孤独死に備えて

   

 シナリオにするか小説にするか、まだわからないけど、ちょっと新作の卵が育ってきた。

 「孤独死に備えて」。

 

 真面目に人生考えすぎてだんだんおかしくなっちゃう年寄りと、ちょっとイカれた子供と、その間にいるまともな社会人(だけどブレちゃう)大人――との間の愛をめぐる物語。

 実際はこんな堅苦しいタイトルじゃなく、どっちかちゅうとコメディっぽくしたいと思っています。

 

 で、それについて考えていたら、あらぬ妄想にとりつかれ、ここ1週間ほど頭がイカれてしまったというか、タマシイが放浪の旅に出ちゃっていました。

 

 一応なんとか仕事はこなしていましたが、こんな時間が長く続くと、社会生活も日常生活もまともに送れなくなるなという不安感に苛まれ、ブログも手につかないありさまでした。

 

 でも考えてみると20代の頃、一人暮らししていた時代は、時々こんな状態に陥ることがあったと思います。

 その頃の記憶と言うか、生活習慣みたいなものがよみがえって、久しぶりに妄想のるつぼにハマってしまった感じ。

 

 カミさんと暮らし始めてから(結婚するちょっと前から一緒に住んでいるので)そろそろ四半世紀。いい悪いの問題じゃないけど、いわゆる「孤独」を忘れてしまっているのだなぁと感じました。

 

 物語の世界にアクセスしようとすると、自分の中にあるいろいろな感覚が復元出来て面白い。と同時に、ちょっとずつ狂っていきそうで、おっかないのです。

 


リメンバーミー:「わたしを忘れないで」のメッセージ

 

 昨年見た映画「はじまりへの旅」は、コメディでありながら妙に感動的な作品だった。

 

 文明生活に反してワイルドライフを送る父と子供たちが、都会暮らしで、精神疾患が原因で死んだ(らしい)妻(母親)の遺体を奪還。

 遺言通りに家族自らの手で火葬し、遺灰をトイレに流す、というのがストーリーだ。

 

 この家族はオートメーション化し、形骸化した現代社会の慣習に対する反抗精神を持って生きてきた。

 かつてのいヒッピー世代、フラワーチルドレンのメタファーのように思える。

 

 したがって遺灰をトイレに流すという行為(=流してほしいという遺言)は、その反抗精神の表現であると同時に、逆説的に「わたしを忘れないで」という妻(母親)のメッセージでもあり、家族の記憶の中に永遠にとどまりたい、という思いが込められている。

 

 こうした映画が生まれた背景は、やはり少子高齢化社会だ。

 

 半世紀前、ロック文化が盛り上がり、「Dont Trust Over Thirty」と皆が叫んでいた時代、アメリカの人口は、およそ半分が25歳以下だった。

 

 その圧倒的多数のベビーブーマー世代が高齢化し、自分のエンディングを意識せざるを得なくなった今、ハリウッド映画もそうした社会状況を反映するものが増えている。

 

 世界最高峰のアニメを送り出すディズニー/ピクサーもまたしかり。

 その最新作「リメンバー・ミー」は、メキシコの「死者の日」という民俗をモチーフに作られた。

 

 「死者の日」は毎月11月はじめに行われ、家族や友人達が故人・先祖への思いを馳せて語り合うために、みんなで集まるという。

 

 日本のお盆に共通する伝統文化であり、欧米のハロウィーンの原型とも言われている。

 

 死者の精霊が帰ってくるその日は、家々に先祖を祭る祭壇が飾られ、街は華やかで賑やかなお祭りムードに包まれる。

 

 「リメンバー・ミー」は、その雰囲気を映画表現に置き換え、世にも美しいカラフルでゴージャスな死者の国で、ガイコツの人々が“いきいきと”“楽しく”生活している。

 暗いムード、おどろおどろしいムード、また神聖な雰囲気などみじんもない。

 

 つまりこの死者の世界は、生者の世界と同時に存在するパラレルワールドになっていて、年一度の「死者の日」にだけ2つの間に橋が架かり、死者たちは生者の世界に里帰りする。

 

 こうした設定はメキシコの死生観が下敷きにされているという。

 

 メキシコは16世紀にスペインに征服され、以後、約300年間植民地化。19世紀にそこから独立して新たな国を作ったという経緯から、現在はカトリック教徒が多いが、植民地化される前のアステカ帝国の文化を引き継いでいる。

 

 このアステカ文化の影響で、死を象徴するものが独自の発展を遂げており、「死は、新たな生へと巡る過程のひとつ」という考え方が社会生活の基盤になっている。

生の世界と死の世界を分け隔てる壁がとても薄く、行き来することもそう難しくないと考えられているのだ。

 

 映画ではそこにもう一つ、「二度目の死」という設定を作っている。

 生者の世界で、誰一人としてその人の記憶を持つ者がいなくなってしまったら、その人は死者の世界からも消滅してしまうのである。

 

 テーマである「家族・先祖・伝統」に則った世界観の設定で、とても普遍的なものだが、同時にタイトル通り、そして「はじまりの旅」と同様に「わたしを忘れないで」という、ベビーブーマー世代の強い自己主張を感じる。

 

 ・・・といった面倒なことなど、あれこれ考えなくても、極上のエンターテインメントとして単純に楽しめちゃうところが、ディズニー/ピクサー映画のすごさであり、ハリウッド映画の底力である。

 

 観客対象はもちろん家族向けだけど、お父さん・お母さんとだけじゃなく、おじいちゃん・おばあちゃんも一緒に連れて見に来てね、というメッセージもこめられているんだろうなぁ。

 


とん平流「こうすればうまくいく」

 

  どんな人でもお葬式になると「いい人でした」「立派な人でした」で、きれいにまとめられてしまうのだけど、さすが先日の左とん平さんのお別れ会は違っていた。

 

 発起人代表の里見浩太朗さんは、お別れの言葉(弔辞)として、祭壇にデン!と据えられた190インチの大画面に映し出された遺影に向かって思い出を語りかけた。

 

 とん平さんと里見さんはゴルフ友達で、一緒にゴルフに出かけるとき、里見さんはとん平さんの家に朝、迎えに行くことがちょくちょくあったという。

 ところがある朝迎えに行くと、昨日麻雀をしに出掛けたきり帰って来てないという。

 その足で麻雀屋へ行くと、とん平さんはまだ麻雀を打っていて「よぉ浩ちゃん、ちょっと待ってて」なんて言う。

 

 「とんちゃん、ゴルフに行くのになんで朝の8時に麻雀屋にいるんだよ」

 と語り掛けると、会場が思わず笑いでほころんだ。

 

 喜劇役者だと、こんなエピソードも輝かしい勲章だ。

 参列者にとっても、在りし日のとん平さんの人柄が、ひとしお心に沁みる。

 

 これだけで終わらず、里見さんはこのエピソードに、しみじみと感慨を込めてこう付け加えた。

 

 「でもそんなときに限って、とんちゃん、すごくスコアがいいんだよねぇ」

 

 とん平さんのゴルフ好き・麻雀好きは有名だったようだ。

 どっちも全力でやっていたのだろう。

 好きなことをダブルでやっていると、ツボが刺激され、相乗効果が起こるらしい。

 徹マンで寝不足だの何だのなんて関係ない。

 集中力がアップし、運も手伝って自己ベストに近いパフォーマンスが生まれる。

 

 仕事でもそうだ。

 好きなことに没頭して気分が乗れば、常識的なマニュアルに則ったやり方よりも何倍も高いパフォーマンスができる。

 

 人間はひとりひとり違うツボをもっている。

 ロボットじゃないのだから、世にはびこる「こうすればうまくいく」式のマニュアルから出てくる能力はごくささやかなものだ。

 

 個々の人間は神秘に溢れた面白い存在である。

 それを無視して一般的な公式、他人の作ったマニュアルに囚われていると、本当の自分の力は発揮できない。

 

 とん平さんと里見さんの最後の対話はそんなことを考えさせられた。

 


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鎌倉新書と新連載企画の話

 

 月に一度、鎌倉新書の打ち合わせで日本橋・八重洲方面に出向きます。

 鎌倉新書というのは葬儀供養業界のWebや雑誌を作っている会社。

 以前は仏教書を出版していたのですが、現会長が社長になった20年ほど前から、機械化とかITテクノロジーとか、非人間的なイメージを嫌うこの業界において、いち早くインターネットでの情報発信にシフトしました。

 

 「いい葬儀」という、消費者と葬儀社とを仲介するポータルサイトを開設したところ、業界内では当初、白い目で見られ、あの会社は代替わりしてダメになったと言われたらしいのですが、そこは時代の趨勢であれよあれよという間に市場に浸透。

 

 特に僕が本格的に関わり出した2年半ほど前から株はうなぎのぼりで、一昨年末にこの八重洲の一等地に引っ越したと思ったら、それから1年も経たないうちに東証一部上場を果たしました。

 

 とは言え、利益分はいろいろ始めた新事業のほうに回っているようで、外部ライターである僕のギャラが上がるわけではありません。

 

 正直、割に合わんなーと思うことが多いのですが、興味のある分野だし、ある意味、高齢化・多死化代社会に関する最先端情報(テクノロジーなどではなく、社会心理的流れとしての情報)にも触れられるので、引き続き、業界誌の月刊仏事で記事を書き、時々Webの方もやっています。

 

 その月刊仏事から新しい連載企画をやりたいけど何かない?と言われたので、以前、このブログで書き散らしたネタを思い出し、「世界の葬儀供養・終活・高齢者福祉」なんてどうですか?と提案したら、じゃあぜひ、とあっさり通って取り組むことに。

 

 国内の出張費も出ないのに「海外出張費出ますか?」なんて聞くこともできず、ネット頼りの仕事になるのは必至。

 でもイラストを描いてくれる人もいるらしいので、伝統文化と最新事情をごった煮にして分析を交えた読物風の話にしようと思っています。

 ごく個人的なことでもいいので、情報あったらお知らせくださいな。

 


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かわいい叔母さん

 

 父も母も昭和ヒトケタ生まれ。貧乏人の子沢山でそれぞれ8人兄弟だ。

 ぼくが生まれる前に死んでしまった人を除き、そのきょうだい、および、その伴侶の全部はしっかり顔や言動を憶えている。

 僕が子供の頃は行き来が盛んだったので、みんなインプットしている。

 

 しかし、9年前に父が亡くなったのをきっかけに、毎年バタバタと後を追うように亡くなり、大半がいなくなった。

 今年もまたひとり、先日、ヨリコ叔母さんが亡くなったと聞いた。

 

 母方は女系家族で8人のうち、7番目までが女で末っ子だけが男。

 ヨリコ叔母さんは7番目。つまり7姉妹のいちばん下の妹だ。

 

 幼稚園の時だったと思うが、結婚式に出た記憶がある。

 きれいなお嫁さんで、チビだったぼくを可愛がってくれた。

 そのチビの目から見ても、なんだかとてもかわいい人だった。

 

 6人も姉がいて、4番目の母(母は双子の妹)とさえ12歳違う。

 いちばん上のお姉さんとは16歳以上違うはずだ。

 なのでほとんどは姉というよりチーママみたいなものだ。

 母もよく子守をしたというし、日替わりでみんなが面倒を見てくれていたようだ。

 

 母の家はお父さん(僕の母方の祖父)が早く亡くなったので、女が協力して貧乏暮らしからぬけ出そうとがんばってきた。

 でもヨリコ叔母さんは小さかったので、そうした苦労が身に沁みず、物心ついたのは、お母さんやお姉さんたちのがんばりのおかげで暮らし向きも上がってきた頃だった。

 そうした中で一家のアイドルとして可愛がられて育った。

 

 そうした成育歴はくっきり刻まれ、そのせいで彼女は、ほかの姉妹らの下町の母ちゃん風の雰囲気とは違う、お嬢さん風の雰囲気を持っていた。

 だから、おとなになってもどことなくかわいいし、ちょっと天然も入っていた。

 

 最後に会ったのは父の葬儀の時。

 さすがに外見はそろそろばあちゃんっぽくなっていたが、中身はほとんど変わっておらず、ぼくをつかまえて

 「せいちゃん、大きくなったねー」と言った。

 

 50間近の男に向かって大きくなったねーはないもんだけど、そう笑顔で屈託なく声を掛けられるとすごく和んでしまった。

 その時の会話が最後の印象として残ることになった。

 

 叔母とはいえ、中学生以降はめったに会うこともなかったので、彼女がどんな人生を送っていたのはわからない。

 

 もちろん少しは苦労もあったと思うけど、べつだんお金持ちではないにせよ旦那さんは真面目で優しくユーモアもある人だったし、特に悪い話も聞かなかった。

 嬉しそうに小さい孫娘の面倒を見ていたのも印象的だった。

 

 たぶん美化しているし、これは僕の勝手な想像であり願いだけど、おそらくそれなりに幸せに過ごしてきたのだろう。

 

 不幸な目に遭ったり、理不尽な苦労を強いられたり、他人にあくどく利用されたり、自分の欲に振り回されたり・・・

 人生の中のそんな巡りあわせで、人間は簡単に歪んでしまう。

 

 でも、できるだけそうしたものに心を損なわれないで、ヨリコ叔母さんのようにかわいい人にはいくつになっても、ずっと素直にかわいくいてほしいなぁと願ってやまない。

 


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星のおじい様と孤独なエイリアン

 

 その少女は一人暮らしの老人と友達になった。

 老人は近隣から奇異な目で見られている。

 彼は特殊な能力を持っており、それで人助けをしたりもするのだが、普通の人たちにはそれが気味悪く映る。

 だから少女にも、あの老人の家へ行くな、近寄るなと言う。

 両親にとってもそれは家族の一大事と受け取られていた。

 

 少女はなぜその老人にひかれるのか?

 老人の語る宇宙の話、昔の話、妄想のような話が好きなのだ。

 彼女は老人がじつは宇宙人で、永年地球で過ごし、近いうちに故郷の星へ帰ろうとしているのではないかと思っている。

 

 老人には少女子以外にもう一人だけ訪ねてくる人がいる。

 それは彼の身元保証人だ。

 老人はちゃんとお金を払ってその会社と契約し、自分の死後の後始末をつけてくれるよう段取りしている。

 彼は宇宙人なんかではない、まっとうな人生を歩んで齢を取り、社会人として最期まで人に迷惑をかけずに人生を終えようと考えている、普通のおじいさんなのだ。

 

 そうした現実を知っても、少女は彼がやっぱり本当は宇宙人なのではないかと疑念をぬぐえない。

 彼女はしだいに何とか老人の秘密を探りたいと考えるようになる。

 

 しかし、そんな彼女の行動を心配した両親は、それ以上、老人に近づくことを許さず、彼女を学習塾のトレーニング合宿に送り込んでしまう。

 

 数日を経て帰ってきた少女は両親の目を盗み、再び老人に会いに行くが、彼は呼び鈴を押しても出てこない。と同時に何か気になる匂いがする。

 彼女は身元保証人を電話で呼び、家の中に入る。

 そこには布団の中で孤独死した老人の遺体が横たわっていた。

 

 少女には老人が物理的に死んだことは分かったが、地球から消滅したとは映らない。

 彼女は遺体を運ぶ人たちが到着するまでの間、その老人――「星のおじい様」の時間軸に入り込み、孤独なエイリアンとして、奇妙な冒険に出掛ける。

 


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孤独な老人は本当に可哀そうな存在か?

 

 一人暮らしの高齢者というと、最近はすぐに「孤独死」が連想され、何やらくら~いイメージがつきまとう。

 そうでなければ、家族がなく、身寄りがなく、孤独で可哀そうとか、同情される。

 いずれにしてもネガティブなイメージであることに変わりない。

 

 でも本当にそうなのだろうか?

 彼らはけっこう孤独を楽しんでいるのではないか。

 本当にいっしょにいたいと思う家族ならいいけど、ただ同じ屋根の下にいるだけ、同じ空気を吸っているだけの家族なんて鬱陶しいと思ったりしていないのだろうか?

