響き、アメリカのジャズオーケストラ
「ピンクマルティーニ」をはじめ、
世界中の様々なミュージシャンが
この曲をリスペクトし、カバーしている。
昭和歌謡の代表曲は、
時計を止めて、国境を越えた名曲になった。
子どもの目にはとても色っぽい大人の女性に見えた
由紀さおりは、この当時まだ21歳。
自分とひと回りしか齢が違わなかったことにも、
ちょっと驚き。
最近、聴いたギリシャのエレクトロポップデュオ
「マルシュー」のリミックスバージョンが、
「夜明けのスキャット未来編」といった趣で素晴らしい。
こちらを聴いていると、
なんだかミステリアスなSF映画の主題歌のようだ。
現代アメリカ社会の欺瞞・腐敗・不条理をえぐる
吟遊詩人ボブ・ディランが1976年発表した
アルバム「欲望」のトップナンバー。
ギターに合わせてフィドル(バイオリン)がうねり、
ベースとドラムがロックなリズムを刻む中、
無実の罪を着せられた60年代の黒人ボクサー
ルービン“ハリケーン”カーターの物語を歌い綴る。
紛れもない、ディランの最高傑作だ。
惨劇を告げるオープニングから見事に構成された長編詩は、
8分以上にわたって聴く者の胸にひたすら
熱情溢れた言葉の直球を投げ続け、
“ハリケーン”の世界に引きずり込む。
殺人罪で投獄されたカーターは
獄中で自伝「第16ラウンド」を書いて出版し、
冤罪を世に訴えた。
その本を読んだディランは自らルービンに取材して、
この曲を書き上げたという。
その冤罪がいかにひどいものであったかは
曲を聴いての通りで、
人種差別がまだ正々堂々とまかり通っていた時代とはいえ、
こんなでっち上げがまかり通っていたことに驚くばかり。
けれども半世紀以上たった今も
実情は大して変わっていないのかもしれない。
そしてまた、昔々のアメリカの人種差別、
黒人差別の話だから僕たちには関係ないとは
言っていられないのかもしれない。
冤罪はどこの国でも起こり得る。
もちろん日本でも。
かの「袴田事件」が今年3月、
ようやく無罪決着になったのは、
事件から57年もたってからのこと。
失われた時間は二度と戻らない。
僕の子ども時代、日本の警察は
「刑事事件の検挙率世界一」
「世界で最も優秀な警察組織」と喧伝されていたが、
その検挙率を高く維持するために
相当数のでっち上げがあったのではないかと推察する。
権力者やその親族などが、
裏工作で罪を免れられるというのは、
昭和の時代では、広く認識されていたのでないか思う。
当然、その犠牲となった人も少なくないだろう。
人間の世界では表通りを見ているだけでは計り知れない
さまざまな事情・感情・思惑が絡み合って冤罪が生まれる。
人の一生を台無しにするほどの年月を費やした
「袴田事件」はそれでも無実が明らかにされた分、
まだマシと言えるのか?
泣き寝入りするしかなかった人たち、
最悪、闇に葬られた人たちは
いったいどれくらいいるのだろう?
どの国でも無実の罪を着せられるのは、
社会的に弱い立場にある人たちであることに変わりない。
「忖度」が大切にされるこの国では、令和の世になっても、
権力者やその親族などが罪を犯した場合、
たとえ裏からの命令や強制力が働かなくても、
周囲の「空気」によって冤罪を被ることもあり得そうだ。
ディランは痛烈に歌う。
「こんな国に暮らしていて恥ずかしい」と。
カーターは黒人であることに加え、
よくある話として、11歳の時に窃盗で捕まり、
少年院に入っていた履歴などが偏見として働き、
冤罪を生んだ。
ただ、幸運?(皮肉な言い方)なことに
社会の流れを変えた公民権運動と結びついて、
また、彼が名を知られたボクサーだったこともあって、
社会から注目されたのだ。
その後、支援者たちの尽力で、
彼に有利な証拠が隠蔽されていたこと、
彼に不利な証言をした証人が
偽証していたことなどがわかり、
1988年、20年間の獄中生活を経て、
ついにカーターの無実は認められ自由の身になった。
世界チャンピオンにもなれた男の夢は
とうの昔に潰えていたけれども、
1993年、世界ボクシング評議会(WBC)は、
彼に世界ミドル級名誉チャンピオンの称号と
チャンピオンベルトを授与した。
1999年、彼の半生とこの事件のドキュメントは
デンゼル・ワシントンが主演する
映画『ザ・ハリケーン』となった。
主題歌にこの曲が選ばれたことは言うまでもない。
その後、冤罪救済活動団体の責任者となった
“ハリケーン”は、最期まで冤罪と闘い続けた。
2014年、カナダ・トロントで死去。享年77歳。
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第2巻は♯29~♯56まで28篇を収録しています。
もくじ
29 サパーズレディ/ジェネシス【1972】
30 ララ・ミーンズ・アイ・ラブ・ユー/スウィング・アウト・シスター【1994】
31 シュガー・ベイビー・ラブ/ザ・ルベッツ【1974】
32 パンク蛹化の女/戸川純とヤプーズ【1984】
33 ジョニー・B・グッド/チャック・ベリー【1958】
34 雨のクロール/森田童子 【1975】
35 ナッシング・トゥ・ルーズ/U.K. 【1979】
36 雨音はショパンの調べ/小林麻美【1984】
37 紅い月/佐野元春&ザ・コヨーテバンド【2015】
38 ワイルドワン/スージー・クアトロ【1974】
39 ダンシング・ウィズ・ミスターD/ザ・ローリング・ストーンズ【1973】
40 真夏の出来事/平山みき(代官山ミラクルキャバレー)【1971】
41 カナリア諸島にて/大滝詠一【1981】
42 秘密の花園/松田聖子【1983】
43 ラヴ・ラヴ・ラヴ/ザ・タイガース【1969】
44 少年ヴィーナス/ビョーク【1993】
45 Summer/久石 譲【1999】
46 イエローサブマリン音頭/金沢明子【1982】
47 ああ青春/中村雅俊+ゴーイング・アンダーグラウンド 【1975】
48 今夜はブギ・ウギ・ウギ/テイスト・オブ・ハニー 【1978】
49 永遠の調べ/キャメル【1976】
50 エニウェア・イズ/エンヤ 【1995】
51 サンシャイン・ラブ/クリーム【1967】
52 ノーモア“アイ・ラブ・ユーズ”/アニー・レノックス 【1995】
53 スリラー/マイケル・ジャクソン【1982】
54 ロックバルーンは99/ネーナ 【1983】
55 アローン・アゲイン/ギルバート・オサリヴァン【1971】
56 ホワット・ア・フィーリング/アイリーン・キャラ 【1983】
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この機会にペラッと読んでみてくださいね。
第2巻は♯29~♯56まで28篇を収録しています。
もくじ
29 サパーズレディ/ジェネシス【1972】
30 ララ・ミーンズ・アイ・ラブ・ユー/スウィング・アウト・シスター【1994】
31 シュガー・ベイビー・ラブ/ザ・ルベッツ【1974】
32 パンク蛹化の女/戸川純とヤプーズ【1984】
33 ジョニー・B・グッド/チャック・ベリー【1958】
34 雨のクロール/森田童子 【1975】
35 ナッシング・トゥ・ルーズ/U.K. 【1979】
36 雨音はショパンの調べ/小林麻美【1984】
37 紅い月/佐野元春&ザ・コヨーテバンド【2015】
38 ワイルドワン/スージー・クアトロ【1974】
39 ダンシング・ウィズ・ミスターD/ザ・ローリング・ストーンズ【1973】
40 真夏の出来事/平山みき(代官山ミラクルキャバレー)【1971】
41 カナリア諸島にて/大滝詠一【1981】
42 秘密の花園/松田聖子【1983】
43 ラヴ・ラヴ・ラヴ/ザ・タイガース【1969】
44 少年ヴィーナス/ビョーク【1993】
45 Summer/久石 譲【1999】
46 イエローサブマリン音頭/金沢明子【1982】
47 ああ青春/中村雅俊+ゴーイング・アンダーグラウンド 【1975】
48 今夜はブギ・ウギ・ウギ/テイスト・オブ・ハニー 【1978】
49 永遠の調べ/キャメル【1976】
50 エニウェア・イズ/エンヤ 【1995】
51 サンシャイン・ラブ/クリーム【1967】
52 ノーモア“アイ・ラブ・ユーズ”/アニー・レノックス 【1995】
53 スリラー/マイケル・ジャクソン【1982】
54 ロックバルーンは99/ネーナ 【1983】
55 アローン・アゲイン/ギルバート・オサリヴァン【1971】
56 ホワット・ア・フィーリング/アイリーン・キャラ 【1983】
1996年5月に出たPUFFYのデビュー曲にして大ヒット曲。
作詞は井上陽水、作曲は彼女らの
プロデューサーでもある奥田民生。
当初、CMソングとしても使われていたけど、
ついこの間もリバイバルCMソングに
なっていたことも記憶に新しい。
歌詞はまったく意味不明だが、
これは井上陽水の言葉遊びの世界。
漠然としたアジアのイメージをもとに
自由に、パワフルに音楽が広がっていく感じが楽しい。
「アジアの純真」と言いながら、
歌に出てくる単語のなかでアジアの地名や
アジア産のものは半分程度。
ベルリンはドイツ、ダブリンはアイルランドの都市。
リベリアはアフリカの国。
バラライカはロシアの民俗楽器と、
ワールドワイドにイメージが飛び交う。
高校の地理の授業で、
この歌詞のなかからアジアの地名でないもの、
アジアと関係ないものを挙げよ、
なんてやっていたこともあるらしい。
PUFFYの活躍もワールドワイドで、
デビュー後まもなくアジアキャンペーンをやって人気拡大。
2004年には彼女らをモデルにしたアニメ
『ハイ!ハイ! パフィー・アミユミ』がアメリカでブレイク。
その後、活動は全世界に広がった。
いま振り返ってみると、
この曲のハチャメチャでカオスな世界観は、
ネット情報が地球を覆い、
それぞれの文化が絶えずクロスオーバーする、
現在の世界の状況を表現しているようにも思える。
いつ聴いても明るくて楽しくて元気。
初めて観たけど、
このオリジナルMVも遊び心いっぱいで面白くて大好き。
まるで27年前に見た予知夢のようだ。
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主観9割・偏見まみれの音楽エッセイ。
ブログ連載 ♯29~♯56まで、全28篇を収録。
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もくじ
29 サパーズレディ/ジェネシス 【1972】
30 ララ・ミーンズ・アイ・ラブ・ユー/スウィング・アウト・シスター 【1994】
31 シュガー・ベイビー・ラブ/ザ・ルベッツ 【1974】
32 パンク蛹化の女/戸川純とヤプーズ 【1984】
33 ジョニー・B・グッド/チャック・ベリー 【1958】
34 雨のクロール/森田童子 【1975】
35 ナッシング・トゥ・ルーズ/U.K. 【1979】
36 雨音はショパンの調べ/小林麻美 【1984】
37 紅い月/佐野元春&ザ・コヨーテバンド 【2015】
38 ワイルドワン/スージー・クアトロ 【1974】
39 ダンシング・ウィズ・ミスターD/ザ・ローリング・ストーンズ 【1973】
40 真夏の出来事/平山みき(代官山ミラクルキャバレー)【1971】
41 カナリア諸島にて/大滝詠一 【1981】
42 秘密の花園/松田聖子 【1983】
43 ラヴ・ラヴ・ラヴ/ザ・タイガース 【1969】
44 少年ヴィーナス/ビョーク 【1993】
45 Summer/久石 譲 【1999】
46 イエローサブマリン音頭/金沢明子 【1982】
47 ああ青春/中村雅俊+ゴーイング・アンダーグラウンド 【1975】
48 今夜はブギ・ウギ・ウギ/テイスト・オブ・ハニー 【1978】
49 永遠の調べ/キャメル 【1976】
50 エニウェア・イズ/エンヤ 【1995】
51 サンシャイン・ラブ/クリーム 【1967】
52 ノーモア“アイ・ラブ・ユーズ”/アニー・レノックス 【1995】
53 スリラー/マイケル・ジャクソン 【1982】
54 ロックバルーンは99/ネーナ 【1983】
55 アローン・アゲイン/ギルバート・オサリヴァン 【1971】
56 ホワット・ア・フィーリング/アイリーン・キャラ 【1983】
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あなたのお気に入りがあれば、ぜひ覗いてみてください。
♯29~♯56まで 全28篇収録。
もくじ
29 サパーズレディ/ジェネシス 【1972】
30 ララ・ミーンズ・アイ・ラブ・ユー/スウィング・アウト・シスター 【1994】
31 シュガー・ベイビー・ラブ/ザ・ルベッツ
【1974】
32 パンク蛹化の女/戸川純とヤプーズ 【1984】
33 ジョニー・B・グッド/チャック・ベリー
【1958】
34 雨のクロール/森田童子 【1975】
35 ナッシング・トゥ・ルーズ/U.K. 【1979】
36 雨音はショパンの調べ/小林麻美 【1984】
37 紅い月/佐野元春&ザ・コヨーテバンド
【2015】
38 ワイルドワン/スージー・クアトロ 【1974】
39 ダンシング・ウィズ・ミスターD/ザ・ローリング・ストーンズ 【1973】
40 真夏の出来事/平山みき(代官山ミラクルキャバレー)【1971】
41 カナリア諸島にて/大滝詠一 【1981】
42 秘密の花園/松田聖子 【1983】
43 ラヴ・ラヴ・ラヴ/ザ・タイガース 【1969】
44 少年ヴィーナス/ビョーク 【1993】
45 Summer/久石 譲 【1999】
46 イエローサブマリン音頭/金沢明子 【1982】
47 ああ青春/中村雅俊+ゴーイング・アンダーグラウンド 【1975】
48 今夜はブギ・ウギ・ウギ/テイスト・オブ・ハニー 【1978】
49 永遠の調べ/キャメル 【1976】
50 エニウェア・イズ/エンヤ 【1995】
51 サンシャイン・ラブ/クリーム 【1967】
52 ノーモア“アイ・ラブ・ユーズ”/アニー・レノックス 【1995】
53 スリラー/マイケル・ジャクソン 【1982】
54 ロックバルーンは99/ネーナ 【1983】
55 アローン・アゲイン/ギルバート・オサリヴァン 【1971】
56 ホワット・ア・フィーリング/アイリーン・キャラ 【1983
和訳するとしたら「青天の霹靂」というところか。
「アウト・オブ・ザ・ブルー」は
ロキシーミュージックの代表曲の一つ。
1974年リリースの4枚目のアルバム
「カントリーライフ」のトップナンバーだ。
一度聴いたら忘れられないブライアン・フェリーの、
ダンディだけどどこかマッドな香りが漂う
個性的なヴォーカルを中心に、
通常のギター、ベース、ドラムに加え、
シンセ、バイオリン、サックスが絡み合って
独特のグラマラスなサウンドが広がる。
まさに70年代ロック界の「青天の霹靂」だった
ロキシーミュージック。
このバンドはリーダーのフェリー以外、
メンバーチェンジが激しく、それに応じて、
時期によってまったく違う音作りをしている。
デビュー当初は、
アンビエントミュージック(環境音楽)の元祖となった
ブライアン・イーノが在籍しており、
音もヴィジュアルも斬新でアバンギャルドで
エッジが立ちまくっていた。
一般的に最も人気のある後期は、
「フレッシュ&ブラッド」や「アヴァロン」で
洗練された大人のポップミュージックを聴かせた。
そして、この曲を含む中期は、
グラムロックとプログレッシブロックを掛け合わせたような
イメージを醸し出しながらも、
他のプログレバンドなどにはない、
ポップでキャッチーで、
何とも言えない色気のある楽曲が充実。
この時期の「カントリーライフ」と「サイレン」、
そしてライブ盤「ビバ!ロキシー」は、
僕が最も好きな3枚だ。
イーノに代わるキーボーディストとしてメンバーとなった
エディ・ジョブスンは、バイオリンも演奏。
この曲は彼のエレクトリックバイオリンが炸裂する後半が
ハイライトになっている。
ここではキング・クリムゾンを脱退したばかりの
ジョン・ウェットンがベーシストとして参加しており、
ジョブスンとウェットンはこの後、
新たなプログレバンド「U.K.」を結成する。
ちなみにロキシーミュージックは70年代前半、
十分革新的な音楽づくりをしていたのに、
なぜかプログレバンドとしては認識されず、
どちらかというとグラムロックに
カテゴライズされることが多い。
もう一つのロキシーミュージックの特徴は、
アルバムジャケットにある。
どのアルバムも、一度見たら忘れられない、
セクシーで個性的な美女がジャケットを彩っている。
中でも裸の女の子が二人並んだ「カントリーライフ」は、
当時、わいせつではないかと物議を醸しだし、
各国でジャケットが差し替えられたりもした。
日本はその方面は寛大なのか、
そのまま発売された。
僕もいまだにそんなにエッチだとは思わない。
この時期のレコードにはもっときわどいのが
いっぱいあったような気がする。
ただ、そんなことがあっても、
ロキシーの抜群に美しいアルバムジャケットは、
圧倒的なインパクトがあり、
70年代・80年代の日本の広告アートなどにも
大きな影響を及ぼしたのではないかと思う。
ロキシーミュージックは2019年にロック殿堂入りを果たし、
その式典ライブでは当然のごとく、
この「アウト・オブ・ザ・ブルー」も演奏された。
2017年に盟友・ジョン・ウェットンがこの世を去って、
自らも音楽界からの引退を表明していた
エディ・ジョブスンもパフォーマンスに参加。
美青年だった若き日とまったく遜色ない
バイオリンソロを聴かせてくれたのは、
うれしい限りである。
1972年リリース。
美しい旋律のスコットランド民謡を
イギリスのフォークグループ・ペンタングルが
素晴らしい歌・演奏で現代によみがえらせた。
古いからこそ新鮮な味わいのある不思議なバラッドだ。
ペンタングルは1960年代後半から70代にかけて
活躍したバンドで、
この懐メロ探検で初めて知った。
ヴォーカルのジャッキー・マクシーという女性は
ヴィクトリア女王にルックスが似ているという
コメントもある。
ルックスはともかく、その声は僕が知る限り、
この時代以降のロック・フォーク・ポップスの
いずれのフィメール・ヴォーカリストとも異質な、
どこか神秘的なニュアンスを帯びている。
この曲はチャイルドバラッドの一つ。
チャイルド・バラッド(Child Ballad)は、
19世紀のアメリカの文献学者・
フランシス・ジェームズ・チャイルドが
19世紀後半にまとめた、
イングランドとスコットランドの
305篇の伝統的なバラッドと
それらのアメリカでの異本を集めたもので、
これらの歌詞と、チャイルドによる研究文が編集されて
1960年代に出版されたという。
歌詞の内容は、16世紀のイギリス(エリザベス1世)と
スペイン(フェリペ2世)との
英西戦争の時代を背景にした恋の物語。
王女と身分違いの恋に落ち、
いったん死刑を言い渡された
ウィンズベリーのウィリーという青年が、
王の心を動かし、
やがて王女と結ばれるというストーリーで、
弦楽器とマクシーの独特の声は、
まるで中世から大航海時代の吟遊詩人が
人びとに叙事詩を語り歌う姿を彷彿とさせる。
ペンタングルはチャイルドバラッドを
数多くレパートリーにしているが、
とりわけ、この「ウィリー・オ・ウィンズベリー」は
人気が高く、
最近の若いミュージシャンも数多く、
この美しい旋律に魅了されてこの曲を取り上げている。
むかし、友だちの家に遊びに行くと、
まだチビだった彼の息子たちが
「きょうー、じんるいがはじめて木星についたよー」と、
調子よく歌っていたのを思い出す。
1990年リリース。
その友だちはとっくに木星ならぬ、あの世に行ってしまい、
「たま」が大好きだったあのちびっ子たちも、
もう40近い齢になる。
「さよなら人類」は、
子どもも歌えるリズミカルで楽しい歌だが、
よく聴くと、歌詞の内容はかなりシュールな
怪奇SFの世界。
深読みすれば、戦争論、文明論、人類存亡論にもなり得る。
それをこんな童謡っぽく、
誰でも楽しめる歌にしてしまう表現力が、
この「たま」という、
ミュータントみたいなバンドのすごさ。
「たま」は一般的には
「イカ天(平成が始まった頃に放送していた
テレビのバンドオーディション番組
「イカす!バンド天国」)
出身の色物バンドという印象が強いが、
その音楽的クオリティは、
この半世紀余りの日本の
ロック・フォーク・ポップミュージック界で
トップレベルに入るだろう。
オリジナリティという点でも群を抜いている。
もともと4人のバンドとしてやっていたわけではなく、
ライブハウスやミニシアターなどで活動していた
ソロのシンガーソングライターたちが集まって
できたユニット。
4人がそれぞれ、自分で曲を作り、
リードヴォーカルを取り、持ち歌がある。
それがどれも個性的で面白く、
しかも4人が一体化した時のアンサンブルが素晴らしい。
彼らは一般受けする音楽をやろうという気はさらさらなく、
「イカ天」に出たのも、メンバーに断りなく、
関係者が勝手に応募してしまったのだという。
それが結局、あれよあれよという間に5週勝ち抜いて
グランドキングになってしまい、
メジャーデビューとして出したこの曲が大ヒットした。
その後もメンバーはゴーイング・マイ・ウェイで
2003年までバンドして活動。
解散後も、それぞれ自分の好きな音楽活動をしている。
いま改めて聴くと、むかし以上にシュールでコミカルで
ドラマチックに響き、ますますすごい「さよなら人類」。
こうした怪奇SFから珍妙なファンタジー、
童謡やわらべ歌、昭和のアングラ演劇を想起させる曲、
チンドン屋っぽい旋律、
サーカスや見世物小屋をモチーフにしたような
ダークでコミカルな幻想曲まで、
日本古来の独自の音階を活かし、
特別ユニークで、
イメージ豊かな音楽世界を創り上げた「たま」。
これほどの個性と実力を併せ持った楽団が
表舞台に現れるのは、これからの時代、かなり難しそうだ。
昭和と平成のはざまに生まれた、
オンリーワンの奇跡の音楽として
ずっと語り継がれるのかもしれない。
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久しぶりに劇的・幻想的なプログレに心酔。
1973年リリース。
イギリスのプロレッシブロックバンド。
その名もルネッサンス。
70年代のプログレ5大バンド、
ピンク・フロイド、キング・クリムゾン、
イエス、ELP、ジェネシスのような
人気と評価は勝ち得ず、
日本での知名度はかなり低い。
僕も当時チラッと聴いたことがあるが、
すっかり記憶から飛んでいた。
あざといパフォーマンスをやったり、
超絶技巧を誇ったりしてなかったので、
やや個性に乏しく、
バンドとしてのコンセプトが弱かったこと、
そして、リードヴォーカルが女性であることも
プロレバンドとしては売り出しづらく、
マイナスになったのかもしれない。
この時代はまだロックミュージックの世界で
女性は少なく、ちょっと舐められる傾向があったと思う。
けれども今聴くと、
他の有名プログレバンドを凌駕するような
シンフォニックで美しい抒情性に圧倒される。
オペラ歌手の経験もあるアニー・ハズラムの
女神的なヴォーカルを中心とした楽曲は、
半世紀近い歳月を経たいま聴くからこそ
その真価がわかる。
再評価の動きがあるのか、
ごく最近、YouTubeに映像・オーディオが
数多くアップされるようになった。
代表曲「Ashes Are Burning」は、
アズラムのファンタジックな美声と
バンドのロックスピリットが一体となって織りなす、
ルネッサンスワールドが堪能できる。
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1975年リリース。
ブルース・スプリングスティーンの出世作、
サードアルバム「明日への暴走」のトップナンバー。
古いしきたりに縛られた田舎町から
若い男と女が自由を求めて脱出する。
愛を育み、新しい暮らしをつくるために―――。
そんな60~70年代のアメリカの青春の物語を
一人称で歌い上げる。
まさしくスプリングスティーンならではのロック。
この曲の疾走感・高揚感はハンパなかった。
佐野元春も尾崎豊も浜田省吾も、
80年代に人気を博した日本のブルースロッカーたちは、
かなりこれにイカれていたはずだ。
僕も20代の前半、聴きまくっていた時期があった。
特に好きだったのは、このサードアルバムと
「ザ・リバー」「ボーン・イン・ザ・USA」。
最後に買ったアナログレコードは1986年に出た
スプリングスティーンの5枚組のライブアルバムだった。
その頃、彼はロック界の「ボス」と
呼ばれるようになっていた。
その頃から40年近く経った今、
いろいろな懐メロロックを毎日のように聴いているが、
残念ながらスプリングスティーンの楽曲を聴いて
胸が高鳴ること、テンションが上がることはほとんどない。
どんなに盛り上がっているライブを聴いてもピンとこない。
なぜだろう?
