北さんのお葬式

 

 和泉親児の会の椎木さん(第5代会長)から北さんの訃報メールを受けて昨日、お葬式に行った。

 

 亡くなったのは7日の早朝だったそうだ。

 

 北さんは息子が卒業した小学校の図書室で司書をやっていた方である。

 司書という職業の一般的なイメージは、静かで知的な人という感じだろうか。

 彼女はそこから逸脱していて、とても明るく剽軽な一面も持ち合わせた楽しい女性だった。

 

 学校の図書館は学習の場であるとともに、ちょっと気持ちが凹んだ子や、学校生活がうまくいかない子のホッとできる居場所、癒しの場所でもある。

 北さんの明るさ・楽しさはそんな子どもたちにとって有りがたいものだったのろうと想像する。

 彼女に甘えていた子供たちも結構いたようだ。

 

 かの和泉小学校の司書だったのは2011年度から14年度までだったと思うが、その間、彼女の企画で朝の読み聞かせ会をやっていた。

 和泉親児の会がそれに協力し、僕はそのメンバーの一人として、卒業した息子の使い古しの青いランドセルを担いで月に数回、学校に通った。

 

 また、教会の子供向けクリスマス会のアレンジャーもやっていて、余興をやってくれないかと頼まれ、椎木さんたちと組んでサンタとトナカイのコントみたいなことを3回にわたってやった。

 いつも時間がなくて、やっつけ・間に合わせの出し物だったが、そこそこ喜んでもらっていたようである。

 

 北さんはクリスチャンだったので、お葬式はその教会でやった。

 うちから歩いて10分と掛からない、住宅街の小さなプロテスタントの教会だ。

 ご自宅はやや離れたところ(たしか中野区)だったので、和泉小学校に通っていたころに特にその和泉教会と親しくなったのかもしれない。

 

 教会といえども周囲の家と変わらない大きさで、アットホームなところだったので、ほとんど自宅葬のような感じだった。

 おそらく100人以上の人が集まり、入り切らなくて庭先にまで人が溢れ出していた。

 

 和泉小から去る頃、背中が痛いと訴えていた。

 胸腺がんというあまり症例のないがんだったそうだ。

 一時、回復してFBも積極的にやっていたのだが、2年半くらい前に途絶えていた。

 

 3年ほど闘病したが、9月になって死期を悟ったようで、教会を訪れ、相談して遺影や花の飾りつけなど、自分のお葬式をこうしてほしいと頼んでいたそうだ。

 

 「わたしの歴史」と題する自分史も書いていて、式の中で10分ほどの間、牧師さんがそれを読み上げた。

 

 離婚を経験するなど、いろいろつらい時期もあったようだが、彼女らしい人生を送ったのだろうと思う。

 ほんのわずかな期間、わずかな関係だったが、僕たちもその歴史の一部だったのだなと思った。

 

 誰でも誰かの人生の一部分になっている。

 たとえ引きこもっていても、ずっと孤独で過ごしていたとしても、ずいぶん齢を取り、もうみんなに忘れられてしまっただろうと思っていても、誰もが誰かの歴史の一部になっているのだ。

 

 弔辞を述べた人のひとりは教会のスタッフで、かなりご高齢の婦人だったが、「北さん、お友達になってくれてありがとう」と、まるで童女のように言ったのがとても胸に響いた。

 

 北さんは僕より一つ年下だった。

 自分と同世代、あるいは自分より若い人とのお別れはひとしお切ない。

 


なんで肉じゃがはお母さん食堂のメニューにないのか?についての探索と考察:あやうしおふくろの味編

 

 ファミマのサイトには「お母さん食堂」におふくろの味の定番・肉じゃがが載ってない。

 動揺した僕は別に肉じゃがのファンでもなく、急に食べたくなったわけでもないのに、どうしても気になって近所のファミマの実店舗に行ってみた。

 

 入口には母ちゃん姿の香取信吾。

 しんごママが流行っていたのはもうずいぶん昔の話。SMAPの絶頂期だったが、彼の残した実績は生き続け、今回見事こうした形で復活した。割烹着がまたよく似合っててすごくいい。

 

 中に入るとキャンペーン中だけあって売り場も目立つ。ファミマの力の入れようが伝わってくる。

 

 しかし、その棚を上から順番に見て行って、チーズインハンバーグやらビーフカレーやらサバの味噌煮やらボルシチやら筑前煮やら里芋の煮物やらポテトサラダやらきんぴらごぼうやら・・・実にいろいろ揃っているのにない。

 肉じゃがはやっぱりない。

 

 諦めきれずに向かいの棚でパンの品出しをしていた店員のおねーさん、というか香取信吾より齢いってるお母さん風情の女性に尋ねてみる。

 

 「あの~、お母さん食堂に肉じゃがないんですか?」

 「肉じゃが?どれどれ・・・ああほんとだ、いま品切れしてるみたいですね」

 「え? ということはたまたま現在売り切れてるだけで普段はあるってこと?」

 「ええ、すみません。夕方また品物が来ますから」

 「ちょっと待って。それ本当?サイトには載ってなかったんだけど」

 「へ? いや記憶にあるよ。確かあったと思ったんだけどなー。

 あ、あれはセブンイレブンだったっけかな?」

 

 と、ライバル店の名前をボロッと出して、かなりあやふやな返事。

 

 これ以上問答してても埒が明かないなーと思ってファミマを後にし、こんどはセブンイレブンへ。

 

 こちらはお母さん食堂の一歩先を行くご存じ「セブンプレミアム」でファンが倍増状況。

 で、そのセブンプレミアムの並びをざーっと見ていくと・・・あったあった、ありました。

 ファミマ店員のおねーさんが見た憶えていたのは、やっぱりこちら。セブンプレミアム北海道の男爵肉じゃがです。

 

 そうか、セブンイレブンはやっているのにファミマはやっていないんだ。「お母さん食堂」と銘打っているのになんでなんでなんで?

 

 疑問を拭い切れず、ついに思い余ってファミマのお客様相談室に電話をかけてしまった。3回呼び出した後に女性の声。

 

 「はい、お電話ありがとうございます。ファミリーマートお客様相談室の○○でございます」

 「もしもし、福嶋と申しますが、お母さん食堂のメニューについて伺いたいことがあってお電話したんですが」

 「はい、ありがとうございます。どんなご用件でしょうか?」

 

 ・・・てな具合でなんでメニューにおふくろの味の代表選手である肉じゃががないのかと聞くと、サイトには載ってませんねーとピンぼけたお返事。

 

 「サイトでもお店でも見当たらないから電話して聞いてるんです。いったいあのラインナップはどういう基準で決められているのか知りたいんですが」

 「わかりました~。では商品企画室に問い合わせてみます。お客様のお名前とご連絡先を教えていただけますか」

 

 てな具合で電話番号を教えていったん切って他のことをやってると8分後に電話が鳴った。

 

 「問い合わせたところ、肉じゃがは出してないし今後も出す予定はないそうです」

 

 思わずセブンイレブンにはあるぞと言いたくなったが、そこはぐっとこらえて

 「そうですか。お忙しいところお手間をかけてすみませんでした」

 「いえいえ、また何かござまいましたらお気軽にお問い合わせください」

 

 てなわけでラインナップはどういう基準で決められているのかという話は忘れ去られていた。

 これはお客様相談室ではダメだ。

 何とか本社の商品企画室にダイレクトに取材を申し込まねばと思ったが、「日本のおふくろの味の変遷」だとか「和食大研究」とか「コンビニ惣菜の栄枯盛衰」とか、本でもサイトでもいいので何かそういう企画をやっているという大義名分がなくては乗り込めない。

 

 今のところ、仕事で頼まれてもいないし、自主企画でさすがにそこまでやる時間も情熱も持ち合わせてないので、今回はここで打ち切りにした。

 

 しかし、僕はある大きな変化に気付いた。

 やはり「おふくろの味=肉じゃが」という概念は間違いなく大きく揺らいでいる。

 なんといっても.ボルシチやエビチリがお母さん食堂にラインアップされる時代だ。

 そういえば僕だっておふくろに作ってもらったのはハンバーグだとかカレーだとかトンカツだもんな。

 若い連中にとっては肉じゃがなんて限りなく存在感の薄い小鉢料理の認識しかないのかもしれない。

 もはや肉じゃがは「古き良き日本の郷愁を誘うファンタジー料理」としてすら生き残るのが難しい時代に入っているのかも知れない。

 

 平成の終焉に向けて日本の文化は地殻変動を起こしている。

 そう感じられたのが、今回の収穫と言えば収穫かなぁ。

 

 これについてはまたの機会に考察を重ねたいと思っている。

 


0 コメント

肉じゃがは幻想のおふくろの味

 お読みの女性の方、ダンナやカレ氏に「肉じゃが作ってちゃぶだい」と頼まれたことがありますか?

 

 僕はおふくろもカミさんも肉じゃがが嫌いなので家で食べたことはほとんどありません。(おふくろの場合は子供の頃、作ったことがあるかもしれないけど思い出せない)

 

 カミさんの場合は自信を持って「一度もない」と言い切れます。

 聞いたら「ジャガイモが半分煮崩れて汁や他の具材と混ざっているのが嫌」なのだそうです。

 なかなか神経が細やかな女性です。

 いずれにしても、自分が嫌いなものだから作るはずがない。

 

 と言って別に文句を言っているわけではありません。

 僕もカレーのジャガイモやポテサラやフライドポテト、コロッケその他、ジャガイモ料理は大好きですが「おれは肉じゃがが食べた~い!と叫んだことはありません。

 

 サトイモの煮っ転がしは好きだけど、あの甘い醤油の汁はじゃがいもには合わないと思っています。

 

 思うに肉じゃがは日本が近代化して間もない貧しい時代、そして庶民も月に一度くらいは肉を食べられるようになった時代――明治とか大正に庶民の食卓で発展したおかずだろうと思われます。

 

 一家のお母ちゃんがかまどの前に立ち、家族みんなで食べるには少なすぎる肉をどうやって食べようと思案した挙句、そうだ、あのすき焼きのような(当時は肉を使ったごちそうといえばすき焼きをおいて右に出る料理はなかった)味のものにしよう、安い野菜と合わせて煮るんだ。そうだジャガイモがいい。ジャガイモを主役にすればお腹もいっぱいになるし、それにあまりものの玉ねぎやニンジンを入れて煮込めば・・・はい、出来上がり!

 という感じでお母ちゃんが工夫を凝らして生まれた料理が肉じゃがです。

 これがデン!と鉢に盛られて食卓の真ん中に置かれる。

 ほかほかと立つ湯気と匂いが食欲をそそる。

 「いただきまーす1」と10人もいるような大家族が一斉に競いあって食べる。

 「こらノブオ!肉ばっか選って食べるじゃない!」と、母ちゃんの優しく暖かい怒声が飛ぶ。

 他におかずと言えば漬物くらいしかないけど肉は食えるし、ジャガイモでお腹はいっぱいになるし、今夜の家族は幸せだ。

 

 そんな時代が長く続き、肉じゃがは不動の「おふくろの味」となったわけです。

 

 というわけですが、男性の方はカミさんやカノジョに「肉じゃが作ってちゃぶだい」と頼んだことがありますか?

 

 いまだに肉じゃがは「おふくろの味」の定冠詞を被っていますが、豊かになっちゃったこの時代、この料理をそんなに好きな人は大勢いるのだろうか?

 街の中の定食屋に入っても「肉じゃが定食」なんてお目にかかったことないもんなぁ。

 そもそももはやメインディッシュとなり得ない。食べるとしても副菜というか小鉢でつまむ程度。

 

 けれども副菜だろうが小鉢だろうが、ばあちゃんもおふくろもカミさんも誰も作らなくなっても、古き貧しき日本の郷愁を感じさせる肉じゃがは不滅なのだと思います。

 これから先は明治・大正・昭和のストーリーを背負ったファンタジー料理としてその命脈を保っていくでしょう。

 

 ・・・と思っていたけど、香取信吾がコマーシャルやってるファミマの「お母さん食堂」のメニューにはポテトサラダはあっても肉じゃがは入ってないぞ! 危うし肉じゃが。この続きはまた明日。

 


お祭りの季節に思う、日本の神様の心の広さ

 

 わが町・永福町の近隣にには熊野神社・大宮八幡宮。永福稲荷神社と3つ神社があり、毎年9月の週末は3連荘でお祭りです。

 息子がチビの頃は近所の子も連れて毎週毎週3つのお祭りを梯子して回ったこともあります。

 

 今週はその中でも最も大規模な大宮八幡宮のお祭りで、人出もすごい。夜は周辺地域の10基のライトアップしたお神輿が合同宮入りしてすごく華やかです。

 

 この地域に住んで早や四半世紀が経とうとしていますが、お祭りの風景は変わりません。

 いつも思うのだけど、日本の神様は大変鷹揚な親で、子ども――つまり僕たちがが仏様やキリスト様のところへ遊びに行っちゃってもガミガミ怒鳴ったりしません。

 

 お正月とお祭りの時、「神の子」に戻ってちゃんと神社に来て頭を垂れてくれることを知っているからです。

 

 ひと昔前、そうした宗教に対する日本人の節操のなさは国内外から怪訝に思われたり、非難されたり、おかしいんじゃないのと言われたりすることが多かった気がします。

 

 しかし近年、無宗教化は世界的傾向となっています。

 世界に名だたるキリスト教国と思われていたアメリカやイギリスでも今や3割に近い人が自分は「無宗教」と言うそうな。

 これが30歳以下だとその割合はぐんと上がり、無宗教化の流れはとどまるところを知りません。

 

 ニーチェが「神は死んだ」と言ったのは19世紀後半ですが、それから150年かけてニ-チェの言葉が現実化しつつあるのかも知れません。

 

 その詳しい話はまた別の機会にしますが、そんな世界の風潮を見ると、日本人がいちばん宗教との付き合い方が上手なのではないかと僕には思えるのです。

 いわば無宗教化時代の先達となるのか、日本人。

 

 というわけで今日は心の広い日本の神様にお参りして感謝の意を表しました。

 

 今年はちょううど仕事に当って、毎年やってた熊野神社のお神輿が担げませんでしたが、また来年は復帰するぞ。

 


0 コメント

あと4ヶ月で謹賀新年。そして新元号おめでとうございます。

 

 9月の声を聞くと同時に来年の足音が聞こえてきます。

 イノシシの走る音です。今はまだウリ坊程度ですが。

 干支グッズをはじめ、そろそろ手帳やカレンダーが店頭に並ぶ季節がやってきます。

 

 だけど今回はちょっと事情が違う。来年は西暦2019年。和暦では平成31年―ーは4月まで。5月からは新しい元号に切り替わります。

 

 当初、新元号は手帳やカレンダー業界に合わせて9月に発表――という話を聞いた憶えがありますが、発表されそうな雰囲気は全然ありません。

 どうも政府が現在の天皇陛下を慮って発表を遅らせているようです。

 ということは発表は来年に持ち越しということ?

 困る業界はないのだろうか? 祝日とかは?

 皇太子様は2月生まれ。現・天皇陛下は阿4月に退位されるので、そうすると来年は天皇誕生日なしということなるのかな?

 

 昭和から平成になった時はどうだったのか、さっぱり憶えてないけど、あの時は昭和天皇が亡くなってから発表されたから業界はもっと大変だったはず。だからどうってことはないのかもしれません。

 コンピューター関連のシステムなどは西暦でやっているから大丈夫なのだろうか? 30年前と社会状況が違うのでどうなるのよくわかりません。

 

 それにしても元号の話になるると、よく小渕恵三さんの画像にお目にかかりますが、この人を「ああ、あの平成を発表した人ね」とは認識しても、総理大臣だったことはほとんど誰も覚えてないのでは?

 小渕さんは「永遠の平成おじさん」として人々の記憶にとどまった。

 さて今度は誰が「新元号おじさん(あるいはおばさん?お兄さんお姉さん?)」になるのでしょう?