 

 血が繋がっていたって形だけの家族はいっぱいいる。

 財産などをあてにしてすり寄ってくる家族や親族なんかに、あれこれ気を遣ってもらったって不愉快なだけ。

 

 メディアの「家族は素晴らしい」「家族がいないと気の毒だ」といった大合唱もなんだか胡散臭いね。

 

 それよりも最期まで一人でやっていく、という気概のある生き方をを見せるほうがいい。

 あるいは、血縁にこだわらない、常識にとらわれない、損得勘定抜きの、心の深いところで繋がり合える人たちとの暮らし。

 齢を取ったからこそ、そうした自由や愛情に満ちたものを優先できるという面もある。

 

 幸いにも、そうした人たちをサポートするセーフティネットはあちこちにでき始めているようだ。

 

 「家族の絆」という美名のもとに隠した損得勘定や惰性的な繋がりよりも、自分の意思に基づいて生き、死ぬ「個の尊厳」を優先する時代がすぐそこまで来ている。

 


ラストドライブ日本版 出発

 

 わたしを思い出の場所に連れてって――

 そんな末期患者の願いをかなえるのが「ラストドライブ」。

 この数年、ヨーロッパで静かに広がってきた、いわゆる終活支援です。

 

 昨年夏、ドイツでの事例を取材したドキュメンタリー番組がNHK-BSで放送されました。たまたまそれを見て感想をブログに書いたら、その時だけアクセス数が5倍くらいに跳ね上がってびっくりしました。けっこう関心の高い人が多いようです。

 

 じつは今年から日本でもこれと同様の終活支援サービスが始まりつつあります。

 さいたま市の「タウ」という会社がCSR(社会貢献事業)として始めた「願いの車」がそれ。余命少なく、一人では外出困難な患者を希望の場所に無料送迎するというものです。

 

 タウは事故車の買い取り・販売を手掛ける会社で、社長がかの番組に心を揺すられ、「自分たちも車を扱う仕事をしているので」と、立ち上げました。

 当面は近隣の病院やホスピスに声をかけて説明し、希望者を募るというやり方で進めていくそうです。

 

  あらかじめ民間救急会社と提携しており、車両は酸素ボンベ、吸引機、自動体外式

 除細動機(AED)などを装備した民間救急車を使用。外出には看護師やボランティ

アが同行。ただし外出は日帰りのみ。

 主治医の了承と、家族の同意を得た上で送迎です。

 

 

 僕は「月刊仏事」の記事を書くために電話で広報の方と話したのですが、この事業に誇りを持ち、かといって気負うこともなく、たいへん美しい応対だったことにも心惹かれました。

 

 今後、提携先を県内の病院などに広げ、将来的には、活動に理解を示す企業からの

協賛も。2019年には公益社団法人にして全国的活動を目指すそうです。

 

 これも高齢化社会・多死化社会における一つの文化になり得るでしょう。

 これからの展開が楽しみです。

 


白滝さんと校庭芝生の本

 

 8年前の今頃、息子が通っていた小学校の校長室に毎週土曜日、10人以上のメンバーが集まり、原稿を手にえんえん編集会議をやっていた。

 校庭の芝生の本を出版するためだ。

 僕はライターの一人だったので、当然、毎回出席。

 一行一行、ああでもない、こうでもないと、時に大激論になる。

 

 基本的に午前中から昼過ぎまで3時間くらいが定時だが、ランチが運び込まれ、日が暮れる時間まで「残業」したこともしばしば。

 いつも芝生の面倒を見ていた、そのメンバーらの本への思い入れはハンパない。

 取りまとめ役の若き編集者Mくんは、おっさん・おばさんたちの執念にヒーコラ音を上げていた。

 

 3月になって本は無事完成し「悠雲舎」という小さな出版社から出版。

 わずかながら書店にも並んだ。

 その悠雲舎の社長が白滝一紀さんだった。

 白滝さんはもともと銀行マンだったが教育方面にも熱心で、出版社も経営し、学校支援本部の本部長も引き受け、当時の校長も頼りにしていた。

 この本の企画にも無償で、全面的に協力してくれた。(発行人は白滝さんの名前がクレジットされている)

 

 その白滝さんが5日前の2月13日、82歳で亡くなったのを聞き、今日はご葬儀に出席した。

 

 永福町駅近辺を歩いている姿が目に浮かぶ。

 ちょっとガニ股の、特徴的な歩き方は遠目でもすぐにわかる。

 僕と会うと、いつも「ヨッ!」と手を挙げて笑って話しかけてきた。

 

 「気のいい近所のおっちゃん」を絵に描いたような人だったが、秋田から上京し、早稲田を出て、有名銀行・有名保険会社の要職を次々と務めた、そうそうたる履歴の持ち主である。

 

 葬儀は神式で行われ(神式に出席するのは確か2回目。焼香でなく、玉串を祭壇に供える)、宮司が祝詞でその履歴を唱えるのだが、あの独特の雅やかな節回しにかの大学・銀行・企業の名前が乗っかると、白滝さんのキャラと相まって、面白かわいく感じ、不謹慎ながら、つい下を向いて笑ってしまった。

 

 校庭芝生の小学校はその後、隣の中学、他の小学校と統合され、杉並和泉学園に。そこでも白滝さんは引き続き、最期まで学校支援本部長を務められた。

 

 当時、音を上げていたM君=エディター三坂氏は、今、僕の仕事のパートナーになっている。

 彼も語るように、あれは本当に貴重な経験だった。

 そして何より、とびきり楽しい思い出――まさか子供の学校であんなことが起こるなんて思ってもみなかった。

 

 いろいろなご縁を作ってくれた白滝さんに感謝。

 どうぞゆっくりお休みください。

 


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北千住の葬儀相談サロンと帰りそびれたウルトラマン

 

 近年は「葬儀相談所」とか「終活相談所」が増えています。

 本日オープンの「葬儀相談サロン ティア北千住」もその一つ。

 ティアというのは名古屋発祥の葬儀社(本社はうちの実家のすぐ近く)で、昔ながらの葬儀屋とは一線を画す、イマ風の垢ぬけた葬儀屋さんです。

 

 オープン記念でこの3連休、一般向け見学会を実施――というので覗いてみると、まだ午前中にも関わらず、結構お年寄りが遊びに来ている。

 中は小ぶりのカフェくらいの広さで、確かに相談サロンとしては狭すぎず、広すぎず、ちょうどいいスペース感。仏壇だの線香だの、いろいろ物販もやっています。

 

 ひと昔前は「縁起が悪い」と敬遠されたこうした葬儀関連の施設も、高齢化社会が進むにつれて抵抗がなくなり、街にもなじんできた感じがします。

 

 そんな感想を抱きつつ、取材を終えた帰り道で会ったのは、オヤジ化したウルトラマン。首から金モールをかけて、昼間っからそば屋でビールを飲んでいます。

 

 もうヒーローとして戦えなくなって、現役を引退して久しいけれど、過去の栄光が忘れられなくて、飲んだくれているうちに光の国に帰りそびれてしまったという感じ。なんだかこれからティアへ自分の葬式の相談にでも行きそうな風情です。

 

 でも、この帰りそびれたオヤジウルトラマンも不思議とこの街になじんでいるのです。

 めっちゃ久しぶりに来たけど、北千住、なかなか味わい深い、探検し甲斐がある街ではないかと思いました。

 


孤独担当相の誕生

 人は一人で生まれてこれないし、一人で死ぬこともできない。

 「私は一人で生きてきたから孤独でいいのだ」というのは、その人の驕りだと思います。

 

 孤独担当相。Lonely Minister。

 これはジョークか、ファンタジーか、未来小説か、。

 まず抱いたのはそんな感想。

 政治の世界にミスマッチなこのネーミングのセンスは好きです。

 なんかイギリスらしいなという感じがするし。

 

 先日、政府がこの孤独担当相を新設。

 英国社会に影を落とす孤独の問題に取り組むと言います。

 当初、僕が見た報道では「高齢者の孤独死問題に」という形で採り上げられていました。

 割合的にはそれが大きいのかもしれないけど、それだけに限らず、この孤独の問題は全世代にわたっている社会問題のようです。

 うつ病、引きこもり等、精神疾患にまつわる要素もはらんでいるのでしょう。

 

 もちろん、大きなお世話だ、とも思います。

 そんな個人的なことに政府が介入するのか、とも。

 

 そもそもみんながイメージするほど、孤独というのは暗いものでも悲惨なものでもない。

 

 高齢者の孤独死も、本人にしてみたら可哀そうでも不幸でもないのかも知れません。

 可哀そうだ、不幸だというのは周囲の勝手な思い込みで、その人はやっと煩わしい人間関係から解放され、人生の最後に、自由に、のびのびと孤独を楽しむ時間が出来て嬉しいのかも知れません。

 

 孤独の何が悪いんじゃ。ほっといてくれ。よけいなお節介するな。

 

 日本でも英国でも、若かろうが年寄りだろうが、半分以上はそういう人ではないでしょうか。

 

 でも僕は政府がこうして孤独の問題に向き合うと宣言するのは悪いことではないと思います。

 世の中を動かす政治が、現代の社会の中でそれだけ個人個人の在り方を尊重し、手を掛ける価値のあるものとして捉えている――と思うからです。

 

 近代になって自立精神、独立独歩の生き方が理想とされ、そうアナウンスされ続けてきたけど、もしかしたら、それがもう限界に来ていて、何かケアしないと社会がこのままではもたないのかもしれません。

 

 

 「孤独の何が悪い」「よけいなお世話だ」という人は、また、人間生まれるときも死ぬときも一人なんだと言います。

 

 僕は違うと思う。

 人間、周囲の誰かの手を借りなければ生まれてこられないし、たとえ生まれたとしてもすぐ死んでしまう。

 

 死ぬ時だってそう。

 孤独死するのは本人はそれでよくても、自分で自分の遺体を処理できない限り、結局は誰かの手を煩わせ、迷惑をかけることになる。

 

 僕もべたべたした繋がりや面倒くさい人間関係、形にとらわれた付き合いは苦手で、孤独が好きな部類に入ると思うけど、社会が孤独について意識する姿勢を作る、そのきっかけとして孤独担当相なる大臣が登場するのは、アイデアとしていいなと思うのです。

 フィクションみたいで面白いしね。

 どこまで実効性・持続性があるのか、わからないけど、今後ちょっと注目してみたいです。

 


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うおぉぉぉ おれは燃えているぜ!(追悼・星野仙一さん)

 「うおぉぉぉ おれは燃えているぜ!」

 

 河合じゅんじが小学館のコロコロコミックに連載していた「かっとばせ!キヨハラくん」。

 野球ギャグマンガですが、その初回に「中日ドラポンズ」の「ホジノ監督」が、カチカチ山のたぬきみたいに火のついた薪を背負って、このセリフを言いながら登場するシーンに大爆笑しました。

 

 河合じゅんじは同じ名古屋出身の友達なので、プレゼントしてもらった本にいつもマンガのキャラとサインを書いてもらっていました。

 それでいの一番に書いてもらったのが、カチカチ山のホジノ監督。

 

 数々の栄光に包まれた星野投手&監督だけど、僕の記憶にあるのは、

 

 ルーキー当時、巨人にめった打ちを食らってボロボロになって投げていたんだけど、どういうわけかベンチがちーとも替えなかったこと。

 (ラジオ中継でアナと解説が「どうして交替しないんでしょう?」としきりと言っていた)

 

 完全に打ち取って凡フライに仕留めたのに、そのフライを宇野勝選手が頭に当ててヒットにしてしまい、キレまくったこと。(球史に残るボーンヘッド「ヘディング事件」)

 

 阪神の監督時代の日本シリーズ、甲子園で3連勝して嬉し泣きしちゃったのに、その後全部負けて、結局、日本一になれなかったこと。

 

 本人にとってはろくでもないところが印象的なんだよね。

 けどもちろん、ドラゴンズが優勝した時は僕も泣きました。

 楽天でついに日本一監督になった時も嬉しかったなぁ。

 

 しばし名古屋にいましたが、名古屋のテレビは星野さん追悼のニュースだらけでした。

 やっぱり星野がいた時代のドラゴンズは面白かったでよ~(強かったというより、面白かったという印象が強い)。

 名古屋人にとって、やっぱり星野さんは阪神・日本代表・楽天はオマケみたいなもので、中日ドラゴンズの♪星野仙一、強気の勝負~(「燃えよドラゴンズ」より)なんだがや。

 

 もう一つ、星野さんは女性にもめっぽう人気があった。

 それは愛妻家だったからだと思います。

 妹が、奥さんを亡くした時の、憔悴した星野さんのニュース映像をよく憶えていました。

 野球なんてまったく興味を持ったことがない妹ですが、女はそういうところをよく見ていて、星野人気の隠し味になっていたようです。

 

 野球――特に日本のプロ野球にはすっかり興味を失って、最近は、高校野球と大リーグの日本人選手の活躍をちょろっと見るくらい。

 星野さんが亡くなって、ますますプロ野球が遠くなりそうです。

 

 もう一度、「かっとばせ!キヨハラくん」を読んでホジノ監督の激闘ぶりを笑って偲ぼうと思っています。

 


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秋田犬と終活スト―リー

 

年末に秋田犬となまはげとナマケモノの話を書いたら、秋田県から仕事が来ました。

ホントの話。

秋田の終活に関するお仕事です。

 

「月刊仏事」の仕事をやっていると、最近、終活が一大トピックになってきたのが分かります。

特に 昨年は関連ニュースも多く、専門団体の活動なども活発化した気がします。

終活と言っても、相続などの現実的な財産関係から家族の問題、心の問題まで、いろいろバラエティがあります。

そして、お金の問題も心の問題も結局ひとつながりなことも分かります。

 

終活と言うと、やっぱりちょっと暗いイメージがあって引く人も多いのだけど、「個人史」とか「自分ストーリー」の作成みたいな見方をすれば、ちょっと違うかも。

 

人生100年とか、二毛作・三毛作とか言われる時代、誰でも半ばを過ぎたかなと思ったら、終活かどうかはともかく、自分の人生・生き方を振り返ってみる必要があるのかも知れません。

 

秋田の仕事は楽しみです。

秋田を旅する機会があればいいなぁ。

 


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安崎暁さん感謝の会 取材

 

先週、日経新聞に建設機械メーカー、コマツの元社長・安崎暁さんが広告を出しました。

 がんに侵され、余命が短いことを医者に宣告されたとのと。

 延命治療はしないと決めて、それならと元気なうちにご縁のあった人たちにお会いしたいので、「感謝の会」を開くという内容。。

 企業のトップを極めた人の、まだあまり前例のない、ご本人主催のいわゆる「生前葬」です。

 

 というわけで「月刊仏事」も記事にしたいというので、今日は赤坂アークヒルズ「ANAインターコンチネンタルホテル」へ取材に。

 大宴会場に約700人のお客さんが訪れました。

 

 メジャーな新聞に広告を出したので(ご本人は広告はやりすぎだったかも・・・と後からおっしゃっていましたが)、このクラスの人になると社会的反響もすごく、ネット上で「カッコいい」とか「豪傑」とか言うこと言葉が行き交いました。

 それだけ終活に興味を持つ人が増えているということでしょうか。

 

 でもご本人はそんな気負った風情もなく、にこやかに宴を楽しまれていたようです。

 中締めで、東京最古の連による「阿波踊り」も登場(ご出身が徳島なので)。会場を巻き込んで大盛り上がり。

 でも途中、お囃子が「ふるさと」のメロディーラインに変わり、長老がソロで踊るシーンがあってちょっと泣けた。

 

 開会中は取材・インタビュー禁止だったので、終宴後、別の部屋で記者会見。

 

 最後に僕が「一個人に戻って何かやり残したことはありますか? この後、残された時間でやりたいことは?」と質問するとゴルフの話になり、「ホールインワンはヘタくそな人ができえるんです。僕は今までホールインワンを4回やった。5回目やったらホテルオークラのが大宴会場を貸し切ってぢパーティーをやる予定だったんだけど・・・・」と笑顔で語ってくれました。

 

 人の顔は本当に好きな事の話をするとき、何とも言えない輝きを放つ。

 幻になった5回目のホールインワンを胸に、充実した最後の日々を送っていただきたいと思います。


「ばんめしできたよ」ができたよ

 

 新しいラジオドラマ脚本「ばんめしできたよ」ができました。

 主役のヒロコちゃん、お疲れ様。最初は男だったけど、途中で性転換しました。

 おかげでちょっと色っぽい話も盛り込めた。

 予定よりずいぶん延びてしまったけど、出来てしまうと何だか寂しい。

 コンペに出したので、とりあえず結果待ちします。

 

 あらすじはこんな感じです。

 

 「あなたは人生最後の食事に何を食べますか?」

 ホスピス「虹の彼方」に入居した余命わずかの人たちに、若き女性天才料理人と中年紳士の給仕人はそう問いかける。

 

 食事は人生で最も大きな喜びの一つ。ここでは最期にその喜びを味わってもらうために「最後の晩餐」を用意する。

 料理人ヒロコが入居者からそれぞれの人生の物語を聞いてメニューを考え、最後にふさわしい料理を作るのだ。

 そして給仕人のモリヤは、その料理に仕上げのスパイスをかけて提供する。

 

 「ただ食うために生きてきた」

 今回、「虹の彼方」に入居してきたのはフジムラという末期がんの患者。

 真面目に会社勤めをして定年を迎えた孤独な彼は、恋も夢も家族を持つことも諦め、ただ働いて生き長らえてきたことを後悔している。

何も欲せず、人を傷つけないようにしてきたのに、どうしてこんな病気になったのかと取り乱す。

 そしてまた、自分は食べたい物など何もないと、メニュー作りに協力しようとしない。

 

 そんなフジムラに対し、ヒロコはホスピスへの思いや将来の展望など、自分自身をさらけ出して奮闘。

 彼の恋の記憶を引っ張り出し、実は彼も料理人になる夢を持っていたことを思い出させ、やっとメニューを作り上げる。

 

 その日。食卓に並んだヒロコ渾身の作品。

 しかしそこでフジムラは、これを最後の晩餐にしたくない、なぜならヒロコに恋してしまったからだと、胸の内を打ち明ける。

 モリヤは土壇場で生への執着を持ってしまった彼を諭し、何とか食事をさせようとする。

 

 そこでヒロコは気づく。以前から心の片隅に抱いていた疑念が解け、確信に変わり、彼女はモリヤと対峙する。

 そしてこのホスピスの成り立ち、最後の晩餐の奥にある秘密、それを取り仕切る給仕人モリヤが本当は何者なのかを問いただす。

 


国境なき医師団に遺贈の問い合わせ急増

 

 先月末から今月初めにかけて有楽町・交通会館で開かれた「学べる終活テラス」。

 月刊仏事の取材で出向きましたが、実行委員会の代表に話を聞くと、最近、国境なき医師団の日本支部へ「資産を遺贈したいのだが・・・」というメールだか電話だかが頻繁に来るとのこと。

 それで実行委員会にどうしたものかと相談が来て、その結果、今回のイベントをすることになったのでそうです。

 

 お金も予約も要らず、誰でもフラッと立ち寄れる、というのがコンセプト。そして注力テーマは遺贈。

 高齢者人口の高い有楽町という場所が良かったのが、結構集客できたようで、今日来たメールでは、4日間でのべ約400人が参加したそうです。

 

 どうも貧乏人はお金さえあれば人生OKと考える傾向がありますが、あればあったでいろいろ心配事や面倒なことも多そうです。

 そしてまた、それまで私利私欲に走っていた人も、いざ人生を締め括る段になると、自分がやってこなかったことに関して、あれこれ悩むことになるのでは・・・。

 

 いずれにしてもお金の余っている人、血を分けた家族同士の血で血を洗う「争続」を見たくない人は、すすんでこうした社会活動に遺贈してほしいと思います。

 自分の財産がみんなのために、未来のために生きれば、こんなに幸せなことはないよね。

 


安楽死できる国は幸せか?

