死ぬまでの自由研究の時間

 

●それなりの幸福

 今の日本という国では、あなたも僕も含め、

だいたいの人が、

それなりに幸福に暮らせるようになっている。

 

「それなりの幸福」とは何か?

命が危険にさらされることが少なく、

自分は80、90まで生きられるだろう、と

漠然と予測できるからだ。

 

もちろん異論はあるだろうし、

色んな問題は山積みだけど、

少なくとも上記の意味で、

こんな社会は人類史上初めてだと思う。

 

過去と照らし合わせて、歴史的にもそうだし、

世界の他の国と比較しても間違っていないだろう。

  

●真っ白な灰になっちまったよ

 もちろん、安全や長生きに大した価値を感じない人もいる。

「いや、俺は太く、短く生きるんや!」と、

かなり無茶なことをやる人もいる。

僕の若い頃はそういう人が結構大勢いたような気がする。

 

芸術家や文学者らの間では、

のうのうと、平々凡々と長生きするより、

酒や博奕や女に溺れて、破天荒な生き方をして、

短時間で命を燃やし尽くすような人生を送るのが

美徳だったと思う。

 

まだ20歳前だった矢吹丈(あしたのジョー)の遺言は、

「真っ白な灰になっちまったよ」

 

僕もそういうのに憧れたことがあったが、

そんな度胸はからきしなかったので、やめた。

 

いいか悪いかはさておき、

平成の30年の間に、そうした破天荒な人はずいぶん減った。

 

戦争もなく、医療が発達し、社会がシステム化されて安定した。

 

子どもや若者の死亡率が高かった時は、

「人間、いつ死ぬかわからない」という気持ちが、

大多数の人々の心の中にあったので、

破天荒な生き方はカッコよく映った。

 

今だって人間、いつ死ぬかわからないのだが、

みんな、そうは思ってない。

 

というわけで、破天荒な生き方、

短時間で命を燃やし尽くす人生の価値は下がった。

それに伴い、ひとりひとりの人生はスケジュール化された。

 

●新しいタスクがスケジュールに組み込まれた

 生まれてから入学、受験、卒業、就職、結婚、出産、

子どもの成長、そしてまた入学、受験、卒業・・・・・と、

定型的な人生のスケジュールを

僕たちはこなして生きてゆく。

 

現実にそうなるかどうかはともかく、

少なくとも周囲からはそう求められるし、

自分の頭の中にもそのスケジュールのイメージが

一つのフォーマットとして設定されている。

 

さらに今、以前の時代、それまで僕たちが親しんできた世界と

大きく変わったのは、

子どもが成人・独立して以後、死ぬまでの時間がかなり伸びたことだ。

 

その死ぬまでの時間は、ここ数年で、

新たなタスクとして、人生のスケジュールに組み込まれた。

 

夏休みの宿題は一通りやり終えた。

あとは自由研究という課題が残っている、という感じ。

 

もちろん、この自由研究も

生活をしながらなので、

ごく一部を除き、僕を含め大多数の人は

まだまだお金を稼ぐ仕事をする必要がある。

 

それに事情は人それぞれだから、

家族の介護などをやらなくてはいけない人もいる。

 

そうした中で、

何でも好きにやっていいという自由研究に取り組むのは、

思いのほか難問だ。

  

●自由研究の時間こそ人生の本番

 今までのことは準備運動とか、リハーサルの類。

この自由研究の時間こそ本番であり、

人生の本質が秘められているといっても過言ではない。

 

そういう時代になった。

みんなが長生きできる社会。

幸福だけど、生き辛いパラドックスのような人生。

 

とりあえずパパッと紙に手書きで一本線を引いて、

左端に「生まれる」、右端に「死ぬ」と書く。

 

「死ぬ」がいやなら、終でも完でも了でもいい。

ENDでもFINEでもいい。

 

天皇陛下のご年齢を考えると、

令和は20年から30年。

自由研究の時間に入った方は、

この令和でどんな課題をやるのか、が問われる。

 

べつにサボりたきゃサボって

未提出ということでもいいんだけどね。

 


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2020年はSF社会の開幕年か?

 

●月2回の日本橋通い

ひと月に2回ほど、日本橋(八重洲)に詣でる。

エンディング業界(葬儀・供養・終活・高齢者ケアなど)の

業界誌・月刊仏事のライターをやっているので、

その発行元の株式会社鎌倉新書で

打ち合わせやゲラ校のチェックをする。

 

鎌倉新書は葬儀社のポータルサイト「いい葬儀」を開発。

葬儀社・石材店・仏壇手店などを

インターネットで葬儀社を選べる

メディアを作ったパイオニアで、上場企業となった。

 

小一時間で仕事を済ませ、外に出ると、

もう街中は黄昏色。

そう言えば、明日はもう彼岸の入りだ。

 

●ビジネスマン向け丸善BOOKS探検

いつも利用する東京メトロ日本橋駅B3出口は、

丸善と続いているので、時間に余裕のある時は

15分ほどブラブラ本を物色してから帰る。

 

ビジネスマン御用達の書店なので、

平月にされているのは、経済・社会分野の本が多い。

やっぱり手に取ってページをめくりたくなるのは、

ダイヤモンド社の本かなぁ。

 

●スケジュールはもう2020

地下では文房具を売っているが、

「2020」という数字がデデンとおでまし。

早くも来年の手帳コーナーが設けられている。

 

秋のお彼岸ともなれば、

ビジネスマンの脳は。すでに2020に向けて

動き出しているというわけか。

 

●2020とZOZOのSF的符号

「2020」という字の並びを見ると、

先日Yahoo!に売却された「ZOZO」を想起する。

2020とZOZO。

この符号は何かの暗喩みたいだ。、

 

記者会見でおそろいのTシャツを着ていた、

前澤さんと孫さんは、

僕には宇宙ビジネスとロボットビジネスの

SFキャラコンビに見えた。

 

●ウルトラQもあるでよ

そして2020のSFといえば、

やっぱりウルトラQのケムール人の来襲を

怖れずにはいられない。

ブオッフォッフォッフォフォ・・・

とうとう来るのか、「2020年の挑戦」が。

 

一体どんな年になるのだろう?

それまでの残り3ヶ月、

僕たちはどう準備をしていけばいいいのだろう?

 


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般若心経(cho Ver)は21世紀のプログレ

 

エンディング産業展のイベント「次世代僧侶オブザイヤー」で知った。

坊主バンド、昨年末のアジアツアーライブ。

世界は宗教から離れつつある。

それを人々のもとに取り返そうという試み。

 

てか、そんなリクツはどうでもいい。

これはすごい。カッコいい。

僕に言わせれば、これぞ現代のプログレッシブロック。

若い坊さん、面白いじゃないか。

 


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岩渕さんのお葬式

 

息子が小学生の頃、「和泉親児の会」に参加していたが、

その頃の先輩メンバーだった岩渕さんが亡くなった。

まだ60代の前半だったそうだ。

骨のガンだったとのことだが、

1か月ほど前まで元気に働いていたと言う。

現役だったので、お通夜・葬儀は結構大勢の参列者があった。

 

昨夜のお通夜には「親児の会」のメンバーも

たくさん来ていた。

なんだか懐かしい顔ぶれだ。

同じ小学生だった子どもは、もうとっくに成人している。

 

みんな老けたと言えば老けたが、いい具合に齢を取っている。

何よりも、あまりストレスにやられている感じがしない。

岩渕さんはどうだったのだろうか・・・。

できればストレスニやられず、皆さん長生きを。

 

元気だった頃のお顔を思い出しつつ、

親児の人たちの健康を祈りつつ、

香典返しとして頂戴したマロングラッセをいただく。

岩渕さんのご冥福をお祈りします。

 


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現代の聖職者による、現代人必読の書:「時が止まった部屋」レビュー

 

 僕が初めてエンディング産業展(毎年8月に東京ビッグサイトで開催)で、著者・小島美羽さんの孤独死・ゴミ屋敷の現場のミニチュア展示を見たのは昨年のこと。

 その時、小島さんが独学で作ったミニチュア作品の素晴らしさとともに心を奪われたのが、そこに添えられている自筆の説明文だった。

 淡々と、朴訥にそこで見たこと、感じたことを綴った文章の奥には、小島さんの人間の生と死に対する想いが、人生や家族というものに対する誠実な考え方が、にじみ出ていた。

 

 そして今年、彼女のいる「遺品整理クリーンサービス」のブースを覗いてみると、この本が平積みされていた。おお、やっぱり。よくぞ書いてくれたという感じ。

 マスメディアなどでも多数紹介されていたようなので、出版は意外ではなかった。

 著者本人に聞いてみると、テーマがテーマだけにコンタクトはしてきても、いまいち本気でないところが多かったと言う。その中で、この出版社だけがミニチュアはもちろん、小島さんの仕事と、この現実を伝えたいという思いに貴重な価値を見出し、真摯に出版を持ちかけたと言う。

 

 「孤独死」「ゴミ屋敷」は、僕のストーリー、あなたのストーリーでもある。

 人は必ずいつか死ぬ。

 誰もが知っているけど、誰も認めたくない現実。

 特に孤独死なんていう、悲惨で寂しい最期は、自分には縁のないものと、何の根拠もなく思っている。

 

 何か月も、時には何年も放置され、誰にも顧みられることがない。遺体は傷み、原型をとどめないことさえある。まさか自分がそんなことになるなんて・・・。

 でも、自分のライフスタイルを大切にしている人、家族も含め、他人に煩わされるのをよしとしない人なら、将来、そうなる可能性が5割くらいはあると思っていい。

 少なくとも僕自身はそうである。

 僕は現在、59歳で家族とともに暮らしているが、自分も孤独死し、この聖職者にお世話になるかもしれないと思う。

 

 遺品整理・特殊清掃は、技術さえあれば誰にもできるという仕事ではない。ましてやお金を稼ぐという目的だけではとても続かない。

 小島さんも、そして彼女の勤める会社のた社長さん(創業者)も、自分の中にあるストーリーの必然によって、この仕事を始めたのではないか。悲惨な現場に携わる者ならではの「伝えたい」という思いが強く伝わってくる。

 「現代の聖職者」とは、いささか大げさな呼び名だが、この本を読めば、その一端が分かる。

 社会の裏側をえぐる壮絶なドキュメンタリーとかルポルタージュなどとは趣が異なり、ミニチュアの写真を多数載せた、とても読みやすい本になっていることも特徴だ。

 

 いま、この社会で生き、死んでゆく人たちの人生を描いた叙事詩のようだと僕は感じた。

 


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勝浦タンタンメンは、過疎化する漁師町を救えるか?

 

今週は取材でお出かけWeek。

今日は連載企画「寺力本願(じりきほんがん)」の取材で、

千葉県勝浦市へ。

 

かつては房総でも指折りの水揚げを誇っていた漁業の街、

しかし、それも昭和時代まで。

漁業の衰退によって、平成の30年間で人口は半減し、

街の中には空き家が目立つ。

 

取材先は「海の見えるお寺」として人気の妙海寺。

その住職は、まだ若いながら、勝浦の街を救おう、

100年後も200年後も栄える街にしようと奮闘。

様々な地域おこしイベントを開催し、

現在は、空き家対策として、みんぱく事業に力を入れているという。

 

最近、何かとネガティブに捉えられることの多い宗教者だが、

自治体や企業ではできないことを、

お寺という立場、一種の社会的信頼性を生かして活動している。

 

そんな住職が以前、地域おこしの一環として普及に携わり、

ご当地グルメになったという「勝浦タンタンメン」。

ひき肉と一緒にタマネギとナスが入ってて、見た目ほど辛くない。

 

冬の海で働き、冷えた漁師や海女さんのからだをあっためたという

ストーリーが、味わいを深くする。

コンビニにも「勝浦タンタンメン」食品がいっぱい。

 

ちなみに勝浦は海流の作用で、夏は涼しく、猛暑日がない。

冬も比較的穏やかで、雪の降ることはほとんどないという。

 

僕は勝浦と言うと、反射的に「勝浦温泉」と出てきて、

なんとなく熱海っぽいイメージを持っていたのだが、

よく調べると、和歌山の@「勝浦温泉」だった。

なんで勘違いしてたのだろう?

 


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エンディング産業展2019「葬式・戒名・墓――どこまで省けるのか?」

 

エンディング産業展2019終了。

今日は宗教学者・島田裕巳氏のセミナーが面白かった。

タイトルは「葬式・戒名・墓――どこまで省けるのか?」

 

「お葬式はいらない」などの著書で有名な島田氏が、

なんで葬儀やお墓の業者や僧侶が集うエンディング産業展に招かれたのか?

 

かなり挑発的なタイトルだが、

「私があれこれ言わなくても、

一般の人はもう気が付いて“省いてます”」。

 

詳しい内容は月刊仏事の記事にするので、ここでは書けないが、

要は、高齢化社会への移行で、人々の死生観が変わったということ。

 

ついこの間まで、人生が40年から50年程度だった時代。

人間ははいつ死ぬかわからない、という前提で生きていた。

寿命は伸びていたが、10年ほど前までは、

みんな、その社会通念のもとに生きていた。

 

しかし、人生が80年、90年、100年以上続く時代になった今はちがう。

僕たちはそれだけ長く生きることを前提に人生を考える。

そして社会もその考え方に合わせて動く。

もう設定自体が変わってしまったのだから、年金が破綻するのも当然だ。

 

もちろん「いつ死ぬかわからない」ということは本質であり、

変らないはずだ。

今だって、僕たちはいつ死ぬかわからない。

 

しかし、人生の概念はすでに100年ライフに変わっている。

50歳や60歳、あるいそれより若く死ぬのは、

あくまでイレギュラーなケースだ。

 

そんな社会になると何が起こるかと言えば、

人々の心を救済していた宗教が衰退し、機能しなくなる。

 

また、みんな、人生をスケジューリングする。

まだ幼いことから将来を見据えて勉強し、進学に就職に、

スケジュールを組み立てて、一つ一つこなしていこうとする。

そのスケジュールの最後には、もちろん死が用意されている。

スケジュールをこなすための人生。

 

これから死のポイントは変わるという。

多くの人にとって、肉体的な死の前に、社会的なエンディングがある。

 

たとえば施設などに移らなくてはならなくなった時、

人はこの世界と切り離され、

実質的にはもうそこで人生は終わってしまうのはないか。

なのに、そこに葬式・戒名・墓は、本当に必要とされるのか・・・。

 

島田氏の言葉は、聴講に集まった人たち

――まだ前の時代の死生観で仕事に励む

エンディング業界人の胸に波紋を起こす。

 

その波紋はこれからじわじわと広く、社会に広がっていくのはないか。

そんな感想を抱いた。

 


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時が止まった部屋:遺品整理人がミニチュアで伝える孤独死のはなし  本日発売編

 

今日から3日間、東京ビッグサイトで

エンディング産業展が開催されている。

例によって「月刊仏事」の取材で有明通い。

メインは毎日行われるセミナーやイベントの取材だが、

ブースの方も覗いてみる。

 

昨年、最も衝撃を受けたのは「遺品整理クリーンサービス

(㈱ToDo-Company)」のミニチュア展示。

 

孤独死の現場・ゴミ屋敷の様子を、

遺品整理人(特殊清掃)が、写真ではなく、

ミニチュアで伝えるというもの。

各メディアでも、たびたび取り上げられているようなので、

ご存知の人も多いかも知れない。

 

しかもその遺品整理人がうら若き、かわいい女性。

 

しかもしかも、アートの学校や講座に通っていたとかいうわけではなく、

現実を伝えるには、こういう手段がいいだろうということで

仕事の合間に、いきなりこうしたミニチュアを作ってしまった。

 

しかもしかもしかも、話していると気負ったところもなく、

純粋に、まっすぐに、

彼女のこの仕事に対する思いが伝わってくる。

 

というわけで、トリプルインパクトを受けたのが1年前。

 

今年も出しているのかな~と思って覗いてみたら、

出してた!

しかも本を出していた!

本日、8月20日発売だ。

 

彼女――小島美羽さんの作るミニチュアの魅力は、

じつはそこに添えられる文章によるところが大きい。

 

けっして文章がうまいとか、表現力に長けているわけではない。

その部屋の清掃・整理に実際に携わった時の感想・

湧き出てくる思いを淡々とつづっているだけだ。

 

しかし、その語り口がいい。

彼女が語り部になると、その部屋の悲惨な情景から、

人生のストーリーが形となって響いてくる。

 

まるで、この21世紀の日本の社会で、

生まれて生きて、そして死んでゆく、

僕らの人生を映し出す叙事詩のようだと思った。

 

当然、本にする価値、大ありでしょう!

昨年はブログにも書いたし、ちょっとだけ仏事の記事にもしました――

 

という話を、当の小島さんが他のお客さんと話してたので、

本を売りに来てた出版社の人にしたら、

1冊、献本していただいてしまった。

 

ありがとうございます。

これはちゃんと読んで、夏休み読書感想文にします。

 

でも、読む前からわかっている。

これは素晴らしい本だ。価値のある本だ。

孤独死やゴミ屋敷に興味があれば、ぜひ、手に取ってみてください。

 


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認知症の義母と神頼みの散歩

 

「いいの、手なんか握って?」

「だって手をつながないと危ないよ」

「いいの本当に? 奥さんはいらっしゃるの?」

「はい、いますけど」

「わあ、どうしよう? 奥さん、怒らないかしら?」

「だいじょうぶです。公認ですから」

「わあ、うれしい。こうしたこと一生忘れないわ」

「喜んでもらえて何よりです」

 

認知症の義母と散歩に行くと、こういう会話になる。

言ってもわからないので、

「奥さんはあなたの娘ですよ」

なんて説明はわざわざしない。

 

僕のことは「お兄さん」と呼ぶ。

まぁ確かに義母より25も若いけど、

お兄さんというほど、若い男に見えているのだろうか?

 

亡夫(つまり僕の義父)は、

「女は三歩下がって」という考え方の

関白亭主だったらしいので、

男と手をつないで

公道を歩くのに慣れていないらしく、

ちょっと恥ずかしそうにする。

 

義母には昨日も明日もない。

小さな子どもと同じで、

「いま、この瞬間」があるだけだ。

 

「いま、この瞬間」がずうっと繋がって、

僕たちの人生があり、この世界があるわけだが、

そんなこと、ふだん僕たちはまったく考えない。

 

僕たちはいつも、これまで何をしてきたか、

少しでも多くの記憶をキープし、

自分のビッグデータを作って、

何があるかわからない明日に備え、

サバイバルしようとする。

 

ところが義母は昨日なにがあったかも忘れているし、

明日どうなるのか不安に脅えることもない。

もうボケちゃってるわけだから、

齢を取ってボケたらどうしようと怖がることもない。

 

でも時々、時計を見て

「もう家に帰らなきゃ」とか言い出す。

「ここがあなたの家だよ。

あそこにあなたの部屋があるでしょ」

と言うと、「ああ、「そうか」と

一応、納得するのだが、

数分後にはまた「帰らなきゃ」と言い出す。

 

まだ一緒に暮らし始めて1週間たたないから

しかたないのだろうが、

彼女はいったいどこに帰りたいのだろう?

 

僕は認知症についてはまったく不勉強だ。

てか、あんまり余計な先入観を持って関わるのは

よくないんじゃないかと思って、

あえて最小限の知識・情報しか入れてない。

 

人それぞれいろんなパターンがあると思うが、

認知症になると、

その人本来のキャラクターや

人生の中で培ったストーリーが

集約されて表現されるようで、

義母を見ている限り、

不謹慎な言い方かもしれないけど、

とてもとても興味深い。

 

それにしても、

いったいこれからどうなるのか?

 

同じ「いま、この瞬間」を生きる人間でも

小さい子どもはこれから成長が見込める、

いわば、のびしろのある存在だが、

認知症の高齢者はそうではない。

 

「お兄さん」としては、

とにかく少しでも、

その瞬間瞬間の積み重ねを、

幸福感・安心感を持って

過ごしてもらいたいだけだ。

 

ふだんは宗教心なんて欠片もないが、

義母に関してはもう神さまに祈るばかり。

 

大宮八幡は立派な神宮で、

初詣やお花見や秋祭りで毎年来ている。

この季節は七夕飾りが美しい。

 

すっかり通い慣れたお宮だが、

義母と一緒にいると、

不思議と素直で新鮮な気持ちでお参りできる。

やっぱ人間、最後の最後は神頼みやで。

 


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食と祈りの店 自由が丘・田の実

 

ここのところずっと、葬儀供養と農業の仕事をやっているが、昨日取材したのは、そのふたつが一体化したお店。自由ヶ丘に先々週オープンしたばかりの「田の実」だ。
コンセプトは日本人の稲作文化の中で育まれた「食と祈り」。
1階は全国の農産物などの食品と四季の行事を彩る雑貨のショップ。2階はカフェ&レストラン。3階はイベントスペース。
ランチに出る汁ものは仙台の名店「ゆきむら」のシェフの作品で、日本人の脳の深淵に届く美味しさだ。

実はこの店の経営母体は、「手のしわとしわを合わせて、しあわせ」の、お仏壇のはせがわ。
「手を合わせるとはどういうことか?」を追究していったら、食と農にたどり着いたという。
さすがリーディングカンパニーと感心する話だった。
オープンしてからまだ2
週間だが、早くも自由ヶ丘の大人気店になりつつある。駅から3分なので、そっち方面に行くことがあれば、ぜひ寄ってみてください。

 


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サンゲノヨル:仏教式罪の告白

 

「あのやろう、うまいことやりやがって」と妬んだり、

「失敗しろ。不幸になれ」と呪ったり、

道行く女の子に劣情を起こしたり、

気に食わないことに逆ギレしたり、

暴飲暴食に走ったり、

やるべきこともやらずゴロゴロ怠けていたり・・・

 

人間は日々、罪を犯している。

そこで神さまの前で自分の罪を白状するのが「懺悔」だ。

 

これはキリスト教の話だと思っていたら、仏教にもある。

同じようにお釈迦様の前で罪を認め、

仏教では「さんげ」と読む。

 

月に一度「サンゲノヨル」を開いているお寺があると聞いて、

一昨日、取材で出かけて行った。

神楽坂にある圓福寺だ。

 

まだ30代の若い住職様にインタビュー。

幕末に伝わり、この寺に祀られている夜光鬼子母神の話、

その鬼子母神絡みで妊活講座が行われている話、

住職がIT企業に勤めていた時の話など聞いて、

メインの「サンゲ」。

 

これは実際に体験してみた。

 

500円払ってお守り(懺悔守り)を購入し、

その中に自分の犯した、

あるいは犯していそうな罪を書く。

 

自分は悪いことしてなくても、遠い先祖が

騙し・欺き・裏切り・虐待・泥棒や人殺しなどの

大罪を犯している可能性もある。

 

因果応報。

過去の罪が、現在につながって、

あなたの人生で表現されている。

こうした考え方は、仏教ならではという感じがする。

 

書き入れたお守りは持ち帰るのではなく、

この寺の祖師像に奉納する。

奉納したら、あとはひたすら

心の中で罪を詫び、お経を唱える。

 

先祖が罪を犯したのかどうかはわからないので、

とりあえず自分の罪だけ思い起こした。

一応、善良な市民のつもりではいるが、

生きていると、どうしてもいろいろあるからねぇ。

ズルもしてるし、迷惑もかけてるし、

人を傷つけたりもしています。

 

ありがたいのは「懺悔」すると「三化」が起こるということ。

①健康運・②仕事運(金運)に恵まれるようになり、

③ 良縁にも恵まれる。 

これはもう、信じるしかないねぇ。

 

それに夜(僕が行ったのは5時過ぎでまだ明るかったけど)、

お堂の中にいると、厳かな気分になり、精神的にも良い刺激になる。新鮮な空気が身体の中に入ってくる感じだ

月に一度くらい、こうした体験をするのはいいと思う。

 

500円で懺悔守りを購入するのは最初だけで、

そのあと、2回目以降は自由。

リピーターも大勢いて、僕がいた時間だけでも10人くらいやってきた。

男よりも女のほうが多いという。

女のほうが男よりも罪深いのだろうか?

 

毎月、第一水曜日、夕方5時から8時までやっている。

こうした懺悔の概念を大事にして、

積極的に打ち出しているお寺はかなり少ない。

(少なくとも、僕は初めてだった)

 

あなたも秘密めいた体験として、

一度やってみると面白いと思う。

 

神楽坂・圓福寺。

サンゲノヨルは、お参りした後、

神楽坂に立ち並ぶ飲み屋でハシゴ・・・となったら、

またまたそこで罪を犯し、

翌月、ふたたび通うことになって永遠の循環に陥るかもね。

 


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葬儀・供養に関する「昭和システム」の呪縛

 

つましい生活をしていた高齢者が亡くなってみたら、何千万円ものタンス預金を残していて、びっくり! ――という話をよく聞く。

なんで?