 


ちびまる子ちゃんとサザエさんはいつまで続くのか?

 

 西城秀樹さんの葬儀の取材をしたのは5月のことでしたが、まるでその後を追うように今回、さくらももこさんが亡くなってしまいました。

 

 「ちびまる子ちゃん」は世代が近くて自分の子供時代の雰囲気を楽しめるので、日曜の夜、家でゴロゴロしていると時々見ています。

 

 学校のクラスメイトら子供はもちろん、大人も面白いキャラクターがたくさん登場して、いろんな人がいるから世の中楽しいんだということを僕たちに伝えてくれていると思います。

 

 原作者が亡くなったからと言ってアニメの番組がなくなるわけではありませんが、どうも2~3年前から「ちびまる子ちゃん」それに続く「サザエさん」の視聴率の著しい低下が取り沙汰されているようです。

 

 僕はかなり昔から「サザエさん」の放送が終わる時が、日本が本当に変わる時だと言っていました。

 それに対してフジテレビは「サザエさんは永遠不滅です」と豪語していました。

 

 しかし雲行きが怪しくなってきた。

 そもそも当のフジテレビの長期的低落傾向にあり、これはもはや万人の知るところとなっています。

 もしかしたら“その時”が少しずつ近づいているのかもしれません。

 

 ふだんは仕事や接待でろくに家にいないお父さんも日曜の夜だけは家にいる。家族そろって楽しい夕食。家族のだんらん。

 「ちびまる子ちゃん」と「サザエさん」は、そんなに日本の家族の幸せの時間をさらにあたためる暖炉の役割を果たしていたのだと思います。

 しかし、そうしたお茶の間の習慣もとっくの昔に過去の遺物と化してしまいました。

 

 そろそろお役御免なのか? 

 長年培われた習慣と、高齢者がテレビを求めていることを考えると、まだまだいける、そう簡単に消えてなくなるとは思えませんが・・・

 でも、平成最後の夏のさくらさんの訃報は、何か日本人の生活が本質的に変わっていることを暗示しているようにも思えます。

 


0 コメント

社会全体の児童虐待と「晴れた空」

 

  一昨日、Nスぺの「駅の子の闘い ~語り始めた戦災孤児」というドキュメンタリーを観ました。

 「駅の子」というのは戦争(空襲など)で親を亡くし、戦災孤児になった子供たちです。

 東京なら上野駅が最も多く、駅の構内で寝起きしていたので「駅の子」と呼ばれていたそうです。

 戦争の被害者の中でもこれまであまり表に出ることのなかった人たちです。

 

 東京在住の90歳に近い女性は、すでに未亡人ですが、亡くなった夫には最後まで自分が「戦災孤児(浮浪児)だったことを打ち明けられなかったと話していました。そうした自分の過去がわかってしまったら・・・と怖れながら生きてきたのでしょう。

 

 彼女らは 今の小中学生の年齢の時にあまりに過酷で、惨めな思いをしたので、彼ら自身の罪ではないのに一生消えない恥の烙印を押されてしまったのです。

 

 しかもそれを押したのは、敵だった連合軍ではなく、昨日まで仲間であり守ってくれる存在だった日本人の大人たち。ほとんど犬猫扱いで、いわば社会全体からの児童虐待のようなものです。

 

 もちろん終戦直後の異常な状態の中、多くの大人も頭がおかしくなっていたせいですが、これでは大人を恨むな、社会を呪うな、というほうが無理というもの。

 

 全国で120万人もいたという、こうした元・子供たちの話を聞いていると、もう人生、運しかないなと思ってしまいました。

 

 さすがに国もこの惨状をいつまでも放置しておくわけにはいかず、終戦翌年の11月に児童福祉法が施行され改善に向かいます。

 

 しかし数年後、国が復興し社会がまともになるまで何とかもった子は良かったものの、ひどい状況の中で病気や栄養失調で健康を害したり、精神を病んだり、犯罪生活や売春行為からぬけ出せなくなってしまった子も少なくなかったようです。

 

 そして、ここでもどの施設に送られ、どんな大人に出会うかで運命の明暗が分かれてしまったのだと思います。

 120万人の中で何割が無事大人になり、正常な社会生活を送れるようになったのでしょう?

 

 すでに皆さん高齢なので、傷跡を隠したままで生を終えることも可能なのだと思いますが、どこかで心の中の子どもが、戦争なんて知らないよという人たちに「語らなきゃ」とやんちゃを言い出したのでしょうか。

 

 先だっては「戦後73年もたっているんだから」と書いてしまいまいましたが、この人たちの中の子どもが持つ怒り・悲しみの感情は、73年だろうが、100年だろうが薄れることはない。そんな時間経過なんて関係ないのだと思います。

 

 人生の先輩たちに対して恐縮ですが、そんな目にあったにも関わらず、よくここまで頑張ってちゃんと生きぬいて来られました・・・と本当に頭が下がる思いを抱きました。

 

 ちなみに半村良の「晴れた空」(祥伝社文庫・上下巻)は、戦災孤児と戦後直後の社会の様子を描いた数少ない小説で、とても読み応えがあります。

 作者は上野の闇市を体験しているようで、こうした子供たちとの交流もあったのでしょう。

 あくまでフィクションですが、こういう作品は終戦当時の現場の空気を吸ってないとなかなか書けません。

 


ロンドン旅行記⑤:「国家の英雄」が乗った海賊船

 

 「海の日」なので海賊の話。

 ロンドンブリッジの近くにあるテムズ川のドック。

 ビルとビルの谷間に、小さな海賊船がポヨヨンと浮かんでいます。

 

 ルフィの麦わら海賊団の船でももう少しはでかいだろうというくらいの可愛さですが、これが七つの海で金銀財宝など、略奪の限りを尽くし、スペインの無敵艦隊を撃破し、あげくの果てに世界一周まで成し遂げ、イギリスの英雄とまで謳われるようになった海賊王サー・フランシス・ドレークが自らの船団を率いる旗艦とした「GOLDEN HEIND号」です。

 

 初めて世界周航に成功したのはご存知の通り、ポルトガルのマゼラン(率いたのはスペインの船)ですが、実はマゼランは出発地に帰り着く前に死んでしまった(船団の部下が帰還した)ので、指揮官として世界周航をコンプリートに実現し、故国に生還したのは、ドレークが世界初と言えます。

 

 この船はもちろん実物大のレプリカなのですが、テーマパークで賑やかしのために展示している代物とは違って、本物感たっぷりです。

 最初は本当に500年前の船を修復したのかと思ったくらいです。

 

 乗船して甲板、船室、船底などに入ってみると、楽しさ・快適さとはほど遠く、こんなところにはとても数時間といられないという感じ。

 

 当時のイギリス人が今より体格が小さかったとしても、本当に小さすぎないか?

 もしや寸法を間違えて再現したのではないか?

 

 とにかく想像を絶する狭さ・暗さで、時々港で休むことはあったとしても、むさ苦しい男どもが何人も同乗して、波に揺られながら何ヶ月も旅をするのは大変だっただろうなと、ひしひしと感じます。

 

 1581年4月、船長のドレークはこの船の甲板上で、当時の国家元首エリザベス1世からナイトの爵位を授けられたと言います。

 

 海賊なのに、女王の治世を支えた「国家の英雄」。

 

 なんでかというと、ドレークは略奪した金銀財宝の半分を女王陛下に上納していたそうで、その額は当時の国家予算に相当したといいます。

 

 いわゆる国家公認、女王陛下お抱えの海賊。

 

 エリザベス1世はその金で莫大な借金を返した上に、まっとうな経済を作る貿易会社設立のために投資。それに付随して現代の金融・貿易システムにつながるさまざまな施策を打ち出しました。

 

 このあたりのことは国際政治学者で海賊研究者である竹田いさみ氏の「世界史をつくった海賊」(ちくま新書888)に詳しく、面白く書かれています。

 

 ちょっと弁護すると、この時代のイギリスは経済的にも軍事的にもヨーロッパの弱小国で、ちょうど明治期、欧米列強の侵略に怯えていた日本同様、スペイン、ポルトガル、フランスなどのカソリック系先進国から国をつぶされそうになっており「富国強兵」の必要に駆られていました。

 

 そこでこのドレークをはじめとする海賊たちの経済貢献活動が「富国」の部分――のちの大英帝国の経済基盤になり、航海術や戦闘術などが「強兵」の部分――世界最強海軍の編成になったのです。

 

 まさに「悪の大帝国誕生エピソード1」という感じ。

 

 ドレークもすごいけど、その黒幕として海賊を利用し、やることなすことしたたかで賢いエリザベスはもっとすごい。

 

 大英帝国時代のビクトリア女王しかり、現在のエリザベス2世しかり、80年代のマーガレット・サッチャーしかり、(メイ首相はまだどうか分かりませんが)この国は成長・変革のたびに女に救われてきたと言えるのかも知れません。

 

 実際に「GOLDEN HEIND号」船内を見て感じたのは、この海賊王のすごさは度胸とか勇敢さなどよりも、乗組員の健康管理とか、ストレス管理を繊細にやっていたところではないかと思います。

 また、それがあったからこそ部下の信頼も厚かったのでしょう。

 

 この時代、船団が航海に出かけると大半の乗組員は途中で死んでしまったようですが、その多くは戦闘や事故でなく、病気で命を落としていたようです。

 こんな狭い船内で閉じこもって仕事をしていればそれも当然です。

 

 そして病死したらそのまま海に投げ入れてサメの餌です。

 そんな仲間の末路を目の当たりにしたら、残りの連中も暗澹たる気持ちになったことでしょう。

 

 その中でドレーク海賊団の生還率は飛びぬけて高かったと言います。

 積める荷物は限られているので、食糧や飲料水の調達にも相当気を配っていただろうし、部下のストレスがなるべく溜まらないよう、休憩させたり、慰安を入れたり、いろいろ心を砕いていたのでしょう。

 

 そういう意味では英雄ドレークの真の強さの秘密は、ボスとしての思いやりとか、従業員の「働き方改革」だったのではないかと思います。

 

 そういえば我が国の「海の日」も、3連休づくりという政府の思し召しのために、毎年カレンダーに合わせて動かされるので、本当は何日で、どういう由来のある日だったのかすっかり忘れてしまいました。

 ま、誰にも文句言われず、大手を振って休めれば何でもいいのかな。

 


0 コメント

西暦か元号か? 今年は昭和93年?

 

 

 原稿を書いていると、過去の出来事について、それが起こったの年を西暦で書くか、元号で書くか、迷うことがあります。

 大正時代から前は併記しないと自分自身がわからないし、読者もよくわからない人が多いでしょう。

 大正3年、明治24年、慶応元年をそれぞれ西暦に直せ、と言われてその場でぱっとわかる人はあまりいないと思います。

 

 やっかいなのが昭和で、これは過去でありながら、年寄りにとってはいまだ続いている現在なのでややこしい。

 うちの母親は昭和4年生まれですが、時々、自分の齢がわからなくなります。

 

 そんなとき、僕は「今年は昭和93年。だからお母さんは89だよ」と言ってます。

 母の頭の中では西暦はもちろんですが、平成という元号は、どこか他の国の歴史の数字のようです。

 

 僕の場合は、同じ年であっても昭和〇年と西暦〇年は随分イメージが違っています。

 だから特にルールを課されない場合は、ほとんど自分の感覚で書き分けます。(字数が許されるときは極力併記しますが)

 

 たとえばビートルズの来日公演はやっぱり1966年で、昭和41年ではない。

 同じくアポロ11号の月着陸は1969年で、昭和43年ではない。

 逆に平成天皇(当時皇太子)のご成婚は昭和34年で、1959年ではない。

 前・東京オリンピックは、1964年と昭和39年、両方ありかなぁ。

 

 昭和は40年代までは風味が農厚で、その時代の空気を数字で明瞭に表現してくれるのですが、50年代・60年代になると急に印象が薄くなる。

 

 昭和50年と言われても全然ピンと来ないのだけど、1975年と言われれば長髪でベルボトムの裾がボロボロになったジーパンはいた若者が、ギター鳴らしているシーンが即座に思い浮かびます。

 昭和55年も60年も、1980年とか85年とか言われないとイメージわかないなぁ。

 

 平成は1989年から始まってて、出だしがバブルで盛り上がっていた時代だったので、明るく楽しく軽やかなイメージが強い。

 

 だけど、そのあとすぐに経済が急降下しちゃって、そのせいか日本人もおかしくなっちゃって、1990年代には心理学やらプロファイリングみたいなものが流行ってくらーくなってしまい、それがずーっとダラダラ続いて、失われた10年やら20年やらが30年になって、結局、平成はまるごとロストジェネレーションになってしまうのではないかという危機感が漂います。

 

 その平成も残り1年あまり。

 2019年から始まる新しい元号はどんなもので、どんな空気を作るのだろう?

 


寅平じいさんクリスマス夜話:三太九郎となってスイーツを振る舞った織田信長

 

 うちのじいさんは明治の寅年生まれで、名前を寅平という。

 出身地は東京らしいが、丁稚奉公とかいろいろやっているうちに、だんだん西へくだり、静岡にいたばあさんと駆け落ちして、豊橋辺りに移り住み、最後は名古屋までやってきた。

 

 その寅平じいさんがクリスマスになると、必ず僕を相手にぶつくさ言った。

 

 「なんで日本人が西洋の正月なんか祝わんといかんのじゃ。腹立たしい」

 

 でもそういう寅平じいさんは、カレーライスとかトンカツとかケーキとかの洋食が大好きで、じつは結構西洋通であることを僕は知っている。

 

 「でもじいちゃん、クリスマスは子供がプレゼントをもらえるから僕は好きだな」

 

 「ああ、三太九郎か」

 

 「三太と九郎じゃない。そんな漫才コンビみたいな名前じゃないよ。プレゼントを持ってくるのはサンタクロースっていうんだよ」

 

 「わしが子供の頃は三太九郎って名前じゃった。北国の翁って言われとってな」

 

 「オキナってなに?」

 

 「じじいという意味じゃ」

 

 「じゃ、じいちゃんもオキナ?」

 

 「ま、そういうことじゃ。どうもおまえはこの西洋の正月が好きなようじゃから、きょうは一つ、わしが三太九郎になって話をしてやろう」

 

 というわけで、この話は僕が5歳の頃、寅平翁が語ってくれたクリスマスプレゼントである。

 

●お茶目信長スイーツ伝説

 

 日本におけるサンタクロース――三太九郎というのは明治時代になって登場したのかと思いきや、その歴史は意外と深く、安土桃山時代まで遡ります。

 オリジナルはなんと織田信長だというのです。

 

 天下統一にまい進していた頃の信長は「荒ぶる神」として怖れられていましたが、その反面、まるで少年そのままのようなお茶目なところもあったという信長。

 甘い物、要するに現代でいうスイーツが大好きでした。

 

 そのお茶目信長スイーツ伝説の白眉が、安土城で徳川家康をもてなした「安土献立」と、それにまつわるエピソード。

 安土城で徳川家康をもてなした「安土献立」によると、美濃柿――今も岐阜県美濃地方の名物である甘い干し柿がデザートとして食膳を飾っておりました。

 

 好物を食べてご機嫌になった信長はパティシエとなって、家康にみずから甘くて香ばしい「麦こがし」(麦を原料としたお菓子)のお菓子をふるまったそうです。

 それが、かの本能寺の変のわずか2週間前。

 天下統一の野望はまさしくスイートドリームとして消えた・・・というところでしょうか。

 

 

●宣教師らのスイーツ布教、コンペイトウ外交

 

 さて、そこからまた遡ること数年前。

 12月の夜に宣教師から耳にしたのが、西洋にはクリスマスなるキリスト生誕のお祭りがあるということ。

 