●安楽死を合法化したオランダ

 

 以前、安楽死を題材にしたドラマを書いたことがある。

 「近未来SF」と評された(その頃はまだ「近未来」という言葉が結構流行っていた。今世紀になって以降、死語になった)が、20年あまりたった今、その近未来は、完全に現実に結びついた感がある。

 

 「月刊仏事」の新企画で「世界のエンディング事情」のリサーチを進めていたら、もうすでに安楽死が合法化されている国があった。

 2002年、すでに15年前、世界で最初に安楽死法を施行したのはオランダである。

 

 オランダは不思議な国だ。ドラッグも売春も安楽死も、悪徳ではないかと思えることをどんどん合法化していく。

 

 自由な意思を尊重している。

 

 と言えるが、見方を変えると、人間はどうしようもなく愚かで弱くて悪徳から逃れらえない存在である、という一種の諦観のような考え方が根底にあるのではないか。

 

 だから、たまには現実なんか忘れてラリりたいし、いろんな女とやりたいし、痛いのや苦しいのをガマンするのはイヤだから、助からないと分かったらさっさと死にたいし・・・といった素直な思いをみんな受け入れましょう、ということで、国が運営されているのかも知れない。

 

 一度、受け入れ、許されたものは再び戻ることなない。

 アムステルダムの飾り窓が観光の呼び物の一つとして定着してしまったように、安楽死もかの国の生活の中に溶け込んでいていく。

 

 そしてオランダに続いてベルギー、ルクセンブルグが安楽死を合法化している。

 ヨーロッパの中でも、どちらかというとマイナーな存在のベネルクス3国がこうした先進的(?)な社会を作っているのはとても興味深い。

 

●家族主体の日本ではやっぱNG?

 

 日本はどうか。これに倣って安楽死合法化は難しいと思う。

 日本の場合、根底に死は個人のものでなく、その周囲のもの――家族あるいは医療者に委ねられるものという暗黙の了解があるからだ。

 

 自分の命は自分の自由にしていい、という考えは許されない。

 

 そもそも安楽死するかどうかを決めるのはその人本人でなく、“させるかどうか”を決めるのは家族だ。

 

 生死を決する際は、家族の気持ちが個人のそれよりも強く働き、尊重されるようになっている。

 そうした歴史が続いてきて、ひとつの文化になっているから変わりようがない。

 

●安楽死の近未来

 

 しかし、それも僕の思い込みに過ぎないのかも知れない。

 

 最近の、人の内面を動かす時計の廻り方はとても激しく、最近は「個人」がずいぶん強調されるようになっている。

 もしかして10年後くらいには安楽死の合法化が、少なくとも検討されるところまではいくかもしれない。

 

 ちなみにオランダでは、安楽死数は2006年に約1900人だったが、2012年には約4200人までに増えているというデータがある。

 これは同国の年間死亡者数の3%に上る数でだという。

 ここから5年経った現在ではどうなのだろう?

 増えこそすれ、減っているとはとても思えない。

 聞くところによると最近では“安楽死専門クリニック”まであるようだ。

 1990年代に書いた僕のドラマの世界は、とっくに追い越されている。

 


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ロボットが社会に出てくるからこそ、人間の在り方について考えられる

 

 先月の「エンディング産業展2017」では、ロボット導師(お経を唱えるお坊さんPepperくん)がセンセーションを巻き起こしました。

 

 じつはここ数日、その提案を行なった企業とやりとりしていたのですが、聞くところによると、反響・問い合わせがものすごく、その大半はかなりネガティブなものだったようです。

 「死者を冒涜している」とかね。

 

 目立つし、エンターテイメンタブルなのでメディアにとっては格好の素材。

 面白おかしく、なおかつ、「これからの葬式はどうなっちゃうんだ~」みたいな煽るような報道をするので、ひどい誤解を受けた、とその企業の人は語っていました。

 

 ゆるキャラ的な領分でならいいけど、やはり人々はロボットが社会に入ってくるのを快くは思っていないようです。

 それが葬儀のような、心に深く関わる領域、人間の尊厳に触れる領域に顕れたので、そういう感情が露呈されたのだと思います。

 

 僕も以前、そのうち、美男美女の看護士アンドロイドとか登場するのでは・・・と書いたことがあったけど、医療・介護・葬祭などの分野では割とロボットが活躍するシーンが多くなるのでは、と考えています。

 

 なんというか、人間よりもロボットに面倒見てもらったほうが気がラクだ~、癒される~という人も結構多いのではないかな。

 お葬式もロボットにやってもらいたいという人だって割といるかも。

 亡くなる本人はそれでよくても、遺族が許さないだろうけど。

 

 人間の心、尊厳に触れる領域で、ロボットやAIを使うのには相当抵抗があるというのが現在の社会通念だけど、坊さんや牧師さんがロボ化するかどうかはともかく、これからIT技術が入り込んでいくことは必至。

 

 だからこそ「人間の尊厳とは何か?」という議論が巻き起こる。

 それって、むしろ良いことだと思います。

 

 というか、これから先は「人間の在り方とは?」「人間にしかできにことって何だ?」を考え、議論するのが、どんな職域でも人間のメインの仕事になるのではないか・・・そんなふうに思えるのです。

 


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エンディング産業展2017おまけ:一生消費者で終わらないために

 

 今年のエンディング産業展は、けっこうあちこちでニュースとして採り上げられ、話題になっていたようです。

 「最後の成長産業 年間売上○兆円の大市場」とかね。

 

 マスメディアの採り上げ方はどうしても皮相的になるので、ロボットの坊さんとか、ネットを使った遺影サービスとか、きらびやかなお墓や仏壇とか、やっぱりそういうのになってしまう。

 

 わいわい面白がるのはいいけど、葬式とかお墓の世界がこんなに明るく楽しくなっちゃっていいのか? いったい世の中どうなっちゃうんだ?

 といった違和感を抱く人も多いのではないでしょうか。

 

 僕も業界情報誌のライターという立場上、あちこちのブースを回って出展者と話す会話は、

 「売上、すごく伸びてるみたいですね」

 「ずいぶんシェアが広がりましたね」

 「そんなにそのニーズが大きいんですか?」

 「マーケティング戦略はどうですか?」

 

 といった感じで、改めてふり返ると、なんだかすごい違和感を感じるのです。

 

 ビジネスの世界なんだから当たり前だけど、提供する側も受け取る側も、それだけに終始していると、これらの商品やサービスを使う人はみんな「お客様」であり、「消費者」になってしまう。

 

 僕らは現代の消費社会では、市民とか人間とかではなく、「消費者」と呼ばれるのにふさわしいけれど、最期までそれでいいと思っている人は、そういないはず。

 

 これからやってくるエンディング=死について思いを巡らすことは、今ある生をより充実させることです。

 最期まで消費者として終わって満足・納得だ、という人はいいけど、そうでない人は、自分の人生をこれかえら終わりに向けてどうしていくのか、エンディング情報をきっかけにリ・クリエイトしていければいいのでは、と思います。

 


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エンディング産業展2017 3日目:この業界の面白さ

 

 鎌倉新書の仕事を初めてやった5年前には、エンディングやら終活やら、といった言葉がここまでポピュラーになるとは思わなかった。

 

 ここでメインになるのは経済・産業の話だが、そこに文化やら歴史やら宗教やらがかなり濃密に関わってくるのが、この業界の面白いところ。

 

 これまでは「葬式・お墓ってみんなこんなもの」と思っていたけど、最近はお決まりのテンプレートの中にはめ込まれて、「いい人でした」「立派な人でした」「家族思いでした」といった定型文でまとめられて人生チャンチャン!にされてしまうことに、みんな我慢ができないのだ。

 そんなものにお金を払いたくないのだ。

 特に今、70より下の戦後生まれの人たちは。そうですよね?

 

 だから文化やら歴史やら宗教やらに関する知識やら感性やらが、大きな価値になる。

 個人個人の話を聞き、思いに応えられrることが大きな価値になる。

 そうした価値をいかに経済に変換できるか

 

 ・・・てなことを考えた3日間でした。

 でもきっとこれは、この業界に限った話じゃないね、きっと。

 


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エンディング産業展2017 2日目:石造キティと出会い、巨大石臼ひきを体験

 

 エンディング産業展に併設というか、インクルードというか、されているのが「ジャパン・ストーンショー2017」。

 

 墓石業界も苦境を打開しようとPRに必死。

 斬新なデザインのお墓、ユニークなデザインのお墓がいろいろ提案されています。

 

 そのおへそに陣取る日本石材協会のブースでは、東日本大震災や熊本地震の際にボランティア活動をした関係で、熊本物産展もジョイント。

 

 昨日はなんと、くまもんも応援にやってきて、大騒ぎだったらしい。

 

 しかし僕はセミナー取材の時間と重なっていたたため、くまもんにはお目にかかれなかった。ざんねん。

 

 その代わりと言っちゃ申し訳ないけど、ビッグでロックなキティちゃんと2ショット。

 巨大石臼もぐりぐり回しました。

 

 


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●エンディング産業展2017 レッツ・ラーニングは世界の潮流

 

 今日から東京ビッグサイト(国際展示場)で「エンディング産業展2017」が始まりました。

 昨年に引き続き、鎌倉新書(この産業展のメディアパートナーになっている)の仕事で、25日・金曜まで3日間取材漬け。

 

 今年は「教育」「学び」が大きなテーマになっており、大小併せて100を超えるさまざまなセミナーがすべて無料受講できることになっています。

 

 もちろん、ビジネスチャンスを作る場ではあるのだけど、そのためにもこれまでの常識や古いノウハウに頼っていないで、この機会に新しいことを勉強し始めてください、というわけ。

 

 エンディング産業界に限らず、世の中、あらゆることが学び直し・勉強し直しの時代に入っているということです。

 

 今日にの取材のメインは、11:00から2時間半にわたって行われた東アジア国際葬送シンポジウム。

 中国、台湾、マレーシア、韓国の4ヶ国の葬祭関連の教育機関、研究施設の代表者を招聘し、自国における人材育成の実態について話しました。

 

 どの国も日本を追って発展し、近代化してきましたが、そのスピードはすさまじく、この葬祭関連の人材育成という文太では、すでに日本をしのいでいます。

 

 韓国では関連学部を設けている大学もあり、エンディングを実務のみならず、総括的に、アカデミックに扱い、死について――命について勉強している。

 こうした潮流が世界的に広がっており、それは近々、日本にも波及してくると思います。

 


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ロボットみたいなプロフェッショナルより、ヘタで未熟な若僧のほうが好印象という話を聞いた

●あえて若者を使うという葬儀社の社長

 

 現場の担当者はできるだけ若い社員に任せるようにしています。

 ベテランがやったほうが安心感はあるのですが、あまりに手慣れた感じ、こなれたやり方で仕事をすると、ルーティンワーク的、ビジネスライク的といった印象を与え、マイナス評価に繋がってしまいます。

 それよりも息子・娘・孫のような若者が一生懸命奮闘している姿を見せたほうが年輩の喪主の胸に響く。

 少々の失敗も大目に見てくれます。

 

  「月刊仏事」の電話インタビューで、こんなことを話してくれたのは秋田の老舗葬儀社の社長さん。

 話し声からはのんびりした感じのキャラかなと思ったが、なかなか経営者としてキレてる、と見た。

 すごく納得できる話だ。

 僕がお客の立場でもまったく同じように感じると思う。

 

 若者よ、失敗をおそれず、がんばれ!

 おじさん、おばさんはきみらに甘いよ、やさしいよ。

 逆に言えば、若いということは、ただそれだけで大目に見させる才能があるということです。

 ただ30も半ばを過ぎちゃうと、なかなかそうはいかなくなるけどね。

 

●あなたのやっている仕事、磨いた技術は本当に価値があるのか?

 

 もうひとつ―ー

 なんだか仕事に対する価値観が変わってきているような気がする。

 この話と似たようなことを、以前、民家での看取り看護をやっている人からも聞いたことがあります。

 

 いわく「葬儀屋さんはプロだから、なんでもテキパキ仕事をこなしちゃう・・・」

 

 その人から見れば、あまりに無駄のない、スムージーなその仕事ぶりが、なんだか心がカラッポのロボットの動作のように映ってしまったのです。

 実際にやっているスタッフはちゃんと心を込めているつもりでも、長年培った技術は自然と身体を合理的に動かしてしまう。

 

 難しいものです。

 きっと人は心のどこかで、昔あった隣組の人情というか、近所の人たち(もちろん素人)が集まって、みんなで亡くなった人を送ってあげる――そうしたお金を介さない、心だけでやる仕事ぶりを葬儀屋さんに求めているのかな?と考えました。

 

●これは葬儀屋さんだけの問題?

 

 さらに、これは葬儀屋さんだけの問題だろうか?とも考える。

 

 従来はうまくスムーズにテキパキ仕事をこなすのがプロだし、「できる人」だったが、今はそうとは限らない。

 

 特にサービス業では、そういうのは嫌われちゃったり、つまらないと思われたりして、むしろ素人っぽい感じでやったほうが受けたりもする。

 

 文章なんかでもやたら流麗だったり、きっちりまとまった文章よりも、へたくそだったり不器用だったり、ちょっと拙いくらいのほうが気持ちが伝わる、と言われたりもする。

 その場合、気持ちを伝えるのが最終目標なので、うまい文章よりヘタな文章のほうが価値が高い、となるのです。

 

●もしダメなら勇気を出してリセットできるか?

 

 もちろん業種やその仕事の種類やTPO、お客さんが究極的に何を求めているかに寄るんだけど、人の心に響く、本当に人の役に立つ「プロの仕事」ってどういうものか、

 自分のスキルは今の状態、あるいは自分がより磨き上げようと指向している方向でいいのか、

 考え直す時代がきているのではないかと思います。

 

 そして多くは勇気を持ってリセットする必要があるのかも。

 


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長く生きるのは、それだけで価値がある――と誰もが思えるように

 

 いつもやっている「月刊仏事」の仕事。今回は秋田・山形の特集。

 東北地方はどの県も宮城を除き、人口減少率・高齢化率が全国ワーストクラスという厳しい現実と闘っています。

 

 今回、両県の民俗資料を調べていたら、土葬をしていた時代の野辺送り(葬列)について詳しく書かれていました。

 

 秋田県小阿仁村(「マタギの里」として有名らしい)の資料では、大正時代、昭和30年代、昭和50年代と、3つの時代の事例が載っていました。

 

 ビジュアルがなく、文字だけなので、なかなか想像しづらいのですが、それでも比較してみると時代ごとの移り変りが分って、なかなか面白い。

 

 その中で「柳」というのがあり、これは何だろう?と思って読んでみると、こんな解説。

 

 柳とは亡くなった人が80歳以上の時、作るもので、小瓶に入れた酒や菓子を柳の木にぶら下げ、墓に行くまでに近所の人たちに取ってもらうのである。この酒を飲んだり、菓子を食べたりすると長生きできると言われている。

 

 小瓶に入れた酒や菓子を柳の木にぶら下げ――というのを想像してみると、東北という土地のイメージも手伝って、なんだか「遠野物語」のような、ジャパニーズファンタジーの世界が広がります。

 

 前回、福島・茨城の時も、長生きし、大往生した祝いとして、葬儀における銭撒き・餅撒きの風習があった(現在もわずかだが、ある)ことを発見しましたが、山形・秋田でも同じ趣旨の風習が伝えられていたのは興味深い。

 

 ビジュアルをイメージすると、まさしく「人生の卒業祝い」という感じがします。

 

 最近のお葬式ははなるべく目立たないよう、残されたごく親しい人たちだけでひっそり行なうことが主流になりつつあります。

 

 それはそれでいいのだけど、一方で、こうした卒業祝い的なセレモニーーー故人はこんな人生を送ったんですよ、という表現は、あったほうがいいのではないか、と思います。

 そんなにお金をかける必要はありませんが、できる範囲で。

 

 特に高齢で亡くなった場合。

 現代は80歳以上生きるのはごく当たり前になってきて、希少な価値は薄くなりました。

 定年退職して仕事から離れて久しい人、社会的な活動をしていなかった人だと、なおさらその価値は認めにくいでしょう。

 

 それでも長くこの世で生きて、大勢の人に影響を与えたことは尊重され、周囲の人たちによって何らかの形で表現されるべきなのでは、と感じます。

 生きるということは、たとえその人がどこにいても、どんな状況であっても、それだけの時間、出会った人たちの生に影響を与えているということなのだから。

 

 誰でも生きて存在している限り、誰かとつながり響き合っている。

 また、誰もがそのような意識を持って、自分が生きている意味と価値を感じられるような社会であってほしい、そうしたいな、と思います。

 


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映画やテレビドラマの世界では高齢の犯罪者が増えている?

