もう7年ほど前だが、「最期の晩餐」をテーマにした
ラジオドラマのシナリオを書いた。
ミステリー仕立てにしたのがウケたのか、
コンクールで2回最終選考まで残ったが、
いずれも受賞には至らなかった。
いずれノベライズしようと目論んでいるが、
あっという間に月日が経って、
まだそのままほったらかしにしてある。
これはやはり誰もが興味を持つ、
おいしい題材らしい。
ドイツのホスピスで食事を提供しているシェフが
「人生最後の食事」という本を出しているし、
終活関係の仕事をやっていると、
ネット上で割と頻繁に見かける。
こうしたアンケート調査には
すすんで参加したくなる人が多いようだ。
単純に自分の好物を回答する人が多いと思うが、
そこに何か自分の記憶など、精神的なものを絡めて、
「あの時、その場所で、あの人と食べた○○」
という人も少なくない。
でもきっと「あの人」がいっしょにいなければ、
その食事の味を再現するのは難しい。
時間や場所も同様だ。
いくらその食事を作るのが超一流のシェフでも、
それは絶対不可能なのだ。
人生の最後に何を食べようか。
そう思い巡らせることは、
自分の人生を振り返る究極の終活だ。
ただ、いえるのは、
「最期にあれが食べたい」と言って、
意識的に最後の食事を選択し、口にできるのは、
まれに見る幸福者である、ということ。
そもそも死を前にした人は、
食欲などない。
僕の父親も母親も、
最期の数日間はほとんど何も食べられなかった。
母の最期の時、僕は介護士に
「食べたくないのなら、
無理に食べさせようとしないでください」
と頼んだ。
人は生きるためにめしを食う。
食は生きるエネルギーの源。
これから死んでいく人には不要なものなので、
食欲など湧くはずがない。
だから「最期に何を食べたいか?」という質問自体が、
夢みるファンタジーの世界の産物なのである。
それでも人は自分に、他の人に問わずにはいられない。
「あなたは人生の最期に何を食べたいですか?」
そうして人は記憶を辿り、ファンタジーの世界に没入する。
そんなことを考えると、死ぬまで人間は面白い。
毎月、ウェブサイトのコラム記事で
世界の終活映画の紹介をしているが、
フランスの近年の代表的な終活映画が
「パリタクシー」だ。
あらすじはシンプルで、これから施設に入居するという
92歳のおばあちゃんが、自分が住んでいた家から施設まで
タクシーに乗り、回り道をして、自分が暮らしてきた
パリの街を周遊するという物語だ。
タクシードライバーは当然、ひと癖ある中年男。
(変な奴が絡まないと、映画として面白くない)
いいおっさんだが、年齢は彼女の半分の46。
いわば息子と孫の中間みたいな、微妙な年齢設定である。
フランスも高齢化社会が進んでいるので、
こうした設定も面白く見える。
そしてまた、彼は当然のように、人生に問題を抱え、
経済的トラブルに苛まれている。
それでも救いは、彼がなんとか家族を守りたいと
考えているところだ。
しかし、タクシードライバーのギャラでは、
とても短期間にこのトラブルを解消しようにない。
つまり、追い詰められているのである。
しかし、ご安心を。
彼はけっして闇バイトに手を染めたり、
乗客であるおばあちゃんを脅したり殺したりして
カネを奪ったりしない。
これはそうした類のブラックなドラマでなく、
コメディ要素の強いヒューマンドラマである。
だから、こうした映画のお決まりで、
最初、ぎくしゃくしていた二人の仲は
しだいに打ち解け、おばあちゃんは
自分の思い出を彼に物語るようになる。
じつはその内容が、かなりブラックである。
僕が驚いたのは、彼女が若い時代、
1950年代のフランスでは、
まだひどい女性差別がまかり通っていたことだ。
何となくではあるが、20世紀にあって、
芸術・文化が発達したフランスは、
世界で指折りの先進的な国で、
女性が大事にされていたーーというイメージがあった。
この映画で語られていることは、
たぶん史実に基づいていることだと思うので、
かなり意外だった。
ほとんど昭和日本と変わらない。
もっとひどいぐらいである。
そして、彼女がより悲惨なのは、
暴力をふるった夫だけでなく、
可愛がった息子にも裏切られてしまうこと。
息子の裏切りは、当時のフランス社会の
現実を象徴しているのだろう。
普通のおばあちゃんのように見えたのだが、
ヘヴィなドラマを抱え、社会の差別と闘って
92歳まで生き延びたのだ。
厳しい人生だったが、
それでも私は良い時代を生きたと、彼女は語る。
そんな彼女の心情を表すかのように、
全編にわたって古いジャズが心地よく流れていく。
最後はとても心あったまる終わりが待っている。
てか、こんなおとぎ話みたいなオチって、
いくらヒューマンタッチの終活映画とは言え、
今どきアリ?みたいな感じ。
でも、人生がこんなおとぎ話で終わるならいい。
観た人の多くが、きっとそう言うと思う。
今年4月に学生時代の友だちが亡くなったので、
先週、同級生を集めて「偲ぶ会」をやった。
訃報を聞いた時は、そうでもなかったが、
こうした会を開いたり、追悼文を書いたりすると、
その友だちが、この世界にいなくなったという事実が、
後を追ってじわじわと体に沁み込んでくる。
まったく思いがけないことだったが、
おかげでこの1週間ほどメンタル不調に陥った。
20歳の頃、いっしょに劇団を立ち上げた仲間だったので、
ちょっと特別な存在だった。
ただ、20代後半以降は
これといって親しく交流していたわけではない。
年賀状で近況報告をやりとりしていただけだ。
出会って5年間ぐらいがすべてと言ってもいいくらいだ。
若い時代は損得勘定抜きで、
いろんなやつと付き合っていた。
「抜き」というより、アホだったので、
どうすれば損で、どうすれば得なのかが
そもそもわかっていなかったと思う。
けれどもそうしたアホな時代の思い出こそが、
ここまで生きてくる間、
心を満たす財産になっていた。
そして、この財産は一生残り続けるのだろう。
もし、認知症になったら、
社会人としての分別や損得勘定は忘れてしまっても、
アホな連中と演劇をやった記憶だけは残るのかも。
心の底から楽しんで、一生懸命やったことは、
きっとずっとそのままだと思う。
東京博善の「ひとたび」というオウンドメディアで、
毎月、「世界の終活」に関するコラム記事を書いている。
その記事で毎回、最後のパートで
「終活映画」を紹介しているのだが、
その大半が、主人公が旅をする映画、
ロードムービーである。
「はじまりへの旅」/アメリカ
https://eiga.com/movie/83862/
「君を思い、バスに乗る」/イギリス
https://eiga.com/movie/96989/
「パリタクシー」/フランス
https://eiga.com/movie/98840/
「ノッキング・オン・ヘブンズドア」/ドイツ
https://eiga.com/movie/47692/
死を意識した人、人生の終わりが見えた人は、
少なくとも映画というフィクションのなかでは
皆、旅に出る。
それは過去を検証する旅、
他者とのつながりを確かめる旅、
そして、この世における自分の存在を
再認識する旅である。
「わたしは本当にこの世界で生きて来たのだ」
と、登場人物は思う。
そこに文学性・ドラマ性を見出し、
エンタメ性を掛け合わせたのが終活映画だ。
そして、彼ら・彼女らは
こんどはあちらの世界に旅立っていく。
僕たちの人生は、割とどうでもいいものに縛られ、
時間の大半を、家や仕事場に留まって
浪費しているのではないか、と思うことがある。
仕事や家族が「割とどうでもいいもの」
というのは乱暴だし、批判があると思うが、
僕たちは自分を大事にするためにも
しょーもないしがらみから逃れて、
日常から離れた「旅」を大事にした方がいい。
観光旅行のような経済の消費行動動ではなく、
自分の人生を形づくる自由な旅。
出ようと思えば、それは明日からでも出られる。
人生は思ったよりもずっと短い。
「人生の最後に旅をしよう」
そう思いついた時には、
もう頭も体も心も動かないかもしれないのだから。
母親が亡くなった時、葬儀の司会進行担当の人から、
「お母さんの料理で好きだったものは何ですか?」
と聞かれて、「ハンバーグ」と答えた。
するとどんな特徴があったのか、
割としつこく聞かれて、ちょっと戸惑った。
僕もインタビューをよくやっているので、
「何かこれだというネタを引き出さなくては」
と、インタビュアー(この場合は、葬儀の司会者)が
がんばる気持ちはよくわかる。
そのことを「おふくろの味はハンバーグ」
というエッセイにして、本にもした。
「おふくろのハンバーグは、
めっちゃうまかったんですよ。
ネタにちょっと○○を混ぜて独特の風味を出し、
ソースがオリジナルで、焼き方も変わってて、
ちょっとあの味は、
どんな高級レストランでも味わえないなぁ」
くらい言えれば、司会の人も満足したのだろうが、
まったくそんなことはない。
確か小学生の高学年の頃だったと思うが、
一度か二度、ちょっと変わったソースを作って
出したことがあった。
料理本か料理番組で見たのでトライしてみたのだろう。
息子が「おいしい!」と喜ぶ顔を
想像しながら作ったのかもしれない。
ところが、親不孝息子は、
「こんなのいやだ」と言って、
いつものソースとケチャップを付けて食べた。
母はキレまくってヒステリーを起こし、
二度とやらなかった。
もしかしたら、後から泣いたかもしれない・・・
とは、64になる今まで一度も考えたことがなかった。
申し訳ないことをしたなと思うが、
人の心を慮れない子どもだったので、しかたがない。
母親のことが嫌いだったわけではない。
しかし、彼女の手料理は、
全般的にそんなにうまくなかったし、
彼女自身も、料理が好きだったわけでなく、
ストレスフルな家庭の状況のなかで
「主婦のルーティンワーク」としてやっていたと思う。
毎日、がんばって作って
食べさせてくれたことには感謝するが、
18で家を出たあと、母の手料理がなつかしい、
また食べたいと思ったことは一度もなかった。
それよりも、その頃のガールフレンドや友だちと
いっしょに作って食べたもののほうが
よっぽどうまかったし、楽しくて思い出に残っている。
しかし、日本では子ども(特に息子)は、
おふくろの味に愛着が深く、
懐かしがるものだ——という
一種のデフォルト的な考え方がある。
葬儀の司会者もそれに則って、
しつこく僕に聞いたのだろう。
「おふくろの味」は、
感動のある葬式をつくる具体的な素材として、
とてもわかりやすく、とても便利なものだ。
「お葬式は美しい家族の物語」
多くの葬儀屋さんは、そうした広告を打つし、
お客もそのフレーズで安心する。
ただ、あまりに家族とは仲の良いもの・
愛情豊かなものという物語にとらわれると、
そこから外れた人、
自分は親に愛されなかった、
子どもを愛せなった、という思いを抱いている人は、
必要以上に不幸な気持ちを抱くことになるのでないか。
8年ほどやってきた葬儀雑誌の仕事から
少し距離を置くことになった影響もあり。
ちょっとシニカルに、そんなことを考えた。
今日は4月に亡くなった友人の49日なので、
朝の、両親と義父の供養の際にいっしょに
生前の様子を思い浮かべた。
かつて一緒に劇団をやっていた仲間なので、
ビデオなどなくても、舞台での姿やセリフの声を、
ありありと思い出せる。
もう40年も前のことだが、
自分の人生のハイライトのように思える。
遠いのと、仕事や家庭の事情で
日程調整ができず、葬式には出なかった。
だからせめて…という気持ちもある。
ちなみに先週、取材したお寺では
「友だち法要」という試みをやっていて、
とてもユニークだなと思った。
最近は家族でけで行う葬式が主流になって、
家族・親族以外の人が呼ばれることはめっきり減った。
けれどもその故人にとって、
仕事仲間とか、趣味の仲間とか、
いつもお茶する友だちとか、
親しくしている友人が何人かはいる。
いっしょに暮らしているのでなければ、
むしろ家族や親族よりも、
そうした友人や仲間のほうが親しく接していたはずだ。
しかし、血のつながりがない友人・仲間は
故人を弔う権利がない。
たとえば離れて暮らしていた息子が喪主になる場合、
亡き母のそうしたお茶友だちとか、
むかしの友だち・仕事仲間などは、
その存在さえ思いもよらない――
ということが大半だろう。
それはしかたがないことだと思う。
葬式に呼ばれない、そうした友人・仲間は、
事後に訃報をもらったり、
人づてに「どうやら亡くなったらしい」
とは認知できても、
それが現実のことかどうか実感が持てない。
みんなでお別れ会・偲ぶ会をやるのもいいが、
やっぱり坊さんにお経を上げてもらわないと、
ちゃんとお弔いをした、
という気持ちになれない人もいるだろう。
その寺ではそうした人たちのニーズを汲んで
「友だち法要」を始めたという。
これがいいのは「面倒がない」ということ。
開催するのに家族にいちいち許可を得なくてもいい。
いつ亡くなったかも正確にわからないくてもいい。
ただその人の名前がわかり、
そこに集まる人たちはみんな、
彼・彼女の生前の姿を共有できればいいのだ。
人間は多面性がある。
家では家族に疎んじられるようなダメ親父が、
職場では素晴らしい上司、
趣味の仲間のあいだでは気さくで楽しい人徳者、
ということがままある。
人間性・キャラクターというのは
その人が身を置く環境・コミュニティによって
簡単に変わって見えるのだ。
だから、それぞれの関係性に応じた弔い方があって、
そこに集まった人たちが、
彼・彼女との思い出を大切にし、
今後も楽しく生きていくためのエネルギーに
変えられればいいのだと思う。
エンディング関連の仕事を始めて早や8年、
いろいろ新しい企画、サービス、
その背景にある事情や考え方などを
取材して記事にしてきたが、
やればやるほど、葬儀・供養というのは
自分に合ったやり方・できるやり方でやればいいんだな、
と思うようになってきた。
新しい考え方をもって自由に生きてきた人でも、
葬儀・供養の領域になると、なぜか保守的になる。
みんな、しきたりとか、過去の慣習にとらわれ、
そこから外れてしまうのことを恐れる。
そんな印象がある。
家の宗教でなく、個人の宗教。
家のやり方でなく、個人のやり方。
もうとっくにそういう時代になっていると思うのだが。
先週まで渋谷ヒカリエでやってた「Deathフェア」は、
「よりよく生きるために死について考えよう」
という趣旨のイベントだった。
渋谷という場所がら、中高年だけでなく、
若い人も大勢集まってきた。
主催の人にインタビューしたところ、
(まだデータを集計していないが)
20代から90代までまんべんなく来場した、
という話だった。
たぶん中には10代も混じっていただろう。
若者が死について考えるのはおかしい、危険だ、
という人も少なくないが、
むしろ思春期のほうが成人してからより
死について思いを巡らすことが多いのではないかと思う。
それを単純に自殺願望などと結びつけ、
命の大切さを説きたいと思うおとながいて、
まわりであーだこーだ言うから
かえって生きることが息苦しくなってしまうのだ。
僕もよく死について考えた。
マンガも小説も映画も演劇も死に溢れていた。
逆に言えば、それは「生きるとは何か」
という問いかけに満ちていたということでもある。
いまの若者は・・・という言い方は好きでないが、
僕たちの時代以上に、
いい学校に行って、いい会社に就職して・・といった
王道的な考えかたに、みんが洗脳されている印象がある。
だから志望校に入れなかったら人生敗北、
志望した会社に入れなかったらもう負け組、
残った余生を負け犬としてどうやり過ごすか、
みたいな話になってしまう。
そうした展開の方が死に興味を持つより、
よっぽど危険思想ではないか。
人生計画を立てる、
キャリアデザインを構築するという考え方も
言葉にするときれいで正しいが、
若いうちからあまり綿密に
そういったデザインとかスケジュールにこだわると、
これまたしんどくなる。
人生、そんな思った通りになるわけがないし、
そのスケジュールの途中で、
AIやロボットが進化して仕事が消滅、
キャリアがおじゃんになることだってあり得る。
「Deathフェア」に来ていた若者は、
そうしたしんどさ・息苦しさ・
絶望感・不安感みたいなものを抱えて、
いっぱいいっぱいになってしまって、
「じゃあ、終わりから人生を考えてみようか」
と思って来てみた、という人が多いのではないか。
いわば発想の転換、
パラダイムシフトを試みているのだと思う。
それってものすごくポジティブな生きる意欲ではないか。
あなたが何歳だろうが死はすぐそこにある。
同時に「生きる」もそこにある。
社会の一構成員でありながら、
経済活動の、取り換え可能なちっぽけな歯車でありながら、
絶えず「自分は自分を生きているのか?」
と問い続けることは、とても大事なことだと思う。
たとえ答えが出せず、辿り着くところがわからなくても。
渋谷のヒカリエで「Death Fes」が
明日18日まで開かれている。
「死のフェスティバル」という名からは
想像できないほどのポップさ・楽しさ。
こんなイベントを文化発信地・渋谷のど真ん中でやるのは
本当に画期的なことだ。
来場者も特に年代によって大きな偏りがあるわけでなく、
20代から90代までまんべんなく訪れ、
土日は大いに盛り上がったようだ。
「月刊終活」の記事にするので、
今日は主催者である一社「デスフェス」の
代表二人にインタビューした。
二人とも起業家の女性。
「月刊終活」の仕事をしていて思うのは、
エンディングに関わる仕事を始めるのは、
なぜか女性が多いということ。
もちろん、歴史のある葬儀社・お寺・石材店などの業界は
もろに男の世界だが、近年スタートアップしたところ、
イノベーティブな製品・サービスのプロデュース、
ユニークな活動をしている会社・団体は
圧倒的に女性が多く、活躍している印象が強い。
日本だけでなく、
アメリカ発の「堆肥葬(遺体を堆肥化して土に戻す)」や
スウェーデン発の「フリーズドライ葬
(こちらは遺体をフリースドライ化)」を開発し、
普及に努めているのも女性CEOである。
2022年5月、二子玉川で行われた「END展」でも
女性のキュレーターが主導し、
来場者の3分の2は女性だった。
もちろん、死は男女平等に訪れるものだが、
死に関心を持ち、深く追求するのは女性が多い。
「なぜだろう?」と主催者のお二人にも質問して、
思うところを答えて戴いた。
理由は複数ある。
一つは長らく続いた男性中心の家制度が終わりを迎え、
個人単位の社会に変わりつつあること。
そういえば30年ほど前に僕たちの母親世代が、
夫(の家)と同じ墓に入りたくないという議論が
マスメディアを通じて話題になった。
従来の社会制度に異を唱えるのは女性であり、
彼女らのほうが発想も自由で柔軟性・革新性がある。
母親世代でできなかったことを
娘世代が果たそうと今、がんばっているということか。
もう一つ、これは僕の見解だが、
命を産む性であることが関わっているように思う。
男はどう逆立ちしても子どもは産めないが、女は産める。
産めるがゆえに肉体の変化も大きく、
初潮・出産・閉経など、
いわば人生のなかで何度も「死」に近い経験をし、
その都度、少女から女へ、女から母へ、
母からまた新たな女へ生まれ変わる。
また、社会人として仕事をすれば、
妊娠・出産で仕事を辞める・辞めないの選択、
それ以前に子どもを産む・産まないの選択など、
ドラマチックな決断を迫られる。
だから死を最後のライフイベントと捉え、
最後まで人生を楽しみたい、
一生懸命生きたご褒美として
楽しく美しく弔ってほしいという気持ちが湧く。
そこからいろいろな想像力が働くのだろう。
言葉を変えると、
男より女のほうが生きることに貪欲なのかもしれない。
場内の展示の一つに、
ウエディングドレスをリメイクして
金婚式や銀婚式、還暦や古希のお祝いや、
最期の衣装として納棺時にも着用できる
「イルミネートドレス」なるものがあった。
これまで純白のドレスを着るには一生に一回、
結婚式の時だけのはずだったが、
これからはそうでなくなりそうだ。
試着した人たちは皆、幸福そうに笑っている。
死を変えることによって人生も変わる。
こんな喜びがあるのなら、病気も老いも死も怖くない?
そう考える女性が増えるかもしれない。
昨日、64歳で友達が死んだ。
演劇学校の同期生で、
いっしょに劇団をつくって芝居をやった仲間だった。
ステージ4のガンだということを知ったのは
半年前、同窓会を開く連絡をした時だった。
その後、12月に6人で連れ立って福井まで会いに行った。
割と元気そうで、おもてなしまでしてくれて、
わざわざ来てくれたお礼にと、お土産までくれた。
ステージ4と聞くと絶望感が生じるが、
カミさんの患者には
「ステージ4でもう7年生きてます」という
ガンとの共存に成功している人もいるらしい。
だからというわけではないが、
今年になってから僕のFBの投稿に
何度かリアクションもしていたし、
その友だちも、
まだまだ意外と大丈夫なんじゃないかと
漠然と思っていた。
でも結局そう願っていただけなのだろう。
「楽しい時間を過ごさせていただき
ありがとうございました」
彼女の死を知らせてくれた友達は、
そんな家族の伝言を伝えてくれた。
どんな時間を過ごしたのだろうと考えた。
もう40年以上も前のことだが、
いっしょに何かを創った仲間というのは
特別な時間を共有したのだという思いがある。
なんであんなにエネルギーがあったんだろう?
芝居なんてくだらないことに一生懸命になれたんだろう?
と不思議な思いがする。
劇団を立ち上げたメンバーは3人だったが、
もう一人はすでに15年前、50歳で逝ってしまった。
その時に比べて、今回どこか自然に
仲間の死を受け入れられるのは
やはり年齢のせいだろうと思う。
人生100年時代とは言えど、
還暦を超えた60代は生と死の境にある年代。
今ここを丁寧に過ごさないと
その後生き延びたとしても、
ただ生活しているだけの人生になりそうな気がする。
悩み相談みたいなサイトや動画で、
いろんな意図をこめて
「人生に意味などないよ」と言うセリフをよく聞く。
けれども3人の生き残りになってしまって、
なんで俺だけまだ生きているんだろう?
と考えざるを得ない。
この世から去る日を選ぶことなどできないが、
花の季節に逝くのは、
残る者の気持ちをほんの少し和らげる。
友の冥福を祈る。
1960~70年代に活躍したミュージシャンで
そう漏らす人は少なくないようだ。
ワールドかどうか知らないが、
今夜(2024・4・6)は
有明の東京ガーデンシアターで
ジェームス・テイラーが一夜限りの来日公演をやっている。
そのことを教えてくれたのは、
ついこの間まで大学院生で、
来週から東京都の小学校の非常勤講師として
勤め始めるK君だ。
水道代を払い忘れて
水を止められたことがあるというK君は、
「たまたま耳にした『マイ・ブルーヘブン』が
心に刺さったんすよ」
と、ジェームス・テイラーは2020年にリリースした
「アメリカン・スタンダード」というアルバムを聴いて
ファンに。
今日はなんと!
S席2万円のチケットを買って今晩のライブ見に行った。
水道代払えないのに、チケット代は払うんかい!
でも、若いってそういうこと。
水より音楽のほうが大事なんだ。
ジェームス・テイラーといえば、
僕が中高生の頃、活躍したシンガーソングライターで、
確か、カーリー・サイモンのもと旦那。
キャロル・キングとのデュエットも印象深い。
「アメリカン・スタンダード」は
タイトル通り、
アメリカンポップの定番となった楽曲を集めたもので、
テイラーが独自の歌唱とアレンジで
渋みをきかせて料理している。
この投稿もBGMとして聴きながら書いている。
確かに心地よくリラックスできる。
そんなテイラーが20代前半の若者の心をつかむとは
面白い時代になったものだ。
1960~70年代に活躍したミュージシャンは、
すでに70代後半。
同世代ですでにこの世から去った人も少なくないので、
冒頭の「死ぬ前に・・・」というセリフが
漏れ出てもおかしくない。
意地悪くつっこめば、
「そんなに過去の栄光が恋しいのか」とも言えるが、
音楽を愛し、その世界で成功して生きて来たのなら、
やっぱり最後にまた夢を見て、
悔いなく人生を締めくくりたいと思うのが人情だ。
20世紀のポップミュージックも
ネット動画の発達、さらにAIの発達で
皆がお金を使わずシェアできるようになり、
もうかつてのようなビッグビジネスは望めない。
これから先の音楽産業がどうなるかはわからないが、
良い曲はやっぱり世代を超えて聴き継がれ、
様々な形で歌い継がれるのは間違いない。
おりべまことの音楽エッセイ集 Kindleより発売中
20世紀ロック・ポップ・歌謡曲は未来への資産
明日9月15日は「老人の日」。
え、敬老の日じゃないの?
いえ、それは祝日法改正によって2003年(平成15年)から9月第3月曜日に変更された。
今年は来週月曜18日が「敬老の日」になる。単に3連休としか認識していない人も多いけど。
敬老の日は長寿を祝い、お年寄りを敬う日だけど、祝日から転落した「老人の日」は記念日として残されたのはいいけど、どんな役割を果たすのか?