そんなにお金があるんなら、貧乏に甘んじず、もっと裕福に暮らせたろうに・・・と思っていたが、今回、義父の死に触れて「そりゃ当然だな」と納得してしまった。

 

お葬式をするのも、お寺さんにお経を唱えてもらって戒名をいただくのも、納骨してお墓を建てるのも、従来の、いわゆる「昭和システム」にのっとってやっていたら、いくらお金があっても足りない。

あっという間に数百万、ちょっと見栄を張ったら1千万くらいすぐに使ってしまう、と思う。

 

これに前後の医療費やケアのお金を入れれば、そりゃたしかに何千万円も持ってなきゃ、安心して老後を暮らせないし、安らかに眠ることもできない。

 

けっして日本の仏教文化、葬儀供養の文化を軽んじるわけではないが、「昭和システム」の葬儀供養を遂行するのは、今や、よほどのお金持ちでなければ無理である。

 

「無理をしてでもやるべきだ」という宗教心の厚い人、伝統的な習慣を重んじる人の意見もあると思う。

否定するつもりはない。

 

ただ、伝統的な習慣と言っても、みんながこれだけお金の掛かる供養葬儀をやるようになったのは、高度経済成長時代からだ。

 

現代のように、広く自由に情報が飛び交う時代ではなかったので、業者などに「そういうものだ」と言われれば、「そういうものか」と選択肢もなく、無理をしてでもそうせざるを得なかった面もあるだろう。

 

要は一般庶民にも裕福な人が大勢増えて、昔の武士階級・貴族階級・地域の名士など、社会的地位の高い人たちの真似をしたくなっただけではないのだろうか。

 

現代はお葬式にしても、お墓にしても、供養の仕方にしても、多様な選択肢がたくさんある。

無理なく、納得でき、大事な人を心から偲べるやり方は、いくらでも自分たちで創ることができる。

 

盛大なお葬式をして、りっぱなお墓を立てて、遺された家族がみんなハッピーになれるなら、それでいい。

 

けれどもそうでなく、精神的にも経済的にも負担が増えるばかりで、心から偲ぶこともままならないリスクを背負いそうなら、昭和の習慣の呪縛から自由になったほうがいい。

 


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義父の葬儀

 

昨日は所沢斎場で義父の葬儀を行った。

葬儀と言っても、火葬の前に少しの間だけお別れをする、

いわゆる「直葬」である。

 

義父の妻である義母、その娘であるカミさんと僕と息子(孫)、

そして妹夫婦の6人が参列。

身内だけでゆっくりお別れができた。

 

退職して25年経つので、仕事関係の人たちとはもう縁が切れているし、

ずっと親しく付き合っていたらしき友人もいないし、

親戚も無理に呼べば呼べたかもしれないが、

やめておこうという話になった。

 

ずっと親しく付き合っていたらしき友人もいない。

もしかしたら、いたかも知れないが、

どう連絡を取っていいかわからなかった。

 

懇意にしているお寺もないし、義父から宗教的なニュアンスの

話も聞いたことがない。

 

簡素で安価な葬儀にすることには何のためらいもなかった。

 

遺体を引き取りに行った警察署で出入している葬儀社のリストには

5社くらい載っていて、カミさんが直接電話で連絡。比較検討した。

 

こういうところ、うちのカミさんはカンが鋭く、賢い。

他の所はベーシックな値段は安いが、

オプションで2倍・3倍以上に膨れ上がりそうだ――

という匂いを感じ取って、結局、地元の小さな葬儀社を選んだ。

 

結論的には大正解で、

とてもとても誠実で丁寧で良心的な葬儀屋さんで、たいへん助かった。

感謝に絶えない。

 

たぶんポータルサイトでレビューが書けるので、

良い評判を広げたいと思う。

 

お金の話をするのはどうかと思うが、気になる人が多いと思うので

参考になるよう、あえて書いておくと、すべて込みで32万円弱でした。

内訳も明瞭で本当に良かった。

 

結局、お葬式は、大規模に立派にやるにしても、

つつましく、ささやかにやるにしても、

遺族の満足感・納得感の問題だと思う。

 


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義父は最期まで弱音を吐かずじまいだった

 

義父は胃がんを手術で、前立腺がんを放射線治療で完治させ、

克服してきた強い人だった。

 

そして関白亭主で、奥さん――義母をアゴで使っていた。

家のことは一切やらず、お茶も自分では淹れない。

けれども5~6年ほど前から義母が認知症になってから、

その生活ぶりが変わっていった。

 

義母は2年ほど前からお茶を淹れる以外、

家のことが出来なくなってきた。

もう自分でやるしかない。

 

「家族に迷惑をかけたくない」と言うのは、

最近の高齢者全般の口癖だが、

義父の場合はその最たるものだった。

 

迷惑というか、絶対に人に弱みを見せない

というのが信条だった。

たとえ相手が家族でもだ。

 

カミさんも義妹も電話で義父の話を聞くばかりだったので、

2人とも結構元気なものと思っていたらしい。

 

そしてとにかく器用なので、やる気になれば何でもできた。

 

掃除も洗濯も裁縫もやっていた。

 

ただ、さすがに料理だけは、にわか仕込みではダメで、

レンジでチン食が主食だったようだ。

 

それに加え、義母を病院につれて行ったり、

薬の管理をしたり、迷子にならないようにしたり。

まめまめしく世話をしていたらしい。

認知症介護士の資格も取ろうとしていたようだ。

 

弱音を吐かないことは立派だが、

本当にそれでよかったのかという思いが残る。

 

強い男の生き方ももう限界に近づいていたのかもしれない。

それでも娘たちのところへはSOSは出さなかった。

その矢先の突然の死だった。

 

部屋の中にある様々なメモや生活の痕跡を見ながら、

怖くて厳しく君臨していた昭和の関白亭主が、

最期にはまるで恩返しか、贖罪をするかのように、

少女のようになってしまった女房を

甲斐甲斐しく面倒を見ている姿が脳裏に浮かんだ。

 

ヘンな言い方だが、終わってみれば、二人の夫婦関係が

最終的にはチャラになったような印象がある。

 

なんだか人生うまくできているものだなと思う。

それなりの長さを生きれば、

ずっとラッキー、ハッピーもなく、

アンラッキー、アンハッピーもなく、

最期には何でもチャラになるのではないかという気がする。

 


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義父の棺に競馬研究ノート

 

カミさんと僕と息子、義妹夫婦の5人で

亡くなった義父の遺品整理をした。

義父は若い頃、自衛官で、

退官後は自動車教習所の教官を務めていた人だ。

 

めちゃくちゃ怖い教官だったらしく、

娘たちに対してもかなり怖い父親だったらしい。

 

特に長女のカミさんは昭和男の

「女に教育は要らない」式の躾をされ、

かなり圧力をかけられ、自由を制限されていたようだ。

 

しかしそれが逆にバネになったのか、

成人する頃には、如才なく親をやりこめる才覚を表し、

その後、海外で働きながら旅をするなどして、

自由で独立した生活を獲得した。

人間とは面白いものだと思う。

 

義父は自営官時代に身に着けた習慣があって、

身の回りの管理術に長けていた。

何でもこまめにメモを残し、

几帳面に整理する癖を持っている。

 

近年、遺産相続や遺品整理に困っている遺族に対する

サービス業が繁盛しているが、それもうなずける。

離れて暮らしていた遺族が、生前の生活状況を把握し、

遺品・遺産の整理をするのは大変な作業だ。

 

おそらくこの義父ほど几帳面にメモを残し、

管理を実践している高齢者はそう多くはないだろう。

それでも、どこかにメモがあるだろうと思っていた

キャッシュカードの暗証番号だけは

ついにわからずじまいだった。

役所への届けとともに、口座は凍結されることになる。

それでも葬儀代など、当面必要なお金の分は

ちゃんと現金でしまってあった。

 

僕と反対で、多趣味で何でも器用にこなすことができた。

三味線やギターを弾き、日曜大工もお手のもの。

教官だったので、もちろん自動車の運転はプロドライバー。

ボウリングもプロに近いアベレージだったと言う。

高齢になってから始めたパソコンも器用に操っていた。

 

「だけど器用貧乏なのよ」とカミさんは言っていた。

 

何でもすぐにマスターできるので、

執着心がなく、すぐに飽きてしまうのだという。

名取りにまでなった三味線もすっかり辞めてしまっていた。

自分にとってこれだ!というもの、

とことん追求したいと思えるものは、なかったのかもしれない。

 

晩年は競馬が趣味で、これも雑誌や新聞などを参考に

めちゃくちゃ研究していたようだ。

 

自前のノートに膨大な分析データが残されていた。

おかげでけっこう勝率は高く、

確実に小遣いを稼ぎ続けていたようだ。

 

けれども大穴を当てたという話は聞かないので、

そう派手に儲けることはできなかったらしい。

いろいろデータ分析するのを楽しんでいたのだ。

 

死の2日前の天皇賞(平成最後の天皇賞だ)も

少額だが獲っていた。

 

手垢のしみこんだ競馬関連のノートなどは火葬の時、

棺に入れてあげようと思う。

 


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平成最後のショック

 

平成最後の日の朝、85歳の義父が亡くなった。

しばらく会っていなかったが、元気だと聞いていた。

自宅で寝ている間の急死。

死因が特定できないため、遺体は救急病院から警察に移された。

(カミさんの)自宅にも検死調査が入った。

明日、警察まで引き取りに行く。

火葬場の都合で2~3日は葬儀屋さんに

安置してもらうことになりそうだ。

期待せずとも、人生、変る時は変わる。

 


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さいみょうくん・さいみょうちゃん

 

お寺のオリジナルキャラクターというのに初めてお目にかかった。

「さいみょうくん」と「さいみょうちゃん」。

一昨日、「寺力本願」の取材で伺った川越・最明寺のキャラである。

 

開かれたお寺づくり――とくに女性・子どもに親しんでもらえる

お寺を目指して、平成元年生まれ・インド修行帰りの

若き副住職のプロデュースのもと、

仏像キャラ専門のデザイナーが考案した。

 

ご本人は否定したが、男の子のさいみょうくんは、

当の副住職をモデルにしたのではないかと思われる。

(理知的で優しい顔立ちのイケメンである)

 

女の子のさいみょうちゃんは「小悪魔風」のキャラ付がされていて、

そこはかとなくドキンちゃんを連想させる。

それにしても、仏像キャラなのに、小悪魔って、どーゆーこっちゃ!

 

―ーといったツッコミが入るのも織り込み済みなのだろう。

プロデューサー/デザイナーの遊び心が窺えて楽しい。

 

可愛いだけじゃなく、高貴な品格も感じさせてくれて、

僕はたちまちファンになってしまった。

 

 

最明寺は先週、世界自閉症啓発デー/発達障害啓発週間に合わせて、

1週間、お寺をブルーにライトアップし、

本堂では障がいを持つ子どもたちの絵画展をはじめ、

地元のアーティストやアイドルが出演するイベントを開催。

市や商工会の人たちも巻き込んで大いに盛り上がった。

 

また、10月には毎年、乳がん検診啓発の「ピンクリボン運動」に参加。

この時はピンクでライトアップし、」同様に各種イベントを繰り広げるという。

これをやっているのは今までのところ、

最明寺と京都の清水寺だけだ。

 

2人のキャラクターのカラーリングは、

それぞれのライトアップを表したものなのだ。

 

最明寺の社会活動とそれに連動したイベントもあって、

小江戸でにぎわう川越は、ますます活気づいているもよう。

あなたも川越方面に出向くことがあれば、

ぜひ西川越まで足を伸ばして、

さいみょうくん・さいみょうちゃんに

会いに行ってください。

僕もまた行きたいと思ってます。

 


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高級住宅街のど真ん中の斎場

 

 日曜日のことだが、月刊仏事の仕事で、代々幡斎場へ行った。

 場所は京王線・幡ヶ谷と、小田急線(+東京メトロ千代田線)の中間点にある渋谷区西原というところ。

 

 結構な豪邸が並ぶ高級住宅街のど真ん中に、火葬場併設の葬儀場が、どーん!と立つ。そのギャップがすごい。

 

 どうしてこんな一等地に火葬を行う斎場が・・と思ってしまうが、これは話が逆。

 

 ここでは江戸時代からいくつかの寺院が合同して火屋(火葬場)を運営していた。

 明治になって 東京市区改正条例(都市計画法の前身)が施行され、1889(明治22)年5月20日より都市計画施設として稼働。

 

 1921(大正10)年から東京博善株式会社(現・廣済堂グループ)が所有することになり、以後、1世紀にわたって運営を担い続けている。

 名称は、所在地がかつて「豊多摩郡代々幡町」という名の町だったことに由来する。

 

 戦後、これを囲むように住宅が次々と建てられ、やがて都内でも指折りの高級住宅街として発展していった。

 

 約四半世紀前まで外観は大型の寺院風で、瓦葺きの屋根に煙突が立っているが特徴的だったが、1996年(平成8年)11月に全面改築され、明るく近代的な快適性と、人生最終の大礼に相応しい荘厳さを兼ね備えるとともに、環境問題にも配慮した無煙無臭火葬システムも導入。3階建ての総合斎場に生まれ変わった。

 

 この日は3月最後の日曜で友引。

 ということで、初めての地域感謝イベントが開かれ、花見や落語が行われていた。

 館内には明るい笑い声が響き、とても火葬場だとは思えない。

 渋谷区も後援につき、町会も開催に協力したようだ。

 

 高齢化社会が進み、こうした施設も、人間の自然な営みとして、敬遠せずに街が受け入れる――令和は、そうした時代になりそうだ。

 


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異業種からの葬儀供養業参入ストーリー

  

 小さな会社でも社内で新規事業を立ち上げ、

 一つのブランドとして展開させるケースが増えてきた。

 

 レギュラーで仕事をしている鎌倉新書の月刊仏事では、

 毎月、葬儀・供養業界(この頃は終活とかシニア問題なども加わる)の

 ニュース記事を書いており、いろいろネタをリサーチするのだが、

 そういうケースによく出会う。

 

 10年余り前、「おくりびと」という映画が公開されるまで、

 やはりまだ葬儀屋さんに対する世間の差別意識は強かったと思う。

 

 それがたった10年で、高齢化社会・多死社会の進展とともに、

 みんなが参入したがる成長産業になった。

 

 ちなみに鎌倉新書も僕が最初に訪れた時は、

 小伝馬町の小さなビルの1フロアにある小さな会社だったのだが、

 あかれよあれよという間に成長して、

 八重洲の一等地のビルにオフィスを構える

 東証一部上場企業になった。

 

 お金儲けがしたくて、もともと畑違いの会社が安易に入ってくる――

 という批判的な見方もできる。

 でも、これはちょっと一面的過ぎる。

 

 たとえば以前「ラストドライブ日本版」の記事で紹介した

 タウという埼玉の会社は、

 事故車の買い取りをして海外へ輸出する事業をしている。

 

 ここが「願いのくるま」という法人を立ち上げ、

 ターミナルケアを 受けている人を希望の場所に車で連れて行く、

 という事業をボランティアでやっている。

 

 高齢者が増えたことによって、

 こうしたケアや葬儀・供養に関する社会的ニーズが激増中なのだ。

 

 また、それだけでなく、社会通念が変わり、

 死を仕事にする人たちを忌み嫌う風潮がかなり弱くなった。

 

 こうした理由から異業種からの参入者が増えているのだと思う。

 

 とは言え、いきなりそれだけで新しく会社を起こすのは

 あまりにリスキーなので、社内の事業単位で

 独立したブランドを作るのだろう。

 

 異業種から参入するからには、

 いろんなストーリーがありそうだが、

 残念ながら、ホームページを見ているだけだと、

 なんでこの会社が葬儀事業を???

 と、分からないことが多い。

 

 仏事の新連載企画として、異業種からの参入ストーリー

 というのをやってみようかと思っている。

 


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記憶を伝える「おもかげ復元師の震災絵日記」

 

 彼女が遺体安置所を訪れると「おくりびとが来た」

 と人々がどよめいた。

 

 この本と出会ったのは、震災から3年くらい経ったころだ。

 女性納棺師である笹原留似子さんが被災地を回って

 300人以上の遺体を復元した。

 

 もちろんボランティア。寝るのは車の中。

 1日の終わりに、その日、復元した人たちの顔を思い浮かべて

 スケッチとメモを残していた。

 

 それがどういう経緯でか、翌年の夏、

 ポプラ社から絵本として出版された。、

 僕がこの本と出会ったのは、それからまた1年くらい経ったころだ。

 

 彼女の簡素な絵と言葉が、現場の状況と

 人々の感情を描き出していて、胸に迫ってくる。

  

 どうしてこんな仕事ができたのか?

 この時、彼女の手には神様が降りていたとしか思えない。

 

 3・11の記憶を後世に伝えるとともに、

 納棺師という仕事の尊さ、

 ひとりひとりの心に寄り添う仕事の重さを

 普遍的に伝える本。

 


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ガーナのお葬式は、泣き女、棺桶ダンス、ポップアート棺桶

 

 ガーナと言えば某菓子メーカーのチョコレート。おいしい。

 チョコレートの原料はカカオ豆。

 西アフリカのガーナ共和国は世界有数のカカオ産出国。

 意外だったが、ほかにGOLDや石油の産出量も有数だ。

 

 そしてサッカーファンはご存じ、アフリカのチームとしてはトップクラスの実力を持っている。だ。

 しかし、もう一つ、世界に冠たるすごいものがある。

 それはお葬式であり、棺桶だ。、

 

 ここのところ、アフリカ諸国の生活文化に興味を持って、仕事の合間にちょこちょこネットで調べている。

 

 「月刊仏事」でエンディング関係の記事を書いているので、どうしても葬式とか供養のことが気になるのっだが、どうもガーナのお葬式の派手さはアフリカだけでなく、世界でも断トツらしい。

 

 ガーナはかつてイギリスの植民地だったこともあり、約7割がクリスチャン。

 大都市に暮らす富裕層はもクリスチャンが大半のようで、彼らは一般人の平均年収の4倍から10倍にあたる費用を葬式に使うらしい。

 故人が亡くなってから遺体を冷凍保しておき、約3ヶ月後、満を持して週末3日間かけて盛大に、飲んで食って、歌って踊って、お祭り騒ぎをするというのだ。

 

 この国には葬式を盛り上げるために「泣き屋」、そして棺桶の「担ぎ屋」がいて、このプロフェッショナル達が、まさしくプロの技を見せる。

 

「泣き屋」は一般的には女の団体で、「泣き師協会」というものもあるらしい。

 静かな啜り泣きから、地面に転がっての号泣、謎の「シマリス泣き」というものまで豊富なmメニューを取り揃え、時間やシーン、人出などに合わせて会場を盛り上げるために変幻自在の泣きパフォーマンスを披露するという。

 

 「泣き屋」が女の仕事なら、「担ぎ屋」は男の仕事。

 スーツを着込んだダンディーな奴らがお神輿よろしく棺桶を担ぐ。

 と言ってもただ担いで練り歩くだけではない。

 陽気でリズミカルなハイライフミュージックに合わせて、棺桶を担ぎながら踊る、いや、踊りながら担ぐのか。

 とにかくこれがえらくカッコいい。

 

 周囲には演奏するバンドマンやダンサーたちもわんさかいて、いつ果てるともないビッグパーティーが続く。

 

 ガーナでは人は死後、異なる世界でふたたび新たな人生が始まると信じられており、「死」は「新たな始まり」と捉えられるのだそうだ。

 したがって葬式とは、故人の死は悲しむものでなく、新たに生き始める故人をみんなで祝福するための儀式なのだ。

 

 

 さらにもう一つすごいのが、その棺桶。

 ガーナの棺桶は世界一ユニークと言っても過言ではない。

 

 ガーナ人は、故人の人生にちなんだ棺桶をオーダーメイドする。

 たとえば、パイナップルの形をした棺桶は、パイナップル農家。

 魚の形をした棺桶は、漁師の棺、

 

 仕事だけでなく、自分の人生に幸をもたらしてくれたもの、叶わなかった夢や希望などを様々な形にして棺桶を作るというのだが、これがポップで可愛くてファンキーだ。

 

 

 いわゆるアート作品として海外からの評価も高く、プロのアート館桶屋が 何人もいるようで、希望があれば海外からの注文も受けるという。

 

 備えあれば憂いなし。ガーナのアート棺桶。終活している人はオーダーメイドを選択肢に入れておいてもいいのでは?

 


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アート&カルチャーのご縁寺in六本木〈西麻布〉

 

   午前中、日差しがポカポカしてて、おお、きょうは小春日和だね~いやいや違った。小春日和は晩秋だ。今日は早春サイクリングだ!と思い立って、六本木まで自転車を漕いでいった。

 

 月刊仏事「寺力本願」の第2回の取材は西麻布3丁目の妙善寺。

 六本木ヒルズのすぐそばというか、通りを挟んでホテル・グランドハイアットの真ん前というアーバンなロケーション。

 

 江戸時代、囲碁寺として知られ、このあたりの町人がぶらっと寄って楽しく囲碁を打っていたとか。

 

 そうした歴史を下敷きにして、近年はまだ30代の住職様が、若いアーティストや芸人などに開放して、演劇、ダンス、音楽などの公演を開いている。

 

 聞けばこの住職様、若い頃、お笑い芸人をやってた経験があるそうで、そこから演芸系いオーラが発せられるせいか、インディペンダントなアーティスト系・カルチャー系の人たちが引き寄せられてくるようだ。まさに「ご縁」である。

 ここではいろいろな文化系の催しや教室、秋には自主映画の映画祭も開催されている。

 お寺という空間は、日常とは一味違ったリラックス感があって、自然と非日常的な世界へ脳もトリップできるのかもしれない。

 

 こうした活動を通して、人々が自然に仏教的なものをライフスタイルの中に採り入れていったら、もっと生きやすくなるのでは・・・というお話を、柔和で福々しい笑顔でっ語ってくれた。

 

 お昼を回ったころ、取材を終えて外に出てみたら、激さむ。

 早春のサイクリングだったはずなのに、お昼を回ったころにはどんよりと空は曇り、ぐんぐん気温が下がっている。行きはよいよい、帰りはこわい。

 真冬に逆戻りして明日は大雪という情報も。

 


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銀河の死なない子供たちへ:人生は無限ではないという幸福

 

 息子の推薦図書。またマンガ。

 「ヨルとネル」の作者・施川ユウキの作品。

 

 「1万年前、わたしはこの星空を見ている。

 1万年後も、わたしはきっと同じ星空を見ている」

 というモノローグから始まる、タイトルそのまんま、とうの昔に人類が絶滅した地球で生きる、なぜか不老不死になった子どもの物語だ。

 

 手塚治虫の名作「火の鳥」をリスペクトしたマンガであることは一読して明らか。

 作者みずからネタばらしのコマもある。

 

 何といってもすごいのはストーリーと絵柄のギャップ。

 「火の鳥」に匹敵する神話的・宗教的な超シリアスなストーリーであるにも関わらず、かわいいギャグ漫画タッチの絵柄で、悠久の世界をありふれた日常のように描いているところが、不思議な寓意を醸し出す。

 

 物語の最も肝になるのは、ロケットで不時着した宇宙飛行士の女が赤ん坊(ミラ)を産み、主人公のきょうだい(πとマツキ)がその子を育て、家族のように暮らす下り。

 

 これは壮大な家族愛の物語でもある。

 

 ミラは普通の人間の子どもとして成長し、πとマツキを追い越して大人になり、不死になれる可能性を拒んで、やがて死んでいく。

 

 そのあたりを読むと、不老不死とは何と残酷で救いがないのだろう、それに対して限りある短い人生は、はかなくはあるが何と幸福なのだろう、という感慨を抱く。

 

 いたずらに長編にすることなく、2巻ですっきり完結するところも良い。

「ヨルとネル」と同じく、思い出してはページを繰りたくなる人生の常備薬のようなマンガだ。

 


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「悠々自適の幸福な未来」が待ってるはずだった

 

 定年退職とも退職金とも縁がないその日暮らしを続けているので、どうもピンと来なかったが、あるご婦人の話を聴いて、定年後のご夫婦の暮らしをリアルに感じた。

 

 旦那さんが退職して約10年。彼は昔ながらの日本の男、わりと大きな会社のもと企業戦士である。

 

 まるでドラマのキャラクター設定のマニュアル通りで、家事など一切しない。

 特に熱を入れてる趣味もなく(疲れちゃってそうそう身を入れて取り組めないらしい)、あまりどこかに出かけるということもなく、三度が三度、家で食事をする上に、レトルトや冷凍食品を使った手抜きは許さない。

 毎晩、晩酌をするのでつまみも必要。かわきものはNG。

 お茶も自分で淹れない。

 そしてもちろん、奥さんが自分を置いて外出するのには嫌な顔をする。

 

 日々の生活習慣から生じるストレスというのは怖ろしい。

 おかげで奥さんは溜まったストレスによって、体調を崩してしまった。

 

 旦那さんは自分が原因であるとはつゆほども考えない。

 べつにギャンブル狂いでもなく、愛人をつくったわけでもなく、まじめに勤め上げて、退職金も年金もいただいて、夫婦で悠々自適の生活を送っているはずだった――、いや、現に送っている。

 なのに妻の口から出てくるのは恨み節でしかない。

 

 「いったい何の不満があるのか」と、男が論理を滔々と説いても、女には通用しないんだろうな、やっぱり。

 

 でも定年退職した時点で、少なくとも2~3年のうちに、奥さんからも何か旦那さんが生き方を変えられるように働きかけをしなくてはならなかったんじゃないの?  と思えてならない。

 

 日本中にこういうご夫婦が増えているのだろうか。

 それで「人生100年」なんて言われた日には、ゼツボー感で気が遠くなってしまいそうだ。

 

 「悠々自適」という口当たりのいい言葉は、大いなる幻想を含んでいる。

 僕のようなその日暮らしも困るだろうけど、明日のために今日を犠牲にするような生き方が本当にいいのかどうか、よく考えなきゃいけない時代になっている。

 


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世界初・英国孤独問題担当相 いわくつきの誕生から1年

 

 孤独というパーソナルな問題に国政レベルで、つまり国家の税金を使って取り組む――その実現は当初、世界を驚かせたが、背景には政治的な環境が整っていたようだ。

 

 2016年6月16日、ウエストヨークシャー州リーズ近郊でEU離脱の是非を問う国民投票集会の準備中、残留を呼び掛けていた労働党のジョー・コックス議員が右翼の男性に銃撃され命を落とした。このコックス議員が進めていたのが、孤独を撲滅するための政策作りだった。

 

 彼女は自分の選挙区には低所得者層、退職者層が多く暮らしており、孤独が大きな問題になっていることを知って、政治力でこの問題を解決するべきと考えていたという。

 そうした考えが形成されたのは、彼女の生育歴に関係するところがあったのかも知れないが、詳しいことはわからない。

 

 彼女の死後、遺志を継ぐ形で「ジョー・コックス孤独問題委員会」が保守党・労働党共同で組織化された。同委員会は13の非営利組織と協力しながら孤独についての調査を実施。

 

 2017年末、その調査結果が発表され「1日15本のたばこを吸うのと同じくらい健康に有害」「英国経済に320億ポンド(約4・5兆円)の損失を与える」などのデータを示した上で、孤独の慢性化はうつ病や心疾患、認知症などのリスクを高め、人間関係構築にも悪影響を及ぼすと指摘。そして政府のリーダーシップ、継続的なデータの必要性などを訴えた。

 

 引き続き翌年――2018年1月になってメイ首相は孤独問題担当大臣を新設すると発表。スポーツ・市民社会担当国務次官を務めていたトレーシー・クラウチ氏がその初代大臣に就任した。

 

 2018年10月に発表された政府戦略では、コミュニティーで人が集うスペース(パブやカフェ、アートスペースなど)を増やすための基金の拠出や、郵便会社ロイヤルメールと協力した配達員による見守りサービス、職場での社員の孤独に対する企業の取り組み、かかりつけ医が孤独を感じる患者に対して、必要な地域のサービスにつなげる取り組み、そして進展状況を記した年次報告書の発行などを盛り込んだ。 

 

 孤独の問題は高齢化や貧困、健康問題とも深く結びついており、英国のみならず世界中の国々(特に経済発展を終えた先進国)が抱えるテーマだ。

 もちろん高齢者が年々激増している日本でも目を離せない。

 誰にもみとられることなく自宅で亡くなる孤独死のニュースが伝えられるようになって久しいが、最近は日本郵便や新聞販売店などが見守りサービスを行う地域が増えている。

 また、葬儀社や終活関連のコンサルタント業者が地域の団体と協力し、高齢者向けに同種のサービスを提供するケースも一般的になってきた。

 

 一つ一つのアクションは地域社会や民間団体が日常的に実施するものだが、それを国政の一環として展開させていくところが現代的と言えるのかもしれない。

 皮肉な見方をすれば、そこまでやらないと人々が関心を向けようとしないのだろう。

 

 この英国政府の取り組みは、あまりに些細な事のように見える。

 バカバカしいと思ったり、余計なお世話をするな、同じ税金使うなら他にもっとやることあるだろ、と怒り出す人も少なくないだろう。

 

 それにもともと欧米人って、独立した自我を持つよう育てられ、孤独なんて当たり前と思っている民族じゃなかったか?

 

 でも僕は、これは今後の人間社会全般の大きな変化の呼び水になっていくのではないかと思う。

 人の孤独に心を配るという、ささやかで、日常的な蓄積が少しずつ人々の心を変え、やがて劇的に社会を変える――そんな可能性を秘めているというと大げさすぎるだろうか。

 


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僕たちは罪を背負わされている

 

 先日書いたラジオドラマの脚本「ばんめしできたよ」のリライト版は、は、人間の罪悪感がテーマになった。

 

 時々、現代人の人生は、は罪悪感から逃れるためにあるのではないかと思える。

 情報社会型・資本主義的罪悪感。

 

 子どもをいい学校に行かせられないあなたは罪悪を犯しています。

 

 子どもにちゃんとして結婚式を挙げさせてやれないあなたは罪悪を犯しています。

 

 家族に満足な医療を受けさせられないあなたは罪悪を犯しています。

 

 大事な家族が亡くなったのにまともなお葬式を挙げられないあなたは罪悪を犯しています。

 

 お金で幸福は買えないかも知れないけど、少なくとも得体のしれない罪悪感からは逃れられる。

 そう考えて、みんな一生懸命にお金を稼ごうとする。

 

 でも、その「あなたは罪悪を犯している」という情報の多くは、もとをたどっていくと、学校なり、学習塾なり、ホテルや結婚式場なり、病院なり、葬儀屋さんなりがビジネスをするための宣伝メッセージだったりする。

 

 それに気が付く人は少ない。

 だから、あなたも僕も何とか義務を果たそうとする。

 本来は義務でも何でもないことなのに。

 

 そもそも「人間は生まれながらに罪を背負っている」という「原罪」の教えが、キリスト教を広めるための広告(だから神を信じて魂を清めよ)だ。

 

 何が本当に人間として抱かざる得ない罪悪感なのか。

 それはひとりひとりちがう部分もあれば、共通する部分もある。

 

 情報化社会のいたるところから送られてくる大量のメッセージを、いくらかやり過ごすことも罪を意識しないですむ方法の一つかも知れない。

 


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100年ライフの条件と自分ストーリー

 

●みんなの認識は「人生は100年」

 

 リンダ・グラットン/アンドリュー・スコットの「LIFE SHIFT」を読んだのは一昨年の正月のこと。それから2年、あっという間に「人生100年」巷に広がった。

 社会通念というのは怖ろしい。

 こうなるともう現在の平均寿命がいくつかなんて関係ない。

 みんなの認識は「人生は100年」である。

 それが喜ばしいことなのか、困ったことなのかはさておいて。

 

 僕の場合、20歳の頃の自分が現在の、50代の自分なんてまったく想像できなかったのと同様、100歳になった自分なんて思いもよらない。

 いったいどうなっているんだろう?

 

 当然体力は相当衰えているだろう。

 精神の状態はどうか?