もちろん、僕が齢を取ったせいだろう。
でも、それだけだろうか?
スプリングスティーンは20世紀のアメリカを
体現しているようなところがあった。
そのアメリカが変貌してしまったことも
一因なのでないかと考える。
ボーン・イン・ザ・USA。
ウィ・アー・ザ・ワールド。
熱量が高く、華やか・盛大だっただけに
現在とのギャップも大きい。
21世紀も20年を過ぎた今、
もうすっかり色あせてしまった感は否めず、
思い出も小さく萎んでしまった。
と、さんざんディスってしまったが、
唯一、このロンドン・ハマースミス・オデオンでの
「サンダーロード」だけは別物だ。
齢を取ってかつての元気ノリノリの名曲を
渋くアコースティックにアレンジして披露する
ミュージシャンは大勢いるが、
これはこの曲をリリースしたばかりの時で、
当然、スプリングスティーンもまだ20代の若僧。
どんな事情があってこの神聖なバージョンを
披露したのかはわからない。
若い血を沸かせた疾走感・高揚感あふれる曲を、
ギターもドラムもサックスも入れず、
全編ほとんどピアノの伴奏だけで歌い上げる。
そして、イントロとエンディングの
ブルースハープ(ハーモニカ)のひびき。
世界を変えたロックミュージックの純粋な結晶。
一生聴き続けたいと思える
スプリングスティーンがここにいる。
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1978年リリースのサードアルバム
「イースター」に収録された
「ビコーズ・ザ・ナイト」は、
ブルース・スプリングスティーンの未発表曲に
パティ・スミス自身が歌詞をつけた歌。
「ニューヨークパンクの女王」の異名を持つスミスだが、
この曲や「ロックンロール・ニガー」など、
よく知られた曲はパンクロックというよりも
王道のロックとしての美と力強さを湛えている。
パティ・スミスはもともと
そんなにアグレッシブな女性ではなく、
むしろ内向的な文学少女だったのではないかと思う。
故郷から出てきて1960年代のニューヨークで
青春時代を過ごすが、
当初はビートニクの詩人やシンガーソングライターの
“愛人”になることが目的だったらしい。
アメリカ人でも彼女の年代の女性は、
まだまだ男を表に立てて生きるというのが
基本的なライフスタイルだったのだろう。
ジョニ・ミッチェルと同様、
彼女も若くして母親となるが、
“愛人”ではなく、自身で創作ができると自覚し、
詩作や演劇などの芸術活動に打ち込むようになるのは
それより後の70年代のこと。
ミュージシャンとしてデビューしたのも20代が終わる頃だ。
その年齢的なこともあり、
他のガキっぽいパンクロッカーたちと違って、
パティ・スミスはどこか
「大人のパンク(?)」の風情を漂わせていた。
折れそうなほど痩せぎすの身体に
男っぽい服を着たファッションは、
「アンドロジナスルック(男っぽさ・
女っぽさにとらわれない両性具有的ファッション)」
のアイコンとして、当時も今も人気が高いようだ。
パンクの女王の時代を過ぎ、
結婚などで活動休止時期も長かった
パティ・スミスはその後、90年代に復活を果たし、
70代後半になる現在に至るまで音楽活動を続けている。
白髪になっても中身はいまだ「ビコーズ・ザ・ナイト」を
発表した時のまま。
45年の年月を重ねて「女王」の面目躍如である。
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春だ!新学期だ!新年度だ!飛び出せ青春!
というわけで今回は、スコットランド・エジンバラ出身、
タータンチェックの貴公子ベイシティ・ローラーズ。
1975年の大ヒット曲「サタデーナイト」!
僕の中学のロックの先輩たちはもちろん、
「オンナ・コドモが聴くもの」とバカにしていた。
同調圧力に屈していた僕ももちろんバカにしていた。
だけど「サタデーナイトだけは
こっそりレコードを買ってきて聴いていた。
ポップで元気で明るくて大好きだったのだ。
いま聴いてもテンション上がりまくり。
これだけノー天気な名曲なので、
いっぱいYouTubeに上がっていて、
いっぱいいろんな人がカバーも
しているだろうと思ったら、
不思議なことに全然ない。
誰もカバーもしていない。
あれほど大騒ぎされたベイシティ・ローラーズも
記憶に彼方に忘れ去られたのだろうか?
テレビ番組なのだと思うが、これは貴重なライブ映像。
やっぱ何度聴いてもめっちゃめっちゃいい曲だ。
バンドはもちろんだが、司会のお兄ちゃんも、
観客の黄色い悲鳴を上げてるお姉ちゃんたちも、
笑っちゃうほど70年代。
おそらくこの人たちのほとんどは僕と同じく超還暦。
いまどうしているんだろう?と、
よけいなことを考えてしまう。
「アタシゃ変わり果てちまったよ」とぼやいている人も
いるかもしれない。
そんな時は、ベイシティ・ローラーズを聴いて
胸を熱くしよう。
人間、外見は変わっても中身は大して変わらない。
心のなかでこっそり青春。
ひっそりティーンエイジャー。
懐メロは、時代の波にのまれ、
情報の海で溺れそうなあなたの救命胴着です。
ロンドンの日本食レストランで働いていた時、
一度だけ坂本龍一さんが昼食を取りに来たことがある。
この店は当時、BBCのスタジオの近くにあって、
ミュージシャンがよく来ていた。
80年代の日本のミュージシャンは、
ロンドンでレコーディングすることが多かったようだ。
1986年の後半か1987年。
季節は秋だったような気がする。
その頃、サブマネージャーをやっていて、
ちょうどマネージャーが公休の日だったので、
月曜だったことは確か。
午後1時過ぎで店はヒマだった。
男性ばかり三人で来たのだが、
他の人はミュージシャンっぽい雰囲気の人では
なかったので、
マネージャーとか、演奏者以外のスタッフだったと思う。
4人掛けのボックス席に座って
坂本さんは鮭の照り焼き定食を食べた。
ヒマだったこともあり、
スタッフの一人が坂本さんに
少々失礼なふるまいをしたので、
僕があわてて謝りに行った。
事は穏便に済み、帰る時にももう一度謝ったのだが、
「まぁ気にしないでください」と
ひとこと言われたのを憶えている。
それだけの話だが、その後、坂本龍一さんには
ずっと良い印象を抱いていた。
もちろん、彼の音楽も好きだった。
1997年のこの曲は
YMOの楽曲や「戦メリ」と並んで愛聴している。
Sister Mとは娘の坂本美雨さんのこと。
美雨さんの実質的なデビュー曲でもある。
坂本さんの楽曲はこれからも繰り返し聴くだろう。
ご冥福を祈ります。
松本隆+筒美京平の70年代の斬新な歌謡マジック。
太田裕美の代表曲と言えば「木綿のハンカチーフ」だが、
明るい爽やかさの裏に悲しみが潜むあちらの歌に比べ、
この「赤いハイヒール」は、
アンニュイでミステリアスな曲調。
ちょっと禍々しいブラックメルヘンの味付けもある。
僕はこっちの方が好きで、このレコードも持っていた。
1976年。高校2年の時である。
「木綿」と同様、男女のダイアローグで進むが、
冒頭、「ねえ、友だちなら聞いてくださる?」と
リスナーに語り掛けて歌の世界に誘い込むという、
のっけから松本隆のマジックが炸裂する。
今ならそう珍しくないかもしれないが、
当時、こんな曲はなかった。
白のイメージカラー、
都会に出た男の子×田舎にいる女の子。
赤のイメージカラー、
都会に出た女の子×田舎にいる男の子。
という設定の対比に留まらない。
「木綿」では人物やドラマの描写が
割とあいまいで抽象的だったのに対して、
こちらは、東京駅に着いた・
おさげでそばかすのある女の子・
ハイヒール買った・お国訛りを笑われた(らしい)・
タイプライター打つ仕事をやってるなど、
主人公の状況がかなり具体的に描かれている。
このあたり、ただのアンサーソング・二番煎じとは
絶対に言わせない。
「木綿」よりもいい曲にする・面白くするという、
松本+筒美の情熱とプライドを感じる。
そして何よりもその根底に太田裕美への愛情を感じる。
「松本隆のことばの力」(藤田久美子インタビュー・編/インターナショナル新書)によると、
当時、すでに大御所作曲家だった筒美京平は、
既にスターになった歌手にほとんど関心を示さず、
自分の曲で新人を育て上げたいという
強い思いを持っていたという。
太田裕美はその筒美が目を付けた宝石だった。
そこで売り出し中の作詞家だった松本隆に声をかけて、
太田裕美のためにコンビを組んだ。
その第1弾「木綿のハンカチーフ」が大ヒットしたのだが、
一発屋で終わらせない、
彼女を後世まで残る歌手にするのだ、
と気合を込めて作ったのが、この「赤いハイヒール」
だったのではないかと思う。
とにかく詞も曲も編曲も凝りまくっているが、
それをここまで可憐に、軽やかに、
それでいながら心に沁みるように歌えるのは、
昔も今もやっぱり太田裕美しかいない。
——聴く者にそう思わせるだけのものがある。
ちなみに「おとぎ話の人魚姫は死ぬまで踊る赤い靴」
という一節は、松本隆の創作である。
「赤い靴」は美しい少女が、美しさゆえに傲慢になり、
病気の親を見捨てて、強欲に快楽を求めたがために
呪いの赤い靴を履いて死ぬまで踊ることになる。
そして、その呪いを解くために
首切り役人に頼んで両足を切断するという、
子供に読んであげたらトラウマになること必至の
衝撃的な展開の物語だ。
同じアンデルセンの童話だが「人魚姫」とは
別々の話である。
それも含めて松本隆の数多い作品の中でも
「赤いハイヒール」は屈指のドラマ性と
独特のイメージを持った世界観を作っている。
もちろん、この令和の感覚からすれば、
ツッコミどころ満載の歌詞なのだが、
これぞ懐メロ、これぞレトロ昭和ワールド。
まだ1970年代(昭和50年代)は、
今では考えられないくらい
東京と地方とでは情報格差があった。
地方出身者にとって、
東京はほとんど異国と言ってもよいくらいだったのだ。
それもとっておきの、ピカピカの。
僕は名古屋の出身で、名古屋は当時、
日本で4番目に人口の多い都会なのだが、
それでも東京に行って暮らす、というと
ただそれだけで周囲から羨望の目で見られた。
ウソのようだが、ホントの話だ。
今でもこの季節になると、
東京に出てきて演劇学校に入った頃のことを思い出す。
そして、演劇や音楽にうつつを抜かした
東京暮らしを良い思い出にして、
田舎に帰って行った多くの仲間のことも。
元気にまだ生きているだろうか?と無責任に考えるが、
そんな自分は、結局、呪いの赤い靴を履いたまま、
どこにも帰らず、だらだら東京暮らしを続けている。
たぶん、死ぬまで呪いが解けることはない。
エリック・クラプトンの代表曲になっている
「いとしのレイラ」。
じつは1970年に発表された
デレク&ザ・ドミノスのアルバムに収録されたものが
オリジナルバージョン。
ヤードバーズ、クリーム、ブラインド・フェイスなど、
60年代の歴史的バンドで活躍し、
この頃、すでに稀代の名ギタリストの地位を確立していた
クラプトンは、もちろんこの新しいバンドの
リードギタリストだった。
僕は中学生の時、ラジオでが初めてこの曲を聴いた。
その前に音楽雑誌で評判は聞いていた。
当時、これほどもてはやされていた曲も珍しい。
クラプトンと言えばレイラ。
とにかくレイラがすごい、レイラ大好き、レイラ最高!
彼はすでにソロ活動に入っていたが、
ライブをやってもみんながこれを聴きたがるものだから、
新しい曲がやりにくい、
といったエピソードがあふれていた。
で、そんなにすごい曲なのかと思って聴いたが、
正直なところ、「そんなかなぁ」と思ってしまった。
その頃はハードロックやプログレに狂っていたので、
この曲があんまりすごいとか、カッコいいとか、
面白いとか思わなかったんだよね。
その印象が一変したのが、高校生の時。
同じくラジオで流れてきたレイラに鳥肌が立ち、
しびれまくった。
いったい何が違っていたのか?
最初に聴いたのは前半3分のみ、
おなじみクラプトンのギターが炸裂する
シングルバージョン。
そして2回目はその続きがあるフルバージョンだったのだ。
聴けばわかるが、レイラは二つのパートで成り立っていて、
後半はピアノを中心とした
インストゥルメンタルパートになっている。
3分を過ぎてギターが鳴りやんだところに、
やさしくピアノが入ってきて、
そこにまたギターが絡み合って、
まるで違う曲のように美しく流れていく。
これぞ本物の「いとしのレイラ」だ。
いわば迸る恋の情熱・激情と、
それが成就したあとの愛が満ち溢れる世界。
この前半と後半の対比が
めっちゃドラマチックで素晴らしく、
両パート合わせてこその名曲なのである。
それから半世紀、この曲はクラプトンのライブで
欠かせないレパートリーとなり、
最近は彼の齢に合わせて
渋いアコースティックバージョンになっている。
が、演奏されるのはやっぱり前半部分ばかり。
だから「レイラ」と言っても、中学生時代の僕と同様、
曲の半分しか知らない人が多いのではないだろうか?
そんな人はぜひ、デレク&ザ・ドミノスの
フルバージョンを聴いて、イメージを一新してほしい。
ところでこのバンド名、
僕はずっとデレクさんとドミノスさんという人が
メンバーにいるのかなと思っていたが、そうではなく、
もともと「ダイナミックス」という名前だったのを
テレビ番組の司会者が紹介する時、
「デレク&ザ・ドミノス」と言い間違えたのだという。
メンバーの一人である
ボビー・ウィットロックの証言なので、
本当のことらしいが、え~、ホント? と思ってしまう。
ロックの世界は、ジョークやいい加減な話が
まことしやかに伝説化されてしまっていることが多い。
まぁ、今さらどうでもいいことだけど。
ちなみにこのアルバムジャッケットも
ロック史に残る名作で、
まさしくレイラが描かれていると思う。
1994年リリース。
クランベリーズは90年代に活躍した
アイルランドのバンド。
リードヴォーカルのドロレス・オリオーダンが
自分の子ども時代を振り返り、
家族への思いを歌い上げる。
家族への頌歌。
この美しい讃美歌について
オリオーダンは雑誌のインタビューで
いろいろ語っている。
彼女は僕より一回り年下の1972年生まれ。
10代の頃は反抗して両親を悲しませたが、
齢を取ると、いつか感謝する日がやってくるという。
自分の両親がいかに素晴らしく、自分の子ども時代が
いかに幸福だったかを知る時が来るとも。
彼女は7人きょうだいで育ったというが
7歳の時、家は火事で全焼。
ずいぶん辛い生活をしたのではないかと思うのだが、
記憶にあるのは美しい食卓、あたたかいベッド、
そして学校にきれいな服を来て行ったことだという。
また、こんなことも話している。
「私たちは物質主義がほとんどない状態で育った。
本当にスピリチュアルな子ども時代だったと思う」。
いつでも、どこでも、
子ども時代は多かれ少なかれスピリチュアルだと思うが、
もしかしたら現代ではそうとも言えないのかも。
美しい食卓、あたたかいベッド、きれいな服というのは、
けっして贅沢な衣食住に恵まれた
ということではないだろう。
価値の物差しはお金と物質ばかり。
心の隅々までそうしたものに
支配された環境の中で育つと、
どういう心情になるのか、ちょっと心配になる。
本当に大切なものは目に見えないので、
それが損なわれたこと・失われたことにさえ
気づかなくなってしまうのではないか。
けれども、そんな過去だって変えることはできる。
不幸な子ども時代を送ったという人もいるかと思うが、
それを乗り越えて、
今まで続いてきた自分に自信を持って、
幸福な未来を掴むために過去だって変えてやろう--
そんな心持ちで生きていこう。
週末の懐メロ 第1巻
デビッド・ボウイ/カーペンターズ/ビートルズ/ケイト・ブッシュ/ポリス/レッド・ツェッペリン/イエス/ミシェル・ポルナレフ/赤い鳥/イルカ/高橋洋子など、
#1~#28を収録。
21世紀ポップを語る珠玉の音楽エッセイ集。
3・10 東京大空襲
3・11東日本大震災
いや、少し調べれば、365日、世界中で
何かしらの悲劇が刻まれている。
べつに今日・明日だけが特別なわけではないが、
日本人にとって意識せざるをない日になっていることは確か。
しかし、あんな悲劇があっても、
地球はずっと回り続けるし、
世の中は止まることなく進んでいく。
当たり前のことだが、
これは多くの人にとっては救いとなり、
あの時点に取り残されてしまった人にとっては
残酷な事実となる。
そんなことをぼんやり考えていたら、
「夜空ノムコウ」を口ずさんでいた。
特にエンディング近く。
あのころの未来に 僕らは立っているのかなぁ…
全てが思うほど うまくはいかないみたいだ
このままどこまでも 日々は続いていくのかなぁ…
雲のない星空が マドの向こうに続いている
あれからぼくたちは 何かを信じてこれたかなぁ…
夜空のむこうには もう明日が待っている
この曲は1998年にSMAPが歌って大ヒットした。
僕もSMAPの歌のなかでいちばん好きだ。
それにしても、つい最近の歌だと思っていたら、
リリースはなんと1998年!