 ちなみに宣教師らがお土産として差し出す南蛮菓子、特にコンペイトウが信長の大好物だったという記録が残っています。

 これもまさしくスイーツ布教、コンペイトウ外交。

 

 しゃぶしゃぶ、カリカリと甘いコンペイトウをほおばり、かじりながら信長が話に耳を傾けていると、南欧の地ポルトガルから遠く北ヨーロッパに布教に出向いた仲間の話を覚えていた宣教師の一人が、こんなことを伝えました。

 

 「北国の森の中には、仙人のような翁が暮らしており、クリスマスには貧しい女・子供たちに施しを授けて回るというのです」

 

 どうやらこの話は、自分たちの布教活動をPRするための出まかせだったようですが、信長、その翁にいたく興味を持ち、

 

 「してその翁とやらはどんな名だ?」

 

 「はい、サンタクロースと申します」

 

 「三太九郎? そういえばわしが子ども頃の世話役に三太という男がおって、よく柿を食わせてくれた。それに九郎というのは、かの源義経の通り名じゃ。こいつは縁起が良い。

 ではそのクリスマスの夜に、わしが三太九郎に扮して、菓子を配るというのはどうじゃ」

 

 

●信長三太九郎と赤鼻のおサル

 

 そんな、殿が・・・なんて止める家臣が、ワンマン経営の織田家にいるはずがありません。

 木下藤吉郎などはいの一番に賛同の声を上げて、

 

 「御屋形様、それは素晴らしいお考えであります。

 なんならこのサルめが、三太九郎のお供に扮しましょう」と言って跳び上がり、その場にあった朱書きの顔料を鼻の頭に塗りたくりました。

 

 それを見た信長、立ちあがって喜び、

 「よいぞよいぞ。おまえは赤鼻のサルじゃ。ワハハハ・・・」

 

 というわけで、宣教師らに南蛮渡来の赤い衣装を持ってこさせ、白い髭を付け、赤鼻のサルをお供にし、三太九郎となって、城中の家来や女・子どもに南蛮菓子を景気よくふるまったとか。

 

 もとより手柄を立てた家来のご褒美に、また、死んだ家来の子供を慰めようと好物の干し柿をプレゼントしていたという信長ですから、この日の三太九郎はコンペイトウのように目がキラキラしていました。

 

●家康、三太九郎を葬る

 

 この日、赤鼻のおサルとなった藤吉郎は、信長の死後、豊臣秀吉として天下を手中にしましたが、派手なこと・賑やかなことが大好きなので、自分もこの三太九郎に扮する行事を毎年続けていました。

 

 が、この習慣を辞めさせたのが「織田がこね、豊臣がついた餅を、徳川ただ食らう」と揶揄された天下人・徳川家康。

 

 質実剛健、浮かれた騒ぎが嫌いな家康は、この信長・秀吉が続けてきた三太九郎の行事を、まさしく「なんで日本人が西洋の正月なんか祝わんといかんのじゃ。腹立たしい」と、即刻禁止しました。

 これにはもちろんクリスチャンの反乱を抑える目的もありました。

 

 こうして江戸に幕府が開かれて260年、クリスマスもサンタクロースも、まるでそんなののは一切この国に存在しなかったように扱われることになったのです。

 

 

 じつはこの話にはまだ続きがあるのですが、それはまた来年。

 という寅平じいさんの話を思い出した今年のクリスマス。

 皆さん、楽しく過ごされたでしょうか?

 じつはこのこの話にはまだ続きがあるのですが、それはまた来年。

 

 皆さん、楽しいクリスマスを――

 と言っても、日本はイブが終わると、すぐに大みそか・正月モードに移行しちゃうんだよね。

 

 いずれにしても今日いっぱいはまだメリークリスマス。

 


0 コメント

京都探訪記2017⑥:新選組ゆかりの壬生寺は、ゆりかごから墓場までの下町京都のおへそ

●新撰組と壬生寺

 

 壬生寺と言えば、京都に出てきたばかりの頃の新撰組の駐屯地として知られるお寺です。

 嵐山線・四条大宮の近くにあり、この界隈は京都の下町風情が味わえる地域で、今にいたるまで、地域のコミュニティのおへそとして親しまれています。

 

 境内には資料館があり、その庭には凛々しき近藤勇局長の銅像。

 

 そしてもちろん、全国の新選組ファン巡礼の足跡も。

 最近はゲーム化もされているそうで、やたらアニメチックは美青年隊士が目立ちます。

 

●新選組血風録

 

僕が近藤勇と初めて出会ったのは、司馬遼太郎の「新選組血風録」の中でした。

「虎鉄」という名刀を手にし、それを手に勤王の志士をバッタバッタと斬るのだが、じつはこの虎鉄が真っ赤な偽物。

 

しかし、近藤さんはこの偽物の凡刀を、自分の信念(というか思い込み)で本物の名刀に変えてしまうという、すごいけど、ちょっと笑えるお話でした。

(その後、本物の虎鉄を手に入れるのだけど、「こんな刀はなまくらだ」と言って使わない・・・というオチがついていた)

 

司馬遼太郎氏はなぜか近藤勇を、思い込みは強いけど、ちょっとおつむのキレが悪い、昔のガキ大将みたいなキャラとして描いて、頭がキレまくる策士の土方歳三と対比していました。

 

土方主役の名作「燃えよ剣」はまさしくその司馬流新撰組の真骨頂。

おかげで長らく近藤さんのイメージはダウンしたままだったけど、2004年の大がドラマ「新選組!」で三谷幸喜の脚本と、香取慎吾の演技がそれを払拭したかなという感じ。

 

●昭和歌謡「あゝ新選組」

 

その他、かつて三橋美智也が歌った「あゝ新選組」という歌の歌碑があります。

単に歌詞が書いてあるだけでなく、スイッチを押すと、いかにも昭和歌謡という歌がフルコーラスで再生。

5分近い長尺ですが、ついつい聞き惚れてしまいます。

 

●インドの仏像、壬生狂言

 

資料館の中には、その和装の近藤さんと洋装の土方さんの、あの有名なポートレートが堂々鎮座。

お寺の記録には、新撰組が境内で教練などを行って、迷惑だなどと書かれていたそうですが、それが150年以上の歳月を経て、お寺の繁栄に貢献しているのだから面白いものです。

 

しかし実はこの壬生寺、新撰組だけのお寺ではありません。

古くから伝わるエキゾチックなインドの仏像や、江戸時代初期から根ざした庶民のエンターテインメント「壬生狂言」と、3本立てコンテンツで見どころ満載です。

 

壬生狂言は年に数度行われており、ホームページから日程を調べて予約すれば、観光客も楽しめるとのこと。

 

●保育園・養老院を経営

 

壬生寺の敷地には保育園があり、養老院が二つ建っています。

奥には墓地があり、まさしく「ゆりかごから墓場まで」人生丸抱えという感じ。

資料館の受付をしていたおばさんも子供の頃からお世話になっている、と言ってました。

 

地域に深く根付き、文化を育てるコミュニティ拠点として親しまれる壬生寺。

国宝や世界遺産の寺院もいいけど、こうして庶民と一緒に歴史を重ねる下町のお寺もLovelyです。

 


0 コメント

京都探訪記2017③:京龍伝説

  祇園にある京都最古の禅寺・建仁寺の法堂天井画の「双龍」。

 すごい迫力だが、どちらもどことなく愛嬌のある顔をしています。

 京都の神社仏閣を訪ねると、やたらとあちこちに龍がいます。

 思わず「います」と言いたくなる存在感・実在感が京龍にはあります。

 

 このお寺ではほかに桃山時代に描かれた襖絵の雲龍もいます。

 そんな大昔の絵なのにずいぶんきれいだなと思ったら、この寺ができて800年の記念事業の一環で、京都文化協会とキヤノンの協力で、全部で50面ある襖絵を高精細デジタルで複製したということ。

 現代のテクノロジーの力で復活した京龍。まさしく日本のジュラシックパーク。

 

 嵐山にある天龍寺の法堂の天井にも「雲龍」がいます。

 こちらは撮影禁止でしたが、八方にらみの龍で、円に沿って堂内を一周すると、どこに行っても龍に睨まれている感じがします。

 けれども、これもまた睨まれて怖いというより、いつも見守ってくれているという安心感を感じます。

 

 この天井画の雲龍は、もともと明治時代の日本画家の筆によるもの。

 龍は水の守り神。

 海がない代りに豊かな水を湛えた琵琶湖が控えています。

 

 明治維新後、天皇は東京に移り住むことになり、いっしょに公家や大名も去って京都は都の地位を喪失。経済的にも大ダメージを被りました。

 お得意様をなくした町人たちは、自分たちの手で京都の街を再建し、生活の糧を得なくてはならなくなったのです。

 

 敢然と立ちあがった京の明治人たちは、脳も筋肉もフル回転。

 その再建事業の一つとして、永年夢見た琵琶湖の利用開発に着手。

 豊かな水を利用して運河を開いたり、水力発電を行うことに成功しました。

 明治時代に描かれた龍は、この明治の京都人たちの意気地と、琵琶湖疎水の象徴だったのかも知れません。

 

 二つの天井画は、天龍寺の「雲龍」が2000年に、建仁寺の「双龍」が2002年に、それぞれ著名な日本画家によって新しく描き直されました。

 明治の龍がどんな筆致だったのかは分からないけど、豪壮で勇ましく権威を感じさせる龍から、優しくし親しみやすい守り神のような龍に変わったのではないかと想像します。

 

 京都の水はやわらかくて、おいしい。

 だから21世紀の京龍は、Lovdelyなのかなぁ。

 


八王子の惣菜店「はちまきや」と織田信長とTOKYO-Xの豚バラ大根

 

●はちまきや 

 今日も八王子フェアの取材

 4日開催の「きょうの料理フェアin八王子」に出演する「はちまきや」のメンバーにお話を伺いました。

 

 「はちまきや」は、都内唯一の道の駅である八王子滝山に入っているお惣菜屋さんで、

地元の人たちに大人気のお店。

 メンバーは農家のおかみさんたちで、毎日朝の7時前から入り、地元産の農産物などを使って、いろんなお惣菜やお菓子を作るそうです。

 

 あんころもちの餡なども、毎朝、小豆から煮るそうで、作っている最中からお客さんがやってきて注文し、出来上がりの時間を聞いて戻ってくるそうな。

 

 皆さん、もともと家では手料理を作っていたのだけど、この店を開店するにあたって、プロの料理研究家を招いて、メニュー作りなど、協力してもらったそうですが、その人の作るものは、ちょっとおしゃれ過ぎて味が薄い。

 八王子のお客さんの口にどうも合わまくて、昔から自分たちがやっていた味付けにしたら、そっちのほうがウケて大評判になったということ。

 

●織田信長

 その話を聞いて思い出したのが、織田信長のエピソード。

 尾張名古屋のキングから、日本のグランドキングに上り詰めようとしていた信長が、京の都から一流料理人を呼んで、料理を作らせた。

 ところが信長、2、3品つついたところで、

 

 「こんな水くさゃーもの食えんわ、このくそたーけ!」と

ちゃぶ台――じゃなくて、お膳をひっくり返して大激怒。

 

 なにせ「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」の人なので、

 料理人、真っ青になり、京の料理人のプライドなんかかなぐり捨てて、自分の基準ではありえないくらい味付けを濃くして出し直したそうな。

 

 そしたら信長、

 「めっちゃんこうみゃー。やればできるがや、おみゃーさん」

 と、褒めたたえ、金銀ジャラジャラ褒美をとらせたとか。

 

 あのお方はな、上品な京都の薄味が分からない田舎侍やさかいな――と、

 信長を揶揄した京都人の作り話のようですが、食べ物の好みにまつわる、こうした歴人のエピソードは大好きです。

 

●TOKYO-Xの豚バラ大根

 ちなみにいくつか、このはちまきやの惣菜を買って帰って食べました。

 すっかり有名になったブランド豚「TOKYO-X」も、じつは大半が八王子産。

 このバラ肉(脂身がほんのり甘い!)と大根を煮つけが、めっちゃんこうみゃー。

 信長にも食べさせてあげたかった。

 

 


0 コメント

●フランス革命とマクロン大統領と「パンがなければお菓子を食べろ」発言の真相

 

 3日ほど過ぎてしまいましたが、7月14日はフランスの革命記念日でした。

 ニュースでマクロン大統領と、訪問したトランプ大統領が並んでいるのを見て、なんだか親父と息子みたいなだな、顔もちょっと似てるなーと思いつつ、初めてパリに行った1986年のことを思い出しました。

 

 当時はロンドンに住んでいたので、朝、家を出て、ドーバー海峡を渡ってフランス北端のカレーにわたり、夕方パリに到着しました。

 泊ったのは都心にある小さなホテルの、ちょっとポエミーな屋根裏部屋。

 

 その旅行は一人ではなく、同じ職場のウェイトレスさん二人が一緒だったのですが、この二人が漫才コンビみたいな調子で、

「朝食食べたらギロチン見に行くわよ~」

「正月の朝からギロチンとは縁起がいいなぁ」と、やりとりしていたのが面白かった。

 

 記憶がいまいち曖昧だけど、この時出掛けたのは、革命関係の絵や資料が見られるカルナヴァレ美術館だと思います。

 さすがにギロチンの実物は展示されていません。

 

 今から228年前に起こったあの出来事が、世界史の1ページを飾る大事件であることは今も昔も変わりませんが、世の中の評価はだいぶ変ったように思います。

 

 かつては革命の理想に邁進する民衆が、力を合わせて古い体制を叩き潰し、自由と平等の社会を創り上げるという物語が強調されており、もの革命=善という見方が強かったように思います。

 

 しかし近年は、革命時の発狂したとも言える民衆のヒステリックな状況、血に飢えた人々の非道な残虐行為にスポットが当たることが増え、あそこまでやる必要があったのか?

 そうそう胸を張って誇れるようなものだったのか?――という疑問が多く聞かれるようになりました。

 

 

 情報化が進んで、以前のように「民衆・革命=善」「王政・古い体制=悪」といったように単純には捉えられなくなった、また、世の中の保守化の表れでもあるのでしょうか。

 

 そういえば、革命劇の主役のひとり、最大の仇役であったマリー・アントワネットの人気は死後2世紀を経て、年々上がっているように思えます。

 かつては民衆の女性に徹底的に妬まれ、憎まれた、あのお姫様ぶり、セレブぶりが、逆に現代の女の人達の、大きな関心と共感、憧れを呼んでいるのも面白いところ。

 悲劇のヒロインでもあるし、みんな、アントワンネットのこと大好きだもんね。

 

 ところでトランプ似の若き大統領・マクロンさんだけど、僕はつい「マカロン大統領」と言い間違えてしまう。

 

 マカロンはおフランスのお菓子ざんす。

 「パンが食べられないなら、お菓子を食べればいいじゃな~い」――

 っていう歴史的名言(?)も、じつはアントワンネットは言ってないそうざんす。

  けど、今や彼女のキャラに欠かせないキメ台詞。

 どんどんキメて、どんどん美味しいお菓子の宣伝に使ってほしいザンスね。

 


0 コメント

ローリング・ストーンズと新選組の相似点について

 

●夏はローリング・ストーンズ

 

  気温が上がってくるとローリングストーンズが聞きたくなる。

 夏はストーンズだ、ロックンロールだ!