 たぶんよけいな欲などが消え去って、割と清楚――いわば子どもに近づいているんじゃないかと考える。

 逆に言えば、そうありたいし、そうじゃないと100年ライフは辛い。

 

●100まで生きる人間の条件

 

 僕は100まで生きる人間には条件が2つあると思う。

 

 一つは幸福であること。

 客観的にどうこうではなく、自分が幸福だと思っているか――自分の人生に納得し満足しているかということである。

 周囲の人からそれなりに愛情を受けているか、といったことも含まれるだろう。

 そうでない人はおそらくストレスにやられてしまう。

 

 もう一つは生き続けるためのミッションを持っているかということ。

 たとえば、自分の戦争体験を後世に伝えるとか・・・

 ビジネスであるかどうかはともかく、「これが自分の仕事」というものを持ち続けることが重要なのではないか。

 

 このどちらか、あるいは両方の条件を満たしている人が100まで生き延びる。

 

●自らの持っているストーリーを探っていく

 

 僕の母親は正月の2日に90歳になったが、10年前に亡くなった父が、最期に「おまえのおかげで良い人生だった。ありがとう」と言い残したらしく、それを心の支えにして今も健康に生きている。

 実家に帰るたびに何回も同じ話を聞かされるが、これはもう両親のためにちゃんと聞かねばならない。

 

 100まで生きるかどうかはともかく、還暦を過ぎたあたりからは準備は必要になってくると思う。

 

 脳は齢を追うごとにどんどん脱皮を繰り返して「100歳の自分」へ向かっていく。

 

 最近は終活ばやりで自分史を書くことなどもポピュラーになってきたようだが、べつに終活じゃなくても、自分史などを作って、自分は本来何者なのか、自らの持っているストーリーを探っていくことが必要なのではないかと思う。

 


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「ばんめしできたよ2019」執筆の三が日

 

 お正月3が日にほとんど家にこもりきりで執筆に取り組んだ。

 昨年、NHK名古屋の創作ラジオドラマ脚本募集で拙作「ばんめしできたよ」がファイナルステージまで上がって「着想はいいんだけどね~」といった講評をいただいた。

 一押ししてくれた審査員もいたというので、それじゃ書き直しに挑戦してみるかと思ったのだ。

 

 あらすじはほぼそのまんまで、登場人物と出てくる施設の設定を大幅に変えた。

 3日で書けたわけじゃなくて、昨年末から1か月以上かけてやっとこさできたという感じ。

 

 ライティング・イズ・リライティング。

 昨日の脳と今日の脳と明日の脳は違うので、書き直しはきりがないし、楽じゃない。

 

 それでも何とかできてよかった。

 物語としてより面白く、より深くなったと、とりあえず自画自賛。

 もちろんリベンジを期して、また別のところのコンペに出します。

 

 おかげで充実したお正月になりました。

 今年もコツコツがんばります。

 


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「安楽死を遂げるまで」:自殺幇助という安楽死

 

 今年読んだ中で最も衝撃を受けた一冊。

 「安楽死を遂げるまで」宮下洋一(小学館/2017年12月発行)。

 

 著者の宮下氏は欧州南部を拠点として活動する国際ジャーナリスト。

 スイス、オランダ、ベルギー、スペイン、アメリカ、そして日本を巡り、各国の安楽死事情をルポルタージュしたこの本は、第40回講談社ノンフィクション大賞を受賞している。

 

●外国人も頼りにするスイスの安楽死事情

 

 世界で初めて安楽死が認められた国はスイスである。この国における安楽死は「自殺幇助」という形で行われる。

 正確には法的に認められているのではなく、刑法に照らし合わせて「罪に問われない」のが実情だ。

 それでも最初の幇助団体が生まれたのが1982年だから、すでに30年以上の歴史がある。

 そして特筆すべきはその団体に会員登録すれば外国人でも措置を受けられることだ。実は近年、日本人の登録者も少なくないという。

 

●「自殺幇助」という手段

 

 以前、安楽死には『積極的安楽死』と『消極的安楽死』の2つがあると書いたが、これに『セデーション』が加わる。これは終末期患者に対して薬を投与して昏睡状態に落とし、その後、水分や栄養を与えず死に向かわせること。いわば延命措置をやめる『消極的安楽死』の一つとも捉えられる。これらの措置はすべて医師が手を下す点で共通している。

 

 これらと大きく異なる安楽死の手段が「自殺幇助」だ。医師ではなく、患者=自殺(安楽死)志望者がみずからの手でみずからの命を終わらせる。これが行われているのは現在のところスイス一国だ。

 (※ただし、アメリカ・オレゴン州で認められている『尊厳死』は、呼称は違うものの実態は自殺幇助と同じとされている)

 

●満たすべき4つの条件

 

 スイスで自殺幇助を受けるには、それを管理運営する団体(いずれも中心メンバーは医療関係者)に会員登録する必要がある。

 しかし会員になれば誰でもすぐに死ねるわけではない。国内に3つある団体はそれぞれ少しずつ規約が違うが、審査の基準――幇助を許可される条件は同じで厳正に守られている。(これらの条件は積極的安楽死の場合も共通している)。

 

1.耐えられない痛みがある。

2.回復の見込みがない

3.明確な意思表示ができる。

4.治療の代替手段がない。

 

 この4つの条件が認められて初めて自殺幇助が行われるのだ。

 

●どのように幇助するのか?

 

 幇助のやり方はおもに2通りあり、一つは用意された致死薬をコップで飲み干す方法。

 もう一つは点滴で血液内に注入する方法。後者の場合はストッパーをかけておき、患者が自分でそれを開封する。

 いずれもその団体に所属する医師の立会いのもとに実行される。

 

 ちなみにオランダなどにおける積極的安楽死では医師が致死薬を注射する方法が一般的だが、スイスではこれを行うと犯罪になる。

 

●外国人の需要と日本人の登録

 

 スイス連邦統計局のデータ (複数の幇助団体から集めた推定値) によれば幇助数は2015年で1014人。2000年にはまだ100人にも満たなかったので、その増加率の高さがわかる。しかもこの数値は国内在住のスイス人のみが対象だ。

 

 ヨーロッパ大陸の中央に位置し、WHO世界保健機関や国連欧州本部など、さまざまな国際機関の本部が置かれたスイスは昔から外国人の行き来が非常に多い国だ。

 

 そうした背景もあり、3団体のうち2団体は外国人に対しても門戸を開いている。少なくとも表立って安楽死(自殺幇助)の措置を受けられるのは、世界で唯一スイスだけなのだ。

 

 ある団体では会員の4分の3を外国人が占め、世界各国から自殺幇助の申請に訪れると言う。その審査はスイス人以上に厳しく、自国の医療機関での診断書をはじめ、精密で膨大な書類の提出が求められる。

 また現地の医師とスムーズにコミュニケーションできるだけの語学力も必要とされる。

 

 登録者の中には日本人の会員も相当数いるようだが、そのうち何人が実際に自殺幇助を申請し、何人が認められて死んだのかは公表されていない。

 

●グローバル化・高齢化の中で

 

 欧米では1970年代から安楽死について活発に議論が交わされ、一部の国では法整備が進められた。

 スイスでは自殺幇助という形でそれが発展してきたわけだが、近年、幇助団体の外国人受け入れに関する情報が世界に行きわたり、スイスへの自殺ツアーが組まれているというニュースまで報じられるようになってきた。

 こうした現象を見て、安楽死に反対する組織・人々がスイスの各団体に厳しい視線を向け始めている。

 

 安楽死の容認・合法化は今や世界的な潮流だが、その是非をめぐっては半世紀を経て再び大きな論争を巻き起こしそうだ。

 今や日本もその枠外ではない。

 欧米各国の動向は、日本人の死に対する考え方に少なからぬ影響を及ぼすに違いない。

 


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「酒、タバコ、やめて100まで生きたバカ」の最後の晩餐は、雪のように真っ白なごはん

 

   人生は思いのほか短い。

 折り返し地点を過ぎると、そのスピードは倍速になる。

 やはり40歳あたりがミッドポイントで、自分のことを振り返ると「健やかに中年」と、年賀状に大きく書いて宣言したことを憶えている。

 そして、その宣言とともに25年間吸っていたタバコをやめた。

 

 「酒、タバコ、やめて100まで生きたバカ」を目指して人生の復路を走りながら頭に浮かぶのは、ゴールする前に何を食べるのか――最後の食事は何がいいのかということである。

 

 これまでおかずのことばかり考えていたが、先日、いや、これはおかずではないな、ということに気が付いた。

 

 お米のごはんだ。

 雪のように真っ白な、炊きたてのホカホカの極上のごはんだ。

 それだけ。

 味噌汁くらいはついていてもいい。

 またはバリエーションとして、そのごはんで握ったおにぎりがあってもいい。

 

 それだけだ。

 そう思いつくと、これぞ日本人の正しい「最後の晩餐」だと疑えなくなってきた。

 

 まぁ、食い物に正しいも間違ってるもないんだけど。

 

 人間は真っ白で生まれて、真っ白で帰っていく。

 これは美しい。

 

 でも本当にそうなるかどうかは、タイムマシンで、未来の、死ぬ間際の自分に会って聞いてみないとわからない。

 

 ちなみに酒はまだやめてないし、100まで生きるかどうかも当然わからない。

 


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悟りを開いてお寺で婚活

 金剛院では婚活専門会社とコラボでして、2ヵ月に3回くらいの割合で婚活パーティーをやっているという。

 最近は婚活もただ飲み食いするだけの会では人が集まらない。

 ○○×婚活で、共通の趣味・指向性を持つ人同士なら話も合いやすいと言うのだ。

 

 というわけで御住職の発想で登場したお寺で婚活。略してテラコン。

 「悟り婚」という名称も使っていた。

 サトリコンとは、なんだかすごい婚活に思える。

 

 婚活パーティーにはナンパ目的の変な奴も構混じって来るらしいが、さすがに仏様のおひざ元であるお寺には仏罰を恐れてか、そういう奴は来ないそうだ。

 

 この日参加したのは220代後半から40代前半の男性15人、女性14人。

 受付スタッフに聞いてみると、テラコンには時間をちゃんと守り、対応も7きちんとしている、いわば紳士・淑女が多いようだ。

 個人情報保護のため、参加者の職業は不明だが、明らかにお坊さんという人も二人いた。

 

 会場は約50畳の広さの客殿。

 廊下からは小さいながら日本庭園や石庭も見え、ちょっとした京都気分。

 ここに集まって最初に写仏をやった。

 

 テラコンにも説法婚活、瞑想婚活、念誦づくり婚活などいろいろ細かいカテゴリーがあるそうだが、この日は「写仏婚活」。

 全員で最初30分弱の時間、仏様の絵を描いて(といっても下絵をなぞるだけ)気持ちを落ち着けるのだ。

 

 と、緊張気味だった室内の空気が不思議とリラックスしたものに変わってきた。さすが寺力(じりき)はすごい。

 その後、閑静な雰囲気の客殿内には賑やかな話し声が溢れ、トークタイム、カップリングと続いた。

 

 御住職に聞いた話で面白かったのが、この写仏について、

 「バリバリ仕事をやっている今時のビジネスマンは、こういうものをやらせてもすごく速い。理解度も抜群で、まるで仕事のようにスピーディーにこなし、成果を上げる。

そういうものとはは違った世界、異なる価値観が持てなくなっている。そういう人にこそちゃんとじっくりやってもらい、見えない大切なものに気付いてもらいたい。」

 

 仕事の領域で評価されても、それはそのまま人生の幸福にはつながらないと言うことか。うーん、さすがサトリコンは奥が深い。

 


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魔除け・招福の猪目と寺力本願

昨日はお寺で婚活パーティーををやるというので出向いてみた。

 もちろん参加者としてでなく取材です。

 境内に入ると、おお、さすが婚活。

 落ち葉でハートマークを作るというイキな演出。

 

 ではなくて、じつはこれは「猪目(いのめ)」という日本古来の文様で、仏教と関係が深く、寺院魔よけや招福のしるしとして用いられているとのこと。

 べつに来たる年が亥年だから・・・・ということとは関係ありません。

 

 猪目とはそのまんま「猪の目」のことだけど、 実物のイノシシの写真を見てみたが、ハート形の目はしていない。そういうイノシシがいたのかなぁ。

 

 それにしても虎の目でも竜の目でもなく、なんで猪の目が魔よけなのかと一瞬訝ったけど、ジブリ映画「もののけ姫」で乙事主(オッコトヌシ)という猪の神様が出てきたことを思い出した。

 田畑を荒らしたり、街中に下りてきて騒ぎを起こす嫌われ者の猪にも聖なる神の一面があるということか。

 

 ん?いや、ここは神社でなくてお寺・・・ややこしくなるのでこれについてはまた後日研究。

 

 

 何でこのお寺に来たかというと、「世界のEnding Watch」に続いて月刊仏事で2つめの連載を持つことになった。

 お寺に関する取材記事が欲しいということで「寺力本願(じりきほんがん)」という企画を出したらGOとなった。

 

 内容はお寺の本業以外の、いわゆるCSR活動(社会貢献)がテーマ。

 ま、お寺は営利企業ではないので、CSRはむしろ本業なのかも知れませんが。

 

 以前にも増して宗教離れが進み、今や葬儀にお坊さんのお経は要らない、戒名もいらない、当然お布施も出さない、お墓も建てない、」面倒見れないからやめちゃうetc.

 

 というわけで、いまやお寺やお坊さんは社会における存在意義を問われている。

 

 けれどもそうした状況に危機感を覚えて、お寺を積極的に開放し、壇家以外の人にも説法をしたり、寺子屋を設けたり、モダンなカフェやギャラリーを開いたり、イベントをやったりして、より多くの人たちに親しみを持ってもらおうとがんばっでいるご住職、地域のカルチャーステーションとして機能しているお寺もたくさんある。

 

 この金剛院(正式には蓮華山 金剛院 沸性寺)は、そうした近年のCSR寺院(とあえて言ってみる)の草分け的存在で、現在のご住職が30年前から地域の人たちに活用してもらおうと様々な取り組みを行っている。

 

 4年前に椎名町の駅の改築に伴って駅前が再開発され、敷地内も大幅に整備。イベント用の多目的スペースやお洒落なカフェもつくられ、とてもきれいで居心地の良いお寺になった。

 

 最近の若い衆は物質的な世界よりも、目に見えない世界に関心を抱く人が多く、このお寺における婚活は結構な人気なのだそうである。

 

 というわけで取材に来たのだが、前置きが長くなってしまったので、そのエピソードはまだ明日。

 


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星のおじいさま 完成

 

 今年もコンペにラジオドラマ脚本の新作を送った。

 「星のおじいさま」。

 

 毎度のことながら本当に最後まで出来るのか、ハラハラしたが、かわいい二人の娘が跳ねてくれたおかげで楽しくできた。

 リライトも十分できた。

 ジュンちゃん、マナちゃん、ありがとう。

 評価はどうだか分からないけど、例によってとりあえず自己満足。

 というわけで、以下あらすじ。

 

 13歳。子供から大人になろうとしている中1女子ジュンの心を占めるのは「地球に生まれてきて幸運だったか?」という自身への問いかけ。

 そこで彼女は小学校時代からの親友マナとともに葬式を巡り「故郷の星へ帰っていく人たち」を見て回っている。

 

 そんなジュンは偶然、終活サポート業の中塚(43)と出会い、彼を介して、ひとり暮らしでハーモニカ吹きの老人・和泉(73)を知る。孤独死予備軍の和泉に興味を引かれたジュンは「星のおじいさま」というあだ名をつけ音信不通の父や死んだ祖父のイメージを重ね合わせる。そして家に出入りするようになり、次第に親しさを深めていく。

 

 その一方で彼女はマナとのセクシャルな交遊をこれ以上続けるのをやめようとしていた。それに抵抗し嫉妬したマナは、ジュンと和泉が不純な関係を結んでいるというスキャンダラスな噂を流し、会えないようにする。

 

 しかしそれを契機に二人は互いを必要としていることを強く感じ、好奇の目に晒される怖れのない競馬場で再会。レースに託して人生を賭けた勝負を敢行する。ジュンの唱えるまじないによって和泉は勝利し大穴を当てるが、その直後、心臓発作を起こして倒れる。

 

 和泉が運び込まれた病院に現われたのは、30年前に別れた息子の小峰仁(43)。彼はジュンと中塚が信じていた、和泉の家族や仕事についてのストーリーがすべてウソだったと明かす。それでもジュンは和泉を救うために、再びまじないの言葉を唱える。

 

 その効力か、奇跡的な回復を果たした和泉は退院し、ハーモニカ吹きとして生きると決める。ジュンはそんな和泉に対し、大人になったらまた会いに来ると言って別れる。

 

 子供だからこそ持ち得た力。それを使い果たしたことに気づいたジュンは、ギターを練習し始め、マナと今しばらく甘え合いながら新しい人生の旅へ出る支度を始める。

 


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宝島社企業広告:樹木希林さん最後のメッセージの衝撃

昨日、朝日新聞と読売新聞に掲載された、樹木希林さんのインタビューをもとにした宝島社の企業広告に衝撃を受けた。これはすごい。面白い。

思わず自分は死ぬ時にこれだけのことが言えるかと思ってしまった。

死して残すこれだけの洒落というかユーモアというか・・・僕が祈らずとも御冥福は間違いない。

 


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高齢者を書くということについて

  

 最近、高齢者・老人のイメージ・概念そのものが本当に大きく変わって

しまった。

 若い世代との交流の仕方もすっかり変わったという印象がある。

 本格的にエイジレスの時代が始まっている。

 

 なので脚本を書いていて、70代とか80代の高齢者を登場させるとセリフ

の書き方に戸惑う。

 もうかつてのように「わしは・・・じゃ」なんて感じでは書けない。

 サザエさんの波平さんや、ちびまる子ちゃんの友蔵さんみたいなのは

現代では通用しない。

 

 かなりマンガっぽいキャラ(白髭の○○博士とか○○師匠とか)ならそれ

でもOKなんだろうけど、ある程度リアル感を追求すると、ぱっと読んだ

だけでは年齢が分からないセリフになってしまう。

 いわばじいちゃんぽく・ばあちゃんっぽくならない。

 

 かつては頑固じじい、性悪ばばあなどもいたけど。基本的にお年寄りと

言えば、人畜無害で善良な市民か、よぼよぼの老いぼれか、師範や大先生

といった人生を極めた人、博士のように専門を極めた人が大半だった。

 

 でも今の高齢者と言えば、時代の変化に翻弄されて迷い、戸惑い、生き

ることにも死ぬことにも怯えながら、それでも自分の人生を肯定したくて

頑張っている人たち――それが全体的なイメージだ。

 

 どんな生き方をしてきたのか、現在どんな状況にあるのか(健康なのかそ

うでないのか、仕事をしているのかしていないのか、家族はいるのかいな

いのか、どこに住んで何を食っているのか・・・)、で、人のセリフは違っ

たものになってくる。

 高齢者を書こうとすると、それがいっそう顕著になるので、バックスト

ーリーを相当作り込まないとまったく書けない。

 

 今は穏やかに静かに暮らしているじいちゃんでも、かつてはゴロツキど

もを震え上がらせた任侠ヤクザだったかも知れない。

 

 今はケチなごうつくなばあちゃんでも、かつては男どもをイチコロにし

た女神さまだったのかも知れない。

 

 一口にじいちゃん・ばあちゃんと言っても、また、たとえそれが架空の

人物でも、それなりの歴史・それなりの世界を持った人間にしっかり向き

合い、人間像を構築していくのはなかなか骨が折れる仕事だ

 ま、それもこれも当たり前の話なんだけど。

  


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旅する仏壇、またの名をお弁当仏壇

 

 エンディング産業展で、遺品整理クリーンサービスとともに特に気に入ったのが「旅する仏壇」です。

 何と言ってもネーミングが最高で、出展ブースの名前が並んでいるだ

けの資料を見たときは、一体なんだろう?と思ったが、現物を見て納得

。おお、こういうものだったのか。

 

 この仏壇というか、ご供養セットはお弁当箱みたいにコンパクトに収

まるようになっていて、どっかへ行くときにバッグに入れて携帯できる

。いわば置き電から携帯電話へ、パソコンからスマホへ、の発想です。

 

 たとえば死んだ親父と温泉旅行に行きたい、おふくろが好きだった花

畑を見せてやりたい、あるいはワンコの散歩コースをまた歩きたいと思

ったら、この旅する仏壇を持って行ってチーンとやれば、思い出に浸れ

るわけです。

 人間の脳はうまいことできているので、たったそれだけでも失った家族に対する回想の深度は段ちがいになるでしょう。

 

 作ったのは若い仏壇職人や木工工芸士のチーム。こうした人たちは結

構すごい技術を持っているのだけど、産業の変化でそれを発揮できる機

会がめっきり減っています。

 せっかく手につけた職を生かすには自分たちで企画を作るしかない・

・と生まれたのが「旅する仏壇」というわけ。

 

 「あの世にいるお父さん・お母さんと旅に出よう」なんてキャッチフ

レーズが似合うかもね。

 


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孤独死の現場・ゴミ屋敷の実態をミニチュアで見せる

 

 孤独死の現場・ゴミ屋敷の実態――誰もが目を背けたくなる現実をミニチュアにして表現。

 べつにアート作品ではありません。

 エンディング産業展で出展した「遺品整理クリーンサービス」という会社(板橋区)の展示です。

 今年のブースで最も印象的だったものの一つです。

 

 毎年エンディング産業展では葬儀やお墓・仏具仏壇を扱う企業のブースが大きく華やかで目立ちますが、年を追うごとに終活・遺品整理・遺族対応といったカテゴリーの業務を行う企業や団体のブースが増えています。

 

 これらの業務は実際に展示する物がないので、パンフレットや販促物をわたすしかありません。

 

 この会社も自分たちの仕事をアピールするには、写真や動画で表現するしかなかったのですが、やっぱりそういうものは見たくないという人が多い。

 

 しかし、こうしたミニチュアを使って表現すると、不思議と抵抗感が薄れます。それどころか、あまりの出来栄えにコミュニケーションが弾みます。

 

 作ったのは小山さんという入社4年目の20代の女性。

 事務などの後方支援をやっているのかと思ったら、ズカズカ前線にも出動するそうで、こんなことを言うと差別と取られそうですが、思わず「え、こんなかわいい女の子が!」と驚いてしまい、20分ばかりその場でインタビューしてしまいました。

 

 前職はアート関係だったのか、趣味としてこうしたものを作っていたのかと訊いたら、まったく違っていて、ある日こういう表現方法があるのではないかとひらめき、生まれて初めて作ってみた――というから、さらにオドロキ。

 

 普段の業務をやりながら空いた時間で作っているので、さすがに最初の作品は完成までに4ヶ月かかったといいますが、それにしても感心することしきりです。

 

 仕事に情熱を持ち、使命感を持ってやっている人には、何か神様に近いものが降りてきて、隠れていた才能を開かせるのかも知れません。

 

 どうしてこの仕事に就こうと思ったのか、どんな気持ちで仕事をしていけるのか、遺体の処理など抵抗ないのかと無遠慮にどんどん質問をぶつけましたが、気負うことなく屈託のない笑顔で答えてくれました。

 

 孤独死、ゴミ屋敷というと悲惨なイメージばかりで、どうしてとか、何とかならなかったのかと、普通の人は思うでしょうが、現場を知る彼女やこの会社の人たちは、ちょっと異なるイメージを持っているようで、非常に考えさせられました。

 

 この話はまたおいおいここで書いていきます。

 


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エンディングライターinエンディング産業展2018

 

 「エンディングライター」として、鎌倉新書の仕事でこの三日間、東京ビッグサイトに通い、恒例のエンディング産業展を取材してきました。

 高齢化社会が進んで、向こう20~30年は毎年、死亡者が増える時代。葬儀関係・お墓関係・仏具関係の業界は活況を呈し、その周辺の終活、相続、遺品整理、遺族対応といった新しい仕事も次々と生まれ、人間だけでなくペットの葬儀なども激増しています。

 

 2008年に公開され、大ヒットした映画「おくりびと」の中ではまだ葬儀屋さんが職業差別を受ける様子が描かれていましたが、10年後の今、この賑わいを見ていると、あれがはるか遠い異国の昔話のようにも思えます。

 

 社会に必要とされ、産業として発展し、経済が拡大するとはこういうことなんだと言えばそれまでですが、やっぱり人の死をネタにお祭りをやっているようで、心の片隅にこびりついた違和感はぬぐえません。

自分もそのエンディング産業・経済の参画者のひとりなんだけどね。

 

 ただし事態はそう単純でなく、活性化する反面、葬式もお墓も仏壇も坊さんも無用論が広がっており、業界は従来の仕事のやり方――というよりも、自分たちの存在意義の見直しを迫られています。

 

 いずれにしてもこの先当分、エンディング産業は、僕たちに「生きるとは何か、死ぬとはどういうことか」を、いろいろ考えさせてくれそうです。

 あなたも機会があればこの業界に目を向けてみてください。

 


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ロンドン旅行記④:メモリアルベンチのある風景

 

 自分が愛した公園で人々と一緒に過ごしたいという故人の思い、あるいはその遺族の思いを表現し寄贈したメモリアルベンチ。

 この世を去った人たちと、その後も生き続ける人たち、新しく生まれてきた子や孫の世代の人たちが、ごく自然に同じ場所で憩い、語らい、ひとときを楽しむ。

 ロンドンではそんな風景を見ることができます。

 

●故人の名前とメッセージを刻んだベンチ

 

 イギリスの公園を歩くと、あちこちに座って休めるベンチが置いてあります。

 その背もたれの部分などをよく見ると名前と生没年、メッセージが彫り込まれていたり、それらを書いた金属プレートが埋め込まれていたりします。

 これは、その公園やガーデン、その場所に通っていた(あるいは縁のある)亡き人を想い、家族や友人たちが寄贈したもので「メモリアルベンチ」と呼ばれています。

 

●80以上のメモリアルベンチが置かれたHolland Park

 

 このメモリアルベンチが80以上も設置されているのが、ロンドン西部のケンジントン地区にあるHolland Park(ホーランドパーク)です。

 広さは日比谷公園ほど。四季の花が咲く庭園やバラ園が設けられ、雑木林ではリスが遊ぶ愛らしい公園で、カフェやギャラリー、子供のための遊び場・施設、ちょっとしたイベントステージなども設けられており、地域のコミュニティの中心として活用されています。

 

 公園の散歩道沿いに、あるいは花壇の周囲などに設置されてあるベンチのメッセージを読んでいくと、見も知らぬ故人の人柄・家族や友人との間柄を偲ぶことができます。

 

 おじいちゃん・おばあちゃんのために、孫を含めた家族が寄贈というケースが多いようですが、中には30代半ばで昨年亡くなった青年のために彼の婚約者らが贈ったもの、あるいはわずか1歳足らずで亡くなったわが子のことを忘れないために両親が贈ったものもあります。

 

●文字から滲み出す切実な思い

 

 老齢の人のものは「IN LOVONG MEMORY OF・・・」といった比較的穏やかな文章が綴られていますが、若い人や子供の場合は、「Funny、warm、loving、thoghful and uniqe」とか、「the most gorgeous baby in the world」など、かなり強い言葉が用いられています。

 

 自分たちが愛した彼もしくは彼女のことを、何とか表現して伝えなくては癒されない遺族の切実な思い、その裏にある無念さ、喪失感の大きさが文字から滲み出していて、ついその場で立ち止まってしまいます。

 

●メモリアルベンチの聖地

 

 このHolland Parkは、僕がむかし働いていた店のすぐそばにあり、休憩時間などに行ってよく散歩していました。

 今ほど数は多くありませんでしたが、当時からこうしたベンチが置かれており、その頃は「何だろう?」とよく意味がわからなかったのですが、そのうちガイドブック内の小さなコラムでメモリアルベンチの話を読んで、そうだったのかと認識した次第です。

 

 そんな思い出もあってロンドンに来るたびに、観光スポットでもないこの公園を訪れるのですが、なんだか毎回、このベンチが増えているような気がします。

 僕にとっては「メモリアルベンチの聖地」とも言えるところです。

 

 先々月から雑誌で「世界のEndong Watch」という連載コラムを書いており、今回はこのことをぜひ紹介したいと思い、泊ったところも歩いて15分くらいのところだったので、じっくり散策・取材出来ました。

 

●自然に風景の一部に

 

 僕がこのメモリアリベンチが好きなのは、飾られている感がまったくなく、ごく普通にベンチとして使われていることです。

 

 座って何か熱心に語り合っているグループもいれば、子どもたちが遊び回るのを眺めているお母さんもいる。

 

 一人で本を読む人、新聞を広げて読む老人もいれば、ジョギングの合間の休憩でドシャーッと寝そべっている若者もいる。

 いちゃついているラブラブカップルもいるし、一緒に座ってアイスクリームを食べているイヌと飼い主もいる。

 時々、リスもちょろちょろと空いているベンチの上で遊んでいる。

 

 毎日いろいろな人たちが(プラス動物も)この公園で楽しみ、何の気兼ねもなくベンチを利用する。

 

もしかしたらその中の何人かは、背もたれのメッセージに気づき、誰かに愛され、少し前に命を終えたその人の暮らしをぼんやりと想像してみたりするのかもしれません。

 

メモリアルベンチの存在はごく自然に風景の一部になっており、この愛らしい公園をより愛の溢れた場所にしているかのようです。

 

●設置の手続き

 

 このメモリアルベンチを設置する手続きは 、住んでいる地区のカウンシル(自治体)に申し込んで料金を支払えば、ベンチの購入からメッセージの彫り込み(あるいはプレートの制作)、設置まで手配してもらえるようです。

 

 費用はその地区によって異なりますが、ロンドンの公園ではだいたい1000ポンド(約15万円)前後であることが多く、ベンチが破損しても10年間は無料で修理してくれるといいます。

 

 ただし、お金さえ払えば作れるというわけではなく、その人(家族)が長年その地域に暮らし、しかも地域のためにどんな貢献をしたか(寄付やボランティア活動などの実績)が問われるようです。

 

●生き続ける人たち・生まれてくる人たちのために

 

 この習慣がいつ頃から始まったのはか定かではありませんが、Holland Parkで見つけたベンチの中で最も古いのは、1983年に亡くなった人のものでした。

 僕がここをウロついていたのは、1985~87年頃だったので、あの頃はまだ始まったばかりだったのかも知れません。

 