超高齢社会の進展、100年ライフの浸透で、
老人の概念はこの20年の間にずいぶん変わった。
そもそも「老人」という言葉をあまり聞かなくなった。
今、高齢の人に「あなたは老人ですね」
なんて言ったらぶん殴られるかもしれない。
でも逆にじいさん・ばあさんが自分から
「おれはロージンだぜ」
「あたしゃロージンだよ」
なんて啖呵を切ったらカッコいいかもしれない。
この本のタイトルは、
かつて「さいたまゴールドシアター」という
高齢者劇団を率いた演出家・蜷川幸雄さんのセリフ。
ライフシフトの時代、
客観的年齢と主観的年齢は一致しない。
ロージンが舞台に立ち、スポットライトを浴びるのは
もう特別なことではなくなりつつある。
29日から3日間、東京ビッグサイトで
「エンディング産業展2023」の取材をした。
インパクティブだったのは、有限会社統美のブース。
納棺師が使う保存用品・メイク用品などを開発・販売。
「人は死んだら(遺体は)どうなるか」を
ユニークなイラストで表現し、来場者に伝えている。
本来、葬儀・供養業者向けのビジネスイベントだが、
半分は、介護・看護・終活・空き家・遺品・相続など、
ソーシャル系問題のソリューション提案。
超高齢化社会、多死社会が進み、
人は嫌でも向き合わなくてはならない時代になった。
日本のエンディング産業は、世界でも注目されており、
今回の展示会には中国・台湾・韓国などから
視察隊が大勢来ていた。
ちなみに中国では近年、2008年の映画
「おくりびと」がリバイバルヒットしており、
「納棺の儀」などにも興味が集まっている。
日本だけでなく、多くの豊かな国が
老いと死の問題に直面しつつある。
昨日・今日とパシフィコ横浜で
葬祭事業の展示会
「フューネラル・ビジネスフェア」をやっていた。
今年はコロナ明けということで活気があった。
中でも目を引いたのが、
岡山の「ビアンフェ.」のブース。
ここの社長の岡野裕子さんはもともと葬式のナレーターで、
25年間蓄積したナレーション原稿をもとに、
AIによる自動ナレーション生成システム
「IKIRU」を作り上げた。
今年はそのシステムをアレンジした姉妹バージョン
「ルーベン」をお披露目。
こちらのシステムは、
群馬の「ひさよ斎場(㈱富品)」のAIサービスだ。
社長の荻原久代さんも岡野さんと同等の
ナレーターとしてのキャリアと原稿を蓄積しており、
今回、半年余りをかけて1万部に及ぶ原稿をデータ化し、
「ルーベン」を完成させた。
ルーベンには「ライフ・ストーリー」という
クローズドSNS風のシステムもついている。
インターネット上で亡くなった人の
葬儀の特別サイトが期間限定で設けられ、
招待された人はそこに写真やコメントを投稿でき、
交流もできる。
13年前、死んだ友だちがブログを書いていて、
その最後の投稿に1年後までえんえんと
コメントが寄せられ、
一種のコミュニティを形成していたが、
そのことを思い出した。
あの頃より格段に進化したITを使えば、
故人のお別れ会をネタに、
古いコミュニティが復活・再生する
新しい土壌になりそうだ。
それにしても、今年はチャットGPTの登場で、
あっという間にAI時代に突入してしまった。
葬式のナレーションに関して言えば、
岡野さんや荻原さんのようなキャリアを積める人は
もうほとんど出てこられないと思う。
ナレータに限らず、どの職業でも今後、
長い時間をかけた修行や勉強、経験の蓄積は、
あまり意味をなさなくなるだろう。
社会が、経済の仕組みが、もうそれを許してくれない。
大きな目で見れば、蓄積が美徳であることは変わりないが、
商売のために日々の業務をこなしていくには、
修行中の人や勉強中の人は役に立たず、
手取り足取りきちんと育てているヒマなどない。
AIを上手に使いこなすとか、
旧来の方法に代わるスキルアップが求められるのだと思う。
ビアンフェ.は、
20代の開発リーダー・中原海里氏が中心となって、
複数の大学の教授陣と組んで、
次なる異次元のAI開発に取り組んでいるという。
この秋にはさらに進化した、
汎用性の高いものが登場するので、
期待してほしいとのことだった。
都内で6つの火葬施設付きの斎場を運営する東京博善の
オウンドメディア「ひとたび」で、
毎月、「世界の葬祭文化」というコラムを連載しています。
今月は第3回
「欧米で話題の水火葬〈アクアメーション〉とSDG's」。
今世紀に入ってから欧米の人々の間で
いわゆる「エコ葬」への指向が強まっています。
エコ葬にもさまざまな種類がありますが、
「アクアメーション(日本では「水火葬」と訳されることが多い)」もその一つ。
特に2015年、国連サミットでSDG’sが採択されて以来、
認知度が上がり、
合法的な葬法として認める国・地域が増えているのです。
今回は水火葬とはどういう葬法なのか、
その背景や発展の経緯を含めて紹介していきます。
もくじ
・世界的人権活動家の最期の選択
・アルカリ加水分解葬
・火ではなく“水”で遺体を分解
・SDG'sの浸透が普及の追い風に
・先駆的事業者のポジティブなイメージづくり
・ハワイ先住民の伝統葬法だったという一説も
・合法化された国・地域
人の命の終末には、
私たちはどう生きたいのか、
どう生きるべきなのか、
と、国や地域を問わず、
今を生きる人々の考えが反映されています。
ご興味があればご一読ください。
都内の民営火葬場を営む東京博善の
オウンドメディア「ひとたび」で
毎月、「世界の葬祭文化」というコラムを連載しています。
第2回の今月は、“SDG's・DX・ミニマリズムの葬儀・供養
~「新しい生き方」が「新しい死に方」に~”。
「21世紀の葬儀・供養」と聞いて、
どんな形のお葬式やお墓をイメージするでしょうか?
そのイメージの鍵となるのは、SDG's・
DX(デジタル・トランスフォーメーション)・
ミニマリズムです。
近年、盛んに提唱されている
ライフスタイルやビジネスのテーマは、
エンディングにおいても重視され、
欧米各国ではこれまでの歴史・伝統とは離れた
新しい葬儀・供養の在り方が提案されています。
もくじ
・作家の想像力よりもビジネスの創造力
・映画で描かれる“自然に還る”葬儀
・世界で進む火葬普及の流れ
・地球環境に配慮したSDG'sな葬儀の数々
・20世紀を生きた人々のエンディングが変貌する
ご興味があれば、下記リンクから
ぜひご覧になってみてください。
泣いて歌って踊るガーナのエンタメ葬、
ハロウィーンの原型となり、
ディズニー映画のモチーフにもなったメキシコの死者の日、
チベット仏教に基づくブータンの鳥葬など、
世界の葬儀・供養を紹介・考察。
雑誌に連載し、電子書籍として発行している
「世界のEnding Watch」が、
このたび装いも新たに、某サイトの連載記事になります。
もちろん完全リニューアルの新作コラムとして、
前作とは違った構成・展開に。
公開の際にはまたお知らせします。
昨日は杉並区にある「堀之内斎場」で
イベントがあったので取材。
東京23区内に6カ所ある民営火葬場の一つである。
運営会社の東京博善は、10年代後半から毎年この時期、
各斎場(火葬場)持ち回りで
地域住民のためのイベントを開いていたが、
コロナで3年間中断。
昨日は4年ぶりの開催だった。
火葬場でイベントって・・・と訝る人もいるだろう。
迷惑施設なのではないか?
しかし、この高齢社会でそんなことは言っていられない。
今やこのイベントは自治体が後援し、町会も協力している。
だから今回の場合は、
杉並区区内の小学校でチラシが配られ、
家族連れでにぎわっていた。
至って明るく楽しく、和気あいあいである。
堀之内斎場は100年超の歴史を持つが、
当然、改築もされていて、建物は明るくおしゃれで美しい。
それに昔の火葬場と違って煙突から
火葬の煙がモクモク・・・ということもなく、
きわめてクリーンである。
1階では飲食などのお店が出店したり、
こどもが遊べるスペースが設けられ、
2階の控室では落語、自分史セミナー、
相続相談セミナーなどをやっていた。
火葬炉の説明コースもあったが、
さすがにこっちには人が寄って来ない。
僕はほぼ貸し切り状態で、
スタッフのお話を聞かせてもらった。
とても丁寧なガイダンスで感心した。
東京は人口が多い。
それだけ死ぬ人も多い。
なので強力な火葬炉で、短時間に火葬するという。
火葬率世界トップの日本の火葬炉の性能は優秀だ。
それにしても、こうして自治体が後援して
火葬場で地域イベントが開かれ、
それに反対したり、抵抗感を持つ人もあまりいない
――そんな時代になったことには、
昭和の頃、20世紀の頃から隔世の感がある。
月刊終活で「創業!エンディング・プロデュース」
という連載記事を書いている。
高齢社会の進展に従って、
これまでなかった、高齢者をめぐるニーズが発生しており、
大小いろいろな企業が
そこにフォーカスした事業を起こしている。
この記事はそれらの事業内容を紹介するものだ。
ニーズが発生しているとはいえ、
それらは社会の目が届かないものも多い。
その最たるものとして、高齢者の心の問題がある。
ごく端的に言うと、
「もうこの社会で自分の出番はないかも・・」
と思っている高齢者は少なくない。
誰からも、どこからも求められていない。
だんだん忘れられてゆく存在になりつつある。
その孤独感・疎外感は想像を絶するものがある。
お金があって、裕福な暮らしをしていて、
悠々自適にやっているように見えても、
じつは心に空いた穴は大きい。
いや、むしろ裕福な人ほどそれが大きいのではないか。
近年、大きな社会問題となっている
特殊詐欺事件(最近は強盗)の頻発も、
僕はこうした高齢者の心の問題が遠因と
なっているのではないかと思う。
「話しかけてくれるのならば相手が犯罪者だとしても‥」
そうした心情は理解する必要がある。
きょう取材した「こころみ」という会社は、
「話を聞く」をコンセプトとして、各種事業を行っている。
コミュニケーション・ロボット、スマートスピーカー、
チャットボット等の会話シナリオを作ったり、
「ディープリスニング」という、
傾聴を一段深化させたメソッドを開発し、
企業研修に提供したりしている。
その基幹事業と言えるのが「親の雑誌」という、
高齢者の自分史の制作だ。
自分史は通常、高齢者本人が自分の意志で本を書き
(あるいはライターが代筆し)、出版するのだが、
こちらは子供がライター(インタビュアー)に依頼し、
親の人生ストーリーを聞き出して
本(雑誌)にするというもの。
つまり、親の心の奥にしまわれている出来事や思いを
開放することに焦点を当てた仕事だ。
すごくユニークであり、社会的意義も大きい。
高齢者はみんな潜在的に語りたがっている、
誰かに話を聞いてもらいたがっているが、
家族もケアラーも無事であること・健康であることには
注意を払うものの、そうした潜在的な飢餓感にまでは、
なかなか気がつかないし、手当てもできない。
「親の雑誌」はその問題点に光を当て、
高齢者を救うと同時に、家族や周囲の人たちとの
コミュニケーションを促す役割を果たすのだと思う。
それは高齢者一人一人の心の手当になるとともに、
今後の日本社会全体の手当てにも繋がるのでないか。
注目していきたい仕事だ。
千歳烏山にあるJA東京中央セレモニーセンターでは、
今年から「ペットに見送られる、私の葬儀」
というプランを始めた。
その名の通り、お葬式にペットも参列し、
亡くなった飼い主さんをお見送りする、というものだ。
このプランは、世田谷区、杉並区、大田区にある
同社の3つの専用ホールでできる。
今までもこっそりお通夜などに
キャリーケースに入れた小型犬を連れてきて、
故人とお別れをさせていた家族はいるようだが、
公にこうしたお葬式ができます、と打ち出したのは、
おそらく日本で初めてではないだろうか?
というわけで月刊終活の取材で千歳烏山まで行ってきた。
こうしたサービスを始めた下地として、
この会社ではガチでペット葬に力を入れており、
敷地内に専用のお別れ室や専用の火葬車、
霊柩車も揃えてる。
そして、安心のキーポイントとして、
ペットシッターというスペシャリストも控えている。
供養グッズもおしゃれでかわいい。
ペットのお葬式では、
立場や人間関係などに気を遣うことなく、
純粋に悲しみの感情を表出できるので、
なりふり構わず号泣する人も多いという。
取材でプラン開発の経緯を聴くと、
そうした人たちの心情を日頃から肌で感じており、
インフラも整っているので、
始めるのに大きな葛藤はなかったという。
ペットは永遠の子供。
自分が可愛がった子に最期を看取ってもらいたい
という人は多く、ニーズは高いだろう。
ペットー主にイヌだが―は、人の死がわかるのか?
という疑問もある。
でも、散歩のときに逢う犬たちを見ていると、
たぶんわかるのではないかという気がする。
人と一緒に暮らしている犬は、
もしかしたら幼い人間の子供より
死とか別れの意味はよく理解できる。
取材してみて思ったのは、
これ以降、死という事象の前では
人もペットも同等になるのではないかということ。
同じ命の重み――というと、反感を買うかもしれないが、
おそらくペットに心を寄せて暮らしている人にとっては、
心情的にそうなるのは自然なことだと思う。
もちろん、社会的な意味合いと重みはまったく違うけど、
いろいろ人間関係に倦んで、
ペットのほうに心を傾けたり、思い出を育む人が
これからどんどん増えていくのかもしれない。
1月15日放送のNHKのETV特集
「弔いの時間(とき)」は、けっこう衝撃的だった。
葛飾区(青砥/立石)にある想送庵「カノン」における
ドキュメンタリー。
この施設は故人の安置施設で、
遺族が心行くまで故人と別れの時間を持てるように、
と作られた。
いわば最後のお別れのためのホテルである。
葬儀社の葬儀会館と違うのは、
家族や友人が亡くなった人と
最後の時を共有するのが目的の空間なので、
必ずしもここでお葬式をやる必要はないということ。
実際、ここから直接、火葬場へ行く人も少なくないらしい。
逆にここでお葬式をするときは、
葬儀社の葬儀会館ではできないような
自由なお葬式というか、お別れの会ができる。
番組で紹介されたのは、21歳で自殺してしまった女性と
70歳で亡くなったコピーライターの人のお葬式。
前者は3年前の出来事で、お母さんがとつとつと
その時の情景と心情を語る。
子供に先立たれたら、
哀しみで気が狂いそうになるだろうと想像するが、
何かがそのお母さんをそうさせなかった。
哀しみに沈むのとは逆に、
その子の友だちが大勢集まって、
わいわい笑い声が飛び交い、
施設が一種の祝祭空間のように変わってしまったとのこと。
もちろん、その映像はないが、
話と遺影や飾りつけだけで
その時の情景がありありと思う浮かべることができた。
後者はリアルタイムで
テレビカメラがお葬式を取材していた。
そのご家族はビデオでその人の亡くなる瞬間を撮影し、
その動画を参列者に見せた。
奥さんは哀しみの感情を隠すことなく、
参列者の前で歌を歌った。
どちらもけっして異常だとは思わない。
親しい人間の死は、
その周囲の人間にいろいろな感情を与え、
いろいろな行動を取らせる。
もしかしたら、このカノンという施設の空間には
一種のマジックが働いて、
悲しみに沈みこむという感情の定型パターンから
心が自由になれるのかもしれない。
30年ほど昔、「泣き女」を主人公にした
演劇的葬式が開かれる世界についての
ラジオドラマを書いたことがある。
脚本賞をいただいて放送してもらったが、
なんだかそれが時を超えて実現したのを
見たようが気がした。
普段から葬儀供養の雑誌の仕事をしているので、
変わった葬式の話は割と聞き慣れている方だが、
それでもやっぱりこれは衝撃。
いい・悪いではないが、何かものすごく心が揺れた。
しばらくはうまく言語化できない。
興味のある方は、今週いっぱいなら、
NHKプラスの「#ドキュメンタリー」のところで
見られます。
昨日は父の命日だった。
もう14年になる。
今年は母が逝ったので14年ぶりにいっしょになれた。
良かったと思う。
おとぎ話っぽいが、死後のことは誰にも分らないので、
天国でまた仲良くやっていることを想像する。
僕にとって、父、母と呼べる人は、
認知症の義母一人になった。
彼女の方は実の娘であるカミさんのことも
娘と認知してないので、当然、僕が義理の息子だとも
思っていない。
「おかあさん」という呼び方にも反応しないので、
半分以上は名前で呼んでいる。
その方が本人も居心地いいようだ。
しかし、客観的には母親に違いない。
最後の親なので、彼女より先には死ねない。
と、最近よく思う。
僕は昭和の人間なので、上の世代から
「親より先に死んではいけない。それは最大の親不孝」
と割ときつく教えられてきた。
10代の頃から同世代で事故や病気や自殺で死ぬ
人間を見て来た。
逆に子供に死なれた友人・知人も見て来た。
やはりどっちも見るに堪えないものがある。
若い頃は、いつ死ぬかなんてわからないから
しょーがないだろと思っていたが、
齢を取ると、やはり親より長く生きるのが
最低限の親孝行というふうに思える。
いくらいい子でも、親孝行を重ねてきた子でも、
親より先に死んだら元も子もない。
「親より先に死んではいけません」という戒めは、
今の時代、割と薄れてきたように感じるのだが、
どうなのだろうか?
もちろん、寿命がどこまでかは
神のみぞ知る運命なのでどうにもならないが、
「親より先に死んではいけない」は、
いつもおまじないの言葉として唱えていた方がいい。
人生は自由に生きればいいが、
どこかでそれくらいの重しは必要だと思う。
6月に母が亡くなったので、
毎年年賀状をいただいている人たちに
喪中はがきを出したら、カミさんの友人の一人から
お花代が送られてきた。
お花代というからには、やはりお花を飾らにゃいかんだろうと
行きつけの花屋に行ったら紫のバラが目に付いた。
なかなかユニークな色だ。
高齢の女性はなぜか紫カラーに傾く。
母親もご多分に漏れず、
晩年はこれと同じような色のセーターを着ていて、
最期まで持っていた巾着袋も紫色だった。
というわけでイメージがぴったり重なったので
買ってきた。
部屋に置いてみると、とても落ちつく。
と同時に母のことを思い出す。
まだ半年しか経っていないが、
なんだか遠い昔のことのように思える。
向こうもあっちで子どものことなど忘れて、
父と仲良くやっているのだろう。
供養ビジネスの取材などもしているが、
実際のところは供養って、
そんなにお金をかけて大げさにやらなくても
年に何回か、こうしてお花でも飾って偲ぶことが出来れば、
それで十分なのではないかという気がする。
昨日は月刊終活の取材で、日比谷の東京商工会議所へ
相続診断協会の「笑顔相続シンポジウム」に参加した。
会場は渋沢栄一ゆかりの東京商工会議所・渋沢ホール。
2020年にできたばかりのきれいなホールだ。
ここで開くのは何回目か知らないが、
こうしたシンポジウムを毎年開いており、
けっこう活発に活動している。
相続診断協会は、相続問題における家族の悲劇を
何度も目の当たりにした税理士が一念発起して、
2011年に設立した一般社団法人である。
相続に関する相談に乗る「相続診断士」を
養成している。
スタートしてから11年。
士業や保険会社や金融機関の社員、
終活カウンセラーなどの間で評判になり、
この資格を取得する人が増えて、
「相続診断士」は現在、全国に45,0000人以上。
協会は国家資格を目指して奮闘している最中だ。
シンポジウムはコンテンツも盛りだくさんで面白く、
「笑顔相続落語」というエンターテインメントもある。
これは協会がプロの落語家に依頼して
作った創作落語で、
より多くの人たちに相続問題に興味を持ち、
きちんと向き合ってもらうためのもの。
「不幸な相続を一件でも減らしたい」という
法人の理念は、単なるお題目ではなく、
心に訴える真摯なものだ。
相続というからにはもちろん、お金の話になるのだが、
機械的に、数字的に、きちんとお金を分けましょう・
管理しましょう、というだけにものではない。
その根底にあるのは、
良くも悪しくも人間の強烈な感情だ。
感情があるからこそ幸福な笑顔相続にもなり、
非情な家族間の争族にもなる。
代表理事が話してくれたことで最も印象的だったのは、
「なぜ人が遺産の金額にこだわるのかと言えば、
その多くは、
自分がいかに親に愛された子どもだったのか、
を確認したい、証明したいからなんです」
日本人の生活の歴史の中では、
遺書を遺すという文化は育たず、
相続問題で揉めるようになったのは戦後のこと。
戦前世代と戦後世代との意識・価値観のギャップが
その大きな原因になっている。
お金の問題であり、心の問題であり、歴史の問題。
幾多のテーマをはらんだ日本の相続問題は
これからが本番である。
レギュラーワークの「月刊仏事」が
先月から「月刊終活」に誌名変更した。
いろいろ大人の事情があるんです。
というわけで終活、相続、家族信託などの
記事が増えることになる。
その取材がひしめいてきて、忙しくなっている。
ニュースなどでご存じかと思うけど、
65歳以上の高齢者の資産が日本全国で
1000兆円埋蔵されている(という話)。
さらにその大半は75歳以上の資産だという。
どんだけタンス預金持ってるんだ、ニッポン?
そりゃ狙われないわけがない。
そりゃオレオレ詐欺が増える。
大争奪戦が始まりそうだ。
これから大終活・大相続・大争続(争族)の
時代がやってくる。
日本中に高齢者にやさしく寄り添う詐欺師・ペテン師が
跳梁跋扈するだろう。
普段はいい人でも、いざタンス預金を目にしてしまったら
どうなるかわからない。
倫理も美学も尊厳も自分自身も
みんな木っ端みじんになりかねない。
大金持ちの昭和人、成金ニッポンのあと後始末は大変だ。
僕はだいじょうぶだろうか?
あなたはだいじょうぶですか?
覚悟はできてますか?