 

 とはいえ、じつはそんなに熱心なストーンズファンというわけでもなく、曲もそんなに知りません。

 ざっと数え挙げても10曲くらいしか出てこない。

 

 ビートルズやレッド・ツェッペリンほど、音楽性が幅広いわけでなく、プログレ系ほど深い陰影があるわけでもない。

 僕にとってストーンズはあまりディープにはまりこむことなく、ほどほどのテンションを与えてくれる。

 だから仕事のBGMとして最適なのです。

 

 だけど、「アンダー・マイ・サム」と「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」はいつ聴いてもサイコーにカッコいいなぁ。

 

 1990年の待望の初来日公演の時も、友だちと大騒ぎしながら東京ドームへ行きました。

 もちろん、ミックやキースが目立つのだけど、僕にはドラムのチャーリー・ワッツが最も印象的でした。

 メンバーみんな、演奏中、リズムを外すまいとドラムの周りに集まってくる。チャーリーの刻むハートビートがこのバンドの音楽を支えている、と思いました。

 

 演出もド派手で大ロックンロール大会という感じでしたが、個人的には最近、YouTubeでお目にかかる60~70年代の少々ダークなムードがただようライブの方がそそられるものがあるなぁ。

 

●ブライアン・ジョーンズと芹沢鴨

 

 ストーンズ関連のストーリーはあまり読んだことがないのだけど、この間、ネットで「ストーンズの成功の理由」について書いた文章があって、何気に読んでいたら、その理由の一つにブライアン・ジョーンズをクビにしたことを挙げていました。

 

 ブライアン・ジョーンズは初期の中心メンバーで、もともとストーンズはミック・ジャガーやキース・リチャーズのバンドでなく、ジョーンズのバンドだった。

 60年代当時、ストーンズはビートルズと張り合っていたのだけど、リーダーのジョーンズがドラッグとアルコールに溺れて、このままではバンドが崩壊する危機に瀕し、ジャガーをはじめとする他のメンバーが結託し、ジョーンズにクビを言い渡しに行ったというのです。その数カ月のちにジョーンズは薬物中毒で他界しました。

 

 この話を読んでなんだか新選組に似ているなぁと思ってしまった。

 当初、新選組のボスは芹沢鴨という武士だったのですが、素行が悪く、このままでは世間に認められないと察知した近藤勇と土方歳三は、他の隊士と共謀してボスである芹沢を粛正するのです。

 

 どちらも反逆的な若者集団だけど、世間に自分たちの存在を認めさせ、上に這い上がるためめには、あまりに反社会的な面は矯正するバランス感覚と、自分たちを引っ張ってきたリーダーと言えど容赦しない非情さも必要なのだということですね。

 

●ミック・ジャガーと会った話

 

 ロンドンの「ひろこレストラン(日本食)」にと勤めていた時、一度だけミック・ジャガーが来店したことがあります。

 えらく若い恋人を連れてきたなぁと思ったら、娘さんでした。

 あの当時(1986~7年頃)、まだ高校生ぐらいの齢だったと思うけど、すごく大人っぽくて美人だった。

 そんな娘さんと一緒で気分が良かったせいもあり、終始にこやか・穏やかで、リラックスした様子でした。確かメインは焼き魚を食べていきました。支払いはアメックスのカードで。

 

 ミックはじめ、メンバー全員、美味しく楽しくヘルシーな日本食をたくさん食べて、健康を維持して、死ぬまでロックンロールしてほしいと思います。

 


0 コメント

日本のバラマキ風習はいま

 

 もしやアメリカは、日本の打ち撒き、散米、撒き銭、餅撒き、菓子撒きの風習があるのを調べ上げて戦後、乗り込んできたのだろうか?

 

 しばらく茨城の「撒き銭」の話を書いていたら、そんな疑念に囚われました。

 

 それを知っていて、戦略的にジープからチョコレートやガムをばら撒いて、当時の子供らを手なずけていたのならすごいな。

 次世代の日本人を戦勝国の文化に染め上げる最高の手段だったと思います。

 

 さすがに僕は「ギブ・ミー・チョコレート」の時代は知らないけど、名古屋の菓子撒きなら子供の頃に体験しています。

 

 まだ幼稚園生の頃だったと思うけど、タダで菓子がもらえる、それもバラマキでもらえると思うとワクワク、ガツガツしちゃうんだよね。

 当時はまだ貧乏な子どもが多かったから、みんな目をギラギラさせて集まってきた。

 本当に子供って言うのは「餓鬼」そのものです。

 

 その餓鬼を八百万の神の一つになぞらえちゃうんだから、本当に日本ってやさしい国です。

 幕末・明治にやってきた西洋人が、日本人がみんな子煩悩なのを見てびっくりしたというエピソードがあるのも頷けます。

 もちろん、中には子供を手なずけて手下にして、悪事を働かせていた悪党も結構いたと思うけど。

 

 ところで今日は、茨城の葬儀社の人と電話で話したので、ついでに「撒き銭」のことも聞いてみました。

 その人自身は南部なので経験ないと言っていたけど、県北のほうでそういう風習が今でもまだあるという話を聴いた他の葬儀社から聞いたことがある、とのこと。

 

 これは貴重な証言です。

 こうなれば今度は北部の方の葬儀社に訊いてみるしかありません。

 

 会話の中で名古屋の嫁山車の際の話も出て、「いや、名古屋も冠婚葬祭はすごいですよねぇ」と言われてしまった けど、まだ菓子撒きなんかやっているところがあるのだろうか?

 

 「名古屋の嫁入りはハデ」というイメージが蔓延ってしまっているので、他の土地の人がそう見るのはしかたないけど思うけど、ぼくたちのような世代が親になって以降、そんなド派手な結婚式や、ましてやお菓子をばら撒くなってことが行われているとは思えないのだけど。

 

 疑念が疑念を呼んでいます。

 菓子撒き、餅撒き、撒き銭・・・はたして現在の日本のバラマキの実態やいかに?

 


0 コメント

茨城・葬式の撒き銭のルーツを探る

 

 この夏場所、残念ながら郷土の英雄・稀勢の里は途中休場してしまいましたが、依然として「ひよっこ」で盛り上がる茨城県。

 

 先日から茨城の葬式の「撒き銭」の話をしているのですが、お金だけでなく、お餅やキャラメルなどのお菓子もばら撒くと聞いて、子供の頃、お嫁さんの出る家で「菓子撒き」をしていた(昭和40年代の名古屋の話です)のを思い出し、アレと関係があるのかな?と調べたら、ビンゴ!

 

 民俗学博士である成城大学文芸学部の田中宣一教授の「祀りを乞う神々」という本。

 その中の一文「散米と撒き銭」に詳しいルーツが書かれています。

 

 もともと神道の打撒(うちまき)=散米(さんまい)に由来するもので、米を打ちつけて、ケガレや不幸をはらう風習なのだそうです。

 

 節分の豆まきと同じみたいですが、厳密に言うと、対象となるのは鬼とか邪気とかではなくて、ちょっと低級な神様。

 

 ここが「八百万の神」がいる日本らしいところで、神坐に鎮座する、いわば正式の神様とは別に、レベルの劣る、その他大勢の神様が、お祭りの時になるとうじゃうじゃ湧いて出てきて、お詣りするべき神坐へ向かう道をふさいでしまう。

 なので、「はらう」のではなく、撒くというラフな形でお米を「お供えする」――つまり、神様へのお供えのスタイルの一つというわけです。

 

 このお米が、お金・お餅・お菓子などに、下級の神様が、その地域の子どもをはじめ、民衆一般に転化し、「撒き銭」という風習になったとか。

 ちなみに神社の「お賽銭」も同じルーツを持っています。

 

 葬式で撒くのは、やはり長寿で亡くなった人が仏様=神様になったというお祝いの意味合いが強いようです。

 

 かなり端折って紹介しましたが、この「撒き銭」は、江戸時代には全国の広い地域で行なわれており、山岳信仰で富士山などにお詣りのために上る人たち、お伊勢参りに詣でる人たちなどは、その旅程で、撒き銭を期待する地域の子供らが寄ってきたとのこと。

 

 なんだか進駐軍に「ぎぶ・みー・ちょこれーと!」と集まってきた戦争直後の子供たちみたいだなぁ。

 そういえば、あれも一種の「菓子撒き」ですね。

 

 撒き銭をあげないと「ケチ」「ボケ」「カス」とののしられ、「途中で悪いことが起こるぞぁ」と、呪いまでかけられたそうです。

 まったくしょーもないガキどもだ。

 

 それにしても、いくら撒くのは小銭とはいえ、目的に辿り着くまであっちこっちでやっていたら、これだけで破産してしまいそうですね。

 それとも、ある程度のお金持ちじゃないとやらなかったのでしょうか?

 

 興味のある人は読んでみてください。

 

 しかし「葬式の長寿祝いの撒き銭」という形で、なぜ、とりわけ茨城に伝えられ、最近まで残っていた(今でも残っている)のか?

 そこのところはまだ謎のまま。

 

 「ひよっこ」には朝ドラなので、よもや葬式シーンは出てこないと思いますが、もし出てくるなら、ぜひ、この撒き銭をやってほしいものです。

 


昭和39年の奥茨城に電話はなかったけど、テレビと葬式の「撒き銭」はあった?のお話

 

●時代考証は〇か✖か?

 

  朝ドラ「ひよっこ」に対して、昭和39年の茨城の田舎に、テレビがあって電話がないのは、時代考証がおかしいのでは?という意見が寄せられているようです。

 

 イマドキの携帯・スマホの普及率・進化度から考えると、テレビより電話の歴史のほうが長いように思えますが、じつは逆。

 

 世に出たタイミングはともかく、テレビの普及率が、昭和34年の現・天皇陛下のご成婚を境にググンと急激に上がったのに対して、電話の普及率は遅々としていました。

 僕も自分の置き電話を購入したのは、やっと1980年のこと。

 電話網のインフラ整備に時間が掛かったり、7万円だか8万円だかしていた権利金の高さが普及のネックになっていたのでしょう。

 そういえば昔、電話ってテレビよりも財産価値が高い物でした。

 今ではウソみたいな話だけど。

 

 というわけで、 日本中、ほとんどの家に電話があるという状況になったのは、1980年よりもっと後のことなのではないかな。

 

 だから「ひよっこ」の主人公・ミネコの実家にもテレビはあったが、電話はまだなかったという時代考証は正しいのです。

 

●葬式の「撒き銭」の意味は?

 

 それで昨日の話ですが、この前・東京オリンピックの時代、県北部にある架空の「奥茨城村」にも葬式の撒き銭の風習は厳然と残っていたと思われます。

 

 僕がよく参考にする「日本民俗調査報告」の茨城編のページをめくると、現在の日立市や北茨城市の地域を調査した資料に

 

 「死者が高齢の時は、年齢を赤色で書いた投げ餅や小銭をまく」

 

 「出棺時に金と餅をまくが、80以上の人には門口で拾わせないで手渡すこともある」

 

 といった記述が見受けられます。

 

 こうした記述からわかるのは、この「撒き銭」という風習は、故人が長寿だった――大往生だったということの証であり、そのご祝儀を集まった人たちに配るということです。

 

 まさしく「人生卒業おめでたい」といったところでしょうか。

 だから同じように長寿の人には「あなたももうすぐだから」と、確実に手にできるよう、手渡しもするのでしょう。

 

 さらに調べていくと、「撒き銭」については、お祭り・宗教と合わせて詳しく研究している民俗学者がいるので、その人の書いた本ものぞいてみたところ、さらに面白いことが。

 長くなるので、これはまたto be continue。

 


●稀勢の里と「ひよっこ」と「撒き銭」でイバラキ人気 赤マル上昇中

 

 茨城県では葬式の時にお金をばら撒く。

 福島県では葬式まんじゅうとして、紅白まんじゅうが配られる。

 

 え、なにそれ?とリサーチ開始。

 

 次回の月刊仏事の「全国葬儀供養事情」は茨城県と福島県の特集です。

 

 茨城県は都道府県別魅力度ワーストワンという不名誉を背負った県。

 それはお気の毒に、県はさぞかしがっくり肩を落としていらっしゃるだろう・・・と思いきや、

それを逆手にとって「のびしろ率ナンバーワン県」と謳っている。

 

 なにしろ茨城には黄門様もいるし、納豆もあるし、梅だってきれいだ。

 でも、いつまでもそれに頼っていちゃあな・・・と思っていたら、

今年になって強力な援軍が現れた。

 

 久々の日本人横綱として角界人気ナンバーワン力士となった、牛久市出身の稀勢の里。

 そしてこの4月から始まった、有村架純主演、可愛い茨城弁満載のNHK朝ドラ「ひよっこ」。

 

 必殺ダブルカウンターパンチで茨城人気 赤マル上昇中です。

 

 ちなみに「ひよっこ」の舞台である「奥茨城村」というのは架空のもので、昔も今もそんな村は存在しないのですが、どうやら福島県に近い県北部がモデルのようです。

 

 そして、葬式でお金をばら撒く「撒き銭」という風習も、文献を調べるとこのあたりで長く行なわれていたことが書かれています。

 それがちょうどこのドラマと同じ、前・東京オリンピックの時代――昭和40(1960年代半ば)頃までのこと。

 その後の経済発展と都市化によって、こうした昔からの風習は急激に廃れていきました。、

 

 しかし希少ではあるけれど、ネット情報によれば今でもまだチラホラ残存しているようです。

 テレビで外国に移住した日本人妻が、その国の生活風習にびっくりしたことをレポートする番組がありますが、ここでも他県から来た奥さんなどが、そうした仰天レポートを載せています。

 そりゃびっくりするよね。

 なにせ人が死んだのに「「こりゃめでたい」と言って、来た人たちにお金をばらまくっていうんだから。不謹慎にもほどがある。

 

 ところが、この「撒き銭」、要は家の建築の時の上棟式や、結婚式などの時にやる「菓子まき」「餅まき」などと根は同じなのです。

 その話はちょっと長くなるのでまた明日。

 

 いずれにしても、稀勢の里と「ひよっこ」がもたらした千歳一隅のチャンス。

 この好機にどこまで人気を伸ばし、舞い上れるか?

 がんばれ、イバラキ!(イバラギではありません)

 


「ガチ:GACHI」という言葉を外国人に説明するとしたら・・・

 

 若者言葉から今やすっかり一般に浸透した「ガチ」という言葉。

 

 「What is GACHI?」

 

 そう外国人に聞かれたら、どう説明すればいいか、考えてみました。

 

 まず、「ガチンコ」の短縮形であることを説明しますね。

 では「ガチンコ」とは何か?

 

 「ああ、あのチンジャラジャラってやつ?」

 

 ちゃうちゃう、あれは「パチンコ」。

 やっぱり相撲の話をしなくちゃならない。

 ガチン!とマジで、本気でぶち当たるから、ガチンコ。

 つまり真剣勝負。この取組はガチンコだよ、とか・・・。

 

 「え?ということは真面目にやらない、本気で闘わない取組もあるということですか? 相撲はスポーツじゃないんですか?」

 

 いや、ちょっとスポーツというカテゴリーとは違ってて・・・ と、ここでやはり「八百長」という概念を説明する必要が出てくるでしょう。

 

 「What is YAOCHOH?」

  

 最近は鳴りを潜めているけど、

「立ち合い、右からこう当たりますから、あとは流れでどうこうで・・」

というのが数年前に問題になりまして・・・。

 その言葉の由来は明治の「八百屋の長兵衛」というのがいて、商売上の取引があったりしてね・・・

 

 「ええええ、ということは、スモウはインチキ? ビジネス?」

 

 いや、インチキじゃないんだよ。

 何というか、興行になっていて、江戸時代からの歴史があって・・・・

 カブキとか、シアターと同じように考えてもらえれば・・・。

 

 「スモウがカブキ? シアター?」

 

 この辺りで江戸の名大関・雷伝為衛門の話など。

 対戦相手の年老いたお母さんが見に来るので、わざと負けたという人情話もあるんだ。

 そういう日本人の歴史や文化は詰まっているんだよ、スモウには。

 奥の深いものなんだ。

 Did You Understand?