 散歩好き・公園好きなイギリス人らしい発想であり、この世から去った後も公共の場で、生き続ける人々・新しく生まれてくる人々の憩い・語らい・楽しみのためにさりげなく役立ちたい・・・。

 

 そんな心象が表現された、とてもチャーミングなエンディングワークが、自然な風景として溶け込んでいるのが、ロンドンの魅力の一つになっています。

 


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西城秀樹さん葬儀:青春の同窓会

 

 「月刊仏事」の取材で西城秀樹さんの葬儀に行って来ました。

 朝9時半、会場の青山葬儀場最寄りの乃木坂駅に着いたら、ホームに黒い服の人たちが溢れ返っています。

 改札横の女子トイレには長蛇の列。

 恐縮しながら喪服のマダムらの列を掻き分けて男子トイレまで辿り着き、あせって身支度を済ませました。

 

 ちょっと話を聞いたところでは、地方から出てきて一泊し、通夜・葬儀と連荘で参加したという人も。

 

 葬儀や出棺の様子はニュースやSNSでいっぱい上がっているので書きませんが、野口五郎・郷ひろみ両氏の弔辞や昭和のスーパースターならではの演出には心打たれるものがありました。

 

 葬儀から出棺の間、葬儀場前を走る青山通りの向こう側までファンがびっしりで、向かいのデニーズの表階段にまで人が溢れているのにはガチびっくりでした。

 

 こうなるとお葬式とは言っても一種のイベントで、同じ時代を生き、ヒデキに胸をときめかせて青春を送った50代や60代の人たちにとっては、ファン同士で顔を合わせる「同窓会」的なノリの人もたくさんいたようです。

 

 ちょっと不謹慎にも聞こえますが、「ヒデキ」がみんなを結びつけるメディア、コミュニケーション媒体になっているのだなぁと思いました。

 

 大勢の人を楽しませ、夢を与えるエンターテイナーとして生きてきたのですから、最期に身を挺してまでその仕事がまっとうでき、「ヒデキ、カンゲキ!」と言いつつ旅立っていけたのではないかと思います。

 

 終わった後もしばらくの間、みんな名残惜しくて、なかなか立ち去れません。

 本当の寂しさはきっとこの後、家に帰った頃にやってくるのでしょう。

 

 おそらくこれから、どんどん昭和のアイドルやスターだった人たちが亡くなっていくわけですが、そのたびにこうしたイベントになるのだろうなと、ちょっとフクザツな気持ちになりました。

 

 ちなみに葬儀参列者への返礼品の一部はハウス食品さんが提供。

 西城さんのCMによる、家庭のカレー普及への貢献度は相当大きかったようです。

 

 でも一緒だった若い女性スタッフは「ヒデキ、カンゲキ!」は知らないそうで「何ですか、それ?」と聞かれて説明しなくてはなりませんでした。

 バーモントカレーは好きだそうですが。

 


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孤独死に備えて

   

 シナリオにするか小説にするか、まだわからないけど、ちょっと新作の卵が育ってきた。

 「孤独死に備えて」。

 

 真面目に人生考えすぎてだんだんおかしくなっちゃう年寄りと、ちょっとイカれた子供と、その間にいるまともな社会人(だけどブレちゃう)大人――との間の愛をめぐる物語。

 実際はこんな堅苦しいタイトルじゃなく、どっちかちゅうとコメディっぽくしたいと思っています。

 

 で、それについて考えていたら、あらぬ妄想にとりつかれ、ここ1週間ほど頭がイカれてしまったというか、タマシイが放浪の旅に出ちゃっていました。

 

 一応なんとか仕事はこなしていましたが、こんな時間が長く続くと、社会生活も日常生活もまともに送れなくなるなという不安感に苛まれ、ブログも手につかないありさまでした。

 

 でも考えてみると20代の頃、一人暮らししていた時代は、時々こんな状態に陥ることがあったと思います。

 その頃の記憶と言うか、生活習慣みたいなものがよみがえって、久しぶりに妄想のるつぼにハマってしまった感じ。

 

 カミさんと暮らし始めてから(結婚するちょっと前から一緒に住んでいるので)そろそろ四半世紀。いい悪いの問題じゃないけど、いわゆる「孤独」を忘れてしまっているのだなぁと感じました。

 

 物語の世界にアクセスしようとすると、自分の中にあるいろいろな感覚が復元出来て面白い。と同時に、ちょっとずつ狂っていきそうで、おっかないのです。

 


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リメンバーミー:「わたしを忘れないで」のメッセージ

 

 昨年見た映画「はじまりへの旅」は、コメディでありながら妙に感動的な作品だった。

 

 文明生活に反してワイルドライフを送る父と子供たちが、都会暮らしで、精神疾患が原因で死んだ(らしい)妻(母親)の遺体を奪還。

 遺言通りに家族自らの手で火葬し、遺灰をトイレに流す、というのがストーリーだ。

 

 この家族はオートメーション化し、形骸化した現代社会の慣習に対する反抗精神を持って生きてきた。

 かつてのいヒッピー世代、フラワーチルドレンのメタファーのように思える。

 

 したがって遺灰をトイレに流すという行為(=流してほしいという遺言)は、その反抗精神の表現であると同時に、逆説的に「わたしを忘れないで」という妻(母親)のメッセージでもあり、家族の記憶の中に永遠にとどまりたい、という思いが込められている。

 

 こうした映画が生まれた背景は、やはり少子高齢化社会だ。

 

 半世紀前、ロック文化が盛り上がり、「Dont Trust Over Thirty」と皆が叫んでいた時代、アメリカの人口は、およそ半分が25歳以下だった。

 

 その圧倒的多数のベビーブーマー世代が高齢化し、自分のエンディングを意識せざるを得なくなった今、ハリウッド映画もそうした社会状況を反映するものが増えている。

 

 世界最高峰のアニメを送り出すディズニー/ピクサーもまたしかり。

 その最新作「リメンバー・ミー」は、メキシコの「死者の日」という民俗をモチーフに作られた。

 

 「死者の日」は毎月11月はじめに行われ、家族や友人達が故人・先祖への思いを馳せて語り合うために、みんなで集まるという。

 

 日本のお盆に共通する伝統文化であり、欧米のハロウィーンの原型とも言われている。

 

 死者の精霊が帰ってくるその日は、家々に先祖を祭る祭壇が飾られ、街は華やかで賑やかなお祭りムードに包まれる。

 

 「リメンバー・ミー」は、その雰囲気を映画表現に置き換え、世にも美しいカラフルでゴージャスな死者の国で、ガイコツの人々が“いきいきと”“楽しく”生活している。

 暗いムード、おどろおどろしいムード、また神聖な雰囲気などみじんもない。

 

 つまりこの死者の世界は、生者の世界と同時に存在するパラレルワールドになっていて、年一度の「死者の日」にだけ2つの間に橋が架かり、死者たちは生者の世界に里帰りする。

 

 こうした設定はメキシコの死生観が下敷きにされているという。

 

 メキシコは16世紀にスペインに征服され、以後、約300年間植民地化。19世紀にそこから独立して新たな国を作ったという経緯から、現在はカトリック教徒が多いが、植民地化される前のアステカ帝国の文化を引き継いでいる。

 

 このアステカ文化の影響で、死を象徴するものが独自の発展を遂げており、「死は、新たな生へと巡る過程のひとつ」という考え方が社会生活の基盤になっている。

生の世界と死の世界を分け隔てる壁がとても薄く、行き来することもそう難しくないと考えられているのだ。

 

 映画ではそこにもう一つ、「二度目の死」という設定を作っている。

 生者の世界で、誰一人としてその人の記憶を持つ者がいなくなってしまったら、その人は死者の世界からも消滅してしまうのである。

 

 テーマである「家族・先祖・伝統」に則った世界観の設定で、とても普遍的なものだが、同時にタイトル通り、そして「はじまりの旅」と同様に「わたしを忘れないで」という、ベビーブーマー世代の強い自己主張を感じる。

 

 ・・・といった面倒なことなど、あれこれ考えなくても、極上のエンターテインメントとして単純に楽しめちゃうところが、ディズニー/ピクサー映画のすごさであり、ハリウッド映画の底力である。

 

 観客対象はもちろん家族向けだけど、お父さん・お母さんとだけじゃなく、おじいちゃん・おばあちゃんも一緒に連れて見に来てね、というメッセージもこめられているんだろうなぁ。

 


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とん平流「こうすればうまくいく」

 

  どんな人でもお葬式になると「いい人でした」「立派な人でした」で、きれいにまとめられてしまうのだけど、さすが先日の左とん平さんのお別れ会は違っていた。

 

 発起人代表の里見浩太朗さんは、お別れの言葉(弔辞)として、祭壇にデン!と据えられた190インチの大画面に映し出された遺影に向かって思い出を語りかけた。

 

 とん平さんと里見さんはゴルフ友達で、一緒にゴルフに出かけるとき、里見さんはとん平さんの家に朝、迎えに行くことがちょくちょくあったという。

 ところがある朝迎えに行くと、昨日麻雀をしに出掛けたきり帰って来てないという。

 その足で麻雀屋へ行くと、とん平さんはまだ麻雀を打っていて「よぉ浩ちゃん、ちょっと待ってて」なんて言う。

 

 「とんちゃん、ゴルフに行くのになんで朝の8時に麻雀屋にいるんだよ」

 と語り掛けると、会場が思わず笑いでほころんだ。

 

 喜劇役者だと、こんなエピソードも輝かしい勲章だ。

 参列者にとっても、在りし日のとん平さんの人柄が、ひとしお心に沁みる。

 

 これだけで終わらず、里見さんはこのエピソードに、しみじみと感慨を込めてこう付け加えた。

 

 「でもそんなときに限って、とんちゃん、すごくスコアがいいんだよねぇ」

 

 とん平さんのゴルフ好き・麻雀好きは有名だったようだ。

 どっちも全力でやっていたのだろう。

 好きなことをダブルでやっていると、ツボが刺激され、相乗効果が起こるらしい。

 徹マンで寝不足だの何だのなんて関係ない。

 集中力がアップし、運も手伝って自己ベストに近いパフォーマンスが生まれる。

 

 仕事でもそうだ。

 好きなことに没頭して気分が乗れば、常識的なマニュアルに則ったやり方よりも何倍も高いパフォーマンスができる。

 

 人間はひとりひとり違うツボをもっている。

 ロボットじゃないのだから、世にはびこる「こうすればうまくいく」式のマニュアルから出てくる能力はごくささやかなものだ。

 

 個々の人間は神秘に溢れた面白い存在である。

 それを無視して一般的な公式、他人の作ったマニュアルに囚われていると、本当の自分の力は発揮できない。

 

 とん平さんと里見さんの最後の対話はそんなことを考えさせられた。

 


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鎌倉新書と新連載企画の話

 

 月に一度、鎌倉新書の打ち合わせで日本橋・八重洲方面に出向きます。

 鎌倉新書というのは葬儀供養業界のWebや雑誌を作っている会社。

 以前は仏教書を出版していたのですが、現会長が社長になった20年ほど前から、機械化とかITテクノロジーとか、非人間的なイメージを嫌うこの業界において、いち早くインターネットでの情報発信にシフトしました。

 

 「いい葬儀」という、消費者と葬儀社とを仲介するポータルサイトを開設したところ、業界内では当初、白い目で見られ、あの会社は代替わりしてダメになったと言われたらしいのですが、そこは時代の趨勢であれよあれよという間に市場に浸透。

 

 特に僕が本格的に関わり出した2年半ほど前から株はうなぎのぼりで、一昨年末にこの八重洲の一等地に引っ越したと思ったら、それから1年も経たないうちに東証一部上場を果たしました。

 

 とは言え、利益分はいろいろ始めた新事業のほうに回っているようで、外部ライターである僕のギャラが上がるわけではありません。

 

 正直、割に合わんなーと思うことが多いのですが、興味のある分野だし、ある意味、高齢化・多死化代社会に関する最先端情報(テクノロジーなどではなく、社会心理的流れとしての情報)にも触れられるので、引き続き、業界誌の月刊仏事で記事を書き、時々Webの方もやっています。

 

 その月刊仏事から新しい連載企画をやりたいけど何かない?と言われたので、以前、このブログで書き散らしたネタを思い出し、「世界の葬儀供養・終活・高齢者福祉」なんてどうですか?と提案したら、じゃあぜひ、とあっさり通って取り組むことに。

 

 国内の出張費も出ないのに「海外出張費出ますか?」なんて聞くこともできず、ネット頼りの仕事になるのは必至。

 でもイラストを描いてくれる人もいるらしいので、伝統文化と最新事情をごった煮にして分析を交えた読物風の話にしようと思っています。

 ごく個人的なことでもいいので、情報あったらお知らせくださいな。

 


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かわいい叔母さん

 

 父も母も昭和ヒトケタ生まれ。貧乏人の子沢山でそれぞれ8人兄弟だ。

 ぼくが生まれる前に死んでしまった人を除き、そのきょうだい、および、その伴侶の全部はしっかり顔や言動を憶えている。

 僕が子供の頃は行き来が盛んだったので、みんなインプットしている。

 

 しかし、9年前に父が亡くなったのをきっかけに、毎年バタバタと後を追うように亡くなり、大半がいなくなった。

 今年もまたひとり、先日、ヨリコ叔母さんが亡くなったと聞いた。

 

 母方は女系家族で8人のうち、7番目までが女で末っ子だけが男。

 ヨリコ叔母さんは7番目。つまり7姉妹のいちばん下の妹だ。

 

 幼稚園の時だったと思うが、結婚式に出た記憶がある。

 きれいなお嫁さんで、チビだったぼくを可愛がってくれた。

 そのチビの目から見ても、なんだかとてもかわいい人だった。

 

 6人も姉がいて、4番目の母(母は双子の妹)とさえ12歳違う。

 いちばん上のお姉さんとは16歳以上違うはずだ。

 なのでほとんどは姉というよりチーママみたいなものだ。

 母もよく子守をしたというし、日替わりでみんなが面倒を見てくれていたようだ。

 

 母の家はお父さん(僕の母方の祖父)が早く亡くなったので、女が協力して貧乏暮らしからぬけ出そうとがんばってきた。

 でもヨリコ叔母さんは小さかったので、そうした苦労が身に沁みず、物心ついたのは、お母さんやお姉さんたちのがんばりのおかげで暮らし向きも上がってきた頃だった。

 そうした中で一家のアイドルとして可愛がられて育った。

 

 そうした成育歴はくっきり刻まれ、そのせいで彼女は、ほかの姉妹らの下町の母ちゃん風の雰囲気とは違う、お嬢さん風の雰囲気を持っていた。

 だから、おとなになってもどことなくかわいいし、ちょっと天然も入っていた。

 

 最後に会ったのは父の葬儀の時。

 さすがに外見はそろそろばあちゃんっぽくなっていたが、中身はほとんど変わっておらず、ぼくをつかまえて

 「せいちゃん、大きくなったねー」と言った。

 

 50間近の男に向かって大きくなったねーはないもんだけど、そう笑顔で屈託なく声を掛けられるとすごく和んでしまった。

 その時の会話が最後の印象として残ることになった。

 

 叔母とはいえ、中学生以降はめったに会うこともなかったので、彼女がどんな人生を送っていたのはわからない。

 

 もちろん少しは苦労もあったと思うけど、べつだんお金持ちではないにせよ旦那さんは真面目で優しくユーモアもある人だったし、特に悪い話も聞かなかった。

 嬉しそうに小さい孫娘の面倒を見ていたのも印象的だった。

 

 たぶん美化しているし、これは僕の勝手な想像であり願いだけど、おそらくそれなりに幸せに過ごしてきたのだろう。

 

 不幸な目に遭ったり、理不尽な苦労を強いられたり、他人にあくどく利用されたり、自分の欲に振り回されたり・・・

 人生の中のそんな巡りあわせで、人間は簡単に歪んでしまう。

 

 でも、できるだけそうしたものに心を損なわれないで、ヨリコ叔母さんのようにかわいい人にはいくつになっても、ずっと素直にかわいくいてほしいなぁと願ってやまない。

 


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星のおじい様と孤独なエイリアン

 

 その少女は一人暮らしの老人と友達になった。

 老人は近隣から奇異な目で見られている。

 彼は特殊な能力を持っており、それで人助けをしたりもするのだが、普通の人たちにはそれが気味悪く映る。

 だから少女にも、あの老人の家へ行くな、近寄るなと言う。

 両親にとってもそれは家族の一大事と受け取られていた。

 

 少女はなぜその老人にひかれるのか?

 老人の語る宇宙の話、昔の話、妄想のような話が好きなのだ。

 彼女は老人がじつは宇宙人で、永年地球で過ごし、近いうちに故郷の星へ帰ろうとしているのではないかと思っている。

 

 老人には少女子以外にもう一人だけ訪ねてくる人がいる。

 それは彼の身元保証人だ。

 老人はちゃんとお金を払ってその会社と契約し、自分の死後の後始末をつけてくれるよう段取りしている。

 彼は宇宙人なんかではない、まっとうな人生を歩んで齢を取り、社会人として最期まで人に迷惑をかけずに人生を終えようと考えている、普通のおじいさんなのだ。

 

 そうした現実を知っても、少女は彼がやっぱり本当は宇宙人なのではないかと疑念をぬぐえない。

 彼女はしだいに何とか老人の秘密を探りたいと考えるようになる。

 

 しかし、そんな彼女の行動を心配した両親は、それ以上、老人に近づくことを許さず、彼女を学習塾のトレーニング合宿に送り込んでしまう。

 

 数日を経て帰ってきた少女は両親の目を盗み、再び老人に会いに行くが、彼は呼び鈴を押しても出てこない。と同時に何か気になる匂いがする。

 彼女は身元保証人を電話で呼び、家の中に入る。

 そこには布団の中で孤独死した老人の遺体が横たわっていた。

 

 少女には老人が物理的に死んだことは分かったが、地球から消滅したとは映らない。

 彼女は遺体を運ぶ人たちが到着するまでの間、その老人――「星のおじい様」の時間軸に入り込み、孤独なエイリアンとして、奇妙な冒険に出掛ける。

 


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孤独な老人は本当に可哀そうな存在か?

 

 一人暮らしの高齢者というと、最近はすぐに「孤独死」が連想され、何やらくら~いイメージがつきまとう。

 そうでなければ、家族がなく、身寄りがなく、孤独で可哀そうとか、同情される。

 いずれにしてもネガティブなイメージであることに変わりない。

 

 でも本当にそうなのだろうか?

 彼らはけっこう孤独を楽しんでいるのではないか。

 本当にいっしょにいたいと思う家族ならいいけど、ただ同じ屋根の下にいるだけ、同じ空気を吸っているだけの家族なんて鬱陶しいと思ったりしていないのだろうか?

 

 血が繋がっていたって形だけの家族はいっぱいいる。

 財産などをあてにしてすり寄ってくる家族や親族なんかに、あれこれ気を遣ってもらったって不愉快なだけ。

 

 メディアの「家族は素晴らしい」「家族がいないと気の毒だ」といった大合唱もなんだか胡散臭いね。

 

 それよりも最期まで一人でやっていく、という気概のある生き方をを見せるほうがいい。

 あるいは、血縁にこだわらない、常識にとらわれない、損得勘定抜きの、心の深いところで繋がり合える人たちとの暮らし。

 齢を取ったからこそ、そうした自由や愛情に満ちたものを優先できるという面もある。

 

 幸いにも、そうした人たちをサポートするセーフティネットはあちこちにでき始めているようだ。

 

 「家族の絆」という美名のもとに隠した損得勘定や惰性的な繋がりよりも、自分の意思に基づいて生き、死ぬ「個の尊厳」を優先する時代がすぐそこまで来ている。

 


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ラストドライブ日本版 出発

 

 わたしを思い出の場所に連れてって――

 そんな末期患者の願いをかなえるのが「ラストドライブ」。

 この数年、ヨーロッパで静かに広がってきた、いわゆる終活支援です。

 

 昨年夏、ドイツでの事例を取材したドキュメンタリー番組がNHK-BSで放送されました。たまたまそれを見て感想をブログに書いたら、その時だけアクセス数が5倍くらいに跳ね上がってびっくりしました。けっこう関心の高い人が多いようです。

 

 じつは今年から日本でもこれと同様の終活支援サービスが始まりつつあります。

 さいたま市の「タウ」という会社がCSR(社会貢献事業)として始めた「願いの車」がそれ。余命少なく、一人では外出困難な患者を希望の場所に無料送迎するというものです。

 

 タウは事故車の買い取り・販売を手掛ける会社で、社長がかの番組に心を揺すられ、「自分たちも車を扱う仕事をしているので」と、立ち上げました。

 当面は近隣の病院やホスピスに声をかけて説明し、希望者を募るというやり方で進めていくそうです。

 

  あらかじめ民間救急会社と提携しており、車両は酸素ボンベ、吸引機、自動体外式

 除細動機(AED)などを装備した民間救急車を使用。外出には看護師やボランティ

アが同行。ただし外出は日帰りのみ。

 主治医の了承と、家族の同意を得た上で送迎です。

  

 僕は「月刊仏事」の記事を書くために電話で広報の方と話したのですが、この事業に誇りを持ち、かといって気負うこともなく、たいへん美しい応対だったことにも心惹かれました。

 

 今後、提携先を県内の病院などに広げ、将来的には、活動に理解を示す企業からの協賛も。2019年には公益社団法人にして全国的活動を目指すそうです。

 

 これも高齢化社会・多死化社会における一つの文化になり得るでしょう。 これからの展開が楽しみです。

 


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白滝さんと校庭芝生の本

 

 8年前の今頃、息子が通っていた小学校の校長室に毎週土曜日、10人以上のメンバーが集まり、原稿を手にえんえん編集会議をやっていた。

 校庭の芝生の本を出版するためだ。

 僕はライターの一人だったので、当然、毎回出席。

 一行一行、ああでもない、こうでもないと、時に大激論になる。

 

 基本的に午前中から昼過ぎまで3時間くらいが定時だが、ランチが運び込まれ、日が暮れる時間まで「残業」したこともしばしば。

 いつも芝生の面倒を見ていた、そのメンバーらの本への思い入れはハンパない。

 取りまとめ役の若き編集者Mくんは、おっさん・おばさんたちの執念にヒーコラ音を上げていた。

 

 3月になって本は無事完成し「悠雲舎」という小さな出版社から出版。

 わずかながら書店にも並んだ。

 その悠雲舎の社長が白滝一紀さんだった。

 白滝さんはもともと銀行マンだったが教育方面にも熱心で、出版社も経営し、学校支援本部の本部長も引き受け、当時の校長も頼りにしていた。

 この本の企画にも無償で、全面的に協力してくれた。(発行人は白滝さんの名前がクレジットされている)

 

 その白滝さんが5日前の2月13日、82歳で亡くなったのを聞き、今日はご葬儀に出席した。

 

 永福町駅近辺を歩いている姿が目に浮かぶ。

 ちょっとガニ股の、特徴的な歩き方は遠目でもすぐにわかる。

 僕と会うと、いつも「ヨッ!」と手を挙げて笑って話しかけてきた。

 

 「気のいい近所のおっちゃん」を絵に描いたような人だったが、秋田から上京し、早稲田を出て、有名銀行・有名保険会社の要職を次々と務めた、そうそうたる履歴の持ち主である。

 

 葬儀は神式で行われ(神式に出席するのは確か2回目。焼香でなく、玉串を祭壇に供える)、宮司が祝詞でその履歴を唱えるのだが、あの独特の雅やかな節回しにかの大学・銀行・企業の名前が乗っかると、白滝さんのキャラと相まって、面白かわいく感じ、不謹慎ながら、つい下を向いて笑ってしまった。

 

 校庭芝生の小学校はその後、隣の中学、他の小学校と統合され、杉並和泉学園に。そこでも白滝さんは引き続き、最期まで学校支援本部長を務められた。

 

 当時、音を上げていたM君=エディター三坂氏は、今、僕の仕事のパートナーになっている。

 彼も語るように、あれは本当に貴重な経験だった。

 そして何より、とびきり楽しい思い出――まさか子供の学校であんなことが起こるなんて思ってもみなかった。

 

 いろいろなご縁を作ってくれた白滝さんに感謝。

 どうぞゆっくりお休みください。

 


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北千住の葬儀相談サロンと帰りそびれたウルトラマン

 

 近年は「葬儀相談所」とか「終活相談所」が増えています。

 本日オープンの「葬儀相談サロン ティア北千住」もその一つ。

 ティアというのは名古屋発祥の葬儀社(本社はうちの実家のすぐ近く)で、昔ながらの葬儀屋とは一線を画す、イマ風の垢ぬけた葬儀屋さんです。

 

 オープン記念でこの3連休、一般向け見学会を実施――というので覗いてみると、まだ午前中にも関わらず、結構お年寄りが遊びに来ている。

 中は小ぶりのカフェくらいの広さで、確かに相談サロンとしては狭すぎず、広すぎず、ちょうどいいスペース感。仏壇だの線香だの、いろいろ物販もやっています。

 

 ひと昔前は「縁起が悪い」と敬遠されたこうした葬儀関連の施設も、高齢化社会が進むにつれて抵抗がなくなり、街にもなじんできた感じがします。

 

 そんな感想を抱きつつ、取材を終えた帰り道で会ったのは、オヤジ化したウルトラマン。首から金モールをかけて、昼間っからそば屋でビールを飲んでいます。

 

 もうヒーローとして戦えなくなって、現役を引退して久しいけれど、過去の栄光が忘れられなくて、飲んだくれているうちに光の国に帰りそびれてしまったという感じ。なんだかこれからティアへ自分の葬式の相談にでも行きそうな風情です。

 

 でも、この帰りそびれたオヤジウルトラマンも不思議とこの街になじんでいるのです。

 めっちゃ久しぶりに来たけど、北千住、なかなか味わい深い、探検し甲斐がある街ではないかと思いました。

 


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孤独担当相の誕生

 人は一人で生まれてこれないし、一人で死ぬこともできない。

 「私は一人で生きてきたから孤独でいいのだ」というのは、その人の驕りだと思います。

 

 孤独担当相。Lonely Minister。

 これはジョークか、ファンタジーか、未来小説か、。

 まず抱いたのはそんな感想。

 政治の世界にミスマッチなこのネーミングのセンスは好きです。

 なんかイギリスらしいなという感じがするし。

 

 先日、政府がこの孤独担当相を新設。

 英国社会に影を落とす孤独の問題に取り組むと言います。

 当初、僕が見た報道では「高齢者の孤独死問題に」という形で採り上げられていました。

 割合的にはそれが大きいのかもしれないけど、それだけに限らず、この孤独の問題は全世代にわたっている社会問題のようです。

 うつ病、引きこもり等、精神疾患にまつわる要素もはらんでいるのでしょう。

 

 もちろん、大きなお世話だ、とも思います。

 そんな個人的なことに政府が介入するのか、とも。

 

 そもそもみんながイメージするほど、孤独というのは暗いものでも悲惨なものでもない。

 

 高齢者の孤独死も、本人にしてみたら可哀そうでも不幸でもないのかも知れません。

 可哀そうだ、不幸だというのは周囲の勝手な思い込みで、その人はやっと煩わしい人間関係から解放され、人生の最後に、自由に、のびのびと孤独を楽しむ時間が出来て嬉しいのかも知れません。

 

 孤独の何が悪いんじゃ。ほっといてくれ。よけいなお節介するな。

 

 日本でも英国でも、若かろうが年寄りだろうが、半分以上はそういう人ではないでしょうか。

 

 でも僕は政府がこうして孤独の問題に向き合うと宣言するのは悪いことではないと思います。

 世の中を動かす政治が、現代の社会の中でそれだけ個人個人の在り方を尊重し、手を掛ける価値のあるものとして捉えている――と思うからです。

 

 近代になって自立精神、独立独歩の生き方が理想とされ、そうアナウンスされ続けてきたけど、もしかしたら、それがもう限界に来ていて、何かケアしないと社会がこのままではもたないのかもしれません。

 

 

 「孤独の何が悪い」「よけいなお世話だ」という人は、また、人間生まれるときも死ぬときも一人なんだと言います。

 

 僕は違うと思う。

 人間、周囲の誰かの手を借りなければ生まれてこられないし、たとえ生まれたとしてもすぐ死んでしまう。

 

 死ぬ時だってそう。

 孤独死するのは本人はそれでよくても、自分で自分の遺体を処理できない限り、結局は誰かの手を煩わせ、迷惑をかけることになる。

 

 僕もべたべたした繋がりや面倒くさい人間関係、形にとらわれた付き合いは苦手で、孤独が好きな部類に入ると思うけど、社会が孤独について意識する姿勢を作る、そのきっかけとして孤独担当相なる大臣が登場するのは、アイデアとしていいなと思うのです。

 フィクションみたいで面白いしね。

 どこまで実効性・持続性があるのか、わからないけど、今後ちょっと注目してみたいです。

 


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うおぉぉぉ おれは燃えているぜ!(追悼・星野仙一さん)