もう四半世紀もむかし。20世紀のヒット曲。
この頃、僕はまだ30代だったのだ。
もともと恋の終わり、青春の終わりについて
歌ったものだと解釈されている。
SMAPの口あたりの良い甘い味付けだとそう聴こえるが、
詞を書いたスガ シカオのこのバージョンは、
思い切りビター、苦味を効かせた味付けで、
歌詞さえもまったく違うものに聴こえてくる。
そしてバックに響く打ち込み音と奇妙な電子ノイズ。
90年代風、世紀末風とでもいえばいいのか、
ひどく不気味で荒涼とした響きがある。
なんだか焼け野原になった東京の街や、
地震・津波・原発事故で失われた
あの被災地の風景を想起させる。
それでも日々は続いていく。
夜空のむこうには明日が待っているのだ。
スガ シカオがどんな意図でこの歌詞を書いたのか、
25年後の今となってはどうでもいい気がする。
「夜空ノムコウ」は、もうみんなの歌であり、
聴く人ひとりひとりが自分に寄せて
自由に解釈し、自由にイメージを広げて良い。
正しい意味・正しい聴き方など必要ない。
名曲とはそういうものではないか。
良いこと、嫌なこと、いろんな経験をしてきたし、
これからもしていくだろう。
これはその先の未来を生きていく僕たちが
自分自身の物語を紡ぐために口ずさむ歌なのだと思う。
パリの街といえば、
ついシャンゼリゼ通りを連想する日本人。
そのイメージの源は、1970年代の初めに活躍した
フランス人アイドル歌手 ダニエル・ビダルだった。
小学生の頃、雑誌などでよく見かけたかわいこちゃんだ。
「オー、シャンゼリゼ(O, Champs-Élysées)」は、
もともとフランスの歌手ジョー・ダッサン(Joe Dassin)が
1970年に発表した楽曲だが、
日本人には強烈にビダルのイメージがくっついて、
「パリの街を行く、おしゃれで可愛いマドモアゼルの歌」
ということになった。
ダニエル・ビダルは日本語でも歌っていて、
ほとんどネイティブみたいに達者。
しかもめっちゃキュートな歌声で、
年甲斐もなく胸がキュンとなる。のである。
ところで、チャットGPTに
女性を主人公に「オー、シャンゼリゼ」という
ミュージカルを作りたいのですが、
どんなストーリーがいいでしょう?と聞いてみた。
そしたらこんなお話を考えてくれた。
例によって日本語のおかしなところ、
文章がうまくつながらないところがあるので、
僕がちょっとだけ手を加えています。
主人公は、シャンゼリゼ通りに面した喫茶店で働く
若い女性、エミリーです。
彼女は、自分の音楽の夢を諦められず、
夜な夜な弾き語りをすることで、
自分の才能を磨いていました。
ある日、彼女は喫茶店の客の一人が
置き忘れた手帳を拾います。
手帳の中には、
シャンゼリゼ通りの美しい風景を眺めながら書かれた、
ある曲の歌詞がありました。
エミリーはその詞に心打たれ、
自分でこの曲を作ることを決意します。
エミリーは、偶然出会った
駆け出しの音楽プロデューサーのジャックと共に、
自分自身の音楽を創造するために努力し、
その曲を完成させます。
そして、彼女の歌う「オー、シャンゼリゼ」は、
多くの人に愛される楽曲となり、
彼女の音楽キャリアにおいても大きな転機となりました。
葛藤や孤独などの壁があり、
それを乗り越えていくことが物語のテーマとなります。
このミュージカルでは、
エミリーの成長や彼女自身が持つ内面的な葛藤、
音楽創造のプロセス、
そして「オー、シャンゼリゼ」が世に出た後の反響などが
描かれることになります。
美しい風景や、フランス文化の魅力なども、
ストーリーに取り入れることで、
物語の世界観をより深く描くことになります。
いかがでしょう?
いや、いいですね。
ちょっとレトロなハリウッド映画っぽいところがいい。
エミリーはやっぱり50年前のダニエル・ビダルだろうか?
ジャックはミッシェル・ポルナレフみたいなやつだろうか?
もちろん、いっぱいツッコミどころはあるが、
あらすじ初稿としてこれだけできていれば十分。
これをどれだけアレンジし、膨らませるかが
人間の仕事なのです。
ミュージカル「オー!シャンゼリゼ」、
作ってみたくなった。
金曜の夜は「週末の懐メロ」の日なのだ。
みんな懐メロを聴いて
1週間の疲れを癒しましょう。
amazonKindleから本も出しています。
目次を見て、好きな曲、好きなミュージシャンの名前があったら読んでみてね。
日本の至宝、昭和の至宝 美輪明宏が
自ら作詞・作曲し、あらゆる世代の日本人に贈る聖歌。
それが「ヨイトマケの唄」である。
最初にレコードが出たのは1965年。
マンガなどで「母ちゃんのためならエンヤコーラ」という
セリフが良く出ていたのを覚えている。
そして桑田佳祐をはじめ、たくさんの歌手がこの歌を愛し、
カヴァーしているのも聴いていた。
けれども美輪明宏自らが歌うのをまともに聴いたのは、
若い世代と同じく、2012年の紅白歌合戦が初めてだった。
紅白なんていつも酒を飲んでへべれけになって見ているのだが、
真っ黒な衣装に身を包んだ美輪が登場し、
この歌を歌い出した時、思わず背筋がピンと伸びた。
6分間、テレビから目と耳を離すことができなかった。
故郷の長崎で原爆に遭遇して以来、
波乱万丈の人生を送り、数々の修羅場をかいくぐりながらも
70になっても80になっても
元祖・ビジュアル系歌手の誇りを失うことなく輝き続ける
美輪明宏の、人間への愛情のすべてが
この1曲に集約されているような気がする。
この歌が生まれた経緯は自身で、
また、黒柳徹子との対話で語っている音声が
YouTubeに上がっている。
1960年代前半、三島由紀夫が「天上界の美」と称した
絶世の美青年だった美輪明宏(当時は本名・丸山明宏)は、
きらびやかな衣装と化粧でシャンソンを歌っていた。
ところが、興行主の手違いで
福岡・筑豊の劇場でコンサートを行うことに。
客は普段シャンソンを聴きに来る人たちとは
全く違う炭鉱労働者たち。
そんな人たちが自分の歌を聴こうと
客席を埋め尽くしたことに美輪は感動したが、
内心、自分のレパートリーには、
この人たちのために歌える歌がないとすまなく思ったという。
そして、外国には労働者の唄があるのに、
日本にはなぜないのか?という疑問も抱いた。
「ヨイトマケ」とは「ヨイっと巻け」。
まだ現在あるような建設機械が普及していなかった時代、
地固めをするとき、重たい岩を縄で滑車に吊るした槌を、
数人掛かりで引張り上げて落とすという作業をしていた。
滑車の綱を引っ張るときの「ヨイっと巻け」のかけ声が
語源となっている。
この仕事は主に日雇い労働者が動員されていたらしい。
「ヨイトマケの唄」は、そうした戦後復興期の物語であり、
まさしく現代の日本の豊かな社会の
「地固め」をしていた時代の唄だ。
炭鉱をはじめ、新幹線を走らせるために
山にトンネルを掘り、川に橋をかけ、
街に高速道路や高層ビルを建てるために
たくさんの名もなき労働者が働いていた。
そうしたあちこちの工事現場では不幸な事故で
命を落とした人も少なくない。
普段は意識などしないけど、
インフラの整った僕たちの社会生活は
そうした犠牲の上で成り立っている。
この歌を彼が初めてテレビで歌った時、
「これはおれたちの歌だ」と、彼の元に7万通の
感謝の手紙が送られてきたという。
しかし、その一方で、
高度経済成長の波に乗り始めていた日本人は、
少しでも早く貧しい時代の記憶を忘れようとしていた。
貧しい者、卑しき者、美しくない者は
目にしたくない、耳にしたくないと思っていた。
この歌の歌詞の「土方」でさえも差別用語であるとして、
以後、長い間、この歌は歌われなかった。
77歳で紅白に初出場した時、若い世代は、
あの「美輪ちゃま」が
どんなゴージャスな衣装で登場するのか
大いに期待していたらしいが、
この黒ずくめのスタイルを見て驚愕、
そしてこの歌をフルコーラスで聴いて慄然とした。
カメラは一切寄ることはない。
まるで舞台劇を見ているかのような、
魂を揺さぶるパフォーマンス。
昭和の時代は、圧倒的なリアリティで
人々を感動させた歌は、半世紀後、
“俗”を描き切った、聖なる物語に達していた。
最後、闇に溶けていく中で
「子どものためならエンヤコーラ」と絞り出す声には
何度聴いても涙が抑えられない。
美輪さんがまだ元気で表現活動をされていてよかった。
令和の時代になっても、いや、令和になったからこそ、
日本人にはまだ美輪さんの存在が必要なのだ。
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ブログ「DAIHON屋のネタ帳」で2020年10月から
毎週連載している「週末の懐メロ」を本にしました。
オールド世代もヤングな世代も
楽しい懐メロ話で精神の栄養補給を。
曲やアーティストを解説する、
あるいはロック史・音楽史を研究するといった
大それたものでは全然ありません。
懐かしさと個人的な思い出に
駆られて書いたエッセイです。
タイムマシンに乗ってはるかな時間を遡ると、
ノスタルジーだけでなく、新しい発見があったり、
改めて感動してみたり、泣いたり笑ったり、
リアライズやサプライズもいっぱい。
僕と同じ昭和世代・20世紀世代にはもちろん、
21世紀を生きる若い世代のお宝発掘のための
ガイドブックとしてもお楽しみください。
文章を読んで興味を持ったら、
ぜひお聴きになって&ご覧になってください。
良い音楽、好きな音楽をあなたの心の友に。
第1巻として♯1~♯28を収録。
もくじ
1 5年間/デビッド・ボウイ 【1972】
2 愛にさよならを /カーペンターズ 【1973】
3 ドント・レット・ミー・ダウン/ザ・ビートルズ 【1968】
4 嘆きの天使/ケイト・ブッシュ 【1978】
5 ソー・ロンリー/ザ・ポリス 【1978】
6 スワロウテイル ~あいのうた~ /イェンタウン・バンド 【1996】
7 青春の影/財津和夫(チューリップ) 【1974】
8 ボール&チェーン/ジャニス・ジョプリン 【1967】
9 ハッピークリスマス/ジョン・レノン&ヨーコ・オノ 【1971】
10 翼をください/山本潤子(赤い鳥) 【1971】
11 スキャットマンズ・ワールド/スキャットマン・ジョン 【1995】
12 クレア/フェアーグランド・アトラクション 【1988】
13 デジャ・メイク・ハー/レッド・ツェッペリン 【1973】
14 タイムマシンにおねがい/サディスティック・ミカバンド 【1974】
15 キエフの大門/エマーソン・レイク&パーマー 【1972】
16 少女/五輪真弓 【1972】
17 ジュニアズ・ファーム/ ポール・マッカートニー&ウイングス 【1974】
18 トムズ・ダイナー/スザンヌ・ヴェガ 【1984】
19 マーチ・オブ・ザ・ブラッククイーン/クイーン 【1973】
20 なごり雪/イルカ 【1975】
21 忘れじのグローリア/ミッシェル・ポルナレフ 【1973】
22 夢見るシャンソン人形/フランス・ギャル 【1965】
23 同志/イエス 【1972】
24 悲しき鉄道員/ショッキング・ブルー 【1970】
25 タワー/エンジェル 【1975】
26 ロッホ・セヌ―/ランパ 【1990】
27 レディ・ラック/ロッド・スチュワート 【1995】
28 残酷な天使のテーゼ/高橋洋子 【1995】
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大それたものでは全然ありません。
懐かしさと個人的な思い出に駆られて書いたエッセイです。
タイムマシンに乗ってはるかな時間を遡ると、
ノスタルジーだけでなく、新しい発見があったり、
改めて感動してみたり、泣いたり笑ったり、
リアライズやサプライズもいっぱい。
僕と同じ昭和世代・20世紀世代にはもちろん、
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文章を読んで興味を持ったら、
ぜひお聴きになって&ご覧になってください。
良い音楽、好きな音楽をあなたの心の友に。
第1巻として♯1~♯28を収録。
もくじ
1 5年間/デビッド・ボウイ 【1972】
2 愛にさよならを /カーペンターズ 【1973】
3 ドント・レット・ミー・ダウン/ザ・ビートルズ 【1968】
4 嘆きの天使/ケイト・ブッシュ 【1978】
5 ソー・ロンリー/ザ・ポリス 【1978】
6 スワロウテイル ~あいのうた~ /イェンタウン・バンド 【1996】
7 青春の影/財津和夫(チューリップ) 【1974】
8 ボール&チェーン/ジャニス・ジョプリン 【1967】
9 ハッピークリスマス/ジョン・レノン&ヨーコ・オノ 【1971】
10 翼をください/山本潤子(赤い鳥) 【1971】
11 スキャットマンズ・ワールド/スキャットマン・ジョン 【1995】
12 クレア/フェアーグランド・アトラクション 【1988】
13 デジャ・メイク・ハー/レッド・ツェッペリン 【1973】
14 タイムマシンにおねがい/サディスティック・ミカバンド 【1974】
15 キエフの大門/エマーソン・レイク&パーマー 【1972】
16 少女/五輪真弓 【1972】
17 ジュニアズ・ファーム/ ポール・マッカートニー&ウイングス 【1974】
18 トムズ・ダイナー/スザンヌ・ヴェガ 【1984】
19 マーチ・オブ・ザ・ブラッククイーン/クイーン 【1973】
20 なごり雪/イルカ 【1975】
21 忘れじのグローリア/ミッシェル・ポルナレフ 【1973】
22 夢見るシャンソン人形/フランス・ギャル 【1965】
23 同志/イエス 【1972】
24 悲しき鉄道員/ショッキング・ブルー 【1970】
25 タワー/エンジェル 【1975】
26 ロッホ・セヌ―/ランパ 【1990】
27 レディ・ラック/ロッド・スチュワート 【1995】
28 残酷な天使のテーゼ/高橋洋子 【1995】
とてもシンプルでありながら、
あまりにも切なく美しいメロデイライン。
初めて聴いた時は本当に鮮烈だった。
1988年のヒット曲だが、
どこか1970年代の日本のフォークソングを彷彿とさせた。
正直、最初、歌だけ聴いたので
トレイシー・チャップマンが黒人女性だとは思わなかった。
黒人歌手はみんな歌い方がブルースっぽかったり、
ソウルフルだったり、ファンキーだったり、
ダンスフルだったりする。
そんな思い込みというか、偏見があった。
そして僕が知っている限り、ギター1本で歌う
プロの黒人シンガーソングライターは
1988年まで存在しなかった。
そういう意味で、トレイシー・チャップマンは
今でも特別なミュージシャンである。
しかし、この曲の内容はまさしくブルース。
アメリカ社会の底辺で働く、黒人女性の労働者の歌だ。
厳しくリアルなストーリーを歌っているのだが、
なぜか一編の寓話を語っているようにも聴こえる。
そして自然と浮かび上がる映画のようなシーン、
ストーリーは、ひどく胸に迫ってくる。
主人公の女は学校を辞めて、
スーパーやコンビニのレジ打ちをしながら、
貧困の中で飲んだくれの父親を支えている。
母親は、もうこんな生活は嫌だと言って
出て行ってしまったからだ。
そんな境遇の彼女が車を持っている男と出逢う。
高速道路を走ったらバラバラになってしまいそうなほどの
ポンコツだが、彼と一緒にドライブした彼女は狂喜する。
まるで空を飛ぶほどのスピードで走っているような
錯覚にとらわれる。
笑って運転する彼と一緒にいると、
それまでのみじめな自分を忘れることができる。
そう呟くのだ。
二人は一緒に暮らし始める。
いつかこの町の、この貧しい暮らしから
抜け出せることを夢見て。
子どもも生まれた。
幸せになりたいのだが、
いつの間にか彼は彼女の父親と同じように
無職の飲んだくれになっていってしまう。
けれども彼女はまだ夢を捨てていない。
貧しい生活の中で彼女は一縷の望みを抱えて
彼に問い続けるのだ。
ここで死ぬか、今夜飛び立つか・・・
あなたのあの速い車で。
★週末の懐メロ 第1巻
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20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!
ブログ「DAIHON屋のネタ帳」で2020年10月から毎週連載している「週末の懐メロ」を本にしました.
「この曲はカーペンターズの曲だと思っているだろ?」
と、中学生のある日、ロック好きの先輩に聞かれた。
彼がそんなふうに聞いてくるのは、もちろん、
じつは違うんだということを物語っている。
僕がうなずくと、案の定、彼はいつもの通り、
いつまで女・子どもの聞く音楽を聴いているんだ、
男はロックだ、ウンチャラカンチャラと、
カーペンターズをひとくさり、ディスった後で、
「これはもともとレオン・ラッセルの曲なんだよ。
よく憶えておけ」と言ってレコードを聴かせてくれた。
酒と煙草の匂いがプンプンしてくるような、
めちゃくちゃクセのあるピアノと歌い方。
洗練され、万人受けするカーペンターズの
ヒット曲とは確かに違う、
大人の男の「ア・ソング・フォー・ユー」がそこにあった。
1970年リリース。
レオン・ラッセル初のソロアルバムに収められたこの曲は、
当初、大したヒットにならなかった。
しかし、カーペンターズがカヴァーして
世界に知られるようになって以降、
たちまちその魅力に多くの人が酔いしれた。
そして、ジャズやブルースが好きな歌手なら誰もが
一度は歌ってみたいと言う名曲に昇華した。
僕の場合、約50年前の先輩の洗脳が効果を発揮していて、
いまだに誰が歌うよりもラッセルの
オリジナルが最高だと思っている。
この歌にはまた、東京に来て初めて
水商売のバイトをやった時の思い出も沁み込んでいる。
僕が勤めていた池袋の店にはバンドの生演奏が入っており、
「ア・ソング・フォ・ユー」は、
彼らのレパートリーの一つになっていた。
店内にはちょっとしたダンスホールがあり、
この曲が始まると、必ずお客のカップルが出てきて、
ミラーボールが回る中でチークダンスを踊っていた。
僕にとっての夜の商売の世界の原風景。
音節の間から立ち上る酒と煙草の匂いは、
おそらくそこから来ているのだろう。
レオン・ラッセルは他にも「スーパースター」
「ディス・マスカレード」
(いずれもカーペンターズがカヴァー)
といった今ではポップスのスタンダードナンバーに
なっている名曲の数々を生み出した
稀代のシンガーソングライターだ。
ところが、なぜか今、彼の知名度は異常に低く、
あまり語られることのないミュージシャンになっている。
ネット上の情報もこれほどの大家の割には驚くほど少ない。
「僕は人生の中でたくさんの場所にいて、
たくさんの歌を歌ってきた
けれども今、僕はきみのためにこの歌を歌っている」
僕個人のいろいろな思い出を抜きにして、
誰の胸にも響く素晴らしい歌であることは疑いようもない。
すでに天国の人となったレオン・ラッセル。
誰かのカヴァーを聴いてこの曲と出逢ったのなら、
ぜひ生みの親のことも知ってほしいと思う。
週末の懐メロ 第1巻
価格:¥300
20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!
ブログ「DAIHON屋のネタ帳」で2020年10月から毎週連載している「週末の懐メロ」を本にしました。
好きな曲・アーティストがいたら、ぜひ覗いてみてください。
もくじ
1 5年間/デビッド・ボウイ 【1972】
2 愛にさよならを /カーペンターズ 【1973】
3 ドント・レット・ミー・ダウン/ザ・ビートルズ 【1968】
4 嘆きの天使/ケイト・ブッシュ 【1978】
5 ソー・ロンリー/ザ・ポリス 【1978】
6 スワロウテイル ~あいのうた~ /イェンタウン・バンド 【1996】
7 青春の影/財津和夫(チューリップ) 【1974】
8 ボール&チェーン/ジャニス・ジョプリン 【1967】
9 ハッピークリスマス/ジョン・レノン&ヨーコ・オノ 【1971】
10 翼をください/山本潤子(赤い鳥) 【1971】
11 スキャットマンズ・ワールド/スキャットマン・ジョン 【1995】
12 クレア/フェアーグランド・アトラクション 【1988】
13 デジャ・メイク・ハー/レッド・ツェッペリン 【1973】
14 タイムマシンにおねがい/サディスティック・ミカバンド 【1974】
15 キエフの大門/エマーソン・レイク&パーマー 【1972】
16 少女/五輪真弓 【1972】
17 ジュニアズ・ファーム/ ポール・マッカートニー&ウイングス 【1974】
18 トムズ・ダイナー/スザンヌ・ヴェガ 【1984】
19 マーチ・オブ・ザ・ブラッククイーン/クイーン 【1973】
20 なごり雪/イルカ 【1975】
21 忘れじのグローリア/ミッシェル・ポルナレフ 【1973】
22 夢見るシャンソン人形/フランス・ギャル 【1965】
23 同志/イエス 【1972】
24 悲しき鉄道員/ショッキング・ブルー 【1970】
25 タワー/エンジェル 【1975】
26 ロッホ・セヌ―/ランパ 【1990】
27 レディ・ラック/ロッド・スチュワート 【1995】
28 残酷な天使のテーゼ/高橋洋子 【1995】
今回、「週末の懐メロ」を書籍化するに当たって、
リライト・編集作業をしたり、
紹介した楽曲を改めて聴いてみたりして、
一つ気付いたことがある。
それはこれらの名曲の誕生時、
当のミュージシャンらは、
自分でもわけがわからずに
創作に取り組んでいたんだろう、ということだ。
もちろん、ベースになるもの—ー
ブルースとか、民俗音楽とかはあっただろうし、
こんな作品にしたいという
完成イメージはあったと思うが、
自分たちの創作のプロセスを
言語化・理論化できなかった。
夜中にギターを弾いたり、
夜明けにピアノの前に座ったりすると、
すーっとそこに神とか天使だとかが下りて来る。
そしてわけがわからずに、
自分に内在するものに突き動かされて
詞をつくる、曲を作る、
できた曲を編み上げ、味つけをする。
その過程で神が宿るのである。
音楽に限らず、21世紀以降のサブカルチャーに
世のなかの価値観を揺るがすほど斬新なもの、
いわば、神がかり的なものが生まれないのは、
やはり産業化され、
システム化されてしまったからだろう。
言ってしまえば、かつての生きた音楽の抜け殻
を再生産しているだけである。
自己啓発本にあるような
「こうすればうまくいく」的な「成功法則」は、
この数年でAIが普及したら、
完全にコモディティ化されて、
成功法則でも何でもなくなってしまう。
それはこの2,3年のことかもしれない。
ビジネスになる「そこそこのもの」ができれば、
それで十分なのかもしれないけど、
そもそもクリエエイター自身が、
人の作った法則やらメソッドやらに従って作って
面白いのだろうか?