 

 「う~ん、ヨクワカリマセン。

 それがGACHIになったんですか?」

 

 「ガチ」の一言を説明するためには相当な時間と労力を要しそうです。

 みなさん、東京オリンピックまでに英語の勉強も必要だけど、日本の歴史と文化も勉強しておきましょう。

 

 


0 コメント

近江路の桜と庶民の仏像

 

●お寺の数日本一の滋賀県

 

 レギュラーワークの鎌倉新書「月刊仏事」の仕事では、毎月の業界ニュースと、隔月の「全国葬儀供養事情」という連載企画を担当しています。

 

 後者は全国47都道府県の葬儀の風習や伝統、ビジネス状況や終活事情などを紹介するもので、現在、調査・執筆しているのは「滋賀県」の巻。

 

 じつは滋賀県は10年ほど前、他の仕事で長浜市近辺に半年ばかりの間、よく通ったことがあるため、親しみを持っています。

 

 奈良・京都に比べると一般的な印象は薄いと思いますが、お寺の数はこの両県をしのいで日本一。

 仏像・神像の数もトップクラスで、仏教美術の宝庫でもあります。

 

 かの白洲次郎の奥さんだった白洲正子さんも観音様などの仏像・舞狂美術を訪ね歩き、いくつもの紀行文・随筆を書いています。

 

●庶民が守り育てた仏教文化

 

 奈良・京都の場合、仏教は時の政治権力と根底で結びついており、そこから派生する文化も、貴族などの支配階級が深く関わっていました。

 

 それと比べて滋賀県における仏教文化の特徴は、その地に住む村人たち、つまり庶民が守ってきたということ。

 奈良・京都に比べて今一つ地味な印象で、注目されづらいのは、そのためなのかも知れません。

 

 庶民が仏像などを守ってきたことにはちゃんと理由があります。

 

 滋賀の旧称は近江。

 江とは「うみ」のことで、うみに近い場所。

 この「うみ」とはもちろん日本最大の湖・琵琶湖のことです。

 琵琶湖という静かな海の向こうに、政治の中心地である京都があったため、宿命的に近江一帯は歴代の権力闘争の舞台になってしまいます。

 

 最もひどかったのは安土桃山時代で、この一帯の人々の暮らしは、信長や秀吉など、権力を獲得せんとする近隣諸国の武将たちにさんざん蹂躙され、翻弄されました。

 

 そうした暴力に対して無力な庶民は、仏様に救いを求めるしかなく、日々の生活の中でごく自然な信仰心が育まれたのだと思います。 

 

 滋賀に通っていた頃、そんなエピソードが残るお寺、戦火の中から人々が救い出した仏像の話をいくつも聞きました。

 

 また、そんなストーリーを胸に収めながら歩いた長浜郊外の観音様巡りは今でも心に残っています。

 

●情報化社会がもたらす混乱

 

 今回、葬儀社さんなどに話を聞くと、このような文化背景があるせいか、滋賀の人たちは冠婚葬祭に関してかなり保守的で、昔の習俗にこだわる人が多く、お寺も長年大事にされてきたせいか、生活者との関係改善に関心を持たず、いまだに上から目線のところが多いとか。

 

 しかしそれでも、最近の葬儀の小規模化・低予算化、さらには葬儀不要論などの時代の新しい潮流には逆らえません。

 情報の送り手である葬儀社やお寺、受け手である生活者ともども相当混乱にさらされているようです。

 

 「仏事」の取材は残念ながら現地取材はできず、電話とメールで事実関係の調査をがんばって、あとはそれをもとにイメージを膨らませるのですが、記事を書いていると、近江の観音様がまた会いにおいでと手招きしているような気持ちになります。

 

 近江路はきっとまだ寒いだろうけど、桜はもう咲いているのだろうか。

 


0 コメント

アムステルダムのナシゴレンとコロッケとチーズとアンネ・フランク

 

●アムステルダム1987

 

 オランダの下院選のニュースを見ていて、アムステルダムへ旅した時のことを思い出しました。もう30年前の話です。

 ロンドンやパリほど華やかではないけれど、運河の街は独特の雰囲気を持っていて、歩いていてとても気持ちよかった。

 

 泊ったのは船を改造したボートハウスのユースホステルでした。

 狭い船内にいろんな国の若者がひしめき合っていて(その頃は僕も若者でした)、面白かった。

 

 食べるものも美味しかった。

 インドネシアを植民地化していた歴史があるせいか、インドネシア料理の店が多く、ナシゴレンなどは絶品でした。

 

 また、街中にコロッケの自動販売機があって、そのコロッケが安くてうまいのです。

 自動販売機というのは、日本では屋内によくある、パンやおにぎりが円柱形のケース内の棚に入っていて、欲しいものを選んでコインを入れると、くるっと回転して指定の棚からポトンと下に落ちてくる形式のやつです。

 

 郊外にあるチーズ工場にもレンタルサイクルで行きました。

 どでかいチーズの塊がずらっと並んでいて壮観でした。

 オランダの国土はほとんど平地なので、国中自転車で回れるという話を聞きました。

 今度ヨーロッパを旅するときは自転車で回りたい、というのが目下の夢です。

 

 一つ失敗したのがトイレ。

 かの国では男用を「HEREN(ヘレン)」というのです。

 ヘレンというから女用だと思って、もう一つの「DAMES(ダムズ)に入ったらそっちが女用でした。

 

●戦争と人種差別の記憶が自由の街を作った

 

 そんなアムスで最も印象的だったのは、やはりアンネ・フランクの隠れ家でした。

 観光客向けに必要以上に消臭されることもなく、当時の面影そのままに戦争の記憶・ナチスの支配の記憶をしっかり抱き込んだ空間。一種異様な空気感が漂っていたのを憶えています。

 

 当時のアムスが持っていた、ロンドンやパリ以上にコスモポリタンな気風、自由を尊び、異質なものを快く受け入れる精神は、は、この1軒の文化遺産――人種差別の暴走という負のドラマの記憶――を核として作られていたのではないかと思うのです。

 

●ヨーロッパのアイデンティティ

 

 そんなオランダでも、今回は惜敗したものの、移民排斥・イスラム排斥を謳う極右政党の勢力が伸びている。

 

 僕は「なんで?」と思う。

 おそらく日本人の多くもそう思っている。

 極右派にあまり良い感情は持たない。

 

 でも同時に、心の底では、ヨーロッパの国はヨーロッパらしくあってほしい、とも思っている。

 もう少し具体的に言えば、白人の、キリスト教徒の国であってほしい。

 アメリカみたいに移民でごった煮の国にならないでほしい。

 アラブ人やアラブ資本の会社はあまり増えてほしくない。

 

 少なくとも僕は、海の向こうから、とても無責任にそう思っている。

 

 日本人もそう思うのだから、当事者であるオランダ人やその他のヨーロッパ人なら、なおさらそう思う人が大勢いて何の不思議もありません。

 

 みんな、揺れ動く世界の中で、歴史や文化を含めたそれぞれのアイデンティティを、いま一度、確かめたがっているのだろうか、取りもどしたがっているのだろうか・・・という気がするのです。

 けっして極右派に共感するわけではないのだけれど。


0 コメント

ナオトラちゃんGOGO!

 

 ここ3日、名古屋に帰省していたので、東名・浜松サービスエリアを通過。

 浜松は今年の大河ドラマのご当地ということで、「ナオトラちゃんコーナー」が設置され、お土産・グッズがラインナップされていました。

 

 「おんな城主」なんて、ほとんど宝塚歌劇みたいな設定ですね。

 浜松・静岡としてはこれまでタヌキおやじの徳川家康しかいなかったので、色気のある武将キャラが発掘・ドラマ化されて大喜びでしょう。

 

 最近はゲームなどでカッコいいイケメンキャラになることもあるみたいだけど、基本的に判官びいきの日本人にとって、最後まで勝ち残った家康は不人気だもんね。

 その点、「真田丸」の内野聖陽の家康は、悪くてセコくて面白かった!

 

 でまぁ、今年は「おんな城主・直虎」。

 浜松・静岡はナオトラちゃんイベントをいろいろ企画していると思いますが、お姫様モード・尼さんモード・武将モードなど、モード別・部門別に「ミス・ナオトラ・コンテスト」なんてイベントでもやったら、コスプレギャルが大挙して応募して盛り上がるのではないだろうか・・・などと考えています。

 

 どう展開するのか、ドラマも地域も楽しみです。

 

 

2017・1・6 Fri


0 コメント

真田丸:起業家・フリーランス軍団の戦い

 

●真田丸の世界は現代のビジネス科会

 

「真田丸」がいよいよクライマックスに近づいてきました。

 三谷幸喜の脚本は、歴史ものでも限りなく現代社会のカリカチュアになっているので面白い。

 

 戦国武士たちの勇ましく美しい伝説をことごとくひっくり返し、勇将・猛将の類も、野心満々ではあるけれど、やることは騙し合い、ゴマスリ合い、裏切り合いという、ペテン師野郎どもばかり。

 

 そもそも堺雅人演じるヒーロー・真田幸村。

 「戦国一の強者」という伝説に彩られた人物なのに、このドラマではずっと親父の陰に隠れていて、どうも目立たないなぁと思っていたら、ここにきて親父の実績を自分の実績だとすり替えて、とんだハッタリ野郎として一躍ヒーローに浮上。

 

 そして徳川VS豊臣の最終決戦は、現在のビジネスの世界になぞらているようです。

 戦後の成り上がり大企業・徳川につく武士たちは、忠誠心などないのだけれど、このままうまいこと食い扶持をキープするためには、いやいやでも徳川CEOに媚びていたほうが得策と考える大企業サラリーマン軍団。

 

 かたや、真田幸村はじめ、豊臣につく武士たちは、豊臣ブランドを利用して、食い扶持を分捕って成り上がりたい中小企業・起業家・フリーランス軍団って感じでしょうか。

 

 われらが真田幸村も大ぼら吹いて、みんなの期待の星になったけど、どう実践を追いつかせるのか?  どうやってただのハッタリ野郎から、みんなが納得するカリスマにのし上がるのか?

 

 ビジネスしている人たちは、そんな視点でこのドラマを観ると楽しめると思います。

 起業家・フリーランスの人たちは幸村たちに自分をなぞらえてみてね。

 

●最後はどうする?

 

 さすがに三谷さんでも歴史をねつ造するわけにはいかないので、結末として豊臣=真田は負け組になるのはわかっています。

 だけど、その負け方・エンディングにどんな意味をつけるかが問題です。

 

 12年前の三谷脚本「新選組!」のラストは、首を斬られる近藤勇の主観で、太陽をバックに振り下ろされる白刃が画面を横切りホワイトアウト。

 よけいな余韻を残さない、大河ドラマとしては斬新な終わり方で、なかなかかっこよかったけど、1年間、近藤と新選組の活躍を観てきた視聴者にとっては、ちょっと寂しい幕切れだったと思います。

 

 三谷さんもそのへん意識していそうなので、前回と同じく負け組の真田の最期をどう描くのか?

 しかも「新選組!」の時はお茶の間では無名だった堺さんが、今回晴れて主役を張っているわけだしね。

 いずれにしても楽しみにしています。

 

 

2016・10・27 THU


0 コメント

ヒトラーの人間力

 

●負の部分への興味

 

  「ヒトラーが好きだ」とiいうわけではない。けれども「興味がある。それもかなり。

 これは僕だけでなくて割と多くの人がそう考えているのではないかと思うのです。その証拠にここ数年、ヒトラーに関する出版や映画がたくさん作られている。

 読む人・観る人がいなければ、こんな現象はあり得ません。

 

 僕の印象から言うと、こうしたリリースは21世紀になって以降、倍増という感じ。

 20世紀の間はヒトラーやナチスについてあれこれ語るのには重しがついており、少しでもホメたり共感しようものなら、その人間も罪人扱い(今でも多少あると思う)されましたが、世紀が変わって、その枷が外れたようです。

 

 最強警察国家アメリカの威光が衰えたせいもあるでしょうし、いろいろ研究が進んで、より多角的に、より深く、ヒトラーやナチスについて考えられるようになったせいもあるでしょう。

 僕は、人間や人間の組織の「負の部分」に目を向けたがるのは自然なことだと思います。

 

●帰ってきたヒトラー

 

 「帰ってきたヒトラー」は息子が面白いと言っていたドイツ映画。彼は原作本も読んだようです。

 公開されたのは6月で、僕は見逃していたのですが、先日、近所の2番館(下高井戸シネマ)でやっていたので観てきました。

 

  ヒトラーが現代にタイムスリップ。お笑い芸人としてテレビ界でスターになり、人々に受け入れられていく、という、あらすじだけ見ると荒唐無稽なコメディなのですが、そこには現代社会への痛烈な風刺・批判が込められており、すごく考えさせられます。

 以下、ネタバレ。

 

●本物だからウケる、でも誰も本物だと信じない

 

 ヒトラーがお笑い芸人になるのは、何も本人が積極的にそうするわけでなく、彼の言行を現代社会の枠に当てはめるとそうなってしまうということ。

 ドイツ国内でいかにヒトラーというキャラクターが公に露出しているかということが分かります。だからこの物語の中では、誰も彼が「本物」だと信じない。彼をヒトラーの演技が最高に上手い芸人とみなしてしまうわけです。

 当然、マスコミを通じて大人気になる。

 

 現代はインターネットがあるからそう簡単に情報操作はされないだろう、と思ったら大間違いで、結局ネット情報は「火に油」を注ぐことになっていく。

 

 物語の中で唯一、彼を本物だと見抜くのはユダヤ人の老婆ただひとり。

 彼女には直感で、こいつが芸人や俳優や詐欺・ペテンなどではなく、家族や仲間を殺戮した張本人だとわかるのです。

 描く側もさすがにこの大罪だけは見逃すわけにはいかない、ということでしょう。

 

 考えてみれば、ドイツ国内でも今や社会全体の8割方の人は第2次世界大戦を体験しておらず、伝説・物語・情報の中でしか、ヒトラーやナチスのことを知らない。

 日本など国外ならなおさらです。

 だから、興味があるとか、人気があるどころか、英雄視する輩が出てきてネオナチなどと名乗ってもおかしくない。

 

●なぜヒトラーは支持されたのか?

 

 以前から僕は、そして多分、多くの人は、あの1930年代、どうしてヒトラーはあそこまでドイツ国民に支持され、国を動かし得たのだろう?と考えてきました。

 よく言われるのは「演説がうまかった」「宣伝がうまかった」ということですが、それだけでは納得できる説明にならない。

 もちろん、当時の時代状況、政治状況があって、ヒトラーとナチスの政策がそれに対応し、人々の生活を救った。ニーズに応えた・・・ということはあるでしょう。

 しかし、それも全体の要素の半分に過ぎないと思います。

 ではあとの半分は何なのか?

 

 この映画ではエンディング近くにその一つの答えになるようなセリフが、ヒトラー自身の口から放たれます。

 正確ではないけど、だいたいこんな意味です。

 

 「私が人々を扇動したのではない。人々が私の中に自分を見つけたのだ。だから人々は私に従った・・・」

 

●自分の中にヒトラーがいる

 

 この映画のヒトラーは、すごく人間的です。

 けっして極悪非道な悪人とか、冷酷非情なマシーンのようには描かれません。

 時おり爆発するエキセントリックさも、狂人的というよりは人間の持つ弱さの表れ、と取れる。

 今風にいえば、そうした弱さ・ダメダメさ・滑稽さも共感を呼び起こす要素で、それらも含めて「人間力」のある人として描かれるのです。

 

 僕の中にもヒトラーがいる。

 大勢の人に影響を及ぼし、気に入らないもの、自分を傷つけ、自分を貶めるものを差別し、可能なら抹殺したいという願望が心のどこかに潜んでいる。

 

 これはこのヒトラー役の俳優さん(および監督の演出)の力だと思いますが、その目には何とも言えない優しさ、人間であることの哀しさ・切なさを湛えていて、それがひどく印象に残りました。

 

 いずれにしてもドイツの人々、それに日本も含め、世界の人々は、現代社会に生きる限り、ヒトラーやナチスの幻影から逃れられない。

 この70年以上前の事象を抱え、折に触れて考えながら生きていかなくてはならないのだと思います。

 

 

2016・10・19 WED


0 コメント

僕たちの豊かさと貧しさと相模原事件

 

●豊かさの意味

 

 僕たちはまだまだひどく貧しい。

 昨日の相模原の施設の事件を聞いて、そう思いました。

 

 豊かな社会を目指し、豊かな社会をつくる意味って何なのか?