 「うおぉぉぉ おれは燃えているぜ!」

 

 河合じゅんじが小学館のコロコロコミックに連載していた「かっとばせ!キヨハラくん」。

 野球ギャグマンガですが、その初回に「中日ドラポンズ」の「ホジノ監督」が、カチカチ山のたぬきみたいに火のついた薪を背負って、このセリフを言いながら登場するシーンに大爆笑しました。

 

 河合じゅんじは同じ名古屋出身の友達なので、プレゼントしてもらった本にいつもマンガのキャラとサインを書いてもらっていました。

 それでいの一番に書いてもらったのが、カチカチ山のホジノ監督。

 

 数々の栄光に包まれた星野投手&監督だけど、僕の記憶にあるのは、

 

 ルーキー当時、巨人にめった打ちを食らってボロボロになって投げていたんだけど、どういうわけかベンチがちーとも替えなかったこと。

 (ラジオ中継でアナと解説が「どうして交替しないんでしょう?」としきりと言っていた)

 

 完全に打ち取って凡フライに仕留めたのに、そのフライを宇野勝選手が頭に当ててヒットにしてしまい、キレまくったこと。(球史に残るボーンヘッド「ヘディング事件」)

 

 阪神の監督時代の日本シリーズ、甲子園で3連勝して嬉し泣きしちゃったのに、その後全部負けて、結局、日本一になれなかったこと。

 

 本人にとってはろくでもないところが印象的なんだよね。

 けどもちろん、ドラゴンズが優勝した時は僕も泣きました。

 楽天でついに日本一監督になった時も嬉しかったなぁ。

 

 しばし名古屋にいましたが、名古屋のテレビは星野さん追悼のニュースだらけでした。

 やっぱり星野がいた時代のドラゴンズは面白かったでよ~(強かったというより、面白かったという印象が強い)。

 名古屋人にとって、やっぱり星野さんは阪神・日本代表・楽天はオマケみたいなもので、中日ドラゴンズの♪星野仙一、強気の勝負~(「燃えよドラゴンズ」より)なんだがや。

 

 もう一つ、星野さんは女性にもめっぽう人気があった。

 それは愛妻家だったからだと思います。

 妹が、奥さんを亡くした時の、憔悴した星野さんのニュース映像をよく憶えていました。

 野球なんてまったく興味を持ったことがない妹ですが、女はそういうところをよく見ていて、星野人気の隠し味になっていたようです。

 

 野球――特に日本のプロ野球にはすっかり興味を失って、最近は、高校野球と大リーグの日本人選手の活躍をちょろっと見るくらい。

 星野さんが亡くなって、ますますプロ野球が遠くなりそうです。

 

 もう一度、「かっとばせ!キヨハラくん」を読んでホジノ監督の激闘ぶりを笑って偲ぼうと思っています。

 


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秋田犬と終活スト―リー

 

年末に秋田犬となまはげとナマケモノの話を書いたら、秋田県から仕事が来ました。

ホントの話。

秋田の終活に関するお仕事です。

 

「月刊仏事」の仕事をやっていると、最近、終活が一大トピックになってきたのが分かります。

特に 昨年は関連ニュースも多く、専門団体の活動なども活発化した気がします。

終活と言っても、相続などの現実的な財産関係から家族の問題、心の問題まで、いろいろバラエティがあります。

そして、お金の問題も心の問題も結局ひとつながりなことも分かります。

 

終活と言うと、やっぱりちょっと暗いイメージがあって引く人も多いのだけど、「個人史」とか「自分ストーリー」の作成みたいな見方をすれば、ちょっと違うかも。

 

人生100年とか、二毛作・三毛作とか言われる時代、誰でも半ばを過ぎたかなと思ったら、終活かどうかはともかく、自分の人生・生き方を振り返ってみる必要があるのかも知れません。

 

秋田の仕事は楽しみです。

秋田を旅する機会があればいいなぁ。

 


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安崎暁さん感謝の会 取材

 

先週、日経新聞に建設機械メーカー、コマツの元社長・安崎暁さんが広告を出しました。

 がんに侵され、余命が短いことを医者に宣告されたとのと。

 延命治療はしないと決めて、それならと元気なうちにご縁のあった人たちにお会いしたいので、「感謝の会」を開くという内容。。

 企業のトップを極めた人の、まだあまり前例のない、ご本人主催のいわゆる「生前葬」です。

 

 というわけで「月刊仏事」も記事にしたいというので、今日は赤坂アークヒルズ「ANAインターコンチネンタルホテル」へ取材に。

 大宴会場に約700人のお客さんが訪れました。

 

 メジャーな新聞に広告を出したので(ご本人は広告はやりすぎだったかも・・・と後からおっしゃっていましたが)、このクラスの人になると社会的反響もすごく、ネット上で「カッコいい」とか「豪傑」とか言うこと言葉が行き交いました。

 それだけ終活に興味を持つ人が増えているということでしょうか。

 

 でもご本人はそんな気負った風情もなく、にこやかに宴を楽しまれていたようです。

 中締めで、東京最古の連による「阿波踊り」も登場(ご出身が徳島なので)。会場を巻き込んで大盛り上がり。

 でも途中、お囃子が「ふるさと」のメロディーラインに変わり、長老がソロで踊るシーンがあってちょっと泣けた。

 

 開会中は取材・インタビュー禁止だったので、終宴後、別の部屋で記者会見。

 

 最後に僕が「一個人に戻って何かやり残したことはありますか? この後、残された時間でやりたいことは?」と質問するとゴルフの話になり、「ホールインワンはヘタくそな人ができえるんです。僕は今までホールインワンを4回やった。5回目やったらホテルオークラのが大宴会場を貸し切ってぢパーティーをやる予定だったんだけど・・・・」と笑顔で語ってくれました。

 

 人の顔は本当に好きな事の話をするとき、何とも言えない輝きを放つ。

 幻になった5回目のホールインワンを胸に、充実した最後の日々を送っていただきたいと思います。

 


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「ばんめしできたよ」ができたよ

 

 新しいラジオドラマ脚本「ばんめしできたよ」ができました。

 主役のヒロコちゃん、お疲れ様。最初は男だったけど、途中で性転換しました。

 おかげでちょっと色っぽい話も盛り込めた。

 予定よりずいぶん延びてしまったけど、出来てしまうと何だか寂しい。

 コンペに出したので、とりあえず結果待ちします。

 

 あらすじはこんな感じです。

 

 「あなたは人生最後の食事に何を食べますか?」

 ホスピス「虹の彼方」に入居した余命わずかの人たちに、若き女性天才料理人と中年紳士の給仕人はそう問いかける。

 

 食事は人生で最も大きな喜びの一つ。ここでは最期にその喜びを味わってもらうために「最後の晩餐」を用意する。

 料理人ヒロコが入居者からそれぞれの人生の物語を聞いてメニューを考え、最後にふさわしい料理を作るのだ。

 そして給仕人のモリヤは、その料理に仕上げのスパイスをかけて提供する。

 

 「ただ食うために生きてきた」

 今回、「虹の彼方」に入居してきたのはフジムラという末期がんの患者。

 真面目に会社勤めをして定年を迎えた孤独な彼は、恋も夢も家族を持つことも諦め、ただ働いて生き長らえてきたことを後悔している。

何も欲せず、人を傷つけないようにしてきたのに、どうしてこんな病気になったのかと取り乱す。

 そしてまた、自分は食べたい物など何もないと、メニュー作りに協力しようとしない。

 

 そんなフジムラに対し、ヒロコはホスピスへの思いや将来の展望など、自分自身をさらけ出して奮闘。

 彼の恋の記憶を引っ張り出し、実は彼も料理人になる夢を持っていたことを思い出させ、やっとメニューを作り上げる。

 

 その日。食卓に並んだヒロコ渾身の作品。

 しかしそこでフジムラは、これを最後の晩餐にしたくない、なぜならヒロコに恋してしまったからだと、胸の内を打ち明ける。

 モリヤは土壇場で生への執着を持ってしまった彼を諭し、何とか食事をさせようとする。

 

 そこでヒロコは気づく。以前から心の片隅に抱いていた疑念が解け、確信に変わり、彼女はモリヤと対峙する。

 そしてこのホスピスの成り立ち、最後の晩餐の奥にある秘密、それを取り仕切る給仕人モリヤが本当は何者なのかを問いただす。

 


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国境なき医師団に遺贈の問い合わせ急増

 

 先月末から今月初めにかけて有楽町・交通会館で開かれた「学べる終活テラス」。

 月刊仏事の取材で出向きましたが、実行委員会の代表に話を聞くと、最近、国境なき医師団の日本支部へ「資産を遺贈したいのだが・・・」というメールだか電話だかが頻繁に来るとのこと。

 それで実行委員会にどうしたものかと相談が来て、その結果、今回のイベントをすることになったのでそうです。

 

 お金も予約も要らず、誰でもフラッと立ち寄れる、というのがコンセプト。そして注力テーマは遺贈。

 高齢者人口の高い有楽町という場所が良かったのが、結構集客できたようで、今日来たメールでは、4日間でのべ約400人が参加したそうです。

 

 どうも貧乏人はお金さえあれば人生OKと考える傾向がありますが、あればあったでいろいろ心配事や面倒なことも多そうです。

 そしてまた、それまで私利私欲に走っていた人も、いざ人生を締め括る段になると、自分がやってこなかったことに関して、あれこれ悩むことになるのでは・・・。

 

 いずれにしてもお金の余っている人、血を分けた家族同士の血で血を洗う「争続」を見たくない人は、すすんでこうした社会活動に遺贈してほしいと思います。

 自分の財産がみんなのために、未来のために生きれば、こんなに幸せなことはないよね。

 


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安楽死できる国は幸せか?

●安楽死を合法化したオランダ

 

 以前、安楽死を題材にしたドラマを書いたことがある。

 「近未来SF」と評された(その頃はまだ「近未来」という言葉が結構流行っていた。今世紀になって以降、死語になった)が、20年あまりたった今、その近未来は、完全に現実に結びついた感がある。

 

 「月刊仏事」の新企画で「世界のエンディング事情」のリサーチを進めていたら、もうすでに安楽死が合法化されている国があった。

 2002年、すでに15年前、世界で最初に安楽死法を施行したのはオランダである。

 

 オランダは不思議な国だ。ドラッグも売春も安楽死も、悪徳ではないかと思えることをどんどん合法化していく。

 

 自由な意思を尊重している。

 

 と言えるが、見方を変えると、人間はどうしようもなく愚かで弱くて悪徳から逃れらえない存在である、という一種の諦観のような考え方が根底にあるのではないか。

 

 だから、たまには現実なんか忘れてラリりたいし、いろんな女とやりたいし、痛いのや苦しいのをガマンするのはイヤだから、助からないと分かったらさっさと死にたいし・・・といった素直な思いをみんな受け入れましょう、ということで、国が運営されているのかも知れない。

 

 一度、受け入れ、許されたものは再び戻ることなない。

 アムステルダムの飾り窓が観光の呼び物の一つとして定着してしまったように、安楽死もかの国の生活の中に溶け込んでいていく。

 

 そしてオランダに続いてベルギー、ルクセンブルグが安楽死を合法化している。

 ヨーロッパの中でも、どちらかというとマイナーな存在のベネルクス3国がこうした先進的(?)な社会を作っているのはとても興味深い。

 

●家族主体の日本ではやっぱNG?

 

 日本はどうか。これに倣って安楽死合法化は難しいと思う。

 日本の場合、根底に死は個人のものでなく、その周囲のもの――家族あるいは医療者に委ねられるものという暗黙の了解があるからだ。

 

 自分の命は自分の自由にしていい、という考えは許されない。

 

 そもそも安楽死するかどうかを決めるのはその人本人でなく、“させるかどうか”を決めるのは家族だ。

 

 生死を決する際は、家族の気持ちが個人のそれよりも強く働き、尊重されるようになっている。

 そうした歴史が続いてきて、ひとつの文化になっているから変わりようがない。

 

●安楽死の近未来

 

 しかし、それも僕の思い込みに過ぎないのかも知れない。

 

 最近の、人の内面を動かす時計の廻り方はとても激しく、最近は「個人」がずいぶん強調されるようになっている。

 もしかして10年後くらいには安楽死の合法化が、少なくとも検討されるところまではいくかもしれない。

 

 ちなみにオランダでは、安楽死数は2006年に約1900人だったが、2012年には約4200人までに増えているというデータがある。

 これは同国の年間死亡者数の3%に上る数でだという。

 ここから5年経った現在ではどうなのだろう?

 増えこそすれ、減っているとはとても思えない。

 聞くところによると最近では“安楽死専門クリニック”まであるようだ。

 1990年代に書いた僕のドラマの世界は、とっくに追い越されている。

 


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ロボットが社会に出てくるからこそ、人間の在り方について考えられる

 

 先月の「エンディング産業展2017」では、ロボット導師(お経を唱えるお坊さんPepperくん)がセンセーションを巻き起こしました。

 

 じつはここ数日、その提案を行なった企業とやりとりしていたのですが、聞くところによると、反響・問い合わせがものすごく、その大半はかなりネガティブなものだったようです。

 「死者を冒涜している」とかね。

 

 目立つし、エンターテイメンタブルなのでメディアにとっては格好の素材。

 面白おかしく、なおかつ、「これからの葬式はどうなっちゃうんだ~」みたいな煽るような報道をするので、ひどい誤解を受けた、とその企業の人は語っていました。

 

 ゆるキャラ的な領分でならいいけど、やはり人々はロボットが社会に入ってくるのを快くは思っていないようです。

 それが葬儀のような、心に深く関わる領域、人間の尊厳に触れる領域に顕れたので、そういう感情が露呈されたのだと思います。

 

 僕も以前、そのうち、美男美女の看護士アンドロイドとか登場するのでは・・・と書いたことがあったけど、医療・介護・葬祭などの分野では割とロボットが活躍するシーンが多くなるのでは、と考えています。

 

 なんというか、人間よりもロボットに面倒見てもらったほうが気がラクだ~、癒される~という人も結構多いのではないかな。

 お葬式もロボットにやってもらいたいという人だって割といるかも。

 亡くなる本人はそれでよくても、遺族が許さないだろうけど。

 

 人間の心、尊厳に触れる領域で、ロボットやAIを使うのには相当抵抗があるというのが現在の社会通念だけど、坊さんや牧師さんがロボ化するかどうかはともかく、これからIT技術が入り込んでいくことは必至。

 

 だからこそ「人間の尊厳とは何か?」という議論が巻き起こる。

 それって、むしろ良いことだと思います。

 

 というか、これから先は「人間の在り方とは?」「人間にしかできにことって何だ?」を考え、議論するのが、どんな職域でも人間のメインの仕事になるのではないか・・・そんなふうに思えるのです。

 


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エンディング産業展2017おまけ:一生消費者で終わらないために

 

 今年のエンディング産業展は、けっこうあちこちでニュースとして採り上げられ、話題になっていたようです。

 「最後の成長産業 年間売上○兆円の大市場」とかね。

 

 マスメディアの採り上げ方はどうしても皮相的になるので、ロボットの坊さんとか、ネットを使った遺影サービスとか、きらびやかなお墓や仏壇とか、やっぱりそういうのになってしまう。

 

 わいわい面白がるのはいいけど、葬式とかお墓の世界がこんなに明るく楽しくなっちゃっていいのか? いったい世の中どうなっちゃうんだ?

 といった違和感を抱く人も多いのではないでしょうか。

 

 僕も業界情報誌のライターという立場上、あちこちのブースを回って出展者と話す会話は、

 「売上、すごく伸びてるみたいですね」

 「ずいぶんシェアが広がりましたね」

 「そんなにそのニーズが大きいんですか?」

 「マーケティング戦略はどうですか?」

 

 といった感じで、改めてふり返ると、なんだかすごい違和感を感じるのです。

 

 ビジネスの世界なんだから当たり前だけど、提供する側も受け取る側も、それだけに終始していると、これらの商品やサービスを使う人はみんな「お客様」であり、「消費者」になってしまう。

 

 僕らは現代の消費社会では、市民とか人間とかではなく、「消費者」と呼ばれるのにふさわしいけれど、最期までそれでいいと思っている人は、そういないはず。

 

 これからやってくるエンディング=死について思いを巡らすことは、今ある生をより充実させることです。

 最期まで消費者として終わって満足・納得だ、という人はいいけど、そうでない人は、自分の人生をこれかえら終わりに向けてどうしていくのか、エンディング情報をきっかけにリ・クリエイトしていければいいのでは、と思います。

 


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エンディング産業展2017 3日目:この業界の面白さ

 

 鎌倉新書の仕事を初めてやった5年前には、エンディングやら終活やら、といった言葉がここまでポピュラーになるとは思わなかった。

 

 ここでメインになるのは経済・産業の話だが、そこに文化やら歴史やら宗教やらがかなり濃密に関わってくるのが、この業界の面白いところ。

 

 これまでは「葬式・お墓ってみんなこんなもの」と思っていたけど、最近はお決まりのテンプレートの中にはめ込まれて、「いい人でした」「立派な人でした」「家族思いでした」といった定型文でまとめられて人生チャンチャン!にされてしまうことに、みんな我慢ができないのだ。

 そんなものにお金を払いたくないのだ。

 特に今、70より下の戦後生まれの人たちは。そうですよね?

 

 だから文化やら歴史やら宗教やらに関する知識やら感性やらが、大きな価値になる。

 個人個人の話を聞き、思いに応えられrることが大きな価値になる。

 そうした価値をいかに経済に変換できるか

 

 ・・・てなことを考えた3日間でした。

 でもきっとこれは、この業界に限った話じゃないね、きっと。

 


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エンディング産業展2017 2日目:石造キティと出会い、巨大石臼ひきを体験

 

 エンディング産業展に併設というか、インクルードというか、されているのが「ジャパン・ストーンショー2017」。

 

 墓石業界も苦境を打開しようとPRに必死。

 斬新なデザインのお墓、ユニークなデザインのお墓がいろいろ提案されています。

 

 そのおへそに陣取る日本石材協会のブースでは、東日本大震災や熊本地震の際にボランティア活動をした関係で、熊本物産展もジョイント。

 

 昨日はなんと、くまもんも応援にやってきて、大騒ぎだったらしい。

 

 しかし僕はセミナー取材の時間と重なっていたたため、くまもんにはお目にかかれなかった。ざんねん。

 

 その代わりと言っちゃ申し訳ないけど、ビッグでロックなキティちゃんと2ショット。

 巨大石臼もぐりぐり回しました。

 

 


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●エンディング産業展2017 レッツ・ラーニングは世界の潮流

 

 今日から東京ビッグサイト(国際展示場)で「エンディング産業展2017」が始まりました。

 昨年に引き続き、鎌倉新書(この産業展のメディアパートナーになっている)の仕事で、25日・金曜まで3日間取材漬け。

 

 今年は「教育」「学び」が大きなテーマになっており、大小併せて100を超えるさまざまなセミナーがすべて無料受講できることになっています。

 

 もちろん、ビジネスチャンスを作る場ではあるのだけど、そのためにもこれまでの常識や古いノウハウに頼っていないで、この機会に新しいことを勉強し始めてください、というわけ。

 

 エンディング産業界に限らず、世の中、あらゆることが学び直し・勉強し直しの時代に入っているということです。

 

 今日にの取材のメインは、11:00から2時間半にわたって行われた東アジア国際葬送シンポジウム。

 中国、台湾、マレーシア、韓国の4ヶ国の葬祭関連の教育機関、研究施設の代表者を招聘し、自国における人材育成の実態について話しました。

 

 どの国も日本を追って発展し、近代化してきましたが、そのスピードはすさまじく、この葬祭関連の人材育成という文太では、すでに日本をしのいでいます。

 

 韓国では関連学部を設けている大学もあり、エンディングを実務のみならず、総括的に、アカデミックに扱い、死について――命について勉強している。

 こうした潮流が世界的に広がっており、それは近々、日本にも波及してくると思います。

 


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ロボットみたいなプロフェッショナルより、ヘタで未熟な若僧のほうが好印象という話を聞いた

●あえて若者を使うという葬儀社の社長

 

 現場の担当者はできるだけ若い社員に任せるようにしています。

 ベテランがやったほうが安心感はあるのですが、あまりに手慣れた感じ、こなれたやり方で仕事をすると、ルーティンワーク的、ビジネスライク的といった印象を与え、マイナス評価に繋がってしまいます。

 それよりも息子・娘・孫のような若者が一生懸命奮闘している姿を見せたほうが年輩の喪主の胸に響く。

 少々の失敗も大目に見てくれます。

 

  「月刊仏事」の電話インタビューで、こんなことを話してくれたのは秋田の老舗葬儀社の社長さん。

 話し声からはのんびりした感じのキャラかなと思ったが、なかなか経営者としてキレてる、と見た。

 すごく納得できる話だ。

 僕がお客の立場でもまったく同じように感じると思う。

 

 若者よ、失敗をおそれず、がんばれ!

 おじさん、おばさんはきみらに甘いよ、やさしいよ。

 逆に言えば、若いということは、ただそれだけで大目に見させる才能があるということです。

 ただ30も半ばを過ぎちゃうと、なかなかそうはいかなくなるけどね。

 

●あなたのやっている仕事、磨いた技術は本当に価値があるのか?

 

 もうひとつ―ー

 なんだか仕事に対する価値観が変わってきているような気がする。

 この話と似たようなことを、以前、民家での看取り看護をやっている人からも聞いたことがあります。

 

 いわく「葬儀屋さんはプロだから、なんでもテキパキ仕事をこなしちゃう・・・」

 

 その人から見れば、あまりに無駄のない、スムージーなその仕事ぶりが、なんだか心がカラッポのロボットの動作のように映ってしまったのです。

 実際にやっているスタッフはちゃんと心を込めているつもりでも、長年培った技術は自然と身体を合理的に動かしてしまう。

 

 難しいものです。

 きっと人は心のどこかで、昔あった隣組の人情というか、近所の人たち(もちろん素人)が集まって、みんなで亡くなった人を送ってあげる――そうしたお金を介さない、心だけでやる仕事ぶりを葬儀屋さんに求めているのかな?と考えました。

 

●これは葬儀屋さんだけの問題?

 

 さらに、これは葬儀屋さんだけの問題だろうか?とも考える。

 

 従来はうまくスムーズにテキパキ仕事をこなすのがプロだし、「できる人」だったが、今はそうとは限らない。

 

 特にサービス業では、そういうのは嫌われちゃったり、つまらないと思われたりして、むしろ素人っぽい感じでやったほうが受けたりもする。

 

 文章なんかでもやたら流麗だったり、きっちりまとまった文章よりも、へたくそだったり不器用だったり、ちょっと拙いくらいのほうが気持ちが伝わる、と言われたりもする。

 その場合、気持ちを伝えるのが最終目標なので、うまい文章よりヘタな文章のほうが価値が高い、となるのです。

 

●もしダメなら勇気を出してリセットできるか?

 

 もちろん業種やその仕事の種類やTPO、お客さんが究極的に何を求めているかに寄るんだけど、人の心に響く、本当に人の役に立つ「プロの仕事」ってどういうものか、

 自分のスキルは今の状態、あるいは自分がより磨き上げようと指向している方向でいいのか、

 考え直す時代がきているのではないかと思います。

 

 そして多くは勇気を持ってリセットする必要があるのかも。

 


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長く生きるのは、それだけで価値がある――と誰もが思えるように

 

 いつもやっている「月刊仏事」の仕事。今回は秋田・山形の特集。

 東北地方はどの県も宮城を除き、人口減少率・高齢化率が全国ワーストクラスという厳しい現実と闘っています。

 

 今回、両県の民俗資料を調べていたら、土葬をしていた時代の野辺送り(葬列)について詳しく書かれていました。

 

 秋田県小阿仁村(「マタギの里」として有名らしい)の資料では、大正時代、昭和30年代、昭和50年代と、3つの時代の事例が載っていました。

 

 ビジュアルがなく、文字だけなので、なかなか想像しづらいのですが、それでも比較してみると時代ごとの移り変りが分って、なかなか面白い。

 

 その中で「柳」というのがあり、これは何だろう?と思って読んでみると、こんな解説。

 

 柳とは亡くなった人が80歳以上の時、作るもので、小瓶に入れた酒や菓子を柳の木にぶら下げ、墓に行くまでに近所の人たちに取ってもらうのである。この酒を飲んだり、菓子を食べたりすると長生きできると言われている。

 

 小瓶に入れた酒や菓子を柳の木にぶら下げ――というのを想像してみると、東北という土地のイメージも手伝って、なんだか「遠野物語」のような、ジャパニーズファンタジーの世界が広がります。

 

 前回、福島・茨城の時も、長生きし、大往生した祝いとして、葬儀における銭撒き・餅撒きの風習があった(現在もわずかだが、ある)ことを発見しましたが、山形・秋田でも同じ趣旨の風習が伝えられていたのは興味深い。

 

 ビジュアルをイメージすると、まさしく「人生の卒業祝い」という感じがします。

 

 最近のお葬式ははなるべく目立たないよう、残されたごく親しい人たちだけでひっそり行なうことが主流になりつつあります。

 

 それはそれでいいのだけど、一方で、こうした卒業祝い的なセレモニーーー故人はこんな人生を送ったんですよ、という表現は、あったほうがいいのではないか、と思います。

 そんなにお金をかける必要はありませんが、できる範囲で。

 

 特に高齢で亡くなった場合。

 現代は80歳以上生きるのはごく当たり前になってきて、希少な価値は薄くなりました。

 定年退職して仕事から離れて久しい人、社会的な活動をしていなかった人だと、なおさらその価値は認めにくいでしょう。

 

 それでも長くこの世で生きて、大勢の人に影響を与えたことは尊重され、周囲の人たちによって何らかの形で表現されるべきなのでは、と感じます。

 生きるということは、たとえその人がどこにいても、どんな状況であっても、それだけの時間、出会った人たちの生に影響を与えているということなのだから。

 

 誰でも生きて存在している限り、誰かとつながり響き合っている。

 また、誰もがそのような意識を持って、自分が生きている意味と価値を感じられるような社会であってほしい、そうしたいな、と思います。

 


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映画やテレビドラマの世界では高齢の犯罪者が増えている?

 

 何かデータがあるわけでなく、あくまで個人的な印象に過ぎないのだけど、最近の映画やテレビドラマでは高齢の犯罪者が多く登場しています。

 

 もちろん昔でも、ヤクザの親分とか、ギャングのボスとか、政財界の黒幕は高齢だったのですが、最近は下っ端の実行犯や、普通の市民の犯罪者も高齢者というパターンが増えている気がするのです。

 

●老人=善人のイメージの崩壊

 

 物語を作る立場で考えていくと、かつては基本的に老人=心穏やかで優しき善人、頑固だったり、ちょっとヘンテコだったりしても愛すべき心の広い善良な人、「悟っている」とは言わないまでも、世の中を達観した、それなりの領域に達した人間というイメージが強かった。

 

 作り手の思い込みもあるけれど、それ以上に、高齢者に対する社会通念と言うか、世の中の常識というものが厳然と存在していました。

 

 つまり、老人と言えば、容貌の衰えに反比例して精神は美しく磨かれた善人か、たとえ悪人でも、人の上に立つ者、大勢の部下の尊敬なり畏怖なりを勝ち取っている者でなければ、見る側の観客が納得してくれなかったのです。

 

 それはまた、人間が年齢を重ねるとともに、現世における欲望の渦とか、負の感情の濁流から徐々に遠ざかり、真の大人になっていく、人間的に完成していく・・・という、人々が共有する信念でもありました。

 

 つまり、精神の円熟した立派な大人が、同情するに価する、やむを得ない事情がない限り、殺人などをはじめとする社会を混乱させる重罪に手を染めることはないーーそう考えるのが基本でした。

 

 けれども最近は事情が変わり、影の裏ボスみたいなのに、いいように操られる高齢犯罪者が急増しています。

 彼ら・彼女らの中には、不治の病で余命いくばくもない運命で、人生の夢が絶たれてしまった人、未来をみずから絶ってしまった人も。

 それなら最後に何かでかいことをやって名を残したい・・・といった、とんでもなく自己チューな動機で犯罪に手を染める人、他人を巻き添えにして自殺してしまうような人が目立つのです。あくまでドラマの世界のことでだけど。

 

●洗脳も簡単

 

 例えば、IS(イスラミック・ステーツ)などのテロ組織は、言葉巧みに若者を洗脳して、自爆テロの犯人に仕立てあげます。

 

「この腐った社会を正すんだ」とか、

「これでキミの命が輝く」とか、

「価値ある人生にできる」とか、

「本当に人の役に立つにはこういうことをしなくちゃいけない」とか・・・

 

 まるでどこぞの自啓発セミナーで頻発しているようなセリフですが、個人のパーソナリティに合わせて、こうしたセリフを吹き込むことで、現代なら、いい齢をした高齢者でも簡単に洗脳できちゃえるのではないかと思います。

 

●現実の反映

 

 再び作り手の立場に立てば、推理ドラマ・犯罪ドラマを作る際、従来の年功序列のパターンより、若者や子供、あるいは人類の子供たる人工知能に指示されて、高齢者が犯罪を犯すーーといった物語のほうが目新しくて面白い。

 そして今ではそれが、観客も納得するリアリティを持ち得る。

 

 言うまでもなく、こうした映画やテレビドラマで起きる現象は、肥大した自己といつまでも続く欲求不満を抱え、永遠に大人になれない高齢者が急増している現実世界の反映です。

 

 肥大した自己といつまでも続く欲求不満を抱え、永遠に大人になれない高齢者は、怖ろしい犯罪の予備軍ともなり得る。

 あまり認めなくないことですが、そう遠くない未来に仲間入りする僕も、そうした現実を変えていく努力をコツコツやっていかないとなぁ、自分を大切にしないとなぁ、と思っています。

 


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ラストドライブ:人生最後の旅

 

 昨日、たまたまテレビ(NHK-BS)で「ラストドライブ」というドキュメンタリー番組を見ました。

 

 ドイツのあるボランティア組織の話で、死にゆく人のために、最期に訪れたいところに車に乗せて連れて行く。そしてスタッフが一緒に一日を過ごし、彼もしくは彼女の最期の願いをかなえるというもの。

 

●最後の願いをかなえる小旅行

 

 ある高齢の女性は、何年も前にこの世から先立った夫と一緒に行ったというオランダの海岸へ。

 夫婦間のとても美しい思い出がそこに満ちているのかと思いきや、到着して彼女の口から出てきたのは、長い間、自分を家に閉じ込め、浮気をしていたという夫に対する、呪いにも似た不平不満でした。

 

 けっして幸せな結婚生活を送ったわけでなく、子供をもうけることもなかった。

 なのに、それでも死ぬまで添い遂げた。

 一体なぜなのだろう?