ハロウィーンをより楽しくする、おりべまことの電子書籍。
11月1日(月)16:59まで、4つの「死と死者をめぐる本」を
無料でご提供。
そのなかから「世界のEnding Watch」の
「わたしを忘れないで(メキシコ)
アステカの死生観と世界的高齢化社会の到来」をご紹介。
●メキシコ伝統の「死者の日」
色とりどりのパペル・ピカド(切り絵の旗)、ユーモラスなガイコツの人形、鮮やかなオレンジ色のマリーゴールドの花。
街は華やかに彩られ、楽しい音楽が溢れ、伝統を重んじる家では「オフレンダ」と呼ばれる美しい祭壇を設けて写真や食べ物を供え、死者(先祖)の精霊を迎え入れる。
街中がお祭りムードに包まれるメキシコの「死者の日」は、ユネスコの無形文化財にも指定されている供養文化。年に一度、現世に死者が帰ってくる日(十一月一・二日)、家族や友人たちが故人を偲び、語り合うために集う、いわば日本のお盆に当たる行事であり、欧米のハロウィーンの原型とも言われている。
メキシコはカトリック教徒が多いが、十六世紀にスペインの征服を受ける前のアステカ帝国の文化が色濃く残っており、死を象徴するものが独自の発展を遂げている。
この国では「死は、新たな生へと巡る過程のひとつ」という考え方が社会生活の深いところに根付いているのだ。そのため、生の世界と死の世界を隔てる壁が薄く、双方を行き来することもそう難しくないと、人々は考えている。
●映画「リメンバー・ミー」
その「死者の日」をモチーフに作られ、二〇一八年に大ヒットを記録したのが、ディズニー/ピクサー映画「リメンバー・ミー」だ。
映画の中では世にも美しいテーマパークのような死者の国で、ガイコツになった人々が“いきいきと”生活している。
世界的な影響力を持つハリウッド映画の代表的企業が、こうしたメキシコの供養風習を材料に、“死を表現した”エンターテインメント作品を世に送り出したことには大きな意味があるように思える。
ご当地アメリカでは五〇年前、二十五歳以下の人口が全米の約半分を占めていたと言われる。その世代――一九六〇年代から七〇年代にかけて、ロックミュージックやファッション、コミック、映画、ビートニク文学などのカウンターカルチャーをクリエイトしたベビーブーマー世代――の社会的パワーは凄まじいものがあった。
彼ら・彼女らが高齢化し、エンディングを意識せざるを得なくなったことは、単に数字的に高齢者人口が増えたという以上の影響があるのだ。
「リメンバー・ミー」は家族向けの映画であると同時に「わたしを忘れるな、憶えていろ」と主張するベビーブーマー世代の精神を表現した映画でもある。マーケティングにも長けた映画会社としては、三世代まとめての鑑賞を想定して制作したのだろう。
●多様でありながら普遍性を持つ世界のエンディング
ベビーブーマー世代の影響力が大きいのは何もアメリカに限ったことではない。欧州も日本も、いわゆる先進国はどこもよく似た人口構成になっており、エンディングの周辺では同様の現象が起こっている。
それぞれの国・地域の伝統は多種多様でありながら、近年の葬儀供養事情、終活、高齢者ケアの在り方・考え方・サービスなどは、この二十一世紀前半ならではの一種の普遍性を持っている。
そのいくつかはすでに日本に影響を及ぼしており、逆に日本発のサービスが外国に影響を及ぼしている場合もある。葬儀供養ビジネスは今、国境を超えて交信し合う時代を迎えている。
●世界のEnding Watch
ハロウィーンの原型・ディズニー映画の題材にもなったメキシコの「死者の日」などの先祖供養の風習、人生最後の旅や最後の晩餐を提供する臨終ケア、森や土に還り地球と一体化するエコ葬、死を意識した人なら誰でも一度は考える安楽死の現実など、各国の死と葬送の記録などをエッセイにして収めました。
●死ぬまでジタバタしようぜ
出来ればずっと知らないフリをしていたい「死」。しかし、すべての人がいつかは関わらなくてはならない「死」の話。
自分は本当はどう考えているのか、他の人はどう感じているのか――そんな対話をしてみたい人のネタに使うなど、いつかは向き合わなくてはならない死に心を慣らすのに役立ててほしいエッセイ集。
●ざしきわらしに勇気の歌を
認知症になってしまった寅平じいさんに課された人生最後のミッション。
それは最強の妖怪「むりかべ」に立ち向かうざしきわらしのきょうだいを得意の歌で応援することだった。
笑ってちょっと不思議な気持ちになる妖怪幻想譚。短編小説。
最大の両棲類として古代から地球上で生き続けるオオサンショウウオ。その不思議な生命力に人生を左右されることになった明治・大正の発明家と、昭和・平成のライターの怪奇な運命の物語が、夢と現実のバランスが崩れた世界で紡がれてゆく怪異譚。
長篇小説。
本日は月刊終活(旧・月刊仏事)の取材で
埼玉県川口市へ。
この木の匣はお墓であり、終活であり、
遺品であり、生前整理であり、
遺言であり、自分史である。
商品名は「ひとめぐり」という。
9月のエンディング産業展でのブース展示を見て、
ミステリアスな衝撃を受けた。
中には直観的にその本質を悟り、
泣き出した女性もいたという。
今日はそのミステリーを解くための取材である。
墓地の建設やリノベーションを手掛ける
川本商店・みんてら事業部が、
建築と福祉事業の鹿鳴堂、
そして京王電鉄の支援を受けて
「ありかた」という名のプロジェクトを発動。
お寺を介して自分の想いを
遺したい人と受け取る人とを繋ぐ、
新しい継承の形の提案だ。
なんだかよくわからいけど、
新しいものはわからなくて当然。
僕たちがよく知っている、
世の常識だと思ってること・
思わされていることの多くは、
じつは大して深い歴史・永続性があるわけではなく、
せいぜい150年。長くて幕末・明治から。
大半は戦後から。
例えばお墓を建てるのは
一部の特権階級のやることで、
庶民もこぞって立てだしたのは明治以降の話。
葬儀屋が葬式を取り仕切るようになったのも
戦後からだから、せいぜい70年余り。
時代の変化とともに死の概念も変わる。
あと10年すれば、
この「ひとめぐり」が供養の在り方として
普通のものになっているかもしれない。
人間はこれからどこへ行くのだろう?
僕たちの死生観はこれからどうなるのだろう?
メタバースとか、テクノロジーの分野とは
違った意味で、
自分が生きる未来の世界がわからなくなる。
「ふつう見せないでしょう。こんな無様な姿は。
でもそういう商売をしてきたから。ありのままですよ」
昨日亡くなった猪木さんの病床の最期の映像を見て、
なんてカッコいいんだと涙しかなかった。
特に熱烈な猪木のシンパではないし、
プロレスファン、格闘技ファンでもない。
しかし、ご多分に漏れず、
子どもの頃・若い頃は夢中になってプロレスを観た。
そして、アントニオ猪木のカッコよさは
体の芯に染みついていた。
僕の中でのアントニオ猪木はそんなに強くはなかった。
最期に語ったように、むしろ無様にやられたり、
負けたりするシーンのほうが印象に残っている。
それはジャイアント馬場との対比で明らかだ。
馬場がやられるところ、
負けたところはほとんど記憶にない。
しかし、猪木はいつも敵の外人レスラーにやられて、
額から血を流していた。
馬場とタッグを組むと、危機一髪のところでタッチし、
馬場が大暴れして一人で敵のチームをコテンパンにした。
馬場は圧倒的に強く、威勢はいいけど猪木は弱かった。
アニメ「タイガーマスク」でも、
なんだか馬場が悠々とした親分で、
猪木は子分の鉄砲玉みたいな感じで描かれていた。
ところがある年のワールドリーグ戦。
最終戦で猪木は血まみれになりながら、
相手のクリス・マルコフを卍固めでギブアップさせた。
世界最強の必殺技・卍固め(オクトパスホールド)
初披露の日、猪木はワールドリーグ戦に優勝。
馬場が血で真っ赤に染まった白いハチマキの猪木を讃えた。
めちゃくちゃ感動し、
しばらくテレビの前で棒立ちになっていた。
新日時代になってからのアントニオ猪木も、
大巨人アンドレ・ザ・ジャイアントの
バックドロップで粉砕されたり、
超人ハルク・ホーガンのアックスボンバーを食らって
卒倒したりした。
長州力らの維新軍にコテンパンにやられ、
惨敗したこともある。
鮮烈に記憶に残る無残な負け方、無様なやられ方。
だけどめちゃくちゃカッコいい。
そして、どんなに無様な姿をさらしても、
敢然と立ちあがり、リベンジを果たした。
それがアントニオ猪木の「闘魂」だった。
だから猪木さんの言葉は響いた。
無様でもいいんだ。
負けてもいいんだ。
人生が続く限り、何度でも立ち上がれ。
リベンジしろ。
もちろん、彼のように誰でもリベンジできるわけではない。
無様さをサマにできるわけではない。
いや、むしろ、ほとんどの人ができない。
でも「それでもいいんだ」と
猪木さんなら笑って言う気がする。
「元気ですかー!」と言って、
ビンタを食らわせてくれそうな気がする。
もっと生きろ、夢を捨てるな、とも。
もう記憶のなかでしか、それはかなわない。
ありがとう猪木さん。
ご冥福をお祈りします。
ここ数日、テレビやネットで
エリザベス女王逝去に関するニュースが
目に触れると、つい見てしまう。
20代の一時期、2年半ほどイギリスで
暮らしていたというだけで、
特に王室にシンパシーを感じていたわけでもないが、
何か喪失感のようなものがある。
一つの時代の終焉。
世界が大きく変わる予感。
なんだかひどく胸が疼くのだ。
エリザベス女王の最期は、ある意味、
高齢者にとっての理想形でもあった。
ガンや認知症に侵されることもなく、
ほぼ健康なまま、最後まで現役を全うした。
ひどく苦しむこともなく、安らかに亡くなったのは、
母を見送る子どもたち(国民)にとって
幸いなことだ。
死は悲しい出来事だが、
それ以上に、女王の死には
人生を生き切った不思議な充実感が感じられる。
どのように死を迎えるかは自分で選べないが、
彼女のように国を背負って
70年も歩き続けてきた人間には、
その報酬として、最後にはるか高い山頂から
広大な世界を見わたすことができたのかもしれない。
国葬は19日に行われるという。
エンディングの仕事をやっていることもあって、
こちらにもたいへん興味がある。
天皇陛下と皇后陛下も参列されるようだ。
お二人の英国留学は、
かけがえのない青春の1ページだったはず。
ほぼ同世代ということもあり、
かの地、かの時代、王室、女王対する
両陛下のお気持ちがひしひしと伝わってくる。
どうぞ心おきなくお別れをしてほしいと思う。
今年のエンディング産業展は、時代の潮流に合わせて、
終活・相続というテーマがフィーチャーされていた。
終活という言葉の持つイメージ・意味合いが
どんどん膨らんでいる今、
葬儀・供養もその一環として捉えられるのかもしれない。
そんな中で目に留まったのが「nokosu」というブランドで、
自分史・遺言ムービーを製作する
ブルーオーシャンスターズという会社。
社名は華々しいが、代表の高塩博幸氏は、
とても親しみやすく、朴訥な印象の人である。
話を聴くと、彼はもと新幹線の運転士。
子どもの憧れの職業だが、
彼自身は映像の仕事をやりたかったのだという。
それで定年になる前に彼は会社を飛び出した。
きっかけは、先輩や義父の退職記念に
自分史映像を作ってあげて、とても喜ばれたこと。
そうだ!40年前と違って、
撮影機材も編集ソフトも、今なら用意するのは難しくない。
テレビ局や映像プロダクションに
就職しなくても自分でできる、
あの若い頃の夢が実現できる。
というわけで知り合いのディレクターについて
撮影・編集のノウハウを学び、
シナリオセンターに通って脚本の勉強もした。
人間、目標を持って突き進むと強い。
一昨年、会社を起業した高塩氏は、
北千住の東京芸術センターを拠点にして活動を始めた。
ただ、映像を作りますというだけじゃなく、
YouTuberも多い今、
自分のスマホで自分史動画を作って遺す
ノウハウを教えたり、
さまざまな映像コンテンツが必要とされる時代に合わせて、
柔軟な事業展開をしている。
面白い。
カッコいい。
彼自身が自分史というものを体現しているかのようだ。
今回はご家族も応援して出展することになった。
結構引き合いが多かったように見受けられるが、
良いクライアントにたくさん出逢えたのだろうか。
ブルーオーシャンスターズという社名には
「創意工夫を凝らして
競争のない世界で新しいものを創造する」
そして、
「高い位置で光り輝くお客さまへ、
新しいサービスを創造してお届けする」
という意味を込めているという。
ぜひ個人的に応援したいと思える会社である。
https://blueoceanstars.co.jp/
本日から3日間、9月2日(金)まで
東京ビッグサイト南館で開催されている
エンディング産業展2022の取材。
今年から「資産運用・家計対策フェア」が併催。
政府が投資に躍起になっていることからも
おわかりのように、
これから国民の――特に高齢者の
眠れる資産・埋蔵されているお金をどう掘り起こし、
どう活用するかが日本の大テーマの一つ。
産業界の主役、とまでは言わないが、
エンディング業に携わる人たちの仕事が
俄然、存在感を増し、
クローズアップされるようになることは確か。
終活とか、葬式とか、遺産とか、相続とか、
そんなもの自分には関係ないと思って生きてきた人たちも
ちょっとでもこのへんの動きに
注目しておいたほうがいいと思います。
以前、月刊仏事に告知記事を載せた、
泉ピン子の「すぐ死ぬんだから」というお芝居に
ご招待いただいたので観に行った。
劇場は東池袋の「あうるすぽっと」。
最後はいつだったか思い出せないほど、
観劇はかなり久しぶりだが、めっちゃ面白かった。
夫とともに町の商店を切り盛りしながら、
夫婦仲よく平凡に生きてきた
78歳の高齢女性を主人公としたストーリー。
テレビドラマの脚本家としておなじみ、
内館牧子が書いた小説を舞台用に構成した朗読劇で、
出演は泉ピン子と村田雄浩。
泉が、主人公のハナ役をメインに、
村田がその夫と息子をメインにしながら、
全登場人物、そして小説の地の文に当たる部分を
ト書きやナレーション風にして、すべて演じる。
その切り替えとバランスが抜群で、
縦横無尽に感情をさらけ出して暴れる泉ピン子を
村田雄浩が見事にフォローする。
だからとても安心して感情移入でき、笑って泣けるのだ。
泉ピン子が本に惚れて舞台化を企画したそうだが、
現代の高齢女性の心をドラマ化した
内館牧子の原作が素晴らしい。
タイトルの「すぐ死ぬんだから」は
劇中、随所にキーワードのように出てくる。
場面によって諦観の表現や、
笑いを誘うためのセリフとして
使われているところもあるが、
全体を通してみると、
人生の終章近くを生きる女性を叱咤し励ます
エールのような意味合いを帯びている。
そしてそれが最後には高齢女性に限らず、
すべての世代の男女に向けた
人生の応援歌として響いてくる。
観客も高齢者が大半かと思っていたら、
けっこう若い人も多く、バラエティに富んでいた。
休憩20分を入れて2時間余り。
終了後、作品の余韻を残したまま、
ピン子さんと村田さんがカーテンコールで
10分ほどのトークをしたが、それもまた楽しくて、
みんなとても良い気分で劇場を後にした。
まさしく名優にして名エンターテイナー。
東京での公演の後、年内は全国ツアーに出る。
機会があれば、ぜひ観ると面白いですよ。
第2世:長編小説特集「読むホリデー」
8月9日(火)16:00~12日(金)15:59
・オナラよ永遠に http://www.amazon.co.jp/dp/B085BZF8VZ
子どもたちの未来を開くのは愛と笑いとオナラの力!
・いたちのいのち http://www.amazon.co.jp/dp/B08P8WSRVB
少女とフェレットの楽しい暮らしと切ないお別れの物語
・ちち、ちぢむ
http://www.amazon.com/dp/B09WNC76JP
ちっちゃいおじさんになっちゃったお父さんを救え!
レビューお待ちしています。
あなたの感想をお聞かせください。
「安倍元総理、日本にはまだあなたの力が必要です。
あちらへ行かれても、今しばらく日本国民のために
お力をお貸しください!」
安倍元総理の巨大な遺影に向かって
岸田総理が力の限り叫ぶ。
秋に予定されている国葬の1シーンを
ちょっと先取りしてみた。
セリフは僕が勝手に書いている。
どうせやるなら、注目する国内外の人々の心に響く
国葬にしてほしい。
ちゃんとした脚本家や演出家は用意されるのだろうか?
今朝見たネットニュースで
安倍元総理の国葬 「反対」45%で「賛成」42%を上回る
とあった。
JNN(ジャパンニューズネットワーク)の
世論調査に基づく数字だ。
これは何とかしないといかんということで
お盆あけあたりから自民党が
国葬キャンペーンを始めるかもしれない。
これは冗談ではなく、ちゃんとやった方がいいと思う。
「私たちが国葬をやりますと言ったら、
国民はみんな大人しく黙ってついてくるよ」
という岸田総理以下、
自民党の政治家たちのおごった心の声は聞こえないか?
なんといってもハンパない国費を使うのだから、
国葬をやるのはこんな理由・メリットがあることを
説明すべきだし、国民側も求めるべきだ。
僕は国葬をやるのは悪くないと思っている。
会社のトップが亡くなった場合、
社員・関係者・取引先などを集めて
社葬を行うのはビジネス上、多くのメリットがある。
その場で新代表のお披露目ができる。
今どきはネットやメディアなどを使って
いくらでもお知らせはできるが、
やはり直接、生の顔・生の声に触れられるのは違う。
取引先もとりあえずは安心して関係を継続できるし、
対面で新トップ・幹部が情報交換し、
今後の計画を話し合うきっかけづくりもできる。
そんな将来的な無形の利益を考えると、
社葬にはコストを掛けるだけの価値はあるのだ。
国葬もそれと同じである。
国葬という大義名分があれば、
外交のまたとないチャンスになる。
外国の要人を大勢呼んで直接言葉を交わせるし、
その場で国際問題について話し合うことはないにしても、
各国との関係を調整し、今後の日本国のビジョンを示すには
絶好の機会になるのではないかと思う。
安倍元総理が「民主主義を体現」した人だとは思わないし、
いろいろ問題をうやむやにしたままだったことも
気持ち悪いが、
彼が人当たりがよく、社交性に富んでおり、
国内外のいろいろなところに顔が利くという、
政治家として最も必要な資質を持っていたことは確か。
そうしたところは評価して、
死後もまだ働いてもらえるのではないかと思っている。
だから岸田総理と自民党は
安倍元総理の能力と功績、
日本と国際社会においてこんな貢献をしたのだ~
ということをきちんと説明し、
国葬をやるメリットについて、
これは日本の未来へ向けた投資なんですと、
国民に堂々とプレゼンすればいいのだ。
安倍元総理にはまだ利用価値がある。
安倍元総理には死んだ後も働いてもらう。
あちらの国に行っても、
われら日本国の利益のために、国民にご奉仕いだだく。
ぶっちゃけそう言っていいのではないか。
べつに失礼ではない。
むしろ政治家であれば名誉なことではないか。
惨劇による死だったので、衝撃度が強く、
感情論が先に立つのもわかる。
しかし、家族でもなく友人でもない大多数の国民は、
感情や、人間的にどーのこーのなんて、
妙ちきりんなモラルでものを言っても仕方がない。
国葬をやる・やらないは、
感情論でなく、国としての勘定論で考えた方が良い。
もちろん、本当に良い投資になるのかどうかは
後になってみないとわからないけど。
★おりべまこと電子書籍 夏休み企画2022
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明日より第2世!
●第2世:長編小説特集「読むホリデー」
8月9日(火)16:00~12日(金)15:59
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今日は月刊仏事の取材で、
二子玉川 蔦屋家電に「読むジュエリー展」の
発表会・内覧会に行く。
近年、手元供養品として、ミニサイズの骨壺や
遺骨や遺灰の一部をリングやペンダントなどに仕込む
「遺骨ジュエリー」の需要が高まっている。
そうした遺骨ジュエリーの世界を
「メモリアルアートの大野屋」が絵本で表現した。
広報室のスタッフが
このジュエリーを購入した人たちのコメントを集め、
それをもとに企画を立案。
絵はプロのイラストレーター、
文は著名な作家(本名はシークレットだそうで、
ここでは専用のペンネームを使用)が作成。
発表会ではナレーターが、
この「かけら」という物語を朗読した。
蔦屋家電の2階の1コーナーを使った
小さなアート展だが、とても素晴らしい。
入場無料で、8月17日(水)までやっているので、
二子玉界隈に出向くことがあったら
ぜひ覗いてみるといいと思います。
何よりも遺骨ジュエリー・手元供養の世界、
その奥にある物語を、
寓話性に富んだ絵本というアナログな手段を使って
表現するセンスにたいへん感心した。
このアート展を通して、
遺骨ジュエリーのことが
より多くの人に広まってほしいと素直に思う。
特に若くして伴侶を失くしたり、
子どもを失くしたりした人のために。
特設サイト
https://story.souljewelry.jp/
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明日8月5日(金)16:00よりスタート!
●第1世:短編小説特集
8月5日(金)16:00~8日(月)15:59
・魚のいない水族館
http://www.amazon.co.jp/dp/B08473JL9F
・茶トラのネコマタと金の林檎り http://www.amazon.com/dp/B084HJW6PG
・ざしきわらしに勇気の歌を http://www.amazon.com/dp/B08K9BRPY6
先週取材した「しのぶば」の記事原稿を書いている。
オンラインの「偲ぶ会・お別れ会」を
プロデュースする事業で、
博報堂の社内ベンチャー企業として1年前にスタートした。
葬式を行うのは、原則、血のつながりのある
遺族しか許されないが、
「偲ぶ会」「お別れ会」は友人や仲間でもできる。
最近はコロナの影響もあり、
家族葬が主流となっているため、
いつの間にか彼(彼女)は死んでいた、
と後から家族に知らされることも少なくない。
遺族は見送り、弔う責任がある。
葬式で外部の者に気を遣うのは大変な負担だ。
しかたがなかったのだ。
おれはちょっと一時期だけ、
あいつと仲良くしていただけなのだから。
と、なんとなく納得する。
でも、おれとあいつの関係ってなんだったのか?
おれはあいつの人生の中でどんな意味を持っていたのか?
あいつはおれの中でどんな存在だったのか?
釈然としない思いを抱いたまま時は過ぎていき、
結局、大事だと思っていたことはうやむやになってしまう。
それが自分の人生にとって
小さくない損失であることにも気が付かない。
「しのぶば」は、そんな時にオンラインを利用して、
みんなを集めてお別れ会をやってみたら・・・
というニーズを狙って誕生したサービスだ。
じつはそれだけでなく、この事業には
社会的にもっと深い意味合いがあり、
日本人の供養の在り方を変えるほどの
ポテンシャルがあるのではと非常に興味を抱いている。
ただ、未だ記事にしてないし、長くなるので
今日はそこは伏せておく。
今年になってからぐんと実績が伸び、
アクセス数も上がっているという。
もし、上記のような思いを抱いている人がいて、
関心があればちょっと覗いてみるといいだろう。
料金もホテルなどで開く従来のお別れ会などと違って、
とてもリーズナブルなので、
気軽に企画し、相談もできると思う。
関連コンテンツの作成など、クリエイティブな部分は、
「さすが博報堂」と言えるクオリティである。
先月亡くなった母の49日法要の予定が月末にあったが、
実家にいる義弟が本日、コロナ陽性と判定。
妹も姪も濃厚接触者になってしまった。
妹が「どうしよう?」と相談してきたので、
即座に延期を決定。
いちおう宗教的には、
49日は49日前にやらなくてはならないという
きまりになっているようだが、
「べつに構わん。家族が不安な状況で無理やりやっても
おふくろは成仏しない。
どうせうちは信心深くないからOKだ」
と言い切り、3週間延ばした。
そもそも月末にやるのは早すぎるのだが、
それも「お盆は忙しいので」という
坊さんの都合で決めたこと。
現代社会では宗教のきまりごとよりも
世俗のスケジュールが優先される。
だからこっちから主張したっていいのだ。
正直、感染が広がっているのに
名古屋まで移動するのは大丈夫か?
でも遊びじゃないし、動かせないからしゃーないか・・
と思っていたところ。
もう緊急事態宣言やら行動制限は出なさそうだが、
この第七波がうねっている間は、
自分で自分の生活をコントロールして
コロナに対処したほうがよさそうだ。
感染拡大中は、
不要不急の用事・遊び・集まりなどはやめとく。
波が収まったタイミングで行けばいい。
長い人生、そんなに急いでどこへ行く?
でも今月いっぱいくらいでピークアウトすることを願う。
7月11日(月)15:59まで。
あと1日。
どうぞお見逃しなく。
エンディングライターとしての活動から綴った、老いと死をめぐる面白エッセイ集。
すべての人がいつかは関わらなくてはならない「死」の話。
それについて自分は本当はどう考えているのか、他の人はどう感じているのか――そんな対話をしてみたい人のネタに使っていただき、どうせいつかは向き合わなくてはならない死に心を慣らすのにお役に立てていただければ幸いです。
また、子どもや若者で、
じつはとっても死に興味があるという人。
あなたは別に異常でも何でもなく、
「死があるからこそ生が輝く」という人生の本質を知る人です。そんな人にとっても心の糧にしていただきたい本です。
自身のブログ「台本屋のネタ帳」2016~2019年から
39編を厳選・リライトして収録。
もくじ
・死ぬまでジタバタしようぜ:「老い」を楽しんだ蜷川幸雄さん
・エンディング時代の遺産相続を考える
・エンディングを意識して人生の台本を書く
・「老害人」の話と人生最後で最大の仕事
・高齢者ドライバーは、免許返すとおトクやでぇ~
・母の世界深化縮小
・犬から、ネコから、人間から、ロボットからの卒業
・近江路の庶民の仏像
・人形が幸せになれる国ニッポン
・茨城・葬式の撒き銭のルーツを探る
・映画やテレビドラマの世界では高齢の犯罪者が増えている?
・マタギの里の大往生
・ロボットみたいなプロより、ヘタで未熟な若僧のほうが好印象
・一生消費者で終わらないために
・ロボットが社会に出てくるからこそ、
人間の在り方について考えられる
・国境なき医師団に遺贈の問い合わせ急増
・北千住の葬儀相談サロンと帰りそびれたウルトラマン
・孤独な老人は本当に可哀そうな存在か?
・リメンバーミー:「わたしを忘れないで」のメッセージ
・西城秀樹さん葬儀:青春の同窓会
・孤独死の現場・ゴミ屋敷の実態をミニチュアで見せる
・高齢者を書くということについて
・百年ライフの条件と自分ストーリー
・「悠々自適の幸福な未来」が待ってるはずだった
・記憶を伝える「おもかげ復元師の震災絵日記」
・異業種からの葬儀供養業参入ストーリー
・高級住宅街のど真ん中の斎場
・義父の棺に競馬研究ノート
・長生きすれば運・不運、幸・不幸もチャラになる?
・義父の葬儀
・葬儀・供養に関する「昭和システム」の呪縛
・サンゲノヨル:仏教式罪の告白
・葬式・戒名・墓――どこまで省けるのか?