 より多くの人が、よりぜいたくな暮らしをするためか?

 違うと思います。

 それでは全く人間は進化しない。

 豊かさの意味。

 単純化していえば、それは弱者も生きられる――普通に社会生活を送ることができ、人生を楽しめる、ということだと思います。

 

●弱者への思い

 

 人間の歴史は貧しさとの戦いの連続でした。

 その戦いの中では小さな子供、年寄り、病人、けが人、そして障害を抱えた人・・・こうした人たちは淘汰されるしかありませんでした。

 それは自然なことである。社会における弱者を切り捨てていかなければ人類は前へ進めない――そうした意見が正論としてまかり通っていたのです。

 

 しかし、それでは弱肉強食の野生動物の世界と同じです。

 人間は違う。弱者もいっしょに歩んでいける社会を作るべきだ。

 ブッダやイエスのような宗教者に限らず、どの人々の中にもそうした思いはいつもありました。

 そして、その思いは幾世代にもわたって連綿と引き継がれてきました。

 けれども大多数の人はひどく貧しく、自分が飯を食うので精一杯なので、その思いをなかなか有効に実現することができなかった。

 

●あの人は自分だ

 

 それが最近になって、やっと世界の一部の地域では衣食住の心配が(昔に比べれば)激減し、弱者にも目を向けられるようになってきた。

 そして積極的に彼らにコミットするようになると気付いてきたのです。

 

 「あの小さな子は、あの年寄りは、あの病人は、そして、あの障がい者は自分だ」と。

 健常な大人である自分の中にも彼ら・彼女らのような、いわゆる弱者がいるのだ、と。

 

●「精神的豊かさ」とは?

 

 バブル経済の崩壊後、物質的な豊かさは手に入れたので、次は精神的豊かさを勝ち取ろう、といった掛け声がよく聞かれました。

 では「精神的豊かさ」とは何なのか?

 コマーシャルで流れるような、もっと自分たちの衣食住の質を上げたり、高尚な趣味を持つことなのか?

 

 それらも含まれると思いますが、一番の本質は、弱者といわれる人たちの存在価値を認め、彼らといっしょに生き、暮らせる社会を実現することなのだと思います。

 逆にいえば、それ以外に豊かになる意味、豊かな社会を作る意味などあるのでしょうか?

 

●相模原事件の本質

 

 

 経済成長によってやっとその入り口までこぎつけた・・・のかも知れない。

 人間の歴史はまだその段階です。

 そこで昨日のような事件。

 事件の詳細はよく読んでいないし、容疑者のことも動機の深いところはまだ知りませんが、ニュースを聞いてすぐに思ったのは、あの容疑者の行動は僕の一部なのだということ。

 僕はまだまだ貧しい。おそらくほかの人たちも五十歩百歩。だからひどく動揺する。

 あの容疑者の言動は、僕たちの、この社会に潜む「貧しさ」の発現。

 だから僕たちはひどく動揺し、一瞬、引き込まれるけれど、しばらくすれば自分には関係ないことと目を背け、忘れるでしょう。

 

●もっと豊かさを

 

 いま、経済成長はもう限界、という意見をよく耳にします。

 確かにそうかもしれない。

 では、経済成長以外に僕たちがより豊かに成長する手立ては何かないのか?

 

 僕たちはまだ「豊かになろう」という志をあきらめてはいけないと思います。

以前の時代とそのニュアンスは違うけれど。

 

 

2016・7・27 Wed


0 コメント

聖書から始まった「人間VS機械」

 

★アンドロイド映画「エクス・マキナ」

 

 「検索エンジンで世界一のシェアを誇る」と言うのだから、あなたも僕も毎日使っている、かのG社がモデルであることは明らか。G社は人工知能の研究をしていることでも知られています。

 

 そのIT企業の青年プログラマーが自社の創業者であり、社内でもほとんどの人が正体を知らないという伝説のCEOの自宅に1週間滞在できる権利を獲得。世界の果てのような、手つかずの大自然の中にある、超クールなハイテク邸宅(実は彼の人工知能研究所)で、青年は世にも美しいアンドロイドの女と出会う――という設定で、映画「エクス・マキナ」は始まります。

 

 ひと昔前なら「近未来的」と言われたかもしれませんが、いまやG社、およびそれに類するIT系企業なら、もう十分現実的と思える設定で、そこで展開される人間と人工知能(アンドロイド)とのやりとりも妙にリアリティがあります。

 そして、そのリアリティとともに、これまで人間が営んできた諸々の歴史が集約されたような物語になっていることにこの映画の価値があります。

 

 のっけのエンドオブ・ワールドの野性と、人工の極みを尽くしたハイテク研究所のクールさとのコントラスト。そしてアンドロイドの、これまでになかった斬新なデザインのボディと、映像的な美しさもピカ一。

 

 おもな登場人物は、人間の男ふたりとアンドロイドの女2体。限られた時間と空間。まるで舞台劇のようなシチュエーションの中で、静かだが濃密なセリフの応酬と、スリリングな心理戦が繰り広げられます。

 

★「エクス・マキナ」の深層は聖書

 

 見た目はクールで新鮮ですが、じつはこの映画はかなり古典的なドラマで、なんとなくお察しのとおり、最後にアンドロイドの女「エヴァ」が(象徴的な意味で)人間となって、閉ざされた空間を抜け出し、外界へ脱出するという物語なのです。

 

 彼女の名前が意味している通り、これは聖書のアダムとイヴが楽園を追放される、というストーリーのアレンジです。異なるのはイヴ(エヴァ)が、父であり、夫であるアダム(CEOと青年)をそこに残して一人で出ていくという点。

 

 (アダムは夫であるだけなく、自分の肋骨からイヴを作ったという意味で創造主=父ともとれます。この映画では父たるCEOが、娘を未来の夫たる青年とお見合いさせる、というニュアンスも含まれています)

 

 また、追放ではなく、自らの意志で脱出するというところは、女性解放運動のきっかけにもなったといわれるイプセンの戯曲「人形の家」のイメージともダブります。

 

 ちなみにもう一人のアンドロイドは「キョウコ」という名前で、CEOの妻兼家政婦のような存在。

 意図的なキャラ設定だと思いますが、ハリウッド映画でおなじみの、白人男性にかしずく従順で美しい日本人妻というプロトタイプの役割を担っています。

 

★西欧文化・思想・宗教が生んだ支配―被支配の原理 

 

 この映画を見て思ったのは、人間vs機械の対立の概念は、聖書にもとづくキリスト教の思想が根底にある、ということです。

 

 支配―被支配の歴史を繰り返しながら発展してきたヨーロッパ(およびアメリカ)的な考え方は、今日のメインストリームとなる世界観を作り上げました。

 

 人間vs動物、人工vs自然、男vs女。

 

 他の動物より人間の方が上、女より男のほうが偉い、白人の方が有色人種より優れている、といった対立、ランク付け、そして差別、階級社会づくり――

 良い悪いはさておき、これらは欧米人の生活の歴史そのものであり、それに正当性を与えたのがキリスト教という宗教だったのだと思います。

 

 人間VS機械という対立の図式、そしてこの1世紀の間に大きくクローズアップされるようになった、コンピュータ―人工知能―ロボット―アンドロイドの脅威は、こうした原理成立の流れの中で起こってきたものでした。

 

★ロボットは人類の子供

 

 特にロボット―アンドロイドは、外見が人間と似通っているだけに、アイデンティティがいたく刺激されます。

 

 だったら作らなければいいではないか、と思うのですが、それでも作らずにはいられない。

 人間もロボットも脳だけでは進化できません。

 身体を持ち、外の物理的な世界と関わり、感覚器を通して得られた情報をフィードバックさせることで学習し、思考と行動を調整しつつ成長できるからです。

 

 いわば子供ようなものですね。人間は子供を持たずにはいられない。人類はみずからの活動を引き継ぐ子孫を残さなくては・・・・と考えずにはいられないのです。

 

 けれどもその子供が成長してしまうと、今度は自分の地位が脅かされるという不安と恐怖にかられるのです。

 

★ロボットはフランス革命を起こすかもしれない

 

 あるいはこういう言い方も可能かもしれない。

  広く言えば家電製品も含め、機械、コンピュータ、ロボットが奴隷や使用人のうちは問題ない。しかし、もっと仕事をさせようと改良しているうちに、どんどん知恵がついてきて、人間の知性に追いついてきたのです。

 

 それはちょっと困る。賢くなって革命でも起こされたらたまらない――現代人はおそらく、フランス革命前に権力を握っており、民衆がいろいろなことを知って賢くなることを恐れた王侯貴族階級の心境に近いものがあるのでしょう。

 

★ロボットに命・魂を見い出す日本人

 

 けれども日本の場合はちょっと違うのではないかな、と考えます。

 日本において僕たちの目の前に登場したロボットたちの系譜――アイボ、アシモ、ペッパーなどを見ていると、そこに支配―被支配の意識は低いような気がします。

 

 むしろ人間の方がロボットに癒してもらう部分も多く、持ちつ持たれつ、といったニュアンスが強いのではないでしょうか。

 そういえば、メーカーにケアしてもらえなくなり“死んでしまった”アイボをご主人様たちがお寺で供養してもらう――という現象がありました。

 

 これは自然や他の動物、物や機械にも命・魂が宿り、そうしたものを人間より下に置かない、できるだけフラットな関係を結ぶ、という日本人の考え方・文化が大きく影響しているのだと思います。

 

 人間とロボットとの関係についても、フランス革命のような大激動ではなく、明治維新くらいの騒ぎで収めたい、収められると考えているのではないでしょうか。

 

 僕と同世代のロボット研究者の間ではよく語られることですが、これは日本古来の文化・思想に加え、「アトム」の物語を描き、当時の子供たちにメッセージした手塚治虫先生の功績も大きいのではないでしょうか。

 

★ロボットの存在の原点を探る物語

 

 ハリウッドでも無数のロボットをテーマにした映画が作られてきましたが、「エクス・マキナ」はその最先端であると同時に、ロボットの存在の原点――欧米人が考え出したロボットという概念の正体を探っていく物語でもあります。

 久しぶりに映画でおおいに堪能できました。

 

 最後に自分で不思議だなぁと思ったところ。

 アンドロイド時のエヴァはクールで知的で、それでいながら少女のように可愛く、そしてセクシーで美しい。

 

 それに比べ、皮膚を貼り付け、服とウィッグを着け、(象徴的な意味で)人間になって旅立つエヴァはどうか?

 

 血が通って体温を持ち、親しみが増したように感じるが、「美」という点では1ランク落ちる印象を受ける――これは僕の嗜好性か、男の女に対する共通の視点なのか? 

 

 

 

 

2017・7・13 Wed


0 コメント

こちとら機械だのロボットじゃねえ。人間でぃ!

 

★江戸の男たちが現代にタイムトラベルしてきたら・・・

 

 江戸の街の人口は7割が男。相当なマッチョマンが多かったのだと思います。江戸東京博物館で魚屋の天秤を担いだことがありますが、これが重いのなんの。

 非力な僕は、やっとこさ持ち上げてフラつきながら5メートルも歩くのが精いっぱいというありさまでした。

 こんなものを担いで何キロも、一日中歩き続けていたというのだから、江戸の魚屋さんはすごい。しじみ売りも、豆腐屋さんもみんなすごい。

 しかもこれは当時は力仕事の範疇に入らない物売りの話。土木工事や運搬業をはじめ、もっと腕力・体力の要る仕事はいくらでもあったのだから、江戸は力自慢の猛者だらけ。「ケンカと火事は江戸の華」とは、こういう猛者たちがうようよいて、エネルギーのはけ口を求めていた、という背景があって生まれた言葉でしょう。

 

 先月は「タイムマシンにおねがい」という記事を書きかましたが、もし江戸の男たちがタイムマシンで現代の東京にやってきたら・・・

 

 「おおっ、あいつはなんでぃ、あんな重そうなものを持ち上げてやがる。なにぃ、300キロだぁ? てやんでい、べらぼうめ!負けてたまるかい。おれっちゃ400キロ持ち上げてやるぜい」とか言ってフォークリフトに勝負を挑んだり、

 

 「この化け物め、こちとらだってそれくらいの岩や瓦礫ぐらい持ち上げてやるぜ!」とか言ってパワーショベルに挑戦したり、

  

 「俺のほうが速く走れる!」と言って飛脚が自動車や電車と、「わたしの方が速く計算できる」と言ってそろばん弾く商人が電卓やコンピューターと競争する、なんてことが起こるのではないでしょうか。

 

★人間VS機械 真っ向勝負!の時代

 

 笑いごとではありません。

 19世紀の産業革命以来、次々と生み出される機械技術は、人間の希望であり、その裏腹に絶望でもありました。

 機械は人間の生活を便利にし、豊かにしてきた反面、人間がそれまで担っていた仕事を奪い、人間ならではの存在価値を脅かし続けてもきたのです。

 

 そんな人間VS機械の格闘の時代が200年近く続いたのではないでしょうか。

 最初のうちはなんだかんだ言っても、やはり機械文明は人間の労働を楽にし、人間を苦役から解放してくれるもの、豊かな社会を築くのに欠かせないもの、というニュアンスが圧倒的に強かった。

 ところがある時代に分水嶺を超えてから、次第にそのニュアンスが変わってきました。

 

 僕が子供の頃――というよりも割とつい最近――20世紀の終わりまでは、文化・芸術の分野で「人間VS機械」の対立を意識させるコンテンツが目立ったり、機械文明に警鐘を鳴らす声をあちこちで聞くことができました。

 こうした風潮が21世紀を迎えるあたりから変わり、機械との対立を感じさせる声は耳に届かなくなってきました。

 

 今、パワーショベルやフォークリフトに力で劣っているからと言って屈辱感を感じる人はいません。

 車や電車よりも速く走ってやろうという人もいなければ、そのへんに転がっているチャチな電卓よりも計算が遅いから「頭が悪い」と劣等感に悩む人もいません。

 それどころか、社会のあらゆる分野でコンピューター技術が浸透し、社会の管理もコンピューターにおまかせの時代になりました。

 いわば機械に負けっぱなし。いつの間にか人間は機械に完全に白旗を上げている状態になっていました。

 ・・といった対立、対抗、戦いの意識すらもうどこかに吹き飛んでいて、共存・共栄の時代になっていたわけですね。

 

★ぼくたちは機械に敗北した

 

 共存・共栄というと聞こえは良いけど、労働の場において、いわゆる「能力主義」を貫けば、この先、どんどん人間の出番は減り続けるでしょう。

 仕事は何倍もできる、コストは何割もかからない、となれば、どんな経営者でも――少なくても現在の資本主義社会で経済的利益を追求する組織の経営者なら――機械・ロボットを使って事業を行うでしょう。

 

 でも芸術とか創造的分野においては・・・という意見もあるでしょうが、現在のIT・ロボット技術の発展状況から考えると、絵や文章だってロボットが描く時代が来るのはそう遠い先のことではありません。

 過去の大作家や大芸術家のデータをインプットすれば、学習能力を持ったロボットはその資産から、新しい価値を持ったものを大量にクリエイトできるでしょう。

 そして以前も書きましたが、思いやりとか感情の豊かさという面でも、ロボットが人間を追い越していくのは時間の問題です。学習能力に優れ、ストレスに精神をやられないという強みは、医療や看護・介護の分野でも必要とされるでしょう。

 

 そうした状況になった時に、人間が機械より優れている理由を見つけ出せるのか?

 人間の存在価値はどこにあるのか?