 

 何かデータがあるわけでなく、あくまで個人的な印象に過ぎないのだけど、最近の映画やテレビドラマでは高齢の犯罪者が多く登場しています。

 

 もちろん昔でも、ヤクザの親分とか、ギャングのボスとか、政財界の黒幕は高齢だったのですが、最近は下っ端の実行犯や、普通の市民の犯罪者も高齢者というパターンが増えている気がするのです。

 

●老人=善人のイメージの崩壊

 

 物語を作る立場で考えていくと、かつては基本的に老人=心穏やかで優しき善人、頑固だったり、ちょっとヘンテコだったりしても愛すべき心の広い善良な人、「悟っている」とは言わないまでも、世の中を達観した、それなりの領域に達した人間というイメージが強かった。

 

 作り手の思い込みもあるけれど、それ以上に、高齢者に対する社会通念と言うか、世の中の常識というものが厳然と存在していました。

 

 つまり、老人と言えば、容貌の衰えに反比例して精神は美しく磨かれた善人か、たとえ悪人でも、人の上に立つ者、大勢の部下の尊敬なり畏怖なりを勝ち取っている者でなければ、見る側の観客が納得してくれなかったのです。

 

 それはまた、人間が年齢を重ねるとともに、現世における欲望の渦とか、負の感情の濁流から徐々に遠ざかり、真の大人になっていく、人間的に完成していく・・・という、人々が共有する信念でもありました。

 

 つまり、精神の円熟した立派な大人が、同情するに価する、やむを得ない事情がない限り、殺人などをはじめとする社会を混乱させる重罪に手を染めることはないーーそう考えるのが基本でした。

 

 けれども最近は事情が変わり、影の裏ボスみたいなのに、いいように操られる高齢犯罪者が急増しています。

 彼ら・彼女らの中には、不治の病で余命いくばくもない運命で、人生の夢が絶たれてしまった人、未来をみずから絶ってしまった人も。

 それなら最後に何かでかいことをやって名を残したい・・・といった、とんでもなく自己チューな動機で犯罪に手を染める人、他人を巻き添えにして自殺してしまうような人が目立つのです。あくまでドラマの世界のことでだけど。

 

●洗脳も簡単

 

 例えば、IS(イスラミック・ステーツ)などのテロ組織は、言葉巧みに若者を洗脳して、自爆テロの犯人に仕立てあげます。

 

「この腐った社会を正すんだ」とか、

「これでキミの命が輝く」とか、

「価値ある人生にできる」とか、

「本当に人の役に立つにはこういうことをしなくちゃいけない」とか・・・

 

 まるでどこぞの自啓発セミナーで頻発しているようなセリフですが、個人のパーソナリティに合わせて、こうしたセリフを吹き込むことで、現代なら、いい齢をした高齢者でも簡単に洗脳できちゃえるのではないかと思います。

 

●現実の反映

 

 再び作り手の立場に立てば、推理ドラマ・犯罪ドラマを作る際、従来の年功序列のパターンより、若者や子供、あるいは人類の子供たる人工知能に指示されて、高齢者が犯罪を犯すーーといった物語のほうが目新しくて面白い。

 そして今ではそれが、観客も納得するリアリティを持ち得る。

 

 言うまでもなく、こうした映画やテレビドラマで起きる現象は、肥大した自己といつまでも続く欲求不満を抱え、永遠に大人になれない高齢者が急増している現実世界の反映です。

 

 肥大した自己といつまでも続く欲求不満を抱え、永遠に大人になれない高齢者は、怖ろしい犯罪の予備軍ともなり得る。

 あまり認めなくないことですが、そう遠くない未来に仲間入りする僕も、そうした現実を変えていく努力をコツコツやっていかないとなぁ、自分を大切にしないとなぁ、と思っています。

 


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ラストドライブ:人生最後の旅

 

 昨日、たまたまテレビ(NHK-BS)で「ラストドライブ」というドキュメンタリー番組を見ました。

 

 ドイツのあるボランティア組織の話で、死にゆく人のために、最期に訪れたいところに車に乗せて連れて行く。そしてスタッフが一緒に一日を過ごし、彼もしくは彼女の最期の願いをかなえるというもの。

 

●最後の願いをかなえる小旅行

 

 ある高齢の女性は、何年も前にこの世から先立った夫と一緒に行ったというオランダの海岸へ。

 夫婦間のとても美しい思い出がそこに満ちているのかと思いきや、到着して彼女の口から出てきたのは、長い間、自分を家に閉じ込め、浮気をしていたという夫に対する、呪いにも似た不平不満でした。

 

 けっして幸せな結婚生活を送ったわけでなく、子供をもうけることもなかった。

 なのに、それでも死ぬまで添い遂げた。

 一体なぜなのだろう?

 自分が犠牲にしてきた感情は、ただ安心して人生を過ごすための取引だったのか?

 でもそれだけじゃない・・・。

 そうした問答の繰り返しの果てに、オランダの海を見れば、最期にその答えが見つかるかもしれない――

 彼女はそう考えたのかもしれません。

 

 もう一人、まだ中年の男性は、現在の恋人と一緒に過ごした湖へ――と願い出ました。

 その彼女とはいずれ結婚を考えていたが、1年前に病気が見つかり、断念したとのことでした。

 まだ人生半ばだと思っていたのに、すべてが手遅れになってしまった・・・。

 

 そんな悔恨の思いがあったのかも知れません。

 こちらのカップルの場合は、スタッフはできるだけ二人だけでそっとしておこうとしていました。いつまでも一緒に湖を見ている二人の後姿が印象的でした。

 

 いずれも、このラストドライブが終わって1ヵ月経たないうちにこの世を去りました。

 

 感動を押し付けたり、人間の良心を謳い上げるような演出をするわけでなく、ゴロンとありのままを転がしたような作品で、とても素直に見られました。

 

●スタッフにとってのラストドライブ

 

 組織のスタッフの一人――60代の男性は、なぜこの仕事をしているのか、との質問に、家庭で暴力(おそらく父親から)振るわれたという話をしました。

 定年退職後、そうした幼少期の体験から人の幸せに貢献することをしたいと強く思うようになったから・・・と語っていました。

  

 また、別のスタッフ――母親の、自分の子供たちにこの仕事について説明している姿も印象的でした。

 

 ちょっと聞き逃してしまったのですが、このラストドライブ――人生最後の小旅行を実践するスタッフは登録制で、たまたま日にちが合った人が出向くそうです。

 中には休職中の看護師や介護士の人もいるようですが、特別な資格が必要なわけでなく、説明会とちょっとした研修を受ければ、誰でもできるようです。

 

●新しい社会の潮流

 

 こうした福祉(そして医療の一種でもある)サービスが、社会でどの程度浸透しているのかはよくわかりません。

 しかし番組内で出てきたオランダの海岸やドイツ国内の湖畔のレストランでは、ごく自然にこうした人たちを受け入れている様子が見て取れました。

 さすが成熟社会のヨーロッパ、さすがドイツと思わざるを得ません。

 

 現在の日本ではこうしたサービスが行われることはまだ考えにくいですが、そう遠くないうちにスタートし、定着してくるように思います。

 それくらいニーズは高いと思うし、スタッフをやりたという人も少なくないでしょう。

 これはほとんどの先進国がいずれ体験する、新しい社会の潮流なのだと思います。

 

 人間は最期まで不可思議で不条理な存在。

 死に瀕して、人が何を望み、何を語り、何を悟るのか。

 それを死に行く人が、支え送る人が、互いに直視し、実感することは、人間の未来全体のスープの素になるのではないのかな。

 


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ロボットみたいな人間、人間みたいなロボット

 

 仕事の関係で、ソフトバンクのロボット「ペッパーくん」の写真を何枚か見ました。

 ビジネスシーンでも活用され始めたペッパーくん。

 チェコの劇作家カレル・チャペックが舞台劇「R・U・R」で初めてロボットを登場させてから、ロボットという概念は急速に世界に広まった。

 それから100年が過ぎ、いよいよ本格的に、そして日常的に人工知能・ロボットが活躍する時代が来たようです。

 

 この100年、ロボットのような人間が増えたと言われます。

 自分の頭で考えず、誰かの命令に従い、言われたままにひたすら働く人間。

 あるいは冷酷で計算高く、人情のない人間。

 

 だけど、ロボットのような人間が増えたのは当たり前です。

 それ以前の時代はロボットという概念がなかったのだから「ロボットのような人間」などいるはずがない。

 

 じゃ、それ以前の人間はすごく人間らしかったのか?

 みんな自分の頭で考え、自分の判断で行動していたのか?

 みんな人情に厚く、温かい心を持っていたのか?

 みんな満ち足りてハッピーだったのか?

 

 これからロボットが社会進出します。

 

 僕はなぜか昔から「老人とロボット」という取り合わせに興味があったのですが、高齢者施設におけるロボットの必要性・活用度はかなり高いようです。

 

 お年寄りはロボットなんて怖いし、嫌がるかと思いきや、どうもそんなことはなく、むしろ子供とよりも相性がいいなんて声も聞かれます。

 

 ロボットのように働いてきた人間、ロボットのように生きてきた人間が年老い、施設に入り、人間のようなロボットに世話してもらう。

 そして失っていた「人間らしさ」を取り戻す。

 

 けっしてアイロニーでもブラックユーモアでもなく、これからあちこちでそんな物語が生まれてくるかも知れません。

 

 でも、そこでまた疑問が湧き起る。

 

 「人間らしさ」っていったい何?

 「人間らしい」って、どういうこと?

 

 それを人間自身に考えさせるために、ロボットは人間の群れの中に入ってくるのかもしれない。

 


茨城・葬式の撒き銭のルーツを探る

 

 この夏場所、残念ながら郷土の英雄・稀勢の里は途中休場してしまいましたが、依然として「ひよっこ」で盛り上がる茨城県。

 

 先日から茨城の葬式の「撒き銭」の話をしているのですが、お金だけでなく、お餅やキャラメルなどのお菓子もばら撒くと聞いて、子供の頃、お嫁さんの出る家で「菓子撒き」をしていた(昭和40年代の名古屋の話です)のを思い出し、アレと関係があるのかな?と調べたら、ビンゴ!

 

 民俗学博士である成城大学文芸学部の田中宣一教授の「祀りを乞う神々」という本。

 その中の一文「散米と撒き銭」に詳しいルーツが書かれています。

 

 もともと神道の打撒(うちまき)=散米(さんまい)に由来するもので、米を打ちつけて、ケガレや不幸をはらう風習なのだそうです。

 

 節分の豆まきと同じみたいですが、厳密に言うと、対象となるのは鬼とか邪気とかではなくて、ちょっと低級な神様。

 

 ここが「八百万の神」がいる日本らしいところで、神坐に鎮座する、いわば正式の神様とは別に、レベルの劣る、その他大勢の神様が、お祭りの時になるとうじゃうじゃ湧いて出てきて、お詣りするべき神坐へ向かう道をふさいでしまう。

 なので、「はらう」のではなく、撒くというラフな形でお米を「お供えする」――つまり、神様へのお供えのスタイルの一つというわけです。

 

 このお米が、お金・お餅・お菓子などに、下級の神様が、その地域の子どもをはじめ、民衆一般に転化し、「撒き銭」という風習になったとか。

 ちなみに神社の「お賽銭」も同じルーツを持っています。

 

 葬式で撒くのは、やはり長寿で亡くなった人が仏様=神様になったというお祝いの意味合いが強いようです。

 

 かなり端折って紹介しましたが、この「撒き銭」は、江戸時代には全国の広い地域で行なわれており、山岳信仰で富士山などにお詣りのために上る人たち、お伊勢参りに詣でる人たちなどは、その旅程で、撒き銭を期待する地域の子供らが寄ってきたとのこと。

 

 なんだか進駐軍に「ぎぶ・みー・ちょこれーと!」と集まってきた戦争直後の子供たちみたいだなぁ。

 そういえば、あれも一種の「菓子撒き」ですね。

 

 撒き銭をあげないと「ケチ」「ボケ」「カス」とののしられ、「途中で悪いことが起こるぞぁ」と、呪いまでかけられたそうです。

 まったくしょーもないガキどもだ。

 

 それにしても、いくら撒くのは小銭とはいえ、目的に辿り着くまであっちこっちでやっていたら、これだけで破産してしまいそうですね。

 それとも、ある程度のお金持ちじゃないとやらなかったのでしょうか?

 

 興味のある人は読んでみてください。

 

 しかし「葬式の長寿祝いの撒き銭」という形で、なぜ、とりわけ茨城に伝えられ、最近まで残っていた(今でも残っている)のか?

 そこのところはまだ謎のまま。

 

 「ひよっこ」には朝ドラなので、よもや葬式シーンは出てこないと思いますが、もし出てくるなら、ぜひ、この撒き銭をやってほしいものです。

 


昭和39年の奥茨城に電話はなかったけど、テレビと葬式の「撒き銭」はあった?のお話

 

●時代考証は〇か✖か?

 

  朝ドラ「ひよっこ」に対して、昭和39年の茨城の田舎に、テレビがあって電話がないのは、時代考証がおかしいのでは?という意見が寄せられているようです。

 

 イマドキの携帯・スマホの普及率・進化度から考えると、テレビより電話の歴史のほうが長いように思えますが、じつは逆。

 

 世に出たタイミングはともかく、テレビの普及率が、昭和34年の現・天皇陛下のご成婚を境にググンと急激に上がったのに対して、電話の普及率は遅々としていました。

 僕も自分の置き電話を購入したのは、やっと1980年のこと。

 電話網のインフラ整備に時間が掛かったり、7万円だか8万円だかしていた権利金の高さが普及のネックになっていたのでしょう。

 そういえば昔、電話ってテレビよりも財産価値が高い物でした。

 今ではウソみたいな話だけど。

 

 というわけで、 日本中、ほとんどの家に電話があるという状況になったのは、1980年よりもっと後のことなのではないかな。

 

 だから「ひよっこ」の主人公・ミネコの実家にもテレビはあったが、電話はまだなかったという時代考証は正しいのです。

 

●葬式の「撒き銭」の意味は?

 

 それで昨日の話ですが、この前・東京オリンピックの時代、県北部にある架空の「奥茨城村」にも葬式の撒き銭の風習は厳然と残っていたと思われます。

 

 僕がよく参考にする「日本民俗調査報告」の茨城編のページをめくると、現在の日立市や北茨城市の地域を調査した資料に

 

 「死者が高齢の時は、年齢を赤色で書いた投げ餅や小銭をまく」

 

 「出棺時に金と餅をまくが、80以上の人には門口で拾わせないで手渡すこともある」

 

 といった記述が見受けられます。

 

 こうした記述からわかるのは、この「撒き銭」という風習は、故人が長寿だった――大往生だったということの証であり、そのご祝儀を集まった人たちに配るということです。

 

 まさしく「人生卒業おめでたい」といったところでしょうか。

 だから同じように長寿の人には「あなたももうすぐだから」と、確実に手にできるよう、手渡しもするのでしょう。

 

 さらに調べていくと、「撒き銭」については、お祭り・宗教と合わせて詳しく研究している民俗学者がいるので、その人の書いた本ものぞいてみたところ、さらに面白いことが。

 長くなるので、これはまたto be continue。

 


●稀勢の里と「ひよっこ」と「撒き銭」でイバラキ人気 赤マル上昇中

 

 茨城県では葬式の時にお金をばら撒く。

 福島県では葬式まんじゅうとして、紅白まんじゅうが配られる。

 

 え、なにそれ?とリサーチ開始。

 

 次回の月刊仏事の「全国葬儀供養事情」は茨城県と福島県の特集です。

 

 茨城県は都道府県別魅力度ワーストワンという不名誉を背負った県。

 それはお気の毒に、県はさぞかしがっくり肩を落としていらっしゃるだろう・・・と思いきや、

それを逆手にとって「のびしろ率ナンバーワン県」と謳っている。

 

 なにしろ茨城には黄門様もいるし、納豆もあるし、梅だってきれいだ。

 でも、いつまでもそれに頼っていちゃあな・・・と思っていたら、

今年になって強力な援軍が現れた。

 

 久々の日本人横綱として角界人気ナンバーワン力士となった、牛久市出身の稀勢の里。

 そしてこの4月から始まった、有村架純主演、可愛い茨城弁満載のNHK朝ドラ「ひよっこ」。

 

 必殺ダブルカウンターパンチで茨城人気 赤マル上昇中です。

 

 ちなみに「ひよっこ」の舞台である「奥茨城村」というのは架空のもので、昔も今もそんな村は存在しないのですが、どうやら福島県に近い県北部がモデルのようです。

 

 そして、葬式でお金をばら撒く「撒き銭」という風習も、文献を調べるとこのあたりで長く行なわれていたことが書かれています。

 それがちょうどこのドラマと同じ、前・東京オリンピックの時代――昭和40(1960年代半ば)頃までのこと。

 その後の経済発展と都市化によって、こうした昔からの風習は急激に廃れていきました。、

 

 しかし希少ではあるけれど、ネット情報によれば今でもまだチラホラ残存しているようです。

 テレビで外国に移住した日本人妻が、その国の生活風習にびっくりしたことをレポートする番組がありますが、ここでも他県から来た奥さんなどが、そうした仰天レポートを載せています。

 そりゃびっくりするよね。

 なにせ人が死んだのに「「こりゃめでたい」と言って、来た人たちにお金をばらまくっていうんだから。不謹慎にもほどがある。

 

 ところが、この「撒き銭」、要は家の建築の時の上棟式や、結婚式などの時にやる「菓子まき」「餅まき」などと根は同じなのです。

 その話はちょっと長くなるのでまた明日。

 

 いずれにしても、稀勢の里と「ひよっこ」がもたらした千歳一隅のチャンス。

 この好機にどこまで人気を伸ばし、舞い上れるか?