・現代の聖職者による、現代人必読の書
「時が止まった部屋」レビュー
・死ぬまでの自由研究の時間
・ガンで死ななきゃカネが入らん
・死後のサイバー空間の存在証明と
(お金にならない)財産の行方
・喪中はがきと終活年賀状
・「私のちいさなお葬式」: 終活と成功と幸福を考える映画 全39編収録
7月11日(月)15:59まで
6日間連続。
エンディングライターとしての活動から綴った、老いと死をめぐる面白エッセイ集。
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この間の母の葬式で司会者の人に
「お母様はどんなごはんを作ってくれましたか?」
と聞かれた。
司会ナレーションとしては、
「母が息子のために作った手料理」は
最も普遍的、かつ、感動に持っていきやすいネタだ。
だけど、故人が父親だったら、
事前アンケートで「(父の)趣味は料理」と書かない限り、
いきなりこんな聞き方はしない。
母=料理・家事 父=仕事
長年、日本社会に染みついたこういう図式は
まだまこれから先も数十年は有効だ。
お父さんが料理して、お母さんが稼いでくる家庭だって
たくさんあると思うが、
そういうご家庭のお葬式のときは、
「うちはちょっと違うパターンですよ」と
事前に葬儀屋さんにお断わりしておいた方が
いいかもしれない。
それはともかく、
うちは通常パターンに則った家庭だったので、
「母の料理で好きだったのはハンバーグです」
と素直に答えた。
「おふくろの味と言えば肉じゃが」というのは
遠い過去の話。
ほとんど昭和のおとぎ話である。
そもそも僕の母親は肉じゃがなんて好きじゃなかったので、
ろくに作ったことがなかった。
だから、僕にとっておふくろの味はハンバーグである。
そう言うと司会者の人は、
なにか「マザーズスペシャル」があったのかと、
しつこく聞いてきたが、特別仕様はなく、
ネタは普通の合いびき肉と炒めたタマネギ。
ソースも普通のウスターか中濃とケチャップを
まぜまぜしただけのもの。
そもそも母親は別段料理が得意なわけでもなく、
好きだったわけでもない。
ただ昔は、今と違ってあまり外食するところもなかったし、
スーパーでいろいろな惣菜が買えるわけでもないし、
レンチンもないので、しかたなく作っていただけである。
僕が小学校の低学年のころまでは大家族だったので、
毎日めしを作るのはかなり苦役だったらしく、
僕が台所を覗きに行くとイラついて、
「じゃまだからあっちへ行ってろ!」とよく怒られた。
と、さんざん悪口を書いてしまったが、
それでも母の作るハンバーグはめっちゃうまかった。
人生経験の浅い、舌の肥えてない子どもだったので、
のちのちまでその味が深層心理に
響いているだけだと思うが、
うまかったという思いは永遠に残る。
いつごろから作っていてくれていたかは思い出せない。
日本の家庭にハンバーグが普及し始めたのは
高度成長期の昭和30年代後半(1960~)らしいが、
たぶん家を新築して以降だと思うので、
小学校高学年(1970~)の時ではないだろうか。
それまで肉料理は苦手だったが、
このハンバーグには目がなく、
中高生の頃はおにぎりサイズのやつを
いっぺんに5,6個平気で食っていた。
母は「ようさん食うねぇ、あんたは」とあきれていたが、
嬉しそうに笑っていた。
とは言っても、おふくろの味に固執することなく、
東京に来て一人暮らしを始めてからは、
付き合う女の子といっしょに必ずハンバーグを作った。
逆に言えば、今のカミさんもそうだが、
いっしょにハンバーグを作った女性とは長続きした。
ついでにいうと「肉じゃが大好き」なんていう女は
一人もいなかった。
だから僕の人生において、肉じゃがは酒のつまみに食べる
居酒屋の食い物だった。
母の作るハンバーグを最後に食べたのはいつだったのか、
ぜんぜん思い出せない。
20代の後半、ロンドンから帰ってきた後、
3か月くらい一時的に実家にいたことがあったので、
多分その頃だと思うが、記憶には残っていない。
だから「もう一度、あのおふくろの味が食いたかった」
と感傷に浸ることもない。
母親は子どもに、どれだけ心に残るものを食わせたか、
を世間から問われるシーンが多いと思うが、
これからはあんまり気にしないほうがいい。
めしを作って食うことは人生の基本である。
子どもはある程度成長したら、
自分のめしは自分で作るべきだ。
そうでないといつまでも自立できない。
僕も実際はどうなるかわからないが、
できれば最後まで自分のめしは自分で作って
自分で食いたいと思っている。
エッセイ集:エンディング2
死ぬまでジタバタしようぜ
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最新エッセイ集:エンディング2
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天の川をわたって、ぜひご購読くださいませ。
もくじ
・死ぬまでジタバタしようぜ:「老い」を楽しんだ蜷川幸雄さん
・エンディング時代の遺産相続を考える
・エンディングを意識して人生の台本を書く
・「老害人」の話と人生最後で最大の仕事
・高齢者ドライバーは、免許返すとおトクやでぇ~
・母の世界深化縮小
・犬から、ネコから、人間から、ロボットからの卒業
・近江路の庶民の仏像
・人形が幸せになれる国ニッポン
・茨城・葬式の撒き銭のルーツを探る
・映画やテレビドラマの世界では高齢の犯罪者が増えている?
・マタギの里の大往生
・ロボットみたいなプロより、ヘタで未熟な若僧のほうが好印象
・一生消費者で終わらないために
・ロボットが社会に出てくるからこそ、人間の在り方について考えられる
・国境なき医師団に遺贈の問い合わせ急増
・北千住の葬儀相談サロンと帰りそびれたウルトラマン
・孤独な老人は本当に可哀そうな存在か?
・リメンバーミー:「わたしを忘れないで」のメッセージ
・西城秀樹さん葬儀:青春の同窓会
・孤独死の現場・ゴミ屋敷の実態をミニチュアで見せる
・高齢者を書くということについて
・百年ライフの条件と自分ストーリー
・「悠々自適の幸福な未来」が待ってるはずだった
・記憶を伝える「おもかげ復元師の震災絵日記」
・異業種からの葬儀供養業参入ストーリー
・高級住宅街のど真ん中の斎場
・義父の棺に競馬研究ノート
・長生きすれば運・不運、幸・不幸もチャラになる?
・義父の葬儀
・葬儀・供養に関する「昭和システム」の呪縛
・サンゲノヨル:仏教式罪の告白
・葬式・戒名・墓――どこまで省けるのか?
・現代の聖職者による、現代人必読の書「時が止まった部屋」レビュー
・死ぬまでの自由研究の時間
・ガンで死ななきゃカネが入らん
・死後のサイバー空間の存在証明と(お金にならない)財産の行方
・喪中はがきと終活年賀状
・「私のちいさなお葬式」: 終活と成功と幸福を考える映画
全39編収録
エンディングライターとして2016年から雑誌・ウェブサイト(葬儀・供養業界の専門誌)で記事を書いています。
その取材の過程で拾った諸々のエピソード、
記事上では公開しなかった情報・感想などを
中心に綴ってきた、
人生のエンディングにまつわるエッセイを
1冊にまとめました。
(2020年以降のものは続刊で刊行予定)
エンディングは
「何を大切にし、自分にとって幸福とは何で、
そのためにどう生きていくか」といった、
普遍的で本質的な問いが集約される分野です。
しかし、些事に追われる忙しない常識的な日常では、
なかなか話題にもできません。
出来れば遠ざけたいもの、
ずっと知らないフリをしていたい「死」。
しかし、すべての人がいつかは関わらなくてはならない「死」の話。
それについて自分は本当はどう考えているのか、
他の人はどう感じているのか――
そんな対話をしてみたい人のネタに使っていただき、
どうせいつかは向き合わなくてはならない死に
心を慣らすのにお役に立てていただければ幸いです。
また、子どもや若者で、
じつはとっても死に興味があるという人。
あなたは別に異常でも何でもなく、
「死があるからこそ生が輝く」という
人生の本質を知る人です。
そんな人にとっても心の糧にしていただきたい本です。
自身のブログ「台本屋のネタ帳」2016~2019年から39編を厳選・リライトして収録しています。
もくじ
・死ぬまでジタバタしようぜ:
「老い」を楽しんだ蜷川幸雄さん
・エンディング時代の遺産相続を考える
・マタギの里の大往生
・西城秀樹さん葬儀:青春の同窓会
・孤独死の現場・ゴミ屋敷の実態をミニチュアで見せる
・高齢者を書くということについて
・百年ライフの条件と自分ストーリー
・死後のサイバー空間の存在証明と(お金にならない)財産の行方
・喪中はがきと終活年賀状 ほか ¥300
昨日、書き忘れていたことがあります。
葬式の前にアンケートと司会の方からヒアリングを受けて、
母の人柄などいろいろ聴かれました。
その中で「好きだった食べ物」というのがあって
いくつか答えたら、
その中から鰻、プリン、キャラメルを
紙皿に入れて持ってきて最後に棺に入れてくれました。
こういう配慮は遺族としてとてもありがたく、
好印象に繋がったと思います。
僕は冠婚葬祭の、
歯の浮いたようなナレーションがどうも好きではないので、
(仕事で頼まれれば書くのですが)
今回は家族だけだし、ナレはいらないと思っていました。
しかし、身内ではない、まったく知らない他人に、
故人(家族)はこういう人だった、
という話を聞いてもらうのは結構いいものです。
どういえばいいのか、
ちょっと頭の整理ができるような気がします。
というわけで、きょうだい3人で30分ちょっとでしたが、
母はこうだった、ああだったという話をしたのは
とても楽しかった。
司会の人はそのへん上手で、
最後のお別れの前(棺に花などを入れる前)の
ちょっとの間に、さらっと2,3分話してくれました。
小学生の高学年だったか、中学生くらいの頃、
小津安二郎の映画の1シーンみたいな、
古い白黒写真を家の中で見つけました。
菜の花畑みたいなところに立っている、
20歳そこそこくらいの若い娘。
それが母の若い頃の写真だとはすぐに気づきませんでした。
かなりスマートで、今いる実物より
やたら美人に見えたことをよく憶えています。
自分が生まれる前の母の写真は、
その1枚と嫁入りの時の写真しか見たことないのですが、
その時は子どもだったので、
自分の母親にもこんな若い時代があったことが
不思議に思えました。
僕が知っている母のきょうだいは7人で、
そのうち6人は女、いちばん下だけ弟です。
双子の姉がいて、四番めのはずですが、
自分は六女だと言っていたので、
僕が会ったことのない(たぶん大人になる前に死んだ)
姉が二人いたのかもしれません。
昭和34(1959)年、
30歳で父と結婚(当時としては晩婚)しましたが、
父の両親・きょうだいとも一緒に住むことになりました。
以前の僕の実家は、父の弟や妹、
自営業だったので仕事関係の人など、
やたらいろんな人が出入りしていていました。
子どもの僕としては面白かったのですが、
その面倒を見なくてはならない母は、
相当ストレスを抱えていたようです。
祖母や父の弟・妹らとは相性が悪い一方で、
稼ぎが良い父にみんな頼り、
お金を無心してくるのでいつも怒って
イライラしていました。
それで僕たち子どもに八つ当たりすることも
しばしばありました。
かーちゃん、おっかねー。
おそらくすごいストレスだったのでしょう。
それでも凹まなかったのは、
夫である父の人柄のおかげでしょう。
べつに惚れた腫れたで夫婦になったわけではありませんが、
よく働いて稼ぎも良く、
優しくてユーモラスな父を愛していたのだと思います。
主婦として家事をやりながら、
今でいう経理部門を担当し、
二人三脚でがんばっていました。
「福嶋の家でまともなのは、お父さんだけ」
というのが口癖でした。
昭和46(1971)年のちょうど今頃、
家を新築したのを機に、義弟・義妹らはみんな離れ、
祖母もすぐに他界して僕たちだけになり、
いわゆる大家族から核家族になりました。
よく「昔は大家族で良かった、核家族になって
日本人はおかしくなった」
みたいなことを言う人、マスコミなどがありますが、
母の目線からするととんでもない話でしょう。
現在の日本の核家族社会は、
半世紀前の社会の中枢だった人たちが求めた
幸福の形なのだと思います。
代替わりして最近はその形もまた
変わり始めているのでしょう。
父はちょうど今の僕の齢の頃に仕事を辞め、
(体力頼みの仕事だったので限界を感じたらしい)
それから10年余りは夫婦で悠々自適に暮らし、
母は旅行・お花・踊りなどを存分に楽しんでいました。
その後、父が糖尿病を患ってからは5年余り、
看病・介護の生活になりました。
そして2008年末に父が他界してからは、
「自分がやる仕事は終わった」と考えるようになったのか、
余り活動的ではなくなりました。
からだはまだ丈夫でしたが出歩かなくなり、
日がな一日、家で過ごすようになりました。
父と一緒に建てた夫婦のお城みたいな家で、
父との思い出に包まれて暮らすのが
一番安心で幸福だったのでしょう。
一緒に暮らしていた妹は、そんな母を施設に移すのは
さぞや罪悪感に苛まれたと思いますが、
現実的問題・介護の際の物理的問題を考え合わせると、
しかたありませんでした。
僕が帰省するたびにいつも
「そろそろお父さん、迎えに来るかな」と言っていたので、
亡くなった時は、よかった、やっと来てくれたね、
という気持ちでした。
棺には父と旅行に行ったときの写真と、
最期まで愛用していた
兎の柄の巾着袋(小物入れ)を入れました。
かれこれ10年以上前に、
うちのカミさんが母の日にプレゼントしたものです。
皆さんの参考になれば、
また、自分のメモの意味もあって、
三日間、あれこれ母の死に際して思ったことを書きました。
考えてみると、母が亡くなったことで、
子供時代から自分のことを知っている年長者は
一人もいなくなりました。
やはりこれから時々、
寂しさに襲われたりするのだろうなという気がします。
6月24日にお通夜、25日にお葬式をしました。
僕は長男なので喪主をしました。
14年前の父の時に続いて2回目ですが、
父の時は、僕が名古屋に到着した時は
母や妹がすでに段取りを決めていたので、
そこに乗ってやっていただけでした。
それと比べて今回はいろいろ意見を出しました。
ちょうど仕事がひと段落し、
入っていた予定がキャンセルされていたので、
巡り合わせがいいというか、
そんなところまで息子に配慮して
出立してくれたのかなぁと思います。
さらにタイミングについて言うと、
コロナが落ち着いてからだったので、
みんな気兼ねなく集まれたことも幸いでした。
たとえば去年の今ごろだったら、
とてもこうはいかなかったと思います。
名古屋には「ティア(TEAR)」という
割と新参者の葬儀社があり、その本社と葬儀場が、
実家から歩いて10~15分程度の場所にあります。
ここは業界で先駆けて明朗会計を打ち出し、
業績を伸ばしてきた会社で、
名古屋をはじめ、愛知県内では40以上の会館を運営。
近年は東京など、他の地域にも進出しています。
父の時は病院で亡くなったので、
そこに常駐している(?)葬儀社に頼んでしまいましたが、
今回はここでやろうと、予め妹と話して決めていました。
(特に事前相談などはしていませんでしたが)
家族葬で参列は10人。
うちが3人、上の妹の家3人、下の妹の家4人。
母のきょうだいはすでにほとんど亡くなっており、
末の弟さんが一人だけ残っていますが、
ご高齢のこともあって呼びませんでした。
また、特に親しくしていた友人や
近所の人もいなかったので呼びませんでした。
母はすでに社会的な存在力はないし、
僕も妹夫婦も自営業ということもあり、
いわゆる世間体や面倒な利害関係などは
全然考える必要はありませんでした。
うちのカミさんは義母の世話があるので、
名古屋まで来るのは無理だろうと当初、思っていました。
義母は認知症なので、
たとえ1日でも一人でほっとくわけにはいきません。
日程を伝えてすぐにケアマネさんに頼んで、
どこか泊まれるところはないか探してもらいましたが、
認知症患者を受け入れてくれるところは
急には見つかりません。
そこで普段通っているデイサービスに無理やり頼み込んで、
朝1時間早く、
夕方1時間遅く預かってもらうことにしました。
それでぎりぎり葬式の時間に間に合うことができました。
終了後はそのままタクシーと新幹線で
とんぼ返りになりましたが、
それでも本人は最後のお別れが出来てよかった、
と言っています。
近年、特にコロナ禍になってから東京などでは、
火葬場でお別れするケースも増えています。
3年前の義父の時もそうでした。
ただ義父は「お寺はいらない。葬式も特にしなくていい」
と明瞭に書き残していたので、
送る遺族もそれに従うことに心は痛みませんでした。
母は何も希望を遺してなかったので、
やはり遺族しては心情的に、
普通に葬式をやるべきだろうと思いました。
最近はお葬式不要論も唱えられており、
僕も自分自身の時はいらないと思っていますが、
やはり親の世代は別です。
いずれにしても何らかの形で
お別れの場は作った方がいいと思います。
もちろん、かなり非日常的な値段のお金がかかるし、
経済的にどうしても無理という人もいるでしょう。
また、悪感情しか持ってないが、
自分の肉親なので義務で葬らなくてはならない人、
身元引受人としてしなくてならない
という人もいるでしょう。
そうした人はのぞいて、
故人に少しでも愛情を抱いている人、
お世話になったと思える人は
お葬式、またはそれに準じるお別れは
きちんとした方がいいと思います。
やはり亡くなってすぐ、そうした場を設けないと
自分が後から寂しくなるし、
心に何らかの罪悪感が残ると思うのです。
葬式については予算オーバーでしたが、
大変満足出来ました。
費用のことについてはまた後日書きますが、
低価格を打ち出している葬儀社の
「○○円~」という表示には注意が必要です。
この提示された金額はベーシックプランの額なので、
そこに何が含まれているのかが問題です。
あれもオプション、これもオプションとなると、
安いと思っていた価格が2倍、3倍、4倍と
際限なく膨れ上がります。
うちの場合は全員身内だし、引き出物なども省いて
できるだけ簡素にしましたが、
それでも当初の予算の1・5倍くらいにはなりました。
両親のささやかな遺産があったので、
施設の入居費も含め、すべてそれで賄えたので
そこまでケチる必要はありません。
費用のことはひとます置いといて、
ひとことで言ってしまうと、
お葬式は、現場を仕切る担当者(葬祭ディレクター)が
どういう人かで決まります。
母のお葬式を担当してくれた方は
たいへんいい人でした。
説明も丁寧で、ビジネスっぽさを感じさせません。
過剰に感情を入れることもありませんでした。
(母が幸福な亡くなり方をしたので、
僕らが冷静だったこともあるかもしれません)
いずれにしてもいい人かどうか、
いい人と感じられるかどうかがすべてです。
技術や知識はあるに越したことはありませんが、
それよりも人柄の比重が大きいでしょう。
正直、相性もあるので、運・不運もあります。
なんとなく合わない人に当たったら、
うまく合わせるようにするしかありません。
そんなわけで身内だけで仏式の通夜と葬式をやり、
火葬場へ行って収骨をして戻ってきてから
初七日法要をやって、精進落としの料理を食べて
散会しました。
担当してくれた人には
「あなたがやってくれてよかった。ありがとう」と
素直にお礼を言いました。
プロなんだから当たり前だと思われるかもしれませんが、
あんまりプロっぽいと却って嫌な感じがするのが、
葬儀屋さんの難しいところ。
だから人として率直に感謝を伝えました。
葬式は本当に遺族の心の問題なので、
何が正解で、何が不正解かはありません。
お金をかければいいわけでも、
何が何でも安く済ませばいいというわけでもありません。
また、最近は時代が変わって
いろいろ新しいやり方も提案されていますが、
葬式はその地域ごとに、長年続いてきた
風習・文化に基づくものなので、
この10年やそこらの東京のトレンドで
変わったこと・新しいスタイルでやるのは、
結構難しいのではないかと感じます。
本当は普段からいろんなところに相談しに回って
「葬儀屋の文脈」みたいなものに親しんでおいたほうが
いいんだろうと思いますが、
なかなかそうはいかないのが現実ですね。
いずれにしても母の旅立ちは
無事、安心して見送れてよかったと思っています。
6月23日に母が亡くなりました。
たくさんのお悔やみの言葉をいただき、
ありがとうございます。
今後、皆さんも高齢の親御さんなど、
親族の最期に立ち会う機会があるかと思います。
エンディングライターの仕事もやっているので、
3回ほどにわたって母の死の過程や、
自分が喪主を務めた葬式のことなどについて書きます。
もちろん、まったく同じケースなど
あるはずはありませんが、
何かの参考になれば幸いです。
母の死因は老衰。
93歳と5ヵ月でした。
名古屋の実家で妹の家族と一緒に暮らしていました。
6年ほど前からだいぶ老いてきたなと思っていましたが、
90歳を迎えた頃から衰えが顕著になり、
自宅で面倒を見るのが困難になってきました。
結局、2020年の2月に肺の機能が
一時的に落ちて入院したのをきっかけに、
同年3月末から特養老人ホームに入居して、
そこで2年3ヵ月暮らしていました。
僕はコロナでなかなか面会に行けず、
電話で話すばかりでしたが、
いつも「元気だよ、大丈夫だよ」と言っていました。
施設へは昨年10月にやっと行けたのですが、
一目会って見て
「ああ、この人はもうそんなに長くこの世にいない」
とわかりました。
ちょっと大げさに表現すると、
この世の煩悩が抜けた、半分観音様にみたいに見えました。
その後、何回か面会に行きましたが、
6月9日に息子(彼女の孫)といっしょに、
カミさんの手紙とプレゼントの花を持って行ったのが
最後になりました。
死の前日の午後、実家の妹から
「血圧が下がっている」と連絡がありました。
夕方、直接施設に電話したところ、
どうなるかわからないという話だったので、
とりあえず仕事を済ませ、
翌日朝から向かったのですが、
途中で妹から「亡くなった」とメールが来ました。
後から聞いたところ、前日から眠ったままの状態になり、
朝、職員が見た時は呼吸が極端に弱くなっており、
9時過ぎぐらいには止まってしまったようです。
その後、医師が来て10時過ぎくらいに
死亡を確認したとのことでした。
冬場に肺の機能が落ちること以外、
特に目立った内蔵疾患などはなく、
自然に衰弱していったことなのだろうと思います。
認知症というよりボケが入っていて、
今年になってから時おり意識が飛ぶことがあったようで、
一度、施設の職員から
「病院に行ってCTなどで検査してもらいますか?」
と聞かれたことがありましたが、
苦痛・ストレスを与えるだけだと思い、
妹も僕も断固断りました。
延命措置も最初から断っていました。
ちなみに高齢社会を反映して
「死因:老衰」は最近増えているようで、
90歳を超えた人で特定の病気がわからない人には
老衰という診断を下すようです。
ネットである医師の記事を見ると、
老衰の定義というのはかなりあいまいで、
言ってみれば「非科学的な死因」らしいです。
それもあって高度成長期以降、
いわゆる「病院死」が多かった時代は、
ずっと老衰という死因は減り続けていたようです。
それがこの10年ほどでまた増えて来たようです。
ただ、遺族の中には「老衰」という診断を下すと
怒り出す人もいるようです。
なぜかは僕にはわかりませんが、
ちゃんとした科学的な死因(病名)がつかないと困る人
(お金がらみ?)もいるのでしょうか。
今年になってからすごく食が細くなってきて、
最期の数日はぜんぜん食べなかったようです。
母は僕の知らない若い頃は別にして、
ずっと太めのおばさんだったのですが、
亡くなった時はほぼ半分以下にスリムに、
小さくなっていて、顔も細長くなっており、
まるで別人のようでした。
と書くと、とても痛々しい印象を受けるかと思いますが、
人間、自然に死ぬときは
こういうものではないかと思います。
人生おしまいにするのだから、
もうエネルギーを補給する必要もない。
だから食べずに、小さく小さく縮んでいく。
比喩でなく、本当に肉体的にも子どもに還っていくのです。
ボケていましたが、電話の時も面会の時も
「おまえの声はすぐわかる」と言って、
僕の声や顔はクリアに認知していたようです。
そして、息子に対しては最後の最期まで
「元気だよ。大丈夫だよ」としか言いませんでした。
亡くなった今も僕はそのセリフを鵜呑みにしています。
本人ではないのでもちろん本当にところはわかりませんが、
特に苦しい思いをすることなく、
自然に安らかに旅立ちました。
おかしな言い方に聴こえると思いますが、
そんな亡くなり方をしてくれて嬉しい。
正直、自分の中では悲しさよりも
嬉しい、良かったという思いが勝っていました。
ありがとう。
あちらで先だって亡くなった父(夫)と逢うこと、
そして幸福であることを祈っています。
エンディングライターとして雑誌・ウェブサイト
(葬儀・供養業界の専門誌)で2016年から記事を書いている。その取材の過程で拾った諸々のエピソード、
記事の中には出さなかった情報・感想などを
中心に綴ってきた、
人生のエンディングにまつわるエッセイを1冊にまとめた。(2020年以降のものは続刊に収録予定)
出来れば遠ざけたいもの、
ずっと知らないフリをしていたい「死」は、
すべての人がいつかは関わらなくてはならない事象。
どうせいつかは向き合わなくてはならないものなら、
少しずつでいいから心を慣らしておいた方がいいのでは――
ということでお役に立てるなら何よりです。
また、子どもや若者で、
じつはとっても死に興味があるという人。
あなたは別に異常でも何でもなく、
「死があるからこそ生が輝く」という
人生の本質を知る人です。
そんな人にとってもお役に立てる本・
心の糧にしていただきたい本です。
もくじ
・死ぬまでジタバタしようぜ:「老い」を楽しんだ蜷川幸雄さん
・エンディング時代の遺産相続を考える
・エンディングを意識して人生の台本を書く
・「老害人」の話と人生最後で最大の仕事
・高齢者ドライバーは、免許返すとおトクやでぇ~
・人形が幸せになれる国ニッポン
・茨城・葬式の撒き銭のルーツを探る
・映画やテレビドラマの世界では高齢犯罪者が増えている?