そこに喜びがあるのだろうか?
今の時代、あるいは未来、どうなるのかわからないけど、
何かものを創る人は、
他人のサクセスストーリーなどに惑わされず、
自分を信じて取り組んだほうがよい。
あなたのなかにも、あなただけの神がいる。
新刊「週末の懐メロ 第1巻」
20世紀ポップミュージックの
回想・妄想・新発見!
もくじ
1 5年間/デビッド・ボウイ 【1972】
2 愛にさよならを /カーペンターズ 【1973】
3 ドント・レット・ミー・ダウン/ザ・ビートルズ 【1968】
4 嘆きの天使/ケイト・ブッシュ 【1978】
5 ソー・ロンリー/ザ・ポリス 【1978】
6 スワロウテイル ~あいのうた~ /イェンタウン・バンド 【1996】
7 青春の影/財津和夫(チューリップ) 【1974】
8 ボール&チェーン/ジャニス・ジョプリン 【1967】
9 ハッピークリスマス/ジョン・レノン&ヨーコ・オノ 【1971】
10 翼をください/山本潤子(赤い鳥) 【1971】
11 スキャットマンズ・ワールド/スキャットマン・ジョン 【1995】
12 クレア/フェアーグランド・アトラクション 【1988】
13 デジャ・メイク・ハー/レッド・ツェッペリン 【1973】
14 タイムマシンにおねがい/サディスティック・ミカバンド 【1974】
15 キエフの大門/エマーソン・レイク&パーマー 【1972】
16 少女/五輪真弓 【1972】
17 ジュニアズ・ファーム/ ポール・マッカートニー&ウイングス 【1974】
18 トムズ・ダイナー/スザンヌ・ヴェガ 【1984】
19 マーチ・オブ・ザ・ブラッククイーン/クイーン 【1973】
20 なごり雪/イルカ 【1975】
21 忘れじのグローリア/ミッシェル・ポルナレフ 【1973】
22 夢見るシャンソン人形/フランス・ギャル 【1965】
23 同志/イエス 【1972】
24 悲しき鉄道員/ショッキング・ブルー 【1970】
25 タワー/エンジェル 【1975】
26 ロッホ・セヌ―/ランパ 【1990】
27 レディ・ラック/ロッド・スチュワート 【1995】
28 残酷な天使のテーゼ/高橋洋子 【1995】
20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!
ブログ「DAIHON屋のネタ帳」で2020年10月から毎週連載している「週末の懐メロ」を本にしました。
曲やアーティストを解説する、あるいはロック史・音楽史を研究するといった大それたものでは全然ありません。
好きな曲を聴くと、とうの昔に忘れていた記憶が
どんどんよみがえってきます。
その名の通り、懐かしさと個人的な思い出に駆られて
書いているエッセイなのです。
タイムマシンに乗ってはるかな時間を遡ると、
ノスタルジーだけでなく、新しい発見があったり、
改めて感動してみたり、泣いたり笑ったり、
リアライズやサプライズもいっぱい。
僕と同じ昭和世代・20世紀世代にはもちろん、
21世紀を生きる若い世代のお宝発掘のための
ガイドブックとしてもお楽しみください。
なお、ブログではエッセイとともに、
YouTubeにアップされている
それぞれの曲の映像を紹介しています。
しかし、本の中ではリンクを貼れないので、
検索キーワードを書き出しました。
文章を読んで興味を持ったら、
ぜひお聴きになって&ご覧になってください。
良い音楽、好きな音楽をあなたの心の友に。
第1巻として♯1~♯28を収録。
もくじ
1 5年間/デビッド・ボウイ 【1972】
2 愛にさよならを /カーペンターズ 【1973】
3 ドント・レット・ミー・ダウン/ザ・ビートルズ 【1968】
4 嘆きの天使/ケイト・ブッシュ 【1978】
5 ソー・ロンリー/ザ・ポリス 【1978】
6 スワロウテイル ~あいのうた~ /イェンタウン・バンド 【1996】
7 青春の影/財津和夫(チューリップ) 【1974】
8 ボール&チェーン/ジャニス・ジョプリン 【1967】
9 ハッピークリスマス/ジョン・レノン&ヨーコ・オノ 【1971】
10 翼をください/山本潤子(赤い鳥) 【1971】
11 スキャットマンズ・ワールド/スキャットマン・ジョン 【1995】
12 クレア/フェアーグランド・アトラクション 【1988】
13 デジャ・メイク・ハー/レッド・ツェッペリン 【1973】
14 タイムマシンにおねがい/サディスティック・ミカバンド 【1974】
15 キエフの大門/エマーソン・レイク&パーマー 【1972】
16 少女/五輪真弓 【1972】
17 ジュニアズ・ファーム/ ポール・マッカートニー&ウイングス 【1974】
18 トムズ・ダイナー/スザンヌ・ヴェガ 【1984】
19 マーチ・オブ・ザ・ブラッククイーン/クイーン 【1973】
20 なごり雪/イルカ 【1975】
21 忘れじのグローリア/ミッシェル・ポルナレフ 【1973】
22 夢見るシャンソン人形/フランス・ギャル 【1965】
23 同志/イエス 【1972】
24 悲しき鉄道員/ショッキング・ブルー 【1970】
25 タワー/エンジェル 【1975】
26 ロッホ・セヌ―/ランパ 【1990】
27 レディ・ラック/ロッド・スチュワート 【1995】
28 残酷な天使のテーゼ/高橋洋子 【1995】
1979年リリース。
「夢・ドリーム」という日本語と英語の掛け合わせは
ほとんどダジャレの部類だが、
そうしたジョーク感も含めて、このバンドが好きだった。
1979年はまだまだロックで夢を見られた時代だ。
ニューウェーブロックという印象が強いシーナ&ロケッツ。
基本はロックンロールなのだが、
細野晴臣がプロデューサーとして関わっていたせいか、
デビュー当時はちょっとテクノポップ風の
ニュアンスが混じっていた。
シーナのハラハラさせるような危なっかしい、
けど魅力的なヴォーカルと
インチキっぽく謎めいたカタカナ英語も懐かしい。
そして、何と言っても鮎川誠のギターがカッコよかった。
NHK-FMでエアチェックした鮎川参加の
YMOツアーの番組を
カセットテープに録音して長らく愛聴していたのだが、
YMOのサポートギタリストのなかでも
鮎川のギターがいちばんキレていたように思う。
シーナの死後8年、その鮎川が先月末、この世を去った。
そう言えば今年に入ってからYMOのドラマーだった
高橋幸宏も去っている。
誰が死んだってロックンロールは不滅だぜ、
と言いたいところだが、
やっぱり寂しさを禁じ得ない。
1979年は、とてもとても思い出深い年だった。
せめてシーナと鮎川といっしょに、
ユメ、ユメ、ユメ、ユー・メイ・ドリーム……
と呟いていよう。
新刊「週末の懐メロ 第1巻」
20世紀ポップミュージックの回想・妄想・新発見!
ブログ「DAIHON屋のネタ帳」で2020年10月から毎週連載している「週末の懐メロ」を本にしました。
2月5日(日)Amazon Kindleより発売予定。
中学生の頃、日本の若者の音楽と言えば
フォークソングだった。
井上陽水ももちろんフォークシンガーであり、
シンガーソングライター。
けれども彼の歌には、それまでのフォークにはない
一種の異様さが漂っていた。
爽やか系でも、夢・希望系でも、哀愁系でも、
コミカル系でも、バカヤロー系でもなく、
ロックともフォークともつかない陽水ワールド。
あえてカテゴリー名をつけるとすれば、
劇画・文学系フォークロック?
いずれにしても「傘がない」「断絶」
「人生が二度あれば」「心もよう」などの
ヘヴィな楽曲群に、
当時の中学生は、まだ体験していない
人生の現実の奈落に叩き込まれたような気になった。
とくに「人生が二度あれば」や「心もよう」の
エンディングにはもう絶句するしかなく、
とても軽口を叩けるような雰囲気ではなかった。
そして、その真打として1993年にリリースされたのが、
この「氷の世界」である。
大寒波で毎日吹雪が吹き荒れる中、
リンゴ売りが声を張り上げるわ、
テレビがぶっ壊れっるわ、
ノーベル賞を狙っている引きこもりは出て来るわ、
わけのわからないアヴァンギャルドな歌詞が
ファンキーなリズムに乗って荒れ狂う。
ファンクともプログレッシブロックとも取れる歌だが、
けっして難解でなく、どこかポップで陽気でユーモラスで、
心地よく聴けてしまうところが陽水のすごいところ。
思うにそのポップさ・陽気さのエッセンスが拡大して、
80年代以降に変貌した「ニューミュージック陽水」に
繋がっていったのだと思う。
ところで歌詞の冒頭に出てくる「リンゴ売り」って、
いったいいつの時代の話?と思う人は多いだろう。
陽水が子どもの頃(昭和20年代)には、
まだ街中にそうした行商がいたのかなとか、
それとも昭和歌謡の「りんごの唄」(並木路子)などを
意識したのかなと思っていたが、
べつに関係ないらしい。
ちなみにリンゴ売りは
絶滅した昭和レトロビジネスではなく、
デジタル令和の今でもちゃんとあって、
リンゴを売り歩いて一日ン10万稼ぐとか、
それで一家7人養っているという人も本当にいるようだ。
この事実にもまた絶句。
ブログのネタがなかったり、あんまり気分がのらない時の
手抜きコンテンツとして始めた週末の懐メロ。
当初、YouTubeのリンク貼って、
2,3行ちょこちょこっと
コメント書いときゃOKと思っていたが、
案に諮らずや、今ではこれをやらないと
1週間過ごした気がしなくなってしまった。
というわけで連載2年超、100回超になったので、
電子書籍にまとめて出すことにしました。
YouTubeのリンクが貼れないので文章だけ。
今年1年かけて刊行していこうと思ってます。
第1巻は第1回:5年間/デビッド・ボウイから
第28回:残酷な天使のテーゼ/高橋洋子まで収録。
ただいまリライト・編集中。
今月末発売予定です。お楽しみに。
中学生の時、ラジオで初めてこの歌を聴いた。
中山ラビというシンガーソングライターがいるのを
知ったのもその時——1974年だ。
心変わりした男に対する女の恨み節。
それがその時の感想だった。
中学生の耳には単なる失恋ソングにしか聴こえず、
大して印象にも残らなかった。
けれども、あれから50年近く経ったいま、
まったく違った歌に聴こえる。
62歳最後の夜、「人は少しずつ変わる」は、
底なしの深さを感じさせて響いてくる。
本当だ。
若い頃には思ってもみなかったことだが、
人が劇的に変わることなど滅多にない。
人は少しずつ変わる。
これは確かだ。
そんな当たり前のことをこの齢になるまで
はっきりわからずにいた。
外身も、中身も、僕も少しずつ変わって来た。
そしていつの時代も、一夜の夢冷めやらず
うかつな10年ひと昔を、懲りずに繰り返してきた。
何年も何十年も会っていない友だちや仲間が大勢いる。
変わってしまった姿を見たり、見られたり、
もう昔のように同じ夢を見て語り合えないだろうと思うと、
怖気づいて、このまま死ぬまで会わないで、
美しい昔の面影や、明るい声を
抱いたままでいた方がいいのではないかと、
正直、思うことがある。
齢を取るとはこういうことなのだ、と腑に落ちる。
中山ラビは、詩人の中山容が訳した
ボブ・ディランの曲を歌ってライブデビュー。
「女ボブ・ディラン」と呼ばれたこともあったようだ。
芸名も中山容にちなんでつけたという。
1972年にレコードデビュー。
レコードを買って聴いた記憶はないが、
「ひらひら」「もうすぐ」「女です」といった
タイトルやジャケットはよく憶えている。
その後、よくあるパターンで、
当初の素朴なフォーク風の曲は、
新味を取り入れたニューミュージックっぽい曲調に
少しずつ(?)変わっていったようだ。
80年代後半、音楽活動を停止し、10年後にカムバック。
以後、コロナ前の2019年までライブハウスなどで
活動を続け、一昨年7月に亡くなった。
最晩年、おそらく最後に近いステージだと思うが、
2019年12月に松本のライブハウスでの
演奏が上がっている。
70歳の中山ラビが、ギター1本でこの歌を歌っていた。
別に気負うことなく、20代の頃と同じように、
さして変わらぬ声で、ごく自然に。
とても美しいと思った。
人は少しずつ変わる。
だんだん変わってどこへたどり着くのか。
誰にも自分のことがわからない。
でもきっと、だから生きているのが面白いのだろう。
いまや誰もが知る名曲中の名曲、
スタンダードナンバー中のスタンダードナンバー。
オリジナルは1961年に黒人シンガーソングライター、
ベン・E・キングがリリースした。
その後、1975年にジョン・レノンが
アルバム「ロックンロール」の中でカバーして大ヒット。
さらに1986年に公開された、
スティーブン・キング原作、ロブ・ライナー監督の
同名映画(4人の少年が死体を見つけようと冒険する話)の
テーマ曲となり、誰もが知る名曲となった。
60年代、70年代、80年代と年月を重ねて
広まった名曲は、もちろん、90年代にも21世紀の今も
愛唱・愛聴されており、
カバー・バージョンは400を超えるという。
さて、ここで歌っているのは皆、
音楽ビジネスとは無縁な無名のミュージシャンたち。
ストリートで、スラムの片隅で、自宅で、
あるいはどこかの野っぱらで、
自由に、好きなように「スタンド・バイ・ミー」を歌う。
この音楽プロジェクト“PLAYING FOR CHANGE”は、
2004年の第47回グラミー賞において、
ベストコンテンポラリー・ブルースアルバム部門で受賞した
アメリカ人のプロデューサー/エンジニアである、
マーク・ジョンソン氏が立ち上げたもの。
彼はサンタモニカの街の路上で歌う
黒人のおっちゃん(冒頭から登場するメインシンガー)の
パフォーマンスに胸を射られ、
その演奏に世界中のミュージシャン達を加え、
音楽で世界をつなぎたいという思いが込み上げたという。
その後、数年をかけて世界のさまざまな国を旅して、
世代を超えた名曲やオリジナル楽曲の演奏を、
のべ100人以上のミュージシャン達から収録した。
そして、それを編集し、
あたかも世界中のミュージシャンが、
ひとつの楽曲を一緒に演奏しているように
仕上げた動画を発表。
世界規模で大きな話題となり、
多くの人々に感動を与える一大ムーヴメントとなった。
このプロジェクトの収益の一部は、
非営利団体である
「PLAYING FOR CHANGE基金」を通じて、
インドやネパールにおける難民への必要物資の提供など、
直接的な援助のほかに、
南アフリカでの音楽スクールやアートスクールの設立、
子どもたちへの恒常的な指導にも役立てられ、
音楽や芸術の輪を、世界に広げることに貢献している。
音楽は世界を救う、平和を実現する――
1960年代から80年代にかけて盛り上がった
ポップカルチャーのムーヴメントは色あせ、
夢と消えたかに見えたが、まだ生きている。
やっぱり音楽っていいものだ、夢を捨ててはいけない
と改めて思わせてくれるパフォーマンスだ。
年末の30日にNHKで放送された
「映像の世紀バタフライエフェクト:
ロックが壊した東西冷戦の壁」が
とても見ごたえがあって面白かった。
東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」を崩壊に導いた、
ニナ・ハーゲン、ルー・リード、デビッド・ボウイ。
3人のロックシンガーの物語。
自由を叫ぶ3人の音楽は、
冷戦の壁を越えて人々の心を揺さぶった。
その番組の中で紹介された曲の一つが
ニナ・ハーゲンの「カラーフィルムを忘れたのね」である。
ニナ・ハーゲンは1980年頃、
パンククイーンとして世界的な人気を博した。
僕もファーストアルバムを持っていたが、
パンクというよりニューウェーブという印象が強かった。
彼女は旧・東ドイツ出身で、世界的ロックスターになる前、
10代の頃から東ドイツで音楽活動をやっていた。
しかし1976年、音楽家で作家でもあった養父が
政府から市民権を剥奪されたことをきっかけに、
東ドイツでの活動の場を奪われ、イギリスに亡命。
翌年に西ドイツに移って新たなキャリアを始め、
あっという間にスターダムにのし上がった。
この曲は彼女が東ドイツで活動していた時代の
大ヒット曲で、1974年のリリース。
同年、東ドイツの音楽チャートでトップになった。
一緒に旅行した彼氏がカラーフィルムを忘れたために、
記念写真がみんなて白黒になってしまったことに
怒る女の子の歌だ(当然、この時代はフィルムカメラ)。
第2次世界大戦の敗戦国となったドイツは
東西に分断され、西は資本主義国である
アメリカやイギリス・フランスなどの勢力下に、
東は社会主義国のソ連(現ロシア)の勢力下に
置かれていた。
コミカルな味わいのこの曲は、当時の若者の、
単調で色のない社会主義国の生活・文化に対する鋭い批判、
痛烈な風刺として受け止められていた。
当時の東ドイツの若者の多くが
この曲に刺激されてロックを聴き始め、
ロックカルチャーの影響を受け、
やがて1987年のデビッド・ボウイの伝説のベルリンライブ、
そして、1989年のベルリンの壁崩壊に繋がっていく。
ニナ・ハーゲンを聴く若者の一人に、
当時、大学で物理学を勉強していた
アンゲラ・メルケル元首相がいた。
ただ、彼女はロックカルチャーに浸ることなく、
反体制的な政治思想を持つこともなく、
むしろ社会主義国家に忠実な科学者として
生きていたという。
それがベルリンの壁崩壊で劇的に人生が変わり、
科学者から政治家に転身。
最後には統一ドイツの第8代連邦首相
(最年少で初の女性首相)となり、
4期16年間、トップを務めて2021年に引退した。
彼女が2021年12月に国防省で行われた退任式典で
演奏する曲として選んだのが
「カラーフィルムを忘れたのね」だった。
記者会見で選んだ理由を問われると
「この曲は私の青春時代のハイライトだった」
と答えたという。
メルケル元首相は国際政治の場でも
大きな存在感を持っていたが、
東ドイツ出身ということもあってか、
対ロシア外交にも辣腕を振るった。
プーチン大統領も彼女に対しては、
つねに一目置いていたという。
2022年、ロシアがウクライナに侵攻したのは、
メルケルが政治の世界から身を引いたために重しがなくり、
プーチンが自分の願望に
ブレーキを踏めなくなったことが一因、
と見る専門家もいる。
それがどこまで真実かわからないが、
国のトップを担う人たちの心理的なバランスが
どこかで崩れてしまったことは確かだろう。
それにしてもとっくに過去のものになったと思っていた
東西冷戦(のようなもの)がまた復活するとは
予想だにしなかった。
報道慣れしてしまって、
昨年のように大変だと思わなくなってしまったが、
世界の情勢はどんどん悪化しているのではないか?
かつては音楽が人の心を変えるだけの力を発揮したが、
今また、それは有効に働くのだろうか?
僕たちは心を揺さぶられることがあるのだろうか?