 がんばれ、イバラキ!(イバラギではありません)

 


聖地トキワ荘巡礼の寺に「マンガ地蔵」降臨

 

 「西武ドーム」が「メットライフドーム」に変わっちゃったという話をしたら、頭の中の20世紀の化石層から、西武線沿線の風景がいろいろよみがえってきました。

 

 僕はロンドン暮らしをしていた2年半あまりを除いて、20代のほとんどを西武池袋線の江古田で暮らしていました。

 また、その近所の東長崎や椎名町、西武新宿線の中井、新井薬師、少し飛んで上石神井なども友だちがいたりして、よくぶらついていました。

 

 4年程前にお隣の東長崎で取材の仕事があったので、そのついでに江古田にも言ってみたのですが、もう当時の面影――最後にいたのはもう四半世紀昔になる――はありませんでしたね。

 駅や大学(日芸をはじめ小さなエリアに3つも大学がある)がやたらと立派になった代わりに、ゴチャゴチャあった――だから楽しかった、喫茶店、定食屋、古本屋などがみんななくなってしまっていて、身体になじんだ街とはすっかり様変わりしていました。

 それは東長崎も同様でした。

 これはもうしかたないことだと思う他、ありません。

 

 ただ最近、「仏事」の仕事をしていて、お寺関係の情報が入ってくるのですが、椎名町と東長崎の間にある金剛院というお寺には「マンガ地蔵」ができ、ご朱印ブームに乗っかって「マンガ御朱印」を始めたとか。

 

 というのも、このお寺のすぐ近くに、手塚治虫先生、藤子不二雄先生、赤塚不二夫先生、石ノ森章太郎先生ゆかりの、かのアパート「トキワ荘」があったので、マンガファン・アニメファンがよく訪れるのだそうです。

 まさしく「聖地巡礼」です。

 

 それにあてこんで商売を――ということですが、悪い意味で言っているのでなく、これは街を活性化させる事業の一環。

 

 なんでも豊島区を巻き込んで、「トキワ荘再建計画」というのが進んでおり、当時のトキワ荘を忠実に再現し、なおかつミュージアム機能を持たせる、ということ。

 

 まさに20世紀の恐竜の化石の復元。

 マンガ文化のジュラシックパーク。

 

 この「マンガ地蔵」「マンガ御朱印」はその先駆けということで作ったわけです。

 

 ちなみにこのお寺は、託児所やカフェを設けたり、イベント・講演をおこなったり、地域文化のためにすごく頑張っていて、たくさん情報発信も行なっています。

 

 ちかぢか僕も「巡礼」に行かなきゃな、と思っています。

 

 


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「ありがとう」の思いを込めた動物供養は、世界オンリーワンの日本の文化

 

★ペット葬・ペット供養

 

 葬儀・供養業界の雑誌の仕事をしているのいで、その方面の話を聞くと、反応するようになっています。べつに信心深いわけではないのですが。

 

 最近、興味を抱いたのが、動物慰霊の話。

 人間の方は、お葬式をしないでそのまま焼場に送ってしまう直葬が激増。

 お葬式なんて形式的なものにお金をかけられない、という傾向が全国的に広がっていますが、その反面、ペット葬儀・ペット供養の件数は年々増え、手厚く弔うようになっています。

 

 これだけ聞くと、「人間より動物の方が大事なのか!」

 と怒り出す人もいそうですが、

 「その通り」とまでは言わないけど、

 日本のように動物の霊魂を認め、ちゃんと供養する文化を持つ国は稀少――というか、ほとんど唯一と言っていいようです。

 

★肉になる動物の供養:畜霊祭

 

 ペットの場合は心の癒し――いわば、精神の栄養になってくれるけど、肉体の栄養になってくれるのが、僕たちが毎日食べているお肉です。

 

 僕のロンドン時代の職場(日本食レストラン)の仲間にダテ君というのがいて、彼は高校卒業後、しばらくの間、食肉関係の会社に勤めていたそうです。

 

 そこでは必ず年に一度、「畜霊祭」というのを行い、自分たちが屠った牛や豚や鶏などを供養していたとのこと。

 

 もちろん、お坊さんが来てお経を唱えるし、参列者も喪服かそれに準じる服装をし、人間の法要と変わることなく、ちゃんとした儀式として行なうそうです。

 そして、社長など代表の人が祭詞を読み上げます。

 

 「人間のために貴重な命を捧げてくれて感謝の念に堪えません云々・・・」

 

 ダテ君の話を聞いたのはずいぶん昔のことなので、すっかり忘れていましたが、最近、この畜霊祭のことが書かれてある本を読んで思い出しました。

 

 さらにインターネットで調べてみると、びっくり。

 

 実際に屠畜に関わる食肉会社はもとより、家畜の飼料を作る会社とか、直接屠畜に関わるけではないところも、とにかく家畜関係のビジネスをやっているところは、みんな、こうした畜霊祭、牛供養、豚供養、鶏供養などを行っているんです。

 家畜のおかげで収入を得て暮らしていける。感謝してしかるべき。

 そういう考えかたなのです。

 その本の著者によれば、こんなことをやっているのは世界中で日本だけ。まさしく日本独自の文化。

 

★イルカもクジラも魚も、動物園も水族館も、実験動物も

 

 この話をすると、欧米人は信じられないとか、奇異な目で見て、嗤う輩もいるらしい。

 バカヤロ。

 彼らがよくやり玉に上げるクジラやイルカはもちろんのこと、「魚魂祭」といって魚の供養をするところだって全国津々浦々にあるのです。

 

 さらに言えば、9月の動物愛護週間には、全国各地の動物園で「動物慰霊祭」が行われるし、水族館ではやはり魚魂祭が行われます。

 

 そして実験動物も。

 マウスやモルモットをはじめ、動物実験を行っている研究所・医療機関も動物供養を行っています。

 

 僕たちは割と当たり前だと思っているけど、こうした施設においてちゃんとした動物供養をする国も、どうやら世界で日本だけのようです。

 

★敬虔な気持ち、感謝の心に基づく文化

 

 だから日本人は立派だ、という気はありません。

 ナナメから見れば、いくらでも批判できます。

 

 ペット業者も食肉業者も動物園も、みんな商売の一環でそうしているんだ。

 他のところがやっているから右へ倣えでやってるだけだ。

 実験動物だって、一部の動物愛護家がうるさいからだろ。

 カタチだけで魂なんかこもっちゃいない・・。

 とも言えるかもしれません。

 

 でも、そうした命や自然に対する敬虔な気持ち、哀れに思う気持ちと感謝の心に基づく文化があることは確かだし、知っておいたほうがいい。

 そして機会があれば、外国の人にも伝えられればいいと思うのです。

 

 少なくとも、畜霊祭や魚魂祭のこをおかしがって嗤う輩に

 「クジラやイルカを殺して食うとは、かわいそう。日本人はザンコクだ」

 なんて言われたくないよね。

 

 


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人形が幸せになれる国ニッポン

 

 先日、「仏事」の仕事で和歌山の清掃会社を取材したときのこと。

 その会社は仕事の半分以上が、遺品整理や生前整理、そして独居老人が亡くなった後の家の清掃などをやる、いわゆるデスケア関連の会社です。

 

 和歌山というのは高齢化の先進県で、人口全体に対する高齢者の割合が全国第6位。

 近畿地方ではナンバーワンとのことで、この数件、家の中を整理したいという高齢者が激増しているのだとか。

 デスケア業界で言う「生前整理」のニーズに応じて、このビジネスに参入する業者も増えているとのこと。

 

 そこでかなりの割合で出てくるのが、お人形さんです。

 この季節、父・母から子へ、祖父・祖母からかわいい孫へ、立派な五月人形が贈られます。少し前なら、もちろん、女の子を寿ぐひな人形が。

 

 これらの華やかな人形たちは、最初の数年は家の中ですごい存在感を放つのだけど、子供が大きくなるとともに、だんだんその存在感が薄れていきます。

 

 そして気が付けば、子や孫は大人になり、人形たちは楽屋の隅に引きこもった役者のように。

 ましてや子供が出て行ってしまった家では、こういっちゃなんだけど、ちょっと邪魔者になってしまう場合が多い。

 

 そんなわけで、その会社では生前整理の仕事を受けていると、2~3ヵ月ほどの間に倉庫に人形があふれてしまうのだそうです。

 

 スピリチュアルなんて信じないという人でも、やっぱり人形は「ただのモノ」としては扱えません。

 みんな多かれ少なかれ、口には出さないまでも「これ魂入ってる???」と考えてしまう。

 ポイとゴミ箱に捨てるわけにはいきません。

 

 じつはこの会社の近所には「淡島神社」という、人形供養で全国的にも有名な神社があります。

 長い間、家族の物語を育んできた人形たちはその役割を終えて、ふるさとの家をあとにし、しばしの下宿暮らしを終えたのち、生前整理屋さんの車でこの神社に辿り着きます。

 そして厳かに供養され、安らかな眠りにつきます。

 

 淡島神社に持って行ってもらえると聞くと、親御さんたちも安心して手放すことが出来るのだそうです。

 ここだけでなく、こうした場所が全国津々浦々きちんとあるということは、人形にとって幸せなことなのでしょう。

 子供にとっても、親にとっても、きっと。

 

 最期にちゃんと行き着き、安らぐ場所があるから、安心して人形が作られ、売り買いされ、魂が入り、人形の文化が豊かになったのかなぁ、キャラクター文化につながっているのかなぁと思ったりしています。

 


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近江路の桜と庶民の仏像

 

●お寺の数日本一の滋賀県

 

 レギュラーワークの鎌倉新書「月刊仏事」の仕事では、毎月の業界ニュースと、隔月の「全国葬儀供養事情」という連載企画を担当しています。

 

 後者は全国47都道府県の葬儀の風習や伝統、ビジネス状況や終活事情などを紹介するもので、現在、調査・執筆しているのは「滋賀県」の巻。

 

 じつは滋賀県は10年ほど前、他の仕事で長浜市近辺に半年ばかりの間、よく通ったことがあるため、親しみを持っています。

 

 奈良・京都に比べると一般的な印象は薄いと思いますが、お寺の数はこの両県をしのいで日本一。

 仏像・神像の数もトップクラスで、仏教美術の宝庫でもあります。

 

 かの白洲次郎の奥さんだった白洲正子さんも観音様などの仏像・舞狂美術を訪ね歩き、いくつもの紀行文・随筆を書いています。

 

●庶民が守り育てた仏教文化

 

 奈良・京都の場合、仏教は時の政治権力と根底で結びついており、そこから派生する文化も、貴族などの支配階級が深く関わっていました。

 

 それと比べて滋賀県における仏教文化の特徴は、その地に住む村人たち、つまり庶民が守ってきたということ。

 奈良・京都に比べて今一つ地味な印象で、注目されづらいのは、そのためなのかも知れません。

 

 庶民が仏像などを守ってきたことにはちゃんと理由があります。

 

 滋賀の旧称は近江。

 江とは「うみ」のことで、うみに近い場所。

 この「うみ」とはもちろん日本最大の湖・琵琶湖のことです。

 琵琶湖という静かな海の向こうに、政治の中心地である京都があったため、宿命的に近江一帯は歴代の権力闘争の舞台になってしまいます。

 

 最もひどかったのは安土桃山時代で、この一帯の人々の暮らしは、信長や秀吉など、権力を獲得せんとする近隣諸国の武将たちにさんざん蹂躙され、翻弄されました。

 

 そうした暴力に対して無力な庶民は、仏様に救いを求めるしかなく、日々の生活の中でごく自然な信仰心が育まれたのだと思います。 

 

 滋賀に通っていた頃、そんなエピソードが残るお寺、戦火の中から人々が救い出した仏像の話をいくつも聞きました。

 

 また、そんなストーリーを胸に収めながら歩いた長浜郊外の観音様巡りは今でも心に残っています。

 

●情報化社会がもたらす混乱

 

 今回、葬儀社さんなどに話を聞くと、このような文化背景があるせいか、滋賀の人たちは冠婚葬祭に関してかなり保守的で、昔の習俗にこだわる人が多く、お寺も長年大事にされてきたせいか、生活者との関係改善に関心を持たず、いまだに上から目線のところが多いとか。

 

 しかしそれでも、最近の葬儀の小規模化・低予算化、さらには葬儀不要論などの時代の新しい潮流には逆らえません。

 情報の送り手である葬儀社やお寺、受け手である生活者ともども相当混乱にさらされているようです。

 

 「仏事」の取材は残念ながら現地取材はできず、電話とメールで事実関係の調査をがんばって、あとはそれをもとにイメージを膨らませるのですが、記事を書いていると、近江の観音様がまた会いにおいでと手招きしているような気持ちになります。

 

 近江路はきっとまだ寒いだろうけど、桜はもう咲いているのだろうか。

 


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お寺や葬儀社の地域貢献事業

 

 鎌倉新書の仕事をやっていると、お寺や葬儀社の取材をしたり、ネットなどを通していろいろ情報を仕入れます。

 

 こうした葬式に関わるところは、何やら辛気臭いイメージがまとわりついていて、できればあまり関わり合いになりたくない、という人が多いでしょう。でも最近はそんなイメージを脱却すべく、一肌脱いで頑張っている会社やお寺も増えています。

 

 いちばんわかりやすいのは地域のコミュニティづくりへの貢献です。

 「お寺の集会場で地域の子供会のクリスマスパーティー」といった、ツッコミどころだらけの、笑える日本的カオス宗教企画が、僕たちの子供の頃には多々ありました。

 それが最近、あちこちで復活しているのです。

 

 たとえば、お寺の施設を利用したカフェ、ヨガ、書道、珠算などの教室、説法会、保育所、コンサート、演劇など、さまざまなイベント。

 

 また、地域密着を謳う一部の葬儀社なども持ち前の能力を活かして、商店街や町会などと提携したイベントを行っています。

 これらはもちろん、ボランティアか、それに近い貢献事業で、志ある住職や社長が真剣に(でも楽しんで)取り組んでいます。

 

 商店街から人影が消え、町会や自治会にも人が集まらなくなり、子供や若者が少なくなって、深刻な地域崩壊の危機に直面しているところは、どんどんどん増えています。

 

 こうした問題に取り組む際、学校や行政の公的機関だけに頼ってしまうのには抵抗があります。

 みずから自由を放棄して、お上の指示を仰ぐような形になってしまうからです。

 

 そういう時に、お寺や協会などの、日常生活に溶け込んだ宗教施設の存在感や、気軽に相談できる、イベント・セレモニーのプロフェッショナルが頼れる助っ人として浮かんできます。

 

 言い方を変えれば、お寺や葬儀社は潜在的な文化力・情報発信力を持っており、その気になればとても活用できる部分、(お寺や葬儀社の立場からは)役立てる部分が大きい。

 

 逆にいえば、お寺や葬儀社は、人々の寺離れ・葬儀離れを嘆く前に、自分たちの社会的役割を改めて考え、自分たちのできること、役に立つことを明確にして、なるべく自然な形でそれをアピールする方法を模索していくべきではないかと思います。

 


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結婚式・葬式:セレモニーはドラマであり、人生のストーリーを形にするツール

 

●お葬式をあげるかどうか

 

 仕事でお葬式を取材したり、お葬式に関する話を聞くことが多くなりました。

 最近は家族やごく親しい身内だけ、人数も1ケタからせいぜい20人以内でひっそりと故人を送る「家族葬」、また、斎場などを使わず、昔ながらにあえて自宅でお葬式をする「自宅葬」が増加傾向です。

 

 これとともに「葬式なんて要らない」という考えで、亡くなったらそのまま火葬場へ直行する「直葬」も急激に増えています。

 

 「死んだら終わりや。葬式なんぞに金をかける必要なんてあらへん」

 

 もちろん経済的事情は大きいと思います。

 

 それと同程度に個人主義が巷に浸透し、そんなに人に気を遣わなくていい、世間体を重んじる必要はない・・・という考え方の人が増えたことも要因でしょう。

 お葬式が形骸化し、虚飾的と捉えられることも少なくありません。

 

●結婚式は増えている

 

 これに対して、結婚式の方は増加傾向です。

 「結婚式をやりたい」という考え方のカップルが増えている。

 昔のように、ゴージャスに、お金をかけて・・というわけではありませんが、一時期、ジミ婚が増えて、結婚式なんかやらないのがトレンド、という感じになった時期と比べれば、だいぶ変わっています。

 

 ただし昔と違うのは、それが家とか親のためでなく、自分たちのために、になっていることです。

 

●セレモニーの効能

 

 結婚式はセレモニー。セレモニーはドラマであり、ストーリーです。

 心の中で思っているだけでは形として実を結ばない。

 いくら素晴らしい脚本を書いたとしても、実際にそれが上演されなくては意味がないのです。

 

 わたしの人生のストーリーを描きたい。ちゃんとそれを形にして体験し、残したい。

 

 若いカップル(中には熟年カップルも)にはそう考える人たち(特に女性)が僕たちの世代より増えているもでしょう。

 

●自分の結婚式の話

 

 かれこれ22年前のことですが、恥ずかしながら、僕は結婚式(正確には披露宴)を2回やりました。

 1回目は東京で洋館を借りてハウスウェディング。

 これはもちろん自分で費用を出して、脚本・演出も自前でやりました。

 

 2回目は名古屋のホテルで。

 親に、ぜひ実家の方でやってくれと言われ、費用も親が出しました。

 これにはちょっと抵抗しましたが、断り切れず、これも親孝行かなと思って、なかばしぶしぶやりました。

 

 しかし22年後、父が亡くなり、母が老い、その時出席したおじやおば、父の友人らも大半がこの世を去った今、ふり返って考えると、自分たちのためにも、家族や友人のためにも、やってよかったなぁと思えてくるのです。

 

 なんというか、その時にいろいろな人との関係性を再確認できたという感じ。たぶん、あの時会わなければ、その後もずっと一生会わなかっただろうなという人たちも結構います。

 

 人生にはストーリーが必要です。

 それを形にするのに、セレモニーを行うのは安易な手段かも知れないけれど、可能であればやっぱりそういう機会はあった方がいいと思うのです。

 

●本当に必要ないと自分軸で考えているのか?