 自分が犠牲にしてきた感情は、ただ安心して人生を過ごすための取引だったのか?

 でもそれだけじゃない・・・。

 そうした問答の繰り返しの果てに、オランダの海を見れば、最期にその答えが見つかるかもしれない――

 彼女はそう考えたのかもしれません。

 

 もう一人、まだ中年の男性は、現在の恋人と一緒に過ごした湖へ――と願い出ました。

 その彼女とはいずれ結婚を考えていたが、1年前に病気が見つかり、断念したとのことでした。

 まだ人生半ばだと思っていたのに、すべてが手遅れになってしまった・・・。

 

 そんな悔恨の思いがあったのかも知れません。

 こちらのカップルの場合は、スタッフはできるだけ二人だけでそっとしておこうとしていました。いつまでも一緒に湖を見ている二人の後姿が印象的でした。

 

 いずれも、このラストドライブが終わって1ヵ月経たないうちにこの世を去りました。

 

 感動を押し付けたり、人間の良心を謳い上げるような演出をするわけでなく、ゴロンとありのままを転がしたような作品で、とても素直に見られました。

 

●スタッフにとってのラストドライブ

 

 組織のスタッフの一人――60代の男性は、なぜこの仕事をしているのか、との質問に、家庭で暴力(おそらく父親から)振るわれたという話をしました。

 定年退職後、そうした幼少期の体験から人の幸せに貢献することをしたいと強く思うようになったから・・・と語っていました。

  

 また、別のスタッフ――母親の、自分の子供たちにこの仕事について説明している姿も印象的でした。

 

 ちょっと聞き逃してしまったのですが、このラストドライブ――人生最後の小旅行を実践するスタッフは登録制で、たまたま日にちが合った人が出向くそうです。

 中には休職中の看護師や介護士の人もいるようですが、特別な資格が必要なわけでなく、説明会とちょっとした研修を受ければ、誰でもできるようです。

 

●新しい社会の潮流

 

 こうした福祉(そして医療の一種でもある)サービスが、社会でどの程度浸透しているのかはよくわかりません。

 しかし番組内で出てきたオランダの海岸やドイツ国内の湖畔のレストランでは、ごく自然にこうした人たちを受け入れている様子が見て取れました。

 さすが成熟社会のヨーロッパ、さすがドイツと思わざるを得ません。

 

 現在の日本ではこうしたサービスが行われることはまだ考えにくいですが、そう遠くないうちにスタートし、定着してくるように思います。

 それくらいニーズは高いと思うし、スタッフをやりたという人も少なくないでしょう。

 これはほとんどの先進国がいずれ体験する、新しい社会の潮流なのだと思います。

 

 人間は最期まで不可思議で不条理な存在。

 死に瀕して、人が何を望み、何を語り、何を悟るのか。

 それを死に行く人が、支え送る人が、互いに直視し、実感することは、人間の未来全体のスープの素になるのではないのかな。

 


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ロボットみたいな人間、人間みたいなロボット

 

 仕事の関係で、ソフトバンクのロボット「ペッパーくん」の写真を何枚か見ました。

 ビジネスシーンでも活用され始めたペッパーくん。

 チェコの劇作家カレル・チャペックが舞台劇「R・U・R」で初めてロボットを登場させてから、ロボットという概念は急速に世界に広まった。

 それから100年が過ぎ、いよいよ本格的に、そして日常的に人工知能・ロボットが活躍する時代が来たようです。

 

 この100年、ロボットのような人間が増えたと言われます。

 自分の頭で考えず、誰かの命令に従い、言われたままにひたすら働く人間。

 あるいは冷酷で計算高く、人情のない人間。

 

 だけど、ロボットのような人間が増えたのは当たり前です。

 それ以前の時代はロボットという概念がなかったのだから「ロボットのような人間」などいるはずがない。

 

 じゃ、それ以前の人間はすごく人間らしかったのか?

 みんな自分の頭で考え、自分の判断で行動していたのか?

 みんな人情に厚く、温かい心を持っていたのか?

 みんな満ち足りてハッピーだったのか?

 

 これからロボットが社会進出します。

 

 僕はなぜか昔から「老人とロボット」という取り合わせに興味があったのですが、高齢者施設におけるロボットの必要性・活用度はかなり高いようです。

 

 お年寄りはロボットなんて怖いし、嫌がるかと思いきや、どうもそんなことはなく、むしろ子供とよりも相性がいいなんて声も聞かれます。

 

 ロボットのように働いてきた人間、ロボットのように生きてきた人間が年老い、施設に入り、人間のようなロボットに世話してもらう。

 そして失っていた「人間らしさ」を取り戻す。

 

 けっしてアイロニーでもブラックユーモアでもなく、これからあちこちでそんな物語が生まれてくるかも知れません。

 

 でも、そこでまた疑問が湧き起る。

 

 「人間らしさ」っていったい何?

 「人間らしい」って、どういうこと?

 

 それを人間自身に考えさせるために、ロボットは人間の群れの中に入ってくるのかもしれない。

 


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茨城・葬式の撒き銭のルーツを探る

 

 この夏場所、残念ながら郷土の英雄・稀勢の里は途中休場してしまいましたが、依然として「ひよっこ」で盛り上がる茨城県。

 

 先日から茨城の葬式の「撒き銭」の話をしているのですが、お金だけでなく、お餅やキャラメルなどのお菓子もばら撒くと聞いて、子供の頃、お嫁さんの出る家で「菓子撒き」をしていた(昭和40年代の名古屋の話です)のを思い出し、アレと関係があるのかな?と調べたら、ビンゴ!

 

 民俗学博士である成城大学文芸学部の田中宣一教授の「祀りを乞う神々」という本。

 その中の一文「散米と撒き銭」に詳しいルーツが書かれています。

 

 もともと神道の打撒(うちまき)=散米(さんまい)に由来するもので、米を打ちつけて、ケガレや不幸をはらう風習なのだそうです。

 

 節分の豆まきと同じみたいですが、厳密に言うと、対象となるのは鬼とか邪気とかではなくて、ちょっと低級な神様。

 

 ここが「八百万の神」がいる日本らしいところで、神坐に鎮座する、いわば正式の神様とは別に、レベルの劣る、その他大勢の神様が、お祭りの時になるとうじゃうじゃ湧いて出てきて、お詣りするべき神坐へ向かう道をふさいでしまう。

 なので、「はらう」のではなく、撒くというラフな形でお米を「お供えする」――つまり、神様へのお供えのスタイルの一つというわけです。

 

 このお米が、お金・お餅・お菓子などに、下級の神様が、その地域の子どもをはじめ、民衆一般に転化し、「撒き銭」という風習になったとか。

 ちなみに神社の「お賽銭」も同じルーツを持っています。

 

 葬式で撒くのは、やはり長寿で亡くなった人が仏様=神様になったというお祝いの意味合いが強いようです。

 

 かなり端折って紹介しましたが、この「撒き銭」は、江戸時代には全国の広い地域で行なわれており、山岳信仰で富士山などにお詣りのために上る人たち、お伊勢参りに詣でる人たちなどは、その旅程で、撒き銭を期待する地域の子供らが寄ってきたとのこと。

 

 なんだか進駐軍に「ぎぶ・みー・ちょこれーと!」と集まってきた戦争直後の子供たちみたいだなぁ。

 そういえば、あれも一種の「菓子撒き」ですね。

 

 撒き銭をあげないと「ケチ」「ボケ」「カス」とののしられ、「途中で悪いことが起こるぞぉ」と、呪いまでかけられたそうです。

 まったくしょーもないガキどもだ。

 

 それにしても、いくら撒くのは小銭とはいえ、目的に辿り着くまであっちこっちでやっていたら、これだけで破産してしまいそうですね。

 それとも、ある程度のお金持ちじゃないとやらなかったのでしょうか?

 

 興味のある人は読んでみてください。

 

 しかし「葬式の長寿祝いの撒き銭」という形で、なぜ、とりわけ茨城に伝えられ、最近まで残っていた(今でも残っている)のか?

 そこのところはまだ謎のまま。

 

 「ひよっこ」には朝ドラなので、よもや葬式シーンは出てこないと思いますが、もし出てくるなら、ぜひ、この撒き銭をやってほしいものです。

 


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昭和39年の奥茨城に電話はなかったけど、テレビと葬式の「撒き銭」はあった?のお話

 

●時代考証は〇か✖か?

 

  朝ドラ「ひよっこ」に対して、昭和39年の茨城の田舎に、テレビがあって電話がないのは、時代考証がおかしいのでは?という意見が寄せられているようです。

 

 イマドキの携帯・スマホの普及率・進化度から考えると、テレビより電話の歴史のほうが長いように思えますが、じつは逆。

 

 世に出たタイミングはともかく、テレビの普及率が、昭和34年の現・天皇陛下のご成婚を境にググンと急激に上がったのに対して、電話の普及率は遅々としていました。

 僕も自分の置き電話を購入したのは、やっと1980年のこと。

 電話網のインフラ整備に時間が掛かったり、7万円だか8万円だかしていた権利金の高さが普及のネックになっていたのでしょう。

 そういえば昔、電話ってテレビよりも財産価値が高い物でした。

 今ではウソみたいな話だけど。

 

 というわけで、 日本中、ほとんどの家に電話があるという状況になったのは、1980年よりもっと後のことなのではないかな。

 

 だから「ひよっこ」の主人公・ミネコの実家にもテレビはあったが、電話はまだなかったという時代考証は正しいのです。

 

●葬式の「撒き銭」の意味は?

 

 それで昨日の話ですが、この前・東京オリンピックの時代、県北部にある架空の「奥茨城村」にも葬式の撒き銭の風習は厳然と残っていたと思われます。

 

 僕がよく参考にする「日本民俗調査報告」の茨城編のページをめくると、現在の日立市や北茨城市の地域を調査した資料に

 

 「死者が高齢の時は、年齢を赤色で書いた投げ餅や小銭をまく」

 

 「出棺時に金と餅をまくが、80以上の人には門口で拾わせないで手渡すこともある」

 

 といった記述が見受けられます。

 

 こうした記述からわかるのは、この「撒き銭」という風習は、故人が長寿だった――大往生だったということの証であり、そのご祝儀を集まった人たちに配るということです。

 

 まさしく「人生卒業おめでたい」といったところでしょうか。

 だから同じように長寿の人には「あなたももうすぐだから」と、確実に手にできるよう、手渡しもするのでしょう。

 

 さらに調べていくと、「撒き銭」については、お祭り・宗教と合わせて詳しく研究している民俗学者がいるので、その人の書いた本ものぞいてみたところ、さらに面白いことが。

 長くなるので、これはまたto be continue。

 


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●稀勢の里と「ひよっこ」と「撒き銭」でイバラキ人気 赤マル上昇中

 

 茨城県では葬式の時にお金をばら撒く。

 福島県では葬式まんじゅうとして、紅白まんじゅうが配られる。

 

 え、なにそれ?とリサーチ開始。

 

 次回の月刊仏事の「全国葬儀供養事情」は茨城県と福島県の特集です。

 

 茨城県は都道府県別魅力度ワーストワンという不名誉を背負った県。

 それはお気の毒に、県はさぞかしがっくり肩を落としていらっしゃるだろう・・・と思いきや、

それを逆手にとって「のびしろ率ナンバーワン県」と謳っている。

 

 なにしろ茨城には黄門様もいるし、納豆もあるし、梅だってきれいだ。

 でも、いつまでもそれに頼っていちゃあな・・・と思っていたら、

今年になって強力な援軍が現れた。

 

 久々の日本人横綱として角界人気ナンバーワン力士となった、牛久市出身の稀勢の里。

 そしてこの4月から始まった、有村架純主演、可愛い茨城弁満載のNHK朝ドラ「ひよっこ」。

 

 必殺ダブルカウンターパンチで茨城人気 赤マル上昇中です。

 

 ちなみに「ひよっこ」の舞台である「奥茨城村」というのは架空のもので、昔も今もそんな村は存在しないのですが、どうやら福島県に近い県北部がモデルのようです。

 

 そして、葬式でお金をばら撒く「撒き銭」という風習も、文献を調べるとこのあたりで長く行なわれていたことが書かれています。

 それがちょうどこのドラマと同じ、前・東京オリンピックの時代――昭和40(1960年代半ば)頃までのこと。

 その後の経済発展と都市化によって、こうした昔からの風習は急激に廃れていきました。、

 

 しかし希少ではあるけれど、ネット情報によれば今でもまだチラホラ残存しているようです。

 テレビで外国に移住した日本人妻が、その国の生活風習にびっくりしたことをレポートする番組がありますが、ここでも他県から来た奥さんなどが、そうした仰天レポートを載せています。

 そりゃびっくりするよね。

 なにせ人が死んだのに「「こりゃめでたい」と言って、来た人たちにお金をばらまくっていうんだから。不謹慎にもほどがある。

 

 ところが、この「撒き銭」、要は家の建築の時の上棟式や、結婚式などの時にやる「菓子まき」「餅まき」などと根は同じなのです。

 その話はちょっと長くなるのでまた明日。

 

 いずれにしても、稀勢の里と「ひよっこ」がもたらした千歳一隅のチャンス。

 この好機にどこまで人気を伸ばし、舞い上れるか?

 がんばれ、イバラキ!(イバラギではありません)

 


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聖地トキワ荘巡礼の寺に「マンガ地蔵」降臨

 

 「西武ドーム」が「メットライフドーム」に変わっちゃったという話をしたら、頭の中の20世紀の化石層から、西武線沿線の風景がいろいろよみがえってきました。

 

 僕はロンドン暮らしをしていた2年半あまりを除いて、20代のほとんどを西武池袋線の江古田で暮らしていました。

 また、その近所の東長崎や椎名町、西武新宿線の中井、新井薬師、少し飛んで上石神井なども友だちがいたりして、よくぶらついていました。

 

 4年程前にお隣の東長崎で取材の仕事があったので、そのついでに江古田にも言ってみたのですが、もう当時の面影――最後にいたのはもう四半世紀昔になる――はありませんでしたね。

 駅や大学(日芸をはじめ小さなエリアに3つも大学がある)がやたらと立派になった代わりに、ゴチャゴチャあった――だから楽しかった、喫茶店、定食屋、古本屋などがみんななくなってしまっていて、身体になじんだ街とはすっかり様変わりしていました。

 それは東長崎も同様でした。

 これはもうしかたないことだと思う他、ありません。

 

 ただ最近、「仏事」の仕事をしていて、お寺関係の情報が入ってくるのですが、椎名町と東長崎の間にある金剛院というお寺には「マンガ地蔵」ができ、ご朱印ブームに乗っかって「マンガ御朱印」を始めたとか。

 

 というのも、このお寺のすぐ近くに、手塚治虫先生、藤子不二雄先生、赤塚不二夫先生、石ノ森章太郎先生ゆかりの、かのアパート「トキワ荘」があったので、マンガファン・アニメファンがよく訪れるのだそうです。

 まさしく「聖地巡礼」です。

 

 それにあてこんで商売を――ということですが、悪い意味で言っているのでなく、これは街を活性化させる事業の一環。

 

 なんでも豊島区を巻き込んで、「トキワ荘再建計画」というのが進んでおり、当時のトキワ荘を忠実に再現し、なおかつミュージアム機能を持たせる、ということ。

 

 まさに20世紀の恐竜の化石の復元。

 マンガ文化のジュラシックパーク。

 

 この「マンガ地蔵」「マンガ御朱印」はその先駆けということで作ったわけです。

 

 ちなみにこのお寺は、託児所やカフェを設けたり、イベント・講演をおこなったり、地域文化のためにすごく頑張っていて、たくさん情報発信も行なっています。

 

 ちかぢか僕も「巡礼」に行かなきゃな、と思っています。

 

 


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「ありがとう」の思いを込めた動物供養は、世界オンリーワンの日本の文化

 

★ペット葬・ペット供養

 

 葬儀・供養業界の雑誌の仕事をしているのいで、その方面の話を聞くと、反応するようになっています。べつに信心深いわけではないのですが。

 

 最近、興味を抱いたのが、動物慰霊の話。

 人間の方は、お葬式をしないでそのまま焼場に送ってしまう直葬が激増。

 お葬式なんて形式的なものにお金をかけられない、という傾向が全国的に広がっていますが、その反面、ペット葬儀・ペット供養の件数は年々増え、手厚く弔うようになっています。

 

 これだけ聞くと、「人間より動物の方が大事なのか!」

 と怒り出す人もいそうですが、

 「その通り」とまでは言わないけど、

 日本のように動物の霊魂を認め、ちゃんと供養する文化を持つ国は稀少――というか、ほとんど唯一と言っていいようです。

 

★肉になる動物の供養:畜霊祭

 

 ペットの場合は心の癒し――いわば、精神の栄養になってくれるけど、肉体の栄養になってくれるのが、僕たちが毎日食べているお肉です。

 

 僕のロンドン時代の職場(日本食レストラン)の仲間にダテ君というのがいて、彼は高校卒業後、しばらくの間、食肉関係の会社に勤めていたそうです。

 

 そこでは必ず年に一度、「畜霊祭」というのを行い、自分たちが屠った牛や豚や鶏などを供養していたとのこと。

 

 もちろん、お坊さんが来てお経を唱えるし、参列者も喪服かそれに準じる服装をし、人間の法要と変わることなく、ちゃんとした儀式として行なうそうです。

 そして、社長など代表の人が祭詞を読み上げます。

 

 「人間のために貴重な命を捧げてくれて感謝の念に堪えません云々・・・」

 

 ダテ君の話を聞いたのはずいぶん昔のことなので、すっかり忘れていましたが、最近、この畜霊祭のことが書かれてある本を読んで思い出しました。

 

 さらにインターネットで調べてみると、びっくり。

 

 実際に屠畜に関わる食肉会社はもとより、家畜の飼料を作る会社とか、直接屠畜に関わるけではないところも、とにかく家畜関係のビジネスをやっているところは、みんな、こうした畜霊祭、牛供養、豚供養、鶏供養などを行っているんです。

 家畜のおかげで収入を得て暮らしていける。感謝してしかるべき。

 そういう考えかたなのです。

 その本の著者によれば、こんなことをやっているのは世界中で日本だけ。まさしく日本独自の文化。

 

★イルカもクジラも魚も、動物園も水族館も、実験動物も

 

 この話をすると、欧米人は信じられないとか、奇異な目で見て、嗤う輩もいるらしい。

 バカヤロ。

 彼らがよくやり玉に上げるクジラやイルカはもちろんのこと、「魚魂祭」といって魚の供養をするところだって全国津々浦々にあるのです。

 

 さらに言えば、9月の動物愛護週間には、全国各地の動物園で「動物慰霊祭」が行われるし、水族館ではやはり魚魂祭が行われます。

 

 そして実験動物も。

 マウスやモルモットをはじめ、動物実験を行っている研究所・医療機関も動物供養を行っています。

 

 僕たちは割と当たり前だと思っているけど、こうした施設においてちゃんとした動物供養をする国も、どうやら世界で日本だけのようです。

 

★敬虔な気持ち、感謝の心に基づく文化

 

 だから日本人は立派だ、という気はありません。

 ナナメから見れば、いくらでも批判できます。

 

 ペット業者も食肉業者も動物園も、みんな商売の一環でそうしているんだ。

 他のところがやっているから右へ倣えでやってるだけだ。

 実験動物だって、一部の動物愛護家がうるさいからだろ。

 カタチだけで魂なんかこもっちゃいない・・。

 とも言えるかもしれません。

 

 でも、そうした命や自然に対する敬虔な気持ち、哀れに思う気持ちと感謝の心に基づく文化があることは確かだし、知っておいたほうがいい。

 そして機会があれば、外国の人にも伝えられればいいと思うのです。

 

 少なくとも、畜霊祭や魚魂祭のこをおかしがって嗤う輩に

 「クジラやイルカを殺して食うとは、かわいそう。日本人はザンコクだ」

 なんて言われたくないよね。

 

 


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人形が幸せになれる国ニッポン

 

 先日、「仏事」の仕事で和歌山の清掃会社を取材したときのこと。

 その会社は仕事の半分以上が、遺品整理や生前整理、そして独居老人が亡くなった後の家の清掃などをやる、いわゆるデスケア関連の会社です。

 

 和歌山というのは高齢化の先進県で、人口全体に対する高齢者の割合が全国第6位。

 近畿地方ではナンバーワンとのことで、この数件、家の中を整理したいという高齢者が激増しているのだとか。

 デスケア業界で言う「生前整理」のニーズに応じて、このビジネスに参入する業者も増えているとのこと。

 

 そこでかなりの割合で出てくるのが、お人形さんです。

 この季節、父・母から子へ、祖父・祖母からかわいい孫へ、立派な五月人形が贈られます。少し前なら、もちろん、女の子を寿ぐひな人形が。

 

 これらの華やかな人形たちは、最初の数年は家の中ですごい存在感を放つのだけど、子供が大きくなるとともに、だんだんその存在感が薄れていきます。

 

 そして気が付けば、子や孫は大人になり、人形たちは楽屋の隅に引きこもった役者のように。

 ましてや子供が出て行ってしまった家では、こういっちゃなんだけど、ちょっと邪魔者になってしまう場合が多い。

 

 そんなわけで、その会社では生前整理の仕事を受けていると、2~3ヵ月ほどの間に倉庫に人形があふれてしまうのだそうです。

 

 スピリチュアルなんて信じないという人でも、やっぱり人形は「ただのモノ」としては扱えません。

 みんな多かれ少なかれ、口には出さないまでも「これ魂入ってる???」と考えてしまう。

 ポイとゴミ箱に捨てるわけにはいきません。

 

 じつはこの会社の近所には「淡島神社」という、人形供養で全国的にも有名な神社があります。

 長い間、家族の物語を育んできた人形たちはその役割を終えて、ふるさとの家をあとにし、しばしの下宿暮らしを終えたのち、生前整理屋さんの車でこの神社に辿り着きます。

 そして厳かに供養され、安らかな眠りにつきます。

 

 淡島神社に持って行ってもらえると聞くと、親御さんたちも安心して手放すことが出来るのだそうです。

 ここだけでなく、こうした場所が全国津々浦々きちんとあるということは、人形にとって幸せなことなのでしょう。

 子供にとっても、親にとっても、きっと。

 

 最期にちゃんと行き着き、安らぐ場所があるから、安心して人形が作られ、売り買いされ、魂が入り、人形の文化が豊かになったのかなぁ、キャラクター文化につながっているのかなぁと思ったりしています。

 


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近江路の桜と庶民の仏像

 

●お寺の数日本一の滋賀県

 

 レギュラーワークの鎌倉新書「月刊仏事」の仕事では、毎月の業界ニュースと、隔月の「全国葬儀供養事情」という連載企画を担当しています。

 

 後者は全国47都道府県の葬儀の風習や伝統、ビジネス状況や終活事情などを紹介するもので、現在、調査・執筆しているのは「滋賀県」の巻。

 

 じつは滋賀県は10年ほど前、他の仕事で長浜市近辺に半年ばかりの間、よく通ったことがあるため、親しみを持っています。

 

 奈良・京都に比べると一般的な印象は薄いと思いますが、お寺の数はこの両県をしのいで日本一。

 仏像・神像の数もトップクラスで、仏教美術の宝庫でもあります。

 

 かの白洲次郎の奥さんだった白洲正子さんも観音様などの仏像・舞狂美術を訪ね歩き、いくつもの紀行文・随筆を書いています。

 

●庶民が守り育てた仏教文化

 

 奈良・京都の場合、仏教は時の政治権力と根底で結びついており、そこから派生する文化も、貴族などの支配階級が深く関わっていました。

 

 それと比べて滋賀県における仏教文化の特徴は、その地に住む村人たち、つまり庶民が守ってきたということ。

 奈良・京都に比べて今一つ地味な印象で、注目されづらいのは、そのためなのかも知れません。

 

 庶民が仏像などを守ってきたことにはちゃんと理由があります。

 

 滋賀の旧称は近江。

 江とは「うみ」のことで、うみに近い場所。

 この「うみ」とはもちろん日本最大の湖・琵琶湖のことです。

 琵琶湖という静かな海の向こうに、政治の中心地である京都があったため、宿命的に近江一帯は歴代の権力闘争の舞台になってしまいます。

 

 最もひどかったのは安土桃山時代で、この一帯の人々の暮らしは、信長や秀吉など、権力を獲得せんとする近隣諸国の武将たちにさんざん蹂躙され、翻弄されました。

 

 そうした暴力に対して無力な庶民は、仏様に救いを求めるしかなく、日々の生活の中でごく自然な信仰心が育まれたのだと思います。 

 

 滋賀に通っていた頃、そんなエピソードが残るお寺、戦火の中から人々が救い出した仏像の話をいくつも聞きました。

 

 また、そんなストーリーを胸に収めながら歩いた長浜郊外の観音様巡りは今でも心に残っています。

 

●情報化社会がもたらす混乱

 

 今回、葬儀社さんなどに話を聞くと、このような文化背景があるせいか、滋賀の人たちは冠婚葬祭に関してかなり保守的で、昔の習俗にこだわる人が多く、お寺も長年大事にされてきたせいか、生活者との関係改善に関心を持たず、いまだに上から目線のところが多いとか。

 

 しかしそれでも、最近の葬儀の小規模化・低予算化、さらには葬儀不要論などの時代の新しい潮流には逆らえません。

 情報の送り手である葬儀社やお寺、受け手である生活者ともども相当混乱にさらされているようです。

 

 「仏事」の取材は残念ながら現地取材はできず、電話とメールで事実関係の調査をがんばって、あとはそれをもとにイメージを膨らませるのですが、記事を書いていると、近江の観音様がまた会いにおいでと手招きしているような気持ちになります。

 

 近江路はきっとまだ寒いだろうけど、桜はもう咲いているのだろうか。

 


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お寺や葬儀社の地域貢献事業

 

 鎌倉新書の仕事をやっていると、お寺や葬儀社の取材をしたり、ネットなどを通していろいろ情報を仕入れます。

 

 こうした葬式に関わるところは、何やら辛気臭いイメージがまとわりついていて、できればあまり関わり合いになりたくない、という人が多いでしょう。でも最近はそんなイメージを脱却すべく、一肌脱いで頑張っている会社やお寺も増えています。

 

 いちばんわかりやすいのは地域のコミュニティづくりへの貢献です。

 「お寺の集会場で地域の子供会のクリスマスパーティー」といった、ツッコミどころだらけの、笑える日本的カオス宗教企画が、僕たちの子供の頃には多々ありました。

 それが最近、あちこちで復活しているのです。

 

 たとえば、お寺の施設を利用したカフェ、ヨガ、書道、珠算などの教室、説法会、保育所、コンサート、演劇など、さまざまなイベント。

 

 また、地域密着を謳う一部の葬儀社なども持ち前の能力を活かして、商店街や町会などと提携したイベントを行っています。

 これらはもちろん、ボランティアか、それに近い貢献事業で、志ある住職や社長が真剣に(でも楽しんで)取り組んでいます。

 

 商店街から人影が消え、町会や自治会にも人が集まらなくなり、子供や若者が少なくなって、深刻な地域崩壊の危機に直面しているところは、どんどんどん増えています。

 

 こうした問題に取り組む際、学校や行政の公的機関だけに頼ってしまうのには抵抗があります。

 みずから自由を放棄して、お上の指示を仰ぐような形になってしまうからです。

 

 そういう時に、お寺や協会などの、日常生活に溶け込んだ宗教施設の存在感や、気軽に相談できる、イベント・セレモニーのプロフェッショナルが頼れる助っ人として浮かんできます。

 

 言い方を変えれば、お寺や葬儀社は潜在的な文化力・情報発信力を持っており、その気になればとても活用できる部分、(お寺や葬儀社の立場からは)役立てる部分が大きい。

 

 逆にいえば、お寺や葬儀社は、人々の寺離れ・葬儀離れを嘆く前に、自分たちの社会的役割を改めて考え、自分たちのできること、役に立つことを明確にして、なるべく自然な形でそれをアピールする方法を模索していくべきではないかと思います。

 


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結婚式・葬式:セレモニーはドラマであり、人生のストーリーを形にするツール

 

●お葬式をあげるかどうか

 

 仕事でお葬式を取材したり、お葬式に関する話を聞くことが多くなりました。

 最近は家族やごく親しい身内だけ、人数も1ケタからせいぜい20人以内でひっそりと故人を送る「家族葬」、また、斎場などを使わず、昔ながらにあえて自宅でお葬式をする「自宅葬」が増加傾向です。

 

 これとともに「葬式なんて要らない」という考えで、亡くなったらそのまま火葬場へ直行する「直葬」も急激に増えています。

 

 「死んだら終わりや。葬式なんぞに金をかける必要なんてあらへん」

 

 もちろん経済的事情は大きいと思います。

 

 それと同程度に個人主義が巷に浸透し、そんなに人に気を遣わなくていい、世間体を重んじる必要はない・・・という考え方の人が増えたことも要因でしょう。

 お葬式が形骸化し、虚飾的と捉えられることも少なくありません。

 

●結婚式は増えている

 

 これに対して、結婚式の方は増加傾向です。

 「結婚式をやりたい」という考え方のカップルが増えている。

 昔のように、ゴージャスに、お金をかけて・・というわけではありませんが、一時期、ジミ婚が増えて、結婚式なんかやらないのがトレンド、という感じになった時期と比べれば、だいぶ変わっています。

 

 ただし昔と違うのは、それが家とか親のためでなく、自分たちのために、になっていることです。

 

●セレモニーの効能

 

 結婚式はセレモニー。セレモニーはドラマであり、ストーリーです。

 心の中で思っているだけでは形として実を結ばない。

 いくら素晴らしい脚本を書いたとしても、実際にそれが上演されなくては意味がないのです。

 

 わたしの人生のストーリーを描きたい。ちゃんとそれを形にして体験し、残したい。

 

 若いカップル(中には熟年カップルも)にはそう考える人たち(特に女性)が僕たちの世代より増えているもでしょう。

 

●自分の結婚式の話

 

 かれこれ22年前のことですが、恥ずかしながら、僕は結婚式(正確には披露宴)を2回やりました。

 1回目は東京で洋館を借りてハウスウェディング。

 これはもちろん自分で費用を出して、脚本・演出も自前でやりました。

 

 2回目は名古屋のホテルで。

 親に、ぜひ実家の方でやってくれと言われ、費用も親が出しました。

 これにはちょっと抵抗しましたが、断り切れず、これも親孝行かなと思って、なかばしぶしぶやりました。

 

 しかし22年後、父が亡くなり、母が老い、その時出席したおじやおば、父の友人らも大半がこの世を去った今、ふり返って考えると、自分たちのためにも、家族や友人のためにも、やってよかったなぁと思えてくるのです。

 

 なんというか、その時にいろいろな人との関係性を再確認できたという感じ。たぶん、あの時会わなければ、その後もずっと一生会わなかっただろうなという人たちも結構います。

 

 人生にはストーリーが必要です。

 それを形にするのに、セレモニーを行うのは安易な手段かも知れないけれど、可能であればやっぱりそういう機会はあった方がいいと思うのです。

 

●本当に必要ないと自分軸で考えているのか?