「映像の世紀バタフライエフェクト:
ロックが壊した東西冷戦の壁」は
近代の世界史・ロックカルチャーの一端を知るうえで、
とても充実した内容なので超おすすめです。
再放送があれば、ぜひ見てください。
2022年最後の懐メロは、1968年リリース、
「ザ・バンド」の永遠の輝きを放つ最高傑作。
ボブ・ディランをはじめ、1960年代から活躍する
様々な超一流ミュージシャンたちと共演。
かのウッドストックフェスティバルでも歌われ、
映画「イージーライダー」の挿入歌にも使われた。
そして、この曲が入った彼らのデビューアルバムは、
かのエリック・クラプトンに
「俺の音楽人生を変えた」と言わしめた。
聖書の言葉を下敷きに
この世で生きる切なさ・苦さに
ユーモアやジョークを入り混ぜた、
不思議に明るい抜けるような旋律。
「重荷」という名の希望と自由を求める歌が、
明日へのテンションを上げる。
では皆さん、良い新年をお迎えください。
ジョン・レノンは「ハッピークリスマス」のなかで
「戦争は終わった もし君が望むなら」と歌った。
でも、そう望まない人が世界にはたくさんいる。
彼の子供や孫の時代になっても
それはほとんど変わる気配はない。
日本も防衛費を増やそうとしている。
ロシア、中国、北朝鮮などの恐るべき動きを見れば
護身のためにやむなしと思う。
さらには日本も核を持つべきではないか、
という意見も耳にする。
今年は、世界は核の恐怖の均衡で成り立っている
という現実を、今さらのように思い知らされた。
そうだ、その通りかもしれないと思う。
けれども想像してみる。
もしも被爆国の日本が核を保有したと明言したら・・。
世界はそこで終わるかもしれない。
いろいろやっている持続可能な社会への取り組みも
すべてが水の泡になるだろう。
日本は核兵器の被害者であるが、
人類の歴史のストーリーの中で、
核を持たずに、
核の脅し合いを諫める役割を背負っている
(背負わされてた?)のではないかと思う。
まるでシェイクスピアの悲劇の主人公のようだが、
世界のために、人類のために、
その役割をこれからもと背負い続ける覚悟が
必要なのではないか。
そして今また「イマジン」を聴く。
当然ながら、いくら想像してみたって
現実はこの歌の通りにはならない。
けれどもこの曲を愛し続けるしかない。
なんだか時間が半世紀前に逆流している。
この曲が本当の懐メロになるのはまだ遠い先の話だ。
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12月22日(木)17:00~26日(月)16:59
おりべまこと電子書籍:音楽エッセイをダブルで。
ポップミュージックをこよなく愛した
僕らの時代の妄想力
ロックが劇的に進化し、ポップミュージックが世界を覆った60~70年代、僕たちのイマジネーションは音楽からどんな影響を受け変態したのか。心の財産となったあの時代の夢と歌を考察する。
忌野清志郎、ビートルズ、藤圭子と宇多田ヒカル、阿久悠など。
ポップミュージックをこよなく愛した
僕らの時代の妄想力2
ロックカルチャーが開花して僕たちの世界はどのように作られ、社会はどう変わっていったのか? いっしょに聴いて、歌って、踊って、妄想しながら考えましょう。
西城秀樹、キング・クリムゾン、ローリング・ストーンズ、ザ・ピーナッツなど。
クリスマスには失恋がよく似合う?
僕もあなたもみんなも大好き、
山下達郎の「クリスマス・イブ」といい、
この「ラスト・クリスマス」といい、
クリスマスの定番ソングになるのは失恋の歌ばっか。
イギリスの男性デュオ・ワムがこの曲を歌ったのは1984年。
(ちなみに録音したのは
ジョージ・マイケルだけだったらしい)
悲しい歌詞なのに、やけに明るいメロディ。
だけど当時はそんなことも気にならず、
この曲が大好きで、この季節になるとよく聴いて
失恋しているのに浮かれた気分になっていた。
思い返せば1980年代はそんな矛盾に満ちた時代だったのだ。
そんな若かったバカかった頃も過ぎて、
もうここ30年近く、BGMで聴こえてくるのは別にして、
ほとんど聴く気がしなかったのだが、
ふとまた聴いてみた。
やっぱり若い頃は妄想が張り付いていたのか、
魔法が切れてて、ワムのオリジナル版を聴いても、
全然ピンとこない。
カバーはどうなのか?
名曲なのでやたらいろんな人、それも女性ばっかり、
しかも世界に名を馳せるビッグネームらが
「“わたしの”ラスト・クリスマス」をご披露しているが、
全然いいと思わない。
そうして辿り着いたのが、ベスという無名の歌手。
ピアノだけを強調したシンプルな演奏をバックに、
甘くかわいく歌う。
はっきり言ってワムのオリジナルより数倍いい。
これぞ魔法がよみがえる、
僕の妄想の中の「ラスト・クリスマス」だ。
彼女はいろいろなカバー曲で歌い、
自分でネットで歌を売っているらしい。
プライベートな写真・家族の写真(だと思う)を
入れ込んだ、妙に素人っぽい映像づくりにも好感が持てる。
きっとパパ・ママが大好きで、
「ジングルベル」や「赤鼻のトナカイ」などと
いっしょに聴いて歌って大人になったんだろう。
懐メロとネットを媒介にビッグネームも素人さんも
分け隔てなく音楽を提供する時代になった。
・・・というわけで、
楽しいクリスマスをお過ごしください。
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西城秀樹、キング・クリムゾン、ローリング・ストーンズ、ザ・ピーナッツなど。
これが最後のクリスマスになるのだろうか?
最期まで音楽と共に生きたいと願う
坂本龍一のソロコンサート。
ガンとの闘病でもうコンサートを行う体力がないと、
1日数曲ずつ、NHKのスタジオで演奏・収録した映像を
一つにつなげてコンサートを構成。
12月11日に世界に配信された。
「戦場のメリークリスマス」は1983年に公開された
大島渚監督の映画。
日本では坂本、ビートたけし、デビッド・ボウイという
ユニークな配役で評判になった。
そして、同名のこの主題歌のピアノバージョンは、
彼の終生の代表曲となった。
魂に染み入るような旋律。
いわゆるクリスマスソングではないのだが、
40年の間、この季節になると聴き続けてきた。
そして、これからも聴き続けるだろう。
今年はなんだか坂本龍一さんからの
クリスマスプレゼントという感じがする。
奇跡の回復を祈らずにはいられない。
イギリスで1978年に刊行された
レイモンド・ブリッグスの絵本
「スノーマン(ゆきだるま)」。
少年がクリスマスの夜に、
自分が作ったスノーマン(雪だるま)といっしょに
天上にあるサンタクロースの国へ遊びに行くという物語で、
それを原作に1982年にテレビアニメーションが作られた。
「ウォーキング・イン・ジ・エア(空を歩く)」は
その挿入歌で、少年とスノーマンが楽しく空を
散歩するシーンで流れるのだが、
なぜかとても悲しく切ないメロディ。
ラストシーンを暗喩しているのだろう。
夢はいつも切ない。
そして「スノーマン」という童話は、
実は別れや死をテーマにした物語なのだ。
作詞・作曲は、ハワード・ブレイク。
オリジナルの歌はセント・ポール大聖堂の
少年聖歌隊のメンバーだったピーター・オーティが歌った。
たくさんの人がカバーしているが、
ノルウェーのシンガーソングライター・
オーロラのカバーはそのなかで最も新しいものと思われる。
彼女は1996年生まれというから、
うちの息子と同い年だ。
息子がチビのときは今ごろの季節になると、
よくいっしょにスノーマンの本を読んだり、
アニメを観たりした。
彼女も同様にスノーマンの物語を愛して育ったのだろう。
スノーマンはまんまるで、イギリスでは
日本のドラえもんやアンパンマンのように
子供に愛される存在なのだ。
2013年にデビューしたオーロラは、
クリスマスシーズンになるとよく自分のライブや
テレビ番組で自分のレパートリーの一つにした
この歌をよく歌っているらしい。
しかし、彼女が歌うと
あのほのぼのしたスノーマンの世界とは
まるで別の、畏怖さえ感じる聖なる世界が広がる。
名前だけは知っていたが、
まともにオーロラを聴くのはこの曲が初めてだったので、
他にもいろいろYouTubeで聴いてみた。
「ランニング・ウィズ・ザ・ウルブズ」
「アイ・ウェント・ツー・ファー」
「アンダー・ザ・ウォーター」
「ソフト・ユニバース」
「ザ・リバー」etc・・・
完全に心臓をつかまれた。
とてつもなくユニークで、
とほうもなくイマジネーティブ。
40数年前に初めてケイト・ブッシュに
出逢った時に匹敵する衝撃度だ。
21世紀以降、これほど妄想力を刺激された
ミュージシャンはいない。
まさか2020年代にこんな音楽に出逢うとは!
一応、ジャンル分けとしてはエレクトロポップ
ということになっているようだが、
それよりもベースになっていると思われる
ケルト系・北欧系の民俗音楽の匂いに強く惹かれる。
曲によっては日本・アジア・
ネイティブアメリカンの香りも。
そして、ロックの精神をしっかり受け継いでいる。
ミュージックビデオも傑作ぞろいだ。
少なくとも僕にとっては現代最高のミュージシャン。
2022年はオーロラを発見した年として胸に刻んでおこう。
懐メロではないが、最高のお気に入り
「ランニング・ウィズ・ザ・ウルブズ」も同時UP。
ぜひ、オーロラの真髄を聴いてみてください。
言わずと知れたディズニーのアニメ映画
「アナと雪の女王」の主題歌。
「レリゴー」が
懐メロと言えるかどうかは微妙なところだが、
2013年のリリースから早や10年近く。
その人気度・浸透度、そして50年後も聴き継がれ、
歌い継がれるであろう、楽曲のクオリティの高さは、
もはや立派に名曲として殿堂入りしていると思う。
映画のサントラとしても最高峰の一曲ではないか。
美しさと疾走感を併せ持つメロディラインは、
吹雪の中で覚醒したエルサが雪の女王に変貌し、
瞬く間に氷の宮殿を築き上げるシーンと相まって
何度聴いても胸が熱くなる。
作詞・作曲は、ブロードウェイの舞台や、
映画・テレビの音楽を数多く手がけている
クリスティン・アンダーソン=ロペスと
ロバート・ロペスの夫妻。
制作の裏話では、出来上がってきたこの曲を聴いて
衝撃を受けたスタッフが、
ストーリーも、エルサとアナのキャラクターも
それまで作ってきたものを一掃して書き替えたという。
(エルサは当初、芯から冷酷で戦闘的な
氷の女王という悪役だったらしい)
まさに新たな作品世界の礎となるだけの
エネルギーを持った楽曲だ。
オリジナルの歌唱は、声優としてエルサを演じた
アメリカ人女優で歌手のイディナ・メンゼルだが、
公開されるやいなや、
世界中で数えきれないほどのアーティストが魅了され、
この名曲をカバーしている。
なかでも僕が好きで、冬になるといつも聴いているのが、
何もない雪原で、エルサとアナとは似ても似つかぬ
二人のおっさんが、真っ白なピアノとチェロで奏でる
インストゥルメンタル。
間奏とエンディングにビバルディの「四季・冬」を
絡めた超絶パフォーマンスは驚愕に値し、
テンションが上がりまくる。
「ピアノ・ガイズ」は、出演のピアニスト、チェリスト、
映像クリエイター、音楽プロデューサーからなるチームで、
映画音楽、クラシックを融合リアレンジし、
映像をネット上に公開。
美しい大自然の中でユーモアを交えて繰り広げられる
演奏・映像が話題を呼んでいる。
冷たい風が吹きすさぶ中、情熱をこめて、
この上なく楽しそうに演奏する姿は、
映画の世界をそのまま拡張したかのような
「レット・イット・ゴー」のアナザーワールドを
見事に表現している。
そして、凍えるような季節がやってきても、
僕たちも熱く楽しく、愛を持って
毎日を生きたいと思わせてくれる。
1976年リリース。
懐かしいけれど、ひどく新鮮な気持ちにさせられる
坪田直子の透明感のある声。
浮遊感のあるファンタジックな演奏に乗せて、
ほんの数行の詩を繰り返すだけの短い歌だが、
いかようにでも解釈できる、
とても想像力を刺激される歌だ。
高校生時代に見た「気まぐれ天使」という
テレビドラマで彼女が好きになり、
レコード屋でこの「ピーターソンの鳥」という
アルバムを見つけて買った。
いまや見つけるのが
難しいマイナーなレコード(CD)だが、
当時、魂を傾けて聴き込んだせいもあって、
いま聴いても1曲1曲が驚くほど個性を放っていて、
めちゃくちゃ充実した内容に思える。
全10曲中、6曲がいわゆるフォークソングと
ニューミュージックの間のようなメランコリックな歌、
2曲がポエムリーディング、
そしてこの曲と最後の「ほし」が、
このような短い詩のリフレインになっている。
当時としてもかなりユニークな構成だ。
「ピーターソンの鳥」は、同名映画のサントラである。
東京キッドブラザーズ制作の映画で、
彼女はその物語のヒロインだった。
脚本・監督の東由多加は、
かの寺山修司が主宰していた演劇実験室「天井桟敷」の
創設メンバーの一人。
寺山が発起人となって開いた力石徹の葬儀
(漫画「あしたのジョー」の登場人物)は今や伝説だが、
その構成・演出は彼が手掛けた。
東京キッドブラザーズは、
東由多加が天井桟敷脱退後に作ったミュージカル劇団で、
NYCのオフブロードウェイにも進出した。
映画はミュージカルではないが、
かなり音楽に精力を傾けていて、
そのこだわりがアルバム「ピーターソンの鳥」の
クオリティの高さに繋がっている。
当時としても、そして、いま聴いても
斬新でユニークなサウンドではないかと思う。
ちなみに映画の話をすると、
主役は秋田明大という全共闘のリーダーだった男。
どうも彼が天井桟敷や東京キッドブラザーズの演劇に
興味を持って東と仲良くなり、
この映画作りに発展したらしい。
ただ、映画の内容はそうした思想や政治とは関係なく、
珍しい鳥を探し続ける男と、彼と出会った女との旅を
抽象的に描いた、半分アメリカンニューシネマ風の
あまりストーリーのはっきりしない映画だった。
内容として思い出せるのは、
雪原やプラネタリウム、バイクで走るシーン。
そしてやっぱり坪田直子の顔と歌声ばかりである。
けっこう暗い、破滅的な話なのだが、
妖精のような彼女の存在が、
浄化作用になっていた印象が残っている。
僕は確か1978年か9年に池袋の映画館で
リバイバル上映されていたのを見たのだが、
知る限り、その後、
どこかで上映されたという話を聞いたことがない。
もう幻の映画になってしまったのだろう。
僕にとっては坪田直子の歌が聴ければ
それでいいのだけれど。
1982年リリース。
ソウルとポップのベストブレンドを狙った
ダリル・ホールとジョン・オーツのデュオは
80年代前半にヒット曲を連発。
ポピュラー音楽史上最も売れたデュオとさえ言われる。
当時、僕は「プライベート・アイズ」という曲が好きで、
自分の芝居のテーマ曲に使ったりもしたが、
ホール&オーツ自体はそれほど大好きというわけではなく、
流行ってたからよく聴いてた、という程度。
もう何十年も聴いていなかったし、
正直、ほとんど忘れていたのだが、
この曲の独特の揺らめくような心地よいリズムは
なんだか耳の底に残っていた。
今回、このライブパフォーマンスを見て
改めてホール&オーツの音楽のクオリティの高さを実感。
齢を取ってよかったじゃん!
と思わずいいたくなるほど魅力的な演奏。
めっちゃシブくてダンディで、
若い頃より断然カッコいい。
10年近く前のライブらしいが、
ダリル・ホールも、ジョン・オーツも、
もちろんとっくに還暦を過ぎてて、
シニアならではの、
深くて芳醇なモルトウィスキーみたいな
味わいをたっぷり聴かせてくれる。
盛り上げるバックも素晴らしいの一言。
特に中盤以降のサックスを中心としたジャージーな展開は、
極上の酔い心地で、これはもうたまらない。
秋の夜長にぴったりの揺らめくリズムに
そのまま揺られて、いつまでも踊っていたくなる。
1992年リリース。
もう30年も経ったのか!
90年代指折りの名曲は、
懐メロというよりも現代に繋がる
フォーエバーヤングな歌。
そして聴く者の気持ちのテンションを上げる
フォーエバーロックな世界。
ちょっとユニセックスな雰囲気を漂わせる
女3人、男1人のユニークな編成。
「金髪じゃない4人」というバンド名は
ジョークと、反骨精神と、
まっとうな在り方からちょっと外れているという
屈折した思いが程よくブレンドされている。
(当時のアメリカ社会では、白人のなかでも
微妙なカーストがあって、
ノンブロンズーー金髪でないことは
劣等感を抱かざるを得なかったらしい)
そして、そんな彼女らのスピリットが
パワフルな魅力となって、
この曲に凝縮されているかのようだ。
♪25年生きてきたけど
まだ目的地に辿り着く希望を胸に
あの大きな丘を上がっていこうとしているんだ
アタシは精一杯やるよ
どんな時でも諦めず
この社会の枠組みの中で頑張るよ
そして祈ってる
毎日ずっと祈ってる
世の中が大きく変わるように
もともと男社会に対する女の反抗の歌だが、
いま聴くと、あまり性別は関係ないように思える。
昔の25歳も、今の25歳も同じ様な思いを抱いている。
そして僕のように60歳を過ぎると、
きっとその希望の丘のてっぺんには
永遠に辿り着けないんだろうという諦観も入り混じる。
けど、それでもいいさ
死ぬまでその丘を登り続けようじゃないかと、
この歌詞の最後に足してみるといいのかもしれない。
秋の歌と言えば、ビートルズの
「アンド・アイ・ラブ・ハー」、
ギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」、
そして、このアルバート・ハモンドの
「落葉のコンチェルト」である。
1973年リリース。
中学生の今頃の秋の夜、
ラジオにかじりついて聴いていた。
落葉が風に舞う秋の散歩道を
孤独を抱えて歩く男をイメージさせる
リリカルなメロディ。
なんとも美しく、ドラマチックな曲だ。
漠然とこれは恋に破れた男の歌なんだろうなと思っていた。
まさしく「落葉のコンチェルト」
というタイトルにぴったりの歌だ。
ところが今回、英語の原題を見てびっくり!
For The Peace Of All Mankind ——
すべての人類の平和のために
なんか特撮ヒーローの歌みたいである。
とはいかないまでも、
アルバート・ハモンドって、
こんなジョン・レノンみたいな歌手だっけ?
って混乱してしまった。
でもまぁ、ロシア・中国・北朝鮮と、
怖ろしい動きをする国がうごめく今年、
平和への願いを謳っているんなら、
ぜひ伝えたいと思って歌詞を調べてみたら愕然。
♪平和のために 安心のために
人類みんなの心の平穏のために
出て行っていってくれ
僕の頭のなかから消え去ってくれ
ベッドルームのドアを閉め
すべてを以前のように戻してくれよ…
なんだ、やっぱり女にフラれて
メソっている男の歌ではないか。
それをわざわざ「人類みんなの心の平穏のために」と
壮大なる表現にしてしまう、すごいセンス。
というわけで逆転×逆転で、
元通り、女にフラれた寂しい男の歌ってことで
落ち着いたわけだが、まだなぞは残っている。
歌詞のストーリーの中には
秋も落葉もコンチェルトも出てこない。
どうやらこれは日本のレコード会社十八番の
邦題マジックだ。
原題の仰々しさと曲調がさっぱり合わないということで、
レコードの発売時期が秋だったこともあり、
このタイトルがつけられたのだという。
前回の「悲しき天使」(メリー・ホプキン)みたいに、
可愛い娘が歌っているからこうしとけ、
みたいな手抜き仕事もあるが、
これはセンスが光っている。
その証拠に、「カリフォルニアの青い空」と並ぶ
ハモンドの代表曲と言われているこの曲は、
日本だけでヒットしたらしい。
たしかに題名が「落葉のコンチェルト」というだけで、
切なさ・美しさ三倍増。心に染み入り方が違う。
これぞ邦題の力、これぞ邦題マジック!
それにしても、勝手に題名を変えて売るのって、
当時は許されていたみたいだけど、
作者のミュージシャンはどう思っていたのだろう?
それから今はどうなのだろう?
著作権侵害に当たらないのだろうか?