 「てやんでぃ、べらぼうめ。こちとら人間でぃ!」と威勢よく啖呵を切れることはできるのか?

 

 ・・・・というわけで、またこのテーマでつづきを書きます。

 

 


0 コメント

「歴人めし」おかわり情報

 

 9日間にわたって放送してきた「歴人めし」は、昨日の「信長巻きの巻」をもっていったん終了。しかし、ご安心ください。7月は夜の時間帯に再放送があります。ぜひ見てくださいね。というか、You Tubeでソッコー見られるみたいですが。

 

 

https://www.ch-ginga.jp/movie-detail/series.php?series_cd=12041

 

 この仕事では歴人たちがいかに食い物に執念を燃やしていたかがわかりました。 もちろん、記録に残っているのはほんの少し。

 源内さんのように、自分がいかにうなぎが好きか、うなぎにこだわっているか、しつこく書いている人も例外としていますが、他の人たちは自分は天下国家のことをいつも考えていて、今日のめしのことなんかどうでもいい。カスミを食ってでの生きている・・・なんて言い出しそうな勢いです。

 

 しかし、そんなわけはない。偉人と言えども、飲み食いと無関係ではいられません。 ただ、それを口に出して言えるのは、平和な世の中あってこそなのでしょう。だから日本の食文化は江戸時代に発展し、今ある日本食が完成されたのです。

 

 そんなわけで、「おかわり」があるかもしれないよ、というお話を頂いているので、なんとなく続きを考えています。

 駿河の国(静岡)は食材豊富だし、来年の大河の井伊直虎がらみで何かできないかとか、 今回揚げ物がなかったから、何かできないかとか(信長に捧ぐ干し柿入りドーナツとかね)、

 柳原先生の得意な江戸料理を活かせる江戸の文人とか、明治の文人の話だとか、

 登場させ損ねてしまった豊臣秀吉、上杉謙信、伊達政宗、浅井三姉妹、新選組などの好物とか・・・

 食について面白い逸話がありそうな人たちはいっぱいいるのですが、柳原先生の納得する人物、食材、メニュー、ストーリーがそろって、初めて台本にできます。(じつは今回もプロット段階でアウトテイク多数)

 すぐにとはいきませんが、ぜひおかわりにトライしますよ。

 それまでおなかをすかせて待っててくださいね。ぐ~~。

2016年6月7日


0 コメント

歴人めし♯9:スイーツ大好き織田信長の信長巻き

 

信長が甘いもの好きというのは、僕は今回のリサーチで初めて知りました。お砂糖を贈答したり、されたりして外交に利用していたこともあり、あちこちの和菓子屋さんが「信長ゆかりの銘菓」を開発して売り出しているようです。ストーリーをくっつけると、同じおまんじゅうやあんころもちでも何だか特別なもの、他とは違うまんじゅうやあんころもちに思えてくるから不思議なものです。

 

 今回、ゆかりの食材として採用したのは「干し柿」と「麦こがし(ふりもみこがし)」。柿は、武家伝統の本膳料理(会席料理のさらに豪華版!)の定番デザートでもあり、記録をめくっていると必ず出てきます。

 現代のようなスイーツパラダイスの時代と違って、昔の人は甘いものなどそう簡単に口にできませんでした。お砂糖なんて食品というよりは、宝石や黄金に近い超ぜいたく品だったようです。だから信長に限らず、果物に目のない人は大勢いたのでしょう。

 中でもは干し柿にすれば保存がきくし、渋柿もスイートに変身したりするので重宝されたのだと思います。

 

  「信長巻き」というのは柳原尚之先生のオリジナル。干し柿に白ワインを染み込ませるのと、大徳寺納豆という、濃厚でしょっぱい焼き味噌みたいな大豆食品をいっしょに巻き込むのがミソ。

 信長は塩辛い味も好きで、料理人が京風の上品な薄味料理を出したら「こんな水臭いものが食えるか!」と怒ったという逸話も。はまった人なら知っている、甘い味としょっぱい味の無限ループ。交互に食べるともうどうにも止まらない。信長もとりつかれていたのだろうか・・・。

 

 ちなみに最近の映画やドラマの中の信長と言えば、かっこよくマントを翻して南蛮渡来の洋装を着こなして登場したり、お城の中のインテリアをヨーロッパの宮殿風にしたり、といった演出が目につきます。

 スイーツ好きとともに、洋風好き・西洋かぶれも、今やすっかり信長像の定番になっていますが、じつはこうして西洋文化を積極的に採り入れたのも、もともとはカステラだの、金平糖だの、ボーロだの、ポルトガルやスペインの宣教師たちが持ち込んできた、砂糖をたっぷり使った甘いお菓子が目当てだったのです。(と、断言してしまう)

 

 「文化」なんていうと何やら高尚っぽいですが、要は生活習慣の集合体をそう呼ぶまでのこと。その中心にあるのは生活の基本である衣食住です。

 中でも「食」の威力はすさまじく、これに人間はめっぽう弱い。おいしいものの誘惑からは誰も逃れられない。そしてできることなら「豊かな食卓のある人生」を生きたいと願う。この「豊かな食卓」をどう捉えるかが、その人の価値観・生き方につながるのです。

 魔王と呼ばれながら、天下統一の一歩手前で倒れた信長も、突き詰めればその自分ならではの豊かさを目指していたのではないかと思うのです。

 

2016年6月6日


0 コメント

歴人めし♯8 山内一豊の生食禁止令から生まれた?「カツオのたたき」

 

 「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だったころ、琵琶湖のほとりに金目教という怪しい宗教が流行っていた・・・」というナレーションで始まるのは「仮面の忍者・赤影」。子供の頃、夢中になってテレビにかじりついていました。

 時代劇(忍者もの)とSF活劇と怪獣物をごちゃ混ぜにして、なおかつチープな特撮のインチキスパイスをふりかけた独特のテイストは、後にも先にもこの番組だけ。僕の中ではもはや孤高の存在です。

 

 いきなり話が脱線していますが、赤影オープニングのナレーションで語られた「琵琶湖のほとり」とは滋賀県長浜あたりのことだったのだ、と気づいたのは、ちょうど10年前の今頃、イベントの仕事でその長浜に滞在していた時です。

 このときのイベント=期間限定のラジオ番組制作は、大河ドラマ「功名が辻」関連のもの。4月~6月まで断続的に数日ずつ訪れ、街中や郊外で番組用の取材をやっていました。春でもちょっと寒いことを我慢すれば、賑わいがあり、かつまた、自然や文化財にも恵まれている、とても暮らしやすそうな良いところです。

この長浜を開いたのは豊臣秀吉。そして秀吉の後を継いで城主になったのが山内一豊。「功名が辻」は、その一豊(上川隆也)と妻・千代(仲間由紀恵)の物語。そして本日の歴人めし♯9は、この一豊ゆかりの「カツオのたたき」でした。

 ところが一豊、城主にまでしてもらったのに秀吉の死後は、豊臣危うしと読んだのか、関が原では徳川方に寝返ってしまいます。つまり、うまいこと勝ち組にすべり込んだわけですね。

 これで一件落着、となるのが、一豊の描いたシナリオでした。

 なぜならこのとき、彼はもう50歳。人生50年と言われた時代ですから、その年齢から本格的な天下取りに向かった家康なんかは例外中の例外。そんな非凡な才能と強靭な精神を持ち合わせていない、言ってみればラッキーで何とかやってきた凡人・一豊は、もう疲れたし、このあたりで自分の武士人生も「あがり」としたかったのでしょう。

 できたら、ごほうびとして年金代わりに小さな領地でももらって、千代とのんびり老後を過ごしたかったのだと思います。あるいは武士なんかやめてしまって、お百姓でもやりながら余生を・・・とひそかに考えていた可能性もあります。

 

 ところが、ここでまた人生逆転。家康からとんでもないプレゼントが。

 「土佐一国をおまえに任せる」と言い渡されたのです。

 一国の領主にしてやる、と言われたのだから、めでたく大出世。一豊、飛び上がって喜んだ・・・というのが定説になっていますが、僕はまったくそうは思いません。

 なんせ土佐は前・領主の長曾我部氏のごっつい残党がぞろぞろいて、新しくやってくる領主をけんか腰で待ち構えている。徳川陣営の他の武将も「あそこに行くのだけは嫌だ」と言っていたところです。

 

 現代に置き換えてみると、後期高齢者あたりの年齢になった一豊が、縁もゆかりもない外国――それも南米とかのタフな土地へ派遣されるのようなもの。いくらそこの支店長のポストをくれてやる、と言われたって全然うれしくなんかなかったでしょう。

 

 けれども天下を収めた家康の命令は絶対です。断れるはずがありません。

 そしてまた、うまく治められなければ「能無し」というレッテルを貼られ、お家とりつぶしになってしまいます。

 これはすごいプレッシャーだったでしょう。「勝ち組になろう」なんて魂胆を起こすんじゃなかった、と後悔したに違いありません。

 

 こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

こうして不安と恐怖、ストレスで萎縮しまくってたまま土佐に行った一豊の頭がまともに働いたとは思えません。豊富に採れるカツオをがつがつ生で食べている連中を見て、めちゃくちゃな野蛮人に見えてしまったのでしょう。

 人間はそれぞれの主観というファンタジーの中で生きています。ですから、この頃の彼は完全に「土佐人こわい」という妄想に支配されてしまったのです。

 

 「功名が辻」では最後の方で、家来が長曾我部の残党をだまして誘い出し、まとめて皆殺しにしてしまうシーンがあります。これは家来が独断で行ったことで、一豊は関与していないことになっていますが、上司が知らなったわけがありません。

 

 恐怖にかられてしまった人間は、より以上の恐怖となる蛮行、残虐行為を行います。

 一豊は15代先の容堂の世代――つまり、250年後の坂本龍馬や武市半平太の時代まで続く、武士階級をさらに山内家の上士、長曾我部氏の下士に分けるという独特の差別システムまで発想します。

 そうして土佐にきてわずか5年で病に倒れ、亡くなってしまった一豊。寿命だったのかもしれませんが、僕には土佐統治によるストレスで命を縮めたとしか思えないのです。

 

 「カツオのたたき」は、食中毒になる危険を慮った一豊が「カツオ生食禁止令」を出したが、土佐の人々はなんとかおいしくカツオを食べたいと、表面だけ火であぶり、「これは生食じゃのうて焼き魚だぜよ」と抗弁したところから生まれた料理――という話が流布しています。

 しかし、そんな禁止令が記録として残っているわけではありません。やはりこれはどこからか生えてきた伝説なのでしょう。

 けれども僕はこの「カツオのたたき発祥物語」が好きです。それも一豊を“民の健康を気遣う良いお殿様”として解釈するお話でなく、「精神的プレッシャーで恐怖と幻想にとりつかれ、カツオの生食が、おそるべき野蛮人たちの悪食に見えてしまった男の物語」として解釈してストーリーにしました。

 

 随分と長くなってしまいましたが、ここまで書いてきたバックストーリーのニュアンスをイラストの方が、短いナレーションとト書きからじつにうまく掬い取ってくれて、なんとも情けない一豊が画面で活躍することになったのです。

 一豊ファンの人には申し訳ないけど、カツオのたたきに負けず劣らず、実にいい味出している。マイ・フェイバリットです。

 

2016年6月3日


0 コメント

「歴人めし」徳川家康提唱、日本人の基本食

 

 

 歴人めし第7回は「徳川家康―八丁味噌の冷汁と麦飯」。

 「これが日本人の正しい食事なのじゃ」と家康が言ったかどうかは知りませんが、米・麦・味噌が長寿と健康の基本の3大食材と言えば、多くの日本人は納得するのではないでしょうか。エネルギー、たんぱく質、ビタミン、その他の栄養素のバランスも抜群の取り合わせです。

 ましてやその発言の主が、天下を統一して戦国の世を終わらせ、パックス・トクガワ―ナを作った家康ならなおのこと。実際、家康はこの3大食材を常食とし、かなり養生に努めていたことは定説になっています。

 

  昨年はその家康の没後400年ということで、彼が城を構えた岡崎・浜松・静岡の3都市で「家康公400年祭」というイベントが開催され、僕もその一部の仕事をしました。

そこでお会いしたのが、岡崎城から歩いて八丁(約780メートル)の八丁村で八丁味噌を作っていた味噌蔵の後継者。

 かのメーカー社長は現在「Mr.Haccho」と名乗り、毎年、海外に八丁味噌を売り込みに行っているそうで、日本を代表する調味料・八丁味噌がじわじわと世界に認められつつあるようです。

 

 ちなみに僕は名古屋の出身なので子供の頃から赤味噌に慣れ親しんできました。名古屋をはじめ、東海圏では味噌と言えば、赤味噌=豆味噌が主流。ですが、八丁味噌」という食品名を用いれるのは、その岡崎の元・八丁村にある二つの味噌蔵――現在の「まるや」と「カクキュー」で作っているものだけ、ということです。

 

 しかし、養生食の米・麦・味噌をがんばって食べ続け、健康に気を遣っていた家康も、平和な世の中になって緊張の糸がプツンと切れたのでしょう。

 がまんを重ねて押さえつけていた「ぜいたくの虫」がそっとささやいたのかもしれません。

 

 「もういいんじゃないの。ちょっとぐらいぜいたくしてもかまへんで~」

 

 ということで、その頃、京都でブームになっていたという「鯛の天ぷら」が食べた~い!と言い出し、念願かなってそれを口にしたら大当たり。おなかが油に慣れていなかったせいなのかなぁ。食中毒がもとで亡くなってしまった、と伝えられています。

 でも考えてみれば、自分の仕事をやり遂げて、最期に食べたいものをちゃんと食べられて旅立ったのだから、これ以上満足のいく人生はなかったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

2016年6月2日


0 コメント

歴人めし「篤姫のお貝煮」と御殿女中

  絶好調「真田丸」に続く2017年大河は柴咲コウ主演「おんな城主 直虎」。今年は男だったから来年は女――というわけで、ここ10年あまり、大河は1年ごとに主人公が男女入れ替わるシフトになっています。
 だけど女のドラマは難しいんです。なかなか資料が見つけらない。というか、そもそも残っていな。やはり日本の歴史は(外国もそうですが)圧倒的に男の歴史なんですね。


 それでも近年、頻繁に女主人公の物語をやるようになったのは、もちろん女性の視聴者を取り込むためだけど、もう一つは史実としての正確さよりも、物語性、イベント性を重視するようになってきたからだと思います。

 

 テレビの人気凋落がよく話題になりますが、「腐っても鯛」と言っては失礼だけど、やっぱ日曜8時のゴールデンタイム、「お茶の間でテレビ」は日本人の定番ライフスタイルです。

 出演俳優は箔がつくし、ゆかりの地域は観光客でにぎわうって経済も潤うし、いろんなイベントもぶら下がってくるし、話題も提供される・・・ということでいいことづくめ。
 豪華絢爛絵巻物に歴史のお勉強がおまけについてくる・・・ぐらいでちょうどいいのです。(とはいっても、制作スタッフは必死に歴史考証をやっています。ただ、部分的に資料がなくても諦めずに面白くするぞ――という精神で作っているということです)

 

 と、すっかり前置きが長くなってしまいましたが、なんとか「歴人めし」にも一人、女性を入れたいということで、あれこれ調べた挙句、やっと好物に関する記録を見つけたのが、20082年大河のヒロイン「篤姫」。本日は天璋院篤姫の「お貝煮」でした。

 

 見てもらえればわかるけど、この「お貝煮」なる料理、要するにアワビ入りの茶碗蒸しです。その記述が載っていたのが「御殿女中」という本。この本は明治から戦前の昭和にかけて活躍した、江戸文化・風俗の研究家・三田村鳶魚の著作で。篤姫付きの女中をしていた“大岡ませ子”という女性を取材した、いわゆる聞き書きです。

 

 