・マタギの里の大往生
ほか全39編
エンディングライターとしての仕事で、
昨日・今日とパシフィコ横浜で開かれた
「フューネラル・ビジネスフェア」を取材した。
葬儀・供養・終活。
エンディングに関わるビジネスの領域は年々広がっている。
統計によれば現在、年間140万人が死亡する。
ピークは2040年で、死亡者は167万人に上る予測。
あと18年だが、自分もこのあたりか?
少子高齢化社会の先には
「死亡者激増・労働人口激減社会」が待っている。
2065年には、日本の労働人口は現在の6割程度になるという。
こうした社会の到来に備えて政府では、
いろいろなデジタルデータを集めて、
人生を一気通貫する、
いわゆる「ゆりかごから墓場まで」の
支援プランを構築中とのこと。
よく言えば手厚いサポート。
悪く言えば強固な管理体制。
あまり愉快な話題ではないが、
これもまた「持続可能な社会」の
必然的要素なのだろう。
僕たちは短期的には個を主張するが、
長い目で見れば、やはり広大な社会の、
長大な人類史の一細胞として生きている。
エッセイ集:エンディング①
世界のENding Watch
http://www.amazon.com/dp/B09HQT42JR
世界の伝統的な葬儀・供養の風習、
現代の終活・エンディング事情を知る
エッセイ集。
「お、おれがいちばん年上じゃん!」
END展、先日行ったのは関係者向けの内覧会だったので、
昨日、一般公開の様子を探りに行ってみた(本日で終了)。
油断してたら事前予約の枠がいっぱいになってしまってて、
「当日券あるかも」とサイトに書いてあったのを信じて
ヒヤヒヤしながら行ったら、入れてもらえてホッ。
僕と同様、「事前予約が取れなかったので」という人も
けっこう大勢、受付に集まっていた。
主催者は「50代~60代はがメインの対象」と言っていたが、
入ってみたら、僕より若い人ばっか。
見た目、20代の人が一番多かったような気がする。
若くてカッコいい女の子ばっか見てたからだろ、
と突っ込まれたら「はい、そうです」
と言わざるを得ないが。
たまたまだったのかもしれないけれども、
マジで多かったのは20代・30代。
10代のおぼしき子も少なからずいたと思う。
僕はほとんど最年長の部類だった。
しかし、よく考えれば当然かもしれない。
おそらくリアルにENDに近い高齢者とか、
その一歩手前の人たちの多くは、
死がどうのこうのなんて
考えたくないし、向き合いたくない。
若ければ、それはまだ遠い先にある、
一種のファンタジーとして受け止められる。
実は「死」というコンテンツは、
年寄りのものでなく、若者のものではないか。
生とは?愛とは?自由とは?人間とは・・・
子どもからおとなになる頃、そういったことを考えながら、
いろいろな芸術・文化に触れて
自分ならではの世界観を作っていくのは、ごく自然なこと。
むしろ最近のように、社会に要請に応じて、
若い頃から仕事一辺倒、金儲けオンリー、
生産活動ばっかりみたいな人生のほうがおかしいと思う。
10代や20代が死について、
そしてそれと同時に「どう生きるかということ」に
考えをめぐらすのは全然おかしくない。
オーバー還暦もまた、
そうした10代・20代の心情に還っていくといいと思う。
展示の最後に
「死ぬまでにやりたいことは?」
「印象的な死のエピソードは?」
という問いがあって、ボードに自分の回答を書いた紙を
貼り付けられるコーナーがあるのだが、
あふれんばかりの回答でボードが真っ白になっていた。
それぞれ10個ずつくらい読んでみたが、
ジョークっぽいのからシリアスなのまで
いろいろあって面白かった。
とても全部読み切れなかったので、
ぜひ主催者さんにサイトに上げてほしい。
電子書籍
「てるてる男とふれふれ女」
梅雨入り記念無料キャンペーン
6月12日(日)16:59まで実施中
晴れ男と雨女が恋をした。
恋と結婚と幸福と人生の行く末を描く、
おかしくてセンチメンタルな短編小説。
スマホ頭の骸骨に「かごめかごめ」をされている、
花束を持った子ども。
その子を鳥や動物たちが見つめている。
漫画家・五十嵐大介が描いた
奇怪でありながらユーモラスなイラストの表紙は、
現在の僕たちの姿であるように思える。
「死から問うテクノロジーと社会」という
ものものしいサブタイトルがついているが、
中身はとてもポップでバラエティ豊かな内容で、
けっして難解な研究書の類ではない。
今月8日まで二子玉川で開かれているEND展は、
昨年11月に六本木のアートスペースで行われた、
このサブタイトルと同名の展覧会をベースに、
少しアレンジを加えたものだ。
キュレーターの塚田有那さんの話によると、
私たちが今見ている世界・社会とはどういうものなのか、
誰にもいつか必ず訪れる「死」から
問いかけていくことはできないか?
という発想から展示のアイデアが生まれたという。
END展とこの本の内容は密接にリンクしており、
フクロウみたいな不思議な鳥のポスターも、
この本の冒頭に入っている五十嵐大介・作の
「遠野物語より」を転用している。
「遠野物語」は民俗学者・柳田国男の作品で、
民俗学、さらに広く言えば文化人類学を
日本に根付かせた名著だが、
これを現代風の漫画にアレンジして
トップにに持ってきたことが
この本の性格(=END展の性格)を表している。
塚田さんは責任編集者でもあり、
まえがきの最後にこう書いている。
本書では、民俗学や人類学、
情報社会学や人工知能研究まで、
さまざまな識者の方々に寄稿や対談、
インタビューにご協力いただき、死をテーマに
それぞれの視点から論じていただいた。
テクノロジーがいやでも絡み合う現代において、
いま一度、生と死という永遠の連鎖に思考を委ねるとき、
これからの社会を見据える
新たな視座が見つかれば幸いである。
冒頭だけでなく、章の合間合間に
短編マンガが入っていることも特徴で、
これもEND展で活かされている。
その一つ、「うめ」というユニットによる
「ようこそ!わたしの葬儀へ!」は、
8頁ほどの話だが、某世界的IT企業のCEO
(GAFAのカリスマ経営者みたいなイメージ)の
葬儀を描いたものだが、
現代的・近未来的な死と葬儀の
エッセンスを詰め込んだ傑作で、
「死後、個人データを合成してバーチャル上に
復活できるとしたらしたいですか?」とか、
「もし死者とVR上で会えるとしたら会いたいですか?」
とか、
「過去の偉人の知性や人格をAIで復活させて
国を統治できるとしたら賛成ですか?」とか、
けっこうラディカルな質問に対する
回答データも盛り込まれている。
(この本の制作集団 HITE-Mediaの
独自に行ったアンケート調査にもとづくもの)
このまま何となく齢を取って、
漫然とくたばるのは嫌だと思っている人、
また、未来はどうなるのだろう、
子どもたちはどんな社会を生きるのだろうと
考えている人は、
「END展」を観たり、
「RE-END」を読むことは
自分の思考や行動を変える
大きなきっかけになるかもしれない。
電子書籍「世界のEnding Watch」
人間はいつの時代も死がもたらす恐怖や悲しみ・寂しさを様々なやり方で克服しようとしてきた。
世界中にある葬儀供養の文化・風習はその集積だ。しかし近年、先進国ではそれが急激に変化している。世界の死の昔と今を俯瞰しながら楽しむエッセイ集。
話題にするには気が重い。
出来れば避けて通りたい。
先送りしてしまいたい。
けれども誰ひとり逃れることのできない「死」。
そのドーンと暗いテーマと、
芸術的・学術的かつポップなノリで
向き合ってみようという「END展」。
今日は会場である二子玉川ライズのスタジオまで
メディア向けの内覧会に行ってきた。
率直な感想は、めっちゃ面白い!
エンタメでありながらアート。
気軽でありながら、深淵。
老若男女問わず、すべての世代が親しめる
偉大な日本のマンガ文化を活かし、
見る者の思考とイメージを刺激する、斬新な企画だ。
会場は「魂のゆくえ」「終わりの選び方」
「死者とわたし」「老いること生きること」
といったパートにわかれ、
それぞれ天才バカボン、怪獣の子供、コジコジ、
ゴールデンカムイ、トーマの心臓、リバーズエッジ、
AKIRA、寄生獣など、
名作マンガの名場面・名ゼリフなどが各テーマを表現する。
その他、
「あなたはもう一度、自分に生まれ変わりたいですか?」
「あなたはご遺体を食べられますか?」など、
刺激的な問いかけに思わず引き込まれてしまう。
ただ見て回るだけでなく、積極的に自分で入り込み、
人生を考える、参加・体験型の展示会である。
事前予約制なのでどういった人たちが
来場予定なのか聞いてみたら、
シニア層だけでなく、まだ死から遠いはずの
10代・20代も多いという。
日本人の死・老後に対する概念、
人生全体のイメージが大きく変わろうとしている。
予約は必要だが無料。
自分の人生を見つめ直したいという人にも、
単位に野次馬精神旺盛な人にも超おすすめ。
6月8日(水)まで開催中。
コロナ禍の今では考えられないほど、
華やかで感動的だった西城秀樹さんの葬儀から4年が経つ。
僕は特別な思いなどなく、
たまたま仕事で青山葬儀所へ出向いたのだが、
全国から集まった1万人を超える
ファンの思念みたいなものが
広い葬儀場に渦巻いていて、本当に圧倒された。
葬儀も最初から最後まで素晴らしいものだった。
ご家族の協力と関係者の努力の賜物だろう。
最近、好きだったミュージシャンの訃報を知り、
数日、気分がすぐれなかった。
もちろん友人・知人でもなく、
ただ昔、よくレコードを聴いていただけなのだが、
けっこうな喪失感に襲われた。
あの時、わざわざ地方から電車に乗って、
自分のダンナまで付き合わせて
集まって来た人たちの気持ちがよくわかる。
ちょっと前に「ヴィーズ・プリズマ」という
メタバースのお墓の開発を行っている会社を取材したが、
数年前からインターネット上では
亡くなったスター、アイドル、ミュージシャンなどを偲ぶ
コミュニュティをよく見かけるようになった。
西城さんについてのコミュニュティも複数あるようで、
生前の映像を見たり、音源を聴いたりして
ファンになったいう人も珍しくない。
メタバースに何らかの墓碑があって
想いを共有する人たちが
いつでもそこにアクセスできるのであれば、
亡きスターは永遠に生きることになるのだろう。
もうそういう時代になっている。
大資本である東急もエンディング領域で
事業を行うようになった。
その事業を担う東急ラヴィエールが
グループ内で進めている活動のいくつかを記事にしたが、
4月から新しく外に向けても発信を始めると言っていた。
5月27日(金)から6月8日(水)、
二子玉川で開くEND展は、
おそらくその第1弾。
渋谷など、東急線の駅内で
ポスターを見かけた人もいるかもしれない。
東急ラヴィエールからは内覧会の招待状をいただいたので、
また取材するが、マンガという表現を活かした
なかなか面白そうな企画です。
入場には予約が必要だが無料なので、
ご興味のある方は二子玉散歩ついでに覗いてみては?
以下、リリース要約。
人生100年時代。
世界に類を見ない超高齢社会を迎えている日本では、
多様な生き方を選ぶ人が増える中で、
「老後の生活」のイメージは徐々に刷新され、
洗練の兆しを見せている。
この展覧会は超高齢社会において、
東急ラヴィエールと、アート&サイエンスを軸に
分野横断的なプロジェクトを遂行する
Whole Universが連携し、
普段あまり考えることのない
死について思いを巡らせる機会を創出することを
目的にしている。
展覧会場では、死や人生に関するさまざまな問いを軸に、
テーマと関連する「名作マンガの1シーン」を
セットで紹介するほか、
自分の大切な人へ「最後に伝えたい言葉」を
参加者から事前に募集し、
展示する作品《Type Trance/Last Words(10分遺言)》、
テクノロジーが進展する時代の新たな死のありようを描いた
短編マンガ作品などを展示する。
葬儀供養メディアの仕事をしているので、
毎月、いくつもそっち方面の取材をしている。
今日は葬儀社のDXに取り組む会社と
遺骨ジュエリーを作っている会社。
葬儀社のDXに取り組む会社は、
行政と協定を結んで手続のデジタル化推進に関わっている。
具体的には配偶者や親が亡くなったときの
煩雑な手続きをインターネット経由で簡素化するのだ。
これはつい先日、全国紙のコラムに取り上げられ、
大きな反響を呼んでいるようだ。
言い方は悪いけど腐っても鯛。
大新聞やテレビの力はまだまだ絶大なので、
この行政手続きのデジタル化には、社会的関心も集まり、
医療機関なども巻き込んでこれから加速度的に進むと思う。
遺骨ジュエリーは、お墓や仏壇と別の形の供養として、
ここ10年くらいで徐々に浸透してきた。
最近はお墓を作らない人も多く、
散骨が増えている。
ただ、海洋葬にしても樹木葬にしても、
その時はそれでよくても、
あとからお参りする「もの」がないので、
心を寄せる場所が何もないという現実にぶつかってしまう。
その時にほんの少しご遺骨を残しておいて、
小さな箱に入れておいたり、
こうしたジュエリーにして
身に着けて偲ぶという方法がある。
遺骨の一部を樹脂で固めて
ジュエリーの一部に組み込むタイプ、
また、遺骨そのものを加工して
ダイヤモンドにするタイプがある。
特に子どもをなくした親御さんとか、
若くして配偶者を失くした人にとって
「いつもいっしょにいたい」という思いを叶えるもの、
今後を生きていくための心の支えとして役立つと思う。
葬儀供養に興味のある方へ:
おりべまこと
エッセイ集:エンディング
電子書籍 Amazon Kindleより発売中
「人は何度でも生まれ変われる」
「生まれ変わったつもりでがんばる」
「一度死んで生まれ変われ」
映画、ドラマ、文学など、フィクションの分野でも、
ビジネスなどリアルな分野でも、よく耳にするセリフだ。
美しい。
カッコいい。
ドラマティックだ。
でも、言葉だけなら誰でも、いくらでも言える。
実際に一度死んで生まれ変われる人なんていない。
そんなことできるはずがない。
これまではそうだった。
ところがそれが実現できるようになった。
横浜の地下鉄・三ッ沢下町駅のすぐそばにある
「逃げBar WhiteOut」がその実現の場だ。
何から何まで真白な空間。
小さなスペースだが、何だか無限に広がるような
不思議な感触のある空間だ。
ここのオーナーであり、体験作家の雨宮優氏は
今年2月からこの「逃げBar WhiteOut」で
「白葬(はくそう)」をプロデュースしている。
真白な空間で自分自身の葬儀を挙げることができる。
本気で「生まれ変わりたい」という人のための
舞台装置を整えたのだ。
演劇をやっていた僕の目から見ると、
とても演劇的な空間だ。
そうなのだ。
演劇の中であれば、人は何度も死ねるし、
何度でも生まれ変われる。
現代ではべつに演劇などやっていなくても、
一般の人が現実の常識から離れて、
仮想現実、バーチャル空間に
容易にアクセスできるよう、脳を進化させている。
特に若い世代は、その進化が著しい。
むかしの自分は死んだ。
ここで白葬を開いて新しい自分に生まれ変わる。
葬式は一生に一度きりでなくてもよい。
何度やってもよい時代になったのだ。
発案者の雨宮氏は白葬のリリースのなかで語っている。
“人生は1度きり。そうなのだと思う。
けれど、例えば1度きりの人生を
1つの小説だとしたときに、
それは複数の章によって構成されている。
そして章が変われば場面や時代、
キャラの設定だって変わっていることもある。
1つの人 生に対して1人の自分でいる縛りはないはずだ。”
ひとことで言えば生前葬だが、
従来のものとは全く違うことは一目瞭然。
こんなものを世に出した
雨宮氏の発想・オリジナリティには静かな感動を覚える。
彼自身は大変もの静かな青年だが、
「白葬」のほかにも、「Ozone合同会社」として
斬新でエキサイティングな活動をいろいろ行っている。
月刊仏事の取材で訪れ、これから記事を書くが、
葬儀やエンディングの概念を変えてしまうような
彼の活動には、個人的に大いに注目している。
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●「人間を大事にしています」ってどういうこと?
●慢性硬膜下血腫で頭の手術の顛末記
●百年ライフの条件と自分ストーリー
ほか全38編のエッセイ集
今日は上野・寛永寺から関東各地の高齢者施設に映像を
オンライン配信するという参拝・お花見イベントを取材。
たんなる映像配信だけでなく、
視聴する高齢者が楽しめ、参加感があり、
ちゃんとしたエンタメカルチャーとして作られている。
しかも配信してそれだけではなくて、思い出に残るよう、
いろいろな工夫がされた参加者専用の
「プレミアム番組」になっていて、たいへん感心した。
企画・演出・施行は凸版印刷。
最近、テレビCMを流しているが、
印刷技術を応用・発展させて、
20年以上前から文化施設の展示・映像制作に携わっている。
実は僕もむかし、とある大学の展示室のコンテンツ制作を
凸版の仕事としてやったことがある。
当時は「なんで印刷屋さんが?」と思ったが、
きちんと時代に対応していたということだね。
近年はほぼ完全にデジタルにシフトしているが、
とても丁寧な仕事をしており、
文化財のデジタル映像制作では
すでに多くの実績を積み上げている。
今回のような高齢者施設への配信イベントは
今年のお正月の増上寺に続いて2回目。
外出できないお年寄りにとって、
ケアする施設にとって、
そして案内するお寺にとっても良い企画だと思う。
少し先の話だが、月刊仏事で
ペット葬特集をやるというので、
東京ビッグサイトで開かれている
「インターペット~人とペットの豊かな暮らしフェア~」
を見に行った。
以前もご紹介した「真珠葬」が出展している。
亡くなったペットの遺骨を、
長崎の海のアコヤ貝に入れて
1年かけて真珠に変えて記念品にするという
ユニークなプロジェクト。
ペットの飼い主さんは当然、
「うちの子」の看取りまでする義務がある。
飼う以上はこうした葬儀・供養のことも
ちゃんと考えておいたほうがいい。
ブースには撮影コーナーを設けており、
写真を撮ってもらって啓蒙活動にするという。
これはなかなかいいアイデアだ。
海のデザインが素敵で長蛇の列ができていた。
全体の傾向として、ペットも高齢化しているせいか、
健康とか介護とかに関連した
商品・サービスが目立って見えた。
それにしてもこの展示会は
ペットを連れた人がぞろぞろいっぱいいて壮観。
ほとんどイヌばかりで、
普段、近所では見なれないデカいやつ、
高級犬(なのだろう、きっと)も大勢いて大さわぎ。
食べ物系のブースのあたりが一番混んでいたが、
興奮してケンカが起きないのだろうか、
とちょっと心配になった。
ネコはこういう所は苦手らしく、
いてもケージの中に入っておとなしくしているので
あまり目にしなかった。
真珠葬のスタッフに話だと、
昨日はタカやフクロウを連れてきている人もいたとか。
初めてきたが、
こんなアニマルな展示会を毎年やっているんだ、
そしてこんないっぱいいろんな人が
いろんなペットを飼っているんだ、とオドロキ。
ちょっとしたカルチャーショックである。
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いつも思っている。
しっかり死生観を持って生きることが大事なのだ、と。
ただ働いてカネを稼ぐだけで
擦り切れて死んでいくなんていやだ。
自分の命を使い捨てにするのはまっぴらごめんだ。
いつも心の中でそう唱えていないと、
毎日の生活と情報の波に揉まれて本当に擦り切れていく。
名古屋の母に会ったのが、
思ったより精神的ダメージになっていて、
戻ってきてから数日テンションがダウンし、
ネガティブ思考が頭の中を支配した。
そんな中で今日はエンディング関係の取材の
ダブルヘッダー。
午前は恵比寿でお寺のサポート事業をやっている法人。
午後は巣鴨でメタバース(バーチャル空間)の
お墓(供養コンテンツ)を開発しているベンチャー。
どちらも永久保存したいほど充実した、
未来志向の面白い話で、
予定の倍以上の時間を使うほど感動的だった。
ネガティブ思考もすっかり回復した。
これからメディアの記事にするので、
詳しいことは書けないが、
人々の死生観が変わることで、
これからの葬儀供養の在り方は大きく変わる可能性がある。
そして僕たちは、文学的・芸術的な意味でなら
個人が永遠の生を獲得するのも
不可能でないのだなぁとさえ思った。
こうして死生観について考える仕事に携われることに
感謝と喜びを感じた一日。
施設に入っている実母の見舞いで名古屋に行く。
電話でもそうだが、ぼくには「元気だ」
「だいじょうぶ」としか言わない。
けれどもスタッフの人に聞くと、
最近、朝起きられなかったり、
時おり、意識が飛ぶこともあるようだ。
一番の懸念は食欲がないことである。
多くても半分、少ないときは1,2割くらいしか
食べないらしい。
あと何か月だろう?と考えてしまった。
とりあえず年内か、と覚悟した。
穏やかに終わりを迎えることを祈るばかりだ。
帰りに少し時間があったので、歩いて母校の高校に寄った。
実は3年ほど前に歴史を閉じたと聞いた。
市内の他の工業高校と併合されたのだ。
愛知工業高校は、
昭和の前期から高度経済成長の昭和40年ごろまでは、
愛利県きっての名門校だった。
僕が在籍した昭和50年代には
相当、質が落ちていたと思うが、
それでもまだブランド力は健在で、
大人から「いい学校に行っている」と言われた。
イメージと実態は相当かけ離れていたが。
今回のニュースを聞いて
老境に入ったOB(たぶん70代半ば以上)は
ショックで泣いているかも知れない。
敷地の広さも名古屋の高校としてはトップクラスだった。
広大な敷地の半分は新しい普通高校に、
半分はショッピングモールになる模様。
多くの高校が大学の予備校と化す今、
工業高校の役目は終わった、
というか、とっくに終わっていたのだと思う。
日本の産業構造が変わった証に見える。
延命処置はもういらない。
いまやカップラーメンにもなり、
全国的にその名を知られるようになった
「勝浦タンタンメン」。
千葉・勝浦市のはずれにある「江ざわ」は、
この勝浦タンタンメン発祥の店。
店内には堂々と「元祖・担々麺」の暖簾が。
今日、取材で訪れた勝浦の海を臨むお寺の住職は、
地域の一員として、10年余り前、B-1グランプリに出場。
「勝浦タンタンメン」のプロモーション活動に
携わった一人だ。
彼には3年前にも取材して、今回2回目。
地元・勝浦のためにすごくがんばっている。
3時間余りの取材の後、
いっしょに遅い昼飯に「江ざわ」に連れて行ってもらった。
彼のおススメの「上担々麺」は、ひき肉たっぷりで、
辛くてコクがあって、めっちゃうまくて、
「さすが元祖」と唸る味。
今日は天気も悪く、時間もおそかったせいか空いていたが、
いつもお昼時は小さな店に長蛇の列ができるという。
「勝タン」で盛り上がる勝浦!