いずれにしても皆さん、
すてきな音楽で秋の夜長をお楽しみください。
968年リリース。
イギリスのシンガーソングライター、
メリー・ホプキンが歌ってグローバルヒット。
とても印象的なメロディーラインなので、
若い世代でも聴いたことがある人が多いだろう。
僕はフランスのシャンソンの何かの曲を
モチーフにしているかと思っていたが、
原曲はロシアの歌謡曲で、
それをアレンジしたのだという。
さらに驚きなのが、当時、ビートルズが作った
アップルレコードからの初のシングルであり、
ポール・マッカートニーが
プロデュースしたのだとか。
そんな意外な事実に衝撃を受けた
「悲しき天使」だが、
僕にとってこの曲は唐十郎の戯曲「少女仮面」の
テーマ曲である。
唐十郎は1960年代から70年代にかけて
世の中を席巻したアングラ演劇の
劇作家であり、大スターであり、
彼の率いる劇団状況劇場は、
恐るべきスター俳優が勢ぞろいする
超パワー劇団だった。
その唐十郎が1969年に書き下ろし、
1970年の第15回岸田戯曲賞
(演劇界の芥川賞と言われる)の受賞作が
「少女仮面」だった。
この戯曲には冒頭部分のト書きで、
「メリー・ホプキンの『悲しき天使』が流れる」と
堂々と書かれている。
物語はさすがアングラ芝居らしく、
いろいろな幻想的なシーンがコラージュされていて、
単純なつくりではないが、
最も主軸となるテーマは「老い」、
それも女の老いである。
「時はゆくゆく、乙女は婆に、
婆は乙女になるかしら?」
なんて歌も挿入されるが、
おそらく「悲しき天使」が、
この物語の重要なモチーフになったのだろう。
この頃の邦題は、歌にしても映画にしても、
女が主役・歌い手だったりすると、
やたら「悲しき○○」「天使の○○」「○○の天使」
というのが多いが、原題はまったくこれと関係ない。
原題「Those were the days」は、
「あの頃はよかった・あの頃がなつかしい」
という意味で、歌詞の内容は、
まさしくな懐メロ大好きな中高年が、
青春時代の思い出に耽っている、という内容。
歌うメリー・ホプキンは当時、
まだ少女と言ってもいい18歳の女の子だった。
天才的物語作家で、次々と戯曲を書きまくり、
芝居を打ちまくっていた唐十郎の頭の中には、
この歌詞とメロディを聴いただけで、
「少女仮面」の構想が、
ダダダダと出来上がったのだと思う。
(確か何かの本で「三日で書き上げた」
と言っていたような記憶がある)
ちなみに「少女仮面」は、
僕が演劇学校に入った年、
学内の1年上の先輩方が上演して
「すげー」と衝撃を受けた思い出がある。
こんな芝居をやるなんて、
先輩方がみんな天才俳優に見えた。
今でもその時の、
ひとりひとりのキャラクターを鮮烈に憶えている。
また、この作品は「老い」という普遍的なテーマ、
そして役者の人数も適度で、
大掛かりなセットもいらない、
時間的にも割と短く、
上演しやすいといった要素から、
唐十郎の芝居の中で最も人気があるようで、
最近でもどこかしらの劇場でやっているようだ。
そして「悲しき天使」も時を超えて流れている。
18歳だったメリー・ホプキンも、
もう70歳を過ぎている。
婆は乙女になるかしら?
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1972年リリース。
1970年代に人気を誇ったウィッシュボーン・アッシュは、
最近、あまり語られることが少ない。
しかし、この曲がラストを飾る「百眼の巨人アーガス」は
必聴の名盤である。
逆に言えば、他は聴かなくていいので、
「アーガス」だけは聴いてほしい。
内容はレコードジャケットに表現された世界そのまま。
中世の戦士が彼方の空を見つめる。
その視線の先、霧に霞む山の向こうに
かすかに見え隠れするUFO。
過去と未来を繋ぐ、恐ろしくイマジネーティブな音楽が、
1曲目「時は昔」のギターのイントロから展開する。
ウイッシュボーン・アッシュは
一般的にはハードロックに分類されることが多いが、
彼らが最も輝いた、この「アーガス」の世界は、
プログレッシブ・ロックのノリである。
それもシンセサイザーなどのキーボードを使わず、
ツインリードギターとベース・ドラムの編成で
繰り出すサウンドは、シンプルで味わい深く、
他のプログレバンドにはない独特の美学がある。
このアルバムは、いわゆるコンセプトアルバムとは異なり、
特に一貫したストーリーや
明確なテーマがあるわけではない。
しかし、美しくユニークなジャケットにも表現された
統一された世界観は、
却って聴く者の心に、さまざまなストーリーを湧かせる。
そして、そのエンディング曲、
ツインギターの独特の哀愁を帯びた「剣を棄てろ」は、
当時の東西冷戦に対する反戦歌とも解釈できる。
剣を棄てろ
戦いは終わった
勝者も敗者もない。
闘争の怒りはただ漂流するだけ・・・・
50年の年月が経ち、
今また世界は同じ時・同じ道を巡っている。
いつか「剣を棄てる」時代は来るのだろうか。
1973年リリース。
本日、鉄道開通150年。
「鉄道の日」にこじつけてロコモーション。
前々回のキャロル・キングの時、
このスタンダードナンバーは
キングの作曲だと初めて知ったので、
あっちこっち聴いてみた。
1962年のリトル・エヴァという、
アメリカの黒人女性歌手が歌ったのがオリジナルだが、
さすが名曲だけあって、古今東西、
数多の歌手がカバーしている。
僕が初めてロコーモションを聴いたのは、
わが日本のゴールデン・ハーフの歌で、だった。
キュートでセクシー。
いま聴いても楽しくて可愛くて
いちばんロコモコしてると思う。
ゴールデン・ハーフは1970年代前半に活躍した
全員ハーフの女性グループ。
最初は5人組(この頃は知らない)で、
次に4人組(たぶんこの頃が最盛期)、
最後に3人組になった。
明るいお色気をふりまき、露出度も高く、
ビキニの水着で歌っていたのが印象的。
当時はまだ小学生だったが、
鼻の下を伸ばしてテレビを見ていた。
バラエティもこなし、
たしかドリフターズの番組でも活躍していたと思う。
この頃はアイドルと言えば「清純派」が
持て囃されていた時代(今もそう?)なので、
そちらが最高級品とされており、
お色気とお笑いがウリのゴールデン・ハーフは、
B級アイドルの位置づけだった。
でも今見ると、当時の他の清純派アイドルたちが
到底かなわないほどダンスにキレがあって、
歌もうまい。
そして、さすがハーフというべきか、
スタイル抜群で英語もキレてる。
思えば、この「ロコモーション」をはじめ、
「黄色いサクランボ「バナナボート」
「太陽の彼方」「2万4千回のキッス」など、
このあたりのスタンダードは、
みんなゴールデン・ハーフで初めて聴いた。
当時の子どもにとっての洋楽ポピュラー入門編。
彼女らの貴重映像に巡り合い、
またもや鼻の下を伸ばしている。
1971年リリース。
アイドル感が強かった
1960年代終わりのGS(グループサウンズ)。
熱狂的なブームが終わり、
そのメンバーたちが集まって
「本格的なロックをやろうぜ」と作ったバンドが
PYG(ピッグ)だった。
ザ・タイガースから
ヴォーカル・沢田研二(ジュリー)と
べース・岸部修三(のちの一徳)。
ザ・テンプターズから
ヴォーカル・萩原健一(ショーケン)と
ドラムス・大口広司。
ザ・スパイダースからギター・井上堯之と
キーボード・大野克夫。
GSブームの頃、おとなたちは
「なんだ、あの女オトコどもは!」と怒っていた。
年上のいとこのお姉ちゃんたちは
ジュリーにキャーキャー言ってた。
いとこの兄ちゃんからは
「ショーケンは子どもの頃、
よくおねしょをしてたから
ショーケン(小便+健一)っていうんだって」
と教わった。
僕はまるっきり子供(小学校低学年)だったので、
髪の長い兄ちゃんたちがワイワイ歌を歌っているな、
でもエレキギター弾けるとカッコいいな、
という印象だった。
ワイワイ、アイドル扱いされていたGSも
あっという間に消費されてしまって、
ロックかぶれの先輩がたは
「あんなの、オンナ相手の子供だましバンドだ」と
馬鹿にしていた。
けれども、彼らの音楽性と演奏力は
優れたものだった。
PYGがそれを証明した。
注目されたのは、もちろん超人気アイドル、
ジュリーとショーケンのダブルヴォーカルだが、
バックの4人がすごかった。
彼らはのちに井上堯之バンドとなり、
日本のロック・ポップの世界に金字塔を打ち立てる。
井上堯之バンドの代名詞となる
「太陽にほえろ!」のテーマも、
最初はPYGの名義で演奏されたらしい。
「自由に歩いて愛して」は、
デビュー曲「花・太陽・雨」に続く
セカンドシングル。
どうやって手に入れたのか憶えてないが、
僕もレコードを持っていて、よく聴いていた。
まさしくあの井上堯之バンドのロックサウンドが
ここにある。
詞も素敵で、50年後のいま聴いても、
いや、いま聴くからこそ心に刺さるものがある。
これだけのスーパーバンドでありながら、
PYGは不遇で、当時のロック=反体制の信奉者から
商業主義バンドと罵倒されたり、
コンサート会場ではジュリーファンと
ショーケンファンの対立が激しく、
一体化できなかった。
所属事務所のマネージメントもよくなかったらしい。
思ったほどレコードは売れず、
マスコミからは見掛け倒しと叩かれ、
結局、鳴かず飛ばずで終わってしまった。
しかし、PYGで自分たちの音楽、
本格的なロックを追究したからこそ
メンバーたちのその後の輝かしいキャリアが
築かれた。
ドライブ感満点のベースを弾いていた岸部修三も
岸部一徳という存在感抜群の俳優となって今も活躍。
ジュリーもショーケンも歌手・俳優の両面で成功。
二人とも自分のライブでは愛と誇りを持って
この「自由に歩いて愛して」を歌っていた。
うん、やっぱりカッコいい!
もうこのメンバーのうち、
半分の三人がこの世を去ってしまったが、
PYGよ、永遠なれ。
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1971年リリース。
この曲が収録されたアルバム
「つづれおり」(Tapestry )は、
全米アルバムチャートで15週連続1位、
その後も302週連続でトップ100に留まる
ロングセラーとなり、
グラミー賞でも4部門を制覇した。
それだけでなく、現在も聴かれ続ける
ポップミュージックの名盤中の名盤として名高い。
この四半世紀、ローリングストーン誌などをはじめ、
いろいろな音楽雑誌やサイトなどで
何度もロック・ポップス名盤ランキングが
開催されているが、いわゆる一般的なランキングで、
「つづれおり」はつねに十傑に入っている
という印象がある。
それだけ多くの人に、
世代を超えて訴える普遍性があるということだ。
キャロル・キングは1960年代、
弱冠16歳からプロの音楽家として活動している。
今回、知ってびっくりしたのは
「ロコモーション」をはじめ、
今でも有名なR&B系のスタンダードナンバーの多くが
彼女の手によって書かれたということ。
最初の夫となったジェリー・ゴフィンとコンビを組んで、
ソングライターとして全米ヒットを連発していたのである。
ビートルズのレノン=マッカトニーも、
最初はゴフィン=キングを目指していたという
逸話さえあるようだ。
そんな彼女が夫とのコンビを解消して、
今度は自らシンガーソングライターとして活動を始めて
2枚目のアルバムが「つづれおり」だった。
このアルバムが後世のミュージシャンに与えた影響は
計り知れない。
そして、もしかしたらその影響力は
日本の女性ミュージシャンたちに
最も大きく及んだのではないかと思える。
彼女の作曲の素晴らしさ、アルバムの充実度に加えて、
ジャケット写真がとても印象的だった。
日の当たる窓際で、猫といっしょに
セーターとジーンズ姿でたたずむキングの姿は、
「自由な新しい女」として、一つの世界を、
これからのライフスタイルを提示していた。
それもジャニス・ジョプリンのような
常人離れした激しすぎる生き方でなく、
愛情と平和と穏やかさを伴った、日常の中の新しい人生を。
事実、キングは五輪真弓のアルバム制作にも関わっており、
日本の音楽界とも縁が深い。
もしも彼女がいなかったら、
そして「つづれおり」というアルバムがなかったら、
日本でこれほどフォークソングも、
ニューミュージックも
発展しなかったのでないかと思えるくらいだ。
僕自身は正直、
これまでキャロル・キングにあまり興味がなく、
昔、ラジオでときどき聴いたな~くらいの印象だった。
僕が音楽をよく聴き始めた中学生時代—ー
1970年代の半ばには、すでに彼女はレジェンドであり、
当時の変化の激しい音楽界において、
過去の人になっていた感がある。
そんなわけで最近、改めて聴いてみたら、
たしかにこれだけいろいろな音楽を聴いた耳にも
「つづれおり」の楽曲群は新鮮に響く。
これはやはり現代のポップスのバイブルと言える
アルバムなのだ。
中でもいちばん好きなのが「去りゆく恋人」である。
この曲は中高生時代、女性のDJの
「秋になるとキャロル・キングが聴きたくなるんです」
というセリフとともに、
ラジオで何度か耳にしたことをよく憶えている。
BBCに、これまた当時、
シンガーソングライターとして大活躍していた
盟友ジェームス・テイラーと共演したライブ。
若くして素晴らしい貫禄。
そして、心に染みわたる「自由な新しい女」の歌声。
1975年リリース。
アンビエントミュージック(環境音楽)の原点であり、
巨大な船で僕たちの心をはるかな海へ曳航してくれる
ブライアン・イーノの最高傑作。
イーノはグラムロックとプログレッシブロックの
あいの子みたいなバンド「ロキシーミュージック」の
キーボードプレイヤーとして70年代の初めにデビュー。
その頃は奇抜なファッションと
アバンギャルドなパフォーマンスで話題を集めたが、
ソロになってからは独特の音楽世界を築き始めた。
この曲が収録された3枚目のソロアルバム
「アナザー・グリーン・ワールド」は、
1980年代になってブレイクし、
新たな音楽ジャンルとして成立する
アンビエントミュージック(環境音楽)の先駆的作品。
その後、イーノはいわゆるロック、ポップミュージックとは
一線を画した音楽活動を続けるが、
当時のミュージシャン、アーティストらに
与えた影響は絶大で、
ロバート・フリップ、デビッド・ボウイ、
トーキングヘッズ、U2など、
数え上げればきりがない。
そしてアンビエントミュージック(環境音楽)の
開発者の一人として、
映画や美術などの世界にもその影響力は広がった。
いまや懐かしのマイクロソフト・ウィンドウズ95の、
あの起動音を作曲したのもイーノだった。
コンピュータ時代の幕開けを彩った
わずか3秒の鮮烈な序曲。
人間の無数の感情の一つ一つを構築して作ったような
「ザ・ビッグシップ」には、
信者ともいえる熱烈なファンが大勢いるようで、
YouTubeには「THE BIG LOOP」と題して、
10時間という長大な編集バージョンも上がっている。
瞑想曲として、作業用BGMとして、
仕事や生活のあらゆる場面で愛聴できる、
そして日常の風景を非日常的なものに変えてしまう
このマジックナンバーは、
ひとりひとりの心の無意識の領域で
まるで血流のうねりのように響き続ける。
1969年リリース。
エリザベス女王の訃報を聞いた時、
真っ先に思い浮かんだのは、
ビートルズの「ハー・マジョスティ」と
セックス・ピストリズの「ゴッド・セーブ・ザ・クイーン」。
そして、このキンクスの「ヴィクトリア」だった。
一時期、英国ではビートルズ、
ローリングストーンズと
肩を並べる大人気バンドだったキンクスだが、
日本での人気はイマイチで、
僕も20歳を過ぎるまで聴いていなかった。
しかし、1980年代になってヴァン・ヘイレンが
彼らの代表曲「ユー・リアリー・ガット・ミー」を
カバーして世界的大ヒットになったのをきっかけに、
キンクスの人気も再燃。
このライブが収められている
「ワン・フォー・ザ・ロード」は
ヒット曲満載で演奏内容も弾けまくっていて、
大好きだった。
中でもこの曲は、
僕にとっての最高のキンクスナンバーだ。
「ヴィクトリア」とはもちろん、
エリザベス女王のひいひいばあちゃん。
経済・産業が支配する現代の世界の始まりを作った
大英帝国の元首・ヴィクトリア女王のことである。
♪幸福な僕は愛する国に生まれてきた
貧しくたって自由なのさ
大人になったら戦争に行って
お国にために戦うよ
女王の栄光よ 永遠に
ヴィクトリア ヴィクトリア
めっちゃ明るく元気なロックンロールに乗せて
歌う歌詞は猛毒のてんこ盛り。
強烈な社会批判、
半世紀前の高齢者の老害に対する糾弾を含めて、
偉大なるヴィクトリア女王を皮肉り倒して見せた。
ビートルズやセックス・ピストルズもそうだったが、
権威に対する反抗的な姿勢は痛快だった。
ただ、いま聴くと、
懐の深い母親や祖母に見守られて、
跳ね回っている腕白小僧たちにも見えるのだけど。
いずれにしても、自由にロックできる世界が
これからもずっと続くことを願ってやまない。
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先週に引き続き、世界的に大ヒットした
映画「サタデーナイトフィーバー」の挿入歌。
1978年リリース、全米シングルチャートで1位を記録した。
僕にとっては「恋のナイトフィーバー」や
「スティン・アライブ」よりも、
この曲が最もあの時代の空気をまとっているように思える。
歌手のイヴォンヌ・エリマンは、
ハワイ生まれの日系アメリカ人。
1971年にロックミュージカル
『ジーザス・クライスト・スーパースター』
さらに1973年の同作の映画でも
マグダラのマリア役を演じて人気を得た女優でもある。
若い頃はもっと日本人っぽい顔をしていたが、
この映像(2000年代だと思う)では
貫禄がついてポリネシアンらしくなった。
そして、彼女と同じく貫禄のついた
ディスコ世代のダディ、マダムが
「30年後(40年後?)のナイトフィーバー」という感じで
楽しそうに踊る姿は素敵であり、
同時にちょっと笑えたりもする。
大好きなこの曲、惜しいと思うのは
もっと気の利いた邦題が付けられなかったのかということ。
「アイ・キャント・ハヴ・ユー」では
味もないし、平凡でインパクトに欠ける。
「サタデーナイトフィーバー」には
「愛はきらめきの中に」なんて
素晴らしい邦題もあったのに。
(原題:How Deep is your Love)
こちらの原題は「あなたがいないと」という意味なので、
いくらでも考えられそうなものだが、
なんで日本のレコード会社は、
頭の「If」を取るだけという中途半端な手抜きをしたのか、
いまだに謎である。
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エッセイ集:子ども②
「赤ちゃんはなぜかわいいのだ?」
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無力な状態で生きなくていけないため、親に「守ってあげなきゃ」と思わせる。
だから赤ちゃんはかわいいのだ――というのが今では定説。
でも、そうした戦略だけではないのではないか?あのかわいさには、もっともっと人間の心の根源にひびく秘密がありそうだ。そう考えて男の目線から赤ちゃんについて考察した表題作。ほか、子どもをテーマにした面白エッセイ35編を収録。
夏の終わりはディスコでフィーバー!
って、どんだけ昔の話なんだ?と思ったら、
1977年12月のリリースだった。
ジョン・トラボルタ主演映画
「サタデーナイト・フィーバー」の主題歌。
日本ではアメリカに遅れること半年、
1978年7月の公開。
そうだった、そうだった。
東京に出てきた年の夏休み、
学校の友だちやバイト仲間と、
新宿、池袋、赤坂、六本木など渡り歩き、
アホみたいにフィーバーしてた。
いっしょに踊ってた一人一人の顔が目に浮かぶ。
この頃から10年くらいは
ディスコの黄金時代だった。
口にするのは恥ずかしいけど「青春のディスコ」だね。
この映画、トラボルタは普段はペンキ屋のあんちゃんで、
週末だけディスコ輝いている、という設定。
そして出逢った女性と恋に落ち、
ダンス大会に出場するというストーリーだったが、
メッセージとしては
「ディスコみたいなところばっか行ってたら、
ロクな大人にならないぞ」みたいなことだったと思う。
それに相反するように、
以後、世界中でディスコ文化が出来上がり、
僕らの世代は一生引きづっている。
かつてのディスコブームは、はるか夢の彼方だが、
ビー・ジーズのこの曲は、
いま、普通に聴いていてもすごく良い曲だ。
踊らなくてもいいから、ずっとずっと聴いていよう。
オリジナルはもちろん、1969年のビートルズ。
それを上々颱風(シャンシャンタイフーン)が
独自のアレンジで1991年にリリースした。
過去50年あまり、この偉大な楽曲に魅了されて
数多のミュージシャンがカバーしてきたが、
あまりに孤高過ぎて、
誰もその美しさの半分すら表現できない。
当の作曲者のポール・マッカートニー自身の歌・演奏すら
あんまりいいと思わない。
マッカートニーひとりでは駄目なのだ。
あの時代、ほとんど解散状態だったビートルズ。
それでもあの4人が揃っていたからこそ編み出せた
最後のマジック。
それが「レット・イット・ビー」なのだ。
しかし唯一、まったくベクトルは違うけど、
原曲と同等レベルの感動を味わえるカバーがある。
それがこの上々颱風の
自称「ちゃんちきミュージック」の演奏だ。
「三線バンジョー」を中心に、
パーカッション、ベース、キーボードのほか、
いろんな和楽器や民族楽器、
そして女性二人のツインボーカル。
琉球音階などアジア民謡、レゲエなどのエッセンスを
取り入れたお祭りビートの「レット・イット・ビー」は、
原曲をリスペクトしながら、見事なアレンジに成功。
もし凹んでいたら人にぜひ聴いてほしい、
涙が出るほど元気になる音楽だ。
1年前に紹介した金沢明子の「イエローサブマリン音頭」
(大滝詠一:編曲、松本隆:訳詞)もそうだが、
思いがけないことにビートルズナンバーって、
日本のお祭りとめっちゃ相性がいいのだ。
もしかしたら探せば、他にもあるかも。
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・夏のテレビのニュースで、道行く人たちが「暑い」とコメントすることに関する考察 ほか全35編
★いつもちょっとクレイジーでいるためのスキル
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・とんかつ屋はいかにして声優に転身したか
・eパン刑事、その愛と死とスマホ
・負けっぱなしでも強く、しぶとく、勝っているやつよりハッピーに生きている
・自分の中の文脈を探る冒険
・子どもの大学受験は「良い親検定」
・電車で若者に座席を譲る ほか全38編
★銀河連邦と交信中なう
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・「人間を大事にしています」ってどういうこと?