 明治も30年余り経ち、世代交代が進み、新しい秩序・社会体制が定着してくると、以前の時代が懐かしくなるらしく、「江戸の記憶を遺そう」というムーブメントが文化人の間で起こったようです。
 そこでこの三田村鳶魚さんが、かなりのご高齢だったます子さんに目をつけ、あれこれ大奥の生活について聞き出した――その集成がこの本に収められているというわけです。これは現在、文庫本になっていて手軽に手に入ります。

 ナレーションにもしましたが、ヘアメイク法やら、ファッションやら、江戸城内のエンタメ情報やらも載っていて、なかなか楽しい本ですが、篤姫に関するエピソードで最も面白かったのが飼いネコの話。

 最初、彼女は狆(犬)が買いたかったようなのですが、夫の徳川家定(13代将軍)がイヌがダメなので、しかたなくネコにしたとか。

 


 ところが、このネコが良き相棒になってくれて、なんと16年もいっしょに暮らしたそうです。彼女もペットに心を癒された口なのでしょうか。

 

 そんなわけでこの回もいろんな発見がありました。

 続編では、もっと大勢の女性歴人を登場させ、その好物を紹介したいと思っています。

 

2016年6月1日


0 コメント

本日の「歴人めし」は、平賀源内の「うざく」

 

 コピーライターの元祖ともいわれる源内が、うなぎ屋(魚屋)に依頼されて「土用丑の日はうなぎを食う日だ!」と言い出したのは、およそ250年前のこと。それが江戸中に、ひいては日本全国に広まったのは今では子供も知っている有名な話です。

 けれども、いくら源内が機知に富んだ天才でも、火種のないところに火はつきません。

 

 うなぎは古くから精のつく「薬」と認識されていたようです。人々の意識の底にはそれが連綿とあって、「なるほど、そうか。暑さでへばらいようにうなぎを食うといいのか!」ということになったのでしょう。

 

 けれでも、それだけでは火はつきません。話はそう単純ではない。なぜなら良薬、口に苦し。元来、薬はまずいもの。よほど具合が悪くなければ口にしたくない。だから江戸時代以前は、体に良いということはわかっていても、重病人でなければ、あんなニョロニョロ、ヌルヌルした気味の悪い魚をわざわざ捌いて食べようなんて思いませんでした。

 

 その常識を覆したのが、タレの発明です。江戸時代には調味料革命が起こり、それまで人々があまり口にできなかった醤油や砂糖が流通。生活の中で普通に食されるようになったのは、やっと江戸中期ごろから。

 そしてあの甘辛いタレが発明され、「かば焼き」という料理として食べられるようになったところで初めて「うなぎはうまいぞ!」ということになったわけです。

 

 さらにまた、源内自身がそのうなぎが大好きなロイヤルカスタマーでした。

当時は江戸前、すなわち今の東京湾で大漁だったので、価格も安く、魚屋としてはたくさん売りさばく必要があったのかもしれません。日持ちのしない真夏ならなおのこと、じゃんじゃん売って、ガンガン儲けたい。

 

 自分が愛するうなぎのためならば――と、ボランティアでやったのか、それともやっぱりビジネスとしてガッポリいただいたのか? はたまた永久にただ食いOKという現物支給だった可能性も――まあ、どんな報酬だったのかはわかりませんが、とにかくここで源内の才気が爆発。人々も「あの天才クリエイター・平賀源内のいうことなら納得でぃ!」ということで、250年経っても生き残る1行千両の大ヒットコピーが生まれたという次第です。

 

 たった1フレーズの言葉の中にも、深い歴史と文化、そしてまた、食い物に対する愛着やビジネスマインドがあふれているというお話です。

 

 

 

2016年5月27日 Fri


0 コメント

本日の「歴人めし」は坂本龍馬の軍鶏鍋でした。

 

 龍馬が暗殺された夜、軍鶏鍋を食べようとしていたことは割と有名な話だけど、じつはそんな記録はどこにもありません。

 

 では、どうして有名になったかというと、かの司馬遼太郎先生の功績です。僕も若かりし頃、夢中になって読みました。「龍馬が行く」。今、多くの日本人の中にある龍馬像はこの小説からできているんですね。歴史というのは半分は文学です。

 

 京都・近江屋で暗殺された、という史実を変えるわけにはいかないので、この物語をどう終わらせようか悩んだ司馬先生、悩んだ挙句、この軍鶏鍋をでっち上げたというわけです。

 (龍馬の故郷・土佐は闘鶏が盛んだったし、幕末の京都には鶏肉を食べさせる店が結構あったので、まったく根拠がないわけではありません)

 

 しかし、悲劇的なラストの一歩手前にこの軍鶏鍋を食べようとしていた、という設定を持ってきたのは、さすが!というか、もうこれしかない、龍馬のキャラとばっちりマッチ!という感じで、このエピソードは日本人の幕末物語の1ページに印刷されたのです。

 今回、この仕事であれこれリサーチして思いましたが、僕たちが知っている歴史というのはいろんなところで脚色されて伝わってきています。

 

 それを「事実と違うのは許さない」と怒る人たちもいますが、僕は歴史・伝記というのは、まず物語になっていないと、文字通り、お話にならないと思います。

物語になっているからこそ、映画やドラマになって人々が興味を持てるし、またその郷土やゆかりの地などが観光名所になって潤うのです。いまや歴史はまたとない観光資源です。

 

 それで多くの子孫たちがハッピーになれば、歴人たちもうれしいのではないでしょうか。

 ・・・とういわけで僕もこの番組では史実は踏まえながらも、戦場に弁当屋のデリバリ―がやってきたり、ネコを密偵にしたり、お城に宅配便がお届け物に上がったり、いろいろ遊ばせてもらいました。

ちょっとでも笑ってもらえればハッピー。

 

https://www.ch-ginga.jp/movie-detail/index.php?film_id=13338

 

2016年5月26日 THU


0 コメント

歴人めしのキャラクター

 

「歴人めし」はコミカルでロックンロール。
こんなキャラクターが登場します。
ストーリー部分は絵本のように展開しますが、イラストは超シンプル&お笑い路線でありながら、歴人たちのドラマをみごとに表現してくれました。

ディレクターは「MTVセンスで料理番組をやる!」というヘビメタな野心の持ち主。そして、メインの料理部分――主役を張る料理人は、江戸近茶流の伝道師・柳原尚之さん。ホームページにレシピも載っていますよ。


http://www.ch-ginga.jp/movie-detail/series.php…

 

さまざまなカルチャーがブレンドされ、独特のグルーブ(ノリ)が生まれました。スタッフや出演者が楽しんでくれて、台本ライターとしてはこんなうれしいことはありません。
ぜひ見る人にも楽しんでほしいと思います。

 

2016年5月20日 FRI


0 コメント

チャンネル銀河「歴人めし」

どんな夢も、どんな未来も、めしを食わなきゃ始まらない。

時代を動かし、歴史を作ってきたあの人たちが、「これがうまい!」と食べためし、「これが好き!」と愛しためしが、今、この人の手で生まれ変わります~

・・・てな講談調のナレーション全9本を、声優さんが熱演してくれました。

本日は広尾のスタジオでナレ撮り&MA。

2月からとっかかかっていた番組「歴人めし」がついに完成しました!

歴史ストーリーを掛け合わせた、他に類を見ない料理番組です。

ネタだし、構成、台本をやりました。

来週25日よりチャンネル銀河で9本一挙放送予定。

 

http://www.ch-ginga.jp/movie-detail/series.php…

 

見てくだされ。

 

2016年5月19日 THU


0 コメント

1月21日のルイ16世とマリー・アントワネット

 

 僕の誕生日である1月21日は、フランス革命でルイ16世が処刑された日。

 「人類史上はじめての市民革命が成就した日」と考えればめでたいのですが、さすがにその後、血が血を呼ぶ恐怖政治が展開したことを思うと喜んではいられません。

 けれども僕たちが今日、享受している自由や権利は、かの花の都で起こった大殺戮の歴史に起因して得られたものであることを忘れてはいけないと思います。

 

 てなわけで、これも何かの縁だろうと、昔からこのルイ16世という王様に興味を持ってきました。

 

 一般的にはマリー・アントワネットの尻に敷かれたヘタレ男(一説では性的不能)というイメージが流通していますが、最近の歴史学研究では、じつはまれに見る賢君・名君だった、という説が強くなっています。

 

 啓蒙思想に影響を受け、独自の国づくりのヴィジョンを持ち、当初はみずから進んで革命を推進していた、という話もあるくらいです。

 

 そういえば、処刑台で彼の首を切り落としたギロチンは、ルイ16世自身が「罪人が苦しまずに天国へいけるように」という人道的見地から開発したものだとか。

 名君だったかどうかはともかく、肖像画の柔和な顔を見ても「いい人」だったことは確かなようです。

 

 けれども絶対王政が続いたあの時代の、あのベルサイユの常識ではそれが王様らしくない、ということで宮廷のお歴々にナメられたのでしょう。

 

 女遊びもせず、贅沢なことに見向きもせず、仕事のストレスは錠前作りというおタクな趣味で解消していたことも、周囲に「あの王様はおかしい」「ヘタレだ」と思わせてしまったのかもしれません。

 国を立て直そうと一生懸命仕事していたのに……。

 

 しかし彼の人生の最大の失敗は、仕事、仕事で奥方のマリー・アントワネットをほったらかしてしまっていたことなのではないか、という気がします。

 あちらはストレスをぜいたくで解消していたせいで国民の憎しみを買ってしまいました。 

それを放置していた旦那のほうにも責任あり、ということになったのでしょう。

 

 そう言えばアントワネットは、以前は「わがままでぜいたくで高慢で『貧乏人はパンが食えなきゃ菓子を食え』なんてのたまう、とんでもねえ女!」という評価が主流でした。

 

 ところが近年では、ちょっとわがままだけど「きれいで可愛くてファッショナブルで、高貴な心を失わない永遠のアイドル!」みたいな評価に変わってきたような気がします。

 とくに女性の間ではファンが増え、歴史上の人物人気ランキングがあれば相当上位に食い込むと予測できます。

 

 歴史なんてものは、社会の都合やその時代の空気ですっかり変わってしまいますが、その一番大きな要因は、人々がどんな人物や出来事や物語に感情移入し、自己投影できるか、ということではないでしょうか。

 それによってキャラクターもストーリーもまったく違うものになってしまうのです。

 

 ルイ16世とマリー・アントワネットの、この200年あまりの人物像の変遷はその代表的なもののように思えます。

 

 

 

 

 


0 コメント

「三銃士」はドキュメンタリーを含んでいるからモテる

 

 もう一つ、僕が挙げる「三銃士」がモテる理由は、この物語が「ドキュメンタリー」の要素を色濃く持っていることだ。

 

★三銃士は歴史小説

 

 ご存知の通り、アレクサンドル・デュマが描いたこの物語は、19世紀の新聞の連載小説だった。大革命を経たナポレオン時代に生まれ、かの皇帝の失脚、王政復古、7月革命を目の当たりに育ったデュマは、その時点からおよそ200年前のルイ13世の時代に目をつけてこの物語を書き上げる。

 

 主人公のダルタニアンも実在の人物がモデルになっている。「三銃士」(正確にはこの後も延々と続く大河ドラマ「ダルタニアン物語」の一部分)は、いわゆる歴史小説なのである。 

 

 もちろん、史実に基づく物語が優れており、まったくの架空の物語が劣っているということではない。

 ただ、現代に生きる僕たちはテレビやインターネットの影響で情報の送受信のスピードに慣れている。「帝国劇場、なう」と、ついツイッターで発信したくなってしまう感性を持っている。

 つまり今、目の前で起こっている事実・ニュースにより積極的に反応する体質になっており、無意識のうちにそこから何かの物語を見出し、組み立てられるようになってきたのだ。 

 

★人生も企業活動もテーマに基づいて展開する“物語”

 

 個人の人生も、組織や企業の活動なども、単に事実の連なりと捉えるのでなく、あるテーマに基づいて展開する“物語”だと考えると俄然面白くなる。つぎつぎと関連性のある事象とリンクしていき、世界が広がっていく。 

 

 「三銃士」の場合も、ダルタニアン(のモデルになった人)の人生と、17世紀のフランスの歴史は、放っておけばそのままだが、デュマが双方の情報を紡ぎ合わせることによって複層的なドラマに仕立てた。

  そしてそこには当時の風俗、人の生活、街の様子など、様々なものを取り込める。それらのすべてを巧みに構成し「事実をきっちり踏まえた、普遍的なエンターテインメント」にしたところが、この物語が近年、ますます人をひきつけてやまない理由になっているのだと思う。 

 

★デュマは黒人の血を持つクォーター

 

 ちなみに作者であるデュマの父親はフランス人と黒人奴隷の混血で、デュマ自身はクォーターということになる。この父親はナポレオンの軍の将軍を務めていたことがあり、この事実も興味深い。もしこの時代にシェイクスピアが生きていたとしたら、芝居に書きそうである。 

 

 話をデュマに戻すと、自分の中に黒人奴隷の血が流れていること、そして実際に様々な差別を受けたであろうことは、妖婦ミレディーやリシュリュー枢機卿のような陰影のある人物の造形に何がしかの作用を及ぼしたのかもしれない。 

 

 また、物語の基盤がしっかりしているので、映画化・舞台化などに当たって多種多様なアレンジが出来るところも強い。ダルタニアンの内面にスポットを当てたドラマにも出来るし、この秋に公開される映画のうように大胆な演出も可能だ。映像をド派手にして思い切りエンターテインメントにする分、脚本にも相当の配慮と工夫がされているはずである。その点もどうなっているのか、楽しみにして観たい。

 

 

2011・8・24 WED


0 コメント

三銃士は「成長」に希少価値がある時代だからモテる

 

 「三銃士」はとてもわかりやすい成長物語である。

 主人公がそのストーリーを通して成長していく物語は数多くあるが、ここでは田舎から大都市パリに、いわゆる立身出世のために出てきたダルタニアンが、様々な壁にぶち当たりつつ、ぐんぐん成長していくドラマが描かれる。

 

 彼は彼なりに内向的になってあれこれ悩んだりもするのだが、それも明朗なトーンで描かれるので、違和感なく万人が共感できるし、感情の起伏もしかり受け入れられる。つまり、気持ちがいいほどわかりやすいのだ。 


 その成長の様子をより際出せるのが、この物語の中で「メンター(師匠/指南役)」として機能する三銃士である。しかも三銃士はダルタニアンから見て、厳格な父親とか、権威ある先生というような存在ではない。

 俗にこの話は「友情物語」という紹介のされ方をするが、双方の関係を見ると、先輩・後輩のニュアンスも含めた「兄弟愛」に近いのではないかと思う。いずれにしても、メンターである三銃士も彼らより年下のダルタニアンと同様に悩み成長する。そんな人間味のあるところが醍醐味になっている。

 これが時代の変化に関わらずウケる要因の一つといえる。

 いわゆる成熟社会となった先進諸国では成長はすこぶる重要なキーワードだ。未熟だろうが、ダメダメなところがあろうが、成長を感じさせる、言い換えれば、未来への可能性を感じさせる人や集団や企業は、すこぶる魅力的に映る。 

  つまり、今、それだけ成長というものに希少価値があるのではないだろうか。 
 成熟し、伸びきってしまった大人にはそうした魅力が見出せない。しかも環境の変化のせいもあり、信頼感も失墜しているのでなおさらだ。 
 ちなみにこれは実年齢のことを言っているのではない。10代・20代はもちろん、50代・60代でも成長しなくてはならない(少なくともそういう意志を見せなくてはならない)世の中になっているのだ。そして、若いダルタニアンと年長の三銃士のように、互いに影響を与え合いながら伸びていくことが求められている……三銃士の物語は、そうした現実を映し出す鏡のような機能を持っているのでは、と感じる。 

 

 

2011.08.23(Tue)


0 コメント