 

 「家族に負担をかけるし、葬式なんてやる必要ない」という人も多いですが、お葬式は基本的になく故人のためのものではなく、遺される人たちのためもの。

 

 亡くなって2~3日でバタバタと葬式を出すのは大変なので、その後の、いわゆる「お別れ会」でもいいのですが、何か形にする機会がないと、関係のあった人たちにとっても寂しいし、心残りのではないでしょうか。

 

 そう考えていくと、「葬式はいらん」というのはちょっと傲慢だし、遺される人たちへの思いやりに欠ける気がします。

 

 セレモニーを拒否することについて、それなりの信念を持っているのなら、それはそれで立派です。

 

 しかし、たんにトレンドだからとか、やらないほうがなんとなくカッコいいからとか、あるいは、〇〇さんや△△先生が「あんなもの必要ない」と言っているからとか・・・

 そんな他人軸的な理由でやらないと言っているのなら、考え直してみてはどうでしょうか。

 

 結婚式にしても、家族のお葬式にしても、「やればよかった」と言っている人は割と多いと聞きます。

 

 あとから後悔しないためにも、自分にとって、あるいは周囲の人たちにとって、そのセレモニーに意味があるのかないのか、自分軸で考えよう。

 

 


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プログレッシヴ・ロックスターの死②:キース・エマーソンの誇り高き自殺(1周忌に捧ぐ)

●既成概念を打ち破るキーボードプレイヤー

 

 報道された記事によると、キース・エマーソンは昨年、アメリカ・サンタモニカの自宅でピストル自殺をしたそうです。

 動機は病気のせいで指が思うように動かなくなり、自分が理想とする演奏ができないと悩んだ末・・・とありました。

 

 そこで僕は1970年代、ELPにおける若きエマーソンの雄姿を想起します。

 

 ELP時代のエマーソンはロック界最高のキーボードプレイヤーとして知られ、超絶的なテクニックを駆使して、ピアノ、オルガンなどのキーボード群を縦横無尽に弾きまくっていました。

 

 それまでロックバンドにおけるキーボードプレイヤーは、たとえばギターやヴォーカルに比べて、楽器の特質上、ステージ上であまり動かず、したがって自己主張が少ない存在でした。

 しかし、エマーソンはその概念を打ち破り、とにかく派手なアクションで大暴れ。ELPはベース、ドラムとのトリオ編成で、他に動き回れるメンバーがいないという事情もあったせいだと思いますが。

 

 

●巨大な機械獣と闘う戦士のエマーソン

 

 当時は当然のことながら、You Tubeどころか、ホームビデオもない時代でロックアーティストの動画を見る機会は、ほとんどNHKの番組「ヤングミュージックショー」に限られていました。

 中高生時代の僕はそのオンエアがある日時は何よりもそれを優先しました。

 ELPのステージを見たのも、その番組でです。

 

 そこではエマーソンがオルガンを揺するわ、蹴とばすわ、あげくの果てにナイフを突き立てて、ギュインギュインとノイズを発生させて、観客は大喝采の大盛り上がりという、いま見ると完全にギャグとしか思えないシーンが展開していました。

 

 そういえば当時のロックバンドは、ステージ上でよくギターをぶっ壊したり火を点けて燃やしたり、ドラムセットをぶっ倒したりと、めちゃくちゃなパフォーマンスをやっていました。

 いまでは本当にお笑い沙汰ですが、それを僕たちは「すげええええ」「カッケえええええ」と、思っていたんです。

 とんでもなくアホな時代です。だけど面白かったし、みんな興奮して血がたぎっていました。

 

 それはさておき、通常のキーボード群の他、当時の「ムーグ・シンセサイザー」というバカでかいアナログシンセを弾きこなすエマーソンの姿は、まるで迫りくる21世紀の機械文明の脅威――巨大な機械獣に立ち向かう人類代表の戦士に見えたほどです。

 

●音楽に殉じた尊厳死

 

 2016年3月――70歳を超した彼の中には、その20代の頃の、まるでキーボード群を思う存分、手足のように動かし、ハイテンションで演奏していた頃の自分の残像がくっきりと残っていたのでしょう。

 

 でもけっして過去の栄光・過去の名声を捨てきれず、追い求めていたというわけではない。

 彼の中にはいつも自分が理想とする音楽の王国があり、それに命を捧げる覚悟があった。

 だから、それが実現できなくなった――ファン・観客の前で理想の、あるいはそれに準ずるパフォーマンスができなくなった時、死を選ばざるをなかったのではないかと思うのです。

 

 おそらくはお金ならいくらでもあるだろうから、生活のために稼ぐ必要はない。ならば生きる意義をどう見い出すのか?

 

 演奏できなくても、曲は作れるのでは? 今後は作曲家オンリーとして生きる道があったのでは・・・とも思います。

 が、エマーソンの場合、演奏活動と作曲活動というのは彼の肉体の内部で完全にリンクしており、どっちか片方だけやる、ということはできなかったのではないかと想像します。

 からだが動かないと脳も働かない、それまでの特別な才能を発揮することができない、という人はけっこういるのではないでしょうか。

 

 また、音楽の世界から引退して安穏と――たとえば家族や親しん人たちとのんびり余生を過ごす、ということも彼の頭の中にはなかった。

 そうしなかったのではなく、そうできなかった。

 

 エマーソンのような天才で、ハイテンションで生きてきた人間にとっては、そんな凡人のような発想は不可能だったし、死ぬより退屈な時間を過ごすくらいなら・・・という結論に達してしまったのでしょう。

 

 だから音楽ができなくなり、自己の存在価値を失ったキース・エマーソンの自殺は、本人にとっては「尊厳死」だったのではないかと思うのです。

 

 もちろん70年生きた人間である以上、プライベートや周囲の人々に対する存在価値、責任、社会的影響もあるので、自殺という行為を単純に肯定することはできません。

 

 けれども、プログレッシヴ・ロックのファンであり、彼らの音楽に育ててもらい、遠いところへ旅させてもらい、世界を開かせてもらった僕としては、願わずにはいられない。

  エマーソンの死は尊厳死だった。

 彼は誇り高き音楽の王国に殉じたのだ、と。

 

 Mrエマーソン、Mrレイク、Mrウエットン、

 素晴らしい楽曲の数々と、いつまでも遺る異次元への旅の記憶をどうもありがとう。

 

 


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プログレッシヴ・ロックスターの死①:ジョン・ウエットンの訃報、そしてロンドンの寿司

●ジョン・ウエットンの訃報

 

  つい先日、You Tubeを見ていたら「John Wetton Died」という文字が目に留まり、調べてみたら、1972~74年にキング・クリムゾンのメンバーだったジョン・ウェットンが今年1月に亡くなっていたことを知りました。

 

 クリムゾンは英国のプログレッシヴ・ロックバンドで、1969年発表のデビューアルバム「クリムゾンキングの宮殿」がロックの名盤として最も有名ですが、僕はウエットンがベーシスト&ヴォーカリストとして在籍していた頃のクリムゾンサウンドがいちばん好きです。

 

 「太陽と戦慄」「暗黒の世界」「レッド」「USAライブ」という当時リリースされた4枚のアルバム。中でもウエットンが歌う「放浪者」「夜を支配する人」「堕落天使」「スターレス(暗黒)」といったメロディラインの美しい楽曲を愛聴していました。もちろん今でも。

 

 ウエットンはクリムゾン解散後、同じメンバーだったドラムのビル・ブラッフォード、キーボード&バイオリニストのエディ・ジョブソンなどと「U.K.」というバンドを組んで活躍。1981年の来日時には中野サンプラザにライブを見に行きました。

 「闇の住人」「光の住人」「闇と光」という3部構成の組曲は最高にカッコよかった。

 U.K.のあとは70年代のプログレスターたちを集めた「ASIA」というバンドを作りました。デビュー曲の「ヒート・オブ・ザ・モーメント」は良かったけど、時代に合わせたせいなのか、ポップで軟弱な音作りになってしまい、関心は薄れました。

 

●キース・エマーソン、グレッグ・レイクの訃報

 

 ウエットンは癌で亡くなったそうですが、その関連で調べていったら、同じくプログレッシヴロックのバンド・ELP(エマーソン・レイク&パーマー)のキース・エマーソン、グレッグ・レイクも昨年亡くなっていました。

 

 ELPは、僕が中高生時代読んでいた「ミュージックライフ」という、当時、日本で最も売れていた(と思われる)ロック音楽雑誌で、1975年の人気投票ナンバー1だったバンドです。

 

 ムソルグスキーの「展覧会の絵」やチャイコフスキーの「くるみ割り人形」といったクラシック曲をロックに大胆アレンジしたアルバムや、ギリシア神話のメドゥサをモチーフにした強烈なジャケット(デザインは「エイリアン」を造形したギーガー)の「恐怖の頭脳改革」といったアルバムが大評判でした。

 

 キース・エマーソンがキーボード、グレッグ・レイクがベース&ヴォーカル、カール・パーマーがドラムスというトリオ編成。

 当時のロックファンの間では(僕の周囲だけだったかもしれませんが)「ELPを聴かなければ若者じゃない」とまで言われていたくらいです。

 

 さらに言うと、グレッグ・レイクはウエットンの前にキング・クリムゾンでベース&ヴォーカルを担当していたアーティスト。

 クリムゾンのオリジナルメンバーです。

 

 先述したかの名盤「クリムゾンキングの宮殿」では、「21世紀の精神異常者」「エピタフ」などの名曲で、詩人ピート・シンフィールドの鮮烈な歌詞を神秘的な声で歌い上げていました。

 まさしくレジェンドなアーティストでした。

 

●日本食レストランの常連客で、お寿司が好物のレイクさん

 

 僕は1985年から87年までロンドンの日本食レストランに勤めていましたが、そこはBBC(英国の国営放送局)に近かったこともあり、スタジオ収録を終えた俳優やミュージシャンがしばしばお客さんとして来店していました。

 

 その中でもグレッグ・レイクは常連客の一人で、たいていいつも寿司カウンターに陣取ってお寿司を食べていました。

 

 クリムゾン在籍時やELPスタートの頃はカッコよく、長髪の似合う若者だったレイクさんは、僕が会った頃はまだ30代でしたが、随分とメタボ体型になっていました。

 

 その巨体で寿司カウンターに座り、まるまると膨らんだ指でお寿司をつまみ、次々と平らげる姿にはかなりの違和感を覚えました。

 中高生時代の僕にとっては神話の中の英雄みたいな人だったので・・・。

 

 まあ、どんなにすごいアーティストだろうが、女神のごとき美女だろうが、みんな生きている以上めしを食うし、めしを食っている時は「ただの人」になるんだなぁということをしみじみ悟った体験でした。

 

●キース・エマーソンの悲劇

 

 レイクのように常連ではなかったけれど、キース・エマーソンも彼と一緒に2~3度来店したことがあります。

 

 ELPは一度、1970年代の終わりに解散していましたが、確か当時は、残る一人のカール・パーマーが、ジョン・ウェットンのASIAのメンバーになっていたため、ドラマーにコージー・パウエルを入れ、新ELPとして活動し始めた時期だったと思います。

 それで時々、一緒に来て話をしていたのでしょう。

 

 その頃のキース・エマーソンはレイクさんのように中年太りしておらず、まだ70年代のカッコいいイメージをそのまま保っていました。

 

 でも今回、いちばん衝撃的だったのは、そのエマーソンの死についてでした。彼の死因はピストル自殺だったのです。

 

②へつづく

 


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船村徹さんの告別式:またひとつ昭和にさようなら

昨日はまた鎌倉新書のウエブサイト「いい葬儀」の取材で、船村徹さんの告別式に行ってきました。

 

https://www.e-sogi.com/magazine/?p=8310

 

「昭和歌謡の大作曲家」ですが、正直、いまいちピンときません。

 もちろん知っている歌もいくつかあるし、「王将」は子供の頃の愛唱歌でしたが。

 僕を含むメディアの取材陣にとっては、数ある情報の一つですが、

 

 ところが、それは若い世代(僕はべつに若くありませんが)の話。

 団塊の世代以上の人たちにとっての船村さんは、僕たちにとってのサザンオールスターズにも匹敵する存在です。

 

 会場の外に集まっていたファンの皆さんにマイクならぬ、ICレコーダーを向けると、よくぞ聞いてくれた!という感じで、いかに船村さんの曲が素晴らしいか、いかに自分たちがその歌を愛しているかを熱く語ってくれました。

 

 昭和歌謡の大作曲家は、僕を含む現場のメディアの取材陣にとっては、数ある情報の一つですが、彼らにとっては自分の人生とともに生き、自分の心を歌にしてくれた、かけがえのない存在なのです。

 

 皆、ひとしきり話すと一様に「これでまた昭和が終わっちゃうねぇ」と寂しそうでした。

 

 もう平成になって30年近くたつけれど、彼らの中ではまだ昭和は終わっていない。

 昭和文化を創った著名人たちが一人ずつこの世を去っていくたびに、ひとつずつ、ゆっくりと昭和は終わっていくのです。

 

 


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藤村俊二さんの「献花の会」 おヒョイと逃げても味になる

 

 昨日は鎌倉新書の仕事で、先日亡くなった藤村俊二さんの「献花の会」の取材に行ってきました。

 

 祭壇は白とグリーンに統一され、献花はすべてカスミソウ。

 カスミソウが藤村さんの人生のテーマになっていたようです。

 

 俳優なら目立ちたい精神がないはずはないのですが、自分は真ん中でバラのように目だって咲き誇る存在ではないと悟り、そこを掘り下げたところに、藤村さんの成功の理由があったように思います。

 

 わきで目立たないからこそ却って目立つ、とても軽いのにすごい存在感があるという、あとにも先にもない、突出した個性を身に着け、自分のポジションを守り通しました。

 

 そうした生き方は、若い頃、日劇ダンシングチームのメンバーとして1960年代の欧米を巡った時に、欧米のダンスのレベルの高さに圧倒されて、「おれにはムリだ」と、その道を断念した――という一種の挫折と関係していると思います。

 

 「逃げるな」「あきらめるな」とよく言われますが、一度志したその道を究められる偉大な人など、ほとんどいない。

 また、そんな偉大な人だらけになってしまっては、世の中、息苦しくてしようがない。

 

 要はその逃げ方・あきらめ方の問題。

 はた目には愛称通り、ヒョイヒョイと生きてきたように見える藤村さんだって、どこ立ち位置を置くか、どうすれば自分が輝けるか、その部分ではすごく葛藤し、闘ってきたのだと思う。

 

 「闘う」なんて暑苦しい言葉は、藤村さんに似合わないけどね。

 

 好きなことしたい。でも生活していかなきゃいけない。

 そのはざまでみんな生きて、自分の人生をつくっていきます。

 

 藤村さんの挫折は、当時は逃げとか、あきらめとか言われたかも知れないけど、時が満ちればそれは、かけがえのない「経験」となり、最終的には俳優としての、おいしいスパイスになって、おおぜいの人を楽しませてくれたのだと思います。


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犬から、ネコから、人間から、ロボットからの卒業

 

 今年もお年玉年賀はがきは1枚も当たりませんでした。

 僕にはこういうくじ運はないようです。

 でも、年賀状を見返していると、脳にふくらし粉が入ったように、ぷうっと妄想が膨らみました。

 

 今年の年賀状でお友達の犬が2匹、犬を卒業したことを知りました。

 

 片や、以前作った「犬のしつけマニュアル」に出演してくれた、ますみさんちのなずなちゃん(ポメラニアン)。

 

 片や、一度もあったことなかったけど、毎年、干支にちなんだコスプレで楽しませてくれたチエさんちのゴン太くん(柴犬、それともミックス?)

 

 ささやかながら、お世話になった2匹の犬にどうもありがとう、とつぶやいた後、犬を卒業した犬はどこへ行くのだろう?そして次は何になるのだろう? という疑問にとらわれました。

 

 もしかしたら人間になって、今度は自分が犬を飼うのでしょうか?

 それとも天使になって、飼い主を見守ってくれるのでしょうか?

 あるいは先祖返りしてオオカミになって、荒野を駆けるのでしょうか?

 それともやっぱりまた犬に生まれ変わるのでしょうか?

 

 あれこれ学校教育を批判する人は大勢いますが、それでも日本人は学校というものが大好きです。

 その大きな理由の一つに「卒業」があるからです。

 卒業して次のステージに行く。もう一つ高いところへ昇る。

 大空のように無限の可能性が広がる世界。

 ――もしかしたら、そうした卒業という夢を抱くために、学校というものの存在価値があるのかもしれません。

 

 「卒業」という言葉を口にするとき、僕たちの心の中には、涙雨の後に過去と未来とをつなぐ大きな大きな虹がかかるのです。

 

 それは本当に美しい虹です。

 だから僕たちは、悲しい別れにも、いや、だからこそ「卒業」という言葉を使う。良いことだと思います。

 

 最近は、人間の場合も「人間卒業」とか「人生を卒業する」とか言います。

 人間は卒業したらどこへ行くのだろう?

 次は何になるのだろう?

 

 ロボットはロボットを卒業したら人間になるのでしょうか?

 これはストーリーとしてスジが通るなぁ。

 でも、品行方正で正しいことしかしなかったロボットが人間になったら、

 「これが人間らしさだ」とか言って、悪さをいっぱいしたり、自堕落な生活を送るかもしれない。

 

 ネコはどうだろう?