と思いきや、かつての漁港・朝市の賑わいは
もはや昭和の昔ばなし。
現在、過疎化、空き家問題がかなり深刻化しており、
危機的な状況になっているという。
アラフォーの住職はそんな状況のなか、
地域の人たちや行政に頼りにされ奮闘中。
様々な試みに挑戦している。
過疎化する地域を盛り上げるには、
かつて地域のコミュニティのおへそとなっていた
お寺の復活がカギだ。
てな話を勝タン食べながら話した。
昭和時代の「坊主丸儲け」の所業が祟って、
儲けてたお手はみんなにそっぽを向かれるいうになった。
それを継いだ彼のような30代・40代の地方の住職は、
そういう意味でははずれくじを引いている。
檀家制度も崩壊し、納得できない寄付・お布施は
認められない時代になって、
彼らのように逆境でがんばっている若い坊さんには
微力ながら力になりたいと思う。
義母の「カエル病」に対処すべく、
お正月スペシャルサービスとして椎名町へ。
昭和10年、目白の豪邸にお生まれの超お嬢様だが、
わけあってその数年後、父が破産。
4歳だか5歳だかで椎名町の貧乏長屋に落ち着いた。
現在も高級住宅街として知られる目白と
池袋から西武線で一つ目のこの椎名町とは
目と鼻の先だが、
当時は現在よりもさらに住環境の格差が大きかったらしい。
義母の記憶の奥底にある「家」のイメージが
どちらのことかはわからないが、
口から出てくる言葉は「椎名町」なので、
貧乏長屋のほうが故郷と言えそうだ。
電車を乗り換え、「さあ椎名町だよ」と連れて来たのだが、
本人はべつに喜ぶだけでもなく、
「へー、そうなの」という感じ。
全然わかってない。
電車に乗って遠足を楽しんだという感じ。
まあ、シナリオ通りだが。
ここの駅前には「長崎神社」というお宮と
「金剛院」というお寺が隣同士、並んで立っている。
古くて小さなお宮に比べ、
お寺は近年、改築・整備をしたのでとてもきれいだ。
しかし、今日はまだお正月。
やはりコロナリベンジなのか、
長崎神社には初詣客が長蛇の列を作っているのに比べ、
金剛院は閑散状態。
本来はどっちにお参りしてもいいのだが、
いつの頃からか、大みそかはお寺で除夜の鐘を突き、
元旦から3が日は神社で初もうでというのが
日本人の間で習慣化してしまった。
義母を連れて行列に並ぶのはまっぴらなので、
今日はお寺のほうにお参り。
じつはこの金剛院、
「月刊仏事」の「寺力本願(じりきほんがん)」
という連載記事の1回目で取り上げた、
僕にとってもご縁のある天台宗のお寺である。
取材をしたのは3年前だ。
境内には弘法大師像とともに、
「マンガ地蔵(ウィズ・ドラえもん)」や
かわいい赤い帽子の「ひとことお願い地蔵」がある。
おしゃれなカフェも併設されていて、
明るく楽しいお寺なのだ。
以前も紹介したことがあるが、
ここにマンガ地蔵がいるのは、
近所にかの「トキワ荘ミュージアム」があるから。
確かおととし、TOKYO2020に合わせてオープンした
(コロナのせいで少し遅れたかも知れない)が、
まだ一度も行っていない。
(たしか要予約)
ぜひ今年は単独で足を運んでみたい。
それにしてもシナリオどおりではあるものの、
本日の椎名町訪問はやっぱり空振り。
今年も認知症のカエル病には悩まされそうだケロ。
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近年は愛されキャラにも。人はなぜオオサンショウウオに魅かれるのか? その謎がこの物語で解ける?2022年のスタートは、不死身のハンザキのお話で寿ぎください。
神田沙也加さんの死にはショックを受けた。
彼女は親の七光りを利用するどころか、
芸能の世界で、その光が届かない領域を探し回り、
ミュージカルという分野に活路を見出した。
僕は2000年代の5,6年間ほど、
演劇情報のテレビ番組の仕事をやっていた。
その中で彼女の出演する舞台作品について、
何本か紹介したことがある。
ミュージカルの世界には
宮本亜門氏演出の舞台でデビューしたが、
その後はまるで修行するかの如く、
小さなマイナーな舞台に幾つも取り組んでいた。
周囲の風当たりは相当強かったと思う。
何と言っても、両親があれだけのビッグスターなので、
妬み・嫉みを一身に受けていた感がある。
批評やダメ出しなどではなく、
どう聞いても悪口・陰口としか思えないことも
いろいろ言われていた。
彼女はいつも「松田聖子の娘」という、
一生逃げられない運命と闘い、
自分とは何者なのか?を追求していたのだと思う。
「アナ雪」のアナ役は、その闘いの大きな成果だった。
神田沙也加があの大スターの娘ではない、
ひとりの独立したミュージカル女優であることを
世間に認めさせることができた。
彼女のアナは本当に魅力的だった。
自死ということになっているようだ。
あれだけ打ち込んでいたミュージカル。
その名作「マイ・フェアレディ」の主役をやっていた。
その後も数年先まで出演作が決まっていた。
紛れもないミュージカル界の星だったはず。
好きな仕事、誇りになる仕事を責任を持ってやっていた。
札幌のホテルの部屋で、突然、ぽっかり空いた
エアポケットに落ちてしまったのか?
少なくとも転落した時は、
まともな精神状態だったとは思えない。
彼女の中に何が起こり、
どうして自ら命を絶ったのかは、
遺書でも見つからない限り、わからない。
「お疲れ様でした」と言うにはあまりに若すぎた。
ご冥福をお祈りしますとしか言えない。
美魔女から喪中のハガキが来た。
彼女は確か僕と同い年かちょっと下か、
ちょっと上。
早い話、アラカンである。
もと某地方局のアナウンサーで、
司会をやったり、
インタビュアーをやったりしていて、
むかし、あるイベントで5年ほど
いっしょに仕事をしたことがある。
最後に逢ったのはもう10年くらい前で、
その後はずっと年賀状のやり取りだけだった。
会った時からびっくりしていたが、
ほんとに若くて美人で、
時々、ブログものぞいていたが、
写真で見る限り、ほとんど変わっていない。
ずっとテレビやイベントなどで活躍しているようだ。
その彼女が、この夏、二世帯住宅で一緒に暮らしていた
義理のお父様が亡くなったため、
年賀の挨拶は控えるとのこと。
それはいいのだが続けて、
「私自身も今後の人生の在り方、終活に思いを巡らせ・・」
とあり、
「そこで、と言っては何ですが、
来年以降、年賀状でのあいさつは
ご遠慮させて頂くこととしました」
とある。
昨年、こうした終活➡「年賀状じまい」のについての
記事を書いたが、
彼女がこんなことを言い出すのは少々意外で、
もしや病気だろうか? とブログを見てみたが、
相変わらずの元気ぶり・美魔女ぶりで安心した。
それにしてもやっぱり還暦になると
「年賀状じまい」をする人が増えるようである。
親の死はそのきっかけになるようだ。
虚礼廃止と身辺整理ということなのだろうが、
オンライン上のつながりと
年賀状のつながりは違ったものに思える。
なので母や義母が亡くなっても、
僕には「年賀状じまい」の予定はない。
今のところは、だけど。
アラカン、それ以上のあなたはどうですか?
ところで最近、有名人の中でも亡くなる方が多く、
今日は瀬戸内寂聴さんと細木数子さんという
スピリチュアル界(?)の大御所が亡くなったのを知った。
しかし正直、このあたりの人になると、
不謹慎な言い方だが、
一体誰がまだ生きてて、誰が亡くなってしまったのか、
だんだんわからなくなってきた。
世界はどんどん変わっていく。
ハロウィーンも選挙も終わっちゃったけど、まだキャンペーンやってます。
これからは死生観が問われる時代。
世界のエンディングの伝統や実態に目を向けてみよう。
ハロウィーンの原型となったメキシコの「死者の日」をはじめ、伝統的な風習から現代の各国のエンディング事情まで。
鎌倉新書発行の葬儀・供養の業界誌「月刊仏事」の連載をまとめたエッセイ集。
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11月1日(月)16:59まで。
もくじ
・わたしを忘れないで(メキシコ)
・ラストドライブ最後の旅(ドイツ)
・メモリアルベンチ(イギリス)
・安楽死できる国は幸福か?(オランダ)
・葬式ストリップショーに禁止令(中国)
・地球環境にやさしいコの死装束(アメリカ)
ほか全23篇
株式会社鎌倉新書の葬儀供養業界の業界誌・月刊仏事の
ライターとして毎月、記事を書いている。
ニュース欄も担当しているので、毎月、月末になると
プレスリリースを見てネタを探すのだが、
今朝アップされていたリリースが興味深かった。
ロンドンブーツ1号・2号の田村淳さんが
一昨年設立した会社「itakoto(イタコト)」が
「私の心のこり展」という展示会を開いたという
ニュースである。
この展示会は先週の週末、
10月23・24日に東京の渋谷にある
「渋谷シブテナスペース」
というところで開かれたもので、
イベント告知ではなく、事後情報である。
時節柄、大勢押し寄せて密にならないようにと
配慮をしたのか、
あまり大きな告知はしていなかったようだ。
にもかかわらず、500人ほどの人が来場したらしい。
展示会のコンセプトは
「心のこりに覆われる日」。
「この世から、心のこりをなくしたい」を理念とする
itakotoが、
人々に心のこりが生まれないよう意識してほしいと
企画した展示会で、
田村さんも初日にはあいさつに来たらしい。
このitakotoという会社は、
遺書動画サービスを事業としており
田村さんが一昨年設立したという。
展示会の内容や会社の概要はリンクを見てほしいが、
記事を読んで、改めて“いま”という時代を考えさせられた。
ひとりひとりが死生観をしっかり持っていないと、
この先は人生に美しさも面白さを見出せなくなると思う。
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10月27日(水)17:00~11月1日(月)16:59
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もくじ
・わたしを忘れないで(メキシコ)
・ラストドライブ最後の旅(ドイツ)
・メモリアルベンチ(イギリス)
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・葬式ストリップショーに禁止令(中国)
・地球環境にやさしいキノコの死装束(アメリカ)
ほか全23篇
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もくじ
・わたしを忘れないで(メキシコ)
・ラストドライブ最後の旅(ドイツ)
・メモリアルベンチ(イギリス)
・安楽死できる国は幸福か?(オランダ)
・葬式ストリップショーに禁止令(中国)
・地球環境にやさしいキノコの死装束(アメリカ)
ほか全23篇
「わたし、死に興味があるんです」
そう大っぴらに言える人はあまりいないでしょう。
でも人間はいつの時代も、ずっと
「どう死ねばいいのか」を考えてきました。
だって、この世に生まれた人は
ひとり残らず、
いつかどこかで死ななくてはならないのです。
だから死に対する考え方はいろいろあり、
国や人種や宗教が違えば死生観も変わります。
ハロウィーンの原型・ディズニー映画の題材にもなった
メキシコの「死者の日」などの先祖供養の風習、
人生最後の旅や最後の晩餐を提供する臨終ケア、
森や土に還り地球と一体化するエコ葬、
死を意識した人なら誰でも一度は考える安楽死の現実、
そして、新型コロナウイルスによってもたらされた
各国の死と葬送の記録などをエッセイにして収めました。
このエッセイ集「世界のEnding Watch」は、
株式会社鎌倉新書発行の葬儀・供養の業界誌
「月刊仏事」で2018年6月号から2021年2月号まで
連載した記事を一冊に収録したものです。
死はもちろん哀しいこと・寂しいこと、
深刻なこと・恐ろしいことです。
けれども、なぜだか笑えるところもあったりする、
とてもユニークでユーモラスな事象です。
そして忘れてはいけないのは、
生きているからこそ、そう考えられるということ。
死を取り巻く古今東西の人々の
様々な思考や行動をつぶさに見ていくと
人間という生き物がとても愛おしくなります。
死について思いを巡らせられるのは生きている証。
あなたも一度、日本社会の常識の囲い、
日常生活の常識の囲いからちょっとだけ出て、
この本で世界のエンディングを旅してみてください。
10月27日(水)17:00~11月1日(月)16:59
明日からハロウィーンの特別無料キャンペーン実施!
もくじ
・わたしを忘れないで(メキシコ)
・ラストドライブ 最後の旅(ドイツ)
・メモリアルベンチ(イギリス)
・安楽死できる国は幸福か?(オランダ)
・葬式ストリップショーに禁止令(中国)
・地球環境にやさしいキノコの死装束(アメリカ)
ほか全23篇
昨日は名古屋に行って母と会ってきた。
コロナでずっと行けなかったので、
会うのは約2年ぶりである。
母は昨年(2020年)4月から施設に入って暮らしている。
月に一度くらい電話はしていたので、
それなりに元気なのはわかっていたが、
正直、実際どうなんだろう?
今の姿を見たらちょっとショックを受けるかも
・・・と、ちょっと怖った。
感染症対策として
家玄関のガラスドア越しの面談。
とても穏やかで優しい顔をしていた。
そして誤解を招く言い方かも知れないが、
半分、この世の人ではなかった。
もう終わっていく人の顔だ。
92歳。
今は元気な90代の人も多いが、
母はこのあたりがゴールのようだ。
認知症と診断はされてないが、
もういろんなことを忘れている。
辛うじて僕や妹の顔はわかるが、
うちのカミさんや息子(孫)などのことは
あやふやなイメージのようだ。
なのでうちの家族のここ10年くらいの写真を
ちょっとしたアルバムにして持っていったが、
見てもやっぱりあんまりわかっていないようだった。
「お父さんが死んでもう13年になるから
そろそろ迎えに来るかもね」といったら、
「そうだといいねー」と言っている。
だけど、もうお父さんの顔も忘れちゃったけどねーと
笑って言っている。
だんだん食べる量も減っているらしいが、
終わる身体にそんなにエネルギーは必要ないので、
ごく自然なことだと思う。
お土産のクッキー、食べきれるかなぁ。
半ば僕の願望が混じっているが、
人間、こんなふうに終わるのが理想だよねー
という終わり方なのかもしれない。
母にまだ仕事が残っているとしたら、
子どもである僕たちに、人間、おしまいはこんなものだよ、
と僕らに教えることなんだろうと思う。
穏やかなおしまいが訪れますように。
「わたし、死に興味があるんです」
そう大っぴらに言える人はあまりいないでしょう。
でも人間はいつの時代も、ずっと
「どう死ねばいいのか」を考えてきました。
だって、この世に生まれた人は
ひとり残らず、いつかどこかで死ななくてはならないのです。
だから死に対する考え方はいろいろあり、
国や人種や宗教が違えば死生観も変わります。
ハロウィーンの原型・ディズニー映画の題材にもなった
メキシコの「死者の日」などの先祖供養の風習、
人生最後の旅や最後の晩餐を提供する臨終ケア、
森や土に還り地球と一体化するエコ葬、
死を意識した人なら誰でも一度は考える安楽死の現実、
そして、新型コロナウイルスによってもたらされた
各国の死と葬送の記録などをエッセイにして収めました。
このエッセイ集「世界のEnding Watch」は、
株式会社鎌倉新書発行の葬儀・供養の業界誌
「月刊仏事」で2018年6月号から2021年2月号まで
連載した記事を一冊に収録したものです。
死はもちろん哀しいこと・寂しいこと、
深刻なこと・恐ろしいことです。
けれども、なぜだか笑えるところもあったりする、
とてもユニークでユーモラスな事象です。
そして忘れてはいけないのは、
生きているからこそ、そう考えられるということ。
死を取り巻く古今東西の人々の
様々な思考や行動をつぶさに見ていくと
人間という生き物がとても愛おしくなります。
死について思いを巡らせられるのは生きている証。
あなたも一度、日本社会の常識の囲い、
日常生活の常識の囲いからちょっとだけ出て、
この本で世界のエンディングを旅してみてください。
株式会社鎌倉新書発行の葬儀・供養の業界誌「月刊仏事」で
2018年6月号から2021年2月号まで、2年半にわたって
24回連載した(飛んだ月もあるので)
「世界のEnding Watch」をまとめて本にした。
会社にOKもらったので、
いつものペンネーム・おりべまこと名義で
今週末,Amazon Kindleにて発売予定。
連載を始める頃、ちょうどディズニー/ピクサーの映画
「リメンバー・ミー」がヒットしていた。
この映画の題材は、ハロウィンの原型と言われている
メキシコの「死者の日」を題材にしたもの。
この「死者の日」の話を第1回にして、
各国の巣式や供養・お墓・先祖供養などの
伝統的な風習を面白く紹介するというコンセプトの企画だった。
しかし、じつはそういうのは他に本も出てるし、
葬儀社などのサイトでもやっている。
なので、できるだけ現代の各国の
エンディング事情をたくさん盛り込んだ。
死は人生最大のライフイベントである。
にも関わらず、というか当たり前だけど、
自分は死んでしまうので、葬式もお墓もその後の供養も。
自分の力ではどうにもならない。
昔はよほどの特権階級の人でない限り、
あの世へ行くときは、
“神や仏に身をゆだねる”しかなかった。
ところが現代人はどこの国の人も
自我が強くなってて、
それでは満足・納得できない。
そのジレンマにドラマがある。
哀しいこと・深刻なことでありながらも
けっこう笑える。
そして、人間という生き物が愛おしくなる。
自分で言うのもなんだけど、
こうやって集めてみると、すごく面白いのだ。
あなたも一度、日本の常識から離れて、
この本で世界のエンディングを旅してみてください。
もう数日待っててね。
先日の「セレモニージャパン2021」で
最も心に残ったブースは、
日本では、そしておそらく世界でもほとんど例のない
遺骨を使った絵画「供養絵画さくら」だった。
30年ちょっとの短い人生を終えた女性。
生後1か月で逝った子猫。
海辺を散歩するのが好きだった犬。
そして最期に桜を観たいと呟いた女の子。
彼女らの命の記憶をこの世にとどめるために、
「供養絵画さくら」のアーティスト小林吉春氏は
画材に遺骨を用いたのである。
仕事で主にアニメーション作品の
立体造形物制作に携わってきた小林氏は、
自分が作ったものがイベント終了後には
ゴミとして破棄されてしまうことに
心のわだかまりを抑えられなかった。
それで給料をもらって生活しているのだから、
よしとしなければいけないのだが、
消耗品を作っている。
消費されるものを作っている。
という思いからアーティストは逃れられないのだ。
彼は「消費されないモノづくり」を模索するようになった。
そして2
遺骨、そして幼くして亡くなった姉の遺骨を目にした。
何かが彼の胸に舞い降りた。
遺骨を使った供養絵画はそこから始まった。
インスタグラムに上げたところ反響があり、
この5年間で約30点を制作した。
遺族や飼い主からヒアリングをし、
イメージする色や風景、
ストーリーを1枚の絵にしていく。
料金は応相談だが、基本的に大きさに比例し、
小さなものは額縁込みで5万円から。
人の遺骨を画材にするのは前例がなく、
禁止する法律はないが、万一のトラブルを避けるため、
依頼を受ける際に合意書を書いてもらているという。
ちなみに日本は遺骨の処理に関して、
おそらく世界一厳しい国ではないかと思う。
他の国では遺骨はメモリアルではあるが、
ただの物質としみなすのに対し、
日本では古くから霊魂が宿ると考えられ、
意味や価値を持っているからだろう。
絵画にするのは美しい・素晴らしいと思う人がいる一方で、
怖いと思ったり、眉を顰める日tもいるだろう。
新しいものはいつの時代も賛否両論である。
いずれにしても遺族の心に寄り添った
新しい供養の在り方として、
また、ひとりのアーティストの
ユニークなプロジェクトとして気にかかる。
そういれば最近、顔出しをしてないなと思って、
先週「セレモニーJAPAN」の会場で撮った写真をのっけてみる。
いっしょに映っているのはブットンくんという
大阪の御堂筋にある「難波別院」、
通称「南御堂」のキャラクターである。
このお寺の境内にははドカン!と
17階建ての高層ホテルが建っており、
「日本初のホテル一体型山門」を売りとしている。
つまりホテルとお寺が一体化しており、
快適なベッドルームに宿泊した客は、
そのまま本堂へ行って坐禅や写経を体験、
といったこともできるらしい。
ホテルは「大阪エクセルホテル東急」である。
つまり東急資本の新たな開発だ。
東急グループはこの4月に「東急ラヴィエール」という
新会社を立ち上げ、不動産の整理や相続、終活、
そしてゆくゆくは葬式やお墓のことまで手を伸ばそうと、
エンディングにまつわる事業をスタートさせた。
先週紹介した広告代理店の博報堂もそうだが、
この業界にはいろいろな資本が入ってきて、
ビジネスをしようとしている。
それは日本社会が戦後、どんどん広げまくってきた
風呂敷をたたむ時代になっていることを象徴している。
思い切り散らかした部屋をどう後片づけするか、
と言ってもいい。
後ろ向きな意見に聞こえるかもしれないが、
問題はどうすれば風呂敷をきれいにたたむのか、
どうすれ、ときめきながらお片付けできるか、だ。
その後始末・お片付けというテーマに
市場があり、ビジネスのタネがある。
大資本もITもお菓子屋さんもアーティストも個人事業者も、
みんなここに集まってくる。
思ったほど儲かるかどうかはわからないが。
大勢の人や会社が集まれば、
当然、いろいろ面白くなる。
これからこの業界で何が起こるか?
僕は仕事があるので探っていくが、
あなたもちょっと気にしておいて損はない。
そしてできれば、お片付けに
ちょっとでも胸のときめきを感じたいね。
Amazon Kindle 電子書籍
エッセイ集:昭和
昭和96年の思い出ピクニック
エンディング業界の展示会
「セレモニーJAPAN2021」で
ひときわ異彩を放つどら焼きブース。
どら焼きの生産量日本一、
鳥取県米子市の丸京製菓が、
お葬式のおみやげや香典返しにどら焼き最適!
ということでブースを出展した。
4月4日を「どら焼きの日」に制定し、
地元では「どら焼き公園」まで作ったというこの会社、
日本全国のスーパーやデパートに供給。
そればかりか、
世界20か国にどら焼きを輸出しているという
知られざるどら焼き屋。
もともとは和菓子屋として饅頭、団子、大福など
いろんな和菓子を作っていたらしいが、
何を思ったのか、50年ほど前から
どら焼きに特化。
以降、どら焼きを信じ、
どら焼き一筋に邁進してきたという。
「社長がドラえもんを好きだったんですか?」
と聞いてみたが、よくわからないという。
「ドラえもんがどら焼きに及ぼした経済的効果について」
という一文を書いたことがある僕としては、
丸京食品がどら焼き専門店になった秘密が
知りたくてたまらない。
一度、米子を訪れなくてならない。
というわけで、どら焼きの地位向上の
おもての立役者がドラえもんだとすれば、
裏の?立役者は丸京製菓だと言わざるを得ない。
黄色いポロシャツを着た営業担当者の方から
いただいた名刺には
「常務執行役員CMO(最高マーケティング責任者)
営業部 兼 国際事業部 兼
マーケティングチーム責任者」
という、とてもどら焼き屋さんとは思えない
カッコいい肩書が。サイコーです。
ちなみに贈答の用途は、お葬式に限らず、
お祝い事でも何でもOK。
注文すればオリジナル焼き印も押してくれる。
「1個からでもオーケーです」とのこと。
取材したらおみやげももらったので、うちで食べた。
ふつうにおいしい。
感動的!というほどでなく、
ふつうに、ほどほどにおいしところが、
贈る側もいただく側も、重くなくていいのだ。
気軽においしくてユーモラスなどら焼きは
鳥取の誇り、日本の誇りです!
Amazon Kindle 電子書籍
エッセイ集:食べる
ロンドンのハムカツ
昨日9日から青海(東京テレポート駅:
フジテレビのあるところ)の
ビッグサイト分館で、
「セレモニージャパン
(エンディング産業展)2021」という
葬儀供養業界の展示会が開かれている。
鎌倉新書・月刊仏事の仕事で、
ライターとして3日間通勤取材。
世は高齢化・多死時代。
数年前から、そのうち、この業界にも広告代理店が
進出してくるのではないかという噂が飛び交っていたが、
今年、ついにそれが現実となった。
この6月に博報堂が、
オンライン追悼サービス「しのぶば」の開始を発表。
一気に業界の多くの人たちが浮足立った感がある。
通りがよいので簡単に「博報堂」と言ってしまうが、
「しのぶば」は、正確には博報堂DYグループの
AD plus VENTURE(アドベンチャー)株式会社の
事業の一つである。
DYというのは、大広、読売広告社のイニシャルで、
これらの広告会社も傘下に入っており、
いまや博報堂はメガ高億代理店となっている。
AD plus VENTURE(アドベンチャー)は
そのグループ56社から広く新規ビジネスアイディアを
募集、審査、育成し、事業化する仕事を
2010年から行っている。
昨日はセミナーの一つで、「しのぶば」の代表と、
業界の革命児と呼ばれる二人の葬儀社社長の
パネルディスカッションが行われ、
10年後を見据えたとても濃い内容で面白かった。
「しのぶば」の代表は子育て中の30代の女性である。
「博報堂は生活者目線で事業を展開してきた。
今まではその明るい部分にばかり焦点を当ててきたが、
これからはそうではない(陰とされてきた)部分にも
焦点を当てたい」
と話したのが、ひどく印象的だった。
いずれにしてもこの業界を、
ひいてはライフスタイル全般を変える
きっかけの一つになるのは確かだと思う。
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AI・ロボット エッセイ
どうして僕は
ロボットじゃないんだろう?
はらぺこあおむし
お星さま かいて
パパ、お月さまとって!