 

 「家族に負担をかけるし、葬式なんてやる必要ない」という人も多いですが、お葬式は基本的になく故人のためのものではなく、遺される人たちのためもの。

 

 亡くなって2~3日でバタバタと葬式を出すのは大変なので、その後の、いわゆる「お別れ会」でもいいのですが、何か形にする機会がないと、関係のあった人たちにとっても寂しいし、心残りのではないでしょうか。

 

 そう考えていくと、「葬式はいらん」というのはちょっと傲慢だし、遺される人たちへの思いやりに欠ける気がします。

 

 セレモニーを拒否することについて、それなりの信念を持っているのなら、それはそれで立派です。

 

 しかし、たんにトレンドだからとか、やらないほうがなんとなくカッコいいからとか、あるいは、〇〇さんや△△先生が「あんなもの必要ない」と言っているからとか・・・

 そんな他人軸的な理由でやらないと言っているのなら、考え直してみてはどうでしょうか。

 

 結婚式にしても、家族のお葬式にしても、「やればよかった」と言っている人は割と多いと聞きます。

 

 あとから後悔しないためにも、自分にとって、あるいは周囲の人たちにとって、そのセレモニーに意味があるのかないのか、自分軸で考えよう。

 

 


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プログレッシヴ・ロックスターの死②:キース・エマーソンの誇り高き自殺(1周忌に捧ぐ)

●既成概念を打ち破るキーボードプレイヤー

 

 報道された記事によると、キース・エマーソンは昨年、アメリカ・サンタモニカの自宅でピストル自殺をしたそうです。

 動機は病気のせいで指が思うように動かなくなり、自分が理想とする演奏ができないと悩んだ末・・・とありました。

 

 そこで僕は1970年代、ELPにおける若きエマーソンの雄姿を想起します。

 

 ELP時代のエマーソンはロック界最高のキーボードプレイヤーとして知られ、超絶的なテクニックを駆使して、ピアノ、オルガンなどのキーボード群を縦横無尽に弾きまくっていました。

 

 それまでロックバンドにおけるキーボードプレイヤーは、たとえばギターやヴォーカルに比べて、楽器の特質上、ステージ上であまり動かず、したがって自己主張が少ない存在でした。

 しかし、エマーソンはその概念を打ち破り、とにかく派手なアクションで大暴れ。ELPはベース、ドラムとのトリオ編成で、他に動き回れるメンバーがいないという事情もあったせいだと思いますが。

 

 

●巨大な機械獣と闘う戦士のエマーソン

 

 当時は当然のことながら、You Tubeどころか、ホームビデオもない時代でロックアーティストの動画を見る機会は、ほとんどNHKの番組「ヤングミュージックショー」に限られていました。

 中高生時代の僕はそのオンエアがある日時は何よりもそれを優先しました。

 ELPのステージを見たのも、その番組でです。

 

 そこではエマーソンがオルガンを揺するわ、蹴とばすわ、あげくの果てにナイフを突き立てて、ギュインギュインとノイズを発生させて、観客は大喝采の大盛り上がりという、いま見ると完全にギャグとしか思えないシーンが展開していました。

 

 そういえば当時のロックバンドは、ステージ上でよくギターをぶっ壊したり火を点けて燃やしたり、ドラムセットをぶっ倒したりと、めちゃくちゃなパフォーマンスをやっていました。

 いまでは本当にお笑い沙汰ですが、それを僕たちは「すげええええ」「カッケえええええ」と、思っていたんです。

 とんでもなくアホな時代です。だけど面白かったし、みんな興奮して血がたぎっていました。

 

 それはさておき、通常のキーボード群の他、当時の「ムーグ・シンセサイザー」というバカでかいアナログシンセを弾きこなすエマーソンの姿は、まるで迫りくる21世紀の機械文明の脅威――巨大な機械獣に立ち向かう人類代表の戦士に見えたほどです。

 

●音楽に殉じた尊厳死

 

 2016年3月――70歳を超した彼の中には、その20代の頃の、まるでキーボード群を思う存分、手足のように動かし、ハイテンションで演奏していた頃の自分の残像がくっきりと残っていたのでしょう。

 

 でもけっして過去の栄光・過去の名声を捨てきれず、追い求めていたというわけではない。

 彼の中にはいつも自分が理想とする音楽の王国があり、それに命を捧げる覚悟があった。

 だから、それが実現できなくなった――ファン・観客の前で理想の、あるいはそれに準ずるパフォーマンスができなくなった時、死を選ばざるをなかったのではないかと思うのです。

 

 おそらくはお金ならいくらでもあるだろうから、生活のために稼ぐ必要はない。ならば生きる意義をどう見い出すのか?

 

 演奏できなくても、曲は作れるのでは? 今後は作曲家オンリーとして生きる道があったのでは・・・とも思います。

 が、エマーソンの場合、演奏活動と作曲活動というのは彼の肉体の内部で完全にリンクしており、どっちか片方だけやる、ということはできなかったのではないかと想像します。

 からだが動かないと脳も働かない、それまでの特別な才能を発揮することができない、という人はけっこういるのではないでしょうか。

 

 また、音楽の世界から引退して安穏と――たとえば家族や親しん人たちとのんびり余生を過ごす、ということも彼の頭の中にはなかった。

 そうしなかったのではなく、そうできなかった。

 

 エマーソンのような天才で、ハイテンションで生きてきた人間にとっては、そんな凡人のような発想は不可能だったし、死ぬより退屈な時間を過ごすくらいなら・・・という結論に達してしまったのでしょう。

 

 だから音楽ができなくなり、自己の存在価値を失ったキース・エマーソンの自殺は、本人にとっては「尊厳死」だったのではないかと思うのです。

 

 もちろん70年生きた人間である以上、プライベートや周囲の人々に対する存在価値、責任、社会的影響もあるので、自殺という行為を単純に肯定することはできません。

 

 けれども、プログレッシヴ・ロックのファンであり、彼らの音楽に育ててもらい、遠いところへ旅させてもらい、世界を開かせてもらった僕としては、願わずにはいられない。

  エマーソンの死は尊厳死だった。

 彼は誇り高き音楽の王国に殉じたのだ、と。

 

 Mrエマーソン、Mrレイク、Mrウエットン、

 素晴らしい楽曲の数々と、いつまでも遺る異次元への旅の記憶をどうもありがとう。

 

 


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プログレッシヴ・ロックスターの死①:ジョン・ウエットンの訃報、そしてロンドンの寿司

●ジョン・ウエットンの訃報

 

  つい先日、You Tubeを見ていたら「John Wetton Died」という文字が目に留まり、調べてみたら、1972~74年にキング・クリムゾンのメンバーだったジョン・ウェットンが今年1月に亡くなっていたことを知りました。

 

 クリムゾンは英国のプログレッシヴ・ロックバンドで、1969年発表のデビューアルバム「クリムゾンキングの宮殿」がロックの名盤として最も有名ですが、僕はウエットンがベーシスト&ヴォーカリストとして在籍していた頃のクリムゾンサウンドがいちばん好きです。

 

 「太陽と戦慄」「暗黒の世界」「レッド」「USAライブ」という当時リリースされた4枚のアルバム。中でもウエットンが歌う「放浪者」「夜を支配する人」「堕落天使」「スターレス(暗黒)」といったメロディラインの美しい楽曲を愛聴していました。もちろん今でも。

 

 ウエットンはクリムゾン解散後、同じメンバーだったドラムのビル・ブラッフォード、キーボード&バイオリニストのエディ・ジョブソンなどと「U.K.」というバンドを組んで活躍。1981年の来日時には中野サンプラザにライブを見に行きました。

 「闇の住人」「光の住人」「闇と光」という3部構成の組曲は最高にカッコよかった。

 U.K.のあとは70年代のプログレスターたちを集めた「ASIA」というバンドを作りました。デビュー曲の「ヒート・オブ・ザ・モーメント」は良かったけど、時代に合わせたせいなのか、ポップで軟弱な音作りになってしまい、関心は薄れました。

 

●キース・エマーソン、グレッグ・レイクの訃報

 

 ウエットンは癌で亡くなったそうですが、その関連で調べていったら、同じくプログレッシヴロックのバンド・ELP(エマーソン・レイク&パーマー)のキース・エマーソン、グレッグ・レイクも昨年亡くなっていました。

 

 ELPは、僕が中高生時代読んでいた「ミュージックライフ」という、当時、日本で最も売れていた(と思われる)ロック音楽雑誌で、1975年の人気投票ナンバー1だったバンドです。

 

 ムソルグスキーの「展覧会の絵」やチャイコフスキーの「くるみ割り人形」といったクラシック曲をロックに大胆アレンジしたアルバムや、ギリシア神話のメドゥサをモチーフにした強烈なジャケット(デザインは「エイリアン」を造形したギーガー)の「恐怖の頭脳改革」といったアルバムが大評判でした。

 

 キース・エマーソンがキーボード、グレッグ・レイクがベース&ヴォーカル、カール・パーマーがドラムスというトリオ編成。

 当時のロックファンの間では(僕の周囲だけだったかもしれませんが)「ELPを聴かなければ若者じゃない」とまで言われていたくらいです。

 

 さらに言うと、グレッグ・レイクはウエットンの前にキング・クリムゾンでベース&ヴォーカルを担当していたアーティスト。

 クリムゾンのオリジナルメンバーです。

 

 先述したかの名盤「クリムゾンキングの宮殿」では、「21世紀の精神異常者」「エピタフ」などの名曲で、詩人ピート・シンフィールドの鮮烈な歌詞を神秘的な声で歌い上げていました。

 まさしくレジェンドなアーティストでした。

 

●日本食レストランの常連客で、お寿司が好物のレイクさん

 

 僕は1985年から87年までロンドンの日本食レストランに勤めていましたが、そこはBBC(英国の国営放送局)に近かったこともあり、スタジオ収録を終えた俳優やミュージシャンがしばしばお客さんとして来店していました。

 

 その中でもグレッグ・レイクは常連客の一人で、たいていいつも寿司カウンターに陣取ってお寿司を食べていました。

 

 クリムゾン在籍時やELPスタートの頃はカッコよく、長髪の似合う若者だったレイクさんは、僕が会った頃はまだ30代でしたが、随分とメタボ体型になっていました。

 

 その巨体で寿司カウンターに座り、まるまると膨らんだ指でお寿司をつまみ、次々と平らげる姿にはかなりの違和感を覚えました。

 中高生時代の僕にとっては神話の中の英雄みたいな人だったので・・・。

 

 まあ、どんなにすごいアーティストだろうが、女神のごとき美女だろうが、みんな生きている以上めしを食うし、めしを食っている時は「ただの人」になるんだなぁということをしみじみ悟った体験でした。

 

●キース・エマーソンの悲劇

 

 レイクのように常連ではなかったけれど、キース・エマーソンも彼と一緒に2~3度来店したことがあります。

 

 ELPは一度、1970年代の終わりに解散していましたが、確か当時は、残る一人のカール・パーマーが、ジョン・ウェットンのASIAのメンバーになっていたため、ドラマーにコージー・パウエルを入れ、新ELPとして活動し始めた時期だったと思います。

 それで時々、一緒に来て話をしていたのでしょう。

 

 その頃のキース・エマーソンはレイクさんのように中年太りしておらず、まだ70年代のカッコいいイメージをそのまま保っていました。

 

 でも今回、いちばん衝撃的だったのは、そのエマーソンの死についてでした。彼の死因はピストル自殺だったのです。

 

②へつづく

 


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船村徹さんの告別式:またひとつ昭和にさようなら

昨日はまた鎌倉新書のウエブサイト「いい葬儀」の取材で、船村徹さんの告別式に行ってきました。

 

https://www.e-sogi.com/magazine/?p=8310

 

「昭和歌謡の大作曲家」ですが、正直、いまいちピンときません。

 もちろん知っている歌もいくつかあるし、「王将」は子供の頃の愛唱歌でしたが。

 僕を含むメディアの取材陣にとっては、数ある情報の一つですが、

 

 ところが、それは若い世代(僕はべつに若くありませんが)の話。

 団塊の世代以上の人たちにとっての船村さんは、僕たちにとってのサザンオールスターズにも匹敵する存在です。

 

 会場の外に集まっていたファンの皆さんにマイクならぬ、ICレコーダーを向けると、よくぞ聞いてくれた!という感じで、いかに船村さんの曲が素晴らしいか、いかに自分たちがその歌を愛しているかを熱く語ってくれました。

 

 昭和歌謡の大作曲家は、僕を含む現場のメディアの取材陣にとっては、数ある情報の一つですが、彼らにとっては自分の人生とともに生き、自分の心を歌にしてくれた、かけがえのない存在なのです。

 

 皆、ひとしきり話すと一様に「これでまた昭和が終わっちゃうねぇ」と寂しそうでした。

 

 もう平成になって30年近くたつけれど、彼らの中ではまだ昭和は終わっていない。

 昭和文化を創った著名人たちが一人ずつこの世を去っていくたびに、ひとつずつ、ゆっくりと昭和は終わっていくのです。

 

 


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藤村俊二さんの「献花の会」 おヒョイと逃げても味になる

 

 昨日は鎌倉新書の仕事で、先日亡くなった藤村俊二さんの「献花の会」の取材に行ってきました。

 

 祭壇は白とグリーンに統一され、献花はすべてカスミソウ。

 カスミソウが藤村さんの人生のテーマになっていたようです。

 

 俳優なら目立ちたい精神がないはずはないのですが、自分は真ん中でバラのように目だって咲き誇る存在ではないと悟り、そこを掘り下げたところに、藤村さんの成功の理由があったように思います。

 

 わきで目立たないからこそ却って目立つ、とても軽いのにすごい存在感があるという、あとにも先にもない、突出した個性を身に着け、自分のポジションを守り通しました。

 

 そうした生き方は、若い頃、日劇ダンシングチームのメンバーとして1960年代の欧米を巡った時に、欧米のダンスのレベルの高さに圧倒されて、「おれにはムリだ」と、その道を断念した――という一種の挫折と関係していると思います。

 

 「逃げるな」「あきらめるな」とよく言われますが、一度志したその道を究められる偉大な人など、ほとんどいない。

 また、そんな偉大な人だらけになってしまっては、世の中、息苦しくてしようがない。

 

 要はその逃げ方・あきらめ方の問題。

 はた目には愛称通り、ヒョイヒョイと生きてきたように見える藤村さんだって、どこ立ち位置を置くか、どうすれば自分が輝けるか、その部分ではすごく葛藤し、闘ってきたのだと思う。

 

 「闘う」なんて暑苦しい言葉は、藤村さんに似合わないけどね。

 

 好きなことしたい。でも生活していかなきゃいけない。

 そのはざまでみんな生きて、自分の人生をつくっていきます。

 

 藤村さんの挫折は、当時は逃げとか、あきらめとか言われたかも知れないけど、時が満ちればそれは、かけがえのない「経験」となり、最終的には俳優としての、おいしいスパイスになって、おおぜいの人を楽しませてくれたのだと思います。

 


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犬から、ネコから、人間から、ロボットからの卒業

 

 今年もお年玉年賀はがきは1枚も当たりませんでした。

 僕にはこういうくじ運はないようです。

 でも、年賀状を見返していると、脳にふくらし粉が入ったように、ぷうっと妄想が膨らみました。

 

 今年の年賀状でお友達の犬が2匹、犬を卒業したことを知りました。

 

 片や、以前作った「犬のしつけマニュアル」に出演してくれた、ますみさんちのなずなちゃん(ポメラニアン)。

 

 片や、一度もあったことなかったけど、毎年、干支にちなんだコスプレで楽しませてくれたチエさんちのゴン太くん(柴犬、それともミックス?)

 

 ささやかながら、お世話になった2匹の犬にどうもありがとう、とつぶやいた後、犬を卒業した犬はどこへ行くのだろう?そして次は何になるのだろう? という疑問にとらわれました。

 

 もしかしたら人間になって、今度は自分が犬を飼うのでしょうか?

 それとも天使になって、飼い主を見守ってくれるのでしょうか?

 あるいは先祖返りしてオオカミになって、荒野を駆けるのでしょうか?

 それともやっぱりまた犬に生まれ変わるのでしょうか?

 

 あれこれ学校教育を批判する人は大勢いますが、それでも日本人は学校というものが大好きです。

 その大きな理由の一つに「卒業」があるからです。

 卒業して次のステージに行く。もう一つ高いところへ昇る。

 大空のように無限の可能性が広がる世界。

 ――もしかしたら、そうした卒業という夢を抱くために、学校というものの存在価値があるのかもしれません。

 

 「卒業」という言葉を口にするとき、僕たちの心の中には、涙雨の後に過去と未来とをつなぐ大きな大きな虹がかかるのです。

 

 それは本当に美しい虹です。

 だから僕たちは、悲しい別れにも、いや、だからこそ「卒業」という言葉を使う。良いことだと思います。

 

 最近は、人間の場合も「人間卒業」とか「人生を卒業する」とか言います。

 人間は卒業したらどこへ行くのだろう?

 次は何になるのだろう?

 

 ロボットはロボットを卒業したら人間になるのでしょうか?

 これはストーリーとしてスジが通るなぁ。

 でも、品行方正で正しいことしかしなかったロボットが人間になったら、

 「これが人間らしさだ」とか言って、悪さをいっぱいしたり、自堕落な生活を送るかもしれない。

 

 ネコはどうだろう?

 なんとなく、犬は人間より下なので、卒業して人間になるというのは道理にかなっている気がしますが、ネコは人間と対等、それどころか、人間より上、というフシもありますね。

 

 全国各地でネコがニャアと神通力のようなものを使ったり、神秘的なお導きをしかおかげで、人間を救ったという話は枚挙にいとまがありません。

 だから猫神様として祀られたり、招き猫になったりする。

 ネコはもともと神様に近いので、ネコを卒業せず、ずっとネコのままなのかもしれません。

 

 楽しい妄想をさせてくれて、なずなちゃん、ゴン太くん、本当にありがとう。

わん。

  


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母の世界深化縮小

 

 母が入院したとの知らせを受けて急遽帰省。

 8年前、父が亡くなった時と同じ病院。ほぼ同じ時期。ロビーには8年前と同じ(たぶん)クリスマスツリーが飾ってありました。

 

 けれども大したことなくて、溜まった肺の水が抜けて、血圧が下がって歩けるようになれば年内には退院できるとのこと。三日ほど見舞いに通いましたが、だんだん元気になって「病院の食事はうまくない」と文句言いつつ、パクパク食べています。

 

 父の死後、話を聞くのが僕の仕事になっているので、今回もとにかくあれこれ話を聞きました。

 内容はいつもほぼ同じで「わたしは幸せだった、恵まれていた」と訥々と話し、父(夫)のことをほめそやします。

 どちらも昭和ヒトケタ生まれで、今の感覚で言う「仲睦まじい夫婦」という感じでは全然なかったのだけど、それなりに支え合って生きてきた、と実感できるのでしょう。

 

 その反対に、僕の目から見て結構仲が良いと映っていたきょうだい(つまり僕の叔父や叔母)に対しては、割と冷淡になっています。

 というのは、今年の夏、6歳違いの妹が亡くなったのだけど、結局、葬式にも行きませんでした。(と、今回、僕も初めてそのことは知りました)

 齢を取るといろいろ面倒くさくなる、というのが母の言い分。

 2年程前まではそれでもちゃんときょうだいや親戚の葬式には行って、あれこれ喋っていたのですが。

 

 

 最近、母を見て僕が思うのは、人間、老いるに従い、だんだん子供に戻っていくのかな、ということです。

 子供の世界・視野は狭い。それが成長につれてどんどん広がり、大きくなっていくわけだけど、老いるとその逆の現象が起き、だんだん世界が縮小していく。

 言い換えると広がりをなくす代わりに、限りなく深化していくのかもしれない。

 その分、この世とは異なる別の世界が広がって見えてきて、そちらのほうへ移行していくのかもしれません。

 

 意識の中では身近にいる人間、自分の思い入れの深い人間だけが残り、そうでない人の存在は、血縁関係者でも、親友だった人でも遠のいていってしまうのでしょう。

 

 その人の生活の核が残る。

 そしてさらに進むと、さらにそれが絞り込まれ、その人の“生”の核が残る。

 

 両親にはまだ教わることがあるようです。

 

 

2016・22・16 THU


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高齢者ドライバーは、免許返すとお得やでぇ~

 

 「免許返すとお得やでぇ~」

 と言っているのは大阪府警。

 

 そうなんです。大阪では免許自主返納でいろんな割引やサービスが頂ける。

 高齢者の運転ミスによる交通事故が相次ぐ昨今、大阪では2012(平成24)年から、返納の証明書を提示すれば飲食店や雑貨店、金融機関から料金割引や金利優遇などの特典を受けられる「運転免許自主返納サポート制度」を実施しているとのこと。

 

 府内の1670店舗が参加(今年8月末現在)しており、この「お得効果」で大阪府の高齢者免許返納率は一昨年・昨年と全国トップを記録しているそうです。

 葬儀屋さんの「葬儀割引サービス」もあるねんて。

 

 「お得」で自主返納を促すとは、さすが大阪らしい。

 もちろん大阪が公共交通機関の発達している大都市だからできることなんだけど、この発想はやっぱユニークで好きです。

 人の心を動かすには正論を唱えたり、モラルを説いたりするだけではダメだと思うのです。

 

 高齢になると事故を起こすリスクが高くなるというのは、みんな知っていること。だけど、そう簡単に免許を手放せるものでしょうか。

 

 実用的な部分もさることながら、若い頃、「これが俺の青春だぜ!」とか言って、バイクやらスポーツカーやらアメ車やら、はたまたトラック、ダンプをかっ飛ばしていたような人たちにとって、運転免許はアイデンティティの一部と言っても過言ではありません。

 

 そろそろ高齢者の域に達する永ちゃんだって「やっちゃえ」とか「もっと行け」とか、車のコマーシャルでカッコよくかましています。

 

 「永ちゃんがあんなに頑張ってるんだから俺だってまだまだ・・・」と、内心思っている人は結構いるんじゃないかな。(別に永ちゃんが高齢者の運転を煽っているわけじゃないけど)

 

 そんな中で、たとえ今、そんなに頻繁に乗っていないにせよ、免許を手放す=車の運転を諦めるというのは、精神的にかなりきついことだと思うのです。

 

 でもそんな時、「わしも若い頃はバリバリやっちょったけど、そろそろヤバイので免許返したったわ。その代り、あっちの店でもこっちの店でも安く買い物したり、飲み食いできるでぇ~」と言えれば、少しは寂しさも和らぐのではないでしょうか。

 

  さらにまた、「葬式も割引になるさかい、浮いたゼニでみんなでパーッと飲み食いしてや!」

 と笑ってカマせるじいさん・ばあさん、僕は永ちゃん並みにカッコいいと思います。

 

 

2016・11・8 TUE


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[老害人」の話を聞いて思う、高齢者の人生最後で最大の仕事

 

★老害人

 

 ここのところ、割と頻繁に「老害」という言葉が意識の表に上がってくる。

 オリンピックやら、豊洲市場やら、不正請求やら、何やらかんやら、

あちこちニュースなどを見ていて、そう思っていたのだけど、

これは何もニュースで採り上げられるような、政財界のお偉いさんに限った話ではないようです。

 市井の庶民にも「老害人」が増殖しているらしい。

 介護の現場で仕事をしているお友達の話を聞いてそう思っています。

 

★ボケたふりして要介護レベルUP

 

 要介護レベルの査定があって、査定の時になるとボケてるフリをしたり、身体が不自由なフリをしたりする。

 そうすると査定でレベルが上がって、より安く、よりたくさんのサービスが受けられる――そういうことを企むご老人がどうも少なくないようなのです。

 

 こういうのって、やはり進学とか就職の試験をうまくクリアする技術と相通じるところがあるのでしょうか?