 なんとなく、犬は人間より下なので、卒業して人間になるというのは道理にかなっている気がしますが、ネコは人間と対等、それどころか、人間より上、というフシもありますね。

 

 全国各地でネコがニャアと神通力のようなものを使ったり、神秘的なお導きをしかおかげで、人間を救ったという話は枚挙にいとまがありません。

 だから猫神様として祀られたり、招き猫になったりする。

 ネコはもともと神様に近いので、ネコを卒業せず、ずっとネコのままなのかもしれません。

 

 楽しい妄想をさせてくれて、なずなちゃん、ゴン太くん、本当にありがとう。

わん。

 

 

 


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母の世界深化縮小

 

 母が入院したとの知らせを受けて急遽帰省。

 8年前、父が亡くなった時と同じ病院。ほぼ同じ時期。ロビーには8年前と同じ(たぶん)クリスマスツリーが飾ってありました。

 

 けれども大したことなくて、溜まった肺の水が抜けて、血圧が下がって歩けるようになれば年内には退院できるとのこと。三日ほど見舞いに通いましたが、だんだん元気になって「病院の食事はうまくない」と文句言いつつ、パクパク食べています。

 

 父の死後、話を聞くのが僕の仕事になっているので、今回もとにかくあれこれ話を聞きました。

 内容はいつもほぼ同じで「わたしは幸せだった、恵まれていた」と訥々と話し、父(夫)のことをほめそやします。

 どちらも昭和ヒトケタ生まれで、今の感覚で言う「仲睦まじい夫婦」という感じでは全然なかったのだけど、それなりに支え合って生きてきた、と実感できるのでしょう。

 

 その反対に、僕の目から見て結構仲が良いと映っていたきょうだい(つまり僕の叔父や叔母)に対しては、割と冷淡になっています。

 というのは、今年の夏、6歳違いの妹が亡くなったのだけど、結局、葬式にも行きませんでした。(と、今回、僕も初めてそのことは知りました)

 齢を取るといろいろ面倒くさくなる、というのが母の言い分。

 2年程前まではそれでもちゃんときょうだいや親戚の葬式には行って、あれこれ喋っていたのですが。

 

 

 最近、母を見て僕が思うのは、人間、老いるに従い、だんだん子供に戻っていくのかな、ということです。

 子供の世界・視野は狭い。それが成長につれてどんどん広がり、大きくなっていくわけだけど、老いるとその逆の現象が起き、だんだん世界が縮小していく。

 言い換えると日狩りをなくす代わりに、限りなく深化していくのかもしれない。

 その分、この世とは異なる別の世界が広がって見えてきて、そちらのほうへ移行していくのかもしれません。

 

 意識の中では身近にいる人間、自分の思い入れの深い人間だけが残り、そうでない人の存在は、血縁関係者でも、親友だった人でも遠のいていってしまうのでしょう。

 

 その人の生活の核が残る。

 そしてさらに進むと、さらにそれが絞り込まれ、その人の“生”の核が残る。

 

 両親にはまだ教わることがあるようです。

 

 

2016・22・16 THU


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高齢者ドライバーは、免許返すとお得やでぇ~

 

 「免許返すとお得やでぇ~」

 と言っているのは大阪府警。

 

 そうなんです。大阪では免許自主返納でいろんな割引やサービスが頂ける。

 高齢者の運転ミスによる交通事故が相次ぐ昨今、大阪では2012(平成24)年から、返納の証明書を提示すれば飲食店や雑貨店、金融機関から料金割引や金利優遇などの特典を受けられる「運転免許自主返納サポート制度」を実施しているとのこと。

 

 府内の1670店舗が参加(今年8月末現在)しており、この「お得効果」で大阪府の高齢者免許返納率は一昨年・昨年と全国トップを記録しているそうです。

 葬儀屋さんの「葬儀割引サービス」もあるねんて。

 

 「お得」で自主返納を促すとは、さすが大阪らしい。

 もちろん大阪が公共交通機関の発達している大都市だからできることなんだけど、この発想はやっぱユニークで好きです。

 人の心を動かすには正論を唱えたり、モラルを説いたりするだけではダメだと思うのです。

 

 高齢になると事故を起こすリスクが高くなるというのは、みんな知っていること。だけど、そう簡単に免許を手放せるものでしょうか。

 

 実用的な部分もさることながら、若い頃、「これが俺の青春だぜ!」とか言って、バイクやらスポーツカーやらアメ車やら、はたまたトラック、ダンプをかっ飛ばしていたような人たちにとって、運転免許はアイデンティティの一部と言っても過言ではありません。

 

 そろそろ高齢者の域に達する永ちゃんだって「やっちゃえ」とか「もっと行け」とか、車のコマーシャルでカッコよくかましています。

 

 「永ちゃんがあんなに頑張ってるんだから俺だってまだまだ・・・」と、内心思っている人は結構いるんじゃないかな。(別に永ちゃんが高齢者の運転を煽っているわけじゃないけど)

 

 そんな中で、たとえ今、そんなに頻繁に乗っていないにせよ、免許を手放す=車の運転を諦めるというのは、精神的にかなりきついことだと思うのです。

 

 でもそんな時、「わしも若い頃はバリバリやっちょったけど、そろそろヤバイので免許返したったわ。その代り、あっちの店でもこっちの店でも安く買い物したり、飲み食いできるでぇ~」と言えれば、少しは寂しさも和らぐのではないでしょうか。

 

  さらにまた、「葬式も割引になるさかい、浮いたゼニでみんなでパーッと飲み食いしてや!」

 と笑ってカマせるじいさん・ばあさん、僕は永ちゃん並みにカッコいいと思います。

 

 

2016・11・8 TUE


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[老害人」の話を聞いて思う、高齢者の人生最後で最大の仕事

 

★老害人

 

 ここのところ、割と頻繁に「老害」という言葉が意識の表に上がってくる。

 オリンピックやら、豊洲市場やら、不正請求やら、何やらかんやら、

あちこちニュースなどを見ていて、そう思っていたのだけど、

これは何もニュースで採り上げられるような、政財界のお偉いさんに限った話ではないようです。

 市井の庶民にも「老害人」が増殖しているらしい。

 介護の現場で仕事をしているお友達の話を聞いてそう思っています。

 

★ボケたふりして要介護レベルUP

 

 要介護レベルの査定があって、査定の時になるとボケてるフリをしたり、身体が不自由なフリをしたりする。

 そうすると査定でレベルが上がって、より安く、よりたくさんのサービスが受けられる――そういうことを企むご老人がどうも少なくないようなのです。

 

 こういうのって、やはり進学とか就職の試験をうまくクリアする技術と相通じるところがあるのでしょうか?

 やたら試験に強い人っていますからね。

 そういう技術。ノウハウは、老境になっても通じるものなのだろうか・・。

 と、ある意味、感心します。

 

 というわけで、頭が良いとか、要領が良いとか、そのお友達は言っていましたが、そうじゃねーだろ、

 「ズルイ」とか「ひきょう」とか「きたない」とか「クソジジイ、クソババア」とか表現するんじゃ、ボケ~! とシャウトしてしまいました。

 

 さらに言えば、相当つましい生活をしている人なら同情もするけど、そういうのに限って結構なお金持ちで、生活レベルは高く、ヘルパーさんやメイドさんをアゴでこき使う。

 「わしがおまえらを雇ってやっちょる、食わせてやっちょるんじゃ」と言わんばかり。

 

 それもまた人間だよ。人間ってズルくて悪くて、しょーもなくて面白いね~、というふうにも考えられますが・・・ なんかマンガやドラマや小説で出てきそうな話だけど、今や日常的にそういう世界が展開しているのです。

 

★裏切り行為は許せない

 

 老後が不安なことはわかります。

 良い生活をしたいのもわかります。

 そのためには社会システムにいろいろ不備もあるでしょう。

 世界標準はわかりませんが、日本が高齢者医療・福祉の分野で非常に優れたケアをしている、というわけでもないと思います。

 そして、介護職の人の中にも、ビジネスライクにやっている人、食うために仕方なくやっている人も大勢いるにちがいありません。

 

 けれでも、日本はもともと子供と年寄りにやさしい国です。

 昔ほどではないにせよ、多くの人は心の底で、お年寄りは大事にしなければいけない、リスペクトしなければいけない・・・と思っているはず。

 

 特に介護職に就く人って、そうした思いが強く、そのために役に立ちたいという気持ちが、たとえ口には出さなくても、必ずどこかにあるはずなのです。

 でなければ、お金のためだけにあれだけ厳しい仕事が続けられるだろうか。

 人間が働くインセンティブって「お金のためだよ」と言い切れるほど、そう単純なものではありません。

 

 そうした敬老の精神、年上の人を敬う心に対する裏切り行為(と、きっと老害人本人は気づいてないと思うけど)って、許せないな、という気持ちになるのです。

 実際、介護職の人の中にはそれで心を病んでしまう人も少なくないと聞きます。

 

 こうした不正請求(?)をする輩がいると、本当に必要な人のところにケアの手が回らなくなる。そういう現実的な損失はもちろんですが、それよりもっと大きな影響は、関わる人たちの精神に及ぼす影響なのです。

 「70年、80年、90年生きても、結局、人間こんなもんか」

 

本当の終活:ひとりひとりの仕事

 

 社会が悪いのでも、時代が悪いのでもなく、「老害人」こそが、あるいはその予備軍こそが、子供や若い人たちの夢や希望をボロボロにして、奪い取っている。

 ちょっと宗教がかった物言いになってしまうけど、それは自分自身のも含めて、人間の魂に対する冒涜ではないかと思うのです。

 

 終活ブームとか言われているけど、高齢者には老いること、人生を締めくくることを、本気でちゃんとスケールアップして考えてほしい。

 それはこの世からオサラバするためにも必要な仕事です。

 あんたの人生は「ハイ、それまでよ」でも、世界は続くし、子供や若い連中は生きていく。

 財産やら、社会的業績やら、生きた証になる作品。

 そんなものて遺さなくたっても構わない。

 

 あとに残る人たちに

 「人生いろいろあるけど、結局、人間っていいもんだな。生きてるって面白いね。

 あの人見てそう思ったよ」

 と言わせる何かを遺してほしいのです。

 

 それが去っていく人ひとりひとりの仕事です。

 老い先短いあんたにも大事な役目、果たすべき責任があるんだよ、と言いたいのです。

 

 

 

2016・9・27 TUE


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1976年の夏休みの星空と自己の存在証明について

★1976年の夏休み、岐阜の山の中で

 

 9月ももう1週間過ぎたのに、いまごろ夏休みの話かよ~、と言われそうですが、昨日、若い連中との座談会のことを書いたら、ふと思い出したので。

 

 40年前の夏休み、高校生だった僕はなぜか他の学校の合宿についていき、岐阜の山の中にいました。

 その夏の地域の演劇大会で友達になった連中から誘われたのです。

 合宿と言っても大したことをするわけでなく、飯盒炊爨で作ったメシなど食いながら、星空のもと、(男ばっかりだったので)女の子の話などに花を咲かせました。

 

 またたく星の光に勢いづいたのか、そのうち、マジな方向に話が行って、どういう過程を経たのかはわからないけど、「自分がこの世に生きた証を立てたい」といった壮大なテーマに拡大。

 そして、その証明のために「芝居の脚本とか映画のシナリオを書こう」という話になりました。自分のことだけど、さすがティーンエイジャー、青春してたんだね、という感じです。

 まぁ、そんなことがあって、そういう類のものを書き始め、えんえん40年経ってしまったというわけです。

 

★存在証明への欲求

 

 そんなことを話して盛り上がるのは、演劇部とか映画研究会とか、そういうやつらだけ、それも若いうちだけ――と思っていたのですが、どうやらそんなことはないようで、ある程度、齢を取っちゃうと、文科系だろうが、体育会系だろうが、多くの人は脳がその「生きた証」やら「存在証明」やらのキーワードに反応して動くようになるみたいです。

 

 ブログやフェイスブックにあれこれ書くのも、そうしたことの一つの表れだと思いますが、戦後生まれの人たちはそれだけでは飽き足りません。

 

 最近はやたら「自伝」とか「自分史」の書き方みたいな本を書店や図書館で見かけますが、これもそうしたニーズが高まってきていることを表す現象の一つと言えるでしょう。先日のエンディング産業展でも、その類のメディアサービスがいくつか出展されていました。

 みんな、この世とオサラバする前に一矢報いねば、という想いにとらわれるのではないでしょうか。

 

 仕事をしてお金を稼いで、家族を養う必要があれば養って、ちゃんと国に税金を払って、そこそこ社会の役に立つことをやった気がして・・・人生それで十分OK――と考えたってよさそうなもの。それで十分立派な人生だと思うのですが、どうもそうは問屋がおろさない。自分で自分が納得できない――という思考になるのでしょう。

 

★ぜんぜん得にならないけど、人間はそこから逃れられない

 

 ついつい「俺の生きた証は・・・」とか「わたしの存在証明は・・・」など、めんどくさいことに足を踏み入れてしまう。

 損得勘定で考えたら、あんまり、というかまったく得になることとは思えない。それなのに・・・なぜ?

 それが人間。とりあえず、ロボットとは違う部分なのでしょう。

 そうじゃないとロボットと差別化できない。

 そんな時代がもうすぐそこまで来ています。

 

 さて、あなたの存在証明は今、どうなっているでしょうか?

 僕の場合はどうなのだろう?

 たまには星空を見上げて考えてみよう。

 

 

2016・9・8 THU

 


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エンディングを意識して人生の台本を書く。

 

●エンディング文化の時代到来

 

 エンディング産業展の取材を終えて考えたこと。

 それは、エンディング――死を楽しむ時代がやってきたということです。

 

 「死を楽しむ」というと語弊があるかもしれませんが、要はひとりひとりが自分の人生の終え方について期待感や希望を抱く、ということです。

 

 いつかはこの世からおさらばしなくてはいけない。

 これはあらかじめそう決まっています。

 だったら悲しんだり寂しがったりするだけでなく、そうした感傷も含めて、思い切って楽しんだほうが「お得」なのではないでしょうか。

 

 少なくとも僕たち、現代の日本人ひとりひとりは、そうしたことをできる豊かな文化に包まれて生きていると思うのです。

 

●人生は20歳まで

 

 じつは人生は20歳で決定しています。

 20歳までの経験とそこから吸収したもの、そして喜怒哀楽の感情で人間の心身の基盤は出来上がります。

 どうすれば自分は気持ちよく生きられるのか、この世の人生において何に価値を置いて生きるのか、自分が果たすべきミッションは何なのか・・・これらはもうみんな、最初の20年で僕たちの内側にしっかりインプットされます。

 

 ただし、そのことに気づくかどうか、それらをいつ発見できるか、はその人しだいです。最期まで見つけられずに終わってしまう人も少なくない。いや、もしかしたら大半の人はそうなのではないでしょうか。

 

 だから20歳を過ぎた大人は、自分の人生の主人公は自分であると、しっかり意識したほうがいい。

 そして日々、自分の人生の台本を書いていくといい。

 細かく書き込む必要はないけれど、どういう流れでどうなり、どんな大団円を迎えるのか、エンディングまで想定してプロット(筋書)を作っておくといいと思います。

 

 もちろん、僕たちを取り巻く環境は、時代とともに刻一刻と変化していくので、日々リライトすることが必要です。

 でも、ベーシックな台本があるとないとでは違います。まったく手ぶらで毎日アドリブだらけでは続きません。

 

 でもじつは、わざわざ僕がこんなことを言わなくても、あなたも自分の人生の台本はひそかに書き進めているはずなんですよ。

 耳を澄まして自分に聞いてみてください。

 そして、目を凝らしてよく探してみてください。

 

●リライトしよう、今からでも始めよう

 

 親やら先生やら世間一般やらの書いた台本で生きている――

 もし、あなたがそう感じるのなら、そんなものは破り捨てるか、端から端までリライトして自分のものにしてしまう必要があるでしょう。

 

 また、もう齢で今からでは手遅れだ・・という人も大丈夫です。

 これまでの記憶・実績を材料に再構成することができます。

 起きてしまった事実は変えられなくても、現在の自分、そして未来の自分に合わせて、その事実の意味を変えることができます。

 マイナスと捉えていた事象もプラスに転換することができます。、

 これもどんどんリライトしましょう。その気になれば一晩でできます。

 

 完成度の高い台本、公開する台本(必要だと思えば見せてもいいけど)を作ることが目的ではありません。

自分が主人公であることを意識し、生きるということについてイメージを広げ、深めるためにこうした考え方をするのは有効ではないかと思うのです。

 

●エンディング産業を面白がろう

 

 エンディング産業は「人の死をネタにしたお金儲け」と、胡散臭い目で見られることがまだまだ多いようですが、歴史・文化・哲学など、いろいろなことを考えさせてくれる媒体です。

 

 そして経済と結びつくことで、世の中に大きな影響を与えていきます。

 そこで提供されるあふれんばかりの商品やサービス――それこそラーメン一杯からデザート付きフルコースまで――は、すべて今を生きる人たちの心が投影されたものばかり。どれを選ぶかは自分次第だし、オーダーメイドも可能だし、どれも選ばないという選択肢だってもちろんあります。

 興味と好奇心を持って覗いてみると、きっと面白いと思います。

 

 

 

 

2016・8・28 SUN


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エンディング時代の遺産相続を考える

 

●遺産ものドラマ

 

 かつての少年少女小説に「遺産もの」というジャンルがありました。

 不幸な生い立ち(多くの場合、孤児とか、親戚などに引き取られていじめられて暮らしている)にもめげず、清く明るい心を持ち、勇気ある善行で、汚れた心のおとなたちをギャフン!と言わせたり、涙を流させ、悔い改めたりします。

 そして、そうした清さや勇気や正義の数々が評価され、どこかのお金持ちから莫大な遺産を贈られて、めでたくエンディング・・・というパターンの一種のサクセスストーリーです。

 このお金持ちは地上に降臨した神様のような人で、正体を隠しているけれども、少年少女の善行を、いつでもどこでもちゃんと見ているのです。

 1つや2つは読んだこと、あるいは映画かテレビドラマで見たことあるでしょ?