どれもボロボロになるまで息子に読んだ。
学校や児童館でも読み聞かせをやった。
エリック・カールさんの絵本は人類の宝です。
そして、彼の3次元的仕掛けが満載された
独創的な絵本の企画を初めて実現したのは
日本の出版社だった。
誇るべきことだ。
エリック・カールさんのご冥福をお祈りします。
Amazon Kindle 電子書籍
子ども時間の深呼吸
〈少年時代の思い出〉×〈子育て体験〉×〈内なる子どもの物語〉で
モチモチこね上げた おりべまことの面白エッセイ集。
自身のブログ「DAIHON屋のネタ帳」から40編を厳選・リライト。
2018年の今日、青山葬儀所で
昭和のスーパースターの葬儀が行われた。
僕はたまたま仕事で取材したので、
その時の思いを綴った3つのエッセイを電子書籍
「昭和96年の思い出ピクニック」に収録しています。
(ブログの記事をリライト・再構成)
・西城秀樹さんのお葬式:青春の同窓会
・西城秀樹さんのお葬式:女の涙は子どもと夢の人のために
・西城秀樹さん ラストステージの記憶
素晴らしいお葬式・・・と言うと、
語弊があるけど、最近の傾向を見ていると、
この先、大スターや著名人が亡くなっても
あんなに心に残るセレモニーは、
もう行われないかも知れない。
そういう意味ではとても貴重な体験をしたと思う。
楽器や音楽を愛した人たちへの御見送りオブジェ
として開発された「メモリアルギター」。
納棺の際、故人の遺族・友人は、旅立ちの品として愛用してい
たものを棺に入れてあげたいと願う。
しかし、火葬の際に遺骨を傷つけてしまう不燃物は
入れることが出来ず、諦めなければならない。
楽器の演奏を趣味とする人、生きがいにしてきた人は大勢いるのに、
ギターをお棺に入れることはできない。
メモリアルギターは、このような遺族・友人の気
持ちに応えるために生まれた“燃えるギター”である
火葬炉で燃えるギター にするためには、
すべて可燃性の素材で作る必要がある。
全国の木工品メーカーに打診を繰り返し、
ようやく愛知県の木製玩具を製造する工房の協力を得られた。
木材をギター形状に手加工で切り出し、弦はタコ糸で細工。
ペグやジャックなど、表面の金具などの装飾
はレーザーカットした部品を貼り付けて表現した。
材料はパイン集成材(松)、本体厚みは3㎝、部品
はベニヤ材をレーザーでカット、木工用ボンドで接着。
全体の面取りなどの仕上げは手作業で行っている。
見た目だけでなく、持った時の感覚、手触りの
優しさ・心地よさまで徹底的にこだわった。
三木楽器は1825年、大阪の船場地域で貸本屋として創業。
明治時代にオルガンを皮切りに西洋楽器を取り扱うようになった。
昭和初期の著名な作曲家、山田耕筰らとの交流も深かった。
現在も楽器、楽譜の販売のほか、
音楽イベント開催など文化事業にも力を入れている。
おりべまこと電子書籍
ポップミュージックをこよなく愛した
僕らの時代の妄想力
http://www.amazon.com/dp/B08SKGH8BV
小説を書いたり、時にはビジネスのサイトや書籍の文章を書く時にも、頭の中の記憶バンクから好きな曲を引っ張りだしてきて、勝手にテーマ曲にして書く。リズムやメロディでイメージが膨らみ、文章が呼吸をして動き出す。音楽リスニングで妄想力を養ってきたおかげで今の自分がいる。
「週末の懐メロ」を書くようになってから音楽熱が再燃した。
と言っても、音楽的才能はゼロなので、
もっぱら聴く方専門。
だけど本当に音楽には恵まれた時代に育ったんだなぁと
最近しみじみ思っている。
そんな中、「メモリアルギター」というものにハートを射られた。
これは大阪で195年の歴史(なんと江戸時代から!)
を持つという超老舗楽器店「三木楽器」が
開発した「燃えるギター」である。
いわゆるビートルズ世代も70 代に入り、
エンディングについて考えるようになっている。
「三木楽器」はそんな世代の、
楽器や音楽を愛した人たちへのお見送りオブジェとして
この「燃えるギター」をプロデュースした。
「燃えるギター」と言えばジミヘンだが、
これはレッド・ツェッペリン(ジミー・ペイジ)の
「天国への階段」が似合う。
弾くのではなく、棺に入れ、
天国へ持っていくためのギターなのである。
本物の楽器は金属を使っているので納棺できない。
火葬炉で燃えるギター にするためには、
すべて可燃性の素材で作る必要がある。
そこで企画・開発担当の櫻井裕子さんは、
全国の木工品メーカーに打診を繰り返した。
徹底的なこだわりがあったので、
何となくギターの形をしてりゃいいや、では納得できない。
形状の複雑さやコスト面でなかなか話が
折り合わず難航したが、
ようやく愛知県の木製玩具を製造する工房の協力を得られた。
その一方で斎場なに聞き取り調査を行い、
ご遺体とともに確実に燃え尽きることが前提であること
を確認し、小型化を検討した。
葬儀で祭壇に飾ったときに玩具っぽく映らないよう
見た目とのバランスをとりつつ完成させた。
まさしく職人技。
櫻井さんもついに思い描いた商品の形に
たどり着いた時は涙した。
もちろん、量産などできないので、一つ一つ手作りだ。
すべて木材で出来ているため、
セレモニーの際に納棺する楽器の副葬品としても、
また祭壇やお仏壇へのお供え物としても贈れる。
大きさは本物ギターの約 1/2 スケールで、
納棺に適したサイズに設計されている。
タイプはアコギと、エレキギターのレスポール型、
ストラトキャスター型の計3種類。
演奏用ではないものの、本物感を重視し、
細部まで丁寧に再現されているところは泣かせる。
開発コンセプト、そして
商品化するまでのこだわり・執念にも胸を打たれ、
レギュラーワークの月刊仏事
(葬儀供養業界の業界誌)で紹介した。
今日のブログはその記事をアレンジしたものである。
どうせあの世に行くなら、大好きな音楽・愛する楽器とともに――
とお考えの皆さんは、ぜひ三木楽器のサイトを覗いてみてください。
メモリアルギターの開発ストーリー
https://youtu.be/gh08NdcJ1sE
販売サイト
https://mikiwood.base.ec/
おりべまこと電子書籍
ポップミュージックをこよなく愛した
僕らの時代の妄想力
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月刊仏事の仕事で
武蔵小金井駅前の宮地楽器音楽ホールにて
「生と死をみつめるシンポジウム」を取材。
企画は先月も取材した葬儀社・小金井祭典の是枝嗣人社長。
認知症についても研究しており、
遺族が抱える死別・喪失による悲嘆(グリーフ)を
どうサポートしていくかをとても真摯に考えている。
まだ若く、会社も小さいが、
今後の葬儀業界をリードしていく人物だ。
基調講演はその是枝氏のグリーフサポートの先生に当たる
株式会社GSIの橋爪謙一郎社長。
アメリカで学んだグリーフサポートのノウハウを
日本人に合うようアレンジし、
グリーフという概念自体を普及させた開拓者である。
さらに小金井で子どものグリーフサポートの団体を運営する
代表、研究に携わる僧侶らを交えての
パネルディスカッションが行われた。
ゲストとしてバチカンの枢機卿も登場する予定だったが、
イタリアでコロナの変異株による感染者が急増しており、
入国がかなわなかったという。
また、当初の予定に反して緊急事態宣言が延長されたため、
規模を大幅に縮小して開催された。
このシンポジウムは夜に開かれたコンサート
「第8回バチカンより日本へ祈りのレクイエム」の前座である。
同コンサートは12日、渋谷のオーチャードホールでも開かれる。
大切な人を失くした時のグリーフとどう向き合うかは、
今後、多くの人にとっての重要なテーマ。
今回のシンポジウムは大変充実した内容で、
グリーフに興味のある人なら
是枝氏、橋爪氏の話やパネルディスカッションは
きっと良い参考になると思う。
後日、収録されたYouTube動画が
小金井祭典のホームページから配信される予定なので、
アップされたらまたお知らせします。
おりべまこと電子書籍
昭和エッセイ集:
昭和96年の思い出ピクニック
ASIN: B08WR79ZCR ¥318
アイドル、マンガ、オカルト、オリンピック、新聞配達、家族、そして戦争――昭和には愛すべきもの、憎むべきもののすべてがあった。
2021年=令和3年=昭和96年になった今でも、僕たちは昭和の物語から離れられない。海を埋めたて、山を切り開き、明日へ向かって進んだ果てに
見つけたものは何だったのか?
みんなが愛して憎んで生きた時代を1960(昭和35)年生まれの著者が探検する面白まじめエッセイ集。ブログ「DAIHON屋のネタ帳」から30篇を厳選・リライト。
もくじ
・西城秀樹さんのお葬式:青春の同窓会
・ちびまる子ちゃんとサザエさんはいつまで続くのか?
・昭和オカルト大百科
・新聞少年絶滅?物語
・死者との対話:父の昭和物語
・永遠の昭和 明日のための1960年代・70年代 ほか
●アクセス
https://www.amazon.co.jp/ からコードナンバー、
または「おりべまこと」、または書籍名を入れてアクセス。
●スマホやタブレットで読める:Kindle無料アプリ
https://www.amazon.co.jp/gp/digital/fiona/kcp-landing-page
●Kindle unlimited 1ヶ月¥980で読み放題
https://www.amazon.co.jp/kindle-dbs/hz/subscribe/ku?shoppingPortalEnabled=true&shoppingPortalEnabled=true
11月に開かれたエンディング産業展2020の出展ブースの中で、で印象に残ったのものが「真珠葬」だった。
ペットの遺骨を真珠にする真珠葬「虹の守珠(もりだま)」は、2018年11月に事業として開始された。
真珠になるまで1年~1年半かかるため、2019年末、初めての遺骨の真珠が依頼主(犬や猫の飼い主)の手もとに返された。
8㎜以下の遺骨を8個預かり、個体識別用のICチップとともに樹脂でコーティングした後、アコヤガイに入れ、10㎜前後の真珠に育てる。
場所は長崎県の奈留島(五島市)にある「多賀真珠」という養殖場で、その養殖業者、長崎大大学院水産・環境科学の教授、そして、化粧品・健康食品など、女性のための企画商品を開発しているウービィー株式会社のの社長の3者が共同開発した。
このサ-ビスの素晴らしいところは、単に遺骨を1年間預かって真珠にします、というだけでなく、その「過程」を大事にすることだ。
コーティングした遺骨を核入れした後、真珠の生育状況を写真や動画で撮影してコメントをつけたレポートを随時、依頼者ひとりひとりにネット配信している。こうしたやりとりを通して丁寧に気持ちをつなぐことが、高質な付加価値になっている。
つまり、ストーリーがあるのだ。
結果だけポンと渡されても感動は生まれない。
誰もが結果ばかりを重視し、早く結果を知りたがる世の中だから、逆に時間と手間暇をかけた、こうしたサービスが貴重に思えるのかも知れない。
やさしく丁寧なイメージを大事にしているので、積極的な広告は打たず、人から人へ口コミなどで自然に伝わり、心に留まるのが相応しいと考えている。
とは言え、事業である以上、世の中に存在をアピールしたい、ペットの葬儀や仏具を扱う人にも知ってほしいという思いがあって出展したという。
少し意地悪く「それじゃ、こうやってアピールして、いっぱい引き合いが来たらどうするんですか?」と質問してみたら「予約待ちしていただきます」という返事だった。実際、生前から亡くなったら真珠葬をしたいという予約問い合わせが少なくない。
今、ペットの遺骨はお墓に埋葬するか、庭に埋めるか、自宅で保管するか、という3択だという。する・しないは別にして、そこに虹の守珠が加わればそれだけでいい。
飼い主の人たちの心の中に真珠葬というもう一つの選択肢があることが大事なのだ、というお話だった。
預けた人が「子どもを留学に出しているような気持ちになる」という真珠葬。
亡くなったのに成長を見守ることができ、「行ってらっしゃい」「おかえり」と言葉を掛けられる。
ペットの飼い主は、いずれは看取りをしなくてはならず、ペットロス症候群を覚悟する必要もあるが、そうした人たちにとってのグリーフケアの一つになると思う。
「いたちのいのち」ASIN: B08P8WSRVB
12月4日(金)17:00~12月7日(月)16:59
3日間限定無料キャンペーン実施!
少女とペットのフェレットとのくらいを描いた、おりべまことの新刊・長編小説「いたちのいのち」(Amazon Kindle 電子書籍)を3日間限定キャンペーンを行います。この機会にぜひ!
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●あらすじ
カナコは10歳。小学4年生。
一人娘の子育てに悩まされながら、生活を支えるのに忙しい母親のマヨと二人暮らしをしている。
しかしもう一人、というか一匹、いっしょに暮らす同居者がいる。その名は「イタチ」。ペットのフェレットだ。学校でも家でも口をきかないカナコにとって、イタチは唯一、心を開いて話ができる親友であり家族だ。
国語の授業で、その大好きなイタチのことを作文に書いたら、
担任のあかり先生が目にとめ、
「すごくいいので、コンクールに出しましょう」と言ってきた。
そんなつもりじゃなかったのにと、内気なカナコは困惑し、
先生に激しく抵抗する。
しかし、母と先生と関わる中で、カナコはだんだん変わり始める。それをイタチは察知していた。彼女が3歳の時からずっと一緒に暮らしてきたイタチは、地球に生まれて間もないころから、自分がカナコに必要な存在だとわかっていた。
彼は天国にいた時の記憶を持っている。
天使だったイタチは、もともと人間として地球に生まれることを望んでいたのだが、生き物としての命を与え、地球に送る〈地球いきもの派遣センター〉の手続き上のミスによって
人間になるのを諦めた。
その代わりにフェレットとして
ワンサイクルの命をまっとうすることになったのだ。
子どもからちょっとおとなに変わっていくカナコと、
そのそばで天使の目を持ったまま生きるフェレットのイタチ。
それぞれの視点から代わる代わる、日常生活とその中で起こる事件の数々、そして、ふたりの別れまでのストーリーを描く。
なお、表紙イラストは
漫画家・イラストレーターの麻乃真純さんが制作。
「パートナー 進め!ソラ」「ほっと・ペットクリニック」「あしたはハッピードッグ」「母のバッカス」「いぬの先生」など、動物ものの作品を多数発表している。
一昨年(2018年)、ロンドンを旅したとき、
ケンジントン地区にあるホーランドパークで
メモリアルベンチを見て回り、記事を書いた。
これは故人や遺族の意志で、
故人の言葉や遺族の思いをベンチの背もたれに
刻んだり、プレートを付けたりして
公園に寄贈するというものだ。
いつから始まったかは知らないが、
僕がロンドンで暮らしていた35年ほど前にはすでにあった。
美しい公園に静かに佇み、
疲れた人を休ませてくれる
メモリアルベンチにはなぜか心に響くものがあった。
今まで何度も通り過ぎていたのに気が付かなかったが、
先日、近所の善福寺緑地で同様のものを発見した。
ちゃんとプレートも付けられている。
お墓の代わりに、なのかどうかは不明だが、
この世から去っても、ここにいて後の世代を、
べつに自分の家族でなくても、やさしく見守り、
ちょっとでも役に立つのは素敵なことだと思う。
予告「いたちのいのち」
12月4日(金)17:00~
12月7日(月)16:59
無料キャンペーン実施!
少女とペットのフェレットとのくらいを描いた、おりべまことの新刊・長編小説「いたちのいのち」(Amazon Kindle 電子書籍)を3日間限定キャンペーンを行います。
この機会にぜひ!
人間の場合は
「(子どもが)親より先に死んではいけません」と教えられるが、
動物の場合は
「親(飼い主)が子ども(ペット)より先に死んではいけません」となる。
動物を飼う以上、
飼い主は彼ら・彼女らの看取りをする使命がある。
そういう意識が浸透してきたのか、
ペットの葬儀供養関係事業は
この数年でかなり質が上がってきていると聞く。
エンディング産業展も毎年、
いろいろペット葬儀関連の業者がブースを出している。
こういうものは業界人だけでなく、
一般の人にもちゃんと見てもらっておいたほうがいいと思う。
今年の月刊仏事の取材では、ブース紹介も数を絞って、
わりときっちりコメントするという編集方針。
なので受け持ったな中で3つをペット関係にして、
グッドワークの「段ボール棺」、
フランスベッドの「ペット仏壇」、
ウーヴィーの「真珠葬」を取材した。
グッドワークは段ボールケースを作っている会社で、
昨年からこのペット用の段ボール棺を
Amazonで販売しているという。
簡易な棺だが、お花などを入れてあげて
そのまま火葬できるのはいいなと思った。
(ただし、自治体によってはできないとこるもあるようなので、
お問い合わせください)
フランスベッドは最初、リストだけ見た時は
最近、CMなどで見かける介護用ベッドを
展示しているのかなと思ったら、
なんとペット仏壇がメイン展示だった。
担当に人に聞いたら「フランスペット」というシリーズを作って
ペット用のソファやベッドも開発・販売しているという。
高級なベッドメーカーのイメージがあるが、
なかなかダ洒落が効いている。
「仏壇」というのは便宜上の呼称で、
要は亡くなったペットをちゃんと供養するための
インテリア用品を、ということで開発したのだそうだ。
さすがに一流メーカーらしい、
シックで上品な趣のある家具になっている。
ウーヴィーの「真珠葬」については詳しい説明を要するので、
また後日。
★おりべまこと 電子書籍新刊★
動物ストーリー「いたちのいのち」
11月30日(月)、Amazon Kindleより発売予定
子どもからちょっとおとなに変わっていく小学4年生のカナコ。そして、天使の目を持ったまま生きるフェレット「イタチ」。
飼い主とペット、それぞれの視点から代わる代わる、日常生活とその中で起こる事件の数々、そして別れを描く長編小説。
「ほっとペット・クリニック」「いぬの先生」などの作品でおなじみ、日本の動物マンガの第一人者、麻乃真純さんが表紙イラストを制作。お楽しみに。
エンディング産業展2020・最終日・最後の講演は、
終活カウンセラー協会の会長・武藤頼胡さんの講演だった。
10年以上前「終活」という言葉を
世の中に出したのは週刊誌だが、
それを世に広めたのは武藤さんだと思っている。
それくらい彼女の貢献度は大きい。
まさしく終活界のヒロインだ。
エンディング業界の仕事をしているので、
当然、彼女のことは知っており、
テレビでコメントしているのを見たり、
1年前の終活映画特集の記事には
頼んで寄稿もしてもらったりしていた。
が、実際にお会いして話を聞くのは初めてだった。
来場者はほとんど業界関係の人たちなので、
受講者も当然そうなのだが、そんなことは無視して
普段、一般向けに行っている内容をそのままやるという。
その内容を聴いてみて、
ここまで終活が普及した理由がわかった気がする。
内容はもちろんちゃんとしているが、
それ以上に彼女の語り口、キャラクターが
とても明るくて魅力的なのだ。
どんな人が、どんなイメージで語るかによって
伝わり方が全然違う。
彼女の口から出る「終活」という言葉には
辛気臭い響きはかけらもない。
他のいろいろな「〇活」と違って、
終活だけはすべての人に当てはまるものなので、
黙っていても広まったのだろうけど、
これほど短期間に普及したのは、
彼女のメッセンジャーとしての才能と
情熱・尽力のおかげではないだろうか。
さてセミナーの内容をちらっと話すと、
100歳双子のきんさん・ぎんさんが話題になった約25年前、
100歳の人は日本で約4,000人だった。
それが現在はその20倍の約8万人。
これが30年後の2050年、推定予測では
約7倍の54万人になると言われている。
どうもまだリアルに感じられないが、
僕も21世紀の後半まで人生が続くかもしれない。
で、たぶん多くの人は
「わー、まだまだたっぷり時間があるー」と喜ぶのでなく、
「えー、まだそんなにあるの~」と、
うんざりと不安・心配の入り混じった思いに駆られる
――というのが正直なところだろう。
そういう気持ちを抱かず、
明るく前向きに生きられる社会にしていくのは、
僕たち自身の責任であるように思う。
子どもや若者らに「未来を切り開け」というのはいいけど、
その前に自分たちの未来も切り開かんとね。
ついでに言うと、エンディング業界で働いている女性は
武藤さんだけでなく、明るい女性が多くてとても頼もしい。
エンディングから未来を拓く
――ってなんだか矛盾しているようだけど面白い。
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エンディング産業展は、ブース展示のほかにセミナーがある。
今年はコロナ禍で7月から10月まで4分の1ほどの講座が
zoomを使ったウェビナーとして行なわれ、
リアル講座は昨日からの3日間で30あまり。
じつは取材のメインはこちらのほうである。
僕はそのうち4講座を担当しているが、
そのうちの一つが認知症専門医の講座だった。
こういう医療関係者の講座は初めてだと思う。
内容は、臨床医の見識に基づき、認知症患者の実態と
今後の見通しについて語るもの。
個人的に義母のこともあるので興味深く聞いた。
2025年、これからわずか5年後。
65歳以上の高齢者の5人に一人は(軽度を含めると)
認知症になるという。
その数だけでもショッキングだが、
一人暮らしの高齢者が増えると、誰にも気づかれず、
いつの間にか認知症になっていた、
というパターンも増えるという。
そうなると当然のことながらすべては手遅れで、
自分を客観的に見られない状態になっているので
終活もままならず、
施設に入る手続きも自分では取れない。
そういう人が増えると社会はどうなってしまうのか?
わずか5年先、10年先の話だが、
普通の人はあまりそんな気が回らない。
てか、そんなこと考えたくない。
今までそんなこと考えずに生きてきた。
見たくも聞きたくもなかった。
僕だって義母がいなかったら、ろくに考えなかっただろう。
しかし、そろそろ見ないふり・聞かないふりは
できなくなくなりそうだ。
僕たちの社会はそういう5人に一人の認知症の人たちの
面倒を見られるのだろうか?
この講座は終活のカテゴリーの一つとして開かれた。
これから終活関係の講座や展示はさらに増えるだろう。
認知症問題やその他の終末医療も含めて
終活関係のことがらは向こう10年、20年の
社会最大のテーマに育ちつつある。
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今日から3日間、毎年行っているエンディング産業展の取材。
例年は8月に晴海のビッグサイトで開催されるが、
今年はビッグサイト青海会場で。
規模的には例年の3分の1から4分の1程度に縮小。
けどこのご時世、できただけラッキーということか。
ほんとにギリギリセーフみたいなスケジュール。
それでもけっこう賑わっている。
おそらく年内最後のリアル取材・・・かな?
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日本の各地に「若水」という民話がある。
若水とは若返りの水だ。
ある村におじいさんんとおばあさんが住んでいて、
ある日、おじいさんが山のふもとで湧き水を発見して飲む。
すると白髪が黒くなり、肌のしわが取れてつやつやしてきた。
その湧き水は若返りの水だったのだ。
それを見て仰天したおばあさんは自分も若返りたくて、
一緒に若水が湧き出るところに行って、ごくごくと飲む。
すると、やはり同じように髪は黒々、お肌もつやつや。
ふたりして曲がっていた腰もしゃんとして、
これでまた元気に働けると喜んでいたが、
おばあさんは欲が出てしまった。
おじいさんに隠れて、こっそりと毎日、若水を飲みに行く。
どんどん若返り、まるで若い娘のようになってしまう。
それでおじいさんはこれでまた若い女を抱けると大喜び――
というのは僕の勝手な創作で、
原作では、もうそれ以上、若水を飲むのはやめろと言う。
元おばあさんは一応、おじいさんのいうことを聞くが、
一度火が付いた欲望はもう止められず、またもや若水のところへ。
その日、おばあさんは家に帰ってこない。
おじいさんはもしやと思って若水のところに行くと、
木々の合間から赤ん坊の泣き声がする。
あわてて駆け寄ってみると、
水を飲み過ぎたおばあさんは、
かわいい赤ちゃんに還ってしまっていた。
おじいさんはやむをえず、
おばあさんだった赤ちゃんを家に連れて帰り、
自分で育てることにする。
「若返りたい」という欲望、不老不死の欲望は、
もちろん男にもあるが、情熱と言うか執着心は、
やはり女のほうが何倍も強い。
それはたぶん、
女は自分の身体の変化を顕著に体験するからだろう。
子どもを産まない体から、産める体になり、
やがてもう産めない身体に変化するというのは、
どんなに身近にいても、男にはとうていわからない神秘だ。
現代は閉経以降も女性に活躍の場がたくさん用意されているので、
精神的にそうこたえないかもしれない。
しかし、人間も自然の摂理に従って生きていた近代以前は、
かなりリアルに自分の衰え、存在の危うさを
感じざるを得なかっただろう。
そういうところからこんな話が生まれてきたのではないかと思う。
若返っていくというのは自然の摂理に反することだから、
一種の恐怖であり、老いること以上に残酷であり、
したがってこの若水の話はホラーでもある。
このおばあさんは不思議な体験をし、平常心を失い、
欲にかられて若返ること自体が目的となってしまった
愚かな女である。
何のために若返るのか?
若返って自分は何をしたいのかよく考えよ。
そう言うのは正論だが、こうした愚かで弱いところが
人間らしいと言えば人間らしくて、すこぶる可愛い。
ぼくがこのおじいさんだったら、
若い娘も飛び越して、赤ちゃんに還ってしまった妻を
育てようとするだろうか?