・いい人のサービス残業問題
・慢性硬膜下血腫で頭の手術の顛末記
・みずから幸福になることを放棄している日本人
・電車内スマホゲームはなぜカッコ悪いか
・生殖機能終了後の人生とは? ほか全38編
あなたのレビューお待ちしています。
1973年リリース。
この曲が収録されたアルバム「リンゴ」は、
ビートルズ解散後、
リンゴ・スターの初めてのオリジナル曲集。
他のメンバー3人も曲を提供したり、
録音に加わっていることから、
発表当時、
ビートルズ再結成説がまことしやかに飛びかった。
僕は高校時代に友だちから、
このレコードを100円だか200円で買った記憶がある。
その頃は緊張感の強い曲が好きだったので、
どうもこういうリラックスムードが気にいらなかった。
ビートルズ時代の曲もそうで、
「黄色い潜水艦」とか「タコさんのお庭」とか、
リンゴの歌う曲はマヌケな歌・お笑いか?
と思わせるような歌ばかりで、
ビートルズのカッコよさを損ねていると思っていた。
ドラムも後から出てきたハードロック、
プログレッシブロックなどの
ドラマーと比べて地味で、全然カッコよくない。
1960年代から70年代のロックドラマーは
ジャズドラマーに習って、思いっきり腕前を見せつける、
派手で長尺のドラムソロを披露するのが一流の証だった。
しかし、一度もそんなことはやったことがなく、
それもまたリンゴ・スターは二流、三流で、
たまたま他の3人がすごかったから一緒に売れただけだと、
さんざんディスられていた。
けど、いくらすごいドラマーでも、
ドラムソロが5分も10分も続いた日にゃ、
よほどのマニアでなければ飽き飽きしてしまう。
ライブでならまだいいが、レコードでは退屈でしかたなく、
たいていその部分は飛ばして聴いていた。
そうしたリスナーの心理を知っていたのか、
リンゴ・スターは、
「誰もレコードでドラムソロなんて聴きたくないから」
と言って、目立とうとはしなかった。
そんなビートルズ時代の彼の姿勢は、
今ではほとんどの評論家に支持されており、
「ビートルズのハートビート」
「ドラムで曲に表情を付けられる天才ドラマー」として
リスペクトされている。
リードヴォーカルを取ることも、
作曲をすることも少なかったが、
アルバム1枚に1曲、彼の歌声が聴こえてくると
なんだかホッとする面があった。
キャラクターもユニークで、他の3人に比べて、
なにか次元の違う場所にいるような奇妙な味がある。
たとえドラムがリンゴ・スターでなくても、
レノン=マッカートニーの天才ぶりを考えれば、
やはりビートルズは偉大なバンドになっていたとは思う。
ただ、ロックミュージックの変革者たる彼らが、
ここまで世界中で多くの人々に愛され、
「ビートルズ」という、後の世代まで親しまれる、
ひとつのカルチャーになり得たかというと、
疑問符が浮ぶ。
単なるドラマーの域を超えたリンゴ・スターの存在感。
本当に不思議な存在感。
ビートルズの4人を四季に例えてみると、
ジョージ・ハリスンは秋、
ジョン・レノンは冬、
ポール・マッカートニーは春、
そして、やはり「イエローサブマリン」や
「オクトパス・ガーデン」のイメージからか、
リンゴ・スターは夏。
ハッピーでノー天気な「オー・マイ・マイ」は
彼のソロ曲の中でも、僕としてはベストナンバー。
この齢になって知るリンゴ・スターの素晴らしき世界。
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昭和96年の思い出ピクニック
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1981年リリース。
ヒップホップやレゲエのソースを
だぼだぼにぶっかけたアフロビート。
ポップスとのこんなにこってり濃厚な
ミックスアップを聴いたのは
初めてだったので、ガチぶっ飛んだ。
いま聴いても、もちろんサイコーにユニーク、
サイコーにとんがったダンス・ポップで、
楽しさ106106パーセント。
彼女らのオリジナル曲だが、
元ネタはモロッコの子どもたちが遊ぶときの
わらべ歌だったという話もある。
そう言われると、なんとなく納得。
トムトムクラブは当初、
80年代ニューウェーブの最先鋒だった
トーキング・ヘッズのメンバー、
ティナ・ウェイマス(ベース)と
クリス・フランツ(ドラム)の夫婦による
プロジェクトバンドだった。
バンド名は、トーキング・ヘッズが
レコーディングで使っていたバハマのスタジオに隣接する
ミキシング施設から来ているという。
このデビュー・シングル
「おしゃべり魔女(Wordy Rappinghood)」と
セカンド・シングル
「悪魔のラヴ・ソング(Genius of Love)」は
どちらもビルボードのホットダンスプレイチャートの1位を記録。
真夏のクソ暑い一日の終わり、
頭からっぽにして、
おしゃべり魔女のリズムに身をまかせよう。
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レビューお待ちしています。
皆さんの読書体験をお聞かせください。
一昨年秋からブログで毎週連載している
「週末の懐メロ」がそろそろ100回になる。
最初は手抜きコンテンツーーYouTubeのリンクを貼って
適当なことを200字程度書いとけばOKや――として始め、
年内いっぱいぐらい続けるかと思っていたが、
どんどん感情移入が進み、
個人的思い出を交えて好き勝手に書いている。
ネットでは音楽関係の業界とおぼしき人や、
僕より100倍詳しいロックおやじがいっぱいいて、
そうした人たちの知識に比べれば微々たるものだが、
自分の音楽体験は唯一無二のもの。
物書きになったのも、中学生から高校生にかけて、
音楽雑誌やレコードのライナーノーツをむさぼり読んだ
読書経験に由来する。
僕が音楽にどっぷりハマっていたのは、
70年代後半から80年代前半の10年程度だが、
良い時代にロック/ポップミュージックに夢中になれ、
そして今またその頃の曲をYouTubeで
好きな時に好きなだけ聴けたり、
当時は存在すら知らなかったライブやプロモ映像、
テレビパフォーマンスなどを見られて幸せに思う。
おかげで一生モノの妄想力をいただいた。
というわけで、「週末の懐メロ」はもう少し、
ネタがなくなるまで続けるつもりだが、
そろそろ2,3巻に分けてまとめてKindleで出版する予定。
ただ、KindleはYouTubeのリンクは載せられないので、
かなりリライトする必要がありそうだ。
それもまた楽し。
エッセイ集:音楽
ポップミュージックをこよなく愛した
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ラジオからイルカの声が聴こえてくると、
「お、今日も始まった」という感じで、
トロピカルなサウンドが流れてきた。
1993年の夏のことなので、
ちょうどカミさんと一緒に暮らし始めた頃だっただろうか。
J-WAVEの朝の番組で、
ほぼ毎日のようにこの曲が流れていた。
ジョン・カビラがいつも
「暑い日はゆったり過ごしましょう」とか
「泳ぎに行きたいですね」とか言っていたのを思い出す。
歌詞の中にもあるように、
本当に今すぐジャボンと海に飛び込んで
泳ぎたくなる歌だ。
パパズ・カルチャーは、
ベーシストでコンポーザーのハーレー・ホワイトと、
ギタリスト兼ボーカリストのブレイク・ディビスの
2人による音楽デュオ。
アルバム1枚で解散してしまったようだが、
シングルカットされたこの曲はあの夏、
世界中で大ヒットした。
まったり、うねうね、それでいてファンキーな
独特のノリが酷暑にぴったり。
オーシャンビューをイメージしながら
楽しく、リラックスして夏を乗り切ってください。
音楽エッセイ集
「ポップミュージックを
こよなく愛した僕らの時代の妄想力」
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♪きみとイチャイチャしてるところを見られちゃったわ
それをペチャクチャ言いふらされて わたしピンチ
という、ある意味、衝撃的な歌詞をロリ声で歌う
テクノポップというか、歌謡ロックが
1980年にヒットした。
当時、売れっ子だった近田春夫のバックバンドから独立した
ジューシィ・フルーツ。
「ジェニーはご機嫌ななめ」はそのデビュー曲・代表曲で、
近年、パフュームをはじめ、
いろんなミュージシャンにカバーされている。
プロデューサーは当の近田春夫で、
テクノポップ×アイドル歌謡の路線を狙って売り出したのが
見事に当たった。
当時の大人から「幼児化現象」などと揶揄された
ヴォーカル・イリアのロリ系ファルセット
(わざと地声より高い声で歌う唱法)と
明るく軽くチープなサウンドが、すごく新鮮で面白かった。
いま改めて聴いてみると、
チープさ・オモチャっぽさを際立たせるために、
すごくしっかりした演奏力を持っていたのがわかる。
特に間奏は、実力あるロックバンドを証明するカッコよさ。
イリアのギターソロもしびれるが、
それを支えるベースとドラムのノリがすごくいい。
この時代は、文学性・思想性をまとい過ぎて
重厚長大化してしまった60~70年代のロックに反発し、
初期のシンプルなロックンロールや
甘いポップスに回帰しようというムーブメントがあった。
「たかがロックンロール、たかがポップミュージック、
楽しけりゃいいじゃん」というノリ。
ジューシィ・フルーツがウケたのは
そんな背景もあると思うが、
やっぱ、良い曲は時を超えるという、
当たり前の結論にたどり着く。
オマケについている2曲目の「はじめての出来事」は、
70年代アイドル、花の中3トリオの一角、
桜田淳子のヒット曲のカバー。
わずか1分ちょっとの演奏だが、「ジェニー」同様、
ドライブ感、キレ感満点のロックアレンジがイカしている。
エッセイ集:音楽
ポップミュージックをこよなく愛した
僕らの時代の妄想力
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1971年リリース。
西城秀樹もライブで歌った
70年代ブリティッシュロックの大名曲。
黄金期のヒープは、レッド・ツェッペリン、
ディープ・パープル、
ブラック・サバスなどのヘヴィメタの大御所、
さらにはキング・クリムゾンやイエスをはじめとする
プログレ四天王と肩を並べる超人気バンドだった。
特に日本での人気がすさまじかったのは、
ツェッペリンの「天国への階段」を彷彿とさせる
この曲の印象が強烈だからだろう。
哀愁漂う叙情的バラードからハードなロック、
カオスなバトルへと展開する、
ドラマチックでカタルシス満点の構成美。
「七月の朝」は70年代ロックの偉大な遺産であるとともに、
半世紀たった今も現役で活動している
このバンドのアイデンティティでもある。
この70年代のライブの記録映像で
雄姿を見せているメンバーたち――
圧倒的な存在感のベースを弾きまくるゲーリー・セインは
この黄金期のライブの最中の感電事故がもとで75年に死亡。
美しく歌い上げたヴォーカルのデビッド・バイロンも
85年に死亡。
この曲の作詞・作曲者である
キーボードのケン・ヘンスレー、
さらにドラムのリー・カースレイクもすでにこの世を去り、
生存しているのはギタリストの
ミック・ボックスただひとり。
それでも人々はユーライア・ヒープが
ライブをやると聞けば、
「七月の朝」を聴くために集まってくる。
僕も毎年7月になれば、
やっぱり「七月の朝」を聴きたくなる。
もしできれば若い人たちにも
じっくり耳を傾けて聴いてほしい。
20世紀のロック/ポップミュージックは、
人類が共有し得る文化財産である。
音楽エッセイ集
ポップミュージックをこよなく愛した
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1985年リリースのこの曲が、
先月、世界中で大ブレイクした。
全英第1位、米ビルボードHot100では4位を記録、
その他、スイス、スウェーデン、オーストラリア、
ニュージーランド等でもトップになり、
37年の時を超えたリバイバル・ワールドヒットになった。
Netflixのドラマ『ストレンジャー・シングス~未知の世界』の
シーズン4で使用されたのがその原因だが、
この大ヒットは、優れた曲は時代を超えることの証、
そしてまた、それを生み出した、
ケイト・ブッシュという異次元の天才の証でもある。
「神秘の丘(Runninng Up That Hill)」が収録された
彼女の5枚目のアルバム
「愛のかたち(Hounds of Love)」が発売された
1985年8月は、
ちょうど僕がロンドンで暮らし始めた時期だった。
狩猟の女神をイメージしたのだろう、
2匹の猟犬を抱いてパープルの湖面に横たわる
ケイトの妖艶なジャケット写真が
ロンドンの街中に貼り出されていたことを、
つい昨日のことのように思い出す。
「愛のかたち(Hounds of Love)」は
傑作ぞろいの彼女のアルバムの中でも
ひときわ充実した内容で、
一曲一曲のクオリティの高さ、
緩急自在の曲のバリエーション、
精神世界から宇宙空間まで行かうようなスケールの大きさ、
コンセプトアート的な全体の統一感。
どれをとっても超絶的な素晴らしさで、
ロック/ポップミュージック史の金字塔である。
ケイト・ブッシュが
世界最高の女性ミュージシャンであること、
そして、彼女の音楽が人類が共有できる至宝であることは
疑う余地はないが、それにしても
人気ドラマで使われたからとは言え、
こんなアート系な曲が、2022年の今、
これほどまでの大ヒットになるとは驚きである。
何かが変わりつつあるサインなのか?
YouTubeではこの1ヵ月ほどの間に、
「神秘の丘」のリミックスバージョンが、
毎日、山のようにUPされている。
と同時に他の曲やアルバム、
インタビュー、レコード解説まで、
次から次へとあふれ出してくる。
僕としてはきっかけが何であれ、
これまでケイト・ブッシュを知らなかった大勢の人たちに
彼女の音楽を楽しんでもえらえば
何も言うことはない。
こちらはストレジャーシングスのリミックス(の一つ)↓
「死ぬまでジタバタしようぜ」七夕スペシャル無料キャンペーン実施中
7月11日(月)15:59まで。
エンディングライターとしての活動から綴った、老いと死をめぐる面白エッセイ集。
1976年リリース。
40年あまり昔にやっていた劇団の旗揚げ公演で
ラストシーンにこの曲を使ったので、とても思い出深い。
僕がこの曲と同名のアルバムに出逢った1980年当時、
手に入るレコードは、イギリスからの輸入盤だけだった。
なぜ知ったのかは、たしかプログレ偏重の音楽雑誌で、
このバンドとこのアルバムのレビューを見たからだ。
羊水の中の綾波レイみたいな女が膝を抱えた
ジャケットデザインにも魅かれた。
全体を通して「死と再生」みたいなものが
テーマになっているのだと思う。
これは買わねばと、新宿のディスクユニオンの
輸入盤コーナーに探しに行ったら
見つけることができた。
聴いてみると、全曲ヴォーカルなし、
インストゥルメンタルのみで、
ちょっとイエスやジェネシスに通じる
ファンタジー性やシンフォニック性がある。
ただ、ポップ色・ロック色は薄い。
宗教音楽っぽいところもあって、
あまりとっつきやすくはないのだが、
最後を飾るこの曲だけは別。
自分の作品で使った思い出があるので偏愛しているが、
この一曲に限っては、
構成も美しさも躍動感・飛翔感も、
世界のプログレッシブ・ロックの最高峰レベル
と言って過言ではない。
輸入盤で聴いたので、曲名についてはずっと原題通り、
「イン・ザ・リージョン・オブ・サマースターズ」と
憶えていたので、
「夏星の国」という邦題は今回初めて知った。
「リージョン(Region)」とは「領域」という意味で、
「国」というのはかなりの意訳だが、
雰囲気掴んでいるし、
大島弓子のマンガのタイトルみたいで
親しみやすくて良いと思う。
現在のアマゾンの内容解説では、
「いわずとしれた英国シンフォニック・ロックの
名盤のひとつ、エニドのデビュー作。
ダイナミズムや幻想性に於いて
このオリジナルに勝るヴァージョンはなし!」と極上の評価。
とはいえ、「いわずとしれた」は誇張で、
ジ・エニドは日本では限りなく知名度が低く、
相当なプログレマニアでなければ知らないと思う。
実際、世界的なセールスが成功したとは聞かないし、
イギリス国内でコアなファンを相手に
活動してきたのだろう。
それでも現在まで音楽活動を続けられ、
人々の記憶にバンドの存在が刻まれているのは、
この不朽の名曲があるからだ。
40年経とうが50年経とうが、
まったく色あせることのない
ファンタジックでエネルギー溢れる演奏は、
星の降る真夏の夜のグッドトリップを約束してくれる。
1967年リリース。
誰もがおなじみ、
ポール・モーリア楽団のインストゥルメンタルで有名。
僕はてっきりポール・モーリアの曲だと思っていたのだが、
じつはカバー曲。
オリジナルはアンドレ・ポップという、
映画音楽を手掛けていたフランスの作曲家が作った歌。
発表されるや、あっという間に大人気となり、
1960年代から70年代にかけて、
めっちゃ大勢の歌手が競うようにこの曲を歌っている。
日本では森山良子、由紀さおり、あべ静江など。
(僕はつい最近まで、
この曲にちゃんと歌詞があることすら知らなかった)
そして最初に歌ったのは、
このヴィッキー・レアンドロスで、
この人のことも初めて知った。
ギリシャ出身でフランス語、英語、ドイツ語などの
マルチリンガル。
まだティーンエイジャーだった1967年、
ウィーンで開催された
「ユーロビジョン・ソング・コンテスト」で、
ルクセンブルク代表として出場しフランス語で歌った。
もともとアップテンポの曲で、
このコンテストではメダルを逃す4位だったが、
その後、僕たちがよく知る
メロディアスな曲にアレンジされた
英語バージョンが登場し、
のちのロングセラーヒットに繋がった。
このビデオはドイツ語バージョンで、
美しいエーゲ海と故郷ギリシャの島をバックに
ヴィッキー・レアンドロスが
海風に髪をなびかせて歌っている姿が夏にぴったり。
1979年リリース。
「テクノポリス」「ライディーン」と並ぶYMOの代表曲。
ファーストアルバムに収められており、
ライブでも中盤のハイライトやエンディングを飾っていた。
1979年と80年、2回のワールドツアーの演奏の数々は、
今でもオールドファン、そして新しいファンをうならせる
彼らのベストパフォーマンスだ。
YMOの正式メンバーは、
リーダーでベーシストの細野晴臣。
当時まだ、ほとんど無名のスタジオミューシャン、
ここから「世界のサカモト」に昇華した
キーボードの坂本龍一、
サディスティックミカバンドのドラマーで、
英国でのライブ、レコーディングも経験していた
高橋幸宏の3人。
高橋はリードヴォーカルも担当するほか、
衣裳デザインなど、
アートディレクター的な役割も担っていた。
この3人にサポートメンバーとして、
ギターに渡辺香津美、のちに大村憲司。
シーナ&ロケットの鮎川誠も入ったことがある。
キーボードとヴォーカルに矢野顕子。
このツアーの中盤には必ず彼女の歌う
「在広東少年」を演奏し、大人気だった。
さらにシンセサイザープログラマーの
松武秀樹。
まさに当時の最強の布陣で取り組んだ
このツアーの音源はたくさんあるが、
同じ曲でも一度として同じ演奏はなく、
バラエティ豊かな即興性を楽しめる。
「東風」はこのバージョンが、
最も疾走感・アグレッシブさを感じる。
YMOは1970年代に後の日本のポップス、
ニューミュージックの原型を創り上げた
「はっぴえんど」「ティン・パン・アレー」という
2大バンドの中心メンバーとして活躍した細野晴臣が創設。
細野は「エキゾチカ」と称されるジャンルの音楽
――西洋人が解釈する東洋の音楽――に影響を受けて、
これをシンセサイザーなどの電子楽器を駆使し
てやってみたらどうか?
という野心的な試みを抱いて
YMOのコンセプトを練り上げた。
ただし、たんなる実験で終わることなく、
インターナショナルな商業的成功を目指し、
坂本・高橋と共に独自のサウンドを追求した。
細野としては1970年代を通して、
日本のポップミュージックが
英米に劣らないレベルまでスキルアップしたことを確信し、
世界に打って出ようという強い意思があったのだろう。
彼の目論見は功を奏し、
YMOは日本のバンドとして
最も大きな世界的成功を収めた。
国内では社会現象を巻き起こし、
僕もこの頃、長髪をやめてテクノカットにしたり、
シャツのボタンを喉もとまできっちり締めたりしていた。
彼らの登場は新たに「テクノポップ」という、
それまでにない音楽ジャンルを産んだ。
近代ポピュラー音楽史のエポックメイキングになり、
当時はもちろんだが、
YMOはむしろ近年のほうが評価が上がっている感がする。
いま聴いても抜群に新鮮でキレのある演奏
(特に細野ベースと高橋ドラムの凄さ!)から、
あの時代の空気と共に、
若々しかったメンバーらの熱いエネルギーが伝わってくる。
エッセイ集:音楽
ポップミュージックを
こよなく愛した
僕らの時代の妄想力
https://www.amazon.co.jp/dp/B08SKGH8BV
1971年リリース。
米国ローリングストーン誌が2020年に選出した
「史上最高のアルバム500枚」で
堂々第3位に選出された名盤『Blue』の収録曲。
アメリカでは並みいるスターアーティストを差し置き、
ジョニ・ミッチェルの評価は断トツに高いようだ。
女性アーティストの中では、
アレサ・フランクリンと並んでトップと言っていいだろう。
確かに優れたシンガーソングライターだが、
最盛期ともいえる70年代、
彼女はここまで人気があっただろうか?