 

 「遺産もの」というジャンルがある、というのは、ぼくのでっち上げですが、そういった話が19世紀の英米文学から、日本なら昭和初期から、ぼくが子供だった1960年代くらいまでよくありました。

 

 けど、そういうお話を読んだり見たりしていた少年少女が大人になり、お年を召して死期が近づくと・・・というのが今回のテーマ。またもやマクラが長くなってすみません。

 

●エンディング産業展2016

 

 ただいま、レギュラーワークの月刊仏事(鎌倉新書)の仕事で、22日(月)から24日(水)までやっている「エンディング産業展」の取材をしています。

 

 最近は団塊の世代を中心に、終活、エンディングという言葉がポピュラーになってきました。いわば「どう自分の人生を締めくくればいいのか?」を、多くの人が真剣に考えるようになってきたのです。

 

 というわけで、ちょっと前まではそれぞれ勝手に商売をやっていた葬儀屋さん、お墓屋さん(墓石屋さん)、仏壇屋さんなどが「エンディング産業」――人の死にまつわるビジネスの名のもとに一堂に会する大規模な展示会が、去年から東京ビッグサイトで開かれるようになったのです。

 

 超高齢化社会でこれから人がどしどし死ぬ。

 だからエンディング産業もこれから数十年、膨らみ続けます。

 とは言っても、ただ時代の流れに持っていれば儲かるわけではありません。

 「葬式なんかいらない」という人も増えていて、そのまま火葬場へGO!というパターンも最近は珍しくありません。

 そうした状況を踏まえて、それぞれ工夫を凝らしたり、先述の3つのおもなカテゴリーの他にもニッチなビジネスがいろいろ生まれたりしています。

 

 そのあたりのことはまたおいおい書きますが、急速にニーズが高まっているものに、行政書士やら税理士やら不動産鑑定士といった士業関係の仕事があります。

 要は遺産相続の件をどう処理すればいいのか――愛する人、大事な人が死んでも、おちおち悲しんでなどいられないのが現実なのです。

 

●士業⇔葬儀屋さんのセミナー

 

 そんなわけで、初日だった昨日(22日)はその士業の人たちのセミナーの取材をしました。受講者は主に葬儀屋さん。ただ葬儀を請け負うだけじゃなく、そうした遺産相続の窓口にもなり得る葬儀屋さんになろう!というわけです。

 たしかに葬儀屋さんと士業の人たちがチームを組むというのはいいかもしれません。

 その先の内容は、まだこれから記事を書くところなので、ここでは明かしませんが、このセミナーの最後に出てきた、実際に行政書士の人が遭遇したトラブルの話には愕然。

 

●遺産をめぐるトラブル

 

 奥さんが亡くなったのだけど、なんと夫が知らなかった○百万円(後半です)の借金が。それも夫名義で借りられていた!という負債の話とか、

 凶暴な息子――詳しくはわからないけど、家庭内暴力を振るう子供が、そのまま大人になったらしい――に「遺産は残さない」と遺書を書いて父が亡くなったけど、その息子が怖くて遺書を鑑定に出さなかった(鑑定で認められなければ遺書は無効になる)話とか・・・。

 

 ちなみに友達の介護士さんにこの話をして、「お金持ちのお客さんが、『家族ではなく、あのやさしくて清らかな介護士さんに私の遺産を贈る』と遺書に書いたらどう?」と持ち掛けてみました。

 「アハハ、そんな~」と彼女は笑っていましたが、あり得ない話ではありません。

 

●もしも遺産が転がり込んだら?

 

 あなたが介護士ならどうでしょう?

 あなたが清く明るい心と勇気ある善行で、汚れた心の人々を悔い改めさせられる介護士さんなら・・・。

 かなりビミョーです。お金が入るのは喜ばしい。「あの人の気持ちなのだからいただかなければ」と殊勝な思いに駆られるかもしれない。生活費やら医療費やら教育費に困っている人ならなおさら。

 

 しかし、もらったが最後、あなたはそのお金持ちの遺族から買わなくても済んだ恨みを買ってしまう可能性もあります。

 「その介護士というのはどこのどいつだ?」と、誰もあったことのに甥だか姪だかが突如現れてつきまとってくるかも知れません。そのせいで人生を狂わせてしまうリスクもハンパありません。

 こういう話、小説やドラマならおいしいネタですが・・・。

 

●というわけでエンディング

 

 いずれにしても、トラブルの裏で蠢くその家族の人生ドラマに頭が行ってしまい、その後の取材がなかなか進みませんでした。

 家族との付き合い、お金との付き合いには生前から十分気を付けたほうがよさそうです。さもないと、最後にどんでん返しが待っている?

 

 いやぁ、最近、オバケや妖怪の話をよく書いてたけど、そんなものより生きている人間の方がよっぽど怖いなぁ。

 

 

 

 

2016・8・23 TUE


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「老い」を楽しんだ蜷川幸雄さん

 

 蜷川幸雄さんは、なぜ、あんなにもエネルギッシュに活動できたのか?

 70歳を超えてから死の直前までのこの10年ほどが最もすごかったのではないか、と思えます。

 

 実は僕は5年ほど前、NHKの演劇番組の仕事(ディレクター)をやっていました。

 演劇ジャーナリストの山口宏子さんという人が、毎回、日本の一流演劇人とサシで対談し、その対談とカップリングして収録済みの舞台中継を流す、という構成の番組で、当然、ゲストの一人として蜷川さんも登場しました。

 

 その時の音声起こしの原稿を読み返してみましたが、このころ、シェークスピアはもちろん、井上ひさしもやっているし、寺山修司や清水邦夫などの60年代の戯曲をやっていたり、英国の若手作家の9時間に及ぶ大作をやったり・・・と、もうとんでもない仕事量。

 

 このとき放送の作品は、さいたまゴールドシアターの「船上のピクニック」(岩松了:作)。

 ゴールドシアターは、一般公募の高齢者が役者をやるという画期的な演劇プロジェクトです。

 

 そこに触れた部分を読んでいると、蜷川さんが「若さ」と「老い」と落差をとても楽しもうとしていたようです。

 ちょっと原稿から抜粋(ほぼそのまま)。

 

 

山口:ゴールドシアターは、基本的には55歳以上の方を集めて劇団を作るという、カルチャーセンター的なものだったらともかく、本格的にやるという意味では、かなり無謀なプランだったですよね。で、そこにまた、1200人近い方が応募してきたっていう・・・

 これは一種の社会現象のようになりましたけども、今、本格的な公演も何度もおやりになって、劇団としても力をつけてきているんですけど、ゴールドについては、今、どんな思いをお持ちですか?

 

蜷川:そうですね。おれは演出家になったばかりのときから、自分たちで作っている若い演劇というのが、お年寄りや生活者から見たら、どういうふうに映っているのか、と。自分たちの存在が。老い」というもので撃たれたときに存在するのかなぁっていう不安があったんですね。

 

 で、自分がその年齢になったときに、じゃあそれをーーお年寄りの集団を作ってみよう、と。そうすると、自分の幅が広がるかなぁって自分の中で思っていたんですね。

 

 まぁ、やってみたら、大勢の人が来るし、えー、劇団員になった人たちはやめないし、どんどん・・それどころか若返ってしまう、と。あの、こんなに演劇というものが人々を蘇生すると言いますか、若返らせる力があるんだ、ということは、もう本当に僕にとっては「発見」だったんですね。

 

 で、それどころか、演劇的に見ると、まず、セリフ覚えられない、動き忘れる、今日できたことが明日も出来るとは限らないし、昨日できなかったことが今日できちゃう、でも明日はできないかもしれないっていう、老いが体験するさまざまなことを老いが全部抱えて走るっていう、ことだったわけですね・・・。

 

 

 蜷川さんは老いることも含めて生きることにすごく肯定的だった。

 セリフをトチろうが、動きを忘れようが構わん。

 いざとなったら俺が出て行く――(実際にそういうこともあったそうです)。

 それを失敗とか恥とか捉えず、これもまた演劇の面白さだ、と捉える。

 永遠に自分を完成しない、させない精神が、あのタフネスにつながっていたのでしょう。

 

 高齢社会になった今、齢を取ったからと言って悟りすましていちゃいけない。

 もっとみっともなく、死ぬまでジタバタしようぜ、若い連中もきっとそういうものを期待している――そんなメッセージを遺してくれたのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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鎌倉で認知症予防事業スタート!

 

 本格的高齢化社会。認知症の影がひたひたと忍び寄る鎌倉へ――。

なんで認知症と鎌倉がつながるかというと、先日、鎌倉在住のA氏から「会ってほしい」と4年ぶりに電話があったからです。

 

 A氏はクライアントさんで、もともとホテルマンだったそうですが、退職して、いろいろ起業にチャレンジしており、4年前は子供関係の事業のサイト開設の際に、テキストライティングをさせていただきました。

 

 その彼が今度は高齢者関係の事業――もう少し突っ込んで言うと、認知症予防関連の事業に取り組むというので、またサイトのライティングを頼みたいとのこと。

 

 まだスタート前なので、これ以上は書けませんが、あれこれ話を聞いて、改めて高齢社会の実態を知りました。(実は彼に会ったのは先週で、本日、その仕事がほぼ完了したところ)

 

 A氏は大変穏健で実直な人のように見えながら、リスクを抱えて果敢に起業にチャレンジ。僕とそう齢は変わらないのですが、この4年の間に新しく3人目のお子さんまで作ってしまったという強者で、大変勇気づけられます。

 まるで鎌倉の街のように明るい気分にさせてくれる人だ。

 

 サイトができ、新事業が発信したら、ぜひFBやブログなどで彼の活躍を応援していきたいと思います。

 


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昭和の遺産はどこへ行き、どう使われるのか?

 

 昨年末から「遺産相続」のコラムを書いています。

 

 そこで遺産相続の問題をストーリーの中に取り込んだ文学だのエンタメコンテンツなども紹介しているのですが、いろいろ調べていると、ミステリーなんて半分くらいは遺産がらみのストーリーなんじゃないかというくらい巨大なテーマであり、何と言うか、使い勝手のいい事柄なんですね。

 

 考えてみれば、お金、親子、結婚、家族、男と女、愛、夢、希望、過去、未来・・・人間の感情を揺り動かすありとあらゆるものが「遺産」というキーワードに絡んできて、ドラマ作りとして、これほどおいしいテーマはありません。

 

 特に資本主義経済の世の中になった19世紀の英国あたりから、それまで上流階級の専売特許だった「遺産相続」というコンテンツが、一般大衆にまで下りてきて、広くいきわたった、という感じがします。

 

 チャールズ・ディケンズの「大いなる遺産」などがその代表作品かと思いますが、このあたりから、貧しい子や孤児などが厳しい境遇に負けずに頑張って生きていると、思いもかけないところから莫大な遺産が転がり込んできたり、あなたが相続人に選ばれましたと言われててハッピーエンド・・といった少年少女読み物が、ぼくの子供のころまではあったような気がします。

 

 しかし、それも最近はとんと聞かなくなりました。それよりも遺産をめぐって起こる殺人事件やら愛憎劇やらの方が、おとなのみならず少年少女にとってもリアリティがあるのでしょう。

 

 高齢者の貯金を狙って詐欺師が跳梁跋扈したり、安アパートで孤独死したお年寄りが、実は数千万円の預金通帳を持っていた、というご時世。

 戦後70年を経て、復興~高度経済成長期に作られた様々な昭和の「遺産」の行方が気になります。

 


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心霊写真でHAPPY

 

  心霊写真を信じますか? 

  ……と、ついオカルト的な書き出しになってしまったが、僕はいわゆる霊感とはまったく無縁な男である。

 能天気な性格に加え、ぼんやり者として生きているので、スピリチュアルな世界に触れられない。霊感ビンビンの人は1ランク上の人間に思えるくらい、ちょっとコンプレックスを抱えている。 

 

 一昨年末に亡くなった親友は、そういう意味では憧れの(?)霊感ビンビン人間だった。2月に彼の追悼会を開いた折(と言っても単なる飲み会を居酒屋でやっただけだが)、一緒に集まったJちゃんが最後に記念写真を撮ってくれた。ところが、そこに写っていたのだ、ヤツの顔が!

 

  …と、思ったのだが、この写真、ピンボケではっきりしない。多分、お店のスタッフがたまたまそこにいて首から上の部分だけ写ってしまったのだろう。

 しかし、心霊写真だと思った方が楽しい。プリントを見て、友人と「ヤツも来ていた!」といっしょにひとしきり盛り上がった。ほんのひと時だったが、妙にシアワセな気分になってしまった。 

   

 本当かどうかも分からない心霊写真でシアワセな気分になるなんて、何ともおめでたいものだ。

 けれども、人生の最後、ひとりぼっちで生き残ったら……と考えたとき、あなただったらどうするだろう?

 僕は親しい家族や仲間たちの幽霊に囲まれて死ぬまで暮らしたい、と心から切望すると思う。

 これからだんだん年を追うごとに、こっちの世界とあっちの世界とのつながりを見つけていくのだろうと思う。 

 

 

2011・6・5 SUN


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遺影と思い出とのギャップ

 

 「こんな顔だったかな……」 

 

 昨日、お葬式に出た。

 うちの小僧が小学生の頃、一緒にPTA活動をやっていたお母ちゃんの葬式です。

 齢を聞かなかったが、僕と5歳も離れていないと思います。

 いずれにしてもまだ50代半ば。ガンによる早すぎる死です。

 結構インテリで頭の回転もいいの割にボケキャラで、突っ込みどころ満載の楽しい人でした。

 近所に住んでいながらここ3年ほど顔を合わせていなかったが、まさかあちらに行ってしまうとは……ショックだった。 

 

 で、お別れをせねば、と式場に来たのだが、そこにある遺影には何やら違和感を感じました。

 もっと言っかうと、まるで別人のように見えたのです。

 基本的に美人で山の手奥様なのだが、僕のイメージの中ではくだけた印象が強く、その顔にはもっと下町のおかーちゃんの風味がブレンドされていました。

 遺影からは(僕にとっての)彼女の魅力である、人間的な奥行きが感じられず、なにやら山の手奥様になられた元アイドルのように感じられたのです。 

 

 いや、別にその写真を遺影として選んだであろうご遺族を批判するつもりはありません。

 要は人の印象というものは、相対した人によって千差万別ということです。

 僕の中にある彼女のイメージと、ご家族や他の人たちの中にいる彼女のイメージは大きく違っている可能性があります。

 人は誰に対しても同じような顔を見せるわけではありません。

 それもTPOによって見せる顔は違ってきます。

 特に現代人はそうした複数の自分のスイッチングが器用にできる人が多いのではないかと思います。

 「今日はボケキャラで行くか」「ここは優等生キャラにしとくか」とか、ね。 

 

  昨年、仕事でお葬式セミナーの取材をしました。

 年輩の人を集めて「いざというとき、遺族を困らせないために生前からお葬式の準備を」という趣旨のセミナーです。

 

 その準備の一つとして「生前に遺影にする、お気に入りの写真を撮っておきましょう」というのがありました。

 この世から去ってしまった後は、遺影がそのままその人のイメージとして固定されます。特に孫が小さいうちにお別れしてしまったら、おじいちゃん・おばあちゃんを思い出すときは、必ずその遺影の顔になるわけです。

 人によっては、遺影が生きていた時間よりもずっと長く、多くの人の心に焼き付けられるかもしれません。

 自分のどんな顔を後世に印象付けたいか、高齢化社会に生き、自分を大切にする時代に生きる人たちにとって、これは結構大問題かも知れないのだ。

 あなたならどんな自分の顔を後世に残したいですか? 

  

 こうやって書いていたら、昨日見た彼女の遺影はすっかり頭から消え去り、4年程前のいきいきとした笑顔とちょっとハスキーな声が、鮮明に記憶の表面に上がってきた。

 3分間、いっしょに夏休みのイベントをやったこと、広報誌の打合せをやったことなどを思い出だした。

 客観的に見ればオバさんだけど、その笑った顔の奥には可愛い子どもが跳ねていた。 

 ご冥福を祈ります。

 

 

2011・5・11 Wed


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子供の日とお年寄りの日のコラボ

 

 連休中、うちの小僧と二人で3日連続、計12個の柏餅を食べました。

 で、こしあん・みそあん・つぶあん各種の柏餅を食べながら、ふと考えたのです。

 「子どもの日は誰のためのものか?

 じつはおとなや、もっと年を取った、お年寄りのためのものなのではないか」と。 

 

 僕たちが家で柏餅を食べている間、うちのニョーボ殿は震災の被災地(宮城の気仙沼)へ医療ボランティアに行っていました。

 彼女は鍼灸師で、今回はお医者さんと共にプライマリーケアの活動に参加したのです。

 僕はお留守番をしながら、 被災地支援をしているNPO団体のサイトのテキストなどの仕事をやっていました。

 やはり今年の連休は震災のことを中心に世の中が動いていたように思います。

 

 けれども、大勢の人の呼びかけもあって不必要な自粛の空気が薄れ、観光地も意外と賑わったということには、ちょっとほっとしました。 

 

 さて、話をニョーボ殿に戻すと、彼女は避難所のお年寄りなどを診て回り、話を聞いたり、鍼をしてあげたそうです。

 お医者さんがケアする、いわゆる西洋医学も、鍼灸師などの東洋医学でも、基本は人の話を共感して聞いてあげること。

 そんな中で学校の避難所にいた一人暮らしのおばあちゃんの話が印象に残ったと言います。 

 

 「帰るところはどこにもないんだよ…」 

 

 伴侶をなくし、一人暮らしで被災して住まいを失い、避難所暮らしになってしまったお年寄りは、本当に帰るところがない。

 家も、家族やご近所との関係も、ご主人との思い出の品物も残っていないのです。

 とりあえず、何とか仮設住宅に入って復興を待ち……といった未来へ向けてのシナリオを描くのも困難な状況です。

 

 こういう人たちに対しては、いったいどういう言葉で励ませばいいのか?

  「がんばって」  「元気を出して」

 「しっかり生きましょう」 「弱音を吐かないで」

 「生きていること自体が素晴らしいことなんです」……

 

 なんだかどれも空々しく、気持ちのこもった言葉にならないような気がします。

 「生き甲斐を持てばよい」というのは理屈としては正しいが、本人がそう理屈どおりにそういう気持ちになれるだろうか?

 とはいえ、「もう十分がんばって生きたよね」とも言えないし……

 

 自分だったらどうなのだろうか、と考え込んでしまいました。

 とりあえず、いっしょに柏餅を食べながら

 「また来年も、子どもの日に鯉のぼりを見ながら、美味しい柏餅を食べられるといいですね」

 と言って元気付けるのが精一杯。

 

 でも、子どもの日はいい。

 子どもの日は、子どもの健康を願うのはもちろんだが、年に一度、おとなやお年寄りが子どもの気持ちを取り戻し、生きる喜びを再認識する日なのかも知れない。 

 

 しかし、ホンマモノの子どもは中学生ともなると、もう子どもの日だの鯉のぼりだのをまったく喜ばない。

 柏餅だけは大喜びで食べるけれども。

 


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