 やたら試験に強い人っていますからね。

 そういう技術。ノウハウは、老境になっても通じるものなのだろうか・・。

 と、ある意味、感心します。

 

 というわけで、頭が良いとか、要領が良いとか、そのお友達は言っていましたが、そうじゃねーだろ、

 「ズルイ」とか「ひきょう」とか「きたない」とか「クソジジイ、クソババア」とか表現するんじゃ、ボケ~! とシャウトしてしまいました。

 

 さらに言えば、相当つましい生活をしている人なら同情もするけど、そういうのに限って結構なお金持ちで、生活レベルは高く、ヘルパーさんやメイドさんをアゴでこき使う。

 「わしがおまえらを雇ってやっちょる、食わせてやっちょるんじゃ」と言わんばかり。

 

 それもまた人間だよ。人間ってズルくて悪くて、しょーもなくて面白いね~、というふうにも考えられますが・・・ なんかマンガやドラマや小説で出てきそうな話だけど、今や日常的にそういう世界が展開しているのです。

 

★裏切り行為は許せない

 

 老後が不安なことはわかります。

 良い生活をしたいのもわかります。

 そのためには社会システムにいろいろ不備もあるでしょう。

 世界標準はわかりませんが、日本が高齢者医療・福祉の分野で非常に優れたケアをしている、というわけでもないと思います。

 そして、介護職の人の中にも、ビジネスライクにやっている人、食うために仕方なくやっている人も大勢いるにちがいありません。

 

 けれでも、日本はもともと子供と年寄りにやさしい国です。

 昔ほどではないにせよ、多くの人は心の底で、お年寄りは大事にしなければいけない、リスペクトしなければいけない・・・と思っているはず。

 

 特に介護職に就く人って、そうした思いが強く、そのために役に立ちたいという気持ちが、たとえ口には出さなくても、必ずどこかにあるはずなのです。

 でなければ、お金のためだけにあれだけ厳しい仕事が続けられるだろうか。

 人間が働くインセンティブって「お金のためだよ」と言い切れるほど、そう単純なものではありません。

 

 そうした敬老の精神、年上の人を敬う心に対する裏切り行為(と、きっと老害人本人は気づいてないと思うけど)って、許せないな、という気持ちになるのです。

 実際、介護職の人の中にはそれで心を病んでしまう人も少なくないと聞きます。

 

 こうした不正請求(?)をする輩がいると、本当に必要な人のところにケアの手が回らなくなる。そういう現実的な損失はもちろんですが、それよりもっと大きな影響は、関わる人たちの精神に及ぼす影響なのです。

 「70年、80年、90年生きても、結局、人間こんなもんか」

 

本当の終活:ひとりひとりの仕事

 

 社会が悪いのでも、時代が悪いのでもなく、「老害人」こそが、あるいはその予備軍こそが、子供や若い人たちの夢や希望をボロボロにして、奪い取っている。

 ちょっと宗教がかった物言いになってしまうけど、それは自分自身のも含めて、人間の魂に対する冒涜ではないかと思うのです。

 

 終活ブームとか言われているけど、高齢者には老いること、人生を締めくくることを、本気でちゃんとスケールアップして考えてほしい。

 それはこの世からオサラバするためにも必要な仕事です。

 あんたの人生は「ハイ、それまでよ」でも、世界は続くし、子供や若い連中は生きていく。

 財産やら、社会的業績やら、生きた証になる作品。

 そんなものて遺さなくたっても構わない。

 

 あとに残る人たちに

 「人生いろいろあるけど、結局、人間っていいもんだな。生きてるって面白いね。

 あの人見てそう思ったよ」

 と言わせる何かを遺してほしいのです。

 

 それが去っていく人ひとりひとりの仕事です。

 老い先短いあんたにも大事な役目、果たすべき責任があるんだよ、と言いたいのです。

 

 

 

2016・9・27 TUE


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1976年の夏休みの星空と自己の存在証明について

★1976年の夏休み、岐阜の山の中で

 

 9月ももう1週間過ぎたのに、いまごろ夏休みの話かよ~、と言われそうですが、昨日、若い連中との座談会のことを書いたら、ふと思い出したので。

 

 40年前の夏休み、高校生だった僕はなぜか他の学校の合宿についていき、岐阜の山の中にいました。

 その夏の地域の演劇大会で友達になった連中から誘われたのです。

 合宿と言っても大したことをするわけでなく、飯盒炊爨で作ったメシなど食いながら、星空のもと、(男ばっかりだったので)女の子の話などに花を咲かせました。

 

 またたく星の光に勢いづいたのか、そのうち、マジな方向に話が行って、どういう過程を経たのかはわからないけど、「自分がこの世に生きた証を立てたい」といった壮大なテーマに拡大。

 そして、その証明のために「芝居の脚本とか映画のシナリオを書こう」という話になりました。自分のことだけど、さすがティーンエイジャー、青春してたんだね、という感じです。

 まぁ、そんなことがあって、そういう類のものを書き始め、えんえん40年経ってしまったというわけです。

 

★存在証明への欲求

 

 そんなことを話して盛り上がるのは、演劇部とか映画研究会とか、そういうやつらだけ、それも若いうちだけ――と思っていたのですが、どうやらそんなことはないようで、ある程度、齢を取っちゃうと、文科系だろうが、体育会系だろうが、多くの人は脳がその「生きた証」やら「存在証明」やらのキーワードに反応して動くようになるみたいです。

 

 ブログやフェイスブックにあれこれ書くのも、そうしたことの一つの表れだと思いますが、戦後生まれの人たちはそれだけでは飽き足りません。

 

 最近はやたら「自伝」とか「自分史」の書き方みたいな本を書店や図書館で見かけますが、これもそうしたニーズが高まってきていることを表す現象の一つと言えるでしょう。先日のエンディング産業展でも、その類のメディアサービスがいくつか出展されていました。

 みんな、この世とオサラバする前に一矢報いねば、という想いにとらわれるのではないでしょうか。

 

 仕事をしてお金を稼いで、家族を養う必要があれば養って、ちゃんと国に税金を払って、そこそこ社会の役に立つことをやった気がして・・・人生それで十分OK――と考えたってよさそうなもの。それで十分立派な人生だと思うのですが、どうもそうは問屋がおろさない。自分で自分が納得できない――という思考になるのでしょう。

 

★ぜんぜん得にならないけど、人間はそこから逃れられない

 

 ついつい「俺の生きた証は・・・」とか「わたしの存在証明は・・・」など、めんどくさいことに足を踏み入れてしまう。

 損得勘定で考えたら、あんまり、というかまったく得になることとは思えない。それなのに・・・なぜ?

 それが人間。とりあえず、ロボットとは違う部分なのでしょう。

 そうじゃないとロボットと差別化できない。

 そんな時代がもうすぐそこまで来ています。

 

 さて、あなたの存在証明は今、どうなっているでしょうか?

 僕の場合はどうなのだろう?

 たまには星空を見上げて考えてみよう。

 

 

2016・9・8 THU

 


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エンディングを意識して人生の台本を書く。

 

●エンディング文化の時代到来

 

 エンディング産業展の取材を終えて考えたこと。

 それは、エンディング――死を楽しむ時代がやってきたということです。

 

 「死を楽しむ」というと語弊があるかもしれませんが、要はひとりひとりが自分の人生の終え方について期待感や希望を抱く、ということです。

 

 いつかはこの世からおさらばしなくてはいけない。

 これはあらかじめそう決まっています。

 だったら悲しんだり寂しがったりするだけでなく、そうした感傷も含めて、思い切って楽しんだほうが「お得」なのではないでしょうか。

 

 少なくとも僕たち、現代の日本人ひとりひとりは、そうしたことをできる豊かな文化に包まれて生きていると思うのです。

 

●人生は20歳まで

 

 じつは人生は20歳で決定しています。

 20歳までの経験とそこから吸収したもの、そして喜怒哀楽の感情で人間の心身の基盤は出来上がります。

 どうすれば自分は気持ちよく生きられるのか、この世の人生において何に価値を置いて生きるのか、自分が果たすべきミッションは何なのか・・・これらはもうみんな、最初の20年で僕たちの内側にしっかりインプットされます。

 

 ただし、そのことに気づくかどうか、それらをいつ発見できるか、はその人しだいです。最期まで見つけられずに終わってしまう人も少なくない。いや、もしかしたら大半の人はそうなのではないでしょうか。

 

 だから20歳を過ぎた大人は、自分の人生の主人公は自分であると、しっかり意識したほうがいい。

 そして日々、自分の人生の台本を書いていくといい。

 細かく書き込む必要はないけれど、どういう流れでどうなり、どんな大団円を迎えるのか、エンディングまで想定してプロット(筋書)を作っておくといいと思います。

 

 もちろん、僕たちを取り巻く環境は、時代とともに刻一刻と変化していくので、日々リライトすることが必要です。

 でも、ベーシックな台本があるとないとでは違います。まったく手ぶらで毎日アドリブだらけでは続きません。

 

 でもじつは、わざわざ僕がこんなことを言わなくても、あなたも自分の人生の台本はひそかに書き進めているはずなんですよ。

 耳を澄まして自分に聞いてみてください。

 そして、目を凝らしてよく探してみてください。

 

●リライトしよう、今からでも始めよう

 

 親やら先生やら世間一般やらの書いた台本で生きている――

 もし、あなたがそう感じるのなら、そんなものは破り捨てるか、端から端までリライトして自分のものにしてしまう必要があるでしょう。

 

 また、もう齢で今からでは手遅れだ・・という人も大丈夫です。

 これまでの記憶・実績を材料に再構成することができます。

 起きてしまった事実は変えられなくても、現在の自分、そして未来の自分に合わせて、その事実の意味を変えることができます。

 マイナスと捉えていた事象もプラスに転換することができます。、

 これもどんどんリライトしましょう。その気になれば一晩でできます。

 

 完成度の高い台本、公開する台本(必要だと思えば見せてもいいけど)を作ることが目的ではありません。

自分が主人公であることを意識し、生きるということについてイメージを広げ、深めるためにこうした考え方をするのは有効ではないかと思うのです。

 

●エンディング産業を面白がろう

 

 エンディング産業は「人の死をネタにしたお金儲け」と、胡散臭い目で見られることがまだまだ多いようですが、歴史・文化・哲学など、いろいろなことを考えさせてくれる媒体です。

 

 そして経済と結びつくことで、世の中に大きな影響を与えていきます。

 そこで提供されるあふれんばかりの商品やサービス――それこそラーメン一杯からデザート付きフルコースまで――は、すべて今を生きる人たちの心が投影されたものばかり。どれを選ぶかは自分次第だし、オーダーメイドも可能だし、どれも選ばないという選択肢だってもちろんあります。

 興味と好奇心を持って覗いてみると、きっと面白いと思います。

  

 

2016・8・28 SUN


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エンディング時代の遺産相続を考える

 

●遺産ものドラマ

 

 かつての少年少女小説に「遺産もの」というジャンルがありました。

 不幸な生い立ち(多くの場合、孤児とか、親戚などに引き取られていじめられて暮らしている)にもめげず、清く明るい心を持ち、勇気ある善行で、汚れた心のおとなたちをギャフン!と言わせたり、涙を流させ、悔い改めたりします。

 そして、そうした清さや勇気や正義の数々が評価され、どこかのお金持ちから莫大な遺産を贈られて、めでたくエンディング・・・というパターンの一種のサクセスストーリーです。

 このお金持ちは地上に降臨した神様のような人で、正体を隠しているけれども、少年少女の善行を、いつでもどこでもちゃんと見ているのです。

 1つや2つは読んだこと、あるいは映画かテレビドラマで見たことあるでしょ?

 

 「遺産もの」というジャンルがある、というのは、ぼくのでっち上げですが、そういった話が19世紀の英米文学から、日本なら昭和初期から、ぼくが子供だった1960年代くらいまでよくありました。

 

 けど、そういうお話を読んだり見たりしていた少年少女が大人になり、お年を召して死期が近づくと・・・というのが今回のテーマ。またもやマクラが長くなってすみません。

 

●エンディング産業展2016

 

 ただいま、レギュラーワークの月刊仏事(鎌倉新書)の仕事で、22日(月)から24日(水)までやっている「エンディング産業展」の取材をしています。

 

 最近は団塊の世代を中心に、終活、エンディングという言葉がポピュラーになってきました。いわば「どう自分の人生を締めくくればいいのか?」を、多くの人が真剣に考えるようになってきたのです。

 

 というわけで、ちょっと前まではそれぞれ勝手に商売をやっていた葬儀屋さん、お墓屋さん(墓石屋さん)、仏壇屋さんなどが「エンディング産業」――人の死にまつわるビジネスの名のもとに一堂に会する大規模な展示会が、去年から東京ビッグサイトで開かれるようになったのです。

 

 超高齢化社会でこれから人がどしどし死ぬ。

 だからエンディング産業もこれから数十年、膨らみ続けます。

 とは言っても、ただ時代の流れに持っていれば儲かるわけではありません。

 「葬式なんかいらない」という人も増えていて、そのまま火葬場へGO!というパターンも最近は珍しくありません。

 そうした状況を踏まえて、それぞれ工夫を凝らしたり、先述の3つのおもなカテゴリーの他にもニッチなビジネスがいろいろ生まれたりしています。

 

 そのあたりのことはまたおいおい書きますが、急速にニーズが高まっているものに、行政書士やら税理士やら不動産鑑定士といった士業関係の仕事があります。

 要は遺産相続の件をどう処理すればいいのか――愛する人、大事な人が死んでも、おちおち悲しんでなどいられないのが現実なのです。

 

●士業⇔葬儀屋さんのセミナー

 

 そんなわけで、初日だった昨日(22日)はその士業の人たちのセミナーの取材をしました。受講者は主に葬儀屋さん。ただ葬儀を請け負うだけじゃなく、そうした遺産相続の窓口にもなり得る葬儀屋さんになろう!というわけです。

 たしかに葬儀屋さんと士業の人たちがチームを組むというのはいいかもしれません。

 その先の内容は、まだこれから記事を書くところなので、ここでは明かしませんが、このセミナーの最後に出てきた、実際に行政書士の人が遭遇したトラブルの話には愕然。

 

●遺産をめぐるトラブル

 

 奥さんが亡くなったのだけど、なんと夫が知らなかった○百万円(後半です)の借金が。それも夫名義で借りられていた!という負債の話とか、

 凶暴な息子――詳しくはわからないけど、家庭内暴力を振るう子供が、そのまま大人になったらしい――に「遺産は残さない」と遺書を書いて父が亡くなったけど、その息子が怖くて遺書を鑑定に出さなかった(鑑定で認められなければ遺書は無効になる)話とか・・・。

 

 ちなみに友達の介護士さんにこの話をして、「お金持ちのお客さんが、『家族ではなく、あのやさしくて清らかな介護士さんに私の遺産を贈る』と遺書に書いたらどう?」と持ち掛けてみました。

 「アハハ、そんな~」と彼女は笑っていましたが、あり得ない話ではありません。

 

●もしも遺産が転がり込んだら?

 

 あなたが介護士ならどうでしょう?

 あなたが清く明るい心と勇気ある善行で、汚れた心の人々を悔い改めさせられる介護士さんなら・・・。

 かなりビミョーです。お金が入るのは喜ばしい。「あの人の気持ちなのだからいただかなければ」と殊勝な思いに駆られるかもしれない。生活費やら医療費やら教育費に困っている人ならなおさら。

 

 しかし、もらったが最後、あなたはそのお金持ちの遺族から買わなくても済んだ恨みを買ってしまう可能性もあります。

 「その介護士というのはどこのどいつだ?」と、誰もあったことのに甥だか姪だかが突如現れてつきまとってくるかも知れません。そのせいで人生を狂わせてしまうリスクもハンパありません。

 こういう話、小説やドラマならおいしいネタですが・・・。

 

●というわけでエンディング

 

 いずれにしても、トラブルの裏で蠢くその家族の人生ドラマに頭が行ってしまい、その後の取材がなかなか進みませんでした。

 家族との付き合い、お金との付き合いには生前から十分気を付けたほうがよさそうです。さもないと、最後にどんでん返しが待っている?

 

 いやぁ、最近、オバケや妖怪の話をよく書いてたけど、そんなものより生きている人間の方がよっぽど怖いなぁ。

 

 

 

 

2016・8・23 TUE


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「老い」を楽しんだ蜷川幸雄さん

 

 蜷川幸雄さんは、なぜ、あんなにもエネルギッシュに活動できたのか?

 70歳を超えてから死の直前までのこの10年ほどが最もすごかったのではないか、と思えます。

 

 実は僕は5年ほど前、NHKの演劇番組の仕事(ディレクター)をやっていました。

 演劇ジャーナリストの山口宏子さんという人が、毎回、日本の一流演劇人とサシで対談し、その対談とカップリングして収録済みの舞台中継を流す、という構成の番組で、当然、ゲストの一人として蜷川さんも登場しました。

 

 その時の音声起こしの原稿を読み返してみましたが、このころ、シェークスピアはもちろん、井上ひさしもやっているし、寺山修司や清水邦夫などの60年代の戯曲をやっていたり、英国の若手作家の9時間に及ぶ大作をやったり・・・と、もうとんでもない仕事量。

 

 このとき放送の作品は、さいたまゴールドシアターの「船上のピクニック」(岩松了:作)。

 ゴールドシアターは、一般公募の高齢者が役者をやるという画期的な演劇プロジェクトです。

 

 そこに触れた部分を読んでいると、蜷川さんが「若さ」と「老い」と落差をとても楽しもうとしていたようです。

 ちょっと原稿から抜粋(ほぼそのまま)。

 

 

山口:ゴールドシアターは、基本的には55歳以上の方を集めて劇団を作るという、カルチャーセンター的なものだったらともかく、本格的にやるという意味では、かなり無謀なプランだったですよね。で、そこにまた、1200人近い方が応募してきたっていう・・・

 これは一種の社会現象のようになりましたけども、今、本格的な公演も何度もおやりになって、劇団としても力をつけてきているんですけど、ゴールドについては、今、どんな思いをお持ちですか?

 

蜷川:そうですね。おれは演出家になったばかりのときから、自分たちで作っている若い演劇というのが、お年寄りや生活者から見たら、どういうふうに映っているのか、と。自分たちの存在が。老い」というもので撃たれたときに存在するのかなぁっていう不安があったんですね。

 

 で、自分がその年齢になったときに、じゃあそれをーーお年寄りの集団を作ってみよう、と。そうすると、自分の幅が広がるかなぁって自分の中で思っていたんですね。

 

 まぁ、やってみたら、大勢の人が来るし、えー、劇団員になった人たちはやめないし、どんどん・・それどころか若返ってしまう、と。あの、こんなに演劇というものが人々を蘇生すると言いますか、若返らせる力があるんだ、ということは、もう本当に僕にとっては「発見」だったんですね。

 

 で、それどころか、演劇的に見ると、まず、セリフ覚えられない、動き忘れる、今日できたことが明日も出来るとは限らないし、昨日できなかったことが今日できちゃう、でも明日はできないかもしれないっていう、老いが体験するさまざまなことを老いが全部抱えて走るっていう、ことだったわけですね・・・。

 

 

 蜷川さんは老いることも含めて生きることにすごく肯定的だった。

 セリフをトチろうが、動きを忘れようが構わん。

 いざとなったら俺が出て行く――(実際にそういうこともあったそうです)。

 それを失敗とか恥とか捉えず、これもまた演劇の面白さだ、と捉える。

 永遠に自分を完成しない、させない精神が、あのタフネスにつながっていたのでしょう。

 

 高齢社会になった今、齢を取ったからと言って悟りすましていちゃいけない。

 もっとみっともなく、死ぬまでジタバタしようぜ、若い連中もきっとそういうものを期待している――そんなメッセージを遺してくれたのだと思います。

   


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鎌倉で認知症予防事業スタート!

 

 本格的高齢化社会。認知症の影がひたひたと忍び寄る鎌倉へ――。

なんで認知症と鎌倉がつながるかというと、先日、鎌倉在住のA氏から「会ってほしい」と4年ぶりに電話があったからです。

 

 A氏はクライアントさんで、もともとホテルマンだったそうですが、退職して、いろいろ起業にチャレンジしており、4年前は子供関係の事業のサイト開設の際に、テキストライティングをさせていただきました。

 

 その彼が今度は高齢者関係の事業――もう少し突っ込んで言うと、認知症予防関連の事業に取り組むというので、またサイトのライティングを頼みたいとのこと。

 

 まだスタート前なので、これ以上は書けませんが、あれこれ話を聞いて、改めて高齢社会の実態を知りました。(実は彼に会ったのは先週で、本日、その仕事がほぼ完了したところ)

 

 A氏は大変穏健で実直な人のように見えながら、リスクを抱えて果敢に起業にチャレンジ。僕とそう齢は変わらないのですが、この4年の間に新しく3人目のお子さんまで作ってしまったという強者で、大変勇気づけられます。

 まるで鎌倉の街のように明るい気分にさせてくれる人だ。

 

 サイトができ、新事業が発信したら、ぜひFBやブログなどで彼の活躍を応援していきたいと思います。

 


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昭和の遺産はどこへ行き、どう使われるのか?

 

 昨年末から「遺産相続」のコラムを書いています。

 

 そこで遺産相続の問題をストーリーの中に取り込んだ文学だのエンタメコンテンツなども紹介しているのですが、いろいろ調べていると、ミステリーなんて半分くらいは遺産がらみのストーリーなんじゃないかというくらい巨大なテーマであり、何と言うか、使い勝手のいい事柄なんですね。

 

 考えてみれば、お金、親子、結婚、家族、男と女、愛、夢、希望、過去、未来・・・人間の感情を揺り動かすありとあらゆるものが「遺産」というキーワードに絡んできて、ドラマ作りとして、これほどおいしいテーマはありません。

 

 特に資本主義経済の世の中になった19世紀の英国あたりから、それまで上流階級の専売特許だった「遺産相続」というコンテンツが、一般大衆にまで下りてきて、広くいきわたった、という感じがします。

 

 チャールズ・ディケンズの「大いなる遺産」などがその代表作品かと思いますが、このあたりから、貧しい子や孤児などが厳しい境遇に負けずに頑張って生きていると、思いもかけないところから莫大な遺産が転がり込んできたり、あなたが相続人に選ばれましたと言われててハッピーエンド・・といった少年少女読み物が、ぼくの子供のころまではあったような気がします。

 

 しかし、それも最近はとんと聞かなくなりました。それよりも遺産をめぐって起こる殺人事件やら愛憎劇やらの方が、おとなのみならず少年少女にとってもリアリティがあるのでしょう。

 

 高齢者の貯金を狙って詐欺師が跳梁跋扈したり、安アパートで孤独死したお年寄りが、実は数千万円の預金通帳を持っていた、というご時世。

 戦後70年を経て、復興~高度経済成長期に作られた様々な昭和の「遺産」の行方が気になります。

 


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心霊写真でHAPPY

 

  心霊写真を信じますか? 

  ……と、ついオカルト的な書き出しになってしまったが、僕はいわゆる霊感とはまったく無縁な男である。

 能天気な性格に加え、ぼんやり者として生きているので、スピリチュアルな世界に触れられない。霊感ビンビンの人は1ランク上の人間に思えるくらい、ちょっとコンプレックスを抱えている。 

 

 一昨年末に亡くなった親友は、そういう意味では憧れの(?)霊感ビンビン人間だった。2月に彼の追悼会を開いた折(と言っても単なる飲み会を居酒屋でやっただけだが)、一緒に集まったJちゃんが最後に記念写真を撮ってくれた。ところが、そこに写っていたのだ、ヤツの顔が!

 

  …と、思ったのだが、この写真、ピンボケではっきりしない。多分、お店のスタッフがたまたまそこにいて首から上の部分だけ写ってしまったのだろう。

 しかし、心霊写真だと思った方が楽しい。プリントを見て、友人と「ヤツも来ていた!」といっしょにひとしきり盛り上がった。ほんのひと時だったが、妙にシアワセな気分になってしまった。 

   

 本当かどうかも分からない心霊写真でシアワセな気分になるなんて、何ともおめでたいものだ。

 けれども、人生の最後、ひとりぼっちで生き残ったら……と考えたとき、あなただったらどうするだろう?

 僕は親しい家族や仲間たちの幽霊に囲まれて死ぬまで暮らしたい、と心から切望すると思う。

 これからだんだん年を追うごとに、こっちの世界とあっちの世界とのつながりを見つけていくのだろうと思う。 

 

 

2011・6・5 SUN


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遺影と思い出とのギャップ

 

 「こんな顔だったかな……」 

 

 昨日、お葬式に出た。

 うちの小僧が小学生の頃、一緒にPTA活動をやっていたお母ちゃんの葬式です。

 齢を聞かなかったが、僕と5歳も離れていないと思います。

 いずれにしてもまだ50代半ば。ガンによる早すぎる死です。

 結構インテリで頭の回転もいいの割にボケキャラで、突っ込みどころ満載の楽しい人でした。

 近所に住んでいながらここ3年ほど顔を合わせていなかったが、まさかあちらに行ってしまうとは……ショックだった。 

 

 で、お別れをせねば、と式場に来たのだが、そこにある遺影には何やら違和感を感じました。

 もっと言っかうと、まるで別人のように見えたのです。

 基本的に美人で山の手奥様なのだが、僕のイメージの中ではくだけた印象が強く、その顔にはもっと下町のおかーちゃんの風味がブレンドされていました。

 遺影からは(僕にとっての)彼女の魅力である、人間的な奥行きが感じられず、なにやら山の手奥様になられた元アイドルのように感じられたのです。 

 

 いや、別にその写真を遺影として選んだであろうご遺族を批判するつもりはありません。

 要は人の印象というものは、相対した人によって千差万別ということです。

 僕の中にある彼女のイメージと、ご家族や他の人たちの中にいる彼女のイメージは大きく違っている可能性があります。

 人は誰に対しても同じような顔を見せるわけではありません。

 それもTPOによって見せる顔は違ってきます。

 特に現代人はそうした複数の自分のスイッチングが器用にできる人が多いのではないかと思います。

 「今日はボケキャラで行くか」「ここは優等生キャラにしとくか」とか、ね。 

 

  昨年、仕事でお葬式セミナーの取材をしました。

 年輩の人を集めて「いざというとき、遺族を困らせないために生前からお葬式の準備を」という趣旨のセミナーです。

 

 その準備の一つとして「生前に遺影にする、お気に入りの写真を撮っておきましょう」というのがありました。

 この世から去ってしまった後は、遺影がそのままその人のイメージとして固定されます。特に孫が小さいうちにお別れしてしまったら、おじいちゃん・おばあちゃんを思い出すときは、必ずその遺影の顔になるわけです。

 人によっては、遺影が生きていた時間よりもずっと長く、多くの人の心に焼き付けられるかもしれません。

 自分のどんな顔を後世に印象付けたいか、高齢化社会に生き、自分を大切にする時代に生きる人たちにとって、これは結構大問題かも知れないのだ。

 あなたならどんな自分の顔を後世に残したいですか? 

  

 こうやって書いていたら、昨日見た彼女の遺影はすっかり頭から消え去り、4年程前のいきいきとした笑顔とちょっとハスキーな声が、鮮明に記憶の表面に上がってきた。

 3分間、いっしょに夏休みのイベントをやったこと、広報誌の打合せをやったことなどを思い出だした。

 客観的に見ればオバさんだけど、その笑った顔の奥には可愛い子どもが跳ねていた。 

 ご冥福を祈ります。

 

 

2011・5・11 Wed


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子供の日とお年寄りの日のコラボ

 

 連休中、うちの小僧と二人で3日連続、計12個の柏餅を食べました。

 で、こしあん・みそあん・つぶあん各種の柏餅を食べながら、ふと考えたのです。

 「子どもの日は誰のためのものか?

 じつはおとなや、もっと年を取った、お年寄りのためのものなのではないか」と。 

 

 僕たちが家で柏餅を食べている間、うちのニョーボ殿は震災の被災地(宮城の気仙沼)へ医療ボランティアに行っていました。

 彼女は鍼灸師で、今回はお医者さんと共にプライマリーケアの活動に参加したのです。

 僕はお留守番をしながら、 被災地支援をしているNPO団体のサイトのテキストなどの仕事をやっていました。

 やはり今年の連休は震災のことを中心に世の中が動いていたように思います。

 

 けれども、大勢の人の呼びかけもあって不必要な自粛の空気が薄れ、観光地も意外と賑わったということには、ちょっとほっとしました。 

 

 さて、話をニョーボ殿に戻すと、彼女は避難所のお年寄りなどを診て回り、話を聞いたり、鍼をしてあげたそうです。

 お医者さんがケアする、いわゆる西洋医学も、鍼灸師などの東洋医学でも、基本は人の話を共感して聞いてあげること。

 そんな中で学校の避難所にいた一人暮らしのおばあちゃんの話が印象に残ったと言います。 

 

 「帰るところはどこにもないんだよ…」 

 

 伴侶をなくし、一人暮らしで被災して住まいを失い、避難所暮らしになってしまったお年寄りは、本当に帰るところがない。

 家も、家族やご近所との関係も、ご主人との思い出の品物も残っていないのです。

 とりあえず、何とか仮設住宅に入って復興を待ち……といった未来へ向けてのシナリオを描くのも困難な状況です。

 

 こういう人たちに対しては、いったいどういう言葉で励ませばいいのか?

  「がんばって」  「元気を出して」

 「しっかり生きましょう」 「弱音を吐かないで」

 「生きていること自体が素晴らしいことなんです」……

 

 なんだかどれも空々しく、気持ちのこもった言葉にならないような気がします。

 「生き甲斐を持てばよい」というのは理屈としては正しいが、本人がそう理屈どおりにそういう気持ちになれるだろうか?

 とはいえ、「もう十分がんばって生きたよね」とも言えないし……

 

 自分だったらどうなのだろうか、と考え込んでしまいました。

 とりあえず、いっしょに柏餅を食べながら

 「また来年も、子どもの日に鯉のぼりを見ながら、美味しい柏餅を食べられるといいですね」

 と言って元気付けるのが精一杯。

 

 でも、子どもの日はいい。

 子どもの日は、子どもの健康を願うのはもちろんだが、年に一度、おとなやお年寄りが子どもの気持ちを取り戻し、生きる喜びを再認識する日なのかも知れない。 

 

 しかし、ホンマモノの子どもは中学生ともなると、もう子どもの日だの鯉のぼりだのをまったく喜ばない。

 柏餅だけは大喜びで食べるけれども。

 


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