あなたはどうですか?
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「生まれてきたときも、死んでいくときも、
しょせん人間はひとりなんだぜ」
BGMにジャズが流れるアンティークなバーで、
彼は煙草の煙をくゆらせながら遠い目をして語った。
「人間ひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいくのよ」
小さなクラブでブルースを歌い終え、
ぐいっとフォアロゼのオンザロックを流し込んで一息ついた
彼女がため息交じりに言った。
僕が若者の頃に身を浸していた昭和の時代には、
人生の先輩方からよくそういう話を聞かされた。
カッコいいな。
わりと素直にそう思った。
おれも齢とってシブくなったら、
若いモン相手ににそんなセリフを吐きたいもんだぜ。
そう考えていた。
で、実際に、当時のその諸先輩方の年齢を超えた今、
彼らの件のセリフは単なるカッコづけだとわかった。
現実は歌や物語と違って、
もっとバタバタしてて、もっと全然みっともなくて、
孤独な男や孤高の女などやっていられない。
人間は一人ではこの世に生まれてこれない。
カミさんが息子を出産する時に立ち会ったが、
医者とか看護婦さんとか大勢の人が関わって、
はじめて子どもはこの世界の空気を吸える。
(僕はただデクノボーみたいに突っ立ていて、
出てきた息子を「ほれ」と抱かされただけだったけど)
文明社会の外だったらどうか?
森の中なり、砂漠なり、野生動物と同じように生まれ出たら?
これだって産院と同様、周囲に守ってくれる人たちが必要だ。
もしに誰もおらず、母親がそのまま死んでしまったら、
子どもは何日も生き延びられないだろう。
他の動物に食われるか、飢え死にするか、
暑くて死ぬか、寒さで死ぬかのどれかである。
死ぬときはどうか?
孤独死が社会問題になっているが、
ひとりで死んだとしても実際はそれで終わらない。
遺体を処理しなくてはならない。
自分の魂は抜けて、この世界のしきたりから解放されても、
遺体をそのまま放置して
腐らせるままにしておくことは許されない。
しかし、自分で自分の遺体の始末をすることは不可能なのだ。
「自分の葬式は必要ない」と言ってても、
必ず面倒を見る人がいる。
火葬してお骨を集めて手を合わせるぐらいのことは
“されなくては”ならない。
普通は肉親――遺族がそれをするが、
誰もいなければ行政の人とか、何らかの形で代理人になった人が
その仕事を引き受ける必要がある。
雪山や樹海に入ってそのまま消える。
おれの遺体は山犬に食わせてやる。
あるいは海に流してホオジロザメの餌になってもいい――
そういう夢見るユメオさんや夢子さんや
豪傑さんたちにも逢ったが、
こういう人こそ社会の大迷惑。
大変な騒ぎになって捜索隊とか出さなくてはならなくなり、
無数の人に面倒をかけることになる。
だから本当の意味での孤独死というものは存在しない。
生まれるときも死ぬときも人間はひとりではない。
少なくとも、こうしてパソコンやスマホで
インターネットを見られるような文明社会で
人生を送っている限りは。
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UFO(未確認飛行物体=空飛ぶ円盤)は、
1960年代から頻繁に地球を訪れるようになった。
彼らは地球人に夢と希望を与えるために飛来するようになった。
あるいは「もっと賢くなれ」と警告するために?
きょうはテレビのミステリー番組で、
50年前、オーストラリアで起こったUFO目撃騒ぎを取り上げていた。
当時はかなり大きな話題になったようだが、すぐに忘れ去られた。
なんと言ってもUFOなんて“不要不急”の最たるものである。
UFO出現地点のすぐそばの高校にいた
高校生たちには緘口令まで出たらしい。
「UFOを見たなんて言ってはダメ」というわけだ。
当時は(たぶん今でも?)教育上よろしくないとか、
反社会的だという道徳的理由があったのか、
それとも、未知の宇宙ウイルスとかがばらまかれるとか、
最悪の場合、誘拐されるかも・・・という噂が広がったのかもしれない。
その時のUFOを見たという高校生たちが
番組の求めに応じて集まっていた。
50年前の高校生だから、すでに全員、60代後半だ。
同窓会ムードも相まって、
みんな、なんだか楽しそうで、ちょっと興奮気味に
自分のUFO目撃談を話していた。
学校から飛び出してひとりでUFが着陸しているところまで
見に行ったという女性は、まるで17~8歳に若返ったかのように、番組スタッフに熱意ある説明をしていた。
みんな50年の間に人生いろいろあったのだろうと思うが、
その楽しそうな様子を見ていると、
「わたしはUFOを見た」という体験は、
苦しいときも哀しいときも
気づかないうちに彼ら・彼女らの
心の支えになったかもしれない。
もしかしたらUFOとの遭遇は、就職や結婚や出産などよりも
大きな人生のイベントだったのかも知れない。
まじめなことや、まともなことばたかりだと人間、
息切れする。
こうした傍から見たらバカげたことのほうが
人生を生き抜くエネルギーになるのではないかと思う。
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国連児童基金(ユニセフ)が3日、
先進・新興国38カ国に住む子どもの幸福度を調査した
報告書を公表した。
これを読むと、
どうも日本の子どもはあんまり幸福ではないらしい。
「身体的健康」では1位なのに、
「精神的な幸福度」は37位と最低レベル。
めちゃくちゃアンバランスだが、
平均取ってトータルでは20位なので、いちおう中程度?
これをいったいどう読み解けばいいのか?
そもそもこういうランキングにどんな意味があるのか?
それぞれの国にはそれぞれの条件・生活・文化があるのだから、
国際比較することに無理があるのではないか?
—-という批判はもっともかなと思う。
けどやっぱり目をつむっていてはいけない。
「精神的な幸福度」は生活満足度と自殺率で
指標化されているというが、
やっぱり学校におけるいじめ問題、
また家庭における虐待問題が
大きく影響していると思う。
僕たちはもうそういう報道にも慣れて麻痺してしまって、
大した問題だとも思わなくなっているのではないか。
明治時代にやってきた欧米の知識人が
びっくりするほど子どもをかわいがり、
老人を敬う国だった—-という妖精の国・日本。
だが、100年後の現代日本はどうもそうなっていない。
子どもの保育施設、保護施設、
また、高齢者の養護施設などは
「迷惑施設」とみられることが多い。
東京では保育園の建設に住民の反対運動が起こったり、
虐待された児童の保護施設の建設に
「地域イメージが悪くなる」「地価が下がる」といった理由で
これまた反対運動が起こった。
高齢者の養護施設も、障がい者施設も同様。
先だっての7月の九州の豪雨では、
水害リスクの高い地域に建てられた高齢者施設が
浸水被害に遭い、死亡者まで出た。
家族が訪問しやすいように山の上や高台などではなく、
利便性の高い川沿いに作った--という前向きな理由もある。
けれどもこれも「迷惑施設」ということで、
あまり人の目に触れないところに作らざるを得なかった、
という経緯があるようだ。
土地の値段など、現実的な問題もあるので
一概にけしからんとは言わないが、
気になるのは、こうした子ども施設や高齢者施設を
「迷惑施設」と言ってしまう大人のメンタリティ。
自分がかつて一人では生きられない
子どもだったという記憶も失い、
生き続ける限り、いずれ老人になっていくという
想像力も働かない大人はヶく大勢、この国にはいる。
生産社会に関わらない人たちの居場所を「迷惑だ」と
行政に訴えるセンスのなさは絶望的だ。
政治がどうとか、制度がどうとかいう前に、
こういうひとりひとりのエゴイズムがどうにかならない限り、
子どもの幸福度が上がるはずもなく、
いずれこの国は不幸な人であふれかえることになるだろう。
特にコロナのせいでストレスが溜まっている昨今は
とてもとても心配になってくる。
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インド・中国という2つの大国に囲まれた南アジアの小国、
ヒマラヤ山中にあるブータンは
「世界一幸せな国」として世界中に知られている。
九州と同じくらいの面積の国土、高知県と同じくらいの人口。
小さくとも日本と同様、明確な四季のある美しい国らしい。
この国を有名にしたのは何と言っても
「世界一幸せな国」というキャッチフレーズだろう。
これは「国民総幸福量」というGDP(国民総生産)とは
まったく異なる新しい国づくりの指針から生まれた言葉でもある。
ブータンは1960年代まで鎖国政策をとっていたが、
1971年に国連に加盟。
その際に第4代国王が『我々の国の方針は、
国や国民の為に経済的独立、繁栄、幸福を実現し
国をまとめることと語り、GWH(国民幸福量)を取り入れた。
このGWHは2年ごとに、
4つの柱(持続可能な社会経済開発/環境保護/伝統文化の振興/優れた統治力)、
9つの指標(心理的幸福/時間の使い方とバランス/文化の多様性/地域の活力/環境の多様性/良い統治/健康/教育/生活水準)にしたがって約1万人を対象にした聴き取り調査が行われる。
その詳細はさておき、「医療や教育が無償で平等に提供されている」という福祉の手厚さと、国教であるチベット仏教に対する厚い信仰心がブータン人の幸福感の理由の基本となっているようだ。
チベット仏教は人々の死生観にも大きな影響を与えている。
ブータンでは輪廻転生が信じられており、
死んでもまた別の何かに生まれ変わると考えられている。
つまり現世における生や死は、
輪廻転生という悠久の時間の中で起きる小さな一コマ、
ごく自然な一つの現象と捉えられているのだ。
ちなみにこれだけ世界中がコロナに振り回されている時に、
コロナによる死者は今のところゼロ。
そんな奇跡の国ブータンの幸福も、
じわじわとインターネットによるさまざまな情報の流入で
徐々に侵されつつある・・・
というところまで書いてから歩きに出ると、
道にコロコロこの夏の命を終えたセミたちの死骸が転がっている。
足元のセミを見て、
なぜか自分は今度生まれ変わったらセミになリそうな気がした。
長年土の中で幼少時代を過ごして
やっと表で出た~と思ったら、
せいぜい数週間生きて終わて、アリの餌になる。
なんだか哀れにも思えるけど、
それは人間視点だから。
セミはセミでそれは幸福なセミ生なのかもしれない。
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●こなきじじいの出世
こなきじじじいはかなり知名度の高い妖怪である。
カッパ、天狗、のっぺらぼう、ざしきわらしなどには及ばずとも、
知名度ランキングではベスト10に入るかどうかというところまで行くのではないだろうか?
こなきじじじいの名を世に知らしめたのは、
なんといっても妖怪マンガの巨匠・水木しげる先生の
「ゲゲゲの鬼太郎」のおかげである。
こなきじじいという妖怪がいることなんて、
ぼくたちの親の世代以上の日本人はほとんど知らなかった。
鬼太郎の友だち、ファミリーの一員となったことで
こなきじじいは日本でも指折りの妖怪に昇格・出世したのだ。
●柳田國男が発見した「こなきじじい伝説」
なぜ、それまでほとんど知られていなかったというと、
あまりにローカルな妖怪だったからである。
こなきじじいは阿波の国(徳島県)の山奥の出身だ。
この妖怪を“発見”したのは、民俗学者の柳田國男である。
阿波の山分の村々で、山奥にいるといふ妖怪。
形は爺だといふが赤児の啼声をする。
或は赤児の形に化けて山中で啼いてゐるともいふのは
こしらへ話らしい。
人が哀れに思って抱き上げると俄かに重く放そうとしてもしがみついて離れず、しまひにはその人の命を取るなどゝ、ウ
ブメやウバリオンと近い話になって居る。
木屋平の村でゴキヤ啼きが来るといつて子供を嚇すのも、
この児啼爺のことをいふらしい。(後略)
柳田國男『妖怪談義』1956
この記述から、水木しげるがあの金太郎の腹掛けをした
こなきじじいの姿を描き出した。
僕たちはこうした妖怪の話は大昔から地域の伝説として伝わっていると思い込んでいるが、じつはそうでもなくて、
このこなきじじいの話などは割と最近のことらしい。
●こなきじじいの正体は実在の徘徊じいさん
以下は妖怪小説の大家・京極夏彦氏の「妖怪の理 妖怪の檻」
(角川書店/平成19年)の記載事項(を僕なりにアレンジ)。
上記の柳田國男の記事を読んで、
本当にこんな妖怪がいるのだろうか?
と疑問を抱いた地元・徳島の郷土研究家が
詳細な現地調査を行ったそうだ。
柳田國男もまたある文献をもとに記事を書いたので、
そのネタ元をもとにあちこち調べまくったというから、
すごい情熱・執念である。
その結果、本当にこなきじじいがいた、
❝実在していた❞〝ということが判明した。
大昔の伝説でもファンタジーでもなく、リアルな事実。
その正体は、赤ん坊の泣き真似が得意で、
泣き真似をしながら山の中を徘徊していた、
実在の爺さんだったのだ。
ある家で子どもが悪さをしたり、言うことを聞かなかったりすると
「山からじじいが来るよ」と、嚇しのネタに使っていたという。
それが妖怪こなきじじいの出生の秘密だったのだ。
まさしく驚愕の事実。
●年寄りなんてそんなもの
柳田國男が収集したそのネタ元が、
いったいいつの時代のものかわからないが、
話の成り行きから察するにそう大昔のものとは思えない。
昭和初期くらいの話なのではないかと思える。
こなきじじいの歴史は100年に満たないのでないか。
それにしても赤ちゃんお鳴きまねをして
山中を徘徊している爺さんって・・・
いまの時代ならとても放っておいてもらえないだろう。
変質者として通報され、警察に保護されるか、
認知症患者として病院に連れていかれるに違いない。
昔はよく言えばおおらか、悪く言えばいい加減だったので、
こうしたこなきじじいも自由にしていられた。
そもそも年寄りはそんなもの、
齢を取れば大半の人間は、生産的な現実世界とは異なる、
妖怪的な世界の住人になっていく。
そんな暗黙の了解というか、
こころやさしい認識があったのかも知れない。
●ねこなきじじいは令和の妖怪?
そう考えて、ふと自分のことに思い至った。
そういえば昨日も義母と散歩の途中でネコに逢い、
にゃーにゃ―ネコの鳴きまねをしていた。
これは僕の得意技で、
いつもこれでネコを手なづけようとしている。
(が、ほとんど効果がない)
これはもう「ねこなきじじい」ではないか。
将来、認知症になって、ねこなきじじいとして妖怪伝説となる———
そういう未来が待っているのかも知れないニャー。
そうしたら、ネコ娘はなかよくしてくれるだろうか?
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ユーライア・ヒープの「July Morning」、
キング・クリムゾンの「Epitaph」。
この2回、自分の好きなロックのことについて
書こうと思ったのに、なぜか西城秀樹さんの話になっていた。
たまたまネット上で音源を見つけたからだが、
彼がこれらの歌を歌っていたのをまったく知らなかったので、
本当に驚いてしまった。
そして、それが人気歌手が流行りに乗って
片手間で歌ってみました、という類のものではなく、
本気で取り組んでいたを感じて心動かされた。
本人はもちろんだが、
これはスタッフやバックミュージシャンも含めて、である。
西城秀樹という天才を中心に、
日本の大衆音楽を大きく育てていこう、
レベルを高くしていこうという熱いうねりが
当時はあったのだと感じる。
★情熱の嵐
僕は小学生から中学生の初め頃まで、
昭和の歌謡曲の世界にハマっていた。
ちなみに熱狂的な秀樹ファンである、
ちびまる子ちゃんのお姉ちゃんと同じくらいの世代である。
西城さんについては「情熱の嵐」「激しい恋」
「薔薇の鎖」などの振り付けが好きで、
よくマネして遊んでいた。
「情熱の嵐」では上着を脱いで
頭の上で振り回すアクションがあったが、
あれをマネして学校の休憩時間中、
振り回していた体操着が花瓶に当たって壊れ、
先生に怒られた記憶がある。
ただし、それっきり。
その後、特にファンだったわけでもないし、
レコードなどもを買わず、ライブに行ったこともない。
★2018年5月 青山葬儀所
けれども今回発見した「July Morning」や「Epitaph」の音源が
大阪球場や後楽園球場のライブだったことを知り、
2年前の5月、
青山葬儀所での西城さんのお葬式に行ったことを思い出した。
これもその時まで知らなかったが、
西城さんは1974年夏、日本人としては初めて
球場でライブをやったミュージシャンだったという。
それを記念して祭壇は大阪球場を模したものだった。
そこには「一生青春」の文字も刻まれていた。
日本の音楽シーンが活性化した
1970代後半から80年代、90年代にかけて
球場でライブをやることは、
そのミュージシャンがビッグになった証であり、
一つのステータスでもあったが、
その流れを作ったのも西城さんだった。
西城さんはさらに大きなミュージシャンとして
成長しようとしていた矢先、
病に倒れ、人生の後半は病気との闘い、リハビリの日々になった。
そして2018年4月の終わり、運命の日は来てしまった。
自宅で倒れ、意識不明のまま、翌5月半ばに帰らぬ人となった。
西城さんがアイドル、スターとして活躍した時間は、
トータルで見るとけっして長くない。
けれども凡人の何倍も濃密な時間を生きたのだと思う。
まさに太く短い人生だった。
葬儀が行われたのは亡くたって9日後。
僕はレギュラーワークの一つとして
葬儀・供養関連の専門誌のライターをやっているので、
その現場を取材する幸運に恵まれた。
★華やかであたたかいお葬式
式場には入らなかったが、
テレビ中継のスタッフや芸能記者たちに混ざって、
青山葬儀所内の別室にあるモニター画面で
告別式の一部始終を目にし、
野口五郎さんや郷ひろみさんらの弔辞を聴いていた。
告別式が終わり、真っ青なベールがかけられた棺が
真っ青な空のもとに運び出される。
黒いリムジンに乗せられた後、
MCの徳光和夫さんが集まった人たちに
「ヒデキ、ありがとうと言って送ってください」と呼びかける。
ファンかスタッフかわからないが最初に一人の男性が声を上げた。
「ヒデキ、ありがとう」
すると堰を切ったようにみんなが「ありがとう」と
ヒデキコールを繰り返し、火葬場へ向かうリムジンを見送った。
テレビやネットで観た人も多かったと思うが、
あれは本当に一世を風靡したスターらしい華やかで、
そしてあたたかいお葬式だった。
最後を締めた徳光さんの人柄や、
野口さん・郷さんの、あの時代の叙事詩を語るかのような
弔辞も影響しているが、
何よりもファンの、ここに来なくてはいられなかったという
思いの渦みたいなものが青山葬儀所を包み込んでいた。
(確か地方から旦那さんと泊りがけで来たという人もいた)
いま思えば、亡くなって10日足らずで
あれだけの規模・内容の式が出来たこと自体が奇跡のようだ。
企画・運営した人たちにも、
大スターの最後を飾る花道を作らなくては、
という使命感にも似た思いがあったのだろう。
今はがたとえ有名人が亡くなっても、
まず近親者だけで密葬をし、
あとからファンなどのためにお別れ会を開く――
といったパターンが多く、
それさえもないことも珍しくなくなった。
西城さんのご家族も、
気を遣わないで済む密葬(家族葬)で済ませ、
後日にお別れ会――という選択肢だって当然考えただろう。
しかし喪主である奥さんは、彼を支え応援してくれたファンと
悲しみを分かち合うのが義務と思ったのかも知れない。
また、病気を負った姿しか見ていない息子さんたちに、
父がいかに偉大なスターであり、ミュージシャンであったかを
胸に焼き付けてほしいという思いもあったのかも知れない。
★死してなお輝き続ける
青山葬儀所から出ていく西城さんの棺をその場で見送り、
ありがとう、さようならとコールを送った1万人の人たち。
その胸にも深い満足感と、
それまでの活躍の記憶がより深く刻み込まれただろう。
やはりテレビやネットで得られる、
効率の良い「情報」だけでは補えないものが
リアルな場にはあるのだ。
もしかしたら、いかなる昭和のスターでも、この先、
あんな華やかで、あたたかいお葬式はできないのでは・・・
とさえ思う。
ロックの話とすっかり離れてしまったが、
西城秀樹の歌は素晴らしい。
「July Morning」も「Epitaph」も、
その他、いろいろなジャンルの音楽を
自分のものして歌える才能は稀有なものではないか。
あの時代の音楽と、
それを糧にして育った日本人を語るに欠かせない存在して、
死してなお、西城秀樹は輝き続けるのかも知れない。
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3月を最後にリアル取材をやっていない。
4月から取材はぜんぶ自宅でZoomを使ってやっています。
昨日も福井のお寺の住職さんと1時間半くらい話してました。
僕がはじめてZoomを使ったのは昨年の11月。
最初はSkypeで、という話だったので、用意していたら
いきなりZoomで、とURLが送られてきて、Zoomってなに?
こんだけでつながるの? ちゃんと話できるの?
と思ったものですが、
やってみて簡単なのにびっくり。
ちなみにこのZoom、
僕が初体験した頃の昨年12月末時点で
1日あたりの会議参加者は約1千万人、
それが今年3月には2億人を突破、
そして4月が終わらないうちに3億人を超えるという
驚異的ペースで急増しているそうな。
コロナさまさまと言っちゃ語弊があるけど、
とにかくすごい勢いです。
東尋坊(断崖絶壁:自殺の名所)の入口あたりに
人生相談の出張所を出さなきゃ・・・
なんて笑い話をしていた坊さんに、
「ぜひ福井に来てくださいよ」と誘われました。
しかし、もはや「あご・あし・まくら」を頂いて、
大迫力の東尋坊見物をして越前ガニを賞味するなんて、
昔は当たり前だった2~3日の出張取材は、
贅沢中の贅沢、夢のまた夢に思えてきました。
ま、仕事があるだけよしとしてますが。
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ステイホーム週間初日、月刊仏事のリアル取材。
電車を使わずガラガラの新宿を
自転車でスイスイ走っての出動です。
霊柩車・寝台車を提供する会社において、
日本で唯一、「遺体感染管理士」の資格を発行している
エル・プランナーの橋本佐栄子先生が緊急講座をしました。
残念ながら新型コロナウィルスによる死者は増加中です。
加えて肺炎で亡くなる方は昨年の3倍ともいわれており、
その中にもコロナと疑わしき死亡者は
多いのではないかと推察されます。
亡くなってしまったらもう検査はしないので、わからないまま。
だから「死者数はまだ少ない」なんて
侮らないほうがいいと思います。
遺体をどう扱うかは厚生労働省から
一定のガイドラインが出されており、
医療者は遵守していますが、
医学的知識があまりない葬儀業者は、
それだけでは具体的にどう対処すればいいか、よくわかりません。
そこで遺体搬送の仕事をする人たちに対して、
最重要ポイントである手袋の使い方を橋本先生が伝授。
遺体は生体と違って、飛沫感染の心配はなく、
気を遣わなくてはならないのは「接触感染」です。
そのためには棺に触る手をいかに清潔に保つか。
ウィルスが手に付着しないよう
手袋をするのはもちろんですが、
その着脱のタイミング・テクニックを
よく覚えなくてはなりません。
講座では参加者が具体的に手袋の着脱の練習を行いました。
たかがはめたり取ったりのことですが、
これがやってみると意外と難しい。
受講生はマネージャークラスの人たち。
現場で働く人たちの命に関わることなので皆さん真剣です。
今日の講義を取材して
今さらながら気づいたことがあります。
僕たちはマスクをして、手をアルコール消毒していれば、
なんとなく感染予防できていると思っていますが、
それは間違い。
★メガネをかけて目を守る
一般のマスクは感染予防というより、
もし自分が病原体を持っていたら、
うつさないようにするためのもの。
ウィルスは医療用でない限り、
マスクを透過してしまうので、
やはり人との距離を保つことが重要です。
加えて僕も含め、みんな口と鼻をガードする意識はあるけど、
目のことはほとんど気にしていない。
目からもウィルスは侵入します。
てか、口や鼻よりも侵入しやすい開かれた入口。
ふだんメガネを使わない人も
伊達メガネをすれば、
少なくとも正面から飛んでくる飛沫はガードできます。
★噴霧のアルコール消毒でなく手洗い
アルコール消毒液をシュッシュとしておけば、
それでOKだろうと安心してしまうもの間違い。
アルコール消毒液は液に手を浸さないと、
本当の消毒とは言えません。
噴霧は、すぐにその場で手が洗えないときの、
いわば応急処置。
これだけでウィルスが殲滅できると思うのは幻想です。
シュッシュの後はできるだけは早く石鹸と流水で手洗いを。
とにかく手を清潔に保ち、
ソーシャルディスタンスを取ることこそ
感染予防のすべてと言っていいようです。
そして体力を落とさず免疫力を落とさないこと。
そしてイラつかないで笑って楽しく面白く過ごすこと。
せっかくならステイホームを自分のために、家族のために、
実のある時間にしましょう。
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おりべまことの面白エッセイ「ロンドンのハムカツ」も
明日26日(日)16:59まで無料キャンペーンやってます。
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