少なくとも僕の印象は割と地味で玄人好み、
日本人の女性フォーク歌手にちょっと影響を与えた人、
ぐらいだった。
どうして近年、すでに現役とは言えないミッチェルが
これほどまでに評価されるようになったのか?
その秘密を解くカギが、
この「リトル・グリーン」という曲の中に潜んでいる。
歌詞は大まかにこんな感じ。
かに座に生まれた女の子
この子に似合う名前を選んだ
グリーンと呼ぶわ 冬の寒さに負けないように
グリーンと呼ぶわ 彼女を産んだ子どもたちもね
リトル・グリーン、ジプシーの踊り子になって
子どもを持った子どもの偽り
家に嘘をつくのはもう嫌なの
あなたは書類にファミリーネームでサインする
悲しいの、ごめんなさい、でも恥ずかしいとは思わないで
リトル・グリーン、ハッピー・エンドになって
「リトル・グリーン」は実体験に基づく歌である。
ここでいう「グリーン」は、
ミッチェルが実の娘に付けた名前であり、
その親になった女と男を「青二才」と揶揄する呼び名でもある。
歌詞の中の「彼女を産んだ子どもたち」とは
母親である自分自身、そして恋人だった実の父親のこと。
この歌を歌う6年前の1965年、
まだカナダの無名の貧乏アーティストだったミッチェルは、
トロントの慈善病院で女の子を産んだ。
避妊の知識も乏しかった時代の、
望まない妊娠・出産。
当時、カナダでは中絶は法で禁じられていた一方、
未婚の女性が母親になることは罪を背負うことだった。
父親である前の恋人も、
新しく現れ結婚を申し込んだ男も、
赤ん坊に対してはひどく臆病で責任を逃れようとした。
まだ子どもだった若い彼らにとって、
赤ん坊を抱え込むことは、
アーティストになる希望の道が閉ざされることと
イコールに思えたのだろう。
結局、ミッチェルは生後6か月の娘を養子に出し、
アメリカにわたる。
「リトル・グリーン」を書くのは、その1年後の1966年のこと。
そして、その頃からシンガーソングライターとしての
天才を開花させる。
1968年のデビューアルバム発表後、
彼女は目を見張る勢いで、
世界のポピュラーミュージックの
メインステージに駆け上がる。
そして長い年月が流れたあと、運命は劇的な変転を迎える。
1997年、53歳になっていたミッチェルは、
当時32歳、すでに1児の母になっていた娘と再会する。
1971年、アルバム「BLUE」に
「リトル・グリーン」を収めて26年後、
養子に出して32年後のことだ。
親子は心から再会を喜び合った。
しかしその後、マスメディアの報道の嵐によって、
歌の通りに「ハッピーエンド」とはいかない事態と
なっていったようだ。
人の感情は大海に浮かぶ小舟のように、
ちょっとした波に簡単に揺らぎ、時には転覆してしまう。
いずれにしても、このストーリーを知る前と知った後では
「BLUE」の、そして「リトル・グリーン」の印象は
大きく変わってくる。
近年、ジョニ・ミッチェルの評価が高まっているのは、
楽曲そのものだけでなく、
こうした彼女の人生にまつわる劇的なドキュメンタリーが
大きく作用しているような気がしてならない。
「女性と子どもを大切にする」という
社会意識を深めるためにも、
ジョニ・ミッチェルをもっと評価しようという声が
強まっているのだ。
音楽ビジネスの世界に発言力のある女性が増えたことも
その一因だろう。
自由で開放的で先進的に見える映画や音楽の世界も、
つい最近まで男性権力者による支配が横行し、
パワハラ、セクハラの温床であったことが暴露された。
すでに60年近くに及ぶミッチェルの音楽キャリアと
優れた楽曲群は、
女性と子どもの未来に光を投げかけるものとして、
これからも評価はますます高まるものと考えられる。
てるてる男とふれふれ女
梅雨入り記念無料キャンペーン実施中
6月12日(日)16:59まで。
晴れ男と雨女が恋をした。
恋と結婚と幸福と人生の行く末を描く、
おかしくてセンチメンタルな短編小説。
1979年の世界的大ヒット曲。
「Video Killed Radio Star」
(ビデオがラジオスターを殺っちまった)
というリフレインが耳に残り、
邦題も一度聞いたら忘れられない秀逸さ。
ビデオという新しいメディアが世の中に現れ、
ラジオスターの仕事がなくなってしまったという、
ちょっとシニカルな内容だが、とてもポップで楽しい曲だ。
トレバー・ホーンとジェフ・ダウンズのバグルスは、
それまでのプログレと、
新興のニューウェーブの間を行くような
とてもユニークなバンドだった。
今ではYouTubeなどで、かつて幻のライブとか、
伝説のコンサートとか言われた映像も
見放題・聴き放題になっているが、
従来、音楽は基本的には音だけ。
ヒットソングはいつもラジオから生まれていたのだ。
そうした環境が激変したのがこの頃から。
ホームビデオが一般に普及し始めたのはもう少し後だが、
アーティスト(とレコード会社)は
ミュージックビデオを頻繁に作るようになり、
それがテレビでバンバン流れるようになった。
音楽の「聴く」と「観る」の比重はほぼ半々になった。
「ラジオスターの悲劇」も皮肉にも、というか、
なかば戦略的にビデオ化された。
いかにもミュージックビデオ初期の映像でござるという
チープさが目立つが、それが今となっては
却って味になっていて、とても楽しめる。
レトロでコミカルなSF仕立てになっていて、
曲の内容と雰囲気をうまくビジュアル化していると思う。
バグルスの活動期間は短かったが、
この曲が入っている1980年発売のアルバム
「The Age of Plastic」
(邦題はこの曲と同じ「ラジオスターの悲劇」)は
プログレポップな曲がいっぱい入っていて、
現代よりもなんだか未来っぽくて面白い。
日本ではYMOに代表されるように、
1980年代の始まりは、
明るてちょっとオモチャっぽい未来と
ダークな世紀末がいっしょにやって来たような時代だった。
「21世紀」という言葉にも
まだワクワクするような熱い思いが感じられた。
でもラジオがビデオに殺されてしまうようなことは
なかった。
ラジオスターも生き残り、また僕たちに語りかけ、
素敵な音楽を届けてくれる。
1980年リリース。
昭和の時代、列車は人生の旅路を表すモチーフであり、
駅はそれぞれのドラマが交錯する舞台だった。
だから駅を題材に別れや旅立ちを描いた歌が
たくさんあった。
この曲もその一つで、いわば「なごり雪」の雨バージョン。
けれども素晴らしく新鮮だった。
フォークでも歌謡曲でもない、
クラシックを基調としたポップス。
いや、ポップスの姿をしたクラシック。
こんなユニークな音楽を創っていたのは、
昔も今も、そして世界中を見渡しても、
上田知華+KARYOBIN(カリョービン)だけだ。
グループの中心・上田知華は、東京音楽大学在学中に、
みずからのピアノとヴォーカルに
弦楽四重奏(ヴァイオリン×2、チェロ、ビオラ)を
組み合わせた
ピアノクインテットを結成し、1978年デビュー。
KARYOBIN(カリョービン)は「迦陵頻伽」。
仏典における上半身が人で下半身が鳥、
美しい声で歌うとされる想像上の生物。
西洋のセイレーンや人魚に似ている。
4年間に通算6枚のアルバムをリリースし、
クラシックの技術・表現力を基盤にした、
数多の優れた楽曲(すべて上田のオリジナル)
を生み出した。
特に当時の人気イラストレーター・山口はるみが
ジャケットデザインを担当した
3~5枚目のアルバムの充実度は抜群で、
「パープルモンスーン」や「秋色化粧」は
コマーシャルソングとして使われ、ヒットした。
「さよならレイニーステーション」は、
3枚目のアルバムのラストナンバーで、
ライブのラスト、アンコールとしても
よく演奏されたようだ。
数秒で涙腺が緩むようなイントロのストリングス。
美しく品格があり、
それでいて親しみやすいメロディライン。
のびやかで繊細な歌唱、
胸の奥深くに余韻を残す五重奏の劇的なエンディング。
このグループの魅力を凝縮した代表曲である。
KARYOBINでの活動と作曲力が高く評価された上田知華は、
この頃から松田聖子らアイドル歌手に
数多くの楽曲を提供していた。
この曲も当時のアイドル・倉田まり子が歌っていたが、
表現力と音楽の品格の面で
このオリジナルははるかに上回っている。
上田はグループ解散後、
ソロアーティスト・作曲家として活動。
テレビドラマの主題歌になった今井美樹の
「PIECE OF MY WISH」がミリオンセラーになった。
ひとり暮らしを始めた頃、
プログレやテクノやニューウェーブを聴く一方で、
清涼な湧き水のような潤いを与えてくれた
KARYOBINのレコードは、
不安定な心を癒し、
人生の一時期を支えてくれた。
あれから40年あまりの月日が流れた。
知らなかったが、コロナ前の2018年、
KARYOBIN40周年の復刻盤CDBOXが発売され、
記念のコンサートも開かれたという。
しかしその後、上田知華さんは病に倒れた。
ちょうど1ヵ月前の4月27日、訃報が公にされ、
半年前、昨年(2021年)の9月に
亡くなっていたことが伝えられた。
音楽人生をやり遂げたのだろうか。
才能をすべて出しきっての終わりだったのだろうか。
そう信じたい。
たくさんの美しい曲をありがとう。
心からご冥福をお祈りします。
さよならレイニーステーション
きみを忘れはしない。
1970年リリース。
アルバム「ディープ・パープル・イン・ロック」の挿入歌。
今年発売50周年を迎えた名盤
「ライブ・イン・ジャパン」(1972年)においても
ハイライトナンバーだった。
ディープ・パープルは僕にとって、
ほぼ初めてのロック体験だった。
もちろん、その前にもビートルズの曲などは
聴いていたのだが、
当時のロック小僧たちの感覚では
ビートルズはロックではなく、ポップスの範疇であり、
女・子供が聴くものとされていた。
酒やタバコをやらないのは男じゃない。
それと同じでロックを聴かなきゃ男じゃない。
1970年代前半、まだ昭和40年代の
日本の地方都市の中学生の間では、
そんなめちゃくちゃな理屈がまかり取っていた。
そんなわけで僕は先輩の家で
神聖なる教示を受けるかのように
ディープ・パープルのレコードを何枚も聴かされた。
正直、最初は「なんじゃこのうるさい音楽は!」と思った。
しかし、まさしく酒やタバコと同じで
何度か聴くうちに大好きになった。
見事な洗脳である。
1枚目のアルバム「ハッシュ」から
ギターのリッチー・ブラックモアが抜けて
トミー・ボーリンに替わった
11枚目の「カム・テイスト・ザ・バンド」まで全部聴いた。
それほど好きだったディープ・パープル、
そして日本のロックファンの間でも
圧倒的な人気を誇ったディープ・パープルだが、
20歳を超える頃にはもうあまり聴かなくなり、
その後も最近までほとんど聴いてなかった。
同じ60~70年代のハードロック(ヘヴィメタ)でも、
レッド・ツェッペリンが若い世代にも聴き継がれて、
ますます名声を高めているのとは対照的に、
ここ10年ほどの間に、
ディープ・パープルの影は
ずいぶん薄くなったように感じる。
ロック史に残る大名盤、ライブアルバムの金字塔
とまで言われてきた「ライブ・イン・ジャパン」さえ、
その地位を落としつつあるのではないだろうか。
「ハイウェイスター」「スモーク・オン・ザ・ウォーター」
「ブラックナイト」などは、相変わらず名曲として
若いロッカーたちに演奏されているのだろうが、
今聴いて面白いかと言えば、そうでもない。
ただ、「チャイルド・イン・タイム」は別格だ。
第2期-ディープ・パープル黄金時代とされる
5人による演奏。
この時期のパープルナンバーの多くは、
ジョン・ロードのキーボードと
リッチー・ブラックモアのギターのせめぎ合いが
メインの聴きどころだが、
この曲では、イアン・ギランのヴォーカルのすごさが
際立っている。
ディープ・パープルの歌は
あまり中身のない歌詞が多く、
それが飽きられたり、
後年の評価がイマイチな要因になっているが、
この曲だけはやたら文学的だ。
♪愛しい子よ いつかお前にも見えてくるはずだ
何がよくて何が悪いのかの境界線が
見ろ 盲人の男が世界に向けて発砲する
銃弾が飛び交い 犠牲者が続出する
まるで現在のロシア・ウクライナ戦争を重ね合わせても
何ら違和感のない内容だ。
ここで歌われる「スイート・チャイルド」は、
兵士として戦場に立つ少年・若者を表している。
時代的に背景にベトナム戦争や
東西冷戦構造があったからだろう。
この時代のロックは、表立った反戦歌でなくても、
こうした戦争に抗う精神、世界の危機を憂える気持ち、
怒りや悲しみがモチーフになっているものが少なくない。
イアン・ギランもバンドを抜け、ソロになってからも
ずっとこの歌を大事に歌ってきた。
おそらく彼にとってはシンガーとして
最も誇りに出来る曲の一つだったのだろう。
終わったと思っていた冷戦・核戦争の危機は、
ただちょっとお休みしていただけで
ふたたびその姿を露わにした。
時代は巡るということか。
ディープ・パープルの黄金時代は懐かしいけど、
もうあの時代に戻りたいとは思わない。
1981年。
今から41年前のちょうど今頃から2ヵ月余りの間、
全米チャートのトップを走り続けた大ヒット曲。
1981年のグラミー賞最優秀楽曲賞も受賞した。
キム・カーンズ独特の強烈なハスキーヴォイスと、
高く鳴り響くシンセサイザー、そして打ち込みのビート。
絶妙なブレンドが生み出すマジックが酩酊感を醸し出す。
そしてビジュアルも印象的だった。
スラリとした長身に白いブラウス、黒いスーツの上下、
ロングブーツといういでたちで、
艶やかなブロンドの長髪をなびかせた
当時36歳のキム・カーンズは、
ベルばらのオスカルのようで、めっちゃカッコよかった。
それから40年後。
昨年、2021年のパフォーマンス。
キム・カーンズ、齢76。
さすがに容貌は衰え、身長も縮んだかのように見える。
ところが。
ヒット当時はもちろん、
いろいろな時代のライブと聴き比べてみたところ、
76歳で歌うこの「ベティ・デイビスの瞳」が最高なのだ。
なんでだろうと思って何度も聴いてみると、
往年の歌唱の力強さが少々薄れ、
時々わずかに声がかすれたり、
音程が不安定になるところがある。
それが却って気持ち良い「ゆらぎ」となって、
よりセクシーに響いてくるのだ。
すべて完璧ならいいというものじゃない。
音楽って、人間って面白い。
じいさん、おっさん、あんちゃん。
あらゆる年代の男たちをバックに従えて
不滅のハスキーヴォイスを聴かせるカーンズの
カッコいいばあさんっぷりには、
感動とリスペクトを覚えずにはいられない。
もう一つこの曲について発見があった。
なんとこの大ヒット曲はカヴァー曲だった。
オリジナルは1975年に、
ジャッキー・デシャノンという
ソングライターが歌ったもの。
聴いてみたら、ちょっとノスタルジックなジャズ調の曲。
何も知らないで聴いたら、よほど注意しないと
同じ曲だとは思えない。
それほどカーンズバージョンのアレンジは
斬新でエッジが立っていた。
女は男を弄び、惑わせ、悦ばせる
女は早熟で熟知している
頬を染めるプロに欠かせないもの
それはグレタ・ガルボのため息
そして、ベティ・デイビスの瞳
ベティ・デイビスは1930年代に活躍した
ハリウッド映画の名女優。
だからデシャノンの原曲はレトロジャズっぽい。
往年の女優をモチーフにした歌なのに、
なんでこんな斬新な曲が生まれたのか、
不思議に思っていたが、その謎が解けた。
自分の個性・センス・才能を信じて疑わなかった
カーンズの大勝利。
興味のある方はぜひデシャノンの原曲と
聴き比べてみてください。
1982年リリース。
キング・クリムゾン、ロキシー・ミュージック、
ユーライア・ヒープ、U.K.、そしてエイジア。
1970年代から80年代にかけて、
イギリスのプログレッシブ・ロックバンドを渡り歩いた
ベーシスト/ヴォーカリスト/ソングライターの
ジョン・ウェットンがこの世を去ってもう5年が経つ。
イエスのスティーブ・ハウ(ギター)、
ELPのカール・パーマー(ドラムス)、
バグルスのジェフ・ダウンズ(キーボード)らと組んだ
最強のバンド、エイジアは
ウェットンのそうそうたるキャリアの頂点だった。
「放浪者」「堕落天使」「夜を支配する人」などで
落ち着いたヴォーカルを聴かせながら、
ぶっといベースをブンブン唸らせるウェットン。
彼が大活躍した1973年から74年の
第3期クリムゾンは今でも大好きである。
しかも、脊髄をひん曲げるほどの
強烈にダークでアヴァンギャルドな音楽をやりながら、
映画俳優のような生粋の二枚目。
半世紀を経て第3期クリムゾンが
ますます神格化されているのは、
メンバーの才能、楽曲の素晴らしさはもちろんだが、
若きジョン・ウェットンと
デビッド・クロス(バイオリン/キーボード)が
アイドルバンド並みのイケメンだったことも
一因ではないかと思う。
70年代後半のU.K.ではエディ・ジョブソンや
ビル・ブラッフォードなどと組んで
「クリムゾン再来を目指した」などと言われていたが、
2枚目のアルバムでは、
もうエイジアと共通するポップ指向が見て取れた。
おそらく彼はクリムゾンを超えるほどの
サウンドを作るのは不可能だと感じ、
プログレを卒業しようとしていたのだと思う。
エイジアは結成時、スーパーバンドの呼び声が高く、
70年代のプログレ四天王を超越する音楽が
期待されていたが、
そのあまりにポップな楽曲群に
プログレファンは大きく裏切られた。
1980年代、プログレの黄金時代はとっくに終焉し、
ウェットン等は新たな境地を目指していた。
彼らの新たなチャレンジは見事、功を奏し、
この「ヒート・オブ・ザ・モーメント」がトップを飾る
デビューアルバム『詠時感〜時へのロマン』は、
全米ビルボード・チャートで第1位を9週間獲得。
年間アルバム・チャートでもNo.1に輝いた
大ヒット作であり、
1980年代を代表するロックナンバーになった。
しかし、売れたせいでエイジアへの風当たりは
より強くなった。
その後、節操なくメンバーチェンジを繰り返したため、
ヒット狙いの寄せ集め産業バンドとも揶揄された。
なんと創始者であり、リーダーであるはずのウェットンも
一時期離脱してしまっていたくらいだ。
それでもエイジアのサウンドのカッコよさは
誰もが認めるところだろう。
僕もこの曲を聴くと、がんがんテンションが上がり、
エネルギーが湧いてくる。
映像はウェットンが復帰した代わりに
スティーブ・ハウが抜けた
1985年あたりのものだと思われる。
ハウがいなけりゃエイジアじゃないという声もあるが、
僕にとってはウェットンさえいればエイジアだ。
それに僕の知る限り、
メンバーがみんな楽しく生き生きしている
このライブ映像は、この曲のベストパフォーマンス。
疾走するギターとキーボードをぶっとく支える
ウェットンのベースランニングが何よりも素晴らしい。
改めて、ぼくの人生を変えた
プログレッシブロック最高のスター、
ジョン・ウェットンの冥福を祈りたい。
1975年リリース。
昭和の天才詩人・寺山修司のシュールな歌謡曲を
歌ってデビューしたカルメン・マキが、
ジャニス・ジョプリンのレコードに出逢って
ロック歌手に転向。
春日博文らのバンド・OZ(オズ)の演奏を
バックに絶唱する日本のハードロックの金字塔。
1969(昭和44)年、17歳のカルメン・マキの
「時には母のない子のように」は
子ども心にトラウマを残すような歌だった。
僕はまだ10歳にもなっていなかったが、
テレビから流れてくる、
長い髪をしたエキゾチックな若い女
(子どもだったのでずいぶん大人に見えた)の雰囲気、
そして他の歌謡曲にもフォークソングにもない、
その異様な歌詞に胸がざわめいたことを
今でも覚えている。
作詞が詩人・劇作家の寺山修司、
そして、カルメン・マキが彼の主宰する
演劇実験室「天井桟敷」の一員だったことを知るのは
後に高校生になってからのこと。
その頃、すでに彼女は当時の日本で随一の
ロック歌手に変貌していた。
当時はまだ、ジャニス・ジョプリンを除いて、
こんな激しいシャウトができる女性ヴォーカルは、